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[17730] Monster Hunter  Soul Striker (モンスターハンター 二次)
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2011/09/05 00:29
 お初にお目にかかります。
 二次小説を徒然と書かせていただいております、アルフリートという者です。


 モンスターハンターはお好きでしょうか?


 私は好きです。
 しかし、私は狩りがへたっぴで、その上、時間もありません。
 何とか、OPムービーのような熱い狩りが出来ないか?


 そんなことを模索していたら、いつの間にか小説のアイディアが出来上がっておりました。


 以上の経過を辿っていますので、この小説、モンハンの二次小説ではありますが、仕様以上のことをやっていたり、こちらからの勝手な解釈や設定(オリジナルモンスターや、キャラがジャンプして回避する、等)が付け加えられております。


 カプコン様の設定を重視されたい方や モンスターハンターの仕様を大切にされたい方はお読みにならないことをお勧めいたします。


 なお、この小説はMixiとFEZSNSとpixivにも記載されております。
 全く同じ内容の小説を見かけても、それは私です。ご注意を。




 それでは、硬い文章はここまで。

 どうぞ、本編をお楽しみください。 



 追記

 Twitter ID  Alfreat



[17730] 第一話「千切れた心」 1
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/03 21:23
 お前は人間を知っているか?

 生物として基本的な行動を可能にする体重は50~100kg。
 身長は成人で150~190cm。

 鋭利な牙もなければ爪もない。
 飛行する翼もなければ、暗闇での行動を可能にするような高周波を感じ取る聴覚や、獲物の状態すら知りえる嗅覚も備えていない。
 視覚は猛禽のように数キロ先を知りえるものでもなければ、魚のように周囲300度の視覚を得るものでもない。
 筋力にすればその差は他の動物とは比べ物にならないほど弱い。
 足は最高速度にして時速35km前後。馬や鹿とは比べ物にならないほど遅い。
 腕の筋力も弱い。人間は殴打で豚を殺すことは出来ない。
 肌にしてみればその肌は毛皮に覆われているわけでもない。脆弱過ぎて爪で引き裂くのは容易だ。
 そして、毒や炎の吐息のように特筆すべき武器をもっているわけでもない。


 こんな吹けば飛ぶような弱々しい存在が時に全長20mを超える飛竜を相手に、大剣やランスなどの巨大で原始的な近接武器、もしくはまだライフリングも切られていない単発式の銃器で勝利する現実があることを、貴方は信じられるだろうか?


 そうだ、飛竜達は人間と比べて圧倒的に強力だ。
 彼らは空を飛べる。獲物を好きな時に好きなタイミングで強襲出来る。そして、危うくなれば好きな時に逃げ出すことが出来る。
 彼らの感覚は鋭敏だ。巨大で強力ながらも彼らは常に自分に敵がいる事を、自然淘汰によって洗練された本能から忘れてはいない。常に外的の脅威を感じる五感は小動物の接近すら逃しはしない。
 小型でも5mは超える巨躯。強靭にして柔軟な皮膚で覆われた体が持つ破壊力は人類の体とは比較にすることすら馬鹿らしい。
 走る速度は大きければ大きいほど人類より速くなる。自重により鈍重になることはあっても、彼らの身体能力は人類よりも高い。
 肌の堅さは人類と比較するのも馬鹿馬鹿しい。鋼よりも堅い鱗は人類が作り出すあらゆる鎧よりも密着して動きを阻害しない高性能な鎧そのものだ。
 そして、彼らには毒や炎の吐息以外にも、水中や地中、溶岩の中を動く能力をもっていたり、種類によっては視認不可能なほどの擬態を行ったり、熱線を吐く能力をもっていたりする。


 その飛竜が。
 生態系の頂点が。
 圧倒的なまでの力を振るう暴君が。


 脆弱な人間によって倒されているという事実を君を信じることが出来るだろうか?


 ああ、飛竜を倒そうと考えた人類最初の蛮勇を発揮した者よ。
 貴方の子孫はここまで強くなったのだ!

 さあ、語ろう。狩人達の物語を。

 彼らは後世にこう呼ばれる。



 モンスターハンター、と。








 青黒い鎧を身に着けた金髪の狩人が、草食獣アプトノス二頭引きの車の後方で、後方へと通り過ぎていく地面の流れと、形を変えてどこかへ行く雲の形を後ろ向きでじっと見ていた。

 思えば随分と狩りとは外れた平穏な光景だとおもう。
 ただの街道であるここには、飛竜も大型の獣の影すらもない。
 商隊の護衛の最中だが、うたた寝してもいいかもしれない。

 そう、狩人は今、商隊の専属護衛に一人でついている。
 この時代、街道は安全とは言えず、様々な飛竜や大型の獣に襲われる可能性があった。
 狩人であればそのようなものを相手にしても撃退する術は心得ているが、ただの商人ともなるとそうはいかない。
 懐に余裕のある商人が狩人を護衛として雇うのは当時の商人達の生存の為の術の一つだった。

 ――ただ、彼の場合少し事情が違う。

 背中の方で物音を聞いた狩人は、リボンで髪をまとめた長い髪の女の子が、自分の武器を持ち上げようとしているのを発見した。

「おい、危ないぞ」

 子供に自分の武器を持ち上げられるとは思わないが、倒した時に下敷きにでもなったら怪我をするだろう。

 彼の武器は巨大で無骨な金属塊に単純な柄をつけただけのものだった。
 武器として刺す為に尖ってもいなければ、切る為に研ぎ澄まされてもいない。
 あえてそれを形容するならば巨大な金槌だ。
 ただ重量で飛竜の頭を叩き潰すための武器。
 『ハンマー』と分類される狩人達の武器だった。
 その名を極鎚ジャガーノート。

 女の子はその重量にびくともしないことを悟ると、狩人と目が合って恥ずかしがるようにジャガーノートの後ろに隠れた。

「持とうとしたんじゃないよお? 倒れそうだから、支えていたんだよお」

 舌足らずな口調で言い訳する女の子の額を軽い力で弾いてやると、あまりの痛さに声を出さずに額を押さえた。

「アルシア、倒れそうになっても支えるんじゃない。そいつはお前さんの体よりも重いんだ。支えたら間違いなく潰れるぞ」

 アルシアはそんなことないと頬を膨らまして恨みがまそうな視線でこちらを見た。事実なのに。

「大体、遊びに来たんならお前のお父さんのところに戻ってくれ。私は暇じゃない」

 アルシアは狩人の言葉で自分が請け負ったお使いを思い出すと、車の前方を指差した。

「お父さんが呼んでるよお」

「ウォルダンさんが? なんて言ってた?」

「話があるってさ」

「そうか」

 狩人が車の前に行くために体を起こして歩こうとすると、狩人の左足にアルシアが抱きついた。
 狩人が見下ろすと笑顔でアルシアが見上げてくる。
 狩人は笑みをアルシアに返すと、アルシアを左足に抱きつかせたまま前進した。

「きゃー」

 嬌声をあげて喜ぶアルシアを微笑ましいと思いながら、狩人は車の御者席に顔を出した。
 アプトノスの手綱を取る中年の男に会釈をすると、彼は狩人の左足にしがみついているアルシアを見て、

「これ、アルシア。あんまり仕事の邪魔をするなよ」

「はーい」

 聞き分けよく車の後ろに戻っていく娘をしばらく見ていたウォルダンは、御者席の隣に腰掛けた狩人に切り出した。

「あと一日ぐらいで、ドンドルマの街に着くんだが、アンタどうするんだね?」

「また商隊の護衛でもしようかと思います。ウォルダンさんがよろしければ、またどうですか?」

 一つ溜息をついたウォルダンは、狩人の顔を見てこう言った。

「そいつは困るな」
 
「困る?」

「あたしゃ、アンタを雇えるほど儲けている商人じゃあないんだ」

「私は普通の狩人ですよ」

「嘘つけ」

 ウォルダンはきっぱりと言い切った。
 商品を値踏みする商人の目。食物、武器、香辛料、毛皮、鉱石、情報、酒。様々なものを値踏みして取引し、利益を得る商人の鑑識眼は人間すらも値札を掛けることをいとわない。

「アンタ、――Gの狩人だろ?」

 狩人の表情が正直に揺れ動いた。



 ――G。

 Great、God、Glee、Goal、Gargantuan、Gene、Gravity、General、Giant、Genius、Glory、Gorgeous、Gift、Giga、Glacier、Global、Gold、Gospel、Government、Grace、Grail、Grand、Genie、Gem、Goddess、Growth。

 古来よりその文字が宿す意味は巨大なもの、偉大なもの、大きなもの、強い印象を抱かせる単語が多い。
 故にその文字は偉大なもの、巨大なもの、強いものに与えられた。

 狡猾にして偉大、強力にして気高い存在であるGの飛竜達に。
 そして、彼らの天敵であるGの狩人達に。

 G。

 それは狩人であれば見過ごせない言葉であった。

 ――この狩人にしてもまた然り、

 狩人は表情に笑顔を無理矢理塗りつけた。

「馬鹿を言わないでくれ。私がGのはずがない」

「極鎚ジャガーノート。アンタの武器は紛れもないGの狩人が持つ逸品だろ?」

「狩人だって隙はあるし、人に武器を譲りはする。私の武器は他人の預かり物だ」

「アンタ、あれだけ上手くクックを退治しておいてそれを言うかい?」

 二日前にこの商隊の食料を目当てに怪鳥イャンクックが襲い掛かった。
 その時、狩人は一度も攻撃を喰らうことなくイャンクックを撃退してしまったのだが、まさかこういう引き合いに使われるとは狩人は思いもしなかった。

 商人は困った表情で狩人に、

「そりゃあね、あたしとしてもGの狩人に護衛してもらうなんざなによりのことさ。あんたべらぼうに強いしね」

 困ったように溜息をつく狩人を慰めるように、ウォルダンは続ける。

「でもね、ギルドがいい顔しないのさ。Gのアンタを専属護衛にし続けることはギルドが禁じている。色々な人がアンタを求めているしね」

 狩人は下を向いた。何かを恥じるかのように、肩に重たい何かが乗ったかのように。
 ウォルダンはそんな狩人を見て、彼と最初に出会ったときのことを思い出した。

「アンタがあたしの母ちゃんのところでいつからいたのか。アンタは言ってくれないけど、あたしはアンタに感謝している」

 ウォルダンと狩人の出会いは偶然とも必然とも言えた。
 ウォルダンは毎年秋の収穫の時期に、商品を携え車を引いて自分の故郷へと帰省する。故郷にはウォルダンの母親がおり、毎年収穫した出来立ての野菜と近所の狩人が分けてくれるアプケロスの肉を御馳走してくれるのだった。
 しかし、故郷に着いた彼を待っていたのは悲しい訃報だった。
 ウォルダンが帰郷した際にまず出会ったのはもう物を語らぬ自分の母親の亡骸と、そして、今目の前で喋っている狩人だった。
 狩人はウォルダンに、「眠るように息を引き取った」、と告げ、ウォルダンと共に彼女の埋葬を手伝った。
 ウォルダンは、なぜ狩人が自分の母の家にいるのかと問い詰めたくもあったが、老いて床に伏せがちになった母を彼が看病しているのは、整理された家の様子から手に取るように分かった。

 埋葬はウォルダン、アルシア、狩人の三人の手によって密やかに行われた。

 故郷の家を維持することは出来ないと思ったウォルダンは、もう主のいなくなった家から形見とも言える品を出来る限り持ち出した。
 そして、彼女の最期を看取った狩人にドンドルマの自分の家に来ないかと、誘ったのだ。
 狩人はそれに合意した。
 お互いに母を尊重していた。狩人は息子であるウォルダンこそが形見を持つに相応しいと考え、ウォオルダンは最期を看取った狩人にそれなりに感謝していた。
 ウォルダンは彼を見捨てず、使用人、もしくは商売の手伝いとして自分の家で雇おうと考えていた。
 しかし、ウォルダンはそれが叶わないと知った。
 出発の日、彼は自分の部屋から自分の武器防具を持ち出し、肩にリュックサックを、腰にポーチを掛けたのを見て彼が狩人であることを知ったのだ。

 それまではやたらと家事手伝いに手馴れていたことから、どこの農民の出かと信じて疑わなかったのだ。


 しかし、狩人とは分かったが、何度も武器とその腕を見るまでGとは思っていなかった。

「なあ、アンタ。なんで、Gであることを隠す? Gの称号は狩人にとっては最高の名誉にして誇りなんだろう?」

 狩人はしばらく下にうつむいたままでいた。

「話してくれてもいいんじゃないか? あたしは狩人のなんたるかなんてちっとも分からないが、話を聞くことだけは出来る。話すだけで人は楽になれるもんだよ」

 ウォルダンはそう言って後悔することになる。
 彼は自分の言葉が下手だと思ったわけではない。
 車を引いていたアプトノスが突然現れた強力な飛竜に怯えるかのように落ち着きをなくし始めたからだ。
 見れば狩人は強力な二つの感情を宿していた。

 ――絶え間なく湧く『後悔』を燃料として我が身を焼かんとする『憤怒』だ。

 狩人自らに向けられたその大きな怒りの波動を感じ取った草食獣達は、この狩人に食われると勘違いして落ち着きを失っていた。
 自責の怒りで噛み締められた歯の間から言葉が漏れる。

「……私は……私は何も出来なかったのだ……」

 ウォルダンはこの狩人すら恐れさせるほどの存在を想像出来ず、戦慄を覚えていた。



[17730] 第一話「千切れた心」 2
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2012/02/09 23:39
 ドンドルマの街は大きい。
 行商人の使う道の中心となった街は良く栄えるのはいつの世も町が栄える条件の一つだが、この街はもう一つ大きな条件があった。

 狩人達の狩場の中心に位置し、ここを拠点とする狩人達が大勢いることだ。

 狩人達は飛竜の脅威から一般人を守るだけではなく、一般人に良質な資源を提供する者達でもある。商売として彼らを相手取るだけではなく、彼らに交渉して飛竜の皮や鱗などを融通してもらう者は少なくない。
 よって、ドンドルマは発展した。狩人と共に、狩人と関わる者と共に狩人の街として大きくなったのだ。


 ドンドルマの酒場は狩人達によって様々な様相を見せていた。
 戦果を仲間と喜び、祝杯を挙げる者。空き腹に目の前の巨大なアプトノスのこんがり肉を詰め込む者。仲間と狩りの計画を話し合う者。ただ酒場を眺める者。掲示板で狩り仲間の募集の張り紙を見る者。カウンターの給仕の娘と談笑する者。腕相撲に興ずる者。そして、それの勝敗を賭ける者。喝采を挙げる者。

 そのような多種多様の人間模様が交錯する狩人の酒場において、その男は唯一つの存在だった。
 酒場のドアをただ押して入ってきたその男は、白い甲殻の鎧に銀の銃騎槍を背中に背負っていた。

「おお、何だ、あの大男は?」

 男はとてつもない巨躯だった。身長にして2m。横幅も大きく人に与える雰囲気はまるで巌のようだった。 

「ぐ、グラビドX? しかも全身だと?」「馬鹿、そんなわけあるわけねえだろ?」「あれはGのグラビモスを何十体と狩ってはじめて一式揃うもんだぜ?」

 男の体は白色の甲殻によってその巨躯をさらに膨らませるように覆われていた。
 20mを超える巨体で火山の煮え滾る溶岩の中を住処とする、堅牢な甲殻を持った巨大な飛竜種 鎧竜グラビモス。
 男の鎧はそのグラビモスを素材としたものだった。
 鎧の素材としてグラビモスを使うのは生半可なことではない。火山を生き抜く知恵と勇気、鎧竜を数体も倒し続けるほどの武勇が必要だ。
 そして、その輝きがあのGの竜のものであることは余人には疑いようもなかった。

「おい、あれ、エンデ・デアヴェルトだぜ?」「英雄のガンランス!?」「じゃ、じゃああの男は!?」

 その武器こそ男の素性を何よりもはっきりとさせる物だった。
 狩人の武器として分類するならば、それは大砲を騎槍に仕込み、その大砲の威力と騎槍によって飛竜を撃ち落とす銃騎槍ガンランスである。
 我々の時代にガンランスと外見が似た武器があるとするならば、それは銃剣を先に付けたライフルだろう。
 ただし、こちらは大きさがライフルと言うよりも大砲と言っても良い。
 しかし、その砲はライフルと違い、射程距離が圧倒的に短い。獲物と接近して戦うと言っても過言ではない。
 そして、極めて重たいガンランスの重量により敵の攻撃を回避できぬため、左手に構えた盾で敵の攻撃を受け流すのだ。
 余人が聞けば冗談のような構想の下に作られた武器だが、実際にガンランスは狩人達の間で広く扱われた。
 それは飛竜という脅威に対抗するために、狩人達が必死に作り上げた堅牢にして強力な火器であった。
 その中でも、男の持っているガンランスは随一と言ってもいい逸品である。
 火竜リオレウスと鎧竜グラビモスの数体に一つと言われる希少な素材を使わねばその武器の威力を発揮できぬため、この世に数本あるかないかと言われる幻の銀のガンランス。
 故に持つものは英雄と呼ばれ、ついた名前こそ「エンデ・デアヴェルト」。

 そして、それを持つ者は武器と鎧に負けずと劣らぬ逸話の持ち主だった。

 かつてとある火山を領地にもつ王国にて火竜リオレウスと鎧竜グラビモスがその王国の火山を住処として生息することが発覚した。
 火竜リオレウスは広い縄張りを保有せねば自らの餌を確保できず、鎧竜グラビモスは火山の鉱石を餌としている。
 その二頭の竜が平地の領民にも火山の領民にも少なからぬ被害を出すのは誰の目にも明らかであった。

 その王国の王はすぐさま狩人ギルドにその二頭の竜を討伐を依頼するも、その二頭を同時に狩れるのはGの狩人以外に不可能であり、王国にいた狩人達には討伐は出来なかった。
 王が配下の騎士達に命令して討伐することは出来なかった。
 当時、その王国は狩人達の協力を得て主流産業を立ち上げており、狩人達の仕事である「飛竜退治」を騎士達が行うのは狩人達の面子を損なうに他ならなかった。
 狩人達の面子を損なうことはその王国の今後の産業に支障をきたすだろう。
 王は自らの王国の体制によって決断できぬまま、時が過ぎていった。
 その二頭の竜が少なくない被害を王国にもたらす時には、王は苦悩のあまり倒れてしまった。

 解決できる手段を持ちながら、解決できぬ悩みに懊悩する王の姿を見て一人の忠義の騎士が立ち上がった。

 彼は王に自分の騎士位と領土を返上して、自分の妻に離婚を告げて縁を切り、使用人に暇を出すと狩人として遍歴の旅に出たのだ。
 半年の苦難の旅を経て武者修行を終えたその元騎士の狩人は王国へと舞い戻り、苦闘の末に見事に二頭の竜を討伐してみせたのだ。

 王国の問題をその武勇で解決した元騎士の狩人の凱旋を王は大いに喜び、狩人を労う為に宴を開き、その席にて狩人の騎士位の返還を宣言した。

 しかし、元騎士の狩人は悲しげな顔をして首を横に振った。

「王よ、私は狩人としてこの武勇を鍛え、狩人として二頭の竜を討伐した。その私をまた騎士にすることは、王国の狩人に騎士位を与えて取り込んだ、と狩人ギルドにみられることでしょう。それではこの問題を解決したことにはなりません。騎士の位に未練がないわけではございませんが、謹んでそのお誘いを返上させていただきます」

 元騎士の狩人は狩人としていくばくかの謝礼を得て、その王国を後にした。

 王はならせめてこの元騎士狩人の名誉を損なってはならぬと、王国の吟遊詩人にその顛末を詩に書き取らせ、諸国を巡らせて詠わせた。

 そして、民衆はその詩を聞き、元騎士の狩人を本物の騎士の気概を持った人物であると、その名前に卿をつけてこう呼んだ。

 ――スティール卿。
 ――もしくは“Sir.”スティールであると。


 ドンドルマの酒場のカウンターに腰掛ける老人は、酒場の狩人達が騒ぎ立てる人物をおそらく本物の“Sir.”スティールであると見抜いていた。
 “Sir.”スティールも他の狩人には見向きもせず、この酒場の喧騒をタバコを吹かしながら面白そうに眺める矮躯の老人に一直線に歩み寄ってくると老人に話しかけてきた。

「失礼、このドンドルマのギルドマスターとお見受けしますが、よろしいでござるか?」

 見た目を裏切らない重低音の声に古めかしい騎士口調。まるで鎧竜グラビモスそのものが人の姿をとってこの街に現れたかのような男だと、老人――ドンドルマのギルドマスターは好々爺めいた笑顔を浮かべて肯いた。
 そこで、スティールが苦笑しながら兜を脱いだ。

「兜も取らずに挨拶とはこれまた失礼。我輩の名はスティール。性は故あって親へ返上したでござる」

 その素顔は高名な芸術家によって造形された美形でもなくば、飛竜によって傷を付けられた傷だらけの強面でもない。

 いかにも酒場で麦酒の杯を傾けていそうな茶色の口髭を生やした男だった。

 ギルドマスターは本人かどうかを確認するために鎌を掛けてみた。

「ほほう、そなたがあの高名な?」

「我輩はただの狩人でござる。時々民は我輩を騎士と見るが特別扱いは無用でござる」

 「それもそうじゃな」、とギルドマスターは笑ってみせた。
 名も肩書きにも頼らず目の前の自分を見ろ、と言わんばかりの潔い態度。
 スティールの名を利用した詐欺でも、中途半端な狩人が名を騙って大物ぶっているわけでもない。

 ――なるほど、これは本物じゃ。

「それでは、ここには何のようで来たのじゃ? お主ならまだるっこしい試しや下働きは抜きで飛竜退治をまわせるが……」

 頭の中で大都市ドンドルマの強者ハンターすら嫌がる難物の仕事を物色し始めたギルドマスターの思考を遮るようにスティールは、カウンターに写実的に描かれた竜の絵を叩きつけた。

「我輩が狙う竜がドンドルマのギルドの縄張りに入り込んだ。ただのハンターなら逆に食われかねないほどの竜でござる」

 スティールは胸を叩いて大きく声を出し、周囲の狩人に伝えるように言い放った。

「この竜は我輩が狩る。何人たりともこの竜に手を出してはならぬぞ! この竜は狩人を7人喰った大物、我輩のガンランスの獲物にござる!」

 そう喧伝するスティールにギルドマスターは、なるほどと肯いた。
 自分が追い続けた竜を狩る。
 それ自体は確かに筋が通っている。

 だが、時と場合によって狩人は互いの面子と言うものが場を大きく左右する。


「――ちょっと待ちなあ!」

 背中に人間ほどの大きさがある飛竜用の大剣を背中に背負った狩人がスティールの声を遮った。

「その竜は俺達“輝刃団”の獲物だ! 後からしゃしゃり出て俺達の獲物を持っていこうとは随分と肝が太いもんだな、騎士様よ!!」

 見ればその男だけではなく、近くの机で一緒に食事を取っていた三人の仲間も立ち上がり、スティールの前に立ちはだかった。
 ギルドマスターはタバコを吹かしてその様子を面白がった。

 ――さあ、騎士スティールは何とする?

「ガッハッハ、生まれてからこの方、体の大きさだけが取り柄でござる」

 4人の男の怒気を、その器量で軽く笑って受け流すスティール。
 輝刃団の男は近くの机を叩いてスティールの笑い声を止めた。

「笑ってんじゃねえ、大体アンタ一人じゃねえか! アンタがその竜の八人目の犠牲者になるんじゃねえか!?」

「お主等が11人目の犠牲者にならぬ理由もないでござるよ?」

「ああん!?」

 怒りで顔を真っ赤にした大剣の男がスティールに突っかかろうとしたその時、スティールは意外な行動に出た。


 ――男の目の前にエンデ・デアヴェルトを放り投げたのだ。


「なっ!?」
 地面に落ちたエンデ・デアヴェルトが重厚な音を立てて床に落ちる。
 喧嘩を仕掛けようとする相手の眼前に武器を放り投げるスティールの意図が分からぬまま、男は床に落ちたエンデ・デアヴェルトとスティールを交互に見た。

「依頼に関する狩人の諍いの解決法など昔から決まっておろう?」

「『殴ってどかす』?」

 スティールはまさに竜が微笑むような厳つい笑顔で肯定した。

「然り」

 ――『殴ってどかす』。

 それは狩人に伝わる古い故事に基づいた狩人達の慣習である。
 昔々、恐妻家の王は小うるさい后との結婚記念日をすっかり忘れてしまい、どうしたものかと慌ててしまった。
 后に小言を言われる恐怖に怯えきった王は、雌火竜リオレイアの棘を細工した髪飾りなら喜ぶだろうと騎士達に雌火竜リオレイアの討伐を命じた。

 しかし、その雌火竜リオレイアはかの有名な“鬼人”ゴルテスによってすでに依頼され、彼は討伐に向かおうとしていた。
 騎士達は王の命令を果たすために、ゴルテスを止めようと必死になったが、強力で世界を渡るゴルテスの豪腕を止めるものはおらず、ついに王は直々にゴルテスの前に出向き、王の勅命としてゴルテスに狩猟を止めるように言った。

 だが、この時、ゴルテスにもその狩猟を譲れぬ理由があった。
 その雌火竜リオレイアはゴルテスの仲間を猛毒によって明日をも知れぬ身にしたリオレイアだった。
 ゴルテスは仲間を救うために、その特効薬の原料となるリオレイアの猛毒を宿した尻尾を欲したのだ。

 ゴルテスはその理由を王に話したが、民人の命など歯牙に掛ける気もない王はただゴルテスに止めるように命令するだけだった。

 義も理もない王の命令についにゴルテスの堪忍袋の緒は音を立てて切れ、いい加減な理由で命令を下す王を殴り倒すとその后の眼前まで王の体を引きずっていった。

 そして、后に対して事の詳細を話すと、今度は后が夫である王のあまりの痴態に怒り狂い、結局王は后の怒りを買う羽目となってしまったのだった。

 この故事に則り、狩人の間で依頼に関するトラブルがあった際、一つの取り決めがなされた。


『故あって、先に契約者がいる依頼を受けようとする者は契約者の打撃に耐える事でこれを善しとする』


 これが『殴ってどかす』といわれる慣習である。

 要するに、依頼にケチをつけてきた奴を腕力で黙らせることを公認した慣習であるが、地方においてこの慣習に差はあれど、ほぼルールは決まっている。


 ―― 無防備で一発殴って倒れなければ良し。


 輝刃団の男はスティールの言葉の意味を知った。


『文句があるなら腕力でケリつけようぜ?』


 男は怒りのあまり額に青筋が浮かぶ音を聞いた。

「上等だぁー!! 見てろ、騎士様だがなんだかしらねえが奥歯3本は叩き折ってやる!!」

 そう叫んで拳を鳴らす男をスティールはさらに挑発した。

「背中の大剣は抜かぬでござるか、腰抜け?」

 一瞬、輝刃団の他の仲間はスティールが何を言っているかまったく分からなかった。

 そして、彼らの隣で青筋が切れる音が響いた。

「この野郎ぅーーーーーーー!? そんだけ言うならやってやるよ、後悔すんな!?」

 男は口から泡を飛ばして背中の大剣を抜くと、仲間が止める暇もなく、スティールに向かって切りかかっていった。

 対するスティールは手を構えたり、身をかばう様子もない。
 ただ、姿勢を低くして兜をかぶり待ち構えるだけだ。

「ブチ割れろ、クソ頭ぁーーーーーーーーー!?」

 姿勢を低くしたスティールの頭部めがけて、飛竜用の巨大な大剣が振り下ろされる。
 店内にいた女性の甲高い悲鳴と皆の驚きの声が酒場に響き、




 ――そして、それらを全て音で叩き潰すような衝撃音が響くと、男の方が空中を舞っていた。



 男の体は吹き抜けのホールの空間を飛んでいくと、6mは向こうのテーブルの上に落下し、料理と酒盃を全てなぎ倒して地面を転がった。
 もっとすさまじいのは男の大剣だ。大剣は男の体よりも大きく跳ぶと、酒場の天井に突き刺さり、そのまま落ちてこなくなった。

 スティールは詰まらなさそうに自分に襲い掛かってきた男の顛末を眺めると、凝った肩をゴキゴキと鳴らしながら、酒場の全員に向かって言った。

「これで何も文句ないでござるな?」

 酒場にいた者は全員揃いも揃ってスティールの言葉を肯定した。
 そうするしかないのだ。
 大剣の振り下ろしの一撃に対し、兜の守りがあるとは言え、『頭突き』をして吹っ飛ばすような大男の言い分にケチをつける勇気などその場の誰もが持ち合わせてなかった。

 唯一ものを言える男がそのスティールの行動を面白そうに笑っていた。

「ホッホッホッホッホ、長生きはするもんじゃのぉ」

 スティールはドンドルマのギルドマスターの言葉を受け取らない。ただ、懐の袋からいくばくかの金貨を取り出すとそれをギルドマスターに押し付けた。

「店の修理代と場の騒がせ料でござる」

「それにしてもこれは多いな?」

「皆に一杯おごる分も含まれてござる」

「カッカッカ、それほどこの竜を狩りたいのか? 誰よりも倒したいほど」

 スティールはエンデ・デアヴェルトを拾いながら、その言葉をどこか寂しそうな笑顔で受け止めた。

「我輩は『殴ってどかす』の王と同じでござる」

「ほほう?」

「息子が来月誕生日でござる」

 恥ずかしそうにそう告げるスティールの顔はどこか気恥ずかしそうな表情になっていた。

「ホッホ、騎士も人の父親ということじゃな?」

「リオレウスの牙の飾りなど男の子には早いでござろうか?」

「ホッホ、のう騎士殿?」

「なんでござるか?」

「『勝てば王、狩れば狩人。さればこそ勝利し生きながらえよ』はむしろ騎士の方の格言であったかのぅ?」

 スティールはギルドマスターの心使いに気持ちよく笑うと、カウンターに背を向けて歩き出した。
 向かう先は酒場の外、つまり、次の狩場である。

「かたじけない」

 ギルドマスターはスティールに向けて手を上げた。

「良い狩りを」

 こうして、“Sir.”スティールはまた野へと足を伸ばしていった。



[17730] 第一話「千切れた心」 3
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/07/30 00:16
「青黒いガルルガの鎧♪ 黒い大きなハンマー♪ 虎さんみたいに強そうな顔の傷♪ けれど、金の髪は伸ばしっぱなしで、鳶色の瞳はいつも眠そう、狩人さんはお寝坊さん♪」

 狩人の容姿を外れた調子の歌にしたアルシアの声が響く。
 幼い時には身の回りに常にあった優しい空気。幼子が歌を歌っていられるほど平穏で安堵を憶える光景。
 狩人は護衛しているはずの自分が少女に癒されていることを自覚した。


 そうだ、自分はひどく傷ついていた。癒しを必要だと感じるまでに。
 少なくとも、大きな傷跡が自分の体を強張らせて引っ張るほどの傷が顔と心についているような気がした。

 ウォルダンの母、メルシャのところに転がり込んだ時、傷はまだ出血していて強い痛みを放っていた――。


 霧で先が見えず、煙るような雨の日だった。
 狩人は三人の仲間と共に次の狩場へと移動していく最中だった。

 狩るための道具は満載していた。
 狩人達は次の獲物を狙おうと準備万端で狩場へ向かっているため、その状態は彼らの全力と言っても良く、彼らはその状態の彼らに狩れないものなどないと半ば本気で信じていた。

 そう、彼らは強かった。
 狩人のハンマーは飛竜の顔面を砕き、仲間の大剣は飛竜の爪にも劣らず鱗と甲殻を叩き切り、弓の狙いは常に正確で揺らぎなく飛竜の目を射抜き、騎槍手の持った盾は瀕死の仲間の前で頼もしく健在した。
 この四人でならいかなる飛竜とて敵ではない、と狩人は本気で信じていた。
 その雨の日まではそうだった。

 狩人は仲間と共に次の狩場への道を急ぎながら歩いていた。
 すると、彼らの頭上から異様な羽ばたきの音が聞こえてきた。
 それは飛竜のような大型生物の羽ばたきであったが、一つだけ異様な音が混じっているのだ。

 まるで熱した鉄板を水につけたかのような音がずっと聞こえるのだ。

 音の正体を確認するために頭上を見上げれば、そこに確かに『脅威』があった。
 竜かどうかは分からない。
 何故なら全身の姿が蒸発する雨粒によって発生した水蒸気で覆われており、ただ大型生物が飛行しているとしか分からないからだ。
 正体不明の音は、雨粒がその巨大生物の体に当たって蒸散する音だったのだ。
 狩人は咄嗟に危機を感じた。

「に、逃げろーーーー!!」

 その言葉を自分が発したかどうかは分からない。
 言葉を打ち消すかのように謎の大型生物の口から信じられないような巨大な炎が出現したからだ。

 ――雨に打たれ続けても平然と高温を保っていられるほど高温度の炎を宿した生物。

 そんな現実離れした能力を持った大型生物の炎により、4人は散り散りに吹き飛ばされた。
 狩人の体は崖下の川へと叩き落され、その日の雨により激流となった流れに押しやられてしまう。

 それは狩人達が吐息一つで一瞬にして一蹴された悪夢のような光景だった。
 狩人の信じていたもの――友情、結束、絆――がこんなにも弱いものであることを思い知らされた瞬間だった。
 雨によって増水した濁流は狩人の姿を簡単に飲み込む。
 仲間を求めて伸ばした手も、希望を求める彼の瞳もその黒い流れの下へと飲み込んだ。


 次の瞬間、狩人は轟音とも危険とも無縁な柔らかいベッドの上に横になっていた。
 彼は反射的に身を強張らせて起き上がったが、すぐに体中から痛みが走り、自分が酷い打撲と痣だらけになっていることがわかった。
 四肢を見れば包帯と湿布塗れだった。ベッドは清潔で着ているものも着替えさせられている。自分がしばらくの間正確な治療を施されて眠っていたのが分かった。
 自分は助かったのだ。

 ――では、他の仲間はどうなった?

 そう思うと狩人は矢も盾もたまらず、着の身着のまま、部屋のドアを開けて外へと飛び出そうとした。
 ドアを開けると、そこは家の居間で狩人はそこで桶を持った老婆とぶつかりそうになり、咄嗟に避けた。
 しかし、老婆に狩人ほどの機敏な対応が出来るはずもない。老婆は桶を取り落とし、部屋にお湯が撒かれてしまった。

「すまん!」

 狩人は反射的に詫びて、すぐに外に出て行こうとしたが、

「お待ち、それが命の恩人にする態度かい!」

 その言葉に驚いた狩人は椅子に足を躓かせて転んでしまった。

「お、恩人?」

「そうだよ、アンタを川から引っ張ってきた時はそりゃあ重たいもんだったさ」

「……仲間は? 仲間はそばにはいなかったか?」

 老婆は狩人の言葉を聞くと厳しい顔になり、しどろもどろに告げた。

「……川辺にいたのはアンタだけだったさ」

 狩人はそれを聞くと、自分の視界が殴られでもしたかのようにグニャリと歪むのを感じた。

 そして、視界がどんどん地面に近くなっていくことを感じながら、彼の意識はまた闇に落ちた。


 次に目を覚ました時は老婆が憮然とした顔つきで彼の額の上の濡れた布を取り替えているところだった。

「おや、早いお目覚めだね」

 老婆は狩人の額に手を当てられた。狩人は老婆の手を冷たく心地良いと感じながらも、

「まだ寝とき、熱は全然引いていないのに無理するからだよ。馬鹿たれ」

 老婆が言う憎まれ口も嫌いではなかった。ちょっと想像すればこちらのことを心配しているのが良く分かる。

「……ありがとう」

 狩人はとりあえず開口一番礼を言いたかった。
 川から運び出す手間、自分を家まで運んでくる手間、鎧を脱がせて着替えさせる手間、看病する手間、全てが老人にさせるには酷な手間だと言っても良い。
 言葉だけで迷惑を償うことは出来ないが、動けないほど痛むこの体では礼を言うだけが精一杯だった。

「礼なら元気になってからお言い。今はゆっくりお休み。ホレ、薬」

 死ぬほど苦い薬をスプーンで無理矢理口に押し込まれた狩人は、なんとか薬を飲み込むが咳き込みそうだった。
 狩人は次の心配事を老婆に聞いた。

「失礼ですが、お名前は?」

「狩人にしちゃあ随分丁寧な物言いだね。あたしの名前はメルシャ」

「随分と可愛らしいお名前で……うぷっ?」

「婆の名前が可愛らしくて悪かったね?」

 意地悪そうな顔で狩人の口にスプーンを突き込んだメルシャ婆は、そのまま口から出したスプーンで部屋の一角を指し示した。

「アンタの武器と防具はあそこだ。狩人にとっては武器と防具は人生そのものというじゃないか? 元気になったら手入れでもするんだね」

 狩人はそれを聞いてほっと息をついた。

「……ありがとう」

「礼なら元気になったらたっぷりしてもらうよ。ゆっくりお休み」

「……ええ」

 狩人はそう答えると意識がまた遠くなっていくのを感じた。
 懸念が一つ晴れたことで安心してきたのだろう。そう自分の精神を分析する。
 そして、自分の体も分析する。痛みで動けない体では、彼らを探しにもいけない。
 今は寝るしかない、と彼は冷めた思考で結論づけ、寝入った。


 狩人の傷が完全に癒えるのに一週間ほどかかった。
 その一週間の間、傷の痛みと共にあの恐ろしい絶望が悪夢の形となって狩人を襲った。

 得体の知れないあの大型生物の恐怖。
 自分の信じていたものが引き裂かれる感触。
 何も出来ず、ただ蹂躙されるしかなかったあの無力感。

 傷で弱りきった心身にあの負の感情が何度も襲い掛かってきた。
 狩人は寝入る度に悪夢でうなされ、体の傷や痣が生傷から古いものへと変わるころには心にも深い傷跡が刻まれていた。

 ――『敗北』という辛い傷が彼に刻まれていた。


 狩人は傷が治った後、二ヶ月ほど老婆の家で命を救ってもらった恩を返すために働いていた。
 いや、実際のところ、恩返しというのはここにいるために名目でしかない。
 狩人は急に怖くなったのだ。

 今までは命をかける事が分かっていなかったのかもしれない。
 彼は己の才能が良い水と空気と先達の教えを得て伸び伸びと育っていくに任せるまま、その道を走ってきた。

 もちろん、その中で負けることはあった。
 獲物に逃げられることも、大怪我を負ったこともある。

 だが、無力を自覚させられて仲間を喪うほどの痛手を彼の人生で負ったことはなかった。

 ――もう一度、あの姿の見えぬ大型生物と戦って自分は勝機を見出せるだろうか?
 ――いや、それよりも何も出来なければまた同じ目にあうのだ。

 心に刻まれた『敗北』の傷はまだ乾いてはおらず、些細な風に触れるだけで痛みを訴えてくる。
 理性でいくら取り繕うとしても、その痛みは常に襲ってくる。

 ――狩人はその二ヶ月の間も悪夢に悩み続けた。


 飽く間もなく働いた二ヶ月はあっという間に過ぎた。
 狩人はまた旅に出る頃合ではないかと思い始めた。
 むしろ、狩人は長居し過ぎているとすら思っている。

 命を助けられたとは言え、三食昼寝付きとは言え、延々と二ヶ月ここに置いて貰ったのだ。
 そろそろ旅に出るべきだと、狩人は理性で思い始めていた。


 だが、心はまったくちぐはぐだ。
 今の彼は悪夢に悩まされ続け、狩人としての自分の自信を喪失していた。
 また、街に出て狩りに出かけたところで、彼はまともに狩りを出来る自信がなかった。
 いや、ただの獣やそこらの飛竜なら、彼は簡単に討伐できよう。

 だが、彼はGの狩人だ。

 本当に凶暴で、この世の不条理のように強いあの飛竜達と今の彼が相対した場合、勝てる見込みはまったくなかった。
 それどころか、言葉の通じない飛竜に命乞いすらしてしまう気がした。

 狩人は自分を恥じた。
 たった一度の敗北。それだけで自分の心は臆病風に吹かれてしまった。
 狩人は自分に怒りを覚えた。
 あれだけの技を重ね、あれだけの力を得て、Gへと駆け上がっていったのだ。
 狩人の誇りはどこへ行った!? それは臆病風に吹かれれば、飛んでしまうようなちゃちな物だったのか!?
 焦りはさらなる悪夢を呼んだ。

 メルシャ婆の料理と心使いで体は癒えても、心はあの時の傷が血を流しているままだった。


 しかし、狩人はついに耐え切れなくなった。
 編み物をしているメルシャ婆に向かって、彼は問いかけた。

「メルシャさん」

「何だい? 改まって」

「私はここにいつまで居ていいんだ?」

「ここに居たいのかい?」

「…………」

 自分を強くしようとする気持ちと、自分の弱い心が渦を巻いて心を乱した。

 狩人は歯を食い縛って、メルシャ婆に別れを告げようとした。

「分からなければ、いるといいさ」

 メルシャ婆は編み物から目を離さず、なんてことはないようにそう言った。

 狩人は自分の口から溜息が漏れるのに気がついた。
 どうして溜息なんかついたのかは分からない。
 だが、自分の中で張り詰められていた何かがメルシャ婆の言葉で抜けるようだった。

「居たければずっといるといいさ。アンタ一人ぐらい、あたしゃなんてことはないからね?」

 メルシャ婆はさらにそう言った。
 その時、メルシャ婆がどうしてそう続けて言ったのか、狩人はずっと分からないままだった。
 何故なら、この時狩人は自分の弱さを自覚して、心の底から絞られるように出てくる安堵に泣かないように耐えていたからだ。

 狩人は礼だけ言ってすぐにその部屋から退出し、納屋で言葉を押し殺して安堵に泣いた。

 弱いままの自分の時間がまだ続く。
 だが、どうして強くなるのか分からぬまま焦って強くなる必要はない、と狩人は悟った。
 そして、彼は泣きながら何度も、「ありがとう」、と言い続けた。


 そして、狩人にまたゆっくりとした時間が流れ始めた。
 焦ることは無いとわかったおかげで心にはだいぶ余裕が出来ていた。

 狩人は2ヶ月ぶりに自分の武器と防具を取り出すと、それを丁寧に手入れし始めた。
 この二ヶ月間の間は、放置し続けていたものだ。

 ここにくるまではほぼ毎日行っていたものだが、どうして今までそれを怠っていたのかと思い返すと、やはり、自分には余裕がなかったのだろう。
 狩人はその二ヶ月間の手入れの遅れを取り戻すように、自分の武器を丹念に磨き、錆びないように毎日手入れをした。

 そして、数週間手入れをし続けていると、そのうちメルシャ婆の目に留まった。

 メルシャ婆は最初は物珍しそうに狩人の手入れの手つきを眺めていたものだが、しばらくすると彼女は寂しそうに笑った。


 ――その笑いを狩人は生涯忘れられなかった。


 我が子の成長を見るように大きな慈しみにあふれていて、
 それでいて別の方向から来るであろう大きな悲しみを必死で堪える為の笑顔とも言える、
 ――とても寂しく温かいあの笑顔を。


 狩人は忘れることが出来なかった。



 狩人の武器防具の手入れはそれこそ毎日続いた。
 それこそ何かに憑かれているようだった。
 狩人はそれまで自分が重ねてきた研鑽として、延々と手入れを行った。
 その粘り強さは、病んでいる時の自分にはない確かな情熱だった。

 狩人は少しずつ、自分が回復していっているのを自覚しつつあった。


 そして、さらに4ヶ月が過ぎ、畑仕事から戻ってきた狩人が昼寝をしているはずのメルシャ婆の寝室に彼女を起こしに行くと、メルシャ婆は息をしてなかった。
 彼女らしいあっさりとしたお別れだった。病気にも苦しむことも無く彼女は逝った。
 彼女を最期に一人にしてしまったのは今でも悔やむべき出来事だが、彼女の死に顔は子供のように安らかだった。


 そして、ウォルダンとアルシアがやってきて、彼女を一緒に埋葬した。
 どこにも行くべき場所が無い狩人は、ウォルダンについていくことにした。

 その時には、あれだけ大きな痛みを放っていた心の傷はだいぶ収まっていた。


「青黒いガルルガの鎧♪ 黒い大きなハンマー♪ 虎さんみたいに強そうな顔の傷♪ けれど、金の髪は伸ばしっぱなしで、鳶色の瞳はいつも眠そう、狩人さんはお寝坊さん♪」


 また、アルシアの歌声が聞こえる。
 狩人は自分が癒され、そして癒えている事を自覚しながら、ゆっくりとアルシアの呑気な歌声に耳を傾けた。
 自分の弱さを上手く飼い慣らしながら、彼の旅はまだ続いている。



 スティールにとってみれば、その飛竜を探すことは造作も無かった。
 その飛竜は繁殖期に入っており、大量の餌を必要とする。つまり、狩場には多数のアプトノスがいなければならない。
 野生のアプトノスは草を求めて常に移動しており、飛竜の住処もそれに合わせて変えていかなければならない。

 しかし、スティールの捜索を楽にしていたのは、その飛竜が通常の飛竜よりも多頭のアプトノスを必要とするからだ。
 よって、アプトノスの大移動に絞って、飛竜の縄張りを絞っていけばその飛竜は自然と見つかる。

 案の定、スティールはアプトノスの大移動の通り道に目的とする飛竜の糞を発見した。

 飛竜は体重を軽くするために飛行中でも糞をする。
 よって、飛竜が移動している可能性も捨て切れなかったが、しばらくするとスティールは2mほどの大きさのくぼみを発見した。


 4本飛び出した部分のあるくぼみ。

 4本の爪を持った大型生物の足跡!
 大きい。2mの足跡を持つということは、全長にして20mはある。


 注意深くスティールはその足跡を追うと、その足跡の先の木は何かに噛み付かれたかのように何度も抉られていた。
 良く見ればその木には血に塗れて黒ずんだ竜の牙が食い込んでいる。

 飛竜の牙は鮫のように何回でも生え変わる。
 おそらく虫歯か、折れでもした歯を木に噛み付いて力任せに引き抜いたのだろう。

 さらに足跡を追えば足跡は消え、代わりに周囲の樹に引っかいたような痕があった。


 木の傷つき具合から数時間以内にここに行動したものと思われた。



 スティールは獲物が近くにいることを確信し、この地帯に自分のベースキャンプを築くことを決めた。



[17730] 第一話「千切れた心」 4
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/03/30 10:12
「――鎧についた炎はよく消しておけ。燻る炎はすぐに大きく燃え上がる」

                    ――狩人の教訓









 ウォルダンのアプトノス二頭引きの車は右に森を見渡す街道をゆっくりとした速度で進んでいた。
 ドンドルマまであと三日ほどの距離。
 狩人はそれでこの優しい時間が終わりを告げることを少し名残惜しく思いながらも、また武器の手入れを行っていた。

 狩人達の武器はただ単純に骨や金属を鋭利に研磨した物から様々な機構をつけて携行性や火力を挙げた物まで様々だ。
 故に手入れは絶対に欠かせない。飛竜の目の前で武器を誤動作させたり、いざという時に信頼が出来ない武器を扱うほど不幸なことは狩人にはない。
 特にランスやガンランスやボウガン、砂漠地方で開発されたばかりのスラッシュアクスの機構は複雑だ。整備だけでもきちんとした知識と経験をもって行わねば彼らは簡単に持ち主を裏切る。
 それらの武器の整備を容易く扱う狩人達の熱心さは見習わなければならないと常々思いながらも、狩人は単純ですんでいる極鎚ジャガーノートを磨き上げた。

 砥石で表面についた傷を落とし、磨き粉で徹底的に磨きこむ。これだけで十分に錆びに強くなり、ハンマーにとって最も重要な武器そのものの強度が落ちない。
 そして、整備のための布に油を塗り、ジャガーノートに磨りこむ。この時に使う油は光らない物ほど良好とされている。
 飛竜は刃の輝きすら違和感として感じ取るからだ。


 ――ふと、穏やかな風の向きが変わった。


 野生の獣が危機の到来を予知するかのように、狩人の全身の毛が逆立った。
 それは突然訪れた予感に過ぎない。ただの経験則、半年も休業してた今となってはただの妄想に等しい感覚だった。
 しかし、動かなければならない。
 理由は分からない。ドンドルマから三日と離れていない人の領域と言ってもいい場所だが、狩人の感覚をそのまま言葉にするなら、


 ――ここはともかく今すぐにでも逃げ出さねばならない場所なのだ。


 ウォルダンに声を潜めて逃走を促そうとした狩人はすぐに自分の危機が現実のものとして迫っていることを知った。

 左の森から地面を揺るがす衝撃と共に、地面を連打する巨大な音が聞こえてきたからだ。

 車の幌で姿を隠された者の足音は――大きい。
 間違いなく10m、いや、15mは超えた立派な成体の飛竜が確実にこちらを捕まえようと全力疾走してきている音だった!
 狩人は近くにいたアルシアを悲鳴を上げるのを構わず全力で抱きしめて自分の体に寄せると、車の縁にしがみついて叫んだ。

「車に掴まれ、転倒するぞ!!」

 飛竜の体当たりは轟音を辺りに響かせてアプトノスごと車をなぎ倒し、街道から土手を転がり落ちてようやく止まった。
 車は横倒しになり、中身は転がる最中に散乱した。狩人はアルシアと共に振り落ちまいと必死に耐え切り、何とか無事だった。
 狩人は悲鳴を上げる三半規管を叱咤して立ち上がると車の御者台でアプトノスを操っていたウォルダンを探した。

「ウォルダンさん、生きているか!?」

「……駄目だ、足が……足がやられちまった……」

「お父さん!!」

 震えて痛みを訴える声を頼りにウォルダンを探すと、ウォルダンは横倒しになった際に御者台から振り落とされ、横倒しになった車と地面にはさまれる形で足を潰していた。

「待ってろ、今助け……!」

 狩人がそう言って、車に手を掛けた時だ。



 ――全ての生物の頂点に君臨する獣の咆哮が自分達に向かって放たれた。


 咆哮の先には紛れも無い飛竜がそこにいた。

 深緑色の鱗。森の木々を避けるために低く構えられた体勢。黄色に光る眼光。猛毒をもった鞭のごときしなやかな尻尾。
 腕の代わりに生えた翼はドレスのように翡翠色に輝き、咆哮は気高き飛竜として高く響く。目は獲物である狩人達を捉えて油断無くこちらを見ていた。

 「森の女王」、「地を舞う気高き踊り子」、「生けるエメラルド」と謳われた二足歩行の飛竜。


 ――雌火竜リオレイア。


 ウォルダンもアルシアも雌火竜の咆哮にただ震えて自分の体を守るように抱くしか出来なかった。
 だが、それを誰が笑うことは出来よう?

 15mを超える大きさの飛竜。
 1m70cmを超えるか超えないかの大きさの人間。

 20cmほどの大きさの小動物が人間に勝てるなどと誰が想像しえるだろうか?

 ウォルダンは恐る恐る眼前の脅威であるリオレイアを見上げた。


 ――リオレイアはウォルダンなど見ていなかった。

 ――咆哮にも屈しないでただ呆然とリオレイアを見る狩人を見定めていた。


 思えば、何故リオレイアは突進で車をなぎ倒しておきながら、こちらに来ない?
 何故、とどめを刺そうとこちらを攻撃しないで、咆哮でこちらを威嚇する?
 ただの小さい人間に、どうして脅威を感じるのか?


 ――まさか?


 ウォルダンは思いつく。


 ――リオレイアにとっての脅威なのか? この狩人が?





 当の狩人の頭の中は混沌の限りと言ってもいい状態だった。
 ありとあらゆる感情が彼の頭脳と心の中で叫ばれ、彼はそれに対してどう方向性をつけていいか分からなかった。

 生き延びるための全ての方策を尽くせ、と言う臆病な部分があった。
 ウォルダンを守る仕事を果たせ、と言う義理的な部分があった。
 ここで戦うのは依頼主を危険に巻き込むから逃げろ、と言う合理的な考えがあった。
 アルシアのような幼子をここにおいて逃げ延びるのか、と言う感情的な意見があった。

 全ての感情と打算が渦を巻いて行くべき場所を見失い、彼の頭と心の中で統制を失って好き勝手に叫んでいた。

 弱い。
 何と私は弱いのだ。
 飛竜すら圧倒しえる狩人が、自分の心すら満足にまとめられず、千切れた心のせいで生きるのすら必死だ。
 何と無様。何たる生き恥か。


 ――リオレイアが咆哮する。


 まるで哄笑だと狩人は思う。全ての飛竜を狩れると思っていた狩人は、いまや何よりも弱い人間に成り果てている。
 力はあってもまとめる心は千切れたまま、逃げるのも戦うのもままならない。



 ――本当に?



 そうだとも、もう私の生は方向性を見失った。このまま戦えずに果てるが関の山。




 ――本当に?




 そうだとも、戦うための力を律する術はもう失われた。このまま弱者として喰われるが精一杯。





 ――本当に?





 そうだとも!! それともなんだ、何故疑問を感じるのだ、『私』よ!!
 乱れてまとまらぬ私自身よ、後悔に泣くことに怯えるのなら、今すぐ心を収めて武器を取れ。






 ――それはできない。






 何故だ!?







 ――感情にも、打算にも、狩人の本質はないからだ。







 感情? 打算? 何を言っているのだ、私よ。







 ――喚き立てるだけが私じゃないだろう、『私』よ。
 ――ならば、私からも質問だ。






 何だ?







 ――何故、お前は武器を磨き続けた?
 ――何故、お前は鎧を拭き続けた?
 ――心は千に乱れてまとまらず、戦う術を失い自分を律せぬはずのお前が、何故戦いの支度をする?






 …………。






 ――答えが無いだろう?





 …………?






 ――それが答えだ!!













 話は原始の世界にまで立ち返る。
 人が種として誕生したばかりの頃だ。
 人は始めはろくな武器を持っていなかった。
 その時の人間にとってこの世界はあまりにも辛過ぎた。

 周りを見渡せば、生物として強力過ぎる飛竜や群れを組んだ肉食獣、草食獣すらただで食われるほど甘くなく、人は弱肉強食を掟とする自然の中ではあまりにも無力だった。


 だが、狩人の始原もその何も無いはずの原始の時代から始まったのだ。


 黒曜石を棒の先に取り付けただけの脆弱な槍と命中精度も定かではない弓矢で彼らは飛竜に立ち向かったのだ。


 我々はここで思わねばならない。


 ――何故、と?


 飛竜は抗うには強過ぎて、狩りの獲物とするには大き過ぎる。
 もっと人が糧食として主にするには手軽な獲物があったはずなのに、原始の狩人は何故飛竜に立ち向かったのか?


 それの答えをもって、






 ――現代の狩人は雌火竜リオレイアに立ち向かおうとしていた!!




「あああああああああああ!」


 それは産声とは違う。
 生を伝えるための声ではなく、もっと人が動く為の衝動として必要不可欠なものを含んだ叫びだった。


「あああああああああああああああああああああああ!!」


 それは怯濡に濡れる瞳には含まれない。
 それは恐怖に縛られる腕には在りえない。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 絶望に震える体にも無ければ、悲観に竦む足に宿るはずも無い。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 狩人は叫ぶ。
 己の中に宿るあまりにも強烈な熱のために。
 断崖絶壁のごとく狩人の目の前に立ち塞がる運命の不遇に立ち向かう為に本能が訴える!



 ――きっと、メルシャ婆は分かっていたのだ。
 ――目の奥にまだ微細な熱を宿したまま武器を磨き続ける狩人は、本当の意味で回復すればまた遠いどこかへ行くことを。
 ――それが喜ばしくて、それがまた寂しくて。
 ――彼女は寂しそうに笑ったのだ。


 汝、赤い魂を宿す者よ。
 血潮よりも濃い赤を持って力を振るう者よ。
 お前の運命を力技で覆そうとする不届き者が現れた。



 ――さあ、感情も打算も炎にくべて燃え上がれ!!!



 
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」



 ――武器を取れ!

 狩人は右腕を振って車を殴る。
 腰の入ったかち上げるような一撃は車を空中で一回転半させ、その勢いでまだ車内にあった極鎚ジャガーノートが空中へと飛び出した。
 己の武器を片手で握り締めた狩人はそのまま背中のホルダーにジャガーノートを納める。

 ――眼前の相手を睨んで立ち向かえ!

 燃えるように闘志に瞳を輝かせた狩人を見上げるウォルダンは、自分の体の上に乗っていた車があんなにあっさりと片付いたのを見て、狩人が飛竜の脅威となりうる意味を悟った。
 だが、狩人はウォルダンの方など見ていなかった。眼前のリオレイアの一挙一投足すら見逃すまいと、すでに戦いへの集中力を高めていた。

 ――叫べ!!


「――教えてやる!」


 ――怒鎚の様に!!




「――どっちが獲物か、教えてやる!!」



[17730] 第一話「千切れた心」 5
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/03/30 10:14
 狩人が横へと疾駆していくのが戦いの合図だった。
 リオレイアは狩人の動きに即応した。
 息を吸って体内の火炎袋の口を締めていた括約筋を緩めると、横隔膜が火炎袋を圧縮。鋭い呼吸によって加速された燃焼性のガスが口でまとめられて歯で着火される。

 火砲の砲弾と比べても遜色ないリオレイアの砲弾状の火炎の吐息。

 在野の狩人達が飛竜と立ち向かって最も恐ろしいものは何かと聞けば、その筆頭にもあげられる飛竜の能力の一つだった。

 リオレイアは狩人に向かって三度火炎の吐息を吐き、人の上半身よりも大きい炎の塊が狩人めがけて突進する。

 しかし、狩人も負けてはいない。そもそも呼吸も炎も気体であるため、空気中を拡散しながら進むことになる。その為、飛び道具として扱うには速度が遅いのだ。


 ――先読みして狙いを絞られなければ当たるようなものではない!


 ジグザグに青い輝線を描きながら接近してリオレイアの狙いを外し、さらに狩人は前進。
 背後で起こる爆音と爆熱を無視して狩人はリオレイアまであと10mの距離に入る。

 しかし、そこはリオレイアの肉弾攻撃の間合いだ。

 目の前のリオレイアの全長は18m。つまり、概算しても『とある部位』の長さは8m近い長さになる。
 人間には到底及ばない巨大な体。それ自体が飛竜最大の武器の一つ。


 リオレイアが左足を右足の前に出して体を回転させる、その動きに従うように『とある部位』が加速して緑の円を描く。

 ――詩にも詠われたリオレイアの猛毒の尻尾。

 体高4mの体の大きさが今度は狩人に有利に働く。狩人は地面より1mの高さで横薙ぎに振るわれる深緑色の鞭を前転して回避する。
 丸太のような重量物が鞭のような鋭さで頭上を行き過ぎる。

 だが、それはリオレイアの本能と経験から編み出された巧みな罠だった。

 前転して回避したことを確認したリオレイアは即座に体を横方向への回転から地面を蹴っての跳躍、そして、後方宙返り。
 そして、猛毒の尻尾もその動きを追随。横方向への動きから縦方向へと振るわれる巨人の鞭は、地面を前転することで横方向に飛べない狩人の動きを明らかに知っている動きだった。

 前へ転がるしかない狩人の前方から迫る深緑色の巨大な壁。

 ――狩人は知っている。
 ――そんな危機はいつもこれからも無数にあると。

 だから、狩人は知っている。



 ――人間の足は『四本』ある、と。


「あああああああああああああああっっ!!」


 右拳が地面を打撃する。車を浮かすほどの腕力で地面を殴れば、反動で自分の体が吹っ飛ぶ。
 強引に左へと回避する狩人の右をリオレイアの尻尾が行過ぎる。

 後方宙返りの最中、手応えが無いことに気付いたリオレイアは慌てて、地面に降りようと上へ羽ばたきを打つ。
 だが、その時にはすでに狩人は体勢を整え、背中のホルダーからハンマーを抜いて腰溜めに構えていた。
 彼我の距離は3m。


 狩人にとって一撃を放つには十分に近い、間合いの中。

 地面へと着地したリオレイアが自重で一瞬足を止めた瞬間。

 腰で構えるために一度体をよじり体の筋が軋むほど強く張った。狩人の強靭な脚力が大槌で地面を打ち抜く様に強く地面に踏み込まれる。
 その足は3mと言う距離を一瞬で踏み砕き、重さ数十Kgのハンマーが流星の速度でリオレイアの緑の頭部を打ち抜いた。
 手応えは鋼を打つよりも堅く、肉や骨が砕けるにはまだまだ不十分な威力だが、その力は確かにリオレイアの脳を揺さぶった。

 たまらずリオレイアが頭を振りながら後ろに向かって羽ばたき、距離をとる。


 ――飛竜は逃げに転じる時こそ相手から攻撃を喰らう瞬間だと知らない。
 ――何故なら、彼らは常に生態系の頂点にあり続けるため同種以外の敵を持たず、奇襲に対する警戒を欠かすことは無くても、攻撃に対する防御という概念が希薄だからだ。


 後ろに向かって飛翔するリオレイアに向かって、狩人が背中のポーチから拳大の玉を投げつけた。
 それはリオレイアの眼前で破裂するとその一瞬だけ強力な閃光で周囲の風景を強引に光に書き換え、まさにそれが目の前で破裂したリオレイアの意識は光によって真っ白に塗り潰された。

 空中にいたリオレイアが閃光による一瞬の気絶によって翼の羽ばたきが止まる。
 重さ数tにもなる巨大な飛竜が大地を揺らす地響きを起こして地面に落下した。

 狩人の道具、『閃光玉』によりリオレイアを一方的に攻撃できる隙を得た狩人は今こそリオレイアに飛びかかろうとして、



 ――背後から看過することなど不可能なほどの強大な存在の咆哮を聞いた。

 狩人はその声を聞いた途端に、眼前のリオレイアを無視して背後を振り向いた。
 そして、想像もしたくなかった絶望的な状況が背後で起きていることを知った。

「なんだと!?」


 足が潰れて動けないウォルダンの上にのしかかっている飛竜がいた。
 それもただの飛竜ではない。

 優雅に輝く赤銅色の鱗。飛翔を制御するために長く鋭く伸びた尻尾。
 リオレイア同様、腕の代わりに生えた鋭角で洗練された王者のサーコートのごとく赤い翼は小鳥すら捕まえるほどの精密な飛行を可能にする。
 掠めただけで獲物を絶命に導く猛毒を宿した爪。慮外者を見下ろすために黄色に光る眼光。全長20mを超過するリオレイアよりも一際大きい体格。
 牙の並んだ口からは炎を吐き出しながら唸りをもらす。
 そして、咆哮は王としての猛々しさと誇り高さを同時に兼ね備えていた。

 『空の王』、『蒼天の支配者』、『滾るルビー』、と謳われる二足歩行の飛竜がそこにいた。


 ――火竜リオレウス。


 繁殖期において雌火竜リオレイアと番いになり、共に行動することもあるこの飛竜が今ウォルダンを絶体絶命の危機に陥れていた。


「ウォルダンさん!!」


 狩人は目の前で墜落したリオレイアを放置して、ウォルダンの元に駆けつける。

 だが、どう考えてもウォルダンを組み伏せたリオレウスの牙がウォルダンの体を食い千切る方が早い!!

 今、まさにリオレウスの白い牙の並んだ口がウォルダンの体に食いつかんと開かれた。



 ――そして、ウォルダンの体に噛み付いたリオレウスは口腔の中に感じるあまりにも大きい異物の感触にいぶかしんだ。

 その異物は骨にしては堅すぎる。
 その異物は人間にしても大きすぎる。
 その異物は人間の癖に、リオレウスの顎の力に抵抗し、持っていかれないようにとどまっていた。


 ――異物の声が聞こえた。


「我輩の盾の味はどうでござる? ――薬味は火薬でござるよ!」


 轟音と視界を埋め尽くす烈火がリオレウスの顔面を強かに叩いた。
 思わぬ獲物の反撃にのけぞりながらも距離をとるリオレウス。


 その先には白いグラビモスの甲殻の鎧の巨躯、銀色に光るガンランス『エンデ=デアヴェルト』。
 右手に銀の銃騎槍、左手に巨大な銀の盾を構えた騎士がウォルダンの眼前で頼もしいばかりに雄々しく立っていた。

 騎士は目の前で火を吐いて唸る火竜を恐れることなく宣言する。

「我が名はスティール。その火竜との浅からぬ因縁により、この狩りを助太刀いたす!」



 狩人はウォルダンがスティールによって助かったことに安堵するよりも先に、ウォルダンを自分の肩に拾い上げた。

「有り難い! だが、今は戦っている場面ではないな」

 スティールはすぐに狩人の意図を察すると、リオレウスに腰を抜かしていたアルシアを懐中に抱き寄せた。

「うむ、ひとまず戦略的撤退でござるな!?」

「ベースキャンプはどこだ? 旅装を持ってないのなら、こいつらを狩りにきた狩人だろう?」

「然り、こっちでござるよ!」

 咆哮の二重奏が森の木々を激しく揺らす。
 リオレウスが足手まといのウォルダンとアルシアを抱えて逃げるしかない狩人達の実情を察した。
 リオレイアが閃光による一時の盲目から回復し、狩人達をその眼に捉えた。

 だが、狩人達は足手まといを抱えつつも見捨てる流儀は持っていない。



 ――背後より二頭の飛竜に追いかけられながらも、必死に負傷者を運搬しなければならないと言う試練が騎士と狩人に襲い掛かる!





 そもそも、二人ならリオレウスとリオレイアを同時に相手取り、ウォルダン達に近づけさせないのでは?
 そう思う読者もいるだろう。

 しかし、それを許さないのが「空の王者」リオレウスの強みだった。



 ウォルダンを抱えながら全力疾走で逃げる狩人に雌火竜リオレイアが容赦ない突進を仕掛けてくる。
 自重数t、全長15mを超える巨大生物の突進だ。動く家に轢かれるに等しい。
 巨木の陰に隠れてリオレイアをかわす。

 ――だが、一瞬たりとも止まってはならない。

 上空から狩人達の隙を窺っているリオレウスが木陰に隠れた狩人に向けて、狙い違わず口腔から火球を放ってきた。

 狩人が木陰から飛び出せば、体勢を整えたリオレイアが火球によって動きを誘導されたこちらに向けて猛毒の尻尾を振ってくるところだった。

 番いの竜の息のあった連携に舌を巻きながらも、狩人はウォルダンを抱えながら地面をスライディングしてかわす。


 リオレイアの猛毒の尻尾がかわされたと見るや、今度はリオレウスが上空から更なる火球を放ってくる。しかも、今度は三発だ。
 この時代に絨緞爆撃という概念は存在しないが、狩人が走る森の木々を全て燃やし尽くさん勢いで上空から火球が炸裂する。

「ウォルダンさん、良いと言うまで息を止めろ!」

 狩人は息を深く吸って止めたウォルダンを抱えたまま、別の木の木陰へと跳躍。体を投げ込むかのような勢いで火球の効果範囲から逃れ、爆炎自体を煙幕としてリオレイアの視界から逃れる。
 しかし、上空のリオレウスの鷹のように数Km先を見通す目が小賢しく動き回る狩人の動きを捉えている。


 これこそが火竜リオレウスの強みだった。
 飛翔に特化したその能力は常に相手から目を離さず、そして、隙を見ればすぐに火球を飛ばしてくる。

 飛行できる、ということは、『移動が早い』『自分の位置を有利に出来る』そんな小さなことではすまされないのだ。

『戦いを自分の好きなタイミングで始められ、好きなタイミングで終わりに出来る』

 リオレウスが狩りを行う際に、自分が傷つくタイミングで攻撃を行うことは、まずない。
 そして、リオレウスは窮地に陥っても飛翔することでその窮地を脱することが出来る。 
 さらに、リオレウスは獲物が隙を見せるタイミングで攻撃できる。

 ――それが飛翔できると言うこと。
 ――それこそが『空の王』リオレウス!!


「いいぞ!」

 狩人に呼吸を許可されたウォルダンが、肩で盛大に息を吸う。
 リオレウスの強さを味わい続けるにはいかない。
 ひたすら追撃に徹してくるリオレイアも厄介だ。
 だが、狩人達はこの恐るべき強敵達に対して、今は逃げることしか出来なかった。

「こっちでござる!」

 狩人に集まったリオレイアとリオレウスの注意を何とか逸らす為にスティールが角笛を吹き鳴らす。

 すぐにリオレイアが火球を、リオレウスが空中から降下する勢いでスティールを轢き殺そうとする。

 スティールは二頭の攻撃を巨体に似合わぬ素早さで坂を駆け下りていくことで避ける。
 狩人もスティールの作ってくれた隙に乗じて、坂を駆け下りる。

「見えたでござる!」

 狩人のベースキャンプの最大の特徴は「飛竜が着地できない狭隘な土地」であることだ。
 スティールのベースキャンプはその条件を見事にクリアしていた。
 リオレウスやリオレイアでは体が引っかかって入れない程の狭い谷の底にあるのだ。

「あそこなら大丈夫でござるよ!」

「まともにいけるのならな!」

「うむ。だが、お主と二人なら何とかなろう!」

「スティール卿に腕を買われるとは嬉しいね。だが、どっちをいく!?」

 狩人はベースキャンプが見えたものの、まだ楽観視出来ない状況であることを見抜いていた。
 だが、彼らの前途にはさらなる難所が待ち構えているからだ。

 ベースキャンプに至るためのルートは二つあった。

 一つは緩やかに下りる坂。そこは隠れる場所が一切無く、火球に狙われることを覚悟しなければならない。
 一つは一直線に落下する断崖絶壁。引っかかる場所はあれど、それは人を支えるにはあまりにも頼りないほど小さい。

「ガンランス使いにあれを降りられるか!?」

 狩人には行く道などすでに決まっていた。
 だが、問題はスティールだ。彼のガンランスは機敏に動くにはあまりにも重過ぎる。

「リオレウスを狩るならこの程度の苦境、大したことではござらん。好きに行かれるが良い」

「なら、行くぞ!!」


 ウォルダンが狩人達の全力疾走の行き先を見て、悲鳴を上げた。


「おい、どうしてそっちなんだ!? そっちは崖だぞ!?」

「口を閉じろ、舌を噛むぞ!」

 ウォルダンはその言葉に仰天した!
 底を見れば目がくらむような高さは距離にして20m強。垂直に立った岩肌は風雨に磨かれて掴まるところなど無い。
 こんなところを行くのは翼がある生き物か、正気を逸するほどの窮地に追いやられた獣しかありえない。

 だが、狩人達の走りには窮地に追いやられた者特有の怯えが一切ない。
 そここそ死中を抜け出すための場所と言わん限りに全力疾走する。

 ――そして、ウォルダンの怯えなどどこ吹く風で、Gの狩人二人は断崖絶壁から跳躍した。

 背後には一瞬でも崖跳びを躊躇すれば当たるタイミングで火球が炸裂した。
 二人は爆炎を背後に残して、断崖絶壁を落ちていく。

 だが、ただ単純に落ちれば墜落死は免れない高さだ。二人はこの高さにおいてまったくの無策なのだろうか?


 ――ウォルダンは二人が取った方法を人に話しても決して信じてもらえられないだろう、と思った。

 狩人は垂直に立った壁に無理矢理足を叩きつけると、岩壁を削りながらも減速しながら落下。
 スティールは背中からエンデ=デアヴェルトを引き抜くと、壁に向かって仕込まれた大砲を連続発射。反動で減速する。

 しかし、この二人の繰り出した超絶技ですら信じられないと言うのに、四人に襲い掛かる苦境はさらに信じられないものだった。


 ――雌火竜リオレイアが翼をはためかせて体をコントロールしながらも、四人を追いかけて落下してきているのだ。


「な、なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 もはや、どうにでもしてくれと自棄の心境で叫ぶウォルダンだが、狩人達は諦めることを知らなかった。

 狩人が崖に両手両足を突き立てて今までの落下速度を猛烈な勢いで減速させていった。
 スティールもそれに倣う。エンデ=デアヴェルトの穂先を岩壁に突き刺し、岩壁に張り付いた。

 狩人達の急制動に対処するにはリオレイアの体は重すぎた。そして、体に勢いが付き過ぎていた。
 彼らの横をゾッとするような勢いで、リオレイアの巨大な両足が行き過ぎていった。

 リオレイアの落下突撃をやり過ごした狩人達はリオレイアを追うように谷底へと降り立った。
 落下の衝撃で足がしびれたリオレイアの横を通り抜け、リオレイアが入るにはあまりにも狭い隙間へと突っ走る!


 その時こそリオレウスの待ち望んだ一瞬だった。
 獲物に飛び掛る最適のタイミング、それは窮地より逃れたと安堵する一瞬に他ならない!


 狩人達は隙間へ走りこもうと前だけしか見なかった。
 故にリオレウスの取った行動には仰天するしかなかった。


 ――飛行を止めて落下したリオレウスがその巨躯で隙間を塞いだのだ!


 狩人達の前方に突如として現れた赤銅色の飛竜はそのまま大きく息を吸い込んだ。

 背後の翡翠色の飛竜も自分の雄に倣って、息を吸う。



 ――大型生物二頭に前後を挟まれ、今まさに必殺の火球攻撃が狩人達に襲い掛からんとしていた。

 

 ウォルダンは今日何度目になるか分からぬ死の恐怖に晒され、今度こそはもう駄目だと観念した。
 観念して目を閉じ、目の前から絶望的な状況から少しでも離れようと必死になった。


 もういいだろう。
 狩人達は十分に仕事をした。
 俺はもう満足だ。
 ここまで絶望的な状況なら、もうどうしようもないだろう。


 だから、ウォルダンは狩人達がいまだに生存を諦めていない、と知ったのは。
 狩人はどんな状況でも、どんなに驚いても、眼を閉じて人生を眠りのままに終えるようなことは決してしない、と知ったのは。

 ――スティールのその声を聞いた時だった。

「伏せるでござる!」

 スティールは懐中に寄せていたアルシアを狩人に放り投げると、背中からエンデ=デアヴェルトを引き抜いた。
 エンデ=デアヴェルトは快音を立てて機構による収納から展開状態へと移行し、その砲身を露わにすると瞬く間にその銃口から火が漏れでた。


 狩人がウォルダンとアルシアを抱えて地面に伏せるのと、
 リオレイアとリオレウスがその巨大な口腔から火球を解き放つのと、


 スティールのエンデ=デアヴェルトが前方を朱に染め抜くほどの大火力の砲撃を放つのはほぼ同時であった。

 ガンランス 必殺の大砲撃『竜撃砲』が前方のリオレウスの火球をその威力で霧散させる!

 そして、その必殺の砲撃の威力はガンランスの使用者にそのまま反動として跳ね返る。
 そこでスティールは足を踏ん張り、反動を制御。自分の体が後ろに行く反動はそのまま、力の流れを制御して自分の体の向きを変える。
 狩人とウォルダンの頭上をすさまじい勢いで回っていく銃口。その先から流れる炎が空中に円を描く。
 炎で描いた円の先にあるのは、雌火竜リオレイアの放った火球だ。
 竜撃砲の反動で円と舞う騎士は後方から放たれたリオレイアの火球をその盾で受け、前後同時の火球攻撃という絶体絶命の窮地から一行を守り抜く!


 ――まさに鉄壁の騎士。伝説と謳われる“Sir.”スティール。その技術、その意思は、不退転そのもの!


 間髪を置かず狩人が閃光玉を投げ、今度は必殺を期していたリオレウスとリオレイアが閃光に目をやられて仰天した。

 その隙を逃さぬ狩人と騎士ではない。リオレウスの巨躯の隙間をかいくぐり、四人はようやく安全なベースキャンプへと走りこんだのだ。



[17730] 第一話「千切れた心」 6
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/03/30 10:15
 緊張でくたびれ果てたアルシアとウォルダンを床に置いた狩人と騎士は、ベースキャンプに木箱を組んで作った足跡のテーブルにその狩場の地図を広げて、二人だけの臨時の作戦会議を開いた。
 ベースキャンプは二頭の火竜の脅威に晒されている。
 今も咆哮が外から聞こえ、中にいる者を蒸し焼きにしようと隙間から炎を吹きかけてきている。
 状況は一刻の予断も許されない。二人は兜も脱がずに互いと地図を見ながら飛竜に対して話し合った。

「あの飛竜の目的は何だ? 捕食なら私達よりもアプトノスの方がはるかに捕まえやすいし、縄張りを守るための示威行動にしてはしつこ過ぎる。『浅からぬ因縁がある』と言っていたアンタなら心当たりがあるんじゃないか?」

「然り、あの番いの竜はおそらくここに巣をこさえたのでござろう。ドンドルマの前の土地でも巣をこさえて我輩と戦いになったでござる。結果は双方痛手無しの引き分け。頭の良いリオレウスでござるが、リオレイアの出産の方が近かったのでござろう。人里から離れきれなかったとの推測でござる」

 卵を守る飛竜。
 古から飛竜が最も警戒心が高く、最も興奮しやすい時期とされている。
 なら、あの二頭の竜の必死さも分かる。あのリオレウスとリオレイアは命がけで自分の子供を守っているのだ。

「卵を守るために凶暴さを増したリオレウスとリオレイアか……敵としては最悪だな」

「それだけでは話は終わらぬでござる」

「そうだ。あの二頭の竜、狩人を何人喰った?」

 スティールが感心したように息をついた。

「ガンランス使いのスティール卿の動きと私の動きは全然違う。しかし、リオレイアは私の動きを予測して行動してきた。あいつは間違いなく他の狩人と戦ってきた飛竜だ」

「七人でござる。最初は巣を発見して卵を盗もうとした狩人が、次はその報復に向かった二人の狩人が、最後は彼らのギルドからの討伐依頼を受けた四人組が敗北して喰われたでござる」

 今度は狩人が溜息をつく番だった。

「状況次第ではありうる事とは言え、なんということだ。まるで狩人のやり方を手ほどきしているようだ。卿はこの状況でよくその依頼を受けるな?」

 スティールは豪快に笑い飛ばした。「さもありなん、さもありなん」、と。

「獲物を選んで武器を収めるのは狩人のやり方でござるが、生憎、我輩の流儀ではござらん」

 狩人は、“Sir.”スティールの詩に書かれた事は紛れもない真実なのだ、と納得した。
 火竜リオレウスと鎧竜グラビモスを王国の火山から討伐した一人の狩人の騎士。
 本人を見れば可能だと良く分かる。
 卓越したガンランスの技とあらゆる攻撃を弾いてみせる堅牢な防御、そして、敵を選ばず人の窮地を救う心。
 どれもがあの物語を真実だと分からせる説得力に満ちていた。

「だが、これであの竜の不可解な点に大方合点がいった。――なんとかなるな」

「ほう、あのリオレウスを何とか出来るのでござるか?」

 そう、問題はあのリオレウスだった。
 常にこちらの隙を上空で監視し、大雑把な直接攻撃はリオレイアに任せて、こちらの隙をついて攻撃することに集中している。
 もし、こちらがリオレイアに集中するなら、それを隙として攻撃を仕掛け、リオレイアをサポートする。
 さらに、それを良く理解したリオレイアがこちらの攻撃に構わず常に防御を無視した全力の攻撃を放ってくるため、けん制やこけおどしは一切通用しない。

 だが、狩人は断言した。

「出来る。――奴から翼を奪ってやろう」


 スティールの理性は「ここで嘘をついて自分を大きく見せる必要はこの狩人にはない」、と判断した。
 スティールの感情は「ここでこんな大法螺を吹いてみせるとはこの男、嫌いではない」、と判断した。
 スティールの打算は「ここでこの男の言う事を聞いてみるのも面白いかもしれない」、と判断した。

 だが、最もスティールが重視した情報は、スティールの経験則から基づいた観察であった。

 有言実行する人間と中途半端に終わる人間には明確な違いがある。
 少なくとも、スティールはその二種類の人間に違いがあるとしたら、これだと信じている。

 それは今までスティールを騙して窮地に落としいれようとする人間からスティールを救った。
 若く未熟な狩人がスティールを前にして自分を大きく見せようとする行動を見抜いてみせた。
 ――そして、素晴らしい狩人を理解する助けにもなった。


 ――それは「熱意」だった。

 目に宿る熱い想いだった。


 他人の真実を分かることが出来ないのが人間ではあるが、
 他人の思いを理解することが出来るのが人間だ。


 スティールは自分がかつて王国を窮地より救った時と非常に似通った熱い熱意を、狩人が断言する時の眼差しから感じ取った。

 故に、スティールはあっさりと即決した。

「では、リオレウスは任せるでござるよ」

 今度は狩人が肩透かしを食らったような表情をした。

「い、いいのか? こんなどこの馬の骨と分からぬ狩人をあっさりと信じて……」

 スティールは狩人のもっともな疑問を豪快に笑い飛ばす。

「ガッハッハッハッハ、そこの商人を守るためにリオレイアに立ち向かって、死中を共にした狩人を疑う理由も腹積もりも持ち合わせておらんでござる。妙なそぶりがなければ信用も信頼もするでござる」

 そして、スティールは木炭を手にとって地図を指刺した。

「それで、どこでやりあうつもりでござるか? 我輩はリオレイアを出来る限り引きつける。リオレウスから翼を奪うお主の考え、聞かせて貰おうではござらぬか」

「ああ、そこまでいくまでスティール卿には私のサポートを頼みたい。何せ、また長い間走ることになる」

 それを聞いたスティールが、走ることはもう飽きたと言わんばかりにうんざりした。
 すると、息が整ったウォルダンが、疲労で切れ切れの口調で狩人に言った。

「あ、アンタ。あんなのと戦いにいくのか?」

 ウォルダンが疲弊しきった顔で、心配そうに狩人を見た。

「大丈夫だ。四~五時間もあればケリはつく。足の傷は出て行く前に処置しておこう。変な風に曲がると困るからな」

 手馴れた手つきで応急処置をこなす狩人にウォルダンはすまなそうに謝罪した。

「すまない。アンタには貸しを作ってばっかりだ。こんな護衛仕事、割に合わないだろうにな」

 狩人は皮肉めいた苦笑を浮かべて、

「護衛仕事は博打みたいなものだ。当たればとても暇でいられるが、貧乏くじを引けば今回みたいになる。だから、これは私の運が悪かっただけだ。次があるならとても暇な護衛仕事がいい」

 ウォルダンは狩人の慰めのような下手な冗談を一緒に笑いあった。

「Gの狩人を雇っておいて、それを暇にさせるか。贅沢だな」

「まったくだ」

 ウォルダンと狩人が笑いあっていると、狩人の腕甲が下から引かれた。
 見下ろすと、アルシアが心配そうな眼差しで狩人を見上げていた。

「お外、危ないよお」

 外からはいまだにリオレウスの羽音が聞こえる。
 リオレイアの足音もだ。

 そこが危ないのは幼くても分かる。

 ――だが、危険な場所にあえて赴く理由は、幼いと分からないだろうな。

 狩人がどう言ったものか迷うと、アルシアが続けた。

「でも、いっちゃうの?」

「このままだと、ここが危なくなるしな」

 狩人はただ素直にアルシアの疑問に答えた。

「どうして、いっちゃうの?」

「それが私とあの騎士殿のやるべきことだからさ」 

「あのおっきいのと?」

「そうだ。それが大昔からの狩人のやるべきことなのさ」

「どうしても?」

「ああ、そうだ」

 そのあと、アルシアの取った行動は狩人を驚かすのに十分なものだった。

 口の端をあげて、何とか笑顔を取り繕って。
 アルシアはどこか寂しげな笑顔を浮かべたのだ。

 ――あのメルシャ婆のように。

 血とはなんと濃いものであるかと驚きながらも、狩人は自分の髪からリボンをはずすアルシアから目を離さなかった。
 アルシアは狩人の後ろに回ると、メルシャ婆のところで療養していた時から伸ばしっぱなしにしている狩人の金髪をそのリボンでまとめた。

「お、お守り。母様が守ってくれる」

「いいのか?」

「いいの、持っていって!」

 狩人はまとまりのよくなった自分の髪の先にあるリボンを見る。
 落ち着いた色合いの女物だ。少女がつけるにはどこか大人びていたイメージがあったが、母の形見であるなら肯ける。

 狩人はウォルダンを見やるが、彼は身振りで「持っていってくれ」、と言っていた。

「有り難く貰うよ。これで炎も大丈夫だな」

「焦がしたら、ダメなんだよぉ!」

「分かった」

 狩人は優しく笑ってアルシアの頭を撫でた。

「必ず返しに来るよ」

「……うん!」

 撫でられたアルシアは俯いたまま、狩人を見上げることはなかった。
 アルシアが何かを堪えているようにみえた狩人は、 そのまま何も語らずスティールを見た。
 狩人とスティールは肯きあうと、アルシアとウォルダンに背を向けゆっくりと入り口に向かって歩いていった。


「そう言えば、聞いていなかったな。卿があのリオレウスを狩る理由は何なのだ? 依頼されただけにしては狩場を変えてまで追ってくるとは随分と熱心なようだが」

「なーに、ただの見栄でござる」

「見栄?」

「誕生日が近い息子にリオレウスの牙飾りを作るでござるよ」

「随分と剛毅な誕生日の贈り物だな。と言うか、妻と別れたと詩には語られていたが」

 これにはスティールは照れ隠しに豪快に笑いながら、

「『分かれる際の思い出』との時にデキた子でござるよ。結局は騎士を止めて一緒に住むことは適わなかったでござるが、息子のおかげで会いに行く理由は事欠かんでござる」

 狩人は、スティールが豪快かつ高潔な人間である理由の一端を見た。

 ――きっと、息子に聞かせる勲が、彼と息子の絆なのだろう。

 子供に聞かせる物語だ。汚くあってはいけない。臆病であってはいけない。弱きを見捨ててはいけない。
 人として、スティールが抱く理想像を何とか自分で体現しようと彼も必死なのだ。

「なら、なおさら私は責任重大と言うわけだな?」

「息子のご機嫌がお主にかかっている。よろしく頼むでござるよ」

 狩人は腕甲の下の手袋をきつく締めて、

「任せろ。牙と一緒にリオレウスのプライドも叩き折る」

 そう言って、両拳を胸の前で叩きつけた。



[17730] 第一話「千切れた心」 7
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/03/30 10:16
「――さあ、勝負が始まる。狩人と飛竜の真剣勝負。勝つのはでかいのちっこいの? こればっかりはやってみないと分からない!」

            ――とある日のドンドルマの酒場にて歌われた戯曲の台詞。










 ベースキャンプの隙間にいくら炎を吹きかけようと、狩人達の気配が消えないことを学習したリオレウスとリオレイアはベースキャンプを監視していた。

 リオレウスは新たな敵の到来と周辺監視のため、上空へ。
 リオレイアは谷底であるベースキャンプの周りを見下ろせる場所から動きがないか、身を伏せて監視していた。

 ――すると、谷に響き渡るように大きく低い歌声が響き渡った。


『 此処より 風に乗りて 広がる 古の血潮の歌よ 』


 リオレイアが立ち上がって谷を見渡し、リオレウスが高度を下げてその目で谷を見据えた。


『 陸に 空に 海に 広がる 調べよ 』

 それは『英雄の証』と呼ばれる歌であった。
 その曲のあまりの雄大さゆえに万人に歌われ、様々な立場の者が様々な歌詞を持ってその曲を彩り、歌い続けられたものだ。

 狩人が歌えば、『狩人の英雄の証』となり、
 騎士が歌えば、『騎士の英雄の証』となり、
 鍛冶屋が歌えば、『鍛冶屋の英雄の証』となり、
 王族が歌えば、『王族の英雄の証』となる。

 まさに万人がその心に刻んで、自らの心の熱を表現した曲だ。
 その響きを持って、狩人と騎士は空の王と森の女王に挑戦する。 
 

 ――にわかに谷底の隙間をなにやら転がり出てくるものがあった。

 リオレウスとリオレイア、双方共に轟と火球を放って谷底を火の海にすると、その火よりもさらに大きい爆発が竜の火を渦巻かせて炎と燃えた。
 飛竜達は自分達の放った火球よりもさらに大きな惨状をもたらしたその爆発に驚いてひるんだ。


 ――その隙を逃さず、狩人達はまだ火の消えぬ谷底を突っ走った。


 転がして身代わりにした大タル爆弾の作った隙に、飛竜達にもっとも警戒されているであろう谷底からの脱出を果たした狩人達は迷いなく走る。
 その目的は飛竜達にも明白であった。

 自分達の巣へ向かっているのだ。
 そこには自分達の卵があり、飛竜達の本能が巨大な四肢と翼に訴える。

 ――不埒者を近づけるな。その牙と爪で引き裂き、火球で燃やせ。

 王と女王が雄叫びをあげて飛び上がる。
 空を飛ぶ者が陸を走る者より遅いわけがない。あっという間に追いつき、彼らの背中より強襲。
 だが、狩人達はとっさに身を捻って飛竜の爪や体当たりを回避する。
 リオレウスは強襲の勢いそのまま上昇し、リオレイアは着地して身を回すと、今までの彼らからは考えられない行動がリオレイアの眼前で行われた。


『 心よ ただ前を 前を見て進め 胸を張るために 』

 『騎士の英雄の証』を歌い上げながら、スティールが攻撃を始めたのだ。

 スティールがガンランスの穂先を、振り向くリオレイアの顔面に向けて突き刺そうとしていた。
 リオレイアが反射的に牙でガンランスを噛んで攻撃を阻止。

『 力よ 我が腕に宿れ 槍を持つために 』

 スティールはそこから強引にガンランスの砲撃を浴びせてリオレイアを突き放し、噛まれたガンランスの制御を取り戻すも、それを隙とみたリオレウスの火球攻撃がスティールに襲い掛かる。
 スティールは火球攻撃を盾で何とか受け止めるも、リオレイアの至近距離で攻撃され続け、攻撃も逃げるもままならない。
 さらにリオレイアが猛毒の尻尾を振り回す。
 スティールはガンランスの穂先を上へとまわして猛毒の尻尾の行く先を上へとわずかに修正。そして、尻尾の下を掻い潜る。

『 試練と苦難と 茨に刻まれた道よ それでも我らは進む 』

 すんでのところで二頭の竜の攻撃をいなし続けるスティールだが、まだまだ竜の攻撃は続く。
 リオレウスが猛烈な急降下を敢行。今度は猛毒の爪でスティールを蹴りにいく。

『 それこそが 誉れの証 』

 スティールは腕力任せに受け止めず、後ろへと受け流す巧みな盾捌きでリオレウスの爪をものともしない。
 そこにリオレイアがまた突撃してきて、リオレウスの攻撃の隙を埋める。

 ――しかし、そこでリオレウスの背後から響いてきた歌がある。


『 心よ 声となり叫びあげろ 勇気を呼ぶために』


 ――それは『狩人の英雄の証』だ。

 上昇してリオレウスがスティールの隙を窺おうと周りを見る。
 そこで、リオレウスはスティールが何故攻撃してきたか悟った。


『 力よ ただ今は時を待て 解き放つべき時を』

 スティールを囮にして、狩人が巣へと全力で走っていた。
 そして、その姿は深い山の森の中へと消える。
 背の高い山の木々は狩人の姿をリオレウスの上空の目から隠すには都合が良かった。

 リオレウスは狩人に欺かれたことを知ると、嚇怒を蒼天に響かせて空を駆けた。





 スティールは、リオレウスの怒りの咆哮を聞くや、自分はリオレイアを足止めするために眼前の戦いに集中するべき、とした。
 また、リオレイアは先ほどの狩人の閃光玉によって無策で逃げることの不利を確実に学習していた。

 森の女王と騎士は互いに対峙したまま、山の頂点にある巣へと赴くことが出来なかった。  




 狩人は森を走る。緑深く、黒くさえある森の中を、楽しげでさえある表情で。

『 遥か彼方から 続く営みよ 』

 それは原始から続く衝動。
 苦難を笑って切り抜けるための力。

『 黒き森の中にある 真理は語る 命を重ねて今も 』

 この深い森さえも、狩人と同じような存在が何度と走ってきた遊び場。

『 露と感じる 闇の慈悲 』

 そう恐れることはない。
 貴方は弱さだけに喰われ続ける必要はない。
 皆がずっと此処で走り続けてきたのだから。

『 此処が 誰にも侵されぬ 黒に染まった命の系譜』
 
 狩人は深い森の木々が山を登るにつれて少しずつ低くなっていき、その頂点の岩窟の辺りにはほとんど木々が生えていないことを知った。
 そして、その岩窟に辿り着くためには険しい断崖絶壁を登らねばならない。
 天然の砦とも言ってもいい断崖絶壁は鷹の目を持つリオレウスにとっては守り易い場所だ。

 狩人は森を通る猪を見つけると、それを自分のハンマーで手早く殴り殺した。
 毛皮を剃らずに皮を剥ぎ、水で濡らしてポーチの浅い場所に仕舞い込むと、リオレウスの待ち受けるであろうその見晴らしのいい断崖絶壁へと走る。

『 心よ 解ける時は来たり 力と共に 』

 もはや戦いに是非はない。

 ――奴が食うか。
 ――私が食うか、だ。




 上空を飛ぶリオレウスは断崖絶壁に狩人が取りついたのを確認すると、急降下して襲い掛かった。

 翼を持たぬ人間には、リオレウスが見張る中、断崖絶壁を登ろうと言うのは自殺行為に等しい。
 だが、リオレウスは油断しない。断崖絶壁の起伏に隠れて火球をかわされることはあってはならない。
 飛行中の小鳥すらも捕まえる精密無比な爪の一撃にて雌雄を決しようと、全長20m超過の巨躯が落雷のごとき勢いで降下する。

『 力よ 心を支えよ 命ある限り 』

 背の低い起伏の連続を登る狩人は、急降下してくるリオレウスを見つけると、すぐに横の起伏へと飛んだ。

 足場があるとは言え、すでに登った崖の高さは5mより上にあり、落ちればただではすまない上に、リオレウスの餌となることが確定する。
 背中に羽根が生えている者の行いとしか思えない無謀な跳躍はリオレウスすら予想せず、リオレウスの爪は外れて大地を抉る。

 そして、足場へと着地した狩人は断崖絶壁を登るべく、崖に張り付いた蔦を握り、壁を這う井守か家守のごとき勢いで崖を登る。

『 高き山に 荒れ狂う烈風 それらを越える強さこそが――』

 人間の足場としては足りていても、狩人がそれまでいた足場はリオレウスの足場としては小さいものだった。
 体勢を崩しながらも羽根を羽ばたかせて、姿勢を正したリオレウスは崖を登っていく狩人に対し、今度は火球で攻撃する。
 この不利な場所の火球攻撃はもはや致命的とも言ってもいいが、狩人はそれすらも己の策のうちに入れていた。

 彼はポーチから猪を剥いだナイフを取り出すと、それで自分より下の蔦を断ち切って崖から蔦を剥がし易くすると、上から吊るされたまま猛然と崖を横に駆けた。

 ――そう、垂直の崖が足場とならぬなら、支えを得て足場とすればいい!

 追ってくる火球が狩人の背後で炸裂し、爆風が狩人の背中をさらに押す。
 狩人はそれで得た自分の体の速度で崖を登りながら方向転換。

 断崖絶壁を上へと弧を描き、リオレウスとは離れる方向から、

『 ――英雄の証 』


 ――リオレウスに近づき上空から飛び掛らんと身を躍らせて空を舞った!
 ――見よ、空の王者の上をとる狩人を!


 だが、リオレウスは下賎な人間がリオレウスの上にあることを許さない。
 体勢を崩しているが故、至近距離にしてその口腔に赤い炎が宿った!

 そこで、狩人の手が背中に回り、取り出したのは森の中で狩った猪の皮だった。
 血と水で濡れたその皮を狩人は体の前面で広げ、リオレウスの火球をその皮と自分の体で受け止めた。

 両者の間で火球が炎を散らして炸裂。赤い光がリオレウスの顔面と狩人の体を包み込む!

 自らの火球攻撃の威力を信じて勝利を確信するリオレウス。

『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』

 だが、そのリオレウスの思いを裏切るように、歌声は聞こえてくる!
 リオレウスの火球の威力を狩人も信じていると、リオレウスは思いもしなかったのだ。

『 力よ 体より湧きあがれ 勇気を糧として 』

 リオレウスの上空で火球を喰らった狩人の体はその威力ゆえに断崖絶壁を翼無しで飛翔し、その頂点へと一瞬で駆け上がったのだ!


 ――敵の攻撃を受けて、飛べぬ空を飛翔する。
 ――そんなことをやってのける生物は、陸にも空にも海にもには存在しないはずだった。
 ――それは、人間が、知恵が、狩人がやってのけた生態系の頂点への挑戦そのものだった。

『 我ら 狩人 』

 断崖絶壁の上で笑みを浮かべて動き出した狩人を見たリオレウスは、今日何度目になるか分からぬ仰天し、慌てて自分の体を上昇させた。

 だが、それを読んでいた狩人が懐中より断崖絶壁へと、何かを投擲した。

 狩人の道具、『閃光玉』は慌てるリオレウスの上で炸裂し、自然ではありえぬ強烈な閃光を撒き散らす!

『 飛竜と共に 大地を駆け抜ける者なり 』

 あまりの閃光に刹那の間、意識を失ったリオレウスは断崖絶壁を転がり落ち、凄まじい勢いで墜落していった。



 墜落による酷い打撲を受けたリオレウスは自らの出来る最高速度で崖を飛び巣へと潜り込むと、

 そこには玉座を簒奪した者がほうほうの体で逃げてきた王を笑うように、


 自分達の卵に腰掛けた狩人がいけしゃあしゃあと声をかけた。


「遅かったじゃないか、待ちくたびれたぞ」




「GYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」


 そこをどけ不埒者、と王者が叫んだ!


「ああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 どかせるものならどけてみろ、と狩人が叫んだ!


 双方の熱がもはや対決必至と唸りを上げ、リオレウスの突進の足音が合図となった。

 狭い岩窟ゆえに空は飛べぬ。
 狩人の足元に卵があるために、火球が放てぬ。

 翼と炎を奪われたリオレウスは我が子を救うために、決死の突進で狩人を轢き殺さんと駆け出した。


 狩人は今こそ自分の中にある熱を解き放つ時だった。
 熱は体を練磨し、理を高めて磨き上げ、思いを洗って純とする。
 溶岩のごとく滾る血潮と肉の中に、練磨された鋼のごとき筋肉が、研ぎ澄まされ澄んだ狙いを持って動き出す。

 狩人は極鎚ジャガーノートを腰溜めに振りかぶる。
 訓練と実践によって磨耗した柄が狩人の尋常ならぬ握力によって軋みを漏らす。
 力を蓄え続ける体は血潮を焼き、体から熱を発散して蒸気として立ち上る。
 純粋な感覚はリオレウスの動きすら捉えて万人に等しくある時間を遅く感じ取らせるまで動く。


 ――策はこの為、
 ――武器はこの為、
 ――体はこの為、

 ――ただ、体重数tに及ぶ飛竜の頭蓋を一撃のもとに砕くため。




 距離は5mを切った。

 ――大地と一体となった両足が背中の背筋と連動して、極鎚ジャガーノートを持ち上げる。


 リオレウスの頭部が3mまで一瞬で近づく。

 ――リオレウスへ必殺の一撃を喰らわす思いで瞳を満たした狩人は叫びを上げながら前進する。


 もはや、リオレウスとの距離は息を吹きかけられるほど近い!

 ――熱を溜めて炎となった両腕と大胸筋が、竜巻のような勢いをもってメランジェ鉱石の塊を振り下ろす!


 威力が!
 衝撃が!
 一撃が!!

 リオレウスの右顔面に炸裂して、その右眼を叩き潰した!

 空の王者がかつて体験したことのない威力を持った振り降ろしはリオレウスの頭部を地面へと叩きつけ、頭から地面をバウンドして体が狩人の左にそれて転がっていく。
 大木が転げまわるような壮絶な転倒と重量物が跳ねる未曾有の衝撃が大地を回る。
 岩窟の壁に打ち付けられて止まったリオレウスは、狩人の一撃のあまりの威力に気絶していた。


 狩人は叫ぶ。


「――――――――――――――――っっ!!」 


 それは原初の叫びだった。
 言葉も音もなく、ただ思いを大気にばら撒くような叫びだった。

 狩人の脳裏を、あの優しい日々が思い出しては凄まじい勢いで通り過ぎていった。
 その日々が、あの日々が思い出させてくれたのだと、狩人は思った。


 
 その叫びと共に、涙を流して狩人は自分を認識した。





 ――私は、弱くもあるけれど、強くもある!






 スティールとの死闘から何とか離脱することが出来たリオレイアは、巣で倒れているリオレウスと狩人を見て絶叫を上げた。
 それに気付いた狩人はまたハンマーを構えようとしたが、叫んだリオレイアがいきなり気勢を削がれたように怯んだ。

 背後を見れば、倒れているリオレウスが片目を失いつつも立ち上がり、こちらを見ていた。


 不思議な視線だった。

 さっきまでリオレウスにあった怒気が欠片も感じられない。それどころか戦意も闘志もなく、まるで賢者のごとき深い静謐をたたえた眼でこちらを見ていた。
 そして、リオレウスは視線でリオレイアをなだめると、こちらを見ながら近づいてきた。

 まるで、勇者が健闘を称える様に。
 諌められた暴君が家臣を認める様に。

 狩人を対等の存在として見るかのようにリオレウスは近づいてきた。
 リオレウスの意図をなんとなく察した狩人は卵からどいてやった。
 すると、リオレウスは卵をゆっくりと、細心の注意を払いながら口の中に咥えた。
 それは人が受ける祝福や儀式のように厳かに執り行われた。

 リオレウスが一声かけると、リオレイアが飛び上がった。

 ――二頭の竜は、狩人を見下ろしながら巣を後にしていった。




 リオレイアを追いかけてきたスティールは、狩人を尊重した振る舞いを見せる二頭の竜の行動に、かつてない思いを抱きながら飛んでいくリオレウスを見た。
 片目が潰れたリオレウスは、空の王者としての誇り高さを失わぬまま、また新天地へと飛んでいった。

「……撃退完了でござるな?」

「……あんなリオレウスは見たことがない」

「……同感でござるよ」

 二人とも呆けたように、あの番いの飛竜を見送った。

 ついに姿が見えなくなると、今度はスティールが思い出したように拳で掌を打った。

「そういえば、忙しさゆえにお主の名前を聞いてなかったでござるな」

 狩人は、意外そうに自分を指差すと、気恥ずかしそうに名前を告げた。


「……アルフリート」


「“Striker”アルフリートでござるか!? やはり、名の通ったGの狩人ではござらぬか。黙して語らぬとは、これまた謙虚な御仁でござるな」

「半年ほど休暇があったんでね。今回の戦いは休暇明けなんだ」

 スティールはさらに感心したようにアルフリートに続けた。

「半年の休暇明けでもあの動きでござるか、良いものを見たでござるよ!」

「スティール卿ほどじゃあない」

 これ以上自分の話をされてはたまらないアルフリートは、地面からリオレウスの右顔面を砕いた時に飛び散った牙を拾い上げた。

「ほら、卿の求めていたリオレウスの牙だ」

「おお、かたじけない。しかし、飛竜討伐で得られるのがこれだけとはアルフリート殿には割に合わない話でござろう?」

 アルフリートはその時、手を見ていた。

 まだ余熱の残る手にある確かな手応えは、実戦でなくば得れないものだ。
 リオレウスは思い出させてくれたのだ。
 アルフリートにとって大切な、狩人として大事なものを。

 だから、素直な笑顔で彼は言い切った。

「そんなことはない。――いい収穫があったさ」



 こうして、アルフリートとスティールは逃げたアプトノスを探して捕まえると車に繋ぎ、ウォルダンとアルシアを乗せてドンドルマへと戻っていったのだった。



 ドンドルマの医者によって二週間の間、十分な治療を受けられたウォルダンは、リオレウスに襲われた時の騒動で十分な礼も出来なかった狩人に礼をしようと、アルシアを連れて酒場に足を踏み入れた。

 酒場に入っても彼はそこにはおらず、裏庭で今日も体を鍛えているのだ、と言われた。
 スティールのことも聞いてみたが、あの遍歴の騎士は休息を知らず、アルフリート達がドンドルマに到着した翌日にはもう次の街に出かけていったらしい。
 おひげのおじちゃん、と呼んでいたアルシアはそれを聞いて大層寂しがったが、裏庭でアルフリートが訓練しているのを見ると、すぐに笑顔になって彼に抱きつきにいった。
 腕立て伏せをしている人間の背中に飛び乗るという剛毅なことをしてみせたアルシアだが、アルフリートの方に飛び乗ったアルシアを気にする様子はなかった。

「ああ、ウォルダンさん。訓練中ですいません」

「いや、こっちも取り込んでいる所に来たようだね。気にせず続けてくれ」

「では、お言葉に甘えて」

 しばらく腕立て伏せをしているアルフリートを眺めて、どう切り出したものかと悩んでいたが、ついにウォルダンは言った。

「そろそろ、次の街に行こうと思ってね」

 アルフリートはアルシアを背中から下ろして立ち上がった。

「……もう、行ってしまうのですか?」

「傷も治ってきたし、そろそろね?」

「?」

 アルシアは何も分からない顔をして二人を見ていたが、ふと、何かに気付くと、それを口にした。

「……狩人さんは一緒に来ないの?」

 ウォルダンが出来る限り優しい口調でそれを肯定してみせた。

「そうだよ、アルシア」

 すると、アルシアは狩人の左足にしがみついて、顔を振って嫌がった。

「いーやー! 狩人さんも一緒に旅に行くのー! クックとかでたらまた守ってもらうんだおーーー!」

「コラ、アルシア。アルフリートさんを困らせるんじゃない!」

「いーやー! 一緒に行くのー! また守ってもらうのー!」


「……それは違うぞ、アルシア」

 狩人は嫌がるアルシアの頭を出来る限り優しく撫でた。

「私は自分の役目に従って、ただリオレウスからアルシアを守ったに過ぎない。……アルシアはもっと色々なものから守ってくれたさ」

「あたしは何から守っていたの?」

 狩人は、今まで髪をまとめていた少女の形見のリボンを解いて、アルシアに握らせた。

「このリボンとあの歌で、狩りの途中の事故とか、私自身の耐え難い弱さとか。そういう色々なものから守ってくれたんだ……本当だよ?」

「もう大丈夫なの? 狩人さんは強くなったの?」

 アルフリートは笑う。
 優しく、寂しく、一人として、強くある者として。


「……思い出したんだ。私が私であるために」


 アルシアは顔を傾げて顔を少しだけ伏せると、狩人に自分の手にあるリボンを押し付けた。

「……あげる」

「良いのかい?」

「……狩人さんをきっと守ってくれるよ」

 それだけ言って、アルシアは狩人から走り出した。
 あの優しい歌を歌いながら。

「青黒いガルルガの鎧♪ 黒い大きなハンマー♪ 虎さんみたいに強そうな顔の傷♪ けれど、金の髪は伸ばしっぱなしでリボン付き♪ 鳶色の瞳はいつも眠そう、狩人さんはお寝坊さん♪」



 さよなら、優しい時間よ。
 ありがとう、優しい人々よ。

 あの傷ついた日々から、また狩人としてここにあるのは、きっと君達みたいな人にゆっくりとした時間を貰えたからなのだろう。

 寂しいけれど、今はさよなら。

 また会う日まで。




 第一話 『千切れた心』  了












 ――傷つけられない刃は大事に思う気持ちの証。
 ――故に舞踏は磨き上げられ、男の剣は冴えを見せた。
 ――しかし、それが鍍金であることはあまりにも明らかであった。
 ――本物の脅威の前では。


 Monster Hunter ~~Soul Striker~~

 第二話 『刃と踊れ!』


「俺の太刀に切れぬものなど、ないッ!!」


 Coming soon――



[17730] 第二話「刃と踊れ」 1
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/07/30 23:44
 武器はその存在と理念において矛盾している。


 武器とは人を守るために、飛竜を倒すために、自分が他の存在の脅威となるためにあるべきものである。
 武器を携えることを、人類の脅威としてある飛竜になる事と例えるならば、

 武器は飛竜の爪であり、
 武器は飛竜の牙であり、
 武器は飛竜の炎の吐息である。

 今まさに武器はそのように進化しており、我々の武器は扱う者の腕次第で飛竜達を超える域にまで達している。

 しかし、どうしても飛竜達の武器とは劣る点が存在する。

 それは耐久性である。

 飛竜達の武器は全てが自分の体で出来ている。
 それは飛竜達にとって、武器が傷つこうともまた生え変わり、常に新しい武器を持って狩りを行うことを意味する。
 人間はそうはいかない。

 武器は劣化する。
 武器は消耗する。
 武器は破折する。

 新しい武器を手に入れて、飛竜のごとく生え変わりといきたい所だが、新しい武器を手に入れるには強敵である飛竜の器官や四肢を必要としたり、それら飛竜が棲む深遠なる山々に行かねば手に入らないものばかりである。

 だから、良い武器とは、壊れない事を前提として作られる。

 だが、考えてみよう。
 武器は打ちつけるものだ。相手の骨に叩きつけられ、相手の鱗に遮られ、相手の牙に噛みつかれる。
 武器の使用法とは、使用者の望む望まざるに関わらず武器を破壊する工程である。

 ここで矛盾が生ずる。

 武器を作ることとは壊れない武器を作ることだが、武器を扱うことは武器を壊すことと同義なのだ。
 この矛盾は人間が武器で武装する限り、延々と論議されるであろう鍛冶屋の命題である。

                  ――竜人の鍛冶 オットーの手記より






 ハンマー使いの狩人“Striker”アルフリートは今日もドンドルマの酒場、カウンターの端の方で昼飯を食べていた。
 アプトノスの腿丸ごとのこんがり肉が二つに、生でも食える新鮮なアプトノスのロースが一塊。
 野生の肉食動物が生肉を食うことで、その草食動物が草を食べていたビタミンやミネラルまで摂取するのと同じ方法だが、まともな神経の常人は真似しないほうが良い。
 血生臭さをものともしないで食べるのは、火も焚けない狩場で慣れたアルフリートの生活習慣によるものだが、生肉を平気で噛み千切るには骨ごと肉を食べる咬合力が必要だ。
 食卓に付いてきた洗っただけの丸ごとのトマトやキャベツも塩だけつけて食べる。
 飛竜の食事風景を連想させるのか、彼と食事を同伴しようとする狩人はいない。
 メルシャ婆にもこの食事の仕方は散々注意されたのだが、下手に手を加えた食事を食べるより力が出ると彼は思っている。
 事実、そのとおりだし。

 だが、その日は珍しいことがあった。

「Hey、ここ空いてるかい?」

 口に付いた血糊をふき取ってアルフリートは声の主に振り返った。
 ……もっとも、口の中では骨をバキバキと咀嚼しているのだが。
 アルフリートは手で問題ないことを伝えると、相手を見ずにそのまま食事を再開した。
 だが、数口生肉を食べていると、横に座った相手から声をかけられた。

「Hey、そいつは美味いのかい? さっきからずっと食ってるけど」

「不味くはないぞ。肉を火にかけられない日々が続いたことがあってな。その時に覚えた。食べると力がでる」

 簡潔に言っている間に生肉は食べ終わった。次はこんがり肉にかぶりつく。

「いや、でも骨ごと食うってどうよ? 胃にもたれないかい?」

「ちょっと堅い軟骨だと思え、結構イケるぞ。腹が減っていれば色々なものにチャレンジするもんだ」

 ここでアルフリートは初めて相手の容姿を確認し始めた。
 アルフリートが話しかけてきた相手に抱いた第一印象は、まず「黒くて細く姿勢の良い男」だった。
 身だしなみにそれなりに気を使っているのか、小奇麗な黒い防具も、艶やかな黒髪も毛並みの良い黒豹を彷彿とさせた。
 アルフリートは、狩人の性分として、まず相手を見定める。


 姿勢が良いのは狩人の中でもボウガンや弓矢を扱うガンナーと呼ばれるタイプの狩人によくある傾向だった。
 飛び道具はその射撃の正確さが求められる。
 射撃の正確さとは、射撃時に如何に自分の体を一定の姿勢で維持できるかにかかっている。
 そのため、平素の時からあまり上体がぶれない姿勢――つまり、背筋を伸ばして胸を張る――でいることが多いのだ。

 だが、その黒い狩人はガンナーには見えなかった。

 見分け方の基本は防具だ。
 大剣やランスやハンマーで飛竜を直接攻撃する剣士と呼ばれるタイプの狩人とガンナーの防具のもっとも違うところはその重量とどれだけ複雑に作られているか、だ。
 否応無しに飛竜と接する羽目になる剣士の防具の重量は重く単純だ。
 これは振り回される爪や牙だけではなく、偶発的に当たってくる飛竜の鱗の先や棘からも身を守るためだ。
 飛竜の脅威は直接攻撃や火球だけではない。裸の人間にはその日常動作ですらうっかり触れば傷を負いかねない。
 それらから身を守るための装甲の割合を多くするために剣士の防具は単純なものが多い。

 逆にガンナーの防具は軽くて複雑だ。
 これは飛竜との接触回数が少ないだけではない。
 ガンナーは防具に大量の弾薬収納用ポケットが付いていたり、弾薬を収めるガンベルトが付いているため、下手な装甲は動きを妨げる原因になる。
 故に、ガンナーの防具は軽く複雑に作られていることが多い。

 しかし、その男の防具はどちらにも該当しない。剣士のように単純な構造でありながら、黒い毛皮の軽い鎧を着ていた。

 姿勢の良さも、剣士にしては軽い防具も男の背中の武器を見れば一目瞭然であった。


 それは飛竜討伐に使う武器の中では細身である。
 長さは1m半を超える。長さだけならランスや大剣と変わりない。
 しかし、この武器の目的は威力ではない。

 無駄に重くなることを嫌った細身の刀身は切っ先が回転する速度を高め、その速度によってこの武器は目的を達成する。
 潰すでも刺すでも叩くでもない。
 “切断”することにこそ、その存在を見出された刃の武器。

 ――それを人は『太刀』と呼ぶ。


 男が背中に下げているのは刃に迅竜の牙の紋様がありありと浮かぶ名刀、夜刀【月影】。


 “密林の刃風”、“黒き迅雷”、“静かなる黒曜石”と謳われる四足歩行の飛竜、迅竜ナルガクルガから剥ぎ取った器官を素材にして出来る太刀である。
 見れば、この男の防具も迅竜ナルガクルガから作ったナルガXと呼ばれる逸品であった。
 珍しいものを見たアルフリートは心の中で口笛を吹いた。

 迅竜ナルガクルガを狩れる狩人はなかなかいない。
 ナルガクルガは密林を縄張りとしており、狩りをする時にはその柔らかい毛皮と飛竜の巨体に似合わない繊細な歩の運びにより、接近を感づかれずに獲物に近寄れるからだ。

 つまり、ナルガクルガを狩るには不意打ちされることを前提として待ち構えるか、それとも、感づかれるよりも早くナルガクルガを発見して奇襲を仕掛けるか、そのどちらかである。

 どちらにしても、非常に難しい。

 前者は下手を打てば一瞬のうちにナルガクルガに全滅されかねない。
 後者はナルガクルガの感覚をも上回る穏行の技を身につけていないといけない。

 目の前の男がどっちの手段を取ったのか、興味が湧いたアルフリートは男に尋ねてみる事にした。

「失礼だが、貴方もGか?」

「Hey、そういうアンタもGだろ? “Striker”アルフリート」

「半年も現場から離れていた人間を覚えているとは光栄だな」

「有名だぜ。“荒爪団”の4人の狩人とその武勇伝はよ」

 アルフリートは苦虫を噛んだ顔を隠すように目の前のこんがり肉を噛んだ。

「昔の話だ」

「たった半年だぜ?」

 アルフリートは子供の手首ほどの太さがあるこんがり肉の骨をわざと音を立てて咀嚼した。
 獣が唸って威嚇するように。

「……昔の話だ」

「……怒るこたぁないだろうに」

 男は罰の悪い顔をしながら、自分のトレーをアルフリートの隣に置いた。
 怒らせても、横で食事はするらしい。
 アルフリートはこの話題を打ち切るために、強引に別の話題へ移った。

「それで、私の隣にわざわざ腰掛ける理由は何だ?」

「え、話聞いてくれるの?」

「……聞くだけな」

 男は、底意地の悪い猫のように、ニンマリと笑うと話を切り出した。

「――ティガレックスを狩りにいく」


 “走る恐怖”“嚇怒の轟風”“轢殺の竜”と謳われる四足歩行の竜、轟竜ティガレックス。
 常に縄張りを変えて動いていることから、雪山から砂漠まで広い地域で発見される。
 しかし、発見するのは容易である。

 何故なら、その捕食方法が独特で、特定しやすいからである。

 ティガレックスは肉食獣がよく使う足を潜めての隠密接近や風上に囮を用意して風下に待ち構えたり、獲物が通るまで気長に待つことなど一切しない。

 その高過ぎる身体能力で発見した獲物をとにかく追いかけていき、噛み付いたら獲物が弱るまで引きずり倒すのである。
 鰐は捕食した獲物を弱るまで水上で引きずり回す「死のダンス」を踊ることがあるが、ティガレックスのダンスはそんな回りくどいものではない。

 ティガレックスの身体能力で噛み付いたまま引きずり回せば、獲物の体は高所から落ちたようにズタズタに引き裂かれるからだ。

 この「轟風のダンス」を行われた捕食対象はその体を無残なまでに引き裂かれ、擦過傷と骨折によってほとんど原形を留めない。

 だから、発見自体は容易だが、倒せるかどうかはまた別問題である。

 それはティガレックスの身体能力が恐ろしいほど高いからだ。


 まず、ティガレックスは機敏である。
 全長を20mの生物が人間と同じ動きが出来ると仮定した場合、全長にして十倍のその生物は、動作速度ならその二乗の百倍、破壊力ならその三乗の千倍を出せることになる。
 実際はその生物の自重や筋肉という構造自体の限界などがあり、数字通りにはならないのが実情だが、ティガレックスの動きは人間と比べて遜色ない動きを見せる。
 大型生物は鈍重、という狩人達の常識を覆し、その素早さで圧倒して勝利出来る飛竜が、ティガレックスである。


 ティガレックスは凶暴である。
 野生動物は獲物に一切躊躇や容赦などしないが、ティガレックスのそれは格別である。
 明らかに大群と思われる中にも平然と突進し、虐殺して群れが混乱に陥ったところで狩猟を始めるのだ。
 この残忍極まりない性質によってティガレックスは様々な逸話を残している。
 最大の被害を出したのは、交易都市パシュペットの事件だ。
 たまたまその時期に、四頭のティガレックスの縄張りが交差する場所にあったパシュペットは、一体のティガレックスに襲われると自分の縄張りを荒らされた他のティガレックスも連鎖反応。
 四頭のティガレックスがパシュペットにて暴れる事態となった。
 その時、狩人が街にいなかったため、ティガレックスの圧倒的な暴力を止めれるものはおらず、たった四頭のティガレックスにより万を超える人口の都市が全滅させられたという史上稀に見る惨事となった。


 凶暴で機敏。
 このたった二つがティガレックス最大の武器にして狩人すら震え上がらせる脅威の象徴である。

 長い話となったが、ティガレックスを狩りにいくのは狩人達にとってただならぬことであることを理解していただければ幸いだ。


 アルフリートは酒場の掲示板をまず見る。
 狩人への仕事の斡旋としてきのこ狩りから飛竜退治まで様々な仕事の依頼書の中で、確かに一枚ある。


『轟竜を討伐せんとする勇気ある者求む  報酬 最低3万ゼニー  狩場 セクメーア砂漠東部  依頼者 ベルドット』


 そして、最もアルフリートが注目したのは備考欄に書かれた一文だ。


『Gの狩人限定 この轟竜は“厚顔無知”である』


 それを確認したアルフリートは、まずこう告げた。

「やめとけ、死ぬぞ」

 男ははにかむように笑った。

「Hey、アンタもそう言うかい?」

「太刀で挑むには分が悪い相手だ。私なら単独で挑むことはしない」

 男は酒場のカウンターに腰掛ける老人を一瞥する。

「ギルドマスターもそう言ってた」

「大昔は『なんでも狩れる』、と自負していた優秀な狩人だったらしいな。年寄りの言うことは聞いておくべきだ」

「その年寄りはあんたに認められれば、行っても別に構わないとか抜かしてた。もう耄碌していると思うぜ、勝つのは俺だ!」

「『勝つ』?」

 アルフリートは男の言葉を嘲笑う。
 事の深遠を見てきた深い眼差しで、男の考えを飲み込み、笑いに来る。

「最初から勝負にすらならない戦いをお前が抱えた時に、勝ったの負けたの言えるのか?」

 男の表情が引き攣り歪む。

「俺がティガレックスと勝負にすらならない戦いをすると?」

「それがGの戦いだ。勝負にすらならない戦いをしなければならない。それで勝利しなければならない」

「どうして、そうも圧倒的なんだ? “厚顔無知”だって、所詮、ただの飛竜だろ?」

 アルフリートはそれで全てが腑に落ちた。
 この目の前の男のことをよく理解した。

「お前、名前は?」

 男は自分の名を誇るように背を伸ばして言った。

「“Sword Dancer”」

「長いな、まあ、なんでもいい。 ――お前さん、Gになって何ヶ月だ?」

「3ヶ月」

「なるほどな。要するに私はギルドマスターから教導役を買わされたらしい」

「どういうことだ?」

「お前はまだGをよく知らないと言うことさ。そうだな。教える前に、奴らが何をやってくるかよく見せてやろう」


 そして、アルフリートは突拍子も無いことを言った。



「“Sword Dancer”、お前。 ――私を斬れ」



 酒場が一瞬で静寂に満ちる言葉だった。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 2
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/03/31 08:16




 ――これはとある男と女と刃の、愛と勇気の物語。





 彼の出身地は山間の街にある。
 近くからは良好な鉱石と石炭が採れ、それに目をつけた鍛冶屋達が自分の武器を作るためにそこに工房を集結させていく内に自然と村になり、村のものの生活を豊かにするためにインフラストラクチャーを充実させていくうちに街となっていった。

 そのような経緯の街なので、彼が幼い頃から金属を打つ鎚の音と炎が燃え盛る音を聞いて育った。
 刃は彼の生活の一部であった。
 昔から彼は金属が溶かされ、金属が冷やされ、金属が鍛えあげられ、金属が研ぎ澄まされていく様子をその眼に捉えて育ってきた。

 彼の父親は狩人であった。
 彼は、その街の特産物を作る側より使う側に属している人間であったが、父の持ってきた素材が形を変えつつもその特性を活かされ、人が使うべき武器や防具へと変貌していく様は何度見ても飽きなかった。

 武器は、彼にとって最も近い隣人で。
 防具は、同じ釜で育った友人のような少年時代を彼は送った。


 そんな彼が8歳の時に、武器や防具ではなく、人間の娘に興味を持ったのも、その娘が刀鍛冶の娘だからだ。

 名前よりも先にまず覚えているのは、彼女が親の言いつけを守り、せっせと背中の背嚢に石炭を詰め込んで工房に運んでいる姿だった。
 顔も手も石炭の炭に汚れて黒くなっていたので、彼はとりあえずその娘を『クロスケ』と呼んでからかった。
 延々とからかっていたら、その工房の親方から雷が落ちてきて、頭をぶん殴られた。


 だが、翌日も翌々日も、暇さえあればクロスケをからかいに行った彼は、そのうちクロスケの仕事に興味を持った。

 彼は背嚢を自分も背負うために、「俺は男だ」、「力仕事なら任せろ」、「たまには楽をしたらどうだ」、とクロスケに話しかけてみた。
 しかし、親方の言いつけを律儀に守るクロスケは、彼の申し出を頑として背嚢を譲らない。
 これだけ相手を思って言葉を尽くしているのに、まったく思い通りにならないクロスケの頑固さに腹が立った彼は、クロスケの足を引っ掛けて転ばすのだが、それは工房の親方に見られていた。
 すぐさま飛んできた拳骨の味には、慈悲も容赦も感じられなかった。
 自分の父親にどうして殴られなければいけないのか、と問うたら、その瞬間から今度は父親が怒れる神仏のごとく猛り、彼は更なる痛みを味わい、そして、工房の親方へと謝りに連れて行かされた。


 日に三回も嫌な目に会えば、さすがの彼も学習する。
 今度はクロスケの背後を、黙ってついていくことに決めた。
 最初はクロスケの方も、見慣れた知り合いの出現に手を振ったり、声をかけたりもしたのだが、下手に手を出して親方や自分の父親を怒らせる羽目になってはならない、とだんまりを決め込んだ。
 すると、今度はクロスケの方が、だんまりをする知り合いを不気味に思うようになってきた。
 背嚢を背負いながらも、そそくさと彼から離れようとするが、彼も離されまいと必死になってクロスケについていった。
 もはや、知り合いの意図がまったく分からず、怖くなってきたクロスケは走って工房まで帰っていった。
 もちろん、彼も全力疾走で追いかける。
 しかし、双方無言で前の娘はあまりの不気味さに涙目となっており、後ろの彼はとにかく必死でついていく。
 二人の無言の追いかけっこは工房で終わりを見せるが、話はこれで終わらない。
 涙目で、息を切らせて、必死で工房に駆け込んだクロスケを見た工房の親方は、

「ウチのを泣かしたのはどこのどいつだ、コンチクショウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!」

 と、怒れる飛竜のごとく叫ぶと、工房の外に飛び出してきた。
 すぐに息を切らせた彼を見つけるや否や、前科付きの彼に、容赦なく右フックの拳骨をお見舞いした。


 いい加減、諦めたり、懲りたり、離れたりしてもいいものだが、彼はクロスケを諦めなかった。
 今度は適度に話しかけ、おどけたりしながら、前日までの緊張をほぐしていけば、クロスケと仲良く話すことが出来るようになった。
 立て続きの不幸の事故で第一印象こそは最低だったが、やれば出来ないこともない彼は見事に仲良くなった。

 ――ただ、彼はここで大きな勘違いをしていた。

 話は街を見下ろせる高台の話になる。
 その高台は街全体を見下ろせる極めて景観良好な高台である。話題にするにはうってつけなのだ。
 だが、話をして両者共に関係がほぐれてきて、スレスレの話題でもそろそろ大丈夫だろう、と彼が油断していたのがいけなかった。
 彼に他意はない。


「いやー、それであの高台でやる立ちション○ンが実に爽快でさー!」


 本当に冗談のつもりで言ったのだ、と彼の名誉のために記しておこう。多分。
 せっかく仲良くなってきた空気を凍りつかせるわけにはいかないクロスケは、顔を真っ赤にして、小声で言った。

「た、た、た、立ちショ○ベンなんて、あたしできないよ……」

「ええ!? 何を言ってるんだ! 一回ぐらいしたことあるだろう、あんな爽快なのに!」

「で、で、で、出来るわけないじゃない!」

 賢明な読者はここで気付かれただろう。
 なんで、彼がこんな話題を振ったか。
 なんで、娘を『クロスケ』なんて呼んだか。
 そう、


「何を言ってるんだ――お前、男だろう?」


 ――彼はクロスケの顔がいつも墨で汚れているため、ずっと男だと勘違いしてきたのだ。
 
 クロスケは必死になって反論した。

「あ、あたし女だよ!」

 この後に及んでクロスケの凝った冗談だと、勘違いした彼は、クロスケを男と信じて疑わない。

「恥ずかしがらなくていいんだよ。お前はやる、男だからなッ!」

「意味分からないよ!? それにやろうと思っても女の子には出来ないよ!」

「んなこと言ったって、お前にもついているんだろ、ホラ!」

 冗談だと勘違いした彼は、勘違いのままその行動力で恐ろしいことをしてしまった。


 ――こともあろうにクロスケの股間を触って、物の所在を確認すると言う蛮行だ。


 もちろん、あるはずもないものは触れない。

「…………」

「…………」

 二人の間を気まずい沈黙が流れた。

「…………あれ?」

 クロスケは泣いた。
 絹を裂くような悲鳴を上げて、背嚢を背負っているなんて言うハンディキャップはものともせず、全速力で工房へと泣きながら走っていった。


「イヤァァァァァァァァァァァ、お父さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

「待って、待って、ごめん、ごめんなさい、本当に誤解なんだ、信じてくれーーーー!!」

 彼は大急ぎでクロスケを追うも、自分にセクハラをした男子に追いかけられるのは、更なる恐慌を呼ぶ引き金としかならない。
 クロスケがまったく止まることなく工房に走りこむと、また彼にいじめられた、と思った親方が外へと飛び出した。

 「あの馬鹿野郎はどこにいる?」 そう思い、周りを見渡した親方は扉の前で神妙に正座している彼を見つけた。
 親方は、悪戯をした子供に反省させるために正座させたことはあるが、逆に、正座している子供を見るのは初めてだった。

 毒気を抜かれた親方はとりあえず聞いてみることにした。

「どうして俺の娘にそんな悪戯をするんだ? なんかをウチの娘がした、と言うのか?」

「……いいえ」

「じゃあ、どうしてなんだ?」

 彼は正直に言った。

「ウチの親父の刀を作っている工房のことを知りたくて……教えてもらおうと」

 とりあえず、親方は平手で彼をぶん殴った。
 今までより威力は若干弱かったものの、ああ、また怒られるんだ、と悲しいぐらい残念な気持ちが心を占める中、目の前の親方が笑って言った。

「それで悪戯の分はチャラな? もう二度とするんじゃねえぞ?」

「……や、約束します」

「じゃあ、うちで遊んでいきな。お前の親父の新しい刀を鍛えているところだ」

 彼は「ヒャッホーーー!」、と嬌声を上げて喜んだ。
 悲しい気持ちが反転していくのはとても心地良いものだった。



 こうして、彼が八才の時に新しい友達が出来た。
 だが、九才の時に彼は狩人見習いとして、その街を引き払い、彼の父親と一緒に狩猟場へと連れられていくようになると、大事な友人に会うことはなくなった。
 引き払う時に彼は凄まじく反対したが、工房の親方に「強くでかくなって帰ってこい」、と言われた彼は勇んで彼の父親についていった。


 かくして、話は六年後。
 彼の背は伸び、顔貌に少年の丸みを残しつつも、逞しい大人として顔に一筋の線が通りつつある頃、彼は十五になった。
 大人として認められるようになり、一人の狩人として武器と防具を持つようになると、彼は真っ先にあの工房の親方の武器を欲しがった。
 彼の父親もそれを認め、一緒に武器を作ろうと工房に向かうと、皺と白髪を増やしつつもまだ精悍なあの工房の親方が彼を出迎えた。
 男として、狩人として、健全に成長している彼を見た工房の親方に「でかくなった」、と言われて喜べば、彼の父親に「まだまだ半人前」、と言われて膨れた。

 かつて遊ぶために潜り込んだ工房の中を眺めていると、工房の一角が赤く照らされているのに気付いた。
 鋼を打つ音が聞こえてくると、心が踊り、彼は軽い足取りで工房の奥を覗きにいった。

 そこには、真摯に鋼を見つめる一対の瞳があった。
 大きく開かれた眼で流動する鋼を見つめ、姿勢正しく、赤く燃え滾る物体に的確に鎚を入れていく。

 自分の全てを賭して、目の前の何物ではない、ただの塊の全てを把握。
 集中した感覚と磨き上げられた理想を元に、動かぬ腕を必死に動かして、目の前の鋼に挑戦する。
 折れない鋼を生み出すために、その鋼に刃を研ぎ出すために。

 鋼をも溶かす灼熱の炎の前では、人間の肉は熱さを訴え、肌には玉雫と汗が流れ落ちる。
 だが、その鍛冶屋は揺らがない。
 揺らげば全てが乱れる。乱れればそれは鋼に影響する。
 熱さも痛みにも揺らがずに、鋼を叩く様は人の心の熱を炙り出す美しさ。

 彼も知らず知らずのうちに、自分の拳が握り締められ、掌が汗で湿っているのに驚いた。


 彼は素直にすごい、と思った。
 正直、妬みもした。
 自分が見惚れている事に。
 こんなにも熱心に、こんなにも必死になるなんて考え付きもしなかった。


 ――あのクロスケの姿を瞼に残そう、と目を凝らすなんて。


 クロスケが近くにあった手拭を手にとって、自分の汗を拭き始めた。
 そこで、ようやく彼はクロスケの格好に気がついた。

 長くなった髪を三つ編みにして一纏めにしている――これはまだいい。
 長く伸びた足はスカートではなく、茶色のツナギを穿いている――これもまだいい。
 健康的に釜の火で焼けた黒い肌と、まだ控えめな胸に汗で張り付いたシャツが――妙に艶かしいのに彼はようやく気付いたのだ。


 ――これでは、自分がイヤラしい目で見ていたとか言われてもまったく文句が言えない。


「親方ー。頼まれていた包丁、出来そうなんで見てやってくださいーー」

 そこでクロスケが非常に親しげにこっちを振り向いた。
 そこでまた視線が合う。


「…………」
「…………」


 かつて味わったことのある既視感が嫌だった。
 一瞬即発の緊張感。
 慎重に動かなければならない。

「……や、やあ」
「イヤアアアアアアアアアアア、お父さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 慎重に動いても、事態はすでに詰んでいたらしい。
 物凄い勢いで聞こえてくる足音もこれまた懐かしい。


「ち、違うんです、これはごか……へぶらぁ!!」

「てめぇ、またウチの娘に何をしたぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ――ああ、親方の拳すら懐かしい。

 空中できりもみ回転しながら、壁に叩きつけられるまでの一瞬。彼はそんなことを思い出した。
 ただ、昔と違うのは狩人見習いとしてクックやゲリョスに轢かれもした経験が、彼にそれなりのタフネスを与えていたことだ。

 壁に叩きつけられても、彼はすぐに起き上がり、数年振りに出会った知己に再会の挨拶をした。


「ただいま、ミカ」

 親方の拳からあっさりと立ち直った彼に、ちょっと意外な表情をしたクロスケこと、ミカは名前を呼ばれた恥ずかしさに少し頬を赤くしながらも、彼に挨拶を返した。

「おかえり……クロスケでいいよ」




 それから、彼と父親はその工房のある街を拠点に、新しい武具と防具でいくつもの依頼をこなした。
 やはり、親方の武器は彼らの手にしっくりと馴染む。ミカもその製作に携わり、お互いの父親は次代の者に自分達の技術がしっかりと伝わっていることを確認しながら、また数ヶ月と時が過ぎていった。


 ――彼らは狩人と鍛冶屋の関係として、良好で幸せな時を築いていた。

 ――だが、武器はその存在と理念において矛盾している。

 ――壊れないように、と願いながらも。
 ――壊れぬ武器がないように。
 ――幸せでありたい、と思いながらも。
 ――終わりのない幸せも、また存在しないのだ。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 3
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/01 07:05
 ――“Sword Dancer”は、あんな気の触れたとしか思えないアルフリートの提案を、飲み込んでしまった自分が嫌だった。

 場所は、酒場前の広場。
 “Sword Dancer”の前ではアルフリートが一人、足の関節を伸ばしたり、腰の筋肉をほぐしたりと準備運動をしていた。
 アルフリートの「私を斬れ」発言により、この二人の決着を期待するギャラリーが周囲を取り囲んで、「早くやれー!」、「ブッタギレー」、「むしろ、三枚下ろし!」、と野次を飛ばしていた。

 ――この世の中はどこか間違っている。

 決闘自体は慣習として普通だが、腕試しを命がけで行うのはなかなか見れるものではない。
 しかも、かける命は試す側の方ときた。
 これは“Sword Dancer”にとって、なんとも都合の悪い話であった。

 ――俺の方が、狩人として格が下だってか?

 そう思えて仕方がない。
 だんだん怒りがこみ上げてきていた。要するに、アルフリートは自分を舐めているのだ。


 アルフリートが赤茶けた地面に右足を叩きつけて、気合を入れた。
 リオレイアでも着地したような、大きな衝撃と打音。
 広場のギャラリーが、突然銅鑼を鳴らされたかのように静まり返った。

「始めようか」

「ティガレックスに俺が勝てない理由、教えてくれるんだったな?」

「ただのティガレックスなら、お前でも勝てるだろうが、『厚顔無知』となれば話が別だ」

「どう違うんだ?」

「やれば分かる」

 アルフリートは揺るがぬ自信を瞳に宿したまま、地面に自分のハンマー 極鎚ジャガーノートを落とした。

「武器は使わない。突進する『厚顔無知』が、お前の斬撃に何をするか。――それを証明してやる」

 “Sword Dancer”は自分の怒りの感情が、血管という血管を焼きながら駆け巡るのを感じた。

「Hey、それをアンタが真似れば、俺の太刀が当たってもアンタは生きているというのか!」

「やれば分かる。そして、お前の強さもな。もし、私がお前を見誤っていれば、私の死体でもギルドマスターに見せればいい」

「イカレてるぜ、アンタ!」

「どう言われようと構わんさ。だが、お前が『厚顔無知』に挑むには私の推薦が必要なはずだ」

 “Sword Dancer”は、アルフリートのその言葉に二の句を告げず、背中の夜刀【月影】を抜いた。
 真昼の太陽の光を吸い取って、なお黒くある漆黒の刃。
 切り下ろす為に、上段へと構えた“Sword Dancer”の姿は、昼を切り取る夕闇のごとく黒く、静かにそこに在る。

「待ったも後悔もナシだぜ?」

「いまさら武器を拾う無様は、犯さんよ」

 アルフリートは左足を高く回し、上げる。
 そして、体勢を低くとるために、上げた左足を強く地面に叩きつけた。
 先ほどの右足の衝撃よりも強い、地を揺らす波動が地殻を伝わり、野次馬全員の体を揺らす。
 それは超重量の大型生物の到来を、否が応でも予期させる巨人の一歩だった。

 後は、低くした体勢で、下から相手を睨め付ければ、



 ――アルフリートの体の後ろにティガレックスがいるかのように、野次馬全員が息を呑んで緊張した。



 誰よりも飛竜を見て、
 誰よりも飛竜を知り、
 誰よりも飛竜と生死を賭け合った、狩人だから出来る技とも言えた。

 “Sword Dancer”はその体勢をとったアルフリートの口唇が動くのを見た。

 ――しかし、“Sword Dancer”には、口唇の動きがあまりにも現実離れしているように思えてならなかった。
 ――今のアルフリートは、本当に飛竜そのもので、人語など喋るのは相応しくない、と思ったからだ。
 ――奴が言うべきは、咆哮や唸りであり、人間の言葉はとても似合わない。

 だから、“Sword Dancer”は理解すら出来なかった。
 アルフリートが、「いくぞ」、と言った言葉が。


 “Sword Dancer”は、一瞬、アルフリートの気に呑まれて、緊張のあまり呆けている自分に感づいた。
 それこそが自分の不覚であることも感づいた。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 耳を劈く肉食生物の咆哮と共に、アルフリートが地を駆ける。

 速い。

 それは上半身を倒して四足歩行で駆けるような走法だ。
 迫力に呑まれ続ければ、アルフリートの姿が15m以上の大型生物に見えることだろう。
 だが、どんなにティガレックスを模倣しようとも、動き自体は速かろうとも、あの巨大な体は模倣出来ない。

 それは、アルフリートに轢かれても死傷はしない、ということだ。


 ――避ける必要はない、迎え撃て!


 上段に構えた太刀を自分の右脇下へと下げていく。
 同時に、息を吐いて、筋肉に宿った緊張を抜く。
 アルフリートは、「私を斬れ」と言ったが、人間を斬るなんて目覚めの悪いことこの上ない。
 刃を返す。太刀の峰で、アルフリートの意識を叩き潰すつもりで振るう。

 意思が宿れば心が動き、体はそれに反応する。

 上体を狂いのない一つの芯として保ったまま、足は浮かさず、最小限の摺り足で体が動き始める。
 地面に縋り付くような、四足歩行の突撃で太刀を避けるためには横に避けるか、上に跳ぶかしかない。

 “Sword Dancer”はまず上を潰す。
 下から切り上げることによって、アルフリートの逃げ道を潰す。


 ――そして、横に避けるのはありえない。

 ティガレックスは狩人の攻撃を恐れない。
 ティガレックスは狩人の攻撃を避けない。
 故に、ティガレックスが横に避けるのはありえない。

 全ての行動は攻撃のための布石、それがティガレックスだ。


 ――横に避けた瞬間からお前は恥知らずの笑い者だ!


 だから、“Sword Dancer”に迷いはない。
 アルフリートの素手の間合いの外にして、自分の太刀の間合いの中に入ると、そのまま、剣を振り上げようと肩を回した。


 その刹那、

 “Sword Dancer”は寒気が走るような表情を見た。



 もし、爬虫類が笑みを浮かべるなら。
 もし、表情を持たない動物が笑みを浮かべるのなら。
 耳まで裂けたその幅広の口で、酷薄に笑うかのように。



 ――アルフリートが笑ったのだ。


 第六感が、戦うことに研ぎ澄まされた本能が、全力で避けろと警告した。
 だが、何を避ければいいか皆目見当がつかない。

 ならば、太刀を全力で振ることで、目の前にまで迫ってきたアルフリートを排除しようと、力を込めようとした時、
 “Sword Dancer”の感情が、渾身の力を込めて振ろうとする両腕に制止をかけた。


 ――ダメだ、全力で振ってはダメだ!
 ――鎧を着た相手に、全力で振るえば、剣が傷つく!


 太刀が振るわれる。
 全力とはいかずとも、無視できぬ勢いを持って、切先が弧を描く。

 だが、アルフリートは上に跳ばなければ、横にも避けない。

 “Sword Dancer”は、アルフリートの防御手段を知覚した時、我が目を疑った。

 風を切り裂き、上へと登る昇風のごとく迫る刃に対し、
 肩で風を切り裂きながら、全力疾走で前へと進む体を、



 ――地面に顔面を擦り付けるかのごとく、下へと潜り込ませたのだ。



 低い。本当に低い。
 人体を体高と言う概念で見れば、ゼロにしたかのごとく低い。
 真剣勝負の決闘では、その低さはなおさらだ。
 相手の体が紙になって、地面に倒れ付したかのような低さだ。

 しかし、“Sword Dancer”の太刀は追い続ける。
 上へと昇ろうとする太刀を、無理矢理下への力を加えて追いかける。

 “Sword Dancer”も必死だ。
 外せば敗北が待っている。


 ――かくして、体と刃は前へと進み。
 ――鎧と刃が当たる音が広場に響き渡った。

 勝負は如何に!
 決着は如何に!?

 それは観客の一人が、単純にして明確な結果を言った。




「――弾かれたッ!」



 低い体勢をとりつつも、全力疾走で駆け抜けたアルフリートの体が、全力で振るえぬ上に、無理な軌道変更を行った“Sword Dancer”の太刀を上へと弾いたのだ!
 次の瞬間に“Sword Dancer”の体は打撃されて空を高く舞っていた。
 飛ばされた“Sword Dancer”の体は観客で出来た柵を越え、酒場の壁にぶつかってようやく止まった。
 その一撃の威力は、体を縦横無尽に駆け巡り、脳を揺らし、肋骨を軋ませ、横隔膜をせり上げらせ、胃を激しく揺さぶった。

 衝撃に揺れた視界で目の前を見ようとも、倒れ伏すほどのダメージを体が受けて、言うことを聞かなかった。

 だが、声は聞こえた。

「――勝負あり、だな」


 アルフリートがこちらを見下ろしていた。


「…………ッ!」


 せり上がった横隔膜に、肺が押し潰されて声を出すことすらままならないまま、アルフリートの言葉が行き過ぎる。


「これが『厚顔無知』を前にした時のお前だ。人間相手ですらこの様だというのに、実物相手にどうなるかは言うまでもあるまい」 


 『待てよ』、と言おうとしても、息を呑もうとすることすら出来なかった。


「だが、筋が良い方ではあるぞ、修練を怠らなければいつか狩れるだろう。精進することだ」


 それだけ言って、アルフリートはこちらに背を向けて歩き出そうとしていた。
 声がでない。未だに横隔膜は痙攣したまま、息を呑むことすら出来ない。

 だが、言わなければならない。
 この勝負を終わらせるわけにはいかない。


 だから、“Sword Dancer”は痙攣する横隔膜に衝撃を加えるために、自分の腹を全力で殴った。


 口から肺の残り滓のような空気が、最後まで出尽くす。
 視界は揺れて、意識は霞のごとく揺らぐ中で、さらに加えられた痛みに気絶寸前まで意識が追いやられるが、それでも足を叩いて何とか意識を取り戻す。

 息が吸える。
 なら、言うだけだ。


「……待てよ!!」

 アルフリートが振り向いた。

「証明は終わったぞ、何か文句でもあるのか?」

「ある、俺はまだ諦めちゃいねえ!」

 観客から、「往生際が悪い」「引き際を知れ」「負けは明らかだ」、と野次が飛んだ。

 五月蝿い、黙れ。と、心の中で罵って彼は無視した。

「お前の納得など知ったことではないな。ギルドマスターが私に裁決を委ねたというのなら、ことを決めるのはお前の納得ではない。私の納得だ」

「そうだろ!? だから、もう一度勝負だ! 俺の強さはあんなものじゃない!!」

 アルフリートは叫ぶ彼を、見苦しいと思った。
 だから、理由を考える。どうして、見苦しくなってでも自分にすがり付くのか。

「なら、なおさらやりあうべきじゃあないな」

「どうしてだ!?」


「――お前、死ぬと困るんだろう? お前以外の色々な人が」


 “Sword Dancer”は息を呑んで驚いた。
 言われたことは、まさに正解に近いものであったからだ。


「もし、選択肢が他にないと思っているのなら、それはお前が追い詰められて、逃げ場を求めているだけだ」

「逃げているだと!?」


 アルフリートは言い切った。説得するようなゆっくりとした口調で、残酷なまでに冷静に。


「ああ、そうだ。死んでもおかしくないような状況で難事に挑む――私には逃げにしか見えないな」


「もう一度言ってみろぉ!!!!」

 “Sword Dancer”は、怒りのまま立ち上がり、アルフリートに向けて再度太刀を振ろうとした。

「何度でも言ってやるさ」

 アルフリートが軽く膝蹴りを放つだけで、“Sword Dancer”は簡単に転んだ。

「自分の体の状態も分からずに難敵に挑むのは、自殺行為も同然だ」

 アルフリートは“Sword Dancer”に背を向けて歩き出した。
 諭すように柔らかい口調のまま、魚の身を切る様に冷静に。

「何度でも挑むがいいさ。――分かるまでは、私がお前の難敵だ」


 “Sword Dancer”は、その言葉を歯噛みしたまま、聞くことしか出来なかった。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 4
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/02 00:18
 狩人に終わりはやってくる。

 幸せで運の良い狩人は、自分の限界を自ずと悟り、体良くその道を退いて隠居し、ドンドルマのギルドマスターなどのように、酒場で若い狩人をこき使いながら、ベッドで逝く道もあるだろう。
 だが、大半の狩人の人生の幕引きは決まっている。




 ――喰われて終わるのだ。




 不幸な事故、と言うものの原因は分からないことの方が多い。
 何故なら、事故と言うものは多数のミスによって作られるからだ。
 その日の彼と彼の父親も、いくつもミスを重ねていた。

 ――ギラギラと、殺意のように太陽が直射日光を肌に突き刺す晴天の日であったことを、彼は覚えている。

 まず、彼らは獲物である飛竜の実力を見誤り、分かれて飛竜の探索を行ってしまったこと。
 この為、彼が父親と飛竜の交戦に気づいた時に、彼はずいぶんと離れた場所にいた。


 そして、現れたのが霞竜オオナズチであったことだ。

 「幻影の古竜」、「存在未確認竜種」、「忍び寄る霧」、と云われる四足歩行の古竜。

 昔から存在こそ囁かれているものの、滅多に遭遇せず、その生態を確認した者が少ないため、幻ではないかと言われている竜だった。


 その能力の特徴は、自分の姿を透明にすること、だ。
 取る行動のほとんどは不可視にて静穏。攻撃するその瞬間まで、姿を消したまま近づけるその能力は不意を打たれればまず反応できない。

 だが、それでも彼の父親は良くやった方だった。
 彼がその場に到着した時、見たこともない生き物の尻尾が、本体から切断されていながらもまだ命があるように蠢いていた。
 彼の知らない生き物の、血と思わしき液体が周囲に散乱し、森の葉や足元の草を濡らしていた。
 酸によって溶かされたものの臭いが周囲に満ち、彼の鋭敏な嗅覚を刺激した。

 そこで死闘が行われていたのだろう。
 彼の父親もオオナズチに負けずとも劣らず、その太刀を振るっていたのだ。

 父親の勝利を信じて歩を進める彼であったが、そのうち見忘れようのない赤い染みを見つけた。

 血だ。
 人間の赤い血だ。

 オオナズチの体液とも酸とも違う、まごう事無き人間の血だ。
 身を震わせて動揺する彼ではあったが、肝心の父の姿が見つからないことを希望に、また歩を進めた。

 だが、希望も次に襲い掛かってきた事実に、無残に引き裂かれた。


 ――刃先の無い折れた太刀と、得体の知れない液に塗れた防具だ。


 酸の強い臭いを防具から嗅ぎ取りながら、彼は父親がどのような最期を遂げたのか、悟った。
 狩人として喰われて死ぬことは良くあることだ。

 ――だが、こんな終わり方は酷過ぎる!

 彼は心を悔しさで満たすと、両手で地面を強く叩き続けた。


 ――ああ、どうして俺はあの時近くにいなかった!


 父親はオオナズチを相手に戦い、丸呑みにされて死んだのだ。


 そんなことをどうやって受け入れろと言うのだ!
 一刻前までは、あんなに元気に動いていたと言うのに!


 彼は泣いた。
 大声を出して、みっともなく父の死を悲しみ続けた。
 悲しみの癒し方が分からない子供の様に。




 ――そして、ミスは一つでは終わらない。 

 彼の父親は、比類なき太刀の使い手であった。
 彼の父親が死んだことは、一つの時代の終わりとも言えた。

 だから、その葬式は大勢によって悲しまれた。

 彼と、ミカと、親方も父親の死を涙が枯れるほど悲しんだ一人だった。



 だから、その大勢が、彼の父親の死に、納得の行く理由を見出そうとしたとしても、まったく不思議ではない。
 人間心理として、それは当然であった。


 死体がない上に、防具は酸によって損傷が激しく、死の現場を証明する物的証拠とならなかった。

 唯一の証人である息子の彼は、意気消沈したまま俯き、周りに気遣われたまま放っておかれた。

 だから、皆の目は唯一無事であった彼の父親の遺品へと向かった。 



 ――刃先の折れた太刀だ。


 葬式で、皆はこう言った。


「この太刀が折れなければ、あいつは死ななかった」
「どうして、この太刀が折れたのだ?」
「あいつは稀代の名人だ。太刀を折るように使うわけがない」
「むしろ、太刀の方が役不足だろう。あいつがその腕を存分に発揮していれば、どんな竜にも負けない」

 そして、誰かがこう結論した。



「――じゃあ、あいつは太刀を打った親方の腕が足らないから死んだのか?」


 残酷な結論だった。
 葬式で言うような言葉ではない。
 そもそも、他人の死を誰かのせいにすること自体が間違っている。

 狩りの最中の狩人の死は、どんな形であれ、注意を怠った狩人の物。
 それを他人のせいにするのは、狩人の生き様に対する冒涜だ。

 だが、彼の父親は――名人であり、偉大だった。

 それを受け入れるには、心が痛すぎるほど、偉大であった。


 だから、その葬式に参列した心の弱い人は、生贄を求めたのだ。

 彼の父親の死の、道連れとして。






 ――その日、親方も死んだ。

 親方も、折れた刀を見た瞬間から、自分の責任を感じていたのだろう。

 その葬式で誰よりも泣き、誰よりも酒を呑み、誰よりもわめいていた。

 そして、決定的なのはあの台詞を聞いた時からだった。


「――じゃあ、あいつは太刀を打った親方の腕が足らないから死んだのか?」


 親方は、まさにその通りだ、と思ったのだろう。

 時代を築いた名人が、愛用する太刀を打った職人だ。
 自分の太刀に対する思い入れは、我が子に対する思い入れより深く、打った太刀への責任感は、騎士が王に捧げる忠誠に勝るとも劣らないだろう。
 その自分の太刀が、大事な友人の危機に、折れたのだ。
 心に刻まれた後悔は海よりも深いだろう。

 悲しみのあまり、親方は酒を呑んだ。
 後悔の海を酒で埋める様に、浴びるように酒を呑んだ。
 呑みに呑んで、溺れてしまうほど呑んだ後、親方は床に倒れてしまった。

 ――そして、二度と目を覚まさなかった。




 こうして、岩が崖を転がり落ちるように、ミカと彼の家族は、四人から二人になった。


 彼らはどうしてこんなことになったのだろう、と天に問いかけた。
 しかし、答えを出せる者など、どこにもいなかった。

 心の中に大きな二つの穴を抱えつつも、彼らは生きなければならなかった。

 ミカは工房へ、彼は狩人として野を駆け、また数ヶ月、ミカと彼は会わずに過ごした。


 その数ヶ月を、彼は必死に狩人として稼いでいた。
 父親に負けぬように、父親の名を汚さないように、受け継いだ者として、強く強く生きようとその数ヶ月を立派に過ごした。

 始めは親の七光りと陰口を叩かれていた彼も、父親から受け継いだ技を発揮し、自らの強さを表にするだけで、次第に彼を貶めようとする者はいなくなった。
 そして、彼は父がいなくなって、初めて父の偉大さを実感していた。

 きつく言われていた苦言の数々は、身の運びの甘さを戒めるための、先を見通した言葉であったこと。
 父が常に身につけていた何気ない癖は、それが狩人に必要であったからだ。

 いなくなり、世の風を一身に受けるようになって、彼は父親に如何に守られているかを実感したのだ。


 父が世を去ってから数ヶ月、悲しくも寂しくもあったが、自分の技や振る舞いに宿った「父らしさ」を感じるうちに、それは悲しいばかりではないと気付いていった。
 受け継いでいく喜びが、父親が作り上げた流れがいまだにあるという嬉しさが、彼を継承者として奮起させた。


 だが、彼はその数ヶ月で忘れていることがあった。
 彼を責めないで欲しい。
 家族が死に、悲しみにとらわれている時に、周りの全てに気付ける人間など、きっといないのだ。
 彼はようやく立ち直り、また新しい人生を始めようとする努力に必死だっただけなのだ。

 そう、忘れていたのだ。


 彼は狩人として立ち直り、武器と防具を整備して貰おうと、ミカがいる工房へと向かった。
 かつては毎日通っていた工房だ、間取りからどこに何があるまで、知り尽くしている工房だ。

 だから、些細な違いが本当に分かってしまう。

 それはこの工房に必要な色だった。


 ――赤色。燃える炎の紅。
 ――その工房は、仕事の時間だというのに、火が灯っていなかった。


 どうしたことかと、彼が足を運び入れると、切れなくなった包丁を研いでいるミカに出会った。
 彼に会うとミカは笑って挨拶をしたが、ミカは――この数ヶ月で痩せていた。

 彼は色々と問質したくて仕方なかった。

 どうして、工房に火が入っていない?
 どうして、鍛冶をしないのか?
 どうして、太刀を打ってない?

 どうして、お前は痩せているんだ?


 しかし、その資格はないように思えた。
 数ヶ月放置していたのだ。
 悲しさを理由に彼女を見なかったのだ。
 どんな顔でそれを聞けるのだろうか?

 彼には仕事を依頼するしかなかった。
 自分の太刀と防具を整備して欲しい、と頼んだ。
 出来る限りの仕事を彼女に頼んだ。仕事を頼めば、彼女の生活の足しにでもなるだろうと。

 だが、



 ――問題は彼が思うよりもっと根深いものだった。


 彼女は言った。
 親方の誠実な仕事振りを受け継いだはずの眼を、すまなそうに悲しみに浸らせて。
 仕事をする時にすらりと伸ばした背中を、背負った不幸で丸めたまま。
 彼女は言った。謝罪の言葉を。


「……ごめんなさい。今のあたしにはそれは直せない」

「どうしてだよ?」


 唐突に。
 彼女の瞳から、一粒の涙がこぼれた。
 泣きながら、彼女は彼に謝っていた。


「……ごめんなさい」

「どうして泣くんだよ?」


「……あたしは、作った武器で人を殺したくない……」


 ――なんということだろう。
 彼はその言葉でミカがどうなったかを理解した。

 ――なんということだろう。
 親方から受け継がれているはずのものが、不幸な事故で失われようとしていた。

 ――なんということだろう。
 それは自分の父親が原因なのだ。



 ――なんということだろう!!
 失われようとしているのだ。
 あの日、炎の前で、真摯に鋼を叩く彼女の姿が。
 丹念に金属を精錬するための鍛冶屋の技が。
 誠実に鉄と向き合う彼女の心が。

 悲しみに打ち砕かれて、失われようとしているのだ。
 それは自分の大切なものを打ち砕かれるのも同じだった。

 炎の前の彼女の姿に、見惚れた自分が。
 精錬した金属の美しさに、溜息をついた自分が。
 誠実な仕事振りに、好感をもった自分が。

 もはや、行動するしかなかった。

 彼は「一月待て」、とミカに言い、しばらく暮らせるだけの金を無理矢理握らせて工房を後にした。


 一月後、工房に帰ってくると、彼はミカに武器と防具を作るための素材を渡した。

「お前が作るんだ、俺の武器と防具を」

「……出来ないよ。……お父さんみたいに、……きっと武器は折れちゃうよ」


 彼はミカの手を握って、自分の目をミカに見せると、強く断言した。
 

「――折れない! 俺の振る武器は、きっと折れない!」


 熱い炎の意思に満ちた男の瞳が、ミカの心を正面から叩いた。


「だから、作ってくれ。折れない武器を、――俺と二人で!!」


 気がつくと、二人は手を握り合ったまま、そこで向かい合っていた。
 彼は自分の熱を彼女に手渡すように。
 彼女は彼の熱を受け取るように。
 手を握り合ったまま、見つめ合っていた。

 彼女の頬が、熱を貰って赤く上気した。

「――うん」

 承諾するために。
 礼を言うために。
 心の中に宿った熱い思いを確認するために。

 ミカは首を縦に振った。


 彼はミカの承諾に心から安堵したかのように、息をついた。
 すると、ミカが別の意味で顔を赤らめながら、視線で手を示した。

「ところで、……いつまで握っているの?」

「や、出来ることならずっと……アイタタタタタタタタ、鍛冶屋の握力は分かったから握り潰すのはやめてください」

 手を離した後も、彼がずっと笑っていた。

「どうしたの?」

「いや、こんなに嬉しいの本当に久しぶりで……ヘヘ、顔が戻らないや」

 ミカも笑った。
 そういえば、前に気持ちよく笑ったのはいつだったのだろうか?
 あの4人は、今や2人になってしまったけれど、受け継いだ2人なら前と変わらず笑い合えるような気がした。

「私もだよ」




 こうして、彼は工房を立て直すために、ミカの作ったナルガXと夜刀【月影】を持ち、父親の二つ名“Blade Dancer”を引き継ぐようにこう名乗った。

 ――“Sword Dancer”、と。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 5
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/02 06:13
 “Sword Dancer”は負けるわけにはいかなかった。
 負ければ名前が傷つく。名前が傷つけば、傷つくのは自分だけではすまない名前だった。
 ミカに自信を与える必要があった。親方より受け継いだあの技を、また躊躇なく振るわせるだけの自信が彼女には必要だった。

 その為には成功が不可欠だった。
 難敵へ勝利することが一番の近道であると思った“Sword Dancer”は、“厚顔無知”のティガレックスに挑もうとドンドルマへと足を運び、そこでギルドマスターによってアルフリートへと紹介され、今に至るのだ。



 “Sword Dancer”が再戦を挑んだのは、アルフリートに叩きのめされたその次の日の昼であった。

「Hey、また勝負しやがれ、アルフリート!」

 アルフリートはこれから食べようとしていた昼食のこんがり肉を、名残惜しそうに皿に戻しながら、

「随分と早いんじゃないか? 一週間ほど動けないように殴ったんだが……」

「あんな程度で寝込んで、ティガレックスが狩れるか!?」

「それもそうだな」

 アルフリートは苦笑しながら立ち上がる。
 体を軽くほぐしながら、

「それでは、昨日の続きといこうか。何度やってもお前に私は斬れんがね」

「そうだろうだから、今日は別の勝負を考え付いてきた」

 アルフリートは心の中だけで感嘆の吐息を漏らした。
 この“Sword Dancer”という男は、Gになるだけあって甘くはないらしい。


 ――狩人相手の必勝法だったのだがな。


 実は、狩人に自分を斬らせるこの勝負自体が、アルフリートの罠である。
 元来、狩人は『人間に武器を振る事を禁止する』という掟から、人間相手に本気で武器を振ったことがない者がほとんどだ。
 飛竜相手の大雑把な間合いよりも細かい間合いの調整が必要なことと、何より人を斬る事を禁忌とする狩人の倫理が本気で武器を振らせる事を躊躇させる。

 そして、狩人のほとんどは飛竜の攻撃を生き延びることに特化している。
 つまり、狩人の本当の得意分野は、攻撃よりも防御である。

 無手で全力で相手の攻撃を避けれるアルフリートと、慣れない相手に躊躇する武器を振らされた“Sword Dancer”のどちらが有利かは言うまでもない。


 ――勝てない勝負はしない。一見絶望的でも、勝算のある勝負のみをする。



 勝負にすらならない戦いを、自分の得意分野に引き込むのも優秀な狩人の素質の一つである。
 アルフリートは目の前にいる“Sword Dancer”に急速に興味を持ち始めていた。


 ――さて、次の一手をどう打ってくる?



 酒場の皆が耳を傾ける中、“Sword Dancer”はこう宣言した。


「今日の勝負は、『殴ってどかす』、だ!」


 全員が、その勝負法に唖然として言葉を失い、




 ―― 一斉に笑い始めた。


「なんだ、なんだ!? ドンドルマの連中は殴ってどかすもしらねえのか!?」

 大笑いしている野次馬が、“Sword Dancer”に告げた。 

「しらねえのは、お前の方だ!」「無謀過ぎるぞ、お前!」「いやあ、若いっていいなあ!」

 “Sword Dancer”がどういうことか分からないで辺りを見回すと、アルフリートが立ち上がった。

「――こういうことだよ」

 アルフリートは着ていた防具と鎧下を脱ぐと、上半身の裸を辺りに晒す。
 その上半身を見た“Sword Dancer”は仰天した。

 狩人は飛竜の強さを全身で体感できる。
 それは対象が狩人であっても同じだ。強さを見定められない狩人はいない。
 だから、アルフリートの鍛え上げられた上半身を見た時、“Sword Dancer”は自分とはまったく違う方向性の狩人であることを体感した。

 一言で言うならば、



 ―― 一撃必殺の狩人。



 狩人は飛竜のぶちかましに耐えなければならない。
 その為に必要なのはまず自分の体重だ。
 例外を除き、剣士のほとんどは重たい体を持っている。アルフリートはその中においては中量級だと言っていい。体自体は重たい方ではない。

 では、どうして“Sword Dancer”は驚きを感じるのだろう?

 体の構成がそこらの剣士とはまったく違うからだ。

 重さを稼ぐために、わざと肥満体になる狩人はいる。
 しかし、それは自分の体に重りを載せる行為だといってもいい。
 それはある者とない者では決定的な違いとなる。
 少なくとも、攻撃する時に無駄な重さというものは邪魔でしかない。


 だから、アルフリートの体はその問題を解決していた。



 ――体の重量をほぼ筋肉にすることで解決したのだ。



 その作りこみも半端な方法ではない。
 まず、腕に余分な筋肉をついていない。腕に筋肉をつけるのは、ハンマーの威力を増す事と同義と思われがちだが、拳を放つにしろ、ハンマーを振るにせよ、体の正中を中心に据えた回転運動である。

 一撃の威力は、回転の中心となる背中が作るのだ!

 だから、背中を見ればアルフリートの狩人としての完成度の高さが分かる。
 体を膨らませる防具のせいで痩せているように見えたが、とんでもない。アルフリートの鎧は薄手の軽鎧と言ってもいい。
 中量級の体に見えていたのは、体を一回り大きく見せるほど作りこまれた背中の筋肉故だ。体脂肪など無いのかもしれない。
 そして、その威力を支え、加速させる下半身。腰周りの筋肉の作りこみは、それを作るまでの修練を想像するだけで吐き気がしそうだった。

 この男は筋肉を作りこむために、日がな一日を生きているのではないだろうか?

 “Sword Dancer”がそう思っても不思議ではないほど、アルフリートの体は完成されていた。



 ――その体から放たれる威力は如何ほどのものだろうか!? 


 アルフリートは脱いだ鎧下の中から、手袋だけを選び取ると、拳闘士のグローブのように手に巻きつけた。
 そして、酒場を見回して適当な獲物に目をつけた。

 “Sword Dancer”はその目が見つけた『獲物』を見て、また仰天した。



 ――この酒場で何人の狩人が腕立ての台にしてもまったく揺らがない、腕立て台の大樽だ。



 腕を動かし、軽く構えを取ったアルフリートは大樽に軽やかなステップで近づいていく。
 分かっていない人間のように大きく振りかぶったり、無駄に助走を取ったりはしない。
 相手を殴るという行為は、自分の体を加速する行為、と同義だ。
 さらに、言葉を選ぶのならば、自分の体の一部を弾丸のように発射させる事、と同義である。

 だから、体を力任せに振るったり、バラバラにちぐはぐな動きをしても威力は出ない。
 動きを全て連動させる。それは足のつま先が、木の床が軋むほどの音をたてて地面を蹴ることから始まり、筋肉繊維と骨を伝導して足首、膝と力が流れていき、空気を破裂させながら回した腰の捻りによって、さらに加速。
 体全体が下半身の爆発的な動きで、前方へと動いて加速していく中、上半身がさらにその動きを大きくする。
 腕をしっかりと胸につけ、上半身の筋肉をバネの様に縮めた左半身を、翼の羽撃きのごとく後方へ振って、右半身の運動をさらに加速。
 背中を駆け上がってきたエネルギーを発揮し、背筋が右腕を上半身から発射する。
 急激な運動で切り裂かれた空気が、悲鳴を上げて右腕に道を譲る。
 加速の先は大樽の腹。振り上げた今までのエネルギーを発揮しようと、隕石のごとく右拳が大樽の腹へと着弾する。

 上から力を加えたことにより、逃げ場の無くなった木材が粉砕。
 頑丈な樫が酒場に塵となって拡散していく中で、悠然とアルフリートが“Sword Dancer”の方を振り向いた。

「どうする? これでも『殴ってどかす』なら一度も依頼を譲ったことが無いのが自慢でな。ドンドルマじゃあ、私から依頼を奪い取ろうとする奴はいない」

 言われた“Sword Dancer”は迷う。正直、迷う。
 反則級の威力を携えた人間の拳を、好き好んで顔面で受けなければいけないという、どうにもならない理不尽。
 アルフリートは確かに難敵だ。
 それもとてつもない難敵だ。障害としては最大級のものとして、今自分の前に君臨して、不敵に笑っている。

 ――こちらを試すかのように笑っている。

 ――こっちが受けようと、受けないだろうと、『勝つのは自分』と分かりきった笑みで。


 ――まったくもって、どうにもこうにも、腹の虫が収まらぬほどムカつく!!


 だが、感情はともかく理性は冷静に彼我の戦力差を計算。
 あの拳を喰らって自分が立っていられる確率を。一切の白を許さぬ徹底したブラックコーヒーのように苦い現実に、微糖のような希望的観測と、恐る恐る足したミルクのような勝算を糧に計算する。


 ――絶対、無理!!
 ――いや、無理だ無理。あの大樽を破壊する拳を顔面で受けて無事でいられるはずがない。最低でも顔面陥没。最大で自殺行為。
 ――そして、最大に至る可能性のほうがでかいときている。
 ――だから……ああ、だから、野次馬どもは分かっているんだ。


 ――俺が絶対葛藤して苦しむって、分かっていやがるんだ。


 それは受け入れ難いほどの侮辱だった。
 そして、勘違いしないで欲しい。
 彼自身は自分自身に対する侮辱など最初からどうでもいい。

 ――だが、事が狩人の分野に入るならば、まったくの別だ。
 ――そこにある技も装備も自分自身だけが作ったものではない。

 ――全て、誰かからの借り物だ。
 ――背中を押してここまで連れてきてくれた人からの預かり物だ。

 それを笑われた。
 お前が後生大事に持っているそんなものは大したこと無いって、笑われた。

 ――親方を。
 ――親父を。
 ――ミカを!!


 ――大したものじゃないと、言いたきゃ言えよ!






 それは我に拠らぬ誇りであった。
 他人によって作り上げられた誇りだ。
 そして、継承した者の誇りでもある。
 今も背負い続ける者の誇りだ。

 だから、“Sword Dancer”はこう言った。


「――――やる!」


 公開処刑が見れることに、酒場が大いに沸き立った。
 誇りに満ちた黒い瞳と、不敵に笑う蒼い瞳が、お互いの真意を見通そうと睨みあった。


「いいだろう。そいつで勝負してやろう」

「最後に立ってればいいな?」

「居眠りした後で起き上がることを含んでなければな」


 軽口の叩き合いから、アルフリートが自分の拳の間合いに“Sword Dancer”を入れる。

 ティガレックスなど目じゃない巨大生物が、目の前にいる感覚に襲われる。
 自分の中の想像力が、強敵を本当の脅威に仕立て上げようと、悪い方向に働こうとしている。
 それはどう考えても、良い考え方ではない。
 その点に関しても、彼は父親と親方からの継承者であった。

 問題に出会った際、彼らがどうしているか?
 それは問題を良く観察することだ。


 だから、“Sword Dancer”はよく見る。


 身長――186cm。


 だから、“Sword Dancer”はよく見る。


 体重は――80kg強。


 恐怖に抗うために、自分から恐怖を抽出しないために。


 腕のリーチは――80cm強。


 そうとも、いくらアルフリートが脅威のスペックを誇ろうとも、奴は“Sword Dancer”と同じ人間だ。

 だから、“Sword Dancer”はよく見る。
 アルフリートを観察する。
 数値にする。
 “無敵”の幻想で彼を包まない。
 “強敵”と認識しない。
 克服できる障害、解決を図れる問題にまで、彼の脅威度を下げる。

 だから、“Sword Dancer”はよく見る。
 彼の攻撃の映像を、写真のように脳内で再生する。
 あの驚異的な打撃の映像を、印象だけで語らない。
 筋肉の動き、関節の連結する様子、力が流れていく仕組みまで、アルフリートを分解する。


 だから、“Sword Dancer”はよく見る。

 ――そして、彼の武器は観察力である。

 それは太刀使いにとって、最大の武器である。
 高速で動く物体の、切断可能な入射角を瞬時に判断する太刀と自分の体に次ぐ、第三の武器である。
 自分に襲い掛かる攻撃の脅威を、正確に測る計測器である。

 “Sword Dancer”は“Sir.”スティールのように強靭な肉体も持っていなければ、“Striker”アルフリートのように一撃必殺の体も持ち合わせていない。

 その彼が、Gの階段をわずか数ヶ月で駆け上がってきた最大の武器が、その類稀な観察力であった。


 だから、“Sword Dancer”はよく見る。
 アルフリートが、自分の間合いに“Sword Dancer”を置いて、今度は違う構えを取る。
 両足は若干開き気味に、右に半身を開き、左手を引き付けて腰に構え、右手を引き付けて胸に構える。

 間合いがさっきの攻撃とは若干違う。
 
 だから、“Sword Dancer”はよく見る。
 どんなに構えを変えようとも、足の長さも、腕の長さも変わらない。
 恐れるに足らない。単純なブラフ。知恵比べで負ける気はない。そこでも負けたら明日はない。

 ――ふと、アルフリートの顔から不敵な笑みが消えた。

 構えを解いて“Sword Dancer”から遠ざかる。

「……フン。そう言えば、合図を決めてなかったな」

 “Sword Dancer”は鼻を鳴らして受け流す。

「勝手に決めなよ。俺は何だっていいぜ?」

 勝負を催促するように、両手で手招き。

「――言ったな?」


 間合いから離れたアルフリートが、その瞬間、何かを拾った。





「――――合図だ!」



 それはアルフリートの手から、砲弾の勢いで上へ投げられる。
 それは酒場の丸椅子だった。
 狙いは、”Sir.”スティールが天井に突き刺さしたままの放置された天井の大剣。

 丸椅子が粉砕しながら、機械的嵌合力で嵌っていた大剣を、天井から解き放つ。

 “Sword Dancer”は、丸椅子の行く先を一瞬だけ目で追った。
 ほとんどの観客は、その大剣が落ちていく瞬間を目で追った。

 たった一つの行動で、とてつもない意識の空白を彼は作り上げた。

 誰もが、その大剣が地面に刺さった瞬間が合図だと、そう理解していた。



 ――だが、そうだと誰が言った?



 “Sword Dancer”が、一瞬でもアルフリートを視界から離した一瞬に。


 もう、彼は“Sword Dancer”の目の前に現れていた。

 卓越した攻撃手であるアルフリートがその本領を発揮した。
 攻撃を最大効率で当てる為の選択として、不意打ちを躊躇なく実行。
 防御の心構えなど少しもしていない相手に、自分の最高のタイミングで襲い掛かる。






 ――だから、そうだからこそ、“Sword Dancer”はよく見る。

 アルフリートの筋肉の一筋の駆動。左足のハンマーのごとき踏み込み。力が骨を軋ませて伝達する様子。


 ――その絶え間なき観察こそが自分。だから、“Sword Dancer”はよく見る。

 螺子と発条の複合体として回転して撥ねる上半身。回転運動を直線運動として、収束して放つ右拳。
 飽きることなく細部まで凝視する。


 今なら、絶対に信じられる。
 自分の父親は喰われる最後まで敵を凝視できたのだろう。
 その成果があの狩場であり、堪え難き痛手を貰って逃げ出したオオナズチであり、そして、その後進こそが自分だ。

 ――だから、“Sword Dancer”はよく見る。

 鉄槌として放たれた右拳。人体を破壊することにまるで躊躇しない意思。一撃必殺そのものとも言える打撃を、




 ――当たる瞬間まで瞬きもせずに凝視する。




 思わず耳を塞ぎたくなるような重い音が酒場に響き渡り、“Sword Dancer”の体が“Striker”アルフリートの必殺の拳を受けて後方へと吹っ飛んだ!











「なんだとっ!?」


 だが、最も驚いたのは殴った本人であった。
 “Sword Dancer”は殴る瞬間まで眼を閉じず、恐れもしない確かな意思を持ってこちらをずっと睨んでいた。
 不気味なまでの観察と凝視の結果を、アルフリートは感触として得ていた。


 全力で殴打したにしては感触が軽すぎる。
 殴り飛ばした方向が予想とは違い過ぎる。

 一方的にこちらが不意をついてまで殴りつけたはずなのに、“Sword Dancer”はこちらの打撃を完璧とも言える精度で、コントロールしていた。

 ダメージコントロール。
 狩人の必須能力の一つ。
 攻撃を喰らわない狩人はいない。故に喰らった攻撃をコントロールする術を身につけていない狩人は即死する。

 ――だから、“Sword Dancer”はよく見る。
 完全に制御できなければ致命傷になりうる細身故に、その技はアルフリートやスティールよりも上と言えた。


 自分より高い身長の相手から放たれたために、やや上から振り下ろされる打撃が衝突する瞬間、額で受けた。
 そして、下へと叩きつけられようとする体を、『振り抜かれる拳とほぼ等速で』後ろへと仰け反らせる事により、力の流れにこちらから指向性を与えてやる。
 さらに、“Sword Dancer”の赤子の体のように柔らかい下半身が、衝撃を吸収しながら、後ろへと撥ねることにより、アルフリートの殺人的な拳の威力はほぼ半減していた。


 だが、それでもアルフリートの拳の威力は“Sword Dancer”の体を、人形でも投げるかのように浮かせて、飛ばす!
 竜巻や飛竜に吹っ飛ばされるように“Sword Dancer”の体は後方へ。


 しかし、後方へ吹っ飛ぶことはどうにもならないが、方向そのものは“Sword Dancer”の意図したものだ。
 吹っ飛ばされることが分かっているのなら、その方向に柔らかいものがあれば良い。
 地面や床よりも確実に柔らかく、しかも、この場所にたくさんあるもの。


 ――それは野次馬という名前の人体だ。


 野次馬の群れの中に“Sword Dancer”の体は突っ込み、避けきれない人間が、迫る“Sword Dancer”をかわせずにぶち当たる。
 投石を岩にぶち当てたかのように、“Sword Dancer”の体は上へと跳ねる。
 まだ地面に体が着いていない = 倒れていないまま、“Sword Dancer”の体はさらなる後方へ。

 野次馬達が座っていたテーブルの上へ“Sword Dancer”の体は落ち、料理やカップを盛大に破壊。
 跳ねる直前に“Sword Dancer”の腕が、したたかにテーブルを強打。

 強引に姿勢変更を行いながらも、アルフリートに殴られた勢いが止められず、また跳ねる。
 そこでテーブルを殴って、姿勢変更を行ったのが理由が分かった。
 今度こそ、地面に落ちるしかないと皆が思う中、


 ――“Sword Dancer”がその両足で着地したのだ。


 飛竜のぶちかましのごとき一撃を受けて、5mは吹っ飛んだ人間が、両足で着地している。
 偶然なら恐ろしい幸運で、意図して出来たのなら神業だ。

 だが、両足で着地できたといえ、アルフリートの一撃の慣性が今だに“Sword Dancer”の体を後方へと押しやる。
 何より、あの一撃が与えた衝撃は“Sword Dancer”の意識をほとんど奪っている。

 両足で着地はしたものの、千鳥足のまま“Sword Dancer”の体は後方へと、歩き始めたばかりの子供の頼りなさで歩いていく。
 今にも倒れそうな“Sword Dancer”の体は何とか後ろに歩くことで均衡を保とうとしたが、ここは室内。
 ついに壁が後ろから“Sword Dancer”の体を押すように、“Sword Dancer”の体を跳ね返した。

 ――倒れていく。

 手はついてはならない。それでは倒れたことになる。
 そして、何より、もう彼の身体能力は限界に近かった。

 ――誰か、と彼は願った。

 ――彼の父親は死んだ。今まで受け継いできたものがアルフリートの一撃より、彼をここまで立たせてきたが、それもついに品切れだ。
 ――彼の尊敬する親方も死んだ。親方の言葉と憧れが、彼をここまでの狩人にしたが、それもいまや効果はない。

 ――思う、遠くの生きている人を。
 ――想う、死んで欲しくないから、と武器を作るのを怖がっていた鍛冶屋を。


 ――ミカ。


 ――そんなことはないんだ、と言ってやりたかった。
 ――だが、言葉よりも強い何かで結ばれていた絆が、言葉などでは埋まらない傷を訴えていた。


 ――ミカ。
 ――そんなことはないんだ。

 ――俺にとって、そんなことではないんだ!!



 彼女が鍛え上げた背中の夜刀【月影】を、鞘ごと背中から引き抜いた“Sword Dancer”は、地面に突き刺すかのように夜刀【月影】で地面を突く!
 それを支えにして、壁の最後の一押しからなんとか堪えきった。
 そして、アルフリートの一撃の威力が体から抜けきったのを確認すると、彼はついに意識を手放した。

 その様子を、野次馬の一人がこう言った。

「……た、立ったまま気絶している……?」


 アルフリートが投げ落とした大剣が、地面に突き刺さると同時に、皆が言葉を取り戻した。

 酒場の全員がこの結末に騒然とした。
 確かに、“Sword Dancer”の体は地面に着いていない。
 しかし、「吹っ飛びもせずに」一撃を耐え切った形での決着が、長い間狩人の慣習として彼らのイメージに残っている。
 なので、誰もこの灰色めいた結果に口を出すことが出来ない。

 当事者でもあるアルフリートがどうしたものかと、思い悩んでいると、


「……いぃーち、にぃーい、さぁーん……」


 カウンターからゆっくりと数を数えながら歩いてくる小さい老人がいた。
 この酒場を取り仕切るギルドマスターだ。
 彼は飄々とした調子のまま、“Sword Dancer”の方へと歩いていく。


「しぃーい、ごぉーお、ろぉーく、しぃーち、はぁーち」


 酒場の調停役が現れたことにより、騒然とした場が静けさを取り戻し、ギルドマスターのカウントを皆が黙って聞いていた。


「くぅーう、じゅーう」


 カウントを終えた後も“Sword Dancer”は太刀を地面に突き立てたまま、立っていた。
 それを面白そうに下から眺めるギルドマスターが、勝負の結果を告げた。

「ほれ、アルフリート。コイツ言っておったろ? 『最後まで立っていれば、勝ち』とな。十数えても全然立っておるぞ、コイツ」

「やっぱり、そうですか?」

 アルフリートが苦笑して、“Sword Dancer”を指差した。

「寝てはいますが、起き上がる必要がありません。こちらとの口約束は十分守っているでしょうな……あんな形で守ってくるとは少々意外でしたが」

「カッカッカ、なら認めるな?」

 こちらの苦笑を笑い飛ばすギルドマスターに、また苦笑を向けながら、アルフリートは言った。


「――ええ、コイツの勝ちです」


 その言葉を認めたギルドマスターが、酒場の全員に告げた。

「何をしとるんじゃ、勝負が決まったら介抱するのが、この酒場の野次馬のしきたりじゃ。お主等、とっとと介抱せんかい!」

 酒場の全員が雷に打たれたかのように、またいつものように動き始めた。

 こうして、“Sword Dancer”は“Striker”アルフリートの連勝記録に始めて泥をつけた相手として、丁重に酒場の奥で寝かされる運びとなった。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 6
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/02 23:14
 酒場は勝負が決まった後も、盛り上がっていた。
 “Striker”の一撃必殺の拳。
 “Sword Dancer”の神技とも言える体捌き。
 勝負に負けて、冷静を取り繕いつつも、どこか憮然とした表情のアルフリートを命知らずにも冷やかして、誰かが空中を飛んでいく羽目になったり、それを見てまた面白がる輩もいる。
 だが、それらはもういつもの酒場の情景だ。

 ギルドマスターは、またカウンターの低位置に腰掛けると、隣で鳥のモモを丁寧にナイフで切り分けて食べる女に声をかけた。

「どうじゃ? あの者に“厚顔無知”は倒せるかのう?」

 その女は、酒場の者とは一際違う風采だった。
 黒く長い髪は背中でまとめられており、切れ長の目には黒曜石の色の瞳が形良く収まっていた。
 服こそ普通の商人のそれだが、まとっている雰囲気は、噴火前の火山、嵐の前の静けさのように、何かをとてつもないものを予感させる静けさをまとっている。

 女は口の中の物を落ち着いた調子で飲み下してから答えた。

「失礼、勝ちの目は薄くともある、といったところでしょうか? そもそも、ティガレックス自体が単独で狩るには難しい飛竜です。私なら複数の狩人で事に当たるでしょう」

「ふむ、狩れるのなら何故単独で狩らん? その方がお主の名も上がろう?」

 「またまたご冗談を」、と言ってから、女は水を飲んで、続ける。

「勝率5割の狩りは、狩りとは申しません。私達は『無謀』と申します」

「世の狩人が聞いたらたまげそうな言葉だの」

 今度は付け合せの人参を、丁寧に切りながら女が返す。

「狩人は狩猟で富を築くことが目的ですが、私達は狩り続ける事が目的です。目的が違えば、やっていることは同じでも姿勢は違ってくるものでしょう」

「カッカッカ、確かにそうじゃのう」

「そして、狩り続けること自体が目的である私達を呼んだのは、ギルドマスター。貴方ですよ」

 飄々として動き続ける表情が、その瞬間だけ、笑みで止まる。
 狩人ギルドの運営者であるギルドマスターが、ただの好々爺から経営者になる瞬間だった。

「……見てくるだけで良いのじゃよ」

 そして、底意地悪くギルドマスターは笑う。

「お主の言うとおり、“厚顔無知”は強過ぎるからの。……もしかして、『誰にも狩れない飛竜』かもしれない」


「“Sword Dancer”は“厚顔無知”の試金石と言うわけですか?」


 ギルドマスターは、そこでまた好々爺の笑みに戻った。


「信じてないわけじゃないんじゃよ?」

「勝ちの目がないわけではないですからね?」

「じゃが、勝率五割なら、『どっちに転んでも』良い様に考えておくのが上にいる者の義務じゃろう?」

 人参を口に含みながら、女は肯定した。

「仰せの通りです。ちなみに、勝率五割は私の数字です」

「じゃあ、あの者なら実際には何割になる?」

「そうですねえ……」

 女は平静に、普通に、……冷酷に言った。


「精々、2、3割あればいい方じゃあないですか?」


 それで、女とギルドマスターの会話は終わり、また酒場の日常が再開された。




 セクメーア砂漠でティガレックスを探すのは、砂漠の広大さの割りに楽な作業である。
 ティガレックス特有の捕食方法もあるが、砂漠というのはどの生物でも生き難い過酷な環境である。
 肌を刺すどころか、突き殺されるような強力な光線を浴びせる太陽の下、外套も天井も無く、直射日光で微生物の存在も許さないほど沸騰した砂が、上から下へと生物を蒸し焼きにする環境。
 雨は念に数度降るか降らないか。降ったとしても、水を溜める能力の無い砂では、すぐに地面の下へと染み込んでいき、また風と直射日光で砂は乾き、熱を溜めて熱砂となる。

 飛竜のような大型の存在なら、なおさらその体が溜め込む熱量も半端なものではすまなくなる。

 どうやって熱さを逃れて生きようにも、水がある場所で無ければ生きることは不可能。
 それが砂漠というものである。


 つまり、砂漠にいると分かってさえいれば、水場を転々と探せばティガレックスと出会うのだ。
 そして、“Sword Dancer”には得意技がある。

 ――それは彼の嗅覚だ。

 常人の数万倍は鼻が利く。おかげで柑橘類や強い香辛料が苦手で、胡椒の効いた肉料理や香草焼きも苦手だ。
 しかし、その嗅覚は砂漠における目標の追跡では役に立たない。
 砂は臭いの元となる汗や老廃物をカラカラに乾燥させるほど強い熱を持っているし、強い風で常に飛ばされていて追いかけることなどとても無理だ。

 だが、この嗅覚はとても有効に働く。


 ティガレックスと遭遇した際に、最も危惧すべき事態は、向こうが先にこっちを発見した場合である。
 奇襲をかけられれば、その高い身体能力から、万が一にも助かることなど出来ない。ティガレックスが満腹であり、見逃してもらえる可能性も薄い。砂漠に生息している生物が少ないからだ。
 出会うティガレックスは大抵、空腹であり、自分の体を隠せる砂漠の岩山に、目を凝らして、耳と鼻をよく利かせていることだろう。


 だから、水場を探している際にこちらが先んじて、『この水場にはティガレックスがいる』、と分かるだけで十分だ。
 彼は、その嗅覚でティガレックスがいることが分かるのである。

 ティガレックス本体の臭いを覚えておく必要は、まったく無い。


 ――複数種の大型動物の血の臭いをブレンドした体臭を持つ生物など、飛竜だけである。



 そのようにして飛竜を見つける“Sword Dancer”の策に、アルフリートは素直に感心していた。
 別に“Sword Dancer”が彼に見届け人を頼んだとか、そういうものではない。
 勝手に彼がついてきたのだ。

「相手がどこかから飛んできたばかりならどうするんだ?」

「それなら条件は対等。向こうも来たばかりで、そこの勝手が分かってない。それに砂漠の水場や飛竜の餌場に入る時は最大警戒で臨め、ていうのは狩人の鉄則だろう?」

「こっちが勝手を分かってない土地で、先制攻撃を仕掛けられる不利が避けれるのが一番の強みか?」

「そういうこと。どっちみち、太刀は受けに回るには不利な武器だぜ」

「なるほどなぁ……」

 日よけの白いフード付き外套の中で、しきりに縦に顔を振って感心するアルフリート。

「どうしてついてきたんだよ? アンタはオレがあの依頼に相応しいかどうかを、ギルドマスターに頼まれただけなんだろう?」

 アルフリートは、『酔狂なのは我ながら良く分かっている』、と言いたげに不敵に笑い、

「勝負をした仲だ。そんなつれない事を言うな」

「普通、もっと気まずいもんだと思うけどなあ」

「『殴ってどかす』は揉め事の解決手段に過ぎん。その結末の云々でいちいち人間関係を悪くするのは、はっきり言って損だと思わないか?」

 自分の体に宿した攻撃力のように、単純で迷いのないアルフリートの思考。
 コイツなら飛竜とも分かり合えそうな気がする、と思いながら“Sword Dancer”はキャンプを作る場所を決めた。

「邪魔するなよ?」

「見届けに来ただけだ」

「それだけの理由で砂漠に足を踏み入れるとは、本当に物好きだな。アンタ」

 ふむ、と考えてから、アルフリートは、

「“Blade Dancer”という太刀使いに覚えはあるか?」

 これには、“Sword Dancer”の方が驚いた。
 彼の父親は確かに偉大な太刀使いではあったが、このアルフリートまで知っているとは思っていなかったからだ。
 “Sword Dancer”はまじまじとアルフリートの顔を見ながら、

「なんでアンタがオレの親父なんか知ってるんだ?」

 アルフリートは事も無げにその視線を受け止めた。

「理由は簡単だ。私がハンマーを選んだのは、“Blade Dancer”の言葉あってこそなのだ」

「ほー、……なんて言葉なんだ?」

「『愛することは容易くとも、信じることは難しい。だから、武器はよく選べ』、とな」

「それでどうしてハンマーなんだ?」

 アルフリートは頼もしそうに、自分の武器である極鎚ジャガーノートを手で叩くと、にこやかに告げた。

「これなら壊れない。刃が丸くなることも無ければ、折れることもほぼありえない形状だ。だから、信じることは容易いと思った」

 “Sword Dancer”は極鎚ジャガーノートを指差して、

「信じる?」

「ああ」

 アルフリートは腕組みをして肯いた。

「武器を振ることは、武器を壊すことと同義だ。私達は、私達が知る知らないに関わらず、武器を壊すことに加担している。鍛え上げた腕が、走りこんだ足が、磨き上げた技術が、攻撃した時に武器へかかる負荷として襲い掛かる」

 “Sword Dancer”はその話を苦虫を噛むような顔で聞いていた。
 アルフリートは、“Sword Dancer”のその表情を見つつも、まったく相手にせず話を続ける。

「武器の予備があるのなら、交換することでその負荷を無くすことも出来る。だが、そんなことが出来る狩人はいない。ほとんどの狩人にとって、武器はたった一つだ。自分の命のように『たった一つしかない』物だ」

 “Sword Dancer”はそこで自分の言葉を差し込んだ。


「待て――アンタ、何が言いたい?」

 
 アルフリートは簡潔に言った。


「お前がGに相応しい狩人だと分かった――だが、信頼できぬその武器で“厚顔無知”とやり合えば、死ぬぞ」


 歯の奥に挟まっていたものがようやく取れたかのように、アルフリートはそれを語ってすっきりとしていた。
 だが、“Sword Dancer”は怒りで歯を鳴らしながら、


「俺がこの武器を信頼できてないだと!?」

「私に振るった一撃は全力ではあるまい? 本来のお前の目なら、いくら驚かされようと、私を斬るなど造作も無いはずだ。つまり、お前の全力が足らないのではない。――全力が出せないのだ」


 相手の長所を理解して、相手の短所を指摘する。
 論理においても優秀な攻撃手であるこの男の言葉に、反撃の糸口も見出せぬまま、“Sword Dancer”は言葉を失った。


「もし、お前が決して死ねない人間なら、今“厚顔無知”と単独で戦うのはやめておけ。――今のお前では勝てない」


 「全力を出せないお前ではな」と言って、アルフリートは“Sword Dancer”に背中を向けて肉を焼き始めた。


 “Sword Dancer”はその背中に言葉を投げつけてやりたい気分になった。

 ――オレは絶対に死ねない。
 ――しかし、オレは絶対に勝たなければならない。
 ――そんな俺に、お前はやれば負けると言うのか!?

 相反する条件が彼の心を瀬戸際へと持っていった。
 アルフリートの心は分かっている。
 彼は無理に戦うことなどない、と言ってくれているのだ。

 狩りは獲物との戦いだ。
 命を賭けた戦いだ。
 人間は獲物より、良い条件と良い武器と良い知恵と、何より相手を知り尽くすことで彼らに勝利してきた。

 しかし、そうでない狩りは自殺と同義だ。
 相手が知り尽くした領域で、自分が信頼出来ない武器で、勝利の見えぬ相手と戦う狩人。


 ――確かに、自殺志願者にしか見えないだろうな。


 そんな風に自嘲しつつも、彼はどこかで自分がまだ負けていない、と自らを感じ取っていた。
 どこから来たのか、まったく分からない薄気味悪くさえある自信。
 しかし、それをアルフリートに話そうとしても、今はまだ形をまったく取ってないことを感じ取り、彼はその日、眠りについた。



 アルフリートは、あれ程不安要素を言っても、頑なに自分を曲げない“Sword Dancer”に一つの可能性を見ていた。

「……受け継いだ者ゆえの強さか」

 アルフリートにとって、彼は別に頑固でも、偏屈でもない。
 どういうわけか知らないが、あの“厚顔無知”を相手に、この狩人は勝てると確信している。

 ――何故なら、彼は自分の言った言葉に怒りはすれど、一切の言い訳をしなかった。

 こっちの言葉を自分の身に染み込ませて、滋養とした感触を相手の態度から得たアルフリートは、老婆心からの忠告はここまでにしてやろう、と思った。


 どうやろうと、この若者は戦うし、それはどうにもならない決定事項なのだ。
 後は待つばかりであることを悟ったアルフリートは、“Sword Dancer”に倣って眠りについた。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 7
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/06 19:43
 砂漠の日中を動く生物はいない。
 しかし、例外は常に存在する。
 誰もいない砂漠を、生き延びるための隙とみる。
 砂漠を生活の場ではなく、通り道と考える生き物がそれだ。


 大移動するアプケロスの群れ。


 砂漠の中でも、日陰の多い岩石地帯を選び、オアシスを繋いで移動するアプケロスの群れは、朝の早い時間と夕暮れの陽光の力が弱まった時間に全力で移動する。
 そして、その群れを狙えるのはジャギィやゲネポスのような群れを構成する肉食動物か、群れであってもアプケロスを蹴散らせるほどの大型肉食動物しかない。


 “厚顔無知”のティガレックスは、間違いなく後者に該当する大型肉食動物だった。



 ――その日、砂漠は風すら息を潜めて沈黙を守っていた。

 
 音一つ立てれば恐ろしいものを招く、と言わんばかりに砂漠はひっそりとしていた。
 “Sword Dancer”は自分の体の上に砂漠の泥で汚したシーツを引き、日陰の大地と同化するようにしてこのオアシスを見張った。
 自分の嗅覚を総動員して、臭いがアプケロスの群れに近づくのを待つ。
 多数の動物の血臭を身にまとった“厚顔無知”は、その身体能力ゆえに身を隠したりはしない。

 俊足で獲物を追い詰める肉食動物のように、草食動物が逃げるまでの距離を巧妙に測り、相手がまだ逃げれると思う距離と、自分が最適だと思える距離の中間地点で勝負を仕掛ける。
 つまり、ティガレックスの狩りとしては五分五分の間合いで勝負を仕掛けるわけだが、“厚顔無知”はティガレックスの中でも特に足が速い。
 まず、アプケロスの足に負ける事はなく、悠々と獲物を捕まえ、弱るまで引きずり続ける。

 普通、獲物を捕まえた肉食動物は、獲物以外の草食動物に興味を持たない。
 故に、肉食動物が仲間を食している横で、平然と草を食んでいる草食動物の姿が見れたりするのだが、この日のティガレックスの狩りは一味違った。


 アプケロスの群れが、ティガレックスの乱入で乱れたのを察知した人ほどの大きさの中型二足歩行肉食動物――ゲネポスによって襲われたのだ。


 “厚顔無知”ティガレックスの狩りによって統制を乱されたアプケロスの群れは、ゲネポスの襲撃によってさらに乱された。
 群れ全体が我先にこのオアシスから逃げようとして大暴走が始まり、“厚顔無知”のティガレックスの周辺はゲネポスとアプケロスによって騒然とした状況にあった。


 砂漠特有の乾いた土壌が三桁を越える足によって舞い散らされる中、喰う命と喰われる命の饗宴によって、砂漠は先ほどの沈黙が嘘のように活気付いていた。



 そして、その騒動の中を、ゆっくりと“Sword Dancer”は近づく。

 “厚顔無知”のティガレックスの聴覚は騒動によって掻き乱され、嗅覚はゲネポスとアプケロスの暴走が大気を攪拌した。
 そして、肝心の視覚は獲物に夢中で見えてやしない。

 これ以上ないほど襲撃に適したティガレックスの五感の空白を縫い、“Sword Dancer”は“厚顔無知”へ近づく。





 アルフリートは“Sword Dancer”がティガレックスに接近していく様子を、ティガレックスに万が一にでも気付かれないように、オアシスの風下から伏せた体勢で双眼鏡で眺めていた。
 アプケロスの大暴走と言えば、襲い掛かった飛竜が油断して突進に巻き込まれ、命を落とすこともある一種の自然災害だ。
 普通の狩人なら台風や地震が起きた時と同様、いったん狩りを止めて大暴走をやり過ごすものだが、“Sword Dancer”は違った。
 そこの中にこそ、“厚顔無知”のティガレックスの油断があると見て、先制の一撃をかけたのだ。

 同じ攻撃手としても、アルフリートと“Sword Dancer”の役割はまったく違った。
 パワーと己の気迫で相手を威嚇しながら戦うアルフリートは、言わば戦場において、歩兵にして、戦士とも言うべき戦闘の矢面に立つ存在だ。
 だが、“Sword Dancer”は己の技と素早さにて相手の隙を見抜き、相手の防御の空白を攻撃する伏撃手だった。

 天性の戦術家が、ティガレックスの隙を達人特有の手際の良さであっさりと見抜いて通る様は、本当に心地良いものだった。
 それを遠くから危険も無く眺められると言う贅沢――人によって意見の相違はあるだろうが、彼にとっては贅沢だ――を味わっていたアルフリートだが、ふと、彼の視界の端に双眼鏡のレンズのきらめきが飛び込んだ。


 ――私以外に、傍観者だと?


 別に放っておけば良いのだが、アルフリートという人間は人を疑って見るように出来ている。
 疑問とは、問題にして疑うことだ。
 こと狩場に起きた不可思議な現象全てを、彼は不可思議なままにしておけない性分なのである。
 では、問題解決の糸口とは?
 まず、状況を整理することだ。


 ――偶然立ち寄るには、この砂漠は街道から遠く離れ、狩人ギルドがこの地域に“厚顔無知”のティガレックスがいることを警告している以上、一般人ではありえない。
 ――ここに来る難易度と危険度から考えるに、人間が偶然来る可能性はきわめて低い。そして、偶然来たとしても、それを観察したまま動かない可能性はさらに低い。
 ――では、“厚顔無知”のティガレックスの狩りを見る人間とは、何か?
 ――私のような酔狂なら、なんら問題にはならない。
 ――肩を並べて“Sword Dancer”のことを語り合ってもいい。
 ――そのような人間なら何も危険はないし、何も悪いことにならない。
 ――だから、思考から外す。


 ――では、問題になる人間とは、何だ?
 ――ここで観察をしていて、問題になる人間とは、何だ?


 アルフリートは、確認するべきだと感じ、その双眼鏡の主へと足を運んだ。
 軽く足を運んでいけば二分と経たずに、その双眼鏡の主の下へといけた。

 アルフリートは、その双眼鏡の主のことを知っていた。



 ――嵐のような女だと記憶している。



 露に濡れたかのように背中で輝く長い黒髪は、ティガレックスの爪の髪飾りでひとまとめにしている。
 四肢は細くも太くも無い。ただ、張り詰めた鞭の様な弾力を予期させるだけで、美しさと同時に強さを想起させた。
 白いフード付きの外套から覗ける顔貌は、感情をただ静かに宿していた。それも、静か過ぎて嵐の到来を予想させる静けさだ。

 アルフリートは、その女の名前を言った。

「偶然貴方が来るには随分とここは遠いぞ、ギルドナイト“Typhoon”ラピカ」

「それはお互い様ね、“Striker”アルフリート」

 声の色は風のように透き通っていた。
 だが、アルフリートはその美貌の剣士 ラピカをただ美しいと見ることは決して出来なかった。


 ――砂漠の一陣の風が、アルフリートとラピカの日よけの白い外套を揺らした。


 黄色の大地に血の色の紅を垂らした様な鎧が、ラピカの白い外套の中から見えた。
 アルフリートはその鎧の素材が何であるかを瞬時に見切った。


 ――ティガレックスの体を素材として作ったレックスXだ。


 もちろん、ただの一体だけではそれは出来ず、何十体とティガレックスを狩ってようやくできる鎧。
 それを見て、この女に血の色を重ねてみるのはいささか行き過ぎた表現ではないだろう。

 そして、ギルドナイトという存在について、アルフリートはよく知っている。

 ギルドナイトの存在を知るには、まずギルドのことを知るのが一番だ。
 通常、ギルドは狩人達の仕事を統括する存在として、狩人と依頼人の仲立ちとなるものだ。
 その業務は多岐に渡る。
 狩人たちには、寝床を提供したり、武器屋や鍛冶屋との繋ぎを取ったり、狩りに使う道具を売って、狩人達が準備を怠らないようにする。
 その過程で、ギルドは狩人の質を見極めて、依頼主に保証し、適切な仕事を狩人達に分配する。
 さらに、狩人達の宣伝や様々な村や都市との折衝も彼らの役割だ。

 もちろん、ギルドの運営はボランティアではない。
 狩人や依頼人からは手数料を取るし、狩人の仕事の斡旋は、様々な方面から様々な形で報酬を受け取れる割の良い仕事だ。

 だが、仕事というものは動かす金額が大きくなればなるほど、不正を働く輩が跳梁跋扈し、結果として細心の注意を働かしながら「規則」というものが形作られるようになる。
 その「規則」の守り手。狩人達を実力で統括する狩人以上の勇者。

 ――それがギルドナイトだ。



 アルフリートは幾分かの畏怖と大部分の好奇心を持って、疑問を言葉にした。

 大方疑問の答えは出ている。ギルドナイトが、仕事を監視する理由。
 狩人の勇者であるギルドナイトが「不正以外」で仕事を監視する理由。
 規則が乱れているからだ。仕事の規則が。

 ――仕事が上手くいってないから。


「彼が十人目、というわけかい? “厚顔無知”も随分と喰い散らかしたもんだな」

 ラピカはその問いかけに、嵐の予兆のような危険な笑みを浮かべた。
 否定もせずに自分の所感を述べる。

「ギルドマスターはたった一人でも、出来うる限り狩人の手に任しておきたいようね? 人命の無駄だわ」

「まあ、そう言うな。彼は中々だ?」

「本当に勝てると思っているの?」

 今度はアルフリートが笑った。全てを悟ったかのように皮肉気に、強く肯定して肯いた。

「半々と言ったところだ。だが、そういう勝負に勝って、男の子ははじめて男になる。男なら勝たないとな?」

「女には分からない世界ね?」

 アルフリートは首を振って否定する。
 いいや、単純だ、と言って。

「勇者にならないといけないのさ。男が一人前になるためにはな」

「じゃあ、一人前の貴方は勇者と言うことなの?」

 首を縦に振って肯定。
 だが、皮肉気な笑みは消えない。現実は厳しいのだから。

「なった後も、在り続ける努力で延々と悩み続けることになる。あんまり良いものではないな」

 ラピカは肩をすくめた。

「そんなものにどうしてなるの?」

「弱いままより『まし』だからだ」

「それで、あの子を止めないの?」

「止めたさ。でも、あの子は私を乗り越えた。だから、止める理由はもう無いな」


 全てを見透かしたかのような男は、そのままラピカを見透かしたように言った。


「“Sword Dancer”が死んだ時は、貴方が“厚顔無知”に挑戦するのだろう? その前に動きを見て偵察とは、まったくもって殊勝なことだ」


 ラピカのまとっている空気が、水面を波立たせて荒立てる風のように、少しだけ荒れ始めた。


「私のやっていることが無駄だと言いたいの?」

「さあな? だが、昔から組織と規則は『勝負事』という奴が――本当に分かってない――」

「何が言いたいの?」


 あらゆる困難を、実力と強運で乗り越えた本当の勇者の一人は、ラピカを指差して言ってやった。それが失礼だとしても、確認してやるように。


「半々の確率で成功する狩り。だが、ソイツを勇者が乗り越えるべき勝負とすると、まるで話が変わってくる」


 アルフリートは滾る血潮を抑えるように、右手の拳で左手の掌を打った。


「勇者というのは、半々の確率の勝負なら、ほぼ100%乗り越える。俗な認識では図れぬ、実力以上の不可知の強さを持っているのが、勇者だ」


「特等席で見ようじゃないか。今度の戦いはきっと滾るぞ?」



[17730] 第二話「刃と踊れ」 8
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/06 00:09
 肌をも焼く熱砂の上で暴れる“厚顔無知”のティガレックスに、足音を潜ませて近づくSword Dancerは、初めて獲物の全貌をその目にした。

 砂漠の砂のような黄色い体色。
 もともと、黄色は注意を喚起し、警戒心を呼び起こす色であった。
 さらに、動脈のごとく体に描かれた赤い線は、目にした天敵達を威嚇するための警戒色としてその体色に凶暴なアクセントを添えていた。

 四肢は細い。
 骨と筋肉と神経で形作られたシンプルな造型だ。
 だが、その細さは四肢の先端に鋭利なイメージを呼び起こし、地獄の底で地を這う悪魔のような印象を見る者に与えた。

 牙は鮫のごとき乱杭歯、爪は常に四肢の先にある故に鋭利、口は耳まで裂け、自分の前でうろたえる弱き生命達を嘲笑うかのようだった。

 体長にして22m。
 重さにして10t弱。
 “走る恐怖”“嚇怒の轟風”“轢殺の竜”と謳われる四足歩行の竜、轟竜ティガレックス。


 それが今や目の前で捕まえたアプトノスを食しており、忙しく頭を動かす様や食事の息遣いが手に取るように分かる場所までSword Dancerは近づいていた。


 ――背にある夜刀【月影】を触る。
 その頼もしい重さですら、あの“厚顔無知”を前にしては物足りない。
 だが、そんなことはいつでもあった。
 圧倒的な巨大さを誇る飛竜達を前にしては、人間など塵芥も同然だ。

 それを自覚する度にSword Dancerは、震え、泣き、逃げ出したくなり、それを何とかしてなだめすかして、奮い立たせ、獲物を前にして恐怖する自分を叱咤したものだった。
 今もそうだ。

 だから、大丈夫だ。いつもの発作だ。

 そう自分に言い聞かせて、緊張で難くなりそうな筋肉を何とかほぐし、強張る顔を無理矢理笑わせて自分に余裕を演出してみせた。





 ――よし。



 音を鳴らさないように留意して、Sword Dancerは走りだした。



 ――やれる!!



 勢いのついた体は彼の運命のようなものだった。
 どうにもならない運命に押されるように、彼はこの狩りに身を投じた。

 だが、彼はそうじゃない、と言わないといけない。
 自分が望んだから、と言わないといけない。
 この狩りに彼女は関係ない、と言わないといけない。

 この狩りは悲惨な立場になった彼女を助けるためではなく、

 彼女と共に、尊い未来を掴むために彼が走り出すためのものなのだから。


 だから、Sword Dancerは加速する。
 背を押された運命ではなく、

 ――これは自分で歩む運命だと言うように。



 その一撃は静かな踏み込みで始まり、音も無く抜刀され、秘められた刃の決意と共に、振り上げた刃が意思の高さを軌道の美しさで謳い上げた。

 狙いは“厚顔無知”の右後足。

 前面から攻撃される事を想定しているティガレックスの中でも、鎧の隙間と言うべき柔らかい場所だ。


 必殺は期待していない。
 だが、この一撃が通じないようなら、もはやSword Dancerの太刀はこのティガレックスには通じない。


 かくして、刃は右後足の肉を断つ。
 だが、その一撃は判断をするにはあまりにも中途半端であった。
 斬れるのだが、尋常ならざる硬さの筋肉が刃の侵入を阻み、その一撃は骨には届かなかったのだ。

 心が揺らぐ。
 一瞬。少し。匙の先のような微量の動揺だ。

 ――だが、足が止まる。
 ――思いが止まる。
 ――決意も退転も出来ないまま。


 “厚顔無知”のティガレックスがSword Dancerへ振り向いた。

 自分の身に染み付いた動きで、反射的にSword Dancerは動く。
 自分を攻撃した者の矮小さを笑うかのように、口の端を軽く上げ、一声叫んでティガレックスが走り出した。

 さあ、賽は投げられた。
 勝負はもはや止まらない。
 Sword Dancerは転がる者か?
 それとも走り出す者か?

 終わってみねば分からない。




 後足を攻撃できれば勝機はある。
 傷ついた足はティガレックスの敏捷さを奪い、その上なら柔らかい目や首を狙っていける。
 勝負はいかにして後足を攻撃できるか。

 ――Sword Dancerはそう思っていた。
 ――通常のティガレックスの枠内で。

 だが、“厚顔無知”の名は何故ついたか?



 ”その分『厚』い『顔』の皮は攻撃を寄せ付けず、故に敵『無』し、敗北を『知』らず”



 その怖ろしさは対峙した者が初めて思い知る。



 ラピカはアルフリートにこう言った。

「つまり、“厚顔無知”はランス使いが盾を掲げたまま疾走しているに等しい、防御力を有している」

 アルフリートもそれには肯く。
 だから、彼も“厚顔無知”を倒す際にまず浮かんだのは、

「だから、大勢で取り囲み、隙を見た奴から背後を叩くのがまず思いつく方法だろう。――――あれほどのデカさとなると、その方法も怪しいがね」

「飛竜の大きさは、飛竜の経験をそのまま表す。あの大きさまで成長した奴は、簡単に背後を晒さないだろう。机上では随分と不利だぞ、Sword Dancer」

 アルフリートは笑う。

「うむ、不利だな」

「それにしては助けにもいかないのだな?」


「――勝つのは奴だからな」


 ラピカはアルフリートの自信がまったく持って気に入らなかった。

 理はラピカにある。
 “厚顔無知”は圧倒的な戦力を有し、Sword Dancerの攻撃はおそらく通じない。
 Sword Dancerは負けるしかない状況だ。

 なのに、何故アルフリートはSword Dancerの勝ちを信じるのだろうか?


「解せぬな。アルフリート、勇者とは思い込みで戦うものなのか? なら、その辺に転がっている人の死体が勇者と言うことになる」

 ラピカはアルフリートに突きつけるように言ってやった。

「どう考えようともSword Dancerは“厚顔無知”には勝てない。これが道理だ」

 アルフリートは、「ふむ」と考え込み、言葉を選んで喋り始めた。

「ランス使いの盾は割れないものか?」

 立続けに彼は並べる。

「ボウガンは誤動作を起こさず、弓の弦は切れず、罠を忘れるハンターはいないものか?」

「……何が言いたい?」

「“厚顔無知”の面の皮ですら絶対では無いと言いたいだけだ」


 それだけを言ってアルフリートはだんまりを決めた。
 何を言っても負け惜しみのようにしか聞こえないと分かったからだ。



 切断する武器――――しかも、武器の切れ味に重きを置いて切断する武器は本当に難しい。
 使い手が一流、武器が一流であっても、相互に信用が築かれていなければ、簡単に二流に陥る。

 ――全力で使われてこその武器。
 ――全力を振るってこその勇者。


「信用とは本当に難しいものだな。だが、Blade Dancerですら乗り越えた試練だろう」


「その血を受け継ぐのなら、この決闘にて、血統を持って証明しろ。――Sword Dancer」


 アルフリートの視線の向こうで。
 “厚顔無知”とSword Dancerが戦いを繰り広げていた。





 ――後足が遠い。
 ――狩人を知っている“厚顔無知”。
 ――刹那の間すら油断せず、こちらに自分の前面を向け続ける。


 まず、飛竜を切りつけるための最も大きな隙は突進後だ。
 その身を武器とした体当たりをかわせば、背中が見えるのが道理だ。

 だが、ティガレックスはこの隙を本能で回避した。

 右前足と右後足が地面に爪を立てた。
 右方に急激な制動がかかれば、左方が前に出る。

 結果として、左回りにティガレックスの体は回り、Sword Dancerが追いつく頃には、彼に自分の前面を向けている形となる。

 前面さえ向けてしまえば、後は地面を蹴り、加速して轢くだけだ。
 “轢殺の竜”の二つ名の通り、ティガレックスは体当たりにおいて並ぶ者のいない小回りの良さを発揮し、さらにSword Dancerへ向かう。

 体当たりのモーションは大きく、動きも読みやすくて、単発ならまず当たるようなものではない。
 だが、ティガレックスは本能で十二分にそれを知っている。
 そして、自分の体力が獲物のそれより圧倒的に凌駕していることも、自分が獲物より圧倒的に巨大であることも、獲物が自分よりも圧倒的に脆弱であることも、だ。

 ――体のどこかで獲物を引っ掛ければいい。

 それだけで勝負が決まる。
 さらに、“厚顔無知”は勝負を熟知していた。

 ――油断だけがいけない。

 力を抜いて獲物に襲い掛かった瞬間に、こっちは手痛い反撃を喰らうだろう。
 小さいとは言え、狩人は恐ろしい強敵だ。
 だから、冷静に一回だけ引っ掛ければいい。
 まずはそこからだ。
 焦る必要は、まったくない。

 強者はこちらだ。
 弱者はあっちだ。

 油断さえしなければ、その差は決してひっくり返らない。



 それを熟知しているからこそ、弱者は策を張る。かき回す。混乱させる。

 まず、Sword Dancerは逃げていくアプケノスの背に捕まると、“厚顔無知”から距離をとる。
 もちろん、Sword Dancerを逃がす“厚顔無知”ではない。
 逃げるアプケノスとは段違いのスピードで追いかけると、群れを体で押しのけながら哀れなアプケノスを轢き殺した。

 たった一薙ぎで、生き物がただの肉へと変貌する。

 Sword Dancerはその嵐のような暴力を間一髪かわすと、逃がすまいと首を振って追いかけてくる“厚顔無知”を誘導。
 砦の撃竜砲のような勢いで噛み付いてくる“厚顔無知”をさらにかわすと、Sword Dancerの背後にあった巨岩へ“厚顔無知”が噛み付いた。
 あまりにも鋭いティガレックスの牙は岩に深く食い込み、“厚顔無知”はその岩から離れられなくなった。

 これぞ、Sword Dancerの策。ティガレックスの凶暴さを逆手に取った策だ。

 今、ここに刃が翻る。
 狙いは、鍛えようのない柔らかい首。
 Sword Dancerは勝機とみて、抜刀。“厚顔無知”の首へとその鋭い刃が迫る。




 ――だが、強者はこちらだ。
 ――俺がティガレックスだ。



 “厚顔無知”は鋭く食い込んでしまった巨岩を、全身の力を総動員して持ち上げた。
 人間なら上半身ほどの大きさがある巨岩を、ティガレックスの筋力は――とりわけ老成された“厚顔無知”の筋肉は、いとも簡単に持ち上げた。

「……んな、馬鹿な……」

 これにはさすがのSword Dancerも唖然とする他はない。
 そして、爬虫類特有の裂けた口から漏れる嘲笑と共に、離れないなら砕いてしまえ、とばかりの“厚顔無知”の巨岩によるスタンピングが始まると、さすがのSword Dancerも情けなく逃げるしかなかった。
 巻き添えになったゲネポスが、地面に挟まれてただの血袋になり、怒鎚の如き音と共に血飛沫が辺りに舞った。

 ようやく口の中の岩を破砕した“厚顔無知”が、砂漠の砂を血に染める死体を見下ろすと、その中に例の狩人はいなかった。

 すぐに“厚顔無知”は敵を探す。
 目を回し、耳をそばだて、鼻を鳴らして警戒する。

 だが、死体に隠れている様子もなく、足音どころか衣擦れの音も無く、臭いは血臭のおかげで利きやしない。


 種明かしをすれば、実に簡単だ。

 視界の外にいて、歩行せず、高速で動けば臭いを悟られることもない。
 どうすれば、それが出来るか?





 ――Sword Dancerは、“厚顔無知”が口に嵌っていた岩を振り上げる時に、その岩にしがみついたのだ。

 体は上へ。
 頭上と言う名の視界の外へ。
 足音は風の音となり、臭いは落下する体の上へ置き去りにして、

 ――“厚顔無知”の背中へ、夜刀【月影】を突き立てた。



 悲鳴と言うより爆弾の爆発音に近い、破壊的な音量の咆哮が砂漠に響き渡る。
 伏撃手――Sword Dancerはその才能を遺憾なく発揮し、強敵の弱点を狙い続けた。







 ミカは、ここ最近増え始めた防具の修繕依頼に目を回しながらも、堅実に仕事をこなしていった。
 彼が着ているナルガXが良い宣伝となったのだろう。
 腕を確かめるようにミカの工房へ依頼が来始めたのだ。

 ミカは遅めの朝ごはんを食べるために、太い針から指を守る指輪を外しつつ、イャンクックの甲殻の欠片を片付ける作業に入った。
 堅い甲殻は堅い甲殻で削るのに力が要って難儀するが、中途半端に柔らかい甲殻も削ると大幅に削れて素材を台無しにするから本当に気疲れするなあ、などと思いながらも、出来の良い防具の修繕は自分の腕が少し父に近づいたようで嬉しい。
 柔らかいと言えば、この前作ったナルガクルガもそうだ。
 毛皮と金属を貼り付ける処理が実に難儀する。
 柔らかいものと堅いものは衝撃を加えられたときの動きが違うため、ただ貼り付けるだけでは簡単に剥がれる。
 こういう時は、柔らかい毛皮に動きの遊びを持たせて、動きの違いに対応するのだが、あまり大きい遊びを持たせると今度は鎧が大きくなってかさんでしまう。
 極端にならずに、中間点にこそ正解がある悩みは、職人につき物の悩みだが、それにしてもナルガクルガは苦心した。
 まだまだ改良できる点もたくさんあるので、是非、彼には持って帰ってきて貰わねばならない。


 ふと、時間が多く過ぎてしまったことに気付いて
 仕事の事を考えるとあっという間に時間が過ぎる。
 昼の仕事に遅れるわけにもいかないので、早速食事の支度に取り掛かった。


 近所から分けてもらったパン生地を焼いて、野菜をやりくりし細々とした食事が出来る。
 男三人がこの工房に出入りする時は、こんな量ではなかったが、自分一人ならこんな少ない量でも何とかなる。

 もとより、狩人の消費カロリーは半端ではない。
 満腹になるまで、食事を与え続けていたら、ミカと同じ重さの肉を食い続けるだろう。
 この前、彼が帰ってきた時も凄まじかった。
 ミカが食事を馳走しようと、食事を準備しようとしたら、「これでは足りない」と言い始め、すぐ近場の狩場に行ってアプトノスを狩って来たのだ。
 本来なら、主食は米らしいのだが、ミカのおかずの少ない食事に付け足したかったのだろう。
 たちまち、こんがり肉が食卓に何本も乗ることとなった。
 ただ、問題は二人ともそんなに食べる方ではなかったということだ。

 たちまちミカが満腹になり、彼も青い顔をしながら、せっかくの肉を無駄にすまいと肉を口に運び続けていた。


 その時の彼の顔を、目を細めて笑いながら思い出していたミカは、昼の仕事の時間が近い事を思い出し、食事を黙々と続けた。


 また工房に戻って、午後の修繕の仕事に取り掛かろうと素材を探していると、今度は少し古くなったナルガクルガの素材が出てきた。
 その素材には赤鉛筆と青鉛筆でぐりぐりと鋏を入れる寸法や針を通す位置が書きなぐられており、如何に作るのに苦心したかが語られていた。
 実際にこれを作るのには苦労したのだ。
 彼を数時間も立たせっ放しにして、寸法に一部の狂いもないようにこだわりにこだわったナルガXである。

 全てを仮縫いして着せると、「着心地がすげえ良い」と言っていたがそれも当然だ。
 この工房の技術を全て結集させて作った。悪いわけがないのだ。

 その時の彼の嬉しい顔を思い出して、またミカはくすくすと笑った。



 ――そして、それからミカは、普段からこんなに彼の事を思い出しただろうか、と気づいた。

 ――もしかして、彼は今戦っているのだろうか?
 ――もしかして、彼は今傷ついているのだろうか?
 ――もしかして……。


 次々とifが浮かんでは泣き出したくなった。


 ――ああ、神様。……失敗したって良いんです。
 ――どうか彼を無事にここまで帰してください。


 そう思い、涙を拭うためにナルガクルガの素材を顔で抱きしめた。







 命からがらティガレックスと狩人の始めた死闘から逃げることの出来たゲネポス達は、砂漠の岩場に溜まった雨水で喉を潤すために一箇所に集まっていた。
 ゲネポス達にとってみれば、その戦いに加わることになんら意義も得もない。
 狩人は自分達より強い武器を持っているし、ティガレックスはそもそも全身凶器だ。
 関わり合いになるだけ損というものだ。

 そんな事を思いながらゲネポス達が水を飲んでいると、ふと岩場が緩く振動した。
 そして、それは次の瞬間岩場を揺るがす大音声、さらに岩を粉砕するティガレックスの巨体そのものとしてゲネポス達の前に現れた。

 ティガレックスの背には、太刀を背に突き立てた黒い鎧の人間――さっきの狩人だ。


 ――なんということだ!? せっかく逃げた厄介事が岩場を粉砕してやって来たのだ!?


 混乱に陥ったゲネポス達は、せめて組み易しとみた狩人に一斉に襲い掛かる。


 だが、狩人が無造作に太刀を振るい、進行方向の邪魔者を腕を振るって払いのけるティガレックスの前には、雑魚も同然だった。



「おおおおおおおおおっっ!!」

「Baaaaaaaaaaaaaa!!」


 砂漠に混乱を招く両者は、互いが口から気迫と燃え上がる意気を吐いて、再度の激突を果たす。




 Sword Dancerは自分が劣勢である事を十分に理解していた。
 正面からの攻撃は、あの硬く分厚い皮膚が太刀を阻んで決定打とはならない。
 後足と背の攻撃は有効だが、不意をつかぬ限り何度もやらせてはくれないだろう。
 ティガレックスこそが強者で、自分こそが弱者であることにはなんら変わりはない。

 ――なら見せてやるまでさ、弱者なりの戦いって奴をな!


「おおおおおおおおおっっ!!」

「Baaaaaaaaaaaaaa!!」


 互いに気を吐いて、気を昂らせた“厚顔無知”のティガレックスがまた走り出す時、

 Sword Dancerは太刀を納刀して、背後へと走り出した!

 当然、“厚顔無知”は追いかけてくる。
 しかも、Sword Dancerの目の前には壁が迫りつつあった。

 ――だが、ゲネポスやアプケノスじゃこんな動きは出来ねえぜ!?

 壁へと正面衝突する寸前に、Sword Dancerは壁に向かって跳躍、さらに壁を蹴って跳躍。
 瞬時に二段跳躍を行うことで、体高3m以上の巨大生物の高さを超えて、“厚顔無知”を体の下へやり過ごす!

 “厚顔無知”はその巨体ゆえに制動が利かず、頭から壁にぶつかった。


 ――しかし、ここからがSword Dancerの想定外だった。


 砂漠の急激な温度差で脆くなっていたのか? それとも“厚顔無知”のパワーが常識の外にあるのか?
 ぶつかった壁をぶち抜いて、背後を攻撃しようとしたSword Dancerから大きく離れたのだ!

 爪を地面に突き立てて振り向いた“厚顔無知”は嘲笑う。


 ――どうした、弱者? 間抜け面なんかしてよ?


 そして、右前足が飛散した壁の欠片をまとめて薙ぎ払う。
 薙ぎ払われた壁の欠片はそのまま散弾のように広がり、数十個という数をもってSword Dancerの逃げ場を埋めて、襲い掛かる。
 並みの狩人なら、ここで蜂の巣。そうでなくとも怪我は免れない圧倒的物量による攻撃だ!


 ――――だから、Sword Dancerはよく見る。


 狙わずに投げた攻撃は雑だ。
 圧倒的な物量でも必ず広がりにムラがある。
 どんな超高速物体も捉える動体視力。
 完全静止から最大速力までの加速を刹那の間で行える体のバネ。
 どんな巨大生物に殴られようと見失うことはない安定した重心が、壁散弾の圧倒的物量による攻撃の隙間を、鋭角に身を運ぶことですり抜ける。


 壁散弾を卓越した身のこなしでかわしたSword Dancerは、巨岩の後ろへと身を隠した。
 もちろん、こんなことで“厚顔無知”から逃げられるとは思ってはいない。
 身を隠した上で、さらに他の岩に身を隠し、さらにさらにその上で、今まで走ってきた足跡を『踏み直して』横に跳躍、別の岩に隠れた。


 すぐに巨岩が“厚顔無知”の暴君級破壊力によって破壊され、視覚でSword Dancerの姿を追いかけようとして見つからず、すぐに嗅覚に切り替えてSword Dancerを追いかける。
 いた。
 足跡は“厚顔無知”の凶暴な破壊力の前に霧散している。
 追いかけるのは、走ることによって足が砂に落とすSword Dancerの臭いだ。
 それを追いかければ、岩の後ろに隠れていることが“厚顔無知”に分かる。


 ――当然、“厚顔無知”はそれが出来ることを、Sword Dancerも知っている。


 だから、自分の足跡を踏み直して、“厚顔無知”の嗅覚を誘導。
 “バックスタッブ”と呼ばれる、追跡者を撒くために野生動物が取る行動だ。
 本来なら、逃げるための行動だが、狩人はこれを獲物を嵌める為の策としても使う。
 自分が隠れているものとは別の岩を攻撃させて、その隙に柔らかい場所を斬るのだ。


 “厚顔無知”は哂う。
 圧倒的強者の傲岸不遜そのものの笑み。
 目の前の生命全てが弱者だと理解し切っている笑み。
 それがティガレックスの生態だとしても、見る者全てが蔑まれている様に感じるであろう笑い顔。

 Sword Dancerは抗う。
 心に秘めるのは狩人の誇り。
 弱者が練りに練った技と研鑽された太刀筋。
 それを持って、ティガレックスに立ち向かう。



 そして、“厚顔無知”が左前足を振り上げた。

 獲物が放つ攻撃の瞬間こそ、絶対に不意打ちを避けれぬ好機!
 Sword Dancerが静寂そのものと化して、一番最初に不意を打った右後足にさらなる一撃を叩き込むために近づいた。


 だが、次の瞬間。
 その場に生じた違和感を、瞬時に感じ取ったSword Dancerは前進する事をやめた。

 違和感。
 それは静寂だ。

 おかしい。
 “厚顔無知”が岩を攻撃したのならば、それは破砕音としてこちらに聞こえるはずだ。

 おかしい。
 “厚顔無知”はこちらの居場所を知らない。
 ――だが、何故ゆえに、「ほら、やっぱりそうだ」と言わんばかりに笑みを強くしたのか?


 疑問に答えを出すより先に、Sword Dancerはその場から逃げた。
 しかし、疑問を感じさせるより先に、“厚顔無知”のティガレックスの巨体が嵐のような速度で、真円を描く!
 高速移動により発生する砂煙を置き去りにして、Sword Dancerに迫るのはティガレックスの尾だ。
 かろうじて、かする程度にまで逃げることは出来たが、それでも威力は巨木でぶん殴られたに等しい。


 10mは地面と水平に吹っ飛ばされ、5mは砂地を転がり、岩にぶつかってようやく止まった。
 飛ばされている最中に岩がなかったのは僥倖だ。あったら衝撃で骨や内臓に異常が出ただろう。


 そして、Sword Dancerの視線の先で“厚顔無知”は嘲笑う。
 知ってるぞ、と。
 弱者の手管は皆知っている、と。

 “厚顔無知”は蔑み笑う。
 知ってるぞ。

 お前は悲しいまでに弱者で。
 俺が喜ばしいぐらい強者である事を。


 “厚顔無知”は笑う。
 弱者に思い知らせるために。

 ――俺が強者だ!
 ――俺がティガレックスだ!

 その一点を犠牲者に思い知らせるために。



[17730] 第二話「刃と踊れ」 9
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/08 07:36
 その出来事はどことも知れぬ彼方からやってきた。

「何をやっているんだ、馬鹿息子。いつになったら、左足の親指の力を抜けるんだ。太刀筋がぶれるとあれだけ言ってたろう」
「そうは言っても、一朝一夕で抜けるもんじゃないだろう。親父は無茶振りが多すぎる」
「文句ばっかり言ってんじゃない。無茶振りに応えてこそ……」
「それでこその狩人、と言いたいんだろう? もう耳タコだぜ?」
「生意気な口ばっかり鍛えずに、ちっとは太刀を振れ。もう千回だ!」
「うげぇー!?」
「返事は、はい、だ。それ以外認めん」
「はーい……」

 (若干の間)

「……なあ、親父」
「口を動かす時は剣を振りながらだ」
「やってるよ、なあ、親父。これだけ練習してて、もし全力を出せなかったらどうするんだ? 俺の太刀筋が、全部無駄になったとしたら、どうするんだ?」
「うむ、無駄だな」
「無駄なのかよ!?」
「所詮、狩人の技なんて材料と飯作るための技だからなあ? 死んじまえばお仕舞いさ。今更驚くことじゃねえ」
「むう、全力出せなきゃ仕舞いの剣か……」
「だから、俺達は実力の六割で勝負する。それがブレもなく出せる実力だからな。いざと言う時に凄まじい技を出すよりも、安定して強い方が偉い」
「……そんなんで飛竜に勝てるのかよ?」
「そりゃあ、お前がケツの青いヒヨっ子だからな」

 その言葉だけは確かにブレも揺らぎも無く、正確な調子で口から流れ出た。

「六割で『俺達』は勝つ」
「『俺達』?」
「ああ、俺と工房の親方の作った太刀は最高だ。俺達は飛竜より強い」
「親父はいつもそればっかりだな」
「それが俺達の真実だからな。分からないお前が哀れでたまらないな……俺の息子の癖に」
「畜生、いつか見てろ!」

 その時、親父は笑った。
 きっと親父は見えていたのだろう。
 自分の歩いてきた道と言う奴が。
 そして、親父は先達者ゆえに見えていたのだ。
 俺の歩いている道が。
 自分の歩いている道を踏みながらも、自分で決めて歩いていることが。

 頼もしくてしょうがなくて、だから、親父は笑ったのだ。


「おう、待っているぜ」


 その笑顔は届かないものとなってしまったが。
 手を伸ばして、いつか超えると決めた気持ちは、今も胸の中にあるのだ。






 Sword Dancerは今日何度目、いや何十度目になる“厚顔無知”の体当たりが体をかすめ、また数m吹っ飛ばされたのを思い出した。
 一時、遠い夢を見ていた意識を無理矢理覚醒させて、地面に突っ伏していた顔を上げる。
 体はボロボロだ。

 足は打撲であらゆる場所が痛く、疲労は鎖のように重い。
 手は吹っ飛ばされた際のすりむきで手袋が破れ、擦過傷で握るのすら痛い。
 腕は鉛でも貼り付けられたかのように動かない。
 体においては言うに及ばず、この場からいますぐ逃げろと訴える痛みと、もう寝たいという甘い誘惑をささやき続ける疲労が混声合唱となって不快感を歌う。

 もはや不意を打つ策も、罠も、道具も、種切れになりそうだった。

 勝ち目は、ほとんどない。
 勝率が0じゃあないという確信だけで、Sword Dancerはこの場に立っていた。

 何故、0ではないのか?

 Sword Dancerは思う。

 俺の妄想か?
 それとも希望的観測か?
 親父もめでたい頭をしていたが、俺もそれが伝染したのか?
 勝ち目は無い、それが真実のはずだ。
 俺の太刀筋は通じず、俺の力は通じず、俺の技も策も通じなかった。
 この後において何が通じるというのか? 


 何も分からぬまま、Sword Dancerは顔を上げた。



 ――すると、そこには真実の黒があった。
 ――偽りの無い純粋な黒、自然界には存在しない混沌たる色を排した黒。
 ――鍛え上げねば存在しない刃の暗黒だ。
 ――鋼鉄の表情の無い無機質さと違い、生命の水気を帯びた輝きとも違う。
 ――指向性をもって練り上げられた技術の粋だ。


 おそらく、その黒は“厚顔無知”に吹っ飛ばされた時に手放してしまったのだろう。
 それは眼前の大地に突き刺さり、Sword Dancerの傍らにあり続けた。
 その黒の名前こそ、夜刀【月影】。
 Sword Dancerの太刀にして、何よりも頼りにしている相棒。
 自分と共に磨耗していくべき相棒。
 

 Sword Dancerは思う。

 ――ああ、これだ、と。

 自分は満身創痍そのものだが、夜刀【月影】はその変わらぬ美しさで俺の傍らに在り続けてくれる。
 自分を使え、と在り続けてくれる。


『ああ、俺と工房の親方の作った太刀は最高だ。俺達は飛竜より強い』


 ――親父、今ならアンタの気持ちが良く分かる。
 ――こんな美しいものをアンタは知っていたんだな?

 そして、彼女は言っていたのだ。
 俺を信じて、この太刀を託してくれたのだ。
 その言葉が脳裏に蘇る。


「ヨシゾウちゃんなら……絶対出来るよッ!」


 その言葉と共に、“Sword Dancer”ヨシゾウは夜刀【月影】を手に取った。



 だが、すでに眼前まで“厚顔無知”のティガレックスは近づいており、ヨシゾウを轢き殺そうと全力で疾駆し、駆け抜けた。









「……終わったか」

 轟風が駆け抜け、砂塵が舞う砂漠を見下ろしながら、ラピカは厳かに告げた。
 狩人が死ぬのを見るのはいつだって良いことではない。
 だが、狩る獲物を決めるのは狩人の最大の自由と言っても良い。
 ラピカにSword Dancerを止める義理も義務も無い今、その冥福を祈るだけだ。

「随分とあっさりとした終わりだな。助ける暇も無かったぞ」

 だが、ラピカの前に立つ不条理そのものを体現した男は、相変わらず笑っていた。

「そうだな、見たまえ」

 “Striker”アルフリートは砂塵の中を指差した。
 細かい砂が空気中を舞う砂塵の中で、そこだけがまるで清浄なる空気のように何も無かった。

 ――それはまるで斬撃の一閃――。

「……ッ!?」

 ラピカはその事実に気付くと、その砂塵から目が離せなくなった。


『 心で憶えている 技と鋼の歌よ』


 そして、流れる歌があった。
 ゆっくりとした流れで、勇壮に始まるその歌の名は「英雄の証」。


『 紅の鉄を 見続けてきた日々よ』


 武器工に伝わるこの歌は、「鍛冶屋の英雄の証」と呼ばれた。


 アルフリートが笑って言った。


「助ける暇も無ければ、助ける必要もない。戦いはこれからで、勝つのはアイツだ」






 全長20mを超える巨体が、風の速度で空気と砂を蹴散らしながら、全てを轢き殺すために疾走する。
 2mはある巨大な足が地面を踏むたびに、大地の悲鳴が轟音となって辺りの空気を揺らす。
 40cmの眼球が、爬虫類独特の細い瞳で獲物に狙いを定め、その下にある耳孔まで裂けた口が這いつくばった獲物を潰せる喜びに吠えた。


「Baaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」


 時速70kmの速度で疾駆する巨体は、その速度でありながらも眼前の獲物を見失わない。
 最高時速154kmで急降下するオオグンカンドリが決して獲物を見失わないのと同様、自分の速度で獲物を見失う生物はいない。
 それは、人間程度の速度なら決して見失わない事を意味する。
 だが、どんなに高い最高速度とそれに見合った動体視力を持つ鳥類でも、必ず事故は起こす。


 脆弱な弱者が、よろよろと立ち上がりながら、弱りきった動作でゆっくりと自分の牙を手に取った。


 ――弱者め、お前はもう終わりだ。
 ――小賢しい策でこうも梃子摺らせてくれたが、お前はもう終わりだ。
 ――歯が立たない牙にいくら頼ろうと無駄だ、お前はもう終わりだ。


 眼前の弱者が、諦めるかのように息をついた。
 それは“厚顔無知”のティガレックスにとって、観念した獲物が自ら命を絶って動かなくなってしまうような所作に見えたのだろう。
 強者は全力で息を吸うものだから。
 湧き出るままに力を振るい、能力を最大限に活かせば、勝利の方から転がってくるものだから。


 強者は強い。
 弱者は弱い。


 ――だが、その強弱は勝負を確実に決する要素と成り得ない。
 ――何故なら、強者でも死ぬからだ。



 巨大で、傲慢で、獰猛な、轟風が、

 惰弱で、矮小で、脆弱な、そよ風を捉えきれず、目の前から見失った。


「ッ!!??」


 “厚顔無知”が見失った驚きに駆られるまま、足を砂に噛ませて振り向こうと力を入れた。
 しかし、痛みはその瞬間に来た。
 今まで、傷つけられることの無かった右前足に一筋の赤い線が走り、手、腕、肩、首と駆け上がってきた痛みが“厚顔無知”の口を割って飛び出した。



「Gyyyyyaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」



 そして、“厚顔無知”の巻き上げた砂煙があの弱者の姿を隠した。
 “厚顔無知”は酷く自分を苛立たしくさせる衝動と共に、顔面を怒りで朱に染めながら、砂煙の向こうを見ようと目を巡らせる。
 しかし、見つからない。あの弱者の身を隠す技は本当に鬱陶しい。


『 心で憶えている 技と鋼の歌よ』

『 紅の鉄を 見続けてきた日々よ』


 さらに、弱者の歌が“厚顔無知”の怒りに油を注いだ。
 それでも、あの弱者は歌う。
 忌々しい歌を。
 あの弱々しい姿で。


『 炎よ 我が前で燃え盛れ 赤き手を伸ばし』


 ティガレックスがまた動き出す。
 ティガレックスの突進速度は吹く風を置き去りにするほど凄まじいものだ。
 しかし、速度が速いことは必ずしも必中とは限らない。


『 力よ 我が鎚に宿れ 形を成すために』


 四足歩行の獣は、全体が常に動いているわけではない。
 地面を蹴るための蹴り足を後ろに置きながら動かねばならない。
 つまり、左足を前に出すのなら、確実に右足が動きを止めており、


『 堅き鉱石に 形を与え 力とすることが』


 右足を前進させるために、止まっている左足目がけて『踏み込み』、
 自分の10倍以上の巨体を『意に介さず』、
 その相対速度と刃の鋭さをもって左前足を『斬りつけ』、
 時速70kmの必殺の塊と言ってもいいティガレックスを『寸前でかわす』。


『 ――匠の証』


 そのあまりにも鮮やかな交差法の剣技に、ティガレックスは気付けない。
 触ったことすら気付かれぬこの微風の剣術は、“厚顔無知”のティガレックスに突進を容易にさせぬ効果があった。

 自分の取る戦術が通じず、
 自分の武器が幾度放てども当たらず、
 頼りにしていた前面の外皮は破られ、
 しかし、相手の攻撃だけが当たって、自分だけが追い詰められる感覚。

 絶対強者であるティガレックスにとって、それは初めての経験だった。

 ――『敗北の予感』という、強者には一切無縁の感情が“厚顔無知”のティガレックスを追い立てていた。




『 鋼よ 我が技に応えよ 輝きとなり』


 “Sword Dancer”ヨシゾウは記憶と憧れの中で思い起こす。


『 刃よ 鋭さを現せ 万物を断て』


 ミカが打ってくれた夜刀【月影】の一鎚、一鎚を。
 炎の勢いに屈することなく、伸ばされた美しい背を。
 容易に形を整えぬ鋼を相手に、丁寧に目を配る様子を。


 ――突進が利かぬとみた“厚顔無知”が、接近してきたヨシゾウがどこにいようと、吹き飛ばせるように竜巻の如き勢いで体を回す。
 ――だが、それも既にヨシゾウの戦術には、折り込み済みだ。


『 赤く 強き 炎が友よ 』


 ――今のヨシゾウは、前よりも『半歩』前へ進める。
 ――その『半歩』の差が、“厚顔無知”の回転攻撃の外へ紙一重で踏み出させた。
 ――顔を引いたために、前に流れる髪をかすめて、ティガレックスの尻尾がヨシゾウの眼前を通る。


『 堅く 揺るがぬ 鋼が我が身 』


 “厚顔無知”、お前は強者だから。
 一世代で強さを築いたから知らないのだろう?

 俺の体が誰にしごかれたか?
 俺の技は誰に練られたものか?
 そして、この太刀がどんなに美しい過程をおいて作られたか? 


『 技は続く 血と肉を越えて 』


 ――宙を舞った尻尾は、“厚顔無知”の近くにあった岩を粉々に砕いた。
 ――“厚顔無知”は抜け目無く、その岩の破片を左手で振り抜き、破片の散弾としてヨシゾウを狙う。
 ――それは隙間すら存在しない暴君が放つに相応しい、圧倒的物量による力の嵐だ。

 ――――だから、Sword Dancerはよく見る。

 ――圧倒的物量だろうが、隙間が無かろうが、必ず弾幕にはムラがある。
 ――破片の散弾の薄い場所を見抜き、強く鋭い薄刃の一閃。
 ――斬撃の後に作り上げた空白へ疾駆。まさに、窮地を“斬り抜ける”! 


『 先達が築いた 力への想い 』


 この太刀を作った人間はどんなに誠実に仕事をこなしたか。
 どんな思いでこれを打ったか。
 そして、その姿がどんなに美しいか。

 ――“厚顔無知”のティガレックス、たった一つの固体であるお前には、『俺達』はきっと理解出来ない。


『 担い手達の身を案じ その手にあるは 待つ者の願い 』


 先人から受け継がれた技への想いと、鍛冶達が受け継いだ力への思いをその背に背負い。
 圧倒的暴力を振るう絶対強者を前にして。


『 滴よ 肌を禊たまえ 柔らかく 優しく 』


 Sword Dancerは刃と踊る。


『 黒金よ 姿を現せ 我が成果をここへ 』


 彩りは血飛沫で。
 描く線は直線で。
 思いを一つに、ただ前へ。

 ――帰るんだ。
 ――勝利を掴んで、帰るんだ!!





 だが、勝負はこれで終わらなかった。
 追い詰められた“厚顔無知”のティガレックスは、ついに自分の切り札を切った。

 それはティガレックスの最大の武器である『走行』を活かしたもので、人間に出来る芸当ではなかった。

 やっていることは単純だ。



「Baaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」



 吠え走る。
 それだけだ。

 だが、ここは砂漠であり、猛烈なスピードでヨシゾウの周りをひた走れば、巻き上がる砂煙が、闇よりも分厚い緞帳となってヨシゾウの視界を阻んだ。
 猛烈な叫びが辺りの岩山に反響して、ヨシゾウの聴覚を混乱。
 “厚顔無知”の居場所を特定させない。

 “厚顔無知”がヨシゾウの居場所を特定するのは単純だ。
 “厚顔無知”がヨシゾウの周りを疾走している以上、自分の体にヨシゾウがぶち当たらなければ、その回転の中心にヨシゾウがいる。


 やっていることは単純だ。
 だが、その非常識な身体能力は人間には及びもつかない。
 もはや自然災害のそれと同じ現象をただの個体が作り上げるこの現実にヨシゾウの足が止まる。
 動くことは許されない。
 ここが今一瞬だけ平穏を約束された台風の目だ。“厚顔無知”の気まぐれで崩れてしまうが、外に踏み出すより安全だ。

 そして、ヨシゾウは気付いてしまう。
 この“厚顔無知”の作り出した竜巻に囚われてしまった自分の命は、今“厚顔無知”によって握られてしまっているという事実だ。

 ――どうだ、弱者め。
 ――手の平で随分好き勝手に踊ってくれたな、弱者め。
 ――だが、お前などこの程度だ。
 ――俺が手の平を握ればいつでも押し潰せる!!


 自分の生殺与奪を完全に握られて、歌が止まる。
 『英雄の証』が止む。
 ティガレックスの走行音と咆哮が。
 Sword Dancerから踊る足と武器と――そして、何より意思を奪おうとしていた。





「なるほど、あれが“厚顔無知”の奥の手というわけか……」

 ラピカは巻き上がった砂煙と走行音から、“厚顔無知”が何をしているかを悟った。
 彼女は、今安堵しいていた。
 もし、初見であの技を繰り出されれば、ギルドナイトと言えど容易に克服は出来まい。
 見た今なら対策を思いつくことが出来よう。

 ――感謝すべきは、Sword Dancerの実力と言うべきか……。

 あの劣勢から尊敬に値するほどの攻勢に転じていた。
 “厚顔無知”のティガレックスは追い詰められてあの技を使わざるを得なくなったのだ。
 唯一惜しむらくはたった一人で挑んだことだろう。
 仲間がいたのなら結果は違ったのかもしれない。
 だが……、

「助け出すのはもう不可能だな。あの砂煙に隠されていたのでは、閃光玉を投げても通じまい」

 アルフリートが冷静に告げた。
 ラピカがその言葉を繋げる。

「我々は感謝するべきだな、あの技は一度見なければ、何人で挑もうと全滅するだろう。Sword Dancerに感謝せねば……」



「だが、奴ならあそこから生還するだろう」


 ラピカは今度こそアルフリートの言う言葉の意味が分からなかった。


「どうしてだ?」

「ほとんどは勘だ。まあ、十中八九死ぬような状況だが、あれは意外と生きているような気がする。その程度だよ」

「そんな曖昧な言葉をよく口に出来るな?」

「奴は死ぬわけにはいかないからだよ」

 そう言って、アルフリートは拳を握った。

「私は勝負で人を殴るときは殺す気で殴る。だが、奴の体はどんな方法を使ったのか、完全に『弛緩』していた」

 アルフリートは言葉を続ける。

「つまり、奴は全力で殺意をぶち当てられようと、最適の状態でいられるという事だ」

「では、人間の最適は、ティガレックスの最高に勝てるのか?」

 ラピカがその問いをアルフリートにぶつけた。
 アルフリートは苦笑するしかなかった。


「『たまに勝っても良いんじゃないか?』ぐらいには思っている」





 砂煙の包囲が狭まる。
 決戦の時は近かった。
 それはヨシゾウが本当に命を賭けなければならない瞬間だ。
 しかも、非常に分の悪い賭けだ。

 ――親父は、そこで負けたから。……死んじまった。

 あの現場に残っているのは折れた太刀と防具、そしてオオナヅチの尻尾だけだ。
 死体がないから、本当はどうか分からない。
 しかし、オオナヅチの尻尾の美しいまでにはっきりとした断面が何よりも語っている。

 ――親父は命がけの勝負で、逃げるような無様はしない!


『 力を理解し 造りを見通し 』

 歌う。
 生き様を貫くために。
 心の中にある師としての父と、大好きなミカを信じるために。

『 共に歩む者こそ 』 

 歌う。
 絶対強者すらこの思いは奪わせないと。
 暴君の竜巻の中で。
 安堵よりも闘志を。
 平穏より戦う意思を宿して、Sword Dancerは自分が踊るための歌を歌う。

 その歌の名こそ――――


『 ――英雄の証 』


 ヨシゾウには、“厚顔無知”の居場所を特定する唯一の方法がある。

 それは、“厚顔無知”の包囲から出る事だ。
 “厚顔無知”は自分の包囲から出ようとする者には容赦なく襲ってくるだろう。
 その瞬間さえ分かれば、“厚顔無知”を捉えることは出来る。

 しかし、相手を知覚できないとは、回避することが不可能ということだ。
 だから、勝負は一撃で決まる。

 “厚顔無知”のティガレックスの体か。
 “Sword Dancer”ヨシゾウの夜刀【月影】か。

 優れた方が生き残る! 


 今、静かな闘志を燃やす微風が、圧倒的暴力を宿した轟風を呼び寄せた。

 全身にてSword Dancerを轢殺せんと、物理的な威力になるまで高められた殺意が、嵐になって彼の体を、轟と叩いた。
 しかし、“Sword Dancer”ヨシゾウは刀の切っ先を静かに右に下げ、あくまで当然として“厚顔無知”に言葉を放った!



「俺の太刀に切れぬものなど、ないッ!!」



 今、微風と轟風の運命が交錯し、その行き先は竜巻のごとく渦巻いて、高まった!






 ラピカとアルフリートは、砂煙の中からSword Dancerが吹っ飛ばされて出てきたのを見た。
 高さにして3m、距離にして15m。
 Sword Dancerは反射的に受身を取っていたが、問題なのはその手にある太刀だ。
 二人とも、それを見て同じ言葉を叫んだ。

『負けたか!?』

 ――夜刀【月影】はその半ばから折れ、その刀身には幾つものヒビが走っていた。


 砂煙から、Sword Dancerを追いかけて“厚顔無知”のティガレックスが姿を現した。



 ――その瞬間に、二人の考えは覆る。
 ――追いかけてきた“厚顔無知”には、






 ――首が無かったのだ。


「…………ッッ!?」


 あまりにも非常識な決着の着き方に、二人とも言葉を失い、「活け作り」された魚のように、首を斬られた事に気付かぬまま走り続ける“厚顔無知”の胴体をみていた。
 砂煙が落ち着く頃になって、その体はようやく力を失って地面に倒れ、砂煙の中に置き去りにしてきたティガレックスの首が露わになった。

 だが、それを実行した当の本人である“Sword Dancer”ヨシゾウは、


「うわーーーーーー、やっちまった! ミカになんて顔して会えばいいんだ、畜生!?」


 自分の刀の惨状を嘆きながら、折れた刀身を探していた。

 “Striker”アルフリートは、ヨシゾウの狩りの結果やそれでもいまいち締まらない彼に、圧倒的な頼もしさと爽快感を感じながら、

「付き合え、ラピカ。あのティガレックスを運ぶ手伝いをしてやろう」

「なんで、私が!?」

「その手に握らされた汗の分だ、悪くない理由だろう?」

 そう言われて“Typhoon”ラピカは、自分が手を握っていることに気付いた。
 その手は緊張のあまりきつく握られ、手の平は汗でしっとりと濡れている。
 『きっと滾る戦い』。アルフリートの言葉通りの戦いがここで行われた。
 それを証明する事実の一端を突きつけられるのが嫌で、ラピカはそれを打ち消すために外套の端で汗を拭った。

「待て、Sword Dancerはアプケロスを連れてきているはずだ。まずはそれを連れてこよう!」

 仕方なく、ティガレックスを運び出す手伝いをしてやろう、と思った。







 こうして、“Sword Dancer”ヨシゾウはBlade Dancerからの正当なる太刀使いとしての技と心を受け継ぎ、
 ミカという偉大なる技を受け継いだ鍛冶と共に、
 “厚顔無知”のティガレックスを倒し、
 二人の名前は狩人の世界の歴史に刻まれることとなった。


 これにて、この物語は一件落着と相成るわけだが、
 最後に、一幕だけ。



 酷く所在無げな顔をしながら、ヨシゾウは工房へと入っていった。
 その顔は“厚顔無知”を相手にする時より頼りない。何せ、攻略法の確立していない相手だ。
 とりあえず、挨拶は入れないと話が始まらない。

「……た、ただいま~~」

 挨拶をしてからヨシゾウは気付く。
 ダメだ、これでは初手から敗北に向かっている!

「あ、おかえりー」

 工房の奥からいつもと変わらない笑顔が、ヨシゾウの帰りを迎えてくれた。

 ――ああ、いつもと変わらない笑顔が妙に心に痛い。
 ――なにせ、『俺の振る武器は、きっと折れない』なんて言った後で、武器を大破させたからなあ……。

 そうやって、ヨシゾウが迷っていると、ミカが無造作にこちらに手を伸ばしてきた。

「ほら、鎧の修繕でしょ? すごい傷ついているもんねえ。でも、その程度なら一日で元通りだよ!」

「い、いや、これもそうなんだが、ヤバイのはこっちなんだ」

 ヨシゾウはどうせ怒られるのだから早いほうが良いと、折れた夜刀【月影】をミカに押し付けた。
 鞘の中の太刀をみたミカは、唖然として動きを止めた。
 それもそうだ、夜刀【月影】は折れ、残った刀身も細かいヒビが無数に走っている。
 折れないと約束した結果がこれでは、さぞかしミカも腹を立てていることだろう、と。ヨシゾウは顔色を窺うように声をかけた。

「なあ、ミカ……」

 すると、ミカは唐突にヨシゾウに抱きついた。

「うお!? ……おっ?」

 抱きつかれた、とヨシゾウが思ったが、どうやら違うらしい。
 体の輪郭を確認するように、肩、腕、足と触って、ミカは驚くように言った。

「両手両足ついてる!? 負けたんじゃあなかったの!?」

 この言い様にはヨシゾウのほうが呆れた。

「勝ったよ、馬鹿野郎!」

「嘘!? 太刀使いって、こんなに武器壊したらもう負けなんじゃあないの!?」

「体重10tの飛竜と、正面から斬り合いして勝ったんだ! 嘘だと思うんなら、表行け!」

 表に出て行ったミカは、出て行くときよりさらに目を輝かせて帰ってきた。

「ねえねえねえねえねえねえねえねえ」

「ねえは二回で良いだろ!? なんだよ?」

「あれで新しい太刀とか作るの?」

 ヨシゾウはすぐに自分の意を汲み取ってくれる相棒に、笑顔で答えた。

「おう、もちろんオーダーメイドだ。今度は折れない武器を作ってくれ」

「おう、もちろん。今度はグラビモス殴っても折れない太刀を作って差し上げよう!」

 笑顔を交わしながら、ヨシゾウとミカはまたいつものやり取りを取り戻した。
 それは誇りを交わす連綿と続く太刀使いと鍛冶屋のやり取り。

 武器はその存在と理念において矛盾している。

 武器を作る事は、壊れない武器を作ることで。
 武器を使う事は、武器を壊す工程だ。
 だが、彼らは昔からその命題に立ち向かい、答えと結果を出し続けてきた。

 それは製作者と使用者の固い絆だ。
 使用者を信用することが、製作者の全力を引き出し、
 製作者を信用することが、使用者の全力を引き出す。

 それはお互いが笑顔でいたいと願う心の現われだ。
 それこそが、人が人である証明であり、人間の強さとも言える。


 今日も“Sword Dancer”ヨシゾウは野を駆ける。
 大好きなミカのために。
 大好きな親方と親父のために。

 自分を発揮して、のびのびと――――。






 第二話 「刃と踊れ」 了




 次回予告


 ――ガンナーは狙う。
 ――照星の先の目標に向けて、まっすぐと。
 ――しかし、物理法則の全てが。
 ――人さえもが、ガンナーの敵となって弾丸の狙いを反らす。
 ――だから、ガンナーは世の全てを憎む。

 ――だが、世の全てを憎んで、得られるものなどあるだろうか?


 Monster Hunter ~~Soul Striker~~


 第三話 『まごころの弾丸』


「……必ず、当てる」


 Coming soon――



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 1
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/09 05:58

 弾丸はまっすぐ飛ばない。


 弾丸の形状、銃身の細かいバリ、空気抵抗、爆発エネルギーの拡散、重力、コリオリ力、そのほか諸々の計測不能の要素が弾丸に絡み、とてもではないが、銃から発射された弾丸はまっすぐ飛ぶことは出来ない。
 射手の狙いは常に正確でなければ、弾丸はその目的を果たすことは出来ない。

 だが、この物理法則の中では射手自体すらも、弾丸の目的を阻む要素と成りうる。
 筋肉は気温や天候、刺激により絶えず動き、生存のために必要な呼吸は体を常に揺らす要素となる。
 目は常に錯覚と光の揺らぎに苛まれ、無機質の銃身とは違う有機質の手は銃と一体化することはなりえない。

 銃弾を目標に届かせる作業とは、あらゆる物理的障害を乗り越え、射手の精神状態が磐石であることによってはじめて到達する。
 数を撃って幸運に任せる「まぐれ当たり」と、あらゆる障害を自分の腕でねじ伏せて狙い撃つ事は、完全に別の作業である。

 故に、銃は人間がその知恵を持って手に入れた「自分の手より長い手」である。
 正しき整備、正しき運用、そして、正しく狙いをつけられる人間は、扱いを間違えれば自分の体すら傷つけかねない危険物を操る知識と知恵を持っている人間である。

 だから、真のガンナーは誇り高い。
 その目標を狙い撃つ為に、誠実に、正しく、慎重に仕事をこなす人間であり、揺らぎなき我を持って事に当たり、あらゆる苦難を乗り越えれる真の英雄である。


                         ――――王立研究員 ガンボルト・バーゼ
                            「~~その視線の先に~~」より抜粋





 あたしの家はガンナー一家だ。
 親父もガンナー、弟もガンナー、兄貴もガンナー、母もガンナー、ついでに姉貴と妹もガンナーときたもんだ。

 一体誰が家事やっているんだろう?

 小さい頃はそれが不思議でしょうがなかったけど、大きくなれば自然と分かった。
 6時に起きて朝の用意と炊事。
 朝食を食べ終わった7時に、銃の整備を始め、9時までには弾丸の調合も済ます。
 弾丸に炸薬を詰めるのは、小さい時は子供の仕事。
 それでも、湿気っていたりすれば、夕方には親父に怒鳴られる。だから、本気の狩りに行く時は、前の日から親父が直々に弾頭を薬莢に込める。
 狩りの真剣さの登竜門は、弾丸を作っている親父の後ろ姿で、妥協も隙間も無く作られた完全な弾丸の美しさを、あたしは飽きることなくずっとみていた。


 9時から、ガンナー一家のあたし達は外に出る。
 子供の役割はキャンプの設営だ。母親と一緒に、父と兄が探したキャンプ地でキャンプを作る。
 キャンプを作るときは、皆わきあいあいとしたものだったけど、キャンプ地を選定する時がたまらなかった。
 親父と兄貴はキャンプ地を決める時に酷く緊張する。
 それはそうだ、飛竜は狩人が自分の縄張りに入った事を、『理由が無くても』知っている。
 知った以上、飛竜は侵入者を探し始める。
 狩場に入った狩人を、逆に奇襲した飛竜の話は、今でも枚挙に暇がない。

 だから、ウチの一家は飛竜の縄張りに入る時は誰も声を立てない。
 親父と兄貴の先導に従って、ひりつくような緊張感の中、狩場に入る。
 あたし達はそうやって、この仕事が命がけだという事を学ぶ。

 お昼を過ぎると、あたし達の仕事は無くなる。
 親父と母と兄貴は、三人で狩りに行き、夕方には狩りが終わる。
 狩りの終わりは、打ち上げられた信号弾で分かる。
 3人とも疲れていて、私達のふざけあいなんて相手にしてはくれないが、モンスターの面白い部分は持たせてくれる。
 ゲリョスの光る鶏冠、ドドブランゴの牙、ガノトトスの背ビレ、全部あたし達の遊び道具で、そういうものがどれだけすごいかを知ることで、あたし達は誇り高くなれた。


 だから、夕方とその後の時間はすごく楽しみだった。
 狩りの話を楽しげに、自慢げにする兄貴。
 続きをねだる弟。
 それを静かに見ながらタバコを吹かす親父。
 疲れた体で食器を片す母と、それを手伝う姉貴。
 まだ遊び足りない妹と一緒に遊びながら、あたしは親父の膝の上にいることが大好きだった。

 親父はいつもあたしに言った。

「ガンナーに必要な者は何か」

 あたしはいつものように答える。

「8つのF!」

「言ってみろ」

 試すかのように親父が言った。

「ふぉわーど ふぉろー……ふぁざー ふぁいりんぐ……ふりゅめ……」

「ほら、言えないじゃないか!」

 兄貴が得意げに詰まったあたしに講釈を垂れた。
 まだ幼かったあたしは、それを全部覚えきれず、どうしてそれが重要なのかもわからなかった。
 ただ、憶えられないことが一家から仲間外れにされたようで、とても寂しかった。

 父はそんなあたしの髪を撫で、いつものように静かに言った。

「そのうち覚えられる。お前も俺の子だ」

 幼いあたしにとって、それが救いだった。
 仲間外れにならない素敵な言葉、8つのF。
 誇り高い家族の言葉。
 私の家族には必ずつく単語。





 ……でも、あたしはそれを汚してしまった。

 Friendly Fire。
 略して“F・F”。

 それが今のあたしの名前。


 ふわふわと波打つ銀色の髪。
 きつい、とよく言われる目つきの悪い目。
 怒っているの? と聞かれるへの字口。
 おおよそ無愛想と言われる女狩人のパーツを組み合わせて、銀色に輝くS・ソルZレジストと、これまた銀色に輝くクイックシャフトを持たせたのがあたしだ。
 自分でも、どうしてこんなにギンギラなのか分からないが、母親からのお下がりで良さそうなのがこれしかなかったからだ。


 そんな一見ギンギラで怖そうなあたしの前で、いかにも精一杯の勇気を振り絞りましたと言う感じの冴えないリーダーがあたしに向かってこう宣告した。



「お前とはもうやっていけない! 悪いが、俺の猟団から出ていってくれ!」

「は、はぁ……」

 あたしはその言葉にショックを受け、溜息と共に困った顔をした。
 だが、その顔を友達に言わせると、

 「ハァン?」、と言いながら眉根を寄せて脅しているように見える、らしい。

「ひ、ひぃ!? すごんだってダメだぞ!? これは猟団の総意でもあるんだからな!?」

 事実、この冴えないリーダーは怯えていた。


 いや、別にへこんでいるだけで、脅しているわけじゃあない。
 原因だって分かっている。

 要するに、あたしはガンナー一家の箱入り娘、ということだ。

 よくあるでしょう?
 一家では常識だと思っていたことが、世間では常識ではない、ということが。


「“F・F”とはやっていけない!」


 いや、それは確かにあたしの一家の二つ名ではあるんだが、意味がまったく違うんだってば。
 第一、あたしはこの腕に誓って、味方を誤射したことは無い。
 使うのは、もっぱら貫通弾や通常弾、それもLV3を使わない。
 それに、射線上に味方を置かない気配りは、あたしの一家じゃあ拳骨で教え込まれた一級品だ。

 では、何でFriendly Fireなどという不名誉な単語がついたか?

 あたしの友達に言わせると、こうらしい。




「“F・F”は、狙いがきわどすぎて、当たらないと分かっていてもちょっと怖いにゃ」



 嫌われる原因はこうだ。
 狩りは、要は飛竜との追いかけっこだ。
 走る、飛ぶ、縦横無尽に駆け回る飛竜を追いかけ、その上で攻撃を与えないといけない。
 そうやって必死になっていると良くある。
 これまた実に良くあるのだ。

 剣士が無意識にガンナーの射線に入ってくる、ということが。

 剣士は飛竜しか見ていない。獲物を追いかけているので、背後まで意識がいかない。
 ガンナーの方が意識しないといけない。きちんと狩人を外して撃つのが一流のガンナーだ。
 もちろん、あたしだってそうだ。

 では、何故Friendly Fireと呼ばれるか?
 冴えないリーダーは悲鳴を上げるように文句を並べた。


「僕だって怖いんだ! 君が後ろにいると、兜をかすめるかのように銃弾が飛んでくるんだ! ……いや、かすめていないのは知ってるよ!? でも、本当に怖いんだ! いつ誤射されるか分かったものじゃない! もう限界なんだ!」


 後半、泣き顔になっているリーダーを、あたしは何とか繕った笑顔でなだめながら、猟団からの脱退を了解した。

 こうして、あたしは三つ目の猟団を脱退させられることとなった。

 そういえば、その友達はあたしの笑顔について、こう言っていた。
 しかも、腹を抱えて大笑いしながら。



「そうやって、笑うとティガレックスが笑っているみたいにゃ~~。怖いにゃ~~~!!」


 ほっとけ。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 2
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/10 05:42
「3センチ離れていれば、十分外していると思うんだけどなあ……」

 猟団を脱退させられたとしても、あたしが生きているのをやめたわけじゃあない。
 生きている限り、仕事をして、おぜぜを稼いで生きないといけない。

 ガンナーの仕事の始まりは、丁寧な整備と弾丸の調合から。

 傷心だというのに、クイックシャフトを分解整備する指の動きと、弾丸を調合する手の動きは淀みなかった。
 あたしの家族に叩き込まれた教えの一つだ。
 これだけは昔から自慢できる。良い仕事は良い整備と良い道具がなければ始まらないのだ。

 しかし、本当にのどかな村だ。
 こうやって、宿の外に出されたテーブルで分解整備するにはもってこいの青空の中、あたしはゆったりとクイックシャフトの部品一つ一つの汚れを拭いては、稼動する部品に薄く油を塗り、部品の欠けや磨耗に気を配り、銃身を磨いた。
 愛情なんか篭っているわけがない。
 ガンナーならやって当然の整備だ。弾丸を排莢時にジャムらせるのは、そんなやって当然のことすら出来ない三流だけだ。

 そんな風にのんびりと手を動かしていると、村の子供達がボウガンの整備を物珍しそうに見にきていた。
 以前に、一回だけ子供に整備を手伝わせたことがあるが、部品で遊ぶわ、磨きは適当だわ、油を滴るほど塗ったくるわで良いことが一つもなかった。
 やはり、整備は自分でするに限る。
 無関心を装っていれば、そのうち子供のほうが興味をなくして遠ざかっていくのが常だった。

 けど、その時は少しだけ違った。

 あたしの整備を飽きずにジーッ、と見つめる少年が一人いるのだ。
 分からないでもない。
 物心ついた直後のあたしに、親父は一切ボウガンを触らせなかった。
 その時、あたしはずっと近くで父親のやっている事を飽きずに見ていた。
 ボウガンの仕掛けや部品は一瞬で飽きるが、滑らかに動く手という奴はずっと飽きることがないのだ。
 そう思うと、恥ずかしいがあたしは無関心を貫いて、整備をずっと続ける。

 そのうち、少年は昼飯の呼び出しに呼ばれてテーブルから離れていった。
 あたしもそれを合図に昼飯を宿に頼みにいった。


 午後は弾丸の調合。
 家族総出なら、三人分も二時間で出来た事も、一人なら半日仕事だ。
 旅の荷物から万力を取り出し、丈夫な机に取り付ける。
 弾頭と薬莢の大きさを合わせる作業。
 合わせた弾頭と薬莢を磨き、薬莢に火薬を装薬して、弾頭を万力できつく締める。

 この作業には命がかかっている。
 そして、元手と手間もかかっている。
 LV1なら、他人の作ったものでも、まあ仕上げが悪くなければ使う気にはなるが、頻度と重要度が高いLV2やLV3は、他人の込めた弾なんて使う気にはならない。
 飛竜の脊椎を利用した大型のカラ骨を使った弾を作る際なんて、とてもじゃあないが気を抜く気にはならない。
 一流とは、準備の際に、既に一流なのだ。

 『Fortress Faith』

 あたしの家族の教えの一つ。
 城砦の信念。
 こだわる場所は砦のごとく、きっちり手堅くこだわれ、という教えだ。
 だから、あたしはこだわり続ける。
 弾丸の手作りは他人に譲り渡すことの出来ない、あたしの信念と言ってもいいこだわりだ。



 だからね?



 そんな期待の込めた眼差しで、あたしの弾丸作りを、ジーッと見られても、やらせるわけにはいかないんだよ?

 何のことかと言うと、午前中ずっとクイックシャフトの整備を見ていたあの少年だ。
 午後も、ジーッと、あたしの弾丸作りを目を皿のようにしてみている。
 むしろ、輝いてさえもいるその目は、直視され続けると、さすがに居心地が悪い。
 無関心でい続ける事に、さすがに悪い気がしてきたあたしは、その少年に声をかけた。

 え? 『Fortress Faith』はどうしたって?

 ここはあたしのこだわりでもなんでもないからいいのだ。

「……坊や……」

「はい!!!」

 声をちょっとかけただけで、とてつもなく威勢の良い返事が返ってきた。
 これだから、お子様は……。
 話をここで切るのも悪いので、あたしは続けることにした。

「……ボウガン好き……?」


 少年は、迷いなんて一切合財これっぽっちも考えたことすらありませんなんて言い出しそうなほど輝いた目で、答えた。



「はいッッッッ!!!!!!!!!」



 リオレウスも裸足で逃げ出しそうなほど、希望と期待にあふれた返事に気圧されるあたし。
 あたしは小粋なお喋りが出来るほど器用でも、わかりやすく教えれるほど頭が良いわけでもない。
 まあ、そんな頭でも良い事を思いついた。
 小さい頃に母親にやって貰ったことだ。

 形の良い飛竜のカラ骨を見繕ってやる。
 薬莢にするには持て余していた一番大きなカラ骨だ。
 それをノミ代わりのナイフと、トンカチ代わりのドライバーで小さい穴を開けてやる。
 あたしの髪を4~5本同じ長さに切り、縒って一本の細めの縄を作って、カラ骨の小さな穴に通せば。

 母親直伝のカラ骨ネックレスの出来上がりだ。
 うむ、「上手に出来ましたッ!!」、と頭上に掲げて自分を褒めてあげたい。やらないけど。
 すばらしく暇なガキンチョの時に、母親から貰って一日中眺めて喜んでいたのだ。
 今考えれば子供だましも良いところだが、ないよりマシだろう。

「……あげる……」

 あたしはそう言って、カラ骨ネックレスを少年に放り投げた。

「いいの?」

 あたしは鷹揚に肯いてやると、少年は手の中に宝物でもあるように喜び、良いことでも思いついたかのようにうちに帰っていった。
 きっと、新しく手に入った宝物を自慢しに家に帰ったのだろう。
 作戦は成功だ。
 これで当分、静かに作業が出来るだろう。
 あたしはまた弾丸作りに集中することにした。



 ――20分後。



 作戦は成功なんかしていなかった。
 少年が自慢しにいくという事は、あたしが「もしかしたら新しいおもちゃをくれるお人好しかもしれない」、と村中に伝わることでもある。
 興味を取り戻した子供達が、あたしの弾丸作りを鈴なりになって見ていた。
 そういえば、あたしの時は、あのカラ骨ネックレスを欲しがった姉貴と妹が、あたしに襲い掛かって姉妹喧嘩になってしまい、三人で親に等しく雷を食らうという残念な話になったっけ?

 悪いが、カラ骨はサービスするにはちょっと高い。
 あたしは、カラの身に導火線とツタの葉を仕込むと、火をつけて地面に叩きつけた。
 すると、もうもうと煙が舞い上がり、子供達の視界を塞いだ。
 軽い悲鳴が聞こえてくるが、さすがにあんな人数の純真無垢の視線に耐えられるほど、あたしのハートは堅くなれない。

 悪いね、ガキンチョ達。

 そう心の中で詫びを入れながら、あたしは宿屋の自分の部屋に逃げ込んだ。 




 一時間も昼寝していれば、あの鈴なりになっていた子供達も消えた。
 今度こそ、安心して作業に取り掛かれる。
 そう思い、万力をまた机に取り付けた時だった。

「誰か、そいつを止めてくれー!!」

 悲鳴が村に響き渡った。
 視線をめぐらせれば、何かに驚いたアプトノスが村を全力で走っていた。
 あたしはそれを見て驚いた。



「タバが上に乗っているんだ! 誰か止めてくれーーー!!」



 あたしがカラ骨ネックレスをあげたあの少年が、暴走するアプトノスの上に乗っているのだ。
 どうして、アプトノスが暴走したのか? 
 あたしには簡単に分かった。
 理由はアプトノスに積んでいる荷物から見える新鮮な魚。
 おそらく投網で捕まえたのだろう。種類は様々、大きさはバラバラだ。
 まだ動いている魚も見える。
 きっと、あの中に絶命前のバクレツアロワナがいたのだ。
 バクレツアロワナは絶命すると爆裂する特性を持つ、危険な魚だ。
 投網で巻き込んで捕まえ、そのまま気付かずに荷物に積んでしまったのだ。

 そして、バクレツアロワナの脅威はまだ終わっていない。
 バクレツアロワナは群れるのだ。
 群れ全体に、外敵から手を出され難くする為に、爆裂する特性を持っているのだ。


 つまり、あのアプトノスには、群れに投網を投げ込んでいるため、まだ生きているバクレツアロワナを積んでいる可能性があるのだ。



 『Far Falcon』


 鷹は遠くから相手を見る。
 故に、その判断は即決だ。
 鷹は、その距離故に、判断で迷えば貴重な獲物を捕まえる瞬間を逃すかもしれないからだ。




 ――だから、ガンナーに迷いは要らない。




 あたしはカラの実に、カラ骨の削りカスを詰めた上で、火薬を装薬する。
 その上で、弾頭をカラの実につけて万力で締めれば、弱装弾の完成だ。

 そして、バラバラにしたままのクイックシャフトを組み上げる。


 『Fast Finger』

 ガンナーには機敏な指先が必要だ。
 あたしは弱装弾作成を2秒。クイックシャフト組上げを8秒でやってのけた。
 遅い。
 あたしの兄貴なら1.5秒で弱装弾を作り、親父なら5秒で自分のボウガンを組み上げる。

 所要時間10秒で、武器と弾丸が揃う。
 あたしはそれをクイックシャフトに込める。


 そうやって、あたしがアプトノスに狙いをつけようとした時だった。


 ガルルガⅩを着た金髪の狩人が、アプトノスに向かって凄まじい勢いで疾走していた。
 背中にはハンマー。長い長髪をリボンでまとめ、顔には傷がある狩人は、何も言わない。
 止めようと声をかけることすらしないのは、おそらく背中の武器で殴り倒すか、アプトノスに飛びつこうとしているのだ。


 大馬鹿ーーーーー!


 殴ったらバクレツアロワナが絶命するかもしれない。
 飛びついたら、驚いたアプトノスが進行方向を曲げてどこかの建物にぶつかるかもしれない。

 どっちにしても、あの少年は大怪我を追う羽目になるだろう。


 あたしは思い出す。

 少年の希望に満ちた眼差しを。
 その眼差しの向こうにある無限の可能性を。
 人の善意を素直に感謝できる素晴らしさを。


 それをあたしの目の前で消させやしない。



 『Fullmetal Face』


 ガンナーはいつでも冷静でなければならない。
 どんな事情があろうとも、鋼鉄の仮面をかぶらねばならない。
 何故なら、動揺が技の狂いを招き、手の汗が狙いを惑わし、はやる鼓動が指を揺らすからだ。
 だから、あたしの表情はどんな時だろうと、目つきの悪いへの字口なのだ。

 銃を構えたあたしを見て、村人があたしに言った。


「アンタ!? アプトノスを撃ち殺すつもりか!?」


 馬鹿な。
 アプトノスを撃ち殺せば、転倒時の衝撃でバクレツアロワナが死ぬ。
 それこそ本末転倒だ。


「……逆……」


 あたしはそれだけを言って、

 片膝を立て、脇を締め、全ての関節をきつく骨で連結させた姿勢で、完全に息を吐き、

 引き金を引いた。




 あたしの弾丸は、寸分違わず、目標である少年の胸に命中した。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 3
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/14 00:19
「アンタ、何してくれたんだ!」

 少年を撃ったあたしに待っていたのは、文字通りの怒りの鉄拳制裁だった。
 随分と柔らかい鉄拳だなあ、と思いながら、村人があたしの胸元をつかんで引き上げた。

「大方、アプトノスを撃ち殺そうとしたんだろうが、間違ってタバに当てるなんて、なんて腕だ!!」

「なんだって!?」

 頭の血が抜けてきた辺りで説得しようと思っていたあたしだったが、男の叫びで村の人間があたしを取り囲んだ。
 マズイ、このままでは説得する前に、私刑で吊るされるかもしれない。

「……え、えと……ちょっと……」

「ちょっとじゃねえよ!」
「悪さしたんなら黙れ!」
「お前の腕が悪いのが原因だろうが!?」


 いや、ちょっと待ってくれ。
 あたしは誤射なんてしたことない。
 あたしは目標を外してはいない。
 狙いはいつだって正確だし、仕事はきちんとしたんだ。


「……待って……」

「待ってじゃねえよ!?」


 でも、誰もあたしの話を聞いてくれないんだ。
 猟団を抜けさせられた時もそうだった。
 誤解するのはいつも他人で、あたしの話なんて誰も聞いてはくれないんだ。
 「F・F」の正しい意味ですら、あたしに聞く奴はいなかった。

 正直、村人に囲まれたって、リオレウスの雄叫びと比べれば、まるで怖いことは無いが、


 ――それでも、猟団を抜けさせられたばかりのあたしには、少し堪えた。




「……いや、待ってくれ」

 そんな村人達を制止したのは、


「うお!?」
「アプトノスが!?」
「逆立ちしている!?」


 いや、全然違う。
 正確には、あのガルルガⅩの狩人が、アプトノスの肩を抱きこんで持ち上げているのだ。

 いや、でも、飛竜ほどじゃあないけど、アプトノスは小型でも500kgはするんだよ!?

 信じられない馬鹿力で持ち上げているのだ。


「そこのお前、悪いが、まだ仕事が残っている」

「……あたし?」

「そうだ。コイツに積んでいる荷を遠くに投げ捨ててこい。お前さんの目算どおり、まだコイツにはバクレツアロワナか、カクサンデメキンが残っている」

「バクレツアロワナだって!?」

「そうだ、コイツが暴れたのも、荷物のバクレツアロワナが爆発したからだ」


 アプトノスを持ち上げたまま、自信満々に言い切る狩人の言葉に驚く村人。
 あたしは驚いた隙に村人の手から離れると、逆立ちのアプトノスの背中をよじ登った。

 なるほど、殴り倒すでも、飛びつくでもなく、アプトノスを捕まえて、暴れても良いように抱きかかえてバクレツアロワナを絶命させないようにしたのか。

 妙に知恵の回る狩人に感心していると、コイツは頼んでもいないのに、あたしのフォローまでし始めた。


「あと、このガンナーは狙いを外してはいない。私が少年を助けようと飛びつけば、私の重さでアプトノスがさらに暴れる上に、殴り倒せば、転倒のショックでバクレツアロワナが爆発するだろう。無事に少年を助ける方法はたった一つ。乗っているアプトノスから、飛びつかずに降ろすことだ」

「だが、タバを撃つのはやりすぎだろう!?」

「そこがこのガンナーの凄いところだ。あの短時間で弱装弾を調合して、狙いは胸もとの骨の飾りだ。衝撃で少年が気絶するぐらいはするだろうが、骨も折れんし命に別状は無い」

「……ま、待って」

 そこで、あたしは一つ付け加えた。

「……落とした先は藁の山ですので……頭を打つ危険もないと思います……」


 そうやって説明すると、藁の山の方から嬉声が上がった。


「タバが起きたぞー!」

 狙い通りに事が運んだ嬉しさで、あたしはにやけながら、魚が詰まった荷を解いて、川に放流するために走り出した。





 密林は巨大な生き物である、とする書物が存在する。
 確かに、湿度の高い鬱蒼とした森林は、動物の体温を想起させるような熱を持っており、風もない木陰の重なり合った闇は、巨大な鯨や竜に飲まれた哀れな者達の思いが体験出来る。
 その構成のほとんどを、有機物で構成された多種類の生命の複合体とも言える密林は、有史より前から数えるのも馬鹿らしいほどの生命を生み出してきた。

 故に、その頂点は生物としての強者を育てる傾向にあった。




 白い甲殻の鎧、グラビドⅩを着た身長2mの偉丈夫。
 背中には銀の銃騎槍 エンデ・デアヴェルト。
 右手の盾とエンデ・デアヴェルトにて背中の弱き者を守る騎士の中の騎士の名こそ、“Sir.”スティールといった。

 彼は密林の中に細々とある道を探しながら、今日も新たな狩場を目指して遍歴の旅を続けている最中であった。

 スティールにとって、密林という場所はさほど脅威に値しない。
 彼が故郷を救うために挑戦した、リオレウスとグラビモスの住処が火山であるためだ。
 暑さや湿気というもので音を上げていては狩人などやっていられない。

 むしろ、密林の脅威は火山や砂漠や凍土には無いものである。
 密林から音が絶えたことはない。
 常に生物がいる。
 背も高く、体にも様々な植物をまとった木が地面に落とした闇は深い。
 その闇の下にあるのは、濃密なる生物の気配だ。
 四方八方?
 いや、これは鋭敏な感覚を持つ者ほど分かるであろう。
 歩く地面の下。毛布のように分厚く積もった死骸と枯葉は、さらなる植物を育て、それはさらなる生物を生み出す。
 闇の下にある生物の気配。
 それは大海の波のようにうねる生物の鼓動。

 常に何かがそこにいる。

 それは、“Sir.”スティールをもってしても油断ならない話であった。



 だから、彼はそこに彼女がいた時、それが人間とは最初は分からなかった。
 彼女は人間と呼ぶには、あまりにも儚げであったからだ。
 スティールは、一瞬、密林で幻を見たのだと勘違いするほどであったからだ。
 彼女は頼りない足取りのまま、スティールの体に寄りかかり、そして、右手で必死にしがみついた。


「騎士様、騎士様。私には過ぎたお願いではありますが、どうか聞いてください」


 スティールは、彼女の体温のあまりの低さに驚き、しがみつく彼女を支え、その湿った感触に気付いた。


「大丈夫でござる。我輩はしかと聞くでござるよ」


 スティールは知ってしまった。

 ――彼女の背中に刺さった大量の何か。

 彼女の背中の湿った感触はそれのせいだ。
 血で濡れている背中は、外気と出血で体温を急激に下げている。
 そして、スティールにとって、本当に悔しいのは。





 ――彼女は、自分の死をとうに受け入れているでござる!


 彼女は大きく溜息をつく。
 安堵かもしれないその息の後、彼女は力を込めて息を吸うと、左手でずっと抱えていたものをスティールに手渡した。

「どうか、この子を助けてください」


 冷たくなった彼女の体から、心地良く暖かいものを受け取ったスティールは、死に逝く彼女に快諾した事を、笑みで伝えた。
 なんと、それは首がようやく据わったばかりの赤ん坊であった。


「しかと引き受けたでござる」


 彼女は、頼れる相手に愛する我が子を託した事に、心から安堵し、その表情から力を抜こうとして、



「危ない、騎士様!」



 自らの命を燃やした人間の力のなんと強いことか!
 彼女は、スティールの背後から襲いかかる大量の何かから、我が子を、そしてそれを守るスティールを救うために、2mの巨躯のスティールを押し飛ばしたのだ。



「~~~~~~~~ッッ!!」


 だが、その代償はあまりにも酷かった。
 彼女の姿は、投射されてきた黒刃のようなものでズタズタに引き裂かれ、受け入れるべき死としてはあまりにも強い痛みと共に、倒れて、逝った。
 赤ん坊の泣き声が、母の死を悼むように悲しく密林に響いた。


 スティールは、その姿を忘れまいと、眼に力を込めると、グラビドXの胴部の中に泣いたままの赤ん坊を入れた。

 そして、死に逝く彼女のせめてもの弔いと、スティールは大きく息を吸った。
 その声は、死に逝く彼女へ届けるために、現世と幽世を阻む壁すら破壊せんほどに大きかった!

「この子は我輩が必ず助けるでござる!!!」


 ――今やこの身は我が一人だけのものではない。
 ――我輩とこの子と彼女のために、走れ、スティール!


 スティールは、狩人の中でも巨大で鈍重と自分の体を分析していた。
 だが、どんなに苦手だろうと、この体が自分へと襲い掛かる試練を乗り越えてくれたのだ。


 スティールの狩人としての五感、視・聴・嗅・味・触と、その全てを統合してつくり上げた達人としての感覚が、巨大な生物がこの密林の闇に紛れながら追いかけてくるのを感知していた。

 いまだに姿が見えない。

 しかし、いると分かればどうとでもなる。
 今も風切り音と共に、黒刃がスティールに迫ってくる。


 大事なのは、攻撃を察知できること。


 ――見失わなければ、いくらでも対処出来るでござるよ!


 スティールは、右手の盾とエンデ・デアヴェルトで黒刃を阻み、叩き落す。
 しかし、叩き落したと思っていたスティールの頭上から、新たな黒刃が雹のようにスティールに降り注ぎ、彼の体を強かに傷つけた。


「ぐっ!?」


 ――防御をし損ねたでござるか? いいや、これは、見えない攻撃でござる。


 こうなれば、スティールに出来る事は、傷に構わず徹底的に逃げに徹することだけであった。
 泣いている赤ん坊の調子がまったく変わらないことから、おそらく無事だと割り切り、可能な限り視界を阻むように障害物を挟んで移動する。


 だが、一向に追いかけるのをやめる気配がない。
 まったく振り切れない。
 それもそのはずだ、出血しているスティール、泣いている赤ん坊。
 太鼓を叩き、綿飴を配りながら、かくれんぼをしているようなものだ。

 それでも、振り切らないといけない。
 このままでは、スティールが出血で弱り、走って逃げることも出来なくなったところで、襲い掛かられるだけだ。


 スティールは密林の細い街道が、十字に交わるところにようやく到達し、誰かいないかと首を左右に振った。

 助けを呼ぶためではない。
 今、スティールは何かは分からないが、巨大な生物に追われている。
 もし、人を見つけたら、スティールは二次災害を避けるためにこう言わねばならない。

 自分を見捨てて早く逃げろ、と。

 苦しいが、赤ん坊も助けたいが、それよりももっと大事なのは更なる被害者を出さないことだ。
 窮地に陥った人間が、さらなる被害を生み出す引き金を容易に引く事を彼は良く知っているのだ。


 すると、だ。
 十字路の右側に、黒い毛皮の鎧に黒髪の狩人がいた。
 スティールは、すぐに叫んだ。

「我輩は凄まじく危険な飛竜に追われているでござる。今すぐここから、我輩とは違う方向に逃げるでござるよー!」

「なんだってーーー!?」


 黒髪の狩人はスティールの言葉に驚いたが、スティールの予想とはまったく正反対の行動を取った。


「Hey、俺そいつ探してたんだ。その危険な飛竜について教えてくれよー!」

「何でこっちに来るでござるかー!?」


 黒髪の狩人は、スティールに近づくと、なんと一緒に横を併走し始めたではないか。


「いや、俺の太刀直すのに、どうしても素材が必要でさ。良かったら狩るの手伝うぜ?」

「我輩は、今鎧の中に赤ん坊を抱えているでござる。とてもではないが、狩りは出来ないでござるよ」

「あー、なるほどなー。……なら、まずここから逃げ出すことが先決か?」


 黒髪の狩人は、軽くそう言ってのけると、懐から二種類の手の平大の玉を取り出し、それを地面に叩きつけた。

 途端に、風の通らぬ密林を、猛烈な煙と強烈なミントの香りが森のありとあらゆる空間を埋め尽くした。
 黒髪の狩人は、落ち着いた様子で血止めの薬をスティールに投げてよこした。

「こっちに姿を見せないで追いかけてくる奴が、こっちを察知する方法はいくつかあるが、大体は視覚と嗅覚。煙玉と消臭玉で、そこに支障が出ると、不安を感じて近寄りにくくなる」

 彼は、スティールの胴鎧の下の赤ん坊を指差しながら、

「そいつをさっさとなだめてくれ。俺は旦那の血を止める」

 スティールはあっさりと、この窮地を凌いでみせた黒髪の狩人の手管に関心し、彼に礼を言った。

「忝い、助かったでござる」

「良いってことよ。困っているのに、危険だから、という理由で人除けする旦那の方がよっぽどすごいって」

「名をなんと言うでござるか?」

 すると、黒髪の狩人は手早くスティールの手当てをしながら、どこか期待と格好付けと興奮の混じった口調で名乗った。

「俺の名前は“Sword Dancer”。セクメーア砂漠で“厚顔無知”の野郎に太刀を折られたんで、それを直すために、ここのナルガクルガを狩りにきた」

「おお、“Sword Dancer”ヨシゾウ殿か!? 聞いたことがあるでござるよ!」

「で、旦那の名前は?」

「スティールでござる」

「え、スティールという名前のグラビドXを着た狩人って、“Sir.”スティールッッッ!?」

「おお、ヨシゾウ殿も知っておられたか!?」

「アンタの方が百倍有名だろうがー!? 俺も吟遊詩人に詩で歌われてー!?」


 手早くスティールの血を軟膏で埋めて止めたヨシゾウは、消臭玉と煙玉の効能がそろそろ切れてくるのを見計らい、スティールに立ち上がるように勧めた。


「良いか? 俺が先導するから、旦那は死ぬ気でついてきてくれ」

「走るのは、自信がないでござるが、まあ努力するでござるよ」


 そして、密林の煙が晴れる。
 ヨシゾウは、煙の中に閃光玉を転がし、煙の外で見張っているであろう巨大生物の目を一時的に潰すと、スティールに合図をした。


「いくぞ!」
「応!」


 “Sir.”スティールと“Sword Dancer”ヨシゾウの決死の脱出行が、今始まった。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 4
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/15 00:22
 あたしはガルルガXの狩人と一緒に、タバというあの少年の家の夕食に招かれることになった。
 他人に感謝されるむずがゆさというものはいつだって慣れるものではないが、悪い気はしない。

 その日の夕食は鍋となった。
 何でも、この村ではお祝い事があると、鍋になるらしい。
 面白い風習だと思っていたが、すぐに理由が分かった。

 あたしを殴ったあの村人が、謝罪を兼ねて大きな肉の塊を持ってきたり、
 しばらく話題に事欠いていた酔っ払い集団が巨大なきのこの塊を無断で鍋に放り込んだり、
 バクレツアロワナをアプトノスに積んだ漁師が、夜釣りの釣果をすぐそばでブツ切りにして放り込んだり、
 女であることを良しとした奥様方が、あたしの事を延々と話題にして女の会話が花咲いたり、
 その間も、子供が「僕が打った!」、と自慢した麺類を鍋に放り込んだり、

 名前を聞くと、「密林風ごった煮鍋」というらしい。
 お祝いがあると、出汁だけ突っ込んでひたすら持ち寄った食材を入れる風習というわけだ。
 なるほど、密林みたいに大も小も受け入れられる面白い風習だ。

 あたしは、宴会の主役の一人として色々な人に呑まされた後、ようやく礼を言うべき人間の下へと辿り着いた。

 今や装備を外しているが、あのガルルガXに金髪の狩人だ。
 どういう理由か知らないが、伸ばしている後ろ髪をリボンでまとめているのは、本当に珍しい。きっと願掛けかなんかだろう。
 彼は一体どういう肝臓を持っているのか、周りの酔っ払いが呑ませているはずなのに、逆に酔い潰されている光景は相当な強者だ。
 見ているあたしの方が、呑んだ酒の量を想像して逆に気持ち悪くなる中、彼は酒を舐めながらあたしに声をかけてきた。

「やあ、ご同輩。ここの地酒はご婦人には少し辛いが、なれると鍋との組み合わせがなかなか良いぞ」

 そう言いながら、酒を勧めてくるので、あたしも飲んだ。
 なるほど、確かに辛い。
 そのまま黙って、酒を舐めるあたしを、何を納得してか、首をしきりに振って肯くガルルガXの狩人。

「ところで、お名前は?」

「……あたし?」

 名乗るほどの者じゃあございませんよ?

「……“F・F”」

「ガンナー一家の“F・F”か!? なら納得の腕だな、調合や整備の腕は一家伝来というわけだ。羨ましい」

「……そちらの名前は?」

「アルフリート」

 あたしは驚いた。
 友人が捜している男の名前だ。

「……ルカが探していた!?」

 男もその名前を聞いて、目を丸くした。まさか、あたしのような野良狩人から知り合いの名前が飛び出すとは思わなかったからだろう。

「……もしかして、“荒爪団”の“Striker”アルフリートさん?」

「その通りだが、君は“Straight”ルカとどこで知り合った?」

「……三ヶ月前のドンドルマで知り合いました。……良いランス使いです」

 あたしは彼女の伝言を伝えた。
 彼女は、三ヶ月前にドンドルマを出て旅にでたのだ。
 無愛想な大剣使いの相棒と一緒に。

 この伝言の内容がまた恥ずかしいのだ


「……『東に行っているから、もしついてくるならよろしくにゃー』だそうです……」


 何で語尾に「にゃー」をつけるのかは、ずっと分からなかった彼女の謎だ。

「……確かに彼女だな、その語尾は」

 よりによって、信用するところはそこですかい!? と、ツッコミを入れたくなったあたしがいた。




 さて、これだけなら、アルフリートとの出会いはただの一期一会だ。
 アルフリートとの出会いが、実に忘れられないものとなったのはこの後。

 この村の村長が、あたし達に土産と称して地酒の強いのを持ってきた時だった。


「実は、お二人の実力を見込んでお願いしたいことがございます」


 あたしは、この村全体をあげての歓迎にいささか不自然なものを感じていた。
 子供を助けたとはいえ、村人全員が一斉に宴を始めるには、それなりの理由が要る。
 おそらく、この歓迎を持って、依頼料を安くしよう、とかそういう狡い事を考えているに違いない。


 だが、ここで妙に神妙な態度で村長に向き合ったのが、アルフリートだった。

 彼は村長が二の句を告げる前に、言った。


「何人喰われた?」


「喰われたッ!?」

「……分かるのですか?」

 あたしと村長は、アルフリートの言葉に違う意味で仰天していた。

「村に真新しい墓が……確か五基ほどあった。飢餓とするにはこの村は裕福で、流行病とするには、皆健康。事故や災害に襲われた様子もない。なら残る可能性は一つだ」


 村長は、アルフリートの推測に今度こそ恐れをなすと、額を地面にこすり付けて懇願した。


「そこまで見通されていらっしゃるのなら、話は早い。この村は飛竜に頻繁に襲われています。どうか、かの飛竜を退治してください」

「事情はおおよそ分かった。相手はなんだ?」



 これが、今回の事件の始まり。
 あたし達は飛竜退治の中でも、最も凶悪なGの飛竜に挑戦することになったのだ。
 そして、その名前を聞き、あたしは密林においてもっとも強い飛竜とやりあうことになった。



 ――その名は、




「――――ナルガクルガでございます」




[17730] 第三話「まごころの弾丸」 5
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/17 23:40
 正直に言うならば、“Sword Dancer”ヨシゾウにとってティガレックスを素材とした太刀、轟刀【大虎徹】は正直扱いづらい刀であった。

 太刀は「いわく」というものがつきやすい武器である。
 それは太刀が、その細身故に相手の攻撃を受けられず、防御手段に乏しい武器であるため、他の武器より死に易い武器であることもあるが、それを引いても奇聞怪異の類に事欠かない。


 いわば、轟刀【大虎徹】は妖刀の類であった。


 これは作ったミカが悪いのではない。
 切れ味も威力も抜群だ。
 ただ、この轟刀【大虎徹】を振るっていると、常に嫌な予感が頭をついて離れないのだ。
 決定的かつ致命的な場面で裏切られる。
 あの“厚顔無知”の傲岸不遜な爬虫類の笑みが、頭からこびりついて離れないのだ。

 故に、使っていても、いまいち信用が置けない。
 信用されない武器では使用者の実力を発揮できない。

 “Sword Dancer”ヨシゾウは、不調の時期であった。



 ヨシゾウは自慢の嗅覚を利かせて、追跡してくる巨大生物の位置を探知する。
 飛竜なら10mを超えた巨体のはずだが、音は驚くほど少ない。
 故に、嗅覚以外では探知が難しい。

 理由は簡単だ。
 足音も、羽音も少なくすればいい。


 ――樹上を跳躍して追いかけてきているのだ。




 飛竜は生物として規格外の重さを持つ。
 体長1m70ほどの人間が平均60~70Kgの体重を持つに対して、飛竜の体重は20mにして10tある。

 同じ身長で比較するならば、彼らは人間の10倍重いのだ。
 しかし、彼らはこの10倍の重さを難なくクリアし、難易度の高い飛行、それもホバリングまでこなすほど器用に、敏捷に、動き回る。


 では、どうやってこの問題をクリアしたか?
 実に単純だ。

 ――出力を上げれば良い。
 ――そして、その高出力に耐え切れるほどの体を、高摩耗性にして高い剛性を誇る物体を体に取り込むことで得たのだ。

 未だに、この世界の文明では、それが何かを解明するには至っていないが、その物体こそが飛竜を生物最強の地位に押し上げていると推測されている。



 だが、そうであったとしても現実の脅威として、自分達を追いかけている以上、“Sir.”スティールも“Sword Dancer”ヨシゾウも泣き言を言ってられない。
 今はこの反則級の離れ業をやってのける機敏な巨大生物から逃げおおせねばならない。

 スティールもヨシゾウも、勝算がないわけではない。
 人間には、大きなアドバンテージがあるからだ。

 人間には、その長い研鑽の歴史がある。
 そして、本来なら長い進化を経て特化されてきた生物的特徴を、知識と工夫と訓練で真似ることが出来る。


 例えば、“Sword Dancer”ヨシゾウは、太刀故に、有効な防御法を持っていない。
 では、もし窮地に陥った場合、どうやって切り抜けるか?



 ――タコが墨を吐いて逃げるように、煙玉をばら撒いて視覚を欺くのだ。



 この工夫には、追跡する巨大生物も手をこまねいていた。
 何せ、凝視して探しても良いが、先ほど閃光玉で目を潰されたばかりである。
 次がそうでないとは、誰も約束できない。


 こうして、二度ほど、巨大生物から逃げおおせてはいるのだが、





 ――実はヨシゾウ達は大きなハンディキャップも持っているのだ。


 そして、それを巨大生物は良く分かっていた。

「Ksyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」

 怒りに猛る巨大生物がその咆哮を密林に響かせた。
 遠くにいれば、ヨシゾウもスティールも咆哮如きでは恐怖しない。


 ――だが、スティールのグラビデXの中には、無垢の赤ん坊がいるのだ。


「オンギャァァァァァァァァァァァァァァァァ!」

 飛竜の咆哮の恐怖に耐え切れず、幼子の泣く声が周囲に響き渡った。
 これはヨシゾウの工夫をもってもどうにもならない。

「チクショウッ! 旦那、そいつを何とかしてくれ。このままじゃあアレから逃げ切れねえ。アレを人里に連れて行ったらヤバイぞ!!」

「むう……」


 苦い顔をして、懐の赤ん坊を見やるスティール。
 一番現実的な方法は、スティールもヨシゾウも薄々気付いている。


 ――赤ん坊を置き去りにすること。


 それでスティールとヨシゾウは助かる。
 一人の命で二人が助かる。
 単純な話、一番割が良いのはこの方法だ。


「……煙幕を焚いて欲しいでござる」

「泣きやませる方法があるのか?」

 スティールは口髭を持ち上げて、笑ってみせた。

「これでも、一児の父でござるよ」


 だが、二人とも、そんな冷酷な方法は最初から選択肢になかった。
 とってもいいが、本当の最後に最後、できる事はまだ山ほどある。
 スティールもヨシゾウも、自ら可能性の枠を狭めることなく、赤ん坊救出の策を練った。

 再度、煙玉で焚かれた煙幕の中、スティールはグラビデXの篭手を外して、鎧から赤ん坊を抱きかかえると、赤ん坊の目を見据えた。


「怖いでござるか、坊や?」

 赤ん坊は、瞳に涙を溜めたまま、ぐずっている。
 だが、スティールは構わず、話し続ける。

「でも、我輩は坊やの母上と約束したでござる。必ず、助ける、と」

 赤ん坊はさらに泣いた。
 母親という言葉に反応したかのように。
 死んでしまったという事実を思い出したかのように。

 生まれたばかりで、まだ母親の愛情を無条件で与えられて良いはずの赤ん坊が、いかなる運命の気まぐれか、幼くして母親と永遠の別離を味わったのである。
 それが悲しいはずはない。


 赤ん坊、というのはまだ様々な感覚が未熟だ。
 しかし、それでも赤ん坊は自分の母親が分かる。
 それは体温か、それとも人の身の触覚か、それとも母親の愛の心地良さか。


 それが急にいなくなったのだ。


 スティールは分かる。
 薄々、未熟ながらも、母親がいなくなってしまったことに気付いているのだと。

 そして、感覚が未熟ということは、自分の主観によって構成される世界が小さいということでもある。

 母親は、おそらくそれまでの赤ん坊の世界の全てであったはずだ。

 それが奪われた。
 全てが奪われた。



 ――泣くしかないでござるよなあ?
 ――とんでもない絶望でござるよなあ?
 ――代わりになんて、我輩ではとても勤まらんでござるよなあ?

 ――でも、我輩は、「助ける」、と約束したでござるよ。


 これは何も方法を持たないはずの赤ん坊の自殺だ。
 明確な脅威をおびき寄せて、絶望のままに死のうとしている赤ん坊の自殺だ。


 希望が必要だ。
 それも赤ん坊にも分かるような明確な希望。


「坊や、我輩が今度は坊やに誓うでござる」


 赤ん坊は泣き続ける。
 この世に希望は無い、と。


「坊や。坊やの敵討ちは、このスティールが成し遂げるでござる」


 赤ん坊は泣き続ける。
 どうして、人間は弱いのか、と。


「坊や。我輩が教授して仕る」






 巨大生物は、再三張られた煙幕の正体を、そろそろ看破し始めていた。
 確かに、視界は制限され、閃光玉の脅威がある。

 だが、それだけだ。

 実際に強者がいない。
 これは弱者の知恵だ。

 なら、恐れることはない。




 嗅覚にて、巨大生物接近を悟ったヨシゾウは、スティールに叫んだ。


「旦那! 煙幕がもう役にたたねえ! アレが突っ込んでくるぞ!!」


 スティールは、大事なものを入れるように、懐に赤ん坊を入れた。
 スティールは、力を込めて篭手を手にはめる。

 そして、握り締めるのは――決意の形。
 守るために形取られた力の形。
 飛竜退治の相棒。
 銀色の銃騎槍と盾が音と共に構えられると、合図のように安全装置が外れる。

『準備は万端だ、我が主』

 エンデ・デアヴェルトの言葉無き語り掛けに、スティールは不敵な笑みをこぼす。


 視線は煙幕の向こう側へ。
 殺意と敵意を密林の闇の中に隠しながら、近づいてくる飛竜へ。


 だが、ヨシゾウの嗅覚が捉えた方向とは、まったく別の方向を向くスティール。



「旦那、そっちじゃない!!」

「……いいや、こっちでござる」


 太刀の鯉口を切るように、
 竜撃砲の導火線に火をつけるスティール。


 先の見えぬ白の世界の中で、
 倒すべき黒き獣を視界に捉え、



「――吠えろ、エンデ・デアヴェルト!!」



 煙に包まれて先の見えぬ未来を、その眼で見据えるために、
 スティールの竜撃砲は、スティールに突っかかろうとした黒い獣の鼻面を焼いた。

 竜撃砲の威力が、獣を隠していた煙をかき消し、ついに獣はその姿を狩人達の眼前に晒した。



 黒く輝く毛皮の体。
 敏捷性を獲得するために発達した四肢。
 体の後ろで鞭の様にしなる尻尾。
 前肢にある皮膜は、跳躍の助けとなり、滑空飛行を可能にする。

 ――だが、何よりも恐ろしいのは、その眼だ。
 ――獲物を倒すための執着に、赤く輝く殺意の目だ。


 狩人達の相手となるは、“密林の刃風”、“黒き迅雷”、“静かなる黒曜石”と謳われる四足歩行の飛竜。

 ――迅竜ナルガクルガ。



 だが、それらに臆することなく、スティールは叫ぶ。


「我が双腕とガンランスにかけて誓おう、貴様はこのスティールの獲物でござる!!」


 鎧の中の子供と共に、不敵に笑うスティールの眼前から、ナルガクルガは一声吠えて去っていった。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 6
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/23 00:21
 迅竜ナルガクルガを探すのは簡単だ。
 迅竜ナルガクルガは『とある理由』から代謝が非常に高い。
 代謝が非常に高い、というのは、お食事中の人には悪いが、糞尿を所構わずする、ということでもある。
 一見すると、鳥類のそれに近い液状の糞尿は、ナルガクルガを探す上で非常に有効だ。

 逆に言えば、糞尿自体が自分の縄張りである事を示す示威行動である。

 あたしも幼少のみぎりの頃には、ナルガクルガの糞尿に怖がりながらも、親父や兄貴がどうやってそれを退治するのか期待にわくわくしていたものである。
 だが、今やそんなことは言ってられない。



 ――ナルガクルガの糞尿が、村の中で発見されたからだ。



 狩人は防衛することが苦手だ。
 もともと、狩りとは攻めることが前提の行為で、相手の攻撃を受けることは、あまり考えていない。

 そのもっとも端的な例が、あたしのへビィボウガンだ。

 求められたのは、長射程における重火力。
 その為に砲身を太くして全体を重くし、強烈な砲撃の反動下においても正確な狙いをつけられるようにした。

 機動力において、人間を大きく上回る飛竜を相手に、鈍重でいるという確信犯の自殺行為。
 だが、あたし達はそれが自殺行為だなんて思わない。
 十二分に把握された欠点を、長所に転用することであたし達ヘビィボウガン使いの狩りは成り立つ。


 『Flash Fire』


 閃光の様に攻めろ。
 戦う前に、全ての段取りを決めて、欠点が敵の前に晒される前に勝つ。

 とにかく、『遠く』から、『攻められる前に勝利』する。

 ヘビィボウガン使いの戦いは、それに尽きるが。



 ――残念ながら、今回の狩りにおいて、あたしはそうやって勝つ自信がなかった。





「……アルフリート……」

 あたしは調査の結果分かった事を、アルフリートに告げた。


 ――何故、勝てないか?
 ――理由は非常に単純だ。
 ――狩りというのは、ほとんどの場合、単体を前提にして勝利の道筋を立てる。
 ――だが、



「……ナルガクルガは二頭いる……」


 二頭いると確信したのは、屋根にあった爪痕からだ。
 どうも、大きさが違うように思い、実際に長さを測ってみると、一撃の威力の差異では説明がつかないほど大きな長さの違いがでてくるのだ。
 単体では、爪の長さに差がでるわけがない。
 爪が折れて長さが変わった? とも思ったが、どこを探しても折れた爪がないのだ。
 つまり、二頭いると考えた方が自然なのだ。


 こうして、結論は最悪の物となった。
 この村は、二頭のナルガクルガの縄張りの中にある。




 そうやって、あたしがどうしたものかと悩んでいる間も、アルフリートは地図と村を見比べながら次々と提案していった。

 まず、夜は出歩かないこと。
 密林に出て行かないこと。
 発見したら、騒がずに近くの家に入ること。


 まずは、ナルガクルガが「あたし達に気付かれずに村人をさらうことが出来ない」状況を作り出すことが大切だ。 
 これまた嫌な事に、この二頭のナルガクルガは、狩人が飛竜にとって、どれほど恐ろしいか知っているのだ。


 そうでなければ、村人は次々とさらわれる事態となっていただろう。
 そして、あたし達はそれを利用して罠を仕掛けることも出来なくはなかったが、用心深いこのナルガクルガは、それをさせてくれなかった。


 その上で、アルフリートは外部への救援を要請するように、村長に提案した。
 これに対し、村長は前もって手を打ってあったようだ。


「街から来た商人に、ギルドへ仕事を依頼するように頼んであります」

「……そうか」


 意味ありげなアルフリートの沈黙は、依頼から二日後の夜になって、ようやくわかった。




「ハンターが来たぞぉーーー! 二人組だーーーーーー!!」

 待ちに待った救援に、ようやく息をつけると思ったあたしは、一緒に見張り番をしていたアルフリートの顔を見た。

「二人組か……」


 どこか渋い顔のアルフリートは、うっすらとこういう展開になるのを分かっていたのではないだろうか?

 あとで聞いてみたのだが、彼の持論は、



 ――事件は転がる石のように悪い方向へ行くもの。
 ――自分が動き出すまでは。


 だそうな。







 こうして、あたしは2mを越える巨漢のガンランスの狩人、“Sir.”スティール。
 そして、黒髪に黒い毛皮の太刀の狩人、“Sword Dancer”ヨシゾウ、と初めて出会ったのだ。


 彼らが連れてきたのは、一人の赤ん坊。
 村長はその子の顔を見るや、

「これは、街に依頼をしに行ったタバサの子ではないか!? 御両人、この子をどこで拾われた!?」

 スティールは、苦々しげに答えた。

「瀕死のこの子の母親から、必死で手渡されたでござるよ」

「瀕死ですと……?」

「ナルガクルガに殺されたでござる。我輩が彼女と出会った時には、既に虫の息でござった」

 村長はそれを聞くと、あまりのことに脱力し、ずるずると倒れていった。



 状況は絶体絶命だ。

 外部と連絡を取れない村で、二頭のナルガクルガにいつ襲われるか分からない。
 その二頭のナルガクルガは爪の大きさを見たところ、間違いなくG級。
 しかも、二人組の狩人が命からがら逃げ帰ってこさせるほど強い。
 さらに、あたし達の依頼は護衛だ。
 前述したが、狩人は防衛には向かない。

 重ねて言おう。
 状況は絶体絶命だ。
 あたしはこの時、この依頼がとんでもなく苦しいものになるだろうと思っていた。

 あの隠密性と素早さに長けたナルガクルガから、村人を守りきるなんてできっこない。

 確信と言い換えても良い。あたしはこの依頼を失敗するものだと割り切ろうとしていた。




 ――だが、本物の狩人は違った。



「Hey、アルフリートの旦那。俺達が死にそうになってきたというのに、――やけに楽しそうじゃないか?」

 そう言われて、あたしはアルフリートの顔を見た。


 ――『本物の狩人』。


 あたしは、小さい時にそれがどういう奴なのか、親父に問いただしてみた。

 強いのか? 凄いのか? 頭が良いのか? すばしっこいのか?

 実は、そんなところに狩人の真価は無い、と親父は言った。
 そして、言う言葉に詰まり、とりあえずこう言い捨てたのだ。



「なんつーか、『凄まじく底意地の悪い奴』だな」



 意味がまったく分からなかった。


 だが、この時のアルフリートの顔と言ったら、まさに親父が言葉に煮詰まりそうな顔なのだ。
 確かに、親父はそう言うしかないだろう。

 あたし風に言い換えるならば。


 ――『とんでもない悪ガキが、とっておきの悪戯を思いついた笑顔』であった。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 7
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/27 09:54

「村長、このままでいるより分の良い賭けがある」

 あたしは凄まじい不安に駆られながら、アルフリートのその笑顔を見ていた。
 いや、別に現状が不安に満ちているのも、確かなんだけど、アルフリートのその笑顔は、見る者に「悪いこと考えてます」と暴露しながら、歩いているようなものだった。
 不安にならない方がどうかしている。

「私達の護衛依頼を取り下げてくれ」

「なんと、貴方達は私達を見捨てるというのですか!?」

 「まあ、待て」、とアルフリートは村長を手で制した。





「私達に期限二日の狩猟依頼を出して欲しい」





 これには、“Sir.”スティールが、口髭を曲げて笑った。

「なるほど、ナルガクルガの腹が減る前に、村人を誘導するつもりでござるな?」

 アルフリートは、笑顔を皮肉気に曲げてスティールの言葉に答える。

「そうだ。そのナルガクルガがタバサを襲ったのが二日前だとすれば、そろそろ腹が減るだろう。連中はそろそろ餌を必要とする頃だ」


 あたしは嫌な予感が的中した事を悟った。


「……待って……餌って言うのは……」


 全てを察したらしいヨシゾウが嫌な顔をする中、アルフリートが嫌な笑顔で爽やかに言い放った。




「生餌は私達だ――私達が囮の生餌となり、時間を稼いでいる間に村人には逃げてもらうという寸法だ」




「我輩にとって、文句なしの作戦でござるな」

「スティール卿の協力を得れるとは、心強い」

 なにやら、妙に仲の良いアルフリートとスティール。
 大物になると、思考回路が似てくるのだろうか?

 だが、和気藹々とする二人を差し置いて、ヨシゾウが反対した。

「Hey、ちょっと待ったぁーー! アンタ、どういう奴が相手なのか分かってんのかよ?」


 “Sword Dancer”は自分の目を指差して、

「俺の目に誓って、断言してやる! あれは“疾風塵雷”のナルガクルガだ!!」






 ――“疾風塵雷”のナルガクルガ。






 “厚顔無知”と同様、そのナルガクルガの種の中でも、特異的な成長を遂げた固体を指す。


 曰く、「『疾』き『風』の命は、『塵』を打ち抜く『雷』が如し」。 


 どのような生物でも、人生において体感する時間の長さは同じである、と言われている。
 では、どうして客観的な時間において、ネズミと象の寿命の長さは違うのか?

 それは、ネズミの主観が捉える『1秒』と、象の主観が捉える『1秒』には大幅な差があるからだ。

 寿命の長い生物ほど、その感覚が捉える『1秒』は客観的な時間において長いものとされ、
 寿命の短い生物ほど、その感覚が捉える『1秒』は客観的な時間において短いのだ。



 ――ナルガクルガの寿命は、飛竜の中でも圧倒的に短い。



 ナルガクルガは短命であれど、濃密な時間の中で、飛竜種としてのエネルギーを使い切るかのごとく行動する。
 故に、ナルガクルガは発揮される自分のエネルギーに、自分の体が傷つかないように、その体重は極めて軽い。

 他の飛竜種が軒並み生物として、恐ろしいほどの重量を持つ中で、




 ――“疾風塵雷”のナルガクルガは、体長20mの体で3t弱の重さしかないのだ。



 短命ゆえの濃密な時間と、鳥類並みに軽い体重を持っているナルガクルガは、恐ろしいまでの俊敏さと知覚能力を兼ね備える強敵へとなる。
 彼らを不意打ちすることは出来ない。
 ならば、正面から戦うことになるが、そうなれば彼らは正面から襲ってくるような馬鹿正直な戦い方をしてこないだろう。


 自分の体が軽く脆い事を知り、狩人が脅威である事を知っている“疾風迅雷”の用心深さは、飛竜の中でも随一のものとなる。
 そして、それが二匹である。


 ――“Sword Dancer”ヨシゾウは臆病者ではない。
 ――無謀、という愚を犯さないのは、狩人の常識だ。



「アンタなら、“疾風塵雷”のナルガクルガがどれだけすげぇか知っているんだろ? スティールの旦那だって分かっているはずだった。煙に隠れて不意打ちしたはずの竜撃砲を、あいつはかわしたんだ!!」


 「ばれていたでござるか」、と呟きながら、スティールは鼻の頭をポリポリと掻いていた。

 アルフリートは、そうやって声高く主張するヨシゾウを見ながら、

「随分と対決を避けるじゃないか? まるで“厚顔無知”とやりあうのを止めた私みたいだぞ」


 やらしい言葉だな、とあたしは思う。
 狩人は大抵誇り高い。


 あたし然り。
 スティール然り。
 ヨシゾウ然り。

 そして、おそらく、このアルフリートも。


 誇り高い狩人の気質をくすぐる挑発的な言動は、喧嘩の元になりやすい。


 しかし、ヨシゾウもGの狩人の一員だった。




「――『今』の俺じゃあ絶対狩れん」


 挑発に乗って安請け合いはしない。
 至らない事を知るのは、至る為の第一歩だ。


 アルフリートは嘆息した。
 やはりか、という言葉が漏れた。


「轟刀『大虎徹』はお前でも扱いに困る代物か」

「鍛冶は完璧に仕事をした。だけど、ティガレックスの結合組織は柔軟な軟骨に、凄まじい剛性の硬組織が混じり合って、研ぐのも一苦労したとさ。試し切りで五回に一回は、俺を裏切ってくる」


 つまり、ヨシゾウを頼りにした作戦を立ててはいけない。
 武器に不安のある太刀使いほど、信用出来ない存在はない。


 ……あれ?


「……つまり……スティールさんか、アルフリートさんが主軸になって、戦えば良い?」

 あたしが遠慮しながら提案すると、

「アルフで良い」
「我輩はスティールで良いでござるよ」
「俺もヨシゾウで良いや。どうせこの四人で、あのナルガクルガをどうするか決めなきゃならねえ」


 一斉に敬称はいらないとのお達しが来たので、あたしもやめる。


 ナルガクルガを狩るのが一番の良策である。
 そこは反対するヨシゾウも分かっている。

 だが、相手は“疾風塵雷”のナルガクルガ。
 ヨシゾウのような太刀使いならともかく、ハンマーやガンランスでは確かに追いつけないのだろう。

 もちろん、あたしのヘヴィボウガンでも同様だ。
 繊細な攻撃が出来る近接武器とは違い、ボウガンの攻撃は直線的だ。

 撃たれる瞬間をナルガクルガに見られれば、その瞬間から回避される。



 実は、それをどうにかできるテクニックがあると言えば、あるのだ。
 昔はそれを多用していたのだが、“F・F”の名前が”Friendly Fire”になってから、あたしは使わなくなっていた。



「私やスティール卿が中心になることはあるまい。やはり、ガンランスやハンマーでは連中は狩り辛い、というのが実際だからな」


 アルフリートの言葉は、あたしの思惑をずばりと言い当てていた。
 どう考えても、防衛して待ち伏せした方が、まだ希望があるのだ。

 いつ攻めてくるか分からない、という恐怖との戦いになるが。


「だが、私が“荒爪団”に所属していた時に使っていた戦術がある。それを使おう」


 アルフリートはそこであたしを掌で示して、


「作戦の主軸となるべきはお前だ、“F・F”」


 あたしはこの時、「まさか」、と思った。
 あれはあまりにもリスキーで、あたし自身も家族以外には封印したのだ。
 だが、あたしはその略称を聞いて、まさにそれだと確信した。


「作戦名は――『F・F・F』。奴らを捉えることが出来る策はこれしかあるまい」


 内容を聞けば、スティールであろうとも驚くだろう。
 事実、この作戦を聞いた二人は、そのあまりにリスキーな内容に驚き。


 ――そして、今度はあたしが大いに驚かされたのだ。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 8
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/04/29 21:44
 狩りを行う際に、まず相手を想定することが第一だ。
 それはいい加減なものであってはならない。
 今度のナルガクルガ二頭退治にしてもそうだ。
 あのナルガクルガの挙動には謎が多いのだ。


 まず、二頭ということはどういうことか?



 二頭というと、雌雄と考えるのがまず妥当な線だ。
 繁殖期に入り、ナルガクルガが身動きを取れなくなってしまった、と考えるのが良いだろう。



 そこで、一つ疑問がでてくる。

 何故、『わざわざ』人間の集落を襲うのか?



 人間は弱いから襲うのに適していると思われがちだが、人間は小さい。
 20mの飛竜の食事として平均1m70cmの人間である。
 大きさとして、単純な比例を行うなら、人間が15cmの魚を食うようなものだ。一食の量としては少ない。
 しかも、人間はあまり肉付きがよろしくない上に、“疾風塵雷”は狩人を知っているのである。

 食用として襲うには、人間はハイリスクローリターンなのだ。
 それはナルガクルガ自身も分かっているはずだ。


 与えられた二日のうち、一日を入念な調査に費やした結果、おおよその結論が得られた。


 あの村は、森の生物を狩猟することで生計を立てていた。
 そして、ナルガクルガの代謝効率は非常に高い。これがどういう事を示すかというと、異様に飯を食う、ということだ。



 ――あのナルガクルガは、ここの森の生態系を破壊するほど食いまくっていた。



 アプトノスのような大型草食獣やケルビのような中型草食獣は、根こそぎ食い尽くされていた。
 異様な食欲が森の生態系を破壊し、人間に食指を伸ばすまでになってしまったのだ。

 放置すれば自滅するかもしれない。
 しかし、その前にあの村の住民がいなくなる方が、きっと先だ。


 あのナルガクルガがいつからここにいるか知らないが、“疾風塵雷”クラスのナルガクルガが二匹。
 餌が無くなってもここから動かないことから、おそらく孵化した幼生がいるのだろう。


 日増しに食事の量は増えているはずだ。


 しかし、あと一点だけ、謎が残るのだ。



 何故、スティールの目の前から去ったのか?


 スティールがいくら強力な竜撃砲を持っている狩人でも、“疾風塵雷”は目視していればかわせる。
 ヨシゾウがいくら狩人として優秀でも、今彼は自分の武器を信頼していない。

 その二人を前にして、ナルガクルガが去る理由。
 それを聞くと、ヨシゾウとスティールはともに首を捻った。

「まったく分からないな。俺達二人は、あの時限りなく必死だったしなあ」


「我輩の気迫にナルガクルガが恐れをなしたのでござるよ!」




 無視。




「脅威が近づいたから、と考えるのが妥当では?」

 こういう時にマクロな発想をする人間が答えを出した。

「脅威?」

「飛竜、古竜、狩人。あのナルガクルガが脅威と思うなら村人でも構わん。繁殖期に入ったナルガクルガの巣に近づいた奴がいたのだろう」

「俺とスティールの旦那がピンチの時に都合よく?」

「逆に言うなら、あのナルガクルガが巣から離れていた瞬間でもある。脅威が何であれ、巣に近づくには絶好の機会だったろうな」


 アルフリートは結局のところ、これも推論にしかならない上に益体もない、と言い切った。
 確かに、ナルガクルガの脅威が何であるかを調べても、これからナルガクルガを倒すあたし達には何の利益もない。


 一日目は、ひたすら調査と捜索に費やし、ナルガクルガを呼ばないように火を焚かず、樹上で夜を過ごした。
 さすがに、全員慣れたもので、命綱のロープをつけずに、樹上から落ちずに過ごした。


 二日目の早朝、日が木々の隙間から差し込み始める頃。
 狩人達は入念な準備を行って出発する。


 ナルガクルガの縄張りは非常に広い。
 人間の足では全てを把握するのは不可能。
 ならば、選択肢としてまずあがるのは待ち伏せだ。

 待ち伏せは狩人の常套手段であるが、最も難しいと言われている手法でもある。


 戦闘を交渉手段として用いるのは人間だけである。
 野生動物にとって戦闘は生存活動だ。
 虐殺やなぶり殺しは、その種の特異的な特徴であったり、何か不自然な事件が起きでもしない限り行われない。
 つまり、生態系の頂点である飛竜であっても、一分でも一方的な危険があればそこに踏み込んではこない。


 つまり、確実に狩れる戦力にて獲物を取り囲む状況、というのはまずありえない。


 自分の事を脆いと知っているナルガクルガなら、なおさらだろう。


 なので、待ち伏せは選択肢から外す。


 なら、どのようにして見つからないナルガクルガを探すか?







 あたし達は探さないことにした。






 まず、森から出来る限り青い葉を取ってくる。
 できる事ならこの時、泥と適当な動物の糞もあると良いだろう。

 全部を力任せにごっちゃ混ぜにして、少し広めの布に塗る。

 自分に消臭玉を当てて、臭いを消した上で、それを体の上にかぶる。


 ヨシゾウとあたしは、ひたすら姿を隠さずにナルガクルガの巣に近づく、アルフリートとスティールを遠くから見張りながら隠れていた。

 巣がある以上、狩人が近づけばナルガクルガは出てこざるを得ない。
 村人に囮作戦を提示したアルフリートに相応しい、恐れ知らずの策だ。

 しかし、これは想像以上に怖い策でもある。
 襲われるタイミングは完全にナルガクルガ任せである。
 一見すると、スティールもアルフリートも涼しげに歩いているが、視線を辺りに巡らしながら歩いていることから、相当警戒しているようだ。

 ナルガクルガの攻撃を防御できるのなら、大したことは無い。
 問題は、ナルガクルガが隠密する事に長け、しかも、ヨシゾウもスティールも片方しか発見できなかったことだ。

 話によれば、ヨシゾウは嗅覚で、スティールは勘で探しているらしい。

 それによると、ヨシゾウが嗅覚で捉えていたのと、まるで別の方角からもう一体出た、との話だった。


 おそらく、こういうことだろう。


 一体は、風上から自分の臭いを流し、獲物を誘導。
 もう一体は、完全に気配を隠し、誘導された獲物が決定的な隙を晒す瞬間を襲うのだ。


 猫科の大型肉食獣が、家族と共に行う狩猟法だが、ナルガクルガがやってくるとは思わなかった。
 ヨシゾウが嗅覚で位置を把握することに気付いて、逆に利用したのだろう。



 ――しかし、静かだ。

 密林の濃密な気配。
 生命が樹上、地下、空間のありとあらゆるところを漂う感覚はそのまま。
 全てがその乱雑な気配を残したまま、何かを恐れるようにひっそりとしていた。

 密林の生命全てが“疾風塵雷”を畏れて、その生命活動すら抑えていた。

 暗闇に隠れていると、静寂と同化したナルガクルガの黒い影の幻を見る。
 ここが“疾風塵雷”の縄張りであるだけで、このなんでもないはずの静寂が、ナルガクルガの息遣いのように思える。



 いけない!
 勝負が始まる前から、この縄張りの雰囲気に呑まれているあたしがいる!


 気付いたとしても、もう遅い。
 一度始まった妄想は、あたしの感覚を侵食し始める。

 どうすれば、その呪縛が解けるのか?
 そもそも、あたしを主軸とした作戦が上手くいくのか?
 後ろにナルガクルガはいないのか?



 そうやって、あたしが軽いパニックに陥っていた時、



 アルフリートが右手を振ってスティールを押し留めると、その胸を膨らませて大きく息を吸った。












 ここから先を読む人に告げよう。

 もし、貴方が狩人なら、今までの常識は一切捨てろ。
 言っているあたしも、何も知らずに聴けば正気の沙汰を疑うだろう。

 そして、狩人でもなんでもない人には、こう言おう。

 あたし達にはこういう不文律がある。
 不文律故に、言うまでもないことではあるのだが、常に口にしない分だけ、普段の認識がおろそかになるのだ。







『狩りの最中には何が起こるかわからない』










 アルフリートの行ったことは、密林中の生命を揺らすこととなった。
 それは単純で効率的な呼びかけだ。

 ――お前の敵はここにいる。

 そう呼びかけるためにどの生命も行える根源的な交渉法。



 ――咆哮。






「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!!!!」



 聞く者の全ての鳥肌を逆立てるような、強力な意思と恫喝力を持った咆哮が、ただの人間の肺と声門から形作られるとは、どうして思えようか?


 故に応えるしかなかったのだ。
 何よりも本能で動く剥き出しの野生なら。



「Ksyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」



 こちらも聞く者の気を動揺させるには十分な声量と、心を揺らすのに十分な恐怖を伴って放たれた。

 間違えるはずのない“疾風塵雷”のナルガクルガの咆哮。 



 たかが声一つで、飛竜の戦術的優位を覆しながら、
 狩人はしてやったりの笑みで、獲物に向かって駆け出したのだ。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 9
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/05/04 22:30

 密林の濃い闇は、その包容力を持ってあらゆる生物を包み隠す。

 昆虫、小動物、樹木、菌糸類。
 そして、飛竜。
 もちろん、人間も。

 その密林の濃い闇の中で、人間とはとても思えぬ人間の咆哮と、それに続くナルガクルガの咆哮を聞いた三人組は、その咆哮がこれから戦いが開始される合図である事を悟り、ナルガクルガを探し続けた自分達の努力が、徒労である事を悟った。


 深い闇の中で、砂漠の砂の黄色に動脈を走らせた赤い線がある鎧――レックスXを着た女が、先を越された怒りに顔をしかめた。

「どこかの誰かに先を越されたわ、どうする?」



 すると、残る二人組がその声に落ち着いて答えた。



「ふーむ、わしはどちらかと言うと、そいつらが何者かというより、そいつらで“疾風塵雷”とまともな勝負になるかどうかが気がかりじゃのぅ」


 一人は、獣の頭部を頭に頂く男だった。
 背はどちらかと言えば、狩人としては小兵の部類に入る。
 しかし、その体から感じる気迫は三人組の中でも最も大きく、背に担ぐ武器も丸太のように大きい巨大なものだった。


「どう転んでもオレ達の損にはならないだろう? 倒してくれれば、オレ達の仕事が減って善し。傷つけてくれれば、オレ達が楽になって善し」


 もう一人は、青い弓に黄金の鎧を着た女ガンナーだった。
 体は狩人としては標準。
 しかし、背に板金が入っているように、スラリ、と伸ばされた背と、弓のように張られた胸は、本人を何よりも大きく見せた。


 レックスXの女、“Typhoon”ラピカは黄金の鎧のガンナーの言葉をこう繋いだ。



「――喰われてくれれば、腹が膨れて満腹の隙が出来て善し、ね」



 ラピカの言って当然とばかりの口調に、二人は同意も苦笑もしない。
 言わずとも、二人とも分かっているからだ。


「まあ、他にどこの誰がギルドを通さずに狩人に仕事を通したか、調べないとまずいのぅ」

「大方、“疾風塵雷”に後がなくなった近隣の村じゃあないか? 密猟するには“疾風塵雷”は強過ぎる」


 ラピカは手を振って二人を黙らせた。


「どちらにしても、あれが十人の狩人を喰い散らかしてきた飛竜には変わりがないわ。犠牲者が十四人になるけど、私達は『どんな手段を用いても』“疾風塵雷”を確実に狩らねばならない」



 『どんな手段を用いても』


 それは狩人の倫理よりも、圧倒的に飛竜討伐の方が重要である事を指す。



 彼らには人命を守る義務がない。
 ――それは自分の命すら、使命のために有効活用する為。

 彼らには仲間を守る義務がない。
 ――それは仲間を有効利用してでも、完全に使命を達成する為。

 彼らには名誉などありはしない。
 ――それは自らを礎として、未来への大いなる勝利を掴む為。



 狩人達の秩序の護り手、ギルドナイト。

 彼らは、一族郎党の生活を保証される代わりに、その戦闘能力であらゆる飛竜と戦う義務を背負う。




 ――その使命の中には、『討伐不能』と、銘打たれた依頼を完遂することも含まれる。




 ラピカは地面を蹴り、その身を樹上へと運んだ。
 眼下には、広がる密林の木々と、その下に広がる黒よりも黒い森の闇。

 ラピカはそこにいるであろう“疾風塵雷”と――アルフリートを見据えた。


「少しは消耗させてね。勇者の力とやらで」


 その言葉は、密林の樹上に広がる巨大な空間に溶けて、消えていった。






 密林の暗黒の下、その暗黒そのものが生命を持って動き、殺意と凶暴性で獲物を睨み殺さんとする存在。

 素早いために誰も倒せず、素早さを保つために多量の食事を必要とし、その食事の為に殺意を持って密林の生命の敵となった悲しい存在。



 その存在は黒い毛皮を身にまとい、

 疾風の体に爪と牙と尻尾を手に入れ、

 雷の速度で、獲物を塵とするもの。



 ついに、あたしは“疾風塵雷”を自分のヘヴィボウガンの射程に置いた。


 だが、相手は一体。
 もう一体は隠れているのか、姿が見えない。



「Ksyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」




 もう一体を隠すために、一体が囮になってアルフリートとスティールの気を引きにきたのだ。
 なら、あたしの仕事は二つ。

 目の前の一体に致命的な傷を負わす。
 隠れて観察できる利を利用して、もう一体の居場所を暴く。


 この二択だ。


 スティールとアルフリートは咆哮に怯える素振りなど一切なく、まっすぐナルガクルガに挑みかかる。

 ナルガクルガは、アルフリート達を正面から飛び越え、背後に回る。
 そして、体を回す勢いそのまま、尻尾を振り回して、アルフリート達の背後を狙う。


 ナルガクルガの靭尾は、硬い硬組織をしなやかに伸びる軟骨様結合組織で繋がれた、天然の鞭だ。

 伸びるということは、振れば、射程が延びて、速度を増すということだ。
 上下差のある動きに、背後からの強襲、さらに速度においては雷の打擲。

 この三点を同時に行うこの攻撃は、並大抵の狩人ならすぐに倒せるものだろう。




 だが、そこにいるのは並大抵ではないGの狩人二人だ。


 アルフリートは背後に回った時点で、落ち着いてナルガクルガと自分の間に木を挟み、靭尾の打擲に木を打たせて避けると、靭尾の振りせいで足が止まった“疾風塵雷”に踏み込む。


 アルフリートは大きく踏み込むが、ナルガクルガの目が殺意に光る。
 振っているのならさらに振ればよいとばかりに、ナルガクルガは尻尾を振る動きを追加。

 横で駄目なら縦に振れ、と言わんばかりに、跳躍、そして、体を前転。
 そして、遅れてやってくる落雷の速度の打擲。


 今度は挟む木も何もない。




 守る意思だけがそこにある。

 “Sir.”スティールが、アルフリートの体を強引に横に押し込んで、フォロー。
 縦に振られた落雷の速度と威力の致命的な一撃を、エンデ・デアヴェルトの盾で受ける。


 間髪入れずに、ナルガクルガに向けられるスティールのガンランスの砲塔。



 あたしは何度、逆説で文章を繋ぐ気なのだろうか?



 しかし、攻守が圧倒的な速さで切り替わるこの戦闘は、逆接の接続詞無しでは容易に繋がらない。


 “疾風塵雷”は地面を打擲した靭尾の反動すら、自分の体の動きとして受け入れた。
 反動で地面を跳ねる靭尾の反射を、巧みに自分の体の後方回転へと取り入れ、ガンランスの砲撃を背後へ動いてかわす。


 これが全長20mの飛竜の動きか!?

 忙しなさにおいてはネズミ以上、しかし、その巧みさは人よりはるかに上回り、そして高機動!



 あたしが不意打ちでまず一匹ずつ倒すべきだと、覚悟を決めた時、



 ――密林の暗黒を、伏撃手が駆け抜ける。



 手には轟刀『大虎徹』、黒いその姿は、今目の前にいるナルガクルガを倒し続けたナルガXの軽鎧だ。


 狙い目は、後方回転の着地と呼んで、踏み込んだのだろう。
 あれだけ反対していたにもかかわらず、いざ攻撃となると一切の躊躇がない。


 ナルガクルガを雷撃とするならば、闇夜を吹きぬける疾風の速度でナルガクルガの背後を狙う。



 しかし、ここであたしは、この“疾風塵雷”のナルガクルガの常識外の能力の本質を知るのだ。

 それは威力でもない。
 隠密でもない。
 速さですら副産物。



 ――短い寿命による、濃密な時間に裏付けられた圧倒的な知覚能力。


 ――ガンランスの砲撃をかわすほど、高速で後方回転しているその時ですら、背後が見えているのだ!!




 “疾風塵雷”のナルガクルガは靭尾を、頭上の木々の枝を数本まとめて絡めるとると、自分の体を、一瞬だけ、宙に吊らす。

 殺意に燃える赤い眼と、迷い無きヨシゾウの漆黒の眼が交わされあう。


 ――樹上からのナルガクルガの爪の振り下ろしと、ヨシゾウの轟刀『大虎徹』が交差し、お互いの体には当たらずも、空気を殺意で鳴らす。


 Gの狩人三人の攻撃ですらいなし続ける、この脅威のナルガクルガに驚いてばかりもいられなかった。


 アルフリートが叫ぶ。

「ヨシゾウ――前だ!!」


 攻撃の瞬間こそが最大の隙となる。
 狩人なら誰もが知る定石だ。


 目の前のナルガクルガに攻撃し、防御がおろそかになった瞬間。


 ――前方の密林の暗黒に潜んでいた『もう一体』のナルガクルガの眼が、殺意で赤く輝いた。 







 ――Feather Feeling


 あたし達ガンナーは一箇所を注視しない。
 戦場の全体を常に見渡す癖がある。
 故に、その感覚は羽根の様に軽いものではならない。


 ――伏撃されていようとも気づけるように。



 トリガーは既に半ばまで引いている。
 後は、指先を少し引くだけで、あたしの意思の速度で弾丸が発射される。



 ――初速マッハ2の弾丸は発射音を聞いてからでは、絶対に回避が間に合わない!!


「Ksyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッッッ!!!!!!」


 ナルガクルガの悲鳴を聞いて、あたしはため息をつきながら呟いた。


「……3人では無理でも、4人ならいけそうだね?」


 まだ安心は出来ない。
 あたしの仕事は始まったばかりだ。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 10
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/05/07 20:42

 ガンナーの存在に気付いたナルガクルガがあたしを包囲する前に、アルフリート達の援護を受けないとあたしは死ぬ。
 必死にクイックシャフトを担いだあたしは、やってくる飛刃攻撃を転がってかわす。

 これがいけなかった。

 転がって一瞬でも足が止まれば、それを隙とみたナルガクルガが迫ってくる。
 アルフリート達のような剣士ですら、回避が難しい靭尾があたしの体を追ってくる。


 あたしが取れる選択は二択だ。

 重いヘヴィボウガンを盾にして防御。
 さらに転がって回避。

 の二択だ。


 だが、ヘヴィボウガンを盾にすれば、靭尾の威力に破壊されかねない。
 しかし、転がって回避すれば、今度こそ逃げ切れずに押し倒され、喉笛を噛み切られるであろう。


 どっちも地獄の選択肢。


 だから、普通ではやらない奥の手を切る。
 あたしは転がって靭尾を避ける。


 これは誘いだ。



 ――Fast Finger



 優秀な奏者が鍵盤の上で指を躍らせるように、測定器と銃身安定のボウを展開。
 そうであることが当然であるバネの速度で、貫通弾満タンの弾倉をセット。
 転がりながらでも、膝立ち体勢になる頃には、射撃準備が整っている。


 全長20mのナルガクルガと真正面から撃ち合いだ。


「Understand?」


 肝の据わったあたしを舐めるな、獣風情!

 撃ち合いになると、キレた笑みを浮かべる親父と同じ笑みを唇の端に浮かべながら、あたしは貫通弾を連射。


 読み通りに被弾を避けるナルガクルガは体を左右に振って、あたしの貫通弾を避ける。
 狙いは当てることじゃあない。


 ――五秒、時間を稼ぐことだ。


 五秒間の連射であっという間に弾倉が空になる。
 だが、狩場で五秒時間をかけるということはどういうことか?



「アアアアアアアアアアアッッッ!!!」


 注意を引くために、叫びながら突撃するアルフリート。
 それに気付いたナルガクルガが、あたしとアルフリートを注視するために、右に体を振りながら、一歩引いて、あたし達二人を視界に収める。


 注意がアルフリートに向いた瞬間に、あたしはナルガクルガを刺激しない速度でゆっくりと離れていく。



 ――しかし、コイツは本当に洒落にならない化け物だ。



 Gの狩人、三人の剣士の攻撃をかすらせもせず、ガンナーの射撃を至近距離でかわす。

 アルフリートはあたしを主軸にすえると言ったが、あたしですらいまだに不意打ちでしか当てていない。



 ――あたしの射撃は本当にコイツに通用するのか?



 それは感じてはいけない疑問だった。
 少なくとも、あたしの親父は一切感じたことは無い、と言っていた。
 そういう疑問は毒だと、親父は言っていた。
 自分が磨いてきた技術を麻痺させる毒だ、と言っていた。


 けど、不安がよぎる。
 Gの剣士三人の攻撃をかわし続けるナルガクルガ。


 一人は、リーダーとして、攻撃手として立派に仲間を引っ張る“Striker”。
 一人は、自らの心に太く立てた誇りを支柱として仲間を護る“Sir.”。
 一人は、その太刀と自分の腕を立派に振るう“Sword Dancer”。


 ――あたしがその三人を差し置いて、攻撃を当てるほどの技術があるのか?


 いいや、今は疑問に思っている時じゃあない。
 あたしは照準を覗いて、今度こそナルガクルガに向けて、引き金を絞り始める。


 ナルガクルガはあたしの方を見もしない。


 剣士達と比べれば、あたしは恐れるに足らないと?





 ――あたしの指に、焦りの“火”が付き始めたのは、その時からだった。


 絞りきって落とした引き金は、空の薬室に乾いた音を響かせた。
 貫通弾は連射して使い切っていたのだ!

 すぐにあたしは通常弾をリロードする。

 しかし、今度はそれを見越したかのように、ナルガクルガの飛刃攻撃があたしの周囲に突き刺さる。
 スティールがあたしの前に立ち、壁になってあたしへの攻撃を防ぐ。


 ――アルフリートの指示はまだなの!?

 ――“疾風塵雷”のナルガクルガを倒す作戦、『F・F・F』はまだ始めないの?


 あたしはその指示をじっと待つ。

 飛刃攻撃を必死に防いでくれるスティールに、すまないと思いながら、
 この戦いに引きずり込んだヨシゾウに、すまないと思いながら、

 疑問があたしを苛み始める。


 ――どうして、あたしなのだろう?

 ――あたしじゃあ、きっと当たらない。

 ――“F・F”の名前を、“Friendly Fire”に汚してしまったあたしじゃあ、きっと当たらない。


 指に付いてしまった“火”は、神経にも回りあたしの指をあぶり、その熱で吹き出た汗でじっとりと濡らす。
 汗で濡れて重くなった手袋の中の指。
 “火”に焼かれて羽の軽さを失った感覚は、あたしを焦らすばかり。
 穴の空いた感覚では、あの“疾風塵雷”は捕まらない。


 ――アルフリートの指示はまだなのか?

 ――あたしは指示を待ち続ける。


 その間にも、“火”はあたしの体を回り続ける。
 焼かれた筋肉が、耐え切れそうも無い緊張で堅くなり始める。
 喉に回った“火”が、あたしの気管をカラカラにする。


 ――アルフリートの指示はまだなの?
 ――あたしは指示を待ち続ける。



 ――まるで、救いみたいに。



 そして、とても遠いところから、声がかけられた。


「何をしている?」


 酷く冷静にあたしを攻めるアルフリートの目。


 堪えきれずに、視線をあちこちに逸らす私。


「……あ……う……」

 この時の心情を述べるならば、あたしは完全にパニックになっていた。
 色々と傷心の時期に、絶体絶命の危機になり、そして、それを救うのはあたしの役割ときたものだ。


 誰だって思うだろう。


 何で、あたしなのか? と。





 答えが欲しくて、でも、そう思うのもなんだかすまなく思えて、救いを求めるような目でアルフリートを見た。


 すると、すぐに“応え”がやってきた。





 膝立ちで構えているあたしの腰を掴み、片手で持ち上げる。

 そのまま走って助走すると、藻が繁茂する池に向かって、



 ――あたしはブン投げられたのだ。
 ――距離にして5mほど、水平に。



 あたしは髪に藻を張り付かせながら、池から顔を出して抗議した。

「な……何するのさ!?」


「それはこっちの台詞だ、良いか!? 私の策はお前を助けるためにあるんじゃないぞ!?」


 アルフリートの言葉はあたしの心をずばり見抜いていた。
 
 しかし、そう言われたとしても、出来ないものは出来ない。


「じゃ、じゃあどうすればいいのさ!? あたしだけじゃあ、あのナルガクルガに当てるなんて出来ないよ!?」


 パニックが、衝撃を与えられてさらに増長されたとしか思えない。
 いつも、物静かな心のタガが外れたかのように、あたしの心から言葉が飛び出してきた。


「本当は、今からでもアルフリートさんに代わった方が良いんじゃないの!? あたしと違ってきっと当たる!」


 あたしは回りに勝手に期待されるのも、勝手に絶望されるのももう飽き飽きだった。

 “F・F”だから、当たる?
 “Friendly Fire”だから、ダメ?

 冗談じゃあない。
 勝手に期待して、勝手に仕事を押し付けたのはそっちだ。
 もうあたしに仕事なんか任せないで欲しい!


「あたしなんてきっと要らないんだよ!」


 あたしは言い切ってしまった。
 こんな危険な仕事の最中に。
 全てを放り出してしまった。

 アルフリートはなんて言うのだろうか?
 怒るだろうか?
 怒らないはずがないだろう。

 でも、助けて欲しい。
 あたしじゃあ無理なのだ。


 あたしは返事を静かに待った。
 

 ――そして、アルフリートは、あたしの想像通りの言葉を言った。



「ふざけるなーーーーー!!」



 ――そして、そこから想像なんてまったくしもしなかった言葉を繋げた。


「出来ない事をしようとするな!! お前の出来る事に期待して、私はお前に仕事を任せたのだ!! 何を勝手な事をしようとしている、この我が儘め!」


 あたしは、この男が言っていることがまったく分からなかった。

 こっちは出来ないと言っているのに、
 あの男は出来ると断言しているのだ。



 ただ、やはり、狩りの最中に言い争いはするものじゃあない。
 言い争いで、足が止まっているアルフリートの背後から、“疾風塵雷”のナルガクルガの赤い眼が見えた。


「あ、あ、あ、アルフリートさん、後ろ、後ろぉーーー!?」


 アルフリートが振り向くと、ほぼ同時に、ナルガクルガは尻尾を振ろうと構えを取っていた。


「やかましぃーーーー!!」


 すると、アルフリートは振り向きとほぼ同時に、手に握っていた音爆弾をナルガクルガに投げつけた。
 投げつける衝撃で破裂した音爆弾は、雷のような大きな音を立て、鋭敏な聴覚を持つナルガクルガの大脳を衝撃で揺さぶり、気絶させた。

 もともと、ナルガクルガは音に弱く、不意を打って大きな音を立てると、気絶してしまう。

 しかし、本来なら、隙を作るために使う道具を、この男はあたしとの言い争いの為に使ったのだ!

 何だ、この無茶苦茶な男は!?


「良いか!? 誰がお前に倒してくれ、と頼んだ!? 私はお前に出来ることしか依頼していない! 英雄気取りはルーキーのうちに済ませておけ!!」


 あたしはこの無茶苦茶な男に何とか分からせよう、と声を張り上げた。



「だ……だ……だから……出来ないって言ってるでしょー!」

「いいや、出来る! 私はお前の腕をこの目で見たんだからな!!」

「ナルガクルガはアプトノスより全然素早いでしょう! そもそも、アルフリートやスティールが出来ないことは、あたしにも出来ませんよー!!」

「いいや、お前ならあのナルガクルガに届く!!」



 水掛け論もいいところの言い争いに、さすがのヨシゾウもスティールも唖然として聞いていた。



「じゃあ、あたしの出来ることって何なんですか!?」

「簡単だ!!」




 ――そして、あたしですら忘れているような事実を、この男は知っていたのだ。



「――その“F・F”の二つの文字の意味を知っているのは、お前しかいないのだ!」



 あたしは、すっかり忘れていたのだ。

 昔から築いてきた技。
 教えられた守るべき知恵。
 ふてぶてしい仲間の頼もしさ。
 共有した秘密の優越感。

 他人の間を歩く心細さに、疲れた頭が忘れてしまったのだ。

 アルフリートは言う。
 この二つ名を関する者の意味を。



「“F・F”の二つ名は、お前の家族の中でも万物不可避の一撃を放てる者が冠する二つ名と聞く」



 実は、親父が「そういう事にしといた方が箔がつく」、と言って子供全員に授けている事実を、アルフリートは知らないのだろう。
 けど、この名前はそういう『期待』も篭っている。
 勝手で我が儘な話だ。
 けれども、ウチの親父は、まさにそんな比喩が似合う男だったのは良く覚えている。
 ガンナーとして、今も尊敬している。

 そんな人が、母親と一緒にあたしを産み、
 そんな人が、あたしに名前を付け
 そんな人が、あたしを育て、
 そんな人が、あたしを鍛え、
 そんな人が、あたしに授け、
 そんな人が、あたしに“F・F”の二つ名を授けたのだ。

 その二つ名を貰った時、とても嬉しかった気持ちを、あたしはどこかに置いてきていたようだった。
 

「ならば、“疾風塵雷”も捉えられるのが道理だ、違うか?」


 手袋の中で、湿っているはずの指が動く。
 どうやら、付いていた“火”は消えたようだ。


 あたしは、少しだけ意地悪く言ってやった。


「……あたしの狙いはきわどいですけど、怒りませんよね?」

 アルフリートも、意地悪く笑ってそう言った。

「そういう作戦だ。好きにやれ」


 アルフリートはハンマーを持ち直すと、言い争いの間、ずっともう一体を引き受けていたヨシゾウとスティールに向き直った。


「待たせたな――――『F・F・F』作戦を開始する!!」



 さあ、反撃の時が来た!



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 11
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/05/29 05:32
 樹上からその戦いを見下ろす“Typhoon”ラピカの横に、黄金の鎧の狩人が登ってきた。
 彼女は、ラピカの横で静かにその戦いを見下ろし、こう漏らした。

「……密集隊形か」

 ラピカは自分の意見を彼女に述べた。

「ナルガクルガには不向きの隊形だな。周囲の地形に隠れて奇襲するナルガクルガに対して、ハンマーと太刀は守りに向かない――私なら、スティールを先頭において縦列させる」

「いいや、あれは攻勢の隊形だ」

 彼女は笑ってそれを否定した。

「発案者はオレだ。奴がそれに剣士としての立ち回りを肉付けした。『F・F・F』と奴は呼んでいたな」


 「皮肉気で大仰だ。奴らしい」、と続ける弓使いに、ラピカは問うた。


「“Striker”アルフリートを知っているのか?」


 彼女はあっさりと答えた。



「――知っているも何も、オレは奴と同じ猟団だった。オレが数ヶ月前にギルドナイトになった理由の一つは、奴を探し出すことにあった」


「!?」


 ラピカは目の前で底の知れない笑みを浮かべる弓使いに、今度は強い口調で言った。


「どうして言わなかった?」

「聞かれなかった。それに個人的な事情をわざわざ吹聴するほど、オレ達は仲良しじゃあないだろう?」


 そう言われてしまえば、ラピカにそれ以上追求する言葉はない。
 ラピカはそれで口をつぐみ、眼下の戦いに集中することにした。

 アルフリートが負けるにしろ、勝つにしろ、ギルドナイトは“疾風塵雷”のナルガクルガの生死を見届けなければならない。
 それに、アルフリートが死ねば、そこで終わってしまう話だ。


 そう結論付けて、ラピカは遠くを見るため、目を細めた。





 後で思えば、よくその時のあたしがこんなネーミングの作戦を了解したのだと思う。
 そして、この作戦の発想は実に単純なのだ。

 この“疾風塵雷”のナルガクルガや一部の鳥獣種には、野性的な勘と身のこなしでこちらの攻撃をあっさりとかわす連中がいる。


 しかし、おおよそ勘や第六感というものは、周囲の状況から想像力と知恵で、本来知覚出来ない場所を知覚している場合がある。


 たとえば、“Sir.”スティール。


 彼はヨシゾウとは違い、嗅覚以外でヨシゾウの知覚出来ないナルガクルガの居場所を特定したが、なんてことはない。


 肌に触った空気の揺らぎ。
 本人が無意識に知覚した音。
 闇の向こうでかすかに揺らいだ影。
 風の流れを阻害した時に起きる微妙な乱気流。


 そういう、「本人が言葉で表現できない物事」を知覚し、それを表現できずに『第六感』と言っている場合が多い。



 ――つまり、この作戦の肝は、そういう『第六感』から逃れるために、隠れながら射撃することにあるのだ。



 しかし、本気で姿を隠せば、“疾風塵雷”のナルガクルガは全力で警戒を開始し、あたしの弾丸をその全能力で知覚するだろう。
 だから、隠れるのは一瞬でいい。




 あたしは、あたしを中心として、背をあたしに向ける三人の剣士の真ん中で指示を飛ばす。

 あたしは接近してくるナルガクルガを知覚すると、あたしの右斜め後ろ――四時方向――にいるヨシゾウの背中を叩き、ナルガクルガのおおよその位置、十時方向に向かって駆け出す。
 すると、それを見たスティールとアルフリートが、あたしより先に先行する。
 背中を叩かれたヨシゾウは右斜め後ろを見たまま、あたしに再度背中を叩かれるまで後方を警戒しながら付き従う。

 先行するアルフリートは、さながら猛牛のように猛進し、スティールはいつでも盾を構えられるように警戒しながら前へ出る。

 近づいてくる二人に向かって、姿を現したナルガクルガは、尻尾を振るって近づけないように飛刃攻撃を飛ばす。

 代謝の高いナルガクルガが、鳥類の羽毛のごとく抜け替わる鱗を、武器として飛ばすのが飛刃攻撃だ。
 射程も速度も武器としては優秀だが、やはり所詮飛竜。

 攻撃の本質を知らない。


 攻撃する。
 敵意を向ける。
 憎悪する。


 これらの攻撃的な行為は、自分のやったこと全てが我が身に降りかかってくる事を考慮して、はじめて理性的な行為となる。


 ――Forward Follow


 前衛を援護し、前衛に援護されることで、攻撃はその精度を高め、確実性を増す。

 あたしはヨシゾウの肩を叩いてヨシゾウに回避行動を促すと、飛刃攻撃をスティールの後ろに回り込んで避ける。
 スティールはエンデ・デアヴェルトの盾で、飛刃攻撃を難なく受け止め、あたしへの『盾』としての役割を全うする。



 ――その役割を成し遂げることは、指揮者が指揮棒を振り上げるのと同じことであった。
 ――彼らは連携を取るため、自分と同調させるため、本来接合など果たされない別々の器官が互いの役割を果たして一個の生命となるように。


『 In the air,On the earth,Everybody sing forever song(天空の下、大地の上、皆は永遠の歌を歌う)』


 ――騎士は詠う。
 ――彼らの歌を。
 ――逞しき人間の歌を。



 スティールが高らかに歌いながら、エンデ・デアヴェルトの盾で飛刃攻撃を受ける。
 あたしは急に歌いだしたスティールに驚きながらも、盾が火花を立てているうちから攻撃を開始する。


 もちろん、眼前にはスティールが盾を構えて固まっており、射撃への障害物となっている。

 だから、あたしは地面に伏せ、
 足よりも、
 盾よりも、

 ナルガクルガの予想よりもいっそう低い位置から射撃する。


 スティールの股間の下を、通常弾が音速超過の速度で疾駆していく。


 だが、ナルガクルガの超反射神経が、その射撃すらも感知。
 黒い残像を残しながら、発条のような動きで跳躍回避。

 しかし、あたしの目はしっかりと見えている。


『 Brightning star is shining a mark,it's light in the wisdom (輝く星は目標を照らす、智の下にある光よ)』



 ――ナルガクルガの体から一筋の血が流れ出ている事を。


「……当たった!」


「かすっただけだ、まだ我々の動きは早くなれる。今度は当てろ!」


「……うん」


 スティールの肩を叩いて、今度は二時方向に動く。
 もはや、言葉は必要なかった。
 肩を叩いた音、あたしの視線の方向、あたしの挙動を感じたアルフリートとヨシゾウが自然と先行する。


 スティールの歌に、興が乗ったと言わんばかりのアルフリートが、叫びの代わりに歌い上げる。


『 I can strike thunderbolt,catching in my sight(照準に捉える限り、雷も当ててみせよう) 』


 力と自信に漲った、まさに今眼前にいるアルフリートの足取りのような歌い方。
 その歌の先には、密林の闇から姿を晒して、あたしたちの前に立つナルガクルガがいる。


 Feather Feeling――そのナルガクルガは、囮だと分かる。

 ――本命は、


「……上」



 攻撃の主軸があたしである事を見抜いた、もう一匹のナルガクルガの落下しながらの攻撃だ。
 樹上を跳躍して、あたし達の上に出たのだろう。
 だが、飛竜としては軽い体重でも、木を揺らすには十分過ぎる重さを持ったナルガクルガだ。
 あたしの感覚からは逃れられない。


 言葉を発したことでスティールが反応。
 樹上から襲い掛かるナルガクルガに、エンデ・デアヴェルトの砲口を向ける。

 それも楽しそうに歌いながら、


『 You must shout our soul,「We're the greatest hunters!!」 (お前は俺達の魂を叫べ、『俺達こそ偉大な狩人だ!!』)』


 砲声と共に歌い上げられる歌詞は彼らにこそ似つかわしい。
 エンデ・デアヴェルトの轟音と衝撃が上空へ放たれ、それに阻まれたナルガクルガはあたしへの攻撃を諦めて、樹上へと逃げていった。


『 Sounding a shot,it's long hand of DEATH.(銃声は鳴る、それは死神の手)』


 二人の意を得たり、とばかりにヨシゾウも歌う。
 三人の言いたいことは分かっている。
 この曲の名前は『英雄の証』。
 しかも、あたしの家族はこの曲をよく歌ったもんだ。
 副題がこうなっているからだ。

 ――『Gunner's hero license』。
 ――ここがあたしの出番だと、言いたいのだ。

 ――あたしは自分の唇を軽く舐める。


 さらに、あたしの射線にヨシゾウが割り込むように入ってくる。
 5mも離れているのならともかく、たった2mしか離れていないこの状況であたしの射線に割り込むのは自殺行為も同然の大馬鹿だ。

 ――しかし、打ち合わせ通りの行動なら話が別だ。

 飛竜はヨシゾウより体が大きい。
 だから、わずかな隙間が出来上がる。針の穴ほどの隙間だ。


 ここで勘違いしないで欲しい。
 針の穴を打ち抜くのは、ギャンブルでも何でもない。


『 Hunter of the hunters―― (狩人の中の狩人――)』


 大事なのは、気付くことと身につけることだ。
 毎日カラ骨を削って、弾薬と弾頭を詰める作業を行い、それを試射する連続で気付くべきことはたくさんある。

 たとえば、目標とするべき針の穴は2mm程の大きさであり、対してレベル1通常弾は12.7mmの大きさである。
 レベル1通常弾では針の穴は穿てないが、その12.7mmの弾頭の大きさを利用して針の頭を吹き飛ばすことは可能だ。

 たとえば、モノブロスの角は1m程の長さであるが、20mの巨体の先端で、常に振り続けられている頭を狙うのは至難の業だ。
 しかし、頭には自分の視界を得るための器官――「目」がついている。
 必ず、周囲を見る為に立ち止まる瞬間があり、一流のガンナーはその瞬間を見逃さない。

 たとえば、人間の平均身長は1m70cmであるが、実際、その体の大きさは肉と骨以外の、『血が通っていない部分』で構成されていたりもする。

 たとえば、鎧の金属。
 たとえば、手袋の革。
 たとえば、髪の毛、とか。



『 ――It's Gunner license!!(それがガンナーの証!!)』



 ――ヨシゾウの髪の毛を擦過して、あたしのレベル3通常弾がナルガクルガの肩に命中した。


「ッッッ!?」


 驚いたどころじゃない非難がましい視線をあたしに向けようとして、必死に耐えるヨシゾウ。
 あたしはその視線に、すっとぼけながら歌う。


『 I can shoot dragon and ancient dragon,it's the largest monster (俺は飛竜でも古竜でも撃てる、それがどんなに巨大でも!) 』』


 ナルガクルガの毛皮の毛と共に、ヨシゾウの髪の毛も幾分宙を舞ったが、これぐらいはあたしの家庭じゃあ序の口だ。
 あたしの母親は、脇の服の余りを平気で打ち抜いて、人間の皮膚をかすらせずに、その先の飛竜に当てる。


 ――そして、あたしのレベル3通常弾は、少々特殊だ。
 命中したレベル3通常弾が衝撃を加えられた事により炸裂、その堅いカラの実の弾殻がナルガクルガの肩をさらに抉る。



「Ksyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッッッ!!!!!!」



 レベル3通常弾によって与えられた、二回分の衝撃に混乱を隠せない“疾風塵雷”。
 それはそうだろう。
 野生動物の攻撃は、毒があっても、飛び道具に詰め物をする奴らはいない。


 Fatal Filling


 致命的充填物。あたしのレベル3通常弾は、わざと長めに日陰干しにしてカラカラに乾かしたものを使っている。
 時間がかかる。加工が容易じゃなくなる。何より加工途中に割れて、カラの実が台無しになるという三重苦が待っているが、中に詰めたはじけイワシの爆裂がより切れ味を増す。
 さらに、カラの実の先端をX字に刻む事により、炸裂時の破片を大きめになるようにしている。
 喰らえば、柔な毛皮のナルガクルガの肉を破片が切り裂くだろう。

 ただのガンナーが使うレベル3通常弾とはわけが違う。
 あたしの家族の弾丸作成術の粋を込め、死にたくなるほど失敗作を作り続けて、ようやく会得したこのレベル3は市販の弾丸にはない、優秀なガンナーが築き上げた根拠がある。

 その執念は、狩人のどの武器よりもバリエーションに富み、その意地は底無しに黒い。

 こと、獲物を徹底的に苦しめる策においてはガンナーに勝る狩人はいない。
 人間よりも優秀な武器と身体能力を誇る飛竜に勝つために、人類が知恵と工夫を持って築き上げた戦術策謀の最前線。


 それがガンナーだ。


『 You must go fire and burning road,so we can't feel any terror!! (お前は炎と燃える道を行け。俺達はあらゆる恐怖を恐れないのだから!!)』


 あたしも歌う。
 あたしが主役と、持ち上げてくれる三人を導くために歌う。





『 Brighten shell,silent warhead and cotroling trigger.(磨かれた薬莢、黙する弾頭、制御された引き金よ)』

 歌が森の密度のある空気の中を流れていく。
 それは密林の湿度と比べれば、随分と乾いた印象を受ける曲だった。


『 Black hands,narrow eyes and be all smiles at success.(黒くなった手、細められた目、そして、成果に顔は笑う) 』


 歌と空気とナルガクルガの悲鳴を燃やしながら、火線が密林の闇を疾走する。

 それは狩人でない者が見れば、なんともない風景であった。
 前衛が前に立って注意を引き、守られた後衛が敵を撃つ。
 素人でも思いつきそうな作戦だった。

 だが、問題は前衛と後衛の距離だ。
 少しでも集団で行動をした経験がある者なら、正気を疑う至近距離でガンナーと剣士の連携が成り立っていた。


『 I'm walking road.Wisdom is made solid ground for all.(俺は歩く。全ての人の為に知恵が固めた道を)』

「作戦名『F・F・F』――『Formation Friendly Fire』。オレの矢尻が触れるぐらい近い距離から放たれるんで、ついた名前だ」  


 弓使いの女は、ラピカと共に見下ろして説明する。
 眼下で行われていることが楽しくてたまらないように。


「弓は放物線を描くから、剣士を避けながら撃つなんて大した手間じゃないんだが、直線で飛ぶ銃弾じゃあ本当の正確さが必要になる」


 それは本能では得られない動作の最適化だ。
 この狩りで組んだばかりの相手で、お互いの事をまったくも理解していない狩人達が連携を得るためには、まず時間が必要だった。
 お互いやるべき事をやり、言うべき事を言い、黙すべき事は黙し、狩人はようやく連携を手に入れた。
 様々な道具を精密に作り出す人間だからこそ出来る、行動の調和であった。


『 We are lost our way by deep darkness.(我々が深い闇に迷わないように) 』


「さすがは、ガンナー一家『F・F』だ。正確さなら、オレと良い勝負ができる」


「じゃが、楽しんでばかりもおられんぞ、あのナルガクルガは奥の手を隠しておる」


 樹上の二人に声をかけたのは、獣を頭部に頂く者であった。
 弓使いの女は、矢尻のように尖った笑みを浮かべて、応えた。

「だろうな……オレがナルガクルガなら、完全に姿を隠して囮を使い、不意を打つだろうさ」

「その策を使わないのは、まだ使っていない攻撃があるんじゃろうな、まったく持って面白い」

 笑う二人を、ラピカは静かな眼差しで、ただ見下ろしていた。

『 Terror bites my shoulder to drag in pit.(恐怖が俺達を穴に引きずり込むために肩に喰いつくだろう)』

「…………」

 二人の予測では、おそらくアルフリートが敗北する事になっているのだろう。 
 弓使いの女も、獣を頭部に頂く者も、その奥の手が必殺である事を予期し、それを見逃すまいと目を凝らしていたからだ。


 ――だが、ラピカはそうは思っていない。
 ――知っているからだ。アルフリートが予告し、その通りに勝った“Sword Dancer”の戦いを。


 一体、アルフリートが言う勇者の強さと、ただ強いだけの凡夫の強さには、一体どのような違いがあるのだろうか?

 それがずっとラピカの心のどこかで引っかかっており、それが彼女に安易な判断をさせないようにしていた。


『 But we sing the joy,we know all joy,forever――(だが、俺達は喜びを歌う。俺達が知る喜び全てを、永遠に)』


 願わくば、この疑問が永遠にならない事を。
 疑問の先に喜びがあるように。



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 12
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/05/29 05:33

 あたしは勝利を確信した。
 この『Formation Friendly Fire』は、あたしの姿をナルガクルガから隠すと同時に、あたしの周囲に常に剣士がいる事になる。
 接近してガンナーを無力化しようとしても、三人の剣士を相手にしてからでないと、あたしにたどり着かない。
 ナルガクルガの飛び道具、飛刃攻撃は通じない。あたしのヘビィボウガンの性能が飛刃より高く、何度も見せたために回避されてしまうからだ。

 このナルガクルガはすでに手詰まり。
 逃げずにここにいるのは、孵化した幼生を守る為。

 あたしの中ではそう結論付けていた。



 ただのナルガクルガならその認識で合っていただろう。
 だが、相手はGの狩人すら恐れさせる二つ名付きの飛竜。

 ――“疾風塵雷”のナルガクルガだ。

 あたしはその意味を嫌というほど思い知ったのだ。







 ――知恵は常に冷たく氷のように凍えるものである。

 “疾風塵雷”は負けるとは思ってはいなかった。
 相手が通常の手段では歯が立たない相手であっても、彼らは自分の縄張りを明け渡すことはなかった。


 ――何故なら、彼らは思考する事が出来たからだ。


 生物は集団行動を取る以上、互いに連絡し合わなければいけない。
 鳴き声、足音、ダンス、超音波、フェロモン。
 獲物に知覚されない方法で連絡を取り合い、集団で一個の無力を補うのだ。

 しかし、“疾風塵雷”はとある理由により、それらの手段無くとも連携が取れた。



 彼らは、双子のナルガクルガとして生を授かった。
 

 それはただの二個を一個にした。
 生まれた時から、彼らはお互いの感覚を共有し、お互いの思考を読み、お互いの感情を味わってきた。


 彼らは争うことが無かった。お互いの感情を完全に理解すれば、争って無理矢理得るよりも和解する方が早い。
 能力を競うことも無かった。思考を読めるということは、相手が出来ることも知っているからだ。
 彼らは分かれる必要がなかった。二個にして一個、完全に分かり合える個体。これ以上の存在などいるはずが無い。

 
 それは結果として、完全無音の暗殺者を生み出すこととなった。
 連絡手段を必要とせず、思考を共有することで的確に論理を組み立て、高度な連携を取り合う存在。


 彼らは赤く燃える瞳の下で、凍えるような怜悧な知恵を働かせている。
 そして、見つけだした。



 あの人間の技には弱点がある、と。

 “疾風塵雷”の二頭が行動を起こすのは、それからすぐであった。





 Far Falcon ――――――あたしはまだ見ぬナルガクルガに、とどめを刺す策に頭を巡らせ、
 Feather Feeling――――密林の闇の奥で動くナルガクルガの姿を捉え続けながら、
 Flash Fire ――――――相手の最期となる一斉射の瞬間を待ち望んでいた。


 だが、あたしの感覚の中で、“疾風塵雷”の二頭は樹上へ昇っていった。


 樹上――密林の闇の上、密林を見渡せる場所、密林を統べる者にとって、まさにあるべき頂とも言える場所。

 密林の葉と枝のカーテン目がけて、“疾風塵雷”二頭は靭尾を振るって、二頭同時に飛刃攻撃を放つ。
 葉と枝を貫通、断ち切り、穿って――密林の木々の下で蠢く人間達を見下ろしながら、密度を増した飛刃攻撃が刃の雨となってあたし達に襲いかかる。


「……う、上、……飛刃ッ!!」


 360度の攻撃に対応できる『Formation Friendly Fire』唯一の死角、上空からの攻撃にあたしの声が上ずる。
 この飛刃攻撃に咄嗟に反応したのは、アルフリートだった。

 上空から迫る飛刃攻撃を避けるために、反応し切れていないあたしの首根っこを掴んで太い大木の幹へと押しつけるや、自分も同じ木の幹を盾にした。
 ヨシゾウもアルフリートに倣って、大木の幹にすがりつく
 大木の幹の胴回りは15m。まず飛刃攻撃は徹さない。
 盾とするには適していた、が。


「違うでござる!!」


 スティールの注意が飛ぶ。
 だが、何が違うのかが分からないあたしは、とにかく迫る飛刃攻撃を避けるために大木の幹にすがるしかない。
 ナルガクルガは樹上の飛刃攻撃から落下している途中、ヨシゾウもアルフリートも大木の幹を盾としている。


 ――時間はいつだって足りない。
 ――察するにも、説明するにも、理解するにも、まったく時間は足りない。足りなさ過ぎる。


 ――だから、“Sir.”スティールは何も言わずに守る行動を取ったのだ。


 ――そのエンデ・デアヴェルトの大きな盾で。
 ――誰よりも自分を守れるというのに。


 身を切り裂き、貫く刃の雨が、密林の闇を鋭利に抉った。
 あたし達は大木の幹を盾として。
 スティールは自分の盾で身を守った。

 あたしの中で、ようやくこの攻撃の本質が理解できた時には、状況はすでに完成されていた。
 見えぬ上空からの攻撃を恐れ、大木の幹へと、


 ―― 一箇所にまとめられたあたし達がそこにいたのだ。


「……に、逃げ……」


 繰り返そう。
 あたしがそう言おうとした時には、状況はすでに完成されていた。


 上空からの自由落下。
 軽い体が持つ機動性。
 樹上を跳躍できる敏捷性。


 ――無音にして必殺なる暗殺者二頭の、自由落下と回転を足し合わせた靭尾の振り下ろしの一撃は、
 ――黒いX字を描きながら、15mにもなる胴回りをもつ大木を雷のごとく4つに切り裂いて、あたし達に迫った!!



 繰り返そう。
 状況はすでに完成されていた。



 飛刃攻撃の後に、間髪おかずに迫る二本の靭尾の振り下ろしを回避することは、あたし達には不可能だった。



 ――ただ、一人だけを除いて。



 ――雷のごとくあたし達に迫る不可避の一撃に向かって、火山の噴火のごとく咆哮する爆音が密林に響き渡る。
 ――大空へ挑戦状を叩きつけるかのごとく、垂直に放たれるその竜撃砲の火焔は、
 ――避雷針のように靭尾の軌道を反らし、靭尾の二撃は鳥肌が立つような勢いで地面を削った。


 あたしは、きっと後の世に“Sir.”をこう語るだろう。
 『そのガンランスは、名前の通り、英雄の持ち物であった』、と。



 何故、ガンランスの竜撃砲は垂直に放つことは出来ないか?

 ちょっと考えれば単純だ。
 水平に放たないと、竜撃砲の反動が体に襲いかかるからだ。

 本来、竜撃砲とは大砲として運用すべき威力のものを、無理矢理、個人携帯用の武器にしている無茶苦茶無謀なコンセプトの武器なのだ。
 自分の体を、大砲の砲台として『運用』する覚悟が使用者には求められる。

 だから、スティールは分かっていたはずなのだ。



「……ぬう……致し方ないでござるな?」



 上空に向けて、垂直に竜撃砲を放つということは。
 自殺行為も当然の、必死の防御であるということが!


 ――反動を食らった体から血を吹かせながら、2mの巨体が力なく大地に倒れる。
 ――意識を手放す瞬間ですら、エンデ・デアヴェルトを手放さずに。
 

「スティール卿!」
「スティールの旦那!」


 周囲を警戒しながらも、アルフリートとヨシゾウがスティールに駆け寄った。
 飛竜どころか、人体の急所をも知り尽くしたヨシゾウが、スティールの体の要点を触って診断する。


「……呆れるぜ、竜撃砲の反動喰らってもきつめの打撲ですんでやがる。今、動けないのは脳震盪だな。首の筋肉が強すぎてむち打ちにもなってねえ」


 スティールに大事は無いとは分かったが、問題は二頭の“疾風塵雷”のナルガクルガだ。
 落下の衝撃で身動きが取れない今こそ、スティールの身を隠せるが、『Formation Friendly Fire』は三人の剣士が三方を見張っていたからこそ対応出来ていた。

 ――剣士二人では、『Formation Friendly Fire』は成立しない。
 ――“疾風塵雷”が速過ぎて、あたし達の知覚が追いつかないのだ。


「いや、しかし、旦那には恐れ入ったぜ。連中への『土産』も忘れないとは、『騎士』の誇りという奴かね?」


 ヨシゾウは本当に感心しながら、アルフリートに振り返った。


「アルフの旦那、俺達はまだやれるな?」

「うむ。奴らは我々から離れるわけにはいかないからな。『不利なまま』でやるしかない」


 『土産』? 『不利なまま』?

 何のことか分からないあたしを察したアルフリートは、


「『Formation Friendly Fire』はまだ活きているということだ。気にせず狙え、期待しているぞ」


 とだけ言って、あたしの頭を撫でた。
 撫でられるのが無性に腹にきたあたしは、アルフリートの手を振りほどいて言った。


「……で、でも、『Formation Friendly Fire』があってもあの連続攻撃がありますよ?」


 そうだ、もし二人で成立させたとしても、“疾風塵雷”のナルガクルガの上空からの見えない飛刃攻撃に、靭尾の振り下ろしを加えたあの必殺の連続攻撃がある。



 ――――あれを破れない限り、“疾風塵雷”には勝てない――――



「……飛んでいる瞬間を狙うことは出来ないのか? 要は攻撃の瞬間を攻撃出来れば、あの攻撃は成立しない」


 アルフリートがそう言った。


「無理だろう。樹上への視界は格別に悪い。いくら“F・F”でも狙えないだろう」


 ヨシゾウがそう言った。


 あたしはうちの家族がやった“無茶”の記憶をひっくり返した。
 これが結構すごい事やっているのだ、うちの馬鹿家族は。


 崖っぷちに追い詰められ、突っ込んでくるイャンガルルガ相手に正面から集中砲火を加えて目を潰し、逆に崖に落とした、とか。
 街の中に入ってきたドドブランゴ亜種に、徹甲榴弾で壁をへし折って下敷きにしたり、とか。
 酒場でうちの家族に盗みを働いた盗賊を捕まえるために、酔った勢いも有り余って酒場の中で散弾と貫通弾をばら撒いたり。


 そういや、ウチの兄貴は行き過ぎて、どっかの街で酷い恨み買ってなかったっけ?


 ――かちり、という音がして、あたしの記憶と現状が結びついた。
 ――それは本当に古い記憶だった。
 ――まだ弟のおしめが取れていない大昔だ。
 ――古過ぎて見つからなかったのだ、どうしようもない。


「アルフ、ヨシゾウ――――――」


 あたしは二人に、あたしが考案した“疾風塵雷”破りの策を教授してやった。



 腕も策もあるヨシゾウが。


 あの最強に底意地の悪いアルフリートが。






 ――信じられないようなものを見る目で、あたしを見るのは、ちょっと爽快だった。



 二人は、揃って胡乱気にこう聞いてきた。


『……出来るのか?』


 あたしは、底意地も悪く、ニッコリ笑って言った。


「――――出来る!」





 ――随分と長くなってしまったが、お待たせした。
 ――ようやく、“疾風塵雷”との決着の時は来る!!



[17730] 第三話「まごころの弾丸」 13
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/06/01 18:17
 二頭の“疾風塵雷”のナルガクルガは、また動き始めた三人の狩人を発見した。
 四人目はここから見えないが、おそらく遭遇した時のように周到に隠れているのだろう。
 アイツは巨大な業火で、こちらの靭尾の一撃を回避したが、やはり無茶をした分動けなくなったようだ。
 受けている傷は重いはずだ。なら、四人目は後回しで良い。
 そもそも、四人揃ってようやくこちらと対等であった狩人達だ。

 ――どんな方法でも良いから、まず一人欠けさせること。

 それが“疾風塵雷”達の出した結論であり、結束することでしか力を出せない連携の弱点とも言えた。



 だが、野生動物は知らない。
 人間の本質が、彼らの野生よりも勇敢でたくましい事を。

 Try&Errorを繰り返し、足を失おうと、手を失おうと挑戦する、人間の図太さを。


 連携の本質は、スマートなものではない。
 傷つき、失敗し、それでも正解を見つけ出そうとする人間の諦めの悪さが生み出した、「本来合致するはずのない他人を、意地と根性と知恵と知識で掛け合わせた力」である。

 生まれてから双子であった“疾風塵雷”には分からないだろう。
 彼らは失敗する理由も何もかもを、互いで分かり合えることが出来るのだから。


 このチグハグで噛み合わない人間だからこそ、彼らは諦めることなど知らない。
 常に外から来る野生動物を主とした『外敵』と、人間社会における様々な齟齬やトラブルを主とした『内なる敵』に挟まれ、苦悩し、鍛え上げられた彼らは、



 ――こと、逞しさにおいて“疾風塵雷”の想像を遥かに凌駕していた。




 アルフリートとヨシゾウの指摘は言われてみれば誰でも気付けそうな、まったく持ってつまらないものだった。

 あたしの前でアルフリートとヨシゾウが並んで進む。
 本来の『Formation Friendly Fire』なら、後方への見張りとして一人置いて殿を任せるのだが、今回はまったく必要ない。


 ――あたしとヨシゾウが、本来なら無音にして闇に融ける“疾風塵雷”を常に捕捉し続けているからだ。
 ――あまりにも速い反射速度と密林の闇を利用して、こちらを先制攻撃し続ける全長20mの黒き飛竜。


 ――だが、それもこちらが先制攻撃できるのなら、話が別だ。




 Far Falcon――――あたしはボウガンの利を利用して、飛刃攻撃よりも遠くから攻撃し、
 Fullmetal Face――それが避けられたとしても、表情を動かすことはない。
 Forward Follow――何故なら、銃火に紛れて一瞬で気配を消したヨシゾウが、“疾風塵雷”の間合いを瞬時で詰めているからだ。


 ヨシゾウの十間刹那の踏み込みへ、もう一体のナルガクルガが飛びかかる。

 だが、連中は所詮獣。
 奇襲の本質も分かっていない。


 奇襲はバレた瞬間が、『正面突破よりも目立つ』。



「ああああああああああああああッッッ!!!」



 ヨシゾウへ飛びかかる為に跳躍したナルガクルガの眼前に、頭部破壊の為に振り上げられたアルフリートの極鎚ジャガーノートが唸りをあげて迫る。

 剣士に捉えられなかった筈の“疾風塵雷”のナルガクルガの右肩にメランジェ鉱石の塊が着弾!


 飛翔と跳躍の為に、中空にした軽くて脆い骨が湿った音と共に粉砕。
 強引に地面に叩きつけられた“疾風塵雷”のナルガクルガは、靭尾を振るって強引に体のバランスを取り戻すと、アルフリートを牽制するべく飛刃攻撃を放ちながら距離をとる。


 一撃で骨をへし折るアルフリートに近づきたくないのだろう。


 敏感にナルガクルガの思惑を把握したアルフリートは、意地の悪い笑みと共に冷静に木陰に隠れ、飛刃攻撃をやり過ごす。



 そして、その距離こそ――あたしのヘヴィボウガン クイックシャフトの間合いだ。




 Fortress Faith――――あたしはそのチャンスに焦ることも猛ることもなく、
 Flash Fire――――――冷静に引き金を引いて、クイックシャフトから銃火を吐き出し、
 Fatal Filling ――――惜しまれることなく放たれたレベル3通常弾は、その威力でナルガクルガの毛皮を引き裂き、
 Forward Follow――――木陰に押し込まれたアルフリートの退路を保つと共に、
 Far Falcon――――――あたしに襲い掛かろうとする二体目のナルガクルガの接近を傍目で感じながら、
 Fast Finger ―――――背後から襲い掛かってきた飛刃攻撃を転がってかわしながら、火炎弾をリロードし、
 Feather Feeling ―――また密林の闇に溶け込もうとするナルガクルガに付いた『臭い』を知覚し、
 Fullmetal Face――――眉一つ動かすことなく、ナルガクルガの黒い体を火炎弾で赤く彩ってやった。



 そう、その『臭い』こそが、偉大なる騎士“Sir.”スティールがナルガクルガに渡した土産。
 スティールの成し遂げた仕事。


 ――竜撃砲で靭尾を焦がした臭いだ。


 靭尾を切り取りでもしない限り、その臭いは最後まで付いてくる。
 故に、射程に優れた武器を使うあたしだけではなく、嗅覚が優れたヨシゾウもナルガクルガの先の先を取れるのだ。


 近づいてくればヨシゾウが鋭敏に接近を感知し、動きを誘導してアルフリートに差し出す。
 連携を巧みに感じ取るアルフリートは、その機を見る目で近づいた獲物へ致命的な一撃を食らわす。
 アルフリートを嫌がって離れれば、そこからがあたしの仕事だ。
 飛刃攻撃の間合いは、クイックシャフトの間合い。


 ――ここで負けるようなら、あたしは“F・F”の名前を、親父に土下座して返しても良い。



 さあ、どうする“疾風塵雷”?

 このままだと、あたしがこの間合いでお前達を削るぞ。

 奥の手を使ってこい!

 来るべき決着の時に向けて、あたしは今、ただひたすらに引き金を引いていた。



 もはや、二頭の“疾風塵雷”には後がなかった。
 あの雌の狩人の『牙』は、飛刃よりも効率よくこちらを削りに来る。
 近づけば、今までこちらを捉えきれなかった筈の二頭の雄が、あっという間に間合いを詰めに来る。

 しかし、“疾風塵雷”には時を待つ必要があった。
 確実に、そう確実に獲物を倒すためには時が必要であった。


 気配を殺して接近する狩人に気付いた時には、肩に痛手を負ったナルガクルガへ、狩人の攻撃が迫ってきていた。


 ――時は迫る。だが、まだだ。
 ――まだ動け、この狩人を倒さねば、きっとこいつらは巣にやってくる。

 ――それだけは許せない。


 振り上げられたヨシゾウの轟刀【大虎徹】に向けて、ナルガクルガはがむしゃらに自分の腕を振るった。
 傷ついたはずの自分の右前足を振るい、ヨシゾウの轟刀【大虎徹】に差し出した。

 それは結果として、ヨシゾウにとっては運悪く、ナルガクルガにとっては幸運に働いた。


 ――打点をずらされたことで、轟刀【大虎徹】の刃が右前足に弾かれたのだ。



 それこそが、“疾風塵雷”の待ち望んだ唯一無二の隙だ。
 すぐに無事な“疾風塵雷”のナルガクルガが、轟刀【大虎徹】に腕を取られたヨシゾウに飛刃攻撃を放つ。



 アルフリートがヨシゾウを押し倒し、その飛刃攻撃からヨシゾウを逃すと、まさに“疾風塵雷”のナルガクルガが待ち望む刻となった!!







 あたしは樹上へと駆け上っていく臭いで、ついに“疾風塵雷”達が最後の勝負を仕掛けてきた事を知った。
 あたしはスティールのエンデ・デアヴェルトの盾を体の前へもってくると、ヘヴィボウガンと一緒に担ぐ。


「アルフ!」


 アルフリートはあたしの鎧の背甲を掴むと、彼にしては珍しく不安そうな顔で聞いてきた。


「本当にいいんだな?」

「……うちじゃあ良くやってたことだから、遠慮なく全力でやって!!」

「いや、どんなハンターだって躊躇すると思うぜ?」

「私も、よくやると思うぞ」

 あたしは自分の言った内容がどんなに内容であったか思い出し、それがそんなに無茶であったかを思い返してみた。

 ――結構普通だと思うんだけどなあ。
 ――子供を肩に担ぐ親だっているんだしなあ。

「大丈夫! ……アルフは私の“F・F”を信じるんでしょう? ……これもあそこの家族なら良くやっていることです!」

「……まあ、そうは言ったが」



 不思議だった。
 喉の奥のつかえが取れている。

 あれだけ言いづらかった言葉が、たどたどしくもあたしの唇から押し出される。

 不思議だった。
 どうして、自分の体からこんなにも力が出てくるのだろう。
 やらなければいけないことが、やって当然に変わり、息をする度に体中が何かに満ちる。


「……ふふ」


 自然と笑顔が出てしまう。
 泣いているのとは違う、くすぐったい顔の強張り。
 堪えているのとは違う、自然で優しい唇の動き。


 ――ほころぶ様に笑いながら、あたしは自然と名乗った。


「――あたしを、……“F・F”のミサトを信じてください!」




 
 強気な笑顔に火が付いた。
 勇気の笑顔が空を指差す。


「旦那、やっちまえ!」

「うむ、悩むなど私達らしくないな!」


 そして、あたしは言った。
 勝つ為に、
 スティールの為に
 ヨシゾウの為に、
 アルフリートの為に、

 そして、何よりも自分の為に、勝利へと向かう為に。


「……必ず、当てる」


 そして、あたしはアルフリートに促したのだ。


「よし――――飛ばして!!」




 そして、背甲を掴んでいたアルフリートが、雄叫びをあげながらあたしの体を振り回した。


「ああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」


 全身の筋肉が唸りを上げる音が聞こえてくる。
 それよりも巨大な風切り音と、暴力的なGがあたしの体に襲い掛かる。
 密林の大地を、飛竜の一踏みのような重さをかけて踏み込むアルフリートの一踏み一踏みが、あたしの体に振動として伝わり、


 ――あたしの体は、まさにアルフリートが握るハンマーの頭となったかのように、凄まじい勢いで振り回される!


 一回転、二回転、三回転、四回転と回転は加わり、今まさにアルフリートがその手を離してあたしを天上へと飛ばそうとした時、






 ――あたしは“疾風塵雷”の罠を知った。





 樹上へと逃げる“疾風塵雷”は、その羽根と両前足を大きく広げ、
 地面への暗幕となっていた枝葉を薙ぎ払い、密林に天恵の明るい光を差し込ませた。

 本来、それは飛刃攻撃をより回避されにくくするための罠だったのだろう。
 だが、それがあたしの作戦にこうも噛み合うものだったなんて!!

 あたしの目に、
 ヨシゾウの目に、

 そして、アルフリートの目にその光は入り、



「――――いかんッッッッ!!!!」



 投擲手の目が狂い、あたしの体は上へと向かうものの、明らかに木へと直撃する進路をたどった!!



 あたしはアルフリートの本気の力でブン投げられる衝撃に意識を手放しそうになりながら、







 ――ヨシゾウの言葉を聞いた。


 



「“Sir.”の旦那の、盾を使えッッッ!!!!!」



 あたしはやけくそで歌いながら、その通りにした!


『 I can take aim and the longest aim,the hard wind blows my body(俺は狙える、どんなに遠くとも、強い風がこの身に吹きつけても)』


 木へと直撃する瞬間、飛刃攻撃を避けるために上へ掲げるはずだったエンデ・デアヴェルトの盾を、木へと直撃する面に差し出したあたしは、自分の体が偶然とは言え、信じられない事をやっていることに気付いた。


『 You must raise a shout of victory,「We're the strongest hunters!!」(お前は勝どきをあげろ! 『俺達が最強の狩人だ!!』)』



 それはアルフリートの投擲力が、人知を超えた凄まじいものだったからだろう。
 スティールの盾に使われているグラビモスの天殻が、恐ろしく硬いものでもあるからだろう。
 ぶつかった木の表面が、滑らかなものであったからかもしれない。



 再現しようと思ってもきっと無理だ。


 あたしの体は、スティールの盾に乗り、


『 Howling chanber,it sing the word of triumph,the singer of victory―― (咆哮する薬室、それは偉大なる勝利を歌う、勝利の謳い手)』


 ――木の表面を滑走して、上へと向かっているのだ!!



 上空で放たれた飛刃攻撃の雨が、木々が盾となってあたしを避けていく。
 あたしは飛刃攻撃の群れを完全に抜けたところで、エンデ・デアヴェルトの盾を蹴り、上空へとその身を躍らせた!!


 “疾風塵雷”のナルガクルガ。
 樹上は密林の王者であるお前のものだったのだろう。
 だが、だからと言って人間が、お前の領域に到達できないなんて不条理。


『 ――It's Hero license!!(それが英雄の証!!)』



 ――神が決めても、人間がきっと破る!!



『 I can strike all storng enemy,catching in my sight(照準に捉える限り、あらゆる強敵を当ててみせよう) 』



 あたしは、あたしのすぐ『上空』で驚愕する“疾風塵雷”の脇をかすめる一瞬で、レベル3通常弾を撃ち放つ!


『 You must shout our though soul,「We're the greatest hunters!!」 (お前は我らの魂を叫べ、『俺達が偉大な狩人だ!!』)』


 それは“疾風塵雷”のナルガクルガを、驚愕と衝撃で混乱に陥れ、あたしは文字通り、“疾風塵雷”達を叩き落す!




 さて、飛竜なら樹上ぐらいの高さから落ちても、よほどのことがない限り死なないのだが、
 残念ながら、ただの人の身であるあたしは樹上から落ちると死ぬかもしれない脅威の高さだ。



 最後まで実況することは出来そうにもない。


『 ――Gunner stays hunting field(ガンナーは今日も狩場にいる)』


 まあ、きっとあの二人が何とかするだろう。
 そう楽天的に決め込んだあたしは、ヘヴィボウガンだけを必死に握りこんで落下に備えた。






 密林の大地へ、驚愕と衝撃を受けて叩き落された“疾風塵雷”のナルガクルガは、必死になって立ち上がろうとした。
 だが、さすがのナルガクルガの敏捷性でも、この高さから受身も取れずに叩き落されたとなれば話が違う。

 本来ならば、この程度の高さならば、猫のような敏捷性で体勢を整えるのだが、あの奇襲の一撃は“疾風塵雷”から全ての余裕を奪い去っていた。



 ――早く逃げねばならない。



 だが、落下の衝撃で足が言う事を聞かず、満身創痍のナルガクルガの窮地を、あの狩人が見逃すはずがなかった。



 一人は、神速にして影伏の伏撃手。
 一人は、必殺にして勇猛の攻撃手。


 二人が、空を飛んで追ってきた狩人が、作り上げた隙を見逃すまいと、落下して幾分もしないうちにやってきた。
 それは死神のごとく静かで。
 竜巻のように見逃さず、“疾風塵雷”を死の運命に巻き込もうとしていた。


 手には轟刀【大虎徹】。
 その太刀は妖刀と言っても良い気まぐれな切れ味の太刀だ。

 だが、いかなる妖刀だろうと言う事を聞かせる術がたった一つだけある!


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」


 裂帛の気合と共に、ヨシゾウは神速の踏み込みを見せた。
 狙いは急所、心の臓!
 そこに向かって、ヨシゾウの太刀は、ただ一線引いてまっすぐに伸びた。



「ああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 それは威力の塊と言っても良い男だった。
 機会を見失わぬ魂の持ち主だった。
 男は、仲間が作り上げてくれた勝利へ向かって、ただ手にある極鎚ジャガーノートに全身全霊の力を込めた。



 鋭利に尖った轟刀【大虎徹】の先端を槍に見立てた突きが、“疾風塵雷”の心臓を突き破り!!
 極鎚ジャガーノートの容赦無用の一撃が、“疾風塵雷”の首をありえぬ方向に叩き曲げた!!



 まさに、二人は各々が描く必殺の一撃を放ち、
 放たれたナルガクルガは悲しい悲鳴を上げて、大地に倒れていった。


 アルフリートとヨシゾウは死に絶えた後も油断せずにナルガクルガに近づき、武器の先端でつついてそれがナルガクルガの死んだ振りでない事を確認すると、ようやく一息を付いたのだった。



「ようやく片付いたか……」

「俺は正直死ぬかと思った」

 アルフリートは大笑いしながら首を縦に振った。

「同感だ。お互い、厄介な相手を相手にしたものだな」





 ――そして、その言葉は密林の奥から、剣呑な響きを持って聞こえてきた。



「同感。――私も随分と厄介な状況に置かれたものね」


 赤いレックスⅩを着た双剣使いの剣士 “Typhoon”ラピカは、死に絶えたナルガクルガの体に飛び乗ると、眼下で休むアルフリート達を見下ろし、こう告げた。




「“Striker”アルフリート、ギルドナイトとして貴方に問い質さなければならないことがあります。――ドンドルマまでご同行していただけるかしら?」



 その言葉に、ラピカとアルフリートの間に隠しようのない火が付いたのは、ヨシゾウの目にも明らかだった。





 第三話 「まごころの弾丸」 了 



 次回予告

 ――友への道へと塞がる悪魔。
 ――進退にて戸惑うアルフリート。
 ――だが、進む道を進まずして。

 ――得られる勝利などあるだろうか?



  Monster Hunter ~~Soul Striker~~


 第四話 『悪魔と笑え』


「――勇気を糧として!!」


 Coming soon――



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 1
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/06/09 06:31
 ――――我々の体には悪魔が棲んでいる。


 ここで言う悪魔とは幻想の象徴としての悪魔ではない。
 我々の心と体に巣食う不調和を指す。

 そもそも、我々は何故病気に罹るのか?

 それは体が細菌やウィルスによって破壊された結果、とするよりも我々の体が起こす防御反応である割合が高い。

 体内のウィルスを殺菌するために発生する高熱。
 破壊された組織の修復に集中する血管により、赤く腫れる組織。
 異常が起きた組織を大脳へ伝え、防御行動へと自意識を誘導する疼痛。

 我々の体は発生した異常事態に対して必要不可欠であるが、過剰ともいえる反応を体に示す。


 ――恐怖の感情も異常に対処するために生まれた。


 人は恐れるべき物を恐れ、畏れるべき者を畏れて、はじめて外敵から身を守れるようになる。
 力の差がありすぎるもの、大きすぎるもの、知らないものに関して恐怖を感じるように、人の感情は設定されている。


 耐え難き激痛も、組織の腫脹も、炎症の高熱も、畏怖も、恐怖も我々には必要不可欠だ。

 読者諸君、私はこれらの付き合い難き事象を恐れよ、と言っているわけではない。



 知ってこそ生まれる付き合いもある。
 ――そう言いたいだけだ。

            ――王立病院侍医 ヴィルヘルム・ハーディン著
               「付き合い難き体」より       







 強さとは何なのか?


 それがギルドナイトの“Typhoon”ラピカが常に胸に抱く問いだった。

 ギルドナイトは強くなければいけない。
 秩序の守り手として、最強と言われるGの飛竜、違法を働く狡猾な狩人達、そして、それらが存在するであろう荒れ狂う局地。
 どれであろうと恐れずに突き進む強さが必要だ。
 ならば、強さとは何であるか?
 それを追求するのは彼女として当然だった。

 だが、世の中の誰もが、彼女に正しい解答を与えはしなかった。

 ある者は、「己の技量」と言い。
 ある者は、「考えても致し方ないもの」と言い。
 ある者は、「相手と自分との比較」と言った。


 ある者はこう言った。
 彼は自分の大剣を指差すと、

「口当たりの良い解答を求めているのならやめておけ。強さとは研ぎ澄まされた刃のようなもの」

 大剣使いのその瞳に宿っていたのは、砂漠のごとく圧倒される精神の荒涼さだった。
 研ぎ澄まして、研ぎ澄ました末に、心の中であまりにも頑なになってしまった部分が重なって出来上がった巌のような心。

 それは栄光や誇りと言ったものとは無縁の強さ。
 自分の体も心も、道具としてしか見ていない無機質の心が作り上げた強さだった。


「――求め続ければ、その身を細くして折れるのが関の山だ」


 「まさに俺の様にな」、男は言外でそう言っていた。



 果たして、強さの行く末とは荒野のごとく渇き飢えたものなのか?
 大剣使いの言うようなものが強さならば、それは全ての人を暗闇に引き込む暗黒の強さに他ならない。
 ギルドナイトが抱くべき強さとはそういうものなのか?




 ある日、とある二人の男の話を聞いた。
 古竜に敗北し、再起不能まで傷つくもその後復帰し、“空の王者”リオレウスと“森の女王”リオレイアを破った二人の男の話だ。


 一人は騎士としての矜持を抱き、その栄光とそれに見合った義務を遂行しようと自らの道を悠然と歩む者であった。



 ――だが、もう一人が、ラピカにはまるで分からなかった。

 もう一人は、勇者のなんたるかを知り、襲い掛かってくる災厄を己の誇りと強さで乗り越える男だ。
 それは理性で推し量ることの出来ない不条理そのものであった。

 男はその不条理で明るく輝きながら、ラピカにこう告げた。


「勇者というのは、半々の確率の勝負なら、ほぼ100%乗り越える。俗な認識では図れぬ、実力以上の不可知の強さを持っているのが、勇者だ」


 その不可知の強さこそがラピカの追い求める強さに他ならなかった。
 大剣使いの暗黒の強さとは違い、光り輝く誇りと強さであらゆる難事を乗り越える勇者の強さ。


 それこそがあの狩人の――アルフリートの強さだった。



 ――問わなければならない。



「“Striker”アルフリート、ギルドナイトとして貴方に問い質さなければならないことがあります。――ドンドルマまでご同行していただけるかしら?」


 アルフリートは首を横に振った。


「断る。我々は緊急の依頼を受けて、今それを遂行中の狩人だ。目標を討伐したら、討伐を報告する義務がある」


 ――そうだ、それでいい。
 ――強さを問う方法はいつだって簡単だ。
 ――だが、本当に問うためには、互いに真剣でなければならない。


 ラピカは言葉を続ける。


「“疾風塵雷”は12人以上の狩人を屠り、我々ギルドナイトのターゲットとなった飛竜です。“疾風塵雷”の居場所は他の狩人に流せないため、この情報を貴方が知りえることはありません」


「“疾風塵雷”に襲われた村からの緊急の依頼だ。筋は立っていると思うが?」




「Gの狩人が偶然襲われた村に四人も集う? これまた随分と都合の良い話があったもんじゃのう」


 ナルガクルガの上に飛び降りたのは、一言で言うのなら――――獣を頭部に頂く漢であった。

 漢が全身に装備するは、白いたてがみが輝くキリンXであった。
 背には“森の女王”リオレイア、それも希少種を討伐した者が手にすることが出来る逸品――狩猟笛 ルナークライがその存在を誇示していた。

 しかし、それらの逸品の存在感すらも漢の魂から漏れ出でる輝きの中においては、所詮道具の存在感に過ぎなかった。
 顔にはいかなる大敵であろうと不敵に笑う笑み。
 皺を刻んだ顔つきは深く、その壮健さは大理石に刻まれた彫刻のようだった。
 背中へと長く伸ばしたキリンのたてがみにも負けぬ長さの白髪を三つ編みに結い、その先を弄びながら、泰然とたたずむ。



「そして、あの連携力。一朝一夕で出来るもんじゃあないだろう? オレ達だって、あれを追いかけるのにだいぶ苦労したんだ」


 続いて樹上よりアルフリートを見下ろすのは、黄金の鎧をきた女の弓使いであった。

 全身に装備するのは、リオレイア希少種を討伐してこそ得られるG・ルナZであった。
 背には火山に生息する刃を持つ大蟹ショウグンギザミと鎧竜グラビモスの素材を組み合わせた強弓 イヌキがあった。

 全ての地面に水を張って、平行性を確かめた上で存在しているかのような姿勢の良さ。
 短く揃えた髪から覗く目は、アルフリートを見ているかと思えば、どこか遠くを見ているようにも見える。

 ギルドナイト達の中でも、捉えどころのない印象を与えるこの女性の顔には、意地の悪い表情が浮かんでいた。


「…………」


 ギルドナイト三人の糾弾に、アルフリートとヨシゾウが言葉を失う中、背後から肩を鳴らしながら応援がやってきた。


「別にGの狩人四人が集うことなど何でもないでござろう? この場に既に七人も集まっているでござる。その確率と比べれば些細なことでござる」


 脳震盪から復活した“Sir.”スティールは、苦々しい表情を隠さずに睥睨した。
 しかし、スティールにとっての厄介ごとが自分達だと分かっていても、“Typhoon”ラピカは逃がすわけにはいかなかった。
 別に、彼らを逮捕すること自体に、ラピカは大して意味を見出していなかったからだ。


「“Sir.”スティール、この場は真偽を問う場所ではありません」

「では、何を問うのでござる?」

「問うのではありません。――――我々は罪状を読み上げているだけに過ぎません。真偽を問うのは、ドンドルマのギルドマスターの前で行ってください」

「なら、我々が後で赴けば良いだけだろう?」

 案を提案したアルフリート。
 それは確かにそうであった。

 アルフリートはドンドルマのギルドが身元を保証した狩人だ。
 それを逮捕し、連行することは、ギルド自体が保証した身元を否定することになる。

 現に、獣を頭部に抱く漢も、黄金の鎧を着た女も、ラピカの顔を見てどうするべきかを問うている。


 ――しかし、ラピカの目的はアルフリートを連行することではない。
 ――強さとは何であるか?
 ――この男との戦いに、そのヒントはあるのかもしれない。


「貴方が密猟者であった場合、ここで見逃せば逃亡される危険があります。同行を拒否するのなら結構、狩人らしく腕ずくで連行するだけです」


 ――それを得れるチャンスを黙って見過ごすほど、ラピカはお人好しにはなれなかった。


 女は口笛を吹いてラピカの強行を驚き、漢は腕を回して肩を慣らしながら、不敵な笑みを漏らすだけだった。


 アルフリートは苦々しく呟く。


「……交渉決裂か」


 “疾風塵雷”を倒した時の疲労、負傷、消耗もあっただろう。
 だが、狩人は心得ていなければならない。


 ――獲物が一匹、狩りが一回であるとは限らない。


 負傷して苦戦は日常。
 消耗して戦闘も当然。
 疲労して連戦も承知。

 ならば言うのは一言だ。


「――来い!!」


 狩人 VS ギルドナイト。

 対決は必至となった!



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 2
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/06/10 23:05
 狩人同士の戦いは基本無手。
 命を奪うのは、その獲物だけでも良いという考えだ。

 もっとも、Gの狩人はその身体能力の高さから「人間兵器」とも呼ばれるのだが。



 闘える喜びに口唇が引きつる。
 全力を振るう事に体中が漲る。

 闘う喜びを両腕へ、顔の前でXに組ませ、“Typhoon”ラピカは嵐の前の静けさのように静かに呟く。


「荒野の獣の輝く牙を――――」


 言葉は力。
 力への命令。
 命令は単純。

 制御を外して駆動せよ。
 あるだけ全部、全力で!!


「――――体に宿し、我 進む!!」



 ――――鬼人化、開始!!



 顔の前に組まれた腕が両脇に振られた時、口唇に戦いへの喜びを宿した黒い長髪の戦鬼がそこに出現していた。


 走る――――
 密林の腐葉土を蹴立て――――
 木々と下草の湿った大気を直角に切り取りながら、レックスⅩの赤い疾風が大地を駆ける――――


 アルフリートは選択する。
 きっと、起こることは“二つ名”に負けぬ現象。
 選択を誤れば、一瞬で敗北が決定するだろう。


 アルフリートは胸の前で両手を盾にし、拳で顔面を隠す。
 全身の筋肉を可能な限り緊張させて。

 ――選択したのは、ひたすら耐える防御一辺倒の構え。


「それが“Striker”の取る構えですかッッ!!」


 ――双剣使いの戦いの論理は単純だ。
 ――相手の一撃が来るのなら、自分は二撃を放てば良い。

 ――それでも倒れないのなら、もう一撃。
 ――まだまだ倒れないのなら、もう一撃。
 ――これでも倒れないのなら、もう一撃。
 ――けれども倒れないのなら、もう一撃。


 アルフリートの体の表面が、圧倒的な手数で放たれた打撃で埋め尽くされる。


 右正拳/左肘/右膝/左ローキック/右肩ぶちかまし/両手を組んでの振り下ろし/右肘/左膝/右ストレート/左掌底/右フック/右ローキック/左上段蹴り


 打撃の一撃一撃が両腕のガードの上で弾け、ガルルガXの胴鎧の上を、固めた腹筋の上を、食い縛った顔面の隙間へとねじ込まれる。
 それは、アルフリートの全身を覆う肌への、打撃による絨緞爆撃だ。


 右上段蹴り/左ローキック/右前蹴り/左体当たり/左ショートアッパー/左膝/右肘/右掌底/右正拳/左ローキック/左踵落し/左前蹴り/右飛び膝


 名前の通りに、
 “Typhoon”として、
 慈悲も容赦もなく根こそぎ打撃で奪い去る、恐るべし嵐の体現者。
 猛烈な嵐の連打が、彼女が最高の攻撃手である事を、何よりも明言していた。


 左ローキック/左膝/右肘/右裏拳/左ショートアッパー/右膝/右上段蹴り/三連左ジャブ/右ストレート/正面からの頭突き/右肘/左肘


 ラピカは何も言わない。

 攻撃こそが自分のメッセージであり、彼女が欲しいものは言って伝わる事ではないからだ。

 ――だが、もし何も得られなければ?

 攻撃が続く。

 筋肉を硬化させたアルフリートの体はまるで鋼鉄のようであり、アルフリート自身も、鋼鉄のように何も悲鳴を漏らさない。

 だが、叩けば分かる。
 つまらない者であれば、悲鳴を漏らす。
 飛竜なら咆哮だ。
 では、強者は何を言う?

 攻撃が続く。
 自分の嵐に自分以外の音を加えるために。


 ――もし、アルフリートがつまらない者であった場合、どうする?
 ――それなら、奴の強気な態度が、ただの上っ面であるだけだ。


 故に、自分のすべき事に変更はない。


 ――真の強さを探し出すのだ。





 “Typhoon”ラピカが“Striker”アルフリートとの戦いを開始した時、残りのギルドナイトも“Sir.”スティール、“Sword Dancer”ヨシゾウと向かい合った。

 まず口を切ったのは、獣を頭部に頂く白髪の老狩人だった。


「ワシの相手はうぬと言うことかのう、“Sir.”スティール!!」

 スティールはいつもと変わらぬ騎士としての態度を崩さぬまま、礼儀をもって白髪の老狩人と対峙した。

「御名前を拝聴させて頂きとうござる。それほどの高齢にして今だギルドナイトとして現役、名のある狩人とお見受けするでござる」

 スティールの言葉に悪い気はしないキリンⅩの老人は、不敵な笑みを強め、右掌を突き出してスティールに名乗り上げた。




「ワシの名こそ、“Master horn”クルツ!」


 その名を聞いてスティールは仰天した。
 火山に生息し、山と喩えられるほどの巨大な飛竜『アカムトルム』討伐で名を上げた伝説の猟団の一人だからだ。

 子供の頃から聞かされた伝説の住人に、詩として詠われた経験のあるスティールですらも、かける声がうわずった。


「まさか、伝説の狩猟笛使い“吹奏不敗”とは貴殿のことでござるか!?」


 ――伝説は不敵に笑う。


「――如何にも、そのような名で詠われたことがあるな。多過ぎていちいち覚えていられんわ!」


 スティールは記憶の中の伝説を思い出す。
 本物であれば、着ているキリンⅩはキリンの中のキリン、“風雲砕鬼”を討伐した際に得た素材で作り上げており、あのルナークライは九つの森の生態系を完全破壊した黄金のリオレイア希少種、“森覇金饗”を捕獲した際の素材で作られている逸品だった。


「何故貴殿がギルドナイトなど、“吹奏不敗”殿ならもっと相応しい地位がありますのに!?」


「――生涯現役!! それこそが我が望み、つまらん御託より今はうぬと戦いたい!」


 そう叫ぶや否や、クルツは密林の木々が生える中を跳躍。枝と葉を体で押しのけてスティールへと急速接近。
 クルツの飛び蹴りがスティールへと襲い掛かる!






「――承知した!!」


 スティールの2mの巨体がクルツの飛び蹴りを受け止める。
 いかなる伝説であろうと、我が守りを揺るがせる理由にならず。
 しかし、解せないのはクルツの方だ。


 スティール 身長203cm。
 クルツ   身長173cm。


 体にも筋肉はあるが、それは動きを阻害しない程度に適度につけられた筋肉だ。
 いわゆる中肉中背、決して重くもなく、軽くもない平均的な体つきだ。

 ならば、身長差30cm。
 この差は本来ならあまりにも大きい。

 狩人は獲物にしか己の武器を使わない。

 クルツとスティールの戦いも己の肉体を使った格闘戦となるだろう。
 その戦いで身長差30cm――いわば子供と大人の身長差だ。
 小手先の技では埋まらない圧倒的な差が、このたった30cmにはある。

 しかし、スティールには思い浮かばなかった。
 身長差30cmのハンデ。

 それがあろうとも、クルツを相手に勝てる自分がまったく思いつかなかったのだ。


 それがクルツの魂の輝きが為す技なのか。
 それとも、スティールの本能が警鐘を鳴らしているのか。


 それを判断する前に、クルツがスティールへと突っ込んでくる。

 ラピカのように速いというわけでも、
 アルフリートのように力強いと言うわけでもなく、
 ヨシゾウのように身を隠すというわけでもない走りでこちらに来る。


 ――余計なことは考えないでござる。


 スティールは拳を振りかぶった。
 身長差30cmと言うことは、攻撃のリーチ差も30cm。
 これはよほどの速さがない限り、スティールの攻撃がクルツに先に当たる事を意味する。


 ――伝説で物理的な差は埋まらない。


 だが、クルツは相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、こちらの攻撃をむしろ待ち望むかのようであった。
 拳を振りかぶり放とうとした時、ついにクルツが動き出した。


 もちろん、クルツの身長から考えれば、そこは手だろうと足だろうと射程距離外であり、カウンターを取ろうとしてもタイミング的に遅すぎる。



 ――だから、クルツはこの武器を使う。
 ――発射時の時速1225Km。使い様によってはどんな相手をも操作できる人類最軽量の「武器」。


 その「武器」は密林全域を震わし、うたた寝していた生物を全て叩き起こし、スティールの体を振動で麻痺させた。





「――――覇ッッッッッッ!!!!!」





 それは狩猟笛使いの驚異的な腹筋により練り上げられた、とてつもない声量の「咆哮」だった。
 古竜に匹敵する威力の咆哮を浴びせかけられたスティールは、その高振動により全身の筋肉が麻痺し、動きが一瞬だけ止まる。

 そこで瞬時にスティールの後ろに回りこんだクルツは、後ろへと仰け反るスティールの背を抱きかかえると、頭から叩きつける裏投げでスティールを浮かす。
 抵抗できない相手を投げるほど気楽なことはない。
 スティールは投げの威力を味わいながら、クルツの実力を実感した。


 ――伝説は本当だったのだ。
 ――“Master horn”。
 ――“吹奏不敗”。
 ――その名前に負けるような漢では決してなかったのだ。


 地面に這いつくばることになったスティールには、クルツの173cmの身長がやたら大きく見えた。





 「生ける伝説」を相手に苦戦するスティールを何とか援護してやりたいヨシゾウであったが、こちらはこちらで歯痒い状況にあった。
 目の前で突っ立ったまま何もしてこないからだ。
 無言で何もしてこない相手。
 だが、意図を測ろうにも、その目はどこを見ているか分からず、無視して行動しようかと思えば、その瞬間にこちらを射竦める視線へと早変わりする。
 それは感覚の鋭いヨシゾウだからこそ気付けたし、気付いてしまったことでまったく動けなくなってしまうものだった。


 ――背中を向けたらすぐにでも行動してきそうな殺意。


 考え過ぎかもしれない。本当に相手は何もしてこないのかもしれない。
 だが、自分の感覚に重きを置くヨシゾウとして、それを気のせいと言い切るには、あまりにも無視できない感覚だった。
 それが、ヨシゾウの目の前で腕を組み、妙に良い姿勢の良さで立つ黄金のG・ルナ装備の女の脅威だった。

 とりあえず、ヨシゾウはまず相手を探ることにした。

「Hey、やるかやらないか、はっきりしないか?」

「ハッキリさせないのが、オレの仕事でねえ?」

「あん?」

「ピンとこない? ラピカはああもやる気だし、クルツの爺さんもノリノリだ。オレが仕事しないでも決着が着きそうじゃないか?」

 本当に真意の読めない相手だった。
 まったく視線を合わせてこない。
 言葉に誠意が欠片も乗っている気がしない。
 「何もしない」、と言いながら殺す気満々だったりするかもしれない危うい相手。

「時間稼ぎだと? お前、ギルドナイトならしっかり仕事しろよ!」

 ヨシゾウの言葉を、女はケラケラと笑う。


「オレの仕事はガンナー。あの二人のケツを持つことだ……ならいつでもあいつらをフォローできるように、お前相手に時間稼ぎしちゃったり?」


 言葉の通りなら、時間稼ぎは有効だ。
 ヨシゾウを、スティールやアルフリートの援護にいかさないだけで、本来なら4人いるアルフリート達とタイマン勝負の状況に持ち込むことが出来る。


 よりによって、こんな時に先ほどブン投げられた“F・F”ミサトは姿が見えない。
 二人がかりならこんな女など、秒で沈めることが出来るだろうに。


 すると、女はようやくやる気にでもなったのか。
 右足を引いて左足を前に出し、拳を開いた手を腰の位置に置く半身の構えを取った。

「どうやら、お前はやる気満々らしいから、構えぐらいは取ってやろうじゃないか。しかも、名乗ろう」


 弓使いが構えを取る意味を、ヨシゾウは知っている。
 弓は弓身に弦を張り、その弓身の弾力によって矢を射出する武器だ。
 矢尻に瓶をつけて工夫することも出来るが、弓身の硬さでほとんどの威力が決まると言ってもいい。

 しかし、ここで構造的な矛盾が生じる。

 弓身の硬さを上げて、威力を上げようとすればするほど、その弓はよほどの強力の者しか引けないものとなる。
 なおかつ、弓使いはその反動の無さ、武器としての軽さから、ガンナーの中でも機動力がある分類として運用される。


 ――Gのショウグンギザミとグラビモスを材料にして作り上げられた強弓 イヌキ。


 そして、作り上げられていると言うことは、あの武器はあの女が『倒した獲物』を材料にして作り上げられているのだ。

 固い殻を持つ甲殻種のショウグンギザミ。
 飛竜種の中でも、特に硬い外殻を持つグラビモス。


 ――それを射抜くほどの身体能力が如何程のものか、想像したくも無かった。


「オレの名前は“Backstab”アデナ――――やる気ならいつでも来いよ」


 相変わらずどこを見ているか分からないとぼけた視線と――その奥にある明確な殺意を隠しながら、ヨシゾウと対峙した。
 底の読み切れない相手に、ヨシゾウは動けないままアデナと対峙するしかなかった。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 3
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/06/22 23:46

 あたしの意識は覚醒した。
 四肢が動くかチェック。
 体が血で濡れていたり、痛いところが無いかチェック。
 日の光がまだ東から昇ったばかりなのを確認して、時間がそんなに進んでいないのをチェック。


「……あたしは……“F・F”ミサト。……ガンナー」


 自分が何者かを確認して、記憶や脳みそに異常が無いかをチェック。
 手でずっと抱えたままのクイックシャフトが、正常に動作する事を確認。
 さすがに道具にいくつか欠けはあるが、それでも五体異常無しで、武器も正常に動作するのなら、まったく持って儲けものだ。


 ――さて、こうやって落ち着いたところで、今何が起きてたかを思い出そう。


 ………………

 …………

 ……



「……“疾風塵雷”まだ倒しきってないじゃないか!?」


 思わず大声で驚いたあたしだが、まあ、しょうがない。
 10m以上の上空に放り投げられて無事でいるほうが奇跡だ。
 アルフリートとヨシゾウが上手くやっているかもしれないが、獲物の生死をきっちり確認しない事には安心できないのが、狩人の性。
 あたしは、“疾風塵雷”に襲われないように周囲を確認しながら、森の捜索を始めた。

 連中の無事?
 砂漠に裸で放り込んでも、余裕で一月生きていそうな連中を心配するほど、あたしは身の程知らずじゃあない。
 きっと、無事のはずだ。




 右拳が左腕のガードの上から、無理矢理顔面を強打する。
 左肘が右腕のガードを破壊するために、まっすぐに振り抜かれる。
 右上段蹴りが肩と首の筋肉による衝撃緩衝を越えようと、唸りを上げて襲いかかり、
 左の踵落しが頭頂部を踏み抜こうと、断頭台の刃のごとく振り下ろされる。

 全ての技が瞬時、繋がりは滑らかで、岩を削り続ける風のごとく途切れることがない。

 “疾風塵雷”と死闘した上に、反撃を一切許さぬ連撃の嵐。


 ――“Striker”アルフリートの体は、その打撃により血を吹き、防御の腕と足が度重なる打撃の衝撃で震えて、言う事を聞かなくなってきていた。
 ――鎧は度重なる打撃により、醜く変形を来たし、息は荒く、呼吸でぶれる体は疲労も大きく揺れている。


 もともと、ラピカの戦う理由は、アルフリートに『強さとは何か?』、と問いかけるためだ。
 満身創痍の襤褸雑巾に、強さなどあるのだろうか?


 ――否。
 ――この男には確かに強さが存在する。


 左の踵落しは、とっさに前進して堅い肩で受け、
 右上段蹴りを、巌のように硬い首の筋肉に加え、ゆるりと打撃点をずらして対応。
 左肘は最小限の動きで右腕が弾き、
 右拳は左腕のガードに加え、額で受けることで衝撃を強固な首が引き受ける。


 ――何十、いや、何百この男を私は打った?


 並みの双剣使いなら体力を使い果たし、アルフリートの無尽蔵のタフネスの前に絶望を感じて、打撃する事を止めているはずだろう。


 もう良いはずだ。
 この男は一切反撃をしてこない。
 とうに終わっているはずだ。

 そう思い、拳を下げているかもしれない。


 ――否。断じて、否。
 ――ダイミョウザザミの甲羅のように硬いガードの下で、この男の目を見てしまえば、誰もがこの男をさらに打たざるを得ないだろう。


 ――それは機を待つ狩人の目。
 ――攻撃が緩んだ瞬間に、「お前の全てを食らう」、と宣告し続ける目。




 ――望むところだッッッ!!!




 重ねる。打撃を。一発でも大きく浴びせるために。
 繋ぐ。攻撃を。一瞬の隙さえ与えぬために。

 すでにラピカの臨界は近い。

 打撃し続ける体には乳酸が蓄積し、鉛よりも重い体が動きを遅くする。
 全身から酸素が欠乏し、心臓は肋骨と大胸筋を突き破らん勢いで内部から体を打撃する。
 肺は大急ぎの吸気と排気を要求する全身からの訴えで、気が狂わんばかりの力で締め付けられている。

 だが、それらを一蹴してラピカの体を苦しめるものは、己の体が駆動し続ける事により発生する熱だ。
 すでに汗は全身のありとあらゆる場所から余すところなく噴出し、体を流れれば目と口を塞ごうと流れ込み、四肢にまとわりついては水の中を動くかのようだ。
 だが、それでもラピカの発する熱を処理しきれず、殴る度に体の駆動する部位から、蒸気が漏れる始末だった。


 ――熱い!!

 だが、体に蓄積する乳酸をごまかしてあと「五発」。

 ――熱い!!

 心臓に食い破られそうな血管をなだめてあと「七発」。

 ――熱い!!!

 酸素を欠乏して悲鳴を上げる肺に、活を入れてあと「四発」。



 戦う喜びに口を歪めるレックスXの赤い黒髪鬼は、全身から蒸気を噴出させながら、地獄の修羅のごとく己が闘争の熱病に苦しみながら戦っていた!

 彼女にとって、強さとは苦しむものだった。
 強さとは苦しみながら得るものであった。


 ――だが、アルフリートの強さはどうだ?
 ――心地良い笑顔と共にある。
 ――違うだろう?
 ――強さとは苦しむものだ。
 ――痛みと共に締め付けてくるものだ!!!


 自分をごまかし、自分をなだめ、自分に活を入れて手に入れた連撃が、ついにアルフリートの左腕のガードをわずかに震わせた。
 それは今まで感じられなかった手応えだ。
 つまり、勝利がもうすぐ近くにあると言うことだ。

 ――気張れ私! あと「五発」!!!

 選んだ攻撃は、右のショートアッパー。
 緩んだアルフリートの左腕を跳ね上げるべく右腕を、


 突き上げる!
 突き上げるッッ!!
 突き上げるッッッ!!!
 突き上げるッッッッッ!!!!!
 突き上げるッッッッッッッッッ!!!!!!!!


 数!
 手数!
 連打の数で、アルフリートの防御をこじ開けたラピカは、さらに右腕をもう一回転。 


 ――ついにアルフリートの顎をその右腕が捉え、その顔が天を向く。






 ――様々な巨体を相手取ってきた。

 岩よりもデカイ大猪。
 人間を上から嘲笑うイャンクック。
 人を鈍間な蟻とみる“空の王者”リオレウス。
 人間など餌である火山の岩ほどにも思わない鎧竜グラビモス。


 狩人をするということは、人間よりも巨大な生物を相手にするということだ。
 狩人として、その全てを打ち倒してきた――敗北と勝利をいくつも経験しながら。



 ――しかし、そのスティールを持ってしても初体験。
 ――自分よりも小さい存在が、自分よりも巨大であるという矛盾。


 ――それが173cmの巨人。
 ――“Master horn”のクルツだった。



 戦いをうまく運ぶ方法は二つある。

 ――相手を超越するか。
 ――相手を制御するか。


 ラピカが手数と速度でアルフリートを超越しようとする中、クルツはスティールの巨体をその手管で完全に制御していた。




 スティールにとって、この戦いはスティールの不得手な方向へと展開していった。

 ガンランスは相手の攻撃を受け流す事を中心に設計されている。
 それは使用者の戦術を防御中心に組み立てることとなった。

 つまり、スティールの戦術は相手の攻撃を受け流した上で、攻撃を加えるように考えられている。


 しかし、“Master horn”クルツ相手ではその前提が大きく崩れるのだ。



「――――覇ッッッッッッ!!!!!」



 クルツの『咆哮』により、動きを止められてしまえば、そのままスティールは為す術も無く地面へと叩きつけられる。

 止めるためには、大きく息を吸わせる瞬間を与えない以外に無い。


 ――攻撃し続けるしかないのだ。


 だが、それこそ“吹奏不敗”の名に『不敗』の二文字が刻まれる漢だ。
 スティールは右腕を振りかぶって殴りかかる。


 そこからがまさに神業と言うしかないクルツの動きがあった。


 放たれた右腕を避けると同時に放たれたクルツの右足が、スティールの踏み込んだ左足を蹴り、重心が崩れたところで左手で右腕をあっさりと引く。
 あとは体勢を低くした自分の体の上にスティールの体重を乗せてしまえば、もはや相手の体は自分の思うままだ。


「フン、重いわ阿呆がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 今日、何度目になるか分からないクルツの投げに、かろうじて受身を取ったスティールは、後ろ目にクルツが跳躍した事を確認すると、痛んだ体に鞭打って地面を転がる。
 今までいた場所を、クルツの踏みつけが大地に深く足跡を残す。


「どうじゃ、そろそろ降参したくなったであろう?」

「……クックの突進より軽い攻撃でそれは無いでござるよ……」


 粋がってはみたが、正直旗色は悪い。
 殴りも蹴りもあっさりと捌いて地面に転がしてくれる、この重心移動の達人はスティールの打撃を完封していた。


 ――では、掴んでみれば?


 スティールの勘では、おそらくそれも通じない。

 掴みに来る手の小指だけを掴んでへし折る。
 掴みにいった手首の関節を極められる。
 掴んだつもりが、いつの間にか投げられる。

 ――負ける想像しか浮かばない。


 想定外の攻撃なぞ、おそらく無い相手。
 どこで相手を上回れるのか?
 それを考えつかない限り、ずっと投げられるだろう。


 ――では、相手になくて自分にあるものとは?


 賭けるものが一つだけあった。




 脇を締めて両腕を胴体に付ける。
 背中を丸めて顎を体につけて固定。

 足以外を一体化するイメージで、上半身を固めたスティールは、そのままクルツに向かって突進。


「……ほう?」


 攻撃を待ち望むクルツは、スティールの気配が変わった事を敏感に察知する。


 ――2m。


 スティールの長身ならば、蹴りに来れる距離でこない。


 ――1m。


 パンチを繰り出せる距離でもこない。


 ――50cm。


 肘や膝の距離でも動く気配はない。
 愚直なまでにまっすぐ一直線に突っ込んでくる。


 クルツは最小限の動きでかわすも、イャンクックの突進並みのパワーのある突進に下手に手を出せば、自分の体が巻き込まれる形で吹き飛ばされるのが分かったからだ。

 スティールはかわした先の大木にぶち当たり、人間が作り出したとは思えない壮絶な音を立てて止まると、また地面を蹴って突進した。



「自爆覚悟の全力突進じゃと? 確かに、それならワシの技は全部無効じゃの」



 肩で空気を切って迫る2mの巨体は、クルツの声に応えぬまま、大猪のように雄々しく突進してくる。
 クルツはその姿を見て苦笑。
 確かに技は通じない、だが、


「そんな突進がワシに通じるか!? ティガレックスより速い足でなければワシは捕まらんぞ!」


 雄々しき突進を敢行するスティールとは対照的に、軽やかなステップを刻み、木の葉が風の中に踊るように何者にも当たらずにスティールの突進を避ける。

 再度大木にぶち当たったスティールが、痛みに呻きながらクルツの体を見る。


「……ぐッ……その鎧があったでござるか」


 ――伝説が笑う。


「……七夜七日、延々と奴を追い続けて狩った。“風雲砕鬼”との戦いの詩に誇張は一切ないぞ」


 ――雷鳴を纏う『風雲』と共に地を駆け、放つ怒鎚はあらゆるものを『砕』く一本角の『鬼』。

 “風雲砕鬼”のキリンの討伐者、クルツは風のように捉えどころのないキリンを、朝昼晩通して延々と追い掛け回して、かの古竜を討伐したという。


 ――その期間は七夜七日、と彼の伝説に記載されている。


 スティールの、火山にてリオレウスとグラビモスを同時に討伐したことすら、英雄の話とされているが、

 クルツの『七夜七日キリン討伐』は、本当にあったかどうかすら定かではない伝説である。


 ――しかし、スティールはその魂の輝きと、今目の前に実在するクルツの強さを肌で感じ取り、その話がまごうことなき真実である事を知った。


 では、その伝説が真実あるならば、どのようなことになるか?

 スティールがクルツを捕まえるために突進しようにも、クルツの足がこちらよりも圧倒的に速いのだ。


 つまり、クルツはその気になれば絶対にスティールに捕まらない。
 何故なら、クルツの足はスティールより速いからだ。

 もはや、理論的にクルツに勝てる見込みのないスティールは、その心を完全にへし折られようとしていた。

 スティールは自問する。


 ――どうする?
 ――勝つ見込みはすでにない。
 ――こちらの防御は破られ、
 ――相手へ攻撃する技は一切通じず、
 ――なおかつ、相手は捕まえることすら出来ないときたもんだ。


 クルツは、スティールの思考に代わって、今の現状を突きつけた。


「どうじゃ? ワシを倒すことは不可能と思わんか?」


 その通りだ、とスティールは思う。
 倒すことは不可能だ。
 そう思えてしまう材料だらけだ。


 ――しかし、一度思い返して欲しい。
 ――彼の誇り。
 ――彼の原点。


「どちらかと言えば、不可解でござるよ」

「何がじゃ?」

「うむ、“Master horn”ともあろうお方がギルドナイト程度に収まり、こんなところで狩人の査察などされていることが一番不可解でござる」

「ワシは生涯現役でいたいだけじゃ。その為なら役職なんぞ、本当は要らん」


 スティールは口髭を撫でて整えると、笑った。


「なら、我輩も退く理由なぞ要らないでござる――我はガンランスを敵に向ける事を臆せず、我が盾は受ける攻撃を選ばぬ!」

「火竜と鎧竜に立ち向かう阿呆に、言葉は利かぬか!」


 スティールの剛脚が大地を踏みしめる。
 クルツの痩身が風となる。

 両者は言葉無く、再度の衝突を果たした。





 アルフリートの防御を潜り抜けて当たったラピカの拳が、彼の頭を大きく仰け反らせた。
 確かな手応え。
 そして、眼前にある結果。

 ラピカは勝利を確信し、その喜びを燃料にさらに『五発』をその肉体に叩き込もうと体に力を入れた。


 ――だが、ラピカは見えなかったのだ。
 ――だから、彼女にはなんら失策はない。
 ――その顔を大きく仰け反らせたアルフリートの目が、今を機と見て輝かせた事を。


 アルフリートの右手が、支えるものを見つけて、ラピカの肩を掴んだ。

 ――倒れる前にとっさに取った反射的な防御行動だろう。

 そう誤解したラピカは、軽く左手で跳ね避けようとして自分の迂闊さを呪った。



 ――その右手は、万力のような力でレックスXの肩甲を掴んで離さないのだ。



 ならば、これは自分を逃がさないための『掴み』だ。
 だが、ラピカは慌てない。
 この程度の力なら、片手で投げることは不可能だ。
 投げられないのならば、来るのは打撃だ。

 アルフリートが打撃の為に振りかぶろうと動いた瞬間に、打撃を叩き込んで潰せばいい。


 ――その認識自体が過ちだった。
 ――すでに打撃のための準備、振りかぶりは完了していたからだ。




 ――強い笑みを浮かべるアルフリートの頭部が、ラピカの頭上から頭部へ、頭突きをかました!

 とっさに反応して数発アルフリートに叩き込むも、アルフリートの全身全霊の頭突きは止まらず、自らのハンマーに劣らぬ威力でラピカの頭部を打撃した。

 あまりの威力にラピカの視界は衝撃に大きく歪み、視界が真っ黒になって前すら見れない有様だった。
 大急ぎで回復させようと呼気を整える。

 そして、回復していく中で、アルフリートもラピカと似たような有様だった。

 当然だ。
 あれだけ大量の打撃を加えた上に、顎を撃ち抜かれた体で自分に頭突きを行ったのだ。
 四肢は連打の衝撃が染み付いて言う事を聞かないだろう。
 平衡感覚はもはや役に立たず、立ってもいられないはずだ。

 しかし、アルフリートは立っている。
 頭突きからラピカを逃がさなかったあの右手で、ラピカを支えにして立っているのだ。


 ――相手に寄らなければ、立ってもいられないくせに!


 意識がはっきりするにつれ、互いの目に闘志が戻る。

 距離は近接。
 関節すら近い距離。

 両者言葉は一言も発さず、ただ回復に努める呼吸が互いの鼓膜に響くのみ。

 互いの目に宿る闘志で、互いを焼きそうな至近距離。
 決着を着ける意思を誰よりも近い距離で、二人は黙したまま確認しあう。


 ――先に動いたのはラピカだ。


 閃光の速度で、右肘をアルフリートの顔面に突き立てる!


 ――だが、もはや打撃はアルフリートに効かない。


 理由は二つ。
 右肘を頭部で最も硬い額で受けたから。
 そして、ラピカの肩を掴んでいる右手で、打撃のミートをずらしたからだ。


 ラピカは、今や勝利は自分から最も遠い場所にある事を悟った。
 いつからそうなったかを冷静に分析した。

 頭突きを喰らった時?
 それとも、右手で掴まれた時か?


 ――強さとは何なのか?


 いまだに、その疑問に答えが出ぬまま、事態が進む。



 両手でラピカを捕まえてしまえば、もはやそこはアルフリートの独壇場だ。
 大人と子供ほどの膂力の差で、容易にラピカを地面に叩きつける。
 その勢いたるや、反動でラピカの体が地面から浮かび上がるほどだ。

 そこにアルフリートの拳が迫る。

 比類なき威力を秘められた拳。
 “Striker”の拳だ。

 それが最高の威力を発揮するために、回避も防御も出来ない状態へ自分が仕立て上げられていた。



 ――それが彼の『強さ』なのね。



 感覚と本能がそう告げる中、ラピカの意識を根こそぎ奪い去る強大なる暴力が彼女の体に炸裂した。




 “F・F”ミサトは密林を注意深く捜索するうちに、“疾風塵雷”が起こす物音とは違う物音が聞こえてきた。
 ライトボウガンの速射のような連打音や、大型飛竜が大木に突撃するような音だ。

 ミサトは飛竜かと思ったが、考えを改めた。


 ――アプトノスを持ち上げることの出来る人間がいるんだ。こんな音を立てれる人間はいっぱいいる!


 むしろ、敵となった何かの方に大いに同情を感じながら前進していくと、静かな場所に二人の人間が立っているのが見えた。


 一人は黒い毛皮の軽装鎧――ナルガXを着た男、“Sword Dancer”ヨシゾウ。
 一人は金の甲殻の射手―――G・ルナを着た女、“Backstab”アデナ。


 二人は構えを取ったまま、微動だにせず睨み合っている。
 ミサトはアデナの方に、こっそりとヘヴィボウガンの照準を合わせると、その静寂の対峙を見つめたまま、次の展開を待った。


 すると、ずっと凝視しているミサトだからこそ気付けたことがある。


 ――あの二人、cm単位で微妙に間合いを調整している!?


 まったく動いてないはずのアデナを照準していると、数秒後に照準がずれているのだ。
 おそらく動いてないように見えるヨシゾウも同じ事をやっているのだろう。
 30秒もすると、互いに数十cmも位置がずれているのだ。

 そんな事をやっていても、互いに行動を起こさないのは行動を起こす気が無いのか、それとも、


 ――あれは互いに迂闊に動けない。


 弓も太刀も瞬発力を要する武器だ。
 仕掛け合いにおいては最速の領域をいく者達だろう。
 迂闊に口火が切られれば、それが互いに最期の瞬間となりかねない。


 ――なら、さっさと撃って勝負を決めちゃうかなあ?


 ヨシゾウに恨まれるかもしれないが、こういう勝負でヨシゾウに危ない橋を渡らせるより、ずっと割りの良い話だ。

 “F・F”ミサトが人間を撃つ覚悟を固めた時、密林中に爆音のごとく響き渡る音が、三人の体を響かせた。


 何かと思って音の方向を見れば、アルフリートがレックスXの女剣士を殴り飛ばす音だった。
 アプトノスを持ち上げることの出来る、最高レベルのGの剣士の筋力で殴られたのだ。
 爆発みたいな音もするだろうと納得し、再度照準を見ようと思ったその瞬間だ。



 ――自分の体を金の線とする速度で、“Backstab”アデナが猛烈な速度でミサトに迫っていた。



「何ッ!?」

「うわッ!?」


 悲鳴を上げる頃にはもう遅い。
 アデナはミサトを押し倒して背後に組み付くと、首に両腕を回して極める。


「動くなッ! オレに近づいてみろ、一瞬でコイツの首を折ってやるぞ!」

「ぐっ……」


 不覚以外の何物でもない表情でヨシゾウが呻く。
 アデナはさらに声を張り上げ、スティールやアルフリートを強請る。


「スティールもアルフリートもだ! それ以上戦うようなら、コイツの首を折る」


「やはり、お前から押さえるべきだったか、相変わらず食えない女め」

 ラピカとの激戦でボロボロになったアルフリートが、それを感じさせぬ鷹揚な佇まいでアデナに向かって歩いていた。

「ミサト殿!? 無事でござったか!?」

 “Sir.”スティールはガンランスの反動も、“Master horn”との闘いよりも、ミサトを気遣った。
 まあ、当のミサトは少々ふてくされていたのだが。 

「どっかの誰かさんに10m放り投げられたり、今人質だったりするけど、無事だよー?」

「人間を10mも放り投げる!? それはどんな化け物でござるか!?」


 ヨシゾウは、人間を10mも放り投げるのはやはり人外の範疇なのだと、しみじみと思った。

 どことなく傷ついたアルフリートが、気を取り直してアデナに問う。


「しかし、ギルドナイトが人質とって狩人脅しても良いのかね。まるで今の君は悪党のようだぞ、アデナ?」

「いやだな、アルフリート。オレは荒爪団でお前の仲間だった時から悪党のつもりだぜ?」

「ハッハッハ、そういえば、時々気に食わないとルファードを誤射してたな。忘れていたよ」


 古い馴染み同士の、人質とその被害者とは思えぬ緩い雰囲気のやり取りが続く中、


「アデナ! うぬはワシの楽しみを邪魔するとはなんと心得る!?」


 スティールとの勝負を邪魔された“Master horn”クルツが、顔を真っ赤にしながらこの場へとやってきた。


「いや、アンタが勝ってもラピカが負けたんじゃ二対一で負けるぜ」

「そんな死に損ないなんぞ、3秒で上手に焼いてやるわ!」

「ワオ、どんな肉焼き名人だ、クルツ……だがな」


 アデナの目に真剣さが足される。


「……俺達は負けちゃあいけない存在だ。確実にどんな方法を使ってでも勝利する。それがオレ達だろ?」

「……フン」


 クルツはアデナの横で胡坐をかいた。


「面倒ごとは嫌いじゃ、うぬの流儀も嫌いじゃ」

「結構、ここはオレのやり方でやらせてもらうぜ?」

 憤慨を荒ぶる息で吹き流すと、クルツは一言。

「好きにせい」


 さて、と前置きをしてアデナはアルフリートに向き直った。


「オレ達は勝負に勝った。お前達はドンドルマに同行してくれる、これでいいな?」

「貴様を見逃したこちらの不注意だ。甘んじて受けてやろうじゃないか、だが、条件が一つ欲しい」

「何だ?」

「こちらの一人に依頼が達成された事を報告に行かせて欲しい。非公式と言えど依頼は依頼だ。こちらの信用に関わる」


 アデナはサディスティックな笑みを浮かべて切り捨てた。


「断る。ギルドの法の執行の為に、参考人は全員来て貰わないと困る」

「それは困ったな」


 アルフリートは、言葉ではそう言ったものの、アルフリートの口には意地の悪い笑みが浮かんでいた。



「浅はかな一被疑者である私には、そんな難事には耐え切れそうもない――ブチ切れて“吹奏不敗”殿でも、倒してしまいそうだな?」



 食えない女と評されたアデナは、「お前こそ煮ても焼いても食えん」、心の中で思った。
 そして、アルフリートの狙い通りの人物が――しかも、スティールとの戦いを途中で止められて著しく機嫌の悪い人物が――この言葉に挑発される。




 ――ギリッッッッ!!




 アデナにもはっきり聞こえる歯軋りの音。

 腹芸とか、
 小細工とか、
 話術とか、

 そのような詰まらない事を、力でねじ伏せてきた人物を挑発したのだ。


 だが、“Master horn”クルツは自らの怒りを腹の底へ押し込めるように、勢いよく地面へ腰掛けると、


「……任せたぞ……二度は言わん」


 アデナは冷や汗を流しながら、背後で殺意を振りまくクルツを背に、アルフリートに言った。


「悪いが、挑発はやめてくれないか? うちの連中お前らほど仲良しじゃあねーんだ」


 意地の悪い笑みを浮かべるアルフリート。
 元々、荒爪団の一員であったアデナはアルフリートを知っている。
 その実力。
 その戦闘能力。
 破壊力まで詳細に。

 “Master horn”クルツに対して、“Striker”アルフリートが勝負を挑めば、おそらく満身創痍のアルフリート相手なら、ほぼ確実にクルツが勝つであろう。


 ――だが、アルフリートには一撃がある。
 ――“Master horn”ですら、喰らえばただではすまない一撃が。


 アデナはそれを計算に入れ、勝負に出るのを諦めた。


「いいだろう。“Master horn”もご機嫌が麗しくない。一人だけだぞ?」

「話が分かるな。ヨシゾウ、ナルガクルガの牙を折って依頼の報告に行け」

「俺か?」

「お前が一番“疾風塵雷”の素材を欲しがっていただろう? あいつらにも戻ってくる確率の高い奴が良い」

「……なるほどね」


 かくして、アルフリート達はギルドナイトに連れられて、またドンドルマまで戻ることとなった。
 そこで、アルフリートに新たな道が待ち受けていようとは、その時の彼らには思いもしなかったのである。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 4
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/07/08 05:31


 ドンドルマのギルドはいつもの通り盛況ではあったが、状況的には静かであった。
 それは“Striker”アルフリートを中心とするGの狩人四人がいない事を含め、“Typhoon”ラピカを筆頭とするギルドナイトがいないことに起因する。
 さらに、ギルドマスターすらも所用で不在のため、ギルドはどことなく寂しいとも言える雰囲気になっていた。
 別に、彼らが喧しい人間だ、というわけでは無い。
 しかし、Gの飛竜を相手とする狩人達が内蔵するエネルギーは、ドンドルマのギルドにとって、よく油を染み込ませた松明の灯りのように煌々と照らしていたのだろう。

 そのエネルギーのない酒場に、一時の安堵を見つけた輝刃団の男はいつもより酒が進んだ。
 酒が進むのは、商売をしているギルドにとって良いことだ。

「姉ちゃん、相変わらず良いケツしているなー」

 だが、マナーの悪い酔っ払いが店員に絡むのは、あまり良いことではない。
 今日はアルフリートも、ヨシゾウも、あの大恥をかかしてくれたスティールもいない。
 性質が悪い事に、Gの狩人やギルドナイトがいなければ、彼は上位の狩人であり、普通の狩人は彼のやり方をとやかく言わない。

「ヘヘへ、今日は俺と寝ないかー?」

 故に、酒が入っているとは言え、彼のやり方をとやかく言う者はいない。
 せいぜい輝刃団の評判が悪くなるぐらいだが、彼らの仲間も酒が入っていて、止める者はいない。





 ――だが、それは一般的な狩人のギルドの話だ。
 ――頭突きで大剣を天井まで飛ばすガンランス使い。
 ――人間を人形のように殴り飛ばすハンマー使い。
 ――いかなる攻撃をも避けて受け切る達人の太刀使い。


 ――それらを擁するドンドルマの酒場に、狩人の一般常識すら通用はしない。




「おお、ちょうど良かった!」

 まったくもって空気を読んでいない言葉が、輝刃団の男にかけられた。
 その言葉の持つ調子があまりにも大仰且つ鷹揚であったため、輝刃団の男はその姿を見た時、拍子抜けしたかのように視線を下に落とした。


 その姿格好は、少女という他なかった。
 大きく見積もっても、身長153cmほど。
 輝刃団の男には見たことのない炎のように赤い板金鎧を身につけており、左腕には盾、左腰にはこれまた見たことのない片手剣を見につけている。


 だが、一番目を惹かれるのはその炎のように紅い両目を持った輝くような美貌と、


「ちょうど悪さを働いておる人間がいて良かった」


 ちなみに、以前、スティールに頭突きで吹っ飛ばされたこの男ですら、身長では180cmほどある。
 もはやこの作品では、身長差30cmの勝負など珍しくもないが――そもそも人間と飛竜の身長差が15m以上あるのだ――30cm上にある人間の頭を見上げながらも、態度で見下し、


「――遠慮なくわらわの引越しの人足に出来るの?」


 ――怖れる物無きその不敵な態度であった。


「ああん? なんだ嬢ちゃん? 遊びたいのなら――」

「口が過ぎるぞ、黙れ」


 あっさりと一歩だけ少女は進んだ。

 だが、その一歩は少女の身長と比べればあまりにも間合いが広く、そして、矢の様に速かった。
 油断していた輝刃団の男にとって瞬間移動のように見えるであろう、蹴り足の一歩は少女の体をあっさりと男の眼前に運び、

 そして、少女はその速度の中で、男の左足の爪先を容赦なく右足の踵で踏み潰した。


「――――――ッッッ!」


 スティールに吹っ飛ばされた時は、一瞬で気を失えただろうが、これは気すら失えない猛烈な痛みを得る一撃だ。

 さらに、痛みで右足を上げた男の左足を、遠慮なく右足で蹴り飛ばして地面に転がすと、鷲が獲物を爪で捕まえておくかのように、その喉を右足で踏んだ。


「げぇっ!?」


 まさに文字通り黙らされた男を足元に置いた少女は、椅子を蹴って次々に立ち上がる三人の荒くれに目をやった。
 輝刃団の仲間達だ。


「てめぇ、俺達の仲間に何をしやがる!」


 しかし、少女は男の上で腰に手を当ててふんぞり返ると、


「仲間の無作法に無頓着でありながら、仲間とは片腹痛い! わらわがまとめて遊んでくれるわ!」

「偉そうに……」


「――――偉いからなッ!」


 妙な説得力を含有した決め付けが、輝刃団に火をつけた。


「しゃらくせぇ!!」


 ランス使いと思われる男が、いの一番の先陣を切って少女に突っかかった。
 少女は喉を踏んでいた右足を外すと、さらに右足を閃かせ、酒場には付き物のギルド特性の品を跳ね上げた。


 ――大の男が暴れても壊れないテーブル。


 ランス使いは咄嗟にテーブルを受け取るが、その時には少女の姿をテーブルの向こうへと見失っている。
 テーブルの中の死角を少女が突っ走り、テーブルごと紅い少女が飛び蹴りをお見舞いする。


「野郎、やりやがったなぁ!?」


 叫びながら少女の動きを追っていたガンナーと片手剣使いが、両脇から少女を挟み撃ちにする。
 しかし、赤羽根の様に舞っていた少女の体が、風に吹き飛ばされてしまったかのように、不意に彼らの視界から消えた。


「ッッッッ~~~~~~~ッッッ!!!!」


 すると、不意に片手剣使いが股間を押さえて悶絶していた。
 倒れる片手剣使いの向こうから、紅い少女の姿が現れる。
 ガンナーは、少女が地面を転がって片手剣使いの股の間をすり抜け、その凶器に等しい足で股間を強かに蹴った事を悟った。
 痛みを想像して寒気が走ったガンナーは、思わず股間を押さえてしまった。

 そんな哀れなガンナーに、少女は悪意と悪戯心と茶目っ気が滴り落ちるような極上の笑みを浮かべると、


「さぁ~、どうする? 残りはおぬし一人じゃ。好きに動いて構わんぞ?」 


 美形に脅迫されるのが、これほど怖いとは思わなかったガンナーは思わず後ずさるが、何かに気付くと意を決したかのように立ち止まった。

 だが、少女は呆れた顔で鼻を鳴らしすと、再度テーブルを蹴飛ばした。


「後ろで倒れた振りしているおぬしら、腕力自慢なら起き上がってしろぃ!!」


 転がってくるテーブルに、叩き起こされる羽目になった輝刃団の倒れた二人は、スティールに匹敵するほど腕の立つこの少女を三人で取り囲むも、あまりに強い少女に手も足も出せなかった。


 少女からすれば詰まらない緊張がギルドを支配する中、今度は外から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「カッカッカ、これまたずいぶんと派手に喧嘩をしたもんじゃのぅ、コーティよ!」


『ギルドマスター!!』


 輝刃団の男達は、この荒ぶる魔物のように強い少女から救いを得たかのように、ギルドマスターの方を見た。


「あ、おぬしら。目を離すと危ないぞ」


『えっ!?』


 次の瞬間には、怪鳥のように舞った少女が、『真剣勝負の最中に余所見をかました』三人をあっと言う間に蹴飛ばしていた。


「だから、言わんこっちゃあない。コイツは誰にも押さえることの出来ぬじゃじゃ馬なんじゃよ」 


 奇襲の飛び蹴りにもまだ気絶しなかった大剣使いは、再度少女に踏まれる羽目――今度は頭だ――になると、次の言葉を聞いて驚いた。


「爺様! 子ども扱いはやめてもらおうかの、約束通りテオ=テスカトルを狩ってきた! これでわらわも大人じゃ!」


「爺様ぁ!? あ、アンタ……ギルドマスターの孫なのか!?」


 少女は声をあげて笑い出した。「カッカッカ」 笑い声はギルドマスターに似ていた。


「偉いといったじゃろう? わらわの名は“Red eye”コーティカルテ、ギルドマスターのひ孫じゃ」

 コーティカルテの宣言で、ギルド中が言葉を失う中、これまた静かにギルドマスターが言葉を告げた。

「ワシが偉いんであって、おぬしが偉いわけじゃあない。勝手に偉くなるな、コーティよ」

「つれない爺じゃのぅ。じゃが、テオ=テスカトルはしっかり狩ってきたんじゃ。わらわももう一人前じゃ!」

 ギルドマスターは腰の水筒に直接口をつけると、中の酒を呑んみながら、

「その件もダメにきまっておろう。――“吹奏不敗”なんぞ駆り出しよって、奴が出るのならなんだろうと勝てるわ」

「な、なんじゃとー!? そんな横暴があってたまるか!?」

 せっかくの美貌を憤怒で歪めながら地団太を踏んで憤慨するコーティカルテ――大変なのは踏まれている大剣使いだ――の抗議など意に介せず、ギルドマスターは告げた。

「ギルドナイトと狩人は似て非なる存在。狩人としてワシに一人前と言わせたかったら、在野の狩人と組んで古龍を倒すのじゃな」

「そんなコネ、わらわにはないぞ!」


 ギルドマスターは美貌の少女剣士の泣き言なぞ聞く耳持たぬ顔で背を向けると、また飲み直すために外へと歩いていった。



「なら探せ。――それも試練の内じゃ。お前が成したい事を成すためのな」





 狩人の主食は、やはり肉だ。
 それでも、体中ボロボロの“Striker”アルフリートの主食とする骨付き生肉は、傍から見ると蛮族の凶行としか見えないのは否めなかった。

「まあ、ギルドナイトが狩人を強襲する事態がないわけじゃあない。ギルドナイトは狩人の起こした問題を、その場のギルドナイトの判断で解決していいが、依頼関係の問題となると話が別でな」


 狩人の主食は、やはり肉だ。
 しかし、満身創痍の“Sir.”スティールが、スイカほどの大きさがある胡桃の木よりも硬い干し肉を、そのウラガンキンのような屈強な顎で平然と引きちぎるのは、見てて壮絶だ。


「なるほどでござるな。確かに契約関係の是非をしっかりと確認するためには、問題を起こした狩人をギルドに連れてこないといけないわけでござるな?」

 “Backstab”アデナは、骨をゴキゴキと噛み砕きながらも、しっかりと嚥下するアルフリートの食事に、グラビモスの食事を始めて目にしたときのような衝撃を受けた。

「ああ、なんだかんだと言ってのらりくらりと逃げる狩人も多いからな。腕ずくで捕まえんといかん事態も多いわけだ。厄介なのは五年位前に、強襲したギルドナイトに正当性が認められる判例があってから余計血を見るようになってな。まあ、大抵はギルドナイトが圧勝するのだが」

 “Master horn”クルツは、肉と言うより、ゴムかフルフルの柔皮を食べているのではないかと思う肉の引き千切る音に、少々興味深そうだった。


「お前ら、文句言いたいのか、飯食うのか、どっちかにしろ!」


 “疾風塵雷”を載せてアプトノスに牽かせた荷車の手綱を取るアデナは、二人のどこか皮肉気なやり取りに顔を引き攣らせながら、


「一応、こっちは人質がいるんだぞ」

 御者台の横に座らせたミサトを指差した。

 しかし、アルフリートはやれやれと首を横に振ると、

「これだから狩人を疑い過ぎたギルドナイトは困る。そんなものなくても私は逃げんぞ。依頼は緊急性のあった依頼であり、公式な手続きはこれから踏むつもりだったのだ」

「皆、お前みたいに行儀良ければいいんだが、残念ながら現実は美しくない例で満ちている。そして、オレは美しくない方に対して用心するのが大好きだ」

 すると、“Sir.”スティールはガハハと笑いながら、


「狩人とギルドナイトの立場の違いに、延々と議論していてもしょうがないでござる。――それよりも、問題はアレだと思うのでござるが」



 “Sir.”スティールの指摘した『アレ』は荷車の後ろのほうに座っていた。




「…………………………………………」




 それは“Typhoon”ラピカであったものだった。
 アルフリートとの殴り合いから眼を覚ましたラピカは、負けたと言う事実すらどこか上の空のまま、その肉体から魂が抜け出てどこかへ行ってしまったかのように無気力なままであった。
 今も、見る者に血の色を連想させていたあのレックスⅩに、穏やかな飛行をしていた蝶が止まって羽根を休めていた。

 さすがに顔を見合わせる狩人達。

「やっぱり、オレは殴った場所が悪かったんだと思うぜ?」

「私か!? 原因は私にあると言うつもりか!?」

「いや、間違いなく吹っ飛ばしたのはアルフ殿でござる」

「ワシはまたふっ飛ばせばスイッチが入ると思うんじゃがなあ? やはり、ああいうのはショック療法じゃろ?」

「……むしろ、あたしは受身取れなくて今度こそ死んじゃうんじゃないかと思うよ?」

「アルフ殿の突きは殺人級でござるしなあ」


 さすがに解決策を見出せずに唸る一同ではあったが、道の先に大きな街が見えてきて顔色が変わった。
 密林の獣のざわめきとは違う、懐かしく馴染みのある喧騒。
 騒がしくも理解の出来る音と風景の数々。
 人々が積み重ねて大きくなった都市。

 アルフリートはそれらを見て喜び肯くと、帰ってきた自分達の街の名前を告げた。



「うむ。やはり、ドンドルマは落ち着く」




[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 5
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/07/30 23:32

 双方にとって、この事件が不幸であった点とは、砂漠で襲われた隊商に乾燥させたネムリ草と粉末になったマヒダケを大量に積載していたことだろう。
 セクメーア砂漠の環境ではネムリ草もマヒダケも入手経路が少なく、隊商による輸送によってその供給の大部分を任せていたからだ。

 その飛竜は砂漠の柔らかい砂の中を自由に行き来し、本来肺呼吸を主とする生物なら生息できぬ『地中』をも自分の領域とした飛竜であった。
 本来生物は、陸空海の内の一箇所をを自分の縄張りとするものであるが、その飛竜は陸を制し、空を制し、さらに地中まで制する三界の覇者であった。
 『地中』よりその隊商――久々の大型の獲物――の到来を喜びながら、我が獲物と狙い定めた。

 さらに不幸をあげるならば、通常は単独で生活するその飛竜が繁殖の為に番いとなる繁殖期であったことだ。
 ことさら、大型の獲物を襲う理由のあるその番いの飛竜は、地中から隊商に襲い掛かると獲物が悪あがきをするのにも構わず、地中へと引きずり込んで殺した。



 彼らは空腹であったため、隊商に勢い良くかぶりつき、
 地中へと引きずり込んだため、自らの身動きが束縛された状態となり、
 ネムリ草とマヒダケの効果が、一層その体へと効果を及ぼした時にはもう遅かった。



 かくして、その番いの飛竜は、通りかかった狩人に地面にもぐりこんだまま眠りこけているところを発見され、そのまま捕獲された。
 雄は全長28m、雌は全長30mの巨大な二頭の飛竜を捕獲できた事を、単純に喜んだその狩人は、自分の幸運を戦果として持ち帰るべくドンドルマへの帰路を急いだのだった。






 ドンドルマのギルドマスターは誰にとっても喰えない人物として通っている。

 狩人は弱者を相手としない。
 飛竜を中心とした強者を相手取るのが狩人の誇りだからだ。
 故に、弱者を相手に本気で怒る狩人はいないし、ましてや手を上げるなぞ論外だ。

 故に、ドンドルマのギルドマスターはその弱さと老獪で意地の悪い知恵を武器として、狩人の手綱を握り続けているのだった。


 アルフリートは、長旅で疲労したスティールとミサトを宿に置き、『疾風塵雷』の件でギルドマスターと話し合っていた。

「ホッホッホ、『疾風塵雷』は災難じゃったのう、アルフリート。どうせ、“Sword Dancer”が依頼人を連れてくれば済む話じゃろう? しばらくドンドルマでゆっくりするが良い」

 相変わらず命の危機を気軽に笑ってくれるこの老人を判目で眇めながら、

「むしろ、ギルドナイトに襲われる方が悲劇だぞ。戦いに飢えた“Typhoon”はともかく、“Backstab”も“Master horn”も強引に我々を引き立てようとするのだ」

 ギルドマスターが挑戦的に笑う。

「何か言いたそうじゃの?」

「もちろんだ」

 アルフリートにはどうもあの件で納得のいかない点がある。
 双剣使い“Typhoon”ラピカの独断専行を、“Backstab”アデナも、“Master horn”クルツもフォローしたことだ。

 “Typhoon”ラピカに関しては分からないでもない。
 彼女は強さの追及者だ。
 それは彼女の評判から分かる。
 ギルドナイトとしても異様なまでに働く彼女は、戦うことで何かを得ようとしているところがある。

 しかし、“Backstab”アデナはそんな感情には囚われないほど計算高く、“Master horn”クルツはすでに狩人として行き着くところまで到達した強者である。

 では、何故その二人が“Typhoon”ラピカの独断専行を容認する?
 アルフリートは、自分の思考の中で一度その疑問について考えたあと、


 ――いや、容認したんじゃない。都合が良かったんだ。


 と、思い直した。
 “Typhoon”ラピカの独断専行を許して得られるメリットとは何だろう?
 あの時点で、アルフリートの依頼の正当性を確認するためには、村に立ち寄るのを省くメリット。

 まずは簡単に思いつく疑問から打ち消すことにする。

「何かギルドに緊急を要する案件でもあるのか?」

 そして、それが正解だった。

「あるんじゃ、これが」

 ギルドマスターは困ったように溜息を一つつく。

「それ故に早急にギルドナイト達にはドンドルマに帰還してもらったわけじゃが、まさかこんな事態になろうとはなあ」

「私達のせいだと?」

「自業自得だとはしても、困った事態には変わりはないもんじゃ」

 アルフリートは、戦い終わった後の“Typhoon”ラピカを思い出す。
 どうしてそうなったかは、アルフリートにはなんとなく分かる。


 ――強さの追及者の強さを、頭突きで押さえつけるようにして勝ったからな。


 相手に全力を出させた上で、それを踏み砕くようにこちらの全力で勝利したのだ。
 ましてや、彼女の強さは彼女の誇りと同義だ。
 悔しくもあるだろうし、放心したくもなるだろう。

「ついては、Gの狩人であるお主等に以来を頼みたいのじゃが……」

「断る」

 アルフリートは即答した。
 とても簡単な読解問題だった。

 ・ギルドナイトを急遽呼び戻す事態が発生。
 ・しかし、ギルドナイトは先の戦闘で完全に機能しない。
 ・『だから』、依頼を頼みたい。

 どう考えてもとてつもなく強いものと相手をする事になるだろう。
 “疾風塵雷”とギルドナイトを相手にした後で。

「即答じゃのぅ」

「当然だ、我々も完全ではない。そのような状態で強敵とやりあう愚を犯すようなことはしない」

 ギルドマスターはまた溜息をつく。

「じゃあ、これは年寄りの愚痴じゃ。聞いて貰えるかの?」

「珍しいことがあるじゃないか。ギルドマスターの愚痴なんてこの先聞けるものなのか?」

 ギルドマスターは苦笑すると、ボソボソと語り始めた。



「――全ては、未熟な狩人が砂漠から番いの飛竜を捕獲してきたからなんじゃ」



 そう捕獲してから問題が発生した。
 捕獲された番いの飛竜の麻酔が、ドンドルマの街中で覚めたのだ。
 その飛竜はよりによって、飛竜種でも強力な部類に相当する飛竜であった。

 その飛竜は吐息を吐かない。
 しかし、それはまったく慰みにもならない。
 地中を行き来し、同種の飛竜ですら縄張りに立ち入らせずに追い払う極めて凶暴な気性の飛竜。

 地中を潜行するためにその甲殻は大地よりも堅く、
 縄張りを主張し続けるために戦い慣れている。

 そして、その身体能力は25mを超える巨体で地中を潜行するという、もはや物理法則すらも蔑ろにした驚異の習性を達成するために極めて高い。


 ――故に、その頭部の双角は、神の敵対者のように禍々しく人の目に映る。


 “砂漠の悪魔”、“支配者の双角”、“恐怖の咆哮”と謳われる二足歩行の飛竜種、ディアブロス。

 そして、その中でも一組の番い、繁殖期においてその色を黒い警戒色へと変える雌 ディアブロス亜種と、その夫である雄の白いディアブロスを人々は恐れ、こう呼んだ。



 曰く、「『黒』と『白』の悪魔は、砂漠にて『憤』怒に『鳴』く」。



 雄は全長28m、雌は全長30mの巨体のディアブロスの番い。
 それが――“黒白憤鳴”のディアブロス――と呼ばれる砂漠の支配者達だった。



「ドンドルマの狩人が総出でかかり、死者13人、重軽傷者34人で、ようやく捕獲用麻酔弾が効いた。まあ、もともと飲み込んだネムリ草とマヒダケのおかげで効きやすかったんじゃろうなあ」

「捕まえたのに何故屠殺しない?」


 そう、捕獲したのなら飛竜を解体する様々な方法がギルドにはある。
 麻酔を深くかけて抵抗する事を抑えれば、いくらでも安全に“黒白憤鳴”を処分できるはずだ。
 そこまで考えが至ったところで、アルフリートは一つの結論に至った。


「……まさか」

 ギルドマスターも、アルフリートに肯いてみせた。

「麻酔に抵抗できるようになったのか? ネムリ草とマヒダケを大量に口にしたことで?」

「話が早いのぅ。どんな機序で起きているか想像もつかんが、麻酔弾は浅い眠りしか導入せんようになった。いくら使っても繁殖期の警戒の強いディアブロスが完全に眠ることはなくなった」

「銃弾で遠距離から射殺するのは? 爆薬で吹き飛ばすのは?」

 ギルドマスターは首を横に振った。

「“黒白憤鳴”が暴れれば、檻が壊れる。中途半端な攻撃はかえってドンドルマを危険に落としかねんのじゃ」

「マヒダケを大量に摂取して抵抗性を得ているから、麻痺も効果が薄い。麻酔に耐性を得ているから過剰摂取の窒息死もありえない訳か。なら、毒殺は?」

「もちろん試したぞ。“黒白憤鳴”に直接注射を出来る勇者はいなかったんじゃが、煙にして無味無臭無刺激性の神経毒を吸わせようとしたんじゃ」

 話を聞いているうちに、アルフリートはおおよその話のオチが読めたらしい。

「しかし、驚異が未だにいると言うことは……」

「毒を持った者が、檻に近づくとディアブロスが警戒を始めるんじゃ。暴れられると大惨事が起こる状況で、毒を嗅がせにいけるわけがない」


 「恐るべきは大自然の驚異」、そう呟いて、アルフリートはギルドマスターに向き直った。


「それで、私達の出番、と言うわけか?」

「ただの老人の愚痴じゃ」

「そうさせて貰おう。愚痴は聞くだけに留めるから愚痴なのだ」


 言い捨てて席を立ったアルフリートに、ギルドマスターは呟いた。


「麻酔の効力が弱まるのは明後日じゃ……逃げるんなら、早めにしておくんじゃな」

「ギルドマスターは?」

 尋ねると、ギルドマスターは腰の瓶の蓋を開けて酒をあおった。

「ホッホッホ、いまさら旅に出れる年でもない。ここで死ぬのも一興じゃなあ?」

「幸運を」

 アルフリートの慰めの言葉に、ギルドマスターは酒盃をあげて応えた。




 アルフリートが部屋から出た後、天井から紅い何かがぶら下がった。
 赤い何かは小柄な人の形をしていた。

 コーティカルテだ。

 コーティカルテはぶら下がった体勢から、小鳥のように軽々とした身のこなしで着地すると、気楽に自分の祖父へ話しかけた。


「ギルドマスター、あやつが例の?」

「『Striker』アルフリート。荒爪団の三つのSの一人。今はフリーじゃのぅ」

「強い?」

 ギルドマスターは少しの間黙考した。

「伝説へ挑戦中、といったところじゃのぅ。……若い時のワシと比べればまだまだ」

「へー」

 コーティカルテは、気のない返事をしながら「ギルドマスターが、若い頃の自分と強さを比べられる人間はそうそういない」、という事実を思い出す。

 ギルドの長となる者のほとんどは、『狩人経験者』である。
 これは、狩人の経験がある者が組織の長となった方が、様々な配慮をしやすいだろう、という効率論でもあるが、ギルドの中で確固とした権力を若い内から築いておかねば、ギルドの長へとなれない。

 ――何故なら、ギルドマスターとはギルドの幹部から信任されるからだ。

 よほど根回しを上手にやれる者か。
 さもなくば、若い時に名を馳せた歴戦の勇者がなることが多い。

 若い頃はココット村の英雄と並んで称された、と年老いた幹部達から聞いた事のあるコーティカルテは、この年老いた勇者が相手を見切る時の洞察力に一目置いているのだ。

 勇者は勇者を知る、そういうものなのだろう。


 そして、現役の勇者であるコーティカルテも、ギルドマスターの目論見を多少なりとも読んでいたのだ。


「で、どうやってアレを“黒白憤鳴”と戦わせるんじゃ?」

「なんじゃ? 分かっておったのか?」

「Gの狩人は大陸に10人といないんじゃったよな? ギルドナイトとわらわが出ないんなら、あやつらしかおらんじゃろ?」

 出てもらっても一向に構わんじゃがの~、というギルドマスターのぼやきを、コーティカルテは冷静に無視した。
 怠け者め、と嘆息して、ギルドマスターは言葉を繋げた。


「な~に、そのうちあやつから頼んでくるわい。楽しみに待っておれ」




[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 6
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/05 00:35

 “Sir.”スティールはガンランス用の大型薬莢に火薬を詰め込んでいた。
 エンデ・デアヴェルトは大粒の散弾を――散弾との区別をつけるなら、対人用の拡散榴弾ほどの大型破片を対象に浴びせるものだと思えばいい――発射する放射型だ。
 瓶の底の様な大型の金属の蓋の中に火薬を詰めることになる。
 この時重要なのは、やはり精度だ。
 火薬を出来る限り圧縮して詰めることで、無駄な死腔をなくし、不発を防止する。

 各部部品の磨耗と稼動のチェックも重要だ。
 ガンランスの部品には、常に砲撃時の高熱が襲い掛かる。
 必要ならば、砲身を取替え、各部との連動を再調整しなければならない。
 これを怠ればガンランスは暴発し、飛竜を眼前にしながら自殺することとなる。

 古来より、騎士の礼装は手間と痩せ我慢を強要するものだが、このガンランスもそれは同じだった。


 誇り高き白銀の英雄銃槍。


 それは、田畑を誠実に耕すが如き、毎日の積み重ねを怠らなかった者だけが扱える騎士の装備である。



 もっとも、それは興味深そうにエンデ・デアヴェルトの部品の一つ一つを食い入るように見つめる、“F・F”ミサトのクイックシャフトに関しても同様なのだが。

「……ミサト殿?」

 スティールに声をかけられたミサトは、なぜか、自分の顔の口元を拭いながら、作業を再開した。

 言わば、ミサトの周辺は削り滓の生産場と化していた。


 “疾風塵雷”戦で散々消費した弾丸を補充するためだ。

 普段から弾丸は作り置きしているのだが、ああいう大型の飛竜を相手にすると、弾丸のストックが空になることも珍しくはない。


 さて、3話でも“F・F”が触れたが、ガンナーの弾丸作成は非常に手間がかかる。


 ボウガンという武器自体が非常に精度とメンテナンスを要求される武器であるため、優秀な狩人を精度を追及して、メンテナンスの手間が増える。
 精度を追及する理由は人によって様々だが、単純に挙げただけでも、


 ・射撃精度の向上
 ・弾丸の威力の上昇
 ・爆発物の威力の上昇
 ・誤作動の防止
 ・誤射の防止
 ・暴発の防止
 ・弾詰まりの防止
 ・部品の磨耗の減少
 ・ボウガンの熱疲労の減少
 ・持ち運び時の安全性の向上


 etc、etcである。
 個々のガンナーに細かく追求すれば、更なる回答が貰えるだろうが、この文章の目的ではないので割愛させてもらう。

 弾丸を射出する武器である、ボウガンの精度を高める方法は二つ。

 ――ボウガン自体の精度を高めるか。
 ――その射出物である弾丸の精度を高めるか。

 である。


 前者のボウガンの精度について、“F・F”ミサトは日々の習慣としてボウガンのメンテナンスを行っている。
 部品の欠損の有無、機構動作の確認、銃身の傷の有無、照準が正常の位置にあるか確認、部品についた埃や汚れの清掃、銃身の研磨、etc、etc。

 さらに達人のこだわりを書けば、それだけで一冊の本が出来上がるだろうが、個々では大幅に割愛させていただく。
 この物語は、狩人の物語であって、ボウガンの教科書ではないからだ。
 ボウガンのメンテナンスはこだわりこそあれど、日常的なメンテナンスは清掃と確認が主であり、毎日行う上で大きな負担となるものではない。


 しかし、弾丸となれば、話が別だ。


 カラ骨、カラの実を薬莢とし、各種素材を弾頭や炸薬として利用する狩人の時代の弾丸は、全て手作りで作られていた。
 これはカラ骨、カラの実が天然素材であるため、大きさも強度も素材によって違うからだ。
 全ての材料に職人の判断が必要とされ、全ての材料に一定の処置を施さねば使えないのだ。

 “疾風塵雷”の戦いで弾丸を使い切った“F・F”ミサトは、この手間のかかる弾丸作成を大急ぎで行っていた。

 これが村に雇われた狩人とかになると、予備の弾丸を倉庫に保管しておくことも出来るのだが、Gの狩人の獲物は希少であるため、一箇所に定住していてはほとんど出会えない。
 故に、Gの狩人は一箇所に定住しないため、個人で携行出来る量しか持っていないのだ。


「……掃除だけでも手伝うでござるか?」

「要らない」


 あまりの削り滓の量に、思わず声をかけたスティールの言葉をすげなく断り、“F・F”は再度カラ骨を削る作業に戻る。

 大きく削る時はノミと木槌で。
 細かく削る時は彫刻刀で。
 研磨する時は、滑らかなランポスの鱗やギアノスの鱗で代用する。

 海が近い場所なら、硬い鮫の皮を使うのだが、陸地なら小型肉食竜の鱗が扱いやすい。
 適度な硬さなら鳥獣種の鱗でも良いのだが、鳥獣種の鱗は時々毛が付着していてミサトの好みではなかった。




 ――急がないといけない。




 “F・F”ミサトは作業の手をふと止めて、ドンドルマの街の光景を見た。
 いつもの活気、いつもの喧騒、アプトノスを追いかける子供の声、道いく者に声をかける売り子の声、自分の弁当を上手いと喧伝するおばさん、ハンターズギルドのサービスを宣伝するギルドの案内員。
 いつものドンドルマの光景がミサトの目の前に広がっている。



 ――しかし、それは2/3に縮小された光景だ。



 ドンドルマの街の住民は、残り1/3を見ないように生活している。


 家の中心から炸裂した住宅。

 砂山を蹴散らすかのように踏み散らされた柵。

 道路と階段に刻まれた巨大な生物の足跡と無数の弾痕。

 風景から消失した石造りの尖塔。


 血と武器と死体こそもうないが、天災と比肩出来るほどの暴力がこのドンドルマで暴れたのは想像に難くない。


 スティールがミサトに語りかけた。

「どうするのでござろうな?」

「……何が?」

 スティールはドンドルマの中心に位置する巨大な建物を指差した。
 それは大老殿と呼ばれる巨大建築物だ。
 高さにして20mは越え、一部の狩人しか立ち入りを許されないドンドルマを象徴する建物だ。
 もちろん、Gの狩人であるスティールもミサトも入ったことがある。

 しかし、スティールの指差したものは大老殿の権威ではない。


「……あ」


 ミサトは気付いてしまった。
 何故、今まで気付かなかったか?
 それは狩人にとって、大老殿は誇らしい象徴であるからだ。
 もしも、まさか、もしかしたら、とも思わなかった。


 それは、狩人に叩きつけられた挑戦状であった。
 もしくは、所詮は小さな人であると、大口を空けて嘲笑うかのようだった。


 ――高さ10m、幅8mほどの大きな空洞。
 ――本来なら、即座に復旧作業を始めていてもおかしくない大きな傷が、まだ工事することもなく、一時しのぎの応急処置だけが施されていた。


 つまり、いるのだ。
 まだ生存しているのだ。
 大老殿にあの大きな傷を作った脅威の存在が、まだ脅威としてハンターズギルドに警戒を余儀なくさせているのだ。


 “F・F”ミサトは小さく身震いした。
 恐怖だろうか?
 昂揚だろうか?
 どちらかは分からないが、その存在を想起するだけで腕を動かす理由にはなった。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 7
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/08 22:14


 ――“悪魔”とは何であるか?

 強力な力を振るう獣?
 理解不能の不可思議な力を使う魔法使い?
 夜よりも暗い悪意を持って我々を虎視眈々と狙う悪漢?

 どれも人の枠に収まった、ただの悪だ。


 ――では、悪魔とは何であるか?


            ――神学者 ウェルテル・ヒポクラテス
                    「運命の潮流」 より



 ギルドマスターとの話を終え、“疾風塵雷”の話が正式な依頼と認証されたアルフリートは、“疾風塵雷”から剥ぎ取った体組織を空いた袋に詰め込んでいた。
 “Sword Dancer”ヨシゾウに渡すと約束した貴重な素材を、丁寧に梱包するアルフリートに近づいてくる一人の女性がいた。

 黄金のG・ルナ装備と弓使いならではの姿勢の良さ。

 かつての猟友にして、ギルドナイト。
 “Backstab”アデナだった。
 彼女は軽く手を上げながら、

「よう、聞いたぜ。“黒白憤鳴”断ったんだってな?」

「“疾風塵雷”と『どこかの誰か』さんとやりあったんだ。我らに必要なのは、仕事ではなく休養だ」

 嫌味を聞かせた台詞でアデナを牽制するアルフリート。
 当の本人は肩をすくめて怖がるだけだったが。

「つれねぇなあ。昔からの付き合いじゃあないか?」

「腕と切れ味は信用しているさ。切れ味の良いナイフは警戒を怠れば、自分の手を切る羽目となる……違うか?」

 アデナは、「ごもっとも」、と言って溜息をついた。

 アルフリートは嫌味を言っているが、これは交渉姿勢に過ぎない。
 そもそも話し合いがそんなに好きでないことは、“荒爪団”の長い付き合いで把握している。
 本当に嫌っているのなら、会話すらもしない男だ。
 散々嫌味を言われたことのおおよそのジェスチャーを意訳すれば、こうなるだろう。

 『要があるのなら聞いてやらんでもないが、こっちは乗り気じゃないぞ』


 ――じゃあ、手っ取り早く本題にいくか。


「お前、ここ半年間。何してたんだ?」

「……療養だ。あの時、大怪我を負った」

 苦々しい顔で返答するアルフリート。

 心の中にあの半年間が思い出される。
 自分の弱さに苛まれ続けた時間。
 メルシャ婆とウォルダンとアルシアに癒された優しい時間。
 再び、竜の前に立ち向かうための強さを思い出すまでの半年間だ。

 混ぜられた様々な事情は、強い酒のように濃いものだった。
 ただ飲み下すには強過ぎる。
 味わい続けるにも濃すぎる。

 しかし、世の時間は無残なまでに流れている。
 半年間の時間が経過した。

 ――つまり、アルフリートは世から半年間置き去りにされているということだ。 


「――じゃあ、“荒爪団の3S”の一人は、残り二人がどうなったか知らないんだな?」


 アデナの口からその問いが発された時、アルフリートはそれを再確認した。
 半年間をかけて取り戻したのは、『己の強さ』のみ。

 ――では、かつての仲間は?

 “荒爪団の3S”と並んで称された残り二人のSを頭文字に関する二人の狩人。


「“Slayer”ルファードと“Straight”ルカが今どうしているかは知らないんだな?」


 『お前は半年遅れている』、そう告げるようなアデナの強い笑み。
 アルフリートはその笑みに問いかけた。

「お前は知っているのか?」

「知っているとも」

 アデナは笑う。
 獲物が餌に興味を持った事を確信する狩人の笑み。
 目の前の哀れな狩人が運命に捕まった事を確信する。



「あの竜――“天威霧抱”は“Slayer”ルファードが恋人のように焦がれ続けた、自分の妹を殺した竜だからな」

「伝えたのか!? ルファードに!」



 アルフリートは盟友“Slayer”ルファードの事を思い出す。

 ――いわば、彼は復讐者だった。

 幼い頃、竜に襲われて家族を失い、目の前で妹を喰われてしまったのだという。
 当のルファードは岩に挟まって動けず、また皮肉にも、岩が飛竜への防護壁となってルファードの命を助けた。

 ――眼前で妹が咀嚼されて喪失していく。

 その事実が如何に彼の心を蝕み、竜よりもたらされた灼熱の怒りが彼の心を復讐に駆らせたのか?
 彼は、何よりも力を欲していた。

 復讐のための力を。
 あの竜に刃を立てるための力を。
 体を割って引き倒し、竜の苦痛で心に開いた穴を贖うための力を。

 その大剣を振るう力は日増しに増していった。
 倒した竜の数が、復讐を果たすための心の安堵であった。
 竜に刻んだ傷だけが、自分が自分である事を証明する方法だった。


 ――それだけで生きていける狩人など、どこにもいないというのに。


 だが、アルフリートは知っている。

 “Striker”アルフリートはわがままな上に単純で。
 “Backstab”アデナは狡猾な悪党で。
 “Straight”ルカは天然な上にのんびり屋であったとしても。


 ――“Slayer”ルファードは彼らと共に笑っていたのだ。

 “荒爪団”の一人として、寝食を共にし。
 “荒爪団”の一人として、狩りの成果を分け合い。
 “荒爪団”の一人として、苦難を乗り越えたのだ。

 彼が、本当は素朴で誠実な人間であることなど、アルフリートはとうに見抜いている。


 出来る事ならば、あの四人でずっと狩りをしていたかった。

 しかし、別れはやってきた。
 運命が四人を引き裂き、そして、“Backstab”アデナと再会したアルフリートに忘れていた半年間が突きつけられた。


「――伝えた。ルファードは喜んで“天威霧抱”を追いかけにいったぜ」


 ――悪魔め!

 こうも簡単に人の動向は、運命は、他人に左右できるものなのだろうか?
 アルフリートは“Backstab”アデナの意図を察した。
 そして、その意図はどうあがいても回避不能であることが、彼には悔しかった。

「まどろっこしい前ぶりは省くぞ……教えて欲しければ“黒白憤鳴”を倒せ、と言いたいのだろう?」


 アデナは笑う。
 狩人が哀れな獲物を見る笑みで。


「正解。“黒白憤鳴”の麻酔が覚めるのは明後日だ。それまでにそちらの準備を頼む」


 言葉の終わりを待たず、アルフリートは背中を向けた。
 アデナは了解の返事を聞くまでもないと、向けられた背中をただ見ていた。


 ――こうして、新たな不可避の、そして孤独な試練がアルフリートに襲い掛かったのだ。




 そう、これはアルフリートにとって、孤立せざるをえない状況だった。

 結論だけを言うなれば、彼は古い友人の居場所を知るために、“黒白憤鳴”というドンドルマの街を危機に陥れている脅威の前に、今の仲間達を誘導しないといけなくなったのだ。

 ドンドルマの狩人相手に、死者13人、重軽傷者34人を作り出した“黒白憤鳴”の実力はアルフリート単独でどうにかなるものではないだろう。
 捕獲することも道具に頼って隙を作り出すことも難しい。
 ドンドルマの狩人が戦った際に、隙を生み出すために道具を使わないはずがないのだ。

 ディアブロスに最も有効な閃光玉やシビレ罠、音爆弾はよほど意表をつかない限り効かないと考えた方が良い。

 さらに、狩人に対してよく学習したはずだ。
 50人近い怪我人を出したということは、実際はそれの倍以上の狩人がよってたかって仕掛けにいったのだ。
 リオレイアや“疾風塵雷”よりもはるかに経験を積んでいるはずだ。


 ――つまり、“黒白憤鳴”に狩人の手法は通じない。
 ――完全なる実力勝負を挑まないといけない。
 ――あの悪魔の如き、雌雄のディアブロスに。


 どう考えても、命懸けの狩りになる。
 どう考えても、分の悪い狩りになる。

 勝つと分かれば彼に協力する狩人もいようが、負けると分かっていて彼に協力する狩人などいようはずもない。
 ましてや、アルフリートの信条がそれを許さない。


 “Sir.”スティールは、アルフリートが立ち直る際に、横に立って協力してくれた偉大な狩人で。
 “Sword Dancer”ヨシゾウは、先を見るのが楽しい、腕のある狩人で。
 “F・F”ミサトは、“疾風塵雷”討伐の際に大いに協力してくれた優秀なガンナーだ。


 ――恩も義理もある狩人達を、どうして、手前勝手な敗色の濃い依頼に巻き込めようか?


 “Striker”アルフリートは自分の進退を決めた。
 それが彼にとって、一番すっきりと筋の通る話となった。




[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 8
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/12/21 15:10
 “Typhoon”ラピカは、“Striker”アルフリートの強さを知ってから考えることが多くなった。
 考えるべきことは前と変わらない。


 強さとはなんであるか?


 “Striker”アルフリートと戦って実感した。
 彼の言う『実力以上の不可知の強さ』は存在する。
 技や忍耐力では、ラピカに延々と殴られ続けることの出来るあの打たれ強さが、説明できない。
 打たれ強さ自体を会得しようとは思わない。

 だが、あの強さは確かに欲しい。

 ならば、どのようにすればあの強さは手に入るものか?


 考察する。
 この場合の考察とは、相手の細かい所作や言動、戦闘時に取った戦術、身体能力、体つき、細かい癖、そういう一見すると見逃してしまいそうな現象一つ一つに『その行動に理由はあるのか?』、と考え、あるのなら一つずつ理を煮詰めて抽出していくのである。
 元来、武術とは言葉で伝わるものではない。
 そして、教わる相手の実戦を目にすることはほとんどない。

 ならば、日常動作にある本人の片鱗から外堀を埋め、相手の習得した『武術』を浮き彫りにしていくしかない。


 “Typhoon”ラピカは考える。
 延々と考える。


 その考察法は彼女の『相手が倒れるまで延々と殴り続ける』という戦術と、持久力を要するという点ではとても相似しており、この根気こそが彼女の最大の持ち味と言っても良い。


 かくして、日常的な動作や移動のほとんどを仲間達に任せ、彼女は徹底して『実力以上の不可知の強さ』を追求した。

 その結果、彼女は殴られて放心状態となっている、と、ギルドナイト達からは勘違いされているのだが、実際のところは思考に思考を重ねているだけである。




 ――しかし、挑戦とは失敗に終わるものがほとんどである。


「わかりませ~~ん……」


 ぶっ通しで何時間思考していただろうか?
 さすがに煮詰まってきた思考を、肩こりと一緒に手でほぐしながら、ラピカは一息つくことにした。
 空を見れば、東にあったはずの太陽が、重い体を西の地平線へ下ろそうとしていた。
 思考に集中していたので時間の感覚は曖昧だが、ほぼ半日ぶっ通しで考え続けていたことになる。
 その割には成果はいまいちであり、満足の得られる結果とはならなかった。

 しかし、考察し続けるだけで武術の極意が得れるのであれば、世の中において学者が武術の達人となっているだろう。

 やはり、考えるだけではダメである事を悟りながら、今後の方針を考えていると、



「随分と悩んでいるようだが、時間は空いているか?」

「ッッッッ!?」

 ラピカはいきなり登場した“Striker”アルフリートに息を飲んで驚きながら、ぶっ続けで考察し続けた事により、色々と乱れた衣服の乱れを整えつつ、思考の途中で散々頭を振り乱して乱れた頭髪を伸ばしながら、何でこんなにこの男の到来に心が乱れているのか自分に問いかけようとして、時間と思考の行き先と体面の問題から全部を組み伏せてアルフリートに向き直った。

「な、なんですか? いい、いきなり声をかけるなんて失礼じゃあないですか?」

「10m向こうから声をかけたぞ。私に負けたのが悔しいのは分かるが、そうも悩んでいられるとさすがに責任を感じるな」

「それで、用件はなんですの?」

 自分の無様を、この会話から拭い去るためにラピカは早々と会話を進めることにした。
 しかし、アルフリートも信じられない根性だ。
 お互いの仕事の上ではあるとは言え、つい最近全力でぶつかり合った狩人にこうも易々と声をかけてくるなど出来ることではない。
 どんな厄介ごとを持ってきたのか、内心戦々恐々としていると、彼はラピカに袋を投げてよこした。

「これはなんですの?」

「“疾風塵雷”のナルガクルガの天鱗だ。コイツをミカという鍛冶屋に届けて欲しい」

「“Sword Dancer”の夜刀【月影】の材料ですか?」

「“厚顔無知”との戦いでへし折ったあれを修復するのに、これが必要なんだそうな」

 ふと、ラピカはこの依頼内容が全てちぐはぐなのに気がついた。

「これをヨシゾウに渡してしまえば話は終わりませんか?」

「アイツには一日も早く良い武器が必要だ。轟刀“大虎徹”は癖がありすぎる」

「だとしたら、貴方がミカに届ければいいんじゃあないですか?」



「私は明後日“黒白憤鳴”に挑む。そうなれば、ヨシゾウに渡すことも叶うまい」



 ラピカは気づいた。
 違和感の正体を。

 勇者は未来に生きるから勇者である。

 しかし、“Striker”アルフリートは、自殺行為も同然の死地へ赴こうとしているのだ。

「どうして“Sword Dancer”を頼らない!? “Sir.”は? “F・F”は? 貴方達は仲間ではないのか!?」


 返ってきたのは割り切った返事だった。
 冷静沈着で計算高く、理と合理を追求した、


「彼らは素晴らしい狩人だ。――しかし、彼らには私を助ける理由も義理もない」


 それ故に諦めることの出来た寂しい回答だった。

 ラピカには、勇者の強さを理解する頼もしき狩人が、その強さ故に寂しく死んでいくように見えた。

「しかし、それでは貴方が死んでしまう!」

 その言葉は勇者の逆鱗に触れた。

「だから、彼らを道連れにしろというのか!? あんなに素晴らしくかけがえのない狩人達をッッ!」

 吐いた言葉の熱さにアルフリートが驚き、急いで激情をなだめた。

 そこには、砂漠で強気に笑った狩人はいなかった。
 連打に耐えることで勝利を見いだす勇者もいなかった。


 強さと冷静さ故に孤立した男が、訪れる必死の絶望に懸命に耐えていただけだった。

 アルフリートは取り繕った冷静さで、ゆっくりと告げた。

「君に頼みたいことは一つだ。これをヨシゾウに渡してくれ。――私ではきっと助力を請うてしまう」


 ラピカは首を縦に振ってそれを了承するしかなかった。
 否定しても、この男はきっと助からないのだから。





 “Striker”アルフリートが死ぬこと。
 “Typhoon”ラピカにとって、それは一つの敗北であった。
 ラピカは自分のことを、強さを信じ求め続けていく者だと思っている。

 何故なら、狩人にとってもギルドナイトにとっても強さは必要だからだ。

 世の中の道理を無茶で押し通すため。
 不条理や矛盾を叩き潰すため。
 大切な者が、自分の目の前で息絶えないようにするため。

 強さは必要だ、だから求めた。


 求め過ぎれば死ぬことも分かっているし、
 強さを横暴に振るえば応報されることも分かっている。


 だが、強さ故に人が死ぬ。
 それは悲しいことだ。
 人は、自分の為に強くなるというのに。
 その強さで自分を殺そうという人がいるのだ。

 それは“Typhoon”ラピカの信じることを真っ向から否定してかかっていた。


 自分よりも弱いのは、
 抗えないほど強いのは、
 知らない強さがあるのは、

 まあ、許せる。

 弱さを許すのは寛容の美徳であり、強さは自分の道程の先にこそあるからだ。



 だが、今、強さ故に人が死ぬ。


 許せなかった。
 有り得るべきではなかった。

 何が何でも阻止するべきだ。
 故に、“Typhoon”ラピカは酒場の扉を勢いよく開けた。


「“Sir.”スティールと“F・F”ミサトはおられますか!?」



「……むむ?」

「珍しい客人でござるな。ギルドナイト“Typhoon”ラピカ殿」



 ――だから、ラピカは何が何でも阻止する為に、何でもしようと思った。



「こんなことを頼める立場でないことは、重々承知の上でお願いします」


 それは大地を頭蓋で突き固めるような見事な土下座だった。
 ラピカはすべての事情を二人に打ち明けた。

 “Striker”アルフリートに“黒白憤鳴”討伐の依頼が来たこと。
 彼が依頼を承諾したこと。
 討伐不可能と知りつつも、引けない理由があること。
 それが個人的な動機であり、巻き込まないようにスティール達に相談することを善しとしなかったこと。



 ラピカはスティールに物を頼める義理も、ミサトに頼み事を出来る間柄ではない。
 つい、最近までギルドナイトとして彼らを取り締まり、疎まれていた存在だ。


 ――だが、アルフリートに対して何ら問題なく助けることの出来る存在。


 それは“疾風塵雷”を討伐し、彼の仲間としてギルドに認知された彼らが助ける他はない。
 もちろん、ラピカが助ける道もあるだろう。
 だが、“Master horn”や“Backstab”がアルフリートを助ける為に動くだろうか?
 きっと彼らは動かず、むしろラピカを制止しようとするだろう。


 彼らしかいないのだ。


 不滅のガンランス使い “Sir.”スティール。
 微風の伏撃手 “Sword Dancer”ヨシゾウ。
 必中のガンナー “F・F”ミサト。


 アルフリートと共に、苦闘を切り抜けた彼らしかいないのだ。


「どうか、彼を助けてはくれないだろうか?」


 ラピカの問いかけが酒場を熟考する静寂で満たされた。

 スティールですらも難しい顔で考えている。
 おそらくは、狩人で一番必要とされる要素が働いているのだろう。


 ――獲物を狩れるかどうか?


 古来より、ずっと狩り続けていける狩人には獲物と自分の強さを秤にかけて、勝敗を定かにする能力が問われる。
 戦術眼、と言ってもいい。
 勝てる勝負だけを続ければ、その狩人は死なないからだ。

 故に、優秀な狩人はこの要素がよく働く。




 ――おそらく、スティールは狩れるとは思っていない。




 即答して「無理」だと、言いきるのは簡単だ。
 しかし、それでラピカは納得するだろうか?
 そして、スティールの騎士の矜恃は納得するだろうか?

 “黒白憤鳴”を倒せれば、すべてが万々歳だが、その“黒白憤鳴”討伐自体がもっとも難しい。

 即答は出来ないだろう。



 しかし、わずか30秒で決意した者がここにいた。


「…………うん」


 “F・F”ミサトはヘヴィボウガンを机の上に広げると、すぐに分解整備を開始した。
 ラピカの顔を見ずに、彼女に告げる。


「……あたしは、あたしの使い道を分かっている人間についていく。……やりましょう“黒白憤鳴”」


 スティールは挑戦するように言葉を作った。


「相手は大老殿に大穴を開けた二頭でござるよ?」

「……でも、ディアブロスだよね? 大丈夫、14の時に一度狩った」

「我が輩は一児の父親でござるから、一応老婆心で言わせて貰うでござるよ?」

「……どーぞ」

「我が輩は“疾風塵雷”の傷が完治しておらぬ。さらに、ヨシゾウ殿は“厚顔無知”に折られた夜刀【月影】は未だに修復の目処が立っていない。この状態で死ねば、我が輩は狩人として至らぬまま死ぬことになるでござる」

「……それで?」


 ミサトが冷たく言い切ると、さすがのスティールも二の句が告げなくなった。
 物静かな様子から勘違いをしていたが、ミサトは義理人情に厚いタイプである、とスティールは認識した。
 言葉に迷っているうちに、決定的な言葉をミサトが切り出してきた。


「……もし、説得しようとするなら無駄だよ? だって、アルフリートが困っている事態には変わりがないもん」


 そして、ラピカが言葉を重ねた。


「夜刀【月影】の件ならご心配なく、必ずや“黒白憤鳴”との戦いにその太刀があるようにしましょう!」

「直せるのでござるか!?」

「もちろんです! あれがなくては“Sword Dancer”の力は発揮できないでしょう」

「……ううむ」

 

 ――スティールは勝算が出来てきたと、内心思っていた。
 ――ミサトにヨシゾウが完全であるならば、後は自分がもう少し無茶を利かすだけで何とかなるのではないか?

 そう思っていた。



 しかし、現実は厳しい。
 スティールは酒場の扉が開いたのに気づくと、そこから見知った顔が入ってくるのを見つけた。
 “疾風塵雷”に襲われた村の村長だった。

「村長殿、よくぞたどり着いたでござるな!」

「こんな年で長い旅はするものではないですな、ヨシゾウ殿の足に合わせるのが精一杯でしたぞ」

「狩人と一般人の足を比べてはなりませんぞ、ヨシゾウ殿なら一晩中走り続けられるでござるからな」

「ですなあ!」

 年をとった者の話は長くて困る。
 そう思ったミサトは会話を中断させた。


「……ところで、ヨシゾウはどこ?」

「ああ、ヨシゾウ殿でござったら、急用があるらしく、言伝をこの紙に書いていきましたよ」


 ミサトは嫌な予感がした。
 ひったくるように羊皮紙を手に取ると、それを見たままミサトは凍り付いた。

 そして、のぞき込んだスティールの顔が驚愕に歪み、ラピカは声にならない悲鳴を上げた。


 その羊皮紙は、走り書きでこう記してあったのだ。




 ――スマン、と。



「ヨシゾウ殿ォ~~~~~~~~!!!???」


 スティールの叫びは、ドンドルマ中に響き渡った。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 9
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/17 00:40
 “Sword Dancer”ヨシゾウの失踪。


 “Sir.”スティールも、“F・F”ミサトも、彼のことを臆病風に吹かれるような人間ではないとは思っていた。
 実力があり、それに則った自信もある有能な狩人が、理由もなく仲間を見捨てる不義理を犯すはずがない。
 ヨシゾウとの付き合いが浅いスティールとミサトより、前に面識のあったラピカの方がその理由を思いついた。



「彼には幼馴染みの鍛冶屋がいるのです」



 “厚顔無知”のティガレックスをアルフリートと共に、ドンドルマへ持ち帰る際の話だ。
 彼は自分の太刀の素晴らしさを語り、うっかり折れてしまった自分の腕の未熟を嘆き、自分の太刀を打った幼馴染みの鍛冶屋 ミカについて語った。


 これが事細かにミカについてよく語るのだ。


 やれ、鎧の修繕の時に金属地の裏に、毛皮や布を貼るのが上手い、だとか。
 やれ、鍛冶の時には、水代わりに栄養価の高い麦酒を飲むから、下手に近づくと鎚を振られて危険、だとか。
 やれ、焼いた肉は生に近いのを好むから、肉は焼かせないが、その代わり力が強いからパンをこねるが上手い、だとか。



 聞いている方が熱にやられてしまいそうになることを、延々と語っていたのだ。


 故に、ラピカはそのミカの居場所まで知っている。
 ヨシゾウが鎧の修繕の時は是非、と羊皮紙にあらかじめ書き溜めておいたチラシまで渡してきたからだ。

 それには、ドンドルマから歩いて北上して二日、とある。



『……なるほど』


 スティールも、ミサトも納得した様子で頷く。
 頷くスティールは、二人の視線が自分に集中していることに気づいた。


「……何でござるか?」

「……妻子持ちと言えば、スティールもだよね?」

「むしろヨシゾウより逃げる理由には事欠かないですね? 何故、逃げないのですか?」


 ミサトもラピカも、スティールがどうするかを聞いていないから不安なのだ。
 話には乗ってきても、もしかすると“黒白憤鳴”との戦いには参加しないかもしれない。

 その思いが二人に問わせた。

 だが、スティールは「ガハハハハハハハハッ!!」、と豪快に笑い飛ばした。


「家には我が輩の勲を楽しみに待つ息子が待ってござる。そして、帰りを待つ妻がござる。――故に、我が輩は逃げも、死ぬことも許されないでござる」


 ミサトが目つきの悪い顔の真ん中に、明るい花を咲かせて笑った。


「……じゃあ、ヨシゾウを説得するのに協力してくれるんだね?」

「然り、我々はアルフリート殿を助ける運命共同体でござる」


 花のような笑顔と厳つい笑顔を向けあう二人に、遠慮しながらラピカが話を続ける。


「……私は夜刀【月影】を直す為に、ミカのところへ向かいます。二人はヨシゾウを捜し出し、アルフリートを助けてください」


 二人が了承したことを確認したラピカは、それでもう用はないと背中を向けた。
 しかし、その背中をまずスティールが止める。


「その鍛冶屋まで、ここから二日の距離でござる。間に合うのでござるか?」

「『歩いて』二日の距離です。私が全力で走れば半日とかかりません」


 冗談も誇張も感じられないラピカの言葉に、二人とも目を剝いて驚いた。
 アルフリートとの格闘戦の時は、並の狩人の数倍のスピードとスタミナで延々と殴り続けていたのだ。
 それを知る二人には、なおさら説得力があった。


「では、いきますね」

「……あ、待って」


 再度背を向けるラピカに、今度はミサトが止めた。


「……握り拳を出して」

「?」


 疑問を浮かべたまま、おずおずと握り拳をミサトの前に突き出すラピカに、思い至ったスティールと、笑顔のミサトが拳がラピカの握り拳を軽く叩いた。


「……待ってるよ。一時的だけど、あたし達『三人』は、アルフリートを助けたい運命共同体だ」

「期待して待っているでござる。ギルドナイト“Typhoon”ラピカ殿」



 それは今までではあり得ない感触だった。
 気持ちが風に吹き上げられてしまったかのように舞い上がり、顔面に血の気の全てが集まって熱くなる感触。

 冷静さや打算では決して味わえない心の昂ぶりが、ラピカの心と表情を制御不能にした。


 ――もはや、二人に向けて背を向けるしかない。


「い、行ってくる」

『いってらっしゃい!!』


 二人の声が背中を押して、制御不能に心が揺らぐ。
 思えば、『いってらっしゃい』と言われたのも久しぶりだ。


 彼女を育てた乳母が、初めて狩りに行く彼女の背中に涙を浮かべながら言われて以来だろうか?


 熱量を宿した頬が揺らぐ。
 自然に力強い笑みとなる。

 その笑みが、今までの自分とはあまりにもかけ離れているから、つい背中を向けたまま不作法に言葉を返した。


「――いってくる!!」



 “Typhoon”ラピカは奔る。
 ドンドルマで待つ、仲間の為に。





 太陽が地平線の下へと押しやられ、太陽がいたことを示す残滓が空の最後の光として地上を照らしていた。
 手慣れた野宿の用意をする“Striker”アルフリートは、大地の茶、森の緑、そして、大部分が黒に染まった夕暮れのドンドルマ郊外で焚き火の赤い光を発見した。

 それは珍しいことだった。

 ドンドルマの郊外で野宿する人間がまず少ない。
 ドンドルマと言えども郊外は獣がいる為、旅人はまずドンドルマの街にまで行って宿を取る。
 浮浪者なら町中の道端にいるのが普通だし、農民は自分の家に行くだろう。


 ――“黒白憤鳴”に宿を壊された旅人か?


 そう思ったアルフリートは、ドンドルマで居場所を無くした自分にはちょうどいい、と今夜の寝所を共にさせて貰おうと焚火へと近づいていった。

 すると、そこには焚き火を使って今日の夕食を作る狩人がいた。
 若い狩人の男だ。

 腕が未熟な狩人と、優秀な狩人を見分ける簡単な指標は鎧と武器にある。
 優秀な狩人は、同種の生物でも、より巨大な獲物を倒している。
 それは単純に、素材そのものの大きさの差として現れてくるのだ。

 その若い狩人は怯えるような目でアルフリートを見ていた。
 アルフリートは、その狩人の警戒心を和らがせる為に、まず話すことにした。


「こんばんは、よかったら焚き火に当たらせてくれ。“黒白憤鳴”のおかげで宿が無くなったんだ」

「……どうぞ」


 それだけ言って、狩人は夕食を作る作業を再開した。

 妙に陰気な顔で調理をする狩人だが、アルフリートも今更新たに関係を作るほど、心に余裕があるわけでもない。
 いつものように生肉にかぶりつき、焚き火で湯を作って体を拭いた後、武器と鎧の整備を行った。

 しかし、若い狩人とアルフリートの間に何ら会話はなかった。
 時々、若い狩人がこちらを伺うかのように、少しずつ視線を漏らすだけだった。


 やることをやると、後は寝てしまうだけになる。


 焚き火の番を、アルフリートが買って出たせいで、なおさら時間が余った。
 時間が余れば興味が無くとも、アルフリートに番を任せた寝た若い狩人のことを観察してしまう。


 若い狩人は眠っている間、終始うなされていた。
 肌のつやと少し大きめに作られた鎧の設計から、まだ10代の若い狩人なのだろう。
 しかし、外見の印象は、年相応の幼さより、苦悩に苦しめられて老けてしまった感触が強い。


 自分の体を抱いて必死に耐えながら寝ている内は、まだよかった。
 しかし、眠りがさらに進むとついに耐えきれなくなったのか、何かを掴むように腕を伸ばし、泣き叫ぶのを見るとさすがのアルフリートも耐えきれずに叩き起こした。


「……?」


 叫び疲れて深い息をしながらも、自分のことが分かっていない狩人に問いかける。


「どうした? 酷くうなされていたぞ」


 うなされた事実を聞かされると、狩人は泣き始めた。
 アルフリートは心当たりがあった。
 つい最近ドンドルマの狩人達に起こった、地獄のような事件。
 死者13人、重軽傷者34人の被害者を生み出した事件。


「“黒白憤鳴”だな? 彼奴と戦った狩人か?」


 狩人は泣きながら首を縦に振り、また横に振った。


「どっちなんだ?」

 その返事は鳴き声の中から、必死に形作られた懺悔だった。
 恐怖で砕けそうな心の中から、なんとか破片を探し出し、アルフリートにゆっくりと真実を渡していった。


「――オレが……オレがドンドルマに……“黒白憤鳴”を連れてきたんです」

「なんだと?」


 この若い狩人の名はクリス。
 太刀を使う狩人で、故郷から出て2ヶ月のひよっこだった。

 故郷を出た理由は、出稼ぎだ。
 村の農業でも稼げるが、従兄弟の夫婦に三つ子が生まれた為に食い扶持が増え、なんとか収入を得る為に意を決して村を飛び出してきたらしい。


 ――“黒白憤鳴”のディアブロスを見つけたのは、そんな金に困ったクリスが砂漠で採集仕事をしている最中だった。


 見たこともない巨大なディアブロスが穴にはまったまま、高いびきで眠っている。
 しかも、ちょっとやそっとじゃディアブロスは起きなかった。
 太刀で斬っても全く起きなかったぐらいだ。むしろ、太刀の方が刃毀れをした。


 クリスが若い狩人だから、致し方ないのか?
 “黒白憤鳴”のディアブロスが、ネムリ草とマヒダケを積んだ荷馬車を食べるという偶然が起きたからしょうがないのか?
 それとも、“黒白憤鳴”の強さが全ての災いの元なのか?


 とにかく不幸な偶然が重なり続け、ドンドルマに“黒白憤鳴”のディアブロスは連れて行かれた。
 あとは解体しようとした鍛冶屋の工房の中で、事件は始まった。


 クリスも大勢の狩人と“黒白憤鳴”のディアブロスに挑んだが、全く歯が立たず、それどころか自分の太刀を粉砕されて途方に暮れる始末だった。



 まさに落伍した狩人の末路を歩むクリスであったが、さらに悲劇は襲いかかる。
 狩人達に、“黒白憤鳴”のディアブロスを連れ込んだのがクリスであると、漏洩したのだ。

 ほとんどの狩人が彼を疫病神扱いし、ギルドが制止する間もなくドンドルマから彼は追い出された。

 しかし、彼は自分が連れ込んだ“黒白憤鳴”の結末だけを知りたくて、この郊外に住んでいるのだという。


「知ってどうするのだ?」


 アルフリートはまずそれを問うた。


「……どうするんでしょうね? ……オレも分かりません」


「…………ッ!?」


 アルフリートは咄嗟に口をついて出ようとした言葉を、舌の上に押しとどめた。


 ――何を言おうとしているのだ? 私は?

 ――この若い狩人の哀れな立場に同情した?
 ――孤独な狩人に希望を与えてやりたい?
 ――狩人であった遣り甲斐を見つけてやりたい?

 ――馬鹿な!
 ――“黒白憤鳴”に明後日挑み、その先すら定かではない私が、この狩人の何を救うというのだ?


 だが、自嘲しても言葉は止まらない。
 彼は自分の心に従うまま、クリスに言葉を与えた。


「なら、私に協力してくれ。――奴が倒れる瞬間をお前に見せてやる」


 今だアルフリートに先は見えない。
 だが、その心はいつも先を見ようと、この絶望の最中でも希望を紡いでいた。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 10
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/17 20:23

 夜が明ける。
 “黒白憤鳴”のディアブロスと戦うまであと一日。
 この一日でヨシゾウを見つけなければ、“黒白憤鳴”との戦いの勝ち目は極めて薄くなる。


 ドンドルマを夜に脱出することは出来ない。
 何故なら、夜間こそ暗闇をも見通す獣が徘徊しており、たとえ、ヨシゾウがGの狩人だといえども、何にも襲われずに灯りなしで逃げることは出来ないからだ。
 そして、ドンドルマの城壁は高く、人間の身で飛び越えるのは難しい。さらに、街門は夜には防衛の為に閉まる。


 ヨシゾウが薄暗い朝一番にこの街を発っていなければ、絶対にこの街に潜伏していることになる。



 では、夜が明けた後の昼間に出て行くことは可能か?


 それを警戒するべく“F・F”ミサトは大老殿の上に陣取り、眼下を見下ろしていた。
 大老殿の最上階の天井はとてつもなく高い。
 当時、最大の建築物であったドンドルマの大老殿は、ロックラックのジエン・モーランの牙には劣るものの、人類が建造した中でも最大の建築物であった。

 彼らの二代前のギルドマスターはその高さに関してこう語る。

『その上から見下ろせば、立ち上がった老山龍の気分を味わえる』、と。

 当然、そんな高さから見下ろせば人の姿も豆粒と同じなのだが、どのようなことにも例外はある。



 ――Far Falcon



 鷹の目のごとき“F・F”ミサトの超視力が全ての街門から出る人間の姿を確認し、ヨシゾウどころか、街門で取引している金貨の数すら把握するほどの視力だった。

 その目を持ってしても、いまだにヨシゾウが街門に顔を出した様子はない。
 街門に顔を出せば、ヘヴィボウガンに銃身を長くして、さらに超遠距離射撃用に強烈な装薬を施した『特性ペイント弾』を当てて見失わないようにするのだが……。
 これが朝からずっと見張っていても一向に出てくる様子はない。

 つまり、ヨシゾウはほとぼりが冷めるまでドンドルマに潜伏しているのだ。


 出入り口を押さえるのがミサトの役割で、直接地面を歩いて探すのはスティールの役割だ。
 ミサトは、遠くを見すぎて痛くなってきた目を押さえながら、ヨシゾウを直接捜さねばならなくなったスティールの苦労を考え、さらに頭痛を覚えた。





 スティールは半日歩いても全くヨシゾウを発見できないことにより、どうやらこのまま探しても全く見つからないことを悟った。
 ドンドルマは広い街だと言えども、半日も探して見つからないのはよほどのことである。


「これは……移動しながら我が輩から逃げているでござるな?」


 つまり、しっかりとした隠れ場所を一カ所作るより、町中を転々と歩いているようなのだ。

 スティールはどっしりと階段に腰を下ろし、考えることとした。


 まず、町中を転々と歩いている、と仮定しておかしなところがないかどうかを考える。
 すると、スティールはやはりこの疑問に辿り着いた。

 街を転々と歩き回る、ということは、いつ偶然でニアミスしたり、不意の遭遇をしてしまう危険があるということである。
 しかも、ヨシゾウには、二人の狩人が追っかけてくることも分かっているのだ。
 見つかればほぼ逃げ切れないだろう。


 ――あの頭の回るヨシゾウがそんな愚を犯すだろうか?
 ――では、そうならない為の策とは何であろうか?


 偶然会うことのない隠れ場所を見つけることだろうか?
 そんな場所があるのだろうか?
 あの伏撃手ならそんな場所が見つかるのだろうか?

 全く分からない。
 こういう時に、アルフリートなら強気な笑みを浮かべながら、誰もが思いつきもしないことを思いつくのだろう。
 自分の攻撃を通す為に敵の隙を作る、想像力という分野がスティールは苦手であった。
 故に、こういう知恵比べのような勝負はたいてい後手になってしまう。


 ヨシゾウのつもりになって考えてみる。

 きっと、見つからない場所に隠れているはずだ。
 そこは偶然や不意の遭遇が起きない場所なのだ。 

 この二つの条件を満たす場所。
 あるはずなのだ。現にこうしてヨシゾウはスティールとミサトに見つかっていないのだから。


 では、それは一体どこなのだろう?

 誰もが知らないような場所を知っている?
 もし、知られていないつもりでも、誰かが知っていれば、そこが閉所であれば逃げることの出来ない袋小路と化す。
 つまり、そこは絶対に誰もが知らない場所でなくてはいけない。
 

 そんな場所は存在するのだろうか?


「理論的にはありえんでござるよなあ?」


 そんな場所はありえない。
 スティールはそう思って考え直す。

 こういう時は、まず基本だ。
 隠れる、という行為の意味から洗い直す。

 隠れる、というのは、要するにスティールとミサトに見つからないことである。
 この場合、スティールの視界の中に入らない位置に居続ければいいのだ。
 スティールの視界に入らない位置。

 この言葉を、スティールは反芻するように繰り返し言うことで考えてみた。


「我が輩に見つからない位置、我が輩に見つからない位置、我が輩に見つからない位置……」


 この言葉を繰り返すと、スティールはどこか違和感を覚えた。

 三つに増えた条件を言ってみる。


「見つからない場所に隠れている。
 そこは偶然や不意の遭遇が起きない場所。 
 そして、我が輩に見つからない位置である……」


 違和感がどこかにある。
 この違和感は何故生じた?

 考える。この違和感が妙に引っかかる。
 気の迷いの可能性もある、しかし、スティールの狩人の勘がこの違和感の正体を暴くことを告げていた。

 また、三つに増えた言葉を繰り返す。


「見つからない場所に隠れている。
 そこは偶然や不意の遭遇が起きない場所。 
 そして、我が輩に見つからない位置である……。

 見つからない場所に隠れている。
 そこは偶然や不意の遭遇が起きない場所。 
 そして、我が輩に見つからない位置である……。

 見つからない場所に隠れている。
 そこは偶然や不意の遭遇が起きない場所。 
 そして、我が輩に見つからない位置である……」


 スティールは、違和感の正体に感づいた。

 その瞬間から行動を開始する。
 周りを出来る限り見ないようにして素早く角を曲がり、その先にあった廃屋の中に身を隠した。
 身を廃屋の入り口の陰に隠し、曲がった角の先からは見えない位置に体を隠す。


 そして、そこから可能な限り耳をそばだてる。


 やたらと濃密な30秒が流れた後、足音を出来る限り立てないようにしながら、柔らかい革靴の足音がゆっくりと聞こえてきた。

 その革靴の足音が入り口に到達する前――つまり、足音が廃屋の壁の向こうから聞こえるタイミングで――スティールはその足音の主に仕掛けた。



 手段は実にシンプルだ。
 壁の向こうにいる誰かに向かって、壁ごとぶち抜いて拳で殴ればいい。


「げふぅ!?」


 壁の向こうから人間の手応えと、聞き慣れた声。
 まさかこんな形で不意打ちしてくるとは夢にも思わなかったのだろう。
 スティールは廃屋の壁に体当たりを加えて、今度は体ごと壁をぶち抜くと、自分が殴った相手を見下ろした。

 スティールはいつもの豪放な笑みを浮かべて言い放った。


「我が輩から隠れるのではなく、尾行するとは、考えたでござるな? ヨシゾウ殿」


 そう、これがスティールを相手に絶対に遭遇しない方法だったのだ。

 常に追跡者の動向を把握さえしておけば、隠れる者は絶対に見つからない位置をとれる。


 だが、ヨシゾウはスティールを侮っていたのだ。
 まさか、『尾行』していることに気づくまい、と。


 その侮りの結果が、今地面に膝をつくヨシゾウの姿となっていた。


 スティールはため息をつく。
 

 ――問題はここからでござるな。


 もはや逃げられないと分かったヨシゾウは、地面に頭をこすりつけて懇願した。
 スティールには、ヨシゾウがそうやってくる可能性も容易に想像できた。
 

「勘弁してくれ、スティールの旦那……オレは死ぬわけにはいかねえんだ……」


 ヨシゾウにはミカがいる。
 一緒に親の後を継いで達人となるべき相手がいる。
 その半ばで自分だけが倒れるわけにはいかない。


 その思いは、同じ待つ人がいるスティールには、十分よく分かった。


 だから、スティールは説得するつもりなど、毛頭も無かった。


「別に、引きずっていこうなど思ってはおらぬよ」


 ヨシゾウは、心底意外そうに顔を上げ、スティールの顔を見た。
 そこには、ただ苦笑するだけの顔がある。


「何か言う前にいなくなってしまわれたでござるからなあ。伝えにきただけでござるよ」

「何を?」



「アルフリート殿は、ラピカ殿に“疾風塵雷”の天鱗を預け、それをヨシゾウ殿に渡すように頼んだでござる」

「オレを“黒白憤鳴”に助力させる為……」


 スティールはゆっくりと首を横に振って、それを否定した。


「違うでござる、ここからミカ殿の火事場まで二日。ヨシゾウ殿に天鱗を渡していては、どうやっても“黒白憤鳴”との戦いに夜刀【月影】は間に合わないでござる」


「何故?」


「――ヨシゾウ殿に良い武器を渡す為だけでござる」


 ヨシゾウは言葉を失った。
 さらに続く言葉がヨシゾウの理解を超えた。


「そして、アルフリート殿は誰にも、手伝え、とは言わなかったでござる」


「馬鹿な!? それじゃあ、アルフの旦那は死ぬしか……」



「――でも、ヨシゾウ殿は死なないでござる」



 スティールは苦笑する。
 しょうがない奴だ、と言いたいように。
 だが、本当にやりたいことをやる男の顔で。


「我が輩は、そんな命懸けの意地を張るアルフリート殿が大好きでござる」


 スティールは歩き始めた。
 地面に膝をついたままのヨシゾウを放ったままで。


「どこへ!?」


 スティールは、自分のエンデ=デアヴェルトを叩いて、誇らしげに言った。


「我がガンランスを振る場所へ。――ヨシゾウ殿、おさらばで御座る」


 その言葉を聞いたヨシゾウは、地面に突っ伏して泣いた。

 死にたくないと思う自分の中の圧倒的な恐怖と、
 あまりにも誇らしく輝くスティールの背中が眩しくて、
 その両者に挟まれて、心の中はグシャグシャとなって泣いた。

 どうしようもなく、アルフリートとスティールとミサトの強さが羨ましく、
 どうしようもなく、自分が惨めになって泣いた。

 泣くしかなかった。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 11
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/19 23:27


 さて、時間は朝方までさかのぼる。

 “Typhoon”ラピカは己の全てを賭けて、夜の街道を走った。
 強走薬を5本飲みきり、さらに強走薬グレートをも5本飲みきって、半日で鍛冶の街に到達するという最速踏破記録を打ち立てた。
 その速さたるや凄まじく、夜行性の生き物が走っても追いつけないほどの速度で走ったのだという。


 さて、賢明なる読者の方々よ。
 想像すると良い。


 ドーピングがあったとはいえ、半日間、とてつもない距離を全力疾走で踏破した者がいる。

 その体からは長時間の疾走によって汗が滝のように流れ、また中世の整備されていない道の土汚れでかなり汚れているはずだ。
 赤いレックスXの鎧は汚れで黒くなり、自慢の黒い長髪も汗と埃で、千々に乱れた荒縄同然のはずだ。
 そして、息は全力疾走で乱れども一切まとまらず、目は焦点を結ぼうとするも揺らいで幽鬼のようだ。
 しかも、本人は必死であり、真面目な性格をしているので、自分の居住まいまで神経が回らないのだ。


 さて、そのような状態のラピカは、ミカからどう見えるだろうか?




 朝食中のミカは、朝一番でドアが鳴らされたことにより、一体誰が訪ねてきたのだろうかと思った。
 鍛冶屋の朝は早い。
 日の出と同時に動き始めるものだが、その動きはあくまで個々のものだ。
 朝からいきなり訪ねてくるものは少ない。

 よほどの火急の用なのだろう。

 その認識はまったくもって間違いではなかったが、扉を開けて見えた人間はミカの理解を超えていた。



 まず、聞こえるのはミカを目前にして酷く興奮した呼吸の音だ。

 土で汚れて酷く乱れた乱れ髪がほぼ顔を覆っており、隙間から見える赤く充血した目がミカを見つけるや、歪んだ笑みが赤い唇の上に乗せられた。


 ミカの第一印象は、「怪しい人だ!」、だった。
 ミカは勇気を振り絞って、聞いてみた。


「……あ、あのぉ~~、どのようなご用でしょうか?」


 その怪人は、酷くかすれた声を出しながら、全身の黒く汚れた鎧をゆらゆらと揺らしつつ、ミカの足に縋りついてきた。


「……ど、どうか、どうかぁ~~!」


 衰弱と疲労と必死さのせいで上手くまとまらない言葉が、ついにミカの精神のリミッターを引き千切った。


「いやぁ~~~~~!?」


 怪人に殺されると思ったミカは、ラピカを蹴り飛ばすと、奥の工房に鍛冶用の大金槌を取りに行き、



「イヤァァァァ、助けてヨシゾウゥ~~~!」



 と、泣きながらラピカに殴りかかっていった。


 結局、この騒ぎはご近所に数件の器物破壊をもたらし、怒った他の親方に水をぶっかけられて止まるまでミカの暴走は止まらなかったのだ。






 とりあえず喧嘩両成敗とした両者は、ラピカの居住まいを正し、ミカが壊したものの後片付けをして改めて対面することとなった。


「大変失礼を致しました……」

「いえ、こちらこそ思慮が足りませんでした……」


 お互いに堅い謝罪の言葉を交わした後、本題をラピカが切り出していった。


「ヨシゾウ殿の夜刀【月影】を直してください。材料は彼から預かりました」

「直します!」

 ミカは即答した後、また考え込んだ。

「……でも、わざわざラピカさんみたいなギルドナイトが、あたしのところに夜通し走ってやってくるということは、何か追加条件があるってことですよね?」


 ラピカは力強く言い切った。

「今日の夕刻までに夜刀【月影】を直して欲しいのです」

 この条件だけは絶対に譲れない。

 ラピカは頭を地面にこすりつけて頼み込むだけではなく、自分で鎚を握って手伝っても良いし、疲れるというのなら強走薬を飲ませる覚悟もあった。
 いざとなったら、『ヨシゾウ敵前逃亡』の不名誉を、周り中に喧伝して評判を下げる、と脅す気でもいた。
 まあ、まずは懐柔策だ。


「無理を承知で……」

「あ、今日の昼には直ってますよー?」

「な、なんですってー!?」


 これにはラピカの方が驚いた。
 聞けば夜刀【月影】の修理は前々から進められていたらしく、足りない素材が迅竜の天鱗だけであったという。
 修理に出来る限り時間をかけないようにしたミカの心配りが、ラピカにとって実に有効に働いたようだ。


「それは実にありがたい、すぐに取りかかって貰いましょう!」

「分かりました……それで、こちらから質問なんですが」

「何でしょう? こちらから答えられることなら何でも」





「ヨシゾウ、どこですか?」

 その言葉を聞いたラピカは、嫌な予感がした。

「ヨシゾウさんならドンドルマです。今、狩りの準備で忙しくて、私が代理で来ました」


 卓越した防衛本能の為せる技なのか。
 狩人の嫌な予感はよく当たる。


「ええーっ!? ヨシゾウがいないと直せませんよ!?」


 その事実は“Striker”アルフリートにぶん殴られた時と同じぐらい、ラピカの精神によく効いた。

「な、何故ですか!?」

 すぐにラピカは理由を聞いた。

 二話で前述したが、切断という行為は難しい。
 刃のスピード、刃の入射角、対象の回避運動、それらを巧みに考えて条件を成立させねば、切断という行為は成立しない。
 それはつまり、使用者の腕だけではなく、武器の方にも使い手に合わせた精度が要求される。

 ヨシゾウ不在。

 それは太刀の鍛冶屋にとって肝である、使用者に合わせた調整が行えない、と言うことを指していた。


 だが、引けないのはラピカも同じであった。

「そこを何とか!? ヨシゾウさんの体格とか覚えていないのですか!?」

「馬鹿にしないでください! 体重、身長、スリーサイズ、手の大きさ、靴のサイズ、足の長さや手の長さまで把握済みです!」

 ラピカは率直に、「うわ、なんかストーカー臭い恋人だな」、と思った。

「でも、ヨシゾウの動きや癖は日に日に変わっていきます。それを見ないことには太刀は渡せません」

「そこを何とか!!」

「ダメです、ヨシゾウが死んじゃいます!」

「こっちも人の命がかかっているのです!」


 心苦しくはあったが、ラピカは嘘をでっち上げることにした。
 “Striker”アルフリートが“黒白憤鳴”のディアブロスに命をかけて挑戦しようとしており、“ヨシゾウもそれに協力している”と言う嘘だ。
 だから、轟刀“大虎鉄”では太刀として役不足、是非とも夜刀【月影】を直して欲しい、と打ち明けたのだ。


 結果として、これはミカに大いに聞いた。
 “黒白憤鳴”のディアブロスの恐怖の噂はこの鍛冶屋街にまで流れてきている。
 ミカの顔は青ざめ、恐怖で引きつっていた。
 ラピカは、ミカが納得するまで辛抱強く待った。

 その場に流れた静寂の一分が、妙に長く感じられた。

 そして、ミカはよく熟考した上で、その言葉を発した。


「分かりました、夜刀【月影】はすぐにでも直します……だから……」

「……だから……?」


 言い直したラピカは、ミカの目を見てしまった。
 それはまるで鏡を見ているかのようだった。

 『何だってしてやる』、ある種の自暴自棄に近い決して退かない決意が、ミカの目に籠もっていた。



「――あたしをドンドルマに連れて行きなさい!!」


「な、な、な、なんですってーーーーーー!?」

「すぐにでも修理するから連れて行きなさい!」

「お、落ち着いてください、ミカさん! ここからドンドルマまで二日かかります!」

「貴方も狩人で、しかもギルドナイトでしょ!? 一日で到達しなさい!」

「無茶言わないでーーー!?」

「なによ!? 命を懸ければ簡単でしょ!?」

「台詞の矛盾に気付けぇ~~!?」



「なによ、言い訳ばかり並べて……、ヨシゾウが死んでも良いって言うの!?」


 興奮しきったミカの手が咄嗟に何かを掴んだのを見て、ラピカは必死で逃げた。
 G級狩人を驚嘆させる勢いで振り下ろされた大金槌が、座っていた椅子を木っ端微塵に粉砕した。

 日々、鍛冶仕事に従事している職人の筋力は、周りと本人の知らぬ間に狩人ですらおいそれと当たれない威力を宿していた。


「落ち着いて、落ち着いてくださいーーーー!?」

「これが落ち着けるか、ドンドルマに連れてけーーーー!?」


 部屋の中ではずっと避けるのにも限度がある。
 たまらず外へと飛び出たラピカを追ったミカは、とある方向性では冷静な頭脳で周りに言い放った!



「ギルドナイト“Typhoon”ラピカ!! ――あたしと決闘しなさいッッ!!!!」


『えええええええええ~~~~~~っっっ!?』


 通りを歩いている街の住人とラピカが一斉に驚いた。
 そんな叫びも関係なく、一方的にミカの通告は続く。


「あたしが勝ったら、ドンドルマに一日で連れて行きなさい! 負けたら貴方の条件を飲むわ! もし、これ以上逃げるようなら、ギルドナイト“Typhoon”ラピカは鍛冶屋風情との決闘すら臆して逃げる、と国中に言いふらしてやる!」


 時は明け方、仕事を始めようと人の動きが起き始めていた。
 街の通りに響いたこの一方的な決闘は、それらの人々をかき集め、早くも大きな人の山となってラピカ達を包囲した。

 逃げようにも逃げられない。

 もしここから逃げれば、本当に臆病者として国中に伝わってしまいそうだ。
 ラピカは頭の中にある決闘法に関する法令をいくつも思い返してはみたが、どれも対狩人のものであって一般人とのいさかいに使えるものではなかった。

 本当に決闘するとしたら、どうなるのだろう?

 勝つのは簡単かもしれない。
 しかし、相手は鍛冶屋だ。
 筋力と体力がものを言う仕事だ。下手をすると新人の狩人よりその点においては上かもしれない。
 下手に勝負を受けて、もし、ミカの腕とかを折ってしまったらどうしようもない。

 勝負に勝っても、鍛冶屋としてミカが使えなくなっては意味がないのだ。
 難しい勝負だ。


 ――だが、仕事の総量が見えたことが、ラピカに前進の気力を宿らせた。


 “Typhoon”ラピカは、腰から雷の速度で氷炎剣ヴィルマフレアを抜き放つと、青と赤の光を引かせて地面へと突き刺した。


「いいだろう。ギルドナイト“Typhoon”ラピカは、逃げも隠れもしない!!」


 狩人の武器は人間には使われない。地面に突き刺して手放すことで、人間相手への闘争の意志を示す。
 胸の前で、武器を持つ右手によって左手を包み、相手を超える意志があることを示す決闘の礼儀を行い、決闘を受ける。


「こちらもドンドルマにて、狩人アルフリートが命を懸けようとしている! なら、この命を賭して、貴方を止めるのもまた道理!」

「上等!」


 ミカも大金槌を振りかぶり、決闘の厳しき静謐が、鍛冶屋街の通りに満ちた。

 前代未聞のギルドナイト VS 鍛冶屋の決闘が今、まさに火蓋を切られようとしていた。


 ――まさに、その時であった。




「待ってくれ、ちょっと待ってくれ! その決闘、あたしに預からせてくれ!」


 女の子を脇に抱えた商人風の男が、二人の間に割って入ったのだ。

 女の子を脇に抱えているのは、男の計算であった。
 男だけなら遠慮無く邪魔者として排除されたかもしれないが、子供ごとなら片付けられまいと狙ったのだ。

 男はラピカの方を向くと、


「アンタ、狩人アルフリート、って言うのは“Striker”アルフリートのことか!?」

「そうです! そういう貴方は何者ですか?」


 商人は、決闘を止められて苛立ったラピカに負けぬように、臆病な心を強気な言葉で隠して言った。


「昔、アルフリートに命を救われた恩のあるケチな商人さ。――あたしの名前はウォルダン!」

「あたしの名前はアルシア!」


 女の子が続いて名乗ったことで、ラピカとミカの毒気はすっかり抜けてしまった。
 そこを隙として、商人は遠慮無く話を進める。
 求められるものを提供する――それこそが商売の第一義だ。


「――あたしならお二人をドンドルマに一日で連れて行ける! 話次第で代金はまけよう、だから、この勝負は預からせておくれ」







 ――そして、約束の日は来たる。

 ――ドンドルマの運命を決する日。
 ――双角の悪魔が目覚める日。
 ――狩人達が命を懸ける日。


 一言で言うならば、


 ――この日、ドンドルマは激震した。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 12
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/24 16:36


 朝が来た。
 全ての営みの始まりを告げるべく、太陽が地平線の下から厳かに自らの威光を漏らし始め、空は次第に夜の暗黒から白へ移り変わろうとしていた。
 だが、どんなに美麗な風景であろうと、それを感じる心が灰色であるならば、朝焼けの赤も灰色とくすんでしまうだろう。


 クリスにとって、朝焼けに染まり始めた空は、血を連想させる不吉の象徴でしかなかった。


 今日、ドンドルマであの“黒白憤鳴”のディアブロスが目覚める。
 成り行き上、アルフリートを手伝うこととなってしまった。
 だが、武器のない狩人ほど惨めなものはない。

 武器とは、狩人の誇りにして力、そして、己自身だ。

 “黒白憤鳴”の圧倒的な力によって砕かれたのは、単純な道具としての武器ではない。
 心の在り方、人生の指標、他の狩人と渡り合っていく為に必要な自負。


 ――そして、自分が何者であるか。


 武器のない狩人は、果たして狩人なのだろうか?

 胸を張って、『自分が狩人である』、と言えることが、今のクリスには出来そうになかった。



 故に、宵闇はクリスにとって恐怖の時間となった。
 寝ることが怖くなった。

 瞼の裏に今も残っている。
 砂漠の暴君が引き起こした殺戮と、狩人達の大敗北の事件。
 死にゆく瞳が恨みがましくクリスに語る。


 ――『お前が俺達に死を運んできたのだ』、と。


 事実その通りであるが、その事実はただ肯定するにはあまりにも苦すぎた。



 ――悪魔め。



 クリスは戦うしかなかった。

 “黒白憤鳴”のディアブロスと。
 植え付けられた圧倒的な暴力のイメージと。
 刻み込まれた悪魔のごとき恐怖と。



 ――……悪魔め!



 だが、心はすでに疲れ果てていた。
 何せ、相手が巨大過ぎる。
 あれは人間が手を出してはいけない生物だったのだ。
 絶対に勝てない生物に自分は手を出したのだ。

 どうすれば、自分は死んだ狩人達に報いることが出来るのだろう?
 死者は十三人。
 自分は一人だ。


 ――独りでも、死ねば少しは、報いの足しになるだろうか?




「……ふあ~~~~~~~あ」


 そんな考えが頭の中をよぎった時、気の抜けた大あくびが、油断していたクリスを驚かせた。
 金の長髪を手櫛で乱暴に整えてリボンで結んだアルフリートは、普段とさほど変わりなく火をおこし、水筒の水を暖めて、お湯で寝汗のかいた体を拭いていた。
 昨日、狩った野生のアプトノスの肉を生でかじりながら、胃を冷やさない為に白湯を飲む。

 クリスには、この狩人が羨ましくて仕方なかった。

 昨日一日をこの狩人と過ごしたが、やることといったら修練と日常生活の延長である。
 しかし、今日の相手は“黒白憤鳴”のディアブロスだ。
 生半可の技が通じる相手ではなく、それはこの狩人も分かっているはずなのだ。

 なのに、この狩人は全く特別なことをしない。
 こうあるのではないだろうか?


 秘策とか。
 秘技とか。
 特殊な作戦とか。
 “黒白憤鳴”のディアブロスを倒すに足る、圧倒的に頼もしい説得力と理由を付加された強い『何か』。


 Gの狩人なら、必ずあるのではないだろうか?


「と、ところで本当に独りで倒しにいくのですか?」

「ああ、勝算はないワケじゃあない。なんとかしてみるさ」


 この台詞から自信はうかがえても、その根拠は分からない。
 クリスは思いきって聞いてみることにした。


「すいません、戦う前にこんなことを聞くのもアレなんですが……」

「勝てるかどうか、か?」

「……そ、そうです」

「十中八九死ぬだろうな。常識で考えれば、単独で狩れる竜じゃない。しかも、二頭だ」

「分かっているのなら、なんで死ににいくんですか!? 狩りは、確実に勝つから狩りなんでしょう?」


 アルフリートは、苦笑しながら簡単に言ってのけた。


「絶対に誰も死なない狩りもない。確実に勝つべく努力するのが狩人だが、それでも勝てないことがある。まあ、見てろ」











 それは闘技場の檻に一時的に幽閉されていた。
 強い麻酔薬を打たれたが為に、数日間深い眠りの中にいた。
 その数日間の間、水すらも摂れず、肉の一片すらも口に出来ず、それは確実に飢えていた。

 まだ眠気によって酩酊する頭を次第に醒ましていけば、捕獲される寸前のことが思い出される。



 そうだ、捕獲されたのだ!
 縄張りから引き離されただけではなく、どこかも分からぬ場所へ連れてこられ、下賤な無礼者共にこの体を解体されようとしたのだ!
 この怒りをどうやって晴らせばいい!?
 この衝動をどこへ叩きつければいい!?

 ああ、足らぬ!
 全く足らぬ!
 まずは、この飢えを満たしてからだ!
 


 深い眠りから覚めたばかりの双角の悪魔は、狂いそうなほど飢えていた。
 もはや、一秒たりとも、この口に何も入れずにいることなど、出来そうにもなかった。

 怒り猛る白い雄。
 燃え滾る黒い雌。

 本来は輩すら近くに寄せない二頭の竜は、共通しか怒りと飢えを晴らす為に、全力で自らを拘束する鎖を引き千切りにかかった。


 本来なら鎧竜グラビモスであろうと砕けぬ強度を誇るこの闘技場の檻の鎖であったが、今回ばかりは相手が悪かった


 白い雄にして体長28m。体高は7m50cm。
 黒い雌にして体長30m。体高は8m。

 それは、頭に悪魔のように邪悪にねじれる二つの角を生やし、前肢を翼とし、発達した後肢で二足歩行を行う。
 “砂漠の悪魔”、“支配者の双角”、“恐怖の咆哮”と謳われる二足歩行の飛竜種、ディアブロス。

 その中でも、伝説に近い巨体を持つ雌雄。

 “黒白憤鳴”のディアブロスが、ついに目を覚ましたのだ。


 もはや、鋼鉄に約束された安堵の時は消え去った。

 鋼鉄で鋳造されたはずの鎖は、飴細工を子供が壊すようにあっさりと砕け、体を拘束するものが無くなった双角の悪魔が叫ぶ。




『GyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』




 憤怒と飢餓の咆吼のユニゾンが、ドンドルマ全域の生物を朝のうたた寝から叩き起こし、ここに砂漠の暴君が長い眠りから復活を遂げたことを、弱者達に恐怖と覚醒と共に思い知らしめた。










「……まあ、見てろ」


 “黒白憤鳴”の咆吼が、これだけ離れた場所の木々の葉を揺らす中、アルフリートの声だけがクリスに伝わった。


 狩人は、嗤っていた。


 ドンドルマすら破壊しかねない飛竜が相手だというのに、
 それと自分が対峙しなければならない運命が目前だというのに、
 彼は粛々と自分の装備を調えていた。


「……奴がどれだけ強かろうと、それだけじゃあ人間は早々倒せないことを教えてやる」


 クリスは見てしまった。
 Gの狩人の特別を。
 それは、技ややり方などという小さなものには存在しなかった。

 その笑みこそ。

 何が相手だろうと変わらぬふてぶてしさこそ、Gの狩人の特別だった。


「……じゃ、じゃあ約束通り」

「おう、頼んだぞ」


 クリスは、せめてこの狩人の戦う様子を目に焼き付けようと、震える足を叩いてドンドルマへと向かった。


 ――揺るがぬ背中を見せる狩人の後を追って。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 13
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/08/30 22:19


 “黒白憤鳴”のディアブロスが起きた後のドンドルマは、市民の混乱を必死で押さえようとハンターズギルドと狩人達が市民を先導し、朝になると入ってくる商人と旅行者と共に、街壁の外へ押し出すことで一応の避難とした。
 ハンターズギルドは、再度、狩人達による包囲をしき、“黒白憤鳴”のディアブロスをGの狩人達と対決させる為の決戦場へと誘導するべく布陣を組んだ。

 ドンドルマに入る直前に、クリスと別れたアルフリートも、ハンターズギルドの誘導に従い、“黒白憤鳴”のディアブロスが誘導される決戦の地へ、足を進めていた。



 古来、捕獲された飛竜を狩人達が相手をするという王侯貴族の道楽の為に作られ、現在は獲物を尊ぶ狩人の流儀にて、新人の訓練にしか使われないその場所はこう呼ばれた。

 長径200m、短径165mの楕円形。高さは60mにおよび、ラティオ活火山の火山灰を固めたコンクリートによって、グラビモスの熱線レーザーですら耐えきる耐熱性と強度を誇るこの建築物を、




 ――人々は、闘技場と呼んだ。





 ヨシゾウは、あれからずっと悩んでいた。

 自分は生き続けねばならない。 
 この身は自分一人のものではない。
 親方と、ミカと、自分の親父の夢の行く先がこの身である。


 無駄死にするわけにはいかない。


 だが、同時に彼の夢が、死を避ける思いに、『違う』、と否定し続けていた。
 死を恐れ続けることで、ヨシゾウの心に宿していた強さは、確実に軋んでいた。


 『強い狩人』ならば、救いにいくのが正道だ。
 『賢い狩人』ならば、勝てぬ戦いを避けるのが常識だ。
 『勇気のある狩人』ならば、仲間を見捨てはしないだろう。
 『自覚のある狩人』ならば、出来ることと出来ないことを理解しろ。


 スティールとミサトが羨ましくて仕方なかった。
 彼らは己の強さのままに動くことが出来る。


 どうして、自分は太刀使いなのだろうか?
 太刀でなければ、自分の背中に背負うものも確かに少なかっただろうに。


 そこまで考えて、ふと思い浮かんだ。


 ――アルフリートに背負うものはないのだろうか?


 あの一撃必殺の男に。
 どんな事態をも笑って切り抜ける勇者に。
 これから“黒白憤鳴”のディアブロスを恐れずに向かっていく狩人に。


 アルフリートが死ぬことで、悲しむような人間はいないのだろうか?


 聞けば何かが分かるのか?
 聞けば決意するというのか?


 その問いに答えは出ない。

 分かるのは、二つ。

 アルフリートは、“厚顔無知”を倒した時、自分のことのように喜んでくれた。
 アルフリートは、“疾風塵雷”を共に討伐した仲間。

 その二つだけだった。



 ――分からないことが多すぎる。
 ――落ち着かなくなったヨシゾウは、自分の道具袋と轟刀“大虎鉄”を手に取ると、朝焼けに染まるドンドルマを走り始めた。




 ミサトは“黒白憤鳴”のディアブロスの咆吼に叩き起こされると、昨日から用意していた装備を手に取り、S・ソル装備を手早く着込んでクイックシャフトを背負う。
 宿の個室から飛び出て廊下から外を見れば、すでに完全装備のスティールが窓を開けて闘技場の方を見ていた。

 二日も一緒に行動していれば、挨拶も力の抜けたものとなる。 


「おはようでござる」

「……おはよう。朝早いんだね」

 スティールは腕を曲げて力こぶを作りながら、

「早く寝すぎたでござる。何もしないでいると落ち着かないでござるから、我が輩はすでにひとっ走りした後でござる……と」

 おどけた顔はすぐに精悍な横顔となった。

 闘技場から地響きが響いてきたのだ。
 それは地震でも活火山の鳴動でもない、起こせる存在としたら思いつくのは一つだ。


「――“黒白憤鳴”が檻を壊そうと張り切っているでござるな?」

「……あれって、グラビモス亜種を入れておいても逃げられない設計だよね?」

「壊されるのでござろうなあ、まあ、壊せなかったら万々歳でござるが……」


 何かに気付いたミサトが、窓から軽い身のこなしで屋根へと登っていった。
 そこで目の上に手を置き、陽光に視界を邪魔されないようにして遠くを見る。


「何か見つかったでござるか?」

「……アルフだ、アルフがドンドルマについたよ!」

「行くでござる、ミサト殿!」

「あいよー!」


 廊下を走り、
 屋根から飛び降り、

 二人の狩人は、集うべき狩人のいる場所へと急いだ。





 ドンドルマの狩人達は、いざという時は全員で相手をする為に闘技場の周りで待機していた。
 効率を考えれば闘技場の中、それも観客席で見張ればいざという時にアルフリートを救助することも叶うだろう。


 しかし、誰もそう言い出さなかった。


 理由は彼らの体から見てとれた。

 闘技場の周りを守る狩人のほとんどが傷ついており、彼らの目は闘技場から檻を叩く音が聞こえるたびに、恐怖で目を閉じたり、忙しなく辺りを確認したりしていた。


 ――彼らは、“黒白憤鳴”のディアブロスに一度敗れた狩人達だ。


 故に、彼らは知っている。
 “黒白憤鳴”の前に立つことがどんなに恐ろしいものか。
 いや、見ることすら忌避して避けたい気持ちが、この足の竦んだ防御陣を組ませていた。


 そんな連中を、闘技場の外縁から見下ろしながら“Backstab”アデナは一同に聞いてみた。



「あんなに腰の引けた防御陣で良いんのか? 負け癖つかねえか?」


「カッカッカ、怪我ですんだのは三十四人。その内ここに出てきたのは二十人。……逃げ出さぬだけ上出来じゃ」


 苦い含みのあるギルドマスター。


「ワシは気に入らんな。何度敗れようと最後には狩る。ドンドルマの狩人とは、そういうものではないのか?」


 生涯現役、甘い経験も苦い経験もし尽くした“Master horn”クルツ。


「わらわも同感じゃ、戦う前から負けておっては戦力にはならんぞ。……まあ、それでも使い道はあるもんじゃ」


 四つんばいにさせて椅子にした“輝刃団”の男に座る“Red eye”コーティカルテ。

 ギルドナイトとギルドマスターだけがふてぶてしく闘技場に残り、その中に登場してくるであろう暴君と狩人を待っていた。


 見えた。


 正面から、防御陣の狩人達に鷹揚に応えて入ってくる狩人が一人。

 青い鳥獣種ガルルガの鎧。背にはハンマー 極鎚ジャガーノート。
 “Striker”アルフリートだ。


 “Master horn”クルツは舌打ちした。

「戯けめ、奴は一人で“黒白憤鳴”に挑むつもりか?」

「オレが知る奴ならそうだな。こういう時は一人で行くタイプだ」

 “Backstab”アデナは、街中を指さした。

「だが、オレの知るアイツなら、こういう時に意外と人望があるんだよ」


 街中を急ぎ闘技場に向かうのは二人の狩人。

 銀に輝く竜鱗の鎧 S・ソル装備に、ヘヴィボウガン クイックシャフトの目つきの悪い女性ガンナーと、
 白い甲殻の鎧 グラビモスXと、ガンランス エンデ・デアヴェルトを背負った口ひげを生やした狩人だ。


「ホッホッホ、スティール卿と“F・F”の嬢ちゃんか」

「なるほど、確かに一人ではないようじゃぞ……うちのギルドナイトも協力しとうようじゃしな」


 コーティカルテが街の外を指さした。
 避難した市民が街道沿いに集結し、遠巻きに街を見る中で、一筋の砂埃の線を引いて走ってくる存在がいる。
 しかも、背中に女性を背負って、だ。

 彼女は赤い竜鱗の鎧を着て、腰には氷炎剣ヴィルマフレア。
 背に背負う人を振り落とさぬようにロープで縛り付け、郊外から全力疾走でこちらへ向かってくる。
 コーティカルテが注目したのは、その背に背負った女性がさらに背負う太刀だ。


「夜刀【月影】、ラピカめ、二日で直してきたのか? ――だが、間に合うかのう?」


 ラピカの足は速い。
 しかし、空を飛べるわけではない。
 街の街壁は市民を通さぬ為に、誰も通さぬように言いつけてある。
 さらにドンドルマは広大だ。
 どんなに見積もっても、ラピカが到着するのに30分はかかる。


「“Striker”アルフリート、爺様が面白がるのも分かるぞよ。ギルドナイトまで動かす狩人なぞなかなかおらぬ」

「じゃろう?」


 コーティカルテとギルドマスターは、似たような笑みを浮かべて笑い合った。
 クルツとアデナは、その様子に嘆息したが、事態が面白くなってきたのは否めない。


 ――まあ、せいぜい楽しませて貰おう。


 高みの見物を決め込んだギルドマスターとギルドナイト達は、新たな登場人物が事件をより面白くしてくれることを期待していた。




 
 ――ことは10分前にさかのぼる。


 始まりは昨日の朝方、鍛冶屋街でのラピカとミカの決闘が止まった直後からだった。
 事情を全て聞いた商人ウォルダンが、ドンドルマまで夜通しアプトノス二頭引きの馬車を走らせる。
 
 そう約束したことで、ミカとラピカの決闘は食い止められた。

 そうなれば、二人がいがみ合う理由など無かった。
 すぐさま二人はこの一瞬すら無駄にするものではない、と修復作業に取りかかった。

 鍛錬する為のコークスをラピカに山ほど運ばせ、ミカは炉の前でひたすら集中した。

 当初、ラピカも手伝うという話もあったが、ラピカですら寒気を覚える殺意的な視線をミカから向けられた為、大人しくコークス運びに集中した。

 しかし、ラピカは最終的には、ミカの判断が正しいと思った。
 コークス運びの最中に、ミカの作業の様子を見てしまったからだ。


 溶岩よりも滾る炎の前で、
 滝のように流れる汗にも負けずに、命の炎を瞳に燃やして眼前の灼熱を凝視し、
 周囲の些細な変化すらも捉えきるほど集中して、鋼の精錬と太刀の修復にただひたすらに心を裂き続ける。

 振る鎚に揺らぎはなく、
 全てのタイミングがさも当然であるかのように噛み合い続け、
 ただただ、漆黒の太刀に心を砕き続ける。 



 ――なるほど、良い鍛冶屋です。



 そして、昼前に刀身は完成した。

「柄はその場でつける。行こう、ラピカさん」

 完成した刀身を背中に担ぎ、現地で作成するための道具を袋に詰めたミカと、ラピカを馬車に乗せ、ウォルダンはアプトノスに鞭を打ったのだった。
 アルシアが揺れる馬車の中で逞しく寝息を立てる中、夜目の利くラピカが月光を頼りに御者台に座って、危険な箇所をウォルダンに教えながら進んだ。
 注意しながら急がねばならない、そんな厳しい条件のある旅であったが、ウォルダンもラピカも無事ドンドルマへの道を踏破し、





 こうして、話は今にさかのぼる。
 太陽が地平線の向こう側で起き始めた頃、彼らの視界に動き始めたドンドルマの町並みが見え始めた。


「やった、間に合った!」


 ミカが歓声をあげて喜んだその時だった。



『GyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』




 憤怒と飢餓の咆吼――“黒白憤鳴”のディアブロスの咆吼が、四人の心を恐怖で掻きむしり、一斉に鳥肌を逆立てさせた。


「ウォルダンさん、急いでくれ。“黒白憤鳴”が起きた!」

「わかった!」


 だが、事はそう簡単にすまなかった。
 開門を待っていた行商人に加え、“黒白憤鳴”から避難しようとする市民によって、ドンドルマの街道周辺は、近寄ることも困難な大変な混雑となったからだ。


「ウォルダンさん、ここまでありがとう」


 “Typhoon”ラピカは潔い笑顔でウォルダンに礼を告げると、御者台から立ち上がった。


「すまない、あたしじゃここまでが限界のようだ」

「いいえ、貴方なしでは私はここまで来られなかったし、ミカさんも良いものが作れなかった」


 そう言いながら、ラピカは荷物からロープを取り出すとミカを背負い、自分の体にきつく固定していった。
 悲鳴に驚いて起きたアルシアが、旅立ちの気配を感じ、馬車の奥から顔を出して、二人に親指を立てて見せた。


「狩人さんによろしく――幸運を」


 ラピカとミカは笑って親指を立ててみせた。

 ラピカは強走薬グレートを飲む。
 全身に駆け巡る生命力。体が賦活される感触。それまでの疲労を吹き飛ばし、どこまでも無限に走れそうな飛翔感。



 ――間に合うか?
 ――間に合わないか?



 答えを出すのは自分の足だ。
 なら、ただ突っ走れ、ラピカよ。

 お前の二つ名を思い出せ。


 ――風は走るのに理由など問わない!



「ひゃっ!?」



 ミカの悲鳴を置き去りにして、ラピカの体が突っ走った。
 ウォルダンの記憶の中にある“Sir.”スティールと“Striker”アルフリートの足も相当速かったが、それ以上のスピードでラピカはドンドルマへと突っ走っていった。

 ミカにとってみれば、そのスピードは全くの未体験であった。
 人一人を背負っているとは信じられないほどのスピードだった。

 木々が、岩が、標識が、見えたと思った瞬間にはすでに背後に回って消えている。
 突っ走る足は砂煙を上げ、その体は走りの上下動に忙しない。
 死ぬ気でしがみついていなければ、振り落とされた時にどうなるか分からない。

 
 ――ヨシゾウは、こんなスピードの世界で生きているのだろうか?


 ラピカは、最短直線距離の間にいる街道筋で混雑する人々へ、迷うこと無く突撃していった。


 道のど真ん中で立ち止まっていた老婆を飛び越え、
 通せんぼをする馬車をスライディングでかいくぐり、
 アプトノスの背を蹴り、跳躍!


 止まることを忘れたラピカの全身が、地球上のどんな生物よりも軽やかにこの混雑した人々の中をすり抜けていく。



 ――強さとは何なのか?


 それを問い続ける為のラピカの旅は、今終わりに近づこうとしていた。





 アルフリートの心は、不思議なほど穏やかだった。
 思えば、狩人として復活したあのリオレイアとリオレウスの戦いは、千々に乱れた心に酷く苦しめられたものだ。



 自分を弱いと知ったあの時。
 自分の弱さと共に、強さがあると悟ったあの時。

 今もあの時感じた弱さが心をかき乱そうと、私の心に訴える。


 ――逃げろ。隠れろ。命乞いをしろ。戦うな。泣け。倒れろ。寝ろ。崩れろ。


 弱くなる理由は簡単だ。
 そうした方が楽なのだ。
 楽なのは良いと思う。


 ――だが、弱い故に失われるのは駄目だ。


 それは私の敗北だ。
 敗北はいけない。
 飛竜に負けることや、戦って敗れることが悪いわけではない。


 自分を弱くして敗れることがいけない。

 
 だが、弱さは自分の一部だ。
 だから、人は苦しむのだ。
 自分の一部がどうしようもなく自分を弱くするから。


 ――それでも、人は強くあらねばならない。

 ――何の為に?


 それこそ、人それぞれだろう。


 仲間の為。
 家族の為。
 自分を待つ人の為。


 その為に、強くあり、揺らがない。
 それはなんと誇り高くいられることだろうか。
 だから、私の心は穏やかでいられるのだ。



「アルフリート!」


 だから、私の前にヨシゾウが現れた時、私は彼から見れば驚くほど平静であっただろう。


「どうして、“黒白憤鳴”に挑む? アンタ一人じゃ勝てないだろう」

「君も、飽きない男だな」


 その言葉は、いつも私とヨシゾウの間で繰り返されてきた言葉だ。

 “厚顔無知”のティガレックスでは、私がヨシゾウに。
 “疾風塵雷”のナルガクルガでは、ヨシゾウが私に。


 問われる方は、すでに勝敗を論ずるより、ただがむしゃらに勝利を掴む為に強くあればいいのに。
 問う方は、自分の弱さからその強さを計りかね、聞いてしまうのだ。


「――依頼だ。私に依頼され、私が受けた。それだけの話だ」

「依頼されれば、仕事をしちまうのが狩人かよ!? 俺達だって選ぶ権利があるぜ?」

「その通りだ」


 私はそれを簡単に肯定してやった。
 肯定しても、何も変わらないからだ。


「そして、私は自分の権利で選んだだけだ。この依頼に対し、何ら文句も無ければ不満もない。あとは飛竜の前で全力を発揮できれば幸いだ」


 ヨシゾウは平静に返した私の言葉に、明らかに苛立っていた。
 間違いなくヨシゾウは分かっているのだろう。

 ――アルフリートは突き進む。
 ――その為の強さと理由を、すでにこの男は得ているから。


「だからと言って、どうしてこんな無茶な依頼を受けるんだよ!?」


 ヨシゾウは苦しむ顔でなんとか言葉を繋げた。
 私にはよく分かる。
 “厚顔無知”との戦いを前にして、ヨシゾウにかける言葉が無くなってしまった時と同じだ。

 人間は強い。
 どんな障害があろうとも、それを乗り越えてしまえるほどに。
 強さ故に、私は止まらない。

 だが、ヨシゾウは問いかけずにはいられないのだろう。


「アンタに大切な人間はいないのか!?」


「もちろん、存在する。彼らと出会う為には、この依頼を達成する必要があった。だから、この依頼を受けた」


 語るべきを語った私は、ヨシゾウの横を抜け、闘技場に向かう為に、歩み始めた。


「故に、この狩猟は依頼であるが、私の私闘だ。だから、私は単独で行くのだ」


 横目で見たヨシゾウは、横を通り抜ける私と自分の腕を見ていた。

 そこが分岐点であると、ヨシゾウは分かっていたようだ。


 ――狩人の武器は己自身にして道標だ。
 ――しかし、狩人の運命は武器に決められるものであってはならない。
 ――何を背負っていようと、どんなに努力を積み上げていようと、それを理由にして逃げることなどあってはならない。




 ――何故なら、狩人は道の先を行く者だからだ。
 ――全ての期待を信任され、努力を未来へ活かす為に今の狩人があるのだ。


 ――それを理由にしてはならない。
 ――理由にすれば、新任してきた者達への背信となるだろう。



 アルフリートは思う。
 その上で、狩人としての判断で逃げてくれれば私にとって最良だ。


 ――だが、それは……。



「Hey、待てよ、アルフの旦那!」


 後ろを振り返れば、拳を握りしめて震えを押さえたヨシゾウが、私に言い放った。


「夜刀【月影】の修理代金を肩代わりしたんだろう!? あいにく、今は持ち合わせがねえ!」


 ヨシゾウは私の横に並んだ。


「悪いが、体で払うから助太刀させろ! 足は引っ張らない!」


 ――だが、それは、もし私がヨシゾウなら間違いなく、助力する為に有無を言わずに加わっていただろう。


 私は苦笑した。
 私が自分の強さを肯定し、独りで征こうとする者なら、
 同じ強さを肯定し、私と同じ道を征こうとするヨシゾウを肯定せねばならない。


 ――人生はままならない。



「ヨシゾウ殿と同じく、我が輩にも理由がござる!」

「……あ、あたしも理由があるよ!」


 “Sir.”スティール。
 “F・F“ミサト。

 共に道を並ぼうとしてくれる者達が、私の横にやってきた。

 正直、苦笑が――笑いが止まらない。
 私は独りで征こうとした。
 しかし、結果この様だ。

 勇者め、いや、大馬鹿共め。
 こんな割に合わない戦いに、自ら進んできてくれる大馬鹿共め。





 ――こいつらとなら笑っていける。
 ――あの悪魔との戦いに、笑って征ける。



「それは仕方がないな――『ならば、勇者よ。我らの命運は我らが握る』」



 私は右の握り拳を三人の前に突き出した。
 古い儀礼だ。


 三人もそれに倣って右の握り拳を突き出して私の拳に叩き合わせ、スティールが叫ぶ。


「『体を一つに』!!」


 私が応じて、三人の拳を叩く。


「『心を一つに』!!」


 『運命を握る拳を、叩き合わせて一つとする』。


 獲物を見定めた狩人達は、意気高く揚々と歩き出す。
 もはや、武器を握る手に迷いはない。


「――さあ、どちらが獲物か、教えてやろう!」




 こうして、ドンドルマの闘技場へ、運命に導かれた四人の狩人が集結した。

 ギルドマスター、ギルドナイト、狩人、郊外の市民達が、静かに事のいきさつを各々の方法で見守る中、


 ――最後の鉄格子越しに“黒白憤鳴”のディアブロスの二頭と、四人の狩人の目が合った。


 二頭は飢餓と憤怒の為に。

 一人は、義務と誇りの為に。
 一人は、自らの腕とそれを振るう場の為に。
 一人は、自分の背に背負う者の為に。

 そして、一人は、仲間の為に。


 ――全員が、互いを獲物と見定めた!

 ――互いが互いを狩ろうと必死になる、激突必須の狩猟が幕を開ける。
 



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 14
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:035de98b
Date: 2010/09/02 09:46

 ディアブロスの最大の特徴は、地中を潜行する能力である、と言えよう。

 そもそも砂漠という酷暑の環境において、日中を地中で過ごす生物は少なくない。
 呼吸する為の穴を確保し、砂漠の風に巻き上げられないほどの深さに隠れれば、強烈な日光の洗礼から逃げられる場所であった。
 しかし、これらの生物においても、地中では眠ってしまい、気温が下がる夜と共に這い出てくるのが精々だ。


 地中を潜行して移動する。


 モグラとミミズが似たような習性を持っているが、彼らの身長はメートルに達せず、既存の地中の空間を修正して生存しているのが精々だ。
 ディアブロスの地中潜行能力は、生物として極めて異例の能力なのだ。


 その行動を起こす理由は、今を持っても明らかにされてはいない。


 それは地中を潜行できるほどの能力を持つディアブロスは、地上を走るとティガレックスにも負けない圧倒的な速度で走る。
 狩猟用と定めるには、ディアブロスの能力は高過ぎるのである。

 能力が高過ぎるので、敵に対する能力とも違う。
 狩人以外にディアブロスの天敵は存在しない。
 あえて言うなれば、他種の飛竜種や古龍種だが、数が少ない上に砂漠に生息する種類がそもそも少ない。

 消去法で同種の雄との縄張り争いを避ける為の指標、雌を射止める為のパフォーマンスであるとされることが多い。



 理由はさておき、



 ――この地中を潜行する能力は、副産物として様々なものをディアブロスに与えてきたのだ。






『GyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』



 鉄格子越しに四人を見下ろす“黒白憤鳴”のディアブロスは、飢えと怒りの衝動に導かれるまま、四人に向かって走り始めた。
 当然、その巨体は鉄格子へと衝突する。

 だが、白い雄が28mの巨体で衝撃と共に鉄格子を軋ませ、その基部にヒビを入れると、重ねてぶつかる黒い雌が鉄格子を基部から引っこ抜き、闘技場へ吹き飛ばした。
 それは四人の狩人の眼前へと、飛んでいく。


「いくぞ!!」


 それが四人と二頭の合図となった。
 狩人四人は、唸りを上げて飛翔する鉄格子を散開してかわす。 


 しかし、問題はその後だった。


 全長30m、体高8mの巨体。


 ――つまり、その一歩は15m以上にも及ぶ。



 ――砂と土と礫を押しのけ続け、硬化した甲殻を身に纏いながらも、
 ――秒速30m、つまり時速110km近くの速度で走れるのは。


 ――地中潜行を可能にするほどの高い身体能力が生み出した、“黒白憤鳴”脅威の能力の一つに過ぎない!



 “黒白憤鳴”はその勢いのまま闘技場の壁に突っ込むと、先行した白い雄の双角が闘技場の壁に深く突き刺さった。



「む……?」



 闘技場外縁にて、それを見下ろしていたギルドナイト達はその“黒白憤鳴”行動を不審がった。

 闘技場の壁は分厚い。
 それは闘技場が『闘技場』として成立した歴史が証明している、かつてこの壁を破った飛竜は存在しない。
 だが、いくら憤怒に駆られているとはいえ、“黒白憤鳴”は、何故壁に自分の角を突き刺すような、自滅を呼び込むような行動をとったのだろうか?


 答えはすぐに分かった。
 黒い雌も白い雄が、角で穴を開けた壁に突進したからだ。

 何頭もの二つ名持ちの飛竜を屠った、“Master horn”クルツが叫ぶ。



「全員飛べぃ、壁を抜かれるぞぃ!」



 この世の何よりも巨大な黒い砲弾は、白い悪魔が二つの穴と細かいヒビを入れた壁に躊躇無くその身を叩きつけた。


 闘技場全体を揺るがさんばかりの衝撃、
 耳を潰されかねないばかりの大轟音、
 圧倒的な質量と威力を兼ね備えた超質量打撃に、耐えきれなかった闘技場の防壁はその身を粉砕され、破片――それでも大きいもので数mはある――をばらまいて崩れていった。


 闘技場の防壁を抜かれてしまえば、あとは構造材としての脆い壁しかない。
 構造材が暴虐的な威力の体当たりに、悲鳴と崩壊の大合唱を鳴らしながら打ち崩れ、闘技場の一角が常識を越えた衝撃に耐えきれず、ギルドナイト達がいる外縁頂上までその崩壊は至った!

 高さ60mの闘技場の外縁が。
 人類が造りあげた巨大建築物が。
 たった二頭の体当たりによって、その長い歴史においてあり得ない致命的な打撃を被ったのだ。


 ギルドナイトと、クルツに抱えられたギルドマスターはその非常識な破壊の光景に動じることなく、跳躍して難を逃れた。


「……ふう」


 “Master horn”クルツは、ため息と共に崩壊を逃れた外縁頂上へ着地すると、この圧倒的な現状を目の前にして冷静に被害と飛竜を分析した。


 ――開いた穴は闘技場外縁まで届いている。
 ――高さ60mの闘技場外縁まで崩壊が届く、体当たりの威力。
 ――直撃を喰らえば、普通の狩人なら即死だろう。


 ――そして、憤怒と飢餓に駆られていても、恐ろしいまでに冷静。
 ――動きと標的を制限される闘技場内よりも、自由な街中を選んだ。

 ――何より、街中にはGの狩人四人よりも、狩りやすい獲物がいる。



「こここ、“黒白憤鳴”だぁ~~~~~~!?」

「闘技場の壁をぶち破っただと!?」


 突如轟音と共に現れた超巨大飛竜を目の前にした二十人の狩人達は、一斉に動揺した。
 当然の光景を眼下に見た黒の雌は、さらなる動揺を誘う為に、叫ぶ。


『GyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』


「ひ、怯むな! こいつを外に出したら、前よりも被害が出るぞ!」


 黒の雌に向かって散発的な応戦を開始する狩人達。
 ガンナーの弾丸が、矢弾が黒い甲殻を火花で赤く染めるも、その堅い甲殻が弾丸や矢弾のような小質量高速打撃を簡単に無効化する。
 剣士達の大剣、ランス、ハンマーも同様だ。
 鍛え上げられた鋼鉄の刃も、人間の全体重をかけた突撃も、人間に近い質量を叩きつけても、その甲殻は揺るがない。



 ――地中を潜行する。それがディアブロスの能力。
 ――それも空気や水分、有機質によって隙間の有る浅い層ではない。
 ――全長8mもの巨体が地中を潜行する為には、地下10m近くを潜らねばならない。

 ――さらに、ディアブロスの住処は砂漠だが、砂漠といえど砂ばかりではない。
 ――巨大な岩塊、堅い砂岩の層、細かい礫がその進行を阻む。 



 つまり、それらからディアブロスは身を守らねばならない。
 それらの脅威と比べれば、



 ――緩い、緩すぎるぞ、人間!!


 黒の雌が大木よりも巨大な槌尾をふるって剣士をなぎ払う!

 壁をぶち破って、闘技場より脱出した白の雄がガンナーを轢き倒す!


 ――お前らは信じ難いぐらい弱すぎる!
 ――お前らは度し難いぐらい弱すぎる!!



「だ、駄目だぁ! もう駄目だぁ!!」


 かつて敗北を刻んだ狩人を蹴散らすことなど、狩りを行うより遙かに容易かった。
 その実力も信条も、圧倒的な暴力の前で駆逐された狩人達は“黒白憤鳴”の前から蜘蛛の子を散らすように逃げるしかなかった。



「たまらんのぉ……」


 再度外縁から“黒白憤鳴”のディアブロスを見下ろす“Master horn”クルツは、久々に目にした歯応えのありそうな獲物を目の前にして、舌なめずりをした。

 引退しても全く困らないほど飛竜を狩り続けた彼が、いまだに生涯現役を行う、と公言する理由。

 いや、理由と言うほどこれは理となってはいない。


 ――それは飛竜を狩るのが好きだからだ。


 ――奴らは常に傲りが見える。
 ――それを踏みにじって、間違いだと教えるのが大好きだ。 

 ――奴らは空から人を見下す。
 ――それを地面に屈服させて、間違いだと教えるのが大好きだ。

 ――奴らは自分を強いと思っている。
 ――それを痛みで悲鳴を上げさせて、、間違いだと教えるのが大好きだ。


 ――獲物は強ければ強いほど、イイ。
 ――傲岸で、暴虐で、凶暴であれば、イイ。

 ――故に、あの強さはたまらない。


「ダメじゃぞ、“Master horn”クルツ」


 腰に抱えられていたギルドマスターが、戦鬼の笑みを浮かべるクルツをたしなめた。


「優先順位じゃ」


「む?」


 『闘技場内から』飛んできたロープの輪が、外縁の一柱に絡まり、固定された。

 長さにして20mほどのロープだ。
 闘技場外縁の高さは60mにして、高さ50mの位置に彼女はいた。



 Fullmetal Face――この高さにおいても冷静な顔をした彼女が、
 Far Falcon――――“黒白憤鳴”のいる遠くを見据え、
 Fortress Faith――自分のすべきことはこれだ、と見るに信じられないことを行った。



 ロープの引っかかった場所は、“黒白憤鳴”のディアブロスの巨体が叩き開いた闘技場の大破壊痕に、最も近い一柱。
 体高8mの巨体が通った大穴は、外縁の頂上まで突き抜ける高さ60m以上の大穴となっている。


 その大破壊の中央にロープを引っかけた“F・F”ミサトは、



 ――ロープの端を掴んで、その空間へ身を投げ出した。



「む!?」



 驚きのあまり声を上げた“Master horn”クルツと、
 その蛮行にも一切揺らがぬ“F・F”ミサトの目が空中で合った。

 目は多くを理解し、強く語った。



 ――……あたしの獲物だ。横取りするな!




 大破壊痕の中央に位置する柱にロープをかけたミサトの体は、振り子のような動きでドンドルマの街中へと進んでいく。
 風を切って前へと進む銀の鎧の狩人は、その振り子運動が少し上り調子となったところで、手を離した。

 高さ60mの大破壊痕に縛り付けたロープ。
 ロープの長さは20m。

 ――“F・F”ミサトの体は前へと進みながら、高さ40mの虚空へと投げ出された。
 

 命綱も何もない中、あっという間に建物が、道が、何よりも堅い地面が迫ってくる。

 20mを落下したところで、ミサトは背中にさらに背負っていたロープを引き出した。
 その長さは5m。



 ミサトは、ロープを腕甲越しに何重にも巻き付けて固定すると、建物に向かって輪にしたロープの先を放った!


 狙い澄ましたガンナーの目が、この高所からの自由落下の最中に有っても、正確に建物の頑丈な位置を教える。
 そこへロープの輪が引っかかった!


 体の勢いは下方から平行、そして、さらなる振り子運動が、体を上方へと運ぶ。
 万力のような強さで腕を絞めるロープをナイフで叩き切り、建物を5つは越え、“F・F”ミサトは転がりながらもなんとか屋根に着地し、


 ――四人の中で誰よりも速く、ドンドルマ市内へ到着する。



 Fast Finger――そして、背中から素早く引き出されるクイックシャフト!!



 狩人達を襲い続ける“黒白憤鳴”の堅い甲殻の隙間へ、レベル3通常弾を叩き込む!
 距離は適正距離ではない。故にディアブロスの受けた傷は軽微だ。


 だが、苛立たしげにミサトの方を振り向いた“黒白憤鳴”の雌雄に、ミサトは人差し指で手招きした。
 彼女の家族がこういう時にこう言ったように、彼女も真似て台詞を放つ。


「……来いよ、遊んでやるぜ」


 それが聞こえたかどうかは分からない。
 だが、眼下で“黒白憤鳴”に怯え続ける狩人達に見切りをつけ、黒と白の飛竜は彼女に吠えた。


『GyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』


 建物を足で蹴飛ばし、鎚尾で屋台を吹き飛ばしながら、二頭の巨大な飛竜が追ってくる。


 “F・F”ミサトと“黒白憤鳴”のディアブロスの戦いは、ドンドルマ市街内での必死の逃走戦となった!



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 15
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/09/07 19:17
 “Sword Dancer”ヨシゾウは物陰を、自身の皮鎧となった迅竜ナルガクルガのように、物音一つ立てずに建物の陰を走り抜けた。
 すでにミサトだけではなく、ヨシゾウ達、剣士陣も市街に入っており、各々の目的を果たす為に散開中だ。
 そう、市街。ドンドルマ市街だ。

 前代未聞のハンターズギルド本拠地での飛竜討伐だ。


 さっきから狩人として常識外のことばかりが起きている。
 破られるはずのない檻が、地震や天変地異でも何でもない、ただの力任せで破られたこと。
 さらに闘技場の外縁すら破られ、極めつけはドンドルマの市街戦だ。


 しかし、この前代未聞の状況を予想していた人間が、ただ一人だけいた。


「檻を破るほどの怪力を持つと言うことは、闘技場なんかで戦うことはまず無い。……むしろ、建物で止まる程度では無いだろうな」


 四人が集まった時、“Striker”アルフリートはそう断言した。


「闘技場の狭い地形はあの巨体には向かん。すぐにでも外に逃げ出したいだろうが、ドンドルマの硬い地面が長時間の潜行を阻むだろう」

「……じゃあ、街中で戦うの?」


 察したミサトが顔色も変えずに言った。
 アルフリートは市街の地図を広げ、そこに記した点をいくつも指した。
 

「だから、いくつかの仕掛けを急造で作らせてある。そこに誘い込む」

「Hey、旦那。アイツはシビレ罠とか、閃光玉が効かない……」

「狩人の道具はそれだけじゃあないだろう? 搦め手が効かなければ……吹き飛ばすだけだ」

「まさか、大タル爆弾を仕込んでいるでござるか!?」


 市街に爆弾を仕込む、これまた前代未聞の発想――というより危険人物の発想――に驚くスティールに、アルフリートは口の端をあげて鮫のように笑った。


「どうせディアブロスに破壊されるのだ。今さら、大タル爆弾で家吹っ飛ばしたところで大した違いはあるまい?」

「……理論的な逃げ道まですでに完備だよ、この人」


 いつものように策の弱点を突くのは、“Sword Dancer”ヨシゾウの仕事だ。


「Hey、Hey、Hey。アルフの旦那。ディアブロスの能力を一つ忘れているぞ」

「忘れていると思うのなら指摘してくれ。不備は避けたい」



「――アイツらは耳と鼻が異様に利くだろう?」



 この能力も、ディアブロスの地中潜行能力の副産物と言ってもいい。
 光の差さぬ地中で半端な視力を持つより、地上の音と振動を感知する聴覚と、獲物の状態と動向を追える嗅覚が発達しているのだ。


 だが、アルフリートはそれに笑って答えた。


「すでに織り込み済みだ。抜かりはない」

「火薬の臭いをなんとか出来るのか?」

「出来るわけがないだろう? 火薬は臭う物だ」

「でも、なんとかしているんだろう?」

「ああ、なんとかしているとも」


 いまいち、要領を得ないヨシゾウの隣で、ミサトが手を打った。


「……その手か!」

 ミサトがいたずらを思いついた顔で、アルフリートの耳のそばへ近寄り、答えを言った。

「当たりだ」

 ガッツポーズをとるミサトの横で、今度はスティールが気付いた。
 近くにこそ寄らないが、

「木を隠すのなら森の中、でござろう?」

「その通りだ」


 格言で代弁したスティールにアルフリートは笑顔で答える。

 ……ついに分からないのは、ヨシゾウだけとなってしまった。


「さあ、行こうか。そろそろ仕事の時間だ」


 ヨシゾウの疑問を放置したまま、一行は闘技場に足を踏み入れた。
 疑問が晴れぬことにいまいち納得がいかないまま、ヨシゾウは仕方なく闘技場に足を運んだ。


 ――しょうがない。どうせ戦えば分かることだ。





 闘技場外縁を体当たりでぶち破る前代未聞の事態になったのドンドルマの街を、街道を突っ走りながら確認したラピカは自分の疾走の途上にある、いくつかの関門の一つに到達したことを確認した。


 非常時、それも市街地で飛竜が暴れるような本当の非常時において、ドンドルマの警備は厳重となる。
 それは無関係者や邪魔者を排除することによって仕事をやりやすくする配慮であるのだが、この無関係者および邪魔者の範囲が非常に大きい。
 それはギルドナイトであろうとも抵触する。

 例えば、私用で二日間外出していたり、
 例えば、一般人を連れ込もうとしていようとすればどうしようもなく抵触する。


 もちろん、ラピカはギルドナイトである。
 穏便に事を済まそうという考えからまず始めていった。

 しかし、たとえ自由気ままな狩人といえど、『責任』の二文字からは逃れることは出来ない。
 特に、この有事にドンドルマを防衛するという責務であればなおさらだ。

 いかにも抵触しそうなギルドナイトを、通してくれるものだろうか?

 よほど強気な人間でもない限り、まず他のギルドナイトやギルドマスターに指示を仰ごうとするだろう。



 さて、ここでギルドマスター、及び“Master horn”クルツと“Backstab”アデナの性格を考えてみよう。
 物見高い三人のことだ。絶対に中にいるだろう。
 防衛に回っている狩人が、この“黒白憤鳴”のディアブロスが暴れ回る街に、わざわざ探しに行ってくれるだろうか?
 潔癖で名高いラピカの性格でも有り得ない、探しに行く振りをして時間を稼ぐだろう。
 仮に、善い性格の狩人がいて、行ってくれたとしても、このディアブロス騒ぎの渦中では間違いなく探してこれないだろう。


 ――そして、ラピカが街壁を登るよりも、十四人もいても狩人達を蹴散らして進んだ方が、明らかに早いのだ。


 走る間に全開駆動させた頭の痛みに耐えながら、ラピカは腹を決めた。

 目の前に大きく立ち塞がるはドンドルマの城門、そして、その下にいる十四人の狩人だ。


「止まれーーーーーー!」


 有事につきランスを抜いて警告されたラピカは、すでに一刻の猶予もないことを城門の向こうの騒音で感じ取りながら、覚悟を決めた。


「道を開けなさい、邪魔をするなら押し通ります!」


 全力疾走のラピカを止めようと、十四人の狩人達が動きを見せた。




 クリスは時々聞こえてくる“黒白憤鳴”のディアブロスの咆吼の恐怖に身を引きつらせながら、アルフリートに言われている通り、ハンターズギルドに貯蔵してあった大タル爆弾Gを予定されている位置に設置した。
 そして、腰につけた小タル爆弾に目をやる。

 ――『穴を開けた小タル爆弾を腰につけて運べ』。
 
 これがアルフリートの指示だった。
 クリスは大タル爆弾Gの着火役に自分が任ぜられるのではないか、と思っていたが任せられたのは運搬役だけだ。


 あのアルフリートという狩人はどんな狩人なのだろう?


 クリスは想像力を駆使して、彼がどんな狩人なのか描いてみた。

 まず、恐ろしく肝が太い。
 彼は“黒白憤鳴”のディアブロスの戦いを前にしても、普段と変わらず生活していた。
 つまり、“黒白憤鳴”すら恐れるに足らないほど強いと言うことなのだろうか?

 やはり、Gの狩人はその強さ故にGなのだろうか?
 狩人は、やはり強いのが良いのだろうか?

 それだけじゃあない、と皆は言う。

 しかし、現実はどうだろうか?
 あの時、クリスが強ければ起きた“黒白憤鳴”を倒せたのではないだろうか?
 今回の事件で、十三人も死者を出さなかったのではないだろうか?


 ――強くなりたい。

 ――でも、強く在る方法が全く分からなかった。


 何故、彼らは強いのだろうか?
 何故、彼らの笑みはああも強く、心地好いのだろうか?


 ――強くなりたい。


 クリスがまた思い悩み、その悩みの重さ故に頭を垂れて顔を伏せようとした時だ。



 天地を揺るがすほどの大轟音がした。

 よく見れば、“黒白憤鳴”のディアブロスの白い雄がクリスから50mも離れていないところで、地中から地面に飛び出していた。
 その威力たるや、上にあった石造りの家を粉砕しながら飛び出してきたのだ。

 瓦礫と岩塊と家の構造物が宙を舞う中、クリスの目にはとある物が映った。



 ――人だ。

 ――銀の鎧を着た人間が、瓦礫と共にこちらに向かっている、というより吹っ飛んでくる。


「おーーーーーーちーーーーーーるーーーーーー!!」


 銀の人影は藁を積んだ荷車の藁山へ突っ込むと、バウンドして藁から飛び出し、家の鎧戸をぶち破って止まった。


「……大変だ!?」


 どう見ても、あの銀の人影は“黒白憤鳴”のディアブロスと戦っている狩人だ。
 そして、一番の問題は銀の人影が突っ込んだ家の中だ。


 ――あそこは大タル爆弾Gが仕掛けられている家の一つなのだ。


 クリスは何も考えずに家の中に入ると、鎧戸からさらに5m。
 花瓶が置いてあった机を轢き倒し、ドアを突き破った寝室のベッドにもたれかかるようにして、その銀の鎧の狩人は倒れていた。

「すげえ、S・ソルレジストだ! ッて、そんな場合じゃない」

 これだけの勢いで吹っ飛ばされても手放さないクイックシャフトを背に背負い、肩に狩人を抱えたところでそれが聞こえた。


 ――机の上にあった鉛筆を跳ねらせ、振動を起こしながら接近してくる重低音。

 ――この家にこの狩人がいることがバレているのだ!!


 クリスは無我夢中でこの気絶した狩人を抱きかかえながら、この家の外に出た。



 鎧戸に体を乗り上げたところで、背後の部屋の床が、壁が、地面が圧倒的な質量と抗えない威力の物体によって砕かれながら、天へと巻き上げられていく。
 衝撃を加えられたことによって起爆した大タル爆弾Gの火炎と衝撃が、背中からクリスに襲いかかって彼の体をさらに鎧戸から突き飛ばした。

 衝撃によって地面を転がりながらも、クリスは気絶しなかった自分に対して驚きながら、すぐ隣で転がっていた狩人をまた肩に抱え直した。

 状況は、


『GyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』


 ――限りなく最悪だ。

 すぐ背後の家の残骸を吹き飛ばしながら、ディアブロスの雄が自分を傷つけた狩人を捜して目を右往左往させていた。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 16
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/10/05 17:14
 ヨシゾウは圧倒的なまでに巨大で黒いディアブロスの雌――ディアブロス亜種へ、慎重に歩を進めていた。
 静かに、だが、速やかに。
 急がなければならない。“F・F”ミサトの射撃音が途絶えたのだ。

 もしかすれば、今の彼女は窮地なの『かもしれない』。
 ならば、アルフリート達が援護している『かもしれない』。
 つまり、ここで“黒白憤鳴”のディアブロス亜種を足止めすれば、仲間達の手助けになる『かもしれない』。

 仮定の話ばかりで自分でも嫌になるが、亜種を足止めするのは自分の担当だと、指示を送ったのはアルフリートだ。
 ならば、アルフリートは自分が足止めをすることを前提に行動するはずだ。


 “黒白憤鳴”のディアブロス亜種まで、距離にして10m。
 遠い。

 人間なら走って8~9歩ほどの距離だが、全長30mのディアブロス亜種なら、人間に換算して肩から手首ぐらいの距離と言えよう。

 ヨシゾウは必殺の距離ではないが、自分の役割は足止めであることを考慮し、影が誰にも悟られずに地面を撫でるように、自然に五歩走る。

 風のように、足音は低く。
 其処にいないかのように、呼吸の音は小さく。
 友人に会いに行くように、殺意は無く。


 ――太刀を振り上げることすら、彼の世界にとっては風景の一つ。


 微風が撫でるかのように、ディアブロス亜種の尻尾に向かって太刀は振り下ろされ、


 ――そして、軽い音を立てて甲殻に弾かれた。


 攻撃だと気付いた“黒白憤鳴”は、反射的にその黒い鎚尾を左右に振って対応。

 弾かれることも、直ぐ様それがくることも、予想していたヨシゾウは、上体で覆い被さるように泳ぐ刀を制御して体の左へ流し、そのまま低く側転。

 ヨシゾウのすぐ上をアルフリートのハンマーより遙かに大きい物体が、猛烈な威力を伴って左右に振られていく。
 だが、当たらなければ意味はない。

 ヨシゾウの体は“黒白憤鳴”のさらなる死角、すなわち足下へ体を転がして起き上がり様に一閃。
 これも弾かれる。足の甲殻も硬い。鎚尾と同じくディアブロス亜種が攻撃に使う武器だ。硬くて当然だ。


 足元を見る為に“黒白憤鳴”が右回りに首と足を振り回してくる。
 だから、ヨシゾウは悠々と背中に太刀を納めながら、足を中心に左回りへと体を動かす。

 巨大な頭と肩と上半身。

 それら全てが足下のヨシゾウを見るには邪魔すぎる。


 死角、死角と逃げながら、ヨシゾウは路地の暗闇に再度、身を隠した。



 ――イケる。こうやって隠れることが出来るのならやりあえる。
 ――巨体過ぎて狩人を捉えきれてはいない。


 だが、それこそヨシゾウの勘違いだった。
 全長30mの巨体。
 つまり、この“黒白憤鳴”のディアブロス亜種は『全長30mになるまで外敵を退け続けていた』猛者である。
 記録にこそ無いが、それには狩人も含まれる。

 では、自分よりも二十倍も小さい相手をどうやって発見できたか?

 答えを彼女は教えてやった。



『GyyyyyyyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』



 路地の石と砂が洪水のごとき声量に震え上がってダンスを踊り、脆いガラスの花瓶や陶磁器の壺が割れ、ヨシゾウの鼓膜が痛みと異物を無理矢理挿入されたような痛みに悲鳴を訴えた。
 天災に喩えられるほど大気を掻き乱す悪魔の咆吼。

 それは音であり、音は振動で形作られる。
 振動はドンドルマの市街地の住宅を乱暴に触っては反響し、その反響がディアブロス亜種の耳に届いてその地形の形を脳裏に描かせた。

 もちろん、そこには咄嗟に耳を押さえてうずくまる1m70cmほどの人型の姿も含まれる。

 そこはよりにもよって閉所で、
 隠れる為に見通しは悪く、
 “黒白憤鳴”の大声量の咆吼のおかげで、ヨシゾウは巨体の接近に気付くのが遅れた。

 閉所であろうと、脆い石造りの建築物を一歩一歩踏み潰しながら接近し、“黒白憤鳴”は容赦なくヨシゾウを轢いた。


 自分の甘さを後悔する暇もなく、ヨシゾウの姿は瓦礫の下に埋もれた。




 “黒白憤鳴”のディアブロスが番いで暴れ回るという悪夢の事件が発生し、ハンターズギルドは相応の対応をとった。
 立ち向かえる狩人は“黒白憤鳴”を『迎撃』し、そこまで実力の及ばない狩人は衛視と共に街の『警備』に回る、というものだ。

 しかし、『警備』と言っても、“黒白憤鳴”に何かを働きかけるというものではなく、むしろ、街の住民や旅人が街に入らないようにするものだ。
 なので、狩人達は“黒白憤名”に緊張しつつも、飛竜と比べれば比較的安全な、街の住民が街に入らないように足止めしていればよかったのだ。
 そういう至極安全で心休まる仕事のはずだった。


 ――女性を一人背負ったギルドナイトが、彼らの目の前に現れるまでは。


「止まれーーーーーー!」


 有事につき、覆いをつけたままのランスを抜いて警告した狩人は、全力疾走するギルドナイトに誰何の声を投げる。

 だが、返ってきたのは強気の答えだ。


「道を開けなさい、邪魔をするなら押し通ります!」


 ランス使いの狩人は己の仕事を振り返りながら、若干後悔しつつもこう返した。


「……それは出来ん!!」

 問答はそれで終了した。
 まさに問答無用、とばかりにさらに速度を上げるギルドナイト。
 レックスXの赤い装甲は、まさに止まることを忘れた轟竜ティガレックスの走りを彷彿とさせた。

 だが、相手は人間だ。
 ランスで突けば止まるはずだ。
 ランス使いは横にいる同僚に合図を送ると、共にランスを使い、二人がかりでギルドナイトを突いた。


 しかし、ギルドナイトはティガレックスと違う。

 ――体重十tのティガレックスと比べ、ギルドナイトは圧倒的に身軽だ。


 人一人を背負っているにもかかわらず、ギルドナイト“Typhoon”ラピカは突かれたランスを飛び越えると、その身を宙で一回転。
 回転で勢いづいた体で、ランス使い二人を踏み越える。

「がはっ!?」

 倒れるランス使い達を後方に置き去り、さらに疾駆するラピカ。

「やりやがったな!!」

 だが、その仔細を見ていた十二人の狩人が色めき立って己の武器を抜いた。


 大剣使いが、いの一番に背の大剣を振り抜いて、上段から打ちかかる。
 ハンマー使いが、その横を押さえるように、襲いかかり、
 身軽な双剣使いがラピカの後方を取りに回る。


 後の先をとる器用さはラピカにはない。
 先の先を取り続けるのが、双剣使いのラピカの必勝策だ。



 ――だから、長さ二mにも及ぼうかという大剣が振りかぶられても、一切の怖れを飲み込んで大剣使いの目の前に突撃した。


 二つ名のごとく間合いを犯して接近する“Typhoon”ラピカに信じられない者を見るような目で見ながら、右肘を喰らった大剣使いが横に向かって吹っ飛んでいった。
 吹っ飛ばされた大剣使いが横にいたハンマー使いの体を掴み、ハンマー使いは慌ててそれを支える形になった。

 さらに後方から双剣使いが長さ六十cmの双剣を交差するように突き出す。
 広げるように振るだけで上下左右に対応できる双剣基本の型だ。


 ――だから、それを受ける方法は同じ双剣使いであるラピカにとっては容易い。
 ――長さ六十cmの刃は、人間の手より短いのだ。


 片手で一つずつ、双剣の左右の柄を相手の拳ごと握りしめる!
 突き出された勢いごと、ラピカは後方へ地を擦りながら後ずさるもその刃はラピカに届かない!

 相手を強引に力で引き寄せ、その腹に鉄槌のごとき膝蹴りが突き刺さる。
 もはや無力化された双剣使いを、ようやく大剣使いから逃れたハンマー使いに放り投げてさらに走る。
 倒れまいとする双剣使いが、ハンマー使いの動きをさらに拘束した。


 走りだしたラピカの兜を、弓使いの矢がかすめた。
 当たると分かった弓使いが、檄を飛ばす。

「背中を狙え、ギルドナイトに当てるにはそれしかない!」

 それは正しい選択だ。
 当てるには相手の弱点を突けばいい。
 それはとても正しい。
 ラピカが人を背負ったギルドナイトという非常識極まりない存在を相手にした時もそうするだろう。

 だから、それが簡単に分かるラピカは、怒りよりもむしろ自尊心に火がついた。


 ――ふざけるな。
 ――たった人一人のハンデで、お前達の攻撃に当たってなどやるものか!


 敵は狩人。
 残り十人。

 道を乗り越える為に、十人の中で双剣士が舞踏する。




 クリスは本当に自分の死を覚悟した。

 二~三m。
 人間に比較して言うならば、二十cmとない距離。
 その距離の先に、全長三十mの巨体の白いディアブロスが顔を左右に振って、クリスと銀の鎧の狩人を探しているのだ。

 すぐに、ディアブロスと目が合った。


「…………ッ!!」


 息を飲むことすら恐怖で縛られ、何も言えない。





 ――そのことがクリスを救った。
 ――すぐにディアブロスの目がクリスから離れる。



 クリスはアルフリートに言われたことを思い出した。



 


「つまり、“黒白憤鳴”のディアブロスは閃光玉や音爆弾に慣れたのではなく、元々視覚や聴覚だけに頼る生態ではないでござるか?」

 “Striker”アルフリートは、“Sir.”スティールの言葉に肯いた。

「地中を潜行する能力を持つものにとって、もっとも役に立つのは対象を見る必要のある視覚ではない。むしろ、振動を感知する為の聴覚と触覚だ」

 アルフリートは自分の目を指さして、

「人間はその知覚のほとんどを視力頼りとするが、ディアブロスはいくつもの感覚を切り替えて獲物を追っているのだろう」

 耳を触る。
「音を感知する聴覚」
 肌を指さす。
「振動を感知する触覚」
 鼻を撫でる。
「臭いで相手の状態を把握する嗅覚」

「下手をすると、蛇のように目、鼻、耳を塞がれても相手を追跡する手段を持っているかもしれない。蝙蝠のように暗闇で獲物を追いかけられるのかもしれない」

「仮定ばっかりでござるな」

「狩人はすぐに獲物をバラバラにするからな。王立研究所でも、古龍研究対策班も飛竜の知覚手段の特定には、いまいち確信が持てていないらしい。学者が狩人をやっているわけでもないしな」

 そこで、“Sir.”スティールは自分が被った外套の臭いに辟易しながら、黒い黒色火薬を体中に塗りたくる“Striker”アルフリートに問い直した。

「それで、『町中に仕掛けた大タル爆弾の火薬の臭い』に紛れて、『大タル爆弾の音と振動で、ディアブロスの鋭敏な聴覚と触覚を無効化する』策でござるか? 正直、ガンランス使いにはゾッとする策でござる……」

 アルフリートは、黒色火薬塗れにしたスティールの外套を指さして言った。


「種火が小さいスティール卿は外套を着られる分だけまだマシだぞ。――ガンナーのミサトは引火の危険性からこの策が使えん。故に、囮役になるしかなかったのだ」





 クリスは銀の鎧の狩人が持っていたクイックシャフトに引火しないように、自分の持っていた小タル爆弾の火薬を体に振りかけた。
 臭いを誤魔化さねばならない。
 幸い大タル爆弾が炸裂したことにより、辺りは火薬の臭いで充満している。
 あとは音だ。
 それさえ感知されなければ、この“黒白憤鳴”のディアブロス雄はやり過ごせる。

 眼前のディアブロスは戸惑いを隠せないようだ。
 狩人が消えたことへの苛立ちから、その口から獰猛な唸りが漏れ、いまだにクリスの周囲で首を傾げていた。
 クリスは感づかれないように鎧の鳴りを警戒しながら、ゆっくりと下がっていく。

 ディアブロス雄の聴覚も今や大タル爆弾の振動で麻痺しているが、それでも走って移動する気にはならなかった。
 おそらく、相手の影を感知する程度の弱い視力は活きており、走って逃げる生物を感知しようと首を巡らしているからだ。

 崩れる瓦礫より早く移動すれば、きっと感づかれるだろう。

 建物の陰まであと五m。

 ――なんて長いんだ、畜生!

 だが、恐怖をなだめながらゆっくりと歩を進めるクリスを見つけようと、“黒白憤鳴”も策を巡らす。


『GyyyyyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


 崩れた瓦礫が、街路の砂粒が、木々の葉が圧倒的な音波の振動に踊らされ、のたうちまわる。
 生態系の圧倒的上位に位置する生物の咆吼に、クリスの心は掻き乱され、今すぐにここから逃げ出したくなった。
 せめて、悲鳴でもあげさせてくれれば心は楽になるかもしれない。

 だが、堪える。
 肩に背負ったこの銀の狩人を生かさねば、このドンドルマに未来はない。
 クリスは悲鳴を必死に堪えながら、ゆっくりと物陰に移動する。

 物陰まであと三m。

 ――クリスを追い詰めたのは、策でも失敗でもなく、本当に偶然だった。
 ――“黒白憤鳴”のディアブロスの咆吼によって、クリスの眼前の壁が崩れ落ちたのだ。

 聞こえぬ耳を必死に立てていたディアブロス雄は、その崩壊音を聞きつけると、影しか見えない目でクリスの方を凝視した。
 影だけしか見えずとも、動けばそれは生物だ。
 ディアブロス雄はゆっくりと近づいた。

 近づく全長三十mの巨体。
 武器も持たずあまりにも無力な自分。

 物陰まであと三m。

 触れられれば気付かれる。
 ディアブロス、いや飛竜ならもっと手っ取り早い方法がある。



 ――生物だろうと、岩石だろうと構わず噛み砕くことだ!!


 地面に押し当てるように、銀の狩人ごと地面に伏せて“黒白憤鳴”のディアブロスの噛みつきを回避したクリスは、銀の狩人を地面に伏せ置き、大声を上げてディアブロスの足下を全力疾走で駆け抜けた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 

 やはりいた狩人を、目で追いかけて振り向くディアブロス雄。
 銀の狩人から注意を引くことに成功したクリスは、とにかく物陰を目指して突っ走るしかない。


 物陰まで十m。
 相手は全長三十m。
 人間ならわずか一歩の距離。

 それでも生きる為には必死で走るしかない。

 物陰まであと八m。
 ディアブロス雄の振り向く気配。

 物陰まであと六m。
 巨大な何かが背後で動作を始めた音。

 物陰まであと四m。
 ディアブロス雄の一歩がついに踏まれた。

 物陰まであと二m。
 巨大な何かが自分のすぐ背後に迫ってこようとしていた。

 分かっている。それはきっとディアブロスの顎だ。
 あと二mで物陰なのに。
 その二mで手は届かず。
 自分は喰われて終わるのだ。
 飛竜に背中を向けたまま、情けない、と思う間もなく。



 ――硝子が割れるような音が連続し、ディアブロスの顎が強引に下から閉じられ、
 ――巨大な顎がクリスのすぐ上を通過していった。

 クリスはそばを掠めたディアブロスの顎の勢いに堪えられるわけが無く、無様に地面を転がった。
 そのすぐそばを巨木の根と形容しても言い過ぎではないディアブロスの足が、瓦礫を粉砕しながら通過していった。
 踏まれなかったのはもはや幸運としか言いようがないが、噛まれなかったのは実力だ。


 怒りと共に振り向いた“黒白憤鳴”のディアブロスは、その視線の先で全力疾走で逃げ出す銀の狩人を捉えていた。
 銀の狩人――“F・F”ミサトは“黒白憤鳴”のディアブロスから距離を取りながら、必死に叫んだ。

「……ついてこい、あたしが相手だー!」



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 17
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/10/11 21:48

 黒い“黒白憤鳴”のディアブロス雌は、彼らの咆吼よりも遙かに大きい爆発音を聞きつけた後、この街は自分達にとってただならぬ罠が張られていることに気付いた。

 ――この街は一つの強い臭いによって覆われようとしている。

 強い臭いに良いことはない。
 熱に強いはずのディアブロスが、砂漠を主に拠点とし、火山に近寄らないのは岩盤が固いだけではなく、加工特有の強い臭いが生物の臭いを隠すからなのだ。
 それは人間にとってみれば片目を塞ぎ、耳を閉じているようなものだった。
  
 強く注意していても、何かを見逃してしまいそうだ。
 そして、さっきの爆発音。
 それから感じる大気の振動はディアブロスが苦手とするものだ。
 ディアブロスの本能が想う。

 ――この街は、
 ――いいや、狩人達は自分達の苦手とするものを並べて、本気で狩ろうとしているのだ。

 それを感じた“黒白憤鳴”のディアブロス雌は、その双角を地面に突き刺し、周囲を知覚することに努めた。
 角は骨が変化することによって出来た器官である。
 角を持つ脊椎動物のほとんどは、頭蓋骨が外側へ変化することによって硬い先端を持つ角へと進化してきた。
 ディアブロスもその例に漏れない。
 だが、“黒白憤鳴”のディアブロスはその用途が他の角を持つ生物とは少し違う。

 ――角を地面に突き刺すことにより、骨伝導によって直接の触覚を刺激し、空気の振動を介する耳より遙かに地面の振動を感知しやすくなるのだ。

 爆発によって起きた振動の余波や、崩れ落ちる建物のたてる震動。

 ――そして、それとは全く違う、生物が足音を潜める細やかな気遣いの振動。


 ディアブロス雌は、自分の背後を取ろうとゆっくりと動く生物がいる建築物の影へ、容赦なく鎚尾を振るった。

「チクショウ!!」

『GyyyyyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


 油断も侮りも抜かりもなく、ディアブロス雌は眼前の小さい狩人に全力で襲いかかった。




 硬い建物の瓦礫が運良くヨシゾウの上で構造物のごとく組み合い、彼を押し潰さなかったのは本日最初の幸運と言えた。
 そして、ヨシゾウが轢かれて生き残っているのはそんな幸運だけではなかった。

 ――轢かれる瞬間に全身の力を脱力して、体当たりの衝撃を受け流す。

 危機の際には本能が身を固くする防御反射を、完全に制御せねば出来ない技だ。
 一つの幸運と一つの技で、なんとかディアブロスの体当たりを多数の打ち身と大きな痣で済ませたヨシゾウは、まだ自分が動けることにほっとため息をついていた。
 “Sword Dancer”ヨシゾウは轟刀“大虎鉄”では“黒白憤鳴”のディアブロスの甲殻に歯が立つまいと見切ると、まず囮の役割を買って出た。
 身を傷つけることは出来なくとも、一体を引きつけることは可能、とみたのだ。

 ――だから、ヨシゾウの役割はこの黒いディアブロス雌にひたすら嫌がられること、であった。

 いつまでも生き残れ。
 この黒い悪魔から離れるな。
 1回でも多く斬りつけろ。

 ――来いよ、お前は俺と踊るんだ。

 咆吼をあげてディアブロスがヨシゾウに迫る。
 動き自体は人類よりも鈍重。しかし、その動きの大きさは人類の17倍だ。
 結果として、その速さは人類より遙かに速い。
 走って逃げるのは論外。
 かわすか、受け流すか。それしかない。

 しかし、ヨシゾウにはかわし続ける勝算がある。
 隠れた小動物や狩人を捜し出すのは、ディアブロスの知覚能力の方が圧倒的に上手だ。
 隠れることは諦めざるを得ない。
 だが、こっちはディアブロスと比べて、圧倒的に勝っている長所がある。


 ――それはヨシゾウがディアブロスと比べて、あまりにも『小さい』ことである。


 岩塊を叩きつけるようなディアブロスの踏みつけがヨシゾウに迫る。
ヨシゾウは踏みつけられる恐怖と押し寄せる巨体の衝撃に懸命に堪えながら、

 ――ディアブロスに向かって接近する。



 ここで人間の知覚に例えてみよう。
 わずか1cmほどの大きさの蝿や蚊が不意を突いて貴方に迫ってきた時、咄嗟に手で振り払おうとしても、すり抜けられてしまった経験はないだろうか?
 1cmの蚊にとってわずか10cmの空間は、人間に換算すれば約17mの広大な空間となる。

 つまり、全長30mの巨躯のディアブロスにとって、1mとは人間の5cmに相当する。

 故に飛竜の攻撃の狙いは、リオレウスのような特殊な視力の持ち主でもない限り、甘いものとなる。
 さらに、ヨシゾウは……、


 ――いや、“Sword Dancer”はよく見る。

 ディアブロスの双眸の視線。一歩ごとにその重さに耐えて軋む骨格。連動して駆動する筋肉。肌と甲殻に生えた鋭い棘の一つ一つを。

 ――“Sword Dancer”はよく見る。

 狙いが甘いと言うこと。40cmの潜り込めないことはない隙間。自分の体を動かすべき場所。相手が動いてくるだろう場所。


 それらが見えている“Sword Dancer”ヨシゾウは、軽く甲殻に引っかけるように太刀で“黒白憤鳴”のディアブロスを撫でてやり、横をすり抜けた。

 至近距離を巨躯が、必殺の勢いで行き過ぎていくことには恐怖がある。
 三十mの巨体に見下ろされて咆吼されるのは、今すぐにでも逃げ出したい。
 それとやりあうなんて、考えるだけで夜も眠れないだろう。

 だが、ヨシゾウには“黒白憤鳴”のディアブロスとやりあえるだけの目があった。
 腕があった。
 技があった。

 ――なら、ここで粘るべきは俺だ。
 ――そして、お前は俺と踊り続けるんだ。


 さらに迫るディアブロスに舌なめずりをしながら、ヨシゾウは眼前の状況へと集中していった。


 クリスが助けてくれた体を存分に動かし、ヨシゾウが命がけで時間稼ぎをして作り出した時間の中を、“F・F”ミサトが突っ走る。
 声を出して注意を引いた為にあっさりと“黒白憤鳴”のディアブロス雄に見つかり、白い甲殻に覆われた体が恐ろしいスピードで迫ってくる。

 ――もうすぐ作戦地点だ。あと一回かわせば……。

 ミサトは建物の陰に飛び込んだ。
 ディアブロス雄が建物を粉砕しながら接近してくる。彼我の距離は縮まるばかりで一切広がらない。もはや、互いの距離は十mを切ろうとしていた。
 どうせ建物でも盾にならないのは分かっている。
 音でこちらの位置を知覚するディアブロス雄には不意打ちにすらならない。

 ――……じゃあ、これならどうだ!

 ミサトは壁に向かって音爆弾を投げつけながら、空中へと身を投げた。
 建物の間で炸裂した音爆弾の音波は壁に当たって乱反射し、空中から着地するミサトの音を遙かに大きな波で打ち消した。

 ミサトから二mの距離を置いて双角が通り過ぎ、ディアブロス雄がミサトの眼前の建物へと突っ込んで通り過ぎていった。

 ――音爆弾の巨大な音で、こちらの行動時の音をかき消したのだ。

 至近距離で音爆弾を炸裂させることになる為、こちらの耳もただではすまないが、もはや“F・F”ミサトのゴールはすぐそばだった。

 また大通りに飛び出したミサトを見つけたディアブロス雄が、怒声をあげて追いかける。
 だが、それはこちらの計算通りだ。


 とある建物の陰を行き過ぎた時、影から黒塗りの外套が跳ね上がり、着火音が聞こえた。

 三十mの巨体をすぐに方向転換させるのは難しい。前進の勢いが付いているのならなおさらだ。

 ミサトとアイコンタクトした“Sir.”スティールは、まんまと罠に塡めたディアブロス雄の巨木のごとき右足に向かって、竜撃砲を叩き込んだ!

 待ち伏せと奇襲は狩人の基本戦術。
 だが、熟練の狩人でもディアブロスの多角的な知覚手段から逃れ切るには、臭いを誤魔化してた上で、音を立てないように全く動かないで待ち伏せるしかなかったのだ。

 だが、“Sword Dancer”と“F・F”がその待ち伏せへ誘い、クリスと“Sir.”がその隙を作り出した。

 竜撃砲に右足を刈られたディアブロス雄は、その威力に体勢を整えること叶わず、地面へと倒れた。


 そして、これが狩人達の本命。


 ――倒れたディアブロス雄の右後ろから。
 ――力を溜めながら、口を無音に結び、彼がやってくる。
 ――付けられた二つ名は“Striker”。
 ――その鉄槌の威力、並ぶ者無しとされた一撃必殺の狩人!



 アルフリートは黒色火薬で黒塗りされた鎧を、緊張した筋肉で怒らせながら走る。
 力を込めて足で地面を打撃し、反動を自身の力としてさらに溜める。
 一歩一歩はもはや巨人の震脚。
 その力は、下手をすればバランスを崩してどこかへ飛んでいきそうなほど、強く大きく彼に溜められていた。

 この一撃が、狩人達の作り上げられた千載一遇の好機の終結!
 外すわけにはいかない!!



 ――今、ディアブロスの双角に向かって極鎚ジャガーノートが振り上げられた!!




 “Red eye”コーティカルテはそれまでの全てを見つつ、“Master horn”クルツに問いかけた。

「あれで勝てると思うかの?」
 クルツはつまらなそうに答えた。
「勝てると思っているのなら、アレが跳ね返されたら終わり。負けると思っているのなら、最初から勝負を挑むこと自体が愚の骨頂」
「じゃあ正解はなんじゃ?」
 クルツは飢えた野獣のような笑みを浮かべた。
「勝ち続けるのが理想。じゃが、常勝は有り得ん。敗北し続けても生き残る策を常に考えておくべきじゃ」
「勝負はずっと続くものかの?」
 クルツはため息をついた。

「残念ながら、勝負は永遠に続かないのが常。じゃが、相手はまだ死なない、と思っている方が大抵勝つ」




 “黒白憤鳴”のディアブロス雄は倒れた際に、自分の角の一部を地面に突き刺し、現状の把握と接近してくる者の発見に努めた。
 自分を地面に倒した者へは、怒りよりもまず脅威を感じるのが、自己保存を第一とする雄の在り方だ。
 ディアブロスは繁殖期以外に番とならず、単独で行動する。
 故に、彼らの行動は単独行動を前提とする。

 倒れたところを誰かがフォローする、という甘い考えなどない。

 だから、倒れた雄はまず現状を把握する。
 自分の右後ろで噴煙のような匂いを出してこちらを警戒する者。
 自分の前方で、自分から必死に離れていく者。

 その中で特に注意するべき者。


 ――巨人が歩いているような音を立ててこちらへ近づいてくる巨獣だ。  


 “黒白憤鳴”のディアブロスが、今まで生きてきた中で自分の妻からしか聞いたことの無いような巨大な足音が、至近距離とも言ってもいい場所から聞こえているのだ!!

 翼のある前肢で必死に地面を叩き。
 痛みのある後ろ肢を必死で言うことを聞かせ、必死で地面を蹴って加速!
 自身の持つ最大限の能力で、右後ろから迫りつつある脅威を振り向けば……。

 ――自分の手ほどの大きさもない矮小な人間が、岩のようなものを振り上げてこちらに迫っていた。


 だが、“黒白憤鳴”のディアブロスはその矮小な存在を決して軽視しなかった!
 その巨人と思える足音は目の前の人間から聞こえており、“黒白憤鳴”のディアブロスは本能の命ずるまま、その双角を振り上げ人間に叩きつけた!


 ――必殺の狩人と。
 ――悪魔の双角の一撃が。
 ――ドンドルマに強い音で響き渡った!



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 18
Name: アルフリート◆52d6f918 ID:25cfb5cc
Date: 2010/10/21 00:22
 クリスは両者が勝負を決めようと激突した音を建物の中で聞きつけたあと、居ても立ってもいられず外へ飛び出した。
 すると、巨大な白い甲殻の獣が大きく頭を仰け反らせており、上体を上にあげていた。

 アルフリートが“黒白憤鳴”のディアブロスとの力比べに勝利した、そうクリスが直感的に思った時だ。


 ――ディアブロスと向かい合う建物の二階に、人間大の何かが高速で突っ込んでいった。


 その衝撃は。
 クリスの心を強く打ちのめした“黒白憤鳴”のディアブロスの強さは。
 またしても、強力な威力を持って心を打っていた。



 “Sir.”スティールは飛竜の側でありながらも、アルフリートが冗談のような速度で吹っ飛ばされ、破れた建物の鎧戸を眺めていた。
 人類の範疇を超えた剛力。
 その剛力こそが最後の希望であった。

 スティールの砲撃が甲殻を徹して効こうとも、砲撃はディアブロスの高速移動を前にしては有効な手段となり難い。
 リオレウスなら、空を飛ぶ為にあれほど硬い甲殻は持ち合わせない。
 グラビモスなら、その身の重さ故にあれほどの速さでは動かない。

 グラビモスのごときこの鈍重なこの身でディアブロスの攻勢を凌いだとしても、そこから有効な一撃を与える方法がない。

 故に、スティールは自然とこのメンバーの中では防御を請け負っていた。

 ――だが、今や敵を倒す為に攻撃手の一撃は通じない。
 ――ミサトの弾も多くは弾かれ、
 ――ヨシゾウの斬撃は歯が立たない。

 打つ手はあるはずだ。
 見つけ出さねば――全員死ぬのだ。



「……アルフゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 ディアブロスから距離を取っていた“F・F”ミサトは、アルフリートが突っ込んでいった建物に我が身を省みず駆け寄ろうとした。

「待つでござる!!」

 だが、その身をスティールが止めた。

「………ッ!!??」

 何故か、と聞く前にそれは起こった。
 “黒白憤鳴”のディアブロス雄が、その白い双角を前に突きだして、アルフリートが突っ込んでいった建物へ突進していったからだ。
 三十mの巨体は漆喰の壁も、木の柱も分け隔て無く打ち砕き、その歩みで床も窓を叩き割る。
 巻き込まれればミサトもただですまなかっただろう。


 ――心が強引に引き裂かれ、出来てしまったあまりにも大きな空白に、ミサトは唖然とするしかなくなった。


 ――名前を呼ぶ。

「……アルフ……」

 ――喪わせたくなかった者の名前を。

「アルフゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」


 膨大な心の空白に流れ込んでいくかのように、目から涙が溢れて止まらなくなっていた。


『GyyyyyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


 ――勝ち誇るように、白い悪魔の咆吼がドンドルマに響き渡った。




 ――アルフリートは死んだのか?

 死んだのかもしれない。
 三十mの巨体と殴り合い、打ち負ければ普通の人間は死ぬだろう。
 彼の強さを何度も目にした者でさえ、そう信じさせるほど、“黒白憤鳴”のディアブロスは圧倒的で強大だった。

 ――だが、揺るがない者がここにいた。

 それは彼に挑戦したことのある者達だ。



 背後に回った黒い狩人を追う為に、黒鉄の鎚尾を振るう“黒白憤鳴”のディアブロス雌の一撃を、“Sword Dancer”ヨシゾウは三十cmしかない地面との隙間に身を差し込ませて回避する。

 鎚尾を左から右に振るった勢いを利用して、反時計回りに体を旋回させたディアブロス雌は、体の下から黒い双角を振り上げる。

 大きく避ければ攻撃する隙間がない。
 だから、回避は隙間を狙って小さく行われる。


 ――五十cmと空いていない双角の間に身を挟み込んで回避。
 ――合わせて小さい弧を描くヨシゾウの轟刀“大虎鉄”が、ディアブロス雌の鼻先をかすめる。

 頭の下に入り込んだ小賢しい小人を蹴飛ばすために、突進!
 だが、いくら強大だろうと初動を隠しもしなければフェイントもない。
 そもそも、そういう小手先の技術を必要とする戦いを、経験すらしていないデカ物はスピードに乗れば速いが、それまでが遅すぎる。
 如何に大木の根のような足がヨシゾウに突っ込んでこようと、どこを踏みにくるのかが最後まで見ずとも分かってしまう。
 今度も小さく太刀を回して、腹下をかすめて通り過ぎる。

 ――弾かれないように全力で剣を振らず、挑発するように体を何カ所も撫でる。

 人間に例えるなら、同じ蚊に延々と刺され続けるような鬱陶しさを感じるはずだ。
 時間を稼ぐには十分すぎるだろう。



 “Sword Dancer”ヨシゾウは揺らがない。
 否、揺らぐ理由がない。
 “厚顔無知”のティガレックスに立ち向かった時、彼は最終的に自分を誰よりも信頼した。
 アルフリートの抱いた決意は、その時の自分と同じだった。

 ――退く選択肢など投げ捨てた上で向かう決意。
 ――どんな形になろうとも勝つ決意。

 ならば、当然生きている。
 その決意を抱いて前を進む者は。

 傷ついて当然。
 苦しんで当然。
 全ての理不尽を自らの魂の中に封じ込め。
 口を結んで前に進む者なのだから!


 息を大きく吸い込む動作に合わせて、ヨシゾウは“黒白憤鳴”のディアブロス雌の腹の下に入り込む。

『GyyyyyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』

 どんなに大声だろうと、声を発するのは喉にある声門だ。
 つまり、腹よりはるかに高い場所から声は出るのだ。

 さらに甲殻を太刀で引っ掻いて“Sword Dancer”は踊る。


「――だから、お前は俺と踊るんだ! あの人がやってくるまでが俺の仕事だ!」




 背中を狙う、そう宣言されたギルドナイト“Typhoon”ラピカはもはや容赦など投げ捨てていた。
 太刀を背中から抜いて迫ってくる太刀使いに向かって、放たれた矢の勢いで飛び蹴りを放った。
 とっさに太刀の刃でラピカの右足を受け止めたのがいけなかった。

 切断は刃を引くことで成立する。
 しかし、刃を引くためには刃を十分な力で支える支点が存在しないといけない。

 太刀使いの膂力では、人間砲弾と化したラピカの飛び蹴りを受け止められることが出来なかった。

 双剣使いを地面に寝かせたハンマー使いの上に、飛び蹴りをねじ込まれた太刀使いがまた捕まっていった。


 地面に着地したラピカを襲うのは、ヘヴィボウガン使いとライトボウガン使いの射撃だ。
 さらに弓使いの弧を描く射撃も加わり、ラピカの移動を制限し続ける。

 移動を誘導した先にいるのは、スラッシュアクス使いとガンランス使いだ。
 ガンランス使いが盾を体の前に掲げながら、いつでも砲撃出来る体勢を整えていた。

 対人の喧嘩で引っ張り出してこられたガンランスほど厄介なものはない。
 盾を素手でどうにか出来る狩人はいない。
 また、砲撃を堪えられる狩人もいない。

 盾を殴ればその隙に砲撃を。
 盾を避ければ、ガンランスの銃槍で一突きを。
 殴り合いになっても砲撃はほとんどの攻撃に打ち勝つ。
 相打ちでもとどめはスラッシュアクス使いが刺してくれる。

 まさに完全。
 攻防において隙は無し!



 だが、それは双方で攻防が行われた場合だ。

 片方にだけ攻防を行わせ、相手の決定的な隙を誘う技術。



 ラピカはガンランス使いをよく知らない。
 どれほど有能なのか興味もない。

 ――だから、全部行うことにした。

 左手を軽く揺らし、右腕を若干引き、右足を強く踏み込む振りをして、左足を鋭く滑らし、上体を左に傾けて、下半身を前進させた。

 全てがバラバラ。
 しかし、噛み合った滑らかさで駆動した時、それは虚偽の攻撃。虚構の連打として相手に襲いかかった。

 ――瞬時に行われた六度のフェイク。
 ――六人の虚影の黒髪鬼がガンランス使いに躍りかかる。

「うわぁ!?」

 それに捕らわれたガンランス使いは、フェイントに向かって砲撃した。
 その砲撃を紙一重でかわして叩き込まれた右ストレートが、タフネスが売りのガンランス使いを殴り飛ばした。


 太刀使いに苦戦していたハンマー使いはさらに覆い被さってきたガンランス使いに、ついに耐えきれずに潰された。


 スラッシュアクス使いを得意の嵐のごとき連打で一振りもさせずに完封したラピカだったが、とどめの蹴りがスラッシュアクス使いに決まった時に最後の根性を振り絞ったスラッシュアクス使いがラピカの足にしがみつき、叫んだ。

「今だ、俺ごとこいつを撃てーーーー!」
「な、なんですってーーーーーー!?」

 仰天したラピカは必死でスラッシュアクス使いを引き剥がそうと蹴るが、格下でも武器としては大物のスラッシュアクスを使う者だ。筋力ではラピカと拮抗して離さない。
 始めて慌てた顔を見せるラピカにスラッシュアクス使いが得意げに。

「ハッハッハ、驚け。これぞチームワーク!! お前は俺に敗れるんじゃない、俺達に敗れるんだー!!」
「口だけは偉そうにッ!?」

 そして、ラピカが引き剥がそうとする間にライトボウガン、ヘヴィボウガンの狙いが定まり、弓の弦が引き絞られる。

「さあ、お前が敗れる運命がもうすぐ迫るーーーーー! さあ、どうする? どうするぅ!?」

 ラピカはスラッシュアクス使いとここの狩人に本当に頭に来ていた。

 人一人を背負うハンディキャップ。
 一対多数の人数差。
 さらにこちらは無手だ。

 ――その上で、一般人を巻き込んで勝利して、それを勝利と誇るか、こいつらは!?

 物理的な歯軋りの音を立てて、ラピカの堪忍袋が噛み切られた。

 ラピカは素早い手さばきで、ミカを縛っていたロープを外しながら叫んだ。

「ミカさん――!!」

「ラピカさんッ!?」

「ハッハーーー! 今さら逃がしてもおそぉー……」


 スラッシュアクス使いの生意気な声を、大声量で打ち破る。


「――私から死んでも離れるな!!」


 ラピカは腕を大きく振って弛んでいたロープを勢い任せに伸ばす。
 とぐろを巻いていた蛇が突如として襲いかかるように、ロープはガンナー達に襲いかかった!

 ライトボウガン使いを一撃で殴り倒し!
 ヘヴィボウガン使いの銃身へ絡みついて射線をずらし!
 ヘヴィボウガン使いの銃身を軸にその身を楕円に回転させて、弓使いの矢を弾いた。

 一連の射撃を凌ぐと、今度は再装填の隙も与えずロープで打擲し、打ち倒されたガンナー達が無様に地面に転がった。

 生意気なスラッシュアクス使いの声が止まる。

「は……!?」

 怒れる飛竜そのものと言っても良い凶眼でスラッシュアクス使いを睨むと、地面に沈み込みそうな勢いで踏みつけてから、ハンマー使いに蹴りやった。

 そして、次に来ようとする片手剣使いを殺意が形をもって顕現した瞳で足を竦ませると、

「狩人相手に武器を抜くと言うことはどういう事か分かっているな!?」

 両手に雷の速度で氷炎剣ヴィルマフレアが抜き放たれ、怒鎚のごとき怒号が周囲の狩人を硬直させた。


「――この両手の剣で叩き伏せられても、文句が言えないと言うことだぞ!」


 両手を交差して叩きつければ、間に舞うのは拮抗した熱と冷気の煌めき。
 それよりもはるかに高い熱量を宿した黒い瞳が、取り囲む一堂を睨んで圧倒した。


「委細承知ならかかってこい。このギルドナイト“Typhoon”ラピカ――」


 ――強い一歩を踏んで宣誓した


「――逃げも隠れもしない!!」


 ――そして、そのまま歩を進める。

 硬直した狩人達はそのまま前進してくるラピカに、飛びかかることも襲いかかることも出来ず、ラピカの進行方向にいたハンマー使いが自分に掴まってきた多数の狩人達を慌てて引きずって道を開けた。
 その場にいる全ての人間が戦意を喪失したことを視線で確認したラピカは、何も言わずに剣を納めた。
 それに乗じようという者も、ラピカを止めようとする者もいなかった。

 圧倒的な強さを魅せつけられ、戦う前に勝敗を理解させられた者達にそれを覆す言葉はなかった。

 再度、ミカをロープで固定しながら、ギルドナイト“Typhoon”ラピカは走る。

 ――ついに、その疾走は終着へ。
 ――そして、戦いは新たなる展開を迎えようとしていた。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 19
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/10/25 23:28
 “Sir.”スティールは涙に溺れたミサトを建物の中に隠すと、“Sword Dancer”ヨシゾウの援護に走った。
 だが、それはいつものように勝利に向かう逞しい走りではなかった。
 ヨシゾウに勝ち目がないことを伝えに行く敗走であった。

 ――故に、ミサトには何も告げずにスティールは走り続けた。



 “F・F”ミサトの心は混乱の極みにあった。
 死ぬはずがない、そう信じていた者が喪われてしまったからだ。
 スティールに押し込まれた建物の中で、ミサトはすすり泣いていた。

 目付きが悪くとも、鋼鉄の表情を宿そうと、それは後天的に家族に教え込まれたものだ。
 本当の自分は泣き虫の弱虫で、常に兄からからかわれて泣いていたものだ。

 父が厳しく教育し、時には母が優しくしてくれて、姉と兄に突っつかれながら競うように腕を伸ばした。

 ――自分の隣に人がいる。

 それはどんなに心強いことか?
 家族から離れてそれに気づき、仲間から“Friendly Fire”と呼ばれて悲しみ、

 ――アルフリートを喪って、また強く思うことになるなんて……。

 涙に濡れた視界の中で、ミサトは本当に悲しかった。



 音がしたのは、そんな時だった。

 ボロボロに傷ついた青い鳥獣種の鎧、ガルルガXの狩人が扉を開けて建物の中に倒れ込んできたのだ。

「……ふぇ?」

「……ミサト、手伝え」

 狩人は掠れた声でミサトに頼み込んだ。

「……指が折れていて添え木が上手く作れん。手伝ってくれ」

 それは紛れもなく“Striker”アルフリートだった。
 頭から血が流れていて顔面は血塗れで、左右の両手の指は折れていて、残り少なくなった指でかろうじて極鎚ジャガーノートを握っている。
 ミサトが支えようと体を触ると、一瞬強い拒否を行った。
 おそらく、全身のあらゆる箇所に打撲がある。腕や足には見られないが、どこかが骨折しているかもしれない。

 正真正銘の満身創痍。

 しかし、彼は“Striker”アルフリートだった。
 喪ったと思っていた者だった。

「……アルフ、どうやって生き残ったの?」

「あの馬鹿力に建物三つ分貫通させられた。最初に貫通した建物に私がいると勘違いしたのだろうな、運が良い」

 忌々しくも、どこか楽しげですらある軽い口調だった。

 ――回復薬、という狩人が使う薬がある。
 ――治癒を促進する。血を止めてくれる。痛みを少なくしてくれる。
 ――そのような効能があるとされている薬だ。傷に塗ったり、飲用して使う。

 そういう風に信じられているが、実際のところ痛覚神経を麻痺させて、精神を高揚させる作用で自分が強くなったと勘違いさせる作用の方が強い。
 エピネフリンは末梢血管を縮小させる作用もあるので、血を止める作用もあるだろう。

 しかし、大勢の狩人は可能な限り使わないように、とされているものだ。
 使えば狩り場に行けるが、寿命も縮める。

 非常事態にのみ使う。そんな回復薬をアルフリートは開けて飲み、出血のある部位に塗った。
 感覚の麻痺より優先して痛みによる強度の緊張を解すのが目的だ。

 そして、曲がってしまった指を元の位置に戻し――骨折をした者は分かるだろうが、骨折の整復は非常に痛みを伴う――添え木で止めた上で包帯で固定。
 さらに腕甲の上から包帯を巻いて、出来うる限り硬い物と体を一体化させて支える。


 ――アルフリートは、戦う気だった。

 アルフリートはミサトに懇願して、この処置を頼み込んだ。
 ミサトはもちろん断った。
 どう見ても、目の前にいるのは死人の一歩手前、満身創痍の重傷者だ。
 戦うなんてとんでもない。
 今すぐ逃げて医者を頼るべきだ。

 ――だが、狩人は決して逃げると言わなかった。

「頼む。ミサト、戦わせてくれ」

 あの恐ろしい“黒白憤鳴”のディアブロスにこのような重傷を受け、今すぐ気絶してもおかしくないはずなのに、彼は狩り場へ戻ることを懇願した。
 ミサトは弱々しく首を横に振る。

「……ダメだよ、アルフ。……今度こそ死んじゃうよ」

「死ねばあの悪魔を狩ることが出来ない。死ねば誰も助けられない」

 ――どうして、アルフリートはこんなに力強く言い切ることが出来るのだろう?
 ミサトはアルフリートの言葉から根拠を感じることが出来ない。
 しかし、アルフリートの言葉に宿る熱量が、ミサトの目の涙を蒸発させるようだった。

「約束しよう。私は生きるために戦う。生きて、あの“黒白憤鳴”を狩るために戦う」

 アルフリートはミサトの手に自分の手を重ねた。
 指が折れてしまい、満足にハンマーを握れなくなってしまった手。
 しかし、彼はそれを応急処置で治して征くのだという。

 ミサトは弱々しく首を振った。
 そのミサトをアルフリートの言葉が追いかけた。

「頼む。ミサト、私をまた狩り場に立たせてくれ。仲間を助けるのだ――」

 どんなにミサトが抗おうと、それだけが真実だった。
 そうだからこそ、彼はこんなにも熱くなれた。


「――私は、狩人なのだから」 


 ミサトは腕で荒々しく涙を拭った。
 手で頬をはたいて表情を引き締めると、手早く応急処置の準備に入り始めた。

「……あたしもそうだ。だから、あたしもついていくよ」

 アルフリートは短く「頼む」、とだけ言った。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 20
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/11/06 22:27

 黒き“黒白憤鳴”のディアブロス雌は、自分の体の死角に巧みに入り込むこの厄介な人間に業を煮やしていた。
 こちらの初動で攻撃を回避することは、薄々分かっているのだが、フェイントを入れたとしても動作の質を見てフェイントを見破ってくる。
 こちらを見ている限り、確実に攻撃を回避するだろう。
 あの銀の狩人と同じだ。

 ――なら、コイツにもあの攻撃は利くだろう。

 そう思った“黒白憤鳴”のディアブロス雌は合図を出すべく咆吼した。
 あの黒の狩人は建物の陰に入って、咆吼の衝撃を回避する。

 ――今はそれでいい。
 ――次はそうはいかない。



 ミカを背負った“Typhoon”ラピカはまだ“黒白憤鳴”のディアブロスに倒されていない尖塔を選んで登り、ドンドルマを尖塔から見下ろした。
 ラピカは、すでに半分近くの建物が“黒白憤鳴”によって倒されつつある中、黒の“黒白憤鳴”のディアブロス雌の周りを立ち回っている影を見つけ出した。

「ヨシゾウ!」

「やはり、この程度でそうそう死ぬような人ではないですか」
 
 ついにみえた終着に、仕事を果たした満足感を覚えながら、ラピカは尖塔から飛び降りた。建物の屋根に飛び移り、ミカを下ろす。

 ミカは仕事道具を広げ、目視出来たヨシゾウを見ながら作業に取りかかる。
 久しぶりに見たヨシゾウは少し疲れて見えた。
 ならば、力の要る太く強い柄よりも、細くても滑らかな柄だ。
 疲れている時は細かい動作が滑らかに繋がる方が良い。

 わずか一分で柄を組み上げて革を巻き、ミカはラピカに夜刀【月影】を渡した。

「お願いします」

 あとは、ラピカがヨシゾウの元へ届けるだけだ。
 ラピカはヨシゾウをこちらに気付かせるために、声を張り上げて呼ぼうとした。

「ヨシゾ……」


 その時だ。

『GyyyyyyyyyyyyyyyyAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』

 ドンドルマの全てに叩きつけるような咆吼が。
 音の全てを食い破る大角龍の絶叫が。
 この世を白と黒だけに塗り替える“黒白憤鳴”のディアブロスの極大咆吼が、ドンドルマに響き渡った。

 音界の支配者にして砂漠の暴君はその絶叫にて、このドンドルマを自分の支配下に置き、ラピカの声を掻き消した。




 “F・F”ミサトはこの咆吼を知っていた。
 自分が建物の上でこれを喰らったからだ。
 無事だったのは、建物の二階部分で射撃していたからに過ぎない。

 ――不可知にして回避不能の一撃がやってくる。

「……ヨシゾウ!!」

 ――だが、叫んだとしても、咆吼に全てが阻まれて届かない。



 スティールは叫ぶ。
 この咆吼で掻きむしられた心を癒すために。
 次々と自分の手から離れて傷ついていく仲間達に、自分の無力さを思い知らされながら。
 それでもなんとかしようと諦めぬ心でヨシゾウへ向かう。

 だが、現実がスティールを嘲笑う。

 咆吼で全ての音が消え去った中。
 スティールの足下を轟かせながら、“黒白憤鳴”のディアブロス雄が地下を潜行していった。

 ――行く先はヨシゾウだ。

「――――――――ッッ!!」


 叫びすらも咆吼に掻き消され、スティールに己の弱さが叩きつけられる。



 “Sword Dancer”ヨシゾウは咆吼を回避すべく、建物の陰に入り咆吼の衝撃から逃れた。
 だが、その時ヨシゾウはディアブロス雌の浮かべた表情から違和感を覚えた。
 いや、本当は飛竜の表情など分かるはずもない。そもそも、感情の有無すら分からない相手だ。

 ――だが、人間ならそのような表情を浮かべる。

 ――他者が自分の思う通りに動き、
 ――他者が自分の仕掛けた罠にハマッた様をほくそ笑む表情なら、きっとこうだろう。

 “Sword Dancer”ヨシゾウは違和感の正体を探す。
 だが、探そうとしてすでに手遅れであることに気付いた。

 大気と大地が“黒白憤鳴”のディアブロスによって、全て振動を与えられて激震する状態だ。

 地中を潜行するが故に視覚では見えず。
 音も触覚も振動で掻き消されて無効。
 速度も威力も関係なく、居場所さえ分かれば確実に当たる攻撃。

 ――そして、今いるヨシゾウの居場所こそ、“黒白憤鳴”のディアブロスによって、誘導された場所に他ならない!

 気付いた時にはすでに威力が発揮されていた。
 人類の及びもつかない質量と体積を持つ相手が放つ、アッパーカットのように飛び上がってくる体当たり。
 木の葉のようにヨシゾウの体は舞い上がり、壁を突き破って外へ。
 粉砕された金属の破片と共に空を舞い、木造の屋根に叩きつけられ、通りの地面へと落ちていった。

 ――“Sword Dancer”はよく見る。

 彼は攻撃される瞬間、轟刀“大虎鉄”を盾にして、攻撃が加えられるタイミングで自分が吹っ飛ばされる方向をコントロールし、柔らかい木造の屋根に一回落ちることを狙った。
 自分の肋骨が折れる感触に心底嫌気を覚えつつも、体当たりの勢いで制御出来なくなった体に勢いを加え、大事な四肢に致命的な損傷がないように叩きつけられるその直前まで意識を手放さなかった。

 だが、やってくる体への致命的な衝撃と苦痛とダメージはいかようにしても和らげない。
 体が地面に倒れた瞬間、その形容し難いほどの苦痛から逃れるためにその意識を手放した。

 ディアブロスの叫びが聞こえる。
 忌々しい狩人を屠れた勝利を喜ぶように。 



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 21
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/12/01 00:28


 ――何故、人は不可能へ挑戦するのだろう?
 ――何故、人は地平線の向こうを思い馳せる?
 ――何故、人は強大な敵へと立ち向かう?
 ――何故、人は届きもしない頂を目指すのだろうか?


 万物に魂があるとするのならば、人の領分は何故区切られなかったのだろうか?
 理由を神とするのは簡単だ。

 だが、それは理論的ではない。何ら筋道が立っていない。理由を理解することを神に押しつけているだけだ。
 我らが神の子であるならば、神の領域に思いを馳せるのは異端だろうか?
 否。親に届こうと願うのは子の本能だ。

 故に、我らはどの生物よりも強欲に作られた。
 我らは望み、餓え、欲しがり、手に入れようとする。

 ああ、神よ。
 貴方は我らの領域を区切らなかった。
 本能で縛らず、無限の知恵と創造力を与え、我らを楽園から解き放った。
 我々は自由だ。

 故に、我らは挑むだろう。
 あらゆる難事、試練、高きにある頂に。

 ――それが人である。

               “異端真理”のマルコヴェッチの手記より




「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ミカは“黒白憤鳴”のディアブロスによって、吹き飛ばされたヨシゾウの体を見て、絹を裂くような悲鳴を上げた。
 吹き飛ばされたヨシゾウは気を失ったのか、動かない。
 “Typhoon”ラピカはヨシゾウに駆け寄ろうと走り続けるが、全長30mの黒き巨体が、彼女へ目を向けた。

「……くっ!?」

 相手はただの飛竜でも、上位程度の狩人でもない。
 二つ名のついた“黒白憤鳴”のディアブロスだ。
 人一人という重りを抱えたまま、“黒白憤鳴”を回避して駆け寄るのはあまりにも分の悪い賭けだった。

 その不安を見透かしたかのように、“黒白憤鳴”のディアブロス雌はラピカに向かって一歩を踏み出したところで、その甲殻に軽い衝撃を感じた。

 本来、軽いと言い切るにはその衝撃は重い。
 ヘヴィボウガンの通常弾の着弾だ。並の動物なら風穴が空いている。
 しかし、“黒白憤鳴”のディアブロスが砂漠の砂嵐とその砂中の固い地盤で鍛え上げられた甲殻なら話が違う。
 ドンドルマの狩人の攻撃を全て弾ききったその甲殻は、生半可な銃弾は通さない。


 ――あの狩人はそれを分かっているはずだ。

 先ほどからずっと自分へ向かって放たれ続けてきた銃声。
 あの銀の狩人の銃弾だ。
 散々こちらを街中へ引っ張り回して時間を稼いでくれたが、もはや万策尽きたのなら付き合う意味もない。

 “黒白憤鳴”のディアブロス雌の意図を察した白い甲殻の雄は、あの音を支配する咆吼を放って、ドンドルマを激震の渦中に置いた。
 その咆吼に合わせて、今度は雌が地面に潜行する。

 地中にいるために見えず、音と震動を全て打ち消されているため、接近を感知出来ない。

 目の前で不安に震えていた狩人が声を上げた。

「ミサト殿ーーー!」


 ――その叫びもこの音界の暴君が支配した。



 “Sir.”スティールはその叫びの度に仲間達が倒れていく事実にもう耐えきれそうにもなかった。
 よりにもよってその仲間達は自分よりも遙か遠くに在って懸命に戦っているのだ。

 ――それを守るのが自分の役割だというのに。
 ――そこへ在るのが自分の役割だというのに。

 ――あの暴君は根刮ぎ奪おうというのか!?


「やめるでござるよーーーー!!」


 ――その叫びもこの音界の暴君が支配した。



 そして、“F・F”ミサトのいた位置で、周囲の建築物を吹き飛ばしながら尖塔にも匹敵する巨大な砂柱が立ち上がり、その尖塔の巨大さをもって“Typhoon”ラピカと“Sir.”スティールを絶望と無力感の渦へと叩き込んだ。

 周囲は猛烈な砂煙に覆われ、“F・F”ミサトの生存は確認出来ない。
 感情でいくら否定しても、その事実は絶対であった。

 『知覚出来ない攻撃は避けられない』

 その絶対の事実が、変えようもない正しさをもって二人の闘志を折ろうとしていた。


「誰か! 誰かヨシゾウを助けてあげて!!」

 ミカの悲痛な悲鳴が二人に響く。
 “黒白憤鳴”のディアブロスの黒い体が倒れたヨシゾウの体を見つけ、そこへ向かおうとしても、『無理』という言葉が、まず二人の心に浮かんでしまったのだ。

 『助からない』
 その言葉がすでに二人の心に浮かぶようになってしまったのだ。




 ここで読者へ問おう。
 貴方にもないだろうか?

 あまりにも強い飛竜を前にした絶望感。
 この敵は倒せないと、自分の無力を思い知る瞬間。
 その圧倒的な威力に打ちのめされ、その速度に追いつけずに突き放され、その打撃を避けることが出来ずに叩き伏せられたあの時だ!

 きっと、誰もが諸手を挙げて降参したくなっただろう。
 きっと、誰もが許しを請うただろう。
 そして、誰かに救って欲しいと思っただろう。 


 しかし、その降参はきっと受け入れられない。
 許しを請うても冷たく投げ捨てられ、救い主はきっと現れない。


 何故なら、誰の物語であろうとも、主人公は事の当事者だからである。
 どこの誰とも知らぬ誰かが気まぐれのようなタイミングで窮している弱者を救う物語。


 在っても良いだろう。
 しかし、読者の貴方は望まないはずだ。

 彼らもまた然りだった!


 ――きっかけは一発の銃声だった。

 それは“黒白憤鳴”のディアブロス雌の黒金の城のごとき甲殻に一筋の火線をつけると、大輪の爆発を引き起こした。
 自身の甲殻に脳髄を揺さぶられる。
 そんな未曾有の衝撃を加えられた黒きディアブロスは、脳震盪を起こして大地に倒れた。
 巨体故の大音量。

 それは不可能が大地に倒れる音であった!



 二度もドンドルマを激震させた咆吼を聞いたアルシアは、居ても立ってもいられずウォルダンの足にしがみついた。
 どうしようもなく怖い。
 だが、この咆吼を直接向けられたら狩人はどうなってしまうのか?
 そう思うと、アルシアは自分の父親に聞かずにはいられなかった。

「お父さん……」

「大丈夫だ、アルシア」

 ウォルダンは断言した。
 力強くきっぱりと。
 あの時、自分の弱さに震えていた狩人は、『この時』さらなる強さを得てリオレウスを撃退したのだから。

「――あの歌が聞こえる。きっと大丈夫さ」


 どんなに音を掻き消されようと、振動を振動で上書きされようと、音が形作る振動はあり、潜行時の地響きも消え去ったわけではない。
 聴覚や触覚で振動が捉えられないだけなのだ。

 だから、“F・F”ミサトは器に水を張り、振動を形にして目に見えるようにした。
 咆吼と潜行の振動は混じり合って混然としている。
 だが、一カ所から響いてくる咆吼と違い、潜行の振動は形を変えながら近づいてくるのだ。判別は容易ではないが、聴覚で聞き分けるよりずっと楽な作業となった。

 見えてしまえば、それは不可避の攻撃ではなくなる。
 “F・F”ミサトは潜行からの突き上げを回避すると同時に、ディアブロスが作り上げた振動を逆手にとって近づき、その頭部の甲殻にLV3徹甲瑠弾をにかわで貼り付けたのだ。

 あとは甲殻に張り付いたLV3徹甲瑠弾を狙撃すればいい。

「……これが始まり」

 全くこちらに無警戒で後頭部を向けるディアブロス雌に、ミサトはそう告げた。
 黒いディアブロス雌はこちらがなんとかしたが、白いディアブロス雄が確実にとどめを刺そうとヨシゾウに向かうだろう。

 ――『彼』が立ち向かうはずだ。
 ――本当の狩人。
 ――心の底から飛竜を狩ることを望み、獲物に敬意を、仲間に感謝を、何一つ打ち捨てられず、それ故の強さと弱さに常に悩み続ける人。

 ――『彼』は何も見限らない。


 だから、必ず彼はそこにいるだろう。
 そこへ届く手と策を黒いディアブロス雌を押さえるために使ってしまった“F・F”ミサトには、彼を応援するしかやることがない。
 そして、そうするべきだろう。

 “F・F”の意味を見失いかけていてミサトを、彼も応援してくれたのだから。



 それは砂煙の中から、透き通るような女性のソプラノで歌い上げられた。
 自身の生存を知らせる意味を込めて。
 彼を鼓舞する意味を込めて。
 まだ何も終わってはいないと、伝える意味を込めて。

 それは今日も生きていると響かせる音。
 それは明日も逞しくあろうと謳う歌。

 全ての人間に力を与える歌。


『 此処より 風に乗りて 広がる 古の血潮の歌よ 』


 ――『英雄の証』。
 ――その緩やかな始まりが、ドンドルマへと歌われた。


 その歌は、“Master horn”クルツがかつて聞き、鼓舞されて力を得た歌だった。
 意味は分かっている。
 あの銀の狩人はその目で語ったのだ。

 ――……あたしの獲物だ。横取りするな!

「これが貴様のやり方じゃと……?」

 意味は分かっている。
 どんな獲物が相手でも、心を強く持ち逞しく在れ、と謳うその歌は何よりもこの場に合っている。

「たまらんのう……」

 かつて、クルツを鼓舞した歌があった。
 それはその場の彼を力づけただけではない。
 その後の人生において、その音を希求し続けるが故に戦い続けているのが彼なのだ。

 ――その音と似た歌が、今この場で流れようとしている。


『 陸に 空に 海に 広がる 調べよ 』


 クルツはルナークライを構えた。
 もし、それがこの体に流れる熱い衝動と同じ音ならば、この伴奏で合っているはずだ。




 クリスは目の前で起きていることが信じられなかった。
 全長28mの巨大な白い飛竜が、たった1m70cm足らずの人間へ全力でとどめを刺そうとすることが。
 全長30mの黒い飛竜の突進をたった一発の銃弾で止めた、ミサトの技が。
 身を案じて歌われる『英雄の証』が。
 『英雄の証』に狩猟笛の音色を合わせる伴奏者が。 


 そして、最も信じられない事が、今、クリスの視線の先で起こっている。

 その者は満身創痍だった。
 両手は添え木と包帯で固められ、全身は打撲で痛めつけられ、全身各所の裂傷が痛みを訴え続けているはずだ。

 だが、その者の目が炎のごとく燃え盛り、倒れる仲間の前で威風堂々と立っていた。

 それは、全長28mの巨竜への挑戦。
 不可能へ立ち向かう意志。
 死をも恐れぬ気高い誇り。

 全身がそう叫んでいた。

『――――お前をここで死なせはしない!!』


 『英雄の証』が歌い奏でられる中で、友を守って狩人アルフリートが竜へ立ち向かう。

 それはまるで神話のような光景だった。


 そして、現実の勝負が始まる。
 彼我の距離は30m。
 容赦も油断もなく突進する白き“黒白憤鳴”のディアブロス雄。
 燃え滾る意志でそれに立ち向かう“Striker”アルフリート。

 両者の再度の激突がこの勝負の分水嶺となるのは、誰の目にも明らかであった。



 彼我の距離は30m。
 そこでアルフリートは極鎚ジャガーノートを振り上げた。
 普段の最大威力の振りとしては早いタイミングだ。

 これは、もう一段階上の威力を編み出すための振り。
 振り上げられて伸びた筋肉は、振り上げで得られた勢いを反作用として地面に向かって疾走を開始する。

 踏み込む左足。
 蹴り出す右足。
 背筋と腹筋が大腿の筋肉と連動して腰を回し!
 腕力が巨大な金属塊の鎚頭を風の速度へと加速する!!

 加速した鎚頭はアルフリートの体の周りを回り、そのスウィングによって加えられた遠心力と共に、左足で第二の踏み込みを行う!

 ――ドンッッッッッッ!!

 ――その音は人類が作り出す最大の鼓動として、ドンドルマに響き渡った!!


 ドンドルマに響き渡る震脚をきっかけとして、その歌が流れ始める。
 

『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』


 ドンドルマを振るわせる踏み込みを重ねて、アルフリートは歌と響く。

 ――友を守るために。



 “黒白憤鳴”のディアブロス雄は、倒れた狩人の前に小さな人間が立ちはだかるのを、その弱い視覚に捉えた。
 ディアブロスの弱い視力の世界では、個体識別など出来ない。
 だから、その音が目の前の小さな人間を強敵と認識する方法だった。

 ――回転と共に行う震脚の音だ。
 ――巨人だ。またあの巨人が自分の前に立ちはだかったのだ。

『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』

 だが、恐れることは何もない。
 自然界において、一度負けた存在がすぐに勝利できる可能性は皆無だ。
 あの巨人の一撃がいくらこちらに迫るものだろうと、奴はこちらよりも小さい存在なのだ!

 またあの巨人が一歩を踏む。
 それはさっきの一歩より大きく響く一歩だ。

 聴覚で世界を把握するディアブロスの世界では、巨人はさらに大きくなり、ディアブロスと視線を並べようとしていた。

 しかし、それはしょせん威嚇だ。
 どんなに体を大きくしようと、一度負けた相手が勝てるはずがないのだ。



『 力よ 体より湧きあがれ――』


 彼我の距離は5mとなり、アルフリートが最後の一歩を全力で踏んだ。
 螺旋を描いて練り上げられた力は、
 踏み込んだ左足を起点に、
 右足によって天に向かって持ち上げられ、
 腰と上半身を巡って駆け上がり、
 加速に加速を重ねられた極鎚ジャガーノートが、あらゆるものを打ち砕く砲弾として跳ね上がった!



 それは今まで彼らの前に現れたことがないものだった。
 最後の轟音が巨人によって起こされた時、ついに巨人は“黒白憤鳴”のディアブロス雄をついに見下さんばかりの巨大な姿となった!

 ディアブロスは今まで感じたことのない感情が心の底からわき上がり、その感情が心臓を鷲掴みにして、ディアブロスの動きを一瞬だけ止めた!

 その感情が何であるかを知る時はない。

 ディアブロスの顔面の下へ、必殺の勢いを持つ極鎚ジャガーノートが炸裂したからだ!

 顔面の甲殻を、下顎の骨格を、砂漠の悪魔の角をへし折り、
 あらゆる攻撃の届かなかった脳髄を、未曾有の衝撃と恐怖と驚愕が襲いかかった!


 友へ襲いかかろうとする飛竜を、その豪快な威力によって叩き伏せ、自分の右へとバウンドして転がる全長28mの飛竜を背後に、

 巨人は。
 “Striker”アルフリートは叫んだ!


『 ――――勇気を糧として――――!!!』



[17730] 第四話 『悪魔を笑え』 22
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2010/12/07 11:23
 鼓動のように響く轟音が、“Sword Dancer”ヨシゾウの意識を揺り動かした。
 それは頭が痛くなるほど巨大で、居ても立ってもいられなくなるほど力強かった。
 絶望を響かせる飛竜の足音とも、虚無をばら捲く無慈悲な咆吼とも違う。

 それは明確でかつまっすぐ在ろうとする意思の表れだった。

 ついに来たのだ。
 反撃の時を引き連れて、あの人がここにやってきたのだ。

 飛竜よりも大きな心を持ち。
 技と知恵にて力を生み出し。
 勇気を糧として難敵を打ち倒す。

 ――本当の狩人がここにやってきたのだ。

 応えるべくヨシゾウの意識は浮上する。
 彼の出番はもうすぐなのだから。




 飛んできた“黒白憤鳴”のディアブロスの白い角が自分の近くに突き刺さり、今も衝撃で身を震わせて、その勝負が如何に激しいものであったかを伝えてくる。

 ――驚愕を何度も繰り返し思い出させるようだった。

 “Red eye”コーティカルテはその前代未聞の光景に驚きを感じずにはいられなかった。
 規格外れの大きさを誇る“黒白憤鳴”がたった一人の狩人の一撃で、地面に転がったのだ!
 それは一体どんな技だ!
 一体アイツは何者だ!?
 “黒白憤鳴”のディアブロスをあの男は本当に正面から倒す気か!?

 “Backstab”アデナを見ても、彼らは笑ってその事態を見守るだけだ。
 “Master horn”クルツにしても、狩猟笛の演奏中で役に立たない。

 だから、ギルドマスターが呵々と笑って、角を旧知のように叩き、コーティカルテに語った。
「アイツは凄いじゃろう。コーティ!」

「理解が出来ない! アイツは一度負けたのに、何故またあそこに立った! 負ける公算の方が大きいじゃろう!?」

「理由は簡単じゃ」

「仲間のためか?」

「それもあるが、理由の全てとはならんぞい。狩人とは動物を狩って利を得る存在じゃ。あるがままを全て受け入れてくれる植物を刈る農民と違い、競争することが己の生き様の全てじゃ」

 かつて自分もそうであったと思い出すように、ギルドマスターは酷くぎらついた笑みを浮かべる。

「究極的に自分を大事にする、それが本当の狩人じゃ。仲間を喪えば、仲間を喪った負い目が自分を弱くし、戦いで負ければ、負けた負い目が自分を弱くする。誰も喪いたくないし、負けたくもないのじゃ」

「そんな我が儘野郎なのか!?」

「誰も彼をも納得させたいのじゃろうなあ……そして、それは命ぐらい賭けんと出来んのじゃろうなあ!」

「わらわにも出来るのか!?」

 呆れるようにギルドマスターは笑った。
 どうやら、この孫は自分が殊勝だと思っているらしい。

「ワシの孫じゃぞ? 余裕じゃろ?」




 “Backstab”アデナは予想通りの流れとなったことにほくそ笑んだ。
 あの男の力は昔から知っている。
 あの角折りの一撃がそうそう連打できないことも知っているが、“黒白憤鳴”のディアブロスに与える影響もその不利を補って余りあることも知っている。

 “Slayer”ルファードに匹敵する最高の膂力の持ち主、“Striker”アルフリート。



――“シャンホンシェ”を打倒するには、奴をその前まで引きずっていく必要がある。



 それはアデナに課せられた依頼にして使命だ。
 生涯を賭ける意味がある。

 ――まあ、まずはこの難局を越えて貰おうか。

 アデナはゆっくりとアルフリートの手並みを見物することに決めた。




 “Striker”アルフリートはその必殺の一撃を放った代価を、全身の苦痛という形で味わっていた。
 打撲で傷ついた肉は一撃を食らった反動をまともに受け、振りの遠心力と膨張した筋肉によって断裂した血管から血が滴っていた。
 最も被害が大きいのは、回転を上昇させるための軸足となった右足だ。
 他の部分は傷ついてもまだ言うことを聞いてくれるが、右足の筋肉はその加えられた負荷のあまりの大きさに痙攣を起こしており、アルフリートは右足を制御するためにしゃがまなければならかった。
 いくら殴りつけようと、右足の痙攣は治まらない。
 治らぬ右足に焦りを覚えると、まさにその脅威がやってきた。

 黒き“黒白憤鳴”のディアブロス雌が、こちらに向かって突っ走ってきているのだ。
 本当にどうにもならない。
 あの全力回転打撃を行えば、体にかかるあまりの負荷の大きさに耐えきれず、体のどこかが故障することぐらい分かり切っていたことなのだ。
 故に今まで使わずにやり過ごしていたのだが、使った以上は覚悟しなければならない。


 ――自分の技に殺されるという覚悟だ。


 だから、アルフリートは口汚く罵ったり、みっともなく抗ったりもしない。
 もうこれ以上、現状の自分にはどうやったとしても無理。
 出来るとしたら、――それはもう自分以外の仲間だけだ。


「間に合ったでござるよーーーーーーー!!!」


 2mを越える白い巨体がアルフリートの視界に割り込んだ。
 至近距離で視界を体で占有されれば、遠隔地のディアブロスに匹敵する巨体にも見える。

 ――遠近法だな。

 率直にそう感想するも、その背中はデカ過ぎる。
 あらゆる火球と攻撃を跳ね返して生きていた男の背中。
 人を守るために地位を投げ、窮地の前で命を掴み続け、そして、今も望んで窮地の前にある男。


 その背中はまさに守護神。
 英雄のガンランス使い

 “Sir.”スティールが“黒白憤鳴”のディアブロスの前に立ちはだかった。


 無理だ。
 アルフリートは本当にそう思う。
 10tを超える重さの在る体。
 それが時速60kmを超える速度で走ってくる。


 アルフリートは頭をぶん殴って気絶させることでディアブロスを転倒させたが、竜撃砲の砲身の冷却がまだ済んでいないスティールにはとっておきの切り札がない。

 力がない。
 重さもない。
 でかさがない。


 彼我の距離は5m。
 その背中が語っていた。


「――だが、我が輩にはコレがある」


『 炎の吐息 巨大な力 』


 『狩人の英雄の証』と共に、英雄のガンランス エンデ・デアヴェルトが突き出された!

 狙いはディアブロスの突撃力の最先端。
 その左角の穂先。

 そこに向かってエンデ・デアヴェルトの砲身を横合いから、叩きつける様に砲撃した!
 もちろん、例え砲撃といえど彼我の力の差は開きがありすぎる。
 だが、必要なのはその力が揺らぐことだ。

『 だが 恐れはなし――――狩人の証 』

 砲撃の反動をそのまま、体を回し左手に持った盾を強引に左角に叩きつける!!

 エンデ・デアヴェルトの銀の盾から火花が立ち、スティールの左足は砂煙を上げて後退。五体は激突の衝撃に震え、肉は悲鳴を上げて傷み出す。


 だが、ディアブロスの突進がスティールの左へと流れていく。


 それはディアブロスの突進の全エネルギーと比べればあまりにも小さい力だ。
 しかし、ディアブロスの突進に方向をほんの少しだけ変えてやるには足りた力であった。
 砲撃で方向を修正し、盾で勢いを受け、自分の左へ流す。

 動けぬアルフリートの前で、確かに盾として“Sir.”スティールの姿がある!

 あまりにも逞しく揺るぎなく。
 仲間として背中をそこに置いてくれる彼がいる。

 気付けば、右足の痙攣は治まり、また彼の体を支え始めた。

 アルフリートも動き出す。
 様々な人に支えられ、また狩りのために動き出す。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 23
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2011/01/03 23:22
 ――敗北は受け入れるには苦すぎる。
 ――勝利は取り逃がすには甘すぎる。
 ――思いが絡みすぎた戦いは、重厚な絨毯のように重く。
 ――決闘者が容易に倒れるのを許さない。


 飛竜も、狩人も、両方が傷を交換して立ち上がり、
 意気を奮い立たせて対峙した。


 建物の上を飛び回り、“黒白憤鳴”のディアブロスへの射線を確保した“F・F”ミサトが見たのは、昏倒から回復した白い雄のディアブロスが、“Sir.”スティールにいなされ続ける黒い雌のディアブロスと協力して突進していくところだった。

 その突進は先ほどまでの勢いがない。
 全力の突進は命取りになりかねないことを“Striker”アルフリートの勝負で学習したからだ。

 これは狩人達にとって好都合であった。

 アルフリートの体は限界に近い。
 あの一撃は体の何かを賭けて放った一撃だ。
 そうでなければ最初から使っているだろう。
 狩りの基本は、『何かされる前に狩る』先手必勝だからだ。
 圧倒的な生命力と体力に裏打ちされた飛竜の攻撃力にさらされ続ければ、いかな狩人といえど敗北するしかないからだ。

 だから、全力で突進してこないのは実に好都合だ。
 もう一度全力勝負を仕掛けられれば、今度こそ破られかねない。
 だから、戦況が拮抗している今こそ、スティールとアルフリートはなんとしてもあと一手を打ちたかった。

 ――だが、“黒白憤鳴”のディアブロスがそれをさせない。
 ――前述したが、再度記述しよう。
 ――飛竜が狩人よりも圧倒的に勝っているもの。


 ――それは圧倒的な生命力と体力に他ならない。 


 呼気の鋭さに破裂してしまいそうな肺腑。
 鼓動そのものに食い破られそうな心臓。
 乳酸に犯された筋肉から発生する痛みは、苦痛の生そのものだ。

 一頭ならまだ何とかなる。
 飛竜の動きは鈍重だ。
 10tの自重は如何に強靱なる筋肉をもってしても、異常な重りに他ならない。

 問題は、白い雄が昏倒から復活してきたことだ。
 単純に“黒白憤鳴”の手数が倍になり、その強力な攻撃方法を重ねて使ってくるからだ。

 音と言うよりも、音波による攻撃に近い悪魔の咆吼。
 30mの巨体による突進。
 地面を隠れ蓑としてぶつかってくる潜行攻撃。


 ――その全てを、“Sir.”スティールの無敵防御が捌き続けるのが現状だ。


 一つのミスも許されない中、その揺るぎない意志がアルフリートへの致命的な痛手を防いでいる。

 だが、問題は“黒白憤鳴”のディアブロスが最大の脅威として怖れ続けるアルフリートにこそある。


 ――ディアブロスの懐が広すぎて、今の彼ではその攻撃が届かないのだ。


 30mの巨体による大きな幅の突進。
 その突進一回につき100m以上の距離をディアブロスは移動するのだ。
 その距離は追いかけるにはあまりにも遠すぎる。

 30mの巨体による潜行攻撃。
 見上げるばかりの巨躯が突如ドンドルマの住居を粉砕しながら飛び出してくる、『飛び込み』『突進』と言うより『噴火』『津波』のスケールの攻撃は、人間がどうにかするにはあまりにも巨大過ぎる。


 もっとも、ディアブロスと言えどもいつまでも攻撃し続けられるわけではない。
 だが、底が見え始めている狩人と、無尽蔵の飛竜とではあまりにも分が悪すぎた。


 また、スティールがその身を低くし、盾を斜めに構えることにより、飛来する瓦礫と粉砕した柱からアルフリートを守る。


「…………ふうっ!」

 堪えていた呼気が荒々しくその口から漏れる。
 このまま受け続ければ、その無敵防御にも綻びが出始めるのは、想像に難くなかった。



 だから、ラピカは全力でそこへ到達した。

 狩人としての冷静な分析の元、残念ながら、“Typhoon”ラピカは自分ではアルフリートを助けられるとは思っていない。
 狩人として、ラピカはアルフリートにとても近い。
 アルフリートを、正面から一撃必殺をもって相手を打ち倒す攻撃手とするならば、
 ラピカは、相手が倒れるまでその脚力と体力で延々と追いかける連撃手だ。

 だが、ラピカの脚よりディアブロスの巨躯の突進が勝るのだ。
 追いかけても追いかけても、彼女には追いつけないのだ。
 参加しても、スティールの後ろで今のアルフリートのようにするしかないだろう。

 だから、彼女はミカを背負って、ようやく『そこ』へ到達した。


 折れた轟刀“大虎鉄”を発見し、
 それを掴んだ腕が瓦礫の下から出ていることを見たラピカは、居ても立ってもいられず、全力で瓦礫を持ち上げた。
 200kgも無くてよかった。
 100kg前後の重さなら、彼女はなんとか持ち上げられる。

 ミカも地面に降りてラピカを手伝い、ヨシゾウを瓦礫から引きずり出した。

 すぐにミカが五体を触ってチェックする。
 四肢は折れていない。肋骨が折れている。
 このまま動かしたら折れた肋骨が内臓のどこかに刺さるかもしれない。

 ――ミカは素直に、このままヨシゾウが寝ていればいいのに、と思った。

 ――そうすれば、ヨシゾウは死ななくて良いのだ。



 だが、ヨシゾウのすぐ横に置かれた水の入ったバケツが、ミカを現実に引き戻した。


 ラピカは気絶したままのヨシゾウの胸ぐらを掴んで引き上げると、ミカに断りもなくヨシゾウの顔面を水の入ったバケツに突っ込ませた。

 すぐに呼吸が出来なくなって暴れ出したヨシゾウをバケツから引きずり出すと、復活したヨシゾウの第一声が、

「殺す気か!?」

 しかし、ラピカは冷静に応えた。

「その通りです。――私のこれからの仕事は、貴方をあの死地へ送り込むことですから」

 “黒白憤鳴”のディアブロスの咆吼が聞こえた。
 ドンドルマにいる者を恐怖に陥れ、その身を打ち付けて竦ませるかのような咆吼だ。

 そして、ヨシゾウは思い出した。
 自分はあんな化け物と戦っていたと言うことを。

「ミカ、夜刀【月影】を。それで貴方の仕事は完成です」

 ラピカはそうミカを促したが、当のミカは未完成の夜刀【月影】を抱きしめると、地面にへたり込んで首を横に振った。

「ミカ、冗談はやめてください。ここまで貴方を連れてくるのにどれだけ……ッ」

 ラピカは言葉を続けようとして、ミカの顔を見て言葉を止めた。
 ミカは表情をグシャグシャにしかめさせて泣いていたからだ。
 涙でむせて言葉を噛みながら、彼女は顔を横に振った。

「……い……いやだ……あんなのなんて……/聞いてない……」

 それは“黒白憤鳴”のディアブロスを目の前にした人間として、当然の反応だった。

 誰があのような巨大な飛竜と戦いたいと思うだろうか?
 どうして、そこへ行くことを善しと思うだろう?

 ――大勢が死ぬのなら死んでしまえばいい。
 ――卑怯者と言うなら言え。
 ――見ず知らずの大勢よりも、たった一人の家族が大事な人間は、この世界にはきっとたくさんいるだろう。
 ――自分一人が大勢を見捨てたって、誰も責められないはずだ。
 ――こんな卑怯はお互い様のはずなのだ。

「ヴァーカ」

 そんな卑怯者の頭を、ヨシゾウは優しく撫でた。

「チャンスなんだぜ? 今行ってアイツをズバッとやっつけたら俺は間違いなく英雄だ。親父にも親方にも顔向けできる」

 ミカはその手を振り払った。

「いやだ……死んだらみんな終わりだ! そんなのいやだ!」

 ヨシゾウは頬を掻きながらそれを肯定した。


「……そうなんだよなあ。でも、

 ――あの人はそれでも俺の前に立ってくれたんだ。

自分も傷ついて死んじまいそうなのにさ」


 ミカは首を振り続けた。

 ――恩知らずだって良いじゃないか。恥知らずだって良いじゃないか。命を惜しんだって、逃げ出したって、怖くなって動けなくなったって、良いじゃないか。
 ――命はたった一つしか無くて、それが無くなると全部終わりで、暖かいものも続けていたものもみんなみんな終わってしまうのだ。

 ――卑怯者だって良いじゃないか!
 ――だって、みんなやっている!

「だから、今度は俺の番だ。その太刀を俺にくれ」

 でも、ミカはヨシゾウを恩知らずにも、恥知らずにも、卑怯者にもしたくなくて。
 もし、自分がヨシゾウをそういう風に変えてしまったら死ぬほど後悔することもよく分かっていて。

 ――彼女は首を、ゆっくりと縦に振ったのだ。

 ミカはヨシゾウの手を握る。

 太刀を振り続けた手。
 太刀を振っては擦り剥けて、それをなんとかしようとして手は硬くなっていき、力強さと共に昔より大きくなった手。

 ヨシゾウはミカの手を握る。

 太刀のための金槌を振るい続けた手。
 金槌を振っては擦り剥け、時には火傷で傷つくも日々仕事と勉強に硬くなっていった手。


 その手の持ち主のために太刀を振るい、その手の持ち主のために太刀をあつらえ続けた日々だった。

 それだけが本当で、彼女と彼の真実だった。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 24
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:25cfb5cc
Date: 2011/01/25 12:05

 “F・F”ミサトは建物の上で射線を確保したまま動けないでいた。
 心の中では、すぐにでも眼下でじっと堪え忍ぶ“Sir.”スティールと“Striker”アルフリートを援護したい気持ちだったが、下手に手を出せばディアブロスの注意がこちらを向き、二人が作り上げたこの拮抗状態が崩れる。
 身を切られるような我慢の時間。
 “黒白憤鳴”のディアブロスに対して、確実かつ必殺の一撃を叩き込まねばスティールとアルフリートの我慢の意味が無くなるのだ。

 ――そして、あの二人は仕事をしている。

 なんて強かなのだろうか。
 我慢しか選択肢のない様に見え、そこに“黒白憤鳴”のディアブロスがつけ込んでいるように思えるが、実は全くの逆。
 必死の忍耐を演出している裏側で、底意地の悪い罠が潜んでいるのだ。

 ――だから、まだ我慢の時間なのだ。

 その場所へ誘導しているスティールとアルフリートの意志に従って、ミサトも建物の上を跳んで追いかけていった。



 夜刀【月影】をミカより受け取った“Sword Dancer”ヨシゾウは、痛む肋骨に煩わされながらも“黒白憤鳴”のディアブロスまで20mの位置にまで接近した。
 これ以上接近すると、ディアブロスの聴覚にヨシゾウの存在がばれる。
 隠れることに関しては他の狩人に後れをとったことのないヨシゾウだが、ディアブロスの聴覚に関しては隠れ続ける自信がない。
 主食のサボテンがない時は、風が強い時期でも小動物の接近を感知して襲いかかることの出来るディアブロスの聴覚だ。下手な接近は命取りになる。

 すると、ヨシゾウは建物の上で、ヨシゾウと同様に攻撃を仕掛けられないでいる“F・F”ミサトを発見した。
 互いの視線が合ったことを確認すると、ヨシゾウは大きいものに見立てた掌へ、小さいものに見立てた人差し指が近づくように動かした後、否定するように手を横に振った。

 これでほとんどの狩人に意味が通じる。
 『接近不可能』だ。
 この場合は気付かれずに接近することが不可能であることを指すのだが、ミサトなら意味が通じるだろう。

 ミサトが親指と人差し指で丸を作って、残りの指を広げる仕草を返した。
 『了解』、と。
 すぐにミサトはアルフリートへ親指を立てて、『準備万端』の合図を送る。
 アルフリートの返事は掌を相手に向けて押しとどめるような仕草。

 ――『待て』、だ。
 
 すぐに、アルフリートが何か策を用意していることが分かった。
 
 Far Falcon――鷹が獲物へ襲いかかる時を見定めるように、じっくりと時を待つ。



 あと20m。
 記憶が定かであるならば、そこが彼らの目標地点だ。
 だが、ここにきて“黒白憤鳴”のディアブロスの戦術が変わった。

 白い巨躯で地を揺すりながらの突進。
 砲撃の音と共に力を偏向させて巧みにかわすスティール。
 アルフリートもスティールの巨躯を支えて、共に蹴飛ばされた小石のごとく地面を滑る。

 さらに、黒き巨躯がスティールとアルフリートに迫る。
 蹴飛ばした小石をさらに蹴り回すように、スティールへと突進する。
 だが、それでもスティールの無敵防御は割れない。
 さらに蹴飛ばされてもその防御に揺らぎはない。

 だが、200kgにも及ばない人間二人の体重とトンクラスの飛竜の体重では、そもそも体当たりは勝負にならない。

 スティールとアルフリートはさらに吹き飛ばされるも、懸命に耐える。

 “F・F”ミサトはあることに気付いて焦る。

 ――エンデ・デアヴェルトの装弾数に気付かれた!?

 エンデ・デアヴェルトの装弾数は4発。
 つまり、それがスティールが連続して突進を弾ける限界ということになる。
 今、スティールは二度の突進を弾いたが、それはスティールがあと二回しか突進を弾けないということになる。

 吹き飛ばされる方向をコントロールして残り10mへと近づくも、“黒白憤鳴”のディアブロスが気付く。

 この油断ならない狩人が、狩人達から見て左の方向へ移動しようとしている。
 どうして移動しようとしているかは分からないが、何かをしようとしている意図には気付く。

 だから、さらに突進する!
 地を脚で鳴らし、息を大きく飲み込んで眼前の小動物を蹴散らしにかかる。
   
「スティール卿!?」

 アルフリートの焦った声がスティールの背中から聞こえる。

 ――さすが、アルフ殿はよく分かっている。

 スティールは素直にそう思う。
 装弾数。
 “黒白憤鳴”のディアブロスが選んだ突進戦術。
 さらに、左という方向がいけない。

 盾を左手に持つ以上、どうしても盾で受けた衝撃は左半身に集中し、右に吹き飛ばされるをえない。

 さらに盾というのはただ手で掲げているのではない。
 上腕にベルトで巻き付けることによって固定されているのだ。
 左手から右手への持ち変えるというのは容易ではない。


 だが、スティールは応えた。

「背中へしがみつくでござる!」

 一切自分を支えるな、と指示を飛ばしたスティールは驚くべき賭に出る。
 ディアブロスの黒い双角がスティールへと向く中で、



 ――ガンランスを自分の眼前へ放ったのだ。


 スティールは賭ける。
 どうせこのままなら死ぬのだ。

 ――ならば出来ることをし尽くしてから死ぬでござるよ!

 空いた右手できつく固定したベルトを外しにかかる。
 こんな時に普段からきつく絞める癖を持っている自分が恨めしい。

 双角が迫る。
 あと15m。
 もはや激突まで猶予は一秒と無い。

 ほどけない。
 ベルトがほどけないのだ。
 硬く引き締められたベルトが、不可能という事象のようにスティールの指を阻む。
 焦りで食いしばった歯の隙間から悔しさが漏れる。

 ――無理でござるか!? ……こんな時に……!

 その時だった。
 スティールの不可能を紐解くように、背後から力強い手が伸びてベルトを強引に力で外す。
 ベルトを外したアルフリートが冷静な声で告げる。

「スティール卿、任せるぞ!!」

 そうだ。
 やらねば死ぬのだ。
 背後のアルフリートも死ぬのだ!!

 もはや双角の接近まで5mと無い。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 咆吼して左手を宙のガンランスへ伸ばす。
 左手がガンランスの引き金を強引に引くのと、右手が固定用ベルトを掴んで盾を引き寄せるのがほぼ同時だった。

 力を偏向させる至近距離の爆撃!
 右半身で受け流す不破の盾の防御!!

 力の流れをコントロールしきったスティールと、そこにしがみついたアルフリートの体は左へ10m吹っ飛ばされる。

 吹っ飛ばされればそこで仕事は次の者へと移る。
 吹っ飛ばされて倒れたスティールは、自分より仕事をすべき役者を舞台へと引き上げる。

「やるでござるアルフ殿!」

「心得たスティール卿!」

 二人に向かって白い巨躯のディアブロス雄が迫る。
 だが、白のディアブロスが向かってくること自体が、すでにアルフリートの策なのだ。

 アルフリートはハンマーを抜かない。
 腰のポーチから建物の破片を取り出すと、まさに白のディアブロス雄が通り過ぎようとしている『横の建物』へ全力で破片を投擲したのだ。

 破片はアルフリートの豪腕で鎧戸を撃ち抜き、クリスが中に隠した大タル爆弾Gへ衝撃を与えて起爆する。

 爆破の衝撃よりも、衝撃で吹き飛ばされた建物の瓦礫の威力が凄まじい。
 ディアブロスの甲殻に傷を付け、隙間の軟骨や皮膚に食い込み、あまりの痛みと衝撃にたまらず白のディアブロス雄が、突進したまま倒れ込む。

 ディアブロスの生命力を考えれば転倒は一時のものだが、その転倒がまだ無傷の黒いディアブロス雌を孤立させる。/

 だが、その孤立があれば。
 だが、その隙があれば。

 ――彼らならば仕事をするだろう。

 仕事を繋ぐべく、アルフリートは檄を飛ばす。

「いけ、“F・F”ミサト!」

 応えるまでもなく、ミサトはすでに動いていた。

 Fast Finger――目にも止まらぬ速さで抜かれた音爆弾がディアブロスの顔面で炸裂し、
 Flash Fire  ――さらに、その動き続ける頭部へ向けてLV2散弾を連射する。

 散弾はディアブロスの硬い甲殻に阻まれて届かない。
 だが、豆粒大の散弾は甲殻に無数の音を響かせる。
 クイックシャフトに装弾できるLV2散弾はたったの四発。
 ミサトの連射速度から考え、たったの三秒間散弾を掃射したに過ぎない。


 しかし、摺り足ではなく、駆け足で。
 しかし、音を気にすることなく大股で。
 しかし、気付かれるかもしれないという不安無しで疾走できるのならば、
 

 ――20mは、ヨシゾウにとって一息で駆け抜けて斬りかかれる絶好の距離に過ぎない。

 意図して作られた無音のドンドルマを駆け抜ける。
 どこに斬りかかるかはもう決まっている。
 注意を引くために、この黒いディアブロスに散々斬りかかったのだから。

 轟刀“大虎鉄”を折るつもりで突き込むつもりだったが、
 夜刀【月影】が手元に来たのなら話は別だ。

 掌の肌へ吸い付くようなグリップ。
 振り回しを考え尽くされた重量配分。
 使い手の我が儘に対して、従順に対応する切れ味。
 長さは長すぎず短すぎず、重さは手になじみ、軽すぎて存在感を見失うこともない。

 だから、使い手は一切の余計な気配りから解放され、力を抜いて相手と相対できる。
 勢いがついた体の流れを阻害しない脱力。
 加速と姿勢の維持にだけ活用される筋肉。
 人の動きを連続した何枚かの絵としたものがあるが、今ヨシゾウは間違いなく一つの線として動きをただ加速していった。

 狙いは、黒いディアブロス雌の体の中で最も駆動する部分。
 いくら硬い甲殻で覆われていようと、動く以上は全身を固めるわけにはいけない。
 必ず柔らかい軟骨が存在する。
 ならば、もっとも動く部分にはたくさんの軟骨が存在するだろう。
 軟骨の硬さは先ほど散々打ち込んで把握した。

 ――さあ、あとはこの太刀を打ち込むだけだ!

 音を隠して静かに燃えるヨシゾウの闘志に、夜刀【月影】が応える。
 ナルガクルガの尾棘の鋭さを宿した真の一刃が現れ、主の手が自分の柄へ伸ばされる瞬間を待つ。

 行くべき場所は背後。
 狙いは背後で動くその鎚尾だ。
 あれだけ稼動する鎚尾が、全身と同じ強堅な甲殻で覆われているなど有り得ない!

 静かなまま、右からの袈裟斬り。
 円を描いて、左からの袈裟斬り。
 左右に円を斬って無限大。
 全ての円に直線を通すかのように縦一文字。

 そして、全ての斬撃を結ぶのは――――、


 駆け抜けての横一文字――――その技の名は、気刃大回転斬り!


 切れ味において他の追求を許さない夜刀【月影】を背中の鞘に収めたヨシゾウは、背後で巨体が転倒する音を聞いた。
 全身の重量バランスがいきなり狂ったことにより、前のめりに倒れたからだ。
 さらに背後でまた大きな音が起こる。
 見ずとも分かる。
 両断されたショックでまだ動き回っているその鎚尾は、力を合わせた狩人4人の当然の結果なのだから。 

 ついに拮抗状態は打ち破られた。
 4人の狩人がついに突破口を見出し、その趨勢は狩人の方へ流れようとしていた。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 25
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:dc50bd4d
Date: 2011/02/18 13:39
 白いディアブロス雄は片角を折られ、全身に破片を喰らった。
 黒いディアブロス雌は鎚尾を叩き切られた。
 本能は彼我の戦力差に開きがあることを認めた。
 しかし、“黒白憤鳴”のディアブロスは“厚顔無知”のティガレックスや“疾風塵雷”のナルガクルガとはひと味違った。
 窮地を前にして、敵が強いという事実を認め、恐怖という冷水を浴びて冷静に思考したのだ。

 ――狩人が強い。

 自分の二十分の一の身長で、こちらの突進と同等以上の力を有する巨人。
 あらゆるこちらの攻撃を受け流す、盾を持った騎士。
 こちらの知覚の隙間を綱渡りして、確実に痛撃を与える伏撃手。
 鎚尾が届かないほどの遠くから、こちらの動きを操作する射手。

 誰もが相手取るには手強く、4人揃った今となっては勝利するのは難しいだろう。

 ――では、どうする?
 ――生き延びねばならない。

 しかし、ただ生き延びては意味がない。
 此処を生き延びても追撃がくれば同じだ。

 ならば可能な限り“派手に”生き延びねばならない。

 ――同種の存在を蹴散らして生き延びるのは?
 ――おあつらえ向きと言わんばかりに、この街壁の外にはたくさんの人間の気配がする。
 ――ちょうどいい。
 ――鳥を毛散らかしながら走るように。
 ――羽毛の散華のように、人間の命が狩人を止める煙幕となるだろう。

 ――さあ、走れ。
 ――この恐ろしい者達から逃げ出すために。



 鎚尾を斬られた黒いディアブロス雌をかばうために、ヨシゾウへ突進を仕掛けた白のディアブロス雄は咆吼を発して他の狩人を牽制した。

 ――地面はダメだ。
 ――砂漠よりも岩盤が固すぎる。
 ――奇襲の短距離ならともかく、長距離移動するには向かない。

 白のディアブロス雄は後方から接近してきていたアルフリートへ、背後の建築物を鎚尾でたたき壊して威嚇。
 咆吼や動作よりも物理的な破片がアルフリートを足止め、黒のディアブロス雌が立ち上がったのを見るや、目配せと同時に一目散に走りだした。

 闘技場の壁すらも破壊できる突進でも、市街を守る城壁を破壊するのは難しい。

 ならば、城門だ。

 少しでも近くの城門へ。
 少しでも薄い障害へ。
 少しでも多くの人間を犠牲にして逃走できる経路へ。


 アルフリートが叫ぶ!

「止めろ! “黒白憤鳴”は市民を轢き殺して逃走する気だ!」

 だが、止まってやる道理など無い。
 窮地に陥った獣が活路を見出す時、人間の道理に従う理由など無いのだ。


 “Striker”アルフリート達と“黒白憤鳴”のディアブロスの対決は、最終局面に向かったのだ。

 ――市民の命を賭けた、互いに必死のレースが始まる。


 ウォルダンはドンドルマから凄まじい勢いでこちらに向かってくる足音を聞いた。
 その音は次第に大きさを増しており、その足音から、ディアブロス二頭がこちらに向かっているのでは、と想像するのは非常に容易であった。

 ――狩人の歌は途絶えた。

 壁の向こうを見ることが出来ないウォルダンは、娘のアルシアを抱き寄せて思った。

 ――あの時、高らかに聞こえた歌よ。
 ――狩人よ。
 ――お前達はそこにはもういないのか?

 不安の静寂が恐怖を呼び、ディアブロスの咆吼一つで市民達が混乱に陥るのは、まさに時間の問題だった。



 満身創痍とは言え、いや、満身創痍だからこそ必死の逃走をみせる“黒白憤鳴”のディアブロス二頭にアルフリート達は追いつけるのだろうか?

 答えは不可能、であった。

 30mの巨体の一歩一歩は、人間に換算すれば8~10歩の距離を稼ぐ。
 事、走ることに関してならディアブロスの方が圧倒的に有利であり、さらにアルフリート達も満身創痍であった。 

 走って追いつくことなど不可能だったのだ。





 ――ただ一人を除いては。



 跳躍するような大きなストライド。
 啄木鳥が幹を打つような連打で、地面を叩く足。
 肩で赤い残影を引きながら。
 長い黒髪を風に流して疾走。

 人の身でありながら、ギルドナイト“Typhoon”ラピカがディアブロスを追い抜いて先へ行く。


 ラピカは思ったのだ。
 “Striker”アルフリートの強さは失われてはならないのだ、と。

 ラピカは聞いたのだ。
 “F・F”ミサトと“Sir.”スティールから、自分達は運命共同体なのだ、と。


 ならば走るのに理由は要らない。
 狩人の邪魔にならない限り、このギルドナイトが狩人の狩場を保証しよう!

 “Typhoon”ラピカは、ギルドナイトとして叫んだ!


「“Master horn”!!」

「聞こえているのでしょう! 高みの見物のギルドナイト達! ギルドナイトがギルドと契約した約定に基づき、正規の狩りを行う狩場の規律を保証しなさい!」




 “Red eye”コーティカルテは“Master horn”クルツを見た。
 “Backstab”アデナは“Master horn”クルツを見て苦笑した。

「仕方ないのぅ、仕方ないのぅ。ああ言われたらギルドナイトとしての約定をな、うんうん」

 妙にいそいそとした調子で、自分のルナ-クライを構える“Master horn”クルツがいた。

「お主は今自分がどんな顔をしているか知っておるか?」

「どうせ、笑いじゃろ? そろそろ体を動かしとぉーてたまらんところじゃった。手伝え、コーティカルテ」

「はっ!? なんでわらわが? まず、アデナじゃろう?」

「そいつはダメじゃ。絶対ダメじゃ」

「なんでじゃ?」

 “Master horn”は深いため息をついた。

「限りなく音痴なんじゃよ、アデナは……」

「ほっとけ」



 ここは酷い街であった。
 数日間の眠りより猛烈な乾きと飢餓から目が覚めてみれば、体は鎖に縛られて生きながらに解体されようとするところだった。
 そこから暴れて狭い街の中を散々暴れ回った挙げ句、シビレ罠と麻酔玉でまた寝かされてしまったのだ。
 何一つ、この街では“黒白憤鳴”のディアブロスの思い通りにはならなかった。
 また目覚めてみれば、今度は四人の強力な狩人が片角をへし折り、尻尾を切られる痛手を与えられてしまった。
 本当にこの街では思う通りにはいかない。

 だが、それもここまでだ。
 
 あの強力な狩人達から、この憎たらしい街から出られさえすれば全ては上手くいくだろう。
 壁を壊しさえすれば、外へ出さえすれば、砂漠の暴君として本来の生き方が出来るであろう。
 そうだ、今やあの憎たらしい狩人達も必死の逃走によって置き去りにされたままだ。

 ――上手くいくのだ!
 ――この街から出れば、全てが上手くいくのだ!

 “黒白憤鳴”のディアブロス達にとって、全てが目論み通りに運ぼうとしていたその時だった。


 それは広く全てのものへ伝える歌。
 ここに在ると伝える歌。
 
『 此処より 風に乗りて 広がる 古の血潮の歌よ 』

 ――力が在る、と伝える歌だ!!


 それは狩猟笛の音色に乗って、少女の歌声と共に聞こえてきた。

 ――四人の狩人はそれを聞き、力の足りない両足を叱咤した。
 ――市民はそれを聞き、迫る足音が『どうにかなるのだ』、と悟った。
 ――ディアブロス達はこの悪夢のような敗北の始まりを思い出した。

『 陸に 空に 海に 広がる 調べよ 』


 狩人達には力を。狩人を知るもの達には安らぎを、飛竜には畏怖と振戦を!

 狩猟笛が力強く伴奏を走らせて、曲へ宿る力を膨らませる。

『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』



 少女の声に、さらに狩人達の声が加わる。
 ドンドルマを守る狩人達の声だった。
 最初にディアブロスに蹴散らかされた者達。
 だが、彼らもその歌に力を与えるために反抗の意志を掲げた。


 ――狩人の街 ドンドルマの反撃が始まる。
 ――この街が狩人の街でありその気概に力を宿す限り、飛竜の思い通りになることなど、何一つ有りはしない!



 “Typhoon”ラピカが走る。
 ディアブロス達の先回りすることに成功したラピカは、アルフリートがクリスに言って仕掛けさせた大タル爆弾Gの一つを発見した。
 ただでさえ重い大タル爆弾Gを抱えて、ディアブロスより速く走るなど不可能だ。

 だから、ラピカは賭けに出ることにした。

 悩む暇など無いから一瞬で決めた。
 失敗すると空前絶後の間抜けとなるが、ラピカはそれを実行した。

 まず、大タル爆弾Gを横に倒す、と言う作業だ。

 想像してみるといい。
 石ころを投げつけただけでも大タル爆弾Gは起爆するのだ。
 それを横に倒すのは、ロウソクを消さないように生身で川を渡る蛮行に等しい。

 だが、悪運の強いことに大タル爆弾Gは起爆しなかった。
 だから、もっと怖いことに挑戦しないといけない。

 石ころをぶつけるほどの力で起爆する、と言うのなら。
 石ころをぶつけるよりも弱い力で押し続ければ起爆しない、と言うことである。

 ――そう、ラピカは大タル爆弾Gを手で何度も押して、ディアブロスの前に転がそうとしているのだ。

 幸い、道は平坦な石畳だが、加速している最中に起爆しない保証は一切無い。
 むしろ起爆する割合の方が高いだろう。
 しかし、ラピカの双剣では走っている最中のディアブロスを止めることなど出来ない。
 轢かれて吹っ飛ばされるのが関の山だ。

 だから、大タル爆弾Gを使うしかない。使うしかないのだが。

 勇敢なラピカでもさすがに逡巡していると歌が聞こえた。

『 此処より 風に乗りて 広がる 古の血潮の歌よ 』

 ラピカは思い出した。

『 陸に 空に 海に 広がる 調べよ 』

 突進するディアブロスの前に立ち塞がったあのハンマー使いを。

『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』

 歌を歌いながら力を振るったあの勇者を。

 ラピカは押した。

 赤子を扱うように繊細に。
 急ぐ伝令のように拙速で。
 死の塊とも言える爆弾をその手で加速して押し出した。

 かくして、大タル爆弾Gの火薬はまるでラピカの意気に気圧されたかのように沈黙し、その身を加速してディアブロス達の前へと転がっていった。

「アデナさん! 貴女の出番です!」




「気楽に言ってくれるな! 何百mあると思っている!?」

 ラピカの意図を察して闘技場の縁へと登った“Backstab”アデナはディアブロスの前方、ドンドルマの最終防衛ライン、つまり、城門へと転がっていく大タル爆弾Gを目視した。

 概算で400m。
 弓の飛距離としては遠すぎる距離だ。普通ならまず届かない。
 弓の競技射撃で使われる距離は18m。的の大きさは40cmだ。
 それですら実際に立ってみれば小さいものと認識出来るだろう。
 大タル爆弾Gの大きさは人間大。約1m80cm。
 的の大きさこそ五倍弱だが、距離にして競技射撃の二十三倍だ。
 そして、弧を描く弾道の弓ではあまりにも遠く、狙いを付けるのは困難だ。

 あまりにも遠すぎる。



 ――だが、それは普通の人間の規格の話だ。


 そもそも、“Backstab”アデナの使う弓 イヌキは普通の複合素材式弓と素材からして違う。
 大剣の素材にすら使われる鎌蟹ショウグンギザミの爪に、鎧竜グラビモスの甲殻を組み合わせさった弓だ。
 まともな人間には引くことすら適わず、引けたとしても特製の手袋無しでは弦で指を切断するほどその弓は硬い。
 森で対峙したヨシゾウの直感は当たっていたのだ。

 “Typhoon”ラピカ。
 “Red eye”コーティカルテ。 
 “Master horn”クルツ。
 そして、“Backstab”アデナ。


 この四人のギルドナイトの中で、“Backstab”アデナは“Typhoon”ラピカに次いで二番目の筋力を誇っているのだ。
 上半身を鎧のごとく覆う背筋と大胸筋が唸りを上げて駆動し、大木の雄々しさすら思わせる硬い複合素材の弓を引く。
 硬い金属を連想させる軋みを響かせながら引かれる弓。
 それに番えられる矢も特製だ。

 あらゆる飛竜の甲殻を貫通する、と言うことはその矢尻は硬くなければならない。
 尋常ならぬ射撃時の衝撃に負けぬように、その矢は強くなければならない。

 量産されている木の矢など比べものにならないレベルの強い素材が求められる。
 弓の中でも最強の貫通力を誇るイヌキなら、なおさらそうだ。

 故に、イヌキはその矢すらも鎌蟹ショウグンギザミの爪に、鎧竜グラビモスの甲殻を組み合わせて作られた複合素材の矢を用いる。


 すなわち、400mの距離はイヌキにとって、十分射程距離内である。


 そして、武器以上に重要なのは射手の腕だ。
 500mを狙撃できる狙撃手を参考にしよう。
 その狙撃手が頭部を狙い撃たなければならない場合、頭部の大きさは約20~30cm。500m先のバレーボール大の大きさの物を狙う話は精度の良い狙撃銃ならず、精度の良いアサルトライフルやバトルライフルでも行われた例は少なくない。
 500m先の20cm、つまり、10m先の4㎜の大きさを狙うことは現実において有り得ない話ではないのだ。

 ましてや、相手は400m先の1m80cm。
 動き回る飛竜の頭部を狙うことに比べたら、ずいぶんと楽な狙いと言えた。

 息を止めて天を仰ぎ、姿勢を筋肉ではなく骨で支えて固定。
 動作は出来うる限り単純に、無駄な動作が狙いをずらす。
 慣れ親しんだ手袋の滑りが、最後の弦から指を離す動作を何十万回と行った通りに誘導する。

 鎌蟹と鎧竜の複合素材が互いに互いを咬む音。
 弦が空気を切り裂いて鳴らす音。
 矢が空気の抵抗を突き破る音が響いて混ざり合い、ボウガンにも劣らぬ音を立てて射撃は為された。

 矢は己に与えられた運動エネルギーのまま、天頂へ向かって昇り、重力と空気抵抗の複雑な融合を果たした弾道を弧として描き、ディアブロスの背を乗り越える。

 それを確認した瞬間、“Backstab”アデナはイヌキをたたんで腕に収納した。
 着弾の目視も、命中の報告も必要ない。

 大タル爆弾の轟音。
 “黒白憤鳴”のディアブロス達が驚いてあげた叫びこそが、何よりも分かりやすい命中の証だ。

「まあ、オレには余裕なんだけどな?」

 あとの結末は分かり切っていた。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 26
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:6f17820b
Date: 2011/02/27 22:29
『 力よ 体より湧きあがれ 勇気を糧として』

 大タル爆弾Gの爆音の中でも、あの歌が聞こえた。
 あの忌々しい歌が。
 全てを我が物とし続けてきた角竜にとって、全てを奪われる契機となった歌が。

 どうしてこちらが負けるのだ?

 体格差?
 生命力?
 攻撃力?
 攻撃方法?
 防御能力?


 こちらが全て上回っているのに!


 ドンッッッッッッ!!


 ――巨人の足音が“黒白憤鳴”のディアブロスに迫ってきていた。


 正体が分からない。
 ただの人間のくせに。
 恐ろしく大きくなってこちらよりも強い力を振るう。


 ――そこで、本能は考えることを止めた。


 考えてはいけない。
 生き延びることを優先しろ。
 ここであの巨人に追いつかれたのならば、今度こそあの巨人を倒せば良いだけだ。

 走る。
 本能のままに。
 全てを暴力で押さえつけて、目の前の不埒な巨人を轢き殺すために。





『 炎の吐息 巨大な力 』

 “黒白憤鳴”のディアブロス雌雄が、揃ってこちらへ突進してくる。

 この場においては最良手。

 一匹ずつならスティールも凌げるし、アルフリートやヨシゾウが迎撃することは可能だ。
 だが、重さ20tを超える突撃など本当にどうしようもない。


 ――もちろん、単独で狩った時の話だが。


『 だが 恐れはなし――――狩人の証 』


 すでに布陣は済んでいる。
 言わずとも自然とそうなった。

 正面に“Striker”アルフリートと“Sir.”スティール。
 散開して側面に“Sword Dancer”ヨシゾウと“F・F”ミサトだ。


『 心よ 声となり叫びあげろ 勇気を呼ぶために』


 一足進むごとに15m。時速110kmを超える速度でディアブロス達が迫る。
 その勢いは天災の豪放さ。力任せに全てを轢き倒す土石流のそれだ。
 普通なら逃げるしかない。
 考えても無駄だと、そう決断することだろう。


 ――だが、人間の強さの真骨頂は思考することにある。
 ――言葉をさらに重ねるならば、行動と思考の双方を『本能』という基準に委ねないことにある。


 我々は本能が唯一の最適解だと思わない。
 それは導かれた答えの一つであり、もっと多くの、様々な角度から物を考えることが出来る。
 それは獣には出来ない。
 彼らは個体のみで思考を磨き上げる。
 群れ全体で思考法と理論を練り上げ、それを人間全体の強さとして共有することで人類は強くなった。


 思考を放棄することで乱れそうな行動を正し、全力をもって問題へ当たる。
 潔い方法であると思う。


『 力よ ただ今は時を待て 解き放つべき時を』


 ――だが、飛竜を狩るために思考を練り続けた狩人には、その方法では役不足だ!



『 遥か彼方から 続く営みよ 』

 『英雄の証』が間奏へ入る。
 正面に立つアルフリートとスティールへ“黒白憤鳴”のディアブロス雌雄の突進が迫る。

『 黒き森の中にある 真理は語る 命を重ねて今も 』

 だが、アルフリートは落ち着きを払って、力を溜める。
 二度の激突で彼は突進を止めるのに必要な威力を知っていた。
 そして、“黒白憤鳴”のディアブロス雄が考えることを止めている、『ディアブロス雄が受けたダメージ』も知り尽くしている。

『 此処が 誰にも侵されぬ 黒に染まった命の系譜 』

 スティールに関してもそれは同じだ。
 彼は突進をどう捌けばいいかを知っている。
 竜撃砲でその突進が止まることも知り尽くしている。


 そして、それは他の二人にしても同様だ。




 Flash Fire―――――アルフリートへ突進するディアブロスの頭部へ火線が集中し、

 Fatal Filling ――――すでにアルフリートの頭部への一撃で脆くなっていた角は、LV3通常弾に耐えることが出来ず、

 Forward Follow―― 頭部を破壊されてバランスを崩したディアブロスが、アルフリートの眼前へと転倒していった。


『 心よ 解ける時は来たり 力と共に 』


 眼前へと迫ってくる頭部に向けて、アルフリートの必殺の一撃が放たれた。
 極鎚ジャガーノートに宿された勢いには一切の躊躇がない。
 心に宿すのはここに至るまでに加熱した漆黒の心。
 最後の詰めを見誤らぬ為に、体と心を一つにしたその一撃は白いディアブロスの頭部甲殻を破壊し、頸椎の軟骨と硬骨をねじ切って首をあらぬ方向へと押し曲げた!


『 力よ 心を支えよ 命ある限り 』


 力の詞と共に放たれたのは、銀の銃騎槍から放たれた紅蓮の炎だ。
 黒いディアブロス雌の頭部に向けて放たれたスティールの竜撃砲が、体長30mのディアブロスの突進を食い止める。
 ディアブロスの突進を竜撃砲抜きで捌き続けたスティールにとって、竜撃砲有りでディアブロスの突進を止めることなどもはや造作もなかった。


『 高き山に 荒れ狂う烈風 それらを越える強さこそが――』


 スティールの竜撃砲の威力と熱に苦しむディアブロス雌に向けてヨシゾウが音を潜め、かつ素早く近づく。
 防御とは相手の攻撃に備えて、はじめて意味を為す。
 自分の体を守ろうとする動き無しでは、硬い甲殻も分厚い軟骨も、最高の切れ味を誇る夜刀【月影】を手にした“Sword Dancer”には、柔らかい泡も同然であった。

 音をまったく立てない絹生地を踏んで進むがごとき繊細な足運び。
 無力を体現するかのごとき脱力から全身の白色筋肉を総動員して紡ぎ上げた瞬発力が、剃刀よりも剣呑な切れ味を作り上げた踏み込みとなる。
 そして、その剣筋は甲殻の狭間、骨格の合間を縫って、双角のディアブロスにも一つしかない重要器官 『心臓』へ刃を届かせる。

『 ――英雄の証 』


 心臓を斬られたショックで身を震わせ、ディアブロス雌は大地へと倒れていった。


 四人の誰もが倒れた後も、“黒白憤鳴”のディアブロスが再び起き上がるかもしれないことを疑わなかった。
 彼らは一切脱力せず、武器を構えたまま首をねじ切られたディアブロス雄の呼吸が止まり、心臓を斬られたディアブロスの出血が止まって絶命するまで気を抜かなかった。

『 心よ 体よりも大きくあれ 知恵と共にあり 』

 それは自分の恐怖を手放さない、ということであった。
 飛竜の能力を克服するために、こちらから一切の油断をしてやらない狩人の基本とする心がけであった。   

『 力よ 体より湧きあがれ 勇気を糧として 』

 歌が響く。
 このドンドルマに。

『 我ら 狩人 』
『 飛竜と共に 大地を駆け抜ける者なり 』

 狩人の街にこの歌在り、と。
 飛竜と共に駆け抜け、飛竜よりも強い者達の歌が飛竜の最期を飾った。



[17730] 第四話 「悪魔を笑え」 27
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:dc50bd4d
Date: 2011/03/21 19:57

 結局、“黒白憤鳴”のディアブロスの番はこの街の外へ出ることは叶わなかった。
 砂漠の地を駆け、砂中にて暴君でいられた双角の飛竜はただ外に出たかったのかもしれない。
 だが、剣爪虎がその牙の長さ故に滅んだように、周りの規格に合わない巨大過ぎる生命はその大きさ故に滅びる。

 原因を辿っていけば、不幸が重なっただけなのだ。
 互いに生き足掻こうとしただけなのだ。
 だが、大自然の理がそうであることに気付くには、まだ当分時間がかかった。

 今は、ドンドルマに響く飛竜の物悲しい鳴き声が、暴君の死にかかわらず、狩人達の心に一筋の寂寥さを残すのみだった。



 勝利。

 すぐには信じる事の出来ない事実ではあった。
 今すぐにでも、ディアブロスが動き出すのではないか?
 自分達より二〇倍近くもデカイ相手なのだ。
 そうであっても全く不思議ではない。
 アルフリートは試しに石をぶつけて確認してみた。

 動く様子はない。

 肺が全く動かないことを確認し、心肺機能の停止で出血が止まっていることを確認し、大胆に近寄って蹴りを喰らわしてようやくアルフリートは納得した。

 ――“黒白憤鳴”のディアブロスは間違いなく死んでいる。
 ――討伐は完了した。

 アルフリートが手を振って戦いの緊張を解く。

 すると、


「うおぉぉぉぉぉぉ、旦那! やった! やった! 俺達やったんだ! 俺達倒したんだ!!!」

 ヨシゾウが全速力で走ってきて、喜びに周囲を顧みない犬のように、アルフリートに抱きついた。

「ぬおっ!? 馬鹿、私は…………ッッッ!!!」

「……ッ! ……ッ! ……ッ! …………ッッッ!!!」

 「怪我人」と言う前に、喜びのあまり言う言葉を無くした背後から抱きついたミサトが勢いに任せて、アルフリートの背中に歓喜の拳を叩きつける。
 ちなみに肋骨が折れているので、どちらも痛い。少なくとも、声が出ないぐらい。

 まあ、この二人はまだいい。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! アルフリート殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 2mを超えるスティールの巨体に喜びの全力抱擁をされ、痛みと事が終わった安心感からアルフリートは気絶した。

 まあ、この痛みこそ生きている証なのだから、世の中はままならない。



 水をかぶせられることで気絶から早々起きることになったアルフリートは、一つだけやることがあるのを思い出した。
 予想通り、その人物は狩人達に守られて高みの見物をしていた。

 その人物がいる闘技場まで歩けば、アルフリート達は集まってきた人間に見られることになった。


 咆吼がしなくなったことで入ってくるようになった街の住民。
 街を守っていた狩人達。
 街で暴れた角竜を、それを倒した狩人を一目でも見ようと集まってきた野次馬達。


 アルフリートは背筋を伸ばして歩き、
 ヨシゾウはどこか鯱張った様子で歩き、
 ミサトは顔を赤くして恥ずかしがり、
 スティールはどこか慣れた様子で鷹揚に歩いた。


 人々の視線に慣れていなかったヨシゾウとミサトであったが、落ち着いたアルフリートとスティールの様子に視線を彷徨わせるようなことはしなかった。

 やがて、闘技場まで歩むと、四人のギルドナイトに守られたギルドマスターが出迎えた。
 ミサトが嬉しそうにラピカに視線を寄越すと、彼女は綺麗にウィンクして答えた。

 依頼主であるギルドマスターのところまで歩いていったアルフリートは、街に響くような声でギルドマスターに告げた。

「仕事は完了した。“黒白憤鳴”のディアブロスを討伐したぞ」

「しかと、見届けたぞ。“Striker”アルフリート。ギルドナイトを寄越して検証した上で、分け前を与えよう」

 すると、スティールがギルドマスターの前に進み出た。

「そうでござる。その報酬で一つお願いがあるでござる」

「カッカッカ、お手柔らかにの」

「大したことではござらん。我輩は報酬を辞退するでござる」

「ほおう?」

 スティールはアルフリートの体、というよりも装備を指差すと、

「ドンドルマを救った英雄にジャガーノートとガルルガXでは格好がつかんでござろう。我輩の報酬でせめて武器でも作れないでござるか?」

 ギルドマスターが「誰か」、と呼ぶとギルドの受付嬢が闘技場の中から現れた。
 狩りの検分を行うために、ギルドマスターのそばにいたG級狩猟依頼の受付嬢だ。
 彼女はメモに素早く鉛筆を走らせて計算すると、気まずそうな表情でスティールに表情を寄越した。
 すぐにそれを感じ取ったミサトとヨシゾウが手を挙げた。
 目配せで順番を譲られたヨシゾウが発言する。

「俺とミサトの報酬が合わさればどうだ? あとはギルドマスターの心掛け次第だな」

 立場というものを全く無視してヨシゾウはそう言った。
 元より狩人はこの世の誰よりも立場や権威から無縁だ。
 ギルドマスターは、それもそうだ、と言わんばかりの納得済みの笑顔を向けた。

「カッカッカ、小さいのは老人の背丈だけにしておくのが、ワシの信条じゃ」

 そう言うやいなや、受付嬢のメモに新たな算定項目を付け加えた。
 狩猟によるギルドの収益を零にせよ、という命令だった。

 通常、狩人はギルドに一定量の狩猟した獲物の素材を収めるように義務づけられている。

 捕獲して一頭を丸ごと入手し、街まで持ち帰ったとしても全ての素材を入手できない理由がこれだ。
 考えてみれば当然だ。
 討伐するのは力任せでも出来るが、飛竜は探し出すのが難しい。
 さらに、狩人を必要とする場所へ適切な戦力を派遣するのは、複数の拠点と連携した大きな組織の存在が不可欠だ。
 故に、ギルドの運営費用として狩人には素材をギルドへ収める義務がある。

 それを丸ごと放棄する。

 吝嗇でも知られるギルドとしては滅多なことではこれは起こらない。
 俗に“英雄払い”と呼ばれる、高難易度の依頼をこなした狩人にだけ行われる報酬であった。

「武器でも防具でも好きなモンを作れ。ワシは止めんぞ」

 狩人もギルドナイトも受付嬢も、「おいおい、大丈夫かよ。特に財布的に」という雰囲気をギルドマスターは笑い飛ばした。

「どうせ、街の復興でしばらく仕事には事欠かん。お前らも忙しくなるぞ。精々、気を張ることじゃな」

 このギルドマスターの破格の報酬で一番表情を濁していたのは、他ならぬアルフリート当人だった。
 だが、ミサトが一言付け加えた。

「……受け取りなさいよ?」

「……いや、命を賭けたのはお前達も同じだ。何故、私の防具のために報酬を放棄する?」

 目付きの悪いミサトの瞳が、笑みで形良く丸くなった。

「……簡単だよ。みんな貴方にお世話になったことがあるんだもん」

「いつだ?」

 野暮な台詞を言った大馬鹿者の腹に鉄拳を加えたミサトは、怪我の激痛で昏倒したアルフリートに大いに驚いた。
 結果として武器作成の話はギルドの感謝の印として、当の本人が気絶している間に、武器と防具が作られることが勝手に了承された。

 強引すぎる話だが、要するにみんな感謝したかったのだ。
 勝利を運んだあの豪腕に。
 “Striker”アルフリートに。





 それはなんと打ち震える光景だろう。
 何十人もの狩人を蹴散らした双角の暴君。
 それがたった四人の狩人によって倒されたのだ。

 もちろん、クリスも協力した。
 ギルドナイトが手助けした場面もあった。

 だが、倒したのはあの四人だ。
 そして、そこにいたのがあの狩人だ。

 狩人。
 飛竜の天敵。

 狩人!
 それは恐怖を飲み込んで強さとなり、勇気に変えて戦うことの出来る者。

 ――狩人!!
 状況は絶望的だった。
 敵は絶対的だった。
 しかも、仲間すら彼には最初いなかったはずだ。


 クリスには、それが「大河」のように感じられた。
 大きな流れとなって飛竜を押し流す大河だ。
 だが、大河と為すためには支流をかき集めねばならない。
 己だけでは大河とはならない。

 それこそが「G」の「G」たる所以なのだろうか?

 大河となるために力を集めることが出来る者。
 策や力という目先では終わらない、大きな流れを知る者。


 ――今の自分があの流れに加わることが出来るだろうか?


 いいや、無理だ。
 武器すらない者を、人は狩人と呼ばない。

 ならば、いつか狩人にならなければいけない。

 この胸の震えが真実なら。
 あの力がこの世に在る流れなら。


 ――それだけ思うと、クリスはドンドルマから背を向けた。
 ――商人達から旅具を買い、地方の採集仕事をしてでも、まずは自分の武器を手に入れねばならない。

 いつか、あの流れに加わるその日までに。




 その日、ドンドルマは震えた。
 歓喜に。
 安堵に。
 そして、死んでしまった者への慟哭に。

 皆が災厄を忘れ、ドンドルマを復興させるには、まだ時間がかかるとは思われた。

 だが、早速狩人が動いた。
 物資の調達に、治安維持に、そして、物資確保のために。
 そして、狩人達が元気な限り、このドンドルマは外見が悪くなっても、その街の鼓動は変わらなかった。
 悲しみと喜びを大鍋に入れてかき混ぜたような災厄の日が終わったあと、ドンドルマはいつものように動き始めたのだった。


 こうして、この第四話は幕を閉じるわけだが、もう一人の主役に関して語らねばなるまい。
 彼女はその足を活かして、復興時において各所の伝令を買ってでた。
 故に彼女は多忙で、彼女が当初から目標とする人物にはしばらく会えなかった。

 だが、その時から彼女は変わりはじめていたようだ。


 ミナガルデのハンターズギルド所属のヴェテラン狩人“No hearing”クノーイ。

「ああ、彼女か。大丈夫だ、問題ない。最近は昔のように冷たいこともなくなったしな」


 モガの村のハンター“Prophecy”ルーエ=フシル。

「彼女か。あれは3ヶ月と20日前だったか。昔は話を聞かなかったが、いまや彼女はギルドにとって欠かせない人だろう」 



 “ココットの英雄”ココット村の村長

「正直、双剣なんて儂にはよく分からんが、ハンターとして大事な何かを学んだようじゃな。……そう強さな? 腕力とか、足の速さとか、そういう次元じゃないぞ?

 どうしようもない敵に出会った時。
 あまりにも強過ぎる敵に出会った時。
 そこで本当に頼りになるのは理屈や力ではないのじゃ。

 何も見捨てない。
 何も見限らない。
 それで擦り切れることもあるだろう。
 それでどうしようもない傷を負うことがあるだろう。

 だが、立ち向かう。見据える。逃げ出さない」

 最後に、“ココットの英雄”は何度も頷き、自分の言葉を深く味わいながら、その言葉を口にした。

「それが“強さ”というものじゃよ」



 双剣のギルドナイト、“Typhoon”ラピカ。
 史実では、彼女はこのあと様々な狩場を狩人として駆け抜けた。

 強さとはなんであるか?

 その疑問と向かい合い続け、その強さを求めることこそを己の強さとしながら、


 ――彼女は駆け抜ける。その場所へ向かうために。




第四話 「悪魔を笑え」 了



 次回予告

 ――それは彼には背負いきれぬ重荷だった。
 ――それは彼女に与えるには過酷すぎる試練だった。

 ――だが、いかに強き鋼の試練が立ちはだかろうと、
 ――だが、いかに身を裂く極冷の凍土があろうとも、

 ――彼らはその道以外を選ぶ気など無かった!!

   Monster Hunter ~~Soul Striker~~


 第五話 『凍土に舞う』


「――全部背負って、僕がやろう!!」
「――獲物を狩るのが狩人の本懐ぞ、躊躇う理由なぞどこにある!?」


  Coming soon――



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 1
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:dc50bd4d
Date: 2011/09/05 00:28
 ――我々は生まれた瞬間から重荷を背負っている。


 それは宿命とか運命とか、そういう概念的なものでもある。
 だが、概念的な話をするためには、まずは物質的な事柄から始めなければならない。

 我々の魂は個体差こそあれどkg以上の重さをもつ肉体を背負っており、それを同レベルの体躯をもつ他種の生物と比べれば鈍重としか思えない身体能力で操っている。
 我々は人間に生まれたことからして、まず他の動物に後れを取っている。

 発育スピードも遅い。
 天敵から走って逃げることを運命づけられた草原の草食獣は生まれて数時間としないうちに走り出すのに対し、我々は歩き出すのさえ数ヶ月の時間を要する。
 ただでさえ鈍重な人間の体で走るのさえ覚束ない幼児には確実に庇護が必要となる。

 生まれてすぐに走り出す草食獣や自分の体に幼児を抱え込むことの出来る有袋類ですら、天敵に襲われれば母子共に危険に陥るというのに、さらに鈍重な人間が守りきれるはずもない。


 故に、我々人類が生存するにあたって、『家族』という存在が必要不可欠となった。

 『家族』とは、人類にとって必要不可欠な要素であり、
 そして、避けられない宿命なのだ。 


哲学者 ウィリアム・オーギュスト
『有り難みのある人生』





 ――“黒白憤鳴”のディアブロスの一件から一週間後。


 酒場のドアが勢いよく開かれた。

 入ってきてまず目に着くのはその青い甲殻鎧 ガルルガXに、背中の黒い巨大な鉄塊――狩人の使う狩猟用打撃武器 ハンマー 極鎚ジャガーノートだ。
 背中の後ろにリボンでまとめられた金髪に、頬の傷をもった良く鍛えられた体をもった男。
 そして、何よりも特徴的なのはその雰囲気といっても良い。
 その機敏な動作にあふれた自信は、ありとあらゆる恐怖や試練を乗り越えてきた実績を持つ漢のそれであり、その体躯からあふれた覇気は“黒白憤鳴”のディアブロスにも恐怖を覚えさせたという。


 さらに、酒場の物見高い連中はそのハンマー使いに並ぶ太刀使いにも注目した。


 密林において疾風となる迅竜ナルガクルガを素材とした黒い革鎧 ナルガX。
 背中に背負うのは、切れ味において並ぶもののない迅竜を素材とした夜刀【月影】だ。

 だが、その男を語るのは装備であってはならない。
 体のバランスの良さを表す姿勢の良さ。
 平時においても足音を立てずに常に周囲を見る癖。

 それは動きの軽さを重視する狩人であると同時に、自身の切れ味を示す刃の煌めきにも似た狩人の強さであった。

 彼らを見た酒場の狩人達は予感した。

 そう、今やドンドルマの狩人達の間で知らない者などいないG級狩人“Striker”アルフリートと“Sword Dancer”ヨシゾウが、狩人達のギルドへと帰ってきたのだ。

 あの大事件から一週間。
 “Striker”アルフリートも“Sword Dancer”ヨシゾウもかなりの重傷を負ったと聞いたが、そこはさすがにG級狩人なのだろう。

 一週間で体調を整え、狩人としての勤めへ復帰する。
 それもまたG級狩人の義務なのだろう、と酒場の狩人達は沈黙の中で思い至った。


 狩人達はまた予感した。

 “Striker”アルフリートと“Sword Dancer”ヨシゾウが動く。

 ――つまり、新たな伝説がまた始まるのだ。

 生ける伝説。最強の豪腕と最上の剣士。
 今や、ドンドルマの話題を一手に担う彼らはその動向を期待と共に見守られていた。


 そんな彼らはギルドの受付へ足を運び――、


「えっ」


 上位クエストの受付嬢の前へと足を進めたのだった。
 酒場の狩人達も受付嬢と同じ気持ちであったに違いない。
 さぞかし、Gの凄まじい依頼をこなしに行くのではないだろうか、と物見高い連中はそう予見していたのだ。
 アルフリートは極めて落ち着いた口調で言った。

「仕事は何かないかね」

「えーと、ここは上位ですよ」

 アルフリートは努めて落ち着いた笑顔で言った。

「分かっているとも。だが、どの難易度の依頼を受けるかは狩人の自由だ。貴女も知っていると思うが、我々は激戦後でね。まずは手頃な依頼からこなして体の具合を確認したいのだよ」

 まあ、有り得ない話ではない。
 金銭を手早く得たい狩人や事情からついつい連戦してしまった狩人、重傷から復帰したばかりの狩人にある話だ。

 ――かのドンドルマを救った英雄も人の子、と言うわけだ。

 いささかの落胆を感じながら、納得した狩人達はまた黙って耳をそばだてていた。


 上位の受付嬢は手早く書類を広げ、話題の狩人の前へ飛竜達や大型動物の名前を並べていった。 


 ドドブランゴ、ナルガクルガ、ショウグンギザミ、リオレイア、etcetc。


 かの“黒白憤鳴”のディアブロスと比べればいささかぱっとしないが、あんな伝説級の狩りを毎度毎度やっていたらそれこそ身が保たないだろう。

 だが、アルフリートが指名したのはその中でも驚きであった。

「『これ』を頼む」

「クックですかッ」

 アルフリートが指差しだけで指名した依頼に驚いた受付嬢は声を上げざるを得なかった。

 怪鳥イャンクック。

 どの狩人もこの飛竜の名前は知っている。
 何故なら、あまりにも弱いために狩人初心者が狩るには最適の獲物であり、故に熟練の狩人は相手にしない。むしろ、それを相手にする狩人を『実力がない』、と見下しさえもする連中がいるぐらいだ。


 ――ドンドルマの英雄が上位でイャンクック


 笑い話どころか、むしろ酒場の狩人は、アルフリート達が体のどこかに取り返しのつかない後遺症を得てしまったのではないか、と疑い始めたぐらいだった。

 だが、不自然なぐらい落ち着き払った態度のアルフリートは、そのような周囲の噂やつぶやきなぞどこ吹く風で、受付嬢に催促した。

「どうしたのだ。この依頼の処理を進めて欲しい。手早くな」

「は……はぁ」

 むしろ、その落ち着きが何か裏があるように感じてならない受付嬢が、ギルドマスターへの相談を考え始めた所で、アルフリートへの違和感に気付いた。
 アルフリートの武器と防具はギルドマスターから贈られた“黒白憤鳴”のディアブロスを素材としたものだったはず……。


 決定的な瞬間はすぐに訪れた。

 ギルドのドアが静かに開けられたかと思うと、中に何かが放り込まれたのだ。


 狩人達はすぐに分かった。


 飛竜狩猟用の閃光玉だ。


 即座にギルドの中が爆音と光で埋め尽くされると、視覚と聴覚が自由を取り戻すより先に銃弾と金槌が投擲され、それはアルフリートとヨシゾウを威嚇してしゃがませるには十分な威力を持っていた。

 椅子が銃弾で木っ端微塵に粉砕されて、受付カウンターに金槌がもめり込んでいるのだから。


「Hold up ……動く奴はアルフリートと思って撃つ 全員、手を見える場所に置いて」


 閃光玉の爆音よりも鋭く響くクイックシャフトを構えた女ガンナー、“F・F”ミサトの指示――というより恫喝――に皆が従った。
 ミサトの目を見たら全員が納得した。
 完全にこの処置を必要だと思う狩人の硬い意志がそこに籠められている。
 説得や反抗は無意味だ。撃たれるのは誰だって嫌だ。

 そして、その後ろにミカが続いていた。
 狩人の方ではなく一般人なら、そう思った連中は皆、目を見て無理だと悟った。
 “Typhoon”ラピカにすら勝負を挑む鍛冶の女の意志は、自身が鍛える鋼鉄より柔いはずがなかった。

 手を上げて大人しくしていたアルフリートへ、クイックシャフトを向けながら近づくミサト。

「……お医者さんは一ヶ月の看病が必要だというのに、どうして逃げ出すのさ 人がせっかく看病しているのにさ」

 アルフリートは言った。
 緩やかに絶望を感じ続けなければならない場所から、命からがら逃げてきた囚人の顔で。

「……あの薬膳粥は拷問だ……」

 ヨシゾウが心の底から賛同するように首を強く縦に振った。

「……ヒドい ……一生懸命作ったのに」

 ショックを感じたミサトがミカへと泣きついた。
 かなり本気の泣きっぷりだった。

「……Hey、一つ聞いてもいいかい ……アレ何が入っていた」

 味を思い出すのも嫌だ、という顔をしたヨシゾウがミカへと聞いた。
 ミカは「頑張ったんだよ」、と前置きしてから、一つずつあげていった。


 曰く、
 “万能薬”マンドラゴラの乾燥薬。
 “精気滾る”リオレウスの陰嚢。
 “火山の珍味”ショウグンギザミの目玉。
 “溶岩の脈動”ヴォルガノスの脳漿。
 “千里疾走薬”ティガレックスの涙ここで言う『涙』とは、体では使われなくなったコラーゲンの塊。ティガレックスの胆石を指す。。


 聞くにおぞましい名前の素材が入った恐怖の薬膳粥に、酒場の狩人全員が怯えた。
 さすがの“Striker”アルフリートも、“Sword Dancer”ヨシゾウも、青い顔をして首を振った。

 だが、ミカは笑顔で断言した。

「でも、大丈夫。ヨシゾウはきっと直すよ」

 「……『治す』んじゃないんだ……」、とその場の全員が思った。


 その後、満身創痍の状態では、元気なミサトとミカに敵うわけが無く、アルフリートとヨシゾウは『看病』という名目がついた地獄へと連れ戻されていった。


 酒場の全員が思った。
 “Striker”アルフリートと“Sword Dancer”ヨシゾウの復帰は『二ヶ月後』だな、と。




 以上の事情があり、今回の主人公は残念ながら彼らではない。
 舞台はドンドルマから旧大陸の北部へと移る。

 北部の霊峰 フラヒヤ山脈。
 音すらも居場所を無くす深雪の奥底。
 山脈の標高が上がると共に、冷えた大気が人の出入りを拒む滴水成氷の地にその村はあった。

 名をポッケ村という。


 作者より注釈。
 今回、タイトルが「凍土に舞う」と言うこともあり、旧大陸フラヒヤ山脈のポッケ村と読まれた方は違和感を覚えることだろう。
 本当なら、この場所はP2Gにおける『雪山』であり、『凍土』はTriもしくはP3の舞台 新大陸にある。
 しかし、「雪山に舞う」では格好がつかないため、勝手にタイトルを「凍土に舞う」とさせていただいた。
 閑話休題。


 その日、真冬のフラヒヤ山脈を商用にて抜けねばならぬ商隊がポッケ村を訪れ、普段村人しか訪れないギルドの酒場は、満員御礼となって村人から手伝いを頼むほどだった。
 雪が静かに、しかし、天が気まぐれで下ろした白い緞帳のように、厚く降った。
 そんな天気でもポッケ村にとっては、雪そのものが隣村の知り合いよりも長い付き合いのあるもので、彼らは雪そのものを憂鬱と思いつつも、心得た付き合い方で過ごしていた。


 ――だから、『異物』はむしろ人間の方だった。


 酒場のドアを開けて入ってきた者を、その場にいたほとんどの人間が注目した。
 食事の手を止めて。話を突然中断して。笑い合うのを区切って。作業の手を動かさずに。
 そう、その沈黙はギルドにいたすべての人間の日常的な動作を全て停止させて作り上げたものだった。
 そんな沈黙の中で意味も分からず、酒場にいた全員の視線が訪れた者へと集中する。


 赤茶色の鱗。黄色のたてがみ。灼熱を宿した吐息。
 一つ一つなら地上の当たり前の生物も持ち合わせているものだが、それらを飛竜として構成させる要素はただ一つ。

 「巨大」。

 「飛竜」の巨大さが、巨大な巌のように圧倒的な現実として酒場の人々を威圧した。
 そして、自分達が何故こんなにも音を立てないようにしていたのか、ようやく理解した。

 ――獲物は捕食者から隠れようとするものだ。

 その事実を、理性や感情よりも先に本能が理解したのだ。
 誰かが恐怖に駆られて逃げ出すことがあれば、一斉に酒場の皆が逃げ出し始めていただろう。

 しかし、それは起きなかった。
 「巨大」な「飛竜」は、その兜を脱ぎながら話し始めたからだ。

「どうした さっさと続きをするが良い」

 その瞬間、全員が「巨大」な「飛竜」がそこにいる、という幻覚めいた光景から解放され、目の前にいる「人間」をようやく目視した。

 もっとも、その男を端的に表すのならば、狩人と言うより、



 ――『龍』であった。


 『空の王』リオレウスの甲殻と鱗を、竜人の練達の技で、炎のように力強く、土のように確固たる固体として鎧にまとめ上げられた鱗板鎧 レウスX。
 『森の女王』リオレイアとその伴侶の重殻を、英知と経験を持って組み合わせて剣として形を為した結果、いかなる運命の手が働いたのか、その刀身にて常に使用者を嘲笑う笑みを浮かべる大剣 ブリュンヒルデ。

 だが、Gの狩人を語るなら、装備よりもその本人を語るのが正解だ。
 その一番の特徴は、レウスXの兜を脱いで現れた顔に刻まれていた。


 ――絶対者の嘲笑。


 有り体に言えば、人間をすでに人間として見てはいない。
 周囲の人間を自分と似たような素材で構成された雑魚、としか認識していない傲岸不遜な笑み。
 飛竜のたてがみのように荒く伸びるも、鴉の濡れ場のように濡れて輝く黒曜石の長髪。
 獰猛な爬虫類に共通した切れ長の目には、殺意と闘志と血の赤を望む感情が見え隠れしていた。
 その感情を晴らすための力を、鋼のように鍛え上げられた体が孕んでいることが狩りをしたこともない一般人の目からも明らかであった。
 不思議なことに、そんな人間として規格外の凶相の持ち主であっても、顔立ちそのものは整っていた。いや、狂気を宿す基盤として整えられていた、と言った方が確実か。

 ――夜のおかげで子供がいないのは僥倖だ。居ればきっと泣き続けていただろう。

 それが酒場の人間が持ち得た『彼』への第一印象だった。


「ルファにゃー、とっととどくにゃー。あたしが通れないにゃー」

 そんな酒場の空気を読まずに、『彼』の背後から女の声が聞こえた。
 幼く聞こえる女の声だったため、酒場の一同は『なんだ、まともな人間も居るのか』、とほっと一息をついたが、入ってきた『者』を見て驚いた。
 女性に見えないからである。

 ――肩当てに黒い双角を使用したディアブロス亜種の黒殻鎧 ディアブロZだからだ。

 兜にしてもフルフェイスに近く、女性が着るにはあまりにも重量があり、何よりこの鎧の外観は『砂漠の暴君』と称されたディアブロスを想起させるほど厳ついため、声が聞こえてなければ完全に男性と思われていたことだろう。

 さらに、商隊の中の一人が、女の背中に背負われた業物に気がついた。


 ――“鋼龍”クシャルダオラ素材の漆黒のランス 大竜騎槍ゲイボルガ。


 さて、ここで『古龍』という存在について明記せねばならない。
 まず、『古龍』という存在を紐解いていけば、すべからく龍という存在の始原について近づいていくことになる。
 それは彼らが竜という種の中で古い存在であり、故に『飛竜』と識別するために『古龍』と呼称されている。
 最新の兵器が必ずしも最高のものでもないように、『古龍』も『飛竜』に負けずに強い。


 いや、種全体として数の面では『飛竜』には劣るかもしれないが、『古龍』の場合、著しく一個体が強力な方向へ進化したのだ。

 一個体にして、一国の一軍に匹敵するほど強大で強い。

 故に『古龍』はその強力な力を維持するために広大な縄張りを必要とし、多種多様の天敵の脅威にさらされ、ただでさえ少ない個体数は希少といっていいほどの数になっている。
 成体に出会うだけでも下手をすれば一生涯を費やさねばならぬ個体も存在するほどだ。

 例えば、“Sword Dancer”ヨシゾウの父を喰らった“霞竜”オオナヅチも『古龍』の一種だ。
 オオナヅチは広大な縄張りにて、天敵に出会わないようにするため独特の進化を遂げ、周囲の色に似せて体色を変化させるというより、光が体に当たる際に反射や屈折が起こる確率を極端なまでに低下させた光学迷彩にも近い擬態能力を持っている。

 では、“鋼竜”クシャルダオラはどうか
 クシャルダオラは飛行能力を持っている。
 しかし、クシャルダオラの体は重い。それは“鋼竜”という二つ名に由来する。甲殻にFe、つまり『鉄』を多く含有しており、硬い甲殻を手に入れる事に成功した。
 鉄を含有した硬い甲殻を手に入れる事は、その重量に縛り付けられ、地を素早く動けないことと同義だ。
 なのに、クシャルダオラは飛行能力を有し、広い縄張りを飛行することで多くの食事を手に入れる事が出来る。
 原理こそ解明されていないが、その飛行方法を推測するのは至って簡単だ。

 ――クシャルダオラは嵐を利用して、飛行するとされている。

 熱帯や温帯であればハリケーンや台風などと共に移動し、冷帯や寒帯であれば山脈を登る季節風を利用して彼らは飛行する。

 クシャルダオラの感覚は非常に鋭敏であり、風の兆候や気温、湿度の差から天候を推測しているとされる。
 その的中率は、統計的な方法で行われる人間の天気予報など児戯に等しい。
 クシャルダオラは移動手段として確実に嵐を見抜き、それに備えて脱皮や長期移動前の栄養補給を済ませるからだ。

 そして、クシャルダオラは風を操る、とされている。

 風を操る方法がどのような原理によるものか、いまだ解明されていない。
 天候の予知と同様に、クシャルダオラの謎とされている能力だ。
 この風は極めて速い風速で吹き荒れ、人間なぞ軽く空中へ放り投げることが出来る。

 嵐と共に移動し、極めて強力であるクシャルダオラを狩るのは、狩人の悲願であると同時に極めて高難易度の依頼であると言えよう。


 さて、話をポッケ村の酒場へ戻そう。

 『龍』そのものであるレウスXの男と。
 ディアブロZにクシャルダオラ素材のランスの女。

 強大な戦闘能力を予感させる二人組が、どうしてこんな村にやってくることになったのか。酒場の一同の想像力を悪い方向へ考えさせるのには十分だった。

「にゃ、にゃー あたし達は宿に泊まりに来ただけだにゃー。変なことは考えてないにゃー」

 そう言って、ディアブロZの兜を跳ね上げて現れたのは、蜂蜜色の髪に丸い目が活発な感触を与える女性だった。声と同様に見た目は幼い。猫の尾のように金色の三つ編みが背中で揺れていた。
 だが、そんな女性のフォローなどどこ吹く風。男の挙動はあくまでも我が道を行く。
 酒場のカウンターにあるギルドの受付に足を進むと、男は受付嬢へ言った。

「おい、あの依頼が受けたい」
「……え……すいません。あの依頼はすでに……」

 見れば、その依頼にはすでに依頼を受けた狩人が居る判子が押されていた。
 ギルドの受付嬢が了承しないのも当然だ。依頼は基本、早い者勝ちなのだから。
 だが、男は構わずに言った。

「呼び出せ。話を付けてやる」
 
 すると、酒場から声が上がった。

「……何か用ですか」

 見れば若い狩人だった。
 年を見ればまだを上回ってないだろう。鼻梁にはそばかすも見える。
 鎧も新しく、武器も新品だ。
 どこからどう見ても、なりたての狩人、といったように見えた。
 男は傲慢に言い切った。

「あの依頼を俺に寄越せ」

「いやです」

 若い狩人は簡単に断った。

「お前には無理だ」

「そうとは思いません」

 見れば、依頼は「フラヒヤ山脈を通過する際の護衛を求む」、そう言った内容だった。
 商隊の通り道は、普通は飛竜などが通らない道を選ぶ。
 若い狩人は思った。
 「フラヒヤ山脈を安全に抜けたい狩人が商隊にくっついて移動したいだけなのだ」、と。

「フラヒヤ山脈の横断ぐらい、狩人なら造作もないでしょう。道に迷ったのなら地図を差し上げますよ」

 若い狩人は丁寧な口調で応対した。
 だが、その男はまるで意にも介さなかった。

「死ぬぞ」

「何故です」

「説明しても、お前はきっと納得しない」

 まるで説明になっていない説明だった。
 若い狩人は常識的に見える女性の狩人の方に視線を向けた。
 すると、極めてばつの悪い顔を浮かべた。
 なんとか説明しようと口を開くものの、

「にゃ……う、うん。受けない方がいいよ 死んじゃうよ」

「何故です」

 若い狩人は聞いてみた。
 すると、女性は明後日の方向を見ながら、予想もしない言葉が返ってきた。


「……この人は古龍がどこに現れるか、カンで分かる人間にゃんだにゃー」


「どうやって」

「それこそあたしがしりたいにゃー」

「そんなことで依頼が渡せるものですか」

 若い狩人は激高した。それもそのはずだ。どこの誰が初対面の人間のカンを頼りに物事を判断するというのだろう。

「分かった。お前にも分かりやすい方法で話を付けてやる」

 すると、男は酒場の中央に立ててある大タルにまで歩を進めると、手甲を外して袖をまくり、その腕を乗せた。
 そして、手を握手するかのように開く。もちろん、友好のために開いたのではない。

 男は傲岸不遜の笑みを浮かべて、若い狩人を挑発した。

「腕比べといこうか……まさかどこの誰とも分からない馬の骨の挑戦すらはねのけられない青ヒョウタンじゃあないんだろう、『坊や』」

 男の腕は太い。
 年月を重ねた木が年輪で自分の体を覆って太くあるように、男の腕は自分が成し遂げた研鑽を経て、逞しい腕となっていた。

「…………」

 若い狩人は無言で手甲を外して袖をまくると、大タルの上に叩きつけるように腕を置き、男の手を握った。

 こちらも顔の若さに似合わない太さがある。
 酒場の皆が気付かなかったのは、全体のバランスが整っていたからだ。男の腕にも匹敵するほどの筋肉の厚みが全身を鎧のように覆っている。

 若い狩人。だからと言って、弱い、というわけではない。

 見れば、若い狩人の着ている鎧は新大陸にてその強さを詩に詠われた海竜 ラギアクルスを素材とした青い鎧だ。
 ラギアクルスの素材研究は竜人をもってしても歴史が浅く、G級の防具はいまだに出回っていない。
 だが、この若い狩人の着る防具は明らかにGの輝きをもって人々の知識を裏切っていた。
 武器もディーエッジより派生したGの逸品、まだ新大陸にも旧大陸にも出回っていない最新武器だった。 

「……大口を叩いたことを後悔しないようにしてくださいね」

 静かな怒りを皮肉に篭める。
 格下扱いされ、挑発されてまで大人しくする寛容を、若い狩人は持ち合わせていなかった。

 男はその怒りを感じながら、唇の端をあげた。
 誰もが「笑った」、と表現することをためらった。
 欲望を燃料に、毒々しいほど爛々と輝かせた愉悦を、人は笑うと表現しないらしい。

「お前、名前は何という」

 舌なめずりするような響きの問いかけだった。

「――アシュフォード商会のフルボルト」

 酒場の皆がその名前に驚いた。
 「アシュフォード商会」。スラッシュアクスの最新作をどこよりも早く売り出す商会であり、そこの会長は息子をGの狩人にして、最新作を試させているという噂がある。

 そんな噂話を煙たがった若い狩人――フルボルトは男の名前を聞いた。

 男の自己紹介は、食事前の怪物が獲物へ吠えるようだった。


「――荒爪団“Slayer”ルファード」


 酒場が二度揺れた。
 しかも一度目より大きくだ。

 “Slayer”ルファード。
 Gの狩人の一人にして無双の大剣使い。
 ありとあるゆる竜をその大剣でねじ伏せてきた剛の者だ。


 曰く、“Master horn”クルツに匹敵する戦闘狂。
 曰く、飛竜と古龍を狩るために存在する男。
 曰く、竜絶滅主義者。

 曰く、どんな狩人よりも“龍”に近い狩人。


 その名は勝利の栄光よりも血生臭い狂気に彩られ、歩いてきた道は紅い。

 だが、その強さはここ一年で倒した竜の数が物語っている。
 公式には発表されていないが、一地方の竜の数を著しく減らしたとして、ギルドより勧告されたことがあるという。
 さらに穿った噂ではギルドナイトと衝突したことがあるという話だった。


 しかし、フルボルトはそのルファードの暗黒の双眸へ正面から向かい合い、腕を握った。 
「合図を」


 誰かが木製のビアジョッキを宙に向かって放り投げた。


 あれほどざわついていた酒場が一瞬で静まりかえる。
 Gの狩人同士の力任せのぶつかり合い、なかなか見られるものではない。

 静けさの裏に興奮の鼓動が聞こえる静寂。
 タイミングを計って今にも動き出そうとする筋肉。
 その場の動きが一瞬だけ停止し、動いているのは落下するジョッキのみ。


 木製の乾いた音が酒場に響いた時、堰を切るように全てが動き始めた。

 食いしばる奥歯。
 踏み込まれる両足。
 固定するために全身の力が右腕の肘へと注がれ、その強固な固定の上で上腕の掌側の筋肉が最大限に収縮する。
 自然と漏れる怒声。
 ぶつかり合う腕力。

 勝負は均衡していた。
 それもそのはずだった。

 狩人の扱う個人斬撃用の武器で最も重量のある武器、それが大剣。そして、スラッシュアクスである。

 こと、腕力の勝負においては大剣使いとスラッシュアクス使いに勝てる狩人は存在しない。 


 だが、両者には明確な違いがある。
 大剣は一撃必殺を旨とし、その重い一撃をいかに当てるかに全てが収縮されるが。

 スラッシュアクスは変形機構によって様々な扱い方をすることが出来る。
 それは種々の飛竜によって柔軟な対応をするためのものだが、それを使用する際に最も必要とされるのは武器の応用力と――――持久力だ。


 均衡している勝負。

「……おい、見ろ。あの若いのの方が少しずつ押している」

 それは持久力のあるフルボルトが有利と言わざるを得ない。
 事実、フルボルトの持続する腕力によって、両者の腕は少しずつルファードの方へ傾いていた。

 腕力で『あの』“Slayer”ルファードが負ける。
 下馬評を大きく覆す驚愕の真実だといってもいい。

 だが、フルボルトにとっては当然の事実だ。
 狩人の質に上限はないとはいえ、人類の極限まで鍛え上げられたGの狩人の身体能力には限界がある。
 ならば、その限界の枠組みの中で各武器の特色を鑑みた結果、腕力においては同等でも、持久力において大剣使いよりスラッシュアクス使いの方が上なのだ。
 負けるのは機を見る力と体の耐久力だろう。チャンスに強く、打たれ強いのが大剣だ。


 しかし、フルボルトは気に入らなかった。
 敗北しようと自分の方へ傾く腕。

 ――それを見ながら、“Slayer”ルファードは嗤っているのだ



 さて、ここで大剣使いというものについて解説せねばならない。
 何故なら、それが“Slayer”ルファードという狩人を理解する一助となるからだ。

 大剣の真実の一端を理解するためには、武器の歴史を遡らねばならない。
 人類が石や黒曜石から鋭利さを見出し、自分の爪より鋭い武器を手に入れて以降、武器の発展にはおおまかに二つの方向性が見出せる。


 『威力』と『射程』である。


 人類は刃に柄を付けることでより長い射程を手に入れ、ナイフをさらに長大にすることで打撃の威力を増大させたのだ。

 槍と剣の誕生だった。

 さらに、人類が武器を開発していく上で、より注目されたのは『威力』より『射程』だった。
 如何にして相手の攻撃を喰らわずに自分が勝利するか。
 一方的に、圧倒的に、足らぬ兵力を倍増させ、大勝利を得るために、人類は殺意を出来る限り目の前から遠ざけ、危険を自分の前に置くことを好まなかった。

 弓が開発され、砲が開発され、銃が開発された。
 射程距離を伸ばすことはそのまま威力を増やすことでもあった。

 自然とそれらは狩人の世界にも適応された。
 人類の知恵とは、危険を遠ざけることにその本質があるのだ。


 極端な言葉を言おう。


 ――大剣は人類の兵器開発の方向性から、全く孤立した存在だと言っても良い。


 『威力を増やすために重量を増やし、武器そのものを巨大化させる』。
 そのシンプルなロジックはそのまま命の危険に繋がる。
 大剣はその巨大さ故に凄まじいまでの重量だ。


 ――自分の体重以上の物体を抱えて、狩場を駆け回る。


 こんな馬鹿な話があるだろうか

 重傷の人間を抱えることですら戦場では命取りであるというのに、大剣使いはそれ以上の物体を抱えて狩場を走るのだ。
 騎士が着るプレートメイルですら重さはkg前後だが、それは重さを分散させて全身で着るからだ。なおかつ馬上での運用が基本だ。

 よほどのメリットを感じていない限り、大剣使いとは人類の知恵から遠い存在。全くの愚者である。

 しかし、メリットは存在する。

 太刀使いが刃の切れ味に心を削ぎ、ハンマー使いが自分の打撃の威力に、ランス使いが踏み込みの鋭さに、ガンナーが自分の射撃の威力に注目する。

 そう、大剣使いには一撃必殺の威力があるのだ。
 様々な武器があの手この手でなんとかして生み出そうとする『威力』を、大剣は自重で簡単に生み出すことが出来る。

 『飛竜を倒す』、この目的を達成するために、もっとも単純に通用する方法。
 それが『大剣』という武器なのである。


 ――――さらに、大剣使いには狂気の必殺技がある。


 これが大剣使いのGの狩人が短命でもある理由なのだが、話をルファードとフルボルトとの対決へ戻そう。



 鋼鉄を斧で断ち割ったような快音が目の前のルファードから聞こえた。

 すると、ルファードの手の甲が大タルの蓋につこうとする直前、腕が鋼鉄の像に置き換わったように、突如として腕が動かなくなったのだ。

「!?」

 まず感じたのは熱湯を浴びせられたがごとき熱だ。
 それはルファードの右腕から発せられたものだった。

 また、鋼鉄を斧で断ち割ったような音が聞こえた。

 よく聞けばそれは快音などではない。
 それは複合音なのだ。


 ――骨が軋む音。筋肉がさらなる緊張をもって駆動する音。心臓の鼓動が高くなる音。肉と肌が張る音。血液が圧縮される音。蒸気となった呼気が口から吐かれる音。

 体に常識を越えた負荷をかけ、神が施した本来の設計を大きく逸脱する力を発揮しようとした時に生み出された、身体の悲鳴だった。


 ――大剣には『溜め斬り』と呼ばれる技がある。


 理屈は簡単だ。
 本来、人間の体は限界を超えた力を行使することによる自壊を避けるために、人間の筋肉は全力を出せないようになっている。
 それを暗示によって全力を引き出すのが『溜め斬り』と呼ばれる技なのだ。

 だが、この技はとてつもない負荷が使用者にかかる。
 人間の体は全力を出せるように設定されてはいない。
 全力を出して圧倒的に肥大した筋肉は、体の各部位へその代償を要求する。

 それは血管や神経、さらに骨への物理的な圧迫だ。
 神経は柔軟に対応し、骨はその硬さで筋肉に対抗できるが、血管はどうにもならない。
 さらに全力を出しきろうとする筋組織が筋肉へ蓄積しようとする乳酸と二酸化炭素を少しでも送り出し、酸素と栄養を貪欲に欲しがろうとするため、血管に過酷な労働が押しつけられる。
 そして、馬鹿にならないのは運動エネルギーが発生する際に、どうしても発生する熱だ。

 蛋白質は摂氏度で凝固変性する。
 普段は微細な筋肉の発する熱でも、本来の設計以上の超過労働を与えられれば話は別だ。
 自分の発生する熱によって筋肉が固まり、血液が凝固して甚大なるダメージを被る羽目になる。

 そうならないために、体は熱を外へ運び出さねばならない。
 故に、血液と血漿による輸送作業は限界を超える。
 それは全身が紅く見えるほどのものとなる。


 一般的に、大剣使いは溜め切りの最中には動けないとされているが、それもそのはずだ。


 ―― 一撃必殺を生み出すために、全身のありとあらゆる機能を総動員させているのだ。
 他のことが出来ようはずもない。
 

 人体の超過駆動とも呼ぶべきこの技は、当然のことながら狩人の寿命を縮める。
 だが、寿命を縮めようとも威力を求める狩人がこの技へ手を出すのだ。


 ――だから、勝つのが『当たり前』。

 人類が人類であるための枠を、飛び越えた力を使っているのだ。上回るのが当たり前。
 勝って当然。並ぶ者など人間の身においてはいない。

 ――それは絶対者の嘲笑だった。

 その嘲笑を間近で見たフルボルトは、ルファードの姿に巨大な竜を重ねた。
 否定しようとしても否定しきれない幻だ。

 体温は人間よりも熱く、溶岩のように滾り、
 肌は極限まで張り詰めた筋肉が鱗のような触感を与え、
 腕から得る手応えは、を超えた飛竜に轢かれる直前のように、巨大な暴力を加えられる予感に満ちている。

 悲鳴を上げないのは、フルボルトの狩人としての矜恃がかろうじて最後の一線を踏み越えさせないだけなのだ。

 “龍”は言った。
 水蒸気を吐きながら、荒れた声で言い放った。


「――――喜べ。この力を使ったのは、貴様が“二人目”だ」


 自分が蹂躙される不可避の未来が、まさに現実に実行されようとするその瞬間。



 ――それは運命の悪戯というしかない。



 二人の腕を置いた大タルが、二人の膂力に耐えきれず、枠が弾けて崩れてしまったのだ。
 二人の体は潰れた大タルに引かれるように地面に倒れ、勝負はそこで終わった。


 あまりにもあっさりとした終幕。
 酒場の皆が勝負の決着を告げた。


「――フルボルトの勝ちだ」


 直前までフルボルトがルファードを圧倒していたからだろう。
 ルファードが反撃に移るより早く大タルが壊れ、そのままの姿勢で地面に倒れてしまったからだ。

 酒場の皆がフルボルトを祝福し、“Slayer”ルファードに勝ったことを喜んだ。
 だが、祝福は引き裂かれるように止まった。

 勝者の首根っこを掴んで自分に引き寄せる狼藉者がいるからだ。

 ルファードの暗黒の瞳が、じっとフルボルトの灰色の瞳をのぞき込む。


 “龍”のような狩人。
 強大な力の体現者。
 敵わないと思い知らされた相手。


 フルボルトの歯の根が震えそうになった……。

 その前に、ルファードが手を離した。


「……死ぬぞ」


 何もかも見透かしたような絶対者の瞳。
 その瞳がフルボルトを見下し、この世の真実のように告げた。

 今度こそその言葉が嘘ではないとフルボルトには実感できた。
 だが、問うことは出来ない。
 問おうとする前に“Slayer”ルファードが背を向けたからだ。


「行くぞ、ルカ」

「い、行くってこの雪の中をかにゃ」

「俺達はどうやらお邪魔らしい」

「険悪にしたのはルファにゃーにゃ」

「じゃあ、お前はここに残れ。俺は行く」


 ルカと呼ばれた女性は、男の言葉から感じた猛烈な理不尽を、体のあらゆる箇所で悶えて体現すると、口を尖らせて荷物を背負った。


 こうして、ポッケ村に突然訪れた闖入者は、来た時と同じようにあっさりと去っていった。


 ―― 一人の青年の心へ、耐え難いほどのひっかき傷を作って。


 さて、今回の主人公を紹介しよう。

 あの“Slayer”ルファードのとてつもない『暴力』を受けて、茫然自失の体で皆の祝福を受ける狩人の青年 フルボルト。

 まだGの狩人として二つ名を授かっていない彼が、今回の主人公である。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 2
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:dc50bd4d
Date: 2011/04/11 23:35
 毎度の事ながらも、作者の私は読者に頭を下げざるを得ない。
 この物語は非常に遠回りに事の次第を理解させようとするからだ。
 しかし、登場人物も増え、その間のしがらみも増えていくと当然のことながら一見すると関係のないエピソードが意味を持つようになってくる。

 それが人と人との関係の面白い所なのだ。

 なので、作者は自重せずに関係すると思われるエピソードを書き示していこうと思う。


 “Slayer”ルファードとフルボルトの一件があった頃のドンドルマの話である。



 ギルドナイト“Backstab”アデナと“Master horn”クルツを探していたギルドナイト“Typhoon”ラピカは、ようやく人伝に酒場のテラスで食事をしている彼らを発見した。

 食事をして午後の昼寝を貪るアデナと、その横にある空になったばかりの『大タル』に彼女は話しかけた。

「ギルドマスターがお呼びですよ! “Backstab”! “Master horn”!」

「狩りか!?」

 いささか年老いた叫びと共に、大タルが5m上の空中へ跳ね上がった。
 蹴り足と共に立ち上がったのは、大タルを日傘代わりに寝ていた“Master horn”クルツその人であった。かなり酒臭い。

「昼間から大タル一つとはずいぶん剛毅ですね……」

「暇すぎてちっとも酔えん! 狩りじゃ! 狩りに狩ったワシにただの狩りではもはや物足りん! 大狩猟を! 一心不乱の大狩猟を!!」

「そんな大物がお手軽に出歩いていたら、私達は今頃超多忙です」

「……それもそうじゃの」

 空中から落下した大タルを足一本で受け止めた“Master horn”クルツは、

「じゃあ、どんなのが相手じゃ? テオ・テスカトルか? クシャルダオラか?」

「……新大陸から陸路経由で迷い込んできたドボルベルグ退治ですね?」

「イヤじゃ、イヤじゃ、イヤじゃ、イヤじゃ。そんな図体がでかいばっかりのつまらんものなんぞ狩りとぅないわー! 古龍が狩りたい! 異様に強い奴! 金冠レベル!」

 大タルを人形のごとく振り回しながら駄々をこねるクルツ。そこには威厳というものはもはやない。
 事務的に書類を読み上げただけで暴れられる羽目になったラピカは、呆れつつも仕事を忘れない。

「ほらほら、『姫』のお守りも終わったのですから、ギルドナイトとしての通常業務をこなしますよ」
 
 思い出せば、通称『姫』こと“Red eye”コーティカルテは実に“Master horn”クルツにとって良い相棒だった。

 馬が合う、というのだろうか?
 趣向が似ている、というのだろうか?

 取る戦術も似ていれば、好きな食べ物も似ている。
 腕っ節に任せて世を渡ろうとしている所も実に似ている。
 本当にギルドマスターの孫なのか、と何度も思ったが“Master horn”クルツ曰く、「ギルドマスターはずいぶんとお優しくなった」、とのことだ。血はしっかりと継承されている、ということなのだろう。
 ギルドマスター自体が狩人として優秀でなければなれない職業であるため、ギルドマスターを輩出する家系は、生まれながらにして狩人であることを義務づけられている。
 さらに、コーティカルテの両親は彼女を置いて早いうちに死んでしまった。
 病死である。
 彼女の両親も優秀な狩人だったが、流行病には勝てなかったのだ。
 かくして、ギルドマスターの血を継ぐ者は一人になってしまった。
 代わりになる者がいないのならなるしかない。

 “Red eye”コーティカルテの“古龍退治”はこうして始まったのだ。

 “古龍退治”は狩人としての最大の名誉、と言っても過言ではない。
 “地上最強最大の生物”を倒した経歴を持てばその狩人の今後は安泰と言っても良かろう。ギルドマスターを継承するにしても箔がつく。
 だから、コーティカルテは狩人としても高名かつ現役最強と噂される“Master horn”クルツの力を借りたわけだが、


「――“吹奏不敗”なんぞ駆り出しよって、奴が出るのならなんだろうと勝てるわ」


 とギルドマスターに一喝されたことで、今まで彼らが倒した古龍はカウントされないことになっている。

 すると、“Master horn”クルツが暇になるのは当然だ。

 今までは黙っていても勝手に古龍退治の話が舞い込んできたのに、それが無くなったのである。
 なおかつ、ギルドナイトとしての面倒な仕事も全部パスできたのだ。
 ギルドにおける重要人物の護衛、という名目で。

 生き甲斐を失い、面倒ごとが降ってきて、なおかつ、お互いに甘い汁を吸い合えて気も合う相手と離れる。

 それは機嫌も悪くなろうというものだ。
 だが、いつまでも聞き分けのないクルツを相手にしているわけにもいかない。さて、どうしたものか、と頭を悩ませていると“Backstab”アデナが起き上がった。

「ドボルベルグは迷い込んできたんだろう? ということは、どっかの何かから逃げてきたとも言えるんじゃないか? 例えば、『強力な飛竜』とか」

 開口一番に放たれた言葉にクルツの駄々が止まった。

「可能性はあるかの?」

「さあな? 確認しにギルドマスターの所に出頭しようぜ、“Master horn”」

 しばし、クルツは黙考すると鼻を鳴らした。

「……その理由でいってやるかのぉ……ああ、暇じゃ暇じゃ」

 どうやら暇つぶし程度にはなる、という思考になったらしい。
 ギルドマスターの所に連れて行って貰えれば安心だ。あの手この手でクルツを丸め込んでくれるはずだ。
 『姫』がいればこういう事もなかったのだが、と嘆息しつつも、ラピカは旅路の彼女の身を思いやる。 


 ……『姫』は元気でしょうか? あの人ならほぼ万全とも言えますが……。




 物語はフラヒヤ山脈に舞い戻る。
 昨夜の雪が、柔らかい深雪の抱擁となって大地を覆う。
 その雪を蹴立てながら、“群れ”と“二人”は対峙していた。

 群れは猿の群れだ。

 猿は白猿 ブランゴだ。

 冬場のフラヒヤ山脈において、体毛を白く生え替わらせることで、保護色として飛竜に狩られることを防ぎ、迷彩として獲物に近づくことを容易にする。
 さらに群れとして動くことで様々な役割を分担している。

 斥候、囮、狩猟、探索、子育て。
 ブランゴの社会は分業という概念が発達しており、狩人がもっぱら出会うのは斥候と狩猟と囮だ。

 囮は群れの長に寵愛を受けた雌が担当する。
 長の強烈な匂いをその体になすりつけているため、風上にいれば、力が弱くても嗅覚が効く獲物は雌がいない風下に逃げる。
 そこを待ち受けた狩猟役が狩るのだ。

 つまり、ブランゴの雌雄の見分けがつくのなら、“単独”で“護衛もなく”、“群れで守られるべき”雌があからさまにこちらから確認できる位置でうろうろしている時、風下には強力な長や狩猟役の雄達が待ち受けている。


 それが隊商や狩人の危険回避の知恵なのだが、この二人組の片割れはまるで違った。


「コーティカルテ殿~、我輩の手伝いは要るでござるか?」

「要らぬ! アレはわらわの獲物故、そなたは下がってブランゴの相手をしておれ!」

 雪よりも遙かに剛胆な白の甲殻鎧 グラビドXに、稀代の英雄銃騎槍 エンデ=デアヴェルトを持った狩人。
 その名を詩に詠われた“Sir.”スティールは、今回の護衛対象者の血気盛んにして勇猛果敢であることに手を焼いていた。
 現状を一言で言い表すなら、

 ――自ら進んで危険に飛び込んで、勝手に切り抜けて帰ってくる。

 というものだった。
 護衛の仕事として止めるべきだと思うのだが、何しろとてつもなく強気で言うことを聞かない。なおさら、腕っ節も半端ではない。あの“Master horn”と共に旅をして生き残っているのだから、それも当然だ。

 言われた通り、ブランゴを適当にあしらっていても、『彼女』は傷一つ負わないだろう。

 あの最速の狩人“Master horn”クルツと共に旅をしたことがある、ということは“Master horn”クルツが勝手を言い出しても、喧嘩なり交渉なりの手段で押さえるなり、諫めるなり出来ると言うことだ。


 ――『彼女』は囲まれていた。

 足場は深い新雪。
 柔らかく、足場としては不安定な場所だ。
 その四方をブランゴに囲まれながらも、彼女は無手のまま、群れの長を見ていた。


 ――雪獅子 ドドブランゴ。


 全長10mの巨大な猿である。
 もちろん、能力はそれだけにとどまらない。
 この新雪の上でも機動性を失わないように深い剛毛に覆われた四肢は、フラヒヤ山脈の旅人達にとって脅威の速度をその身に与える。
 その剛毛の下で確かにある野生そのものの筋肉は、人間を遙かに凌駕する剛力の塊だ。
 何よりも、一番厄介なのは集団で襲う知恵を持ち合わせていることだ。

 白猿達の長として君臨する雪獅子の咆吼が、この雪山に響く。
 野生と剛胆さを響かせる咆吼は人間よりも力が在ることを示す証明だ。

 そして、白猿達の攻撃の合図となり、『彼女』の四方から一斉に白猿達が襲いかかった。



 突然だが、ここで質問をしよう。

 ――動物に手を伸ばしたことはあるだろうか?

 家に飼われている猫や犬ならそのまま撫でられるだろう。
 だが、野生動物の頭に手を置こうとすると、彼らは恐ろしいまでの速度で反応を示す。
 その速度は凄まじいが、驚嘆すべきはその速度だけではない。


 ――反射神経。


 そう、彼らは行動の初動作を起こすまでに要する時間が恐ろしく短いのだ。
 これはとても強い武器となる。
 将棋で言うならば、彼らが一手を打つために要する時間は、我々の半分である。
 そう言えば、分かりやすいだろうか。

 これが運動を繰り返し積み重ねる戦闘や狩猟において、大いにアドバンテージを持つ。

 我々が動物に追いつこうと悪戦苦闘するより早く、我々を見物することが出来る。
 我々が立ち上がろうとするより早く、走り出すことが出来る。
 我々が武器を抜くよりも早く、首筋に牙を突き立てることが出来る。

 これが野生動物の強みだ。



 ――そして、『彼女』の強みの一つなのだ。



 足下は柔らかく積もった新雪。
 ならば、『足場を選べば』いい。
 幸いなことに周囲にはいくらでも足場がある。

 例えば、今飛びかかろうとしているエテ公とか。


 それは蹴りではないのだ。
 『彼女』に飛びかかろうとしているブランゴを。
 四方八方から襲いかかろうとしているブランゴを。

 踏んで踏んで踏んで踏んで踏んで、加速しているだけなのだ。

 結果として、縦横無尽に動いて飛び蹴りでブランゴ達を片付けているようにしか見えない。

 ドドブランゴが驚嘆した時にはもう遅い。
 『彼女』の赤髪は華やかに舞い、赤い板金鎧 カイザーXの影が跳躍してドドブランゴに迫っていた。

 その右手に引き抜かれたのは間違いなく業物 封龍剣【絶一門】!

 振り下ろされる刃にドドブランゴは髭をかすらせながらも、必死に飛び下がる。
 必死のドドブランゴは、眼前の相手をノロマの人間とは思わない。
 配下のブランゴ達に襲うように命令。
 嫌な顔をするブランゴ達を睨んで従わせると同時に、自分の足下の雪を掴む。

 ――ブランゴよりも遙かに反射神経の高い相手。

 なら、避けられないように周囲を囲んで攻撃するだけだ。
 ブランゴ達が再度襲撃を賭けた時には、ドドブランゴの目当ての雪――いや巨大な雪塊――は見つかった。

 ――ブランゴを足場にしようとするなら、ブランゴを巻き添えにしてしまえばいい。

 反射神経の高い相手への必勝策を躊躇無く実行。
 野生ならではの容赦のなさと言えよう。



 ――だが、彼女も一切躊躇無かった。
 ――足場にするブランゴを雪塊に向かって蹴り飛ばしたのだから。



 ピンボールのごとく蹴り飛ばされたブランゴが、『彼女』に向かっていた雪塊に頭から突っ込んでいった。
 悲劇は足場にも囮にも盾にもされたブランゴ達であるが、ドドブランゴは必死である。
 再度後退して『彼女』から距離を取ろうとした時、眼前に何かが投げ込まれた。


 ――狩人の必勝道具、閃光玉だ。


 ドドブランゴの眼前で炸裂して、閃光と大音量を撒き散らす無形の衝撃は大猿の野生の意識を一瞬だけ大きく蹴飛ばした。
 刹那の間、気絶したドドブランゴが再度覚醒した時。


 大猿の視界には、赤い双眸の少女の顔に浮かぶ不敵な笑みが目の前まで迫ってきていた。

 ――そして、それがドドブランゴの最期に見たものとなった。


 閃光玉が作った一瞬の隙に、ドドブランゴとの間合いを詰めた赤い双眸の少女――“Red eye”コーティカルテは、その首に封龍剣【絶一門】を突きこんだ!


 太い筋肉を断裂させ、軟骨を叩き切って、頸椎の硬骨を避ける鮮やかな首切り!

 交錯の一瞬でその複雑な斬撃角度を見切った確かな一撃は、ドドブランゴの首を跳ね飛ばすことで威力を証明した。
 コーティカルテはさらに自分の数倍もの巨体を踏みつけ、まだ状況を理解しきれていないブランゴ達を睨み、叫ぶ!!


「――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッッ!!」


 原初の叫び。
 勝者が勝利を叫び伝える一方的な快勝宣告。 
 言葉の通じぬ野生の猿共に、平手打ちのごとく言い聞かせる意思の奔流だった。


 全くもって出番がない。
 この戦いにおける“Sir.”スティールの感想はそれしかない。

 大胆にして勇敢。
 実力も機転もある勇者。
 今も勝利に笑う美しい少女。

 それが彼にとっての彼女だった。


 “Red eye”コーティカルテ。
 “Sir.”スティール。
 フルボルト。


 もう一人の紹介をもって、物語を始めよう。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 3
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:dc50bd4d
Date: 2011/09/09 22:20
 ほとんどのガンナーの朝がそうであるように、彼の朝もボウガンの整理と弾薬作成に追われる。
 アシュフォード商会により常に最新のボウガンと最新の弾薬を提供される立場の彼であるが、使うものは昔からあまり変わらない。
 鬼ヶ島と呼ばれるボウガンの構造は、木のフレームに鉄の銃身を当てはめたものだ。
 このボウガンもアシュフォード商会によってGの業物となっている。
 新大陸の武器故にいまだ呼称も決まってはいないが、仮にそれを鬼ヶ島と呼ぶことにしよう。
 この木のフレームが彼にとっては都合がよい。

 長い時間滞在できる時には、木のフレームを分解してグリップの部分を削る。
 もし、削り過ぎたり軽くなり過ぎたりすればフレームを交換して一から削り直す。
 竜人に弟子入りして身につけた技術だが、上手くいく時は射撃の調子が良くなる。
 しかし、上手くいかないからといって、道具のせいにも出来ない。
 そう言う時は池の水を水鏡にして、射撃姿勢を確認する。
 上手くいかない時は射撃姿勢が良くなっていない場合が多い。
 客観的な視点に基づく全体評価なくして、技術の向上は有り得ない。

 ボウガンの工程過程における欠陥や各部パーツのメンテナンスにおける微調整の失敗、射手自身の技術および体調における精度の上下はという数々の乗り越えるべき要素はあれど、この種子島Gはライトボウガンの中でも極めて調整が難しい。

 理由は弾薬にある。

 ライトボウガンの強みはその軽さだ。
 軽い故に機敏な動きと再装填速度を確保した武器なのだが、その分ライトボウガンの弾丸に充填できる火薬の量は少ない。

 だが、鬼ヶ島の強みはライトボウガンながらも、弾丸そのものが重い徹甲榴弾を連射できることにある。

 当然、それは鬼ヶ島に多大な負担を要求する。
 整備の腕が半端なガンナーなら鬼ヶ島を選ばない。

 余談だが、“F・F”ミサトのクイックシャフトも装弾できる弾丸の種類の数が多すぎるため、整備には広い弾丸の知識を必要とする。
 もっとも、ミサトは母親が料理のレシピよりも弾丸の調合リストの方をきつく教えられていたため、狩人なら当たり前に兼ね備えている知識としているのだが。

 話を戻そう。
 この狩人がフレームの調整をしてまで、精度を求めるには理由がある。
 どちらかというと、性格的な理由なのだ。

 木のフレームに鮫革で何度も磨きをかけ、手になじませようと何度もこすり、形が違うとナイフやヤスリで削っては必死に手に合わせる。

 フレームの強さはボウガンを安全に扱うための生命線だ。
 しかし、軽さこそがライトボウガンの強みだ。
 そして、正確な射撃こそがガンナーに求められる。

 そのためには手になじまないといけない。
 手に適合し密接にマッチしたフレームは、恋人の愛撫のように使用者の肌へ吸い付き始める。そういうものは手の中で適度に滑り、収まっているのが運命のようにこの手とライトボウガンを繋いでくれるのだ。

 それと比べればなんだ、このフレームは

 木の木目を読み切れていない。
 全ての素材が全て満遍なく決まった素材で出来ているとは限らない。
 それの最たるものが木のはずだ。
 木が春夏秋冬を過ぎる中で日照時間や温度の変化によって、木の幹が太くなっていく速度の違いが色の違いとなって現れ、それが年輪として形成されていく。
 つまり、人類にとってなじみのある木という素材ですら、硬い場所と柔らかい場所が交互に存在する素材なのだ。職人だけが分かるかすかな違いなのだが。
 だが、自分の繊細な肌はその違いを感じ取る。
 硬い所はあまり削れず、柔らかい場所は良く削れる。
 それが意識しない凹凸として現れる。
 この凹凸はミクロン単位の凹凸なのだが、人間の感覚は実に繊細なのだ。
 例えば、歯はミクロンの薄さのものですら異物として感じ取る。
 熟練した職人の手指感覚。その精密さは推して知るべきである。


 ――納得が出来ない。この出来は納得できない
 ――それは追求されなければならない。
 ――実践し、思考し、追い求めなければならない。
 ――このボウガンに命を賭けるのだ。納得して命を賭けるのだ。
 ――なら、納得した出来であるはずなのだ。
 ――しかし、自分の手指は理想とすべきフレームを作り出せない。


 この世の極上を作り出そうとするストレスは、彼の精神を締め上げる。
 一日の最後の仕上げとしての整備は、いつの間にか反対側の窓から日光が指してくるまでの時間がかかってしまっていた。
 それでもまだ出来ない。


 ――もしかして、自分には永遠に出来ないのではないのだろうか


 そこまでの精度を求めなければいいのに、彼はついにその結論に至ってしまった。
 灰色の頭を掻くたびに、隈が多い目もこする。痩せて繊細そうな顔を歪め、彼は行き場のないストレスを叫びとして宙に放った。


「どうすればいいのですか。3Uは全く分かりません “吹奏不敗”師匠ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」 

「うるさい、まだ早朝だよ、」

 同室のフルボルトがバックパックから鉄製の水筒を投げつけ、後頭部へ直撃を喰らったはそのまま気絶し、ようやく眠りについたのだった。



 アシュフォード商会のフルボルトと3U。

 新大陸にて売り出し始めた狩人である。

 彼らは昔孤児であった。
 飛竜に親を喰われたのだ。 

 だが、仇はすでにいない。
 当時、狩人として絶頂期であった“Master horn”クルツが気まぐれに飛竜を退治し、泣き止まない彼らを放っておけずに、飛竜退治を依頼したアシュフォード商会に押しつけたのだ。

 ちょうど、アシュフォード商会の若旦那は妻を流行病で喪ったばかりであり、“養子”ということで彼らを預かった。

 さて、アシュフォード商会の売りはいわば開発力である。
 試作品の弾丸。新たなガンランスの機構。整備しやすいボウガン。研ぎやすい伸縮式ランス。
 新規開発より既存の商品をより使いやすくすることが得意であった。

 だが、これには一つ問題があった。

 いまいち信用が置けない試作品の武器は狩人達になかなか試して貰えないのだ。
 常に狩人達に高額の危険手当を払わなければいけないのだが、これを払うと言っても受けてくれる狩人が常にいるとは限らない。
 考えれば当然だ。
 不具合を起こせば、危なくなるのは自分の命だからだ。
 それでも、なんとか狩人に頼み込んで使って貰い、アシュフォード商会はやってきたのだ。

 だが、ある日その問題は現実的な脅威となった。
 開発した新型弾丸が暴発したのだ。
 暴発の噂は瞬く間に広がった。
 誰もアシュフォード商会の武器を使わなくなった。

 それは開発力を売りとするアシュフォード商会にとって死活問題となった。

 新しい武器を作り続けることで、得ていた利益が無くなることが商会の活力を奪った。
 昔の勢いは衰え、試すことの出来ない武器は次第に精度を落としていった。


 そんな時に命を投げ出したのは、まだになったばかりのフルボルトと3Uであった。
 もっとも、彼らにとってみればアシュフォード商会の開発手段は慣れたものであり、現場で不具合が生じれば彼らなりに改良して使うことが出来た。

 こうして、アシュフォード商会お抱えの狩人 フルボルトと3Uは新兵器の実践者として下位、上位と順調に成長し、になった今、

 ――彼らは新たな狩人として、その実力を認められつつあった。




 フラヒヤ山脈は天下の険である。
 特に真冬の登山ともなれば自殺行為とも例えられる。
 そんな中、商品を持って商隊が通るのは、昔なら遭難の可能性すらあることであった。

 しかし、今ではそうはならない。
 滋養と強壮で知られるホットドリンクとクーラードリンクの普及は、人類が極地で活動できる幅を大いに広げたのだ。
 そして、狩人の防具は一部を除き、生物の甲殻や肌である。
 体が冷える金属よりずっと極端な冷気に対して強く、毛皮を纏えば護衛として十分な働きが出来た。
 護衛対象は二両の大型のソリと三頭のポポだ。
 寒さに強く、雪に沈みこみにくい毛皮に包まれた大きい足を持ったポポはフラヒヤ山脈を渡る隊商には必需品といってもいい。
 フルボルトは先頭のポポを先導しながら、方位磁石と地図を頼りに進む。
 すでに何度も通った道だ。地図には特徴的な地形が書き込まれ、気球で観測されたものからさらに独自の手直しがされている。
 道に関しては抜かりがない。地形を覚えているため、厚い雲で方位を見失おうともたどり着ける自信がある。

 問題は別の脅威だ。

 フラヒヤ山脈は様々な脅威が存在する。
 フルフル、ドドブランゴ、ティガレックス。
 これらの飛竜が縄張りとしている。
 どの飛竜も縄張りが常に変わる。
 食料が豊富な地帯へ移動し続け、獲物を追いかけて真冬の山でも迷い込んでくることがあるからだ。
 一番怖いのはフルフルだ。強さはともかく、音もなく接近してくるために護衛対象が喰われることも良くある。
 雪避けのために造られたトンネルに住み着く場合もあるため、狩人が先導して危険を確認する必要がある。
 さらにが左右と後方を警戒して、見落としを防ぐ。
 逃げられないとなれば二人で一斉に仕掛けたりもするが、ほとんどの場合はが足止めするだけで逃げ切れる。

 これが彼らの護衛のやり方だ。
 さて、そんな手慣れた彼らでも、この日、信じられないものに出会った。

「おーい、そこの商隊 この素材を買わぬかー そこらでちょっかいかけてきたからついでで狩ったんじゃが、重くて構わん」

「コーティ殿、考えなしに狩るからでござるよ。無用な狩猟は控えるに限るでござる」

 この極寒の世界で商談をかけてくる狩人達だった。
 フルボルト達が姿を確認するよりも先に、大きな壺ほどの大きさのものが彼らの前に投げ出された。

 商人の一人が悲鳴を出そうとして慌てて飲み込んだ。


 ――白い大型猿類の頭部……つまり、白獅子ドドブランゴの首だった。


 狩った狩人はこの寒空も笑い飛ばしながら近づいてきた。

「ついでに、わらわ達を運んで欲しい。じゃから、その素材は格安で売るぞ」

 フルボルトは赤い板金鎧の狩人少女と白い甲殻鎧の騎士を知っていた。

 “Slayer”ルファードと同じGの狩人。


 ――“Red eye”コーティカルテと“Sir.”スティールなのだった。
 コーティカルテとスティールが商隊に話しかけてきたのには理由がある。
 彼らは三日前にフラヒヤ山脈へ到着し、こうやって商隊をハシゴにしてフラヒヤ山脈を往復している。
 アシュフォード商会の商隊はちょうど二隊目に当たる。


 さて、ここで“Red eye”コーティカルテの目的と目論見について話そう。


 事の始まりは六日前。
 つまり、“黒白憤鳴”のディアブロスとの死闘の翌日である。
 アルフリートとヨシゾウが体の痛みを堪え、苦痛を噛みしめている状態に比べ、スティールの状態は良好といって良かった。

 スティールはとにかくタフなのだ。

 最硬とも言えるグラビドXに、2mの巨体の生命力。
 何より護衛対象を守りきることを矜恃としている男は、誰よりも倒れてはならないのだ。

 故に、ここで誰かの依頼を受けようとも二つ返事で返す自信が彼にはある。
 相手を見て、穂先を向ける方向を変えはしない。
 普段からそう心掛けている彼にとって、死闘であろうと平然としているのは至極当然とも言えた。

 だが、そんな彼でも笑顔で寄ってくる彼女に平然といられなかった。


――“Red eye”コーティカルテ。


 狩人の世界では、彼女はこう評価されている。

 ――“Master horn”クルツの相棒。
 ――古龍退治希望者にして達人。
 ――天よりも高いプライドに、ティガレックスも泣いて逃げ出す暴れん坊。

 優秀な狩人であるGの狩人とも言えど、付き合いやすいタイプとは言い難い。
 むしろ、自分と同等以上の強さを持つため、扱いに苦労するタイプとも言えた。
 しかし、アルフリート達のように狩りを“不可避の仕事”と捉えて、真面目に取り組んでいるGの狩人も珍しいと言えば珍しい。
 世で「達人」と言えば、扱いが難しいと相場が決まっているのだ。

「スティール卿、困ったことがあるんじゃが、ちょっと相談に乗ってはくれまいか」

「我が輩はそちらに“卿”と呼ばれる身分ではござらぬよ」

「『スティール卿』、ドンドルマが今大変なのは知っておるな」

 こっちの話を聞く気がないのがよくわかったスティールは、とりあえず話を黙って聞くことにした。

「狩人不足でござろう」

 “黒白憤鳴”のディアブロスが大暴れした時、ドンドルマに在籍していた狩人はそのほとんどが“黒白憤鳴”のディアブロス退治へと投入された。
 もっとも、半分近くが返り討ちにあってしまい、今やギルドは今日明日も舞い込んでくる仕事をなんとかしようと、動ける人間に複数の仕事を任せているのが現状である。
 動ける狩人には稼ぎ時であるが、全てをこなすにはあまりにも仕事の量が多すぎた。

 だが、“Red eye”コーティカルテはギルドナイトである。

「ギルドナイトの仕事を狩人不足だからと言って、我が輩にやらせても良いでござるか」

 ギルドマスターより一人前のマスターとなるべく数々の仕事を任されているとも聞いている。
 ギルドナイトの仕事とは、法の番人と狩場の保証だ。
 それはとてもじゃないが、ただの狩人に任せられる仕事ではない。
 そして、世に『高潔』として謳われている“Sir.”スティールに任せられる仕事でもない。
 ギルドとしては、ベビーフェイスに汚れ役をさせてはいけないのだ。

 そういう事情を含有した表情を見せるスティールに、コーティカルテは懐から『石』を取り出した。

「今回はいつもと違うのじゃよ、スティール卿……こういう相手じゃ」

 スティールは何も言わずに、その石を手に取った。
 『石』は鋼の塊だった。
 鉱石とも見えるが、それにしては妙に純度が高い。
 しかし、インゴットのように直方体の形をしてはいなかった。大きさはスティールの拳よりも大きく、円状であった。
 そして、よく見るとそれは『鱗』のように見え――――。

「――――これはっ」

 その鉱石の端に付着しているものが問題であった。


 ―― 一定のリズムで律動している『肉片』なのだ。


 急速にスティールの中で全ての疑問に正解のピースがはまっていく。
 つまり、これは鋼の龍鱗であり、この龍鱗の持ち主は剥がれた組織が数日間も活動するような生命力を兼ね備え、何よりも恐ろしいのは――――。


「古龍観測所の気球に突き刺さっとったらしい。ドンドルマより東方の海上を北進し、フラヒヤ山脈へ向かっている低気圧に“奴”は潜んでいるようじゃ」


 ――このドンドルマから数日もたたない距離に“奴”がいるということ

 コーティカルテは全てを理解したスティールに、その赤い双眸を微笑ませた。


「相手は“鋼龍”クシャルダオラ――ギルドナイトも出払とって人手が足りないのじゃ。手伝って貰うぞ」

 その後、ずいぶんと悩んだスティールではあったが、断るにも断れない依頼についに首を縦に振ってしまったのだ。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 4
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:dc50bd4d
Date: 2011/06/24 18:44
 突然の客人をなんとか受け入れたアシュフォード商会は、夕刻になると風を伴い始めた降雪に、これ以上進むのを諦めた。

 まだ、風は枝葉を提琴の弦のように振るわせるだけで強さを伴っておらず、空気は刺すように冷たいものの、毛皮に包まれた体を前にしてまだ緩いものとなっていた。
 しかし、夜になれば寒さがその身を固め、厚い雲故に陽が落ちるのもきっと早いだろう。
 山への闖入者達に対して、色を直して出迎えるように、白粉のように白い雪は降り続け、陽が落ちて暗闇が辺りを支配し始めると、白さは闇に染まっていった。

 備蓄されたホットドリンクを切らさぬように一舐め一舐めしながら、フルボルトは出来うる限りの着物を着て寝た。
 着物そのものが体を圧迫して寝苦しくもあったが、それがこの寒さを凌ぐためには必要なことだと割り切って寝た。

 ――――そんな時でも夢を見た。




 夢には二種類の意味がある。


 一つは、自分の未来において叶えたい願望である。
 もう一つは、睡眠時に見る不定形の印象のことだ。

 不思議なことに、それは両方の意味を持っていた。


 過去の話である。
 

 フルボルトには夢があった。
 狩人として大成する、という夢である。

 純粋な実力主義。
 出自を問わずに強ければ重用されるその世界は、親を持たないフルボルトと3Uにとっては都合が良く、彼らはその世界に足を踏み入れた。
 聞こえてくる強者の話に、時には憧れ、時にはおののき、目指すべきものとして正直に受け取った。

 その中で、特に感銘を受けたのは大剣の英雄の話だ。

 剣には栄光の歴史がある。
 槍よりも多くの金属を使い、ハンマーとは違い一塊の金属を刃と成すその錬成には鍛冶としての技を問われ、価値あるものとして扱われた。
 歴史に語られる王達が手元に置きたがるのは、槍でもボウガンでもなく、剣であった。

 故に、大剣は狩人の花形なのだ。
 狩人の英雄は大剣であるべきなのだ。


 ――だが、大剣の現実がそれを阻む。


 強大すぎる攻撃力の実現のために、人が持つには重すぎる重量を持った巨大な刃。
 それを運用するために、“龍”そのものとなった“Slayer”ルファード。

 あまりにも、理想とかけ離れた大剣の英雄。
 あまりにも、禍々しく猛る力の現実。

 ――そして、フルボルトにとっても、それは他人事ではないのだ。

 複雑な機構を宿したが故に、重さを宿してしまった刃。
 機構を身に持つが故に、脆弱性を獲得してしまった武器。

 本当のGの飛竜が目の前に現れた時、フルボルトがルファードと同様の道を歩まない、という確証はない。

 何故なら、自分は失敗が許されない。
 フルボルトには死ぬことが許されない。
 護衛の狩人が死に、商隊が全滅するだけでは話は済まない。
 アシュフォード商会の武器を使って死ぬことは、第二の信用の凋落に繋がる。
 そうなれば、命を張って狩人をやってきたことも、これまでアシュフォード商会が下積みしてきたことも無駄となるのだ。

 フルボルトは死ねない。
 絶対に死ねないのだ。
 ルファードの真似をすることが力を得る手段だと言うのならば……。


 夢の中のフルボルトがその手段へと手を伸ばそうとしていた時、


 ――――突如、無視できない物理的な重量がフルボルトの腹部にのしかかった。


「ごぶぅ」

 3Uが拳でも振り回したかと思ったが、拳にしては重すぎる。
 夜の暗闇の中で動く影は明らかに人の形をしていた。

「ルファード、とか寝言で抜かしていたが……」

 闇夜の中でも光る歯が、その人影が笑った事を示していた。

「……お前、“Slayer”ルファードをどこかで見たのかや」


 フルボルトの上に飛び乗った“Red eye”コーティカルテは、獲物を見つけた狩人の笑みを眼下のフルボルトへ向けていたのだった。







 さて、物語は数ヶ月前に過去へと遡る。

 この過去への回帰は必要なものだ。
 何故なら、いまだにこの物語――MonsterHunter Soul Striker――において何度も登場しながら、個人的な話をまるでされていない人物が『三人』もいる。

 一人は、“Backstab”アデナ。

 彼女の話は今回は見送らせていただこう。第五話では彼女の接点はない。

 そして、もう二人。

 ――偉大なる銃騎槍騎士 “Sir.”スティール。

 ――奔放なる天才剣士 “Red eye”コーティカルテである。


 この回帰はコーティカルテの為にある。


 まず、コーティカルテを語るのならば、前述された風聞を鵜呑みにしてはならない。
 彼女は旅の目的を持っている。

 古龍退治。
 ギルドマスターへ認められること。 

 それは後に一族の長としてギルドを率いねばならない、長子としての役割以上に個人的な動機が存在する。


 全ては数ヶ月前から始まった。


 獣竜種といえば新大陸にて発生された新たな竜の分類である。
 揃って体躯が大きく、二足歩行で動く。

 土砂竜ボルボロス。
 爆鎚竜ウラガンキン。
 恐暴竜イビルジョー。

 飛竜と違い、飛行こそしないがその体の大きさとパワーは飛竜に勝るとも劣らぬ竜種である。

 中でも、尾鎚竜ドボルベルクはその最たるものと言えた。


 主食は木であるため、人が喰われるということはない。

 だが、植物のカロリーは低いと言わざるを得ない。
 キャベツのカロリーは100gにつき23kcal。
 人間の成人がキャベツのみで必要なカロリーを賄おうとすれば、キャベツを約9㎏食べなければならない計算となる。
 もっとも、草食獣は植物繊維に対する酵素を持っているため、この限りではないが、それでも20m以上の巨体を持つドボルベルクの巨体は広大な森林なくしては、維持が不可能である。

 故に、自分の食物を確保せねばならぬ為、子を育てる役割を持つ雌以外は単独で独自の縄張りを持ち、外敵に自分の食料である『森』を荒らされようにするため、非常に縄張り意識が高い。


 尾鎚竜ドボルベルはその巨体故に発見は容易だ。
 森を通る際に、以上の巨体が作る轍を見つけたら、それがドボルベルグである。
 なので、慣れた狩人ならドボルベルクと不意の遭遇などというヘマはしない。


 ――だが、血気盛んで知られる“Master horn”クルツと“Red eye”コーティカルテは、むしろ望んで戦いに行ったのだった。


 ただのドボルベルクなら無視して通り過ぎる二人だが、轍の大きさから推測される大きさは25m以上。
 『金冠』と呼ばれる大きさのドボルベルクを、「普通より大きいから、ちょっと狩ってみようぜ」、という気安さで狩りに行くのはこの二人ならではだった。


 そして、巨体故に当然としてあるドボルベルクの生命力に少々手を焼いていた時だった……。



 “Master horn”クルツが疾風の速度でドボルベルクの突進をかわす。
 だが、問題はどちらかというとかわした側よりかわされた側だ。

 全長25m超過のドボルベルクの体高は10mを超えかねない。

 物見櫓の高さと大倉庫の幅広さを兼ね備えた建物と言えば、ドンドルマの大老殿だがそれが猛牛の速度で迫ってくるなど悪夢に等しい。
 もっとも、ドンドルマの巨躯の竜人 大長老がその昔、老山竜ラオシャンロンと相撲をとったという話を知っているクルツは、この程度で音を上げるわけにはいかない。


 突進で少しの距離が開くと、クルツに向かって6mほどの大きさの岩塊が上から降ってきた。
 もちろん、それは岩塊などではない。


 ――ドボルベルクの尻尾の先だ。


 例えるなら、巨木の切り株が上から落下してくる感覚だろう。
 だが、潰される身分としては岩塊も切り株も大差ないのだろうか

 どのみち、クルツには当たらないので分からない。
 着用者に素早さを授ける“Master horn”クルツのキリンXは、クルツが狩人として熟練の域に達してからというもの、自分の血や無様な土汚れが付いたことなど年に数回あるかないかだ。


 さらに、クルツには技がある。
 これは生半可なことでは習得できない技だ。


 何故なら、飛竜や獣竜はその巨体故に人を怖れる必要がなく、人の攻撃を「回避」しなくても命の危機にそう簡単には至らない。
 その前に、攻撃を当てて人間を叩き潰せればいいからだ。
 だから、飛竜相手にひっかけやフェイントはまず通じない。

 しかし、それはドボルベルクが頭を下げた一瞬に起きた。
 ドボルベルクの分厚い目蓋。
 羽虫や蜂が人の眼球にかすめるように、“Master horn”クルツの白い姿が眼球に映る。


 顔面への打撃からとっさに身を守るための防御反射。


 『反射』であるために堪えることは出来ない。
 ドボルベルグの腕は短く、頭部には届かない。


 ――頭を上げるしかない。


 一瞬で良い。
 動作が止まれば良い。
 それは常々動き続けるから狙うのは一苦労なのだ。


 ――後脚の拇指。 


 蹄を避ければ、足の指は感覚神経の塊だ。
 神経の少ない胴体とは違い――――とても、痛い


「……――――――――ッッッ」


 筆舌に尽くしがたい痛みに、声無き絶叫が吠え上がる。
 巧みに自分と相手を支配して戦いの主導権を握る、“Master horn”クルツの戦い方は技の境地と言っても良い。
 だが、それは相手を支配しなければ主導権が握れない、と言うことだ。

 何故か

 年をとれば人間には老化が起きる。
 肺には繊維組織が入り込んで柔軟性を失い、動脈は硬化して弾力を失い、筋量は減少して力そのものが失われる。
 故に、年をとれば人間の身体全体の力は失われていく傾向にある。

 だが、“Master horn”クルツはそれを座して待つほど諦めの良い人間ではない。それにすら訓練を積んで抗おうとしていた。
 それは過剰な訓練量から往時の体より痩せる結果となった。
 速さを維持しようとして痩せた体では、ドボルベルクを圧倒する力を生み出せないのだ。



 ――――それ故に、この運命は必然と言えた。




 起き上がったドボルベルクが突如として、その尻尾を振り回した。

 さて、ここで不思議な話をしよう。
 体重――さらに詳しく言うべきなら重心――は移動する、と言う話だ。

 想像に難い話ではない。
 何故なら、人体ですら時速150kmの剛速球を投球する時に、血液に与えられる遠心力によって血管が断裂するのだから。
 体の中で強遠心力を加えれば、重心を移動させるほど大量に移動するものがあってもおかしくはない。

 これも想像に難い話ではない。
 人間の70%は水分で出来ている。
 ドボルベルクの体組織の何が水分なのであろうか



 振り回し、振り回し、振り回しきって与え続けた遠心力がドボルベルクの体内から尻尾の先へと水分を移しきった時、


 ――尻尾へ移った重心がその遠心力の赴くままに、ドボルベルクの体を空中へと跳ね上げさせた


 空へと舞う25mの巨体。
 大木を空中へ放る神話の巨人のような風景。
 巨大過ぎていまいち現実感が薄れるも、もしも自分の体へと降ってきた場合、老人だろうと少女だろうと容赦なく轢き殺す現実に我を取り戻し、コーティカルテと共に全力で麓の方向へ逃げた。

 重力という大地の束縛からしばし解き放たれたドボルベルクは、投射物に似つかわしい回転と共に落下してきた後、大地へと轟音を立てて着地、いや、着弾した

 さて、この時の悲劇は、被投擲中おかしな言葉だが、自分で自分を放り投げるドボルベルクには似つかわしいと思うのドボルベルクでも、多少の身体制御が可能である、ということだ。

 つまり、麓に向かって走ろうとしたクルツ達を追って、ドボルベルクが麓の方向へ着弾方向を曲げていたのだ。

 大地に着弾したドボルベルクは角度のある坂をバウンド。

「なんじゃとーーーーーー」

 麓の方向へと跳ね上がり、木や岩を押し潰しながら転がり、25mの大木でもなく巌でもなく、転がるドボルベルクに追われることとなったクルツとコーティカルテはさすがに余裕が無くなった。

「どうするのじゃ どうするのじゃ、クルツ」
「ワシに聞くな とにかく突っ走るんじゃ」

 しかし、走れば走るほど転がるドボルベルクのスピードは増していく。
 こんな時にも似たようなフォームで走る二人組を無慈悲な巨体が追い詰める


 そんな時だった。
 深い森の木々を蹴立てながら、信じられない速度で黒い疾風が二人に近づいてきたのだ


「にぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 勇猛果敢にして怖れ知らずの突撃敢行
 どんな巨大な飛竜にも一直線に近づいていく槍の使い手。
 着るは黒い黒殻鎧 ディアブロZ。背には 大竜騎槍ゲイボルガ

 転がる巨体のドボルベルクに一切の怖れをみせず、“Straight”ルカがクルツとコーティカルテの二人を横からかっさらった


「ルファにゃーー」


 ――龍は巌を怖れない。
 ――龍は巨木を怖れない。
 ――何故なら、それらは下にある。
 ――我が下にあって、踏みしめられているが分相応。


「覇ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」


 力に漲るは、レウスXを着用した身体。
 蓄えられる力に応じて、軋み出す身体。
 怖れは人間を止めた時に置いてきた。

 背に担ぐは嘲笑を刻んだ大剣ブリュンヒルデ。
 それは我が牙の延長。
 それが我が力の延長。

 ならば放たれん。
 たかが全長2mの金属の塊。
 25mのドボルベルクを反らすのは出来ない話ではない。


 それは地面に向かって斜め45度に向かって放たれる豪快な『突き』であった

 長大な刃は地面と水平に並べられ、ドボルベルクの足下へ向かって突き込まれたのだ。



 それは転がってくる球体の前に強引に“発射台”を設けるようなものだった。
 斜め45度に打ち込まれた長大な大剣にドボルベルクの身体が乗る。
 数トンにも及ぶ体重。
 だが、ルファードは潰される事無く耐えきり、ドボルベルクの身体を落下へと向けていた力は上向きに修正が加わった。


 ――25mの巨体が、人類の工夫一つで宙に浮く。





 その日、麓の村で子供が妙なことを言った。

「母ちゃん、ドボルベルクが空飛んでる」
「馬鹿なこと言ってないで手伝いをおし」
「えー 本当だって」


 山を轟かす轟音が、少年の言葉を真実に変えた。



 ――――その轟音がクルツの戦闘本能を刺激する。


 ドボルベルクを宙に浮かした男。
 規格外の剛力を持つ男。


 それが“Master horn”クルツと“Slayer”ルファードの鮮烈な出会いであり、
 “Red eye”コーティカルテにとって忘れられない出来事となった。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 5
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:6f17820b
Date: 2011/07/12 12:45
「“Slayer”ルファードを仲間にしたい?」

 “Red eye”コーティカルテの口から聞いた信じられない言葉を、フルボルトは鸚鵡返しに呟いた。
 
「あんな扱いにくい奴をどうして?」

 コーティカルテは明快にその問いを応えた。

「アイツは力持ちじゃぞ。それも規格外の。ギルドに組み込めばいい戦力じゃろ?」

 フルボルトは手を横に振った。

「いやいやいやいやいやいやいや」


 フルボルトの知る限り、“Slayer”ルファードにギルドとの接点はない。
 なら、こちらから勧誘するしかないのだが、金や地位が通用する相手とは思えない。
 戦闘することを好む“Master horn”クルツのような例外ならともかく、奔放や野生を通り越して“龍”そのものになりつつある彼を従わせることなど出来るのだろうか?


「無理でも、不可能でもない。奴には狩人として足りぬ物がある!」


 コーティカルテはそう言いきった。
 不思議な言葉だった。
 “龍”になろうとする人間にして、絶対的な力を持つ“Slayer”ルファードを、「狩人として足りぬ」、と言いきったことだった。

「狩人として足りない?」

「そうじゃ!」


 ――狩人とは何か?

 近くにいたのだ。
 圧倒的な暴力に退かず、怯えず、力強く向かっていった先達を。
 故に完成度としては彼は足りない。
 “Slayer”ルファードは、彼にはまだ及ばない。


「――その道 50年の“Master horn”クルツには及ばなかったのぅ!」




 簡単に言えば、クルツは上から見られることが大嫌いだった。

 強さとは力の大小ではない。
 筋肉の減ってきたこの老いた身体で飛竜達を相手にそれを証明してきた。
 だが、目の前には力や技などを些末と言い切れる男がそこにいる。

 “Slayer”ルファード。

「礼を言っておくべきかのぅ」

 “Master horn”クルツは“Straight”ルカの腕から抜け出すと、ルファードを見た。
 ルファードもこちらを見た。

「……要らん、助けたのはルカだ」

 路傍の石でも蹴ったかのように簡単に言うルファード。

「……それはまた欲がないのぅ」

 相手の身長と大剣の標準的な長さの差から、間合いを割り出すクルツ。

「……礼とは欲でやるものか? それとも義理でやるものか?」

 鼻を動かして、何かに納得するルファード。

「両方じゃよ、一つの理由で事が決まる方が珍しいものじゃ」

 地面を足で何度も踏んで、靴の具合を確かめるクルツ。

「……それもそうだな」

 肩と腕を鳴らして関節と筋肉の狭間に入った気泡を抜き、より動作を確実なものとするルファード。


 とりあえず、剣呑な空気を発しながら会話する二人を、ルカとコーティカルテが止めた。


「にゃんで、助けたのにそんな剣呑なんにゃ!?」
「二人とも、やりあう理由がないからといって、ワザと剣呑な空気で会話するでないぞ!」
「やりあう理由ってにゃに!?」

 コーティカルテは分かり切った顔で、隣の常識人に告げた。

「ケンカをする理由じゃ」

 ルカは、「またか」、という顔で頭を抱えた。

「強い雄同士が出会えば、対決が起こるのは当たり前じゃろう?」

「そんな弱肉強食な人間がどこにいるんにゃ!?」

「わらわの家族」

 ルカは説得や誘導の類を諦めた。
 目の前の少女もルファードやあのおじいさんと同種の人間だ。
 ルファードの前にいるおじいさんもこの少女も、ルファードの気に当てられながら、全く怯える気がなく、むしろ好戦的だ。
 狩人には多い人種だ。


 ――どっちが強いか白黒つけたい。


 その原始的な衝動を至上とする者は多い。
 そうなった連中への適切な対処法は、古来から一つしかない。



 決着をつけるしかないのだ。



 二人が今互いに手を出さないのは、駆け引きとか、作戦ではない。

『決闘で先に手を出すのは格下のやること』 

 そんな非常に人間的な感情に従って、互いが手を出さないだけなのだ。
 しかし、それではにらみ合いをしたままで終わる。


 だから、ルファードは『条件付き』で先に動いた。


 大剣を地面に突き刺すと、両掌を開いて前に出し、前進を開始したのだ。

 いわゆる『4つに組む』と呼ばれる力比べを強要する構えだが、『決闘』となれば話は別だ。
 受けなければ臆病者だ。例え、圧倒的に不利であろうとも。

 ルファードは嗤う。



 ――そして、クルツも笑って両手を重ねる。 



 瞬時にクルツの手に押しつけられる万力のような力。

 だが、手を組んだ力が、純粋に腕に作用するためには、地に足が付いていなければいけない。
 さらに力が込められたルファードの腕は、クルツにとって地面と同義だ。

 クルツの軽い体重など、腕の力だけで支えられる。
 クルツはルファードの腕にぶら下がって、腕力から逃れ、自由な右足でルファードの顎を蹴り抜いた。

 ルファードと手を組んでも、この動きを悟られずにいる為にはかなりの速度とタイミングを読み切る技術を要する。 

 顎を蹴り抜かれ、思わず手を離して数歩後ずさったルファードにクルツは言った。
「どうじゃ、ワシの力は? 思わず両手を離して万歳したくなるじゃろ?」


 口答えも反論もせず、ルファードは岩同士がぶつかるような音を立てて、手を鳴らした。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 6
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:6f17820b
Date: 2011/08/08 19:42
 そのエピソードを聞きながら、フルボルトは懐かしい思いに浸っていた。
 在るが儘に生きながらも、人間として強い“Master horn”クルツの生き様を。

 悩みはしなかったのだろうか
 悩みとは無縁なのだろうか
 あったとしたらどのようなものだったのだろうか

 きっと、“Master horn”は見せやしないだろう。

 不敵な生き様のまま、『悩みなどくだらない』と突っ走っていくはずだ。
 すでにフルボルトはこの勝負の結末を半ば予想していた。

 ――きっと、“Master horn”が爽快に勝つに違いないからだ。
 ――自分達を助けてくれたあの時のように。




 力で圧倒的に勝る者と速度で圧倒的に勝る者との戦いは、常に一方的な展開となる。

 ―― 一発当たるまで、速度で勝る者が一方的に殴る。
 ―― 一発当たったら、力で勝る者が一方的に殴る。

 ルファードの目の前で、一瞬たりとも同じ場所にとどまらず、クルツが動き続ける。
 それは始点と終点だけが共通した運動だ。

 クルツはルファードを殴るために、距離を取り。
 クルツはルファードを殴るために、距離を詰め。
 クルツはルファードを殴るために、攻撃をかいくぐり、攻撃をねじ込み続ける。

 速度という領域において、ルファードより圧倒的と言ってもいいクルツは、その速度と知覚能力で全てを把握する。

 通常の人間において、殴るために振られる拳とは風の速度で襲いかかってくるものだ。


 だが、クルツは違う。
 自身が風の速度で動き回り、風の世界で生きてきた。

 風の速度で振られる拳。クルツにとって、それは


「握手でも求めているつもりか、ノロマぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 掴みにきた左手を、クルツの鋭い右ショートアッパーがはねのける。
 開いた防御の隙間に、クルツの身体が入り込む。
 ルファードが防御を立て直すよりも速く、ボディーブローの連打が三発。

 鋼のごとく硬いルファードの腹筋。
 だが、威力が徹らぬほどではない。
 勝てる手応えを感じながら、クルツは身を沈める。

 防御を放棄して掴みにきたルファードの両腕が空を切る。

 クルツは身を沈める挙動のまま足払いを仕掛け、当然それは当たる。
 そして、足払いの反動を活かして、そのまま距離を取る。


「本当に60超えてる爺さんの動きかにゃ」

 “Straight”ルカが呆れるのも当然だ。

 ルファードのあらゆる攻撃を、闇を見通すコウモリのごとく避け。
 忙しく動くことにかけてはハチドリ。
 捕まらぬことにかけては蝶。

 それを人類の高齢者が為しているという現実は、ルファードの“龍”に匹敵するほど人間離れしている。


「ああなるとわらわでも触れんぞ。完全に目の前の相手の動きを読んでおる」

「ルカでも無理にゃ」

 ルカは『二人』に呆れながら、告げた。

「でも、ルファードなら捕まえられるにゃ」



 再度、大剣の考察に戻ろう。
 その超重量により、大剣は凄まじく扱いづらい。
 扱いが難しいということは、当てることすら容易ではないということだ。

 ならば、ルファードがGの狩人たる理由とは何か


 ――そんな大剣でも、その攻撃力を活かせることが彼をGの狩人たらしめている。


 古くから人類は獣の動きを人類の技術に取り入れ、我が物として取り込んできた。
 だから、その動きは人類が扱うには少し滑稽で、ぎこちなさを感じる動きが多い。

 では、人類がそれを完全に取り込む為に必要な物は
 人類が獣ではなく、龍の動きを取り込もうと試みたならば

 人類に欠損してしまった物。
 だが、龍には確実に存在するものを取り入れるしかない。


 ――速度
 ――技術
 ――駆け引き

 ――それは人間の領域の話だ。


 全身の筋肉が破裂するような音を立てて、人類とは別の生き物のように蠢き始めた。
 目から漏れる眼光は敵意や闘志とはほど遠い。もっと、泥塗れな欲望に満ちている。
 ルファードはクルツに告げるために口を開いた。

 ――全身から発した熱を蒸気として吐き出しながら。


「逃げられるものなら逃げてみろ」


 龍のごとく猛り、
 龍のごとく怒り、
 龍のごとく嗤って、ルファードは告げた。


「一発当たれば、お前はお終いだ」

「なら、一発も当たらんよ」

 クルツも笑って前進する。

 速度と力の死闘は次の領域に達しようとしていた。




 二本足で立つ。


 それは人間が生まれた頃から感じ続ける常識で。
 当たり前すぎて忘れている感覚だろう。


 だが、それは思いつかないような沢山の要素が二足歩行を支えている。


 平行な机に鉛筆を立てたことがあるだろうか
 案外、鉛筆は立つものだ。
 しかし、それが歩きだし、走りだし、素早くフットワークを刻んで、時には横殴りの風や雨にも負けじと足を踏みしめる。

 動くためには駆動するための筋肉が必要だ。
 重心をコントロールするためには二本目の足が必要だ。
 バランスをとるためには三半規管が必要だ。
 動くエネルギーとなるアデノシン三リン酸が必要で、それの原材料となる栄養素を筋肉へ伝えるためには血管が必要だ。

 膨大にして全てを編纂したとしても、それは分厚い本となる。
 身体のどこに何があるか
 それを示した解剖学の本だけでも、数冊の分厚い本となる。
 生理学でも、生化学でも、運動力学でもそれは同じだ。


 「歩く」という行為。
 それを一つ紐解こうとしただけで、我々は膨大な要素を語れてしまう。


 さて、“Master horn”と“Slayer”の対決へ話を戻そう。


 上体を立ててステップを踏む“Master horn”クルツ。
 上体を丸めて突進してくる“Slayer”ルファード。

 勝負に条件が一つ加わった。

 “Slayer”ルファードが“Master horn”クルツのスピードに追いつこうとしていたのだ。

 一撃を加えたクルツがルファードから離れる。
 その速度はルファードのスピードより速い。
 上半身も下半身も重たい筋肉が付いているルファードは速度という面ではクルツより分が悪い。

 だが、ルファードは上体を丸め、身体を地面に近づける。


 すると、地面を揺るがす音が連続した。
 その音が発生するたびに、ルファードの身体が速度を得て加速する


 ――握り締めた拳で、地面を打撃して加速しているのだ


 低い体勢で四肢を振り回し、獲物に向かって一直線に加速する。
 さながらその姿は、肉食の四足獣が格好の獲物に飛びつく姿に酷似していた。


 加速を幾重にも加えたその速度は、“Master horn”クルツの最大速度を凌駕した。
 拳を振るうことなど必要ない。
 狙いは全力で体当たりすることだ。
 一回でも攻撃が当たれば、クルツの骨を折るぐらい容易い。


 だから、クルツも全力で回避するための策を練る。
 ルファードに的を絞らせないために、全身でバラバラの進行方向を提示する。

 右足が前方に向かって蹴り出され、軸足の左足が左方向へ傾き、目は右前方に狙いをつけ、上半身が左前方へ揺らいだ。


 だが、移動の要訣とは重心移動だ。
 四肢をバラバラに動かしつつも、身体の重心を本来の進行方向に動かすという高度な身体繰術。だが、永久凍土のように分厚い経験を持ったクルツには容易な話だった。


 ――身体は前へ
 ――ルファードへ立ち向かう


 背を丸めて地面に近い姿勢をとるルファード。
 殴るには体勢が低すぎる。
 蹴るにはルファードの身体に勢いが付きすぎている。

 ならば、急所を攻撃するまで。

「むんっっ」

 クルツは跳躍すると身体を縦に旋回。
 風車の羽のように回るクルツの身体は、その回転の威力の矛先を自分の踵へと集約させた。

 この高速のやりとりの中で、跳躍したクルツの回転踵落としがルファードの後頭部を狙う。

 ルファードは――――その致死的な攻撃を前にしても、防御をしようとしなかった。

 それを感じ取ったクルツは頭部に踵が当たるか否やというところで、目標を修正する。

 踵はルファードの額に命中。
 だが、樫の木のように強靱な首の筋肉が、クルツの打撃の威力を吸収し、脳震盪すら起こさない


 ――踵が離れた瞬間、ルファードの口から舌打ちのような音が聞こえたのを聞き、クルツはルファードの狙いを知った。
 ――両腕両足を移動に使っているルファードの狙い。
 ――急所の一つを正確に狙ってくるクルツの四肢を『噛み千切る』こと。
 ――後頭部など、ルファードにとっては都合がよかったのだ。

 クルツは戦闘の刹那に呑気に思う。
『さて、どうするかのう』

 獣じみたルファードの戦闘力に、むしろ自身の戦闘本能を刺激されながら、クルツは嬉しく思った。
 久方ぶりの窮地。
 久しぶりの強敵。
 ――そして、久しぶりの攻守逆転

 瞬時に地面を打撃し、高速の動きを継続するルファードがまだ跳躍中のクルツを追いかける。
 攻守は逆転した。
 地面を蹴れぬクルツは空中で回避運動を取れない。

 勝負を決定づける暴力を内包したルファードの右手がクルツに向かって伸ばされる。

 打撃する必要など無い。
 一カ所でもクルツを掴めば、その瞬間からクルツを地面に叩きつけ続ければいい。

 体重の軽いクルツの空中からの打撃では、ルファードのこの右手を払いのけるなど不可能。  


「……詰んだぞ、“Master horn”」

「残念 それじゃあ40点じゃ」


 ルファードの言葉を否定したクルツが放ったのは打撃だった。
 狙いはルファードではない。
 瞬時の回避策として、近づいた時から目星をつけていた『樹木の幹』だった。

 即席の足場が、キリンXの男に空を駆ける翼を与える

 再度開く二人の間合い。


「…………ッ!」
「…………ッ!」


 だが、すでに二人の間で問答は無用となった。


 互いが互いの攻撃のために前へ向かう。

 かたや、史上最速の男。
 かたや、剛力無双の男。


 互いが勝負をつけるために、僅かとも言えるの距離を埋めあう。


 攻撃は史上最速の男が先手となるのは必然だ。
 だから、剛力無双は後手であることを逆に善しとする。
 それはすでに砲弾の理論だ。

 重さのある物体を力を加え続けて加速し、激突の瞬間に弾かれることの無いよう、対象に当たり続けていられること。

 先手を取ろうが問答無用で相手を体当たりで殺す。
 轢き殺すこと、粉砕することを前提とした論理だ。


 それは巨躯の怪物――『龍』の論理だった。


 だが、“Master horn”クルツは一切退くつもりはない。
 それが如何に強大な力を誇る『龍』であろうとも、



 ――ルファードは人間なのだ。
 ――身長にしても2mは無く、体重は100kgを越えない。


 ならば、狩人として非力なクルツでも出来ることがある。


 距離が詰まる。
 残り5m。

 飛竜が突進するかのように、連続した打撃音で加速するルファード。
 その速度はクルツよりも速い。


 ――だが、クルツは決定的な弱点を見出していた。


 いくら体勢を低くしようとも、地面をあの強力な力で打撃することは、地面から返ってくる反動によって、重心を本来の位置より高い位置に上げる行為だ。

 いくら、ルファードがその鋼鉄のごとき背筋で身体を地面に押しつけようとしても、連打する拳の威力が重心を高い位置に押し上げる。


 ――ならば、行うことはただ一つだ


 残り3m。
 二人の速度の前では紙のように薄い距離。


 その距離で、クルツはルファードよりも低い体勢を取る。

 鼻先を地面にこすりつけ、
 上半身で地面の気配を感じ取り、
 肌は高速で過ぎ去る己のスピードを感じ取る


 ルファードの下に潜ればあとは簡単だ
 上にあるルファードの重心を、下から全力でかち上げろ


 背中を丸めて接近するルファードの鳩尾を、アッパーカットで殴りつける

 それは打撃によって他者の重心を移動させる投げ技となり、ルファードの身体の重心を操った







 ルカとコーティカルテは信じられないものを見た。

 力で圧倒的に勝るはずのルファードが、“Master horn”クルツと激突したかと思うや、ルファードの方が空中を飛んでいるという何ともちぐはぐな事実だ。

 クルツが『何かをした』のだ。

 だが、目の良いコーティカルテでも全く分からない現象が起きたのだ。


 狩人として、人として、それは猛烈に悔しくて妬ける話だった。


 だが、それ以上に、



 ――拳を突き上げて雄々しくある“Master horn”クルツの姿に、
 ――居ても立ってもいられないほどの爽快感を感じて、コーティカルテは叫んだ。



「クルツーーーーーーーーーッッッ」



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 7
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:6f17820b
Date: 2011/08/11 01:06
 投げ飛ばされたルファードが森林の木にぶつかって、地面へと落ちた。
 クルツは投げ飛ばしたルファードに意識を残す。
 狩りの終わりを決めるのは獲物の動向だけだ。狩人に決められるものなどない。

 クルツの予想通り、ルファードは立ち上がった。


 それは不思議な表情だった。

「――今は勝てんようだな」

 殺意無く人と向かい合う『龍』の表情。
 それは狩人だからこそ、見たことのない表情だった。

「抜かせ、お前なんぞ永遠にワシにかてん」

 殺意無く敵愾心のみで語るルファードの表情。
 潔い、と言うべきなのだろうか?
 一言だけ残して、彼は背中を向けた。


「――必ず勝つ」


 付き合いの長いルカですら、そのルファードの言葉に戸惑っているようだった。
 コーティカルテとクルツを交互に見たあと、この場から離れるルファードの背中を追った。


 力任せではクルツの速度に通じず、速度で追いつけどクルツの技には通じない。

 ――人間のままで十分にクルツが強い。

 その事実は「人間を止めた」ルファードにとっては看過できない事実だった。
 だが、今のままではルファードはクルツに勝てない。勝てないのなら勝負はしない。

 ――それが狩『人』の鉄則だった。



 コーティカルテはハラハラさせられた腹いせにとりあえずクルツに不意打ちの飛び蹴りを仕掛けた。

「何をやっとる? ――それは残像じゃ」

 言葉通りに何もない場所に現れたクルツの残像を蹴る羽目になったコーティカルテは、言葉の来た方向に声をかけた。

「あんな勝負を仕掛けおって。まだ時があるとは言え、あそこで仕損じていたらわらわの依頼は台無しぞ!」

「大した勝負ではないぞ? お前の依頼を達成するまでワシャ死ねんしの」

 クルツは笑ってこう言った。

「アイツは甘い奴じゃ。案外、お前の誘いに乗るかもしれんぞ」

「本当か?」

「……こんな感じでの」

 


 フルボルトにとって、コーティカルテのその話は実に興味深いものだった。
 “Master horn”クルツが見出した“Slayer”ルファードの勧誘策。一体どのような話なのか聞いてみたいところだ。
 こちらの相槌を、今か今か、と輝かんばかりの期待に満ちた目で待ち受けているコーティカルテに、フルボルトは話の続きを促した。

「それで、一体どのような策なのでしょうか?」

 コーティカルテは舌を出して裏切った。

「秘密じゃ。教えてやらん」

「なんでですか!?」

「クルツの奴に教えて貰うまで、延々とわらわから逃げ回りおったからな……」

 腹いせ紛れに枕を殴るコーティカルテ。
 フルボルトには容易に想像できた。策を巡って発生した、クルツとコーティカルテの容赦無用の人外領域の『鬼ごっこ』の想像に、フルボルトは生唾を飲み込んだ。

 きっと、人類最速かつ最高に大人気ない『鬼ごっこ』だったのだろう。


「それで、“Slayer”ルファードをどこで見たのかえ? こっちの事情は話したぞ」

「見たと言えば見たのですが、どっちの方向に行ったかまでは……」

「隠さず話……」



 コーティカルテの声が止まったのではない。
 聞こえなくなったのだ。

 それは風が海流のように重さを持って空中に渦を巻くほどの強風だった。
 森林の木々が自分の幹を揺さぶられて悲鳴を上げてしなる。
 地面にあった粉雪は残さず風に巻き上げられ、風の従僕として付き従い、フラヒヤ山脈の全てを叩いた。

 そして、降雪は緞帳のように分厚く、物理的な圧力を持ってテントを叩いた。
 直ぐ様フルボルトとコーティカルテが、自分の装備と防寒具を風に飛ばされまいと握り締めた。


 地面に杭を打ったはずのテントが残らず風に巻き上げられ、白い風雪の空の中へと巻き上げられた。


 すぐに飛び出してきた3Uが、カンテラの外套を開け閉めして発光信号をみんなに飛ばす。


『チカク ノ ヒョウケツ ヘ タイヒ』


 商隊の全員と狩人達はこの猛烈な吹雪から逃げるように、近くに発見した氷穴への待避を決めた。

 気温はここよりも冷えるが、この猛吹雪の中ではその気温よりも風雪で凍えてしまうだろう。



 そして、信じられないことに。

 この風雪荒れ狂い、隣人の声すら聞こえない状況でもそれは聞こえてきたのだ。

 それは威力にして暴虐。
 圧倒的な力。
 古来より災害と同類視されてきた力。


「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」


 古龍種 『鋼竜』クシャルダオラの咆吼に他ならない!


「いかん!」


 その咆吼に真っ先に我を取り戻し、行動を起こしたのは“Red eye”コーティカルテであった。

 閃光玉を炸裂させて全員の注意を引くと、腕を振って近場の林を指差したのだ。


 フルボルトにもその叫びは聞こえた。
 悲鳴にも近いその叫びは信じられない内容だった。



「――林に逃げるんじゃ! 雪崩がくるぞーーーーーー!」



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 8
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:6f17820b
Date: 2011/08/19 09:32
 雪崩は本来春先に起こる現象である。
 それは気温の変化により、積雪の層が緩み、表層の雪が重力に引かれて崩れ出すからだ。

 だから、極寒のこの時期に雪崩は起きにくい。

 しかし、この強風荒れ狂う嵐がそれを可能にした。


 表層の雪をめくって攪拌し、出来たてのソフトクリームのように柔らかい粉雪にしてしまったのだ。


 あとは機会があれば脅威の自然災害が発生する。

 ――そして、それを獣の本能は知っていた。

「Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」


 この吹雪の中でも響き渡る鋼竜の咆吼が、フラヒヤ山脈への最後の楔となった。

 それは巨大という範囲にくくれるものではない。
 それは人間の言葉で形容できない。

 想像してみよう。
 頭上全てを覆う衝撃と轟音の接近を。

 想像してみよう。
 為す術無きほどの巨大さ。
 『山』そのものが身体を覆い尽くそうと迫ってくる現実。

 しかもその脅威はこの夜の暗闇によって見えはせず。
 ただ、地を振るわす衝撃と轟音のみがその存在を訴えるのみ。


 だが、その最中にあって、コーティカルテの高い声は良く響き、皆の耳に届いた。

「ロープで全員の身体を縛れ、一カ所にまとまるんじゃ!そこのデカイ大木に縛れ!」
「スティール! 盾を地面に突き刺して死ぬ気で耐えるんじゃ! フルボルトも3Uも死ぬ気で支えるんじゃ!」


 元々、咆吼が聞こえた時には雪崩の兆候など一切無かった。
 だから、コーティカルテの強引な先導に皆嫌々と付き従ったものだが、雪崩が起こったのなら異を唱える者はいない。

 林の中で必死の作業が始まる。
 お互いの身体をロープで縛って出来る限り隣接して生えた二本の大木に結びつけ、その間をスティールのエンデ・デアヴェルトの大盾が埋める。
 狩人達が身体を組んでスティールの身体を支え、商隊の人間も身体を組んで全員が必死に流されないようにする構えだ。


「歯を食いしばるんじゃ! みんな死ぬなーーーーーーーーー!!!」


 轟音がコーティカルテの最後の命令を掻き消した。
 水流など比べものにもならない超質量が狩人と商隊を襲う。
 体中を剥ごうとするかのような強引な力の流れ。
 雪崩に流された巨大な岩や木が、一個でも商隊に当たれば、それで全員が流される。

 祈るしかない。
 人事は尽くしたが、もはや幸運しか頼りに出来ない状況だ。

 雪崩の衝撃と轟音、極冷と疲労と緊張がフルボルトから意識を奪おうとした。
 いや、事実として一瞬気を失っていた。
 だが、次の瞬間全身に重くのしかかる重さに意識を取り戻したのだ。

 雪崩が止まった。

 しかし、まだ楽観できない。
 この極冷の大地で身体が完全に埋まってしまったからだ。

「うおおおおおおお!!」

 こんなところでは終われない!
 春先になるまで誰にも見つからずに行方不明になる死に方など、フルボルトは望まない。

 雪が自重と極冷で固まりきる前に!
 この寒さからショック死する者が出る前に!

 フルボルトは全身を強張らせ、スラッシュアクスを抜けるスペースを作ろうと周りの雪をひたすら殴る!

 フルボルトの力で腕を振るぐらいのスペースが出来る。


 だが、スラッシュアクスは大剣やヘヴィボウガンに並ぶ巨大な武器だ。
 スラッシュアクスの属性解放で雪を吹っ飛ばすには、まだスペースが足りない。

 すると、フルボルトの身体をいとも簡単に押しのけて、声が聞こえた。

 巨大な背中の向こう。
 窮地においてこそ輝く無敵防御の騎士 “Sir.”スティールの声だった。

「良いでござるな、フルボルト殿。あとは我が輩に任されたし」

 雪の中では銃身が冷えて燧石では火が付かない。
 あの雪崩でも割れなかったランタンの火を、火薬に押しつけて着火する。

 かくして、吹雪のフラヒヤ山脈にエンデ・デアヴェルトの竜撃砲が咆吼する。


 雪に埋まったまま竜撃砲を使用するのは、危険極まりない試みだった。
 もし、雪を撃ち抜けなければ逃げ場のない火炎がスティールを襲うからだ。
 だが、賭けというものは勝てばよい。
 属性解法という似たような試みを行おうとしたフルボルトには、スティールの策をどうこう言う気はなかった。

 スティールがようやく通れるほど開いた穴に、まず素早く動ける3Uとコーティカルテを外に出す。

 二人は道具袋からロープを取り出すと、近くの木に結びつけて下に降ろす。
 5分と経たずに全員の救出が完了した。


 だが、一行の緊張は取れない。

 “Red eye”コーティカルテがフルボルトに行った。

「この場所から離れて近くの風穴に隠れておれ。冬ごもりの熊のようにじっとしておればさすがの奴も気づけん。一日経ってわらわ達が来なければ下山せよ」

 フルボルトには、今すぐ下山せよ、とコーティカルテが言わない理由が分かった。
 あの咆吼の龍が竜撃砲の音に気づいたのかもしれない。

 このまま商隊にくっついていては、その龍が襲ってくるかもしれないからだ。
 だから、フルボルトはコーティカルテに問うた。

「あの龍を狩るのですか?」

「そうじゃ、それがわらわの目的じゃ」

「無理だ!」

 無理という言葉は、理屈が無いことと定義される。
 フルボルトよりも圧倒的に小柄な狩人。
 小兵であっても古龍ハンターとして名を成した少女。
 しかし、そうであってもこの狩りは無理に思えた。

 相手は天候を味方にした龍。
 それが何であるか、今のフルボルトには分からないがとてつもない相手に違いない。


 だが、“Red eye”コーティカルテは言い放った。


「――獲物を狩るのが狩人の本懐ぞ、躊躇う理由なぞどこにある!?」


「――だが、君は女の子だ!」

 フルボルトが反射的にそう言ってしまった瞬間。
 コーティカルテの飛び膝蹴りが、良い音を立てながらフルボルトの顎に決まった。

「女なぞ、狩人をやると決めた瞬間から捨てたわ、ボケがぁぁぁぁぁぁ!」



 さて、極限状況である。
 懸命なる読者の方々のお察しの通り、フルボルトは生命的にも精神的にも大変追い込まれていた。

 これが“Master horn”クルツや“Sir.”スティールや“Striker”アルフリートなら、遠慮無くクシャルダオラだろうと、ラオシャンロンだろうと、ヤマツカミだろうと、行って貰っても構わないのだが、これからこの天候を引き起こした龍に相対しようとするのは“Red eye”コーティカルテである。


 ――自分の腕も力も足らないのは、死ぬほど理解している。
 ――正直、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。

 ――だが、人生において、そういう負の要素を一定否定して立ち向かわなければならない場面というのが存在する。

 いつがその時なのかは本人の人生観に拠るところではあるが、


「――でも、君は生物学上、女の子だ!!」


 ――フルボルトにとって、今がその時だった!


 フルボルトへ自分の未来を語った女の子を、簡単に死地に送り込めるほど人でなしにはなれなかったのだ。


「それがどうしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 激高したコーティカルテは今度こそフルボルトを沈めようと、飛び蹴りを放とうとした。

 だが、この話を聞いていたのはフルボルトだけではない。
 全てを分かり合った男達が、一瞬の内に交わしたアイコンタクトでその連携は為された。


「師匠ぅぅぅぅぅぅぅぅ、俺に力をぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


「な、なにぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 3Uの不意打ちタックルがコーティカルテを横から押し倒した。
 完全な不意打ち故に、意表を突かれたコーティカルテは3Uに押し倒されて雪の上に組み伏せられる。


「3Uに続けぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 そして、押し倒したコーティカルテを押さえるべく、商隊の全員がコーティカルテにのしかかっていった。

 フルボルトは暴動めいた商隊の行動に戸惑うばかりだった。

「な、なんでこんなことが!?」

「むしろ、我が輩がフルボルト殿に聞きたいでござるな」

 突然の行動に戸惑うフルボルトに、言葉を投げたのはスティールだった。
 スティールはフルボルトを頼もしいものを見るように笑いながら、

「どうして、コーティカルテ殿を止めたのでござるか? 古龍退治なんて依頼としては危険でござるよ?」


 天候を操る人知を越えた能力。
 個体として備えた高い戦闘能力。

 命懸けで立ち向かう相手だ。それは失敗したらそれまでの何もかも失うのだ。


 ――だが、笑うスティールを見て、フルボルトは簡単に推測できた。

 スティールはすでにフルボルトの答えを知っているのではないか?
 その答えに対し、確信を得ているからあえて確認で聞いているだけではないのか?


 何故なら、詩で詠われる“Sir.”スティールの物語は今のフルボルトととても良く似ているものだったのだから。

 フルボルトは思い出す。


 ――“Master horn”クルツと同じく、強大かつ理不尽なる暴力に立ち向かった男の話を。

 ――騎士の位を失いながらも、それよりも大事なものを守るために戦った男の話を。

 ――“Sir.”スティールの英雄譚を。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 9
Name: アルフリート◆bc570e72 ID:6f17820b
Date: 2011/09/05 00:27
 10年前、スティールは騎士であった。
 今は“Sir.”と呼ばれているが、これは彼の英雄譚を聞いた者達が“Sir.”と呼ぶに過ぎない。
 彼自身はただの狩人であり、本人もそうあれかしとしている。
 だが、話を聞くといくつか不自然な点があるはずだ。

 本来、騎士とは領地経営者である。

 王より領地を賜り、民草を指導して導く。
 その見返りとして税を貰えるのだ。

 もちろん、外敵の撃退もその業務に含まれる。
 しかし、それを狩人に任せるのがこの世界の常であり、スティールが戦うまでもないのだ。

 だが、史実として、騎士スティールは王へ騎士位を返上し、狩人スティールとして王国の火山に生息するグラビモスとリオレウスを討伐している。

 もちろん、当時の世相もある。

 ――優秀な狩人が不足していたから時期だったからだ。

 10年前では、ココットの英雄も引退し、“Master horn”クルツや“・”ミサトの両親もその地方には立ち寄らず、“Striker”アルフリートを擁する荒爪団の狩人はまだひよっこも同然であった。

 故に、ドンドルマからも遠いこの地方で鎧竜グラビモスと火竜リオレウスを討伐しようとする狩人は皆無だった。
 少し前まではいたが、皆喰われた。

 ――だが、それでもスティールが戦う理由とはならない。

 王のためにその身を粉にして働いた、とか。
 苦しむ民衆のために命を賭けた、と謳う吟遊詩人もいるが。

 それは後世の吟遊詩人がよりスティールの物語を壮大にするために脚色した話であり、
 スティールの戦う理由とは、もっと私的な物語だったのだ。


 火竜リオレウスが地面に向かって翼を翻し、翼をはためかせないために音を立てない滑空で獲物へと接近した。

 獲物は、成長して150~190cm。体重は50~90kgの哺乳類。
 鋭利な牙もなければ爪もなく。
 足が速いわけでもなければ頑強な甲羅もない。
 体内に毒を持っているわけでもなく、五感は鈍い。


「た、助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

 そんなノロマな生き物――人間――を低空で捕まえたリオレウスは高度を上げた。
 獲物が暴れようが人間の筋力は弱い。
 生木を折るような音を一つ立てれば、あっという間に暴れなくなった。

 安全な場所まで運んでから食事を行おうとしたリオレウスは、建物まで血相を変えて駆け上ってきた一人の人間を見た。

 その人間は、リオレウスの定義からすれば人間ではなかった。

 こちらは全長20m。
 人間は大きくても全長2m。
 身長差は10倍だ。


 ――なのに、向かってくる人間をリオレウスは知らない
 ――それは狩人として、人間とは別の種類と定義していた。


「我が輩の領民に手は出させん」


 だが、人間は狩人としての武器を持っていなかった。
 手にしていたのは投槍だ。たかが1m20cmほどの長さの武器。
 リオレウスに立ち向かう武器としては、あまりにも小さく貧弱だ。

「うおおおおおおおおおおおお」

 ――しかし、人間は建物の屋根をリオレウスに向かって駆け始める

 一歩一歩のストライドは大きく、まるで自らが投槍となるような勢いをつけて身体を加速させる。
 フォームは大胆なオーバースロー。手で捻りを加え、回転をかけて投げた槍が横回転をしないようにする。

 かくして、飛燕の速度で投槍は放たれた

 投槍はリオレウスの細い指へ突き刺さり、リオレウスはあまりの痛みに捕まえた獲物を手放した。


 だが、獲物として捕まえられた人間がリオレウスから離されたのは高度数mの高さだ。
 このままでは墜落死だ。

 だから、その口髭を生やした身長の騎士は、躊躇無く建物の屋根から跳躍した。


 リオレウスの飛行と比べれば、圧倒的に不格好な人間の飛び込み。


 しかし、領民の安全のために、自分の命を省みない飛び込みで落ちた人間を見事に捉えた。そのまま騎士の身体は藁の山へと突っ込み、着地の衝撃を緩衝した。

 そして、すぐに藁の山から飛び出した騎士は警戒を解かないまま辺りを見回すものの、リオレウスは空へと舞い上がり、落とした獲物を取り返しに来ようとしなかった。

 すぐに歓声を上げて近寄ってくる領民達に指示を飛ばしながら、騎士――スティールは途方に暮れた。



 火竜リオレウスが、領民を餌としてさらうようになったのは、これで五度目なのだ。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 10
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2011/09/14 20:45
 全ては一つの餌場に、二頭の竜がいることに起因した。
 大型の生物である飛竜種が、その体を維持する為にはおびただしい量の食事を必要とする。
 グラビモスの餌は火山の鉱石であるが、その縄張りに他種の飛竜種の侵入を許さない。
 これはグラビモスの幼生バサルモスが、岩石に擬態する能力を持つことにも起因する。

 グラビモスは飛竜種の中では繁殖力が弱く、子供を産む数は少ない。
 これは火山という限定された環境の中で、グラビモスという種が進化していくうちに、グラビモスの種全体の数を調整するために行われた進化なのである。
 多すぎれば、火山という狭い環境では飽和してしまうし、少なすぎれば種は絶滅する。
 グラビモスは少数の子供を守って育てていく種なのだ。

 故に彼らは縄張りを死守することが種の繁栄に繋がり、雌との交配においても雄を選ぶ基準として用いられるのが、


 『広大な縄張りに他種の飛竜を存在させない』ことなのだ。


 故にグラビモスがいる地域にウラガンキンやリオレウスやアグナコトルはいない。

 飛行能力を持ち火球を吐くリオレウスでも、グラビモスの熱線の前では小鳥のように落とされてしまう。

 岩石の肌と鉄槌の顎を持つウラガンキンも、グラビモスの巨体の前では力負けしてしまう。

 では、グラビモス同様に熱線を吐けるアグナコトルは?
 同程度の能力を持つ生物が同じ地域に存在する場合、よほどの場合がない場合、戦闘は発生しない。
 双方共に炎に強く、グラビモスには鉱石の肌が、アグナコトルには溶岩を高速で潜行する能力がある。
 戦えばどちらが勝つか分からないだろう。

 だからこそ、両者は遭遇しても戦い合わないことがほとんどだ。


 グラビモスは広大な縄張りを必要とする性質にあるが、わざわざ縄張りの外に出てくることは少ない。身体が重すぎて長距離移動には適さないからだ。
 縄張りを避ければ、グラビモスと飛竜種が戦い合うことはないだろう。


 そして、グラビモスは飛竜種を追い払ってくれるため、その縄張りにちょっかいを出さなければ飛竜避けとして、王国では重宝されてきたのだ。
 さらに、グラビモスは鉱石を主食とするため、グラビモスが生息する場所には鉱脈があるのだ。
 王国の主流産業に多大な恩恵を与えてくれる飛竜種として、それまで感謝こそされ、討伐など考えられなかったのだ。
 
 では、何故スティールの領でグラビモスとリオレウスが問題となっているのか?

 それはこのリオレウスの特異性から話さないといけない。
 このリオレウスは火山の麓にここ数年間住んでいる。
 リオレウスの主食はアプトノスやアプケノスなどの大型草食獣だ。
 アプトノスとアプケノスは自らが食べる植物を求めて、群れで大移動する性質があり、これらの狩猟者が彼らを捕捉できるように高速の移動手段を獲得してきたのは、進化として自然の成り行きとも言える。

 砂漠も雪原も疾走するティガレックスの高速走行。
 森林や密林をものともしないリオレイアの足。
 そして、天翔るリオレウスの翼が、それだ。

 つまり、リオレウスは定住しないのだ。


 では、数年間火山の麓に定住するこのリオレウスは何者なのか?   


 定住することに利を見出したリオレウスなのだ。
 獲物を追いかけずに獲物を手に入れる事に成功した、リオレウスなのだ。
 要点を簡単に言おう。

 アプトノスよりも数がいて、アプトノスよりも弱く、増える速度もなかなか早い獲物。
 群れで大移動もせず、常に一定の場所に大量に繁殖している獲物。

 “人間”を獲物と見定めたリオレウスなのだ。


 かくして、王国の狩人達は、リオレウス討伐に火山の麓へと向かったわけだが、ここで一つ問題が発生した。

 火山の麓で戦闘を起こすと、グラビモスが現れるのだ。


 火山の主にして、王国を数々の飛竜から遠ざけてきたこのグラビモスは全長30m、体重にして20tは下らない。
 並の哺乳類なら自重で生命活動すら行えない体重を持つこのグラビモスは、火山の熱エネルギーを自身の生命活動エネルギーとして運用することができ、余剰エネルギーを熱光線として放つことが出来る。

 領民にしてみれば、あらゆる建築物よりも巨大な巨体は無敵の守護者の象徴であり、
 マグマをも焼き尽くす灼熱の熱光線は、飛竜にとってみても恐怖の一閃であり、
 狩人にとってみれば、『討伐不可能』を体現した巨竜であった。


 だが、狩人もリオレウスも、そして、当のグラビモスすらも忘れていたことがある。


 ――グラビモスは生物なのだ。
 ――神や悪魔のように、自らの役割を知りはしない。
 ――その本質は進化を続ける生物として、内部と外部の刺激から如何様にも変化する。


 狩人とリオレウスの戦闘にグラビモスが加わった時、奇妙な利害関係が一致した。

 グラビモスを怖れたリオレウスは、グラビモスの熱光線を必死にかわした狩人に容赦なく火球を撃ち込み、グラビモスの敵でないことを証明した。
 そして、そんなリオレウスを見たグラビモスは威嚇も敵対もしないリオレウスに有用性を見出したのだ。

 リオレウスはグラビモスが持ち得ないものを持っている。
 自由に空を飛び、世界の全てを翔ける優秀な翼である。

 足の遅いグラビモスには広大な縄張りを維持するのは難しい。
 グラビモスよりも強い動物はなかなかいないが、速い動物は山ほどいるからである。
 自身の足の遅さから縄張りを広げようにも広げられないグラビモスは、自身の能力に頼る以外の道を選択したのだ。


 グラビモスはリオレウス自身の身の安全を条件に、縄張りの見張りをリオレウスに任せるようになったのだ。
 異種の動物が互いの利害の一致から協力し合う例は自然界でも珍しくはないが、その中でも最悪の組み合わせがこの王国で発生したのだ。
 


 ――こうして、無敵の守護者の身体に宿った邪悪な竜は、王国の領土を我が物として飛び回るようになった。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 11
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2011/09/30 21:25
 スティールのその物語を“天災”とするだけならば、物語の解決は早かった。
 人類とは天災を乗り越えられる生物である。

 洪水、地震、森林火災、雪崩、雷、台風、竜巻、大津波。
 
 自然界には数々の天災が存在する。どれもが抗いがたい力を持ち、生態系に大きな影響力を持つ自然現象だ。
 だが、人類は環境を構築する術に長けている。
 時間こそはかかるが、荒れ果てた田畑を直し、街道を整え、人が人として暮らすことが出来る営みを取り戻すことが出来るのだ。

 しかし、“人災”というものがある。

 病気によって人としての営みが送れなくなるように、人類は人類そのものによってその活動を阻害されることがある。


 スティールの物語にも、それは発生したのだ。



 その日、リオレウスを撃退したスティールを、王国の騎士団長が召喚した。
 王国の騎士団長の名をシャステンと言うのだが、スティールにとって彼は上司と言うより「王からの信頼の厚い先輩騎士」といった存在だ。
 騎士が領地経営者である以上、騎士団というものが名士達の集まりになるのは当然のことだ。故に、騎士団長という役職であっても横柄に騎士を扱えるわけではなく、この召喚も騎士としてそれなりに意味のあるものとなる。

 王都に召喚されるのは、スティールにとって複雑な感情を想起させる場所となっている。
 彼にとって王都とはいくつかの意味がある。

 彼を騎士に任命した王がいる場所であり、彼の人生の良き先輩である騎士団長シャステンがいる場所であり、


 ――――彼の花がいる場所でもある。


「スティール様! スティール様ではございませんか!?」

 花のような笑みを見せながら、バスケットを抱えた淑女がゆっくりと近づいてきた。
 女性を花とする喩えは多いが、彼女をあえて分類するなら白百合だろう。
 たおやかな肢体。白い肌の顔。他人を尊重する理知そのもののような穏やかな笑顔。

 一介の名士であり、王国において武勲を鳴らした騎士スティールであろうとも、彼女の前ではただの人間であり、無骨な腕っ節の強さに任せてしばしば無精する頭脳の言語野が彼女に失礼を働かないかと心を配る有様だった。

「……マルティア殿、お出かけでござるか?」

「スティール様も元気そうでなによりです。ご活躍は王都にも聞こえてますよ。あのリオレウスを相手に領民を守られているとか」

 照れ隠しに苦笑いをしながら返しの言葉を考える。
 まったく思いつかない。リオレウスを相手にした方が身体が勝手に動いて良いぐらいだ。
 仕方ないので、『嗅覚』任せで素直に言葉にする。

「領民を外敵から守るのは、騎士の義務でござる。大したことではござらんよ。拙者にはおいしいクッキーを作る方がよっぽど難しいでござる」

「あら、分かりました?」

 スティールの拙い言葉を巧みに受け止めて、白い花弁が花咲いた。
 少なくとも、スティールにはそう思えた。
 鈴を鳴らすように涼やかに笑いながら、マルティアはバスケットからクッキーを並べた皿を取り出した。

「よろしかったらお一つどうぞ。たくさんありますので」

「さささ、催促したみたいで悪いでござるな!?」

「お気になさらず。お口に合えばよろしいのですが」

 早く食べたいと急く心と、がっついてはいけないと気遣う心がせめぎ合ってギクシャクと動作がぎこちない。
 分かってはいるのだが、錆が浮いた扉の蝶番のようにどうしようもない。
 鯱張った動作で進められたクッキーを口に入れる。

 甘美。

 なんと甘やかなのだろう? なんと愛おしいのだろう?
 これさえあれば何も要らない。
 そんな言葉すら脳内を駆け巡るのだが、単純な感謝としては重すぎる。
 単純な喜びに心の底から浸りたいが、そうも出来ない懊悩にスティールが悩もうとすると、

 ――マルティアが微笑んだ。白い花弁が陽光の恵みに映えるように。

「良かったら、もうお一つどうぞ」

「いただきます」

 また食べて、また口の中に広がる甘みに酔いしれて、そして、マルティアを見て気付く。
 どうやら、スティールが食べてから崩れる相好にマルティアは笑っているらしい。

 スティールも愛嬌を浮かべた口髭の顔で笑い返す。
 笑い返されたマルティアは、自身の頬に手をやってようやく笑っていたことに気付き、照れ隠しも含めて笑う。

 二人でしばし笑い合う。共有された静けさと暖かさの中で。


 だが、静けさは紙を破くよりも簡単に破かれた。

「スティール殿! こんなところで会うとは奇遇ですな! 顔を会わすのは王宮の会議室だけかと思いましたぞ!」

 あえて静けさを破るように声を高く上げた壮年の紳士は、スティールに親しみとは無縁の視線を投げかける。

「マスティス伯!? ……私も同感です」

 スティールは紳士に向かって礼をとるも、その表情は歓迎とはいささか無縁の硬いものとなった。

 この紳士の名前は、マスティス伯マーティン。

 スティールが今、一番路上で出会いたくない人間である。

 何故なら、この伯爵こそが自身の領土に狩人のギルドを誘致した張本人であり、
 王宮においてリオレウスの討伐を狩人に任せるべきと声高に主張する一派の長であり、

「スティール様……」

「マルティアはお行きなさい。そのクッキーを孤児院に持っていくんだろう? この男に構っている暇はないはずだぞ?」

「…………」

 ――マスティス伯爵家長女 マルティアの父親である。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 12
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2011/11/17 17:52
 一礼をしてマルティアとマスティス伯の前から辞したスティールは、寝起きの穏やかさから冷水をかけて起こされた様な気分の悪さを味わいながら、騎士団長シャスティンの待つ場所へと向かった。
 騎士団長シャスティンの平時の職務を簡単に言うならば、王国の兵力の管理人だ。
 シャスティンも私兵を持っているが、同時に王国の衛視や兵士の質を保ち、一国の軍の運営を任された身分である。
 就任するためには、それ相応の武勲と家柄を要求される。
 それらを取り揃えたて生まれたシャスティンではあるが、彼の一番の能力と言えば、『他人に仕事を次々と作って渡し続ける』能力である。

 騎士団長なのだから、下々に命令するのは当然の権利だと思うだろうか?

 これがシャスティンという人物にかかると、当然の権利にも義務と束縛があることがよく分かる。


 仕事を作成するためには、事の総量を見極め、やらなければならない仕事を分割し、仕事を遂行して達成される目的と結果を見据えた上で、適材に仕事を説明して仕事を渡さねばならない。

 これのどれかが欠けると、仕事が達成できなかったり、部下が目的を見失ったり、渡した仕事を拒否されたりする。

   
 そこを器用にこなすのがシャスティンという人物なのだ。



「スティール。それはダメだ。我々は外敵の脅威だけではなく、自分達で自分達の首を絞めるという行為からも身を守らなければならない。それが暴力という力だ」

「ですが、リオレウスは我々の肉を確実に喰っているでござる。対処が必要でござる。それも早急な」

 自らの執務室で椅子に座ったまま、長身のスティールを見上げるシャスティンは、眼鏡を外して布で汚れを拭き取りながら考えた。
 小柄で、眼鏡で、禿頭の男。
 武官と言うより文官というイメージが先行する男。

 だが、侮ってはならない。
 腰に下げた細剣は下手な騎槍の突きより鋭く、スティールは彼とケンカをして勝ったことがない。
 散々高低差のある路地裏を延々逃げ回った上、身体の大きなスティールがシャスティンより消耗したところで待ち伏せを喰らう、とか。
 ケンカの気配を察したシャスティンが、スティールが怒り出すより先に先手を打ち、喉元にナイフを突きつけている、とか。
 捕まえようと飛びかかったところを上手くかわされ、豪邸の用心棒の集団に突入する羽目となり、消耗したところでシャスティンと向き合う羽目になる、等々。

 要は「やり方」だと、人間と集団を御することに関しては右に出る者がいない騎士団長 シャスティンはスティールに言う。

「あのリオレウスを倒すにはいくつか段取りがいる。リオレウスが問題なのではない。我々に問題があるから倒せないんだ」

 この王国にも狩人のギルドがある。
 マスティス伯マーティンの所有する領土にそのギルドに存在し、誘致したのは彼だ。
 ギルドを誘致するのは簡単ではない。
 元狩人の英雄でもいない限り、強力な狩人を有するギルドを誘致するにはそれなりの条件がいる。

 ドンドルマの領主は、狩人達の持ってくる様々な飛竜の身体を材料とする武器、防具、工芸品などによって大きな収入となっているが、それ以外にも鍛冶精錬を生業とする工業とそれを中心とした交易によって成り立っている都市でもある。

 マスティス伯マーティンの領地の主産業は農業である。
 その中でもマスティス伯マーティンは先祖より受け継がれた広大な農地の農道を整理して領地を測量し、確実な収穫を見込めるようにした革新的な領主と言っても良い。

 領主の勤めは支配ではなく、自分が富めるのと同様に領民も富めるように努力すること。

 その思想は彼の家訓であり、その通りに身を粉にして自らも領地を測量した伯は領主の見本とも言うべき、優秀な事業主でもあった。
 こうして、マスティス伯マーティンの元にギルドが誘致され、彼の農業は王国の中でも多くの実りを結び、子にも恵まれ、彼の人生は順風満帆だった。


 ――たった一頭の飛竜が王国の治安を悪化させるまでは。


「最悪なのは、本来狩人が討伐すべきリオレウスを、狩人が討伐できない現状だ」
「そのための騎士団でござろう。伯が内政干渉と言おうと、我々騎士団には王国の治安を守る義務がある」

 シャスティンはスティールの言葉を簡単に戒めた。

「飛竜は騎士団では倒せない、これは軍事の常識だろ?」


 そもそも、王国や騎士団という軍事力の存在がありながら、何故飛竜を狩人が狩るのだろうか?
 簡単に言うならば、力量の足らない者達に規律と戦術を与えて数を揃え、大敵に立ち向かわせるという方法は様々な要素を数に比例して大きくさせる。

 戦力、威力、兵站力――そして、いざ乱れた時の恐怖と混沌も大きくなるのだ。

 リオレウスに騎士団が相対した時、まずリオレウスが多数の人間に相手にとる方法は『火球を吐く』ことだと容易に推測が可能だ。
 そして、火球がもたらす威力が人一人を簡単に丸焼きにするものだと分かった時、どんな兵士だろうと自分が焼き殺される未来を予想するだろう。

 敵前逃亡は軍法会議だが、眼前の飛竜はそんな未来よりも確かに実在する現状の危機だ。
 九分九厘脱走者が出るだろう。
 そうなってしまえば騎士団はその力を十全に発揮できない。戦意無きものに飛竜を討伐など出来るはずもない。

 シャスティンに諭されるまでもなく、戦う前からスティールも分かっている。
 騎士団とは人間を相手にする戦力であって、飛竜などの人間よりも遙かに上位の存在を相手に出来るものではないのだ。


 だから、昔から狩人が重用されてきたのだ。

 多くて四人の少数精鋭主義。
 理由は様々なれど、飛竜を狩るという決意を胸に秘めて巨大な暴君に立ち向かう者達。
 人間よりも巨大な生物を相手にするために調整され、進化し、磨かれてきた武器防具の数々。
 それらを使いこなす錬磨の技と受け継がれてきた知恵は凡百の兵士など予想もつかないほど豊富だ。
 そう、狩人とは飛竜においては負けることのない勇者。

 ――いや、この地方では勇者だった、と言うべきか。

「負けたでござるからなあ、狩人」

「しかも、ただの負け方じゃあない。全滅だからねえ・・・・・・。グラビモスとリオレウスのコンビの凶悪さが引き立ってしまった」

 事情は複雑に絡み合い、強固な鎖帷子のように堅く編まれてしまった。
 グラビモスとリオレウスのコンビを倒せるかもしれない狩人が、その危険性から依頼を受けなくなったこと。
 それでも、スティールのような騎士団の精鋭を集めて討伐隊を組もうという話もあった。
 『あった』のだ。

「マスティス伯マーティンは狩人の有効性を示そうと、狩人以外の戦力による討伐を渋るんだよなあ」

 マスティス伯マーティンは王国でも屈指の実力を持つ伯爵である。
 王国の物流を握っている人物であり、騎士や貴族が軽々しく反対意見をたてられる人物ではないのだ。
 狩人による討伐を主張するマスティス伯マーティンは、飛竜を倒して治安を一刻も早く回復したい騎士団にとって、政治的に最大の敵となるのだ。

「つまり、この事件は、戦力的にも、政治的にも、難しい要素をはらんだ問題で誰かも損をせずには解決できない事件というわけさ」

「そんなことは分かっているでござるよ!」

 スティールが凄まじい勢いで机を叩いたがシャスティンは涼しい顔で言った。 

「状況確認は必要だ、スティール。誰も損をせずに解決できない問題なら、損をコントロールするのが人間だ。それが僕の仕事だしね」

 シャスティンは机の前に立つスティールを見上げた。

「前にも確認したけど、一人でもグラビモスを狩れるという話は本当?」

 シャスティンのこちらを試すような表情に、スティールは背中の背嚢から岩塊に見えるものを、執務机に放り投げた。
 だが、これは岩などではない。
 狩人が手に入れたのであれば皆こぞって武器や装備の素材にし、最強の防御力を手に入れようとするだろう。
 故に、これは素材で出回らない。
 シャスティンも実のところ見たことなど無い。
 だが、素材の発するただ物ではない感じが、シャスティンに本物である確信を抱かせた。


「・・・・・・これが」

「正真正銘のグラビモスの天殻、しめて四個」

 おそらく一個でも盗んで市場に横流しすることが出来れば、その者は一生を生きるのに困らぬ金額が入手できる希少な素材が四個もシャスティンの前に並んだ。

「どうやってこれを入手したのだ?」

「『守護神』のグラビモスが追っ払う外敵を、全部狩ったでござる」

 ある意味とてつもない説得力であった。
 グラビモスは縄張りを主張して、外敵を近づけないのだが、遠ざけるわけでも領民を守ってくれるわけではないのだ。
 狩人ギルドが設立する前、グラビモスの縄張りの外に住み着こうとする飛竜の狩猟は騎士の嗜みでもあった。
 故にスティールのような狩猟名人の騎士というのが存在するのだが、聞きしに勝る腕前だった。
 シャスティンも今すぐ騎士団長として、命令してしまえば事が済んでしまう気分がしてくる強さだ。

「だが、これでは足りぬでござる」

「足りぬ?」

「昔、酔った約束で『つい』『守護神』の腹を突いたことがあるでござる」

「酔った約束で?」

「うむ」

 酔った約束で突くにはずいぶんと命懸けの相手だが、とりあえずそこは不問だ。

「結果は?」

「傷一つ通らんかったでござる。つまり、この素材にもう一つ加えたいところでござるが、その前に狩人ギルドが設立されてしまってござるからのぅ」

「・・・・・・エンデ・デアヴェルトを作るつもりか?」

「左様、アレならば『守護神』の腹も徹るでござる」

「足らないのは、火竜の天鱗か・・・・・・」

「まあ、我が輩の問題はそれだけでござる。だが、それは政治的な問題のあとでなんとでもなるでござる。シャスティン騎士団長。マスティス伯マーティン殿を困らせずにこの騎士スティールが解決できる策を教えて欲しいでござる」

 スティールの如何なる難題であろうとも、粉砕しそうな自信溢れる視線を受け、シャスティンは頭を捻った。

 少し考えて、こう言った。

「今はまだ聞かせない方が良いな」

「何でござるか!?」

「失う物が多いんだよ、君がこの話を聞くと。今君が甘受できて当然だと思っている物全てが消え去ると思ってもいい」

「全てとは何でござるか!?」

「比喩抜きで全てだ。この話を聞いて実行するとな、君は全てを失う可能性がある」

「そんな馬鹿な!」

「でも、君はやるだろう。僕が知ってる騎士スティールは、そんな男だ」

「・・・・・・ううむ」

「だからね、よーく考えて話し合うと良い。全部無くなる前にね。期限はあえて切らない。そうだね、最悪でも一晩は考えて貰おうか。全て失う事態とやらとね」

 騎士団長シャスティンはそれだけ言ってスティールに退室を告げた。
 
 全てを失う。
 それは一体どのような事態であるのか、今のスティールにはよく分かっていなかった。




[17730] 第五話 「凍土に舞う」 13
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2011/11/18 19:18
 シャスティンの執務室から出る頃には日は少し傾いていた。
 全てを失う。
 どのような意味なのだろう
 スティールは考えながら日の傾いた王都の表通りを歩いた。
 失えばどうなるか、一つ一つを丁寧に考える。

 領地や名誉を失うことなのだろうか

 領地が無くなれば食べる扶持が減るだろう。だが、今日明日困ることではない。スティールには紛れもない武術の腕があり、どこだろうと召し抱えて貰える自信がある。
 名誉は、先祖には申し訳ないがスティール自身が感じたことはない。感じたことがない物はなくなるわけがない。

 従者や領民を失うことだろうか

 だが、彼らには代わりの代官となる騎士が選ばれるはずだ。長い付き合いだが、彼らも新代官に良くして貰えるはずだ。

 傷を負い、身体を失うことだろうか

 それこそ余計なお節介だ。
 危険に立ち向かう騎士が傷つくことを覚悟するのは当たり前の心構えだ。

 家を無くすことだろうか

それは実に惜しい。幼い頃から住んでいた馴染みの家だ。家の間取りも梁の高さも身体で覚えている。寝床までの距離もそれがもたらす安堵も覚えている。
 誕生日の時、領民達が集まって自分の誕生日を祝ってくれた。スティールの祖父も父も誕生日となればみんなの宴の理由だ。
 良く親しまれた騎士の家には様々な領民との思い出が刻まれている。
 それは実に惜しい。

 だが、それを失うのはその領民の為なのだ。
 悪い取引ではないだろう。
 十分に、騎士スティールが己の道を賭けて、首肯できる理由であった。


 ウンウンと首肯しながら、彼は歩き、無くなるもの一つ一つを自分自身に納得させていった。

 だが、彼は身体が大きすぎて気付かなかったのだ。
 路傍に咲く花に声をかけられるまで、彼はそれが自分の前から無くなってしまうと思ってもいなかったのだ。

「スティール様、良かった。やはり、お帰りはこちらでしたか」

 スティールはぎくり、と意表を突かれてマルティアの声に一瞬反応が遅れた。

 ――全て失う。

 それは例外なくスティールの前から消えてしまうと言うことだ。
 マルティアも失う。





 どうしようもない虚無がスティールに襲いかかった。

 今も花弁のように笑いかける笑みも、聞けば鈴のように通りの良い声も、撫でればきっと通りの良いであろう金の髪も、スティールの前から失われてしまうのだ。

「子供は酸っぱいライ麦のパンが苦手みたいで、余り物で申し訳ないのですが、良ければお持ちください」

 そう言って籠ごと差し出された二斤ほどのライ麦パン。
 ――それすらも失われてしまうのだろうか

 そう思ったスティールは溺れる者のように籠を掴んだ。

「スティール様」

 スティールは自分の息が荒くなるのを感じた。
 ――翌朝。
 ――自分がシャスティンの策に乗るだけで。
 ――目の前の愛する人も消えるのだ。

 スティールは籠を握るマルティアの手を握った。

 ――全てを失う。

 それには、マルティア抜きで決めていい話ではないような気がした。


「こ、この後食事でもどうでござる」

「はっ」

 疑問符が投げかけられてスティールは猛烈に赤面した。
 全てが早急すぎたのだろうか 通りで手を握って言うものではなかったか そもそもこの街のどこで食事するつもりであろうか 一切のプランが考えられていないことに絶望しながらも、本能は、ここでマルティアを離してはいけないと必死で訴えていた。



 さて、ここで普段からスティールという男がマルティアからどう見えていたか と言う点が非常に大事になる。
 スティールは武勲において王国に覚えのめでたい騎士であり、あのリオレウスに投槍で対抗できる唯一の騎士と言っても良い。
 だが、それは世間的な風評だ。
 マルティアにとって騎士スティールはどうであるか
 2mの巨体。
 飛竜と戦える勇気と力。

 そんなものはマルティアは知らなかった。
 ただ、彼女の前では精一杯に優しく、気遣ってこちらに付き合ってくれる優しい身体の大きな騎士。
 それがマルティアの騎士スティールだった。

 彼女の指がスティールの指を力強く握った。

「良いですわ、どこに行きましょう」

「わ、我が輩に任せるでござるよ」

 こうして、二人は夕方になろうとする街へと、手を繋いで歩き始めた。

 さて、スティールという無聊な男がどうやって婦人も大丈夫な料理店を知っていたか?
 そんな洒落た店をスティールが知っているわけがない。しかし、緊張のあまり彼が好む肉を大量にかっ捌いてくれる馴染みの料理店に、連れてこられたのだ。

 しかし、ここで発揮されたのがスティールの人徳である。
 彼が婦人の手を握り、入室した段階でピンと来たホール係の女将は即座に注文を取りに行った。

「あ、女将さん、いつもの奴を頼むよ」

 一見すると、冷静かつ爽やかに話すスティールだが、目が泳ぎまくっていることから女将が非常事態を察した。

「わかりました、いつものですね」

 女将が、「あいよ、いつものだね」と言う通常のやり取りからまったく違う丁寧なやり取りで、スティールに察したことを伝えると、とりあえず狩人ビールをジョッキで運ぼうとするキッチンアイルーをスティールから遠ざけて、厨房に走り込んだ。

「アンタら聞きな スティール卿が女連れでやってきたよ」

「なんだって そりゃどんな冗談だ」

 まさか女を連れてくるのにこんな大食い店を選ぶ間抜けがいるとは思わない料理長と料理人がことごとくホールを覗くと、確かにの巨体の前に花のように笑う貴婦人がいる。

「すげえ美人で、スティールの旦那、すんげえテンパってねぇ」

 異口同音で料理人達が感想を述べた。
 これでいつものように「ギガントミートの黄金米盛り」などを持っていったら、間違いなくスティールを残念がるだろう。

「あんなぶきっちょな騎士様に恥をかかせたらうちの店の沽券に関わる いいかい、あの貴婦人の口に合うように工夫するんだ」

『合点だ』

 こうして、大飯喰らいの為と言われたその店の機転により、スティールはマルティアの前で恥をかかずにすんだわけであるが、マルティアが彼女の友人に口伝に伝えた噂で新顧客を開拓したのは、また別の話である。

「活気のある店ですね」

「そうでござるな。小さい時から良く食べさせて貰っているでござる」

「そんなに」

「鹿とか猪とか追うと、腹が減るのもあっと言う間でござる」

「昔から何かを追いかけているのね」

 花が咲いたように笑うマルティアに、「そうでござるなあ」と苦笑いするスティール。
 笑いの花がしばし咲く。
 しかし、それはすぐにしぼんでいった。

 大事なことを言わなければならないスティールが、いつ言ったものかとタイミングを伺うからだ。

 話の流れが切れては、また話し出すタイミング探す為、どうやっても楽しい流れは続かない。
 さすがにこれはおかしいと、マルティアは話しかけた。

「スティール様、何か私に話すことがありまして」

 マルティアの言葉がズキリとスティールの心の核心を突いた。
 しばし、どう説明したらいいものか悩み、よく考えて話し始めた。

「マルティア殿、我が輩はそのうち、全てを失うでござる。騎士の地位や名誉、それが持っていた領地や領民を失うでござる」

「どうしてですか」

「それが必要なことだからでござる。我が輩が、我が輩の大切な人達を助けるためには、必要な犠牲でござる」

 スティールは苦いものを咬んだように一つ一つを話した。
 肝心なものを語るのが怖くて、遠回りに説明した。だが、肝心なものこそ人は語らなければならない。

「マルティア殿も」

「私も」

 スティールは首肯した。

「我が輩は、マルティア殿と離れたくないでござる」

 マルティアがその言葉を真っ赤になって受け止めた。
 言ったスティールがその言葉の効用に気付くまで二秒とかからなかった。
 しばし、互いに何も言い合えない時が続き、厨房の調理人達が聞き逃すまいと耳を立てていた時だった。

 マルティアがスティールにこう聞いた。

「スティール様は騎士ではなくなる、と言うことでございますか」

「おそらく」

「スティール様逝かれることはないですよね」

「おそらく」

「私の前で誓っていただけますか 『決して死なない』と」

 あのマルティアの眼が強く眉を引き締めて、スティールの手の上に両手を重ねた。
 スティールは反射的に言った。マルティアの前なら、どんな竜だろうと敵ではなかった。

「誓うでござる。我が輩は絶対に死なないでござる」

 そして、マルティアはいつもの花の笑みとなった。

「良かった。それなら、今度は私も会いに行けますわ」

「我が輩は、騎士でもなく、領地もないのでござるよ」

 簡単な話だった。

「でも、どんな方法であれ、勝てば貴方はグラビモスとリオレウスを討伐した武勲の人ですよ。私と会えないはずがない」

「そうでござろうか」

「ええ、しかも王国を救った英雄ですよ」

 スティールはこんな簡単なことにも気付かなかった自分を恥じた。そして、マルティアに何よりも感謝した。
 戦いに向かって良い理由。
 いつの世も最上のものを求められる騎士の存在理由。
 それを与えられた騎士に、もはや敵はなかった。

 マルティアは前祝いと、狩人の礼儀に倣った。

 狩人ビールをジョッキで二つ。
 貴婦人が飲むには少々大味すぎるが、騎士と飲めば楽しいぐらいだった。

「我々の」
「勝利を」

 ガチャーーーーン



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 14
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2011/11/20 20:07
 翌朝。
 騎士団長シャスティン執務室。

 シャスティンが昨日の仕事の残りの書類を机から取り出し、さてどの従士に持って行かせればいいか頭を働かせていると、轟雷のような地響きと共に、ノックも無しに扉が乱暴に開けられた。

「シャスティン騎士団長! その策受けた!!」

 シャスティンの予想よりずいぶんと早いが、紛れもなく騎士スティールであった。
 見れば快活な笑みと力強さを表情に浮かべたスティールの顔には、覚悟を終えた男独特の清々しさが映っていた。

「全てを失う覚悟が出来たわけか」

「全てを失っても、なお失わない大事なものを見つけたでござる」

 見事な顔で笑うスティールに、シャスティンは頼もしさを覚え、思わず微笑んだ。

「良いだろう。おおよそ策は予想済みだと思うが、君は今日から騎士位を返上し、狩人となって貰う。マスティス伯のギルドの狩人として、あのリオレウスと『守護神』のグラビモスを討伐するんだ」

 なるほど、とスティールは肯いた。

「これがマスティス伯の名誉を傷つけず、しかし、誰かが犠牲になってあの二頭を討伐する方法の中で一番犠牲が少ない。やって貰えるか?」

 シャスティンの予想通り、スティールは微塵も動揺せず、自分のそれまで築いた様々な物を投げ打つ言葉を放った。



「――心得た」




 騎士団長シャスティンの計らいの元、騎士スティールの返位の式はその日の午後にあっさりと決まった。
 元より叙勲されたいと願う者は多けれど、返そうとする者など片手で数えるほどしかいなかった。式と言うほどの式はなく、王から授かった剣を返す程度に留まった。

 剣を返したあと、スティールは十年以上仕えた王を見上げた。
 齢は六十は越えど、かつては壮健で知られた肉体は巨躯のスティールと首を並びかねない。全身を描いた石像があるが、若き頃の王はスティールに負けず劣らずの肉体を持っていたとも言う。
 強さと勇猛果敢さ故に、騎士達から尊敬と畏怖をかき集めた王。
 スティールも尊敬すべき王として、ずっと仕えていきたかった。

 だが、離れていくこの道とて、スティールの騎士道に他ならない。

「スティール、長い間ご苦労だった。飛竜に立ち向かう騎士は貴公だけと聞く。その武勲、実に惜しい」

 巌のように威厳を持ってスティールに降りかかる王の重い言葉。
 スティールはそれに精一杯の敬意を篭め、王に向けて返答した。

「私もです。尊敬すべき陛下。しかし、離れたとしても、貴方の国で起きた愛しい思い出は決して忘れないでしょう」

「そうか、ならお前の武勲に向けて餞をくれてやろう。アレを持て!!」


 すると、従士が二人がかりでその青い槍を持ってきた。
 スティールはその槍を見て仰天した。武勲で鳴らす王であるが、まさか飛竜を退治していたなどスティールの想像もつかなかったからだ。


 プロミネンスソウル。

 火竜の天鱗を使用した間違いなき炎槍の逸品。
 これが暗喩する意味を分からぬほどスティールは愚鈍ではいられなかった。


「陛下・・・・・・陛下、私は」

「スティール! 余は嬉しいぞ、だが、悲しいかな! 王の権威でお前は救えなかった」

「陛下、その言葉だけでももったいない!」

「良い、礼なら余の方が万言と尽くしたい! 貴公が真の忠義の騎士であったことを余の心に刻んでおこう」

 スティールは額を地面に叩きつける勢いで頭を下げると、プロミネンスソウルを受け取った。

「しからば、こちらを頂戴いたす。陛下、おさらばです」

「さらばだ、スティール」



 こうして、騎士スティールはスティールとなると、まずはありったけの財産を持って全ての素材を新たな武器鎧へとした。
 今の“Sir.”スティールの装備となるグラビドXとエンデ・デアヴェルトはこの時作り上げられた。
 この時も騎士団長シャスティンの計らいで腕の良い鍛冶屋が揃えられ、製作期間は一ヶ月ほどであったとされている。

 こうして、全ての準備を終えたスティールは、ついに狩人ギルドの門を叩き、マスティス伯が依頼書を張ったまま誰も取れなかった依頼書をその手に掴んだ。

 報酬はすでに望むがままとなっていた。

 スティールはこれをギルドの受付嬢の前に叩きつけて宣言した。

「我が輩がこの竜を討伐するでござる!」



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 15
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/01/27 00:09
 その日は晴天であった。
 誰にとっても都合の良い天気だ。

 農作業を行う農夫にも。
 安全を見守る衛視にも。
 空を飛び、狩りを行う“空の王”リオレウスにも。
 また、それを狩る狩人にも。


 領民を守る時とは違い、歩き回っているだけではリオレウスは捕まらない。
 領民を守る時はリオレウスを追っ払えればよいが、討伐の時となるとそのような装備では威力が足らない。
 だが、リオレウスもわざわざ狩る気満々の狩人の前に、のこのこと油断して飛んでくるほど間抜けではない。

 また、飛竜に有効な疑似餌というのも開発されておらず、飛行して警戒も強いリオレウスを狩るとなると並大抵の苦労では済まなくなっている。

 狩人がもう一人いれば話はもう少し容易くなる。
 片方が閃光玉でリオレウスの眼を潰している間に、落とし穴やシビレ罠の罠を仕掛けられるからだ。

 だが、一人となるとそれも使えない。仕掛けているうちに閃光玉で潰した視力が回復するからだ。

 となると、リオレウスを逃がさず狩るには一つしか手はない。



 スティールは狩ったアプトノスを捌いていた。
 アプトノスの皮を剥ぎ、身を切り開いていくわけだが一番厄介なのは肉そのものの固さと小骨だ。野生動物の肉は筋肉が多くて固く、力を入れれば予想外の小骨で手を傷つける。
 だから、肉屋は手袋をつけて解体するわけだが、この場合は鎧下のグラブが手袋代わりだ。
 スティールが好きな部位はモモだ。やはり、たまらない弾力とジューシーさが魅力的だ。
 焚き火を起こす。肉焼く器を組み立て、モモを串に刺して火にかける。
 いつから始まったか、野外にて肉を焼く時に歌うべし、と家庭に伝えられる肉焼き歌をくちずさむ。

「ジュワ♪ ジュワ♪ ジュワ♪ ジュワ♪
 あーかいー焚き火♪
 やーけるー肉に♪
 さーけがあーれば、立派な宴のできあがりー♪

 上手に焼けましたーー♪」

 肉を火から離してかぶりつけば、食べるものを心地良くさせる肉汁があふれ出る。
 肉を切るナイフも、手を洗う手水もない野外の食事だがもはや騎士の身分もないと思えば気楽なものだった。
 コルク抜きがないため、持ち出したワインの口をねじ切って開けた頃には、スティールの『お目当て』が彼の焚き火のそばへとやってきた。

 それは蒼天から差す黒い影。
 空を優雅に飛行する巨体。

 だが、普段は余裕を持って飛行する“空の王”リオレウスが、いささか焦りを帯びた様子で飛んでいた。

 景気づけにワインを一気飲み、スティールは空を見上げる。

「用心棒となっては“空の王”の威厳もへったくれもないでござるなあ。縄張り荒らされて出てこざるを得ないのなら、そんなリオレウスは恐るるに足らぬでござる」


 ワインの瓶を放り投げる。
 王でなければ礼儀は不要、そう言い放つように。


「さあ、今度は我が輩が狩る番でござる。獲物は貴様」


 “守護神”のグラビモスの縄張りで勝手気ままに狩猟を行い、“守護神”のグラビモスが追い切れない簒奪者としてリオレウスを呼び寄せたのだ。
 リオレウスは出てこざるを得ない。
 何故なら、スティールを放置すれば役に立たない用心棒として、今度はグラビモスに狩られるからだ。


 そう、スティールはもはや民草を守る騎士ではない。
 竜へと反撃する狩人だ!!


「まだ名乗る名こそ無いが、不肖スティール・・・・・・推参仕る!」 




 上空から隕石のように赤い火球が振ってくる。
 リオレウスの強みは誰の手も届かない天空から一方的に攻撃し、誰の手も届かない天空へと一方的に逃げられることにある。
 常に戦いの主導権を握り、地を這う鈍重な獣を圧倒的な機動力で攻撃できる。

 放たれた数発の火球に、大地は爆炎に赤く蹂躙された。
 燃え上がる炎と煙が視認を許さないが、数㎞先の獲物を見逃さぬ鷲よりも鋭いリオレウスの目がスティールのグラビドXの白い甲殻を見逃さない。

 本能が『攻撃』を告げる。
 相手は人間と言えども、延々とこちらの狩猟を邪魔してきた強敵だ。
 喰らうまで安心は出来ない。

 リオレウスは翼を羽ばたかせ、滑るように空を飛ぶ。
 足で走るより遙かに速い体当たりの方法。
 滑空による轢き殺しを狙う。



 ここで一つ、話を挟もう。

 ガンランスの戦術は、上に振ることを前提に設計される。
 何故か?
 それはガンランスの設計初期の構想から、遡ることになる。

 飛竜を打ち破るための砲撃と圧倒的な防御力の両立。
 しかし、それは圧倒的な重量と扱いにくさを生んだ。
 どんなに強力だろうと、攻撃は当たらなければ意味はなく、防御は為されねば意味がない。

 それは『突撃』して鋭く動き回るランスとは、全く違うものだ。
 ランスの仮想敵は直線上の敵であり、そのために防御力と機動力を両立させるべく、軽量化と強化の方向性で設計されている。
 だが、ガンランスは軽量化などされていない。

 重さは砲撃の安定のために。
 重さは防御力のために。

 重さこそを肯定することで、武器として成立した武器だ。


 だから、機動力などない。
 その盾の堅牢さと怒濤の砲撃で飛竜の足下にいるための武器なのだ。

 だから、ガンランスは上に振ることを前提として設計されている。

 それは見上げた相手を地面に叩きつけるため。
 見下ろす相手の傲慢を打ち砕くため。
 狩人が、狩人として、あの凶暴な竜達に立ち向かうための武器。

 ――そう、飛竜を槍と砲撃で打ち破るためにガンランスは存在する。



 ――スティールは振り上げた。
 ――様々な思いから作られたエンデ・デアヴェルトを。


 エンデ・デアヴェルトを振り下ろした圧力で煙幕が晴れる。
 スティールにも、リオレウスにも、互いの顔がはっきり見えた。
 
 白い甲殻鎧の騎士。
 手には英雄の銃騎槍。
 騎士の誇りは捨てつつも、その狩人は強く笑う。

 ――さあ、眼前には傲慢非道なリオレウス。
 ――勝負を始めよう。まずは合図だ。


 全弾発射の砲撃が、滑空してきたリオレウスの顔面をことごとく叩き潰し、悲鳴と砲声と巨大質量が地面に落ちる音を、開始の合図とした。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 16
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/02/05 09:04
 エンデ・デアヴェルトの輪胴から薬莢を吐かせて素早くリロード。
 次なる一撃を放つべく、スティールの横に転がっていったリオレウスへ、スティールは走る。
 だが、リオレウスは素早く翼をはためかせ、転がった身体を制御。
 砕けた鱗のついた頭を振り払い、近寄る狩人の足下へ牽制の火球を放つ。


 距離だ。距離が必要だ。
 小さな狩人の唯一安全な死角は、リオレウスの巨体の死角なのだ。
 この狩人はそこに逃げ込み、あの火球にも耐えられる武器でこちらを攻撃するつもりなのだ。

 だが、やらせはしない。所詮は小兵。
 リオレウスの本能は、火球の直撃よりも爆風に当てることを選択した。
 嵐よりも強力な衝撃波はスティールを押しやり、距離を取るための一瞬の隙を生み出す。

 その瞬間にリオレウスは跳躍、さらに翼で空を打ち、上昇をかける。


 ――しかし、リオレウスは知らない。
――何もしない離陸の時こそ、

「格好の隙でござるッッッ!」

 狩人道具の十八番、閃光玉がリオレウスとスティールの間で炸裂する。
 意識を塗り尽くすほど白く炸裂する閃光と大音量は、リオレウスの意識を一瞬奪う。

 だが、飛行生物にとってその一瞬は大きい。
 翼を止めることは落下と同義なのだから。


 二度も落下する羽目になったリオレウスへ、スティールはロープを投擲した。
 ロープはリオレウスの背中の棘に巻き付き、スティールはさらにリオレウスに近づいた。


 ――スティールは狩人だ。
 ――それも獲物を逃がさないと決めた狩人だ。


 リオレウスは近づいてくるスティールから懸命に距離を取ろうと、強引に地面を蹴って飛翔する。
 だが、全てがリオレウスにとって遅かった。
 何が何でも狩ると決めた狩人。
 手段を選ぶことなく狩ると決めた狩人。
 命も肉体すらも手段の一つ、と割り切った狩人は絶対に逃がさない。


 リオレウスの棘に巻き付いたロープが、スティールを空中へと引き上げる。
 スティールはロープをたぐり寄せては引き、リオレウスの体表へとしがみついた。


 自重が急に増えたことから、狩人が自分に張り付いたことを悟ったリオレウスは半狂乱で空を舞い踊る。
 まずは右翼を強く上に打ってのバレルロールだ。
 恐ろしい速度で時計回りに回る三回転の横回りは、スティールの平衡感覚を強く揺さぶるが、砲撃を連射してもびくともしないガンランス使いの握力は万力に匹敵する力を発揮する。
 握力だけで岩山を登れる剛力で、リオレウスの鱗を掴んで離さない。

 横回転が通じないのなら、縦回転だ。
 リオレウスは翼を強く後方へと打ち放ち、揚力を発生させて上昇をかける。
 その姿が描くのは、赤き弧を描いた宙返りの円だ。
 遠心力に押しやられた血が、円の外に向かって引っ張られる。
 視界が赤くなり、物理的な暴力すら備えた風とリオレウスの速度がスティールを苛むが、気絶などしてやれない。


 戦って勝つと約束したのだ。

 王に。
 シャスティンに。
 そして、愛しのマルティアに!


 リオレウスが速度を緩めた瞬間に、スティールはエンデ・デアヴェルトの銃剣をリオレウスに突き立てた。

 悲鳴と共に、また竜の加速が始まる。
 だが、負けるわけにはいかない。
 自分がここでリオレウスに勝てなければ、この王国ではもはや誰も勝てないのだから。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 17
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/03/21 07:15
 その日、王国の羊飼いが空を見上げると、リオレウスの赤い姿があった。
 傲慢に空を飛びながら、家畜や人間を攫う飛竜。
 羊飼い達の天敵であるリオレウスを見つけ、避難しようとした羊飼いはリオレウスの様子が普段と全く違うことに気付いた。

 優雅と表現しても良い、ゆったりとした動作で飛ぶリオレウスが、何かに急かされるように悲鳴を上げながら飛翔しているのだ。

 そして、羊飼いの目に、その白い甲殻鎧の姿は実によく目に映った。

 それは狩人と言うよりも、邪悪な竜を懲らしめに来た高潔な騎士のような色の映え方だった。

「・・・・・・騎士様」

 羊飼いはその名を呼んだ。
 空に向かって。



 王国の治安を守る兵士達にも、その戦いは見えた。
 “白い甲殻鎧の狩人”スティールが、あの“空の王”リオレウスと空中で戦っているのだ。
 そのことは、王国では伝えられるべき事柄として取り扱われ、当然騎士団長シャスティンの元にも、その報せは届いた。

「報告します! スティール卿・・・・・・失礼、スティール“殿”は現在リオレウスと交戦中。逃がさぬようにリオレウスに縄をかけ、空中でもリオレウスと交戦しているとのことです」

 シャスティンは窓を見上げながらその報告に一つだけ訂正した。

「・・・・・・卿で良いぞ」

「は?」

「騎士でなくば、王国の外敵にあそこまで命を懸けないだろう?」

 そういってにこやかに笑うシャスティンは続きを促した。

「リオレウスの向かう先は、奴の巣です。火山に向かっております」

「・・・・・・勝負はそこでつくか」

 シャスティンは空を見る。
 そこで戦っているだろう友を想って。



 マルティアは空を見る。
 スティールを想う、その一点について彼女は純粋であった。
 思えば、スティールは王都や農地を治めるだけの騎士ではなかった。

 類い稀なる巨躯とその体にある、比する者無き力。

 王都のような狭い場所では、その二つは少々持て余し気味だった。
 だが、ようやくスティールを縛る鎖は解けた。

「スティール様・・・・・・」

 名前を呼ぶ。
 遠くに行っても、きっと近くに戻ってきてくれるであろう自分の騎士の名を。
 空で戦っているであろう恋人のことを想って。



 その吟遊詩人は、『写実派』、と標榜している吟遊詩人だった。
 その吟遊詩人が謳う歌はとにかく突拍子がないものなのだが、妙に現実感があり、聞く者は首を傾げながらもそれを信じずにはいられない、という評判だった。

 例えば、
 それはフルフルの産卵のおぞましさであったり。
 激怒したティガレックスの八つ当たりであったり。
 ババコンガの求愛シーンであったりした。
 

 それもそのはずだ、その吟遊詩人は自分が見たもののみを歌の題材にしているのだから。
 世界は探せば探すほど、まるで中身を見たことのない宝石箱のように、信じられない光景を開いて見せてくれる。
 その美しさ、その恐ろしさ、その光景が宿す真実こそが詩人が歌うべきものであると、吟遊詩人は信じていた。

 だから、吟遊詩人には人間など興味の対象外であった。

 退屈な人間。
 弱々しい人間。
 されど、傲慢でまるでこの世の主のように振る舞う無知蒙昧さ!

 それが人間の全てであり、飛竜や光景が持つあの心打つ感動に比べれば、全く持って人間など下らないと思ってきた。

 この瞬間まで、詩人はそう思っていた。
 だが、旅の吟遊詩人はこの世のものとは思えない光景を見た。

 そう、スティールとリオレウスの空中死闘だ。
 白い騎士と赤い竜が火と砲煙をまき散らしながら戦う。

 それは憧憬だった。
 それは人間には作れない光景だと思っていた。
 憧憬とは、人間よりも遙かに巨大なものへの憧れで作られるものではなかったのだ。


 吟遊詩人は追いかけた。
 追いつくかどうかなんて分からない。
 だが、彼は目で見たものしか信じられない。

 ならば、追いかけるのみなのだ。
 それが詩を謳う自分の全てなのだから。



 リオレウスは時速100km以上の速度で羽ばたき、滑空し、飛翔する。
 スティールの身体に押しつけられる風は速度を増せば増すほど強くなり、スティールの身体を引き剥がそうと躍起になっていた。

 だが、スティールは剥がれない。
 ガンランスを使うスティールの握力の凄まじさは、人類の規格外だ。

 だから、リオレウスは自分の全力で引き剥がしを行うことにした。

 リオレウスの全力とは飛行速度だ。
 ただ飛ぶのではない。
 全力飛行から体を持ち上げ、翼で前方を強く打ってエアブレーキをかけることにより、強烈なGがスティールに襲いかかった!

 言うなれば、自動車のボンネットにしがみついていた人間が、急ブレーキで前方に弾き飛ばされるのに似ている。

 時速100km以上で飛行していたリオレウスならなおさらだ。
 もはや握力ではどうにもならないレベルのGに、スティールの身体は前方へと放り出された。
 しかし、かろうじてスティールとリオレウスをつなぎ止めているものがあった。


 スティールが背中に掴まる際に使用したロープだ。


 視界がGで黒く染まる最中、諦め悪くロープで離れないスティールにリオレウスの足が閃く! 
 強力な出血毒を宿したリオレウスの足の爪。
 飛行中の小鳥すらも掴む正確な動作で、スティールを蹴りつける。


 だが、スティールも負けてはいない、否、負けるわけにはいけない!


 もはや反射の域まで高められた盾捌きでその足の爪をガードする。
 さらにスティールに加えられた衝撃は、スティールの身体を円弧状に回し、再度背中へと跳ね飛ばす!

 スティールは再度背中に飛びつくと、振り落とされる前に勝負をつける為にガンランスの引き金を引き、リオレウスの羽根に三度の砲撃を浴びせた。
 赤茶けた厚鱗の上で跳ね回るガンランスの放射砲弾の砲煙と飛礫が、火竜の羽根に見舞われたことのない災禍を味会わせ、食い破る。

 スティールの苛烈な反撃に、飛行中のリオレウスはバランスを崩し、火山の麓の森へと真っ逆さまに落ちていく。


「ぬおおおおおおおおおおおおお!?」

 スティールは回転しながら落ちていくリオレウスの背に掴まりながら、リオレウスと共に自由落下の魔の手に掴まった。

 如何なる歴戦の勇士だろうとどんなに強大な火竜だろうと抗えぬ、全てが有する万有引力は一人と一頭を等しく地面に向かわせた。


 だが、空の王が翼をはためかせる。
 迫ってくるのは大地の茶、そして森林の緑だ。
 重力は強大な敵だ。
 数tにも達する自重を持つ生物ならなおさらだ。

 だから、リオレウスは必死だ。空気の流れを、自分の身体の重みを、今自分の身体に発生する揚力を必死に掻き集め、破れた翼を最大角に固定して揚力をさらに発生させる!

 結果として起こったのは滑空だ。
 リオレウスは森に向かって滑空し、揚力をさらに発生させることより姿勢制御に集中することを選んだのだ!

 だが、それは文字通りの茨の道だ。
 全長20mを越えるリオレウスは森林を飛ぶには大きすぎる。
 結果として、森の枝がスティールとリオレウスを、雨や滝の激しさで叩く。

 もはや、一人と一頭の戦いは根比べだ。
 針の雨として両者に降り注ぐ森林の枝の歓迎を耐えながら飛ぶしかない!

 リオレウスは火竜の鱗が、スティールは堅固なグラビドXの装甲が二人を守るも常に何かに当たりながら飛び続けるのは針山地獄に他ならない。


 ――だが、リオレウスはその鷹よりも精度の高い目で、目標となるものを見つけ出した。


 翼をはためかせ、そこに向かって前進する。

 開けた場所に出たことにより、目も開けられぬ枝の針山地獄の渦中にいたスティールは、ようやくリオレウスの狙いに気がついた。


 そこは巨木の枝の傘が日陰を生み出し、森林の樹木を日向に押しやって生まれたスペースだった。

 全高にして数十mの巨木。リオレウスすら小さい小鳥に見える森の主と言うべき存在だった。

 リオレウスはその巨木に向かって全速力で飛翔した。


 激突して発生する数々の重傷よりも、スティールを潰すことを目的とした捨て身の特攻だ!
 もはや、背中に取り付く獅子身中の虫を退治するためなら、手段を選ばなくなったのだ。


「あいわかった! なかなかの決意! 野生はさすがに油断ならぬ!」

 スティールはもはや落下することを一切躊躇しなかった。
 数tの体重が時速数十kmで自分にかかれば絶命は免れない。

 絶対に逃がせぬ相手として追いかけた。
 なら、相手から必死の反撃が来るのもまた道理!

 ならば、相手の必死の反撃に全力で応えるのも、また騎士道!


 ――スティールは竜撃砲の口火を切ると、砲口をリオレウスの頭部に当てた。
 ――まだスティールはエンデ=デアヴェルトの竜撃砲を一回も使っていない。
 ――つまり、

「加減は一切効かぬでござる!」


 リオレウスが一切の覚悟を決めたように加速した。


 スティールの竜撃砲が、緑の森に鮮やかな真紅の火華を咲かせた。


 火山の噴火にも引けを取らぬ竜撃砲の爆発!
 そして、体重数tにも及ぶ巨大生物の体躯の衝突! 
 穏やかであった森林の静寂を打ち破り、スティールとリオレウスは森林の大地へと放り投げ出された。

 だが、森林は闘争の音をさも当然のように受け入れ、何事もないかのように顔色を変えぬまま、両者の闘争を見送った。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 18
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/04/06 13:39


 騎士というものは、今でこそ上流階級の人間となっているが、元は騎乗して戦う職業だ。
 動物の上に騎乗して戦場を駆ける、戦地の花形の一つである。

 故に、スティールには高速で疾駆する動物から振り落とされた経験が何度もある。
 もっとも、地上を走る生物などリオレウスの飛翔速度よりもずっと遅いため、あくまで気休め程度の心がけだが。

 一番の恐怖は、飛翔速度そのもので木の幹や岩に打ち付けられることであり、地面の上を滑っていく程度なら火傷やひっかき傷程度で済む。

 だから、大事なのは止まることではない。
 吹っ飛ばされる方向を制御することだ。

 まず着地のタイミングで地面を両手で強く打ち、振り回されて乱れる視界の恐怖に歯を食い縛って耐えながら、自分が吹っ飛ばされる方向を見据える。
 人間は防御反射としてとっさの時に目を閉じる生き物だが、常に盾を持って敵の攻撃を受け止めるこのスティールは例外の一人だ。
 当然のことだが、今自分の身体には制御不可能な力がかかっており、止まることなど出来ない。手をつくなど論外だ。指や関節を痛めるどころか、腕が折れてしまうだろう。

 だが、折れないように腕や足を使う方法がある。
 それは自分の身体を制御すべき方向へと『加速』するように、地面を打つことだ。

 そうすれば、今自分の身体にかかっている力は脚を折る方向に働かない。


 ――スティールは迷わずそうした。


 気の遠くなるような一瞬一瞬を見据えて地面を転がり続けることで、身体の傷を強烈な打撲程度で済ませる事が出来た。

 盾とガンランスはとっさにベルトを外して手放した。
 放り投げたと思っていたが、一体どこに行ったかと思い返してみればそんなに遠くにはなかった。
 盾をベルトで腕に固定し、ガンランスを背に納める頃には、全長20mを超える巨大生物の足が起こす地響きが聞こえた。

 スティールは近づいてくるリオレウスに備えるために、地響きの方向を見据えた。

 しかし、その方向には何もいない。
 いや、音はするのだ。ただし、それは遠くにいるため、森の木々に遮られて見えない。
 スティールの勘では、40mほどの距離にいるリオレウスが歩行している音だと思っていた。

 ――だが、音の主はそれよりも遠くにいて、音はただ、ただ、大きくなっていくのだ。


 リオレウスではない、スティールはそう結論づけた。

 森の水溜まりに起こる波紋が、嵐のように荒れた。
 木々に幾重にも連なる葉は、その振動に身を震わすしかできない。
 地に在る小石や岩は、巌よりも巨大な存在を転がることでしか平伏できない。

 ――其の頭部は、リオレウスよりもはるか上。
 ――山の高きより人を見下す生物。

 鉱石をその身の鎧として蓄え、巨大となった飛竜。


 鎧竜“守護神”グラビモスがスティールを見下した。
 その影の大きさは巨躯のスティールを飲み込み、全長にして30mはある威容はもはや生物の範疇外だ。

 しかも、“守護神”のグラビモスは明らかにスティールに対して怒っていた。


 スティールの背後に羽ばたきと、それに続く着地の地響きが聞こえた。
 スティールは背後を見なくても、それが何かであるかがわかった。
 全ては、今背後に在るあの狡猾なリオレウスが張った罠なのだ。

 この森は“守護神”のグラビモスの縄張りであり、そこで配下であるリオレウスを狩猟しようとすれば“守護神”のグラビモスの怒りを買う。


 それがリオレウスが描いた逃走経路だったのだ。



 周囲は木々に囲まれた森林。
 相手は“守護神”のグラビモスと狡猾なリオレウス。

 そうとなれば、スティールの取る手は逃げの一手しかなかった。
 何故なら――、


 闘争の空気を緊張感のある静けさで包んでいた火山の森林に、一条の光が迸った。
 光の太さは大きさにして3m。ちょっとした道ほどの太さがある光線は、内包されていた熱量を森林の木々に浴びせた。
 照射、発火、燃焼、灰燼の四工程が一瞬の内に行われ、森林に太さ3mの灰の道が刻まれる。だが、被害はそれだけでは収まらない。

 木々を燃料に燃える『燃焼』は生物の天敵だ。 
 燃料とした木々を中心に放射される熱は、摂氏43度で変質する蛋白質を凝固させる。
 簡単に言えば、『人間こんがり肉』にされてしまうということだ。
 
 木々の周辺の酸素は、『燃焼』で炭素と結びつくことにより周辺の大気から欠乏し、酸素不足で発生する一酸化炭素は、酸素の250倍もヘモグロビンと結びつく力が強く、血液の酸素運搬能力を急激に下げる。

 かたや、熱が引き起こす蛋白質変性。
 かたや、気体の一酸化炭素が引き起こす中毒症状。
 どちらも武器や防具では不可避の現象だ。

 つまり、森林でグラビモスとリオレウスと共にいれば、スティールに待つ運命は蒸し焼きか一酸化炭素中毒なのだ。

 背を低くして、熱に加熱されて上昇した有毒ガスを避け、地面に流れた新鮮な空気を吸ってスティールは走る。


 だが、敵は自分達に手を出した不埒者を許す気はないらしい。
 森林を上から見下ろすリオレウスが、スティールを狙って火球による爆撃を敢行する。
 スティールにとって、火球は盾で防げるし爆発範囲も狭い。
 問題は火球それ自体よりも、火球が着弾する時に発する音と光だ。


 足の遅いグラビモスがリオレウスの火球を狙って、巨大な熱光線を放ってくるからだ。

 熱光線を放つ瞬間が木々によって見えないのはお互い様だが、予期せぬ瞬間に飛んでくる熱光線はひたすら回避し辛い。
 スティールを見て撃っていないので、狙いが甘いのが幸いだが、リオレウスの視線を読んで修正しているのだろう。
 だんだん狙いが的外れではなくなってきた。

 スティールは必死で逃げる。
 燃焼物の多いこの場所では元より勝ち目はないのだ。
 ひたすら逃げるしか勝機はない。


 スティールが逃げるしかないこの状況に歯噛みしながら、追ってくるリオレウスを探して空中を見上げた時だ。
 スティールはリオレウスを簡単に見つけた。
 リオレウスが自分を探して追ってくるのだから、視線は通っている場所にいるはずだ。
 見つけたこと自体は問題ではない。


 ――だが、リオレウスはこちらを見ていなかった。
 ――リオレウスの視線の先がどこであるかを思いついたスティールは、後方に向けて盾を構えた。
 ――いや、一刻も早く構えなければならない。
 ――何故なら、すぐに来る攻撃は致死的な・・・・・・。


 スティールの身体をグラビモスの熱光線の奔流が包み込んだ。

 エンデ=デアヴェルトの大盾が直撃を防いだが、それでも周囲の大気は灼熱と呼べるほど熱される。
 目と口を閉じて、熱で目と肺を焼かれないようにするのが精一杯だ。
 自分の身体が凄まじい勢いで吹き飛ばされ、岩へと叩きつけられる。
 だが、スティールは岩に対して力任せに受け身を取って衝撃を緩衝する。並の人間なら叩きつけられる力に抗うことは出来ないまま、柘榴のように血と内蔵をぶちまけてショック死していただろう。

 さらに、熱光線の恐るべき熱エネルギーによって、グラビドXの全身鎧が瞬時に加熱されるが、火山に住むグラビモスの体殻が有する熱伝導性の低さが中のスティールを熱傷から防ぐ。

 スティールの頑丈な身体とグラビドXの特性がなければ、グラビモスの熱光線の威力に一撃で殺されていただろう。


 目視できないはずのグラビモスの熱光線が、スティールに命中した理由は明らかだ。


 ――あの狡猾なリオレウスが、
 ――視線でグラビモスの狙いを、『スティールの走る先』に誘導したのだ。


 さらにスティールの窮地は続く。


 岩に叩きつけられたスティールへ、天上のリオレウスが三度の火球爆撃を放ったのだ。
 炎を撒き散らす火球は盾で防御できる。
 通常の人間には必殺の威力も、グラビドXの堅固さには通じない。

 しかし、状況はすでにスティールの命に王手をかけていた。
 発生した炎から身を守るために盾の影にいなければならず、威力に身体を持っていかれぬよう、地面を足で踏みしめるしかない。
 火球から身を守るために盾を構えて防御している限り、この場から一歩も動けない!

 火球の目的はただの時間稼ぎだ。
 だが、稼いだ時間が必勝の好機を作り出す。


 ――射線上にいるもの全てを融解させるグラビモスの熱光線だ。

 周囲の環境はすでに地獄だ。
 放たれた熱光線と火球によって周囲の木々は炎に包まれ、吸う息すら喉を焼かんばかりだ。すでにスティールのグラビドXも身体も熱で焼かれ、皮膚は一度熱傷で発赤して痛みを訴える。

 次に熱光線が放たれれば、周囲は煉獄へと沸騰するだろう。

 この状況から、『動かないで』逃げ出すことが出来なければ、スティールは直撃を防いでも熱に焼かれて死ぬだろう。

 ――そして、周囲の環境はさらに加熱し、
 ――ついにスティールの身体は地面に向かって倒れていった。


 それをさらに重ねられた好機と見たグラビモスは、灼熱の熱光線を撃ち放ったのだ!!

 



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 19
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/06/03 23:31
 ――おお、なんということだ。まるでこの世の地獄だ。
 ――周囲の空気は火山のそれを遙かに凌ぐ灼熱。燃え上がる炎が欠乏した酸素を求めて強風を呼び込み、炎は紅蓮のダンスを踊る。
 ――こうして息をするのでさえ、油断すれば痛みから咳き込み、私の居場所はあの巨大な二頭の火竜にばれるだろう。
 ――リオレウスを圧倒していた騎士を持ってしても、火竜と鎧竜の二頭同時の攻撃には為す術がなかったようだ。
 ――火球と熱光線の連続攻撃。その超威力の結果が今、私の眼前にある。
 ――熱光線の連続照射により、グラビモスの眼前は平原のように何もなく、燃焼し終えた灰燼が敷き詰められた道が出来上がっている。
 ――その威力の終着点。リオレウスの火球との合流場所に至っては、灰という存在さえ生温い。
 ――腐葉土はその身に蓄えた水分を蒸発させて燃え上がり、岩は融解していた。

 ――私の名前は吟遊詩人のリビュー。
 ――騎士と飛竜の伝説のような戦いの風景を目にし、追いかけてくればまるで地獄だ。
 ―― 一刻も早くこの恐ろしい森林から逃げ出さなければなるまい。リオレウスに気付かれただけでも、私の命は風前の灯火だ。

 ――まだ彼らの注意は、強敵の安否に向いている。
――天空のリオレウスが強敵がいた地面に向かって着地しようとしていた。
 ――この強風でもリオレウスの飛行にはまるで揺らぎがない。


 ――王国の平和を揺るがす狡猾なリオレウスは、強敵の騎士がいた場所を踏みにじり、その安否を確実なものにしようとしていた。


 だが、着地してリオレウスは思い知った。
 あの瞬間に騎士が何を行ったかを!
 着地? ――いいや、着地したはずの足は空を掻いて定まらない。
 ――揚力も応力も得ていない身体は自由落下の鎖に縛られて、地中へと落下する。


 ――そう、リオレウスの足下に地面がないのだ!! 


 下方向に指向性爆薬を炸裂させて地面を圧縮し、数mもの大穴を一瞬にして作り出したあと、カモフラージュネットを展開。
 飛竜の視覚すら騙しきる罠を瞬時に作り出す狩人の必携道具の一つ、『落とし穴』にリオレウスは文字通りはまったのだ!


 ならば、あの狩人はどこに行った!?
 考える間もなく答えはすぐやってきた。
 あの熱光線と火球が煉獄に舞い踊る中、生き残れるとしたら場所は一つだ。


 ――『落とし穴の中』から全弾発射の轟音が轟き!
 ―― 一時の勝利に酔った不届き者のリオレウスに、全弾発射の爆発が襲いかかった!
 ――その威力はかつて主神が放った雷のごとし!
 ――不届き者を落とし穴から吹き飛ばして、大木に叩きつけた!

 それまで空中で散々傷つけられていたリオレウスは、肺から絞り出したような悲鳴をあげると、首の骨を折ったのか。そのまま動かなくなった。

 ――それが王国に事件をもたらしたリオレウスの最期となった。


 カモフラージュネットを弾き飛ばし、いまだに全弾発射の余熱を放熱するエンデ・デアヴェルトを振りながら、スティールは燃える木々の狭間にいるグラビモスに向けて言い放った。

「まだやるのなら、受けて立つでござる!! 返答や如何に!」

 獣に人の言葉など通じない。
 だが、リオレウスが息絶える声が聞こえた後、勝利者が勝ち誇るのは獣でも理解できる通りだ。

 だから、応える方法は簡単だ。


 ――不届き者にただ伝えろ。
――腹の底で熱く煮え滾るこの感情の行き場の無さを。
 ――今すぐお前の血と肉で贖うべきこの憤怒を。

 ――侮辱の代償は死であることを、


 伝える方法は簡単だ。



「SyaGyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」



 嚇怒の咆吼が森林の枝と幹と腐葉土を振るわせ、紅蓮の炎を跪かせ、風を振動させて全世界に伝える。
 炎は森林から大量の蒸気を搾取して舞い上がらせ、風を呼び込んで吹き上がり、空にむせび泣くような雨を降らせた。

 怒る。
 硬質な怒り。漆黒の怒りだ。
 炎のように熱量に任せて軽く速く在る怒りではない。
 確実にこの怒りを晴らそうと全神経を緊張させ、怨敵に全威力を余すところ無くぶつけようとする怒りだ。

 全長30mの怒りは恐ろしい。それは上から見下すだけではない。
 グラビモスとスティールの間の空気は、鋼鉄を流し込んだかのように重くなる。
 緊張感と言い換えても良いかもしれない。殺意と言い換えて良いかもしれない。


 ――だが、スティールは怒りの対象が我が事ながらも楽しくて仕方なかった。
 ――これほど巨大な存在が、自分だけを見て全精力を叩き込んでくる。
 ――それをどう捌いたものか? それをどう崩したものか?


 緊張と殺意を敵としない。
 見られることは自分以外を見ないと言うことで、殺意は自分への強い関心に過ぎない。
 それは味方だと、不利な要素を有利な要素へと変換する。


 そして、始まるは巨竜と巨躯の死闘。
 一歩を踏み出して、この冷えた森を再度熱くする戦いの火蓋が切られた!



 ―― 一言で言えば、似たもの同士の凄まじい死闘だ。
 ――騎士は白いグラビドX。
 ――飛竜は白いグラビモス。
 ――互いに防御は固く、一撃必殺の火力を持って、戦いに臨む。

 ――つまり、これは同じ素材の武器、同じ素材の防具を身に纏った戦いだ。
 ――違いがあるとすればただ一つ。
 ――それは騎士が人間で。
 ――グラビモスは竜であると言うことだ。

 ――ならば、この戦いは人と竜、どちらが強い存在であるかを計る大きな指針となるのではないか?

 ――私はその事実に気付くや、この炎燻る森林で必死の思いで戦いを見た。
 ――見届けろ。見届けなければならない。
 ――私の物語は真実で出来ている。
 ――故に、この戦いの記述はこの問いに大きな波紋を引き起こすだろう。

 ――見届けろ。そして、見届けよ。

 ――私の物語は真実で出来ている。
 ――ならば、この死闘の見届け人こそ、私の運命だ。


 こうして、息を殺した見届け人に見守られながら、一人と一頭の戦いは始まった。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 20
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/06/03 23:24
 ――白い甲殻に包まれた足が、燃えた森林の灰を踏み砕いた。
 ――白い軍靴が、燃えた森林の灰を静かな足取りで進む。

 取る戦術はどちらも前進だ。
 “守護神”のグラビモスは自分の顔に塗られた泥を払拭するまで決して怒りを収めない。
 その怒りを作った眼前の騎士を、グラビモスは決して逃しはしない。

 そして、スティールは『もし、自分が逃げたらどうなるか?』を考えた。


 ――怒りの矛先を見出せぬ“守護神”のグラビモスが、“破壊神”となって他の人間に襲いかかるだろう。


 グラビモスに人間の見分けはつかないから当然だ。
 野生動物に本能はあっても法はない。
 怒りの行き先に人間の都合を絡めてやる必要は、彼らにはないのだ。

 人間の知識は彼らの性質を良く理解している。
 理解とは、責任と義務を同時に発生させる。


 ――グラビモスとリオレウスが野生動物であること。
 ――彼らが出会ってしまい、共存したのは不幸な偶然であること。
 ――手を出せば、その二匹を狩らねば終わらなくなること。


 人間の知識は、この三点を冷酷に教えてくれる。

 だから、スティールは自分しかできない“仕事”だと引き受けた。
 だから、スティールは前に進んで守護神に真剣勝負を挑む。
 結果的とはいえ、グラビモスは今まで王国を守ってくれていた。人間の都合に付き合い、共存してくれていた。

 ――だから、狩人 スティールは前に進む。

 狩人の義務として、人間の都合の執行者として、正面から正々堂々とグラビモスに戦いを挑む。


 正面から挑んできた――――だから、グラビモスも前進する。
 逃がしも隠れもさせはしない――――だから、攻撃は肉弾だ。
 相手を正面に捉える――――だから、取った攻撃は前身をぶち当てる体当たりだ。


 スティールは盾を構えて受け止める。
 リオレウスの飛行体当たりだろうと、ディアブロスの突進だろうと受け止めてきたスティールの『受け』は人類の中でも最も頑強と言っても良い。
 それは最硬質の材料であるグラビドXとエンデ・デアヴェルトを使っているからでもあるが、その最硬質の武器防具を『柔軟』に使うからである。

 いくら硬質の材料であろうと、物には脆性という性質がある。
 衝撃に耐えることは出来ても、細く作られれば折れてしまうことを指す。
 また、長い時間をかけて弱い加重を耐える事は出来るが、瞬時に強い加重をかけられれば破壊されてしまうことでもある。

 故に、スティールの技は衝撃が加わる際にわざと引いて受け止めることで、衝撃がかかる時間を長くし、弱い衝撃として受け止めることにあるのだが、


 問題はグラビモスそのものだ。
 全高約9m。横幅は7m近くもある。概算にして、63平方mの前身部の体重は生物の中でも最も重い部類だ。10トンを超える体重は人類が味わう威力としては未曾有の破壊力をもってスティールに襲いかかった!


 受け止めようと腕を引いた瞬間に、超質量がスティールの身体全体に襲いかかり、物理として当然グラビモスより軽いスティールの身体は背後へと押しやられた。

 アプトノスやリオレウスとは比べものにならない、体内に宿した鉱石からなる超質量の体当たりは人類が受け止められるものではない。


 ――グラビモスとの戦いはここに至って最後の難題へさしかかった。
 ――人間の身長の18倍以上の全長と平均体重70kgの140倍以上の体重。
 ――当然のことながら、自然界では物理的な戦闘で小が大を制することはない。


 さらにその身が振り回される。
 そして、動きに追随してくる。それは体内で結晶した金属によって、ただの肉より遙かに重くなった肉だ。
 肉故に良くしなり、金属故に重く硬い。
 その二つの特性を併せ持って、水平に振られた鞭――いいや、威力と特性を正確に語るのならば、金属棒に鎖を繋いで金属塊をぶら下げたフレイルが近い――の動きで岩塊の尾がスティールに襲いかかる。

「・・・・・・ッッッ!!」

 痛みであがる悲鳴は衝撃で押し潰された。
 とっさに盾で直撃を避け、岩塊含みの尾にある金属の棘による裂傷を避ける。


 スティールは思った。攻撃を受けてはいけない。
 だが、攻撃を回避するにはあまりにもガンランスは鈍重な武器だった。
 不滅の盾と必殺の砲は重く複雑な機構を持っている。


 だから、スティールは野生動物が使わない技を使う。

グラビモスが再度スティールに体当たりを行う。

 ――防御してはならない。
 ――籠城は援軍を頼りに行うものだ。防御は、防御の後に続いて攻撃が期待できるときに行うものだ。


 行うべきは攻撃だ。
 スティールは見る。グラビモスの重心。攻撃の力がどこから発生するか。
 スティールはガンランスを腰に当て、足を伸ばして杭とする。

 最も大事なことは『脱力』することだ。
 スティールの身体にかかる体当たりの衝撃を全て地面に流さなければ、スティールの筋肉は断裂し、骨は粉砕するだろう。

 それはシンプルでとても難しい。
 相手は30mの巨竜。
 そして、今、その威力を思い知ったばかりの相手。

 ――恐怖しても全くおかしくないでござるな?

 スティールは簡潔にそう思う。
 命の危機にあまりにも呑気な自分がふと可笑しくて、
 恐怖に塗りつぶされてもおかしくない自分が平静なことについつい苦笑して、

 ――狩人は笑う。


 かくして、グラビモスの体当たりが炸裂する。
 グラビモスとリオレウスの素材を複合させたエンデ・デアヴェルト。
 稀代のガンランスの達人 スティールの技を持って、ガンランスの穂先がグラビモスの体当たりを止める。
 その威力は底無しだ。スティールの身体を貫通して流れた衝撃は地面に伝播するや草を爆ぜさせ、土が衝撃に踊って爆裂した。

 孤独だからこそ出来た技だ。仲間がいればきっと出来なかっただろう。自分の身体はどうとでも計算出来るが、他者の身体は計算が出来ないのだから。
 
 そして、攻撃という行為によって発生する衝撃の中心を、ガンランスの穂先で穿つという、この技は攻撃と防御を兼ね備えている。

 何故なら、グラビモスは全体重をかけて穂先に向かって体当たりする羽目になるからだ。

 故に、スティールの出来る技の中では最大威力を持つ技の一つといっても良い。
 エンデ・デアヴェルトの穂先の素材はグラビモスだ。
 最大威力の攻撃にして、相手の甲殻と同じ素材を使った突き。

 ――これで傷がつかないようなら、こちらの攻撃は一切徹らない。

 だから、結果を見たスティールの言葉の色は、その事実に基づいて塗られていた。

「・・・・・・まさか、これほどとは!!」

 スティールは戦慄する。
 言葉の色に絶望の黒が混じる。
 不可能を思い知らされ、それを乗り越える術を見失う。

 ――数トンの衝撃をかけた突きがグラビモスには通じない。
 ――穂先はグラビモスの天殻で止まっていたのだ。


 同じ素材を使う相手。
 しかし、“守護神”のグラビモスはスティールが持ち得ないものを持っている。

 それは天殻の下の軟組織だ。
 十数トンの体重を支える筋肉と骨格。
 体内に取り込まれた硬い金属に苛まれながらも、血液と酸素を送り続ける循環器。
 常に高温であるマグマの中の生活を可能とする卓越した恒常性は、気温50度の環境にも耐えられない人類の脆弱な身体とは違いすぎる。
 常にガス爆発の脅威をはらむ火山での生活は、その天殻の下の軟組織は無敵の圧縮強さを誇るグラビモスの天殻に、靱性を加えることに成功した。

 例え、同じ天殻を装備として備えていようと、グラビモスの肉体はそれを最大限に活用するべく、数万年間も進化の道を歩んできた。

 最も飛竜の体組織を扱えることが出来る存在とは、論ずるまでもなく飛竜そのものに決まっている。


 グラビモスの肉弾攻撃は、エンデ・デアヴェルトの防御の上からスティールを確実に削り続ける。
 そして、このグラビモスの性格は狩人にとって実に厄介極まりなかった。

 ――有効で確実な攻撃しかしてこない。

 グラビモスは熱光線以外にも睡眠ガスやガス爆破などを行ってくる。
 グラビモスを狩り慣れたスティールは、大雑把な攻撃により生じる隙を狙って攻撃を仕掛けるつもりだった。
 しかし、グラビモスは隙の少ない肉弾攻撃でスティールに反撃を許さず、確実にこちらを削るつもりなのだ。

 盾越しの打撃がスティールの顔面にぶつかる。
 額にぶつかった盾は裂傷を作り、スティールの顔面に血の筋が流れる。
 拭う暇など無い。鎧を着た人間と等速度で30mの巨体が動き回るのだ。
 打撃の重さはスティールの15倍以上ある身長に比例して圧倒的だ。

 状況は圧倒的不利。
 そこで、スティールの思考はまず自分の使える攻撃手段を整理して考える。

 竜撃砲は現在冷却中だ。これ以上竜撃砲を使えば、砲身が溶けて暴発する。この冷却時間は勝利のために絶対に必要だ。しかし、今は竜撃砲無しで凌がねばならない。

 では、通常砲撃か?
 砲撃は腕を身体に当てて腰溜めに行われる。そうでないと砲撃の反動で肩が外れるからだ。腰溜の構えによって反動を身体全体にかけて分散することで反動を制御するのだ。その時、砲撃の反動で身体が一瞬だけ固定される。
 これが砲撃時の隙となる。
 グラビモスの攻撃を必死にガードしている現在では、一瞬でも反動に身体を縛られるのは避けたいところだ。

 ならば、フルバーストか?
 これも隙が発生するが、威力としては申し分ない。


 だが、一つだけ問題がある。
 それが先ほどの突きが弾かれたグラビモスの天殻だ。
 フルバーストや竜撃砲を当ててもグラビモスの天殻が割れない場合、隙を晒してなおかつグラビモスの攻撃を喰らうことになる。
 それを喰らえば立つのも難しくなるだろう。

 一撃に賭けるべきか?
 それとも、このまま削られるか?
 他に道はないのか?
 命を賭けてこの敵に挑むのだから、ここで賭けに出るべきか?

 迷ってはならない。
 迷えばそれが隙となり、今度こそこの状況にとどめを刺すだろう。


 だから、その選択に何ら確証が得られぬままでも、スティールは一番自分が納得出来る道に突き進んだ。




 空に炎が見えなくなって半刻が経とうとした。
 マルティアは空を見上げたまま、一人の人間の帰りを待っていた。
 その一人の人間がどんな人間か、マルティアはよく知っている。

 綺麗なものが好きな人。
 言葉も、道も、信条も、彼が好むものは清廉潔白という言葉が似合っている。

 だが、それらは儚く壊れやすい。
 理想が現実に汚れることなど、嫌と言うほど知っているだろう。
 汚れることは彼にとって当たり前になってしまった。

 ――身を挺して尊きものを現実の汚泥から守りぬく。

彼は心の底から騎士なのだ。

「だから、貴方はきっと耐えるのでしょう。・・・・・・戦うまで、ずっと耐えてきたのだから」



 スティールの納得出来る道。 
 それはスティールがグラビモスにもっとも得意な武芸で挑むことに他ならない。

 では、それは竜撃砲か?
 砲撃の連続か?
 それとも、渾身の突きか?


 どれも違う。
 そもそも、スティールとは、守り堪え忍ぶ男なのだから。




 ――小山のごときグラビモスの体当たりが、怒濤の圧力でスティールに迫る。

 スティールは身体を回しながら、横に移動する。
 ガンランスに似合わぬ軽快な動きだ。
 だが、ガンランスはしょせんガンランスだ。動きは軽快でも、加重が重すぎて移動距離が足らない。

 グラビモスの体当たりの端が、スティールのグラビドXを捕らえる。

 しかし、身体を回したことが功を奏す。体当たりの力はスティールのグラビドXの表面をかすめて、金属擦過の火花を立てる。

 一撃をやり過ごしたスティールは最小限の動きで天殻を突く。
 当然のことながら、その突きは弾かれる。まったくのパワー不足だ。グラビモスの天殻に刃など通じない。

 だが、スティールはその後に降ってきた人間よりも大きな尾の先も、さらに続いて放たれる体当たりもかわす。
 それは全て紙一重の回避だ。攻撃に鎧を擦過されながらも、突くための一分の隙を見出すために武器を回して攻撃を受け流し、攻撃の当たらないスペースに身体を運ぶ。

 最小限の回避でとにかく弾かれることを前提として突きまくる。

 文字にすれば、たった数行で終わるこのスティールの悪足掻きだが、小さな奇跡が隠されている。スティールにすれば、自分の武器鎧を知り抜いた上での行動だが、グラビドXが無くしてはこの回避は成立しない。

 ――しかし、この回避は同様の素材を持つグラビモスにも出来ない。
――何故か?
 ――『研磨』と呼ばれる作業がある。
 ―― 一般的にこの作業は金属の光沢を引き出す作業と思われがちだが、実は大きな意味を持つ。
 ――滑沢に磨かれた金属の表面は摩擦係数が下がる。これが刃の切れ味を上げ、鎧に当たる物体が鎧とその着用者に与える衝撃を分散させる。
 ――平たく言えば、鎧に傷がつきにくくなる。
 ――だが、現状ではその滑沢な表面がグラビモスの無骨で容赦のない攻撃から、身を守っている。

 ――同じことをもう一度言おう。スティールと同様のことはグラビモスにも出来ない
 ――何故なら、彼らはマグマの中で、火山弾やガス爆発の猛威に晒され、その表面は滑沢とは程遠いほど傷つけられている。
 ――滑沢に磨いたグラビモスの素材が、全長30m、体重10t超過のグラビモスの攻撃をも受け流せるほどの防御性を発見したのは、紛れもなく人間なのだ。
 

 スティールは突く。
 この奇跡に支えられながら、淡々と突き進む。

 自分の技の中で最も信じられる自分の防御と。
 様々な人が素材を集めて作ってくれたこの武器防具。

 それがあるから、この一見無価値な突きが『有効な戦術のための遠回り』となる。

 スティールは突く。突き進む。
 少しでも未来に前進するために。


 天殻に何百と攻撃を加えようと無意味。
 スティールは幾度も突いてその結論に達した。
 ただ硬いだけではなく、その下の軟組織との複合組織があの天殻に類い稀なる衝撃強さと剛性を与えている。

 竜撃砲でも割れないだろう。
 賭けても良い。何故なら、自分はその判断にこれから命を賭けるのだから。


 では、“守護神”のグラビモスの打倒は不可能か?


 有り得ない。
 不滅の生命は存在しない。
 必ず倒せる。

 狩人に倒されなかった生物の存在など、今までないのだから。


 ――スティールは結論した。
 ――あのグラビモスの天殻唯一の弱点は、天殻と軟組織を身体に張り止める結合組織を狙うしかない。


 これは想像以上に難しい。
 硬組織と軟組織の隙間は鎧の隙間よりはるかに小さい。
 大きさを例えるならば、指先の爪と皮膚の間を狙うようなものだ。
 ガンランスで動いている標的を狙うには小さすぎる。
 しかも、突くだけで壊れてくれるとは限らないのだ。

 さらに、グラビモスはスティールの防御をおかしく思い始めているのも見逃せない。
 今こそ、スティールに単調に肉弾攻撃を繰り返しているが、その攻撃でスティールは倒れない。さらにコンパクトな体動に切り替えられたら、もはや隙はないだろう。

 ならば、勝負をすぐにでも仕掛けなければならない。

 体捌きと共に打撃擦過の火花を散らしながら、スティールはまた一瞬だけ突く隙を探す。
 グラビモスとスティールの勝負を決する時は、打撃と防御の狭間で近づきつつあった。




 天殻と軟組織を繋ぎ止める結合組織の隙間は、グラビモスの左側にあった。
 その隙間がある左側で、グラビモスが体当たりを行う。

 小山が迫る大迫力と圧迫感。
 スティールは突けない。体当たりのスピードで動かれたら正確に突けないからだ。
 グラビモスの頭部方向、つまりスティールから見て左へステップし、身体を回して左手の盾で殴るように防御を行い、受け流す。

 金属擦過の火花が両者の間で花咲くように広がり霧散。
 スティールの身体が打撃の勢いを受けて一回転。

 グラビモスの右に逃げたスティールを追うべく、グラビモスは体を回す。

 それは、このグラビモスの厄介な点でもあった。
 こいつは他の飛竜と違って、見失った『小動物』を視線で追い続けることをしない。
 見失っても近くにいるとわかれば、まず一回転して尻尾を回してくる。

 ――尻尾の当たったところが、『小動物』の居場所だ。
 ――この『小動物』はこちらの攻撃をどうやってか凌いでいるようだが、あの体躯でいつまでもこちらの攻撃をかわし続けられるはずがない。


 グラビモスはまだそう思っているはずだ、と、スティールは思っていた。
 右側を前面にした体当たりをギリギリでかわして、体当たりの内側から結合組織の隙間を突けばいい。

 だが、ここでスティールはあることに気付いた。

 ――いくら待てども、右側を前面にした体当たりが来ないのだ。




 “守護神”のグラビモスは『小動物』が自分の左側にそれまでとは違う種類の視線を送ってくることに気付いてきた。

 この“守護神”のグラビモスが巨大な体躯を持ちつつも、ここまで厄介な相手になり得たのは偏にその戦闘回数に起因する。

 あまりにも広大な縄張りを持ったが為に、その縄張りを維持するために行った戦闘は何十回にもなる。

 飛竜種 リオレウス。
 獣竜種 ウラガンキン。
 牙獣種 ラージャン。
 古龍種 テスカトル。
 海竜種 アグナコトル。 
 甲殻種 ショウグンギザミ。
 魚竜種 ヴォルガノス。
 飛竜種 アカムトルム。

 これら火山に住まう竜種を退けて火山に君臨し続けることは並大抵の強さでは成立しない。
 何より途中で戦いに力尽きるだろう。それは鉱石の肌と強靱な甲殻を持つグラビモスでも例外ではない。

 では、これらから生き延び続ける秘訣は何であったか?

 ――それは勘が鋭いことだ。
 ――相手の狙いに気付くことだ。
 ――そして、その危機に自分を近づけないことだ。


 この『小動物』は身体の左側を注視し、右側には見向きもしなくなった。
 つまり、左側を前面にして攻撃し続ける限り、この『小動物』の注視する左側は高速で動いて隙を晒さないことになる。

 危険とは、右側で攻撃することであり、
 安全とは、左側で攻撃することであった。


 だから、今まで苦しくも元気に歩いていた『小動物』が、数歩蹈鞴を踏んで下がった時も、グラビモスは一切油断しなかった。

 安全とは左側で攻撃することであり、
 勝利とは安全を踏んでいくことで得られるものだからだ。

 足を泳がせて満足に踏み込むことの出来ない『小動物』に、今グラビモスの体当たりが直撃した。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 21
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/06/24 10:36

 死を忌避することは生命として当然だ。
 危険に恐怖することは人間として当然だ。
 威力に怯えることは恥でも何でもない。

 だが、『当たり前』と開き直っていては決して勝てない相手を目の前にした時、人は『当たり前』を踏破する必要に晒される。

 だから、スティールが成し遂げたそれは、人として迫られた必要に応えただけだ。


 高速で体当たりしてくるグラビモスの左面に、
 大きさ数十ミクロンの結合組織の隙間に、
 巨大なガンランスの穂先を突き込むという作業だ。


 しかし、スティールはそれを偶然で出来たとも思わない。
 昔、賭けで“守護神”のグラビモスの天殻を酔った勢いで突いた時から、ずっと想定していたのだ。
 
 ――この天殻を破壊する時に発生するであろうあらゆる事態をだ。


 実は、スティールにとって最悪の事態は今の事態でもなかった。
 マグマの中に隠れてスティールと戦わず、他の住民に被害が出る事態となる方が数倍最悪だった。
 だから、目の前に“守護神”のグラビモスがいる限り、それはスティールにとって最悪ではない。


 このガンランスで突ける相手なら、どうにかして仕留めてみせる。
 それがスティールの自負であった。


 だから、今は最悪ではない。

 高速の体当たり――スティールの突きは体当たりの勢いすら利用出来るほど正確だ。
 大きさ数十ミクロンの結合組織――その為に防御を行い、突きまくった。
 巨大なガンランスの穂先――生まれた時より槍を握り、武芸を磨き、食事の回数よりはるか多く振るいに振るった銃騎槍の穂先だ。指より正確にものが突ける。これ以上の道具を知らないし、これからもないだろう。

 全ては『当たり前』を踏破し、その自負が行わせる帰結の行為。
 たった数ミクロンの結合組織へ、ガンランスの穂先が突き込まれた。
 


 違和感、掻痒感、疼痛。
 グラビモスにとってガンランスの穂先が突き込まれたという行為は、人間にとって皮膚の表面に針の先が少しだけ押し込まれたことと同様だ。
 同じ痛覚神経を通って伝わる痒みが、痛みに少しだけ変わるかもしれない。
 それだけの小さな傷だ。
 だから、グラビモスはさらに踏み込んだ。
 『小動物』を引き飛ばすために、全体重を懸けて全力で。

 そこで小さな音が鳴った。
 小さな小さな金属音。
 グラビモスの踏み込みに比べれば、その音は高く、重低音の響きに消されそうなほど小さかった。
 しかし、そこから繋がる刹那の時間の始まりとなれば、その金属音はグラビモスの記憶にすら刻まれる。

 ――音は、カチリ、と鳴った。

 即座に続く五発の連続した轟音。
 グラビモスの体内で放射状に広がった砲弾の炸裂は、天殻の結合組織を焼き切って押し広げ、不徹の鎧竜の天殻を根本から破壊して破片が宙に舞った。

 疼痛は掻き毟られ、混沌と衝撃を注入して激痛へと進化した。
 30mの巨体全体へと迸った衝撃は“守護神”のグラビモスの意識を乱し、その喉から生まれてから一度も放たれたことのない咆吼が放たれた。

 ――大地を揺るがして痛みを伝える、火山の鳴動のごとき悲鳴だ。

 グラビモスの意識は乱され、『小動物』と見なしていた認識は改められ、今すぐにでも取り除かねばならぬ『天敵』へと成長した。

 故に、必死な生への足掻きが、それまでグラビモスの狡猾な慎重さを塗り潰し、大胆で迂闊な行動へと巨竜の魂を走らせた。


 取る行動は竜巻が万物を吸い込むような吸気。

 ――自分の体内にある全エネルギーの放出を目指して。




 グラビモスの体当たりにガンランスで突くという無謀の代償。
 さらに、エンデ・デアヴェルトの全弾発射の反動。
 そして、それまでの死闘によって刻まれた身体への傷と負荷は、丈夫で知られるスティールの身体であろうと著しいダメージを与えていた。

 反動で仰け反った身体を支えようと左足を伸ばす。
 だが、砲撃を支え、突きをして、攻撃を受け止め続けたその足はすでに筋肉を断裂しかねないダメージを受けていた。

 左足は体重を支えられず、よろけて身体を前傾させる。
 血も吐き出しそうな喉を必死に押さえるも、何もかもがすでに臨界を迎えそうになっていた。

 耐えられないかもしれない。
 無理と無茶と無謀で押し通して使ってきた身体だ。
 すでに使えない部分があるかもしれない。もう使えない部位があるのかもしれない。もしかしたら、もう動作しないのかもしれない。

 だが、意思で無理矢理動かしてきた。
 いまだに意思は高い。
 だから、まだいけるはずだ。
 足は踏み込める。
 力よ、入れ――――――――――――――――――。



 だが、入るはずの力が、この土壇場に来て入らなかった。



 身体が崩れる。
 前に向かって倒れようとしていく。
 滑っていく身体を止めようと右足に力を入れるも、止まらない。

 倒れたら駄目だ。
 地面に身体を着ければもう立ち上がれる気はしない。

 どうにもならない。
 限界が来たのだ。


 自分自身気付かぬ振りをしていた限界が来たのだ。
 右足に力を入れた分だけ、ゆっくりと身体が倒れ、事実がスティールに遅延して伝えられる。


 ――お前はもう限界だ。
 ――だから、倒れて思い知れ。
 ――絵空事で人は戦えない。
 ――いくら無理を押そうとも、現実は迫るのだと言うことを。


 そこで懐から、砕けた何かが地面に降っていった。
 それは今までのグラビモスとの激突から砕けてしまった欠片だ。
 だが、スティールはそれが何かよく分かっている。
 思い出した時にでも食べようと思って、ずっと懐に残していたものだ。

 それは甘い記憶。
 喜びの日々そのもの。
 愛する人からの贈り物。

 マルティアが彼に送ったクッキーの欠片だ。


 ――左足が、クッキーを踏み潰そうとする上半身を蹴り上げるように前に出た。

 眼前で吸気するグラビモスに、守るべき者を燃やさせんと咆吼する。

「――――――――――ッッ!」

 グラビモスの必殺の熱光線が来るのは、スティールの策の内だ。
 追い詰められれば、最強の攻撃を行う――人間でも野生動物でも例外はない。

 だから、それに備えた。
 この攻防もスティールが作り上げた行動の帰結に過ぎない。

 溶岩と岩を身体の滋養として取り込んで、それによって得た余剰熱エネルギーを放出することで対象を加熱するグラビモスの必殺の熱光線。

 だが、そのエネルギーを運ぶ媒体は光ではない。
 グラビモスの肺から呼気として発せられる空気だ。

 だから、グラビモスの熱光線――名を改めるなら加熱呼気――の質量は軽い。
 風と同等。いや、加熱されているため膨張し、さらに軽い。


 ――ならば、攻略法はただ一つ。


 スティールはその為に、竜撃砲の口火を切った!


 しかし、竜撃砲を腰溜に撃ったのでは熱光線の射線と重ならない。
 ゆえに、肩の脱臼を覚悟してグラビモスの顔面へ砲口を振っていくのだ!


 さあ、グラビモスよ、思い知れ!

 素材はグラビモスの天殻とリオレウスの天鱗なれど、お前の身体をここまで進化させた。

 砲身は2m超過、口径76mmの前装滑腔砲。
 装薬はニトロセルロースのシングルベース。
 弾殻は鋼鉄にて一体の中空成型。 

 グラビモスの熱光線は気体にして質量は軽い。
 だが、砲弾を撃ち出すエンデ・デアヴェルトの竜撃砲は固体にして質量はずっと重い。


 全ての論理を帰結させよう。

 全長30mの巨体のグラビモスに向かって前進し、完全吸気の上に吹き出されるグラビモスの熱光線の発射に合わせて、竜撃砲を脱臼覚悟で振っていく!

 熱光線と竜撃砲で正面から撃ち合う!


 言葉にするのも馬鹿馬鹿しい無謀な行動に、スティールは全てを賭けて挑んだのだ。


 結果は音では表せない。
 全エネルギーを篭めて放たれた熱光線が竜撃砲の弾殻に引き裂かれるも、周囲の大地を熱が伝播されるまま蹂躙し、灼熱の地獄へと変貌していく様子はもはや天変地異さながらだ。

 全ての衝撃が収まり、戦いが終わって大地が静まりかえった後、主の手から離されたエンデ・デアヴェルトが、放り投げられた空中から自由落下に引かれて地面に落ちた。




 吟遊詩人は熱光線で沸騰した大地を見た。
 彼はその光景をこう語った。


 ――なんと言うことだ、炎に燃える森林もマグマに滾る溶岩もこの場を表す言葉としては物足りない。
 ――辺りは熱に蹂躙されて沸騰している。
 ――生きている者がいるとは言えない有様だ。
 ――その『騎士』を除いては。


 スティールは落下してきたエンデ・デアヴェルトを手に取るために起き上がった。
 起き上がろうとして右肩に激痛が走る。間違いなく脱臼している。
 ガンランスを扱えば、一度か二度は外すものだが、やはりこの痛みは慣れない。
 地面に右肩を叩きつけて強引に肩を入れる。
 気絶しそうなほどの激痛が走るが、痛みを感じることを今さらどうこう言っても始まらない。
 エンデ・デアヴェルトを持って、倒れたグラビモスに慎重に近づく。

 天殻は剥がれ――竜撃砲で頭部を吹き飛ばされて欠損したグラビモスの死骸だ。
 頭部を欠損して生きていられる飛竜種はいない。
 間違いなく死んでいる。


 その事実を確認して、スティールはようやく地面に倒れることが出来た。
 勝ち名乗りも咆吼もあがらない。
 静かな勝利だった。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 22
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/08/11 08:10
  吟遊詩人は後に語る。

 ――溶岩に煮え滾る火山の熱気ですら、その戦いを前にしては涼しく感じられるほどの戦いであった、と。
 ――普段は観察者に徹するはずの私が、倒れた騎士に駆け寄り彼を抱きかかえようとしてあまりの重さに、鎧竜に勝利したこの瀕死の英雄騎士を引きずるしかない現実を情けなく思うも、アプトノスも荷車もないこの状況ではそれに甘んじるしかない。

 ――だが、私の試練も長くは続かなかった。
 ――戦闘の音が消えたので捜索に来た王国の兵士が、この騎士を見つけるやいなや私に一通りの感謝をして、身元を引き受けてくれたからだ。
 ――この騎士は、狩人とは思えないほど丁重に運ばれていった。
 ――私が騎士の名前をいまだに聞いてないことに気付いたのは、王国の兵士と別れてしばらくしてからだった。


 
 全身打撲。
 右手の小指の第一関節までの熱傷による欠損。
 上半身右側部、右足前面における広範囲の熱傷。
 左右の肋骨の骨折。

 そして、熱傷で水分が失われた身体が引き起こす脱水症状が、勝利したスティールの身体を蝕んだ。
 グラビドXでなければ、炭化して四肢が欠損したか、それとも勝利することすら不可能であったかもしれない。

 スティールを搬送した兵士は死に物狂いで走って医師を連れてきた。

 エンデ・デアヴェルトもグラビドXが無くても、リオレウスに立ち向かっていた彼に対する人徳の為す技とも言えた。

 この時、奇しくもスティールを助けたことで自信を得た医師が、この王国の狩人ギルドにおいてその腕を振るい、狩人達にも大きな助けとなったのだが、それはまた別の話。


 スティールは数日間生死を彷徨い、二度と目覚めないのではないかと心配されながらも、その心配を良い形で裏切って目が覚めた。





 白い天井が目に入り、白い包帯に包まれて、身体はまるで鎧を着けていないように軽いが、全ての違和感を置き去りにして、とりあえずスティールは壁に後進する形で跳ね起きた。

 しかし、スティールが思ったより身体の制御が効かず、後頭部を壁に凄まじい勢いでぶつけて悶絶した。
 遅れて全身の痛みが思い出された。

 痛い、とても痛い!
 
 皮膚が焼けて体温の調節が上手くいかない身体は熱い。
 気がつけば身体は灼熱で、疼痛はひっきりなしだ。
 そうやって混乱していると、ふと自分に伸ばされた何かを乱暴に掴み取った。

 冷たい。
 心地良い涼しさだ。手触りも柔らかい。
 熱と汗で気持ち悪い顔を拭うのに使えないかと、混乱した頭で反射的に考えて引っ張る。

 すると、予想よりも大きな手応えと自分の身体に乗る何かを認識したところで、正気に返った。

「・・・・・・スティール様」

 他ならぬマルティアだった。
 冷たい何かはマルティアの手で、スティールの寝台に彼女を引きずり込んだ形になっていた。

「ま、ま、ま、マルティア殿!?」

 手を離して再度の後退。
 当然、猛烈な勢いで後頭部が壁にぶつかり、再度の悶絶。
 慌ててこちらを気遣うマルティアに、大丈夫と手を振った。
 痛みと共にマルティアを見上げる。

「ここは?」
「病院です。三日間寝たままだったんですよ」
「そうでござるか。身体のあちこちが痛いはずでござる」
「貴方の戦いを聞かれたお医者様は、『こんな程度で済むのが不思議』と仰いましたわ。運が良いそうです」

 ちょっとだけ戦いを思い出すスティール。

 空中でリオレウスにしがみついて森を征き、
 炎に猛る木々の中でリオレウスを討伐し、
 マグマ滾る火山にて“守護神”のグラビモスと決着する。
 
 無茶と無謀と無理と不可能の四文字で形容されそうな荒事をひたすらやっていたような気がして、思い出すだけで吐き気がする。
 医者がそう言うのも納得だ。生きて帰ってこれたのが奇跡のような気がする。

 スティールは近くにいるマルティアを見た。



 ――これを彼女に言うべきだろうか?

 言わずが華、という言葉もある。
 狩人の所行など、淑女が知るべきものとしては乱暴かもしれない。

 しかし、マルティアはスティールの思惑などどこ吹く風で笑顔でスティールに聞いた。

「それで、どうやって“守護神”のグラビモスを倒しましたの?」
「聞くのでござるか?」
「聞いてはいけませんの?」
「楽しいものではござらん」
「あら? でも、私には必要なものですわ。いつか聞かせないといけませんもの」
「誰にでござる?」

 すると、マルティアは少しだけ頬を膨らませて怒りながら言った。

「その言葉こそ野暮ですわ、『スティール』」

 呼び捨てにされた自分の名前は、スティールに様々な要素を思い知らせ、思い至った様々な事柄の多さに目が眩むようだった。

 マルティアと一緒になると言うこと。
 マルティアと共に歩む未来。
 その未来の先にある喜びと不安。
 
 浮かぶ光景はとても眩しく、花火のような鮮烈さを持っていた。
 だから、確かめるようにスティールはマルティアに言った。

「我が輩はもう騎士には戻れないでござるよ?」
「私の中では誰よりも騎士よ? ずっと、今のままでいない?」
「狩人になったら、我が輩は狩りのためにどこか遠くへ行ってしまう、寂しくないでござるか?」
「でも、きっと帰ってくるのでしょう?」
「マルティア殿・・・・・・」
「・・・・・・『マルティア』と呼ばないのですか?」
「・・・・・・マルティア」
「はい」
「ずっと、マルティアと呼んで良いでござるか?」
「私とスティールがいやにならなければ」
「努力が必要でござるな?」
「私も頑張ります」
「ずっと一緒に頑張れるでござるか?」
「・・・・・・はい」

 スティールはマルティアの手を取ると、自分の方へと引いた。
 倒れてくる形で近づいてくる彼女の身体を抱きしめると、華のように香しい匂いがした。





 身体が治り、歩けるようになるとスティールは旅に出ることにした。
 狩人になったら一番にやりたいことでもあった。

 自分の武芸はどこまで通じるか?
 世の中はどこまであるのか?
 まだ見ぬものを見るためにいく旅は、騎士では決して叶わぬ夢ではあった。

 そして、騎士の位を取り戻さぬも、王国を救った狩人であるが故に、次の望みは非常に簡単に通った。


 その要望は王国の城の謁見の間で、スティールに褒美を取らそうとする王の前で放たれた。



「マスティス伯爵家マーティン様の長女 マルティア様を私に貰えないでしょうか?」

 これは王にとっても、マスティス伯爵マーティンにとっても、断りにくい話となった。

 王国の窮地を救った英雄。
 されど、自分から騎士位を返還した人間をまた騎士位や爵位を授けるのは、王国の体面上よろしくない。
 そうなれば、報酬は土地か金品に限られるわけだが、長い間リオレウスに暴れられていた王国には、どちらも不足がちだ。

 王にとっては、渡りに船の褒美ではある。

 だが、問題はマスティス伯爵マーティンだ。  
 王の面子を保つために、マルティアを花嫁として送り出すのはいい。
 しかし、彼にも対面というものがあろう。狩人ギルドを設立したが故に、スティールや騎士団の足を引っ張っていたのは、間違いなく彼なのだから。

 ここで助け船を出したのが、騎士団長シャスティンだった。

「マーティン殿。狩人ギルドと我々騎士団は此度の事件で互いに譲れぬ場面があったと思います。しかし、スティールが全ての道を切り開いてくれました。我々はきっと協力出来るでしょう。そして、私は差し出がましいながらもスティールに協力したい」

 シャスティンは笑って言った。

「聞けば二人は恋仲だ。騎士団と狩人ギルド、最初の協力として・・・・・・彼らを祝福しませんか? マーティン殿」


 こうなってしまえば、マスティス伯爵マーティンが話の分からない父親の振りをするのも限界だった。

 シャスティンとマーティンは挙式するかとスティールに聞いたが、一介の狩人として分を越えた話であり、式は挙げずに王の前で略式の婚姻を行った。

「狩人 スティールよ」
「はい」
「神の代理として、この王が汝に問う。汝はマルティアを妻として娶り、健やかな時も、病める時も、死が二人を分かつまで永遠に愛することをこれに誓うか?」
「誓います」

「マスティス伯爵マーティンが娘 マルティアよ」
「はい」
「神の代理として、この王が汝に問う。汝はスティールを夫として迎え、健やかな時も、病める時も、死が二人を分かつまで永遠に愛することをこれに誓うか?」
「誓います」

「誓いのキスを」


 王の謁見の間で、二人は結ばれた。
 旅立つ勇者を見送るため、式はなく、派手な装飾も花嫁衣装もなかったが、二人は間違いなく、その王国から祝福されていた。

 王は言った。
 その国を統治するために皆から指示され、神から全権を託された身として。


「余からその方らに何も贈れぬが、良ければ一つだけ受け取って欲しいものがある」
「喜んで」
「狩人 スティールよ。汝に物語を授けよう。お前の戦いを後世に語り継ごう。それはお前に栄光をもたらし、後世の人間に力と光を与えるものであると余は確信しておる」
「身に余る光栄です。王よ」

「行くが良い、狩人 スティールとその妻 マルティア」


 こうして、言葉のまま、スティールは謁見の間に背を向けた。
 妻の手を取り、これからの狩人としての人生を全うするために。

 そこに、個人的な呟きとして小さく、王が呟いた。

「お前はもう騎士ではないが、私は今でもお前を騎士だと思っている。善く仕えてくれた」
「・・・・・・・・・」

 別れが辛くなるから、スティールは聞き流した。
 全て無かったことにして、また戻りたいとも思った。
 だが、それは秩序ある王国の人間として、やってはいけないことだった。

 そして、スティールは失ったのではない。
 大事なものを守った現実を得て、ここから旅立つのだ。


 謁見の間から退室し、王城の入り口から辞そうとした時。
 スティールはその目を疑った。


 入り口からの道を挟むように二列の横列を組んで並ぶのは王国の正式兵装の騎士達だ。
 全てが王国の秩序を示すかのように、規律良く直立不動にて礼を示す彼らを見た瞬間、スティールの心にはあの火山のマグマより熱く心地良いものがあふれ出た。

「・・・・・・おお」

 後ろから歩いてきたシャスティンが笑って、スティールを追い抜いた。
 彼は横列の先頭に加わると、規律ある騎士団の騎士団長として号令した。


「我らが王国の恩人にして最高の狩人 スティール!」

 シャスティンは誇る。己の友人とスティールが為した結末を。
 だから、彼は肝心要の言葉を叫ぶ。
 誰もが忘れてしまわぬように。

「彼は騎士ではなくなったが、私は彼を最高の忠義の騎士と見る!!」

 王国の騎士達が合意した。「然り!!」

シャスティンは抜剣して胸の前へ掲げる。
 最高の狩人を友に持つ誇りと、その前途を祝福する気持ちを。


「ならば、狩人“Sir.”スティールに敬礼を! ――総員、掲げ、槍!」


 スティールの左右で掲げられた槍が、道を中央として、音一つで重ねられた。
 騎士達の引き締められた表情と、敬意を表して掲げられた槍は、王国の騎士達の感謝。

「・・・・・・おお・・・・・・!」

 スティールは泣いてなどいなかった。
 泣く気持ちとしては不釣り合いなほど熱い気持ちで、心が満ち足りていたから。
 だから、目から出るものなど拭いはしなかった。

 敬意を表される者として堂々と、彼は騎士達が作り上げた槍の道の下を通っていった。



 こうして、詩に謳われるスティールの“守護神”のグラビモス討伐の物語は幕を閉じる。

 “Sir.”スティールは“Master horn”クルツや“Slayer”ルファードに負けぬ伝説の狩人として、Gの狩人の歴史に名を残したのだ。

 本人は、自分はただの狩人と否定するが、誰もが認める騎士道の狩人として。
 その光溢れる物語を皆が認め、それは広まっていった。
 



 さて、話を現代へ戻そう。
 ここに四人の狩人がいる。

 一人は、ギルドマスターになるべく運命づけられた“Red eye”コーティカルテ。
 一人は、家業を背負うべく狩人になったフルボルト。
 一人は、フルボルトを助けるべく狩人となって追いかける3U。
 そして、騎士道の狩人“Sir.”スティールだ。

 この極寒の凍土にて、スティールを伴って古龍クシャルダオラを狩りに行くコーティカルテに、一体フルボルトは何が出来るだろうか?


 ――見て見ぬ振りが最善だ。そして、自然界の当然でもある。


 野生の草食獣は仲間が食われた後、腹が満ちた肉食獣の横で平然と食事を行う。
 肉食獣は草食獣を襲う必要がないし、草食獣も危地から脱しているからだ。

 フルボルトも共闘する理由がない。
 彼女は強く、古龍に負ける理由が存在しない。
 商隊と共に逃げ、家業を助けるべきなのだろう。


 ――だが、そう決めてしまえば狩人としてそこまでだ!

 ――自分を救った“Master horn”クルツが逃げるだろうか?
 ――自分を嘲笑った“Slayer”ルファードが退くだろうか?
――自分の前にいる“Sir.”スティールが笑顔でいるだろうか?

 ――Gの狩人達の限界はそこにもない。


 ――家も。生まれも。血筋も。地位も。環境も。栄光も。仕事も。
 ――彼らは自分の理由にしない。

 ――人は生まれた瞬間から重荷を背負っている。
 ――だが、それは全ての生物に課せられた前提条件でもある。
 ――弱肉強食。運命の気まぐれ。天変地異。生まれの不幸。
 ――全ての生物はその生に襲いかかる試練と戦う運命を持っている。


 ――だから、人生はやりたいことをやるべきなのだ。


「コーティカルテ!」

 フルボルトは、3Uと商隊の連中を蹴飛ばして躍り出てきた少女の名前を呼んだ。

「なんじゃ!? 手助けなら要らんぞ! そこの“Sir.”スティールのようにGの狩人になってから来い」

 それなら問題はない。
 フルボルトはいまだに二つ名こそ持ち合わせてはいないが、昇格試験は受かっている。

「僕もGの狩人だ。アシュフォード商会所属――」


 ――我々は生まれた瞬間から重荷を背負っている。
 ――だが、重荷に潰されるわけにはいかない。
 ――生とは、道とは、人生とは、我々が歩いた後にあるのだから。


「“Thunderbolt”フルボルト。“Red eye”コーティカルテのクシャルダオラ討伐に参加したい」

 蹴飛ばされて気絶した商隊連中の身体の下から這い出した3Uが名乗りに続く。
 頭文字Uの名前を。

「“Eagle Eye”ウルブレヒト・ウンダーアルド・ウッドベアゴルデ。同じく、討伐に参加したい」 

「目的はなんじゃ?」

 「コーティカルテを助けたい」という気持ちがまず答えとして思いつく。
 だが、重要なのはコーティカルテの納得だ。
 「女の子だから」、「心配だから」、「自分、男ですから」、等の自分の気持ちを相手に押しつけるだけの返事ではコーティカルテは納得しない。
 だから、甘い自分の気持ちなど心の下に押し込めた。
 このフラヒヤ山脈のごとき、冷徹な合理性でフルボルトは言い切った。


「――売名だ。君とクシャルダオラを倒せば、僕の名が上がり、アシュフォード商会の商品が売れる」


 狩人の理由としては最も納得出来る理由だ。
 自分の名を高め、良い仕事を得る。
 ほとんどの狩人はこれに命を賭けていると言っても良い。

 案の定、コーティカルテは納得して唇の端を上げた。
 数々の狩人を見てきた少女にとっては、とても納得出来る回答だったのだろう。

「だとしても、“Thunderbolt”と“Eagle Eye”など、聞いたこともない」

「ついこの間Gになったばかりだからな、だが、実力は保証する。何故なら、ぼ・・・・・・いや、『俺』は――」


 そして、この話題ならきっと彼女は自分を無視出来ない。
 彼女はあの狩人に興味津々だ。
 誰よりも剛力で。
 誰よりも“龍”に近いあの狩人を。


「――“Slayer”ルファードに腕力で勝った男だからな!!」


 “Red eye”コーティカルテの赤い瞳が、“Thunderbolt”フルボルトに向けて開かれた。
 “Sir.”スティールが笑いの質を変えて、“Thunderbolt”フルボルトを覗う。

 フルボルトはまごう事なきGの狩人の視線を真っ向から受け止める。

 嘘ではない。真実だ。
 如何に敗北に近いスレスレの勝利でも、あの腕相撲では『フルボルトが勝った』のだ。
 誰に聞いても、あの腕相撲では『フルボルトが勝った』というだろう。

 今はそれでも良い。
 彼女の首を縦に振らせるためなら、あの時の身も凍らせる恐怖すら利用しても良い。

 コーティカルテが問うた。


「嘘だな。腕力で“Slayer”ルファードに勝つなど、出来るはずがない!」

「なら、ポッケ村の酒場で聞いてみるか? 腕相撲で『俺が勝ったとみんな言うぜ』?」

 
 嘘ではない。真実だ。
 あの時、ルファードの腕の上に自分の腕があった。
 『腕相撲では勝っている』、まごう事なき真実だ。

 ――だから、フルボルトはコーティカルテの視線を強い意志で受け止める。

 コーティカルテがスティールに目配せした。
 フルボルトはその仕草から、コーティカルテが迷っていることを知った。
 迷っている、ということはフルボルトの言葉を嘘だと言い切れないのだろう。

 あと一押し、何かあれば彼女に助力することが出来る。


 ――だが、フルボルトは一つだけ勘違いしていた。
 ――中立とは、敵対ではない。
 ――その場、全員の味方であると言うことを。


 “Sir.”スティールが笑って言った。

「双方の言い分、委細承知したでござる。――コーティカルテ殿」
「む?」
「フルボルト殿の実力が本当であれば、連れて行くのに問題はない。そうでござるな?」
「それを証明する方法で悩んでおる!」
「簡単でござるよ。実際に腕力を使えばいいのでござる」

 フルボルトは、“Sir.”スティールが何を言いたいか、理解してしまった。

 ――それはとてつもない無理難題。
 ――憧れの裏返り。
 ――突如として現れた峻厳なる山々。
――そして、伝説への挑戦。


「――我輩を『殴ってどかせ』れば腕力に不足は無いでござろう? 簡単でござるな?」


 こうして、フルボルトの眼前に、見上げんばかりの巨躯の狩人が立ち塞がったのだ。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 23
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:6f17820b
Date: 2012/09/10 23:38
 『殴ってどかす』。
 それは狩人に伝わる古い故事に基づいた狩人達の慣習である。
 主に狩人同士で依頼関係の揉め事を解決する際に用いる。

 ルールは一つ。


 ―― 一発殴って倒れなければ良し。


 フルボルトはこの方法自体に全く問題は感じない。
 問題解決法として自然だ。狩人の揉め事に白黒つけるのには理想的であるとも言える。
 強ければ正義、それはフルボルトも自ら認めよう。


 ――相手が伝説の騎士道の狩人 “Sir.”スティールでなければ。


 30m級の飛竜の突進を受け止る体躯とタフネス。
 それに加えて長年の狩人生活で築き上げた防御の技。
 意思は王国を救うほど気高く、如何なる相手にも笑ったまま身じろぎ一つしない。

 『殴ってどかす』で勝負する相手としてはあまりにも分が悪すぎる。
 木槌で鉄塊を破壊しようとしているようなものだ。
 どんなに頑張ろうと、殴るフルボルトは人間。
 30m級飛竜の突進の威力を上回ることなど不可能だ。

 出来る理由が見つからない。
 徒手空拳で退かせることの出来る相手ではない。


 ――だが、退かせることが出来なければこの話は通らない。

 フルボルトは悩む。

 ――どうする?
 ――やぶれかぶれに殴って勝てる相手ではない。
 ――明確な策がなければ倒れる相手ではない。

 人間で“Sir.”スティールを一撃で倒せる策。



 ――・・・・・・あった。



 明確に言うならば策ではない。
 そのような力を持った狩人を知っている。

 鉄が軋むような音が響き、零下に凍える雪山で、二人の狩人の身体を決める勝負が始まろうとしていた。




 “Sir.”スティールは目の前の狩人を甘く見てはいない。
 体つきを見ればおおよその実力が分かる。
 スラッシュアクスを振り続けるために作られた筋肉と、全身における筋肉の分布状況はGの狩人のそれだ。

 ただし、彼が今まで見てきた狩人の中で、一撃で“Sir.”スティールをどかすことの出来る狩人とはいない。
 彼の知りうる最強の攻撃力を持つ狩人 “Striker”アルフリートでも、無策で彼を殴ればどかすことは出来ない。

 これは『殴る』という行為が、自分の身体を使うことに起因する。

 本気で“Striker”アルフリートが、“黒白憤鳴”のディアブロスを正面から殴り倒した方法で、“Sir.”スティールを殴ったとしよう。


 ――十中八九、自らの拳の威力で拳が潰れるだろう。


 これは“Striker”アルフリートの拳が弱いわけではない。
 むしろ、逆だ。
 ディアブロスの角を折るアルフリートの力が、グラビモスの突進にも耐えるスティールの全力防御にぶつかれば、スティールの防御よりも脆いアルフリートの拳が潰れるだろう。
 殴る対象が硬過ぎるのだ。


 ――ならば、“Sir.”スティールを『殴ってどかす』のは不可能か?


 スティールはそう思わない。
 無敵、不可能、最強。
 そう呼ばれた存在が狩人によって倒されてきた現実をスティールは知っている。
 眼前の新たな狩人に、スティールは問いたい。

 ――古龍退治は、狩人が現実に直面する『不可能』の一つ。
 ――自分程度を越えられないようならば、そうそう口に出してはならない。


 騎士道の狩人 “Sir.”スティールをどかして、不可能に挑めることを証明せよ。


 スティールが勝負に真剣な心構えを持って挑もうと考えた時、

 目の前のフルボルトから、鋼鉄を斧で断ち割るような音が聞こえた。

 フルボルトは右腕を武器のように振り上げる。


 見れば、その右腕に降り積もる雪はその右腕が発する熱から蒸散し、白い湯気を立てている。鳴った音は筋肉が怒張し、骨が強く軋む音だ。

 ポッケ村で“Slayer”ルファードが、フルボルトに見せた大剣の溜め斬りだ。
 自分の限界以上の負荷を身体にかけて、人類の限界を超えた威力を生み出すための技だ。

 スティールはその光景を見てこう断じる。


 ――『無策』!


 力任せに殴れば結末は見えている。
 だが、それでも最大威力を追求するとは、それ以外の策を見出せなかったに違いない。

 ――その程度の力ならば、ここで止めるのが幸いでござるな。

 そう決めて、スティールは地面を踏みしめた。



 3Uは物怖じせずにその光景を見ていた。
 “Slayer”ルファードの溜め斬りはおそらくスティールに通じない。
 分かり切っていることだ。

 ――だから、フルボルトの狙いはスティールを殴って倒すことではない。

 商人は分かり切っていることはやらない。
 『無駄は省く』。『出来ないならやらない』。『他の方法を模索する』。
 これはアシュフォード商会で徹底的に教え込まれた合理主義だ。


 ――最悪、ここで分かれたとしても足跡でも辿ってついていけばいいのだ。


 3Uとフルボルトはそれぐらいふてぶてしいし、恩とは押し売るものなのだ。

 だから、3Uは黙ってそれを見ていれば良かった。
 フルボルトは無策でスティールに挑まない。
 最強など存在しないし、不可能など有り得ない。

 ――狩人とは可能性に生きる人種なのだから。




 防御技術とは、まず相手の狙いを把握するものだ。
 視線、踏み込みに使った足、筋肉の前兆候。
 それらを持ってして、スティールは瞬時にフルボルトの狙いを把握する。

 下向きに向けられた視線、振り上げられた右拳、低めの体勢で差し出された左足。
 最初は、こちらの足が狙いなのだと思った。


 しかし、スティールは思いついてしまった。
 フルボルトの狙いを。


 防御の達人とは――逆をいえば、自身の弱点を知り尽くしていることなのだから。


 地面をしっかりと踏みしめた足。
 それが防御の起点だ。

 ――――だが、防御とは、硬い地面があってはじめて成立する。

 スティールの無敵防御の唯一の弱点。
 無敵防御が地に足を踏みしめることではじめて成立するのなら、その地面を吹き飛ばせばスティールの防御は成立しない。

 さらに、スティールが踏みしめる大地は柔らかい雪が降り積もり、空気を含んで凍ったものだ。
 雪は柔らかく、含有された空気によって氷としても脆い。

 待ち構えていれば敗北が決定する。


 ――だが、我が輩は座して負ける気はござらん!

 Gの狩人全員の特徴と言っても過言ではない、超!負けず嫌いの性分がスティールを突き動かした。
 前進。打撃をその身で受けるべく、フルボルトの打撃に向かって突き進む。

 地面を殴るつもりならば、フルボルトの打撃が最大効率で発揮されるのは足よりも下。


 ならば、その前に身体を差し込めば、威力は十二分に発揮されない。
 溜め切りを応用して作られた、あの拳の威力に堪えきれるはずだ。

 『殴ってどかす』は迫力勝負にして印象が物を言う。
 二,三歩たたらを踏む程度の威力なら勝負はこちらだろう。

 スティールを相手にしての成果としては十二分だが、Gの狩人として対等の勝負ならば、こちらの勝ちだ。


 しかし、相手の目を見た瞬間、スティールの確信が再度揺らぐ。


 フルボルトの目は我が意を得たりとばかりに輝いていたのだ――――。



 全てをスティールが理解したのは、フルボルトの左足が地面を踏み込んだ瞬間だ。

 ――軽く雪を蹴立てて沈むだけだったのだ。

 それだけでスティールは、フルボルトが無策どころか、自分を相手に緻密に策を練り込んだのが理解出来た。

 打撃を撃つために踏み込まれた足は、その威力に比例して強力な打撃として地面を穿つ。

 ましてや、Gの狩人の前衛であるフルボルトが溜め切りで最大まで溜めたその威力は、地面を炸裂させても全くおかしくはない。


 では、何故、フルボルトの左足はその威力を伴っていなかったのか。

 全ては重心の位置で説明がつく。

 重心とは、分かりやすく言うならば自分の放つ力の中心位置だ。
 打撃として前向きに放つならば、重心は前に移行するし、細かく手を出してフットワークを刻もうと思ったら、重心は後ろに移行する。


 振りかぶってスティールの足下を殴ろうとしたのならば、当然身体の前方にある左足に重心が移行する。

 しかし、その当たり前が何故フルボルトの左足で発生しないのか?


 ――フルボルトは足下を殴る気が無いからだ。


 体勢の全てを足下を殴るように見せかけながら、肝心の重心だけが身体の後方にある右足にかかっているからだ。

 それは待ち構えているスティールを殴るためではない。
 それならば、前に向かって踏み込み、左足に体重がかかる。
 スティールの足下を殴るためでもない。


 スティールならば、足下狙いを看破し、そして、前進して打撃が至近距離で行われると読んだ上での右足の重心だったのだ。


 本来二歩で稼ぐべき距離を一歩で踏み切り、フルボルトの身体が前進する。

 互いの距離は肉薄と言っても過言ではなく、本来の打撃の距離ではない。

 だが、フルボルトは振り上げた腕を瞬時に脇に戻し、溜めた力を振るためではなく、スティールを貫くために放つ。

 右足、右腰、右腕を伝って一直線に徹った力は炸裂や打撃というより槍の刺突に近く、その貫通力を持ってスティールの顔面を貫いた。

 前進したためにスティールは防御の構えを崩していた。故に、その貫通力を持って頭部を貫かれたスティールの頭部は、蹴り飛ばされた球のごとく跳ね飛ばされ、その威力に身体が引っ張られて後方へ吹っ飛ばされた。


 吹っ飛ばされた距離は1m、2m、3mと広がり、おそらく対スティールの人類最高記録となる距離を雪上に刻んだ。 


 突き通して前に出された右拳の構えをいまだに崩さぬまま、フルボルトはその結果を見た。

 だが、すぐに身体を電撃のように喜びが駆け上がる。
 難攻不落の砦を落とし、登頂不能の頂を征し、未踏の大地から生還を遂げたような感覚。

「う、うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 ――それこそが『強敵に勝利する』という、なによりも美味い刺激の名前だった。



[17730] 第五話 「凍土に舞う」 24
Name: アルフリート◆412b8f57 ID:aea43e47
Date: 2012/11/24 01:36

 スティールは思い知った。
 可能性という力を。
 絶対というものはないのだと。

 かつての自分も、可能性に賭けてリオレウスとグラビモスに勝利した。

 ――我が輩がやったことをやり返された気分でござるな。

 だが、スティールは不思議と悪い気はしなかった。
 勝負において全力を尽くしたのは事実。
 ならば、潔く負けを認めるのがスティールの信条だ。

 スティールは立ち上がって、フルボルトに近づくと握手を求めて手を差し出した。

「フルボルト殿」

「・・・・・・は、はい」

「・・・・・・良い勝負でござっ――――」


「――こんのうつけ騎士がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 台詞を全部言い切る前に、後頭部に飛び蹴りを喰らったスティールが吹っ飛ばされた。

 2mの巨体を飛び蹴りで吹っ飛ばした“Red eye”コーティカルテは、腕組みをしてフルボルトに向かい合った。

 怒りの表情でフルボルトを睨むコーティカルテ。
 先の読めない交渉相手に胃を痛めるフルボルト。

 様々な葛藤と打算がその頭の中で渦を巻いていたのだろう。
 コーティカルテはしばらく歯軋りの音を嫌味なぐらいフルボルトに聞かせたあと、吐き捨てるように言った。


「死んでも何もださんぞ?」

「生きるか死ぬかが狩人稼業! ……それとも、今さらビビりま……」

 全て言わせる前に、コーティカルテの蹴りがフルボルトの脛に突き刺さった。

「クシャルダオラを見つけるんじゃ、3U!」

 早速前衛二人が味方のワガママ前衛によって行動不能に陥る、という事態は何の問題はないのか、と3Uは思ったが、口にすると3Uすら蹴り倒されかねないので、黙ることにした。


 こうして、コーティカルテとスティールのコンビに途中参加することになったフルボルトと3Uは、雪山におけるクシャルダオラの捜索にまず一役買うこととなった。

 失せ物探しの名人“Eagle Eye”3Uの出番である。

 まずは彼の装備の描写から始めよう。
 後に大神ヶ島【神在月】と呼ばれる木製フレームの傑作銃は、彼の偏執的なまでの調整により重心バランスを整えられ、抜群の取り回しの良さを誇る。

 その調整を可能としたのは、彼の人並み外れた『感覚』による物だ。
 手によってガンナーという役割全般に言えることだが、彼らはとてつもなく目が良い。

 だが、3Uこと、 ウルブレヒト・ウンダーアルド・ウッドベアゴルデは視覚のみならず、聴覚と嗅覚に恐ろしいほど優れていた。
 
故に、この猛吹雪の中で鋼竜クシャルダオラを探す、という難事が彼には容易だったのだ。

 岩に耳をつけ、風に流れる匂いを嗅ぎ、地と空に流れる雪を舐めて、自分の中の知識を組み合わせて居場所を特定する。

 コーティカルテとスティールは、先ほど雪崩を起こした咆吼から位置を特定させようとしたのだが、


「・・・・・・さっきの咆吼から移動している」
「何故分かる?」
「・・・・・・さっきの咆吼はここから1kmと600mほどから放たれている。・・・・・・咆吼は伸びやかで反響は少ない。・・・・・・おそらく、高台で崩れそうな雪の積もった崖に向かって放っている。そこは高台だから見つかりやすい。移動している可能性は高い」
「でも、推測じゃろ?」

 すると、3Uは森を指差した。
 一見すると、何も変わってないように見える森なのだが、

「・・・・・・52m離れて新雪のかかった木の胴に、鋼竜の錆びた鋼鱗が突き刺さっている。・・・・・・おそらく脱皮寸前の重い身体で飛行したから飛んで来たんだ」
「飛んで来てる?」

 フルボルトは聞き返した。
 3Uの表現が『飛行した』ではないのだ。

「飛んで『来ている』」


 ――フルボルトは即座に会話を手振り信号に変えた。
 ――クシャルダオラが接近してきている、そう判断したのだ。


 一歩も動かずにここに待機しろ、と隊商に指示を飛ばす。
 3Uに前方の索敵をまかせて、自分は左を見る。
 コーティカルテはフルボルトの態度の豹変ぶりから、このガンナーの感覚にかなりの信頼を置いていることが分かった。
 スティールに肯いてみせると彼らの死角を埋めるべく、隊列に加わる。
 コーティカルテは右、スティールは背後だ。
 四人はその隊列のまま、ゆっくりと前進を始める。


 相手は巨大と言え、油断は出来ない。
 何せ、相手は天候を操る鋼竜クシャルダオラなのだ。



 3Uはその嗅覚で鋼竜クシャルダオラを追いかける。
 視覚は吹雪でほぼ役に立たない。
 重い鋼竜の足音を岩に耳をつけて計ることもしたが、雪に吸収されて届かない。

 なので、その追跡は嗅覚に頼るしかない。

 その情報量は、普通の人間が想像するより多い。

 何せ、動物は、嗅覚から相手の分泌物や老廃物、吐瀉物、大便小便の匂いを嗅ぎ取り、そこに何分前までどのような身体状況でいて、フェロモンや体液の変化から感情を読み取り、相手を追跡したり、回避したりするのだ。

 それを人間の知性と想像力組み合わせて行えば、並の野生動物よりもはるかに多くのことを知り得る事が出来る。


 しかし、フルボルトはこれが3Uにとってあまり良いことではないことも知っている。


 医者でもないのに、見もしないで身体の状況を知り得る能力を持った人間。
 透視能力のように、果物の位置や失せ物を探し出せる人間。
 多くの人間が視覚で顔面の表情から推測するしかない感情を、嗅覚で読み取ってしまう3Uは、狩人の世界に逃げ込まねば一般人から爪弾きにされていただろう。

 どことなく、妄言が多い性格も他者より情報量が多い生活がもたらす副産物だ。


 彼は、
 普通の人間よりも『否応なく』違和感が鋭敏な感覚に飛び込んできて、
 普通の人間よりも『大音量』で多大な違和感を撒き散らされ、
 普通の人間よりも『意思とは全く関係なく』、多くの真実に結びついてしまうのだ。


 故に、彼が好んで着る防具は厚いフードによって聴覚を遮ることが出来るルドロスXを愛用している。
 一見すると、ガンナーの定石から外れた装備で、多くの狩人はそこを3Uに注意するのだが、

 長年の付き合いのあるフルボルトにとって、この五里霧中のフラヒヤ山脈の捜索において、彼ほど頼りになる存在はいない。


 足音に気を配り、呼気すらも潜めて移動していく。
 嵐と共に移動し、その中でも生存が可能であるクシャルダオラがどのような能力を持っているか想像すら出来ない。
 用心するには越したことはない。

 3Uはクシャルダオラの匂いを追う。
 その匂いは血の臭いに近い。錆びた鉄、つまり、酸化鉄の匂いだ。

 だから、追跡する3Uはどことなく、手負いの獣を追いかけるような既視感に襲われた。


 追われることがすでに分かっている獣。
 反撃してくることを予想すべき相手だ。
 だから、最大の注意を払って匂いを見失わないようにする。


 ――見失えば、追えないからだ。


 この発想自体が、実は追跡されている動物が最初に使う罠なのだが。



 3Uは違和感を感じた。

 追跡は全く順調だ。
 3Uは今、一分前の匂いが追えている。
 このままならすぐにでもクシャルダオラに追いつくだろう。

 3Uはその姿を視認すべく、火薬草を木の棒に巻き付けた即席の松明をその位置に放り投げた。

 クシャルダオラ相手に初撃必殺は難しい。
 まずは視界を確保するのが、暗中を得意とする竜に対する定石であった。

 『違和感』の正体を3Uは理解した。

 ――あまりにもあっさりと匂いを追えている。


 投擲した松明の炎が映し出したクシャルダオラの正体。
 それは、渦巻く風にずっと溜まり続けているクシャルダオラの数十枚の鱗だ。

 熟練の狩人が『足跡を追わされている』ように、

 ――クシャルダオラは『匂い』で3U達をこの地点に誘導したのだ!



 渦巻く風の向こう側から、風速にして秒速40m超過の突風がやってくる。
 それは軽い質量であるはずの大気が、凶暴な奔流として人に襲いかかれる速度だ。

 クシャルダオラの暴風のブレス。


 不意打ちの初撃にして必殺の一手を打ったのはクシャルダオラの方だった。

 3Uは即座に左右と後方を見る三人の仲間の肩を叩いた。

 だが、手遅れだ。
 ブレスは放たれてしまった。
 全てが遅い、遅すぎる!


 ――通常の狩人なら。


 ガンナーの守り手、剣士の狩人の思考速度は大脳を介さないことによって為される。
 自らの動きという物を試し尽くした上で作られた狩人の定石は、非常に似通う。

 大慌てで肩を叩いたガンナーの手、という条件だけで三人が行動を開始した。

 まず、ガンナーでは対処不能の攻撃がやってきた、という前提で三人が動く。
 そうなれば来るのは突撃かブレスだ。

 全員を救うためには攻撃を受けるしかないのだが、コーティカルテもフルボルトも、回避以外の防御は不得手だ。


 だから、最大防御力の背後が最も安心だ。
 そして、対処出来ぬガンナーを救うために、最大防御力こと“Sir.”スティールが取る行動を考えれば、二人が取る行動は一つしかなかった。


 背後を注視していたスティールの右手のガンランスが、横一文字に弧を描く。
 コーティカルテとフルボルトはそれを避けるために、地面を転がってスティールの後ろへ。

「恨み言は後で聞くでござる!」

 そう言うや否や、スティールはガンランスの穂先に3Uのフードに引っかけた。
 ブレスの範囲外へと3Uを放り投げる。


「こ、これも試練ですか、“吹奏不敗”師匠ーーーーーーーーー!!!」


 全く意味の分からない3Uの叫び声を聞いている余裕は三人にはない。
 スティールの背にしがみつく形で必死に暴風のブレスに飛ばされまいとした。


 雪と風と冷気と圧力、そして名状しがたき衝撃を含んだ暴風が三人の身体を襲いかかる。


 零度より凍えた大気によって、金属の鎧がさらに凍り付き、ブレスに晒されたスティールの鎧が凍り付く。
 だが、それを、

「奮ッ!」

 気迫一喝、全身の力を漲らせて粉砕した。


 四人は目の前の古龍を見る。


 全長30mを越える巨体に、赤茶色の酸化鉄の鱗。
 錆びた鉄の匂いはその身が歩んだ血の臭い。
 広げた翼は王の外套のように悠然と身を包む。
 風と雪を従えた偉大なるその姿は、千騎の騎士を従えた支配者の風格。


 古龍種
 “鋼竜”クシャルダオラ。

 その闘志は自分を追いかける狩人に向けられたまま、具現化して放たれた。
 鉄を掻き毟るような硬質の咆吼。


 今ここに、狩人と古龍の死闘が幕を開ける。


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