――みんながいればなんとかなる。
そんな風に思っていた。
それは何もなのはのような素人考えによるものではなかった。
経験のあるクロノやたくさんの魔導師を見てきたリンディも認めることだった。
たとえこの場に全員がいなくても、なのはにフェイトにアルフ、はやて、そしてクロノの四人がいればどんな敵にも負けることはないと思っていた。
しかし、目の前の光景はそれを否定していた。
燃え盛り、瓦礫をまき散らされた街。
馴染みのないミッドチルダのクラナガンのショッピングモール。世界は違ってもそのにぎわいは同じものだったのにそれが見る影もない。
四人、そこにエイミィを加えた五人はクラナガンの観光に来ていた。
名目は三人の社会科見学。
これから管理局で仕事をするのだからミッドの文化に触れておく方がいいと、企画されたもの。
建前は勉学だが、実際は未だ保護観察の身で自由を許されないはやてに対しての息抜きでもあった。
建前がある以上ヴォルケンリッターやアリサとすずかの参加もできなかった。
行き先が首都クラナガンであり、なのはにフェイトそしてクロノがいることから護衛はいらないだろうと判断され、それでもごねた二名にはお土産を多めに買ってくることで納得してもらった。
しかし、こんなことになるとは誰も予想していなかった。
「……フェイトちゃん」
返事はなければ姿も見えない。
「……はやてちゃん」
彼女はすぐ近くの車の屋根の上に倒れていた。半分失った羽と半ばから折れた杖が痛々しい。
「アルフさん……クロノ君」
アルフは狼の姿で道路に転がっている。
クロノは――今、なのはのすぐ横を吹き飛ばされて壁に激突し、瓦礫に埋もれた。
オオオオオオオオオオオッ
それが唸りを上げる。
似ているものを上げるとしたらそれは虫だろう。
しかし、それも数メートルもあり、虫というには肉厚がある。
魔獣としては中型。
管理局に指定されるものなら危険度は大きさに伴って比例するもの。それを考えればこの生物はランクBのカテゴリーなのに。
「ディバイン――」
震える膝を無理やりに支えて、カートリッジをつぎ込む。
「――バスター!!」
ここが結界の中ではないことも、市街地だということも忘れてなのはは撃った。
桜色の壁を思わせる砲撃。
だが、今まで多くの敵を撃ち落としてきた砲撃はそれに届かなかった。
不可視の何かが盾になって止められる。
魔力は感じない。それでもあの生物には魔法を防ぐ術があること思い知らされる。
「それなら――」
空になったマガジンを排出して、新しいのを付ける。
そして、一気に六発をロードする。
「ディバインッバスター!!」
まだ残っている砲撃の上に重ねて撃ち込んだ。
パリン、魔法の盾を破壊するような音を立てて、不可視の何かが壊れそれは桜色の光に飲み込まれた。
次に起こった爆発の衝撃になのはは抵抗できず吹き飛ばされてビルに叩きつけられた。
バリアジャケットのおかげで怪我はないが衝撃は全て抑えきれなかった。
咳き込んでレイジングハートを支えにして立ち上がって薄れていく煙の中を見る。
そこには身体の半分を削り取られ、その生物は赤い体液を流していた。
緩慢に動くグロテスクな様に気持ちが悪くなるが、その動きも次第に小さくなり、止まった。
『生体反応消失』
レイジングハートの報告に安心して力が抜けてへたり込んだ。
「……ああ、フェイトちゃん」
それにはやてちゃんやアルフさんにクロノ君の無事を確認しないと。
まだ息を整えてもいないのになのはは立ち上がろうとして、突然地面が震えた。
「きゃ……」
踏ん張りが利かなかったなのはは無様に転んで、そしてそれを見上げることになった。
「あ…………」
それは先ほどの生物によく似たものだった。
両手の刃はカマキリの姿を連想させる。そして大きさはやはり魔獣としては中型のそれ。
下から覗き込む形になり、鋭い歯が並ぶ生々しい口を見てしまい身が竦む。
対処法を頭の中でシュミュレートしても一度緊張が解けた身体の反応は鈍い。
ほとんど無抵抗ななのはに新たに現れた生物はゆっくりと近づいて、
「はあああああっ」
気合いの乗った声と金色の光に吹き飛ばされた。
「フェイトちゃん!」
なのはの呼びかけに応えず、フェイトは吹き飛ばした生物に対して突撃する。
その手のバルディッシュはすでにザンバーモードに変形させてあり、バリアジャケットもソニックフォームになっている。
体勢を立て直すよりも早く追いすがり、フェイトは大剣を兜割りの要領で振り下ろした。
「なっ!?」
フェイトの顔が驚愕に染まる。
渾身の一撃は甲殻を砕きはしたが、内側の肉に食い込んで刃は止まる。
ここでなのはとの違いが出た。
マガジンとリボルバーのリロード速度の違い。射撃と斬撃。
フェイトにはなのはのようにゴリ押す術がなかった。
結果、突撃の動きは完全に止まり、そこに鎌が横薙ぎに振られる。
防御が薄くなっていたフェイトの身体に叩きつけられた。
咄嗟に飛んでなのはが飛ばされたフェイトを受け止める。
「大丈夫? フェイトちゃん?」
返事は呻き声だけで手にぬるりとした感触が流れた。
見れば手は紅く染まっていた。
頭がカッと熱くなる。レイジングハートを向けたところが先に相手が動いていた。
上半身を伏せて、尻尾が持ち上がる。その姿にカマキリではなくサソリ化と認識を改めて警戒する。
尻尾の先にある針が二つに割れ、その奥から紅玉が見えた。
バチッ、空気が爆ぜる音と紅玉に紫電が走る。
『高エネルギーを感知、危険です』
警告は分かっていてもなのはには何かをする術はなかった。
全力の連装砲撃にカートリッジの過剰使用。
なのはの身体とレイジングハートはもはや戦闘ができるものではなかった。
それでもなけなしの魔力でシールドを張ろうとしても身体に走る痛みが集中力を奪って構成が遅く強度も頼りない。
「誰か……」
このままでは自分はおろか腕の中のフェイトも、倒れたままのはやてもアルフもクロノ殺されてしまう。
「……誰か…………」
――ヴィータちゃん、シグナムさん、ザフィーラさん、シャマルさん、ユーノ君。
願っても彼女たちは遠い場所にいて今の状況すら知らないだろう。
ミッドの治安を守る地上部隊がいるはずなのに、それもまだ到着していない。
助かる要素は一つもない。助けが来る気配もない。
それでも誰かに願わずにはいられない。
この目の前の理不尽からみんなを救ってほしいと。
「誰か……助けて!」
叫び、襲いかかる衝撃に耐えるためフェイトの身体を抱きしめて目を瞑る。
爆発が襲いかかる。しかし、それを思っていたほどのものではなかった。
ゆっくりと目を開けると、そこには黒い背中があった。
「……お兄ちゃん」
思わず言葉が漏れるがすぐに違うと気付いた。
背格好は兄の恭也より一回り低いし、小さい。髪の色も黒ではない。手に持っているのも刀ではなく銃だ。
それに何より彼がクラナガンに来れるはずない。
「誰……?」
「うーん、正義の味方かな?」
何処かおどけた人の良さそうな声が返ってくるが振り返らない。
「あれは倒していいんだよね?」
「あ、はい。たぶん……でも――」
注意を促そうとしてが、それよりも早く男の背中は見えなくなっていた。
倒れそうな程の前傾姿勢からのダッシュ。
足元の瓦礫などものともしないで一瞬で詰め寄るが、それに対する生物の反応も速かった。
彼の接近に合わせて尻尾が横薙ぎに振られる。
鞭のような尻尾と弾かれた瓦礫の散弾。
彼は一瞬早く、道路に突き刺さった瓦礫を足場に高く跳んでそれらをかわした。
そこから銃を向けて二発、轟音が鳴り響く。
高圧縮された魔力弾だったが、それはなのはたちの魔法のように弾かれる。
さらに一発。
着地と同時の銃撃は今度は命中する。しかし、大きく身体を揺らすことになっても外殻に傷はなかった。
「ちっ……」
すぐにその場から動く彼の足もとに雷撃が弾ける。
「君、大丈夫か!?」
固唾を飲んで見守っていたなのはの肩を誰かが掴んだ。
振り返るとそこには管理局共通のバリアジャケットをまとった男がいた。
「その子は……救護班、すぐに来い!」
腕の中のフェイトを見るや、男はすぐに指示を飛ばす。
見れば彼と同じ格好の魔導師たちがはやてたちを助けていた。
なのはは今の状況を思い出して男に縋りつく。
「わたしは大丈夫です! それよりフェイトちゃんを……」
「大丈夫だ。必ず助ける。それより君も早くこの場から避難を」
「あの生き物魔法が効かなくて、近づいてもダメで、それで、それで」
「分かっている。あの生き物に関しての対処はある」
その言葉に安堵して、力が抜ける。その拍子にフェイトを取られ、担架に乗せられる。
「あの……わたしを助けてくれたあの人は?」
見れば徐々に戦闘は遠ざかっていく。
「あれは……誰だ?」
「え?」
男からもれた言葉に虚をつかれる。
てっきり、地上部隊の人かと思ったがそうではなかった。
なら一体何者なのだろうか。そう思って注意深く観察してそれに気付いた。
「バリアジャケットを着てない」
それに魔力反応は発砲の瞬間だけ。
「魔導師じゃない……」
「そんな馬鹿な! 魔導師でもない人間があれを倒したというのか!?」
激昂する男が見ていたのは先ほどなのはが倒した生物。
「あ、そっちはわたしがやりました」
「な……なんだって!?」
それはそれで驚愕の表情をされる。それに関しては追及しないでなのはは気になっていたことを尋ねる。
「あの生き物はなんですか? わたし管理外世界出身なんですけどミッドでは普通にいるものなんですか?」
「すまないが機密事項で多くのことはいえないんだ。簡単に言ってしまえばあれは魔導師、いや人類の天敵だ」
「天敵……」
「魔法、物理ともに防ぐ不可視の障壁。それを超えても頑強な甲殻に驚異的な生命力。さらには魔法ではない変換物質による攻撃」
神妙に語る姿に相手の脅威の高さを感じさせる。それにその身を持ってその脅威を体感した。
「現状、もっとも有効な手立ては強力な凍結魔法による封印だけだ」
だからこそ、単独撃破したなのはに驚いたのだろう。
「凍結魔法なら……」
「残念だが、デュランダルはアースラに置いてきてしまった」
割り込んできたのはなのはが話題に出そうとしたクロノ本人だった。
クロノの姿も痛々しく、頭から血を流している上に左腕はあらぬ方向に曲がっている。
「僕なら大丈夫だ。それよりあの生物について知っていること教えてくれ。これは執務官としての命令だ」
「……分かりました。では、こちらへ」
「彼女なら気にしなくていい、それより早く」
なのはには聞かせられないという配慮を断ってクロノは急かす。
「あの生物は――」
「すまない。今は詳細よりも対処手段だったな」
意識がはっきりしないのか頭を振って気を引き締めようとしている。
「凍結魔法しか効かないのか?」
「いえ、純粋魔法攻撃でも通用しますがSランク級の威力がなければ」
「現実的ではないな。近接もか?」
「多少ランクは落ちてもいけますが、あれの打撃を受けるのは」
「そうだな。食らってみて分かったがあれは見た目の割に重い」
大きく深呼吸してクロノは男を見据える。
「凍結魔法の準備は?」
「あと十分ほどで完了します」
「……分かった。僕も時間稼ぎに回る」
「クロノ君!?」
見るからに重傷な怪我で何を言い出すのか。なのはは思わず声を上げる。
「すまないがこの有様だ。後方支援に使ってくれていい。あと、時間がかかるがSランクの魔法もある」
なのはは知らないが地上部隊には高ランクの魔導師は少ない。本来なら地上部隊が来た時点で任せるべきだし、彼らからも「海」の人間が出しゃばるなと思うだろうが、いざという時の手札を確保しておくことは重要だ。
「御協力、感謝します」
「ならわたしも……」
「君は立てないだろう?」
指摘されてなのはは口をつぐむしかなかった。
今、話しているだけでも身体に鈍い痛みを感じるし、レイジングハートもボロボロ。魔力もほとんどない。今の状態では砲台にもなれないと認めるしかなかった。
「それから、彼は一体何者なんだ?」
クロノが視線を向けた先には会話中も生物の攻撃をかわして銃を撃ち続ける彼の姿がある。
「分かりません。見たところ魔導師ではないようですが……」
「あの動きでそれはありえないだろ」
クロノもまた彼の気配からそれを感じて唸る。人間とは思えない動きで跳び回っているのに身体強化の気配もないのだから。
「ですが、彼がああして時間を稼いでくれているおかげで包囲も、凍結の準備も滞りなく進んでいます」
「……そうか」
苦虫を噛んだ顔で呟いたところで、
ギィエエエ!!!
異形の悲鳴が響く。
見れば片方の鎌が砕けていた。
「三十二発撃ってやっとか」
気軽な様子に絶句するしかなかった。
予備動作が感知できないから変換物質の攻撃の直撃を受けていた。
見た目の割に重く、それでいて俊敏だったために大きなダメージを負った。
AAAランクの斬撃でようやく傷がついた。
魔弾を撃てる銃を持つ魔導師でもない人間がそれらを覆した。
「さて……」
おもむろに彼は銃をホルスターも収めた。
「な、何をやっているんだ君は!」
思わずクロノは叫んだ。
彼が何者かわからなくても、今のところ優勢にことを進めている。なのに有効な攻撃手段をしまうなんて理解できない行動だった。
しかし、彼が代わりに取り出したのは三十センチほどの一本の棒。
そして、そこから青い魔力の刃が現れた。
「斬るつもりか。でも、あんな細い刃で」
クロノの懸念になのはも同じ感想を抱く。
フェイトのザンバーやシグナムのレヴァンティンと比べてその刃はとても細い。
彼が動く。
砕いた鎌の方にから回り込み、足に向かって刃を振り下ろす。
刃は振り抜かれることなく、受け止められた。
一縷の希望を抱いたが叶わなかった。
彼はすぐに距離をとって反撃をかわす。
「まさか、さっきと同じことを」
なのはの呟きにクロノも地上部隊の男も応えずに彼の姿に見入っていた。
彼は縦横無尽に跳び回る。
魔導師のような派手さはないが無駄がなく、まるで踊るように。
その間にも何度も剣を振られるが一つとして刃は通らない。
「凍結魔法の準備は!?」
「あと少しで……」
膠着していると察してクロノが声を上げる。
「よし。なら――」
彼に念話で話しかけようとした瞬間、尻尾が地面に叩きつけられた。
直撃しなかったものその衝撃を受けて、彼の身体は宙を舞った。
「まずい」
彼に追撃をかわす手段がない。誰もが息を飲んだ。
しかし、彼は自分と一緒に舞ったひと際大きい瓦礫に着地して跳んだ。
しかも跳んだ先は振り戻された尻尾の上。
そして、凶悪な尻尾が宙を舞った。
「なっ!」
それを見ていた者たちは言葉を失った。そして次に起きた惨状に開いた口は閉じることができなかった。
尻尾を斬り飛ばした彼は次に何の抵抗もなく足を斬り落とす。
転び、もだえる異形を前に彼は剣を腰に添えて、抜刀の要領で振り抜いた。
一瞬遅れた、異形の頭は両断され、崩れ落ちた。
静寂が満ちた。
誰もが自分の目を疑った。
Sランク級の魔法しか効果がない相手を大した魔力を有しているとは思えない刃で軽々と両断した。
地上部隊はこの手の生物に今まで凍結封印するしかなかったのに。
ニアSランクの魔導師たちが四人で惨敗したのに。
魔導師ではない彼はその身一つで全てを覆した。
「デタラメな……」
人の気も知らずに呑気に悠々と歩いてくる彼の姿に誰かが呟く。
黒いコートに線の細い身体。中性的な顔立ちは少女にも見えるが男性だろう。背の高さはクロノの少し上くらいだから十七か八くらいに見える。
ふと、なのはは既視感を感じた。
どこかで見たことがある顔立ち。当然、間違えた兄のものではない。むしろ恭也と似てる部分なんてない。
男性の交友関係はほとんどないのに何故か感じるものに首を傾げるが、答えは結局出てこなかった。
「君はいったい何者だ」
声をかけるのも憚られる中で近付いてきた彼にクロノが尋ねた。
「僕の名前はソラ。まあ、いわゆる「何でも屋」、になる予定の剣士兼銃使いだ。よろしく」
それが彼とわたしたちの出会いでした。
そして、彼と出会ったことで変わる日常をわたしたちはまだ知りませんでした。