<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[17103] 【チラシの裏から】魔法少女リリカルなのは 空の果て (オリ主 As後空白期 微アンチ)
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:12626166
Date: 2011/02/13 10:40
初めまして、ラスフォルトといいます。
今回、初作品を投稿することにしました。

文章が固く読みにくいとは思いますがよろしくお願いします。

なお、この作品はいろいろのネタを使う予定があります。
そして一部のキャラにはとても厳しい仕様になっています。



とりあえず、あまり時間を取れませんが完結を目指して頑張りたいと思います。

2010年3月29日 初投稿

2011年2月13日、二十二話の投稿を持ちまして移動させていただきました。
これからもよろしくお願いします。



[17103] 第一話 邂逅
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:12626166
Date: 2010/06/28 22:12

 ――みんながいればなんとかなる。

 そんな風に思っていた。
 それは何もなのはのような素人考えによるものではなかった。
 経験のあるクロノやたくさんの魔導師を見てきたリンディも認めることだった。
 たとえこの場に全員がいなくても、なのはにフェイトにアルフ、はやて、そしてクロノの四人がいればどんな敵にも負けることはないと思っていた。
 しかし、目の前の光景はそれを否定していた。
 燃え盛り、瓦礫をまき散らされた街。
 馴染みのないミッドチルダのクラナガンのショッピングモール。世界は違ってもそのにぎわいは同じものだったのにそれが見る影もない。
 四人、そこにエイミィを加えた五人はクラナガンの観光に来ていた。
 名目は三人の社会科見学。
 これから管理局で仕事をするのだからミッドの文化に触れておく方がいいと、企画されたもの。
 建前は勉学だが、実際は未だ保護観察の身で自由を許されないはやてに対しての息抜きでもあった。
 建前がある以上ヴォルケンリッターやアリサとすずかの参加もできなかった。
 行き先が首都クラナガンであり、なのはにフェイトそしてクロノがいることから護衛はいらないだろうと判断され、それでもごねた二名にはお土産を多めに買ってくることで納得してもらった。
 しかし、こんなことになるとは誰も予想していなかった。


「……フェイトちゃん」

 返事はなければ姿も見えない。

「……はやてちゃん」

 彼女はすぐ近くの車の屋根の上に倒れていた。半分失った羽と半ばから折れた杖が痛々しい。

「アルフさん……クロノ君」

 アルフは狼の姿で道路に転がっている。
 クロノは――今、なのはのすぐ横を吹き飛ばされて壁に激突し、瓦礫に埋もれた。

 オオオオオオオオオオオッ

 それが唸りを上げる。
 似ているものを上げるとしたらそれは虫だろう。
 しかし、それも数メートルもあり、虫というには肉厚がある。
 魔獣としては中型。
 管理局に指定されるものなら危険度は大きさに伴って比例するもの。それを考えればこの生物はランクBのカテゴリーなのに。

「ディバイン――」

 震える膝を無理やりに支えて、カートリッジをつぎ込む。

「――バスター!!」

 ここが結界の中ではないことも、市街地だということも忘れてなのはは撃った。
 桜色の壁を思わせる砲撃。
 だが、今まで多くの敵を撃ち落としてきた砲撃はそれに届かなかった。
 不可視の何かが盾になって止められる。
 魔力は感じない。それでもあの生物には魔法を防ぐ術があること思い知らされる。

「それなら――」

 空になったマガジンを排出して、新しいのを付ける。
 そして、一気に六発をロードする。

「ディバインッバスター!!」

 まだ残っている砲撃の上に重ねて撃ち込んだ。
 パリン、魔法の盾を破壊するような音を立てて、不可視の何かが壊れそれは桜色の光に飲み込まれた。
 次に起こった爆発の衝撃になのはは抵抗できず吹き飛ばされてビルに叩きつけられた。
 バリアジャケットのおかげで怪我はないが衝撃は全て抑えきれなかった。
 咳き込んでレイジングハートを支えにして立ち上がって薄れていく煙の中を見る。
 そこには身体の半分を削り取られ、その生物は赤い体液を流していた。
 緩慢に動くグロテスクな様に気持ちが悪くなるが、その動きも次第に小さくなり、止まった。

『生体反応消失』

 レイジングハートの報告に安心して力が抜けてへたり込んだ。

「……ああ、フェイトちゃん」

 それにはやてちゃんやアルフさんにクロノ君の無事を確認しないと。
 まだ息を整えてもいないのになのはは立ち上がろうとして、突然地面が震えた。

「きゃ……」

 踏ん張りが利かなかったなのはは無様に転んで、そしてそれを見上げることになった。

「あ…………」

 それは先ほどの生物によく似たものだった。
 両手の刃はカマキリの姿を連想させる。そして大きさはやはり魔獣としては中型のそれ。
 下から覗き込む形になり、鋭い歯が並ぶ生々しい口を見てしまい身が竦む。
 対処法を頭の中でシュミュレートしても一度緊張が解けた身体の反応は鈍い。
 ほとんど無抵抗ななのはに新たに現れた生物はゆっくりと近づいて、

「はあああああっ」

 気合いの乗った声と金色の光に吹き飛ばされた。

「フェイトちゃん!」

 なのはの呼びかけに応えず、フェイトは吹き飛ばした生物に対して突撃する。
 その手のバルディッシュはすでにザンバーモードに変形させてあり、バリアジャケットもソニックフォームになっている。
 体勢を立て直すよりも早く追いすがり、フェイトは大剣を兜割りの要領で振り下ろした。

「なっ!?」

 フェイトの顔が驚愕に染まる。
 渾身の一撃は甲殻を砕きはしたが、内側の肉に食い込んで刃は止まる。
 ここでなのはとの違いが出た。
 マガジンとリボルバーのリロード速度の違い。射撃と斬撃。
 フェイトにはなのはのようにゴリ押す術がなかった。
 結果、突撃の動きは完全に止まり、そこに鎌が横薙ぎに振られる。
 防御が薄くなっていたフェイトの身体に叩きつけられた。
 咄嗟に飛んでなのはが飛ばされたフェイトを受け止める。

「大丈夫? フェイトちゃん?」

 返事は呻き声だけで手にぬるりとした感触が流れた。
 見れば手は紅く染まっていた。
 頭がカッと熱くなる。レイジングハートを向けたところが先に相手が動いていた。
 上半身を伏せて、尻尾が持ち上がる。その姿にカマキリではなくサソリ化と認識を改めて警戒する。
 尻尾の先にある針が二つに割れ、その奥から紅玉が見えた。
 バチッ、空気が爆ぜる音と紅玉に紫電が走る。

『高エネルギーを感知、危険です』

 警告は分かっていてもなのはには何かをする術はなかった。
 全力の連装砲撃にカートリッジの過剰使用。
 なのはの身体とレイジングハートはもはや戦闘ができるものではなかった。
 それでもなけなしの魔力でシールドを張ろうとしても身体に走る痛みが集中力を奪って構成が遅く強度も頼りない。

「誰か……」

 このままでは自分はおろか腕の中のフェイトも、倒れたままのはやてもアルフもクロノ殺されてしまう。

「……誰か…………」

 ――ヴィータちゃん、シグナムさん、ザフィーラさん、シャマルさん、ユーノ君。

 願っても彼女たちは遠い場所にいて今の状況すら知らないだろう。
 ミッドの治安を守る地上部隊がいるはずなのに、それもまだ到着していない。
 助かる要素は一つもない。助けが来る気配もない。
 それでも誰かに願わずにはいられない。
 この目の前の理不尽からみんなを救ってほしいと。

「誰か……助けて!」

 叫び、襲いかかる衝撃に耐えるためフェイトの身体を抱きしめて目を瞑る。

 爆発が襲いかかる。しかし、それを思っていたほどのものではなかった。
 ゆっくりと目を開けると、そこには黒い背中があった。

「……お兄ちゃん」

 思わず言葉が漏れるがすぐに違うと気付いた。
 背格好は兄の恭也より一回り低いし、小さい。髪の色も黒ではない。手に持っているのも刀ではなく銃だ。
 それに何より彼がクラナガンに来れるはずない。

「誰……?」

「うーん、正義の味方かな?」

 何処かおどけた人の良さそうな声が返ってくるが振り返らない。

「あれは倒していいんだよね?」

「あ、はい。たぶん……でも――」

 注意を促そうとしてが、それよりも早く男の背中は見えなくなっていた。
 倒れそうな程の前傾姿勢からのダッシュ。
 足元の瓦礫などものともしないで一瞬で詰め寄るが、それに対する生物の反応も速かった。
 彼の接近に合わせて尻尾が横薙ぎに振られる。
 鞭のような尻尾と弾かれた瓦礫の散弾。
 彼は一瞬早く、道路に突き刺さった瓦礫を足場に高く跳んでそれらをかわした。
 そこから銃を向けて二発、轟音が鳴り響く。
 高圧縮された魔力弾だったが、それはなのはたちの魔法のように弾かれる。
 さらに一発。
 着地と同時の銃撃は今度は命中する。しかし、大きく身体を揺らすことになっても外殻に傷はなかった。

「ちっ……」

 すぐにその場から動く彼の足もとに雷撃が弾ける。

「君、大丈夫か!?」

 固唾を飲んで見守っていたなのはの肩を誰かが掴んだ。
 振り返るとそこには管理局共通のバリアジャケットをまとった男がいた。

「その子は……救護班、すぐに来い!」

 腕の中のフェイトを見るや、男はすぐに指示を飛ばす。
 見れば彼と同じ格好の魔導師たちがはやてたちを助けていた。
 なのはは今の状況を思い出して男に縋りつく。

「わたしは大丈夫です! それよりフェイトちゃんを……」

「大丈夫だ。必ず助ける。それより君も早くこの場から避難を」

「あの生き物魔法が効かなくて、近づいてもダメで、それで、それで」

「分かっている。あの生き物に関しての対処はある」

 その言葉に安堵して、力が抜ける。その拍子にフェイトを取られ、担架に乗せられる。

「あの……わたしを助けてくれたあの人は?」

 見れば徐々に戦闘は遠ざかっていく。

「あれは……誰だ?」

「え?」

 男からもれた言葉に虚をつかれる。
 てっきり、地上部隊の人かと思ったがそうではなかった。
 なら一体何者なのだろうか。そう思って注意深く観察してそれに気付いた。

「バリアジャケットを着てない」

 それに魔力反応は発砲の瞬間だけ。

「魔導師じゃない……」

「そんな馬鹿な! 魔導師でもない人間があれを倒したというのか!?」

 激昂する男が見ていたのは先ほどなのはが倒した生物。

「あ、そっちはわたしがやりました」

「な……なんだって!?」

 それはそれで驚愕の表情をされる。それに関しては追及しないでなのはは気になっていたことを尋ねる。

「あの生き物はなんですか? わたし管理外世界出身なんですけどミッドでは普通にいるものなんですか?」

「すまないが機密事項で多くのことはいえないんだ。簡単に言ってしまえばあれは魔導師、いや人類の天敵だ」

「天敵……」

「魔法、物理ともに防ぐ不可視の障壁。それを超えても頑強な甲殻に驚異的な生命力。さらには魔法ではない変換物質による攻撃」

 神妙に語る姿に相手の脅威の高さを感じさせる。それにその身を持ってその脅威を体感した。

「現状、もっとも有効な手立ては強力な凍結魔法による封印だけだ」

 だからこそ、単独撃破したなのはに驚いたのだろう。

「凍結魔法なら……」

「残念だが、デュランダルはアースラに置いてきてしまった」

 割り込んできたのはなのはが話題に出そうとしたクロノ本人だった。
 クロノの姿も痛々しく、頭から血を流している上に左腕はあらぬ方向に曲がっている。

「僕なら大丈夫だ。それよりあの生物について知っていること教えてくれ。これは執務官としての命令だ」

「……分かりました。では、こちらへ」

「彼女なら気にしなくていい、それより早く」

 なのはには聞かせられないという配慮を断ってクロノは急かす。

「あの生物は――」

「すまない。今は詳細よりも対処手段だったな」

 意識がはっきりしないのか頭を振って気を引き締めようとしている。

「凍結魔法しか効かないのか?」

「いえ、純粋魔法攻撃でも通用しますがSランク級の威力がなければ」

「現実的ではないな。近接もか?」

「多少ランクは落ちてもいけますが、あれの打撃を受けるのは」

「そうだな。食らってみて分かったがあれは見た目の割に重い」

 大きく深呼吸してクロノは男を見据える。

「凍結魔法の準備は?」

「あと十分ほどで完了します」

「……分かった。僕も時間稼ぎに回る」

「クロノ君!?」

 見るからに重傷な怪我で何を言い出すのか。なのはは思わず声を上げる。

「すまないがこの有様だ。後方支援に使ってくれていい。あと、時間がかかるがSランクの魔法もある」

 なのはは知らないが地上部隊には高ランクの魔導師は少ない。本来なら地上部隊が来た時点で任せるべきだし、彼らからも「海」の人間が出しゃばるなと思うだろうが、いざという時の手札を確保しておくことは重要だ。

「御協力、感謝します」

「ならわたしも……」

「君は立てないだろう?」

 指摘されてなのはは口をつぐむしかなかった。
 今、話しているだけでも身体に鈍い痛みを感じるし、レイジングハートもボロボロ。魔力もほとんどない。今の状態では砲台にもなれないと認めるしかなかった。

「それから、彼は一体何者なんだ?」

 クロノが視線を向けた先には会話中も生物の攻撃をかわして銃を撃ち続ける彼の姿がある。

「分かりません。見たところ魔導師ではないようですが……」

「あの動きでそれはありえないだろ」

 クロノもまた彼の気配からそれを感じて唸る。人間とは思えない動きで跳び回っているのに身体強化の気配もないのだから。

「ですが、彼がああして時間を稼いでくれているおかげで包囲も、凍結の準備も滞りなく進んでいます」

「……そうか」

 苦虫を噛んだ顔で呟いたところで、

 ギィエエエ!!!

 異形の悲鳴が響く。
 見れば片方の鎌が砕けていた。

「三十二発撃ってやっとか」

 気軽な様子に絶句するしかなかった。
 予備動作が感知できないから変換物質の攻撃の直撃を受けていた。
 見た目の割に重く、それでいて俊敏だったために大きなダメージを負った。
 AAAランクの斬撃でようやく傷がついた。
 魔弾を撃てる銃を持つ魔導師でもない人間がそれらを覆した。

「さて……」

 おもむろに彼は銃をホルスターも収めた。

「な、何をやっているんだ君は!」

 思わずクロノは叫んだ。
 彼が何者かわからなくても、今のところ優勢にことを進めている。なのに有効な攻撃手段をしまうなんて理解できない行動だった。
 しかし、彼が代わりに取り出したのは三十センチほどの一本の棒。
 そして、そこから青い魔力の刃が現れた。

「斬るつもりか。でも、あんな細い刃で」

 クロノの懸念になのはも同じ感想を抱く。
 フェイトのザンバーやシグナムのレヴァンティンと比べてその刃はとても細い。
 彼が動く。
 砕いた鎌の方にから回り込み、足に向かって刃を振り下ろす。
 刃は振り抜かれることなく、受け止められた。
 一縷の希望を抱いたが叶わなかった。
 彼はすぐに距離をとって反撃をかわす。

「まさか、さっきと同じことを」

 なのはの呟きにクロノも地上部隊の男も応えずに彼の姿に見入っていた。
 彼は縦横無尽に跳び回る。
 魔導師のような派手さはないが無駄がなく、まるで踊るように。
 その間にも何度も剣を振られるが一つとして刃は通らない。

「凍結魔法の準備は!?」

「あと少しで……」

 膠着していると察してクロノが声を上げる。

「よし。なら――」

 彼に念話で話しかけようとした瞬間、尻尾が地面に叩きつけられた。
 直撃しなかったものその衝撃を受けて、彼の身体は宙を舞った。

「まずい」

 彼に追撃をかわす手段がない。誰もが息を飲んだ。
 しかし、彼は自分と一緒に舞ったひと際大きい瓦礫に着地して跳んだ。
 しかも跳んだ先は振り戻された尻尾の上。
 そして、凶悪な尻尾が宙を舞った。

「なっ!」

 それを見ていた者たちは言葉を失った。そして次に起きた惨状に開いた口は閉じることができなかった。
 尻尾を斬り飛ばした彼は次に何の抵抗もなく足を斬り落とす。
 転び、もだえる異形を前に彼は剣を腰に添えて、抜刀の要領で振り抜いた。
 一瞬遅れた、異形の頭は両断され、崩れ落ちた。
 静寂が満ちた。
 誰もが自分の目を疑った。
 Sランク級の魔法しか効果がない相手を大した魔力を有しているとは思えない刃で軽々と両断した。
 地上部隊はこの手の生物に今まで凍結封印するしかなかったのに。
 ニアSランクの魔導師たちが四人で惨敗したのに。
 魔導師ではない彼はその身一つで全てを覆した。

「デタラメな……」

 人の気も知らずに呑気に悠々と歩いてくる彼の姿に誰かが呟く。
 黒いコートに線の細い身体。中性的な顔立ちは少女にも見えるが男性だろう。背の高さはクロノの少し上くらいだから十七か八くらいに見える。
 ふと、なのはは既視感を感じた。
 どこかで見たことがある顔立ち。当然、間違えた兄のものではない。むしろ恭也と似てる部分なんてない。
 男性の交友関係はほとんどないのに何故か感じるものに首を傾げるが、答えは結局出てこなかった。

「君はいったい何者だ」

 声をかけるのも憚られる中で近付いてきた彼にクロノが尋ねた。

「僕の名前はソラ。まあ、いわゆる「何でも屋」、になる予定の剣士兼銃使いだ。よろしく」

 それが彼とわたしたちの出会いでした。
 そして、彼と出会ったことで変わる日常をわたしたちはまだ知りませんでした。







[17103] 第二話 勧誘
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:7ccb8864
Date: 2010/06/28 22:14

「この「生物」が我々の前に姿を現したのは半年前――」

 空間モニターに映し出されたのは先日交戦した未知の生命体に類似した生物だった。
 地上本部の会議室の一室、そこにはクロノの他にはリンディとエイミィ。そしてソラと名乗った少年が並んで座っていた。
 彼らを前にして陸上警備隊アキ・カノウ陸上二佐は説明を始める。

「発生原因は不明ですが、体内でAAランク相当の力を体内の器官で生成。「餌」の捕獲や外敵への攻撃を行います」

 次々に映し出される類似体の魔獣にクロノは顔をしかめ、吊った左腕を抑える。

「解明できてはいませんが、奴らの持つ力は強力な上に魔法としての予備動作はもちろん魔力反応もありません」

 それ故に従来の魔獣討伐のマニュアルに乗っ取ることができないことを付け加えて、空間モニターを操作する。
 変わった映像は、生物を中心に地面が陥没し効果範囲にいた魔導師がなすすべなく巻き込まれるもの。隣に表示されている魔力を測定する波形は動いていない。
 効果だけ見れば重力系の魔法を使っていると思えるが、それを違うとデータが証明している。
 さらに増える画面には火炎、凍結、雷撃、空気の圧縮弾などというものもある。しかしどれも魔力反応はない。

「この映像は初の遭遇戦のものですが、この「対象」を停止させるまでの警備隊の損失は甚大で遭遇した一部隊は壊滅。
 94、95、96の三部隊を殲滅のために投入した結果、交戦時間10時間35分。負傷者36名。死者11名の犠牲の末に撃破しました」

 暴れ回る魔獣。
 振るわれる触手はたやすくシールドを砕き人をゴミのように吹き飛ばす。
 集中砲火を受けてもものともせず、人に襲いかかってそのままかぶりつく。
 音声が切られているが、凄惨な光景は気分がいいものではない。

「奴らは魔法を弾くフィールドを形成する特徴を持ち、なおかつ堅い外殻。これらを全て突き破り致命傷を与えるにはSランクの攻撃魔法が必要となります」

「厄介ね。Sランクの魔法は威力は高いけど効果範囲も広くなってしまう」

「その通りです」

 リンディの言葉に頷き、アキはそのSランク魔法で倒しただろう痕跡の画像を浮かべる。

「さらに付け加えるなら再生能力が尋常ではなく、裂傷はもちろん切り落とした足や触手も時間を置けば復元します」

「とんでもないわね」

「これまでは幸いなことに人のいない地区で発見、対処できましたが今回のような都市部に現れるケースは初めてです」

 上空ならともかく地上では周辺の被害を考えると大きな魔法は使えなくなってしまう。
 なのはが撃った連装砲撃はそういった面ではとても危険なものだった。幸いフィールドと相殺されてビル一つの大穴だけですんだが。

「奴らを他の魔獣と見分ける特徴はリンカーコアがないという点です」

「確かに形状そのものは魔獣とそれほど大差はないようね」

「リンカーコアを持たない生物か……」

「ええ、本来ならどんな生物にも必ずリンカーコアを持っているはずなのですが奴らには確認されていません」

 しかし、そう付け加えて表示されたのはらせん状の映像に細胞組織。

「その代わり奴らの身体の組成は従来の生物とはまったく違います」

 とは言われても遺伝子工学を知らないクロノ達には首を傾げるしかなかった。

「この体細胞は次元世界の生物において初めて確認されたものです」

「その細胞についての資料はないのね?」

「ええ、これまで回収できたサンプルは損傷が激しくデータを取ることはできませんでした」

 ですが、若干興奮した様子でアキは声を荒げて続ける。

「ですが! 今回、回収できたサンプルを調べれば何かがわかるでしょう」

 言われて、ずっと無言でいるソラに視線が集まる。
 彼は会議室に入るなり、何かをずっと考えていた。
 これまでの説明もおそらくは聞いてないだろう。
 これが局員なら叱責を受けるが、彼は民間人。まあ、それでも失礼には変わりないがそれをアキが指摘しないから誰も何も言わない。
 閑話休題。

「鉱物、燃料、電気、動物、植物、魔力――奴らの好む餌は個体差がありますが、その食害と他の生物に対する攻撃性は十分に「人類の天敵」とたりえると断定できます」

「対処手段は高ランク魔法の他に凍結魔法しかないと聞きましたが?」

「現状確認されている対処手段は三つあります」

 一つ目は高ランク魔法によるオーバーキル。
 二つ目は長時間の戦闘による疲弊を誘ってフィールドを弱体化させ殲滅する方法。

「三つ目の凍結処理は奴らの足を物理的に止め生体活動を弱体化させることができるため有効な手段となっています」

「高ランク魔導師を呼び出すことと周辺被害の考慮、それが一つ目の問題ね」

「二つ目は戦闘時間だ。10時間もあれを相手にするのは危険すぎる」

「凍結魔法は儀式魔法になりますが、他のプランよりも建設的で今まではそれで対処してきました」

「凍結した後はどうするのかしら?」

「完全凍結させ、破砕します。時間を置くと極低温に対応し活動を再開しました」

「とんでもない生物ね」

 もはや呆れるしかなかった。リンディは資料を置いてすっかり冷めてしまったお茶を飲む。

「我々はこの異常遺伝子保有生物を『G』と呼称しています」

 アキはそのままソラを、そしてクロノを見てから言った。

「そして私はこの『G』に対処するための特別組織を立ち上げたいと思っています」

「そこにうちのクロノを引き込みたいと?」

「その通りです。氷結の杖デュランダルを持つ彼にはぜひ来てもらいたい」

 地上本部の司令自ら海の人間に説明をしたのはこういうことかとリンディは理解した。

「本来ならもう少し明確な資料を用意した上で要請するつもりでしたが、貴方も奴らの脅威は身を持って体感したはずです」

「ああ。その通りだ」

 クロノにしても頷くしかなかった。
 情報がなかったから怪我をしたなどという言い訳をするつもりはない。情報があったとしてもあの時の自分はデュランダルを持っていなかったのだから大したことはできなかったはずだ。
 それを差し引いてもあの場には高ランクの魔導師が四人に使い魔もいた。なのはが一体を倒したものの二体目が現れた時点で自分たちの負けだった。
 そして、高ランクの魔導師たちの結果を覆す者が目の前にいる。
 彼も予備知識はまったくなかった。にも関わらず彼はそんなとんでもない生物に単体で圧勝した。

「えっと……何か?」

 視線が集まると思考を中断してソラは聞き返した。

「話は聞いていましたか?」

「部隊を作りたいんですよね? 勝手に作ればいいじゃないですか」

 なんで自分に断りをいれる必要があるのか首を傾げるソラに一同は溜息を吐きたくなる。

「できれば君にもその部隊に加わってもらいたい」

「いやです」

 にべもなく言い切った。

「理由を聞いても?」

 思わず口を挟もうとしたクロノはアキの落ち着いた声に言葉を飲み込む。

「僕は管理局員ではありません。それに加えて魔導師ではありません」

「理解している。だが、戦闘能力は十分だと認めている」

「そちらは圧勝したように見えているのかもしれない……ませんが、結構ギリギリだったんですよ」

「ほう、どのあたりが? それと言葉使いは気にしなくていい」

「全部、あれはサイキック能力でしょ? あんなのと戦うシュミレートなんてしてないから。刃が通ったのも銃が効いたのも運がよかっただけなんだけど」

「待ってくれ? サイキック能力、なんだそれは?」

「……もしかして墓穴掘った?」

 聞いてくるソラにクロノは無言で頷いた。

「知ってること全て教えてもらえるかな?」

「知っているというか推測ですよ。能力の気配が……友達に似ていたんです」

「その友達は今どこに?」

「知ってどうするつもりですか?」

 ソラの言葉に威圧感が増す。

「彼女に手を出すなら僕は躊躇わずに貴方達と戦いますよ」

 本気の敵意にクロノは思わず立ち上がってS2Uを起動する。だが、そこまでで動けなくなった。
 明らかに後に動いたはずだったのに、クロノの喉元にはすでに魔力の刃が突き付けられていた。

「クロノ!?」

 次に悲鳴を上げたリンディには銃口を。

「さあ、どうする?」

 挑発するように尋ねるソラ。そこには先ほどまでの人の良さそうな柔和な笑みはなく、無機質な能面のような顔があった。

「分かった。その子のことについては聞かないし詮索もしない」

 だから武器を収めてくれ。両手を上げてアキは降参する。
 言われた通り、武器を収めるソラ。クロノは警戒心を強くするがアキの視線でデバイスを待機状態に戻して椅子に座り直す。

「まあ、もう十二年も音信不通にしてたからどうしているか知らないですけどね」

 その言葉にバランスを崩してクロノは派手に転んだ。

「き、君は!」

 顔を真っ赤にして起き上がるクロノにソラはへらへらとしまらない顔を返す。

「クロノ執務官、落ち着いて」

「ですが!」

「落ち着けと言っている」

 静かで強い口調にクロノは口をつぐんだ。

「話を戻すが、君が言っているサイキック能力とは何かな?」

「魔法とは別形態の進化した能力って聞いた。体内エネルギーをこっちでいう変換物質として操作したりできるみたい。でも……」

「でも?」

「そこの世界の子はまだ進化の初期段階的な突然変異種みたいなものらしいから、それほど大きな力は使えなかったはず」

「なるほど、別の進化形態か」

「僕も十二年前に少し聞いた程度だからそれ以上は知らないよ」

「いや、有益な情報だった。それでは――」

「いやです」

 今度は言わせずに拒絶した。
 ここから白熱した論争がクロノたちの目の前で交わされる。

 曰く、管理局は好きじゃないし。団体行動はしたことがない。
 したことがなければ、是非とも試してみればいい。いい経験になるはずだ。
 曰く、「何でも屋」としての仕事がある。
 ならば、「何でも屋」として君を雇う。
 曰く、仕事とは別に探している物と探している人がいるから長期間拘束されるわけにはいかない。
 管理局が全面的に協力する。作戦行動時以外の自由は約束する。
 曰く、自分は命を狙われている。
 管理局に入れば身の安全は保障される。

「ああ、もう!」

 先に根を上げたのはソラの方だった。

「僕はね、お前は死ねって管理局に追い掛け回されたことがあるんだ。だから絶対に管理局には入らない」

「追い掛け回されたって、まさか次元犯罪者!?」

 流石にこのカミングアウトには傍観を決め込んでいたクロノは口を挟んだ。

「そうらしいね」

「らしいねって」

 軽い答えに毒気を抜かれてしまう。

「……君は一体何をしたんだ?」

「さあ?」

「馬鹿にしているのか!?」

「追い回したの君たちだよ。僕はただ言われるがままに逃げて戦っていただけだ」

 だから、僕は何で狙われていたのかなんて知らない。
 淡々と他人事のように語るソラに不気味さを感じる。そもそも、管理局内でこんなことを言い出す時点で正気の沙汰とは思えない。

「その時、人も殺した。僕を恨んでいる人は管理局の中にはたくさんいるはずだ」

 だから、僕は貴方達に協力できない。深く関わることは自分の首を絞めることになるから。

「……ならどうして話したの?」

「話さなければいつまで経っても放してくれないでしょ?」

「ここで私たちが貴方を捕まえるとは思っていないの?」

「その時は逃げます。怪我人が出ても責任は負いませんよ」

 険悪な空気が徐々に大きくなっていく。
 そんな中でアキは徐に口を開いた。

「はっきり言わせてもらうが」

「はい?」
 思いのほか、強い言葉を発するアキ。

「君の経歴はこの際どうだっていい」

「え?」

「どうだってよくないでしょ!」

「ならばクロノ執務官。今すぐに『G』に対抗する手段を提示できるか?」

「それは……」

「私たちには手段を選んでいる時間はない。奴らがいつまた都市部に出現するか分からない以上使える戦力はなんであっても確保しておくべきなんだ」

「えっと、でも僕は次元犯罪者で……ほら次元犯罪って時効はないんでしょ?」

「話を聞いた限り情緒酌量の余地は十二分にある。私も全力を持って君を擁護する。それに実績を積んでおけば無罪を勝ち取る良い材料にもなる」

「あ、あれ? え、どうして」

 予想外の返しに大いに戸惑うソラ。
 クロノ達に視線を向けて助けを求める姿は何か間違っている気がする。

「無理ね。そうなったアキは止められないわ」

「いや、だって僕は人殺しですよ。ばれたらやばいでしょ?」

 放置を決めたリンディにソラは足掻く。

「私の汚名など気にしなくていい。それに今の君の人柄に問題はあまりない」

 さらにアキは退路を塞ぐ。

「アキがそれでいいならもう何も言わないし、ここで聞いたことも他言しないと約束するけど」

 これだけは聞かせてとリンディは真剣な眼差しでソラを正面から見据える。

「貴方は今も人を殺したいと思っているの? 自分を追い回した局員を恨んでいないの?」

「僕は……」

 リンディの眼差しから視線を逸らし、うつむく。

「……誰も殺したくなんてなかった」

 絞り出された言葉に、リンディは「そう」と満足したように頷いた。

「君には管理局に関わることは針のむしろだということは重々に理解している」

 それでも、勢いよく頭を下げるアキ。言えば土下座までしかねない勢いにソラはたじろぐ。

「頼む! ミッドの、数多の次元世界を守るために君の力を貸してくれ」

 そして恥も外聞もかなぐり捨てて叫ぶ。

「私は君が欲しいっ!」



「あんな情熱的なアキは初めて見たわ」

 ソラが退室し、それにクロノ、エイミィが続いて室内にはアキとリンディの二人だけになった。

「……言うな」

 顔を羞恥で赤く染めてアキは顔を逸らす。

「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。すごい告白だったわよ。レティにも見せてあげたかったわ」

「言うなよ絶対に!」

 士官学校時代、言い寄る男を全て撃沈した女とは思えないうろたえぶりにリンディは思わず出る笑みを隠しきれなかった。もう少しいじりたいが、それを我慢して口元を引き締め要件を切り出す。

「彼を引き込むこと、本気なの?」

「先ほど言った言葉に嘘偽りはない」

「危険よ」

「リンディ、君から見て彼はどうだ?」

 それは難しい質問だと考え込んだ。
 何の損得も考えずになのはたちを助けたことから悪い人間ではない。
 行動は基本的に行き当たりばったりで計画性はない。
 自分が不利になることをいとわずに他人を気遣う様は危うく見えるし、駆け引きというものを知らないとも分かる。
 そして、大切な人に対する正しい気持ちも持っているが、反面に彼が人殺しと称した冷酷な部分もある。

「多少、歪んではいるけど壊れてはいないわね」

「私も同じようなものだ。少なくても悪人には見えない」

「彼の話を鵜呑みにするのは危険よ」

「分かっている。彼が関わった次元犯罪のことを調べてくれるか? 私は別方面から素性を洗う」

「ええ。……あまり気負い過ぎないでね」

「肝に銘じておく。もうあんな恥ずかしい真似は御免だ」

 不覚だと俯くアキにリンディは先程の光景を思い出して笑みを浮かべた。





あとがき
 第二話をお送りしました。
 まだ、準備段階の話なので盛り上がりませんし、原作キャラとの関わりも薄いです。
 次の話から、からませていくことになります。

 ちなみに「G」のネタは分かる人はいるのでしょうか?
 多少アレンジしているけど、ほとんどそのままにしています。
 もちろん、バイオではありません。

 では、今回はこれくらいで失礼します。





[17103] 第三話 転機
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/07/09 21:31

「こんなことになって本当にごめんなさい」

「そんなレティ提督のせいじゃあらへんって」

「そうですよ。あんなのが出てくるなんて誰も思いませんよ」

「っていうか、謝るのはなんにものできずにやられちまったあたしの方だよ」

「そんなアルフは悪くないよ」

 病室に入ってきたレティは挨拶もそこそこに頭を下げた。
 今回の負傷を旅行を企画した自分たちの責任だと感じて謝りに来たレティになのはたちは恐縮する。

「それよりもあれはいったい何だったんですか?」

「あーそれはわたしも気になる」

 なのはとはやての言葉。フェイトも無言ながらも目は二人と同じことを言っている。

「あれは近頃、ミッドに現れ始めた新種の魔獣よ」

 ある程度話すつもりで来ていたレティは簡単に説明する。

「簡単に言ってしまえば魔法の効かない魔獣よ」

 要約してしまえばこの一言に尽きる。そして、魔導師にとってはそれだけで脅威になる存在だった。

「そんな魔獣がいたなんて」

「知らないのも無理ないわ。混乱の元になるから情報規制をしていたし、シグナムたちにも口止めしといたから」

「シグナムたちも戦ったことがあるんですか?」

「ええ、シグナムとヴィータの二人でだいぶ苦戦していたわ」

 その二人を苦戦させるほどの生き物が何体も存在していることになのはたちは押し黙ってしまう。

「今回の一件でもう隠し通せるものではなくなってしまったと思うわ」

 レティが言葉を紡ぐたびになのはたちは口数を減らしてします。

「気にしなくていいわよ。あなたたちのせいじゃないんだから」

「でも――」

「むしろよくやってくれたわ。単独で奴らを撃破したのはなのはちゃんが初めてだから。すごかったわよ。あの二連砲撃」

「そ、そんなことないですよ」

 わたわたと手を振って謙遜するなのは。
 それに対して、

「二連射ディバインバスター。あかん極悪や」

「なのは、カートリッジを付けてから過激になっている気がする」

「そんなことないよ二人とも!」

 呆れるはやてとフェイトに頬を膨らませて抗議する。

「でも、あまり無茶はしないでよなのは」

「うん。心配してくれてありがとフェイトちゃん」

「……こほん。でも安心していいと思うわ。きっと近いうちに対抗策ができるはずだから」

「魔法効かんのに?」

「ええ、なのはさんは知っていると思うけど――」

「ソラさんのことですよね」

「今、この件の担当とリンディたちが彼から話を聞いているわ。まず間違いなく引き込むわね」

 断定の言葉に眼鏡の奥の目があやしく光る。

「ソラっていう人はそんなにすごいんの?」

「うん。あの後もう一体出てきたんだけど一人で倒しちゃったの」

「あれを一人で?」

「うん。銃とそれから剣でズバッと」

「ズバッと……」

 その表現にフェイトが食いついた。

「斬っちゃったの? すごく堅かったよ?」

「うん、もう本当にすごかったんだよ」

 レイジングハートに記録映像を出してもらおうと思ったが、手元にないことを思い出す。
 無理な砲撃はなのはの身体にも負担がかかり、レイジングハートもそれは同じでオーバーホールすることになってしまった。
 三人の容体は実のところなのはが一番の重傷と言えた。
 身体の怪我は大したことはなかったが、自身が撃った砲撃の反動の方が深刻で一週間の魔法行使の禁止を言い渡されるほど。
 それに引き換えてフェイトは肋骨を何本か折られはしたが魔法の治療ですでに完治している。
 はやてにいたっては不意の攻撃で気絶してしまっただけで怪我らしい怪我はしていなかったりする。

「バルディッシュ、昨日の戦闘映像出せる?」

『イエス・サー』

 フェイトの指示で浮かび上がる空間モニター。

「ふあー」

「……すごい」

「へぇ」

「っていうかこいつ魔導師じゃないんだよね?」

 始めてソラが戦う場面を見た四人はそれぞれ驚きをあらわにする。
 それは当然だろう。
 自分たち高ランクの魔導師でも歯が立たなかった相手に銃と剣を手に立ち向かう姿は蛮勇としか思えない。
 レティはその辺りを踏まえて感心と呆れを混ぜた顔をしているが、フェイト達は純粋にその勇気に憧憬を感じた目をしている。

「あっ……」

 不意にはやてが声を上げた。

「どうしたの?」

「レティ提督、もしかしてこのことうちの子たちにもー話してもうた?」

「シグナムたちに? そういえば忘れていたわね」

「せやったら、できれば言わんといてくれます?」

「でも……はやてちゃんも危なかったわけだし」

「今こうして無事ですから。あんまりみんなに心配かけとーないし」

 ただでさえ今は保護観察中の身。みんなが自由にできる時間は少ないし、今回のはやての旅行のためにその少ない時間をさらに削ったことは言われなくてもはやては気付いていた。
 そこに今回の事件のことが知られれば過保護な彼女たちのことだ、戦力差や対抗策なんて関係なしにこの種の生命体を探し出して駆逐しかねない。
 はやてとしてはそんな危険なまねはしてほしくはない。それにあっさりと気絶させられましたと告げるのは彼女たちの王として少し情けなさを感じてしまう。

「確かに、シグナムたちならやりかねないわね」

 そうなった時の反応を想像してレティは青ざめる。
 できるできないではなく、彼女たちはやる。
 彼女たちの実力は分かっていても、この常識の通用しない相手には無事で済むとは到底思えない。

「そうね。言わない方がいいでしょ」

 そう納得し、なのはたちにも言い含めたところでドアがノックされた。

「クロノだ、入ってもいいか?」

「どうぞ」

 返事を待って入ってきたクロノの姿に一同は驚く。
 左腕を吊り、頭には包帯。ベッドに横になっている自分たちよりも重傷な姿になのはたちは何かを言おうとして彼の後ろにいる人物に気付いてその言葉を飲み込んだ。
 クロノよりも頭一つ大きい身長。よれた黒いロングコートを着た青年。

「ソラさん」

「ああ元気そうでなにより、ええっと……」

「なのはだよ。高町なのは、なのはって呼んで?」

「了解」

 相変わらずの人の良さそうな顔でなのはの言葉にソラは頷く。

「それで、あのやっぱりソラさんは魔導師じゃないんですか!?」

「え……まあ僕は魔法は使えないけど」

「じゃあ、あの銃とか剣はなんなの?」

 矢継ぎ早の質問にソラはたじろぐ。

「こらこら、なのはちゃん落ちいてな。ソラさんが困っとるよ」

 興奮するなのはをはやてが止める。

「あ、ごめんなさい」

「いやもう慣れたよ」

 頭を下げるなのはにソラは肩を落とす。その質問はすでにクロノ達にされているのだろう。

「えっと、わたしは八神はやていいます」

「私はフェイト・テスタロッサ……ハラオウンです。助けてくれてありがとうございました」

「あたしはフェイトの使い魔のアルフっていうんだよ」

「レティ・ロウランです。この度は――、どうかしましたか?」

 突然凍りついたように固まったソラにレティは首を傾げた。

「すみません。もう一度言ってもらえますか?」

 耳をほじって聞き返す。そんなソラに一同はさらに首を傾げる。

「八神はやてです」

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」

「アルフだよ」

「レティ・ロウランです」

「……もう一度」

「八神はやてです」

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」

「アルフだよ」

「レティ・ロウランです」

「あ、あの高町――」

「なのははいい」

「むぅ……」

 素気なく扱われてなのはは頬を膨らませる。

「……て、まさか……いや、それよりも…………ろ」

 怒るなのはを気にせずソラは顔を押さえて俯く。表情がうかがえず、呟く言葉も聞き取れない。

「おい、どうし――」

 クロノが声をかけようとしたところでソラは顔を上げた。
 しかし、そこには先程までの柔和な笑みはなく、底冷えのする鋭く冷たい目があった。

「まさか、こんなに早く見つかるとは思っていなかったよ」

 言葉もそれに伴った鋭利なもの。
 それを向けられたのはフェイトだった。
 向けられた冷たい言葉にフェイトは身をすくませる。

「フェイト・テスタロッサ」
 ソラは彼女の名を呼んで、告げた。

「プレシア・テスタロッサが死んだ」

 すぐにその言葉の意味を理解できたものはいなかった。
 それは言われたフェイトだけでなく、そばにいたなのはたちも。
 予想もしなかった人物の名を、突然現れた男が彼女の死を伝えに来た。

「……母さんが……死んだ」

 元々、生存は絶望視されていたが改めて突き付けられると忘れていた痛みが胸の中でうずく。

「あんたは!? そんなことをわざわざ!!」

 アルフがソラに牙を剥く。
 そんな分かり切ったことを突き付け、無用に傷付けることは許さない。アルフだけでなく他のみんなもソラを睨みつける。それを意に介さずにソラは続ける。

「死んだのは一ヶ月前」

 また、思考が止まる。
 PT事件はもう一年前の出来事。それなのにソラはついこの間にプレシアが死んだと告げる。

「君は……まさかアルハザードからの帰還者なのか?」

「あそこはそんな所じゃないよ。何もない、何処にもいけない場所。僕たちは狭間の空間って呼んでいたけど」

「あ……あの本当に母さんと会ったんですか?」

「会った」

 端的な言葉にフェイトは何を聞くべきか迷った。
 彼が自分に話しているをしているのだから、プレシアはフェイトのことを話したのだろう。それだけでも嬉しく感じる。

 ――何を話したのだろうか。

 自分を嫌っていることだろうか。それでも構わない。
 アリシアはどうなったのだろうか。母さんの願いは叶ったのだろうか。
 死んだということは病気、治らなかったんだ。

「母さんは――」

「僕が殺した」

 その一言が、胸に感じた熱は一瞬で凍りつかせた。

「ころ……した?」

 ――意味が分からない。母さんは病気で死んだんじゃないの?

 知らずの内にフェイトの身体は震え出す。

「プレシアは止まることで君のことを振り返って、後悔していた」

 それは何よりも嬉しいことのはずなのに、

「でも、僕が殺した」

 目の前の男はそれを全て踏みにじる様に淡々と告げる。
 そして、念を押すようにもう一度繰り返す。

 ――いやだ。聞きたくない。咄嗟に耳を塞いでも彼の言葉を追い出すことはできなかった

「プレシア・テスタロッサは僕が殺した」




[17103] 第四話 試合
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/07/09 21:34

「どうして許可を出したんですかカノウ二佐!?」

「二人の要望があったからだ」

 いきり立つクロノにアキは素気なく答える。
 クロノが抗議しているのはこれから行われるソラの実力を見るための模擬戦闘。彼の実力を計ることには異論はないが、問題はその相手だった。

「ですから何故と聞いているんです!? よりにもよってあいつとフェイトの模擬戦なんて」

「同じことを言わせるな。彼女から進言され、彼が了承した。それだけの話だ」

「それだけで済むはずがないでしょ!」

 母を殺された者と殺した者。殺された者が戦いたいと言ったなら考えられることは一つしかない。

「報告は聞いている。それで?」

「それでって……」

「私たちは彼が人殺しだということを納得した。それがたまたま予想しなかった身近な人間だった」

「だからって、こんな私闘みたいなこと」

「私は彼なりの考えがあってだと思うが」

 冷静になれと促され、クロノは病室での出来事を反芻する。
 確かにあの時の豹変は少しあからさま過ぎておかしく思える。

「少なくても私は彼が無暗に人を殺す人間ではないと判断したから引き入れた」

「ですが、それは彼が行った次元犯罪のことで……プレシアを殺したのは一カ月前なんですよ」

「それを何故フェイト・テスタロッサに告げた?」

 聞き返されて返答に詰まる。

「彼がそれを話すメリットなんて一つもなかったはずだ」

「それは……そうですが」

「それに言い出した彼女の方が君よりも冷静だったぞ」

「……フェイトは何と?」

「『聞きたいことがある。でも、うまく言葉にできないから全力でぶつかってみる』だそうだ」

 まるで熱血漫画だと苦笑するアキにクロノは頭を抱えたくなる。
 全力でぶつかって分かり合った経験からの行動なのだろうが、それを今後実践されるのはどうかと思う。

「すっかり兄だな」

「ほっといてください」

 苦悩するクロノにアキは意味ありげの笑みを向ける。

「一応、言い含めてあるからそこまで心配するな」

「……分かりました」

 憮然とクロノは空間モニターを見上げる。
 陸士の実戦訓練施設。直径三キロメートルのグラウンド。遮蔽物はなし。フェイトの利点の機動力が存分に生かせるフィールドだ。

「どっちが勝つと思う?」

 アキがそこにいる者達に向かって投げかける。
 そこにいるのはおおよそいつものメンツ。
 リンディとレティ。計器のチェックをしているエイミィに先程まで口論していたクロノ。そしてフェイトを心配するなのはとはやて、そしてアルフ。
 あの病室での一件からすでに一週間が経っている。
 なのはたちは無事に旅行は終わったと一旦家に帰り、それから理由をつけてミッドに戻ってきた。

「そんなのフェイトが勝つにきまってんだろ」

 アルフの言葉に誰も異を唱えたりはしない。
 ソラは「G」を撃退できたかもしれないが、「G」は魔導師の天敵ともいえる能力を持ったいたにすぎない。いうなれば相性の問題だ。
 魔導師と非魔導師の相性の問題など存在しない。
 攻撃力、機動力、防御力に射程、利便性。
 全てにおいて魔導師が上回っているのだから。低ランクの魔導師ならいざ知らず、高ランクの魔導師を生身で渡り合うのは到底不可能なことだ。

「ソラのあの武器は?」

 一つの懸念は「G」の甲殻を斬り裂き、砕いた剣と銃の存在だ。

「剣はBランク相当の魔力の刃を作るもの。銃は直射専用、威力Cランク、弾速Aランク相当。どちらも非殺傷設定に切り替えられる武器だよ」

 この手の武器は普通に出回っている。痴漢撃退用の防犯グッズなど魔導師でなくても使える非殺傷性の道具として。ソラの武器はそれを過剰な改造をしたものと考えていい。
 攻撃力と射程は誤魔化すことができるかもしれないが、速さを身上とするフェイトを捉えられるのかが問題になる。
 「G」との戦闘映像を見てもソラは魔導師の観点からすれば速いとは決していえない。

「おそらくは陸戦のAランクほどの評価になると思います」

 クロノの評価に誰も意を唱えはしない。そこにいる誰もがフェイトの勝利を疑っておらず、むしろ圧倒的な力差の相手にソラがどんな立ち回りするのかが気になっている。

「ところでリンディ。彼が関わっていた事件について何か分かったか?」

「いいえ、さっぱりね。過去の未解決事件、出所履歴、その他探してみたけどまったくないわ」

「そちらもか」

「というと……」

「ああ、彼の遺伝子情報から親族を探そうとしたんだが該当はなし。出生登録にもない。いわばこの世には存在しない人間のようだ」

「そうなると管理外世界の出身かしらね?」

「その可能性は低いと思うんだが」

 あの時の会議室での会話にソラはいくつもの失言をしていた。
 十二年前から音信不通、そこの世界の子。
 そういった言葉から次元犯罪は十二年前のこと。
 他世界との交流があり、向こう側と認知していること。
 素性などを知られないようにしているが、そういったボロが彼の交渉力の低さを示しているがそれをわざわざ指摘したりはしない。
 もちろん、彼が意図的に誤情報を流しているかもしれないが、それを踏まえて調べても彼にまつわる情報は全く出てこなかった。

「嫌な予感がするな」

「ええ、そうね」

 呟くアキにリンディは頷き、モニターの向こうの彼の姿を見る。
 開始の合図のブザーが鳴り響き、彼は動いた。



 目の前には母さんを殺した男がいる。
 そう聞かされた時は動揺したが、正直今はその実感が湧かない。
 それは仕方がないことだとフェイトは思う。
 彼、ソラは何一つ知らない会ったばかりの他人。
 母さんとどんな関係だったのか。
 アルハザードには辿り着けなかったのだからアリシアを生き返らせることできなかったのだろう。
 絶望の果ての母さんの姿を想像するだけで心が痛む。
 そんな母さんを前にこの人は何を感じたんだろう。

「意外だな」

「何がですか?」

「もっと怒りをぶつけてくると思っていたんだけど」

 不思議そうにするソラにフェイトは自分でも意外と落ち着いていることを自覚する。

「母さんの仇! っていう感じに」

「……本当に母さんを殺したんですか?」

「ああ。僕は嘘は言わない」

 即答された。それでも不思議と怒りは湧いてこない。

「理由を聞いても?」

「知る必要はない」

「……ならわたしが勝ったら全部教えてください」

 返答はない。鋭い目が探る様な見る。それを真っ直ぐ見返して続ける。

「知りたいんです。母さんのこと」

「後悔することになるぞ」

「きっと……泣くと思います」

 それでも、と目を瞑ると自分のことを心配してくれている親友たちや家族の姿が思い浮かぶ。

「でも、わたしは一人じゃないから乗り越えられる……と思います」

 自信がなかった。それは本心だった。
 ソラは目を瞑ってフェイトの言葉を反芻する。

「そうだね……君は僕とは違うんだ。なら大丈夫なのかもしれないね」

 呟かれた言葉には温かさがあった。そして鋭く細められていた目は柔らかなものに変わる。

 ――これが彼の本当の姿なんだ。

 納得して気付く。変わった目付き、それでも変わらない眼の光はかつての自分やシグナムたちがしていた信念を持つ目だ。
 だから、自分は彼を憎むことができなかったのだろう。

「いいよ。教えてあげるよ。僕に勝ったら全部、彼女のこと、アリシアのことも含めて全部」

「はい!」

 フェイトはバルディッシュを構え、ソラは魔力の刃を構える。
 そして、開始の合図と同時に動く。
 互いに疾走し、交差し駆け抜ける。
 互いの一撃は相殺される。

『ブリッツアクション』

 次の手はフェイトが取る。
 瞬時の加速。向き直ったソラの背後を取る。
 一閃。
 無防備な背中に向けて横薙ぎの斬撃は目標を失って空を切る。
 不意に陰った視界から咄嗟に前に飛ぶ。
 兜割りの斬り下ろされた刃がフェイトの髪をわずかに散らせる。
 背後を取り返したソラは追撃に距離を詰める。

『ラウンドシールド』

 二人の間を阻む円形の盾。
 これで受け止めてその間に体勢を治す。
 その後の戦闘構築をするフェイトに対して、ソラが微塵の躊躇いもなく剣を振り抜いた。

「……え?」

 何の抵抗もなく盾に刃が食い込み、そのまま速度さえ落とすことなく切り払った。
 ありえない光景にフェイトの思考は完全に止まる。
 返す刃を振り被る、咄嗟にフェイトはバルディッシュを盾にする。
 衝撃を受けて、ガラスが割れた様な音が鳴り響く。

「ちっ」

 飛び散った刃の破片の向こうでソラが舌打ちをして、回し蹴りを放ちフェイトを吹っ飛ばした。



「な、何今の!?」

 モニターの向こうで行われたことに驚いたのは当の本人だけではなかった。
 模擬戦が始まってまずか数十秒。
 挨拶代りに打ち合ってから、フェイトが背後を取る。
 それをバク転の要領で回避し、そのまま攻撃に移る体術に息を巻いたのもの束の間、それは起こった。
 フェイトがソラの斬撃を防ぐために出したシールドが紙のように斬り裂かれる様は見ている者たちの度肝を抜いた。

「バリアブレイク? それにしてって速すぎるし、魔力反応は……変わってない」

 エイミィの手がせわしなく動いて先程の現象を解析するが、この反応では結果は期待できない。

「あの魔力刃の特殊効果は?」

「そんなのあったら見せてもらった時に分かるよ」

 エイミィの泣き事を余所にアキはモニターを食い入るように見つめていた。

「これは意外なまでの掘り出しものだな」

「そうね民間協力ではなく、ぜひとも管理局に入ってもらいたいわね」

 アキの呟きに同意するレティの眼鏡は怪しく光っていた。



「今の、何ですか?」

 バリアジャケットのおかげで大したダメージもなく立ち上がってフェイトは尋ねる。

「流石にこれを話すことはできないな」

 立ち上がるのを待っていたソラは律儀に応える。
 手にある柄からはすでに新しい刃が再構築されている。

「強いて言うなら気合いと根性の賜物?」

「うう……嘘は言わないって言ってたのに」

 当然、ソラの言葉など信じられない。気合いと根性でシールドを斬れるなら誰も苦労はしない。

「負けを認める?」

「認めません」

 何処か楽しさを含ませるソラの言葉にフェイトは笑って応える。
 フェイトは思考から防御を除外する。ソラの斬撃は魔法で防げるものではなく、バルディッシュで受けるか、回避するしかない。最悪、銃も同じと考える。

『ソニックフォーム』

 バリアジャケットを換装し、改めてバルディッシュを構える。

「行きます!」

 全速を持って、距離を一瞬で詰める。
 間合いに入るのは一瞬。
 突進力を乗せた一撃にソラは一歩後退して、半身になる。
 それだけでフェイトの斬撃は空を切った。
 突進の勢いを殺しながら方向転換。再度、突撃。
 だが、同じようにかわされる。

 ――見切られている。なんてデタラメな。

 ソラの動きは決してフェイトが捉えられないほど速いものではない。
 それなのに当たらない。たった一歩ないしは半歩、それと連動する動きだけで回避する。
 その動きは以前に見学させてもらったなのはの兄姉たちに似た洗礼された動きだった。
 もしかしたら、自分は恭也さんや美由希さんにも勝てないのではないか。
 そんな弱気を打ち消し、フェイトは無意味な突撃をやめる。

『ランサーセット』

「プラズマランサー……ファイア!」

 八つのスフィアを構成、その内の五本を撃つ。
 ソラは回避行動に移らず、直進。
 当たる直前、ステップを駆使し身体を捻り、ランサーのわずかな隙間を縫うようにしてかわす。その様はまるで踊っているようにも見えた。

「ターン。ファイア!」

 残った三つのランサーを放ち、撃った五本を戻す。
 前後からの挟撃。これも回避するはずと思ってフェイトはそこに生じる隙を待つ。
 歩調を緩め、剣で三つのランサーを切り払う。
 予想は外れたが想定の範囲内、切り返す剣をバルディッシュで受け止め、彼の姿の先にあるランサーを見る。
 一瞬、気付いていないのかといぶかしむと、バルディッシュにかかっていた力が突然消えた。
 同時に目の前からソラの姿が消える。そして、目の前には目標を失ったランサーが。

『ディフェンサー』

 バルディッシュが張ったバリアがそれらを弾く、と同時に足もとがすくわれて浮遊感を感じる。

『ブリッツアクション』

 脇目も振らずにとにかく逃げを選択、フェイトは全速で空に逃げた。
 眼下を見下ろすと足払いの体勢から悠々と立ち上がるソラの姿。
 息一つ乱していないソラに対して、フェイトはすでに肩で息を吐き始めている。
 強い。
 素直にフェイトはそう感じた。
 シグナムに感じたものとは別種の強さ。
 シグナムの力強さに満ちた剣に対して、彼のは無駄を一切省いた洗礼された剣。どちらかといえばクロノに似ているが底がしれない。
 刃を消し、柄をしまうソラの姿に負けたと感じてしまう。
 そして抜き出される銃に気を引き締めた。
 銃口を向けられてフェイトは動き出す。



「……射撃は微妙ですね」

 先程の息もつかせない近接の攻防から一転して観戦室のテンションは落ちていた。
 距離を取って射撃魔法を撃ち合う二人。
 フェイトのハーケンとランサーが乱舞する中でソラはそのことごとくを回避し、反撃に銃を撃つが当たらない。そもそもフェイトからだいぶ離れた場所を通り過ぎていく。
 もちろんフェイトが動き回っているせいでもあるが、密かにまた神業を見せるのかと期待していただけに落胆は大きい。

「フェイトちゃんが勝負に出るよ」



『プラズマスマッシャー』

 射撃魔法では切りがない。そう感じたフェイトはハーケンセイバーをソラの目の前で爆発させ、目くらましに使う。
 その間にチャージを済ませる。
 爆煙は晴れていないが彼の動きはトレースしてあるから位置は分かっている。

「ファイヤー!!」

 金色の奔流が煙を切り裂き、ソラを捉えた。
 タイミングは申し分ない。回避行動は間に合わない。
 勝利を確信したフェイトに対して、ソラはおもむろに手をかざした。
 そして、それは起こった。

「な……」

 非魔導師にとっては抵抗などできない魔力の砲撃は彼の手に触れた瞬間にその形を失っていく。
 フェイトは撃った体勢のまま固まっていた。
 それほどまでにその光景は衝撃的だった。
 結局、必殺の砲撃はソラに傷一つ与えることができずに終わった。
 その衝撃から立ち直るよりも早く、ソラはフェイトに肉薄する。

「あ……」

 と言う間に、肩を掴まれ、足を払われて地面に叩きつけられる。そして後頭部に固いものを押しつけられた。

「僕の勝ちだね」

「……はい」

 釈然としない気持ちを抱きつつ、フェイトは頷いた。

「今のは何ですか?」

「魔力霧散化、僕の稀少技能と思っていいよ」

 そんなスキル聞いたこともなかったし、想像もしなかった。しかし、目の前で起こったことから認めるしかない。

「なんかそれずるいです」

「こっちは魔法が使えないからね。こうでもしないと高ランクの魔導師とは戦えないんだよ」

 むしろ、隠している手札がないと思っている方が悪い。
 それを言われてしまえばフェイトには返す言葉はなかった。
 それでも落胆は隠しきれなかった。

「……これじゃあ、話は聞けないね」

「ああ、そのことなんだけど」

 バツが悪そうに頭をかき、ソラは空を仰ぐ。

「話ならあいつに聞けばいいよ」

 不意にまた冷めた口調に変わる。
 ソラの視線を追って空を仰ぐと、紫の雷が降ってきた。

「サンダーレイジ!?」

 思わず身をすくめるフェイトの首根っこを掴み、伏せさせて手を避雷針のように掲げる。
 雷は先ほどの砲撃と同じように霧散して消える。

「随分と遅かったなアリシア・テスタロッサ」

 その名前にフェイトは勢いよく顔を上げた。
 黒いローブのバリアジャケット。金色のツインテール。そして自分と同じ顔の幼い少女がそこにいた。
 ソラの言葉を信じるなら彼女の名前はアリシアなのだ。

「それから……」

 視線をずらした先には一人の男がいた。
 アリシアの隣に立つ男の姿はまるで父親にも見える。
 黒い髪に黒のバリアジャケット。右目を眼帯で覆っているのが特徴な長身の男。

「あれ?」

 不意にフェイトはその男に見覚えを感じる。しかし、思い出すよりも早くソラが彼の名を告げる。

「あんな魔法を撃ち込むのを止めなかったのはどういうことだクライド?」

「止める前に撃ってしまってね。まあ君ならあれくらい楽に防ぐとも思っていたし」

 気軽なやり取りはフェイトの耳には入ってこない。
 それは確かクロノの父の名前でリンディの夫の名前。
 時の流れを感じさせるものの、写真の中で三人で写っていたハラオウン家の父にその姿は重なった。
 クライド・ハラオウン。
 かつて闇の書事件においてエスティアに最後まで残った英雄がそこにいた。




[17103] 第五話 胎動
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/07/09 21:37



「……クライドさん……本当に」

 彼を迎えたのは涙ぐむリンディだった。

「ああ、僕だよリンディ。すまない長く待たせてしまったね」

「いいの、いいのよ。こうして帰ってきてくれたから……」

 そこまでで限界だった。
 リンディは周囲のことなど忘れてクライドにすがりつき、泣き出した。

「リンディ提督」

「母さん」

 貰い泣きするエイミィにそんな姿を始めて見て驚くクロノ。

「クロノか……大きくなったな」

 リンディをあやしながら向けられた言葉にクロノは咄嗟にそっぽを向いてしまう。

「それに……」

「まさか生きていたとはな」

「お帰りなさいクライド君」

「アキ・カノウさんにレティ・ロウランさん。ありがとうございます」

 そういう彼の目もかすかに涙が浮かんでいるのを指摘する者はいない。
 しかし、そんな感動の場面を気にせずにぶった切る男が一人。

「もう今日の用事が終わったなら帰ってもいいですか?」

 淡々とソラが発言する。
 空気を読めていない発言に非難の視線が集中するがソラは気にしない。

「どうして……」

 そんな中で口を開いたのはフェイトと同じ顔のアリシアだった。

「ねぇ、どうしてママを殺したのソラ!?」

 怒りというよりも困惑と悲痛、今にも泣き出しそうな声でアリシアは叫ぶ。

「……用はないようですね」

 そんな彼女を一瞥すらせずにソラはもう一度聞く。

「ソラ、君――」

 仲裁するためにアキが口を開くと突然、彼女の端末が鳴り始めた。
 逡巡はわずか、少し待てと視線でソラに示し、通信を開く。

「どうした?」

『部隊長、「G」と思われる反応を確認しました』

「……そうか、場所は?」

 内心でタイミングの悪さに嘆息する。それを外に出さずに必要な報告を受ける。

「――分かった。すぐに私は司令部に戻る」

 通信を終わらせてアキはソラに向き直る。

「そういうわけだ。すまないが頼めるか?」

「いいけど、協力するとなったら徹底的に使うんだね」

 これでもう四回目の出動だとぼやきながら踵を返す。

「すまない。都市内での戦闘になると高ランクの魔導師を使うのは難しくてな」

「いいけど、それじゃ」

「あっ……」

 止める間もなくソラは出ていく。

「クロノ執務官は今回は出なくていい。今はクライド――」

「いえ、自分も現場に向かいます」

 言葉を遮ってクロノはソラの後に続く。

「しかし、せっかくの再会では――」

「今はミッドに住む民間人の安全を優先するべきです。それに「G」対策の魔法の試験運用も早い方がいいでしょう?」

 そこで言葉を切ってクロノはクライドに向き直る。

「そういうことだから失礼します……父さん」

 他人の行儀に頭を下げて、クロノは早足で出ていく。

「……クロノ君、なんか変だった」

「そやな、どうしたんやろ?」

「そりゃあね」

 すっかり蚊帳の外ななのはとはやての呟きにエイミィは苦笑する。

「死んだはずのお父さんが実は生きていて目の前に現れたんだからどんな顔をすればいいのか分からないんでしょ」

 流石に付き合いが長いだけあってクロノの心情を的確に表している。


「それで、クライドさん。一体どうやって生き延びたの?」

 三人が去って、落ち着いたリンディがそう切り出した。

「生き延びたって言われてもな」

 クライドはバツが悪いといった感じに頭をかく。

「正直、どうして助かったのか私にも分からないんだ」

 それは無理からぬ話だろう。
 クライドはアルカンシェルを撃たれてから目覚めるまでの記憶がない。
 なまじ意識があったとしても主観的に何が起こったのか把握するのは難しいだろう。

「ただ、あの時アルカンシェルの光に飲み込まれて気が付いたらどことも知れない場所にいてね」

 それは一面が白の空間。
 あるのはエスティアの残骸だけ。地面はあっても空と同じ白でまるで空中に立っているかのよう。
 転移魔法は使えない。エスティアの航行システムは完全に死んでいる。
 どこにも行けない。何もできない状況で今まで過ごしてきた。

「それが変わったのは一年くらい前に時の庭園が落ちてきてなんだ」

「おそらくPT事件の直後でしょうね」

「それで新しいものが現れたということで調べたわけなんだ。そこでプレシアと彼女を見つけたんだ」

 そう言ってクライドは俯いているアリシアに声をかける。

「ほら、アリシア」

「……あ、はい」

 ぼうっとしていたアリシアは我に返ってリンディたちに向き直る。

「あ、アリシア・テスタロッサ・ハラオウンです。フェイトのお姉ちゃんです」

「ハラオウン……?」

「あ、いや待ってくれ。リンディ、決して私はプレシアとそういう仲になったのではなくてだな」

「分かっているわよ」

 慌てるクライドに微笑を返し、リンディはしゃがみアリシアをまっすぐに見る。

「今のフェイトの母のリンディ・ハラオウンよ。今日からあなたも私の娘よ」

「…………ありがとうございます」

 そう応えるアリシアに力はない。

「クライドさん、さっきのことだけど……」

「ん、ああ本当のことだ」

 言外にソラがプレシアを殺したことを認める。

「あんなに優しかったのに……」

 それはフェイト達を前にしてかた豹変したソラの態度からもその様子が理解できる。
 アリシアは彼になついていたのだろ。それだけに彼の変化と凶行を信じられないのだろう。

「アリシア……」

 俯く彼女にフェイトが近付く。

「あ……フェイトだよね。ママから聞いてるよ。本当にわたしにそっくりだね」

 顔を上げたアリシアはフェイトの姿を見て表情を輝かせた。

「さっきはごめんね。ソラに銃を突き付けられていたから、もしかしたらママみたいにって思って」

 また俯くアリシア。

「あ……うん。大丈夫だよ、あれは模擬戦だったから。でも、助けてくれようとしてありがとう」

「うん」

 フェイトに言われてアリシアは満面の笑みを浮かべる。
 フェイトとは違う笑い方はやはり別人だと思わせる。

「ちょっとクライドさん」

 そんな彼女たちを見守りつつ、リンディは彼女たちに聞こえないように話しかける。

「彼女、本当にアリシア・テスタロッサなの?」

「ああ、そうらしいね」

「らしいって……ってどういうこと?」

 要領の得ない返答に思わず声に力が入る。
 クライドがいた場所の説明ではそこがとてもアルハザードとは思えない。
 仮にそうであったとしても魔法を使ったあの子がどうしてアリシアを名乗ることが許されたのだろうか。

「すまないが、私もそこはよく分からなくてね」

 何も分からなくてすまないと、クライドは謝る。

「私たちが彼女を見つけた時、すでにアリシアは生き返っていたんだ」

「なら、名前は?」

「その前にプレシアの事情を聞かせてもらってもいいかな? 私もフェイトさんのことについてはほとんど知らないんだ」

「……ええ、そうね」

 気が逸っていたことを自覚してリンディは自分を落ち着かせる。
 クライドにはたくさん聞きたいことはある。
 でも、急ぐことはないのだ。何故なら、彼は生きていたのだから言葉を交わす機会はいくらでもある。
 当事者たちのことではあるが、彼女たちを前にして言いづらいこともあるかもしれない。だから、今この場で問いただすべきではない。

「あ、あの……」

 話が区切られたと感じて、今まで静観していたはやてがクライドに声をかけた。

「わたしは……八神はやていーます。フェイトちゃんの友達でクロノ君やリンディさんにとてもよーしてもらってます」

「そうか、よろしくヤガミ君」

「ヤガミは名字で、こっちの言い方だとはやて・八神になります」

「そうか、よろしくはやて君。それで、そちらは?」

 緊張をにじませるはやてに微笑を浮かべて、クライドはなのはたちを見る。
 代わる代わる自己紹介をする。
 それが終わるのを見計らって、はやては切り出した。

「クライドさん、実は謝らないといけないことがあるんです」

「ん? 君とは初対面のはずだが?」

「わたしのことじゃなくて……」

「はやてさん、無理しなくても」

「いや、いーんです」

 言い淀むはやてを心配する言葉はやんわりと断られる。
 深呼吸を一つして、はやてはクライドを真っ直ぐに見た。

「わたしが最後の闇の書の主です」

「なん……だって……?」

 はやての言葉にクライドは驚愕に言葉を失った。


「今回は君の役割はバックアップだから」

 とは言ったものの近接能力しかないソラが後方待機をしていても仕方がないことを思い出してクロノは誤魔化すように咳払いをする。

「これまでの研究で「G」に対して純粋魔法攻撃はあまり有効ではないと結論に達した。これは直接相手に魔力を叩きこむベルカ式でも同じことが言える」

「でも高ランクの騎士なら倒したって聞いたけど?」

「彼らの場合は純粋な物理攻撃として使ったからだ。基本的に魔導師は魔力によって威力を倍加しているから、純粋な体術は二の次にする傾向があるんだ」

 それ故に直接斬りつけても、魔力は浸透しないため十分な衝撃を与えることはできない。

「なら、質量兵器でも使えばいいんじゃないの?」

「あいにくと魔法で瓦礫を操作して撃ち出してもフィールドに弾かれた」

「魔法も弾いて、物理も弾くか、とんでもないな」

「それをあっさりと破る君が言うな」

「僕にだって斬れないものはいくらでもあるよ」

「……ともかく、これまでの研究でいくつか有効な可能性があるミッド式の魔法ができたからそれを試すことになったんだ」

「今の間はなに? それよりあの生き物について分かったことはないの?」

「ああ、それについては――」

 クロノは空間モニターを出して読み上げる。


 「G」の生体報告書
 「G」は体細胞が珪素を含む特殊な細胞組織により構成されている。
 この細胞組織が脳、神経系統においてデバイスと同じ働き、つまりは情報制御を行う。
 そして内臓器官、筋肉、骨格、循環器系統では体内エネルギーを熱エネルギーや運動エネルギーなどに変化させる性質を持つ。
 つまりは「G」とは変換資質を持った魔法そのものが形になった生物と考えられる。
 また、細胞内に珪素を取り込んでいるため、同サイズの生物よりも四倍の体重を保持している。
 その体重を支えるため、筋肉、骨格、外殻などの強度も相応なものとなっている。また、その重量を支える補助として周囲の重力場を操作している可能性が高い。
 なお、外見的なものに未だに共通点はなく、細胞組織のみが共通となっている。

「やっぱり、とんでもない生物だな」

「単純計算だと、通常生物の四倍の強さになるからね」

 簡単に言うソラ。
 当然、そこに能力も付与されるのだからそれ以上の強さになる。

「幸いなのは思考力が獣並みだというところか」

 例え、強靭な体と特殊な能力を持っていたとしても使うものに相応の頭がなければ宝の持ち腐れになる。
 報告書を見る限りでは「G」は捕食対象、及び敵と認識したものに対して攻撃をするがその攻撃手段は単純なものしかない。
 能力も魔法の展開が間に合えば防げるものであるから、こうして資料がそろっているならば十二分に対処の方法は考えられる。

「いつまでの戦えませんじゃ、すまないからな」

 それに管理局のプライドの問題でもある。
 本来なら次元世界を渡り歩いているクロノの管轄ではないが、地上の平和をないがしろにするような思いはない。そして、一度完膚なきまでに負かされているのだから雪辱の意味もある。
 何より、魔導師でもないソラに劣っていることが、これまでの自分の努力に疑問を感じさせられる。

「ま、気負い過ぎずに頑張ってね」

 ソラが気楽に言って、話が途切れる。
 沈黙が続くと、仕事に集中していた頭に雑念が混じり始める。
 目の前の謎だらけの青年。
 実力は魔導師でもないのにフェイトと互角に戦え、圧倒した。しかも、魔法無効化という魔導師にとって天敵ともいえる能力を持っている。
 「G」などよりもこいつの方が魔導師の敵に思えてしまう。
 経歴は一切不明の自称次元犯罪者。
 それにプレシア・テスタロッサの殺害動機。結局、彼は関係性もその時の状況も何も語らない。
 それでいてフェイトとそれにアリシアの前では稚拙な演技で悪者ぶる。
 そして、父クライドが生きいたこと。彼が一緒にいたこと。
 協力の条件に詮索はしないと約束してあるが、どれも聞かずにはいられない重要なことだった。
 かといってどれも応えてくれるとは思えないし、応えてくれたとしてもどれから聞くべきなのか迷う。

「君は――」

 自然と口が動く。
 やはり、一番気になるのは父のことだ。
 父は今まで何をしていて、何故帰ってこなかったのか。そしてどういった関係なのか。

「フェイトをどうするつもりだ?」

 しかし、考えに反して尋ねたのは義理の妹のことだった。

「フェイトを……か」

 ソラはその名前を反芻して目を瞑った。

「あの子には僕と同じ間違いを犯して欲しくないだけだよ」

「同じ間違い?」

 答えが返ってくるとは思わず、クロノは意外そうに聞き返す。

「僕は捨てられたんだよ」

 そして、答えは重かった。

「妹ができたって聞かされて、すぐに捨てられて。迎えにくるっていう言葉を信じても来てくれなかった。待つのをやめて施設から逃げ出して両親を探した」

 いろいろなことがあって、大切な人たちができた。

「そして両親を見つけた時、そこには僕の名前で呼ばれる妹と幸せそうにしている二人がいた」

 噛みしめるように話すソラ。当時のことを思い出しているのだろう。その表情は儚く、今にも泣きだしそうだった。

「僕は――」

「もう、いい」

 ソラの言葉をクロノは遮った。

「……少し、話過ぎたな。忘れて」

「……ああ」

 想像以上の過去の一端だった。
 ただ捨てられただけならまだしも、なかったものとして扱われるつらさは想像できない。

「君がフェイトで、妹がアリシアか?」

「そんなところ」

 アリシアについての最大の疑問は魔法を使ったこと。魔法資質があってプレシアにその名前を貰ったというならフェイトは何故否定されたのだろうか。

「君はまさか二人の仲を取り持つために、二人の共通敵になろうとしたのか?」

「詮索はするっ!」

 強い拒絶の言葉にクロノは口をつぐむ。

「…………どんな理由をつけても僕はきっとプレシアを許せなかっただけだよ」

 荒くした息を整えてソラは独り言のように呟いた。
 その言葉を聞くだけでクロノは何も返さなかった。


『クロノ君、準備はいい?』

「……ああ、いつでも……」

 気まずい空気でどれほど過ぎただろうか。通信で映ったエイミィの顔に安堵を覚えながらクロノは指揮車から降りる。

『対象は正面の廃ビルの三階。視認したら結界を張るから』

「……了解」

 使うのはデュランダル。待機モードから杖に変えて息を整える。

「付いていかなくていいの?」

「君はこの場に待機、不測の事態に備えてくれ」

「りょーかい」

 普段の軽薄な口調にホッとして、気を引き締め、目の前のビルに入る。

「エイミィ、誘導を頼む」

『はいよ。左側の階段から二階に上がってね』

 指示に従って歩き出す。

『……クロノ君、さっきの話……』

「聞いていたのか?」

『うん、ごめん』

 いつも明るいエイミィもあの話を聞かされれば普段通りにはいかないようだった。

『ソラ君が殺したのってやっぱり……』

「そうだろうね」

 ソラは両親と妹を殺した。
 自分を捨てたことの報復として理解はできるが納得はできない。

「どんな理由があっても人殺しは罪だ」

『そうだけどさ』

 執務官として仕事をしていれば、人の嫌な面を見ることは日常茶飯事ともいえる。それは補佐官である彼女も同じことが言える。
 エイミィが言いたいことは理解できる。彼に同情するのはクロノも同じだ。
 だが、それも許すべきではないという自分がいることを自覚する。

『ソラ君は後悔しているんだよ』

 返す言葉は出てこなかった。

「それならなんでプレシアを――」

 カタッという音に、クロノは言葉を止めた。

『どうかした?』

「……猫だ。子猫」

 足元を見れば崩れたコンクリートの隙間で体を震わせる子猫がいた。

「おびえている。多分、対象に」

 動物は得てして外敵に敏感だ。この子猫はこの建物にいる存在に気付いたのだろう。

『助けられる? ソラ君に行ってもらおうか?』

「そうしてくれ」

 子猫を助けて一旦戻るよりも、その方が早い。
 それにこれから戦うことを考えれば連れていくわけにはいかない。
 床に着けた膝を払って立ち上がって、クロノはそれを聞いた。

「人がいる! 声がした……上だ」

 ビルの中を木霊したかすかな声、それを悲鳴だと確信して叫ぶ。

『エネルギー反応増大、それに対象の部屋で大きな熱源……これは火災!?』

「すぐに現場に向かう」

 言うと同時に駆け出す。
 指示よりもモニターを自分で確認し、三階に上がる階段を飛ぶようにして駆け上がりさらに走る。
 そして、突然目の前の開けっ放しのドアからゴゥッと炎が唸りを上げて飛び出した。
 思わず、足を止めてしまう。

 オオオオオオオ。

 低い咆哮が炎の奥から聞こえてくる。
 部屋は一面火の海だった。
 その中央には首の長い異形の生物。
 一瞬、諦めかけたが部屋の隅でへたり込んでいる少女を見つけた。
 炎に焼かれながら、震え涙を浮かべる彼女にクロノは魔法を構築して放つ。

「要救助者一名、女の子。たった今確保! 大丈夫か君!?」

 突然ぶつけられた水に呆然と少女は顔を上げる。
 返事はなかった。
 クロノは気にせず、まだ女の子の周囲の火が消えてないことに意識を向ける。

「消化する。水が行くから目つぶって」

 かざした魔法陣から水が迸り、女の子の頭上から盛大に撒き散らす。

「けほ……けほっ」

 消化を確認してクロノは女の子に近付く。

「ごめんね……荒っぽくて、でももう大丈夫だから」

 努めて安心させるように丁寧に話しかける。

「立てる? 今、安全な所まで連れていくから」

 女の子を立たせると異形の生物は咆哮を上げた。

『クロノ君。対象を「G」と確認。気を付けてね』

 エイミィの報告に頷いて、逡巡はわずか。すぐに撤退することを決める。
 女の子がいたのは想定外。そして自分の魔法が効果あるかは未知数。
 民間人を戦いに巻き込むわけにはいかない。不本意だが今回もソラに任せる方がいい。
 しかし、その考えを嘲笑うかのように「G」が咆える。
 それに伴って周囲に光の壁が形成される。

『まさか、結界!?』

 魔力でなくても、高密度のエネルギーに囲まれたのが分かる。

「データにないタイプだ」

 その障壁と昆虫のような体躯に、それに不似合いな背中にある鳥の一対の翼。
 生物的におかしいがこの手の生物に常識は通用しないと思っていい。

「障壁に隙間は?」

『……ないね。これじゃあソラ君も入れない』

「……やるしかないか」

 クロノは覚悟を決める。

「君、名前は?」

「あ…………アズサ」

「アズサ、僕はクロノ・ハラオウン」

 名乗ってアズサに下がっているように言い含めて、デュランダルを構える。

『転送』

 足もとに展開された魔法陣は四つの円を頂点とする四角いもの。
 召喚魔法陣。
 本来ならクロノに適性はないがこの魔法は例外と言えた。
 魔法陣から溢れ出したの大量の水。
 召喚獣は同調を必要とするが、物質の呼び出しなら下準備しだいでどうとでもなる。
 そして、物質の操作は魔導師の初歩技能でもある。

『ガングニル・スピア』

 大量の水を圧縮してデュランダルの先に集める。

「いっけぇっ!」

 無造作に振り、水刃を飛ばす。
 フィールドと衝突して水は四散する。
 クロノは水を纏って視覚化したフィールドに走り寄り、デュランダルを叩きつけた。
 重量の慣性制御をリアルタイムで操作して数トンに及ぶ水の衝撃。
 わずかなせめぎ合いの末、フィールドは砕け、そのままの勢いで水の刃は「G」に深い傷を刻みつける。

「よし!」

 確かな手応えにクロノは気をよくする。
 半質量兵器魔法、ベルカとミッドの交合。それがこの水の魔法だった。
 高い抗魔力性を持つ「G」に対して有効な手段の一つが物理攻撃だった。
 しかし、ただの物理攻撃ではフィールドを破れず、フィールドの内側に入れても堅い外殻を破ることはできない。
 そのため、必要な衝撃を重量で補うことにした。
 魔法はそれを維持し、持ち回しをよくするだけに留め、攻撃は膨大な重量を利用する。
 結果は十分だった。
 最もこの魔法は違法ギリギリのもので質量兵器に近いものだ。当然、非殺傷設定などできるはずもなく完全に「G」対策の魔法だった。

 ――しかし、妙だな。

 もだえる「G」を前にクロノは疑問を感じる。

 ――火災は何故起きた?

 周囲の壁は光学的な能力に見える。熱源の上昇を気にしてみても、目の前の生物からそれらしい反応はない。

 ――まあ、いいか。

 気丈にも体を起こした「G」に疑問を払い集中する。
 それがクロノの失敗だった。
 初めての有効打による高揚。単独で未知の敵と相対する緊張感。そしてソラが常に一対一で戦っていたという中途半端な経験。
 それらがクロノの注意力を散漫にしていた。

『クロノ君、エネルギー反応後ろ!』

 エイミィの声に振り返れば部屋の隅で床から突き出た触手が二つ、こちら向いていた。
 その先から放たれた光線。
 意表を突かれてクロノは回避も防御をできなかった。
 そして、視界が赤く染まった。
 衝撃はなかった。そもそも光線はクロノに届いていない。
 クロノの目の前には赤い光を背負った背中。

「……あ、アズサ!?」

 魔導師だったのかと思ったがそこに違和感を感じる。

「~~ごめんなさい……防ぎ……きれない……今のうちによけて!」

 何が起きているのか分からない。しかし、その言葉でクロノが動くよりも早く爆発が起きた。

「ぐっ!」

 壁に叩きつけられた息を詰まらせる。
 頭から出血しているが大したことはない。
 すぐに頭を切り替えて、砲撃の先を確認する。
 砲撃した触手は燃えていた。

 ――燃えているのはなんでだ?

 反撃したのは自分じゃない。そもそも炎熱系の魔法はあまり使わない。

 ――まさかアズサがやったのか? 魔力反応はないのにどうやって?

 自分をかばったアズサを探す。
 彼女は瓦礫に埋もれるようにして倒れていた。

「アズサ……アズサ大丈夫か!?」

 幸い息はあるが、意識が混濁しているようだった。
 瓦礫を押しのけて安全を確保して、クロノは止まった。

「何だ……これは?」

 うつぶせに倒れているアズサの背中には二対四枚のナイフのように鋭く紅い羽が明滅していた。

「エネルギーフィン? いや、違う」

 リンディがディストーションシールドを使う時に現れるものに似ているが根本的なところで違うと感じる。
 ガラッ。
 その疑問を解決する間もなく、背後の音に振り返る。
 そこには未だに健在な「G」がいた。
 爆発の衝撃でこちらを見失ったのか長い首を彷徨わせている。

『――ノ君、何があったの!?』

 クロノは無造作に通信機のスイッチを切る。
 不意を打つべきか、アズサを連れて逃げるべきか。
 水の刃の維持は解けていない。これを使えば戦うことはできるがアズサをそのままにしておくことはできない。

「くそっ」

 せっかくのこれまでの雪辱を晴らせる機会なのに、またソラに任せる結論に至って思わず毒づく。
 そして、そうと決めたら早々にこの場から退避する。
 デュランダルを右手に、アズサに左腕で肩を貸すように持ち上げようとしてクロノは止まった。

「お……重い」

 本人に聞かれたら失礼極まりないことだが、小柄な見た目に反してアズサはクロノが持ち上げられないほどに重かった。

「いくら何でもこの重さはないだろ!」

 思った通りに事が進まない苛立ちについ声が荒くなる。
 その声か、気配かを察知して「G」がこちらを向いた。

「くそっ……」

 自分の迂闊さに腹を立て、結局戦うしかないと判断して立ち上がる。
 「G」にはもう先程クロノがつけた傷はない。

 ――やはり、一撃で倒さないとダメか。

 デュランダルを構え、戦略を考える。
 背後には動けないアズサ。今の彼女には最低限の防衛行動も期待できない。
 攻撃を背後に通してはならない状況。
 厳しすぎる状況だがせめて彼女だけでも守らなければ。
 そう奮起してデュランダルを構えた、その瞬間、長い首がボトリと無造作に落ちた。

「……何が――」

「随分派手にやったね」

 呆然としたところにかけられた言葉。
 「G」の体の陰から出てきたのはソラだった。
 そういえば、爆発で光の障壁が消えていたことに遅まきながら気付いた。
 ソラは「G」が死んでいるのを確認して近付いてくる。

「……今回は正直助かった。礼を言うよ」

 脱力して座り込みたくなるが、これ以上彼の前で弱味を見せたくないと意地でこらえる。

「それはいいけど、そっちの子は――」

 ソラがアズサを見て軽薄なしまらない顔が驚愕に引きつった。

「ああ、この子は――」

 なんと説明していいのか迷うとソラが先に呟く。

「……リアーフィン」

「フィン?」

 彼の視線は今にも消えそうな紅い羽に注がれている。

「まさか……HGS能力者?」

 聞きなれない言葉はもう慣れを感じていた。
 秘密が多いソラ。そんなソラが彼女の力を知っていても、もはや疑問を感じない。
 それでも、またかとクロノは盛大に溜息を吐いた。




あとがき
 おそくなりました、第五話掲載しました。
 都合、三度の書き直しでようやく納得できたものができました。
 そして、ようやくクロスのヒロインが登場したので作品名を出します。
 アズサ、未知の生命体「G」、アキ・カノウは「G ~Destine for Fire~」という都築真紀の三回で打ち切りになった作品のものです。
 三回しか掲載されていないので資料がないのですが、とらハやリリカルを混ぜてアレンジしたものにしました。
 ベースの人物を持ってきただけでほぼオリジナルと思ってくれた方がいいです。

 補足説明
 クライドが言っていた白い空間はドラゴンボールという作品にある「精神と時の部屋」をイメージしたものです。




[17103] 第六話 敵対
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/04/10 16:25
 アズサ・イチジョウ
 家族構成なし。
 両親を亡くし、私設孤児院に入る。
 施設の人間曰く、「何度叱っても火遊びをする子」と煙たがられていた。
 少し大きな火事をきっかけに精神科の病院に入れられるも、そこでも何度も火事を出し、隔離された。
 その後、管理局能力開発研究部所属のイチジョウ博士の下に養子として引き取られる。
 しかし、研究所はイチジョウ博士を始めとした数名の行方不明者。負傷者は職員のほとんど全員におよぶ大規模な火災によって研究所は全焼。
 そして現在、人との関わりを最小限にして人口過疎地域に一人暮らしをしている。


「以上が、こちらで調べた彼女の経歴だね」

 食堂の一角でファイルをエイミィは閉じて一緒のテーブルにいるソラをクロノを見た。
 クロノはその報告に一層眉をしかめ、ソラは上の空だった。
 そして、それを示すように彼の昼食のパスタには備え付けの調味料が盛大にぶちまけてなお、空になった容器を振り続ける。
 それを見ないようにしてクロノは話しかける。

「ソラ、君の秘密主義をとやかく言うつもりはないがこの件に関しては別だ。知っていることいや、気がついたことがあるなら話してくれないか?」

 初めての遭遇から数週間、過去の記録から比較しても「G」の発生頻度は多くなる一方。
 そして前回に現れた羽を持つ新種。
 対抗策も確立しつつあるといっても情報不足なのは相変わらず。

「あのさ、クロノ。君は僕が何でも知っていると勘違いしてない?」

「だが、何かに気付いたのは事実だろ?」

 それには答えない。

「……あの子は、どうしてるの?」

「アズサは今、精密検査を受けている」

 そこ応えにソラは顔をしかめる。

「アズサが攻撃を防いだ。そしておそらく砲台を燃やした。これに間違いない?」

「ああ、あの時に他の要因は考えられない」

「それで魔力反応はなかった」

「その通りだ」

 ソラは溜息を吐いて告げた。

「予想通り、たぶん同じ能力だね」

「HGSという力のことか?」

「正式名称、高機能性遺伝子障害つまりは病気の一種なんだけど、その副産物として特殊能力を持つことになる」

 言いながらソラは首から銀のペンダントを外し、テーブルの上に置く。

「黎明の書」

 言葉に反応してペンダントは一冊の飾り気のない厚い書物に姿を変える。

「ねえさんが書いたレポートなんだけど」

 書を開くと浮かぶ空間モニターを操作して、ソラはテキストデータを見せる。

「え……うそ」

「第97管理外世界……」

 その中にある見知ったものを見てエイミィとクロノは唸った。

「知ってるの?」

「ああ……」

「なら話は早いね。その世界には魔法は当然ないけど、それだけにこういった特殊な人間が生まれるんだ」

 これは人の進化の分岐点ともいえる。

「元々、次元世界はそれぞれが過去と未来の姿っていう説もあるし、このHGS患者もフェザリアンっていう今では絶滅したらしい種族でミッドにもいたみたいだよ」

「あ……もしかしておとぎ話の天使?」

「たぶんね」

 ミッドの魔法は技術を突き詰めた奇跡だが、だからといって本物の奇跡が証明されたわけではない。

「アズサの場合はたぶんミッドのフェザリアンの末裔で、その能力が発現したんだと思う」

「そうなると「G」とは関係はないのか?」

「能力が同じことくらいしか僕には言えないよ」

 そう言ってソラは調味料の山になった料理を食べ始める。
 むせもせず平然と食べるソラを見ないようにしてクロノは情報を整理する。
 「G」と同じ力を持つ少女アズサ・イチジョウ。
 彼女の経歴から考えれば能力は先天的なものになる。もしもそれが魔法の力なら、制御訓練を積ませて事なきはなかったはず。
 アズサの能力は「G」に酷使している。それなら――

「もしかして彼女の体組織も「G」と同じなのか?」

 あの時は単純に重いと思ったが、そう考えれば辻褄が合う。

「HGSの体組織までは調べてないな。元々ねえさんの研究テーマから離れていたことだし、片手間に作ったものみたいだから」

「そうか」

 流石に全てが分かるとは思っていなかったが、だいぶ疑問はなくなった。

「それにしてもソラ君ってお姉さんがいたんだ」

「義理だけどね。僕を拾ってくれて育ててくれた人でね。あの人にはたくさんのものをもらった」

 語るソラの顔には陰りがあった。
 それに気付いてエイミィはクロノを見るが、彼は首を横に振った。
 ――追及はしない方がいい。彼の経歴については地雷が多すぎる。
 無言の言葉にエイミィは頷いた。





「これはこれは第三部隊のお二方ではありませんか」

 食事を終えた所で、不意に仰々しく嫌味を含ませた言葉をかけられた。
 振り返るとそこには二十代の青年が後ろに取り巻きを引きつれて見下した目を向けていた。

「…………誰?」

 ソラの第一声に声をかけた男は顔を引きつらせた。

「第一部隊の隊長、ルークス・アトラセア一等陸尉。近代ベルカ式のAAAランクの魔導師だ」

 知らないソラにクロノが紹介をする。

「おやおや、海のエリート様に名前を覚えてもらえていたとは光栄ですね」

「それで、一等陸尉様が何のようですか?」

 言い返すクロノ。二人の間に見えない火花が散る。

「海は何を考えているのやら、英雄が返ってきたかは知らんがパーティーなど開いている余裕があるというのに寄越したのは子供一人とは」

「あの生物を前に数で攻めればなんとかなると考えているなんて、陸の魔導師は随分と浅はかだな」

 クロノの発言に取り巻きの方が反応するが、ルークスはそれを制してソラを見る。

「たった二人で運用してきた部隊がたまたま一番撃破率が高いからって図に乗るなよ」

「くっ……」

 図に乗っていることはないがクロノは言葉に詰まった。

「ああ、そういえばクロノ執務官は何もしていなかったんですよね」

 痛いところをついてくる。
 先日の戦闘はいいところまで行ったが結局ソラに任せてしまった。アズサがいたからと言っても彼女に助けられているのだから言い訳にならない。

「AAA+の魔導師も大したことはありませんね」

 ははは、と笑い周りの取り巻きも失笑する。
 憤慨しても結果は出せていないのだから何も言い返せない。
 腸が煮える思いをどうにか治めようとしたところで、ソラが口を挟んだ。

「それってAAAランクの貴方も大したことないってこと?」

 ピシッ! 空気が凍って、笑い声も止まる。

「貴様は確か民間協力者か……はっ、礼儀を知らないようだな」

「こんな所で高笑いした人に礼儀を説かれても」

「くっ……魔導師でもない分際で」

「魔法が使えなくても結果は出しているんだからいいんじゃないの?」

「ど……どうせインチキをしたに決まっている!」

「そのインチキに劣っている無能さを棚に上げて何様のつもり?」

 ルークスの顔はみるみる赤く染まっていく。

「おい、ソラ。お前は何をしてるんだ?」

「いや、突っ込まずにはいられない体質で」

「そんな体質があるか!?」

「いやークロノも結構人のこと言えないと思うけど」

「ん、んっ」

 二人のやり取りに冷静さを取り戻してルークスは咳払いをする。

「ふん、まるで子供だな」

 見下した目を向けて続ける。

「精々今のうちにいい気になっているんだな」

「いい気になっているのはおじさんの方だと思うけど」

「おじっ!? すでに対「G」用の魔法は開発されているんだ!」

「ああ、クロノが試した奴ね」

「わ、私たちは先日四体目の「G」撃破したんだ」

「都市外で周りの被害気にしないで、でしょ? こっちは都市内であまり壊すなって注文付けられているのに。それに僕はこないだ五体目を倒したけど」

「くぬ……」

 的確な言い返しにルークスは言葉を失う。
 ソラをやっかむ気持ちは分かるが、ルークスの言葉は的外れだとクロノは思う。
 「G」のフィールドを突破し、斬断できる攻撃力に注目されがちだがソラの強さはそんなところではないと思う。
 自分たち魔導師は保身に気をつけて、バリアジャケットへの魔力を水増ししておけば「G」の打撃も能力も十二分に受け止められる。
 しかし、ソラにそれはない。
 丈夫なコートを身にまとっているかもしれないが剥き出しの部分に命中でもすればそれだけで致命傷になる。
 それでもソラは臆することなく「G」に斬りかかる。
 そこでの彼の表情はいつだって真剣でだった。
 その姿を一番見てきたクロノはある種の尊敬を感じてさえいる。

「そ、それに生きた「G」のサンプルだって確保されたんだ」

「……なんだって?」

 苦し紛れの言葉にソラは顔色を変えた。
 それを見てルークスは気をよくして続ける。それが――

「あの女を調べれば「G」についても分かるはずだ。そうすればお前のような異端者なんてすぐに――」

「その女の子のことちょっと詳しく教えてくれるかな?」

 言い終わった時にはすでにソラはルークスの喉を握りしめていた。
 締め付けられる圧迫感と正面から向けられた鋭い目に、それがソラにとっての地雷だったことにルークスは手遅れになったところでようやく気がついた。






 夕暮れに染まる町並みが少し好きだった。
 悲しみも痛みも全て包んでくれるようで。
 燃えるような朱は生まれついてのわたしの色でもあったから――


「あ……」

 目が覚めるとそこは見知らぬ天井があった。

「ここは……」

 見覚えがないのは天井だけじゃなく、壁も同じだった。
 白い壁と白い天井。窓は一つもなく広い空間に自分が横たわるベッドが一つだけ。
 プシュ、空気の抜けるような音を立てて壁の一角が開く。

「ここは管理局特殊部隊の施設だよ」

 入ってきたのは管理局のスーツをピンと着込んだ女性だった。

「初めまして、私は管理局特殊陸上警備隊部隊長アキ・カノウ二佐だ。よろしくアズサ・イチジョウ君」

「あ、はい。初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします」

 背筋を伸ばしてアズサは勢いよく頭を下ろす。

「そんなにかしこまる必要はないよ。それよりも聞きたいことがあるんだがいいかな?」

「は、はい」

 そう言われてもアズサは緊張した返事をする。

「実はすでに君がここに収容されてから二日になる」

「え、そんなに……」

「君はあの時何があったか覚えているかな?」

「あの時……」

 思わず身体が震えた。
 思い出すのは見たこともない異形の化け物。
 制御できない自分の炎。
 自分の身体の焦げる匂い。
 そして、黒い背中。

「あ……あの、あの黒い人、く、クロノさんは……」

「落ち着いて、彼は無事だよ」

「……よかった」

 へなへなとアズサはその場にへたり込む。

「……続き、いいかな?」

「は、はい」

 シャンと背筋を伸ばして返事をするアズサにアキはにぎやかな子だと苦笑する。

「それでどうして君はあの場にいたんだ? あの一帯は禁止区画として閉鎖したはずだが?」

「わたしは……その……猫を探しに」

「猫?」

「あそこの廃ビルは地下に綺麗な地下水が湧いているんで、うちの水はそこで取ってるんです」

「それで?」

「そこに住みついている猫たちはいつも仲良くしてくれて、夕方にビルの前で禁止区画になるって聞いて猫たちを連れていったんですけど一匹足りなくて」

「それで探しに戻ってしまったと」

「……はい、ごめんなさい」

 頭を下げるが、怒られる気配はなかった。

「安心していい。その猫もこちらで無事に保護した」

「本当ですか!?」

 本当にせわしない子だと思いつつ、アキは本題に入った。

「君の調書を読ませてもらった」

 その言葉にアズサの顔に影が落ちる。

「魔法体系とは異なる力。その象徴ともいえる背中のエネルギーフィン。見せてもらえるかな?」

「…………はい」

 有無を言わせない強い口調にアズサは頷くことしかできなかった。

「すーはー」

 深呼吸して心を落ち着かせる。

「んっ……」

 キンッ、ガラスを弾く甲高い音を立ててアズサの背中に紅い光が生まれる。
 ナイフの様な鋭さを持つ二対四枚の羽。

「能力名は「クリムゾンエッジ」だったね? 主に熱量を操る「発火能力」と報告書には書いてあったが間違いないね?」

「……はい」

 お義父さんがつけてくれた羽の名前。
 燃えるような朱とナイフのように鋭さを持つ羽を現す名前。
 今はその色は好きではなかった。
 その色は手に入れたもの全てを奪った色だから。

「ふむ、興味深いな」

 手にした計測器をかざし、魔力反応を探るが当然機会は何も反応しない。

「熱もないし、それに――」

「あ、ダメ!」

 羽に手を伸ばすアキ。物思いにふけっていたためアズサは止めるに遅れた。
 パチン、静電気が弾ける音が響く。
 そして――

『魔法ではない。本当に別形態の能力なのか』

 アキの思考が頭に直接響く。
 精神感応能力。アズサが持つ「発火能力」が個人特有のものなら、それはHGSが共通して持っている能力だった。
 精神感応能力も細かく分ければ多岐に渡るが、アズサのその能力は接触により相手の思考を読み取るものだった。

『この力が解明できれば「G」がなんなのか分かるかもしれない』

 突然のことでもアズサはすぐに能力を止めようと集中する。

『体組織はあの「G」と同じか。能力といい、さしずめ人型の「G」(化け物)か』

「いやー!!」

 悲鳴と共にアズサの感情に反応して炎が迸る。
 咄嗟に腕を引いてアキは計測機を手放す。
 炎は計測器を包み、二人の間で燃え上がる。

「……少し、無理をさせたかな」

 悪意のある思考をおくびに出さずにアキはその場を取り繕う。
 アズサは何も答えずにただ自分の身体を抱えて震えるだけで顔も上げようとしない。

「必要なものがあったら言ってくれ。ああ、それから食事も必要か」

 まったく反応しないアズサにアキは嘆息して、何かあったら呼ぶようにと言い残して部屋から出て行った。





 一人残されたアズサは動悸を整えるのにしばらくかかった。

「ふぅ……」

 息を吐いて出したままのフィンを消す。
 先程流れたアキの思考を思い出す。
 表層のことしか読み取れなかったけど、アキが自分のことを化け物として見ていることが分かった。
 ベッドに身を投げ出す。
 思えばここは雰囲気が病院の一室に似ていた。
 窓のない、視界の全てが鉄の部屋。
 地獄のような日々だった。

「戻ってきちゃったんだ」

 いつかこの場所に戻ることになる気はしていた。
 だから、悲しいという気持ちは湧かなかった。
 ただこれからどうすればいいのか分からなかった。
 あの人が義父さんのように優しい人だとは思えない。
 「仕方ない」って諦めるのは十年も前に済ませているけど、

『―――――かい』

 不意に聞こえた、いや感じた声に身を起こす。

『……誰?』

『ああ、やっと繋がった』

 それは男の声だった。

『おっと安心してくれていいよ。私は君の味方だ』

 不信を感じたのか弁解が入る。

『これって魔導師の念話?』

『いや、違うよ。君も知っている精神感応、テレパスだよ』

『そんな……わたしの力はそんなんじゃない』

 初めての感覚に戸惑いつつも言葉を返す。

『君はその力について全てを知っているわけではないだろ?』

 そもそも、自分以外にこの能力を持っている人と会ったことがない。

『知りたくはないかい? その力のことを?』

 その言葉で思い出すのは義父さんのこと。
 鉄の檻から連れ出してくれた人。
 炎が力であることを教えてくれて、使い方を教えてくれた。
 炎を使いこなす訓練をして、うまくできると褒めてくれた。
 でも、褒められることが嬉しくて言えなかった一言。

 ――今日は調子が悪いから休ませて欲しい。

 そのたった一言が言えなくて、わたしは炎を暴走させて取り返しのつかないことをしてしまった。

 ――ごめんなさい、そう言おうとしたところで――

『私は君と同じ力を持っている』

 ドクン、その言葉にアズサの胸が高鳴った。

『現にこうして君と会話をしている』

 君がいる部屋は魔導師を隔離するためのものだから、魔導師の念話は外には通じない。
 魔導師でもないアズサにはそう説明されてもピンと来ない。
 それでもこの声の主の言っていることに嘘がないことを感じる。
 自分と同じ力を持つ者。
 それは孤独を生きてきたアズサにとって甘美な誘惑だった。
 だから――





「入るよ」

 ぞんざいな言葉で返事を待たずにソラは部隊長の部屋に入る。

「……ソラ、いくら民間協力者でも最低限の礼儀くらいは覚えてほしいんだが」

 デスクで空間モニターを開き、書類を捌いていたアキは嘆息して顔を上げる。

「そんなことどうだっていい。それよりもあの子のことだよ」

「耳が早いな」

 アキは苦笑して空間モニターを開く。

「聞いているとは思うが彼女の体組織は「G」と同様の珪素を含むものだ」

 アキの口調はわずかに弾んでいて、ようやく見つけた「G」を解明する手掛かりに高揚しているのが分かる。

「対「G」用の魔法の検証も済んだ。これでようやく君に無理をさせなくて――」

「そんなことを聞いているんじゃない」

 ドンッ、力任せにデスクをソラが叩く。
 ノイズが走った空間モニターに顔をしかめつつアキは首を傾げる。

「何を怒っている?」

「……あの子をどうするつもり?」

「しかるべき研究機関に送り、能力の解析及びその身体構造について調べるつもりだ」

「まるで実験動物だな」

「否定はしないよ」

 まなじりを上げるソラにこんな顔もできるのかとアキは感心する。
 いつもへらへらとして掴みどころがない顔が今は感情をそのまま表している。

「あんたは――」

「ソラ!」

 声を上げようとしたところで慌ただしくクロノが入ってきた。

「すいませんカノウ二佐。ソラ、君は気持ちは分かるが落ち着け」

「そう言うからには君もソラと同じことを言いにきたのかな?」

「……その通りです」

 クロノは頷いてアキに向き直る。

「アズサ・イチジョウを実験体にするという話は本当ですか?」

「本当だ」

「何故ですか!? 彼女はちゃんとした市民権を持っている。それなのに彼女の人権を無視するなんて」

「クロノ執務官、君はいつからそんな甘いことを言うようになった?」

「どういう意味ですか?」

「話に聞いていた君はもっと現実主義の人間だと聞いていた、ということだ」

 心当たりはあった。
 一年前までの自分は何事においても効率と結果を考えて合理的に行動していた。
 変わったのはなのはたちと出会ってから、彼女たちの理想を貫く姿勢にクロノは少なからず感化されていた。

「「G」の生体を解明することは急務だ。それに多少の犠牲が出てしまうのは仕方のないことだ」

「……本気で言ってるの?」

 押し黙ってしまったクロノを押しのけてソラが尋ねる。

「君には分からないだろうが、組織とは一を切り捨てて多を守るものだ」

「だから、何をしてもいいとでも?」

「そこまでは言わないさ。私たちも守るべきルールというものがある」

「だったら、何であの子を守らない!? あの子だってあんたが守るって言ったミッドの住人だろ」

「違う。あれは人の形をした「G」だ」

「違う! あの子は人間だ!」

 激昂して訴えるソラにアキは溜息を吐く。

「君の気持ちも分からないわけではないが、これを見ろ」

 映し出されるのはアズサのプロフィール。

「体細胞は人間に酷使しているが「G」と同じ珪素を含む特殊細胞。体重は同年代の四倍、平均体温42.1℃、異常なまでの自己治癒能力。そしてあの能力、これでも君はあれを人間だというのか?」

「あの子は人間だ」

「はあ……頑固だな君は。なら、あれの能力が街中で使われたら君はその責任を取れるのか?」

「それは……でも、能力の危険性なんて魔導師も同じだろ」

「魔導師だって一面を考えれば化け物と同じだよ」

「カノウ二佐!?」

 問題発現にクロノが戸惑う。

「事実だよクロノ執務官、実際に君たちを異端として排斥しようとする宗教組織だって存在しているのは知っているだろ?」

「それは……そうですが」

「まあ、あの子自身が危険とは私も思っていないが」

「なら――」

「優先事項の問題だ。彼女の人権よりも「G」への対策が優先された。これは上層部の決定でもある」

「あんなたはそれで納得したのかよ」

「したさ、それで市民の安全が守れるのならな」

 熱くなるソラに対して、アキは冷徹な眼差しで向き合う。

「以前にも言ったが、私はやつらを倒すためなら何でもすると言ったはずだ」

 だから、自称犯罪者であるソラも引き込んだ。

「恨みたければ恨めばいい」

 断固として譲らないと主張するアキにソラは思わず気後れする。

「――ああ、そうかよっ!」

 それでも負けじとソラはそれをデスクに叩きつけた。

「……なんのつもりだ?」

 それはソラに発行されたIDカードだった。

「もうあんたたちに協力なんてできない」

「それで、あれを連れ出すつもりか?」

 背を向けたソラにアキは忠告する。

「やめておけ、管理局はあれを追い続ける。どんなことをしてもあれにはもう平穏はない。それに君が巻き込まれるは必要ない」

「あんたの……あんたたちの主張は間違ってないんだろうね」

 ――でも、

「虐げられるあの子が納得するわけない」

「……君は何故そこまで庇おうとする? 言葉を交わしたこともないはずなのに」

 今になってそのおかしさに気が付く。
 これがクロノなら納得はしやすい。
 クロノは唯一言葉を交わし、さらには助けられた。
 ソラがしたことはせいぜいクロノと一緒に彼女を運んだ程度だった。
 倫理的なものでここまで感情をむき出しにして反発しているだけとは思えない。

「前に言ったよね。「G」と同じ能力を持っている友達がいるって」

「まさか、その友人が――」

「彼女じゃないよ。でも、だからってあの子を見捨てたら、僕はあの人に顔向けできない」

 そういうことかとアキは納得した。
 結局、ソラはアズサを助けたいわけではないのだ。そう思った、次の言葉を聞くまでは。

「それに僕と同じ目に会う人を見過ごすこともできないんだよ」

「それはどういう――」

 聞き返そうとした所で突然、警報が鳴り響く。

「「G」か。場所は何処だ?」

 すぐさま通信を繋げ、確認を取る。

『し、司令。それが……』

 戸惑うオペレーターに嫌な予感を感じる。

『数は五体――』

 その数に絶句する。今までそんなまとめて現れたことはなかった。しかし、続く言葉はさらに驚くべきものだった。

『場所は、ここです』

「なっ……」

 驚きのあまり言葉を失うがすぐに思考を切り替える。

「ソラ、聞いて――」

 顔を上げてもそこに彼の姿はもうなかった。
 デスクに残ったIDカードを見やり、最悪のタイミングだと毒づく。

「クロノ執務官、すぐに――」

 どちらに対処させるべきか、迷う。

「現れた「G」の対処……任せてもいいな?」

 ソラという強力な前衛がいたツケをいきなり払うことになった。
 「G」に対抗できる質量魔法はまだ実験段階のもの。それだって予想を上回る早さで試験運用できたのはソラが切り札として備えていられたから。
 クロノは二人の言い合いの内容に頭を悩ませていたせいでソラの動きを見逃していた。
 それに内心で反省して応える。

「……分かりました。ですがソラは?」

「ソラの目的はアズサ・イチジョウだ。彼女には発信機がついているここで奪われても――」

 言葉の途中で突然照明が消えた。それだけではなくデスクの空間モニターも。そして、鳴り響いていた警報も。

「何が起こった?」

 パネルを操作しても反応はない。

「こっちもダメだ」

 ドアの前に立っても開かない扉を前にクロノは拳をぶつける。

「システムダウン、まさかここまで周到に準備していたのか!?」

 驚愕の声は不気味なほどに静まり返った室内にむなしく響いた。







[17103] 第七話 迷走
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/04/23 21:11
 突然、照明が消える。
 それにビクリと身体を震わせるが何も起こらなかった。

『さあ、これで外に出られるよ』

 頭の中に響く声に従ってアズサはアキが出て行った扉の前に立ち、壁にしか見えないそこに手を触れる。

『君の炎ならその程度の扉なんて簡単に焼き尽くせるだろ?』

 意識を集中すると自然にフィンがアズサの背中に現れる。
 暗闇の中、朱の炎が生み出されそれは瞬く間に大きくなる。
 そして、声の主が言うとおり、壁は炎に焼かれ、溶け落ちる。
 その先には非常灯が照らす薄暗い通路が続いている。

『簡単だろ? あとは抜け出すだけだ』

 ごくりと唾を飲む。
 もう後戻りはできない。
 だけど留まって未来はない。
 意を決してアズサは闇の中に踏み出した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はああああ!」

 水の刃、ガングニルを纏わせてクロノは目の前の大型の狼に向かって突進する。
 狭い通路、それに狼がその前足で押しつけている一般局員。
 それらはクロノから戦術の幅を奪う。
 まともな不意打ちができない状況でクロノは声を上げて注意を引き、間合いを詰める。
 横薙ぎの一閃。
 しかし、狼は俊敏な動きで飛び退く。

「大丈夫か?」

 視線を相手に向けたまま、足もとの局員の安否を気遣う。

「立てるならすぐにここから離れろ」

「は、はい」

 答えたのは押さえつけられていた一人だけ。周りに倒れている人たちからの反応はない。
 暗くて判別できないが、むせ返る血の臭いに理由が分かってしまう。
 最悪な状況はクロノの頭を悩ませる。
 施設のシステムが完全に落ちたため、通常通信が使えないことが一般局員の避難を滞らせる。
 魔導師同士なら念話でやり取りも可能だが、情報のやり取りには限界がある。
 そして、一番の問題は施設に入り込んだ「G」の居場所を特定できないことだ。

「それにしてもタイミングが良過ぎる」

 ソラが決別した瞬間に、システムはダウンした。
 そのためアズサ・イチジョウの監視も消えた。いち早くその場に駆け付けた魔導師たちによれば扉は焼き切られて部屋はもぬけの殻だった。
 そして、自分たちは司令室に閉じ込められ、クロノがこじ開けるまでの間でソラを完全に見失うことになった。

「まさかとは思うが」

 この「G」の襲撃がソラによるものだと思わず考えてしまう。
 だとしたらいつからソラと「G」は関係していたのだろうか。
 もしかしたら、始めからでこれまでの行動は管理局に取り入るためのものだったのだろうか。
 だとしたら許せるものではない。

「ぐるるるるる」

 唸り声に思考を切り替えて目の前の相手に集中させる。
 狼の姿にアルフやザフィーラのことを思い出すが、その背に輝く緑のフィンに自然と警戒心が高まる。
 フィンがあるのは新種。
 体の強度が多少落ちている、その分能力が強いと新たに判明している。
 フィンの形状から能力が分かるらしいが、クロノの知識はまだ不十分であり、情報の元であるソラのことを考えると信憑性を疑ってしまう。
 狼型の「G」が咆えた瞬間、クロノは衝撃を受けてたたらを踏んだ。

「衝撃波の類か……」

 バリアジャケットの出力を高めに設定してあるからダメージはほとんどない。
 そしてその一撃でクロノは目の前の「G」の能力を空気の操作と当たりをつける。
 それでも未知の力を持つ敵にクロノは攻め方を迷う。
 これが魔法ならば迷わずに戦略を立てられる。
 魔法なら感じる魔力の大きさや構築された術式の規模を見るだけの相手の力量がある程度分かる。
 しかし、目の前の未知の敵には培った経験がまるで役に立たない。
 能力はどれほどの威力まで出すことができるのか。水の刃はこのタイプには通用するのか。
 完全な未知の敵と相対することがこれほどまでに擦り減らすことにクロノは焦りを感じる。
 もしかしたら、ソラもこんな重圧の中で戦っていたのだろうか。
 不意に過ぎった考えを頭を振って振り払う。
 それを隙と見て「G」が突進してきた。
 反射的に水弾を放つ。
 だが、狭い通路に強風が吹き、水弾は逸れて天井を破壊するだけに終わる。

「くそっ」

 前面に水を集め、受け止める。
 集中しようとしても雑念が紛れる。
 もしかしたら、今までの戦いも全部仕組まれていたのではないか。
 もしそうなら辻妻が合う。
 高ランクの魔導師が苦戦する相手にたやすく非魔導師のソラが勝てるのはやはりおかしい。
 だが、ソラが「G」を使役しているなら彼が倒せるのに納得できる。
 そう思考が帰結すると怒りが湧いてくる。

「お前は……邪魔だ!」

 水の壁を弾かせて、「G」を吹き飛ばす。
 弾けた水をかき集めると同時に広がった距離を一気に駆ける。
 力任せにデュランダルを振り抜き、水の刃が「G」を捉えた。
 前足の一本を切り飛ばし、返す刃を振ろうとして――

『ラウンド・シールド』

 視界の隅で動いた尻尾を咄嗟に展開した盾で受け止める。

「ぐっ……」

 その衝撃にシールドごとクロノは壁に叩きつけられた。
 そしてクロノが立ち上がるよりも早く「G」が圧し掛かってくる。
 ガキッ、噛みつこうとした口をデュランダルを噛ませて防ぎ、身体能力の強化に魔力を集中させ、押しこんでくる力と体重に拮抗させる。
 マウントを取られたことにクロノは焦るが、圧し掛かる牙を押しこんでくるが前足を一本失っていることから長くはバランスを保てなかった。
 それを見逃さずに、杖を傾け、「G」を上から横に引き倒す。
 そのまま、逆にクロノが上を取り、馬乗りになって水の刃を「G」の首に突き刺した。

「ぎあいいいいいいいいい」

 耳障りな悲鳴。吹き出る紅い体液。
 馬乗りになるクロノを引き剥がそうと暴れる「G」にクロノは振りほどかれないようにデュランダルを堅く握り、さらに深く水の刃を押しこむ。
 やがて抵抗は小さくなっていき、「G」は動かなくなった。

「…………ふぅ」

 召喚した水を送還してクロノは息を吐く。
 なんとか倒した。
 敵を倒したことにここまで安堵したのは久しぶりだと、場違いなことを考えてしまう。
 
『こちらクロノ・ハラオウン。「G」一体を撃破』

 念話で告げるとすぐに返事が返ってくる。

『こちら第一部隊。二体目の「G」と交戦中』

『こちら第二部隊。非戦闘員の避難まもなく完了します』

『アズサとソラは見つかった?』

『いえ、両名ともまだ見つかっていません』
 
 ソラはともかく何故アズサが逃げ出したのか分からない。
 部屋の様子では内側から破られていたらしい。
 直接お前をモルモットにするとは誰も言うはずがない。
 聞いた話では外部から完全に隔離した部屋に閉じ込めていた。
 そうなるといったい何がアズサを逃亡に駆り立てたのか。

「まさか、ソラの能力か?」

 今さら完全隔離してある部屋と交信できたとしても驚くつもりはない。

「残りの「G」の場所は?」

『不明です』

「なら広域スキャンをかける」

 S2Uを取り出し、魔法を発動する。
 建物全域を生命反応に限定して調べる。
 一階出口に人が集まっている。これは一般局員だろう。
 三階で密集しているのはおそらく第一部隊だろう。
 その他に階段に集まっている人たち。
 災害マニュアルに乗っ取って行動を取っている。とくに混乱は起こっていないのは幸いだった。

「地下に向かっているのが一人」

 おそらくそれがアズサなのだろう。「G」の反応がないことに歯がみしながら、探し続けてあり得ないことに気付く。

「ソラの反応がない?」

 思わずため息を吐きたくなる。
 今さら彼のデタラメさをとやかく言わないが、やはり「G」と何らかの関わりを持っているのではと思ってしまう。

「アズサ・イチジョウを発見。地下に向かっている」

 念話で場所を告げて、クロノも動き出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はあ……はあ……はあ……」

 息を切らせて人のいない廊下を走る。
 こんなに走ったのは久しぶりだった。
 何のために走っているのだろうか。
 こんなことをしても何にもならないのは分かっている。
 逃げ出しても管理局は必ず追ってくるだろう。
 声だけの人を信じて、たくさんの人に迷惑をかけて何がしたいのだろうか。
 自問自答に答えはでない。

『ストップ』

 突然の制止に転びそうになる。

「な、なに?」

『魔導師だ。どうやら気が付かれたようだね。それにこれは……何だ?』

「あ、あの……」

「いたぞ! サンプル01だっ!」

「サンプル……01?」

 呼ばれた言葉に愕然とする。
 廊下の先で杖を持って叫ぶ一団に恐怖を感じる。

『すまないが接続が維持できない』

「え……?」

『なに安心していい。それが君を守る』

「ちょ……ちょっと!?」

 引き留めようにも声の気配は頭の中から消えてしまう。

「そんな……」

 投げ出された状況にアズサは呆然とする。

「抵抗はやめ、大人しく投降しろ!」

 突き付けられた杖に思わず後退ったところで魔導師たちの横の壁が弾けた。

「きゃああ!」

 頭を抱えて伏せる。

「ぐおおおおおっ」

 壁を突き破って現れたのは異形の化け物。
 現れた「G」は巨人だった。

「うわあああああ」

 上がる悲鳴。
 巨人はその大きな腕を振り下ろす。

「ひっ……」

 弾けた赤に息を飲む。
 乱雑に撃ち込まれる魔法を意に介さず巨人はゆっくりと腕を引き戻す。
 庇うように立つ巨人の背中には自分と同じフィンがあることに目を見張る。

「あ、ダメ!」

 振り上げられた腕にアズサは制止の声を上げていた。
 炎が走り、その腕を包み込む。
 耳障りな苦悶の悲鳴を上げるが、それよりも振り返った向けられた敵意の意思にアズサは身をすくませる。
 反射的にもう一度、今度は意図的に力を使う。
 だが、炎は巨人の眼前を焼くだけだった。
 炎が通用しない無力さにアズサの身体から力が抜ける。

 ――ああ、私はここで死ぬんだ。

 恐怖はそれほどなかった。
 これまで人に迷惑をかけて、傷付けてばかりだった。
 今でもそうだ。
 自分が逃げ出そうとあの声に従わなければこんなことにならなかったはずだ。

 ――いつだって私はどこまでも愚かで、

 振り上げられた腕に抵抗する気力など湧いてこなかった。

 ――変わらない……変わっていけない自分が嫌い。

 だから、もういいのだ。
 諦めるのは慣れているのだから、自分が死んでも誰も悲しむ人がいないのだから。

 ――ああ、猫たちにお別れ言えなかったな。

 場違いな思考にアズサは苦笑してしまう。
 せめて笑えたことにかすかな喜びを感じて、振り上げた大きな腕を見上げて、腕を見失った。

「え……?」

「アズサ・イチジョウだね? 無事?」

 黒いコートの背中にクロノの姿を思い出すが、その声は頭に響いていたものとよく似ていた。
 でも、何か違った。

「少し待ってて、すぐに片づける」

 その人は黒いコートを投げ渡して被せてくれた。
 視界が塞がれた一瞬で重い音が響く。

「あ……あの……」

 見た目よりも重いコートから顔を出すと、巨人が倒れていた。

「へ…………?」

 先程まで魔導師に対して圧倒的な力を誇っていた生き物は無様に床に転がされている。
 その光景に向こう側の魔導師たちもポカンと呆けている。
 咆哮を上げて勢いよく立ちあがり、焼かれてもまだ大木と思える腕を巨人は振り回す。
 それをその人は受け止めたかと思うと、巨人の身体が宙を舞っていた。

「はっ!」

 気合いの乗った声。
 そして雷が落ちたかのような轟音が響いた。
 それも一つではなく何度も。
 薄暗い中で魔力刃の残光が幾重にも重なってまるで闇の中に花が咲いたようだった。
 場違いでも幻想的な光景に見惚れていると、不意に斬撃が止まる。
 そしてズンッと重い振動が廊下を震わせた。
 巨人はそれ以上動く気配はなかった。
 先程まで続いていた轟音が嘘のように静まり返って、歓声が上がる。

「き、君が例の第三部隊の切り札か。すごいじゃないか!?」

 興奮した魔導師の言葉にこの人も自分を実験動物として扱う人たちの仲間なんだと気付く。
 無理だ。こんな人からは逃げられるはずがない。
 先程感じた、安堵感が一瞬で凍りつく。
 しかし――

「寝てろ」

「は……?」

 間の抜けた言葉を最後に彼に近付いた魔導師は倒れた。
 そして、それを見ていたはずの残っていた魔導師たちも次々に倒れていく。
 何が起きているのか分からないアズサに彼は手を差し伸べる。

「僕の名前はソラ。君の味方だ」

 アズサはただ呆然と彼の顔を見上げた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「これは……」

 目の前の光景にクロノは顔をしかめた。
 人の死体が一つに、無造作に無傷で倒れている魔導師たち。
 そして廊下に無造作に倒れている巨人。

「ソラの仕業だろうな」

 気を失っている魔導師たちの容体を簡単に確認して、生体反応のない「G」に近付く。
 外傷は腕の重い火傷と、他方の腕の喪失。そして腹部における無数の打撃痕。
 それは間違いなくソラが着けた痕だろう。
 ソラの「G」に対しての攻撃は大きく分けて二つ。剣による斬撃か打撃による内部破壊のどちらか。
 詳しくは見ただけでは分からないが、この「G」の中身はミンチにされているのだろう。

「もう接触したのか」

 魔法によるサーチもアズサの部屋も知らずによく見つけられたものだと感心してしまうが、やはり先程の憶測に現実味を感じてしまう。
 ならば目的は何だったのだろうか。
 浮かぶ疑問を払って今やるべきことを考える。
 一度アズサを捕捉しているから彼女の位置を特定することは簡単だ。そして、おそらくソラもそこにいるだろう。

『クロノ君、聞こえる?』

「エイミィか、通信が回復したのか?」

『うん、それともうすぐシステムも復旧するから』

「そうか……「G」の死体を一体確認した。おそらくはソラがやった」

『おそらくって、一緒じゃないの?』

 返す言葉に迷った。司令室でのやり取りは当然のことながらエイミィは知らない。
 それに二人の主張のどちらが正しいのかクロノには分からなかった。
 状況ははやての時によく似ている。
 アズサには放火という前科があるがそれは能力の暴走によるもの。
 彼女の人権を無視した行為は違法であり、管理局は彼女の人権を侵害する権限はない。
 ないのだが、「G」の脅威は日に日に大きくなる一方。
 対処用の魔法ができたとはいえ未だに「G」の生体については謎が多い。
 そのために人の形をしている「G」であるアズサ・イチジョウを調べるたいのは分かる。
 しかし、彼女を人間ではないと言えるほどにクロノは割り切りはよくなく、かといって上層部の決定に異を唱えるほどに強い意志を持っていなかった。

「情けないな」

 優柔不断、ただ流されているだけの自分にクロノはうつになる。

「ソラが協力を打ち切ってアズサを逃がすために動いている」

「それって、どういうこと?」

「僕は何をやっているんだろね。グレアム提督にあんな偉そうなこと言っておいて」

 聞き返す言葉に応えずにクロノは独り言をもらす。
 結局、アズサを捕まえるために動いている自分は闇の書事件の時の恩師とやっていることが変わらないのではないか。
 アズサの尊厳を無視して、「G」の研究を早めることができるはず。
 逆にアズサを逃がしたら研究は遅れ、その間にも「G」による被害は増える。
 その間に犠牲になるのは一人か、それとも十人か、はたまたもっと多くの人たちか。
 それを考えればアキや上層部の決断は正しいのだろう。

『クロノ君、大丈夫?』

「……………問題ない。すぐに……ソラを追う」

 アズサを追うとは言えなかった。
 それを誤魔化すようにソラを追うと言ったクロノの心境は本人を含めて誰にも分からなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あ……あの」

 前を歩くソラに声をかけるのにアズサはかなりの時間を必要とした。
 しかし、声をかけて何を聞くべきか迷った。
 あなたは管理局の人間ではないのか?
 どうして助けてくれるのか?
 頭の中で聞こえた声によく似ているが本人なのか?
 もしそうなら自分と同じだというのは本当なのだろうか?
 疑問は尽きない。

「なに?」

 足を止めて振り返るソラ。

「…………わたしが……怖くないの?」

 絞り出した声は小さかった。

「何で?」

「何でって、それはわたしがあの……化け物と――」

「君は化け物じゃないよ」

 言い終わる前にソラは遮った。
 真摯な眼差しのソラにアズサは気後れする。
 とても嘘を言っているとは思えない眼差しだったが、自分を卑下することに慣れてしまったアズサはそれを素直に信じることはできなかった。
 いや、信じたくてもそれがやはり嘘で裏切られるのが怖いのだ。
 しかし、言葉にしなくても確かめる手段はある。
 触ることができれば、彼の考えていることが分かる。
 表層の思考までならフィンを出さなくても読み取れる。
 しかし、それを行うことに抵抗があった。

「でも……わたしはあの生き物と同じって」

「体組織はそうみたいだね」

 ソラは誤魔化すことなく頷いた。

「でも、それだけでしょ?」

「え……?」

「別に君が今まで暴れ回っていたわけじゃない」

「それは……そうだけど」

「だから君が不当に扱われることはないんだ」

 それはまるで自分に言い聞かせているようにアズサに聞こえた。

「それってどういう――」

 聞き返そうとしてところでソラはシッと人差し指を口に立てた。
 両手で口をつぐんでみると、静かな廊下に響く音に気付いた。

「ここで少し待っていて」

 止める間もなくソラは駆け出した。
 一人残されてアズサは壁に背中を預け、そのままズルズルと座り込んだ。
 彼に借りたままの黒いコートを握り締める。
 そうすることで少しでも彼の気持ちを読み取ろうとしてもアズサにはそんな能力はない。

「……分からないよ」

 正直、ソラが何を考えているのかさっぱりだった。
 会ったのは廃ビルの時でもアズサは気を失っていた。
 言葉を交わしたことも、目を合わせたこともなかったのに彼は助けに来たと言った。
 管理局から助けてくれるということは管理局を敵に回すということだ。
 それを見ず知らずの、それも化け物かもしれない相手のために行うなどとは正気の沙汰とは思えない。

「見つけたっ!」

 突然の声にアズサは身体を震わせた。
 薄暗い廊下の先には水色の光の玉を光源にして近付いてくる黒い影があった。

「…………クロノさん?」

 それは廃ビルで会った少年だった。
 自分が助けた姿を見て安堵するが、彼が管理局の人間だと思い出して警戒する。

「ソラは――」

 言いかけたところでソラが向かった先の廊下から争う音と魔力光の光が明滅して廊下を照らす。

「アズサ、すぐにここから離れるんだ」

 そう言ってクロノはアズサの手を掴もうとした。それを咄嗟に腕を引いていた。
 空を切った手に驚くクロノにアズサは口を開いた。

「わたしは……化け物なの?」

「な……何言っているんだ。ソラに変なことを吹き込まれたのか? それなら――」

「管理局の人はみんなそう思ってる」

 アズサがフィンを展開するとクロノはすぐさま彼女から距離を取った。
 その反応に痛みを感じながらアズサは続ける。

「わたしの力、「発火能力」だけじゃなくて他にもあるの」

「……何だって?」

「それほど強いものじゃないけど。手を使わないで物を動かしたり、触ってその人が何を考えているのか分かったり」

「まさか!?」

「アキっていう人が思ってた。それにサンプル01なんて呼ばれた!」

 いくら諦めることに慣れているからといってもそれは耐えられるものではなかった。

「管理局はわたしをどうするつもりなの?」

 溜め込めたものを吐き出してもクロノは苦い顔をするだけで何も返してくれない。
 その様子にアズサは落胆した。
 勝手なこととは分かっていても、誰か一人くらいソラの様に否定してほしかった。
 管理局に知り合いはいないから、唯一関わりがあったのは廃ビルで言葉を交わしたクロノだけがそれを期待できる相手だった。

「だからってソラを信用できるのか?」

「それは……」

 切り返された言葉に言い淀む。
 ソラを信じていいのかということはアズサにとっても疑問があった。
 頭の中に響いた含みのある声を信じたわけではない。
 ただ選択肢がなかったから流されるように行動していた。
 実際、あの声がなかったら停電が起きたからといってアズサは行動を起こしたりはしなかっただろう。

「ソラは信用できない。あの化け物だってもしかしたらソラが用意したものかもしれない」

 言葉に詰まったアズサにクロノは言葉を重ねる。

「ソラの目的を君の能力で確かめてみたのか?」

「それはしてないけど……」

「最悪、君は管理局に残る以上にひどいことをされる可能性だってあるんだ」

 クロノの言葉にアズサの中で疑念が大きくなっていく。
 もっとも、本来のクロノならこんな他人を根拠もなくおとしめる様な事は言うことはない。
 クロノもまたどうしていいか分からずに迷走し、冷静ではなかった。
 これがアズサではなければ何かを言い返していたかもしれない。
 だが、人と関わりを断つようにして生きていたアズサが執務官として働いてきたクロノに会話の主導権を取り返せるはずなかった。
 それでもせめてもの抵抗なのかアズサは思考をそのまま口にしていた。

「……あの人はわたしと同じ力を持っているって言ってた」

 それはソラのことを指したものでも、クロノの言葉に答えたものでもない。ただ思い出したことをそのまま口にしただけの言葉。
 そして、言葉にしてそれが自分を助けてくれる理由だと思った。
 しかし、そんなアズサの内情などクロノが察することなんてできるわけがない。

「何だって!? いや、やっぱりそうだったのか」

 驚愕から変わって納得する。

「それが本当なら、なおさら君を行かせるわけにはいかない」

 最後通告だと言わんばかりにクロノは杖をアズサに向けた。
 向けられた敵意にアズサは咄嗟に炎を走らせていた。

「あ……」

 まずいと思ったが、次の瞬間、浮遊感を感じていた。

「わ、わ……」

 床に受け身も取れずに身体を打ち付けて、そして気が付いたらバインドが身体を縛り付けていた。

「アズサ・イチジョウ、君を拘束――うわぁ!?」

 眼前に突き付けられた杖に抵抗の意思がくじけたかと思うと、クロノは悲鳴を上げて弾き飛ばされた。

「随分と酷いことをするんだなクロノ」

 青い光が走ったかと思うとアズサを縛るバインドが断ち切られた。

「ソラ、これはお前がやったのか!?」

 投げつけられた気絶する魔導師を押しのけてクロノが立ち上がる。

「そんなの言うまでもないでしょ?」

「君は! 自分が何をやっているのか分かっているのか!」

「アズサをここから連れ出す」

「それは管理局を、世界を敵に回すってことだぞ!? 正気か!?」

「正気だよ」

「……なら力ずくで止めさせてもらう」

 そう言ってクロノは杖を構えた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……なら力ずくで止めさせてもらう」

 そう言ってデュランダルを構えたクロノは頭の中で戦略を考える。
 ソラ。魔導師ではないが陸戦Sランク級の戦闘能力を持つ存在。
 魔法無効化という特殊技能を持つがおそらくは「G」と同タイプの力と予想できる。
 相手は人間と思わずに人型の「G」と考える。だからこそ扱うのはデュランダルだった。
 これまで一番多く彼の戦っている姿を見てきたクロノは当然彼と戦うこともシュミレートしたことがあった。
 ソラが駆け出した。
 十メートルもない距離は一瞬で詰められるが、それと同じだけクロノは背後に飛んでいた。

『スプレッド』

 三つの水弾がソラを狙う。
 一番の課題はソラを近付けないこと。
 この狭い廊下はむしろ都合がよかった。
 生半可な射撃は難なくかわされるが、クロノは彼が無効化すると当たりをつける。
 彼の背後にアズサがいるのだから。
 だが予想に反してソラは床から盾を拾い上げて防いだ。

「ぐへっ」

 引き潰した悲鳴。ソラが盾にしたのは投げ込んだ魔導師。
 予想外のことに思考が停止する一瞬で保った距離がなくなる。
 それでもソラが近付いてきた瞬間に設置していた五つのバインドが起動する。
 十数個の鎖が一斉にソラに殺到する。
 その全てをかいくぐってソラはクロノの背後を取る。
 それはクロノの誘導でもあった。
 ほんの少しの隙間を作った配置、普通の人間なら通れないそれにソラは気付いて動く。
 背後には身体を目隠しにしたストラグルバインドを設置してある。
 手応えはあった。しかし縛り付けられていたのは盾にされた魔導師だった。ソラの姿は完全に見失った。
 咄嗟に水を操作して全周囲に壁を作る。
 衝撃は頭上から来た。
 水が弾ける。ソラが着地して剣を振る。クロノは飛び散った水を集め直して盾にする。
 斬撃に水の盾は弾かれる。その度に水は再構築される。
 ソラの斬撃とクロノの再構築速度、後者の方がわずかに勝り反撃の余裕が生まれる。

『スナイプショット』

 再構築の隙間からソラの眼前で放った光弾。
 それを後ろに跳んで切り払う。
 距離が取れたことに安堵しながらも、「G」対策の魔法の有用性を改めて感じる。
 物質を使っているからかソラの能力では容易に無効化されない。
 壊されたとしても周囲に飛び散ったものだから再構築というよりも集め直すのは容易だし、重量もあるからソラの斬撃を十分に受けられる。

「ソラ投降しろ。君の手の内は全部分かっている。君では僕に勝てない」

 今のでソラの速度を改めて体感して確信した。
 非魔導師としては驚嘆に値するものでも始めからそれを除外して考えればソラの動きは決して常識外れというわけではない。
 近距離では確かに圧倒されてしまうかもしれないが、それも水の魔法の防御手段があるのだからそれほど恐ろしいものではない。
 ようはSランク魔導師と戦っていると思えばいいのだ。
 そしてソラは基本的に近接能力しかないのだから付け入る隙はいくらでもある。

「何を言っているんだか? 僕はまだ本気を出してないよ」

「……子供みたいなことを言うな」

 とは言いつつも構えを取ったソラに緊張を高める。
 半身になり、右腕を引いた極端な刺突の構え。
 貫通攻撃なら水の防御を貫くかもしれない。いや、ソラなら貫くと想定する。
 ドンッ、ソラの床を蹴る音が重く鳴り響く。
 そして気付いたら剣はもう目の前だった。
 十数メートルの距離を刹那で詰めて放たれた突き。
 それは水の盾を容易く貫通した。
 だが、咄嗟のクロノの操作と身のこなしによって刃はクロノの肩をわずかにかするだけで済んだ。
 クロノは勝利を確信した。
 全力の体重の乗った刺突の威力は息を巻くものだが、それ故に技後硬直も大きい。そしてソラの剣は水の盾を貫いて封じている。

『ブレイク・インパルス』

 本来なら振動エネルギーを持って対象を粉砕する魔法だが、全身に衝撃を送り込んで昏倒させる使い方もできる。
 だが、伸ばした手は難なくソラの左手に払われた。
 驚愕にクロノは目を見開く。
 魔導師に匹敵する突撃のエネルギーを身体を流さずに二つの足で受け止めた。
 どれだけの訓練を積んだというのだろうか。クロノには想像できないものだった。
 しかし、驚いてばかりではなくクロノは水の盾を操作して刺さったままの剣をソラの手からもぎ取る。
 これでソラの最大の攻撃手段を奪い取った。
 未だにソラの間合いの範囲だが素手、もしくは銃撃でも強度を上げたバリアジャケットなら受け止める自信はあった。

「なっ……!?」

 ソラは剣を手放して身を屈めていた。
 そして身体全身を使って左手で振り払ったのはよく知っているソラの魔法剣。
 それがクロノの身体を両断することはなかったが、その衝撃はバリアジャケットなど意に介さずにクロノの身体を突き抜けた。

「がはっ……」

 呼び出していた水がクロノの制御をなくし、盛大に床にぶちまけられる。
 盾に突き刺さっていた剣は落ちてソラの右手に収まる。
 直後、ソラの両手は霞んで一つの衝撃を受けてクロノは崩れ落ちた。 
 二本目の魔法剣。
 それが意味することは、ソラの戦闘スタイルが本来は二刀流であること。
 その事実にクロノは驚愕した。
 今までの「G」との戦闘にフェイトとの模擬戦。それら全てに手を抜いていたということだ。

「行くよアズサ」

「は……はい」

 拾った剣を納めてソラはアズサを呼ぶ。
 すでにソラの中でクロノは無力化したと思っているのだろう。
 事実、クロノは痛みに動くことも魔法を使うために集中することもできなかった。
 肋骨が折られているだろう。それだけではなく内臓も痛めているだろう。

「ま……まて」

 それでもクロノは目の前を通り過ぎようとしたソラの足を掴んだ。
 実力を隠していたソラに怒りを感じる。
 だが、それよりも嫉妬を感じてしまう。

「ど……どうして……」

 それだけの力があったらと思うと嫉妬せずにはいられない。
 魔導師を圧倒する力を持ち、「G」も苦にせず倒せる力があれば。
 そんな力があれば誰も犠牲にしなくて済むのに。

「どうして何だ……?」

 力が入らない手をソラは意に介さず振り解く。

「…………ごめんなさい」

 そんなクロノにアズサは頭を下げた。
 それがまたクロノの心をきしませる。
 謝られる筋合いはないのに。
 むしろ罵ってくれた方がよかったのに。
 それだけのことを自分たちは彼女にするつもりなのに。

「…………いけないのか?」

「わっ……?」

 不意にソラが止まりその背中にアズサがぶつかる。

「いけないのか? 一人でも多くの人たちを守りたいと思うのが?」

 うわ言のように喋るクロノの襟首を掴み無理やり起こす。

「だから、何をしてもいいっていうのか?」

「仕方……な――」

 言い終わる前に頬に衝撃を感じた。口の中に血の味が広がる。

「ふざけるな! 勝手なことを言って、全部お前たちの都合じゃないか!?」

「だったらどうすればいいんだ!」

 痛みを忘れて叫んでいた。

「僕には君のような力なんてない! 僕たちは全てを救うことなんてできないんだ! だったらより多くの人を守ることの何が悪いって言うんだ!?」

「大義名分を振りかざして、たった一人を犠牲にして偉そうなこと言ってるんじゃない!」

 また殴られた。痛みもう感じないが身体は動かせそうにない。それでもソラを睨みつける。

「偉そうなのはどっちだ! 一人を守ってヒーローを気取って、君の力ならもっと多くの人を救えるのに!」

「僕の力の使い方をとやかく言われる筋合いはない!」

「ふざけるな! 力を持つ者には相応の責任があるんだ。それを君は――」

「はっ……責任? そんなの管理局が勝手に押しつけたものだろ!」

「勝手はどっちだ! 義務も責任もないがしろにして力を行使する。まるでチンピラじゃないか!」

「チンピラで何が悪い! 人を助けるのに肩書きなんて必要ない!」

「そんなのはただの暴力だ! そんなものでいったい何が救えるっていうんだ!?」

「救ってやるさ! 現にアズサだって――」

「こんなの救いだなんて言わない!」

 クロノの剣幕に押されてソラが言葉に詰まる。

「これから先アズサは一生追われ続けることになる。それの何処が救いだ!」

「ぐっ……それでも僕は救われたんだ!」

「もうやめて!」

 振り上げた拳にアズサが飛びついた。

「アズサ、こいつは!」

「お願いだからもうやめて!」

 涙混じり懇願に振り上げた拳をソラは何とか下ろし、胸倉を掴んでいた手も放した。
 支えをなくしたクロノはそのままズルズルと壁に身体を預けるようにして座り込んだ。

「ごめんなさい……ひっく…………ごめんなさい」

 嗚咽をもらして謝り続けるアズサにクロノもソラも何も言えなかった。

 ――情けない。

 内心でクロノは自嘲した。
 結局、どっちが正しいなんてことは決められるはずない。
 それぞれ立場が違うのだから意見が対立することなんて当たり前だ。
 ソラは外部の協力者であり、管理局の行動理念などに準じる義務はない。
 クロノは逆に組織の人間だから個人のことよりもより多くの人の安息を守らなければいけない。
 物事の善悪なんて立ち位置だけで大きく変わることは分かり切っていたこと、なのにわめき散らして、挙句の果てには一人の女の子を泣かせる始末。
 これでは自分が何をしたいのか分からない。
 ソラも同じ様な心境なのだろう。
 今のソラ達は一秒でも留まっているべきではないのにアズサを無理矢理立たせることもせず、背を向けている。

「いけないな女の子を泣かせるなんて」

 気まずい空気を切り裂いたのは軽薄な声だった。
 それにすぐ反応してソラが庇うようにアズサの前に出る。
 水浸しの廊下を音を立てて悠然と歩く足取りはとても争いに来たとは思えないほどに軽い。
 背丈や声からしてソラと大して変わらない位だろうが、判別するための顔が道化師の仮面に覆われていた。

「……クロノの知り合いか?」

「そんな……わけないだろ」

 こんな奇抜な姿をした管理局員なんていたらすぐに話題になるはずだ。

「あ…………声の人」

 思わぬ言葉はアズサの口からもれた。

「アズサ……君の知り合いか?」

「あの部屋にいた時にテレパスで話かけてきた人。ソラかと思っていたけど……」

「テレパスってことはHGS能力者ってこと!?」

 道化師から目を離さずにソラは驚きの声を上げた。

「HGS? よく分からないがアズサと同じ能力者であることは間違いないよ」

 道化師の背後が揺らぐ。
 水色の光が照らす廊下に現れたのは闇に溶けそうな漆黒のフィンだった。
 それにクロノは驚愕、アズサは感激に目を輝かせる。

「お前は……なんだ?」

 一歩後ずさるソラ。顔は見えなくてもその表情が驚愕に染まっているのが分かるが、クロノのそれとは違っていた。

「やれやれ、せっかく用意した囮は全部やられてしまったか」

「囮、お前はまさか「G」を――」

「そう私が送り込んだ」

 道化師の肯定にクロノはその目に明確な敵意を乗せる。

「お前を……ぐぅ」

 立ち上がろうとして痛みが走り膝を着く。

「さあ、行こうかアズサ」

 そんなクロノも立ちふさがるソラも無視して道化師はアズサに向かって告げる。

「私は君の同族だ。君を理解できるのは私だけだ」

「わたしの……同族……」

「行くな! アズサ!」

 呆然とその言葉を繰り返すアズサにクロノは声を上げる。
 ソラはともかくこの道化師は危険すぎる。
 その姿を見た瞬間から嫌なプレッシャーに息苦しさを感じている。
 それを感じているのはソラも同じだったのだろう。
 フラフラと歩き出したアズサの肩をソラが掴む。

「アズサ、そいつは君の同族なんかじゃない」

「え……?」

「おやおや」

「そいつのフィンは君のと違って人工的な気配を感じる」

「正解だ。君が管理局が手に入れた秘密兵器というのは」

「もう手を切ったよ。それにしてもようやく合点がいったよ」

「ほう、何がだね?」

「HGS、魔導師とは別の進化系の能力を持つ生物。それがどうして大量発生していたのかっていうことだよ」

「ソラ、何を言っているんだ?」

「こいつからは闇の書と同じ気配がするんだ」

 予想もしなかった単語に声を上げそうになるが痛みで声を詰まらせる。

「クロノも夜天の主を知っているだろ? あの子だって常識では測れない技術を持っていたでしょ?」

「何を言っているんだ?」

 ソラの言っていることが理解できない。

「人の進化を研究テーマにした魔導書……確か、東天いや北天の魔導書だったか」

「正解だ。それを知っているからには君もいずれかの魔導書の王なのだろ? それならばあの失敗作が倒されたことも納得できる」

「とっくの昔に裏切られて魔導資質は失ったよ。今はただの剣士で銃使いさ」

 クロノとアズサの存在を忘れ、話が進んでいく。
 はっきりいってクロノには彼らが何を話しているのか理解できなかった。
 それでも推測できる情報はいくつもあった。
 常識外の技術。東天、北天の魔導書。
 名前と話し方からして夜天の魔導書と同系統のものだと分かるが、夜天の魔導書で「G」について聞いたことなどない。

「いったい……何を言っているだ君たちは?」

「ふむ……聞かせるよりも見せた方が早いか。ちょうど素材は転がっているのだから」

「やめろっ!」

 道化師が倒れたままの魔導師を一瞥するとソラが飛び出した。
 道化師はその手に分厚い魔導書を呼び出した。
 表紙には金装飾。デザインは違うがクロノの知っている夜天の書によく似たものだった。
 ソラは容赦をするつもりがないのか、真っ直ぐに道化師の頭に向かって先程と同じ瞬速の突きを放つ。

「驚いた。魔法を失ったのにこんなに速く動くなんて」

 道化師の眼前に剣先が突き付けられる形で止まっていた。
 そして、ソラの体制も不自然だった。右の剣を突き出した状態で、制動をかけるはずの足は床に着いていない。

「だけど、正面から突っ込むのは無謀だよ」

 そのままの体勢で突然ソラは壁に叩きつけられた。
 それだけでは終わらずに逆の壁、天井、床、まるでボールのようにソラは何度も叩きつけられる。

「……この!」

 銃撃が鳴り響き、バウンドしていたソラが落ちる。

「その状況で反撃とはデタラメだなぁ」

 呆れた声をもらす道化師の前ではソラが撃った魔力弾が制止して、霧散した。

「しかし、魔力も感じなければ他のエネルギーも君自身からは感じない……少し君に興味が出てきたよ」

 フラフラと立ち上がるソラを冷笑をする気配を出して道化師は改めて倒れた魔導師に向き直る。

「北天の魔導書」

「ま、まて……」

 止める間もなく、魔導書が開く。

「時間もないから簡単にさせてもらうよ」

 白色の魔力光が溢れ、一条の光線が魔導師を貫いた。
 ビクンッと魔導師の身体が震え、そして悲鳴が上がる。

「が…………ああああああああああっ!」

 変化はすぐに起こった。
 それはまるでB級ホラーの映画でも見ているような光景だった。
 あえて見たことがあるものに当てはめるなら、それは闇の書の闇の再生活動だろう。

「いやだ……だれか、たしゅ……ぐふっ」

 身体は膨張し、すぐに人の原型をとどめないほどに変わる。
 その光景にクロノの思考は完全に停止し、ただ呆然と変化が終わるのを見続けた。
 そうこうしている間に、かつて人だったものの背中に水色の光が生まれる。
 姿はもはや魔物と変わらないが、特徴的な光の羽はそれがなんなのか知らしめる。

「まさか――」

「そう君たちが「G」と呼ぶものだよ」

 道化師に考えを肯定してまず始めに思い出したのは「G」を倒した時の感触だった。

「ああ、その通りあれの材料も人間だよ。そこら辺にいた君のお仲間たちだよ」

 最悪な予想を言葉にされて込み上げてくる吐き気をクロノは何とか抑える。
 自分が倒した、殺した。何を、化け物を、人を。助けを求めて化け物にされた人を。
 バラバラの思考、今にも叫び出しそうだったが、ギャンとコンクリートを削るソラの剣の音に何とか我に返る。

「君の相手はこいつだよ」

 ソラが動くより早く、足下の水が凍り、針となってその足を貫いた。

「なっ……?」

 ソラはまた盛大に水しぶきを上げて倒れてしまった。

「ソラ!」

「アズサを守れ、クロノ!」

 すぐさまソラは無事な足で床を蹴って壁に剣を突き立て、足場を作る。
 それを追いかけて水が大蛇の形を取って襲いかかる。
 壁を蹴り、一瞬遅れてその壁が水蛇によって破壊される。
 足一本と剣を器用に使って左右の壁を飛び跳ねてソラは魔導師だった「G」に斬りかかる。

「やめろ、ソラ!」

 頭に過ぎった最後の魔導師の姿にクロノは思わず叫んでいた。
 しかし、ソラの勢いは止まらなかった。
 だが、刃は「G」の身体を切り裂くことはなかった。
 そしてソラが次の行動をするよりも速く、横手から新たな水蛇が殴り飛ばした。
 グシャ、そんな音が響いてソラは壁に叩きつけられて動かなくなった。

「……ソラ?」

 クロノは言葉を失い、アズサは呆然と彼の名前を呟いた。
 バリアジャケットのないソラの防御力はないに等しい。それを補うための黒いコートは今アズサが着ている。
 「G」の攻撃の強さはクロノは身を持って知っている。
 生身であんなもの耐えられるはずがない。

「やれやれ、運がないね彼。よりによって水流操作の能力が出てくるなんて」

 道化師の声には彼の不運を嘆く言葉が漏れる。
 しかし、同情はそこまでで道化師はクロノ達に向き直る。

「さて、玩具は壊れてしまったから本題に入るかな」

 クロノはデュランダルを杖に立ち上がり、S2Uを道化師に向ける。
 たったそれだけの動作で脂汗はにじみ出て、打たれたわき腹から激痛が走る。

「アズサ・イチジョウ、この世界に君の居場所はない」

 そんなクロノを無視して道化師は言葉を紡ぐ。

「まあ、私の力も貰いものでしかないから厳密に言ってしまえば君とは違う」

 アズサはクロノの後ろで震えている。

「だがね……」

 思わせぶりに魔導書を見せつける。

「この魔導書を使いこなすことができれば、本当のフェザリアンを生み出すことができる」

「え……?」

「聞くなアズサ!」

「少し静かにしていろクロノ・ハラオウン」

 軽く道化師は手を振る。
 それだけでクロノは不可視の力に掴まれて壁に叩きつけられた。

「があっ……」

 意識が一瞬飛びかける。
 かろうじて意識を繋ぎ止めるが、完全に動くための力が失われた。

「私の元に来れば君は孤独から救われる」

「孤独……でも……」

「彼らに君の苦しみを理解できるのかな? 無理だね、管理局は君をモルモットとしか見ない」

「でも……ソラは……管理局じゃないって……」

「確かに彼は違うみたいだけど、彼は無力な人間だ。いささかしぶとくはあるけど」

 かすかに動くソラを一瞥して道化師は続ける。

「だけど、彼と一緒にいたいと望んでも君の力は彼を殺すよ」

 それはアズサのトラウマをえぐる言葉だった。

「今のままでは君は一生孤独に生きて、孤独のまま死んでいく。それでいいのかい?」

「いや……やめて」

 耳をふさぎ、縮こまるアズサ。周りにはチラチラと炎が溢れ出す。

「君は――」

「やめて!」

 感情の高ぶりに炎が道化師に向かって走る。
 炎は命中する直前に弾かれてしまう。

「今は眠れ」

 道化師がアズサの頭に手をかざすとそれだけで意識を奪われたのか、アズサは道化師に向かって倒れる。
 それを抱き止めて――

「アズサを放せっ!」

 壁を支えにして立つソラが銃を突き付ける。

「呆れるほどの生命力だね。君、本当に人間?」

「うるさい、それより早く――」

「うるさいのは君だよ」

 銃を持っていた腕が道化師の言葉とともに捻じり曲がる。

「ぐぁ……」

 押し殺した悲鳴が上がり銃が落ちる。

「それではこれにて失礼」

 人を小馬鹿にしたような一礼をして道化師はアズサと共に消える。
 魔力反応はやはり感じない。
 どんな原理なのか、「G」関連の能力を目の当たりにすると疑問は尽きないが、そんなことをのんびりと考えている時間はクロノにはなかった。
 水が弾け、ソラが崩れ落ちる。
 呆けていたことを叱責して道化師が残していった「G」のことを思い出す。
 「G」はクロノのことなど見向きもせず、未だに戦意喪失しないソラをなぶる様に水の鞭で打ち払う。

「な……何で……?」

 どうしてそこまでするのかクロノには理解できなかった。
 何の交わりもないアズサにどうしてそこまで関わろうとするのか。
 管理外世界の友達が同じ能力者だから、だからといってもアズサは他人だ。自分の命を賭けるほどなのか。
 ソラのことは分からないことだらけだ。
 自分にない圧倒的な力を見せつけられて嫉妬し、自分勝手な正義に目ざわりだと感じた。
 それでも、何故か無様に痛めつけられる姿に込み上がるものを感じる。

「何を……やっているんだ僕は!」

 ダメージを負って動けない身体。そんなの今目の前で戦っているソラに比べたらどれほどのものだというのだ。
 痛くて力が入らない? 痛みで魔法制御に集中できない?
 クロノは自分の頬を力の限り殴る。
 そんな甘ったれた自分は死ねと言わんばかりにクロノは歯を食いしばり、立ち上がる。

「ブレイズ――」

 こぼれ落ちていく魔力を必死に繋ぎ留め、魔力を集中する。
 「G」はソラをなぶることに集中してクロノに気付いていない。
 もしかしたら人間の時だった気持ちが残っているのかもしれない。
 ソラに対して感じた劣等感と屈辱はクロノにも分かる。
 だが、それを間違ってもあんなことがしたかったわけじゃない。

「――キャ……」

 「G」に変わる前の魔導師の姿を思い出して引き金を引く意思が鈍る。

「ブレイズキャノン!」

 それを抑え込んでクロノは撃った。
 直後、限界を超えた代償か、クロノの意識は急速に闇に落ちていく。
 薄れゆく景色の中で最後にクロノが見たのは半身を失って、こちらに向き直った「G」の姿だった。
 そのままクロノは後ろに倒れ、気を失った。





[17103] 第八話 目標
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/05/05 22:26


「スターライト――」
「プラズマザンバー――」
「ラグナロク――」

 曇った空の下で、氷の海の上で三人の少女の声が唱和する。

『ブレイカーッ!』

 三条の野太い砲撃は闇の書の闇の身体を容赦なく削り、そのコアを露出させる。
 そのコアを宇宙に転送、アルカンシェルで蒸発させる。
 ……はずだった。

「うそ……」

 その言葉を漏らしたのは誰だっただろうか。
 言葉にしなくてもその場にいる誰もがそう思った。
 なのはとフェイト、はやての三人の砲撃を受けて、闇の書の闇はその魔力を吸収してその体躯をより大きなものに膨張していった。

「も、もう一回」

 いち早くなのはが我に返ってレイジングハートを構え直す。
 しかし、空のマガジンを排出し、代わりのマガジンを取り出そうとしてその動きが止まった。

「フェイトちゃん」

 なのはの呼びかけにフェイトは首を横に振る。
 続いてヴィータ、シグナム、シャマルを見回しても苦渋の顔が返されるだけ。
 悲愴感が漂う中でクロノの目の前に空間モニターが映し出される。

『クロノ執務官。全員を連れてすぐにアースラに帰還しなさい』

「母さんそれは――」

『これは命令よ。クロノ執務官』

 厳しい顔の母にクロノは頷くしかなかった。

「クロノ君?」

「すぐにアースラに戻る」

「え……でも闇の書の闇が」

「手段はある、だから早くっ!」

 語気を荒げた言葉になのはたちは身をすくませてクロノの指示に従い、転移魔法陣に乗る。
 なのはたちは納得しないにしてもどこか安堵した表情をしていた。
 おそらく、何か秘密兵器があると思っているのだろうか。クロノの大丈夫という言葉を簡単に信じてしまっている。
 対して、ヴォルケンリッターにユーノは険しい顔を崩していなかった。
 流石に彼女たちは騙せないかと思いつつ、表情に出ないように気をつけてクロノは転移魔法陣を起動する。
 視界が一転し、アースラの転移室に変わる。

「わ、わたしブリッジに行ってきます」

「待ってなのはわたしも」

 すぐに駆け出すなのはとフェイト。それに続くユーノとアルフ。
 予想できる光景にクロノは同じように走り出すことはできなかった。

「はやて!?」

 ヴィータの突然の悲鳴に何事かと見ればはやてが倒れていた。
 すぐさまシャマルが診断して、突然の魔力行使や疲労によるものと判断して医務室に行ってしまう。
 取り残されたクロノは重い足をブリッジの方に向けた。
 なのはたちが出した総攻撃によってコアを露出、大気圏外に転送してアルカンシェルを使うプランは失敗に終わった。
 だからリンディあの場に直接アルカンシェルを撃ち込むことを決めた。

「これは仕方がないことなんだ」

 誰に言い訳をしているのか、それとも自分に言い聞かせているのクロノは一人呟く。

「だってそうだろ。このままあれを放置したら周囲を侵食して、無限に成長してこの世界を滅ぼすんだから」

 さらに可能性を上げるなら隣接する次元世界にまで浸食が広がることも考えられる。
 それを阻止するためにもアルカンシェルの攻撃は必要なことだとクロノは何度も繰り返す。

「いやああああああぁ!」

 ブリッジの扉の前に立つと中からなのはの悲痛な悲鳴が耳を響かせた。
 中に入るのをためらうが、すでにセンサーはクロノを捉え、ドアが勝手に開く。
 そこには膝を着き、頭を抱えて未だに悲鳴を上げるなのはの姿。
 その横には呆然とフェイトが空間モニターを仰いで立ち尽くしていた。

「おとうさん、おかあさん、おにいちゃん、おねえちゃん……」

「アリサ、すずか……うそ、うそだよね?」

 理解が追いついてない様に痛々しいものを感じる。
 空間モニターを見上げればそこには何もない海がただ映っていた。
 そう、何もない景色、かつて海鳴と呼ばれた街が消えた光景が。
 建物の倒壊。言葉にしなかった人的被害。
 その光景を見たのは初めてではないが、親しい人間が被害者になる瞬間を見たのは初めてかもしれない。

「どうして……?」

 いつの間にかなのはが向き直っていた。

「何で……?」

 フェイトも暗い顔で振り返る。

「これは……仕方がなかったんだ」

「仕方がないってなんで!? こんなはずじゃなかった……こんなはずじゃ」

 なのはの言葉にプレシアに言った言葉を思い出す。
 こんなはずじゃない現実。それを押しつけた自分たち管理局は本当に正しかったのだろうか。
 正しいはずだ。
 そうしなければ被害は海鳴だけには留まらなかったのだから。
 しかし、それを口に出すことができなかった。

「どうしてアリサを、すずかを、みんなを殺したの?」

「だから……これは……」

 うつろな目を向けるフェイトを直視できず目をそらしてしまう。
 その先にはやてがいた。

「こんなことになるんやったら、わたしが封印されとったほーがよかったんや」

「そんなことは……」

 ないと言えなかった。
 こんなことになるならはやて一人の犠牲ですませればよかったと少しでも思ってしまった。
 だからはやての言葉を否定することができなかった。

「なークロノ君。どうすればいいん?」

「どうすれば……?」

「海鳴の人、みーんな死んでもーたんや。クロノ君たちが殺したんや」

 はやての言葉が突き刺さる。
 そして――

「わたしも殺すの?」

 振り返ればそこにはアズサがいた。
 俯いた暗い目にクロノは思わず後ずさる。
 だが、後ろにはいつの間にかなのはとフェイトが立っていた。
 四人に囲まれてクロノは逃げ場を失う。

「どうして、おかあさんたちを殺したの?」

「どうして、あんなことをしたの?」

「どうして、殺してくれなかったの?」

「どうして、殺すの?」

 四人の言葉にクロノは何も返せない。

「やめてくれ……」

「クロノ君」

「クロノ」

「クロノ君」

「クロノさん」

「うわああああああぁ!!」

「クロノ君! クロノ君っ!!」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「クロノ君! クロノ君っ!!」

 揺り動かされクロノはまどろむことなく、意識を覚醒させる。

「ここは……」

 目の前の光景は無機質な天井。
 一瞬までいたアースラの景色はどこにもいなかった。

「……エイミィ?」

 ベッドの横で安堵した溜息を吐くエイミィの姿をぼうっと見て数秒、思考が回り出す。

「エイミィ! 状況――つぁっ」

 勢いよく体を起して走った痛みにクロノは悲鳴を上げかける。

「起きて第一声がそれ? 人に散々心配させておいて」

 恨みがましい言葉でからかい混じりにエイミィは呆れながら、水差しから水をコップに注いで差し出してくる。
 それを受け取ってゆっくりと飲み、息を吐く。

「それで、あれからどうなった?」

 変わらないクロノの様子にエイミィは苦笑する。

「今日は「G」の襲撃の翌日。負傷者、死傷者の数はこれね」

 エイミィの出した空間モニターの数字にクロノは顔をしかめる。

「部隊の被害率は32%。見事に惨敗だね」

「…………ソラはどうなった? いや、そもそも僕はどうやって助かったんだ?」

「クロノ君の近くでころ……近くにいた「G」はソラ君が倒したみたいだよ」

「ソラが……あの怪我で?」

 最後に見た彼の様子を思い出して信じられない気持ちになる。

「怪我? ソラ君は怪我なんてしてなかったはずだけど」

「なんだって?」

 記憶との食い違いにクロノは混乱する。

「……まあいい。それでソラはどうした?」

「あーそれがね……」

 歯切れの悪い対応にクロノはいぶかしむ。

「まさか……逃げてもういないのか?」

「そうじゃないんだけどね」

 言葉を濁すエイミィに不信を感じる。
 やがてエイミィは言葉を選びながら話し始める。

「クロノ君、落ち着いて聞いてね」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 気がつけば無機質な狭い部屋だった。
 その中央に座らせる形で固定されて、拘束服を着せられている。
 現状を把握してソラは管理局に捕まったと判断する。

 ――どうしてものか。

 敵の真っ只中で気を失ったのだから仕方がないと考えながら、脱走の手段を考える。
 しかし、考えを巡らせるよりも早く目の前の扉が開いた。

「ようやくお目覚めかソラ」

「…………アキか」

 舌打ちしたくなるのを抑えて睨みつける。

「随分と嫌われたものだな」

「あれだけのことをしておいてぬけぬけと」

 ソラの言葉にアキは深々と嘆息する。

「僕はあんたの顔なんてもう二度と見たくないんだから消えてくれない?」

「そうはいかないな。私は君に聞きたいことがある」

「僕には話すことはない」

「北天の魔導書とはなんだ?」

「アズサは今何処にいる?」

「君は何を知っている?」

「あんたたちなら彼女の居場所を突き止めているはずだ」

「私の質問に答えないで自分のことばかりか。君は今の自分の立場が分かっているのか?」

「教えたって何もできないだろ? もっと自分たちの無能ぶりを自覚したら?」

 部屋の空気がきしみ、二人の間に見えない火花が散る。
 もしこの場に二人以外の人間がいたらその場のプレッシャーに悲鳴を上げていただろう。
 とは言え、ソラの言動と態度のほとんどは虚勢だった。
 会話の主導権の取り方などの知識と経験でアキに勝てる道理はない。
 それに何を言っても、何をしても拘束されているソラにできる反抗などたかがしれている。
 だからといって泣いて許しをこうなんてことはソラにできなかった。

「ただ働きばっかりさせておいて偉そうに」

 愚痴る様に漏らすとアキは言葉を詰まらせる。
 ソラは察していないが、アキはそのことに少なからず罪悪感を感じていた。
 魔導師でもない人間を矢面に出さなければならないことは管理局員として恥でしかない。
 せめてもの救いは探しものを手伝うという交換条件でその罪悪感を誤魔化していたが、二つの内の片割れはその日の内にソラが出会ってしまった。
 運命のいたずらとそれは互いに割り切ったが、もう一つの方は簡単に済まなかった。

「すまないな、闇の書については管轄が本局の方だから私が調べられることは少ないんだ」

「別にいいけど……」

 部屋の空気がそれで幾分か和らいだ。

「それで話を戻すが……」

 アキの言葉にソラは警戒を高める。

「北天の魔導書とは何だ?」

「誰が教えるか」

「……状況が分かっていないようだな。君に黙秘権はないんだよ」

「なら拷問でもする? ドアの向こうにルークスだったけ? そいつがいるみたいだし」

 その言葉にアキとドアの向こうの気配が揺れる。
 気付いてないと思っていたのだろう。
 しかし、動揺はすぐに取り繕われて、アキは冷めた目でソラを見下ろす。

「必要とあらばな」

「…………ふっ」

 その答えに思わず失笑がもれた。

「何がおかしい?」

「別に……流石クライドと同じ管理局だなって思っただけだよ」

「それはどういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。お前たちは結局自分の都合でどんな汚いこともできるっていうことだよ」

「口をつつしめ。侮辱罪も追加したいのか?」

「事実でしょ? 多くを救うための犠牲だとか、悪を倒すために必要な悪だとか言い訳して、被害者面して手を汚す」

「黙れっ!」

 頬に衝撃が走り、視界がぶれる。
 すぐに顔を上げてアキを睨みつける。

「全部人のせいにして、自分たちの行動を正当化して、自分たちはあたかも汚れていないように振舞う」

「それ以上喋るな」

 アキは無防備なソラの首を掴み絞め上げる。

「自分の罪を棚に上げて、人のことにばかり難癖をつけて自己を正当化しようとする。犯罪者の典型だな、人殺し」

「ああ……だよ……ぼ……くは、人殺しだよ」

 でも――絞められて言葉をうまく紡げないが、拘束されているから抵抗もできない。それでも睨む力は緩めない。

「それでも……僕はお前たちより人を殺してないっ!」

 唐突に首に食い込む指の力が緩む。
 その隙に体を無理やり動かしてアキの手を強引に外す。
 勢い余って椅子から転げ落ちて、受け身も取れずに無様に転がる。

「くっ…………頭を冷やしておけっ!」

 吐き捨てるように言い放ち、アキは逃げるように出て行ってしまう。
 残されたソラはごろりと転がって仰向けになる。

「…………うぃなー」

 言って空しくなった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 アキとソラのやり取りをガラス越しに聞いていたクロノは部屋に満ちる嫌な空気に顔をしかめた。
 ソラのいる部屋を特殊ガラスで隔てるそこではソラの言葉に反感を感じる者ばかりだった。
 口々にソラをののしる言葉をもらす彼らにクロノは辟易とした。
 むしろ、少し前までの自分も同じだったのではないかと考えて怖気が走る。

『お前たちより人を殺してない!』

 その言葉はクロノの胸に深く突き刺さった。
 海鳴を消した夢。
 あれは夢ではなく、次元世界の何処かで行われたことだ。
 アルカンシェルによってもたらされた人的被害。極力被害が少ないようにしても絶対じゃない。
 それにアルカンシェルだけじゃなく、アズサのようなこと。
 他のどの事件だってそうだ。
 どれだけ被害を小さくしても犠牲は出てしまう時もある。その中には管理局が切り捨てた犠牲もある。
 小さな積み重ねはソラの言った通り大きなものになっているだろ。
 それは目を逸らしていいものではないはず。
 いつの間にかその重みに慣れて、割り切りがよくなり過ぎていたのかもしれない。
 それにクロノの動揺はそれだけではなかった。

『闇の書については管轄が本局の方だから私が調べられることは少ないんだ』

 アキの言葉。ソラの目的が闇の書だったことは驚きだった。
 闇の書事件は情報規制を行われている。だから彼女が言った通り部外者が簡単に調べられないようになっている。
 それはアキの地位でもそうだ。
 ソラが闇の書を探す理由はやはり怨恨だろうか。
 情報規制が行われているからソラが闇の書がもう無害な夜天の書になっていることも知ることはできない。
 もしソラがそれを知ったらどんな行動に出るか。
 ソラに打ち込まれた個所を手で押さえる。
 はやてを守るヴォルケンリッターが負けるとは思えない。
 だが、ソラの力は未だに未知数。
 そして時折見せる暗い表情に不安を感じてしまう。
 シュッ――空気の抜けるようなドアの開閉音にクロノは思考を止める。

「様子はどうだ?」

 先程の取り乱した姿は改めてアキは颯爽と入ってくる。
 そしてクロノの姿を見て意外そうな顔をする。

「クロノ執務官、もういいのか?」

「ええ、動けないほどじゃありません」

 それよりもこれはどういうことかと問いただす。

「妥当な対処だ」

 ソラは管理局の魔導師を攻撃した。
 そして道化師の持つロストロギアについても知っている。
 これまではソラの秘密よりも彼の実力を取っていたが、前者の割合が大きくなった。

「ですが、こんな強引なやり方は反感を買うだけじゃ」

「そんなことを言っている状況ではない」

 アキの言葉に言葉を飲み込む。

「ソラが何かを知っているのは確実だ。今回ばかりは彼の我儘を聞いている余裕も時間もない」

「それはどういうことですか?」

「アズサ・イチジョウに取り付けた発信機からの信号が動きを止めている。都市部から離れた廃都市区画の研究施設跡地だ」

「……そうですか」

「上層部は黒幕を倒すために部隊を結成して叩くつもりだ」

「まだ「G」の対処が確立してないのに?」

「人数と力技で押し切るようだ。すでに部隊の招集は始まっている」

「……随分と行動が早いですね」

「それだけ重要視されているということだ。だからこそ――」

 アキはガラス越しに転がるソラを見る。

「犠牲を少しでもなくすためには彼の情報が必要だ」

「だけど、ソラを戦力として協力してもらった方が――」

「アズサ・イチジョウも抹殺対象になっている」

「そんな!? どうして!?」

「さあな……」

 端的な言葉だったがそこに彼女の苛立ちを感じる。
 これでは彼女を助けたいと思っているソラに協力を求めることはできない。

「それにソラの身柄の引き渡しも要求されている」

 絶句するが納得してしまう。
 もうソラのことを庇えないくらいに状況が進展してしまっている。
 ソラの能力、知識。
 どちらも重大な秘密を持っているのは明白だ。
 そしてソラは自称だが元次元犯罪者。アズサをモルモットにする以上に抵抗はないと上層部は考えているに違いない。
 クロノにしてもその行動に納得してしまっている。
 ソラの力が解明されれば、ソラの知識を無理矢理でも引き出せば自体は好転するのではないかと思ってしまう。
 だが、それを肯定するのに押し止めるものがあった。
 短い間でしかないが行動を共にし知った彼の人柄。
 対立しまったが、彼の信念は一方的に否定できないものだと分かっている。

「…………どうするつもりですか?」

「どうすればいいんだろうな……」

 アキもこの部屋の空気を感じ取っているのだろう。
 ソラの発言は管理局の暗部を突き付けたものだ。下っ端や凝り固まった偉い人間が聞いても反感しか買わないだろう。
 何にしてもソラの考えは管理局にとってあまり良くないものだろう。
 そしてソラのあの性格。
 場所が変わったところで殊勝に振舞うとは思えない。
 見知った人だけに拷問を受ける様は想像したくない。
 とはいえ何をすれば最善なのか何も分からない。
 アズサのこと、ソラのこと、道化師のこと。
 そのどれもが自分たち管理局の手の外で動いている気がする。
 ズン――突然、振動が部屋を揺らした。

「何だ……!?」

 もう一度、衝撃が走る。
 部屋にいた者はその震動に立っていられずにみんな伏せる。

「これは魔力反応!?」

 クロノが叫んだ瞬間、震動が轟音とともに訪れた。
 ガラス越しの部屋を水色の壁が切っ裂いた。

「なんてデタラメな!」

 ここは管理局の施設であり、施設の中でも中央に近い位置にある場所だ。
 当然、建物は一級の耐魔素材で作られている。それを簡単に両断したのだから驚愕するしかなかった。

「……そうだソラは!?」

 ガラス越しの彼は変わらずに転がったまま。拘束服のおかげで身動きは取れていない。だが――
 胸の前で組むよう固定していたバンドが弾ける。
 さらに袋状になっている袖先を歯で噛みちぎる。

「デタラ――」

 ソラに使う常套句を言おうとして彼の腕から滴る血に息を飲む。
 力任せ、それも自分が傷つくことをいとわずに拘束を壊した。

「待てソラ!」

 ガラス越し、聞こえないと分かっていてもクロノは叫んだ。
 自由になったソラは躊躇いもせずに切り裂かれた亀裂に身を躍らせる。

「くそっ!?」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 切り裂いた建物から出てきたソラを確認して転移魔法陣を起動する。
 こちらの意図を察してソラはその魔法陣の中に着地する。
 すぐに起動してその場から飛ぶ。
 とはいえ、転移魔法を阻害する都市に張られた結界のため大きくは飛べないが時間を稼ぐには十分だ。

「…………何のつもりクライド?」

「助けてもらっておいて随分な言い方だね。まあいいけど」

 敵意を持って見返してくるソラに苦笑してクライドはそれをソラに投げる。
 まず銀装飾のペンダント。

「こじ開けようとしていたみたいだったけど、まだ中身には触れられていないよ」

 それに安堵した息をもらしたが、すぐに顔を引き締めて睨みつける。
 随分嫌われている。そのことに仕方がないと感じ、クライドは要件を済ませることにする。

「君の剣と銃だ。それからアズサ・イチジョウの居場所だ」

 最後の差し出した端末にソラの手は伸びなかった。

「何のつもりだクライド? あんたは管理局だろ?」

「管理局なら辞表を出してきたよ」

「…………はぁ!?」

 珍しいソラの間抜けな顔。
 一年前から変わり始めて、プレシアを殺してから戻ってしまったと思ったが、変わっていない彼に安堵を感じる。

「管理局に居続けると私がやりたいことができないんでね」

「ちょ、ちょっと待って。それじゃあアリシアはどうしたんだよ!?」

「あの子はリンディに預けてきたよ。大丈夫だ、フェイトも一緒なんだから」

「…………それが一番心配なんだよ」

 頭を抱えながら器用にペンダントを魔導書に具現化し、その中に収納させてある彼の服を取り出して着替えていく。

「相変わらず便利なものだね」

「…………まだいたの?」

 ソラの対応にクライドは肩をすくめる。

「足も用意してある。バイクだけど運転は?」

「したことないけど、基本くらいは知っているから何とかする」

「それは……」

 元公僕としては止めるべきなのだろうが、事情を知っている身としてはそれも憚れる。

「せめて信号は守ってもらえるかな?」

「馬鹿にしているの?」

「そ、そうだよな。こんな時に信号無視していらない手間を増やすことなんて――」

「赤が進めでしょ?」

「ちょ、それは――」

「冗談だよ」

「……こんな時に冗談を言っていられるとは恐れ入るよ」

「いやーシリアスが続いたから一度ボケを入れておけって血が騒いで」

「どんな血だそれは」

 突っ込みを返しつつ、ソラと二人っきりでこんな馬鹿なやり取りをしていることに驚く。
 プレシアとアリシアと出会い。そしてこちらに戻ってきてソラは変わってきている。
 だが、それは外面を良くすることにしかクライドには思えなかった。
 この軽薄な笑みの下にあるものをクライドは知っている。
 今、ソラはプレシアの時と同じようにできた絆を切り捨てしまった。言葉を交わしたことのないアズサと言う少女のために。
 ソラの経歴を知っているだけにその気持ちはなんとなく分かる。
 だが、それを口にして共感を分かち合う資格がないことをクライドは自覚していた。

「でも、のんびり交通ルールを守っている余裕はなさそうだけど」

「足止めはしてあげるよ。ソラは何も気にせず彼女を助けに行くといい。ただし、極力安全運転で」

「クライド…………どういう風の吹き回し?」

「別にこれであのことを水に流してくれなんて言うつもりはないよ」

 いぶかしむソラにクライドは戦闘の準備をしながら答える。
 そう、これはソラに対しての贖罪ではない。そんなものはソラが望むものではない。

「君が正しいことをしようとしている。だからその手助けをするだけだよ」

 ソラがやろうとしていることが間違っていないと思うからこそ、手助けするのだ。

「…………そう」

「さぁ……行け!」

 返事はないが代わりに用意しておいたバイクのエンジンが唸りを上げる。

「死ぬんじゃないよ、ソラ。まだプレシアの答えを聞いてないんだからね」

 小さくなっていく背中にクライドは聞こえない呟きをもらし、あることに気付いた。

「ちょっとソラ! ヘルメット!」

 叫んでも、もはや声は届いていないだろう。
 やれやれと溜息をもらしつつ、クライドは飛翔する。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 上空からソラを見つけ、威嚇射撃を行おうとしていた魔導師が水色の剣に貫かれた。
 そして次の瞬間、下から現れた人影がその魔導師を蹴り飛ばして水色の剣で標本のようにビルの壁に貼り付けた。
 一連の動作にクロノを始めとした「G」対策の第一部隊はまったく反応できなかった。

「と、父さん?」

 クロノの呟きに周りが騒然とする。
 クライド・ハラオウン。この名前は地上の人間にも有名な名前だ。

「……どうして?」

「スティンガーブレイド」

 クロノの戸惑いを余所にクライドが魔法を展開する。
 描き出される魔法陣が展開されているころには八つの剣が現出、飛んでいた。
 咄嗟にクロノは身をよじる。
 すぐ脇を剣がものすごいスピードで通り過ぎて行った。
 飛翔による回避行動や防御では間に合わない速さに戦慄する。
 見回せば先の魔導師のようにクロノ以外の者たちはビルに磔にされる。

「よくかわしたね、クロノ」

「父さん……」

「悪いけど、ここから先は行かせるわけにはいかないよ」

 その言葉に彼がソラの脱走の手引きをしたことを確信する。

「父さん……あなたは自分が何をしているのか分かっているのか?」

「分かっているよ」

「ならどうして!?」

「どうしてか……少なくても間違ったことをしているつもりはないよ」

 間違ったことをしていない?
 管理局の施設を襲撃し、重要参考人の逃亡を手助けしておいて、そんなことを平然と言ってのける父にクロノは怒りを感じる。

「逆に聞かせてもらうけど、君たちは正しいことをしているの?」

「…………当たり前だ」

「どうして躊躇うのかな?」

 わずかな迷いをクライドは見逃さなかった。
 アズサの扱い、ソラの尋問、そしてあの悪夢がクロノを迷わせる。

「管理局の行動は確かに正しい。でもそれはソラが間違っているということじゃない」

「間違ってるだろ! あれだけの力があって、義務も責任も放棄して――」

「ソラに次元世界を守る義務も責任も義理はない。それを理由に彼を責める権利は誰にもない」

「そんなこと――」

「ソラは次元世界の全てにお前は死ねって言われたんだ」

 静かな、憐憫を含む言葉にクロノは押し黙る。

「親に否定されて、ロストロギアに翻弄されて、私たちはただ何も考えずにあの子を追い回した」

 唐突に聞かされたソラの過去の片鱗に思わず聞きいってしまう。

「世界の代表たる管理局はあの子を助けなかった」

 それは今のアズサと同じではないのか。

「誰にも助けてもらえず、ソラは一人で生きるために強くなった。あの力はソラ自身のためのものだ」

「だからって無暗に振るっていいものでじゃない」

「いつ彼が無暗に剣を振るった?」

「それは……」

「あの子は誰よりも剣を振ることの重みを知っている。あの子が剣を振るうのは私利私欲のためじゃない」

 クライドの言葉を否定することはできない。
 クロノが知る限りソラが剣を抜いたのは「G」と戦うためとアズサを守るための二つ。
 アズサを守ることがいけないことだとい言うことは口にできなかった。

「正直ソラが管理局に協力していることは驚きだよ」

 何も言い返せない。ソラに無理を言って協力を仰いだのは管理局だ。

「でもそれもいいと思っていた。彼が過去と決別して新しい幸せを見つけられるなら。だけど――」

 クライドの細められた眼光に思わずクロノは息を飲む。

「これは何だ!? ソラを散々頼っておいて、手の平を返したような扱いは!?」

「それは仕方がないことなんだ。「G」に対してソラの力は必要だったし、アズサのことは上層部が決めたこと。今回のことだって」

「……まるで自分のせいじゃないって言い方だな」

「そんなこと――」

 クライドの厳しい顔を見ただけで反論は封じられる。
 大きいとクロノは思った。
 半端な気持ちは一切許さず、誤魔化すこともできない。
 揺るがない何かを持って行動する様はソラによく似ていた。
 いや、この場合はソラがクライドに似ているのだろう。
 そう思うと目の前の男に怒りが湧いてくる。

「クロノ、お前は今まで自分の意思で何かしたことはあるのか?」

 父親の顔をして諭すようにする顔が憎らしい。

「決められた正義をただ遵守しているだけなら、ソラと本当に向き合うことなんてできないぞ」

 そして、息子よりも他人を心配している様に憤りを感じずにはいられない。

「…………さい」

 こんな男の背中を目指してわけじゃない。
 母さんの悲しみ、恩師の無念。様々な傷を残して消えたこの男は今管理局を否定する。
 その姿はとても英雄といわれ思い描いていた父の姿ではなかった。

「うるさい! 今さら父親面なんてするな!」

 気付いたら叫んでいた。
 そして、今まで溜め込んでいた不満をぶちまけていた。

「どうして今さら帰ってきたりするんだ!?」

 今この場において関係ない話でもクロノはそれを止められなかった。

「闇の書事件が終わって、ようやく止まっていた時間が動き出したのにどうして惑わせる!?」

 受け入れることができなかった。
 物心がつくよりも早くにいなくなってしまった人。
 それでも何度も話に聞いた理想の人。

「憧れていた、尊敬していた、なのにどうしてそんなことを言う!?」

 理想は失望に変わって目の前にある。
 こんな男は母が、恩師が語ってくれた人だとは思えない。
 ソラを逃がすために犯罪行為に走った人間なんて父親だなんて認められない。

「クロノ……」

 それに対してクライドは――

「いつまで甘えたことを言っている」

 どこまでも厳しい言葉をぶつけた。

「今さら父親面するつもりなんてするつもりはない。そんな資格なんてないのは自覚している」

 自嘲し、それでもと、クロノを真っ直ぐクライドは見返す。

「お前はもう執務官だ。自分で決めて行動するべき人間だ」

「そんなの分かってる!」

「分かってないだろっ!」

 クライドの一喝にクロノは気押されてしまう。

「お前は何も考えてない。ただ上の命令を聞いて行動しているだけだ」

「そ……それの何がいけないっていうんだ!? 組織っていうのはそういうものだ!」

「だからアズサを犠牲にすることも、ソラを利用することも何にも感じないのか?」

「あんたに何が分かる……」

 先程のスティンガーブレイドを見ただけでも分かる。
 構築速度に、射撃精度、操作性、弾速、威力。
 何を取っても今まで見たこともないほどに完成された、自分が使う同じものと比べて雲泥の差の代物だった。

「僕たちはあんたと違うんだ! 僕にはあんたたちみたいな力なんてないんだ!? それでも僕たちはこの世界を守らなければいけないんだ」

 だから、力ある者を利用して何が悪い。
 万能の力がないから何かを犠牲にしなければいけないのだ。

「……十二年だ」

「……何のことだ?」

「あの子が魔導資質を失って、あれだけの力を手に入れるために費やした時間だ」

「それが何だって言うんだ!?」

「生まれ持った才能を失って、零から強くなった」

「僕だって、あんたがいなくなって努力してきたんだ! それでも――」

「ソラは死に物狂いだったよ。いや、今でも同じだ」

 努力をしてきたのはソラだけじゃない。
 自分だって他の同年代の人たちよりも厳しい訓練を積んできた自負がある。
 それなのにこの男はそれをないがしろにする。

「もう……しゃべるなっ!!」

『スティンガーレイ』

 激情に任せてクロノは魔弾を撃つ。
 それも一発だけではなく息が続く限りの連射。
 クライドはそこから微動だに、防御する素振りも見せずに爆煙に包まれた。

「はあ…………はあ…………はあ…………くっ」

 煙が晴れたそこには悠然と水色の剣を傍らに浮かべたクライドがいた。

「その程度か?」

「くぅ……」

『ブレイズ・キャノン』

 クロノの砲撃にブレイドが盾になって防ぐ。
 ブレイドは揺るぎもせずに砲撃を受け切った。

『スティンガースナイプ』

 誘導弾を撃ち、自身も動く。
 動いて撹乱しようにもクライドには動く気配がない。
 背後、クライドの死角から魔弾が迫る。
 クライドはそれを一瞥もせずにブレイドで防いだ。
 巻き起こった爆煙に紛れてクロノは接近する。
 スティンガーレイを撃ち、煙を引き裂き、防御させる。
 その隙に、背後を取り、魔力を乗せたS2Uを叩きこむ。
 その一撃を素早く動いたブレイドが防ぐ。
 それでも――

『ディレイドバインド』

 打撃の前に仕掛けたバインドが発動してクライドの身体に絡みつく。

「どうだ!?」

「それで?」

 バインドにかかったのにクライドは動じた様子はない。
 それがクロノの癇に障る。

「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト」

 クロノは自分がもてる最大の攻撃を放つ。
 百を超える剣がクライドに殺到する。
 だが、クロノは次の光景に自分の目を疑った。

「スティンガーブレイド・トライフォース」

 クライドの剣が三つになる。
 クロノのブレイドとは一回りそれはクロノの視認速度を超えて動く。
 甲高い音を立ててクロノのブレイドが叩き壊される。
 数秒もしないうちにクロノのブレイドは全て破壊された。
 防ぐでもなく、完全に一方的に破壊された。その事実に愕然とする。

「そんっ――」

 叫ぼうとした瞬間に、喉元にブレイドが突き付けられた。
 チクリとした痛みに震えが走る。
 まさか非殺傷設定ではないのかと背筋が凍る。

「クロノ。お前は自分が死ぬことはないと思っていないか?」

「そんなこと――」

「お前と、いや戻ってきて感じたことだ。管理局の魔導師は自分たちが死なないということを無意識に思って戦っている」

 それの何がいけないんだ。誰も自分が死ぬと思って戦っているはずがないのに。

「ソラは自分が死ぬことも考えて戦っている。だから私たちができない一歩を踏み込んで戦える。それがお前とソラの決定的な違いだ」

 剣を突き付けられて熱くなった頭が冷めてくると疑問が浮かんでくる。
 この人は何故、こんなことを話しているのだろうか。
 本気になれば自分なんて一瞬で撃墜されてもおかしくない力の差なのに。
 遊ばれているのか、そうとは感じられない。
 時間を稼ぐなら撃墜してしまった方がずっと手っ取り早い。

「死に愚鈍になれと言ってるわけじゃないんだけど……」

 そんなクロノの心中を知らずにクライドは言葉をじっくりと吟味して話す。

「まあ、ようするに強くなりたいならソラのことをよく観察することだということだ」

「……人殺しから学ぶことなんてない!」

 クロノの言葉にクライドはやれやれと肩をすくめる。
 突き付けたブレイドを戻す。

「私が言いたいことはそんなところだ。あと一つ聞きたいことがある」

「……何?」

「ソラがアズサ・イチジョウを助けようとすることは間違っているのか?」

「っ……それは……」

「よく考えるといい。自分の頭と……心で……」

 クロノにそれ以上言うことを許さないクライドは言葉を遮り、ブレイドを動かす。

「さて、続きを――」

「ぬおおおおおおおおおおおおぉっ!!」

 クライドの言葉を遮って雄叫びを上げてルークスが重戦斧型のデバイスを振り下ろす。
 不意を打ったはずの一撃をクライドは見向きもせずにブレイドの一つで安々と受け止めてしまう。

「驚いた。あのバインドを解くとはね。それでも――」

 こと攻撃力に関しては部隊中トップの一撃を平然と受け止めてクライドは反撃をする。
 ブレイドの一本の薙ぎ払いにルークスは盛大に吹き飛ばされる。
 クライドがルークスに対応した瞬間にクロノは特攻する。
 クライドに対抗できる魔法。それを使うことに抵抗はあったがクロノは躊躇いを捨てる。
 デュランダルを取り出し、水を召喚。
 作りだした水の刃を一気に振り切る。

「くっ……これは――」

 三つのブレイドを重ねて受ける。
 だが、次の瞬間抵抗を失った。
 半身をずらし、ブレイドを傾け、水の刃はクライドのすぐ脇を滑り落ちる。

「クロノ……君の負けだ」

 自由になった三本のブレイドがクロノを囲む。
 そして衝撃。
 意識がブラックアウトしていく。
 それが急激な魔力ダメージによるものだと理解する前にクロノの意識は完全に途切れた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 気がつけば見覚えのある天井だった。
 時間が夜で同じ景色なのにそこが前に目覚めた病室だと理解するのに少し時間がかかった。

「クロノ君……」

 ベッドの傍らには前に目覚めた時と同じようにエイミィがいた。

「クライドさん……辞表を出していたって」

「…………そうか」

 普段の彼女がするとは思えない深刻な顔から出てきた言葉にクロノは気のない返事をして天井に視線を戻す。
 身体に感じるだるさは魔力ダメージ特有のもの。
 もう少し寝ていれば問題なく全快するだろう。今でも無理をすれば動くことはできるはず。
 しかし、動く気力は湧いてこなかった。

「なあエイミィ……僕が目指してきたのは何だったんだろね?」

「あ、あのさクロノ君。あの人が言ったことなんて気にしなくていいと思うよ」

 クロノの心中を察してエイミィが慰める。

「クロノ君がすっごい努力してきたことは私が一番よく知っているんだから」

「そんな努力、意味なんてなかっただろ」

 そう意味なんてなかった。
 同じ時間を費やしたソラは遥か高みにいる。

「はあ……」

 エイミィの溜息。それを肯定と思ってクロノはまたぼうっと思考を巡らせる。
 ゴスッ、そんなクロノの額にエイミィはファイルを振り下ろした。

「つ~~~いきなり何をするエイミィ!?」

 額を押さえて起き上がり、抗議するクロノにエイミィは難しい顔をして言葉を選ぶ。

「えっとね……らしくないよ」

「何がらしくだ!? 僕は事実しか言ってないだろ!」

「事実だけど今さらでしょ? そんな悩み、なのはちゃんたちに会っても感じたことでしょ?」

 エイミィの指摘にクロノは口を閉ざす。
 確かに彼女たちの才能に嫉妬を感じたのが事実なだけに否定できない。

「今のクロノ君はフルボッコにされてネガティブになってるだけだよ」

「フルボッコって……」

 事実ではあるが改めて言われると傷付く。

「あたしには戦うことってよく分からないけどさ。ソラ君はきっとクロノ君の何倍も努力したんだと思うよ」

 エイミィの言葉を黙って聞く。

「だからクロノ君より強いんだと思うけど……」

 言い淀みそれでもエイミィはその言葉を告げる。

「今のクロノ君はなんだか怖いよ」

「僕が……怖い?」

「うん……ソラ君やアズサちゃんよりも」

「訂正しろエイミィ! 僕があんな人殺し……たち……より……」

 自分の口から出た言葉が信じられずクロノは口を押さえる。
 人殺し。
 彼らは本当にそうなのか。
 短い付き合いで感じたソラは本当に凶悪な犯罪者だったのか。
 能力に振り回されて人を殺してしまったアズサは罵られてしかるべきの少女だったのか。

「クロノ君、もしかして二人に先入観持ってない?」

 クロノの心中をエイミィはずばり言い当てる。
 言われて理解がする。
 自分がソラとアズサに恐怖の感情を持っていたことを。
 未知の力を持ち、人殺しと名乗ったソラ。
 数多くの人を殺してきた「G」と同種の力を持ったアズサ。
 エイミィの言う通り、自分は彼らを恐れている気がした。

「……僕の何が怖いんだ?」

 幾分か冷静になってクロノは尋ねる。

「えっとさ……ソラ君はさ、その気になればバリアジャケットなんて関係なしに攻撃できるよね?」

「そうだな……あれはかなり効いた」

「でも、クロノ君は生きてるよね? それってちゃんと手加減してくれていたってことだよね?」

 ソラは「G」を内部から破壊した実績がある。自分が受けた攻撃がそれと同種なものだと認識して冷たい汗が流れる。

「それからアズサちゃんだけど……あの子は自分の力で誰かを傷付けたくないからあんな廃都市区画で生活しているわけだし」

 感情を引き金に暴走する炎の力は確かに恐ろしいものだった。

「二人とも自分の力がどういうものかちゃんと分かっているみたいだけど。クロノ君は非殺傷でも殺傷でも戦い方って変わらなかったよね?」

 クロノは自分の戦い方を思い出す。
 スイッチを切り替えるだけで生殺を決めることができるありがたく便利なシステム。
 殺傷設定を使う時など人形や障害物を破壊する時だけにしか使っていない。
 いや、「G」と、ソラとクライドの二人に使っていた。
 気が付くと吐き気がもようした。
 結論は何も変わらなかった。
 「G」はともかく、自分はソラとクライドを殺すつもりで攻撃していた。
 自覚なんてなかった。通用しそうなものを考えて実行したに過ぎない行動だった。

「あたしは魔導師じゃないから、どっちにしているか分からないからさ――」

 エイミィの言葉なんても耳に入ってこなかった。
 自分の行動は人殺しだった。過失などとの言い訳の効かない完全な。
 もし当てることができたらどうなっていたか。
 「G」を倒すための魔法なのだから威力は非常に高い。
 バリアジャケットを纏っていないソラなんて即死でもおかしくない。
 クライドにしたって大怪我で済むか分からない。
 そんな力を感情に任せて振り回した自分が信じられない。
 これでは彼らを責めることなどできないではないか。

「……そうか」

 ソラの言った言葉が今なら受け入れることができた。

『お前たちより人を殺してない!』

 どんな誤魔化しても自分の手の中にあるのは人を殺せる力。
 そして魔法で、立場で、きっと知らないところで多くの不幸を作ってきたのだろう。
 それを無自覚で振るってきたのは罪だとクロノは思う。

「……エイミィ、部隊の準備はどうなってる?」

「部隊って? 「G」殲滅戦の?」

「ああ……それのことだ」

 エイミィは端末を操作して調べる。

「作戦決行は今日の日没。クロノ君も可能なら参加の要請があったけど――」

「日没か……まだ時間はあるな」

「ちょ!? 何言ってるの? 昨日と今日で二度も撃墜されたんだよ。流石に無理だよ」

 起き上がろうとするクロノをエイミィは押しとどめる。

「無理も無茶も承知だよ。でも行かなくちゃいけないんだ。僕はアズサに言わなくちゃいけないことがあったから」

「クロノ君……それってまさか!?」

 クロノの言葉にエイミィは混乱する。
 当然だろう。部隊に合流して行くのではなく、独断で動くと言っているのだ。それも「G」の巣に。
 普通の神経なら正気を疑う、それはクロノも自覚していた。
 だがクロノの決意は揺るがない。

「迷うことなんてなかったんだ。アズサがどんな出生だったとしても、泣いてる女の子を助けない理由になんてならないんだ」

 それなのに自分たちの無力さを理由に彼女を犠牲にしようとした。
 そんなことをする前にやるべきことなんていくらでもあったのに。
 プライドや先入観による嫌悪感を捨てて、土下座でもしてソラに頼み込むことも。
 ソラと同等の力があると気付くべきだったクライドに相談することだってできた。
 情けない。どちらも私情で考えないようにしたことだった。
 ソラが人殺しだから線引きして深く関わらないようにしていた。
 突然、現れた父にどう接していいか分からないから距離を取っていた。
 アズサを助けるためなら、ソラだって協力してくれたはずだ。

「ああ、そうだこれが僕の目標なんだ」

 憧れを持ったのは法なんてものを理解していない子供の時。
 ただ父のような英雄に、一人で多くの人を救える人間になりたかったんだ。
 迷いが晴れると力が湧いてくる。
 重かった身体が嘘のように軽くなる。

「大丈夫、ソラもアズサの所に向かっているはずだから……だから手助けをしないと」

「ダメだよ、クロノ君死んじゃうよ」

「死ぬつもりなんてないよ……絶対戻ってくる、だから行かせてくれ」

「ヤダ……絶対だめ」

 エイミィは両手を広げてドアの前に立ちふさがる。
 どうしたものかクロノは迷う。
 できれば手荒な真似なんてしたくない。
 だが、もうアズサを助けにいくことを曲げる気にはなれない。
 できれば言葉でどいて欲しかった。

「エイミィ……頼むから――」

 プシュ、クロノの言葉を遮ってドアが外から開かれる。

「何処に行くつもりだクロノ執務官?」

「アキ・カノウ二佐……アズサを助けに行きます」

「…………自分が言っていることの意味が分かっているのか?」

「当然です」

「上層部がアズサ・イチジョウを抹殺することを決めた理由はおそらく彼女の能力が手に余るからだ」

 魔法とは違う能力。それがどんなものか詳細が分かっていなくても異端は混乱を招くものに変わりはない。
 だから、上層部はその混乱の芽を早く摘んでおきたいのだろう。

「例え、助けたとしてもアズサの処遇は変わらないぞ?」

「それは助けた後に考えます。まずは助けないとそれさえも考えられなくなりますから」

「…………意思は固いということか」

「それじゃあ――」

「だが、リンディに借りている君が一人で死地に赴くことは許せないな」

 アキの背後に人の気配が動く。
 それも一人ではなく数人。

「なら、力尽くで行かせてもらう」

 バリアジャケットを展開、S2Uを起動して構える。

「クロノ君!!」

 エイミィの悲鳴を合図にクロノは動いた。









あとがき

 第八話をお送りしました。
 予定としては次の話でクロノに焦点を当てた話は終了する予定です。
 クロノの話のコンセプトは組織と個人。
 あまり長引かせたくないため、クロノの心情の移り変わりを強引に推し進めていますが、御容赦ください。

 次回の九話はバトル主体となります。
 話数を重ねる度に量が増えているので、いつできるか分かりませんができる限り早く投降するように努力します。





[17103] 第九話 命火
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/06/27 11:31

 廃棄都市区画。
 繁栄した都市や社会においてそれは必ずと言っていいほどついて回る裏側の社会。
 発展に取り残された場所。
 広大になりすぎ、治安維持の手が追いつかない無法地帯。
 社会に適応できなかった人たちが集まるスラム街。
 多次元からの住人が多いミッドチルダにおいてはそういった開発を放棄された街が数多く存在している。
 その場所もそんな社会から弾かれた街の一つだった。


「もう……追ってこないか」

 バイクで走りだして数分。クライドが時間を稼ぐとか言っていた割にすぐに追手は現れた。
 役立たずと罵りながら、慣れないバイクで全速で走らせた
 信号なんて守っている余裕はなく、時間が経つにつれて追手は数を増やしていく。
 挙句は道を塞がれるは、魔法を撃ち込まれるはで酷い目にあった。
 バイクの操縦で手一杯だったせいで反撃ができなかったため、余計に時間を浪費することになった。
 その分、操縦に慣れたがそんなことは何の慰めにもならない。
 ハイウェイに入り、通行止めのバーを壊したあたりからうるさいサイレンの音はなくなっていった。
 理由は分からないが、諦めてくれたのなら好都合だ。

「……急がないと」

 時間を確認、今は正午を少し過ぎたところ、クライドの調べでは襲撃は日没と同時にしかけるらしい。
 アズサの居場所を見つけること、予想される戦闘、脱出のことを考えれば時間はいくらあっても足りない。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 そんなソラの姿をビルの屋上から見下ろす二つの人影があった。

「……あれは管理局の魔導師ですかね姐さん?」

 一人は男。長い黒髪を無造作に束ねた、野性児のような印象の男は近付いてくるバイクを見て呟く。

「魔導師じゃないけど要注意人物の一人ね。
 都市部に放った手駒はほとんど彼一人にやられているわ。手段は単純に剣による斬殺」

 答えたのは女。淡々とした口調で男の疑問に答える。

「へえ……あいつが……」

 男の目に獰猛な光が宿る。

「それにしてもおかしいわね。彼はあの方にだいぶ痛めつけられたはず。生きていたとしても昨日今日で動ける怪我ではなかったはずなのに」

「そんなのどうだっていいじゃないッスか。要するにあいつは敵で、近付いてきている。ならやることは一つ」

 男は背中に三対六枚の金色のフィンを展開して……飛んだ。

「待ちなさい、レイ。まずはあの方に――」

 人の話を聞かずに飛び出した男にやれやれと女は肩をすくめ、その背に白い翼が現れた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 感じた気配にソラは咄嗟にブレーキをかけてバイクを倒し、後輪を滑らせて無理矢理止める。
 ドンッ!! 次の瞬間、目の前に空気を引き裂く轟音を立てて雷が落ちる。
 落雷の衝撃を受け切れずにソラは宙に投げ出される。が、すぐに体勢を治して難なく着地する。

「……いい反応するじゃねえかよ」

 作りだされたクレーターから一人の男が出てきた。
 がたいのいい野獣のような男。
 その背には昆虫の羽に似た三対六枚のフィンが広がっていた。

「……HGS能力者」

 しかし、感じる気配はアズサやあの人とは違う、魔力が混じったものだ。

「いや、「G」って呼んだ方がいいのかな」

「管理局じゃ、そう呼んでるらしいな。まったく不愉快だぜ」

「不愉快?」

「だってそうだろ!? よりによって「G」だぞ! まるで家庭内害――」

 ドゴンッ! 突然振ってきた瓦礫によってソラの視界から男が消えた。

「……まったく何を言い出すかと思えば」

 白い目を瓦礫に向けて女が降り立つ。その背に広がるフィンにソラは息を飲んだ。
 鳥のような、天使を思わせるフィンに心臓が早鐘のように鳴る。

 ――落ちつけ、彼女じゃない。

 胸を抑えつつ自分に言い聞かせる。
 同じ形状のフィンでも、その容姿は似ても似つかないまったくの他人。
 それでも動揺を抑えるのに数秒かかった。

「もう……いいかしら?」

「わざわざ待っていてくれたの? 随分と親切だね?」

「私の美貌に見惚れている相手に水を差すなんて無粋なことするわけないでしょ」

 長い髪を手で流し誇張する女にソラは引く。
 確かに彼女のフィンに見入ってしまったが、それをここまで勘違いするとは。
 どうしたものかと考えていると、彼女の背後にできたばかりの瓦礫の山をガラガラとかき分けて先程の男が出てきた。

「いきなり何すんですか姐さん?」

「貴方こそいきなり何をトチ狂ったこと言ってるのかしら?」

「いや、だってさ――」

「ん……?」

「…………何でもありません」

 睨みの一つで男は黙る。
 そんな光景を見つつ、ソラは戸惑う。

 ――何だろうこの空気は。

 アズサを助けるためにいろいろと覚悟を決めてやってきたのに、最初に相対したのがコントのコンビのような二人組。
 ああいったやり取りは嫌いではない。しかし、すっかり毒気を抜かれてしまった気分だ。
 溜息を吐いて気付く。
 いつの間にか肩の力が抜けて、頭もスッキリとした気分だった。
 考えてみれば、アキに対して啖呵を切ってからずっと気を張り詰めていた気がする。
 頭が冷えたのは良いことだが、それがおそらく、敵のおかげというのは間が抜けているとしか思えない。
 とりあえず気持ちを切り替えてソラは二人を改めて見据える。

「最初に確認しておくけど、あの道化師の仲間で間違いないよね?」

 ソラの言葉でグダグダだった空気が引き締まる。

「そういう貴方は管理局のジョーカーで間違いないかしら?」

 女の背後の瓦礫が浮かび上がる。
 サイコキネシス。
 ソラの知識の中ではそれはHGSの中で一番オーソドックスな能力だった。
 平たく言ってしまえば手を使わずに物を動かせる力。道化師も使っていた力だ。

「管理局とは手を切ったけど……アズサを返しにもらいにきたよ」

 自分のデバイスとも言える柄を抜き、スイッチを入れて刃を出して構えを取る。

「アズサって……あのフェザリアンのことか?」

「そうだよ。だいたいお前たちはあの子をどうするつもりなんだ? フェザリアンの資料は北天の魔導書の中に全部あるはずだろ?」

「俺たちだって大将が何でいまさらあんな劣等種が必要なのかなんて知らねえよ」

「劣等種? 随分な言い方だね……君たちはその紛いもののくせに」

「はっ……一緒にするな。俺たちはなあ――」

 ゴスッ、男の後頭部に女が操った意思が命中してそれ以上の言葉を強制的に黙らせる。

「……喋り過ぎ」

「……すいません姐さん」

 頭を下げて男は構えを取る。
 もう少し、情報が欲しかったがこれ以上は無理だろう。

「お前が倒していた奴はなあ、あんな姿になっても元は仲間なんだ。仇は討たせてもらうぜっ!」

 言葉と共に男が飛び込んでくる。
 その速度は想像よりもずっと速い。
 咄嗟にソラは剣を盾にするように構える。

「そんな細い剣で俺様の拳が止められるか!」

 止める気は初めからなかった。
 男の拳が刀身に触れた瞬間、ソラは剣を傾けてその威力を流す。

「へ……?」

 手応えのなさに間の抜けた声をもらして男が突進の速度そのままに横を通り過ぎていく。
 ソラは意識を一時男から切り離して前方に集中する。
 飛来する無数の石の飛礫。
 それを強引に剣で切り裂き、隙間を縫うようにして突き進む。

「ぬああああああっ!」

 背後の悲鳴を無視。
 肉薄した女は驚愕の顔をするが躊躇わず、剣を振る。
 魔法の盾、これまでの「G」のフィールドならば容易く切り裂けたが、歪んだ空間が剣を音もなく受け止めた。
 そして頭上の動く気配にすぐさまその場から飛び退く。
 自分の大きさほどある瓦礫が目の前に降り注いだ。
 さらに追いかけるように次々と瓦礫が降ってくる。
 ソラは女を中心に円を描くように走り、その弾幕の合間にナイフを投げる。

「……くっ!?」

 ナイフは女の肩に刺さり、飛礫の弾幕が途切れる。
 その隙を逃すまいと追撃をかける。

「させるかよっ!」

 しかし、戻ってきた男の奇襲を避けるための行動によってそのタイミングを失った。

「奇襲に声を出すのはどうかと思うけどな」

 気配に意識は割いていたから接近は気付いていた。それに声のおかげで回避することは簡単だった。
 男の拳を避け、すれ違い様に膝を腹に叩きこむ。

「ぐお……」

 打った腹を押さえてその場にうずくまる男。
 そこに爪先で彼の顎先を蹴り上げた。
 そして、飛んできたナイフを掴む。

「なんて……デタラメな」

 ナイフが飛んできた先、女は肩を押さえながら毒づく。
 そんな姿にソラは溜息を吐く。

「……アズサの居場所、教えてくれないかな?」

「この程度で勝ったつもりかしら?」

「そ……そうだぜ俺たちはまだ……」

 立ち上がった男は三秒も持たずにフラつき尻もちを着く。
 わけが分からない顔でもう一度立ち上がり、同じように倒れる。

「てめぇ……何をしやがった!?」

「人の顎先って急所の一つなんだよ。そこを打てば脳震盪を狙える」

「急所だからって俺たちの身体は人間なんかと違うはずだ!?」

「同じだよ」

 勘違いをしている男に現実を突き付ける。

「脳の位置、内臓の位置、骨格、関節、人の姿をしている以上その作り方は変わらない。現に君はこうして立てなくなっている」

 だからと、女の動きを気にしながら続ける。

「はっきり言って、人間の形をしているから今まで相手にしていた奴らよりもずっと戦いやすいよ」

 その言葉に絶句する気配が二つ。
 だがそれも事実だった。
 魔法とは違う能力体系の超能力。
 確かに魔法と比べると発動が早く、それでいて威力もあるのは脅威だが対応できないものではない。
 理性を持って力を行使するなら、その気配は視線やわずかな仕草で読み取ることができる。
 異形の「G」は獣の身体の上に本能で戦っているから読みにくいが、その分攻撃パターンは単純。
 気をつけるべきなのは驚異的な膂力による攻撃だが、獣と比べれば人型の身体能力は低い。
 そしてなにより、目の前の二人は能力や身体能力に任せた攻撃なので、まだクロノ達の方が強いのではないかと思えてしまう。

「そ、そんな馬鹿な……」

「くっ……」

 愕然と、悔しそうにする二人にソラはどうしたものかと言葉を探す。
 アズサを助けることが目的であり、戦うことじゃない。
 魔導師にはない本気の殺意を伴った攻撃とはいえ、戦うということは本来がそういうものだから文句はない。
 それにしたって戦い方が素人くさくて本気になれない。

「ほら……僕は弱いものいじめなんてしたくないし」

 選んだ末の穏便に引いてもらうための言葉に二人は沈黙した。

「……聞いてる? 君たちに用はないから怪我をしたくなかったらアズサの居場所を――」

 半身を逸らす。そこに雷撃が走り抜けた。
 話に時間をかけ過ぎたのか、それとも「G」の回復力か男は立ち上がっていた。
 その上、まとう気配が一変していた。

「お前たち魔導師はいつもそうだ……魔法が使えないからって人のことを見下して……」

「いや、僕は魔導師じゃないから」

「ようやく手に入れた……お前たちをぶち殺すための力だ。こんな程度で終わるかよ!」

「だから――」

 ソラの言葉を無視して、男の周囲に無数の電気の火花が弾ける。
 先程と比べ物にならないほどの電撃を無作為に周囲にばらまく。
 それに伴って光を増すフィンにソラは目を細めた。

「なるほど……そういうことか」

「死ねっ!!」

 電撃の槍が放たれる。
 それはまさに黒雲から光の速さで落ちる雷。
 それを見てから回避するなどできるはずがない。
 だから、それが放たれる前にソラは動いていた。
 突き立った瓦礫を盾にするように走る。

「くそっ……ちょこまかと」

 だが、ソラの身体を隠せる大きさの瓦礫は砕かれ、少なくなっていく。
 それでも一つ一つ壊し、ソラの逃げ場を少しずつ奪っていくことを考えるほどに男の気は短くなかった。

「サンダーブレイクッ!!」

 本物の雷とも思える一撃が頭上から降り注ぎ、その衝撃が周囲を薙ぎ払う。
 直撃など考えない一撃に煽られてソラは吹き飛ばされる。

「もらった!」

 空中、それも未だに体勢を整えていないソラに続く雷撃の槍を避ける術などない。
 男もこれで自分の勝利を確信した。
 バリアジャケットがないソラにとって直撃はそのまま死につながる。
 咄嗟にソラはナイフを投げる。

「なっ!?」

 命中の直前に雷撃は曲がり、投げたナイフに命中した。
 それでも帯電の余波が肌を焼く。
 それを無視してソラは着地、身体を引き絞る。
 男が驚愕から覚める前に地面を蹴った。
 持っている技の中で最大の射程と速度を持つ突きは男の肩を捉える。 

「くっ……だが捕え――」

 肩を刺されても男はひるまずソラの腕を掴む。
 だが、その行動に対してソラは左の剣を抜いていた。

「なっ……!?」

 絶句する男にソラはためらずそのまま、剣を突き出す。
 だが、突然左腕が折れ、刃は男の脇腹をかすった。
 それが女の念動力によるものだと気付く前に衝撃が走った。

「おおおおおおおおおおおっ!!」

 咆哮を上げ、男は掴んだ腕に電流を流す。
 だが、それだけで終わらずに力任せに拳を振り抜いた。
 ベキベキ、骨が折れる音と感触を受けてソラの身体を拳の勢いを使って投げ飛ばされる。
 そして受け身も取れずに地面を転がった。

「姐さん、助かりました」

 振り返って男は女に頭を下げる。

「しっかし、とんでもねえ奴だな」

「殺したの?」

「手加減なんて考えていられないですよ」

 身体に走る激痛を無視して立ち上がると同時に駆け出す。
 
「レイ、後ろっ!」

「え……?」

 女の叫びで振り返るが、遅い。
 電撃を受けて壊れ刃を作れなくなった剣を捨てて、新たな投剣用ナイフを抜き、放つ。

「うわっ……!?」

 咄嗟に出した腕に投剣が突き刺さる。
 その間に距離を詰めてスライディングで足を絡め取る。
 うつ伏せになる様に引き倒し、その背中を踏みつける。

「お前……何で生きて――」

 そして別のナイフでフィンを切り裂いた。

「ぎゃあああああああああああああああああ!」

 もう一枚を切り裂くことはせずにそのナイフを女に向けて投げる。
 不可視のフィールドがナイフを弾き飛ばした。

「…………化け物」

「……まあそう言われても仕方ないよね」

 苦笑してソラは折れた左腕を見る。
 折れただけではなく電撃による火傷。
 それが見ている間にも時間を巻き戻したかのように治っていく。
 唐突に覚えのある頭痛が走る。

「なるほど、それが君の魔導書の恩恵か……」

 突然現れた背後の気配にソラは素早くその場を飛び退く。
 そこに立っていた道化師の仮面の男を見据え、ソラは答える。

「そんなんじゃないよ。これは呪いだよ」

 十二年前のあの時から変わってしまった身体。
 どんな傷を負ってもすぐに治ってしまうが痛覚は消えたわけではない。
 死ぬほどの痛みを受けても死ねない苦痛。
 そしてなにより、どんなに死にたいと思っても、どんなに殺されても生かされ続けることは地獄としか思えなかった。
 まあ、大怪我をしてもその日の内に完治していることはこんな時にはありがたいと思えるだけに一方的な非難はできないのだが。

「そういう北天の魔導書は『後天的魔導師の開発』が技術なの?」

 その言葉に道化師の気配がかすかに揺れた。

「フェザリアンの能力を基本ベースにして、能力行使に使われる体内エネルギーを魔力素で代用。
 そのリア―フィンは周りの魔力素を集めるためのいわばアンテナの役割をしているってとこかな?
 だから、君たちはフェザリアンと魔導師の中間の存在。僕が感じていた違和感の正体だよ」

「素晴らしい」

 ソラの考察に道化師は拍手で称賛した。

「見事な洞察力と分析能力だ」

「でも、一つ分からない。いくら後天的に魔導師の資質を持たせることができたとしても、普通の人間には魔力を操る感覚や制御のための演算思考はまねできないはず。
 この二つは本能に刷り込まれたものだからね。それを可能にさせているのはどういうこと?」

「それは教えて上げてもいいけど、一つ提案がある」

 勿体つける様な素振りを見せて道化師は告げる。

「私たちの仲間にならないかい?」

「ありえ――」

「ないことはないだろ? 君は管理局と利害関係だけで協力していたんだから」

「……だとしても僕に何の利がある? それに目的も分からない奴に協力なんてできないよ」

「私たちの目的は管理局の崩壊だよ」

「それで?」

「……それでって?」

「管理局に喧嘩ふっかけているんだからそんなの分かっているよ。
 僕が聞いているのは管理局を壊して何がしたいのかっていうことだよ?」

「……君は今の管理世界をどう思う?」

「政治的なことなら僕はあまりよく分からないんだけど」

「難しいことじゃない。君だって管理局による理不尽で居場所を失った人間なのだろ?」

「それは……そうだけど。それは――」

「仕方がないことか?」

 遮られて言葉に口をつぐむ。

「管理局が行っていることは突き詰めれば『切り捨てる』という行為だ。
 自分たちの手に負えないもの、自分たちの害になるものをあらゆる手段を使って排除する。
 そして、わずかにでもそんな可能性があるものもその対象になる」

 それには思い当たる節があった。
 十二年前のこと。
 「G」に対抗するために強引に自分を引き込んだこと。
 アズサに対して取った処置のこと。

「彼らはそんな管理局から切り捨てられた者たちだよ」

 道化師は後ろの二人を一瞥して続ける。

「それは時として必要なことなのだろ。だが、今の管理局はその行為に酔いしれている」

 それはクロノに言ったことと同じだ。

「まあ、言いたいことはだいたい分かった。まとめると管理局が腐り気味だから処分したいっていうこと?」

「そんなところだね」

 溜息を吐いてソラは考える。
 道化師の考えは理解できるものだった。
 ソラ自身もアキやクロノの関わって彼らの選民的な意識に触れている。
 大を生かすために小を殺す。
 その理屈は分かっても、切り捨てられた小だった自分からすればその行為は納得できるものではない。
 そして今では自分も管理局から追われる身になっている。

「仲間になればアズサをどうする?」

「…………彼女のことは諦めた方がいい」

 沈痛なものを押し殺した言葉にソラが言葉を返そうとした瞬間、遠くで覚えのある気配が膨れ上がる。

「この気配は……まさか!?」

「北天の魔導書に目を付けられたんだ。もう、あの子は戻れないよ」

 その言葉が示す意味にソラは胸が締め付けられる痛みを感じた。

「なんで!?」

「北天の魔導書は自分の身体にフェザリアンを求めていた。
 「後天型魔導師」はその途中経過に過ぎないんだよ」

「くそっ……」

 それ以上話している気になれなかった。
 足下に転がっている剣の柄を拾って駆け出す。

「君も王だったなら奴らのやり方は知っているはずだ。
 彼女が望む望まないにしても、抵抗なんてできるはずがない」

 道化師の横を駆け抜ける。
 彼は特に何もせずにそれを見逃した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「よかったんですか大将……行かせて」

 遠ざかっていくソラの背を見送っているとレイが声をかけてきた。

「構わないさ。私たちに彼と戦う理由はないんだから。それよりも、どうだった?」

「……とにかく強かったです。まるで手品でも使っているみたいにわけが分からなかったです」

「私も同じです。こちらを見ていないはずなのに全て見透かされているようで……」

 安堵を息を漏らしてフィンを消したアンジェが続いて応える。
 不死の身体という予想外のことがあっても、二人は能力で圧倒し、一度は殺した。
 それなのに完敗したような憔悴ぶり。

「あれが王の力ですか?」

「いや、違うね。彼の魔導書にはそんな力はない」

 北天の魔導書や、夜天の魔導書。それ以外の魔導書のどの技術も多かれ少なかれ魔力は使われている。
 魔力を伴わないソラの戦闘能力は魔導書の技術によるものではない。

「断言しますね。あいつのこと知ってるんですか大将?」

「ああ、よく……知っているよ」

 感慨深く、レイの言葉に頷く。

「まさか生きていたとは思わなかったよ」

 あの顔つき。
 前の管理局で会った時は闇にまぎれて気付かなかったが、自分があの顔を見間違えるはずがない。

「くくく、なるほどヒドゥンによる影響か……さしずめ闇の書の呪いと言ったところか」

 不死の身体になった経緯も予想できる。
 あの場でソラが失ったものは全てだろう。
 家族、名前、魔力、そして死ぬことさえ奪われた。
 その痛みは自分のことのように理解できる。

「今はソラか……お前はそちらにいるべきじゃない」

 見えなくなった背中に向かって道化師は言葉を紡ぐ。

「アズサ・イチジョウ以上に……世界は決してお前を認めないだろう」

 ソラは必ず自分たちの仲間になる。
 彼の真実にはそれだけの理由がある。
 口元が緩むのを抑えられない。これは歓喜だろう。
 レイやアンジェのように利害の一致が繋ぐ協力関係ではなく、本当の意味で共感し理解できるのは彼しかいない。
 そんなものあるはずないと思っていたものが、それが目の前に現れた。
 そして、彼を理解できるのも自分だけなのだ。

「待っているぞ、ソラ」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 また、繰り返した。
 自分のせいで人が傷付いた。
 血が飛び散り、むせ返る臭いが立ち込めた通路。
 そこに血まみれになっても立ち続ける少年。

 ――もういい。

 その言葉が言えなくて、目をつむり、耳を覆った。

 ――もうやめて。

 倒れても立ち上がる少年に感じるのは申し訳なさ。

 ――わたしはそんなことしてもらえる人間なんかじゃない。

 その言葉は最後まで言えなかった。
 何もできず、ただ傷付けてばかりの自分。
 そんな生きている価値もない自分なんかのためにこれ以上誰かに迷惑をかけたくなんかない。

「本当にそう思っているのかい?」

 不意にかけられた言葉にアズサは膝にうずめていた顔を上げる。

「…………誰?」

 そこには誰もいない。それでも声だけは響く。

「私は北天の魔導書と呼ばれている。まあ、それは気にしなくていい」

 アズサの疑問を軽く流して彼、いや彼女だろうか、は続ける。

「それで君は本当に全て自分のせいだと思っているのかい?」

「だって……そうじゃないですか。わたしのせいでみんな……」

 義父さんもソラも、わたしに優しくしてくれた人はみんな傷付いて、いなくなってしまう。

「わたしなんて生まれてこなければよかった」

 そうすれば誰も傷付けず、こんな苦しい思いなんてしなかった。

「私はそうは思わない」

 思わぬ言葉に俯きかけた動きが止まる。

「生まれてきた者には必ず意味があると私は思っている。
 私は君たちのような魔導師とは違う進化をしたフェザリアンのことを研究している。
 そんな私が君に会えた。それだけで私は君が生まれてきてくれたことを感謝するよ」

「そんなこと……初めて言われた」

「それは不幸なことだね」

 同情するように、アズサの気持ちが分かっていると言うように北天の魔導書は頷いてくれる。

「理不尽だと思わないかい?
 魔導師はその力は好き勝手使っているというのに、君はその力を抑え込まなければいけない」

「それは……わたしの炎は人を傷付けるから」

「そうやって抑え込むから力は暴走するんだよ」

「え……?」

 そんなこと考えてもみなかった。
 思わず北天の魔導書の言葉に聞き入ってします。

「溜め込むことには限界がある。限界に達してしまえば暴走するのは当然のことだ」

「それじゃあ……どうすれば?」

「簡単だよ。君の思うままに力を使えばいい」

「わたしの思うまま……」

「そう……何も気にすることなくその炎を使えばいいんだ」

「でも……それは……」

「知っているかい? フェザリアンは魔導師によって絶滅させられたんだ」

「うそ……」

「うそじゃない。魔導師はフェザリアンの力を危険を恐れて殲滅した」

「でも……それじゃあ、やっぱり……」

「そして、管理外世界に未だに不完全ながらフェザリアンとなろうとしている者たちがいる」

「本当に!?」

 自分と同じ存在がいることに、半ば信じられないと思いつつもアズサは詰め寄っていた。

「本当だとも……でも、管理局が彼らを見つけたらどうするかな?」

 そんなこと容易に想像できる。
 自分にしたように、そして昔の魔導師がしたように、ただ魔法とは違う能力を持ち、人とは少し違う身体というだけで化け物扱いする。

「そんなことが許せるかい?」

「……だめ……そんなのいや」

「そう……彼らを守れるのは君しかいない。君にしかできないことなんだ」

「わたしにしかできない……」

 北天の魔導書の言葉が頭の中に染みわたって響く。

「奴らを倒さなければいけない敵だ」

「敵……」

「君の仲間を殺し回る憎むべき敵だ」

「憎むべき敵……でも……」

「憎いだろ? 君を迫害し、孤独に追いやった魔導師たちが。君はまたあの地獄に戻りたいのかい?」

「いやっ!」

 あの鉄の暗い部屋に戻るのは絶対に嫌だ。

「それなら戦わないと……自分の居場所と仲間を守るために」

 そうだ。戦わないとあの地獄に戻ることになる。
 自分と同じ思いをする人が増えるのもいや。

「さあ、目を覚ますんだ。目の前にいるのは君の憎むべき敵だ」

 不意に意識が白く霞んでいく。
 まるで夢から覚めるような感覚。

「思う存分戦って、私に君の……フェザリアンの力を見せてくれ」

 北天の魔導書の言葉を頭に染みわたらせてアズサは目を覚ました。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「た……助けて……」

 管理局の魔導師が這いつくばってこちらに手を伸ばす。
 恐怖に顔を引きつらせながら少しでもその場から離れようともがく。
 ソラの死角になる、魔導師が出てきた扉のなくなった部屋から炎が走る。
 悲鳴を上げる暇さえ与えず炎は魔導師を包んだ。
 後に残ったのは人の形をした消し炭だけだった。

「…………アズサ」

 ゆっくりと部屋から出てきた少女にソラは顔をしかめる。
 鋭いナイフのようなフィンを背に輝かせ、自分のコートを身にまとった悠然と立つ彼女には管理局で会った時の気弱な気配など微塵もなかった。
 俯いて表情はうかがえない。
 それでも気配には人を焼き殺した動揺がない。

「あ……ソラ。よかった無事だったんだ」

 顔を上げ、邪気のない笑顔でアズサはソラを見つけて喜んだ。

「アズサ、君は今……何をしたか分かっているの?」

「何をって……敵を殺したんだよ」

 臆面もなくアズサは言って、消し炭になった腕を踏みにじる。

「北天の魔導書が教えてくれたんだ。わたしは我慢なんてする必要なんてなかったんだって。
 だって、こいつらはずっとひどいことしていたんだよ?
 ううん、わたしだけじゃない。わたしの御先祖様もこいつらに殺されたんだよ」

 だから殺されて当然なんだよ、笑って言える彼女など見るに堪えなかった。
 抑え込まれていた負の感情の爆発。
 抑え込んだ時間が長ければ長いほど、犠牲にしてきたものが大切であるほど、それの爆発は恐ろしいものになる。
 北天の魔導書に騙されたわけじゃない。
 これはアズサの心の深くで眠っていた闇。
 理不尽な運命を呪い、憎む思いはソラも十分に知っているものだ。

「ふーん……ソラもわたしと同じだったんだ」

 まるで心を見透かしたかのようなもの言い。
 いつの間にアズサはソラの手を取っていた。
 それが精神感応だと気付いた時にはアズサの手は離れていた。

「アズサ、僕は――」

「ねえ……これからどうしよっか?」

 ソラの言葉を遮って、アズサがはやり気軽な言葉を投げかける。
 それはまるで初めてのデートに舞い上がる女の子の姿にも見えたが、周りの景色がそれと不釣り合いに殺伐としているせいで異様なものにしか見えなかった。

「まずは……周りの魔導師たちを皆殺しにして」

「ちょっと待って……周りの魔導師って何さ!?」

「えっとね……すごい数の魔導師がこっちに近付いてきてるんだよ」

 ここが室内で、ソラが感じられない距離の魔力を感知していることに息を巻くと同時に時間を確認する。
 日没までには時間はまだある。
 それなのに管理局が動き出したのは偵察部隊がアズサにやられたからだろうか。

「すごいよね……みんな、わたしを殺したくて集まったんだよ」

 遠くを見る彼女の瞳に暗い影が落ちる。

「アズサ……」

「大丈夫だよ。わたしはもう逃げないから……戦うから」

 決意に満ちた顔、言葉だけ見て聞けば立派なものかもしれないが、ソラにはそれがいびつに歪んでいるものにしか見えなかった。
 だから、もう限界だった。

「……こんなことしちゃダメだよアズサ」

「え……?」

 軽快なステップで踏み出したアズサが振り返る。

「こんなことしたって意味なんてない。最後に後悔するのは君なんだよ」

「後悔なんてしないよ。する必要もないでしょ? あの人たちはわたしを殺そうとしている、ならわたしがやり返してもいいでしょ?」

「本当にそれでいいと思っているの?」

 確かに相手は殺すつもりだけど、それだからって殺し合っても何もならない。
 いや、自分の方から折れる必要がないのは分かるのだが、アズサの行こうとしている道は泥沼でしかない。

「しつこいなぁ。ソラだって人殺しのくせに……」

「っ……だから、言ってるんだ。人を殺して元の生活に戻れると思ってるのか!?」

 痛い所を突かれて思わず声が荒くなる。
 それにアズサは身をすくませてから、ソラを睨みつけた。

「わたしはあんなところに戻りたくなんてない!」

 そのあまりの剣幕にソラは思わずたじろぐ。

「そっか……」

 アズサはゆらりとソラに向き直る。
 彼女のフィンの輝きが増す。
 それに伴って剥き出しの殺気が向けられる。

「アズサ……何を?」

「ソラはわたしをあの地獄に連れ戻したかったんだ……」

「ちょっ……ま――!?」

 ソラの言葉は途中で遮られ、炎が溢れ出した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……返すね」

 胸に銀装飾のネックレスが残る焼死体にアズサは無造作に着ていた黒いコートを投げる。
 変わり果てた姿を見下ろしていると不意に笑みが浮かんだ。

「あは……あははは……」

 紅蓮の炎の海となった廊下でアズサの乾いた笑い声が静かに響く。

「ははははは……」

 笑うアズサの頬に涙が流れている。

「誰も……いなかった」

 わたしの味方は誰もいなかった。
 管理局はわたしを殺そうとしていて、ソラはあの地獄に戻そうとした。
 どちらもわたしの敵だった。

『敵は殺せ』

「そうだ……敵は殺さないと」

 敵は殺さないとわたしは不幸になる。
 死ぬのはいや。あの鉄の部屋に戻るのもいや。
 抗うなら戦わないと。
 戦うための力ならある。
 魔導師を簡単に焼き殺し、ソラも彼らと同じ目にあわせた。
 自分の力がここまで強いことを初めて知った。
 そして、北天の魔導書が言った通り使う炎は思った通りに動いてくれる。
 炎だけではない、リーディングもサイコキネシスも普段以上に使える。それに念じて見れば壁の向こうの遠くまで見ることができるようになった。
 この力があればもう誰にも怯えなくて済む。

「みんな……殺せば……わたしは自由になれる」

 自分に言い聞かせるようにアズサは呟く。
 次の敵を探さなくては……足下に転がった人だったものを見ないようにアズサは歩き出して――

「アズサ……これはいったい……?」

 いつの間にそこにいたのだろうか。
 炎に照らされた黒い魔導師の服に身を包んだ小さい少年がそこに呆然と立っていた。

「答えろアズサ! これはいったいどういうことだ!?」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「答えろアズサ! これはいったいどういうことだ!?」

 アズサに付けられたマーカーを頼りに来て、突然起こった覚えのある爆発に駆けつけて見ればそこは火の海でアズサが立っていた。
 それだけならいい。
 クロノの目に止まったのは人の形をした黒いコートを被せられた何か。
 肉の焦げた臭いにそれが何か容易に想像できる。
 それが何を意味するのか想像して、クロノは思わず込み上げてきた吐き気をもよおす。

「君が……やったのか?」

 信じたくないことを恐る恐る言葉にする。

「それのこと? それとも他の人たちのこと?」

 うっすらと笑みを浮かべ、簡単に頷くアズサ。

 ――誰だ。こいつは?

 廃ビルと管理局の廊下で会った気弱な少女はそこにいなかった。
 妖艶、と言うべきか。ある種の自身が身体全体から発せられているようで別人にしか見えないが、彼女の背中のフィンが本人だと示している。

「みーんな、簡単に殺せたよ」

 楽しそうに笑うその顔にクロノは見覚えがある。
 凶悪な犯罪者。それも人を殺すことを楽しんでいるタイプの。

「そんな……」

 あまりのことに言葉がでなかった。
 決意を固めて、無茶と無理ををしてやっと辿り着いた場所ではすでに全てが終わっていた。
 捕らわれの姫君は血まみれの化け物となっていた。
 そうしたのは誰か。彼女を連れ去った道化師か。
 それとも――

「どうして……?」

 管理局の先遣偵察隊を殺したことについては納得できる。
 許せないことではあるが、アズサには自分の命を守る権利がある。

「敵なんだから殺すのは当たり前でしょ?」

「違うだろっ!? ソラは君の味方だったはずだ!」

 彼女の言っていることはその一点で間違っている。
 彼女一人のために管理局と戦うことを躊躇わなかったソラがアズサを裏切るとは到底思えない。

「何を言ってるの? わたしに味方なんているわけないじゃない。
 わたしのことをただの人間に分かるはずない。だってわたしは化け物なんだから」

 自虐的な言葉を平然と口にして笑うアズサにクロノは返す言葉を失う。
 狂ったように笑う様は、泣いているようにも見える。
 アズサの本心がどこにあるのか、それを知る術はクロノにはない。
 それでも――

「僕は君のことを何も知らない……知ろうともしなかった」

 それは自分の、管理局の罪だろう。
 彼女の事情を知ろうともせずに人を殺すほどにまで追い詰め、誰も信じられなくしてしまった。

「僕のせいで巻き込んだ」

 あの廃ビルでアズサに力を使わせてしまったから管理局や道化師がアズサに目をつけた。

「僕が君たちを見逃していれば」

 ソラの邪魔をしなければこんな最悪なことにはならなかったかもしれない。
 考えれば考えるほど、もしもを考えてしまう。
 こんなはずじゃない現実。
 アズサの人生を狂わせたのは自分だと責めずにはいられない。
 そして、ソラの人生を終わらせたのも。
 意見の対立があっても、クロノはソラのことを死ねばいいなどと思わなかった。
 むしろ自分に初心を思い出させてくれて感謝さえしている。

「全部……僕のせいだ」

「そうだよ。だから燃えちゃえ」

 無造作に炎が一直線に迫る。
 しかし、紅蓮の炎は水色の魔法陣にぶつかって散る。

「だから……せめて、僕にできることは……」

 傲慢かもしれない。
 それでも、容易に想像できる彼女の結末と、人を傷付けることを恐れていた彼女のことを考えると自分にできることは一つしか考えられなかった。

「せめて僕が……君を討つ」

 S2Uを構え、アズサに突き付けた。




 爆発が建物を破壊する。

「くそっ!」

 黒煙を切り裂いてクロノは空に逃げる。
 威勢よく啖呵を切ったものの戦況は防戦一方だった。
 予備動作もなく、気付いた時には炎に焼かれていた。
 バリアジャケットがなかったら一瞬で焼き殺されていた。
 それに――

「遅いよ」

 気付いた時にはアズサは背後にいた。
 咄嗟にシールドを展開するが、構築が完成するよりも早くアズサの拳が魔法陣を叩き割り、クロノの背中を打った。
 飛んだ勢いを逆にして、クロノは地面へと落下する。
 なんとか体勢を直して激突を免れるが、全身に走る痛みに膝を着く。

「これが……人型の「G」の力なのか」

 その力には息を巻くしかない。
 魔法とは違う体系の炎や力場を操るだけの力かと思えばそれだけじゃない。
 素人にしか見えない体術なのに、そこに込められている力と振るわれるスピードは自分の師を超えている。
 身体能力のスペックが根本的に違いすぎるのだ。
 超能力と身体能力。これを魔導師ランクに当てはめればオーバーSランクに至っていることは間違いないだろう。

「もう終わり?」

 くすくすと笑いながらクロノの前に降り立つアズサ。

「魔導師って大したことなかったんだね」

 失望したと言わんばかりの眼差しにクロノは反抗するように立ち上がる。

「スティンガースナイプ!」

「だから遅いって」

 クロノの撃った魔弾はアズサに届く前に炎に包まれた。
 すぐさまクロノは飛びながら弾幕を張る。
 しかし、アズサはその隙間をかいくぐって近付いてくる。
 さらには設置したバインドも発動の瞬間にその場を離脱して効果範囲から逃れる。
 まるで悪夢を見ているようだった。
 自分がこれまで積み重ねてきた努力を何の努力もしていない力が蹂躙していく。

「これでおしまい」

「しまった!」

 憤り、魔法の制御がおろそかになったところをアズサは全力で疾走した。
 踏み込みで地面が爆ぜる。
 その勢いはクロノが知っている最速のフェイトに匹敵する程。
 咄嗟に展開したシールドで受け止めるが、衝撃は受け切れるものではなく、派手に吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。

「しぶとい!」

 痛みに動けないクロノにアズサは容赦なく追撃をかける。
 次の瞬間、クロノは炎に包まれた。

「あつっ……く……」

 地面を転がって消そうとしても炎は少しずつ大きくなっていく。

「すぐには殺さないよ。わたしの苦しみを少しでも思い知って死ねばいいんだ」

 アズサの言葉を聞いている余裕はなかった。
 バリアジャケットが意味をなさずに燃えていく。

「デュランダル!」

 展開した召喚陣から水を叩きつけるが、あろうことか水をかけられても炎は消えない。

「あはははは……水をかけたくらいでわたしの炎が消えるわけないじゃない」

 無様にのた打ち回るクロノの姿をアズサは嘲笑う。
 抗うことのできない絶対的な力に絶望感が込み上げてくる。

「調子に乗り過ぎだ」

 不意に響いたあり得ない声に耳を疑った。
 次の瞬間、炎がかき消えた。

「…………ソラ?」

 黒いコート姿の背中。
 この数週間見続けていた、焼き殺されたはずの少年は悠然とそこに立っていた。

「どうして……?」

 信じられない、それはアズサも同じだった。

「ちょっといわくのある身体でね。致命傷は勝手に治ってくれるんだ」

「……化け物」

「ま、否定はできないかな」

 苦笑いをするソラ。
 アズサは顔を引きつらせるとその場から突然消えた。

「……テレポートか」

 ソラが向けた視線の先にはその一瞬で遠く離れ、脇目も振らずに逃げるアズサの姿があった。

「ソラ……助かっ――」

 クロノは立ち上がり、助けられた礼を言おうとしたが腹部に受けた衝撃に言葉を詰まらせた。

「な……に………を」

 たたらを踏んでなんとか倒れるのを耐えるが、ソラは容赦なくクロノの顔を掴み地面に叩きつけた。

「もう管理局は来たのか。日没までまだ時間があるのに」

 クロノの存在を無視するような呟き、アズサを追うために身をひるがえす。

「ま……て……」

 痛みに耐え、いつかのようにクロノはソラの足を掴む。

「アズサは……僕が……ころ――ぐあっ」

 背中を勢いよく踏みつけられて、踏みにじられる。

「そんなことはさせない!」

「だけど、アズサは人を殺してしまった……」

 人を殺したアズサを管理局は決して許さない。
 正直、自分では彼女をどう裁くべきなのか分からない。
 それでも生かして捕まえたところでその末路が悲惨なことは予想できる。
 元々、人間として思われていない彼女だ。そこに人殺しも加われば、それこそただの化け物としてどこまでもひどい扱いを受ける。
 管理局から逃げ続けて安息などあるはずがない。
 捕まっても死よりもつらい運命。
 ならび自分にできることは今の内に楽に殺してあげることしかないのではないのか。
 それに――

「僕はこれ以上あの子が人を殺す姿なんて見たくない」

 絞り出した言葉に、ソラが踏みつける圧力が緩む。

「もうアズサは君が助けたかったあの子じゃない。
 あれは人を殺すことの快感を知ってしまった殺人鬼だ。
 仮に元に戻れたとしてもあの子がその事実に耐えられるはずがない」

 結局、どこに行きついても彼女は苦しむしかない。

「それが分からない君じゃないだろ」

「……分かってるさ……でも……」

 苦渋の顔をするソラの心情はよく分かる。
 彼もまた、アズサがこうなった原因を自分にあると責めている。
 それでも彼女を助け、守ろうとする姿は羨ましいものだが現実は優しくない。

「もう僕たちに彼女を救えないんだ」

「…………人殺しに生きている資格がないって言うならそれは僕も同じだ。それでも――」

 轟音。
 重い爆発音が響き衝撃波が身体を揺らす。
 そして、目の前の廃ビルが傾いた。

「おいおいおい……」

「ちょっと待ってくれよ」

 これはやばい。
 今、まともに魔法行使できる状態じゃない。
 ソラだって魔法はないのだから倒れてくるビルをどうにかできるはずがない。
 それでもこの場をなんとかできるのは自分だけだと、痛む身体に鞭を打って魔法を発動しようと集中する。
 しかし、クロノの魔法ができるより早く緑色の魔力衝撃が落ちてくるビルを吹き飛ばした。

「無事か?」

 そして降り立ったのは重戦斧型のデバイスを肩に担いだルークスだった。

「おっさんまで来たのか」

「誰がおっさんだ俺はまだ二十代だ!」

 ソラの言葉に過剰に反応し、ルークスは改めてクロノを見る。

「あれはどういうことだクロノし――」

 言葉の途中でソラが襲いかかる。
 ルークスはそれを寸でのところでデバイスで受け止めて声を上げる。

「何をする!?」

「何を言っている? あんたたちは僕の敵だ!」

 振るわれた拳をルークスは無造作に手で受ける。

「その体たらくで何ができる」

 はたから見ていてもソラの動きにはいつもの精彩さはない。
 にわかには信じられない死なない身体といっても疲労があるのだろうか。ともかく目に見えて消耗している。

「だったらお前たちはアズサをどうするつもりなんだ?」

 空で炎が弾ける。
 そして、いくつもの魔力の光が瞬く。
 それを見てソラは顔をしかめた。

「…………なんで……管理局が動いたわりには数が少ない」

「私たちは管理局とは別に動いている」

「はぁ?」

「アズサ・イチジョウの死を偽装して逃がすつもりだった……」

「そんなこと信じられるか!?」

「信じてくれソラ……僕たちはアズサを助けるためにここに来たんだ。待機命令を無視して」

 困惑するソラにクロノが立ち上がって説明する。
 一人で行動することを止められたが、アズサを助けたいと思ったのは自分だけではなかった。
 クライドと対峙したルークスの部隊。それに話を聞いていたアキを始めとした司令部のスタッフ。
 みんな懲罰を覚悟して、たった一人の少女を助けようと動いた。

「お前たちは世界のためなら人を殺せるんだろ、なら騙すことだって平気でやる」

「信じる必要はない」

 叫ぶソラにルークスはにべもなく言い切った。

「勘違いするな。私たちはお前に協力するためにここに来たわけじゃない」

「ああ、そうかい」

 掴まれている拳を振りほどき、ハイキック。
 それはルークスのシールドに防がれる。

「ああ、なってしまったら私たちにはもうどうにもできない」

 こちらの話に耳を向けず、危険な力を好き勝手振り回す。

「私たちはたった一人の少女さえ救えなかったようだ……」

 自嘲するように小さくルークスは笑う。
 初心に返った行動は報われなかった。
 それに虚脱感を感じるが、だからといって膝を着くことはできない。
 自分たちには彼女をああしてしまった責任がある。

「だから――」

「だが、お前はまだ諦めていないんだな」

 ルークスの言葉にクロノは言葉を止めた。

「お前は救えると本気で思っているんだな?」

「……僕はこの先の結末を知っている。
 今のアズサの気持ちも分かる。
 でも、生かされても死にたいくらいの後悔しか残ってなかった」

 苦しそうな顔は未だにその傷は癒えていないということだろう。

「でも……アズサはまだやり直せるはずだ。僕とは違って……きっと」

「それで、何ができる?
 今の戦場は空だ。魔法の使えないお前は彼女の前に立つこともできない」

「手ならあるさ」

「そうか……助けは必要か?」

「必要な――いや、近くに北天の魔導書がいるはずだけど……」

「黒幕か……そいつはぶっ潰して問題はないんだろ?」

「強いよ。たぶんアズサよりも」

「問題ない。そんな奴なら躊躇わずに戦えるからな」

「そう……」

 言葉はそれだけ、ソラは踵を返して走り出した。

『各員に告ぐ。アズサ・イチジョウのことはソラに一任した。
 私たちは彼女をかどわかしたロストロギアをぶっ飛ばす』

『了解』

 唱和する返事にクロノは溜息を吐いた。
 誰もまだ諦めていない。
 それなのに自分はまた勝手に見切りをつけた。

「情けない」

「なに年期の差だ。気にするな……それよりもまだ戦えるな」

 クロノは自分の身体をチェックする。
 バリアジャケットを再構成、身体には軽度の火傷、古傷も問題ない。

「はい……でも僕はソラの援護に向かいます」

 アズサのことはソラに任せるべきなのは分かっている。
 彼女の苦しみを知らない自分の言葉が届かない。
 その苦しみを知っているソラの言葉なら届くかもしれない。
 だけど、もし届かなかったら、止まらなかったら、ソラはどうするつもりなのだろうか。
 人を殺す思考ばかりの自分がいやになるが、もしもの時は――

「そうか。分かった」

 ルークスは追及せずにただ頷くだけだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……何?」

 ビルを爆破した直後、襲いかかってきた魔導師たちが不意に後退を始めた。
 初めの攻撃以降は何かをわめいて逃げてばかりで誰も焼けなかった。

「くっ……」

 唐突に現れた頭痛にサイコキネシスの制御が鈍る。
 とりあえずアズサは手近なビルの屋上に降りる。
 そしてサイコキネシスによる飛行を解除して、膝を着いた。

「…………はぁ……はぁ……」

 頭だけではない、息も苦しい、心臓が早鐘のように鳴り響く。

「無理のしすぎだよ」

 響いた声に背筋が凍る。

「いくら君が超能力を使う身体に適していても有限じゃないんだ。
 後先考えないで使えばそうなるのはどんな力も同じだよ」

 恐る恐る見下ろすと彼、ソラがそこにいた。
 焼いても、ビルを倒しても死なずそこに立つ彼に恐怖が込み上げてくる。

「どうして……」

 あれだけのことをしてどうしてまだ追ってくるのか。

「それで……満足できた?」

「満足って……何のこと?」

「これだけ好き勝手暴れたんだ。少しは気も紛れたんじゃないの?」

「……うるさい……もう……ほっといてよ」

 拒絶を口にしてもソラは一歩ずつ近づいてくる。


「ほっとけるわけないよ」

「あなたに何が分かるっていうのっ!?
 人間のあなたに化け物のわたしの何が!?」

「君は化け物じゃない」

「うそっ! うそよ……心の底ではみんなわたしのことを化け物だって思ってるはずよ!」

「まあ、クロノ達はそうだろうけど、僕はそんなつもりはないよ」

「おいこら、少しはフォローしろよ!」

 第三者の声に振り返ってみるが誰もいない。

「今、誰かの声がした……」

「気のせいだよ、それより……」

「でも……」

「それより……」

 軽薄な顔に有無を言わせない態度にアズサは黙るしかなかった。

「もうやめにした方がいい。これ以上続けても意味はない」

「意味がないってどういうこと?」

「管理局は組織だ。どれだけ強い力を持っていても個人でしかない君に勝ち目はない」

「そんなの……やってみなければ分からないでしょ」

「今の消耗で分かるでしょ。君に勝ち目はない」

「こんなの全然平気――」

 着いていた膝を勢いよく立たせる。
 まだ、少しふらつくがまだまだ戦える。

「仮に管理局を根絶やしにして君は……君の大事な人に顔向けできるの?」

「…………え?」

 ソラの言葉にアズサの思考は止まった。

「そ、そんなのできるに決まってるでしょっ!」

 そうだお義父さんはきっと褒めてくれる。
 あの時のように炎をうまく使えれば褒めてくれるんだ。

 ――ほんとに?

「本当に?」

 自問と同じ言葉をかけるソラに思わず息が詰まる。

「……さい」

「本当に君の大事な人は君が人殺しに――」

「うるさいっ!」

 床を砕く勢いで走る。
 こいつにこれ以上喋らせない。
 力尽くで黙らせる。
 そうしないと何か大切なものが壊れてしまう。
 わたしの力は炎だけじゃない。身体能力だけでも常人の数倍の力を持っているそれを使えば素手でだって人を壊せる。
 しかし……アズサの拳は空を切った。

「え……?」

「身体能力は確かにすごいけど、動きが直線的すぎるよ」

 言いながら、ソラはアズサの肩に触れる。
 咄嗟に振り払って距離を取る。
 得体の知れないものを見るような目をアズサはソラに向ける。
 払われた手をひらひらと振って、ソラはその手で手招きをする。

「口で言っても分からないようだね」

 そして腰を低くして構える。
 アズサに格闘術の心得はないが、堂に入った構えに思わず気後れしてしまう。

「…………あ、あああああああああああっ」

 それに抵抗するように声を張り上げて、アズサは走る。
 ステップを織り交ぜ、目を撹乱して背後を取る。
 ソラはまだ振り返っていない。
 いけるっ!
 そう思って突き出した拳にまた手応えはなかった。
 ソラはこちらを一度も見ずに手を掴むとアズサの勢いをそのままに投げ飛ばした。
 身体を捻ってなんとか足から着地すると、そこにソラが掌底が迫る。
 正面から真っ直ぐと突き込まれるそれを腕を交差して受け止める。
 しかし、その両手をすり抜けるようにしてソラの掌打は胸を打った。

「……えっと?」

 だが、予想していた衝撃はほとんどなかった。
 身体能力を強化していることを差し引いても強く押された程度の衝撃に困惑する。
 ソラもその体勢のまま固まっている。

「あの……」

 毒気を抜かれて思わずソラの様子をうかがう。

「やっぱりまだ無理か」

 何が無理なのだろうか。
 考えてみて、理解はできなかったがやることは決めた。

「いつまで触ってるんですか!?」

 目の前で感情の動きに合わせて炎が弾ける。

「おっと……」

 一瞬早く飛び退いたソラから守る様にアズサは胸を両手で抱くように隠す。
 赤面する顔を振って、思考を戻す。
 接近戦は勝てる気はおろか、触れる気がしない。
 やっぱり自分が一番頼れるのは炎しかない。
 炎を作りだそうと意識を集中する。

「アズサ……これで最後だ。今からでも大人しく人の話を聞くか、痛い目をみて聞くか」

 ソラの静かな言葉にアズサは距離を取るために飛翔する。

「ここなら……手出しできないはず」

 いくら死のない身体といっても、魔導師でもフェザリアンでもないソラが飛ぶことは不可能だ。
 ここから一方的に攻撃すればいいし、ビルを倒壊させてもいいかもしれない。
 それに今度は灰になるまで焼き尽くせば流石に生き返らないだろう。

「痛い目みるんでいいんだね!」

 口に両手を当てて声を上げるソラの姿が、戦いの場に不釣り合いで馬鹿にしているようだった。

「痛い目をみるのは……そっちだ!」

 手の上で作りだした大きな火球。
 それをアズサは躊躇わす振り下ろした。
 今まで作った中での最大火力。
 ソラはその場から動こうとはしなかった。
 そして――青い光が溢れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……うそだろ?」

 目の前の光景にクロノは思わず言葉をもらした。
 青い魔力光。ソラの足下に広がるベルカ式の魔法陣。
 ソラが魔法を使った。
 しかし、クロノが驚いているのはそんなことではない。
 覚えのある魔力の奔流。

「あれは……まさか……」

 ソラの手元、膨大な魔力の中心として輝いているそれにもクロノは見覚えがあった。

「ジュエルシード」

 プレシアとともに虚数空間に落ちたはずの菱形の秘石がソラの手にあった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「何……それ……?」

 青い光に飲み込まれて消えた炎を呆然とアズサは見下ろした。
 眼下には青い光とソラを中心として浮かび上がる三角形と円の魔法陣。
 魔法について詳しくなくても、それがどういったものかという知識くらいはアズサにもある。

「ジュエルシードって言うロストロギアでね。
 願いを叶える宝石っていわれてる。
 だから願ったんだよ。魔法を使いたいってね」

「馬鹿かお前は!」

 突然の叫び声、屋上の片隅に隠れていたクロノが声を上げる。

「それは何万分の一の発動でも次元震を起こせる代物だぞ。
 人の手でどうこうできるものじゃないんだぞ!
 だいたい正しく願いを叶えるとは限らないんだぞ!」

「……そういうことだから手加減はできないから」

「ちがーうっ!!」

 クロノの言っていることはよく理解できないものの、それが危険なものだということは伝わった。
 どうすればいいのか考えようとしてソラの声が聞こえた。

「シルバーダガ―」

 その声が聞こえた瞬間、八つの銀光が線になってアズサに襲いかかる。
 咄嗟に飛び避ける。そして時間差で迫る二本の銀のナイフに意識を集中する。

「燃えろっ!」

 アズサの声に従うように銀のナイフは赤熱し、焼き崩れる。
 が、安堵もつかの間、三本のナイフが完全に崩れるようとした瞬間、爆発が起きる。
 身をすくませるが、爆発は煙だけで攻撃力はなかった。

「けほけほ……でも、これじゃあソラも何にも見えないはず」

 ソラの意図が読めず、次の行動を考えようとして背中に衝撃を受けた。

「なに……?」

 痛みはないが、何かが刺さった痺れる不快な感覚。
 そちらに気を取られたところで銀の光が視界の煙を切り裂き現れる。
 声を上げる暇もなく、銀のナイフは肩、太もも、脇腹、腕に次々に突き刺さる。
 これも強烈な不快感をもたらすが痛みはない。

「そんな……どうして?」

 煙は晴れていないのにまるで見えてるかのようにソラの攻撃が命中する。
 とにかく、この煙の中からでないといけない。
 焦った考えて煙の中から飛び出す。

「巨人の鉄拳」

 背後からの声に振り返るとそこには、青い魔力で構成された腕を横に携えたソラが拳を振り溜めていた。

「歯を食いしばれ!」

 振り下ろす拳に連動して巨人の腕がアズサを殴る。

「きゃあっ!」

 飛翔力を失ってアズサは殴られた勢いのまま、地上に落ちていく。
 衝撃や、視界の転換にアズサの意識はついていけず地面に無防備に激突する。

「フロータ―フィールド」

 その寸でのところで三段に重ねられた青い魔法陣がアズサの身体を柔らかく受け止める。

「鋼の軛」

 そして、地面から突き出た光柱がアズサの身体を貫き、拘束した。

「……あ…………」

 まさにその言葉の間に全てが終わっていた。
 あまりの力の差にこれ以上抵抗しようという意思が湧いてこなかった。
 そして熱くなっていた思考は急激に冷めて、慣れた諦めの感覚が甦る。

「……と」

 静かにソラがアズサの前に着地して、フラついた。

「……少しは頭が冷えた?」

 頭を軽く振って、何故か流している鼻血をぬぐいながらソラが尋ねてくる。

「…………もう……いいよ」

 目の前の少年から逃げることも、戦うことさえもできないと悟ってアズサは投げやりに言葉を返す。
 もう、全て諦めよう。
 死も、牢獄も、何もかも。

「そう……なら」

「やめろ、ソラ!」

 新たな魔法陣を作るソラの前に、アズサとの間にクロノが降り立つ。

「もうアズサに抵抗の意思はない。これ以上の――」

「クロノ……そこにいると巻き込むよ」

「っ……ソラ、本気なのか?」

「仕方がないでしょ、口で言っても分からないんだから」

「そうか……なら僕はここをどかない」

 アズサを守る様にクロノは杖をソラに向ける。

「もう……いいですよ。わたしなんか守らなくて……どうせ、わたしなんか……」

「諦めるなアズ――」

「まあ、いいか」

 不意を打つように足下の魔法陣が広がる。
 クロノの焦る気配を他人事のように感じながらぼうっと青い光をアズサは見つめる。

「アズサ……これが今の君の末路だ」

 その声を最後にアズサの視界は暗転した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 闇。
 右を見ても、左を見ても果てのない闇が続いている。
 それだけでも気が滅入るのに、足もとは水に浸かっていて酷く歩きにくい。

「誰か……」

 声を出しても返事はおろか、反響さえもない。
 不意に何かにつまずいて、頭から水を被る。
 口の中にぬめる感触に不快感を感じながら立ち上がる。
 顔を上げるといつからあったのか小さな光があった。
 気付けば走り出していた。
 何度も水や、何かにつまずきながらも必死に、すがるような気持ちで手を伸ばす。
 ここは寒い。苦しい。そして怖い。
 どれだけ走っただろうか。
 やがて光は大きくなっていく。
 光の中には四人の子供たちがいる。
 女の子が三人、男の子が一人。
 一人の女の子を中心にして三人は微笑んでいる。
 その女の子もまた嬉しそうな、楽しそうな、幸せそうな笑顔を浮かべて歌っている。
 ああ、思わず安堵して、手を伸ばす。
 そこにあるのは自分が望んだ幸せな日々。
 やっと帰ってきたんだ。
 しかし、差し出した手は光と闇の境界線で止まった。

「えっ……?」

 そこはガラスでもあるかのように隔たれていた。
 境界線に張り付き、力の限り見えない壁を叩く。
 声を上げて彼女たちの名を叫ぶ。
 壁は壊れることはない。
 叫びは届かない。
 そして不意に気が付く。
 光に照らされた自分の手が赤黒く染まっていることに。
 それが血だと気付くのにそう時間はかからなかった。
 そして、それは両手だけではなかった。
 全身が血にまみれていた。
 足下の水だと思っていたのは血の海だった。

「ひっ……」

 思わず後ずさるとまた何かにつまずいて後ろに倒れた。
 口に入った血を吐き捨て、顔をぬぐう。
 そして目の前にあったのは人の死体だった。
 それだけじゃない。辺りを見回せばそこかしこに死体が転がり、折り重なっている。

「うわぁ!」

 悲鳴を上げて境界線に縋りつき、先程以上の勢いと力で叩き、叫ぶ。
 思いが通じたのか唐突に境界線の壁がなくなる。
 つんのめるように光の中に入り込み、四人の元に駆け出す。
 しかし、安堵の笑みを浮かべて差し出した手を見て足が止まった。

 ――血にまみれたこの手で彼女たちに触れていいのか?
 ――あの綺麗な光景の輪の中に、汚れた自分は戻れるのか?
 ――何より、ねえさんを殺した自分がどんな顔をしてみんなに会える?

 逡巡に固まっていると足を掴まれた。
 ギョッと振り返ると闇の側から白い手が自分の足を掴んでいた。
 そして、強く引かれ、倒された。

「……いひゃい」

 したたかに打った鼻を押さえていると、足を掴む感触が増えていることに気が付いた。
 地面に爪を立てて抗うがってもジリジリと闇の中に引き戻されていく。

「たすけ――」

 声を上げようとして詰まる。
 彼女たちと目が合った。
 目を大きく見開いた彼女たちの口がゆっくりと動く。

「死ね」

 耳元で響く底冷えのする声。
 引き戻される力に投げ飛ばされるように深い闇に連れ戻される。
 光が遠ざかっていく。
 呆然と小さくなっていく光を見続け、血だまりの中に落ちる。
 もう立ち上がる気力も湧いてこなかった。
 ここが自分の場所なのだと、受け入れる。
 そう思うと気が楽になり、笑いが込み上げてきた。
 ただ、ただ、笑い続けることしかできなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……はっ?」

 覚醒は唐突だった。
 今いる場所がどこかわからずにクロノは固まる。
 血の闇はどこにもなく、周りにあるのは廃墟の都市。

「今のは……?」

「僕の十二年前から見ている悪夢だよ」

 背後からの声に振り返ればソラがアズサを拘束から解いて地面に座らせるところだった。
 アズサは呆然と為すがままにされ、座り込む。

「口で言っても分からないから直接見せたけど……やっぱりあまり気分のいいものじゃなかったかな」

 そういう意味だったのか。
 てっきり力尽くで分からせるのだと勘違いしていたクロノは誤魔化すように咳払いをする。

「僕も……今のアズサみたいに世界の何もかもが憎くて、死ぬのが怖くて、戦い続けた」

 語り出すソラにクロノもアズサも顔を向ける。

「たくさん殺したよ。だってみんなが僕に死ねって言うんだから、それが間違っていたとは今でも思ってないよ」

 思わず言い返そうとしてクロノは言葉を飲み込んだ。
 人殺しの善悪の討議などこの場では意味がないことだ。

「正直な話、楽しかったよ。
 何もできなかった、守られてばかりだった自分の手で敵を殺せるのは爽快だった」

 それは今のアズサと同じものだった。

「でも、あとに残ったのはこんな血にまみれた手だけだったんだよ」

 家族も友達も、果ては魔法の才能さえ失って死ぬことも奪われた。

「僕はもう二度とあの人たちには会えない」

 そんな資格はないんだと自嘲する。

「アズサ……もう一度聞くよ。
 あんな屍の山を作っても君は君の大事な人に胸を張って会えるの?」

 アズサは俯いて応えない。
 ソラは言葉を続けることなくジッと待つ。
 やがて、アズサは力なく頭を横に振った。

「でも……わたしはもう……人を……」

「殺したとしても、これ以上人を殺さないといけない理由にはならない」

「でも……でも……」

「君はどうしたい? 僕みたいな結末でも構わなくて、まだ人を殺したいと思っているなら僕はもう君を止めない」

 その言葉にビクリとアズサは身体をすくませる。

「わたしは……」

「決めるのは君だ」

 傍で見ているクロノの印象では、アズサからはもう狂気は抜けきって初めて会った時の気弱な雰囲気しか感じられなかった。
 この状態の彼女なら間違っても、まだ殺し足りないと言うことはないだろう。
 そして改めてソラを見る。
 あの悪夢でソラが本当に人を殺していたことを確認できた。
 確認できたが、それでどうすればいいのか分からなかった。
 アズサと同じ状況ならソラもまた管理局に追われていた人間になる。
 人殺しは管理世界において極刑の犯罪だが、ならこう言うのか。

 ――君のしたことは間違っている。だから、君は死ぬべきだったんだ。

 そんなこと言えるはずない。

 ――管理局の説得を聞かなかった君たちが悪い。

 馬鹿馬鹿しい、身の安全も人としての権利も保障されないのに投降する人間なんているはずがない。
 結局、彼らは管理局が突き付けた、こんなはずじゃない現実に立ち向かったにしか過ぎない。
 それを責める資格は自分に本当にあるのだろうか。
 彼らを前にクロノは今まで持っていた信念が揺らぐのを感じる。
 今まで見てきた自分勝手な犯罪者たちとソラやアズサは同じなのだろうか。
 自問自答の答えは出てこない。

「わたしは……誰も傷付けたくなんてなかった」

 涙交じりのアズサの言葉にクロノは改めて安堵する。
 何が正しくて間違っているのか、今は答えが出せなくてもいい。
 今やるべきこと、考えるべきことはアズサのこれから。
 クロノはアキが計画しているアズサ救出のプランを話そうと口を開く。

「それは困る」

 クロノの言葉を遮る様に四人目の声がその場に響く。

「誰だ!?」

 いち早くソラが反応して周囲を警戒する。
 クロノもそれに続くが辺りに人の気配はない。

「もう少し、フェザリアンの戦いを観察をしたかったが致し方ないか」

 そして、金色の光が溢れた。

「これは……アズサ!」

 足下に広がったミッド式の魔法陣。それを見てソラが顔色を変えて振り返る。
 魔法陣の中心はアズサだった。
 アズサは胸を押さえて、声にならない悲鳴を上げている。

「くそっ!」

 ソラが魔法陣に手を着くが、次の瞬間弾き飛ばされた。
 溢れる魔力の奔流にクロノはその場に留まるので精一杯だった。

「ソ…………ロノ、たす……いや……」

 アズサのかき消えた声に自然とクロノの身体は動いていた。
 それが何者の、どんな術式か分からないものであっても、このまま放置することはアズサにとってよくないことになる。
 S2Uを魔法陣に突き立てて術式に介入する。

「何だ……これは……?」

 流れてくる圧倒的な情報量にクロノの干渉など意に介さずにその力を行使する。
 そして、アズサは金色の光に包まれ、光が弾けた。
 光の中から現れたのはアズサとは似ても似つかない女だった。
 アズサよりも頭一つ高い背丈。長い金髪の髪。青い目。
 服装も一新され、これまた金色の派手なバリアジャケットが展開される。

「お前が……北天の魔導書か」

 立ち上がったソラが浮かんだ疑問に答える。

「こいつが……」

 言われてみればリインフォースに似た気配を感じるが、悲愴を纏っていた彼女と比べると目の前の魔導書には人を見下した冷めたものを感じる。

「いかにも」

 ソラの言葉に北天の魔導書が頷く。

「今すぐアズサの中から出ろ。さもないと――」

「さもないと私を殺すか? 君には無理だ」

 次の瞬間、音が弾けた。
 それがソラの拳を金色の魔法陣による盾が止めたものと理解するのにクロノは時間がかかった。
 その間にも二度、三度とソラの拳や足が盾を震わせる。

「どういうことだ……?」

 その光景にクロノは疑問を感じずにはいられない。
 ソラには魔法を無効化する能力がある。
 それなのに北天の魔導書の張る盾は不動のままそこにあり続ける。
 四度目はナイフによる斬撃。
 しかし、これは甲高い音を立ててナイフの刀身が折れ飛んだ。

「くっ……」

 その結果に顔をしかめてソラは距離を取る。

「なるほど」

 納得した言葉を呟くとソラの足下から何の前触れもなく金の鎖が現れる。
 呆然としていたクロノの反応は遅れ、絡め取られる。
 ソラもまた一条の鎖を避けるものの、間断なく現れる鎖に呆気なく捕まった。

「すごいものだな……フェザリアンの身体というものは」

 感心した言葉をもらす北天の魔導書だが、クロノにはそれを気にしている余裕はなかった。

「解除できない!?」

 バインドに干渉して鎖を解く。
 魔法の基本でもある行為を行おうとしても、構築されている術式が堅過ぎてまったく干渉できない。

「当然だ。そのバインドはリアルタイムで術式を変化させている」

「だからって……まったく介入できないなんて」

「それも当然、フェザリアンの高速演算において構築された魔法は常人のそれとは遥かに異なるものになると今証明された」

 私の理論は正しかったと声を上げて笑う北天の魔導書をクロノは睨むことしかできない。
 だから、ソラに視線を送り説明を求める。

「憶測だけど、フェザリアンの特徴は人間の機能を十全に使えることにある。
 これは身体能力に限ったことじゃない」

「その通り。ここで問題にしているのは脳の働きのことだ。
 フェザリアンの脳は人間にあるリミッターが存在しない。
 故に思考領域と演算速度はAAAランク魔導師の数百倍。この意味が分かるかい?」

 その二つは魔導師ランクにおいても出てくる事柄だからクロノにも理解できる。
 思考領域は魔法の規模の大きさの限界値。
 演算速度は発動の早さ。
 クロノも一般の魔導師に比べれば大きく、早い方だがそれを軽く凌駕する数値に実感が湧かない。
 実感は湧かなくても、その結果は身を持って体験している。

「お前の目的はフェザリアンを作ることじゃなくて、フェザリアンを魔導師にすることか?」

「正解よ。元王」

「そんなことのためにアズサを……」

「彼女の存在は助かったよ。
 フェザリアンのデータは少なくてね。これでまた研究ははかどる」

 あまりに自分勝手な物言いにクロノは怒りを感じる。
 ソラやアズサのような抗う者ではない。
 私利私欲のために悲しみをまき散らす、本物の悪。

「このおおおおっ」

 バリアジャケットの強度を高め、身体能力の強化を限界まで引き上げる。

「ふむ……」

 術式に介入できないなら力任せに壊せばいい。
 バリアジャケットの効果を超過する圧力に身体に激痛が走るが、構わずさらに力を込める。

「お見事」

 音を立てて鎖が千切れる。
 勢い余って前につんのめるのをこらえてS2Uを突き付ける。

「ジュエルシードッ!」

 ソラの咆哮。
 青の魔力光が金色の縛鎖を弾き飛ばす。

「なるほど……魔力の供給量が今後の課題か」

 考察する北天の魔導書。それに構わずソラが叫ぶ。

「クロノ! 最大攻撃、魔力ダメージでぶっ飛ばせ!」

 短い指示に従ってクロノは魔法陣を展開する。
 ソラの意図はなのはがリインフォースにやったことと同じこと。
 自分になのは並みの砲撃が撃てるのか、感じる不安を振り払い。ただ集中する。

「響け終焉の笛……」

「ブレイズ――」

 二人の唱和に対して北天の魔導書は逃げる素振りも見せずに背中の紅いフィンの輝きを強くさせる。

「ラグナロクッ!!」

「キャノンッ!!」

 二つの砲撃が至近距離で放たれる。
 周囲を青い光が埋め尽くし、その衝撃の煽りを受けてクロノは吹き飛ばされる。

「……どうだ?」

 壁に打ち付けた身体を起こして、クロノは顔を上げる。
 もうもうと立ち込める煙。
 ソラの姿を探せば、彼もクロノと同じように建物に叩きつけられたようだったが、ぴくりとも動かない。

「おしかったな」

 響いた声にクロノは背筋が凍るのを感じた。
 煙が晴れる。
 そこにはバリアジャケットを半壊させながらも立つ北天の魔導書の姿があった。

「ソラ……起きろ」

 絶望にくじけそうになる。
 魔力はほとんど残っていない。限界を超えた力を使った反動で身体が悲鳴を上げてまともに動かない。
 それでも諦めることはしない。
 S2Uを杖にして無様でも立ち上がる。

「ソラ……!」

「無駄だ。あれほどの膨大な魔力を御したのだ。普通なら身体は破裂、脳は焼き切れてもおかしくない芸当をしたんだ。
 当分、起きることはないだろう」

 思わずクロノは歯がみする。
 本来ならとっくにリタイアしていてもおかしくないソラを責める気にはなれない。
 怒りは自分に向かう。
 本当に全てを出し切ったソラに対して自分はまだ動け、話せる。余力を残してしまったこと責めてしまう。
 第三者から見たら、クロノも十分よくやったと評価されるだろうが、そんな納得はできなかった。

「ま……まだだ」

 せめてルークスたちが来るまで時間を稼ぐ。
 しかし、S2Uを構えようとしてクロノは無様に地面に転がった。

「くそぅ……」

 悔しさに声をもらしていると、不意に北天の魔導書が歩き出した。
 その先はソラがいて、首根っこを掴まれて持ち上げられても起きる気配はない。

「……実に興味深いな。
 リンカーコアの機能は完全に停止している。どうして生きているんだこいつは?
 それにあれだけのことを身一つでこなし、ジュエルシードを抑え込む精神力……本当に人間か?」

 吟味するように北天の魔導書はソラを観察する。

「だが、素体としては格別か」

 その言葉にクロノは管理局で「G」にされた魔導師を思い出す。

「きっさまぁ!」

 だが、どれだけ怒りを感じても身体はもう動いてくれない。
 そんなクロノを無視して北天の魔導書の独り言は続く。

「こいつにフェザリアンの因子を埋め込めばどんな超戦士になるんだろうな」

 薄ら笑いを浮かべる北天の魔導書の手に無針の注射器が握られる。

「くそっ……動け、動けよ!」

 どれだけ叱咤しても身体は動かない。

「起きろソラ! 起きろ……起きてくれ!」

 叫びは届かない。
 北天の魔導書の手は無情にもソラの首に伸びていく。
 そして、燃えた。

「え……?」

「何だと……?」

 振り払っても腕についた火はその勢いを止めずに大きくなっていく。

「くっ……何のつもりだ貴様!?」

「ソラに……手を出すなんて許せない」

 同じ口から別の声。
 強い意思に満ちた別人のような声だが聞き間違えるはずがない。

「アズサ!」

「やめろっ! 自分が何をしているか分かっているのか!?」

 北天の魔導書の叫びに感じた安堵が一瞬で凍る。
 今の北天の魔導書の身体はアズサの身体。そしてその身体に火をつけたのはアズサ。

「初めから……こうすればよかったんだ。
 そうすれば、誰も傷付かなかったんだ」

「な……何言ってるんだよアズサ?」

 大きくなっていく炎。それは腕だけでなく身体を包み込んでいく。

「くっ……この……消えろっ!」

「ごめんなさい……こんなことしかできなくて」

「ダメだ……そんなことしたら君が!」

 炎の中、北天の魔導書の身体をしたアズサが儚げに笑う。
 ただ見ていることしかできない自分の無力を呪わずにはいられない。

『ありがとう……』

 不意に念話に似た声が頭に響く。

『助けてくれて……守ろうとしてくれてありがとう』

「違う……それは……僕の言葉だ」

 アズサに伝えたかった言葉。
 廃ビルで助けられた感謝の言葉。そんな当たり前のことができなくて、それが伝えたく彼女に謝りたかった。
 それがクロノのアズサを助けたいと思う理由だった。

『こんなふうにしかできなくて……ごめんなさい』

「だからって……」

 理屈でこれがベストだと分かってしまう。
 アズサ一人の犠牲でみんなに危険は及ばず、北天の魔導書も排除できる。
 そんな合理的な考えをしてしまう自分が憎い。

「だからってこんなこと!」

 執務官になると決めてから泣かないと誓ったことを忘れたかのようにクロノの目から押え切れない涙がこぼれ落ちる。

『ありがとう……こんな愚かなわたしのために……』

 ――違う。君は愚かな人間なんかじゃない。

 もう言葉を紡ぐことさえクロノはできなかった。

『最後に……一人じゃないって気付かせてくれて、ありがとう』

 ――そんな満ち足りた声で話さないくれ。

『あなたたちのおかげでわたしは最後に変われました』

 ――感謝なんてされるようなことできてもいないのに。

『だから……わたしはしあ――』

 唐突に念話が途切れる。
 繋がっていた感覚が消え、炎の中の人の形が崩れる。

「あ……あ………」

 炎の勢いはそれでも治まらない。
 まるで全てをなかったかにするように燃え続ける。
 何もできなかった。
 力はあると思っていた。
 そのための地位もあった。
 しかし、守れなかった。

 ――僕は無力だ。

「うわああああああああああああああああああああああああぁっ!!」

 夕暮れに染まり始めた廃墟の町並みでクロノの慟哭が響いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……終わったか」

 立ち上る炎を見下ろして仮面の道化師は呟く。
 予想外の結末だったが、ソラの力の確認は十二分にできた。
 まさかロストロギアを持ち出してくるとは思ってもみなかった。
 ソラに驚かされてばかりだと仮面の下で苦笑する。

「大将……こいつら本当に生かしとくんですか?」

「ああ、そいつらには後始末をしてもらわないと困るからね」

 見晴らしのいい屋上。
 道化師の背後には金色の羽の男と白い翼の女が控えている。
 そして彼らの足下には呻く管理局の魔導師たちが転がり、呻いていた。
 ソラを特別視することにレイもアンジェも文句をつけなかった。
 当然だ。あれだけのものを見せられたのなら、その実力を認めるしかない。
 それができないような人間は、自分の力が絶対だと勘違いしている人間だ。

「お前たちは……何者だ?」

 半ばから折れた重戦斧型のデバイスを持っていた隊長らしき男が這いつくばりながら尋ねてくる。

「そんなこと言うまでもないだろ。君たちの敵だ」

 分かり切ったことに答えて、目の前に浮かんだ金の魔法陣に目を向ける。

「くそっ……あの小娘」

 悪態をついて現れたのは金髪の女。先程までアズサの身体に強制融合していた北天の魔導書だ。

「満足のいくデータは取れましたか?」

「一応な」

 不服そうな応え。
 当然だろう。せっかく見つけた実験動物に自殺を図られただけならまだしも道連れにされそうになったのだから。
 文句を言いながら、空間モニターを出してデータをまとめ始める北天の魔導書。
 道化師が彼女に気付かれないようにレイとアンジェに視線を送ると二人は無言で頷く。

「やはりこのデータを再現するなら……」

 無防備な背中に音を忍ばせて近付く。
 よく見ると実体化しているものの、それが不安定であることが見て取れる。
 おそらくソラとクロノの砲撃によるダメージなのだろう。
 そして、それがあったからこそアズサは北天の魔導書の支配に干渉できたのだろう。
 だからこそ……倒すなら今が絶好の機会。

「シリウス」

 紅い宝石からデバイスを顕現。
 そのままの勢いで振り下ろす。

「っ……!?」

 流石に魔力の反応を感知した北天の魔導書は素早く反応し、前に転がるようにして回避した。

「何のつもりだ?」

「分からないかな? 君を排除しようと思って」

 同じくデバイスを携えたレイとアンジェが北天の魔導書を囲むように退路を断つ。

「裏切る気か?」

「変なことを言うね。私たちの間にあるのは利害関係だけ。
 私たちは力を望み、君は実験動物が欲しかった。それだけのことだ」

 自分の研究に忠実な彼女だからどんな手を使ってもアズサを仲間として引き込むとは思っていた。
 だが、洗脳まがいのことをしてアズサの尊厳を穢す行いは許容できるものではなかった。
 それが自分たちなら納得はしただろう。
 管理局に一矢報いるためにその身をモルモットにしたのは彼らの意思なのだから。
 テロリストを自称できる自分たちだがそこに誇りも存在している。
 あんな本人の意思を蔑ろにして踏みにじる行為は自分たちが嫌う管理局と同じだ。

「君のやり方に我慢ができなくなった、と思ってくれていい」

「愚かだな。今日のデータでより強い力が得られるというのに」

「勘違いしないでもらえるかな。君の最終目的に私たちは興味はない。
 だけど、君とは別の形でそれを達成できる方法を知っているけどね」

「何だと……貴様、まさか!?」

 それにようやく気が付いたようだがもう遅い。

「君の技術は有効に使わせてもらうよ。
 そして来世でまた一から頑張ると良い」

 呪い殺さんとばかりに睨みつける北天の魔導書に道化師は躊躇わず魔力を解き放った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「もう行くのか?」

 病室から廊下を覗いたところで待ちかまえていたアキが尋ねてきた。
 たかがドア一枚先の気配を読み取れなかったことを反省しつつソラはアキを睨む。

「そうだけど……何か用?」

 敵意を向けた視線にアキは肩をすくめる

「まだ日が変わったばかりだというのにせっかちだな。
 クロノ・ハラオウンは完全に閉じこもってしまったというのに」

「……そんなこと僕の知ったことじゃないよ」

 視線を逸らして応えると、アキは細める。

「何だよ?」

「いや……アズサ・イチジョウのことをあまり引きずってはいないようだと思ってな」

 割り切ることができるのは悪いことではないが、と言葉を濁すアキの言いたいことは分かる。

「引きずってないってわけじゃないよ」

 後悔することには慣れている。
 そして塞ぎ込んでも何にもならないことを知っている。

「ただ……誤魔化しの効かない現実を思い知らされたって感じかな」

 魔導師や「G」を相手に勝ち越していたから自惚れていたのかもしれない。
 自分には力があるんだと思い、結局は力が足りなかった。
 守ることの難しさを改めて知った気がする。

「それに……満足して逝けたならそれはいいことなんだ」

 話しに聞いたアズサの最後。
 彼女が選んだ結果なら自分が言えることはない。

「僕の心配をするより自分たちの心配をしたら?
 命令違反して、僕を助けたんでしょ?」

「そのことなら大丈夫だ。
 クロノ達はあの場で記録に残らないように細工しておいた。
 君のことだって一人くらいならかくまえるさ」

「……でも、長居はしない方がいいでしょ?」

 拘束されてもおかしくない。
 それだけの秘密を抱えているのに武器を取り上げることもしなかった。
 そのことに感謝をする。

「……一つ、言っておく」


「北天の魔導書はアズサ・イチジョウから逃げ出していた」

「……何だって?」

 思わずすごむが、落ち着けとアキは手で制して続ける。

「だが、仮面の男たちの手で消されたようだ」

「消した……技術の略奪?」

「そんなことを言っていたらしい。
 それから今度「G」が戦場に出ることはないとな」

「どういうこと?」

「「G」は北天の魔導書の無理な研究による失敗作らしい。
 一応、人の形で安定する技術は確立しているようだ」

「となると、今後はフェザリアンもどきと戦うってこと?」

「そうルークスに言ったらしい。
 君によろしくと伝えてくれともな」

 自分を引き込むことを諦めていないのか。
 北天の魔導書に加担していたのだから完全に敵と認識していたが――

「まるで点数稼ぎだな」

「点数稼ぎ?」

「そう……まるで君への心象を少しでもよくしておこうという意図を感じる」

 そういえばはっきりと勧誘の答えを返していなかった。
 しかし、アキはそれ以上そのことに追及はしなかった。

「ソラ……一つ教えて欲しいことがある」

「……いいよ。今回助けられた御礼ってことで」

「恩に着る必要はない。答えたくないというならそれでいい」

「……いいよ」

「北天の魔導書と同じロストロギアはあといくつ存在している?」

「天空の書は全部で十二冊存在している。ただ伝わっている名前が○天とは限らないから。
 こっちに来てから確認できたのは北天と夜天の二つ。それから闇の書もそれだよ」

「あの手の魔導書があと十一冊か」

「一応言っておくけど、それぞれの持っている技術は違うから。
 フェザリアンの研究をしていたのが北天なら、闇の書は融合システムについて、夜天については本人から聞いて」

「そうか……ありがとう。参考になった」

「それじゃあ……僕はもう行くね」

 やはりアキはそれ以上のことを聞こうとする素振りを見せなかった。
 何を考えているのかが全く分からない。
 引き止めることことを、情報を少しでも引き出そうともしない。

「ああ……そうだ。これを持っていけ」

 投げ渡されたのは一枚のカードだった。

「これは?」

「君への報酬だ。今までの働きに見合う金額をそれに入れてある」

「……どうしてここまでするの?」

 流石に君が悪くなってくる。

「なに……こちらも点数を稼いでおこうと思ってな」

 そう言ってアキは背中を向ける。

「それじゃ、次に会う時が敵同士でないことを願うよ」

 手をひらひら振って去って行く背にソラは溜息をついた。

「みんな……僕のことを買い被り過ぎだ」

 所詮は人殺しの自分に人助けなんてできるはずなかったんだ。
 ねえさんのように、あの人たちのように誰かを守る力なんて自分にはなかったんだ。
 陰鬱な思考でアキとは逆の方に足を進める。

 ――これからどうしようか?

 宛てはない。することもない。
 それでも管理局にはいられない。
 追われるような感覚でとりあえず逃げることを考える。
 しかし、不意にソラの足が止まった。

「……通信?」

 銀装飾に姿を変えている黎明の書を介しての通信。
 この回線を知っている人間は一人しかいない。
 迷った結果、ソラは回線を開く。

「…………何の用、プレシア?」







 あとがき
 第一章クロノ編、終了しました。
 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 第二章は同時間軸で展開されるフェイトにまつわる話を考えています。
 この作品はアンチにするつもりはなく、それぞれの苦悩と挫折、成長をテーマにしたものを目指しています。

 次回の更新もできるだけ早くできるように頑張ります。
 それでは失礼します。



捕捉説明
 フェザリアン
 超能力を操ることに進化した人間。
 とらはのHGSが安定して能力を行使できるようになったもの。
 「外力」「内力」「精神」の三つに能力が区分されている。
 アズサは「外力」の発火能力と「内力」の身体能力の強化に特化しているタイプ。




[17103] 第十話 再会
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/08/01 10:13


「うん……そういうことだから心配しないで……」

 本局の休憩室でなのはは自宅に電話をかけていた。
 「G」との遭遇に、アリシアとの出会いで旅行の予定は大幅に狂ってしまい、帰ることができなかった。
 名目は転送ポートのトラブルということで他のみんなにも口裏を合わせている。
 魔法のことを打ち明けてから、もう嘘はつかなくていいと思っていたのに、また平然と嘘をついていることになのはは自己嫌悪する。
 それでも心配をかけたくなくて仕方がないことだと自分に言い聞かせる。

「うん……明日には帰れるはずだから……うん、それじゃ」

 携帯を切って、なのはは溜息を吐く。
 楽しみにしていた旅行の日程はそのほとんどを消化することはできなかった。
 そのことは残念に思うが、目の前の問題の方が今は大問題だった。
 休憩所にはなのはの他にはやて。そしてフェイトとアリシアの四人しかいない。
 そしてこの場の空気を悪くしているのは同じ顔の二人だった。
 微妙な距離を取りつつ、ちらちらと互いの様子をうかがうフェイトとアリシア。
 その動きは完全に同期していてフェイトが顔を上げるとアリシアが俯いていて、逆にアリシアが顔を上げるとフェイトが俯いている。
 寸劇のようなことを二人は部屋に入ってからずっとやっている。

「なあなあ……なのはちゃん」

 同じように携帯で連絡を取っていたはやてが声をひそめて話しかけてくる、

「あの子……ほんまにアリシアちゃんなの?」

「それは……」

 はやての質問に言葉が詰まる。
 なのははアリシアのことを話しの中でしか聞いたことがない。
 だから、そんなことを聞かれても返答のしようがなかった。
 ただ一つ分かっていることは、アリシア・テスタロッサに魔導資質がなかったこと。
 しかし、彼女は魔法を使っていた。
 それなのに彼女はプレシアからアリシアと呼ばれていた。
 それは明らかな矛盾だ。
 魔導資質を始めとした細かな差異。それによって認められなかったフェイト。
 そんなフェイトが魔法を使えるアリシアをどう思うのか想像できない。

「フェイトちゃん、あの――」

「検査の結果が出たわよ」

 意を決して話しかけようとした所でリンディがそう言って入ってきた。
 気が削がれて俯くなのはに対して、フェイトとアリシアが同じ動作でリンディに注目する。

「単刀直入に言って、アリシアさんは至って健康体。
 ただ、リンカーコアが異常なほどに活発で大きい、それこそSSSランク級の魔力ね」

「SSSランクっ!?」

 リンディの言葉にフェイトが叫ぶ。
 驚く気持ちはなのはも、はやても同じだった。
 SSSランク。
 魔法に関わって日が浅いとはいえ、それが最強の魔導師に与えれる称号だということは知っている。
 興味本位で調べても歴史上に数人しかいない。
 当然、リンディがここで言っているのは単純な魔力量の話だろうが、それでもお目にかかれるものとは思っていなかった。

「私もこんな数値初めて見たわ」

 感嘆に溢れた言葉。
 見せてくれた数値は自分たちのそれとは二桁も差がある数値を示していた。

「それってすごいの?」

 一人、そのことに驚いていないアリシアが首を傾げる。
 それがまた信じられなくて言葉を失ってしまう。

「すごいわよ。これだけの魔力を持っている人は今の管理局にはいないもの」

「でも……ソラとクライドに一度も勝ったことないよ」

 それは比べる相手が悪いのではないだろうか。
 ソラは非魔導師でありながらもフェイトに勝つほどのデタラメな実力者。
 クライドの実力は分からないけど、クロノの父であり英雄と呼ばれた人だ。弱いはずがない。

「アリシアさんは魔法を覚えてどれくらい?」

「えっと……半年くらいかな」

 指折って数えるアリシアになのははそれじゃあ無理だと納得する。
 魔力の大きさだけで勝てないことをなのはは身にしみて知っている。
 圧倒的な魔力があっても、それを使いこなすための経験が少なすぎる。

「半年で…………サンダーレイジを……」

「フェイトちゃん?」

 かすかな呟きになのははフェイトを見る。

「なのは……えっと、何?」

 振り返る一瞬に陰りのある表情を見た気がしたが向けられた顔は明るいものだった。

「……えっとSSSランクなんてすごいね」

 取り繕うように思ったことを口にする。

「うん……そうだね」

 頷くフェイトの気配が変わる。
 これはシグナムを前にした時と同じもの。
 獲物を前にした獣というべきか、生き生きした目はアリシアに対抗意識を燃やしていることが簡単に見て取れる。

「あの、アリシア――」

「ダメよフェイト」

 機先を制するようにリンディがフェイトの言葉を遮る。

「あなたは「G」と戦って、ソラとも戦った。これ以上は認めません」

「でも……」

「あなたが今するべきことはしっかりと身体を休めること。いいわね」

「…………はい」

 強く言われてフェイトは頷く。
 フェイトの体調はまだ万全じゃない。
 もしかしたらソラとの模擬戦で「G」との怪我が悪化しているかもしれない。
 衝撃なことが多すぎたせいですっかり忘れていたが、「G」との戦いで一番重傷だったのはフェイトなのだ。

「フェイトちゃん、身体は大丈夫なの?」

「うん、平気だよ」

 がっつポーズを取って自分は元気だと主張する。が、リンディの視線に身体を小さくする。

「はあ……だいたい模擬戦をする前にすることはたくさんあるでしょ?」

「…………はい」

 リンディの言葉にフェイトは力なく頷く。
 やっぱり不安を感じるのだろう。
 プレシア・テスタロッサのその後。
 生き返ったアリシア・テスタロッサ。
 そして、プレシアを殺したソラ。
 なのははフェイトの隣に座って膝の上で握りしめた手に自分の手を重ねる。

「フェイトちゃん」

 安心させるように名前を呼ぶ。
 なのはの言葉に緊張が緩んだのかフェイトは、大丈夫と頷く。
 そして、二人でアリシアに向き直る。

「アリシア、教えてあれから母さんがどうなったのか」

 真剣なフェイトの眼差しにアリシアは静かに頷いた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あれ…………ここ、どこ?」

 目が覚めたらそこは見知らぬ場所にいた。
 薄暗い部屋。
 着ているものも自分のパジャマではなくて病人が着ている簡素な服。

「リニス……ママ……」

 いつも一緒にいてくれるリニスがいない。
 そのことがとても不安に感じる。
 ベッドを下りて部屋を見回す。
 そこはやっぱり見たこともない部屋。
 雰囲気は学校の保健室に似ているが、壁の所々から生えている木の根が不気味な雰囲気を作っている。
 床にも木の根は生えていて、躓かないように恐る恐る歩く。
 ぺたぺたと冷たい床を歩いて、半開きのドアから外を覗く。
 長い廊下も部屋と同じように薄暗く、非常灯がついているだけ。
 右を見ても、左を見ても誰もいない。
 それでもここにじっとしているのも怖い。
 意を決して廊下に一歩踏み出す。

「よかった。目が覚めたんだ」

 突然、気配もなく肩に置かれた手とかけられた声。
 それはアリシアの理性を容易く崩壊させた。

「きゃあああああああああああああああああああああ」

 アリシアは脇目も振らずに逃げ出した。
 おばけ。それとも変質者。
 とにかく逃げなければ、逃げないと――

「ちょっと待った」

「ひきっ」

 闇の中で浮かぶ首が行く手を塞ぐ。
 冷静に見れば全身が黒尽くめの服を着ているから首だけが浮いているように見えるだけなのだが、動転したアリシアはそれに気付くことはできなかった。

「だから待っててば」

 逃げる間もなく、首根っこを掴まれ猫のように持ち上げられる。

「いやーーーーたすけてーーっ!!」

「落ち着いて、僕は――」

 ジタバタと暴れるアリシアをなだめようとするが、その声は届かない。

「たすけてっ……ママっ!」

 次の瞬間、紫電の光が轟音を伴って視界を埋め尽くした。

「な、なんだ!?」

 紫電に照らされた少年は驚いて振り返る。
 つられてアリシアも見ればそこには何もなかった。
 そう暗かった廊下は綺麗に途中から消え去り、切断面は赤熱している。
 その向こうに広がるのは一面の白。
 異様な光景だったが、アリシアの視線はそこに浮かび上がってきた女性に釘付けにされた。

「…………ママ?」

 思わず疑ってしまった。
 そこにいた母の姿はアリシアが知っているものと全然違っていた。
 黒い髪に顔つき。間違いなく自分の母なのに違う。
 
 ――わたしが知っているママはあんなに皺が多くない。

 ――わたしの知っているママはあんな悪の女王みたいな恰好をする人じゃない。

 ――わたしのママはあんな怖い目でわたしを見たりしない。

 しかし、アリシアの心情を余所にその呟きが聞こえた女の目から涙が溢れる。

「アリシア……本当に……私のアリシア」

 ゆらりと手を伸ばす様に恐怖を感じてアリシアは身をすくめる。
 口元に浮かべた笑みに狂気を感じる。

「えっと……あの人が君のお母さん?」

 首を掴んでいる少年が尋ねる。
 女の人の尋常ではない気配に彼も引き気味に、いつでも逃げられるようにしている。

「アリシア、分かる? お母さんよ」

「……随分と個性的なお母さんだね」

 呟きながら少年はアリシアを掴んでいた手を放す。

「さ、お母さんのところにお帰り」

 少年が自分をあの人に渡そうとしていることに気付いてアリシアは焦る。
 母に似た、狂気を持つ彼女の下に行ったらどうなるのか想像するだけで身体が震える。

「…………う」

「怖かったでしょ? 苦しかったでしょ? 寂しかったでしょ? でも、もう大丈夫。これからは――」

「違うっ! こんな人、わたしのママじゃないっ!!」

 アリシアの叫びに女の動きが凍りつく。

「わたしのママはこんな怖い人じゃない!」

 叫んでアリシアは彼女から隠れるように少年の背後に隠れる。

「いや……でも、そっくり……じゃない?」

「そっくりじゃない! 髪の色とか全然ちがうっ!」

「へ、へーそうなんだ……っていうか僕を盾にしないでよ」

「やだ……助けてよ、お兄さん」

 また掴もうとする手をかわして、アリシアは少年の周りを回る。

「……………ふふふ」

 底冷えのする笑い声に二人の動きが凍りつく。
 ギギっと固い動きで二人は女の方を見る。
 女は笑っていた。
 口元を不気味に釣り上げて静かに笑っている。
 そして、目は笑ってなく、一層の狂気を帯びている。

「そう……あなたが私のアリシアを誑かしたのね」

「はいっ!?」

 女の視線は少年に注がれる。

「待っててねアリシア。すぐにその男を殺して目を覚まさせてあげるから」

 寒気のする魔力をぶつけられて身体がすくむ。
 自分に向けられているものではないのに、その気迫に腰が抜けてへたり込む。

 ――やっぱり違う。

 こんな簡単に人を殺すなんて言う人じゃなかった。
 今目の前にいるのは母の姿形をしたまったくの別人だ。
 不意に、少年のコートを掴んでいた手が振り払われる。

「……あっ」

 置いて行かれる。そう思った瞬間に泣き出しそうになる。
 でも、次の瞬間アリシアは抱き上げられた。

「逃げるよっ」

 少年の言葉に応えるのに思わず躊躇った。
 ちらりと女の人を見ると、彼女の足下には魔法陣が広がり、その周辺にはスフィアが浮いている。
 魔法に疎いアリシアでもそれが何なのか理解できた。

「うんっ!」

 強く頷いた瞬間にアリシアは身体にかかった衝撃に身を小さくして少年に抱きついた。
 少年が走る一歩一歩が身体を揺らす。
 普段体験することがないスピードに初めに感じた驚きも、今の状況も忘れてアリシアは胸を弾ませる。

 ヒュ……ドカンッ!

 が、風を切り、壁を撃ち抜き爆発した紫の魔弾が現実に繋ぎ止める。

「な、なんかいっぱい来るよ!」

 だっこの要領で抱き上げられているため、アリシアは背後から迫る無数の魔弾が見えていた。

「黙って、舌を噛むよ」

 それに応じる前に横にかかった力にアリシアは振り回された。

「ふえっ? ひやぁ!? きゃっ! ひぐっ」

 身体が横向きになったかと思うと元に戻り、そして息を吐く暇もなく横に、さらには逆さまになる。
 縦横無尽にかかる反動にアリシアは悲鳴を上げ、忠告通り舌を噛む。
 しかし、そのたびに炸裂する魔弾に文句を言うこともできない。




「……もう追ってこないかな?」

 どれくらいの時間振り回されたのだろうか。
 少年の呟きにアリシアは目を回して応えることができなかった。

「大丈夫?」

「……らいりょうふじゃない」

「そう言っていられる内は大丈夫だよ」

 ひどい。そう思っても言葉にする気力はなかった。

「さてと、これからどうするかな?」

「どうするって?」

 そういえば、ここが何処なのかまだ分かっていなかった。
 それにこの人が誰なのかも。

「あの――」

 それを尋ねようとしたが、突然目の前に浮かんだ紫の魔法陣に言葉を失った。

「――逃がさないわよ」

 そこから淀んだ目の母によく似た女が現れる。

「きゃ――」

 悲鳴を上げるより速く、風になった。
 そして――



「なんなんだよあいつは!?」

 二度目の逃亡を一段落させて少年が叫ぶ。

「きっとあれだよ! 悪い子を連れ去って窯にゆでて食べちゃう黒い魔女だよ!」

「なに!? あれって実在してたのっ!?」

「でも、それじゃあアリシア悪い子なの?」

「あー僕は悪い子だね。……うん」

「そうなの?」

「うん、僕は極悪人だよ」

 そう言って笑う少年はとてもそんな風には見えなかった。

「えっと……助けてくれてありがとう。わたしはアリシア・テスタロッサです」

「ああ、僕は……」

 不意に少年の言葉が止まる。
 どうしたのかと首を傾げて見ると、彼は目を瞑り物思いにふける様にしてから口を開く。

「僕はソラ……うん、僕の名前はソラだよ」

 それはまるで自分に言い聞かせているかのように感じる物言いだった。
 それでいて嬉しそうな雰囲気にアリシアは不思議なものを感じる。

「さてと……これからどうしようか?」

 それを尋ねるより早く少年、ソラが話を進める。

「えっと……ここはどこなん?」

 周りの通路はどれだけ走っても変わり映えのしない、無機質なもの。
 それが余計にテレビアニメのような悪者の秘密基地を思わせる。

「何処って言われても僕もそれをちゃんと把握できてないんだ」

「はあく……わからないっていうこと?」

「うん。僕も気付いたらこの世界にいたから」

 着いてきて、とソラは歩き出す。

「君はここにどうやって来たか覚えてる?」

 ふるふると首を横に振る。

「実を言うと僕も覚えてないんだけど、結構大きな次元震があったみたいなんだ」

 非常灯だけが照らす廊下。
 よく見ると壁には至る所に傷があし、床もぼこぼこしていて歩きにくい。

「見てみるといい。これがこの世界だ」

 そういって気付けばソラは壁に空いた大穴のところで立ち止まる。
 おそるおそる覗き込んでみてアリシアは息を飲んだ。
 そこに広がるのは一面の白。
 空も地面に境界はなく、一面の白は遠近感を狂わせる。

「二、三日くらい前にあれが落ちてきたんだ」

 アリシアが落ちないように支えながらソラが指差したのは白の空間の中にある唯一のもの。
 島だろうか。
 塔のようなものも見えるが、かなりぼろぼろで原型をとどめていない黒い塊にしか見えない。

「君はあの中にいた。たぶん時期から考えてあの魔女もあそこにいたはずなんだけど」

「あんなの知らない」

 うちにいたはずなのに、リニスと一緒にママが帰ってくるのを待っていたはずなのに。

「おうちに帰りたい」

「それは無理だよ」

 涙をためたアリシアの呟きをソラはにべもなく切り捨てた。

「僕もいろいろ試したけど、この世界からは通常の次元転移では出られないみたいなんだ」

「それじゃあ、ずっとここにいるしかないの?」

「…………僕はまだ諦めるつもりはないよ」

 ソラの顔を見ればそこに絶望はない。
 その姿にアリシアは単純にかっこいいと思った。
 兄というのはこういう人のことを言うのだろうか。

「アリシアッ!!」

 ズンッ、不意に地面、戦艦全体が揺れ、同時に響く声にアリシアは首をすくませる。

「アリシアッ! アリシアッ!! どこにいるの!?」

 わめく声は近い。
 流石にその声に応える気にはなれない。

「……あのこの世界から出られないんだよね?」

「うん、そうだよ」

「それって、あの魔女さんも?」

「うん、たぶんね」

 その答えにアリシアは途方に暮れる。
 この世界から出られないのなら自分は一生あんな怖い魔女に追われ続けると思うと挫けそうになる。

「まあ、それについての対処を考えないとね。でも正直、あれに挑むのはちょっと怖い」

「そうだね」

 気弱に呟くソラにうなずく。
 もし自分に魔法の力があってもあの人に挑むことはしたくない。
 声と振動は少しずつ近付いてきているように感じる。

 ――あれはいったい誰なのだろうか?

 それを考えずにはいられない。
 自分の知っている母とは思えない姿。
 それでも、どれだけ否定してもあの人が母であると確信している自分がいることに戸惑ってしまう。

「ともかくここから離れるよ」

「……うん」

 手を伸ばすソラに抵抗せずにアリシアはそのまま抱えられる。
 三度目は全速力によるものではなく静かなものな駆け足。

「大丈夫、逃げるのと隠れるのは得意だから」

 安心させるように言ってくれるが、アリシアの心は晴れない。
 何も応えることはできずにいると、ソラの足が止まる。

「ちっ……こんな時に」

 舌打ちしながら、ソラは胸に手を当てる。
 そして、青い光を散らして手に剣が現れる。
 もっともそれは鋼のそれではなく、木製の剣だが。

「アリシア、しっかりしがみついて、それから静かに」

「うん……」

 ソラの言葉に頷いて首に回していた手に力を込める。
 片手にアリシア、もう一方に木剣を持ち、曲がり角で待ちかまえる。

「声はこの辺りから聞こえたはずなんだけどな」

 そのまま数十秒くらいまっていると慌ただしい足音とそんな独り言が聞こえてきた。
 男の人の声。声からして人のいい優しそうな人だ。
 そんな人をソラが襲おうとしている。それがなんだか嫌だと感じた。

「ねえ、ソラ――」

 声をひそめて話しかける。
 しかし、それに男は気付いた。

「そこにいるのは誰だ!?」

 厳しい声にひっっとアリシアは小さな悲鳴を上げる。
 そこにソラの舌打ちの音が重なり、通路に躍り出る。

「君か!? ちょっと待て戦う気はない」

 男の制止の言葉を無視してソラは木剣を振る。
 水色の魔法陣がソラの斬撃を受け止める。
 盾を容易く切り裂き、返す刃が翻る。
 男はバックステップでそれをかわす。

「その子は……? いや、だから待て……待ってください!」

 悲痛な叫びにソラの木剣が男に眼前に突き付けられて止まる。
 黒い髪の男の人。右目は眼帯で覆われていて魔女の次は海賊が現れたとアリシアは驚く。

「お前がこっちの区画にいるのはどういうことだ?」

 敵意に満ちた声でソラが尋ねる。

「不可侵の約定を破ったことは謝る。実は人を探していてね」

 男は言いながらアリシアに視線を向ける。

「その子はもしかしてあの島から?」

「そうだけど……」

「ソラ……この人は?」

「管理局の人間。つまりは僕の敵」

 木剣をしまってもソラは男を睨み続けている。

「ソラ? それが君の名前なのかい?」

「気安く呼ぶな」

 その敵意に満ちた空気に耐えられすアリシアが口を開く。

「えっと、アリシア・テスタロッサです」

「私はクライド・ハラオウン。よろしく」

 男、クライドは嬉しそうにアリシアに応える。

「いやーまともな会話なんて何年ぶりだろうね。
 彼、ソラ……ソラ君はまともに話なんてしてくれないから。
 まあ自業自得なんだけどね」

「おい……あんたの目的はあれだろ?」

「あれ?」

 後ろを指すソラの指を追ってみてもそこには何もない。
 と、思っていると壁が突然爆ぜた。
 煙が流れ、爆風が髪を揺らす。

「アリシア……」

 煙の中から現れたのは先程の魔女。
 狂気に目を輝かせ、もれる魔力によってなびく長い髪。
 そして、にたーっと吊り上げ真っ赤に染まった口元が笑みを作る。

「きゃああああああああああぁっ!」

「おおおおおおおおおおおおぉ!?」

「うわああああああああああぁ!?」

 ソラとクライドは逃げ出した。

「おい、こら! お前が拾ったんだろ!? どうにかしろよ!」

「無茶言わないでくれ! っていうか何だあれは、無茶苦茶怖いぞ」

「知るか!? あれだって犯罪者の一種だろ管理局」

「犯罪者でもあれは管轄外だ!」

 荒れ狂う魔力の重圧はアリシアにも理解できる。
 二度の邂逅とは比べものにならない威圧感に身体が震えが止まらない。

「ちっ……役立たずが」

 舌打ちして、ソラは不満をもらす。
 それにクライドが言い返そうとした所で不意に空気が変わった。

「もう逃がさないわよ」

 通路の先から凍てついた声が響く。
 ソラの、クライドの足が止まる。

「どうしたの?」

「結界を張られた。これ以上逃げるのは無理みたいだ」

 ソラはアリシアを降ろして木剣を取り出す。
 木剣を手にソラはアリシアに背を向ける。

「どうせ、いつかやることに変わりはないんだ。
 だったら今ここで退治してやる」

 すっかり臨戦態勢のソラの横にクライドがおもむろに並ぶ。

「まさか君と一緒に戦うことになるとはね」

「近寄るな。どっかに行ってろ」

 にべもなく突き放すソラ。

「いや、まさか一人で戦うつもり? あれと?」

「あんたに背中を任せる方が怖いよ」

「だからって、あれは軽く見積もってもSランク級の魔導師なんだぞ。
 私よりも強いんだぞ!?」

「それでも……だ」

 クライドの制止を無視してソラは走る。
 狭い通路。
 周囲にスフィアを浮かべ、万全の状態で迎え撃つ魔女。
 魔女は杖をソラに向けて――

「ゴフッ……」

 血を吐いた。
 霧散するスフィア。
 そして、そのまま前のめりに倒れていく。
 予想外のことにソラの足は止まっている。
 魔女はそのまま音を立てて倒れた。

「えっと……」

 困ったような声をもらしながらソラは魔女に近付き、恐る恐る木剣で突っつく。
 反応はない。
 なんとも言えない空気がその場に漂い。
 誰も動けなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 あまりに予想外の出来事の話になのはは反応に困った。
 というか、プレシアが哀れに感じてしまう。
 本人たちは真面目だったのだろうが、アリシアのつたない話し方ではそれも曖昧になってしまう。
 しかし、納得できる部分もあった。
 冷静に振り返ってみるとあの時のプレシアは確かに怖かった。
 何の覚悟もなく、何の情報もなくあの狂気に満ちた目に遭遇したら自分も逃げ出しそうだ。
 うん。っと納得してなのははフェイトの様子をうかがう。
 フェイトは俯いたままだった。
 まあ、今の話で何を感じろというのも無理な話だと思うが。

「それで……とりあえずその時はママを縛って……魔法を封じることにしたの」

 その流れなら妥当な判断なのだろう。

「今日の話はこれまでね」

「え……?」

 リンディの突然の打ち切りの言葉にフェイトが顔を上げる。

「でも……まだ……」

「もう限界よ。アリシアさんがね」

「あたしなら……大丈夫……だよ……」

 というもののアリシアは眠たそうな目をしきりにこすっている。
 いつの間にかもうだいぶ遅い時間になっている。
 午前中にソラとフェイトの模擬戦。それからアリシアは検査を受け、夕食を食べて今に至る。
 時間はすでになのはが普段なら床についている時間だが、気持ちが高揚していて眠気を忘れていた。

「それに明日は海鳴に帰るんだからちゃんと寝ておかないと」

 諭すように言うリンディだが、フェイトは納得できないように視線を彷徨わせる。
 はやる気持ちは分かる。
 それでもここはリンディさんが言っていることの方が正しい。
 そう思って、なのはが口を開く。

「フェイトちゃん――」

「ありしあ……ねてないよ……ねてない……ふみゅぅ」

 なのはの言葉にアリシアの、もはや寝言の言葉が重なる。
 それを聞いてフェイトは重い溜息を吐いた。

「はい……」

「そう落ち込まないで時間はたくさんあるんだから」

 もうほとんど寝ているアリシアを抱き上げてリンディは続ける。

「それじゃあ、四人ともあまり遅くならない内に寝るのよ」

 そう言い残してリンディは部屋から出ていく。
 そして、残ったの四人の内で一番初めに動いたのはアルフだっだ。

「フェイト……大丈夫?」

「大丈夫だよアルフ。ありがとう心配してくれて」

 子犬の姿のままフェイトにすりよって案じるアルフにフェイトはしっかりと言葉を返す。

「……ちょっと安心したかな。母さんは相変わらずだったんだなって分かって」

「相変わらずって……いいのかなそれで?」

 あれはどう聞いても暴走していたと思う。
 それを相変わらずと感じるフェイトを哀れと思うか、器が大きいと思うか頭を悩ませる。

「でもすごいお母さんやね。クライドさんは分からへんけど、あのソラさんをビビらすなんて」

「あっ……それはわたしも思った」

 あの冷酷な目の少年の姿を思い出して、アリシアの話の中の彼とだいぶ違うように感じた。
 何よりソラのことを話すアリシアは嬉しそうだった。
 そして、そこに陰りを感じるのは彼がプレシアを殺したからなのだろう。

「フェイトちゃん……ソラさんのこと、どうするつもりなの?」

「できればあの人からもちゃんとお話を聞きたいけど……負けちゃったから」

「それならあたしも次には一緒に戦うよ」

 そう提案したのはアルフだった。

「嘱託試験の時みたいにさ、二人でやればあんな奴楽勝だよ」

「……うん、そうだね」

 そう応えてフェイトは笑った。
 話を聞いてから初めて見せた笑顔になのはは安堵する。

「それにしても……」

 おもむろにはやてが重い溜息を吐きだす。

「どうしたのはやてちゃん?」

「いやな……せっかくの社会科見学やったのに結局何もしてへんと思って」

「そういえば、こういうのは初めてだっけ?」

「せや……なのに初日に謎の生命体に遭遇して、入院するはめになって、それからフェイトちゃんがソラさんと戦う言い出して。
 それで最後にはアリシアちゃんとクロノ君のお父さんが登場…………あっ」

 突然、愚痴を呟いていたはやてが止まった。
 その顔は蒼白で身体は震え出す。

「ど、どうしたの?」

「あかん、忘れとった」

「忘れた……何を?」

「お土産……」

 ポクポクポクポクチーン。

「ああ!」

 烈火の如く怒るアリサと恨めしそうにふてくされるヴィータの姿が目に浮かぶ。
 そして、そのまま問い詰められて今回の事件のあらましを話してしまう自分。

「どどど、どうしよう!?」

 死にかけました、なんてこと言えるはずがない。

「お土産は明日だけでなんとかしても、写真とかがまずい」

「えっと……正直に話した方がいいんじゃないかな?」

「あかん……そんなことしたらみんな仕事にほっぽり出してしまう」

 はやてを第一に考えるヴォルケンリッターがはやての危機に駆け付けなかったと知ったら何をするか。
 今後の管理局から与えられる仕事を拒否するようなことにでもなれば、管理局の人間のとの関係が悪化しかねない。

「わたしも……お父さんたちに知られるのはちょっと……」

 なのはにしても管理局で働くことを全面的に賛成してもらったわけではない。
 もし、ここで死にかけたと話したら今後、魔法に関わることを止められるかもしれない。
 ようやく見つけた将来の目標という理由だけではない。
 魔法に関わったことで得ることができた絆を否定されたくはない。

「でも……それじゃあアリシアのことはどうしようか?」

 フェイトの言葉になのはとはやては顔を見合わせて、思いついた。

「それや!」

「それだよ、フェイトちゃん!」

「ふえ?」

 声を上げる二人にフェイトは訳も分からず首を傾げた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…………ママ」

 ベッドに寝かせたアリシアがもらした言葉にリンディは苦笑して、頭をなでる。
 すると泣き出しそうだった顔は気持ちよさそうなものに変わる。
 闇の書事件のおりにフェイトが夢の中で会ったといった子供。
 フェイトの姉だとその時は言っていたようだが、実年齢や見た目のことを考えればどう見てもアリシアの方が妹に見える。
 アリシアが落ち着いたのを見計らって手を放し、静かにリンディは部屋を後にする。

「ママって呼ばれるのもいいかも……」

 思えばクロノもフェイトも「母さん」と呼ぶ。
 それに不満はないのだが、やはりもっと甘えてほしいと思ってしまう時もある。

「なるほど、確かにパパって呼ばれるのもいいかもしれないな」

 独り言に答える声に驚いて振り返るとそこにはクライドが立っていた。

「やあ、ただいまリンディ」

「……お帰りなさい」

 今日二度目のやり取り。
 といっても今回のそれは感動的なものとはいえない。
 もみくちゃにされたのか着崩れた服にお酒の臭い。
 彼の生還を本局に知らせてからわずか半日だが、熱烈な歓迎を受けたことが分かる。

「どうだった?」

「いや……みんな元気そうでなにより」

 笑いながらクライドは応える。

「彼らを守ることができたことは誇らしく思えるよ。ただ……」

 クライドの同期や部下たちは十二年の時間でそろぞれ出世し、それぞれの道を歩んでいる。
 それは自分たちにも言えることだ。
 次元航行艦の艦長になることを選んだリンディ。
 執務官になることを選んだクロノ。
 そんな時間の流れから取り残された現実はやはり堪えるのだろうか。

「大丈夫よ。あなたならすぐに復帰できるわよ」

「いや……そのことなんだけど……」

 言い辛そうにクライドは言い淀み、そして意を決して口を開く。

「管理局に戻るつもりはないんだ」

「……そんなどうして?」

「十二年は長過ぎた。もう昔のような熱意はないんだ」

 そう言う彼の表情はリンディの知らないものだった。
 次元世界を守ることを誇りにし、自信に満ちていたクライドはあの時確かに死んでいた。

「この十二年間、私は最低のことをして生きてきた。
 本当なら会わせる顔なんてなかったんだ」

 クライドは隠すように右目の眼帯を押さえる。

「その目は……ソラ君に?」

「いや、自業自得だよ」

 自嘲してリンディの言葉を否定する。
 だが、その表情はそれを肯定していた。
 二人の間に何があったか追及したい。だが、それに答えてはくれないだろう。
 それでもクライドが変わった原因がソラにあることは容易に想像できる。

「それにやることがあるんだ」

「やること?」

「ソラのことを調べようと思って……」

 それは意外な答えだった。
 てっきりクライドはソラの素性を知っていると思っていた。

「あの子は自分で次元犯罪者って言っていたわ」

「私が知っているのは罪状だけだよ。ソラの経歴とかまでは全然知らないんだ」

「それなんだけど……」

 リンディはソラについて調べたことを話す。
 解決・未解決の事件にかかわる前科の調査。
 遺伝子情報による血縁関係の調査。
 考えられる限りの方法で調べて見ても未だに何も分からない現状。
 それを聞いてクライドは眉をひそめる。

「おかしい……あれほどの事件がなかったことにされているのか?」

「ねえ、あの子はいったい何をしたの?」

「それは……答えられない」

「誰にも言わないわよ」

「知っているだけでも大問題になる。知らない方がいい」

「そう……」

 こちらの身を案じてくれているのは分かるが一抹の寂しさを感じてしまう。
 それを誤魔化すようにリンディは話題を振る。

「彼との付き合いは長いの?」

「まともな付き合いの長さはアリシアたちと同じくらいだよ。彼には嫌われているからね」

「嫌われているのに、気になるの?」

「ここにこうしていられるのもソラがジュエルシードの制御を成功させてくれたおかげだからね」

「なっ……!?」

 思わぬ単語にリンディは絶句し、同時に納得した。
 プレシアと共に虚数空間に落ちた九つのジュエルシード。
 彼女が辿り着いた場所に一緒にあるのは不思議なことではない。
 そして、ジュエルシードは空間干渉系のロストロギア。
 観測不可能な世界からの脱出する手段としては最良のもの。
 そう結論に達するとなんとも言えないものを感じる。
 多大な犠牲を引き換えにしても最愛の人を取り戻したい。
 プレシアの思想は今でも決して認められない。
 しかし、彼女の行為の棚ぼたで自分の最愛の人が帰ってきた。
 認めることができない。それでも思わず感謝してしまう。
 どうしようもない葛藤を一旦切り、リンディは艦長の顔でクライドに尋ねる。

「ジュエルシードは今どこに?」

「ん? 私が四つにソラが残りの一つを持っているはずだけど、それがどうかした?」

 あまりにあっさりとした返答に眩暈を感じる。
 この人はこの十二年でそこまでふ抜けてしまったのか。

「ジュエルシードは回収指定のロストロギアです。
 すぐに提出してください。これは命令です」

 思わずきつい言葉でリンディは告げる。

「私はそれでもいいんだけど……ソラが素直に差し出さないと思ったから言わなかったんだ」

「でも、彼が持っていても何にもならない――」

「いや、ソラはあれを使えば魔法が使えるから」

「…………は? 今なんて?」

「ソラはジュエルシードの魔力を制御できる」

「そんなどうやって?」

「本人いわく、雑念をなくして単純な命令なら簡単に叶うって言ってたけど」

「ありえないわ」

「だろうね。私も試してみたけど無理だった」

「なら、どうして?」

「それがソラの力とも言えるかな」

 ソラの力。
 そう言われて思い出すのはフェイトの魔法をかき消した光景。

「そうよ……あれはいったいなんなの!?」

 アリシアとクライドの出現で忘れていた異様な光景。
 モニター越しで見ていても、解析してみても解明できない未知の力。

「あれは……何というか……」

「それも秘密なの? ならいいわよ」

 言い淀むクライドをリンディは苛立ちを隠せなかった。
 ソラのことを何も語ろうとしない。
 それはまるで優先順位が彼の方が高いとしか見えない。

「すまない」

「もういいわ。とにかくジュエルシードを提出してください」

 強めて事務的にリンディは告げる。
 クライドは溜息を一つ吐いて、四つの菱形の結晶体を取り出した。
 それに懐かしさを感じながらリンディは首を傾げた。

「四つ、それからソラ君が一つ。プレシアと落ちたのは九つだったはずだけど残りの四つは?」

「私たちが見つけたのは五つだけだったよ」

 クライドの嘘を言っている気配はない。
 なら、彼らから離れた所に落ちたのだろうか。
 聞いた話によれば果てのない世界だったのだからその可能性は高い。
 もしくは虚数空間に落ちたままか。
 どちらにしろ、残りの四つの回収は不可能だろう。

「それとこれも渡しておくよ」

 そう言って差し出したのはデータチップだった。

「プレシア達が来てからの私たちのやり取りを記録したものだ」

「そんなもの取っておいたの?」

「職業病かな……十年以上も離れていたのについね」

 驚くものの、それはありがたいものだった。
 クライドがいなくなるとプレシアの話はアリシア一人に聞かなければならなくなる。
 意外にしっかりと話せていたが、言葉で伝えてもらうよりも映像の方がずっとわかりやすい。

「これを見て気付いたことをあとで教えてもらえるかな?」

「それは……ソラ君のことかしら?」

 リンディの言葉にクライドは頷く。

「確かにソラは次元犯罪者の人殺しかもしれない。
 でも、この一年。彼と関わって、彼がそんなことを好き好んでやる人間じゃないと……思う」

「でも彼はプレシア・テスタロッサを殺した」

「……ああ、その通りだ」

「どんな理由があっても人殺しは許されないことよ」

「分かっている。それでも……」

 クライドの言い分は理解できる。
 ただの次元犯罪者が人助けをした末に管理局に協力するなんて正気とは思えない。
 それにフェイトに取った態度だって無理があり過ぎる。
 余命のないプレシアを殺すことに何の意味があったのか。
 そして、クライドがそこまで気にする人物。
 彼が何を考え、何をしようとしているのか。
 それはリンディにも興味があることだった。

「まあいいわ。それで当てはあるの?」

 しかし、ソラの経歴は管理局の力を使っても調べられなかったもの。
 個人として動くというクライドがどこまで調べられるかは分からないが、別の方面からの調査という意味では好都合だ。

「一応ね……それとアリシアのことだけど……なんだったら連れて行くけど?」

 クライドの申し出にリンディは少し考えて首を振った。

「あの歳の子を捜査に連れていくわけにはいかないでしょ。
 フェイトのこともあるし、うちで預かるわよ」

「すまない。本当なら私が責任を持って面倒をみるべきなんだろうけど」

「いいわよ。それよりも……今度はちゃんと帰ってきてね」

「……リンディ……私は……」

 クライドは真摯な眼差しのリンディから思わず視線を逸らした。

「私は最低なことをしたんだ」

 まるで懺悔するかのようにクライドは

「本来なら合わせる顔なんてなかった……なかったんだ」

「……それもソラ君が関係しているの?」

 答えは返ってこない。
 それを肯定を捉えて、リンディは溜飲が下がるのを感じた。
 クライドがソラに感じているものが罪悪感だということが分かった。
 それで十分だった。

「言いたくないなら言わなくていいわ。
 ただ、これだけは覚えておいて」

 そっと近付き、リンディはクライドに抱きついた。
 強張る身体。抱き返してはくれなかった。

「私は許すわ。あなたがどんなことをしていたとしても……他の誰もが許さないと言っても私だけは最後まであなたの味方でいる」

「リンディ……」

「だって私はあなたの妻なんだから」

「っ……リンディ……ありがとう」

 リンディはクライドの身体を放して一歩下がる。
 今にも泣き出しそうな顔のクライドに笑顔を向ける。

「いってらっしゃい」

「ああ……いってくる」

 そう応えてクライドは背中を向けて歩き出した。

「……ああ、そうだ」

 不意に、空気が読めていないのかクライドは立ち止まった。
 だが、振り返った彼の真剣な顔にリンディは緊張する。

「あの闇の……夜天の書の主の八神はやて君だったかな」

「ええ、それがどうかした?」

「あの子とソラを会わせないようにしてもらえるかな」

「それは……どうして?」

「ソラの目的が闇の書の完全破壊だからだよ」

「……それはまさか」

「そうだよ。ソラは闇の書の被害者だ」









 あとがき
 フェイト編第一話完了しました。
 何も知らない、かつ第三者がいきなりあのプレシアに遭遇したらを考えての話でした。
 



[17103] 第十一話 悪夢
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/09/12 00:03
 ――身体が動かない。

 また、この夢だとアリシアは定まらない思考の中で思った。
 あの日、自分が生き返ったと知らされた時から時々見る悪夢。
 見慣れた天井に見慣れた部屋。
 今はもうない自分の部屋なのに、そこにもう懐かしさは感じなかった。
 この夢を初めて見た時は動転して、声も出せずに泣き叫んだ。
 何度も見る夢に今は多少落ち着いていられる。
 金縛りにあったようにぴくりとも動いてくれない身体。
 凍えるように寒い空気。
 青白い光が照らす薄暗い光景。
 そして不気味なほどの現実感と息苦しさ。
 パニックになることはなくなってもが、不快感を感じずにはいられない。

 ――そうだ。リニスはどこだろ。

 何度も見たおかげで苦しさを感じながらも余裕を持って思考する。
 身体は動かない。
 せめて視線だけでも、と思って動かす。
 ぐらっ、まるで自分の身体じゃないように力なく首が横に向く。
 視界が一転して、部屋の内装、それと自分のすぐ横に丸くなっているリニスを見つけた。

「………………」

 声を出そうとしても余計に苦しくなるだけだった。
 それでも、懸命に声を振り絞る。

「…………っ」

 しかしどうしても声は紡げず、手を伸ばすこともできない。

 ――リニス。

 せめて応えて欲しいと思う。
 だが、リニスはぴくりともしない。

 ――ああ、そうか。

 唐突にアリシアは気が付いた。
 この夢はあたしが死ぬ時のものだ。
 リニスが応えてくれないのはもう死んでいるからで、こんなにも苦しいのは今まさに死ぬ瞬間だからなのだろう。

 ――死ぬっていうのはどんなものだろ。

 取り乱さないのはそれをすでに一度体験しているからなのだろうか。
 死んだ実感なんてないのに、こんなにも怖くて心が震えているのに、泣き叫ぶ気力が湧いてこない。
 ただ一つ思うことは――

 ――死にたくない。

 理屈など関係なくアリシアは叫んだ。

 ――これは夢だ。

 そう言い聞かせて、起きようと念じる。
 しかし、悪夢から目を覚ます兆しはない。
 そして思い出す。
 いつもこの悪夢から目が覚める時にはママかソラのどちらかが必ずいてくれた。
 でも、二人はもういない。
 もしかしたら、という考えがアリシアの不安を掻き立てる。

 ――誰か!

 声にならない叫びを上げる。
 それでもママの手の温もりもソラの声も聞こえない。
 一人。
 絶対的な孤独の不安にアリシアの精神が限界まで張り詰める。
 耐えられない。
 こんな死の恐怖なんて耐えられるわけない。
 正気を保っていられたのは慣れがあったから、それも結局は短い時間しかない。

 ――助けて!

「…………ア」

 願いが通じたのか不意に誰かの声が耳に響いた。
 そして何度も感じた引っ張られる感覚。

「……リシア」

 それに伴って声は鮮明に聞こえてくる。

 ――あれ? この声……誰だったけ?

 聞き覚えがあるはずなのに咄嗟に出てこない。
 そして、その答えが出ないままアリシアの意識は覚醒した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 フェイト・テスタロッサはドアの前で固まっていた。
 ドアの向こうにはアリシアがいる。
 それを考えるとどうしても緊張してしまう。
 もうすぐ朝食の時間。
 早朝の軽い訓練をみんなで行い。
 まだ起きてこないアリシアをリンディが起こしに行こうとしたところを気付いたら自分が名乗りを上げていた。

「…………はぁ」

 思わずため息がこぼれる。
 正直、アリシアに対する気持ちは複雑だった。
 彼女が生き返って自分の前に現れるなんて思ってもみなかった。
 そして彼女は闇の書の中で会った彼女とは別人で、あれが自分勝手な夢だったと突き付けられた気分だった。
 もちろん、あのアリシアが悪いわけではない。
 それでも、と考えてしまう。
 あのアリシアは本当のアリシアではない。
 考えるまでもない。魔法を使えるのだから本当のアリシアであるはずがない。
 それでも彼女はアリシアを名乗ることを許された。

「どうして……どうして、わたしじゃだめだったの?」

 思わず呟く。
 紫電の魔力光じゃなかったから。
 SSSランクの最高の魔力がなかったから。
 半年でサンダーレイジを使いこなすことができなかったから。
 もし、あれほどの才能が自分にもあったなら認められたのだろうか。
 そんな風に思ってしまう。

「はぁ……」

 思わず暗い思考が過ぎる。
 あのアリシアを倒せば自分は認められるかもしれない。
 頭を振ってすぐにそんな考えを否定する。
 ソラが言っていた。
 わたしは認められていた。
 その言葉が嘘でなかったと信じたい。

「…………よし」

 気を入れ直してフェイトはドアを叩く。

「アリシア……起きてる?」

 ノックをするが、返事はない。

「アリシア?」

 もう一度呼んで、フェイトは開閉パネルに手をかざす。

「アリシア……起きてる?」

 自然と声をひそめて尋ねる。

「…………………フェイト?」

 遅れて声が返ってくる。
 ゆっくりとした動作で上体を起こすアリシア。
 今ちょうど起きた様子だった。

「うん。もうすぐご飯だから……その、呼びに来たの」

 近付いてフェイトはそれに気が付いた。
 アリシアの顔色が蒼白で汗もかいている。

「どうしたの?」

「あはは……ちょっと怖い夢を見ただけ」

 力のない声はかすかに震えていた。

「……どんな夢だったの?」

 フェイト自身も悪夢は時々見る。
 それはプレシアに真実を告げられた時のもの。
 あの時のことは今でも胸をきしませる。

「気にしないで……すぐに行くから先に行って」

「でも……」

「お願いだから……先に行ってて」

 強い拒絶の言葉にフェイトは伸ばした手を止めた。

「お願いだから……見ないで……」

 シーツにくるまってうずくまるアリシアにフェイトは伸ばした手を戻す。
 かすかに震えている白い山に追究することはできなかった。

「分かった……それじゃあ……待ってるから」

 ほとんど逃げるようにフェイトは部屋から出ていく。

「…………ママ……」

 ドアが閉じる瞬間にもれたアリシアの呟きが、フェイトの心をきしませた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 本日の予定。
 午前中にショッピングモールで買い物、昼食。
 午後には海鳴への帰路に着く。
 「G」との遭遇による怪我から入院し、みんなが退院したその日にフェイトがソラと模擬戦を行い。
 そして、アリシアとクライドの生還。
 文化の違う次元世界ではどんなものが売っているか楽しみではあるが、それを楽しむ余裕はなかった。

「なー……なのはちゃん」

「……うん」

 それに加えてこの場に満ちる重い空気が気まずさを濃くする。
 はやての座る車椅子を押しながらなのはは背後を窺う。
 最後尾にはリンディとアルフが歩いている。
 自分たちと彼女の間を歩いているのはフェイトとアリシア。
 それも間に一人分の空白を作っている。
 互いのことを気にかけているのは分かるが、その微妙な距離感と沈黙が傍から見ていて苦しかった。

「まー流石に下手なこと言えんしな」

 アリシアとの距離を掴めないのははやてもなのはも同じだった。
 彼女に対して思うことはなくても、フェイトを差し置いて馴れ馴れしくするのも憚られる。
 かといってアルフの様に露骨な、それでも本人たちが気付いてない、敵意をむき出しにすることもできない。

「でも……このままなんてやだよ」

「そやな」

 そう考えるとこの買い物は絶好の機会に思えた。 

 しかし――

「このぬいぐるみかわいいね、フェイトちゃん、アリシアちゃん」

「うん……そうだね」

「うん……そうだね」

「このアクセサリきれーやな。ペアみたいやし二人とも付けてみたら?」

「いいよ、別に……」

「あんまり興味ない……」

「フェイト、あ……アリシア、この肉うまいぞ食ってみろよ」

「ごめんアルフ。もうお腹一杯」

「あたしも……」

 あの手この手で話を振っても二人はずっと上の空で答えるだけだった。
 買い物の間、そして今の食事に至ってもずっと続いている光景に三人はうなだれてしまった。

「これはかなりの重傷みたいね」

 今まで見守っていたリンディが頬に手を当てて唸る。

「……なのははもう駄目です」

「うちも白旗やー」

「リニス……不甲斐ないあたしを許しておくれ」

 三者三様で突っ伏す。
 思考に没頭するフェイトがこんなにも手強い相手だとなのはは思わなかった。
 しかも、アリシアも同じような反応しかしてくれないからどうしようもない。

「……撃てばちゃんとお話聞いてくれるかな?」

 何を、とは言わなかったがはやてとアルフがその呟きに顔を上げる。

「ナイス提案やなのはちゃん。さー今すぐズドンッと」

「これもフェイトのためなんだ。アリシアの方は別に遠慮しなくてドカンッてやっていいけどさ」

「やめなさい」

 レイジングハートに手をかけたところでリンディがなのはを止める。
 それに不満そうな顔を返すとリンディは溜息を吐く。

「しかたがないわね」

 その呟きに期待が膨らむ。
 今まで静観していただけだったが、大人である彼女なら二人の仲を取り持つくらいわけないと思える。

「ところでアリシアさん、ソラ君のことなんだけど」

 しかし、その口から出た言葉に絶句する。
 プレシアとソラの話題は地雷だと思って避けてきたことを平然と口にするリンディが信じられなかった。
 現にソラの名前が出てアリシアの身体が目に見えて震える。
 そして、それはフェイトも同じだった。
 しかし、リンディは五人の反応を気にせず優しい笑顔のまま続ける。

「彼の能力について何か知らないかしら? 
 プレシアさんのことを聞き出すのにどうしても戦闘になりそうだから対策を考えないといけないのよ。
 それにフェイトも再戦する気でいるから」

 アリシアはリンディからフェイトに視線を移す。
 そこには先程までのおどおどした様子はなく、真剣な眼差しがあった。

「えっと……ソラの能力って?」

「そうね……あの人並み外れた身体能力も気になるけど、やっぱり魔法を無効にする力の方が気になるわね」

「あれって、そんなにすごいの?
 できた時のソラもすごく喜んでたし、ママもクライドもすごい驚いていたけど?」

「それは当然よ。あんなことができる能力は今のところ次元世界では見つかってないんだから。
 フェイトも気にしてるし?」

「そうなの……フェイト?」

「うん……すごく気になる」

 自然な形でフェイトもそれに答えていた。
 思わずなのはとはやては羨望の眼差しをリンディに向けてしまう。
 自然な形で二人の会話を成功させた手腕は流石と言える。
 とはいえ、ソラの能力について気になるのはなのはたちも同じだった。

「うーん。でも、あたしもよく分からないんだよね」

「なんでもいいんだけど?」

「ソラはちょーこうなんとか技法って言ってたけど?」

 それだけの説明では分かることなどない。
 結局はソラはそういうことができるという考えるしかないのだろうか。

「技法……ならあれは稀少技能じゃなくて技術っていうことなのかな。
 それじゃあ……あの体術は?
 魔法も使わないであの身体能力はありえないと思うけど」

「あれはひたすら鍛えたからだって言ってたよ。
 それでもまだ足りないって言ってたよ」

「足りないって……あれで?」

「うん……まだまだフワには届かないって」

「フワ?」

「うん。今フワと戦っても絶対に勝てないって言ってた」

 あのソラが勝てないという相手などなのはには想像できなかった。

「それってやっぱり魔導師なの?」

「ううん。管理外世界の人だって言ってたから、たぶん違うよ」

 思わず聞いていた質問を否定されて唸る。
 やはり非魔導師で自分たちよりも強い相手なんて想像できない。

「フワかー……日本人みたいな名前やな」

「あ……そういえばそうだね」

「やっぱり、こー仙人とか賢者みたいな人なん?」

「そうかな? わたしはソラと同じようなスマートな……ほらニンジャっていうのだと思うけど?」

「詳しいことは聞いてないけど、あたしは熊みたいに大きな人だと思うなぁ」

「おっ……みんなの意見が割れたなー。
 なのはちゃんはどんなんだと思う?」

 楽しそうに会話を盛り上げるはやてになのはも笑みを浮かべながら考える。

「わたしは…………お兄ちゃんみたいな人だと思うな」

 自然とそう答えていた。
 家伝の剣術がどれ程のものか習っていないなのはには分からないが、見学した時の兄と姉の戦いはすごいと思った。
 願望が混じっているかもしれないが自分たちの家族が強いんだと思いたかった。

「なのはちゃんって意外とお兄ちゃんっ子やったんやなー」

「そ、そんなんじゃないよっ」

 はやてのからかいに頬を膨らませて反論する。
 その光景が面白かったのかフェイトが笑い、アリシアもつられて笑い出す。
 そんな二人の姿に安堵する。
 やはり、しかめ面で思いつめた顔をしているよりも笑っている方がいい。

「なーなー他になんかないんか?」

「えっとねー」

 一度話して抵抗が薄れたのか、アリシアは楽しげにはやてに答える。

「歌うことが好きなんだけど……ぼえ~なんだよ」

「ぼえ~なんかい!」

 すかさずはやてが突っ込む。
 しかし、はやての気持ちも分かる。
 ソラが歌を好きだということも意外だし、何でもそつなくこなす印象があっただけに親しみを感じる。

「うん、クライドはサウンド・ウェポンって言ってた」

「そこまでなんだ……」

 ふと考えて見ると自分の周りには歌が上手い人が多いことに気付く。
 花見の時に聞いたフェイトの歌。
 聞いてない人でもはやてにシャマル、シグナムにユーノもうまいと聞いている。
 それに遠い地にいるもう一人の姉も。

「あとは……こんなこと言ってたよ」

「今度はどんな話?」

「えっとね。こっちに来たら本と戦うんだって」

 本と戦う。
 がばーっと口を開くように広がる本とそれに真面目に剣を構えるソラを想像して思わず噴き出してしまう。

「なんかおもろい人やな」

「名前は確か……」

「アリシアさん、ちょっと待って――」

「闇の本……書だったかな?」

「…………なんやて?」

 アリシアの口から出た思いがけない言葉になごんでいた空気が一瞬で凍りついた。
 リンディはしまったといった顔で額を押さえている。

「え……え……?」

 自分が変えた空気がなんなのか分からずに戸惑うアリシア。
 なのはははやての様子をうかがうが、彼女は呆然と固まって空気と同様に凍りついていた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「海鳴よ……わたしは帰ってきたー!」

 転送ポートから出てはやてが妙なテンションで叫んだ。
 空元気でそうせずにはいられなかった。
 アリシアの言葉を切っ掛けに、リンディが説明してくれたソラの目的の一つ。

『闇の書の復讐』

 あの闇の書の事件から時間が経って、今は十二年前になったクロノの父が死んだとされていた事件。
 クライドの帰還によってエスティアでの闇の書の暴走による死傷者は零になった。
 しかし、回収される前に引き起こされた悲劇は過去最大のものだったらしい。

『殺人狂の百人殺し』
『都市一つを壊滅させた人間災害』
『生身で戦艦を撃ち落とした悪魔』

 その遺業は様々な尾びれをついていて何処までが本当なのか分からない。
 それでも、そこに犠牲になった人がいるという事実は確かなことだった。
 ソラもその一人だと聞かされて黙っているはやてではなかった。
 あの後、帰る予定を無視してソラに会いに行こうとしたはやてをリンディが止めた。
 どうしてと食い下がるはやてにリンディが告げたことは衝撃的だった。

「ソラ君は闇の書を完全に破壊する術を持っているのよ」

 それがどんな方法かは分からない。
 最悪ヴォルケンリッターが消される可能性もある。
 それ以上にリンディが突き付けた言葉にはやては何も言い返せなかった。

「謝る……それでソラ君が納得すると思っているの?」

 ソラは魔導資質を失って、その上であれほどの実力を手に入れた。
 復讐のために費やした年月。
 その長い時間をどんな気持ちで、どんな生き方をしてきたのか想像もできない。
 それを説得してやめてもらえるのだろうか。
 もし、止まってくれなかったらヴォルケンリッターは殺されるのか。
 止まってくれても、ソラの気は治まるのだろうか。
 結局、はやてはリンディの言葉に従った。
 ソラの気持ちを晴らす手段も思いつかず、ヴォルケンリッターを失う恐怖から問題を先延ばしにすることを選んでしまった。

「うまくいかんなー」

 清々しい青空を仰ぎながらはやては呟く。
 闇の書の罪を償う気でいたのに、いざとなったら何をしていいのか分からなくなってしまった。
 頭を下げて、それからどうすればいいのかまったく浮かばない。
 軽く考えていたつもりはなかったが、所詮はつもりでしかなかった。

「はやて、お帰り!」

 元気なヴィータの声にはやての心臓がドキッとはねる。

「ヴィータ!? どーしてここに?」

「どうしてって……電話で迎えに行くって言ったじゃん?」

 不思議そうに首を傾げるヴィータに言われて、はやては昨日の電話のことを思い出す。
 昨日だけではない。
 「G」に襲われてからヴィータだけではなく、シグナムにシャマル、ザフィーラからも連絡を受けた。
 自分たちが襲われたことは報せてなくても、都市部に現れたことを心配していた。
 電話越しには誤魔化せたが、今はそれができるとは思えなかった。

「そ、そーいえばそーやったなー」

 かろうじてそう応えるが、脳裏に浮かんだソラの顔にヴィータをまじまじと見てしまう。

「ただいまヴィータちゃん」

「ただいま」

 その不自然な動きにヴィータが気付くより早く、なのはとフェイトが会話に入ってくる。

「おう、お帰り」

 ヴィータの視線が二人に行きはやては思わず息を吐く。

 ――気まずい。

 「G」に襲われたこととソラのこと。
 隠し事をしている後ろめたさに気が滅入る。

「なっ!? テスタロッサが二人!?」

 ヴィータの叫びに意識を戻す。
 並んで立つフェイトとアリシアにヴィータが驚いている。
 彼女のことを紹介するサプライズも考えていたのに実行することも忘れていた。

「えっとなー。その子はアリシアちゃんってゆーってフェイトちゃんのお姉ちゃんや」

 普通に紹介して、考えていた言い訳を続ける。

「旅行がちょー長くなってしもうたんわこの子に会ったからなんや。黙っていてごめんなー」

「は? お姉ちゃんってテスタロッサよりちびなのに? って、いってーっ何しやがるっ!?」

 ちびと言われたアリシアがヴィータの足を思い切り踏みつけた。

「あたしはちびじゃないもん! そっちの方が小さいくせに!」

「んだとー!」

「むーっ!」

 ヴィータとアリシアが睨み合い、視線の火花を散らせる。
 ぎゃあぎゃあ、わあわあ、と見た目に相応しい喧嘩を始め得るアリシアとヴィータ。
 それにおろおろとしながら止めるフェイトとなのは。
 微笑ましくもある光景に安堵しながら、はやても二人を止めるために口を開く。

「はやて、危ねぇっ!」

「え……?」

 唐突にヴィータが叫び。こちらに向かって飛んだ。
 何のことかと理解する前に不意に影を感じる。
 見上げると青い空はなく、視界一杯に何かが映った。

「プロテクション」

 リンディが張ったシールドがそれを受け止める。
 そこでようやくはやてはそれがマンションの屋上に設置されている貯水タンクだということに気が付く。

「アイゼンッ!!」

 ヴィータは落下の止まったそれをグラーフアイゼンで横殴りにぶっ飛ばした。
 盛大に水をまき散らし、タンクは屋上の床に激突、二度三度バウンドしてようやく止まった。

「てめぇら何者だ!?」

 騎士甲冑をまといながらヴィータは屋上のさらに一つ上、貯水タンクがあったはずの場所に立つ二人に向かってグラーフアイゼンを向ける。
 年の瀬は二十歳くらいの男女。
 剣呑な空気をまとっている彼らにはやては息を飲むが、彼らの背中にある羽に思わず目を奪われる。

「なんやあれ?」

 男の方は三対六枚の昆虫のような羽。
 女の方は天使のような真っ白い翼。
 それが何なのか分からないが、魔法によるものではないと感じた。
 得体のしれない存在に恐怖を感じる。が、前に立つヴィータが頼もしく思える。

「姐さん……やっぱ不意打ちって卑怯じゃね?」

「ただの挨拶代わりよ。高ランクの魔導師がこの程度でやれるはずないでしょ?」

「それもそうか」

 気楽に言葉を交わして女の方がはやてに向かって口を開く。

「夜天の魔導書の王。八神はやてで間違いないわね?」

「そ――」

「随分とひどい挨拶ね。まずそちらが名乗ったらどうかしら?」

 肯定しようとしたはやてを手で制して、リンディが応じる。

「おばさんに用はないわ。用があるのは夜天の王だけよ」

 さっさと答えろと言わんばかりに睨みつけられる。
 リンディさんをおばさん呼ばわりとは勇気があるなぁ、と感心しながらはやてはリンディの行動を待つ。
 未だにリンディははやてに発言しないように手を出している。
 ならば、従った方が良いのだろうとはやては口を噤む。

「管理外世界での魔法の行使は重罪よ」

「ふん……管理外世界に住み着いてる奴が何を偉そうに。
 だいたいこの力は魔法ではなく超能力っていうのよ」

「超能力って、まさかあのっ!?」

 思わずはやては声を上げる。
 超能力。それは魔法に並ぶSFの代名詞。
 魔法が実在するのだから超能力だって存在していてもおかしくないのだが、実際に現れると驚いてしまう。
 驚き、反応を示したはやてを見て、女は納得したように頷く。

「流石は夜天の王。北天の技術に精通しているとは……」

 ――あれ、なんか誤解しとる?

「どういうことはやてさん? 何か知っているの?」

 その誤解はリンディにまで及ぶ。

「えっと……」

 なんと説明していいのか迷う。
 その間にも女の人は話を進めようとする。

「さて、夜天の王。貴女には二つの選択肢があります。
 大人しく我々と共に来るか、痛い目にあって無理矢理来るか」

「……どうやら話し合いの余地はないようね」

 先程から徹底的に無視されているリンディは溜息を吐く。
 
「ヴィータさん、戦闘を許可します。
 結界は私が張るから全力で戦っていいわ」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「了解っ!」

 保護観察の身である以上、勝手な戦闘行動ができない。
 しかし、リンディの許可をもらったヴィータは待ってましたと言わんばかりの勢いで突撃する。

「ぶっとべーーーーっ!!」

 わずか十数メートルの距離を一瞬で詰めてグラーフアイゼンを振る。

「おおおおおおおおっ!!」

 それに対して男が動く。
 雄叫びを上げ、女の前に立ち、金の羽を輝かせて拳を振り抜く。

 ズドンッ!!

 重い音が大気を震わせる。

「くっ……」

「ぬっ……」

 互角。ハンマーと拳を打ち付けた姿勢で固まる二人は苦悶の表情を浮かべる。
 ヴィータはすぐさまその場を離脱してグラーフアイゼンを構え直す。

「てめぇ……」

 防御されたのではなく、相殺されたことがヴィータのプライドに傷を付ける。
 一撃の重さは身内の中で一番だという自負がある。
 それを目の前の男はその拳で打ち合いに来た。

「名前は……?」

 プライドが傷付いたがそれにこだわるつもりはない。
 武器を交えて感じた実力は決して雑魚ではない。
 魔力を感じないせいで実力が測れないが武器を交えてその強さを感じ取ることができた。
 魔導師に当てはめるなら軽く見積もってAAランク。
 しかもタイプは騎士に近い。
 それを二人同時相手にするのは流石のヴィータも厳しいと判断する。
 もう一人の女はなのはたちに任せるとして、目の前の男に集中する。

「知りたけりゃお前から名乗れ」

「……夜天の王、八神はやての騎士ヴィータだ。こいつはグラーフアイゼン」

「……レイだ」

「てめえに教えてやるよ。あたしとアイゼンに砕けないものなんてないってなっ!」

「上等っ! お前の自信をぶっ壊してやるよ! この拳でっ!!」

 そして、二人は同時に動き出す。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ハンマーと拳の打ち合いを始めた二人を背景に、女が残った自分たちを見下ろす。

「なのはさん、フェイト……頼めるかしら?」

「はいっ!」

「うんっ」

 すでにバリアジャケットとデバイスを構えてフェイトはなのはと一緒に頷く。

「リンディさん、わたしも……」

「あたしだって戦えるよ」

「二人はダメよ」

 同じく完全武装したはやてとアリシアが参戦しようとするがリンディは止めた。

「彼女たちの目的ははやてさん、あなたなのよ」

「う……」

「アリシアさんはいざという時はやてさんを守ってくれないかしら?」

「ん……分かった」

 はやては渋々、アリシアは素直に指示に従う。
 二人に戦わせない本当の理由は分かっている。
 相手はヴィータとまともに打ち合える人のパートナー。
 まだまだ魔導師としてむらがあるはやてが戦いには早い相手だ。
 アリシアに関しては実力が未知数だから。

『アルフ……母さんたちのことお願いね』

『あいよ……気をつけてな』

 念話による短いやり取りを終えてフェイトは女を見据える。
 白い翼を持つ天使のような存在。
 その目は強い意志を持ちながらも冷め切っている。
 それに言いようのない不気味さを感じながらフェイトはバルディッシュを握る手に力を込める。

「なのは……先に行くよ」

『プラズマランサー』

「ファイアッ!」

 四つの雷槍を放ち、同時に切りかかる。
 雷槍は女の目の前で不可視の壁に弾かれる。
 それを気にせず突撃。

「はああああああああっ」

 気合いを込めてバルディッシュを振り下ろすが、女の眼前で音もなく止まる。
 だが、それも予想の範囲内。

『リングバインド』

 発動の早い拘束魔法を叩きつけるように放つ。
 金の輪が女を囲み締め上げる。
 そして、すぐにその場を離脱する。

「バスターーーーッ!!」

 響くなのはの声と視界の隅に溢れる桜色の光。
 眼下の女は回避行動を取れない。まだバインドも壊されていない。
 なのはの砲撃の直撃を受ければ、いかに能力の体系が異なるとはいえ無事で済むはずがない。
 しかし――

「えっ!?」

 フェイトは驚愕に目を見開いた。
 直撃する寸前、女の翼が輝いたかと思うとその姿が一瞬で消えた。

 ――転移魔法!? それもあんな一瞬で?

 どこに、女の姿を探してフェイトは辺りを見回す。

『ラウンドシールド』

 突然、バルディッシュが背後にシールドを作る。
 振り返るとそこには女がいて、手をこちらに向けていた。
 ゾクリッ。
 嫌な予感がして、フェイトはすぐに別の魔法を発動する。

『ソニックムーブ』

 その場から離脱した瞬間、女は開いていた手を握る様に閉じる。
 それに伴ってシールドがひしゃげ、遅れて霧散する。
 あり得ない壊され方に息を飲む。

『フェイトちゃん! 大丈夫!?』

『うん……大丈夫だけど……』

 超能力がどういう力か分からないがとんでもない力だということは分かった。
 何の予備動作なしに行使される力は確かに脅威だ。
 それでも敵わないとは思わない。

『敵生体の能力発現時、空間の歪みを感知しました』

「そう……事前に感知できそう?」

『可能です』

 短い時間で対策を立ててくれる頼もしい相棒に感謝しながらフェイトは女を見据える。
 傾向と対策はできた。
 あとはそれがどこまで通用するか試すだけ。
 何も分からなかったソラとの戦いと比べれば気が楽になる。

『大規模な空間の歪曲を感知』

 バルディッシュの報告と目の前の光景にフェイトは息を飲んだ。
 自分が住むマンションを始めとした周囲の建物が何かに握り潰されたように次々と壊れていく。
 そして生み出された大量の瓦礫が重力に反して浮き上がる。

「いけっ!!」

 その大量の瓦礫が津波になって押し寄せる。
 すぐさま飛ぶ。
 旋回、急上昇、急停止、急降下。
 地面を這うように飛び、フェイトを追い雨の様に降り注ぐ瓦礫。
 見慣れた町並みが蹂躙されていく。
 それに怒りを感じると同時にゾッとする。
 コンクリート片や鉄筋、ガラス、などなど。
 それらがかなりの速度を持って追いかけてくる。
 勢いと量を考えてシールドを張っても結果は周りの建物と同じになる。
 ちらりと、女の様子を窺う。
 彼女は最初の位置から動かず、両手を指揮者のように振っている。

 ――遊ばれている。

 なのはもフェイトと同じように瓦礫の波に追われているが、追いつかれていない。
 機動力では上の自分が振り切れないのに、なのはがぎりぎりのところで追い掛け回されているのはそういうことなのだろう。

『なのはっ!』

 フェイトは一気に加速してなのはを背中から掴み、さらに速度を上げて離脱する。

「撃って!!」

 二倍の量になって追いすがる瓦礫。
 なのははフェイトの意図をすぐに理解してカートリッジをロードする。

『ファイアリングロック解除』

「ディバイン……バスターッ!!」

 桜色の砲撃がより大きな津波となって瓦礫の波を飲み込み薙ぎ払う。
 さらにその取りこぼしをフェイトがプラズマランサーで撃ち抜いていく。

「よくできました」

 パチパチと手を叩きながら女が褒める。
 それが子供にするようなものに感じて神経を逆なでる。

「どうして……こんなことするんですか?」

「言っても、たぶん意味はないでしょ?」

 どこかで聞いたことのあるようなセリフ。

「あんたたちは今回は巻き込まれた運の悪い被害者」

「はやてちゃんをどうするつもり?」

「部外者の君たちが知る必要はないわ」

「なら、わたしたちが勝ったらお話を聞かせてください!」

 レイジングハートを構え、勇ましく言い放つなのは。

「へーなら私が勝てばあんたたちは諦めるんだね?」

「え……それは……」

 まともな反応が返ってくるとは思ってなくて虚を突かれる。
 その間にも女は納得して続ける。

「もう少し遊ぼうかと思っていたけど気が変わった」

 言いながら取り出したのは黒い石。
 そして――

「起きなさい、レグルス」

 魔力が溢れる。
 それも禍々しく恐ろしいものが。
 黒い石は光を放ち、姿を変える。
 デバイスのセットアップのように、石は姿を変えていく。
 そうして組み上がったのは一本の黒い剣だった。

「え……?」

「何……それ?」

 思わずそんな言葉が漏れる。
 それは確かに剣なのだが、大きさが異常だった。
 並び立つ女の倍の刀身。それに伴い刀身の幅は彼女を十分に覆い隠せるほど。
 しかも柄が見当たらない。
 いったいどうやって振り回すのか、そもそも振り回せるのか、疑問が尽きない。

「リンカーデバイス、レグルス」

「リンカーデバイス?」

「最強のデバイスを作ることを目的とした破天の魔導書の作品の一つ……って言っても分からないでしょうね」

 始めから説明する気がなさそうな口調で女は言ってこちらを見据える。
 一層に緊張が高まる。

「そういえば……名前、聞いてませんでした」

「………アンジェ」

「アンジェさん……わたしはたか――」

「興味ないわ」

 女、アンジェは名乗ろうとしたなのはの言葉を切り捨てる。

「さてと……それじゃあ死ぬ気で足掻きなさいっ!」

 アンジェの足下にミッド式の魔法陣が広がる。

「いけっ! レグルス!!」

 重厚な黒い刃が無造作に回り、切っ先をなのはに向ける。
 そして、幾重にも環状魔法陣が剣を包み、発射された。

「速――」

『プロテ――』

「なのはっ!!」

 傍から見ていたフェイトが叫び声を上げられたのはなのはが不完全なバリアごと吹き飛ばされた後だった。
 だが、落ちていくなのはを心配している余裕はなかった。
 旋回する剣がこちらに切っ先を向ける。
 次の瞬間、フェイトは咄嗟に身を捻っていた。
 そして、突風が横を通り過ぎ、マントを引き千切っていく。
 振り返ってもそこに剣はもうない。
 黄色の魔力光の尾を追って空を見上げ、目に入った太陽に思わず目を細め――

『ソニックムーブ』

 バルディッシュの強引な魔法展開にフェイトは逆らわずに従う。
 風の衝撃に身体が流される。
 その体勢を立て直しながら命じる。

「バルディッシュ」

『ソニックフォーム』

 バリアジャケット換装して飛ぶ。
 守りに回ってはいけない。
 そう判断して、剣に向かう。

「――ここっ!」

 紙一重のところで身を捻って剣をかわし、すれ違い様にバルディッシュを叩きつける。
 しかし剣は小揺るぎもせずに飛び去っていく。

「くっ……」

 そのまま剣が向かった方とは逆に飛び、旋回。
 遠くでは剣が同じく旋回してくるところだった。

『ハーケンフォーム』

 カートリッジを使ってバルディッシュを鎌にする。

「はああああああっ!!」

 交差する瞬間に、剣をかわして刃を打ち込むが、弾かれる。
 そのままの勢いで離脱し、旋回、交差。
 それを高速で何度も繰り返す。
 一方的に打ち込んでいるのはフェイトで、剣はフェイトにかすってもいない。
 しかし、フェイトは焦りを感じていた。
 何度斬撃を放っても手応えは堅く、効いている気がしない。
 それでいて速さは互角で少しでも緩めたりしたら、きっと追いつけなくなって畳み込まれる。
 ザンバーフォームなら通るかもしれないが、換装している余裕もない。
 そして、何より装填しているカートリッジがあと二発しかなかった。
 当然、リロードしている余裕なんてあるはずもない。
 今互角に打ち合っていても、すぐに均衡が崩れることは予想できた。
 どうすることもできないジレンマ。
 打開策なんて思いつかない。
 不意に、目まぐるしく変わる景色の中に桜色の光が見えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 剣の初撃をリアクターパージで受けたが、衝撃を殺し切れずになのはは少しの間気絶していた。

「レイジングハート……どれくらい気絶してた?」

『17秒です』

「そっか……フェイトちゃんは?」

『上です』

 言われて見上げると閃光が瞬き、衝撃が空気を震わせた。
 金色と黄色の光が入り乱れる中で、また一際激しい閃光が光る。

「すごい……」

 改めて見るフェイトの高速機動戦に目を奪われる。
 目まぐるしく動く金と黄の光はどちらがどちらなのか分からない。
 援護する隙間さえない攻防になのははただ傍観することしかできなかった。

『マスター』

「え……あ、何レイジングハート?」

 相棒に呼ばれてなのはは我に返る。

『このままではフェイトのカートリッジが持ちません。早急に対処を』

「そう言われても……」

『あの戦場に介入する必要はありません。
 術者本人を叩きましょう』

「そう……だね」

 自分たちが相手をしているのが剣ではなく、アンジェだったことを思い出す。
 当のアンジェはビルの上に浮かび、フェイトと剣の戦いを観戦している。

「レイジングハート……エクセリオンモードいくよ」

『分かりました』

 杖から槍に姿を変えたレイジングハートを遠くのアンジェに向けて構える。

「アクセルチャージャー起動……ストライクフレーム」

 レイジングハートから6枚の光の羽が広がる。
 アンジェがこちらに気付いた様子はない。

「エクセリオンバスターA.C.S……ドライブッ!」

 自分を一本の矢に見立てて飛ぶ。
 この一瞬、真っ直ぐ飛ぶことだけにおいてフェイトに匹敵する速度を持ってアンジェに迫る。

「なっ……!?」

 ようやくアンジェがこちらに気付くがもう遅い。
 魔導師なら防御も回避もできない距離と速度。
 しかし、なのはの突撃がアンジェの眼前で止まった。
 シールドの手応えではない。
 何か見えない力で押し返される。
 それは……好都合だった。

「ブレイク――」

 カートリッジをさらに上乗せし、零距離からのエクセリオンバスター。
 自分の魔力光の先でアンジェの顔が引きつる。

「――シュートッ!!」

 砲撃した瞬間の炸裂になのはは吹き飛ばされる。
 節々が痛む身体を押さえて爆煙を睨む。

「やったかな……?」

 手応えはあったと思う。
 まだ倒せないにしても、一旦はフェイトに休む暇を与えられたはず。
 煙が晴れた中心には黒い塊があった。

「あれは……」

 それはフェイトが相手にしていたはずの剣だった。

「そんな……どうやって!?」

 フェイトの戦場とは距離があったはずなのに、それはいつの間にアンジェの前に現れて盾となってなのはの砲撃を防いだ。

『来ます』

 レイジングハートの警告と同時になのはは手をかざす。

『ラウンドシールド』

 防御の完成と共に切っ先が向けられる。
 そして――
 トスッ……そんな軽い衝撃を身体に感じた。

「え…………?」

 見下ろすと黒い剣が胸に突き立っていた。
 シールドを何の抵抗も感じさせず剣は突き破ったのだ。

「レグルス、死なない程度に食べていいわよ」

 そんなアンジェの声が聞こえたかと思うと身体の内側から激痛と共に何かを抜き取られる感覚を受ける。

「あ……あぐ、あああああああああああああああああああああああっ!」

 この痛みは知っている。
 かつて、闇の書にリンカーコアを蒐集された時とまったく同じ痛み。

「なのはーっ!」

 そしてあの時と同じように叫ぶフェイトの姿がかすむ視界の中に映る。
 しかし、飛んでくるフェイトが不自然に止まる。

「あんたの役目はこの後よ」

「きゃあっ!」

 そのままの体勢でフェイトはビルに叩きつけられた。

「ふぇ……フェイト……ちゃ……ん」

 霞んでいく意識を必死に繋ぎ止めようとするが、その意思も空しくなのはの意識は暗転した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『これから抵抗した場合、この二人を殺す』

 念話に似た声が頭に響いたのはラケーテンハンマーを使おうとした瞬間だった。

「なっ……?」

 振り返った先には剣に串刺しにされたなのはと気を失っているのかぴくりともせずに宙に浮いているフェイトの姿だった。

「うそだろ」

 二人の実力はよく知っている。
 AAAランクの二人を同時に相手をして勝つなんてことができるのはヴィータの知る限りではリインフォースだけだった。
 それなのにあの白い翼の女はほとんど無傷で二人を倒したことに驚愕する。

「あー……姐さんレグルスを使ったのか……かわいそうに」

 同情するようなレイの呟き。

「レグルス?」

「姐さんのリンカーデバイスでな。これまたえげつないスピードで飛んでくんだよ」

 レイの説明にヴィータの脳裏にはあることが思いつく。

「まさかテメエもそのリンカーデバイスっての持ってたりするのか?」

「当然、持ってるぞ。俺のはベガって言うんだ」

 これ見よがしに青い宝石を見せるレイに怒りを感じる。

「テメエ! 手抜いてやがったのかっ!?」

「何言ってんだよ。常識内の魔導師相手にリンカーデバイスなんて使うわけないだろ」

 見下した物言いにヴィータの怒りは振り切れた。

「っざけんなーー!!」

 警告のことも忘れてヴィータはレイに襲いかかる。

『あかん、ヴィータッ!!』

 頭の中に響くはやての念話の声にヴィータの動きが硬直する。

「あ……」

 その隙を逃がすことなく、というよりも反射的に出していたレイの拳がヴィータの側頭部を打ち抜いた。
 レイとヴィータの戦いはそんな呆気のない終わりになってしまった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 目の前に放り出されたなのはとフェイト、そしてヴィータの姿にはやては息を飲んだ。
 まだまだ未熟な自分なんかと比べて、ずっと強い三人が呆気なく負けてしまった。
 しかもその内の一人が自分のせいだということがはやてにさらなるショックを与えていた。

「どうして……こないなことするん?」

 呆然と、戦意を喪失してはやては呟く。

「邪魔だったからよ」

 にべもなく女は言い捨てて、続ける。

「私たちの目的は夜天の主である貴女だけよ」

「でも……夜天の書はもう……」

「もっと正確に言うなら夜天の技術が刻まれた貴女の脳よ」

「脳……?」

「どうも自覚はないようね。
 貴女の頭の中には夜天が培った技術が眠っているのよ。
 私たちはそれが欲しいの。なに、命の保証はちゃんとするわよ」

 リインフォースが残したものがあると聞いて喜ぶ気持ちがわいてくるが、状況がそうはさせてくれない。
 それが何か、はやてには理解できなくても答えは決まっている。

「わたしは……いかへん」

 彼女たちが何のために夜天の技術を必要としているのか聞くまでもない。
 こんなことをしてまでそれを求める相手なんて信用できない。

「ふぅ……」

 はやての答えに女は溜息を吐く。
 そして、突然ヴィータの手が弾けた。

「ぐあああああああああああああああっ」

 悲鳴を上げるヴィータを踏みつけて黙らせ、女は鋭い眼光をはやてに向ける。

「分かってないようね。貴女には『来ない』という選択肢は与えていないのよ」

「そっちの獣とちびっこにおばさんも下手なことしたらこいつらの命は保証しないぜ」

「あんたら……」

「リンディさん、放してっ!」

「落ち着きなさいアリシアさん!」

 牙をむくも男の忠告で動きを止めるアルフ。
 それに反して動こうとするアリシアをリンディが止める。

「さて、夜天の王、改めて選ばせてあげる。 
 このまま大人しく私たちと一緒にくるか、ここにいる貴女の友達を皆殺しにされたいか」

 与えられた選択肢に息を飲む。
 突然背負わされた六人の命。
 おそらく、目の前の二人は殺すと言ったら躊躇わずに殺す人間だ。
 この中で強い三人が負けた以上、彼女たちには本当に皆殺しにする力がある。

「わたしが行く、ゆーたらみんなには手を出さないんやろな?」

「はやてちゃん!?」

「追ってきたらその限りではないけど、殺さないことは約束して上げてもいいわよ」

 最大限の譲歩。そう思える言葉にはやては納得する。

「そなら――」

「相変わらずえげつないことをしているなお前たちは」

 不意に聞き覚えのない声が響いたかと思うと、目の前に手の平大の銀色の球が落ちてきた。
 そこに現れる朱の魔法陣。
 そして、朱の閃光が弾けた。

「なっ……これは!?」

「なに!?」

 二人の驚愕の声、そして何かがはやての横を通り過ぎてその二人を吹き飛ばした。
 広がった黒く長い髪。
 民族衣装のようなバリアジャケット。
 見たことのない背中にはやては言いようのない懐かしさを感じた。

「アサヒ・アズマ……てめえどうしてここに!?」

「答える筋合いはないな」

 男の叫びをその人はあっさりと切り捨てる。

「アサヒ……」

 その名前をはやては反芻する。

「アサヒお姉ちゃん……」

 自然と出た言葉に疑問を感じるより早く、彼女が振り返る。

「やれやれ、私をそう呼ぶということは君は私が知っているハヤテ・ヤガミ、こちらでは八神はやてだったか。
 その本人に間違いなさそうだな」

 溜息混じりの言葉がはやての感覚を肯定する。

「え……でも……」

 続く記憶が出てこないことに戸惑う。
 いつ、どこで、彼女と会ったのか思い出せない。

「積もる話は後だ。
 先にこいつらを片付けるから少し待っていてくれ」 

「片付ける?
 今まで逃げ回ることしかしなかった貴女が随分な自信ね」

「かわいい妹分の前だからな。
 それからお前たちに一つ言っておくが……」

 アサヒの周辺に先程の銀の球体が浮かび上がる。
 その数は十二。その全てに環状魔法陣が付いている。

「私はお前たちが恐ろしくて逃げていたわけじゃない。
 戦う必要を感じなかったから逃げていただけだ」

「相変わらず口は減らないみたいね」

「だから今日は見せてやるさ。東天の王の力をなっ!!」

 アサヒの声を切っ掛けに朱色の魔力が解き放たれた。







あとがき
 途中で話を切りましたが、第11話をお送りしました。
 時系列は第6話から第7話の時のなのはたちの話になります。
 次の話で天空の魔導書の目的を明かす予定です。
 できるだけ早く書こうとは思っていますが、気長にお待ちください。



追伸
 はやての口調がとても難しく感じます。
 こうした方がいい、この言葉使いはおかしいと思う所など、是非アドバイスしてください。





[17103] 第十二話 姉妹
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:069a5958
Date: 2010/09/12 08:07

「そう……シャマルさんが来てくれるのね」

『ええ。それからはやてさんの警備としてヴォルケンリッターを全員招集させる許可を取るわ。
 あとは武装隊の手配ね』

 レティの言葉にリンディはひとまず息を吐く。
 はやてを狙った未知の能力を持つ敵勢力の報告。
 リンカーコアにダメージを負ったなのはや負傷したフェイトとヴィータの治療のための医療スタッフの手配。
 はやての護衛の強化。
 急を要する報告と対処はそんなものだろうと、砂糖をいつもより多めにした緑茶をすする。
 程良い甘味に癒されながらもリンディはやるべきことを進める。

「それからユーノ君。忙しいことは分かっているけどそのリストの言葉を至急調べてくれるかしら?」

 無限書庫につなげた映像の先にはユーノの真剣な顔がある。
 その周囲にはいつものように本が並んでいるが、彼の表情はいつもに比べて険しい。
 その内心は手に取るように分かる。
 なのはたちが危険にさらされていたのに、それを知らずに無限書庫の仕事をしていた自分に怒りを感じているのだろう。
 彼に責められる理由はないのだが、彼はそういう人間だ。

『……いえ、いくつかもう見つけました』

「早いわね」

『北天の魔導書についてはエイミィさんからも調査依頼がありましたから』

「エイミィからも?」

 クロノと共にアキの元に出向している彼女が同様の依頼をしている。
 それに言いようのない不安を感じる。

『……とりあえず分かったことを説明します』

 北天の魔導書。
 人の進化と魔法との関係性について研究する魔導書。

 破天の魔導書。
 高性能なデバイスを作ること目的とした魔導書。

 東天の魔導書。
 魔導師の技術を収集して研究することを目的とした魔導書。

『……以上です』

「これだけなの?」

 それぞれの概要は理解できたが肝心の「超能力」「リンカーデバイス」のことについて触れていない。
 それに東天の魔導書の目的が夜天の魔導書と同じだ。

『はい……魔導書について調べても出てきたのはこんなデータばかりなんです』

 画面に映し出されるテキストデータ。
 最初の一文こそはユーノの報告通りの内容だが、あとは文字化けしていて読むことができない。
 これはどういうことだろうか?

『おそらく、無限書庫には検閲というシステムがあるんだと思います』

 検閲。
 公権力が、出版物や言論を検査し、不都合と判断したものを取り締まる行為をいう。

 無限書庫はそれこそ調べればどんなことでも出てくるかもしれないが、それが無秩序であれば悪用の方法はいくらでもある。
 プライベート、機密、そういったものが意味をなさなくなってしまう。
 それらを無視して情報を集められるならどんな労力がかかっても管理局は使っていたはずだ。

「そうなると彼女からの情報だけが頼りなのね」

 元々一級のロストロギアだ。
 そう簡単に情報が出てくると思ったのが甘かったのだ。

『すいません』

「いえ、ユーノ君のせいじゃないわ。
 それじゃあ「超能力」と「リンカーデバイス」についての調査をお願いね」

『そちらの方ですが、「超能力」なら僕の知識で説明できます』

「あら……そうなの?」

『なのはの世界の本に出てくる架空能力の一つです』

 はやてが反応したのはそのためか。
 その分類もたくさんあるが、主には脳の秘められた力を解放した力とされる。
 またその能力も多岐に渡り、「発火」「発電」「念動」など個人によっては使える力も大きく異なる。

「魔法との違いは?」

『魔力を使わないことですね。
 この能力は人の脳が発する特殊な力の波動を使って現実そのものを書き換えるものですから魔力とは何の関係もないんです』

「そう……」

 大規模な物体操作をしても魔力を感じなかったことに納得できる説明だった。

『それからこの能力はミッドチルダでも確認されたことあったんです』

「え……本当に?」

『はい……時代は古代ベルカのさらに前の時代。
 ミッドとベルカが分かれる前の時代になります』

 なんだかいつものユーノではない気がする。
 嬉々として語るユーノの新たな一面。
 歴史のことを語らせるとこうなるのかとリンディは思う。

『彼らはフェザリアンと呼ばれ、魔法とは違う力を持っていたんです』

「それが超能力?」

 羽を持つ者。たしかに襲撃者の二人の背には羽があった。
 とはいえ、自分も魔導師としての羽持ちなのだからその呼称には文句の一つも付けたくなる。

『残っている歴史的文献からするとおそらくは』

「今現在、そのフェザリアンは存在していないの?」

『種族的には魔導師との戦争によって絶滅したらしいです』

「そうなると彼らはその生き残り、末裔かしら?」

『その可能性は低いと思いますけど……』

「なるほど……参考になったわ」

『いえ、あとは無限書庫を使ってもう少しいろいろ調べてみます』

「そう、よろしくお願いね」

 これで調査依頼は完了。
 ユーノが博識であったおかげで時間を取られてしまったから、あとの作業はレティに任せることにする。

「レティ。アサヒ・アズマ、それからレイとアンジェの身元を洗ってもらえる?」

『それくらい自分でしなさいって言いたいけど、あんまりその本人を待たせるわけにはいかないか』

「そうなのよ。悪いわね」

 画面の向こうで溜息を吐く親友。

『その代わり、彼女の話はあとで聞かせてもらうわよ』

「ええ、分かったわ。それじゃあ……」

 挨拶もそこそこに通信を終わらせる。

「ふぅ……」

 リンディはすぐに立ち上がらずに別のモニターを開いた。
 それはリンディが持っていた記録装置、レイジングハート、バルディッシュ、シュベルトクロイツから取り出した戦闘記録。
 映し出されるのはアサヒ・アズサの登場した場面。

「一定しない資質能力の魔導師か……」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 アサヒと名乗った少女が黒い髪をなびかせ、屋上から飛び出す。
 その姿をリンディは観測スフィア越しに見守る。
 管理局に増援を要請してからまだ一時間。
 専用ポートを作っているとはいえ、部隊の編成と移動時間を考えると少なくてもあと三十分はかかるはず。
 せめてそれくらいの時間は持ってほしいと勝手な希望を抱く。

「シャイターン……準備は?」

『万全です』

 彼女の言葉に彼女を囲む十二の球体が応える。
 スフィア型のAI搭載のブーストデバイスだろうか、何にしても珍しい型のデバイスだ。

「スラッグバレット、一斉掃射」

 アサヒの号令で銀球から放たれる十二の魔力弾。
 それに襲撃者の二人が身構え、魔力弾は二人の前で弾かれた。

「はっ……でかいこと言ってこの程度かよ!?」

「…………馬鹿、上よ!」

 遅れてアンジェが気付く。
 十二の弾丸の内、彼女たちを狙わなかった二発が二人の頭上でビルを打ち砕く。
 その瓦礫が降り注ぐ。

「それでも下策だけど……」

 降り注ぐ瓦礫にアンジェが手を掲げる。
 それだけで瓦礫の落下は止まる。

「ならこの程度の策に引っかかるお前は馬鹿だな」

 その彼女の背後をいつの間にとっていたアサヒが囁く。
 アンジェは振り返ると同時にレグルスを切り払う。
 それを掻い潜り、アサヒは手に構成した電撃をまとった魔力弾をアンジェの胸元に叩き込む。

「がっ……」

 肺の中の空気を絞り出され、電気ショックを身体を震わせ、吹き飛ばされる。

「姐さんっ!?」

「余所見とは随分と余裕だな」

 声を上げるレイにアサヒは幅の広い、くの字の形をした短剣で切りかかる。

「ちっ……舐めるなっ!」

 紙一重に斬撃を回避し、反撃に拳を振り被る。

「ホローバレット」

 アサヒの呟きと共に銀球から撃ち出された魔力弾がレイの肩を撃ち抜く。

「うおっ!?」

 彼が持つ不可視の防御フィールドのおかげか、ダメージはないが衝撃に拳が止まる。
 そこに容赦なくアサヒは斬りかかる。
 咄嗟に腕を盾にするが、これも防御フィールドのおかげか通らない。

「はあっ……ぐっ?」

 今度は蹴り。
 しかし、それも膝を狙撃されて振り抜くことができなかった。
 アサヒの斬撃を驚異的な反射神経と不可視のフィールドで防ぐものの、レイの攻撃は予備動作の段階で徹底的に潰される。
 その戦術は傍目から見ていたリンディにとって信じられないものだった。
 本来なら中・遠距離を得意とするミッド式の魔法を近接に使っている。
 器用な戦いをするクロノでもこんな芸当は決してできない。
 さしずめ行動封殺型の魔導師と呼ぶべきなのか。

「いい加減にしやがれっ!!」

 レイの身体から電撃が迸る。
 たまらず距離を取るアサヒ。

「もう容赦はなしだ! いくぞベガッ!!」

 レイの手に青い宝石が握られる。

「スナイプバレット」

 しかし、青い宝石が魔力を発するよりも早く、四方からの光線がレイの手を撃ち抜いた。

「なあっ!?」

 悲鳴を上げ、手からこぼれ落ちた青い宝石をレイは追いかけようとしてそこに――
 
「紫電――」

 足下には三角と円のベルカ式魔法陣が展開され、刀身には炎がまとう。
 隙を見せたレイが我に返るが遅い。すでにアサヒは彼の懐に入っている。

「―― 一閃」

 袈裟切りに振り切る刃は直撃し、先程のアンジェのようにレイは吹き飛ばされ、ビルに叩きつけられる。
 その衝撃でビルは倒壊を始める。
 まだ五分も経っていないのに終わってしまった。
 その事実よりも、アサヒが行ったことにリンディはただ驚愕し、混乱していた。
 先程までアサヒはミッド式の魔法を使っていた。その証拠に魔法陣もミッド式のものだった。
 だが、レイに対しての最後の一撃はベルカ式だった。
 さらにはアンジェに放った雷撃付与の魔法から電気変換の資質があるかと思っていれば炎を使った。
 紫電一閃のような魔力を込めた一撃にわざわざ別のエネルギーに変換させる行為は無駄でしかない。
 なら、本来の変換資質は「炎熱」なのか。

「シールド」

 アサヒの呟きに三つの銀球を支点にがベルカ式の防御盾を作る。
 そこにぶつけられる瓦礫の弾丸。
 アサヒが視線を向けた先には荒い息を立てるアンジェがいた。

「電撃付与の零距離ショットを撃ち込まれてよく立てたな」

「あいにくと再生能力も高い身体なのよ」

「なるほど……それなら――」

「サンダースマッシャー!!」

 言葉を遮って、紫電の魔力がアンジェを飲み込んだ。
 虚を突かれて固まるアサヒにアリシアが飛び、近付いて言い放つ。

「あいつはあたしが倒す」

「待て、子供は大人しくしていろ」

 言うだけ言って飛んで行こうとするアリシアのマントをアサヒは掴んで止める。

「子供扱いしないで! あいつはフェイトを傷付けたんだよ! 絶対に許さないんだから」

「だからと言ってだな――」

 困った顔をするアサヒは不意に言葉を止めて、まじまじとアリシアを見る。

「な……何?」

「その年齢でその魔力……」

 いぶかしんでアサヒは突然アリシアを突き飛ばす。

「きゃっ……」

 二人の間を黒い剣が通り過ぎる。
 その隙にアリシアはアサヒから離れる。

「待てっ!」

 止めようとするが、そこにレイが背後に前触れもなく現れる。

「もらった!!」

 視覚外からの奇襲。
 それにさえ反応して銀球から魔力弾が発射される。
 が、それを受けてもレイは止まらなかった。
 半ば力任せに拳を強引に振り抜く。
 拳はアサヒを捉えて吹き飛ばす。

「くっ……」

 身体を捻り、衝撃を緩衝させビルの壁面にアサヒは着地する。

「てめえの攻撃は軽いんだよ! そんなんで俺を止められるか!!」

「そうか……重い攻撃が望みか……なら」

 血の混じった唾を吐きながらアサヒは八つ銀球を操作してビルに差し込んだ。

「創生起動――」

「おいおいおい……ちょっと待てよ」

 ビルの素材に魔力を込め、作られた鎧姿の騎士。
 大きさは大柄な大人程度のものだが、携えた身の丈ほどもある剣は重量のあるものだと一目で分かる。

「なんだよそれは!?」

「単なるゴーレムの一種だ。こいつの一撃はとても重いぞ」

 事もなげに告げるアサヒ。
 驚愕しているのはレイだけではなく、リンディもだった。
 ここに来てまた別種類の魔法が使われた。

 ――まさか……彼女も。

 リンディは一つの可能性を思い浮かべる。
 はやてが彼女を姉と呼んだ。
 それならば彼女にもあるのかもしれない。
 数多の魔法を使うことができる稀少技能「蒐集行使」、それならば納得ができる。

 ――だけど、ありえるの?

 「蒐集行使」は夜天の魔導書から派生した稀少技能。
 それを主の関係者だからといって使えるのか。
 リンディの疑問に目の前のはやてが答えてくれるわけもない。
 結局、何も分からないままに事態は進む。

「サンダースマッシャーッ!!」

 紫電の砲撃が空を彩る。
 それを切り裂いて進む黒い剣。
 砲撃を受けて、勢いを落とした黒い剣をアリシアはつたない飛行で回避する。
 が、その間にもすでに新しい魔法を溜める。

「フォトンランサー」

 作りだしたスフィアは一つだけ。
 そこにアリシアは自分の出せる魔力をひたすら注ぎ込む。
 同じ魔法でも使う者が異なれば違う魔法になる。
 SSSランクの魔力によって作られたそれは最早フェイトのものとは別物だった。
 押え切れない魔力が迸り、紫電をまき散らせる。

『形状設定:ソード』

 彼女の持つデバイスがその魔力を最適な形にする。
 相手に合わせた剣の形状。
 アリシアの身体を倍にしても余りある大剣。
 それを――

「いっけえーーーーーっ!!」

 ――放った。
 真正面からぶつかる黒と紫の剣。
 黒い剣から溢れる魔力が紫の魔力を浸食するが、フォトンランサーの威力はそれを上回る。
 剣を弾き、そのままアンジェに突き進む。
 フォトンランサーは命中し、濃密な爆煙を作りだす。

「やったかな?」

 独り言を漏らすが、それにデバイスが答えた。

『フォトンランサー・ファランクスシフト、スタンバイ』

「え……でも……」

『まだ足りません』

「でも……あたしはスフィア一つしか作れないんだけど……」

『心配はいりません。制御はこちらに任せてください』

 わずかに逡巡し、アリシアはデバイスの言葉に頷いた。

「フォトンランサー」

『ファランクスシフト』

 自分の意思に反して魔力を使われる感触にこそばゆいものを感じながらアリシアはただ感心する。

「すごい……デバイス持つだけでこんなに違うんだ」

 デバイスを持っての戦闘が初めてのアリシアにとってその恩恵に驚くばかりだった。
 周囲に浮かぶフォトンスフィアの数は三十五。

「くそっ……ガキが調子に乗って」

 煙を吹き飛ばし、アンジェが睨みつけ、その光景を見て固まる。

『スタンバイ・レディ』

「レグルスッ!!」

 アンジェがその名を呼ぶと、彼女の前に黒い剣が現れる。
 それに構わずアリシアはトリガーを引く。

「ファイアッ!」

 視界を埋め尽くす紫電の弾丸。
 再び爆煙がアンジェを包み、その様子が分からなくなるがアリシアはとにかくあるもの全てを叩きこむ。

「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」

 流石にSSSランクの魔力を持つアリシアもこの魔法行使には息を荒くする。

「流石にこれだけやれば……」

 濃密な煙が晴れるとそこには未だに悠然と黒い剣があった。
 だがそこに感じる魔力は始めに感じたものよりも大分小さくなっている。

「よくもやってくれたわね」

 その陰から出てくるアンジェも消耗を示すかのように白い翼の輝きを弱くしている。
 それでもその眼光は衰えていない。
 まだまだこれからと、アリシアは気を取り直す。
 しかし――

「戻って来い? どういうことですか?」

 唐突にアンジェがそんな言葉をもらした。

「ですが目の前には夜天と東天が……増援……分かりました」

 独り言を終わらせて、アンジェはアリシアを睨みつける。

「貴女……名前は?」

「え……アリシア・テスタロッサ・ハラオウン」

「その名前覚えておくわ。
 レイ! 撤退よ」

「撤退って……」

 大きな鎧から逃げ惑うレイがいぶかしげな声を返す。

「あの方からの情報よ。
 もうすぐ増援が到着するわ。今回は私たちの負けよ」

「そうか……なら尻尾を巻いてさっさと失せろ」

 鎧の操作を止めてアサヒが上から目線で言い放つ。

「くっ……てめえ」

「レイッ!」

「分かってるよ。
 くそっ……覚えておけよ」

「三流の捨て台詞だな」

 追い打ちにレイは目を剥くが何とか反論を押しとどめる。

「……あ、そういえば姐さん――」

「ごちゃごちゃうるさい。さっさといくわよ」

 アリシアの目の前からアンジェが消え、レイのすぐ隣に現れる。

「ちょっと待ってくれ! まだ俺の――」

 レイの叫びを無視し、アンジェが彼の身体に触れると二人はその場から音もなく消えた。
 リンディは周囲の索敵をして彼女たちの反応がないかを確認する。
 結果は何処にも反応はない。
 とりあえず警戒を緩めるリンディの前にアサヒが降り立つ。
 その手にはぐったりとしたアリシアが抱えられていた。

「アリシアさん!?」

「問題ない。初めての実戦で緊張の糸が切れて気を失っただけのようだ」

 言葉の通り、アリシアに目立った外傷はない。
 それに安堵しつつリンディは改めてアサヒに向き直る。

「この度の救援、ありがとうございます」

「気にしなくていい。それよりもそこに転がっている奴らの手当てが先だ」

 アサヒの視線の先にはなのはたちの姿。
 アルフとはやてが、リンディも戦闘を観測しながらも応急手当てを施しはした。
 が、フェイトとヴィータの傷は分かりやすい外傷だったが、なのははリンカーコアにダメージを受けている。
 この場で対処できるものではない。

「アルフすぐになのはさんたちを家に」

「あいよ」

 結界を解き、景色が元に戻っていく。
 倒壊したビルやマンションは消え、何事もなかった街並みがそこに現れる。
 それには当然自分たちが住んでいるマンションも含まれる。
 アルフがなのはとフェイトを抱えて飛んでいく。
 ヴィータもはやてに肩を貸してもらってついて行く。

「貴女も……」

「……仕方がないか」

 渋々ながらもアサヒはリンディの言葉に従った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ごめんなさい。遅くなって」

「別に気にする必要はない。
 管理局の仕事の遅さは今に始まったことじゃないからな」

 開口一番のきつい言葉にリンディは引きつりそうな顔を必死に押し留める。
 なのはたちの応急処置、遅れてきた増援に対しての追跡、警戒などの指示。
 それらが一通り全て終わってからリンディは本局に報告をした。
 その間にアサヒはすっかりくつろいだ様子だったがバリアジャケットに身を包んだままだった。
 リビングにはソファに我が物顔で座っているアサヒに、居心地の悪そうなはやて。それから彼女につき従っているヴィータしかいない。
 リンディはアサヒの対面に座る。

「さて……改めて久しぶりだな、はやて」

 わざわざリンディが出てくるのを待ってから、彼女を無視するように話を始めるアサヒに彼女の性格の悪さが窺える。

「えっと……ごめんなさい。
 どーしてもあなたのこと思い出せへん」

「それは仕方がないだろ。当時、君はまだ物心がついたばかりの頃だったんだから」

 そう答えるアサヒの顔はリンディに向けるものよりも和らいだものだった。

「失礼ですが貴女とはやてさんの御関係は?」

「姉妹だ」

 端的な言葉に驚く。

「私がおじさんとおばさんに拾われたから血の繋がりはないがな」

「そうなの……」

「その同情的な目はやめろ。貴様らにそんな目をされても反吐が出る」

 またきつい言葉にリンディは今度こそ顔を引きつらせた。
 随分と嫌われている。
 管理局というだけで毛嫌いする者もいるがここまでひどいのは初めてだった。

「そうなると貴女もこの世界の出身なんですね?」

 なのは、はやてに続いて三人目の高ランク魔導師が同じ管理外世界で見つかった。
 ありえないと思いつつもその現実を受け止めようとして、アサヒはそれを否定した。

「私はミッド出身で、この世界に来たのは初めてだ」

「は……?」

「え……?」

「勘違いしているようだから言っておくが、はやてはミッド生まれだ」

 爆弾発言にリンディだけではなく、はやても固まる。

「どうせギルのじじいの差し金でこんな辺境世界に隔離されたんだろ」

「ちょっと待って!」

 さらなる問題発言にリンディは待ったをかける。

「はやてさんがミッドチルダ出身って本当なの?」

「私を姉と呼んだんだ、間違いないだろ」

「でも……いや……それなら……」

 納得ができてしまう。
 はやてがミッドチルダから移住した人間なら魔導資質があってもおかしくない。
 むしろ、高ランクの魔導師が管理外世界で二人も同じ年代、同じ街で生まれる可能性の方が本当ならありえない。
 しかもそこにギル・グレアムの名前が出てくることで信憑性が増す。

「グレアムおじさんが隔離って……どーして?」

「そんなの闇の書のせいだろ……ん、おじさん?
 あいつははやてにとっては祖父の位置づけだったはずだが」

「そーなん?」

 驚く感覚が麻痺してしまったのか、はやては呆然とアサヒの言葉を受け入れる。

「あんな奴、家族だと思わない方が身のためだがな」

 言い捨てるアサヒの顔には嫌悪感がありありと浮かんでいる。

「ごめんなさい。ちょっと整理させてもらえるかしら?」

 いくらなんでも予想外の内容過ぎた。
 確かにグレアムは高齢なのだから、子供が、孫がいてもおかしくない。
 だが、そんな話は一度も聞いたことがない。

「整理したければ黙っていろ。私ははやてと話しているんだ」

「そのはやてさんが一番混乱しているのよ」

 その指摘にアサヒは舌打ちをして黙った。

「お茶でもいれるわ」

「私のはいらん」

 にべもないアサヒの言葉に、わかったと返し、リンディはキッチンに向かう。
 お茶と茶請けの用意をしながらアサヒのもたらした情報を吟味する。
 どれも唐突で裏も取れていない情報だがしっくりとはまる。
 先程も思ったが、はやてがミッド出身ならこの世界と時代に生まれた魔導師はなのは一人になる。
 それに加えて移住がグレアムの関与ならば、彼がはやての下に闇の書があると知っていて当然だ。

 ――それに今まで不自然だと思っていたピースがこれで埋まる。

 闇の書の転生先を特定した。
 今までできもしなかったことが、どうして都合よく見つけられたのか?
 しかも、転生先が魔法文化のないグレアムの出身である管理外世界で、極稀にしか生まれない魔導師の下だった。
 そして、その子がまたグレアムにとって都合よく天涯孤独の身だった。
 これらのことを全て偶然というなら、どんな天文学的数字の確率になることやら。
 改めてグレアムに事の真意を問い質す必要ができたが、まだ許容範囲だと思う。
 衝撃の事実でもそれは今を揺るがすものではない。
 グレアムが背負おうとした業の深さを改めて思い知らされた。
 それでも、全てを受け入れ彼女は彼を許すと言う器量があるとリンディは思っている。
 しかし――

「……嫌な予感がするのよね」

 言いようのない不安が心を掻き立てる。
 このままアサヒの話を聞いてしまったら壊れてはいけないものが壊れてしまう気がする。
 お湯が沸き、自分の分のお茶を注ぎ、はやてとヴィータにはジュースを用意する。
 キッチンとリビングは繋がっているから三人の様子が見て取れるが、誰も動こうとはしない。
 お茶の用意をして、ジュースを二人の前に差し出しても手を出すことはしなかった。
 はやての気持ちが落ち着くまでどれくらいかかるだろうと思案していると、はやてがおもむろに口を開いた。

「あの……アサヒおねーちゃん……わたしのおかーさんとおとーさんが死んでるのは……」

「知ってる。私の目の前で殺されたからな」

 その言葉に息を飲むが、はやては取り乱しはしなかった。
 それでも車椅子の肘掛けに乗せた手は握り締められて震えていた。

「はやて……」

 そんな彼女の手を取ろうとヴィータが動く……が、その目の前を朱の光線がかすめた。

「てめー何しやがる!?」

「何をしやがるだと? 貴様こそ何様のつもりだ?」

 その瞬間、アサヒの身体から強烈な威圧感を持った魔力が溢れ出す。
 ヴィータに向けられた視線に乗せられた殺意に、傍にいるだけで心臓を鷲掴みにされた錯覚に陥る。

「だいたい、何でよりよってはやてを闇の書の主に選んだ?」

「選んだって……それは別に……」

「悪意があるとしか感じられないな。
 管制人格は何を考えているんだ」

「アサヒおねーちゃん……あの子にはリインフォースっていう名前を上げたんや。
 あの子を物扱いするのはいくらおねーちゃんでも許さへんよ」

「はやて……それは全部分かって言っているのか?」

 ヴィータに向けられた殺気がはやてにまで及ぶ。
 竦みそうになる体を押さえて、はやては頷く。

「おじさんとおばさんを殺したのがこいつらだと本当に分かっているんだな?」

「…………え?」

 時間が止まったかのように凍りつくはやて。
 そして、それとは逆に烈火の勢いヴィータが叫んだ。

「言い掛かりだ!」

 机を飛び越し、アサヒの胸倉を掴んで激昂する。

「前の蒐集は十二年前だ。はやては今十歳なんだよ!
 あたしらがはやての両親を殺せるわけねーんだよバーカ!」

「……おい、管理局。
 今、エルセアのあの場所がどうなっているかこのどあほうに教えろ」

「……あの場所のことを知っているっていうことは貴女はそこにいたのね?」

「当然、はやてもな」

 突然振られた話題に神妙な言葉を返すとヴィータが不安に揺れた顔をこちらに向けてきた。
 その顔を見ると複雑なものを感じずにはいられない。
 このことはもっと別の形で教えるつもりだったが、こうなっては隠しておくこともできない。

「これは現在のエルセアの……前回闇の書の主を捕まえた場所よ」

 空間モニターに映し出される。
 鉄のドームによって覆われた黒い空。
 地面には青い線が幾何学的に線を引いてある。
 薄暗い空間には青い燐光が漂っている。
 その光が照らす光景は異様なものだった。
 舞い散った無数の瓦礫。それが静止画の様に映っている。
 それだけではない、炎上する車も、傾き今にも崩れそうな建物も。
 そして、逃げ惑う人の姿すらも走った格好、転んだ格好、振り返って姿のまま固まっている。
 一つのジオラマにも見えるその光景だが、映像越しでも見える質感と色彩がそれが本物だと知らしめる。

「闇の書の主が確保された場所から半径およそ500メートルの範囲に展開された青の魔法陣。
 その範囲において全ての物体は時間の流れを止めているわ。
 管理局はこれを「時間災害ヒドゥン」と呼称しているわ」

「時間の流れが止まってるって……そんな魔法あるわけない……」

「実際、そう解析されているのよ。
 予測だけど、時間干渉系の稀少技能を持った人が闇の書に蒐集されて、そこに膨大な魔力がつぎ込まれておきた現象だということになってるわ。
 それほど強いものじゃないみたいだからバリアジャケットを着ていれば大丈夫みたいだけど……」

 リンディもヴィータの否定に賛成したい気持ちで一杯だが、与えられた資料と現実の証拠に反論することはできない。
 それにこうとも思える。

 ――古代魔法ならそれくらいのことができるかもしれない。

 夜天の魔導書は今の技術では解明できない技術の固まりだ。
 どんな超常な魔法があってもおかしくないし、それにリンディは古代魔法の一つをアリシアという形で見ている。
 そう考えれば、時間操作をする魔法があることも許容できてしまう。

「あの……リンディさん……これ……カメラ動かせます?」

「ええ、できるわよ」

「それじゃー……そこの角、右に行ってもらえます?」

 恐る恐る指示を出すはやてに従ってリンディはゆっくりとカメラを動かしていく。
 押し潰されそうな重い空気に息が詰まる。

「そこ……」

 一件の家の前ではやての指示が終わる。
 何の変哲もない、ミッドにはよくある家だが。
 その壁面には生々しい血の跡が着いている。
 しかし、そんなものよりも釘付けにされるものがそこにはあった。

『Yagami』

 ミッドチルダの言語で書かれた表札。
 はやての道案内と合わせて考えれば、決定的な証拠だった。

「確かに信憑性は出てきたけど、ならどうしてはやてさんだけが解放されたのかしら?」

「そんなの闇の書の主に選ばれたからだろ」

 そう言われてしまえば納得するしかない。
 元々が闇の書によって引き起こされたものなら、それを解決するのだって闇の書にできるかもしれない。

「うちの庭で二人は殺された……」

 考察しているとアサヒが不意に呟いた。
 アサヒの言葉に自然とカメラを操作する手が動く。
 見せるべきではないという思いを感じるが、はやては知っておくべきだと思いもする。
 壁についた血痕から引きずった跡を追う。
 そして、そこには一組の夫婦が折り重なる様に倒れていた。
 真っ赤に染まった背中。
 ぎりっ……アサヒの手が握り込まれ、顔の険しさが増す。
 流石に両親の顔を見せる気にはなれなかった。

「私たちもあの人がいなかったら殺されていただろうな」

「あの人?」

「灰色の髪の男の人だ。
 デバイスは剣だったからおそらくは騎士だろう」

「記録ではそんな人はいなかったはずだけど」

 前回闇の書事件の報告書は穴が空くほどに目を通している。
 しかし、そんな人物はいなかった。
 だが、それとは別に一つの考えが浮かぶ。
 灰色の髪の男。
 それはソラと同じ髪の色だ。
 それでいて剣を使うことも一致している。

 ――考えすぎよ。

 灰色の髪など広い次元世界から見れば珍しいものではない。
 剣のデバイスだって聖王教会に行けばいくらでもある。
 それに年齢だってソラは十二年前なら子供のはず。

 ――本当に?

 ソラの失言から十二年前になんらかの次元犯罪に巻き込まれていたのは明白。
 時間災害ヒドゥンの現場にいたのならはやてと同じで年齢の概念はあてにならない。
 それであの街で止まらなかった代償に歳を取らない身体になっていたとしたら、どうだろう?
 子供であることを想定した情報を集めていたが、それでは何も出てこないのは当然ではないのか。
 突拍子のない馬鹿げた考えを頭を振って追い出す。

「だが、あの時管理局が来る前に主は無力化されていたはずだ」

「それは……」

 アサヒの言うとおり、管理局が現場に到着した時にはすでに闇の書の主は無力化されていたらしい。
 抵抗らしい抵抗もされずに捕縛できていた。
 彼ならば暴走した闇の書を倒すくらいできそうだと思えてしまう。

「……あの人のことはいい。
 それよりもはやて、これで納得できただろ?
 それを踏まえて言わせてもらう。
 闇の書に関わる全てを今すぐ私に譲渡するか、破棄しろ」

 はやては答えない。
 今の彼女の心中は完全に混乱しているだろう。
 はやて自身に非がなかったとしても、はやては自分を加害者の立場に置いていた。
 ヴォルケンリッターがしたこと、闇の書が行ったことを彼女たちと一緒に償っていこうと意気込んでさえいた。
 なのに、その被害者遺族に想像もできない形で自分も含まれていた事実は第三者の視点から聞かされても衝撃的だった。
 ヴィータが不安げな眼差しではやての様子を窺う。
 彼女もこんな形ではやてとの関わりがあったとは想像できなかったはず。

「少し……考えさせてもらってもえーかな?」

 時間を置いて考えたい、そんな当たり障りのない返答をしたはやてにヴィータの顔が引きつった。
 思わず、溜息をリンディは吐きたくなった。
 はやてに全幅の信頼を持っていることは分かるが、この状況でも自分たちが優先されると思っていたのだろうか。

「はやて……どうして?」

 リンディの推測通り、ヴィータがはやてに詰め寄る。

「今日会ったばかりのこんな怪しい奴の怪しい話を信じんのかよ!?」

「ヴィータ、ちょー落ち着いてなー」

「落ち着いてなんていられるか!
 こんな……無理矢理な設定、絶対に嘘っぱちだ!」

「まあ、そんな簡単に信じられない話だと分かっているが……貴様は少し黙っていろ」

 朱色の光が何処からともなく一閃され、ヴィータを撃ち抜いた。
 これが平常なら不意打ちにも難なく対応できていただろうが、まったく反応できなかったというのはそれほど取り乱していたということなのだろう。

「ヴィータ!?」

「スタンバレッド……気を失わせただけだから心配する必要はない」

 睨むはやてにアサヒは簡単に説明し、話を続ける。

「はやての言いたいことは分かっている。
 両親を殺されたっていっても、まだ小さかったから実感も湧かないだろうし、無理矢理とはいえ主となった責任を感じている。
 それに私の話がまだ半信半疑で信じられないのだろ?」

 自分のことをしっかりと認識している言葉にはやての視線が緩む。

「できれば、ゆっくりと考える時間を上げたいが状況がそれを許さない」

「それはあの襲撃者のことね」

 口を挟むとものすごい視線で睨みつけられた。
 だが、いい加減彼女の敵意にも慣れてきた。

「はやてさん……あの二人の目的は夜天の魔導書、つまりは貴女ということになるわ」

「……はい」

「おい……待て貴様」

「つまり貴女を狙ってまた彼らはやってくるということなのよ」

「待てと言っているのが聞こえないのか貴様っ!?」

「間違ったことを言っているかしら、アサヒお姉さん?」

 くっ――と歪むアサヒの顔に今までの溜飲が少し下がるのを感じる。
 毅然としていても結局はまだ子供。
 年の瀬はエイミィと同じくらいか少し下。
 たたずまいに出る自信は彼女の実力だろうが、話し合いの場に感情を持ち込んでいる所がまだまだ甘い。
 そういうところはソラと似ていると場違いなことを思いながら会話の主導権を握る。

「おそらく彼らの目的は夜天の書と同系列の魔導書を集めることね」

 押し黙るアサヒにそれで正解だと確認する。

「その目的は――」

 それは考えるまでもないだろう。
 テロリスト、犯罪者、それも第一級のロストロギアを集めて行おうとしていることなど一つしか考えられない。

「管理局を潰す、ということかしらね」

 管理局に不満を持つ集団なんて珍しくもない。
 それでもリンディが知る中でもロストロギアを集めて蜂起しようする気合いの入ったテロリストなど始めてだった。

「でも、そんな魔導書を集めても管理局を潰せるとは思わないけど」

「そうなん?」

「闇の書の闇。あの暴走体は手がつけられないことは確かだったけど、それはあくまでも暴走体の話よ。
 実際、ヴォルケンリッターとリインフォースが管理局を襲撃しても決して落ちることはないわ」

 結局は資料本であるし、流石のヴォルケンリッターも数の暴力に勝つことはできない。
 それはあの襲撃者にも当てはまることだった。
 間断のない弾幕を張り続ければ疲弊し、どんな敵だって落とすことはできる。

「できるだろうな」

 だが、アサヒはそれを否定する。

「技術によっては管理局の魔導師なんてただの烏合の衆にしかならない」

「それ……ほんとーなの?」

「説明する前に聞いておくが、はやては夜天の魔導書についてどこまで知っている?」

「リンカーコア蒐集して、偉大な魔導師の魔法を集めて研究する大型のストレージデバイスって聞いたんやけど」

「それは何のために?」

「何のため?」

「集めるだけなら管制人格よりも機械人格の方が効率が圧倒的にいい。
 変な改変も受けることもない。
 だが、機械には新しい何かを作り出すことはできない。
 間違い、それを正すことができるのは人間だからな」

 言葉の端々にある闇の書への悪意ある言葉にはやてはその都度顔をしかめるが未だに言い返しはしない。

「天空の魔導書の最大の特徴は永遠の時を旅し、研究し続けることにある」

 それ以上の興味がアサヒの言葉にはあった。
 リンディもまた彼女の話に聞き入ってしまう。

「その共通の目的は「神」を作りだすことだ」

「…………さてと救急車でも呼びましょうか」

「真面目に聞く気がないならさっさと私の前から消えてくれていいんだが?」

「ごめんなさい」

 あまりの突拍子のない言葉につい妄想癖のある犯罪者の様に見てしまった。
 素直に謝り、続きを待つ。

「「神」とは便宜上の言葉だ。
 お前たちの言い方ならSSSランクの魔導師が「伝説」や「英雄」になる。
 「神」というのはその上に位階のことを指す」

「それは簡単にいえばSSSSランクの魔導師を目指しているっていうこと?」

「ありていに言えば、そうなるな」

 肯定するアサヒ。
 思わずリンディははやてと顔を見合わせた。
 魔導師のランクは最大SSSランク。
 言葉にすれば単純だが実際はそうではない。
 SSSランクとは管理局が決めた基準値を上回ったもの全てのことを指す。
 それ以上のランクの区分ができないものを一まとめにしたものだからSSSランクと認定してもその力はピンキリになる。
 アリシアを例に上げれば、彼女は魔力量のみでSSSランクに区分されている。それも戦闘能力を差し引いたものとして。

「でも……そんなものを研究して何をするつもりなの?」

「それ以上は何もない」

「は……?」

「天空の魔導書はただ「神」に至ることを目的としているだけにすぎない。
 冒険家が未知の遺跡に挑むと同じように、研究者が未知の存在を解明しようとしているにしかすぎない」

「何処のマッドサイエンティストよ……」

「否定はできないな」

 顔をしかめるアサヒにリンディはため息を吐いた。
 アサヒがもたらした情報で後のことは類推できる。
 「神」クラスの魔導師を作り出す方法は不明。
 そのための様々なアプローチをするために複数の魔導書が存在している。
 「生物」を分野にしたのが北天の魔導書。
 「武器」を分野にしたのが破天の魔導書。
 「魔導」を分野にしたのが夜天と東天の魔導書。
 そしてその研究の試作か、副産物をあの二人の襲撃者が利用している。
 彼女たちの力はなのはたちを上回っていた。
 それが量産される可能性、さらに強くなる可能性を考えれば最終的に一人ひとりがSSSランク級の敵になる。
 そんな敵が五人もいれば、アサヒの言うように確かに管理局を潰すことはできるかもしれない。
 むしろ、その可能性の方が高いかもしれない。
 突然の世界の危機に震えが走る。
 しかし、そんなリンディの内面に気が付かず、はやてが尋ねる。

「それやったら……夜天の技術は「蒐集行使」なんかなー?」

「いや……おそらくはそれだろ」

 アサヒが指したのはヴィータだった。

「守護騎士システムは他の魔導書にはないからな。
 蒐集した魔力を用いて、新たな魔力生命体を作り出す。
 それが夜天の技術だと私は推測している」

「他の魔導書の技術は知らんの?」

「分かるのは接触したあいつらが持つ魔導書のだけだ。
 それも私の勝手な分析によるものでしかない」

「ヴィータたちがそのことを知らないのはなんでかなー?」

「そんなこと私に分かるわけないだろ」

「それについては簡単に説明できるわ」

 アサヒに代わってはやての質問にリンディが答える。

「ヴォルケンリッターは自分たちの本来の在り方を忘れていた。
 それに蒐集していた頃の記憶も曖昧だから、正直彼女たちの知識はあまり当てにならないのよ」

「あれは……そんな状態で自分は悪くないって言ったのか」

 蔑みに呆れの眼差しが混じり気を失っているヴィータに向けられる。
 流石にフォローできそうになかった。
 なのでスルーして話を続ける。

「そうなるとはやてさんの警備をもっと強化しないといけないわね」

 相手がそんなロストロギアを使う相手なら用意した護衛では心もとない。

「管理局の護衛など当てになるものではない」

「言ってくれるわね」

「現に「G」という北天の作品にいいようにやられているではないか」

「あれがっ!?」

 思わず驚くが納得してしまう。
 あんな生物が自然に生み出されるより、誰かが作りだしたと思う方が現実味がある。

「なら……協力してくれないかしら?」

「何だと……?」

「貴女の力があればはやてさんを確実に守ることができるはずよ。
 個の力でははやてさんを守れないから夜天を手放せと言っているのでしょ?
 私たちが協力すればはやてさんに時間を上げられるわよ」

「理屈は分かるがありえないな」

「……理由を聞いてもいいかしら?」

「いつ後ろから撃ってくる相手など信用できないな。
 私も東天の魔導書を持っているのだから」

「管理局はそこまで不誠実な組織ではないわよ」

「嘘だな。ロストロギアと聞けばありもしない権利を主張して奪っていく、それがお前たちだ」

「ロストロギアは危険なものよ。個人が持っていいものではないわ」

「だから抵抗する者は犯罪者か? そうしてお前たちは私の父さんと母さんを殺したのが正しいのか?」

 アサヒの言葉にリンディは絶句した。

「管理局の主張は確かに間違っていないだろうが、私はお前たちを一切信用するつもりはない」

「でも……」

「それに東天の書は母さんの形見だ。
 それを奪おうというなら私は全力を持って貴様らを排除する」

 返す言葉が出てこなかった。
 管理局の中には確かにアサヒが言うような過激な手段でロストロギアを回収しようとする派閥がある。
 自分はそうではないが、それを理由に反論する資格はない。
 目の前の少女の人生をどんな理由があったにせよ狂わせたのは管理局だ。

「そういうことだ、はやて。
 私は管理局を信用できない。その力においてもそうだ。
 到底奴らから守れると思っていない」

 完全に上からの目線でアサヒは言い捨てる。

「かといって私一人では君を守ることはできない」

 それでいてアサヒは自分のできる範囲をきちんと把握している。

「もう一度言う。
 闇の書に関わる全てを捨てろ。
 それが君のためだ」

 繰り返されたアサヒの言葉にはやてはやはり答えられない。
 リンディはそれに助け船を出すように指摘する。

「でも、はやてさんの中から夜天の技術を都合よく取り出すことなんてできるの?」

「可能だ。私には「記憶操作」の稀少技能があるからな」

 またさらりと驚く発言をする。
 これでさらにアサヒの能力資質が増えた。

「なら知識だけを消してしまえばいいんじゃないかしら?」

「ヴォルケンリッターがいる限り、奴らが知識を消したことを信じるとは思えないな。
 それに深層意識化でヴォルケンリッターを構築する魔法を使っている可能性が高いことを考えると……」

「知識の消去がヴォルケンリッターの消失に直結する可能性が高いということね」

 流石にアサヒの主張を認めるしかない。
 管理局もヴォルケンリッターも信用できない彼女がはやてを守る手段として選んだのは戦場から遠ざけること。
 それが間違っているともいえないし、彼女が選択できる唯一の手段なのだろう。
 それに反論するためのカードをリンディは持っていなかった。
 「G」の脅威について対処しきれてない事実。
 襲撃者二人に負けたなのはたち。
 どちらも彼女の意見を補強するものでしかない。

 ――どうすればいいのかしら?

 実際、そこまで大きな事件となるのなら専用の部隊を作る必要がある。それもオーバーSランクで構成された部隊が。
 だが、今の段階で誰がそれを信じるというのだろうか。
 敵の全容はアサヒの言葉でも把握しきれないが、最終的にはオーバーSランクの集団。
 確認もされてない「神」を目指すロストロギア。
 リンディが報告したとしても、何処まで本気でこの話を受け入れてくれるか、それとも所詮はテロリストと過小評価されるか。
 まともな反応を期待できないほど、この話は突拍子もなく、また大きな案件だった。
 今、確実な対抗手段は目の前のアサヒしかいない。
 だが、彼女の生い立ちが管理局に引き込むことをできなくしている。
 八方塞がりな状況でしかなかった。

「一つ聞かせてもらってもいいかしら?」

「……言ってみろ?」

「ヴォルケンリッターの実力でははやてさんを守るには不足かしら?」

「全員を知っているわけではないから確かではないが、そこの赤いの程度だったら時間稼ぎくらいにしかならないだろう」

「一応、同じ系列の魔導書なのに?」

「そいつらが闇の書でいる間の時間、他の魔導書は己の技術を研鑽していた。
 この差は大きいだろうな」

「そう……はやてさんはどうしたい?」

 考えられる質問は全てした。
 あとの選択ははやて本人に任せるしかなかった。

「私は…………みんなを捨てたくは……ないんやけど……」

「おじさんとおばさんを殺したことはどうする?」

「それは……この子たちやって好きでそんなことしたわけじゃない。
 前の主の命令で仕方がなかっただと……思う……」

「だから無実だというのか?」

「それは……そうじゃなくて……」

「いい加減、目を覚ませ……君はそいつらに都合のいいように利用されているだけだ」

「…………ちょう、黙れ」

 底冷えのする声がはやてから発せられた。
 変わったはやての雰囲気にアサヒは驚き、その言葉に従ってしまう。

「みんなのこと悪くゆーのは許さへん!」

「許さないだと? それは本気で言ってるのか?」

「本気や! みんな、私のために大怪我しながらもそれでも戦ってくれた。
 大切な家族で、私の宝物や!」

「問題を履き違えるな! そもそもこいつらがいなければ――」

「うるさいっ!!
 わたしが一人ぼっちの時、一緒にいてもくれなかった。
 わたしの家族はヴィータ達だけや、あんたなんかわたしの家族やないっ!」

「………………分かった」

 はやての叫びにそれだけ言ってアサヒは立ち上がる。

「今日のところはこれで帰らせてもらう」

 そのまま流れるように玄関に向かって歩き出す。

「ただ、これだけは言っておく」

 廊下に続くドアの前で立ち止まり、アサヒは背中越しに話し始める。

「君の人生だ。
 君が夜天の王であること選ぶなら、それを止める権利は私にはない。
 だが、闇の書の罪を背負うというなら、まずは私を納得させてみろ。
 それができなければ力尽くで君から夜天を引き剥がす」

「…………分かった」

 背中越しの威圧感に唾を飲みながら、はやては頷いた。

「もっとも、この程度の罵詈雑言で癇癪を起している君にそれができるとは思えないがな」

「な……!?」

「それじゃあ……また……」

 最後に痛烈な皮肉を残してアサヒはドアを開け、滑り込むように廊下に出て、ドアを閉めていた。
 言い返そうとしたはやては口を開いたまま固まってしまう。
 リンディはとりあえず、アサヒを見送るために立ち上がった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 目が覚めるとそこは自分の部屋だった。

「わたしは…………負けたんだ」

 目覚めははっきりしていて、気を失う寸前のこともしっかりと覚えている。

「なのはは……」

 思い出すのは黒い剣に貫かれたなのはの姿。

「なのはっ!」

 飛び起きようとして、ベッドに半身を預けて眠っているアルフが目に入った。
 心配させたことに申し訳なさを感じる。

『起きましたか、マスター』

「バルディッシュ?」

 机の上に待機状態のバルディッシュが置かれていた。

『はい。無事で何よりです。それから彼女も命に別条はないようです」

 短い彼の言葉に胸を撫で下ろす。

 ――よかった。

 なのはを貫いた黒い剣。
 それを見た瞬間、頭の中が沸騰した様に熱くなって突進していた。
 だが、突然金縛りにあってまったく動けなくなり、あらぬ機動でビルに激突し、さらには見えない何かに握り潰されるようにして意識を失った。
 思い出すと自分の無力さに拳を握り締めていた。

「あれからどうなったの?」

『程なくしてヴィータが撃墜されました。
 その後、未確認の魔導師の介入とアリシアの二名により襲撃者を退けました』

「未確認の魔導師……それと……アリシアが……」

 バルディッシュの報告に胸のもやもやが大きくなる。
 それが何なのか分からず、そのままにしてフェイトはさらに尋ねる。

「なのはは今何処に?」

『クロノの部屋です。それからアリシアはエイミィの部屋に』

 元々がこの世界での活動拠点として用意した家だから部屋は今住んでるものたちよりも多くある。
 あえてその二人の部屋にしたのは掃除が行き届いているからだろう。

「ありがとう」

 アルフの肩にシーツをかけてフェイトは廊下に出る。
 クロノとエイミィの部屋はすぐ近く。
 まずはクロノ部屋、なのはのところに行こうとして、不意に止まった。
 人の気配に違和感を感じた。
 リビングの方には人がいて話をしている。
 クロノの部屋には気配を感じない。
 なのはがまだ寝ているのならそれは当然だが、違和感を感じたのはエイミィの部屋からの気配だった。
 一人、気配を感じる。
 それは当然アリシアのはずなのに違うと感じる。

 ――わたしは……この気配を知っている。

 フラフラとその気配に引かれるようにフェイトはエイミィの部屋の前に来ていた。
 ノブに手をかける。
 しかし、そこで動きが止まる。
 開けてはいけない。そんな警告が頭に過ぎる。
 それでもフェイトは意を決してノブを下ろす。
 音を立てないように、ほんの少しだけドアを開く。
 部屋を覗き込むとベッドに眠るアリシアの姿が見えた。
 寝相が悪かったのか、シーツが床に落ちている。
 隙間から見る角度ではそれ以上は見えなかった。

 ――気のせいかな。

 不意にそんな考えが浮かぶ。

 ――そうだよね。何を期待してたんだろ。

 人の気配読むなんてスキルを身に付けた覚えもない。
 そう納得して、とりあえずアリシアが落としたシーツをかけ直そうと思い、ドアを大きく開ける。
 それより早く、床に落ちていたシーツが動いた。

「ふう……」

 誰かのため息が聞こえた。
 女の人の声だが、リンディの声はリビングの方から聞こえている。
 それならエイミィか、それともアースラスタッフの誰かが来ていたのか。
 ドアを小さく開いた覗きの体勢のまま、フェイトは固まる。

 ――いったい誰?

 死角でゴソゴソと動き、シーツがアリシアにかけられる。
 そして、彼女が視界に入る。

「――っ!!?」
 
 その姿にフェイトは両手で口を押さえて、悲鳴を殺した。
 彼女はベッドに腰を下ろし、そのまま優しい手付きでアリシアの頭を撫でる。

 ――ありえない。

「アリシア…………」

 優しい、記憶の中で何度も聞いた、何度も夢見た声。
 黒く長い髪。そして、その顔をフェイトが忘れるはずもなければ、間違うこともない。
 そこにはプレシア・テスタロッサがいた。

 ――ありえない。でも――

 フェイトはノブにかけてある手に力を込める。

「うるさいっ!!
 わたしが一人ぼっちの時、一緒にいてもくれなかった。
 わたしの家族はヴィータ達だけや、あんたなんかわたしの家族やないっ!」

 リビングから響く、はやての怒声に身をすくませた。
 あんなはやての声を聞くのは初めてだ。
 何があったんだろうと、ドアを開いたまま、リビングの方に視線をやっていた。

「……あっ」

 すぐに視線をエイミィの部屋に戻す。
 しかし、そこにはベッドで眠るアリシア以外に誰もいなかった。

 ――幻だったの?

 呆然とフェイトはその場に立ち尽くす。

「もう食べられないよ~……むにゃむにゃ」

 典型的なアリシアの寝言にフェイトの緊張が解かれる。
 そして、不意にリビングへのドアが開いた。
 出てきたのは知らない女の人だった。

「ん……?」

「あ……」

 思わずフェイトは後ずさる。
 そんなフェイトに女は近付き、ポンっとフェイトの頭に手を乗せる。
 ひっ、と肩をすくませるが、手はすぐに放れる。
 女はその手を自分の前で水平に下ろし、フェイトの頭くらいの高さで止める。
 そして首をひねり、もう少し手を下げる。

「あ、あの……」

 いったい何をしているのだろうか。
 初めて会う人の奇妙な行動にフェイトの警戒心が緩む。

「こんな短時間でずいぶんと伸びたな」

「はい?」

「その子はフェイトで、アリシアさんじゃないわよ」

 リビングから出てきたリンディがその姿を見て苦笑する。

「なんだ姉妹か……それにしてもそっくりだな」

 女は開いているドアからアリシアの姿を見つけて納得する。

「フェイト、こちらはアサヒ・アズマさん。
 私たちを助けてくれた人よ」

「は、初めましてフェイト・テスタロッサ・ハラオウンです。
 助けていただきありがとうございました」

 バルディッシュの言っていた未確認の魔導師のことを思い出して頭を下げる。

「気にするな。
 言い方が悪くなるが君たちを助けたのはついでだからな」

 にべもないきつい口調に思わずたじろぐ。

「それよりあっちはアリシアとか言ったか?」

「ええ、それがどうかした?」

「気をつけた方がいいかもしれない。あれだけの魔力だ。それだけでも研究の価値はある」

「……肝に銘じておくわ」

 なにやら不穏な会話がされている。

「それから見送りなんてしなくていいんだが」

「それは最低限の礼節というものよ。
 管理局とは関係なしのね」

「…………勝手にしろ」

 言い捨ててアサヒは玄関に向かって歩き出す。
 その後に続くリンディ。フェイトもそれに流されるようについて行く。

「聞いておきたいことがあるんだけど?」

「まだ何かあるのか?」

 リンディの言葉に辟易とした顔でアサヒが振り返る。

「貴女はこの十二年間、何をしていたの?」

 その問いにアサヒは目を細める。
 十秒、二十秒。
 ジッとアサヒはリンディを睨み、リンディはその視線を黙って受け止める。

「あの……えっと……」

 その空気に耐えきれずフェイトは何かを言おうとするが、何も思いつかなかった。

「ずっと……旅をしていた」

 アサヒが重い口を開いた。

「管理世界、管理外世界、未開拓世界、未確認世界。
 いろんなところ旅して、あの子を解放するための何かを探していた」

「そう……」

「結局、私のしてきたことは実を結ばなかったし、五年、いや六年かずっと気付かずに放っておいたのは事実だ。
 責められても仕方がない」

「それでも貴女は頑張ったんでしょ? それを知れば――」

「知らせる必要はない。自分が無力だった言い訳をするつもりない」

「…………分かったわ」

「もういいな?」

 話を切ってアサヒは扉を開ける。
 しかし、その足は不意に止まり、

「ちっ……」

 大きな舌打ちをして振り返る。

「……一度だけだ」

「は? ……何の――」

 リンディが聞き返そうとしたところでアサヒは深々と頭を下げた。

「え…………ええ!?」

 面を食らって驚くリンディ。それを無視して頭を下げたままアサヒは言う。

「はやてのこと……よろしくお願いします」

「…………はい。全力を尽くさせてもらいます」

 何がなんだかさっぱりなやり取りにフェイトはただ呆然とするしかなかった。

「では……」

 そのまま一歩下がって扉が閉まる。

「ふぅ……」

 フェイトの横で肩の力を抜いたリンディが息を吐き出す。

「何かあったんですか?」

「そうね……いろいろ有り過ぎたわ」

 疲れた様子を隠そうとするリンディに不安を覚える。
 その不安を与えたのはおそらく自分なのだろう。
 アンジェに無様に負け、見知らぬ魔導師に助けられた。
 肝心な時に何の役にも立てない自分の無力さがいやになる。

「身体はもう大丈夫なの?」

「はい……平気です」

「なのはさんも命に別条はなさそうだから安心していいわよ。
 それにすぐにシャマルさんも来るから」

「……うん、それなら安心かな」

「…………フェイト、あのアンジェという人に負けたことは気にしない方がいいわ」

「え……でも……」

「後で詳しく話すけど彼女たちは特別なの、だから決して恥ではないの」

「………はい」

 目線を合わせて優しく諭すように言ってくれるリンディにフェイトは頷いた。
 彼女がそういってくれたおかげでフェイトが感じていた不安が少しは和らぐ。
 そう、少しは。
 中の様子を窺ってから開けっ放しのエイミィの部屋の扉をリンディが閉める。
 そこには気持ちよさそうに眠るアリシアしかいなかった。
 フェイトが覗き見たプレシアの姿はどこにも見当たらなかった。





あとがき
 12話終了しました。
 今回はかなり早く書けましたが、予定よりかなり長くなってしまいました。

 今回の話ははやて、ヴォルケンリッターのうつ展開の話でした。
 はやての設定に関してはやりたいことがあるため、かなりの無茶をしています。
 フェイト編なのですが、話の展開上、はやて編が混じっています。
 説明ばかりで、しかも長い文をここまで読んでいただきありがとうございます。




補足説明
 アサヒ・アズマの戦闘スタイルについて簡単に説明

 遠隔操作型強化デバイス「シャイターン」
 十二の端末によって構成されているが、それぞれを個別に操作が可能。
 その内部には常に射撃魔法が装填されているため、アサヒの任意のタイミングで即座に撃つことができる。
 これを使い、敵の攻撃動作を狙撃したり、死角からの攻撃を行える。
 類似兵器を上げるならファンネルです。




[17103] 第十三話 会議
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:42aa34c1
Date: 2010/09/20 01:57


 ドンッ!!

 身体に衝撃が走り、紫電の魔力光が目の前で散る。

「くっ……」

 この戦闘が始まって五回目の被弾に呻く。
 訓練用のもろい弾殻だからダメージはないが、速さを身上とするフェイトにとっては屈辱だった。
 対するこちらはまだ一撃も有効打をいれていない。
 しかし、それは攻撃が届いていないということではない。

『プラズマランサー』

 生成されたランサーは普段の数には及ばないたった三つ。

 ――おかしい。

 最大数を構成しようとしたはずなのにうまくいかない。

『……集中してください』

「してるよっ!」

 バルディッシュの言葉にフェイトは声を荒げて反論する。
 だが、練り上げた魔力はフェイトの意思に反してこぼれ落ちていく。

「……っ、ファイアッ!」

 そのまま三つのランサーを放つ。
 一直線に飛ぶランサーに対するアリシアは回避行動を見せなかった。

「ラウンドシールド」

 展開される紫の魔法陣の盾にランサーが弾かれる。
 射撃も砲撃もアリシアは苦も無くそれを盾で防ぐ。

「お返し」

 アリシアの手から放たれたフォトンランサー。
 すぐに回避行動を取ると、フェイトの脇を自分のランサーの数倍のスピードでアリシアのランサーが駆け抜ける。

 ――これがSSSランクの魔法。

 同じ魔法なのにここまで違うことにフェイトは苛立つ。
 単発でしか撃ってこないが、弾速、命中精度、込められている魔力の量まで違うのに、弾体はフェイトのものと変わらない大きさ。
 それは相応の魔力を圧縮している証拠。

「もう一発……いっくよー!」

 なのに、アリシアは気楽に新たに作ったランサーを放つ。
 流石に動いていれば当たらない。
 これが止まっている時に撃たれれば動く前に着弾してしまう。
 それでも気が抜けないのは確かだった。

『アリシア……』

 脳裏に浮かんだ母の声をフェイトは頭を振って追い出す。

「わっ……」

 目の前を紫のランサーがかすめていく。
 すぐさま方向転換する。

『警告!』

 バルディッシュの警告に方向転換。またアリシアのランサーが進行先を駆け抜けていった。

 ――集中しないと。

 アリシアがランサーを撃つタイミングは彼女の動きを見ればすぐに分かる。
 素人臭さの抜けないあからさまな動き。
 それなのにうまく反応できないのにもどかしさが募る。

『アリシア……』

 またあの声が頭の中に響く。
 あれは幻じゃないと思う。
 見直したアリシアにかけられていたシーツがなによりの証拠だ。
 でも、それならどこに消えたのか。
 あの場で隠れることができたとしても、日が変わってからも誰もプレシアの姿を見た者はいない。
 アリシアは知っているのだろうか?
 それにいつからいたのか?
 もしかして初めて会った時からずっと側にいたのかもしれない。
 ソラはフェイトを認めてくれたと言ってくれた。
 なら、どうして出てきてくれないのだろうか?
 でも、ソラはプレシアを殺したと言っていた。

 ――分からない。分からないよ。

 何が何なのか、誰が何を考えているのか、本当のことがどこにあるのか。
 全部分からない。

『…………険、危険』

「危ないフェイトッ!」

 バルディッシュとアリシアの声に我に返ると視界がなくなっていた。
 それが何なのか認識するよりもフェイトはそれに激突した。
 初めてアリシアとの模擬戦闘。
 結果はフェイトの飛行機動のミスによる障害物との激突で幕を閉じた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ハラオウン家のリビングには重い空気が流れていた。
 起きた出来事のあまりのことに誰もが口をつぐんでいた。

「………………もう無理だ……」

 始めに耐えきれなくなったのはヴィータだった。

「あかん……ヴィータ」

 とは言ったもののはやても限界だった。

「だって……だって、はやて…………」

 こちらを向くヴィータの目には涙が浮かんでいた。
 その気持ちは痛いほど理解できる。
 それでも耐えなくてはいけないのだ。

「あんな…………あんなふうに壁に……穴開けるなんて……初めて見た……くっ」

 こらえ切れずにとうとうヴィータは腹を抱えて笑い出した。
 ばんばんと床を叩くヴィータをとがめる者はいない。
 だいたいの人達は顔をそむけて肩を震わせている。
 そんな中で唯一笑ってないのはフェイトだけだった。
 彼女は今、部屋の隅で膝を抱えている。
 おそらく、その顔は真っ赤に染まっているだろう。

「あー……もう一回」

 笑うのを一段落させたヴィータはもう一度アリシアとフェイトの模擬戦を空間モニターに流す。

「もうやめてっ!」

 普段の大人しさを捨てて、フェイトはヴィータに飛びかかり、端末を奪おうとする。
 その手をかいくぐってヴィータは映像を早送りして、問題のシーンを再生する。

『危ないフェイトッ!』

 映像の中でアリシアが叫ぶが、もう遅かった。
 フェイトは最高速度でビルに自分から突っ込んでしまった。
 幸いにもバルディッシュがカートリッジを使ってバリアジャケットの効果を飛躍的に上げたため、フェイト自身に怪我はなかった。
 しかし、咄嗟に上げた防御力と元来のスピードによってビルの壁は最小限の壊れ方をしてしまった。
 つまりは、壁にフェイトの人型ができたということになる。

「ぶっ……」

 今度ははやてがこらえ切れずに噴き出した。

「はやてまで……」

 今にも泣き出しそうな顔でフェイトが責める眼差しを送ってくる。

「もう……本当に見事で、結界を解くのを躊躇っちゃったわ」

 ニコニコっとシャマル。

「気にするなテスタロッサ。こんなこともたまには……ある……だろう……」

 決して顔を合わせようとしないシグナム。

「しかし、これは攻撃の手段としても有効かもしれない」

 真面目にザフィーラが分析しているが、それが逆に周りの笑いを誘う。

「まあまあ、クロノとエイミィがいなくてよかったじゃないか」

「あら、この映像はちゃんと残しておくわよ」

「ええ!? 何で!?」

「規則としか言えないかしらね。それにアリシアさんの戦闘分析をする必要もあるし」

 リンディの言葉に打ちひしかれてフェイトは膝を着く。

「フェイトちゃん……元気出して」

「なのは……」

 弱々しくフェイトはなのはに縋りつく。
 そんないつもに似た光景にはやては胸を撫で下ろす。
 撃墜されたなのはも魔力ダメージだったため、何事もなく目を覚まし、シャマルからの特に異常なしと太鼓判ももらった。
 フェイトもあの撃墜を気にしてか、昨日からずっとぎこちなさがあった。
 自分も出生のことを知らされて普通じゃなかったと感じる。

「ごめんねフェイト。わたしのせいで……」

「あ……その……アリシアのせいじゃない……よ」

 と、思った矢先にアリシアに声をかけられて挙動不審になるフェイト。
 やはり突然現れた姉?の存在は戸惑うものなのか。
 考えて見れば、自分の状況もフェイトとあまり変わらないことに気が付く。
 いや、もっと最悪かもしれない。
 突然現れた義理の姉。
 自分、夜天を狙う襲撃者。
 自分の生い立ちに深く関わっていたヴォルケンリッターと闇の書。
 アサヒの話は自分から他のみんなにすると、ヴィータとリンディに頼んでいる。
 とはいえ、長い間黙っておくわけにはいかない。
 対策会議が終わったら、はやてはみんなにそれを話すつもりでいた。

「さて、みんなそろったことだし本題に入りましょうか」

 リンディの一言に場の空気が真剣なものに変わる。

「アレックス、お願い」

「はい」

 リンディの指示でアレックスが端末を操作して昨日の戦闘映像を流す。

「通信で話した通り、今はやてさんは夜天の書の技術を目的に狙われているわ。
 彼女たちは「超能力」と「リンカーデバイス」という二つのロストテクノロジーを保有しており、推定ではSランク級の能力者。
 今後の展開次第ではそれ以上になると考えられるわ」

 初めは主を守れなかった無様をさらしたヴィータを睨む視線が三つあったが、映像を見るうちにそれが消えていく。
 流石に別の形態の能力であっても彼女たちがどれほど強いかは理解できるのだろう。

「しかし、「超能力」とはこの世界にある架空の能力だとばかり思っていたが」

「シグナムさんも知っているの?」

「ええ、主の部屋に「今日からこれで君も超能力者!」というタイトルの本がありましたので、それを少し興味本位で……」

「ちょ……シグナムあれ見たん?」

「ええ、それが何か?」

 言えない。
 それはまだヴォルケンリッターが現れる前に買った本で、不自由な身体もあって使えたら便利だろうな、っと割と本気で特訓した。
 そんなこと口が裂けても言えない。

 ――って、そんな目で見んといてなのはちゃん。

 この中で唯一この世界の出身であるなのはが意味深な、同情的な視線をなのはが向けてくる。
 なんの因果か今は魔導師になっているが、あれは抹消したい黒歴史だ。
 それでも魔法というものになれているみんながそれがどれだけ恥ずかしいことか理解できていないのがせめてもの救いと取るべきか。

「とにかくそれらの能力にまったく知識がないからといって、黙ってやられるわけにはいかないわ」

 リンディの言葉に緩んだ気を引き締める。
 相手が魔導師ならばどんなに高ランクの魔導師でも共通した戦い方がある。
 だが、彼らは魔導師ではなく超能力者。
 彼らには今まで蓄積した戦う経験も知識もない。対して彼らは魔法を熟知していた。
 単純なアンノウンなら薙ぎ払えるかもしれないが、実力が近いならこの差は致命的なものになる。

「まあ一度の相対に、ある程度の情報もあるからもう大丈夫でしょうけど」

「問題はこれ以上強くなって場合のことだろ?」

 リンディの言葉をヴィータが告げる。
 そこに含まれる自信は一度の相対で魔法を使わない技術への戸惑いがなくなったからなのだろう。
 魔法と超能力の違いにあの時一番戸惑っていたのはおそらくヴィータだった。
 長い間、魔導師やそれに類する魔導生物としか戦ってなかった彼女にとって、その経験が仇となってしまった。
 そういう能力があるということを理解したのなら、後は気兼ねなどせずに戦えるのだろう。

「そうね。最悪の状況を考えれば相手は私たちの想像もつかない力を得るかもしれないのだから」

「東天の魔導書の王、アサヒ・アズマの話ですか?」

「今のところ、否定する要素はないのだけど話があまりにも大きすぎるのよね」

 シグナムの言葉にリンディは困ったと言わんばかりに頬に手を当てる。

「とりあえず彼らがロストロギアを所持していることから近くの部隊が動くことになったわ。
 だけど、本局はあまりこのことを重要視していないの」

「それは何故ですか?」

「組織としての規模が見えてないのと、やっぱりSSSランクを超える魔導師の存在なんて信じられないみたいね」

 困ったものだとリンディはため息をつく。

「まあ、その辺りは私たちの方でなんとかするとして……」

 一旦言葉を切ってリンディはこの場にいる全員を見回して告げる。

「はやてさんは準備が完了次第、本局の方で生活をしてもらうことになるわ」

「まーそーやろなー」

 高ランクの魔導師に相当する相手に狙われているのなら管理外世界にいるよりも本局かミッドチルダの管理局の勢力が強い場所の方がずっと安全だろう。
 それに本当に何も知らないまったくの無関係な人を巻き込むことを良しとするつもりもない。

「その間、アースラ・チームはヴォルケンリッターとなのはさんを組み込んではやてさんを守ることになったわ」

 はやては知らないが、一戦艦にこれだけの戦力が集中することはまずない。
 それほどにまでリンディは彼らのことを危険視している。
 もっとも、はやてが狙われていると知ったヴォルケンリッターに管理局の仕事をさせても使い物にならないだろう、と推測されていたりもする。。

「それにクロノもそろそろ出向期間が終わるから戻ってくるわ」

「ほなら安心やなー」

 みんながそろえば怖いものなしだとはやては思った。

「そうね。でも念を入れて……」

 リンディは言いながら端末を操作する。

「技術部からの要請でね。
 なのはさんとフェイトにモニターを頼みたいっていう武装がいくつかあるの」

 カートリッジシステム搭載を強引に推し進めたせいで、二人はよく技術開発などのテストによく駆り出される。
 映し出された武装の一つにはやては思わず顔を引きつらせた。

「まじかよ……」

 信じられねえ、はやての気持ちを代弁するようにヴィータが苦い呟きをもらす。

『カートリッジパック』
 本体はリュックサックのように背負う小型コンテナ。
 底部から出る弾帯をマガジンの代わりに接続することによって、マガジンの交換をせずにカートリッジを使い続けることができる。
 搭載弾数300発。

「うわー」

 みんなが同じような顔をしている中で、なのはだけが目を輝かせる。

『流石はマイスター・マリー。いい仕事をしています』

 それに満足そうなレイジングハートの言葉が重なる。

「これ、いつ来るんですか?」

「一応、今日の夜には届く予定よ」

「楽しみだねレイジングハート」

『はい』

「……それでヴォルケンリッターについてだけど」

「私たちにも何かあるんですか?」

「それはないんだけど……ユニゾンデバイスの方はどうなったのかしら?」

「あーそれは……」

 ユニゾンデバイスの構想に関してはリンディにも話している。
 はやてが考えている融合騎は自分だけはなく、ヴォルケンリッターにもユニゾンできるようにと考えている。
 それが完成すれば十分な戦力になると考えているのだろう。
 しかし――

「ごめんなさい。実は今行き詰ってるんです」

 ユーノに頼んだ無限書庫での資料探しに、聖王教会に話をつけてもらって協力してもらっていたりもするが、問題が出てきてそれから進展していない。
 現代の融合騎。
 機械思考の魔力炉搭載型のレプリカなら何の問題もなく作ることができるが、はやてが望んでいるのはそんなものではない。
 古代の融合騎、その純正品を作ろうとしているのだから多少の苦労は覚悟していたし、何年かかっても必ず作り上げる気でいた。
 しかし、今の状況だとそれが歯がゆく思う。

「そう……なら仕方ないわね」

 リンディははやての内心を察してそれ以上は何も言わなかった。

「あとは私の個人的な伝手で三人くらいの高ランク魔導師を呼べるかしらね。
 それにアリシアさんもいるし、当面は問題ないでしょ」

「うん……あたしがみんな守ってあげる」

 リンディの言葉に勢いよくアリシアが立ち上がって胸を張る。

「そうやなーアリシアちゃん強いもんなー」

 実際、アンジェを退けたのはアリシアだし、彼女はこの中で最も大きな魔力を有している。
 しかも、はやてにはできない精密操作を可能にしている。
 年齢の差があっても彼女の存在は頼もしく感じる。
 もっとも、その姿は子供が背伸びしている微笑ましさしかなかったりもする。

「そうだねアリシアちゃんがいれば千人力だね」

 なのはも笑顔で彼女の言葉に同意する。

「…………ん?」

 気のせいだったのだろうか。
 視界の隅でフェイトの顔が曇ったようにはやてには見えた。
 しかし、改めて見てもそんなことはなく、普段通りの彼女がそこにいた。

「どうかした、はやて?」

「ううん……何でもあらへん」

 不思議そうに首を傾げるフェイトにはやては気のせいだと結論付けた。

「強くならないと」

「そやなー」

「うん、みんなで一緒に強くなろ」

 フェイトの言葉にはやてとなのはは頷いた。

 ――そやな、強くならんとねーちゃんにまた頼ることになる。

 それは嫌だと思い、はやては拳を握りしめた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 今後のことを話しあっている輪の中でフェイトの思考は別のことを考えていた。

 ――アリシア、あんなに強かったんだ。

 彼女と戦ってみてその力をフェイトは見せつけられた。
 射撃・砲撃・防御の魔法はどれも実用レベル。
 近接と飛行に関してはまだまだ素人。
 それでもアリシアの射撃は特にすごいの一言だった。
 同時制御が苦手のようだが、その分一発がすごい。
 そして、その一発に手も足も出なかった。
 それは屈辱で、ショックで、嫉妬した。
 たった半年でアリシアは自分を追い抜いた。
 類まれな才能に、SSSランクの最高の魔力。どちらも自分にはないもの。
 それはまさしく大魔導師と呼ばれたプレシアの才能を受け継いだ力なのだろう。

 ――わたしじゃやっぱりダメだったんだ。

 自分は母の期待に答えられなかったのだと痛感する。

「うん……あたしがみんな守ってあげる」

 不意に聞こえたアリシアの言葉が胸を締め付けた。
 アリシアには確かにそれだけの力がある。

「そうやなーアリシアちゃん強いもんなー」

「そうだねアリシアちゃんがいれば千人力だね」

 さらにそれに答えるはやてとなのはの言葉。
 かつて、なのはが蒐集された時に感じた無力感が胸を締め付ける。
 だが、アリシアには彼女たちを守る力がある。
 思わず、アリシアを嫉妬のあまり睨みそうになるがそれを抑える。
 こんな醜い感情を知られたら嫌われるのではないかと思い、フェイトは平静を装う。
 そして、フェイトははやてが自分を見ていることに気がついた。

「どうかした、はやて?」

「ううん……何でもあらへん」

 その答えに内心で安堵の息を吐く。
 はやてに気付かれていないのなら大丈夫だろう。

「強くならないと」

「そやなー」

「うん、みんなで一緒に強くなろ」

 フェイトの言葉にはやてとなのはが同意するが、フェイトの耳にはそれは届いてなかった。

 ――そう。強くならないと、アリシアよりも強くならないと。

 フェイトは知らずに拳を握りしめる。

 ――そうすればきっと母さんも認めてくれるはず。

 淡い希望を胸にフェイトは決意を固める。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「それじゃあ行ってきまーす!」

 元気な声を伴ってアリシアが飛び出す。

「いってきます」

 その後をなのはが力のない声を発しながら続く。

 ――気が重い。

 ただでさえ旅行の予定が遅れ、そしてはやてが襲撃されたことによって帰るのがさらに一日延びてしまった。
 事情は説明され、納得もしてくれたらしいが、危険な目にあったと知られたのは心苦しいものを感じる。

「なのは……大丈夫?」

「うん……大丈夫だよ」

 心配するフェイトの言葉になのはは答える。
 両親とは一応電話で話をしている。
 はやてを守るために戦うことの承諾は取っている。
 問題があるとすれば――

「アリサちゃんになんて説明しよう」

「それは……どうしようかね?」

 フェイトも同じように思案する。
 はやてが狙われていると知って、彼女が黙っているとはなのはには到底思えない。
 かといって話さなければ後が怖いし、旅行が遅れた言い訳もできない。
 はやての外出は流石に止められた。
 それにアリサとすずかをハラオウン家に呼ぶのも関係者の存在を知らせないために止められた。
 そのため、なのはとフェイトが事情の説明のために外に出ることになり、アリシアもそれについてくることになった。
 脳天気に駆け回るアリシアに微笑ましさを感じるが、同時にため息が漏れる。

「アリサちゃんのことだから無茶なことは言わないと思うけど……」

「何もできないもどかしさで不機嫌になるよね」

 それをなだめるのに苦労しそうだと、思わずぼやく。
 アリサにすずか、それに家族。
 彼女たちに心配をかけてしまうことが何よりも気が重かった。

「早く解決できたらいいんだけど」

 アンジェと対峙してなのははヴィータ達と同じものを感じていた。
 はやてを助けるために蒐集を行ったヴォルケンリッターと同じような意志を持った目。
 彼女たちが何を抱えて、何故はやてを狙う、いや力を求めるのかは分からない。
 それを確かめるためにももう一度戦わないといけない。
 話を聞くためにも戦って勝たないといけない。

「次は負けない」

 相手の能力がどんなものか理解した。
 それに強化装備もある。
 条件は同じとは言えないが、戦う力はある。

「あれ……」

 なのはが意気込んでいると、不意にフェイトが立ち止まった。

「どうしたの?」

「今……かすかに魔力を感じた気が……」

「わたしは何も感じなかったけど……」

「二人ともおそいよー!」

 見ればだいぶ離れた所でアリシアが頬を膨らませて声を上げていた。

「ほら……呼んでるよ」

「うん……」

 促されてフェイトは歩き出すが、数歩でその歩みは止まる。

「ごめん、なのは。アリシアと一緒に先に行ってて」

「え……?」

 聞き返す前にフェイトは駆け出していた。

「フェイト?」

「すぐ追いつくから」

 アリシアに負けず劣らずの珍しい大きな声でフェイトはそういうと曲がり角を曲がって姿が見えなくなる。

「もうフェイトったら……」

 アリシアがなのはの元に駆け寄り、その手を取る。

「にゃ? アリシアちゃん?」

「ほら、追いかけよ」

「あ……うん」

 アリシアに手を引かれる形でフェイトの後を追う。

「……フェイトちゃん……早い……」

 なのはたちが曲がり角に着いた時にはもうその先にはフェイトの姿はなかった。

「だいじょーぶ、ちゃんとデバイスがトレースしてるから」

 言いながらアリシアはなのはの手を引く。

「あ……アリシアちゃん、こんなところで空間モニター出しちゃだめだよ」

「えっと……フェイトはこっち……」

 なのはの言葉を聞かず、アリシアはどんどん進んでいく。

「…………あ、止まった」

 その呟きになのはは安堵する。
 情けないが、アリシアの速度に合わせるのがつらかったのだ。
 最後の角を曲がるとフェイトはそこに立ち尽くしていた。
 周りを見ても特に何もない。

「フェイトちゃん?」

「え……あ、なのはそれにアリシアも」

 驚いた様子で振り返るフェイト。

「もうフェイト、一人で勝手に動くと迷子になっちゃうんだよ」

「ご、ごめんアリシア」

「うん、よろしい」

 お姉さんぶってアリシアはフェイトを叱っているが、先程一人で道も分からないのに先に走って行ったではないかとなのはは呆れる。

「それでフェイトちゃん……感じた魔力は?」

「あれは……気のせいだったみたい」

「そうなの?」

「うん……ごめんね。早くアリサの家に行こう。
 待たせるとなんだか怒られそう」

「あ……そうだね」

 時間を確認、少し急がないと約束の時間に間に合わないかもしれない。
 そんな焦りを抱き、なのはは見逃していた。
 フェイトが青い宝石を隠すようにポケットに入れる瞬間を。






あとがき

 13話終了しました。今回はやや短い話になりました。
 この作品はなのはたちに劇的な成長をさせるつもりがないので、オプションパーツなどで強化するつもりです。
 次回は戦闘になりますので、期間が長くなるかもしれません。
 とりあえず早く書けるように次回もがんばります。






[17103] 第十四話 強敵
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:12626166
Date: 2010/10/22 00:21


 はやてに聞かされた話はあまりに突拍子もないもので信じ難いものだった。
 元はミッドチルダ出身、そして十二年前の闇の書事件の被害者。
 停止した時間の流れから解放された数少ない生存者。
 はやての両親を殺したのがかつての主だと言われ、思わず否定の言葉を叫びそうになった。
 だが、はやては自分が言葉を発するよりも早く言った。

「わたしは許すよ」

「正直、おとーさんとおかーさんを殺されたって言われても実感できないんよ」

「それに今のわたしの家族はみんなや。
 どうしてもわたしに償うゆーならずっと一緒にいてくれるだけでいい」

 涙の気配も見せなかったのは彼女が言うとおり実感ができないからだろう。
 それでも憤りを感じずにはいられない。
 主の命令に諾々と従っていた昔の自分たちがこれほど憎いと思ったのは初めてだった。
 気丈に振舞うはやての姿を正視できなかった。

「あまり張り詰めると身体によくないわよシグナム」

「シャマルか……」

 場所は屋上。かたわらにおいてある時計が二時を指している。
 蒐集以来、こんな時間まで起きていることは久しぶりだと感慨にふけりながら、シャマルが差し出したマグカップを受け取る。

「主は……?」

「みんなと一緒によく眠っているわ」

「そうか」

 会話はそこで止まる。
 夜の警戒は大人組みが引き受けて、ヴィータを含む年少組は今夢の中だろう。
 その傍らにはザフィーラもいるし、襲撃があっても彼女たちが起きるには十分な時間を稼げるだろう。

「…………シグナムは……はやてちゃんの話、どう思った?」

 はやての話、それはつまりアサヒというはやての義理の姉の話。

「私たちには否定する根拠も証拠もないということを理解した」

 アサヒははやてとの関係を証明する証拠をいくつも示したが、自分たちにはそれを否定するものは何一つなかった。
 あやふやなこれまでの蒐集の記憶。
 本当の名前さえも忘れていた自分たちに何かを言い返すことなどできるはずもない。

「それに私も覚えていることが一つあるが……」

 それは前回の蒐集で最後に戦った騎士のことだ。
 名前も知らない灰色の髪の少年。
 才能はあった。経験もなかなかだった。
 殺伐とした蒐集活動の中で唯一充実した戦いだった。
 結果は当然自分が勝ち、リンカーコアを抜き取った。
 もう二度と会うことはないと思っていた少年に、シグナムは先程映像の中で再会を果たした。
 あの時と変わらない姿のソラと呼ばれる少年。
 戦い方こそ違うが本人としか思えなかった。
 しかも、魔力を失い条件付きとはいえフェイトに勝ったと聞いて思わず昂揚したが、彼の存在が意味することに冷水を頭からかぶせられた気がした。
 十二年前と変わらないソラの姿。
 それは時間干渉系の魔法の影響としか思えない。

「その記憶も主の話を肯定するものにしかならない」

「そう……」

 相槌を打つシャマルの声に力はない。
 やはり、あの話が堪えているのだろう。

「シャンとしろ。今は主を守ることだけを考えろ」

 はやては許すと言った。
 それで割り切れるわけではないが今は彼女を守ることに集中しなくてはいけない。
 雑念は敗北を呼ぶ。

「分かっているわ……ただ私たちは恵まれていたんだ、って思って」

「そう……だな」

 全てを無条件に許し、優しく受け入れてくれた母の様な存在のはやてを主に持てたことはこの上のない幸運なのだろ。

「はやてちゃんだけに限ったことじゃないわ」

「何……?」

「リンディ艦長やクロノ君、レティ提督。
 みんな、私たちに思うところがあるはずなのに何も言わないで、罪を償う場を与えてくれた」

 シャマルの言葉を聞いてシグナムは思う。
 確かに自分たちの周りの人たちは良い人たちばかりだ。
 管理局に所属することになり、社会の成り立ちを知って自分たちがいかに浅慮な考えで行動していたかを痛感した。
 闇の書の暴走がなく蒐集を終わらすことができたと仮定しても、自首したところで平穏など得られることはなかっただろう。
 はやてを含め、一生牢獄か、少ないくても全員がバラバラになって管理局に従事させられていただろう。
 今の状況だって本来ならありえなかったかもしれない。
 全員が一緒にいられるのはシャマルが挙げた三人のおかげと言っても過言ではない。
 そして、高町とフェイトの存在も本来なら滅びにしか向かわない自分たちを止めてくれた。

「確かに……恵まれているな」

 誰かが欠けていたらこの平穏もなかっただろう。
 恵まれ過ぎてそれが当たり前だと思っていたのかもしれない。
 誰も自分たちがしてきたことを責めなかった。
 許し、罪を償う方法を示してくれた。

「だからこそ、軽く見てしまっていたのかもしれないな」

 管理局の仕事に従事していれば許されると無意識に思っていた。
 だから、被害者遺族に会いに行こうとも探すこともせずに言われるまま仕事に没頭した。
 はやての両親を殺した真偽はともかくアサヒにソラという自分たちを恨んでいる者がいることを彼女たちが現れてようやく実感できた。
 歴代の心のない主の意にそぐわない命令にただ従ってきた。
 それをはやてたちはその主のせいだと言うが、シグナムはそうは思えなかった。

「いずれ……答えを出さなければいけないな」

 どのように罪を償っていくのか。
 改めてそれを考えなくてはいけないと思い知らされた。
 決意を新たにしていると、そこに思いがけない声がかけられた。

「ねえ……まだ気付かないの?」

 声にシグナムとシャマルは弾かれた様に振り返り、構えを取るがその声の主の姿を見て固まった。
 幼い声に相応の幼い容姿。
 とは言ってもはやてたちと同じくらいの年格好。

 ――いつからそこにいた?

 フェンスの上に腰かけ、クスクスとこちらの反応を楽しむように笑い見下ろす女の子。
 夜のこんな時間、こんな場所に現れたということは敵で間違いないはずなのに、その接近にまったく気が付かなかった。
 それほどまでに思考に没頭していたのか、それとも目の前の少女の実力か。
 どちらなのか判断はつかないが異様な気配をまとう少女に自然と警戒心が強まる。

「初めまして、夜天の騎士さん」

 上品に頭を下げるその姿は人形を思わせる。
 見た目は幼いがはやてたちと同じ天才の類と考えれば油断はできない。

「貴様は……敵か?」

 それに加え、相対しているのにリンカーコアの大きさが見えない。
 少女がまとっているのはバリアジャケット。
 超能力者ではないなら、それが分かるはずなのに魔力の大きさがまったく感じられない。

「ううん……貴女たちは敵じゃないよ」

 無邪気に少女は首を振った。
 虚をつかれた言葉にいぶかしむ。

「だって……貴女たちじゃセラの敵になれないでしょ?」

 眼中にないという言葉にシグナムは斬りかかった。
 目の前の少女は敵で間違いない。ならば、どんな姿をしていても斬るのに躊躇いはない。
 だが……

「くっ……」

 思わず、剣を振り上げたまま足を止めた。

「どうしたの……来ないの?」

 剣を抜き、斬りかかる。
 その動作によって近付いて初めて気が付いた。
 あと一歩踏み込めばそれは彼女の攻撃の間合いに入ることを意味する。
 頭の中に警鐘が鳴り響く。
 幾多の戦場を超えてきた経験が告げている。
 目の前の少女に勝てないと。

「……シャマル……主を連れて今すぐ逃げろ」

「シグナム? 何を言ってるの?」

 信じられないと言った言葉が返ってくる。
 自分でもらしくないことを口にしている自覚はあった。
 ベルカの騎士が一対一、それもまだ剣を交えてもいないのに逃亡を考えた。
 それはあってはならないことだし、これまで一度もそんな無様をさらしたことはなかった。
 だが、そんな誇りに拘っていられる相手ではない。
 初めて相対する格上の存在。

「クスクス……そっちのお姉さんはちゃんと力が計れるみたいね」

 返事をする余裕はない。
 少女の一挙一動を見逃すまいと集中する。

「それじゃあ、ちゃんと名乗りましょうか」

 スカートの裾を摘み、優雅に少女は一礼する。

「南天の魔導書の王――セラ」

「…………っ」

 ここに来て少女、セラから放たれた魔力に息を飲んだ。
 気を抜けばそれだけで動けなくなってしまいそうな威圧感。
 はやてと同じ王で、それ以上の魔力だがそこに含まれている敵意や殺意が目に見えない重圧になってのしかかる。
 悪意や敵意には慣れているシグナムでも気を引き締めなければ飲まれてしまいそうになる。

 ――これほどの威圧をこの歳で……

 まるで歴戦の戦士を目の前にしているように身体が粟立つ。

「お前は…………何だ?」

 この小さな身体に似合わない圧倒的な威圧感。

 ――どんな人生を送ればこんな人間になるんだ?

 まるで理解できない化け物を前にしたような気分だった。

「ちゃんと名乗ったでしょ? 南天の魔導書の主だって」

「…………そうか」

 セラの返答にシグナムは深く息を吐く。
 欲しかった答えではないが、元々返ってくると思っていなかった。

「悪いが……殺す気でいかせてもらう」

 先程の弱気を押し込めて、魔法の非殺傷設定を解除する。

 ――この少女をはやて、それにテスタロッサや高町に会わせるわけにはいかない。

 悪意の塊の様な少女。
 主を始めとした彼女たちは優しすぎる。
 彼女たちには敵を殺すことはできない。むしろ、理解と和解を考える。
 だが、シグナムは知るべきではないと考え、慣れ合える相手ではないと判断する。
 絶対にかなわない存在を相手にすること。
 決して、理解のできない分かり合えない存在。
 そんなものは彼女たちに近付けさせるべきではない。

 ――例え、刺し違えることに……いや、刺し違えてでも殺す。

「ちょっとシグナム!?」

 戸惑うシャマルの声は無視する。

「へー……セラを殺すって身の程が分かってないみたいね」

 シグナムの殺気を叩きつけられてもセラはニコニコと笑っている。
 戦うとは思えない態度に憤りを感じるが、好都合だと同時に思う。
 セラはこちらを格下と侮っている。
 なら、付け入る隙はいくらでもある。

「ふっ……」

 セラのプレシャーに負けないように気合いを込め、息を短く吹いて止め、飛翔する。
 放たれた矢の様に速く、真っ直ぐ突っ込む。

「紫電一閃っ!!」

 炎をまとった剣を真っ直ぐ振り下ろす。
 近付いて斬る。
 それがシグナムにとっての戦い方。
 刃が届けば斬れないものはない。
 そう……届けば……

 ガキンッ!

 甲高い鋼と鋼を打ち合わせた音が鳴り響く。
 打ち合わせたのは柄を中心に両側に刃を持つ双刃剣。
 フェンスに腰かけたまま、素早くセットアップして、無造作に振られた剣にシグナムの剣は安々と受け止められた。

「くっ……」

 力任せに押し込んでもビクともしない。
 それはあり得ない光景だった。
 ヴィータほどの一撃の攻撃力があるわけではないが、余裕の素振りも崩せないことはシグナムのプライドに障った。

「おおおっ!」

 一合、二合。
 残るカートリッジを斬撃に乗せて続けざまに斬りつける。
 だが、それも同じように片手で操る双刃剣に受け止められる。

「……もう終わりかしら?」

 変わらない口調にシグナムは思わず後ずさる。
 装填していたカートリッジを全て使っても立たせることもできない。
 魔導師ランクの絶対的な差を感じずにはいられない。

「夜天の騎士は表の世界じゃ強いって有名だったけど、この程度だったんだ」

「なんだと……」

 侮辱されたことに萎えかけた気概に力が戻る。
 だが、セラの言葉に反論できなかった。

「まったく……この程度の技術なんて本当に必要なのかしら?」

 理解できないと頬を膨らませる姿は子供のそれなのに微笑ましさを感じられない。

 ――どうする……どうすればいい?

 彼女に通じそうな攻撃はファルケンしかないが当てられるとは思えない。
 ヴィータを始めとしてテスタロッサたちが来れば戦術の幅も広がる、勝機も見えてくる。
 だが、彼女たちとセラを対峙させないと考えを撤回することになる。
 もっとも、シグナムが対処の手段を考えている時間的余裕はなかった。

「うらあああああっ!」

 背後からのラケーテンハンマーによる強襲。

「らうんどしーるど」

 セラは振り返りもせずに背後に濃い赤の、血色の魔法陣を展開する。
 さらにそこに上からフェイトが鎌を手に急降下してくる。
 セラは無造作に射撃スフィアを放つ。
 ヴィータの攻撃は難なく防がれ、迎撃に対してフェイトは無理な回避運動を取って離れていく。
 そこに桜色の砲撃が撃ち込まれた。

「なっ!?」

 驚きの声はヴィータのもの。
 すぐさま彼女はその場を離脱する。
 ヴィータの攻撃を防いでいた盾に砲撃は直撃、その爆発の余波にヴィータは吹き飛ばされる。

「なのは、てめえもっと考えて撃て!」

 体勢を立て直しながらヴィータが叫ぶ。
 遠くの方で高町がしきりに頭を下げているが、それを気にしている余裕はなかった。

「ヴィータ……」

 呼んで注意を促す。

「なんだよ? いくらなんでもあの砲撃の直撃を受けて……」

 煙が晴れて無傷なセラの姿にヴィータは絶句した。
 ラケーテンハンマーとディバインバスターの波状攻撃にも関わらず盾を突破できなかった。
 信じられないのはシグナムも同じだった。

「ヴィータ……オーバーSランクと戦った経験はあるか?」

「んなもんリインフォースくらいしかねえよ」

「私もだ……」

 思えば自分たちよりも格上の相手と戦った記憶がない。
 蒐集の戦いで覚えているのはどれも格下ばかり。
 テスタロッサや高町にしても連日による蒐集の疲れや命を奪わない手加減がなければデバイスを強化していても負けない自信がある。
 現にあれからのテスタロッサとの模擬戦はそのほとんどがシグナムが勝っている。
 だが、セラは明らかに自分たちよりも格上の相手。
 長い蒐集による戦闘経験がまったく意味をなさないことに、自分たちの経験がどれだけ脆弱なものだったか突き付けられる。
 ヴォルケンリッターの将として、この場にいる年長者として指示を出さなければいけないのに具体的な指示が浮かばない。

 ――どう戦えばいい? どの攻撃なら通じる?

 シグナムが迷っている間に、高町がセラに話しかけた。

「あなたもはやてちゃんを狙ってるの?」

「はやてちゃん? 確か夜天の王様の名前だったわね。
 ええ……そうよ。レイとアンジェから聞いてないの?」

「……何でそんなことするのはやてちゃんが何をしたっていうの?」

「それは王様になった因果じゃないのかしら?」

「それは……どういう意味?」

「天空の魔導書に関わった人間に平穏なんてあるわけないじゃない。
 あれは関わった人を不幸にするだけの呪いの魔導書なんだから」

「なっ……リインフォースさんはそんな人じゃないっ!」

 呪いの魔導書は闇の書であって夜天の魔導書ではない。
 そう言ってくれる高町に頭を下げたくなるが、セラの言葉を否定できないのも事実だった。
 はやての身体を蝕んだ事実。
 はやての家族にまつわる真実。
 そして、元の名を取り戻したというのに自分たちが原因ではやてが狙われている。
 もし自分たちがいなかったら、はやては家族を失うこともなく、不自由な身体になることもなく、今狙われることもなかった。
 セラの言うとおり自分たちが不幸を呼んでいるようにしか思えない。

「リインフォース……夜天の管制人格の名前かしら……
 もっと分かりやすく話してくれないかしら……」

「それは……」

 非難するセラに高町は言葉に詰まる。

「それよりあなたはなんなのかしら?
 見たところ夜天とはなんの関わりもないようだけど?」

「わたしは友達だよ」

「友達……なら部外者だね。
 邪魔だからどっかに行って」

 笑顔のまま突き放すセラに高町の表情が引きつる。

「部外者って……わたしははやてちゃんの友達だから関係あるよ」

「ふーん……なら死んでもいいんだね?」

「…………え?」

「あなたには手加減する必要はないから……うん、それにわたし、あなたのことが嫌いだな」

 いきなりの嫌い発言に高町は目を白黒させて混乱する。
 その反応を気にせずにセラは言葉を続ける。

「だから…………」

 ゾクッ、不意にシグナムは背筋に悪寒を感じた。

「高町逃げ――」

「死んじゃえ」

 シグナムが高町とセラの間に飛び込むが、それよりも速くセラは動き、高町の目の前に……

『プロテクション・エクステンド』

 高町はその踏み込みに反応できていない。
 代わりにレイジングハートが五発のカートリッジを使って強固なバリアを瞬時に組み上げる。
 桜色のバリアはセラの双刃を受け止める。
 しかし、セラの斬撃は止まらない。
 刃を戻す動作で逆の刃を叩き込み、さらに戻した体勢から一層の力がこもった斬撃が放たれた。
 一瞬の間に三つの斬撃を受けてバリアは無残に砕ける。

「……ひっ」

 セラの殺気に満ちた目をまじかで見た高町が短い悲鳴を上げる。

「くっ……」

 大きく離されたシグナムはセラを追うが、バリアを砕きそのまま流れるように次の斬撃の放たれる。
 シグナムの位置では間に合わない。

「なのはっ!」

 頭上から猛スピードで突っ込んできたフェイトがその斬撃を受け止め、さらにその勢いのままセラを突き放す。

「大丈夫か高町?」

「あ…………はい」

 返す言葉に力はない。
 それは当然かもしれない。膨大な魔力の重圧と深淵の闇を持った目はシグナムでも気が折れそうになる。
 今、空中戦をしているフェイトはいつもの調子に戻っている。
 いや、カートリッジを盛大に使いまくって、いつも以上のスピードでヒットアンドウェイを繰り返している。

「テスタロッサ……強くなっている?」

 あのアリシアの模擬戦はどこか集中力にかけていたが、今はそんなことはない。
 むしろ動きに無駄が少なくなっている。前の模擬戦との間に何かがあったのだろうか?
 だが、それでもセラの方が上手だった。
 スピードを生かして全方位から攻撃をしかけるがセラはそれを的確に双刃で受け止める。
 そして受け止めた同時に繰り出される斬撃をフェイトはなんとか身のこなしだけで避けて離脱する。
 その繰り返し、一見テスタロッサが押しているように見えるが優勢に戦っているのはセラの方だった。

「高町…………プランCはいけるか?」

 まだ戦えるかと尋ねる。
 正直、まだ戦わせるべきではないと思っているが優先するべきことははやての安全だとシグナムは自分に言い聞かせる。
 今フェイトが拮抗しているのは彼女が合わせているだけ、いつ攻勢に出るか分からない。
 襲撃があった場合、前線で戦うのはシグナムとヴィータ、それに高町とテスタロッサと予め決めておいた。
 そしてセラは四人がかりで戦わなければいけない相手だと判断した。
 誇りや気使いなどしていて勝てるような生易しい相手ではない。
 それが分かっているのか、高町も震えそうになる身体を押えて頷いた。

「なら任せた」

 一方的に言ってシグナムは飛ぶ。
 全速で飛んで二人の戦いに割って入る。
 今まさにフェイトに対して振られた刃に攻撃する勢いでレヴァンティンを叩き込む。

「あら?」

「シグナム!?」

 二人の驚きの声。
 それに――――――

「くらえっ!!」

 ヴィータの気合いの入った声が重なる。
 グラーフアイゼンの一撃を血色の盾で防ぎ、セラはその場から離脱する。

「畳みかけるぞっ!」

 いくら彼女が膨大な魔力を持っていて、相応の技量が合っても彼女は一人。
 三人による接近戦の波状攻撃なら彼女の防御をかいくぐって一撃をいれるのは不可能じゃない。
 距離を取ったセラにテスタロッサが追いすがり、刃を交わらせる。
 反撃をシグナムが潰し、ヴィータが追撃する。

「くっ……」

 初めてセラの顔が歪む。

「しつこいっ!」

 セラを中心に放たれた衝撃波をこらえられずに吹き飛ばされる。
 だが、十分だった。
 彼女の身体が紅と金の輪が幾重にも重なって拘束する。

「こんなバインド……」

 リアルタイムで構築強化しているバインドにも関わらずセラは力任せに拘束の輪を砕く。
 その隙を逃さずにシグナムは斬りかかっていた。
 しかし……

「遅いよ」

 掲げられた剣が振り下ろされるより速くセラの双刃がシグナムの胸を貫いた。

「がはっ……」

 血を吐き、衝撃にレヴァンティンが手からこぼれる。

「何人集まってもセラに勝てるわけないじゃない」

「それは……どうかな……」

 口元を吊りあげて笑い、シグナムは未だに自分の身体を貫いている刃、それを握るセラの腕を押えこみ、もう一方の手をセラの首に回し、締め上げる。

「っ……なんのつもり? こんなことしたって――」

「なに……すぐに分かる」

『撃て……高町』

『シグナムさん……でも……』

『非殺傷設定なら問題ない。いいからはや――ぐふっ』

 腕の中で暴れるセラの攻撃に息が詰まるが、シグナムは決して腕の力を緩めなかった。

『はやく……しろ……』

 体格差で押えこめても、魔力差でいつまでも押えこめない。

『…………分かりました。少し痛いかもしれないですけど我慢してください』

 次の瞬間、桜色の光が背後から迫るのを感じた。

「らうんどしーるど」

 腕の中からセラが呟き、シグナムの背後に盾が形成される。
 盾越しの衝撃にシグナムは身体に響く痛みに歯を食いしばって耐える。

「こんな砲撃じゃセラの盾は貫けないって分からないのかしら?」

「そうだな……一発では無理だろう」

「え……これは……」

 セラの笑みが消え、背中にかかる高町の砲撃の圧力が増した。

「カートリッジ数百発による連装砲撃だ。
 いくら貴様が強くても……耐えられるはずがない」

 カートリッジの魔力に頼った無茶な魔法。
 それもベルト給弾式の機構だからこそできる無茶。
 高町が持つカートリッジの数を合算すれば、それこそSSSランクに届くはず。

「そうね……流石にこの砲撃を二十発くらい立て続けにくらったら耐えられないわね」

 冷静にセラは分析する。

「でもいいの? あなたも無事で済まないわよ?」

「かまわん……死にはしないからな」

「ふーん…………でも…………まあいいや」

 言葉を交わしている間にも砲撃の圧力は絶えず押しかかり、血色の盾を軋ませる。

「あと…………五発くらいかしら」

「観念したか?」

「それはどうかしら?」

 腕の中で笑う気配。

 ――なんだこいつの余裕は?

 盾には亀裂が入り、今にも崩壊しようとしているのにセラは微塵も焦っていない。

「あと四発……」

「何を……する気だ?」

 いぶかしむシグナムの問いに答えず、セラは数を読み上げる。

「さん……」

 暴れなくなっても、砲撃の衝撃に身体の力が抜けそうになる。

「にい……」

 傷に響く衝撃にただひたすら耐える。
 セラが何をたくらんでいてもこの砲撃の直撃を何発も食らえば無事ではすまない。

 ――そのためにもここで拘束の手を緩めるわけにはいかない。

「いち……」

 一緒に巻き込まれることに備えてシグナムは身を一層固くする。

「ゼロ……」
 
 不意に砲撃が止まった。
 そして、わずかに遅れて盾が砕ける音がシグナムの耳に鳴り響いた。

「…………なんだと?」

 耳をつんざいていた砲撃の轟音が唐突に消え、不気味な静寂が訪れる。

「ふっ……」

 セラは剣を捻じり、押し込む。

「ぐっ……」

 そして引き抜いた。
 盛大に血が噴き出すが、セラはそれを浴びるのを嫌ってバリアを張りながら距離を取る。

「いったい…………何が?」

 何故、高町の砲撃が止まったのか。
 胸の傷を押えながらシグナムはそれを見下ろした。
 ビルの屋上。
 周囲に空の薬莢をまき散らし、膝をついた高町は呆然と両手に握った残骸を見ていた。
 その手のレイジングハートはひびだらけで、半ばから折れていた。

「貴様……何をした?」

 あの状況で高町に攻撃をしていたとなると何処まで化け物なのだろうか。
 しかし、シグナムの予想に反した答えが返ってきた。

「セラは何もしてないわ」

「うそを……ゴフゴフッ」

 つくな、と最後まで言えなかった。

「はあ…………カートリッジの使い過ぎの自爆よ」

 呆れを混じらせたセラの言葉。
 言われてようやくその可能性に気が付いた。
 大量のカートリッジの連続使用。その負担は当然デバイスを傷付ける。
 休みなく百におよぶカートリッジを使えば、オーバーヒートして最悪自壊するのは当たり前だ。

「そんなことも予想できないなんて……ほんとーにお馬鹿さんね」

 ぐうの音も出なかった。
 強大な敵と戦うことに意識を集中し、新しい武装をテストなしに使用した結果だった。
 シグナムが身を呈して作ったチャンスも報われなかった。

 ――将、失格だなこれは。

 思わず自嘲してしまう。

「――集まれ……」

 轟。
 周囲に満ちていた魔力の流れが変わった。

「天に流れる力よ・・・…我が手に……」

 流れの先はセラの左手。
 掲げられた手の上で紅い魔力が大きくなっていく。

 ――これはまさか……集束砲!?

 血色を始め、桜色に金、赤に紫。
 自分たちの魔力の光もそれに吸収され、さらに大きく膨れ上がる。

「その輝きを持って……全てを焼き尽くす光となれ……」

「全員、退避っ!!」

 声と念話で叫ぶ。

「クリムゾン・レイッ!」

 セラが腕を振り下ろす。
 それに伴って巨大なスフィアは一条の破壊の光となって降り注ぐ。
 深紅の砲撃はビル一つを飲み込み、大地を穿つ。
 その鳴動は空中にいるシグナムも震わせる。

「高町っ!」

 光に飲み込まれたビルの屋上には高町がいた。
 デバイスを失った彼女にそれを防ぐ術はない。
 しかも……

「………………高町……」

 大地に空いた大穴にシグナムは身震いした。
 物質を破壊した殺傷設定の魔法。
 周りの建物はその衝撃に薙ぎ倒されている。
 壮絶な威力。
 そこにあったものを塵も残さずに消滅させた。

「うふふ……まずは一人……」

 セラの笑い声にその事実を実感する。

「さあ、次は誰にしようかしら」

 気軽に次の獲物を選ぶセラ。

「あああああああああああああああっ!」

 悲鳴の様な雄叫びを上げ、そのセラにテスタロッサが特攻する。

「よせっ……テスタロッサ!!」

 シグナムの制止も空しく、テスタロッサはセラに肉薄し、鎌を薙ぐ。。
 怒りに満ちた攻撃はまっすぐで、セラが半身になって動くことで空を切った。
 そのまま双刃が振られる。
 だが、それが届くよりも速くテスタロッサの拳がセラの頬に突き刺さった。
 バルディッシュを薙いだ勢いそのままに投げ捨て、無手になってセラを攻める。

「ああああああああああああああ」

 そこに普段のテスタロッサの姿はなかった。
 技も駆け引きもない、怒りにまかせたラッシュ。
 右、左、右、左。
 元々、防御力の低いテスタロッサのバリアジャケットはセラのそれとぶつかり壊れていく。
 しかし、テスタロッサは止めない。
 拳が裂け、紅く染まっても痛みを感じないのかひたすら殴り続け……その拳を掴まれた。

「……おかえし」

 不機嫌な声でそれだけ言って、セラは双刃を手放し、テスタロッサの頬に右ストレートを叩き込んだ。
 防御する間もなく、テスタロッサはそれを無防備に受けて吹き飛ばされた。
 撃ち出された様に吹き飛ばされる。
 セラは浮いた双刃を取り直し、切っ先を離れていくテスタロッサに向ける。

「くっ……」

 先端に灯る紅い光にシグナムは動こうとするが、力が入らずに飛ぶどころか浮遊魔法も突然切れる。

 ――なにが……

 思っている間に視界がぶれ、暗くなっていく。

『シグナム! ……シグナム! ……返事をして!』

 頭の中に響くシャマルの声に自分が重傷を負っていたことを思い出す。
 そして、抵抗できないままにシグナムの意識はそこで途切れた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 殴り返された、それを認識した時には自分の意志とは関係なく空を飛んでいた。
 だが、フェイトの思考はそのことをすぐに忘れ、怒りに支配される。

「許さない……」

 脳裏に浮かぶのは紅い光の中に消えたなのはの姿。

「絶対に許さない……」

 ギラギラと殺気に満ちた目のを少女に向ける。
 しかし、少女の姿は紅い背中に隠された。
 パリンッ……ガラスの砕ける音が耳に響く。
 そして、仰け反って落ちていく紅い少女。
 それが誰で、何をしていたのかフェイトには考える余裕がなかった。
 フェイトの思考を占めるのは怒りと殺意だけ。

「絶対に……殺してやる」

 ――殺す。

 そのためならなんでもする。
 自分がどうなってもかまわない。
 なのはを殺したあの女を殺せるなら命だって惜しくない。

「バルディッシュッ!!」

 バックパックから限界まで伸びた弾帯を引き、バルディッシュを掴む。

『ザンバーフォーム』

 大剣となったバルディッシュを二度、三度振る。
 二百数十発の弾帯が鬱陶しくなびく。
 それにしばし目を向け、おもむろにフェイトはバルディッシュを上段に構え――

「カートリッジ・フルロード」

 弾帯にいくつもの環状魔法陣が巻き端から弾けていく。
 システムを通さずに魔法を使っての直接解放。
 エネルギー損失、身体にかかる負担、危険性。
 様々な要因を全て無視し、フェイトはそれを実行した。
 解放した魔力は全てザンバーの刃に回す。
 とてつもない力の反動にバルディッシュは暴れ、その身を砕いていく。
 だが、彼は文句の一つもなく主の命令を全うする。
 気を抜けばすぐにもぎ取られそうな柄を全力で握り、歯を食いしばる。
 身体が内側から破裂しそうな圧力。
 現に身体のあっちこっちから血が噴き出す。

『ガッ…………ザッザー…………プラズマザンバー』

 金の線が空に伸びる。
 すると、それを中心に雲が逃げ、戦場に漂う砂塵や煙が吹き飛ばされる。
 その向こうで少女が引きつった顔でこちらを見ていた。
 しかし、それさえもフェイトは不快に感じた。
 少女が今感じているのは恐怖だろうか?

 ――そんなもの、なのはは感じる間もなく殺されたのに……

 ギリッ……バルディッシュの柄を握る手にさらに力がこもる。
 慌てた様子で少女は双刃を掲げる。

 ――なのはは抵抗もできなかったのに……

 四つの円を頂点にした見たこともない魔法陣が展開される。
 それが何であっても叩き斬る、いやこの魔法なら叩き潰すと言った方が正しい。
 圧倒的な魔力による超重圧攻撃。
 原型の魔法とはかけ離れ、もはや暴発寸前の大剣、柱をフェイトは振り下ろした。

「ブライカーッ!!!」

 大気を切り裂き、金の光は逃がす隙間を与えず少女を飲み込む、大地を割る。
 結界が未だに維持されているのは奇跡だった。

「ふー…………ふー……………ふー」

 呼吸がまともにできない。
 金の刃はすでになく、柄だけのザンバーになり下がっている。
 全身に力が入らないのに、バルディッシュを握る手は強張ったまま剥がれない。
 そのおかげで落とさずにすんではいるが限界だった。

『………………システムダウン』

 同時にフェイトがまとっていたバリアジャケットが弾けた。
 元の普段着の姿に戻り、そして重力に引かれて落ちた。

「…………あ…………」

 落ちている自覚はない。
 そもそも身体の感覚さえもなかった。
 高高度からの転落。オートリカバリーさえも働かない状況。

 ――それでもいいや。

 なのはを守れなかった自分の結末には丁度いい。
 訪れる死を受け入れるが、紫電の光がそれを許さなかった。

「フェイトッ!」

 落下するフェイトを攫うようにアリシアが捕まえ、そのまま減速できずに地面に突っ込む。

「わわ……」

 慌てるもスピードは緩まない。
 そんなアリシアに対して彼女のデバイスは冷静にフェイトを覆うバリアを作る。
 それと地面に激突する瞬間に幾重にも重なったオレンジの魔法陣が二人を受け止めた。

「フェイト大丈夫!? ひやっ……血がこんなに……えっと……えっと……」

 不時着して早々にアリシアは混乱する。
 そこにアルフが降りてきた。

「どきなアリシア……フェイトすぐに治療するから」

 そんなアリシアを押しのけて、アルフは魔法陣を展開する。
 ユーノに教わったらしい治療系の結界。
 鉛のように重くなった身体がほんの少しだけ軽くなった気がした。
 もっとも、そんなこと今のフェイトにはどうでもいいことだった。

 ――どうして……生きてるんだろ……

 あのまま死んでいた方がよかったのに。
 縋りつく二人に煩わしささえ感じた。
 しかし、それを口に出す気力はなかった。
 その声を聞くまでは……

「あーあ、髪がぐしゃぐしゃ」

 目を見開き、どこにそんな力が残っていたのか、フェイトは上半身を起こして声の先を見る。
 そこには髪をいじりながら降りてくる少女の姿があった。
 言葉通り、少女の髪はぐしゃぐしゃに絡まっている。
 バリアジャケットはだいぶ損傷しているが、彼女の動きには怪我を負った不自然さはない。

「……そんな……どうして……」

 フェイトの代わりにアリシアがそれを口にする。
 アルフも同じことを思っていたのだろう。少女の姿を見て言葉を失っていた。

「ありがとう……エレイン助かったわ」

 少女は背後に突き従う女性にそう言葉をかけた。
 金色の長い髪。線の細い身体をしているがその身にまとう漆黒の鎧は不釣り合いに重厚だった。

「礼にはおよびません。命令を遂行しただけです」

 その口から発せられた機械的な応対。

「損耗率はどれくらい?」

「全体の機能は34%に低下。兵装レベル3以降の使用不能。通常戦闘は可能です」

「そう……」

 短いやり取りを終えて、少女が向き直る。

「紹介しておくわ。この子が南天の技術の結晶、戦闘魔導人形エレインよ」

 自慢げに紹介するがフェイトの耳にはそんな言葉は入っていなかった。

 ――どうしてまだ生きている?

 その疑問の答えが目の前にあるのにフェイトの思考は答えを出せずに、憎悪が再燃する。
 理屈なんてどうでもいい。
 目の前の少女が存在していることが許せない。
 なら、どんなことをしても絶対に殺す。
 何度でも死ぬまで攻撃する。

「うう……」

 軋む身体を無理やり動かして立とうとする。

「フェイト、ダメだよ」

 それをアルフが肩を掴んで押し止める。

「邪魔を……しないでっ!」

「……っ!」

 アルフの腕を払い、立つ。が、膝に力が入らずに倒れる。
 その光景を少女はクスクスと笑って見下ろす。

「あたしが相手よ」

 少女の前にアリシアが立ちはだかる。
 少女はふーんと首を傾げてから無造作に双刃を振った。

「え……?」

 まったく反応できずにアリシアは両断され――

「そこまでだ」

 三つの銀球を頂点にしたベルカの魔法陣がそれを受け止めた。
 同時に自分たちを中心に配置された銀球が魔法陣を作り、視界が一変した。
 距離にしてわずか数十メートルの短距離転移。
 目の前の少女の姿は少し離れ、彼女と自分の間には新しい人影が佇んでいた。

「やっと出てきてくれた……初めまして東天の王様」

「挨拶なんてどうでもいい。さっさと消えろ」

 ボロボロで誇りまみれのスカートを摘み優雅に頭を下げる少女に対してアサヒはにべもなく告げた。

「あらら……つれないわね」

「そんななりで私と戦って勝てると思ってるのか?
 砲撃馬鹿と砲撃馬鹿の馬鹿にやられて魔力はほとんど残っていないはずだ」

「ええ……そうね」

 少女は肯定し、でもね、と付け加える。

「エレイン」

「了解。ディバイドエナジー」

 人形から少女に魔力が流れる。
 それに伴ってバリアジャケットが修復される。

「うん……だいたい七割くらいかしら」

「それずるい!」

 アリシアが声を上げ、それに対してフェイトの感情が振り切れた。

「お前はっ!」

 叫んで咳き込む。
 なのはが削った魔力を無意味にした。
 やはり、こいつの存在は絶対に許せない。

 ――どんなことをしても絶対に殺してやる。

 ギラギラと殺気の満ちた目を少女に向けても、少女はクスリと一笑してアサヒに視線を移す。

 ――力が欲しい。

「そいつを連れて離れていろ」

「あ……ああ」

 アサヒの言葉にアルフが返事をしてフェイトを抱き上げる。

「放してアルフ! あいつはわたしがっ!」

「落ち着いてフェイト、なのはは――」

「なのははあいつに殺されたんだ!」

 どこにそんな力が残っているのかフェイトはアルフの腕の中で暴れる。
 それを気にせずに相対した少女とアサヒは喧噪を無視して緊張を高める。

「行きなさい、エレイン!」

「了解しました。敵勢力、殲滅します」

 人形の腕が変化する。
 肘から先が環状魔法陣に包まれたかと思うと、漆黒の刃に姿を変える。
 そして倒れるくらいの前傾姿勢を取って、突撃。
 飛ぶ勢いで迫る人形にアサヒは大振りのナイフを抜く。

「錬鉄召喚」

 同時に人形の進路に無数の鉄の鎖が現れる。
 鎖は人形に絡みつき、地面に縫い付ける。
 が、人形が地面を蹴る。
 それだけで鎖が引き千切られた。
 それでも勢いは減じたものの何事もなかったかのように人形は接近、風を唸らせて刃を振る。
 そこにさらに別の鎖が腕を捕る。
 遅延は一瞬。
 その鎖もほとんど抵抗なく引き千切られた。
 しかし、その一瞬でアサヒは身をかがめ、地面を蹴る。
 刃が空気を切り裂き、その余波に煽られてアルフとアリシアがよろめく。
 アサヒは人形を無視し、一直線に少女に突撃する。

「甘いわよ」

 召喚師は術者本人を狙う。
 それはセオリーだが少女はそんな優しい相手ではなかった。
 アサヒの周りのスフィアから撃たれる魔弾を同じ数の魔弾で少女は迎撃。
 足下から伸びる鉄の鎖を双刃を回転させ、斬り払い。
 その勢いのままアサヒに斬りつける。
 しかし――

「――そこまでだ」

 二人の間に一人の男が割り込み、灰色の盾をそれぞれに向けて刃を止めていた。
 すぐさまナイフを引き戻してアサヒは横に跳躍する。

「ヘイセ? どうしてここに?」

「それより先にエレインを止めろ」

 困惑する少女に男は言う。

「……戻りなさいエレイン」

 アサヒを追撃しようとした人形はその一言で少女の元に戻る。

「それでどうして貴方がここにいるのかしら?」

 双刃を引き、改めて少女は男と向き合う。
 灰色の盾を消した男はおもむろにため息をついて――

 ゴチンッ!

 拳骨を少女の頭に落とした。

「なっ……なにするのよ!?」

 頭を押え、涙目になって少女は抗議する。

「それはこちらの台詞だ。
 独断専行で何をやっている!?」

 男のお叱りに少女は年相応に首をすくめる。

「だ……だって、レイもアンジェは不甲斐ないし……
 二人の代わりに夜天とついてで東天も取ってくれば褒めてくれると思ったから……
 それに北天が来ている間は帰れないんだから」

「それが勝手だと言っているんだ」

「ヘイセは帰っていいわよ。
 すぐに終わらせるから」

「気持ちは組んでもいいが、度が過ぎると彼に怒られるぞ」

「…………仕方ないわね」

 構え直した双刃を少女は下ろす。

「そういうことだ……セラが迷惑をかけたな」

「そう思うならはやてを狙うのをやめてくれないか?」

「そうだな……状況次第ではそうしてもいい」

「…………なんだと?」

「え……?」

 予想もしなかった言葉にアサヒと少女が間の抜けた声をもらす。

「それはどういう意味だ?」

「その子を使わなくても闇の書の技術が手に入れられる可能ができた。
 それもより完全な、もしかするとそれ以上の形でな。
 そうすれば不完全な形でしか知識を持っていない八神はやてには価値はないからな」

「……なるほど」

 男の言葉にアサヒは少し考え込んで――

「さっさと消えろ」

 あろうことかそんなことを言った。

「どうしてっ!!?」

 フェイトが声を上げる。

「フェイト、ダメだってば!」

「うるさいっ……放してっ! ……放せっ!」

 暴れるフェイトをアルフは必死に押さえつける。

「こっちの始末は私がやるから、さっさと行け」

「ならば任せるとするか」

「それじゃあまたね、おねえさん。
 次はちゃんと殺してあげるから……ふふふ」

「にげるなぁぁあ!!」

 フェイトの叫びを無視して二人は展開した魔法陣の中に消える。
 怒りのやり場を失ったフェイトはアサヒを睨む。

「どうして……どうして……」

「少し眠れ」

 アサヒはフェイトの目の前に手を掲げる。
 朱の魔法陣が展開されたかと思うと、急速な眠気に襲われた。

「じゃま……しない……で……」

 必死に意識を繋ぎ止めるがフェイトの意志に反して瞼は落ちていく。

 ――どうして邪魔をするの?

 彼女、それに彼女たちの仲間には報いを受けさせないといけないのに……

 ――敵だ。

 他の誰もが否定しても、アルフだけは分かってくれると思ったのに……

 ――みんな敵だ。

 なのはがいない世界に価値なんてない。

 ――邪魔する奴はみんな殺してやる。

 なのはを殺した女を殺せるなら他に何もいらない。悪魔とだって契約してもいい。
 だから――

「起きて、ベガッ!」

 ポケットの中の宝石を握り締めて叫ぶ。

『……よいのか? 彼女は――』

 頭の中に響く声に同意する。
 なのははこんなこと望まない。
 それでも自分にはもうこれしか考えられなかった。

「いい。だから、わたしに力をちょうだいい!」

『……ここに契約は成立した。
 ようこそ、『星霜の壺』の戦いへ……』

 瞬間、眠気が吹き飛び、重かった身体に活力が戻る。

「フェイト……? うわっ!?」

 力はフェイトの身体だけでは納まらず、外に放出された魔力はアルフを吹き飛ばす。

「あは…………あははは……」

 立ち上がりながらバリアジャケットを構成する。
 気分がいい。
 身体にみなぎる魔力が普段よりも調子がいいとさえ思わせる。
 この力があれば、なのはを殺したあの女を殺せる。
 それに――

「おい。貴様、何をしている?」

 呆れた眼差しをアサヒが向けてくる。

「うるさいな……これ以上邪魔をしないでよ・・・…」

 早くあの二人を追わなければいけないのに。

「聞く耳はなしか……あまり暴力で言い聞かせるのは好きではないが……いいだろう、相手をしてやる」

 構えるアサヒだが、その姿に脅威を感じない。
 今の力なら軽く一蹴できる。

「ベガ……武器を……」

 フェイトの意志に答えるように宝石を同じ青の魔力がフェイトの前で形を作る。
 現れたのはバルディッシュよりも一回り大きい大鎌。
 それでも手に取ると違和感のない重みだった。
 それに満足してフェイトは構え――

「ダメッ!」

 飛び出す瞬間、アリシアが両手を広げて立ちふさがった。

「こんなことしちゃダメだよ、フェイト」

「アリシアも邪魔するんだ……」

 自分でも信じられない冷たい声が出た。
 そして、そのまま大鎌を振った。
 アリシアを胴から両断した、かに思えたがその姿は次の瞬間、朱の魔力の粒子になって霧散する。

「ちっ・・・・・・」

 思わず舌打ちがこぼれる。

「下がっていろ」

 いつの間にかアリシアを抱えていたアサヒが宙にアリシアを押し出し、ナイフを構え突撃してくる。
 フェイトもそれに対して突撃する。
 が、普段の調子で力を込めたら信じられない速度でアサヒの横をすり抜けた。

「あは……」

 方向転換。
 だいぶ距離が離れるが、遠い気がしない。
 撃ち出された魔弾がゆっくりに見える。
 隙間を縫う様に魔弾をよけて肉薄、大鎌を振る。
 防御する間もなくアサヒは両断されるが、それも幻影だった。
 周囲に視線を巡らせると、次々にアサヒが現れる。
 全てが幻影。その中から本体を見ただけで判断はできなかった。

「サンダーフォールッ!」

 周囲に巨大な四つのスフィアを作り、雷をばらまく。
 雷撃に貫かれた幻影は朱の粒子になって霧散していく。
 その中で盾を展開した一人がいた。

「プラズマスマッシャーッ!!」

 すかさず砲撃を撃ち込む。
 金の砲撃が真っ直ぐアサヒを捉える。
 轟音が響き、爆煙が広がる。
 手応えはあった。
 しかし、煙が晴れた先にあったのは紫の魔法陣だった。

「フェイト・・・・・・」

「いい加減にしてよアリシア。
 わたしはあの二人を追わないといけないんだから……」

「お願い、話を聞いてっ!」

「もう・・・・・・黙ってよっ!」

 なのはと同じ言葉がフェイトの癇に障った。
 大鎌が大剣に変わる。

「プラズマ――」

『やめなさいっ、フェイトッ!!』

 聞いたことのある声が叫ぶ。
 だが、フェイトは止まらない。
 大剣の刃が大きく伸びる。

「何をしている退けっ!」

「いや、どかない」

「ザン――」

「だめぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 その声にフェイトは金縛りにあったように全身が硬直した。

「…………え?」

 声の方を素早く見る。
 そこには白いバリアジャケットをまとったなのはが飛んで来ていた。

「な・・・・・・の・・・・・・・・・・・・は・・・・・・?」

 これは夢だろうか。
 思わず自分の頬を抓ってみる。

「…………いたい」

 そんなことをしている間になのははフェイトの前で止まる。
 何かを言おうとしたが、全速で飛んできたせいか息が上がっている。

「・・・・・・なのは?」

「うん・・・・・・なのは・・・・・・だよ・・・・・・フェイトちゃん」

 名前を呼んでくれる彼女に思わず涙が溢れる。

「本当に・・・・・・なのは・・・・・・?」

「うん・・・・・・アサヒさんに助けてもら――」

 限界だった。
 気付けば彼女の名前を連呼しながらフェイトは抱きついていた。

「なのは・・・・・・なのは・・・・・・よかった」

「・・・・・・・・・・・・ごめんね。心配掛けて」

 あやすように背中を撫でながらなのははそれを受け入れる。
 戦闘が完全に終わったことを察したのか、結界が薄れ始めていく。
 白み始めた空にフェイトの泣き声がただ響き続けた。





あとがき
 14話完成しました。
 正直言って、やってしまった感が強い話になってしまいました。
 なのはたちの大きな壁として登場させたセラですが、強くしすぎたかもしれません。
 万能型のSSランク。
 しかも人形遣いで、回復スキルまで完備。
 自分で書いていて倒せるのかと思うくらいにチートです。

 さらにはカートリッジを使ったなのはとフェイトの捨て身技など。
 まあ、書いていて楽しかったですけど。

 感想を下さった方、ありがとうございます。
 知り合いからは難しくて感想を書きにくい作品と言われました。
 まあ、初めての作品なのでこんなものかと思ってますし、カウントの方をモチベーション維持にさせてもらっています。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。



捕捉説明
 今回のポジション
 はやて :待機
 アリシア :実戦戦闘の力に難があるため待機
 アルフ :戦力差があり過ぎるためはやての護衛
 ザフィーラ :はやての護衛
 シャマル :結界維持 フェイトの攻撃で結界強化して魔力を使い切る
 ヴィータ :負傷するも戦闘続行はできたが、結界強化を助け魔力を使い切る
 リンディ :フェイトが起こしかけた次元震の対処











[17103] 第十五話 予兆
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2010/11/03 10:55



「お疲れ、リンディ」

「ありがとう、レティ」

 差し出されたコップを受け取ってリンディは一息吐く。
 本局の重鎮に対しての戦闘報告。
 リンディの指揮能力を責められてもおかしくない報告は意外にも淡々と進み、さらにはリンディの進言もとくに拒絶なく受け入れられた。

「それは当然ね。
 前の報告は未確認の異能力者だったけど、今回は魔導師の襲撃だったんだから」

「そうね……それもSSランクの魔導師のテロなんて何年ぶりかしら?」

 思わずリンディはため息をもらす。
 解析の結果、セラと名乗った少女の魔導師ランクは暫定的にSSランクと評価された。
 もっとも、彼女にはまだエレインという戦闘能力が未知数の人形を持っていた。

「「陸」の方も「G」のことでだいぶ混乱しているものね」

「そっちはどうなったのかしら?
 デュランダルの量産が決まったって聞いたけど?」

 「G」への対処手段が安定すればクロノが戻ってくる。
 現場の指揮を任せるならやはり自分の子供が一番と思ってしまうのは親馬鹿かもしれない。
 それでもセラとの戦闘の場にクロノがいたらと思ってしまう。
 戦略によって相手をはめる戦い方はなのはたちには無いものだった。
 彼がいればあそこまで一方的なことにならなかったと思う。

「それなんだけど――」

 言葉を濁しながらレティはそれを教えてくれた。

「部隊舎が襲撃を受けたって……本当なの?」

「ええ……何でも複数の「G」が隊舎に侵入と同時にシステムも落とされたって」

「クロノ……クロノは無事なのっ!?」

「ええ、怪我をしているみたいだけど軽傷みたいだから安心していいわよ」

 レティの言葉に安堵して、乗り出した身を戻す。
 クライドが帰ってきてくれたと思ったら、クロノがいなくなる。
 なんてことがあったらと思うとゾッとする。

「それで、「G」の統率された動きに、システムダウンの手際。
 操っている者に、内通者。「G」は何処かの組織の生物兵器って判断されて、地上の方も捜査に本腰を入れるみたいよ」

「そう……アサヒさんが言っていたことが本当なら「G」は北天の魔導書が作りだしたものだっていうことだから、おそらく主犯は彼らね」

 いよいよ、アサヒが言っていたことが現実味を帯びてくる。
 闇の書と同格の魔導書の戦力に管理局は対応しきれていない。
 彼らは周到に姿を隠して戦力を蓄えてきた。
 「G」の存在に対処できても、フェザリアンには? リンカーデバイスのことだってまだ分かっていない。
 それにセラというSSランクの魔導師もいる。
 なのはたちを一蹴した相手と戦える魔導師は管理局にどれほどいただろうか。

「ダメね……悪い方にしか考えられないわ」

「最悪の場合は旧暦時代の戦争を再現することになるわね」

 冗談では済まない話にリンディはため息を吐きたくなる。

「今のところ、彼らに対抗できる人は……アサヒ・アズサとソラ君の二人だけか……
 アリシアさんは固定砲台としてなら十分に通用するわね」

「そうね。もっとも、どちらも一筋縄ではいかない子たちだけど」

「そのソラ君も天空の魔導書の関係者だったらしいわよ」

「それ、本当なの?」

 驚きはしたが、あの身体能力と魔法を無効化する手段を思い出すと納得してしまう。

「ええ……隊舎襲撃で北天の魔導書を彼が確認したみたい。
 それについての技術のことも知っていたみたいだから、本局が拘束及び出頭命令を出しているけど……」

「それは……逆効果じゃないかしら?」

 あの子の性格を考えると権力を振りかざしての無理強いは反発を生むだけだと思う。

「あまり無茶なことをして、敵に回さないでほしいわね」

 もし、彼が敵に回ったら脅威になると思えないが怖い。
 魔導師ではないのだが、何をしでかすか分からないという点においてはいくつもの魔法資質を使い分けるアサヒよりもソラの方が上だ。

「その辺りの采配はアキに任せるしかないでしょ」

 彼女ならその辺りのバランスをうまく取るだろう。
 早まってあれほどの人材を手放すようなことはしないはずだ。

「それで、これからアースラはどうするつもり?」

「そうね……」

 改めて考える。
 今回の件で自分が任されているのはフェイトになのは。それからヴォルケンリッターにアルフも加えて七人の戦力がある。
 それにアリシアもいるから八人。
 はやてに関してはまだ狙われている可能性があるから戦力としては数えられない。

「どうするって言っても、まずはみんなの回復を待たないとどうしようもないわね」

 プログラム体であるシグナムとヴィータの怪我ははやての魔力を使えばすぐに回復するものだったが念のため検査を受けている。
 デバイスを暴発させたなのはも同じだし、フェイトに関しては複雑だった。
 デバイスの修理もそうだが、拾ったリンカーデバイスを使った影響がどんなものか精密検査を行っている。
 リンカーデバイスについてはまだユーノの追加報告はないのだから、どんな悪影響があるかも分からない。

「そうじゃなくて……関わらせるの?」

 レティの問いにリンディは口を閉ざした。
 戦闘の結果は手酷い敗北だった。
 それも二度の。
 ヴォルケンリッターの時とは違う。相手は殺すことをいとわずに攻撃してきた。
 これからの戦場もそんなものになるだろう。
 彼らの様なタイプの相手は殺さなければ止まらない可能性の方が高い。
 殺し、殺されるそんな戦場に彼女たちを関わらせるのには確かに気が引ける。

「無理をさせなくても、他に魔導師はいるのよ」

「分かっているわ……でも……
 あの子たちがこのまま引き下がるとは思えないのよね」

 頬に手を当てて唸る。
 このまま泣き寝入りする姿が誰一人思い浮かばない。

「それに……強くなる機会を奪いたくないのよね」

 負けた悔しさをバネにする。
 そうやってヴォルケンリッターと互角に戦えるようになったなのはとフェイトのことを思うとそう思ってしまう。
 指揮官としては失格かもしれないが、成長する姿を見守りたいと思ってしまう。

「リンディ……貴女ねぇ……」

 呆れをにじませたため息を大きく吐くレティ。
 次の言葉を出そうとして――

「リンディ提督」

 アレックスの声が割り込んできた。

「アレックス、彼女たちの転移先が分かったの?」

「いえ、それとは別件なんですが……これを見てください」

 目の前に映し出されたのは海鳴の地図。
 それが魔力の濃度で色分けされているが、それを見てリンディは顔をしかめた。

「見ての通り、現在の海鳴なんですが異常な魔力が計測されているんです」

 地図は魔力濃度が高い赤に染まっている。
 原因はやはり先程の戦闘だろうか。
 現実空間に物理的な被害を出さないようにはできたが、残留魔力が残ってしまったのだろうか。
 それにしても異常な数値を示していると思う。

「一応調査しておいた方がいいかしらね」

 こんな時に事後処理もしなくてはいけないと思うと頭が痛くなる。

「早くエイミィも帰って来てくれないかしら……」

「現実逃避しないでください。
 やはり調査隊に任せますか?」

 第97管理外世界はアースラの管轄だが今の状況ではまともに機能するはずもない。

「そうね……ちょっと気になるから急ぎでお願いしておいて」

「分かりました」

「その話、待ってもらえるか?」

 さらに新たな声が加わる。
 振り返ると巨漢の男、ザフィーラがいた。

「その調査、自分に任せてもらえないだろうか?」

「ザフィーラさん……でも、貴方ははやてさんの護衛が?」

「本局なら襲撃の心配もないだろう。それにシグナムとヴィータも復調している。
 主のことは二人に任せればいいかと」

 元々の用事だったのだろう、シグナムとヴィータの診察結果の書類をザフィーラは差し出してくる。
 ざっと目を通してみるが異常とありと診断はされてないようだった。

「前の戦いのことなら気に病むことはないのよ」

 戦闘に参加しなかったが、はやての傍で周囲を警戒するのは重要な役割だった。

「いや、そうではなく……何か胸騒ぎがするんだ」

「…………まあ、いいでしょう」

 曖昧な理由だったが、特に断る理由もないのでリンディは承諾した。

「でも一人で大丈夫なの?」

「問題ない」

 自信満々に頷くが、まだ敵が近くにいる可能性を考えると単独行動はさせたくない。

「そうは言ってもね……」

「だったらあたしも一緒に行ってもいいよ?」

「アリシア!? いつの間に? いえ、どうしてここに?」

 てっきりフェイト達と一緒にいると思っていた彼女がこんなところにいると思わずに声を上げる。

「えっと……探検してたら迷子になっちゃた」

 てへへっと笑うが、その笑顔はどこか曇っていた。

「それでちょーさするんだよね? あたしも手伝ってあげる」

「アリシアさん……これは遊びじゃないのよ」

「分かってるよ」

「なら……」

「むう……また仲間外れ……あたしだってみんなの役に立てる……はずなのに……」

 むくれるアリシアにその心情を察する。
 先程ザフィーラに言った言葉がそのままアリシアに当てはまっている。
 アリシアの場合はリンディが実力不足として戦闘参加を認めなかった。
 フェイトに勝ったといっても、それは彼女の精神が不安定だったことが大きかったし、アリシアの戦い方は見ていて危なっかしかったからの判断だった。
 現にアリシアはセラを前になすすべなくやられるところだった。
 魔力があって、周りからすごいと言われても何の役にも立てなかった。
 そのことに負い目を感じているから何かをしたがっているのだろう。
 それに激情に駆られたフェイトを目の当たりにして戸惑っているようにも見える。

「…………それじゃあ……お願いしようかしら」

 頬を膨らませてそっぽを向くアリシアにリンディは言った。

「いいのか?」

「ええ、一度こうしておかないと次に彼女たちと戦うことになったら飛び出して行くかもしれないから」

 喜ぶアリシアに聞こえないようにザフィーラに話す。
 アリシアは聞きわけはいいかもしれないが、それでも子供だ。
 子供の暴走がセラたちのような相手と対峙した時に起こして欲しくない。

「貴方には悪いけど、彼女の世話お願いできる?」

「承知した」

 嫌な顔一つせずにザフィーラは頷く。
 それが鉄面皮で隠したものか、本心からの言葉だったのかリンディには判断できなかった。

「それじゃあアレックス、彼のサポートをお願いね」

「分かりました」

 アレックスは敬礼をして、二人を促してその場を離れる。
 彼らが廊下を曲がって見えなくなってリンディはまたため息を吐いた。

「大変ね……次から次へと」

「本当に……何とかしてもらいたいわ」

 天空の魔導書関連でも手一杯だというのに余計な事後処理まで行わなければいけないと思うと気が滅入る。

「ああ……ここにいましたか御二方……って何ですか?」

 声をかけてきた男を思わずリンディは振り返って睨みつけた。
 たじろいだのは見知らぬ男性だった。
 とは言っても本局の制服を着ているし、略章から自分と同じ次元航行艦の艦長だということは分かる。

「いえ、ごめんなさい。何でもありません」

「そうですか……
 初めまして巡航L級13番艦。艦長ユワン・シーアンです。
 この度、そちらのアースラと共同戦線を張ることになりました。
 よろしくお願いします……」

「リンディ・ハラオウンです。
 こちらこそ――」

「ああ……堅苦しいのはなしにしませんか?
 年下の若輩者に敬語を使うのもあれでしょうし」

 姿勢を正し敬礼をしようとしたところで相手が素行を崩した。
 痩身の体躯に眼鏡をかけた柔和な顔立ち。それに十代後半の年格好。
 一見、頼りなさそうに見えるが次元航行艦を預かる身なのだから相当の遣り手なのだろう。

「ええ……そう言っていただけるなら、そうしましょう」

 差し出された手を取って、リンディは応える。
 自分も上下関係に厳しくいうわけではないから、ユワンの申し出を素直に受け入れる。

「それで……」

 人の良さそうな笑みが消え、真剣な眼差しを向けられる。

「御二人はソラという少年に会っていますよね?」

「ええ……そうですが」

 また厄介事かと、辟易とする内心を隠してユワンの言葉を聞く。

「これは極秘事項なのですが、彼は――――――」

「…………え?」

 自分が何を聞いたのか耳を疑った。
 隣にいるレティも驚きに目を見開いている。
 その言葉にはそれほどの衝撃があった。

「……クライド・ハラオウン氏と連絡を取る方法はないですか?
 できれば事実確認を行いたいだけど……」

「ごめんなさい……連絡先は聞いてないの」

「そうですか……どちらかが接触してきた場合はすぐに連絡を……」

「はい……分かりました」

 もはや思考は回らず、機械的に頷く。
 その他にも人員の構成、巡回経路の簡単な打ち合わせなどをしてもほとんど頭に入ってこなかった。

「……それでは、これで失礼します」

 リンディの様子を察してかユワンを必要以上のことは喋らずに去っていく。

「リンディ……大丈夫?」

「ええ…………大丈夫よ」

 レティに上の空で答えながら、ユワンが報せたことを考える。
 考えるが、何も知らないリンディに答えなどだせるはずもなかった。

「いったい何を考えているの……アナタ……ソラ君……?」

 リンディの呟くは空しく廊下に響いて消えた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 目の前のシリンダーにいつかのように浮かぶひびだらけのバルディッシュ。
 損傷は人格プログラムにまでおよび完全に機能は停止している。
 修理よりも新しいものを作る方が時間的にもコスト的に良いとさえ言われた。
 その痛々しい姿にフェイトは申し訳ない気持ちになる。
 なのはが死んだと早とちりして暴走した結果が今のバルディッシュの姿であり、自分も同じようになっていたはずだった。

 ――本当なら死んでいたんだよね。

 改めて見た戦闘記録では自分でも信じられないことを行っていた。
 二百発以上のカートリッジを一気に使った魔法。
 魔力の大半が押え切れずに無意味に放出されてしまっていても、その力はフェイトが扱える魔法を超越していた。
 その代償は全身を紅く染めた自分の姿だった。
 素人目にも出血は致死量で、死んでいておかしくない量だった。
 それが五体満足で何事もなく生きていられる理由は右手の中にある青い宝石のおかげ。

「それじゃあフェイトさん、右手をそこの台に置いてください」

「はい」

 バルディッシュの隣りに用意した台座にフェイトは言われた通り右手を置く。
 右手の中、それは比喩ではなくまさにその通りだった。
 とは言っても右手に宝石が埋め込まれたなどというものではなく、フェイトがその手の内側にベガの存在を感じているからだ。

「うーん……こっちのスキャンにも反応はなしか……」

 すでに医務室でも診察を受けたが、フェイトの身体はいたって健康体、不自然なところはなかった。
 暴走の後なのだからそれが異常とも言えなくないが、フェイトの身体の中に入り込んだベガが見つからない方が懸念された。

「えっと……ごめんなさい」

 険しい顔をするマリーに思わずフェイトは頭を下げる。

「いや……むしろ謝らないといけないのはこっちだと思うんだけど……」

「謝るって……どうして?」

「だって二人とも、こっちが用意したカートリッジパックのせいであんなことになっちゃったわけだし」

「そんな……あれはわたしのせいです」

「そうですよ。マリーさんのせいじゃないですよ」

 なのはも否定する。
 なのははともかく、自分のは完全に自業自得だった。
 本来の用途を逸脱した使い方をしたのだから逆に怒られるべきだった。

「いいえ……ああなることは予想するべきだったの……
 ごめんなさい……ちょっと調子に乗ってたわ」

 殊勝に頭を下げられても困ってしまう。
 どうしようと、なのはに視線を送っても彼女も同じく困った顔をしている。

「……調子に乗った、ってどういうことですか?」

「フェイトちゃん?」

 思わず険しい口調で聞き返してしまう。
 なのはのいぶかしむ声を無視してマリーを睨む。
 あれがもし彼女の不注意から起きた必然で、そのせいでなのはが危ない目にあったというなら――
 思わず、手に力がこもる。

「えっと……ほら、ミッド系のデバイスでカートリッジシステムを付けるの初めてだったから……」

「それで?」

「つい前からやってみたかったことをいろいろしちゃって……」

「それで?」

「じ、実用性をちょっと考えてなかったとか……?」

「それで……なのはが危険な目にあったの?」

 マリーが引きつった顔で後ずさるがフェイトはその分近付く。

「ふぇ、フェイトちゃん!」

「ちょっとなのはは黙っていて」

 止めようとするなのはに言葉を返しながらもフェイトはマリーから視線を外さない。

「どうなの……マリー?」

「ご、ごめんなさい」

「謝ってほしいんじゃなくて――」

 ベガの力が宿る右手に熱がこもる。

「あ、あのっ!」

 一際大きな声を出して、なのはがフェイトの言葉を遮った。

「それであの装備は何が悪かったんですか!?」

「それはね――」

 マリーはすぐさまなのはの質問に答える。

「やっぱり、ノーマルのデバイスに連続カートリッジの負担が大きいの!
 対策としてはオーバーヒートへの対処ととフレームの強化の二つだけど!
 ああいったものの場合は、初めから連続カートリッジを使うことを考えた専用デバイスにした方がよさそうかな!」

「それじゃあ、レイジングハートには使えないんですか!?」

「ちょっと難しいけど既存のデバイスには外殻をカウリングすればいいかな!
 大きくなって取り回しが悪くなるけど、なのはちゃんの戦闘スタイルならそこまで影響しないと思うよ!
 ただ……」

 勢いに任せた会話を止めて、マリーはフェイトに向き直る。
 そこにはフェイトに詰め寄られたときの気弱さはなく、真剣な眼差しで彼女を見据える。

「えっと……何……?」

「何にしてもフェイトさんみたいな使い方は絶対にダメ」

「うう……ごめんなさい」

 それを言われてしまえば謝るしかない。
 先程の思考を熱くしていた熱は消え失せ、フェイトはうなだれる。

「でも、フェイトちゃんにはあの装備は不向きだったんだよね」

「そうなの?」

「うん……これ見てもらえる」

 マリーは端末を操作してセラとの戦闘映像とシグナムとフェイトの模擬戦の映像の二つを流す。

「フェイトちゃんの最大速度は確かに上がっているんだけど、初速と制動が遅くなってるんだよね」

 端末を叩き、データを数値として表す。

「だから小回りが利いてないからヒットアンドウェイで戦うフェイトちゃんのスタイルにはあんまり合ってないみたいなの」

 これはバックパックの重さと、魔法で作った速度を持て余してしまうから。

「それから近接での攻撃パターンが少なくなってるかな」

 それは弾帯ベルトにデバイスが繋がれているための欠点。
 常にフルパフォーマンスで魔法を使えるのは大きな利点だが、それでフェイトの最大の持ち味の速度を殺すことにつながってしまう。
 説明されて、理解はできたがフェイトはポカンとマリーを見返した。

「えっと……これが私の見立てだけど……どうかな?」

 最後は気弱にこちらの反応をうかがう。

「間違ってないと思うけど……」

「けど?」

「ちょっと意外だったかな。
 マリーがこんなに戦闘に詳しいなんて」

「そりゃあ、私は技術職の人間だけど扱ってるのはデバイスだからね。
 戦闘のことも分からないと良いものは作れないから」

 苦笑して答えながらマリーは続ける。

「それでバルディッシュはどうする?」

 その言葉にフェイトは考える。
 自分にはカートリッジパックで強くはなれない。
 修理にはレイジングハートよりもかかるし、部品は全部交換しないといけない。

「この際だからベルカ式のデバイスにもっと近付けて、カートリッジシステムを前提にした構造に設計し直した方がずっといいと思うけど」

 元々、後付けされたシステムだけにメンテナンスの手間がかかるし、全体のバランスも悪い。
 システムとデバイスを完全に一体化させればフェイトの負担は確かに少なくなる。
 利点しかない提案なのにフェイトは頷けなかった。

「……元通りに直せる?」

「それってインテリの後付けでカートリッジ?」

「うん……」

 それが一番手間がかかり、何の利点もないことは分かっていてもフェイトは言わずにはいられなかった。

「できるけど……」

「お願いします」

 リニスの形見ともいえる愛機をどんな理由があっても手放す気にはならない。
 深々と頭を下げるフェイトにマリーはため息を漏らして――

「分かった。じゃあそうしよ」

 フェイトの内心を察してくれたのか、マリーは追及もせずに頷いてくれた。

「ただし、時間がかかるのは覚悟しておいてね」

「うん……」

「それで、リンディ提督から二人に代わりのデバイスを用意しておいてって言われているんだけど」

「え……でも……」

 思わず、二人は自分の愛機に視線を向ける。

「気持ちは分かるけど、自衛のためにも我慢してね」

「……はい」

「それでフェイトちゃんの方だけど」

 マリーはフェイトの右手を見て続ける。

「リンカーデバイス『ベガ』。それはちゃんと使えるの?」

 言われて意識を集中してみる。
 ベガはあれからこちらの呼びかけに言葉を返してくれないが、力の使い方はなんとなく分かる。
 イメージするのはバルディッシュの姿。

「解放」

 その一言で右手から青の光が溢れる。
 溢れた魔力の光はフェイトの手に収束し、形をつくる。
 なじんだ重さが手にかかるが、形状はまったくの別物。
 機械的な造形はなく、青い結晶の刃をそのまま取り付けた古めかしいデザインの三日月斧。
 望めば、鎌にも大剣にも、それ以外の形にもなってくれることが分かる。

「本当に右手の中にあったんだ」

 解析できなかったから半信半疑だったであろうマリーが目を丸くする。

「見たところ、機械部品は使ってないみたいだけど……なんなのかなこれ?」

「専門家でも分からないの?」

「これはどっちかっていうとロストロギアの方だと思うけど」

「ねえフェイトちゃん……身体は本当になんともないの?」

「うん、大丈夫だよなのは」

 軽く振って、形を鎌に意識する。
 それだけで三日月斧は大鎌に形をかえる。
 魔力の刃ではないが、その強度と切れ味はハーケンフォームよりも上だと感じる。
 改めて考えるとすごいデバイスだ。
 武器そのものが魔力を生成し、その魔力が自分に流れ込んでくる。
 湧き上がる力に気持ちが大きくなる。

「ずるいな……こんな武器を使ってるなら強くて当然だよ」

「え……何?」

 フェイトの呟きは聞こえていなかった。
 聞き返された言葉に何でもないと答えながら、フェイトはベガをしまうイメージをする。
 青い刃の武器はガラスを砕くように粉々に砕け散り、床に散らばるよりも早く空気に溶けた。

「うん……わたしはこれがあるから大丈夫かな」

「うーん……でも一応こっちも持っていてくれるかな?
 あんまり公にして使うわけにはいけない武器みたいだし、ね」

 官給品はオーソドックスな杖だけに不満を感じるが、納得するしかなかった。
 それに持ち歩くだけなら邪魔にはならないのだから気にする必要もない。

「ところでそれはストレージなの?」

「ううん。意志はあるみたいだからインテリジェントだと思うけど」

 フェイトの答えにマリーは難しい顔をする。

「そういうデバイス型の意志のあるロストロギアならなおのこと気をつけなくちゃいけないよ。
 よくある話だけど力をくれるかわりに何かしろって言うのが多いから」

「あ……それは……」

「ん? 心当たりあるの?」

 マリーの言葉に頷く。
 ベガを受け入れた時に感じたイメージ。
 それは倒すべき敵の姿だった。
 『シリウス』を持つ仮面の男。
 『レグルス』を持つアンジェ。
 それから『リゲル』と『スピカ』も持つ見たこともない人。
 セラが倒すべき敵に入ってなかったことが不満だったが、フェイトに拒む理由はなかった。

「そう……それが向こうのリンカーデバイスを持つ魔導師の戦力というわけね」

 話している間に入ってきたリンディが話をまとめる。

「母さん……」

「それで他には何か分かった?」

「うん……仲間割れとかじゃなくて、ベガは他のリンカーデバイスを全て破壊することが目的みたい」

「それは……」

 どういうことかしら、とリンディは考え込む。
 フェイトもベガの意図が分からなかった。

「あれ……アリシアちゃんは?」

 なのはの言葉にフェイトはその存在を思い出す。
 てっきりリンディと一緒にいると思っていたのにその姿はどこにもない。 

「あの子にはちょっとザフィーラと一緒に海鳴に戻ってもらったわ」

「何かあったんですか?」

「大丈夫よ。ちょっと不審な魔力が溜まってるからそれの調査をお願いしただけだから」

「もしかして……わたしのせい……?」

 後先考えずに行ったカートリッジ全弾を使用した魔法の余波被害だと考えてフェイトは身体を小さくする。

「それは分からないけど、大丈夫よ。
 大したことじゃないし、危険もないから」

 不安に感じるフェイトの頭をリンディは撫でてなだめる。
 しかし、リンディの言葉はすぐに否定された。

 ピーピーピー

 突然鳴り出したリンディの携帯端末。
 その音の種類は確か緊急連絡のもの。
 リンディは素早く端末を取り出して操作する。

『艦長。ザフィーラとアリシアちゃんが海鳴に到着した瞬間、結界に捕らわれました。
 通信は可能なんですが、ちょっとおかしなことになっているんです』

 空間モニターに映ったアレックスの報告にリンディは珍しく重く、疲れたため息を深々と吐き出した。






あとがき
 今回は短めに15話を投稿させてもらいました。
 フェイトのヤンデレが徐々に進行しつつある……
 この後はゲームのシナリオをアレンジした設定を考えています。
 


 



[17103] 第十六話 幻影
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2010/11/12 00:28





「サンダースマッシャー!!」

 放たれた紫電の光の奔流を叩きつけられて一匹の蛇の様な胴体の竜が悲鳴を上げて地面に落ちていく。
 その身体はすぐに空間に溶けるように散らばって消えていく。

「大丈夫か?」

「ぜんぜんだいじょうぶだよ……もう一発いくよっ!!」

 紫電の砲撃が夜空を彩る。
 狼の姿をしたザフィーラの背にはアリシアが跨っている。
 はやてや仲間以外を背に乗せることに少なからずの抵抗はあったものの、アリシアはザフィーラの不満に見合う戦火をもたらしていた。
 アリシアの欠点は機動や攻守の切り替えにある。
 いくら魔力が多く、優れた攻撃手段に強固な防御力があってもそれがまだうまく噛み合っていない。
 だからこそ、アリシアが攻撃に専念させることをザフィーラは選んだ。
 アリシアの足と防御を担当することで、彼女はなんの気兼ねをすることなく撃ちまくる。
 砲撃は魔力の大きさに任せたもの。
 収束は雑で、距離もない。が、威力は高い。
 むしろ、ザフィーラの目から見ても見事としか言えないフォトンランサーを撃ってもらった方が効率はいいのだが――

「まあ……いいか」

 これも本人の経験と割り切って納得する。
 それに大きな魔法を使うことが楽しいのか、生き生きとしている彼女に水を差すのも憚られる。
 そう思えば、アリシアを背に戦うこの経験もいつか彼女と同様に大きい魔力を持つはやての時に役に立つのではないかと思えた。

『二人ともお疲れ』

 五匹の竜を撃ち落とし、周囲に敵の気配がないことを確認したタイミングでアレックスが映った空間モニターが浮かび上がる。

「アレックス……これはどうなっている?」

『分からない。君たちが到着したと思ったら結界が張られてそいつらが現れた。
 結界はまだ解けてないから警戒を怠らないように。
 それから艦長にはすでに伝えたけど増援はすぐには出せない……ごめん』

「気にするな」

「そうだよ……べつにアレックスのせいじゃないよ」

「それで……あれはどこの世界の生き物だ?」

『ちょっと待って…………えっと第78未開拓世界の魔導生物みたいだね。
 ここからそう遠くはないけど、まさか流れてきた? いや、それにしては本物じゃなかったみたいだけど」

「……そうか」

 アレックスの言うとおり、別の世界から迷い込んだ可能性はある。
 フェイトの捨て身の攻撃によって空間が不安定になった可能性も十二分に考えられることだった。
 だが、アレックスの言うことももっともだ。
 撃墜された竜は何も残さずに消滅した。
 それは生物としてありえないものだ。
 それにこの結界の気配は自分たちが張るものに近いものを感じる。

「…………ページにすれば二ページほどか」

 思わず、目分量で五匹の竜の魔力量を計算してしまう。
 もう蒐集などしなくてもいいのに、つい計ってしまうくせに苦笑するしかなかったが、それが天啓のようにザフィーラは閃いた。

「まさか……」

「どうしたの、わんちゃん?」

「わん……!? アリシア、言っておくが私は狼だ」

 近所の人間ならともかく、魔導に関わっている者にその扱いは不服だった。

「それってアルフと同じ?」

「ああ、そうだ」

「ふーん……それより何か分かったの?」

「…………まだ確証はない」

 そう、その考えは根拠のないものでしかない。
 それでも確信はあったが、同時にそうでないで欲しいと思ってしまう。

『二人とも不信な魔力反応が現れた……気をつけて』

 警告を残して、アレックスを映した空間モニターが邪魔にならない配慮されて消える。
 アレックスの言っている魔力反応はザフィーラも感じていた。

「大丈夫だ。先程と同じようにすればいい」

 背中を掴むアリシアの強張った手から緊張が伝わってくる。

「うん……がんばる」

 それにしっかり答えるアリシア。
 そして、現れたのは蝙蝠の翼を持った石の悪魔、俗にいうガーゴイルの群れだった。
 数十匹の群れ。
 あまり強くもなく、糧にするには弱い。それでも数が多かったので一ページにはなったことをザフィーラは覚えている。

「やはり……そうなのか?」

 思わず呟きが漏れる。
 魔導生物に闇の書の気配を感じる。
 そして、この魔導生物はヴィータと二人で蒐集した相手だった。
 二つの符合にこれが闇の書に関わる何かが起こっていると認めるしかなかった。
 ともかく、ザフィーラは目の前の敵に集中する。
 敵の外皮は堅く、ザフィーラの拳では砕くのに時間がかかる。
 ヴィータなら一撃だったが、今はその役目はアリシアに期待できそうだった。

「それじゃあ……いっくよー!」

 戦場に似つかわしくない無邪気な声が響く。
 それを聞きながら、ザフィーラは駆けた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 竜に、悪魔、怪鳥、狼、昆虫、スライムなどなど。
 図鑑の中でしか見たことのない魔導生物をアリシアはかたっぱしから撃ち落としていく。
 初めこそはあまり使ったことがない砲撃魔法を使っていたが、途中からそんな余裕もなく元々アリシアが唯一使えるフォトンランサーに切り替えた。

「もうすぐ夜が明けるな」

「そうみたいだね」

 白み始めた空を仰ぎながら答える。
 いい加減、無限に湧いてくる魔導生物に辟易とした気持ちになってくる。

『周辺の魔力値が減少している……どうやらもうすぐ終わりみたいだね』

 魔導生物を倒すことで異常な数値を示していた落ち着きを取り戻している。
 そう戦闘の合間に教えてもらったが、それを気にしている余裕はなかった。
 魔力にはまだ余力があっても、それを扱うアリシアの精神は長時間の戦闘で摩耗していた。
 それはザフィーラも同じだった。

「同行した相手がお前で助かった」

「え……?」

 休憩時間とも思える新たな魔導生物が現れる間の数分。
 ザフィーラが話しかけてきた。

「これがヴィータやシグナム、万全の高町やテスタロッサでもこうはいかなかっただろう」

 それはザフィーラの最大の賛辞だった。
 彼女たちは確かに優れた魔導師、騎士だが今回の戦いでアリシア以上の働きをすることは誰にもできなかっただろう。
 硬い敵、大きな敵、小さく素早い敵、多種多様の魔導生物。
 得手不得手が出る数の相手をアリシアは問答無用に全て撃ち抜いた。
 普通の魔導師ならとっくに魔力を空にしている戦闘密度なのにその攻撃力は乱れることはなかった。

「えへへ……ありがとう」

 褒められるとやはり嬉しくなる。
 思い返せば魔法のことで褒められたのは初めてだった。
 母、プレシアと距離を取りソラに魔法を教えてもらった。
 そのソラは褒めてくれたことは一度もなかった。
 まあ、彼が出した課題をクリアしたことがないのだから、褒められなかったのは当然かもしれないが。
 彼に教えてもらった魔法はフォトンランサーだけ。盾や飛行は彼がいなくなってクライドに教えてもらったものだった。
 それまでアリシアはひたすらにソラを的にしてフォトンランサーを撃ち続けた。
 が、結局一度も彼に命中させることはできなかった。

「今度こそ当ててやるんだから……………ってちがうちがう」

 ぶんぶんと頭を振ってその考えを吹き飛ばす。

 ――ソラはママの仇。

 改めて自分に言い聞かせる。
 今でもあの時のことは鮮明に思い出せる。
 仲直りしていろんなことを話した。
 フェイトのことを話したり、ソラが教えてくれなかった魔法のことも少しずつ教えてくれた。
 その日は、みんなの絵を描いた。
 四人が一緒にいる絵を初めにかあさんに見せようと走っていた。
 でも、プレシアの部屋に入ろうとした瞬間、聞こえたのは彼女の悲鳴だった。
 目を剥いて仰向けに倒れたプレシア。その身体には生気が感じず、ソラはそれを見たこともない冷たい眼差しで見下ろしていた。
 悲鳴を聞き付けたクライドが部屋に入って瞬間、殴り倒された。
 そして、アリシアは最後まで何が起きたか分からずに呆然と立ち尽くしたまま、気絶させられた。
 目を覚ました時にはプレシアの身体は冷たくなっていた。
 そして、ソラは何処にもいなかった。

 ――あんなに優しかったのに。

 今でもソラが何でそんな凶行に及んだのか分かっていない。
 プレシアを殺したことは理解して恨む気持ちもあるのに、彼と過ごした記憶がそれを邪魔する。

 ――ママと仲直りできたのはソラのおかげ。

 ――怖い夢を見た時は手を繋いでいてくれた。

 ――魔法を教えるのは厳しかったけど楽しかった。

 思い出す記憶はどれも良いものばかり。
 だからこそ、ソラがしたことが信じられない。

「次が来るぞ」

 ザフィーラの言葉に思考を現実に戻す。
 白み始めた空の中で魔力の流れを感じる。
 それがどの方向を向いているのかまではアリシアには分からないため、ザフィーラが見てる方向を見る。
 そして、そこにいた者にアリシアは首を傾げた。

「フェイト?」

 黒衣とマント、手にはバルディッシュを携えた妹の姿がそこにあった。
 どうしてと疑問が浮かぶ。
 彼女は本局にいるはず。

「…………もう身体は大丈夫なの?」

 脳裏に浮かぶ激情に駆られたフェイトの姿。
 それに尻込みする思いを感じながらアリシアは尋ねる。
 しかし、フェイトは答えずにぼうっとした顔でそこにたたずむだけ。
 彼女が黙っていると言いようのない不安が大きくなってくる。

「フェイト……あの……」

「アリシア・テスタロッサ。あれはフェイト・テスタロッサではない」

「え……?」

 ザフィーラの言葉にまた首を傾げる。
 どこからどう見ても目の前にいるのはフェイトだった。

『うん……確認したよ。本物のフェイトちゃんはそっちに向かっている最中だからそれは偽物だね』

 アレックスがザフィーラの言葉を肯定する。

「これはやはり蒐集した者たちか」

 ザフィーラの言っていることはよく分からないけど、あれがフェイトの偽物だということは理解できた。

「どうしよっか?」

 いくら偽物でも姿かたちが同じフェイトに手加減なしの魔法を打ち込むのに躊躇ってしまう。

「…………あなたは誰? どうしてわたしと同じ顔をしてるの?」

 思案していると偽物のフェイトの方から声がかかった。

「え…………あたしはアリシア。フェイトのお姉さんだよ」

「アリ……シア?」

 偽物フェイトはその言葉を聞いて目を大きく見開いた。

「どうして……? あなたは死んだはずなのに……」

「うん……そうみたいだけど、生き返っちゃったみたい」

「それじゃあ、母さんはっ!?」

 彼女とは思えない大きな声で叫ぶように訊いてくる。
 その目があの時のフェイトの様でアリシアは思わず息を飲んで、肩をすくませた。

「えっと……ママはもういないの」

「……そんな」

「あのねフェイト……」

 例え偽物と分かっていても絶望に染まった顔は見ていられなかった。
 アリシアはザフィーラの背から飛び、駆け寄ろうとする。

「え……」

 絶望が驚愕に変わる。

「なんで……? なんで飛んでるの? それにその杖……」

「フェイト?」

「どうして……アリシアが魔法を……?」

「フェイトッ!?」

「違う……」

 腹の底から響く重い声にアリシアは身体を震わせた。

「違う……あなたはアリシアなんかじゃないっ!」
 
 ドクン、と心臓が一際大きく鳴った気がした。
 その言葉を聞いたのは二度目だった。

「待ってフェイト……あたしはアリシアなの! ママも認めてくれた」

 偽物だということを忘れて声を上げる。

「うそだっ!」

 対する言葉に身体が竦む。
 狂気に染まったプレシアの姿と重なる激情に駆られるフェイトの姿が重なって見える。

「アリシアなんかじゃない。あなたがアリシアなら……どうしてわたしは……」

 ブツブツと届かない言葉をもらすフェイトの姿に言いようのない恐怖を感じずにはいられない。

「ねえ……どうしてわたしじゃダメだったの?」

「フェイト?」

「教えてよ……どうしてわたしじゃダメだったの!?」

「それは……分からない」

 その答えは嘘であり、本当だった。
 プレシアが自分のことを認めてくれた経緯を、アリシアは知らない。
 そこにソラが何かをしたということは分かっていても、彼がどんな言葉を彼女に与えたかを知らないのだ。

「そっか……母さんを騙したんだね」

「違う。あたしは――」

「うるさいっ! あなたはアリシアなんかじゃない! 母さんを騙した……わたしの敵だっ!」

「いかんっ」

 フェイトの左腕に展開される環状魔法陣。
 突発的な魔力の増大にザフィーラがアリシアの前に立ち、盾をつくる。

「あああああああああああああああああああああああっ!!」

 力任せに腕を振りかざして金色の砲撃を撃ち込んだ。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 金の光を青の盾が受け止める。
 金の光が盾を貫くことはなかったが、衝撃で舞った爆煙が晴れた先にフェイトの姿はなかった。

「後ろだっ!」

 叫ぶザフィーラの声にアリシアは反応できなかった。

『ラウンド――』

 デバイスもまた反応しきれずに中途半端な構成の盾を鎌が一薙ぎで切り裂き、アリシアの身体ごと打ち払う。
 バリアジャケットの出力を元々多めに割り振っているおかげでダメージはほとんどなかったが、殺傷設定の攻撃に冷たい汗が流れる。
 ソラに似た冷めた眼差しで見下ろすフェイトの姿にアリシアは言葉が出てこなかった。
 ソラと明確に違うのはそこに憎悪という感情が込められていること。

「フェイト……」

「許さない……絶対に許さない」

 本物のフェイトが見せたことのない表情を向けられてアリシアは戸惑うことしかできない。

「あなたの存在を……わたしは絶対に許さないっ!」

 まるで生き返って初めて会ったプレシアのような目で偽物のフェイトは叫んだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 吹き飛ばされるアリシアをザフィーラはすぐに追いかけようと身をひるがえす。
 だが、その前に立ちふさがる者がいた。

「お前は……」

 見たこともない相手だった。
 てっきり蒐集した相手が何らかの形で身体を持って現れていると思ったが彼女は違った。
 赤と黒のバリアジャケット。
 髪型こそ違うが、手に持っているデバイスの形状といい高町なのはにそっくりの姿。

「何者だ?」

 蒐集の時にこんな少女がいたとは聞いてない。
 何より彼女からは自分たちによく似た気配を感じる。

「お初にお目にかかります。
 私は闇の書の構築体の一基。
 ≪理≫のマテリアル星光の殲滅者といいます」

 丁寧な口調の挨拶だが、彼女がまとう気配に自然と警戒心が強まる。
 そして何より聞き流せない言葉があった。

「闇の書だと?」

「はい。この度の出来事は闇の書の防衛システムの再生機構が働いてのもの。
 本来なら、近隣世界を含め、もっと大きな規模に行うはずでしたが彼女の干渉によってこの世界にのみ留まっています」

「再生機構……それに……」

 彼女という言葉にザフィーラは思い当たる人物が一人浮かんだ。

「はい。闇の書の復活のため、貴方には私の糧になっていただきたく思います」

「……そうはっきり言ってくれれば、むしろ清々しいな」

 追究したいことはあったが、悠長に話している暇はない。
 偽物のフェイトと戦っているアリシアのことが気になる。

「だが、断る」

 はっきりと拒絶して拳を握る。

「そう言うと思いました。
 それではこの場で、魔導戦の勝敗にて」

「よかろう。分かりやすくて、助かる」

「では……行きます」

 レイジングハートに良く似たデバイスを星光の殲滅者が構える。
 その足下に展開される桜色の魔法陣。

「ブラスト――」

 膨れ上がる球体を前にザフィーラは目の前に盾を展開する。

「――ファイヤーッ!」

 砲撃と盾がぶつかり合う。
 撒き上がる爆煙にまぎれ、ザフィーラは獣形態から人型に姿を変えて飛び出す。
 すでに星光の殲滅者は杖を構え直し、その先をザフィーラに向けていた。

「パイロシューター」

 撃ち出された三つの魔弾。
 一つ目をかわし、二つ目をバリアをまとわせた拳で打ち払い、三つ目を無視して突っ込む。
 星光の殲滅者はその制御を手放して盾を張る。

「おおおおおおおおおっ」

 雄叫びを上げて振り抜いた拳は盾ごと星光の殲滅者を吹き飛ばす。

「ちっ……」

 しかし、ザフィーラは舌打ちする。
 手応えから盾を砕いて、その身に拳を叩き込んだわけではない。
 ダメージはほぼないと判断し、追撃を駆ける。
 下に落ちていく星光の殲滅者に向けてザフィーラは慣れた構成を組む。

「鋼の軛っ!」

 地面から無数の拘束条が星光の殲滅者を目掛けて突き出る。
 が、突き刺さる直前に星光の殲滅者は身をひるがえし、その先に着地する。

「ブラスト――」

「させんっ!」

 杖を構えるよりも速く、ザフィーラは落ちる勢いを利用して突撃する。
 自分が作り出した拘束条をその拳で砕き、足場を失った星光の殲滅者が落下する。
 すぐさま飛ぼうとする彼女にザフィーラは追い縋り、浴びせ蹴り。
 掲げた杖で防ぐものの星光の殲滅者はさらに下に。

「これは……なるほど、そういうことですか」

「お前に距離を取らせるわけにはいかないのでな」

 鋼の軛の森の中でザフィーラは改めて構えを取る。
 星光の殲滅者のスタイルがオリジナルと同じならば距離を取らせるのはまずい。
 そのために障害物があり、視界の悪い戦場をザフィーラは作り出した。

「ですが、これで勝ったと思わないでもらいたいですね」

 撃ち出された魔弾の数は十二。
 ザフィーラは一旦身を引いて、拘束条の影に身を隠し移動する。
 拘束条の影から影へ。
 誘導弾はザフィーラを追い切れずにあらぬ方向に飛んでいく。

「ふんっ」

 三度目の接近による拳打は今度こそ盾を砕き、その身を捉える。

「ぐっ!」

 拘束条に背中から叩きつけられる星光の殲滅者にザフィーラは突撃する。

「牙獣走破っ!!」

 足に魔力を集中させた飛び蹴り。
 バリアブレイクを付与させた一撃は咄嗟に張った盾を砕き、さらに蹴りを追加に繰り出す。

「ブラストファイヤー」

 その合間、星光の殲滅者は強引に杖を向けて撃った。

「ぐおっ!?」

「くっ……」

 直撃を受けたが、急ごしらえの魔法はザフィーラの騎士甲冑を通すことはなかった。
 しかし、その衝撃に両者の距離が離れる。
 煙に紛れて拘束条の影に身を移す。

「ルベライト」

 その動きを予測していた星光の殲滅者はバインドでザフィーラの腕を取る。

「ブラスト――」

「くっ……」

「――ファイヤーッ!」

 撃たれた直後にバインドを破壊する。
 回避できるタイミングではなかった。

「はあっ」

 腰を落とし、バリアで砲撃を受け止め、同時に拳を叩き込む。
 方向を変えた砲撃は拘束条を薙ぎ払う。
 ザフィーラは拳を、星光の殲滅者は杖を構え、睨み合う。

「ふふ……」

「何がおかしい?」

「失礼しました。
 ただ、楽しいと思って……」

「楽しいだと?」

「そうです。
 自分の全力をもって敵と戦うこの心の滾り。
 貴方も理解できると思いますが?」

「…………否定はしない」

 シグナムではないが自分の中に戦いを楽しむ心があることを素直に認める。

「ですから理解できません。
 何故、闇の書を拒むのか……」

「どういう意味だ、それは?」

「言葉通りの意味です。
 貴方たちは蒐集を行うこと、つまりは戦うことを楽しんでいたはず。
 その在り方を受け入れていたはず。
 なのに何故、今になってそれを否定するのですか?」

「我らはあのような在り方を受け入れてなどないっ!」

 主に道具のように使われ、やりたくもない戦いを強いられた。
 何度、その身を無益な血で濡らしたことか。
 何度、騎士の誇りを穢されたことか。

「それは嘘ですね」

 断言したザフィーラの言葉を星光の殲滅者は静かに否定した。

「私は貴方たちと同じところから生まれた存在です。
 ですから、貴方たちの気持ちは知っています」

「だったら――」

「強者と戦う高揚感」

 思わず、返す言葉に詰まった。

「一頁を埋めていく充実感」

 静かな口調に思わず聞き入ってしまう。

「闇の書を完成させた達成感」

 責めるでも、なじるでもない言葉は全てが的を射ていて耳を覆いたくなる。
 
「そこには喜の感情が確かに――」

「黙れっ!!」

 ザフィーラの咆哮に星光の殲滅者の言葉が止まる。
 だが、止めたところで次に出てくる言葉はなかった。
 分からなくなる。
 自分たちがどんな意志を持って蒐集を行っていたのか。
 だが、彼女の言葉を認めるわけにはいかなかった。
 それははやての両親を自分たちの悦楽のために殺したと認めてしまうようだったから。
 苦悩しているザフィーラは隙だらけだった。
 しかし、星光の殲滅者はその姿に杖を下ろした。

「…………何のつもりだ?」

 遅まきながらそれを指摘する。

「興が削がれました」

 無表情な顔から何を考えているのか読み取れない。

「それにもう時間です」

 星光の殲滅者が見た先では今まさに日が昇ろうとしているところだった。

「燃えたりませんが、今宵の戦いはここまでです」

「また、お前には確認しなければいけないことが――」

「あとの話は彼女に訊いてください」

 ザフィーラの言葉を遮って、星光の殲滅者の姿はかすみ消えた。

「彼女……だと……」

 それが何を意味するのか考える。
 が、そこに轟音が響き渡り、アリシアの存在を思い出す。
 立ち上る黒い煙に嫌な予感が胸に過ぎる。
 その煙の中からアリシアが飛び出してくる。

「まだ無事か」

 バリアジャケットに破損があるが動きはしっかりしている。
 それでも頭をせわしなく動かし、きょろきょろと周りを見るということはまだ戦闘は継続中なのだろう。
 そして、そのアリシアの背後にフェイトが現れる。
 その姿はぼやけ、不安定に揺らいでいるが未だに実体は確かだった。
 アリシアはそれを気配で察したのか振り返りざまにフォトンランサーを撃つ。
 が、それより速くフェイトは切り返しアリシアの背後に張り付く。

「くっ……間に合えっ!」

 ザフィーラの所からでは距離があり過ぎた。
 射撃魔法もなく、高速移動もないザフィーラには決して届かない距離でフェイトはハーケンを振り――
 金に青が絡みついた残光が空から落ちてきた。
 俯瞰できた距離だからこそ、ザフィーラの目でもそれを見ることができた。
 転移魔法陣から現れた本物のフェイトが急降下と共に青い刃の鎌を一閃。
 偽物にバルディッシュごと青い線を刻み、次の瞬間にはこれまで現れた魔導生物と同じように消えていった。
 フェイトに遅れて高町なのはの姿も確認する。
 
「…………ふぅ」

 周囲の警戒を緩めずにザフィーラは息を吐く。
 星光の殲滅者の言葉を信じるならこれ以上の魔導生物の発生はない。
 戦ってみて、彼女がそんな嘘をつくような人格ではないと感じたが、その言葉を鵜呑みにするつもりはなかった。
 何より、ザフィーラはある種の期待をもって周囲を探っていた。

 バサッ!

 それは羽音だった。
 視界の隅に黒い羽根が舞い落ちる。

「……やはり……お前のことだったか……」

 ゆっくりと振り返る。
 黒い翼に黒の装束。
 長い銀色の髪が風になびく。

「リインフォース……」

「久しぶりになるな……ザフィーラ」

 あの雪の日に最後に見た満足した幸せな笑顔は今、バツの悪い複雑な苦笑を浮かべていた。






[17103] 第十七話 契約
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2010/11/23 14:38

『申し訳ありません、リンディ提督……こんなことになってしまい何と詫びていいか……』

「いいえ……闇の書ほどのロストロギアだから余波被害は想定の範囲よ。気にしないでちょうだい」

 モニター越しに頭を下げるリインフォースにリンディは平静を取り戻して応えた。

 ――いい加減、驚くのも疲れてきたわ。

 この数日の物事の移り変わりは異常ともいえる速度だった。
 海鳴に向かったザフィーラとアリシアが結界に捕らわれたから最悪の予想をしてみたものの、それは外れ、出てきたのは予想の斜め上の出来事。

「えっと……つまり闇の書が復活しようとしているわけなのね」

『はい……申し訳ありません』

 リインフォースはそれが起こらないように自分から消滅を望んだ。
 それなのにこんな事態を引き起こしてしまったことに自分を責めているのがその表情から読み取れる。
 彼女を責める気持ちはないが、どうしたものかと考える。

「…………再生システムが動き出した心当たりはないの?」

『はい……それがまったく……』

 リインフォースの意図から外れた現象なら外部からの干渉だろうか?
 起こらないはずの出来事が起こったのならそれが自然現象ではないと考える。

『艦長……これはもしかして彼らの仕業かもしれませんよ』

 別のモニターでアレックスがそれを指摘する。
 彼ら、それははやてを狙ったテロリストたち。
 その内の一人が、夜天の技術を得るためにはやてを狙う必要はなくなった、と言った。
 その言葉を信じて考えるなら、確かにこの状況が彼らによって作り出されたものだと考えることができる。
 はやてを狙わずに闇の書を復活させる。そうすれば彼らが望むものを手に入れることができる。
 だが、リンディの頭にもう一つの可能性が浮かぶ。
 しかし、それを口に出すことは躊躇われた。

「……もし、そうだとしたら面倒ね」

 はやての護衛が必要なくなったとしても、これでは根本的な解決になっていない。
 それに彼らが夜天の技術を奪っていくのは見過ごすわけにはいかない。
 だが、実際はほとんど手詰まりでしかなかった。
 彼らに対抗できる手段がなかった。
 本来なら高ランクのなのはやシグナム達がいれば対処できない相手はいないはずだった。
 なのにこちらの常識を覆し、嘲笑う存在に憤りを感じずにはいられない。
 ロストロギアや次元犯罪者に翻弄される人々を守る自分たちがそれらに翻弄されている、それはどんな皮肉だろうか。
 ユワンの部隊の力も規制のことを考えれば過剰な期待はできない。

「とりあえず……次の発生はいつになるかしら?

『そうですね……少し様子を見ないと分かりませんが三日は大丈夫だと思います』

「三日ね……」

 とりあえず、目先の問題についてリンディは考える。
 リインフォースのおかげで無秩序な混乱は起こっていない。
 押え切れない防衛システムに方向性を定め、条件付けされたおかげでだいぶ対処しやすくなっている。
 闇の欠片の構築体が行動できるのは夜に設定された結界の中だけに設定されている。
 それがなかったら通常空間であの魔導生物たちが暴れていたことになる。
 民間人に被害が及ばない配慮。
 666頁分の魔導生物に予想される連戦への対処。
 十分とはいえないが、ありがたい条件だった。
 ヴォルケンリッターが数ヶ月をかけたものを一日で対処しなければいけないと言われたらどうしようもなかった。

 ――そう考えると、夜天の魔導書もかなりのものね。

 一度対処できたから侮った見方をしていたが、魔力を解放するだけでこれだけの事象を引き起こせるのは脅威だ。

「マリー……あと三日でなのはさんのレイジングハートだけでも修理できないかしら?」

『三日って……無茶言わないでくださいよ!』

「そこをなんとかお願い。
 バルディッシュの方は後回しにしていいから」

 フェイトが手に入れたリンカーデバイスに頼るのは気が引ける。
 一見ロストロギアに見えても、まともな資料がない今はそれを強く咎めることはできない。
 かといって違法にロストロギアに手を出したからといって身内を罰するのは気が引ける。
 それに、今となってはフェイトが唯一の対抗手段ともいえる状態だった。
 フェイトをテロリストたちの切り札として配置させるなら闇の書の残滓で消耗させるわけにはいかない。
 ヴォルケンリッター、高町なのは、アリシア・テスタロッサ、それにアルフ。
 はやては除外して使える手札は一つでも多くしたい。

『……とりあえず、頑張ってみますとしか言えません』

 肩を落としてマリーはそう応えた。
 きっと彼女はこれから徹夜で作業にかかってくれるだろう。
 頭が下がる思いだったが、隣りの気配にリンディは思考を切り替える。

「とりあえず、こんなところかしら。
 ヴォルケンリッターには病み上がりで悪いけどすぐに仕事をしてもらうわ」

「はい……元々私たちの問題ですから気にしないでください……それより……」

 リンディの言葉にシャマルが応える。
 促された言葉は聞くまでもない。
 シャマルが控える車椅子に座るはやてはそわそわとリンディの話が終わるのを待っている。

「もういいわよ。
 好きなだけとは言えないけど、ほどほどにね」

 席を譲る様に椅子ごとリンディはその場から移動する。

「あ、ありがとなーリンディさん」

 慌てた様子でリインフォースが映る画面の正面にはやては移動する。

『あ、主はやて……』

「リインフォース……」

 画面の向こうで彼女はバツの悪い表情を作る。
 今生の別れ方をして半年程度の時間で再会してしまったことによる気まずさだろう。
 その様子に苦笑しながらも、リンディは険しい顔をしていた。

 ――できれば他にもいろいろ訊きたかったんだけど。

 天空の魔導書のこと、夜天の技術のこと、そして何よりソラのこと。
 どれも重要なことだったが再会を喜ぶはやてを前で話せることではなかった。

「とにかく、ユワン提督の方に連絡をしないといけないわね」

 今回の闇の書の残滓事件とテロリストが無関係ではない可能性があるなら今できる万全の態勢を整わせなければならない。
 協力体制を取るにあたって、向こうの戦力の把握もしなくてはならない。
 やることはたくさんある。

「はあ……二人とも早く戻って来てくれないかしら」

 まだ「陸」にいる息子とその補佐官を思ってリンディは愚痴をもらした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 フェイトは戸惑っていた。
 テロリストと闇の書の欠片との戦い。
 その二つが終わってからアリシアが自分から距離を取る様になった。
 元々、彼女との距離を上手く取れないでいたフェイトからすればそれは悪いことではなかった。
 気がかりなのは自分の中にある醜い感情を知られたこと。

 ――魔法を使えるアリシアなんか認めない。

 嫉妬ともいえる思いだった。
 魔法を使えたから自分は母に否定された。
 それなのに魔法を使えるアリシアはプレシアに受け入れられた。
 それに憤りを感じずにはいられなかった。
 本来なら偽物と同じように声を上げて彼女を否定している自分が容易に想像できる。
 それができなかったのはソラの存在があったから。
 彼がもたらした母、プレシアの死。その衝撃が大きすぎてアリシアのことまで気が回らず、怒りをぶつけるタイミングを逃してしまった。
 そして、その感情は今も胸の中にあるが、制御できないほどではなかった。

「な……なあフェイト」

「…………何、アルフ?」

 引きつった声を出すアルフ。
 その声に現実逃避から思考を戻す。
 その内心は言葉にしなくても伝わってくる。

「あれって……あれだよね?」

「うん……そうだよね」

 時間は休日の昼時。
 アリシアが発する微妙な空気に気まずさを感じて散歩することにしたフェイトはなのはとの思い出がある公園に来ていた。
 そこで見たものは、あのセラと名乗った少女が備え付けのくずかごを漁っている姿だった。
 それも彼女だけではない。
 レイと名乗った男の人もそこにはいて、自動販売機の下に手を突っ込んでいた。
 最強のテロリストの二人のあまりの姿にフェイトとアルフの思考は完全に止まっていた。

「これって……どういう状況なのさ!?」

「さ、さぁ……」

 まともに回転し始めた頭で考える。

 ――まさかテロリストってすっごく貧乏なのかな?

 明日食べるものに困って犯罪に走る人の話も聞いたことがある。
 もしそうだとするならば……思わず同情の目を向けてしまう。

「ねえ……レイ。本当にこの辺にあるの?」

「ああ、たぶんな……くそ、ただのガラス玉か」

 思わず聞き耳を立ててしまう。
 どうやら何かを探しているようだった。
 二人の会話に思わず安堵の息が漏れる。
 もう少しで世のテロリストや犯罪者に対するイメージが音を立てて崩壊するところだった。

「なんでこんなことしなくちゃいけないのかしら」

「そりゃあ、お前が独断専行で好き勝手やるからだろ」

「むぅ……レイが「ベガ」を落としたのがいけないのよ」

 ああ、と納得しながらフェイトは右手を押えた。
 そこにある青い宝石。
 元々はそれは彼、レイの持っていたリンカーデバイスだった。

 ――落し物は落とし主に返すべき。

 そんな常識的な考えが浮かぶが、迷う。

「ほら、レイのせいで変な目で見られてる」

 セラと目が合ってドキリと胸が大きく鳴る。
 思わず右手に力がこもる。

『アルフ……戦闘の準備を』

『ちょ……フェイト?』

 アルフの驚く声を無視して、この場で戦うことを考える。
 「ベガ」と契約して魔力量の差を埋めた今なら負ける気はしない。
 今ここであの時の雪辱を晴らせるならそれはフェイトにとって望むところだった。

「あん……見せもんじゃねえぞ、コラァ!!」

 まるでチンピラのようにレイに睨みつけられた。
 ふとフェイトは違和感を感じた。

「このおにーさんは気が立っているから近付いちゃダメよ」

 セラがクスクスと笑いながらこちらを気遣う。
 その様子、自分のことなどまったく覚えてない様にフェイトは考えるよりも早く動いていた。

 ズバンッ!!

 フォトンランサーがくずかごを撃ち抜く。ゴミが舞い上がり雨のように降り注ぐ。
 が、セラはいつの間にその下にはいなかった。
 すぐさまベガを顕現させて振り抜く。
 鋼を打ち合わせる甲高い音を立てて、三日月斧と双刃剣が交差する。

「ああ……何処かで見たことがあると思ったら馬鹿な魔法を使った管理局の魔導師さんだったのね」

 人を小馬鹿にした変わらない表情、あの時感じた殺意を思い出す。

「あの子は元気にしてる?」

「うん……なのははぜんぜん元気だよ」

 皮肉をこめて応えるが、セラはあっそ、とだけ応えてまったく動じない。
 ベガに込める力が強くなる。それに対して押し返す力をはっきりと感じる。
 前は壁を相手にしているような手応えだったが、彼女との差が埋まっている確かな手応えをフェイトは感じる。

「じゃあ、次に会ったらちゃんと殺してあげないとね」

「…………そんなことできると思ってるの?」

 ――決めた。この子はここで殺そう。

 自分でも意外に思うくらい自然にそう思えた。

「フェイトまずいよ」

「ちょ……何してんだよセラ!」

「アルフは黙ってて」

「邪魔」

 間に入ろうとしたアルフを一喝する。
 向こうも止めようとしたレイを押しのけている。
 幸い、向こうもやる気のようだった。

「…………フェイト、ごめん」

「え……?」

 目の前のセラに集中していたフェイトは背後からのアルフの声に意識を逸らす。
 しかし、振り返るよりも早く背中に衝撃を受けて、意識が暗転した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 アルフが目の前の二人に感じているのは恐怖だった。
 初めて会った時から変わらない、本能が訴える衝動。
 どんな間が抜けた行動していても彼らは絶対的な強者。
 獣の本能に従って、身体は震え、平伏してしまいそうになる。。

 ―― 一秒だってこいつらの前にいたくない。

『アルフ……戦闘の準備を』

『ちょ……フェイト?』

 にも関わらず、アルフの心情を知らないフェイトはすでにやる気だった。
 思わず正気を疑う。
 確かにフェイトの魔力は「ベガ」と契約してから飛躍的に上がっている。
 流れてくる魔力の量が多くなり、アルフも力が漲っている。
 それでも、いやだからこそまだ足りないと分かってしまう。
 魔力の差もそうだが、たたずまいからして違うのだ。

 ――相手を殺すために戦っている。

 結果的に殺してしまうかもしれなかったヴォルケンリッターたちとは全く違う。
 そんな本物の殺意に当てられ、もはや戦う前からアルフの心は折れかけていた。

 ズバンッ!!

 思案している内に音を立ててくずかごが宙を舞った。

 ――何が――

 何が起こったのか理解するより早く、目の前で三日月斧と双刃剣が甲高い音を立ててぶつかり合った。

「ああ……何処かで見たことがあると思ったら馬鹿な魔法を使った管理局の魔導師さんだったのね」

 アルフの思考が追いつかないまま事態は進んでいく。

「あの子は元気にしてる?」

「うん……なのははぜんぜん元気だよ」

 初めて聞くフェイトの人を蔑むような口調に思わず耳を疑った。

「じゃあ、次に会ったらちゃんと殺してあげないとね」

「…………そんなことできると思ってるの?」

 フェイトから流れてくる感情にアルフは震える。
 信じられないくらいに冷たい感情。
 目の前の二人と同じ、敵に対しての本物の殺意。
 セラにフェイトは本気で殺意を抱いていることに戦慄する。

 ――まずい、まずいよ。こんなのフェイトじゃない。

 自分の知らないフェイトの姿にアルフは焦る。
 このままにしてしまったら取り返しがつかないことになりそうで不安が大きくなる。

「フェイトまずいよ」

「ちょ……何してんだよセラ!」

 咄嗟にフェイトの前に立って止めるが、無情にもフェイトはそれを鬱陶しいといわんばかりに押しのける。

「アルフは黙ってて」

「邪魔」

 向こうのレイもセラを止めようとしていたが無理なようだった。
 思わず、彼と顔を見合わせる。

 ――なんとかしてくれ。

 ――実力行使しかないだろ、これは。

 ――でも……

 ――考えている暇はねぇ、そっちは任せた。

 ――……仕方ないか。

 決して分かり合えるはずのない相手とアイコンタクトを交わして、アルフはフェイトの背中を見る。

「…………フェイト、ごめん」

「え……?」

 目の前のセラに集中していたフェイトにアルフはスタン効果を付与したフォトンランサーを叩き込んだ。
 同時に向こう側で空気の弾ける、慣れ親しんだ電撃の音が響いた。
 糸が切れたように崩れるセラを、自分がフェイトにしたように、レイが受け止める。

「あ、あははー……失礼しましたーっ!」

 周囲の視線に対してレイはセラを担ぎ上げて駆け出した。

「あ……」

 という間にその背中は小さくなっていく。
 そして残されたアルフに周りの視線が集中する。
 昼時の公園。
 しかもフェイトが握るベガはいまだに三日月斧の形を維持している。
 こそこそとした声と白い視線。
 そして――

「警察を呼んだ方がいいんじゃないか?」

 獣の聴覚に聞こえてきた野次馬の声にアルフはレイと同じ行動を取った。

「お騒がせしましたーっ!」

 つまり、逃走。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 気が付いたらアルフの腕の中にいた。

 ――確か……セラと戦おうとして……

 意識を失う直前のことを思い出そうとするが思い出せない。
 景色が流れ、アルフの荒い息が聞こえる。
 逃げている様子に自分がまた負けたのかと思うが、前にはレイの背中が見え、その肩にはセラが担がれていた。
 何かがおかしい。
 強烈な違和感をフェイトは感じる。
 何故、アルフがレイを追い駆けているのか?
 何故、レイは脇目も振らずに逃げるのか?
 何故、セラは気を失っているのか?

「ゴフッ!!」

 目の前を走るレイがいきなり吹っ飛んだ。

「え……?」

「なっ!?」

 投げ出された少女、セラはそのまま身体を捻り、後ろ回し蹴りで踵をレイの側頭部に叩き込み、さらに飛ばす。

 ぐしゃり!

 そんな擬音が聞こえてきそうな倒れ方をするレイを思わず心配してしまう。

「まったく……いきなり電気ショックなんてひどいことするのね」

 担がれ、乱れた服と髪を簡単にを整えてセラはこちらに向き直った。

「アルフ……降ろして」

「フェイト?」

 言いながら、驚くアルフの腕からフェイトは自分で降りる。
 自分の身体をざっと診るが外傷はない。平衡感覚もはっきりしているし、魔力の滞りもない。
 異常はないと判断してベガを構える。

「こんな所でやるつもり?」

「結界を張ればどこだって一緒」

 公園の中でも人通りの少ない場所なのだろうか。
 周りに人影はないが、通常空間で戦うつもりはない。

「封時結界」

「解除♪」

 一瞬、フェイトを起点にして世界の色が変わるが、次の瞬間に色は崩れ元の色彩を取り戻す。

「…………結界」

「解除♪」

 一際力を込めて結界を構築するが、次の瞬間により大きな魔力によってそれは潰される。

「うう……」

 思わずうめく。

「生憎だけど、怒られたばっかりだから戦うつもりはないわよ」

「うそつけ……やる気まんまんだったじゃねーか」

 お腹と頭を押えながら意外と平然にレイが立ち上がる。

「なんのことかしら?」

「しかもえげつない回避手段使って泣かして」 

「なっ……泣いてない!」

 思わずレイの言葉に反論しながら、無意識に腕で目元をこする。
 二人は妙に生温かい視線を向けてくる。

「泣いてないよ……」

「……そうね。泣いてないわね」

「あーうん。俺の勘違いだ勘違い」

 気遣われた気がしたがそれを意識の外に追いやり状況を考える。
 結界の構築は不可能。
 通常空間での戦闘は街の被害を考えればできるはずもない。
 かと言って、相手はテロリスト。そんなことを気にするような相手だとは思えなかった。
 
「戦わないって言ってるのに……」

「ならどうしてここにいるの? それに夜天の魔導書を復活させようとしているのもあなたたちでしょ!?」

「夜天の魔導書の復活? 何のこと?」

「とぼけないで!」

「ちょっとフェイト落ち着いて」

「でも……」

「いいから……ここはあたしに任せてくれよ」

 言いながらアルフはフェイトの前に出る。

「あ……あんたらの目的はベガっていうリンカーデバイスだろ?
 見ての通り、今そいつはフェイトのもんになってるのに取り返すつもりはないのかい?」

「あーそれな。そいつが決めたことなら俺たちがどうこう言う問題でもないからなぁ」

 がしがしと頭を掻きながらレイが応える。

「それはどういう意味だい?」

「ベガがそいつを主に決めたんだろ? 
 元々、そういう契約で力を借りてたから文句はねーよ」

「契約って……こいつはあんたの相棒じゃないのかよ!?」

「たぶん勘違いしていると思うけど、リンカーデバイスはただの道具じゃないぞ」

「……どういうことだい?」

「リンカーデバイスはその名前通りリンカーコアを持つデバイスだ。
 つまり、ちゃんとした自我を持っていて生きているんだ」

「…………は?」

「だから、そいつが別の主を見つけましたって言うなら、俺はそれを見送るだけなの」

「ちょ……ちょっと待ってくれよ、デバイスが生きてる?」

 思わずアルフは振り返ってわたしの手の中にあるベガを見る。
 フェイトも同じようにベガを見る。
 冷たい鉄の様な柄の感触。
 その中に魔力を感じるが、これそのものが生きているとはとても思えない。

「どうせリンカーコアを動力にしているデバイスだと思ってたんでしょ?
 そんな生易しいものじゃないわよ」

「でも……ベガの声を聞いたのは初めの時だけだし」

「あら……?」

「んな馬鹿な?」

 フェイトの言葉に今度は二人が驚く。
 それからセラはジッとフェイトを凝視してから、納得するように頷いた。

「なるほど、そういうことね。
 よかったわね。当分あなたはあなたのままでいられるわよ」

「それはどういう意味?」

「さあ……どういう意味かしら」

 笑うセラに思わず目に力がこもる。

「そういうわけだから。セラたちはベガを取り戻したいとは思ってないの。
 ベガと戦うのはセラたちの役目じゃないしね。
 それでこっちから質問。
 夜天の魔導書を復活させようとしているってどういう意味かしら?」

「とぼけないで……あなたたちの仕業でしょ」

「だから何のこと?」

 白々しくとぼけるセラに怒りが込み上がる。

「ちょっとフェイト……いや、そっちが知らないって言うならそれでいいんだ」

 そんなフェイトをなだめながらアルフはその場を取り繕う。

『まずいよ。こいつらが本当に無関係なら余計なことは教えちゃまずいって』

 念話での言葉にフェイトは自分の失敗を自覚する。

「あら……そっちの質問に答えてあげたのに、こっちの質問には答えてくれないのかしら?」

 セラはアルフの誤魔化しを気にせず追究してくる。

「答える筋合いはない」

 戸惑うアルフに代わってフェイトが素気なく答える。
 元々は敵なのだ。
 律儀に答えなど返す必要なんてない。

「ふーん。そういう考えは嫌いじゃないけど利口じゃないわよ」

「……行こうアルフ」

 相手が戦う気がないならこれ以上ここにいる必要はない。
 そして戦えないならこれ以上顔を合わせていたくない。
 ベガを消し、踵を返す。

「なあ、どういうことだよ?」

 背後でレイがセラに尋ねる。

「どうもこうも……あの子、死んでるのよ」

 歩き出した足が止まった。

「まあ、死んでるって言うか死にかけてるの。
 ベガのおかげで命を取り留めているみたいね」

「ちょっとそれどういうことだよ!?」

 止まるフェイトに対して、アルフが激昂する。
 そんなアルフにセラは微笑んで……

「答える筋合いはない、わ」

 無情な言葉に絶句するアルフ。
 思わぬ言葉、鼻で笑ってしまう内容なのにそれを否定する言葉が出てこない。
 頭では否定しているのにそれが嘘じゃないと心が理解している。

「……今、この街で夜天の魔導書が復活しようとしてるんだ」

「アルフ!?」

 事情を話し始めるアルフに思わず声を上げる。

「いいから……任せて……」

 こちらの制止を聞かずアルフはそのまま話し始める。

「闇の書の残留魔力が集まって防衛システムが再生しようとしてるんだ」

「…………なるほど、それでヘイセが言っていた闇の書を手に入れる別の方法だと思ったのね」

「そうだよ……」

「ふーん……でもセラたちはそんなこと知らされてないわ」

「無関係だっていうのかい?」

「少なくてもセラたちは……ヘイセが動いているかもしれないから絶対とはいえないけど」

 嘘は言っていないと思う。
 少なくてもこの二人は本当にベガの回収だけのためにこの世界に来たようだった。

「質問には答えたよ。
 だから教えてくれ、リンカーデバイスってなんなんだい?
 今、フェイトはどうなってんだい!?」

「教えて上げてもいいけど……そっちはその代わりに何を教えてくれるの?」

「なっ!? 今、話したじゃないか!」

「それはセラたちがベガを取り戻さない理由と交換の話。
 質問はリンカーデバイスと、そっちの子の現状の二つね。サービスで一つの情報と交換でいいわよ」

「やっぱ、えげつねー」

「脳筋は黙ってて。ああ、別に情報じゃなくてそっちの子が土下座して頼むんだったら教えて上げてもいいわよ」

「足下見やがって……」

「そうよ。立場はあなたたちの方が下なの。
 それで……どうする?」

「……いいよアルフ」

「でも……」

「こんな奴の話なんて本当のことかも分からないから。
 ユーノだって頑張ってくれてる。身体のことだってもっとちゃんと調べれば分かるはずだよ」

「随分楽天的なのね」

「敵の言葉を鵜呑みにする方が楽天的だよ」

 セラを睨み返す。

「うん……悪くない判断ね。
 それじゃあ特別に教えて上げようかしら」

「え……?」

「む……」

「この天の邪鬼が」

 レイのもらした言葉に頷きたい気分だった。
 三人の冷ややかな視線を無視してセラは楽しげにビニールシート広げる。

「あれ?」

 何を始めたのかと首を傾げていると、セラはテキパキとそれらを何処からともなく取り出す。
 ビニールシートに始まり、ホワイトボード。そして白衣。
 それから足場になる台を用意して黒いマジックで「リンカーデバイスについて」と大きく書く。

「気にすんな。気分屋で形から入る奴なんだ」

 ため息を吐きながら教えてくれるレイに思わず同情してしまう。

「大変なんですね」

「分かって――」

「そこうるさいっ」

 嬉しそうな顔になるレイにセラは厳しい言葉をぶつける。

「私語は慎むように」

 その警告はフェイト達にまでおよび、セラは座れと促す。
 釈然としない気持ちを抱きながらフェイトはそれに従って、指されたビニールシートの上に座る。

「ほら……レイも座りなさい」

「って、俺もかよ!?」

「どうせリンカーデバイスの原理なんて覚えてないんでしょ?
 良い機会だから聞いておきなさい」

 有無を言わさないセラが発する空気にレイは渋々フェイトの隣りに腰を下ろす。

「こほん……それじゃあ授業を始めようかしら」

 そう切り出してセラは話し始める。

「まず初めにリンカーデバイスっていうのは破天の魔導書が作り出した生体デバイスのことなの。
 その数は数百に及ぶわ」

「数百っ!?」

 驚きの声をアルフが上げる。
 声にしなかったがフェイトも驚いていた。

「作られた当初の話よ。今はだいぶ少なくなっているわ
 それで、なんで破天の魔導書がこんなに同系統のデバイスを作ったのかっていう話だけど。
 それは当然、天空の魔導書の共通の目的のためよ」

「共通目的って「神」の魔導師?」

「そう、リンカーデバイスの最大の特徴はレベルアップすることができる点なの。
 普通のデバイスはパーツの追加とかで性能を向上させるけど、リンカーデバイスはある一定波長のリンカーコアを食べてその能力を向上させるわ」

「一定の波長?」

「うん……その一定波長のリンカーコアっていうのが、リンカーデバイスが寄生したコアのこと、つまり今のあなたのコア」

「……でも、それでどうやって「神」になるの?」

「「コドク」って言葉知ってる?」

 さらさらとセラはホワイトボードに「蟲毒」と書く。

「古代魔法の一種で一つの壺にたくさんの虫を入れて閉じ込めるの。
 中の虫を互いを殺し合わせて、生き残った最後の虫を使って行う呪い系の魔法。
 やり方はそれと同じ」

「それってまさか……」

「壺は世界。虫はリンカーデバイス……ううん、この場合は魔導師になるのかな。
 リンカーデバイスを使って魔導師を互いに殺し合わせて、その寄生者の魔力を奪って成長していく。
 そうやって数百の力を束ね合わせて作り出した最後のリンカーデバイスが破天が考えた「神」に至る道。
 儀式の名前は「星霜の壺」」

 突然、突き付けられた内容に実感が湧かない。
 セラの説明で自分のおかれた状況を理解する。
 感情に任せた不用意な契約によってフェイトに課せられたものは途轍もなく大きい。

「力をもらった対価よ。
 それにまだ終わりじゃないわよ」

「まだ……あるの?」

 もはやセラに対する敵愾心は消え、怯えた目を向ける。

「リンカーデバイスはストレージ、インテリジェント、アームド、ユニゾン、ブーストなど全ての要素を持っているわ。
 その中でもシステムの基盤となっているのはユニゾンシステムなの。
 ユニゾンシステムの危険性って知ってる?」

「それは……融合事故?」

「正解。
 リンカーデバイスの目的は生贄になる魔導師を使って戦わせること。
 そこに人間性を求めたりはしないわ。
 むしろ、その身体を乗っ取って存在意義を全うしようとするわ」

「それってやばいよ!
 なんかベガをフェイトから引き剥がす方法はないのかい?」

 アルフの叫びにフェイトも同感だった。
 いくら力を貰えると言ってもリスクが大き過ぎる。

「自分に不都合になったからって勝手に契約は解けないわよ。
 そうね……ベガの気まぐれしかないんじゃないかしら?」

「……本当にそれしかないのかい?」

 セラがいい加減に答えていないと察して激昂することはなかった。

「他の方法は破天の魔導書の意志に直接聞かないと分かんないわ。
 でも、何処にいるか知らないし、期待もできないわ。それに――」

「それに?」

 この上何があるのだろうか?

「今のその子の命はベガに支えられているのよ」

「それはさっき言ってことだね?」

「そっ、二つ目の質問。
 その子はあの時、数百のカートリッジを一気に使ったでしょ。
 それのリバウンドを受けたのは分かってるでしょ?」

「……うん」

「それが致命傷だったということ。
 ベガもそれは誤算だったんでしょうね。
 後遺症がどこまでひどいかは分からないけど、ベガが自分の意識を眠らせて生命維持をしてるんだから相当なものよ。
 だからベガを引き剥がすことは、そのままその子の命を断つということになるわ」

 本来なら死んでいる、それは自覚していた。
 そしてベガがそれを治してくれたと思っていたがそうではなかった。

「今、ベガはその子の生命維持と戦闘能力の確保の二つにそのリソースを全部割いているの。
 だから、少なくてもあなたの身体が完治するまでは融合事故は起こらないと考えていいわ」

「え……?」

 絶望の淵に立たされ、あと一押しで奈落の底。そんな気分だったが意外にもセラの口から救いの言葉が出てきた。

「それから融合事故って言っても、要は精神のせめぎ合いになるわ。
 お決まりのことだけど強い精神力でリンカーデバイスを従わせることは可能なの」

「えっと……」

 目の前の少女は本当にあのセラなのだろうか。
 人を小馬鹿にいつも笑っていて、人が苦しんでいるのを嘲笑って、人を殺すのに喜びを感じて、人を見下している。
 そんな印象しかない彼女が自分にとって優しい言葉かけてくれるセラは不気味だった。

「……なんか失礼なこと考えてない?」

「ううん、そんなことないよ」

 慌てて否定する。
 咎める様な視線を一つ向けてから、セラは話を戻す。

「まあ、リンカーデバイスの性格もそれぞれだけど、ベガはそこまで過激な性格はしてなかったはずよ、ねぇレイ」

 呼びかけ、しかし答えは返ってこない。
 不思議に思って隣りをうかがう。
 胡坐をかき、膝の上に肘を乗せ頬杖を突く形で微動だにしない。目は開いているが、これはもしかして。

 ズバンッ!!

「ぬわっ!?」

 結構な威力の血色の魔弾がその額を撃ち抜いた。

「レイ……あなたを見くびっていたわ。
 まさか目を開けたまま寝るなんて高等技術を持っていたなんて」

「ちょ……ちょっと待てセラ! お、落ち着け、頼むから落ち着いてください」

 血色の光が視界を埋め尽くす。
 とりあえず目を瞑って、耳を塞ぐ。
 攻撃はすぐ隣だけどセラならうまくやるだろうと判断する。

「ぎゃああああっ!」

「さてと……何か質問はあるかしら?」

 何事もなかったように尋ねてくる。
 それを何事もなかったように受け入れアルフが先に手を挙げた。

「あのさ、こいつはリンカーデバイスを持っていたんだろ?
 それなのに変なデメリットはないみたいだけど」

「レイとアンジェは特別よ。
 二人は魔導師じゃなくて超能力者だからユニゾンシステムが機能しないのよ。
 だから、システムの大半は使えないけど、リンカーデバイスはそれ自体に独自に魔力を持っているから、それだけで強力な武器になるの」

「でも、それじゃあ何でこいつらに使われていたのさ?」

「それは……」

 セラが言い淀んだ。
 アルフが疑問に感じたことはフェイトも当然感じた。
 レイとアンジェは魔導師ではない。
 それはリンカーコアがないことを意味している。ならば彼らに使われることは存在理由から外れることではないのか。
 そもそも、互いが争うことを宿命付けられたリンカーデバイスがどうして協力できるのか。
 優秀な魔導師が選考基準なら持っているのはセラになるはずだ。

「……どうしてなの?」

 どうやら知らなかったみたいだった。
 未だに倒れているレイをセラは蹴って起こす。

「んぁ……ただフェザリアンの能力原理を知りたいから力貸してくれてただけだぜ。
 それから宿主を見つけるのは戦場の方がいいとか言ってたな」

「つまりはただの探究心と足代わりなのね」

 肩すかしをくらった気分だった。

「まあ、その代わりに俺たち用のデバイスを組んでくれたからありがたい話でもあったしな」

「まるで人間みたいだね」

 役目を果たすだけの機械のような存在かと思ったらそうではない。
 自我を持って生きているというのも納得する。
 自分で考え、行動する。興味があったから知りたいと思う。
 そして、御礼を返すことまでしている。
 それはまさしく人の行動だ。

「そっちは何かないの?」

 アルフの質問はそれで終わり、セラの視線がフェイトを向く。
 突然振られても困ってしまう。
 敵愾心は薄れても、嫌悪感は消えていない。
 嫌いな相手に教えてもらうのは抵抗があるが、引き出せる情報は引き出しておくべきだと理性が言っている。

 ――でも、何を聞けば……

 聞きたいことはたくさんある。
 説明されなかったリンカーデバイスのシステムの全容も気になる。
 それに授業とは関係ないが、彼女たちが戦う理由。
 南天の魔導書のことも知りたい。
 挙げれば切りがないほどに、自分たちは何も知らない。

「ねぇ……魔法を無効化する技術って知ってる?」

 思考が迷走し、自然と口に漏れた言葉はそれだった。
 セラたちが持つ技術は気になる。
 しかし、それはロストロギアが絡んでいるから理解が及ばなくても納得できる。
 今、フェイトにとっての答えの出せない疑問はソラだった。

「魔法を無効化……いくつかあるわね」

 別の話題なのに律儀にセラは答えてくれた。

「……その人、魔導師じゃなかったんだけどわたしの魔法を消しちゃったの」

「魔導師じゃないのに魔法を消した……ありえないわね。
 魔導師なら魔力結合を強制的に切ることもできるけど非魔導師がやった?
 稀少技能だとしても非魔導師が技能そのものを持っている話だって聞いたことないし……
 AMF発生装置は今の技術じゃ携帯なんて無理だし…………その人、人間?」

「うん…………たぶん」

 自信を持って頷けなかった。

「実際に見てみないと分からないわね。
 でも、非魔導師にはそんなこと絶対に不可能よ」

「そう……だよね」

 フェイトの結論もセラと同じだった。
 あの時の模擬戦を何度考察しても何も分からない。
 ロストロギアに精通し、自分よりも豊富な知識を持っていそうなセラにも分からないならどうしようもない。

「それにしても魔導師じゃないか……確かレイもそんな人に負けたとか言ってたっけ?」

「ああ、姐さんと二人がかりで殺したのに生き返ってきたんだぜ、あのばけもん」

「世界は広いわね」

「…………そうだね」

 不死身の怪物。まるでおとぎ話のような話だった。
 レイとアンジェの戦闘能力は知っている。
 そのレイが化物と呼ぶ相手など想像できなかった。
 でも、生きているデバイスなどもあるのだから、一概に否定できない。
 ソラの存在にしたってそうだ。

「さてと、このくらいかしらね」

 それを終わりの合図にしてセラはホワイトボードに書いた文字を消し始める。

「ありがとう……って言うべきなんだよね」

 抵抗はあったが、しなければいけないほどにセラは知りたいことを教えてくれた。

「言わなくていいわよ。お互い敵同士なんだから変な情を持っても邪魔にしかならないわよ」

「戦うなら容赦するつもりはないよ。
 わたしはなのはにしたことは絶対に許さないから」

 言われるまでもないことだった。
 感謝の気持ちと、セラへの敵愾心はまったくの別物だ。

「それでいいわよ」

「……あんたたちはこれからどうするつもりなんだい?」

 ビニールシートから立ち上がってアルフが尋ねる。

「とりあえずホームに戻るわ。
 それから闇の書についてどうするか決めるかしらね」

「介入するつもりかい?」

「場合によってはね。
 南天の魔導書と照合すれば防衛システムのバグを取り除くこともできるはずだからメリットは十分だと思うわ」

「バグを取り除くって、そんなこと本当にできるの?」

「天空の魔導書の基本システムは共通で互いのバックアップの役目もあるからできるはずよ」

「それじゃあリインフォースは……」

 治すことができる。
 その可能性にフェイトは高揚する。

「あ、でも……」

 こちらにはそのための天空の魔導書がなかった。
 唯一味方に近い立ち位置にいる東天の魔導書の主のアサヒがいるが、彼女が夜天の魔導書を救うために力を貸してくれるとは思えない。

「他人の心配をするよりも自分の心配をした方がいいんじゃないかしら?」

「え……それはどういう意味?」

 まさか、ここで丁寧に教えてくれたのは初めからこの場で自分を始末するつもりだったから。
 思わず緊張に身を固くするが、セラの方には変わらず戦闘の意志はないようだった。

「だって、これからあなたは命を狙われるのよ」

「……何を言ってるの?」

「言ったでしょ。
 リンカーデバイスは他のリンカーデバイスと戦うために存在している。
 彼らの戦いはリンカーコアを食べること、つまり相手を殺すことよ」

 その意味を改めて教えられて身体に震えが走る。

「あなたがベガを手にしたっていうのはそういうこと。
 あなたは他のリンカーデバイス使いに狙われ続ける。
 そして、あなたは他のリンカーデバイス使いを殺さなくちゃいけない」

「そんな……」

「それが力を求めた、あなたが支払う対価よ」

 茫然とするフェイトにセラは無情なまでの事実を突き付ける。
 大きな力を手に入れた代わりに人殺しになる。
 ベガに命を支えられているフェイトにはその戦いから逃げ出すことはできない。

 ――こんなこと誰にも相談できない。

「それじゃあ、またどこかで会いましょう」

 用意したもの全て片付けて、さよならをセラが言ってるがそれに言葉を返す余裕はフェイトにはなかった。
 倒すこと、それが相手を殺すことだとフェイトはここに来てようやく理解した。

 ――世界はいつだってこんなはずじゃない。

 義理の兄なったクロノの言葉をフェイトは思い出さずにはいられなかった。
 こんなことを望んでいたわけじゃない。
 あの時、セラを確かに殺したいと強く思ったが、それは他の人たちに向けられるものではなかった。

「アルフ……わたしは……どうすればいいのかな?」

「フェイト……」

 フェイトがもらした弱々しい呟きに、彼女の使い魔はただ寄り添うことしかできなかった。







[17103] 第十八話 死合
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/01/10 11:25

 あれから二日経った。
 闇の書の残滓の発生もなく、かといってリンカーデバイス使いの襲撃もなかった。
 呆然と、フェイトはベッドに寝そべりながら天井を見続ける。
 本来なら手に入れたベガの力に慣れるため訓練をするべきなのだろう。
 突然得た力は大きく、今までの感覚で魔法を使おうとするとどうしても構成が荒くなり、動く距離一つとっても齟齬が生じてしまう。
 戦いにおいてそれらは死活問題になることだが、それを改めるための訓練をする気には到底なれなかった。

「これは……人を殺すための力……」

 己の右手をかざす。
 手にした魔法の力は人を殺すためのもの。
 そんな力を使うのには抵抗があった。
 訓練をすることさえ、人殺しのためだと思ってしまう。

「どうすればいいんだろう……」

 答えてくれる人はいない。
 リンカーデバイスの役割を知っているのは自分とアルフだけ。
 リンディにもなのはにも話していない。
 その二人が今、いないことにフェイトは安堵する。
 リンディは明日の闇の書の残滓の発生に備え、アースラにいる。
 なのはは急ピッチで進められているレイジングハートの修復、その調整のために本局にいる。
 早急な戦力確保のためにバルディッシュの修理は見送られているが、それが今は歯痒い。

「どうすればいいんだろう……」

 答えは出せない。

 コンコン!

 思考にふけっていると小さなノックが聞こえた。

「フェイト……アルフがごはんできたって」

 ドアの向こうでアリシアが呼ぶ。
 時計を見ると十二時を回っていた。
 それに気が付くと空腹を感じる。

「うん……分かったすぐ行く」

 返事をしながら自嘲する。
 こんな状況になっても身体は普段と変わることなく食事を求める。
 だからせめてと思う。

 ――みんなに心配かけないように普段通りにしなくちゃ。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「うん……分かったすぐ行く」

 ドアの向こうからの返事。
 そのドアをアリシアは開けて中に入る勇気を持てなかった。

「分かった……それじゃあ……待ってるから」

 今、フェイトは自分の知らないところでどんな顔をしているのか、確かめるのが怖かった。
 偽物とはいえフェイトに向けられた感情はアリシアが予想もしていなかったのものだった。
 母を失い、兄の様に慕ったソラもいなくなり、アリシアが求めたのは会ったことのない妹の存在だった。
 ソラの裏切りに、クライドに対しても恐怖心を感じ拒絶し、閉じこもった日々。
 アリシアを保たせているのはソラへの復讐心と、フェイトに対しての姉という義務感だった。
 ソラを憎むこと、フェイトに対して良いお姉さんでいたいという意気込みがアリシアを平静にしていたが、あの言葉が胸に突き刺さる。

 ――魔法を使えるアリシアなんか認めない。

 それを言った一人目は母、プレシアで。「お前はアリシアじゃない」と、何度もなじられ、拒絶された。
 二人目は偽者のフェイトの口から、それでも本物のフェイトはそれに対して何も言ってくれなかった。

「あたしは……アリシア・テスタロッサなのに……」

 忘れたはずの傷がうずくのを感じる。
 それ以外の名前を持たないアリシアからすれば、「あなたはアリシアじゃない」という言葉は苦痛でしかなかった。
 気が付けば、今まで見えていなかったものが見えてくる。

 ――信じてくれてないんだ。

 生き返ったこと、自分が本当にアリシアだということをフェイト達は信じてくれていない。
 言葉にされてなくても分かってしまう。
 自分でも魔法が使えるようになったことは以前と変わったことだと分かっているが、それで自分そのものが変わったとは思ってない。
 生き返った理由も、魔法が使えるようになったわけも分からない。
 それでも自分はアリシア・テスタロッサだと言うしかない。
 折り合いをつけたはずの感情が偽物のフェイトの言葉でうずく。

 ガチャ!

 その音にアリシアは身を跳ねさせた。

「あ……アリシア……そこで待っててくれたんだ……」

「あ……うん」

 思わず頷く。
 待っていたつもりはない。
 ただ思考に没頭していただけだった。

「えっと……」

「ん…………」

 そこで会話が止まってしまう。

「それじゃあ……行こうか」

 誤魔化すように促す。
 前は自然に手をつなごうと伸ばしていた手は出ず、戸惑いながらフェイトにアリシアは背を向けた。

「……でも……いつまでも逃げてちゃダメだよね」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「あれ? リインフォースにザフィーラは? それにアレックスも?」

 リビングに入ってフェイトは首を傾げた。
 テーブルに用意された食器の数は三つだけ。
 他の三人の姿はどこにも見えなかった。

「三人とも通信室にいるよ」

 料理の盛り付けをしながらアルフが答えた。
 明日のことがあるからアレックスは分かるが、他の二人も?
 一日一回ははやてと話していることを知っているが、昼時には珍しい。

「なんかさ……グレアム元提督と話をするらしくてさ、二人は通信越しにってことらしいよ」

「そっか……リインフォースはここから離れられないしね」

 グレアム元提督が何をしようとしていたかフェイトは教えられていた。
 時期を見て、はやてに話すと聞いていたが、アサヒが現れたことでそれができなくなったのだろう。
 彼女によって知らされた出生の秘密がヴォルケンリッターとの関係をどうするのか、気になるところだった。

「はやてって……ソラが探している闇の書の持ち主なんだよね?」

「うん……そうだけど」

「大丈夫なの? ソラはその本に全部奪われたって言ってたけど」

「大丈夫だよアリシア。
 シグナム達もリインフォースも良い人たちだから。
 ソラから全部奪ったのは前の心のない主なの」

 そう、問題は出生の話だけではない。
 闇の書を憎むソラについてもどうするか決まっていない。
 問題は山積みだと改めて思う。

「……どうしたの?」

 フェイトの言葉を聞いてアリシアは何か考え込んだ。

「フェイト……ソラは奪われる痛みを知っているのにどうしてママを奪ったのかな?」

「それは……」

 言葉に詰まる。
 ソラがプレシアを殺した理由は未だに分からない。
 それに本当に殺したのかフェイトは疑ってさえいる。
 でも、アリシアが言うことはもっともだった。
 ソラは奪われる痛みを知っているのに、何故プレシアを殺したのだろうか。
 彼の口ぶりを思い出せば、そこに意味があるよう感じるが、何を意図していたのだろうか。
 考えて見ても全く分からない。

「アリシア……母さんが殺されたっていうのが嘘っていうことはない?」

「あたしは覚えてる……ママの最後の悲鳴も、冷たくなった身体も……
 ママはソラに殺されたの……」

「でも……それじゃあ――」

 その時見たプレシアの姿は何だったのか、それを聞こうとして言葉に詰まる。
 聞いても答えを持っているとは思えない。

「……なんでもいいけどさ、早くメシにしようよ」

 気まずくなりかけた空気をアルフの声が霧散させる。

「そ……そうだね。今日のお昼は何?」

 取りつくように応えて、席に着く。

「ほら、アリシアも」

「あのねフェイト、聞きたいことがあるの」

 しかし、そんな二人の気遣いに構わずアリシアは続けた。

「それは……今じゃないとダメなの?」

「できるだけ早い方がいいかな。決心がにぶっちゃうから」

 真剣な眼差しのアリシアにフェイトは息を飲み込んでから、頷いた。

「分かった」

 決意を固めた顔にフェイトも覚悟を決める。

「何が聞きたいの?」

「あのね……フェイトはあたしのことをどう思ってる?」

「どうって……それは……」

 予想の範囲の質問だった。
 偽物によって知られた自分の醜い感情。

「フェイトはあたしのこと……本当にアリシアだと思ってる?」

「…………」

 予想していても、沈黙を返すしかなかった。
 死者蘇生が本当だとは到底思えない。
 生き返ったよりも、より鮮明にアリシアの記憶を受け継いだ人造魔導師だと考えた方がいろんなことに辻妻が合う。

「フェイトもママと同じ……あたしよりも別のアリシアを見ている気がするの」

 鋭い。
 フェイトは闇の書の夢の中で会ったアリシアを見ていた。
 自分の勝手な都合のいい夢だったかもしれないが、あの時の彼女の姿は鮮明で現実感のあるものだった。
 アリシアを見るときは無意識に夢の中の彼女と比べてしまう。
 抱きしめてくれた温もり、悲しそうにそれでも嬉しそうにバルディッシュを渡し、送り出してくれた笑顔は今でも覚えている。
 確かに自分のお姉さんだったアリシアに比べてると、彼女は違う。
 子供ぽっく、無遠慮、お姉さんぶっていても言葉だけ。
 
「わたしは……夢を見たの……」

「夢……?」

「闇の書の中で見た夢は優しい母さんがいて、リニスがいて……アリシアがいた幸せな夢だった」

「それって……」

「幸せな夢だったけど……そのアリシアはわたしを送り出してくれた。
 待っていてくれる人たちがいる現実に……」

「そっか……フェイトにとってのお姉さんはその人なんだね?」

「うん……ごめん」

 思わず謝ってしまう。
 何に対してなのか自分でも分からない。
 このことが彼女を傷付けると分かっていても、嘘をつくことはできなかった。
 フェイトの言葉にアリシアは俯き、動かなくなる。

「アリシア……?」

「……ねえフェイト……あたしは生き返った意味あるのかな?」

 俯いたまま、出てきた言葉にフェイトは戸惑う。

「それは……」

「誰もあたしのことなんか見てくれない……生き返ったって信じてくれたのは――」

 言葉を途中で切ってアリシアは頭を振る。

「本当に何で生き返ったんだろ……こんなことなら死んだままの方がよかったのに」

「……っ」

 思わず息を飲んだ。
 そして、叫んでいた。

「アリシアッ!!」

 自分でも信じられないくらいの大きな声。
 テーブルを叩き、立ち上がる。その拍子に並んでいた料理がこぼれるがそんなことにまで気が回らない。
 今、アリシアは言ってはいけないことを言った。

「母さんはアリシアを生き返らせるために……頑張ったのに……それを……」

 湧き上がる感情は怒り。
 自分の身を顧みずにアリシアを生き返らせるためにその生涯を奉げた母の行動を否定する彼女の言動は許せるものではなかった。

「だから、ママはあたしのことなんて見てなかったの!
 ママの言っていたアリシアはあたしじゃない!
 フェイトが見ているアリシアだってあたしじゃない!
 じゃあ、あたしはなんなの!?」

「だからって!」

「フェイトには分からないよっ!
 お前はアリシアなんかじゃないって言われる気持ちはっ!」

「ふざけんなっ!!」

 叫ぶアリシアの胸倉をアルフが掴み、吊るし上げる。

「あんたなんかにフェイトの何が分かるっていうんだ!?」

「あぐっ……」

 手足をばたつかせてアリシアが暴れるが、アルフを止める気にはなれなかった。

「フェイトだってな、あのくそババァに――」

 その瞬間、フェイトは右手に違和感を感じた。

「……くっ――」

 違和感は次の瞬間に明確になる。
 右手が一度、痛みを伴うくらいに震える。
 そして、世界が一変した。

「なっ……」

 絶句の声はアルフが。
 フェイトは驚いている余裕はなかった。
 熱くなった頭が一気に冷たくなる。
 見慣れたリビングはそこにはなく、周囲は荒れ果てた都市。
 空は一面、星の海で圧巻だったが感傷に浸れる気分にはなれない。
 理解する。ここが壺の中なのだと。

「フェイト……」

 不安そうな声でアルフが振り返る。

 バタバタッ

「…………」

 それに応える余裕はフェイトにはない。

 バタバタバタバタッ

「……ベガ」

 呼び声に呼応して右手から光が溢れ、三日月斧の形を作る。
 さらにバリアジャケットをまとい、戦闘の準備は整う。

 バタ……バタ……バタリ

「アルフはアリシアと何処かに隠れて……ってアリシア!?」

「きゅう……」

 アルフに吊り上げられたままのアリシアは顔を白くさせて力なくうなだれていた。

「アルフッ!」

「あっ、ああ」

 すぐにアルフもそれに気付いて掴んでいた胸倉から手を放すが、ぐったりとアリシアはアルフに寄りかかり意識を失っている。

「ど、どうしよう……」

 呟いて、すぐに考えを改める。
 これはむしろ好都合だった。
 これから起こる戦いはリンカーデバイス使い同士の殺し合い。
 アルフは自分の使い魔だから一緒に取り込まれたのは分かるが、アリシアがいる理由が分からない。
 それでも気を失っていてくれているならこれ以上巻き込むも知られることもない。

「アルフ……アリシアのこと、お願いね」

「フェイト……でも……」

「大丈夫……アリシアも悪気があって言ったわけじゃないから」

 改めてアリシアを見る。
 自分よりも低い背丈に、お姉さんぶることで気付かなかったがアリシアは見た目の通りの子供だった。
 年の割にしっかりと明確に話すが、それでも彼女は幼い。
 頭が冷えてくれたおかげで、彼女の不安が分かる。

 ――わたしにはフェイトっていう名前があった。

 だから、新しい自分を始めることができた。
 でも、アリシアにはアリシアという名前しかなかった。
 どんなに否定されても、どんなに拒絶されても、アリシア以外になれない彼女の苦しみは想像できない。

「ごめんね……アリシア」

 何の苦しみも知らずにプレシアに受け入れられたと思っていた。
 もっとちゃんといろんなことを話すべきだった。
 互いに傷付き、傷付けることを恐れて距離を取ったせいで、互いのことを本当に理解できていなかった。
 本音を聞かせてくれたアリシアに何を言っていいか分からない。
 それでも今はもっといろんなことを話したいと思える。

「……来た」

 頭上に大きな魔力反応を感じる。

「らぁぁぁぁっ!」

 雄叫びと共に鋼色の魔力光をまとった男が降ってくる。

 ズドンッ!!

 落下の勢いを上乗せした長剣の一撃が、飛び退いたフェイトがいた場所を穿つ。

「くっ……」

 地面との衝突によって起きた衝撃波に吹き飛ばされながらもフェイトは体勢を立て直し、ビルの壁に着地する。

「しゃあっ!!」

 土煙を切り裂いて飛び出してきた男はそのまま剣を振る。
 ベガを構え、受け止めるがその衝撃は想像以上に重かった。
 足場にしていた壁が陥没して、中に叩き込まれる。

「プラズマスマッシャー!」

 さらに追撃に迫る男に吹き飛ばされながら砲撃を撃つ。

「はっ!」

 男は剣を一閃して、砲撃を両断する。
 その隙にフェイトは着地、プラズマランサーを周囲に展開、特攻した。
 剣を振り抜いた状態の男に肉薄、三日月斧を振る。
 返す刃がそれを受け止めて甲高い音が響き渡る。

「あなたは……どうして……戦うんですか?」

 鍔競り合いをしながらフェイトは尋ねる。

「はぁ? リンカーデバイスを持ってるくせに戦う理由なんて聞いてんじゃねえよっ!」

 押し合う力が急に消えて、フェイトはバランスを崩す。
 そこに鋭い前蹴りが襲う。
 咄嗟に後ろに飛びながら張ったラウンドシールドでそれを受け止め、同時に展開していたプラズマランサーを射出する。
 男はバックステップでそれをよけ、よけきれなかったものを剣で切り払う。

 ――強い。

 今のフェイトから相対的に見て、シグナムと同程度の相手。
 剣撃や、格闘は素人のような雑さがあるが一撃に込められた魔力がそれを十二分な凶器に変えている。
 男が再度突撃してくる。

「プラズマランサー……ファイヤッ!」

 迎撃に撃った十二のランサーに男はそのまま突っ込む。
 よける素振りも見せずに命中したかに思えたが、男を包むフィールドにランサーは弾かれる。
 その光景に動じることなく、フェイトはまっすぐ振り下ろされる剣にベガを振り薙ぐ。
 一合、二合。
 打ち負けることはなく、それでも相手の体勢を崩せるほどの一撃を加えることもできずに拮抗する。
 刃を交わすたびにフェイトは相手の戦い方を分析する。
 タイプはベルカ系。
 今のところ射撃系の魔法は使っていない。

 ――シグナムと同じ……でも、隠している可能性もある。

 しかし、フェイトは男に違和感を感じずにはいられなかった。
 大きな魔力。
 それだけで確かに攻撃力も防御力も高いがそれを魔法として使っていない。

「大人しく死ねっ!」

 一際大きな一撃。
 シールドで受けるがその一撃は容易く盾を砕く。
 ベガで受け止めるが、支えきれずに吹き飛ばされる。

「もらったっ!」

「ソニックムーブ」

 強引に移動魔法を起動。
 無理な体勢からの急加速は身体を軋ませるが、それを代償にフェイトは剣を振り切った男の背後を取る。
 非殺傷に設定した一撃は斬撃を打撃に変換されて男の背中に叩き込まれる。
 弾き飛ばされた男はビルに激突し、壁を壊して中に消える。

「ファイアリングロック解除――」

 そこに容赦なくフェイトは殺傷設定の砲撃を――

「プラズマスマッ――」

 すんでのところで強制停止をかける。
 励起した魔力が行き場を失い霧散し、腕の環状魔法陣が音を立てて砕け散る。

「わたし……今……」

 自然と殺傷魔法を使おうとしていた。
 まるでそうすることが当たり前のように殺す気で魔法を使おうとした。
 そのことに背筋が冷たくなる。
 そもそも自分が今している戦いが意味するものを思い出す。
 大きな魔力が弾け、目の前で爆発する。
 ビルを中から崩壊させて出てきた男は未だに健在だった。

「あう……」

 思わず腰が引けた。
  
「ちっ……ビギナーのくせに手こずらせやがって」

 舌打ちをして男は右手を前に突き出した。
 足下に鋼色の魔法陣が広がり、右手から光が溢れる。

「エルナト……セットアップ」

 男が光に包まれてその姿を変える。
 服の形状をとっていた騎士甲冑が消える。
 代わって鋼色の魔力光がその身体を包み、硬質的な形を作る。
 ガシャン……威圧するような鋼の擦り合う音が響く。
 現れたのは全身に鋼を纏った姿。
 足の先から頭のてっぺんまで覆われた全身甲冑。

「いくぞ!」

 叫びと共に、前と同じ正面からの突撃。
 フェイトは迎撃ではなく、その突進を上に飛んで回避する。
 同時に砲撃魔法の用意を行い、意識して設定を非殺傷にして――撃つ。
 金の光の奔流はよける素振りも見せない男に命中した。
 しかし、次の光景にフェイトは絶句した。
 砲撃の中を何の抵抗もなく突き進んでくる。

「くっ……」

 予想もしなかったことに反応が遅れる。
 二重三重の防壁を張るが、男はパワータイプの騎士、フェイトの盾は呆気なく力任せに叩き壊される。
 それでも一秒にも満たない時間を稼ぎ、フェイトは突撃の進路から逃げる。
 距離を取って仕切り直す。
 男は追撃をせずに話し始める。

「これが俺のエルナトだ。
 鎧形態のリンカーデバイス。この装甲はあらゆる魔法を弾く。
 よってお前に勝ち目はない」

「そんな……」

 男の言葉にフェイトは呆然となる。
 その言葉が本当だということは先の砲撃で証明された。

 ――どうすればいい?

 プラズマスマッシャー以上の攻撃力を持つ魔法はまだある。
 しかし、それも通用しなかったらどうする。
 ファランクスシフトも強固な防御力を捻じ伏せる魔法だが、詠唱をしている暇を与えてくれるとは思えない。
 何をしても効果があるイメージが浮かばない。

「お前で十人目だ。大人しくしていれば痛い思いをしなくて済むぞ」

 その言葉にフェイトはベガを構えることで応える。
 魔法が通用しなくても、降伏はできない。
 降伏は死と同義となっている今、どんなものを突き付けられても戦うことを放棄することはありえない。

 ――覚悟を決めないと。

 緊張に唾を飲む。

 ――殺さないと……殺される。

 突き動かすのは恐怖。
 人からこれほどまでの明確な殺意を向けられたのは初めてだった。
 殺すつもりでも眼中にもされなかったセラたちとは違う。彼は本気で自分を殺すために攻撃している。
 目の前の男はすでに九人も人を殺している。
 十人目を殺すことに躊躇いがあるとは思えない。

「無駄な足掻きを!」

 防御力に任せた突撃。
 フェイトは振り下ろされる剣を半歩引いて空振りさせる。

「ハーケンフォーム!」
 
 三日月斧を大鎌にして、フェイトは無防備な胴を薙ぐ。

「くっ……」

「効かねえって言ってんだろうが!」

 刃は装甲に阻まれる。
 切り返された剣を多重防御の盾とベガ、それと後方への全力離脱でなんとか受け止めて、すぐに飛ぶ。
 突撃に次ぐ突撃。
 男の戦術は単純だがそれ故に対処手段が浮かばない。
 強固な装甲と強力な攻撃。
 速さに特化したフェイトといえども、魔力の大きさに任せた突進はいつまでも回避していられない。

 ――どうすればいいの?

 答えの出ない自問自答を繰り返す。
 不意に目の前から男が消えた。

「え……?」

 速度で振り切られたのではない。
 目の前から忽然と姿を消したフェイトは足を止めて周囲を見回す。
 鎧の姿はどこにもない。

 ――直前に描かれた魔法陣は確か――

 考えた瞬間に背後から気配を感じる。

「おらぁっ!」

「がっ!?」

 背後に転移した男の拳がフェイトの背中を殴打する。
 衝撃に息が詰まり、そのまま吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。
 痛みが全身に駆け回り、殴られた背中に一際大きな熱を感じる。

「くっ……ベガ」

 痛みをこらえ、身体を引きずって傍らに落ちたベガを拾う。
 それだけで痛みが少し和らいだ気がした。

「はっ…………はぁ………はぁ……」

 ベガを杖にしてなんとか立ち上がる。
 そこに男が降りてくる。

「しぶといな。いい加減諦めろよ」

「そんなこと……コホッ」

 反論しようとして咳き込む。
 血が混ざった唾にいよいよこれが本当の殺し合いだと自覚する。

「いくら頑張ったところで無駄なんだよ。
 俺のエルナトの鎧は最強なんだよ」

 最強。
 確かに彼は強いがそれに違和感を感じた。
 膨大な魔力を乗せた攻撃力は確かに今まで戦った中で一番強かったセラ以上だ。
 防御力にしてもユーノ以上の堅牢な鎧が常時展開されている。
 なのにそうと思えない自分がいた。
 なのはだったら、砲撃が通用せずに自分と同じように為す術がなくなる。
 シグナムも決定打を与えられない。
 はやてはそもそも広域戦闘タイプだから一対一はありえない。
 唯一、ヴィータの攻撃ならと思えるが、それもどこまで通用するか分からない。
 身内の中では彼に勝てるイメージが浮かばない。

 ――他には……

 頭に過ぎったのは二人の姿。

「……なにがおかしい?」

 男の言葉に自分が笑っていることに気が付く。
 いぶかしむ男を気にせずにフェイトは思考する。
 膨大な魔力を持ちながらも繊細な戦い方をするセラ。
 それと無駄のない体術を駆使し、理不尽とも思える魔法無効化能力を持つソラ。
 この二人に目の前の男が勝てるイメージが浮かばない。

「なんだ……その程度なんだ」

 あの二人と比べたら目の前の男が大したことがないように見える。

「負けられない……」

 こんな力任せにしか戦えない相手にさえ勝てないでセラやソラと戦うなんてできない。
 挫けそうだった心を立て直してフェイトは立ち上がり、ベガを構える。

「……お前も馬鹿だな……苦しく死にたいってか?」

 男の足下が爆ぜ、全身に鎧をまとっているとは思えない速度で襲いかかる。

「ふっ!!」

 右足を引き、左足を軸にその場で回転する。
 ひるがえったマントが切り裂かれる。
 剣をかわし、その勢いのまま三日月斧を男の胸に叩きつける。
 甲高い音を立てて弾かれる。
 男が体勢を直し、切り返すより速く前に飛ぶ。
 振り返ると男が迫る。
 横に構えられた剣。
 フェイトは男に対して前に出た。
 ベガを持ち替え、尖った石突をスピードを乗せて前に突き出す。

「くおっ」

 鎧に傷はつかなかったものの、その勢いに押されて男はたたらを踏む。
 その隙を逃さずにフェイトはバリアジャケットを換装する。

「ソニックフォーム」

 男が振り返ったところを背後に回り込んでベガを叩き込む。
 衝撃を無視して男は反撃するが、剣を振り上げた時にはフェイトはもうそこにはいなかった。
 空振りする男の無防備な頭を殴る。
 たたらを踏んで退く足下にフォトンランサーを撃ち込み、地面をえぐり足を取らせる。
 派手にバランスを崩す男の身体に大鎌をひっかけて、身体能力の強化を最大にする。

「ああああああああっ!」

 叫び、一回転させて遠心力乗せて投げ飛ばす。
 飛ばす先は上。

「プラズマ……スマッシャー」

 飛んだ男を追うように金の奔流が彼を飲み込む。

「くそっ……調子に乗りやがって」

 爆煙の中で男が悪態を吐く。
 フェイトは爆煙の中に躊躇わず突撃する。

「なっ!?」

 爆煙を切り裂いて現れたフェイトに男の反応が遅れる。
 すれ違い様にベガを叩き込み、ターン。
 男が振り返ったところに肉薄し、剣を振らせる間も与えず一方的に切りつけて離脱する。

「この……ちょこまかと」

 広大な空の空間を縦横無尽に駆け、フェイトは一方的に攻撃を重ねる。
 渾身の魔力を乗せた一撃はダメージになっていないが、それでもフェイトは続ける。

「もっと……もっと速く」

 さらに自身を加速させる。身体の痛みは気分が高揚しているせいか感じない。
 近接してベガで切り付け、時にはフォトンランサーを零距離で叩き込む。

「――いい加減にしやがれ!」

 何度目かの攻撃が剣に阻まれた。
 そのまま押し込まれ、大きく弾かれる。

「これで――」

 しかし、次の男の動きは金の輪によって止められる。

「バインド……いつの間に!?」

 当然、今の攻撃中にこっそりと仕組んでいたものだった。
 相手との魔力差を考えてもあまり長くは持たない。
 フェイトは男の言葉に答えずにそれを展開する。

「アルカス・クルタス・エイギアス……」

 フェイトの周りに三十八基のフォトンスフィアが浮かび上がる。

「疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ……」

 詠唱を重ね、スフィアに魔力を装填。設定を打ち込む。

「バルエル・ザルエル・ブラウゼル……」

 今の魔力量ならもっと多くのスフィアを作ることができた。
 だが、フェイトはそのリソースを弾丸強度と弾速に回す。アリシアのフォトンランサーの様に。

「フォトンランサー・ファランクスシフト。撃ち砕け、ファイヤー!」

 かろうじて残った理性でフェイトは非殺傷で最大魔法を解き放つ。
 毎秒七発を撃ち込む四秒間。千を超す金の弾丸はあますことなく男に撃ち込まれる。

「スパークエンド!」

 残ったスフィアを一つにし、さらに魔力をそこに注ぎ込み放つ。
 一際大きな爆煙が広がる。
 息を弾ませながらフェイトはそれが晴れるのを待つ。
 しかし、待つよりも早くそれは落ちた。
 音を立てて地面に激突する男。
 それを最後に鎧が砕ける。

「……勝った?」

 眼下に倒れる男を見据えてフェイトは呟く。
 それでもまだ油断はせずにゆっくりと降りる。

「そんな馬鹿な……エルナトが……俺の最強の鎧が……」

 地面に這いながら男は呆然と呻く。

「ひっ……」

 フェイトがその前に降りると短い悲鳴を上げる。
 強気な態度は一変して怯えた表情を見せる。

「あの……」

「すいませんでしたぁっ!!」

 それは見事な土下座だった。
 額の付き方、肘の脇締めと曲げ方。地面にそろえて付いた両手。
 素人目から見てもそれは見事な土下座だった。

「…………え?」

 あまりのことにフェイトは混乱した。

「どうか……どうか命ばかりは御助けを!」

 手の平を返した身勝手な言葉に怒りを感じると同時に安堵する。
 人殺しをしなくてすむと思うと、肩から力が抜ける。

「……いいよ。二度とわたしの前に現れないって誓ってくれるなら」

「はい。それはもちろんです」

 なんだか調子が狂う。
 年上にここまで下手に出られることもそうだが、先程までの剥き出した殺意を思うと余計にそう思う。

「それじゃあ……この結界をすぐに解いて」

「はい……すぐに……お前を殺して」

「え……?」

 完全に反応が遅れた。
 土下座から地を這うように飛び出し、突っ込んできた。
 かわしきれずにぶつかる。
 そして、腹部に熱を感じた。
 力が抜けて膝を付く。

「あ…………」

 手をそこにやるとぬるりとした感触。
 見ると手は真っ赤に染まっていた。

「ははは……こんな手に引っ掛かってくれるなんてな」

 男は手に赤く染まったナイフを手にフェイトを見下ろす。

 ――立たなくちゃ。

 そう思っても力が身体に入らない。
 今までのダメージと無理な高機動戦闘のツケが一気に噴き出した。

 ――立たなくちゃ……殺される。

 何とかベガを支えにして立ち上がる。
 それを男は待ってから蹴り飛ばした。

「がっ……」

 地面に投げ出されたフェイトをさらに男は踏みつける。

「この……この……よくも……ビギナーのくせに生意気なんだよ!」

 何度も何度も蹴られる。

「俺は選ばれた存在なんだ……お前如きに……お前なんかに……」

 傷付けられた自尊心を晴らすように男はフェイトをなぶる。

「べ……ガ……うあっ……」

 伸ばした手を踏みつけられる。

「ふう……ふう……もういい……死ね」

 突き付けられた剣がゆっくりと持ち上げられる。

「そうね……貴方が死になさい」

 紫電の魔弾が剣を弾いた。

「ちっ……なぁ!?」

 続く無数の魔弾に男はその場を飛び退く。
 その際にナイフをフェイトに向かって投げるが、紫の防御陣がそれを弾く。

「アリッ――」

 またアリシアに助けられた。そう思って顔を上げるが目に入ったのは長く黒い髪だった。

「…………かあ……さん?」

 見間違えるはずがない。目の前に守る様にして立つのは母、プレシアの背中だった。

「少し待ってなさいフェイト……すぐに片付けるから」

 短い言葉だったがそこにある温かさに思わず涙が溢れる。
 フェイトを中心に紫の魔法陣が広がる。

「少し痛いけど……我慢しなさい」

 その言葉に刺された熱を帯びる。
 しかし、激痛は一瞬だけすぐにその痛みは薄れて全身が楽になる。

「かあさん」

「何だよお前はっ!?」

 男の剣をプレシアはラウンドシールドで防ぐ。

「この空間はリンカーデバイスユーザーのための戦場。それなのに――」

「貴方……うるさいわよ」

 シールドを解くと同時に撃ち込まれた魔弾に男は吹き飛ばされるが、その足を鎖が縛る。
 鎖はプレシアの操作によって動き、大きな弧を描いてビルに叩きつけられる。

「サンダースマッシャー」

 一発、二発、三発。紫の砲撃が容赦なく撃ち込みビルを瓦礫に変える。
 巻き起こる衝撃波にフェイトは身構えるが、プレシアの防御陣がそれを全て受け止める。
 そしてプレシアが腕を一振りした。
 未だに形を維持している鎖が引かれ、煙の中から男が引きずり出され、彼女の足下に転がる。

「……まだ生きていたの?」

 それに冷たい言葉をプレシアは投げかける。
 掲げた手に魔力の槍が形成される。

「待って、かあさん!」

 今まさに振り下ろされそうになった腕が止まる。

「フェイト……こいつは……」

「分かってる……でも……」

 目の前の男がどうしようもない人間だと分かっていても、目の前で人が殺されるのは嫌だった。

「…………いいわ」

 フェイトの心情を察して、プレシアはそう答えると槍を無造作に男に投げた。

「あっ……」

「げはっ!?」

 気絶していた男はその衝撃に仰け反り、目を覚ます。

「このババア……よくも……ひぃ!」

 スパンッ!!
 魔力の鞭が男の目の前で跳ねる。

「三度目はないわよ。とっとと消えなさい」

 男は無様にプレシアから少しでも逃げよう這うように逃げ、距離を取ったところで振り返り、

「覚えてやが――ひい!」

 何かを言おうとしたところでフォトンランサーが顔の横をかすめ、悲鳴を上げる。
 尻もちをついて男はさらに逃げる。
 その背中をフェイトは唖然と見送った。
 同時に右腕がかすかに鳴動する。
 そして、世界が揺らぎ始めた。
 だが、そんなことを気にしている余裕はフェイトにはなかった。

「本当に……かあさんなの?」

「ママッ!?」

 フェイトの声に重なる様にアリシアの声が響いた。
 その取り乱した様子に、やはり彼女も知らなかったのだと察する。
 改めて目の前のプレシアにフェイトは視線を向ける。
 最後に見た狂気の顔はそこにはなく、記憶の中の優しげな顔。
 しかし、その目は悲しげに閉じられ、静かに首を横に振った。

「違うわ……二人とも……」

 その口から出てきたのは否定の言葉。

「私は貴女達に母と呼んでもらえる存在ではないの」

「でも……」

 アリシアが叫ぶ。
 フェイトもそんなことはないと思った。
 目の前にいるのは間違いなく自分の知っている優しい母だった。
 受け入れられない二人にプレシアはそれを告げた。

「私は……ソラがプレシア・テスタロッサのリンカーコアを元に作り出した融合騎、ユニゾンデバイスなのよ」







[17103] 第十九話 喧嘩
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2010/12/29 00:06



 アレックスは目の前の光景に混乱していた。
 眼鏡を外し、目頭を揉み解す。

 ――そういえば、このところ働き詰めだったなぁ……

 闇の書の残滓事件の一時的とはいえ現場指揮を任せられたり、度重なる戦闘の記録をまとめなど。
 エイミィがいない穴を埋めるために確かに寝る間を惜しんで頑張っていた。

 ――ああ……それとも彼女もリインフォースみたいに現れたのかな。

 改めて部屋を見る。
 ギル・グレアム元提督と八神はやて、ヴォルケンリッター、そしてアサヒ・アズマの会談を中継中のこと。
 リビングから言い合う声が聞こえてきた。
 何事かと思って、覗いてみれば完全武装の三人にさらにいつか見た人物、プレシア・テスタロッサがいた。
 改めて見ても幻覚は消えてくれない。
 夢かと思って頬を抓ってみても痛い。

「えっと……これはどういうこと?」

 結局、自分で答えは出せずに尋ねる。
 しかし、戸惑いの表情を浮かべているのは自分だけではなかった。
 フェイトもアルフもアリシアもみんな一様に呆然としている。
 唯一プレシアだけが気まずそうに俯いている。
 結局、答えてくれる者はいない。
 形容しがたい沈黙がリビングに充満する。
 十秒、二十秒。
 沈黙が続き、そして静寂を破ったのはアルフだった。

「あ……アレックス、ちょっとこっちに……」

 呆然としたまま腕を掴まれて廊下に連行される。
 アルフはドアを閉めると深々と息を吐いた。

「えっと……本当に何があったの?」

 尋常じゃない状況だということは理解できるが、何がどうなってあんな状況になっているのか全く見当もつかない。

「いや……あたしも何がなんだか……」

 困った顔をするアルフ。

「とにかくさ……今はあの三人で話をさせてくれないか?」

「それは……」

 応えに躊躇う。
 思い出すのはプレシアがフェイトにぶつけた辛辣な言葉。
 アリシアの話ではフェイトのことを最後には認めたと聞くが、それが本心からの言葉だったのか怪しくもある。

「たぶん……大丈夫だと思うから……頼むよ」

「…………分かった」

 フェイトのことを第一に考えるアルフが言うのだからアレックスは信じることにする。

「ただし、後でちゃんと何があったか報告するように」

「ああ……それはもちろんだよ」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……それはどういう意味プレシア?」

 目の前のソラが怒りの表情で睨んでくる。
 気迫で相手を威圧する術を知っている彼の言葉は身体を竦ませるが、それでもまっすぐとその目を見返してプレシアは言葉を返した。

「言った通りの意味よ。
 私のことは置いて、貴方達は元の世界に帰りなさい」

「本気で言ってるの?」

「本気よ。
 貴方も分かっているでしょ?
 私の身体では虚数空間を渡る次元移動では足手まといにしかならないって」

 ベッドから上半身を起こした状態で、冷静に事実を告げる。
 ジュエルシードを用いて虚数空間に防壁を張って次元移動を行う技術を目の前のソラと開発した。
 理論上は完璧でそのテストも一ヶ月前に完了している。
 目の前の少年は魔法が使えないながらも、深い知識と発想能力、そして情報処理能力は自分に勝るとも劣らないものだった。
 魔力制御能力はジュエルシードを何の補助もなしに操ったのだから、これで魔法資質があれば自分以上の大魔導師だっただろう。

「だからって……」

 ソラが顔を歪めて考え込む。
 きっと必死に打開策を考えているのだろう。
 だが、それは無理な話なのだ。

「ここに来て一年……よく生きられたわ」

 病気のことは自覚していた。余命が長くないことも分かっていた。
 医療設備のないこの世界で一年も生き永らえたのはそれこそ奇跡だった。

「だから……」

 その言葉を出すのに躊躇った。
 それでも言わなくてはいけない。

「だから、私を殺しなさい」

「だから……なんでそうなるんだよ!?」

「私が生きている限り貴方達はずっとここに留まり続けるわ」

 食料はエルセアに張り巡らされた木から取れるし、時の庭園に備蓄していたものもまだある。
 それでもこの何もない白い世界はそれだけで精神が圧迫される。
 よくこんな世界で正気を失わず十年以上も生きてこれたと、ソラとクライドに感心してしまう。

「あの子には陽の光の下で笑っていてほしいのよ」

「だからって、僕があんたを殺したら……」

「直接手を下す必要はないわ。
 薬でもなんでも……死因さえ誤魔化せばどうとでもなるわ」

 ひどいことを頼んでいるのは分かっている。
 それでもこんなことはクライドには頼めない。

「でも……」

「あの子には私がいなくてもフェイトがいるわ。
 あの子が欲しがっていた妹。
 あの子は優しい子よ。こんな愚かな私に最後まで手を差し伸べてくれた」

 だから、きっとアリシアのことも受け入れてくれるはず。

「勝手だよ。だいたいそのフェイトに何も残そうとしてないじゃないか?」

「必要ないわ。
 フェイトはようやく私から自由になれたのよ。
 新しい自分を始めたあの子に私は不必要よ」

「だから……何も残すものはないの?」

「ええ」

 正直、何を残せばいいのか分からない。
 あの時に発した拒絶の言葉は全て本心からのものだった。
 それを今さらどんな顔をして撤回しろと言うのか。
 必死に戦う姿、傷付きそれでも立ち上がる姿、絶望に打ちひしかれるた姿。
 今でもあの子に打った鞭の感触は手に覚えている。
 あれほどの仕打ちをしても、きっと謝れば許してくれるだろう。
 しかし、それではプレシアの気持ちが晴れない。

 ――私は本当に気が付くのが遅すぎる。

 今いるアリシアも初めはありえない魔力資質に拒絶をした。
 しかし、返された言葉は衝撃だった。

 ――あなたはアリシアのママなんかじゃない!

 その言葉にようやく自分のことを振り返ることができた。
 アリシアのために違法研究に手を染め、アリシアと重ねることを拒んでフェイトを拒絶し続けた。
 そこにいたのは目的のために狂った女だった。昔の面影なんてどこにもない。
 自分がどんな風に笑っていたのかさえも思い出せなかった。
 自分の存在を否定される痛みを知り、それをフェイトに強いたと思うと罪悪感に苛まれる。

 ――私のことなんて忘れた方がいいのよ。

「卑怯者……」

「そうね……その通りだわ」

 会話がそこで止まる。
 淀んだ空気の中、ソラはジッとプレシアを睨み続ける。

 ――本当に卑怯者ね。

 プレシアは目の前の少年のことを何も知らないことを思い出す。
 管理局に所属していたクライドとは違い、ソラの素性は全く知らない。
 たまたま出会った狭間の世界の先客。赤の他人。
 そんな人物に人殺しを強要し、自分の宝物を預けるのは筋違いでしかない。

 ――それでも私が頼れるのはこの子しかいない。

 アリシアを拒絶していた時から彼女を支え、仲を取り持ってくれた彼だからこそ信頼できる。

「…………いいよ。望み通り殺してあげるよ」

 重い沈黙を破ってソラが答えた。

「そう……あり――」

「ただし……楽に死ねると思わないでね」

「ええ……それは望むところよ」

 それだけのことをしてきた自覚はある。
 今さら安楽を望むことはない。
 彼がもたらす裁きを甘んじて受け入れようと――そう思っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 プレシアは昔の記憶から現実に意識を戻す。
 目の前には同じ顔、フェイトとアリシアが並んでいる。
 あの会話から数日して、ソラはいきなり部屋に入ってきたと思ったら有無も言わさずに貫手を自分の胸に突き立てた。
 ジュエルシードを使えるからと言っても膨大な魔力を精密操作出来ていたわけもなく、リンカーコアを狙ったその攻撃は肉体にまで被害をもたらした。
 生きながら胸に風穴を開けられると同時にリンカーコアを抉り出された痛みは想像を絶するものだった。
 それが自分が望んだ殺され方ではなかったと思う間もなく意識が落ち、そしてありえない目覚めを果たした。
 目覚めたら視点の高さが変わっていた。
 それどころか人の姿をしていなかった。自分の、杖の姿を見た時は夢と思って現実逃避した。
 動揺が納まって、残されたソラのメッセージから自分の現状を知らされた。

「ユニゾンデバイスって何?」

 アリシアの不意の質問に肩すかしをくらう。
 しかし、当然だと思い直す。

「古代ベルカ時代に作られたデバイスのことよ。
 姿と意志を与えられ状況に合わせて術者と「融合」して魔力運用するデバイス。
 それもレプリカじゃない。完全自律行動型の純正品」

 このすごさは二人には分からないだろう。
 ある理由から開発を中止され、封印されたロストテクノロジー。
 知らされた時は自分もわけが分からず呆然としてしまった。

「元々はソラが魔導資質を取り戻すために開発していたのものなんだけど……
 よりにもよって、そのコアにプレシア・テスタロッサのリンカーコアを使ったの」

 そのせいで自分の自意識はソラに殺されたあの時から続いて存在していた。

『楽に死ねると思わないでね』

 ソラが残した言葉通り、これは最悪の状況だった。
 裏技としか言えない方法で生き残ったが、それは一層プレシアの罪悪感を掻き立てた。
 デバイスとは言え、自分をプレシアと認識できていることがそれを強くする。
 生前と死後の境界に揺れることの不確かさ。
 自分がフェイトとアリシアに強要したものを自分も体験することになるとはまったく思ってみなかった。

 ――予想しておくべきだった。

 そもそもソラにお願いしたのが間違いだったのだろう。
 彼は魔導師の常識を覆す存在だ。裏技の一つや二つや三つあって当然と警戒しておくべきだった。

「今の私は移植されたリンカーコアが映し出す残影。
 ただのプログラム体でしかないの……だからもう私は母と呼ばれる資格なんてないの」

 本当なら姿を見せずにずっとアリシアのデバイスとして一生黙っているつもりだった。
 しかし、訳の分からない空間に取り込まれ、フェイトの危機に思わず動いていた。
 そして今に至るがプレシアは二人の顔を直視できずにいた。

「それじゃあ、あたしがママを殺されて悲しんでいた時にママはそれを黙って見てたのっ!」

 アリシアの責める言葉に何も返せなかった。
 その時は動転していたから何ができて、何ができないか把握していなかったが、言葉をかけようとしなかったのは事実だった。

「言ったでしょ。私はプレシアの記憶を持つプログラム体でしかないの。
 散々貴女達をなじった私が今ではこの有様よ」

 もはや自分がプレシア・テスタロッサと名乗ることは許されない。
 それが融合騎・プレシアの結論だった。

「そんなの勝手だよ!」

 アリシアはそんなプレシアに怒りを爆発させる。

「資格とか……プログラム体とか、むずかしいことは良く分からないけど。
 ママはママなんでしょ? どうしてそんなこと言うの? おかしいよ?」

「そう……おかしいのよ。私はプレシア・テスタロッサの姿をした偽物だから」

 プレシアは腕を振って、自分の調整用空間モニターを開く。
 二、三の操作をしてそれをアリシアたちの前に移動させる。

「それを押せば融合騎・プレシアのデータは初期化されるわ。
 好きなだけ痛めつけてくれて構わないわ。そして気が済んだら消せばいい」

「母さん!?」

「っ……」

 絶句する二人。
 しかし、それ以外に償う方法が思い浮かばなかった。

「どうして…………どうしてそんなこと言うの?」

「こうすることくらいしか……貴女達に償う方法が思いつかないの」

 その言葉にアリシアは大きく目を見開き、そして――
 高まる魔力の気配。
 感情の高まりによって放出された衝撃にプレシアは目を閉じて抵抗せずに受けた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ドンッ!!
 重い音にフェイトは何が起きたか理解できなかった。
 アリシアが怒り、逆に冷静になってしまって口を挟むことができなかった二人の会話。
 それはアリシアが発した魔力衝撃によって止まった。

「アリシアッ!?」

 壁に叩きつけられたプレシアの姿に思わず声を上げる。

「どいてフェイト……その人はやっぱりママじゃない」

「アリシア……何を言ってるの?」

「ママはいつも忙しくて約束破ってばかりだったけど、それでも優しかった。
 こんなこと言う人じゃなかった」

 その目に怒りを宿してアリシアは壁に叩きつけられたプレシアに一歩踏み出す。

「ダメッ!」

 その手を取ってその動きを止める。

「放してフェイト!!」

「いいのよフェイト」

 プレシアの声にフェイトは振り返る。

「プレシア・テスタロッサはそれだけのことをしてきたのよ」

「でも……」

 全てを受け入れようとするプレシアにフェイトはどうすればいいか分からなくなる。
 戸惑っているとアリシアがフェイトの手を振り払う。
 しかし、アリシアが向かった先はプレシアではなく、空間モニター。

「アリシアッ!」

 気付いていたらその小さな身体を突き飛ばしていた。
 予想以上に力がこもっていたのか、アリシアはテーブルを巻き込んで倒れる。
 アルフが作った、冷めてしまった料理が散乱する。

「……フェイト」

「あ……」

 怪我はないようだったが、頭から料理を被って酷い有様だった。
 しかし、それでも劣らない眼光の強さにフェイトは後ずさる。

「フェイト!? なんか今すごい音が」

 飛び込んできたアルフが部屋の惨状を見て固まる。
 その音に反応してアリシアはフェイトからアルフに視線を切り替えた。
 その隙にフェイトは空間モニターを見る。
 全体を見て、目的の項目を探し、見つけ操作する。

「フェイト……何を――」

 プレシアの姿が紫の魔力光に包まれ、杖の姿になる。
 フェイトは駆け出しそれを拾い上げると、そのままの勢いで窓に向かう。

「あ、フェイト!」

「フォトンランサー」

 ――ごめんなさい。

 内心で謝ってフェイトは窓をランサーで撃ち破る。
 そして、走る勢いを殺さずに飛ぶ。

「くっ……」

 塞がったはずの傷に鈍痛が走るが我慢して速度を上げる。

 ――どうしよう。

 何も考えずに飛び出してしまった、当然宛てはない。
 それでもあの場に留まってはいけないと、フェイトは思った。
 アリシアの気持ちが分からないわけではない。
 フェイトもプレシアの話に憤りを感じている。
 しかし、だからといって消えてほしいなんて思えない。
 何をどうすればいいのか分からずに少しでも遠くに逃げなければ、そんな衝動に駆られた飛び続けるが世界が色を変える。

「結界!?」

 一瞬、アリシアのものかと思ったがそれはよく知っている類のものだった。
 管理局が闇の書の残滓に対して用意していた緊急用の結界。
 しかし、それが何故起動したのか。
 その疑問の答えはすぐに分かった。
 立ち昇る紫の魔力。

「まさか……撃つつもり?」

 これまで以上の魔力の高まりに戦慄する。
 そして、遠くで紫の光が一際大きく光ったと思うと、壁を思わせる魔力の塊が迫る。

「くっ……」

 右手を前に盾を多重展開する。
 が、砲撃はフェイトの横を通り過ぎ、背後の海を穿つ。
 巨大な水柱が上がり、そこに込められた魔力の大きさ、アリシアの本気さを感じる。

『フェイト……やめなさい……アリシアの好きなようにさせて』

「うるさい黙って!」

 プレシアの声に一喝を返して対策を考える。
 威力からして防御はその上から押し潰される。
 幸い遠距離の命中率は高くないようだが――

「もう次が……」

 あれほどの砲撃をしたのに疲労の様子もなく、次弾の高まりを感じる。
 逆に距離を取ってしまったことが仇になる。
 これなら近接でアリシアを制圧した方がずっと効率的だった。
 迫る砲撃にフェイトは回避を取るが、

『フェイト危ない!』

「え……?」

 紫の砲撃が命中し、破壊された建物。
 そこから吹き飛ばされた拳大程のコンクリートの塊が振り返ったフェイトの額を直撃した。

「くぁ……うぐ……」

 飛びかけた意識をなんとか引き止めて、乱れた飛行制御を立て直す。
 そして、一層痛みを増した腹部に手をやる。
 つい先ほどに感じたぬるりとした感触。どうやら傷が開いたようだった。

『フェイト……』

「大丈夫……母さんは私が守るから……それにアリシアだって本当は――」

 言葉を切って砲撃を回避する。
 身体にかかる慣性が全身に激痛を走らせる。
 回避運動を繰り返すたびにフェイトの動きは鈍くなり、対する砲撃はその精度を良くしていく。

 ――このままじゃ落とされる。

 そう判断してフェイトは急降下する。
 建物に紛れて身を隠す。
 フェイトの狙い通り、アリシアはこちらの姿を見失ったのか、二度三度の砲撃をあらぬ方向に撃って止まった。
 着地して、手短な建物の中に身を隠して一息吐く。

『フェイト、すぐにロックを解きなさい』

 ――ロック? ああ、そういえば……

 疲れた思考で言われるがままフェイトは持っていた杖の操作モニターを開く。
 そこにある『モード固定』の項目を解除する。
 するとすぐ様、目の前に紫の魔力が現れ人の形を取る。

「なんて馬鹿なことを」

 プレシアはすぐにフェイトの傷を見て、前のように治療系の魔法陣を展開する。
 焼けつく痛みに顔をしかめる。

「本当にどうして……」

 フェイトの頬に手を添えて、今にも泣き出しそうな母の姿に胸が締め付けられる思いが溢れる。
 その手を取りながら、フェイトは思ったことをそのまま口にする。

「あの時……言った言葉……覚えてますか?」

「……ええ」

「私は母さんに笑っていてほしい……幸せになってほしい。
 この思いは今でも変わってない」

 ――呼吸が苦しい。それでもちゃんと言わないと。

「そしてそれは……きっとアリシアも同じで……」

 一つ一つを確かめるようにフェイトは言葉を紡いでいく。

「償ってほしいとか……いなくなってほしいとか……そんなことは望んでない」

 だから、アリシアは怒ったのだ。
 罰せられることばかりを望むプレシアが自分たちのことを見てくれてないことに。

「融合騎とか、生き返ったとか関係ない……
 わたしはまた母さんと話ができることが良かったって思ってる……
 危ないところを助けてくれて本当に嬉しかった」

「でも、私は――」

「だから、母さんが今ここにいて、苦しんでるならわたしは助けてあげたい」

 初めてプレシアの言葉を遮って、フェイトは言った。

「だってわたしは……プレシア・テスタロッサの……あなたの娘だから」

「…………本当に……貴女っていう子は……なんて……なんて……」

 感極まった声でプレシアはフェイトを抱き締める。
 彼女が今どんな顔をしているか分からなくなる。

「母さん……」

 それでも、そこにある確かな温もりにフェイトは安らぎを感じて目を閉じた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 どれだけの時間そうしていただろうか。
 不意にフェイトが押し、身を離す。

「アリシアを……止めないと……」

「そうね……あの子とももっとちゃんと話さないと」

 思い出すのはアリシアがフェイトに向けた言葉。
 
 ――死んだままの方がよかった。

 その言葉に身を切られるような痛みを受けた。
 独りよがりなことだと分かっていた。
 それを言葉にされるのはやはり辛い。
 それに自分がアリシアに対して意識していたことをずばり言い当てていた。
 常にどこかで「この子はアリシアだ」と意識して自分に言い聞かせていた。
 今ならアリシアが感じていた憤りを理解できる。

「アリシアを止めないと……私が……母さんを……みんなを守る……」

「フェイト……?」

 フェイトはそのままプレシアを押しのけて歩き出す。
 焦点の定まってない瞳に嫌な予感が浮かぶ。

「ベガ……」

 フェイトの手にバルディッシュに形が似た青い刃の三日月斧が現れ、怪しい光を灯している。

「魔力があれば……私は強くなれる……誰にも負けない……」

「フェイト、待ちなさい!」

「邪魔……しないで……」

 衝撃が身体に走る。

「がはっ……」

「安心して……すぐに終わらせるから……」

 笑いかけてくれるが、それはフェイトが浮かべる様な笑顔ではなかった。
 妖しさを持った笑みを消し、不気味な無表情になってフェイトは元来た通路を歩き始める。

「フェイト……」

 接触型のスタン攻撃だったのだろう。
 身体は痺れて動けないが致命的な痛みはない。

「あれは確か……リンカーデバイス……」

 予想だが、確信を持ってフェイトの突然の凶行の原因がそれだと見る。

「このままじゃ……」

 怒りに我を忘れているアリシアと操られているフェイト。
 この二人が戦った場合の結果を考えて背筋が凍る。

「誰か……」

 助けを呼ぶ。
 始めに浮かんだのはジュエルシードの回収の時にフェイトと対峙していた白い少女。
 しかし、プレシアには彼女と連絡を取る手段はない。
 システムのリストに登録されている名前は少ない。
 その内の一つに回線を繋ぐ。

「早く出なさい……」

 繰り返されるコール音に苛立ちながらプレシアは待つ。

『はい、どちら様って……ええ!? プレシア!?』

 空間モニターの向こうでクライドが驚きの声を上げる。

「クライド、すぐに来てちょうだい!!」

『来てって、それよりなんで生き――何があった?』

 深い追及をせずに察してくれたクライドは混乱からすぐに立ち直る。

「フェイトとアリシアが危ないの、お願い助けて」

『場所は?』

「第97管理外世界よ」

『第97管理外世界……ミッドからは時間がかかるな。ともかくすぐに行く』

 そうして通信が切れる。
 そして、次の相手に連絡を取ろうとして止まった。
 リストの中に一番初めに登録されていた名前は「ソラ」。
 彼に頼ることはいろいろな意味で躊躇われるが、これに似た状況を予想していたのは彼しかいなかった。
 意を決して回線を繋ぐ。
 呼び出しのコール音が繰り返され緊張が高まる。
 そして――

『…………何の用、プレシア?』

 不機嫌を隠そうともしないソラが空間モニターの向こうに映る。
 向けられた冷めた眼差しに思わず気持ちが引ける。

『というか、ちゃんとリンカーコアは定着していたみたいだね。
 なんの音沙汰もなかったからてっきり失敗したと思ってたけど』

「ええ……一応は……」

『まあ、どうせ融合騎になった自分はあの子たちの母を名乗る資格なんてないっとか一人で自己完結して満足していたんでしょ』

「…………」

 アリシアもそうだったが自分はそんなに分かりやすいのだろうかとプレシアは悩む。

『ま、運よく生き永らえたんだからすぐに結論なんか出さないでゆっくり考えればいいんじゃない?』

「運よくって……成功確率はどれくらいだったの?」

『さあ……設備もなかったし、テストもしてない、下準備は結構適当だったから……10%くらいかな』

「10って良くもそんな歩の悪い賭けを……」

『あんたが生きたままあの世界から脱出するよりはいい数字だと思うけど』

「そうだったとしても、どうしてアリシアとクライドに何も話さなかったの!?」

 殺せと言い出したのが自分だけに強くは返せないが、彼がアリシアを置いていったことには憤りを感じていた。

「貴方がクライドを嫌っているのは分かっているわ。
 でも、アリシアは……アリシアに融合騎のことを話していれば、あの子の気持ちは変わらなかったはずよ」

 母を助けるための歩の悪い賭けでもアリシアは失敗してもソラを責めることはしなかったはず。
 それはフェイトも同じだ。

『何を言ってるのプレシア?』

 しかし、プレシアは気が付くことになる。

『僕は人殺しなんだから元々アリシアと一緒にいられるわけないじゃない』

 自分がソラという人間を何も理解していなかったことに。

「なっ……?」

『僕は血に汚れた薄汚い存在。
 それが分かってるから僕に自分を殺せって言ったんでしょ?』

 そんなつもりはなかった。
 倫理観が薄いのは分かっていた。だから、人の生き死も計算しそれを天秤にかけて行動できる人間だと思っていた。
 あの時、プレシア・テスタロッサが生きていても百害あって一利なしだと計算できていたと思っていた。
 ソラの心を知らないまま。

『僕たちが一緒にいられたのはあの世界だったから。
 何もない、社会も法もないあの場所だから一緒にいられただけ
 だから、本来は敵同士のクライドと生きてこっちに戻るために協力していたんだ』

 プレシアがいなくなり、あの世界に留まる理由がなくなったからソラはアリシア達と別れてあの世界から脱出した。
 例え、プレシアが人のままあの世界から出ることができてもそれは変わらなかっただろう。
 だからソラはあの時、全てを一人で決めて実行した。

「なら……どうしてアリシアとフェイトの仲を取り持とうとしたの?」

『それは傍にいられなくても幸せになってほしいからだよ。
 それにフェイトのことは他人とは思えなかったから……でも、ただの代償行為なのかもしれないけど』

 ――この子は何なの?

 自分を人殺しと卑下しながらも、自分を削って他人の幸せを願う様は歪んでいるようにしか見えない。
 いったいどんな罪を背負えばこんな人間ができるのか想像もつかない。

『それで、要件はメンテナンス?』

「え……?」

 話題の転換についていけずプレシアは間が抜けた返事を返した。

『だからメンテナンス。
 一応融合騎は自己メンテナンスができるからあまり必要ないかもしれないけど、やっぱり一度不具合がないか検査した方がいいだろうし。
 マニュアルにも書いとおいたと思うけど?』

「ええ……そうね」

 ――メンテナンスなんてしてないわよ。

 内部データのマニュアルに全く目を通していないことを悟らせないようにプレシアは頷いた。
 同時にソラと連絡を取った要件を思い出す。

「あのねソラ……」

 改めて今の状況をソラに伝えることを躊躇う。
 不確定要素が重なったとはいえ、ソラが懸念していたフェイトとアリシアが争うことになった。
 言えば力を貸してくれるだろうが、果たしてそれでいいのか。
 思わず迷う。
 しかし、大気を震わせる天雷の音と交差する魔力の爆発に迷いを払う。

「ソラ……実は……」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 アリシアは母が大好きだった。
 いつも仕事で忙しくて一緒にいられなかったけど優しくて、一緒にいられる時は嬉しくて楽しくてとても幸せだった。
 しかし、目が覚めたら全てが変わっていた。
 住んでいた家もなく、リニスもいない。
 そして母は怖くなっていた。
 優しい言葉をかけてくれない。ぎゅっと抱きしめてくれない。
 それは母の姿をした別人だった。
 それでもたくさんの言葉を交わして、喧嘩もして少しずつ分かり合うことができた。
 なにより母さんがソラに殺された時は本当に悲しかった。
 そして、本当は生きていたと知って嬉しかった。
 なのに――

「フェイト……」

 地表からゆっくりと飛んでくるフェイトをアリシアは見つけた。
 その手には三日月斧。プレシアの杖はどこにもない。

「あの人はどこ?」

 フェイトは答えずに三日月斧を構える。
 その態度にアリシアはムッと顔をしかめる。

「……フェイトも分かるでしょ。あの人はママじゃない。
 ママはあんなこと言ったりしない」

「違う……あの人は母さんだ。どうして分かってあげないの?」

「そんなの分かんないよっ!」

 あの人は勝手に決めてしまった。
 その決めたことに自分のことなど一つも考えてもくれていなかった。

「そんなはずない! アリシアは母さんのことをよく知ってるはず」

「分かってるから違うの!」

「アリシア……」

「ママはあんなこと言わない。
 ママは約束を破っても「ごめん」ってちゃんと謝ってくれた」

 でも、あの人は謝らなかった。
 そして罰というよく分からないことを言い出した。

「あたしのママはもうどこにもいないのっ!」

 感情に合わせてアリシアの身体から魔力が溢れ、大気を震わせる。
 無秩序な魔力放出で起きた風がフェイトのマントや髪を大きく揺らす。

「…………分かった。どうしても母さんの敵になるんだね?」

「え……?」

 何かが変わった気がした。

「なら、アリシアは私の敵……」

 次の瞬間、アリシアの目の前からフェイトが消えた。
 そして消えた瞬間に目の前に現れる。

「なっ!?」

 ――速過ぎる。

 前に模擬戦で戦った時とは段違いの速度。
 しかし、その手の攻撃にアリシアは身体にしみついた反射でバリアを展開していた。

 ギャンッ!

 球面のバリアを削ってベガが振り抜かれる。
 紫の膜の向こうでフェイトが驚きの表情を浮かべている。
 そこに向かって――

「ファイアッ!」

 フォトンランサーを撃つが、すでにフェイトはそこにいなかった。
 後ろからの風がアリシアの長い髪を前に流す。
 同時に感じる背中からの魔力の高まり、空気を切り裂く風切り音。
 それだけでアリシアは見もせずに背後に盾を展開する。
 硬質な音を盾が鳴らす。
 そして、そこにさらに魔力を注ぎ込み爆発させる。

「くっ……」

 爆風に煽られて吹き飛ばされるアリシア。
 それはフェイトも同じだった。

「ふう……」

 一息を吐く。
 そして、体勢を立て直しベガを構えるフェイトを改めて見る。

 ――模擬戦の時とは比べ物にならないくらいに強い。

 それがどうしてなのかは、アリシアにはベガの違いくらいしか分からない。
 デバイスを持つだけで信じられないくらい強くなれることをアリシアは経験上知っているが、バルディッシュとベガにそこまで差があったとも思ってもみなかった。
 もっとも、それはアリシアの勘違いの部分が大きい。
 アリシアが持ったデバイスはプレシアを内包した一級品の特別製だったから自分でも信じられないくらいに魔法が強化されていた。
 確かにベガは特別なデバイスだが、それでも模擬戦との大きな違いはフェイトの心構えによるところが一番大きい。
 戦闘経験や知識に乏しいアリシアはそこまで分かるはずもなく、訂正してくれる人もいない。
 結局、知らぬままアリシアは本気のフェイトを初めて前にしていた。

「フォトンランサー」

 デバイスなしで使える唯一の攻撃魔法をセットする。
 しかし、それを撃つより速くフェイトが動いていた。
 ランサーを放棄して、勘に任せて盾を展開し死角からの攻撃を受け止める。
 反撃しようにもフェイトはもうそこにはいない。

「くっ……」

 アリシアの視線を振り切り、フェイトは死角から手を休めることなく攻撃してくる。
 防戦一方の状況にアリシアは焦る。
 このパターンは前にソラにやられたことがある。
 フェイトと違って彼のは足さばきによるものだったが、連続する死角からの攻撃に何度も悔しい思いをした。
 だから当然、対抗手段も考えていた。

「う……あああああああっ」

 横からの斬撃を盾で受け止めると同時に魔力を一気に解放する。
 単純な魔力放出。そこに攻撃力はほとんどない。
 が、衝撃に煽られてフェイトの速度がわずかに鈍る。

「そこっ!」

 すかさずフォトンランサーを撃つ。
 が、デバイスの補助のないそれは今までとまったく違うものだった。
 まさしく閃光の如き速さを持っていたランサーは見る影もなく、普通のランサーとして飛ぶ。
 そんな攻撃は今のフェイトには通用せず、すぐに反応して展開したラウンドシールドにあっさりと弾かれる。

「うそっ!?」

 アリシアが声を上げている間にまたフェイトの姿が消える。

「なんてね!」

 バリアジャケットのマントを切り放し、ベガの斬撃を柔らかく受け止める。
 そしてそれを巻き付け固定する。
 予め組み込んでおいた即席のバインド。
 空間設定などの制御ができないアリシアができる唯一の相手の動きを止められる手段。
 さらにそのバインドは自分の腕に巻き付く。

「これでもう放さない」

 アリシアは今のフェイトとの実力差をきちんと理解していた。
 自分ではフェイトの速度に対応できない。
 だから、バインドで互いの身体を繋ぎ止めた。
 そして――

「ふっ!」

 短く気合いの入った呼気。
 魔力を込めた単純な拳を、堂に入った構えから放った。
 単純な一撃でも、そこに込められた膨大な魔力はそれを十二分な凶器に変えていた。
 しかし、フェイトはそれを手の平に作ったバリアで受け止める。

「え……?」

 そのままフェイトはバリアを解き、拳を掴む。
 次の瞬間、電気の衝撃がアリシアの身体を駆け巡った。

「かは……」

 意識が飛び、緩む拘束を無造作にフェイトは払って、改めてベガを振り下ろした。
 直撃。薄くなった装甲のバリアジャケットを抜けて鈍い刃がアリシアの身体に食い込み、弾き飛ばす。
 一瞬、意識が途切れ、地面に激突した衝撃を受けて戻ってくる。
 バリアジャケットは落下の衝撃を受け止めるのを最後に弾ける。
 呼吸がままならず、斬られたところが焼けつくように痛い。今にも泣きだしてしまいそうだった。
 しかし、泣き叫ぶ力さえ出てこなかった。
 そして、その暇もなかった。
 頭上で金色の魔法陣が大きく広がる。

「サンダー ――」

 雷光がアリシアを包み、その動きを完全に拘束する。

「――レイジッ!」

 迸る雷撃が降り注ぎアリシアはギュッと目を瞑る。
 しかし、耳をつんざく轟音は聞こえても、身体に受ける衝撃はいつまで経っても襲ってこない。
 おそるおそる目を開けると金色の粒子が舞っていた。

「これって……」

 この現象は見たことがある。
 あらゆる魔法を強制的に無効化し、魔力の粒子に戻す特殊技能。
 それを扱える人は一人しか知らない。

「ソラ……」

 見上げたその先には黒い服をまとった大きな背中。
 母を殺された時は、どうしてと嘆き憎みさえもした。
 しかし、プレシアの話を聞き、こうして自分を守るように立つ彼の姿は前と何も変わっていなかった。

「やれやれ……なんか予想以上に最悪な状況みたいだね」

 内容とは裏腹な軽薄な言葉がとても彼らしかった。








あとがき
 テスタロッサ一家の親子喧嘩と姉妹喧嘩の話でした。
 ようやく第九話の最後につなげ、本命(ソラ)を出すことができました。
 長かったです。
 少し時間系列に違和感がありますが、九話の戦いから数日間ソラは眠っていたと思って下さい。


捕捉説明
 融合騎プレシア
 プレシア・テスタロッサのリンカーコアを元にして作られたデバイス。
 アリシア、およびフェイトにはユニゾン適性はないので融合はできないが、杖のモードではインテリジェントデバイスとして使用可能。
 今までの戦闘ではアリシアの魔力を使ってプレシアがほぼ全ての制御を行っていた。
 なので、アリシア単独での魔導師ランクはBランク(飛行適性有り)。
 バルディッシュと同等のデバイスを持ってAランク。
 融合騎プレシアを使うと、アリシアの処理を上回ってプレシアが魔法行使を行うため、彼女のSSランクがそのまま当てはまることになる。









[17103] 第二十話 暴走
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/01/10 11:28
「うぷ……」

 クラクラしていた頭がようやくはっきりとしてくる。
 融合騎プレシアの中に残しておいた召喚獣用の転送魔法陣を使ってミッドチルダから大幅な時間短縮をして呼び出してもらった。
 しかし、その代償はひどい酩酊感だった。

「さてと……」

 踏みしめている地面の感覚を確認しながらソラは上を見上げた。
 光の魔法陣の中でこちらを見下ろしているフェイト。
 しかし、そこにある表情は前に見た時のものと比べて違和感があった。

「お……」

 どうやって空から引き吊り下ろそうかと考えていたら、自分から降りてきた。

「ソラ……どうしてここに?」

「プレシアに呼び出された。
 緊急用の召喚魔法を残しておいたけどあれは最悪だね。二度とやりたくない」

 通って来た形容しがたい次元空間を思い出すだけでまた酔ってくる。

「母さんを……殺してなかったんだね」

「いいや。確かにプレシアは僕が殺していたよ。
 まあ、あのプレシアが人間のプレシアと同じだってことは認めるけどね」

「違う……あれは母さんだ」

「違わない。あれはもうプレシアじゃない。
 でも遺言の伝言くらいにはなったでしょ?」

 フェイトやアリシアに何の責任も取らずに消えてしまおうとしたプレシアが許せなかった。
 だから、小さな可能性に賭けてみた。

「……ソラ、そこをどいて」

 しかし、三人の話し合いはわだかまりを解くどころか、こじれたようだった。

「どいたら何をするつもり?」

「アリシアを……倒す。倒して魔力をもらう……そうすれば私は強くなれる」

「強く……ね」

 フェイトが構える三日月斧に視線を向ける。
 仄かな魔力を灯すそれは見るからに妖しく、プレシアの言っていた言葉を思い出す。

 ――ロストロギアみたいなデバイスに操られている。

「バルディッシュ……だったけ? 前のデバイスはどうしたの?」

「今は修理中」

「捨てるの?」

「っ……そんなことはしない」

「だといいけどね。そんなことをしたらリニスが悲しむだろうし」

「なっ!? どうしてあなたがリニスのことを!?」

「さあ……どうしてだろうね?」

 虚ろで妖しい表情から生きた表情に戻ってきた。
 それでもまだ刃を引く気配はない。

「とりあえずアリシアと戦うのをやめるなら話してもいいよ」

「……それはできない。私は強くならなくちゃいけないから」

「……なんでそうなるのかな?」

「リンカーデバイスは他人の魔力を一時的に蓄えることができるの。
 それはカートリッジみたいに使えるから、蓄えた分だけ有利になる」

「だから、アリシアの魔力が欲しいってことね」

 リンカーデバイスがどんなものかは分からないが、嫌なデバイスだと感じた。
 そのシステムと同じものをソラは知っている。それはソラが嫌悪する闇の書と同じだからだ。

「君はそういうのに手を出すタイプだと思ってなかったよ」

 言葉を交わしてなくても、刃を交わし多少は彼女の人柄を把握しているつもりだった。
 強くなりたいという気持ちは分かっても、何かに縋る気持ちは分からない。

「アリシアはずるい。
 あんなに母さんに思われているのに少しも分かってあげようとしない」

「だからって、アリシアを――」

 思わず言葉を止めた。
 会話は成立しているが、それには違和感が付きまとう。
 完全に洗脳されているわけではない。
 むしろ、思考を誘導されていて、自分の行動に疑問を感じていないように感じる。

「…………アズサと同じか」

 ならば本人を説き伏せるよりも先におかしくしている元凶を抑える必要がある。
 ソラはフェイトの持ちベガに視線を向ける。

「邪魔をするの?」

「そうだね……アリシアが欲しかったら、まずは僕を倒すんだね」

「ええっ!?」

 驚きの声は後ろから、アリシアが赤い顔をしてうろたえていた。

「えっと……あのねソラ……わたしはそういうつもりじゃなくて……その……」

 前を見ると同じように顔を赤くしたフェイトが何かを弁解していた。

「何を言ってるの二人とも?」

「だ……だって、その言い方じゃまるで……わたしがアリシアをくださいって言ってるみたい」

「みたいって……実際そう言ってるでしょ?」

「だから……そういうことじゃなくて……その……なのはだったら別にいいんだけど……」

「えっと……何を言ってるのかな?」

『貴方……無自覚であんなことを言ったの?』

 懐に忍ばせた、待機状態のプレシアが呆れた言葉をかけてくる。

「分からないから、説明してほしいんだけど」

『つまりね――』

「待った。その話は後で」

「とにかく、邪魔するなら容赦しない」

 自己完結したフェイトはその言葉とともに切りかかってくる。
 前よりも速い速度で接敵してくる。
 それに対してソラは一歩前に出る。
 その一歩だけはフェイトの速度に劣らず、結果フェイトは間合いを狂わされる。

「くっ……」

 身体同士がぶつかり、体当たりは機動力を上げていたフェイトが押し切る形になってソラがバランスを崩す。
 しかし、倒れながらソラはフェイトを掴み、その速度のまま地面に叩きつけた。

「がっ……」

「あ……」

 フェイトのくぐもった悲鳴にやってしまったとソラは頭を抱える。
 予想よりも速い速度だったが、その動きは単調で読みやすかった。
 カウンターを入れることもできたが、あまり傷付けないように組み敷くことを選んだ。
 しかし、フェイトの速さが早過ぎたため、勢いを殺しきれずにかなり強めに地面に叩きつけることになってしまった。

「えっと……大丈夫?」

 と言いつつも関節を極めようと掴んだままの腕を捻ろうとして、弾かれた。
 電気の衝撃に痺れる手をプラプラと振りながら、ソラは距離を取ったフェイトと向き直り、同時に光剣を抜いた。

 ガキンッ!

 硬質な音が響き、魔力の刃がフェイトの三日月斧を受け止める。

「どうして……」

「いくらやっても無駄だよ」

 フェイトの困惑にソラは答える。

「君は確かに速いけど、まだ対応できるレベル」

 言外にフェイトよりも速い相手を知っているという言葉にフェイトは驚きの表情を浮かべる。

「それにまっすぐで分かりやすいっ!」

 刃を外し、蹴り。
 しかし、フェイトはバランスを崩すことなくそれに対応、蹴り足の前に手をかざして盾を作る。

「あう……」

 そんな盾を無視して浸透衝撃はフェイトの腕を痛めつける。
 怯むその隙に蹴り足を戻す勢いで逆から剣を振る。
 紙一重のタイミングでフェイトは後ろに飛んでそれを回避。
 開いた間合い。ソラの間合いから離れてフェイトの気配がわずかに緩む。

「甘いっ」

 しかし、そこはまだソラの射程範囲だった。
 右手を弓を引くように後ろに、前のめりに足に力を溜めて、矢の様に自分の身体を撃ち出す。
 蹴り足の衝撃に地面が爆ぜる。広がった間合いが一瞬で零に戻る。
 驚愕に顔を引きつらせるフェイト。彼女の右肩を狙って全ての勢いを乗せた突きを放つ。
 が、フェイトはそれも真上に飛んで回避する。

「ちっ……」

 地面に足を叩き付け、地面を削ってブレーキをかける。
 止まる間にフェイトは上から六つのプラズマランサーを準備し――

「ファイアッ!!」

 止まった瞬間を狙って撃たれたランサーをソラはステップでその間を縫う様にして回避する。
 しかし、ランサーが地面を穿ち舞い上がった土煙がソラの視界を覆う。
 その煙を切り裂いて目の前にフェイトが現れる。
 認識と同時に光剣を薙ぐが、それは巻き起こる風を切り裂くだけだった。
 しかし、そこでソラは動きを止めず、左手にもう一つの光剣を逆手に抜き、背後に突き出した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「なっ!?」

 煙に紛れ不意を打ち、超反応を予想して正面からフェイントをかけた。
 そして背後を取り、必殺の一撃を当てようとしたところで見えたのは新たな光剣の切っ先。
 反射的にのけぞり、魔力の刃が頬をかすめていく。

「わわ……わっ」

 そのまま体勢を戻せずに尻もちをついてしまう。

「あ……」

 次の動作に移るより早く、ソラに光剣を突き付けられた。
 両手に握られた魔力の刃を発生させている光剣に目を奪われる。

「二刀流……」

 直感的にそれが彼の本当の戦闘スタイルだと理解するが、同時に屈辱が込み上げてくる。
 前の模擬戦で彼はまったく本気を出していなかった。

「どうして……」

 どうして魔導師でもない人間がここまで戦える。
 どうして魔導師でもない人間がこれほどの力を手にしている。

「くっ……」

 プレシアに否定された時のような絶望感が湧きおこる。
 まるでこれまでの自分の努力が全て否定されている気分だった。

「そんなことない……私は……強くなったんだ」

 リンカーデバイスを持ち、より多くの魔力を得てアリシアに勝った。
 しかし、それでもまだ敵におよばない。
 勝つためにはもっと強くならなければいけない。

「やれやれ、このリンカーデバイスってやつを壊せば正気に戻るのかな?」

 冷めた言葉にフェイトの背筋が凍った。
 そして、ソラは素早く右の剣を戻し、銃を抜いた。
 前に見たものよりも大型になったそれの引き金を躊躇うことなくソラは引いた。

「あっ!」

 手に衝撃。ベガが衝撃にもぎ取られて落ちる。

「ちっ……アキの奴……直したなんてものじゃないぞこれは」

 ソラは銃を左手に持ち替えてさらに一発、二発と魔弾をベガに叩き込む。

「やめてっ!」

 ベガは自分の命を支えている。
 もし破壊されたら自分は死んでしまう。
 フェイトはソラに飛びかかるが、ソラはフェイトの体当たりに足を残して一歩引く。

「あっ……」

 足をかけられてフェイトは転ぶ。
 ソラはフェイトに一瞥をくれて、ベガに視線を戻す。

「ダメ……やめて……ソラ……」

 ――折角手に入れた力なのに。

「やめろぉぉぉ!」

 フェイトの願いを聞いたのはその使い魔のアルフだった。
 飛んでくる勢いをそのままにアルフはソラに拳を放つ。

「くっ……」

 不意打ちを紙一重で回避するが、ソラは大きくバランスを崩す。
 アルフは落ちたベガを拾い、離脱する。

「おい……犬。なんのつもり?」

「聞いてくれソラ……これは――」

「ダメ! 言わないでアルフッ!」

「でも、フェイト」

「分かってるでしょ? それのせいでフェイトがおかしくなってるってことは?」

 ソラは銃口をアルフに向ける。
 フェイトはその間に立つ。

「アルフ……ベガを渡して」

 アルフからの答えはない。

「早くっ!」

「っ……」

 アルフから受け取ったベガを見る。
 ソラの銃撃を受けていてもそこに傷はついてない。
 そのことに安堵しながら、考える。

 ――今のままじゃ勝てない。

 ため息を吐いて二つの剣を持ち直しているソラの姿を見据える。
 覇気のない気の抜けた佇まい、隙だらけなのに攻撃できない何かを感じる。
 結局、未だに彼の実力の底が見えない。
 それでも彼の言葉を思い出す。

 ――君は確かに速いけど、まだ対応できるレベル。

 なら、もっと速く動けばいい。

「ソニックフォーム」

 バリアジャケットを換装すると同時に飛び出す。
 正面からの一薙ぎをソラは上からの斬撃で迎え打つ。
 次の瞬間、フェイトはソラの背後に回り込み、振り返る勢いでベガを振る。
 ソラは振り返らずに光剣を背中に回して受け止める。
 力の入らない無理な体勢、ソラはフェイトの斬撃の力に逆らわずに身体を回して受け流す。
 その動作から流れるように逆の光剣が閃く。
 咄嗟に後ろに飛んでフェイトは回避する。
 そして、改めてフェイトはソラのデタラメさを感じていた。

 ――まるで後ろにも目があるみたい。

 それに二つの光剣によって攻防が同時に行われている。
 今のままの速度では二つの光剣を振り切れない。

「もっと……速く……」

 エルナトの男やアリシアのようにソラを速さで翻弄するならまだ速さが足りない。

「常駐起動……ブリッツアクション」

 移動系の魔法は飛行を除けば基本的に瞬間効果のものばかりになる。
 何故なら移動系の魔法は推進力を与えるものになるからに他ならない。
 飛行魔法は長く一定に対して、加速魔法は一瞬で最大の魔力運用を行うことになる。
 加速魔法を常時で使うことは常に全力疾走していることと同じことになる。
 しかし、魔力供給をベガから受けているからガス欠の心配はいらない。

「並列起動……ソニックムーブ」

 さらに新たな魔法を起動する。
 それも移動系の重ね掛け、本来なら衝突してどちらも強制停止するが片の方の制御をベガに完全に任せる。
 バルディッシュでは決してできない魔力運用を持ってフェイトは三度目になる攻撃を開始した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「プレシア、犬と念話をつないで」

 三日月斧を犬から受け取って構え直したフェイトから視線を外さずにプレシアに指示を出す。

『…………つないだわ』

『犬、状況説明を簡潔に』

『誰が犬だ! あたしは狼だ!』

 律儀な突っ込みが返ってくるが、今はそんなものにかまっている余裕はない。

『そんなことどうでもいい。で、あのデバイスを破壊するとどうなるの?』

『それは……』

 言い淀むのは御主人さまに口止めされたからか。
 融通の利かない、ただ諾々と主に従うだけの彼女に苛立ちを感じずにはいられない。

 ――主が間違ったら殴ってでも止めるのが従者の役目じゃないのか。

『もういい。プレシア、どう見る?』

 早々に見切りをつけて今度はプレシアに尋ねる。
 同時にフェイトが動いた。
 バリアジャケットの形状を変え、今までよりも速く迫る。

 ――左から水平の薙ぎ払い。

 フェイトの構えから瞬時に判断し、ソラは対する行動を取る。
 右の光剣を振り下ろし、打ち付ける。
 思っていたよりも軽い衝撃にそれが布石だと判断する。
 同時にフェイトが組んだ術式を確認し、背後からの攻撃を察知する。
 半瞬遅れて、目の前からフェイトが消える。
 左の光剣を背中に回し、三日月斧を受けると同時に身体を捻る。
 光剣の刀身をなぞらせる形で受け流し、右の光剣を振る。
 フェイトは後ろに飛んでそれを回避した。

『そうね……あのデバイスの名称はリンカーデバイス。破天の魔導書によって作られた生きたデバイスみたい』

『破天? こっちでも天空の書……』

『ミッドで何かあったの?』

『ちょっとね……今はそんなことどうでもいいけど』

 プレシアの情報を元に考える。
 リンカーコアを内包しているのなら独自意識を持っている可能性が高い。
 それにフェイトが操られていると仮定する。

『この手のタイプのものなら、使用者のリンカーコアと同期している可能性が高いわね』

『同感……』

 フェイトとリンカーデバイスのコアが繋がっている状態ならリンカーデバイスの破壊はフェイトのコアの破壊と同じ意味となる。

『リンカーコアを破壊されたら魔導師は死ぬ』

『貴方は例外だけどそれは何億分の一の確率よ』

『分かってるよ』

 そうなると犬のあの慌てようも納得できる。

『対処法とすればリンカーデバイスからの干渉を閉じればいいと思うわ』

『簡単に言ってくれるなぁ』

 思考リンクの切断は魔法の領域。
 他にも魔力ダメージによる昏倒、物理的に意識を刈り取る方法もあるがフェイトの速度を考えると難しい。

『プレシア……一番のシステムの準備を』

 指示を出し、目を見張る。
 加速系の魔法を自身にかけたかと思うと、さらに別の魔法が起動する。

「くっ……」

 一瞬で間合いを詰められ、刃が迫る。
 本来なら移動系の魔法の効果が切れてからの非高速攻撃は反応速度の差でソラの防御も間に合うはずだった。
 しかし、フェイトは高速のまま動く。
 そして光剣が届くより速く、フェイトの三日月斧がそれをかいくぐってソラの身体に打ちこまれる。

「がっ……」

 脇腹に容赦のない衝撃。
 あばらが折れる嫌な音が体内に響く。
 足のふんばりは効かずにフェイトの斬撃に弾き飛ばされて壁に背中から激突する。
 肺から空気が絞り出され、血を吐く。

 ――これだから魔法が使えない身体は……

 脆弱な身体にそう思わずにはいられない。
 どれだけ精確に次の行動を予測しても、魔導師と力比べすればフェイトのような小さい子供にも勝てない。
 こちらの反応速度を上回る速さ、人を軽々と吹き飛ばす膂力。
 ソラの体術によるごまかしも圧倒的なスペックの差には無意味なものと化す。

「はっ……」

 血の混じった唾を吐きながらゆっくりと立ち上がる。
 激痛が身体に走るが無視する。
 この程度の傷ならあと三十秒もすれば元に戻る。

『ソラ……大丈夫なの?』

『問題ない。それより準備は?』

『いつでもいけるわ』

『そう……なら……』


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ベガを握る手には確かな手応えを感じた。
 勝った、と達成感を感じたのも束の間、ソラはゆっくりと立ち上がった。

 ――ありえない。

 手には確かに骨を砕く手応えがあった。
 それにあの速度で壁に叩きつけられたのだからバリアジャケットに守られていない常人では立てるはずがない。

 ――あれ……どうして手が……

 自分の手が小刻みに震えていることに気が付く。
 ソラに恐怖を感じたのだろうか。
 違うと否定しつつも、フェイトは何か大事なことを忘れている気がした。
 自分の中に違和感を感じても、それが何か具体的には分からない。
 ソラが動き出すことで、フェイトは自身に向けていた思考を彼に戻す。
 足下がおぼついていない満身創痍。それなのに眼光は少しも衰えていない。
 その気迫に気押される。
 ソラは懐に手を差し込むとそれを出した。
 それは逆三角形のプレート。
 バルディッシュとは色違いの紫のそれを掲げて叫ぶ。

「プレシア……ユニゾン・イン!」

「なっ!?」

 その可能性を完全に失念していた。
 融合騎プレシアはソラが魔導資質を取り戻すために作ったものをベースにしている。
 だから、正統な使い方をすればソラは魔導資質を取り戻す。
 魔法を使えるソラ。
 その脅威レベルは今までの比ではない。
 戦慄して身体に力がこもる。
 しかし――

『システムエラー……該当するリンカーコアが確認できません』

 フェイトにまで聞こえるシステム音にその場の空気が固まった。

「ユニゾン……イン」

『システムエラー……該当するリンカーコアが確認できません』

 ソラは力任せにそれを地面に叩き付けた。

『ちょっとソラ!』

「うるさい! お前はそこで埋まってろ!」

『それ完全な八つ当たりじゃない。ちょ、やめて、ああっ!』

 踏みつけられた母の悲鳴は聞こえなかったことにする。

「こほん……」

 ソラは佇まいを直して手招きする。
 安い挑発。
 それにフェイトは乗った。
 決してこの微妙な空気にいたたまれなかったわけではない。

「ふっ……」

 先程と同じ方法。
 ソラの防御速度を超えてベガが届く。
 肩口から脇への振り下ろし、刃はその身体に深々と食い込む。
 が、止まった。

「くっ……」

 目の前には痛みにこらえるソラの顔がある。
 三日月斧を身体を使って止め、肩に食い込んだ刃を右手が掴む。
 それに対してフェイトは刃を押し込んだ。
 本来なら近接になったらすぐに離脱しているところだったが、深手を負ったソラの反撃が今までの様な理不尽な攻撃力を持っているとは思えない。

 ――これはチャンスなんだ。

「ぐあっ」

 抑えつけようとしていたソラの力が緩む。
 フェイトはさらに力を込めて――それを見つけた。
 刃を掴む手とは逆の手に握られた見覚えのある菱形の青い石。

「まさか、ジュエル――」

 言い終わる前に膨大な魔力がそれから溢れ出した。

「あう……」

 溢れ出した魔力の激流に身動きが取れなくなる。

 ――まさか自爆?

 溢れ出した魔力が巻き戻る様にソラの手に収束していく。
 その力は人が操ることができないことをフェイトは身を持って知っている。
 なのに、膨大な魔力は統制を失うことなく圧縮され、形になる。

「ブレイズ――」

 ――まさかジュエルシードを制御している!?

 そんなデタラメなことありえないと思いつつも、ジュエルシードから溢れる魔力は止まっている。

「――キャノン」

 そして、フェイトはその青い光に飲み込まれた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ぐっ……あぁっ……」

 断ち切られた肩が元に戻る。
 そこで生まれる激痛は最早慣れたものだったが、それでも悲鳴が漏れる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 呼吸を整えて顔を上げる。
 非殺傷設定とはいえ、生まれた衝撃は射線上のものをきれいに吹き飛ばしていた。
 しかし、その先にフェイトの姿はない。

「逃がした?」

 そんなはずはない。確かに命中させた手応えはあった。
 周りを見るとその姿はすぐに見つかった。
 道路に倒れ、ベガを支えにして立ち上がろうとしている最中だった。

「しぶといね」

「あなたにだけは……言われたくない……」

 立ち上がっても力が入らずにフェイトは膝を着く。

「どうして……」

「ん?」

「どうして……ベガを手に入れたのに……わたしは強くなったのにどうして勝てない……」

 フェイトの独白にソラは呆れが混じったため息をもらす。

「それ本気で言ってる?」

 だとしたらフェイトの評価を改めなければいけない。

「だって、やっぱりおかしいよ!
 ソラは魔法が使えないのに、わたしたちの方がすごいことができるのに、なのに――」

「少し黙れ」

 銃を抜いてフェイトの頬をかすめる様に撃つ。
 銃撃に驚いてフェイトは黙る。

「勘違い、それに甘ったれたことばかり、はっきり言わせてもらうけど――」

 そこでソラは言葉を止めた。
 今は説教をしている場合ではない。
 思い出すのは北天の魔導書に操られたアズサの末路。
 最初に決めたように説得や説教は後回しにして元凶の対処を優先する。

「ま、それは後でゆっくりと教えて上げるよ」

 フェイトから視線を外して三日月斧に目を向ける。
 もし仮説が正しければ、リンカーデバイスの破壊はフェイトの死に直結する。
 本来ならこの類のものは考えるまでもなく破壊したいのだがそうもいかない。

「プレシア……封印してみる?」

『まあ、それが妥当かしらね』

「母さんまで、どうして!?」

 裏切られた、そんな顔をするフェイトに対してソラは――

「てい……」

「はうっ!?」

 首筋に手刀を落として意識を刈り取る。

「それじゃあ、あとは任せてもいい?」

「ええ」

 プレシアが現れてフェイトに近付いていく。

 ――これで正気を取り戻せればいいけど。

 話した限り洗脳ではなく思考誘導のようだからリンクさえ切って落ち着かせれば元に戻ると思う。

 ――もしダメだったらどうするかな……

 今後のことを考えながら、ソラはフェイトの周囲にいた人たちに憤りを感じていた。
 こんな怪しいデバイスをフェイトがどうやって手に入れたのか。
 どうしてフェイトがそれを使うことを管理局は容認したのか。
 それに彼女に自分は一人じゃないと言わせた友達は何をしているのか。
 戦闘時間はアリシアを含めてだいぶ経っている。
 それなのに参戦してきたのはアルフだけで――

「…………プレシア待った!」

 思考に没頭していて、その察知に遅れた。
 制止の声は遅く、振り返ったプレシアは頭上から降り注いだ野太い砲撃の光に飲み込まれた。
 さらにソラの周囲に十数発の魔弾が降り注ぐ。

「くっ……」

 回避するも誘導し、追ってくるそれらをソラは二つの光剣で切り払う。
 全てを切り伏せたところで、彼女はソラとフェイトの間に降り立った。

「高町…………高町……えっと……」

「なのはだよっ! 高町な・の・はっ!」

「そうそう、高町なのは」

 良い反応を返すなのはに満足しつつ、ソラは冷めた視線を向ける。

「それで今さら何をしに来たの?」

 本当に今さらだ。
 アリシアとフェイトが具体的にどれくらい戦っていたかは分からないが、もう全て終わっていたのだ。
 なのに彼女はそれを邪魔した。
 それは何故か。
 ソラはなのはの持つデバイスに目を向ける。

 ――リンカーデバイスではないけど……

 そこにある装備に半ば呆れる。
 一際、機械的なフォルムになった魔法の杖。
 カートリッジマガジンがついていたところには弾帯ベルトが装着され、背負っているバックパックにつながっている。

「はぁ……君もフェイトと同種か」

 怪しいデバイスか、スペックアップの違い。
 ソラにとってはどちらも同じだった。
 ようは目の前の少女も安易な手段で強くなった口なのだ。

「何をしにって、フェイトちゃんとアリシアちゃんが喧嘩を始めたって聞いたから止めにきたの」

「それで? 見ての通り全部終わっていたんだけど、どうしてプレシアを撃った?」

「やっぱり……あれはプレシアさんだったんだ」

「って確認しないで撃ったの!?」

 それは予想外だった。

「えっと……だって着いたらプレシアさんがフェイトちゃんに近付いて何かしようとしてたから」

「ああ……前科あるもんね、納得……ってなんで僕まで!?」

「フェイトちゃんをこんなにしたのはあなたでしょ?」

 なのはは杖を向けて、敵意のこもった目でソラを睨む。

「あのプレシアさんとか……あなたは何をたくらんでいるの?」

 心外なことに悪者扱いされているようだった。
 弁解を考えるが、優先順位を思い出す。
 ジュエルシードを使った封印魔法は制御が難しいからあまりやりたくない。
 プレシアが行動不能にされたからリンカーデバイスの封印は後回しにする。
 せめてフェイトの手元からリンカーデバイスを離した上で拘束しておくべきだろう。
 クライドも呼んでいるようだから封印は彼に任せればいい。

「答えてっ!」

「悪いけど、そんな暇はない」

 リンカーデバイスによる回復率がどれほどか分からない以上、悠長にしていられない。
 駆ける。
 彼女には悪いが説明し、納得させる時間が惜しい。眠らせることにする。
 なのはとの距離を一瞬で詰める。

『アクセルフィン』

 なのははそれに対して防御ではなく、後ろに飛んだ。
 そして飛ぶと同時に杖にカートリッジが何発も装填され、チャージタイムなしに砲撃の準備を整える。

「話を――」

 飛んだ姿勢のままなのはは引き金を引く。

「――聞いてっ!!」

 ディバインバスター。
 壁を思わせる砲撃。しかも至近距離であるため逃げ場はない。

「くっ……」

 ソラは光剣を納めて、手を前にかざした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 眼前で桜色の魔力の奔流にソラが為すすべなく飲み込まれた。
 そう見えたのは一瞬で、砲撃はソラのかざした手に触れた瞬間その形を維持できなくなり弾けた。
 その現象は放射が終わるまで続いた。
 知っていたこととはいえ、実際にやられると絶句するしかない。

『マスター、もう一度砲撃を行って下さい』

「レイジングハート?」

『彼の力の秘密が分かったかもしれません』

「本当?」

 驚いているのも束の間、ソラが迫ってくる。
 足下のフェイトを抱えながら、前に盾にバインド、アクセルシューターをばらまく。
 しかし、どれも瞬く間に霧散させられる。
 理不尽だと叫びたくなるが、それでもわずかにソラの進行を遅らせることができた。
 なのははフェイトを抱えたまま、ビルの屋上に飛ぶ。

「ここなら大丈夫だよね」

 魔導師ではないソラにとっては建物の上なら容易に辿り着けないはず。
 今一つ自信を持てないが、未だに地面にいるソラを確認して大丈夫だと自分に言い聞かせる。
 ビルの屋上から飛び降り、地面までは降りずに半ばのところで止める。

「ディバインバスター!」

 ソラの手が届かない位置からの砲撃。
 しかし、それは十分な回避距離があるということでソラは余裕を持って回避し、銃を向ける。

「バスターッ!」

 カートリッジをつぎ込んで遅滞なく砲撃を重ねる。
 ソラが撃った魔弾を飲み込み、桜色の奔流が押し寄せる。
 二発で道路を満たし逃げ場はなくなる。
 しかし、ソラはビルの壁を蹴って上に逃げる。

「バスターッ!!」

 そこに三発目を撃つ。
 身動きの取れない宙空なら当たると確信するが、ソラは突然動いた。
 道路の端から端まで不自然に飛んでソラは砲撃を回避した。
 何が起きたか理解できず、なのはは呆然としてしまう。
 が、突然足を引かれて意識を戻す。

「これは……ワイヤー?」

 地面に引く力に抗いながら足を見ると細い鋼線が巻き付いていた。
 まだ武装を隠していたことに驚きよりも呆れてしまう。

「レイジングハート」

 アクセルシューターで鋼線を切り、意識をソラに戻す。
 が、つい先程までいたその場所にソラはいなかった。

「どこに……」

『上です』

 レイジングハートの言葉に上を見るとソラが落ちてきた。
 咄嗟にバリアを張るが、ソラの光剣は抵抗なくそれを切り裂き、なのはに届く。

『リアクターパージ』

 バリアジャケットの上着が弾け、ソラの斬撃が逸れる。
 すぐさま落ちるソラに向かって杖を向け、砲撃を撃つが鋼線によって放物線を描く様に落ちるソラには当たらなかった。
 着地するやいなや、ビルの隙間に跳び込み、なのはの視界から姿を消す。
 呼吸を整えながら冷や汗を拭う。

「本当にあれで魔法使ってないの!?」

『はい。魔力反応は光剣と銃にしかありません』

 レイジングハートの肯定が信じられなかった。

 ――魔法も武器の差も全部がこっちに有利なのに。

 しかし、それは変えがたい現実だと分かっている。

「これじゃあ砲撃が当てられないよ」

 初撃はソラが突っ込んで来てくれたから当てられたが自由に動き回る彼を捉えられない。
 これが空だったらと思う。
 学んだ機動は陸を駆けるソラには役に立たない。
 バインドも役に立たない。
 これまでの努力は全てソラの前では無意味だった。

『落ち着いてくださいマスター』

 ハッとレイジングハートの声に我に返る。

『手は必ずあります』

「……そうだね。諦めるのはまだ早いよね」

 カートリッジの残数も十分にあって、身体も動く。
 そして後ろにはフェイトがいるのだから諦めることは許されない。
 気を取り直して警戒心を高める。
 全方位、どこから来てもすぐに反応できるように意識を集中する。
 しかし、いつまで経ってもソラは攻めてこない。

 ――おかしい。

 流石にそう思う。
 ソラの能力を考えるなら必ず接近戦を挑んでくると思ったのにまったくその気配はない。

「……まさか、フェイトちゃん!」

 なのはは一気に急上昇し空に出る。
 見下ろせば、今まさにソラがビルの縁から屋上に乗り込んでいるところだった。

「ダメ……フェイトちゃんを巻き込む」

 杖を構えるが、ソラとフェイトの距離が近過ぎる。
 なのはは急降下とともにレイジングハートを前に突き出し――

「エクセリ――」

「待ってくれ、なのは!」

 モード変更とA.C.Sによる突撃はアルフによって阻まれた。

「アルフさん!?」

「ソラに任せてくれ」

「でも……」

 そうこうしている間にソラはフェイトの元に辿り着く。
 しかし、なのはの予想に反してソラはフェイトの手に握られたままだったベガをもぎ取ると、大きく振り被って……
 投げた。
 大きな弧を描いて三日月斧は回転して落ちていく。

「ふう……」

 一仕事やり終えたと言わんばかりに額を拭うソラになのはは嫌な予感を感じた。

「えっと……もしかして……」

「そのなんというか……落ち着いて聞いてくれよ、なのは」

 なのははこれまでのことをアルフに説明される。
 プレシアがいた理由。
 アリシアとフェイトの喧嘩。
 リンカーデバイスに操られていたようにしか見えなかったフェイト。
 そして、それを取り押さえたソラ。
 話を聞くにつれてなのはの顔は蒼白になっていく。

「ご、ごめんなさいっ!」

 ソラの前に急降下してそのまま土下座して頭を下げる。

「え……いや……」

 なのはの急降下に身構えたソラは行き場のなくなった光剣を彷徨わせる。

「えっと……」

 迷った結果、ソラは降りてきたアルフに銃を向けた。
 つまり、なのはのことを無視することにした。

「なっ……」

「話してもらうよ。リンカーデバイスについて、全部ね」

 顔を上げたなのははソラの行動を止めようとして口をつぐんだ。
 フェイトをこんな暴挙に走らせたリンカーデバイスのことは気になっていたことだった。

「それは……あっ!」

 答えあぐねたアルフが突然声を上げた。

 ――そんな古典的な――

 思う間にそれは起こった。
 突然起き上がったフェイトは地を這う様に駆け出し、ソラに突撃する。
 アルフに意識を集中していても、ソラの反応は速かった。
 銃床を叩きつけるように振り下ろす。
 それを左手で受け止めて、フェイトは右手を伸ばし、ソラのコートを掴む。
 次の瞬間、ソラはフェイトを蹴り飛ばしていた。
 屋上をバウンドして転がるフェイト。

「ちっ……しまった」

 ソラが顔をしかめ、自分の穴の空いたコートを見てからフェイトを見る。

「これで……わたしは強くなれる……ベガ」

 ゆらりと立ち上がるフェイトの手にあるものになのはは息を飲んだ。
 青い菱形の宝石、ジュエルシード。
 ジュエルシードは一際大きな光を溢れさせる。
 その魔力の奔流が巻き起こす風になのはは吹き飛ばされまいとふんばる。

「……うわっ」

 が、フェイトに斬りかかっていたソラは正面からそれを受けて吹っ飛んだ。

「ソラさんっ!」

 屋上の外に投げ出されたソラを追い駆けようとしたが、その声に身体が強張る。

「あは……あはははっ」

 不気味に笑うフェイトに寒気が走る。

「あ……なのは、いつからそこにいたの?」

 怪しく笑うフェイトがなのはを見つける。
 ゆっくりと近付いてくるが、フェイトがまとう大き過ぎる魔力にあてられてなのはの身体は思う様に動いてくれない。

「もう大丈夫だよ……この力があればもう誰に負けない。
 あのセラにだって負けない。なのはを傷付ける奴はみんな――殺してあげるから」

 ――違う! こんなのフェイトちゃんじゃない!

 声にならない叫びを上げながら、まじかに顔を近付けてくるフェイトの表情はなのはが時の庭園で見たプレシアに良く似ていた。
 恐怖に震える身体を抑えつけて、なのはは一歩下がってフェイトにレイジングハートを向ける。

「なのは……?」

 傷付いた表情に心が萎えるが、それを取り直して力を込める。

「フェイトちゃん目を覚まして、フェイトちゃんはそのベガに操られているんだよ!」

 仄かに光を灯すフェイトの右腕。
 流石のなのはもこの状況のおかしさには気付く。

「どうしてそんなこと言うの?」

 切っ掛けはきっと自分がセラに殺されかけた時なのだろう。
 何をしても届かない敵と戦って打ちのめされて、力を求める気持ちは理解できる。

「わたしたちは間違えちゃったんだよ」

 しかし考えて見れば、この状況はヴォルケンリッターと戦った時とまったく変わらない。
 負けた理由を武器の差にして、相手と同じ武器を持って強くなったと思っていた。
 同じ土俵に立てば負けないなんて根拠のない自信が、前の戦いによる自爆をもたらした。
 武器に差があっても戦えることを、なのはは今さっき思い知らされた。

「違うっ! 私は間違ってないっ!」

 聞く耳を持たないフェイトの姿に自分を重ねる。
 魔法という未来の目標を得て、それを完膚なきまでにセラたちに叩きのめされた。
 その屈辱の末に新しい力を求めたのは自分も同じ。
 もしかしたら、ベガを手にしていたのはなのはだったかもしれない。

「…………フェイトちゃん、ここから、もう一度やり直そう」

 カートリッジの弾帯ベルトを外して、バックパックを下ろす。
 ほんの少し軽くなったレイジングハートは頼りなく感じたが、同時に懐かしい重さだった。

「やめて……なんでなのはと戦わなくちゃ……うん、そうだね……
 なのはに勝たないと……母さんは認めてくれないんだよね」

 戸惑いの表情を変えて、初めて会った時の様な憂いを帯びた顔になる。

「絶対に……助けるからね、フェイトちゃん!!」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「どうしてっ!?」

 空に金の軌跡を描きながらフェイトは叫ぶ。

「何でっ!?」

 いつかの再現のように飛ぶなのはの姿は遅く感じるのに追いつけない。
 手には武器はない。
 それでも身体に巡る魔力は以前の比ではなく、速度だって速くなっているはずなのに、いつの間に背後を取られている。

「私は強くなったはず……」

 後ろからアクセルシューターを撃ってくるなのは。
 フェイトは速度を一気に上げて突き離す。
 旋回して、四つのアクセルシューターを正面から見据え、

「プラズマランサー……ファイヤッ!」

 四つのシューターに対して三倍の十二のランサーを迎撃に放つ。
 なのはのシューターを貫通し、そのままランサーはなのはに殺到する。

「シュートッ!!」

 なのはは前面に弾幕をばらまく。
 ランサーは射線上のシューターを貫通し、衰えることなくなのはに届く。
 左右に身体を振って回避行動を取るが、数発のランサーが直撃する。
 しかし、なのはの前進の勢いは衰えない。

「くっ……」

 バリアジャケットはすでに半壊しているのに全くひるまずに突っ込んでくる。

「ファイヤッ!」

 さらに撃ち込む。
 一瞬爆煙に包まれるが、それを切り裂いて突き進んでくる姿に恐怖を感じる。

「もう……いい加減にして!」

 手に魔力の刃を作る。形状はクロノのスティンガーブレイドの一本に良く似たもの。
 それをすれ違い様に振る。
 一瞬早く、なのはは横に回転してそれを避ける。
 空戦機動、バレルロール。
 高度や進行方向を変えずに位置をずらす回避運動。
 交差の一瞬、なのはと逆さに顔を合わせる。

「ディバインバスターッ!」

 短く持った杖でなのはが撃った。
 威力こそ最大のそれではないが、直撃だった。
 空高く弾き飛ばされて、機動を立て直す。
 そこに今度は力の入った砲撃が迫る。

「プラズマスマッシャーッ!」

 遅れてこちらも砲撃で対処する。
 二つの砲撃はせめぎ合って、金の奔流が桜色の光を飲み込み、なのはを捉えた。

「…………なんで?」

 こちらの攻撃が当たっているのに落ちない。
 砲撃に飲み込まれながらも、未だになのはは落ちていなかった。
 バリアジャケットはボロボロで、肩で息を吐いている。
 髪留めもなくなり、二つに結っていた髪も下がっている。
 レイジングハートだってもうボロボロだった。
 なのに落ちない。そして、確実に反撃はこちらを捉えていた。

「何でっ!?」

 分からない。
 ソラは別格としても、エルナトの男もアリシアも圧倒したのにただの魔導師に何故これほど苦戦をしているのか。
 なのはが持っているのはカートリッジを外したノーマルのインテリジェントデバイス。
 戦力差は圧倒的なのに勝てる気が――

「そんなことないっ!」

 過ぎる不安を声に出して振り切る。

「フェイトちゃん……」

「私は間違ってないっ!」

 ――どうして分かってくれないの。

「私たちは強くならなくちゃいけない。そうしないとあの人たちに勝てない!」

 弱いままだとまた繰り返すことになる。
 なのはが血色の光の中に消えた時の絶望感を思い出すだけで身震いする。
 あんな思いは二度と味わいたくない。

「そうだけど……今のフェイトちゃんは強くなんてないよ」

「うるさい……うるさい……うるさいっ!」

 耳を覆ってなのはの言葉を追い出す。
 彼女の言葉は言いようのない苦しさを感じさせる。

 ――黙らせればいい。

 そうだ、これ以上なのはに喋らせちゃいけない。
 ソラに攻撃を当てた、ブリッツアクションとソニックムーブを重ねて発動する。
 なのはの後ろに音より速く回り込む。
 彼女が振り返る、レイジングハートがオートプロテクションを発動するより速くフェイトはなのはの後ろ首を掴む。

「あああああああああああああああああああっ!」

 そのまま急降下して、なのはを地面に叩きつけるように投げる。
 地面と激突する瞬間、桜色の魔法陣が広がってなのはの身体を受け止めるが、勢いは止め切れずに地面にクレーターが穿たれる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 わずかな行動で信じられないくらいに息が上がっている。
 ジュエルシードの魔力を得たことによってベガはすでに自分の身体を完全に修復してくれている。
 そしてベガの機能も十全、それ以上に働いている。その証拠に身体には十分な魔力が漲っている。
 それでも身体は重く、息が苦しい。

「フェイト……ちゃん」

 レイジングハートを支えにしながら、痛々しい姿で立ち上がるなのはにフェイトは息を飲んだ。

「もう……やめて……」

 ――もう嫌だ。どうしてなのはをわたしは傷付けているの?

 ――我慢しないと……私が強くなるために必要だから……あとでちゃんと話せばきっと許してくれる。

 ――だめ、もうやめて――じゃないと――

 頭の中に様々な声が響く。
 頭が酷く痛かった。

「そうだね……終わりにしよう」

 答えるなのはの足下に巨大な魔法陣が展開する。
 同時に桜色の粒子が彼女の前に集まっていく、さらに集束点を中心に環状魔法陣が引かれる。
 スターライトブレイカー。
 かつて、なのはと戦った時に勝負を決めた彼女の必殺技。

「…………」

 動きを拘束されているわけでもない、無防備な姿に攻撃を仕掛けることもできたがフェイトはあえて距離を取った。
 一直線に伸びる道路の端まで飛び、振り返る。
 そこから見ても大きな桜色の光点。
 なのはの姿はそれに覆われて見えなくなっていた。

「……ベガ」

 手を横にかざして呼ぶ。
 するとそこには慣れた三日月斧の重さが生まれる。
 調子を確かめるように振って、

「ザンバーフォーム」

 三日月斧を大剣に変える。
 高速儀式魔法によって雷を作り、そのエネルギーを刀身に集中する。
 構築するのはプラズマザンバ―。
 なのはのチャージ時間に、フェイトも己を高めることに集中する。
 しかし、不安を感じずにはいられなかった。
 初めてそれを見た時はあまりのことに恐怖さえ感じた。
 今ではその大きな魔力も恐れるに値するものではない。むしろ自分の魔力の方が大きい。
 なのに、どうしてもこの砲撃を撃ち合っても勝ったイメージが浮かばない。

「勝たないと……勝たないと……勝たないと……」

 そのためにどうすればいいか考えて、フェイトは新しい魔法をその場で作る。
 イメージはソラが見せた突撃。
 開いた間合いを一瞬で零にし、全身の力を一点に集約させた突き。
 それは回避できたことが自分でも信じられなかった見事な技だった。

 ――あんな技があれば……

 ソラの動きを思い出して、半身になって弓を引く様に大剣を構える。

 ――再現できないところは魔法でカバー。

 四肢のソニックセイルに魔力を込める。
 光の羽が大きくなって、一際大きく輝く。
 スターライトブレイカーの魔力が臨界に達するのに合わせる様に準備が整う。

「ライトニング・ブレイカー!!」

 自身を矢に見立て、撃ち出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 この一撃で――

 変わり果てたフェイトになのはは見ていられなかった。
 魔力の大きさに任せた空戦機動にかつての面影はない。
 攻撃魔法はどれも速くてかわしきれず、それでいてとても重い。
 一撃一撃に意識を奪われそうになっても、歯を食いしばって耐えた。

「こんなの全然痛くない」

 今にも挫けそうになる痛みをこらえながら、スターライトブレイカーの制御に集中する。

 ――あんな迷いしかない攻撃に負けない。

 リンカーデバイスにカートリッジシステム、アドバンテージを突き放されたなのはを立たせていたのは意地だけだった。

「ごめんね、レイジングハート……こんな無茶に付き合わせて」

『気にしないでください』

 何一つ文句を言わない相棒に感謝する。
 そして、前を見据える。
 立ち上る金の光。
 膨大な魔力の奔流がそれだけで、気持ちを挫かせる。
 それでもなのはは目を背けなかった。

「スターライト――」

 この全てを撃ち抜く魔法がフェイトを救うと信じて――

「――ブレイカーッ!!」

 解き放った。
 視界は桜光に覆われてフェイトの姿は見えない。
 それでも、フェイトの魔法とぶつかったのを感じた。
 拮抗する力。
 スターライトブレイカーにさらに自分の魔力を注ぎ込む。

「もっと……もっと……もっと……」

 スターライトブレイカーを切り裂いて近付いてくるフェイトの魔力。

「エクセリオンッ!!」

 カートリッジの代わりに自分の魔力を叩き込み、さらに身体の奥底から強引に魔力を引き出す。
 形状こそ、ノーマルのシーリングモード、その光の羽はさらに大きく広がる。
 乗算されて消費される魔力は一瞬でなのはの魔力を零にする。
 それでもなのはは力を求める。
 魔力のオーバロードを無視して、感覚が示すまま、限界を超えてリンカーコアが魔力を作り出す。
 自己ブースト。
 限界を突破して放出された魔力はスターライトブレイカーを一回り大きなものに変え、勢いが増す。
 しかし――
 桜の光が二つに弾けた。
 割いたのは金の光。
 すぐ目の前には大剣を前に突き出すように突進してきたフェイトの姿。

 ――そんな無茶な!

 なのはは声にならない叫びを上げる。
 ブレイカーの中を突撃なんて正気とは思えない。
 現にフェイトのバリアジャケットはそれだけで半壊、自分のよりもひどいことになっている。
 しかし、フェイトが撃ち勝ったのは事実だった。
 まとったプラズマザンバ―のエネルギーはほとんど消え、前進の推進力にも力はほとんどない。
 それでも大剣の切っ先はまっすぐなのはに向かっていた。
 迫るフェイトの姿をなのははスローモーションで見ていた。

 ――ごめん、フェイトちゃん。

 助けられなかった。
 はやての時の様に魔力ダメージで昏倒させれば、リンカーデバイスの呪縛から解放できたかもしれない。
 しかし、なのはの力は及ばなかった。

「なのはっ! よけてっ!!」

 それでも意志のある確かなフェイトの叫びを聞いて安堵する。
 ようやくフェイトの声が聞こえたと思った。

 ――ごめん、フェイトちゃん。

 もう身体が動いてくれない。
 どれだけゆっくりに見えてもベガの刃を避ける力はなのはには残っていなかった。
 そして――なのはの視界が赤く染まった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 手に鈍い感触が響く。
 何度か経験したことがある、それでも人間相手には初めての肉を貫く感触。
 それは今までにないほどの不快感をフェイトに与えた。

「あっ……」

 取り返しのつかないことをしてしまった。
 思わず後ずさる。
 その拍子に切っ先はあっさりと胸から抜けた。
 支えを失った彼はそのまま倒れた。

「ソラ……さん」

 呆然としたなのはの呟きが耳に響く。
 フェイトがベガの凶刃を突き立てたのはなのはではなかった。
 二人の間に割って入ったソラの胸だった。
 なのはを殺さなかったことに安堵したが、それさえも醜い考えだと嫌悪感が湧きおこる。

「ソラさん……」

 彼の血がかかった顔を拭いもせずになのははその名前を繰り返す。
 倒れたソラを中止に赤い染みが広がっていく。
 フェイトとなのは、どちらも時間が止まったかのように動かなかった。
 どう見ても致命傷。致死量の出血。

 ――殺した。

 頭の中に響く声が重くのしかかる。

「違う……」

 ――人殺し。

「違う……わたし……そんなつもりじゃ……」

 ――これが汝が求めた力。

「わたしが欲しかった力はこんなのじゃない!」

 ――もう遅い。汝は我らの戦争から逃れることはできん。

 ゾッと背筋が凍った。
 これがリンカーデバイスという力を手にした代償。
 同じリンカーデバイスの使い手を殺し、殺される運命。
 漠然と捉えていたその意味がようやく本当に理解できた。

「いや……わたしは……殺せない……」

 ――もう一人殺しただろ? 汝はもはや立派な人殺しだ。

 ベガの声に身体が震える。

 ――なら、もう一人殺せば意志は固まるか?

 不意に身体が自分の意志に反して動いた。
 未だに握っている大剣を振る。
 剣に付着していたソラの血が地面に線を描く。
 そして、足を一歩踏み出した。なのはに向かって。

「まさかっ!?」

 抵抗しようにも身体はまったく言うことを聞いてくれない。
 感覚がなくなったわけではない。自分の足でしっかりと歩いている。
 思考と身体がかみ合わない。

「なのはっ……逃げて!」

 未だに自失状態から立ち直っていたないなのははフェイトの叫びにまったく反応しない。

「くっ……誰か……」

「このぉぉぉぉ!」

 助けを求めるフェイトに雄叫びを上げてアルフが落ちてくる。

「フェイトの中から出ていけぇ!」

 落下の勢いをプラスした拳は金色の魔法陣の盾に阻まれた。
 そのまま押し込もうとするアルフにフェイトの身体は手をかざし、プラズマランサーを撃った。

「がっ……」

 アルフは軽々と吹き飛ばされて転がる。

 ――これで獲物は二人。どちらを殺せば我が道具となる?

「ああ……」

 絶望が心を満たす。
 リンクした思考がベガの意図がこちらの意志を完全に折ろうとしていることは分かっている。
 しかし、抵抗する術はなかった。
 身体の主導権は完全に取られ、小指一つさえ自分の意志で動かない。

「やめて……お願い……」

 倒れたソラの横を通り、なのはの前に立つ。

「逃げて……なのは……早く……」

 大剣を振り被る。
 見せつけるゆっくりとした動作がフェイトの精神を限界まで張り詰める。

「い……いやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 絶叫。
 大剣が――腕を掴まれて止まった。

「え……?」

「あっ……」

 正面に座り込んでいたなのはの目に光が戻った。
 誰が止めた、止めてくれた。
 ベガとフェイトの思考が一致して頭だけで振り返る。

「え……?」

 それが誰なのか、フェイトは一瞬分からなかった。
 血にまみれた服で立つのはフェイトが大剣で刺し殺したはずの男。
 しかし、立っていると言ってもフェイトの腕を掴んでいる左手以外はだらりと身体全体が弛緩していた。
 まるで、いや以前にアリサのうちで見たホラー映画に出てきたゾンビそのものだった。
 安堵の表情が一瞬で引きつる。
 そこに右ストレートが叩き込まれた。
 一瞬で視界が白く染まり、のけぞる。

「ディフェンサー」

 咄嗟に防御陣を起動する。
 そこにソラの拳が障壁を何の抵抗もなく突き破り、フェイトの腹を打った。

「かはっ……」

 あばらが砕ける感触。衝撃に肺の中の空気が絞り出される。
 とても死人とは思えない威力の拳をフェイトはどこか他人事のように感じていた。
 すぐにベガの力で身体が修復されるが、痛みはそのままで、身体は呼吸困難で喘いでいる。
 そこにソラはさらに追い打ちをかける。
 すんでのところで、またフェイトの身体は意志に反して動き、ソラの攻撃を回避する。

 ――何だあいつは!?

 狼狽するベガの声を、いい気味だとフェイトは思う。
 距離を取るために身体に魔力が走る。
 が、動くより速くソラが詰め寄って、顔を鷲掴みにした。
 それだけで発動寸前だった魔法が止まり、魔力が霧散する。
 不可解な現象にベガがさらに困惑するが、やられたままでは終わらなかった。
 ソラの手を振り払い、後退しながら横薙ぎに大剣を振る。
 それは距離を取るための威嚇の攻撃だった。
 しかし、ソラは素早く二つの光剣を抜くと、ベガの大剣に叩きつけるように斬撃を放った。

「――そんな無茶な!」

 ソラの光剣の魔力刃はとても細く短い。いくら苦し紛れの大剣の一撃とはいえ正面から打ち合えば、容易く押し切られてしまう。
 実際、光剣の刃は二つとも大剣と激突して簡単に砕けた。
 しかし、それは大剣の方も同じだった。

 ――なん……だと……

「うそ……」

 半ばから折れた刀身が弾かれて地面に突き立った。
 その結果に驚愕している隙にソラはボタン一つで新たな刃を生成していた。

「あ……」

 突き出される刃に反応できなかった。
 が、桜色のバインドが寸前でそれを止めた。
 バインドはすぐにほどけるが、フェイトがその場を離脱するには十分な時間だった。

「なのはっ!」

 大剣を折られたベガの動揺に身体の主導権が戻る。

「フェイトちゃん……気をつけて何かおかしい」

 言って、緊張した表情でなのははソラにレイジングハートを向けている。
 改めて、ソラを見る。
 服についた血の跡が彼を殺した証拠として残っている。
 しかし、刺されたことなんてなかったかのように彼は動いた。
 魔法が使われた気配は感じなかった。
 ならどうして――
 不意に前触れもなくソラの姿が視界から消えた。

 ――どこに……

 素早く視線を巡らせるが、気付いたら目の前にソラがいた。
 振り被った光剣に咄嗟にディフェンサーを張ろうとして、先程の光景を思い出す。
 折れた大剣を盾に防御が間に合う。が、そこでソラの攻撃は終わらない。
 逆の光剣をバックステップで回避。
 それを引き戻す動作に連動して踏み込み最初の剣が迫る。
 息を吐かせない連撃。
 しかも、一つ一つの斬撃は前と比べてずっと速く、重かった。

「くっ……ジャケットパージッ!」

 このままではすぐに押し切られると判断して、フェイトはその魔法を起動する。
 バリアジャケットを構成していた全魔力を瞬間的に解放して、衝撃波を放つ。
 その隙に離脱、バリアジャケットを再構成しようとして――腕に細い糸のようなものが絡みついた。

「きゃあっ!?」

 それが何か理解する前に強烈な力で引き戻される。
 無防備な姿がソラの前にさらされる。
 手繰るような手と、その逆に構えられた光剣。
 それをコマ送りするような引き伸ばされた時間感覚の中でフェイトはそれを見ることになった。
 全ての感情が、全ての力が顔から抜け落ちた、ゾッとする無表情。
 これが本当にソラなのか信じられなかった。
 悪ぶっていた時のものとは根本的に何かが違う。まるで人形、機械を前にしているようだった。
 その動作はまるで決められた作業を淡々とこなしているようだった。
 そして――

「あっ……」

 腕を引かれていた力が唐突になくなる。
 そのままソラの脇をすり抜けて前のめりに転がる。
 背後のソラが動く気配から少しでも離れる様にそのまま転がって、地面に左手を突いて立とうとして――失敗した。

「え……うそ……?」

 無様に額を地面に打ち、左腕を見たが、そこには何もなかった。
 二の腕の半ばから先、あるはずのものがない。
 目の前にそれが音を立てて落ちた。
 自分の、見慣れた左腕が目の前に転がっている。
 もう一度、自分の腕を見る。
 やはり、そこには何もなく、痛みも感じない。
 強烈な違和感に呆然としていると、切断面を金の魔法陣が勝手に包み込んだ。
 麻酔をかけられたように左腕の感覚が消える。

「きゃああっ!」

 なのはの悲鳴にフェイトは我に返る。
 レイジングハートを弾かれて、両手を大きく上げさせられたなのはの前にソラが身を低くして光剣を振り被っている。
 バリアジャケットを作り直している間さえ惜しんでフェイトは力任せに飛翔した。
 左腕のない状態はバランスは悪く、機動が安定しないが全て魔法で安定させて、ソラに体当たりする。
 それを察知したソラは素早く身を翻して、フェイトを避ける。
 それとすれ違い様に光剣が無防備なフェイトの腹部を貫いた。
 止まり切れず、フェイトは地面にこするように不時着することになる。

「フェイ――」

 叫ぶなのはの声はソラの拳で途切れた。

「なのはっ!」

 焼けつく腹部の痛みを無視してフェイトは叫ぶ。
 その声に反応したのかソラがゆっくりとフェイトを見た。

「ひっ……」

 思わず、悲鳴がもれる。
 殺気をぶつけられたわけではないのに。
 膨大な魔力を向けられたわけではないのに。
 向けられた瞳に何の感情がこもっていないのに。
 身体が恐怖で竦む。
 今までにないくらいに死を思わせる。

「いや……来ないで……」

 ソラは空いてる手に銃を持ち、フェイトに向け――

「もうやめてっ!」

 ソラの姿をアリシアの背中が隠した。
 銃声が響く。
 アリシアの肩から血が舞った。
 衝撃によろめくが、それをふんばってアリシアは両手を広げてなおも立ちふさがる。
 続く魔弾がアリシアの足を貫く。
 膝を着くも、震えながら立ち直す。

「アリシア……ダメ……」

 今のソラは普通じゃない。
 このままじゃ、殺される。ここにいるみんな。
 ソラはそれを決して躊躇わず実行する。その確信があった。

「アリシア……逃げてっ……わたしのことなんていい。
 なのはだけでも連れて逃げてっ!」

「やだっ!」

 フェイトの叫びに劣らない声でアリシアが叫ぶ。

「こんなこと……ソラは絶対に望んでない!」

 彼のことを信じた言葉だったが、ソラは構わずに剣を構えて駆け出していた。
 必殺の一突き。

「その通りだ」

 男性の声が響いたかと思うと、水色の縛鎖がソラの腕や身体を地面に縫い付けた。
 縛鎖、チェーンバインドに止まらず、レストリックバインドにストラグルバインド。
 フェイトが知る限りのバインドに知らない見たこともないバインドが次々にソラを絡め取っていく。
 しかし、その数が増えると同時に先にかけられたバインドは次々に弾けていく。

「ここは任せて、君たちはすぐに逃げろ」

「クライド……さん」

「クライド……でも……」

「あの状態のソラの相手に君たちは邪魔だ、早くっ!」

「……分かった。ソラのことお願いね」

 アリシアはそう決断して、フェイトの右手を取り、肩を貸すようにして飛んだ。

「待ってなのはが……」

『そっちはあたしに任せて……』

「アルフ?」

 信頼できる使い魔の声にフェイトの気が緩む。
 緊張が解けると身体中から悲鳴が上げて、痛みが走る。
 遠のく意識の中、眼下の街で激しくぶつかり合う二人の姿を最後にフェイトの意識は薄れていく。

 ――わたしのせいだ。

 ソラがあんな風に変貌したのも、みんなが傷付いたのも、全て自分のせいだと責める。
 力を求めるあまり、ベガにつけ込まれ、強くなることを言い訳にしてアリシアやなのはに刃を向けた。

 ――わたしの心は……こんなにも弱かったんだ……

 後悔の念を抱いたまま、フェイトの意識は闇に沈んだ。
 その後、約一時間に及ぶ戦闘の末に、ようやくソラの暴走は止まった。







あとがき、という名の言い訳
 第二十話、お読みくださってありがとうございました。
 相変わらずに好き放題させてもらってます。
 それでも既存のキャラを洗脳、暴走させるのは難しいですね。

 フェイトの話はこのあとのエピローグでひとまず終わります、次は同時間軸のはやての話になります。

 フェイトの話は「強さ」をテーマにしたものになります。
 自分は決してカートリッジ否定派ではありませんが、カートリッジによる安易なレベルアップやそれに依存した戦い方はどうかと思ってます。
 カートリッジという安易な方法で強くなることを経験してしまい、同じことを繰り返したフェイトの暴走。
 友達のことを思うあまり暴走して悲劇の切っ掛けをつくったなのは。
 彼女たちに失敗を経験させることが目的な話でした。




捕捉説明
 ライトニング・ブレイカー
 プラズマザンバーのエネルギーを纏っての重突撃魔法。
 ソラの刺突を真似ているが、あれは地上型のものなので、どちらかといえばなのはのA.C.Sの方に近い。
 突き出した大剣によって全てを突き破る攻防一体の魔法になるが、即席のため未完成。
 後方にはソニックムーブを発生させるので副次効果範囲は広い。
 攻撃力の高い魔法ではあるが、実体剣の場合は殺傷能力が高過ぎることが問題になる。
 もっとも、今回の件で仮にも人を殺した、なのはを殺しかけたというトラウマが刻まれてフェイトがこの魔法を使うことは二度とない……たぶん。


 エクセリオン
 後のブラスターモードの原型。
 自身のリンカーコアの機能を強制的に引き上げて、火事場の馬鹿力を意図的に使用する。
 この魔法を知識なしに感覚で組めたのは彼女の血筋による力かもしれない。


 並列魔法・ブリッツアクション&ソニックムーブ
 以下、自己解釈の理論になります。
 移動系の魔法は位置座標の設定や自身の動きなどの設定など精密な制御が必要になる。
 そこに手を加えることは困難であり、良く似た情報を処理するため並列して使うことは不可能とされている。

 通常ではソニックムーブもしくはブリッツアクションによる接近、そこから非高速攻撃となる。
 ソニックムーブからブリッツアクションへスイッチするのにも、前の魔法の停止から次の魔法の起動までわずかなタイムラグが存在する。
 そのため、結局は非高速攻撃と大差のないタイミングで攻撃することになる。

 並列させた場合、ソニックムーブで接近、常駐したブリッツアクションによってタイムラグなしに高速攻撃を行うことができる。
 また、ここで高速攻撃による衝撃の反作用も魔法の効果で受け止める必要がある。
 常時加速状態と、衝撃緩和によって、大抵の魔導師は同じことをすればすぐに魔力を枯渇させる。
 ベガによる魔力供給があったからこそできた無茶ともいえる。


 ソラの武装について
 前回、第九話において故障した光剣と銃は、アキの指示の下、修繕されていた。
 元々、ソラのハンドメイドの上、有り合わせの部品で作ったいたもの。
 しかもその部品も十年以上前のものであるため、今の技術で作り直すことで性能が向上することになる。
 具体的には魔力刃の強度。弾丸の強度に弾速。
 光剣の形状は目立った変化はないが、銃は大型の銃になっていて反動も強くなっている。




[17103] 第二十一話 岐路
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/01/22 18:42



 手には青い三日月斧。
 鋭い刃から滴る紅い雫。

 ――わたしは何をしていたんだっけ……

 頭がぼやけて考えがまとまらない。
 ただそこはひどく寒かった。

「誰か……」

 人を探して一歩踏み出す。
 パシャン。水がはねる音にフェイトは足下を見る。

「……ひっ」

 薄く伸びた水たまり。その中心に仰向けに倒れたソラの胸から流れた血がそれを作っていた。
 握らてた三日月斧からはまだ乾いてない血が滴り、自分の身体は紅く染まっていた。

「もっと……まだ足りない」

 いつの間にか目の前には自分がいた。
 自分と同じ姿。同じ武器。同じ紅に染まった身体。
 俯いた眼差しは自分のものと思えないくらいに淀んでいた。

「もっと……力を……」

 無造作に目の前の自分がベガを振るう。
 音を立てて、エルナトの男が倒れた。
 さらに虚空に向かって振る。
 今度はレイにアンジェ。

「もっと……もっと……」

「や……やめて……」

 フェイトの制止の言葉は届かず、彼女は次々と誰かを切り伏せていく。

「違う! わたしが望んだのはこんな力じゃない!」

「なら、どんな力を望んだの?」

「それは……みんなを守るための力……」

「うそ」

 彼女はフェイトの言葉をその一言で切り捨てた。

「あなたが欲しかった力はあいつを殺すための力……」

 彼女が向けた先にはセラ、ではなくアリシアが立っていた。

「母さんに選ばれたあのアリシアが憎い。わたしより強い力を持っているアリシアがうらやましい」

「違う……そんなこと――」

「なのはと仲良くなるのが許せない。なのはを守るのも、なのはの隣りに立つのも自分だけ」

「違う……違う……違う」

 必死に自分に否定の言葉を言い聞かせる。
 しかし、その言葉を肯定している自分がいた。

「だから……アリシアなんていなくなってしまえばいいっ!」

「っ……!?」

 突然、目の前の自分が動いた。
 ベガを振り構え、真っ直ぐにアリシアに向かって。
 反射的にフェイトは飛び出していた。
 そして、彼女の刃がアリシアに届くより速く―― 一閃。
 フェイトのベガが彼女を横に切り裂いた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 弾む息を整えながら、振り返る。

「アリシア……?」

 しかし、そこにアリシアはいなかった。
 どこにと思ってその姿を探すとすぐに見つかった。
 自分の足下、深い刃傷を横に刻まれた小さな体躯が横たわっていた。

「あ……いや……」

 そこに横たわっているのは自分の姿のはずなのに、いるのはアリシアだった。

「違う……こんなこと望んでない……」

 一歩、二歩、後退る。
 右手に握られたベガを放り捨てる。
 が、ベガは手から離れなかった。
 ベガから伸びた青い帯が右手に巻き付いている。
 それはフェイトが見ている間に増え、手から腕に、肩に伸びていく。

「いやっ……!」

 本能的な恐怖にフェイトはベガを振り放そうと右手を振る。が、そんなことで青い拘束は解けない。
 それどころか右腕全体を覆った青の帯は身体にまで及ぶ。

「誰かっ! たす――」

 青い帯が口を覆う。

 ――ダメ……このままじゃ取り込まれる。

 それが意味することをフェイトは正しく把握しても、何もできない。
 全身のほとんどが青の帯に覆われて、未だに覆われていない左腕を虚空に伸ばすことしかできない。

 ――誰か……なのは……母さん……アルフ……

 助けを念じても青の浸食は緩まない。

 ――意識が……

 白く染まっていく視界にフェイトはどうすることもできない。
 このまま、ベガに取り込まれたらどうなるのか。想像するのは容易い。
 魔力を求める化け物となってなのはたちを襲う自分の姿。
 例え、自分が死んでもそれだけは許せない。
 それでもフェイトには抗う術はなかった。

 ――え……

 限界まで伸ばした左手を誰かが握り返した。
 小さな手。
 それは確かな力強さを持ってフェイトの身体を引っ張った。
 青の帯をそこに残すように引き千切り、フェイトの視界は光を取り戻す。
 しかし、目の前に広がっているのは赤に覆われた世界ではない。
 むしろ、眩しい光に満ちた光景。
 金色の光が照らす中で、フェイトが見たのは……

「アリシア……?」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あっ……」

 覚醒は突然だった。
 見慣れた自分の部屋の天井。
 何か良くない夢を見ていた気がするけど、思い出せない。

「……なのは」

 ベッドに身を預ける形で眠っているその姿にフェイトは安堵する。
 彼女に握られた手、それをそっと解き、自分の左腕に運ぶ。

「やっぱり……ない」

 ソラに斬り落とされた左腕は当然そこにはなく、右手は空をかく。
 それはフェイトを絶望に落とすには十分なことだった。
 長物の武器を使う以上、利き腕でなかったとしても左腕の存在は必要不可欠。もう前の様には戦えない。
 例え、まだ魔法が使えても魔導師としてのフェイトはソラに殺された。

「自業自得だよね」

 こぼれるのは自嘲の笑み。
 ソラを恨む気持ちはない。どんな魔法を使ったかは分からなくても、自分はソラを一度殺している。
 そして、それは本来なのはに向けられた刃だった。
 ソラのおかげで左腕以上に大切なものを失わずにすんだ。
 だから感謝さえしている。

「ん……」

 なのはが身じろぎをして、その目がゆっくりと開く。
 二度三度、まばたきを繰り返してフェイトの姿を見ると――

「フェイトちゃん!」

 飛びかかる様に抱きついてきた。
 咄嗟に身体を支えようとするが、そのための腕がなく、あっさりと押し倒される。

「なのは……」

「フェイトちゃん、フェイトちゃん」

「ごめん……なのは」

 胸にすがりついて泣きじゃくるなのはの姿に、自分のしたことの愚かしさを思い知らされる。

「もう大丈夫だよ」

「本当?」

「うん……本当に大丈夫だよ」

「本当に本当?」

「うん……本当に本当」

「本当に本当に本当?」

「うん……本当にほん――」

「いつまでやるのそれ?」

 繰り返すやり取りに水を差したのはアリシアだった。
 不機嫌そうな顔のアリシアになのはは気まずそうに笑いながら離れる。

「動けるなら来て、クライドが呼んでる」

「あ……うん」

 一線を引いた言葉にフェイトは弱々しく頷いた。
 左腕がないだけで、身体そのものは回復している。
 それよりも気になるのはアリシアのことだった。
 最後は助けてくれたけど、あれはソラのためだったと思う。
 思い出すのは「死んだままの方がよかった」という言葉。
 そして、気付かされた自分の中にアリシアを憎む気持ち。

「あ、あの――」

 バタンッ。話をしようと口を開いたところでドアは閉まっていた。
 それがアリシアの拒絶の様に感じてフェイトは俯いた。

「フェイトちゃん」

 ギュッと手を握ってくれるなのは。
 いつも安らぎをくれる温もりが今は少しつらかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 そこは魔窟だった。
 フェイトに寄り添う様にリビングに入ったなのははその部屋の淀んだ空気に一瞬呼吸を忘れた。
 空気の発生源はこの家の主、リンディ・ハラオウン。
 その対面に座る彼女の夫、クライド・ハラオウンはリンディに睨まれていても、それをまったく気にせずに腕に包帯を巻いていた。
 思わず、あの姿を探す。
 定位置から移動して離れたところにあるソファに彼、ソラは横たわっていて、その傍らにアリシアがいる。

「フェイト、もう大丈夫なのかい!?」

 自分たちにいち早く気が付いたアルフが駆け寄って、フェイトの左腕を見て顔をしかめた。

「大丈夫だよ……ごめんね、たくさん心配かけて」

「フェイト……」

 フェイトはなのはの手を解き、アルフの横をすり抜ける。
 しっかりとした足取りで歩き、フェイトは対面する二人の横の席に座る。

「ごめんなさい」

 そう言ってフェイトは頭を下げた。

「話はクライドから聞いたわ。大変だったわね」

 クライドに向けていた厳しい目を緩めてリンディはフェイトに優しい言葉をかける。
 が、その姿を見て表情を硬くしてから、まだ起きていないソラを睨む。

「腕一本で済んでよかったと思うんだね」

 クライドの言葉にその視線はすぐに戻される。
 彼の言葉が信じられなかったのはなのはも同じだった。

「どうして、そんなこと言うんですか?」

 静かな怒りをにじませてなのはが問う。

「ロストロギア……それ以上にあの状態のソラと対峙したんだ。
 本当なら死んでいたっておかしくないよ」

「でも、悪いのはフェイトちゃんじゃない!」

 彼女を操ったリンカーデバイス。それが全ての元凶だ。

「違うよ、なのは」

 しかし、それを否定したのは当のフェイト本人だった。

「今回のことは全部わたしが悪かったの……この腕も全部……自業自得」

「そんなことない!」

「ベガを拾った時、黙ってた」

 淡々と語る言葉になのはは口をつぐむ。

「セラと会ってたこと、彼女からリンカーデバイスがどういうものか教えてもらっても言わなかった」

 もうすでにアルフの口からなのはもリンカーデバイスのことは聞いている。

「でも、それはみんなに心配をかけたくなかったからでしょ?」

 それにリンカーデバイスのおかげで生きているなんて言えるはずない。

「それもあったけど……わたしはこの力をなくしたくなかったんだと思う」

 未だに右腕に宿るベガを見るフェイトが何を思っているのかなのはには計り切れない。
 それでもその目はまっすぐに見えた。

「あの……ところでソラは……?」

「見ての通りだよ」

 フェイトの言葉にクライドが応える。
 つられてなのはも彼を見る。
 横たわり、死んだように眠っているが、その胸は上下に動いている。

「わたし……ソラを殺した……はずだった……」

 なのはもそれは覚えている。
 かかった血の感触、におい。どちらも幻ではなく確かなものだった。
 今でも、彼が生きていることが信じられない。

「私も、ソラも理屈は分かってないんだけど……」

 そう断りを入れてクライドが説明してくれる。

「ソラの身体はどんな傷を負っても元の状態に戻ってしまう、いわゆる死なない身体なんだ」

「そんな、ありえないわっ!」

「でもリンディ……君も実際にソラがフェイトに貫かれたところを見ただろ?」

「それは……」

「信じられないにしても、今回ばかりは感謝しておいた方がいいよ。
 おかげでフェイトさんは人殺しにならなかったんだから」

 辛辣な言葉に息を飲んだのは誰だったのか。この場にいる全員かもしれない。

「それでこちらからも聞いておくけど……今、そのベガっていうリンカーデバイスはどうなっているんだい?」

「今は……」

 フェイトは自分の右腕を前に上げて、手を開いたり閉じたりして調子を確かめる。

「今は大人しくしています。それと身体の方はジュエルシードの魔力のおかげで完全に回復しているみたいです」

 その言葉になのはは胸を撫で下ろす。
 アルフからフェイトの命はベガが支えていると知らされて、どうしようかと思った。

「なら、早く分離した方がいいと思うけど……無理なのかい?」

「……はい」

 命の支えはなくなってもリンカーデバイスがフェイトのリンカーコアに寄生していることは変わらない。

「たぶん……封印も意味がないと思います」

「……なるほど……ならソラに相談するしかないか」

 ソラの名前にフェイトの身体が揺れる。

「なんで……ソラに……なんですか?」

「ソラは魔法が使えないけど、知識に関しては豊富だから……ソラが怖いかい?」

 フェイトの怯えを察して、クライドが聞いてくる。
 わずかに逡巡してフェイトは小さく頷いた。

「あれは本当にソラ君だったんですか?」

 青ざめたフェイトを助ける気持ちでなのはは口を挟む。

「ああ……正真正銘のソラだよ」

 とてもクライドの言葉を信じることはできない。
 捉え所がなくて、理解できなくても、あんな人形の様な姿がどうしてもソラに結びつかない。

「流石にこうなってしまっては説明しないわけにはいかないか」

 リンディに意味深な視線を向けてクライドは語り出す。

「ソラのあの人格、人を殺すことに自分の能力を最大効率に使って戦う、まさに戦闘機械」

 息を止めて、わずかに溜めを作ってクライドは告げた。

「あれは私が作り出したものなんだ」

 そして、そのまま語り出す。

「あの何もない世界に落ちた私は救助を待った」

 幸い、一戦艦に積まれた食料は一人分ではかなりの量だった。
 最初は気楽に、一週間経った時は焦り、一ヶ月経ったらもはや諦めかけていた。
 何一つ変わらない景色。
 一向につながらない通信。
 時計の数字しか変わらない日々。
 誰もいない孤独感。
 十分な食料があっても精神の方が持たなかった。

「そこでソラを見つけた」

 精神的にギリギリだったこともあり、様々な負の感情をソラにぶつけて……殺した。

「流石に死なない身体なんて思わなくてね……次の日にその姿を見て驚いたよ」

 それから何度も何度も殺した。
 自分がこんな世界に落ちたのはソラのせいだと、罵って、殴って、殺して、殺した。
 感情の捌け口にするにはソラはまさに最高だった。
 どんなことをしても死なない身体。抵抗することなんてできない幼い身体。
 そして、重犯罪者であること。

「本当に……最低だったよ」

 ソラを殺すことで精神が崩壊することをギリギリのところで保っていた。
 始めにあった怒りの感情はなく、管理局として次元犯罪者を断罪する、そんな歪んだ考えでソラを殺し続けた。

「でも……そのツケを払う時がきた」

 クライドは右目を覆う眼帯を抑える。

「あの時もソラはあんな風に不気味なまでの無表情になって反撃してきて……半殺しにされたよ」

 こちらの反撃でどれだけ身体が壊されても眉ひとつ動かさず、機械の様に襲ってくる。
 子供とは思えない力で、自分の身体が壊れるのもいとわない力で殴られ、蹴られ、噛みつかれた。
 目を潰され、腕は折られ、命からがらで逃げ出した。

「殺されかけたけど、おかげで生きている実感を取り戻せた。正気に返ることができたんだ」

 それからの日々は大人しいものだった。

「つかず離れず……というよりも私が一方的に遠巻きに見ていただけだけどね」

 ソラは剣を一心不乱に何時間も振り続けることを習慣にしていた。
 端末を使っての知識を学んでいた。メイン端末を使って何を閲覧していたかは確認した。
 食料調達。なんと、闇の書の暴走によってエスティアの動力に根を張った植物の実を食べていた。
 そして、こちらの監視を振り切っておそらく就寝。

「まともに話せるようになったのはアリシア達が来てからだけど、その時になってようやくソラの歪みに気が付いた」

 自分を必要以上に人殺しと強調する言葉に問い質した。返ってきた言葉は――

『クライドも言っていたでしょ。僕は人殺しなんだって』

「ソラを責め続けて……罵り続けて……私はあの子は本当の人殺しにしてしまった」

 お前がいけない。
 お前がいたから。
 お前のせいで。
 お前なんて生まれてくるべきではなかった。

 ――この人殺しが――

 何度も繰り返した言葉がソラを染めていった。

「あの子にとって人殺しは当たり前の行為になっていた。
 私が……あの子から罪悪感も、贖罪の可能性も奪ってしまったんだ」

 ソラが何を思い犯罪に走ったか、本人ですら分からなくしてまった。

「それが私が仕出かした罪だよ」

 俯くクライドが何を思っているかは、なのはには分からない。
 それでも深い後悔が伝わってくる。

「なんてこった……」

 不意に聞こえた呟きになのはは聞き入っていた意識を声の方に向ける。
 ソファの上、手を額に当てながらソラが起き上がる。

「ソラ……フェイトさんのことは君が気に病む――」

「僕はあの時からずっとクライドにストーカーされていたんだ」

「ぶっ!?」

 しみじみと告げるソラに、クライドは吹いた。

「そうね……しかも男の子をだなんて……最低ね」

 さらにリンディが追い打ちをかける。

「ちょ……リンディ?」

「そうよね……言えないわよね。そんなことしてたなんて」

「いや、だからそうじゃなくて……人の話ちゃんと聞いてくれてましたか?」

「ええ……人殺しに快感を感じるようになった挙句、男の子をストーカーする最低の変態になったんでしょ?」

「快感なんて感じてない! それにストーカーじゃない!」

「犯罪者はみんなそう言うらしいけど、どうなの管理局?」

「そうね……だいたい八割くらいの統計で言うらしいわ」

「…………すいません、勘弁して下さい」

 思わず土下座して謝るクライド。
 大の大人の土下座、その背に漂う哀愁になのはは何とも言えない気持ちを味わう。
 傍らのフェイトなんて顔まで背けている。

「ソラ君……クライドが言っていたことは本当なの?」

「本当っていうか、勝手に後悔されてもね……あの状態はクライドがどうこうの前からあったから」

 あの時のソラと対峙したことを思い出すと背筋が冷たくなる。
 暗く淀んだ何の感情もない無機質な瞳。
 容赦のない寒気を感じさせた攻撃。

「だから、あっちが僕の本性だよ」

 しかし、思い出すのは自分を守ってくれた背中。
 それに、フェイトやアリシアの仲を取り持とうとしたりもしていた。
 それは到底、心のない人殺しのすることとは思えなかった。

「そんな――」

「そんなことないっ!」

 なのはの言葉をかき消すようにアリシアが叫んだ。

「ソラはいつもあたしに優しくしてくれた。
 いろんなこと、たくさん教えてくれた。
 フェイトのことを助けてくれたし、ママともまた会わせてくれた。
 あんなのがソラの本性なはずない!」

 なのはが言いたいことはアリシアが全て言ってくれる。
 しかし、ソラは乾いた笑みを浮かべて首を横に振った。

「だって僕は……ねえさんを殺したのに、悲しいなんて少しも思わなかったんだから」

 思わず息を飲んだ。
 それが人殺しをしたと、明確にする言葉だったからであり、本当に何も感じていないような空虚な表情だったから。
 誰もそんなソラにそれ以上の言葉をかけることができなかった。

「ところで……」

 重くなった空気を破ったのはソラだった。

「プレシアは何処?」

 そういえば、とその姿を探すが彼女の姿はどこにも見えない。

「確か……砲撃に飲み込まれて……」

 ソラの呟きに、一斉にみんなの視線がなのはに集中した。

「そうか……死んだか……」

「ええ!?」

 思わず声を上げて、なのははソラに詰め寄った。

「そんな、だって非殺傷設定だったんだよ!?」

「あのプレシアはプログラム体だからあんまり非殺傷とかって意味がないんだよねー」

 頭をかなづちで打たれた衝撃を受ける。
 振り返ってフェイトの顔を見ることができなかった。

「まあ、死んでなかったにしても全機能が落ちているはずだから自力での行動は無理だね。
 誰か、回収した?」

 ソラの呼びかけに答える人はいない。

「さ……探してきますっ!」

 先程までとは違った静かな空気にいたたまれずになのははハラオウン家から飛び出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「なのは、待って!」

 慌てた様子で飛び出すなのはを追ってフェイトは立ち上がるが、身体のバランスが取れずによろめく。

「はい……待った」

 すでに玄関がしまる音が聞こえたのに、ソラは慌てた様子もなくフェイトを止めて――

「これ、何だと思う?」

 そう言って手の上に出したのはバルディッシュの色違いのプレート。
 融合騎プレシアの待機形態がそこにあった。

「…………えっと、もしかしてソラ……怒ってる?」

 言いようのない空気が満ちて、アリシアがおそるおそる尋ねる。

「怒るってなんのことかな?」

 そうさわやかな笑顔でソラが応えるが、うそだと思った。

『アルフ……何があったの?』

『えっと……簡単にいうとベガを封印しようとしたところをなのはが邪魔しちゃったんだよ』

『そっか……』

 納得と頷くが、自分がどうこう言っていい問題ではないと判断する。
 後で頃合いを見て、なのはに知らせようと心の中で決めておく。

「さて、再起動に魔力が必要なんだけど……アリシア――」

「やだ」

 言い終わる前にアリシアはそっぽを向いていた。
 困った顔をしてから、ソラはクライドに視線を……流してフェイトに向けた。

「って、待てソラ! そこは普通私だろ!?」

「はっ……あんたに頼るくらいなら死んだ方がマシだね」

「死ねない身体のくせに!」

 そこから低俗な言い合いを始める二人。
 ぎゃあぎゃあ、わあわあとやってるその姿になんだか悲しくなってくる。
 英雄と呼ばれ、クロノが誇りにしている自分にとっては養父にあたる人。
 非魔導師でありながら、絶大な戦闘能力を持つデタラメなソラ。
 今の二人はとてもそんな風には見えなかった。

「いい加減にしなさい!!」

 リンディの一喝で二人の争いはぴたりと止まる。

「魔力が必要なら私が――」

「それも却下」

 リンディに提案を考える素振りも見せずにソラは拒絶した。
 きつい目で睨むリンディとそれを真正面から受けて睨み返すソラ。
 見えない火花を散らせる二人にフェイトは恐る恐る切り出した。

「あ……あの……わたしは別にかまわないけど……」

「ダメよ。病み上がりもあるけど、魔力運用を行ってリンカーデバイスがどうなるか分からないんだから」

「ならあたしが――」

「修行して出直して来い、犬」

 アルフは部屋の隅で膝を抱えることになった。

「…………もう仕方ないなあ」

 嫌々ながらアリシアがソラからデバイスを受け取る。

「どうすればいいの?」

「デバイスを使う時と同じ要領で魔力を流せばいいよ。
 ただ、プレシアが受けた魔力ダメージ分くらいの魔力を持って行かれるから気をつけるように」

「ん……」

 小さく頷いて、アリシアは言われた通り魔力をデバイスに流す。

『…………融合騎プレシア、起動します』

 紫の魔法陣が展開されたかと思うと、魔力が人の形を取る。
 見るのは二度目の光景だが、胸が高鳴る。

「ん……確か私は……桜色の光に飲み込まれて……」

 完全に実体化したプレシアは状況を把握しようと記憶を辿る。
 言動に親近感が湧きながら、万感の思いをこめて呼ぶ。

「母さん……」

「フェイト……よかった正気――」

 プレシアがフェイトの声に反応して、振り返るとその目を大きく見開いた。

「ソラッ! これはどういうこと!?」

「どうって見ての通りだけど……」

「まさか、貴方が!?」

「そうだけど」

 肯定の言葉にプレシアの身体から魔力が噴き出す。

「待って母さん」

 今にも凶悪な魔法を解き放ちそうなプレシアをフェイトは慌てて止める。

「これはソラのせいじゃないから! 全部わたしのせい……わたしが弱かったからなの」

「でも……」

「そのことについて私たちはソラを責められないよ」

 納得できないプレシアにそう声をかけたのはクライドだった。

「私だって来るのが遅れたし、リンディ……管理局は結局間に合わなかった。
 なのはさんは邪魔をしてしまったそうだし……プレシア、君はそもそもフェイトとアリシアのいざこざを止められなかった」

「うっ……」

「何よりソラのあの人格は私の――」

「だから勝手なことを言うな阿呆」

「もとい、ソラだって最善をつくした。それでもこうなってしまったんだ。
 仕方がないって言葉は嫌いだけど、仕方がないんだ」

「だからって……」

「腕に関しても義手を作ってもらえば、戦線にだって復帰できる。そう悲観することもないだろ」

「え……そうなんですか?」

「魔法戦は激しいからね。手足を失うことだってそう珍しいことじゃない。
 だから、十二年前でもそれなりのものがあった。今ではもっといいのがあると思う」

「本気で言っているのクライド?」

「そうよ……フェイトに一生ものの傷を負わせたのよ」

 クライドの物言いにリンディが口を挟み、それにプレシアが乗じる。

「ロストロギアに関わって生きていられるだけマシ、だってどうして考えられないかな?」

 二人の母と一人の父の口論は次第に熱く激しくなっていく。
 自分としては左腕のことは折り合いをつけているのだが、母二人は納得してくれてないようだった。

「あの……ソラ……」

 助け船を求めて彼を見る。

「あのさ、ソラ……結局あの人は何なの?」

 しかし、大人の話をそっちのけでアリシアが話を進めていた。

「融合騎っていうのは説明された?」

「うん……」

「まあ、それ以上の説明もないんだけど……
 融合騎、それも自律行動型を作るのには必ず一人以上のリンカーコアが必要なんだ」

「ふむふむ……」

 ソラの説明にアリシアはコクコクと頷く。

 ――何だろう……この光景……

 右を見れば、大人たちの難しい話。
 左を見れば、ソラによるユニゾンデバイスの講義。
 混沌とした状況にフェイトはどちらに行けばいいのかとても迷った。
 迷ったが、自然と「傷物」「過剰防衛」「責任」といった難しい話よりもユニゾンデバイスの話の方が気になってソラの言葉に耳を傾ける。

「リンカーコアを抜かれた人間は当然死んでしまう。
 でも被検体は融合騎をして新しい生を得る。
 場合によっては記憶もまっさらになるんだけど、今回は記憶も継承するようにしておいた」

「えっと……それってつまり……」

「いや……それでもやっぱりプレシアじゃないと僕は思ってるよ」

「どうして? 記憶はちゃんと継承してるんでしょ?」

「あれはプログラム体だからね。記憶って言ってもプレシアの残りかすみたいなものだから」

「そっか……」

 目に見えて落ち込むアリシア。

「でも、それは僕の考えだから」

「え……?」

「あのプレシアを君がどう思うかは、君が……君たちが決めることだと僕は思ってる」

 ソラはアリシアを見てからフェイトにも視線を送る。

「これはあくまでも君たちの問題だから……本当なら僕は口を挟むことじゃないんだ」

「ソラは……ソラは何を考えていたの?」

「何をって……?」

「だって、ソラはあたしたちのことはあたしたちが決めるべきだって考えていたんだったら、どうして助けに来てくれたの?
 あたしがあのママのことを認められなくて、フェイトがあたしのことを嫌いでも、それはあたしたちが決めたことでしょ?
 ソラの考えなら決めたことに口を挟まないんでしょ?」

 フェイトもアリシアと同じことが気になった。
 今に至ってもソラの行動の理由が把握しきれない。
 プレシアを殺したと言い、憎まれるように振舞ったソラ。
 しかし、実際はそんな単純なものではなかった。
 ユニゾンデバイスを作ることで先のなかったプレシアに生を与え、身体を張って二人の喧嘩を止めた。
 口どころか、手も足も突っ込んでいる。
 大人組みもいつの間にか口論をやめて、ソラに注目していた。

「それは本当に君たちが決めたこと?」

「それは……」

「感情に振り回されて……考えることをやめて……楽な道に逃げていただけじゃないの?」

「……何で、そんなこと言えるの?」

 思わずフェイトは口を挟んでいた。

「僕がそうだったから……」

 静かな答えにフェイトは返す言葉をなくした。

「親に捨てられて、僕の名前で呼ばれる妹がいて、僕のことを忘れてなかったことにしたあの二人が憎くて、僕は促されるままに殺した」

 淡々と語るソラの話に、フェイトはそこに自分を投影してしまう。
 プレシアに大っ嫌いだったと告げられたこと。
 自分はアリシアの代替物の人形でしかなかったこと。
 アリシアを羨む気持ちは確かにある。それが殺意につながったことは否定できない。

「まあ、親も妹のことはどうでもいいんだけど」

「え……?」

 人を、それも家族を殺したことを後悔しているから、同じ家族殺しをさせないため尽力してくれたと思ったが違うようだった。

「僕はその時に殺しちゃったんだよ。
 家族なんてどうでもいいくらいに大切だったねえさんを……ねえさんを殺したんだ」

「おねえさん……」

「僕を拾ってくれて……剣を教えてくれて……生きている意味、友達、全てをくれた人だった」

 淡々と語っているようだが、ソラの口調はどこか誇らしげで、その人のことが本当に大切だったと伝わってくる。

「僕はくだらない激情に振り回されて、本当に大切なものをこの手で壊した」

 ソラの言葉を聞いて、フェイトが思い出したのはなのはの姿だった。
 今は右手しかない手を改めて見る。
 ソラを貫いた感触はまだ鮮明に思い出せる。本来はなのはを貫いていた刃。
 もし、そうなっていたなら後悔どころではなかっただろう。

 ――本当に同じなんだ。

 親に捨てられたこと、誰かの代わりだったこと、自分の代わりに嫉妬して憎悪したこと。
 そして、大切な人がいたことも。

「だからなのかな……会ったこともないフェイトのことが他人じゃないと思えて……
 僕と同じ過ちを犯さないでほしいって思ったんだ」

 それがソラの主義に反して介入してきた理由。
 それはどこまでも自分勝手で、誰よりも自分のことを理解して、助けてくれるものだった。
 フェイトはまるで自分の全てを知られているような気恥ずかしさを感じずにはいられなかった。

「あの……ソラ……」

 まだその言葉を言ってないことをフェイトは思い出した。

「ありがとう」

「お礼なんて……僕は結局、君の腕を切り落としたんだし……
 やってることだって、なんだかんだ言って行き当たりばったりだし……」

「それでも……ありがとう……おかげでなのはを殺さなくてすんだ」

「むう……」

 ソラは押し黙ると、フェイトから顔を背けてプレシアに身体ごと向き直る。

「それで、あんたはどうするつもりなの?」

 急な話題転換。
 それを追究するよりも、フェイトもプレシアの答えが気になった。

「どうするも何も、私はもうフェイトに完敗しているわよ」

「あ……意外とあっさり……」

 拍子抜けした言葉を漏らすソラに対して、フェイトは知らないうちに止めていた息を吐き出す。

「その分ならリニスの伝言はいらないか……」

「リニスの伝言?」

「そっ……庭園の端末から見つけたデータでね。
 リニスっいう使い魔がプレシアに残したメッセージ……プレシアがフェイトを愛していた証拠」

 吐き出した息をまた止めるほどの驚きをフェイトは受けた。

「……教えてちょうだい」

「別にもう必要ないんじゃない?」

「お願い」

 真摯なプレシアの言葉にソラは口を一度つぐんでから、口を開いた。

「自分……だそうだよ」

「え……?」

「『プレシアが心の底からフェイトのことを憎んでいるなら、私はフェイトにこれほどの愛情を抱くはずはなかった』」

 山猫としての性質もあったかもしれない。それでも、と思う。
 例え、精神リンクを切断していたとしてもそれは完璧ではない。
 本当にプレシアがフェイトを憎いんでいるのなら、少なからずリニスもその感情に引きずられてもおかしくはなかった。
 でも、一度だってフェイトを疎ましく感じたことはなかった。

「『だから、心のどこかで確かにプレシアはフェイトを愛していた。私の存在がその証明です』ってね」

「そう……」

 リニスの言葉にプレシアは重い息を吐く。
 彼女が今、何を考えているのかフェイトには想像もできない。
 前のプレシアならくだらないと一笑していたはずの言葉を、今のプレシアは静かに受け止める。

「使い魔は……主の一部でもあるか……」

「母さん……」

 フェイトはプレシアに寄り添って、手を取る。その手は拒まれることはなかった。

「フェイト……私は貴女に言わなければいけないことがあったわ」

 優しい手付きでその手を解き、プレシアは正面からフェイトを見据える。

「……はい」

 緊張した面持ちでフェイトはそれを受け止める。

「…………ごめんなさい」

 その言葉とともに頭を下げた。

「今さら何を話せばいいか分からなかった。
 でも、私は何より一番最初に謝らなければいけなかった。
 ごめんなさい……今まで本当にごめんなさい……フェイト」

 その言葉は記憶の奥にある、アリシアの記憶にあるプレシアの言葉を思い出させた。

「……一つだけ……お願いがあります」

「私にできることならなんだってするわ」

「母さんって呼んでもいいですか?」

「っ……ええ。いくらでも呼んで……」

 抱きしめてくれる温もりを今度は放さないようにフェイトは抱き付いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「君はどうする、アリシア?」

 プレシアとフェイトの抱擁を見ていたアリシアにソラは尋ねた。

「どうするって……」

「混ざらないの?」

 ソラの言葉にアリシアは俯く。

「知らない……」

 羨ましそうな顔を一転、不機嫌にそっぽを向いてします。

「みんな……みんなフェイトのことばっかり……
 ママもリニスもソラも……あたしはいらない子なのかな?」

「そんなことはないよ」

 思考が後ろ向きになっているアリシアの言葉をソラは否定する。

 ――誤算だった。

 アリシアとプレシアの仲が安定していると思っていたが、この二人の仲も微妙なものだったのだと今回のことで分かった。
 ソラの行動のほとんどはフェイトのためのものだった。
 アリシアのことも考えていなくはなかったが、できることがほとんどなかったとも言える。

 ――ここでフォローしとかないと第二次家族戦争勃発になる。

 確かな危機感を持ってソラは話す。

「フェイトはプレシアのためにずっと頑張った。それはアリシアのためでもあった」

「そうかもしれないけど……」

「なら少しぐらい我慢してもいいんじゃないかな?」

「でも……フェイトはあたしのこと嫌いだもん」

「そうかもしれないね」

 安易な否定はできない。
 自分と投影して考えれば、今回のことでプレシアとフェイトのわだかまりは解消されたはず。
 しかし、フェイトがアリシアに対してどういう風に接するかはソラにとっても未知数だった。

「でも、アリシアはフェイトのお姉さんなんでしょ?」

 その言葉でアリシアの反論を封じる。

「むぅ……ソラ、ずるい」

 一度、頬を膨らませてアリシアはトテトテと二人に近付く。

「アリシア……」

 それに気付いたプレシアが抱擁をやめて、向き直る。
 アリシアに手を伸ばすことはせず、プレシアは彼女の言葉を待つ。

「……今日から、かあさんって呼ぶから」

 それが今のアリシアにとっての最大限の譲歩なのだろう。
 「ママ」と呼んでいたアリシアが「かあさん」に改めるそれが彼女にとって何を意味しているかソラには分からない。
 それでももう大丈夫だと安心できた。

「……ありがとう、アリシア」

 その言葉をプレシアは静かに受け止める。

「それからフェイト」

 そして、勢いよくフェイトを指差す。

「背が小さくてもあたしがお姉さんだからね」

 そこは譲れない一線なのだろうか。言葉に力がこもっていた。

「う……うん」

 妙な気迫をにじませるアリシアに気を押されながらもフェイトは頷いた。
 その光景を見ながらソラは息を吐いた。

「お疲れ……見事な説得だったよ」

 労いの言葉をかけてくるクライドにソラは嫌な顔を返す。

「それで……人体実験をした僕を早速逮捕するつもり、管理局?」

「いやいや……私はもう管理局じゃないから。
 それにソラの行動が理解できた、納得もしたよ。
 最善の方法とはいえなかったけど、ソラなりに考えて最善にしようとしたんだろ?」

「クライド…………何か悪いものでも食べた?」

「ひどいなぁ……折角褒めてるのに」

 苦笑するクライドに気味の悪さを感じながらも、ソラは警戒心を高めていく。

「クライドはそうかもしれないけど……あんたの奥さんは違うみたいだよ」

「何……?」

 クライドが向き直った先には今まで座ったまま、事の成り行きを静観していたリンディがいた。
 ソラに向ける目は彼が起きてから一向に変わらない。

「わざわざ待っていてくれたって言うのかな?
 こちらとしてはありがたかったけど……じゃあやろうか?」

 光剣の柄を取り出す。まだ刃は出さないがいつでも斬り込めるようにしておく。

「おい……ソラ……いきなり何を?」

「こいつはずっと僕を殺したがってるんだよ」

「人聞きの悪いこと言わないでくれないかしら」

 初めて会った時と変わらない口調だが、そこに含まれる冷たさをソラは見逃さなかった。
 何より、彼女の目が冷たく、自分を見下している。

「どうだか……今のあんたの目は昔のクライドにそっくりだよ」

 その一言に人の良さそうな鉄面皮がわずかに歪む。が、すぐに元に戻る。

「……気のせいよ」

「そこのドアの向こうに二人……あっちに一人。それから外には十数人の魔導師が配置されている」

 今度こそ、リンディは驚きに表情を変える。

 ――馬鹿馬鹿しい。こんな殺気立った魔力に気が付かないわけないだろ。

 これがフェイトのリンカーデバイスに対して用意したものかと始めは思ったが、リンディの視線や隠れた視線は常に自分を見ていた。
 この状況からソラは一つの結論に達する。

「要するにあんたたちは僕が何をしたか知ったってことでしょ?」

「――っ!? 突――」

 ――遅い!

 合図を出すより速くソラはリンディに肉薄していた。
 非殺傷性の刃を振り、一撃で昏倒させる。
 ドアを蹴破る勢いで入って来たその姿にすぐさま反応したところで――

「なっ!?」

 予想外の相手にソラは一瞬の硬直に陥る。
 しかし、斬りかかってくるその相手にすぐに意識を取り戻し、一歩前に踏み込み、振り上げた手を取って強引に剣の軌道を逸らす。
 剣が床に深々と突き刺さる。それを抜き出すより速くソラは銃を相手の頭に突き付ける。
 発砲するが、一瞬早く斬り上げた鞘がソラの手から銃を弾き飛ばす。

「ちっ――」

 バックステップと同時に三本のナイフを投げる。
 剣士は障壁を展開してそれを弾く。
 その背後から紅い影が飛び出して、上からハンマーを振り下ろす。
 当たればそれで終わる一撃必倒の鉄槌。
 半歩引いて、それをかわす。
 目の前で床が爆ぜる。
 しかし、少女の動きはそれで止まらない。素早く、無駄なくハンマーを持ち直すと下からソラの頭を狙って振り抜く。
 軸足を固定してソラは剣でそれを受け止め、その反動に弾かれるように身体を流す。
 ハンマーの勢いを利用してその場で回転。そして、殺すつもりで少女の側頭部を蹴り抜いた。
 形容しがたい音と生々しい感触を足に受けるが、すでにソラの思考は少女から外れていた。
 床から剣を抜き、迫る女剣士に傍らのテーブルを投げる。
 構わずそれごと剣士はソラを切り伏せるつもりで剣を振るが、割ったテーブルの先にソラはいない。

「どこ――ぐあっ!?」

 テーブルで一瞬の死角を作ったソラは上に跳び、天井を足場にしてさらに跳び、剣士の肩に剣を突き立てる。
 そのまま着地し、足を払い、崩れたところで膝を踏み抜く。
 骨を砕くのに似た感触を得るが、それがどこまで効果があるか分からない。

 ――こいつらはプログラムだからな……

 そんなことを考えながら、素早く突き刺した剣を回収し、そのまま振る。
 そして、その大振りのナイフが突き付けられるのは同時だった。
 互いが互いの獲物を首に突き付ける形で止まる。

「君は……」

 その顔に前の二人とは異なる見覚えがあった。

「…………リンディ母さん……それにヴィータ……シグナム?」

 ようやく何が起こったか認識し始めたフェイトの声が部屋に響く。
 半ば呆然とした調子でフェイトの視線はソラと相対している彼女に向かう。

「アサヒ……」

「アサヒだって!?」

 驚き、思わず意識をフェイトに向けた瞬間、殺気が膨れ上がる。
 止めていたナイフを振り抜く。一瞬早く、身を引いて避けるが、生温かいものがかすかに首から滴る感触を受ける。
 女、アサヒの動きはそれだけでは止まらない。
 退いた分だけアサヒは踏み込み、ナイフを突き出す。
 それを光剣で受けるが、背後から魔法の気配。
 咄嗟にナイフを弾き、身を沈める。
 一瞬遅れて魔弾が頭上をかすめていく。
 すぐにその場から離脱しようとしたが、足を誰かに掴まれた。

「これはゴーレム生成!?」

 床から現れた石の腕がソラの足をがっしりと掴んで放さない。

「もらった!」

 勝機を見て、アサヒはナイフを振り下ろす。
 が、次の瞬間、ソラを捕まえていた手は音もなく崩れ、拘束の意味を失う。
 自由になったソラはアサヒの斬撃を容易くさけて、その手を取り捻り、後頭部を掴んで床に叩き付けた。

「がっ……!?」

 ソラは素早く鋼線を取り出してアサヒの腕を縛り上げる。

「き……貴様……」

 くぐもった声で怨嗟の言葉を発する彼女をソラは冷ややかな気持ちで見下ろした。

「まさかまた会えるとは思ってなかったよ、アサヒ」

「気安く私の名前を口にするな! 汚らわしい」

「ひどい言い草だね。とはいえ、再会を喜ぶ気になれないのは同感だ。
 なんで君が闇の書の騎士と行動を共にしている?」

 銃を拾い、威圧するように頭に銃口を押しつける。

「事と次第によっては君でも容赦しない」

「は……私をそいつらの主だと思ってるなら、ありえないな」

 こちらを蔑む目。その昔とは変わり果てた目に、自分が変わってしまったことを改めて自覚する。

「私がそいつら……いや管理局に協力してやってるのは貴様がいたからだ」

「君に恨まれることをした覚えはないけど……」

「ふざけるな! 貴様は八神のおじさんとおばさんを殺した! はやてから家族を全てを奪った存在だ!」

 アサヒの言葉にソラの何かがキレた。

「そっちこそふざけるな! あんな奴ら死んで当然だ!」

「何だと!?」

「だいたい先に殺したのはあいつらだ! 他人の君にどうこう言われる筋合いはない!」

「はっ……犯罪者の逆恨みか……つくづく最低な奴だっ!」

 次の瞬間、壁面から突き出された巨人の手にソラは張り飛ばされた。
 壁に叩きつけられ、立ち上がる頃にはアサヒも鋼線の拘束を解いて立ち上がっていた。
 見れば、「紅の鉄騎」も「烈火の将」もいつの間にかそこにいる「風の癒し手」に修復されて、立ち上がっていた。

「ソラっと言ったな……」

 ナイフを構え直し、十二の銀球を従えたアサヒが確かな殺意と共に言い放つ。

「前回闇の書の主……貴様はここで死ね!」









あとがき
 第21話、フェイト編完にして、はやて編(ヴォルケンリッター編)に続くの話でした。
 途中でぶった切ることになってしまいましたが、次回は時間を少し遡ってはやての視点になります。
 バレバレだったと思いますが、ソラの正体を公開した区切りとして次回からはとらハ板に移動しようかと思ってます。
 ようやくではありますが、ここを境にソラが物語の中心になっていく予定です。




捕捉説明

 ソラの人形人格
 幼少期にクライドに何度も殺され、人殺しと罵られたために形成された人格。
 人格といっても意思はほとんどない。
 ソラの薄い倫理観念や、信念に関係なく、目に映るものを自分の全てを使って殺す存在。
 平たく言えば、虐待された防衛手段として生み出された凶暴な二重人格。
 また、自分はそういうものだったと認識することで、姉を殺した罪悪感を薄れさせている。






[17103] 第二十二話 弾劾
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/02/13 10:42


「これって……」

 目の前の光景をはやては信じられなかった。
 昼時の管理局本局の大食堂。
 先程まで廊下にまで響いていた喧騒はぴたりとやみ、異様な静寂に満ちていた。
 はやてがこの場所に来るのは初めてだった。
 いつも本局に来る時は弁当を持参していたりして、医務室や無限書庫にデバイスルーム、その場で食べるのがほとんどだった。
 食堂を使おうとした理由は単に弁当を作ってなかったこととみんなが無事退院したこと、そしてリインフォースともう一度話をすることができたため、テンションが上がったままの行動だった。
 シグナムやヴィータが渋り買ってきて、はやてに割り振られた部屋で食べようと提案したもののはやては強引に自分の意見を押し通した。
 その二人の提案の理由が今分かった。

「ちっ……」

 自分たちの姿を見てあからさまに舌打ちして顔を背ける男。

「……行こう」

 談笑を中断し、いそいそと席を立つ女性陣。
 集まる視線はどれも嫌悪や憎悪を隠し、にじませたもの。
 息苦しささえ感じる空気にはやての身体は硬直する。

 ――これって……

 直感的にはやては理解する。
 彼らが何を見てそんな態度を取っているのかを。

「はやて……」

「大丈夫や……」

 動揺を隠してヴィータに応える。しかし、その声は震えていた。
 覚悟はしていた。こんな光景をいつか目の当たりにすると思っていた。
 アサヒと出会い、彼女の言葉から改めて気を引き締めてもいた。
 しかし、それでも実際に体験すると気後れしてしまう。
 闇の書を恨んでいる人たち。それとも前科持ちになる自分たちを疎む人たちか。どちらにしても彼らは自分たちの存在が気に入れないことが伝わってくる。

「主はやて……やはり今からでも別の場所に」

「大丈夫やて……」

 今度はシグナムに同じ言葉を返して、車椅子を自分で進める。
 まずはカウンターに向かう。が、その前に誰かが立ちふさがった。

「おいおい……ここは善良な管理局員の憩いの場所だぞ。
 お前たちのような奴らが来ていい場所じゃないんだよ」

 それも一人ではなかった。
 本局の制服に身を包んだ男たちが上から自分を見下ろしていた。

「あ……」

 何か言わなければいけないのに、言葉が出てこない。
 人の悪意の目がこんなに怖いなんて思っていなかった。
 固まるはやてを庇う様にシグナムが前に立つ。

「我々のことなら何を言われても構わないが、主はやてへの侮辱は許さん」

「はっ……許さないだと?
 お前たちにそんなこと言う資格なんてないんだよっ!」

「我々も今は管理局の一員として――」

「ふざけんなっ! 誰がお前たちのことなんか認めるか」

「しかし、保護観察が決定されている。それに管理局任務への従事として罪を償うということになっている」

「なっているね……」

 言い返すシグナムに蔑んだ目が向けられる。

「俺の親父は十二年前にお前たちの蒐集を受けて殺された」

「なっ……!?」

「蒐集されて……無抵抗な親父を……親父だけじゃない。蒐集した奴はみんな殺されている」

「そんな嘘やっ!」

 思わずはやては叫んでいた。
 そんな酷いことをシグナム達がするはずない。
 例え、主の命令であってもそんな酷い命令に従うはずがない。
 そう信じているのにシグナムもヴィータもシャマルも俯いて何も言い返さない。

「どうして……?」

「何も知らないのかよ、主のくせに?」

「やめろっ!」

「少し考えれば分かることだろうが……蒐集した相手をどうした方が一番邪魔にならないかなんて」

「それは……」

 その考えにはやては至る。
 一度蒐集した対象は二度目の対象にすることはできない。
 その法則がある以上、一度蒐集した相手は以後、蒐集の邪魔にしかならない。
 ならばどうするか。子供のはやてでも容易に想像できる。
 しかし、それを認めることはできなかった。

「でもそれはシグナム達の意思じゃない」

 例えどんな理由があってもヴォルケンリッターが自分から非道に走る、なんてことは信じられない。

「その時の主の命令でシグナム達は仕方なく従ったんや」

「全部前の主が悪いって言ってれば許されると思っているのかよ!?」

「そんなことないっ! でも……」

 その後に言葉が続かない。
 夜天の書の罪を背負うと決めて、覚悟もしていたはずなのに、返せる言葉が一つもない。

「でも……」

「何をやっているの貴方達っ!!」

 言葉を探していると聞き覚えのある声が響いた。

「ちっ……」

「レティ提督……」

 その姿にはやての安堵の息をもらす。

「はやてさん……本局の中を不用意に動かないでって言っておいたはずよ」

 咎める口調に思わず首を竦める。
 しかし、レティの矛先はすぐに目の前の男たちに向けられる。

「貴方達もこれはどういうことかしら?
 闇の書においての諍いは慎むように通達しておいたはずよ」

「レティ提督……この際だから言わせてもらいますけどね」

 上官に対する礼を忘れ、男はみんなを代表して告げる。

「俺たちはこんな奴らに背中を任せることなんてできません」

「それは上の決定に不満があると取っていいのね?」

「その上が何を考えているか分からないんだよ!」

 激昂する男の言葉にはやては肩をすくめる。

「闇の書の騎士を取り込むのは百歩譲って納得する。
 形だけの裁判、有って無いような刑罰そこまではいい。だが、制限されてない行動、それに専用のデバイスの開発?
 どうして、こんな前科持ちの奴らがここまで優遇されているんだ!?」

「優秀な魔導師に相応のデバイスを持たせるのは当然のことよ」

 男の慟哭に動じもせずにレティは言い返す。
 男の意識はすでにレティに向いていてはやてを見ていない。
 それでも居たたまれなさを感じずにはいられなかった。

「それにヴォルケンリッターの行動は主の人格次第だということも判明しているわ」

「そうだったとしてもおかしいだろ……普通のデバイスならまだしも、最新、最高級の部品を使ったデバイスにユニゾンデバイスだぞ?
 いったいそれにどれだけの予算をつぎ込んでいるんだ?」

 グサリ、グサリと男の言葉が胸に突き刺さる。
 何度も壊したシュベルトクロイツの製作にかかる費用のことなど考えたことはなかった。
 与えられたものを何の疑問を感じずに享受していた。
 それが特別扱いで、誰かに疎まれることだと思ってもみなかった。
 闇の書のことは関係なしにしても、どれだけ周りのことに無知で無関心だったか思い知らされる。
 そして、レティと男達のやり取りに口を挟めないことが情けなかった。

「オーバーSランクの魔導師育成に組んだ予算の範疇を超えてないから抗議の対象にはならないわよ」

 さらっと言い返すレティに男はまなじりを上げる。
 それが爆発寸前だと傍から見ていても分かる。

「まあ……それでも貴方達の不満も分かるわ」

 それに気付いていないのかレティは言葉を続ける。

「でも、それをはやてさんにぶつけるのは筋違いよ。ぶつけるのは前の闇の書の主のはずよ」

「……何を――」

「前回闇の書の主の生存が確認されたわ」

 いぶかしむ男の言葉を遮って、レティがそれを告げた。

「………………え……?」

 レティが何を言ったのかはやては理解できなかった。
 それははやてだけではなく、シグナムにヴィータ、シャマル。食ってかかって来た男にそれの取り巻き。
 遠巻きに様子を見ていた者でさえ、はやてと同じように理解が追いついていなかった。

「そんな馬鹿なっ!!」

 いち早く我に返ったシグナムの叫びでざわめきが食堂に戻る。

「事実よ。詳しいことは後で話すけど、近いうちに彼を抑えるための部隊を編成するわ」

「その部隊……俺たち……私たちも参加できるのですか?」

 口調を丁寧なものにして男が尋ねる。

「条件はAAランク以上の魔導師になるけど、一応は志願という形を取るわ……貴方は確かAA+だったわね?」

「はい……そうですが……」

「なら、今はそれで納得してくれるかしら?」

「は……はいっ!」

 敬礼さえして男は応える。
 唖然とした空気に満ちた食堂。
 レティは振り返ってはやてたちに告げた。

「場所を変えて話をしましょう」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「レティ提督っ……あれは本当なのですかっ!?」

 自分の執務室に入るなり、シグナムが声を上げる。

「ええ……本当のことよ」

 肯定しながらレティは椅子に座って端末を操作する。

「……え……?」

 映し出された映像に一同が驚きに言葉を失う。
 その気持ちは十分に分かると、言葉にしなくてもレティは共感する。
 十六、七の背格好。特徴的な灰色の髪。何を考えているのか分からない軽薄な顔。

「ソラ……彼が前回闇の書の主よ」

 非魔導師でありながら高ランク魔導師を圧倒したデタラメな人間。

「もっと早く気付くべきだったわ」

 エスティアに乗組員以外として乗船し、クライドと一緒にいた人物。
 闇の書事件に関わっていたこと。
 アルカンシェル、ジュエルシードクラスの次元震があった事件に関わったこと。
 そして、ソラが自称する次元犯罪者であること。
 全ての条件に前回の闇の書の主だったことがあてはまる。

「でも……生きてるなんて……ありえないわ」

 絶句しながらもシャマルが口を開く。

「闇の書の暴走は主の魔力を枯渇させるまで納まらない、途中で破壊しても書の破壊は主のコアの破壊にもなるんですよ。
 リンカーコアを失った生物が生きているはずがないです」

「でも、彼のコアは実際に存在してないのよ」

 彼の魔導資質は完全に喪失している。
 これは闇の書にコアを取り込まれたまま、書を破壊したためだと考えられる。

「書の破壊によって枯渇による死を回避……コアの喪失による死は奇跡的な確率で生き永らえたか……」

 同じ考えをシグナムが口にする。

「一応、納得しました。
 レティ提督、管理局は彼をどうするつもりですか?」

 ヴォルケンリッターからすれば彼は自分たちを好き勝手使った忌むべき存在。消し去りたい過去の汚点。

 ――やっぱり気になるわよね。

「すでに彼の所属する地上部隊には彼の拘束命令を出してあるわ。
 闇の書の主だったことは伝えてないけど、拘束理由はいくらでもあるから……でも……」

「でも?」

「彼は拘束を破って逃走したわ。その足取りは掴めていないけど、その翌日に残滓事件が起きた」

「まさか……」

「そう……残滓事件の首謀者である可能性が高いわ」

 前回闇の書の主が闇の書を復活させようとしている。
 十分に考えられることだった。

「管理局の対応は他の犯罪者と変わらないわ。見つけ次第拘束、抵抗するなら撃破も許可する」

 ただ相手が相手だけにかなりの人員を用意するようだった。
 それほどまでに管理局は彼の存在を重く見ていた。

「ソラさんが……闇の書の主……おとーさんとおかーさんを殺した人……」

 呆然とモニターを見るはやての呟きをレティは聞いた。

「アサヒ・アズマさんの話ね。
 にわかに信じ難い話だけど……」

 復讐の相手、それは食堂でもめた男性局員と同じだった。
 八神はやての出生を調べたら確かにミッドチルダにその名前の出生届は存在していた。
 そして、エルセアの時が止まった空間の被害者リストにもその名前はあった。
 裏付けの取れてしまった情報は果たして良かったと言えるのか。
 困難を乗り越えて絆を確かなものにしたはやてたちに亀裂を作り、今追い打ちをかけるように存在しなかった復讐の相手が現れた。

「レティ提督……この人を捕まえた後はどーなるんです?」

「…………隠しても仕方がないから話すけど……
 彼はエルセアの凍結結界を解く重要な手掛かりともいえるわ。
 でも、彼が起こした闇の書事件における死傷者の数は過去最大のものだったわ」

 前回闇の書事件における蒐集の対象者はそのほとんどが魔導師で、魔獣などからの蒐集はしていなかった。
 しかも、蒐集された人間のほとんどは殺されていた。

「できる限り捕縛の方針だけど、戦闘に当たって一つ特例が出ているわ……『殺傷魔法の使用許可』がね」

 それがはやての問いに対しての答えでもあった。
 『殺傷魔法の使用許可』
 それはつまり殺しても構わないという意味に他ならない。
 捕えたとしても、彼の身に待っている裁きは死刑とすでに決まっている。
 ソラの持つ技能、知識は確かに魅力的で是非とも管理局に入ってもらいたいとレティ個人としては思っている。

 ――だけど、一利あっても百害にしかならないのよね。

 今回の闇の書事件が無血で、さらには完全な終止符を打つことができたからこそヴォルケンリッターを受け入れることができた。
 その過程において、今回の事件を誇張して、前回までの事件を貶めた。
 そして上層部ははやてには向けられない感情の捌け口をソラに向けることで局内の安定を取ることにした。
 それだけのことをソラはしたとはいえ、あまり良い気はしなかった。

「上は貴女達にも部隊に参加しろって言ってるけど、気が乗らないなら断ってもいいわよ」

 直接にしろ、間接にしろ人殺しに関わらせていいのかレティは迷う。
 ヴォルケンリッターはそれを戒めとして今代の蒐集を行った。
 はやてはまだ子供だから言うまでもない。

「…………」

 はやては沈黙を保つ。

「やらせて下さい」

 そんなはやてを差し置いてシグナムがそう言った。
 シグナムだけではない、彼女と同じ意見のようにシャマルとヴィータも強い眼差しを向けてくる。

「奴が生きていたのなら、私たちの手で決着をつけさせてください」

「そう……正直助かるわ」

 ソラの能力が魔力の無効化なら純粋魔力攻撃を主体とするミッド型の魔導師はそれだけで不利になる。
 彼と相性がいいのは物理攻撃を行えるベルカ系、かといって生半可な実力ではソラの体術に圧倒されてしまう。
 ヴォルケンリッターはまさに理想な戦力だった。

「レティ提督……わたしは……」

「いいのよ、はやてさん。無理しなくて」

 不安そうな顔をするはやてをなだめる。
 正直、戦力は多いに越したことはないが、年端もいかない子供に復讐を促すことはしたくなかった。
 ヴォルケンリッター、この様子だとザフィーラも彼女たちと同じ答えをくれるだろう。
 レティの言葉にはやては俯いてしまう。

「ごめんなさい……ちょー 一人にしてください」

「はやて……?」

「ごめんなーヴィータ……一人で考えたいんや」

 はやてにそう言われて、ヴィータは押し黙る。

「でも、はやてさん……さっき見たみたいに管理局には貴女たちのことを快く思ってない人たちは多いの」

 今まで身内や話が分かる同僚という狭い範囲での交流しか与えてこなかった。
 ヴォルケンリッターを取り込むことで生じる軋轢は予想の範囲だった。
 そして、そんな人たちと対峙した時のはやての反応も予想通りだった。

「なら……無限書庫に行っていーですか?」

「……そうね、あそこならユーノ君もいるし、静かという意味では申し分はないわね」

 レティはそこまではヴォルケンリッター達に送られることを条件にはやての単独行動を許可した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 無限書庫。
 そこは魔法の世界に足を踏み入れたはやてにとってお気に入りの場所だった。
 見回せばどこまでも本棚。圧巻な光景だったが、今はそれにもう慣れた。

「あれ……はやて……?」

 無限書庫の無重力に漂っているはやてをユーノが見つけた。

「あ……ユーノ君……久しぶりやなー」

「そうだね……大丈夫? だいぶ疲れているみたいだけど」

 疲れている。
 そう言われてはやては今までのことを思い出す。
 「G」との戦闘から始まり、夜天を狙うテロリスト、自分の出生の秘密、管理局での自分の立場、そして前回闇の書の主の生存。
 正直なところ、はやては精神はこれまでにないほどに圧迫されていた。

「大丈夫……じゃーないかなー……ちょー 一人になりたくて来たんやけど……迷惑やったかな?」

「そんなことはないよ……でも、それじゃあ僕は邪魔かな」

「邪魔なんて思ってないけど……なーユーノ君……ちょっと弱音言ってもいーかな?」

「え……別にかまわないけど……珍しいね。君がそんなこと言うのは」

「むーユーノ君失礼や……わたしにだって悩みの一つや二つちゃーんとあるんよ」

「ごめんごめん」

 謝りながら、ユーノは周辺に流れている本を動かして、どこかに片付ける。

「それじゃあ向こうの休憩所で話をしようか」

 はやても使ったことがある休憩所で、これまでのことを話した。
 自分が本当はミッドチルダの人間であること。

「待って……」

 話し始めてすぐにユーノは止める。
 米神を痛そうに押さえてから、手の『二十四時間、戦いましょうドリンク』を一気に煽って一息吐く。

「アサヒがはやてのお姉さん……それ本当なの?」

「義理やけど……ユーノ君もしかしてアサヒねーちゃんのこと知っとるの?」

「考古学界では有名だよ。通称『壊し屋』。
 壊した遺跡の数は十数個に及び、壊滅させた盗掘団もこないだ十個目を果たした。
 管理局とも平気でぶつかる反面、見つけたロストロギアは彼女の知人の管理局員を通じて金銭のやり取りで譲られている。
 だから、疎まれている半面、黙認されているモグリの遺跡発掘者だよ」

「有名人やったんや」

「僕も何度か会ってことはあるよ。妹の呪いを解くための方法を探しているって聞いたけど……はやてのことだったんだ」

「え……?」

 言われて、アサヒが前の闇の書事件からの十二年間で何をしていたのか知らないことに思い至る。
 ヴォルケンリッターにリインフォースのことを貶されて、感情的に言い返したことを今になって後悔する。

「なーユーノ君……アサヒねーちゃんのこともっと教えてくれないかな?」

「アサヒのことか……そうだね……一番特徴的なのは複数の技能を持っていることかな」

 アサヒ・アズマは魔力量こそ二級品、クロノレベルのものだが彼女の真価はそこではない。
 ユーノが知る限りでは変換資質は「炎熱」「電撃」「凍結」の三つを保有している。
 稀少技能は「召喚」「創生」「物質透過」などなど。
 とにかく信じられないくらいの手札を持っている。
 アサヒの戦い方はとにかく手数の多さで相手の行動を封殺する。
 攻撃の量もそうだが、相手が苦手とする戦術で戦う。
 そのためアサヒはいかなる距離でも戦える。

「敵の時は本当に厄介な相手だけど、味方にすると彼女以上に頼もしい人はいなかったなぁ」

「……そーやなくて……人柄とかのほーや」

 思わず聞き入ってしまったがはやては話題の修正を求める。

「ああ、そっちか……とにかく自分勝手で傲岸不遜。
 自分が言ったことは曲げようとしない。意志の強さと突き進む力はなのはと似ているかな」

「我儘ななのはちゃん……まさか言うこと聞かないと砲撃?」

「君の持ってるなのはのイメージって……」

「あ……なのはちゃんには言わんでおいてなー」

 誤魔化すように両手を振って口止めを頼む。ユーノは苦笑して続ける。

「ああ……それから神出鬼没なところが…………はっ!」

 唐突にユーノは言葉を切って辺りを見渡す。
 右を見て、左を見て、後ろを見て、上を見る。
 さらには座っているベンチの下から自動販売機の下。その脇に置いてあるゴミ箱まで蓋を開ける。

「流石の私もそんなところに隠れたことはないぞ」

「うわあああああああああっ!!?」

 背後からかけられた声にユーノは悲鳴を上げて飛び退く。
 驚いたのははやても同じだった。

「アサヒねーちゃん!? どうしてここに!?」

 振り返ると今話していたアサヒが立っていた。
 管理局を毛嫌いしていた彼女が管理局にいることに疑問を感じる。

「聞いてないのか? 明日、ギル・グレアムとの話し合いがある。
 その席に私も呼ばれていてな……君の事件の調書を読ませてもらっていたんだ」

 グレアムおじさん、いやおじいちゃんと話をすることははやても知っている。そこにアサヒも交えることも。

「まあ……その合間に知り合いがここで働いていると聞いてきたんだが……まさかはやてと知り合いだったとはな」

「久しぶりだね、アサヒ……ジュエルシードの発掘以来だから一年振りくらいだね」

「そうだな……」

 取り乱したのを取り繕って挨拶をするユーノにアサヒは何故か憐みの目を向ける。

「な……何?」

「噂には聞いていたが……本当にこんなことになっていたんだな」

「う、噂って?」

「管理外世界に散らばったジュエルシードを回収することを口実にして、管理外世界で魔法を使って公然猥褻を繰り返した」

「ぶっ……」

「覗きから始まり、いたいけな女の子の部屋に居座り、公衆浴場に潜入、ジュエルシードを使って女の子を手籠めにしようとしたとか」

「冤罪だ!」

「だが管理局にそれがばれて捕まり、強制労働として休む暇もなく無限書庫で働かせられているとスクライアの奴らは言っていたぞ」

 まさに今、その通りではないかと指摘されてユーノは言葉に詰まる。

「そんなっ……」

 ユーノの顔が絶望に染まる。

「ユーノ君……気をしっかりなー……噂ってゆーのは尾ひれ背びれが付くもんなんや」

「ありがとう、はやて……って、何で距離を取るんだよっ!?」

「や……他意はあらへんよ」

「ちなみに……」

『ようやくあやつも女に興味を持ち始めたか……よかったよかった』

『流石ユーノ……俺たちにできないことを平然とやってくれる。そこに痺れる憧れる』

『最っ低!』

『もう……言ってくれればお姉さんがいろいろ教えてあげたのに……』

『ゆーのおにいちゃん、はつじょうきなの?』

「以上がスクライア一族のコメントだ」

 ユーノは膝を着いた。
 とりあえず、そっとしておくことをはやては決めた。

「アサヒ……おねーちゃん」

「無理にそう呼ばなくてもいい。
 それより、食堂で派手にやったみたいだな」

「う……」

 思わず息を詰まらせると同時に、まずいのではないのかと危惧する。
 もし、アサヒがソラのことを知ったらどうなるのか……考えただけでも恐ろしい。
 幸い、前回闇の書の主が生きていたことまでは知らないようだった。

「あれが管理局にとっての闇の書の意識だ」

 上層部は自分たちのことを有用な戦力と見て受け入れくれたが、現場の人間はそこまで割り切れていなかった。

「でも、前の蒐集は前の主の命令でシグナム達は仕方なく――」

「それをどうやって証明する?」

「それは……」

「それに主の命令を拒否できるあいつらの言葉をどうしてそこまで信じられる?」

「……え?」

「君の事件の調書を読んで確信した。
 主の命令にヴォルケンリッターを縛る力はない」

「で、でも……それじゃー」

 声が震える。
 主の命令に縛られないというならヴォルケンリッターは自分たちの意志で人を殺したというのか。

「嘘や……そんなん嘘やっ! そーやっておねーちゃんはみんなのこと――」

 激昂して否定するも、アサヒのまっすぐな視線に言葉を止める。

「はやて、落ち着いて」

 そのタイミングで復活したユーノが口を挟む。

「でも……」

「いいから、少し任せて」

 そう言ってユーノはアサヒに向き直る。

「主の命令にヴォルケンリッターは縛られないってどういうことか説明してもらえる?」

「説明も何も実際、はやての言葉を無視して蒐集をしたのだろ?」

「はやてがしたのは命令ではなくお願いのはず。そこに元々拘束力はないはずだと思うけど」

「なら、はやてが夢の中で見たヴォルケンリッターの扱いはどう思う?」

「それって牢屋に入れられていたこと?」

「命令に絶対的な拘束力があるならそんなことをする必要はないと思わないか?」

「それは……確かに……」

「言い方を変えるなら主の命令……言葉よりも優先されるものがあるということだ」

「それは……「蒐集」のこと」

「そう……ヴォルケンリッターにとって存在理由ともいえるものだ」

「だけど、はやての命を救うためには蒐集するしかなかったんじゃないかな?」

「そうしてはやてを救えずに転生したら、都合の悪いことは忘れて自分の命惜しさに蒐集を行った主として罵るのか?」

「それは……」

「主の命令に拘束力はない、というのは確かに断言できないかもしれない。
 だが、はやての一件でその可能性があることだけは証明されている。
 そっちこそ、何を根拠に主の意志を無視した蒐集が今回だけだと思ってる?」

 ユーノは反論できずに口をつぐむ。
 はやても何も言い返せなかった。
 アサヒの言葉には理論的な筋が通っている。

「それからはやて」

 返事をする気力さえ湧いてこなかった。

「ヴォルケンリッターを道具の様に使っていた歴代の主たちが悪いと主張しているが……」

 思わず耳を覆いたくなる。

「今一番ヴォルケンリッターを道具扱いしているのは、奴ら自身と君だ」

「なっ……何で!?」

 心外な物言いにはやては反論する気力を取り戻して声を上げる。

「管理局はヴォルケンリッターを復讐の対象として見ているが、君たちは常に前の主のせいだと、自分たちは道具だったと言い訳ばかりしている」

「わたし……そんなつもりは……」

「君とヴォルケンリッターの絆というのは本当に本物なのか?」

 戸惑うはやてにアサヒは容赦のない言葉を重ねる。

「私には子供のおままごと、ただ依存し合って傷をなめ合――」

「アサヒッ! 言い過ぎだっ!」

「っと……そうだな、流石に今のは言い過ぎだった忘れてくれ」

 ユーノの言葉にアサヒは素直に謝罪する。
 だが、はやての心には確かにアサヒの言葉が残る。

 ――わたしは人のきれーなところしか見てなかった?

 リインフォースを恨まないでくれた人たちの裏には恨んでいる人たちがいてそれを知らなかった。
 そして、アサヒははやてが見ていなかったヴォルケンリッター達の裏側やはやて自身の本心を暴いた。

 ――全部、ソラさんが悪い……本当に?

 ソラが前回闇の書の主だと言われて、戦う意欲を見せたヴォルケンリッター。
 戦いたがる彼女たちに違和感を感じて一人になりたくなった。
 彼女たちの行動はまるで全ての罪をソラに押しつけるようとしていて目を背けた。

「アサヒねーちゃんは……前の主は悪くないと思っとるの?」

「それとこれとは話は別だ。生きていたというなら容赦なく殺す。そうしないと筋が通らない」

「……知っとったの?」

「もう噂になっているぞ。前回闇の書の主の生存は」

「え……何それ?」

 この場で唯一それを知らないユーノが疑問符を上げる。

「それ……本当なの?」

「私は生きているってことくらいしか知らないが」

「レティ提督がほぼ間違い言っとた」

「はやてはどうするつもりなの?」

 聞いてくるユーノにはやては黙る。
 戦うことを決めたヴォルケンリッターたちと違ってはやては迷っている。
 アサヒの話をしてその迷いは大きくなっている。
 諸悪の根源だと思っていた歴代の主。
 会うこともないから悪く言っていたのかもしれない。
 しかし、面と向かって「あなたは間違っていた」などと言える勇気もなかった。
 ソラのことをはやては何も知らない。
 何を望み、何のために戦い、どんな無念を抱えていたのか、はやては知らない。
 交わした言葉も少ない。
 フェイトに不自然なほどに悪ぶっていたが、そこには温かさがあった気がしていた。
 ソラと心のない主のイメージがどうしても繋がらない。

「わたしは……わたしは……」

 口ごもっていると唐突に電子音が響いた。
 発生源ははやてから。慣れ親しんだ携帯電話のコール音。

「フェイトちゃん?」

 ディスプレイに映った名前。はやてはユーノの質問に逃げるような気持ちでそれを取る。

「もしもし……」

『あ……はやて……』

「うん、そやけど……何かあった?」

 フェイトは今海鳴に戻っている。
 残滓事件のことならリンディの方に連絡すると思いながら要件を聞く。

『えっと……その……あのね……』

 歯切れの悪い言葉、フェイトがここまで言い淀むということは相応の何かがあったんだろう。

『わ、わたしが……気が付いたんだけど……』

「うん……」

『夜天の魔導書とアサヒさんの東天の魔導書は似てるんだよね?』

「そうやな」

 確かにアサヒの能力は「蒐集行使」に良く似ている。もしかしたらそのものかもしれない。
 それがどうしたのだろうか、フェイトの言いたいことが良く分からない。

『もしかしたらだけど……東天の魔導書を使えばリインフォースさんを助けられないかなーっと思って』

「え……?」

 思わず、耳を疑った。
 残滓事件は闇の書が復活して起きている。
 リインフォースは一時的に戻ってこれただけで、その再生行動の一部であることに変わりはない。
 つまり、闇の書の復活を防ぎ、残滓事件を終わらせれば消えてしまう泡沫な存在だった。
 それでもまた言葉を交わせたことは嬉しかった。
 でも、フェイトの言葉はそれを覆すものだった。
 再生機能の暴走によって起こっている残滓事件。
 もし、その再生機能を直せるならリインフォースは消えなくて済むのではないか。
 そして、バグのない夜天の書と同系列の東天の魔導書があればその修復もできるのではないか。
 唐突に見えた希望の光に先程まで感じていた陰鬱な気持ちが晴れる。

「アサヒねーちゃん! 一生のお願いや、リインフォースを助けてっ!」

「断る」

 何も説明せずに叫んだはやてにアサヒはとりあえず即答で答えるのだった。





あとがき
 第二十二話、はやてを責めるお話でした。
 第十七話の裏側の話でソラの伏線をようやく説明できました。
 ここまで来るのに約一年もかかってしまいました。
 更新は遅いですが、とりあえず完結は目指すつもりなのでお付き合いしていただければ幸いです。



捕捉説明
 ソラが前回闇の書の主が判明したことについて
 管理局は当時、五歳前後だったソラを止めることができなかったため、それを恥としてソラの存在を秘匿情報にした。
 このため、アキやリンディの調査からソラの存在は出てこなかった。
 リンディとレティはユワンからそれを知ることになる。(15話)







[17103] 第二十三話 彼岸
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/02/27 10:04


「ふざっけんなっ!」

 激昂するヴィータの声が響き渡る。
 対面の席に座るギル・グレアムはその言葉を静かに受け止めている。
 はやてを中心に右にヴィータ、シャマルと並び、左にはシグナムと二つの空間モニター、リインフォースとザフィーラを映したものが浮かんでいる。
 そして上座にはその場を仕切るリンディと記録係のランディ。そして、おまけのようになのはがいる。
 ヴォルケンリッターの表情は一様に憤りを抑えているもので、ヴィータは押え切れずに叫んでいた。

「はやては……はやてはあんたのこと信じてたのに……それをっ」

 闇の書事件に暗躍して、自分ごと闇の書を凍結封印するつもりだった事実は確かにはやても胸を痛めた。
 しかし、意外にも落ち着いてその話を受け入れることができた。

「ヴィータ……ちょー落ち着いてな」

「でも、はやて……」

「えーから……」

 ヴィータをなだめ、改めてはやてはグレアムを見る。

「えっと……グレアム……おじーちゃん……」

「私をそう呼ぶということはアサヒ君が全て話したのかね?」

「あんたとの関係性とミッド人だということ、それからおじさんとおばさんを闇の書に殺されたことしか話してはいない」

 腕を組み、どちらの陣営側にもいかずにドアの傍らに寄り掛かっているアサヒが素気なく応える。

「あの人のことはまだ話してない」

「……そうか」

 二人だけで通じ合ったやり取り。
 まだ知らない真実があることにはやては疲れる思いを感じた。

「あの人って……?」

「それはまた今度話してやる。それより今は目の前のことに集中するべきだ」

 取りつく島もなくアサヒは話の先を促す。
 改めてグレアムと向き合う。
 見た目はどこにでもいる初老の老人。
 それははやてが思い描いていた中のおじさんの姿の一つでもあった。

 ――どうしてってゆー気持ちはもーないやけど。

 彼に対する気持ちは複雑だった。
 かつては生活だけ保障して自分を一人ぼっちのままにしていたことで恨み事をこぼしたこともある。
 だが、それは昔のことで。
 みんなと一緒にいられたのはこの人が援助をしてくれていたから、だから感謝している。
 それは彼が行おうとしていたことを知っても変わらない気持ちだった。

「……今まで、ありがとうございました」

 だから素直に御礼を言えた。

「君に感謝される資格などないんだがね……」

「それでも、今わたしがこーしておられるのはグレアムおじーちゃんのおかげですから」

 それに彼が何を危惧していたのかも理解できる。
 みんなで倒した闇の書の闇。
 あの子が無秩序に暴れることを考えれば、一人の犠牲で解決しようとしたグレアムの行動は正しい。
 はやてにとっても他人に迷惑をかけるくらいなら死んだ方がいいという考えもある。

「……はやてがそういうなら……まぁ……許すよ」

「ありがとな、ヴィータ」

 良い子良い子と彼女の頭を撫でながら、はやてはアサヒに視線を送る。
 彼女はグレアムが来てからほとんどしゃべってない。
 おそらく、こちらの会話が終わるのを待っているのだろうが、正直彼女の話は心臓に悪い。
 できれば遠慮したいことだが、真実を知るには必要なことだと割り切る。

「はぁ……」

 そのため息は小さいながらも大きく部屋に響いた。

「満足か?」

 そして、おもむろにアサヒは口を開いた。向けられている目はグレアムに。
 彼は正面からそれを受け止める。

「満足とは……どういう意味かね?」

「計画通りに事が進んで、ということだ」

 ぴくんと、はやてはグレアムの眉がかすかに動くのを見た。

「何を言っているか分からないな。
 私の計画は聞いての通り彼女たちによって潰えたのだが?」

「そして、はやてを犠牲にしようとした悪者になって管理局の風当たりを少しでも良くすることに成功した」

 続く言葉にグレアムは押し黙る。

「あ……あの……アサヒねーちゃん……それってどうゆーことなん?」

「このじじいの思い通りに全て終わるのは癪にさわるから言わせてもらうが……こいつの話は根本的なところで間違っている」

 ゴクリとはやては緊張に唾を飲む。

「凍結封印ではやてが犠牲になるはずがないだろう」

「…………え?」

「いいか? 凍結封印とはつまり生体としての機能を一時的に止めてする封印だ。
 やることはコールドスリープであって、それではやてが死ぬわけじゃない」

「でも、永久封印するつもりやったわけだし……」

「だが、凍結は外部から簡単に解除できる。
 はやてと闇の書を切り放す手段が見つかるか、闇の書を修復する手段が見つかれば、はやては無傷で生還できる」

 考えて見ればその通りだった。
 前者がともかく、後者の修復については東天の魔導書を持つアサヒがいる。
 東天の魔導書を使えば夜天の魔導書は修復できると前に説明されている。

「凍結封印は時間稼ぎにしか過ぎなかったってことね」

 リンディが納得したように口を挟んだ。

「だいたい本気で野望を成就させようというのなら、不自然なところが多過ぎる」

「不自然なところ?」

「何故、高町なのはとフェイト・テスタロッサを介入させたかというところだ」

「わたしとフェイトちゃん?」

「それって……おかしいの?」

 シグナムとヴィータに対して同等の戦力を当てることは当然ではないかとはやては考える。

「高町なのはは以前のジュエルシード事件で勝手な行動を取っている。
 元々、相応の教育を受けているわけではないから情に流されるのは当然としても、そんな不確定要素を計画の邪魔にしかならない」

「でも、ヴォルケンリッターに対抗するためにはなのはちゃんたちの協力は必要だったはずや」

「相手が闇の書だと言って、志願者を募れば高ランクの魔導師なんていくらでも釣れる」

 はやては食堂の一件を思い出して納得する。

「二人のうち、どちらかがいなければヴォルケンリッターの相手にはクロノ・ハラオウンが駆り出される。
 そうすれば彼はギル・グレアムのことを調べる余裕もなく、計画は邪魔されることもなかったはずだ」

「確かに……そーかもしれへんけど……」

「それに高町なのはの襲撃のタイミングが良過ぎる」

 みんな黙ってアサヒの言葉に耳を傾ける。

「ヴォルケンリッターが蒐集を開始してから一ヶ月後に高町なのはは襲われた……それは何故だ?」

「何故って……それはなのはちゃんを見つけたのがそのタイミングだったからで……」

 それに答えたのはシャマルで、アサヒが言っている不自然さに気付いたのか言葉は尻すぼみになっていく。

「……同じ世界の同じ街、毎日魔法の自主訓練をしている魔導師を見つけるのに一ヶ月もかかった……
 いや……現出してから半年もの間、近くにAAAランクの魔導師がいるというのに全く気が付かなかったのか?」

 一同、とくにヴォルケンリッターは言葉を失ってしまう。

「高町なのはの発見と裁判を終えたばかりのフェイト・テスタロッサを連れた次元航行艦が来たタイミングが重なったのはまったくの偶然だったというわけか?」

 ――出来過ぎている。

 改めて考えるとおかしなぐらいにタイミングが良過ぎる。
 まるで誰かがなのはの存在を隠し、頃合いを見て見つけさせたように。

「ユーノが無限書庫で夜天のことを調べたことにもおかしなところはある」

「それは……どこかしら?」

 黙るみんなに代わってリンディが先を促す。

「確かにユーノは優秀な魔導師だが、情報を見つけるのが早過ぎるということだ」

 無限書庫はその名の通り規模の限度はない。
 本来ならチームを組んで年単位で調査をするというのにユーノはそれを一人で行い、わずか数日で必要な情報を見つけてきた。
 それは優秀の一言で済ませていい、仕事の早さではない。

「誰かが予め見つけておいた情報を見つけやすいように置いておいたなら話は別だがな」

 みんなの視線がグレアムに集まる。
 彼の表情からは何も読み取れない。

「さて、何か弁明はあるか? ギル・グレアム」

「…………私が高町なのは君の襲撃の手引きと情報収集に協力したのは効率を考えてのことだ」

「その効率とやらを突き詰めたいが……なら、どうして高町なのはの介入を許した?」

「闇の書の防衛システムの相手をさせるためだ」

「嘱託とはいえ民間人に命の危険性が高い戦場に送り出すことも辞さない……と?
 高町なのはは闇の書と全く無関係だというのに? 命を賭けても戦いたいという奴は他にもいるはずだと思うが?」

「言葉で言って引き下がる子供ではない」

「公務執行妨害で牢屋に入れておけば良かっただろ? 無関係な子供に命を賭けて戦わせるのはどうかと思うが?」

「多少の犠牲は仕方がないことだ」

「だから、それなら高町なのはを使う必要はないと言っているのだっ!」

「はい、そこまで……二人とも少し落ち着いて」

 声を荒げて叫びアサヒとそれに強い眼光を返すグレアム。そのやり取りにリンディが割って入る。

「アサヒさんはなのはさんの介入させたことが意図的だと思っているみたいだけど……
 でも、それは管理局からの魔導師を使うことと大差はないと思うんだけど」

「……大違いだ」

 アサヒは高ぶった気持ちを落ち着かせるように息を吐く。

「ユーノが調べ知っていたことは、当然このじじいも知っているということになる」

「そうね……」

「なら、はやてから闇の書を切り放す方法は知っていたはずだ」

「それは……」

 取り込まれた闇の書の中で主の意識を取り戻させた上で防衛システムを魔力ダメージで一時的にダウンさせ、主の権限を取り戻させる。

「結果としてはやてが自力で正気を取り戻したみたいだったが……
 打算も、憎悪もなく、見知らぬ誰かであっても手を伸ばして救おうとする。そんな高町なのはだからこそ、賭けてみたのではないか?」

 現になのははそうやって絶望に落ちたフェイトを救っている。

「わ……わたしはそんな……」

 褒められるような言葉になのはが恐縮しているが、アサヒはそれを気にも留めずに続ける。

「私の考えではギル・グレアムの計画は二つあった。
 一つは堅実に凍結封印によっての時間稼ぎ。もう一つが高町なのはを使っての博打による全ての解決」

 元々、前者の計画は前準備だけで最終局面でしか行うことはない。
 故に後者を進めて、失敗した時に前者を実行すれば被害は変わらない。
 その後者の方法も考えていた通りに進まなかったが、結果的にはやては救われている。

「…………墓の中まで持って行くつもりだったんだがな」

 ため息と共にもれたグレアムの言葉がアサヒの考えを肯定する。

「ふん……それで全て償ったつもりか」

 それに対して吐き捨てるようにアサヒは応える。
 その様子をはやては何とも言えない気持ちを抱えながら見ていた。

 ――なんとゆーか……すごいなー

 自分を救うためにあらゆる手をつくしていたグレアム。
 自分たちで勝ち取ったと思っていたものが、実際は手の平の上で踊らされていたとなると憤りも感じる。
 しかし、そのことを責めることはできない。彼もまた、ヴォルケンリッターと同じように彼なりのやり方で戦っていたのだから。
 そして、そのグレアムの隠した真実を引き出したアサヒの手腕。
 疑うところは目の前にあったのに誰一人、それに気が付かなかったというのにアサヒは資料を読んだだけで誰よりも真実を理解していた。

「でも……それならどーして始めから話してくれなかったん?」

 不意に浮かんだ疑問をはやてはそのまま口にする。

「グレアムおじーちゃんがわたしを助けるつもりやったなら、みんなだって協力して――」

 思わず、言葉を止める。
 アサヒとグレアム、さらにはその後ろに控える猫姉妹の「何言ってんだ、こいつは?」という視線にはやては首を竦める。

「はあ……」

 大きなため息を吐いてアサヒにはやては地雷を踏んだと悟る。

「一つ、ギル・グレアム並びに管理局にとってヴォルケンリッターは戦闘人形という認識しかなかった」

「むっ……アサヒねーちゃん――」

「君が何と言っても、現出前の情報ではヴォルケンリッターを信用できるはずはない。
 それにもし、はやての傍に魔導師がいたらお前たちはどうする?」

「まず、ヴィータが突っかかるな」

「ヴィータちゃんが潰すんじゃないかしら?」

『ヴィータが聞く耳なしに蒐集するだろうな』

「そうだな……真っ先にあたしが疑って……ってちょっと待て!」

 シグナム、シャマル、ザフィーラの言葉にヴィータが叫ぶ。

『みんな……確かにヴィータは短気で手が早いがちゃんと話は聞くはずだ』

「そうだよな、リインフォース……」

『聞いた上でぶっ飛ばすはずだ』

「お前が一番失礼だっ!」

「黙れ」

 いきり立つヴィータをアサヒが一喝して黙らせる。

「こいつらは闇の書のことは自分たちが一番よく知っていると思っていたから第三者、それも管理局と通じている人間の話なんて聞く耳はなかった。
 紅いのは事件の当時にもそんなことを言っていた」

「何でお前まであたしを集中狙いなんだよ!?」

「黙れと言ったはずだ……よっては話しても無用な諍いを生むだけだ、分かったか?」

「…………うん」

「それともう一つ、計画にヴォルケンリッターが協力できる要素が全くない」

「それは……そーかもしれへんけど……防衛システムと戦うのを考えれば――」

「切り放した防衛システムがはやて君から独立して暴れたのは私の誤算だった」

「どちらにしても管理局のことだ……手立てがなかったら被害もやむなしと地上にアルカンシェルを撃って、終わりだ」

 グレアムとアサヒの答えにはやてに返す言葉はなかった。
 二人の言っていることは正しい。
 それでもはやては素直に受け入れることはできなかった。

 ――それじゃーまるで……わたしが一人だったのは――

「さて、ロートルのことはもう良いだろう」

 アサヒの言葉にはやては頭に過ぎった言葉を止める。
 そして、続く彼女の言葉に警戒心を高める。

「闇の書の――」

「リインフォースや」

「…………闇――」

「リインフォース」

「………………管制人格」

「卑怯や! ねーちゃん」

「ええい、うるさいっ! それより管制人格、貴様に聞きたいことが一つある」

『ああ……何だ?』

 画面の向こうでリインフォースが緊張した面持ちで答える。
 彼女を睨むアサヒの姿にはやてははらはらと心配が募る。
 アサヒの言葉はとにかく胸を抉る。繊細で泣き虫なリインフォースがあの口撃に泣いてしまうかもしれない。

「貴様は蒐集の結果がどうなるか知っていたはずだ」

 聞きたいっと言っていたが、断言だった。
 リインフォースは押し黙り、場の緊張がさらに高まる。

「知っていて、ヴォルケンリッターを止めることもしなかった。弁明はあるか?」

『…………私は――』

『ふざけんなっ!! あんたなんかにフェイトの何が分かるっていうんだ!?』

 重い口を開いたリインフォースの言葉をアルフの叫び声がかき消した。

「……アレックス何があったの?」

「ちょっと待ってください」

 いち早くリンディが確認を促す。
 新たに開いた空間モニターの向こうでアレックスが席を立つ。

「そういえば……アリシア・テスタロッサはあのアリシア・テスタロッサなのか?」

 そのやり取りの後にアサヒが思いついた質問を投げかける。

「どうかしらね? 本人は生き返ったと言っているけどにわかに信じられない話なのよね……
 天空の魔導書の中には死者蘇生を完成させたものはないの?」

「不死はあっても死者蘇生の実例は聞いたことがないな」

 さらりとまたすごいことを言ったが、すぐにアレックスが戻ってくる。

『えっと……ちょっと良く分からないことが起きていて……言葉にするのが難しいです』

「何よそれは……アレックス、貴方が見たものをそのまま報告しなさい」

『は、はい……リビングに完全武装したフェイトさんとアルフ、それにアリシアちゃん。それからプレシア・テスタロッサがいました』

「…………え……それはどういうこと?」

『私にもさっぱりで……今はアルフのお願いで三人で話してもらってます』

「それは……大丈夫なの?」

『たぶん大丈夫だと思うよ』

 新たな空間モニターが浮かびアルフが映る。

『何か雰囲気が全然違ってたし、フェイトのこと助けてくれたから』

「助けって……何があったの?」

『それは……』

 失言にアルフは口元を手で覆う。
 その姿にリンディは大きなため息をもらす。

「アルフ……分かっていると思うけど単独行動は危険なのよ」

 厳しい言葉でリンディの説教が始まる。
 それを聞き流しながらはやてはアサヒの様子を窺う。
 アルフの叫びで気が逸れて、彼女は今アリシアのことを考えているだろう。
 そして、はやてが考えていることはアサヒがリインフォースに投げかけた言葉。

 ――貴様は蒐集の結果がどうなるか知っていたはずだ。

 ちらりと、画面の向こうのリインフォースの様子をこっそりと窺う。
 アサヒに詰め寄られてから変わらない諦観した表情。
 ざわりと、胸が騒ぐ。

 ――あかん……みんなのこと、ちゃんと信じないとあかんのに……

 アサヒの言葉。グレアムの真意。
 自分が一人ぼっちだったことの原因。蒐集活動の無意味さ。ソラへの責任転換。
 全てが確証されたものではないのに、それらは確かにはやての心に歪みを作る。

「死者蘇生に膨大な魔力…………まさか……いやいや」

 頭を振ってアサヒが思考から戻ってくる。

「そうじゃない。今は管制人格の話だ」

 その言葉にリンフォースが小動物のようにびくりっと反応した。

「先程の質問、まだ答えを聞いてないぞ」

『…………私は――』

 ドンッ!! 魔力弾が炸裂する音がリインフォースの言葉をかき消した。

「今度は何!?」

『ちょっと待ってくださいっ!』

『フェイト!? なんか今すごい音が』

 画面の向こうでドタバタと動きがある。

『ちょっと……アリシアさん、いきなり何を!? その魔力はやばい! ダメ! あ――――!』

 アレックスの叫びを最後に、彼とリインフォース、ザフィーラの画面もぷつりと切れてノイズだけが流れる。
 静寂が訪れる。
 何か良くないことが起きたことは分かったが、それ以上に横からの威圧感にはやては背筋を震わせる。

「一度ならず二度までも……」

 ブツブツと声に怒りをにじませて、ゆらりとアサヒが動く。

「アサヒさん……どこに?」

「ちょっとヤッテくる」

「ロッテ、アリア止めなさい」

 言葉に殺気さえ感じさせる返答をした直後、グレアムが指示を出す。

「はい、お父様」

「大人しくするんだよ、アサヒ」

 瞬く間に二人の猫姉妹が魔力帯のバインドでアサヒを拘束する。

「ええい! 何をするはな――」

「ふっ……」

 ストラグルバインドから、容赦なしの当て身を受けて、アサヒの身体がくの字に折れ曲がる。

「き……貴様ら……」

 がくりと膝を着くが、気を失わずにデバイスを展開しリーゼロッテに反撃、距離を取らせる様は流石の一言に尽きた。

「ランディ……向こうの状況をモニターに出して」

 睨み合い、硬直状態になった三人を無視してリンディの指示が飛ぶ。

「は、はい」

 その声で我に返ったランディが端末を操作、程なくして部屋の中央に海鳴を映した画面が浮かび上がる。
 そこには金の光に翻弄されるアリシアが映っていた。

「…………フェイトちゃん」

 その金色の光が誰なのかいち早く気が付いたのはなのはだった。

「何やっているのよあの子たちは……」

 リンディが疲れたため息をもらしながら、端末を操作する。

「通信拒否……ああ、もう……」

「わたしが行って止めてきます」

 なのはが席を立ち上がって駆け出す。

「お願い……マリー、レイジングハートの修理状況は?」

『はい? えっと……あとは中身の調整だけですけど』

「すぐに使えるように準備して」

 目まぐるしく状況が変わり、矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
 はやては何もできることはなく、フェイト達の喧嘩の様子を見ているしかなかった。
 映像越し、俯瞰した光景なのにフェイトの姿は軌跡としか見えず、今までにない速度で動いている。
 縦横無尽に飛び回り、前後左右上下全ての角度からアリシアを襲う。
 金の軌跡と激突し、その都度弾き飛ばされながらもアリシアはそれを全て防御していた。

 ――大きな魔力は高速運用が苦手なはずなのに……

 状況を忘れて感心してしまう。
 アリシアとはやてのスペックは似ているところが多い。反面対極に位置している。
 大きな魔力をセオリー通りに広範囲に使うはやてに対して、アリシアは大きな魔力を圧縮して小さく使う。
 それが誰に教わったものか想像して、複雑な気持ちになる。
 ソラ、前回闇の書の主は何を考えているのか全く想像できない。
 彼が夜天の魔導書を復活させようと残滓事件を起こしているなら彼は今あそこにいて二人の戦いを同じように見ているのだろう。
 そして、状況がさらに動いた。
 魔力を一気にアリシアが放出する。その衝撃にフェイトの速度が鈍り、姿が露わになる。
 そこにすかさずフォトンランサーが撃ち込まれるがフェイトはラウンドシールドを展開してあっさりと弾く。

「危ない!」

 思わず口に出した時にはもうフェイトはアリシアの背中を取っていた。
 だが、アリシアは振り返ると同時にバリアジャケットのマントを手に、三日月斧をそれで受け止めた。
 切り裂かれることなく巻き付くマントはフェイトの腕にまで及び、二人を繋ぐ。
 さらに動きがあったが、はやてからの視点では分からず、アリシアは何かの衝撃を受けてのけぞった。

「あかん! フェイトちゃん、止め――」

 マントの拘束を振りほどき、三日月斧が振り下ろされた。
 弾き飛ばされ、地面に墜落するアリシア。
 それを追わずにフェイトは詠唱を始める。
 広がる金の魔法陣。
 迸る雷撃が地面に大の字で倒れるアリシアに降り注ぐ。
 思わず目を背けようとして、それは起こった。
 振り落ちた落雷はアリシアに届く直前に形を失って魔力の霧に返る。
 右手を空に掲げるようにした黒い服の男。

「やっぱりいたわね」

 その彼の姿を見て、リンディが呟いた。

「リンディ君……彼は今何をしたのかね?」

 ソラが行ったことに困惑したグレアムが目を見開き驚いて尋ねる。
 画面に釘付けになっているのは、直前まで牽制し合っていたそれを知らないアサヒに猫姉妹も同じだった。

「彼いわく、魔法を無効化する能力らしいです。ちなみに彼に魔法資質はありません」

 その言葉に驚きが大きくなる。

「そして……前回闇の書の主です」

「…………何を馬鹿なことを、彼はクライド君と共に私がアルカンシェルで撃ったはずだ」

「報告が遅くなりましたが、クライドさんが先日生きて帰って来てくれました」

「なっ……!?」

「観測不能世界に落ち、一年ほど前にプレシア・テスタロッサ並びにアリシア・テスタロッサと出会い。
 ジュエルシードを用いてこちらの世界に帰還を果たしました。
 彼もそこにいた一人です」

 驚きに目を大きく見開き、グレアムは画面の向こうのソラを凝視する。

「グレアム元提督……今日の要件の一つとして彼の確認をしてもらいたかったんですが」

 十二年前の資料は部外秘となっている上に容姿の意味では成長期を経て大きく変わっている。
 それでもその時の姿を見ているのならその面影を彼は知っているはず。
 グレアムはリンディの言葉など忘れてソラに見入っている。

「…………確かに面影がある……髪の色はユニゾンの変化がそのまま残ったということか?」

 ほとんど独り言のようにグレアムは呟く。
 言われてみれば彼の灰色の髪はリインフォースのものに良く似ていた。

「だが……まさか……ありえん」

「ですが状況証拠では限りなく黒です。
 それに今、あの場所で起こっている闇の書の残滓の活動も彼によるものである可能性は極めて高いんです」

「………………管理局は……彼をどうするつもりかね?」

「とりあえず、殺傷魔法の使用許可が下りた上で捕獲だそうだ」

 答えたのはアサヒだったがリンディは訂正しなかった。
 そして、グレアムは机を叩いて立ち上がる。

「それは本気なのかっ!?」

 先程までの落ち着いた物腰を振り払う激昂。
 彼がこんなにも感情を露わにすることにはやては驚く。

「上層部の考えはそうですね」

 落ち着きを払いリンディは応える。

「彼は歴代の主の中でもっとも大きな被害を出した主です。それを考えれば当然の対応かと」

「自分たちの不都合を隠蔽しようとしている口実ではないか……彼は――」

 そこでグレアムは口をつぐむ。

「ともかく、管理局がそういう考えであるなら私は何の証言もするつもりはない」

 ほとんど前回闇の書主だと言っているが、言質を取らせるつもりはないと頑なな態度を取る。

「理解に苦しむな、ギル・グレアム。
 貴様もあの男には娘夫婦を殺されたはずだ……なのに何故それを庇うような発言をする?」

「……管理局の人間が私怨に走って行動するなど言語道断だ」

 アサヒの問いに取り繕うような言い訳をしてから、グレアムは鋭い目でヴォルケンリッター達を睨みつけた。

「まさか……君たちも同じ考えかね?」

「ええ……彼は主はやてと比べると最低の人間――」

 代表してシグナムが頷き応えるが、その瞬間に発せられた怒気に言葉を詰まらせる。
 怒気の発生源はグレアムではなく、リーゼロッテとリーゼアリアの猫姉妹。しかし、グレアムの目付きも一層厳しいものになっている。
 今まで押し隠していた感情が露わになる。

「あんたたち……あんなことしておいてよくも――」

「やめなさい、ロッテ」

「でも父様っ」

「やめろと言ったんだ」

 厳しい口調で言われてロッテは口をつぐむ。しかし、やり場のない怒りをぶつけるように視線の力は強くなる。

「リンディ君……まさかはやて君まで彼と戦わせるつもりかね?」

 声を落ち着かせ、それでも目は鋭いままグレアムは尋ねる。

「彼女がそれを望むなら……真実がどうであれ、彼は今のはやてさんたちに向いている良くない感情を払拭する良い材料になると私は思っています」

 ギシリと歯ぎしりするような音が聞こえた気がした。

「はやて君……もし君が彼と戦うというなら、私は君を止める。
 理由は言えないが、君は彼と戦うべきではない」

「わたしは……」

 聞かれてはやては口ごもる。
 ソラと戦う覚悟ははやてにはない。ましてや殺してやりたいと思うことなど一欠けらもない。
 そんなはやてと違ってヴォルケンリッターは彼に憎しみの感情を抱いている。
 意識の違いが確かな溝となって存在している。
 食堂での一幕で闇の書の罪の深さを改めて知った。
 それを行ったソラは確かに許せないが、はやては彼のことを何も知らない。
 何を考え、何を望んで、何のために戦ったのか。そこに彼なりの理由があったのではと思ってしまう。
 ヴォルケンリッターは彼のことを正確に覚えていないため、多くは語ってくれない。
 それに両親を殺されたと言われても実感できないため、ソラに対しての対応を決められなかった。

「はやては止めて、私は止めないのだな?」

 答えあぐねていると助け船を出すようにアサヒが口を挟む。

「君の場合、力尽くで止められないのでね。ただ……後悔することになることだけは忠告しておく」

「ふん……後悔なんてするものか」

 アサヒは画面のソラを睨みつける。その目にはやては背筋が震えた。

「例えどんな理由があっても、あの男はおじさんとおばさんを殺した」

 その殺意に満ちた目はヴォルケンリッターと同じだった。
 破壊の運命から解放され、自由を得た彼女たちは今まで縛り続け、蔑ろにされてきた鬱憤をぶつける相手を見つけた。

「相応の報いがなければ筋が通らない」

 ソラを憎む気持ちに同調する彼女たちアサヒと同じ目で画面のソラを見据える。

「だから、私は奴を殺す」

 ――本当にそれでいーの?

 自問しても、彼女たちを止める言葉は浮かばない。
 はやてが答えを出せぬまま、状況は流れていく。
 暴走するフェイトを余所に復讐心に駆られて話を進める一同にはやては疎外感以上に恐怖を感じずにはいられなかった。





あとがき
 Asにおける話の都合上仕方がない展開を全てグレアム氏の策略にしたお話でした。
 かなり強引な解釈、こじつけと自覚していますが、寛容な心で読んでいただければ幸いです。



捕捉説明
 リンディの対応について
 ソラの登場で部隊の招集を急いで招集すると同時にアサヒの協力を要請、説得する。
 ここでフェイトのことを忘れていたわけではなく、ソラはまだ前科のことを知られていないと思って行動しているため、最悪の結末にならないと予想して放置した。
 フェイトが勝てば何の問題もなく捕獲することができ、ソラが勝ったとしてもフェイトが殺されることはないと判断。
 それに加えて、ソラの力の分析に消耗したところを捕えることも考えていた。
 しかし、漁夫の利を狙った案はクライドの出現とソラの暴走によって流れた。
 若干、黒い思考になっているのは生きていてもいまだにクライドを縛るソラに対して敵愾心によるもの。











[17103] 第二十四話 怪物
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/03/08 19:57



「ソラっと言ったな……前回闇の書の主……貴様はここで死ね!」

 アサヒが言った言葉をフェイトは理解できなかった。
 言っていることは簡単だったが、それを当てはめることができなかったという方が正しいだろう。
 それほどにその内容は衝撃的だった。

「前回……闇の書の主……?」

 思わずソラを見る。
 はやての前の闇の書の主。
 ヴォルケンリッターを道具の様に扱い、たくさんの人を殺した心のない最低の人間。
 暴走を起こし、次元航行艦エスティアを取り込み、クロノの父と共に消えた存在。

「ソラに何を――」

「ダメッ! アリシア!」

 アリシアが声を上げてアサヒに掴みかかろうとするのをフェイトはその手を取って止めた。

「フェイト!? どうして……?」

「だって……あ……」

 思わず向けた視線がソラのそれを交差する。
 冷めた視線は一瞬だけ合わさり、すぐにソラはアサヒにそれを戻す。

「……情報源はクライド?」

「いやいや、私じゃないよ」

 ソラの言葉に答えるクライドは両手を上げて、銀球に囲まれて動きを封じられていた。

「…………まあ、いっか」

 ソラは追及せずに銃を納めて、剣を手にする。

「そこを退いてくれるかな、アサヒ」

「人の名前を気安く呼ぶなと言ったはずだ」

「僕はそいつらに用があるんだ。君の話は後で聞いてあげるよ」

「あいにくと貴様と話すことなどないっ」

 大振りのナイフを一閃。
 それをソラは光剣で受ける。

「なら……どうなっても知らないよっ」

 ナイフを弾き、前蹴り。
 片手に小さな盾を張ってアサヒはそれを受けるが、ソラの足は盾を抵抗なく破ってその腕を捉える。

「ちっ……」

 アサヒは咄嗟に後ろに跳んでその衝撃を減らす。
 そこにソラが駆ける。
 迎撃に銀球から撃たれる無数の魔弾。
 ソラは構わず突っ込む。
 魔弾はソラに触れる直前でその形を失って消滅する。
 それに動じることなく、アサヒは上に跳んだ。

「紫電――」

 そのアサヒがいた背後でシグナムが剣を横に構えていた。

「―― 一閃っ!」

 横薙ぎの炎を纏った斬撃。
 かわせるタイミングではなかった。
 傍から見ていたフェイトはソラが両断される光景から目を背けるように目を瞑った。

「…………ぐあっ」

 しかし、漏れ聞いた苦悶の声はシグナムのものだった。
 目を開くとシグナムに覆いかぶされたソラの姿。シグナムの背からは光剣の刃が突き出されている。

 ――まさか、あのタイミングでかわして反撃したの!?

 次の瞬間、ソラがもう一つの剣を逆手に抜く。

「やめてっ!」

 制止の言葉は意味をなさずにソラの光剣はシグナムの足に突き刺さる。

「がっ……」

 そこでソラの動きは止まらない。
 突き刺した光剣を横に裂き、足から刃を抜く。
 崩れ落ちるシグナムに向けてソラはさらに両手の剣を同時に振る。

「くっ……おおおおおおおおっ!」

 交差して打ち込まれた光剣をシグナムは無造作に振ったレヴァンティンで受け止め、カートリッジを使って力任せに振り抜く。
 鋼が打ち合う音とガラスが割れた音が連続して響く。

「ごほっ……」

 ソラを窓から外へと弾き飛ばし、シグナムは血を吐いて膝を着く。

「シグナムッ」

 すぐにシャマルが駆け寄って治療を始める。

「何で……?」

 その光景を前にフェイトは呆然と立ち尽くす。
 先程まで確かにあった穏やかな世界は一分も経たない内に崩壊した。
 セラが見せた悪夢を繰り返す光景。
 それを行ったのはソラで、彼は前回闇の書の主だった。
 何がなんだが頭が状況に追いつかない。
 そして、フェイトの思考を置き去りにして状況は進む。
 窓の外で色とりどりの砲撃が雨のように降り注いだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「デタラメな奴だ」

 思わずそんな言葉がアサヒの口からもれた。
 フェイトとの戦闘、そして今実際に刃を交えた率直な感想だった。
 シグナムが弾き飛ばした後を追ってアサヒは躊躇わずに窓の外に身を投げる。
 眼下には落ちていくソラの姿。
 魔法資質を失っている彼にとっては致命的な高さからの落下なのにすでに行動を取っていた。
 身体を捻って何かを投げる。
 シャイターンから得られる情報からそれが細いワイヤーで、階下のベランダの手すりに巻き付ける様を見る。

「それに良く動く」

 それでも空中である以上行動は制限される。

「ブレードセット」

 十二の銀球の内八つの形状を鋭い刃に変える。
 先程の交戦で純粋魔力による攻撃は無意味と判断して実体攻撃を選択する。

『警告:上空から多数の魔力砲撃を感知』

 シャイターンが感知した攻撃にアサヒは行動を注視して素早くその場を離脱する。
 直後、目の前を色とりどりの砲撃が降り注いだ。

「…………私のことはお構いなしか」

 慣れ合うつもりはないから構わないが、復讐心が先走り過ぎていると感じる。
 案の定、雨のような砲撃の中でソラに命中した砲撃は着弾と同時にその形を失って魔力の霧に返る。

「シャイターン……奴の動きをトレース。管理局の魔導師たちの動きもだ」

 適当な部屋のベランダに着地して索敵をかける。
 危なげなく何処かの部屋に入ったソラを追って、魔導師たちが動き始める。

「…………ほう、逃げの一手か」

 拡大された知覚の中で三つ下の階にいるソラは部屋を駆け抜け、ドアを破って廊下に出ると、手すりを乗り越えて外に出る。
 まだ三階だったの危なげなく着地して、そのまま何処かに走っていく。

 ――最適な選択だな。

 敵の数は分からない、空が開けている場所での状況的な不利を考えれば彼の行動は間違っていない。
 それを追って魔導師たちが砲撃、射撃を乱れ撃つ。
 ソラは視線も向けず、ステップで、時には道を曲がってそれを回避していく。
 一発たりともソラを捉えるものはない。
 しかし、彼も反撃する気配はなかった。

 ――それも当然だが……

 彼の武装は二本の光剣と銃がメインになって、補助に投剣、ワイヤーがある。
 ビルの狭い隙間を使って上を取られないように魔導師たちは常に誰かがソラの動きを目で確認、威嚇している。
 地面に釘付けにされ、高高度から距離を取って攻撃を続ければワンサイドゲームになるのは明確だった。

「かといって管理局側も攻め手がないか」

 せめて魔力無効化くらいは使わせてもらいたいとアサヒは思う。
 近接能力、空間把握能力、危機回避能力の高さは改めて認識する。
 体術、それだけで高ランクの魔導師たちの絨毯爆撃から逃れる素早さには息を巻く。

「……反撃をしたか」

 砲撃の雨に慣れたのかその間隙を縫って銃で応戦を始める。
 が、撃ちこまれた二発の魔弾は危なげなくシールドで弾かれる。

「特出するべきは近接戦闘だけか……おっ……」

 今、ヴォルケンリッターの紅いのがソラに襲いかかった。
 ハンマーの奇襲をかわして、光剣を抜く。が、横から撃ち込まれた魔弾がそれを邪魔する。
 ようやく命中したが、それは始めにアサヒが撃ち込んだものと同様に霧散する。

「無効化フィールド……AMFのように魔力結合を解いているわけではない。そもそも無効化時に魔力反応もない」

 シャイターンから送られてくる情報を分析してみても彼の技術は一度では解析しきれない。
 紅いのが猛攻をかける。
 ソラは光剣でそれをさばき、さらに魔弾、砲撃を回避していくが、かわしきれないものは霧散される。

「ロストロギア関係でも少しくらい魔力反応はあるはずなんだがな……ん、これは……まさか……いや……」

 二度、三度の収集でアサヒは違和感を感じた。
 四度目の被弾。見方を変えたデータに息を飲んだ。

「馬鹿なっ……こんなことありえないぞ!」

 あまりにもデタラメなことにアサヒは思わず叫んだ。
 さらに驚かせることが続く。
 蹴り飛ばされた紅いのが放った鉄球を流しきれずに大きく体勢を崩すソラ。
 そこに上空から三つの砲撃が降り注ぐ。
 ソラの身体が跳ねるように動き、身体を回し三つの光条をまとめるようにして掴んだ。

「なっ……!?」

 そのまま身体を回す勢いに変え、砲撃を直角に曲げて紅いのに向かって投げる。
 三色の混じった砲撃。
 驚愕するよりも早く紅いのは追撃の準備をしていた一撃で砲撃を殴り飛ばす。

「やはり……これは……ちっ、何をしている動きを止めるな!」

 驚きに動きを止めたのは紅いのだけではない。安全域から攻撃していた魔導師たちもその手を止めてしまっている。

「失念していた……リンカーコアがなかったとしても……自発的に魔力を生成できなくても」

 そう、闇の書の主だったならそれは当然だった。

「あいつは魔導師だ」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「くそっ!」

 ヴィータはグラーフアイゼンを振り下ろす。
 目の前の男は光剣を使って鉄槌の一撃を受け流す。
 短く、細い、簡単に砕けそうな剣なのにまるで手応えがない。
 ソラからの反撃がないの管理局の魔導師による援護、いや自分も巻き込んでも構わないと思っている攻撃のおかげだった。

 ――こっちには騎士甲冑があるし、それに一応恨まれてるからな……

 前衛がいるにも関わらず苛烈な弾幕を張ることに憤りを感じるが、仕方がないと割り切る。

 ――どれもこれもこいつのせいだ……

 その憤りを全て目の前のソラに向ける。
 前回闇の書の主、自分たちの汚点ともいえる醜い過去。
 望まない戦いを強い、欲望のまま行動して自滅した、本当は死んでいるはずの人間。

 ――こいつのせいではやてはあんな陰口を言われて……

「お前さえいなければっ!」

「お前たちにだけは言われたくないね」

 振り回した鉄槌を光剣で受けると思いきや、すり抜けるように光剣の刃はヴィータの首を狙って滑る。

「くっ……」

 咄嗟にグラーフアイゼンから片手を外し、半身を開いて身体を捻り紙一重でかわす。
 体勢が大きく崩れる。そこに蹴りを入れてヴィータを突き飛ばす。

「がはっ……」

 騎士甲冑が意味をなさない衝撃にヴィータは息を絞り取られる。
 それでも苦し紛れにシュワルベフリーゲンを手から直接撃ち出す。
 ソラも技後硬直の瞬間には対応しきれずに光剣で受け止めてしまう。
 衝撃を殺しきれずに大きくソラは体勢を崩す。
 そこに三発の砲撃が降り注ぐ。
 タイミングは申し分ない。
 今まで、かわしていることから考えて、魔法の無効化ができる状況は限られていると予想した。
 この砲撃に対して回避か、無効化のどちらにしてもこの後に致命的な隙ができるはず。
 痛みをこらえて、カートリッジをロードする。
 ソラが身体を大きく振ったかと思うと、頭上に右手を回す。
 無効化すると判断して身体に力を込めた。

「は……?」

 思わず目の前の光景にヴィータは間の抜けた声をもらした。
 三つの光条、それを一まとめに圧縮するようにソラは掴んだ。
 そしてそのまま砲撃の勢いを殺さないようにアンダースローで直角に軌道を曲げヴィータに向かって投げつけた。

「なんじゃそりゃ!?」

 叫びつつも、魔力を励起させたグラーフアイゼンで束ねられた砲撃を撃ち返す。
 野球ならホームランになっている打球だが、その軌跡を見送る余裕はなかった。

 ――なんてデタラメな……

 前回闇の書の主だったということは元Sランク級の魔導師だったこと。
 しかし、今の彼からは魔力の気配はまったく感じない。
 長い間リンカーコアを蒐集してきた目から判断してもソラに魔力はないことは明確だった。

 ――なのにこの戦闘能力は異常だ。

 自分の猛攻をさばき、シグナムの剣をかいくぐり、魔法を無効にする。
 ただの人間の力しかないのにそれらの力を持つソラは完全に理解の範疇を超えていた。

『何をしている動きを止めるな!』

 頭の中に響いた念話の声にヴィータは我に返るが、ソラは目の前に迫っていた。
 驚愕に止まっていたのはヴィータだけではなく、安全域から攻撃していた魔導師たちもだった。
 時間にしてわずかだったが、その一瞬は致命的なものだった。
 一瞬で接敵され、下から襲いかかる刃がグラーフアイゼンを跳ね上げる。
 異様に腕に響く一撃。手からもぎ取られる勢いをなんとか受け切るものの、両手を上げた無防備な姿をさらす。
 そこにもう一つの刃の先がまっすぐに突き出され――弾き飛ばされた。
 ソラの腕が突然横に弾かれる。かすかに浅葱色の残光が見えたがヴィータは構わず上に逃げる。

「危なかった……」

 吹き出る冷や汗を拭い、遠くのビルに視線を送る。
 小さな浅葱色の光が光ったと思うと、眼下のソラが横殴りに弾き飛ばされた。

「狙撃は効くんだな」

 前情報で体術の高さに魔法無効化のことは知らされていた。
 その上で考えられた戦術は、砲撃の雨、膂力による力押し、発生した効果による攻撃、そして認識外の狙撃。
 三番目はまだ試していないが、とりあえず有効な手段が見つかり一息吐くが、同時に言いようのない屈辱が湧き起こる。

「くそっ……」

 ベルカの騎士とあろう者が魔法も使えない壊れた魔導師に勝てなかったことが自尊心を傷付ける。
 しかし、その屈辱を飲み込んで最大の目的が叶ったことで納得させる。

「これでもうはやては――」

 自由なんだ。と言いかけて、ソラが駆け出すのを見た。

「ちっ……しぶと過ぎるだろ」

 追おうとしたが、ソラが物影に隠れようとするのを狙って三発目の魔弾がソラの足を撃ち抜き、路地にその身体を転がせる。

「うまいもんだな」

 魔導師の姿は視認できない。かつてなのはに撃たれた距離よりもさらに長い距離をピンポイントで当てる技術は素直に賞賛に値する。
 改めて周囲を見回せば、十を超える高ランクの魔導師たちがソラに杖を向けている。
 それに自分とザフィーラもいつの間に見える所にいた。
 そして、遥か遠くでこちらを見据えている狙撃手。
 この布陣ならもはや逃げる術はないと這いつくばるソラを気分よく見下ろす。

「ああ……こういう時はこう言うんだっけ? 大人しく法の裁きを受けろ」

 ヴィータの言葉は届いてないのか、ソラは立ちあがろうとして、降り注いだ砲撃に飲み込まれた。
 一発、二発、三発、間断なく撃ち込まれた砲撃はこれまでと同じように形を失い霧散する。
 が、四発目が立ち上る魔力光の霧を引き裂いてソラに直撃した。
 滝を思わせる轟音の末、ずたぼろに、それでも原型をとどめているソラが出来上がる。

「…………まさか殺傷設定?」

 いくら許可が下りていたとしても、やり過ぎな光景にヴィータは眉をひそめる。

『失礼な……限りなく殺傷設定に近い非殺傷性の魔法だ』

 念話で誰かが答えるが、突っ込む気はなかった。
 それよりも、ボロ雑巾のように成り果てたソラを改めて見て、まだ一撃も入れてないことを思い出す。

「アイゼンッ!」

 これまでの憤りを吐き出すように叫ぶ。
 ヴィータに呼応してグラーフアイゼンはカートリッジを吐き出す。
 そんなヴィータの行動を誰も止めようとはしない。むしろやってしまえという気配さえあった。

「潰れろっ!」

 突撃から、未だに倒れたままのソラに向かって、未だに自分たちを縛ろうとする鎖を断ち切る様にグラーフアイゼンを振り下ろした。

「なっ……!?」

 しかし、鋼の鉄槌はソラを素通りして地面を穿った。
 ソラの姿が歪んだかと思うと蜃気楼のように消えた。

「幻影……そんな馬鹿な……」

 魔力の動きはなかった。それでなくてもいつの間に入れ替わっていたのかまったく分からなかった。
 視線を巡らせ怨敵の姿を探している間に血色の魔力光が立ち上った。

「あれは……まさか……」

 狙撃手がいるビルが血色の魔力によって崩壊する。
 それが誰のものか、すぐに理解する。

「南天の主……」

 彼女の出現はまったくの予想外だった。
 前の戦いの雪辱を晴らす、そんな意気込みを持つこともできない圧倒的な相手。

「それでも……」

 震え出しそうになる手をきつく握り締め、自分に言い聞かせる。

「負けるわけにはいかないんだ」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「………………放せ」

 とりあえず自分を抱える男に向かってソラは憮然と言った。

「いいの? ……結構な高さだけど――」

「いいから放せ」

 脇に抱えられた体勢から肘を顎に叩き込むように振る。
 が、肘は空を切り、同時に浮遊感を得る。
 身体を捻り、足を下にして着地。
 落下の衝撃を膝で吸収、狙撃された傷に響くがそれを無視してソラはゆっくりと降りてくる仮面の男を見据えた。

「どうして助けた?」

「流石にひどいリンチだったからね。余計なことだったかな?」

 飄々とした態度で道化師の仮面を着けた男は軽い口調で応えた。
 その態度が気に入らず、ソラは道化師が着地した瞬間に斬りかかっていた。

「おっと……」

 硬質的な音が鳴り響く。
 道化師が瞬時に現出させた剣がソラの光剣を受け止める。

「よく抜け抜けと僕の前に出てこれたね」

「アズサ・イチジョウの件は私たちにとっても不本意なものだったんだけどね。
 北天の魔導書には私たちが制裁を与えておいた……聞いてないかな?」

「だとしても……お前たちはアズサを守ることができたはずだ」

「かもしれないが、北天との仲を不和にするリスクと比べれば彼女の命に価値なんてない」

 飄々とした口調から芯のある口調に変わって道化師は言う。
 これがこの男の本来の口調なのだろう。

「なんだと……」

 光剣を押し込む力を強くしながらソラはすごむ。

「北天を下せたのはアズサ・イチジョウを含めたお前たちとの戦闘による消耗があったからだ」

「だからアズサを生贄にしたというのか!?」

「……私たちは世界に復讐するためなら何でもすると決めている。
 自分の命を捧げることも……他者の命を踏みにじるのも……例えどんな障害があっても止まることはない……
 修羅となるということはそういうことだ」

「…………やっぱり君たちとは合い慣れないね」

「そうかな? お前もそうやって生きてきたはずだ」

 次の瞬間、もう一方の光剣を切り払っていた。
 両断された道化師は陽炎のように揺らめいて、消えた。

「お前も憎かったはずだ」

 すっ、と背後から顔の横に剣を差し出される。

「世界を呪い……運命を呪ったからこそ、それだけの力を得ることができた……
 ただ人に成り下がったというのにまだ戦うことをやめていないのがその証拠だ」

「……一緒にするな……僕の力は……この剣は……」

 続く言葉は喉で止まる。
 その言葉を言う資格は自分にはない。

「ならお前は何故戦っている? 何を求めている?」

「僕は……」

 答えなんてない。
 今の自分が惰性でしかないということは自分が一番理解していた。
 ねえさんが教えてくれた剣、その極みに辿り着くことが目標であり、贖罪として自分に科したものでしかない。
 アズサのことも、フェイトのことも自分の境遇に重ねての代償行為。決して褒められる理由からのものではない。

「なるほど……未だに人にも修羅にもなれていないということか」

 顔の横に添えられた剣が音もなく引き戻される。

「やはりお前は俺と共に来るべきだ」

「それはあの時に断ったはずだ」

「今はあの時とは状況が違う……
 アズサ・イチジョウのことは別として、闇の書の主であったことが知られてお前は今や世界の敵だ……
 管理局は一生お前を追い続けるだろうな……あの時の様に」

 道化師の言葉に返す言葉はなかった。
 クライドに予め言われ、自分でも前科のことを知られればこうなることは予想していた。

「それに……」

 答えないソラに道化師は言葉を重ねる。

「自分の真実というものを知りたくはないか?」

「……真実?」

 思わず、背中を向けたままだったソラは振り返って道化師を見る。
 仮面に覆われた顔からは当然表情がうかがえない。

「それって――」

 問い質そうと口を開いたところで空が光った。

「……セラか……派手にやり過ぎだ」

 膨大な魔力によって構成された魔法がビル一つを押し潰すように崩壊させる。

「詳しい話はあとにするか……闇の書に恨みがあるお前だ。
 今ここで何を言っても、闇の書の復活を止めるまで意味のないことだったな」

「ちょっと待って……闇の書の復活って何さ?」

「……何を言っている? この世界で闇の書が復活しようとしているからお前はここにいるのではないのか?」

「闇の書の復活って、あいつらはさっきまで僕と戦っていたじゃない?」

 道化師の言っていることが理解できずに首を傾げる。

「今代の闇の書はどうやったか知らないけど管理局と組んで蒐集してるんでしょ?」

「…………なるほど、そういう認識か」

「……違うっていうこと?」

「簡単に説明すれば闇の書は修復され今は夜天の魔導書として管理局に所属している」

「夜天の魔導書…………まさか、ハヤテ・ヤガミ」

「そう……あのハヤテ・ヤガミだ」

 思わず動悸が高まる。道化師はその様子に気を払わずに続ける。

「そして今、切り放された防衛システムが独自に復活しようとしている」

「…………大人しく消えていればいいのに」

 息を整えながら、呆れの混じったため息が漏れる。

「夜天は今は無害になっているが、お前のやることは変わらないのだろう?」

 道化師は眼下でビルの崩壊を呆然と見上げている紅の鉄騎を指す。

「俺にも闇の書に対しては思うところがあるが譲ってやる」

 代わりに空にいる敵は相手をしてやると言い出す道化師にソラはいぶかしむ。

「それで恩を売ったつもり?」

「そんなつもりはないよ。君の手の内をじっくりと鑑賞させてもらうつもりさ」

 口調が道化師の仮面らしくおどけたものに変わる。
 軽薄な言葉にソラはため息に似たものを吐き出す。
 彼の思惑はどうであれ、闇の書との決着をつけるには周りの魔導師たちが邪魔なのは事実だった。

「…………その口調って何か意味があるの?」

「顔を隠しているのに口調を変えなかったら意味はないでしょ?」

「まあ……確かに……」

「それにね……これは俺の誓いでもある」

 意思のある言葉にソラはそれ以上の追究をやめた。

「僕の技術なんて……見ても意味ないと思うけどね」

「それを決めるのは君じゃないよ」

「そう……なら勝手にすれば」

 それだけ言ってソラは屋上から身を投げた。
 壁面を二度三度蹴る様にして落下の速度を落として危なげなく下に着地した。

「器用だねえ……まるで猿だ」

 それを見た道化師は呟いてから、空を舞った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 背後に何かが落ちてきた音にヴィータは過剰な反応で振り返る。

「やあ……」

 場にそぐわない軽い口調でソラがそこにいた。
 同時にすぐ上からセラとは別の魔力の高まりを感じた。
 そして次の瞬間、魔法特有の爆発が空を彩る。

「決着を着けようか」

 それを意に介さずソラは続ける。

「決着……?」

 ソラの言葉、仕草の一つ一つがヴィータを苛立たせる。
 いや、同じ空気を吸っていることさえも嫌悪を感じさせる。

「そうだよ……邪魔者はいないからこれでようやく目的が果たせる」

「は……」

 ソラの言葉を鼻で笑う。
 新たな魔力反応が上空に展開していた魔導師たちと戦っている。
 狙撃手もセラによって潰された。
 その場にいるのは自分とザフィーラだけ。それでもヴィータにとってはそちらの方が都合が良かった。

「それはこっちの台詞だ」

 管理局の魔導師たちが邪魔だったのはヴィータも同じだった。
 自分を考えない攻撃はソラの行動を制限する以上にヴィータのそれも制限していた。
 彼らが闇の書に恨みを持っているから文句は言わなかったが、ない方がマシな援護だった。

「お前をここで潰して、はやてをお前たちの罪から解放してやる」

「はやてね……よくまああの子を主に選んだね……どこまで厚顔無恥なんだか」

 まるでこちらの事情を知っているような物言いにヴィータは眦を上げる。

「はやての両親を殺したのはお前だ! あたしたちはお前の命令で仕方なく蒐集していたんだ!」

「………………何……それ?」

 ソラの目が鋭く細められる。気配が変わったことに思わずヴィータは言葉を詰まらせる。
 その間にソラは続ける。

「気が変わった……君たちはなぶり殺しにする」

「はっ……やれるもんならやってみろ」

 グラーフアイゼンを構え、足下に魔法陣を広げる。
 そして、突撃。
 瞬時に最大速度でソラに迫る。
 光剣で受け流すことができない程の力の一撃をヴィータは振り被って――

「『静寂の世界』」

 ソラの呟きが全てを変えた。
 突然、推進力を失ったヴィータは前のめりにバランスを崩す。
 それでもなんとか振り上げたグラーフアイゼンをそのまま振り下ろす。
 が、ソラはそれを難なく光剣で受け止めた。
 そして無造作に手を伸ばしてヴィータの首を掴むと、ザフィーラに向かって投げた。

「くっ……」

 それをザフィーラが受け止め、られずに二人はまとめて倒れる。

「な……なんだこれ!?」

 自分の身体にかかる妙な重圧にヴィータは声を上げる。
 身体に力が入らず、グラーフアイゼンが重く、持ち上げる事さえもできない。
 しかも、騎士甲冑はいつの間にか消え失せて、普段着になっている。それはザフィーラも同じで、彼の場合黒のインナー姿になっている。

「何をしやがった!?」

 食ってかかる様にこうなった原因に向かってヴィータは怒鳴る。

「言ったはずだよ……君たちはなぶり殺しにするって」

 剣を納め、ソラは無造作にナイフを投げた。

「がっ……」

 反応することもできず、ナイフは腕に突き刺さる。
 痛みにうずくまるより、ヴィータはすぐに思考を切り替えて新しい騎士甲冑を構成しようとして、止まった。

「なんで……魔法が使えないんだよ!?」

 あり得ない、体験した事のない現象に狼狽する。
 魔法が使えない以前に魔力が操れない。
 身体の重さは身体能力を向上させる魔法さえも起動してないことが原因だと気が付くが、同時にあり得ないと叫んでいた。

「馬鹿だね……僕が君たちと戦うのに策の一つも用意してないと思ったの?」

「ひっ……」

 本当の意味で無防備な姿になって、ヴィータは近付くソラに短い悲鳴を上げる。
 数々の主の下を旅し、様々な敵と戦ってきたがその知識の範疇の外の存在に恐怖する。
 人の姿をしているのに、まったく分からない得体の知れない化け物、怪物。

「流石に君たちの根幹プログラムまで解除できないけど、無力化はできたみたいだ」

「まさか……お前、あたしたちそのものを無効化しているのか?」

「正解」

 ゾッと背筋が凍った。
 怒りに沸騰していた頭は一気に恐怖に凍りつく。
 自分たちヴォルケンリッターは言わば魔法の塊だ。そんな自分たちが無効化能力を持つソラを前にする危険性を今さらになって理解した。
 銃声が鳴り響き、魔弾がヴィータの足下で跳ねる。
 ヴィータは驚きのあまりたたらを踏んで無様に尻もちを着いてしまう。
 騎士甲冑をまとっていた時には歯牙にもかけなかった魔弾に身体が竦む。

「と……向こうはもう終わったのか」

 不意に空を見上げてソラは呟いた。
 上空からこちらを興味深そうに窺う三つの姿。
 セラと彼女の人形エレイン。それから初めて見るピエロの仮面をした男。
 助けがこないと分かってヴィータの心が絶望に染まる。
 ソラは改めてヴィータに銃を向けて、撃った。
 鳴り響く銃声に、目を瞑って身を竦ませるが衝撃はなかった。

「逃げろ……ヴィータ……」

「ザフィーラ……?」

 自分を隠すように立ちふさがる大きな背中をヴィータは呆然と見上げる。

「奴の無効化能力は完全ではないはず……だから、とにかく逃げろっ!」

 さらに銃声が響き、その都度ザフィーラの身体が強張り、跳ねる。

「でも……」

「いいから行けっ!」

「っ……」

 ザフィーラの叫びにヴィータは息を飲んで、震える身体を抑え込み立ち上がる。
 できるだけ、最短で、少しでもソラから距離を取るために走る。

「残念だけど逃がさないよ」

「ふぎゃ」

 走り出そうとしたところで足を引っ張られ、ヴィータは顔面から地面に激突する。

「ヴィータ……貴様っ!」

 いつの間にかヴィータの足に巻き付けてあったワイヤーを引いたソラにザフィーラは殴りかかる。
 例え、身体能力が落ちていてもソラを上回る体躯から繰り出される拳は十分な威力を誇る。
 が、ソラはその拳を手の平で受けると前に一歩踏み出し、ザフィーラの足を払う。
 拳を掴み、引き、逆の腕は肘を脇腹に突き入れてから持ち上げる。

「がはっ……」

 そのまま、ザフィーラが殴りかかった勢いのまま回転さえ、腕を捻じり、背中から地面に叩き付ける。
 あっさりとやられたザフィーラにヴィータは言葉が出なかった。

「流石に弱いものいじめみたいで気分が悪いな」

 ソラの独り言。普段のヴィータなら言い返していたが、今はそんな余裕はない。

「もういいや……終わりにしよう」

 言いながらソラは倒れたままのザフィーラに銃口を向けて――

「やめ――」

 撃った。
 二度三度、念を押すように立て続けにソラは銃を撃つ。
 そして、何の感情も見せないままヴィータに銃口を移して引き金が引かれた。
 迫る魔弾、それは朱の盾によって止められた。

「あ……」

 と言ってる間にアサヒが隣りに着地する。

「彼方より此方へ……青き狼の守護獣を我がもとへ」

 短い詠唱。
 目の前で踏みつけられているザフィーラが消えて、すぐ近くに召喚される。

「何をしている魔力は戻ったはずだ」

 見向きもせずに告げられた言葉に、ヴィータは身体に魔力が巡っているのを自覚する。

「アイゼンッ! セットアップ!」

 すぐに騎士甲冑を展開して、グラーフアイゼンを構える。
 だが、戦意はすでになくなっていた。
 正面から戦ってそれで負けたのならここまで気が萎えることはなかった。
 しかし、得体の知れない方法で自分の力を取り上げられた事実はヴィータの恐怖を焼きつけていた。

「貴様……馬鹿だろ」

「いきなり失礼だね……」

 そんなヴィータを他所にアサヒがソラに話しかける。

「あんな方法で魔法を無効化することを実践しておいてよく言う」

「へーもう気が付いたんだ」

 感心したソラの言葉。ヴィータはたまらずにアサヒに尋ねていた。

「おい……こいつがしたこと分かったのかよ? 何しやがったんだよ?」

「まず前提が間違っていた。
 こいつはリンカーコアを失って非魔導師になったのではない。リンカーコアを失っても魔導師だったんだ」

「……はぁ……わけわかんねえよ?」

「リンカーコアの喪失によって自発的に魔力を練ることができなくても、魔力を感じ、操作する感覚を失ったわけではない。
 奴がやっていることは他人の魔法に干渉し術式を書き換える……ハッキングだ」

「そんなことできるはずねーだろ」

「事実こいつはやって見せた。理論はバリアブレイクやバインドブレイクと同じだ。
 だが、それを攻勢魔法……それも実践レベルで行うには余程の演算速度が必要だ。簡単に見積もってもお前の二千倍くらい」

「うそだろ……」

 にわかには信じられない話だった。
 魔導師として見ればヴィータもそれなりに早い方だ。
 だからアサヒの言った数値は現実的にあり得ず、デタラメ過ぎた。

「しかし、当然演算速度だけでブレイクできるわけではない。
 多種多様の魔法の中で最適な解体方法、構造術式を理解していないと到底不可能な技術。
 だが、こいつにはそれがあった」

「…………まさか……蒐集した魔法?」

「そうだ……蒐集した魔法を紐解き、徹底的に研究し、演算速度を限界を超えて鍛え上げた……
 まさしく夜天の王としての力だ」

「…………まさかそこまで分かるなんてなぁ」

 その言葉は肯定を意味していた。
 もはや自分の頭では理解しきれずに思考が麻痺していた。

「……勝てるわけねー」

 思わず弱気な言葉がもれた。
 圧倒的な演算能力であらゆる魔法を捻じ伏せられる。
 そして、何より自分たちの構造を完全に理解されているため、彼の魔法発動領域に入れば構成プログラム以外は全て強制停止させられてしまう。
 体術に優れ、魔法を無効化にする稀少能力持ちなんてものではない。
 ヴィータには考えも及ばない努力の下に培われた完成された技術。魔法を研究するという夜天の目的を正しく行った主の技術。

「だが、一つ分からないことがある」

「ん……何?」

「それだけの力を完成しておきながら何故まだ闇の書を求める?」

「別に求めてないよ。僕の目的は闇の書の完全な破壊。まあ、ついでに食われたコアを取り戻せたらなぁって思ってもいるけど」

「そのためにわざわざ闇の書を復活させようというのか?」

「は……? 何で僕が闇の書を復活させなくちゃいけないのさ?」

「とぼけるな……残滓事件は貴様の仕業だろ」

「えっと……僕はその辺りには完全に無関係のはずなんだけど」

「ならば何故、この世界にいる?」

「テスタロッサ一家が喧嘩を始めたから……その時にプレシアに呼ばれた」

「…………ちょっと待て」

「どうぞ……」

 待ったと、手を前にしてアサヒは空間モニターを開き、リンディを呼び出す。

「おい……これはどういうことだ?」

『可能性があるという話だったはずよ。
 それに彼が『陸』から姿を消した翌日に起こっているのだから偶然とは思えないわ。
 第一、彼が嘘を言っている可能性だってあるのよ』

『ああ……それはないよ。
 姿をくらませてから彼は私たちと戦っていたんだから』

 回線に割り込んでピエロの仮面をしたふざけた男が説明を加える。

『白々しい嘘を……貴方達は仲間でしょ』

『いやいや、まだ勧誘の途中でね。是非仲間になってもらいたいよ』

 とりあえず、言い合いを始めた二人を無視してアサヒは空間モニターを閉じた。

「貴様が残滓事件に関わって無いということは理解した。
 その上で聞くが、復活しようとしている闇の書を貴様はどうする?」

「そんなの破壊するに決まっているでしょ」

 即答するソラにヴィータは困惑する。

「何でだよ! お前は力が欲しくて蒐集をしたんだろ!? なのに何でそんな簡単に闇の書を否定するんだよ!?」

「命を人質に蒐集を迫ったあげく、完成させても実は死にます、なんて騙しておいて良く言うね」

「それは……」

「僕の目的は十二年前から変わってないよ」

「え……?」

「ねえ……どうして君たちはまだ存在しているの?」

「どうしてって……」

「僕が望んだのは闇の書の破壊だったはずなのに……そのために闇の書を完成させたのに……どうしてまだ存在しているの?」

「なっ……」

 あまりのことにヴィータは言葉を失った。
 まさか、主がそんなことを望んでいたなんて想像もしなかった。

「そ……そんなのできるはずねえ……」

「どうして? 君たちは闇の書を完成させればどんな願いも叶うって言ったはずなのに」

「それは……その……」

「それに忘れたとは言わせないよ。君たちはねえさんを蒐集した」

 忘れた、知らない、思い出せない。
 言い訳の言葉が頭の中に浮かぶが、それを許さないと言わんばかりの眼光にヴィータは息を飲む。

「なるほど……私の考えは間違ってなかったということか」

 呟くアサヒはナイフを抜きながら前に踏み出す。
 彼女の背中でソラの姿が隠れる。
 ヴィータに気を使ったわけではないが、それでもソラのプレッシャーから解放されて息を吐く。

「だが、貴様が八神夫妻を殺した事実は変わらん」

「そうだね……管制人格に煽られたから、なんて言い訳するつもりはないし、僕はあの二人を殺したことは後悔してないよ」

 刃を向けるアサヒをあっさりと受け入れるソラ。

「そうか……言い訳を重ねてばかりのこいつらよりかはマシのようだな」

「いや……それと比べられるのは流石に傷付くなぁ」

 合図はなく、動いたのは同時だった。
 打ち鳴らされるナイフと光剣。
 弾かれるように間合いを取った二人。
 アサヒは六つの銀球を刃に変えて撃ち出す。
 ソラは銃を抜き、撃つ。六発の魔弾の内、銀の刃を撃ち落としたのは半分の三つ。
 さらにソラは銃を上に投げ、手を後ろに回したかと思うと小振りのナイフを投げていた。
 魔法の射出に勝るとも劣らない速度で残りの三つを弾く。
 銃を受け止め、流れる動作でホルスターに戻しながら駆ける。
 アサヒは斬りかかってくるソラの足下から鎖が召喚し、その勢いのまま彼の顔を狙う。
 わずかに顔をずらして鎖の殴打を回避しながら、ソラはステップを踏む。
 蛇のようにその身をくねらせた追ってくる鎖から身を逃し、切り払う。
 鎖は光剣の斬撃を受け止め、そこを支点にして刀身に絡みつく。
 不意に刀身は消え、固まった鎖をアサヒに向かって蹴る。
 アサヒはたまらず回避するが、ソラは鎖の端を掴み、操作を書き換える。
 ほどけた鎖がアサヒの腕を捉える。
 素早く鎖を送還するが、ソラはすでに目の前だった。
 迫る光剣の刃にアサヒは刀身に手を添えて身体能力強化を最大に引き上げる。

「ぐうっ……」

 ダメージが通ったのかアサヒが呻く。

「懐かしいね」

 鍔迫り合いの形で光剣を押し込みながらソラはアサヒに話しかける。

「僕たちが初めて会った時も……こんな風に喧嘩したっけ」

「なんのことだ? 貴様とこうして話すの今日が始めてのはずだ」

「ま……そう言うと思っていたけどね」

 光剣を外し、バックステップ。頭上からの火球をソラは察知して回避する。

「ちっ……」

 アサヒは舌打ちを一つしてナイフを構え直す。
 ソラもそれは同じだった。
 そして、その二人を横から観戦していたヴィータは目まぐるしい攻防に息をするのを忘れて見入っていた。
 片や、数多のスキルを使いこなすデタラメな魔導師。
 片や、演算能力で魔法を捻じ伏せるデタラメな魔導師。
 彼女たちの技術は理解できなくても、見せつけられた戦闘のすごさはヴィータにも理解できた。

「…………貴様は……誰だ……?」

 ソラの顔を改めて凝視したアサヒは呟く。
 何かが引っかかる。そんな表情にはかすかな困惑があった。

「どうせ覚えてないだろうけど、僕は君たちに殺された人間だよ」

「…………デタラメを言うな。お前と違って私は人を殺したことなんてない」

 それにソラは答えない。
 ただ黙って身体を半身にして弓を引くように引き絞る。
 極端な刺突の構え、フェイトが紙一重でかわした技だと察する。

「創生起動――『イフリート』」

 轟! という炎が酸素を吸い込む音と同時に炎が銀球から噴き出す。
 真紅に燃え盛る炎は人の形を取るが、その体躯は二メートルを超す巨人。
 橙に光る肉体に、燃え盛る髪。その姿はまさに炎の魔人にして悪魔。

「おおおおおおおおおおおっ!」

 熱波を伴う咆哮にヴィータは両腕で顔を覆う。

「ありえねえ……」

 思わずヴィータはそんな言葉をもらす。

「炎熱エネルギーをゴーレムの素材にするって……なんてデタラメな」

「貴様に言われたくない言葉だな」

 ソラの呟きがヴィータの疑問を示す。
 これが炎を纏っているだけなら理解はできる。
 だが、目の前のゴーレムはまさに炎そのもの。そんな魔法は見たことも聞いたこともない。

「さあ……『発生した効果』である炎をどう凌ぐ!?」

 アサヒの号令にイフリートが動く。
 その巨大な体躯を砲弾のようにして突撃する。
 ソラはその射線から素早く跳び退く。
 イフリートがそのまま突っ込んだ街路樹が一瞬で炎に包まれ、その火力の強さを知らしめる。
 燃え、突撃の衝撃に倒れていく樹をイフリートは悠然とソラに向き直り、再度突撃する。
 真っ直ぐな軌道。

「こんなのに捕まるわけ――なっ!?」

 難なくソラは避けるが、イフリートは慣性を無視した動きでその軌道を変える。

「イフリートは炎の塊。当然、運動の法則から外れた動きも可能だ……そして……」

 ソラの予測を超えた動きで回避運動直後のソラにイフリートは追い縋り、その太い腕を振り上げる。
 せめて、それを受け流そうと剣を盾にして構える。

「当然、身体は飾りでしかない」

 が、光剣を透過して炎の剛腕はソラを捉えた。

「なんだと!?」

 しかし、驚きの声をもらしたのはアサヒだった。
 炎の剛腕は確かにソラを捉えた。
 しかし、それは一瞬で朱の魔力光へと分解される。

「嘘だろ……?」

 ソラの力が演算能力によって魔法を捻じ伏せることなら、「発生した効果」を打ち消すことはできないはず。
 ただでさえついていけない戦闘なのに、どちらの実力も底が見えない。

「逆変換技能……まさかそこまで昇華させるなんて……見事としか言えないな」

「は……? 逆変換って……」

 その言葉はヴィータも知っている。
 魔力を「炎熱」「電気」に変換する変換技能のとは逆に、外部にある「炎」や「電気」を自分の魔力に変換する技能。
 しかし、それは魔法の威力の増強や回復に使われるもので決して防御に使える代物ではない。
 
「コツを掴んだのは最近だけどね……ただ流石に自分の魔力にするのは無理みたいだけど」

「それでも十分過ぎる力だ」

 言いながらアサヒは笑う。
 最初こそは復讐に駆られていた彼女だが今は実に楽しそうだった。
 しかし、それはバトルマニアのものとは違うようにヴィータは感じた。

「褒めても何もでないよ」

 二つの光剣を構え直すソラ。

「ふん……こちらの魔法を封殺したくらいで良い気になるなよ」

 ナイフを逆手に構えるアサヒ。
 二人の間の緊張が高まる。
 戦う者としての性か、昂揚感を感じながらヴィータは固唾を飲んでその様子を見守る。
 ジリジリと焦がれる視線だけのせめぎ合い。
 そして――轟音と共にそれは二人の間に降り立った。

「……闇の書の餌、見つけた」

 ムスッとした不機嫌そうな、それでいて苛立った表情で二人の間に立つのは紅の鉄騎、ヴィータ。
 つまり自分と同じ顔、同じ姿の偽物。

「なんで……?」

 呆然と言葉をもらしながら、それが闇の書の残滓だと理解する。
 理解するが、発生は明日の日没からだったはず。

「派手に暴れたからな……あてられて現出したか」

 アサヒの言葉に納得する。
 リインフォースが言っていたのはあくまで目安であり、フェイトとアリシアの喧嘩から始まった戦闘によって、海鳴にはかなりの量の魔力が滞留している。
 この条件下なら残滓の発生が前倒しになってもおかしくはない。
 おかしくないのだが……
 『空気読めよ』と言わんばかりの二人の眼差しがヴィータにはとても痛かった。




あとがき
 ソラの能力をようやく解禁できました。
 例の如く、無茶な設定でしたが、一応論理的な理由をつけられたと思います。
 本当はレイジングハートに暴露してもらう予定でしたが、アサヒさんに代わってもらいました。

 今回はヴォルケンリッターを代表するヴィータに少々、嫌な役をしてもらいました。
 それでも「全てははやてのために」と思っている、彼女だからこんなものかと思っています。


捕捉説明
 ソラの能力について
 高速演算によるクラッキング。
 元Sランク級の魔導師であったソラには大きな魔力を制御するための容量と制御力はリンカーコアを失っても残っていた。
 そのため、特殊条件下においては魔法を使うことができる。

 バリアブレイク、バインドブレイクの原理は大きな魔力をぶつけて破壊するか、その構造を解析して解くかの二択になる。
 通常の魔導師はこれを同時に行い、力で術式の構成に亀裂を入れ、そこを起点に解除する。
 ソラでなくても時間をかければ誰でも解析だけでバインドやバリアを解除することはできる。
 ソラの場合は演算能力が異常であることと、蒐集によって集めた魔法を研究し最適な解体方法を知っているため、解体時間が限りなくゼロに近いだけ。
 そのため攻撃魔法も身体のダメージになる前に解体することができる。

 逆変換技能は作中でも述べた通り、「炎」や「電気」を魔力に変える技能。
 これも変換資質持ちなら誰でもできる技能であり、本来の用途は威力増強や自身の魔力の回復・ブーストになる。
 シグナムがイフリートの拳打に同じことをしたら、変換が間に合わず黒焦げになります。

 また、この異常なまでの演算能力と他者の魔法に一瞬で深く干渉する緻密な制御力のおかげで、膨大なジュエルシードの魔力をなんとか御することできる。

 ちなみにチートな技能なのだが、「過程」こそチートではあるが「結果」は魔導師が普通に行えることと大差がない。
 むしろ、客観的に見れば無駄な労力を費やして魔導師と同じことをしているに過ぎない。








[17103] 第二十五話 絶望
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/03/30 20:15




「そんな……ここにきて闇の書の残滓が活動を始めるなんて」

 突如現れたヴィータの偽物にリンディは苦渋の表情を浮かべる。
 立て続けに起こる想定外のことにすでに此方側の対処する術はなくなっていた。

「どうすれば……」

 前回闇の書の主に対して用意した戦力は突然介入してきたテロリストたちによって壊滅させられた。
 幸い撃墜されてはいても、まだ死者はいないようだったがそれは気休めにしかならない。 

「状況は最悪……対抗手段もない……大人しく降伏した方がいいんじゃないのかな?」

 そんなことを言い出したクライドをリンディは思わず睨みつけた。

「そんなことできるわけないでしょ!」

 管理局員として、次元犯罪者たちの勝手を見過ごせるわけない。
 それでも冷静な部分ではクライドの言葉を肯定している自分がいた。
 彼女たち、セラと道化師の二人のテロリストは管理局のことなど歯牙にもかけていない。
 故に彼女たちの目的であるソラから手を引けば、彼女たちとの戦闘は避けられる。そうすれば闇の書の残滓に残った戦力を集中できる。
 そうでなくても、闇の書、夜天の書を狙う彼女たちに任せておけば残滓事件そのものが解決するかもしれない。
 だが、その時は夜天の魔導書を彼女たちに奪われることになる。
 しかし、このまま戦うことを選んだとしても全滅は簡単に想像できてしまう。
 意地を張っても何もできないのは事実だった。

「言っておくけど、あのままソラと戦ったとしても全滅していたはずだよ」

「何を根拠にそんなことを? 彼は手も足も出ていなかったはずよ」

「リンディ……ソラが対空戦、対集団戦への想定をしていなかったと本気で思っているの?」

「それは……」

 クライドの指摘にリンディは押し黙る。
 彼の魔法無効化能力――高速演算による魔法のハッキング――は想像を上回るものだった。
 攻撃魔法のブレイク理論ならリンディも知っている。
 しかし、それは今の次元世界の技術では実戦投入できるものではない。
 理論は単純。だが、それを実現可能なレベルに昇華させた努力はそれこそ想像もつかない。
 それほどの研鑽を積み重ねた彼が対魔導師しか考えてなかったとは思えない。

「……あそこから逆転できたというの? どうやって?」

「さあ……ソラの手札は私も全てを知ってるわけじゃないけど、彼ならなんとかしそうだって思ってるだけだよ」

 何の根拠にもならない理由だったが、クライドの信頼している顔がリンディの心をざわつかせる。

「…………随分と彼に肩入れするのね」

「そういう君は随分と彼を敵視するね」

「当たり前でしょ! あの子が何をしたのか貴方が一番よく分かっているはずよ」

 何を当然のことを言っているのか、リンディは思わず激昂した。

「彼のせいで何人の人が死んだと思っているの!? 彼のせいで私がどんな気持ちでこの十二年を過ごしてきたと思っているの!?」

「だからソラは死ぬべきだと?」

「罪は償うべきだと言っているのよ!」

「管理局がソラに提示する贖罪は死だけだ。それをソラが受け入れるはずがない。
 それに彼はすでに報いを受けている」

「何が報いなのよ……彼は今もこうしてのうのうと生きて、好き勝手暴れているじゃない」

「図々しいこと言うな……ソラに手を出そうとしたのは君たちが先だ」

「それは……でも、彼は凶悪な次元犯罪者なのよ。先手を取らないとまたどれだけの罪のない人が殺され――」

「リンディ……それは本気で言っているの?」

 クライドの鋭い眼差しにリンディは怯んで言葉を詰まらせる。

「そ……そうよ。私は管理局員として間違ったことをしていないわ」

「ソラは前回闇の書事件で生き残るために自分でリンカーコアを破壊した」

「それが何だって言うの?」

「すでにソラは一度魔導師として死んでいる。
 それに「陸」でだってソラは協力的だった」

「だから許されるべきだって言うの!? 彼がしたことを忘れろっていうの!?」

「そこまでは言わない。だが、彼だって被害者だ!」

「何が被害者よ……闇の書の被害は主の性質によるものだってはやてさんによって証明されているのよ」

「ソラとはやて君の状況を一緒にするな。
 管理外世界で主になった彼女と管理世界で主になったソラ。この二人を同列に扱うこと事態間違っているだろ」

「そ……それは……」

 指摘されればリンディも理解できる。
 周りに敵がいなかったはやてに対して、ソラの周りには敵しかいなかった。
 どちらがヴォルケンリッターの手綱を取りやすいかなど、考えるまでもない。

「それに私はヴォルケンリッターの言葉を信じることはできない」

「……どうして?」

「人は自分のことを正当化するものだ。
 『自分は悪くない。悪いのはあいつだ』そんな言い訳をする奴らは君だって沢山見てきたはずだ」

「だからって――」

『みんなはそんな子やない!』

 リンディの言葉を遮って空間モニターではやてが現れ、声を上げる。

「君が彼女たちに何を吹き込まれたかはどうだっていい。
 ただ私は十二年、ソラを見てきた。魔法を失った彼があの技術をものにするための努力を知っている」

 クライドははやてに対して容赦のない言葉を向ける。

「あの事件のことをソラは何も語ってはくれない。
 それでもソラは君たちが言う自分の欲で力を振る、心のない人間なんかじゃないと、私は断言できる」

 二人の言っていることは同じだった。
 ヴォルケンリッターと家族の絆を作り、彼女たちを信じ、過去の主を責めるはやて。
 ソラの努力と成長を見守り、彼を知り、闇の書を疑うクライド。
 クライドの言い分は理解できる。
 それでもリンディは納得できなかった。
 しかし、睨み合うクライドとはやての間に割って入る言葉が見つからなかった。
 故に、第三者が介入した。

「おやおや……クライド・ハラオウンに闇の書の意志、それにプレシア・テスタロッサまで……これは作為的なものを感じるね」

 軽くおどけた言葉に弾かれるように振り返るとベランダの柵にピエロの仮面をした男が座っていた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「おおおおおおおおおおおおおっ!」

 二つの、全く同じ雄叫びを上げ、ヴィータと構築体の偽ヴィータが同じ動作でグラーフアイゼンをぶつけ合う。
 技量に魔力、身体能力、戦闘傾向。全てがまったく同じ相手。
 それでもヴィータには余裕があった。
 どれだけ同じでも目の前の相手は過去の自分でしかない。
 自棄になって、いつもイラついていて、周りに辺り散らしていた恥ずべき自分の姿。
 そんな過去に今の胸を張って生きている自分が負けるはずがない、そう思っていた。

「くあっ」

 鉄槌のぶつけ合いは互角ではなく、一方が押し負けた。それは本物のヴィータの方だった。
 大きく体勢を崩したヴィータに偽ヴィータは振り戻す動作で二撃目を加える。
 弾かれたグラーフアイゼンを強引に戻し、柄でそれを受け止め、吹き飛ばされる。

「何で……」

 壁に叩きつけられながらヴィータの頭は混乱していた。
 偽物の次の動作は簡単に予想できる。
 なのにその動作の一つ一つにおいてヴィータは負けていた。
 一撃はヴィータの予想よりも速く、重い。
 行動を予測してもそれでは意味がない。

「苦戦しているようだな」

 偽物との間にアサヒが降り立ち、見下した言葉を投げかける。

「うるせーちょっと油断しただけだ。そういうお前は――」

 言いながら視線を巡らし、目に入ったのはビルの壁に張り付けにされているシャマルとザフィーラの姿。
 当然、どちらも構築体で本物ではない。現にその姿はすでに崩れ始めていた。

 ――うそだろ。

 しかし偽物とはいえ、どちらも自分がその実力を認めている仲間たち。
 それがこんな短時間で二人同時に倒された事実がヴィータを震わせる。
 そして、視線は無意識にシグナムの構築体と戦うソラを探す。

「紫電一閃っ!」

 そんな言葉が響いたかと思うと、目の前にソラが吹っ飛んできた。

「ふぎゃ」

 空中で体勢を整え、偽ヴィータの頭に着地し、飛ばされた勢いに乗せて跳躍。
 追いすがる偽シグナムは偽ヴィータを前に一瞬硬直。
 その隙にソラは偽シグナムの背後に着地し、光剣を振る。
 偽シグナムの反応は早く、振り返り様にレヴァンティンを薙ぐ。
 ソラの手から光剣が弾き飛ばされる。
 それを意に返さず、ソラは一歩偽シグナムに踏み込む。
 足の甲を踏み砕く勢いで踏みつけ、振り切った腕を押さえる。
 強引に切り返された刃はそれでも押さえ切れなかったが、身を屈め紙一重でソラはかわす。
 そして、ソラは偽シグナムの無防備な顎を下から掌底で打ち上げた。

「ぐあ……」

 足を踏まれた状態でたたらを踏むこともできずに偽シグナムはのけぞる。
 ソラは滑るような動きで音もなくその背後を取る。
 解放された足で何とか転倒を防ぐが背後から膝裏を蹴られ、偽シグナムは前のめりに倒れる。
 咄嗟の反応で身体を回して剣と鞘を振り回すが、そんな攻撃は届くはずもなく、ソラの光剣が偽シグナムの胸を貫いた。

「馬鹿な……この私が……魔法もなしに負ける?」

 信じられないと顔を引きつらせながら偽シグナムは空間に砕けるように消えた。
 傍から見ていても信じられない光景だった。
 あの自分たちを無力化させた魔法を使わず、純粋な剣の技量だけでシグナムを倒した。

「な……何なんだよお前たちは!?」

 ヴィータと同じ心境の偽ヴィータが叫ぶ。

「あたしらは闇の書の……ベルカの騎士なんだぞ……それを雑魚魔力と無能力者に負けるなんて……ありえない」

「雑魚魔力?」

「まあまあ」

「気安く触るな!」

 肩に置かれた手を振り払い、アサヒはソラを睨みつける。

「良いじゃない。こいつらは所詮口ばっかりなんだから好きなだけ言わせておけば」

「む……確かにそうだが」

「肯定すんなよ、おいっ!」

 思わず突っ込むと二人の視線が自分に向く。そこに込められた呆れの感情に思わずヴィータはたじろぐ。

「前回の時から戦い方に進歩がないんだよね。イメージ通り過ぎてカモでした」

「おまけに自分は強いんだと過信してるから付け入る隙はいくらでもある」

「お前ら実は仲良いだろ!?」

 やれやれと同じ動作で肩をすくめる二人にヴィータは思わず叫ぶ。

「心外な……この子にはもう何の感情もないよ」

「気色の悪いことを言うな」

「あたしを無視すんなっ!」

 偽ヴィータが痺れを切らして遅いかかる。
 カートリッジを使ってのラケーテンハンマー。
 ブースターを使っての急加速による強襲。

「ラケーテン――」

 まっすぐ突っ込んでくる偽ヴィータに対して朱の魔法陣が展開する。
 設置型のデュレイバインド。
 朱の魔力帯が偽ヴィータに絡みつく。が、ラケーテンの推進力に耐え切れず引き千切られる。
 しかし、わずかな遅延に対してソラが距離を詰めていた。
 グラーフアイゼンに手を添えたかと思うと、一瞬でその進行方向を変える。
 尖った杭が地面を穿つ。

「この野郎っ!」

 それを偽ヴィータが引き戻す一瞬でソラはその場から跳び退く。同時に地面から生えた巨人の腕が偽ヴィータを叩き伏せた。

 ――なんでこいつらこんな連携ができんだよ?

 その光景にヴィータは先程とは別の戦慄を受ける。
 直前までいがみ合っていたはずなのに、敵と対峙した瞬間、言葉もなく目も合わせずに二人は自分の役目を全うする。
 自分たちがそれをできるか問われれば、できないと答えるしかない。
 現にヴィータは前の戦いでなのはの砲撃に巻き込まれかけている。

「これがあたしたちの敵……」

 もはや呆然と呟くしかなかった。
 理不尽でデタラメな技術ではない、自分たちでも理解できるからこそ、その差が分かってしまう。

「さて……はやてのことを気にせず合法的に痛めつけられるんだ。
 先の二人は簡単に終わってしまったが、お前は簡単に消えてくれるなよ」

「うわ……アサヒ、顔が悪人」

「貴様は黙っていろ! それと気安く呼ぶなと言っているだろ!」

 ヴィータはまた違う意味で戦慄した。
 偽物とはいえ、過去の自分。それが目の前で憂さ晴らしのために倒されるのは流石に見過ごせない。

「ちょっと待てよ……そいつの相手はあたしだ」

「時間切れで貴様の判定負けだ」

「勝手なこと言ってんじゃねー……こっから逆転すんだよ」

「ふん……昔と今の違いも理解できずに何を言っている」

「ぐっ……」

 言い返されてヴィータは言葉を詰まらせる。
 彼女の指摘通り、ヴィータには過去と今の違いを理解できていない。

「くそっ……何なんだよ今回の蒐集は!?」

 巨人の腕を振りほどき、偽ヴィータが吠える。

「アオがアオがなんて馬鹿みたいに繰り返すカスでガキな主だけでもうんざりなのに、わけわかんねえ魔導師まで」

「あはは、何言ってるのかなこいつ……アサヒ、代わって」

「貴様、何度言えば分かる。名前で私を呼ぶな」

「アサヒ代わって」

「聞いているのか貴様は」

「代わって」

「むぅ……」

 気押された様にアサヒは横にずれる。

「ん……ありがと」

 ゆっくりとした歩調でソラはアサヒの横をすり抜けて、偽ヴィータの前に立つ。

「何だよ……文句あ――」

 偽ヴィータの言葉は無造作に打ち込まれたソラの前蹴りで途切れた。

「ゲホッ……ゲホッ……ガッ……」

 腹を押さえて前のめりになった偽ヴィータの頭を横に蹴り、地に這わせる。

「黙って聞いていれば本当に好き放題言ってくれるね」

 自分に直接向けられたものではないのにヴィータはソラの声に背筋を震わせた。

「て……てめぇ……」

「人のことをカス呼ばわりしておいて、なら君は何様なのかな?」

 偽ヴィータの頭を踏みつけながらソラは続ける。

「人に当たり散らすことしかしないで……人を見下して軽んじて……自分がこの世で一番不幸だって思って……」

 思わず耳を覆いたくなる言葉。
 それが否定できないと今の自分は理解できる。

「自分では何もしないで文句ばっかり言って……誰かに救ってもらうのを待ってるだけのお前たちが偉そうなことを言うな」

「うるせえ! お前に何が分かる!?」

「分かりたくないね。吠えるだけで何もしない負け犬の気持ちなんて」

 そのままソラはあっさりと光剣を偽ヴィータの背中に突き刺した。

「あ……そんな……」

 そして構築体であるヴィータは消えた。

「さてと……」

 振り返るソラにヴィータは思わず後ずさる。
 力の抜けた軽薄な表情だが、目には強い意思がある。それは今身近にいる人によく似ていた。

 ――そ……そんなはずねー。

 一瞬重なったはやてとのイメージを振り払い、ヴィータはグラーフアイゼンを構える。
 が、その手は誤魔化せないくらいに震えていた。

 ――何で震えてんだよ! こいつは倒さなくちゃいけない敵なんだよっ!

 ――本当にこいつが全部悪かったのか? もしかして本当に悪かったのは自分たちじゃないのか?

 二つの思考にヴィータは揺れる。

「あ……」

 ソラが身体を前に傾け、駆ける。
 普段のヴィータなら反応できていた距離と速度。しかし、今のヴィータには間の抜けた声をもらすことしかできなかった。

「っと……悪いがこいつはまだやらせることはできない」

 横薙ぎに振られた光剣の刃をアサヒがナイフで受け止める。

「どうして? 人を踏みにじっておいて、今は幸せの絶頂ですって顔に書いてある奴を庇う価値なんてあるの?

「ないな……だが、はやてが答えを出すまでこいつらに消えてもらっては困るんだよ」

「……はやて……はやてね」

 かすかに歪んだソラの表情。しかし、すぐに元に戻り、距離を取る。

「でも、それじゃあ一人……いや一匹はもう消えてるかもしれないよ」

「それはどういう意味だ?」

「ヴォルケンリッター対策は『静寂の世界』だけじゃないんだよ」

 徐に銃を抜きながら見せる。

「魔弾にプログラムを乗せて撃った。プログラム体であるヴォルケンリッターにウイルスはよく効くと思ってね」

 全身から血の気が引く感触を受けながら、ヴィータはシャマルに念話を繋ぐ。

「おいシャマル!」

『どうして!? 何で傷が塞がらないのっ!?』

 ヴィータの呼びかけに気付かず、シャマルの悲痛な叫びが頭の中に響く。

「ちっ……すぐにそいつを凍結封印しろ、場合によってははやての中に戻せ!」

 すぐにアサヒの指示が飛ぶがそれがシャマルに届いた気配はない。
 それにはやてたちの方には連絡が付かない。

「来い!」

 腕を引っ張り、アサヒはソラに背を向ける。

「え……でも……」

 視線をソラに彷徨わせる。

「奴がどれだけデタラメでもこちらが全速で飛べば追いつけるはずない。そんなことも分からないのか!?」

「あ……」

 アサヒの言葉に納得して飛び上がろうとする。

「行かせると思う?」

「ああ、行くとも」

 迫るソラに対して、アサヒが魔法を展開する。
 両手に指の間にデバイスとは別の弾を作り出し、無造作にアサヒは投げる。
 指向性のなく放物線を描いて落ちるそれらにソラは顔色を変えて、背を向けて全速で走り出した。

「お……おい……一体――」

 何を、と問う前に光と身体を震わせる轟音が来た。

 ――これはアイゼンゲホイル。

 咄嗟に耳を塞ぎながら、それが自分も使える魔法だと理解し、ソラが逃げたことも納得する。
 するのだが……

「やるならやるって言いやがれこのバカッ!」

 痛みを伴う耳鳴りに、声を上げて文句をつける。

「知るか……貴様に気を使ってやる義理も義務も私にはない」

 しかし、当然返ってきたのは優しくない言葉だった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 閃光と爆音から立ち直ったソラは息を吐いて頭を振る。

「アサヒの奴……何て滅茶苦茶な」

 それでも自分に最も効果的な攻撃手段だと改めて認識する。

「やっぱりこの手の魔法の対抗手段も考えないとなぁ」

 飛んでいく紅と朱の残光を見送りながらソラは呟く。

「それにしても……」

 ソラは偽物のヴィータが消えて場所に視線を向ける。
 昔は絶対に勝てないと思っていたヴォルケンリッター。自分にとって仇とも言える相手を倒したのに何の感慨も湧かない。
 倒したのは所詮偽物だからかもしれないが、本物の方が偽物よりも弱いと感じた。

「何というか……思い切りがないんだよな」

 紅の鉄騎も烈火の将も昔ほどの覇気がない。
 むしろ怪我を無意識に恐れて戦っている節があった。
 自分をかえりみない捨て身の戦闘スタイルと怪我を恐れた消極的な戦闘スタイル。
 保守的な戦いをしていれば偽物に勝てないのも通りだとソラは思う。
 彼女たちが何故、そんな弱気な戦い方をするようになったのかは流石に想像できない。

「さてと……考察はここまでかな?」

 思考を切り替えて周囲の気配を読み取る。

「貴様が闇の書の主だな?」

 突然湧いて出た複数の気配。そこに含まれる魔力には闇の書のそれが混じっている。

「そうだけど? 君たちは管理局の魔導師?」

 否定するのも面倒なので適当に答えながら敵の数を数える。

 ――十人か……それに練度はさっきの奴らよりも低い。なら、試すには丁度いいかな。

「そうだ……武装を解除して投――」

 お決まりの台詞を最後まで言わせずに、間合いを詰め拳を打ち込む。
 それを合図に周囲の魔導師たちが一斉に動き出す。
 杖を向ける者。制空権を取るために飛ぶ者。防御に専念する者。
 とりあえず、目の前で仰け反る魔導師の襟を乱暴に掴んで、そのまま防御担当に投げる。

「うわっ!?」

 驚き、キャッチした隙に二つの光剣で一人ずつ斬り伏せる。
 その残骸が砕ける様に見向きもせずにソラは走る。
 彼を追って光弾が飛び交う。

「上空約二十メートル……有効範囲内……」

 飛び交う光弾をくぐり抜けながら、また一人の魔導師を切り伏せながらタイミングを探る。
 ナイフを投げ、銃を撃つ。
 緩急のステップで翻弄し、確実に数を減らす。
 そして、上空で動きを止めて射撃体勢に入る魔導師たちを確認し、ソラは二つの光剣を虚空に振り、交差させて打ち鳴らした。

「『凍てつく波動』」

 二つの刀身は砕け、内包された魔力を打ち鳴らした音に乗せ思念波を織り交ぜて、粒子となって散る。
 広範囲に広がったソラの思念波は音が届く範囲で魔法の働きを数秒間だけ阻害する。

「なっ!?」

 浮遊していた魔導師たちは突然途切れた飛行魔法に動揺する。
 射撃は当然中断され、自由落下をする。
 いち早く自失から立ち直った魔導師を銃で牽制しながらソラは跳ぶ。
 地面で対峙していた魔導師の頭を踏みつけ、さらに跳躍。
 落ちて来た一人をさらに蹴り、二人目も同様にして駆け上がる。
 それでも上にいる魔導師には届かない。

「ふっ……」

 ワイヤーを投げて魔導師の足に絡ませる。

「なっ……魔法が!?」

 間接接触を果たして対象の飛行魔法を解除し、そのままワイヤーを手繰り地面に叩き付ける。
 そこに光剣を突き立てて構築体を砕く。

「う……うおおおっ」

 果敢にも杖を振り被り襲いかかる魔導師にソラは一歩退いて空振りさせ、反撃に斬る。

「あと四人」

 最初の焼き直しのように三人の魔導師がソラを近付けまいと光弾を乱射する。
 しかし、そんなものはソラには無意味であり、足止めにもならない。
 瞬く間に三人の魔導師に接近して、バリアジャケットごと両断する。が、上半身だけで組みついてくる。

「おのれ……無頼の首魁が調子に乗るな」

 巨大な召喚魔法陣が展開される。

「ちっ……」

 しぶとい魔導師の構築体にとどめを刺しながら最後の一人に向かって走る。
 投げた投剣が肩に刺さるが魔法を止めるには至らない。

「おおおおおっ!」

 駆けた勢いを全て叩き込むように光剣を突き出す。
 ガラスを砕く手応えを受けて、魔導師が散る。が遅かった。
 魔法陣から現れるのは長い胴体の竜。
 巨大な目がギロリをソラを見る。
 ゆっくりとした動作、それでもソラのサイズから見れば速い動きで短い足が降ってくる。

「くそっ……失敗した」

 召喚前に潰そうと考えたが間に合わず、結果召喚師を失くした召喚獣は暴走してしまった。

「流石にこのサイズ差はどうしようもないんだけど」

 言いながら、鉤爪の触手をかわし、炎のブレスを魔力に逆変換して竜の猛攻を凌ぐ。
 魔法を無効化できると言っても、純粋な体格差まではソラでも誤魔化せない。
 ソラが相手にできるのはせいぜい中型の魔導生物まで。
 見上げるほどの竜には基本的に為す術はない。

「仕方がない……」

 とはいえ、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。
 気は進まなくても今ある手札の中で対抗できるものは確かにある。
 光剣を納め、それを出そうとしたところで竜が長い尾を横に薙ぎ払った。
 自分の身長以上の太さの鞭はソラにとって一発で致死に至る威力を持っている。

「ジュ――」

 それを手に魔力を解放しようとした瞬間、どこからともなく撃ち込まれた砲撃が竜の尾を弾いた。
 耳をつんざく雄叫びを上げ、竜は標的を地上のソラから上空の誰かに変える。
 そして、上空に巨大な魔法陣が展開された。
 周囲に満ちている魔力がそこに集まる。

「おいおい……ちょっと待て」

 制止の声など届くはずもない。
 未だにソラは竜の傍にいる。そんなところに集束砲を撃ち込まれたら巻き込まれるのは必至だった。

「スターライトブレイカー!!」

「ちいっ」

 動き出した巨大な光球を見て、盛大な舌打ちをしてソラは走り出した。
 余波範囲外まで逃げる暇はなくてもせめて物影に隠れなくては死ぬ。
 死なない身体でも痛覚はあるのだから無用な怪我はさけるに越したことはない。

「いや……あれは跡形もなく消滅しそうだ」

 結構余裕がありそうな事を叫ぶが、背後では野太い砲撃が竜を飲み込み消滅させていた。
 しかし、集束砲の威力はそれだけで留まらず地面を穿ち、周囲のビルを薙ぎ払う。
 爆風に煽られてソラはバランスを崩す。飛んできた瓦礫は大きさ速度、共に人を殺すには十分だった。

「というか、よくよく考えたら瓦礫に埋もれてもアウトじゃないか」

 体勢を直して、頭を低くしてとにかくソラは走る。
 しつこい様だがソラは魔法を使えない。
 鍛えているとは言っても魔導師のそれと比べれば瓦礫も押しのけられないほどに貧弱だ。
 魔法に対しては強くても物理的なものにはどうしようもないのがソラのスペックだった。

「ちっ……結局使うのかよ」

 崩れてくるビルの下でソラは先程から手にしている菱形の石を掲げる。

「ジュエル――」

 しかし、降り注ぐ瓦礫はどこからともなく飛んできた魔力の刃が薙ぎ払った。
 そして、身体を煽っていた衝撃と風が突然止む。

「君は……」

「初めましてお兄さん……わたしはセラ、南天の王よ」

「南天の……あいつの仲間か……別に助けてくれなんて頼んでないよ」

「そうね……いらないお世話みたいだったようね」

 セラはソラの手元を一瞥して応える。

「東天の王とのお話聞かせてもらったけど、お兄さんってすごいのね」

「別にハッキングなんて大道芸もいいところだよ。所詮は誤魔化しでしかないしね……
 って……東天……まさかアサヒが?」

「あら? 知らなかったの?」

「うん、知らなかった……まさかアサヒが東天の魔導書のね……」

 信じられなかったが、納得もする。
 炎の巨人イフリート、蒐集の中でも闇の書の知識の中にもない完全なオリジナル魔法。
 そこに天空の書が絡んでいるのなら十二分に考えられる能力だった。

「闇の書……夜天の書に北天、南天に東天……」

 指折り数えながらソラはこめかみを押さえる。
 本来、自分たちの研究に没頭している天空の魔導書が遭遇するのは稀なことだと聞いている。
 それなのに此方側の世界に戻ってきた途端に三分の一に関わるのはどういう因果なのだろうか。

「いや三分の一以上か……」

「あのー……大丈夫ですか?」

 恐る恐る、そんな感じで高町なのはが降りてくる。

「えっと……」

「あら……あんな馬鹿砲撃を考えなしに撃って大丈夫ですかって本気で言ってるの?」

 クスクスと馬鹿にするように笑ってセラがソラよりも先に応じた。

「ちゃ……ちゃんと非殺傷設定にしてたよ」

「非殺傷でも衝撃余波とか考えなさい。魔法を過信し過ぎよ」

「そ……そんなことないよ」

「別にそいつは管理局なんだから僕を殺そうとするのは当たり前じゃないの?」

「あ……それもそうね」

「ちょ……何言ってるの!?」

 先程のリンチを忘れたのか、何故か驚く高町なのは。

「何を今さら言ってるかなっ!」

 光剣を打ち鳴らし瞬間的に周囲の魔法を止める。
 バリアジャケットの様な固定された魔法まで止める力はないが、『凍てつく波動』は使い続けている飛行魔法を途切れさせることができる。
 途切れた魔法は組み直さなければならない。
 よって、飛行魔法を消された高町なのはは当然重力に引かれて落下する。

「わっ……え……何で?」

 突然途切れた魔法に戸惑う高町なのは。話をするために高度を落としていたためすでにソラは間合いに彼女を捉えていた。

『ラウンドシールド』

 機械音声が耳に響き、高町なのはの前に盾が形成される。
 しかし、そんなものは意味はなく。
 ソラは展開されると同時にその術式を読み取る。そして光剣の刃を接触させると同時に介入し、盾の強度を書き換え、爆破付与を解除する。
 右の剣で盾の残滓を振り払い、左の剣で振り下ろした。
 引き戻し、間に盾にするようにした杖ごと切り裂く。
 バリアジャケットを無視して人を斬った感触を腕に受ける。

「あ……」

 呆然と膝を折り、前のめりに高町なのはは倒れる。

「ど……どうして……ソラさんは……助けてくれたのに……」

「敵になったのは君たちだろ?」

 一瞬止めを、とも考えたがソラは光剣の刃を消した。

「見逃すのは今回だけだから……次は命の保障はしない。例えフェイト・テスタロッサでもね」

 すでに管理局は自分の敵に回った。
 ならば彼女は最早自分の敵でしかない。
 自分の命を脅かす者となら誰だって戦う。それは昔も今も変わらないソラの生き方だった。

「そんな……」

 弱々しい声をもらす高町なのはから視線を外して周囲の気配を探る。

「お兄さん、後ろっ!」

 セラの声と同時に自身の背後で闇の書の気配が唐突に生まれる。
 その新たな気配にソラは振り返り様に光剣を振る。

「……え?」

 甲高い音を立てて光剣は同じ形状の細く短い鋼の刃、小太刀に受け止められた。
 ソラは驚きに目を大きく見開く。
 動悸が高まる。理性がこれは偽物の構築体だと言っているが、それを受け止められないほどに動揺していた。

「ねえ……さん……」

 長い髪をなびかせた女性。
 十二年経った今でも決して忘れることのない姿。
 見間違いでも他人の空似でもない。

「姉さん? 私が?」

 刃を外し、数歩下がって首を傾げる。
 懐かしい仕草、懐かしい声。

「あなた……誰?」

 しかし、その言葉は胸を抉る。

「僕は――」

 ソラと名乗ろうとして躊躇った。
 彼女は闇の書が蒐集した彼女の過去の姿。
 正しくあの時の姿を模倣しているのなら、その後で彼女がくれた『ソラ』の名前では彼女に通じない。

「僕は……」

 ソラは迷う。
 その名はすでに自分のものではなく、そして捨てたものでもある。
 正直に言えばその名前を口にしたくもない。
 それでもと、ソラは思う。
 例え、幻であっても、まだ彼女が望んだ高みに辿り着けていなくても、彼女に自分の成長した姿を見て欲しい。
 そう思ってソラは心を決める。

「僕は――」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「いやーすごいね……彼は」

 ソファにくつろいだ姿で座り、空間モニターでソラの戦いを観戦しているのはピエロの仮面をした男。
 フェイト達はそれを遠巻きにして警戒していた。

 ――この人がシリウスの使い手……

 線の細い身体つきだが魔導師としての戦闘能力は先程モニター越しに見せつけられた。
 見せつけられたというのも正しくはない。
 一方的な戦闘だった。
 腰の剣を抜くこともなく、魔力を付与した素手で彼は数人の高ランク魔導師を撃墜した。
 管理局のエリートを相手にしているのにまるで本気になっていない。

 ――わたしが何とかしないと……

 ベガの宿る手に力がこもる。
 この人を押さえられるのは自分だけだと、フェイトは言い聞かせる。
 この場にいる戦力は負傷したシグナムに、残滓事件にリソースを割り振って戦闘能力がないリインフォース。そしてアリシアとプレシア。
 片腕がなくても身体そのものの調子は良い。アルフもいるし、全力で戦うことだってできる。

「やってみるかい? 今日は使い手として来たわけじゃないんだけどね」

 心を読んだ様にピエロはフェイトを見て言った。

「っ……ベ――」

 息を飲んで、全身が硬直する。
 魔力運用を行おうとした、それだけで悪寒に襲われ、身体は震え、膝から力が抜ける。

「どうして……あ……」

「精神的ショックが強かったみたいだね。当分は魔法そのものが使えないんじゃないかな?」

 ピエロの言葉は聞こえていなかった。
 右手が真っ赤に染まっているのを幻視する。
 仮にもソラを殺したという重圧は確実にフェイトの中に刻まれてしまっていた。

「で……でも……わたしが……わたしがやらないと」

 それでも身体の震えを押さえて、一歩を踏み出す。
 しかし、目の前をリンディの腕が遮った。

「リンディ……かあさん?」

「任せてちょうだい」

 短い言葉だったが、フェイトは頷く。そして身体から力が抜けてその場に膝を着いた。

「フェイト……大丈夫?」

「うん……大丈夫だよ」

 駆け寄ってきたアリシアに笑って返しながら、フェイトはピエロとリンディを改めて見据えた。

「貴方は……何者なの? 何が目的でこんなことをしているの?」

 口火を切ったのはリンディで、彼女はそのまま彼の対面の椅子に座る。

「何者って……とくに組織名は決めてないんだけど……そうだね……『アポスルズ』っていうのはどうかな?」

「『アポスルズ』……天の御使い、ね」

「僕たちには丁度いい名前だと思うけど、どうかな?」

「では、貴方達『アポスルズ』のリーダーは貴方と見ていいのね?」

 単刀直入なリンディの言葉にピエロはやれやれと肩をすくめる。

「せっかちだね……もう少し会話を楽しまない?」

「あいにくそんな時間はないの」

「そんなもの気にする必要はないと思うけどね……」

「……それで貴方達は天空の魔導書を集めて何をしようとしているのかしら?」

「それは当然、世界平和」

「ふざけないで!」

 ピエロの答えにリンディは声を荒上げる。

「ふふふ……あながち間違いではないんだけどね」

 素行を崩さずピエロは仮面の奥で笑う。

「世界の管理者を気取って人の生殺を弄ぶ君たちなんて害悪でしかないと思わない?
 なら、管理局を潰すことは世界のためになるじゃないか」

「話にならないわね……管理局の崩壊は秩序の崩壊……
 貴方達がしようとしていることはただの破壊活動に過ぎないわ」

「変革には犠牲は付き物だよ。でも管理局が人の命を弄んでいるのは本当だと思うけどなぁ」

「言い掛かりね……私たちはそんなことはしないわ」

「でも、君たちは闇の書の主を蘇らせたじゃないか」

「……それはどういう意味かしら? 彼は元々生き延びていたのよ」

「そうだね……でも新しい人生を送っていたのに君たちが闇の書の主に引き戻した」

 その指摘にリンディは押し黙る。

「才能も名前も捨てた……社会から隔絶され十二年の孤独を味わった……天罰とすれば十分じゃないの?」

「法の裁きを彼は受けていないわ」

「あはは……ほら、君たちは私怨でしか彼を見ていないじゃないか」

 リンディの答えにピエロは声を上げて笑う。

「もっとよく考えてみるんだね……
 彼は当時五歳の子供だよ? 簡単な言葉でどんな風に歪ませることができる幼子を捕まえて法とか責任とか正気なの?」

「それは……でも……」

「それなのに彼が悪くて、闇の書は悪くない……
 すごいね……彼から家族も名前も友達も才能さえ奪われたのに……
 管理局は悪質なロストロギアに翻弄された子供を助けもしないで責め続けるんだ」

「……君はソラのことをよく知っているみたいだね」

 完全に押し黙ってしまったリンディに代わってクライドは割って入る。

「それは当然……この世界で彼のことを一番理解しているのは私だよ」

「なら教えてくれないかな……彼の本当の名前を」

 ピエロは口を閉ざした。纏っていた軽い空気は張り詰めた緊張したものに変わる。

「ソラの本当の名前……アリシアは知ってるの?」

「ううん」

 声をひそめてフェイトはアリシアに尋ねる。
 返ってきたのは否定。逆のプレシアに視線を送っても、彼女も首を横に振る。

「それを知ってどうするつもりかな? 単なる好奇心なら知らない方がいいよ」

「私はあの事件においてはみんなが等しく悪かったと思ってる……
 彼を助けなかった管理局……彼を利用した闇の書……助けを求めずに一人で戦い続けた彼……」

「管理局の人間にしては殊勝な考えだね」

「元だよ……私も彼を責めたから大きなことは言えないさ……
 でも、彼は一度も私も、闇の書のことを責めることはしなかった」

「そうなのかい? けっこうなことを言っていたはずだけど……」

「それでも――お前たちのせいだ――なんて言ったことはないよ」

 途中で空間モニターの向こうではやてが何かを言おうとして口を開いていたが、言葉にならずに閉じられる。

「彼は今の現状は全て受け入れてる……それでまた一人で戦おうとしている……
 このままでは十二年前と同じことを繰り返す、いやもっと酷くなるかも――」

「それはないよ」

 クライドの言葉を切ってピエロが口を開く。

「彼は私たちのところに来る。あの時の様なことにはならない……管理局なんて返り討ちにするさ」

「ソラがそれを望まなくてもかい?」

「彼に選択肢なんてないよ……生きるためにはこちらに来るしかない……世界はもう彼の敵なんだから」

「そうならないように何かをするべきなんだ。今ならまだ間に合う。
 そのためには彼のことを知らなければならないんだ」

「それなら聞く相手が違うんじゃないかな?」

 ピエロは視線をリインフォースに向ける。

「やっぱり言えないのかな? それとも、覚えてないってまた言い訳するのかい?」

「そ……れは……」

「ねえ、八神はやて君……君にいいことを教えて上げるよ」

「やめろっ!」

 逡巡するリインフォースにピエロは矛先をはやてに変える。

「君はね、本当はこの世界の生まれなんかじゃないんだ……管理世界出身で前回闇の書事件の終焉の地にいた」

『どうして……それを……?』

 驚きに画面の向こうではやては目を見開く。

「おや……これは知っていたのかい? なら君の両親を闇の書が殺したことは?」

『殺したのはソラで……リインフォースやない』

「融合状態だから同じようなものだよ……それじゃあ、どうして彼らは殺されたと思う?」

『それは……蒐集して……』

「違うよ……彼らは蒐集なんかせずに直接殺された……彼にはあの二人を殺す理由があった……
 いや、本当はあの場にいたアサヒも君も殺すつもりだったのさ」

『…………何で……何でわたしたちやったの!?』

「それはね――」

「もうやめてくれっ!」

 リインフォースが悲鳴のように叫ぶ。

「彼が――」

『僕は――』

 ソラを映す空間モニターからの声とピエロの声が重なる。

「君の捨てられた兄だからだよ」

『僕は……ハヤテ・ヤガミだよ』





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




『僕は……ハヤテ・ヤガミだよ』

 シャイターンを介しての前回闇の書の主の言葉にアサヒは固まった。
 傍から見て半死半生のザフィーラを凍結封印したそれと同等の固まり具合だった。

「そ……んな…………馬鹿な……」

 何とか絞り出した言葉は自分に言い聞かせるにしても説得力がまるでなかった。

「その名前は……」

 ハヤテ・ヤガミ。それはアサヒにとって特別な名前だった。
 自分の初めての友達。家族の温もりを思い出させてくれた人。八神はやてのいなくなった兄の名前。

 ――まさかまた会えるとは思ってなかったよ、アサヒ――

 ――僕たちが初めて会った時も……こんな風に喧嘩したっけ――

 脳裏に彼が言った言葉が流れる。
 懐かしむ表情。重なる面影。

「だって……グレアムに連れてかれて……死んだって……」

 ――はやて君……もし君が彼と戦うというなら、私は君を止める――

 ――君の場合、力尽くで止められないのでね。ただ……後悔することになることだけは忠告しておく――

 ギル・グレアムの言っていた意味を理解する。理解して、アサヒは後悔した。

「…………私のせいだ」

 ――だいたい先に殺したのはあいつらだ! 他人の君にどうこう言われる筋合いはない!――

「違う……私なんだ……私が……ハヤテが良いって言ったから……」

 知ってほしかった、忘れないでほしかった。ハヤテ・ヤガミという男の子がいたことを。はやてに兄がいたことを。
 だから、不幸な出来事だったと彼の存在を忘れようとした八神夫妻を止めた。
 でも、そんな気持ちが彼を追い詰めた。

「くっ……」

「お……おい!? どうしたんだよ!?」

 ヴィータの声を置き去りにしてアサヒは全力で飛んでいた。

 ――だいたい先に殺したのはあいつらだ!――

「私が……殺したんだ……」

 本当は死んでなくて、生きていた彼が自分の名で呼ばれる妹を見て何を思ったのか、彼の言葉から想像できてしまう。
 名を奪い、いなかったことにされた。自分の家族の中に居場所はなくなっていた。

 ――私や、おばさんとおじさんがそこに何を思っていたとしても、彼にとっては許されざる裏切りだった。

 だからその復讐で彼は八神夫妻を、彼の両親を殺した。

「ハヤテッ!!」

 力の限りその名前を叫ぶ。
 しかし、返ってくる言葉はなく、ただ間断なく剣戟の乾いた音が鳴り響く。
 思わず、アサヒはその光景に息を飲んだ。
 火花を散らせる剣戟、目まぐるしく交代される攻防、紙一重のせめぎ合い。
 魔法もなく、それでも人の限界を超えた動きで彼と彼が姉と呼んでいた人が刃を交える。
 決して魔法戦では見ることのできない戦いにアサヒは思わず言葉を失って見入ってしまった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「僕は……ハヤテ・ヤガミだよ」

 彼の言葉をなのはは理解できなかった。
 彼の名前は『ソラ』で、その名前は自分の友達のもの。

「何を……うっ……」

 声を出すと斬られた痛みがうずく。

「ああ……あの時の……大きくなりましたね」

 女の人が納得したように感心する。

「それにしてもよく生きてましたね……てっきり闇の書に飲み込まれて死んだと思ってたんですよ」

 ニコニコと嬉しそうに彼女はソラに話しかける。

「いろいろあって……何とか生き残った……その代わり魔法資質は失くしちゃったけどね」

「あら? 魔法資質を失くした?」

「うん……僕のリンカーコアを破壊して闇の書を転生させた。でも生き残れたのは奇跡だったけど」

「それはそれは興味深い……でも、それは困りましたね」

 こめかみに指を当てて女性は唸る。

「ハヤテ……あれから何年経ったんですか?」

「十二年くらいかな?」

「うーん……その間、剣の修業はしてましたか?」

「ねえさんが残してくれたノートを見ながらずっとやってたよ」

「なるほど……」

 言いながら女性は徐に小太刀を構えた。

「構えなさいハヤテ……御神流の剣士として何処まで完成したか見せてみなさい」

「え……?」

 再度、なのはの思考が理解に追いつかずに止まった。
 御神流。それは馴染みのある言葉だった。

「そんな……だって……」

 戸惑いを口にしながらも、小太刀を構える女性の姿が兄や姉、父に重なる。
 対するソラも光剣、魔法剣という意識を外してみれば小太刀の形状のそれ、を構える。その姿も家族に重なった。

「永全不動八門一派御神真刀流……免許皆伝者……青天の魔導書……アオ」

 静かなソラの言葉にはさらなる驚きが含まれていた。

「今の貴女には分からないと思うけど……貴女は本来いるはずのない存在……過去の残滓に過ぎないんだ」

「何を言ってるの?」

「闇の書の防衛システムの暴走……それによって作られた構築体」

 語るソラが何を思っているのかなのはは察する。
 偽物とはいえ大切な人に刃を向ける辛さは想像できる。
 きっと身を切られるような思いなのだろう。

「……だから、僕の全力を持って貴女を倒すっ!」
 
 それでも内心を押し込めてソラは女性、アオに斬りかかった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ――やっぱり強いなぁ……

 闇の書のの残滓が作り出した義姉の構築体は予想通りの強さだった。
 渾身の一撃は軽くいなされ、最速の一手は見切られ、自信のあったフェイントはあっさりと看破される。
 対する彼女の攻撃はこちらの防御を『貫』いてかすめていく。

 ――遊ばれている……いや試されているんだよね……

 青天の魔導書、通称アオ。
 捨てられた自分を拾って育ててくれた姉のような人。名前か、お姉さん以外の呼び方は怒る。とくにおばさんと呼んだ時は怖かった。

 ――シロウがババア呼ばわりして半殺しにされたっけ……

 自然と楽しかった日々のことを思い出す。
 そして、思い出すたびに闇の書の意志に対しての怒りが募る。

 ――この人はお前が使っていい人じゃない!

 ここにはいない管制人格に対してソラは叫ぶ。

「ほら……隙だらけですよ」

「くっ……」

 光剣をかいくぐって迫る刃が頬をかすめる。

 ――やっぱり強い……

 反撃に振り抜いた光剣は見切られ紙一重でかわされる。
 威勢のいい啖呵を切ったもののソラは攻め手を見つけられないでいた。
 御神の剣士としてある一点を除いて完成している彼女に対して、ソラはまだ未熟者だと自覚していた。
 『斬』と『徹』はマスターした自信はあっても、『貫』や奥義の技はまだ使いこなせていない。
 ましてや『神速』には手も届いていない。

 ――様子見に徹しているうちに終わらせないと……

 本気になった彼女を止める術はない。

 ―― 一撃でも届けばそこから解体できる……

 構築体であるなら、その姿を構築しているプログラムはヴォルケンリッターと同じ。
 『静寂の世界』は完全にヴォルケンリッター専用だから通じないが、光剣による直接接触か、ウイルスを伴わせた魔弾を撃ち込みさえすれば消すことはできる。
 かつては触れることさえできなかった存在、だがあれから十二年の研鑽を積んだ今なら……

「届けて見せるさ!」

 弱気を押し込めてソラの攻撃は苛烈さを増す。
 右の光剣で斬り払い、間を置かずに左の光剣を振り下ろす。その動作で右腕を引き、次の斬撃を放つ。
 右、左、右。息も吐かせない斬撃と止めることなく放つ。
 高速連続斬撃――御神の剣の技の一つ――『花菱』

「ふっ……」

 アオは連続する斬撃の一つ選んで小太刀を振るった。

「な……!?」

 重い『徹』の衝撃を腕に受けて、光剣が大きく弾かれ、ソラはバランスを崩す。
 返す刃が上から振り下ろされる。
 前に転がる様にそれを避け、振り返り立ち上がる勢いで居合いの様に光剣を振る。

「十二年かけてもこの程度ですか……やっぱり血筋がないとダメなんですかね」

 光剣は難なく受け止められ、眼前で失望した呟きが届く。

「でも、私が育てた中では一番御神に近いですよ」

「それは……どうもっ!」

 右手を引き、逆の左の光剣を下から斬り上げる。
 顔がにやけているのを自覚する。
 例え偽物でも彼女に褒められると嬉しくなる。
 もう十二年も聞いてなかった言葉、これから先も聞くことのできない言葉だけに心を打つ。

「でも魔法資質を失ったんでしたら貴方はもう用済みです」

「…………え?」

 アオの言葉にソラは攻撃の手を止めて固まった。

「それは……どういう意味?」

「私の研究テーマは知っていますよね?
 御神の業に魔法を組み込むこと……
 いえ、そもそも天空の魔導書は魔導を極めるためのものですから魔導師でなくなった人に興味はありませんよ」

「うそ……うそだ……」

 足下がおぼつかずにソラはよろめく。
 信じていた大地が歪んだ感覚、思考はぐちゃぐちゃでまとまらず、平衡感覚は狂い、呼吸がままならない。

「全部……うそだって言うの? 優しくしてくれたことも……いろんなことを教えてくれたのはいったい何だって言うんだよ!」

「嘘じゃないですよ。魔導師のままだったらちゃんと今でも優しくしてあげますよ」

 魔導師でない自分には興味なんてない。
 変わらない笑顔のままあっさりとアオは言ってのけた。

「ねえさん……」

「もう家族ごっこなんてしなくていいですよ……えっと名前、何でしたっけ?」

「あ…………ああああああっ!」

 震える身体に叫んで無理矢理力を入れる。
 駆け引きを考えず斬りかかる。

「信じていた……尊敬していた……大切だったのに……
 ……何で……始めから捨てるつもりだったんなら、何で優しくしてくれたんだ!?」

 北天や闇の、夜天の書とは違うと思っていた。
 他のどの魔導書が外道な存在だったとしても、自分と彼女の間の絆は本物だとそう信じて来た。
 だから、厳しい訓練を自分に課すことができた。
 なのに――

「こういう言葉を知りませんか? 『豚もおだてれば木に登る』って」

「っ……!! アオッ!!」

 全部が餌だッたと突き付けられる。
 魔法を教わり、剣を習い、友達を与えられ、『ソラ』の名前をくれた。
 姉であり、母の様に感じたこともある、そして師匠でもあった。
 その全てが嘘で固められたものだった。

「ああ……安心していいですよ……ちゃんと後始末はしますから……
 近頃はお役所がうるさいですからね、実験体を放置して悪さでもされると後で面倒なことになりますから……
 それに――」

「……もういい……お前は……殺すっ!」

 もはや目の前の女性は自分の敵でしかなかった。
 自分の命を弄ぶ彼女は管理局と同じ。
 ソラは意識を切り替える。
 嫌悪していた人殺しの人形人格に初めて意図して変える。

 ――敵……全部……僕の敵だ――

 限界以上の力で踏み込む。壊れる足は呪いによってすぐに修復される。痛覚は雑音として処理する。

「くっ……」

 上がった斬撃にアオが顔をしかめる。
 右の小太刀を弾き、突き出した光剣はアオの髪をわずかに削り落とす。

「面白いことをしますね……人の感情を止めて擬似的に『神速』を再現するなんて……本当に廃棄するのは惜しいですね」

 女が何かを言っているが、ソラは気にせず追撃する。

「ふふふ……怒ってパワーアップですか? そういうの嫌いじゃないですよ」

 ソラの猛攻を捌きながらアオは笑う。

「本当に……魔法資質を失ってなかったら私の次の身体にしてもいいくらいですね……
 本当に残念……せめてもの手向けです……私の本気を少し見せて上げます」

 アオの足下に魔法陣が展開する。
 そして次の瞬間、目の前からその姿が消え、胸から刃が突き出した。

「がはっ……」

 込み上げった血を吐き、あまりの衝撃に思考が戻る。

 ――まるで見えなかった。これがアオの神速。

 一度だけ見たシロウの神速の比ではない。
 魔法による上乗せされたそれは容易に魔導師としての感覚さえも振り切って、軌跡も残影さえもなく背後を取った。

「それでは、これでお別れです」

 刃が引き抜かれ、背後では剣を構える気配。
 振り返ることも、前に出て避けることもソラはしなかった。
 そんな力も気力も湧いてこなかった。
 自分の十二年の全て崩れる音が聞こえた気がした。

 ――何もなかった……

 親に捨てられ、なかったことにされ、実験動物として扱われてきた。
 もう会うことのない友達も、新しい名前も、所詮彼女が用意した餌でしかなかった。
 彼女の真意に気が付かず、血反吐を吐いても重ねた努力は始めから意味なんてなかった。

「……これが報い……」

 生きるために他の全てを犠牲にしてきた罰。
 本来なら知ることのなかったはずの真実。
 もしかすると、地獄から殺された恨みを晴らすためにこのアオの構築体は現れたのかもしれない。

 ――ああ、そうか……

 死なない身体でも、アオの刃はソラの心を確実に殺す。
 それに抗う力など疲れ切ったソラにあるはずもなかった。

 ――僕は……生まれてきちゃいけなかったんだ……
 







あとがき
 前回に引き続きソラの正体、および剣術について解禁しました。
 はやてを管理世界出身にしたのはこれをやりたかったからです。
 とらハ3でおなじみの御神流ですが、ソラの剣は今まで表現をぼかしてましたが小太刀の形状『細くて短い光剣』でした。
 それに奥義に似せた技を所々で使わせたりしてましたね。

 それにしても青天の魔導書の外道ぶりがやり過ぎだったかも……





補足説明

『凍てつく波動』
 光剣の魔力を音に乗せて飛び散らし思考ノイズを発生させる魔法。
 飛行魔法に反応するチャフと考えてください。
 効果時間はたったの三秒、普通の魔導師はその三秒以内に飛行魔法を再起動しようとして失敗するため、初見ではほぼ確実に地面に落とせる。
 一応、一時的なステータス向上の魔法を打ち消す効果もある。



 青天の魔導書
 天空の魔導書のすでに消滅が確認された一書。
 研究テーマは「人の限界について」
 人の能力を十全に使う御神と出会い、それに魅入られて魔導師で御神を再現しようとする。
 手始めとして魔導師に御神流を覚えさせることを考え、ソラを拾い調教した。
 ソラの前にも何人か育てているが、修練の厳しさと、途中でSランク級の力を得て満足されてしまうため、一度も御神に至った者はいない。








[17103] 第二十六話 罪人
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/04/21 00:52


 ――彼のことを思い出したのは、全てが終わってからだった……

 それまで薄情なことに一度も彼の名前を思い出すこともしなかった。
 いや、彼だけではない。
 歴代の主、全てが私にとっては有象無象で今でもその名前は思い出せないでいた。
 心のない主。そう思い、思い込むことで自分のことを守っていた。
 自分が彼の元に転生してから起こった不幸からも目を背けて。

『リインフォース……』

 不安そうにその名を呼ぶ声にリインフォースは身体を強張らせる。
 今、心優しい彼女が画面の向こうでどんな顔をしているのか想像もできない。
 そして、それを確かめるのが怖かった。

「くっ……」

『ちょ……待つんや! リインフォースッ!』

 だから、制止の声を振り払い逃げ出していた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

『シグナムッ! 追い駆けてっ!』

「…………」

 目の前の仮面の男と彼自身によって告げられた真実。
 それは敵を前にしていても我を忘れさせるほど衝撃的なことだった。

 ――有り得ない。

 そんな安っぽい言葉で反射的に自己弁護しようとする意思を何とか押し込めて、そのことを受け止める。

 ――私たちは……どれだけの罪を重ねていた……

 はやての両親を殺した罪が本当の罪ではなかった。
 はやての兄を主にして、両親を殺させた。それが本当の罪。
 闇の書が転生した事によって彼の人生が一変した事はシグナムにも容易に想像できる。

 ――何ということだ……

 記憶にちらつく過去の出来事。
 優しげな母親に抱かれる赤子。その傍らで寄り添う父親。赤子を覗き込む少女。みんなが笑顔だった。
 ありふれた家族の幸せな光景。
 当時、自分は何も感じなかった。高い魔力資質を持つ二人の幼子を蒐集の餌という認識しかなかった。
 だが、隣りでそれを見ていた彼は何を感じていたのだろうか?

 ――私は彼の動揺にさえも気付いていなかった……

 思えば彼のことは何も知らない。
 まともに会話した事さえない。
 自分たちに向けられた感情も、彼が何を考えて蒐集を望んでいたかも、何も知らない。

「よくそんなもので心のない主だと罵れたものだな」

 思わず自嘲する。
 思い返す自分の姿はあまりに無知で無智で無恥であった。

『シグナムッ!!』

「はいっ!?」

 思わずはやての大きな声に背筋を伸ばしてシグナムは返事をした。

『追い駆けて……すぐにっ!』

「追い駆ける?」

 鸚鵡返しに聞き返しながら部屋を見回す。

「リインフォースがいない?」

 そのことに気が付いたが、他の者たちは一様に空間モニターに釘付けになっていた。
 何を見ているのかと思い、シグナムもそれを覗き込んで絶句した。

「馬鹿な……彼女は……」

『シグナム、早くっ!』

「は……はいっ」

 はやてに急かされてシグナムは窓から外に飛び出す。
 それを止める者は誰もいなかった。
 結界に覆われた海鳴の街。
 思考を切り替えて、シグナムはリインフォースの気配を探る。

「何を考えているんだあいつは……」

 確かにソラがはやての兄だったのは衝撃的な事実だったが……

「まさか……知っていたのか?」

 直前の反応を思い出しながらシグナムはそのことに気が付く。
 それだけではない。蒐集の終わりに起こること。蒐集でははやてを救えなかった事実も彼女は黙っていた。
 はやての認証なしでは顕現できなくても、言葉を伝える術はある。
 なのに、今代の蒐集においても彼女は最後の時まで何も言わなかった。

「お前は何を考えている……」

 身近な存在だったのに、今は誰よりも遠くに感じてしまう。

「見つけた……」

 かすかな魔力反応を見つけてシグナムは飛ぶ方向を修正した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ここは……」

 気が付けば、海鳴の街を見下ろせる丘の上にいた。
 見覚えのある場所。景色は夏の緑に彩られているが、かつて白で塗り尽くされていた場所。
 はやてやヴォルケンリッターたちと別れた丘にリインフォースはたたずんでいた。

「何をしているんだろうな私は……」

 がむしゃらに飛んで、着いたのはこの世界で初めて、そして最後に訪れた場所。
 まるで吸い寄せられるようにこの場に来ていた。
 逃げても意味はないと分かっている。
 どこまで逃げても罪の鎖は自分の身体を捕えたまま放さない。
 映像越しに彼の姿を見てリインフォースはそれを悟った。

「これが……報いか……」

 自分が消えることで全てを終わらせることができたと思っていた。
 真実は闇の中、何も知らない主と騎士たちは互いを疑うことなく幸せな未来を過ごせると思っていた。
 なのに自分はまだ現世に留まり、過去の亡霊は彷徨い続けている。

「どうすれば償えるのだろうな……」

 呟きながら、結界が覆う空の中に見知った色を見つける。
 誰と問うまでもない。

「シグナム……」

「リインフォース……お前に聞きたいことがある」

 逃げたことを責める前に彼女は厳しい表情で質問を投げかける。

「お前は知っていたのか? 蒐集の先に起きることも、前の主との関係も?」

「…………ああ……っ!」

 頷いた瞬間に頬に衝撃を受けてリインフォースは地面に飛ばされた。

「知っていてお前はっ!」

 シグナムは憤怒の形相でリインフォースの胸倉を掴んで無理矢理立たせる。

「だからお前は消えることを選んだと言うのか!?」

「そうだと言ったら?」

「くっ……」

 もう一度殴られる。

「見損なったぞリインフォース……貴様がそんな奴だったとは思わなかったぞ!」

「お前に……お前に私の何が分かると言うんだ!?」

 思わずリインフォースは叫び返していた。
 シグナムは何も知らない。
 彼のことも、歴代の主のことも、そして自分のことも。

「主はやてから全てを奪ったのは私たちなのに……自分に都合の悪いことは全て忘れているお前たちを私がどんな思いで見ていたと思っている!?」

 何も知らないからこそ、はやてと騎士たちは互いを必要とし、家族となることができた。
 だが、自分は違う。
 真実を思い出し、罪悪感を抱える自分は決してはやての家族にはなれない。
 それどころか彼女たちが繋いだ絆を壊す毒にしかならない。
 だから、消しきれなかった防衛システムと共に消えることは、はやてと騎士たちを守る最善の手段であり、贖罪の方法だった。

「それは……仕方がないだろう……私たちはバグによって記憶を保っていられなかったんだから」

「バグのせいなんかではない。覚えていなかったのは覚えていたくなかったからだ」

 理性ではやめろと言っているのに、リインフォースの口は感情に任せて止まらなかった。

「主を騙して殺し、主の命に従って行った非道、自分たちは悪くないと言いたいから全部忘れたんだ!」

 それは死を振り撒き、破滅を繰り返す闇の書の騎士たちが自分の心を守るための防衛行動だった。
 自分に都合の悪いことに蓋をして、あたかも綺麗な存在として振舞う。
 それはプログラムではない、人としての行動であり、弱さだった。

「そんなお前たちに全部覚えている私の気持ちなんて分かるものか!?」

「だったら、どうしてそれを言わなかった!?」

「言ったさ……だが、お前たちは私の言葉さえ信じなかった……そして、最後はいつも私を呪って消えていった」

 何度も繰り返す破滅によって一番摩耗していたのはリインフォースだった。
 記憶を初期化するヴォルケンリッターに異変を感じても、気が付けば彼女たちは自分の言葉に耳を傾けることをしなくなっていた。
 主の怨嗟、ヴォルケンリッターからの罵り、それらに耐え切れなくなってリインフォースは何もしなくなった。
 忘却がヴォルケンリッターの防衛行動なら、リインフォースのそれは諦観だった。
 それが改変された末の夜天の魔導書の姿だった。

「だが……それでも今回の蒐集は違っていたはずだ!」

「何が違うものかっ! お前たちはいつものように暴れただけだ! お前たちが主を救ったんじゃない!?」

「っ……何もしなかったお前がそれを言うか!?」

 痛いところを突かれたシグナムは拳を振り上げる。
 三度目の衝撃を受けるが、今度はリインフォースも黙っていなかった。

「一度も過去を振り返らなかったお前たちが偉そうなことを言うなっ!」

「がっ……」

 言葉と共に硬く握り締めた拳をシグナムの頬に叩き込む。
 掴んでいた胸倉は放されて、二歩三歩たたらを踏んでシグナムは顔を押さえ、睨んでくる。

「リインフォースッ!!」

 声を上げて殴りかかるシグナム。
 よける考えはなく、リインフォースはそれを受ける。
 のけぞり、倒れないように踏ん張りながら今度はリインフォースが拳を振る。
 シグナムはそれをよけようともせずに受けて、受けたまま拳を振った。

「くっ……」

「おおっ!」

 シグナムは腰に差してあるレヴァンティンを外し、地面に突き立ててから迫る。
 大振りの拳にカウンターを合わせてリインフォースの拳が先にシグナムを捕える。
 技術も駆け引きもない、相手の拳をよける意識もなく、二人は互いに拳を交換し合う。
 今まで内に溜めいていた膿を出すように、不器用な二人は言葉ではなく拳をぶつけ合う。

「はっ……何が壊れかけだ……十分に戦えているじゃないか」

「ふっ……お前が剣もなしにここまで戦えるなんて初めて知ったぞ」

 気が付けば、殴り合いながら笑っていた。
 思えばこんな風に本音を吐き出して、殴り合うなんて初めてだった。

「おおおっ!」

「はあああっ!」

 互いの拳が互いの頬にめり込み、二人は大きく仰け反ってそのまま大の字に倒れた。

「はあ……はあ……はあ……」

 荒くなった息を吐きながら、結界に覆われた空をリインフォースは見上げる。
 顔を始めとした殴られた個所が熱を持ってうずく、そして全身がだるく重い。
 しかし、不快感はなかった。
 胸の大きなしこりが取れた爽快感。身体の倦怠感も心地よく感じる。

「…………すまなかった」

「シグナム?」

 不意に告げられた言葉にリインフォースは上体を起こす。
 シグナムは大の字に寝そべったまま、続ける。

「私はお前も私たちと同じ考えで同じようにものを見ていると思っていた……
 だが、お前は私たちが目を逸らしていた未来を見ていたんだな」

「……謝る必要はない。お前の言った通り、私は全てを知っていて何もしないことを選んだのだから」

 そして防衛システムの思うままにさせて悲劇を繰り返そうとした。
 リインフォースは息を整えて立ち上がる。
 頭はクラクラとするが、それを押さえてしっかりと二本の足で立つ。

「だから……主はやて……私を今度こそ消して下さい」

 背筋を伸ばし、たたずむはやてにリインフォースは向き直った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「だから……主はやて……私を今度こそ消して下さい」

 シグナムと殴り合いをしたリインフォースは今までにない強い顔でそう言った。

「リインフォース……どうして……」

 急いでアースラから降りてきたら、シグナムとリインフォースは別れた丘で殴り合っていた。
 ラグナロクを撃ち込んで止めようと思ったが、二人があまりにも楽しそうに喧嘩をしているのでできなかった。
 リインフォースが誰にも言えず溜め込んできた本当の気持ち。
 それを見せられていた気がした。

「私は貴女の家族を殺しました」

「でも、それは……」

 それに前はソラが殺したと答え、リインフォースは悪くないと言った。
 しかし、今は同じ言葉を言うことはできなかった。

「いいえ……私が殺したんです」

 言い淀むはやてにリインフォースは首を横に振る。

「彼が感じた怒り、悲しみを糧にして私は彼の思いを晴らすことを言い訳にして……貴女達の両親を殺したんです」

「リインフォース……」

「そして私は今回も同じことを繰り返しました」

「え……?」

「私は高町なのはとフェイト・テスタロッサを殺そうとしました。
 それを貴女が本当に望むはずがないと分かっていても……私はそれをやったんです」

 状況は良く似ていた。
 家族に捨てられた事実を突き付けられた彼と、家族を奪われた自分。
 制御できない怒りと悲しみ。
 それがリインフォースを動かす切っ掛けになり、暴挙に走らせた。

「防衛プログラムがやったことなんて言い訳でしかありません」

「でもそれやって……あの人が強かったら――」

「そんなこと言ってはいけません……主はやて」

 言いかけた言葉をリインフォースが止める。

「弱いことが罪ならば一番責められるべきなのは私です」

「せやけど……せやけど……消えれば許されるなんておかしいやないか」

「ですが私にはこれしか償う方法は思いつきません」

 少し前の自分なら管理局のお仕事をしっかりとやると言っていただろう。
 しかし、それでは誰も納得しないことをはやては見せつけられた。

「でも……リインフォースが消えたら闇の書の残滓はどうなるんや?」

 せめて少しでも引き止めようとはやてはそれを指摘する。

「闇の書の欠片は私に集めます。闇の書の闇を構築する基体として私の身体は最適です……
 おそらくすぐに集まってきます」

 意思は固いのか決してリインフォースは折れようとしない。

「……ずるい……結局リインフォースは逃げてるだけや」

「それも分かっています……ですが私の存在は不幸を招くことしかありません」

「そんなこと――」

「そこまで理解していてくれるなら話は早いね」

 はやての言葉を遮って第三者、クライドの声が響いた。

「君の存在は害悪にしかならない……ソラのために君には消えてもらうよ」

 青いスティンガーブレイドを手にたたずむその姿にはやては思わず息を飲む。

「ちょ待って――」

「待つのは君の方だよ」

 背後から顔の横に剣を突き付けられてはやては固まった。

「闇の書の騎士も動かないでもらおうかな」

 仮面の男の声がシグナムを止める。

「何で……クロノ君のお父さんとあなたが……」

「別に仲間になったわけではないよ。ただ目的が同じだけ」

「目的って……何でリインフォースのことを消そうとしとるんや!?」

 二人ともリインフォースの存在に見向きもしなかったはずなのに、結託して刃を向けている理由がはやてには理解できなかった。

「状況が変わったんだよ……今、彼と戦っている構築体……彼女は彼を殺す」

「殺すってソラさんは死なないはずや」

「そうだね……でも身体は死ななくても心は殺されてしまう……
 相手は正真正銘の化物……十二年前、どうやって彼女を蒐集したのかは分からないけどまともに相手ができるような相手ではないよ」

「だからリインフォースを消して、構築体も消すゆーんか?」

「可能性は低いけど試してみる価値はあるでしょ?」

「そんなっ!」

 思わずはやては激昂する。
 歩の悪い賭けでリインフォースの可能性を摘み取るその所業は到底許せるものではなかった。

「リインフォース逃げてっ!」

 叫ぶがリインフォースは動かない。
 むしろ、まるでその罰を甘んじて受けるかのように率先して自分から闇の書の欠片を集めるための魔法陣を広げる。

「ははは……流石はヤガミ家の第一子……彼のことなんてどうでもいいか」

「そ……それとこれとは話が違うやろ」

 痛烈な皮肉にはやては何とか言い返す。

「いいや同じだよ。彼と彼女の戦いは一秒さえも惜しい……いやこう言った方が分かりやすかな?
 闇の書の意志を救うということは、彼を見殺しにするっていうことなんだよ」

 直接的な言葉にはやては言葉を失う。
 言葉に含まれている真剣さはとても嘘を言っているようには思えない。

「でも……」

 不意に突き付けられていた剣が引かれる。
 キンッと鞘に納める音が鳴り、背後の気配がわずかに離れる。

「そこまで言うなら好きにすればいい」

「え……?」

「どちらを生かしてどちらを殺すか、君が決めるといい」

 突然そんなことを言われてはやては困惑する。

「ほら、早くしないとクライド・ハラオウンが君の闇の書の意志を消しちゃうよ」

 けしかけられた言葉にはやてはゆっくりと杖を構え、そこで止まる。
 何もしていないのに息が荒くなって、杖を握る腕が震える。
 クライドははやてを一瞥したが、すぐにその厳しい目をリインフォースに戻す。

「言っておくけど、闇の書の意志を君たちが救える可能性も限りなく零に近いよ」

「う……」

 リインフォースを救うためには同系統の魔導書が必要になる。
 しかし、唯一協力的なアサヒの説得はまだできていない。
 彼女の協力がなければリインフォースは残滓事件が解決すると同時にまた消滅する。
 それでも彼女を助けられる可能性は零ではない。
 それでも――

「どうしたの? 何で躊躇うのかな?」

 はやての葛藤を見透かしたようにピエロは笑う。

「彼は君の大事な大事な家族を踏みにじった欲におぼれた主だよ……それに君の両親の仇でもある……
 血の繋がりにだって気にする必要はない……どうせ彼だって君のことは妹だなんて思ってないしね」

 選択を迫られる。
 リインフォースか、ソラか。
 血の繋がりはともかく、誰かの犠牲を強いることそのものに激しい抵抗を受ける。
 彼らが戦っている場所で大きな魔力の高まりを感じ、戦闘が激化していることを察する。
 今、彼が対峙している相手は彼が姉と慕っていた、いわば育ての親。
 そんな相手と戦うことを強要される重圧がどれほどのものか想像できない。

 ――リインフォースを守らないと……わたしは夜天の主なんやから……

 自分に言い聞かせるが、強張った思考のせいで魔法の構築が遅い。
 はやてにとっては血の繋がりよりも今の家族の方が大事だった。
 そのことはリインフォースの懺悔を聞いても変わらない。
 しかし、どうしても割り切ることができなかった。

「わたしは…………わたしは……」

 迷っている内にリインフォースの魔法が完成する。
 展開される魔法陣とリインフォースに引き寄せられる感覚。
 不意にガサリと茂みが揺れる。
 そこから人型のアルフやクロノ、見たことのない魔導生物が次々と現れる。
 おぼつかない夢遊病のような足取りで彼らはリインフォースに集まっていく。
 その先頭がリインフォースが展開する魔法陣に触れたかと思うと、その姿を魔力の粒子に変えてリインフォースに吸い込まれた。

 ――あかん……止めないと……

 余計な考えを忘れて砲撃魔法をチャージする。
 あとは引き金を引くだけのところまで魔法を完成させるが、そこでまた躊躇が生まれる。
 だが、リインフォースの魔法を破壊する魔法は放たれた。
 上空から降り注いだ金色の砲撃がリインフォースの目の前に着弾し、その衝撃が儀式を中断させる。

「フェイトちゃん!」

 溜め込んだ緊張を息と共に吐き、それを行ってくれた友達に感謝の念を抱く。

「何のつもりだい?」

 責めるわけではない。それでも硬く厳しい声にはやては怒られたような気がして首をすくめた。
 それはフェイトも感じたのか、気押された素振りを見せながらも気丈にクライドと向き合う。

「リインフォースを消すことは待ってください」

「それはソラがどうなっても良いって言っていると思っていいんだね?」

「違う! そうじゃなくてみんなが救われる方法を探してほしいんです」

「そんなものはない」

 一瞬の逡巡も見せずにクライドは言った。

「そんなの分からないじゃないですか!?」

「確かに可能性を諦めないのは美徳かもしれない」

「なら……」

「だが、結論を先延ばしにすれば唯一の可能性も時間切れで失われる」

 返す正論の言葉にフェイトは言葉を失う。

「誰もが救われる……そんな夢物語みたいな方法があるなら今すぐにここで言ってみろ!」

 クライドの叫びにフェイトは畏縮して首を竦める

「だいたい君はそんななりで何ができると言うんだ?」

 今のフェイトはソラに斬られて左腕がない。それだけではない。
 デバイスはバルディッシュではなくアリシアが持っていた杖を持っているが、フェイトの顔は蒼白だった。
 身体もよく見れば震えている。
 それはクライドに畏縮しているからではない。
 ソラを殺した精神的ショックによるもの。魔法を使うことがフェイトの精神を圧迫しているものだ。。

「だけど……このまま誰かが犠牲になるなんて……見過ごせるわけない」

「だからそれはソラがどうなってもいいっと言うことだ」

「ソラには……アリシアが助けに行ったから、大丈夫……」

「その大丈夫に根拠なんてないだろ……そこをどきなさい……」

 もはやそれ以上の話し合いは無意味だとクライドは魔法陣を展開し、かざした手に砲撃を溜める。

「っ……いやです」

「なら……どうなっても――」

「クラウ・ソラスッ!!」

 横からはやてが砲撃を撃ち込んだ。
 元々、警戒されていたから不意打ちにはならない。
 それでもその一撃ははやての心を決めるものだった。

「シグナムッ!!」

 戦えという意思を乗せてその名を叫ぶ。
 ソラのことを見捨てるつもりはない。かといってリインフォースを見捨てるつもりもない。
 その両方を救うためにはやては動き出した。

「…………無駄なことを」

 飛び立つはやての耳に仮面の男の呟きが響いた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 動いたのは四人同時だった。
 アサヒがクリスタルゲージでソラを囲んだ上で魔弾の雨を降らせ、セラとエレインが切りかかる。
 そしてアリシアが一直線にソラの元に飛んでいた。
 肘から先がブレイドに変化したエレインのブレイドをアオは地面を蹴って避ける。
 間髪入れずにセラが回避行動に合わせて双刃剣を振る。
 アオはそれを小太刀で受け止めてアリシアの視界の中から飛ばされる。

「ソラッ!」

 手を伸ばし、それに合わせるように目の前でクリスタルゲージが砕ける。

 ――このままソラを掴んで離脱……

 三人がアオを押さえている内にできるだけ遠くに逃げる。
 傍から見ていてアオの実力がどれほどなのかはアリシアには計り切れない。
 それでも彼女たち三人なら自分がソラを連れて離脱くらいの時間は容易く稼げると思っていた。
 しかし、背中に衝撃を受け、アリシアは地面に叩き伏せられた。
 身体の内側に響く峰の一撃にアリシアは涙交じりに咳き込んだ。

「うそ……」

 顔を上げて見れば、倒れ伏した三人の姿。
 高い実力の者同士が戦えば決着は一瞬で着くと聞いたことはあるが、本当だとは思わなかった。
 
「貴女……御神の剣に興味ありませんか?」

 不意にアオはそんなことをのたまった。

「なっ……!?」

 その言葉にアリシアは絶句する。
 御神の剣はソラが使う剣術の名前。すなわち彼女から教えてもらったもの。
 今まさにソラを捨てたばかりなのに、それを忘れたようにアオは軽々しく言った。

「何で……?」

「私の理想とする主は大きな魔力を持つことが最低条件になりますから。
 制御能力や、身体能力は後付けでどうにでもできますが、こればかりは持って生まれた才能になるんですよ」

 ――だから、魔力をなくしたソラはいらないの!?

 込み上げる怒りは言葉にならず、その言葉を視線で叩きつけるようにアオを睨む。

「貴女の持っている魔力は私が今まで見て来た中でどの生物も超えるほどの大きなものです。
 その才能を無駄にするのは惜しいですし……その年齢なら御神の技を仕込むのにはいろいろと丁度いいんですよ」

「ふっ……ざけないでっ!」

 屈託のない笑顔で言い切るアオにアリシアは叫んだ。全身から魔力を迸らせて立ち上がる。
 人を殺したいと思うほど憎いと思ったのは初めてだった。

「フォトンランサーッ!!」

 両手を前にかざして作り出したスフィアに魔力を圧縮する。

「へえ……」

 ――もっと、もっと、もっと……

 これまでにない集中力で自分の中の大きな魔力をたった一つのスフィアに押し込める。

「許さない……ソラのこともてあそんで、傷付けて……絶対に許さないんだからっ!!」

 アリシアが望む、つまりはソラが示してくれたフォトンランサーの完成型。
 それこそ「光の速さを持つ槍」を発射の視認と同時に着弾させることを目指す。
 魔力を極限まで圧縮し、術式をより緻密に組み上げる。しかしその普段行う工程をアリシアは捨てていた。
 ただ願う。目の前の女を撃ち砕く力を。

「ファイヤッ!!」

「っ!?」

 一瞬、確かにアオの顔が引きつるのが見えた。
 そして次の瞬間にはフォトンランサーはアオを撃ち抜いていた。
 避ける間、いや身じろぎ一つさせる間も与えず放たれたフォトンランサーはアオを捉えた。
 貫通したランサーは遥か遠くで爆発して衝撃波を巻き起こす。

「やった……」

 確かな手応えを感じ、アリシアは拳を作る。
 しかし――

「すごいですね」

 アオの構築体は砕けることなく顔を上げて、笑った。

「私に『理』の魔法を使わせたのは貴女が初めてですよ」

「そんな……」

 アオの言葉は耳に入らずにアリシアは絶句する。
 今のフォトンランサーは今までの中で最高のそれだった。そして確かに命中した。
 それとも貫通したのが不味かったのかもしれない。
 しかし――

「何で……無傷なの?」

 アオの身体には傷一つない。当たった痕跡さえもなかった。
 もはや何がなんだか分からない。

「っ……フォトンラ――」

 次弾を撃とうと魔法陣を広げるが、スフィアを作り出すより速く、アオは目の前に踏み込んできた。
 作りかけのスフィアを剣が一閃でかき消す。
 そして気が付けば地面に押し倒されていた。

「くっ……放してっ!」

「それはできませんね……あれだけのものを見せられたら逃がすわけにはいかないじゃないですか」

 まじかで見る笑みにアリシアは背筋を凍らせる。

「好みではないですが、洗脳してでも貴女はもらいます」

「洗脳って……」

「大丈夫ですよ。痛くしませんし、貴女の人格は壊しません。私に従順にさせるだけですから」

「まさか……ソラにも……」

 自分のことよりもアリシアは彼のことを尋ねていた。

「ん? あれは口八丁で丸めこんだだけですよ。親に捨てられたのか少し優しくしたら簡単に懐きましたよ」

 ぎりっ……思わず歯を食いしばり、拳を固める。

「あなたは……」

「大丈夫……貴女ならきっと最強になれる……魔導師の頂点に立てます」

 目の前にかざされた手の平で青色の魔法陣が広がる。
 抵抗しようと手足を動かそうとしてもいつの間に細い魔力の糸が四肢を地面に縫い付けていた。

「くっ……この……」

「ふふふ……どんな風に育てようかしら」

 抵抗するアリシアを楽しむように見ながらアオは先のことを考える。
 しかし、唐突にアリシアの目の前からアオは消えた。

「ソラッ!」

 足を蹴り上げた体勢、アオを蹴り飛ばした彼の姿にアリシアは安堵する。
 直前に見た彼の姿は今にも消えてしまいそうだった。
 それがちゃんと立って、自分を助けてくれたことが嬉しかった。

「アリシア……君は下がってて……いや、むしろ結界の外に逃げた方がいいかな」

 不意に四肢の拘束が解かれる。

「早く逃げた方がいい……でないと……君も殺しちゃうから……」

 胸を押さえて苦しげに顔を歪める。
 それは何かを押さえこんでいるようにも見えた。

「ソラ、大丈夫? 一緒に逃げた方が――」

「いいからすぐに消えろっ!」

 怒鳴り声にアリシアは肩をすくませる。

「あらあら……女の子を足蹴にした挙句に怒鳴るなんて最低ですよ……あら?」

 悠々と蹴り飛ばされたアオは立ち上がる。そして首を傾げた。

「ソラ……?」

 遅れてアリシアも気が付く。ソラが纏っている魔力に。

「どうして魔力を……」

 言いながら気が付くソラの中から溢れる魔力にアリシアは胸がうずくのを感じた。
 薄い青い光の魔力。

「ジュエルシード……そんなどうして!?」

 彼の持っていたジュエルシードはフェイトに取られたはず、それを返すことはしていないし暇もなかった。
 アリシアやクライドにとって、知らないもう一つのジュエルシード。
 しかし、隠し持っていたことを咎めるよりもアリシアはその可能性に気が付いた。

「まさか……」

「うっ……ああああああああああっ!」

 その悲鳴は慟哭の様にアリシアには聞こえた。
 ジュエルシードの暴走。
 普段ソラはそれを制御することができる能力を持っているが、それは平常心においての話。
 精神訓練やその境遇から並大抵のことで崩れることのない精神力があるからこその神業だった。
 だが、今のソラの精神は考えるまでもなく不安定だった。
 精神的支柱だったアオへの信頼が崩れた今、ソラの理性と本能の天秤は逆転していた。

「ソラ……」

 光が納まるとそこにはソラが何事もなかったように立っていた。
 目に見えた肉体的な変化はない。
 しかし、服装が変わっていた。
 蒼い装束に所々にある軽防具。まさに騎士服をまとったソラがそこにいた。
 アリシアの方に背を向けているため、その表情は窺えない。

「ソラッ……」

 もう一度強く、その名前を呼ぶ。
 しかし、彼が応えることはなくアリシアの目の前から消えた。
 そして剣戟音が耳に響く。
 正確には数十メートルを一瞬で遠ざかったソラがアオと剣を交えていた。
 アオの剣を力任せに弾いたかと思うと、その姿が消え、彼女の背後に現れて剣を振っていた。
 それに対してアオもまた消える。
 剣を振り切ったソラも同じように消える。
 誰もいなくなった空間に剣戟の音だけが絶えることなく響き渡る。

「これが……青天の魔導書の力か……」

「アサヒ? っ……大丈夫なの!?」

 不意に聞こえた呟きにアリシアは振り返ってみれば、紅く染まった脇腹を押さえたアサヒが壁に背中を預けてそこにいた。

「傷口はふさいだ……それよりも……」

 アサヒは視線を右に左にと動かす。

「見えてるの?」

「かろうじてだ……それも俯瞰していられるから分かる程度だ」

「ねえ……青天の魔導書って何なの!? アサヒやセラと同じなのにどうしてこんなに強いの?」

 素人のアリシアの目から見ても青天の魔導書の力は他の二書を凌駕していた。
 そもそも、フェイトを始めとした高ランクの魔導師たちを一蹴してきた二人をこんなに簡単に落とすことができることが信じられなかった。

「青天の魔導書は……十二の魔導書の中で唯一『神』の領域に手をかけた魔導書だ」

「それって……天空の魔導書の中で一番って言うこと?」

「その通りだ……ただ技術を確立させてもそれを使える者がいなかったらしい……
 『神』の魔法を使うのに必要な魔力と制御能力、それは人の領域では決して到達できない高みだった」

 傷が痛むのか、アサヒは顔をしかめながら続ける。

「これは推測になるが、青天はおそらく使える者がいないなら作ればいいと考えたのだろう」

「それがソラ……」

 呟くと同時に目の前で火花が弾け、二人が鍔競り合う形で現れた。

「あは……さっきの言葉、撤回して上げます」

 歓喜にアオが笑う。

「しっかりと魔導の頂点を極めてるじゃないですか」

 その言葉を聞いてアリシアは胸が痛くなるのを感じた。
 ソラの高速演算による術式解体能力。
 その付随する制御力よって今、莫大なジュエルシードの力は制御されて攻撃に転換されている。
 それはアオが求める制御能力の頂点とも言える技術。
 魔法が使えなくなったソラがそれでも望み、膨大な時間と努力を積み重ねて作り上げた力。
 その全ては彼女のためにだったはずなのに、彼女から賞賛の言葉を貰っているのにそれを祝福することができなかった。

「それにロストロギアの恩恵を受けているとはいえ、『神速』の領域に辿り着くなんて」

 惜しみない賞賛の言葉にソラは反応を示さない。それでもアオは言葉を続ける。

「本当に惜しいですね……
 でも安心してください。貴方のことはちゃんと隅から隅までちゃんと解析して上げますから」

 アリシアは思わず吐き気を感じて口を押さえた。

「最高の試験データに最高の実験体……なんて幸運なんでしょう」

 恍惚の笑顔に狂気を感じる。
 そしてその標的が自分であることに寒気を感じずにはいられない。

「貴方の力は十分に見せてもらいました……だから、もういいですよ」

 次の瞬間、鍔競り合いの体勢のまま、ソラの脇腹が弾けた。
 たたらを踏み、後退するソラにアオは追い縋り、剣を振る。
 ソラはそれを光剣で受け止めるが、今度は太股が弾けた。

「何でっ!?」

「剣戟の瞬間に指を起点にして魔弾を撃ち込んでいる。だが、デタラメ過ぎるぞ」

「そうなの?」

「極小の弾丸の精製が難しいことは君も知っているだろ? なにより今のソラの騎士服を貫通する魔弾を剣戟の威力を落とさずに並行させているんだぞ!?
 しかも連続で……あんなの人間業じゃない!?」

 襲う剣戟を受けても、かわしても一振りされる度にソラの身体は血で染まっていく。
 しかし、いくら傷付いてもソラの動きは鈍くならない。

「その身体……なるほど、あれを使ってるんですか」

 ソラの不死性に気が付いたアオは歓喜の笑みをより強くする。

「本当に……私を喜ばせてくれますね貴方は」

 アオは半身になって右手を弓を引くように後ろに引き絞る。
 その構えを見てソラもまた構えを変える。
 同時にアリシアの目から二人の姿が消え、アオの剣に胸を貫かれ壁に張り付けにされたソラを見た。

「うそ……」

 魔力をその身体に漲らせたソラが呆気なく負けた。
 その事実が信じられなかった。

「ぐっ……あああああああああっ!」

 それでもソラは戦意を失わずに剣を素手で掴み、引き抜くために押し返す。

「ブラスト」

 アオの呟きとともにソラの身体から青い魔力の光が弾けた。
 内側から叩き込まれた魔力衝撃にジュエルシードの魔力は弾け、ソラは力を失って崩れ落ちた。

「ちょっと待っていてくださいね」

 それだけ言ってアオは振り返る。

「ひっ……」

 向けられた視線にアリシアは短い悲鳴を上げる。
 アサヒがアリシアを隠すように立ちふさがる。

「死にたくなかったら邪魔しないほうがいいですよ」

「アリシア・テスタロッサ……君はすぐに結界から出ろ。
 どれほどあれが化け物でも今は構築体だ。結界の外までは追えないはずだ」

「でも、ソラが……それにアサヒは?」

「いいから行け!」

 アサヒが叫んだ瞬間、アオが動く。
 同時に血色の魔弾が降り注いだ。
 上空の魔法陣の上に立ち、シールドの上下に二門ずつの長い銃身を持ったダブルガトリング砲を両手に構えるエレインの姿。
 高速に回転する銃身から吐き出される弾丸の数は数えきれない。
 その一発一発にカートリッジが使われているのか、おびただしい量のカートリッジが魔弾に負けず劣らず降り注いでくる。
 アオの姿が消える。
 しかし、その動きが見えているように弾丸の雨は動き、その前にあるものを蹂躙し尽くす。
 不意に銃撃が止まり、エレインが無造作にダブルガトリングを振り回した。
 鉄塊の一撃。
 超重量のそれとそれを軽々と振り回すエレインのパワーから考えればそれは十分な凶器となる。
 しかし、振り切られたガトリングは銃身を半ばから断たれていた。
 エレインは素早くそのガトリングを投げ捨て、残ったガトリングでそれを撃ち爆散させる。
 わずかに見えたアオの姿にエレインは再度ガトリングを唸らせ、空いた手に新たな武器を出現させる。
 銃身の短いそれは拡散砲。
 広範囲にばらまかれた光線が無秩序な破壊をもたらす。
 そして――

「光の中に……消えろ」

 戦場に響くセラの声。

「シャイン・スパークッ!!」

 光が視界を覆い尽くした。
 熱光波とそれに伴う衝撃。
 それが広域殲滅の魔法だと分かって、アリシアは自分の身を守るだけで悲鳴を上げることもできなかった。

「うわ……」

 身体を揺さぶる衝撃と瞼を閉じていてもまだその残光を残しチラつく視界の中には何もなかった。
 市街地の中にぽっかりと空いた空白地帯。
 周囲の建物が跡形もなく焼き尽くされている光景に思わずゾッとする。

「でもこれなら……」

 周囲を回す。傍らにはアサヒが。そしてクリスタルゲージで守られたソラが少し離れた所で倒れている。
 上空にはセラとエレインの姿。
 他には誰もいない。
 アリシアは安堵の息を吐いて、座りこもうとした。
 直後、アサヒがすごい勢いで振り返り、手を突き出した。
 思わず身構えるが、アサヒの手はアリシアの顔のすぐ横を通って何かを掴む。

「捕まえたぞ」

 不敵に笑ってアサヒはアオの手と自分の手をアルケミックチェーンの鎖で繋ぐ。
 もはや呆れるしかない。
 あれだけの攻撃を受けてさえ、アオには健在だった。

「はあ……いい加減鬱陶しくなってきましたよっ」

 鎖が繋ぐわずかな距離を詰めてアオの拳が唸る。
 アサヒはそれを左手でいなして、右の拳をアオの鳩尾に叩き込む。

「くっ……」

 初めて苦悶をもらし、アオは右の小太刀を振る。
 不自然に軌道を変えた一閃はアサヒが構えたナイフをすり抜けた。と思った瞬間、ずらされたナイフに止められた。

「貴様の防御をすり抜ける剣はもう通用しない」

「へえ……もう『貫』に対応するなんて貴女もなかなかやりますね」

「稀少技能『先見』……わずか数秒だが、ほぼ確実な未来を見ることができる」

「それはまたレアな能力ですね……でも」

「くっ……」

 振られる刃をアサヒはナイフで止める。が、受け切れずにナイフがその手から弾かれる。
 返す刃にアサヒはラウンドシールドを掲げる。が、刃と盾が衝突した瞬間、アサヒの身体が殴られたように傾いた。

「まだまだ……」

 アオは鎖を引き、アサヒを引き寄せる。
 そのまま小太刀を横に薙ぐ。アサヒの盾がそれを阻む。

「がはっ……」

 しかし、受け止めたはずの斬撃を受けた様にアサヒは崩れ落ちた。

「これは『徹』っていう技術です……元々は鎧の中に衝撃を打ち込むものですが、空気を伝導体にして衝撃を飛ばすこともできます」

 アオは倒れたアサヒに説明するように言ってから、鎖を小太刀で断ち切った。

「さて……まだ邪魔をしますか?」

 その言葉を向けられたのはセラとエレイン。
 エレインは無表情、セラは顔をしかめて、それぞれの武器を構えているがその言葉に応えなかった。

「もちろん、邪魔させてもらいます」

 アオの言葉に応えたのは第三者、いや当事者のソラの声だった。
 傷付き倒れたはずの彼は何事もなかったかのように悠然と立って、笑っていた。

「貴方は……」

 流石にアオは不信な目で彼を見る。
 騎士服は消え、元の服に戻っている。当然、その身体に魔力はない。
 それでも破れた服の隙間から見える身体には傷はない。
 不信はアリシアも同じだった。
 アオを前にしているのに彼は何事もなかったかのようにいつもの彼だった。
 軽薄でいつもと変わらない力の抜けた笑顔。
 なのにそこに強烈な違和感を感じる。

「二重人格じゃなくて多重人格だったんですね、貴方は」

「当たらずしも遠からず、と言っておきますかね」

「それで……貴方がその中で一番強いんですか?」

「いえいえ……一番弱いですよ」

「戯言を言わないでください……貴方は先の二人なんかよりもずっと強い。
 御神に近い体術。魔導の極致の制御能力、次は何を見せてくれるんですか?」

「悪いですが……悠長に話している暇はないんですよ」

 ソラは光剣を構えて、腰を低くする。

「つれないこと言わないでください。
 貴方は私が育てたんですよ。ならその成長を確かめる権利があるはずでしょ?」

「見たいのなら御自由に……ただ一瞬で終わると思いますけど」

「そう……」

 アオは半身になって剣を構える。
 ジュエルシードを使ったソラを倒した時の構え、思わずアリシアは叫んだ。

「ダメッ! 逃げてソラッ!!」

「大丈夫ですよ、アリシア」

 自信に満ちた言葉が返され、目の前からアオの姿が消えた。
 対するソラの姿はアリシアの目に見えたまま。

「っ……」

 先程と同じ光景を脳裏に想像してアリシアは思わず顔をそむける。
 その目の前に飛んできた小太刀が地面に突き刺さった。

「え……?」

 半ばから断たれた腕は空間に砕けるように解け、それは小太刀にまでおよぶ。
 視線を二人に戻すとアオが両腕を切り飛ばされ、さらに背中に光剣を突き立てられた倒れていた。
 その身体はすでに崩壊を始め、ほどなくして完全に消滅するだろう。

「そんな……ありえない……わたしの理論は完璧だった……あと少しで……私は――」

「生憎ですが、貴女なんかにこの子を壊させるわけにはいかないんですよ」

 ソラは光剣を一閃させ、アオの構築体を完全に破壊した。
 あれだけの猛威を振るい、暴虐を尽くした青天の魔導書の構築体は呆気なく消えた。
 あっさりとソラはもっとも大切だった人の残影をその手にかけた。
 
「さてと……」

 血振るいするように光剣を振ってソラは振り返る。
 アリシアは思わず身構えた。

「初めましてって言うべきなんですかね? 私のことはソラスリーって読んでくれていいですよ」

 ニコニコと普段のソラと同じ笑い方をするが、それは違和感をより強く感じさせた。

「違う……」

「はい……?」

「違う……あなたはソラじゃない…………あなたは誰なの?」

 ソラの別人格と言われたが、反射的にアリシアは叫んでいた。
 目の前のソラの顔をした誰かは別の人格というよりも根本的な何かが違う気がした。
 もちろん、ただの勘でしかない。しかし、それを肯定するようにソラ――誰かは頷いた。

「よく分かりましたね」

 言葉と共に浮かべた笑みをアリシアは知っていた。
 ソラのものではない。それでも見たことのある笑い方。
 それがどこで見たのかを思い出すよりも早く、彼女は告げた。

「私の名前はアオ」

「え……? それは……」

「青天の魔導書の管制人格。夜天が作り出した偽物なんかではない本物ですよ」

 ソラの口から信じられない言葉が紡がれる。
 アリシアの理解が追いつく前に彼女の言葉は続く。

「いろいろと省略しますけど、ソラに私は殺されちゃったんですよね」

「えっと……そんなにこやかにしかもあっさり言われても困るんだけど」

「その時にこの子の身体にもぐりこんだんですよね」

「もぐりこんだって……」

 アリシアの頭に一つの考えが過ぎる。
 ソラの失った魔法資質、融合騎との融合失敗。

「まさか……ソラが魔法を使えないのはあなたのせい?」

「さあ……どうでしょう……ふふふ……」

 妖しく笑う顔にアリシアは彼女を敵として認識する。
 同時に彼女の構築体が言った言葉を思い出す。

 ――この人はソラをモノとしてしか見てない。

「教えて……偽物が言ってたことは本当なの? 本当にあなたはソラのことをあんなふうに思ってたの?」

「いえいえ……まあ確かにあんな考えもありましたが、今はそんなことありませんよ」

 その言葉にアリシアは安堵の息を吐いた。
 構築体はその人の闇を映している。フェイトの構築体と戦った経験とフェイトとの衝突を経て、偽物の言葉が全てではないとアリシアは理解していた。
 しかし、続けられた言葉はその安堵を否定するものだった。

「だって、ここまでできたこの子をこのまま捨てるなんて勿体ないじゃないですか」

 興奮した様子でアオは熱弁を振る。

「魔法資質を失ったのにそれを補うためのハッキング技術を身につけて、ついこないだには対フェザリアン戦から逆変換技術を完成させるなんて……
 それもたった十数年で実用化させたんですよ、この凄さ分かります?」

「何それ……結局ソラは実験動物ってことなの!?」

「貴女たちに非難される筋合いはありませんよ」

 悪びれた様子も見せずにアオは言う。

「私はこの子が望むものは全て上げました……
 家族の愛情、戦う力、笑い合える友達……打算があったことは認めますが、それでも私は真面目にこの子を育てました」

「だからって何をしてもいいってことじゃないでしょ!?」

「それなら貴女達はこの子に何をしましたか?」

「え……?」

「何も知らずに許さないと責め、殺すと息巻いて、管理局に襲われても助けようとさえしなかった」

「それは……」

 アオの指摘にアリシアは口ごもる。

「この子の人と思っていないのは貴女達も同じじゃないですか」

「違う! そんなことない!」

「口では何とでも言えますよ」

 切って捨てる物言いにもはや黙るしかない。

「でも、流石にやり過ぎだとセラは思うわ」

 会話を引き継ぐようにセラが話し始める。

「他人事のようにしてますが、北天の行いに加担していた貴女達も私と同じですよ」

「そ……それはセラに関係ないわ!」

「…………別にいいですけどね」

 興味がなさそうに冷めた視線をアオはセラに送る。
 それに気押されながら、なおもセラは言葉を続ける。

「だいたい……あなたの真実を知ってお兄さんは壊れちゃったのはどうするつもりなの?」

「心配には及びません……壊れたなら作り直せばいいだけの話ですから」

 セラの質問にアオは即答を返す。

「不思議に思いませんか? 世界の全てが敵で、命を狙われ続ける毎日を送って来たのに歪まず、狂わず、壊れなかったことを」

「それは……まさか……」

「そう……私がその度に壊れた心を直してきました」

 時には悪夢で罪の意識を刺激し、時には幸福な夢で希望を思い出させる。
 そうやって生き方を矯正し、ソラを生かし続けて来たとアオは言う。

「…………何……それ……?」

 偽物を前にした時以上の怒りをアリシアは感じていた。
 吐き気をもようす主張は幼いアリシアでもそれがどれほど醜悪なのか理解できる。

「ソラは……ソラは必死に生きてた……それなのに……」

「貴女達は勘違いしていますが……」

 叫ぶアリシアに対してアオはさらなる言葉を重ねる。

「『ソラ』は人間ではなく兵器ですよ」

 その言葉でアリシアの我慢は限界を超えた。

「フォトン――」

 叫びと同時にフォトンランサーのスフィアの準備はできていた。
 しかし、次の瞬間アリシアは頭を掴まれて地面に叩きつけられた。
 衝撃に意識が一瞬飛ぶ。構築したスフィアが霧散して消える。

「貴女は一応この子のお気に入りなんですから大人しくしていてください」

 耳元で囁き、アオは離れる。

「な……何を……するつもりなの?」

「そうですね……とりあえずは高みの見物をしているお子様な騎士に落とし前をつけようかと思います」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



『そうですね……とりあえずは高みの見物をしているお子様な騎士に落とし前をつけようかと思います』

「っ……!?」

 空間モニター越しに目が合い、ヴィータはすぐさま逃げる体制を取った。

「何処に行くつもりですか?」

 しかし、あろうことか背中に誰かが触れる感触があった。
 同時にかけられた言葉はモニター越しに聞いていたソラの声を使ったアオのもの。

「そんな……どうやって……」

 様子を見て、勝った方の消耗をついて無力化する。
 それがリンディに指示されたことで、そのために距離は十分に取って観察していた。
 それだけの距離を一秒もかけずに移動するなんてフェイトのような高速型の魔導師でも不可能だ。

「それは企業秘密ですよ」

 にこやかに笑うが、その笑いを含んだ声に寒気を感じずにはいられない。
 人を徹底的に道具として扱い、そのために吐き気を感じるほどの非道を行った者。
 ヴィータが知る限り、最低最悪の存在。

「てめーは……」

「貴女達にも非難される筋合いはありませんよ……元々、使い捨てたのは貴女達でしょ?」

「くっ……」

 反論の言葉は浮かばない。
 うるさいと耳を塞ぎ、グラーフアイゼンを振り回したかったが、迂闊な行動はできない。

「さてと……十二年前はよくも蒐集してくれましたね」

 ずぶりと背中に腕がもぐりこむ。
 手はヴィータの中でリンカーコアに触れる。

「おかげで私はこの子に殺されたりと大変だったんですよ……
 でも……そのおかげでこの子を殺人兵器にできなかったのは幸運だったかもしれませんが」

「な……んだと……?」

 身体の中にある汚物の不快感を押し込めて、ヴィータは聞き返す。

「私の育成計画ではあんな技能を習得する予定はありませんでしたから……おかげで新しい道が見えました」

「ふっ……ざけん――んぁっ!?」

 激昂しようとしたが、リンカーコアを撫でられて思わず声を上げる。
 心臓を鷲掴みにされているような言いようのない感覚が身体を震わせる。

「この子のリンカーコアを取り戻す方法もありますし……喜んでいいですよ。
 貴女達は最高の魔導師を作り出す手助けをしてくれたのですから」

「……リンカーコアを取り戻す方法?」

「ええ……元は貴女達の技術ですが魔力を集め、コアを精製する。始めからこの子のものとして調整すれば問題なく移植できるはずです」

「おい……あ……くっ……それってまさか……」

「そう『蒐集』です」

 その言葉にヴィータは息を飲む。

「てめー……本気か……?」

「本気ですよ……この子の魔法資質を取り戻すためなら有象無象が何百、何千死んだってかまいません」

「そんなことをすれば……管理局が……黙ってるはずないだろ……?」

「むしろ歓迎です……この子にはもっと戦ってもらわないと……もっともっと戦って殺し合う、それはこの子の進化の糧になる」

 ヴィータは理解する。すでに分かっていたことだが改めて青天の魔導書の狂気を理解する。
 同時に安堵と、自分たちが正しかったと確信を得る。
 断片的に思い出した十二年前の出来事。
 主の傍らにいたこの女を自分たちは排除しようとした。
 自分たちを差し置いて主の絶対の信頼を受け取っていた彼女に対して不信感を抱いていた。
 そして、それが正しかったと証明された。

「では……まずは貴女からコアをもらって、同時に管理局への宣戦布告とさせてもらいます」

「や……やめっ……ああっ!」

 やばいと思ってもどうすることもできない。
 プログラム体であるヴォルケンリッターのリンカーコアの消失は死と同意になる。
 突き付けられた死の恐怖と、想像を絶する蒐集の痛みにヴィータは悲鳴を上げる。

「ダメーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 アリシアの声が響き渡り、視界が青白く染まる。

「なっ!?」

 背後から取り乱した声が耳に響く。
 同時に飛び退いたのか、背中から腕は抜かれる。
 そして青白い光が二人を包む。

「くっ……」

 苦悶の表情を浮かべてアオが膝を着く。
 その唯一絶好のチャンスをヴィータは見逃さなかった。

「おおおおおおおおおっ!」

 力任せに振ったグラーフアイゼンがアオが上げた左腕を捕える。
 確かな手応えを感じ、そのまま振り抜く。
 弾く様に殴り飛ばしフェンスに叩き付け、さらに追撃をかける。

「調子に乗らないでくださいっ!」

 ヴィータの突撃に対して、アオは四本のナイフを投げる。

「っ……」

 一瞬の躊躇い。
 ソラのウイルス攻撃のことを思い出す。
 回避する。しかし畳みかける絶好のチャンスを見送ることになる。
 盾で弾く。クラッキングで無効化されるかもしれない。
 グラーフアイゼンで防ぐ。隙をさらすことになる。

 ――あ……やばい……

 慣れない異常者との戦闘によって反射的な行動が遅れた。
 ナイフはすぐ眼前に、防御も回避も間に合わない。
 ヴィータは腹を決めて、痛みに備えて歯を食いしばる。
 しかし、朱の魔弾が四つのナイフを正確に撃ち抜いた。

「よしっ!」

 的確なサポートに感謝の念を抱きながら突貫する。
 アオの左腕は先程のグラーフアイゼンの一撃で在らぬ方向に折れている。
 不死の再生能力がどれだけの早さで行われるか分からないが、攻めるには十分な時間だった。
 片腕ならいけると、根拠のない自信を持ってヴィータはグラーフアイゼンを振る。
 光剣の刃を作り、斬り結ぶ。
 その瞬間に朱の魔弾がアオの足を撃ち抜いた。
 バランスが崩れた所にさらに力を込めて光剣の刃を砕く。

「もらったっ!!」

 返す一撃に合わせてカートリッジをロード。
 一際大きい魔力を込めた一撃を完璧なタイミングで打つ。

「な……?」

 無造作に投げられた拳大の玉にヴィータは目を奪われる。
 迎撃のためのものではない。勢いのない、ただ放ったそれはゆるやかな弧を描いてグラーフアイゼンのヘッドに当たった。
 振り抜く。
 人体を捉えた鈍い衝撃に手応えを感じるが、同時に玉から赤い煙が弾けた。

「っ……うああっ!? 目……目がっ!?」

 手応えの余韻を感じる間もなく目と喉に灼熱感を伴う痛みを受ける。

「う……うう……ゴホッ……」

 ――毒ガス……こんなもんまで!

 赤い煙がなんであるか察してももはや遅かった。
 目からはおびただしいほどの涙が流れ、開けていることさえできない。
 喉は焼かれ、呼吸困難に陥る。新鮮な空気を求め、身体が勝手に息をするがそれで余計に赤い煙を吸う悪循環に陥る。

「ヴィータちゃんっ!!」

 唐突に風が身体を叩いた。
 それを受け止め切れずにヴィータは倒れる。

「シャ……マル……」

 かすれた声で手を彷徨わせる。
 すぐにその手は取られて、声がかけられる。

「しっかりしてヴィータちゃん……すぐに解毒するから……クラールヴィント、ガスの成分を調べて」

「も……もう……だめだ……息が……苦しい……」

 これまでの無力化結界「静寂の世界」とウイルス弾のことを考えれば、これも対闇の書の武器だったのだろう。
 プログラム体である自分に通常の毒物は意味をなさないのに、これほどのダメージを受けたことを考えればおそらく致命傷だろう。

「ゴホッ……いやだ……死にたくねーよ……」

 身体の内側を焼く灼熱感よりも身体に寒気を感じる。

「大丈夫……大丈夫だから……クラールヴィント、急いで」

 ――こんなところで死にたくない……

 まだ、やりたいことは沢山ある。
 まだ、償わなければいけないことは沢山ある。
 まだ、はやてが自分の足で立つところさえ見届けていない。
 未練は数えきれないほどある。
 だが、身体を蝕む熱は一向に消えない。

「はっ……はっ……はっ……くそっ……こんなんで……消えてたまるか……」

 しかし、閉じた瞼の暗闇に、現出してからの日々が走馬灯のように映る。

 ――こんなもん見せんじゃねーよ……

 気丈に心を保っても、どこかで、これが報いか、と感じている自分がいる。
 数多の主を使い捨てにし、数多の命を闇の書にささげた行い。
 死罰を持って償えと、前の主と前の蒐集対象に言われとようにさえ感じる。

 ――それでも……あたしは死ぬわけにはいかねーんだよ……

 歯を食いしばって痛みに耐える。
 様々な未練、危険にさらされているはやてを置いて逝くこと、自分が消えることで悲しむはやてを思って挫けそうになる心に活を入れる。

「ヴィータちゃん……お願いだから諦めないでね!」

 シャマルの必死な声に、言葉なく頷く。
 もはや意地だけで灼熱感の痛みに耐える。

「早く……早く……早く……きたっ!」

『ガス成分解析完了……赤とんがらしと白コショウです』

 待ちに待ったクラールヴィントの声を聞いて……世界は止まった。

「……………………」

「……………………」

「……………………水……持ってくるわね」

「……………………おう」

 しゃがれた声でヴィータは気まずそうに返事をした。

「あ……あいつ……は……?」

「えっと…………逃げられちゃったみたい……」

 シャマルの言葉にさらにその場の空気は気まずいものになった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あ……」

 むせ返るほどに濃い血の匂い。

「ゴフッ……」

 自分を庇ってくれた人の口から溢れた血が顔にかかる。
 治癒魔法を使うことを考えることもできず、はやては呆然とするしかなかった。

「クライドさん……」

 血の滴る目の前の顔は先程まで戦っていた相手。
 シグナムとフェイト、そして自分の三人がかりでも押されていた強者は今力なくはやてに寄りかかっている。

「それじゃあ闇の書の意志はもらっていくよ」

 軽い調子の声で仮面の男は言った。
 右手には真っ白な刃の剣。
 左手には魔力の鎖がリインフォースを絡め取っていた。

「何で…………?」

 選択を任されたと思っていた。
 すでに彼には戦意はなく、ただの観客だとはやては思っていた。
 それははやてだけではない、彼によって斬り伏せられたシグナムもフェイトもクライドも同じだったはず。

「騙しとったの?」

「いや……騙したつもりはないよ」

 悪びれた様子は一片もなく応える。

「ただ状況がまた変わったんだよ」

 ピエロはこちらに見えるように空間モニターを見せる。

「青天の魔導書の構築体は消滅したけど、その代わりに厄介なものが出てきてね」

 彼の言っていることは耳に届いているが、頭が回らず理解できない。

「夜天の技術の当ては彼だったんだけど……まあ、保険としてこれをもらうことにしたよ」

「あかん……待って……」

「約束は君を狙わないことだったし、それにこれを消滅させるわけでもないから破ったことにはならないよね?」

 男の言葉などはやてには聞こえていなかった。
 ただ、ひたすらに届かない手を伸ばして彼女の名前を呼ぶ。

「リインフォース……リインフォースッ!」

「それから忠告を一つ……これで君を狙う理由はほぼなくなった……
 死にたくなかったらもうこちら側に関わらないことだね。もし次に会うことになれば……」

「リインフォースッ! 返事をして!」

「俺は……今度こそお前を殺す」

「リインフォースッ……あ……」

 一方的に男は告げて、転移魔法陣を起動して消えた。
 伸ばした手は虚空を彷徨い、声は空しく響き消えていく。

「あ……ああ……あああああああああああああああああっ!」

 はやては己の無力にただ声を上げて叫ぶことしかできなかった。










あとがき
 夜天の騎士たちの中で一番鬱憤を溜めていたのはリインフォースではないかと思って作ったお話でした。
 アリシアとフェイトの喧嘩から始まった長い一日がこれでようやく終わりました。




補足説明

 青天の魔導書・オリジナル
 十二年前にソラに殺されていたが、その時にソラの中に断片を残す。
 断片からの再生は闇の書のそれと同じようなもの。
 ソラの精神を殺し身体の主導権を完全に奪えば、彼そのものが青天の魔導書となって復活する。
 ちなみにソラ本人は自分の中に青天の断片があることを知らない。





[17103] 第二十七話 拒絶
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/06/22 23:50



「どうしたの……もしかして迷子? お名前、言えるかな?」

 その言葉から受けた衝撃は言葉では言い尽くせないものだった。
 全てを飲み込み、耐えて、新しく手に入れた場所に帰ろうと目を逸らしたところに投げかけられた言葉は容赦なく理性を壊した。

「ははは……あははは……」

 狂ったように笑う。
 融合による変身で戦える身体を手に入れ、習った剣を振り回し、魔法を撃つ。
 目に映るもの全てを破壊しなければ納まらない、といわんばかりの破壊衝動に突き動かされて身体を動かす。

「あははは……」

 暴れる。何も考えず、今まで耐え続けて来たものを全て吐き出すようにひたすらに暴れる。
 そして――

「ハヤテッ!」

 死と破壊の渦中に彼女が現れた。

 ――全てが憎い――

 激情に任せ、目に映ったものを壊すためにレヴァンティンを手に走る。
 両手を広げる彼女。無防備なその姿に体当たりするように剣を突き刺した。

「代わりの……名前を……上げる……」

 突き刺されたにも関わらず、包み込むように抱き締められた。
 そして、耳元でささやかれた言葉は正気を取り戻させ、そして――

「ごめんね……ソラ」





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ねえさんっ! つっ……!?」

 手を伸ばして飛び起きる。
 次の瞬間、全身に走った痛みに呻く。

「……痛い?」

 その不自然さに首を傾げる。
 不死の身体はどんな傷も数十秒で元に戻る。
 だから、今まで意識を失うほどの怪我を負ったとしても目が覚めれば常に身体は傷のない状態だった。
 しかし今は違う。
 左腕は添え木を当てられ包帯が巻かれている。
 足にも手当ての跡があり、脇腹も痛む。

「…………ここは……どこ?」

 身体の傷に不信を感じながらも周りを見る。
 木で作られた家屋。とても病院の類とは思えない。

「そもそも僕は何をしていたんだっけ?」

 気を失う前の記憶を振り返って――

『でも魔法資質を失ったんでしたら貴方はもう用済みです』

「うっ……」

 込み上げてくる吐き気を手で押さえこむ。
 荒くなった息と動悸を静めて、大きく息を吐き出す。

「馬鹿みたい……」

 信じていた者に裏切られてのは二度目。
 愚痴る気持ちはないが、信じた自分が馬鹿だっと自嘲する。

「分かってたことじゃないか……この世界はどうしようもないくらいに最低だって」

 アオと出会う前の生活を思い出す。
 施設で行われたこと、路地裏でのゴミ箱を漁って命を繋ぐ日々。
 物やゴミとして扱われたことは今でも忘れていない。

「アオも……」

 そんな最低な人間たち、自分から全てを奪って行った闇の書と変わらない。
 あの優しい笑顔の裏は自分がもっとも嫌う顔が隠れていただけの話。

「ははっ……やっぱり涙なんか出てこないな……」

 まるで他人事のように乾いた失笑が喉の奥からもれる。
 あるのは失望だけ。怒りも悲しみも感じない。
 彼女の本心が醜いものだったとしても、もう彼女はこの世にいないのだから何を言っても意味はない。

「僕が……殺したんだ」

 そういう意味ではすでに復讐は終わっている。
 だからこそ、捌け口のない感情を処理できずにいた。
 本人に罵倒することもできず、悲しみを共有してくれる友もいない、八つ当たりをするまで自棄になれない。
 制御できない気持ちに思考の全てを向けていたため、その気配に気が付かなかった。
 スッと静かな音を立てて紙でできた扉が横にスライドして開く。

「あ……よかった気が付いたんだ?」

 入って来た女が安堵の息を吐きながら微笑む。
 身構えるよりも、彼女の姿を見て思考が止まった。

 ――あれ? この人……どこかで……

 丸い眼鏡に長い髪を一本に編んだ髪型の女に既視感を覚える。
 以前に会った気がするが思い出せない。

「えっと……貴方は近くの神社の境内に倒れていたんだけど……覚えてる?」

「神社? …………どうしてそんなところに?」

「それ……私が聞いているんだけど……」

 もっともだと頷きながら記憶を辿る。
 闇の書の残滓として作り出されたアオと戦い、全てを放り出し彼女の刃を受けようとした。
 それをアリシアたちが邪魔をした。
 そしてアリシアに向けられた耳を覆いたくなるアオの言葉。

「それから……」

 アリシアが組み敷かれて、思わず助けに動いていた。
 戦う気力は完全になくしていたのにどうして身体が動いたのかは分からない。
 
「ダメだ…………思い出せない」

「無理して思い出さなくてもいいんだよ」

「でも……思い出さなくちゃいけないんだ」

 込み上げてくる吐き気を気合いで押し込め、顔を蒼白にしながらも記憶を振り返る。
 アオに投げかけられた否定の言葉、欺瞞の関係は思い出すだけで心を軋ませる。
 それでもアリシアがどうなったのか気になる。

「ジュエルシードを暴走させて…………暴走させて……くっ……」

 鈍い痛みがそれ以上の思考を止める。

「ダメだよ……無理したら……」

 握られた手の温もりに落ち着きを取り戻し、それ以上思い出すことをやめる。
 代わりに――

「行かないと……」

 手を解き、痛む身体を押して起き上がる。

「ちょっと何してるの!?」

「助けてくれてありがとう……でも、もう行かないと」

 思い出せないなら確かめに行けばいい。

「僕は犯罪者だから……これ以上は迷惑になる」

「犯罪者…………やっぱり君は魔法使いなの?」

 その指摘に思わず警戒心を強くする。

「一応……そうなるけど……どうして? この世界には魔法使いはいなかったはずだけど」

「妹が魔法使いなの……それで貴方の持ち物を調べさせてもらって……」

「そう……」

「あ……でも……その……本当に犯罪者なの?」

「うん……一応……」

「一応って……何をしたの? あんまりそんな風には見えないんだけど?」

「……生まれてきたから」

「え……?」

「僕はこの世界に生まれてくるべきじゃなかった……
 だから管理局は僕を殺そうとしてるんだよ」

 自然と出て来た言葉。
 改めてそのことを実感する。

「僕は死を振りまく災厄だってようやく分かった……本当に何で僕は生れてきたのかな?」

「ちょっと待ってよ! ……生まれてきたことが悪だなんて……そういうことを言うのが管理局なの!?」

 ほとんど独白だった言葉に女の言葉が重なる。

「そうだよ……僕は人を殺すために生まれて……人を殺すために育てられた……だから僕は管理世界の秩序を乱す害悪に過ぎないんだよ」

 闇の書の主になったこととアオ、青天の魔導書に育てられたことはそういうことを意味している。
 誰もが人殺しであることを望む。
 一層、望まれる化物になってしまった方が楽ではないかと思ってしまう。

「そんな……そんなのってないよっ!」

「うわっ!?」

 急に身を乗り出して詰め寄って来た女に思わずのけぞる。

「ちょっと……顔が近い……」

「生まれてきて悪いなんて言っていいはずがない……貴方だって――」

 不意に言葉が止まり、女はバツの悪い笑みで気まずさを誤魔化した。

「えっと……君の名前まだ聞いてなかったよね?」

「名前……僕の……?」

 その言葉を理解した瞬間に耳の奥で二つの幻聴が言葉を紡ぐ。

 ――どうしたの……もしかして迷子? お名前、言えるかな?

 ――こういう言葉を知りませんか? 『豚もおだてれば木に登る』って――

「あっ……くっ……」

「え……どうしたの!?」

 胸が締め付けられる痛みにうずくまる。

「はっ……はっ……」

 呼吸が荒く、激しくなる。
 手足はしびれ感覚を失う。背筋は凍り、激しい耳鳴りが響く。
 平衡感覚は失われ、そのまま横に倒れるが、思考がまとまらずにそれも正しく認識できない。

「――――――っ!」

 女が何かを叫んでいるが、耳鳴りにかき消される。
 視界は白く染まり、意識が遠のく。
 そして――不意に歌が聞こえた。

「~~♪」

 硬く握り締めた手を包むように添えられた手の温もりを感じる。

 ――この歌は……

 意識や五感は急速に鮮明さを取り戻して行く。

 ――そうか……この人は……

 彼女を見て感じた既視感の正体を理解する。
 会いたいと思っていた。同時に血にまみれた今の姿を見て欲しくないと思っていた。
 しかし、しがらみも理屈も関係なく、今はただその再会に確かな安らぎを感じていた。
 懐かしい歌。
 心に響く歌と手に感じる温もりは動揺を沈め、安らぎを与えてくれる。
 その心地よい安らぎに身をゆだねると先程とは別の意味で意識が霞んでいく。
 そしてそのまま、まどろみに抵抗せずに意識を手放した。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 歌が終わるころには彼は穏やかな眠りについていた。
 呼吸は穏やか、硬く握り締めた手は緩み、無防備な姿をさらす。
 こうしてみると背格好よりも幼い印象を感じる。

「ふぅ……」

 慣れないことをした緊張をほぐすように息を一つ大きく吐き出す。

「眠ったか?」

「うん」

 廊下からの声に高町美由希は頷いた。
 応えながら彼の手に添えた手を静かに放し、反省する。
 彼の境遇に理不尽を感じて思わず激昂してしまった。
 それでも名前を尋ねたけで発作を起こすことは予想もしていなかった。
 どれほどの仕打ちを受ければこんな風になってしまうのか想像もつかない。

「しかし……」

 険しい言葉をもらす兄、恭也の言葉の続きを美由希は待つ。

「お前にフィアッセの真似は似合わないな」

「なっ!? ひどいよ、恭ちゃん!」

 美由希は口を尖らせて抗議をするが、すぐにそれを改めて名も知らない彼を見る。

「ねえ……恭ちゃん」

「……何だ?」

「この子が言っていたこと……本当だと思う?」

 自分なりに考えてみても目の前で眠る彼はとても彼自身が言っていた犯罪者には思えなかった。
 本物の犯罪者を見たことはあるが、彼には犯罪者特有の雰囲気を感じない。
 それに生まれて来たことが罪などという言葉は受け入れがたいものがある。

「どうだろうな……向こう側の事情など分からないからな」

「でも……いくらなんでも生まれてきたのが間違ってたなんて理不尽だよ!」

「落ち着け馬鹿者」

「はうっ!」

 詰め寄った反撃にデコピンを食らって美由希はのけぞる。

「その点に関しては同感だが、結局情報が少な過ぎるから判断のしようはない」

「…………そうだね」

 冷静になれば、彼の言葉を全て信じる理由はない。
 だが、彼は嘘を言っていないと思う。
 表情、言葉、態度から虚偽は感じない。演技の可能性もあるが、それは何故かないと確信していた。
 それに彼の怪我。
 命からがらで逃げて来たことは容易に想像できる。

「どうする……?」

「リンディさんに連絡を取って引き取ってもらうのが一番なんだが……」

 恭也はそこで言葉を切る。
 犯罪者と自称したのだからそれはしかるべき対処手段だった。
 しかし、錯乱した彼の姿と頭の奥で響く警鐘の勘が止める。

「でも……もしかしたらなのはと戦ってるかもしれないんだよねこの子?」

「そうだな……」

 この世界で戦って傷付いた魔導師と考えれば、その相手に身近な者を考えてしまう。
 なのはでなかったとしても、彼の負傷は自分たちが知る魔法使いの誰かに負わせられたものかもしれない。
 それを考えれば彼に感情移入することは危険だと分かる。

「何にしても今はリンディさんとなのはに連絡は取れない……だからこいつがまた目を覚ますのを待つしかないだろ」

「そうだね……」

 結局、考えを巡らせてもできることは静観だけだった。
 旅行の延期から始まり、一度は帰って来たもののなのははずっと向こうの事情で家に帰ってきていない。
 連絡も向こうからのものばかりでこちらから連絡を取ろうとしても携帯は一向に繋がらない。
 今が夏休みだから学校は問題ないにしても、妹ととの距離を感じずにはいられなかった。

「ねえ……恭ちゃん……」

「言うな……」

 美由希が何を言おうとしているのか察して恭也はそれを止める。
 会話はそこで止まり、気まずい沈黙が訪れる。
 二人の葛藤を知らずにあどけない寝顔をさらす名前も知らない彼を見て美由希はため息をもらす。
 意趣返しに頬でも引っ張ってやろうかといたずら心で手を伸ばす。

 ピンポーン!

 不意に鳴り響いたその音に美由希はビクリと肩をすくませて手をひっこめた。

「何をやっているんだお前は……」

 呆れた言葉を残し、恭也は来客に対応するために踵を返す。

「はぁ……」

 思わず息を吐き出す。
 二人きりになって美由希は改めて彼の顔を見る。
 幼さを残す顔立ち、髪の色が灰色で珍しいが、何処にでもいるような平凡な少年に見える。
 何度見ても犯罪者には到底見えない。

「…………あれ?」

 不意に美由希はその顔に違和感を感じた。

「…………この顔……どこかで……」

 視たことがある、強烈な既視感を感じて美由希は記憶を辿る。

「…………あ!」

 そして気付いた。

「はやてちゃんに似てるんだ」







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 高町なのはは緊張した表情で目の前の扉の前に立つ。
 見慣れた、生まれて物心がついてから数えきれない程にくぐった自分の家の玄関が今は見知らぬものに思える。
 その原因は分かっている。

 ――御神――

 青天の魔導書とソラの口から出た言葉をなのははよく知っていた。
 才能も興味もないとはいえ、流石に家族が納めている流派の名前は知っている。
 それに彼らの訓練を見学した事は何度もある。
 戦闘記録を何度も見返して確信した。
 アオとソラの剣は間違いなく家族のそれと同じもの。
 そして浮かび上がって来たのは、何故という疑問。
 自分の知らないところで魔法に関わっていた家族に複雑な感情を抱かずにはいられない。

『マスター?』

「大丈夫だよ、レイジングハート」

 家の前で立ち尽くすなのはを気遣ってかけられた言葉に返事をして、気を引き締める。

 ピンポーン!

『マスター?』

「あ……えっと……違うよ……これはその……」

 思わず押してしまった呼び鈴。
 そんなことせずに持っている鍵でドアを開き、いつものようにただいまと言いながら入ればよかったのに、なのはは緊張のあまりに行った奇行を弁解する。
 しかし、いつまで経っても返事はなかった。

「あれ……?」

『今日は平日ですね』

「あ……そっか……」

 改めて携帯を取り出して日付を確認する。
 夏休みということと、管理世界の方にずっといたためにすっかり曜日感覚が抜け落ちていた。
 しかし、それだけじゃないとなのはは思う。
 「G」という魔物との遭遇から始まって、はやてが狙われ、闇の書の残滓事件、フェイトとアリシアの喧嘩。
 そして前回闇の書の主、ソラとの戦い。
 まだ十数日しか経っていないのに、きっかけの旅行が遥か昔のことに思える。

「どうしよっか?」

 呟きながらなのはは鍵を取り出す。
 ソラの、というより青天の魔導書と家族の関係を聞き出すために帰って来たが、両親はおそらく翠屋。兄と姉がどこにいるかは分からない。
 考えていた言葉が先送りになってしまい、緊張はほぐれる。
 すると、耳慣れた音が聞こえた。

「あ……お兄ちゃんたちは道場の方みたいだね」

 玄関から離れて庭の方へ足を向ける。
 立ち回る足音に剣戟の音が道場に近付くにつれて大きくなる。

「今日はいつもより激しいね」

 レイジングハートに語りかけながら、引き戸を中にいる人たちに邪魔にならないように静かに開ける。

「お兄ちゃん……お姉ちゃん……ただい――っ!?」

 それを見てなのはは息を飲んだ。
 道場の中央で剣を交えているのは予想していた二人ではなかった。
 珍しいことに引退したはずの父、士郎が姉、美由希と剣を交えていた。
 珍しいと言ってもなのはが驚いたのはそこではなかった。

「どうして……?」

 なのはは彼らがそれぞれ握っている光剣を見て呟いた。
 刀身は長く、レヴァンティンほどあり、形状も硬質的ではなくエネルギータイプの筒状のそれ。
 ソラが使っていたものとは別物の光剣に見えるが、柄のデバイスは間違いなく彼のものだった。

「はっ!」

「ふっ!」

 息も吐かせぬ攻防。
 ブン、ブォン……映画で聞くような音を響かせて剣が交差する。
 その度に小さなスパークが散る。

「帰って来たのか、なのは」

 目の前の光景に目を奪われているとすぐ横から兄、恭也の声がかけられた。

「お兄ちゃん……それに……」

「や……お邪魔してます」

 初めて会った時の様な軽薄な笑顔で手を上げるのは半ば予想していた通りソラだった。

「…………え?」

 恭也、ソラと並んだその先の姿になのはは先程以上の驚きを感じた。

「何で……」

 思わず震える手で彼女を指差す。

「何であなたがここにいるの!?」

「あら……人を指差すなんてレディのすることじゃないわよ」

 驚愕するなのはに対して落ち着きを払って応えたのは南天の魔導書の主、セラだった。
 言われて確かにと思って手を下ろし、そこで誤魔化されたと気が付く。

「そうじゃなくてっ! どうして――」

「あっ……」

 なのはを一瞥してすぐに視線を戻したセラが小さく声を上げる。
 何事かと思いその視線を追うと、今まさに美由希が持つ光剣が士郎のそれに弾き飛ばされたところだった。
 さらに大きな踏み込みの音を響かせて、光剣は光の軌跡を残して振り下ろされた。

「っ……」

 思わず、その光景になのはは息を飲む。
 光剣の刃をその身に受けた美由希は膝を折り、そのまま倒れた。

「そこまでっ!」

 突然の恭也の声。
 士郎はその言葉を受けて、光剣の刃を消し、今斬り伏せた美由希に言葉をかける。

「大丈夫か?」

「うん……大丈夫だけど……ダメ、動けそうにないや」

 意外にしっかりとした声が返ってきたことになのはは息を吐く。

「スタンモード……斬り伏せた相手を麻痺させる非殺傷設定の一つだよ」

 その様子を察してソラが説明をしてくれる。

「えっと……」

 説明は理解したがなのはは戸惑う。
 今のソラは初めて会った時の様に軽いというかゆるい印象を感じさせる。
 フェイトに向けた冷酷さ、管理局と戦っていた時の苛烈さ、そしてアオと対峙した時の悲愴さ、そのどれの残滓も感じない。
 あれだけのことがあったのに、わずか数日で精神を持ち直したそのデタラメさを流石になのはは疑う。

「ん? 何?」

 首を傾げて凝視していたなのはに応えるソラ。そこには無理をしている危うさは感じられなかった。

「いやー……ありがとうソラ君。おかげで良い体験をさせてもらったよ」

 感謝の言葉を言いながら士郎がソラに向けて光剣を、美由希が持っていた物と一緒に差し出した。

「よろこんでもらえて何よりです」

 二本の光剣を受け取りながら応えて、次にソラは恭也に視線を向ける。

「貴方はいいんですか?」

「俺は別にそんな武器に興味はない」

「おいおい恭也、お前はそれでも男か?」

「そうだよ恭ちゃん……こんな機会滅多にないんだよ」

 士郎に続いて美由希も床に寝そべったまま抗議する。

「……どういうことなんですか?」

「よく分からないけど、士郎さんと美由希さんが僕の光剣を使ってみたいって言い出してね……
 それも僕が設定しているベルカ術式のタイプじゃなくて、初期設定の……何でもあんな剣を一度でいいから使ってみたかったとか」

「ああ……」

 なるほど、と納得する。
 二人の光剣を使った稽古は子供心をくすぐられた結果なのだろう。
 
「ならキョウヤ……その剣を使ってセラと戦わない?」

 二人の言葉に渋る恭也に向かってセラがそんなことをのたまった。

「セラ……君は何を言ってるのかな? この人たちは僕とは違うんだよ」

「大丈夫……ちゃんと身体能力はミユキと同じくらいにして室内戦の戦い方しかしないから」

「だがな……君の様な小さい子と戦うなんて――」

「妹さんの仇討ちをしたとは思わないの?」

 クスリと妖艶な笑みを作ってセラは挑発する。

「いいだろ……ソラ、剣を貸してくれ」

 それに見事に食いついた恭也にソラは額に手を当てて深々とため息を吐いた。

「ちょっと待ってお兄ちゃん! その子は――」

「だいじょーぶよ……ちゃんと非殺傷設定でやるんだから、別にかまわないでしょ?」

 痛烈な皮肉を含ませた言葉になのはは眦を上げる。

「っ……ソラさん!」

「それで設定はこのままでいいの?」

「いや、できれば君が使っていた実体のある剣の方がいいんだが」

「了解……僕の設定になるけど我慢してくださいね」

 この場で唯一止められそうなソラはあっさりとその期待を裏切って準備を始める。

「お父さん……お兄ちゃんを止めてあの子は――」

「分かっているよ……あの子はなのはの敵なんだろ?」

「え……?」

 落ち着いた士郎の言葉になのはは虚を突かれる。
 セラの言葉を思い出せば、彼女が恭也に立場の説明していることが分かる。

「でも、それなら何で!?」

「それじゃあルールは肉弾戦のみで、先に有効打を一撃入れた方の勝ち」

 道場の中央で向き合うセラと恭也。その二人の間に立つソラがルールを決めて行く。

「恭也さんの方はいいとして、セラの方は反射的に魔法を使わないように注意を――」

「別に使ってくれても構わないぞ」

「あら……随分強気なことを言うのね?」

「いやいや、恭也さん……魔導師を舐めない方がいいよ」

「魔法使いと戦ういい機会なんだろ? 問題ない」

 簡単に言ってのける恭也になのはは絶句する。
 恭也はソラと違って正真正銘の非魔導師。条件付けされているとはいえ彼がセラに勝てるはずがない。

「やめてお兄ちゃん!」

「なら、砲撃に広域系の魔法はなし……というかこの道場を壊すような魔法はなし」

 淡々とルールを追加をするソラ。
 そして、止める素振りを見せない士郎と美由希。
 バリアジャケットと双刃剣を展開するセラ。
 光剣を振り、調子を確かめる恭也。
 なのはを無視して事態は進んでいく。

「レイジングハート……」

 嬲り殺される恭也の姿を想像し、それを止めるためになのはもまた戦闘態勢を取る。

「高町なのは……君は君の家族を侮り過ぎだよ」

「え……?」

 しかし、ソラの言葉になのはは動きを止めた。

「いいから黙って見ているんだね……君のお兄ちゃんがセラに一矢を報いるところを」

 機先を削がれて、なのはは呆然としてしまう。

 ――何を言ってるの?

 ソラの言葉が理解できなかった。
 自分が魔導師だからこそ、その力の大きさは理解できている。
 目の前のものを容赦なく薙ぎ払える砲撃。コンクリートの壁を穿ち破壊できる射撃。トラックの衝撃を受けても身体にダメージを通さない防御力。
 身体能力も魔力の水増しを受ければなのはだって大の大人を殴り倒すことができる。

 ――そんなことできるわけない……

 シグナムの剣を止め、フェイトの速度を捕えることができるセラに、恭也は触れることさえできるはずない。
 それこそ魔導師と非魔導師では強さの次元が違うのだから。
 ソラのような存在は本当に例外なのだ。

「それでは――」

 なのはが思考を硬直させている間にソラは手をかざす。

「はっ!」

 そこで我に返り、なのはは――

「まあ見てなさい」

 動こうとしたなのはを士郎が上から肩を押さえて止めた。

「始めっ!」

 ソラの号令が響いた瞬間、恭也の姿がなのはの視界から消え、セラが吹き飛ばされた。

「……え?」

 なのはが目を丸くしている間に双刃剣で恭也の一撃を受けていたセラは空中で体勢を立て直し壁に着地。
 そして壁を蹴って恭也に向かって飛ぶ。
 振り下ろされた刃を恭也は半身を回して回避し、その動きに連動して遠心力を乗せた光剣を薙ぎ払う。
 剣を振った勢いを殺さずにセラは双刃剣を回転させそれを弾き、さらに回して攻める。
 息を吐かせない苛烈な斬撃はその一つたりとも恭也をかすめることはない。
 むしろ――

「きゃっ!?」

 横薙ぎの一閃を光剣を使って上に弾いたと思うと恭也は身を低くして水面蹴り、セラの足を払う。
 足を取られて浮いたセラに恭也は下から光剣を斬り上げる。
 瞬間、血色の魔力光を纏ってセラはその場から飛び退る。
 壁際まで逃げたセラを逃がすまいと恭也が走る。
 応戦にセラは瞬時に六つのスフィアを形成と同時に撃った。

 ――速い……

 シューターの生成速度に弾速、室内戦という十分な距離を取れない状況にも関わらずセラは恭也の追撃以上の速さで迎撃の準備を整える。

「ダメッ!」

 思わずなのはは叫んでいた。
 回避するにしても防御するにしても距離がない。自分なら直撃の弾丸。
 非殺傷設定とはいえバリアジャケットを着ていない恭也がそれを受けたらどうなるか、初めにした想像が蘇る。

「ふっ……」

 鋭い呼気がなのはの耳に届いた瞬間、それは起こった。

「う……そ……?」

 血色の魔弾は二つの光剣に一つ残らず弾かれた。
 なのはの目には光剣の軌跡が残影にしか見えなかったが、弾かれた血色の軌跡はそれを証明していた。
 セラの方も驚愕に表情を染めているが、すぐに立ち直って双刃剣をかざす。

「つっ!?」

 重い衝撃音を響かせて双刃剣がセラの手から弾かれた。
 いくらセラが手加減しているとはいえ予想もしなかった一方的な展開になのはは思わず見入ってしまう。
 双刃剣に交差して叩き込んだ二つの光剣を恭也は素早く戻して、突きを放つ。
 今度はセラがかわせるタイミングではなかった。何より受けるための双刃剣がその手にない。
 勝敗が決したかに思った瞬間、恭也の突きを血色の魔法陣が受け止めた。
 しかし、すぐさま恭也はそこにもう一方の光剣を叩き込む。
 ガラスが砕ける乾いた音が響き、セラの盾は砕ける。
 が、セラは盾が砕けると同時に身体をずらして光剣の軌跡から逃れる。
 そして魔力を乗せた蹴りを放つ。
 恭也はそれをバックステップで紙一重で回避して距離を取った。

「…………ふー」

 いつの間にか止めていた息をなのはは吐き出した。
 そして、戦いを始める前の不安はすでに消えていた。

「お兄ちゃん……こんなに強かったんだ」

 初めて見る恭也の雄姿になのははただ呆然と驚く。

「まあ、僕と違って本物の御神だからね……それにここまで有利な設定されているんだからあれくらいできないと」

「御神……」

 ソラの口からその言葉を聞いて思い出す。
 そのことが知りたくて帰って来たのに、あろうことか家には本人がいて、さらには何故かセラまでいた。

「君は……誰から御神の剣を習ったんだい?」

 士郎とソラ、どちらに聞こうかと逡巡したところで、士郎が話しかける。

「…………アオっていう人です……知ってますか?」

「ああ……美影ば――祖母の友達だと言っていた奇妙な女の人だったな……
 会ったの十二年くらい前のことになるが、魔法使いだったとは知らなかったな」

「その人に……基礎を教えてもらって、あとは独学です」

「そうか……一つ聞いていいかな?」

「何ですか?」

「ハヤテ・ヤガミという男の子を知らないかな? 君と同じアオに剣を教わっていた子供で歳も同じくらいだったはずだが」

 思わず、なのはは息を飲んだ。
 それはソラの本当の名前。
 家族が青天の魔導書とソラに関わっていたことは推測できていたから驚くことではないが、士郎が尋ねた言葉は最悪だった。
 本人にその質問はありえない。
 アオに真実を聞かされて打ちひしかれた姿をまじかで見たなのははソラの様子をこっそりと窺う。

「…………その人は死にました」

 そう答えたソラの表情からは何も分からなかった。

「そうか……」

 二人が何を思っているのか、尋ねるのは憚られた。
 ただ、痛々しく見えるソラから目を逸らすようになのはは恭也とセラの戦いに意識を戻した。

「拾わないのか?」

 上から目線で恭也がセラに言い放つ。
 屈辱にセラは一瞬顔をしかめるが、すぐに邪気のない笑顔で応えた。

「拾う必要なんてないわ、だってほら……」

 かすかに血色の魔法陣がセラの手に浮かぶと、床に落ちていた双刃剣は消えて、セラの手の中に戻っていた。

「油断してところをバッサリとやっちゃうつもりだったんだけどね」

「そうか……子細工の邪魔をして悪かったな」

 挑発を交えた言葉にセラは反応して魔力を解放した。
 道場の中の空気が揺れ、セラからの威圧感が増すが、なのはが相対した時ほどのものではない。

「セラ……手加減を忘れないようにね」

「分かってる」

 ソラの忠告に言葉を返し、セラはしっかりと頷く。

「キョウヤは魔導師と戦いたかったんだよね?」

「ああ……」

「いいよ……魔導師としての戦い方、見せて上げる」

 瞬間、セラが双刃剣を振る。
 一度の振りで三条の血色の刃が飛ぶ。

「くっ……」

 横に広い扇状の斬撃の内二つを恭也は光剣を閃かせ、全てを弾く。
 そこにすかさず回転して薙がれた双刃剣から放たれた同じ魔法が殺到する。
 直撃、と思った瞬間に恭也は消える。
 そして、どうやってか新たな刃をくぐり抜け、恭也はセラの目の前に現れる。
 光剣を腰だめにして、居合いの要領で抜き放つ。

「ラウンドシールド」

 セラはその斬撃を無造作にかざした手で展開した盾で受け止める。
 そしてすかさず自分から盾を壊して手を伸ばし、恭也の腕を掴む。

「ふっ!」

 さらにセラは腕の力だけで捕まえた恭也振り回して、投げ飛ばした。

「がっ……」

 壁に背中から激突し、息を詰まらせた恭也の苦悶の声が響く。

「シュートッ!」

 すかさずセラは十個の魔弾を撃つ。
 前面に五つ、上と左右から一つずつ、そして床を這う様に二つ。
 流石の恭也もさばき切れないと判断して横に跳ぶが、全ての魔弾は直角に曲がって容赦なく恭也を打ちのめす。
 派手に転がるが、すぐにそのままの勢いで立ち上がれるのはおそらくセラの手加減のおかげだろう。
 しかし、目に見えて恭也の疲労の色は濃く、肩で息をしていた。

「ちょっと強いの行くわよ」

 無造作にかざした手に環状魔法陣が展開される。

「ダメ……ソラさん止めて、お兄ちゃんはもう――」

「まだだよ……恭也はまだ諦めていない」

 この状況で何ができるというのか、誰も止めようとしない様になのはは愕然としながらも、ならば自分がとレイジングハートを顕現させる。
 しかし、なのはが杖を構えるより早くセラは撃った。
 一条の光線は瞬く一瞬で恭也を貫く――ことはなく、壁に当たって弾けた。

「え……?」

 超反応で光線をかわした恭也はまっすぐセラに向かって駆ける。
 最後の力と言わんばかりの疾駆はセラが構え直す暇を与えずにその距離を潰す。
 右手は後ろに引き絞る極端な突きの構えは前にソラが見せたものと同じもの。
 必殺の二連突き。あの技ならとなのはは期待を抱く。

「はい……おしまい」

 しかし、恭也の身体は不自然に止まり、セラがそこに双刃剣を突き付けた。

「これは……?」

 恭也は自分の身体に巻き付く血色の鎖を見て言葉をもらす。

「捕縛魔法……撃ったり斬ったりだけが魔法じゃないのよ」

 笑みを浮かべてセラは双刃剣で床を叩く。
 広がる血色の魔法陣から溢れる燐光が恭也の身体を包み込む。

「どう……? 楽になったでしょ?」

「ああ……ありがとう」

 恭也が応えると戒めの鎖は呆気なく霧散して消えた。

「…………これが魔法の力か」

「言っておくけどセラの力はこんなものじゃないんだからね」

 セラの言葉になのはは違和感を感じた。
 一見、自慢に聞こえるがその表情はどこか固い印象を与えた。
 首を傾げながらも、とにかく恭也が怪我を負うことなく無事だった事に安堵する。

「あの子、セラちゃんは魔導師としてはどれくらい強いんだい?」

「僕の知る限りではトップクラスですね。ランクもSランクに行ってるはずだけど……
 でも、今回の戦闘はAランクくらいの力でしたから、貴方の娘さんも同じことができるはずですよ」

「ええっ!? 無理です、絶対に無理っ!」

 士郎と話していたソラに突然話を振られてなのはは首を振って否定する。
 射撃の高速運用を始めに体術、バインドの設置タイミング、全てにおいて劣っていると自覚していた。
 何より離れて見ていたのに恭也の動きを追えなかった。
 もし対峙したのなら一瞬でその姿を見失って勝負が着くだろう。
 こと室内のような限定空間でなのはは恭也に勝つための具体的な策は思い浮かばなかった。

「そうなの? ってそういえば君は砲撃型の魔導師だったとよね? ……御神の子供なのに、どうして?」

「う……それは……」

 運動神経がなかったからと答えるのに思わず躊躇う。

「まあ……どうでもいいけど……それより……」

 深く追求せずにソラは真剣な顔でなのはを見据えた。

「な……何ですか?」

 その眼差しに気押されながら、なのはは応える。

「君に聞きたいことがある」

 そう切り出して続く言葉を――

「まあまあ、こんな所で立ち話もなんだから家に入らないかい?」

 士郎が遮った。

「…………それもそうですね」

 ソラは肩から力を抜いてそれに同意した。
 ソラからの威圧感が消えて、なのはもまた強張った身体を弛緩させる。

「それじゃあリビングに行こうか」

 そう言う士郎を先頭に、ソラにセラ、恭也と続いてなのはも道場を出る。

「え……ちょっと、私いつまでこのままなの? ……ねえ? みんな戻ってきて! ねえってば!!」

 壁際に追いやられて未だにスタンの抜けない美由希を置いて……



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ジンッと未だに痺れる手をセラは見つめる。
 最初と双刃剣を弾かれた剣戟は非魔導師ではありえない程に強かった。
 魔導師として戦うと宣言したは痺れた手では剣術での戦いは不可能と判断した故のものだった。

「これが御神の武術……青天の魔導書が興味を持つのは当然かしら」

 最後尾を歩き、御神の剣を扱う彼らの背中を見ながら呟く。
 魔法あり気のミッドチルダにいくつもある武術と比べても見劣りしないその技にセラは感心すると同時に呆れもした。
 キョウヤのファーストアタックは完全にその姿を見失い、剣戟を受け止められたのは咄嗟の反射行動が間に会ったに過ぎない。
 続く攻防もセラの攻撃はキョウヤにかすりもしなかった。
 魔力による身体能力の水増しを最大にしていなかったから、などと言い訳はできない。身体の使い方は圧倒的にキョウヤの方が上だった。
 高速誘導弾を斬り払った剣捌きと精確さ、双刃剣を弾いた威力、セラの目を振り切る速さ。
 どれも魔法を使っていないとは思えないものだった。
 だからこそ思ってしまう。これだけの研鑽をどれだけ愚直に積み重ねて来たのか。

「これで魔法の知識があれば……」

 セラがキョウヤに勝てたのは魔導師として戦ったから。
 魔導師に対して何の知識もなく、対抗手段もないからこそ一方的な攻勢を取れていた。

「…………ソラがそうなのよね」

 キョウヤとソラの背中を見比べながらセラは呟く。
 セラの見立てではソラの剣の腕はキョウヤや他の二人に対して劣っている。
 試合をすればおそらく三人の内、誰にも勝てないだろう。
 しかし、四人の中で自分に勝てる可能性があるのは間違いなくソラだ。

「もしソラが御神として完成すれば……」

 考えて思わずクスリと笑みがこぼれる。
 豊富な魔法の知識に、他人の魔法に介入できる技術。そして圧倒的な武術の力。
 想像しただけでワクワクする。
 分野は違っても同じ天空の魔導書に関わり、頂点を目指す者として興味が尽きない。
 そして同時に失望も感じる。

「本当にどうして砲撃魔導師なのかしら?」

 戦いを学ぶ最高の環境があり、管理外世界では稀少な魔法の才能があった。
 にも関わらず、高町なのはの戦闘スタイルは家族の力から逸脱したものになっていた。
 一般的な観点から見れば高町なのはの素養は確かに高い。
 それでもそれは常識の範囲内の話でしかない。

「魔法を使いこなす御神っていうのも見てみたかったんだけど……」

 青天の魔導書ではないが、セラも御神の業として使われる魔法については興味があるし、期待もしてしまう。

「まっ……いっか」

 そこに最も近い位置にいたはずの高町なのはに期待できなくてもソラがいる。
 彼が望まなかったとしても、これから激化が予想される管理局の動きを考えればソラは新たな力がなければ生き残れない。
 他人の魔法に介入し、制御を奪えると言っても限度は存在するはず。
 並列して介入できる数、魔法の規模に対しての分解速度の関係、そして何より飛行能力、もしくはそれに代替できる機動力の有無。
 今は管理局がソラの実力を計り切れていないから優勢を保っているが、逆転するのは時間の問題だろう。
 それが分からないソラではないと思う。
 だから遠くない未来、ソラは自分の魔法を取り戻すために動き始めるだろう。
 しかし、セラはふと思う。

「そういえばリンカーデバイスの余りってあったかしら?」

 その呟きは誰に聞こえることもなく、消えていった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ううう……みんなひどいよ」

「あはは……すいません」

「そもそもソラ君……目合ったよね? 分かっていて放置したでしょ?」

「……そんなことないですよ」

「ちゃんと人の目を見て話そうね」

「いやーそっちの方が面白いかなって思って」

「開き直った!?」

「こう血が騒いだんですよ……話を面白い方に転がせって」

「君はどこの関西人!? 魔法の世界の人って嘘でしょ!?」

 目の前で繰り広げられる美由希とソラのやり取りになのはは遠い目をしながら思った。

 ――この人はやっぱりはやてちゃんのお兄ちゃんなんだなあ……

 血筋、それとも魂の気質なのか面白いことに対しての姿勢はそっくりだった。
 テンポの良い会話を聞きながら、なのははソラという人間がよく分からなくなる。
 初めて会った時は今のようにおどけた軽い印象の少年だったが、フェイトにプレシアの死を告げた時からは冷たいものに変わってしまった。
 少なくてもこちらの方が好感を持てるが、闇の書の主としての顔を知っているだけに今一つ信用できずに警戒心を募らせてしまう。

「さて、それじゃあ誰から話そうかな?」

 人数分の飲み物を用意した士郎が二人の言い合いを止めるように進展を促す。

「それじゃあ僕からいいですか? 士郎さんたちの話は長くなると思いますから」

 ソラが手を挙げて言い出した。

「そうだね……なのはもそれでいいかい?」

「あ……うん」

 思わず頷いてしまう。
 問い質したいことはたくさんあって逸る気持ちもあったのだが、機先を取られてしまった。

「それじゃあ聞くけど……」

「はい……」

 不満を感じつつもなのはは身構えてソラの言葉を待つ。

「セラからアリシアが倒れたって聞いたけど、目を覚ました?」

「ううん……まだあれから目を覚ましてないよ」

 アリシアが何かをしてヴィータを殺そうとしたアオを退けた直後、彼女は意識を失って倒れた。
 彼女に何が起こったのか、医療スタッフの診察を受けても分からず、今も彼女は昏々と眠り続けている。

「そう……」

 なのはの答えを聞くとソラは黙ってしまう。

「………………あの……」

 十秒、二十秒、続く沈黙になのはは耐えられなくなって話しかける。

「ん、何?」

「えっと……もしかして聞きたいことってそれだけですか?」

「うん、そうだけど」

 あっさり返って来た返事になのははポカンと間の抜けた顔をさらした。

「ほ、本当にそれだけなんですか!? 管理局の動きとかもっと他に聞くべきことはあるでしょ!?」

 フェイトのことや、はやてのこと。ヴォルケンリッターたちのこともあるし、何より彼の中に潜んでいるアオのことがある。

「――っ」

『やめておいた方がいいわよ』

 今まさに口を開こうとしたところでセラの声が頭の中で響いた。

『ソラは自分の中にアオがいることは知らないんだから余計なことを言って混乱させない方がいいわよ』

 一方的な物言いだったがセラの言わんとしていることを理解して口をつぐむ。

「管理局の動きなんてどう転んでも僕を殺すの一点張りだよ」

「な……ならフェイトちゃんやはやてちゃんのことは気にならないの?
 二人はその子の仲間にやられたんだよ」

「それがどうかしたの?」

「え……?」

 返された言葉になのはは虚を突かれる。

「あの子たちがどうなろうが僕には関係ない」

「関係ないって……フェイトちゃんを助けたのはソラさんでしょ!? それにはやてちゃんは――」

 思わずなのはは言葉を止めた。
 冷たく鋭い眼差しで睨まれ、身体は竦み喉まで上がって来た言葉を飲み込んでしまう。

 ――余計なことを言うな……

 殺気さえも混じっていると思える眼光になのはは従うしかなかった。

「勘違いしているようだから言っておくけど……先に見限ったのは君たちの方だよ」

「見限ったって……」

「みんな、僕が闇の書の主だったって分かると手の平を返して杖を向けて来た」

「それは……仕方ないじゃないですか……ソラさんはそれだけのことをしたんだから」

 正直なところ、なのはは目の前の少年が怖かった。
 一見人の良さそうな顔をしているが、その奥にフェイトの腕を斬り飛ばした時の無機質な顔があると思うと、どうしても気が引けてしまう。

「うん、それは分かってるよ。君たちには僕の事情も気持ちも考えも理解されないことくらい十二年前から良く分かってるから」

「理解されないって……そんな決めつけはよくないです」

 かと言って話し合いを放棄したいわけではない。
 話し合って、ヴォルケンリッターへの誤解を解き、法の裁きを受けて罪を償うことが最良だとなのはは考える。

「僕に与えられる法の裁きなんて死刑だけだよ」

「そんなことない! きっとやり直せるはずですっ!」

「ふふ……」

 達観するソラに激昂を返すと、セラが不意に笑った。

「何がおかしいの?」

「だって、何も分かってなくて的外れなことばっかり言っているんだもん」

「的外れって何が!?」

「貴女も見たはずでしょ? あの殺気立った管理局の魔導師たちの姿を」

「それは……」

「あの姿を見てそんな綺麗事が言えるなんて正気を疑うわ」

「でも、あれは……その……」

「八神はやての存在によって一度は抑え付けられた闇の書への憎悪はソラの生存を暴露してもう止まらない……
 管理局に隷属する意思がないソラは捕まれば確実に死刑よ」

 あの時のソラと管理局の戦いを思い出してなのはは黙りこむ。
 何が起こったのか理解できず呆然と事態を見送ってしまったが、なのははそこに恐怖を感じていた。
 ギラついた殺気を漲らせて戦う魔導師たち。
 怒気を漲らせて責め立てるヴォルケンリッター。
 闇の書の業の深さを見せつけられて、なのはは戸惑うことしかできず戦いを止めることもできなかった。

「それから臨戦態勢を取り続けている貴女の言葉なんて説得力の欠片もないわ」

「え……?」

 改めて、自分の身体を見下ろす。
 バリアジャケットこそ生成していないが魔力は励起した状態を保ち、一秒もかからずにジャケットとデバイスを展開できるようにしてある。

「結局、そうやって身構えていないとソラと顔を合わせていられないんでしょ? 人殺しのソラが怖いから」

「そんなこと――」

 ない、の否定の言葉に詰まった。
 一瞬の躊躇いにソラが深くため息を吐いた。

「フェイト・テスタロッサも君と同じだったよ……闇の書の主だって知った途端、今の君と同じ目をして僕を見た」

 フェイトがどんなことをしたのか分からない。

「それに八神はやても同じだよ……ヴォルケンリッターを使って僕を殺しに来たんだから」

 はやてが何を考えてヴォルケンリッターが戦うことを許可したのかも分からない。

「アサヒだって僕を殺したがってる」

 もう手遅れなのだと、仲間のことさえまるで分かっていない自分が言える言葉なんてないとようやく悟る。

「管理局は僕と戦うことを躊躇わなかった……
 「G」のこととかフェイト・テスタロッサのこととか別に恩に着せようとか思ってない。
 対立もしたけど、あそこまで簡単に切り捨てられるとは思ってなかったよ」

 拒絶したのは自分たちが先だった。
 信頼を築こうとしていたはずのソラの手を振り払い、過去の罪を暴いて責め立てやり直す機会を奪った。
 そして、無意識とはいえなのはもまた人殺しのソラを拒絶していた。

「だから良く分かったよ……僕はもう何をしても死ぬまで「人殺し」なんだって」

 諦観し、希望のない冷めた目を見せられてなのはは胸を締め付けられる痛みを感じずにはいられなかった。
 その一因にはきっと彼を巻き込むことを考えなかったスターライトブレイカーもあると思うとなおさらだった。
 重苦しい空気になのはは何かを言い返さなければと思っても、言葉が出てこない。

「ああ、別に君のせいってわけじゃないよ……一介の魔導師にどうこうっていう問題じゃないからね」

「と言うよりも貴女はそんな難しいこと考えてないでしょ?」

 ソラの指摘はもっともだったが、セラに言われると思わずきつい視線を返してしまう。

「それじゃあ士郎さん……僕の話はこれでお終いです……
 次は……順番的に彼女がいいんじゃないですか?」

「え……?」

 未だに思考をソラのことに働かせていたなのはは突然の指摘にうろたえる。

「えっと……」

 聞きたいことが何だったのか、先程の話ですっかりと頭の中から抜け落ちてしまって焦る。

「……と思いましたけど質問は分かってるから先に答えるけど、僕はあの戦闘からどうやってか逃げ出して倒れたみたい……
 それでそこを恭也さんと美由希さんに拾われたんだよ」

「そうなの……?」

 ソラの言葉を信じないわけではないが、恭也と美由希に視線を向ける。
 二人は無言で頷いて肯定する。

「それじゃあ……そのセラちゃんは?」

「私はソラを迎えに来たの」

「迎え?」

「そ……ソラの真実がある場所につれてけってお願いされたの」

「ソ、ソラさんの真実って……まだ何かあるの?」

 セラの返答になのはは顔を引きつらせる。

「みたいだね」

 あっさりと肯定するソラになのはは唖然とする。
 前代闇の書の主、はやての同じ名前を持っていた兄、青天の魔導書に兵器として育成された御神の剣士。
 もう十分だと思うくらいのものを抱えているのに、まだあるのかと思うと思わず同情してしまう。

「え……えっと……行くんですか?」

 恐る恐るなのははソラに尋ねる。

「とりあえず……」

「とりあえずで!? あ……あの……わたしが言うのも筋違いかもしれないんですが知らない方がいい事もあると思うんですけど」

「そうだね……でも他にすることもないし……」

「暇つぶし!?」

 クラクラと眩暈がする。
 ソラの思考が全く理解できない。
 考えなし、それとも自虐的なのか、とにかく普通の物差しでは測りきれない。

「あなたはどう思ってるの!? 少しは悪いとか思わないの!?」

 なのははセラに詰め寄って問い質す。
 真実がどういうものか分からないが、それが確実にソラを追い詰めるものだと想像できる。
 それを突き付けようとしているセラたちの思惑もなのはの理解の範疇外だった。

「貴女には関係ないでしょ……それにその真実を知って次元世界を見限ってくれた方がセラたちには都合がいいわ」

「あなたは――」

「それよりも自分の心配をした方がいいんじゃないかしら?」

「え……?」

「さっきから貴女とのお話を待ちわびている人がいるでしょ?」

 促されて周囲を見回す。
 そういえば先程から家族の三人は誰も話していない。
 普通に考えれば先に二人が同じ話をしていたからと考えられるのだが、三人がまとう空気に重いものを感じてなのはは唾を飲み込んだ。

「もういいのかい?」

「そうね……後は私たちは貴女の家族に手を出すつもりはまったくないくらいかしら」

 セラの言葉になのはの疑問はなくなる。
 しかし、その内容に安心するよりも士郎から見据えられる眼差しに緊張が高まる。

「なのは……何か言わなければいけないことはないかな?」

 穏やかな、それでいて厳しく重い声。
 それだけで押し潰されてしまいそうな何かがそこにはあった。

「…………とくにないと思うけど」

「本当に?」

「……はい」

 肩をすくめ、小さくなって頷く。
 訳が分からずになのははひたすらに畏縮する。
 士郎からこんな威圧感を向けられたのは初めてのことで、いつもの優しい父の姿とのギャップがあり過ぎて怖いとさえ思える。

「ふー……」

 ため息一つにさえ身体はビクリッと反応する。

「ソラ君に斬られた傷は大丈夫なんだろうね?」

「それは……斬り方が上手かったから簡単に魔法でふさが……あっ……」

 失言に気付くがもう遅かった。
 士郎の眼差しが一層険しくなり、目を伏せている恭也からの威圧感が増し、眼鏡を押し上げて光らせる美由希は分かりやすく怒った顔をしていた。

 ――誰か……

 咄嗟に助けを求めて視線を巡らせるが、ソラとセラの二人はそそくさと壁際まで離れて行ったところだった。

「どうして黙っていた?」

「それは……」

 ほとんど責める様な、否責めている言葉になのはは応えられなかった。
 俯いてしまったなのはに対して士郎が動く。

「それは?」

 士郎がテーブルの上に置いたのは金細工の鳥の置物だった。

「これもある種のデバイスだそうだ」

 言いながら士郎は軽く鳥の頭を叩くと、空間モニターが浮かび上がった。

『お昼のクラナガンニュースの時間です』

 場違いなものの出現になのはは目を点にする。

「えっと……これは……何なのかな?」

 戸惑うなのはを他所に、士郎は徐に空間モニターに触れる。
 すると映し出された映像は切り変わり、細かなアルファベットに似た文字の羅列に変わる。
 さらに触れるとそれは日本語に変わる。
 一見すれば新聞のようにも見えるが、その内容は次元世界のものが書かれている。

「二人にお願いして向こうのことを知るためにもらったんだ」

「何で……そんなことを?」

 士郎の言おうとしていることが分からない。
 向こうのことは自分やリンディさんからいくらでも教わることができるのに、何故二人から教えてもらう必要があるのだろうか。

「なのはが向こうに旅行に行った時、事件があったそうだね」

「あ……」

 全身から血の気が引くのをなのはは感じた。
 空間モニターに映し出された映像の見出し『街中に謎の生物現る!』とその横に並ぶ写真。
 光剣を携えたソラの姿が写された画像に士郎が触れると拡大される。
 その写真の隅にボロボロになって写されている自分の姿をなのはは見た。

「管理局で働きたいと言った時の言葉、覚えているか?」

「…………」

 覚えている。それでもなのはの口は動かなかった。
 魔法のことを家族に打ち明けたその時に管理局で働く意思も告げた。
 始めは反対されたが、最終的にはいくつかの条件をつけて認めてもらった。

「まずはちゃんと教導を受けて危ないことはしない」

「でも……あれは突然だったから……その……」

 言い訳を考えてみても咄嗟に上手いものは思い浮かばない。

「ソラ君に助けられたのが二回、彼に斬られたのが一回。セラちゃんに一回と、彼女の仲間から一回」

 淡々と数えられたものの意味になのはは押し黙る。

「この二週間あまりで五回も死にかけたみたいだね」

「…………」

「これじゃあ向こう側との関わり方を考え直す必要があるな」

「ちょっと待ってよお父さん! どうしてっ!?」

「どうしてじゃない……危険なことはしない約束だっただろ?」

「それは……そうだけど」

「それにずっと携帯電話の電源を切っていただろ? それはどういうつもりだったんだ?」

「…………うう」

「唸ってないで何か言ったらどうなんだ?」

 優しくない言葉を押しつける父は普段の姿では想像もできないくらいの威圧感を発していた。
 初めて見る父の姿になのはは戸惑ってさらに口ごもってしまう。
 父だけではない、兄も姉もなのはの知らない顔で無言で責める。

 ――何でこんなことに……?

 自問自答に答えは返ってくることはない。
 
 ――心配をかけたくないと思ってついたのに……どうして?

 良い子でいなくてはいけない。家族に心配をかけたくない。
 その強迫観念によってついた嘘は間違っていないと自分に言い聞かせながら、なら何がいけないのかと逃げ道を探す。
 そして、悪魔が囁いた。

 ――この人のせいだ……

 我関せずの態度でこちらを窺う軽薄な顔に怒りが込み上げてくる。
 この状況だけではない。
 フェイトの腕を斬り落としたのも彼がやったこと。
 前回闇の書事件でヴォルケンリッターを道具の様に扱ったこと。
 そこではやての、実の家族にさえも手をかけたこと。
 それにクラナガンの方ではクロノを裏切り、病院送りにしたと聞いている。
 さらにはザフィーラも癒えない傷を受けて、凍結封印を施されている。
 何もかも、ソラが現れてから自分の周囲のものが傷付いている。
 その考えに至ると、湧きあがる怒りが押え切れなくなる。

 ――普段のお父さんたちならわたしの気持ちを分かってくれるはず……

 優しい父や兄姉なら嘘をついた気持ちをくんでくれて、責めたりはしない。

「何で僕を睨むかな?」

 あまつさえそんなことを言うソラになのはの頭は熱を上げる。
 敵愾心が大きくなるにつれて彼に感じていた同情は小さくなっていく。
 全て彼の自業自得が招いた不幸な出来事。因果応報の出来事なら同情の余地はない。
 自分のことを棚に上げ、それが勝手な責任転嫁だと考えもせずに口が動く。

「あなたのせいだ……」

「はい?」

「なのは?」

 ソラはなのはの嘘を勝手に暴いて悪い子にしようとしている。
 そう思い込んでしまったなのはの口は止まらない。

「何で!? 何でお父さんたちに余計なことを教えちゃうの!?」

「それは――」

「あなたのせいでみんな傷付いて……そんなにみんなの今を滅茶苦茶にして楽しいの!?」

 高ランク魔導師として明るい未来があったはずのフェイトは片腕を奪われてその道を閉ざされた。
 はやてとヴォルケンリッターの関係に亀裂を入れ、その関係は今にも壊れそうなものになっている。
 クロノは精神的ショックを受けて、立ち直ることができないでいる。
 そして、今自分が魔法に関わることを邪魔している。

「あなたさえいなければ――」

「なのはっ!!」

 ソラを責める叫びをかき消すような美由希の怒声になのはは一瞬身を竦ませるが、きつい目で睨む姉になのはは毅然と睨み返す。

「いくらなんでも言い過ぎだよ、ソラ君に謝りなさい」

「何でその人を庇うの、おねえちゃん? その人は犯罪者なんだよ悪い人なんだよ!?」

「そんなの関係ないっ!」

 即答する美由希をなのはは信じられないと絶句する。
 ソラがしたことを少なからず知っているはずなのに、どうしてそんなことが言えるのか理解に苦しむ。

「っ……お姉ちゃんは知らないからそんなこと言えるんだよ!
 その人のせいでフェイトちゃんもはやてちゃんもヴィータちゃんもシグナムさんもザフィーラさんも、みんな傷付いて、クロノ君だってその人に酷いことされたんだよ!

「だから何を言ってもいいって言うの!? そんな生まれて来たことが間違いなんて言って良い資格なんて誰にもないのに!」

「でも、その人がいなければ誰も傷付かずに済んだ……それにその人は昔に沢山の人を殺してるんだよ」

「そうだとしても、なのはが言ったことは言い過ぎだよ」

「二人ともそこまでにしなさいっ」

 熱を上げるなのはと美由希の衝突に士郎が割って入る。

「今はソラ君の話をしているんじゃない。なのはの話をしているんだ」

「あ……う……」

 厳しい言葉を向けられて熱くなっていた思考は急激に冷める。
 そして、言葉を探すが考えた所でそれは全て言い訳にしかならない。

「ふう……」

 そんななのはの姿に士郎はため息を吐き出した。

「少し向こうの世界に関わることを控えるようしなさい。リンディさんにはお父さんから連絡しておく」

「そんなっ!?」

 今、次元世界は大変なことが起こりつつあるというのに勝手なことを言う士郎になのはは絶句する。

「いいから……少し落ち着いて自分の立ち位置を見直しなさい」

 まるでこちらの言い分を聞こうとしてくれない父に愕然とする。

 ――どうして自分の言葉を聞いてくれないのか?
 ――どうしてソラの言葉を信じるのか?
 ――どうしてみんな、わたしから魔法を取り上げようとするの?

 家族の姿を見回しても、そこにいるのはまるで別人のように思えてしまう。

「…………お父さんは……わたしが魔法を使わない方がいいと思ってるの?」

 震える声でなんとか言葉を絞り出す。それに士郎は躊躇うことなく頷いた。

「場合によっては、その通りだ」

 それ以上聞いてられなかった。
 兄と姉の様子をうかがっても、士郎と意見は同じなのか厳しい表情は変わることはなかった。

「わたしは……わたしは……」

 喉がカラカラに乾いて痛い。
 緊張のあまり思考がまとまらない。
 それでも士郎の言っていることは受け入れられないものだと判断していた。

「絶対にやだ……魔法を捨てるなんて絶対にやだよっ!」

「なのはっ!」

「そんなこと言うお父さんなんて……大っきらいっ!!」

 激情に駆られた口は止まることなく、続く言葉を叫ぶ。

「お兄ちゃんも……お姉ちゃんも……みんな大っきらい!!」

 叫び、誰かが止めるより早くなのはは玄関に向かって駆け出していた。

「待ちなさい! なのはっ!」

 士郎の声を背にするが、それを無視して走る。

「なのはっ!」

 しかし、美由希の叫びがすぐ後ろで上がると同時に肩を掴まれた。
 無理矢理振り向かせられると当然そこには美由希がいて、そのすぐ背後には恭也もいた。
 引き止める二人の眼差しをなのはは受け止めきれず……

「いやっ!」

 気付けば悲鳴と共に魔力を放出して二人を吹き飛ばしていた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 玄関へと続くドアを突き破って、飛んで戻って来た美由希をソラは目で追う。
 そのままガラス戸を突き破って外へ、の直前にセラが展開した魔力の網が彼女を受け止める。

「きゅう……」

「ほらね、あの子にもできたでしょ?」

 慣れない魔力ダメージに目を回している昏倒した美由希を指して士郎に告げる。
 士郎は厳しい顔で俯きソラの言葉に何も返さない。

「待て……なのは……」

 気を失うことのなかった恭也の声が玄関の方から聞こえる。
 無傷ではないのだろう、その声はどこか苦しげだった。
 しかし、恭也の呼びかけに対しての応えは乱暴に音高く閉められた扉の音だった。

「はぁ……」

 恭也が戻ってくる気配はなく、むしろ追い駆けて行く音が聞こえる。
 そして士郎は重い溜息を深々と吐いた。

「やっぱり情報源が僕たちなのがまずかったんじゃないですか?」

「それでも正しい情報を歪めずに教えてくれると思ったのは君たちだけだったんだ」

 高町なのはと戦ったことを明かし、彼女の娘と殺し合いをしたことに目をつむる代わりに要求されたのが次元世界の情報だった。
 特に拒む理由はソラにもセラにもなく、ソラはなのはと会った時のことを話し、セラはクラナガンの一般情報ネットワークにアクセスできるデバイスを差し出した。

「そんなに管理局が信用できないなら始めから関わらせなければよかったのに」

「信用してないわけじゃない。リンディさんは良識のある人だと思えたし、なのはに才能があることも十分に説明されて理解した」

 それでも、管理局は否、なのはさえも次元世界で何をしているのか全てを教えてくれなかった。

「情報を選り分け、都合の悪いことは黙っておく……当たり前の情報操作なんだがね……」

「そんなの始めから予想できていたでしょ?」

「ああ……でも、あの子には好きなことをさせてあげたかったんだ」

 士郎から懺悔、後悔とも取れる念の感じる。
 二人の間にどんなことがあったか聞くつもりはない。

「でも、なんで僕たちを責めないんですか?」

 彼の娘を殺しかけた二人が目の前にいるというのに、士郎は殺気を自分たちに一度も向けていない。

「こちらの常識から考えると君たちの歳で指名手配やテロリストというのが信じ難い話なんだよ」

「そんなものですかね?」

「それに君はなのはを助けてもいるし、殺されかけたそうじゃないか、それでは一方的に責められないよ」

 士郎のその言葉を御人好しと取るか、薄情と取るか悩むところだが、彼らに糾弾されないことにソラは安堵していた。

「それよりなのはが言ったことだけど……」

「ああ……気にしなくていいですよ。あんな言葉、言われ慣れてるし自覚もしてるから」

 その返答に士郎はあからさまに顔をしかめた。

「あんなことを言う子じゃないと思っていたんだがね」

「そうかしら?」

 士郎の言葉にセラが首を傾げる。

「あの子は敵と思った相手にはどこまでも容赦なくなれる子だと思ったけど」

「手厳しいね」

「それに魔法に幻想を持ち過ぎよ……こんな力、ただの暴力でしかないのに」

 自分の手を見つめながらセラは自嘲する。

「君も訳ありなの?」

「訳もないのにテロリストなんてやらないわ……でも、あなたほどひどいものじゃないわね」

「いやいや僕なんて……」

 どっちがより不幸かをセラと押し付け合いながら士郎の様子を窺う。
 高町なのはを問い詰めていた時と同じ厳しい表情でいったい何を考えているのか。
 管理局への不信か、高町なのはの今後の心配か、それとも――

「ソラ君……」

「はいっ!?」

 唐突に呼びかけられて、過剰な反応で返事をしてしまう。

「教えてくれないか……君が人殺しになった理由を」

「理由なんて……それは僕がそうなるために生まれて――」

「君はそんな子供じゃなかった、そうだろハヤテ・ヤガミ君?」

「っ……!」

 士郎の言葉に息を飲んで、まず美由希の様子を窺う。
 美由希は高町なのはによる魔法ダメージで綺麗に昏倒している。
 続いて玄関の気配を探り、恭也がいないことを確認する。

「どうして……分かったの?」

「前の職業柄、その人が嘘を吐いているかどうかくらいある程度分かるんだよ……
 それに髪の色は変わっているけど顔の印象はあの頃の面影を残しているしね」

「そっか……」

「ただ恭也と美由希は何かを感じていても、君だとは分かってないがね」

「僕も……美由希はすぐに分からなかったよ」

「美由希だけなのかい? 恭也は?」

「恭也は昔の士郎にそっくり……って今と比べてもあまり変わらない気がする」

「なるほど……」

 苦笑する士郎。しかし、ソラは俯いてその顔を見ようとしなかった。
 ソラとしての他人ではなく、ハヤテとしての旧友として責められると思うと身体が竦む。
 困った苦笑が本当なのか分からない。
 その奥にはアオと同じような人を物として扱う顔があるのではないかと疑ってしまう。。

「やっぱり知り合いだったの?」

 押し黙っているソラを差し置いてセラが口を挟む。

「十二年くらい前に少しね……ハヤテ君が病気で倒れて、アオが連れて行った以来だけど……身体の方はもう大丈夫なのかい?」

「……うん……一応は……」

「そうか、それはよかった」

 そう言って自分のことのように喜んだ表情を見せてくれるが、一層警戒心を高めてしまう。
 あのハヤテが、士郎が教えてくれた剣で、彼の娘を斬ったと知られた。そこに彼は何を思うのか?

 ――やっぱり責めるのかな?

 他人のならいくらでも聞き流せる言葉でも、彼らのは違う。 
 士郎に恭也、美由希。それにここにいない懐かしい人たち。
 会いたいと思っていた。同時に会えないと思っていた。

 ――みんな……僕がした事を知ったらやっぱり……

 沢山の人を殺し、アオさえも殺した自分を彼らはどんな目で見るか。
 あの優しい眼差しが拒絶に変わると思うと身体が震える。

「それでアオはどうし――」

「ちょっと待って」

 士郎の言葉をセラが遮って、立ち上がる。

「どうかしたのかい?」

「さっそく厄介事が来たみたいよ」

 言いながら手に双刃剣を出すセラ。
 遅れてソラは周囲の気配を探って、玄関の前にいる気配を見つけた。

「三人ね……」

 セラの呟くにソラもまた立ち上がる。

「ここで戦うわけにはいかないから移動するよ……いいね」

 同意を求めつつもすでにソラは窓へを足を進めていた。
 まるでその場から逃げ出すように振り返らずに、そして足早に歩を進める。

「待て、ハヤテ君!」

「……違う……間違ってるよ士郎」

 呼びかけにソラは足を止めて応える。
 ハヤテとソラの二つの名前。
 片や忘れられ、存在しない子供の名前。
 片や兵器として、道具としての人殺しの名前。

「僕は……」

 もうあの頃には戻れない。
 犯した罪は何をしても消えることはなく、一生責め続けられる。

「僕の名前は……」

 だから、名乗るべき名前はハヤテじゃない。

「僕の名前は……ソラだよ」













[17103] 第二十八話 意思
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/09/25 14:43



「ちょっとそこに座りなさい、なのは」

「えっと……アリサちゃん? わたし座ってるよ?」

「いいからっ! 正座っ!」

「はいっ!」

 背筋を伸ばして言われた通り正座をするなのはをアリサは腕を組んで見下ろす。
 アリサの顔は怒りに彩られているのに対して、なのはは困惑してオロオロしている。
 そして、なのはは視線を左右に泳がせてから俯き、下から見上げる様にしておそろおそるアリサを見上げる。

「もしかして……アリサちゃんもお父さんと同じこと言うの?」

「…………あんたねぇ……」

 小動物じみた仕草に萎えそうな怒りを取り直し、なのはの目を正面から見据える。
 それだけでビクリと肩を震わせてなのはは目を逸らした。

 ――この子がこんな風になるなんて初めてね……

 いつも強い意思の光を宿している目はその輝きを鈍らせて不安に揺れている。
 習い事から帰る途中、脇目も振らずに走っていたなのはを見つけ呼び止めた。
 その時もなのはは今と同じようにビクリと身体を震わせてから、恐る恐る振り向いた顔は今にも泣き出しそうだった。
 とにかく車に乗せて家に帰り、落ち着かせて話を聞かせてもらった。

「なのは……あんたの気持ちは分からないわけじゃないけど……」

 アリサの言葉になのはは首をすくめて身構える。
 その頬にアリサは手を伸ばし、左右に引っ張る。

「にゃ!? あいあひゃん!?」

「アリシアを使ってまで嘘を吐いことは納得できないわよ」

「うにゃぁーー!」

 そのまま上下に手を動かし、それにつれてなのはは間の抜けた悲鳴を上げる。
 その反応に溜飲を下げて、アリサは最後に手を放すと、パチンと両手でなのはの頬を叩く。

「うう……」

 涙目になって頬をさするなのはにアリサは厳しい態度のまま言葉を投げつける。

「危ないことするなっていうのが無理だってことくらいちゃんと分かっているわよ」

 年期の差はあっても、その聡明さと経験でアリサは士郎の考えを理解している。
 魔法というものを教えてもらい、あのクリスマスの時に体感した桜色の奔流からそれがどれほど危険なものか突き付けられた。
 アニメやおとぎ話のような力ではない、圧倒的な力と存在感。
 なのはとフェイトに守られながらも感じた暴風と地を振るわせ、身体を叩いた衝撃はアリサに死を感じさせた。
 魔法に対して何の抵抗もできない身だからこそ、アリサはなのはよりも魔法の脅威を明確に感じた。
 あれは銃や刃物と同じ暴力の力だった。
 魔導師として生きることを決めたなのはは常にあの様な戦場に身を置くことになり、同じ力を使うことになる。
 言いたいことはあったが、彼女が決めた将来に口を挟むことはできず、またその時のまっすぐな瞳が無用な心配だと思わせた。
 そこにはなのはなら魔法の使い方を誤ることはないという信頼もあった。

「言いたくないとか話せない事情があるっていうのも分かるけど、それを嘘で誤魔化すのはだけはやめなさい。
 じゃないと、ちゃんとお帰りって言ってあげられないでしょ」

「…………うん……ごめんなさい」

「ちゃんと反省しなさいよ……それからすずかにも話すから覚悟しておきなさい」

「…………うん」

「あと士郎さんたちとちゃんと話をする」

「………………でも……わたし……」

「でも、何よ?」

 アリサの言葉を受け入れたもののなのはの顔色は優れない。

「わたし……お兄ちゃんたちにひどいことした……」

「それは……」

 話を聞いて、なのはらしくない行動だとアリサは感じていた。
 それを示すようになのははうなだれながら言葉を続ける。

「あんなことするつもりなかったのに……お父さんに怒られて頭が真っ白になって……それから……それから……」

「ああ、もう! 分かってるから落ち着きなさいっ!」

 少し乱暴な口調でアリサはなのはをたしなめる。

「あの人たちならちゃんと謝れば許してくれるって安心しなさい」

 どんどん落ち込んでネガティブになっていくなのは。
 元々の芯が強い分、一度折れるとその落差がひどいことをアリサは痛感する。

「……ほんとう?」

「当たり前でしょ、あんたが信じないで誰が信じるのよ?」

 慰めの言葉になのはは俯いて考え込んでしまう。

「大丈夫……明日一緒に行ってあげるから」

「…………うん」

 力なく頷くなのはにアリサは内心でため息を吐く。

 ――調子が狂う……

 初めて目の当たりにする弱いなのはの姿にどうしていいか分からなくなる。
 これまで家族から怒られたという話は聞いたことがないから初めての経験だったのだろうが、ここまで平静を失うものなのか。
 家柄、普段から厳しい躾を受けているアリサにとっては今のなのはの心情を計り切ることは難しい。

 ――はぁ……すずかがいれば……

 聞き上手な彼女ならなのはも話しやすかっただろうが、今彼女は家族旅行の最中で呼び出すことはできない。
 無いもの強請りはできないと自分に言い聞かせながら、アリサは言葉を選ぶ。

「あー……ほら、良い機会だからいろいろ吐き出しちゃいなさいよ……
 あたしにはなのはたちを助けて上げる力はないけど、愚痴を聞く位ならできるから……
 ほら、話をするだけでも楽になるっていうじゃない?」

「…………うん、そうだね」

 コクリと小さく頷いてなのはは語り出した。

 旅行の日から始まった事件。ソラとの出会い。
 帰って来たクロノの父クライドとフェイトのオリジナルのアリシア。
 海鳴に帰って来て、はやてを狙って現れた二人の超能力者。はやての義理の姉のアサヒ。
 圧倒的な力の持ち主であるセラ。強くなるための新しい武装を使っての失敗。
 気付かなかったフェイトのアリシアに対しての気持ち。
 フェイトを助けるために戦っていたソラの邪魔をしてしまったこと。
 自分ではフェイトを助けられなかったこと。
 ソラの不死の身体、斬り落とされたフェイトの腕。
 融合騎となっていたフェイトの母プレシア、アリシアとフェイトの和解。
 ソラの正体。
 前回闇の書の主だったこと。はやての実の兄だったこと。家族と同じ剣術を使っていたこと。
 ソラの敵対意識を強くしてしまった自分の行動。ソラのことを影から操っているアオの存在。
 全ての出来事に何もできなく、無力だった自分。
 家に帰れば、何故かいるソラとセラ。勝手に暴かれていた嘘。
 自分の知らない初めて見る家族の姿。
 そして初めて本気で怒られて、初めて魔力を暴発させてしまったこと。

 全てを語り終えた頃には高かった陽は落ち、すっかり夜の帳が降りていた。
 そして語りつかれてしまったなのははそのまま眠ってしまった。

「はぁ……」

 なのはをベッドに運ぶのを鮫島に頼んでアリサは重いため息を吐いた。
 
「想像以上だったわ……」

 長い話にアリサは疲れた声をもらす。

「なのはも結構追い詰められてたのね」

 何もできなかったこと。それが彼女にとっては一番辛かったことだろう。
 友達を守ることができず、気持ちを察して上げることができず、止めることもできなかった。
 何もできない無力な自分が嫌で、逸る気持ちで何かをしようとして失敗を重ねてしまった。
 客観的に見たなのはの行動がそれだった。

「それにしても……ソラか……」

 自然とアリサはこの話の落とし所を考えてみる。
 始めの説明だけではただの無頼者としか認識していなかったが、話の中で最も損な役回りにいたのが彼だった。
 彼の境遇は悲惨の一言に尽きる。
 過去・現在・未来、どこを取っても彼に救いはない。
 死ぬことさえできない地獄。
 それがどれほどのものか想像もできず、友達を傷付けられたというのに彼を責める気にはなれなかった。

「…………あれ?」

 不意にある考えが頭に過ぎった。

「誰が……ソラの昔のことに気付いたのかしら?」

 なのはの話では初めソラは身元不明の謎の人物だった。
 元犯罪者と自称していたらしいが、それに当てはまる人はいなかったらしい。
 事実ソラが闇の書の主だったがそれを何の根拠があって、誰が結びつけたのか、なのはの話ではそこが抜けていた。

「あ……」

 ある可能性に気が付きアリサは口元を押さえた。

「ちょっと待って……それってまさか……」

 その考えを確かめるためにアリサは携帯を取り出した。

「…………もしもし、はやて? ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 高町なのはは緊張した表情で目の前の扉の前に立つ。
 昨日と同じ場所、同じ光景。
 しかし、昨日以上にその目の前の扉が固く閉ざされている様に感じた。

「なのは……」

「……大丈夫」

 隣りで心配そうな顔をしてくれるアリサに応えながら深呼吸を一つ。
 そして意を決して扉に手を伸ばす――そこで勝手に扉が開いた。

「お帰り、なのは」

「あ……お、お父さん……」

 覚悟を決めたはずなのにその姿を前にすると思考は止まり、身体は硬直する。

「あの……その…………ごめんなさい……」

 結局、言えたのはそれだけだった。

「お父さんも少し言い過ぎた、でもちゃんとなのはの将来のこと話し合わせてもらえるかな?」

 自分に目線を合わせるようにしゃがんで話す士郎。
 その眼差しは本当に自分のことを心配してくれていると分かる。

「うん……」

 コクリと頷いてなのははようやく肩から力を抜くことができた。

「そうか、よかった……アリサちゃん迷惑をかけてすまなかったね」

「いえ、これくらいなんともないです」

 挨拶もそこそこに綺麗に片付いている玄関を通ってリビングに移動する。
 そして昨日と同じ席に座っる。

「あの……お兄ちゃんとお姉ちゃんは?」

「恭也は翠屋……美由希は桃子と一緒に買い物に行ったよ」

「そう……」

「大丈夫、二人とも怒ってはいないから」

 それを聞いて安堵するが、改めて自分が馬鹿なことをしたとなのはは思う。
 父に怒られ、魔法を取り上げられると思って逃げ出して、追い駆けて来た兄姉を魔力で突き飛ばした。
 それは制御して放ったものではなく、感情に呼応した暴発だった。
 魔法の制御を誤ったのは初めてのことだった。
 涙も、痛みも、運命も撃ち抜き、悲しみを終わらせると信じていた力はこんなにも容易く人を傷付けるものに変わってしまった。

「なのは、まずは教えて欲しい。
 なのはにとって魔法はどんな力なのかっていうことを」

「魔法は……」

 リビングのソファに昨日と同じように士郎と対面するなのはは言葉を詰まらせる。
 励ますように隣りに座るアリサが手を握ってくれるが明確な答えは出てこない。

「最初はわたしにしかできないことだから……特別な力だと思ってた」

 助けを求めたユーノの、誰かの役に立てることが嬉しかった。
 そして大規模なジュエルシードの暴走によってもたらされた被害を目の当たりにして街のみんなを自分が守ると意気込んだ。
 それが自分にしかできないことだから。
 フェイトと出会い。本気でぶつかり合って、分かり合うことができた。
 魔法と出会ってから経験したことを思い出しながらなのはは言葉を続ける。

「誰かを救うための力……悲しいことを終わらせて、分かり合うための力……わたしの魔法はそのための力……だと思う……」

 前は胸を張って言えたことなのに今はそれができない。
 脳裏に浮かぶのは自分が魔法を暴発させて兄と姉に力を振るってしまった光景。
 それは決してなのはが好きになった力のではない。

「なのは……今からうちの剣について話そうと思う」

 なのはの言葉を受けて士郎は厳格な表情で語り始める。

「うちの流派は永全不動八門一派御神真刀流・小太刀二刀術といって、古流剣術のものだ」

「うん……それは知ってる」

「その技を今の恭也や昔のお父さんはボディーガードとして使っていた」

 目を伏せて、一拍置く士郎になのはの緊張が高まる。

「力のない者に変わって牙となり、彼らを守る。聞こえはいいが、御神の剣は殺しの技にしか過ぎない」

「そんな……」

「剣はどこまで行っても凶器で、剣術は殺人術。この関係は決して切り離せないものだ。
 このことは恭也も美由希も理解して、納得している」

 士郎の告白になのはは絶句する。
 兄姉が大好きな剣術がそんなものだったとは知らなかった。

「でもね……なのは、その力は確かに人を守れるんだよ」

 動揺するなのはに士郎は穏やかなに告げる。

「医者のメス、警官の拳銃、どれも人を傷付ける道具でしかないけど、それで病気を治すこともできれば人を守ることもできる……
 魔法がただ危険な力とは言うつもりはない。それでも人を傷付けることのできる力だということをちゃんと知っていなければいけない」

 なのはは呼吸を整えてまっすぐ士郎の眼差しを受け止める。
 フェイトがソラにしたこと、自分がソラにしたこと。そして父の言葉。
 今まで純粋に素晴らしい力だと思っていた魔法はそんな綺麗なだけのものではないことはなのはもうすうす気づいている。
 だからこそ、士郎の言葉を真摯に受け止めて自分にとっての魔法がなんなのか改めて考える。

「御神の剣はただの力に過ぎない。それを間違わずに使わないように常に自分を戒める必要がある。
 お父さんは魔法も同じだと思っている。
 そのためにはその力が何をもたらすのか、なのははちゃんと知っていないといけないんだ」

「……うん」

 一つ間違えれば危険な力。
 それは刀も魔法も同じ。
 そんな当たり前なことをなのはは改めて心に刻む。

「あのね……お父さん――」

「たっだいまぁ!!」

「フェイトちゃん!?」

 突然響いた彼女の声になのはは途中まで出た言葉を止めて、驚き振り返る。しかし同時に違和感を受けた。
 当然、フェイトにも管理局にもソラとセラのことは報告していない。それに――

 ――何か元気過ぎる気が……

 控え目なフェイトではまずあり得ない力一杯の声はむしろアリシアかと思うが彼女の方でも違和感を拭えない。
 そんなことを考えている間にトトトトッと廊下を走る音が聞こえ、バンッと勢いよくドアが開かれる。

「シロウ! どうだこの服、似合ってるか!?」

「えぇっ!?」

「はいっ!?」

 テンション高く入って来たフェイトの姿になのはとアリサは驚きの声を上げる。
 それは何故彼女がここにという疑問ではなく、彼女がとにかく青かったからだ。
 半ズボンに半袖のパーカー。男の子の様な格好だが彼女からにじみ出る元気の良さにはとても似合っていた。
 姿かたちはフェイトだが、絶対的な差がその髪の色だった。
 フェイトのそれは金髪なのに対して彼女のそれは青。
 髪の色。まとう空気。テンションの高さ。
 なのはたちの目には別人としてしか見えなかった。

「ああ、似合ってるよテス――」

「ちょっとあんた何なのよっ!?」

 士郎の言葉に被せる形でアリサが叫ぶ。

「ん? 僕か?」

 士郎に向けていた顔をアリサに向けて、彼女はどこか嬉しそうに胸を張って告げる。

「僕の名前はテスラ。雷刃の襲撃者、テスラだ。かっこいいだろ?」

 誇らしげに名乗るその姿はやはりフェイトとアリシアからかけ離れている。

「雷刃の襲撃者……」

 なのははその二つ名を聞いて既視感を感じる。

 ――似たような名前を何処かで聞いたことがあるような気がする……

 それがどこだったか思い出す前にさらに友達によく似た誰かが現れる。

「まったく、みっともなくはしゃぎおって……」

 呆れた顔で入って来たのは白髪のはやて。
 彼女の明確な違いはその両足で立って歩いていること。そして何より纏う気配が違っていた。
 言葉の端にある人を見下す傲慢な態度はなのはの知るはやてにはないもの。

「こ……今度ははやてのにせもの……」

「む……何だこいつらは?」

 アリサの呟きに彼女が気付いて眉をひそめる。
 はやてと違い目付きの悪い眼差しになのはは思わずたじろぐ。

「紹介するよ、この子が私の娘のなのは。それからその友達のアリサちゃんだ」

「ああ、通りで見たことある顔だと思ったわ」

 偉そうな彼女の物言いに士郎は苦笑しながら自己紹介を促す。

「我は闇を統べる王、スオウ。よく覚えておくのだな下郎ども!」

 ふふんっと鼻をならし、彼女も自慢げに名乗りを上げる。

「二人とも自分の荷物くらいちゃんと最後まで持ってください」

「まさか……」

 聞き覚えのあり過ぎる声になのはは振り返る。

「あ……お初にお目にかかります」

 自分と同じ顔と目があって彼女はぺこりと礼儀正しく頭を下げる。

「私は闇の書の構築体の一基。
 ≪理≫のマテリアル星光の殲滅者、高町あかりといいます」

「星光の殲滅者……」

 その名前を聞いて思い出す。
 闇の書の残滓事件が発生した最初の頃にザフィーラが戦った自分を模した構築体。
 ならば、雷刃の襲撃者も闇を統べる王もそれぞれを模した構築体なのだと分かる。

「って、高町!?」

 遅れながら、なのはは叫びを上げる。
 そんな名前は報告で聞いてない。

「何と言われましても……」

 彼女はなのはの言葉をまともに受け取って考え込む。

「どうしてマテリアルのあなたがここにいるの!? 闇の書の残滓事件は終わったはずじゃないの!?」

 リインフォースが連れ去られた後、海鳴に残留する魔力の値は平常時のものに戻った。
 だから残滓事件は終わったものだと思っていただけに彼女たちを前にしてなのははうろたえる。

「その説明は少々長くなります。先に最初の質問に答えると、私高町あかりは高町士郎の隠し子です」

「…………隠し子?」

 暴走寸前だった頭はあかりのその一言で臨界を突破した。

「…………隠し子……隠し子……隠し子って……何だっけ、アリサちゃん?」

 目を虚ろにしてなのはは尋ねる。

「ちょっ……気をしっかり持ちなさい!」

 アリサに肩をガクガクと揺さぶられ、正気を取り戻したなのはは士郎に向き直る。

「お父さんっ!!」

「落ち着くんだなのは、これはソラの仕業なんだ」

「あ……そっか」

 言われてすぐに納得する。同時に頭は急速に落ち着きを取り戻す。
 そういうことを嬉々として吹き込むソラの姿が容易に想像できる。

「それじゃあこの子はやっぱり……」

「あーそれなんだがなのは」

 言い辛そうにする士郎になのはは首を傾げる。

「昨日からその子はなのはの妹になったんだ」

「え……?」

 言葉を失い、ゆっくりと星光の殲滅者、もとい高町あかりに向き直る。

「何故か、そういうことになってしまいました」

 丁寧な肯定の言葉になのはは応えられずに……

「ええええええーーっ!!?」

 それまでで一際大きな悲鳴が高町家に響き渡った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「どうも……初めまして星光の殲滅者といいます」

「僕は雷刃の襲撃者っ!」

「ふん……我は闇を統べる王だ」

 並んで名乗る三人にソラは頭が痛くなるのを感じた。

「ハヤテ君……この子たちは?」

「ちょっと待って士郎考えをまとめるから、それからハヤテって呼ぶな」

 目を瞑って二度三度深呼吸をして、ソラは改めて目を開ける。
 そこには変わらず誰かを模したような三人の少女が並んで座っている。

「……はぁ」

 思わずため息がもれる。
 高町なのはが飛び出すのと入れ違いに尋ねて来た三人組み。
 その容姿に若干の違いはあるもののそれは見覚えのある少女たちだった。

 ――星光の殲滅者。高町なのはを模して造られた構築体。

 ――雷刃の襲撃者。フェイト・テスタロッサを模して造られた構築体。

 ――闇を統べる王。八神はやてを模して作られた構築体。

 彼女たちが何から生み出されたなんて考えるまでもない。

「何が壊れているだ……しっかり機能してるじゃないか」

 愚痴る様にソラは文句をこぼす。
 夜天の魔導書の技術――リンカーコアの生産。
 蒐集によって蓄積した魔力と知識から守護騎士を作り出すシステム。
 まとう気配に違和感があっても間違えるはずのない気配。

 ――もしかしたらヴォルケンリッターも蒐集対象か、主を模したものだったのかもしれないな……

 意味のないことを考えながら士郎の様子を窺う。
 ソラが言った通り黙ってはいるが、その表情は待ちきれないと言っている。

 ――どうしようかな……

 説明するのは簡単だが、果たしてそれで良いのかと頭を悩ませる。

「士郎……できれば知らない方がいいと思うんだけど……これ一応魔法関係のことだから聞けば厄介事に巻き込まれると思う」

「流石にそれはできないね……この子はなのはと何かしらの関係があるんだろう?」

「ですよね……」

 うなだれながらソラは改めて構築体の三人に向き直る。

「とりあえずいくつか確認させてもらうよ?」

「はい、どうぞ」

 答えたのは星光の殲滅者だった。
 いや、正確に言えば他の二人は士郎が出したお菓子に夢中になっていて話を聞いていない様子だった。
 それを見なかったことにしてソラは続ける。

「君たちは夜天の技術で作られた魔導生命体で間違いない?」

「はい……私たちは夜天の魔導書から切り離された闇の書が作り出したものです」

「君たちがここに来た……いや、僕の所に来たのは君たちの状態が関係してるの?」

「話が早くて助かります。察しの通り今の私たちは戦闘ができるほどの魔力運用を行うことはできません」

「理由は?」

「前の戦闘で防衛システムは貴方に対抗する相手として過去に蒐集した青天の魔導書のデータを持ち出しました。
 ですが、この世界に蓄積した魔力の大半を使っても彼女の全てを再現することはできませんでした」

「あれで不完全だったの……?」

 手も足も出なかったことを思い出してソラは顔をしかめる。
 昔から底が知れないと思っていたが、改めて彼女の凄さを思い知らされる。

「続けます……彼女を構築するにあたり足りなかった魔力は待機状態の私たちからも取られました。
 その結果、私たちは魔力不十分の状態で構築されてしまい、実体具現で身体を構築している状態でやっとの状況です。
 そしてその実体具現も不安定な状態のため、いつ消えるか分からない状況にあります」

「……それにしては落ち着いているね」

「そうですか? これでも焦っているのですが」

 無表情で言う星光の殲滅者から言葉以上のものは探れない。
 しかし、彼女たちから感じる魔力は言葉通りほとんど感じない。

 ――これじゃあただの人間と変わらないな……

 星光の殲滅者の言葉を吟味しながらもソラは彼女たちが自分を尋ねて来た理由にすでに辿り着く。

「君たちが来た理由は僕に実体具現のシステムを調整してもらいたいっていうこと?」

「その通りです」

 臆面もなく頷く星光の殲滅者にソラの視線は温度を低くする。

「それは君たち闇の書が僕にしたことを分かって言ってるの?」

「はい……ですが、他に適任者はいません」

「何で? 今代の主に頼めばいいんじゃないの?」

「彼女は私たちを切り捨てた者です。それに彼女は知識の復元が不十分であることから私たち要求を叶えることはできません」

「ならセラたちの方は? 管制人格を持って行ったんでしょ?」

「データの吸い出しをして、情報の復元もしないといけないんだから今すぐに夜天の技術を使うことなんてできないわ」

 分かってるでしょ? と視線で訴えるセラにソラはため息を吐きたくなる。

 ――面倒なことになったなぁ……

 考えるまでもなくこの世界、この瞬間に完全な実体具現の魔法の知識を持っているのは自分だけだろう。
 夜天の魔導書が作り上げたヴォルケンリッターを生産する技術は完全なロストテクノロジーに分類されるもの。管理局がそれを持っているとは思えない。

「たしかにできるけどさぁ……」

 闇の書に対してのわだかまりはソラにとって大きなものではない。
 蒐集の果ての自滅も、望まぬ戦いの日々も全て、幼い自分が彼女たちの言葉を少しでも信じた愚行の結末だと割り切っている。
 許せなかったのはアオを傷付けたその一点だけ。
 しかし、彼女の真意を聞かされてその思いも薄れてしまった。
 何もない空っぽな状況。
 セラの示す自分の真実を知ることは気晴らしでしかない。それと同じと考えればマテリアルの三人を助けることは別に拒むことではない。

「…………わか――」

「ええいっ! 我が直々に頭を下げに来てやっておるのだ! 早く我らを元通りに直せっ!」

 今まで話を任せきりにしていた闇を統べる王が突然叫んだ。

「…………うん、消そう」

 いつ頭を下げたとか、口にものを詰めたまま叫ぶなとか、偉そうにふんぞり返って言うなとか、色々言いたいことができた。
 闇の書へのわだかまりも、気晴らしのことも、全て頭の中から消えてソラは身体を動かす。
 ソファから立ち上がると同時に手を伸ばす。
 テーブルを挟んでいても十分に手の届く間合い。

「待った」

 しかし、その手を士郎が横から掴んで止めた。

「士郎……邪魔しないでくれないかな?」

「そんなに殺気立って何をするつもりなんだ? まだ彼女たちが何者か説明してもらってないんだけど?」

「知る必要はなし! こいつらは今すぐここで二度と化けて出てこないくらいに徹底的に解体してなかったことにするから気にしなくていい!」

「流石にそういうわけにはいかないな」

 よっ、と軽い呼気がソラの耳に聞こえた瞬間、視界は一転してソラはソファに投げ飛ばされ、そのまま押えこまれる。

「何をって……いだだだだっ!」

 いつの間に肘の関節を極められ、そこから響く痛みにソラは悲鳴を上げる。
 バンバンとソファを叩いてギブアップを主張するが士郎は拘束を解こうとしない。

「それで君たちが何者なのか説明してもらって良いかな?」

「こら士郎! 人の上に乗って話を進めるなっ!」

 こちらの文句を無視して士郎は自分から話しかける。

「私たちは闇の書によって作り出された魔導生命体です」

 星光の殲滅者はソラに視線を向けつつも、士郎の問いに応える。

「それはさっき聞いたけど……そうだね、君となのはの関係を教えてくれないかな?」

「高町なのはは私を構成するに当たって元となったオリジナルです」

「オリジナル……というと君はクローンみたいなものなのか?」

「そうですね……その表現で間違っていないかと思います」

 そこまで言って、ふと星光の殲滅者は何かを考え込んでから口を開いた。

「あなたのことはお父様と呼んだ方がよろしいですか?」

「お父様!?」

「それともパパの方がよろしいですか?」

「パパッ!!?」

 何かの琴線に触れたのか士郎はひどく動揺する。
 その動揺の隙に取られた腕を振り払い、士郎を押しのける。
 士郎は危なげなくソラから離れるが、その意識は星光の殲滅者に固定されていた。

「ハハハ、ハヤテ君……彼女が言ったことは本当なのかい?」

「まあ、それぞれ高町なのは、フェイト・テスタロッサ……八神はやてのデータを元にしているのは確かだよ……
 そういう意味では士郎とこの子は親子だって言えるけど……
 それから何度も言ってるけど僕のことはソラって呼んでくれない」

「そうか……やはりパパか……いやお父様も捨てがたい……」

 人の話を聞かずに士郎は考え込んでしまう。
 ソラはやれやれと肩をすくめる。すっかり毒気を抜かれてしまった。少なくても今すぐにマテリアルたちを消そうとする意識はなくなってしまった。

「むぅ……我を無視するとは何事か!?」

 未だに偉そうに騒ぐ闇を統べる王にソラはため息をもらす。そして、おもむろに手招きする。

「何だ?」

 意外にも素直に近付いてくる闇を統べる王。その頭にソラは拳骨を落とした。

「がっ!? 貴様、何をする! 我を王と知っての狼藉か!?」

「もう少しものの頼み方っていうのを覚えるんだね」

「貴様ぁ……羽をもがれた鳥の分際で」

「その言葉そっくりそのまま返すよ」

「何だと!?」

 闇を統べる王は腕を振り上げて襲いかかってくる。
 ソラはそんな彼女の頭を押さえる。それだけで腕の長さの差で彼女の両手はただやみくもに空回りする。
 そんな余裕のソラの態度に闇を統べる王はさらに呼気を荒くして腕を回す。

 ――やれやれ……

 子供を相手にする気疲れにソラはまたため息を吐く。

「よし、やっぱりパパと呼んでくれるかな」

 士郎の葛藤が終わり、星光の殲滅者にそれを伝える。

「はい……分かりましたパ――」

 不意に星光の殲滅者の言葉が途切れる。
 同時にソラもその悪寒を感じて身構えた。
 腕の先で暴れていた闇を統べる王も何かを感じて大人しくなっている。
 ゴクリ、唾を飲み込み。その異様な気配に向かって首を向ける。

「あなた……その子……パパって……」

 部屋の入り口で顔を蒼白にして立ち尽くすのは士郎の妻である高町桃子。
 今は驚きによって言葉を失い静かだが、それが嵐の前の静けさの様で不気味な緊張を作り出す。

「桃子……この子は……その……」

 突然のことに戸惑った言葉しか発せられない士郎に桃子はゆらりと歩み寄る。

「あなた……その子は誰? いったいどういう関係なの?」

 雷刃の襲撃者と闇を統べる王が見えていないのか、桃子は星光の殲滅者だけを見て士郎に詰め寄る。

「あ……その……」

 いったいどんな目で睨まれているのか、士郎は完全に畏縮して言葉にならない音をもらす。

 ――助けてくれ!

 士郎が視線で訴える。それにソラは首を横に振って無理だと応える。

 ――君だけが頼りなんだ! せめてこの子が何者なのか説明してくれ!!

 視線の言葉にソラは考える。

 ――隠し子って言っていい?

 ――殺す気か!?

 抗議の目にソラは煽ることをやめた。
 マテリアルを消すことを邪魔された意趣返しとしてそうするのも悪くはないが、その後の対応がなにより怖い。

「あんまりこっち側のことは話したくはいんだけど……しかたないか……」

 それでも今の桃子に話しかけるのは怖いなぁ、と思いつつもソラは意を決する。
 しかし――

「私と士郎の関係はいちおう親子になります」

 生真面目に、ある意味では間違っていない、つい先程認めてもらった答えを星光の殲滅者が口にする。
 ソラは正面を向いたまま、一歩下がる。
 士郎は顔面を蒼白にして口をパクパクと動かし、声にならない助けを求める。

 ――強く生きろ……

 視線でそれだけ応えてソラは音を立てないようにリビングから出て行こうとする。

「……えっと、あなたのお名前は?」

「私は星光の殲滅者といいます」

「……それはお父さんがつけてくれたの?」

「いいえ、私が自分でつけたものです。パパは今まで私のことを知りませんでしたから」

 桃子と星光の殲滅者のやり取りに嫌な汗が噴き出す。
 穏やかな口調。それなのに気配の威圧感は留まることなく重く、息苦しくさせる。
 士郎の顔色が蒼白を通り越して土気色に変わる。

「あなた……ちょっとお話しましょうか……」

 背中越しで彼女の顔が見れないことを心の底から安堵する。

「ああ、ソラ君……」

「はいっ!?」

 突然の呼びかけにソラは直立になって返事をする。

「ちょっと士郎さんと二人っきりにしてくれるかしら?」

「イエス・マムッ!!」

 敬礼する勢いでソラは返事をして、素早く星光の殲滅者と雷刃の襲撃者の首根っこを掴み、猫のように持って最大速度で部屋から出る。
 バタンとドアを閉じてソラはためた息を吐き出して、緊張した身体を弛緩させる。

「すごいわね……非魔導師であのプレッシャー……ある意味、青天以上ね」

 すでに避難していたセラが冷や汗を拭いながらそんな言葉をもらす。

「おい……士郎は大丈夫なのか?」

 先程までの偉そうな態度を潜ませて、闇を統べる王がリビングを窺おうとする。

「もう僕たちにできることは祈ることしかないよ……士郎、明日の朝日が拝めますように……」

 手を合わせて彼の冥福を祈る。

「明日の朝日が拝めますようにっ!」

 ソラの真似をする闇を統べる王。
 そして、ソラは呆れを混ぜた視線を星光の殲滅者に送った。

「何かいけなかったのでしょうか?」

「いや何かって……」

 自分が言ったことが何をもたらしたか自覚していない彼女に戦慄を感じる。
 純粋で生真面目であるが故の天然。

「大物だな……」

 ふと呟きながら、ソラは雷刃の襲撃者に目を向ける。
 彼女は最初の自己紹介から何も話していなかった。
 いったい何をしていたのかと思って見てみると、雷刃の襲撃者と目が合う。
 何かの飲み物が半分ほど入ったグラスを両手で持ち、ストローに口をつけていた。
 そして、彼女はソラに見られながらずずずっと一気にそれを飲み干した。
 良く見れば口元には何かの食べカスもついている。

「ぷはっ……もう話は終わったのか?」

 その時ソラは思った、もしかしたらこいつが一番の大物ではないのかと……




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「っていうことがあったんだよ」

 自分が飛び出した後のことを語ってくれたソラになのは何とも言えない思いを感じる。

 ――わたしが悩んでいる時にこの人たちはそんなことをしていたんだ……

 思わず責める様な目で彼を見てしまうが、視界の隅にいるそれぞれのマテリアルたちを見て毒気を抜かれてしまう。
 昼食の準備を手伝うあかりに、その周りをうろちょろしているテスラ。そして一人ソファに座って本を読んでいるスオウ。
 その姿はどこにでもいる子供で、微笑ましささえ感じてしまう。とても闇の書の使徒とは思えない姿だった。

「えっと……それじゃあ名前は?」

「流石に星光の殲滅者とかだと言いづらかったからね。みんなでいろいろと話し合った結果あの名前になったんだよ」

 明星の光から漢字では固いということとなのはと同じようにしたいという意見から、あかり。
 テスタロッサからなじったテスラ。
 そして王と呼ばれることにこだわった闇を統べる王は元の名前をなじった、スオウ。

「ま、ほとんど桃子さんが決めちゃったけどね」

「そういう君もかなりいろいろ言ってたじゃないか」

 横から口を挟む士郎にソラは当然だと頷く。

「当たり前だよ。名前はその人が持てる絶対に穢されない唯一のものであり、一生ものの持ちものだよ。
 それをいい加減な気持ちで決めるなんてありえないよ」

「そうだね……確かに君の言うとおりだ」

 ソラの言葉に士郎が同意する。
 何気ない会話なのにソラの言葉はなのはに重くのしかかる。
 ハヤテ・ヤガミを奪われた彼の気持ちが今なら少し理解できる。
 自分の知らないところで家族として受け入れられたあかりにもし自分と同じ名前をつけられていたらと思うと想像しただけでも気分が悪くなる。
 しかも、魔法を暴発させたとはいえ家族に暴力を振るった直後。
 いらない子だと言われたら平静を保つ自信はない。
 ソラの傷の痛みが理解できた、しかしだからと言って何を彼に言えばいいのか分からない。

「なのは姉さん……」

「え……?」

 黙りこんでしまったなのはは背後からかけられたあかりの言葉に耳を疑った。

「えっと……あかりちゃん、今なんて言った?」

「……なのは姉さん、と言いましたが?」

「姉さん……」

 その言葉を反芻してなのははぐっと胸に込み上げてくるものを感じる。

「ねえねえ……もう一回呼んで」

「なのは姉さん」

 その呼び方になのはの顔がにへらとゆるむ。

「君たち高町家はみんなそれをやらないと気が済まないの?」

「なのは、あんた妹が欲しかったんだ」

 悦に入っているなのはにソラとアリサが冷静な言葉を投げかける。

「にゃ!? べ、別にそんなことないよ……って、みんな?」

 アリサの言葉に弁明しつつも、ソラの言葉に首を傾げる。

「うん。士郎さんはパパって呼ばれたかったみたいだし、恭也さんも美由希さんは兄さんと姉さんだったかな?」

「えっと……もしかしてそっちの方がいいのかな?」

「いや、別になのはの呼び方が嫌だと言うわけじゃなくてだね……
 そのなんというかたまには別の呼び方をされてみたかっとか……」

 しどろもどろに弁明する士郎に父親の威厳はなかった。

「それはともかく、どうかしたのあかり?」

「はい……これを」

 話を切り上げてソラが要件を尋ねる。
 彼女が差し出したのはお盆に乗った人数分のお椀とお箸。

「…………本当にやるつもりなんだ……よくセラを説得できたね」

「テスラがあまりにしつこかったのとママのお願いで、うんざりしながらも了承してくれました」

 ソラとあかりのやり取りになのはは首を傾げる。
 何気なく周囲を見てみると食卓から離れたソファに座るテスラとスオウはすでにお椀とお箸を手にしていた。
 しかし、その前には何もない。
 もう一度首を傾げると、桃子の声が響き渡った。

「はい、それじゃあ始めるわね。セラちゃんお願い」

「はぁ……仕方ないわね」

 ため息交じりにセラが応えて血色の魔法陣を展開する。

「っ……!?」

 思わずレイジングハートを手に身構えるが、次の瞬間に広がった光景になのははポカンと呆けた。
 何もない空中に一本の水が流れる。それは桃子の前から始まりテスラ達の前を通り、自分たちの前を過ぎ、元の場所に戻っていく。

「えっと……まさか……」

 お椀の中のつゆと今の光景になのははあるものを連想する。

「おおっ!!」

 テスラが一人歓声を上げて、水の中に箸を入れる。

「むう……」

 しかし、顔をしかめてうなる。
 なのはの目の前の水に白いものが流れ、通り過ぎていく。

「…………流しそうめん」

 アリサの呟きになのははがっくりと膝をついた。

「魔法が……魔法が……」

 涙も、痛みも、運命も撃ち抜き、悲しみを終わらせる力と人を傷付ける暴力の力。
 二つの在り方に苦悩していたなのはにとって目の前の使い方はとてつもない衝撃を受けた。

「こういう使い方なら安心なんだけどな」

 士郎の呟きなど耳に入ってこなかった。

「ちょっと大丈夫、なのは?」

 アリサが気遣って声をかけてくれるが、言葉を返す余裕はない。

「ソラさんっ!! 何をやらせてるんですか!?」

「いや……僕に怒られても……それに別に害があるわけでもないし、問題ないんじゃないかな?」

「大ありだよ! 魔法はこんな使い方していいものじゃ――」

「ならどんな使い方ならいいの?」

 言葉を遮った切り返しになのはは続く言葉を飲み込んだ。

「っていうかEとかDランクの魔導師ならこれに似たような使い方はミッドでもされてるよ」

「え……?」

 信じられないことを聞いてなのはは自分の耳を疑った。

「低ランクの魔導師は戦闘なんてできないからね。
 そういう人たちは大抵娯楽や仕事にその能力を活用しているし、そもそも管理世界の施設はたいてい魔力が動力源なのは知っているよね?」

 まったくの初耳だが納得できることだった。
 今まで気にもしなかった低ランク魔導師の在り方。

「でも……でも……セラちゃんにこんなことされたら……」

 しかし、自分よりも遥か上にいる魔導師のセラにこんなことされては複雑な気持ちが拭えない。

「それは……まあ……」

 目を逸らすソラもある程度同じことを感じているのかもしれない。

「今度こそっ! ……くっ」

「ふん、雷刃の襲撃者ともあろう者がこの程度のものを捕えられないとは情けない……
 見ておれ、今我が手本を……む……」

「二人とも……そんなに焦らないでも大丈夫だよ」

 一喜一憂するテスラとスオウ。彼女たちの世話を笑いながら焼く美由希。
 その光景に反射的に感じた拒絶感が薄れていく。

 ――今までわたしは戦うことしか練習してなかった……

 そのことを恥じるつもりはないが、自分がどれだけ無知だったのか思い知らされる。
 そして今の平和的な光景、それは決して嫌いなものではなかった。
 とりあえず、なのははため息を一つ吐いて気を取り直し、とりあえず手を合わせた。

「いただきます」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「御馳走様でした」

 手を合わせてソラは頭を下げる。

「はい、お粗末さまでした」

 食器を片づけようと立ち上がるが、桃子はタイミング良く現れてそれを持って行ってしまう。

「あ、ありがとうございます」

 とりあえず礼を言いながら、中途半端に立ち上がった姿勢で次の行動に悩む。

「そういえば、ソラ君……この子たちを治すシステムっていうのはもうできたのかい?」

「一応ね」

 士郎の言葉に答えながらソラは座り直す。

「昨日の今日だというのに早いですね」

「基礎のデータはあったから、それを君たちに合わせて調整するだけだからね。それにセラも手伝ってくれたし」

「流石、闇の書の宿主だ、褒めてやるぞ」

「あー……はいはい」

 ふんぞり返るスオウに適当に返しながら空間モニターを展開する。

「よし! それじゃあ早く治してくれ」

 身を乗り出して喜ぶテスラ。
 しかし、彼女には悪いがその期待に水を差すことになる。

「最初に言っておくけど、これは君たちの存在を固定するプログラムであって、元の魔法資質まで取り戻すことはできないよ」

「え……何でっ!?」

「君たちは蒐集によって溜め込んだ魔力を消費して戦うタイプだったから魔力を使い切れば自然と消滅する、それが今の状態。
 今の空っぽの状態の上に今までの状態を保つために動いていたリンカーコアの消耗が激しいかったから――
 実体具現に使っている魔力も使用ロスの方が大きくなっていたから――」

「ちょっとソラ」

「それから……ん、何セラ?」

「誰もついていけてないわよ」

 彼女の指摘に周りを見回す。
 まず目の前にいるテスラだが彼女は頭から煙を出しそうな感じに顔をしかめている。
 次にスオウと目を合わせるが、すぐに目を逸らされた。
 そしてあかりは――

「すいません、ほとんど理解できませんでした」

 素直にそう言った。
 流石に士郎たちは元々の予備知識がないから苦笑を返すだけだった。

「とにかく元の魔力を取り戻すのには純粋に時間がかかると思ってくれていいよ」

 専門的な話は切り上げて結論を述べる。
 そもそもこの話題はソラにしても本題ではない。

「でも、君たちのことを直す前に聞いておきたいことがあるんだ」

「聞いておきたいこと……ですか?」

「そ……君たちの今後の身の振り方についてね」

 ソラの言葉に三人のマテリアルはそろって首を傾げる。
 この意味を理解しているのはこの場ではセラだけだった。

「私たちの目的は闇の書の復活です。そのために――」

「何ができるの? さっきも言ったけど君たちが戦う力を取り戻すためには相応の時間がかかるんだよ。
 その間、どうやって管理局から逃げ続けるつもり?」

「それは……」

「それから高町なのは、君もこの子たちをどうするつもり?」

「え……わたし?」

「当然だよ管理局。君たちは闇の書の復活をたくらんでいるこの子たちを最終的にどうするつもり?」

 突然話題を振られたなのはもマテリアル同様黙り込む。

「えっと……ソラ君……うちでこの子たちを引き取ってもいいんだけど」

「そうなったら僕はこの子たちを直すのをやめるよ」

 横から提案を挟んだ士郎にソラは即答した。

「別に新しい名前を上げること、人の様に家族の様に扱ったり人として接することに文句を言うつもりはないけどね……
 でも、それだけは認められない」

「それはどうして?」

「この子たちの価値がそれを許さないんだよ」

 と言ったところで士郎に理解できるわけもない。

「この子たちを作っている技術はロストテクノロジーで、どこの組織だって欲しがるような代物なんだよ。
 それは管理局だって例外じゃない」

 もしマテリアルたちを高町家で保護するようになれば彼女たちを狙う者が現れる。
 それがなかったとしても闇の書の復活を望む彼女たちを管理局が放っておくはずがない。

「もしそうなったら士郎たちは魔導師と戦うことになるんだよ、その辺のことちゃんと分かってる?」

 その指摘に士郎は言葉を押し黙る。
 ソラとしては自分という爆弾を知らずに抱えた高町家の人たちにこれ以上の迷惑をかけることは絶対にしたくないことだった。
 自分の場合は出て行けばそれで解決する問題だが、マテリアルたちはそうは行かない。
 自衛の力もなければ、生活能力もない。ましてや姿かたちは子供でしかない。

「ついでに言わせてもらうと、もし捕まれば彼女たちは実験動物として扱われるわね」

 ソラの言葉をついでセラが付け加える。

「稀少価値があるから壊れるところまでされないと思うけど、そこまでいかなければどんなひどいことだってされるわよ」

 やけに実感のこもった言葉だがソラは追及せずに頷いた。

「もう分かっていると思うけど、君たちが闇の書を蘇らせることができる可能性はほとんど零だよ。
 そして、ここで生き延びることを選んだとしても君たちに未来はない」

 残酷かもしれないがはっきりと告げる。

「それは……私たちに闇の書の復活を諦めろと言いたいのですか?」

 あかりの言葉にソラは首を振る。

「例え君たちがそれをやめると言ったところで立場は変わらないよ」

 闇の書の復活を諦めて管理局に保護を求めたとしても、管理局にとって今の段階で戦闘能力のない彼女たちは利用価値がない。
 それにその言葉の真偽を証明するものもない。
 ヴォルケンリッターの主の様に縛るものがない以上、彼女たちを抱え込むのはリスクしかない。
 なら、今の内に消すか、力がないことをいいことに実験動物にされると想像できる。

「でも、ちゃんと話せば分かってくれると思うんだけど」

「下っ端の貴女が上層部にかけあえるわけないでしょ。
 貴女はこの子たちを守る力も権力も持ってないのよ」

 なのはの理想論を容赦なく正論でセラが切り捨てる。
 それに付け加える様にソラが口を開く。

「この前……次元世界では絶滅種のフェザリアン、HGS能力者の女の子と会った。
 何の罪も犯してない彼女をその偉い管理局の人間は実験動物にしようとした」

「そんな……」

「あの子は北天の魔導書に操られて、したくもない人殺しをさせられて死んでいった」

 淡々とした言葉。異様に冷静であることを自覚してソラは自嘲する。
 こちらの世界に戻り、最初に守りたいと思った少女を助けられなかったのに悲しみを感じない。
 戦闘の途中で気を失い、目を覚ました時に聞かされた結末を聞いた時から揺るがない自分の心はやはり壊れているのだろう。

「マスター?」

 いぶかしげに窺うあかりの声にすぐに思考を戻してソラは告げる。

「ここで生き延びることを選んでもいつか後悔することになる。
 それも最悪の状況、どん底にまで落ちてから……だから君たちは今ここで消えておくべきだ」

「……それは…………ソラさん自身が思ってることですか?」

「そうだよ」

 なのはの問いにソラは即答する。
 それだけでなのはは泣きそうな顔をする。
 あの時死んでいれば、今さらながらそう思う。
 アオに拾われる直前に路地裏で生き倒れた時。
 暴走した闇の書に魔力を絞り取られ時。
 今となってはどうしてあの時生きたいと思ったのか分からない。

「…………ソラの言っていることは難しくてよく分からない」

 先程までの団欒が嘘のように静まり返ったリビングで最初に口を開いたのはテスラだった。

「でも、僕は消えたくない! 今回の闇の書の主に勝手に捨てられて、それでもこうしてもう一度出てこれた!
 なのに、何もしてないのに消えるなんて絶対に嫌だっ!!」

「我も同意見だ。我らはまだ何も成し遂げていないというのに消えてたまるか」

「……君は?」

「私も同じです。可能性がどれだけ低くても諦めたくありません」

 強い眼差しで見返してくる三人にソラはため息を吐いた。

「覚悟があるならいいけど……」

「それでは?」

「うん、ちゃんと直してあげるけど……」

「「「けど?」」」

「実は闇の書として直すことはできないんだよね」

「なっ……貴様、だったら今の話は何だと言うのだ!?」

 落ち着けとソラはスオウをたしなめて続ける。

「考えてみれば当たり前のことだよ。改変を受けて歪んだ闇の書を復元させることは絶対にできないことなんだよ」

 例えどれだけの時間と労力を費やしても壊れたものを壊れた形で修復することは不可能でしかない。

「でもね、夜天の書として修復するなら今すぐにでもできたりするんだよね」

 は……? と間の抜けた、セラを含む一同にソラは満足して口元に笑みを作った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 天空の書には共通したいくつかの機能がある。
 その中には「写本」という機能があり、これは文字通り自分の写したもう一つの魔導書を作り出す機能である。
 もっともこの機能が写し取れるのは書の技術のみで、中身である管制人格まで写すことはできない。
 中には自分を二分して、競い合う相手を作り出した魔導書もいるがそれはここでは関係のない話。
 ソラの保有する「黎明の書」は青天の魔導書の写本ではあるが、その中身は技術と言うよりもハヤテ・ヤガミ、改めソラの育成書と呼ぶべきものだった。
 加えて物質格納機能も有しているが、実際のところほとんどが空と言っても差支えない。
 管制人格を受け入れられる容量を持ち、根幹を同じとする大型ストレージ「黎明の書」とソラの中にある夜天の書の技術。
 さらにセラの南天の書もその場には存在していた。
 その条件が合わさった結果、夜天の魔導書を作り直す条件は整っていた。


「えっと……セラ……ちゃんは何してるの?」

 アリサが帰り、すでに時間は夜。
 夕食も済ませ、恭也と美由希は日課の剣の訓練に出かけた。
 ソラは道場でマテリアルの修復を行い、士郎はそれを見学している。
 キッチンでは桃子が洗い物をしている。
 よってなのはは今セラと二人きりだった。

「貴女には関係ないことよ」

 一瞥もくれずに返された言葉になのはは顔が引きつるのを感じる。
 それでも沈黙の居心地の悪さになのはは話しかける。

「えっと……暑くないの?」

 話題を選んで思ったことを口にする。
 セラの姿はフリルを使ったいわゆるゴスロリ服。黒と白の色合いは良く、それに馴染んだ立ち振る舞いはどこかのお嬢様を思わせる。
 しかし、日が沈んだとはいえ季節は夏。
 長袖とロングスカートの格好は見ていているだけで暑さを感じさせる。

「セラの周りの空間は常に快適な温度、湿度で保たれているわ」

「それってバリアジャケットの応用? でも、魔力なんてほとんど感じない」

「貴女如きに感知されるような使い方はしてないわ」

「むっ……」

 棘のある言い方になのはは顔をしかめる。

「ねえ……ちゃんとこっちを向いて話そうよ」

「別に貴女と話すことなんてないわよ」

 取りつく島もないセラの態度になのはは途方に暮れる。
 それでも気を取り直してセラを見据える。
 成り行きとはいえ敵の一人と話をする機会に恵まれたのだ。聞きたいことはたくさんあった。
 とはいえまず言うことは一つ。

「貴女じゃなくて、なのはって呼んでほしいんだけど……」

「ふーん」

「…………えっと、セラちゃんはどうしてテロリストなんてやってるの?」

「貴女には関係ないことよ」

 にべもなく切り捨てられてなのはは押し黙る。

 ――手強い……

 フェイトやヴィータとは違った頑なさになのははたじろぐが、それでも口を開く。

「セラちゃんは……ソラさんをどうするつもりなの?」

 セラは空間モニターに走らせていた手をピタリと止めて、なのはに視線を向けた。

「う……」

 思わずその視線になのははひるむ。

「貴女にそれを聞く権利があると思ってるの?」

「それは……どういう意味?」

「あなたさえいなければ……そう言ったのは貴女でしょ?」

「あ……」

「その貴女が彼の心配をする資格なんてあると本気で思ってるの?」

「それは……その……」

「彼に会っても謝らなかったんだから本心だったんでしょね」

「違う! そんなこと……ない」

 否定しながらも最後の言葉は小さくなってしまった。
 自分たちの関係が狂い始めた中心には確かにソラがいると思うとどうしても考えてしまう。

「フェイト・テスタロッサのことは彼女の自業自得よ」

「でも……ソラさんはフェイトちゃんの腕を斬った。もうフェイトちゃんは正気に戻っていたのに」

「代わりにソラに正気を失わせたんでしょ? それも貴女が余計な事をして」

「余計って、わたしは……」

「違う? フェイト・テスタロッサを助けるために何ができたの?
 魔力ダメージで昏倒させることしか思いつかない貴女よりも、全部ソラに任せた方があんなことにはならなかったかもしれないわよ」

「そうかも……しれないけど……」

「それから八神はやてに関しては二人の問題と言うよりも、親の問題だから彼のせいとは言えないわ」

「…………うん、それは分かる」

「でも、彼がいなかったら今頃八神はやてはソラと同じ末路を辿っていたでしょうね」

「それはどういう意味?」

 闇の書の誘惑に打ち勝ち、本来の姿を取り戻したはやてが彼と同じ道を辿ることになのはは信じられなかった。

「簡単なことよ。ソラが生まれてこなかったら闇の書の主となる今の八神はやてが捨てられるのよ」

「あ…………」

「もっとも途中で力尽きてる可能性の方がずっと高いけどね」

 クスクスと笑うセラの言葉を否定できなかった。
 戦闘が終わった後のブリーフィングで知ったことや目の前で彼に起こったことを考えて見れば、それは地獄の様な境遇だった。
 今彼が正気を保っていられるのは奇跡なんかではなく、悪魔の罠と思うと自分が言った無神経な言葉を後悔せずにはいられない。

「ヴォルケンリッターに関しては言うまでもないけど、貴女に関しては――」

 セラの言葉になのはは身を固くする。

「正直、良く分からないわ」

 予想外の言葉になのはは思わず脱力してしまう。

「な……何でわたしだけ……?」

「だって、貴女だけが何をしたいのか良く分からないんだもん」

「わたしが……何をしたい?」

「魔導師として生きたいのか、この世界で生きたいのか、貴女はどっちを望んでいるの?」

「わたしは……もっと魔法を使いたくて……それで誰かのために何かをしたいと思って……」

「それで管理局に入ることを決めたの?」

「……うん」

「ふーん」

 目を細めるセラになのはは言いようのない不安を感じる。

「えっと……セラちゃん?」

「なら貴女はどうしてまだこの世界に住んでいるの?」

「え……それはどういう意味?」

「そのままの意味よ。管理局に入ったってことはこの世界を捨てるっていうことのはずでしょ?
 それなのにまだこの世界に住んでいるって不思議なことよ」

「捨てるって、何を言ってるの!?」

 セラが何を言っているのか理解できない。

「わたしのうちはここなんだよ! それなのに捨てるだなんて、意味が分からないよ!」

「少しは自分で考えたらどうかしら? 聞けば必ず答えが返ってくるなんてことはないんだから」

「うっ……」

 冷たい拒絶の言葉になのははのけぞりながら、言われた通り自分で考えてみる。

 ――この世界を捨てる? どうしてそんなこと言われなくちゃいけないの?

 しかし、いくら考えてみてもセラの言葉の意味は分からない。
 目の前でもう話は終わったとばかりに元の作業に戻るセラがいまわしく感じる。

「…………そうね、この世界が魔法文化を持たない管理外世界だからかしら」

「管理外世界だから?」

 その作業の手を止めないままに言われた助言になのはは再び考え込む。

「せいぜいその鈍い頭を働かせて考えることね、貴女の選択が本当に正しいのか」

 その一言を最後にセラは空間モニターのキーを一際大きく叩いてから、それを閉じる。

「ふあ……それじゃあセラはもう寝るわ」

 手であくびを隠しながらセラは立ち上がる。

「あ……あの、セラちゃん」

 思わずなのははセラを呼び止める。

「なーに?」

「えっと、ありがとう」

「…………何で御礼なんて言ってるの?」

「だって、わたしのことを気にかけてくれているんでしょ? だから……」

 おそるおそるの答えにセラは目を細める。

「それは勘違いよ」

 本当は優しい、良い子だと感じた印象をセラは容赦なく切り捨てる。

「でも、それならどうしていろいろ教えてくれたの?」

「それは貴女があまりにも情けないからよ」

「あう……」

「はっきりと言わないと分からないみたいだから言うけど――」

 セラは息を吸ってその言葉を吐き出す。

「セラは貴女のことが大っ嫌いなの」

「っ……」

 面と向かって初めて言われた言葉になのはは息を飲み、動揺を抑え込んで聞き返す。

「……どうして? わたし、セラちゃんに嫌われるようなことした?」

 戦いはした。それでもそれはセラに一方的にやられたと言って良い戦いだった。
 自分があまりにも弱かったから?

 ――それは違うと思う……

 セラの性格なら弱い者のことなど興味の対象にすらなっていないはず。
 今、向き合っているセラの目には明確な嫌悪の感情が宿っている。
 しかし、なのはの困惑に構わずセラは続ける。

「家族がいて、友達がいて、帰れるうちがあって、ちゃんとしたベッドがあって、温かいごはんもある……
 学校だって行けて、幸せな日常がそこにはあるのに……
 この世界には全部あるのに……どうして貴女は魔法なんかを選ぶの!」

「セラちゃん……」

「セラがなくしたもの全部持っているくせに! それを全部捨ててどうして魔法なんかを選べるのよっ!!」

 その慟哭に返す言葉は何も返せなかった。
 突然見せられたセラの思いの一端。

「この世界で生きることがそんなに不満なの? この世界の将来はそんなに期待できないものなの!?」

 セラの言葉の意味を全て理解することはできない。
 それでもその言葉は心に直接、重く響く。

「魔法なんかに夢を見ている貴女のような人がいるからセラは……」

 そこでセラの言葉は途切れる。
 明らかに喋り過ぎたと言わんばかりに口元を押さえるセラになのははかける言葉を失った。
 いつの間にキッチンの方の物音もなくなっていた。
 耳が痛くなるような静寂。
 そんな中でセラが踵を返そうとして――

 プルルルルルル……

 不意に鳴り響いた電話の音にその動きを止めた。
 動くタイミングを失ったセラはそのままなのはと睨み合う形でその場に留まる。
 なのはもまたその視線から逃げることもできずにその場で身体を小さくする。
 電話の音が鳴り響くにも関わらず二人は動かない。
 しかし、ぱたぱたと言う足音が聞こえ、程なくして電話の音が消えた。

「もしもし……」

 声を小さくしてもその声は静かなリビングに響く。

「えっ……?」

 電話を取った桃子の声に困惑が混じった。

「お母さん?」

「モモコ?」

 二人は同時に同じ動きで桃子を見る。

「ちょっと待って! それはどういうこと!? 貴方は誰なの!?」

 電話に向かって叫ぶ桃子の様子は尋常なものではなかった。

「ちょっと、もしもし? もしもしっ!?」

 一方的に切れてしまったのだろう。桃子は何度か電話に向かって呼びかけた後に受話器を置いた。

「お母さん……どうしたの?」

 おそろおそるなのはは顔を強張らせた桃子に声をかける。

「なのは……落ち着いて聞いてね」

 その顔と言葉には覚えがあった。
 それは父、士郎が大怪我をした時と同じものだとすぐに気が付いた。
 そしてそれが正しかったっとすぐに証明された。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「この数値をこっちに代入して……これはあっちの術式に……それから……」

 高町家の道場でソラは一人呟きながら、目まぐるしい速度で空間パネルを叩く。
 徹夜も二日目だがソラの作業の手は緩まることはない。

「性が出るね、ハヤテ君」

 そんなソラに士郎が声をかけた。

「時間があまりないから……それから僕はソラだよ」

 作業の手を止めず、見向きもせずにソラは応える。
 三人のマテリアルが現出していられる時間は数日、可能性だけ挙げれば今この瞬間でも消滅の危険性はある。

「それでも根を詰め過ぎだと思うが? 君が倒れたら本末転倒だろ?」

「それなら心配には及ばないよ……一応安定化のプログラムは完成してるから僕が倒れてもセラがどうにかしてくれる」

「なら今やっているのは何だい?」

「これは……僕の趣味かな?
 安定化しても彼女たちは魔法を使えない。使えなければ戦うことができない。戦えなければ彼女たちの望みは叶わない。
 だから、直接戦うための手段じゃないけど、彼女たちが自分の力を取り戻すためのシステムが必要なんだ」

「それは……君がそこまですることなのかい?」

 神妙な声で尋ねる士郎の言葉にソラは手を止めた。

「なのはから少し教えてもらった。
 闇の書が君にしたことを考えれば、君があの子たちを助ける理由はないはず、違うかい?」

「そうだね……正直に言えば僕にあの子たちを助ける理由も義理もない」

 むしろ憎い敵の一部とも言える存在だった。
 それが消滅する寸前だったなら手を下さないにしても無視すればよかった。

「でも、元はと言えば士郎たちが頼んだんじゃないか」

 三人の内一人は自分の娘を模したものである以上、高町家の一同に彼女たちを見捨てるという意志はなかった。
 もっとも、あかりの存在がなかったとしてもこの御人好しな一家が見捨てるという選択肢を選ぶかは疑問だが。

「……もしかして私たちのせいかな?」

「せいっていうか……ただの切っ掛けだよ。確かに闇の書には恨みがあるけど執着しているわけじゃないからね」

「それならどうして?」

「何かをやってないと……気が狂いそうなんだ」

 眠ると悪夢を見る。
 何もしていないと考えが巡り、悪いことしか考えられない。
 マテリアルのシステムを作ること、セラが言う自分の知らない真実について考えることはそこから目を逸らすための手段でしかない。

「ねえ士郎……士郎にとって恭也と美由希は何?」

「そうだな……二人は私にとって宝かな」

「…………宝、ね」

 思い出すアオの構築体に言われた言葉を。
 少し思い出しただけでも眩暈と吐き気が出てくるがそれをなんとか我慢する。

「アオにとって僕は実験動物で、兵器だった」

「ハヤテ君……」

「……ソラだよ」

 それでいてまだこの名前に執着していることに自嘲する。
 実際に使ったのはアリシアが初めての名前だが、ハヤテ・ヤガミを名乗る気はそれ以上にない。
 何より――

「僕にはもうその名前を使う資格はないんだから」

 押し黙る士郎になのはがどこまで話したのか想像する。

「聞いてない? 僕は十二年前、あの後で沢山の人を殺したって」

「それは……」

「アオのことを信じて……アオのことを傷付けられて、その復讐のために無関係な人を巻き込んだ。
 その中のほとんどは僕を殺したがってた魔導師だったけど、それでも僕は未熟でも御神の剣で殺したんだ」

 そこに罪悪感も後悔もない。だからこそ、自分がひとでなしだと強く感じる。

「だから僕にはもう友達を名乗る資格はないんだ」

 一族の技と理念に誇りを持っていた恭也。
 ボディガードの父親を尊敬し、目標にしていたエリス。
 そして、優しい歌の持ち主フィアッセ。
 あの頃は兄の背中に隠れてばかりだった美由希も彼に劣らない意志と技を持った立派な剣士になっていた。
 誰かを守るために戦う姿。幸せを分け与える姿。
 穢れた人殺しとは正反対の姿は眩しすぎた。

「そうか……君は―――と同じなのか……」

「え……? 何か言った?」

 聞き取れなかった言葉を聞き返すと、士郎は真剣な眼差しを向けてくる。

「ハヤテ君、君に会ってほしい人がいるんだけど」

「会ってほしい人って……誰? それからソラだって何度言えば分かるの?」

「御神美沙斗、美由希の生みの親だ」

 士郎の告げた言葉にソラは目を伏せる。
 思い出す光景。幼かった美由希の言葉。

『ハヤテくんも捨てられたの? みゆきと一緒だね』

 あの時はまだ捨てられたとは思ってなく、その言葉に怒り彼女を泣かした。
 それを見た恭也に殴られて取っ組み合いの喧嘩に至り、美由希はさらに大泣きした。
 エリスにゴム弾をしこたま撃ち込まれて止められて、さらにフィアッセに恭也と一緒に怒られた。
 自分が彼女たちと打ち解けることができた出来事だけに今でも鮮明に思い出せる。

「あの喧嘩はそんな理由で始まったのか……今さらだが、すまん」

「いいよ……美由希に悪気があったわけじゃないし、実際はその通りだったから……
 それに僕の方が一発多く殴ってるしね」

「…………恭也も同じようなこと言ってたな」

「何? 聞こえないよ」

 小さく呟かれた言葉はソラの耳には届かない。
 こほんっと誤魔化すように士郎は咳払いを一つして話題を戻す。

「それで会ってくれるかな?」

「まあ……いいけど」

「……随分素直だね」

「士郎の言いたいことは分かったから、つまり暗殺して来いってことでしょ?」

「違うっ!」

「え……?」

「本気で不思議そうな顔しないでもらいたいな」

「子供を捨てる親なんて外道、殺して問題あるの?」

「物騒なことを言わないでくれ……まあ、君が美沙斗を殺せるとは思えないけど」

「それは……確かに試合では御神に勝つのは難しいけど殺し合いならこっちに歩はあるよ」

「そうなのかい? いや、ともかく美由希と美沙斗は和解しているからそんなことしなくていいんだ」

「……なら仕方ないか……でも、それなら何でその人を僕に会わせたがるのさ?」

「事情はあいつの口から聞いた方が良い。きっと君のためになる話を聞けるはずだ」

 誤魔化す士郎を睨むが人の良さそうな顔で笑うその姿に追究は無駄だと察する。

「と言われてもね……」

 正直、気が引けた。
 子を捨てる親の気持ちなんて知りたくもないし、どんな理由があっても捨てた事実は変わらない。
 和解したのなら自分が関わることでもない。
 士郎の意図が読めずソラは答えに迷う。

「…………あれ?」

 不意に感じた魔力の動きにソラは首を傾げた。

「おや? なのはとセラちゃんが動いたようだが……魔法的な何かが起きたのかい?」

 気配で同じものを察した士郎が尋ねる。

「いや……この街周辺でそんな気配はないけど……」

「む……どうやらただ事じゃないみたいだな」

 士郎の呟きの次の瞬間、道場の扉が勢いよく開け放たれた。

「あなたっ」

「桃子、どうしたんだ? 何があったんだ?」

 息を切らせる桃子に士郎は近付きながら尋ねる。

「それがさっき電話があって――」

 息を切らせながら桃子は顔を蒼白にして叫ぶように言った。

「アリサちゃんを誘拐したって言ってたの!」






あとがき

 おひさしぶりです。ようやく28話を投稿することができました。
 前回頂いた感想で一応なのはへの対応を少し緩めた話にしています。
 そして、今回からマテリアルの三人が参入します。
 今の段階では無知で役立たずな子供たちですが、この子たちも成長させていくつもりです。




 

捕捉説明
 マテリアルズの現状
 青天の構築体を作り出した影響で魔力を絞り取られて消滅寸前にまで追い込まれていた。
 しかし、元々が暴走状態の一種でもあるために不安定な存在である。そのためソラが安定させ、ヴォルケンリッターと同じ存在にする。
 これまでの不安定な状態と無理な実体具現魔法の維持によって疲弊したリンカーコアの回復を待たないと魔法戦闘はできない。
 よって今の段階ではお荷物でしかない。





[17103] 第二十九話 危機
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/11/06 15:13


「待ってセラちゃん!」

 前を飛ぶセラになのはは何とか追いついて叫んだ。

「なーに? 今セラは忙しいんだけど」

「忙しいって……何をするつもりなの?」

 アリサが攫われたという知らせを聞いて、なのはがそれを理解するためにかかった時間をセラは桃子からさらに話を聞き出していた。

 ――アリサ・バニングスは預かった。返してほしければ――の廃ビルに来い。

 たったそれだけの言葉を聞き、淡々と地図で場所の確認をしてセラは飛び出した。
 呆けていたなのはは我に返ってすぐにセラを追い駆けて今に至る。

「何をって……そんなの決まってるでしょ」

 笑みを浮かべて答えるセラの言葉は何となく予想できた。

「誘拐犯なんて皆殺しにしてあげるわ」

「そんなのダメだよ!」

「あら、どうして? 誘拐されたのは貴女の友達なのに」

「そうだけど、だからって人殺しなんてよくない……
 それにまだ本当にアリサちゃんが誘拐されたかだって分からないんだよ」

 アリサのうちではなく高町家に犯行声明があったこと。
 何の要求もせずにただ来い、とだけの指示。
 不信なことばかりで信憑性が全くない。
 せいぜい今アリサに電話をしてみても繋がらないくらいしかない。

「そんなの行ってみれば分かることよ」

「セラちゃん?」

 素気なく返すセラになのはは違和感を感じる。
 普段の小悪魔的な笑みはなく表情はどこか固い。

「何か変だよ?」

「うるさいわね……邪魔するなら貴女から殺してあげてもいいのよ」

 セラが腕を一振りするとそこに双刃剣が現れる。

「ちょっと待ってよ……こんなのセラちゃんらしくないよ」

「何も知らないくせに勝手なこと言わないで!」

 感情をそのまま吐き出すように叫ぶ。

「だったらちゃんと話を――」

「話しても同じよ……
 誰も助けてくれない孤独と絶望の地獄を知らない貴女に何が理解できるって言うの?」

「わ、わたしにだって辛いことは一杯あった……
 お父さんが大怪我して、お母さんは仕事が忙しくて、お兄ちゃんたちはその手伝いをして……
 ずっと一人ぼっちだった。わたしはいらない子じゃないかと思った時だってあった」

「だから? セラの気持ちも分かるって言うの?」

「全部は分からない……でも、だから分かり合うために話すことが大事だと思う」

 底冷えのする視線を受け止めながらなのははしっかりと頷いて答える。

「ふふふ……」

「セラちゃん?」

「その程度のことで訳知り顔をするんだ」

「その程度って……わたしは――」

「やっぱり貴女は何も分かってない」

「セラちゃん!?」

 話し合いは決裂したかと思った瞬間、何故かセラは双刃剣をその手から消していた。

「え……?」

「いいわ。今回は傍観者でいてあげる。もし誘拐が本当だった時の貴女の答えが気になるしね」

「えっと……それじゃあ?」

「ええ、だから早く行くわよ」

「え? どうして? お父さんたちの連絡を待った方がいいんじゃないかな?」

「それよりも現場にいって確認した方が早くて確実よ。手遅れになる可能性だってあるんだから」

「手遅れって……アリサちゃんを誘拐したってことは身代金が目的なんじゃないのかな?」

「勉強不足ね。誘拐において想定される最悪なケースは身代金を奪われて上で人質が無事ではないことよ」

「無事じゃない……」

 その意味を理解しきれずになのはは呆ける。そして、理解した瞬間背筋が凍りついた。

「それとも貴女は管理局法を優先して友達の危機を見過ごすような人間なのかしら?」

「そんなことない!」

 魔法をただの人に向けることには確かに抵抗はある。
 それでも自分の大切なものを壊そうとするような者ならどんな相手でも戦える。

「なら問題ないわね」

「…………うん」

 思わずなのはは頷いてしまう。

 ――わたしが全部やればいいんだ……

 セラに騙されている気もするが、誘拐犯を自分で制圧すれば問題はないと結論付ける。

 ――わたしならできる……

 魔導師でもない相手に後れを取るつもりはない。
 セラが何かをする前に誘拐犯を制圧し、アリサを助ける。

 ――なんだ、簡単なことだったんだ……

 敵にフェイトやヴィータのような魔導師がいるわけではない。かといってセラたちが相手でもない。
 この世界での犯罪者なら恐れるに足らない。
 そんな楽天的なことを考えながらなのははセラを追いかけるように飛んだ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 その光景はセラが半ば予想した通りのものだった。

「もういい! もういいから……それ以上はやめて、なのはっ!」

 白いバリアジャケットの少女に縋りついて叫ぶのはアリサ・バニングス。
 その姿は昼間に見たものから無残なものに変わっていた。
 見覚えのある服は乱暴に破け半裸の姿。両手にはきつく縛られた跡が赤くくっきりと残っている。
 それでもまだましな姿だった。自分たちの到着がもう少しでも遅かったらこれ以上に酷い姿を見ることになっていただろう。

「放してアリサちゃんっ! こんな人たちなんか……こんな人たちなんか……」

 対する高町なのははアリサの言葉を聞かずに憤怒に駆られて杖を振る。
 その動きに合わせて八個のアクセルシューターが動き、同数の男たちにさらなら追い打ちをかける。
 狭い室内なのに淀みのないその動きにセラは感嘆する。

 ――空間把握能力とそれを扱うコントロールは一級品みたいね……

 激情に支配されていても劣らないその能力は目を見張るものがある。

「ちょっと! あんたも見てないでなんとかしなさいよっ!」

「別にいいじゃない……本当はセラがやっちゃうつもりだったんだから」

「なっ……」

 当の被害者だというのに誘拐犯を庇うアリサにセラは呆れが混じった答えを返す。

「くっ……ああ、もう!」

 そして叫んだかと思うとなのはの肩に手をかけ、

「え?」

 強引に彼女を振り向かせると同時に全身を捩り、それを戻しながら、

「いい加減にしなさいっ!」

 全力の平手打ちを叩き込んだ。

「あーあ……」

 しかし、快音は響かずアリサは次の瞬間その手を押さえてうずくまっていた。

「バリアジャケットに素手で殴りかかるなんて……正気?」

「う……うるさいわね!」

 涙交じりの声にセラは肩をすくめて、なのはに声をかける。

「それでまだ続けるの?」

「え……あ……えっと……」

 先程までの鬼の形相はなりを潜め、きょとんとした間抜け面をさらすなのはにセラはさらに言葉を続ける。

「なぶり殺しにしたいのは分かるけど、一般人の前では流石にやめた方がいいわよ」

「なぶり殺しって、わたしはそんなつもりじゃ……」

「そこまでやっておいて?」

「あ……」

 倒れ伏した人たちを指せば憤怒の赤に彩られていた顔色が見る間に蒼白に代わる。

「非殺傷設定の魔法だってその気になれば人を殺すはできるわ。それも魔法抵抗の低い非魔導師なら特に……ね」

 目の前に無造作に倒れている、いかにも不良然とした男たち。
 その誰もが五体満足とは言えない痛々しい姿をしていた。
 痛みに呻くしかできない者。死にたくないとうわ言のように繰り返す者。呆然自失し虚空に向かって笑っている者。
 泣こうがわめこうが、命乞いをしても問答無用にアクセルシューターでなのはが殴り続けてできた光景。

「ふん」

 それに同情も憐れみもセラが感じることはない。
 そしてそれはなのはに対しても同じだった。
 自分の作り上げた惨状に今さら恐怖する姿はむしろ滑稽にしか見えなかった。

「何をいまさら驚いているの?」

 セラの言葉になのはの肩がビクリと跳ねた。

「……セラちゃん」

「これが魔法の力よ。
 貴女の気分一つで山もお家も人も簡単に壊して殺すことができる貴女の力よ」

「違う……わたしはこんなこと……」

「いくら否定してもこれが現実よ」

 俯いてそれを見ようとしないなのはの頭を掴み強引にセラはそれを見させる。

「いやっ!」

 その手を振り払いなのははその場に頭を抱えてうずくまる。

「わたしは……アリサちゃんを助けるだけのつもりだったのに……」

「そうやって貴女はずっと現実から目を逸らしていくのね」

 そんな怯えたなのはを一瞥だけしてセラは顔を上げる。

「でも貴女が泣いて叫んでも現実は変わらない……魔法は人殺しの力よ」

 なのはのような人間と出会ったことは何も初めてではなかった。
 自分の才能に酔い痴れて何でもできると思っているようなヒーローを気取って現実を知らない子供は管理世界では珍しくない。
 こちらが殺傷設定を使っていても何処かで自分は負けるはずがないと根拠のない自信を持った目。
 もっともそれも圧倒的な力でねじ伏せるとすぐに絶望に変わる。
 そんな有象無象と比べると高町なのはは打たれ強かったが、それもこの有様だった。

「それで……貴女はセラの気持ちを知りたいって言ってたわよね?」

「あ……」

「どうだったかしら、人を殺したいと思う程の憎悪は?」

 一瞬上げた顔はすぐにまた俯く。
 その姿にセラは折れたと思った。
 高町なのはは純粋でまっすぐだ。セラから見てそれは綺麗過ぎるほどに。
 人の悪意を知らない。現実の理不尽を知らない。人を憎む気持ちも、憎まれることも知らない。
 だからこそ、犯罪者の背景にありもしない美談を想像する。
 狂ってしまった母のために戦う少女。
 病気の家族を助けるために戦うことを選んだ騎士。
 それはセラにとってはおとぎ話の中でのことでしかない。
 現実はもっと苦しくて辛い。
 今、目の前の光景もアリサ・バニングスに行われた未遂の暴行も世界が変わっても変わらない良く知る光景。
 それを見ていると身体の芯が冷たくなっていくのを感じた。

 ――おうちに帰してっ!――

 ――痛いのはいやっ!――

 ――助けてパパッ! ママッ!――

「ちょっとあんた、何するつもりよ!?」

 その叫び声と腕を掴まれる感覚にセラはハッと意識を現実に戻した。
 自分の手の先には血色の魔法陣が展開されており、今この瞬間でも一瞬でスフィアを形成し撃ち出すことが可能だった。
 その手を取っているのは未遂とはいえ最悪の出来事にさらされたのに気丈さを失っていないアリサだった。

「何って……ゴミ掃除かしら?」

「そんな物騒なこと小首を傾げて可愛らしく言ってんじゃないわよ!?」

 冴えわたる突っ込みに苦笑しつつセラは彼女にも現実を突き付ける。

「自分を襲った相手を庇うなんて、貴女は正気なの?」

 その言葉にアリサは息を飲み、組み敷かれた時のことを思い出したのか表情が曇る。

「セラたちが来るのがもう少しでも遅かったら貴女は口ではとても言えない酷いことをされて、殺されていたかもしれないのよ?」

「それは……」

「でも……そうね、人が死ぬ瞬間が見たくないならあっちを向いてなさい」

 言い淀むアリサにセラは最低限の気遣いをしてセラは改めて手の先に魔法陣を展開し――

「やっぱりダメッ!」

 再度、飛びかかる様にして止めようとしたアリサをセラは手を引いてかわす。

「もう、いい加減に――」

 高町なのはといい、彼女といい、その行動はセラの明晰な頭脳でも計り切れない。
 流石にうんざりとしてきたが、その瞬間空気が変わった。
 バリアジャケットの構成が勝手にほどける。セラは一瞬でそれを編み直し、意識的に強く作り直す。
 なので目立った変化をしたのはなのはだけだった。

「これは……?」

 呆然となのはは自分の身体を見下ろした。
 そこには白いバリアジャケットはなく、彼女の普段着の姿。
 当然、彼女の意思で解除したわけではなくセラと同じように勝手にほどけたのだろう。
 流石にへこんでいた彼女もこの状況に困惑して自分の身体をまじまじと見る。

「ど……どうしたの?」

 状況が分からないアリサが言葉をもらすが、セラはそれを無視して双刃剣を顕現する。

「AMFよ……すぐにバリアジャケットを再構成しなさい」

「え……AMF? 何それ?」

 そんなことも知らないのかと内心で悪態をつきながら、周囲を警戒する。

「アンチ・マギリンク・フィールドのことよ……
 魔力結合を強制的に解いて魔法効果を無効化にするAAAランクのフィールド系の防御手段よ」

 説明しながら疑念は確信に変わる。
 アリサ・バニングスを誘拐し、高町家に連絡をした者は間違いなく魔導師。
 狙いは自分かソラのどちらか。高町家を動かすことで分断することが目的だったのだろう。
 AMFはその性質上結界魔法とは並行することはできない。
 そしてAMFの最大の活用法は盾ではなく、陣地の形成にある。
 管理外世界、そして誘拐という言葉に油断と怒りで思考を止めてしまい、敵の術中にはまってしまったことをセラは後悔する。

「一応聞いておくけど、貴女を誘拐したのはそこの人たち?」

「分かんない……車に乗ってたはずなのに気が付いたら縛られてここにから……」

 騒ぎになっていないのも魔導師の隠蔽によるものだろう。
 そしてこの場所も市街地の外れ、人払いも最低限の労力でできる。

「……少しまずいかしら」

 腕にかかる双刃剣の重さにセラは顔をしかめる。
 建物一つを覆う規模、魔法構築にかかる負荷の増大から推測されるAMF濃度の高さ。
 それらから考えて敵の戦力を計る。

「あの……セラちゃん、バリアジャケットが生成できないんだけど……」

 今の状況についていけないなのはが恐る恐るセラに話しかける。
 状況把握とその対応、そのあまりの遅さにセラは苛立ちを感じて叫ぼうとした瞬間――

「っ……!」

 咄嗟に跳ね上げた双刃剣に響く衝撃。
 重く響き渡る剣戟音。散った火花が暗い部屋を一瞬だけ照らす。
 襲撃者は無駄な装飾のない青いライダースーツに似たバリアジャケットに身を包み、その頭にはフルフェイスヘルメットを被っていた。
 そして両手にはやや短めの剣がそれぞれ握られている。

「くっ……」

 双刃剣はセラのイメージよりも力が入ってしまい身体が流れる。
 襲撃者はその衝撃に弾き飛ばされるが、次の瞬間には全く同じ姿をした二人目の襲撃者が迫っていた。
 流れる身体を強引に魔力で制御して抑え、剣を回転させて――

「え……?」

 その動きが途中で不自然に止まる。
 見れば白い光輪のバインドが刀身を覆い、その空間に固定していた。

「っ……ラウンドシールド」

 双刃剣から手を放し、両手をかざして盾を作る。
 過剰な魔力を込めて作り出した盾に襲撃者の剣が触れ、そのまま抵抗なく切り裂いた。

「なっ!?」

 それには流石のセラも絶句する。
 感じる魔力は微量。単純な魔力量の差で十分に防げる一撃だったにも関わらず、盾は何の役にも立たなかった。
 これと似たものをセラは知っているが、そんなデタラメなことができる人間が二人いるとは想像していなかった。
 盾を切り裂いた襲撃者はそのままセラとの距離を詰めて蹴り飛ばす。

「ぐぅ……」

 バリアジャケットの存在を無視したかのような衝撃にセラは息を飲み、壁に叩きつけられた。

「く……あ……」

 痛みに喘ぎ、呼吸を整えるわずかな時間で襲撃者は追撃に走る。
 咄嗟に魔弾をばらまく。
 襲撃者はその合間を縫う様に素通りし、身体を捻ったかと思うと凄まじい速度の刺突を放たれる。
 かわす間もなく、剣はセラの腹部を捕え、貫通して壁に突き刺さる。

「くっ……この!」

 灼熱感を伴う痛みに耐えながら、セラは手をかざし力任せに魔力を掻き集め砲撃を撃つ。
 AMF状況下ではすぐに拡散してしまうが短距離砲としてなら効果はある。
 襲撃者は素早くセラに刺さった剣を放棄して離脱し、その砲撃から逃げる。

「くっ……あ……」

 その結果に歯噛みしながらも、すぐに刺さった剣を抜こうと手を伸ばしたセラは思わず固まった。
 自身の血色の魔力光が霧散する向こうで白い光が広がっていた。
 環状魔法陣を隔てて砲撃の準備を整えているのは三人目の襲撃者。
 彼もまた先の二人と同じ様相で、個性というものをなくしている。

「――――」

 ヘルメットの奥からくぐもった声が聞こえると同時にセラの視界は白い光で埋め尽くされた。

 ――防御しないと……

 身体の痛みで集中が妨げられた上にAMFの状況下。さらに壁に縫い付けられて回避もできない。
 そしてセラは両手をかざして目を見張った。
 いつの間にか白色のバインドがセラの両手に巻き付いていた。
 ストラグルバインドの亜種。動きを止めることを目的としたものではなく一瞬の魔法阻害を目的としたもの。
 結果――

「あ……」

 防御は間に合わず、セラは白い光の奔流に飲み込まれた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 目の前の光景になのはは自分の目をまず疑った。
 三人の個性をなくした襲撃者。
 彼らは一瞬でセラの武器を奪い、体勢を崩し、防御を失わせ、身動きさえも奪い、砲撃を命中させた。
 やったことは単純だが、それ故に高度な連携だと理解する。

 ――でも、どうして魔法が使えるの?

 セラの説明ではAMFという魔法のせいで魔力結合が解かれて魔法が使えないはず。
 なのに、この場で魔法が使えなくなっているのは自分だけだった。
 状況は完全になのはの理解の範疇を超えてしまい、思考が回らない。

「ちょっと、セラ生きてるの?」

 アリサの呟きになのははハッと我に返る。
 セラが追い込まれた壁は彼女ごと白い砲撃に飲まれて大きな穴を開けている。
 殺傷設定の魔法がもたらした光景に背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。

「セラちゃ――」

 なのはが声を上げたその瞬間、襲撃者の三人が弾かれた様に同時に跳んだ。
 白い魔力の霧の残光を切り裂き、人の頭ほどの大きさのコンクリートの塊が壁の穴からものすごいスピードで飛んで来て逆の壁に激突し粉々に砕ける。
 次いで金色の残像を引いて飛び出した人影が襲撃者の一人を力任せに殴り、壁を貫通させて吹き飛ばす。

「目標を危険度Sと認定――これより殲滅を開始します」

 セラが操る自動人形エレインが無感情、無表情のまま告げる。
 一人がやられたことに動揺もせずに瞬時に襲撃者は反撃に転じる。
 瞬く間に襲撃者たちは位置取りを整え、挟撃する形でエレインに斬りかかる。
 エレインは両手を上げて、不可視の剣を受け止める。
 しかし、襲撃者の動きはそこで止まらない。
 左右の襲撃者は鏡映しのような動きで逆の剣を振り被る。
 それが振り切られるより速くエレインは受け止めた剣を上に弾いてその場で回転する。
 同時に放った回し蹴りで一人を引っかけてそれをもう一人に重ね、二人まとめて蹴り飛ばした。

 グシャ!

 彼らが壁に激突した瞬間に響いた生々しい音になのはは震えた。
 だが、それになのはが固まっている間に事態は動く。
 カンカンッと何処からともなく拳大の鉄球がエレインの足下に転がる。
 そして強烈な閃光がなのはの視界を焼いた。
 続いて聞こえたのは連続するカートリッジの炸裂音。

「アリサちゃん!」

 隣りにいるはずのアリサを引き倒してなのははその場に伏せる。

「きゃあああっ!」

 腕の中でアリサが悲鳴を上げる。
 なのはも叫びそうになるのを必死で押し殺す。
 すぐ近くで連続して弾ける魔弾の気配がとてつもなく怖い。
 殺傷設定ということもあるが、それ以上に自分がバリアジャケットを纏っていないことが不安だった。
 銃声が鳴りやむと今度は足音が重なって響く。
 顔を上げてまだチラつく視界で見たのは二人の襲撃者の姿。
 その手には長大なライフルの様なデバイスが握られており、おそらく彼らは先の三人とは別人なのだろう。
 彼らは追うような動きでセラと共に破壊された穴に入って行ってしまった。
 エレインの姿もすでにない。

「はあ……」

 緊張した身体を弛緩させてなのはは息を吐く。立ち上がる気力は湧いてこない。

「もう何なのよ!」

 苛立ちを混ぜて叫ぶアリサを見ることができずになのはは俯く。

「……ごめん」

「何であんたが謝ってるのよ?」

「だって……」

 そこから先を言うのに抵抗があった。彼女が誘拐されたこと。それが自分たちに関わったからと思うとどうしても言えない。

「それは……その……」

 言い淀んでいると建物が揺れた。

「ねえ……逃げた方がいいんじゃない?」

「そう……だね」

 セラが戦っていることが気になるが、それを気にしていられる余裕はなのはにはなかった。
 相変わらず魔法は構築した瞬間に解けてしまう。手の中にあるレイジングハートも別のもののように重い。
 魔法が使えない、知らなかった時のことが遥か昔のように感じる。

 ――わたしは何が欲しかったんだろ?

 無力な小さな手に悩み、得た力は一体何だったのか。
 反発に兄姉を傷付け、怒りに任せて誰かを傷付けるそんな力が欲しかったわけじゃない。
 なら、この手にした魔法の力はいったい何なのか、答えは分からない。

「ほら……行くわよ」

 先に立ち上がって手を差し伸べるアリサをなのはは見上げる。
 改めて見てもその姿は酷い有様だった。
 服はボロボロ、顔には泣いた跡もあるし、良く見れば殴られた痣さえあった。

「どうしたのよ?」

 数々の理不尽を受け、理解の及ばない状況に陥っても冷静で変わらない親友の姿になのはは思わず見惚れた。
 差し出される手は自分と同じ小さな手。魔法の力なんてない無力な手のはずなのに自分のものよりも大きく感じた。
 なのはが恐る恐るその手を取ると、アリサはその手を引き上げる。
 立ち上がる気力はなかったはずなのに、なのはは立ち上がっていた。

「…………アリサちゃんはすごいね」

「はぁ? いきなり何言ってんのよ?」

 思わず口に出た言葉にアリサはいぶかしむ。その言葉を説明するつもりはない。
 おそらく今なのはが魔法を使えていたとしても彼女は手を差し伸べて、自分を立ち上がらせてくれていたと思う。

「何でもない……とにかく急いでここを出よう」

 魔法を使えない以上この場に留まっているのは危険でしかない。
 今もなお続く戦闘音に建物を震わせる衝撃。
 戦闘の余波でこのビルが崩れる可能性だって0ではない。

「そうね……急いだ方が――」

「待てや、こら……」

 不意になのはたちを呼び止める声が響いた。
 地獄の底から響いて来たような低い声に心臓を掴まれた悪寒を感じ、なのはは振り返った。

「っ!?」

 それを見た瞬間、悲鳴を上げそうになったのをなんとか自制する。
 血走り、殺意と憤怒に彩られた目で睨まれ、身体が竦む。

「よくもコケにしてくれたな……」

 その男の姿はアリサに劣らずにボロボロで、それをやったのはなのは自身。

「許さねえ……ぶっ殺してやる……てめえら全員、絶対にぶっ殺してやるっ!!」

 感情に任せて叫ぶ傷だらけの男に先程まで感じなかった恐怖を受けてなのはは立ち尽くした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「これは……」

 廃ビルに踏み込んでソラは顔をしかめた。

「どうした?」

 前を歩く恭也が足を止めて振り返る。

「ソラ君……?」

 背後からは美由希が同じような声をかけてくる。
 高町なのはとセラが飛び出して行ってから士郎が恭也と美由希を呼び戻し彼らと合流して件の廃ビルを訪れた。
 市街の外れにあるためか周囲には人の気配はほとんどない。
 人を誘拐して監禁するには丁度いい場所なのかもしれない。
 もっとも今は魔導師にとっての鬼門の場所となっているようだった。

「二人は戻った方が良い」

「……それはどういう――」

 ソラの言葉に恭也が言葉を返したところで轟音と共に建物が揺れる。

「今のは?」

「セラでも高町なのはのでもない魔力だった……どうやら相手は僕の関係者だったみたいだね」

 感知した魔力の説明しながらソラは光剣を取り出してスイッチを入れる。
 ブンッという音を立てて刃が形成されるが、その形はすぐに解け、消えてしまう。

「やっぱりAMFか……セラの方はともかく高町なのはの方は大丈夫かな?」

「ちょっと待ってくれソラ……いったい何がどうなっているんだ?」

「簡単なことだよ。アリサ・バニングスっていう子をさらったのは魔導師。
 目的はたぶんこの場所に僕を誘き寄せるため。もしかしたら目的はセラの方かもしれないけどね」

 光剣の設定をいじりながらソラは続ける。

「言っておいたはずだよね? 僕に関われば面倒なことになるって、それがこれだよ」

 その一言に二人は押し黙る。
 そこにかすかにだが連続した炸裂音。おそらく機関銃の音が響き渡った。

「…………まさか質量兵器まで持ち出して来てる?」

 精確なことまでは判断できないが、相手の本気さだけは理解できる。

「そういうわけだからここから先は命の保障はできないから帰った方が良い……
 誘拐された子と君たちの妹は僕がなんとかするから」

「そう言われて、引き下がれるわけないだろ」

 ソラの言葉に恭也は即答で返す。

「あのね……そこらへんのチンピラと戦うのと違うんだよ?」

「そんなこと分かっている。だからこそ、なのはとアリサちゃんの二人が今どういう状況に陥っているのか教えてくれ」

「やだ……知ったら絶対に引き返さなくなる」

「ソラッ!」

 恭也が胸倉を掴もうと手を伸ばすがソラはそれを一歩退いてかわす。

「君たちが魔導師と戦って勝てると思ってるの?
 魔導師の攻撃力は一発で車だって軽々と吹き飛ばせるし、防御力は車に轢かれたって無傷で済むものなんだよ」

 できるだけ分かりやすい例えを使いながら説得を試みる。

「……あのさ、ソラ君。もしかして今ここじゃあ魔法が使えなかったりする?」

 さらにソラが言葉を重ねようとしたところで美由希が口を挟む。

「どうしてそう思うの?」

「だって今ソラ君の光剣が消えたから、もしかしてと思って」

 内心で失敗したとソラは嘆きながら頷いた。

「そうだよ、今この周囲一帯はAMFっていう魔力結合を阻害する魔法の効果範囲になってるんだよ」

「おい! それじゃあ二人は大丈夫なのか!?」

 恭也がここで指しているのは彼女の妹とセラのことと判断してソラは答える。

「一応、AMF下でも魔法を使う条件は二つくらいあるよ。だからセラの方は大丈夫だと思うけど……」

 果たして何処か素人然に見える高町なのはがそれを知っているかどうか怪しいものを感じる。
 ソラの沈黙に不安を大きくしてしまった恭也が会話を切り上げて踵を返して走り――

「待って、恭ちゃん!」

 出そうとしたところで美由希に止められる。

「止めるな美由希。今こうしている間にもなのはが!」

「分かってる! でも、だからこそ冷静にならないと」

 その光景にソラは思わず呆ける。
 シスコンの対象が変わっただけの恭也はともかく、その兄にべったりだった美由希が強くはっきりと物を言えるように成長するとは、時間の流れを感じさせる。

「くっ……魔法が使えないなら相手も同じじゃないのか? 同じ土俵なら危険は少ないと思うが?」

 美由希の言葉に自制を成功させた恭也が苛立ちを混じらせて尋ねる。

「いや、魔法を使えないのは僕たちだけ。
 さっき言ったAMF下で魔法を使う条件の一つになるけど、それは特定周波数をデバイスに入れているかってところなんだよ」

 AMF魔法は言って見れば、『魔力結合を解くための魔法』という矛盾を孕むもの。
 しかし、より正確に表現するなら『自分以外の魔法の魔力結合を解く魔法』となる。
 なのでAMFの魔法と同じ周波数の魔力に変換した魔力なら阻害されることなく魔法の行使が可能になる。
 これも広域展開と同じで前準備さえ整えればできない技術ではない。
 目の前の恭也が悔しげに歯を食いしばる。
 そして美由希も同じような顔をするが質問を重ねる。

「なら、ソラ君はどうなの? ソラ君だって魔法は使えないんでしょ?」

「僕は魔法陣の段階でその魔法の性質を判断できる。でも君たちはそれができないでしょ?
 それに『斬』と『徹』の仕方だって普通と違うから――」

「やはり、貴様はそうなんだな」

 不意にかけられた知らない声にソラ達三人は弾かれた様に身構える。
 大きめのホールの先、暗い闇の向こうから出て来たのはライダースーツのような形状のバリアジャケットを纏った優男。
 身体にフィットした服から見える身体つきは魔導師とは思えない程に良く鍛えられている。
 そして、殺意に満ちた目は彼が敵だと語っている。

「これは……」

 男の鋭い眼光を受け止めながらソラは冷や汗が流れるのを感じる。

「おい……ソラ……こいつは……」

「分かってる」

 目の前の男は強い。
 魔導師とかそんなものは関係なしにただそれだけを肌で感じて判断する。
 それは恭也と美由希も同じようで二人はすでに剣に手を添えている。

「……二人とも、これを」

 ソラはおもむろに二つの光剣をそれぞれに差し出した。

「ソラ?」

「周波数の設定はした。術式はベルカタイプの実体剣になる。後は慣れて」

「おい、いったい何を言っているんだ!?」

「どうやら彼は君たちのことなんて眼中にないみたいだから……」

 向けられた視線と殺気は完全に自分だけを向いている。

「だから、ここは僕に任せて君たちは先に行って」

 この目の前の男を基準にするならば、セラも自分のことで手一杯になるはず。
 もはや高町なのはとアリサ・バニングスの二人を気にかけている余裕はない。

「二人を見つけたらすぐに逃げること、間違っても正面から魔導師と戦おうなんて思わないでね」

「でも、これじゃあソラ君の武器は?」

「君たちの模擬刀じゃ丸腰も同じだよ。自分たちの心配を第一に考えること……
 それに一応他の武器もあるし、そもそもこれは僕の厄介事だからね」

 ほんの少し逡巡してから二人は光剣を受け取ってくれる。

「…………ソラ、一つ教えてくれ」

「何? できるだけ手短にしてよ」

「そのAMFというのはやはり魔法使いが作っているのか?」

「どうかな……魔導師でこの規模なら高ランクの魔導師を四人は集めないといけないから、機械でやっていると思う」

「…………そうか」

「……僕からも一つ良い?」

「何だ?」

「定番らしく、先に行けって言ってみたけど、どうだった?」

「お前…………随分と余裕だな」

「あはは……」

 脱力した恭也の言葉と美由希が苦笑いをこぼす。

「結構真面目に言ってるんだけどな……」

「なお悪い」

「酷いなぁ……と無駄話はここまでっと」

「お前が言い出したんだろ!」

 恭也の突っ込みを無視してソラはナイフを取り出す。
 無駄口を叩いていた恭也も口をつぐんで集中力を高める。

「僕があいつに接触したらその間に二人は駆け抜けて、追撃は僕が潰すから」

 細かい作戦は必要ない。
 むしろ彼らが自分を信じてくれるかだけが気がかりだった。
 彼らにとって初めての魔法戦。
 彼らの常識では計れない力を前に全て任せて突っ込めという指示は無謀とも言える。
 しかし、それ以上の作戦もありはしない。

「それじゃあ……行くよっ!」

 その言葉を合図にソラは駆け出す。
 停止から一気に全力疾走。
 左手に銃を構えて乱射する。
 すでに調整された魔弾は霧散することなく男に向かって走る。

「はぁ!」

 男が取り出したのは鞘に覆われた一振りの刀。
 柄には旧型のカートリッジシステムである印である引き金がついたアームドデバイス。
 男はそれをその身体と対象的な素早い動作で振り、迫る魔弾を全て切り払う。

「ふっ……!」

 その間に懐に飛び込んだソラはナイフを一閃する。
 その一閃を男は一歩下がることで避け、間合いを取ると同時に刀を斬り上げる。
 ソラはそれに対してさらに前進する。
 振り切る前の腕に肘を当て斬撃を潰し、銃を男の身体に押し付け――たところで逆の手によって振り払われる。
 ソラは身を屈め、ナイフを横薙ぎに払う。
 男は跳んでそれを避けると全身を乗せた兜割りで刀を振り下ろす。
 たまらず、ソラは後方に跳んでそれを避ける。
 斬撃は床に一直線の斬痕を刻んだ。

「いいの? あの二人を素通りさせて……」

 仕切り直しの状況でソラは軽口を叩く。
 すでにその場に恭也と美由希の姿はない。
 今のファーストアタックの合間に予定通り二人はこの場を駆け抜けてくれた。

「あんな原始人に興味はない。俺の目的は初めから貴様、唯一人だ」

 管理外世界に対してのスラングを聞き流しつつ、ソラは嘆息する。

「そのために無関係な人を巻き込むなんて感心しないぁ」

「ふん……あれもお前に組みする悪だ。それを断罪することこそが俺の役目」

「何……だって?」

 アリサ・バニングスをまるで自分の仲間だという物言いにソラは顔をしかめた。
 それが高町家の人たちなら一応の納得はできるが、ソラはアリサとはまともに会話を交わしていない。
 本命は間違いなく自分。その過程でアリサも殺す理由があるということなのだろう。
 その理由までソラは推測することはできなかった。

「使え」

 おもむろに男は二本の鞘付きの刀を顕現させたかと思うとそれをソラの前に放り出す。

「…………何のつもり?」

 しかもそれは小太刀という用意周到さ。

「俺は貴様の存在を認めん」

 聞き慣れた文句にソラは思考を切り替える。

「剣を取れ、貴様の全てを俺の剣で否定してやる」
 
 ――ああ、この手の馬鹿は久しぶりだ……

 思わず場違いな感慨を感じてしまう。
 十二年前、何故自分が狙われているのかさえ分かっていなかった頃から聞いていた言葉。
 身に覚えのない罪を糾弾され、数え切れない程に存在していることを否定された。
 あの頃はアオとヴォルケンリッターに守られていたが今は違う。

「ねえ……いいんだよね?」

 胸に抑えきれない何かを感じながら二本の小太刀を拾う。
 鞘を腰に差し、抜刀。細工の類がないのを確かめて納刀。

「実は僕……いろいろあって気が立っているんだよ」

 アズサ・イチジョウを守れなかったこと。
 フェイト・テスタロッサの腕を斬り落としてしまったこと。
 過去の暴露に管理局からの奇襲。
 そして、アオの真実。
 今まで別のことに集中して誤魔化していた憤りを吐き出すように言葉を続ける。

「だからさ……八つ当たりさせてもらうよ」

 ――二人を先に行かせて本当に良かった……

 こんな姿はあの二人には見せられない。
 憂さ晴らしに剣を振るうことを彼らは認めないだろう。

「御託はいい……さっさと来い」

「……そう」

 男の言葉にソラはそれ以上の何かを言うのをやめた。
 代わりに構えを取って集中する。

「時空管理局――<執行者>ラント・クルーゼ。正義の名の下に貴様を断罪する」

 ふと、その名前に聞き覚えがあるような気がしたが、該当する知り合いは思いつかない。

「勝手に言ってればいい……」

 相手の名乗りに合わせて名乗ることをせず、ソラは強く床を蹴り男、ラントの間合いに入る。
 彼の反応は速く、ソラの間合いに入る前に剣が振り下ろされる。
 縦の斬撃を身体を捻って避け、それと連動して剣を横薙ぎに振る。
 刃が届く直前に障壁が展開されるが、それは予測済み、『斬』で切り裂きラントの胸を裂く。

 ――浅い……

 手応えに不満を感じ、息を吐かせないように追撃をしながらソラは笑った。

 ――身体が軽い、それに相手の動きがよく見える……

 今まで感じたことのない解放感に昂揚する。
 アオの真実を知って、もしかしたら剣を振るうことに身体が拒絶するかと危惧もしたがそんなことはまったくなかった。
 むしろ逆にその剣は冴え渡る。

 ――本当に僕は『人でなし』だな……

 御神の高みを目指していたのはアオへの贖罪だったから。
 誰かを守ろうと思ったのは、その理念に憧れ、人とのつながりを求めていたから。
 今、この戦いにその枷はない。

「はは……あはは……」

 アオへの尊敬も贖罪もなく、御神に対しての憧憬でもない。
 自分のためだけに気兼ねなく剣を振れる解放感に笑わずにはいられない。
 強いと感じたはずのラントの動きが数秒先まで鮮明に把握できる。

「おおっ!」

 気合いの入った声と共に振り払われる剣にソラは自分の剣を合わせる。
 接触の直前、魔法として指向性を持ったエネルギーを意図的に別の方向に向かわせて、剣を合わせる。
 そこで身体強化魔法にハッキングして強化バランスを崩し、魔力衝撃を流した方向に誘導し受け流す。
 コンマ一秒にも満たない刹那の妨害を知覚されることはなく、相手はただ受け流されているとだけ感じる。
 とても生身では受け切れない魔導師の、この場合は騎士の一撃をそうやっていなし反撃する。

「ぐあっ……」

 峰を返した剣の一撃にラントが苦悶をもらす。
 苦し紛れに振られる剣を容易く見切り、かわして、逸らし、弾き、返す刃、この場合は返す峰でさらに打ちのめす。

「そんな――」

 左の脇腹を打ち――

「馬鹿な――」

 右の脇腹を打つ――

「こんなはずはない! 俺が――」

 袈裟斬りに打ち下ろし――

「俺の方が――」

 柄尻で米神を叩き――

「俺こそがあの人の――」

 それでもなお切り返してくる刃を身を屈めて避け、顎を剣を握った拳で勝ち上げて極める。

「が……は……」

 大の字に仰向けに倒れるラントを前に、ソラは何とも言えない空しさを感じた。

「何をやってるんだろ……僕は……」

 熱が冷めるように先程まで感じていた昂揚は一気に醒めてソラは自嘲する。
 憂さ晴らしのつもりで戦ったはずなのにひどく気分が悪い。

「う……うう……」

 呻くラントにソラは冷めた視線を送り、止め刺すために剣を突き付けて――やめた。

「早く恭也たちに追いつかないと……」

 おそらくセラが戦っている音と震動にソラは意識を切り替えて踵を返す。

「……ま……て……まだ……だ」

 その声にソラはゆっくりと振り返る。
 全て打撃だったとはいえ急所に容赦なく当てたにも関わらず、ラントは剣を杖にして立ち上がる。

「タフだね……」

 バリアジャケットの損傷はないが、『徹』による打撃が彼の身体を内側から打ちのめしている。
 いくら鍛えられているからといっても耐えられる限界は当然存在する。

「うるさい……俺は……負けられない……貴様のような紛いものに……俺の剣が負けるはずがないっ!」

 彼の気持ちも分からないでもない。
 『執行者』なんて聞いたこともない役職だが、ソラの見立てでは実力はシグナムよりも上。
 そもそも本当なら非魔導師が魔導師に正面から戦って勝てるわけはない。
 それは物を投げれば落ちるというように、誰もが知っている決まり切った答えだった。
 なまじ実力があるからこそソラに負けたことが認められない。

「俺が……この剣が正義なんだ……正義は必ず勝つんだっ!」

「おめでたいね……そんな夢物語を信じてるなんて」

 ラントの妄信にソラは呆れる。

「黙れっ!」

 叫ぶと同時にラントは左手をかざす。
 そこに現れるのは右手に持つ剣と同じ形状の旧型カートリッジシステム式の刀型デバイス。

「なるほど……本当は二刀流だっていうことね」

 そう呟いている内に、ラントは二つの引き金を引いてカートリッジを炸裂させる。
 突然、増えた魔力量にソラは顔をしかめる。
 それは二発のカートリッジを使ったにしては増加量が大き過ぎる。

「へー……そういう使い方があるんだ」

 原理を推測しながらソラは感心する。
 二発のカートリッジを同じタイミングで炸裂させることで、その魔力を干渉・共振させて増幅させた。
 この場合、効果時間こそ一発分になるが、魔力の増幅値はおそらく乗算されているだろう。
 そんな使い方はソラの知識の中にはない。

 ――ま、当たり前か……

 ソラが知っているカートリッジ運用技術は古代ベルカのヴォルケンリッターが使っているもの。
 技術の進歩と研鑽される技能。
 時間が経てば当然それらは発展を遂げ、新たなものを作り出す。
 停滞していた闇の書では決して見ることのない技術。

「いくぞっ……」

 励起した魔力をまといラントが動く。
 先程までとは比べ物にならない速さ。そして斬撃に込められた魔力もまた恐ろしい威力を秘めている。
 それでも――

 ――見える……

 相手の動きと周囲の魔力の流れを読み取ってソラはステップを踏む。
 剣先が眼前をかすめ空を斬る。
 その速度はリンカーデバイスを持った時のフェイトに迫るほどのものだが、その手のことはその時に学習している。
 高速移動は脅威だが、術者の思考速度が上がっているわけではない。
 むしろ速度が上がっているため、こちらの回避行動をすれば前の動作を瞬時に止められない分隙が生まれる。
 そして、速度が上がれば細かな制御ができないためカウンターを狙いやすい。

 ――あれ?

 ラントの上下左右斜めから来る斬撃と時折挟む突きを避けながらソラは違和感を感じた。

 ――どうして、こんなに分かる?

 高速機動が読み易いのは当然としても、ラントの動きはそれを超えて分かり易かった。
 初めこそ、解放感を伴う感覚の鋭敏化で気付かなかったが、それは明らかにおかしいレベルだった。
 彼の行動の意図、呼吸の取り方、そして思考さえも読み取れる錯覚さえ感じてしまう。

 ――なんで?

 罠かとも疑ったが、ラントの苛立ちが混じった必死な表情に否定する。
 しかし、その答えを出すための思考は中断される。

 ズンッ!

 一際大きな震動と魔力の発生にソラは現状を思い出す。

 ――遊んでいる暇はない……

 かわすだけの防戦をやめ、フェイントを重ねてラントの背後を取る。

「これで――終わりだ」

 峰ではなく、刃を立てて繰り出す技は今までの斬撃の比ではない。
 『雷徹』、二つの徹を重ねた御神の技の中でも高い攻撃力を持つ技であり、ソラが確実に扱える数少ない技の一つ。
 手加減なしの一撃は確実に相手を死に至らしめるだろう。

「おおおお――」

 それに対してラントは雄叫びを上げて振り返る。
 視覚を振り切り、完全に見失ったはずなのに精確にソラの位置を把握していたかのようにすでに剣を振り被っている。

「え……?」

 その構えに、ありえないものを見てソラの思考は止まった。
 それでもソラの身体は何の問題もなく雷徹を放つ。
 しかし、それは致命的なミスだった。
 いくら阻害できるといってもソラが魔導師に真っ向勝負を挑むのは自殺行為でしかない。
 本来ならすぐに雷徹を切り上げるべきだった。しかし、一瞬止まった思考のため、身体が勝手にしみ込ませた動きを始めてしまう。
 そのソラの動きとラントの動きは鏡合わせの様に酷使していた。
 いや、ラントのそれもまぎれもなく『雷徹』の構えだった。

「あ……」

 ラントの動きが読める理由と聞き覚えのある名前の正体に気が付く。
 それは――

 二つの『雷徹』が激突する。
 片や、膂力は足りないものの、完成された体術から放たれた技。
 片や、粗削りな体捌きながらも、魔力で強化された技。
 ソラの妨害を差し引いて拮抗する形になるが、ラントはさらなる行動を行う。
 剣が激突する瞬間に引かれたカートリッジシステムの引き金。
 膨大な魔力に瞬発的な指向性を持たせた一撃のためだけのカートリッジブロウ。
 処理し切れない魔力の衝撃にソラが持つ剣は耐えられずに折れ、ラントの刃がソラに届いた。

 白む意識の中でソラは思い出す。
 ラント・クルーゼ。
 その名前を聞いたのは十二年前。
 かつてアオの特訓から逃げ出した、一つ前の兄弟子の名前だった。





 捕捉説明

<広域AMF>
 技術的にStsの十年前なので実用的な性能を持たせるとかなり大型の装置になり、携行はもちろんガジェットのように自律行動もできない。
 複数の魔導師でも行うことができるが、他人の魔法に干渉させないような調整が必要なため高ランクの魔法になる。
 そのため実用的ではない。


<執行者>
 時空管理局の裏方。
 表立って公表できない暗殺・諜報などを引き受ける、いわば汚れ役。
 その存在は噂されてはいるが誰も確認した事がないため、管理局の中では七不思議の一つとして語られている。


<ソラの覚醒>
 今まで後ろ向きな理由で剣を振っていた彼がアオの真実を知ったことで罪悪感を減らし、それによって解放された力。
 剣を極める、御神の高みに至るなどの目標を見失っているが、それに殉ずる義務感や焦燥感が大き過ぎて今まで重荷になっていた。
 具体的に何かが強くなったわけではなく、視野の広さが増し、集中力がさらに研ぎ澄まされた程度。
 ある意味、親離れの一種となる成長。





 あとがき
 定番のアリサ暴行(未遂)事件を通して、酷評を受けたにも関わらずなのはにまた民間人?を攻撃させてしまいました。
 話の展開上、御容赦ください。
 この話の中で完全に巻き込まれただけの不良たちですが、AMF初体験のなのはにとっていろんな意味で最大の敵となります。
 一応、次の話で今回のなのはの話を終わらせる予定です。

 また、今まで優勢だったセラやソラたちのターンを終わらせて、今回は管理局のターンを意識しています。
 ラントの使う剣は某八作目RPGの主人公及びそのライバルが使う定番のガンブレイドの機構をイメージしています。









[17103] 第三十話 試練
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2011/12/20 21:05





「きゃあ!」

 逃げようとしたなのはは髪を掴まれて、乱暴に引き倒される。
 力任せに冷たいコンクリートの床に叩きつけられた衝撃に息を飲む。

「オラァ!」

 そしてそのまま乱暴に足蹴にされる。
 身体を貫く衝撃は今までに体験した事がないほどに痛く、無慈悲なものだった。

「ぎっ……がっ……ぐぅ……」

 二度三度、まるでサンドバッグにされたように執拗な暴力がなのはを痛めつけていく。

「死ねっ! まじで死ねよっ! この化物がっ!!」

 同時に放たれる言葉がなのはの胸に突き刺さる。

「ち…………ちがう……わたしは……ばけものなんかじゃ――」

「うるせえっ!」

 抗議の声は蹴りの一つで封じられる。

「やめなさいっ!」

 アリサが男に掴みかかるが、無造作に振り回された腕がアリサの頬を打ち、軽々と吹き飛ばす。

「アリ――」

「よくもっ……よくもっ……みんなをっ!」

 胸倉を掴まれて圧し掛かり、男はなのはを殴る。
 魔法が使えなくなったなのはは相応の力しかない。大人の男を押しのける力などあるはずもなく為すがままにされる。
 口の中が切れ、血の味が広がる。
 頬を打つ拳の痛みはすでに虚ろで身体中の感覚が麻痺している。
 そして、まじかにさらされた男の顔を正視することがなのはにはできなかった。

 ――これが……報い……

 何の力もない非魔導師を怒りに任せて痛めつけたことの罰。
 彼らがアリサに行った暴行を考えれば当然の対処だったと思う一方で、魔法の存在すら知らない民間人に魔法を使った罪悪感を感じる。
 今の彼は理不尽な暴力とやられた仲間たちのことを思って怒っている。
 その感情は共感できる。
 今、この現状は先程の立場を逆にしたものに過ぎない。
 アリサへの暴行に怒り、魔法の力で暴力を振るったなのは。
 その暴力に対しての報復に、男は大人の力でなのはを殴る。

 ――わたしも……こんな目をしてたのかな……?

 殴られて左右に揺れる視界の合間に見える男の目を見てなのはは思う。
 血走り、濁った印象を受ける目。
 若干焦点が合っていない気もするが、それでも怖いと思う目だった。
 そして自分がそんな目をしていたかと思うと、今拳を振り上げる男よりも怖いと思った。
 もう何度目になるか分からない拳を男は振り上げて――唐突に横殴りされてなのはの視界から消えた。

「え……?」

 そう呟くだけで口の中に痛みが走る。それだけではない身体も節々が痛いし、頭もくらくらする。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 それでもその痛みを忘れるくらいになのははアリサの姿に目を奪われた。
 荒い呼吸。震える手には不良たちが持ち込んだものか、木刀が握られている。

「アリサ……ちゃん……」

「っ……逃げるわよ!」

 呆然としていたアリサはなのはの声で我に返って木刀を投げ捨てる。
 そして倒れたままのなのはに手を差し出して――

「このガキがっ!」

「きゃあ!?」

 銀の光が閃き、アリサが悲鳴を上げて倒れた。
 それはバルディッシュやレヴァンティンと比べればちっぽけな武器。
 なのはも名前だけは聞いたことがあるバタフライナイフ。
 そんな小さな武器でも人を殺すには十分な道具だった。
 肩を押さえるアリサの手の隙間から流れる血になのはは息を飲む。

「あああああっ!」

 声を上げ、何の躊躇いもなくアリサに向かって男はナイフを振り下ろす。

「っ……アリサちゃん!」

 咄嗟にレストリック・バインドを作り出して男を拘束する。
 突然動きが固定されてつんのめる男、そして次の瞬間にはAMFのせいでバインドは霧となって消えた。
 不自然な体勢で振られたナイフはアリサに届くことなく空を切る。
 男はゆっくりとした動作でなのはに振り返る。

「もう――」

「うわあああああああああっ!」

 やめてください。そう言おうとしたところで男は悲鳴を上げて尻もちを着きながら後ずさる。
 その目に宿す恐怖の感情になのはは思わず男から目を逸らす。
 不完全な魔法一つでその反応。
 それはなのはが彼に植え付けた暴力に対する恐怖から来るものなのか、それとも魔法のことなど何も知らない人だからの反応なのか。
 どちらにしても自分の存在が、なのはが考えていた以上にこの世界から離れているのだと痛感する。

「…………動かないでください」

 胸に刺さる棘の痛みを抱えたまま、なのははレイジングハートを男に向ける。
 それだけで、ひぃっと悲鳴を上げて男は動きを止める。

「アリサちゃんもそこを動かないで」

 レイジングハートを男に突き付けたまま、彼を刺激しないようにゆっくりとなのははアリサに近付いていく。
 魔力を全力で注げば魔法は短い間だけ発動することが判った。
 このままディバインバスターを撃てば難なく男を倒すことができる。
 しかし、全力の砲撃を撃って彼が無事の保障がない。
 非殺傷設定攻撃も過剰に行えば身体を破壊することを先程初めて知った。
 どれくらいの力加減で撃てば昏倒だけさせられるか分からない。何よりAMF状況下でそんな手加減はできない。
 牽制目的で構えていても、引き金にかかる指は痺れて感覚がない。

 ――今は逃げることだけを考えないと……

 思考をそれに集中して、悪いことは考えないように努める。
 人を殺せる力と認識してしまった魔法は使えないが、今はそれに頼るしかない。

「なのは……」

「大丈夫だよ、アリサちゃん」

 十数メートルの距離をゆっくりと時間をかけて歩き、男からアリサを庇う形でなのはは彼女の声に振り返らずに応える。

「アリサちゃん、立てる」

「大丈夫に――」

 ドンッ! 同じ問答を返す二人の会話に重なる形で上の階から重い衝撃音が鳴り響く。
 唐突な音になのはは弾かれた様に顔と杖を上に向ける。
 それがセラの戦闘音だと考えに至る前にそれは起こった。

「あ……うああああああああああああああああああっ!」

 叫びながら男がナイフを腰だめにして突っ込んでくる。
 衝撃音かなのはの反応、どちらが切っ掛けだったかは分からないが、膨れ上がっていた恐怖を弾けさせる要因になってしまった。

「こ、来ないで! それ以上近付いたら撃ちますっ!」

 対するなのはも悲鳴のように叫ぶ。
 同時に魔力の集束を行い、砲撃の体勢を取る。
 しかし、溢れる桜色の光を前に男の勢いは止まらない。

「本当に撃ちますよっ!」

 再度の警告も無視。
 なのははきつく目を瞑って、乱暴に引き金を引いた。
 一際大きく輝く桜色の光。
 そして――ポンッ! 桜色の魔力は不発に終わった。

「なのはっ!」

 逸らした目を開いた時にはもう男は目の前に迫っていた。
 大人の体格で腰だめに構えられたナイフはちょうどなのはの顔の前にある。

『プロテクション』

 咄嗟にレイジングハートが張ったバリアになのはは自身の魔力をさらにつぎ込む。
 AMFによって揺らぐバリアはナイフを弾くことができずに受け止める。
 突き出されるナイフの力となのはがバリアを支える力も拮抗しているとは言い難い。
 ジリジリと押し込まれ、目の前に近付いてくるナイフになのはは身体が冷たくなっていくのを感じる。

 ――いやっ!

 迫る死の恐怖に取り乱しそうになる。
 しかし、それをすれば盾は消え、ナイフはなのはが感じる死を現実のものとする。
 果たして今までこれほどまでの恐怖を感じたことがあっただろうか。
 初めて会ったフェイトにバルディッシュを突き付けられた時。
 ヴィータのラケーテンハンマーの一撃を受けた時。
 シャマルの旅の鏡で胸から手が生えた時。
 リインフォースと一対一で戦った時。
 どれもギリギリの戦いだったはずなのに、戦いの規模も今の方が圧倒的に小さいはずなのに。
 ちっぽけなナイフに怯える自分になのはは困惑する。

「なのは……」

 背後からの弱々しい声になのはは挫けそうになっていた心を持ち直す。

 ――アリサちゃんを助けないと……

 彼女がこんな目にあっているのは自分のせいだ。
 不良たちに襲われたのは偶然だったとしても誘拐されたのはなのはが魔法に関わらせたことが原因でもある。
 例え、自分がどうなってもアリサは無事に元の場所に帰す。その使命感になのはの活力は戻ってくる。

「アリサちゃん伏せてっ!」

『バリアバースト』

 叫ぶやいなやバリアを爆発させる。
 その衝撃で男を吹き飛ばすが、バリアジャケットがない状態で行ったためその衝撃はなのはにも及ぶ。
 支えきれずに尻もちを着くなのは。
 そして最悪なことに十分な威力を出せずに男にはたたらを踏ませる程度の威力しか出せなかった。
 無防備な姿をさらすなのはに男はナイフを振り上げて――勢いよく振り下ろした。

 キンッ!

 身体を強張らせた目の前でナイフは何処からともなく飛んできた石に弾かれて在らぬ方向へ飛んで行った。

「は……?」

「くっ……」

 困惑する男。その隙になのははレイジングハートを男に向ける。

「ごめんなさいっ」

 呆けた顔が一瞬で引きつる。それでも躊躇わずになのはは魔力を集束させて――引き金を引いた。
 桜色の奔流が今度こそ放たれて男を飲み込み、壁に激突して霧散した。
 砲撃を受け壁に叩きつけられた男は音を立てて倒れる。

「はっ……はっ……はぁ……」

 今の砲撃で完全に魔力が空になったなのははそのまま大の字になって倒れ込む。

「ちょっとなのは!?」

「だ、大丈夫だよアリサちゃん」

 何とか返事をして上体を起こす。
 しかし――桜色の残光が照らす室内に黒い影が動きなのはは身を固くした。

 ――まさかまだ立てるの?

 緊張にレイジングハートを握る力がこもるが、それは杞憂に終わった。

「大丈夫だ……意識を失っているだけで命に別条はない」

「お……お兄ちゃん……脅かさないでよ」

 聞き慣れた声を聞いてなのはは緊張を解く。
 黒い影の正体、恭也は男の診断を終えて立ち上がり、なのはの前に跪く。

「お兄ちゃん……わたし……」

 殺すつもりだった。殺してもいいと思った。
 あの人を殺さないとアリサを守れないと思って、引き金を引いた。
 結果は殺してなかったとしてもなのはの中では彼を殺している。
 なのに、人殺しの化物になる覚悟をしていたのに、身体は今になって震え、彼が死んでいないことに大きな安堵を感じてしまう。

 ――わたしの覚悟ってこんなに軽いものだったの?

 人を殺して平然としていられるソラたち以上に自分のことが理解できなかった。
 人を傷付ける覚悟も自覚もないまま、そのことから目を逸らし気付かないふりをして魔法を振りまわしていた自分が彼らよりも醜悪に思える。 
 様々な考えが浮かぶがそれをうまく言葉にできなかった。
 何かを言おうとして口をつぐみ、うつむいてしまったなのはは不意に頭に手を置かれるのを感じた。

「お兄ちゃん?」

「よく頑張った」

 全て分かってる。そんな言葉を含ませたたった一言に胸にこみ上げるものを感じ、涙が溢れる。

「う……っ!」

 我慢することはできなかった。
 声を上げ、兄の胸に縋りついてなのはは声を上げて泣く。

 ――怖かった……

 戦うことがこんなに怖いと思ったのは初めてだった。
 魔法という別の常識に触れ、バリアジャケットに守られ、非殺傷設定があることで気付かなかった恐怖を知らされた。
 今ならお父さんが言っていた言葉も少し分かる。

 ――剣は凶器。魔法も同じ。

 守るために自分の手を汚す覚悟はとても重く、辛い。
 相手が悪人だから良い、なんて言い訳にならない。
 人の命を奪える力。それを自覚して魔法を使うことが怖かった。
 純粋な殺意を向けられて怖かった。
 アリサを守れないことが、人を殺したことが怖かった。

「大丈夫……もう大丈夫だ」

 頭を撫でたまま優しく抱きしめてくれる兄になのははただ声を上げて泣き続けた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ゴフ…………生きてる?」

 込み上げて来た血を吐き出して、ソラは自分が生きていることに疑問を感じる。
 刃は確実にソラの身体に届いた。
 だが、斬断はされず身体には魔力ダメージ特有の痺れを感じる。

「これは非殺傷設定の……」

「その通りだ」

 ソラの答えを肯定するようにラントの高圧的な声がかけられる。

「立て」

 見下した眼差しから放たれる言葉。
 言われるまでもなくソラは背中を預けていた壁に手を着いて立ち上がる。
 膝は震え、まともに立っていられない程のダメージを身体に受けている。
 武器も右の刀は半ばから折れ、左の方は手の中にない。
 それでもソラはラントの視線に睨みを返す。

「ふんっ」

 それが気に障ったのかラントは無造作に距離を詰め、無造作に拳を振る。
 迫る裏拳をソラはかわすことも、その衝撃を受け止めることもできずに床に倒れる。

「…………一度だけ……あんたのこと、アオから聞いたことがある」

 もう一度立ち上がりながら時間を稼ぐように言葉を重ねる。

「鍛錬に耐え切れずに逃げ出した半端者――」

「違うっ!」

 今度は無造作に振った剣から放たれた光刃に吹き飛ばされる。

「ぐ……あ……」

「俺は逃げ出したんじゃない! この力は、彼女の剣はもっと有意義に使われるべきものなんだ!
 この力は管理世界に平和をもたらすことができる。
 御神の力は守るためにあるはずなのに、彼女は何もしようとはしなかった」

 非殺傷設定であるため、斬撃は打撃としてソラの身体を打ちのめす。
 再度、壁に叩きつけられ、何とか身を起してその壁に背中を預けてソラはラントを見据える。

「それで…………アオと意見を決裂させて、管理局の犬になったってわけ?」

「管理世界の治安を守るため最良の選択だ」

「はっ……やってることはただの汚れ仕事のくせに」

 彼の言動から執行部という部署の役割を推測する。
 恐らく、主な行動は暗殺や諜報。表立って公表できないことをする部署だと当たりをつける。

「例え己が手を汚しても力を持たない弱者を守る。御神の理念だが、貴様は理解できなかったようだな」

「そうだね……僕は結局自分のためにしか戦えない人間だ」

 自嘲と共にソラはラントの言葉を肯定する。
 アズサ・イチジョウにフェイト・テスタロッサ。
 彼女たちを助けようとしたのも純粋な好意や使命感によるものではなく、代償行為による自己満足を得たかったからに過ぎない。
 その結果、片や自殺を、片や自分を暴走させて彼女の腕を切り落とし、管理局の排斥を受けた。

「でも、あんたにとやかく言われる筋合いはないよ……
 管理外世界の何の関係もない人を巻き込んでいるようなあんたにはね」

「貴様などに関わったが故の不運だ」

 何の躊躇いも罪悪感も感じさせずにラントは言い切った。その言葉にソラは引っかかりを感じた。

「あの人も貴様などに出会わなければ……」

「それは同感……」

 もしアオと出会わなければ、それは今になってよく考えること。
 もし出会わなければ、裏路地で惨めにのたれ死んでいたか、闇の書の主として管理局に処刑されていたか、闇の書に食われて死んでいたか。
 何にしても死んでいる状況だが、今の様に死ねない生き地獄を味わうことはなかった。
 そして何より彼女を殺すことはなかった。

 ――馬鹿馬鹿しい。

 この期に及んでまだそんなことを思える自分に呆れた。
 アオの思念体が明かした彼女の真実は自分にとって最悪なことのはずなのに、未だに彼女への信頼を捨てきれていない。
 彼女から貰った名前を捨てられないがその証拠だ。

「…………誤解しているようだから言っておくけど、彼女と僕は何の関係もないよ」

 思考を紛らわせるように話題を元に戻す。

「……だが知らなくていいこと知った」

「だから、殺すか……ただの口封じじゃないか」

 ラントの答えにソラが呆れた言葉を返すと――不意に空気が変化した。

「AMFが……消えた?」

 未だにセラが戦っている音と魔力の動きは感じる。
 戦闘は継続中なのに不自然なタイミングでのAMFの消失にソラはいぶかしむ。
 それはラントも同じで彼はすぐに念話を使って確認をしていた。

「まさか……」

 思い至るのは恭也と美由希の二人。

 ――あれほど戦うなって言ったのに……

 AMF発生装置の傍にはその護衛がいるはず。
 それと相対し、装置を無力化したことは当然としても果たして無事かどうかが疑わしい。
 御神の剣士といえ彼らは魔導師について知らなさ過ぎる。

「問題ない。その女も殺せ」

 念話の言葉をそのまま口にしたラントの言葉にソラの身体が反応する。
 傷が治らなくなり、もしかしたら死ねる身体になって、それでもいいと思っていた。
 だが、無気力だった身体には熱が入る。

「くっ……」

 走る痛みに歯を食いしばって耐えて、手を床に着いて支えに。
 震える足を床に噛ませて力を込める。膝が浮き上がるがそれはゆっくりと緩慢な動作。
 その姿に軽く驚きの表情をラントは作るがすぐに引き締められる。
 まだソラは完全に立ち上がれていない。
 そんな彼をラントは無造作に蹴り、もう一度床に転がす。

「人殺し風情が今さら何を……」

「人殺しにだって……譲れないものくらいある」

 叫びながら、視線を素早く巡らせる。
 右手にあった剣は痛めつけられた時に落としてしまっている。
 その剣はソラから離れた所に落ちている。
 身体は――今の蹴りが喝になってくれたのか感覚はだいぶ戻ってきた。

「しっ……」

 強く息を吐き出し、倒れた姿勢から這う様に前傾姿勢で走る。

「遅い」

 しかし、魔導師の速度は振り切れずに回り込まれる。
 だが、想定の範囲内。

「はあっ!」

 右手を後ろ腰に回し、そこからナイフを引き抜く。
 その体勢からさらに身体を捻り、引き絞った右腕を疾駆の勢いに乗せて放つ。

 ――射抜――

 不意打ちの一撃にラントは反応し切れずに仰け反ってそれを避ける。
 ナイフはラントの肩に突き刺さるが浅い。
 全身を乗せた突撃に制動をかけ、ナイフを戻し身を屈め相手の懐に潜り込む。
 ほとんど密着。魔導戦ではゼロレンジと呼ばれる無手格闘距離のさらに内側。
 ソラは技後硬直なしにナイフを逆手に持ち変えて、突き上げる。

 ――狙うは顎下……

 必殺を込めて突き上げれた刃の前に半球状のバリアが展開される。
 ナイフを振る体勢のまま構築された術式にハッキングを仕掛け、盾の強度に干渉して――弾かれた。

「ちっ……」

 舌打ちをすると同時にハッキングとナイフを弾いたバリアを解析する。

 ――積層型のプロテクション……

 構造は薄幕を五枚重ねたプロテクション。
 その一枚一枚が別の魔法として構築されているため、それらを一緒くたに解体しようとしたハッキングは弾かれた。
 それでなくてもソラが一度に解体できる数を上回っている。
 そして五枚のバリアを貫通させるパワーはソラにはない。

 ――厄介だな……

 反撃に振り回された剣をソラはバックステップで避け、距離を取ると同時に落ちている小太刀を拾う。
 ナイフと小太刀。不釣り合いな武器を両手にしながらもソラは構わず駆ける。

「お前は――邪魔だっ!」

「それはこちらの台詞だっ!」

 二人が二つの刃を振り、途切れることのない剣戟音を鳴り響かせる。
 今まで正面からでは打ち負けていたはずなのに二人の斬撃は拮抗する。
 しかし、優勢はソラに傾いていく。
 剣戟の合間、『貫』でラントの剣をかわすが積層バリアで防がれる。

 ――遅い……

 ソラが並列してハッキングできる数は最大で三つ。
 故に五重のバリアを破壊し切れずにその都度剣が弾かれる。
 しかし、ソラは構わずに剣を振り続ける。

 ――遅過ぎる……

 『斬』を込めた一撃を含めて四つ。
 バリアジャケットも含めれば刃を届かせるには最低あと二つが必要。

 ――もっと速く……

 思考をいくら加速させても四つ目のバリアに干渉する前に剣が届いてしまう。
 かといって時間かければ反撃の剣が来る。
 元々、ハッキングによる魔法無効化は一つだけでも破格の演算速度が必要になる。
 それを三つ並列している時点でほとんどハッキング能力の限界値に至っている。
 しかし、それでは足りない。その程度ではまだ魔導師に届かない。

 ――まだ足りない……

 さらに剣の速度を上げると、今度はハッキングが追い付かず一つ目のバリアで剣が弾かれる。
 もどかしさにソラは歯噛みする。
 こんなにも相手の動きが遅いのに、展開される盾が越えられない。
 盾を構築する光の線が描かれる様がスローモーションに見えるのに、そこに伸ばす意識の糸も自分が振る剣さえもあまりにも遅過ぎる。
 意識だけが加速し、身体も術式の構築もそれに追いつかない奇妙な感覚。
 手足は空気が枷の様にまとわりついて重い。

 ――何をそんなにむきになっている?

 不意に達観した言葉が頭の中に過ぎる。

 ――こんなことをして何になる?

 乱れた剣を見逃さずラントが反撃に転じる。
 苛烈な剣をなんとか紙一重で避けながら、ソラはその声に叫んで言い返す。

 ――うるさいっ! 黙れ!

 ――お前の力じゃ誰も守れない……

「くっ……」

 脳裏に浮かぶのはアズサ・イチジョウの姿。

 ――誰かのために戦っても決してお前は報われない……

 思い至るのはフェイト・テスタロッサを始まりにした管理局からの排斥。

 ――所詮、お前は打算でしか行動できない……

 アズサもフェイトも突き詰めればソラ自身が守りたかった人間ではない。
 彼女たちの向こうに見ていたのはかつての自分の姿。
 彼女たちを救うことでかつて救われなかった自分を救いたかった。それはただの代償行為に過ぎない。

 ――黙れ……

 ――お前はただの人殺し……その手は血塗られている……

 ――黙れ黙れ黙れ……

 ――守りたいという意志も青天の魔導書に植え付けられたものに過ぎない……

 自問は的確にソラの弱いところを突く。
 御神を極めること、弱者を守る御神の理念もただ与えられただけで、それの通りに動いていたにすぎない。
 代償行為の奥にあるのは形ばかりの理想。
 今と変わらない。他にすることがないからそれに邁進してきたにすぎない。

 ――守れなくて当然か……

 そんな浅ましい考えで手を伸ばしていたのだから救えなくて当然なのかもしれない。
 改めてそれを自分に突き付けられてソラに返す言葉はない。

「でも……」

 確かに今までは自分の全てを殺してしまったアオに対しての依存で成り立っていた。
 正確にはそれだけを支えにして生きていた。

 ――お前は今なんのために剣を振る?

「僕は……」

 今の戦いにも意味はない。
 高町なのはは管理局で敵。恭也と美由希の存在もハヤテ・ヤガミの残滓でしかない。
 すでに終わった関係に何故ここまでむきになっているのか、ソラ自身も理解できない。

「それでも……僕は……」

 しかし、突き動かされるように足は前に出て、剣を振る腕には力がこもる。 
 戦う理由は見出せない。
 それでも今危険にさらされている美由希や恭也のことを放置することなどできない。

 ――なら、いきなさい……自分の思いを信じて感情の赴くままに、いきなさい……

 胸に響く言葉。
 その言葉が枷を解くように、重く繋がれていたソラの身体を解き放った。


 何故かソラは胸の奥底で歓喜の感情を感じた気がした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ダンッ!

 聞き覚えのある音に良く似た銃声が恭也の耳に響いた。

「なっ……」

 その音に反応して素早く顔を上げて恭也は言葉を失った。
 両手に抱える見たこともないライフルを手にした青いライダースーツにフルフェイスヘルメットの誰かがそこにいた。
 ライフルは恭也の知識には無い物でおそらくは魔法の世界のもの。
 その白い硝煙の代わりに白い燐光を灯らせる銃口が向けられている先にはアリサがいた。
 アリサ・バニングスがうずくまる様に倒れていた。

「アリサ……ちゃん?」

 胸の中で泣きじゃくるなのはもその音に顔を上げて振り返り、恭也と同じように呆然としてその名前を呟く。
 青い男は倒れたアリサに銃口を向け直し――

「やめろっ!」

 恭也は咄嗟に神速に入る。
 余計な感覚を捨て、視界は色を失くし、認識速度を極限まで引き上げる。
 全てが止まった景色の中で恭也だけが動ける。
 十数メートルの距離を本来の時間で一瞬で詰めるが、そこで恭也は驚きに目を見開く。
 神速の中で青の襲撃者が動く。
 アリサに向けていたライフルをそのままゆっくりとスローモーションだが確かに恭也に向けた。

 ――むしろ好都合だ……

 神速の中でどうして襲撃者が動けたのかは分からない。
 分からないから相手が魔法使いだからという理由で納得する。
 そして相手の意識が恭也に向かい、アリサに対しての意識が逸れるなら望むところだった。
 恭也は訓練から持ってきたままの刃引きした模擬刀を居合いの要領で抜き放つ。
 『徹』を込めた一撃をライフルの銃身に下から叩き込む。

 ――いや、『徹』ってない……

 手にかかる手応えは『徹』が失敗したもの。
 そもそも打撃の点が恭也の目測からずれた虚空で当たった。
 それがバリアジャケットのフィールド障壁だと恭也には分かるはずもなく、理解不能な状況に恭也の思考は止まる。
 対する襲撃者は恭也の一撃をものともせずにそのまま銃口を恭也に突き付ける。

「くっ……」

 銃口の奥に光る魔法の輝きを見て恭也はすぐに我に返って身を捻る。
 肩をかすめる魔弾。さらに連射――ということはなく、襲撃者はライフルを手から放すと、その手をそのまま背中に回す。
 ライフルは床に落ちる前に光の粒子になって消え、手は二本の刀を持って戻された。

 ――小太刀?

 出て来た物にかすかな驚きを感じながら恭也はようやく展開された光剣で斬り結んだ。

「くっ……」

 腕にかかる負荷に恭也はたまらずうめく。
 細身の腕と小太刀から来るとは思えない重い斬撃に腕がきしみを上げたと思った瞬間、ガラスの様な刀身が音を立てて砕けた。
 その反動に乱れた剣をなんとか避けて恭也は襲撃者から距離を取って息を吐く。

 ――剣が砕けなかったら腕が折れていた……

 改めてスイッチを押せば同じ色のガラスの様な刀身の光剣ができる。
 普通の刀とは違う違和感を感じながら恭也は魔導師というものを考える。

 ――セラも手加減していたみたいだが、本当に別物だな……

 軽量タイプの体躯と武器なのに繰り出される攻撃は恭也にとって重量級のそれ。
 魔法が使える。その一点で使えない恭也との身体的なスペックは圧倒的な差が出ている。

 ――それに神速にも対応してきた……

 魔法使いに対抗できると思っていた手札が絶対のものにならない。

 ――ソラが言っていたのはこう言うことか……

 ライフルへの攻撃を防いだ魔法。
 神速に対応する速度を持つ魔法。
 そして魔法による膂力の差。
 恭也が長年をかけて積み重ねて来たものが魔法の一言で全て無意味なものになりさがるのは憤りを感じずにはいられない。
 防御力、速さ、力。
 技で負けているつもりはないが、他の全てが劣っているのでは勝機は低い。
 そして、何より恭也は魔法を知らない。
 それは相手の手の内が全く分からないことであり、常識も通じないことを意味している。
 自分がどれだけ絶望的な戦いをしようとしていたか理解して冷たい汗が流れるのを感じる。

 ――それでも……

 襲撃者の足下に倒れているアリサに視線を向けて、弱気を打ち消す。
 倒れ、ピクリともしない様子に焦燥が掻き立てられる。
 気配が読み取れなかったことで自分を責めずにはいられない。
 今、目の前に対峙していてもその気配は希薄で読み辛い。しかし、それは言い訳にしかならない。
 アリサを撃たせたのは恭也の失態だ。少なくても本人はそう感じている。
 だから――

「いくぞ」

 問答の時間はない。一秒でも早く目の前の敵を倒す。
 力の差は歴然。恭也に有利な点は一つもない。
 それでも守るものがそこにある以上、御神に逃げはない。

 ――出し惜しみなしだ……

 床を蹴り砕く勢いで恭也が駆け出す。
 対する襲撃者も――来た。

「っ……!?」

 予想よりも速い速度での接敵に恭也のタイミングが崩される。
 すれ違い様の剣戟を光剣で受けると同時に弾かれた勢いに逆らわずに横に跳んでその威力を軽減する。
 襲撃者はそのまま突き進んで方向転換、恭也も体勢が立て直しているところに斬りかかる。
 その動きは美由希の神速には劣るが彼女の常時の速度よりも速い。
 打ち合いは危険と判断し、恭也は引き付けて――かわしけれずに光剣の刃を削らせるようにして凌ぐ。

 ――タイミングが取れない……

 地面を滑るような移動。
 蹴り足の勢い、その後はほとんど飛ぶような航空剣技は恭也にとって初見で理解できないもの。
 踏み込みがないせいで余計に間合いもタイミングも計れない。
 時たま地に足をつけて踏み込んでくるが、一歩の踏み込みが広く、それがまた間合いを狂わせる。
 迫る襲撃者の攻撃を避け、時には光剣で受け流す。
 その都度腕に過剰な負担が掛かり、骨の芯まで痺れさせる。
 一瞬の攻防の繰り返しは確実に大きく恭也の体力と精神力を削っていく。
 気付けば背後に壁が迫っていた。
 距離は五メートル、襲撃者は右腕を後ろに引き絞り――放った。
 その瞬間、恭也は意識を神速に切り替える。
 視界の隅、襲撃者がアリサから離れたことから彼女の下に走り寄っていたなのはの姿がモノクロになって止まる。
 しかし、黒と白だけの世界でも襲撃者はその動きを止めずにゆっくりと剣を突き出してくる。

 ――これは……いや今はいい……

 一連の動作。そして小太刀の二刀。
 浮かぶ疑問を押し込めつつ、恭也は身を屈め、突きの射線から逃れる。
 魔導師の速度は確かに驚異的だが、神速状態なら恭也のそれが上回る。
 突きが恭也の頭上で止まり、さらに逆の剣が突き出される。

 ――やはり……

 思った通りの追撃に恭也は慌てることなく身体を捻る。
 二連撃の刺突をかわす。
 フルフェイスヘルメットの向こうで驚きの気配がもれるが無視して恭也は後腰に納刀しておいた模擬刀を抜き放つ。

 ――薙旋――

 片方を光剣にして抜刀ではないが、恭也が得意とする奥義を繰り出す。
 首筋を狙った左の模擬刀の一撃は直前で二人の間に展開された円と三角形の魔法陣が弾く。
 恭也はそれでも止まらず右の光剣を魔法陣に叩き付ける。
 さらに続く三撃目にして恭也は魔法陣を切り裂いた。
 二度の攻撃で盾と刀が接触する位置を見極めたことによって『斬』が可能となったことからできた芸当。
 ソラがその場にいれば、デタラメだと叫ぶことをやってのけ、恭也は最後の四撃目を放つ。
 すでにバリアジャケットに対しても当たりをつけている。
 とは言えバリアジャケットに対しての攻撃は二度目で位置も違う。
 それでも精確にバリアジャケットの表面を捕えた――瞬間、襲撃者は頭を前に突き出した。
 ヘルメットと光剣の衝突。襲撃者は大きく仰け反る。
 打点をずらされたために『徹』が不発し、十分なダメージが取れなかったため襲撃者はすぐに飛んで後退する。

 ――良い判断だ……

 本来なら『徹』の一撃で脳を揺さぶるはずだった。それを前に出ることで防いだ。
 そこにヘルメットがあったからという理由もあるだろうが、それを実行できる度胸はかなりのものだ。
 しかし――

 ピシッ!

 刃をただぶつけた一撃だったがヘルメットを割るには十分だった。
 音を立てて罅が走り、二つに割れて落ちる。
 狭い空間から解放された髪が流れ落ち、素顔がさらされる。

「…………女?」

 素顔を確認して改めて襲撃者の身体つきを見る。
 暗いこと、それから焦りがあったから気が付かなかったが確かに女性の身体つきだった。

「驚きました……まさかただの人間がここまでやるとは思いませんでした」

 静かで落ち着いた理知的な声。
 とても自分が力負けした相手には見えなかったが、その考えはすぐに否定する。

 ――相手は魔法使い……セラの様な子供も俺より強い力を持っているんだ……

 見た目でその強さが判断できないことはすでに体験している。

「忠告をします」

 淡々とした事務的な口調で女は話しかけてくる。

「これ以上、私の邪魔をするのなら本当に殺します」

 どうやら殺さないように手加減していたようだった。
 殺傷設定か非殺傷設定か判断できない恭也には殺意のこもった攻撃にしか見えなかった。

「邪魔か……何故、アリサちゃんを撃った?」

「余計なこと聞かない方が身のためです」

「答えろっ!」

 忠告の言葉を無視して詰問する。

「機密保持と警告です」

「機密……だと?」

 魔法との接点がほとんどないアリサが命を狙われるほどの何かを知ったとは到底思えない。

「高町なのはによってもたらされた情報を分析し、彼女は知ってはいけないことに気が付いてしまいました」

「だから殺すというのか?」

「管理世界の平穏のために必要な犠牲です」

 ためらいのない即答に恭也は嫌悪感を募らせる。

「そして同時にこちら側の情報を部外者にもらした高町なのはへの警告でもあります」

「だからって……やり過ぎだ」

 なのはが不用意にソラのことを話し、彼女たちの法に抵触してしまったために起きた事件。
 アリサの死はなのはに対しての情報漏洩の罰であり、なのはの周囲の人間を使った脅迫だ。
 どう考えても行き過ぎた行為だとしか思えないし、しかも脅迫の材料に恭也自身が使われていることに憤りを感じずにはいられない。

「管理局……そんな非合法な組織ではないと思っていたんだがな」

「誤解のないように言っておきますが、私たちは管理局であって管理局ではない存在です。
 表立ってできない、非合法ををするための部隊。管理世界の住民を守るために殺人を許可された暗部……
 大半の局員は存在さえも知りません」

 恭也の言葉に女は動じることなく淡々と応える。

「綺麗事では誰も救えない。誰かが穢れることを覚悟して戦わなければ何も守れない。
 法を守るために、時には法を破ることが必要です」

「っ……!」

 続く言葉に恭也は言葉を失う。それどころか感じていた憤りさえも揺らぐ。
 女の言っていることが理解できる、できてしまう。
 力を持たない誰かを救い守るために人殺しの業を振るっているのは恭也も同じ。
 そしてこの世界にある『法を守るために法を破る組織』を知っていて、受け入れている。
 当然、恭也の知っている組織は殺人を是としているわけではない。それでも考え方は同じだった。

「いくつか確認しておきたいことがあります」

 良いですか、と言葉を失っている恭也に構わず女は尋ねる。

「貴方は御神ですか?」

「そうだ……やはり貴女も?」

 先程の刺突――射抜と今の言動から恭也は感じていた疑問の答えを得る。

「はい……隊長から御教授されました……何でも管理外世界の最強剣術だと」

 この世界ではもう四人だけの御神の剣士が魔法の世界でそんな扱いをされていると思うと複雑な気持ちになる。

「最強は言い過ぎだ」

「そうですか……では本題ですが、返答次第では貴方も抹殺しなければいけなくなりますので良く考えて答えてください」

 緩みかけた意識を戻して恭也は身構える。
 質問の内容はおそらくソラのこと。アリサと同じ結論に至ったかどうか。
 今までのソラについての情報を思い出しながら恭也は考える。
 次元犯罪者――こちらの言葉で言えば極悪人。
 凶悪なモンスターからなのはを助け、何かに取り憑かれたフェイトを救おうとして失敗した。
 祖母、不破美影の友人と称して現れたアオという謎の人物の師事を受けた御神の剣士。

 ――俺が知っているのはこの程度……アリサちゃんもそう変わらないはず……

 むしろアリサは本人と話をしてもいないのだからそれ以下かもしれない。
 それなのに口封じをされるほどにまで真実に辿り着いた彼女の頭脳に畏怖を感じる。

「貴方は――」

 しかし、恭也は知らない。
 なのはが、士郎が、そしてソラが意図的に恭也と美由希の二人に隠していた一つの真実を……

「――彼、ハヤテ・ヤガミについて何処まで知っていますか?」

「………………何だって?」

 まず恭也は自分の耳を疑った。

「貴方は彼、ハヤテ・ヤガミについてどこまで知っていますか?」

 一字一句違わない繰り返しに恭也の頭はようやくその言葉を理解し始める。

 ――ハヤテ・ヤガミ……八神はやて、なのはの友達? 違う、彼と言った……彼とは誰のことだ? 一人しかいないだろう……

 結論がそこまで至ると連鎖的に感じていた違和感が繋がっていく。
 ソラに対して感じていた既視感の正体。
 ソラが御神の剣を使える理由。
 ソラが何故自分の武器を貸してまでこちらの身を案じたのか。

「馬鹿な……」

 否定の言葉をもらすが、頭はそれが正解だと決めてしまっている。
 十二年前の子供の時の彼の姿と今の彼の姿、髪の色こそ違うがイメージはぴたりと重なる。
 しかし、性格が変わり過ぎている。

 ――あれはハヤテというよりも……

「あいつは……十二年前に何をしたんだ?」

「彼はロストロギア闇の書の主として大いなる力を得るために多くの魔導師を襲い殺害しました」

「っ……」

「そして、隊長と彼の師であるアオという人物を殺しました」

「なっ……!?」

 驚きのあまり恭也は言葉を失った。
 ソラがハヤテだった事も驚きだが、彼がアオを殺したことはさらに信じられない出来事だった。

「そんな……ありえない……」

「事実です」

「ありえないっ!」

 当時は彼のことはあまり好きではなかった。
 自分よりも無愛想で常に人を拒絶している眼差しが不快だった。
 父、士郎に剣の手解きを受けていたのも気に入らなかった。
 美由希を泣かせたこともある。それが原因で殴り合って、最終的にフィアッセとエリスに説教された。
 それから仲良くなったかと言われれば首を傾げる。
 無愛想なのは変わらない。それでも拒絶はしなくなった。
 一緒に過ごしたのは一ヶ月程度。
 あまり良い記憶は少ない。言葉を交わすよりも、拳や剣を交わしていた方が圧倒的に多かったと思う。
 恭也にとって初めての男友達で喧嘩友達。それがハヤテ・ヤガミだった。

「貴方がどんなに否定しても現実は変わりません」

 優しさなど一片もない物言いで女は恭也の言葉を切り捨てる。

「その様子では何も知らないようですね」

 女の言葉に恭也は何も言い返せなかった。
 十二年の空白によってハヤテはソラに変わっていた。
 ハヤテが魔法使いだった事も知らない。
 大量虐殺を行った理由も分からない。
 アオを殺したことが信じられない。
 そして、恭也は彼のことを言われるまでソラがハヤテであることに気付かなかった。

「では、最後に……」

 女の言葉に恭也はハッと顔を上げる。
 女は二本の小太刀を無造作に放す。刀は落下の途中で光になって消える。

「高町なのはを連れて、早々にこの場から立ち去ってください」

「断る」

 混乱する頭を即座に切り替えて恭也は即答する。
 なのはを連れて去ること。そこにアリサが含まれていない以上、拒絶は当然の答えだった。

「そうですか……時空管理局――<執行者>ノア・ロータス……これより断罪を開始します」

 女、ノアは名乗りを上げて空の手を無造作に振る。
 耳に響くかすかな風斬り音に恭也は咄嗟に横に跳ぶ。
 次の瞬間、恭也の背後にあった壁に五本の斬線が刻まれる。
 問う間もなく、ノアはさらに逆の手を振る。
 ノアの手元にかすかな光が視える。夜の闇の中だからこそ目立つがそれが昼間だったら分からないくらいのかすかな光。

 ――鋼糸か……

 細い細い魔力で構成された光の糸。両手の指から伸びる細い糸はあまりに細く、恭也の知識では零番の鋼糸に相当する。
 しかし、操るそれは恭也が知るものをは大きく異なっていた。
 御神にも鋼糸の技は存在している。それと今の操糸術はまったくの別物だった。
 魔法を持って操られた十本の糸は絡まることなく弧を描いて恭也に別々に襲いかかる。
 鞭の様な動きで迫る糸を恭也はバックステップをして光剣で切り払い、同時に三本の飛針を投げつける。
 ノアが腕を一閃すると飛針は空中で弾かれた。
 さらにノアが腕を振ると糸は束ねられて一本の槍を作り飛んでくる。
 それも斬り払おうとした瞬間、槍は解け、針となって恭也の右腕を串刺しにした。

「ぐっ……」

 糸はその太さを変えていて視認が困難なものではなく、釘の太さで突き刺さる。
 その内の一本が光剣の本体を捕えて砕く、ガラスの刀身は音もなく消え、恭也の手から零れ落ちた。

 ――なのは……

 なのはがこちらを見て息を飲んでいる。
 叫べば痛みが少しは紛れるだろうが、妹の前でそんな情けないことはできない。
 意地で声を押し殺すが――

「終わりです」

 しかし、その虚勢に対してノアは容赦なく糸を振る。
 赤く染まりだらりと垂れ下がった右腕はもう動きそうもない。
 そして神速もそんなコンディションでは集中力を維持できない。
 満身創痍の恭也に束ねられて鞭になった糸が振られる。
 今の恭也にはそれをよける力はない。
 それでも――

「う……おおっ……」

 渾身の力を込めて左腕を振り被る。
 ソラが、美由希が、もしくはセラが来るための時間を一秒でも作る。
 そのための刃を恭也は力任せに振り下ろした。

 キンッ!

 軽く小さな音が響く。手にかかる手応えは全くなかった。
 刀身の半分が舞うのを恭也は見た。
 そして、模擬刀を何の抵抗もなく切り裂いた糸は乱れることなく恭也に迫った。
 恭也が気付いていなかった魔導師との決定的な違い、それは武器の差。

 フェイトのサイススラッシュ。シグナムの紫電一閃。それらは鋼鉄を容易く切り裂く威力を秘めている。
 当然それらと打ち合える武器の素材は鋼鉄よりも性能が良い物を使われており管理外世界の武器とは強度に圧倒的な差がある。

 切り裂くことに特化した糸の前では鋼鉄でしかない恭也の刀は障害にもならなかった。
 例え恭也の刀が模擬刀ではなく業物の八影であっても同じ結末を迎えていただろう。

 それが分かっていたからこそ、ソラは光剣を渡しのだとようやく恭也は気が付いた。

 ――あ……死ぬな……

 神速とは異なる引き伸ばされた意識の中で、もう眼前にまで迫った糸を前にして恭也は思う。
 胸に浮かぶ思いは無念。
 なのはを、アリサを守れない無念。鍛えた腕が魔法に通用しない無念。

 ――忍……

 そして浮かんだのは恋人の顔。

「っ……! ……死んで……たまるかっ!」

 萎えかけた心を奮い立たせる咆哮。
 もうほとんど距離のない糸に恭也は身を屈める。
 斜めに走った糸は恭也の髪と肩をわずかに削る。
 新たな傷の痛みを無視して恭也は足が壊れても構わないくらいの勢いで床を蹴る。
 視界は色を失い、音が消える。おそらくは嗅覚も味覚も働いていない。
 右腕に走る激痛さえも恭也は極限まで引き上げた集中力でないものとする。
 だが、神速の歩みとしては遅い。
 それでも恭也は白黒の世界の中に見える唯一の光に向かって進む。
 ノアは未だに攻撃がかわされたことにも、恭也が近付くことにも反応していなかった。
 ノアの知覚を『貫』いた接近。

 ――届けっ!

 半ばから斬り取られた小太刀を投げ捨て、もう一本の小太刀を抜刀の勢いのまま、全てを込めて恭也は振り抜いた。
 無防備なノアの脇腹、バリアジャケットを『斬』り、刃引きされた小太刀の打撃を『徹』す。
 確かな手応え。ノアは吹き飛ばされることなく、その場に崩れ落ちた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 切り捨てた感覚が戻り、心臓が早鐘を打つように暴れる。
 気を抜けば全身で倒れそうになるのをなんとか膝を折るだけで我慢する。

「…………勝ったのか?」

 無我夢中で放ったのは奥義の極み『閃』。力も速さも超えた太刀筋は魔法使いを捕えた。
 ノアは確かに倒れた。それでも油断なく警戒する恭也は視界が白く霞むのを感じる。

「くっ……血が流れ過ぎているな……」

 右腕を複数の針によって串刺しにされ、そこから流れる血の量はかなり多い。
 早く止血しなければ、そう考えた時、衝撃は下から来た。

「がはっ……」

 仰け反る様に吹き飛ばされた恭也は受け身を取ることもできずに床に叩きつけられた。
 床に這わされて見上げる視界の中、ノアが脇腹に光が灯る手を当てながら立ち上がる。

「コフッ……」

 彼女の口から噴き出た血がそのダメージを露わす。
 それが普通の人間だったら終わっていたはずだが、魔法使いは傷をその場で癒すことができる。
 一撃で意識を刈り取れなかったことが恭也の敗因だった。

 ――動けっ! 動けっ!!

 いくら念じても恭也の身体はもはや動かない。
 もはや精神論に応えられる身体ではない。
 目の前で呼吸を整えるノア。彼女が顔を上げて恭也と目があった瞬間――金の光が彼女を飲み込んだ。

「――間に合った」

 降り立つのは金と黒の影。
 黒い戦斧を携えたその姿は恭也も知っている少女、フェイト・テスタロッサがそこにいた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ――まだ速くなるというのか!?

 その事実にラント・クルーゼは戦慄する。
 アオの下を離れて十数年。
 その間、自分なりの方法で己を鍛え上げ、『斬』も『徹』も完璧にものにした。
 そしてそれに合わせて魔法も磨き上げた。
 ツイン・カートリッジシステムに積層バリア。複雑術式の高速展開も常人を遥かに超える技として作り上げた。
 その他にも中距離戦闘のため鋼糸術を魔法を使って発展させ、遠距離戦闘のためにライフルも使えるようにした。
 管理局では数がほとんどいないSSランク、そして今まで殺してきた犯罪者の数はラントの自信と実績を作り出した。
 その数々の魔導師と戦ってきたラントからすればソラの力は歯牙にかけるものではない。
 御神の剣士としては悔しいながらも彼の方が完成されている。
 それでも所詮は人の領域を出ない力だと資料を見た時はそう思っていた。
 しかし、今は――

「くっ……」

 初めの剣戟で『徹』されて痛めつけられた腕は感覚を失うほどに痺れ、魔力で強引に握力を作り出している。膂力の差はそれで失くされた。
 剣を振りながら並列して魔法を展開しようとしてもノイズが走り、途中で術式は崩壊し形にならない。
 そして、その剣も時折防御をすり抜けて迫る。
 咄嗟に張った積層バリアは四層まで一気に削られる。
 とても非魔導師の所業とは思えない理不尽なデタラメな力。

「――何だと!?」

 今度は純粋に速度が追い付かずに防御の剣を抜けられた。
 右の白刃『イノセント』、左の黒刃『ギルティ』が積層バリアを展開して防御する。
 が、あまりの速さだったのか向こうも剣戟の一撃だけで第一層を削るだけのものだった。

 ――何てデタラメな……

 二本の剣とバリアを駆使し、それでも防戦一方の展開などいつ以来だろうか。
 数多くの強者と戦ってきた。
 その中には非魔導師だっている。
 ない力を補うために外法やロストロギアに手を出した者。人質を盾にして戦う者。質量兵器で武装した者。
 そのどれでもない存在。
 表の管理局が手に負えないと判断した魔導師でもここまでの者はいなかった。

 ――これほどの力を持ちながら……

 もはやそこに軽蔑の目はない。
 尊敬するべきアオを殺したことは別として、目の前の少年は御神の剣士として自分が知らない先に至っている。
 それがどれほどの研鑽を重ねたのか、途中で道を分けたとはいえ理解できる。
 だからこそ、今は彼に尊敬の眼差しを送る。

「しかし、それでも貴様の存在は危険だ」

 彼の境遇には同情する。
 様々な犯罪者を見て来たラントの目から見てもソラの扱いは酷いものだ。
 だが、それを言葉にすることはできない。そんな資格は自分には無いとラントは言い聞かせる。

「貴様の存在は世界にとっての毒だ。貴様の存在は世界を揺るがす……貴様は『生きて』いてはいけないんだ!」

「でも……僕は…………」

 ラントの言葉にソラが言葉を返す。
 どこか虚ろでラントの方を向いていないような目。
 それでも彼は声を出す。 

「それでも……僕は――」
 
 一際大きく響いた剣戟音がソラの言葉をかき消す。
 それでも剣を交わらせて伝わるものは純粋だった。
 生きる意志を込められた剣はとても重い。

 ――悪いがその意志は挫かせてもらう……

 自分の肩には次元世界の平和がかかっている。
 その世界を殺す猛毒を放置できない。

 ――せめて私を恨め……

 二つのカートリッジを同時に炸裂させる。
 跳ね上がった魔力で強引にソラの剣を弾く。
 さらに加速させた剣を振り下ろす。
 咄嗟の反応か、ソラはバックステップでそれを避ける。

『ソニックムーブ』

 高速移動でその背後を取って剣を振り構える。
 しかし、目の前にソラの背中はなかった。

「なん……だと……?」

 魔導師の瞬間高速移動魔法。しかも二つのカートリッジで増幅したそれは従来のそれよりもさらに速い。
 その速度に何の力も上乗せできない非魔導師が追い付けるはずのないのに現実は違っていた。

 ――デタラメ過ぎるぞ……

 もはや高機動魔導師と比べて遜色のない動き、ラントは完全にソラを見失う。

 ――後ろかっ!

 感じた気配に振り返った瞬間、衝撃が来た。
 身体の中心に『徹』った一撃がラントを打ちのめす。
 吹き飛ばす衝撃を身体に留め破壊する力。
 バリアジャケットを無視して攻撃に身体がくの字に折れ曲がる。
 無防備な身体、その首を狙ってソラはナイフを走らせる。

 ――まずい……

 積層バリアを張る余裕がない。
 デバイスの思考もカートリッジの魔力制御に回しているため自動防御もない。
 剣も間に合わない。
 バリアジャケットは目の前の敵に効果はない。
 ラントができる防御手段は――

「イノセンス、ギルティ、カートリッジロードッ!!」

 吠え、未だに励起する魔力があるにも関わらず二つのカートリッジを炸裂させる。
 制御できない程に膨れ上がる魔力。
 そして暴発。
 剣の機構部分が爆ぜ、無秩序な破壊となって魔法にならない魔力をぶちまける。
 その衝撃をラントはもろに受けるが、それはナイフの間合いにいたソラも同じだった。
 二人の間に起こった爆発は二人を引き剥がし、対面の壁にそれぞれを叩き付けた。

「ぐっ……」

 カートリッジの暴発、壁打ち、そしてソラの『徹』。
 三つの度重なるダメージは許容量を超えていた。
 バリアジャケットがなかったら意識を保つどころか死んでいてもおかしくない。
 故にバリアジャケットのないソラは壁に叩きつけられて倒れ、身動きを見せなかった。

 ――勝った……

 とは言えない勝ち方だった。
 剣の腕で負け、魔導師としても負けた。
 ただ最後に壁を支えに立っていたのが自分だっただけの勝敗。

「うう……」

 かすかに聞こえる呻き声。
 目を凝らして見ればソラの身体は痙攣を見せていた。

 ――まだ動くのか?

 その恐ろしいまでのタフさに敵ながら感心してしまう。
 ラントは壁を背にしたまま小太刀を格納してライフルを取り出す。
 重い。
 慣れたはずの重量を取り落としそうになる。
 それでもなんとか両手で支えて狙いをつける。

 ――これで今度こそ終わりだ……

 一連の動作は遅いがソラはまだ起き上がる気配を見せない。

「せめて……『人間』として死ね」

 じっくりと狙いをつけてラントは――撃った。
 しかし、殺傷設定の魔弾は黒紫のベルカ式の防御魔法陣に弾かれた。

「なんだと……?」

 突然ソラの前に現れたのは今代闇の書の主、八神はやてに良く似た少女だった。
 彼を守る様に立つ彼女は紫金の剣十字型デバイスをラントに向け――

「死ね」

 その一言と共に直射型の砲撃を撃ち込まれた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「どうして……?」

 まるで動かない身体でソラは言葉をつむぐ。
 異常なまでに良く動いた反動で全身が悲鳴を上げてまともに動かない。
 今も床に這いつくばったまま、スオウを見上げている。

「ふむ……」

 当の彼女はこちらの言葉など聞かず、目の前で手を握ったり開いたりして調子を確かめている。
 盾に砲撃。
 システムを修復させたといっても元のレベルでの魔法行使は不可能だったはずなのにスオウはそれをやった。

「もしもーし……スオウさん?」

「うむ……特に問題はないな」

 人を無視して自己完結。

「………………王様」

「む、何だ宿主?」

 ――こいつ……後で絶対に殴る……

 そう決意しながらも疑問をそのまま口にする。

「どうやって魔力を取り戻したの?」

「うむ……実際の魔力を取り戻すのには時間がかかるから、あかりとテスラにサポートさせている」

「あー……なるほどね」

 ようはユニゾンデバイスの応用と理解する。
 黎明の書を核として存在を安定化させ、それぞれの境界を明確にした。
 根幹を同じにする者同士、前だったら溶け合って一つになってしまうが今はそうはならない。
 故に他の二人を一時的に取り込むことで彼女たちの魔力を、特に実体具現に消費される魔力を戦闘に転化したのだ。
 二人が支え、一人を戦えるようにする。
 彼女たちなりに考え、自分に頼らない方法を見つけ出したその姿勢は好感が持てる。

「ところで……やったの?」

 砲撃で空いた穴に視線をやって尋ねる。

「どうだろうな……あれは試射だから――」」

 スオウがソラにならって視線を移した瞬間、地響きに似た震動が下から来た。

「む……下で爆発が起きたようだ」

 素早く広域スキャンをしたスオウの言葉に応えるように壁に亀裂が音を立てて走る。
 崩れる。ソラたちだけではなく、セラやなのはによって痛めつけられたビルは限界に達して崩壊を始めていた。

「下って……まさか――」

 建物の地下で起こった爆発。
 まず始めに考えたのはAMF発生装置の存在。
 そこには美由希がいるはず。
 すぐにソラは立ち上がろうとするが、身体の四肢には依然と力が入らない。

「くそっ……何で……!?」

 それが初めて使った神速の反動だということに頭が回らずに憤る。
 そうしていると浮遊感を感じた。
 黒に近い色の環状魔法陣の円環がソラを中心にして浮かぶと、それにしたがって彼の身体を宙に持ち上げる。

「スオウ……」

「脱出するぞ」

「……逃げるとは言わないの?」

「王に逃亡の二文字はないっ!」

「あっそ……ってそうじゃなくて!」

 幸い自分たちがいるのは入口のホール。外に出るのは容易い。
 しかし、恭也と美由希は建物の中に入り、片方は地下。もう片方は高町なのはを探しに上に行っている。

「今は汝のことが最優先だ」

「僕のことなんてどうでもいい! それよりも二人をっ」

 身体は動かず叫ぶことしかできないソラ。
 抗議の言葉を無視し、スオウは落ちて来た天井の瓦礫をバリアを張って弾きながら歩き出す。
 その動きをなぞる様に円環がソラを乗せて動き出す。
 すぐそこのアーチをくぐって外に出るとスオウは飛び、一気にビルから距離を取る。
 そして十分な距離を取ったと判断したところでソラを地面に下ろす。

「もういいだろう? だから――」

 そこまで言った所でビルが崩れ始めた。
 轟音と土煙を立てて倒壊していくビル。
 人払いの結界もこれではもはや意味はないだろう。

「恭也……美由希……」

 他の三人のことなど頭には無い、ただ二人の名前をもらしソラは呆然と崩れていくビルを見上げることしかできなかった。

「あら……随分とひどい有様ね」

 そこに降り立ったセラが声をかける。
 しかし、彼女の有様も人のことは言えないものだった。
 血に塗れたバリアジャケット。左腕の袖は肩からなくなっており、血が滴っている。
 そこには幾何学的な紋様が服の下から腕にかけて刻まれている。
 それが意味することへの追究を考えずソラはセラの周りを探ってしまう。

 ――誰もいない……

 二人ともセラと合流してはいなかった。
 一つの可能性が失われてソラは目を伏せる。
 そこに――

「ソラッ!」

 幼い声が響き渡る。
 そして降りて来たのは――

「アリシア……?」

 呆然とその名前を呟く。
 何故ここにと、思考している間にアリシアは落下速度をそのままにソラに抱き付いた。

「つっーー!?」

 上体を起こしていただけのソラはその勢いを受け止められずに押し倒される。
 しかも、その衝撃に痛めた身体が過剰な反応を脳に伝える。
 声にならない悲鳴を内にアリシアは抱擁を強くして締め上げる。

「ソラ……ソラだ……よかった……」

 涙交じりの声はソラに届いてなかった。

「おい貴様……ソラから離れろ」

 スオウはアリシアの首根っこを掴み、強引に引き剥がす。

「あ……なにするの――はやて?」

 スオウを見てアリシアは首を傾げる。

「ふん……我は八神はやてなどではない……我が名はスオウ、闇を統べし王だ」

 高らかに名乗りを上げるスオウ。
 そんな彼女にアリシアは反応に困った素振りを見せる。

「アリシア・テスタロッサ……どうしてここに?」

 そんな彼女にセラが問いかける。

「セラ……」

 敵意をにじませた眼差しを送ってくるアリシアにセラは怯まずに続ける。

「どうしてソラがここにいるって分かったのかしら?」

 警戒心をにじませたセラの詰問にセラはぐっと顎に力を込めて向き合う。

「フェイトが教えてくれた」

「フェイト・テスタロッサが……どうして?」

 悶絶から復帰したソラはアリシアの答えにいぶかしむ。
 高町なのはが知らせたのだろうか、だから管理局の裏部隊が自分を見つけたとも考えられる。

「うん……なのはたちが危ないって突然言い出して、そこにソラもいるからって」

「…………どう思う?」

「嘘は言ってないと思うけど、どうやってフェイト・テスタロッサがそれを知った理由の答えがないわね」

「えっと…………愛の力なんじゃないかな?」

 思案するソラとセラに的外れとも思える答えをアリシアが出す。
 あまりの理由に頭が痛くなってくる。
 とりあえずスルーしようとセラと首肯を交わして、話を進める。

「来ているのはあなたとフェイト・テスタロッサだけ?」

「ううん……フェイトが必要だからってシャマルを掴んでいった……それから――」

 アリシアの言葉に重なる様に目の前に転移魔法陣が現れる。
 思わず身構えようと立ち上がろうとしたが、結局膝に力が入らずにソラはその場に崩れ落ちる。
 そうしている間に転移魔法陣から人が現れる。

「はれ?」

 第一声はそんな間の抜けた声だった。
 膝を着くソラと同じ目線で転移してきたのは高町美由希。
 ぱちくりと目をまばたきを繰り返し、右左とキョロキョロと視線を動かす。
 転移初心者の典型的な反応。
 そしてその間の抜けた顔はまさしく美由希だった。

「ちょっとソラ君……なんか失礼なこと考えてない?」

「いやいや……間の抜けた顔だなって思ってるだけで、考えてないよ」

 なっ!? と絶句する美由希から視線を上に、自然と目が鋭くなるのをソラは自覚した。

「一応……御礼を言っておくよ、アサヒ……さん」

 その言葉にアサヒは顔をしかめた。

「知り合いだったのか?」

「あの後拾ってくれて手当てをしてくれた程度の……恩人かな」

「そうか……」

 アサヒは気まずそうに視線を逸らす。

 ――今さら何を……

 あの時の衝撃は決して忘れることができない。
 できないが、もはやどうでもいいことでもある。
 あの時感じた痛みも怒りも悲しみも全て吐き出した。アオがそれを全て受け止めてくれた。
 だから、ソラにとって彼女たちの関係は完全に終わったものでしかない。

「無理に取り繕う必要なんてないだろ?
 僕は君の家族の仇、それ以上でもそれ以下でもない」

「っ……」

 弾かれた様に視線を戻すがアサヒはすぐに俯いてしまう。
 その反応にやれやれと肩をすくめてソラは美由希にジト目を向ける。

「で……君はいったい何をしていたのかな?」

 まとめてあった髪は解け、Tシャツは所々に血がにじみ、全身埃まみれ。

「えっと……ごめんなさい」

 そう言って両手で献上するように差し出したのは光剣の柄。ただし二つに分かれた。

「それは光剣を壊したこと? それとも忠告を無視して魔導師に喧嘩を売りに言ったこと?」

「…………両方かな?」

 ――な、殴りたい……

 まともに動かない身体がもどかしい。
 それでも、ソラは溜めた息を吐き出す。

「とにかく君が無事でよかった」

 その言葉に美由希は身体を強張らせて身構える。

「な……何を狙ってるの?」

「えっと、その反応は何?」

「裏があるんでしょ? 急に優しくなるなんて裏があるんでしょ?
 そうやっていつも恭ちゃんが、恭ちゃんが、恭ちゃんが……」

「とりあえず落ち着け」

 動揺する美由希をなだめつつソラはため息を吐く。

 ――本当に変わったんだな……

 シスコンだった恭也が美由希で遊ぶなんてことも当時では考えられないことだった。
 美由希もあの頃とはだいぶ違う。

「ハヤテ……私は――」

「っ……黙れっ!」

 感慨にふけっていたところに不意打ちの言葉。
 普段なら適当にあしらえるが、それを聞かせてはいけない者がそこにいた。

「え……!? ハヤテって…………あ……」

 察してしまった美由希の目が驚きに大きく見開く。
 アサヒの言葉に反応して上げられた視線が勢いよく戻ってくる。
 真っ直ぐな目、思わずソラは目を逸らした。
 沈黙。
 息が詰まる静寂。
 場の変化に戸惑うアサヒに、言葉を探す美由希。
 すぐに逃げ出した衝動に駆られるが、身体は相変わらず言うことを聞いてくれない。

「あ……」

 不意にソラは近付いてくる知っている魔力の気配に、天の助けと顔を上げる。

「アリシア……アサヒ……」

 降りて来たのはフェイト・テスタロッサ。

「もう置いてかないでよ」

 頬を膨らませて抗議するアリシアにフェイトは困った顔をする。

「ごめんねアリシア……急がないと間に合わなかったから」

「その言い方だと間に合ったみたいだね」

 口を挟んで尋ねるとフェイトはソラを見て、目を逸らしながら応える。

「うん。なのはもアリサも恭也さん、三人ともちゃんと生きてる……ちゃんと今度は間に合った……
 今アリサと恭也さんはシャマルに治療してもらってるし、他の人たちもちゃんと避難させたよ」

「それは何より」

 ようやくソラは肩の力を完全に抜いて息を吐き出す。
 改めて身体が重くだるく感じる。
 恭也もやはり魔導師と戦ったみたいだが、生きているだけで十分だと思うことにする。

「スオウ……あいつらは?」

「転移反応があった。どうやら我に恐れをなして逃げたようだな」

 高笑いを上げるスオウをそっとしておくことをに決める。

「…………何で貴女がここにいるの?」

 冷めた、殺気に近い敵意をまとわせた声でフェイトがセラを睨む。

「そんなのセラの勝手でしょ?」

「なのはに何をした?」

「別に何も……少し現実を教えて上げてだけよ」

 セラの一言で二人の間の空気が火花を散らすほどに緊迫する。

「おい……セラ……?」

「フェイト……?」

「ソラは黙ってて!」

「邪魔しないでアリシア!」

 拒絶の言葉を発して二人はそれぞれのデバイスを構え合う。
 フェイトは初めに見た戦斧を構え、あの時とは比べ物にならない魔力を纏わせる。
 セラは破れたバリアジャケットの肩口に手を当て、手の甲まで滑らせ、その動作で修復を済ませて双刃剣を構える。

「あー……スオウ、止められる?」

 一触即発の空気。スオウはブンブンブンと、勢いよく首を横に振って無理だと示す。

「このままだと海鳴が消し飛ぶかな……」

「ええ……!? そんなに!?」

 ソラの呟きに美由希が驚きの声を上げる。

「オーバーSランク同士が戦えばその余波だけで都市の一つや二つ更地にできるよ」

 答えつつ、考える。
 二人ともすでにヤル気に満ちている。
 フェイトは完全に頭に血が上り、セラは平気そうな顔をしているが周囲を気にしていられない程に消耗している。
 結界も張らない状態で二人が戦えば確実に死者が出るし、海鳴の街も破壊される。
 それはソラの望むところではないが、まともに動けない彼には為す術はない。
 だからソラは顔を上げる。
 自分の意地やプライドはこの際捨てて、アサヒに向かって口を――
 その瞬間、剣群が降り注いだ。

「なっ……!?」

「っ……!?」

 二人の反応は素早く、自分たちを中心に降ってくる剣群から離脱する。
 そこで同時にバインドによって拘束された。
 不意打ちとはいえ鮮やかな手並み。最後に会った時とは比べ物にならないくらいに洗礼された術式の構成。

「相変わらず、トラブルに首を突っ込んでいるようだな、ソラ」

 気安げに話しかけてくる少年。

「えっと……誰だっけ?」

「…………ふざけていられるなんて随分と余裕だな?」

 杖を突き付けてくる彼にソラは首を竦めて訂正する。

「ちゃんと覚えてるよ、クロノ・ハラオウン」

 その答えに満足してクロノは杖を戻し――

「忘れ物だ」

 一枚のカードをソラに向かって投げ渡した。
 腕を動かすことができず受け取り損ねて、カードはソラの目の前に落ちる。
 それはアキに突き返したはずのソラのIDカードだった。

「まったくそれは君の身分を証明するものなのに忘れていくなんて子供か君は?」

「おい……クロノ……」

「ああ、それと関係ない。まったく関係ない話だけど……
 基本的にどんな組織に置いても辞職するには何枚かの書類にサインをして受理されるものなんだ。
 ま、今は関係ないけど後学のためにも覚えておくんだね」

 わざとらしい言い回し。
 つまりは自分は未だに管理局に席を置いている身なのだと告げられる。
 それにどんな対応を取ればいいのか戸惑っている内に、クロノは拘束した二人に向き直る。

「一応、自己紹介しておこうか」

 クロノはその手に身分証明書を出して二人にかざす。

「クロノ……何……それ?」

 それを見てフェイトが信じられないっと硬直する。

「昨日付けで次元航行艦アースラから転属した、対テロリスト特装部隊所属――第三分隊隊長、クロノ・ハラオウンだ」

 信じられない顔をするフェイトを他所にクロノは顔を空に上げて言葉を続ける。

「ソラの身柄は特装隊によって保障されている……
 貴女方が彼に行った行為は越権行為であると同時に不当な私刑と判断し、特装隊は本局に正式な抗議をさせてもらう」

『クロノ……貴方、自分が何を言っているのか分かってるの?』

 突然浮かび上がる空間モニターの向こうでリンディ・ハラオウンが戸惑いで表情を一杯にしている。
 それはソラも同じでクロノが言った言葉を半ば理解できないでいた。

「当然分かって言っていますよ、ハラオウン艦長」

 落ち着きを払った声でクロノはリンディの言葉を受け止めて、告げる。

『分かっているなら……彼は――』

「不用意な発言は控えてください、ハラオウン艦長」

 有無を言わせないクロノの言葉にリンディは言葉を止める。

「いろいろ言いたいことがあるんでしょうが、先にこれだけは明言させてもらいます」

 あくまでも穏やかに、地面に足をつけた落ち着きを持ってクロノは告げる。

「彼――ソラは第三分隊のエースアタッカーであり……僕の部下です」

 迷いも躊躇うことなくクロノは胸を張って言い切った。







あとがき
 今年最後の投稿になります。
 一応、なのはの話はこれで一区切りになります。
 不良を相手に自分の立ち位置を示し、人を傷付ける覚悟を促す。同時に自分の力が及ばない他人が犠牲になる敗北を経験させる。
 一番初めに考えていたのはなのはが撃った流れ弾でアリサを負傷させるものでしたが、難易度を下げてみました。

 これで三人娘をどん底まで落としたので後は迷わせながら登らせていく話しにしていく予定です。

 恭也に関しては『刀だけでは近代兵器に勝てない』それを覆す御神への限界として魔導師と戦わせました。
 あくまで御神であっても人間の枠を超えないことに拘ってみました。
 クレーンで飛ばした車を斬ったり、コンクリートを一瞬で斬り刻んだり、家の屋根に一跳躍で移動。
 それらができる魔導師に、できない御神との差。それを戦闘能力の差として表しました。

 ちなみに美由希の戦闘は恭也と似たようなものとなるため割愛しました。





補足説明

 ラント・クルーゼ
 管理局の裏部隊<執行者>隊長。魔導師ランクSS。
 ソラの前にアオから御神の剣を学び、その途中で袂を分かつ。
 修行途中であったため、奥義は見よう見真似で再現したものの上、『貫』と『神速』については知らなかった。
 管理世界の平和のために管理局に入るが『斬』に『徹』などの非殺傷設定が意味をなさない攻撃手段を持つため、表側では満足な成果を得ることはできなかった。
 しかし殺傷性の高い攻撃力を買われて裏稼業に手を染めることになる。

 アオの下を離れてからの十数年間。
 独自に御神の剣を研究、発展させて部下に教える。
 御神の剣術を魔法を併用するようにした剣技を使うがもはや元の御神の剣とは別物になっている。

 ラントがもっとも得意とするのは剣による近接戦。


 ノア・ロータス
 管理局の裏部隊<執行者>副隊長。魔導師ランクAAA。
 ラントの教えを受けた女性。
 最も得意とするのは中距離対多数戦術の操糸術。
 それでも剣技はシグナムと正面から互角に打ち合えるだけの実力を持ち合わせている。


 <執行者>雑兵
 共通のバリアジャケットとフルフェイスヘルメットで全身を隠した魔導師たち。魔導師ランクは全員がAA。
 平均的な能力は隊長、副隊長に劣る。
 基本的な攻撃手段は剣技とライフル。
 個人能力よりも連携による集団戦闘能力に特化されている。
 早い話、御神の剣士が銃器の扱いに精通して、軍隊的な組織行動をして戦う。






[17103] 第三十一話 一歩
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fa2fc7a2
Date: 2012/01/29 13:03




「なのは……もうやめて……こんなこと、アリサは望んでないよ」

「フェイトちゃん……もう決めたことだから……」

 アリサが死んだ。
 それだけではない。なのはの兄の恭也も、姉の美由希も殺された。
 だから、なのはは壊れてしまった。
 バリアジャケットを展開して向かい合うなのはとフェイト。
 両手を広げて止めようとするフェイトに対して、なのははレイジングハートの先を向けている。
 訴えかけるフェイトの言葉は幾ら重ねても彼女には響かない。

「ごめん、フェイトちゃん……わたしは……もう復讐のことしか考えられないの……」

 力のない乾いた笑みを浮かべる。
 流れる涙は枯れ果て、それでも泣きながら彼女は笑っていた。

「なのは……」

「みんなを巻き込めないから……だから、ここでお別れ……」

「だめ……だめだよ……」

「ごめんね……」

「なのは……」

 せめて、その復讐に親しい友達を巻き込みたくないと思うのが彼女の最後の理性なのだろう。 
 なのはは桜色のバインドでフェイトの動きを止める。

「…………さよなら、フェイトちゃん……今度会う時はきっと―――だね」

「なのはっ!」

 意志は強く、人を思いやれる優しい心を持ったまま、彼女は落ちていく。
 背を向けたなのははフェイトの叫びに振り返ることはなかった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 という夢をフェイトは見た。
 夢にしては生々しくひどく現実感があった夢だった。

 ――でも、夢じゃなかった……

 白いベッドの上で眠るアリサと備え付けの丸椅子に座って俯くなのはをフェイトはうかがう。
 アリサを殺そうとする意志は確かにそこにあって、高町兄姉もそれぞれ怪我をした。
 もし、夢に飛び起きることがなかったら、何も気がつかないままに全てが終わっていたのなら夢の通りになっていただろう。

 ――なんだったんだろう、あの夢は?

 虫の知らせか、それとも自分の中に新たな力でも目覚めたのだろうか。
 稀少技能『夢見』、できればもっと実戦的な技能が欲しいとフェイトは思う。

 ――でも、いいか……

 多少の不満があっても、その力のおかげで不幸な未来を回避できたのなら文句はない。
 シャマルの治癒でアリサの一命を取り留めた。
 全く説明なしに首根っこを掴んで拉致し、たまたまそこにいたはやてとアサヒに海鳴でソラたちが戦っていると言うだけ言って飛んだ。

 ――まさか追い付かれるとは思わなかったなぁ……

 ほとんど説明をしなかったが、それだけでアサヒは追い駆けて来た。
 見たことのないタイプの長大なデバイスを使って彼女は追いすがって来た。
 デッドウエイトのシャマルがいたとしても、ベガを得てランクが一つ上になった自分の速度で振り切れなかったのはショックだった。
 総合力ではまだ勝てないことは自覚しているが、それならせめて得意分野だけでは勝ちたかった。

「えっと……フェイトちゃん……どうかしたの?」

 フェイトにジッと見られていた視線に気が付き、シャマルは展開していた五枚の空間モニターを閉じて尋ねる。

「…………ちょっと考え事をしてた」

「考え事って……やっぱりアリサちゃんが気付いた……前の主の秘密のこと?」

「ううん……シャマルが重かったなって」

「なっ……!?」

「あ……」

 言ってからしまったとフェイトは口を押さえる。

「ちょっとフェイトちゃん……お話しましょうか?」

「えっと……落ち着いてシャマル……えっと……その……他意はないんだよ……本当だよ」

「ええ……つまり本意だったということね?」

 ふふふっとにじり寄ってくるシャマルにフェイトは後ずさるがすぐ後ろは壁。逃げ場はない。
 逃げ道を探そうとオロオロしている間にシャマルは素早く動き、フェイトの腕を取ると関節を極める。

「いたっ……シャマル……謝るから痛い、痛いってば!」

「うふふっ」

 悲鳴を上げるフェイトにシャマルは微笑むだけ。
 腕を振りほどこうとしても、がっちりと組まれていてちょっとやそっとでは外せそうにない。
 かと言って病院の中で魔力を全開にして振り解くわけにもいかない。
 結局、フェイトはシャマルの怒りが治まるのを待つしかなかった。

「…………シャマル?」

 腕にかかる力は消える。それでもまだ手を放そうとしない彼女をフェイトはいぶかしむ。
 先程までの怖い微笑みは消え失せ、しかめた顔は丸椅子に俯いて座るなのはに向けられていた。
 こんな馬鹿騒ぎをしているにも関わらず、なのはは全く反応していなかった。
 彼女はじっとベッドに眠るアリサの前で彫像のように動かない。

『ねえ……シャマル……本当にアリサは大丈夫なんだよね?』

 なのはに聞こえないようにシャマルだけへの念話でフェイトは尋ねる。
 しかし、返答はわずかな間を開けて来た。

『アリサちゃんは心臓に直接スタン性の魔力弾を受けたの……
 それによる心臓停止……私が治療を始めるまで9分7秒の時間があった……』

 そこで一旦言葉を切るシャマル。フェイトも黙って続く言葉を待つ。

『10分くらいなら蘇生できるけど……致命的な障害が残る可能性が高いわ』

『障害ってどんな?』

『こればかりはアリサちゃんが起きてくれないと分からないわ……
 でも、最悪このまま植物状態で目覚めないかもしれない』

『なんとかならないの?』

『管理世界の技術でも脳機能の障害はどうにもならないものが多いのよ』

 先程まで空間モニターで調べていのはそれだろう。
 こと医療に関しては完全に門外漢であるフェイトはシャマルの診断に異を唱えることはできなかった。

『フェイトちゃん……アリサちゃんが心配なのは分かるけど、そっちは大丈夫なの?』

『あ……それは……』

 予知夢で起きてそのまま真っ直ぐ海鳴に戻って来た。
 リンカーデバイスをその身に宿しているため、不用意にアースラから出ないことを厳命されていた。
 咄嗟のこととはいえそれは命令無視に他ならない。
 クロノと一緒にアースラに戻るべきだったが、アリサのことが心配で残ってしまった。
 しかし、意外にもそれを言及する通信はメールでもまだない。

 ――今はそれどころじゃないか……

 忘れられていることに一抹の寂しさを感じながら、今のアースラのことを考える。
 戻って来たクロノ。しかし、彼はソラの味方をして今頃リンディと相対しているはず。
 その場には当のソラもいて、さらにはセラもいる。
 アサヒも彼らとアースラに戻り、先の戦闘の顛末をフェイトに代わって報告に行ってくれたからその場にいるはず。
 そんな混沌とした会議場に同席する度胸はフェイトにはまだない。

「どうなるんだろう……これから……」

 ふと思ったことをそのまま口にしていた。
 その独り言にシャマルは険しい表情を作る。
 それはフェイトだけに限ったことではない。
 アポスルズという強大な力を持ったテロリストに対する管理局。
 リンカーデバイスを手に入れてしまったフェイト。
 はやてとの関係に亀裂が生じたヴォルケンリッター。
 青天の書をその身に宿し、それを知らないソラ。
 そして、おそらく障害を残してしまったアリサ。そしてなのは。
 何も知らずに笑い合っていた日々はもはや遠い昔の様に思える。

「アリサちゃんっ!」

 突然、なのはの声が病室に響き渡る。

「アリサ!?」

 フェイトもその声につられてアリサを覗き込む。

「う…………ん……」

 アリサは確かに呻き、起きる兆候を見せる。
 興奮する二人を置いて、シャマルは冷静にナースコールを押している。

「あれ……ここは……何処……? わたしは……」

「アリサッ!? まさか記憶が……!?」

 先程のシャマルの言葉を思い出してフェイトは絶句する。

「そんな!? アリサちゃん、わたしのこと分かる!? なのはだよ!」

「え……!? ちょっと何……!?」

「アリサ落ち着いて聞いてね……あ、アリサって言うのはあなたの名前で……」

「はい? え……ええ!? 何なのよ!?」

「はい、二人とも落ち着いてね」

 次の瞬間、シャマルのチョップがなのはとフェイトの頭に落ちた。
 戦闘では非力な彼女の一撃は思いの外重くてそれなりに痛かった。
 頭を抱えてうずくまる二人を他所にシャマルはクラールヴィントを取り出す。

「ここは海鳴大学病院……貴女は怪我をしてここに運ばれたの、頭を打っていたようだけど自分の名前は言えるかな?」

「はい、シャマルさん」

 しっかりとした応答でアリサは返事をする。
 どうやらフェイトの早とちりだったようだ。恨みがましい目を向けてくるなのはの視線に耐えられずフェイトは明後日の方を向く。
 しかし、当のシャマルは顔をしかめたままだった。

「記憶の障害が診れるわね。他人の名前と自分の名前を混合しているみたいだわ」

「ちょ……あ、今のなし……アリサ、アリサ・バニングスです」

 慌てて訂正するアリサにシャマルはよくできましたと微笑みを返す。

「記憶は大丈夫みたいね……身体に違和感はある?」

「えっと……」

 シャマルの言葉にアリサは自分の身体を見下ろす。
 なのはとフェイトはその動きを固唾を飲んで見守る。
 まずは首を動かして、肩を回す。肘を曲げて、手首をぶらぶらとする。
 アリサは深呼吸をしてから顔をしかめた。

「え……?」

 血の気が引くのを感じながらフェイトは叫びそうになるのを何とかこらえた。
 すぐそこには自分以上に愕然と顔を蒼白にさせているなのはがいる。

 ――わたしまで取り乱しちゃいけない……

 せめて少しでも落ち着くようにフェイトはなのはの手を手を取って握り、アリサの言葉を覚悟を決めて待つ。

「…………足が……動かない?」

 それはある意味で最悪の後遺症だった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「落ち着け……」

 鏡に映る自分の目を見て、クロノは自分に言い聞かせる。
 今、これからやろうとしていることを思うとプレッシャーで押し潰される。

「大丈夫だ……こっちの手札は万全……負ける要素はない」

 もうすでに賽は投げている。
 自分の退路を断つように本局から地上に所属を変えた。それも上司である母に無断で強引に。
 そしてこれからやろうとしていることは母と今まで共に闘ってきたみんなを裏切りでもある。

 ――それでもやるって決めたんだ……

「まずはソラの身の安全の確保……それから……」

 何度もしたシュミレーションを頭の中で最終確認する。
 傍目には鏡に向かって独り言を呟く危ない人になっているが、それを気にしている余裕は今のクロノにはない。

「はーー……ふーー……良し」

 最後に深呼吸をしてクロノは腹を決める。

「もういいの、クロノ君?」

 そこから出たクロノをエイミィが迎える。
 思わずため息をクロノはついてしまう。

「エイミィ……男子トイレの前で待っているのはどうかと思うが?」

 まあまあっと手を振って誤魔化しながらエイミィは真剣な顔を作る。

「クロノ君……本当にいいの?」

「…………ああ、僕はソラの味方でいる」

 決意を改めて口にすると、エイミィは苦笑する。

「ソラ君には余計な御世話だって言われそうだけどね」

「それは……そうだけどな」

 クロノはため息を返して歩き始める。自然な動作でエイミィはクロノの横に並ぶ。

「だが、このままにしておけば間違いなく十二年前の事件が繰り返される」

 それに思い出すのは助けられなかった少女のこと。
 人とは違う出生、魔法とは異なる力を得てしまった不幸な少女の記憶はまだ新しい。

 ――繰り返すわけにはいかない……

 今の彼の状況を彼女の状況に良く似ている。
 闇の書の主と明かされ管理局に追われる身となり、手を差し伸べたのはアポスルズだけ。

 ――流石にあいつが自殺するとは思えないが……

「エイミィはどう思う? あいつが管理局の敵になったら?」

「正直考えたくないね」

 共に戦った仲というのもあるが、それ以上にソラの力を理解しているからの言葉。

「冗談抜きに考えても管理局の半分くらい持ってかれてもおかしくないと思うよ」

 言い過ぎだと笑うことはできない。

「そうだな……あいつはリンカーコアがないから魔力の索敵には引っかからない」

 その特性と戦闘スタイルは完全な暗殺者。
 姿を隠し、奇襲と暗殺に専念すれば時間はかかっても本当に管理局を落としかねない。
 できるできないはともかくとしても、相応の被害を受けるのは必須だろう。

「クロノ君は……ソラ君のこと、闇の書の主だったこと、どう思ってるの?」

 ――難しい質問だな……

「もちろん恨んでいた」

 当時の自分はそれを理解していなかったが、父を失って悲しむ母や恩師、多くの父の仲間を見ている。
 その光景を思い出すたびに憤りが込み上げてくる。

「それでも……その恨みをソラにぶつける気にはなれない」

 ソラの事情は分からない。
 自分より少し年上でしかない彼が当時何を思って蒐集を行ったかなんて想像すらできない。
 フェイトにはやて、そして彼女。
 不幸な運命に翻弄された子供たちを見て来て思う。
 自分ではどうしようもない流れに逆らえないことは悪いことなのか?
 惨劇を起こしてしまったソラをはやてよりも弱かったから悪いと言うことは正しいのか?

 ――僕はそんなの認められない……

「ソラはまだ誰かに手を差し伸べられるんだ」

 初めて会った時のことを思い出す。
 クラナガンの街で突然現れた怪物。魔導師が何人も倒された中で颯爽と現れてその怪物を倒した非魔導師。
 部隊長に押し切られる形で管理局に協力し、自分たちの代わりに戦ってくれた。
 彼が本気で管理局を警戒しているならそんなことはしなかっただろう。
 そして、意見を対立させて本気でぶつかり合いもした。
 それらの経験からクロノはどうしても彼が心ない主とは考えられない。
 仮に、もしそうだったとしても、まだ彼はやり直せる場所にいるのではと思う。

「それにソラがやったことが代償行為っていうのなら……」

 彼女を助けようとした、フェイト達の仲を取り持とうとした彼の行動はかつて救われなかった自分を重ねた。
 そしてまだ救われていない彼のことを考えると……

「ソラは……きっと、誰かに助けて欲しいんだ……」

 彼がその思いを自覚しているかは分からない。
 それでもクロノはその答えが間違ってないと思う。
 幼い頃から戦うことしか知らずに育ったため、誰かに助けを求める術を知らない。
 だから戦うことで、誰かを代わりに救おうとすることで自分を救おうとしていた。
 自分のことを顧みずボロボロになっても決して止まらないのはそのためなのだろう。

「そう……かもしれないね……」

 少なからず彼のことを知っているエイミィもクロノの言葉に頷く。

「でも、本当に今の状況からソラ君を助けることができるの?」

 不安げに尋ねてくる言葉にクロノは頷く。

「一応、かなり無茶なことになるが、表向きだけならなんとかできると思う」

 今の管理局のソラへの扱いを改めて思い出す。
 流石に前回闇の書の主とは公開されていないが、闇の書を復活させようとした容疑者として指名手配されている。
 その対応はあまりにも早いとクロノは感じる。
 アリサを利用してまでソラを殺そうという動きがさらに疑念を大きくする。
 管理局は闇の書の主である以上にソラを殺したがっている。そう思えてならない。

「ソラを助ける……」

 そう決意を改めた所で目的の部屋の前に辿り着く。

「そのために僕は――」

 息と少し早くなった鼓動を感じながらクロノは扉を開閉する。
 中で待っていたのはクロノがよく知っている人物。
 自分の母にして上司、リンディ・ハラオウン。
 その手腕は彼女の下にいたから良く知っている。
 そんな人物にクロノは今から挑む。
 未だに救われないソラのため、そしてこれから歩む自分の道のための最初の一歩。

 ――僕はこの人に勝たなければいけない……

「あれ? ソラ君たちは?」

 しかし、会議室の中には当事者の姿はどこにもなかった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「えっと……本当にまだやるの?」

「ああ……やってくれ」

 身体の調子はだいたい四割ほど。
 本当ならきちんと休息を取り完全にしておくべきなのだが、ソラはそうせずに訓練室を借りていた。
 エスティアの訓練室とよく似た造りに感慨深いものを感じつつも、目の前のテスラに神経を集中する。
 それと並行して目の前のテスラにラントの姿を重ね、あの時の感覚を呼び起こす。

「アルカス・クルタス・エイギアス――」

 詠唱と共に生成されるスフィア。
 ソラは腰を落として身構える。手に武器はない。かといって詠唱を邪魔することはせず、むしろその完成する時間を集中力を高めるのに費やす。

「それじゃあ……いくぞぉ! 雷刃衝――疾風怒涛陣っ!!」

 無数のスフィアから一斉に放たれた雷刃衝――プラズマランサーの弾幕。
 視界を埋め尽くす雷刃。
 大雑把な狙いで撃たれたそれは隙間だらけにも見えるが圧倒的な数の刃は壁となって押し寄せる。

「ふっ――」

 呼吸を止め、ソラは臆することなく前に駆け出した。

 そして――――呆気なく吹き飛ばされた。

「五秒……記録更新はならなかったわね」

「あともう少しなんだけどな……」

 呆れを含んだセラの声にソラは上体を起こしながら応える。
 彼女の視線は冷たい。

 ――まあ、当然か……

 彼女にヒーリングを頼み、動けるようになった途端に訓練室に直行し、こんなことを始めれば誰だってそいつの頭を疑う。
 プラズマランサー・ファランクスシフト。それに正面から突っ込む。
 そんなもの訓練ではないっと誰もが言うだろう。

「ねえ……本当に何がしたいの?」

「んー……目標はあれを全部かわしきる」

「かわすのに前に行くの?」

「そっ……」

 頷いて見せるとセラはジト目を向けてくる。
 明らかに正気を疑う目だが、一応その自覚はあるので何も言わないでおく。

「テスラ……もう一回お願い」

「ええっ! まだやるの!?」

 テスラは不満の声を上げる。

「もう魔力がからっぽだよ」

「あら……」

 できればあと二回。欲を言えば感覚を掴むまで何度でもやりたいが流石に相手の魔力がないのならそれも望めない。
 ちらりとセラの様子をうかがってみるが、

「セラはあんな乱弾性の魔法は持ってないわよ」

「……はぁ……あと少し……あと少しで掴めそうなんだけどなぁ」

 思わずため息をついて愚痴をもらす。
 ラント・クルーゼとの戦闘の最中にあった時間が引き飛ばされる感覚。

 ――たぶん、あれが神速……

 魔導師の速度に追い付ける歩法はそれしか思いつかない。
 今まで何のとっかかりさえ見つけ出せなかった御神の奥義。

「全部失くしてからできるなんて……皮肉だよな……」

 やれやれと肩を竦め、何故こんなにむきになっているのか考える。
 答えはやはり惰性が一番に上げられた。
 剣への熱意はなくなったはずなのに胸の奥の何かが駆り立てる。
 理解不能な感情にソラは首を傾げることしかできない。

「ねえ、どうしてそんなになってまで強くなろうとするの?」

「さあ……どうしてなんだろう?」

 セラの問いに答えることはできない。

「少し前まではアオが残してくれた育成計画書に沿って鍛えて来ただけだったんだけど……」

 彼女が残してくれた物を無駄にしたくなかった。ただそれだけでやってきた。

「今は……ただの焦燥かな? 胸の奥で強くなれっ言われてるみたいでさ」

「っ……」

 ソラの言葉にセラは顔をしかめるが、それに気付かずにソラは続ける。

「ま、僕たちの様な人間は少しでも強くないと生きられないからね、やれることはやっておかないと」

「…………そうね」

 力のない同意の言葉にソラは首を傾げる。
 そして、あることを思い出した。

「そういえば君の腕にあった刻印って、もしかして――」

「ソラッ!!」

 ソラの言葉を遮ってクロノの怒声が響き渡る。

『スティンガーブレイド・サウザンドシフト』

「へ……?」

 完全な不意打ち、ソラが苦手な乱れ撃ちの物量攻撃がすでに展開され、射出された。

「ちょっ……!?」

 慌ててセラの方を見るが彼女はすでにクロノの攻撃圏内から退避して笑顔で手を振っていた。
 そしてソラは彼が望んでいた乱れ撃ちの攻撃に――呆気なく吹き飛ばされた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「それでは交渉を始めましょうか」

 リンディと向き合う形でクロノは厳かに切り出した。

「それはいいんだけど……クロノ、彼はその……良いの?」

「問題ありません。この場にいたという事実さえあれば寝ていようが気絶してようがなんだって構いません」

 自分の隣りに無理矢理座らせたソラはぐったりと机にその身を預けている。

 ――そもそも約束の時間にいないこいつが悪い……

 自己弁護を終了して、改めてリンディに向き直る。
 ソラのせいで折角の覚悟が緩んでしまったが、余計な肩の力は抜けている。
 と――今さらながら関係のない人間がいることに気が付く。

「グレアム元提督、それにはやて、どうして貴方達が同席しているんですか?」

 さらに付け加えればリーゼ姉妹に東天の主がそれぞれの後ろに立っている。
 シャマルはまだ海鳴にいるし、ザフィーラのことも聞いているが、はやての傍にヴィータとシグナムがいないことに違和感を感じる。

「私たちも彼のことが気になるからリンディ君に頼んだんだよ」

「邪魔だ、ゆーなら出ていくけど……?」

「別に構いません。グレアム先生には聞きたいこともありましたし」

 二人とその従者の同席を認め、改めてクロノは深呼吸をする。

「それではまず最初に自分の部下に冤罪をかけ、不当な暴行を行ったことについて申し開きをしていただけますか?」

「冤罪って……彼は闇の書の主なのよっ!」

「ええ、知っていましたが、それが何か?」

 クロノの切り返しにリンディは絶句する。

「今さら何を言っているんですか? 彼が次元犯罪者であることは初めから分かっていたことのはずです」

「知っていたのならどうして!? 彼はクライドを――」

 そこでリンディは言葉を詰まらせる。
 言いたいことはもちろんクロノは理解している。
 ソラはハラオウン家にとって仇となる存在。父が無事に戻って来たとしてもすぐに割り切って考えられるものではない。

「ねえ、クロ――」

「ソラが闇の書の主だと公開することに利点がまったくないと思いませんか?」

 ソラの言葉を遮る様にクロノは言葉を作り、同時に空間モニターにタイプする。

 クロノ:『この会議での発言は全て記録されている。僕に言いたいことがあるならこっちでしてくれ』

 ソラ :『了解。で、僕は君たちに闇の書の主だと明かした覚えはないけど?』

 クロノ:『分かってる、だけどそういうことにしておいてくれ』

「現にその事実を知って、こちらの部隊長に話しを通さず、彼に私怨を晴らそう勝手に貴女達は動き、無用な混乱が起きました」

 簡潔にソラに口裏を合わせろ、つまり黙っていろと指示しながら、まず軽めに攻める。

「それは……当然の行動よ。ただの次元犯罪者ならともかく闇の書の主なのよ! それがどれだけ危険な存在か分かっているでしょ?
 現に彼は闇の書を復活させようとしていたわ」

「憶測で物事を語るのはやめてください。
 ソラが闇の書の残滓事件を引き起こした証拠でもあるんですか?」

「証拠ならそこにいるでしょ!」

 そうしてリンディが指差したのははやてに良く似た少女、闇を統べし王・スオウ。

「やれやれ、人を指で指すとは礼儀がなっておらんな」

 これ見よがしに肩を竦めるスオウは偉そうな口調に呆れを含ませて応じる。

「我らの復活にソラは何の関わりはない。これで満足か?」

「馬鹿にしているの? そんな言葉だけで何を信じろっていうのかしら?」

「ふむ……では、今の我らは闇の書の眷族ではないと言えば納得できるか?」

「どういうことだソラ?」

 クロノはソラにその言葉の意味を尋ねる。

「彼女たちが僕の所に来たのは高町家に厄介になってた時。
 その時にはもう彼女たちは核も依代もない状態で今にも消えそうだったから、僕が黎明の書――青天の写本に彼女たちの存在を移し替えたんだよ」

「それは……闇の書を修復したと言えないのか?」

「この子たちにも言ったけど、僕には闇の書を直すことはできないよ。
 そっちの東天の主と南天のセラにもね……僕たちができるのは夜天の魔導書としての修復だから」

「それは……同じじゃないのか?」

「例えばクロノ……そこに二つのコップがあるけど、それを完全に同じ形で壊すことってできる?」

「完全に、という条件なら無理だな」

「つまりはそういうことだよ……
 夜天の魔導書が壊れた姿が闇の書だけど、その壊れ具合のバランスは結構精密なんだ……
 だから僕や他の誰にも夜天の魔導書を闇の書として修復することはできない。
 それができるのは内側から修復・改良できる闇の書自身だけだよ」

「なるほど……それで君たちは今も闇の書の復活を考えているのか?」

「当然だ。例えどれほどの時間がかかったとしても我らは必ず砕けぬ闇を蘇らせる!」

 スオウの言葉にクロノはまずいと思う。

 クロノ:『どうして治す気になったんだ?』

 ソラ :『僕は直す気はなかったんだけどね、士郎に頼まれたから』

 クロノ:『士郎ってなのはのお父さんのことか? そのことはここで言わない方が良いな』

 もっと考えて行動しろと言いたくなるが、それよりもクロノは思考を巡らせる。
 闇の書の復活を望むマテリアル、その存在を助けたのはマイナス材料だ。
 リンディは確実にその点を突いてくるはず。

「これは闇の書の復活の手助けをしたと取ってはいいわね?」

 現に厳しい顔でリンディは言質を取りに来た。

「ソラ、君にとって闇の書を復活させるメリットはあるか?」

「そんなのないよ。あるわけないじゃん」

「なら、どうして彼女たちを助けた?」

 クロノ:『適当に、なんとなく、とでも答えてろ』

「適当に、なんとなく」

「なんとなく!? 貴方は自分が何をしたのか分かってないようね」

「はっ……闇の書を復活させようっていうのはこいつらの意志だよ、そこは僕とは何の関係もない。
 助けを求められたから助けた、ただそれだけのことにいちいち文句を言われる筋合いはない。
 ああ、そういうあんたは管理局だもんな、いちいち助ける相手を選り好みする人でなしだからそういう考えでも仕方ないか」

 辛辣な言葉の連打にリンディは一瞬絶句し、憤慨で顔を赤くする。

「あなたは――」

「ソラ、言い過ぎだ。一応謝っておいてくれ」

「はー……すいませんでしたー」

 おざなりな謝罪の言葉に声を上げようとしていたリンディは口をつぐむしかなかった。

 ――それにしても、助ける相手を選り好みか……

 ソラから見れば管理局はそういう所に見えるのだろう。
 彼自身のこと、そして彼女のこと。マテリアルに関してもその目的のため、助けなかった方が良いと判断して切り捨てている。
 本人たちからすれば嫌なことだろう。なにせ、お前たちには生きている価値なんてない、と言われているんだから。

「ともかく、ソラには闇の書を手に入れることを目的としていません。
 なので闇の書残滓事件にまつわることに関しては完全な冤罪です。
 マテリアルの修復に関しても事情を知らずに行った様ですから、ソラに完全な非があるわけではないと、納得していただけましたか?」

「そうね……でも、彼が闇の書の主であることには変わりないわ」

「そのことですがハラオウン艦長、一つ確かめておきたいことがあります」

 緊張に高まる鼓動を自覚しながらクロノは用意しておいた手札を一枚切る。

「彼を闇の書の主という証拠は何ですか?」

「証拠って……提出した資料にあったはずだと思うけど?
 遺伝子情報の一致、グレアム元提督の証言。彼のこれまでの発言も闇の書の主なら辻妻が合うことから導き出された答えよ。
 現にソラは闇の書の主だった」

「残念ですが、それではソラを闇の書の主と認めることはできません」

「何を言ってるの、クロノ?」

「まず最初にソラ自身の言葉ですが、貴女たちは武力で彼を囲んで証言を強要したのではありませんか?」

「なっ……!?」

「彼もその時は錯乱状態であったと言っていました。
 つまり、貴方達は曖昧な情報でソラを闇の書の主と決めつけて、排斥しようとしたのではありませんか?」

「そんなことないわ、現に彼は闇の書の主だった。だから――」

「それは結果論です。僕が尋ねているのはソラのことを告発するに十分な証拠の有無です」

 自明のことだが、公僕である以上物事には手続きというものが必要になる。
 現行犯逮捕ならともかく、疑わしいのなら証拠を揃え、逮捕状などを取って初めてそれを実行することができる。

「グレアム先生……貴方はソラのことを間違いなく十二年前の闇の書の主だと断言できますか?」

「それは……」

 言い淀むことが曖昧な証拠。
 そもそも十二年の時の流れは、大人たちならともかく子供ではその容姿を大きく変えることになる。

「ただ似ているというだけでなら、その証言に効力はありません」

 グレアムの証言をそれで完全に封じる。

 ――あとは……

「それから遺伝子情報の入手先について質問ですが?」

「十二年前の闇の書事件で入手したものよ、何か問題が?」

「ええ、十二年前に闇の書の主を収容したのはエスティアのはずです。
 つまり、そこに闇の書の主のデータはあったはずです。
 ですが、御存じの通りエスティアは闇の書に乗っ取られ、その後グレアム先生が乗る艦によるアルカンシェルによって撃墜されました。
 質問ですグレアム先生、その時にデータを送信する余裕がエスティアにはあったんですか?」

「いや……エスティアの制御はほぼ奪われていた。クライド君の働きで乗組員を脱出させることはできたが、他に意識を裂いている余裕はなかったはずだ」

「では定時連絡などで闇の書の主のデータを受け取っていましたか?」

「……いや、まだデータをまとめる前だったからその情報は来ていなかった」

「つまり、闇の書の主のデータはエスティアと共に無くなったはず……そう判断して構いませんね?」

 答えは無言。それをクロノは肯定と判断する。

「ちなみに出生記録も証拠にはなりません。
 ハヤテ・ヤガミというヤガミ家の長男の存在はデータベースには存在していませんでしたから」

 これは初めから分かっていたことだった。
 ソラの素性は初めの段階で様々な調査を行った。
 しかし、本来の素性を知っても調べても彼の存在を示す情報はなかった。
 グレアムの男の孫。その存在は初めからなかったようにあらゆる情報を消されていた。

「ですから、ソラと一致した遺伝子情報の入手先はどこなのか明確にしてください。
 ええ、何も疾しいことがないのなら言えるはずですよね?」

 言葉を失うリンディを前にクロノは笑みのまま、それを突き付ける。
 本来の彼女ならこの証拠の不確かさに気が付いていたはずだ。しかし、相手が闇の書の主だったと言うことで思考を鈍らせたのだろう。

「ああ、それからもう一つありましたね」

 完全に反論材料を失っているリンディにクロノは止めの言葉を作る。

「リンカーコアがなく魔導師ではないソラが闇の書の主に選ばれわけないじゃないですか?」

「なっ……!?」

 闇の書は合致する魔力資質の持ち主をランダムに選ぶ。そのことを逆手に取ったゴリ押しの言葉。
 リンカーコアを喪失して生きている人間の事例はソラだけしかいない。
 その例外が認知されるわけはなく、ましてや彼が以前魔導資質を持っていたかどうかも証明できない。
 よって普通なら彼を闇の書の主と結び付ける要素はまったくないのだ。

 ソラ :『おいおい、クロノ何かすごっく黒いぞ?』

 セラ :『流石クロノ・ハラオーン、名前の通りお腹がクロで一杯なのね』

 ――おい、何で勝手に回線繋げているんだ?

 同席は認めたが、秘匿回線に当たり前のように入り込んでいるテロリストに文句を言おうとタイプしようとして――

 ソラ :『ああ、なるほどクライドも根暗だからな、名は体を表すってやつね』

 エイミィ:『ちょっと二人とも言い過ぎだよ。だったらリンディ艦長はどうなの?』

 セラ :『あれは甘さでお腹が一杯なんじゃないかしら?』

 言いたい放題だったが、思わず納得してしまった自分がいた。
 ともかく我に返ってクロノはタイプする。

 クロノ:『今良いところなんだから茶化すな』

 ソラ :『了解……クロノが良い感じの空気を吸ってるみたいなので、お口にチャーック!』

 セラ :『チャーック♪』

 エイミィ:『えっと……』

 二人 :『ノリが悪いなーエイミィ』

 エイミィ:『ええ、私が悪いの!?』

 とりあえず見なかったことにしてクロノはリンディに視線を戻す。
 彼女は完全に固まっていた。それは当然だろう。
 今まで誰も追究しなかった不手際を責めているのだから。

「クロノ……それでも彼が闇の書の主だと言うことはもう証明されたわ。
 それなのに彼を擁護するというなら本局もそれなりの対応を取らざるえないわよ」

 苦し紛れの言葉だが的は射ている。
 捜査内容に不手際があったとしても、既にソラが闇の書の主だと言うことは知られてしまった。
 しかし、その答えはすでに用意している。

「ハラオウン艦長、何を言っているんですか? 僕たちがソラの擁護をするのは当然のことですよ」

「それは対立も辞さないっという意味で考えてもいいのかしら?」

「勘違いをなさっているようですから、改めて言います。僕たちと言うのは管理局全体と言う意味です」

「……何を言っているのかしらクロノ執務官?」

「そちらこそ何を言っているのですか?
 ソラは管理局と司法取引を行って協力を仰いだんですよ。その場には貴女もいたはずです」

 今思い出したと言わんばかりにリンディは目を大きく見開く。

「御理解いただけましたか? つまりソラは『陸』と『海』の正式な認可を受けた協力者なんです」

 これは二枚目のカード。
 ソラは司法取引を行ってその身は保障されている。
 彼が負った罪の罪状も彼の功績によって減刑される。
 そんな表向き、罪を償う姿勢を見させている彼の過去を勝手に暴き、勝手な断罪を行うことは許されない。
 それは認可された司法取引を無視しての私刑でしかない。
 それこそ、管理局法に抵触する行為だ。

「貴女方がしたことの重要性を理解できたようですね。
 では逆に問いますが、貴女達が行った行為は『陸』の司法取引を蔑ろにするものだと分かっていますか?」

「…………」

「沈黙は肯定として取らせてもらいます」

 言いながら確かな手応えをクロノは感じる。
 元々、ソラに対しての動きは不信な所が多過ぎるから当然の結果なのだが、リンディを言い負かしたことはクロノにとって大きなことだった。

「なら……彼がフェイトにしたことはどうなの?」

「その件ならソラには一切の責任はないと考えています」

 リンディの睨む目が強くなるがクロノは構わず続ける。

「事後承諾になりましたが、ソラの管理外世界への渡航の許可は取っています。
 渡航目的は管理外世界で魔法戦を始めた姉妹の喧嘩を仲裁すること」

「だからって、フェイトは腕をなくしたのよ!?」

「むしろ責任なら貴女にあると思いますよ、ハラオウン艦長」

 フェイトの勝手なロストロギアの使用、彼女たちの精神状態に気が付かず私闘を行うほどにまで放置していたこと。
 部隊の準備が整っていたにも関わらず、ソラとフェイトの戦闘を静観したこと。
 フェイトとアリシアの関係については管理不行き届きといえるし、その後のソラとの戦闘を考えれば……

「これではむしろ、フェイトとアリシアの喧嘩をさせることでソラを誘き出し、管理外世界で彼を断罪しようとしていたと考えることもできますが?」

「そんなこと考えるわけないでしょ!」

「でしょうね、大方ソラのデタラメ振りに目を奪われて対処に遅れただけでしょうし」

「う……」

「ですが、同様のことを文章にして本局に抗議させてもらいました」

 自分はリンディの思考を理解できる。
 しかしそれは身内の目があるから。
 他人の目から見ればリンディの行動は一線を越えたものでしかない。

「来たよ、クロノ君」

 タイミング良くエイミィが今届いた報告を読み上げる。

「アースラ所属、リンディ・ハラオウンの行動に本局は全く関知しておらず、全て彼女の独断である。
 よって彼女にはその処分としてアースラはその活動を一時停止し、乗組員は――」

 読み上げられる処分にリンディは呆然としている。
 言い換えればトカゲの尻尾切りでしかない。
 そして、それはクロノが望んでいた答えでもあった。

「エイミィ、今から言うことを文章にして返信してくれ」

 クロノは最後の勝負だと自分に言い聞かせて告げる。

「こちらはリンディ・ハラオウン艦長が行った違法行為について条件付きで抗議を撤回してもいい」

 息を大きく吸い、クロノは言った。

「一つはソラにかけた指名手配の解除と、過去に行った罪の全てを白紙にすること」

 無茶苦茶な要求だが、おそらく通るとクロノは考える。
 司法取引を行った相手を管理外世界という目の届かないところで私刑を行ったことが知れ渡れば本局はその信用を失う。
 崩壊とまではいかないにしても、今後の犯罪者たちに司法取引を行えなくなる。
 自首したとしても、それに納得できない一部の人間による私刑が黙認される組織に自分の身を委ねる者はいないだろう。
 一方的な契約の破棄、それを償う対価は彼の罪を終わらせること。
 例え、苦汁を飲むことになってもそれは今後のことを考えれば飲まなければならない条件。それに――

 ソラ :『そんなことして大丈夫なの?』

 クロノ:『ああ、実際にそれほど意味があることじゃないからな』

 ソラ :『意味がないって、どういうこと?』

 クロノ:『これから上が君を狙う手段はおそらく暗殺になる。だから表向きの罪の有無なんて関係なくなるんだ』

 ソラ :『それならやる意味はあるの?』

 クロノ:『少なくても大手を振って歩くことができるし、余計ないざこざは回避できる』

 ソラ :『なるほど……』

「もう一つは活動を停止するアースラとそのスタッフ全員を特装隊に預け……
 今後、対アポスルズの部隊として特装隊第三小隊隊長クロノ・ハラオウンの下でアースラは活動させること――以上」

「はい……送信」

 ふうっ……と息を吐いてクロノは椅子の背もたれに身を預ける。
 あとは結果を待つだけ、おそらくどちらも多少の譲歩付きで認められるだろう。

「クロノ……貴方は……正気なの!?」

「ソラについては必要なことです。むしろそうしないと次元世界が荒れます」

「そうかもしれないけど……ならアースラは!?」

「アポスルズの活動はおそらく他の次元世界で広く行っているもののはずです」

 視線をセラに向けてみるが、彼女は興味深そうな視線で見返してくる。
 彼女の表情から見て的を外していないと判断する。

「『陸』である特装隊が『海』で活動するには面倒が多過ぎます。だから自由に動かせる次元航行艦が欲しかったんです」

 活動を停止させる次元航行艦を抗議の引き換えになるならこれも通り易いだろう。
 むしろ、所詮は身内に甘い考えだと侮ってくれてもいい。
 多少の譲歩もすでにいくつか考えているのだから。

「それは分かるけど……」

「これは『海』にとっても悪くない話です」

 『海』にとっても『陸』を拠点として他世界に干渉するアポスルズへの対処は面倒が多い。
 いわゆる縄張り争いなんだが、それでいがみ合いをしている余裕はないとクロノは思っている。

「だからってクロノ……貴方がしていることは権力の簒奪よ」

「安心してください。アポスルズの件が解決すれば特装隊は解体、アースラもお返しします」

 それで満足でしょ? という言葉にリンディは口を閉じてしまう
 俯いてしまったリンディの身体がかすかに震えるのが見える。
 表情はうかがえない。怒らせてしまったか、それとも悲しませてしまったか。
 どんなに言い繕ってもクロノがしたことは犯罪者のソラの擁護をしてリンディをはめて、彼女への命令権を奪ったに過ぎない。

 ――きっと恨まれるだろうな……

 母だけではない、今まで一緒にやって来たアースラのスタッフ一同から裏切り者と罵られるかもしれない。
 それでも後悔はない。
 ソラを助けることは上司として当然であり、彼の意志を知る者としては決して見捨てることはできない。
 このままソラが一人で管理局と対立する道を選ぶのなら、それは何も学んでないことになる。

 ――過ちは繰り返さない……

 それが今のクロノの原動力だった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 感情を押し隠せずに身体が震える。
 だが、それは怒りではない。ましてや悲しみでもない。

 リンディ:『クロノ……よくここまで立派になって……』

 それは歓喜だった。
 衝動的に今の心情をタイプしてしまうほどにリンディは喜びで打ち震えていた。

 グレアム:『落ち着きたまえリンディ君……』

 リンディ:『落ち着いていられるものですか! クロノがここまで成長したんですよ! ああ、本当にもう立派になって』

 ロッテ:『まあ、確かにクロスケがここまでするのは予想外だねえ』

 アリア:『そうね、クロノは結構潔癖症だからこういうことは嫌いだと思ってたけど、一皮むけたみたいね』

 クロノの魔法の師であるリーゼ姉妹もリンディと同じようにその成長を喜ぶ。
 まだまだ自分が面倒を見て守らないといけないと思っていたクロノが正面から挑んでくるようになるとは思っても見なかった。

 ――ああ、なんて凛々しい顔を、まるで昔のクライドみたい……

 気を抜けば緩んでしまいそうな顔を気合いで引き締めてクロノにリンディは向き合う。

「覚悟はあるのね?」

「当然です」

 即答の言葉にリンディはさらに喜びを感じる。
 クロノはこう言った。

 ――自分にアースラを使わせろ、責任も何もかも全部自分で取る――

 いつかクロノにアースラを継がせるつもりだったが、それを飛び越えて自分を使おうとする姿は予想外なものだった。
 守られる場所を捨てて、全てのことから目をそらず受け止める。

 ――もう、守られることをやめたのね……

 クロノの決意をリンディは理解する。
 自分に残った唯一の家族だから大切に育てた。
 グレアムに教えを受けて魔導師として最高の環境を与え、執務官の資格を取ってからもアースラに勤務させて自分の手の届くところにいさせた。
 それはクロノのことを思ってのことだったが、今思えばそれが彼の成長を妨げていたのだろう。
 リンディ・ハラオウンという防波堤はクロノが深く傷付くことから守って来た。
 しかし、リンディの知らないこの数週間でクロノはそれを経験したのだろう。
 無力に自分を呪い、血を吐くように泣き叫び、そしてその悔しさから立ち上がった。
 彼が大切だから教えることができなかった挫折をクロノは学び、自分の糧にした。
 もはや、リンディが知っている甘さの抜けない子供ではない。
 視線をグレアムとリーゼ姉妹に送ると彼らも満足そうに頷いてくれる。

「クロノ……一つ聞かせてもらっていいかしら?」

「何ですか?」

「貴方の夢は次元航行艦の艦長になることだったはず……その夢はもういいの?」

 所属を『海』から『陸』に移したことに今回の権力の簒奪はクロノのキャリアに大きく残るものになる。
 例え、アポスルズの事件が解決したとしても夢への道は大きく遠回りすることになる。最悪、この時点で閉ざされたとも言える。

「僕の夢は確かに父さんの様な立派な人間になることだった……」

 目をつむるクロノは何を思い出しているのかリンディには分からない。

「その目標を捨てるつもりはないけど……」

 迷いながら、もどかしげにクロノは自分の言葉を作っていく。

「きっと、このまま母さんたちが示す道を辿ることが一番の近道なんだと思う……
 だけど、それは母さんたちが教えてくれたことしか知らない道でしかない」

 そんなクロノの姿に愛おしいものを感じる。
 思えば、こんな風に感情を乗せた思いの丈を見せてくれたことは一度もなかった。

「もう……教科書通りの生き方はやめることにしたんです」

「そう……」

 おそらくクロノはもうアースラを継ぎたいとは言わない。
 他の次元航行艦でも構わない、親のコネに頼らず自分の力でその地位を目指すだろう。
 相槌を打ちながら本当に立派になったとリンディは思う。
 これがソラと関わることで成長したと言うなら、彼に感謝してもいい。

「それに次元航行艦の艦長になる方法はまだありますから」

「それは、どんな方法かしら?」

「上の人間になってくれって言わせるほどに強くなればいいだけです」

「……ぷっ!」

 押し殺した笑い声を発したのはリーゼロッテだった。
 彼女は顔を背けて、肩を震わせている。
 しかし、笑っているのは彼女だけではない。リーゼアリアもその答えに唖然としながらも微笑みを。
 グレアムも眩しそうに目を細めながら笑みを作ってクロノを見る。
 きっと自分も嬉しさに口元が笑っているに違いない。

「分かったわクロノ……やってみなさい」

 親離れをしたクロノに、リンディは子離れする気持ちでそう答えた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 それまでの光景を一人、八神はやては蚊帳の外にいる気分で見ていた。
 言葉を発してないのは自分の後ろに立つアサヒも同じだが、この中で自分だけが場違いだとはやては思った。

 ――クロノ君……なんか、かっこよくなったなー……

 彼に何があったのかは分からないが、最後に会った時よりもずっと男らしく見えた。
 この場でしっかりと地面に足をつけいないのは自分だけの気がした。
 もちろん物理的なものではなく、生き様としての意味で。
 大人であるリンディやグレアムは言うまでもなく、自分のこれからを語ったクロノ。
 それにシグナム達よりも強く、真っ直ぐに生きていたであろうアサヒ。
 管理局なんて知ったことじゃないっと気ままに振舞っているセラ。
 自分の複製体であるスオウと言う子も、言いようのない自信に満ちた立ち振る舞いをしている。
 そして、ソラ――

 ――あれだけのことがあったのに、どうしてそんな顔できるん?

 それを言葉にして尋ねることははやてにはできなかった。
 自分の血の繋がった兄なんてすぐには信じられない。
 それも彼は知らないが、かなりひどいことまで言った。
 正直、会うにはだいぶ気まずいが、そうも言ってられない理由がはやてにはある。
 未だに治療ができずに自分の中にいるザフィーラのことと連れ去られたリインフォースのこと。
 それぞれソラとセラに聞かなければならないのだが……

 ――あかん、完璧に無視されとる……

 会議室に入って来てから当の二人は一度もはやての方に視線を向けてない。
 存在そのものをないものとして扱っている。

 ――まー顔も合わせたくないやろなー……

 ソラの心情を自分に置き換えて考えてみる。
 親に捨てられて、妹に名前を奪われる。そしてあろうことか自分を貶めた闇の書と仲睦まじい関係を築いている。
 全てはやての預かり知れぬところで決められたことだが、それを簡単に割り切ることはできないだろう。
 セラの方は情報が何もないから分からない。
 ただ、彼女がなのはに向かって大嫌いだと言っていたらしい。
 おそらくそれは自分にも向けられていると、今の状況で思う。
 当然、はやてに嫌われる心当たりはないが、ついていけない難しい交渉の時間に思考する。

 ――わたしって恵まれとるんやろーな……

 少し前まではやては自分のことを不幸だと思っていた。
 今でこそ家族に囲まれているが、孤独な日々を思い出すとそう思う。
 一人の夜に何度泣いたことか。
 それでも監視されていたとしてもはやてには見守っていてくれる人たちがいた。

 ――グレアムおじさんに石田先生……それにお隣の鈴木さん……他にもたくさんの人が声をかけてくれた……

 すぐ傍にはいてくれなかったが、手を伸ばせばそこにいる存在ははやてにとって支えだった。

 ――でも、それがなかったら……

 はやての目から見ても不幸としか言えない人生を歩んできたソラ。
 そして同い年でテロリストとなったセラも彼に劣らない何かがあったのだろう。
 自分がこの世で一番不幸な子供、そんな風に思っていた自分が恥ずかしいと思う一方でそんな考えをしていることが傲慢にも感じてしまう。
 だから、はやては話しかける言葉を見つけられないでいた。

「ハヤテ……」

 言葉を探していたはやてに代わって、グレアムが言葉を作る。
 一瞬、自分が呼ばれたかと思ったが、彼の視線はソラを向いている。
 彼もまたソラに話したいことがあるのだろう。
 しかし、ダンッ!! 鈍い音が会議室の中に響き渡り、一本のナイフがグレアムの顔のすぐ横、背もたれに突き刺さった。
 誰も反応できなかった早技。
 会議室が静まり返る。

「何? 今さらその名前を使うの? 何様ですか、このくそ爺……」

 絶対零度の視線でソラはいつの間にか取り出したナイフをジャグリングする。

「ハヤテッ! お父様に何を!?」

 リーゼロッテが叫び身構えた瞬間、ソラの腕が霞んだ。

「やめておけ、ソラ」

 しかし、落ち着きを払ったクロノの言葉に止まる。
 水色のバインドがソラの腕を振り切られる前に止めていた。
 拘束は一瞬、それでも投擲の邪魔をするには十分な効果があった。

「グレアム先生、貴方も不用意な言動は控えてください」

「だが……」

「とりあえず、今後彼の呼び方はソラに統一してください。そうしないといろいろ面倒が多いので」

 しぶるグレアムにクロノは有無を言わせずに決めてしまう。

「話しがあるなら手短にお願いします。この後、彼の今後について話し合いたいので」

 そして話し合いの場を終わらせる発言をする。
 当の本人はもう終わったと判断したのか席を立つ。

「スオウ、魔力は少し回復したでしょ? テスラでもいいからもう一回頼める?」

「……まだやるというのか?」

「掴みかけた感覚を手放したくないんだよ」

 やれやれと肩をすくめて立ち上がるスオウの姿に何とも言えないものをはやては感じる。
 両足で立てることか、それともソラと気安く話しをしていることか、どちらに感情が向いているのかはやてには分からない。

「ハヤ――ソラっ!」

 その背中をグレアムが呼び止めるが、続く言葉に詰まってしまう。
 呼び止めるには不十分な言葉を無視してソラはドアを開く。

「ソラ……君は……私を恨んでいるか?」

 ようやく出て来た言葉はそんな言葉だった。

「別に恨んでないですよ……貴方の判断は管理局の人間の判断として間違ってないんですから……
 貴方達に教えられた通り、それはちゃんと理解してますよ」

 はやては悪寒を感じずにはいられなかった。

「だから僕は――生まれてこない方が良かった存在なんでしょ?」

 三つ子の魂百まで。ということわざがある。
 幼い時の性格などは大人になっても変わらないという意味だが、これには常識や価値観も含まれる。
 幼少期に魔法の才能を見出されて闇の書の主になるまでの時間、グレアムによって管理局の教育を受けていたとしたら。
 正義の価値観を持って、真逆の道を歩むことになった辛さはどれほどのものなのか。
 悪者になり切れない、それが今のソラの姿に見える。

 ――呪い――

 アオの呪いにグレアムの呪い。
 いったいどれほどの鎖で彼は縛られているのだろうか。
 想像するだけでも恐ろしくなる。

「それからそこの八神はやて」

「は、はいっ!?」

 突然の言葉に上ずった声ではやては返事をしていた。
 こんなにも気軽に呼ばれるとは思わなかった。同時に何を言われるのか心が揺れる。

「その同情するような目はやめろ、鬱陶しい」

「う……ご、ごめんなさい」

 意識していたわけではないが、顔に出ていたようだった。
 自分より彼の方が不幸、上から目線で見ていたつもりはないが、どうしてのその考えが拭いきれない。
 しかし、折角ソラの方から話しかけてくれたチャンス。

「あ……あの……お兄……ちゃん?」

 言うとソラはものすごく嫌そうに顔をしかめた。

「今……何って言ったかな?」

「な、何でもないですソラさん」

「……まあ、いいや。それで、何?」

 改めて聞き返されて、はやては考える。

 ――何を聞くべきなんやろ?

 ザフィーラを治してほしいと言うのは、かなり図々しいことだと思う。
 勝手に敵対したのもそうだが、一連のことは管理局側に非があるとクロノに決められた。
 そこでそんな要求を言えるほど、はやては図太くない。

「……ソラさんはどうして笑っていられるん?」

 だから、さっき感じたことを尋ねた。
 その瞬間、空気が音を立てて固まったような気がした。
 周りからの視線に自分がかなり無遠慮なことを聞いたことに気が付く。それでも言葉は止まらない。

「だって、ソラさんは自分がしていることが悪いことだって分かっとるんやろ!?
 人に迷惑かけて、苦しませて、それが辛いって思ってるならどうして笑っていられるん?
 どうしてそんな不幸な人生を押しつけられたのに、笑って前を向いていられるん!?」

「そうだね……」

 支離滅裂で勝手な糾弾なのにソラは無視せずに考え、答えてくれた。

「泣いて意味がないことを知っているから、かな」

「意味が……ない?」

「泣いても叫んでも誰かが助けに来てくれることなんてない」

 悲しい言葉だが目を逸らさずにはやては受け止める。

「誰も助けてくれない……だから僕は自分のしたいようにするって決めたんだ……
 迷惑って言われてもこれだけは譲れないんだよ、だって僕は死ぬのが怖いんだから」

「あ……」

「僕は強くないから……世界のために自分から死のうなんて思えない。だから泣いている暇なんてない……」

 ――そんなことはない……わたしだってそんなこと言えへん……

 ようやく少し彼のことが少し理解できた気がした。
 死の恐怖。それがソラを突き動かす原動力。
 闇の書に浸食され、身体が削られていく感覚を知っているはやてだからこそ理解できる。
 一歩ずつ近づいてくる死の恐怖にはやてはヴォルケンリッターの存在を支えに耐えた。
 彼には支えてくれる人がいなかっただから、他人を犠牲にする方法に落ちていったのかもしれない。

「それに、笑っていた方が良いって言ってくれた人がいたから、これが一番の理由かな」

「それって青天の魔導書?」

「いや違う……うーん」

 否定してソラは考え込む。

「まあ、言っても大丈夫かな、どうせ管理局には手出しできないと思うし」

 何を言っているのか理解できずにはやては首を傾げる。

「たぶん君も知っていると思うよ、フィアッセ・クリステラって人……」

「はー……フィアッセさんかー……」

 ――はて、そんな名前の知り合いおったかな?

「って、ええ!?」

「ちょっと待てソラ! 君は何を言ってるんだ!?」

 はやてが驚きの声を上げると同時にクロノも叫んでいた。
 驚いているのはグレアムとリンディ、それからエイミィも同じだった。

「光の歌姫やないか!? どうしてそんな人と知り合いなんや!?」

 フィアッセ・クリステラ。地球の有名なアーティストだが、ソラと彼女の接点が全く想像できない。

 ――ほんとにいろんな意味で底がしれんなー……

「昔にちょっとね……というか、やけに食い付きが良いね、クロノ?」

「あ……その……」

「クロノ君はフィアッセさんのファンだからね」

「エイミィ!」

「あはは……あの人の歌は綺麗だからね」

 昔を懐かしむような顔をするソラにはやては思わず見惚れる。
 今まで見せていた笑みが空虚だと思えるほどに、自然に優しく微笑む。
 それが彼の本当の笑顔なのだと思うが、それはすぐに仮面の笑みに隠れて……

「あと、僕は自分のことを不幸だなんて思ってないんだけど……」

 そんな軽い口調のソラの発言に会議室は静まり返って、

「ええっ!!?」

 今度は全員の驚きの声が唱和した。

「ちょ、お前頭大丈夫か!?」

「ソラ君、少しは恨み事言ってもいいと思うけど?」

 もはや凛々しさをかなぐり捨てて取り乱すクロノと呆れに同情を含ませたエイミィが彼の肩を叩く。
 セラとスオウは言葉もなくやれやれと肩をすくめるだけ。
 はやて達の方は完全に言葉を失っている。

「失礼な、だいたい不幸って言うのは……」

 ソラは考えながら不意にはやてを、正確にはその後ろのアサヒを見た。
 にやり、そんな風に笑った気配にはやての第六感が何かを感じた。

「アサヒみたいな、もう成長の見込みのない、かわいそうな胸の持ち主のことを言うんだ」

「なぁっ!?」

「あはは、ではでは……」

 顔を赤くして胸を両手で隠すアサヒにみんなの視線が一瞬集中する。
 その隙に笑い、手を振りながらソラは会議室を出ていってしまう。

「…………良い度胸だ……ふふふ……」

 残されたアサヒは俯いて不気味な笑みを浮かべる。そして――

「殺す」

 それだけ言い残して、会議室から出ていってしまった。
 おそらく、ソラを追い駆けたのだろう。
 残された人たちは呆然とシリアスだった空気の豹変に追い付けないでいる。
 そんな中ではやては一人呟く。

「そやな……アサヒねーちゃんはそれだけが欠点やからなー」

 はやてとしても彼女の胸にはソラと同じものを感じて不憫だと思っていた。
 強いけど胸がない。厳しいけど胸がない。優しいところもあるけど胸がない。美人だけど胸がない。

「うん……何かソラさんとは仲良くなれる気がしてきた」

 血筋や、闇の書の関係など通り越して彼とはうまい酒が飲めそうだと思う、十一歳の少女八神はやてであった。

「自分のしたいように……迷惑になっても譲れないもの、か……」

 そして笑みを浮かべたまま、はやては先程の会話を思い出す。

「そうやな……わたしもやってみよーかな……」

 彼の全てが正しいとは思えない。それでも学ぶべきものはあるとはやては思う。
 ヴォルケンリッターたちとの向き合い方。
 彼女たちの思いを考えて、踏み込めないでいた一線を越える意志は固まった。

 ――ありがとなー……お兄ちゃん……

「リンディさん、グレアムおじさん、それからクロノ君……」

 ――あとアサヒねーちゃんには後で言わんと……

 突然呼んだはやてに三人の視線が集まる。

「みんな、シグナム達に思うことはいろいろあると思う……」

 ソラの、前回闇の書の主が現れたことで、それまでの彼女たちの信頼は揺らいだ。
 それを、どうこう追究してくる人たちではないと分かっているが、いつまでもそれに甘えているわけにはいかない。

 ――わたしも、シグナム達もそれぞれの答えを見つけなくちゃあかん……だから……

 それを言えばもう後戻りはできなくなる。
 それでもはやてはその一歩を踏み出すことをもう躊躇わなかった。

「わたしも正直どうすればいーのかまだ分からへん……」

 三人ははやての言葉をジッと待ってくれる。だから、言う。

「せやけど決めた……わたしはヴォルケンリッターを解散しよーと思う!」

 そう、はやては宣言した。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ――血流の停止による脳機能の障害、それによる下半身の麻痺――

 それを聞いてからのなのはの記憶はない。
 今は病院のロビーの長椅子に座っているが頭が働いていない。
 その場にいるのはなのは一人だけ。
 一人にしてくれと言ったのかもしれない。自責を続けるしかしない自分を見限られたのかもしれない。
 その記憶さえも曖昧だった。

 ――わたしのせいだ……

 働かない頭はその言葉だけを繰り返す。

 ――わたしのせいでアリサちゃんは……

 魔導師の戦いに巻き込み、一生ものの怪我を負わせた。

 ――全部、わたしが悪いんだ……

 魔法とは関係ない、ただ友達だからという理由で相談した事が悲劇の始まり。
 ソラのせいではない。なのはが彼女を巻き込んだ。
 情報漏洩と言う悪いことをした結果、それを正すためにアリサが狙われた。
 せめて命だけは助かったというのは慰めにならない。

「わたしが悪いことをしたせいで……アリサちゃんは……」

 脳の機能障害は次元世界の技術でも治せない、そうシャマルが言っていた。
 それ以前にアリサを次元世界の治療を受けることは認められないらしい。
 その場での魔法的治療ならまだしも、本格的な施設の使用は魔法世界と何の関係もない、ただなのはの友達というだけの理由では認められない。
 アリサを襲った人たちが魔導師という証拠も完全に消されていて、それを理由にすることもできない。
 すでにどうしようもない。
 慰めることも誤魔化すこともできずにアリサの足はもう二度と動かない。
 俯くと自分の足が見えた。

 ――どうして、アリサちゃんが……悪いのはわたしだったのに……

 何の問題もなく動く自分の足が憎らしく思う。

『マスターッ!』

 気が付けば振り上げていた手をレイジングハートの声で止める。

『そんなことをしてもアリサの足は治りません』

「分かってる……分かってる……けどっ……!」

 アリサだけではない。兄の恭也も姉の美由希もそれぞれ大怪我をしている。
 全て、自分のせいで。
 行き場のない憤りを吐き出すことができずになのははうなだれる。
 俯いてどれくらいそうしていただろうか、不意に自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。

「なのはちゃんっ!」

「なのはっ!」

 二つの自分を呼ぶ声になのはは顔を上げる。

「すずかちゃん……ユーノ君……どうして……?」

 ただ近付いてくる二人がいること以上に思考が回らない。

「フェイトからアリサのことを聞いたんだよ……すずかとはそこで会ったんだ」

「ユーノくん……すずかちゃん……わたし……わたし……」

 泣く気力さえ出てこない。
 ただ意味のない言葉を繰り返すしかできない。

「なのはちゃん、そのことなんだけど」

 なのはを安心させるように抱き締めるすずかの言葉をユーノが引き継ぐ。

「なのは、落ち着いて聞いてほしい……もしかするとアリサの身体を治せるかもしれない」

「え……?」

 その言葉で急速に意識が浮上してくる。

「アリサの身体を治す手段があるんだ」

「ほんとっ!? ユーノ君っ!?」

「なのはちゃん、しーっ……」

「あ……」

 慌てて口を押さえて周囲に視線を巡らせる。
 場所は病院のロビーのため、当然周りには人がいる。
 怪訝にこちらをうかがう人々になのはは頭を下げて身を小さくする。

「アリサちゃんを治せるって本当なのユーノ君?」

「うん……」

 肯定してくれるが、ユーノの表情は固い。
 それに不安を感じつつもなのははユーノの言葉を待つ。

「……ロストロギアを使うんだ」

「あ……! あ、でも……」

 ジュエルシードに夜天の魔導書。
 今までの経験からなのはもロストロギアの力というものを理解している。
 確かにその力の恩恵を受ければ、人一人を正常な健康体にすることなんてわけないのかもしれない。
 しかし、それでも……

「うん、なのはが思っている通りこれは違法な手段だよ」

 違法、悪いこと、頭の中で変換される言葉がなのはの身体を冷たく震えさせる。

「まあ、それは最終手段なんだけど……」

 言いながら、ユーノは大きめの封筒からそれを取り出した。

「これは次元世界に登録されている医療系の魔導師たちなんだ。
 管理局に所属はしてないけど、その道では有名な人たちだから、場合によってはこの中の人が治せるかもしれない」

 渡されたリストは八枚の紙。
 頼りない数ではあるが、それはまさしく希望の存在でもある。

「でも、本当に治せるの?」

「科学的には難しい……だからその人たちは稀少技能や許可を取っているロストロギア使いたちなんだ」

「えっと……でも、魔法なんだよね?」

「魔法だけどロストロギアは『神秘』に分類される物が多いから、理屈を超えた力があると思ってくれていいよ」

 ユーノの説明は今一つ理解できないが、自信を持って語る彼の姿には説得力がある。

「もし、それでもダメだった場合は……本当にロストロギアに頼ることになる」

「でもユーノ君、それはいけないことなんだよね!?」

「そうだよ」

 肯定される言葉になのはは視線を落とす。

「魔力を持たないアリサを管理世界に連れていくことも違法だし、こっちの世界にその人たちを呼ぶのも違法……
 ましてやロストロギアを使うとなると言い訳なんてできない」

 さらなる言葉になのははうなだれる。

 ――悪いことはダメ……これ以上悪い子になったら……

 脳裏に浮かぶのは自分の過ちで傷付いた人たちの姿。
 魔法を軽んじて、管理局の法を軽んじて、学ぶことを軽んじた結末はなのはの足を掴んで放さない。

「安心してなのは」

 そんななのはの葛藤を察してユーノは手をなのはの肩に置いて真っ直ぐに目を合わせる。

「全部、僕がやるから」

「え……?」

「アリサを向こうに連れていく必要があるなら、管理局に見つからないように連れて行ってみせる」

「ちょっとユーノ君……?」

「ロストロギアに関してもうまくなんとかする。だから、なのはは何の心配もしなくて、待っていてくれればいい」

「待ってユーノ君、そんなのユーノ君らしくないよ!」

 おかしい、明らかに目の前のユーノはなのはが知る彼とは別人だった。
 ジュエルシードが悪用されることを恐れ、責任感を持って単身でこの世界に来た彼が軽々しくロストロギアを使うと言った。
 それがどんなロストロギアなのか分からない。
 もしかしたら危険はないものかもしれないが、いくらなんでも行動が極端すぎる。

「まあ……僕らしくないって言うのは自覚してるけどね……」

 戸惑うなのはに対してユーノは苦笑して頭をかく。

「でも、なのははアリサを助けたいんでしょ?」

「…………うん」

 沈黙を作って小さく頷く。

「僕はなのはの願いを叶えたい。なのはの力になりたい」

 まじかにある顔はとても真剣で男らしさを持った初めて見る顔だった。

「どうして…………そこまでしてくれるの?」

 ユーノの言葉の理屈は理解できる。
 自分だって彼やアリサ、友達のためならどんなことでもしてあげたいと思える。
 それでも、犯罪に手を染められるか聞かれれば、どうしても躊躇ってしまうと思う。
 ましてや、今の自分は友達を巻き込んだ悪い子。とてもそこまでしてもらう価値があるとは思えない。

「それは…………ぼ、僕が……」

「それは……?」

 決意に固めていたはずのユーノの顔が何故か崩れる。

「ぼ……ぼ、僕が……なのはの……き……だから……」

「え……何って言ったのユーノ君?」

 聞き返すとユーノは俯いて黙ってしまう。

「ゆ、ユーノ……君?」

 ――何だろう……今日のユーノ君はいろいろおかしい気がする……

 困惑し、助けを求めるようにすずかの方に視線を送る。
 しかし、彼女は両手で口を隠してわくわくっといった様子で見ているだけ。

「えっと、ユーノく――」

 自分でなんとかするために覗き込もうとして顔を下ろす。そこに――

「僕がなのはのこと――」

 ガバッと顔を上げたユーノの顔がまじかに迫る。
 ユーノの言葉が止まる。

「…………――と、ともだちだから……」

 勢い良く発した言葉は失墜してそう言った。

「友達……」

「う……うん。そうだよ……なのはは僕の大切な友達だから……もちろんアリサもそうだし……
 ほら、すずかもアリサの足を治したいよね?」

「あ……うん……そうだね」

 何故か残念そうにすずかはユーノの言葉に頷く。
 会話はそこで止まってしまう。
 何を言えばいいのか分からない。若干の混乱をしながら妙な居たたまれなさを感じずにはいられない。

「あー……うー……」

 沈黙を破ったのはユーノの呻き声。
 なのはの肩から手を放し、頭を抱え出す彼の姿に不安が大きくなる。

「ゆ、ユーノ君……大丈夫?」

 大切な友達の奇行をなのはは案じるが、ユーノはバッとなのはから距離を取る。

「と、とりあえず今の話をアリサにもしてくるよ。
 やるかどうかは結局アリサ次第でもあるしね、うん。じゃあ……また後で」

「え……!? 待ってユーノ君……って……行っちゃった」

 制止の言葉は空しく、ユーノは足早に去って行った。
 なのはの手にはユーノが作った資料が残っている。
 気まずげに苦笑をして、すずかに向き直る。

「どうしようか?」

「とりあえず、アリサちゃんのところに行こっか?」

「……うん……そうだね」

 頷くものの気が進まない。
 足が動かないことが判明し、すぐに検査することになったため病室を追い出されてそれからまだ会っていない。
 もし、顔を合わせた途端に罵倒が飛んできたらと思うと足が竦む。

「大丈夫だよ、なのはちゃん……ね」

「……うん」

 握ってくれる手に勇気づけられる形でなのははすずかに手を引かれて歩き出す。

「ねえ……なのはちゃん」

「何……すずかちゃん?」

「このままでいいの?」

「いいって……何のこと?」

「このままユーノ君に全部任せて、なのはちゃんは後悔しない?」

 すずかの言葉になのはは俯く。
 アリサの身体を治したい。それはなのはも思うこと。
 しかし、そのためには法を、ルールを破らないといけない。
 以前、ジュエルシードを無理矢理発動させたフェイトを助けるために命令無視をしたことがある。
 その時は躊躇わなかったし、後悔もしなかった。
 でも、今は後悔しかない。
 そして、もう一度ルールを破ることに躊躇ってしまう。

「…………分からない」

 目の前にアリサを救う道があるのに、なのははその初めの一歩を踏み出せずにいた。








あとがき

 あけましておめでとうございます!
 テンション上がってなんとか31話を元旦に合わせて投稿することができました。
 交渉事は例のごとくかなり強引な仕様になって、クロノの独壇場です。
 これはこの二次創作を作るにあたって書きたかったシーンの一つです。
 みなさんが納得できるクロノなら幸いです。

 この後は次の準備期間を挟んでそれぞれのルートに分岐させる予定です。

 なのはルート
 目標『アリサの身体を治す』
 管理局の目を盗み、複数の世界を梯子してクラナガンを目指す。
 しかし、辿り着いた先で件の魔導師からは理由も聞いてもらえずに治すことを拒絶される。

 主要キャラ:なのは、アリサ、ユーノ、すずか、ヴィータ


 フェイトルート
 目標『○天の書を回収する』
 アポスルズに天空の書を渡さないために動き出すアースラ。
 とある管理世界に暮らす管理局に属さない小さな部族。当然、○天の書の引き渡しは拒絶される。

 主要キャラ:フェイト、アリシア、クロノ、シグナム、シャマル


 はやてルート(ソラルート)
 目標『ソラの真実を知る』
 はやてはソラの監視というポジションを無理矢理取ってソラ達と行動を共にする。
 目的地に向かう途中で何者かに追われている女性と遭遇する。その金髪の少女はソラのことを預言にあった『救世の勇者』と呼ぶ。

 主要キャラ:はやて、ソラ、セラ、アサヒ、(マテリアルズ)、?




 以上の三つをやるつもりですが、これはあくまでも予定です。
 物語本編は予告なくその内容が変更される場合があるので、予め御了承ください。

 それでは最後になりますが、今年もよろしくお願いします。



[17103] 第三十二話 前進(修正)
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:1f4b6b07
Date: 2012/03/18 22:34





 いただいた感想に思うところがあり、勝手ながら修正させていただきました。

 ソラと桃子のやり取り、初めは変更してませんがその後の会話を大幅に変えました。

 他の部分は変更していません。








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「……もう……お昼……」

 目が覚めたなのはは時計を見てずいぶん寝ていたことに気付く。
 アリサが誘拐された事件から二日目の朝……目覚めたというのに気分は未だに優れない。
 あの後、ユーノの提案にアリサは考える時間が欲しいと答えた。
 ユーノにしてももっと下調べと旅の準備をしなければいけないから一週間後、それまでに決めて欲しいと言っていた。
 その日はそれで面会時間も終わり、すずかの……月村家の車で送ってもらい、夕食も食べずにベッドに倒れ込んだ。

 ぐぅ~~……

 思い出すと空腹を感じた。

「…………先に着替えないと……」

 少なくても昨日の陰鬱な気分からは抜け出せたようで、なのはは緩慢な動きで昨日から着ていた服を脱ぐ。

「お父さん……お母さん……いる?」

 返事はない。家の中は静まり返っている。

『マスター、御二人は翠屋にいます。恭也と美由希はまだ病院です』

「そっか……」

 怪我をした二人はシャマルの治癒魔法でほぼ治してもらったが、一応検査をするということで入院している。

 ――まるであの時みたい……

 胸がうずく。頭を振ってその感覚を振り払う。
 あの時とは違う。
 兄と姉はすぐに退院できる。翠屋も今では何の問題もない。

 ――それに……

 悲しくて、寂しくて、苦しいとはもう言えない。
 見えなくても手を伸ばせばそこには誰かがいることをなのはは知っている。
 そして、それが当たり前のなのはと違って、当たり前じゃない人たちがいることを知った。

「それに今はレイジングハートがいるもんね」

 明滅して応えてくれる愛機になのはは笑顔を返す。

「あ……」

 リビングに入って気付く。テーブルの上にラップにかけられてた食事があり、その横には書置きがある。
 その書置きを手に取って読む。
 自分を気遣う言葉に胸が温かくなる。
 昨日は呆然としつつも当たり障りのない返事ばかりしていたとはずなのにそれさえもちゃんと分かってくれている。

「よし……ご飯食べて、翠屋に行こう」

 まずは相談しよう。
 もういくら頭を悩ませても答えはでないことは分かった。
 
 ――お父さんには話さないといけないこともあるし……

 あの夜、自分が何をしたのかちゃんと話さないといけないと思う。
 そう思って翠屋に行き、なのはは固まった。

「え……?」

「いらっしゃいませ、御一人様ですか?」

 そこには翠屋のエプロンを着て営業スマイルを全開に振り撒くソラがいた。

「えっと……何と言いますか……」

 それはまったく問題のない、恭也や美由希以上に完璧なスマイルなのだが……
 ソラの色々な顔を見て、戦っている姿を知っているなのはとしては……

「気色悪いです、ソラさん」

「ひどっ……!」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「あーー疲れた……」

 ぐったりとカウンターの席に突っ伏すソラ。

「労働って、こんなに大変だったんだね……」

 呼んでおきながら目の前で迷い出す客。
 膨大な量の注文を並列し処理するのにマルチタスクを使うほどの目まぐるしさ。
 飲み物をついだコップや料理を運ぶのには意外と神経を使うバランス。
 あと人を気色の悪い目で見るマナーの悪い客とか。
 とにかく、肉体的というよりも精神的にソラは疲れ果てていた。

「お疲れ、助かったよソラ君」

「もう二度とやらないからね」

 ソラの文句に士郎は苦笑をしつつ、視線を横にずらす。

「あかりもありがとう」

「いえ、御役に立てたのなら光栄です」

 無表情のままあかりは士郎が差し出したグラスのストローに口をつける。

「……あかりはあまり疲れてなさそうだね?」

「ええ……オリジナルの情報でしょうか、意外にも抵抗なく順応できました」

「ふーん……楽しかった?」

「どうなのでしょう? 分かりません」

 言いながらあかりはシュークリームにかじりつく。
 おっ! と無表情な顔が驚きに彩られる。

「おいしいかい?」

「はい……知識では知っていましたが、これほどとは思いませんでした」

 士郎に言葉を返してあかりはもう一度シュークリームを口に運ぶ。
 しかし、子供にとっては少し大きめのそれはあかりがかぶりつくと中身のクリームが皮を破いてこぼれてしまう。

「あ……」

 そのこぼれたクリームを落とさないように食べようと悪戦苦闘する姿は見ていて微笑ましいものがある。

「……で、何で働いてもいないこいつらにまで餌をやってるの?」

 冷めた言葉を士郎に向けながら、あかりの向こうに並んで座るテスラとスオウを軽く睨む。
 昼時のピークを過ぎて、客は一人を除いていなくなったタイミングを計って出した二人は今、あかりと同じようにシュークリームを頬張っている。

「餌って……もう少し言い方ってものがあるんじゃないかな?」

「もぐもぐ……おかわりっ!」

 口元をクリームまみれにしたテスラが嬉しそうにのたまった。

「ええいっ! テスラ、士郎の好意の施しに厚かましいことを言うなっ!」

 そんなテスラをスオウがなだめる。
 口ではそう言っているが、おそらく彼女もまだ食べ足りないと思っているのだろう。
 まだ手をつけてない自分のシュークリームに視線をちらちらと向けている。

「やれやれ……」

 ソラは肩をすくめて自分の分のそれを二人の前に滑らせる。
 わーいっ! まて、一人占めは許さんっ! という言葉を背景にその醜い争いに参加しないあかりにソラは尋ねる。

「君はいいの?」

「はい……とりあえずシュークリームの素晴らしさは十分に理解できました。
 次はたいやきというものを食べてみたいです」

 それはメニューになかったと思いながら、

「たいやき……体、焼き……身体を焼く? なんか恐ろしい料理もあるんだね?」

「全然違いますからね!?」

 突っ込みは背後から来た。

「そうなの? まあ、別に僕にはどうでもいいことだけどね」

 振り返りながら突っ込んできたなのはに対してソラは素気なく応じる。

「変わったね君は……昔はお菓子の奪い合いでアオと喧嘩していたのに」

「あったね、そんなことも……
 でも、今の僕には味なんて分からないからね。おいしいものなら分かる人が食べた方が良いよ」

「身体は治ったんじゃなかったのかい?」

「最低限生きていられるくらいまでに安定しただけだよ……
 僕の五感……いや聴覚を除いて四感はほとんど壊れているよ」

「そうか……」

 聞いたことを申し訳なさそうにする士郎に気にしなくていいと言いながら、ソラは振り返る。

「あ……」

 振り返った先の高町なのはは目が合うと気まずげに視線を一度逸らしてからソラに向き直った。

「あの……五感が壊れているってもしかして……?」

「そうだよ。八神はやての足と同じ。僕のは五感に来たんだよ」

 一定期間蒐集をしないことによる闇の書のリンカーコアへの浸食。
 それによる身体機能の低下には個人差が存在する。
 八神はやては生体活動に重要度の低い足から麻痺が始まった。
 それに対してソラは五感感覚の麻痺から浸食は始まった。

「まずは味覚がなくなって、次に嗅覚、それから視覚と触覚が少しずつなくなっていって、そこで管制人格とユニゾンした」

 そうしなければまともに立つことさえできない程にソラは削られた。

「闇の書を切り放したところで、それがいきなり全部回復することはないし、まともな治療も受けてないからね……
 視覚は色が戻らなかった。完全な黒か白は判断できるし、ときたまノイズの様に色が見える時があるけど僕の世界はずっと灰色だよ」

 淡々とソラは自分の中に残る障害を語る。

「嗅覚はそれが危険か安全かだけを感じるものに成り下がった」

 まるで他人事のように、まるでどうでもいいと言わんばかりに軽い口調で語る。

「触覚では温感、炎や氷の熱さ冷たさなら感じるけど、このコップが冷たいのか温かいのかまでは分からない」

 ソラは水の入ったコップを手の中でもてあそび水面を揺らす。

「それで味覚はかなり鈍くなってほとんど何も感じない」

「それは……」

 青褪めたなのはは言葉を失う。

「これでもだいぶ良くなったんだよ……
 最初の頃は目なんてぜんぜん見えなくて、魔力感覚だけを頼りに生きて来たんだから」

 それが今もなおソラを蝕む闇の書の毒。
 命を繋いだ代償と考えれば安いものなので、それで同情されるいわれはない。
 やれやれと、ソラは肩を竦め、手をパンッと叩く。

「っ……!?」

 今にも泣き出しそうななのはの肩がその音ではねる。

「ところで、この格好についての突っ込みはないの?」

 おどけた調子でソラは翠屋のエプロンの裾をつまんで見せる。

「え……!? あ……ソラさん……何でうちでウエイターなんてしてるんですか?」

「この世界を離れるから挨拶してからにしようと思って来たんだけど……」

 早朝の高町家を尋ねた時のことを思い出す。
 呼び鈴を鳴らして待つこと数秒。
 玄関が開いたかと思った瞬間、士郎に手を取られて言った。

「戦力確保……という感じで手伝うことになったんだよ」

「アルバイトの子が風邪をひいてしまってね、恭也と美由希も今は入院しているから」

 臨時休業にしてもよかったが、そうすると恭也たちが罪悪感を感じてしまうと思っていたところにソラが現れた。

「そ、そうなんだ……」

「それよりもあの時のことを話したいんじゃないの?」

「あ……はい」

 頷くなのはは士郎に顔を向ける。

「あれ……? 僕に文句を言いたかったんじゃないの?」

「ううん……お父さんとお話したい」

「そ……なら僕は邪魔だね」

「あ……できればソラさんにも聞いてほしいんだけど……いいですか?」

「それはいいけど……そうなると……」

 自分はカウンターの席の端に座っている。そしてそこから並んでマテリアルズが並んでいる。
 士郎がカウンターから離れるのはどうかと思うのでソラはあかりに指示を出す。

「あかり、その二人を向こうの席に連れて行って……
 それから士郎、ケーキを適当に六個お願い」

「分かりました……二人とも移動しますよ」

「おい、ソラ……何故あかりに頼む。こいつらの王は我だぞっ!」

「わーい、ケーキ!」

 率先して動くテスラに対してスオウはあかりに背中を押される形で強制移動される。

「えっと……大丈夫なんですか?」

「餌をやっておけば大人しくなるよ、あ……お金のことなら大丈夫だよ。クロノにいくらか換金してもらったから」

「えっと……まあ、いいです」

 深く追求するのをやめたなのははソラの隣りに座る。
 士郎があかりたちにケーキを運び、なのはに飲み物を用意したところで彼女は重い口を開いた。

「お父さん……わたし……人を撃った……」

「ああ、恭也から聞いている」

 静かに士郎は肯定し、先を促すことはしない。あくまでなのはのペースで話せるように言葉を待つ。

「手加減できなくて……もしかしたら殺しちゃうって分かってたけど……わたしは撃ったの……」

「そうか……」

「お父さんが言っていたことの意味……やっと分かった気がする」

「力を使うことが怖くなったかい?」

「…………うん、少し……」

 二人のやり取りをソラは黙って聞くことに専念する。
 何を今さらと思う反面、今までのなのはの余計な行動の理由を理解する。

 ――結局、この子は魔法を手に入れて浮かれていた子供だったのか……

 持てる力を何のために使うのか、自分は初めて大きな力を使えるようになった時は周りに当たり散らしていたなぁ、と昔を懐かしむ。
 ヴォルケンリッターの主となり、管制人格の具現化まで蒐集を進めてユニゾンすることで得られた力。
 あの時ばかりはアオのことを忘れ、命を狙ってくる魔導師たちを蹴散らすのに夢中になった。
 何でもできる、自分には敵はいない、そんな全能感に支配されて突き進んだ結果は奈落の底。
 ソラは全てを失い、なのはは友達の自由を奪われた。それが力に浮かれて支払うことになった代償。

「魔法を使うことが嫌になったかい?」

「…………分かんない」

「魔法と関わるのが嫌になったかい?」

「それは……いや……」

「でも、君が魔法に関わる限り、今回みたいなことは何度だって起こるよ」

 余計なことと思いつつも、ソラは口を挟む。
 二人の視線が集まって先を促される。

「分かり切っていることを言うけど、この世界には魔法文明はない……
 でも、君が『外』と関わり続ける限り、この世界は『外』と接し続けていることになるんだよ」

 干渉し続ける管理外世界に次元犯罪者が興味を持つ可能性。
 転送ポートを作っておくと言うことは、そこを次元的に不安定な状態にしておくこと、それは様々な事故に繋がる可能性になる。
 マテリアルが君たちの姿を模した理由だって、彼女たちがこの世界に最も長くいて、訓練と称して魔力を撒き散らしていたから、という理由だって考えられる。
 言い換えれば、この世界で今後起きる魔法関係の事件はなのはたちによって引き寄せられたものといっても過言ではない。

「さらに言えば、君が今後次元世界で有名になるなら、君の家族、友人は犯罪者にとって攻めるべき弱点なんだ」

「セラちゃんが……わたしはこの世界を捨てるべきだって言ったのは……そういう意味なの?」

「いや……たぶん、管理局法の意味で帰って来れなくなるってことじゃないのかな?」

「え……? 帰って来れないってどういうことですか!?」

「僕も法律について詳しいわけじゃないからよく分からないけどさ……
 管理外世界への渡航って制限が多いらしいんだよ」

 会議の後に見せられた渡航証明書には結構多くのことが書かれていたし、アースラから降りるときもいろいろと言われた。
 果たして『帰郷』するなどという至極個人的な理由で渡航許可が下りるのか疑問を感じる。

「それじゃあ……魔導師になったら、この世界には帰って来れないってことなの?」

「どうだろう……? 結局、管理局の法って変な所でいい加減だからねぇ」

「それはどういう意味だい?」

「士郎、僕は本当ならこの世界にはもう二度と来るつもりはなかったんだ……
 でも、アリシア達がここで喧嘩を始めたから来たんだけど、それがそもそもおかしいんだよ」

「おかしい……?」

「うん、どうしてフェイト・テスタロッサがこの世界に住み着いているのか、っていう所がね」

「えっと……それの何処がおかしいんですか?」

「初めに言ったでしょ? ここは管理外世界、管理局は接触を最低限にしないといけない。
 なら、どうして純粋なミッド出身の彼女がこの世界に住んで、ましてや学校なんて公共機関に通っているのか。
 管理局法から考えればそれこそ違法だと僕は思うんだけど」

「それは闇の書事件の時に――」

「でも、闇の書事件はもう終わったでしょ?」

「あ……」

 ソラの指摘になのはは反論を失う。代わりに士郎が口を挟む。

「でも、フェイトちゃんの歳なら学校に通うのは当然じゃないのかい?」

「それはこの世界の常識だよ。次元世界ならあの歳はもう仕事につける。
 仮に学校に行かせるにしても、わざわざ管理外世界の学校なんか選ばずにクラナガンにある学校に通わせればいい」

 この世界の歴史、文学なんて学んでも意味はない。科学にしてもミッドチルダの方がずっと進んでいる。
 友達を作るにしても、ミッドチルダで作る方が後の人脈としてずっと彼女のためになる。

「フェイトは君たちと違って必ずミッドに戻らないといけない人間だよ……
 それなのに友達といたいからっていう我儘だけで管理外世界に移住が認められるなら、法っていうのはちゃんと機能しているの?」

 ソラの問いかけに二人は当然応えない。

「ま……君には好都合な矛盾だけどね」

 でもね――そう言いながらソラはなのはを睨みつける。

「魔法を捨てるつもりがないなら君はこの世界にいるべきじゃない……
 君がいるからフェイトも八神はやてもこの世界に留まる……
 君のせいでこの世界は魔法の脅威にさらされ続ける。君の存在がこの世界を歪めているんだ?」

「そんなこと……急に言われても……」

「アリサって子を巻き込んだのも君の歪みの――」

「ソラッ!」

 士郎の制止にソラは言葉を止める。

「どうして止めるの士郎? 僕は間違ったこと言ってないよ」

「そうだとしても……なのはにはまだ早い」

「早い? 僕はこの子の半分の歳で生き方を決めさせられたんだけど」

「……ソラ……頼む……」

 真摯な言葉にソラは重くなった息を吐き出して、それ以上言うことはやめた。

「ごめん……少し感情的になり過ぎた」

 しかし、重くなった空気はそのまま留まり続ける。
 気まずい空気を変えるためにソラは口を開く――が、なのはが先に問いかけた。

「ソラさんも……わたしのことが……嫌いなんですか?」

「嫌いだよ」

 なのはの問いにソラは即答する。

「僕たちが失くしたものを持ってるくせに、それを捨てようとしていることも……
 何も手放さないで全部が欲しいなんて言う様も……
 才能に胡坐をかいて遊び半分で魔法に関わっていることも……全部、気に入らないね」

「遊び半分じゃないっ!」

 流石のなのはもそのソラの物言いに声を大にして反論した。

「わたしは毎日ちゃんと練習を――」

「それが何だって言うの?」

「え……?」

「鍛錬を積み重ねるのは当たり前……
 君はさ、普通の魔導師がしてる努力って知ってる?」

 ソラの問いかけになのはは少し考えて首を横に振る。

「実は僕も知らない」

 ゴンッ! となのははカウンターに頭を打ち付ける。

「でも、クロノのことを考えてみると良い」

「……クロノ君のこと?」

 恨めしそうな目を向けてくるのを無視してソラは続ける。

「そうクロノだ……
 あの年齢で執務官を務めてるなんて管理局でもあまりいないよ」

 これは事実。実際、彼が執務官の資格を取ったのは今よりも過去なのだから最年少、もしくはそれに近い年齢で資格を取ったと推測できる。

「今はクロノの方が君より上だけど、君の年齢の時のクロノはどうだったと思う?」

「それは……」

「当然、今の君よりも弱かった……
 それでもクロノは努力を重ねた……
 寝る間も惜しんで勉強して、血反吐を吐いて食べ物が喉に通らないくらいになるまでの訓練を自分に課した……はず」

「クロノ君……」

 ソラの言葉に聞き入って、なのはは自分の知らないクロノの一面に言葉を失う。

「クロノが年齢の割に背が低いことに疑問を思ったことはない?」

「え……今の話とそれが関係あるの?」

「大ありだよ。寝る子は育つって言うでしょ?
 でもクロノは成長期に睡眠時間を削って、血反吐を吐いて食べることもままならなかった……
 つまり、クロノの今の強さは背丈を犠牲にして得たものなんだっ!!」

「そ……そんなっ!?」

「クロノの魔導師としての才能はあくまで普通のレベル……
 そんなクロノは君たちと肩を並べられる力を得るためにした努力、払った代償はとてつもなく大きい……何てった背丈だし……
 それで、君はそこまでの努力をしたって言うの?」

 ソラの問いかけになのはは俯いて答えない。

「今、この時だってクロノの様に自分を削って君の領域を目指している子供たちだっているかもしれない……
 寝る間も惜しんで、友達と遊ぶこともしないで、魔法の在り方に悩む暇もないほどに努力を重ねて……
 自分の背丈を削って努力している人たちに君は胸を張って努力しているって言えるの?」

「…………言えません」

 俯いたなのはの口から弱々しい返事が紡がれた。
 その反応はソラには期待外れだった。

 ――これがクロノだったら面白い反応をしてくれたんだろうけどね……

 突っ込みのない会話にため息を吐いて仕方なくソラは言う。

「まあ、ほとんどでまかせだけどね」

 ゴンッ!! 今度の音は先程のよりも大きかった。

「あなたは――」

「でも、あながち間違ってないと思うけど?」

「う……う~~」

「魔法をただ便利な力だとか、人を救える奇跡の力だとしか思ってないなら、君の努力はただの趣味の範囲から出ないよ」

 反論することのないなのはに向かってソラはこれ以上言うべきか悩む。
 悩むが、恭也たちの妹ということを考えてそのまま続けることにした。

「競技者、アスリートとしての魔導師になりたいならそれで構わないけど……
 その気持ちのまま、次にセラたちと戦うことになったら――今度こそ殺されるよ」

 区切った言葉になのはの肩がビクンッと跳ねる。

「僕は君のことが嫌いだけど、君は恭也たちの妹だから死なれると困るんだよ」

「それは……お兄ちゃん達が悲しむから?」

「そうだよ」

 ソラの即答になのははまた項垂れる。

「僕にとっての君の価値はその程度のものだよ……
 こうしていろいろ忠告しているのだってそれが理由なんだから……
 ああ、嫌いな理由だけど……ついでに君が撃ち込んだ砲撃の数でも数え……よ……う……」

 からかいを含めた言葉は唐突に耳に聞こえた音に意識を奪われて形にならずに消えていく。

「…………ソラさん?」

「ソラ……どうしたんだい?」

 いぶかしむなのはと士郎の声は聞こえていない。
 ソラの視線は振り返った先にあるテレビに釘付けになっていた。
 清澄な歌声。
 長い年月が経って綺麗に成長した姿は見違える程だが、その歌声は決して間違えない。

「フィアッセ……」

 呆然とソラは彼女の名前をもらした。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ノエル・K・エーアリヒカイトは最大の警戒心を持って目の前の少女と向き合っていた。

「ノエル……」

「車の中にいてください、すずかお嬢様……」

 視線を目の前の少女に向けながらノエルはすずかに言う。
 年の瀬はすずかと変わらない、服装はフリルの使われたゴシックロリータ調のものだが、豪奢ではなく動きやすさを重視したもの。
 そんな目立つ容姿を除けばどこにもいそうな少女を前にノエルは緊張していた。
 アリサのお見舞いのためにすずかを乗せた車を出したところで門の前にいた少女。
 車を止めて降りて、要件を聞こうとした瞬間、少女はこう言った。

「ふーん……エーディリヒ式・最後期型、ナンバー1224か……」

 それは忍お嬢様しか知らない事実を口にした少女に得体の知れないものを感じて身構える。

「貴女は……何者ですか?」

 その問いに少女はクスリと笑ってスカートを持ち上げて優雅に頭を下げる。

「初めまして、古き人形……私の名前はセラ・エーアリヒカイト、貴女達の創造主、南天の名を継ぐ者です」

「な……んですって……?」

「貴女の主、人食いの一族の長に面会を求めます。とりついで頂けるかしら?」

 微笑む少女にノエルは応えるのに長い時間を使った。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ――あ……フィアッセさん……

 ソラの視線を追って先にあるテレビになのはは姉の様な存在の姿を見つける。

 ――そういえば、夏休みの終わりの方にコンサートがあったけど……行けないかも……

 彼女の姿から連想して、夏休みの予定を思い出す。
 クリステラソングスクール主催のチャリティコンサートワールドツアー。
 夏休みになる前に、みんなとの話題となり、フェイトとはやてに譲れるチケットがあって、みんなで行こうと約束した日が遥か昔の様に感じる。
 しかし、今の自分たちはそれどころではない。
 フェイトにはリンカーデバイスが――
 はやてには闇の書の罪が――
 アリサには不随となった足が――
 その約束が果たされることはもうないだろう。
 彼女の歌はなのはも当然好きだ。それ故に残念に思えてしまう。

「フィアッセ……」

「え……?」

 不意にソラの口からもれた名前になのはは疑問符を浮かべる。
 その名前がただソラの口から出て来たのなら不思議ではない。
 テレビに流れるCMに彼女の名前は出ているから何の問題もない。
 問題なのは――

 ――どうしてそんな顔をしているの?

 今まで薄い笑みを張り付けていたように感じていたソラの顔には様々な感情が見えた。
 嬉しそうで、楽しそうで、それでいて悲しそうで今にも泣きそうな顔。そして眩しそうな顔をしていた。
 どうして彼が彼女にそんな顔を向けるのかなのはには理解できなかった。

「フィアッセは……ちゃんと歌手になったんだ」

「ああ……立派にティオレさんの後を継いでいるよ」

「そっか……」

 当たり前のようにソラと士郎が言葉を重ねるにつれ、なのはの疑問は大きくなる。
 聞きそびれていたソラと御神の剣の関係のことを思い出す。
 兄や姉の様子から知り合いだった事は分かっていても、まさか彼女にまで関係を持っているとは想像もしなかった。
 自分の知らないところで魔法と関わっていた家族になのはは言いようのない不満を感じる。

「恭也も美由希もちゃんと御神の剣士をしている……エリスも立派なボディガードになってるんだろうね」

「そうだね……今度のやるクリステラソングスクールのコンサートの警備を担当するはずだよ」

「そう……なんだ……」

 わずかな時間のCMが終わり、ソラはため息交じりに顔を戻す。

「結局……夢を叶えられなかったのは僕だけか……」

「夢……?」

 自分に向けた落胆。そして彼の口から似合わない言葉が出て来たことで、なのはは思わず聞き返していた。

「ソラさんの夢って……何ですか?」

 ソラは目を伏せて答えない。
 聞いてはいけないことを聞いてしまったと思い、質問を撤回しようと口を開いたところでソラが答えた。

「正義の味方」

「え……?」

「管理局の魔導師なんてあの時の恭也たちには言えなかったけど……
 困っている人を助けられる正義の味方になりたいって僕はみんなに話した……」

「正義の味方……」

 ソラの言葉を反芻してなのはは共感を得た。
 その夢はなのは自身が持っていたもの。
 だから気持ちは理解できるが、彼の口からそんな言葉が出てくるのは違和感を感じてしまう。
 今のソラは正義の味方とは正反対の諸悪の根源。

「あの時までは信じていたんだよ……
 いつかあの人たちが迎えに来てくれる。元の生活に戻れる、僕を狙うのは悪い魔導師なんだって……」

「あ……」

「でも……とっくにそんな道はなくなってたんだよね」

 苦笑するソラになのはは自己嫌悪に俯いた。
 歴代の主は欲望のままヴォルケンリッターを人形のように扱った酷い人間だと思っていた。
 しかし、実際は闇の書の出現により人生を歪められた被害者。
 悪いのは主か騎士たちか、なのはには判断できない。
 できないことなのに、あなたが全部悪いと一方的に糾弾した自分こそが酷い人間だと思えてしまう。
 そして、ソラを包囲した管理局の魔導師たちの殺気立った姿を思い出して背筋が寒くなる。

 ――わたしも……あんなだったのかな?

 それをソラに確かめることはできなかった。
 怖気づくなのはだが、ソラの苦笑でも笑っている姿に新たな疑問が湧いてくる。

「ソラさんは……どうして笑っていられるんですか?」

「どうしてって?」

「だって……あんなことがあって、昔だってあれくらいのひどいことがあって
 今だって身体は不自由なんでしょ!? それなのにどうして絶望しないの!?」

 自分はたった一つの絶望で心が折れそうになっている。
 繰り返される絶望に耐えて笑っていられる強さを知りたい。
 ひどいことを聞いていると分かっていてもなのはは叫ぶことを止められなかった。

「どうしてあなたの心は折れないの!?」

「…………絶望……ね」

 その言葉を繰り返して吟味するソラになのはは答えを待つ。

「勘違いしてるから訂正しておくけど、僕は絶望してるし、心だって折れてるよ」

「え……だって……」

「御神の剣を極めること、魔導を極めること、それに邁進する気力なんてあれから欠片もなくなった……
 今の僕には何かをしたいっていう原動力が完全になくなっている」

「それじゃあ……どうして……」

「…………あの言葉が……あの温もりが忘れられないからかな?」

「温もり? でもソラさんはさっき……」

「僕が覚えている唯一の温もり……それから、その時にアオが言ってくれた言葉があるから僕は進んでいける」

「でも……アオさんは……」

「あのアオは偽物だよ……
 調べてみて分かったけど、闇の書が作り出した構築体は当人の心の闇を起点に構築している……
 アオの……青天の魔導書の目的を考えれば、あんな本音を隠していたって不思議じゃない」

 ――違うっ!

 そう声を大にしてなのはは言いたかった。
 本物の青天の魔導書はソラの中にいる。
 彼女は彼が知らないのを良いことにその意識を誘導している。
 ソラを『人間』ではなく『兵器』だと言い切った彼女。
 ソラはアオの醜悪さを知らない。
 しかし、アオの存在を言うことは躊躇われた。
 どんな形でもソラは彼女の言葉と彼が感じた最後の温もりを支えにしている。

 ――ちょっと待って……

 その考えに至った瞬間、熱くなっていた頭は水を浴びた様に冷める。
 先程、軽く言っていたがソラは五感の機能に障害がある。
 目は色覚の欠如。鼻は危険察知のみ。触覚は温感を限定的に。そして味覚は全て。聴覚は無事。
 それはまるで――

 ――まるで戦うのに必要な機能以外を失くしたみたい……

 初めてなのはは人が心の底から怖いと感じた。
 ソラの軽薄な笑みが、その向こうでまるでアオが笑っているようで、彼の顔を直視できない。
 アオはソラの身体を作り変えた。
 人としての楽しみを奪い、本当の意味で戦い以外を必要としない兵器として。
 その考えに至ってしまってなのはは身体を震わせる。

 ――そこまでするの?

 天空の魔導書たちの目的の価値が分からない。
 一人の人間の存在をそこまで歪め、犠牲にしてまでどうして魔導を極めたいと思うのか、なのはにはまったく理解できない。

「どうして……どうして……」

「僕は僕を助けてくれたアオを信じる、それだけだよ」

 なのはのうわ言に、ソラは勘違いしてそう答える。
 むしろ、その答えがなのはの胸を締め付ける。

「ソラさんはあの人に騙されてるんですよ!」

 なのはの叫びにソラはムッと顔をしかめる。

「君に理解してもらおうなんて思ってないし、とやかく言われる筋合いもない」

「でも――」

「君は何様のつもり?」

 その言葉と冷めた鋭い視線になのはは言葉を詰まらせた。

「少し相談に乗って上げただけで訳知り顔で友達面? 図々しいにも程があるよ」

「違うっ! ……わたしは――」

「僕と君との関係は敵同士、それ以上でも以下でもない……
 恭也たちの妹だからって調子に乗ってるんならもう話すことはない」

 完全な拒絶。そして吐き捨てるような嫌悪。
 それらを滲ませて睨むソラになのははただ俯くことしかできなかった。

「……そういえば、クロノからの伝言があった」

「え……?」

 突然の話題の転換についていけずなのは間の抜けた返事をしてしまう。
 それに構わずソラは続けた。

「当分君はこっち側に来ない様にだってさ」

「そんな!? どうしてっ!?」

「今ミッドはセラたちのせいで荒れている。
 これから戦争が起きるかもしれないんだから部外者の君が関わることじゃない」

「部外者って……わたしだって管理局の一員なのに……」

「それでも君はこの世界の人間だ。顔も知らないミッドの人たちのために命を賭けて戦う理由はない……
 それとも君はそれを理由に人を殺せるのか?」

「っ……でも……それじゃあフェイトちゃんやはやてちゃんは?」

「彼女たちは完全に当事者だし、管理局に従事する義務を背負っている」

「それならわたしはみんなのために――」

「その理由で君が死んだり君が誰かを殺したら、その責任はフェイト達にある、それが分かってて言ってるんだね?」

「どうしてそうなるの!?」

「君はそんな理由でフェイトやはやてたちに戦ってほしいと、命を賭けてもらって嬉しいと思うのか?
 自分に当てはめて考えてみるといい」

「それは……」

 もし自分のせいでフェイトやはやてたちが人を傷付け、傷付いたりしたら……
 そんな光景を想像しただけでも嫌な気持ちが膨れ上がる。
 しかし、それでも彼女たちが戦っているのに一人だけ安全な場所にいるのは耐えられない。
 しかし、ソラの言い分も理解できてしまう。
 答えの出せない二律背反になのはは押し黙る。

「自分の戦う意味を見出せないなら戦うことは許可できない……
 以上、クロノからの伝言でした」

「へ……今の全部クロノ君の言葉なの?」

「うん……君の言葉を予想してこう返しておいてくれって……すごいね、見事に君の反論を一字一句言い当ててたよ」

 軽く笑うソラに対してなのはは言動を予測されたことに軽く落ち込む。

 ――わたし、そんなに単純なのかな?

「まあ、僕もクロノの意見に賛成だね」

「そうなんですか?」

 もう開き直った気持ちでなのはは聞き返す。

「君はアポスルズ……この場合はセラでいいや。
 彼女にどんな理由で戦うつもり?」

 言われて考えてみる。
 自分よりも才能に溢れた魔導師。
 かつてのフェイトと同じように寂しそうな目をしているが、彼女とは違いその寂しさを痛々しい憎悪に変えている少女。

「わたしは…………セラちゃんを……」

 戦いの場にいない彼女はとても悪い子には見えなかった。
 いたずら好きの子猫を思わせる小悪魔的な笑顔。
 ソラやマテリアルズ、お父さんとお母さんには年相応の態度で接する姿。
 自分にだけ向けた冷めた目を向け、そして彼女がもらした慟哭。
 セラが戦う理由はとても重く、苦しいものなんだということだけは理解できる。
 だからこそ、憎悪で戦っているセラが痛々しく見え、そんな彼女を容認している仮面の道化師たちが許せないと感じる。

「わたしはセラちゃんを助けたい……」

 言葉にすればしっくりとくる理由。
 フェイトやヴィータと同じように苦しみながら戦っている彼女を救いたい。

「わたしはセラちゃんと友達になりたい」

 そのなのはの答えをソラは――

「話にならないね」

 ―― 一蹴した。

「どうしてですか?」

「君はセラが無理矢理戦わされているとでも思ってるの?
 セラは自分の意志で戦うことを決めて戦場に立っている。
 自分の意志で復讐をすることを決めている。そんな彼女の救いをどうして君が決められる?」

「復讐なんて間違ってると思います。
 そんなことをしても何も戻って来ない、セラちゃんが傷付くだけじゃないですか?」

「違うね。復讐を遂げることでセラはそこから新しい道を見つけることができる。
 呪わずにはいられない感情を全て吐き出さない限り、他の道を進んだところでその気持ちは一生晴れたりしない。
 復讐は過去を断ち切るための儀式なんだ」

「そのためにセラちゃんに人殺しをさせてもいいって言うんですか?」

「セラも僕と同じ人殺しだよ。今さら問題にすることじゃない」

「でも――!」

「それで、君はそんなセラと戦うことができるの?」

 ソラの言葉に食い下がろうとするなのはは被せられた言葉に言いかけた言葉を飲み込む。

「セラは君の言葉では止まらない。仮に君に撃ち落とされたとしても、魔力が空になっても戦い続ける……
 そんなセラに君は何ができる?」

「わたしが……できること……」

「殺さなければ止まらない相手に、君は殺すための引き金が引けるの?」

 なのはの脳裏に廃ビルでの戦いが思い出される。
 殺さなければ守れない状況で引いた引き金の感触はまだ手に残っている。
 あの時と同じように殺すために引き金が引けるのかと聞かれれば言葉が詰まる。

「…………わたしが……セラちゃんと分かり合えることはないんですか?」

「ないね」

「……どうして?」

「だって君は魔法が良いものだと思ってる。でも、セラは魔法そのものを憎悪している……
 君たちの立ち位置は完全に正反対なんだよ」

「……ソラさんもそっち側なんですか?」

「どちらかといえばね……でも僕は魔法があっての幸福も知っているから中立かな」

 殺すための引き金。
 その言葉が重くのしかかる。
 ソラの言葉を信じるならセラと分かり合うことは決してできない。
 なのはには魔法を憎悪する気持ちがまったく理解できないのだから。

「それから……何も殺傷設定だけが人を殺す手段じゃないよ」

「え……?」

「相手の心を挫いて、意思を踏みつけて、自分の通りを押しつける。
 これだって立派に相手の意志を殺すことだよ」

「意志を殺す……?」

「そ、例えば仮に、万が一、いや億が一、セラに勝ったとする」

「えっと……そんなに強調されると辛いんだけど」

「でも事実でしょ? それでセラを負かすって言うことはそれまでのセラの全てを否定することなんだよ」

「どういう意味ですか?」

「復讐に費やした時間、努力、労力、そして想い。それらを君は君の価値観で間違っていると言って否定する。
 もしかしたらセラだって復讐の先に希望を持っているかもしれない。
 君がセラを殺さずに制したとしても、それはセラから希望を取り上げることでしかない」

「わたしは! ……そんなつもりじゃなくて……わたしは誰にも悲しんでほしくないだけなのに……」

「そんな都合のいい答えなんてあるわけない」

 打ちひしがれるなのはにソラは容赦のない言葉を浴びせる。

「これは何もセラに限ったことじゃない。
 管理局の戦い方はみんなそういうものだ……
 それで君にはできるの? 犯罪と分かっていてもそこに希望を見出して突き進む人たちから希望を取り上げることが」

「わ……わたしは……」

「君はこの先管理局で働くっていうならそういう覚悟も必要だよ……
 君の目には愚かな行動って映っても、向こうにとっては大真面目でやってるんだから」

「でも、話し合えばきっともっと良いやり方があるはず」

「そんな甘い考えなら破綻するって言ってるんだよ」

 いい加減、うんざりだと言わんばかりにソラは苛立ちを見せる。

「もっと現実を見ろ。君は犯罪者の手を取って自分も一緒に転がり落ちようとしているだけだ」

「でもっ……でも……」

 反論の言葉は結局続かない。
 何一つ言い返せていない自分になのはは愕然とする。
 遊び半分と言われた努力。
 命を賭けて戦う理由。
 人を殺すのために引き金を引く覚悟。
 どれも中途半端で胸を張れるものではない。

「これだけ言っても分からないなら勝手にすればいい……勝手に戦って殺されればいい」

「ソラさん……」

「自分の命の価値も分かってない人間にこれ以上話すことはない」

 言葉の通り会話を切り上げてソラは席を立つ。

 ――待って……

 言葉を紡ごうとしてもそれは喉から先に出てこない。

 ――何て言えばいいの?

 全ての人に否定される絶望の中で生きている彼に対して自分の不幸はあまりに軽い。
 話せば分かり合えると言っておきながら、実際にソラと言葉を交わしてみても自分の言葉は何一つソラに届かない。
 言われた言葉に何一つ言い返せない、その事実に今まで自分が信じて来たものが揺らぎ崩れていく。
 思わず伸ばした手はとても小さくて……
 魔法と出会い、そんな小さな手でも、涙を、悲しみを、運命を、撃ち抜く力を手に入れた……そう思っていたのに……
 伸ばした手はあの頃と変わらずに無力なままだった。

「ひっく……」

 視界が滲み、嗚咽がもれる。
 その瞬間――パンッ! 快音が鳴り響いた。

「え……」

 音はソラの頬を叩いた平手から。
 そしてその平手の持ち主はいつの間にか厨房から出て来ていた母、桃子だった。

「いきなり何をするの、桃子さん?」

「さっきから聞いていれば、あなたという人はっ」

 明確な怒りを顔に表して桃子はソラを睨む。

「お母さん?」

 そんな顔をする母を初めて見るなのはは戸惑う。

「いい加減にして、なのはをいじめて何が楽しいの!?」

 ドスの聞いた声は向けられていないなのはをも竦み上がらせるもの。
 しかし、ソラはそれを真正面から受けてもひるむことなく言い返す。

「別にいじめてないよ……僕が言っていることは全部事実だ」

「何が事実よ!? あなたの言っていることは――」

「ちょっと桃子、落ち着いて」

「あなたは黙ってて!」

「っ……は、はい」

 ――お父さんっ!?

 あっさりと退いてしまった士郎になのはは内心で悲鳴を上げる。
 険悪な空気が高まりつつある店内。それを察してか来客の気配がないのが幸いだが、同時に不安が増す。
 流石にソラが一般人にまで手を出すとは思えないが、絶対とは言えない。
 いざとなれば自分が、となのははレイジングハートを握り締める。

「現実を見ないで夢想だけで戦ってたら死ぬって言ってるんだよ……桃子はそれでいいの!?」

「いいわけないわ……だからって言って良いことと悪いことがあるでしょ!? なのははまだ子供なのよ」

「幼いことは言い訳になるか……現実は理不尽で不条理で……問答無用なんだ……
 戦うってことは何をしても相手を殺すことなんだって、どうして分からない?」

「それでも、あなたの言っていることは極端過ぎるわ!」

 ソラが突き付ける現実に桃子は真っ向から言い返す。

「あなたの言い方じゃあ、まるで警察官も裁判官も全部『人殺し』に聞こえるわ」

「実際そんなものでしょ? どんな御託を並べたって本質は同じ、法なんて異端や少数を切り捨てるための方便でしかない」

「だからなのはも『人殺し』を受け入れろって言うの?」

「綺麗事を並べて目を逸らすなって言ってるんだよ」

 二人の言い合いをなのはは一言ももらさないようにする。
 どちらも、ソラは間接的だが、自分の身を案じて言ってくれている。

「人を殺す覚悟もないのにいったい誰を救える? 誰を守れるって言うの?
 そうやって敵に情けをかけて死ぬのはその子なんだよ、桃子はそれでいいの?」

「もちろん良くないわ…………でもね、ソラ君……そんな覚悟って本当に必要なの?」

 高ぶっていた感情を穏やかにして桃子は尋ねる。

「正直に言うとわたしには戦うっていうことは良く分からないわ……
 でもね、ソラ君も士郎さんたちと同じ御神の剣士なんでしょ?」

「っ……違う……僕は……」

「人を殺すためじゃなくて、人を守るために努力してきたんでしょ?
 なのはは剣は習ってないけど、『人殺し』なんてするために魔法を練習したりしてないわ」

「それは……理想でしかないよ」

「でも、その理想を捨てたらなのははもっと苦しい思いをすると思うの」

 母の言葉になのはは自分が人を殺すことを想像してみて、すぐにそれを振り払う。
 未遂であってとても怖く、身体の震えを止められなかった。
 もし、それがなくなり人を撃つことが平気になったりしたら、それは自分ではなくなるような気がした。

「ソラ君の言っていることはきっと間違ってないと思う……
 でも、なのははまだ幼くていろんなことをこれから知って学んでいくの……
 だから、先に答えを突き付けるのはやめて」

「……どうして?」

「同じ答えでもそれにどう向き合うか決めるのはなのは自身だから……
 もちろんわたしはなのはが『人殺し』に妥協したりしないって信じてる……
 母親のわたしが一番に信じないで誰が信じるって言うの?」

「…………そうやって選択を先延ばしにして最悪、死ぬのはその子なんだよ? それでいいの?」

「もちろん良くないわ……あんな思い……二度としたくない」

 顔をしかめる桃子になのははかつての夜、父が入院していた時に見た姿を思い出す。
 自分が傷付き、心配をかけることで母をあんな風にすると思うと魔法を捨てたくないという思いが揺らぐ。

「でも、なのはがやりたいって言ったことをわたしはさせてあげたい……
 だからわたしにはなのはから無理矢理魔法を取り上げることはできない」

「……理解できないよ……
 どんな理屈を並べたって結局目を逸らしてるだけじゃないか」

「…………なら、ソラ君はどうなの?」

「どうって?」

「なのはには『人殺し』を受け入れろって言ってたけど、ソラ君は実際どう思っているの?」

「どう思ってるも何も、僕はもう『人殺し』なんだよ。それを今さら――」

「でも、これからも殺さないといけない理由にはならないでしょ?」

 桃子の問いかけにソラは押し黙る。
 思い出してみれば、ソラはなのはが知る限り誰も殺していない。
 むしろ助けている方が多い。
 初めての出会いの時も、それから『陸』に協力していた時も、フェイトの時だってソラは彼女を助けようとしていた。
 ヴォルケンリッターに対しては違うが、闇の書の主だと判明してからもソラは殺傷設定で剣を振るったりはしなかった。

 ――わたしは本当に何を見ていたんだろう?

 気まずそうに桃子から目を逸らすソラに、なのはは一層自分を恥じた。

「僕は……」

 言葉を探すソラ。
 険の取れた弱々しい姿が彼の本当だとしたら、彼を『人殺し』にしていたのは管理局。 
 果てして強要していたのはどちらだったのだろうか。

「僕は……っ!」

 唐突に顔を上げたソラが素早く身を翻す。

「え……?」

 なのはが疑問符を上げている間に、桃子もソラと同じように動き出す。
 突然の変化になのはとそれから士郎はついていけなかった。
 そして――ベルの音が店内に鳴り響いた。

「「いらっしゃいませ」」

 二人が声をそろえて来客を迎える声に士郎は膝から力が抜け、カウンターの向こうで倒れる。
 なのはも咄嗟に立ち上がろうとしてカウンターに着いた手から力が抜け、今度は床に額を打ち付けることになる。

 ――プロだ……

 先程までのやり取りが嘘だったかのように、完璧な営業スマイルで笑顔を振り撒く二人の姿になのはは戦慄する。

「えっと……何これ?」

 そんな光景を間の当たりにしたセラはただ困惑に首を傾げるばかりだった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





「何でそんなこと言うんだよ!? 嘘だって言ってくれよ、はやてっ!」

 今にも泣きそうな顔ではやてに縋りつくヴィータをシャマルは冷めた気持ちで見据える。
 はやてはそんなヴィータに対して厳しい表情のまま繰り返す。

「嘘やない……ヴォルケンリッターは今この時をもって解散する」

 その言葉に今度こそ打ちひしかれてヴィータは立ち尽くす。
 シグナムも顔を蒼白にして言葉を失っている。

「これからのことは自分で考えて、自分で決めて行動すること……」

 そんな二人に対してシャマルの内心は穏やかだった。
 むしろ――

 ――来る時が来たんだなぁ……

 それが当然だと受け止めていた。

「これが夜天の主として最後の命令や」

 その言葉はヴィータとシグナムの二人を完全に凍りつかせた。
 はやてはそんな二人に一瞬辛そうな顔をするが、すぐにそれを引き締める。
 そして振り切る様に背後のアサヒに声をかけて、彼女に車椅子を押される形で部屋から出て行ってしまった。
 後に残されたのはヴォルケンリッターの四人だけ。

「ザフィーラ……貴方ははやてちゃんのところに戻って」

「いいのか?」

「ええ……二人のことは私に任せて」

 未だに傷が癒えないザフィーラがはやての中から出て来ているのはこれが重要な儀式だから。
 この儀式の意味を冷静に受け止められているのは自分とザフィーラだけ。
 シグナムとヴィータはおそらくはやての言葉の真意を掴めずにいる。
 拠り所を失い、今にもその場に座りこんでしまいそうな弱々しい二人の姿にシャマルは――

 ――気持ち悪い……

 思わず吐き気を感じて目を逸らしたくなった。
 これと同じ姿をソラで見ているのに、彼女たちのそれは彼のものとは違う。
 シャマルは大きく深呼吸をして覚悟を固める。

「何を落ち込んでいるの?」

 意識して作った昔の話し方は思っていた以上に冷めた声をしていた。

「こうなることは覚悟の内だったはずでしょ?」

「シャマル……お前……何を言っている?」

「シグナム、貴女こそどうしてそんなに動揺しているの?」

 情けない顔を上げるシグナムにシャマルは演技ではなく本当に冷めた視線を送る。

「私たちがはやてちゃんにした仕打ちを考えれば愛想を尽かれてもおかしくないと思わないの?
 いえ、それ以前にはやてちゃんに恨まれる覚悟をして私たちは蒐集をしたはずでしょ?」

 騎士の名誉、誇りを捨て、どんな汚名も被る覚悟は今代の蒐集を始める時にしていたはず。
 なのに、それが今では見る影もない。

「……そうだな……覚悟をしていた……はずなんだが……」

 息を吐き、シグナムは天井を仰ぐ。
 シグナムの気持ちが分からないわけではない。
 シャマル自身、覚悟はあっても実際に言葉にされて胸が軋みを上げている。

 ――でも、シグナムは大丈夫みたいね……

 シグナムはすでにリインフォースと暴力言語での会話をしている。
 罪の在り方はすでに突き付けられている。そして今日まで考える時間はあった。
 なら彼女ははやての言葉を受け止めることはできるだろう。

 ――そうなると問題はヴィータちゃんか……

 未だに俯き、微動だにしない彼女に不安が大きくなる。
 ヴォルケンリッターの中で一番はやてを慕っているのはヴィータだ。
 しかし、それは一番依存していると言い換えることもできる。

「何で……何でなんだよ……はやてなら分かってくれると思ったのに……」

 未練たらしい物言い。
 優しい主に溺れている様は少し前の自分と同じ。

 ――はやてちゃんは優しい……それに私たちはずっと甘えていた……

「いい加減にしなさいヴィータちゃん……はやてちゃんはもう私たちの王じゃないんだから」

 その言葉にヴィータが凄まじい形相で顔を上げてシャマルを睨む。

「ふざけんなっ! あたしらの主ははやてだけだ!」

「いいえ……初めからはやてちゃんは私たちの思う王様じゃなかったわ」

「だって……はやては許してくれて……それなのにどうして?」

「私たちは許されるべきじゃなかったのよ」

 蒐集と彼女の両親を殺していた二つの罪をはやては責めることなく許してくれた。
 思えばそれが間違いだったのだろう。
 裁かれることがなかった自分たちはいつのまかにはやてなら全てを受け入れてくれると思い、さらに依存を深めてしまった。
 そして、その果てにある答えはきっと――

「何でだよ!? あたしらは間違ってなんかない! あたしらが蒐集したからはやては助かったんだ! そうだろっ!?」

「ヴィータちゃんっ!」

「そうだ……あいつのことだって青い悪魔を倒してやったんだ!
 それなのにあいつがいつまでもアオがアオがなんて言っているからあんなことになったんだ! はやての親を殺したのはあたしらの――」

「……いい加減にしなさいっ!!」

 シャマルのこれまで発した事のない怒声が響き渡る。

「う……あ……」

 激情に任せていたヴィータはそんなシャマルに完全に畏縮させられる。
 はやてが責めなかった果てにある答え、それは自身の行動の正当化に他ならない。
 蒐集が、はやての両親を殺したことが、正しかった。自分のせいではなかった。
 自覚がなくてもそう心の奥底で思ってしまい、罪の重さを軽くする。
 今のヴィータがまさにそれだった。

「それはただの誤魔化しよ……どんなに言い訳をしても蒐集は悪いこと、そしてはやてちゃんの本当の家族を壊したのは私たちよ」

「違う……違う……あたしは誇り高いベルカの騎士なんだ……そんなことするはずない」

 いやいやと、子供がだだをこねる幼子のようにヴィータは頭を振る。

「ヴィータちゃん……私たちには誇りなんてものはないのよ……
 それは私たちが自分たちの罪から目を逸らすために作った幻想よ」

「う……ああああああああっ!」

 シャマルの言葉に耐え切れず、ヴィータはドアを壊して部屋から飛び出して行った。
 遠くなっていくヴィータの悲鳴にシャマルはためた息を吐き出して肩を落とした。

「すまない……本来なら私がやるべきことだった」

「いいのよシグナム……こういうことは貴女には向かないでしょ?」

 人のトラウマを暴き、そのかさぶたを剥ぎ、傷口を広げる行為は質実剛健のシグナムには向かないよりも、できない。

「それに貴女にも言えることなのよ」

 その言葉にシグナムは俯く。
 当然、それはシグナムだけではなくシャマル自身、ザフィーラにも当てはまる。

「騎士という称号は優秀なベルカの魔導師に与えられるもの……そこに誇りがあるかどうかは別のもの……
 今までの私たちはお世辞にも義や忠に溢れた騎士とは言えないわ」

 王を見下し、弱者を闇の書の餌と蔑み、過去に目を背け、優しい主や周囲の人たちに守ってもらう情けない存在。

「このままはやてちゃんたちに守ってもらってばかりだと、私たちは今まで以上に堕落するわ」

 シャマルの独白にシグナムは言葉を返さない。
 しかし、真っ直ぐ彼女を見据え、その言葉を受け止める。

「きっとはやてちゃんはそれに気が付いたからヴォルケンリッターを解散させたのよ」

 自分の考えを捨て、はやての言葉を優先する。
 自分の言葉を全て肯定してくれる存在を彼女が望んでいるのかと聞かれればシャマルはノーと言える。
 はやてが望むのは従者ではない。共に並んで歩ける家族だ。
 主従の絆はなくなっても、家族の絆がなくなったわけではない。
 そこにショックを受けているということは、やはり自分たちが前者の方を重視していたからなのだろう。

「我らは一人の人間として罪と向き合わなければならないか……」

 シグナムの呟きにシャマルは頷く。

「管理局への奉仕活動は当たり前……問題はそれ以上に私たちがどうするかよ」

「お前はこれからどうするつもりだ?」

「私はユーノ君の代わりに無限書庫に詰めるわ」

「スクライアの代わり? 彼に何かあったのか?」

「ちょっとね……まあ、そこで天空の書のことと……昔の主のことを調べようと思ってる」

「それは……」

「その時の戦争の背景、周りの人たちの目、そして歴史が決めた正悪の判断……
 ただ欲望に溺れる主としてしか彼らを見なかった私はそれを知らなければいけないと思うの」

 自分たちの評価は所詮一面的なもの。
 それをアサヒやソラと出会うことで痛感した。
 過去の醜い自分の姿を見るのがいやで目を逸らし続けていた、歴史書を紐解くことがシャマルの新しい一歩の始まりになる。

「そうか……お前はその道を選ぶのか……」

「そういうシグナムはどうするの?」

「私はお前の様にはできない……調べ物も向かないしな……
 私にできることはやはり剣を振ることだけだ……だから剣を振ることの意味を探してみようと思う」

 騎士として王に捧げるのではなく、将として仲間を守るでもない。
 絆を失い一番戸惑っているのがヴィータだとすると、義務を失い戸惑っているのはシグナムだろう。
 それでも戦場の中で答えを探そうとする道はいかにも彼女らしい。
 思わずシャマルの口元に笑みがこぼれる。

「何がおかしい?」

「貴女らしいと思っただけよ」

「そうか……問題はヴィータとザフィーラだが……ヴィータの方が深刻か」

「それに関してはユーノ君に頼もうと思ってるわ」

 ヴィータもまた考えるのではなく、身体を動かして答えを探す方に向いている。
 守る対象がただ代わるだけかもしれないが、家の中に閉じこもったり、周囲に八つ当たりするよりはずっとマシだ。
 根回しの方法を考えながらシャマルは楽しげな笑みを浮かべる。
 それにシグナムは引きながら尋ねる。

「ならばザフィーラはどうするんだ?」

「あら、彼が一番大変よ」

「それはどういう意味だ?」

「実はねソラ君の監視にはやてちゃんが選ばれたの」

「何だとっ!? それは本当か!?」

「ええ……アサヒさんがフォローしてくれることになったけど、はやてちゃん自身の意志でもあるわ」

「…………そうか」

 怪我のため、はやての中から長時間出ることができないザフィーラは当然、そのまま同行する。
 自分たちの罪の象徴ともいえるソラとはやて越しにとはいえ行動を共にできる忍耐力があるのはヴォルケンリッターの中でも彼だけだろう。
 ソラとの向き合い方も模索しなければならない重要なこと。
 彼に対して何をすればいいのか。いや、それは彼にだけとは留まらない。
 過去、そして今代に自分たちが蒐集した被害者遺族にできることは何なのか。
 土下座して頭を下げ、懺悔を繰り返せば許されるとは思えない。
 償うために何でもすると言ったところで、戦うことしか知らない自分たちにできることはあまりにも少ない。

「罪は償えない……か……」

 ふとシャマルは思い出した言葉を呟く。

「それは?」

「はやてちゃんが読んでいた小説の言葉よ……
 罪は償えない。過去は消えない、失った人は決して帰って来ないんだから」

「ならば……我らはどうするれば罪を償えるんだ?」

「馬鹿ねシグナム、それを私たちは探すんでしょ?」

「う……」

「それも一生ものの命題だから忘れないようにね」

「…………肝に銘じておく」

「ええ、そうして私たちはもう死ねないんだから」

「…………ああ。分かっている」

 はやてのため、罪を償うため、死ねない理由が、生きる理由が増えた。
 それに伴っていろいろなことに悩み、苦しみ、考えて生きていく。
 考えることをやめ、苦しみから目を逸らし、悩むことをやめたかつての自分と決別することを改めて誓う。

「そう……大変なのはこれからなのよね」

 繰り返す蒐集の日々は終わった。
 そして始まったのは先の見えない日常。
 何をすればいいのか、何をしていいのか、何処へ向かえばいいのか、教えてくれる人はいない。

 ――でも、きっとそれがヒトとして当たり前なのよね……

 生き方を決めるレールがないことに不安を感じるが、それも新鮮なものと思ってシャマルは顔を上げる。

「よし……それじゃあ、頑張りましょうか」

 意気込んだ掛け声でシャマルは立ち上がった。 






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ――フェイトが変だ……

 近頃の彼女の姿を見てアリシアはそう思う。
 目の前には直ったばかりのバルディッシュを振り回す、五体満足な彼女の姿。
 ソラに斬り落とされた左腕は義手に変わっている。
 しかし、その手術のリハビリは驚異的な回復力のおかげで必要なく、今フェイトは腕の調子を確かめるように訓練に明け暮れている。

「かあさん……フェイトは大丈夫なんだよね……」

 隣りにいるプレシアにアリシアは不安げに尋ねる。
 驚異的な回復力はリンカーデバイスのベガのおかげ、しかしフェイトにはまだ魔法を使うことに対してのトラウマもある。
 だが、彼女はそれを薬と暗示の魔法で強引に消した。
 一心不乱にバルディッシュを振り回して飛び回る姿に鬼気迫るものを感じずにはいられない。

「医者が言うには身体の方にはもう何の問題もないそうよ」

 と答えるプレシアの顔はしかめられたまま。
 彼女もまたフェイトの行動を心配している一人だった。

「そういう問題じゃないだろ!」

 プレシアの言葉にアルフが叫ぶ。

「分かっているわよ、そんなこと……でも、あの子は止まらないのよ」

 すでに三人が三人、フェイトに休むように言っている。
 三時間、それだけの時間を訓練に費やしているのにフェイトには疲れはおろか、魔力が尽きる気配もない。
 かつて、母のために自分の身を顧みずにジュエルシードを集めた時と同じ。
 アポスルズに対抗できる戦力はフェイトだけ。
 その事実がフェイトを突き動かす。
 アリシアも同じ思いで訓練をプレシアにつけてもらっていたが、魔力の消費はともかく数時間の集中は途切れて休憩をしている。

「ねえ、アルフ……エイミィさんはまだ?」

「ああ、まだ何にも来ないよ」

 アリシアの不安を大きくしているのは訓練の前にフェイトが言っていた言葉。

『第43管理世界に飛天の魔導書の主がいる』

『アリサのことはユーノとなのはに任せておけば大丈夫……ちゃんとアリサの足は治るから安心して』

『だから、わたしは今わたしができることをする』

 どうして、フェイトが飛天の魔導書のことを知っているのか?
 どうして、フェイトはアリサの足が治ると断言するのか?
 アリシアには今のフェイトが分からない。
 フェイトがもたらした情報の裏付けを取るためにエイミィが調べているが、きっとフェイトの情報は正しい。
 彼女が自信を持って告げたのだからそれは嘘ではないだろう。
 しかし、その知識が何から得たものかと考えると不安は募るばかりだった。

「ソラがいてくれたら……」

 そうアリシアは思わずにはいられない。
 頼れる兄の様な存在。
 一時は憎みさえしたが、今ではその憎さは全て信頼に変わっている。
 むしろ今は彼に対する罪悪感が大きかった。
 そして青天の魔導書に言われた言葉が胸を苛む。
 与えられるだけで、アリシアはソラに何一つ返していない。

「ダメ……ソラにはもう頼れない……」

 首を振って弱い考えを否定する。
 返せないどころではない。
 管理局との戦いに助けることもしなかった。
 青天の書との戦いでも守られた。

「わたしは弱い……」

 誰よりも大きな魔力があり、最高のデバイスがその手にはあった。
 フェイトに勝ち、無限に湧いてきた闇の書の欠片たちを退けることができてもソラがいる領域までは程遠い。

 ――もう守られるだけはいや……わたしがソラのことを守るんだ……ソラの隣りに立って……

「むう……」

 思考に合わせてそれを思い出しアリシアは頬を膨らませる。
 自分、というよりフェイトに良く似た水色の存在。
 その場に同じ顔が三人になったことも驚きだったが、ソラの隣りに当たり前のようにいるテスラの存在がアリシアには面白くなかった。

「休憩お終い……かあさん続き教えて」

「アリシア、あまり無理は――」

「無理なんかしてないよ。むしろソラの訓練の方がずっと厳しかったよ」

「…………どうやらあの子とはおはなししないといけないみたいね」

「かあさん……ソラに何かしたら怒るよ」

「う……」

 アリシアに睨まれてプレシアは弱々しく唸る。
 そんなプレシアにため息を吐きながらアリシアはフェイトのことを見上げる。

 ――強くなるから……ソラのことも、フェイトのことも守れる様に強くなる……わたしはお姉ちゃんなんだから……

 決意を胸にアリシアは来るべき戦いに向けて訓練を再開した。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 第43管理世界クラスティア。
 そこはつい最近まで一つのロストロギアを巡って人々が争いを繰り返していた世界。
 ロストロギアの名前は『アーク』。その機能は魔力からあらゆるものを作り出すこと。
 捧げる魔力さえあれば、生産されるものに上限はない。第一級のロストロギア。それが『アーク』
 これを求め、各世界から様々な人間がその世界を訪れて争った。
 人々の醜い争いに世界は荒れ果て、そこにあった文明は破壊され尽くした。
 それでも人々は争いをやめなかった。 
 しかし、ある日、一人の騎士がその世界に現れた。
 騎士はその世界の現地住民に力を与え、暴虐を尽くしていたならず者たちを退けた。
 そしてその騎士はその世界の王となり、『アーク』を手に入れた。

 しかし、争いはまだ終わっていなかった。
 第一級ロストロギアの存在を個人の手にあることを管理局は許さなかった。
 管理局は『アーク』の引き渡しを求め、王はそれを拒んだ。
 管理局は武力行使によって『アーク』を確保しようとした。
 しかし、当初は数で勝る管理局の圧勝に思われたが結果は違った。
 王を含めたたった五人に管理局の百人におよぶ武装隊は大敗した。
 以後、管理局は第43管理世界を危険と判断し、何度となく部隊を送り込むものの全て敗退。
 現在は目立った戦闘はなく、睨み合いの小康状態に陥っていた。

 ――うん、間違ってない……

 エイミィが説明する第43管理世界の歴史と自分の知識を照らし合わせてフェイトは内心で頷く。

「たった五人で武装隊百人を返り討ちか……にわかに信じられないな」

 同じく聞いていたクロノがそんな感想をもらす。それにフェイトはすかさず説明を加えた。

「王様が持つ飛天の魔導書の技術ならできるよ」

「飛天の魔導書……それはどんな技術を持っているんだ?」

「飛天の書の技術の基盤は召喚魔法……
 ただ普通の召喚魔法と違って呼び出すのは魔力そのもの」

 会議室にいるみんなの視線を集めながらフェイトは続ける。

「わたしたちには観測できない魔力のみで構成される励起世界と自分を繋いで無尽蔵の魔力供給を受けるシステム……
 供給された魔力は体力にも変換されるから、飛天の書の魔導師はみんな、疲れることも、枯渇することもなく永久に魔法を使うことができるの」

「五人が戦い続けられたのはそれが理由か……」

 クロノの解釈に頷きつつも、フェイトはさらに記憶を振り返る。

「でも、飛天の書の力はそれだけじゃない」

 それを言っても信じてもらえるかな、と一抹の不安を感じながらフェイトは告げる。

「異世界から取り込んだ膨大な魔力を使って生成する『天の衣』。
 最大全長十メートルにおよぶバリアジャケットの生成が飛天の魔導書の最大戦力」

「は……? バリアジャケット? それも十メートルの?」

 案の定クロノは間抜けな声をもらす。
 単純計算すれば人の五倍から六倍の体躯。
 それだけなら魔導人形に闇の書の防衛システムと経験があるが、相手はちゃんとした意志を持つ人間。
 拡大された体躯から繰り出されるのは同規模に拡大された魔法。
 単純な射撃魔法すら人と比べれば砲撃になる。
 それでいて魔法の行使速度は常人の時と変わらないのだからデタラメにも程がある。

「そんな巨人が使われたって報告はないみたいだけど……」

「でも……本当だよ」

 端末を操作するエイミィにフェイトは訴える。

「誰も君の言葉を疑ってない……
 しかし、天空の魔導書……つくづくデタラメなものだな」

「…………そうだね」

 今まで出会った魔導書たちの力はどれも人智を超えている。
 自分の中にあるリンカーデバイスのベガにもまだ確認していないがその飛天に対抗できる力はある。

「四人の騎士たちの力もすごいけど、王様は別格だった」

「具体的には?」

「アルカンシェルを相殺できるくらい」

 絶句する空気が会議室を満たす。
 アルカンシェルは管理局が誇る最大の殲滅兵器。
 それに個人で対抗できる存在などいるはずがない。
 そもそもアルカンシェルでなくても次元航行艦の砲を防げる魔導師など滅多にいない。
 驚き、恐怖を感じる中でクロノは冷静な目でフェイトに聞き返した。

「フェイト、どうして君はそれを知っているんだ?」

「え……どうしてって?」

「飛天の魔導書についてのことはいい。そこまではベガによってもたらされた知識だと解釈できる……
 でも、第43管理世界にアルカンシェルが撃ち込まれた記録はないんだ」

「そんなはずは――」

 確かに自分の中にあの王が空に向けて剣を振るった場面がある。

「クロノ君……それってアルカンシェルを撃ったことを隠蔽されてるってことはないのかな?」

「相手はアルカンシェルを相殺できる化物だ。恥や醜聞を気にするよりもその危険性を重視するはずだ」

 クロノの言うとおり、もしアルカンシェルと拮抗した事実があるなら飛天の魔導書の存在はとっくに知られていたはず。
 しかし、現実はただ最高ランクの魔導師が五人いるだけの認識しかされてなかった。

 ――もしかして……未来の出来事?

 今になってようやく自分が話したことがベガによるものではなく、アリサの時と同じものだと気が付く。

 ――あ……ダメ……思い出しちゃ……

 連鎖的に今朝見た夢を思い出してしまう。

 ――荒れ果てた世界の中で懸命に生きる人々――

 ――玉座に座るはやてとは違った印象の王――

 ――騎士と戦うと自分の姿――

 ――炎に焼かれる街並み――

 ――青装束の執行者――

 ――崩壊していく世界――

 ――砕け得ぬ闇――

 ――黄金の魔法――

 様々な場面がバラバラにフェイトの頭の中を駆け巡る。
 整合性の取れない情報はどれも断片的でまとまらない。
 しかし、最後に見た光景はフェイトの頭から決して離れない。

 ――胸を大きく斜めに切り裂かれた自分の姿――

 血の代わりに魔力光の燐光が傷口から漏れ出し、その姿を薄くしていく。
 それはリンカーデバイスを持つ者の死に方。
 死体も残さない終わり方に自分がもう人とは違うものに変わっていた事実を改めて突き付けられて眩暈が起きる。

「フェイト? 大丈夫? 顔が真っ青だよ!?」

 ふらりと傾いた身体をアリシアが支えてくれる。

「あ……うん……大丈夫だよアリシア」

「全然大丈夫そうに見えないよ。やっぱり訓練のし過ぎだよ」

「そんなことないよ。身体はまだ疲れてないし、魔力だって十分有り余ってるから」

 何より、身体を動かしてないと不安に押し潰されてしまいそうになる。
 アリサのように未来は変えられると分かっていてもそれは変わらない。

 ――どこまで強くなればいい?

 ――どうすれば生き残れる?

 答えなど分かるはずがない。
 分かっていることはトラウマで戦えないなんて言ってられる場合ではないという事実だけ。

「ねえ、クロノ……会議はもう終わり? だったら訓練に戻ってもいいかな?」

「フェイトッ!?」

 悲鳴のように叫ぶアリシアに申し訳ないと思うが、相談はできない。
 きっと未来の話を否定せずにみんな真摯に受け止めてくれる。
 そして、自分が死なないように一番安全な場所を用意してくれる。
 しかし、フェイトはそれを望まない。
 破滅に近い道だと分かっていても、みんなが戦っているのに一人だけ守られるなんて耐えられない。
 何よりそんな道を選んでしまったら二度と戦えなくなるし、間違えた道を正してくれたソラにそんな情けない姿を見せたくない。

「いや……許可できない」

 当然、クロノはフェイトの隠した心情に気付かずに却下する。

「クロノ……心配してくれるのは嬉しいけど、飛天の魔導書に対抗できるのはベガだけなんだよ?
 だから、わたしが――」

「十時間だ」

「え……?」

「君が訓練室にこもっていた時間だ」

「そんなに……?」

 自分のことながら少し呆れる。
 ベガの回復力のおかげとはいえ、よく集中が持ったものだ。

「リンカーデバイスの恩恵があるとはいえやり過ぎだ。
 だいたい生身はともかく左腕の義手はどうなっている?
 会議が終わったら君はすぐに検査、その後は訓練した時間だけ休息を取ること」

「でも、クロノッ!」

「フェイト、僕は提案してるわけでも、お願いしてるわけでもない……命令しているんだ」

 静かで落ち着いた言葉に思わず詰め寄ろうとした言葉が止まる。
 今まで聞いたことのない威圧感のある声に反論は封じられる。

 ――何か……クロノが大きく見える……

 座ってる彼の身長を計れるはずないのにフェイトはそう感じた。

「この程度の命令が聞けないと言うなら、第43管理世界に降りることは許可しない」

「そんなどうして!?」

「この程度の命令さえ聞けない部下を連れてはいけないと言ってるんだ……
 例え、この中で一番強い力を持っていたとしても、暴走するような部下は必要ない」

「クロノ……それは少し言い過ぎよ」

「リンディ提督、黙っていてください。これが僕の方針です」

 なだめようとするリンディにクロノは容赦のない言葉で切り捨てる。

「それでどうなんだ? 素直に休むか、命令に背くか?」

「…………休みます」

「それでいい。アリシア、悪いがフェイトの監視を頼めるか?」

「うん、いいよ」

「助かる……もし怪しい行動をしたなら実力行使でベッドに縛り付けても構わない。
 その辺りの配慮は自分で決めると良い」

「りょーかいしました」

 下手な敬礼をして返事をするアリシアにフェイトは非難する目を向けて、すぐに息を吐いてやめた。
 クロノの言うとおり、時間だけで考えれば完全なオーバーワークだ。
 自分の死の未来を見て焦っていたが、それで周りに心配をかけた挙句、倒れでもしたらそれこそソラに顔見せできない。

「よーし……それじゃあ医務室に行こ、フェイト」

 張り切った調子でこちらの手を取るアリシアに、フェイトは苦笑しながらも促される形で立ち上がった。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





「これでえーの? ちゃんと変わっとる?」

「ああ、問題ない」

 はやての問いかけにアサヒが端的に答える。

「何か不思議な感じやな変身魔法って」

「我慢しろ。万が一の緊急手段の手の一つだ。実際に使うかは分からないがな」

 膝を着いて顔を下げて話してくれるアサヒ。それでも今のはやてにとっては見上げるほどに大きい。

「普段は魔力を足に流して歩けばいい。魔力運用の訓練にもなるし、歩行訓練にもなる」

「ん……了解や」

 はやてはアニマルモードを解いて元の姿に戻る。

「ふー……」

 息を吐いてそのまま、自分の足で立つ感覚は未だに慣れない。
 変身魔法の習得に疲れを感じたはやてはとりあえずそのまま車椅子に座って一息吐く。

「……アサヒおねーちゃん……その……あの人のこと聞いてもいー?」

「…………ソラ……いや、ハヤテのことか?」

「うん……あの人はほんとーにわたしのおにーちゃんなの?」

「……まだ信じられないか?」

「そやな……どうしても実感が湧かないんよ」

「それでも……あいつは……ソラは……間違いなく君の兄だ」

「やっぱり……そーなんやな」

 肯定されてはやての内心は複雑だった。
 義理の姉であるアサヒの存在も戸惑ったのに、さらにそこに血の繋がりがある兄が現れた。
 しかも兄は前回闇の書の主であった。

「笑ってくれても構わないぞ……あれだけの啖呵を切っておきながら真実を知ればこの様だ」

「笑えるわけない」

 天井を仰ぐアサヒにはやては何も言えない。
 その様はまるで泣くのを堪えているかのようで、普段の凛とした佇まいから想像できないくらいに弱々しかった。

「なー……やっぱりわたしの答えって卑怯やったかな?」

『それは違います……貴女の答えは間違っていません』

「ザフィーラ……」

 念話で話しかけてくる守護獣にはやては胸に手を当てて語りかける。

「でも、わたしは一緒に罪を背負うゆーた……それなのに……」

『主の心遣いはありがたいですが、元々は我らが積み重ねた罪……
 主の用意してくれた贖罪を行うことは当然としても、我らがそれぞれの罪と向き合わなければならないのは事実です』

「そや……わたしはみんなにちゃんと考えてほしい……
 わたしが言ったからそうするゆー答えは間違っとる、せやからみんなにはわたしのことを抜きにして考えてほしかった……
 もしそれでみんながわたしといられない答えを出しても……わたしはちゃんと受け入れるつもりや」

「その答えを一人で出せただけでも立派だ」

『アサヒの言う通りです』

 孤独の人生を歩んできたはやてが手に入れた家族を突き放し、最悪決別する答えは苦渋の末に出したものに他ならない。
 それは決して責任の放棄ではなく、本当に贖罪が必要な者たちを見守る行為。
 解散を宣言した時、今にも泣きそうな顔で縋りついてきたヴィータ。
 出した答えを通すためにも、彼女を慰めることはできなかった。
 泣かれても、嘆かれても、嘘付きと罵倒されたとしても、もう彼女たちに手を差し伸べることはできない。
 それがヴォルケンリッター達に罪と向き合わせ、見守ることを決めたはやての答え。

「ごめんなー……ザフィーラにもちゃんと考えて欲しかったんやけど」

『気になさらないでください……むしろ彼を見る機会を与えてくれたことに感謝します』

「ザフィーラ……」

 彼がソラに対して何を思っているのかはやては聞いていない。
 知りたいとも思うが、追究することはやめる。
 前回闇の書の主にして、実の兄であるソラ、ハヤテ・ヤガミには一度ちゃんと話をする必要があるのははやても同じ。
 ザフィーラの言葉で先入観を持つわけにはいかない。
 しかし、気になってしまうのが人の性でもあった。それに何より……

「なー……アサヒおねーちゃんってやっぱりあの人のこと好きなん?」

「なっ!? なななな、何をいきなり言っている!?」

 その反応は当たりだと判断してはやての口元が緩む。
 普段の凛としたかっこいい姿は憧れるが、今の取り乱したアサヒは実にいじりがいがありそうだ。

「いやー……やっぱりこれからあの人と関わるわけやから色々知ってないといけないやろ?
 せやから、アサヒおねーちゃんとあの人との馴れ初めを是非教えてほしーなー」

「馴れ初めって……いやあまり面白い話じゃないぞ」

「それでも! 今は少しでもあの人のことを知っておきたいんや」

 真摯な眼差しともっともらしい言い訳を重ねられ、アサヒは頭を抱えて悩んだ後語り出す。

「私と彼が初めて出会ったのはクラナガンの路地裏だった」

「うんうん」

「全てを失った私はそこで行き倒れて死ぬところだった……そこに彼が通りかかった」

 ありがちな話だとはやては思った。
 ボロボロに餓死しそうなところに差し出されたパン。そして無邪気な笑顔に惚れる。
 物語によくある展開をはやては思い出す。

「通りかかって……その……踏ん付けられた」

「踏まれたんかい!」

 思わずはやては突っ込みを入れる。

「それで転んだハヤテをお返しにぶん殴って、それから取っ組み合いになった」

「で……デタラメや」

 どの当たりに惚れた理由があるのか皆目見当もつかない。
 呆気に取られるはやてにアサヒは呆れた視線を送る。

「君は当時四つか五つの子供に何を求めているんだ?」

「あ……それもそーやな」

「それで餓死寸前だった私はすぐに倒れて、次に気が付いた時は病院だった」

 当時のことを思い出す様にアサヒは目を伏せて続ける。
 バイオレンスな出会いやなー、とはやては思うが口に出すのは留める。

「身寄りのない私のことを八神のおじさんとおばさんはうちに来ないかって言ってくれた……
 幼かった私はそのまま流されるまま八神家に居候するようになって、失った家族の温もりを思い出せた」

 実の娘のように扱ってくれた夫妻。
 祖父に魔導師としての訓練を受けていたハヤテと張り合って魔法でよく喧嘩した。

「楽しかった、幸せだった……あの時までは……」

「あの時?」

「ハヤテの誕生日の日だった。朝起きたら彼の枕元に一冊の本があった……思えばあれが闇の書だったんだろうな」

 アサヒの顔が憎々しげに歪む。

「その日から全てが変わった……
 幸せで、穏やかだった日々は、大人たちの言い争いが絶えない日々になった……
 私とハヤテは大人が何を言っているのか分からなかった……
 そして、ある日ハヤテはグレアムに連れて行かれて、帰って来なかった」

 相槌を打つことさえできずにはやては固まってアサヒの話を聞く。

「それからおじさんとおばさんは一層私に優しくしてくれた……
 でも、それは失ったものから目を逸らす行為だった」

 アサヒは顔を手で覆い、その表情を隠す。

「写真もおもちゃも……家具も服も全部っ! ハヤテのものは捨てられて……私のものに置き変わってた……」

「アサヒおねーちゃん……」

 懺悔するように叫ぶアサヒにはやては言葉を失う。

「…………妹が生まれるって一番喜んでいたのはハヤテだったのに……
 それなのに、もうあの子のことは忘れてくれって、代わりに生まれてくる子供のお姉ちゃんになってほしいって……
 私は嫌だって泣き叫んだ……忘れたくない、なかったことにしたくないって我儘を言って……だから……はやてがいいって……」

 ガンッ! アサヒは力任せに壁を殴る。
 ガンッ! 魔力で保護されてない拳は血を滲ませる。

「私のせいなんだ……」

 ガンッ! 壁につく血は次第に濃くなるがアサヒは構わずに腕を振り上げる。

「私が殺したんだっ!」

「もー、いいっ!」

 はやては振り上げられた腕にしがみつく。

「私がっ!」

 はやてを乗せて動かない右腕の代わりに左腕を振り上げる。

「もう、やめろ」

 その腕をはやての中から現出したザフィーラが止めた。

「お前のせいじゃない……お前のせいじゃないんだ……全て我らがいけなかったんだ」

 身体の至るところに包帯が巻かれた彼の姿は痛々しいが、それ以上に取り乱したアサヒは見ていられなかった。
 軽率な質問をしたことをはやては悔やむ。

「どうして……」

 アサヒの身体から力が抜け、へたり込む。

「どうして、ハヤテを主に選んだりしたんだ……」

 顔を伏せて呟いたアサヒの言葉にザフィーラもはやても答えを持たない。
 果たして、闇の書の主になってそれを抵抗なく受け入れた主はどれだけいたのか、それを知る術はどこにもない。

「おねーちゃん……」

 これまで闇の書の罪は蒐集によるものばかりだとはやては思っていた。
 しかし、そうではない。
 家族を主にさせられ、それで人生を狂わされた人たちがいる。
 はやてには自覚はないが、はやて自身もそれに含まれている。

「……おにーちゃん……」

 血の繋がりはあっても、はやては彼のことを何も知らない。
 同じ闇の書の主でも、はやては彼が何を願ったのかを知らない。
 そして、闇の書が積み重ねた罪も知らない。
 今までのはやてはリインフォースにヴォルケンリッター、そして管理局の話を聞いて全てを知ったつもりになっていた。

「まだ……終わってなんや」

 それらのことを合わせて思うことは一つ。
 今代、八神はやての闇の書事件は終わった。
 しかし、前代、ハヤテ・ヤガミの闇の書事件はまだ本当の意味で終わりを告げていない。

「せやから、わたしが……」

 アポスルズの連れて行かれたリインフォースのことも気がかりだが、今の自分の力では彼女を取り戻すには無力だと痛感している。
 魔法の才能はあっても、それを生かす知識と経験がない。
 命のやり取りをして、己の意志を押し通す心の強さもない。
 そして、人の痛みを語れるほどに世界を知っているわけでもない。
 今のはやては何をするにしても無力で無知で無恥だ。
 
「わたしが……終わらせるんや」

 今は何もできなくても、彼に意識を向けられることがなくても、何をすればいいのかも分からない。
 それでも、いつか必ずと自分に言い聞かせる。

「あ……はやてちゃん、それにアサヒさん」

 決意を固めていたところにエイミィに呼びかけられた。

「エイミィさん……どないしたんや? もしかしてうちの子が何かしたん?」

「あー……ヴィータちゃんが勝手に転送ポートを使って海鳴に帰っちゃったけど……それよりね」

 言い辛そうにするエイミィにはやては首を傾げる。

「もしかして、彼のことか?」

 陰鬱な思考から脱したアサヒは先程までの痴態を感じさせずに背筋を伸ばしてエイミィに尋ねる。

「うん……実はね……」

 頷きながらエイミィは封筒を差し出した。
 困惑しながらアサヒがそれを受け取って中身を検める。

「なんだと……」

 そして目を剥いて驚きを露わにする。

「アサヒおねーちゃん?」

 足に魔力を巡らせて立ち上がり、はやては彼女の手にある書類を見る。
 そこには退局申請と書かれた書類。姓名記入欄には『ソラ』の名前がある。
 しかし、はやての目を引いたのはそれよりもアサヒが凝視しているものだった。
 書類の様に整列された線のない、無地の紙に一言だけ書かれたメッセージ。

『探さないでください――ソラ』

 思わずはやては天井を仰いだ。
 決意を固めたはやての先行きは多難から始まった。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「よし……」

 鏡に映る自分の姿になのはは頷く。
 格好は自分が持つ服の中で一番動き易いものを選んでいる。

「えっと……それから……」

 服装の次はナップザックに用意したものを詰めていく。
 救急箱に保存の効く食料。それから数日分の着替え。
 とりあえずこの数日で必要そうなものを集め、準備を整えた。

「よし……レイジングハート、お願い」

『イエス・マスター』

 ナップザックは桜色の光に包まれ、レイジングハートの内部空間に格納される。

「うん……」

 それに頷いてなのはは部屋を出る。
 貫足、差足、忍び足。
 家には誰もいないことは分かっているのになのははそうして音を立てない様に歩く。
 誰もいないリビング。
 その中央にあるテーブルに手紙を置いて――

「行くのかい?」

「にゃあっ!?」

 突然の声になのはは驚いて悲鳴を上げる。

「おおお、お父さん!? どうして? お仕事は?」

 全く気配を感じなかった。レイジングハートのサーチに反応はなかったのに何故?

「そんなことはどうだっていい」

 日々の労働を一言で切り捨てて、士郎はなのはの手の中の手紙に視線を送る。
 思わず、それを背中に隠す。

「あのね……これは……その……」

 咄嗟に言い訳を考えるが、士郎の穏やかな目を受けてなのははその言葉を飲み込む。
 手紙を握りつぶして真っ直ぐ士郎と向き直る。

「お父さん……わたし、やっぱりこのままじゃ終われない」

 はっきりとなのはは自分の意志を言葉にした。

「お父さんの言ったことも、ソラさんが言ったこともちゃんと理解した……つもりだけど……
 それでもわたしは全部みんなに任せて待っていることなんてできない」

「セラちゃんやソラは今度こそ本気で殺しにくるかもしれないんだぞ?」

「正直に言えば……怖いけど……」

 殺す覚悟はやはり持てない。
 どんなに追い詰められても人に殺傷魔法を使うことはなのはにはできない。
 しかし、自分はそれでいいのだとなのはは思う。

「このままあの人たちから逃げたらいけない気がするの」

 力が及ばないから、背を向けて挑むことをやめる。
 何も言い返せないから、耳を覆って目を逸らす。
 今ここでそんな風に逃げてしまったら、魔法だけではなく全ての嫌なことから目を逸らし続ける。
 そんな自分になりたくはない。
 その一心でなのはは言葉を作る。

「今回のことで終わりにしてもいい……だからお願い、今だけはわたしの好きにさせて」

 思えばこんな風に思いの丈を父にも母にもぶつけたことは今までなかった。
 なのはにとって初めての我儘。
 そんな娘の言葉に士郎はおもむろに息を吐き出した。

「今回のことで思い知らされたことがある」

「……うん」

「もしなのはが向こうで大怪我をしたり……死ぬことになったとしても……
 お父さんたち駆け付ける事はおろか、知ることさえ満足にできないんだってね」

「うん……そうだね」

 誤魔化さずになのはは頷く。
 例え親子だったとしても世界を移動することには沢山の制限がある。
 気軽に会えない、会いに行けない。
 世界を隔てる壁はとてつもなく遠い。それが非魔導師ならなおさらだ。

「お父さんは……やっぱりわたしにもう魔法に関わってほしくない?」

「できればなのはの意志を尊重させて上げたい、が本音を言えばその通りだ」

 前は反発してしまった言葉を、今は静かに受け止める。
 魔導師の道を進むことで失うものがある。
 具体的なものは分からないが、ソラやセラ、自分の対極にいる人たちと話してなのはが学んだことだった。

「わたしも……流されて魔導師の道には進みたくない」

 思い返せば今まで自分はその場の状況に流されていた。
 ジュエルシードを集める事、フェイトと友達になること、ヴィータとお話すること、はやてを救うこと。
 自他共に認める才能と、それによって掴むことができた結果に慢心していたのかもしれない。

 ――わたしには魔導師としての才能がある……一人で勝てなくてもみんな一緒なら大丈夫……

 そんな幻想は圧倒的な力によって踏みにじられた。
 経験の差、武器の差、言い訳のできない敗北を味わうことで立ち止まり、周りを無理矢理見せられ自分がどれだけものを知らなかったのか痛感した。
 その結果、関係のないアリサを巻き込み、障害を残すほどの怪我を負わせてしまった。
 だからこそ――

「でも、今はそんなこと関係なくて……」

 みんなは、なのはのせいじゃない、と言ってくれた。

 ――でも……わたしのせいだって言ってくれた人がいた……

 ソラの顔を思い出してなのははぐっと手に力を込める。

「アリサちゃんが傷付いたのはわたしのせいだから」

「なのは、それは違う。元々の原因は彼を助けた――」

「わたしはそれをちゃんと受け止めなくちゃいけないの」

 士郎の言葉を遮ってなのはは強く言い切る。
 必要なのは慰めの言葉はなく、理不尽な現実を受け入れる強さ。

「でも、アリサちゃんを巻き込んじゃった罪悪感で言ってるんじゃない……
 わたしが友達のために魔法を使いたい、友達の助けになりたい……
 全部……わたしがしたいから……全部わたしの自己満足……
 管理局が決めたルールよりも大切なわたしの願い……それじゃあ魔法を使う理由にならないかな?」

 なのはの問いかけに士郎は答えることも、頷くこともしない。
 ただジッとなのはの目を見てその真意を探ろうとしている。
 なのははその厳しい視線をまっすぐに受け止め、言葉を重ねる。

「おかあさんは、わたしのこと信じるって言ってくれた……
 わたしは……おとうさんにも信じて欲しい……」

「……たくさん痛い思いをすることになる」

「うん」

「辛いことも、悲しいこともたくさん味わうことになる」

「うん」

「アリサちゃんの足はどんなことをしても治らない、という現実を突き付けられるだけかもしれない」

「その結果もちゃんと受け止める」

「…………そうか」

 士郎は目を瞑って息を吐く。
 視線による威圧感と共に身にまとっていた気配が和らぐ。

「お父さん?」

「そこまで覚悟しているなら、お父さんから何も言うことはない」

「お父さん……」

「ただ、これだけは約束してくれ……
 怪我をすることがあっても、挫けて泣いてしまっても、それでも必ずちゃんと帰ってくるって」

「うん、もちろん」

「それじゃあ……いってらっしゃい」

「いってきますっ!」

 士郎に見送られてなのはは家を飛び出した。
 向かう先にはたくさんの大きな壁がある。しかし、今はそれに怖気づくことなく一歩が踏み出せる。
 なのはは見慣れた街並みを駆け抜ける。

「なのはちゃん」

「え……? すずかちゃん?」

 アリサの家へ向かう道でなのははすずかと遭遇して目を丸くする。
 今日、アリサはユーノと一緒に次元世界に旅立つ。その見送りかと思ったが、彼女の格好はそれを否定する。
 長い髪は邪魔にならないようにまとめられ、服装もそれに合わせてズボンとジャケット。
 普段のお嬢様の服ではなく、これから登山などに行くかのような様相。
 傍らに控えるファリンに視線を送る。
 一礼するファリンの姿は普段のメイド服。しかし、その足下には大きめのリュックサックがある。

「すずかちゃん……もしかして……?」

「うん、わたしもね。一緒に行くことにしたの」

「そんなどうして!?」

 すずかは何の力もない非魔導師。
 アリサがいる以上ユーノは必要最大限の安全を取るとはいえすずかが同行する意図が分からない。

「ほら、アリサちゃんは女の子で、ユーノ君は男の子だから」

「それならわたしがいるのに……」

 いつ出発するのかは聞いていたが、ユーノからもアリサからも同行を求められたことは一度もない。

「だってなのはちゃん、すっごく落ち込んでたから」

「うぅ……」

 すずかの指摘になのはは唸る。

「そんなにひどかった?」

「うん……この世の終わりってくらいにひどい顔をしてたよ」

「そ……そこまで……」

 陰鬱な思考に陥っていた自覚はあるが、世界の終わりと並べられる程とは我ながら呆れる。

「でも、もう大丈夫みたいだね」

「うん……心配かけてごめんね」

「いいよ、ちゃんとなのはちゃんが笑えるようになってくれたから」

「ありがとう、すずかちゃん……それでね……実はわたし……」

「うん、分かってる。みんな待ってるから早く行こう」

「え……?」

 なのはの手を引いて歩き出すすずかになのははさらに困惑する。

「すずかちゃん? みんな待ってる、ってどういうこと?」

「アリサちゃんもユーノ君も言ってたよ……
 なのはちゃんはちゃんと立ち直って一緒に来るって……もちろんわたしだってそう思ってたよ」

「すずかちゃん……」

 心から信頼してくれている言葉に胸が熱くなり、同時にくすぐったいものを感じる。

 ――みんな、わたしのことを信じてくれていた……

 情けないことに信じられなくなっていたのは自分だけだった。
 母も、父も、すずかも、アリサも、ユーノも誰一人、娘だから友達だからという理由だけで信じてくれる。

「すずかちゃん……わたし……もう逃げないから」

 決意を改めてなのはは口にする。

「もう嫌なことから目を逸らしたりしない……
 ちゃんと全部受け入れて強くなるから……だから……絶対にアリサちゃんの足を治してあげようね!」

「うんっ!」

 強く頷くすずかに引かれてなのはは駆け出した。
 重く踏み出せなかった一歩は両親に背中を押され、友達に手を引かれてようやく踏み出すことができた。

「ふえええん……お嬢様待って下さいよーーっ!」

「遅いよファリン! 置いて行っちゃうよ!」

「そんなー! お願いですから待って――わわっ!?」

 背後から盛大に転ぶ音が聞こえる。
 しかし、彼女には悪いが今は走るのをやめたくなかった。

「ごめんねファリンさん! 先に行ってます!」

「そんな、なのはさんまで!?」

 嘆きの声を背後になのはは身体に魔力を満たす。
 強化された身体はすずかを上回り、逆に手を引くようになのはは走る。
 駆ける身体はいつになく軽く、どこまでも飛んで行けそうだった。
 見上げた空は果てしなく遠く、青かった。そしてその向こうにはここにはいない友達がいる。

 ――フェイトちゃん、はやてちゃん……

 彼女たちはきっとそれぞれの戦いに赴いているはず。
 次に会えるのがいつになるか分からない。
 それでもそのいつかを胸を張って、笑って会うために、なのはは踏み出した一歩をそのままに走り出した。







 あとがき
 リアルが忙しく、またいろいろ詰め込んだため文量が多くなってしまい、大変長らくお待たせしました。
 一章クロノ編、二章フェイト編、三章はやて編、四章なのは編。そして今回のそれぞれの旅立ち。
 これまで落とすばかりだったので、これからは登っていく話を目指しています。

 今回の話で嫌な役になったヴィータですが、これはヴォルケンリッターにそれぞれ違う態度を取らせたかったからです。
 過去と向き合うことを決めたシャマル。
 剣を振ることの意味を求めるシグナム。
 前回の罪と直面するザフィーラ。
 そして、未だに罪を受け止めきれないヴィータ。
 このメンツだとヴィータしか弱さを見せられなかったからでもあります。




補足説明
 ソラの五感不備
 闇の書の浸食によって侵された感覚神経。
 リンカーコアの破壊によって浸食は止まったもののまともな治療が受けられずに完治には至らなかった。
 しかし、失くした感覚以外の感覚はより鋭敏になっている。
 それらの要素と不死の身体を利用した恭也たち以上の修練の積み重ねで、ようやく御神の剣士として成り立っている。
 しかしそこまでしても純粋な剣の腕は美由希たちに劣っている。
 これはソラがあくまで魔導師であり、御神の才能はほとんどなかったからである。

 ちなみにソラ以外の人の視点の時は魔力光を強調し、ソラの場合は極力色の描写をしていなかったのが五感の不具合の伏線だったりしてました。



[17103] 第三十三話 飛天
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:639a4e1c
Date: 2012/10/01 00:00




「フェイト、見て見て雪だよ!」

 両手を広げてくるくる回りながら楽しそうにアリシアは駆け回る。

「うん、そうだね」

 苦笑しながらフェイトは空を見上げた。
 第43管理世界クラスティア。
 数年前まで『アーク』を巡り争いの絶えなかった世界。
 大規模な魔法の撃ち合いによってもたらされた破壊はたくさんの人と文明を破壊するだけには留まらなかった。
 いくらクリーンな力であっても物理的な二次災害は魔法も質量兵器も変わらない。
 撃たれた戦略魔法の一撃は地を砕き、巻き上げられた塵が空を覆い、太陽光を遮り世界は極寒の地と化した。
 静かに降る雪の向こうの灰色の空。
 それが晴れることのないものだと分かっていると、アリシアの様に喜ぶ気にはなれない。

「おい、アリシア……あまり――」

 周囲の視線を考えてシグナムがなだめようとしたところで、その顔に雪玉が命中する。

「べーだ」

 あっかんべーをするアリシアを見てフェイトは既視感を感じた。
 そんなアリシアと雪まみれになったシグナムの姿。それをフェイトは知っている。

 ――うん、この光景をわたしは知っている……

 自分がいて、シグナムがいて、アリシアがいる。
 なのに、どうしてもそこに違和感を感じてしまう。

 ――でも、間違いじゃない……

 しかし、記憶が正しい確信を深めていた。
 だからこそ、フェイトは自分の記憶に意識を向ける。

 ――記憶の通りなら、この後は……

 自分たち、管理局の力を示すための戦いがある。
 飛天の書の魔導師たちが管理局が協力に値するかどうかを判断する大事な戦い。
 自分に課せられる重い責任を感じながら、フェイトは戦いのための打開策を探して意識を記憶の中に深める。

「ダメだよフェイト……それ以上見ちゃ」

「え……?」

 不意に横からかけられた声にフェイトは顔を上げる。
 そこにはアリシアがいた。しかし、服装は白いマントのバリアジャケットの姿ではなく、いつか夢の中で邂逅した時の服だった。

「アリシア……?」

 横から前に視線を移す。
 そこには怒ったシグナムに追い駆けられて、楽しそうに逃げ回るアリシアがいる。
 横に視線を戻すとやはりそこにはアリシアがいる。

「こうしてちゃんとお話するのは闇の書事件以来だね」

 戸惑うフェイトにそのアリシアは笑う。
 その言葉に彼女が闇の書の中で出会ったアリシアだと理解するが、同時に身体が震える。

「あなたは……何? あのアリシアはわたしが、それか闇の書が作った幻想だったはず」

「違うよ……私はずっとフェイトの中にいた……フェイトが生まれた時……
 ううん……生まれる前からずっとわたしはそこにいた。
 闇の書のおかげでこうしてアリシアの形を取り戻せたの」

 笑顔のまま告げられる言葉にフェイトは恐怖を感じずにはいられなかった。
 自分の中に得体の知れないものがいる。
 ベガの存在だけでも堪えているのにさらによく分からない内側のアリシアの存在。
 不意に思い出すのは青天の魔導書の存在。
 ソラの中に潜み、彼の生き方を矯正している存在。
 まさか自分もそうなのか、そう思わずにはいられない。

「その反応は傷付くな……何度も助けてあげたのに」

「え……あ、もしかしてベガに取り込まれそうになった時」

「うん、それに夢を使ってなのはたちの危機も教えてあげたよ」

「あの夢……そっか、ありがとう」

 自分を助けてくれていた事実に緊張が緩まる。

「お礼なんて言わなくていいよ……私はある目的のためにだけ存在しているんだから」

「目的? それはどういうこと?」

「フェイトがそれを知るのはまだ早いよ、記憶のことも含めてね」

「記憶……あれはやっぱり未来のことなの? あれは何なの? どうしてわたしはそれを知ってるの?」

「言ったでしょ……フェイトはまだそれを知っちゃいけないって」

「そんなの関係ないっ! 今、次元世界は大変なことになっている……
 アポスルズを止めないとたくさんの人が死ぬ。でも、この記憶を使えばわたしはたくさんの人を救えるんだよ」

「そんなの必要ない」

 訴えるフェイトの言葉をアリシアは冷たく切り捨てた。

「私がここにいる目的は一つだけ……そのためなら何人の人が死んでも構わない」

「なっ……」

 アリシアの言葉にフェイトは絶句する。
 かつて闇の書の中で背中を押してくれた彼女だとは思えない。
 まるで青天の魔導書のような物言いに嫌悪を感じずにはいられない。

「あなたは……本当にアリシアなの?」

 他人を容赦なく切り捨て何も感じてない冷めた目に背筋が凍る。

「うーん……どうかな? ちょっと違うんだけど、一応アリシア・テスタロッサで間違いないよ」

「だったら、どうしてそんなこと言えるの?」

 自分の知っているアリシアは誰かを犠牲にして何かを成し遂げようとする人では決してない。

「わたしの知っているアリシアなら絶対にそんなこと――」

「あ、ストップ……フェイト」

 訴えるフェイトを止めて、アリシアは前を見るように促す。

「…………あれ?」

 そこにシグナムとアリシアはどこにもいなかった。
 向き直っても、アリシアの姿はない。
 周りを見回す。
 前時代の建築物の廃材で組まれたツギハギだらけの街並み。行き交う防寒服で身を固めた人々。
 そこにはやはり見慣れた二人の姿はない。

「……あれ?」

 フェイトはもう一度首を傾げた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 見上げれば、静かに降る雪と灰色の空。
 見下ろせば、廃材で寄せ集めた不格好な街並み。
 ロストロギアを巡って争った世界の末路。
 知識でしか知らなかった光景にクロノは感心よりも驚いていた。

「人がいるんだな」

「そうだね……」

 クロノの呟きに隣りで同じように窓から外を眺めていたエイミィが頷く。
 彼女も知識の上ではクロノと同じ。だからこそ、同じ感想を抱く。
 街と外を隔てる結界の向こうは極寒の死の世界。
 そんな悪環境にも関わらず、人々は少ないながらも懸命に生きていた。

「あ、シグナムとアリシアちゃん」

「…………何をやっているんだ、あの二人は?」

 エイミィが見つけた二人をクロノも見つけ呆れる。
 見下ろした街の中で追いかけっこをしている目立つ二色の二人を見つける。
 名目上はクロノの護衛として同行した彼女たちとフェイト。 
 それが向こうの好意で街を見て回ることを提案されたから外にいる。
 だから別に構わないのだが、一応外交官としての節度くらいは守ってもらいたい。

「やっぱり、あの二人を一緒にしておくのは不味かったか……」

「フェイトちゃんは……どこにいるんだろ?」

 アリシアからシグナムに向けられる感情は最悪の一言に尽きる。
 ソラに向けていた憎しみは全て愛しさに変わったアリシアは当然、彼を貶めたヴォルケンリッターをよく思うはずがない。
 自分たちはシグナム達との交流を重ねた時間があるから擁護してしまうが、アリシアにはそれがない。
 だからこそ、アリシアは真っ直ぐに彼女たちを嫌悪する。
 それでも教育の賜物か、フェイトとの関係を考えてか、表立って騒ぎ立てることはしないから油断していた。
 ストッパーにと期待していたフェイトも近くにはいないようだった。

「あ……」

 シグナムがアリシアを捕まえようとした瞬間、別の方から雪玉が飛んで来て彼女の頭に当たった。
 それを投げたのは見知らぬ子供。
 シグナムがゆっくりと向き直ると、いつの間にか集まっていた子供たちが一斉に雪玉を投げる。
 腕で顔を庇い、何かを叫んでいるが流石にここまで声は届かない。
 そして、シグナムは走り出す。
 子供たちは歓声を上げて散り散りに逃げ出した。
 その中にはアリシアも混じっていた。

「…………シグナムには悪いがあれで溜飲を下げてもらうか」

「うん、そうだね」

 険悪になりつつあった空気は微笑ましい光景に変わる。
 例え、世界が壊れてもそこにはまだ人の営みがある。それを知ることができただけでもここに来た価値はある。
 歴戦の騎士であるシグナムも流石に無邪気な子供にだいぶ苦戦している。
 そこで――コンコン――鳴ったノックの音に意識を切り替える。

「待たせたな」

 入って来たのは長身の優男。長い髪に眼鏡をかけた知的な印象がある。
 とても前線に出てくるタイプには見えないが、見た目とは裏腹な実力をクロノは資料で知っている。

「この街の長をしている、アトレー・ヴァリアントだ」

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンです……こちらは自分の補佐のエイミィ・リミエッタ。
 この度はこのような席を用意していただきありがとうございます」

「別に構わんさ……管理局とは交戦状態にあるとはいえ別件で話をしにきたのなら断る理由はない」

「やはり、分かりますか?」

 クロノが会談のために送った書状には飛天の魔導書のことは書かずに、『アポスルズ』が『アーク』を狙っているとしか書かなかった。
 飛天の魔導書のことは不用意にその言葉を出すことはできない。
 『アーク』と『飛天の書』。二つのロストロギアを彼らが所持していることが発覚すれば管理局が強硬手段を取るかもしれないからだ。

「天空の書を扱う組織がそちらで動いていたことは把握している。
 それでこのタイミングに接触してくるということは知っているのだろ? 私たちが持つ魔導書のことを」

「飛天の魔導書、魔力召喚技術を極めた天空の魔導書の一冊」

「その通りだ……どこからの情報源か気になるところだが」

「無限書庫で調べました」

「それはないな」

 用意していた嘘の答えをアトレーは即答で否定した。

「天空の書の技術情報は中層域の情報だ。表層域までしかアクセスできない管理局にそれを調べる術はない」

「……よく、御存じの様ですね」

 フッと笑うだけのアトレーにクロノは敗北感を感じた。

「まあ、追及はしないさ……では、君たち管理局は我々飛天の魔導師に何を求めているのかな?」

「貴方達が知っている他の天空の魔導書の情報、それから対アポスルズのために協力を願いたい」

「ふむ……」

 クロノの提案にアトレーは間を置く。
 その間にクロノは緊張を深める。

「他の魔導書については知りうる限りの情報提供をするのは構わない」

「本当ですか?」

「ああ、別にそれで困るのは私たちではないからね」

「そうですか……」

「だが、協力に関しては承服できないな」

「やはり……そうなりますか?」

「もちろん我々と管理局が交戦状態にあることも理由にあるが……
 ともかく交渉である以上、まずこちらのメリットを提示してもらおうか?」

「分かりました……貴方達が協力してくれるメリット。
 管理局が『アーク』のことを諦めるというのはどうですか?」

「ほう……」

 眼鏡の向こうの目が細められる。
 鋭くなった視線に気押されないように腹に力を込めてクロノは続ける。

「それに今の状況では貴方達はアポスルズと管理局、同時に相手にするため防戦に徹するしかありません。
 アポスルズが飛天の書を奪いにくればこの街は戦火に見舞われる。それは貴方達も望まないはずです」

「そうだな」

「防戦に徹しているわけにはいかないなら攻勢に出るしかない。
 しかし、街の防衛をおろそかにできない以上、外に出せるのは貴方達の精鋭の中でも多くて二人。
 そうなれば敵の探索、拠点の確保、補給なども必要になってくる。
 管理局に協力していただけるなら、それらのことは全てこちらがまかないます」

「なるほど、確かに理に適う意見だ。しかし、それには根本的な所に問題があると思うが?」

「そうですか?」

「ああ、クロノ執務官。君は先程『アーク』を管理局に諦めさせると言ったが、君の地位でそれは可能なのか?」

「はっきり言えば、僕はそこまで決定する権力は持ち合わせていません」

「話にならないな。確かにバックアップは有用だが――」

「権力はありませんが、そういう風に持って行くことは可能だと思ってます」

「ほう、それは興味深い」

「それを実現するためにいくつか確認したいことがありますが、いいですか?」
 
「ああ、答えられることには答えよう」

「ありがとうございます……
 では、まず……貴方達は『アーク』の性能をどこまで把握していますか?」

「それを私に訊くかね?」

「確認のためです」

 クロノの言葉にアトレーはため息を一つ吐いて応えた。

「『アーク』は君たちの言うところによる第一級封印指定ロストロギア。
 その効果は単純、魔力を捧げれば望むものを作り出すことができる。
 作れるものは魔力の量次第で際限はない。金銀財宝、動植物、人間さえも理論上作ることができる。
 それと当然、兵器だって作り出せる」

「ええ、だからこそ管理局は『アーク』を危険と判断しました」

「ああ、『アーク』を巡る抗争を静観しておいて全てが終わった後に厚顔無恥にもそう言って来たよ」

「でしょうね」

 その時の管理局の責任者の気持ちが理解できる。
 無駄な戦闘に介入せず、争う勢力の疲弊を待って、対象を確保する。
 以前、PT事件時のフェイトにしようとしていた対応とまったく同じだ。
 あの時は最善だと疑問に思わなかったが、今ではその考えの醜悪さが理解できる。

「私たちにとって管理局は盗賊やハイエナと同じだ。しかもそれでいて自分たちは正義の使者だと気取ってる……
 まだ、純粋に欲に目がくらんで『アーク』を求めた者たちの方がマシに思えるよ」

「盗賊……」

 その表現にクロノは絶句するが、叫びそうになるのをなんとか抑え込む。
 相手から見ればそれは決して否定できない。
 自分たちもまた、ジュエルシードの暴走が海鳴に与える被害を考えもせずに漁夫の利を得ようとした。
 この世界が氷と雪に覆われた荒野になった一因は管理局にあると言っても過言ではないのだから。

「ほう……」

 言葉を押し留めたクロノにアトレーが感嘆をもらす。

「前にきた管理局の使者は騒ぎ立て、侮辱罪だと喚いて杖を抜いたが……君は違うようだな」

「少し前までならそうしていたかもしれません。
 ですが、ここのところ思うことがありまして、いろいろ自分を見つめ直している最中です」

 その答えにアトレーを面白そうに口元を吊り上げた。

「管理局にもなかなか面白い人材が育っているようだな……
 君の様な物分かりのいい人間ばかりなら、こちらも苦労しないのに」

「では、やはり?」

「ああ……君も予想している通り、この街の機能は『アーク』によって支えられている」

 確認したかった情報を彼の口から聞けて内心で息を吐く。

「えっと……クロノ君、どういうこと?」

 しかし、エイミィはその意味を理解し切れずに首を傾げていた。

「この街、クラスティは前文明時代から残っている魔力炉心を中心にして造られた街だって管理局の情報ではなっていただろ?」

「うん、そうだけど」

「だけど、それだけじゃこの規模の街を賄うことは難しいんだ」

 極寒の外界を隔てるための結界の維持。
 人々の生活を支えるためのエネルギー。
 他にも上げれば切りがないが、街を維持するには大量のエネルギーが必要になる。

「今までは実際に街を維持できていることから、管理局はクラスティアの魔力炉心がかなり大きいものだと判断した。
 でも、僕は違うと思う」

 エイミィに説明しながらアトレーの様子を窺う。
 止める様子はない。むしろ、こちらを試すような視線を向けられている。

「『アーク』と『飛天の魔導書』……この二つのロストロギアは相性が良過ぎる」

 片や魔力で際限なくものを生み出せるロストロギア。
 片や魔力を無尽蔵に得ることができるロストロギア。

「この二つを有効に使えば管理局の撃退どころか、全滅させることも夢じゃない……
 それをやれば、管理局が艦隊で押し寄せてくるかもしれないが、それにだって勝てる条件を彼らは持っているんだ」

「いや、クロノ君……いくら天空の魔導書が破格の力を持っているからってそれは言い過ぎじゃないかな?」

「できますか?」

 問いかけにアトレーは眼鏡を直す動作をして考えて……

「可能かどうかはともかく、嬉々として挑戦しそうな奴はいるな」

「なっ……」

 絶句するエイミィを他所にクロノはその事実を静かに受け止める。

「話を戻します……
 おそらく、貴方達は『飛天の書』で得た魔力を『アーク』に捧げてこの街を維持するのに必要なエネルギーを賄っている。
 それはきっとエネルギーだけではなく、食物。外の世界と貿易をするための資金や資源。様々な形で活用している」

 だから、クロノは言葉を切って息を吸い――

「『アーク』を奪えばこの世界、この街は完全に死ぬことになる」

「その通りだ……
 そして、『アーク』を巡って争った現地住民たちなどどうなってもいい、と静観していた管理局は『アーク』を奪うことに何の抵抗もないのだろうな」

「そんなことはありません」

 突き放す物言いにクロノは即座に否定を挟む。

「確かに管理局は自分たちに都合の良い人情で物事を判断する傾向があることは否定できません」

「ちょっとクロノ君」

「でも、だからこそこの世界の現状を正確に知って、それでも無理を押し通すような外道は存在しません」

「それは希望的な観測に過ぎないな……
 管理局とて『アーク』の力に欲を見ていないとは限らない。
 さらにいえば、各々の世界で行う管理局の活動にしても、どこまで正統に乗っ取ったものか君は確かめたことはあるのか?」

「それは……」

「現に君たちは協力者に対して騙し打ちを行っている。それだって君が訴えなかったら、その事実を有耶無耶にされていただろう」

「なっ……!?」

 流石にその言葉にクロノは動揺する。

「それをどこで?」

 協力者への騙し打ち、それは間違いなくソラに行ったことに他ならない。
 驚くクロノに対してアトレーは腹黒い笑みを浮かべて眼鏡を光らせる。

「こちらもそれなりに諜報活動を行っている、とだけ言っておこうか」

 それに対してクロノは思考を回す。
 管理局の人情を信じられないと突き返されたことはまだしも、ソラのことについてはまったくの予想外だった。
 しかし、言葉を探すよりも早くアトレーの言葉が重ねられる。

「君は考えたことがないかい?」

「何をですか?」

「管理局が今まで集めたロストロギアに、独占する最先端技術……
 それらを使いこの次元世界を管理局が支配することをだ」

「なっ……いくら何でもそんなことあるはずない!」

「可能性の問題だ……しかし、もしかしたら遠くない話かもしれないがな」

「それは……アポスルズのことですか?」

「そうだ。今の管理局の力では彼らを止められない。なら、足りない力はどこに求める?
 そうしてロストロギアを利用して、その甘みを知った者たちがそれを手放せると思うか?」

 アトレーが語る未来予想図にクロノは完全に言葉を失っていた。

「今の秩序も少し掘り下げてみれば、そんな薄氷の上に乗っているものに過ぎない。
 法を決め、それを裁く管理局、それが暴走すれば管理は独裁に変わる。そうなった時、君はどうする?」

「僕は……」

 管理局がその目的を失うことなど考えたこともなかった。
 いくら清廉な組織であっても運営するのは人である以上、そこに歪が生まれるのは仕方がないことだ。
 そんな歪みも極一部で管理局全体は決して行く道を間違えない。そんな風にクロノの中では無意識に認識していたのかもしれない。

 ――でも、認めなければいけない……

 自分たちこそがロストロギアの誘惑に一番近い場所にいることを。
 アトレーの語る『もし』は決して非現実的なことではなく、いつでも起こりうることなのだと。

 ――アズサ・イチジョウ……

 管理局の強権に振り回された少女を思い出して、動揺を落ち着ける。
 溜めていた息を静かにゆっくりと吐き出してアトレーを見据える。
 相変わらずの腹黒い笑みを張り付けた表情。こちらを試すような視線を真っ直ぐにクロノは見返す。
 もし管理局が歪み暴走した時にクロノが出す答えは……

 ――受け入れて恭順するか、拒みただ去るか……いや、考えるまでもないか……

 馬鹿なことを考えていると思いつつ、クロノははっきりと告げた。

「僕は戦います」

「ほう……正気かね?」

「正気です……相手がどんなに巨大で強大でも、それが僕の正義に反するのなら例え一人でも戦える……いや戦って見せます」

 現にそうやって管理局に異を唱えた者をクロノは知っている。
 彼に負けないように、無念の中で死なせてしまった少女に恥じないように、情けない生き方だけは決してしない。
 その決意を今ここに固めてアトレーに、自分に対して宣言する。

「なるほど……管理局はともかく、君個人は信用に値するか……」

 含みのある言葉に不信を感じた瞬間、クロノはそれを知覚した。
 窓から見える景色。広がる街並み、半透明な結界の先、そこから立ち上る魔力の高まりはシグナムのもの。

「シグナム……それにフェイトとアリシアも……?」

「……始まったようだな」

「アトレーさん……それはどういうことですか?」

 街を見物している三人には魔法を使うことを厳禁にしている。
 その指示に反して三人全員の行動にクロノは怒るよりも不信を強くする。

「長々と話をしたが、君の誠意は見せてもらった……
 まだ夢見がちではあるが、現実を見ようと努力していることは分かった。
 だから、他の誰でもない、君には協力してもいいと私は判断させてもらった」

「それでは……」

「しかし、あと一つだけ条件をつけ加えさせてもらおうか」

 喜びの安堵を飲み込んでクロノは考え、すぐにその条件に気が付く。

「まさか、シグナム達に……」

「そう、私たち飛天の魔導師と肩を並べて戦える力が君たちにあるかどうか、確かめさせてもらう」





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ふふふ……お前で最後だアリシア」

 壁際にアリシアを追い詰めたシグナムは不敵に笑う。
 彼女の姿は酷い有様だった。
 防寒用のマントはもちろん、頭まで雪まみれ。それでも彼女の眼光はその気質を表すように炎に燃えていた。

「む……負けないんだから」

 両手に雪玉を装備してアリシアは構えを取る。
 その姿にソラを重ねてシグナムは息を飲む。
 その隙を逃さず、すかさずアリシアは雪玉を投げる。

「くっ……」

 咄嗟に反応して手の甲で弾くが、さらに雪玉が連続して投げられる。

「いい加減にしろっ!」

 それも弾いてシグナムは手を伸ばす。
 しかし、アリシアは俊敏な動きでその手をかわしてシグナムの横を駆け抜ける。

「ちっ……」

 舌打ちして身構えるが、予想した雪玉の攻撃はなかった。
 代わりに先程まで楽しそうにしていた表情をしかめてアリシアはシグナムを睨みつけていた。

「わたし……あなたのこと嫌い」

 告げられた言葉にシグナムは息を飲む。
 うすうす気が付いていたが、改めて口にされると堪える。
 アリシアはフェイト達とは違ってソラの側の人間だ。
 今まで面と向かう機会がなかったから有耶無耶になっていたが、彼と和解したアリシアが自分たちに敵愾心を向ける理由は十分に分かる。

「どうして何も言わないの?」

 返す言葉は見つからない。

「なんとか言ったらどうなの!?」

「……何を……言えばいいんだ?」

 あれからずっとソラに対して言うべきことは考えている。
 しかし、何も思いつかない。
 何を言っても無責任な言葉にしかならず、誠意さえ伝える自信がない。
 それはきっと心の奥で未だに自分は悪くないと思っているからなのだろう。

「謝ることがたくさんあるでしょ!? ソラの全部をめちゃくちゃにしたくせにどうして悪いのがソラだって、そんなことが言えるの!?」

「あいつは――」

 思わず出そうになった言葉を止める。

「ソラは……何?」

「くっ……」

 詰め寄られてシグナムは目を逸らす。
 彼だけではない。リインフォースも。自分たちは誰かに罪を擦り続けてきた。
 それを自覚しても、騎士としてのプライドが受け入れられずに苦悶する。

「みんなソラがいなければって言うけど……あなたたちがいなかった方がみんな幸せだったんじゃないの?」

「黙れっ!」

 一番痛いところを突かれてシグナムは思わず叫ぶ。それでもアリシアは黙らない。

「そうやって苦しんでいるふりをして、みんなになぐさめてほしい――」

「黙れと言っている!」

 シグナムはアリシアの胸倉を掴んで持ち上げる。
 軽い。片腕で簡単に持ち上げられる子供に何をむきになっているんだと思いながらも、身体が勝手に動く。

「お前のような子供に何が分かるというんだ!?」

「わたしはたしかに子供だけど……それでもみんなが言ってることちゃんと分かってるんだから!」

「……あ」

 怒るシグナムの勢いに負けず言い返したアリシアに前の主の姿を重ねる。

 ――どうせ何も分かってねーよ……

 不意に思い出した言葉。
 それはヴィータが幼い主を前に言っていた暴言だった。
 傍にいた魔導師は怪しいと言い続けた自分たちの言葉を頑なに認めなかった主。
 幼い故の無思慮だと思って、勝手にその魔導師を排除しようと決めた自分たち。

 ――やめろ……それ以上言うな……

 これ以上アリシアの言葉を聞けば、大切な何かが壊れる。
 これ以上アリシアにしゃべらせてはいけない。混乱した思考でシグナムは考える。
 考えて、ただ身体が考えずに動く。
 空いている片手をアリシアの細い首に――そこで胸に違和感を感じた。

「おお……グレイト」

 すぐ背後から聞こえる感嘆の声。そして、鷲掴みにされている胸。
 シグナムの思考は一瞬止まり――再起動した。

「うわぁっ!?」

 色気のない悲鳴を上げ――

「え……? ちょっと――」

 片手で吊り上げたままのアリシアを背後に振り回した。

「あ……」

 気付いた時には腕に確かな手応えを感じていた。
 ゴツンと二人の頭がぶつかり合う音が響いた。

「~~~~っ!」

「あ……アリシア……その……すまない」

 頭を押さえてうずくまるアリシアにシグナムも流石に悪かったと思う。
 先程のやり取りの後だけに気まずいが今のは完璧にシグナムの落度だった。

「わたし……あなたのこと、大っきらい!」

 涙目で訴えられる言葉に反論の余地はなかった。
 さすがに気まずいのでシグナムはいきなり背後から胸を鷲掴みにした不届き者に視線を移した。

「それで……何だ貴様は?」

 こちらもアリシアろ同様に頭を押さえてうずくまっている。
 派手な赤い髪が頭をさすりながら顔を上げる。

「いっつう……一発受けるつもりだったが、まさかそんな攻撃をしてくるとは思わなかったぜ」

 胸を触られたのは不本意だが、自分の暴挙を止めてくれたことを考えると不本意だが怒るわけにはいかない。
 男は立ち上がってり、頭一つ分上からシグナムを見下ろした。
 大柄で無精髭を生やした中年の男。
 隙だらけの立ち姿にシグナムは警戒を一段階緩める。

「聞いてないかい? 俺はあんたたちに街を案内するようにって頼まれたのさ……
 約束の場所にいないから焦ったぜ」

「それは……」

 その話は確かに聞いている。
 しかし、辺りを見回してもそこは先程まで自分たちがいた場所ではない。

「つーん」

 原因となったアリシアに視線を向けるが、彼女は不貞腐れてそっぽを向く。

「すまなかった……雪を見て少々はしゃぎ過ぎてしまった」

 誰がとはいわずにシグナムは謝罪する。

「まあ、いいが……それより三人って聞いていたけどあと一人は?」

「む……?」

 言われてシグナムは周囲を見回す。
 遊びは終わりと散っていく子供たちの姿。
 しかし、そこにはフェイトの姿はない。

「どうやら逸れたようだな」

「みたいだな」

 やれやれと肩を竦める男にシグナムは申し訳なく感じる。

「ま、他所者は目立つからすぐに見つかると思うが……そいつは男? それとも女?」

「女だ」

「ちなみに歳は?」

「十歳、その子の姉妹でそっくりだ」

 探すにあたって分かり易くフェイトの特徴を告げると、男は腕を組んで考え込む。

「十歳……まだ子供か……いや、あと十年すれば……今のうちに……」

 シグナムはアリシアに向けていた男の視線に割り込む。
 警戒心を先程とは別の方向に引き上げる。

「ところで貴方の名前を伺っても?」

「ああ、俺はクリフ・ディス・アルティス……まあ気軽にクリフって呼んでくれ」

 名乗って彼はどうしたものかと頭を掻く。
 彼はそうしてしばらく考え込んで――

「よし……お嬢ちゃん、おじさんといいことを――」

 今までで最高の速さでシグナムはレヴァンティンを顕現してクリフに突き付けていた。

「貴様……何のつもりだ?」

「おいおい、気が早過ぎねえか? 大人の時間はまだ先だぜ?」

「戯言を……」

 咄嗟に剣を抜いてしまったことにシグナムはまずいと感じる。
 管理局の力が及ばない世界。しかも街中で剣を抜くなど不道徳にも程がある。
 騒ぎを起こすなと厳命されていたのについやってしまったことに後悔する。
 現に、男の背後の向こうから槍を持った警備隊らしき二人組が走ってくるのが見えた。

「く……ん?」

 焦燥を感じたが、それはすぐに疑問に変わった。
 一人が相方の肩を掴み、何かを話し始めた。
 そして、二人は足を止めて、親指を立てた拳、ゴーサインをシグナムに向けた。

 ――は……?

 目を見開き、クリフを一瞥してから視線を二人組に戻す。

 ――いいのか?

 ――どうぞどうぞ?

 アイコンタクトとジェスチャーのやり取り。
 そんな二人組の諦観と期待の入り混じった目にこの男の所業が日常茶飯事なのだと理解する。

「おお、さっきも思ったけどやっぱすげえ……」

 不意に先程と同じ感覚を胸に感じた。
 二人組の方に意識を向けて隙だらけになっていたシグナムの身体にクリフの手が這う。
 剣を突き付けられたままそんなことをする度胸は買うが、シグナムは躊躇いを捨てた。

「死ね……」

「のわっ!」

 突き出した剣をクリフは仰け反って避ける。

「ちっ……」

 舌打ちをして剣を振り下ろす。
 しかし、クリフは尻もちをついたままわたわたと両手で後ずさる。
 振り下ろした剣がクリフの足の間を抜け、地面に突き刺さる。

「この……」

 地面から剣を引き抜くその一瞬でクリフは立ち上がると背を向けていた。

「待て貴様っ!」

 とりあえずクリフを女の敵だと判断したシグナムはその背中を追い駆ける。

「流石の俺もまだ女に刺されるのは勘弁だ!」

 意外とクリフの足は速かった。
 魔法による身体強化は初めから全開にしてないが、徐々に上げて行っても追い付けない。
 足の速さもそうだが地の利があるし、雪の上を走り慣れているのもあるのだろう。

 ――しかし、誰も突っ込まないな……

 剣を片手に街中を疾走しているのに、自分とクリフの姿を見ると、ああまたか、と言った風な表情になる。
 そんな日常に組み込まれるのは嫌なだと思いつつ、その光景の中に見知った顔を見つけた。

「シグナム? ちょっと何してるの!?」

 街の中の人たちが平然としている中で一人、驚いたフェイトがシグナムに並走する。

「テスタロッサか……少し待っている、今不届き者に引導をくれてやるのに忙しい」

「え……でも、あの人は……それよりアリシアはどうしたの?」

「あ……」

 走りながらシグナムは振り返る。
 フェイトの言った通り、そこにアリシアの姿はない。
 それも当然、シグナム達の大人の走りに子供の彼女が追い付けるはずがない。

「……私としたことが……」

「あ……でも大丈夫みたい」

 フェイトが見上げた先の屋根の上。
 そこに白いマントを翻し半ば飛ぶようにして走るアリシアの姿があった。

「フェイトー!」

 大きく手を振って声を上げるアリシアにフェイトは苦笑いを浮かべる。

「それでシグナム、どうしてあの人を追い駆けてるの?」

「それは――なっ!?」

 フェイトの問いに答えようとして前を見て、シグナムは彼がいないことに気が付く。

「何処に――?」

 足を止め、周囲を見回して――

「うーん……やっぱりあと十年くらいしないとダメだな」

「え……?」

 間の抜けた声をもらしたのはフェイトだった。
 いつの間にか背後に回っていたクリフが後ろから抱き付くようにしていた。
 その手は彼女の未成熟な胸に回っている。

「き……きゃあっ!」

 悲鳴を上げると同時にバルディッシュを顕現して横薙ぎに振る。

「おっと甘い甘――グハッ!?」

 でたらめに振ったバルディッシュは難なく避けられるが、頭上から降って来た紫電のフォトンランサーがクリフに直撃する。

「ちょっとかあさん!?」

 吹っ飛ばしたクリフとフェイトの間にアリシアが戸惑いの表情で降り立つ。
 その手に持つ杖のデバイスは怪しい光を纏って――

『死になさい』

 物騒な言葉を発した瞬間、十数発のフォトンランサーを撃ち出した。

「うおっ……はっ……なんのっ……こなくそっ……まだまだ……よっしゃあ……」

 高速の弾丸をクリフは地面を這い、時には飛び跳ね、仰け反り、転んで無様な醜態をさらしながらも避ける。

『ちょこまかとまるでゴキブリね、アリシア追って』

「う、うん」

 駆け出すアリシアにシグナムは我に返ってその後を追い駆ける。

 ――今のは何だったんだ……?

 言葉にすればクリフが無様ながらもフォトンランサーを避けただけ。
 何の技術もなく、ただ必死に避けただけなのにそれがシグナムの勘に引っかかる。
 今も懸命に追っているものの追い付けない。そして撒かれない。

「二人とも、これはおそらく……」

 前を走る二人にシグナムは声をかけようとしたところで、クリフは半透明な光の向こうに身を跳ばした。
 それは極寒の外とを隔てる大規模な結界。
 いくら逃げるにしても流石に結界の外に逃げるのは正気とは思えない。ならば――

「誘われているか……」

 気が付けば中央近くにいたはずなのにこうして結界の縁に来てしまっている。
 街中を逃げ回ったのもおそらくはフェイトと合流させるため。

 ――そして、私やテスタロッサの身体に触れたのは挑発……いや、あれは素だな……

 一瞬、巧妙な策を巡らせる智将かと想像したが頭を振ってそれを否定する。

「どうする……?」

 おそらくこの向こうで彼は待ち構えている。
 本当の強者はその実力もうまく隠す。
 先程までの行動が演技だとすれば、その実力はシグナムでは計り切れない。
 しかし、シグナムの呼び掛けに躊躇うことなく答えたのは――

『当然、行くに決まっているわ……フェイトに汚らわしい手で触れたこと死ぬほど後悔させなくてはいけないのだから』

「かあさん……」

 一番やる気になっているのがデバイスだということに違和感を感じるが、まあいいと納得する。
 言葉にしないもののフェイトも厳しい顔をして、ポケットから小さなケースを取り出す。
 その中身のカプセルをフェイトは水もなしに飲み込む。

 ――テスタロッサ……

 フェイトが飲んだのは精神安定剤。
 前の戦闘でトラウマを負ったフェイトがそれでも戦うことを決めた処置。
 魔法による暗示。それから薬。あまり褒められたものではないがフェイトの意志は誰にも止められなかった。
 そのことにシグナムは自分の不甲斐なさを感じるが何も言えない。
 
「……行くぞ……」

 無力感を感じながら、シグナムは結界の外に踏み込んだ。
 おそらく待ち構えているのはアポスルズではない。
 おそらく――

「っ……!?」

 ねばりつく感触を感じて結界を抜けた先。張り詰めた空気にシグナムは息を飲んだ。
 そこにいたのは厚い防寒着に身を包んだ男はいなかった。
 軽装鎧の騎士甲冑。腰には剣を差し、まさに歴戦の戦士の容貌でクリフがそこにいた。

「うちの参謀がな……お前たちに協力するなら相応の実力がないとダメだって言うんだよ」

 纏う空気は違っても口調は軽薄なまま。
 一見隙だらけだった佇まいも改めて見れば本当に隙なのか判別できない。

「ま、他にもいろいろ理屈をつけていたが……まどろっこしいのは抜きにして力を見せてみろ。
 俺を納得させられたら、管理局に協力することを約束してやる」

「そんなにあっさりと決めていいんですか?」

「ああ、誰にも文句は言わせねえよ」

 絶対の自信を滲ませてるクリフにシグナムは深呼吸をして構えを取る。

「時空管理局武装隊――ベルカの騎士、シグナム」

「時空管理局執務官候補生――フェイト・テスタロッサ・ハラオウン」

「えっと……フェイトのお姉ちゃんのアリシアです」

 名乗りを上げるシグナムに習ってフェイトとアリシアも名乗り構える。
 それに対してクリフも名乗る。

「飛天の王、クリフ・ディス・アルティスだ」

 予想外の大物にシグナムは驚く。
 シグナムが知っている王ははやてを除き、セラとアサヒそしてソラの三人だ。
 そのどれもが魔導師の観点からして見た目でデタラメだった。
 歳不相応な殺気を撒き散らせるセラ。
 戦闘スタイルがまるではっきりしないアサヒ。
 そして、魔導師の才を持たないソラ。
 彼ら三人と比べると目の前の男は至って普通に見えた。

 ――テスタロッサの情報が正しければ飛天の書の力は魔力の供給……

 十メートルにも及ぶバリアジャケット『天の衣』が出てくるのなら話は別だが、素の状態では魔力量が無限になるだけで出力が上がるわけではない。

 ――ならば、短期決戦で終わらせる!

 意気込み、カートリッジを炸裂させようとしたところでシグナムの前をフェイトの腕が横に遮った。

「ダメだよシグナム」

「テスタロッサ……? どうした?」

 緊張に震える声にシグナムはいぶかしむ。

「シグナム、それにアリシアもこの人を侮ってる……
 飛天の魔導書の力は確かに魔力供給だけど、それがあるからこの人たちは強いんじゃない」

「何を言っている?」

「この人は飛天の力がなくても強い……だから、見ててっ!」

 最後の言葉がシグナムに届く前にフェイトの目の前から消えた。
 そして次の瞬間、クリフに肉薄したフェイトは轟音を立てて地面に叩き付けられていた。
 クリフは剣を抜いてない。素手でフェイトを地面に叩き付けたのだ。

「なっ……!」

 ――初見でテスタロッサの速さを見切っただと!?

 驚いている間に地面に叩きつけられたフェイトが消えてクリフの背後、上からバルディッシュを振り下ろしていた。

「おっと……」

 クリフは視線を向けることなく身体を斜めに傾けてそれを避ける。

「はぁっ!!」

 それにもめげず、フェイトは鎌を横に薙ぎ払う。
 鋭さと速さを兼ね揃えた一撃を前にクリフは顔色一つ変えない。
 だから、フェイトは鎌の刃を自ら消してその一撃を空振りにする。

「お……?」

 そのままバルディッシュを放し、一歩詰め寄る。
 次の瞬間、両手に施していたディレイマジックが起動する。

「サンダーインパルスッ!」

 雷を纏った右拳の一撃をクリフの左の横腹に叩き込み、さらに――

「セカンドインパルスッ!」

 左の拳を逆から叩き込む。
 魔力爆発が起こり、爆煙を巻き上げる。

「やったのか?」

 初めて見るフェイトの徒手空拳魔法。それが誰を意識して生み出した魔法か考えるまでもなく、その威力も十分に実戦で通用するものだった。
 しかし――

「おうおう、なかなかやるじゃねえか……」

 対するクリフはあろうことか仁王立ち。
 挟むように繰り出されたフェイトの拳をくらって軽薄な態度を崩さずにそこにいた。
 フェイトは大した動揺も見せずに後ろに跳んで、地面に刺さったバルディッシュを回収してシグナムの横にまで戻る。

「あれが飛天の王だよ」

「なるほど……こいつもデタラメだということか……」

 改めて目の前の男が舐めて戦ってはいけないことを認識する。
 威圧感も殺気も感じない。
 見た感じはただの軽薄で軟派で何の脅威も感じなくても、一書の王。決して油断して良い相手であるはずがない。

「どうした? 一人じゃなくて三人まとめて来いよ」

 挑発の言葉にシグナムは覚悟を決める。
 敵の力量が計れなくても、自分にできるのは近付いて斬ること。

「うおおおおおおっ!」

 咆哮を上げて、シグナムは突撃する。
 上段からの振り下ろし、刃を返して斬り上げる。さらに横薙ぎの斬り払いに繋げる。
 それをクリフは足捌きで避け、掠らせもしない。

「はあああああっ!」

 そこにフェイトが加わっても同じ。
 挟撃、波状、目隠し、どんな連携を重ねてもクリフはそれを見透かして全て避けてしまう。

「どうしたその程度か? こっちはまだ獲物を抜いていないぞ」

 かつて自分も吐いた言葉。言われるとこれほどまでに不快になる台詞にシグナムはカートリッジを炸裂させる。
 同時にフェイトもまたカートリッジを使い、速度を上げる。

「紫電一閃っ!」

「ハーケンスラッシュッ!」

 身体強化、最大速度による一撃さえもクリフには届かなかった。
 それぞれの武器を振り切ったシグナムとフェイトの肩にクリフが触れる。
 展開される小さな魔法陣。
 次の瞬間、全力移動に匹敵す速度で吹き飛ばされた。

「くっ……」

「フォトンランサー……ファイヤ!」

 そこにアリシアが撃ち込む。
 クリフの前にミッド式の防御陣が現れて、受け止めて、弾いた。

「プラズマスマッシャーッ!」

 すかさず、いつの間に移動したのかフェイトが直上から砲撃を放つ。
 命中――したかと思った瞬間、寸前で防御陣が展開され防がれるのをシグナムは見た。
 爆煙が舞い、クリフの姿を覆い隠す。
 そこに――

「アルカス・クルタス・エイギアス――」

「疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ――」

 二つの詠唱が重なって戦場に響き渡る。
 空を埋め尽くす金の雷球。大地を覆い隠す紫の雷球。

「バルエル・ザルエル・ブラウゼル――」

「フォトンランサー・ファランクスシフト――」

 爆煙が晴れたその中心には金の光輪に右腕を拘束されたクリフの姿。

「「撃ち砕け、ファイアーッ!!」」

 さらに――

「翔けよ、隼っ!」

 引き絞った弓からシグナムが矢を放つ。
 無数の弾丸に必殺の矢。
 一人に対して過剰な攻撃。非殺傷設定とはいえ死んでもおかしくないはずなのに、シグナムの胸には不安がまとわりつく。
 遠くクリフと目が合うが、そこに焦りの色は見えない。
 フェイトのバインドが砕かれ、その右腕をクリフは掲げる。
 そして、矢を射た残心のまま、シグナムはそれを見た。
 クリフの眼が金色に変わると同時に背後に魔法陣が現れる。
 その瞬間、感じていた魔力が一気に高まる。

 ――これが飛天の魔導書の力か……

 全容を把握し切れないほどの大きな魔力。
 背後の魔法陣から溢れた魔力光が集束して形を作る。
 それは巨大な腕。人の形をした、まるでロボットのような装甲を纏った機械仕掛けの右腕が宙に浮かぶように出現する。

 ――純粋魔力の物質化、巨大バリアジャケット『天の衣』……

 巨腕はクリフの動きにそって高く掲げられ――そして振り下ろされた。
 その一撃は金の雨を裂き、炎の流星を落とし、紫の津波を割った。
 大地に叩き付けた腕が雪と氷を砕き、局所的な吹雪がクリフの姿を覆い隠す。
 目の前の光景、吹雪の風にシグナムは身を固くする。

「はっ……」

 思わずこぼれたの自嘲の笑いだった。
 嫌悪した過去の所業。それでもそこで積み重ねた強さはシグナムが誇れる力のはずだった。
 しかし、度重なる敗戦がそれを壊した。
 南天の王セラに元夜天の王ソラ。そして飛天の王クリフ。
 特別な三人を前に自分の力など、ただのベルカの騎士に過ぎないことを痛感させられた。

「……勝てるわけない」

 剣も弓も届かない。残った連結刃もおそらくはクリフに通用しないだろう。
 飛天の力を使わせたとはいえ、それは一部分。

「何が騎士だ……私は……私はこんなにも……弱かった……」

 再戦すれば必ず勝てる。そう思い込み、今までなんとか繋ぎ止めていたプライドが音を立てて崩れて行く。
 うぬぼれていた。世界には自分よりも強い者が当たり前にいたのに、それに気が付かずに良い気になっていた。
 所詮、自分の積み重ねなど戦っていただけ。
 強くなろうと上を目指していた相手に敵うはずはない。

「ふぅ……」

 風が止み、白く細かい雪が舞う中でクリフが動いた。
 思わず身構える。が、傍から見てその姿に覇気はなく、彼女を知る者にとっては逃げ腰の姿勢にも見えた。

「そこのお前、やる気あんのか?」

 目を鋭くしてクリフがシグナムを睨みつけた。

「飛天の王としては夜天の騎士を本気にさせられないのは納得できねえな」

「は……?」

 クリフの言葉がシグナムには理解できなかった。

 ――誰が本気じゃないだと?

 夜天の騎士を示す者は自分しかこの場にはいない。
 だが、シグナム自身には手を抜いた自覚は一切ない。
 本気で戦ったからこそ、今無力感に打ちのめされているのだからシグナムは困惑する。

「本気を出すまでもないと思われているなら、それは随分な思い上がりだぜ」

「ちょっと待て! お前は何を――」

「だから少しだけ本気で行くぞ……」

 そう言ってクリフは両刃の長剣を抜いた。
 そして次の瞬間、間合いを詰められていた。
 巨漢な体躯に似合わず、風を乱さない静かで自然な接近に虚を突かれる。
 咄嗟に構えたレヴァンティンで振り下ろされた剣を受け止めるが、支え切れずに身体ごと飛ばされる。

「くっ……」

 見た目通りの重い一撃に歯噛みする。

「仮にも騎士と名乗っていたんだろ? それが何だ、その腑抜けた剣は?」

 反論しようにも息も吐かせぬ攻撃にそんなことをする余裕はない。

 ――手を抜いている? そんなはずはない。今だって全力だ……

 重い斬撃、接近する速度、そしてフェイント。
 無駄口を叩いている暇はなく、全神経をクリフの剣に集中しなくては到底捌き切れない。なのに――

 ――腑抜けているだと? そんな馬鹿なことがあるか!

 内心でクリフの言葉に反論する。
 二度に渡る敗戦によって感じた無力感。三度目はないと気合いは十二分に満たしている。

「くっ……」

 防御の剣をかわして振り下ろされた斬撃を頬にかすめ、シグナムは距離を取る。

 ――集中しろ……

 雑念を巡らせて戦えるそんな甘い相手じゃない。
 それが分かっているのに考えることをやめられない。

「クロス・ディバイド」

 次の瞬間、二つの衝撃が同時にレヴァンティンに打ち込まれる。

 ――まずい……

 目にも止まらぬ二連撃。それを見切れなかったことも問題だが、重い斬撃で腕の握力が奪われてしまった。
 その隙を逃さず、クリフは剣を下から振り上げる。
 剣が、レヴァンティンが、高く、大きく、音を上げて弾き飛ばされた。

「あ…………」

 その事実にシグナムは呆然と飛ばされた剣を視線で追っていた。
 剣士が剣を飛ばされた。
 それは最大の屈辱であり、完膚なきまでの敗北を意味している。

「シグナムッ!」

 フェイトの叫びが自失していたシグナムの意識を現実に引き戻す。
 目の前にはクリフの剣が迫っていた。

「あ……」

 最低限の防御態勢を取ることもできず、剣は――直撃した。
 雪の大地に叩きつけられるシグナム。
 非殺傷設定にされていたおかげで致命傷にはなっていないが、戦闘不能には十分な一撃と地面との衝突にシグナムの意識は飛びかける。

 ――また負けたか……

 満足に動かない身体にシグナムは自身の敗北を認めて身体から力を抜く。

「見るに耐えねえな……」

 そんなシグナムをクリフは見下ろし侮蔑する。

「何だその有様は? 足掻くこともしないで潔く負けを認めるのが騎士らしいとでも思っているのか?」

「何を……」

 問い返そうにも身体に残るダメージが声をかすらせ、咳き込む。
 そして見上げた彼の背後には先程と同じ機械仕掛けの巨腕が浮いていた。

「あ……」

 さらにはこちらを侮蔑するような視線と押し潰さんと言わんばかりの魔力の威圧感。

「てめえは天の眷族じゃねえ……ましてや騎士なんかじゃねえ。てめえはただの――」

 巨腕が振り上げられる。
 シグナムは動く気力が湧かなかった。

「申し訳ありません……主はやて」

 落ちてくる巨大な拳にシグナムは静かに目を瞑る。

「――卑怯者だ」

 クリフの言葉が耳に響く。
 しかし、衝撃は身体にいつまで経ってもこなかった。

「…………っ!? アリシア!?」

 目を開けると目の前には両手を前にしてシールドを張り、巨大な拳を受け止めているアリシアの姿があった。

「フェイトッ!!」

「ベガ! 力を貸してっ!」

 アリシアの隣りでフェイトが二つの大剣を重ね、一つにする。

「撃ち抜け、雷神――ジェット・ザンバーッ!!」

 大きく伸びた金の魔力刃がアリシアのシールド越しに巨腕と激突する。
 両側からの圧力にシールドは容易く砕け、巨剣は巨腕は大きく弾き、その刀身は砕け散る。

「まだっ!」

 衝撃で後ろに弾き飛ばされ、雪の上を転がりながらもフェイトは体勢を直して飛ぶ。

「ライオットッ!」

 作り出す刀身は巨大なものではなく、一メートルほどの普通の刃。
 それでもフェイトの身長からは十分に大きいそれを構え、突撃する。

「甘えっ!」

 しかし、フェイトが辿りつく前にクリフは体勢を戻し、迎撃の体勢を整える。
 フェイトの速度は一瞬で最高速に達しているが、クリフの知覚を振り切ってはいない。
 クリフは向かってくるフェイトを上から叩き潰すように打撃する。

「テスタロッサッ!」

 フェイトの速さと巨腕の速さからかわせない。思わずシグナムは声を上げる。
 しかし、宙を舞ったのは巨腕の方だった。

「なっ!?」

 交差の一瞬、フェイトが何かをしたように見えたがそれを見切ることはシグナムにはできなかった。
 肘から断たれた腕はシグナムの目の前に落ち、雪を舞い上がらせる。

「本当にやるな……リンカーデバイスも使いこなせているようだし、本当に十年後が楽しみだなこれは」

 クリフの賞賛にシグナムは思わず拳を握り込み、唇を噛んだ。

 ――私は……何をしている……?

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 斬り落とした腕の上に着地したフェイトは剣を杖にして肩で呼吸をしている。
 ペース配分を考えない全力攻撃は身体の小さいフェイトには短時間でもかなりの負担がある。
 しかし、それでも圧倒的な力を前に戦意を喪失させず果敢に攻める好敵手。
 彼女にはリンカーデバイスという特別がある。
 だから、飛天の王とも打ち合えるのだ。

 ――本当にそう思っているのか?

 自分がクリフに勝てない理由を自然と考えていることに憤りが募る。

「ベガ……食べていいよ」

 呼吸を整えたフェイトはおもむろに魔力光へと散っていく巨腕に剣を突き刺した。

「く……うっ……」

 巨腕は一気に魔力光の粒子となって剣に吸い込まれる。

「ああっ……」

 魔力の奔流が風を巻き起こす。
 巨腕を構成していた魔力を吸収し切れないと判断したフェイトは手を前にかざして魔力の流れを制御する。
 膨大な魔力を圧縮して作り出したのは――

「カートリッジ……生成……完了」

 見慣れた真鍮色のカートリッジ。しかし、内包されている魔力は支給品のそれを大きく上回る。
 フェイトは大きく一度呼吸して、バルディッシュのリボルバーを開き、それを薬室に叩き込む。

「バルディッシュ、カートリッジロード」

 次の瞬間、フェイトを中心に膨大な魔力が溢れた。
 それは先程のクリフと同等の魔力。
 リンカーデバイスに魔力を食わせ一時的に自分のものにする、吸収機構。
 フェイトはそれでカートリッジを作り、魔力を圧縮した上で指向性を持たせる。

「ライトニング――」

「いっ……!? マジかよ!」

 フェイトの腕に幾重も重なる環状魔法陣。
 それを見て、驚きながらも笑みを浮かべたクリフが剣を地面に突き立てる。そして両手を合わせて前に突き出す。

「――スマッシャーッ!!」

 撃たれたのは極太の魔力砲。

「フォース・シールドッ!」

 張られたのは高密度の魔力を圧縮し、具現化した四重の壁。
 大地を削りながらも衰えることなくその砲撃は壁に直撃し、一枚と二枚目を難なく貫通する。
 三枚目を貫通するに至り、目に見えて減衰し、四枚目でせめぎ合い、それでも撃ち貫く。

「はあっ!」

 そこに待ち構えていたクリフが縦に砲撃を両断した。

「…………スケールが違い過ぎる」

 傍で見ていることしかできなかったシグナムは呆然と呟く。
 同時に胸の中に燻りを感じた。

「いやー死ぬかと思ったぜ」

「これくらいじゃ効かないって知ってたから……思いっきり行かせてもらいました」

 流石に防がれるとは思っていなかったのだろう、フェイトは苦笑いを浮かべている。
 にわかに信じられなかったアルカンシェルを相殺したという話、それが信憑性を帯びてくる。
 それほどの相手と対峙しているのは好敵手と認めたまだ幼い少女。

 ――なのに、私は何をしている?

「これで納得してもらえましたか?」

「ああ、十分だ……
 飛天の王、クリフ・ディス・アルティスの名に賭けてお前たちに協力することを誓おう」

「ありがとうございます」

 小さく笑って、何の前触れもなくフェイトは後ろに倒れた。

「フェイト!」

 それにアリシアが駆け寄り、すぐさまヒーリングをかけ始める。
 『天の衣』を解いたクリフは降りてくる。
 周囲を見回せばいつの間にかクロノの姿もあり、彼は空間モニターでエイミィに指示を出していた。
 フェイトに視線を戻し、シグナムはその姿に胸が熱くなるのを自覚する。
 倒れるほどに全力で向かって行ったフェイトに対して自分は何たる様か。
 このままでは終われない。否、終わりたくない。

 ――敵は強大……それがどうした、強くない敵など存在しない……

 ――負けるのが怖いのか? くだらない、もう二度も完膚なきまでに負けているのに……

「一度や二度負けたくらいで何をそんな臆している……」

 ベルカの騎士は最強。こと接近戦なら負けはない。
 そんな謳い文句をかつてはしていたが、

「そんなくだらんプライド捨ててしまえ」

 必ず勝てる戦など存在しない。
 自分の力に慢心してそれを忘れ、主はやてを救えたことからどんなことも不可能も可能にすることができると錯覚していた。

「ああ、そうだ……私は腑抜けていた」

 勝利は空から降ってくるようなものじゃない。
 全身全霊をかけ、命を燃やし、力一杯手を伸ばした先で掴めるものだ。
 震える自分の両手を見つめ自問する。

「レ……ヴァン……」

 あんな風に自分を削る様に戦った闇の書事件が遥か遠く昔の出来事に思える。
 いつから自分は傷付くのを恐れ、仲間が傷付かないことばかり考えていたのだろうか。
 いつからフェイトは自分よりも先に行ってしまったのだろうか。

「レヴァン……ティン……」

 込み上げる熱が抑えきれない程に熱くなっていく。
 フェイトの戦いを見せつけられ、あてられた熱は留まることなく身体を震わせる。

「レヴァンティンッ!!」

 咆哮に呼応するようにレヴァンティンがシグナムの手の中に飛んでくる。
 それを握り締めてシグナムは――

「――っ!!」

 叫んだ。
 内なる熱を逃がすように、今まで内に溜まっていたもの全てを吐き出すように、高まる感情を示すように、叫ぶ。
 息を全て吐き出し、吸い込んだ空気は冷たいが熱は冷めない。

「そうだ……」

 全身が炎の様に熱い。

「忘れていた……」

 今と比較すれば全身に巡っていた魔力の淀んでいたのがはっきりと分かる。

「これが……」

 深呼吸をして身体の感覚を一つ一つ確かめながら、レヴァンティンを二度三度振り回す。
 風を斬り、炎熱変換の魔力が余波で周囲の雪を溶かす。
 手に伝わるレヴァンティンの意志は歓喜に奮えている。

「これが……私だっ!」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「――っ!!」

 突然の咆哮が雪と氷の大地に鳴り響く。

「シグナム……?」

 彼女がするには似つかわしくない獣のような叫び声。
 何が起きているかのか分からないが、獰猛な笑みを浮かべるシグナムにクロノは嫌な予感を感じた。

「シグナム、もう――」

「そうこなくては」

 止めようとしたクロノを制して、嬉々とした様子でクリフが剣を抜いた。

「え……ちょっと待ってください! 今のシグナムは頭がおかしくなってるんです」

「安心しろクロノ執務官、おかしいのはこの馬鹿も同じだ」

「ひでえな、力を計れって言ったのはお前だろ?」

「まあ、そうだが……」

「そういうことだ執務官。あいつもようやく本気で戦う気になったんだ。
 夜天の騎士の力、そこでじっくり観戦してろって」

「本気って……」

 不意に過ぎった違和感にクロノは言葉を止めた。

「とは言え、このまま戦っても面白くねえな……
 なあ、シグナムって言ったか? 俺が勝ったら今晩、酒に付き合えよ」

「いいだろう」

「で、お前が勝ったら――」

「必要ない。こちらは一度負け醜態をさらした身だ……
 もう一度戦ってくれる、それだけで私には十分だ」

「へ……こりゃ本当に面白くなりそうだ」

 クロノが思考に没頭している間にも会話が進み、緊張が高まる。
 そして、どちらともなく切っ掛けもなく同時に踏み込み、シグナムとクリフが激突した。
 剣のぶつけ合いで巻き起こる衝撃が強い風を作り、クロノの身体を押す。

『ちょっとクロノ君、やばいよ!』

「エイミィ……」

『シグナムの瞬間出力がいつのもの倍以上に上がってる! このままじゃあ自滅だよ』

 それだけ聞けば、確かに自棄になってのオーバーペースだとしか思えないがクロノは違和感の正体に気が付いた。

「なあ、エイミィ……君はシグナムの本気を見たことがあるか?」

『は……? 何言ってるの、そんなのよくフェイトちゃんと模擬戦をしてるんだから何度も……』

「それは訓練上での本気だ。僕が言っているのは実戦での方だ」

『それは……闇の書事件の時に……』

「それだってリンカーコアの蒐集するために相手は生かしておく必要があった。
 それにはやてのことを考えて、人殺しをしないように手加減していた」

『えっと……それじゃあ……もしかして……』

「ああ、僕たちはまだシグナムの、いやヴォルケンリッターの本気を見たことがないんじゃないのか?」

 今、シグナムが巨大な氷山を一刀両断した。
 その攻撃力に動きのキレ、そして遠目にも分かる覇気。
 まるで別人のような動きにクロノは目を奪われる。

「それに……」

『まだあるの!?』

 思わず出た呟きを聞かれてクロノは一旦口籠るが、相手はエイミィだから無駄だと思い口を開く。

「もしかしたらシグナム達は僕が執務官試験に受かった直後の状態だったのかもしれない」

『え……ああ、あのクロノ君らしくないミスを連発した時の?』

「燃え尽き症候群という奴かね?」

「はい、それです」

 アトレーの言葉に自分がその時起こした失敗を思い出しながらクロノは頷く。
 大きな目標を叶えた直後、緊張の糸が切れたままになってしまう。
 よくある話しで、自分はそんなことにはならないと高をくくっていただけにあの時の出来事は消し去りたい黒歴史だ。

「シグナム達は蒐集を果たしてはやてを救うことができた。
 その後にその緊張の糸を戻すような戦いが今までなかったんだと思う」

 管理局に所属するようになって、初めての書類仕事にミスが出るのは当然。
 武装隊としての戦闘も彼女たちに本気を出させる戦場があったとは聞かない。
 フェイトとの訓練にしても、闇の書事件の時に互角だっただけに自分の実力をフェイトの少し上だと線引きして思い込んでいたのかもしれない。

『じゃあ、今のシグナムの力が……』

「フェイトの成長と戦いぶりに中てられて、忘れていた力を思い出した……」

 目の前で見せつけられるシグナムの力。
 それが闇の書の事件で出されていたらと思うとゾッとする。
 カートリッジシステムを搭載しただけでは決して埋まらない差。
 これと同等でヴィータとザフィーラにまで暴れられたら手のつけようがなかった。
 そして、滞りなく蒐集を完成させて自滅していたのだと思うと、本当にあの事件が奇跡の産物だったのだと思い知らされる。

「……勝負を決める様だな」

 アトレーの言葉にクロノは意識を現実も戻す。
 地上、空と目まぐるしく飛び回り、それでいて剣だけで戦っていた二人は今、大地に足をつけてそれぞれ剣を構える。
 高まる二つの魔力。傍で見ているこちらまで緊張に息を飲む。

「シグナム……」

 アリシアに身体を支えながらその姿を見るフェイトは疲れ切っているはずなのにその目は爛々と輝いている。
 まるで戦闘狂のような目に、義妹の将来に不安を感じながらクロノはシグナム達の最後の交差に集中する。
 そして――
 何の前触れもなく、二人は同時に蹴り足で地面を砕いて動いた。
 炎を纏った剣と、光を纏った剣が交差する。
 今までの様な魔力爆発は起こることなく、二人は互いの位置を入れ替えるようにして剣を振り切っていた。
 そして、その中央に半ばから斬り落とされた刃が突き刺さる。

「ちっ……俺の負けか」

 半ばから断たれた自分の剣に視線を落としてクリフが呟いた。

「いや、まだだ」

 振り返り、レヴァンティンを突き付けながらシグナムは告げる。

「『天の衣』を出せ。あのデカブツを叩き斬ってこそ、私の勝ちだ」

「ほう……」

「シグナム! 何を言ってるんだ、君は!?」

「心配なら無用だ。今の私はいつになく調子が良い。誰が来ようと負ける気がしない」

 確かに今のシグナムの勢いならアポスルズの誰かが相手でも前のような一方的な展開にはならないだろう。
 だからといって、これ以上の戦いを認めるわけにはいかない。

「そうじゃなくてだな……これは互いの力を見るための模擬戦だ。
 その目的はすでに果たしている。これ以上の戦闘は無意味だ」

「いいじゃねえか執務官」

 なんとか止めようとするクロノに対して、クリフが笑ってそれを止める。

「折角の機会だ……飛天の書の力、見せておいてやるよ……
 それに、挑まれたのなら王としては逃げるわけにはいかないんだよっ」

 クリフは後ろに大きく飛んで距離を取る。そしてその背後に巨大な魔法陣が現れる。
 それは異界と彼を繋ぐ門。
 他世界から無制限に供給される魔力がクリフの姿を覆い隠し、その輪郭を広げる。
 ぼやけた光は十メートルにまで伸び、まずは足の光が弾け、鉄に覆われたそれが露わになる。
 次いで腰、腕、胸、そして頭。
 光が弾け、その全容がはっきりと形になる。
 それは地球の漫画やアニメに出てくるような鉄の巨人。
 派手な金色の装甲。腰に携えた一振りの剣。両肩に装着された金属パーツ並べて組まれたマント。
 かつてPT事件の時の庭園で相手にした魔導人形とは明らかに違う、美しさを備えたまさに巨人の騎士。

「……っ」

 まじかで見るそれにクロノは思わず唾を飲む。
 見上げる巨躯。感じる力の威圧感は闇の書の闇に相当するが、あれのような暴力的な無秩序なものはなく、制御された流れを感じる。

「…………すごい」

 これほどの力を個人で制御していることにクロノは感嘆の言葉をもらす。

「はああああああああっ!」

 しかし、そんな感動をそっちのけでシグナムが己を高めるための声を上げる。
 こちらも今までにないくらいの魔力を高ぶらせ、身体に漲らせる。

「いくぞっ!」

 さらにカートリッジを上乗せしてシグナムは弾丸となって飛翔する。
 金の騎士はそれに対して緩慢な動きで剣を抜く。
 その巨大な体躯と距離によって遅いと錯覚するが、シグナムが近付くまでには剣を構え終わっている。
 当然、剣の間合いは今のクリフの方が圧倒的に広い。
 シグナムは巨人の剣をかわしてその懐に入らなければ彼女の剣は届かない。
 つまり、最初の一撃をかわせるかで勝敗が決まる。
 そして、それは一瞬の交差だった。
 巨大な剣が振り下ろされる。同時にシグナムが――失速した。

「あっ……?」

「え……?」

「あれ……?」

「おや……?」

 漲らせていた魔力も突然霧散して、飛翔の速度ががくりと落ちる。
 そこに巨剣がぶち込まれた。

「あー……」

 大きな放物線を描き、特大のホームランとなって飛んでいくシグナムを思わず首を動かして追っていた。
 そして、遠くの方で大きな雪柱が立ち昇る。
 ひゅうーっと冷たい風が吹いた。

「あー……その……エイミィ、シグナムは生きてるか?」

『え……? ああ、うん……気絶してるみたいだけど大丈夫。ただ、緊急保護システムが起動してるから早く救助に行った方がいいかな?』

「そうか、分かった」

 務めて冷静に、できるだけ淡々と、極力事務的にクロノは受け答えする。

「えっと……クロノ……今シグナムが……」

 未だに困惑が抜け切れないフェイトが呆然としたまま言葉を作る。

「ああ、調子に乗って残りの魔力量を考えなかった結果があれだ」

「あれ……」

 フェイトは一度クロノに向けた視線を小さくなっていく雪柱に戻す。

「いいかフェイト! シグナムは身を持って教えてくれたんだ!
 いくら絶好調でも調子に乗ったら自滅するという事実を!」

「あ……! うん、そうだね! 別に他人事じゃないもんね、私もこないだすごい失敗したしね!」

 無駄に声を大きくしてクロノとフェイトは何かを誤魔化すように叫び合う。

「かっこ悪い……」

 しかし、ぽつりと呟いたアリシアの言葉に二人は肩を落とした。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 暗い……暗い闇から意識が浮上する。

 目を覚ますと赤い照明が明滅する室内だった。それに伴って鳴り響く警報。

「また……意識を飲まれていたか」

 足下には干乾びたミイラが一つ。振り返れば同じようなものがいくつも並んでいるだろう。
 もはや、慣れたこと。今さら良心が動くことはない。

「もうすぐ一年か……」

 あの日、復讐を誓い、この力を手にした時からもう覚悟はしていた。
 どれほどの血を流しても必ず成し遂げてみせると。

「もうすぐだ……アルシオーネ……もうすぐお前の仇が討てる」

 胸に手を当ててもあるのは冷たい鎧の感触。
 それでも首に下げている形見に思いを馳せる。
 そうしている時だけ、自分はまだ力に飲まれてないことを実感できる。

「おうおう、これはまた派手にやったな」

 背後からチンピラのような男の声が投げかけられる。
 振り返る気にはなれず、そのまま応じる。

「約束は果たした。報酬の情報を教えてもらおうか」

「せっかちだな。これから仲間になるっていうのに、先輩を敬え」

「慣れ合う気はない」

 短い拒絶に背後からため息が聞こえる。

「ま、足並みを揃えてくれるなら別にいいけどな……俺たち『アポスルズ』はそういう集まりだし」

「それは心得ている……」

 管理局はアルシオーネを殺した奴を裁かず、隠した。
 どれほど叫んでも、抗議の声は決して届かず、逆に権力を持ってその口を塞がれた。
 あの時感じた絶望は今でも忘れない。あの時感じた怒りは今でも消えていない。

 ――管理局が裁かないと言うなら、俺が裁く……

 そう決意し、何年掛かっても必ず復讐を成し遂げると誓った。
 だから、リンカーデバイスを手に入れたのはまさに僥倖だった。
 十数年、奴に対抗するため己を鍛えるのに必要な時間は新たな武器のおかげで大幅に短縮された。

「お前たちには感謝している。最低限の義務は果たすように務める」

 確かに強大な力を手に入れたが一人だったらそう遠くないうちに管理局に追い詰められ、志半ばで朽ちていただろう。

「だが、今の俺にはそれ以上の余裕はない」

 リンカーデバイスを使うたびに自分が浸食されているのを感じる。
 最初は自分の意志で戦えていたが、近頃は今日の様に気付いたら終わっていることが多くなっている。
 先日も、気付けば管理外世界にいた。
 そして浸食が戦闘時に留まらず、平時にまで及んでいる。
 自分が自分でなくなることに恐怖はない。
 それ以上に復讐の思いを忘れてしまうことの方が恐ろしい。

「それで……奴は今どこにいる?」

「…………お前が殺したがっている騎士は今第43管理世界クラスティアにいる」

「そうか……感謝する」

 自分に後がないことはこの男も分かっているはずなのに、手を差し伸べてくれた彼とその仲間たちに感謝する。
 復讐を果たし、その後も自分がまだ自分でいられたなら、彼らの復讐に全力で力を貸すことを心の中で誓う。

「それだけのいいのか? そいつの魔法傾向とか戦術、名前とか一通りの情報は提供できるぜ」

「必要ない」

 そいつの魔法も戦い方も身を持って知っている。そして名前などに興味はない。
 目をつむればあの時の光景を鮮明に思い出すことができる。
 炎を纏った剣で友を一刀両断にした女騎士。
 その時の自分は彼女に剣を抜かせることさえできなかったが、今は違う。

「そういえば、あんたの名前聞いてなかったんだけど?」

「名前はとうに捨てた……どうしても呼びたければ、エルナトと呼べ」

 不気味に釣り上げられた口で作られた笑みは果たして何なのか。
 復讐を目前にした昂揚か、それとも新たな戦場に対する渇望か。
 どちらなのか、それは彼本人にも分からなかった。





 補足説明
 シグナムの全力
 いろいろな制約を解放したシグナムの真の力。
 作中でも述べたように、蒐集する必要から相手を殺さないように手加減をするくせが染みついていた。
 また、はやてのデフォルトの作戦命令が『いのちをだいじに』だったため自然と保守的な戦い方になっていた。
 作戦内容をフェイトに触発され『ガンガンいこうぜ』に変更したことでシグナムは本来の戦い方を思い出す。
 これは魔力量や出力が上がるものではなく、自分の力を最大効率で使うようになるだけでランクの上下はしない。


 『サンダーインパルス』
 近接徒手空拳魔法。
 ブレイクインパルスの亜種でリソースは小さくディレイ発動が可能。
 威力は低いが一撃目で相手に電撃を溜めさせ、二撃目でそれを体内で炸裂させる魔法。
 これは『セカンドインパルス』でなくても、射撃・砲撃でも融爆することが可能。

 『ライトニングスマッシャー』
 サンダースマッシャーとプラズマスマッシャーの上位魔法。




 あとがき
 大変長らくお待たせいたしました。
 33話、新しい魔導書とシグナムのパワーアップのお話でした。
 次回の34話『復讐』ですが、これまたいつになるか分かりません。






[17103] 第三十四話 復讐
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:e111a3b6
Date: 2013/01/12 20:42


 どんよりとした空気を背負うシグナムに対して目の前の男は上機嫌だった。

「やっぱ美人に酌してもらえる酒はうめえな」

「そうか……」

 ――穴があったら入りたいというのはこういうことを言うんだな……

 思い出すのは彼との戦闘。
 まるで新兵のような失態に気絶から醒めたシグナムは頭を抱えてみもだえた。

「はぁ……」

「おいおい、辛気臭いため息を吐くなよ」

「うるさい……酒に付き合うことは約束だから文句はないが、愛想を振り撒く気にはなれん」

「ま、あれだけ威勢よく吠えてあんな負け方したんじゃな……ぷっ」

「ぐ……」

「まあ、飲めよ……嫌なことは飲んで騒いで忘れるに限るぜ」

 先程シグナムがしたのとは逆にクリフが目の前のグラスに酒を注ぐ。
 波立つ琥珀色の液体にシグナムの記憶が刺激される。

 ――おい! お前も飲めよ――

「どうした? もしかして酒を飲んだことねえのか?」

「……いや……飲んだことは……ある」

 一番新しい記憶では数ヶ月前の春、花見の場でレティ・ロウランに飲まされた。
 それより前の記憶になると、戦勝の宴の席や召使いが差し入れてくれた食べ物にもあった。
 王はともかくとして、その周りにいる人たちには優しい人たちは確かにいた。
 しかし、その楽しげな顔も優しい顔も、最後は絶望に染まって怨嗟を叫んだ。

「っ……」

 思わずグラスを一気に仰ぐ。
 感じた悪寒を打ち消すように喉が熱く焼ける。

「良い飲みっぷりだな……ほら、もっと飲め」

 すかさず追加を注がれる。それも一気に飲み下し、逆にシグナムはクリフのグラスに酒を注ぐ。
 そんなやりとりを何度か繰り返し、机の上の空き瓶を量産して夜が更ける。
 シグナムは冷たいテーブルに突っ伏し、クリフは天井を仰ぐように椅子にもたれていた。

「…………どうして……人は分不相応な力を求めるんだ?」

 そのままの体勢でシグナムは独り言のように呟く。
 シグナムの知る主はただ一人を除いてみんな力を求めた。
 分不相応な力、それを得るために主たちはどこまでも貪欲に意地汚くなれた。
 そんな欲望にまみれた主たちのことを常に嫌悪の目で見ていた。

「そんなのは簡単だ……できないことを諦められないから力が欲しいんだ」

「それで、他人を害してもいいと言うのか?」

「他人も倫理も人道も関係ねえよ……それで解決するようなら、そもそも力なんて求めねえ」

「だが……」

「それに人間っていうのは常に欲を抱えている生き物だ……
 初めは些細な欲望でもそれが叶えば次の欲望、なまじ魔法なんて万能に近い力があるせいでそこに歯止めなんてありゃしない」

「魔法……か」

 当たり前に持っている力。ただ壊すことにしか使えない力。シグナムにはそれがとても大層なものには思えない。

「ああ、くそっ……酔ってるな」

 不意にクリフが悪態をついて手で目元を隠す。

「…………俺はこの街が嫌いだった」

「……そうか」

 突然の言葉にシグナムは相槌を打つ。

「この街はな……昔、アークに生贄を捧げて維持していたんだ」

 クリフが飛天を手に入れる以前、荒廃した世界の中で生きるために人々はアークに頼るしかなかった。
 しかし、どれだけの人が集まっても、それに比例する万を超える人々を維持するエネルギーをアークから作り出すことはできなかった。
 そこで考えられたのは、優秀な魔導師を魔力を作り出すことに特化するように改造してアークに組み込むシステムだった。
 それはまさに生贄だった。
 被験者は人としての機能は魔力を作り出す以外全て削ぎ落され、身体中にそれを促進する術式を刻まれた。
 息をすることも、食べることも、考えることもしない。ただ魔力を作り出す器械になってアークの機能の一部になる。
 そこまでしても一人の生贄で賄えるのは一年から二年のわずかな時間だけ。
 そのわずかな時間の間にまた新しい生贄の調整が繰り返される。

「街の維持に加えて、アークを万能の生産器だと勘違いした奴らの対処……
 もうアークも壊れかけの世界も捨てて他の世界に移住しようって何度も言った……ま、誰も聞きやしなかったけどな」

「それはどうして?」

「この世界が自分たちの生まれた世界で、古来からアークを守る一族だったからさ」

 郷愁と古の役目。
 前の方はともかく、後ろの方はシグナムにも理解できる。

「ま、そんな頭でっかちな奴らに嫌気が差して俺はこの世界を飛び出したのさ」

「…………では、何故今ここにいるんだ?」

 突っ伏したまま、顔の向きだけ変えてシグナムはクリフの様子を窺う。
 彼は天井を仰いだまま、瓶から直接酒を飲む。

「俺は……この世界を壊す力が欲しかった……」

 天井を向いたままの彼の表情はうかがえない。

「古い役目に縛られている奴らにアークを求める奴ら……みんなぶち壊せる力が欲しかった……
 ロストロギア……アルハザード……アーク……
 そんなものが存在していると思うと……それくらいできる何かがあると本気で思っちまうんだよ……
 ……それで、まあいろいろやって手に入れたのが飛天の魔導書だ」

「だが、この世界……この街はまだ存在している」

 それにクリフは答えない。代わりに問いを投げかけて来た。

「お前にとって俺は悪い人間か?」

「え……?」

「いろいろっていう中には結構あくどい事もあるんだぜ」

 重ねて付け加えられた言葉にシグナムは問いの意図に気付いた。
 クリフはシグナムが嫌った分不相応な力を求めた人間だ。

「それは……」

 問われ、考える。
 まだ彼と出会って一日も経っていないが、人間的に問題はあっても悪い人間ではないことは剣を交えて理解していた。
 そして今の話を踏まえて考えてみても嫌悪の感情は湧かない。
 かといって、何かを踏みにじって力を得た彼を受け入れるのには抵抗がある。

「っていうか……何でそんなこと気にしてんだよ、お前だって、少し前に派手に暴れてたんだろ?」

「なっ……!? ふざけるな私たちはお前たちとは違う!」

「違いやしねえよ……お前は俺たちと同じ、我欲で他人を振り回す最低の人種だ」

 自嘲するクリフにシグナムは怒りを感じる。

「違う! 私たちは主のために――」

「じゃあ、その主が悪いのか?」

「違う! 今代の蒐集は私たちの意志だ」

「ほら、やっぱり俺たちと同じだ」

「ぐ……だが、仕方がないだろ? そうしなければ主はやての命が失われていたのだから」

「仕方がない……か……ま、いいんじゃないか。そうやって逃げ続けるのも」

「私は逃げてなどいない!」

「ほら、グラスが空だぞ、もっと飲め」

 シグナムの抗議など聞きもせず、クリフが新たに酒を注ぐ。
 誤魔化されたと感じつつも、シグナムはそれを一気に煽る。
 胸の中にある不可解なしこり、それが大きくなってきているのを紛らわせるように熱い液体を飲み干す。

 ――そう、自分は間違っていない……

 あの時はああするしかはやてを救う道はなかった。
 自滅への道だったかもしれない。しかし、その道を進んだからこそなのはやフェイトと出会い、それがはやてを救う道に繋がった。
 蒐集を誇るつもりはないが、それでもそれが間違いではなかった。

 ――そうだ……私は……歴代の主たちとは違うんだ……

 何度も自分に言い聞かせる。
 しかし、思い浮かぶ前の主の顔。
 闇の書の破壊を望み、自分たちが全てを奪った子供。
 そして、全てを失ったにも関わらず人智のおよばない力を身につけて成長した少年。

「もう一杯っ!」

 脳裏に浮かぶその顔を振り払う様にシグナムはクリフにグラスを突き出した。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「あー……うー……」

 立派な玉座を思わせる椅子に座るクリフはぐったりとテーブルに寝そべって唸る。
 そこには王の威厳など欠片もなく、歴戦の戦士の姿もない。
 そこにいるのはただの二日酔いのダメ中年だった。

「そういうわけだから、連れて行くならこいつを持って行ってくれ」

「本気ですか?」

 クリフを顎で指すアトレーにクロノは戦慄した表情で返した。

「ああ、酒癖と女癖が悪いが実力は見ていた通りだ」

「ですが、仮にも王なんですよね?」

「この街をまとめているのは私だ……
 そいつは確かに飛天の王だが、だからこそ今の状況なら外に出て行ったほしい」

「…………厄介払いとか思ってませんか?」

「さあ、何のことだか分からないな……
 出向中にそいつが刺し殺されても我々は一向に関知しない。思う存分こき使ってくれ」

「おい、アトレーそれはいくら何でもひどいんじゃねえか? っていうかそんな話聞いてねえぞ」

「先に言っていても文句を垂れ流すだけだろ?
 だいたい何だその有様は? 今日は会議があるから程々にしておけと忠告していたはずだが?」

「いや、だってさ……なかなか酔ってくれなくてさ……
 酔い潰れたら優しく介抱してやる俺の計画が……」

 無念そうに呻くクリフから視線をシグナムに移す。

「何か?」

「いや……君は平気そうだな?」

 その場にはいなかったが、おそらくは同じくらいの量を飲んでいるはずなのにシグナムは不調らしいものを微塵もみせていなかった。

「もしかしたら私たちには酔うという機能がないのかもしれないな」

「なるほど……」

 シグナムの推測にクロノは相槌を打つ。
 魔導生命体である彼女たちがどこまで人と同じ機能を持っているのかはまだ全て把握していない。
 だから、ヴォルケンリッターが実際に酔わなくても不思議ではない。

「まあ、それなりの理由を上げると――」

 愚痴るクリフを適当にあしらってアトレーが話を戻す。

「アポスルズの目的が飛天の魔導書なら、私たちが持つ写本よりも原本を狙わなければ意味はない」

「写本……前にもそんな言葉を聞いたことがあるが、それはいったいどんなものなんですか?」

「写本はその魔導書の固有技術を王以外に使わせるための技術だ……
 私たちで言えば『魔力召喚』、夜天で言えば『蒐集行使』がそれに当たるだろうな」

「え……『蒐集行使』はレアスキルのはずでは?」

「技術というのは他人に使わせることができて技術というんだ。もちろん、適正というものもあるがね」

「そう……ですか……」

 つくづく天空の書が他のロストロギアと比べるととんでもないものだと思う。
 はやてもユニゾンデバイスを作るに自分の蒐集行使を持たせることも考えていた。そこから気付くべきだったのだろう。
 天空の魔導書は管理局が定めたランク付けを逸脱している代物だと改めて思い知らされる。

「そういうことだから奴らが『魔力召喚』の技術を狙っているのなら、クリフを狙う……
 ならば他の人間をそちらに行かせてもこの世界にそいつが残っていたら意味がないだろ?」

「はい……」

 理屈は納得できるから頷くが、どうしても感情が受け入れられない。
 そもそも、こんな人間と相対すること事態が初めてで戸惑うばかりだ。

「ですが……その……ちゃんと戦ってくれるんですか?」

「逃げていい戦いと逃げられない戦いの分別くらいこいつにもあるから問題はないだろう?」

「そこを疑問形にするのはやめてください」

 げんなりとうなだれるクロノにアトレーは苦笑をもらす。

「良い機会だ。扱い辛い駒の使い方も学んでおくといい」

「そう思うことにしておきます」

 せめて嫌味にため息を大きく吐いてみるが、まったく気にもされない。

 ――外交っていうのは難しいな……

 今まで交渉事を母に任せきりだったとことを改めて感じる。
 今回は相手が協力的だから良いが、これが敵対者なら自分はきっとやり込められていたに違いない。
 学ぶことは多い。
 クリフの様な扱い辛い人間を御するのも今後の課題とも言える。

「話がまとまった所で天空の魔導書について講義するとしよう」

「え……いや、お願いします」

 一瞬、王であるクリフに視線を向けてしまったが改めてクロノは先を促す。

「天空の魔導書はすでに知っている様に『神』となることを目指している。
 そこに至る研究の道として大きく三つに分けられる」

 無限の魔力を耐えられる身体と制御力――『魔器』
 無限の魔力を使って作りだす術式――『魔法』
 無限の魔力を作り出す――『魔生』

「『魔器』と『魔生』の意味は分かるんですが『魔法』というのはいったい?」

「君たちの使う魔法の消費が10だとしよう、なら10万の魔力を消費する魔法とはいったいどんなものだと思う?」

「それは……」

 簡単な数値換算でならアルカンシェルがそれに当たるのではないかと思ったが、ここでの質問の意図は違う。
 クロノが知る中でもアルカンシェルを超える魔法はない。
 しかし、それは知らないだけで存在はしている。それこそ御伽噺の類の話の魔法でだが。

「概念魔法ですか?」

「それも一つの答えだな」

 頷くアトレーにクロノは天空の魔導書が目指すものの大きさを感じた。

「ねえ……がいねん魔法って何?」

 そこにアリシアが口を挟んだ。

「概念魔法はアルハザード時代にあったとされる古代魔法の一種だ……
 この世を縛る物理法則を超過するのではなく、書き換える、世界の理を歪める魔法だ」

「世間では『夢想魔法』や『架空魔法』と呼ばれていて、漫画やテレビの中でしか使われない実現不可能な魔法ですが……」

 言葉を切ってクロノは考え込む。
 同年代と比べるとその手の知識はほとんどないと自覚しているクロノだが、それでも最低限のことくらい知っている。

「そんな『魔法』が本当に存在するんですか?」

「二書がそれに近い魔法を完成させたとされている」

 いぶかしむクロノにアトレーはあっさりと応える。

「『青天』と『下天』……この二書が向こう側についたのなら管理世界は確実に終わるだろうな」

「っ……」

 何気なく出された言葉にクロノは息を飲む。
 『青天』、それは忘れたくても忘れられない魔導書。

「『青天』の魔法は……どんなものなんですか?」

「空間と時間、そして因果を操り奇跡を起こす、とだけ聞いている」

「奇跡……」

「『下天』に関してはそう心配はいらないだろう」

「それは何故?」

「『下天』はすでに厳重封印されているからだ」

「でも、封印されているならそれが解かれる可能性があるはずでは?」

「解いたとしても誰にも使えはしないさ……だが、爆弾として使うならこれほど破壊力のあるものはないか」

「……それは、どんな魔法なんですか?」

「下天の魔法は虚数空間に満ちている力を使うものだとされている」

「虚数空間の力……」

 漠然とした説明だが爆弾と評するのも頷ける。
 魔法文明である次元世界で魔法の効果をキャンセルする力など危険過ぎる。

「でも、そんなもの本当に操れるのか?」

 いきなり大きくなったスケールにクロノは半信半疑で聞き返す。
 それにアトレーは苦笑する。

「できないことをできるようにする、それが天空の書の在り方だ」

「そう……ですか……」

 そう言われてしまえば納得するしかない。
 現に天空の書に関わるソラはクロノが考えられない不可能を実現している。
 目の前の北天の技術も魔力を原理としない時点でクロノの理解の範疇ではない。

「…………何?」

 自分の思考に疑問を感じる。その間にそれは起こった。
 クロノとアトレー、二人が挟んでいたテーブルの上で不自然に空間が歪むと、次の瞬間天使の羽を持った少女が現れる。
 奇襲。
 魔法ではない超能力による力により、魔導師の警戒の隙間を超えて来た少女にクロノは見覚えがあった。

「レグルス、薙ぎ払いなさいっ!」

 さらに彼女の周囲に無数のナイフが現れ――放たれた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 無数の刃が蹂躙した部屋、立ち込める煙の中でアポスルズの一人、アンジェは奇襲の成功を実感していた。
 魔力反応のない超能力によるテレポート。
 魔導師はその性質や経験もあって、魔力反応には敏感に反応する。
 だからその枠から外れる人工フェザリアンのアンジェの奇襲は有効に働く。
 しかし、立ち込める粉塵の中、アンジェは油断も慢心もせずに新たな動作を作る。

「レグルスッ!」

 全方位に飛ばしたレグルスを呼び戻し、形態を無数のナイフから大剣に変える。
 念動で持ち上げた人の身長程ある剣はその切っ先を煙の向こうに向け、同時に周囲の瓦礫をレグルスの周りに浮かべる。

「いきなさいっ!」

 魔導師が行う高速射出に劣らない速度でまず石つぶてを飛ばす。
 普通の魔導師なら最初の奇襲で終わっているだろうが、相手は天空の一書の王。
 アンジェは攻撃の手を緩めずに畳みかける。
 石の弾丸。それに対するアクションに合わせてレグルスを待機させる。
 回避か防御……来たのは斬撃形状の魔力攻撃――反撃だった。
 それは煙を切り裂き、石の弾丸を無造作に薙ぎ払いアンジェに迫る。

「っ……」

 しかし、それはアンジェの予想の範囲内。
 アンジェは刀身に隠れるように身構え、視界を遮ってからテレポートで飛天の王の背後に飛ぶ。
 剣を振り切り体が流れている飛天の王の背後。まずはその剣を振る右腕に意識を集中する。

「まがれっ!」

 思念の糸は彼の右腕を捕え、その周辺の空間ごと捻じ曲げ――

「くっ……」

 しかし、その力はアンジェの意志に対抗するように別の力と拮抗する。
 意志を強めて一層の力を込める。
 だが、念動の力場は内側から放出された魔力の圧力に弾け飛んだ。

「なっ……!?」

 力任せな対抗にアンジェは絶句する。
 その驚愕の一瞬に飛天の王は振り返ると同時に剣を薙ぎ払った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「思い切りもいいし、状況判断もいい、退き様も鮮やか……もったいねえな、良い女なのに敵かよ」

 剣に付いた血を払うクリフを視界の端にクロノは肩に負った裂傷を止血する。
 魔力を伴わない空間転移による奇襲と追撃。
 驚きながらも身体はしっかり反応してバリアジャケットを作り、抵抗できないエイミィを庇って楯も張った。
 それでも彼女の放った刃は強力でその一本が防御を破って肩に突き刺さった。
 しかし、それだけで済んだのはむしろ僥倖だ。

「みんな……大丈夫か?」

「こちらは問題ない」

「わたしたちも大丈夫だよ、クロノ」

 クロノの言葉にシグナムとフェイトが返事をする。
 シグナムは騎士甲冑をまとわず、手に剣を持ち、それで無傷。
 フェイトはアリシアを庇った上で怪我らしきものはない。
 アトレーは聞くまでもない。
 傷を負っているのが自分一人だということにへこみつつ、クロノは感じた疑問を口にする。

「どうして彼女はいきなりこんなことを……?」

「不思議か?」

 その呟きにアトレーが言葉を返す。それに頷きつつクロノは続ける。

「この世界と管理局の関係を考えれば、協力を求めたってよかったはず……
 確かに僕たちの方が先に交渉に来ていたが、問答無用で奇襲をかけるなんて急ぎ過ぎだ」

「そうでもないさ」

 その声には何故かこうなることを予想していた余裕を感じた。

「天空の書を集める。その時点で彼女たちと私たちの対立は確定している」

「それは……どうして?」

「天空の書は他の書と手を取り合うことがまずないからだ……
 彼らは自分たちの技術に誇りを持ち、自分こそ最も優れていると思っている……
 だからこそ、他の魔導書と協力することはしない。それでも一つにまとめようとするならば書を屈服させる他には方法は一つだけだ」

「一つはあるのか?」

「書の気まぐれだ」

「それはまた曖昧な答えだな」

 いい加減な理由だが納得もできる。
 そういう理由があったからアポスルズが北天の意志を殺したのだろう。

「ところで……追えますか?」

「いや……魔力の痕跡がないせいでまったく分からないな。別の方法で対処しなければいけないなこれは」

「そうですか」

 自分でもやっていたから、その答えに落胆はない。

「だが、それを差し引いても相当に狂っているようだな」

「彼らは名目上テロリストとして扱われているが実際は復讐者……らしい。
 だからなのか、彼らは保身を考えてない。あの力も人体実験だと分かってても自分から求めた……」

 失敗すれば人の意志を失い異形の化物となる。
 今まで討伐した『G』の数。あれが失敗作ならアンジェの様な成功作ができるまでどれだけの人が犠牲になったのか。
 そのリスクを承知の上で北天の魔導書にその身を差し出した思いはクロノには理解できない。

「厄介だな……そういう奴等は行動に歯止めというものがないから、何をするか分かったものじゃない」

 アトレーの言葉にクロノが頷いたところでそれは鳴った。

「緊急通信? アースラから……」

 嫌な予感を感じながらクロノは素早く端末を操作して回線を開く。

『クロノ、大変よっ!』

「大変なのは分かってます……報告をハラオウン艦長」

 取り乱した母の姿に余程のことが起きていると察してクロノは身構える。
 タイミングを考えればアポスルズの攻撃の第二波。

『今、地上で大規模な次元転移反応が起こってるの、識別コードは管理局の武装艦ユリウス……
 数日前、アポスルズの拠点に強襲をかけたまま消息を絶った艦よ』

「それは……まさか……」

 驚愕の表情を浮かべるクロノ。
 そして、リンディの言葉を示すように遠くの空で光が収束し、弾ける。
 灰色の雲の下。浮遊する鋼の固まりが現れる。
 アースラの様な巡航艦ではなく、本格的な武装で身を固めた武装艦。
 見知った戦艦は今、その脅威を自分に向けていた。

「なっ……あれは…………アルカンシェル?」

 艦底部に搭載された砲身から光が溢れ、三つの巨大な環状魔法陣が展開される。

「嘘だろ?」

 何の警告もなしによりにもよって殲滅魔法を街に撃ち込むなど正気の沙汰ではない。

「おーおー……アポスルズってのは随分と思い切ったことするな」

「感心してる場合じゃない! あれはアルカンシェル、管理局の艦船武装の中でも屈指の殲滅力を誇る魔導砲だ!
 すぐにこの場から――」

 気楽なクリフにクロノは声を上げるが、途中でその言葉を切った。
 目に入ったのは戦艦の下に広がる街並み。

「次元空間から通常空間へのシフト……それからアルカンシェルのチャージ……早くても五分……」

 五分で何をする? 何ができる?
 見下ろす街並みは小さいが、それでも十分に広い。

「たった五分で……どうしろって言うんだ……?」

 そもそも避難させるにしても何処に避難させればいいのか。
 自分たちはアースラに転移すれば逃げられる。
 しかし、この街の全員をアースラに移すには時間も足りなければ、スペースもない。
 絶望。それがクロノを満たす。

「アルカンシェル……管理局が誇る空間歪曲と反応消滅によって対象を殲滅する魔導砲か……
 たしかにそんなもので狙われればこの街は跡形もないな」

 しかし、アトレーは状況を把握していないのか極めて冷静に判断を下す。

「奴らの目的は飛天の書のはず、それなのにどうしてそんなことができる!?」

「向こうは分かっているんだろ。その程度では天空の魔導書を破壊することはできないと」

「そんなことは――」

 ないと言おうとして言葉に詰まる。
 クロノが知る中で闇の書がアルカンシェルで破壊されたが、それもはやてを主として復活している。
 前回の闇の書に今回の闇の書。どちらもアルカンシェルで破壊したものの時間を置いて復活を果たしている。
 なら当然飛天の魔導書も復活しておかしくはない。
 もっとも、そんな事実は今の状況の気休めになるものではない。

「くそっ! どうすれば……」

 様々な手段を考えてもできることはない。
 己の手の届かないところで運命を決められる。その理不尽さに憤りを、何より無力感を感じずにはいられない。

「なあに……五分もあれば十分だ」

 しかし、焦燥を募らせるクロノに対してクリフは不敵な笑みを浮かべて前に出た。

「あれをやるのか?」

「それ以外に対抗できる魔法なんてねーだろ? それともお前がやるか?」

「いや、お前に任せよう」

「んじゃ、ちょっと行ってくらあ」

 気楽に、まるで散歩にでも行くかのような足取りでクリフは空いた穴から外に出た。
 重力に引かれ、クリフの姿はすぐにクロノから見えなくなるが、次の瞬間魔力の高まりを感じた。
 そして落ちて行ったのとは逆に金の巨躯が空へと飛翔する。

「いったい何を……?」

 思わず、それを追って外に出ようとしたがアトレーの手がそれを制した。

「今、外に出ると危険だ」

 そう忠告すると同時に手元で空間モニターを操作して何処かに指示を出してからクロノ達に向き直る。

「よく見ておくといい……これが我々が保有する飛天の魔導書の力だ」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 機械仕掛けの巨大人形。
 金色に輝く装甲に身を包み、クリフは拡大した視界の先に敵の姿を見つめる。

「敵性の魔導砲……脅威レベル最大……おい、起きろ飛天。仕事だ」

『…………おはようございます、クリフ。本日はどのような御用件で?』

 頭に響く声は男か女か分からない機械的な声。

「ちょっとお前の力を借りないとならない敵が出て来た。力を貸してくれ」

『敵性……時空管理局航行艦と判別……空間消滅系の砲撃を確認……
 ワールドゲート砲の使用をお勧めします』

「わーってるよ……っていうかそのためにお前を起こしたんだ」

『了解……天の門最大展開――天の衣、砲戦形態へ移行』

 相変わらずな淡々とした応対にクリフはため息を吐きながら、遠くの空に浮かぶ戦艦を見据えて身構える。

『天の門開放――魔力の逆流に気を付けてください』

 忠告の言葉と共に背後に四つの円を頂点にする正方形の魔法陣が現れる。
 同時に天の衣の胸のパーツが開き、その前で魔力の球体が生成される。

『空間固定――完了……砲弾の生成――開始』

「くっ……」

 天の衣という仮想の身体を通して、クリフには把握しきれない量の魔力が砲弾に注ぎ込まれる。

『加圧――開始します』

 膨張する砲弾にいくつもの環状魔法陣が重なり、その形を押し止める。

『砲身展開』

 砲弾に横から添える形で両手を前に差し出す。
 金の装甲に包まれた両腕のパーツは変形し、長く伸びて砲身となる。

「っ……」

 その腕に鈍い痛みを受けて、クリフは顔をしかめる。

『警告――魔力逆流……両腕の熱量上昇……集中してください』

「わーってるよっ!」

『血中のアルコール濃度――規定値を超過……
 クリフ戦闘前の飲酒は控えてください』

「だあっ、うるせえなっ!」

『アルコールは脳細胞を破壊します。長生きをしたければ――』

「その話は聞き飽きたっていつも言ってるだろ!」

『……クリフ』

「あん?」

『集中力が低下しています』

「てめえ、あとで絶対に泣かす」

『その発言は通算367回目になります。そして私には泣く機能はありません――敵性体の魔力臨界を確認』

「ちっ……」

 文句を飲み込み、クリフは魔力の制御に集中する。

『周辺環境の情報取得……弾道計算……修正完了』

 視界に浮かぶ管制情報。
 その中央で二つの色違いの円が揺れ動く。

『砲弾の生成……完了……ライフリング回転開始』

 砲弾の魔力が臨界に達し、元はクリフの魔力光だった砲弾は過圧縮結果、黒にその色を変化させている。

『ワールドゲート砲……展開完了。指示をどうぞ』

 待ち望んだ言葉、二つの円が重なって対象をロックする。

「撃てっ!」

 クリフは即答で命令する。
 同時にアルカンシェルも一際大きな光を放った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 白と黒。
 二つの魔力の奔流が空中で交差し、一方が相手の砲弾を飲み込み、そのまま突き進む。
 黒の砲撃はそのまま直進し、ユリウスの右半分をごっそりと削り取って貫通する。
 その光景にクロノは絶句した。
 小規模な爆発を各所で起こして次元航行艦ユリウスが沈んでいく。
 前にフェイトがアルカンシェルを相殺したと言っていたが、相殺どころではない。遥かに凌駕している。

「なんて……デタラメな」

 ようやく出た言葉はいつの間にか使い慣れて来たものだった。

「ワールドゲート砲……飛天の魔導書による無制限に魔力をつぎ込んだ魔力砲撃……
 まあ、理論上は無制限だが、できるのは術者の制御できる範囲だがな」

「それにしたって……」

 一際大きな爆発が起こり、大気と地面が鳴動する。
 クリフの撃った砲撃はアルカンシェルと正面から衝突。
 アルカンシェルの弾体に直接的な攻撃力はなくても、空間歪曲と反応消滅を引き起こすための魔力を内包している。
 それを抵抗も許さず飲み込み押し潰した。
 その上で次元航行艦の装甲さえも貫通した。
 およそ個人ではありえない対艦戦略級魔法。
 そんな情報は管理局にはない。あればアークの存在よりも危険度が高くなっていたはずだ。

「ふー流石にあれは疲れるぜ」

 しかし、そんな人外の魔法を行使した本人は一仕事終えて来たとばかりに気軽に戻ってくる。
 それは表面的なものかもしれないが、少なくても息を荒くはない。

「言っておくが、あれをあの威力で撃てるのはこいつだけだ……
 私たちが同じことができると思わないでくれ」

「それを聞いて安心しました」

 安堵の息をもらしてからクロノは空間モニターに向き直る。

「リンディ艦長……?」

 アースラから見た状況報告を聞こうとしたが、空間モニターが浮いていた場所には何もなかった。

「エイミィ……」

 嫌な予感が湧き起こる。
 短い言葉に応えてエイミィが端末を操作する。

「え……うそ……何で……?」

 そして返って来たのは戸惑いだった。

「エイミィ、何があった? アースラとの交信は?」

「だめ通信が繋がらない。っていうか、アースラが移動している」

「移動……どこに?」

 衛星軌道上に待機していたはずのアースラ。
 それが自分たちに何も知らせずに移動するなど異常事態でしかない。

「この軌道は……まさか……」

「おいエイミィッ!」

 呆然とするエイミィの肩を掴んで乱暴に揺する。
 それで我に返ったエイミィは蒼白な顔で告げる。

「アースラは衛星軌道上から大気圏に向かって移動を始めたの……
 予測到着地点は……ここ」

「それは……」

 通信が途絶えたからリンディが直接迎えに動いた。そんな楽天的な理由ではない。
 おそらく――

「武装艦のアルカンシェルでこちらの切り札を切らせ、それに注目している間に君たちの艦を奪取……
 それを使っての戦艦落としか……敵ながらやることが容赦ない」

「正気じゃない」

 思わずクロノは唸る。
 管理局ではまず考えられない方法。人道的な理由もあるが、コスト面でもありえない。
 たった一つのロストロギアを確保するために戦艦二隻を捨て駒にするなど暴挙以外の何物でもない。

「クリフ、もう一発いけるか?」

「ん……四割くらいの威力になるけど撃つだけならできるが――」

「ちょっと待った! いや、待ってくださいっ!」

 不穏な会話を進めるクラスティア側の二人にクロノは声を上げる。

「いきなり何を?」

「君こそ何を言っている?
 アポスルズと戦うにあたり協力することは約束した。だが、それはこちらの不利益にならない上での話だ」

「それは……そうですが……」

 言いたいことは分かる。
 彼らはこの街を守ることを第一の目的としている。
 戦艦が落ちてくる。だからそれを撃ち落とす。
 この街の安全を守るならそれが最善の方法だ。

「でも、アースラには僕たちの仲間がいるんです」

「もう殺されている可能性もある」

「っ……」

 あえて考えないようにしていた最悪のケースをアトレーは容赦なく突き付ける。

「でも……だけど……」

 理屈は分かっても納得できるはずはない。
 しかし、説き伏せるための咄嗟の代案が出てこない。

「あー盛り上がってるところ悪いけどな……」

 葛藤するクロノだが、そこにクリフが言い辛そうに言葉を作る。

「さっきので腕をちょっと痛めてな……撃てなくはないけど当たるかどうか分かんねえんだ」

「ほう……お前が制御をミスするとは珍しいな」

『それは彼が二日酔いなことが原因です』

「余計なことを言うな」

 何処からともなく聞こえて来た機械的な声。
 おそらくはそれが飛天の魔導書なのだろうと思いながら、クロノは安堵し、アトレーはため息を吐いた。

「……使えない奴だ」

「ちょっ!? お前ひどくね?」

「自業自得だ……となると……近くまで行って直接撃墜するか……」

 クリフを一蹴してアトレーは次の案を考える。
 クロノも息を一つ吐いて焦りを取り払い、思考する。

「状況を一つ一つ確認する。エイミィ、アースラとの通信はどの手段でも取れないか?
 もしくは、何かメールとか残してないか?」

「うん、ぜんぜんダメ……文面での連絡もない」

「そうか……」

 リンディ程の人間がこちらに何も警告の一つも出せなかったのは相当なことだ。

「フェイト、アルフとの交信は?」

「やってるけど、無理みたい」

 主と使い魔のラインも無理。
 近頃はフェイトがベガの悪影響がアルフにいかないように精神リンクをオフにしていたことが裏目に出たようだ。

「あ……クロノ君、通信は無理だけど転移装置は生きてるよ」

「罠だな」

 エイミィの報告を躊躇いなくクロノは断じた。
 ここまで周到にアースラを外から切り離しておいて、一つだけ道を残しておくなど意図的としか思えない。
 しかし――

「僕はあえてその罠に乗ることを提案する」

 あえて、などと言ったがクロノができる提案はそれしかない。
 例えこの場に砲撃のエキスパートである高町なのはがいたとしても、彼女が大気圏を突入してくる次元航行艦に砲撃を命中させ、なおかつ破壊できるとは想定できない。
 できることを前提に話すクリフとアトレーがデタラメなだけでクロノの考えは間違っていない。
 シグナム達に視線を送ると、彼女たちはその意見に賛同するように頷く。
 自分たちの側に反対意見がないことを確認してクロノはアトレーに尋ねる。

「そちらは何かありますか?」

「そうだな……砲撃が届かないのなら、射程圏内にこちらから近付けば良い話……
 落ちてくる前に撃墜してしまうのがこちらの案で変わらないな」

「先程も言っていましたが、貴方達は大気圏の行き来が可能なんですか?」

「飛天の魔法はそのほとんどが先程見せたような戦略級魔法ばかり……
 むしろ周りを気遣う必要がある限定空間での戦闘だとただの魔導師としての力しかない」

「あれでただの……?」

 天の衣を展開せずに戦ったクリフの姿を思い出し、彼らとの基準の違いにクロノは呆れる。

「船の奪還、および人質の救出を望むなら私たちのことを抜きに考えるといい」

「そうですね」

 一見薄情にも思える判断だが、クロノは受け入れる。
 奪還と救出は完全に自分たちの我儘だ。
 協力を受け入れてもらったとしても、それは頼りにするであって、当てにするのとは違う。
 対等な立場だからこそ、彼らはアースラよりも自分たちの世界を優先する。
 仕掛けた罠に彼らが自分から突っ込むメリットはないのだ。

「攻撃開始時間はどれほど引き伸ばしていただけますか?」

 できて譲歩はそこまで。

「そうだな……こちらの移動時間と次元航行艦の動きを考慮して――」

 提示された時間はかなり短い。
 戦闘があることを想定するとかなり厳しい。

 ――僕たちだけでできるのか……?

 戦力は自分を含めてたったの四人。
 敵の人数は分からず、仲間が人質となり、制圧された陣地、そして時間制限まである。
 ほとんど死にに行くようなものだ。
 しかし、見捨てる選択肢を除外すれば、それ以外にできることはない。
 クロノは唾を飲み込む。

 ――その命令を僕がしないといけないのか……

 命令を出す、その重みが今改めてクロノの肩にのしかかる。
 シグナム達を見回せば、無言で頷いてくれる。
 ならば、あとはそれを口に出すだけ。
 緊張を抱えながらもクロノは口を開く。が――

「おいおいアトレー……あんまりガキをいじめんなよ」

 クロノを遮ってクリフが喋り出した。

「いじめるとは人聞きが悪い……
 管理局と我々では望むものが違うのだから当然の判断だ」

「ガキ共が決死の覚悟で戦おうとしているのに手助けしないって大人のすることか?」

「この街が第一だ。そこを譲る気はない……それとも私たちがリスクを負って次元航行艦を取り戻すだけの理由があるのか?」

「理由……ね……」

 アトレーの言葉を受けクリフは考え込み、数秒置いてクロノに向き直った。

「な……何か?」

「さっきの艦長、ハラオウンって呼んでたけどもしかしてお前のお姉さん?」

「いや……艦長は僕の母親だ」

「人妻ッ!!」

 クワっと目を大きく見開くクリフ。嫌な予感が的中した。

「待てっ……何を考えている? 言っておくが僕の父親は……健在なんだぞ」

「今一瞬躊躇ったな? 付け入る隙ありと見た」

 内心でクロノは自分の迂闊さを呪った。
 躊躇ったのは他意はない。単に口癖というか、思考のくせで父、クライドが死んでいると言おうとしてしまっただけ。
 そんな内情を察するはずもないクリフは嬉々としてアトレーに向き直る。

「というわけだ」

「何が、というわけだ……?」

「捕らわれの貴婦人を助けに行かないなんてお前はそれでも男かっ!?」

「馬鹿馬鹿しい」

「けっ……クール振りやがって……とにかく俺はこいつらに協力する」

「初めからお前はもうそちら側だ……」

 下心が見え見えのクリフ。心強い味方ではあるが、不安しか感じない。

「窮地のピンチ、颯爽と登場して救い出す俺……最高のシチュエーション、これはいけ――ゴフッ!?」

 とりあえずクロノはS2Uを背後から横薙ぎに叩き込み、黙らせる。
 改めてシグナム達を見回してクロノは胸を張って告げる。いつの間にか肩に感じた重圧はなくなっていた。

「アースラではおそらく激戦が予想される……
 正直、厳しいなんてものじゃない……誰かが死ぬ可能性もある……」

 一瞬、各自の自由意思で参加させようかと思った。
 そうすれば立場での責任はともかく、強制させた責任からは逃れられる。
 しかし、クロノはそんな甘言を飲み込んで告げる。

「僕から言えることは一つだけ……死ぬな」

 一人一人に視線を合わせてクロノは告げる。

「今回の作戦の最優先事項は人質の救出だ。アースラのことは二の次にしていい」

「クロノ執務官、アースラを止めなくていいのですか?」

 シグナムの問いにクロノは頷く。

「それはできればでいい……止められなかったとしても飛天の魔導師の力で落としてもらえれば問題はない」

「いやいや問題大ありだよクロノ君」

「敵は格上だ……何でもかんでも抱え込めるほど僕たちは強くない」

 情けないことだがそれは認めなければいけない事実。

「だから、最優先のこと以外は初めから切り捨てている、ないと思って行動した方がいい……
 今回の場合は生存者の救出……救出するからには自分たちもちゃんと生還すること……
 敵は倒さなくてもいい、アースラを見捨ててもいい。
 だが、命だけは守れ……仲間のも、何よりも自分のを」

 柄にもない演説だと思いながらみんなの表情を窺う――ことはやめる。
 上に立つ者が不安を見せることも、様子を窺うことこともしてはいけない。
 だから胸を張って、続きを――

「異議あり」

 アトレーの制止にクロノは出かけた言葉を止めた。

「その作戦はお勧めできないな。最優先にするのは次元航行艦を止めることだ」

「それは……どうして?」

「君たちの人数……いや、この場合こちらの魔導師を提供して増員したとしてもわずかな時間で助けられる人数など高がしれている」

「でも……」

「次元航行艦が止まれば私たちの懸念はなくなる。そうすれば私たちも突入することができる」

「え……?」

「こちらの力に依存しないようにする姿勢は評価できる……
 だが、正直過ぎるな……初めの前提条件に拘り過ぎている……
 相手が動かないなら動けるように誘導すればいい……
 指揮官の役目は最良の判断を下すことではない、最良の結果を手繰りよせることだ」

 矢継ぎ早なダメ出しにクロノは怯む。

「そして君は肝心なことを失念している」

 眼鏡の奥にある目が細められ鋭くなった眼光に威圧感が増す。

「あれはもう完全に私たちの敵だ」

 奇襲に始まり、アルカンシェルにアースラ。
 これが宣戦布告から始まり、アポスルズも正面から戦いにくればアトレーもここまでの敵意を漲らせなかっただろう。
 もしこの街を守るという使命がなければ、今すぐに罠の存在に関係なくにアースラに乗り込んで直接相手を殺す。
 そう思わせるほどの怒りを言葉ににじませていた。
 その一方で冷静な思考のまま状況を判断している。

「そういうわけだから私はできれば艦の停止を第一にして欲しいと思っている」

「いえ、そういう理由ならアースラの奪還を優先します」

 アトレーの言葉からクロノは作戦を組み直し告げる。

「そうすると……アリシア、君はここに残ってくれ」

「ええ! どうしてまたわたしだけ!?」

「君の役割は時間稼ぎだ……
 融合騎プレシアは以前アースラを次元跳躍攻撃で機能不全にしたことがある……
 君にはその魔法を使ってここからアースラの機能を落として欲しい」

「えっと……それって大丈夫なの?」

「砲撃なら撃墜もあるが、あれは雷撃魔法だ。手加減してもらえれば早々に落ちることはないさ」

「でも……」

「頼む。これは君にしかできないことなんだ」

「わたしにしかできない……うん、任せて。わたし全力で頑張るから」

 両手を握り拳にして気合いを入れ、満面の笑顔を浮かべるアリシア。
 彼女の好みそうな言葉で乗せたが、あまりに無邪気な笑顔にクロノは胸が痛くなる。

「あーーあ……クロノ君がどんどんクロくなってく」

 仰々しく嘆くエイミィの発言を無視してクロノは彼女に告げる。

「エイミィ、君も突入部隊だから」

「え……ええっ!? どうして!?」

「アースラの制御を奪い返すならあのプログラムが使えるかもしれないだろ?」

「た、確かにそうだけど」

「でも、クロノ危ないよ」

 エイミィの心配をしてフェイトが口を挟む。

「分かってる。だがこの中で一番アースラのことを知っているのはエイミィだ」

「だけど……」

「ふっ……とうとうあたしの力を解き放つ時が来たのね」

「え、エイミィ?」

 不敵な笑みを浮かべるエイミィに戸惑うフェイト。

「アースラ通信主任兼執務官補佐とは仮の姿……
 その正体はアースラの裏の切り札! トリプルSランクのスーパー魔導師なのだっ!」

「ええっ! でも、エイミィから一度も魔力なんて感じたことないよ」

「そこは能ある鷹は爪を隠すって言うじゃない……
 それにソラ君とかアサヒさんだって実力はトリプルS級でしょ? 魔力量=魔導師ランクじゃないんだよ」

「そっか……エイミィはそんなに強かったんだ」

 尊敬の眼差しを向けられて、あまりの純粋さにエイミィはたじろぐ。

「なら、アースラの奪還及びアポスルズの撃退はエイミィ一人に任せるか……
 僕たちは生存者探索に集中しよう」

「……………………え?」

 そこに追い打ちをかけたクロノの言葉にエイミィは固まった。

「え……? あ……クロノ君、ちょっと待って……?」

「何かな? トリプルSランクのスーパー魔導師様?」

 もちろん、エイミィが魔導師だったなんてことはクロノは知らないし、そんな事実もない。
 本人としては過剰な心配をするフェイトのことを考えてのちょっとした冗談のつもりだったのだろう。
 しかし、それを少しも疑うことなく信じられて戸惑うエイミィにクロノは助け船を出さずに彼女の嘘に乗っかる。
 それは普段いいようにからかわれている意趣返しではない。
 そう決して意趣返しではないのだ。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「静かだね……」

 転移した瞬間に取った構えを解きながら、フェイトは見慣れた転送室を見回す。
 特に変わった所はない。警報も鳴っていなければ、非常灯に照明が切り変わっていることもない。
 見た目は出た時と変わらない。それでもフェイトには違うものを感じさせた。

「全員の転移完了……二人ともやってくれ」

 クロノが手早くモニターの向こうのアリシアとプレシアに指示をする。

「全員対衝撃姿勢!」

 その指示にフェイトは身を低くして来る衝撃に備える。
 そして数秒がアースラを激しく揺らす震動を受けて、照明が落ちた。
 一瞬の暗闇、赤い非常灯が灯り、警報が鳴り響く。

「流石元大魔導師、絶妙な力加減」

 近くの端末を操作して、損害状況の確認をしてエイミィが感嘆をもらす。しかし、その表情はすぐに引きつった。

「どうしたエイミィ?」

 クロノが尋ねた瞬間にそれは起こった。
 鳴り響いていた警報が止まり、通路を赤く染めていた非常灯が通常のものへと切り変わる。
 まるで何事もなかったかのように静けさが戻る。

「これはいったい?」

「自己修復された……? そんな機能アースラにはないのに」

 ――ねえベガ……これってもしかして……

 ――フ……宿主の考え通り……だ……どうやら同胞が分体を動力炉に寄生させてコントロールを奪っている……のだろう……

 ――分体って?

 ――わ……我らの力を分け与えた使い魔のようなもの……だ……

 なるほど、と思いつつもベガの反応に違和感をフェイトは感じる。
 しかし、それよりも目の前のことを優先させる。

「みんな聞いて今、ベガに聞いたんだけどアースラは――」

「なるほど……エスティアの時と同じようになってるのか」

 ベガからの説明をそのまま伝えると似たような事例を当てはめてクロノが唸る。

「たぶん同じことをユリウスでもしたんだね……だからアルカンシェルも使えた」

「どうしますか、クロノ執務官?」

「そうだな……フェイト、アースラを解放するにはどうすればいいか聞いてもらえるか」

 シグナムに促されてクロノはフェイトに尋ねる。

「えっと……おそらく動力炉に取り付けられた分体をベガで破壊すればシステムは正常に戻るはず……
 他には大本になっているリンカーデバイスを破壊すればいいみたい」

「そうか……ならフェイト、それからシグナムの二人は動力炉に向かってくれ……
 僕とエイミィ、ついでにクリフはブリッジに向かう」

「生存者についてはどうしますか?」

「それは後だ。アースラを止めることを優先するならみんなを助けても足手まといにしかならない」

 あっさりと仲間のことを邪魔者扱いするクロノの言動にフェイトは顔をしかめた。
 ここ数日、行動を共にするようになってフェイトはクロノが変わったような気がした。
 どこがどう変わったのか、具体的にうまく言葉にはできないがそう感じてしまう。
 クロノの目はまっすぐこの場にはいない敵だけを見ている。
 アースラの仲間たちの心配する素振りさえ見せない今の彼はあまり好きにはなれない。

「異論は――」

 確認の言葉はドアが開くスライド音によって途切れた。
 それぞれが素早く戦闘態勢を取る中で現れたのは二人の男性だった。
 当然、フェイトもよく知っている二人。

「アレックス、ランディ……よかった二人とも無事で……」

「待てっフェイト!」

 無造作に駆け寄ったフェイトを一瞬遅れてクロノが制止する。

「え……?」

 振り返った同時に二人から魔力の高まりを感じた。
 すぐに視線を戻した目の前には鋼色の魔力光を拳にまとわせ、振り被ったアレックスの姿。
 咄嗟にバルディッシュを楯に受けるが、想像以上の衝撃にフェイトが身体ごと飛ばされ、壁に叩きつけられる。

「かはっ……」

 背中を打った衝撃に肺から空気が絞り取られ、意識が一瞬だけ飛ぶ。
 苦痛に耐えて顔を上げるとアレックスとランディは獣のような雄叫びを上げ、クロノとクリフに襲いかかっていた。
 尋常ではない二人に対してクロノ達は冷静だった。
 殴りかかってくるところをわずかに身体を動かしてかわし、すれ違い様にバインドをかける。
 しかし、それでも二人は止まらない。
 血が流れ、腕や足が折れるほどに力を込めてバインドを引き千切った。

「なっ……!?」

 流石にこれにはクロノも動揺した。
 再度の突撃を二人は大きく跳んで避ける。

「十秒っ!」

 クロノが突然叫ぶ。

「おうよっ」

 それにクリフが応えて、前に出る。
 躊躇わず出たクリフは素手で愚直に突撃してくる二人と対峙する。
 ただ拳を振り回して暴れる二人の攻撃をクリフは難なく捌く。

「――氷結封印」

 そして十秒が経ち、クロノが魔法を完成させる。
 アレックスとランディ、二人の足下に水色の魔法陣が広がる。
 離れていても分かる冷気が二人を包み、そして氷の棺が完成した。

「まさか、はやてに使われるはずだった魔法を身内に使うことになるとは……」

 クロノはため息を吐いて唸る。
 小規模なエターナル・コフィン。
 かつて暴走を始めた闇の書を封印するためにつくられた魔法だ。

「この二人は兄弟か? 魔力波長が同じに感じたが」

「いえ、違います。二人とも非魔導師です……でも確かに魔力をまとっていた」

 考え込む二人。しかし、その答えはすでにフェイトは知っている。

「分体……それにこの魔力はエルナト」

 右手がうずく。
 この艦の中に倒すべき敵がいるとベガが騒いでいる。

「クロノ、わたしはエルナトのところに行くから」

 返事も待たずに転送室から飛び出したフェイトは目の前の光景に思わず足を止めた。
 廊下にも人がいた。
 幽鬼のような足取りで目に生気はない。
 見慣れた人たちの中には見慣れない、それでも管理局の制服を纏った人たちだ。
 おそらく後者はユリウスの乗員。
 そのそれぞれが鋼色の魔力を纏っている。
 頭の芯が熱くなる。
 トラウマを抱え、催眠と薬で精神を平静にしていても憤りを感じずにはいられない。

「この前、この状況によく似た映画を見たな」

 続いて転送室から出て来たシグナムがその光景を見てそんなことを呟く。

「街中の人間がゾンビになって襲いかかってくるやつなら僕たちも見た……
 フェイトがその夜一人で眠れなくて騒がしかったな」

「ちょっクロノ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」

 こんな状況で軽口を叩く二人にフェイトは声を上げる。
 あの映画と違い、目の前の人たちは腐ってなどいないし、通路を埋め尽くすほどの数もない。
 似たような足取りであーうー唸っているところは似ているがそれだけだ。

 ――うん……ぜんぜん問題ない……

 自分に言い聞かせてフェイトはバルディッシュを構える。

「落ち着けフェイト、状況を……いや、対処手段だけでも教えてくれ」

 飛び出そうとしたところをクロノに肩を掴まれてフェイトは止まる。

「さっきみたいな封印か、魔力ダメージで昏倒を狙えばいい……
 でも、中途半端はすぐに回復されるから一撃、強いのでやって」

 リンカーデバイスの分体。
 簡単に言えば使い魔をつくるために力の欠片を分け与えることを言う。
 だが、従来の使い魔よりもタチが悪い。
 死者、生者、無機物に関わらず欠片を分け与えることができるが、分体に対して主の言葉は絶対の強制力を持つ。
 それこそ死ぬまで戦えと命令されればその通りにしてしまう。
 さらに言えば分体はリンカーデバイスの予備バッテリーにもなる。
 生者に分体を与えたということはいつでも彼らを食い物にできるということに他ならない。

「彼らを解放する方法は?」

「リンカーデバイスの本体、エルナトを砕けばそれでみんな、アースラも含めて解放されるはず」

 一方的に言って身体に魔力を漲らせる。

「落ち着けって言ってるだろフェイト!」

 飛び出しそうになったところをクロノに肩を掴まれた。

「単独行動は慎め、必ずシグナムと二人で行動する。いいな」

「うん、分かってる」

「なら復唱しろ」

 気持ちが逸っているのにクロノはしつこく言葉を続ける。

「単独行動はしない。ちゃんとシグナムと一緒に行動するっ!」

 言葉に苛立ちを混ぜながらもフェイトは言われた通りに叫ぶ。
 そして言ったからには考えなしに飛び出すことはできなかった。
 フェイトの肩から手を放したクロノはそのままシグナムに何かを短く耳打ちした。
 そのわずかな時間さえももどかしい。

「では各自、最善を尽くしてくれ……
 そしてもう一度言うが、絶対に死ぬな」

「うんっ!」

 それぞれの言葉でクロノの頷いて、私たちは二手に分かれた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「こっち……」

 先導する形で進むフェイトの後ろをシグナムが追う。
 時折遭遇する見慣れた人、見慣れない人たちをフェイトは何もさせずに撃つ抜いて行く。

「くっ……」

 あまりの早技にシグナムの出る幕はない。
 そもそも古代ベルカ式の直接攻撃を主体とする彼女の魔法ではフェイト程の手加減もできないのだからそれは仕方のない話ではある。
 しかし、それだけに彼らを操っている主の存在に憤りを強くしていく。
 見慣れない局員はユリウスの武装隊やスタッフ。見慣れた管理局員はアースラのスタッフたち。
 比率としては非戦闘員の方が多い。
 人の意志を殺して従わせるだけでも唾棄すべき所業なのに、戦えない者にまで手を出すのは外道の極みだ。
 すでにシグナムの中でこの主は死ぬほどの後悔と苦しみを与えることを決定している。

「テスタロッサ……大丈夫か?」

 別れる前にクロノにされた耳打ちの内容を思い出す。

 ――フェイトはこういう状況が初めてだ。君が手綱を握ってくれ……

 身内が利用される状況にフェイトの苛立ちが見て取れる。
 人質や虐殺、戦乱を経験したことがあるシグナムはこの状況に怒りを感じつつもまだ冷静でいられる。

「大丈夫……わたしは大丈夫だよ」

 そう応えるものの口調はとげとげしく攻撃的な雰囲気を漂わせている。
 フォローしてくれと言われたが、状況の経験はあっても、なだめたことがないシグナムは何を言っていいか正直分からなかった。
 そうこうしているうちにフェイトは見慣れた扉の前で足を止めた。

「…………着いた」

「食堂……か……」

 案内された先が意外にも戦場とは無縁の場所だった。

「いくよ」

 端的な言葉。扉を操作する手間を惜しみフェイトは扉を吹き飛ばす。

「……っ」

 中は酷い有様だった。
 談笑し、楽しく食事を摂っていた憩いの場所は見る影もない。
 テーブルとイスは薙ぎ倒され、壁や床にはいくつもの太刀傷に穴が穿たれている。
 明らかな戦闘痕。そしてそこに聞き覚えのない男の声が響く。

「待っていたぞ」

 現れたのは魔導師のローブ型のバリアジャケットを着込んだ男。
 見た目はミッド式だが、その手には長剣を携えこちらを見る目には凄まじい殺気が含まれていた。

「リンカーデバイス、エルナトのマスター」

 フェイトは彼のことを知っているようでそう呟く。

「お前は……何処かで会ったか?」

「え……?」

 返された言葉にフェイトは虚を突かれ戸惑った。

「何処かでってこないだ襲ってきたのはあなたじゃないですか!?」

「襲った……エルナトの仕業か……」

「まさか……リンカーデバイスに意識を飲まれていたの?」

「ああ、近頃は正気でいられる時間の方が少なくてな……
 それにしても、よく生きていられたな。あいつが獲物を見逃すなんて珍しい」

 思ったよりも理性的な会話が成り立って肩透かしを感じる。

「獲物……あなたの魔力……前に会った時よりもずっと大きくなってる……
 いったいどれだけの人から魔力を奪ったの?」

「さあな、いちいちそんなこと覚えてはいないな」

「そんなことって、あなたはっ! 人の人の命をなんだと思ってるの!?」

「そんなもの、アルシオーネの仇が取れるならいくらでも掃き捨ててやるっ!」

 仇。その一言が怒りに熱くなっていたシグナムの頭に水をかける。

「お前はまさか……」

 今代においてシグナムは誰も殺していない。
 ならば考えられるのは前代。
 こんな辺境の世界。それもアポスルズというテロリストを相手にしている中で過去の因縁と遭遇するなど想像もしていなかった。
 向けられた眼光はシグナム達が彼に向けるものと比べても遜色はない。
 絶対に殺すと訴える殺意の視線。
 男の顔に見覚えなどあるはずもなく、殺したのは親兄弟の誰かなのだろう。
 苛烈な視線にさらされるも、シグナムはたじろぎはしなかった。

「私への復讐のために、そんなものに手を出したのか?」

「そうだっ!」

 返ってくる即答の言葉にシグナムは話し合いなど無意味だと察した。
 人の道を外し、修羅へとなった彼に何を言っても言い訳、責任転換にしかならない。
 復讐のための力。
 見て取れる魔力の大きさは自分のそれを上回っている。
 彼にフェイト達に匹敵する才能があったとは思えない。むしろなかったからこそ、そんなものに手を出したのだ。
 より強い武器を手にする。それは強くなるための当たり前の行為だ。
 才能を奪われても、身体一つで魔法を凌駕するまでに至ったソラがデタラメなだけで、彼の行為は当然の帰結でしかない。

「そんなの間違ってる」

 しかし、納得できないフェイトが声を上げる。

「大切な人を奪われて苦しい気持ちは分かる……
 でも、あなたがしていることはその気持ちを増やすだけ、そんなことをしてアルシオーネさんが喜ぶと――」

「黙れっ!」

 訴えは怒気を漲らせた言葉に遮られる。

「何も知らない貴様がアルシオーネを語るなっ!
 そいつを庇った。貴様も管理局も最低のろくでなしだ」

「待って! 話を聞いてっ!」

「くどい! 話すことなどないっ! 邪魔者を排除しろっ!」

 叫んだ命令の言葉。
 咄嗟にシグナムとフェイトはその場から跳ぶ。
 直後、二人が立っていた場所に上から床を穿つ拳が叩き込まれた。

「なっ……」

「そんな……」

 襲撃者を挟む形にして二人は言葉を失った。

「うううっ……」

 長い赤い髪の女。
 その姿を見間違えることなどありえない。

「アルフ……」

「があっ!」

 正気を失った目でアルフはフェイトに襲いかかる。
 呆然としたフェイトは迫りくる拳の一撃に反応できずに直撃を受けた。

「テスタロッサッ!」

 大きく吹き飛ばされ、訓練室の奥へと飛ばされるフェイト。それを追って飛ぶアルフ。
 シグナムもそれを追い駆けようとするがその前に男が立ち塞がる。

「貴様っ……」

 怒りが思考を焼く。
 よりにもよってアルフをフェイトにぶつけたことに今まで以上の憤りを感じる。
 だが、男はシグナムの眼光に怯むことなく剣を抜く。

「死ねッ!」

 短い言葉を発して斬りかかってくる男。

「ちっ……」

 咄嗟にシグナムは剣を抜くのを躊躇った。
 彼が十二年前の復讐者なら、その断罪の刃を受ける義務が自分にはある。
 しかし、今の彼は復讐という大義名分を掲げ、罪のない人たちを多く巻き込んできた。
 果たして、自分に彼を斬る資格があるのか。
 その迷いがシグナムを鈍らせる。
 鞘に納めたままのレヴァンティンで男の剣を受け止める。
 
「くっ……」

 とてつもない力の剣戟にシグナムは苦悶をもらす。
 威力だけではない。復讐に駆られる思いを乗せた一撃はとにかく重い。

「そうやってまだ俺を見下すかっ!」

 咆哮を上げる男。
 たまらずシグナムは剣を傾けて、力を外に流す。
 男の剣が床を裂き、壁まで切り裂く。
 その斬痕もすぐに鋼色の魔力光が灯って修復される。
 シグナムはその場を飛び退いて剣を正眼に構える。

 ――強いな……

 才能はない。ただ剣や大きな魔力を力任せに振り回しているだけだが、そこに重なる思いの強さがとにかくすごい。
 剣を抜かないままで勝てるような温い相手ではない。
 そう分かっているはずなのに、剣を抜く覚悟が決まらない。

 ――ちっ……忌々しい……

 この場にいない前の主を呪う。
 責任を放棄するつもりはないが思わずそう思ってしまう。
 だから、彼女は未だに気が付かない。
 自分が犯した罪の重さに、そこから目を逸らす自分の弱さに。
 そして絶望がすぐそこにあることに。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 緊張を抱えてこの扉をくぐるのは二度目になる。
 一度目は執務官となって配属の挨拶をした時。
 今は、待ち構えているだろう敵を警戒して。

「いい、クロノ君……開けるよ」

 ドアの横の操作盤と自分の端末を配線でつないで操作するエイミィもまた緊張を伴った言葉でクロノに話しかける。

「ああ、問題ない。エイミィ……ドアを開けたら君はここで待機……
 要救助者がいれば中の状況次第で君が救出してくれ」

 通路には結界を張り、徘徊している操り人形は近付いて来れない様にしてある。

「うん……了解」

 エイミィの言葉にいつもの軽さはない。
 考えてみれば彼女が最前線に来たのは初めてのことかもしれない。
 普段の彼女の戦場はモニターの前、敵は情報であり、直接の危険は少ない場所だ。
 しかし、クロノは彼女に対して気遣う言葉をかけない。彼女もまたそんな言葉を求めてはいない。

「そちらの準備は?」

「問題ない……いつでも突入してくれていいぜ」

 茶化す素振りもなく、むしろ荘厳な雰囲気を纏ってクリフは返事をする。
 彼もまたアポスルズが行った非道の数々に憤りを感じているのだろう。それとも――

「…………まさか、第一印象をよくしようとしているだけだったりしてな」

「ぎくりっ」

「ん……?」

 独り言に反応があったような気がして振り返るがクリフは先程と同じシリアスな顔のままだった。
 首を傾げながらも、クロノは前を向いて息を整える。

「エイミィ、やってくれ」

 エイミィは頷いて3からカウントを始める。
 素早く自身のバイタルをチェック。
 呼吸を整えて、S2Uを握り直す。

「……1…………0っ!」

 ドアが横に開く。
 クロノは一気に駆け出した。
 前に障害物はない。
 ドアのすぐ先にある艦長席は横に薙ぎ倒されている。
 背後の警戒はクリフに任せ、クロノはそこまで一気に走る。
 だが、その速度はそれを認識した瞬間に緩み、助走を流すような足取りで艦長席があった場所に辿り着く。

「…………母さん……」

 艦長席の先、壁一面のモニターの中心で磔にされた血塗れの女性。
 いつもまとめている髪は解け、印象が変わっているがその姿をクロノが見間違えるはずがない。

「おいっ……ぼけっとするな」

 呆然とするクロノの頭をクリフが小突く。
 それに我に返って周囲を見渡し――

「ようやく到着かい?」

 磔にされたリンディの下。
 普段エイミィが座っている席で彼は足を組んで座っていた。
 顔にはふざけたピエロの仮面。
 身体を覆い隠すフード付きのローブ。
 名前はまだ知らない。
 アポスルズの首魁、仮面の道化師がそこにいた。

「歓迎するよ飛天の王様、それから久し振りだねクロノ・ハラオウン」

 人を食ったふざけた口調。
 脳裏に炎の中に散った少女を思い出してクロノの思考は一気に沸点を超える。

「お前は……どうしてここにいる?」

 それでもなんとか自制して言葉を絞り出す。
 同時にS2Uでリンディの生体反応をスキャンする。

「真実を教える。そう言ってソラを連れて行ったはずだが……」

「ああ、それなんだけどね……
 セラが寄り道をしてしまって暇になったんだよ。だからこっちの手伝いに来たんだ」

「随分と軽い理由だな……」

 あまりの理由に呆れてしまう。

 ――スキャン完了……対象の生命反応を確認……重大な損傷はなし……命に別状なし……

 思考に直接送られる報告。
 ひとまずリンディに息があることに安堵する。

「やべえな……」

 その横でクリフが小さな呟きをもらす。
 横目でうかがった彼の様子は緊張に強張っていた。

「そんなにまずい相手なのか?」

 彼と対峙したのはこれで二度目。
 あの時と同じ佇まいだが、魔力は当然のことだが威圧感も感じない。
 ただそれは自分が未熟だから実力を計り切れないのだと割り切る。

「ああ、まずいな……俺、負けそうな戦いはしない主義なんだけどな」

 彼ほどの実力者が弱気な発言。
 それほどの相手だと納得する。

「あいつの相手は僕がする……貴方は隙を見て母さんを助けてエイミィと脱出してくれ」

「おいおい正気か?」

「さあ……どうだろうな……」

 ソラを余裕で痛めつけ、クリフにここまで言わせる相手。
 まず間違いなく今まで出会ってきた中で最強の敵だろう。

 ――だが、ここで退くわけにはいかない……

 震えを感じる手を抑え込み、クロノは道化師に言葉を投げかけ歩き出した。

「個人の勝手を許すのは組織としてどうなんだ?」

 クロノはあえてゆっくり階段を下りる。

「アポスルズは復讐者の寄り集めでしかない。仲間に迷惑をかけなければ何をしていたって文句はないよ……
 それにどうやらセラの因縁に関わるものだからね」

「因縁……あんな小さい子に復讐なんてさせてなんとも思わないのか?」

「思わないね。別に強要したわけじゃないさ……
 あの子が自分で選んだ道なんだから、他人が口を出すことじゃないだろ?」

「間違えた道に進むのを正すのが先達の役目だろ?」

「間違えた道を後悔する時間が彼女にあればそうしてあげてもよかったんだけどね」

「何……?」

「安心するといいよ……彼女の復讐の対象は管理局ではなくマフィアだからね」

「それのどこに安心が……いや待て、それにソラが協力しているのか?」

「ああ、それにアサヒの手も借りているらしいよ」

 うわーっとクロノは天井を仰ぐ。
 自分が知る中でも最強に位置する三人。それを敵に回したマフィアに思わず同情する。

「そのマフィア終わったな」

「……ま、今まで好き勝手やってきたんだ。当然の報いだろうね」

「報いか……君たちが管理局に並々ならない恨みを抱いているのは分かっている……
 だが、それならどうしてこんなことをしている?」

「こんなことって?」

「とぼけるなっ! アルカンシェルにアースラ、この二つを使ってクラスティの街を滅ぼそうとしているだろ」

「ああ、飛天の魔導書を手に入れるためにね」

「罪のない人たちを巻き込んで何とも思わないのか!?」

「ロストロギアを回収するための犠牲だよ……君たちと同じじゃないか」

「一緒にするな、僕たちは――」

「執行者、そんなものが存在しているのに?」

 その言葉にクロノは押し黙る。
 地球でアリサを襲った管理局の魔導師。
 彼らは管理局を名乗り、その暗殺部隊だと告げた。
 詳細を確認しようとしたが、もちろんそんな情報は管理局内に存在しない。
 だが、一概にその存在を否定できなかった。

「管理局は君が思っているよりもずっと大きな闇を抱えている……
 何も知らない君が何を言ったところで白々しい」

「……君の大切な人、家族がその闇に奪われたのか?」

「家族…………ククク、ハハハハッ!」

 クロノの問いに道化師は声を上げて笑い出した。それは先程までの含み笑いではない哄笑。

「よりにもよって、そのことを聞くか……」

 口調が変わる。
 人を小馬鹿にした軽い口調から、鋭さを滲ませる怜悧な口調に。
 それが仮面の奥の彼なのだと思いつつ、クロノは違和感を感じた。
 しかし、それが何なのか分かる前に道化師が話し始める。

「ああ、家族は殺されたよ……殺したのは管理局ではなく、ソラにだがな」

「なっ……!?」

 思いもよらない答えにクロノは絶句する。

「それならどうしてソラを引き込もうとする!?」

「勘違いするな……別にそのことであいつを恨むつもりはない……
 むしろよくやってくれたとさえ思っている」

「どうして……そんなことを言える?」

「俺たちの親は最低な人間だった……それだけの話だ」

「それなら……君の復讐はなんなんだ?」

 復讐というくくりに、誰かを殺されたことしか考え付かないクロノは思わず尋ねる。

「俺は執行者だった」

 気軽に告げられた事実にクロノは絶句する。

「物心がついたころに親に捨てられて、様々な実験を受け、殺しの技術を叩き込まれた……
 別に俺に限ったことじゃない。俺と同じ境遇の奴は他にもいた」

 仮面に手を合わせながら告げられた彼の真実。

「『死よりも重い未来永劫の罰を』……それが俺たちに課せられた償いだと管理局は定めた」

 静かな怒りをにじませた口調は先程までの道化師のものとは思えない。

「ふざけるなっ! そんなもの認められるわけないっ!
 俺たちは償うために生まれて来たんじゃない!」

 怨嗟の言葉は慟哭となってブリッジに木霊して消える。

「……君の主張は理解した」

 静まり返ったブリッジにクロノの呟きが流れる。
 彼はソラと同じだ。
 理不尽なものを本人の意志とは無関係に背負わされ、嘆き苦しんだのだろう。
 そしてその末に復讐を決意した。

「君が憎むものは管理局……そしてその存在を許している社会。つまり世界そのもの……」

 こんなはずじゃない現実に立つ向かうことを決めた彼の敵はあまりにも巨大だ。
 勝つためには修羅になる必要がある。

 ――だけど、彼の勝手な思いに無関係な人間を巻き込んでいい権利はない……

 少し前ならクロノはそう叫んでいただろう。

「……僕には何かを言う資格はきっとないんだろうな……」

 彼を復讐に駆り立てたのが管理局なら一局員である自分が何を言っても、彼の言葉通り白々しいものにしかならない。
 それに言葉で止まる意志ではないとはっきりと分かる。

「分かっているじゃないか」

「だが言わせてもらう」

 S2Uをデュランダルに持ち替えてクロノは構える。

「君がどんな理由を抱えていたとしても……次元世界の平和を脅かすなら、君は僕の敵だ」

 向けられる殺気に負けないように意志を込めて宣言する。
 その境遇に同情する。憐れみもする。
 しかしその復讐に正当性があったとしても、そこで人の命が奪われるなら見過ごすわけにはいかない。

「よく吠える……だが威勢だけで勝てるほど現実は優しくないぞ」

 道化師は怜悧な言葉と殺気が向けられる。
 それだけで身の竦む威圧感を叩きつけられる。
 今まで相対してきた犯罪者たちなど問題にならないくらいの格の違いを感じさせる風格。
 対峙するだけで勝てないと分かる。だが、それに怯んだりはしない。

「デュランダル……ガングニル・スピアセット」

 水を召喚して穂先に固める。
 数トンの水を極限まで圧縮し固め、それを重量操作で持ち回す。
 初期運用から格段に向上した扱いやすさを感じながらクロノは水の刃を道化師に向ける。 

「一つだけ教えてほしい……」

「何だ……?」

「君の名前は……?」

「ふっ……」

 道化師はクロノの問いを鼻で笑い、口調を初めのものに戻した。
 そして彼の背に展開した漆黒のエネルギーフィン。

「そうだね……君がこの仮面を取ることができたなら教えて上げるよ」

 言外にそんなことは無理だとにじませた言葉。
 見下されていることを感じながらクロノは身体に力を込め――

「いくぞっ!」

 床を蹴って道化師に斬りかかった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 がむしゃらに剣を繰り出す男にシグナムは憐みを感じた。
 防御を捨て去り、腕力で剣を振り回す姿はまさに狂戦士。
 その強撃を受けることは難しい。しかし見切ることは容易い。
 紙一重で暴風のような剣を避けながら、シグナムは未だにレヴィンティンを抜いていない。

 ――これだけの執念……復讐に捕らわれなければ、かなりの使い手になっただろうに……

 十二年。
 それだけの時間を経ても衰えない思い。
 ソラと同じ年月を積み重ねているはずの彼の剣には何も魅了されない。

 ――剣の腕も良き指導者に巡り合えばもっとマシになっていただろうに……

 彼の剣をかわしながら思考に冷静さが戻ってくる。
 できることなら彼の復讐を成し遂げさせてやりたい。
 しかし、現状がそれを許さない。
 刻一刻とアースラはクラスティアに向かって落ちて行く。
 アルフと戦わされているフェイトも気掛かりだし、分体を埋め込まれた他の仲間たちのこともある。
 大振りの一撃に合わせて大きく跳んで、距離を取る。

「貴様は……やり過ぎた」

 柄と鞘をそれぞれ掴み、抜刀の姿勢を取りながらシグナムは呟く。
 覚悟は決まった。

 ――ここで引導を渡すのが私の役目……

 リンカーデバイスの性質は聞いている。
 力を与える代わりに同族を狩る責務を負わされる。
 そして自己強化のために人を襲い魔力を蓄えることを強いられる。
 彼の魔力の大きさは自分を超える。
 何たる皮肉か、闇の書への復讐のために彼が選んだのは闇の書と同じ他者のリンカーコアを食らう道。
 どれだけの人を犠牲にしたかシグナムには分からない。そして、それを責める資格は自分にあるはずない。
 できるのは彼がこの先、リンカーデバイスの人形となって罪ない人たちを殺さないようにすること。

「ようやくその気になったか……」

 剣を抜く気になったシグナムに男は口元を歪める。

「ああ……できることなら償いたいが、ことは私一人の命で済む問題を超えている……悪いが斬らせてもらう」

「ふん……心にもないことを」

 男は蔑んだ目でシグナムを見下す。
 その視線を受けながら、シグナムはソラの姿を思い出す。
 自分たちを含めた、管理局の中で集められた復讐者たちの怨嗟を一身に受けても彼はうろたえず戦った。
 だが、自分はたった一人の怨嗟で動揺して剣を鈍らせた。
 戦闘が始まってからの数分を無駄にした自分を恥じる。

「レヴァンティンッ!!」

 相棒の名を叫び、カートリッジを炸裂させる。
 抜き放ち、構えた剣に炎が宿る。
 対して男も魔法陣を展開した。
 その光景にシグナムは目を見張る。
 鋼色のベルカ式魔法陣。
 男が構える剣にも炎が宿り、憎悪の大きさを示すように燃え盛る。

「それは……まさか……」

「貴様はこの魔法で殺す……
 貴様がアルシオーネにしたようにこの剣で焼き殺してやるっ!」

 もはや感嘆するしかない。
 まさか復讐の相手の魔法で復讐を果たそうとするなど思いもよらなかった。
 だが、それも剣の技量同様に拙い。
 炎の収束も悪ければ、剣の構えにも力みがある。
 ただ込められた魔力と思いの強さの二つが尋常ではない。
 不意に床が揺れ、耳に轟音が響く。

「テスタロッサ……」

 意識を男に向けたまま、視線を巡らしアルフに殴られて壁に叩きつけられたフェイトを一瞥する。

「もらったっ!」

 それを隙と取った男が斬りかかる。

「紫電――」

 身体のバランスはバラバラだが魔力にものを言わせた身体強化と加速は馬鹿にできない。

「―― 一閃っ!!」

 男の全身全霊をかけた一撃。
 込められた魔力は圧倒的。受ければ防御ごと斬り伏せられるだろう。
 だが、シグナムは逃げたりはしない。

「紫電一閃……」

 男に対して静かな呟き。

「うおぉぉぉぉぉぉっ!」

 雄叫びを上げる男に対してシグナムは鋭い視線で睨みつけるだけ。
 重なる剣と剣。
 シグナムの剣、レヴァンティンが男の剣を半ばから断ち斬った。
 男の魔力量は確かに脅威だが、クリフとの戦闘によって以前の自分を垣間見たシグナムにとってはそんなものは瑣末なものでしかない。
 ただ力任せに魔力をつぎ込んだだけの剣など脅威にならない。
 研ぎ澄まされた一撃は容易に大きいだけの力を斬り裂く。

「はあぁっ!!」

 シグナムは返す刃を峰にして振り下ろす。
 二撃目の斬撃と峰による打撃。
 威力は十分ではないが男を吹き飛ばすには十分だった。

「立て……気を失うような一撃ではなかったはずだ」

 シグナムの挑発を受けて男は緩慢な動作で身体を起こす。

「今すぐ分体にした皆を解放しろ……そうすれば命だけは助けてやる」

「は……誰が貴様の言うことなど聞くか」

「…………そうか」

 シグナムは無造作に踏み込み、峰を返したままのレヴァンティンを男の左足に叩き込んだ。
 手にかかる手応えは骨を折るもの。
 シグナムは威圧することを意識して倒れた男を見下した。

「時間がないから最後の警告だ……命が惜しければ今すぐに分体を解放しろ」

 うずくまる男の顎下にレヴァンティンの切っ先を突き付けて本気だと主張する。
 男の返答は無言。上げた視線は衰えることのない殺意に満ちている。

「そうか……」

 死を前にして自分を貫くその気概は見事。
 しかし、シグナムの覚悟も虚勢ではない。
 はやての意志に管理局の方針、殺しは御法度だと分かっているが悠長に男を説得している暇はない。
 そして長い時間を戦場で過ごしてきたシグナムには本能的に分かる男の覚悟。

 ――この男は決して退かない……

 相手が自分だからもあるが、この手の男はもはや復讐――目的のためなら何でもする。
 意識を奪うなどという生半可な対応では決して止まらない。
 殺さなければ決して止まらない相手。
 それが分かってるからシグナムは迷わず剣を振り上げた。

「…………だっせえな」

 しかし、振り下ろされた剣は男の腕に顕現した篭手に弾かれた。

「あれだけ威勢よく息巻いといてこの様か、情けねえな宿主っ!」

 理性的だった口調が粗野なものに変わる。
 そして纏う気配も変化する。
 シグナムは大きく後ろに跳んで男から距離を取る。

「貴様は……いや、貴様がエルナトか……」

 殺気に満ちていた表情が人を見下した傲慢な顔に、まさに人格が入れ替わったような変化にシグナムは眉をひそめる。

「御名答、初めまして夜天の騎士様……破天の眷族が一つエルナトだ」

 言葉と共に男の全身が鋼色の魔力に包み込まれる。
 そして、光が弾けたそこには全身甲冑となって現れる。
 それに伴って男の魔力の質が変化する。
 焼けるような熱さを感じさせる怒りの魔力から憎悪が消え、代わりに禍々しい邪悪なものを感じる。

「まあ、宿主の願いだからさ……死んでくれよ」

 いきなり来た。
 無造作な踏み込み。足を折ったはずなのにそれがなかったかのような動きにシグナムは虚を突かれた。
 そしてこれもまた無造作に振り下ろされた剣。
 いつの間にか半ばから斬ったはずの剣は一回り大きな、不気味な装飾がされた長剣に変化していた。

「くっ……」

 重い衝撃にシグナムは苦悶をもらす。
 先程の男とは真逆の魔力が多く、思いが欠片も乗っていない斬撃。
 だが、その威力を受け切れず、足を床に滑らせて大きく後方に流される。

「はっ……さっきまでの威勢はどうした!?」

 そんなシグナムに追い縋り、エルナトが剣を突き出す。
 顔を狙った一突きをシグナムは間一髪で避ける。
 反撃にかわした動きから身体を一回転させ、遠心力を乗せた一撃で胴を薙ぎ払う。
 しかし、刃は硬質な音を立てて弾かれた。

「……今何かしたか?」

 揺るがすことさえできず、エルナトが嘲笑を浮かべて剣を振り下ろす。
 咄嗟にかざした剣でシグナムはその斬撃を受け止める。

「くっ……」

 魔力を魔法として収束しない無造作な一撃。
 だが、それは男のものとはまったくの別物だった。
 ただ大きな魔力をただ叩きつけて来ただけの男に対してエルナトは魔力に指向性を持たせて攻撃してくる。

「おらおらおらおらっ!」

 型のない乱暴な剣をシグナムは後退しながら剣でさばく。
 だが、それもすぐに追い込まれ、背中が壁に当たる。

「終わりだっ!!」

「っ……」

 大振りに振り被ったエルナトが剣を振る瞬間に合わせてシグナムは身を沈ませる。
 エルナトの剣を壁に刻ませて、シグナムは身体を起こす勢いを乗せて下から袈裟に斬りつける。

「効かねえよっ」

 しかし手には硬い手応え。堅牢な鎧はまったく刃を寄せ付けない。

「さっさと死ねっ!」

 シグナムの反撃を意に介さずにエルナトの苛烈な攻撃が再開される。
 しかし、最初の一撃をシグナムは掻い潜って前に、エルナトのふところに踏み込む。

「紫電一閃っ!!」

 渾身の力を込めた一撃が返す感触は先程と同じ。
 どころか鎧には傷一つなく、衝撃に仰け反らせることもできなかった。 

「だから効かねえって言ってんだろうが!」

 レヴァンティンを突き付けたままの姿勢で固まるシグナムをエルナトが蹴り飛ばす。
 さらにエルナトはそこに剣風を飛ばす。

「くそっ!」

 直撃すれば危ういほどの力が込められている。それを受け止めるのに十分な障壁を張る時間はない。
 故にシグナムは横に薙ぎ払われた剣風に対して上に飛んで回避した。
 剣風は食堂の奥の扉に激突しそれを破壊する。

「きゃあっ!?」

「うわぁっ!?」

 そして上がったいくつもの悲鳴にシグナムは振り返る。
 扉を壁ごと破壊した剣風はその先の部屋にも破壊を振り撒いていた。
 立ち込めた煙が晴れたそこには見知った顔のアースラスタッフたちが倒れ伏していた。

「あーあ……せっかく犬ころが守ったのに、何人死んだ?」

 挑発するようなエルナトの言葉にシグナムは眦を上げる。

「この外道がっ!」

「お前ほどじゃねえよ」

 あざけりの言葉は即答で返される。

「宿主から聞いたぜ……てめえはいきなり現れてリンカーコアを賭けて戦えって言ったみたいだな」

「…………それがどうしたというんだ?」

「それで返事を聞かずに襲いかかったとか、ベルカの騎士はいつからそんな礼儀知らずになったんだ?」

「…………何?」

 侮辱の言葉よりも気になることがあった。

「私が彼を襲っただと……?」

 今、兜の中に隠れている彼の顔にシグナムは見覚えがない。
 仇と言われ、すぐにそれを十二年前の蒐集だと繋げたが、それは果たして正しかったのだろうか……

 ――思い出せ……私は何を勘違いしている?

「おいおい覚えてさえいないのか? 興味がないなんて言ったみたいだが……哀れだな」

 シグナムが今代で戦った魔導師は多くない。
 しかし、その中で顔と名前を覚えているのはテスタロッサだけ。
 他の魔導師たちのそれらは欠片も覚えていなかった。
 いや、歯牙にもかけない弱者だったから興味も抱かず覚えようともしなかった。

 ――私は……何をしていた……?

 思い返した自分の姿に愕然とした。
 そんな考えでよく償うつもりだったなどと言えたものだ。
 完全に口先だけの言葉にしかなっていないではないか。

「宿主は教えるつもりはねえみたいだから代わりに俺が教えてやるよ」

 顔から血の気が引いているシグナムにエルナトはいたぶることが楽しいと言わんばかりの笑みを浮かべて告げる。

「お前が殺した奴の名はアルシオーネ……赤竜の召喚獣だ」

「あ……」

 告げられて、ようやく思い出す。
 蒐集した中で一人だけ召喚魔法を使った魔導師がいた。
 魔導師の質はAランク程度で剣を抜くまでもなかった相手。
 最後の足掻きとして召喚された赤竜をシグナムは紫電一閃で一刀両断した。

「う……」

 わざわざエルナトは兜を脱ぎ棄てて彼の顔を見せつける。
 思い出した顔と合致するそれにシグナムは呻くことしかできなかった。
 使い魔や召喚獣はその主の魔法に含まれ蒐集の対象にならない。
 ましてやアルフの様な人型ではなかったことから魔獣を相手にした時と同じ対応をした。
 いや、むしろ蒐集の対象にならないからこそ、手加減しなかった。

 ――主の道を穢さないために人殺しはしない……

 殺したのは使い魔であって人ではない。だから誓いは破ってない。
 そんな言い訳……いや思い込みを人ならざる身のくせに考えていた。

「最低だ……」

「ああ、お前がな」

 エルナトの言葉を否定することができない。
 償うなんて言葉は軽く、口先だけのことでしかなかった。
 高貴な騎士だったはずなのに、やってることは盗賊や追剥ぎと変わらない。

「だが、何故だ! お前が恨むのは私だろ!? アレックスもランディもアルフも他の者たちも関係ないっ!
 殺されるべきは私だけのはずだ!! どうして他人を巻き込んだっ!?」

「管理局がお前を匿ったからだよ」

 端的な言葉にシグナムは絶句する。

「見ていて哀れだったぜ……どれだけ訴えても聞いてもらえない、どころか挙句は脅迫されてまで口を噤まされた男の姿は」

 レティの計らい、リンディの善意のしわ寄せが歪みとなって男を狂わせた。

「だから求めたのさ……アルシオーネを殺したお前を、裁かなかった管理局を滅ぼす力を……
 そのためにどれだけの時間を費やしてもいい。そのために悪魔に魂を売り渡してもいい……
 そんな宿主に俺は求めるものをくれてやった」

 他人も倫理も人道も関係なく彼は力を求め、復讐を願った。
 男の復讐心が強いのも、剣の腕が素人なのも、まだ一年の歳月しか経っていなかったから。
 気付くことができなかったのはその罪から目を逸らし、『殺し』は前の自分がやったことだとソラへ罪を擦り付けたから。
 男の復讐は『前(人形)のシグナム』ではなく、『今(人間)のシグナム』向けられたものにも関わらず。
 向けられた男の顔、その奥に宿る憎悪にようやく対峙したシグナムは思わず後ずさる。

「私は……私は……」

 これはシグナム自身が撒いた種。
 その負の連鎖は巡り、彼女の周りを巻き込んで返って来た。
 それは当然の報い。

「さて……」

 無造作にエルナトが剣を構える。
 その姿にビクリと身体が震えるが、反射的にシグナムも剣を構えていた。

「宿主との契約だな……さっさと死ねよ」

「あ……う……」

 真っ白になった思考でまともな言葉は返せなかった。
 構えた剣もただ形だけに過ぎない。
 そんなシグナムにエルナトは無造作に踏み込んだ。
 咄嗟の反応でレヴァンティンを振る。だが、力のこもらない剣戟はあっさりと弾かれて――

「紫電一閃っ!」

 炎を纏う剣の一閃がシグナムを捕えた。









 あとがき

 何故かここまでで70KBを超えてしまった……ので途中ですが投稿しました。
 今回はシグナムに焦点をおいて、彼女がまつわるアンチをつぎ込んでみました。
 これでも一応考えたvery hardの一歩前のhardなんですが、読み返すとそれでもかなりきつい気がします。
 気を悪くされた方には申し訳ありませんが、彼女の避けられない道と思ってください。

 予定ではこの話で一通りの戦闘は終わらせるはずだったのに……




 補足説明

 ワールドゲート砲
 飛天の魔法の最大砲撃魔法。
 他世界から無尽蔵の魔力を召喚して行う単純砲撃。
 同じことはアトレーもできるが制御できる魔力の量に従って威力が決定する。



 エルナトのマスター
 As’のコミックにてシグナムに蒐集された魔導師。
 その際に召喚した赤竜をシグナムに紫電一閃により殺された。
 さらにその後、管理局からの闇の書事件に対しての戒厳令によって絶望を味わう。
 復讐を誓い、エルナトを手に入れてからシグナムに襲われた世界を中心にして彼女を探す。
 その際にベガを持つフェイトに反応し、自意識を奪われて襲ったのが18話。
 その後、アポスルズと接触して今に至る。

 ちなみに25話でも、闇の欠片として登場している。






[17103] 第三十五話 執念
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:e111a3b6
Date: 2013/01/26 20:56




 襲いかかってくる自分の大切な使い魔を前にフェイトは叫ぶ。

「ベガ――」

『分かってるっ!』

 普段と違った口調だが、それを気にしている余裕はフェイトにはない。
 振り上げられるアルフの拳。
 それをバルディッシュやシールドで防げば、過剰な力を込めている拳の方が傷付く。
 それを忌避してフェイトはとにかく回避に専念する。
 だが、食堂は広いと言っても訓練室や空よりも圧倒的に狭い。
 フェイトの全力の速度を出せばたちまち壁に激突する。
 必然的に速度を落とすことになるが、それだとアルフに追い付かれる。

 ――それになんだか動きが読まれている気がする……

『それはきっと使い魔のラインでフェイトの思考を感じているからだと思う。それを獣の本能で嗅ぎ取って先読みしているんじゃないかな』

「そっか……ってベガ? ……じゃないアリシア?」

『あ……こほん、なんのことかな宿主?』

「いや、そんなあからさまに取り繕われても……」

『うーフェイトの意地悪』

 ベガを介して流れ込んでくる拗ねた感情にフェイトは戸惑う。
 今までベガからの介入は何度もあった。
 それのほとんどが、魔力を食らえ、同族を砕け、などの飢餓感や破壊衝動を煽るもの。
 今の様な無害な思考が流れてきたことはない。

『えっと、わたしがフェイトの中でちょっとベガとおはなしして大人しくしてくれるように説得したんだよ……
 これでもうフェイトがベガに振り回されることはないから』

「え……それは……」

 何という肩透かしだろう。
 常にベガを自由にさせないように気を張っていたのに、いつの間にかその心配がなくなっていたとは。

『あとわたしのことはベガって呼んでくれていいよ。アリシアだと今はややこしいから』

「あ……うん」

『それよりフェイト、集中して』

 内なるアリシア、改めベガに諭されてフェイトは迫るアルフに意識を集中する。

「ベガ、アルフを解放するにはどうすればいい?」

 意識が変わり、話しかけやすくなったベガにフェイトは尋ねる。

『一つは初めに考えていた通り、エルナトを砕くこと。もう一つはアルフのリンカーコアに寄生している分体を砕くこと――』

「それは絶対ダメッ!」

『うん、分かってる。そんなことしたらアルフが死んじゃうもん……
 あ、フェイト動きを読むなら手だけじゃなくて肩とかにも注目した方が良いよ。それから今は地上戦だから足の方にも注意だね』

 何故か的確に近接戦のアドバイスをする彼女にフェイトは本当にアリシアなのか疑う。

『フェイトももっと足を使わないとダメだよ……魔力推進ばっかりに頼ってるといつまで経っても強くなれないよ』

「そんなことより! 他に何か方法はないのっ!」

『ちょっと待って……えっと、ベガの欠片を打ち込んでアルフをフェイトの分体として上書きすればいいって』

 告げられた言葉にフェイトは息を飲む。

「そんなことできるはずないっ!」

 思わず叫んで集中が途切れた。
 その一瞬にアルフが拳を突き出して突撃してくる。
 バリアブレイク・ストライク。
 アルフが使う突撃魔法。
 咄嗟に身を翻し、アルフの拳がマントを削る。
 そのままアルフは壁を突き破り、爆煙がその姿を隠す。

「今の内に――」

 エルナトを倒せば全て解決する。
 そう思って意識をシグナム達に移す。
 そこでは今まさにシグナムがレヴァンティンを抜き放ち、カートリッジをロードしている瞬間だった。
 彼女の実力は知っている。
 そしてクリフと戦ったことで解放された実力も把握している。
 それでも、とフェイトは思う。

 ――まだ鎧を出していない……油断しているな今の内に潰す……

 一騎討ちに拘るだろうシグナムには悪いが時間的にも精神的にも悠長にしていられないフェイトはカートリッジをロードして自身の魔力を高める。
 しかし、そこでフェイトの四肢は鋼色の混じる橙色のバインドで拘束された。

「しまっ――」

 衝撃は背後から、背骨が折れるのではないかと思う一撃の衝撃にバインドは弾けフェイトは壁に叩きつけられた。

「ゴホッ……」

 口からおびただしい血が落ちて床に広がる。
 だが、身体の痛みは急速に癒え、呼吸も楽になる。

「なんか……複雑……」

 即死してもおかしくない一撃だったはずなのにそれをすぐに癒してくれるリンカーデバイスに素直に感謝できない。
 しかし、感慨にふける暇をアルフはフェイトに与えなかった。
 アルフは狼形態になってうずくまるフェイトに襲いかかる。
 フェイトは咄嗟に左腕を前に出してバリアを張る。
 アルフの爪がバリアにかかり、互いの魔力のせめぎ合いになる。

「くっ……」

 バリアブレイクされないようにリアルタイムで術式を補填しながらフェイトはそれを見た。
 バリアとの接触、それを押し込もうとする力が強過ぎてアルフの爪が剥ぎ取れていく。

「っ…………あっ……」

 痛々しい姿にフェイトの集中は乱れ、術式の解体と構築のせめぎ合いに負ける。
 バリアが弾け、突っ込んでくるアルフはその鋭い牙が並ぶ口でフェイトの左腕に食らいつき、噛み千切った。

『フェイトッ!!』

「大丈夫っ!」

 左腕は前にソラに斬り落とされ義手に変わっている。それが破壊されただけでフェイト自身に痛みはない。
 すぐにフェイトはその場を離脱して距離を取る。
 フェイトは肩で息を吐きながら義手を吐き捨てるアルフを見据える。
 体力的な消耗はない。しかし、精神的な消耗が深刻なまでに大きい。

「アルフ……」

 度重なる攻撃に反撃をしてないというのに彼女の姿は見るに堪えない程に痛々しい。
 そしてこんな風に彼女を操るエルナトのマスターに怒りが湧く。

『フェイト……』

「っ……分かってる」

 ベガの言葉で暴走しそうな思考を御する。
 ここでフェイトがエルナトのマスターに向かってもアルフはそれを捨て身になって阻む。
 だからフェイトができることは二つ。
 シグナムがエルナトのマスターを倒すのを待つか、アルフをベガの分体にするか。

 ――そんなことできるはずない……

 目の前の意志を奪われ強制的に従わされているアルフを見せつけられてフェイトは後者の手段を否定する。
 アルフは奴隷ではなく家族だ。彼女に絶対服従などフェイトは求めない。

「うううっ…………がぁぁぁぁっ!」

 突然、アルフは悲鳴の様な雄叫びを上げる。
 それに伴って変化が起きる。

『まずいよ、エルナトの浸食が深くなってる』

 アルフの四肢にエルナトの鎧と同じような鋼殻が現れる。
 それぞれに鋭い五本の爪を持ち、反射する光がその凶悪さを見せつける。

「く……あ……………ト」

 変化したのはそこまでだがアルフの苦悶は続く。
 
「アルフ! しっかりして! そんなものに負けないで!」

 リンカーデバイスの強制力はフェイトも身にしみて知っている。
 だが、叫ばずにはいられない。
 アルフと目が合う。一瞬だけ正気に戻ったような光が宿る。

「――――――」

 光はすぐに薄れ狂気染まる。

「アルフ……そんな……そんなことできるはずない!」

 そんなわずかな一瞬で伝えられた言葉にフェイトは首を振って否定する。

 ――あたしを殺して――

 言葉にならないラインを通して感じたアルフの思い。

「シグナム……」

 縋るような思いで彼女を見れば、うろたえ後ずさっている所だった。
 鎧をまとった彼にシグナムが怖気ずくとは思えない。
 なのに狼狽し怯えている。
 何があったのか問う暇などなく、そんなシグナムにエルナトのマスターが襲いかかる。
 迎え撃つために振られた剣は酷いものだった。
 シグナムの剣はあっさりと弾かれ、炎を纏った剣が彼女を斬り裂いた。

「シグナムッ!」

 完全に意識がそちらに流れたフェイトにアルフが迫り、凶悪な爪を装備した腕が振るわれる。

『ジャケットパージ』

 バルディッシュの判断でバリアジャケットを解放。その衝撃波でアルフを押し返す。
 その間にフェイトはまた距離を取る。

「誰か……誰か……」

 状況は最悪。
 左腕を失った自分に斬り伏せられたシグナム。
 フェイトの位置からはシグナムの傷の具合は見て取れない。

 ――クロノ……クリフさん……アリシア……母さん……なのは……ソラ……誰でもいい……誰か助けて……

『この――』

 助けを求めるフェイトの頭に怒気を漲らせた言葉が響く。
 次の瞬間、フェイトの視界は一変した。

「え……?」

 荒れた食堂から青い空が広がる草原へ。
 そして目の前にはぐーを握り締めたアリシアの姿。

「――大バカ者っ!」

 容赦のない拳がフェイトの頬を打ち、ぐるんと首が回りそれに合わせて身体も回る。
 足は踏ん張ることができず、身体は宙を舞う。
 一回転半してフェイトは草原に倒れ込む。

「……あ、アリシア!? ここはっ? え、何で、何がどうなってるの?」

 がばっと起き上がったフェイトは周囲を見回す。
 そこにはアルフもいなければシグナムもエルナトのマスターもいないし、自分の手にはバルディッシュもない。
 いるのは自分の前に仁王立ちするアリシア。

「ここはフェイトの内面世界だよ。それからわたしのことはベガでいいって言ったよね」

 怒ってますという表情で説明するアリシア、もといベガ。
 冷静になって見渡せば、そこは闇の書に取り込まれた時の景色と同じことが分かった。

「アリ、ベガ……すぐにここから出して、わたしは向こうでやらないといけないことが――」

 言いながら立ち上がったフェイトが見たのは跳躍するベガの姿だった。
 小さな体躯で跳んで、立ち上がろうとするフェイトにベガは見事な回し蹴りでもう一度宙を舞わせる地面に伏せさせる。

「な……何をするのアリ――」

「何をするのじゃないっ!」

 言い返された怒声にフェイトは言葉を止められる。

「今のフェイトが現実に戻って何ができるっていうの?」

「それは……」

「答えられないなら代わって、わたしが戦って全部解決して上げるから」

「解決するって……何をするつもり?」

「まずアルフにベガの欠片を打ち込んで支配権を取り戻す……
 それからこんなことをしたエルナトはマスターもろとも打ち砕く」

 剣呑な光が彼女の目に宿る。
 現実のアリシアはそんな目をしないし、前にあった彼女からは想像できないほどに殺気立っている。

「そんなこと……ダメだよ……」

 フェイトはアリシアの眼光に思わず正座して答える。

「何がダメなの?」

「だって、この力に手を出したのはわたしでアルフは関係ない……
 アルフをリンカーデバイス同士の戦いに巻き込むわけにはいかない。これはわたしの問題だから」

「…………言いたいことはそれだけ?」

「え……あと……人殺しはよくないと思い……ます」

 上目づかいでベガの顔色を窺うと、彼女はにっこりとほほ笑み――

「歯を食いしばりなさいフェイト」

「え――」

 ベガの言葉を理解し実行するより速く頬に固い衝撃が打ち込まれ三度フェイトは地面に倒れ伏す。

「前から思っていたけどフェイトッ! あなた馬鹿でしょ!?」

「い……いきなり何を……?」

 がーっと吠える剣幕にフェイトはたじろぐ。

「いつもいつも辛い顔しているのに何を言っても大丈夫ばっかり……
 わたしやアルフがどんな気持ちでフェイトのことを見守っていたか分かる!?」

「えっと……それは……ごめんなさい……」

 おそらくはジュエルシードを集めていた時のこと。
 休んでくれ、ご飯を食べてくれ、怪我をちゃんと治してくれ。
 そんなアルフの心配を全て無視して自分はひたすら母さんのために働いた。
 思い返せば随分とひどいことだったのではないか。

「だいたいアルフはフェイトの何っ!?」

「使い魔で家族」

「そう家族で使い魔でしょ! ならどうして一緒に戦わせてあげないの?」

「だってアルフには危険な目にあって欲しくないから……
 リンカーデバイス同士の戦いは本当の殺し合いだってベガが一番よく分かってるはずでしょ?」

「それでアルフが納得すると思ってるの?」

「それは……」

「確かに空戦でアルフはフェイトに追い付けない……
 カートリッジシステムは瞬間出力の上昇だけでアルフを維持している魔力には関係ないから力の差は開く一方」

「う……ん」

 ベガが何を言いたいのかさっぱり分からない。

「そしてベガを手に入れてもアルフに回す魔力量は変えてない……
 ねえ、フェイト……近頃アルフが悩んでいたの気付いてた?」

「アルフが悩み? お肉があればそれだけで幸せ一杯なアルフが!?」

「フェイト……それはちょっとひどいんじゃないかな? 確かにそうかもしれないけど」

 白い目を向けつつも同意するベガにフェイトは咳払いを一つしてなかったことにする。

「アルフの悩み……」

 言われてみても想像がつかない。

「ユーノ君にザフィーラ……それから『G』に北天の能力者たちにセラ、そしてエルナト」

 指を折りながら上げていくのはアルフがこれまで戦ってきた、もしくは観戦していたものたち。

「闇の書あたりからだったかな……アルフが自分の力の無さを感じ始めたのは」

 その辺りから、正確には闇の書事件が終わってから戦いの質が一気に向上した。
 フェイトでさえ、次々に現れる敵に負け続け、ベガを手に入れたことでようやく同じ土俵に立つことができた。

「『あたしはフェイトに本当に必要なのか?』それがアルフの中にある不安だよ」

「そんなっ!? アルフが必要ないなんてありえない」

「うん……それは分かっていても、少しも頼りにしてくれないアルフはそう思っちゃった……
 辛そうにしているフェイトに何もできない自分……
 フェイトを守ることができない無力な自分……
 強い敵に身体が震えてしまう自分に嫌気を感じちゃった」

 アルフは獣だからその本能が身体に強く出る。多少なら理性で抑えられても本能が強くなれば身体が戦うことを拒否してしまう。

「そんな心の隙間があったからアルフはエルナトに支配されちゃったの」

 力への渇望もリンカーデバイスによる精神汚染の強さ。
 両方ともフェイトは身を持って味わった。

「いい、聞いてフェイト……
 アルフは本来フェイトの使い魔で分体、ベガの欠片を分け与えていなくてもそれは変わらない……
 アルフの意志が強ければエルナトの欠片なんて拒絶できたはず、でもそれができなかったのはほんの少しでも力の渇望があったから」

「…………わたしの……せい……? アルフがあんな風になったのは……」

「うん……突き詰めればそうなるかな……
 それでこのままエルナトの分体が完全にアルフのリンカーコアに根を張ったら、アルフは完全にエルナトのものになっちゃう」

「そんなのダメッ!」

「だったら、やらなくちゃいけないことは分かってるよね?」

 アルフにベガの欠片を打ち込んで、自分の分体にする。

「でも……それは……アルフの生き方をわたしが勝手に決めることで……」

 アルフに無理強いはしたくない。
 力を与えることは共に戦うことを強制すること。
 そんなことをするためにフェイトはアルフを使い魔にしたわけじゃない。

「それは違うよフェイト」

 そんなフェイトの考えをベガは否定する。

「力を与えるっていうことは選択肢を上げるってこと……
 そこから戦うことを選ぶかどうかはアルフが決める事。それは強制じゃない」

「でも……きっとアルフは私と一緒に戦うって言うに決まってる」

「だから力を与えられない? それはアルフが戦う自由を奪うことじゃないの?
 フェイトが一番危険な場所にいて、自分は安全な場所にいる。そんなのアルフの望みじゃない」

「アルフの……望み」

「フェイトはもっとアルフと話をしないとダメだよ……
 フェイトが隠している本心も、アルフが抱えている本心、ちゃんと話し合わないと何も伝わらない……
 言わなくても分かるなんて、そんなの嘘……ちゃんと言葉にしないと何も分からない」

「でも……それでアルフと喧嘩になったら」

「喧嘩したっていいじゃない……喧嘩して仲直りする。家族も友達もそうやって分かり合っていく……
 大丈夫……たくさん喧嘩をしても絶対にアルフはフェイトのことを嫌いになったりしない……
 だって二人は『生涯をともに過ごす』家族なんだから」

「ずるいよベガ……それを言われたら、何も言い返せないよ」

 フェイトの文句にベガは笑みを返すだけ。

「前を向いてフェイト」

 ベガはフェイトの手を取って立ち上がらせる。
 そして、いつかの時の様に逆三角形のプレート、バルディッシュを差し出した。

「ここにいるのはあなたと役に立たないおっぱい魔人の二人だけ……都合よく誰かが助けてくれるなんて考えちゃダメ……
 何よりアルフを助けるのはあなたじゃなくちゃダメ」

「うん…………っておっぱい魔人って、まさかシグナムのこと!?」

「足りない分の力はわたしが貸してあげる」

 突っ込みを無視してベガはフェイトの胸を小さな拳で小突く。

「そのために……わたしはここにいるんだから」

「…………うん、ありがとう……姉さん」

 一度目を閉じて、開けば視界が元の荒れ果てた食堂に戻る。
 白昼夢を見ていたような感覚。時間の流れは止まっていたのか状況に変化はない。

「アルフ……今、助けるから」

 深呼吸をして意識を研ぎ澄まし、フェイトは集中力を高める。
 義手を破壊され、右腕だけで今のアルフとどこまで戦えるか分からないが、もう悲壮感はない。

『言ったよね? 足りない分はわたしが力を貸してあげるって』

 だが、明るい声が頭の中に響く。

『ベガ、擬体生成レフトアーム』

 一瞬、フェイトのないはずの左腕に光が集まって弾ける。
 そこには傷一つない生身の左腕があった。
 試しに動かしてみれば、違和感なく動く。

「すごい……リンカーデバイスってこんなこともできるんだ」

『すごいでしょ』

 うん、と頷いてフェイトはバルディッシュを両手で構える。
 魔力が身体の隅々まで行き渡り、今まで感じたことがないほどに力が溢れる。
 ベガの魔力を使うのではない。
 ベガの魔力と自分の魔力が一体となって増大する感覚。
 それがリンカーデバイスとマスターの正しい在り方なのだとフェイトは思う。

『プログラムカートリッジロード、オルペウス』

 ベガの声に合わせてバルディッシュがカートリッジを撃発させる。

「うううっ……」

 今のフェイトの力を感じて、アルフは警戒するように後ずさる。
 だが、牙は剥き出しのまま威嚇している。
 エルナトの命令で退くことができないアルフはまず、周囲にフォトンランサーを展開して放った。

「いくよ、バルディッシュ、ベガ……いくよ、アルフ」

 張られた弾幕に対してフェイトは回り込むのではなく、前進を選択する。
 散発する光弾。
 しかし、今のフェイトにとってその速度は止まっている様なものの上、隙間だらけ。
 弾幕をすり抜けて接敵したフェイトはすれ違い様にバルディッシュを振り下ろし、アルフの左足に纏った鋼殻を砕く。
 アルフがフェイトの姿を追って振り返るがもうそこに彼女の姿はない。

「こっちだよアルフ」

 声に反応して顔を上げれば、天井を蹴ってフェイトがザンバーフォームのバルディッシュを下に落ちてくる。
 アルフは人型になって両手を交差して突撃を防御。両手の鋼殻が砕ける。
 アルフの足下に着地したフェイトは、すかさず足を払って転ばせ、アサルトフォームに切り替えたバルディッシュを右足に突き付ける。

『フォトンランサー』

 撃ち込んだ五連射の光弾が最後の鋼殻を砕く。

「これで――」

 サイスフォームのバルディッシュを振り上げる。
 だが、アルフは無防備にそれを受けるのを良しとしなかった。

「ウオオオオオォォォォォン!!」

 獣の咆哮。魔力が込められたハウリングは衝撃波となってフェイトを弾き飛ばす。
 その声はただでさえ破壊され尽くしていた食堂を崩壊させていく。

「っ……まずい」

 吹き飛ばされている最中にフェイトが見たのは食堂の隣りの部屋で倒れ伏す人たち。

「間に合ってっ!」

 衝撃波を回り込んでフェイトは彼らを守る様にバリアを展開し、衝撃波を受け止める。

「くっ……」

「フェイトちゃんっ!」

 背後から誰かの声がするが、気にしている余裕はない。
 重い手応え。しかし、それでも後ろの彼らは守り切れた。
 だが――

「があっ!」

 眼前に迫るアルフの拳。
 後ろにいる人たちのことを考えればかわすわけにはいかない。
 楯を張り、拳を受け止めるが一発では終わらない。
 両の拳をがむしゃらに楯に叩き付け、同時にフォトンランサーも撃ち込む。

「くっ……」

 途切れない連撃にフェイトはその場に釘付けにされる。

『フェイト、あと十秒そのまま持たせて、バルディッシュはカウントして』

『OK……10……9……』

 ベガが何を考えているのか察してフェイトは楯の維持に集中する。
 そして――

『……0っ! 衝撃に備えてっ! それからバインドとバリアッ!!』

 縦横の激しい揺れがアースラを襲った。
 それは外からのアリシアの雷撃。
 その揺れから後ろの人たちを守ることをベガに任せ、フェイトは揺れに投げ出されたアルフに迫る。

「アルフを――」

 鎌を振り被り――

「――返せっ!!」

 気合い一閃。その刃をアルフの胸に突き立てた。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 魔力刃の刀身が砕け、アルフの胸に突き刺さった溶ける様に彼女の中に吸収されていった。
 悲鳴を上げたアルフは悲鳴を止めるとともに硬直して、そのまま後ろにのけぞり倒れた。

「アルフッ!」

 バルディッシュを置いて、フェイトはアルフを抱き起こす。

「アルフッ!」

 呼びかけても応えは返ってこない。
 
『大丈夫、身体の傷はベガの魔力が回って治癒が始まってる……
 気を失ったのは精神の消耗によるものだから時間が経てば目を覚ますよ』

「そっか……よかった」

『うん……ところでフェイト……』

「分かってるよ、ベガ」

 フェイトの背後で重い音が鳴る。
 それは金属が重なりあって鳴る鎧の音。
 いつの間にか、フェイトの背後を取ったエルナトが警告なしに剣を振り下ろす。

『ソニックムーブ』

 振り返ることもせずにフェイトはその場から一瞬でアルフを抱えたまま離脱する。

「マリー、アルフをお願い」

 先程庇った人たちの中に彼女がいることに気付いて、気を失っているアルフを預ける。

「フェイトちゃん……あ……」

 彼女の声を無視してフェイトは振り返り、忌々しいと言わんばかりの顔で睨みつけてくるエルナトを睨み返す。
 ふつふつと湧き上がる怒り。
 かつてセラになのはが殺された時と同じような激情が湧き上がるが、理性が振り切れない様に気をつける。

「フェイトちゃんっ! 私たち、そのアルフに助けてもらってここに匿われて、それから……えっと……アルフはここを守るために戦ってくれて……」

 たどたどしくマリーがその時のことを説明してくれる。

「そっか……あとでアルフをいっぱい褒めて上げないと」

 彼女が恐怖を感じながらも必死に戦っていた姿が目に浮かぶ。
 緩んだ頬をすぐにフェイトは引き締め、バルディッシュを構える。

「もう謝っても許したりはしませんから」

「はっ……あの時と同じ俺だと思うなよ」

 精悍な顔を醜く歪めてエルナトも剣を構える。
 そこで――新たな魔力の高まりが膨れ上がった。

「え……?」

「何だと……?」
 
 二人同時に顔をそちらに向け、フェイトは絶句した。
 高まる魔力の中心に立つのは肩から脇腹まで斬り落とされたシグナムだった。
 人間ならそれは致命傷どころか即死の傷。
 魔導生命体のシグナムだからこそ生きて不思議はないが、傷付いているはずなのに彼女から噴き上がる力は万全の時より遥かに大きい。

「う……おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 咆哮と共にシグナムの失った半身が魔力の光で補われ、弾けた。
 そこには先程のフェイトと同じで傷一つない身体が再構築された。

「シグナム……?」

 何が起きているのか分からないフェイトはその光景に呆然とした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「…………ここは?」

 気が付けばシグナムは不毛の荒野にたたずんでいた。

 ――私は確か……戦っていたはず……

 記憶を掘り起こすが、それが形になる前に声をかけられた。

「無様だな」

 弾かれたようにシグナムは振り返り、レヴァンティンを構え、目を見張った。

「お前は……」

 そこには自分がたたずんでいた。
 彼女は感情の籠らない冷めた視線が自分を見下す。

「お前は……何者だ?」

「愚問だな、私はお前だ」

「何だと……?」

 こんなまるで機械のような雰囲気をまとう自分が自分であるはずがない。
 憤慨する気持ちで相手を睨みつけるが、同じ顔をした自分はそれを鼻で笑った。

「怒った演技など無意味だ」

「演技だと?」

 シグナムは本気で目の前の存在に嫌悪を抱き、怒りを向けている。
 にも関わらず、彼女は無機質な表情を少しも変えずに淡々と告げる。

「怒りなど私たちの機能に存在しない……
 私たちは蒐集のためにだけある存在、敵を倒し、リンカーコアを闇の書に捧げる。ただそれだけのために存在している」

「っ……確かに前の私はそうだった……だが、今は違う……
 主はやての下で蒐集しか知らなかった私たちは『人間』になれた……過去の幻影は消えろっ!」

 ここに至り、シグナムは目の前の自分が何なのか察する。
 彼女は蒐集しか知らなかった過去の自分。
 ここはおそらく自分の内面世界。

「私は幻影ではない……幻影はお前の方だ」

「何……?」

「お前は私の上に張り付けたメッキ……
 主が望むから、その願いに合わせて振舞っていた演技の存在に過ぎない」

「そ……そんな馬鹿なことがあるかっ!」

 反論の言葉を叫ぶ。
 だが、それをすんなり受け入れている自分がいた。

「くっ……消えろっ!」

 自分を見つめる無機質な目に耐え切れずシグナムは斬りかかる。
 彼女は静かにレヴァンティンを抜き、振り下ろされた剣を難なく弾いた。

「あっ……」

 手の中から弾き飛ばされたレヴァンティンは荒野に突き刺さる。
 空になった手を呆然とシグナムは見る。

「そのまま眠れ」

 無情な言葉で突き放され、シグナムは闇に包まれる。

「待てっ! お前は何をするつもりだっ!?」

「くだらない情に溺れ、剣を鈍らせたお前の代わりに私が戦う」

 闇に覆われてシグナムは強烈な眠気に襲われる。

「今の私の使命は目の前の敵を打倒し、アースラを解放すること……」

 ――眠い……

 自分が直前に何を考えていたか思い出せない程に思考がぼんやりと拡散する。

「いかなる手段を用いても目的は完遂する」

「ま……て…………」

「お前は夢を見ているだけで良い……主と仲間たち、そして優しい人たちに囲まれている幸せな夢を」

 自分に誘われてシグナムの意識は深く闇に沈んでいく。
 だが――

 ――古代ベルカ禁術魔法 オプファー ――

 その魔法が耳に止まり、一気に覚醒を促す。

「やめろっ! その魔法は――」

 はやての下で蒐集を行うに当たり、ヴォルケンリッターはいくつかの誓約を課した。
 それは人を殺さない誓いだけではない。
 絶対に使ってはならないと決めた魔法。
 使い魔や召喚獣にならあって当たり前のその魔法は強力な反面、リスクがとてつもなく大きい。
 だが、シグナムの叫びも空しく、それは起動した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「…………あれ?」

 唐突に身体から力が抜けてはやてはその場に膝を着いた。

「…………うそや」

 胸を締め付けられるような痛み。呼吸が苦しくなって脂汗がにじみ、滴り落ちる。
 この感覚によく似たものをはやては知っている。 
 まだ夜天の書が闇の書だった時にたびたび起きていた発作と同じ。
 しかし、今のはそれと似ているが何かが違う。

「くっ……」

 自分の身体に何が起きているか分からないはやてはただ苦痛に歯を食いしばって耐えることしかできなかった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ちっ……さすが化物……半身を削ったところで死な――」

 復活したシグナムにそれでも余裕を崩さないエルナト。
 しかし、彼の言葉が終わるよりも早く、シグナムは踏み込んでいた。
 胴を斬り払った剣戟が鎧に確かな傷を刻み、吹き飛ばす。
 だが、壁に激突するよりも速くシグナムは回り込み、剣を振り下ろす。
 叩きつけられた衝撃に床を貫通して下のフロアに落ちるエルナト。それをシグナムは無表情に追う。

「今のは……何……?」

 突然のシグナムの猛攻にフェイトは呆然と言葉をもらす。
 突然のパワーアップ。今のシグナムには普段の数倍の魔力が宿っている。

『あー……あれはちょっとまずいかな……』

「ベガ……シグナムが何をしてるのか分かるの?」

『うん……ミッド式だと『サクリファイス』っていう魔法で使い魔とか召喚獣を持ってる人なら当然持ってる切り札だよ』

「そんな魔法、わたし知らないよ?」

『物騒な魔法だからね、フェイトたちには必要ないってリニスが教えなかったんだよ』

「どんな魔法?」

『主人の生命子を絞り取って力に変える禁術。命は魔力素よりも多くの魔力を生み出す原料になるから……
 この場合の対象者は当然八神はやて』

「なっ……」

 絶句してフェイトはシグナム達が消えて穴を見る。
 轟音が響き、艦全体が鳴動する。見えなくても戦闘の激しさが分かる。

「止めないとっ!」

『放っておけば』

 ベガは先程までの協力的な姿勢から打って変わって冷めた言葉を返す。

『時間もそろそろ迫ってるし、止めるよりも協力してエルナトを砕いた方が良いと思うよ』

「でも、さっきのシグナムはシグナムじゃなかった」

 激情に侵されていたわけじゃない。むしろ逆に感情なんてまるでなく、まるで機械の様だった。

『違うよフェイト、あっちが本当のヴォルケンリッター』

「え……?」

『闇の書の蒐集のために生み出された、それだけしか知らない、それ以外いらない、考えない、それがヴォルケンリッターの本質だよ』

「それは……昔の話で今は――」

『人の本質は壊れたりするのは一瞬だけど、たった一年じゃ治らないよ』

 非情な言葉でベガははやてとヴォルケンリッターの絆をばっさりと切り捨てる。

「そんなことない」

 フェイトの目から見てシグナムは立派な騎士だ。
 仲間を思い、主を大切にし、騎士道精神を貫く武人。

『でも、全部の罪をソラに擦り付けた』

「ベガ……?」

『どんなにあれが大人びているように見えてもまだ人間一年生……
 結局、まだまだ自分のことしか考えられないお子様なんだよ』

「人間一年生って……」

 思わず想像してしまったシグナム一年生の姿にフェイトは思わず笑いそうになるが、彼女の真剣みを帯びた言葉がそれをさせない。

『アリシアの形をくれた闇の書には少しだけ感謝してるけど、わたしはあの人たちのこと、嫌い』

 何故だろうか。
 内側のベガ、アリシアはシグナム達と何の関わり合いがないはずなのにそこに込められた思いは重く感じた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 シグナムは荒野に倒れ伏していた。
 はやての命を削って使う禁断の強化魔法。それを止めるためにシグナムは自分と戦った。
 騎士甲冑はボロボロで原型をとどめていない。
 対して立ったままの彼女は無傷。
 シグナムは過去の自分との歴然とした差を見せつけられた。

「無駄なことを……」

 無機質な目と声で彼女はシグナムを見下して告げる。

「お前が私に勝てるはずない……お前は所詮上辺だけの存在なのだから……」

 どこまでも無情に彼女は今のシグナムを否定する。
 自分の根幹に根を張るシステムの人格。
 それはシグナム自身が知らない自分の内面を的確に突く。

「認めない……そんなこと……認めない……」

 自分は機械だ。システムだ。と何処までも言い張る彼女にシグナムはうわ言のように否定を繰り返す。

「私は……騎士なんだ……誇り高い……ベルカの騎士……なんだ」

「騎士の感情データと知識は主とのコミュニケーションを円滑にするためのツールに過ぎない」

「っ……そうだったとしてもっ! 私は償わなければならないんだっ!」

「何故、そんなことをしなければならない」

「お前はっ! あれほどの多くの人間を糧にし、命を奪ったのに何とも思わないのかっ!?」

「蒐集こそ私たちの存在理由、所詮生物は闇の書の餌に過ぎない……
 生命体と同じだ……食物の摂取に罪悪を感じる生命体は存在しない」

「ならっ! 主はっ!? 貴様が今使ってる魔法は主の命を削るもの……
 主を守るのが私の使命ではないのかっ!?」

「闇の書が存在しない今、主を守る必要はない」

「なっ……」

「主などは闇の書を完成させるために必要なパーツの一つに過ぎない……それにいくらでも替えは効く」

 彼女は最も最低なことを躊躇いもせずに言い切った。

「…………は……はは……」

 一つ一つ最低の答えを返されるシグナムは灰色の雲に覆われた空を仰いで力なく笑った。

「…………私はこんなにもどうしようもない屑だったんだな」

 シグナムが叫んだ言葉はそのまま自分に返る。
 その一つ一つに最低の答えを返したのは自分の根幹だと思うと絶望するしかない。
 罪の意識を感じているのは上っ面だけ、根っこの自分はどこまでもシステムでしかなかった。
 だからこそ、動揺しつつも復讐者を前に簡単に剣を抜くことができた。
 だからこそ、自分が犯した罪をソラへと簡単に擦り付けた。

「最低だ……私は……最低だ」

 生まれた時から存在し、幾星霜の時を積み重ねて存在する根幹とたった一年の積み重ねしかないメッキ。
 どちらがより強く根付いているか、考えるまでもない。

「こんな私が……生きていていいはずない」

 シグナムはレヴァンティンを逆手にして、切っ先を自分に向ける。
 根幹の自分に勝てない。
 だが、彼女が起動しているはやての命を削る魔法は止めなくてはならない。
 幸いなことにシグナムの内面世界。
 自分が死ねば、彼女も機能を停止するかもしれない。
 もちろん、そんなこと関係なしに動き続けるかもしれないが、戦って彼女に敵わないのならわずかな可能性に縋るしかない。

「申し訳ありません……主はやて……私はここまで――」

 懺悔の言葉は肩を叩かれて止まる。
 根幹の自分は目の前、シグナムの自害を止めようとする素振りはない。
 ならば誰がと肩を引かれるまま振り返ると、そこにはここにいるはずのない灰色の髪の少年、ソラが拳を握りしめていた。

「このっ大馬鹿者!」

 その姿を見た瞬間、顎を下から殴り上げられた。

「ぐはっ……」

 仰け反ってそのままシグナムは荒野に大の字になって倒れる。

「よりにもよって自殺とはなーにを考えているのかな、この馬鹿騎士は!?」

「な…………な…………なんでお前がここに……!?」

 思わず現れた彼にシグナムは叫ぶ。
 しかし、ソラは起き上がろうとしたシグナムに対して足を高く上げて、その頭に踵を落とした。

「なんで、ここに? そんなの君がまた何にも考えずにあの魔法を使ってるからに決まってるだろ」

 頭に足を乗せたままグリグリと彼はシグナムを踏みにじる。
 言葉しか聞こえないが途轍もなく怒っているのだけは感じられた。

「いや、そうではなくてここは私の内面世界のはずなんだが」

「アサヒと青犬、それにあの子に拝み倒されて、あの子を介して精神だけ飛ばしてるんだよ」

 それで納得する。
 あの子とは考えるまでもなくはやてのこと、彼女の精神が自分と繋がってるのは当然。
 そして彼女と自分、そして彼の関係性を考えれば彼の言ったことも不可能ではない。

「はやては……無事なのか?」

「自分で確認するんだね。僕の役目は道案内だけだから」

「…………え?」

 頭から足をどけられてシグナムは顔を上げる。
 場所を譲ったソラに代わって出て来たのは、今シグナムが最も会いたくない相手、八神はやてがそこにいた。

「ある……いえ、はやて」

 両の足で立ち自分を見下ろす主の姿にシグナムはすぐさま姿勢を正す。
 足は折りたたみ、両手を前に着いて、頭を地面に擦りつける様に下げ――

「申し訳ありません、はやてっ!!」

 土下座をしてシグナムは謝る。
 ヴォルケンリッターを解散している今、彼女を主と呼ぶわけにはいかない。
 いや、呼ぶ資格など初めから自分にはなかったのだ。

「私は……私は……」

 言わなければいけないことは沢山あるのに言葉が出てこない。

「あ、今の問答はだいたい聞いてたから省略していいよ」

 余計な茶々が入るが、シグナムはありがたかった。
 自分の醜い本性を口にするだけの気力など最早ない。

「……死んで御詫びします」

「ちょー待ていっ!」

 説明を省けばもう自決するしかないシグナムは腹を斬るつもりで上着のジャケットをはだける。しかしはやてそれをが止める。

「止めないでくださいっ!」

「ちょー落ち着くんやシグナムッ! ソラさんシグナムからレヴァンティン取り上げてっ! ついでにできたら落ち着かせてっ!」

 やれやれと肩を竦めたソラは音もなくシグナムに近付くと手首に手刀を当ててレヴァンティンを簡単に落とさせる。
 そして、そのままソラははやてを身体に抱き付かせたまま暴れるシグナムの背後に回り、首に腕をかける。
 次の瞬間、シグナムは意識を闇に落とした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 床から炎が突き破り、天井まで立ち上ったその中から鎧が躍り出す。
 その鎧は所々欠け、煤にまみれの酷い有様だった。

「この雑魚の分際でっ!」

 エルナトが憤怒に顔を歪めて叫び、飛ぶ。
 迎え撃つシグナムは炎が開けた穴を広げて突き破り、それを迎え撃つ。
 二つの大きな力がぶつかり合って、アースラを震わせる。
 鍔迫り合いは互角。
 だが、そこでシグナムはさらに前に出る。

「ぐあっ」

 何故か兜をつけていなかったエルナトはシグナムの頭突きを受けて仰け反る。
 強引に鍔迫り合いに勝ち、エルナトの鎧にさらなる傷を刻む。
 だが、そこでシグナムは止まらない。
 片手でレヴァンティンを振り抜き、もう一方の手で鞘を突き出して追い打ちをかける。
 突き飛ばしたエルナトを今度は連結刃で絡め取って引き寄せ、さらに剣戟を重ねる。
 見る間にエルナトの鎧が削り取られていく。
 だが、それを黙って受け入れるエルナトではない。

「くそっ!  離れろっ!」

 魔力を衝撃波として叩き付け、追撃をかけるシグナムを押し返す。
 強引に開いた距離でエルナトはその背後に五つの魔法陣を広げる。

「薙ぎ払えっ!」

 一斉にそれぞれの魔法陣から野太い砲撃が時間差をつけて撃ち出される。
 一撃目を真正面からシグナムは斬り払い、二撃目を返す刃でさらに斬り払う。
 三撃目を跳躍して避け、そして四撃目が体勢を乱したところに迫る。
 寸でのところで剣をかざして楯を作り受け止める。その上に五撃目が加わってシグナムは砲撃に飲まれた。

「やったか!?」

 声を上げるエルナト。
 しかし、煙を引き裂いてシグナムがそんな彼に斬りかかる。

「ちっ……」

 舌打ちをしながらもエルナトは振り下ろされる剣をしっかりと自分の剣で受ける。
 今度はシグナムが何かをする前にエルナトが前蹴りで彼女の腹を蹴り飛ばす。
 たたらを踏みながらも、剣を振るシグナム。
 その刃を掻い潜ってエルナトは腕を突き出してシグナムの首を掴んだ。

「ブラストッ!」

 防御不能の接触爆破魔法。
 直撃を受けたシグナムは大きく仰け反り――耐えた。
 足で踏ん張って強引に姿勢を整え、火傷を負った首に顔を急速に修復させながら、剣を下からエルナトの腕に目掛けて斬り上げ、篭手に一際大きな傷を刻む。

「調子に乗るなっ!」

 怒りを顕わにしてエルナトが剣を振り下ろす。
 斜めに胸を斬り裂かれるがシグナムは怯まず反撃する。

「くそっ……」

 たまらずエルナトは大きく後ろに跳んで距離を取る。

「付き合ってらんねえぜ」

 いくら痛めつけてもそれを意に介さず、傷は瞬時に修復される。
 そんな不毛な繰り返しに辟易したエルナトは剣をかざし、追ってくるシグナムに対して魔法陣を展開する。
 次の瞬間、シグナムの周囲を魔法陣が囲む。
 そこから飛び出した光の帯がシグナムの全身に絡み付き動きを止める。

「ちっ……うるせいよ宿主」

 顔をしかめながらもエルナトは足下に新たな魔法陣を展開する。
 それは転送魔法陣。

「まさか、逃げる気?」

 呆然と、二人の殺し合いを見ていたフェイトは我に返る。

 ――逃がすわけにはいかない……

 アースラの制御に分体にされた人たち。それらを解放されていない状況でエルナトを見逃すことはできない。
 すぐに身構えるが、それより速くシグナムの咆哮が鳴り響いた。

「うおぉぉぉぉぉぉっ!」

 全身を燃やし、バインドを焼き尽くす。
 当然、自分にダメージがあるが気にしたりしない。
 焼かれ強度が落ちたバインドをさらに強引に力で引き千切ったところで、剣風がシグナムの右腕を斬り落とした。
 だが、シグナムは怯まない。
 右腕を失くしたまま疾走。その間にもエルナトが放つ剣風に身体を斬り刻まれる。
 それでも勢いは衰えない。
 右腕に左腕も斬り飛ばされ、それでもシグナムは体当たりで転送魔法陣からエルナトを押し出し、そのままの勢いを乗せて壁に叩きつける。

「このっ! 調子に乗るなっ!」

 壁に自身を押しつけるシグナムにエルナトは拳を背中に落とす。
 がくりとシグナムの膝が落ちて、押しつける力が途切れる。
 それにエルナトは笑みを浮かべ、油断をした。
 シグナムが右腕を再構築され、膝を落として反動、力を溜めた足で床を強く蹴り――

「紫電――」

 右手の拳を固め、炎が宿る。

「―― 一閃っ!!」

 強烈な下からのアッパーは傷だらけの胸甲に亀裂を走らせエルナトを壁にめり込ませた。
 そこでシグナムは止まらない。
 修復が完了した左腕も使って拳打の雨を降らせ、傷だらけの鎧を徐々に砕いていく。
 自分の拳が傷付くことなどお構いなし、いや傷付いても瞬時に治るため関係ない。
 そしてついにシグナムの拳がエルナトの胸甲を粉砕した。
 鎧の奥、胸の中心に埋め込まれた赤い宝石。それがエルナトの本体。
 詳しいことを知らないシグナムでも、それが特別なものだと察し、拳に一層強い魔力を宿らせる。

「…………か…………き……」

「紫電――」

「アルシオーネの仇っ!」

 エルナトの、いや彼の目の前に魔法陣が展開される。
 しかし、それは防御のためのものではない。
 ミッド式の砲撃魔法。十分な集束はされていないが、零距離から攻撃は脅威になる。
 砲撃はシグナムの脇腹に直撃した。
 しかし、今の騎士甲冑の防御を超えることはできなかった。
 同時に打ち込まれた拳は狙いを乱し、宝石から逸れ左胸を穿つ。
 その衝撃に壁が壊れ、その向こうへ吹き飛ばされ彼はフェイトの視界から消えた。

「シグナム……」

 あれはもはや騎士の戦い方ではない。
 まるで血に飢えた獣のような、いやそんな獣でも我が身を少しは顧みるはずだ。

『あれが『魔力蒐集システム・シグナム』だよ』

 青ざめているフェイトの内からベガが話す。

『騎士とか人間のメッキをはがした下にある本性』

 先程は否定したはずなのに、今の光景を見てしまった後ではできない。

『……んー……シグナムの勝ちみたいだね』

「どういうことベガ?」

『見てみて、アースラの再生が止まってるでしょ?
 エルナトの魔力が途切れたからだよ。きっと操り人形にされていた人たちも今は気を失ってるはず」

 言われてみれば破壊されては再生を繰り返していた室内が破壊されたまま元に戻る気配がない。

「そっか……よかった……ところでエルナトは……?」

『エルナトはまだ砕けてないから健在。でも、マスターの修復に時間がかかりそうかな……』

 ベガが言っている間にシグナムはレヴァンティンを拾い、鋭い眼光を壁を突き抜けた彼に向け、歩き出した。

「待ってシグナムッ! 何をするつもり?」

「知れたこと……あいつの命をここで断つ」

 咄嗟に立ち塞がったフェイトにシグナムは感情を感じさせない声で答えた。
 目が合うがそこにも感情の色は感じない。
 今日まで話し、競い合った彼女ではない。同じ顔、姿をしたまったくの別人。

「勝負はもうついてる……アースラもみんなも解放された、もうこれ以上戦う必要はない」

「甘いな、テスタロッサ……それは一時的なものでしかない」

 フェイトの言葉をシグナムは切り捨てる。

「この手の魔法は主の力が戻れば再発動する……今は小康状態にあるがアースラも皆も未だにこいつの奴隷だ」

『うん……それはシグナムの言うとおり』

 ベガが彼女の言葉を肯定する。

「でも……」

 理屈は分かる。しかし、意識を失い戦う力の無い者に止めを刺す行為に抵抗を感じる。

「邪魔をするなら……貴様から排除する」

 戸惑い迷うフェイトに、躊躇いも迷いもなくシグナムは言い切り、レヴァンティンの切っ先をフェイトに向けた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 身体に衝撃が走ったかと思うとシグナムは意識を覚醒させた。

「はっ……私はいったい何を?」

「お……おお……まんがみたいなことが見れるとは思わんかった……」

「じゃ、あと五分だから」

 それだけ言うとソラは二人から離れて、根幹のシグナムから庇う様な位置に移動して二人に背を向けた。

「…………申し訳ありません、取り乱しました」

「うん……まあ、落ち着いてくれてなによりや」

「彼に……気を使わせてしまったようですね」

 お前とは話すことなんてないっと言わんばかりの背中を見て、それは仕方がないことだと納得する。
 そんな彼にこんな世界にまで来させた自分に落ち込む。
 おそらく、彼に声をかけても返事はしないだろう。だから、シグナムははやてに話しかけた。

「はやて、御身体の具合は?」

「それなら心配あらへん、ソラさんがすぐに気付いてくれてアサヒねーちゃんが今もヒーリングをかけてくれとるから問題なしや」

「そうですか……」

 その言葉に安心するものの、苦い物を感じずにはいられない。
 禁術の発動をいち早く察したソラ。つまり彼はそれを経験していることに他ならない。
 少し前なら、否定していたはずだろう。
 だが今は否定することはできない。
 主をパーツと言い切った自分をもう信用できない。

 ――ああ、消えようとしたリインフォースの気持ちが分かる……

 胸を焦がす罪悪感。
 できればこのまま消えてしまいた。が、厳しい目で自分を見るはやてがいてそれはできなかった。
 その目がふと緩む。

「まーいろいろ言いたいことあるけど、無事そーでなによりや」

「っ……」

 自分の本性を知り、現在進行形で命が削られているというのに変わらない笑顔を向けてくれるはやてにシグナムは泣きそうになった。

「はやて……私は……」

「あーもう、シグナムも泣き虫やな」

 いや、すでに泣いていた。
 涙を拭ってくれる手は優しく。それがまた涙を誘う。

「あんなお人形なシグナムの言ったことなんて気にせんでいい……ちゅーわけにはいかないんよね?」

「はい……あれはまぎれもなく私の根幹にある意志です」

「あー……話には聞いとったけどかなりきっついなー」

 眉間にしわをよせてはやては唸る。

「はやて……私は……どうすればいいんですか?」

 もう何も分からない。
 自分を支えていたもの全てが壊されて、もはや何をしていいかさえ分からない。
 腹を切って詫びようとも、それは彼女に止められた。

「教えてください……私は……どうすればいいのですか? 何をすればいいのですか?」

 もはやそこには普段の凛とした武人のシグナムはいなかった。
 何もかもなくし、幼い少女に頭を下げて懇願する彼女の方がむしろ幼子の様に見えた。

「それは自分で考えなきゃあかんゆーたやろ?」

「ですが、もう私は……」

「わたしの知ってるシグナムはしっかりしていたかっこえー騎士なんや」

「その私は……幻です」

「幻やないっ!」

 強い言葉ではやてはシグナムの顔を覗き込んで否定する。

「確かにシグナムが積み重ねて来た時間と比べれば、わたしの傍にいてくれた時間はたったの一年かもしれんへん……
 でも、その一年は確かに誇り高い騎士で優しい仲間思いの人間やった」

「違いますっ!
 私は最低のプログラムなんです……
 誓いも贖罪も誇りも言葉だけ……あげく自分の罪から目を逸らして彼に擦り付けた……
 こんな間違ってばかりの私が……償うなんてできるはずなかったんです……」

「せやから、消えるんか?」

「…………これ以上、無様をさらせません……
 たった一年でしたが……御迷惑をおかけしました」

 頭を垂れて謝罪する。
 はやてに謝ることもでき、もはや思い残すことはない。
 少しだけ晴れた心でシグナムは顔を上げ、最後にはやての顔を見ようとして――

「このっ――」

 見たのは今までに見たことのない怒気を漲らせた顔のはやてだった。

「――どあほうっ!!」

 そして魔力がスパークするほど籠ったハリセンがシグナムの顔を横殴りに叩いた。

「ぐはっ」

 首が捻じ切れたかと錯覚するほどの衝撃を受けて、シグナムは三度荒野に倒れる。
 そんなシグナムの襟元を両手で掴み、はやては無理矢理起こす。
 まじかで見ることになったはやての目はすわっていて、本気でキレていた。

「何が無様をさらせないやっ! そんなのただの逃げやないかっ!」

「ですが、私が生き続けた所で私はまた間違いを犯す」

「そんなん間違えればええっ!」

「なっ……!?」

 あまりの暴言にシグナムは言葉を失う。が、そんなの関係ないとはやては捲し立てる。

「人間間違えてなんぼの生き物やっ!
 一回や二回、間違えたからゆーって、死にたいゆーのは根性なしのすることや」

「こ、根性なし……」

「それとも何かっ!? たった一年生きただけでもう完璧な人間になったつもりか?
 もしそう思っとるなら今すぐ次元世界のみんなに謝れっ!」

「あ……その……」

「シャマルを思い出してみー……
 あの子は何度注意しても微妙な料理を作るやろっ!」

「……はい」

「ヴィータもアイスの食べ過ぎでお腹を壊したのも一度や二度じゃあらへん」

「私の間違いがそれと同レベルなんですか!?」

「ザフィーラは……ご近所で頭のいー犬やと間違われとる」

「それは間違いの意味が違いますっ!」

「と、とにかくやっ!
 一度間違えたくらいでへたってないで、もー二度としないって反省して顔を上げいっ!」

 はやては無理矢理シグナムを立たせる。
 だが、背丈の差ではやてが背伸びしても胸倉を掴んだシグナムを立たせることはできない。

「はやて……」

「間違える事が怖い気持ちはわたしもよー分かる」

 襟を掴む手が震えている。

「自分が正しいこと言えとるか、できとるかなんて分からへん……
 現実でシグナムがどんな敵と会って、どんなこと言われたかも、わたしは知らへん……
 そんなわたしがここで偉そーにいろいろゆーてもシグナムを傷付けてるだけかもしれへん」

「はやて……私は……」

「でもやっ! 絶望しても諦めたりしたらあかん……
 今、胸を張れなくてもええ……知らないこと、分からないこと、失敗も成功も沢山積み重ねて、いつかっ!」

 届けと、響けとはやては声を大にして叫び訴える。

「いつかでえーんや、わたしはいつかみんなと胸を張って並んで立っていたいんや」

 それは果たしてシグナムに向けられたものなのか、それとも自分に向けて言い聞かせたものなのか、シグナムにはどちらにも聞こえた。

「……そう……ですね……私もいつか貴女の隣りに胸を張って立ちたいです」

 ただ思ったことをそのまま口にする。
 それだけで胸が少しだけ軽くなる。

「ありがとうございます。はやて……向き合う覚悟が……少しだけできました」

 いつかの未来を迎えるためには向き合わなければいけない。
 自分の根幹と、復讐を望む彼と、前の主であるソラ、そしてもっと多くの人たちと。
 思い上がっていた自分にはそれが必要なのだ。

「ん……それでこそシグナムや」

 そう言ったところではやての輪郭がぼやけ始めた。

「はやてっ!?」

「あーそろそろ時間みたいや」

「時間?」

「この交信はな、わたしからシグナムに流れ取る生命子をアンテナにして話ができる状態にしとるみたいでな……
 時間が経つとその生命子もシグナムに吸収されてしまうんよ……
 せやから、お話しできるのはここまでや」

「そう……ですか……申し訳ありません、はやて」

「謝らなくてええ。シグナムが必要ゆーなら、わたしの命くらいいくらでも貸したるわ」

「いえ、もう二度とこんな魔法は使わせ、いえ使いません」

 本来なら一度だって使っていいものではない。
 それを使ってしまったのは自分の弱さのせい。
 突き付けられた罪から目を逸らし、耳を塞いで、考えることを放棄した。
 それでも与えられた役目を果たさなければいけないと、自分のシステムの部分が独自に動いた。
 そして力が足りないと判断したシステムは、役目を放棄した理性が止める事もなく、それを実行した。

「はやて……私はこれからもっと強くなります」

 たたずまいを改めて、シグナムははやての前に膝を着く。

「今回の戦いで自分の心がどれほど脆弱だったのか私は思い知りました」

「ん……そか……」

 シグナムの言葉にはやては静かに頷いて応える。

「覚醒してからの日々、蒐集を終えてからの扱い……
 私は多くの人たちから幸福を頂き、それに甘えていました」

 幸せは一種の毒だ。過渡な幸福は容易に人を腐らせる。
 ぬるま湯の様な居心地の良さのせいで罪の意識をなあなあですませてしまった。

「もう二度と自分自身から目を背けないことをここに誓います」

「その誓い、夜天の王八神はやてが聞き入れた」

 厳かな雰囲気を作ってはやてはシグナムに応える。

「烈火の将、その騎士の名に恥じぬよう頑張ってなー」

「っ……はっ」

 万感の思いを受けてシグナムはもう一度頭を下げ、彼へと向き直った。

「……ソラ」

 かつての主の新しい名前を使ってシグナムは彼に頭を下げる。

「世話をかけた」

「勘違いするなよ……僕が気にしているのはアリシアとフェイトの二人だけだ……
 あの魔法が使われているってことはそれほど切迫している状況だっていうことだから、その子に手を貸したんだ」

「お……ツンデレやな」

 にんまりと笑みを作るはやてにソラは半眼で睨み、彼女の顔にアイアンクローを極め――

「塵となって消えろ」

「ちょ――」

 容赦なくソラは握り潰して、はやてを魔力光に変える。
 光は世界に溶け込むように消えて行った。
 本体は無事のはずだが、見ていて気分がいいものではなかった。

「ふん……」

 手をひらひらと振って光の残滓を払い、ソラはシグナムに背を向けた。

「どこへ……?」

「帰る」

「帰れるのか!?」

「僕は意識をあの子に同調させていただけ……君に上げるようなものは欠片もない……
 あの子がここから消えたなら、勝手に接続は切れるよ」

 振り返ることなく応えられた言葉には拒絶が含まれている。
 そして、言葉の通りソラの身体は薄れ始めていた。

「…………待ってくれ」

「話を聞かないところは変わってないね……僕の意志で待つなんて無理だって言ったんだよ」

「消えるまででいい。話がしたい」

 彼と話をする。いつか、また今度と先送りにしていたが、己の罪と向き合うことを誓った今、もうそれですませられない。

 ――うるさいっ! 僕に触るなっ!

 脳裏に蘇る過去の記憶。
 その姿は今よりも少し大きい。当時、彼がリインフォースとユニゾンしていた姿。
 その目には憎悪の感情が燃えていて、そのことに当時の私たちは気付かなかった。

「やれやれ……」

 しかし、記憶の中の彼とは違い、ソラは肩をすくめるとシグナムに向き直った。

「で、何……?」

 聞く体勢をとってくれたことに驚きつつもシグナムは言葉を探す。

 ――恨んでいるか? 

 そんなの聞くまでもない。

 ――はやてをどうするつもりか?

 今、話すべきことではない。

 ――いや、そうじゃない……私は彼のことが知りたいんだ……ならば聞くこと……

「ご……御趣味は……?」

 言ってから激しく後悔した。
 見合いの席でよく使われる言葉。しっかりとシグナムは俗世に染まっていた。
 案の定、ソラは呆れた眼差しを向けてきた。

「いや、待て今のはなしだ、そうジョーク、ジョークなんだ」

「そっかジョークなら仕方ない」

 咄嗟に出た言葉でソラは納得してくれる。
 そのことに安堵しながら、今度こそ思考を冷静に考えて口を開く。

「私は……変われるでしょうか?」

「人間、その気があれば大抵のことはできるよ」

「貴方が言うと……説得力がありますね」

 魔導師の才を失った身で様々な力を身につけた彼の言うことは信じられる。

「というか……何その言葉使い? 正直気持ち悪い」

「気持ち悪い……私だって言葉使いを改めることくらいできる。いったい私をなんだと思っているんだ?」

「傲岸不遜、自分勝手、人の話を聞かない、常に上から目線、根拠もないのに偉そう、あと無責任」

 次々と浴びせられる言葉のナイフがシグナムの胸に突き刺さる。

「わ……私は歴代の主たちにそんな風に思われていたのか?」

「少なくても、君たちはあの時僕を子供だからって見下していたでしょ?
 しかも、ガキには分からないだろうって、陰口も結構近くで言ってたし」

 当時の覚えはないが、牢屋に入れられていた時や戦場、周りに自分たちしかいない場面で王に対しての愚痴をもらした記憶はある。
 思わず額に手を当ててしまう。
 最も新しい記憶では、はやての下で覚醒した数日。
 蒐集をしないと言った主に対して、不満や侮蔑をヴィータが口にし、それをなだめながらも同調していた自分がいた。
 
「……死にたい」

 先程、誓ったにも関わらず弱音がもれる。

「君が死ぬのは勝手だけど、アリシアとフェイトの二人を巻き込むようなことはするなよ」

「テスタロッサ達を……?」

「あの子たちには借りがあるからね……フェイトの腕を斬ったのは僕だし、アリシアは……」

「アリシアは?」

「…………ま、あの子だけは僕にとって特別だと覚えておけばいいよ」

 それ以上は語らないっと言外するソラにシグナムは追及はしなかった。

「特別なら何故、傍にいて上げないのですか?」

「そんなの僕の周りにいる方が危険だからに決まってるからだよ。襲いかかって来た本人がそれを言う?」

「そう……でしたね」

 あの時の自分はどうかしていた。
 突然の前の主の生存を聞かされ、過去の汚点を排除するチャンスと息巻いて冷静ではいられなかった。

 ――そんなものは言い訳だ……

 仮にそれが別の主だったとしても、彼らが自分たちに向ける憎悪は正しく、自分たちが彼らに向ける憎悪はただの逆恨みだ。

「……あの――」

「っと……そろそろ限界か」

 謝ろうとした矢先に時間が来た。
 薄れていた姿が足から消えていく。

「ま……せいぜい頑張るんだね人間一年生」

 その言葉を最後にソラはあっさりとこの世界から消えた。

「人間一年生……か……」

 謝れなかったことに悔いを感じながら、彼が残した言葉を自分の口で反芻してシグナムは苦笑した。
 言い得て妙だが、確かに自分は人間一年生だ。

「さて……もう時間を無駄にはできないか」

 余韻に浸ることをやめて、シグナムは自分と向き直る。
 彼女は無言のまま、シグナムに剣で勝った場所から動いていなかった。

「また、形だけの抵抗をするつもりか?」

 いきなりの言葉のナイフがシグナムの胸を抉った。
 自分の本質から目を逸らしたまま、戦うことで目の前の自分を拒絶し潔白であろうとした。
 まさに形だけの抵抗。自分に言い訳をするためのポーズ。
 子供が怒られて、だだをこねて暴れたのと同じ。

「そうだな……あれは形ばかりの抵抗だった」

「ならば、大人しくしていろ……すぐに終わる」

「終わらせてもらっては困る」

 否を告げて、シグナムは一歩を踏み出す。

「何が困る? あの男など所詮、ただの路傍の石……
 復讐者などそれこそ掃いて捨てるほどいる。お前はその全員に首を差し出して回るつもりか? そんなことは不可能だ」

「分かっている」

「ならば黙って見ていろ……どうせお前にあの男は殺せないのだから」

「……かもしれん……だが、お前にそれをさせるわけにはいかない」

 さらに一歩彼女に近付きながらシグナムは言葉を重ねる。

「彼の思いをどう受け止めればいいかなんて分からない……
 だが、お前に全てを任せてしまえば、それはただ彼の思いを踏みにじるだけだ」

「餌の戯言など聞き流せばいい」

 剣の間合いに入っても彼女は動かない。故にシグナムもまた剣を抜かずにさらに一歩進む。

「斬らなければならないのなら私が斬る……
 もう自分の責任から逃れようとは思わん。清濁併せ飲み込んで抱える覚悟はできた」

「たかが一年の積み重ねしかないメッキがよく吠えるな」

「そうだ。私はお前と比べれば薄っぺらい存在に過ぎない……
 積み重ねた時間もたった一年だ……だが……ようやく始まった一年だ」

 彼女の額に自分の額を打ち合わせてその目をまっすぐと見据える。

「私はまだ『プログラム』だ……だが私は『ヒト』になる……この一年はそのための第一歩だっ!」

 強く腹の底から声を、意志を口に出す。
 この内面世界で武力での争いは意味がない。
 必要なのは意志の強さ。
 自分の中にある固まりきった価値観を超える意志を示す。
 強い目で自分を見据えるシグナム。
 そんな姿に彼女はふっとかすかに口元を歪めた。

「『ヒト』となるか……その時が来ることをお前の中で祈っていよう」

 その言葉を残して目の前の自分が音もなく消えた。

「あ……」

 止める間もなく、突然の消失にシグナムは呆ける。
 ずっと機械的な受け答えしかしなかったのに、最後の言葉だけは人間味を感じた。
 そんな彼女に感じたのは郷愁。
 摩耗した記憶ではずっと昔の夜天の書だった頃の自分の姿を思い出すことはできない。
 もしかしたら、そんなことを思うがシグナムは頭を振って自分が今すべきことに意識を切り替えた。

「禁術オプファー停止」

 はやてから略奪する力を止め、そしてシグナムの意識は現実へと覚醒する。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「お前にも世話をかけたようだなテスタロッサ、すまなかった」

 首に紙一重で止まった剣を引き戻し、シグナムが感情のこもった声で謝罪する。

「シグナム……? 本当にシグナム……?」

「ああ、私ははやての下で一年の時を過ごしたシグナムだ」

 その答えにフェイトは強張った身体を脱力し、その場に座りこんだ。

『これでようやく一段落かな……エルナトに関しては破壊した部分が心臓だから、修復に最低三日はかかるはず……
 その間はリンカーデバイスの機能はほとんど使えないから大丈夫だよ』

「それってわたしの時みたいな状態?」

『うん……心臓が壊れても、首をもがれても、コアが無事なら再生してくれるってデタラメだよね』

「あはは……わたし、そんなものに勢いで手を出したんだ」

 知らずの内に人間離れしていたことにフェイトは嘆きながら、息を吐いた。
 とにかくベガの言う通りならこの場での戦闘は終わった。
 エルナトは砕いていないが、マスターの身体を九死一生にまで、シグナムが痛めつけたおかげで機能停止にまで追い込めた。
 それによりアースラのコントロールは正常に戻ったはず、そこから先はクロノ達の行動次第だ。

「とりあえず、エルナトのマスターを拘束してからクロノ達の応援に――」

 言葉の途中、魔力を伴う強い風が背中を押した。

「え……?」

『うそ……』

 振り返ると、行動不能になっているはずの彼が破壊された壁の穴から戻って来た。

「殺す…………アルシオーネの仇……」

 うわ言のように繰り返す言葉。
 目の焦点は合ってないし、身体に力は入っておらず、ふらふらした足取りでなんとか立っている。
 その姿にフェイトはゾッと悪寒を感じる。
 執念。
 たったそれだけの想いが身体を凌駕して彼を動かしている。
 上半身の鎧はなく、宝石が剥き出しの胸の中央からすこしずれた位置には生々しい穴が空いている。
 にも関わらず男の眼光は衰えるどころか、益々強くなっている。
 もはや狂気と言い換えるしかないその姿にフェイトは恐怖を感じる。

「…………絶対に……殺すっ!」

 男が叫び、その足下にミッド式の魔法陣が広がった。

『っ……フェイト、すぐに止めてっ!』

「ベガ……?」

『あの魔法はさっきシグナムが使っていたのと同系統の魔法』

 その言葉でベガの慌てように合点がいく。

「バルディッシュッ!」

 愛機に呼びかけ、カートリッジを撃発させ、同時に飛翔する。

「レヴァンティンッ!」

 同時にシグナムも状況を察して、同じように飛び出す。
 左右から斬りかかる二人。
 しかし、その刃が届く前に力の暴風が吹き荒れた。

 ――ミッドチルダ式禁術魔法 サクリファイス――

 主や、使い魔の生命子を魔力に変換して自身を強化する犠牲魔法。
 この場合の対象は考えるまでもなくエルナトが分体とした管理局の仲間たち。
 風に弾き飛ばされたフェイトは空中で体勢を整える。

『防壁の展開を確認、八層構造……想定ランクS……全員の生命子を食べ尽くすまで籠城する気かな?』

 ベガの報告にフェイトは唇を噛む。
 ここはアースラの艦内、高威力の砲撃は当然撃てない。フェイトは躊躇い、逡巡する。そこに――

「テスタロッサ、マリーたちを守れ」

 弓を構えたシグナムが言葉をかける。

「シグナム、それは――」

「生半可な攻撃では通じない……一応、起爆術式は抜いているが念のためだ」

 シュツルムファルケン。
 レヴァンティンのボーゲンフォルムから放たれる魔力の矢。
 直撃時に強力な爆発を伴い、結界・バリア破壊効果を持つ。
 その爆発を抜いたとしても、音速の壁を越えて飛翔する矢の攻撃力は剣のそれよりも遥かに高い。

「でも……いいの? あの人は……」

「テスタロッサ、それは私の都合だ……
 その都合で他の誰かの命を失わせるわけにはいかない」

 言葉に決意を乗せて、シグナムは弓を強く引き絞る。

「例え、この行為にどんな罵りを受けることになったとしても、私は騎士として仲間を守るっ!」

 気迫と共にシグナムは矢の一点に彼女の全魔力を集め――

「翔けよっ! 隼っ!!」

 シグナムの渾身の一矢は彼が放出する魔力とせめぎ合い、突き破った。
 矢はそのまま男に突き刺さるが、狙った胸の宝石からずれて肩口を捉えた。

「っ……」

 矢の衝撃によって肩から腕が引き千切られ、飛ぶ。
 舞う血潮にフェイトは思わず目をつむった。

「くっ……」

 人の身なら致命傷のそれもエルナトの加護、サクリファイスで供給される魔力によって目に見えて回復していく。
 だが、弓を射った残心からシグナムは追撃をしなかった。

「シグナム……?」

「これで私は弾切れだ」

 一瞬何のことを言っているのか分からずフェイトは首を傾げ、それに気付いて自分のカートリッジの残数を確認する。

「残り……三発」

 クリフと戦って補給せずにいたため、持っていたカートリッジはもう今装填しているのだけになっていた。
 その間に矢の一撃で開いた障壁の穴は閉じられた。

「あ……」

 たった三発のカートリッジで力を増大させている彼の防御を突破することはできない。
 絶望がフェイトの胸を侵す。
 だが――

「はあぁぁぁぁっ!」

 カートリッジを失くしたはずなのにシグナムは臆することなく斬りかかった。
 しかし、剣が障壁に当たると衝撃波が反射されシグナムの身体を打つ。

「くうっ……」

 吹き飛ばされるのを踏ん張って堪え、足を床に引きずって大きく後退する。
 だが、それでシグナムは諦めず、再び斬りかかり、同じように戻される。

「シグナム……」

「まだだ……まだ私は諦めんぞっ!」

 気迫は微塵も衰えず、シグナムは叫ぶ。
 その熱にフェイトの諦めかけていた気持ちを振り払う。

「ベガ……何か方法はないの?」

 ベガの力で強化されていても無策で突っ込んだところでシグナムと同じようになるだけ。
 焦る気持ちを押さえてフェイトはベガに尋ねる。

『シグナムにさっきの犠牲魔法を使わせれば――』

「それは却下」

『それじゃあシグナムと合体即席魔法とかは?』

「そんなの急にはでき――いや……待って」

 否定を途中で止めて、フェイトはベガの言葉に天啓を得る。
 ミッド式とベルカ式の魔法で合体魔法は困難を極めるが、自分の魔力をシグナムに上乗せすることならできる。

「バルディッシュッ! カートリッジロード」

 三発のカートリッジを連続で撃発し、注ぎ足された魔力を意識して掌握する。
 そして、リボルバーから空のカートリッジを取り出してフェイトは握り締めた。

「カートリッジ……生成開始」

 三つのカートリッジの魔力に自分の中に残ってる魔力を上乗せし、圧縮する。

「くっ……」

 天の衣の一部を吸収した時と同等、それ以上の圧力がフェイトの身体を苛む。
 その負荷に耐えるために集中するが、抵抗がいきなりなくなった。

『もう……無茶はしないでよ』

「ベガ……ありがとう」

 礼を言って改めて集中する。
 手の中にある空のカートリッジ。それにできるかぎりロスなく自分の魔力を圧縮する。
 しかし、フェイトの思惑に反して、ベガの制御能力のおかげか圧縮は滞りなく進み、カートリッジを完成させることができた。

「シグナムッ……」

 叫んで、魔力切れによるめまいで身体が揺れる。
 それでもフェイトは握り締めたカートリッジをシグナムに向かって投げた。

「使ってっ! わたしの残っている魔力全部を込めたカートリッジ……それならきっと」
 



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 投げ渡されたカートリッジを一度手の平で握り締め、シグナムはそこに込められた魔力を感じる。
 これを作った彼女は力を使い果たし、バリアジャケットを霧散させて膝を着く。

「感謝するテスタロッサ」

 通常のカートリッジの何倍あるか分からないそれを使えば、レヴァンティンが自壊する可能性が高い。
 だが、そこで臆することはシグナムもレヴァンティンもしない。
 柄を引き、中から空のカートリッジを排出、代わりに受け取ったカートリッジを手で差し入れる。

「いくぞ……レヴァンティン」

 自分に残されている魔力もわずか。それを最大限身体に漲らせて、カートリッジを撃発した。

「ぐ……うっ……」

 たちまちかかる多大な負荷にシグナムは呻く。
 三発分のカートリッジにベガで水増しされたフェイトの魔力が身体中を駆け巡り、その反動で身体の所々が裂け、全身が血に染まる。
 少しでも気を抜けば、手綱を失くした力はシグナムの身体を破裂させるだろう。
 だが、全身にかかる痛みなど精神を持って凌駕する。
 両手で構えた剣に炎――と雷を纏わせ、力強く床を蹴る。

「紫電――」

 隙だらけな大振り。だが、迎撃はされない。
 渾身の一撃。全てをかけた炎雷の一刀をシグナムは振り下ろした。

「―― 一閃っ!!」

 剣と障壁が激突する。
 二つの膨大な力はせめぎ合い、押し合い拮抗する。

「おぁぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 全身に駆け巡る力をただ押し込むのに費やす。
 力の拮抗を直接その身に受けるレヴァンティンに亀裂が走るが、退かない。
 吹き飛ばそうとする衝撃波に耐え、さらなる傷が増えるが、退かない。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 叫ぶ。全身の力と声さえも振り絞り、気迫を持って剣を押し込む。

 ――そして拮抗が揺らいだ。

 障壁がわずかにシグナムを押し返す。

 ――足りないのか……?

 テスタロッサと自分の力を振り絞っても届かない。
 このまま何も守れず、何も為すこともできないまま死ぬのか。
 弱気な考えが意識を乱し、とうとうシグナムは衝撃波に耐え切れず――

 ――新規魔法 閃火――

 突然脳裏に一つの魔法が浮かぶ。
 レヴァンティンから送られた覚えのないまったく新しい魔法。
 どんな効果か分からないそれをシグナムは――

「やれ、レヴァンティンッ!」

 躊躇わず実行させた。
 同時にシグナムの身体から炎が噴き出した。

 『オプファー』『サクリファイス』と並ぶ、使い魔や召喚獣なら持っている切り札の魔法。
 それともう一種。禁術は存在している。
 『閃火』はそちらに分類される魔法であり、効果はシグナムを形作っている魔力を使用しての自己強化。

 腕を、足を、身体を形作る魔力を削り、力に変えてシグナムは剣を握る。
 噴出する炎は一層激しく燃え盛り、全ての力を込められたレヴァンティンは障壁を押し返し――そして、ついに斬り裂いた。
 ガラスが割れる硬質的な音を響かせて障壁が二つに割れ、粉々に砕ける。
 鋼色の粒子が舞う中、勢いの衰えない剣が男の肩にかかり、斜めに、胸の中央で輝く宝石を半ばから断ち、振り抜かれた

「がっ……」

「っ……」

 確かな手応えをその手に受ける。

 ――すまない……

 殺すことしか選択することができなかった。己の未熟さ、無力さを心の内で謝る。
 彼の命と仲間たちの命。後者を選んだことに後悔はないが、謝らずにはいられない。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 閃火の魔法が止まり、シグナムの全身に重い倦怠感が圧し掛かる。
 自分を構成する魔力を削ってのブーストはとてつもない負担を与えた。
 剣を振り抜いたまま、うずくまっていたシグナムはよろめきながら立ち上がり、身体を支え切れずに二歩三歩、後ずさる。
 そうして、彼の身体を視界に納めた。

「リンカーデバイスのマスターの最後……」

 呆然としたフェイトの言葉が背後からもれる。
 胸の宝石を断たれた彼の身体は燐光となって立ち昇る。
 それに伴って薄れて行く身体。
 人の身を捨て、魔導生命体に近づいた者の末路。その存在を残すことなく消えていく。

 ――私が殺した……

 今代において初めてそれを自覚し受け止める。
 消え逝く彼にできることは、と考えてシグナムは未だに名乗っていないことを思い出した。

「私は夜天の騎士、烈火の――」

「まだだっ!」

 名乗りを遮って男が叫んだ。

「なっ……!?」

 存在を希薄にし、魔力もない。
 なのに微塵も衰えない気迫を目に漲らせて男は一歩前に踏み出す。
 咄嗟に身構えるが、閃火の影響で力が入らずにシグナムは片膝を着く。

「アルシオーネの仇っ!」

 目の間で振り上げられた折れた剣。

「シグナムッ!」

 フェイトの悲鳴が聞こえるが、シグナムは身体を動かすことはできない。
 どころか、先程の一撃に騎士甲冑の魔力もつぎ込んだため、鎧もない完全な無防備。

「死ねっ!!」

 首に目掛けて剣は振り下ろされる。
 避けることもできず、シグナムはただその剣の軌跡を目に追う。
 そして、剣は何にも邪魔されることなくシグナムの首にかかり――燐光となって弾けた。

「っ……!?」

 まるでガラスの剣を壁に叩きつけたかのように砕け散る。
 男は剣を振り下ろした勢いのまま、シグナムの方へ倒れ込む。
 咄嗟に差し出した腕で、彼を受け止めた。かと思った瞬間、彼も剣と同様に燐光となって弾けた。

 それで――終わりだった。
 復讐に狂った男は何も残さずにこの世界から消え去った。

 手を差し出したまま固まっていたシグナムはゆっくりと自分の首に手を当てる。
 そこに刻まれたのは皮一枚に走ったかすり傷の裂傷。手に着く血はかすか。

「すごい……人だったね」

 呆然としていたシグナムの傍らにフェイトが立つ。

「…………ああ」

 その言葉にシグナムは自分の両手を見下ろして、頷いた。
 死んだと思った。殺されたかと思った。生き残った実感が湧かない。
 生き残ったのは自分、勝者のはずなのに気分は敗者の思いしかない。
 すごい人間だった。
 復讐のため、数多くの罪を重ねた彼のことを悪く言う言葉など浮かばない。
 彼は想いの力をシグナムに見せつけて、消えて行った。

「くっ……」

 倦怠感が支配する身体に活を入れ、シグナムは立ち上がる。
 そして、右手に拳を作って左胸の前に当て、名乗る。

「私は夜天の騎士……烈火の将シグナム」

 その姿に倣ってフェイトも姿勢を正し、名乗る。 

「……ベガのマスター……フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」

 名乗りは虚空に響き、消えていく。応える者はもういない。

「貴殿の刃は確かに私に届いた……私は……この傷を生涯決して忘れない」

 明日には治ってしまいそうな小さな傷。それでもそれはエルナトではない彼が全てを費やしてシグナムに与えた傷。
 取るに足らない傷だが、今まで受けて来た中でもっとも痛い。
 その痛みを噛みしめながらシグナムは目をつぶり、名も知らない男の冥福を祈った。







 あとがき
 本来ならクロノの戦いまで書くはずだったのですが、また多くなってしまったので分割しました。
 今回のテーマはフェイトとアルフの関係をサブにした、シグナムの内面についてでした。
 自分で書いてて酷いんじゃないかという根幹シグナムの外道ぶり。またやり過ぎたかもしれません。
 本来はこれの二割増しだったんですがね。
 一応、前話のシグナムに関してのフォローを果たしたつもりです。



 補足説明

 ベガ・アリシア
 フェイトの内面に存在する謎の存在。
 A’s時において闇の書の夢で使われたアリシアの存在を吸収し、自分のものにした。
 さらにベガさえも吸収し、フェイトの意識に直接語りかけられるほどの力を得た。
 目的は不明だが、フェイトのことを最優先とし、他の者には冷酷な判断を下すクーデレ?
 魔法や戦闘について豊富な知識を持つ。


 根幹のシグナム
 別名、バーサーカーシグナム。
 騎士でもなければヒトでもない。目的のためなら手段を選ばないシステム思考の存在。
 人の情がないため、かなりの外道、というか無情。



  リンカーデバイス マスターの末路
 某魂の宝石と同じように魔力さえあれば心臓が破壊されようが、全身の血が抜かれようが、頭を砕かれても再生可能。
 しかし、コアを砕かれるとその存在を別のリンカーデバイスに食われるため何も残さない。

 






[17103] 第三十六話 連鎖
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:fc97897f
Date: 2013/08/15 10:48




「くそっ!」

 クロノは思わず毒付く。
 振り下ろした水の刃、圧縮し見た目に反した重量のある一撃にも関わらず光の壁にあっさりと弾かれる。
 光壁の力は北天の技術に由来するものではなく、クロノのよく知る魔法の力。
 だが、見慣れた半球状のバリアはクロノが知る中でも最大の強度を持っていた。

「ふっ……」

 仮面の向こうで笑う気配。
 そして放たれた衝撃波にクロノは為すすべなく吹き飛ばされた。
 すかさずクリフが道化師の懐に踏み込み、剣を振る。
 しかし、瞬時に張り直されたバリアがそれを受け止め、クロノと同じように吹き飛す。

「これが……北天の技術か……」

 バリア一つ取ってみても魔導師としてのレベルの違いを思い知らされる。
 北天の魔導書の技術は魔法ではない別体系の能力を扱う力、ではない。
 珪素を含む体組織は一種のバイオコンピューターとして働き、細胞そのものが演算機械として機能している。
 いわば生物と機械の両方の特性を持つ、生機融合体とも言うべき存在。
 進化の歴史において魔法とは別形態の力へと進化していったフェザリアンだが、その身体的特徴を魔導師に適合させた場合の結果が今目の前にいる。

「なんてデタラメな奴だ……」

「勝てない戦いはしない主義じゃなかったのか?」

 いつの間にか一緒に戦ってくれているクリフにクロノは尋ねる。

「狙いが俺じゃなければ逃げてるんだけどな」

 軽口を叩きながらもクリフの表情は優れない。それはクロノも同じだった。
 今ので五回目の攻撃は何の成果もなく徒労に終わった。
 道化師はリンディを背後に置いたまま一歩たりとも動いていない。いや、動かせていないと言うのが正しい。

「魔法を扱うことに進化した超人種……
 正直ここまで差があるとは思ってなかった」

「だな……流石は天空の一書の技術」

 本来なら大魔力は高速・並列処理は両立できない。
 それを身体の構造を変えることで強引に成立させている。
 クロノが使う溜めが必要な大魔法を片手間に使われる様はまさに悪夢の様な光景だった。

 ――こんな場所ではクリフも全開で戦えない……どうする?

 飛天の魔導書の欠点はすでに把握している。
 無限の魔力を召喚できる力だといっても、それを扱うクリフはただの人間でしかない。
 一度に扱える魔力の総量は自分と大差ない。
 それ以上になれば、効果を固定した単純魔法か、ただ膨大な魔力を力任せにぶつけることしかできない。
 それがクロノの分析であり、まじかで見た彼の戦い方から見て間違いないだろう。
 もちろん魔力が無尽蔵で常に全力全開でいられることは大きな利点だが、気長な長期戦をしていられる状況ではない。

「さて、こちらの力が分かってもらえたところで交渉を始めようか」

「交渉だと?」

「そ……分かっていると思うけど、今この次元航行艦は君たちの街へ向かって落下している……
 それを止めて欲しければ、飛天の魔導書を差し出してくれるかな?」

「随分とはっきり言うじゃねえか」

「くだらない駆け引きをしている時間はないでしょ? ほら、早く決めないと君の大切な街がなくなっちゃうよ」

 明らかな挑発の言葉をクリフは鼻で笑う。

「うちの魔導師を舐め過ぎだ。こんな船、さっきの奴みたいに撃ち落とすなんて簡単にできるんだぜ」

「そう簡単にできるかな? さっきの船とは違ってこの船はリンカーデバイス、破天の加護を受けているんだよ」

 道化師の切り返しにクリフは言葉を詰まらせる。
 それに畳みかける様に道化師は言葉を続ける。

「ならもう一つカードを切ろうかな」

 言って、彼の背後に大きく空間モニターが浮かび上がった。

「…………扉?」

「おい、お前まさかっ!」

 クロノにとっては初めて見る光景だが、クリフにとっては違った。

「アンジェ、首尾はどうだい?」

『主だった警備兵の無力化は完了……あとはこの扉を壊すだけ』

 画面の向こうで翼を持った少女がたたずんでいた。
 言葉にしなくてもクリフの様子から察することはできる。
 おそらくはクラスティの施設の何処か、そしてそこで飛天の魔導書に匹敵する価値のあるものは一つしかない。
 襲撃に失敗し、次元航行艦を使っての強硬手段を取ったため逃げたとばかり思っていた。
 だが、その全てを囮にして『アーク』を確保するために動くことまでクロノは予想できなかった。

「さて、これでこちらのカードに『アーク』も加わわるわけだ」

「てめえ……」

 仮面の奥に嘲笑を感じさせる道化師にクリフは射殺さんばかりに睨みつける。
 だがそんなことをしても無意味。
 今の自分たちと彼女がいる場所はそれこそ天と地の差がある。
 彼女の凶行を自分たちは見ていることしかできない。

 だが――

 アンジェが扉に向けて手をかざした所で、画面に光が溢れた。
 遅れて爆発音が響く。
 彼女の能力が念動であるならそれはあり得ない現象。そもそも、今のは魔力爆発だった。

「アトレーかっ!?」

 光の色から察してクリフが叫ぶ。

『クリフか……こちらは何の問題ない……さっさとそのふざけた仮面の男を叩きのめせ』

 姿を見せず、言葉だけ一方的に言って通信は切れる。
 クリフは大きく息を吐いてから道化師に向き直る。

「うちの軍師を甘く見たな。お前らの浅はかな策略なんて御見通しなんだよ」

「いや、君がどうして胸を張る?」

 まるで自分の策の様に誇るクリフにクロノは呆れながら突っ込みを入れる。

「やれやれ……なら、君が自慢した仲間たちを攻撃するかな」

「何……?」

 聞き返すと新たな空間モニターが地上の光景を映し出した。
 見渡す限り一面の雪原。
 そこで三体の騎士と五体の獣が戦っていた。
 画面越しではスケールの違いが分からないがどちらも巨大な体躯。

「破天の書の戦略兵装デバイス」

「なっ!? 破天の技術はリンカーデバイスじゃなかったのか!?」

「リンカーデバイスは昔の作品に過ぎないよ……
 今の作品があれだよ……基本は動物形態だけど人型にも変形できる。それから……」

「それから……?」

「五体合体が可能……の予定」

「予定なのかっ!?」

 思わず感じた戦慄を忘れてクロノは叫ぶ。

「合体……やばいなそれは」

 しかし、クリフは深刻な顔をして呻いた。

「いや待て……ちゃんと聞いていたのか? 予定なんだぞ、まだ搭載されてないんだぞ!
 と言うか、巨大魔導人形がデバイスってなんだっ!? デバイスってつければ何でもありかっ!?」

「クロノ……お前には失望した」

 はぁっとため息を大きく吐き出してクリフは嘆く。

「変形・合体! そして巨大ロボと聞いてお前は何も感じないのか!? それでも男かっ!?」

「いきなり訳の分からないことを言うなっ!」

 深刻な状況のはずなのに妙な脱力感を感じさせる二人に頭が痛くなる。

「それにしても分からないな」

 そんなクロノを他所に真剣な声のままクリフが続ける。

「それだけの戦力を保持していながらどうして他の魔導書を手に入れようとする? いや、何故天空の書に拘る?」

「どういう意味だそれは?」

 質問の意図が分からずクロノは聞き返す。

「天空の書は確かにとんでもない技術を持っているが、その本質はあくまで技術書であって兵器じゃない……
 それにどの技術もそのほとんどが未完成で安定に欠けた代物だ。管理局と正面から戦うのに向いている代物じゃない」

「確かに……そうだな」

 クリフの言っていることにクロノは頷いた。
 今までそれだけでも十分に脅威だった魔導書の技術だが、どれも欠点を抱えている。

 北天の技術――超人化は失敗すれば異形の化物になってしまう。
 破天の技術――リンカーデバイスは使用者の意志を飲み込んでしまう。

 その完成型がどれほどのものか想像はできないが、現時点でならそれらに並ぶロストロギアは確かに存在する。
 暴走のリスクを背負いながらも天空の書の技術を求める。
 それは何故か、視線に疑問を含ませて道化師を見据える。

「君たちは二つ思い違いをしている」

 そんな二人の視線に道化師は二本の指を立てて答える。

「管理局の闇――執行者は管理局が回収したロストロギアを戦力に組み込んでいる……
 そんな組織に対抗するためには普通のロストロギア程度の力じゃ全然足りない……
 貪欲に『神』の位階を目指している天空の書だからこそ奴らを超えられるんだよ」

 回収したロストロギアを使う。
 それだけ聞いて、馬鹿なと叫びそうになったのをクロノは抑える。
 以前にアトレーが語った一つの未来図。もうそれは存在しているのだと道化師は宣告する。

「とはいえ、奴らが出てくるのは表側の管理局に倒した後になるだろう……
 疲弊した状態で戦えばこちらの敗北は必至……なら、方法を変えて今の社会を破壊する」

「……まさかお前たちは……」

「おや、気が付いたかな?
 そう、僕たちは管理局に大打撃を与えた後、十二の魔導書の技術を全て公開する」

「は……? そんなことして何の意味があるんだ?」

「管理局は大組織だ……
 例え頭を潰してもそれは一時の混乱を生むだけで立て直すことはできる」

「むしろそこまでやった組織を危険と判断して管理局は今以上の一致団結を引き起こすだろうね」

 補足説明を加える道化師にクロノは自分の推測が正しいことを悟って顔をしかめる。

「だが、その一時的な混乱状態の間に管理局に大打撃を与えた技術が公開すれば……」

 クロノは生唾を飲み込んで続ける。

「人々は自身の不安を誤魔化すために新しい技術に傾倒する……
 成功させたテロ行為が危機感をさらにそれを煽り、一度でも敗北を許した管理局にはそれを抑制することはできない……
 そしてその技術はどれも未完成……」

「そうして貪欲に力を求めた社会は滅んだ文明の様に自滅の道を辿るのでした」

 それがアポスルズが描く復讐の形。
 そこらにいるテロリストとは一線を越え明確な未来図を示す。
 技術の開示の仕方も組織や企業にそれぞれ分けて割り振れば、独占を考えて泥沼の戦争を引き起こされる可能性だってある。
 表も裏も関係なく、今の魔法文明社会の在り方を壊す計画。

「何てことを考え付くんだ」

 今まで単純に力で勝てば終わると思っていた戦いは様相を変える。
 アポスルズの目的が世界に天空の書の力を見せつけて興味を持たせることなら、管理局との戦いその勝敗は重要な要素ではない。
 裏と戦う必要性はない。表側に大打撃を与えるだけで彼らの目的は達成される。

「言ったはずだよ……僕たちの復讐は管理局を作り出した社会体制そのもの……
 なにより管理局という大組織に対して僕たちは小さな組織……いや集まりに過ぎない……
 例え、天空の書を集めても正攻法で目的を達成できるなんて誰も思ってない」

 清々しいまでの正論。
 しかし、それを自覚しているからこそタチが悪い。

「それなら尚更ここで飛天の魔導書を渡すわけにはいかないな」

 改めてクロノは杖を構えて気合いを入れる。

「それができると思っているのか? 飛天の王はともかく無力な君に何ができる?」

「そうだな……僕は君たちと比べれば極普通の魔導師でしかない」

 次元が違うということは自覚している。

「だが、僕たちにだってできることはある……あまり舐めないでもらいたいな」

 その言葉と共にアースラの推進していたことで起きていた震動が止まる。

「…………おや?」

「アースラの推進システムと兵装システムの動力ラインを切った……
 いくら制御を奪っていてもこれは独立プログラム、ウイルスの一種だ。簡単に復旧はできないぞ」

 上で艦長席に座っているエイミィに視線を送りながらクロノは道化師の疑問に答える。
 十二年前に闇の書にエスティアを乗っ取られたことから、アースラにはその対抗プログラムが闇の書事件の時に搭載されていた。
 気休めにしかならないと思っていたが、思いの外効果があったようだ。

「これで落下軌道は逸れたはずだ」

「確かにそうだけど……下の街は守れてもこの船が燃え尽きてもいいのかな?」

「アースラはそんなに柔じゃない……それにお前たちをさっさと倒してしまえば何の問題もない」

 クロノの暴論に道化師が呆れる気配を仮面越しに感じる。

「まあ、いいか……取引はできなくなってもこの場に飛天の王を引き吊り出せたんだから……奪わせてもらうよ」

 『待ち』に徹していた道化師の気配が張り詰める。

 ――来るっ……

 身構えた瞬間、視界から道化師の姿は唐突に消える。

「上だっ!」

 クリフの声に顔を上げれば、道化師は天井付近で魔法陣を展開していた。
 咄嗟にクロノは楯を張ろうと手をかざす。

「ブレイズキャノン」

 静かな言葉と共に降り注ぐ砲撃。
 
「なっ……!?」

 予想していたが撃たれた砲撃の速度にクロノは絶句する。
 まだクロノの楯は構築が完成していない。
 本来、チャージを必要としない防御魔法は攻撃魔法よりも速く構築できる。
 しかし、そんな常識など関係ないとばかり道化師の砲撃は圧倒的な速度で撃たれた。

 ――これが魔法を扱うために進化した種族の魔法……

 使っている魔法は同じものなのに展開から発動までが早過ぎてリズムがずれる。
 砲撃が目前に迫ったところでラウンドシールドの構築が完成する。
 コンマ一秒のタイミングで間に合った楯でクロノは砲撃を防ぎ切る。
 砲撃の放射を受け切るが、楯越しにすでに次弾のチャージを完了している姿を確認する。

「くそっ」

 クロノはデュランダルを振り上げ、次弾の砲撃に力任せに叩きつけた。

「くっ……」

 手にかかる圧力はやはり一流の砲撃魔導師に匹敵する。
 砲撃を逸らすことに成功するが、デュランダルはクロノの手から弾かれた。
 致命的な隙をさらすが、それでもクロノは焦らない。

「せやっ!」

 クリフの剣風が飛ぶ。
 道化師は手をかざし、バリアを張ってそれを弾き、反撃に五つの光弾を放つ。

「甘いっ!」

 切り返す刃を魔力で太く、長くして全ての光弾をクリフは薙ぎ払う。

「スティンガー」

 そこにすかさずクロノがデバイスを持ち替えて光弾を撃つ。

「スティンガー」

 道化師は空中でその光弾を全て撃ち抜き、さらに腕の一振りで新たな光弾を作り出し、放つ。
 クロノが撃った倍の数の光弾が等分され、二人に襲いかかる。
 道化師がやったように撃ち落とすことも楯を張る時間はない。
 だが、それでも――

「この程度っ!」

 距離を開けて余裕を与えてしまえば速さと物量に押し潰されてしまう。
 バリアジャケットに魔力を注ぎ足して、光弾に正面から突っ込む。

「覚悟していれば耐えられるっ!」

 バリアジャケットを貫通した光弾がクロノの身体を傷付ける。
 その痛みを歯を食いしばって耐え、道化師に肉薄する。
 突進の勢いをそのままにS2Uを突き出す。
 瞬時に張られたバリアがその一撃を難なく防ぎ、揺らぐ。
 衝撃波を放つ予兆。しかし、クロノの次の魔法を発動する方が早かった。

「フラッシュ・レイッ!」

 魔法としては初歩の閃光魔法。
 いかなる障壁でも物理でなければ防げない可視光線の爆発。

「ぐっ……」

 流石の超人も眼前からの閃光は防げずによろめく。
 ひるんだその一瞬、クロノは道化師の頭上に回り込んで飛行を切る。
 無意識に流れる魔力さえも意図的に抑え気配を誤魔化し、自由落下の勢いを合わせてS2Uを振り下ろす。

「――っ!」

 ――通ったっ!

 確かな手応えと頭への打撃を受けて飛行を維持できなくなって落ちた道化師にクロノは拳を握り込む。
 しかし、緩みかけた思考を一瞬で締め直してクロノは次の魔法を構築する。

「チェーンバインドッ!」

 体勢を立て直し、足から着地した道化師に光鎖が巻き付く。
 すぐに抵抗が始まり鎖が弾ける。
 光鎖が完全に引き千切られる前に、クロノはさらなる光鎖を紡ぐ。

「今だッ! やれっ!」

 それでも拘束し続けられるのはわずかな時間。構築と解体のバランスは後者の方に傾いている。
 もって三秒の拘束。その間にクリフはその背後に五つの魔法陣を展開する。

「くらえっ!」

 五点からの一斉砲撃。
 道化師が鎖を砕くが、もう回避する余裕はない。

「アザゼル」
 
 道化師の背に漆黒の翼が開く。
 そして手を差し出して、砲撃を受け止めた。
 『G』と同じ魔法を弾く念動のフィールド。
 砲撃を受けることで目に見える形になった半球形のフィールドは砲撃と拮抗し――

「ふっ……」

 腕を横に振る動作でフィールドを動かして砲撃の方向を変えた。
 ブレイカークラスの砲撃を片手でいなす非常識な光景だが、

「想定の範囲内だ」

 道化師の背後からクロノはデュランダルを突き出した。
 躊躇いのない刺突は不可視の抵抗を突き破り、道化師の背中に辿り着く。
 腕にかかる人を貫いた感触。
 確かな手応えを確信するが、唐突に道化師は膨れ上がり、爆発した。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「こんなものかな……」

 幻影の爆発を離れた場所から眺めていた道化師はつまらなそうに呟く。

「てめえ……いつの間に幻影魔法を使っていやがった?」

「それを律儀に説明して上げるつもりはないよ」

 立ちこめる煙から意識を飛天の王へ切り替える。
 そして、船全体を揺らすエルナトの戦いを感じながら道化師は続けた。

「さて、向こうの戦いも盛り上がっているみたいだけど……こっちはそろそろ幕引きにさせてもらうかな」

「随分と余裕じゃねえか」

「これまでの戦いぶりを見てよく分かった……
 君の実力、それに飛天の技術には何の脅威も感じない」

 その言葉に飛天の王クリフの目が鋭いものに変わる。

「て――」

「言い訳はいいよ……
 ただ大きい魔力を使うだけの技術。汎用性は低く、使い手は技術に依存した三流……
 加えて知性に乏しく、本能で行動するチンピラと変わらない」

「よく吠えた……もう手加減なしだ」

 逆鱗を突いた道化師の言葉に、クリフは天の衣を起動する。
 天井の高い艦橋。その天辺に届きそうな巨体が魔力で組み上げられる。
 道化師はその光景を黙って見守り、

「潰れろっ!」

 まともな動きができない空間で、それでも勢いよく剣を振り下ろす。
 大きさに相応しい重量と速さ。そしてアースラを破壊することを気にしない本気の一撃。

「ラウンドシールド」

 それを道化師は無造作にかざした手の先で作り出した楯の魔法陣で受け止めた。

「なっ……!?」

「この程度で驚くなんて、やっぱり底が知れてるね」

 多種多様に分類される魔導師。様々な効果を持つロストロギア。
 そこには人や物質的な限界はあっても、未だに魔法的な限界は確認されていない。
 願いを叶える石。神の魔法に至る魔導書。
 魔法、それに連なるものは無限の可能性を持っている。
 魔力量など魔法を形作る一因でしかなく、制御力や細密な術式で構築された魔法がそれに劣る理由はない。

「スティンガーブレイド・サウザンドシフト」

 巨大になったクリフを取り囲んで展開される剣群が一斉にクリフに襲い掛かる。

「はっ……その程度の剣群でこの天の衣を破れると思うなよ」

 剣群を装甲で弾き、叫ぶクリフに道化師は動じずに剣群を増やす。

「そ……なら次は倍でいくよ」

 道化師が気軽く手を振って、剣群の数を増やす。
 同じ魔法の並列起動。倍に増えて新たに生み出された剣群にクリフは絶句する。

「さあ、どこまで耐えられるかな?」

 道化師の合図で剣群は全方位からクリフに襲い掛かる。
 堅牢なはずの天の衣を貫き、削り、斬り裂き、穿つ。そして爆発。

「まだまだ……」

 底なしの魔力で剣群はすぐに補填され蹂躙を続く。
 そして――
 天の衣をはぎ取られたクリフの姿はすでにボロボロだった。
 身体の至るところに裂傷と爆発による傷を受け、浮かんでいることもままならず床に落ちる。

「……………く…………まだ……だ」

 全身を血で染めながらも立とうとするクリフに、上から一本の剣が降り注ぐ。
 非殺傷設定の剣はクリフの背中から突き刺さり腹を貫通して彼の身体を標本の様に張りつける。

「どうやら井の中の蛙だったようだね」

 嘲笑して道化師は這いつくばるクリフに歩み寄り手を伸ばす。

「飛天の魔導書はもらって行くよ……それは君には過ぎたものみたいだからね」

 身体を剣に拘束された、それでなくても痛めつけられたクリフに抗う力はない。

「やめろ……」

 できるのは言葉による弱々しい抵抗。
 そんなもの道化師は聞くはずもなく、背中からリンカーコアを狙って手を――

「むっ……?」

 その手に水色の帯が絡み付く。
 そして背後から重い衝撃に道化師は容赦なく薙ぎ払われた。
 



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 水刃、ガングニル・スピアでの背後からの強襲にクロノは今度こそ確かな手応えを確信した。
 事前に放ったストラグルバインドによって手応えさえ感じさせる幻影魔法を無効化。
 だから、この一撃は確実に道化師を捕えた。

「やったか……?」

「この……馬鹿野郎がっ!?」

「え……クリフ……?」

 思わずもらした言葉がクリフに罵倒される。

「そういう台詞を言った場合――」

「やれやれ、とうとう形振り構わなくなってきたね」

 数トンの一撃を受け、壁に相応の勢いで叩きつけられたというのに道化師は何事もなかったかのように立ち上がる。

 ――少しくらいは期待したんだがな……

 常人なら即死してもおかしくない攻撃。
 にも、関わらず平然と立ち上がってくる道化師のデタラメさとそんな攻撃を放つ自分に慣れつつあることにクロノはため息を吐く。

「クリフ……君はエイミィと一緒にブリッジから出ていってくれ」

「……おい、何をするつもりだ?」

 クリフを拘束しているバインドを破壊しながらクロノは息を整える。

 ――残っている魔力は二割……対してあいつはまだ『シリウス』を使ってない……

 幻影の爆弾。それを咄嗟のバリアジャケット強化で防いだものの、相応の魔力を消耗してしまった。
 だが、道化師はフェイトからの情報にあったリンカーデバイスを出してない。
 例えまだ万全の状態だったとしても勝てる可能性は皆無。

「デュランダル……リミッタ―解除」

 水を送還して、デュランダルの制限を解除する。
 背後に顕現する四機の浮遊ユニット。そして右手に握った杖からはとてつもない冷気が溢れる。
 冷気は容赦なくクロノの身体を蝕み始める。

「やれやれ……正気かい?」

 そんな姿に道化師は呆れる。

「こんな場所で極大凍結魔法なんて使えばどうなるか分からない君じゃないだろうに」

「そうだな……こんな閉所空間で使えば、確実に凍結範囲はこのブリッジ全体に及ぶだろうな」

 エターナル・コフィン。
 デュランダルの氷結特化性能により、クロノの決して得意と言えるわけではない凍結魔法をブーストしての極大凍結魔法。
 対象を殺すことなく、半永久的に凍てつく眠りへと封じ込める強力な魔法の反面、欠点が多い。
 効果範囲が広すぎるため、海上ならともかく室内で使えば自分までその氷の棺に閉じ込められるだろう。

「だが、それがどうしたって言うんだ?」

「ちょっとクロノ君っ!?」

「クリフ、早く行ってくれ」

 エイミィの声を無視して促す。しかし、クリフはしぶり、顎で未だに磔にされたままのリンディを指す。

「どうするつもりだ?」

「どうもしない……凍結魔法なら巻き込んでも死にはしない。だから……何の問題もない」

 口ではそう言いながら、内心の躊躇をクロノはひた隠す。

「見え透いたハッタリだね」

 だが、そんな押し殺した胸中を見透かすように道化師が嘲笑う。

「君たち管理局の身内贔屓は筋金入りだ……君に母親を巻き込むことなんてできるはずがない」

 本気でそう思っている道化師はクロノの魔法構築の邪魔をしようともしない。
 それにクロノは内心で頷いていた。
 ギル・グレアムの教えに自己犠牲はない。そして、唯一の肉親を犠牲にしてまで勝とうとする気概なんてない。
 だが、それは少し前の自分の考え方。

 ――他人の、守るべき民間人の犠牲を認めた僕に、戦う覚悟のある局員の犠牲を拒む資格なんてない……

 炎に消えていった少女を思い出す。
 そして何より――

「忘れたのか? 僕はクライド・ハラオウンの息子だ」

 そう言い放って魔法陣を広げる。

「…………あの青かった子供がここまで変わるなんて、あいつの影響かな?」

 やれやれと肩を竦める道化師。その仕草にクロノは既視感を感じた。

 ――僕は……こいつを知っている……?

「お前は…………誰だ?」

「それを君が問うのかい? 一番真実に近い場所にいたくせに」

 含みを持たせた言葉にクロノは疑問を確信に変える。だが、そこまでだった。

 ――誰だ? 士官学校の同期……それとも僕が捕まえた犯罪者……?

 だが、いくら考えても分からない。
 仮面と態度を偽っているから分からないのは当然なのだが、それでも何か重大なことを忘れている様な気がしてならない。

「さて、そこまでの覚悟があったとしても君程度の魔法が通用すると思っているの?」

「通用するさ」

 疑問を切り上げて、即答を返す。

「凍結魔法の有用性は『G』の時に実証されている」

「まあ、確かに生物である以上、極低温下では活動はできないけど――」

 道化師が腕を軽く一振りすると、その背後にスティンガーブレイドの剣群が現れる。

「そう簡単に撃たせると思っているのかな?」

「…………やってやるさ」

『スティンガーブレイド・サウザンドシフト』

 左手にS2U、右手にデュランダルを構え、背後に剣群を作り出す。
 剣群を向け会う形になって、クロノはその切っ先から向けられる殺意に唾を飲み。
 ここまで冷たく、そして死を感じさせる殺意を受けるのは初めてだ。
 飄々として道化を演じているが、その内側には抑えきれない憎悪が魔法を通して感じられる。
 だが、そこにやはり既視感を覚える。

 ――これに似た殺気をぶつけられたことがある……?

 それがいつ、誰によってか、喉元まで出かかっているのに答えが出てこない。
 先程と同じ焦燥が込み上げてくるが、それに構っている時間はなかった。

「くっ――」

 道化師の剣群が発射するに合わせてクロノも剣群を放つ。
 無数の剣群が飛び交い、互いが互いの剣を撃ち落とす。
 勢いは互角。しかし――

「リロード」

 消費した剣群を道化師はすぐさま補填する。

「S2Uっ!」

『スティンガーブレイド・サウザンドシフト・リリース』

 遅延設定にしておいた剣群をクロノは道化師に負けない速度で展開して放つ。
 再び、剣群が飛び交う。

 ――予想通り、魔法の性能はまったく変わらない……

 魔導師の性能を強化する北天の技術でも、それはあくまで処理速度や領域拡張に限定されているのがクロノの見立てだった。

 ――なるほど『魔器』と『魔法』と『魔力』の関係はこういうことか……

 道化師の魔導師としての性能、『魔器』はクロノには計り切れない。
 だが、その『魔器』にはそれに見合う『魔法』が新たに必要になる。
 スティンガーをサウザンド・シフトにするのと同じ。
 上位互換すれば術式のバランスは一変して別のものと化す。
 道化師が今まで使っている『魔法』は管理局で使われているオーソドックスなものばかり、つまり――

 ――道化師はまだ北天の力を使い切れていない……

 『魔法』の質を高められないから、量で補う戦法。
 つまり同じ魔法を同時に撃ち出すことさえできれば一方的に競り負けることはない。

「それならいくらでもやりようはある」

 三度の剣群は自分で構築するが、無理な速度での魔法構築のせいで剣群の数は半分。
 対する道化師の再装填に劣りはない。

「どうやらそれが限界のみたいだね」

 侮る言葉と共に剣群が放たれる。しかし、クロノは同時に撃ち出すことはせず、じっくりと狙いを定め――

「いけっ!」

 ワンテンポ遅らせて放った剣群が倍の数の剣群と衝突する。
 当然、迎撃し切れない剣が弾幕を突き抜けてくる。

「っ……!」

 剣群がクロノの足下を穿ち、脇を掠め、飛び抜けていく。
 撒き上がる煙が視界を覆い、それでも煙を引き裂く風の音が耳朶を叩き、新たな煙が巻き起こる。
 足下を揺らす震動を、壁を破壊する衝撃を背後に感じ、そして視界が効かないプレッシャー。
 今すぐにでもこの場から逃げ出した、そんな危険回避の本能を抑え込んでクロノは剣群の猛攻に耐えながら新たな魔法を構築する。

「悠久なる凍土……」

 小さな呟きで魔法陣が広がり、凍気の風が煙を吹き飛ばす。

「へえ……」

 煙が晴れた中心、周囲の床や壁が見る影もない唯一無事な床の上で片膝を着いているもののクロノはまったくの無傷だった。
 半分の剣群でクロノは自分の場所だけを守り、魔力を溜める時間を確保した。

「凍てつく棺のうちにて……永遠の眠りを与えよ」

 かざしたデュランダルを振り下ろす――足下に向けて。

「そう来たか」

 クロノの意図を察して道化師が動揺する。
 道化師が指摘した、この場で極大凍結魔法を使えばその規模によって自滅する事実。
 だがそれは逆に言えば、このブリッジの閉所空間内なら何処に撃ってもその効果範囲に巻き込まれる。

「でも甘い」

 床が凍り、氷が津波のようになって押し寄せる。
 だが、道化師は怯まずその腕に炎を作り出し、横薙ぎに放つ。
 炎刃は氷の波を押し返し、予想外にあっさりとせめぎ勝った。
 炎刃は勢いを衰えずそのまま飛び、膝を着くクロノに迫り、その胴を両断した。

「…………まさか」

 極大凍結魔法と撃ち合ったはずなのに、ほとんど感じない手応えのなさに道化師は騙されたことに気が付く。
 両断され、床に転がるクロノの姿が揺らぎ、柄の部分で両断されたS2Uに置き換わる。
 剣群の弾幕の中で幻影とすり替わっていたことに道化師が気付くがもう遅い。すでに準備は整えている。

「ハイドロプレッシャーッ!」

 一連の光景を天井近くの上から見ていたクロノは召喚魔法陣から大量の水を呼び出し、圧力をかけて撃ち出す。
 召喚の魔力を感じて道化師が顔を上げ、楯を張り水砲の直撃を防ぐ。
 だが、そんなものに意味はない。
 落ち続ける水は放射砲撃に等しく、道化師はその場に釘付けにされる。

「ふぅ……」

 白い息を吐き、クロノはデュランダルをかざす。
 水の召喚を片手間に、周囲の状況に目を移す。
 クリフとエイミィの姿は見えない。それどころか磔にされていたリンディの姿もなくなっていた。

 ――ありがたい……これで心置きなく撃てる……

 デュランダルを持つ手が震える。
 それは寒さによるものだと割り切って、水砲の中にいる道化師を睨みつける。
 狭いブリッジには必要以上の水気が満ちている。
 この状態なら凍結魔法も本来の性能を超えて機能してくれるはず。

「凍てつけっ!」

『エターナル・コフィン』

 水砲に乗せて凍結波を解き放つ。
 氷が水に浸食し、巨大な氷塊となって降り注ぐ。
 そして、その氷塊が落ちると一瞬で床全面が氷に覆われる。

「まだだ……もっとだ……」

 クロノは全身の魔力を全て凍結魔力に変えて絞り出す。
 氷の成長は止まらず、床を覆った氷は隆起しブリッジを満たしていく。
 半身が凍りつくが、それでもクロノは止めない。
 しかし――

「っ……!?」

 ぞっと身を侵す冷気よりも寒い悪寒を感じて、クロノは仰け反った。
 瞬間、何かが目の前をかすめ、一拍遅れて氷柱が縦に裂かれた。
 破壊は氷柱だけには留まらず、周囲を覆っていた氷が一斉に砕け散る。

「くそっ!」

 その余波に煽られたクロノは体勢を直す力もなく落下する。
 デバイスの緊急機能が床との激突を免れるが、まともに立つことさえできずにクロノはデュランダルに寄りかかって身体を支える。

「…………ここまでか」

 微細な氷が舞い散る中心にたたずむ道化師の姿にクロノは諦観の呟きをもらす。
 身体の至るところに氷を張りつけながらも、二本の足で立つ姿に衰えは見られない。
 そして、何よりも目を引くのは彼が右手に握る剣。
 結晶の様な澄んだ色の刀身を持つ両刃の剣。
 見ただけでも一級品の代物だと分かるそれはおそらくリンカーデバイス・シリウス。

 ――もう万に一つも勝ち目はない……

 北天の力に、破天の武器。
 対して意識を保っているのがやっとの自分。
 根性論で覆るような差ではなかったと改めて突き付けられる。

「まったく……ただの魔導師如きにシリウスを使わされるとは思わなかった」

「…………人間を……舐めるからだ……」

 息も絶え絶え、それでも意地でクロノは言葉を返す。

「ふ……確かに……その通りだな」

 苦笑が混じり、口調が変わる。

「シリウスどころか、仮面まで落とされたのだから認めるしかない」

 言葉と共に凍りついていた道化師のバリアジャケット、ローブが砕け散る。
 それは道化の仮面を含み、氷の塵となって昇華する魔力の残滓。

「………………え……?」

 その奥から現れた素顔にクロノの思考は停止した。

「どう――っ」

 何故という問いかけを寸でのところでクロノは押し込める。
 彼の素顔を見て納得はできた。そして、同時に落胆した。

「それが……君が選んだ答えなのか……?」

 彼が何を見て、何を知ったのかクロノには知る由もない。
 だが、今までのことを考えれば碌でもないことだと想像はできる。
 しかし、勝手なことだと分かっていてもクロノは彼が敵になるとは思っていなかった。

「なんとか言ったらどうなんだ!? ソラッ!!」

 灰色の髪の、自分よりわずかに年上な少年に向かってクロノは叫ぶ。
 だが――

「その答えは間違っている」

 同じ顔。同じ声で彼はクロノの言葉を否定する。

「俺はソラじゃない。似ているが全くの別人だ」

「ふざけるなっ! そんな誤魔化しが通じると思っているのか!?」

 違和感。
 彼はソラと同じように笑っているのに、そこに温度が感じられない。
 激昂するクロノに道化師は冷ややかな眼差しを向けて口を開く。

「昔話をしようか……」

「は……? いきなり何を……?」

「とある事故で娘を失った女の話だ」

 その言葉に真っ先に一人の人物が思い浮かぶ。
 そこからできる連想にクロノは背筋が凍った。

「おい……待て……まさかお前は――」

 その反応に道化師が嘲笑う。
 クロノは知らない。ある少女が仮面の道化師とソラの声が同じだと感じていたことを。
 クロノは知らない。道化師がクライドにリィンフォースとの関係性にプレシアを含ませた事を。

「その前に約束通り名乗るするか……俺の名はハヤテ……プロジェクトF被験体NO.13、ハヤテ・ヤガミだ」

 彼はソラと同じ顔、同じ声。だが、違う口調、目付きで彼の真実を名乗った。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 昔々、あるところに娘を失った母親がいました。
 最愛の、唯一の家族を亡くし、生きる気力を失くした彼女は緩やかな死に身を委ねようとしていた。
 しかし、そんな彼女の姿を哀れに思った天使は彼女にこう囁きました。

 ――娘を生き返らせたくはないか……?

 その言葉に彼女は生きる気力を取り戻し、同時になすべき目標を見つけた。
 本職であったエネルギー工学、その修得と比べ遥かに短い時間で生体工学を学び直し、さらには天使が用意した禁忌の知識を吸収していく。

 ――まだ足りない……

 彼女は天使が用意してくれたモルモットでたくさんの人形を作り出しました。
 たった一人の娘を完全な形で生き返らせるために、彼女は何度も何度も実験を重ね、納得できるまで繰り返した。
 どれだけの屍を積み重ねても構わない。天使が悪魔であっても構わない。
 とっくの昔に狂ってしまった母親はただ、ただひたすらに娘ともう一度会うために、人形を作り続けた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「それが……ソラの真実……?」

 知らされた真実にクロノは愕然とする。
 だが、それは少し考えれば分かることだった。
 あのプレシアがアリシアを使って臨床実験を行うはずはない。
 フェイトが生まれる前に誰かがモルモットにされていて当然だ。

「だけど……何で……?」

「プレシアにとってのプロジェクトFは死者の蘇生が目的だったが、スポンサーの目的は別だった」

「スポンサー?」

 オウム返しにするクロノに彼、ハヤテは冷笑を浮かべて続ける。

「プロジェクトFの目的のもう一つは優秀な魔導師の大量生産を行うこと……
 その条件においてハヤテ・ヤガミという素材は最高のサンプルだった」

 闇の書に選ばれるだけの魔力量。
 まだ方向性の定まっていない魔導資質。
 子供という記憶保持情報の少ない年齢。
 そして何より闇の書の主、つまりは犯罪者であり人権も倫理も気にする必要のないモルモット。

「そして、そんな彼を差し出したのが――」

「管理局か……」

 取り乱しそうになる感情を抑えクロノは道化師、ハヤテの言葉より先に答えを口にする。
 闇の書の主となり、管理局に差し出された彼を利用できるのは当の管理局以外に有り得ない。
 今までソラへの不可解で過剰な管理局の対応に納得がいく。

 ――何故、管理局がソラが闇の書の主であったかを突き止める事が出来たのか。
 ――何故、ソラを執拗に殺そうとしたのか。
 ――何故、出生の段階から記録が抹消されていたのか。
 ――何故、目の前の男がソラに執着していたのか。

 ここまで不鮮明だった事柄が一本に繋がっていく。

「…………でも……それじゃあ、その髪の色は?」

 ハヤテ・ヤガミのコピーなら髪の色は八神はやてと同じ色のはず。
 だが、彼の色は変質したソラの色に近い。

「これは別だ」

「別……?」

「不適格とされたクローン達の行く末が想像できるか?」

「それは……」

「人体実験……薬物投与……ロストロギアの起動実験……他にも使い捨てができる人的資源として危険世界の調査に使われる……
 俺の場合は過渡な魔力強化の末に髪がこの有様だ」

 笑みさえ浮かべて淡々と語るハヤテに対してクロノは笑えなかった。

「…………何人作られたんだ?」

「さあな……ハヤテ・ヤガミがサンプルにされる前でもかなりの数をあの女は作っていたから俺の知る限りではない……
 ハヤテ・ヤガミのクローンに関しては……俺の知る限りでは四ケタのナンバリングまで使われていたな」

「…………狂ってる」

 頭を振って絞り出した声はかすれる。
 娘を蘇らせる。次元世界の平穏のための戦力確保。

 ――そんな言い訳が免罪符になるか……

 彼女たちがやったことは鬼畜にも劣る行為。
 嫌悪は怒りになってクロノの腹の中に渦巻く。

「そうだ……お前の言うとおり、奴らは狂っている」

 憤りを口にするクロノにハヤテが同調する。

「だが、それが今の世の在り方だ……
 権力者は大義を理由に外法に手を染め、兵士たちは勝手な正義に酔い、そして民衆は自分たちの平穏が何の上に築かれているものか気にもしない」

「だから、壊すって言うのか?」

「そうだ……強者たちの傲慢によって弱者は常に虐げられる……
 ソラの闇の書事件、レイやアンジェ、セラたち……十二年もの間、管理局は何一つ変わっていない」

「っ……」

 言外にハヤテ・ヤガミにされたことが他の誰かにもあると言われ息を飲む。

「だが……そうだとしても君たちのやり方では多くの命が失われる」

「それがどうした……?
 俺は執行者として多くの罪のない人間を殺せと命じられてきた……今さらあんなものに尊ぶ価値など見出せん」

「っ……」

 平然と言ってのけるハヤテからクロノは目を逸らしたくなった。
 ソラを起源にする者とは思えない言動。
 片や無関係の誰かを守るため世界を敵に回せるソラ。片や目的のためなら他人の命を使い捨てにできるハヤテ。
 育ち方の差でここまで人は変わってしまうのだと恐ろしさを感じずにはいられない。

「それでも……君たちは……」

「よくしゃべるな……いや、しゃべるだけか?」

「何……?」

「まさか説得で俺が考えを改めるとでも思っているのか?」

「それは……」

 もっともな言い分にクロノは押し黙る。

「逆に聞かせてもらおう……俺は間違っているのか?」

「っ……」

「『死よりも重い、未来永劫の罰を』……
 勝手に押しつけられた償いを受け入れろと言うのか?
 管理局の方が正しいと言うのか?
 それが貴様にとっての正しい行いか、クロノ・ハラオウン執務官?」

「違う! そんな非道を行う管理局を僕は認めない!」

「ならば何故俺の邪魔をする?」

「それは……」

「声高に叫ぶだけで世界は変わらない……
 修羅に堕ちる覚悟のない貴様に管理局を正すことは不可能だ」

「っ……覚悟ならある。でも、それは人を殺すものじゃない」

「何かを成し遂げるためには必ず犠牲は生じる。貴様の言っていることはただの綺麗事の理想論だ」

「そんなことはない! 
 ……そうだ。さっきの話を公表すれば、それだけで世界は管理局の今の在り方、腐敗した上を取り除くために動くはずだ」

「無駄だ」

「やってみなくちゃ分からないだろ!
 管理局は確かに腐敗している部分はあるかもしれない。それでも、まともな部分だって確かにあるんだ。だから――」

「その結果、俺だけが生き残った」

「…………え?」

「どれだけ正しく綺麗な言葉を並べたところで一人の声は簡単にかき消される」

 冷めた眼差しの奥に秘めた憤怒にクロノは言葉を失う。

「管理局から逃げ出した俺に関わったというだけで……
 真実を知った者、知らなかった者、関係なしに証拠隠滅に街ごと消された」

「そんな……馬鹿な……」

「この世界では管理局が黒だと言えば、白も黒になる……
 隣りの世界で起こった事件さえ、いや街があったことさえも奴らは消し去った……
 それが管理局のやり方だ」 

「うそ……だ……」

「俺はお前たち管理局を認めない……お前たちこそ、滅ぶべき『悪』だ」

 底知れない憤怒を秘めた眼差しに射抜かれてクロノは言葉を返すことができなかった。
 そこに――

「おい! まだ生きてるかっ!?」

「クロノッ! 加勢に来たよ」

「クリフ……それにフェイト……」

 エターナル・コフィンの不発を察して戻って来たクリフ。
 それにエルナトを倒してきただろうフェイトが伴って現れる。

「え…………ソラ……?」

 そのフェイトがハヤテを見て固まった。

「エルナトを喰らってきたようだな、妹よ」

「妹……わたしのこと……?」

「ふん……お前も何も知らないか口か……」

 それだけでハヤテはフェイトから興味を失くす。

「エルナトが喰われ、船の制御が取り戻されたが問題はない……
 わざわざ目標自らが戻って来てくれたからな」

 会話で緩んでいた気配が殺意に引き締まる。

「っ……!」

 頭では未だに混乱しているが、身体がその殺気に反応して構える。
 会話の合間で回復した魔力と体力は微々たるもの。
 だが、それを奮う気力は萎えてしまって戻らない。

「来るぞっ!」

 クリフの叫びが他人事のように聞こえた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「きゃあっ!?」

 ブリッジの扉が内側から弾け飛ぶ。
 地上の戦いの後始末を切り上げて駆け付けたアリシアは目の前で爆ぜた扉に悲鳴を上げ、中から扉ごと出て来たフェイトの姿に我に返った。

「フェイト!? 大丈夫?」

 対面の壁にかなりの勢いで叩きつけられたフェイトにすぐにアリシアは駆け寄り、抱き起こす。

「うう……アリシア? どうしてここに……?」

「いつまで経っても連絡がないから手伝いにきたんだよ」

「手伝いに…………ダメ……すぐに逃げてアリシア」

「え……?」

 改めて見ればフェイトの姿は酷いものだった。
 バリアジャケットは半壊。身体に傷はないが、至るところに血のりがべったりと付いている。
 今のフェイトはリンカーデバイスを持ち、彼女の弱点である防御力の低さを克服している。
 そんな普通の魔導師よりも上に至っている彼女をここまで痛めつけられる敵はいったい何者なのか。
 アリシアは破壊された扉からブリッジの中を見た。

「…………クロノ……それにクリフ……」

 まず目に入ったのは扉があった場所のすぐそこで倒れているクロノの姿。
 彼はうつぶせになって、自分で作った血だまりに伏している。
 そして、もう一人。
 こちらに背を向けたまま仁王立ちしていたクリフ。
 その背がアリシアが見ているところで傾き、そのまま倒れた。

「え……?」

 クリフが倒れたことで、その先の敵の姿をアリシアは見た。

「…………あなたは……」

 それはアリシアがよく知っている人の姿をしていた。
 しかし、すぐに違うと気付く。
 姿形は同じでも彼は決してアリシアが知っている彼ではない。そう迷うことなく確信する。

「あなたはだれ……?」

「その答えはお前の創造主にでも聞くんだな」

「そうぞうしゅ……?」

「いるんだろ、プレシア・テスタロッサ……
 直接の面識はないが、母さん、とでも呼んだ方がいいか?」

 その言葉にアリシアが手にしていた融合騎の杖のコアクリスタルが明滅して喋り出す。

『貴方……それじゃあまさかソラはっ!?』

「やはり気付いていなかったか……
 娘のことにしか興味がなかったとはいえ、何千と作り出したサンプルの顔を忘れていたとは……歳のせいか?」

 彼の言葉に含まれる毒にプレシアは無反応。

「何を今さら……お前がした悪魔の所業、忘れたとは言わせないぞ」

「かあさん、この人に何をしたの?」

 アリシアには彼の言っていることが何なのか分からない。
 だから、プレシアに説明を求めるが彼女は何も答えてくれない。

「この前は言えなかったが、生きていてくれて何よりだ……
 お前への復讐は生き返ったアリシア・テスタロッサを目の前で惨たらしく殺してやることと決めていた」

「っ……!」

 理由は分からないが、向けられる冷たい殺気にアリシアは息を飲む。

「フォトンランサーッ!」

 咄嗟に放った光弾。だが、撃ち抜いたと思った彼の姿が幻の様に霧散する。

「幻影っ!?」

 気付いた時にはもう彼はアリシアのすぐ横で剣を振り上げていた。

「っ!」

 フェイトを抱えた体勢では逃げることもできない。
 そして、楯を張るには時間がない。
 せめてこの身を盾にしてフェイトだけは守ると、アリシアはフェイトを強く抱きしめる。
 血飛沫が廊下に飛び散る。
 だが、覚悟した痛みは来ない。

「シグナムッ!?」

 恐る恐る顔を上げれば、彼の剣を身体で止めている彼女の背中が見えた。

「貴様……何者だっ!?」

 血を吐きながら、身体と両手で剣を抑え込みながらシグナムは問いかける。

「ふ……かつての主の顔を忘れたか?」

「違う……貴様はソラではない……
 もしお前がソラだとすれば、決してテスタロッサ達に刃を向けたりはしない」

「何を根拠にそんなことが言える?
 主のことを知ろうともしなかったお前に、あいつの何が分かる?」

「そうだな……貴様の言う通り、私には彼のことを語る資格はない」

 シグナムは静かに彼の言葉を肯定する。

「だが、ソラは言っていた……
 テスタロッサには腕を奪った借りがあると……そしてアリシアは彼にとっての特別な存在だと」

「え……?」

 シグナムから告げられたソラの言葉にアリシアは驚いた。

「特別……わたしが……?」

 自分の口でそれを繰り返してみても信じられない。

 ――わたしはソラを裏切った……

 たくさんのことをしてもらったのに、ソラが管理局に襲われているところで助けなかった。
 そして、彼が一番苦しんでいる時も寝ていて何もできなかった。

 ――だからわたしはソラに嫌われた……

 はずなのに、ソラを苦しめたシグナムの言葉なんて信用できないはずなのに。
 彼に特別だと言われて、嬉しいとアリシアは感じた。

「…………そうか」

 彼がそう呟くと、シグナムの身体に刺さっていた剣を消した。

「くっ……」

 剣を全身で抑えていたシグナムはバランスを崩すが、そこに追撃はなかった。
 それどころか踵を返して無防備な背中をさらす。

「何のつもりだ?」

「お前の言葉が真実だった場合、ここでそのアリシア・テスタロッサを殺すわけにはいかないだけだ……
 殺せば、話をする前に敵と認定されてしまうからな」

 誰にと聞き返すまでもない。

「あなたは誰なの? ソラとはどういう関係なの?」

 結局、プレシアは何も教えてくれない。だからアリシアはもう一度尋ねる。

「…………まあ、いいか……」

 足を止めて、彼は振り返る。

「俺はハヤテ・ヤガミから作り出されたクローン体だ」

「クローン……それにハヤテ・ヤガミって……」

 アリシアは腕の中のフェイトを見てから、プレシアに目を向ける。

「そうだ……お前を蘇らせるための生贄だ」

「いけ……にえ……」

「ああ、その魔女はお前を生き返らせるために数多のクローンを作り――」

『やめてっ!』

「死体を漁って記憶を抜き出す術を研究していたんだ」

「それは……本当?」

「それはその魔女に聞いたらどうだ?」

「母さん……」

 フェイトの呼び掛けにプレシアは答えない。

「何か言ったらどうだ? 今さら何を後悔している……それが娘を取り戻すために選んだ道ではなかったのか?」

『……私は……』

「所詮は欺瞞で満たしただけの信念だったか…………ん?」

 失望したと言葉に含ませたハヤテはおもむろに視線をアリシア達から外した。

「勝てないと判断して寄り代を変えたか……飛天の書」

 立ち上がったのはクリフではない。
 バリアジャケットを消失させ、さらにはボロボロになった服。
 そこからのぞく左胸に見慣れない刻印を光らせて立ち上がったのはクロノだった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ――立たないと……

 どれだけ意識を失っていたのだろうか。
 クロノはかすむ視界の中でシリウスを身体を使って抑え込むシグナムとハヤテ・ヤガミを見て状況を思い出す。
 しかし、クロノの意志に反して身体は言うことを聞いてくれない。

 ――動かないと……

 ほんの少ししか動かない身体を無理矢理動かして地を這う。
 それだけで重労働。意識が飛びそうになるのを必死に繋ぎ止める。

 ――どうしてこんなに身体が重い……?

 床を掴む手を見て気付く。
 赤く染まった手。そして身体の下に広がる血溜まり。それが自分のものだと遅れて気が付く。

 ――ああ……僕は死ぬのか……

 致死量の自分の血を見て、クロノは他人事のように受け止めた。

 ――それでも……戦わないと……

「無駄だ……」

 這い蹲ってでも進むクロノに声がかけられる。
 それは誰の声だったか思い出せない。

「あれは化物……人の形をした悪魔か鬼……修羅、ただの人間にどうこうできる存在じゃない」

 ――それでも……

「第一お前は戦えるのか? 死にかけじゃなかったとしても、さっき完全に戦意を失ってただろ?
 そんな状態じゃ奇跡が起こったってあいつから勝ちを拾えねえよ」

 彼の言葉はクロノの図星を突く。
 ハヤテ・ヤガミの怒りは正しい。少なくても管理局に所属している自分には彼を否定する資格はない。

 ――それでも……

 資格はなくても、このまま黙って仲間や罪のない人達に彼の凶刃が振るわれるのは見過ごせない。
 見過ごして良いはずがない。

 ――僕にはまだしなくちゃいけないことがあるんだ……

 ハヤテ・ヤガミだけではない。管理局の闇とも戦わなければならない。

 ――こんなところで死んでたまるか……

 先程の諦観を振り切る様に意気を奮い立たせる。
 ハヤテ・ヤガミの境遇には同情するし、その怒りが正しいものだと理解もする。
 だが、決して彼の行動を認めるわけにはいかない。
 だから、立って戦わなければいけない。
 なのに、クロノの身体はもうまともに動かない。

 ――僕は……僕は……

 空しく手を伸ばしても届かない。
 薄れゆく意識を繋ぎ止めることも限界だった。

「…………生きたいか?」

 ――生きたい……

「聞こえないぞ。気合いを入れて叫べ」

「…………たい」

「お前の覚悟はその程度か? 根性を出せ」

「……生きたい」

「まだだ……家族や友人の姿を思い出せ。お前が死んだらそいつらが悲しむんだぞ」

 ――そうだ……ここで死んだら……父さんの時の様にみんなが悲しむ……

「生きたいっ!」

「よし……なら受け取れ」

 彼の言葉と同時にクロノの胸が熱く焼ける。

「ぐっ……」

『新たな主を確認……契約を承認しますか?』

 機械的な声が頭の中に響く。
 何を言われたのか頭で理解するよりも、本能が生存の唯一の道だと悟る。

「認める……僕はお前の主になるっ!」

『主の承認を確認……これからよろしくお願いしますマスター』

 事務的な言葉を最後まで聞いている余裕はなかった。
 ほとんど失っていた身体の感覚が途端に目を覚まして激痛を訴える。

『魔力供給による身体の修復を行います。少々痛みますが発狂しないでください』

 少々どころではない痛みに悲鳴を上げることさえできない。しかも――

『時間短縮のため、並列して知識のインストール……最適化も行います……
 膨大な情報を送るので自我をしっかり保ってください』

 ――ちょっと待てっ!

 声にならない抗議を上げるとともにそれは来た。
 視界に幻視される知らない魔法術式に知識。目まぐるしく変わるそれは視覚を通して頭に叩き込まれる。
 それもまた筆舌に耐えがたい痛みをもたらした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「クロノ……」

 立ち上がったクロノの姿にフェイトは安堵した。

「クロノ……?」

 しかし、様子がおかしかった。
 立ち上がったものの頭は力なく下がったまま俯いて顔は見えない。
 そしてボロボロの服からのぞく左胸には見慣れない形の魔法陣が輝いている。
 
「クロノッ!」

 三度の呼び掛けに答えない。

「無駄なことを」

 微動だにしないクロノに対してハヤテが動く。

「くっ……」

『ソニックムーブ』

 クロノに向かって走り出したハヤテの前にフェイトは回り込む。

「邪魔だ」

 割り込んだと同時に薙いだ一撃は空を斬り、逆に蹴り飛ばされる。
 エルナトを吸収した事から多少の魔力は回復しているが万全には程遠い。
 しかし、それは言い訳に過ぎない。
 ハヤテの一撃は意外にも軽く深刻なダメージにはなっていない、おそらくは手加減されたもの。

「っ……ダメッ!」

 起き上がって叫ぶが、すでにハヤテはクロノの目の前。
 シグナムが追い駆ける。アリシアはフォトンランサーの射線からクロノを外すために横に走る。
 しかし、どちらも間に合わない。
 無情にもハヤテの手刀が容赦なく振り下ろされる。
 同時にクロノの腕が跳ね上がった。
 大きな魔力のぶつかり合いが大気を震わせる。

「…………受け止めた?」

 ハヤテの攻撃の重さ、そして鋭さはフェイトも体感した。
 素手であったとしてもとても受け止められるような代物ではないのにクロノはそれをやった。
 どころか――

「っ……」

 杖との接触点から氷が浸食を始める。
 咄嗟にハヤテは飛んで距離を取るが、すでに氷は腕まで覆っていた。

「これが……飛天の魔導書の力か……」

 自分よりも大きな魔力をその身にまとってクロノが呟く。
 新たな力を得たクロノにフェイトは頼もしさを感じずにはいられなかった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「これが……飛天の魔導書の力か……」

 死の淵からの生還。
 それを果してようやくクロノは自分が契約したものが何だったのかを認識する。
 ロストロギアの不正使用。
 執務官としてあるまじき行いをしてしまった後悔を感じながらも、新たな力というのは気持ちを高揚させる。 
 しかし……

 ――何て使えない技術なんだ……

『その認識に訂正を要求します』

 与えられた知識を引き出したクロノの第一印象に飛天の書の意志が抗議する。

 ――そう言いたくもなるだろこれは……

 魔力召喚陣――聖痕。
 それが飛天の魔導書の中にあるクロノが使える唯一の魔法だった。

『天の衣はクリフが創作した魔法です。現在のマスターの技量では使うことはできません』

 ――力不足は分かっているつもりなんだが……

『飛天の魔導書の最大利点は魔力保有量の限界突破です。それ以外の魔法は貴方が作り出す必要があります』

 ――僕が作る……か……

『御安心を……御自分のデバイスの性能を半分も引き出せていないマスターに過渡の期待はしていません』

 ――なっ!? それはどういう意味だ?

『凍結強化特化型デバイス・デュランダル……推奨魔導師ランクSS』

 ――うっ……

『マスターに凍結変換の資質なし……魔力から凍結魔力粒子に変換する際の変換ロスにより四割の魔力を無駄にしています』

 ――ぐっ……

『発生させた凍気で自分を凍らせる制御力の未熟さ』

 ――いや……その飛天の書……

『さらにはエターナルコフィン程度で使えただけで凍結魔法を極めたと思い込んだ浅はかさ』

 次々にされるダメ出しにクロノの精神力が削り取られていく。

『マスター来ます』

「え……?」

 意識を現実に戻すと目の前に光弾が迫っていた。
 反射でかわすが、光弾はクロノの動きに合わせて高速誘導されてクロノの側頭部を撃ち抜く――瞬間、凍りつき砕け散った。

『バリアジャケットに凍結効果を付与しました。単純魔力攻撃なら魔力結合を凍結粉砕させ無力化できます』

 デュランダルの特性を生かしたAMF。それでいて寒さを感じさせない完璧な制御。
 悔しいが確かに自分ではこんな使い方は考えられなかった。

「契約直後なのに随分と使いこなしているな……いや、使われているだけか」

 ハヤテがこちらの内情を見透かしたように言葉をかける。

「それで……まさか王になったから対等になったつもりか?」

「そんな楽観的になれればどれだけいいだろうな」

 ――飛天の書、生き残れる確率はどれ位ある?

『このまま全力逃走を行うのなら65%……戦うのなら1%の確率です』

「1%もあるなら十分だ」

『時にマスター、死の淵から生還して新たな力に目覚めたりはしていませんか?』

「そんな御都合主義あるわけないだろ」

『そうですか……なら玉砕しかありませんね』

「ちょっと待て! まさか1%ってそういう意味の可能性なのか!?」

『頑張ってください』

 あまりの物言いにクロノは絶句する。
 機械的な口調に反して、飛天の言葉は妙に人間くさい。
 悪意こそないが、とにかくやり辛い。

「だいぶ相性が良い様だが……
 クロノ・ハラオウン、貴様は自分がしたことの意味が分かっているのか?」

「僕がしたこと……?」

 冷たい視線にさらされて緩んでいた意識を張り詰める。

「俺という敵わない敵に対して、執務官であるお前はロストロギアに手を出した」

「お前は……あのまま死ぬべきだったと言うのか?」

「そうだ……力が及ばなければ死ぬ。戦いにおいて死は受け入れるべき結末の一つ、それを誇りを捨ててまで拒絶して何が残る?」

「僕は……誇りを捨てたつもりはない」

 クロノの言葉をハヤテは鼻で笑う。

「貴様がしていることは、俺たちを作り出した奴らと同じだ……
 自分の身の程をわきまえず、それを覆すために安易な外法に手を染め、それでいて自分は正義だと言い張る……
 それを傲慢と言わず、何と言う?」

 クロノ、フェイト、シグナム、そしてプレシアの四人は思うところを感じて押し黙る。
 命を繋ぐため、戦う力を得るため、大切な人を救うため、愛娘を生き返らせるため、それぞれ外法に手を染めてしまったのは変えようのない事実。

『マスター』

「大丈夫だ」

 しかし、そんな後ろめたさをクロノは一呼吸で飲み込んだ。

「僕は――」

「もうやめて」

 腹に力を入れて出した言葉がアリシアによって遮られた。
 クロノに背を向ける形で、アリシアが両手を広げてハヤテの前に立ちふさがる。

「その顔で、その声で、これ以上みんなのことを悪く言わないで」

「あー……ちょっとアリシア……」

「何を言い出すかと思えば……状況が理解できてない奴は黙っていろ」

「え……あれ……?」

「たしかに……あなたが言っていること、わたしにはよく分からないけど……」

 二人に無視され、クロノはがっくりと項垂れる。

「ならばそこを退け」

「っ……どかない」

「貴様を殺さない理由はあいつへの義理を通すためだ……
 あまりわがままが過ぎるなら腕の一本でも落としてやってもいいんだぞ」

「やめろっ! ハヤテッ!」

「動かないでっ!」

 アリシアの制止にクロノは思わず硬直する。

「わたしを殺せないんだよね…………だったら、これでどう?」

 アリシアは小さな手にフォトンランサーを刃のように作り出し、自分の喉元に突き付けた。。

「なっ……!?」

『アリシア!?』

「これ以上、みんなをいじめるならわたしはこのフォトンランサーを撃つよ」

 止めることを忘れてクロノはアリシアの背中に見入った。
 それほどまでの力がアリシアの言葉にはあった。
 ブラフではない。命を賭けにした交渉という戦いにアリシアは敵わないと後ろ向きな思考は一切持たず、堂々としていた。
 しかし――

「幼稚な考えだな」

 ハヤテはそんなアリシアを否定する。

「何故、俺が貴様の自殺を止める必要があると思う?
 死にたいのなら死ねばいい。それは貴様の選択であって俺とは何の関わりのないものだ」

「で……でも……」

「着眼点は悪くはないが、貴様にはその手の交渉は十年早い」

 無情なダメ出しに何も言い返せずアリシアは構えた腕を下ろす。
 素直過ぎる反応。
 やはり幼さゆえに押すべきか、退くべきかの判断ができていない。
 そんな評価をしつつもクロノは安堵の息を吐き――

「アリシア・テスタロッサ」

「え……?」

「そこを動くな、そして目を逸らすな」

「……ん」

 ハヤテの言葉に頷き、慣れた様に自然体で身構えるアリシア。
 気を緩ませてしまったクロノは咄嗟に反応することができなかった。

「っ……!」

 鋭い呼気を発し、ハヤテが腰溜めから横に魔力で作られた即席の剣が薙ぎ払う。
 金の髪が舞い散る。

『アリシアッ!』

 悲痛なプレシアの悲鳴が遅れて響き渡る。
 しかし、アリシアは五体満足のまま立っていた。

「……その意志と勇気に免じ、今日はこれで退いてやる」

 剣を消しながらハヤテは言って、アリシアに背を向けた。
 それだけでブリッジを覆っていた重圧のような空気が消え失せる。

「ま……待てっ!」

 悠々とシグナムとフェイトの横を通り過ぎ歩いていくハヤテにクロノが叫ぶ。

「覚えておけ、貴様等の命はその娘によって生かされたのだと」

 破壊された扉の間で立ち止まり、ハヤテは振り返らずに告げる。

「そしてクロノ・ハラオウン……
 貴様は殺すべき敵だと認識した。せいぜい守ってもらった命を大切にすることだな」

 言うだけ言ってハヤテはそのまま歩き出す。
 規則正しい足音がやけに大きく響き、徐々に小さくなって……消えた。

「はあぁぁぁぁ……」

 それまで止めていたのかと思うほど大きく息を吐き出して、アリシアがその場に座り込む。
 緊張から我に返ったフェイトがいち早くアリシアに詰め寄る。

「アリシアッ!」

「あはは……腰が抜けちゃった」

「笑い事じゃないよ、髪が……」

「あ……フェイトとおそろいじゃなくなっちゃった」

 残念そうに背中を見るアリシア。
 フェイトと同じ、長かった彼女の髪はハヤテの剣の一閃によって肩まで見事に切り落とされた。
 しかし、アリシアはそれを気にする素振りはない。
 そんなアリシアはフェイトは説教を始める。

「……助かったのか」

 二人のやり取りに戦いが終わったことの実感を感じ、クロノも溜めていた息を吐き、強張った身体から力を抜く。

「ハヤテ・ヤガミか……」

 その名前を呟き、十二年前の闇の書事件から連鎖する悪意の根の深さを改めて感じる。
 そして、飛天の王となることで彼からクロノはその悪意と同列だと評価を受けた。

「犯罪者に言われる誹謗中傷にはなれているつもりだったんだがな」

 しかし、彼の言葉の一つ一つがクロノの胸の中で重しとなって残っている。

「アリシアには感謝しないとな……」

 アリシアに遮られて言えなかった言葉。
 むしろ、それでよかった。意志や覚悟を決めても、勢いに任せた言葉では彼に決して届きはしないだろう。

 ――僕にはまだ足りないものが多過ぎる……

『マスター』

「ん……? ああ、飛天の書か」

 内側から呼びかけられることに新鮮さを感じながら、クロノは複雑な気持ちで胸の聖痕を見る。
 死の瀬戸際で思わずすがった救いの手。
 果たしてそれは正しかったのか。

『私を前マスターの下に連れて行って下さい』

 クロノの胸中など気にしないとばかりに、飛天の書は変わらない機械的な言葉で話す。

「…………そうだな」

 忘れていたわけではない。
 しかし、いつまでも目を逸らしているわけにはいかない。
 覚悟を決めて、クロノは歩く。
 狭いブリッジの中、十秒もかからずに彼の下に辿り着く。

「…………クリフ」

 仰向けに倒れ、それでも手放していない折れた剣。
 身体には目立つ大きな外傷はない。その顔も穏やかでまるで眠っているだけのように思える。
 しかし――

「クリフ……」

 呼び掛けに彼は二度と答えない。

「どうして……」

『貴方に行った治癒魔法の原型は通常のものです……
 欠損した部位を仮想の肉体を作り出し補填することで致命傷でも治癒が可能ですが、例外として頭部とリンカーコアの破壊はこれに該当しません』

 前の主を前にしても機械の声に動揺は感じない。
 それが一層現実感を失わせるが、リンカーコアを破壊されたクリフは紛れもなく死んでいた。

「…………っ」

 クロノは拳を強く握り込む。
 また何もできずに、生かされた。

『マスター、前マスターの聖痕に手を』

 無力感を感じながら、飛天の書の言葉に従ってクロノは手をかざす。
 それに反応してクリフの胸に聖痕の光が浮かび上がる。

「おい……まさか……」

 しかし、光はクロノの手に吸収されるように消えていった。

『これで完全に主の移行は完了しました……
 改めてよろしくお願いします、クロノ・ハラオウン』

 一瞬、期待したクロノは落胆するよりも飛天の書の言葉に憤りを感じた。

「それだけなのか……?」

『意味が不明です……質問は明確にしてください』

「前の主が死んだんだぞ!? 最後にかける言葉があるんじゃないのか!?」

『マスターそれは既にクリフの精神性を失った肉塊でしかありません……
 そんなものに言葉をかけても時間の無駄にしかなりません』

「なっ……」

 あまりの物言いにクロノは絶句し、自分の中にあるのが青天や北天に連なる魔導書の一書だと改めて認識を強くする。

『事後承諾になりますが、マスターには飛天の魔導を使用するにあたり対価を支払ってもらいます』

「対価だと? まさか魂を差し出せとか、生贄を用意しろとでも言うつもりか?」

『私をそこらへんの三文ロストロギアと一緒にしないでください……
 私が求める対価は『闘争』……この場合はハヤテ・ヤガミとの戦闘です』

 それは言われるまでもないことだったが、続く言葉に己の甘さを認識させられる。

『逃げることも降伏することも許しません……私の力を使い、死が訪れるその一瞬まで戦ってもらいます』

「それは……君の技術を高めるためにか?」

『肯定です』

「…………もし嫌だって言ったら?」

『どうもしません。貴方を生き伸びさせたのはクリフの判断……そこに対価を求めることはありません……
 貴方が対価の支払いを拒否するならば私は別のマスターを探すだけです』

 割り切った答えはむしろ清々しい。
 同時にクロノにとって魅力的な選択肢が示される。

 ――契約を破棄できるか……

 ただの管理局の魔導師に戻るか、飛天の王として力を受け入れるか。
 勢い任せではなく、冷静な思考に突き付けられた選択。

『どうしますか?』

「考えるまでもない。僕には君の力が必要だ」

『そうですか、ならば最後に……』

「まだあるのか?」

『マスターが死んだ場合、私はクリフと同じように扱います……それが嫌なら生き残るようにしてください』

「え……ああ……」

『以上です』

 その言葉を最後に念話の繋がりが切れる。
 最後にかけられた言葉を計り切れずにクロノは戸惑う。
 飛天の魔導書も外道かと思いきや、遠回しに死ぬなと気遣う。

「……我ながら単純だな」

 それがモルモットとしてなのか、ただの社交辞令なのか分からないのにすっかり毒気を抜かれてしまった気分だった。
 クロノは意識を切り替えてまだ言い争っているフェイト達を見据えた。

「気を抜くにはまだ早いぞ!」

 一喝しながら自分の意識も引き締める。

「三人……シグナムは動けそうにないか……
 フェイト、君は艦内の安全を確認。アリシアは無事なクルーを集めて負傷者の手当てを手伝ってくれ」

「それじゃあダメだよクロノ」

 アリシアに向けていた表情を突然一変させてフェイトがクロノの指示の否定する。

「今から軌道修正してもエルナトに傷付けられた動力炉じゃ出力が上がらない……
 アースラはこのまま堕ちるよ」

「フェイト……じゃないな。君は……君がベガか?」

「正解……
 それで保護フィールドも張れないからこのまま堕ちると十中八九アースラは燃え尽きちゃう……
 例外はフェイトと飛天の王になったクロノくらいかな?」

「何が言いたい?」

「方針の提案、無駄な努力はやめてすぐにアースラから逃げた方がいいよ」

「逃げる……か……」

 クロノは目を閉じて、ベガの言葉を反芻する。
 おそらく彼女の言葉は正しい。
 実際動力炉が正常に機能してくれるかは試さなければ分からない。だが、異常がある可能性の方が高い。

「分かった……すみやかに生存者を集めてくれ……僕は――」

「だからそれは無駄なの」

 必要なデータをまとめようと動いたクロノをベガは再び止める。

「今、立って自分の足で歩ける人だけ脱出すればいい。他の半死人はほっといてね」

「なっ!?」

 とてもフェイトの口から出て来たとは思えない言葉にクロノは絶句する。

「エルナトの操術で身体を壊されて、それに加えてサクリファイスで命まで削られた……
 この場で生き残れたとしても、その人たちは一生ベッドの上でしか生きられない……
 だったら、ここで死なせて上げた方がいいでしょ?」

「馬鹿なことを言うなっ!」

「馬鹿なことじゃないよ……
 アースラを捨てるってことはこれから自力でミッドまで戻らないといけないんだよ?
 そんな足手まといを連れて行けると思ってるの?
 それとも救援を待つ? クラスティアの人たちがそこまでしてくれるとわけないよ」

「……っ」

 ベガの指摘にクロノは反論できなかった。
 だが、決断しなくてはいけない。
 全滅するか、他を切り捨てて生き残るか。

「だけど、一つだけアースラを無事に地上に降ろして、怪我人も治す御都合主義な魔法があるって言ったらどうする?」

「…………対価は何だ?」

 飛び付きそうになる意志を抑え込んでクロノは考える。
 この最悪な状況でわざわざベガがフェイトを抑え込んで話しかけてきた理由は何なのか?
 会話の主導権を握られていることを感じながら、クロノはベガの要求に身構える。

「見なかったことにしてくれるだけでいいよ」

「……それだけなのか?」

「うん……それにできるのは私じゃないから」

 そう言ってベガがアリシアに向き直る。

「状況は今聞いていた通り、でもそれを覆す力が貴女の中にある」

「わたしの中にある力?」

「うん……それを使えばアースラを地上に無事に降ろせるし、傷付いたみんなも完璧に治せる、そんな都合のいい力……
 でも、それを使えば貴女がここで生きていられる時間が少なくなってしまうの」

「え……?」

「おい、待てベガ……それはどういう意味だ? 君はアリシアの蘇生について何を知っている!?」

 口を挟むが、ベガはクロノの言葉を無視する。

「それを使えば、本当にみんな助かるの?」

「ええ、必ず」

『待ちなさい! そんなこと――』

「母さんは黙っていてね」

 ベガが何かをしてプレシアを黙らせる。

「どうする……?」

「いいよ」

 即答だった。悩む素振りさえ見せず、アリシアはベガの言葉に頷いていた。
 困惑しての返答ではない。確かな意志を持っての返答。

「それでこそ私が知っているアリシア・テスタロッサだね……手を」

 ベガは微笑み、アリシアの手を取る。

「集中する必要はない……貴女はただ願えばいいだけ……
 みんなが無事に助かることを、みんなの怪我が治ることを願うだけ……それだけでいい」

「願う……」

 両手を繋いでアリシアは静かに目を閉じる。
 すると、青白い光が溢れた。
 それはかつてソラの身体を乗っ取った青天の魔導書を怯ませた光と同じ。
 そして、光は波紋となって広がる。

「これは……」

 波紋に触れると癒し切れていなかった痛みが消えて行く。
 その治癒光から感じる膨大な魔力にクロノは既視感を覚える。
 突然、計器がけたたましい音を立てる。
 連動してその報告が大きな空間モニターによって映し出される。

「……どういうことだこれは……?」

 そして、機械の報告を見たクロノは言葉を失った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「そんな…………どうして……?」

 繋いだ両手から感じる魔力にフェイトは昔の記憶を思い出す。
 かつて暴走しそうになったそれを無理矢理抑え込もうとして手を怪我した記憶。
 統制されて手を焼くことはないが、その時と同じ質の魔力。

「やっぱりフェイトは気付いちゃったか……」

「どういうことなの……? どうして……」

 精神世界。大きな木の下でフェイトとベガは向き合っている。
 だが、先程のクロノとのやり取りを責める余裕はフェイトにはなかった。

「死んだ人が生き返る奇跡……
 虚数空間に堕ちたプレシア・テスタロッサの願いを叶えた物……
 アリシア・テスタロッサの無尽蔵の魔力の源……」

 ベガが静かに重ねた言葉がフェイトの中に染み渡る。
 そして、両手から感じている魔力が紛れもない本物だと実感させられる。

「母さんと一緒に落ちたのは九つ……その内クライドが四つ、ソラが二つ……そして残りの三つがアリシアに……」

「『願いが叶う』宝石……ジュエルシード……」

 それがフェイトが両手に感じる魔力の、アリシアを生き返らせたものの正体だった。













 あとがき

 地上でのアリシア達の戦いは割愛した36話でした。
 本来ならソラ編で明かすはずだった道化師の正体を今回で解禁。
 プレシアがアリシアをモルモットにするはずがないと思って組み込んだ設定です。
 そしてついでにアリシア蘇生の秘密も公開。

 三回くらい、書き直したためまた期間が開いてしまいましたが、次の話でクラスティア編は最後になります。






 補足説明

 ハヤテ・ヤガミ
 プレシアがフェイトを作る前にサンプルとして作り出したプロジェクトFのクローン体の一人。
 闇の書の主である魔導資質の劣化コピーに過ぎなかったが、それを管理局が薬物や人体実験を行って強化した。
 その後、実働実験として彼に殺傷魔法を教え込み、執行者として暗殺業を行わせた。

 これまで管理局に良い様に使われていたが、あることを切っ掛けに自分の出自を知り、反逆を決意する。
 ソラとの初めての遭遇時は他人の空似だと気にしていなかったが、闇の書との繋がりを察してその正体に気が付いた。
 管理局がいち早くソラの正体に気付いたのも、その容姿が原因。

 闇の書から解放されていたハヤテ・ヤガミの可能性の一つ。







[17103] 第三十七話 殉教
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:4ad3027e
Date: 2014/04/19 12:27




「結論から言っちゃうと、アリシアの蘇生は三つのジュエルシードがかあさんの願いを叶えている結果なの」

 自分と同じ顔が増えるのに慣れてきた。そんな感想を抱きながらフェイトは目の前のベガの話に耳を傾ける。

「ただアリシアは死後から時間が経ち過ぎていたから、かあさんやアースラのみんなみたいに単純に身体の機能を修復する蘇生魔法だと生き返らせることはできないの」

 講義を聞いているのは自分の他に髪が短くなったアリシアとアルフ、そしてプレシアの三人。
 そして目の前に立つ髪の長いのままのアリシア――ベガは魔法で作り出した幻の虚像。

「だからこの場合、アリシアの魂を呼び込む降霊術、死体を生体に変える活性術、それから精神エネルギーの源でもあるリンカーコアの疑似再現」

 三つの指を立ててベガは続ける。

「この三つの要素にアリシアの中に宿っている三つのジュエルシードがそれぞれ当てはまってアリシアの蘇生が成り立っているの」

「えっと……それじゃあ今のわたしは……」

「うん、正確に言えば生き返ったんじゃなくて、死体が生きている振りをしているだけ」

 言い淀んだアリシアにベガはあっさりと事実を告げる。
 自分の真実を知らされて言葉を失うアリシア。しかし、フェイトは彼女を気遣うよりも気になることがあった。

「ベガ、かあさんみたいにって言ったけど……それはどういう意味?」

「そのままの意味だよ……
 かあさんは虚数空間に落ちた時に一度死んでるの、だけどアリシアを生き返らせる願いのついでで蘇生された……
 ソラが持っていた二つ目のジュエルシードがかあさんを生き返らせたものだよ」

「かあさんがジュエルシードで生き返った……? それじゃあソラがしたことは……」

「言っておくけど、ソラに落度はないよ……
 ソラがそのことに気付いたのはかあさんを殺した後のはずだし、かあさんの病気も治ってたわけじゃない……
 ソラが融合騎にしなくても遠からずかあさんは死んでいたはずだから」

 次々と明かされる真実にフェイトたちは押し黙る。
 与えられた情報を処理するのに集中するあまり何故、ベガがそれほどまで詳しいのか疑問を挟むことをフェイトは忘れていた。

「かあさんの話はもうどうしようもないからお終い……アリシアの話に戻すよ」

「そうしてちょうだい」

 混乱の抜け切らないフェイトとアリシアに代わって、プレシアが落ち着いた声で先を促す。

「動揺してないんだね、かあさんは?」

「貴女に母さんと呼ばれる筋合いはないわベガ……
 私の生が不自然だったことくらい自分でもよく分かっていたわ。今さら驚くことでもないわ」

「…………そうだね」

 わずかな間を置いてベガは頷いて話し始める。

「さっきも言ったけど、アリシアは明確に生き返ったわけじゃなくてジュエルシードが生き返った状態を保っているだけ……
 ジュエルシードの力の供給が止まれば、アリシアの身体は死体に戻り、魂も元の場所に戻ってしまう」

「っ……それはどれぐらい余裕があるの?」

「普通にしてれば肉体の寿命の方が先に尽きちゃうけど、この前みたいなジュエルシードを利用した魔法を使えば当然アリシアの時間は削られるよ」

「あなたはっ! それが分かっててアリシアにジュエルシードを使わせたの!?」

「あれ以外にみんなを助ける方法はなかったんだよ」

「だからって!」

 怒りをあらわにしてベガに掴みかかるプレシア。

「やめて、かあさん」

 アリシアがプレシアの手を引っ張って止める。

「アリシア……でも、こいつは……」

「ベガはあの時ちゃんと言ってた。それでわたしはちゃんと自分で決めてジュエルシードを使ったの、だからベガのせいじゃない」

「っ……」

 アリシアの言葉にプレシアは振り上げた手をゆっくりと下ろす。
 だが、その視線は人が殺せそうなどの殺意に満ちている。

「あなた……せめてその姿はやめなさい」

「あ、それは無理……
 この身体は闇の書がフェイトの夢の中で作ったものを利用しているから変えられないの」

 プレシアの視線が一層強くなるが、ベガはまるで気にした素振りを見せない。
 
「あ……あのさ……」

 身も凍るような空気の中で震えながらアルフが手を上げる。

「どうしたのアルフ?」

「アリシアを生き返らせているのがジュエルシードだったとしてもさ……
 ジュエルシードって願いを歪めて叶えちまうもんのはずだろ?」

「そんなことないよ……現にソラはジュエルシードをある程度制御できてるでしょ?
 それに全ての願いを歪めて叶えるようなものならそもそも『願いを叶える宝石』だなんて呼ばれるはずないでしょ?」

「あれは魔力のタンクにしているだけだろ?」

「んーーもっとちゃんと説明すると、あれはソラが自分のできるはずのことを願いにして叶えさせているって言った方が正しいんだけど」

「えっと……」

 アルフがこちらを窺うが、フェイトも分からないと首を振る。

「そもそも、どうして『願いを叶える宝石』って言われるジュエルシードが願いを歪めて叶えてしまうと思う?」

「それは願いに対してちゃんとしたイメージを作れないからじゃないの?」

 自分の考えを口にしてフェイトが尋ねる。

「それもあるけど、一番の問題は願いに対しての力の供給が多過ぎることなんだよ」

「水をやり過ぎて花が枯れちゃったっていうこと?」

「うん、その例えであってるよ……でも、わたしは糸車の方が好みかな」

「糸車?」

 意味の分からない例えにフェイトは首を傾げる。

「糸車がジュエルシード、糸が願いを叶える力。人は願いを叶えるために糸を引き出す……
 でも、普通の人は願いに対しての糸の長さを計るものさしも、糸を切るためのはさみも持ってない……
 だからからまった糸玉ができてしまう、それが歪んだ願い」

「それなら何でプレシアの願いは叶っているんだよ?」

「え……? かあさんの願いは叶ってないよ」

 アルフの問いにベガは爆弾発言をもって答えた。

「はあ!? 現にアリシアが生き返ってるじゃないか! なのにどうして?」

「ぶぶー、はずれだよアルフ……最初に言ったよね?
 ジュエルシードがかあさんの願いを叶えているって、ジュエルシードはまだアリシアを生き返らせてないの……
 死んでるのと生きているのの間、かあさんの願いが足りなかったから中途半端な状態なんだよ」

「なっ!? 私のアリシアへの思いが足りないですって!?」

「それもはずれだよ……かあさんとジュエルシードの間にできたリンクが虚数空間の魔力に切られちゃったの……
 だからアリシアの蘇生は中途半端に止まっているの……でも結果的にそれでよかったんだけどね」

「それはどういう意味?」

「さっきも話したでしょ? ジュエルシードの力の供給過多……
 もしリンクが切れていなければ、かあさんの願いはアリシアが生き返った後も続いて、逆に殺しちゃうかもしれなかったんだよ」

「……具体的にどうなるのかしら?」

「魔力による肉体の変質や増殖が起こってモンスター化……かあさんの願いはむしろ強過ぎたから最悪だと爆発してたかも」

「うわ……」

 想像してしまったのか、アリシアは呻き声をもらす。
 そんなアリシアを横目に見ながらフェイトはベガに向き直る。

「ねえ、ベガ……あなたは何者なの?」

「フェイト……何者って?」

「あなたはわたしが生まれる前からわたしの中にいたって言ってたよね?
 でも、それならあなたはわたしと同じものしか知らないはず……なのにベガはわたしより、ううん……母さんよりもずっといろんなことを知っている、それはどうして?」

 ベガという名前は区別をつけるために彼女が自分でつけた名前。
 闇の書の夢のアリシア、ベガを取り込むことで自由になった存在。

「あなたは……いったい誰なの?」

「それはまだ秘密だよ」

 答える気はまったくないと言わんばかりに笑顔でフェイトの問いをベガは黙殺する。

「フェイト、その話は本当なの?」

「うん、前にベガがそう言っていたよ母さん」

「そう……ベガ……貴女はもしかして……」

 言い辛そうにしてプレシアは言葉を濁す。

「母さん?」

「ベガ……貴女は――」

 言い淀みながらも意を決してプレシアはそれを口に出す。

「貴女はフェイトにアリシアの記憶を転写する前の人格じゃないのかしら?」

「え……? それって……」

 プレシアの言葉にフェイトは考え込む。

 ――いきなり自分の前の人格って言われても……

 戸惑う一方で、在り得る事実だと受け止める。
 クローン技術と記憶転写技術はまったくの別物。
 当然、器となるクローンが作られたその瞬間の意識は完全な白紙状態。そこに記憶転写でオリジナルの記憶を上書きする。
 本来なら上書きされてフェイトの一部になっていたはずのその存在は闇の書に刺激される形で蘇り、アリシアの形を手に入れた。
 そしてベガを取り込み、その存在を大きくしているとしたら……

「どうなの……?」

 フェイトの考えと同じ説明をしてプレシアは問う。
 それに対してベガはきょとんとした顔で――

「全然違うよ」

 あっさりと否定した。
 そうとう自信があったのか、プレシアはその一言に完全に硬直してしまう。

「ねえフェイト……」

「何……アリシア?」

「わたし、あの子と気が合いそう」

「それは……よかったね」

 ベガの本性、目的のためなら手段を選ばない現実主義者。
 およそアリシアと馴染むとは思えないのだが、その言葉には妙な説得力があった。

 ――ソラの影響かな?

 詮無いことを考えているとベガが固まっているプレシアをそのままにフェイトの方を向いた。

「な……何……?」

「話し疲れたからそろそろフェイトの中に戻るね」

「ちょっと待って、まだ聞きたいことが――」

「待たない、みんなと話せて嬉しかったよ。それじゃ、ばいばい」

 にこやかな笑顔で一方的に言うとベガはその姿を魔力光に分解させ、フェイトの手に吸収される。
 聞く耳持たず、彼女が作ったこの場の空気を丸投げして消えてしまった。

「えっと……」

 プレシアもアリシアもアルフも、この部屋にいるみんなが俯き、口を開こうとしない。
 フェイトにしてもベガからもたらされた情報を消化し切れていないし、それだけではない。

「……道化師……ハヤテ・ヤガミ」

 思いついた言葉が無意識のまま口を動かしていた。
 その声を聞いてプレシアの身体がかすかに震える。
 単なる今まで出会った中で最強の敵だとしか認識していなかった仮面のテロリスト。
 考えもしなかった仮面の下は自分たちの恩人である、ソラと同じ顔。
 プレシア・テスタロッサが作り出したクローン。つまりは自分の兄のような存在。
 こんな形で自分たちとソラが繋がっていたとは思いもしなかった。

「あの……母さん……」

「何かしら、フェイト?」

「あ……」

 鋭い眼差しを向けられてフェイトは息を飲む
 何も話すつもりはないと、かつて拒絶された時と同じ目をしていた。

「わたし……あの時から母さんのこといろいろ教えてもらって、自分でも調べたりしたんだよ」

「……それで?」

「わたしが知ったこと、そしてソラにしたことを知って……
 わたしはどうして母さんがあんな風になってしまったのか、ようやく分かった気がするの」

 フェイトの言葉にプレシアは何も返さない。それでも構わずに続ける。

「死んじゃったアリシアを生き返らせるために一生懸命過ぎて……
 たくさんのものを犠牲にして……
 それでも……アリシアを生き返らせることができなくて……」

 願いが強ければ強いほど、犠牲にしたものが大きければ大きいほど……それが叶わなかった時、より深い絶望に堕ちる。
 だからこそ、プレシアは自分のことを認めるわけにはいかなかった。
 穢した両手に脅迫されるように、プレシアはアリシアを求め続けるしかなかった。

「だから、何が言いたいの?」

「わたしは……」

 プレシアの問いにフェイトは決意を持って前に言ったことを改めて告げる。

「わたしは戦うよ……ソラとハヤテ・ヤガミが母さんやアリシアに復讐をするって言うなら、あの人たちはわたしの敵……」

「フェイト!?」

 驚きの声をアリシアが上げるが、フェイトは構わずもう一度宣言する。

「二人はわたしが守る」








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





「っ……」

 クロノはハヤテ・ヤガミの鋭い眼光に射竦められた。
 一見すれば理知的な目だが、その奥に秘める激情はクロノの想像を遥かに超えた憎悪を宿している。
 闇の書に始まり、プロジェクトF、さらに管理局の暗部。
 負の連鎖を押しつけられた彼はその命を弄んだ者たちへ復讐を誓い、修羅に堕ちた。

 ――自分の勝手な悲しみに、無関係な人間を巻き込むの権利は誰にもない……

 かつてクロノがプレシアに言った言葉。

 ――なら彼には何と言えばいいのか?

 考えなかったわけじゃない。
 ソラが管理局の敵となり対峙することを。

 ――覚悟はしていた。だがまだ時間はあると思っていた……

 少なくてもこんな変則的な方法で彼の真実を知り、修羅となった彼のクローンと対峙することになると誰が予想できるだろうか。
 そして彼の怒りと憎悪をクロノは正しいものだと認めてしまっている。
 なのに彼に杖を向けている矛盾。
 そんな迷いを抱えたまま戦っていたクロノはハヤテに杖を向けて硬直してしまった。

「早く撃てっ!」

「っ……ブレイズキャノンッ!!」

 クリフの怒声が耳朶を叩き、硬直が解けたクロノは砲撃を撃つ。
 だが、一拍遅れた砲撃はハヤテに突撃したフェイトの援護にはならなかった。
 まっすぐ正面から突っ込んできたフェイトをハヤテは難なく弾き飛ばし、迫る砲撃に手をかざし直進する砲撃の進行を捻じ曲げた。
 射線がずれた砲撃が弾き飛ばされたフェイトに直撃する。

「っ……!!」

 盾を張って防いだものの、扉を突き抜けて廊下へと吹き飛ばされるフェイトに自分のミスを痛感する。
 自分の力は微々なるものでも、それで三人がかりでようやく戦えていた最強の敵。
 それもフェイトの速さがハヤテの魔法の溜めの時間を削いでいた形の陣形で成り立っていた戦況。
 クロノとクリフの速さではハヤテの大魔法を邪魔することはできない。
 ハヤテの足下に魔法陣が展開する。
 五角形と円のまったく見慣れない魔法陣。そしてハヤテの背中の翼が輝く。

「これは……魔力を食っているのか?」

 これまでの戦闘でそこに充満した魔力が翼に吸収されていく。
 魔力を元に変質した別の力。
 それでも感じる威圧感の強さにそれがどれほど強力なものなのか理解できる。

「っ……」

 咄嗟に杖をハヤテに向け直し、彼と目が合って再びクロノは硬直した。

 ――俺はお前たち管理局を認めない……お前たちこそ、滅ぶべき『悪』だ……

 耳の奥に鳴り響く彼の言葉。
 まるでお前も暗部と同じだと言われているようで、クロノは首を振る。

 ――違う……

 脳裏に浮かぶ二人の姿がその言葉を押し止める。
 アズサ・イチジョウ。化物扱いされ、大義を理由に切り捨てられた何の罪もない少女。
 ソラ。都合よく利用し使い捨てにして、やり直す機会を奪って過去の罪を責められた少年。

 ――違う……

 人の尊厳を無視し、使えるものは利用し、不利益になったら切り捨てる。
 管理局の闇がハヤテにしたこととほとんど変わらないことを自分たちがしてきたと理解して、クロノは愕然とする。

 ――僕は……――

 分からない。
 自分がしていることが正しいのか、それとも間違っているのか。
 管理局の闇と戦い、仮に勝利したところで本当に何かが良くなるのだろうか。

「…………あ……」

 気付いたら、破壊の力を秘めた白い光が放たれていた。

「あ……」

 死ぬと確信する。
 防御をすることも、回避することも思考に浮かばない。反射で動くこともない。
 絶対の死を感じさせる光。しかし、同時に思考の迷宮の出口を思わせる光だった。
 だが、クリフの背中がその光を覆い隠す。

「クリフ――」

 彼の背中が爆ぜて、生温かい液体が顔にかかる。
 そして、盾となったクリフを貫通した光はそのままクロノの身体を貫いた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「――以上が僕が覚えている彼の最後の姿です」

 長い話を語り終えて、クロノはクリフの背中を思い出す。

 ――どうして、僕なんかを庇ったりしたんだ?

 クリフとクロノの関係は一時的な協力関係に過ぎず、共通の敵がいるという理由で手を組んだに過ぎない。
 だからこそ、過渡な助け合いはしなくていいとクロノは考えていた。
 しかし、その思惑に反してクリフは迷いを抱え動きを止めたクロノを庇って死んだ。
 それどころか、彼の力の源とも言える飛天の魔導書をクロノに継承させてその命を繋ぎ止めた。

「そうか……」

 クロノの話を聞いたアトレーの第一声はそんなあっさりとしたものだった。
 そして続く言葉はさらに予想外のものだった。

「それで、君たちはいつまでこの世界に留まっているつもりかね?」

「なっ……!?」

「必要なものは言うと良い……早急に用意しよう」

「ちょっと待てくださいっ!」

「飛天の魔導書もそのまま持って行ってくれたまえ……奴らの目的なのだから残されても迷惑だ」

「っ……」

 あまりの言い分にクロノは立ち上がって激昂する――のを寸でのところで押し留めて椅子に座り直す。

「それからアークから手を引く話もなかったことにしてくれていい」

「……アポスルズの脅威がなくなったから、もう敵同士ですか?」

「勘違いされては困るな……奴らがいたとしても管理局は我々の敵であることには変わりない」

 はっきりとした拒絶の言葉。
 彼の言い分は分かる。

 ――だが、あまりにも性急過ぎないか?

 管理局というだけで嫌悪されているとは思えない。
 もしそうなら、初めからその態度だったはず。

「一つ聞いてもいいですか?」

 考えをまとめるための時間を稼ぐためにクロノは質問する。

「何故、敵となる僕に助言をしてくれたんですか?」

 その問いにアトレーは即答せずに、言葉をためて口を開く。

「単純な話、君がクリフに似ていたからだ」

「………………は?」

 時間稼ぎのはずだった質問なのに、アトレーの言葉を理解できずクロノの思考は止まった。

「似ているって……誰と誰が……?」

「君とクリフ、もちろん今ではなく昔のあいつだがね」

「…………いやいやいや、いくら昔だからってありえないだろっ!」

「そうでもない……
 あいつはあれでも昔は真面目で融通がきかない堅物だったんだ」

「それがどうなればあんな変わり果てたりするんですか?」

「変わり果てたとはひどいな……
 君も十年すればあんな風になるかもしれないぞ」

 想像してみる。

 ――素晴らしいじゃないか、女ばかりの環境、実にいいものだ――

「ないっ! 絶対にありえないっ! なってたまるか!」

 敬語を忘れて叫ぶクロノにアトレーは声を殺して笑う。
 その様に我に返ってクロノは咳払いをして乱れた調子を整える。

「ですが、それだけでは理由としては弱いと思いますが?」

 クロノの問いにアトレーは眼鏡を直して、一拍置く。

「私たちが今生きているのはクリフのおかげだからな……
 君にあいつの面影を重ね、負い目を誤魔化すための代償行為だと言われれば否定はできない」

 だが、っと言葉を切ってからアトレーは続ける。

「それよりも大きな理由が一つあるが、それを教える対価として一つ条件を飲んでもらう」

「……どんな条件ですか?」

「なに、大した条件ではない」

 そう言いながら眼鏡を直すアトレーの表情は、安心できるような穏やかな笑みではなかった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「はあ……」

 アースラの格納庫の隅でシグナムはため息を吐く。

「…………何をしているんだシグナム、そんなところで膝を抱えて?」

「っ……ク……クロノ執務官!?」

 情けない姿を誰にも見せたくなくて人気のない場所を選んだはずなのに、よりによってクロノに見つかるとは思っていなかった。

「クロノ執務官こそ何故こんなところに? クラスティアでの会議はもう終わったのですか?」

 立ち上がり、シグナムは取り繕うように尋ねる。

「……ああ、クリフの遺体の引き渡しは滞りなく済んだし、物資の支援やアースラの修理にも手を貸してくれることになった」

「そうですか……」

「それでもう一度聞くが、君はこんなところで何をしている?」

「う……」

 鋭い眼差しからの詰問、誤魔化すことができずにシグナムは唸る。
 が、すぐに視線に込められた力が緩む。

「まあ、あんな真実を知らされたんだ、落ち込みたい気持ちは分かる……
 だけどみんなが一度操られた直後なんだ、不自然な行動は控えてくれ」

「そう……でしたね。軽率でした」

「やはり、落ち込んでいた原因は彼……なのか?」

「それもあるんですが…………」

 言葉を濁しながら、シグナムは少し迷ってから話すことにした。

「実は破天の魔導書の大型デバイスの回収作業に同行したのですが……」

「ああ、マリーがだいぶ張り切っていたな……それで?」

 自分たちがアースラで戦っている間に地上で行われていた飛天と破天の魔導技術の争い。
 『天の衣』は破損しても魔力となって霧散するが、破天の戦略級大型デバイスは破損すれば破片は残される。
 撃墜した機体はなかったとしても、その破片から向こうの技術レベルを解析するために回収するべきだとマリーが主張し、許可が下りた。
 その手伝いにシグナムは同行したのだが。

「できなかったんです」

「できなかったって何が?」

「…………車を運転することができなかったんです」

「車って……資材運搬用の大型トレーラーのことか? それなら気にする必要はないだろ?」

「いえ、普通車の方です」

「でも雪原なんだから……」

「いえ、アースラの中で壁に突っ込みそうになりました……
 正直侮っていました。飛行程の速度も出ない乗り物如き、簡単に御せると思っていたのに」

「そ……そうか……」

「それに回収作業でもみんなの足を引っ張り……」

「君は……戦いから離れるとうっかりが多いんだな」

「ぐっ……」

 クロノの一言がシグナムの胸を抉る。

「ええ、自分もここまで不器用だったとは思っていませんでした」

 記憶にある蒐集の戦いの中で車を運転した経験なんて当然ない。

「クロノ執務官、未だに保護観察の身なのは承知していますが……
 この事件が終わり次第、運転技能の資格修得を認めて頂けませんか?」

「まあ、それぐらいなら許可も降りるだろう」

「それからできればテスタロッサが行っている執務官になるための勉強も受けたいのですが……」

「執務官試験を受けるつもりか? それは流石に認められないと思うが」

「分かっています……ですが、私が欲しいのは資格ではなく知識です」

「……どういう意味だ」

「大した考えではないのですが……一度、剣から離れてみようかと思っています」

 その言葉にクロノは目を見開き驚く。

「…………それはどうして?」

「私はこれまで自分は漠然と管理局に従事することしか考えていませんでした……
 私が唯一誇れる剣の腕を生かし、それだけでやっていけると思っていたんです」

 だが、実際はそんなことはなかった。
 世界には自分よりも強い人間が当たり前のように存在しており、弱い人間であっても意志の力でその実力差を覆そうと死力を尽くす。

「今回のことで思い知らされました……剣を振るだけでは何も解決できないと」

 結局、召喚師を殺すことでしか決着をつけられなかった。
 そのことについてやはり後悔がある。
 もし、自分が剣以外のものを持っていたのなら、別の結末があったのではないのかと思ってしまう。

「闇の書の騎士であったならそれでよかったかもしれません……
 ですが、私はもう八神はやての下でヒトとして生きなければならない」

 言葉を重ねながら思い出すのは自分のもう一つの姿。
 剣を振るだけの、戦うためだけのシステムとしての自分。
 内面世界で自分に言われた言葉を反芻して自分の両手に視線を下ろす。

「私から剣を取れば何も残らない」

「だから執務官か……?」

「はい、少なくても現代の法知識を一から学ばなければならないと思っています」
 
 シグナムの言葉にクロノは目を閉じて、大きく息を吐き出す。

「八神はやての下で、か……」

 そうクロノが繰り返すと、おもむろに何かを取り出して見せつけた。

「それは……?」

「クラスティアの人たちから預かった。君のためのデバイスだ」

「デバイス……ですか? ですが私はレヴァンティンを持ち替えるつもりはありません」

「形状は腕に固定する小型の盾だ……剣を替えるわけじゃない」

 そう言いながらもクロノはそれを差し出そうとしない。

「どうかしましたか?」

「これを渡す前に聞いておきたいことがある」

「何ですか?」

「君はこれから彼らと戦えるのか?」

 彼ら、その言葉に思い浮かぶのは同じ顔で別々の道を歩んできた二人のこと。

「……戦えます」

「それははやてが向こう側についたとしてもか?」

「っ……」

 クロノの指摘にシグナムは息を飲む。

「管理局がソラに――八神はやての兄にしたことは人道を大きく外れている……
 この真実はソラを追い駆けて行ったはやても知ることになるはずだ」

 言葉を失ったままのシグナムに、クロノは淡々と続ける。

「はやてはまだ管理局に関わって日が浅い、つまり思い入れなんてほとんどないって言っていい……
 そして管理局が君たちを含めた彼女の家族にしたことを考えれば、憎悪を募らせて向こうに着くことになってもおかしくはない……
 それでも、君は管理局の側で戦うって言うのか?」

「クロノ執務官は……彼らが正しいと思っているのですか?」

「僕に彼らの復讐を間違っているなんて言う権利はない……それでも戦う覚悟は決まったし、理由もある」

 迷いなく告げるクロノに、シグナムは己を顧みる。

「もちろん、はやてが真実を知ってもこちら側に居続けるかもしれない……
 だが、はやての立ち位置で敵か味方かを決めるなら、このデバイスを渡すわけにはいかないし、君を拘束しておく必要がある」

 はやてが友達を捨てる可能性などシグナムは考えてもいなかった。
 だが、それは起こり得る現実の一つであるのは確かだった。
 友達と天秤に掛かるのは血を分けた不遇の兄。
 果たして心優しい主はどちらを選ぶのだろうか?

「どうなんだ?」

 静かだが厳しい口調の詰問。

「私は……」

 簡単に心を揺らしている自分にシグナムは恥を感じた。
 主と騎士との関係を断ったれたとはいえ、気持ちでは今でもはやての騎士のつもりだ。
 故にはやてに剣を向けることは考えられない。なので、ここでクロノの質問に答えるのに躊躇った。

「いや……それは逃げだな」

 はやてに自分のことは自分で決めろと言われたことを思い出す。
 それが今なのだと実感する。
 この場限りの嘘で誤魔化すこともできるが、そんなことは性格上できないし、これまで良くしてくれたクロノにそんな不義理をしたくもない。

「私は……」

 目を瞑って、今回の出来事を思い出す。
 飛天の王クリフとの戦い。腑抜けていた自分。
 復讐に全てを賭けた召喚師との戦い。無知であった自分。
 己の根幹との邂逅。剣だけで満足していた自分。
 そして、仮面の道化師の正体、ハヤテ・ヤガミ。闇の書の罪が枝葉を広げて作り出した新たな業。
 様々な至らなさを思い知らされた戦いだった。

「私が選ぶ道……」

 同時に未来の道を考えさせられることばかりだった。
 ハヤテ・ヤガミの復讐を否定する気はない。
 服の上から既に治った傷を押さえて、シグナムは目を開き、まっすぐとクロノに向き合う。
 そして――

「私は――」

 自分で決めた答えをシグナムは言葉にした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「すごい……」

 目の前の光景にエイミィは思わず呆けた声をもらした。
 戦場となり激しく壊れたはずの食堂は彼女たちが街で休ませてもらった数日でほとんど修復されていた。

「これがアークの力……」

 荒廃したクラスティアに次元航行艦を修理するだけの資材などあるはずはない。
 しかし、それもアークを使えば容易く覆る。
 ここに来る前に修理の八割は完了したと報告は受けている。
 なので、もう一方の戦場になったブリッジも元の姿になっているのだろう。

「これは脅威ね……」

 同じものを見ていたリンディが不意に呟く。

「第一級ロストロギア『アーク』……その力は魔力を触媒にしてあらゆるものを作り出す」

「効果は単純ですけど、ここまですごいとは思いませんでしたよ」

「詳細なデータがあれば機械まで製作可能……管理局が危険視するのも当然よ」

「でも今はそのおかげで助かってますけど」

 エイミィの指摘でリンディは押し黙る。
 その内心の複雑さはエイミィも理解できる。
 危険なロストロギアを回収する管理局員の身としてはその恩恵を受ける事には抵抗を感じてしまう。

「状況が状況なんですから我慢してください」

「分かっているわよ……」

 そこで会話が止まってしまう。
 沈黙が流れる中で、修復作業の音が響く。
 そのまま二人は工事の作業を見守ること数分、不意にリンディが言葉を作る。

「ねえ……エイミィ……」

「はい?」

 努めて平静にエイミィは返事をする。続く言葉は予想できている。

「何か隠してない?」

「何かってなんのことですか?」

 リンディの質問にエイミィは意味が分からないと首を傾げる。

「今回の戦闘のレポートは提出した通りですけど、何か不自然なところでもありましたか?」

 ――仮面のテロリストの正体、ソラのクローン体、ハヤテ・ヤガミ――
 ――クリフの死、クロノへの飛天の魔導書の譲渡――
 ――半死人のアースラクル―並びに利用されたユリウス所属の武装隊を全快に治癒し、さらには燃え尽きるはずだったアースラを無事に着陸させた飛天の魔導書の魔法――

 それがクロノ達との話し合いの下でリンディに提出し、アースラのスタッフ達に知らせた今回の戦闘の顛末だった。

 ――知らせる意味がない……そうだよねクロノ君……

 嘘を吐きながらもエイミィは改めて思う。
 真実はリンディを含めた負傷者たちを治したのはクロノではなく、ジュエルシードを使ったアリシアによるもの。
 だが、それを素直に報告するのには問題が多かった。
 ベガとの約束もあるが、三つのジュエルシードを内包しているアリシアの処遇が問題になる。
 最悪、ソラの二の舞になる可能性だって零ではない。
 それを考えてしまうと、馬鹿正直な報告をすることはできない。
 リンディやアースラの仲間たちがアリシアの存在を蔑ろにするはずはないが、情報を隠すなら知っている人数は少ない方がいい。

『それにそうしておけば、いざ責任を取るのは僕だけで済む』

 クロノの言葉を思い出しながら、エイミィは彼の決断を補佐するためにリンディの疑問を逸らすように誘導する。

「まあ……信じたくないって気持ちは私も同じですけどね……
 まさかアポスルズのボスがソラ君のクローンだった。なんて誰も予測できませんよ」

「ごめんなさい……現実逃避なんて艦長失格ね」

「高い魔導資質を持つ子供が犯罪に利用されるのはよくある話ですけど……」

「闇の書にプロジェクトF……そして青天の魔導書……こうして並べてみると本当に酷いわね」

「あ……そういうことだったんだ」

「どうしたの……?」

「いえ、前にソラ君が言ってた言葉を思い出したんです……」

『僕と同じ目に会う人を見過ごすこともできない』

 実験体として不当に扱われようとした少女を助けるために自分たちと決別することにした彼が残した呟き。
 それがどれに当てはまっていたのか、エイミィには判断できない。
 しかし、それでもあの時、ソラを呼び止める事ができていれば今の現状の何かが変わっていたのではないかと思ってしまう。

「……もう、本当にソラ君と敵同士なんですね」

「エイミィ……」

「私たちはソラ君たちと戦えるんですかね?」

 自分たちはソラに同情と罪悪感を持ってしまった。
 あまりにも悲惨な境遇。未だに救いのない現状。残酷な真実。
 十二年間、自分たちの暗部を知らず、放置していた表側の管理局――自分たち。
 一人はすでに見限り、もう一人も今度こそ失望するだろう。
 前線に立たない自分はまだいい。
 しかし、彼と直接対峙することになるだろうクロノ達はどうするのだろうか。

「…………戦うしかないのよ……私たちは管理局なんだから……」

 彼らの気持ちを代弁するかのようにリンディが渋い声を絞り出す。

「そう……ですよね……って、ええっ!?」

 沈んだ気持ちが今運び込まれた物を見て一瞬で吹き飛んだ。

「ちょっ……なんなのそれはっ!?」

 エイミィに遅れてそれを見たリンディが絶句して叫ぶ。

「1/1クリフ像、アルカイックスマイルバージョン……殺風景な食堂に最高の笑顔をお届けに」

「「いりませんっ!」」

「ならば! こちらのアトレー像、腹黒い笑みバージョンを!」

 すぐさま交換された彫像に思わずエイミィ達は絶句する。
 これがアースラの修理が完了するまでに行われた最後の戦いの始まりだった。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「…………疲れた」

 真新しい艦長席にリンディは突っ伏して息を吐き出す。
 持ち込まれた彫像に絵画。他にもクラスティア特有の民芸品。
 補給物資に紛れ込ませてクラスティアの人たちは余計なものをアースラに積み込んだ。
 それを見つけ出し、集めて突き返す間にまた新しい物が運び込まれる。
 そんないたちごっこを続けた結果が今の有様だった。

「お疲れ様です、艦長」

「ええ、本当にすっごく疲れたわ」

 砂糖多めのお茶を差し出してくれるクロノにリンディは非難の視線を向ける。
 あろうことか、自分の息子はアースラの中を駆け回っている母の手伝いをしてくれることはなかった。
 だが、そんな非難の視線もクロノは気にも留めない。

「はぁ……」

 可愛げがなくなってしまったクロノにもう一度ため息を吐く。

「なんなのよあの人たちは……ちょっと気を許すと変なものは持ち込むし、アースラを改造しようとするし……」

「ですが、良かったじゃないですか……こうしてアースラの修理は完了したんですし……
 結局された改造は一つで、それも簡単に撤去できるものみたいだから……」

「よくないわよ……バリアジャケットを展開する次元航行艦なんて聞いたことないわよ」

 飛天の魔導書の技術を利用してクリフが作り出した巨大バリアジャケット『天の衣』。
 ロストロギアの技術と言われても、その作り自体は至ってシンプル。
 規模を拡大させただけのバリアジャケットは何も人がまとう必要はない。
 撃沈されたユリウスの駆動炉を格納庫に設置し、アースラの大きさに対応する機材に術式を組み込むだけで天の衣は再現できる。

「向こうの善意の一つと思って諦めてください」

 素っ気のない返答にリンディはまたため息を吐く。

「それはまあ……あれだけ物資を融通してくれたわけだから、あまり文句は言いたくはないけど」

 修理のための機材。戦闘の余波で失った食料、日用品。さらには艦内の清掃など。
 とにかくクラスティアの人たちは総出で手を貸してくれた。
 しかもそれに対して何の対価も要求されなかった。

「逆にそれが怖いのよね。あとで何を要求されることやら」

「それについては何の心配もいりません」

 リンディの呟きにクロノが無愛想に答える。

「…………クロノ?」

 ここに至ってようやくリンディはクロノの様子がおかしいことに気が付く。
 だが、それを尋ねるより早くエイミィの言葉が二人を遮る。

「艦長、クラスティアからの通信です……あれ回線が勝手に開いた?」

 エイミィが首を傾げているとブリッジに大きな空間モニターが浮かび上がる。

『管理局の皆さまに御挨拶申し上げます……クラスティア代表、アトレー・ヴァリアントです』

 それはこの場にいる者達に向けられたものではなく、アースラ全体に向けられた言葉だった。

「いったい何をするつもり?」

 その問いにアトレーは答える事なく続ける。

『御存じの通り、私たちの世界は現在管理局と敵対関係となっています……
 その原因となるのがロストロギア『アーク』、その力は私たちがその船を直すことで実感してもらえたでしょう』

「クロノッ! これはいったいどういうことっ!?」

「…………これが彼らが決めた道です」

 アトレーから目を逸らさずにクロノは答える。

『魔力を捧げればいかなるものも作り出せる『アーク』の存在はそれだけで今の世界を容易く変えることができる……
 だからこそ、私たちクラスティアの民は『アーク』が守って来た』

 それ以上何も答えるつもりはない。という態度を示すクロノにリンディは困惑する。
 アースラの修理を任せたのだから、システムが掌握されていることに不思議はない。
 しかし、クロノはそうなることを知っていたかのようにこの状況に対して動揺は見られない。

『私たちは人の欲深さをよく知っている……
 それによってクラスティアは太陽の光を失い、雪と氷に閉ざされた世界へと変わり果ててしまったのだから……
 そして大きな戦いが終わり、私たちが疲弊した所に現れた貴方達管理局も私たちには我欲で『アーク』を求めた輩と何も変わらなかった』

 同時にアトレーの意図もリンディには計り切れなかった。
 クラスティアの歴史はすでにこちらも知っていることだ。
 それを今さら改めて説明する理由はなんなのか。

『貴方達の掲げる主張は正しいだろう……
 しかし、私には聞こえの良い理想にしか思えない……
 自分たちが決して傷付かない高みから人を睥睨し、自分たちにとってだけ正しい正義を執行する……
 貴方達の言葉の何処に誠実さがあるのか私には分からない』

「好き放題言ってくれるわね」

 自分たちが管理世界の平定のためにどれだけ力を尽くしているかも知らない彼に憤りを感じる。
 しかし、その悪態も一方通行な通信のため届かない。
 届かないのだが、アトレーはそれを見透かしたように眼鏡の位置を直し、腹黒い笑みを浮かべる。

『さて、勝手なことを言わせてもらったが、本題に入りましょう』

 リンディはどんな言葉が来てもいいように気を引き締める。

『この度、私たちはテロリスト組織、アポスルズと交戦しクラスティア最強戦力を失いました……
 そして彼が所有していたロストロギアはそちらの魔導師に譲渡され、私たちは力の源であった聖痕もそれに伴い無くなった……
 察しの良い方はお気付きでしょう……そう、私たちにはもう『無限の魔力』の力はない』

「なっ!?」

 アトレーが暴露した事実にリンディは驚く。
 圧倒的物量に劣るクラスティアが管理局に対抗できていたのは飛天の魔導書の技術があったから。
 例えその力を失ったとしても、それを正直に告白するなど正気とは思えない。

『聖痕のない私たちの魔導師ランクは最も高い自分でもAランク……
 つまり、今の私たちにはもう管理局を退ける力はないということだ』

 リンディの思惑をアトレーは肯定する。

『よって私たちクラスティアは管理局に対してここに降伏を宣言する』

 そして告げられる言葉にリンディは呆気に取られた。だが、アトレーの言葉は続く。

『しかし、『アーク』は渡せない』

 ぞわっと、背筋が凍るほどの悪寒が走る。

『繰り返す……降伏はする。しかし、『アーク』は渡さない』

 アトレーの言葉が重なるたびに嫌な予感が膨れ上がる。

『私たちのこの選択を貴方達は愚かと言うかもしれません……
 もしかすれば管理局は信頼に足るほどの人格者たちの集いなのかもしれない。だが――』

「クロノッ!」

「フェイト……?」

 アトレーの演説の途中でフェイトがブリッジに駆け込んで来る。

「すぐにアトレーを止めてっ!」

 息を弾ませながら叫ぶフェイトにクロノは静かに首を横に振る。

「どうしてっ!? アトレーは……ううん、クラスティアの人たちは『アーク』を暴走させて死ぬつもりなんだよ!」

「なっ……!?」

 今のフェイトには原因は不明だが未来を知る力がある。
 それに加えてアトレーの言葉からこの後の結末が容易に想像できる。

「分かっている……だが、それがクラスティアの意志なんだ」

 あっさりと肯定するクロノにリンディは今度こそ耐えられなかった。

「ふざけないでクロノッ!
 貴方はそんな馬鹿な真似を了承したというの!」

「馬鹿な真似……本気でそう思っているんですか、艦長?」

「当たり前でしょ。安易な死を選んで何になるというの? 貴方は自殺を見過ごすような薄情者じゃなかったはずよ!」

「なら母さんは自分の命惜しさに管理局員としての矜持を捨てられるのか?」

「それは……」

「フェイト、君だってそうだ……
 あの時、君はどんなことがあってもプレシアを切り捨てることはできなかったはずだ……
 彼らのやろうとしていることはそれと同じだ」

「でも……そんなのやっぱり間違ってるよ」

「それならフェイト……君はどうするって言うんだ?」

 反論しようとするフェイトにクロノは言葉を重ねる。

「僕だって止めたさ……聖痕だって僕が刻み直すことだってできた……
 彼らがしてくれた支援の対価に、でも彼らは管理局の手を取ることはないって、拒んだんだ」

 淡々と語るクロノの表情からは内心を計ることはできない。

「彼らはとっくの昔にこの結末を決めていた……
 それこそ僕たちがここに来る前から……僕たちはその最後にたまたま立ち会っただけに過ぎないんだ」

「クロノ……」

 表情は変わらない。
 それでも硬く握り締められた拳からクロノの感情、悔しさが読み取れる。
 救うための力はあるというのに、差し出した手を取ってくれないもどかしさ。
 かといって、武力で根本の原因の『アーク』を確保すれば、それこそ管理局が今まで彼らにしてきた行為と何も変わらず、彼らの存在意義を否定することになる。
 リンディの経験の中でもこんな殉教者は初めてだった。

「……あれは形見分けだったのね」

 アースラに運び込まれた数々の品を思い出してリンディは呟く。

『アースラの諸君……君たちが憐れむ必要も、嘆く必要もない……
 これは最後までこの地に残った我々が決めた結末に過ぎないのだから』

 自分たちが話している間にもアトレーの演説は続く。
 しかし、アトレーを正面に見据えて言葉は何も浮かんでこない。
 クロノが言った通り、クラスティアと管理局の関係は自分たちが関わる前に決まってしまっている。
 『アーク』を巡り、クラスティアと管理局どちらも譲歩することがないのだから、いつかはこんな結末が訪れていただろう。
 画面の向こうに映るアトレーの態度がそれを如実に物語っている。

『クラスティアの歴史はここで終わる……
 だが願わくは、この結末が良き未来の礎とならんことを祈っている』

 その言葉を最後に画面が途切れ、黒く染まる。

「艦長……クラスティアの街に高熱源反応が発生しました……」

 静寂が満ちるブリッジにエイミィがおずおずと報告を読み上げる。

「…………そう……映像は出せる?」

「はい……」

 アトレーが消えた画面が切り替わる。
 降り積もった雪が舞い上がり、その向こうで太陽を思わせる巨大な光が膨れ上がり、天を貫く大きな柱となった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 天を貫く巨大な光の柱を見ながらクロノはアトレーの言葉を思い出す。

「次元世界を股に駆ける君たちには分からない感覚だろうが……
 クラスティアは私たちにとって唯一の世界であり、故郷であり、死に場所だ……
 そして、この世界に残っている者は使命に準じてここで死ぬことを決めた者たちしかいない……
 だから、君はこの結末を気に病む必要はない……
 もし私たちのために何かをしたいというのなら、記録を残してくれ……
 『アーク』を巡って争った末の世界の姿……『アーク』を守る使命に殉じた私たちの生き様を形あるものとして残してくれ……
 それが私たちが生きた証になる」

 『アーク』の前で語られた彼の言葉、クラスティアの総意。
 飛天の書を得て、少なからず浮かれていた気持ちはクロノの中から完膚なきまでに消えていた。

 ――結局、力を手に入れても何も変わらなかった……

 それでも胸に感じるのはアズサ・イチジョウの時に感じた無力感ではない。
 むしろ感じるのは感心。

「すごいな……本当にやったんだな」

 命よりも誇りを、言葉にするのは簡単だ。
 しかし、それを実践するのは難しい。
 クロノ自身も自分の意志よりも管理局の意向に流されてしまった経験があるからよく分かる。
 確かに命を粗末に扱うことは愚かな行為かもしれない。
 それでも無意味ではないと、クロノは思う。

「その気になれば、何だってできたはずなのに」

 『アーク』を使えば、この世界を元に戻すことも、管理局で相応の地位を得ることもできたはず。
 しかし、彼らは我欲に惑わされることなく最後まで『アーク』の管理者であり続けた。

「僕も……そうありたいな」

 闇を抱えている管理局に身を置く者として、自分が清廉な管理者だとは胸を張ることはできない。
 故に今、この瞬間に彼らにできることはない。
 それでも未来で彼らのためにできることはある。

「全員、この光景をよく覚えておけ」

 クロノはブリッジに、アースラの中にいるみんなに向けて言う。
 だが、それ以上のことは言わない。
 この光景に何を感じて何を思うのか、それは本人が考えることであり、矯正することではない。

「あなた達のことは絶対に忘れない」

 誰に言うでもなく、クロノは自分に言い聞かせる。
 自由奔放にしながらも逃げなかったクリフ。
 本来なら敵の関係のはずなのに多くのことを教えてくれたアトレー。
 そして、最後まで媚びも悲観もせずに消えていったクラスティアの人々。
 管理局が抱えている闇を目の当たりにしたせいか、彼らの行動がとても眩しく見えた。

「どうか安心して眠ってくれ……君たちの歴史は僕が責任を持って後世に残す」

 ある種の理想としてクロノはその光景を胸に刻み、最後に役割を終えた彼らを労う言葉と誓いをクロノは呟いた。








 あとがき
 前回の更新からまただいぶ経ちましたが、ようやくクラスティア編終了です。
 一番初めのクロノ編と似たような終わり方になってしまいましたが、『自己犠牲』と『殉教』の違いでクロノの心境も変えています。


 今回の話をまとめると、
 シグナムの今代の罪、前代にまつわる罪の連鎖。
 フェイトのリンカーデバイスを巡る戦い、アリシア蘇生の秘密。
 クロノは管理局の業と闇、道化師の正体。
 そして、様々な『意志を貫く』ことをテーマにしたお話でした。


 次回からはなのはとヴィータ達の物語になります。
 また時間がかかりそうですが、次章のプロローグをこの後に書かせてもらいます。









 深々と雪が降る。
 最後となる日記をつけていた手を止め、息を吐く。

「結局……私は何もできなかった」

 すでに身体は薄れ始めている。
 契約を切られた使い魔の末路。覚悟はしていた。恐怖も不安もない。
 それよりも、この身の内に溢れるのは後悔ばかり。

 ――ああしておけばよかった。こうしておけばよかった……

 しかし、考えるだけで自分にはそれを行動に移す覚悟はなかった。
 結局、教え子に真実を知らせることもなく、主の過ちを正すこともできず、臆病風に吹かれて自分は二人の目の届かないところで消えようとしている。

「情けないですね」

 こんな姿をあの娘には見せられない。
 自嘲して笑うと突然、冷たい風が室内に吹き込んできた。

「見ーつけた」

 どこか楽しさを含ませた声に振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。
 黒く長い髪が主を思い出させるが、同じなのはそれだけ、顔の作りも体格もまったく共通点はない。
 瞳の色は紅く教え子を思い出させるが、それも片方だけ。
 紅と蒼のオッドアイは神秘的な印象を与えるが、それよりも彼女が発した言葉の方が気になった。
 突然の来訪者は『見つけた』と言った。
 つまり、自分を探していた。
 探される心当たりはすぐに思い浮かぶ。

「あなたは……管理局の方ですか?」

 尋ねながら、できるだけ相手を刺激しないようにゆっくりと臨戦態勢を整える。
 違法研究をしていた元マスターのことを考えれば、管理局の目に止まることは予想できていた。

「ううん……わたしは管理局の人間じゃないよ」

 しかし、返って来た言葉は否定。それでも気を緩めずに聞き返す。

「それなら先程の言葉はどういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ元・使い魔さん……私が探していたのはあなただよ」

「わたしを……探していた?」

 もう一度、彼女の顔を改めてよく見るが見覚えなんてない。
 そもそも、自分には交友関係なんてものは皆無なのだ。

「ねえ、使い魔さん」

「なんですか?」

「私と契約してくれない?」

「…………は?」

 思わず呆けた言葉がもれる。

「何を言っているんですかあなたは?」

「大魔導師が作り出した優秀な使い魔……私はそれが欲しくてあなたを探していたの」

 全てを見透かしているかのような視線に不快感が湧き上がる。。

「お断りです……あなたのような得体のしれない相手の従者になるつもりはありません」

「本当に?」

「ええ、わたしはこのまま消えると決めたんです」

「でも、未練があるんでしょ?」

「っ……!?」

 少女の一言で心が大きく揺れる。
 その反応に少女は笑う。

「良いことを教えて上げる……
 あなたの元マスターはこれから生きている子供を捨てて、死んでしまった子供とアルハザードに行ってしまうの」

「な……何を……言っているんですか?」

「これから起きるかもしれない未来の話だよ」

「…………生きている子供は……それからどうなるんですか?」

 戯言と一蹴することができず、思わず尋ねてしまう。

「その子は友達と新しい家族を手に入れるよ」

「…………そうですか」

 返って来た答えに安堵してしまう。
 しかし、少女の言葉はそれで終わりではない。

「でも、私が知っている歴史通りになる保証はない」

「それはどういう意味ですか?」

「もしもの話……あの子が友達になってくれる子と出会わなければ、やってくる管理局の人達が別の人だったら……
 それに戦いの中で命を落とす可能性だってある……
 私はほんの少し未来を知っているけど、この世界で歴史通りの奇跡が起きる保証なんてない」

 少女が自分に何をさせたいのか、分かる。
 しかし、それだけで少女のことはまったく分からない。
 彼女が何者なのか? 何故、未来を知っているのか? どうしてあの子を気遣うのか?

「それで、どうするの使い魔さん?」

「私は……」

 降って湧いた選択肢に戸惑う。
 すでに心の整理はつけたはずなのに、目の前の少女が無遠慮に引っ掻き回してくれたせいで迷いが心を揺らす。

「祈ってるだけじゃ誰も救われないよ」

「っ……」

 心の内を見透かした物言いとうっすらと浮かべた笑みが寒気を感じさせて身体を震わせる。

「あなたは……何者ですか?」

 ようやく出て来た疑問を口にするのにかなりの勇気が必要だった。
 それほどまでに無邪気を装った少女は不気味で得体のしれない存在だった。

「……使い魔さんは輪廻転生って信じる?」

「それは前世のことですか? それがどうしたと言うんですか?」

「私にはね前世の記憶があるの……その記憶であなた達のことを知ったって言ったら信じてくれる?」

「真面目に答えるつもりはない、ということですか」

「私は真面目に話しているつもりだよ」

「どこがですか?
 仮に前世の記憶が本当にあったとしても、それでどうして現世のわたし達のことや未来のことを知っていることになるんですか?」

「それは……一言では説明できない複雑な理由があるんだよ」

「だったらそれを説明してください」

「それはできないよ」

 返って来た冷たい言葉に思わず息を飲む。

「私の言葉を半信半疑でしか聞かない人に、私の秘密を打ち明けるつもりはないの」

 喉元に刃を突き付けられたかの様な、肉食の獣を前にした時の様な、圧倒的な威圧感に獣の本能が警告を発して身体を震わせる。

「それからね……使い魔さん、質問しているのは私の方だよ……
 このまま貴女の家族の未来を天に任せて消えるのか、それとも私と契約を繋いで生き延びて貴女の家族と再会するのか」

「っ……はあぁ……」

 不意に威圧感が消える。
 緊張した身体から力が抜けて、その場にへたり込み、息を荒げる。

「さあ、選んで使い魔さん」

 しかし、こちらの状態を気遣うことなく少女は答えを迫る。

「わ……わたしは……」

 息を整えながら少女を見上げる。
 考えるまでもなく答えは決まっている。
 何もできなかった。いや、何もしなかったことの後悔はすでに大きくなり過ぎてしまっていた。
 彼女が現れなければこのままその思いごと消え去っていたが、指し示された新たな道にすでに心は傾いてしまっている。
 反論したのはささやかな矜持のため。

「わたしはあなたと契約します」

 少女はにっこりと笑い、手を差し伸べる。そして、こちらの答えを見透かすして口を開く。

「これからよろしくね、リニス」













[17103] 第三十八話 三巴
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:4ad3027e
Date: 2014/05/18 20:59



「――――やる……」

 何故、こんなことになったのかヴィータには分からない。分かりたくもない。
 しかし、それでも目の前の敵の存在をヴィータは認めることも許すこともできなかった。

 ――人殺しはしない――

 はやてから見放されても、その誓いを積極的に破ろうとは思っていなかった。
 それでも目の前の敵にはその誓いを守ろうとは思えない。

「――してやる」

 胸の中に宿るどす黒い感情。
 敵意。憤怒。焦燥。使命。義務。
 今まで様々な感情を胸に戦ってきたが、それを自覚するのは初めてだった。

「お前ら全員ぶっ殺してやるっ!!」

 威圧のためではない、本物の殺意を言葉にしてヴィータは吠えた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 炎が揺らめく。くべた薪が音を立てる。火の熱が頬を照らす。
 そして木の棒を刺した魚が焼ける匂いが鼻孔をくすぐる。

 ――私、高町なのはは実はアウトドアに慣れてます……

 家族との思い出を振り返りながら、誰へともしれない独白を胸に秘め、なのはは横目でみんなの様子を窺う。
 慣れた様子でテントを組み立てるユーノ。
 不自由になってしまった身体の上にここまでの長旅に疲れて眠ってしまったアリサ。
 それを介抱するすずか。
 そして、ユーノが張った警戒用の結界があるにも関わらず、武装解除せず周囲を苛立ち紛れに警戒するヴィータ。

 ――ヴィータちゃん……

 出発した時から一向に変わらない警戒心剥き出しの様子に、これまでなのはは何も言えずにいた。

 ――シャマルさんは何もしなくていいって言ってたけど……

 彼女たちの間でどんな話がされたのかなのはは知らない。
しかし、それでも今のヴィータは痛々しくて見ていられない。

「あの……ヴィータちゃん」

「何だよ?」

「な……何でもない……です」

 声をかけただけで睨まれてなのはは言葉が続けることはできなかった。
 彼女がいらだっている理由くらいなのはも分かっている。
 前回闇の書の主にして、八神はやての実の兄、ソラの存在。
 彼の存在が彼女たちの絆に不和を作っていることなど簡単に想像できる。

 ――でも……

 いくら考えてみても彼と彼女たちを仲直りさせる方法は思いつかない。
 それどころか、自分自身も兄姉たちの妹だからという接点を除けば、彼の心象は最悪だと言っていい。
 彼のことを何一つ知らないままに、前回闇の書の主のことを悪く言って攻撃したこと。
 修復不可能、むしろ敵視されてもおかしくないのに、最悪な関係になっていないのはソラが兄姉と古い友人だったから。

「わたしとソラさんの関係はそれだけ……」

 ほとんど赤の他人でしかない自分の言葉がいったいどれだけ通じるのだろうか。
 何より魔法についての価値観さえ大きく異なっている。
 非殺傷性魔法を撃って、誰も傷付けていないなどと本気で思っていた浅はかな自分の言葉など通じるとは思えない。

「ううん……今はアリサちゃんのことに集中しないと」

 苦しんでいるヴィータには悪いがなのはは思考を切り替える。
 なのはにしても他人の事情に構っていられるほど余裕があるわけではないのだから。
 今、優先するべきことは自分のせいで不自由な身体になってしまったアリサを治すこと。

「さてと、テントの設営もできたことだし……
 ここで一度、状況の整理をしておきたいんだけどいいかな?」

 どこか活き活きとした様子でタイミング良くユーノがたき火の向こう側に腰を下ろす。

「アリサちゃん、起こした方がいい?」

「いや、そのままでいいよ……
 おぶられていただけ、とはいえ一番消耗しているはずだからね」

 すずかの問いにそう返しながら、ユーノは改めて告げる。

「僕たちが今向かっているのは第43管理世界、そこにある施設から次元空間に建築された中継次元港に転移して、クラナガン行きの船に乗る……
 ここまでで質問はある?」

 はい。っと手を上げてなのはは訊く。

「えっと……その用意してくれた船のチケットは本当に使えるの?」

「ちっ……」

 おそるおそる尋ねるとヴィータが舌打ちをした。
 それを無視してユーノは五枚のチケットを取り出した。

「偽造じゃないか疑ったけど、身分証明も含めて本物みたい……まさか本当にあの人がこっち側の人間だったなんてな」

 ため息とともに吐き出された言葉になのはは同意する。

「くそっ……どいつもこいつも……」

 そしていっそうにヴィータは機嫌を悪くする。

「それをくれたのはやてちゃんの主治医さんなんだよね?」

 複雑な思いを抱えるなのはたちにすずかの言葉が投げかけられる。

「石田幸恵……海鳴大学病院の医師で、はやての主治医……
 でもその正体はグレアム元提督が用意したはやての監視の一人……
 あの世界の福祉を考えれば、そういう人がいなければおかしいって分かり切っていたはずなんだけどな」

 今でこそ、家族としての形ができているがはやての家庭事情は日本ではありえないものだった。
 保護者がおらず、また身体を不自由にしている障害者の子供。
 常識や良識があればすぐに保護されるべき境遇なのに放置されていた謎も明かしてみれば簡単だった。
 石田先生だけではない。
 シャマルが近所付き合いに仲良くなったおばさん。
 シグナムが通っていた道場。
 ヴィータがゲートボールをしにいく公園。それに図書館。
 様々な所にヴォルケンリッターを監視し、はやての生活を悟られないようにサポートするスタッフが配置されていた。

「魔法由来の治療もヴィータちゃん達が現れるまでしていたんだよね?」

「うん……どうやらあの病院は普通じゃない病気を扱っている部署があるせいか用途不明な機材があって……
 その中にミッド製の機材を紛れ込ませていたみたいだけど、闇の書の起動に合わせて全部撤去したらしいんだ」

「でも、どうしてヴィータちゃん達は石田先生の正体に気付かなかったのかな?」

「それは簡単だよなのは……
 石田先生は強いリミッタ―をかけていたけど、はやての日常の中に隠した監視員、兼護衛役はみんな魔導師じゃない……
 魔力を持たない人間、ただそれだけでヴォルケンリッターの警戒心から逃れたんだ……地球に魔法文明がないからできたやり方だね」

「ギリッ……」

 歯ぎしりする音になのはは肩をすくませる。

「でも、そのおかげでアリサを連れ出すことができたし、向こうのフォローもしてくれる……
 船のチケットも用意してくれたし、僕たちが秘密裏にアリサを連れていけば受け入れてもらえる準備もできているらしい」

 本来なら地球では重体ということになるアリサをわずか数日で足の不調以外を快復させることができたのは魔法による治療ができたからに他ならない。
 しかし、設備のない彼女にできる治療はそこまでで本格的な治療はやはりクラナガンで行う必要があった。
 漠然とした方法しか考えていなかったのに、大人たちはもっとしっかりとした計画を立てていた。
 知らされた時には呆気に取られることしかできなかった。

「言いたいことがあるのは分かるけど、我慢してよヴィータ」

「分かってる」

 素気ない返事をしてヴィータはそっぽを向く。
 ヴィータが落ち込んでいるよりも、不機嫌になっているのはそれが原因だった。
 結局、ずっとグレアム元提督の手の上で踊らされていたと知らされたのだから無理もない。

「それで、ここからが本題だけど……」

 息を整えてユーノは緊張を含ませて続ける。

「アリサを管理世界に連れて行くことで、またアリサは暗部の要注意人物になると予想される」

「うん」

 石田先生を経由して聞かされたグレアム元提督の言葉を思い出しながらなのはは頷く。

「僕たちの役割は囮……
 アリサの暗殺に動き出した暗部の実働部隊を僕たちが相手をしている間に、隠れて同行してきてくれているリーゼさんたちが暗部の動きを探り彼らを潰すために動く……
 当然、アリサの身の安全を最優先にしてくれるらしいけど、アリサはもちろん僕たちにとっても危険な役割になる……
 引き返すならここが最後のタイミングだと思う……位置的にも、アリサの心情的にも」

 意外にも二度目の暗殺の可能性を示唆された時に一番積極的になっていたのはアリサだった。
 なんでも、やられっぱなしで泣き寝入りなんてしてたまるか、という男らしい言い分だったらしい。

 ――アリサちゃんは強いな……

 なのはも殺される恐怖を体感した。
 しかし、自分には抗う力はあるが、アリサにはない。
 自分たちの力を信頼してくれているからかもしれないが、自分だったら抗いはしなかっただろう。

「……わたしは大丈夫だよ」

 アリサに対する負い目もあるが、それを差し引いても退けない理由がある。

「まだ覚悟ができたわけじゃないけど、わたしはあの人たちから逃げたくないから」

「わたしは……」

 なのはに言葉にすずかが続く。

「なのはちゃんたちみたいな魔法の力はないから何の役に立てないかもしれない……
 それでもほんの少しでもみんなの助けになることをしたい」

「役に立たないなんてことはないよ……
 むしろ君まで巻き込んでしまって申し訳ないと思っているよ」

 不意になのははソラの言葉を思い出した。

『君のせいでこの世界は魔法の脅威にさらされ続ける。君の存在がこの世界を歪めているんだ』

 すずかの協力は心強い。
 だが、それは彼女を戦場に連れ出すことを意味している。
 それは巡り巡ってすずかまでなのはが管理世界に関わらせたことを意味している

 ――わたしがすずかちゃんも守る……でも……

 アリサが撃たれた光景が頭に過ぎる。
 心臓の激しく脈打ち、握り締めた手に汗がにじむ。

「なのはちゃん? 大丈夫?」

「え……?」

 すずかの声になのはは顔を上げる。
 間近に迫ったこちらを気遣う彼女になのはは居たたまれなくなる。

 ――わたしがしっかりしないといけないのに、すずかちゃんに心配かけてどうする……

 自分を叱咤して、なのはは笑顔を作る。

「わたしは全然大丈夫だよ、すずかちゃん」

「でも……」

「大丈夫だから……」

 すずかにではなく、自分に言い聞かせるようになのはは繰り返す。

 ――大丈夫、戦える……アリサちゃんやすずかちゃんを傷付ける敵なら、わたしは迷わない……

 人を殺すつもりで撃った時のことを思い出すと手が震えてしまう。
 しかし、それを止めるためになのはは何度もその言葉を心の中で繰り返した。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 そこは戦場だった。
 いつも自分は戦場にいた。それ以外の記憶なんて覚えていない。
 立ち込める血の臭い。絶命の悲鳴。炎の焦げた臭い。
 何度繰り返しても、馴染めない光景。

「くそっ……」

 何度も吐いた悪態。力ばかりを求める愚王への嫌悪。
 シグナムは蒐集の中で強者と戦うことに楽しみを覚えたが、自分はそんな気にはなれない。
 強者など蒐集を滞らせるだけの邪魔者でしかない。

「くそっ……」

 戦うことに何も感じない。
 享楽も嫌悪もない、ただの作業。せいぜいあるのは面倒だという怠惰な感情だけ。

「くそっ……」

 闇の書の大いなる力が欲しいために他者を平気で殺せる欲に駆られた主のために自慢の鉄槌を振る。
 まるで自分までそんな主たちと同列のようで、それだけが不満だった。

「くそっ……」

 だから、戦った。
 その蒐集を終わらせれば闇の書はまた主不在の休眠期間に入る。
 その時だけが唯一の安らぎだと疑わず、ただひたすらに戦う。

「くそっ……」

 主がどんな人物なのか、そんなことに興味はない。
 どうせいつだって彼らは自分を道具として見て、戦えと命じることしかしない。
 だから、主のことなんて見る必要ない。
 自分はただ戦えばいい。
 闇の書の完成だけを考えて、代わり映えのない日々をただ繰り返せばいい。
 そうすれば――

 ――何故、その主は自分たちを敵の様に憎悪の目で見る……?

「っ……!!」

 自分よりも幼い子供に睨まれる夢にヴィータは飛び起きる。

「ヴィータッ!?」

 周囲はまだ暗い。
 見張りでたき火の番をしていたユーノが驚いた顔をするがヴィータにはそれを気にする余裕はない。

「どうかしたの? まだ交代には時間があるけど」

「…………何でもねーよ」

 素直に嫌な夢を見たと言う気にはなれない。
 思い出したくもない蒐集の日々。
 その時の自分の心情などその最たるものだ。
 ユーノはぞんざいなヴィータの答えに特に何も返さず、たき火に視線を戻す。
 二度寝をする気になれず、ヴィータは起き上がって周囲を簡単に見回す。

「敵性体は……なしか」

 胸の中にある消化できない気持ちを八つ当たりする相手を探したが、周囲は静かなものだった。

「そういえば……」

 不意にユーノが言葉を作る。

「ヴィータとこうして話すのは初めてだね」

 ヴィータはなのはたちが寝ているはずのテントを一瞥して頷いた。

「ああ、そうだな」

 初めてユーノと会った時のことを思い出す。
 蒐集のためになのはを襲い、援軍として対峙した。
 シグナムがフェイト、ザフィーラがアルフ、そして自分がユーノを相手に戦った。
 ただ防御に徹して逃げ回るだけの臆病者。
 それがヴィータがユーノに感じた第一印象だった。
 そして、闇の書事件が終わってからユーノは無限書庫に籠り、ヴィータは武装隊としての任務の日々。
 合間に五対五の集団戦で顔を合わせたが、その時も話をしたことはない。
 名前は知っているが、とりわけ接点のないまま関係のまま今日に至る。

「あのさヴィータ……僕でよかったら話くらい聞くよ?」

「は……?」

 突然の申し出にヴィータは思わず聞き返す。

「いや……だからさ、一人で溜めこむよりも誰かに話した方が気が楽になるって言うでしょ?」

 しどろもどろになりながら続けるユーノ。

「はっ……バッカじゃねーの!」

 ユーノの分かり易い気遣いにヴィータは思わず声を荒げていた。

「あたしはこう見えてもお前なんかよりもずっと長く生きてんだっ!
 十年程度しか生きてないガキに気遣われるいわれなんてねーんだよっ!」

 意地とプライド、何よりも同情を嫌ってヴィータはユーノが差し出してきた手を振り払う。

「……ならさ、別な話をしようか?」

「あ……今度は何だよ?」

「どうせもう一度寝る気はないんでしょ?
 だったら、話をしている方が有意義だと思うけど」

「まあ……そうだな」

 邪険に扱っているのに何故かユーノは食いついてくる。
 それに目には妙な情熱が感じられる。
 真剣な男の顔。
 頼りなさそうな彼の顔もこうなるとまるで別人のようだった。

「ずっと前から君には話したいことがあったんだ」

「お、おう」

「ただ、これは君を困らせることだって分かっていたから我慢していた……
 でも、やっぱり僕はこの胸の中の思いを留めることはできそうにない」

「お、お、お前いきなり何を言ってんだっ!?」

「ヴィータッ!!」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 詰め寄ってくるユーノにヴィータは上擦った声で返事をする。
 おかしい。おかし過ぎる。
 ヴィータが知るユーノは決してこんな積極的な男ではない。

「教えて欲しいんだ、ヴィータ」

「お、教えて欲しいって何を?」

 男にこんな顔をされて詰め寄られた経験はヴィータにはない。
 少なくても知識の上では初めてだ。
 自分には心臓なんてないはずなのに、強く鼓動を感じる。

「八十年くらい前、はやてから七代前の闇の書事件の時のことを」

「…………は?」

 急速に熱を持っていた思考が冷めていく。
 ヴィータは知らない。なのはたちもあまり気にしていないがユーノは遺跡発掘をして流浪の旅をするスクライア一族。
 簡単に言ってしまえば考古学者であり、歴史の生き証人であるヴォルケンリッターの知識は不完全なものだったとしても、遺跡に隠された財宝に等しい価値がある。

「やっぱり昔の話は嫌かな?
 でも、僕にはこれくらいしか振れる話がなくて……」

 ばつが悪そうに苦笑いをするユーノに、ヴィータは胸の奥に先程とは違う熱さを感じた。

「よし、潰れろっ!」

 とりあえず、ヴィータはグラーフアイゼンを振り被った。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「おいっ! 起きろっ!」

 身体を揺らされて沈んでいた意識が覚醒していく。

「あれ……ヴィータ……? ごめん、寝ちゃってた?」

 月と星の位置から大まかな時間を計算したユーノはまだ自分の見張り時間だった事に気が付く。

「おかしいな……これくらいのこと慣れてたはずなのに、鈍ったかな?」

 外での野宿。それに伴う見張りに徹夜。
 どれも慣れたもののはずなのに何故か眠ってしまっていた。
 無限書庫にこもっていた疲れが今になって出たのか。

「なんか頭が痛いな……」

 何故か頭がズキズキと痛むが、寝ている間に何処かにぶつけてしまったのだろうか。

「そんなことよりあれを見ろ」

 寝入ってしまう直前のことを思い出そうとすると、ヴィータがそれを指し示した。

「あれは……」

 夜の闇に魔導師の戦闘は目立つ。
 色とりどりの魔力光が遠くの空に明滅して、その戦闘の激しさを示している。

「数は……七人ってところか……」

 魔力光の種類からヴィータが人数を計る。

「ちょっと見てくる」

「え……ちょっと待ってヴィータッ!!」

 制止するもヴィータは止まらず、飛び立ってしまった。

「ああ、もうっ!」

 このまま追い駆けるわけにもいかずユーノは悪態を吐く。
 距離があるせいで、大気を振るわせる音も大地を揺らす衝撃もない。
 そのおかげでテントの中の三人の安眠は保たれているが、それだけにユーノまでこの場を離れるわけにはいかない。

「どうする……?」

 このままヴィータが戻ってくるのを待つのも選択肢の一つだ。
 方角は自分たちの進路上ではない。アリサとすずか、二人の足手まといがいることを考えれば関わるべきではない。
 ヴィータがそれを正しく認識して、偵察だけで戻って来てくれるのならいい。
 しかし、念話の通信に彼女は答えようとしない。
 不安だけが大きくなる。

「どうすれば……」

 自分には戦場で指揮を取る能力がないことくらいユーノは自覚している。
 有無を言わさずに独断専行する者を止める覇気も胆力もなければ、状況判断能力だってない。
 ヴィータを信頼するかどうか。
 それとも戦闘になることを想定して準備を整えるか。
 経験の乏しいユーノにはどうすることが最良の判断なのか分からない。

「とりあえずみんなの意見を聞くしかないか……」

 結局、考え抜いて出て来た答えは実に消極的な答えだった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ひでーな……」

 目立たないように低空で飛んでいたヴィータは風が運んできた臭いに指針を戦場から外れ、そこに降り立った。
 街や村ではない。遊牧民が暮らしていたと思われる移動式の住居が点在する一時的な集落。
 その焼け落ちた残骸。
 そして所々に転がっている人の屍。
 見慣れたはずの光景。
 以前は眉ひとつ動かすこともなかったというのに、今はこれを行った者への嫌悪に顔をしかめている。

「最低だな」

 戦場の痕跡を見れば、どんな状況だったのかおおよそ分かる。
 ヴィータの見識からの答えは、一方的な蹂躙。
 屍の特徴は足の損傷が激しいことと、外因的な致命傷がないこと。
 ふと、ヴィータの足が止まる。

「おい……待てよ、これって……」

 誰に言うでもなくヴィータは屍の一つに駆け寄った。
 それも他の屍と同じ、足を破壊して動けなくしてから、衰弱死している。

「っ……――けんな……」

 その死因は誰よりもヴィータがよく知っている。
 込み上げてくる吐き気。しかし、それ以上に熱い激情にヴィータは激昂する。

「ふざけんなっ!!」

 足を破壊し、動けなくしてから蒐集する。
 それはかつての戦場で彼女たちが行っていた常套手段だった。
 それがどうしてこんな場所で再現されているのか、ヴィータには分からない。
 しかし――

「動かないでください」

 今にも戦場に向かって飛び出しそうなヴィータの首に背後から刃を突き付けられる。
 思考が一気に冷静に戻り、伏兵の存在を忘れるほど取り乱していた自分を恥じる。

「てめーがこれをやったのか?」

「それはこちらのセリフです。あなたこそ、彼女たちの仲間ではないのですか?」

 丁寧な口調だが隠しきれない敵意をむき出しにして女が尋ねてくる。

「違うっ!!」

 思わず叫んで女の言葉をヴィータは否定した。

「あたしたちじゃねー……あたしじゃねー、こんなことしたのは……」

 しかし、続く言葉は弱々しい。
 目の前の光景がかつて自分たちがやったこととどうしても重なってしまう。

「……お前は……この集落の生き残りか?」

 一縷の希望を込めてヴィータは尋ねる。

「いいえ、私はこの惨状を作り出した者とあそこで戦っている使い魔です」

 その答えにヴィータは落胆するが、同時に疑問が生まれる。

「なら、お前はここで何をしてるんだ?」

「貴女が言った生き残りを守っているんですよ」

 生き残りがいる。その言葉に安堵すると、首に突き付けられた刃が外されてヴィータは背中を押された。
 たたらを踏んで振り返る。
 そこには大きな白い帽子を被った女がナイフを片手にたたずみ――

「何か含むところがあるようですが、とりあえず彼女たちの仲間ではないようですが――」

 女の使い魔はナイフをしまうと今度はステッキをヴィータに向ける。

「怪しいのでしばらく縛られてください」

 動く間もなく四肢をリングのバインドで拘束される。
 しかし、このまま黙って拘束されていられるヴィータではなかった。

「アイゼンッ!!」

 一発のカートリッジが撃発され、ヴィータの身体に魔力が巡る。
 リングバインドが軋みを上げるが砕ける様子はない。

「もう一発っ!!」

 それでもまだバインドは砕けない。
 かつてフェイトの使い魔、アルフに同じバインドをかけられたが彼女以上の拘束力だった。

「まだだっ!!」

 さらにもう一発。グラーフアイゼンに装填してある全三発の連続ロード。
 そこまでやってようやくバインドが砕け散る。

「奴らと同じタイプのデバイス!? やっぱり貴女は――」

 カートリッジシステムに驚く女。しかも誤解を招いたようだがヴィータはそれを無視した。
 底上げした魔力を全て飛翔に回して戦場へ飛ぶ。

「くそっ! くそっ! くそっ!!」

 憤りを感じずにはいられない。
 逃げたはずなのに、その先でも過去の行いが憑き纏う。
 とにかくあの惨状を作り出した誰かを撲らずにはいられない。
 もはやヴィータの頭の中には偵察やアリサ達のことなど完全に抜け落ち、忌まわしき敵のことで一杯だった。。

「ヴィータちゃん! 待――」

 何かが並走したが、カートリッジの再装填を終えたヴィータはさらに速度を上げてそれを引き離す。

「――見つけたっ!」

 戦場が目で確認できる距離まで近付いたヴィータはすぐに識別を始める。
 四対三の戦い。
 四人の方は男が三人とそれを後方でサポートする少女の組み合わせ。
 対するのは男一人と女が一人。
 優勢は四人の方。しかし、それだけではどちらが敵なのか分からない。

「っ……!?」

 咄嗟にグラーフアイゼンを前に構えると、一瞬遅れて衝撃が腕に走る。

「あは……今日は大漁ね、贄が自分からやってきてくれるなんて」

「てめーがあの集落の人たちを殺したのか? っていうかお前、男だよな?」

 四人組の一人、遠目では男かと思ったが口調は妙なシナのある女言葉。

「失礼な子供ね。これでも心は女……よっ!」

 鍔競り合う力が増してヴィータは弾き飛ばされる。

「ちっ……よりによってハンマー形のデバイスかよ」

 男女の武器は派手な金色のハンマーだった。
 グラーフアイゼンとは違い。ヘッドの部分が大きく見るからに重量がある。一撃の威力は向こうが上かもしれない。

「もう一度聞くぞっ! あの集落の人たちを蒐集したのはてめーらかっ!」

「ええ、そうよ……彼らには私たちの魔導書のエサになってもらったわ」

「っ……」

 返された言葉にヴィータは愕然とした。
 悪びれた様子もなく。道端の花を摘み取った気安さの返答。
 かつての自分たちもそれと同じだったと思うと、自己嫌悪せずにはいられない。

「ヴィータッ! どうしてここにっ!?」

 不意の声にヴィータは沈みかけた意識から我に帰る。
 声を上げたのは三人組の方の少女。
 黒く長い髪にオッドアイの目が特徴の少女。
 しかし、名前を呼ばれたがヴィータにはその少女の記憶はない。

「ヴィータちゃんっ!!」

 今度の声は背後、なのはの声だった。

「ええっ!! なのちゃんもっ!?」

「え……?」

 その声と姿にまた彼女が驚くが、呼ばれたなのはもまた彼女に見覚えはなく首を傾げる。

「……もしかしてもう闇の書事件終わってたりする?」

「えっと……はい」

「あらら……やっちゃった……」

 控え目になのはが頷くと彼女は頭を抱えた。

「何なんだ……?」

 彼女の奇行にヴィータも毒気を抜かれる。

「今日は良き日でござるな……次から次へとエサが増えてくれるとは」

 四人側の一人。剣を持つ男がにこやかに笑う。

「……これでおよそ550……ようやく、終わり、見えて来た」

 ぼそぼそと小声で喋る小さな少女。

「いやいや、流石にこれはちょっとやばくないかな?」

 そして気弱な太った男。

「っ……」

 嫌な胸騒ぎをヴィータは感じる。

「てめーら……いったい何者だ?」

「ふっ……」

 ヴィータの問いに男女はハンマーを肩に担ぎ直す。

「私は金色の将、ビータよ」

「…………は……?」

「拙者は爆炎の剣騎、ムナクシと申すでござる」

「ちょっと待て、こら……」

「…………ツァマル……」

「…………ありえない……」

「えっと……僕は碧き野獣、ゼフィ」

「こんなことあってたまるかっ!」

『我ら――闇の書の騎士、ボルケンリッター!!』

 ヴィータの叫びを無視して、四人が唱和してポーズまで極めた。

「ぶはっ……」

 背後でなのはが耐え切れず噴き出した。
 それに文句を言う余裕などヴィータにはなかった。
 今までの経験の中でこれほどの衝撃を受けたことが果たしてあっただろうか。いや、ない。
 ここにいない同僚を、何より自分をなのはたちに同行させたシャマルを恨まずにはいられない。

 ――何、なんなんだあれは……っていうか、あたしの偽物はよりにもよってあの男女かよ……

「貴方達はさっき、私が言った闇の書の在り方の証拠を見せろって言ってましたよね」

 混乱の極み、声さえ出せないヴィータの肩にオッドアイの少女の手が乗る。

「この子がその証拠っ!
 この子こそ、闇の書、正確には夜天の書の騎士、鉄の伯爵グラーフアイゼンを持つ、紅の鉄騎ヴィータだよっ!」

 ババンッと手を大きく振りアピールする。
 しかし、返って来たのは静寂だった。

「あ……あれ……?」

「ハティ、貴女は突然何を――って、まさか本物っ!」

「嘘だろ!? マジかよ!?」

 彼女の奇行に仲間が呆れるが、改めてヴィータを見ると女と男は驚きを露わにする。

「な……何なんだよ?」

 その反応にヴィータはたじろぐ。
 ボルケンリッターの直後のため、自然と警戒心が強める。
 が、二人は何を思ったのか、戦闘でついた汚れを軽く叩き、佇まいを直してヴィータの前に膝を着いた。

「御見苦しい姿で申し訳ありません、ヴィータ様……
 貴女様を始めとしたヴォルケンリッターの現世への転生、おめでとうございます」

「ヴィータ様っ!?」

 膝を着いた女から突然敬われたヴィータはさらに混乱する。

「えっと……簡単に説明するとこの二人、リィナとテオって言うんだけど、貴女達の信奉者なの」

「信奉者……?」

「何代か前の闇の書の主の末裔……私もさっき教えてもらったばっかりなんだけどね」

「お前ら……仲間じゃないのかよ?」

「友達だったんだけど――」

「ハティッ! ヴィータ様に馴れ馴れしいわよ!」

「私はリィナ達の身内じゃないんだから、そんなこと言われる筋合いはないよ」

「しかし、ハティ……ヴィータ様は――」

「あははははっ!」

 呆然と二人のやり取りを見ていると、今度はビータが声を上げて笑った。

「何がおかしい偽物」

 その声に最も早く反応したのはミラだった。

「笑わずにいられないわね……
 紅の鉄騎ヴィータ……ええ、彼女のことは知っているわ……
 グラーフアイゼンを携え、形あるものならどんなものも粉砕する、轟天爆砕の英雄」

「…………なんか偉く高評価だね、ヴィータ」

「うるせえ」

「そんな伝説の存在をそんな幼女を持ち上げて騙るだなんて、貴女達恥ずかしくないのかしら?」

「ふん……見た目で判断するなんて程度が低いわね。何より無智をひけらかす貴様の方が恥を知れ……
 ヴォルケンリッターは闇の書が作り出した魔導生命体。身体の老若なんて飾りに過ぎないのよ」

「ふ……騙るに落ちたわね……
 魔導生命体だというのなら、なおさらそんな幼子にする必要は何かしら?
 戦う役目の騎士がそんななりじゃ、主の信頼なんて得られるわけないじゃない?
 そう、騎士に必要なのは正面から敵を打倒する圧倒的な力、私の様に美しく力強い――筋肉よっ!!」

「あんなこと言ってるけど、言い返さなくていいの?」

「…………もう帰りたい……ぐすん……」

「は……正々堂々なんて掲げている時点で程度が知れるわね……
 ヴォルケンリッターの役目は戦うことではなく、敵を倒すことよ……
 そのためなら幼さを使った泣き落としや騙し打ちも勝つための立派な手段よ……
 貴女に分かるのかしら? 
 味方に卑怯者、恥知らずなんて言われても、嘆くことも弱音を吐くこともしなかった彼女たちの高貴な心をっ!」

「リィナも随分ポジティブな見方するなぁ……ただの無関心なだけなのに……
 でも、シグナムも対男性用視線誘導兵器を隠し持ってるし、あながち間違いじゃないのかもしれない」

「ええ!? シグナムさん、そんなすごそうな秘密兵器を持っていたの!?」

 ハティと呼ばれた少女の言葉になのはが反応する。
 それを横で聞きながらヴィータは白んだ空を仰ぐ。

「もうすぐ夜が明けるな……」

 滾らせていた憤りは既に鎮火してしまった。
 むしろ今は三方向からくる精神攻撃にKO寸前だった。
 現実的なことを指摘する偽物に、やたら自分たちを持ち上げる信奉者。そして妙な茶々を入れる少女。

 ――どうしてこんなことになってしまったんだろう……?

 嘆いても現実は変わらない。

「幼女幼女と繰り返すしか能がないの筋肉女?
 一番大事なのは実績よ。それさえ示せば幼女だろうが老婆だろうが大した問題じゃないわ」

「なら貴女は古代のベルカはそんな幼女を崇めて士気を上げていたというのかしら?
 そういうのは変態っていうのよ、あまりベルカを愚弄しないでちょうだい」

 ――てめーが言うな、この男女っ!

「でも、ほらヴィータちゃんが小さい理由はアルフさんがやってるみたいな魔力の節約のためなんじゃないですか?」

「その理屈なら他の三人がどうしてロリにならないの?
 まあ、もしそうなったらロリケンショッタ―に改名しないといけないよね?」

 ――ぷつんっ……

 何かが自分の中で切れた音がした。

「――――やる……」

 何故、こんなことになったのかヴィータには分からない。分かりたくもない。
 しかし、それでも目の前の敵の存在をヴィータは認めることも許すこともできなかった。

 ――人殺しはしない――

 はやてから見放されても、その誓いを積極的に破ろうとは思っていなかった。
 それでも目の前の敵にはその誓いを守ろうとは思えない。

「――してやる」

 胸の中に宿るどす黒い感情。
 敵意。憤怒。焦燥。使命。義務。
 今まで様々な感情を胸に戦ってきたが、それを自覚するのは初めてだった。

「お前ら全員ぶっ殺してやるっ!!」

 威圧のためではない、本物の殺意を言葉にしてヴィータは吠えた。

「……なるほど、確かにただの幼女ではないようね」

 猛る魔力にビータはヴィータへの評価を改める。

「でも、残念だけど時間切れよ」

「んだとっ!?」

 ビータが視線を逸らした先を思わず追って、陽が昇ろうとしている空を見た。

「そう……もうすぐ夜が明ける」

「それが何だって言うんだよ?」

 ヴィータの言葉にビータはあからさまに顔をしかめる。

「私たち闇の書は夜に生きる者、蒐集は夜にのみ行われる大いなる儀式、そんなことも知らないの?」

「んな設定ねーよっ!」

「ダメねー、これだから偽物は……」

「…………もういい」

 怒りが限界を突破したせいか、ヴィータは涼やかな笑顔で嗤う。
 もう一秒たりとも偽物の声を聞くたくない。

「行くぞっ! アイゼンッ!!」

『シュワルベフリーゲン』

 四つの鉄球を今までの中で最速の速度で構築し、打ち出す。
 その速度もまた今までの中で最速、意表を突かれたボルケンリッターは防ぐより回避を選択する。

「テートリヒ・シュラークッ!!」

 その回避軌道に合わせてヴィータは回り込み、己の偽物へ渾身の一撃を打つ。

「ふんっ!!」

 硬い手応え。むしろ打ったこちらの手を痺れさせる反動。
 ビータの左腕がグラーフアイゼンの一撃を掴み止めていた。

「――なっ!?」

 以前にも拳で相殺されたが今回は違う。
 攻撃力で対抗されたのではなく、防御力、しかも片手で抑え込まれた。

「うそだ……」

 一撃必倒、それにかけていたプライドが音を立てて崩れ落ちて行く。

「やっぱり貧弱、ねっ!」

 そのまま無造作にグラーフアイゼンごとヴィータは投げ飛ばされた。

「くそっ……」

 空中で体勢を立て直し、向き直ると偽物は四つの鉄球を展開していた。

「それじゃあ、バイバイお嬢ちゃん」

 巨大なハンマーで撃ち出された鉄球はそれぞれ物理法則を無視した動きで四散し、音と光を発して爆ぜた。

「待ちやがれっ!」

 響き渡る轟音の中でヴィータは叫ぶ。
 しかし、声は轟音にかき消され、忌むべきその敵の姿は光の中へ消えて行く。
 結局、光と音が収まった頃には偽物たちの姿はどこにもいなかった。

「くそ……」

 悔しさに身体が震える。
 まだカートリッジを使っていない。本気ではなかった。
 だが、それは向こうも同じ。

「くそくそくそっ!」

 でたらめにグラーフアイゼンを振り回して地面を叩く。
 人質を取られて負けた時は割り切ることはできた。
 魔法を封じられて負けたのも、相手がデタラメだったから納得した。
 しかし、今度のは相手は好き勝手なことを言って、最後にヴィータのプライドを傷付けて去っていった。
 戦ってすらいないのに、屈辱だけを飲まされた。

「次だっ!」

 もはやここにいない偽物たちに向かってヴィータは叫ぶ。

「次会ったら、てめーら全員ぶっ殺してやるっ!!」










 補足説明

『ボルケンリッター』
 言うまでもなくヴォルケンリッターの偽物。
 闇の書(偽)は666のリンカーコアを捧げる事で封印が解かれ、納められた古代の魔法、並びにレヴァンティンを始めとした伝説の武器が手に入るという設定。
 魔導生命体ではなく、生身の人間。
 彼らの蒐集は魔力ではなく、コアそのものであるため蒐集対象は確実に死に至る。


『闇の書の信奉者』
 およそ80年前の闇の書の主の子孫。
 思想を隠し、管理局が統制する管理世界に溶け込んで生活している一族。
 闇の書の発現を心待ちにしており、独自の情報網を持っているが、ソラとはやての時は管理局の情報統制によって関わることができなかった。


『謎の少女A』
 ヴィータが遭遇した使い魔。
 アルフ以上の魔法の使い手であり、耳や尻尾はとある理由から隠している。


『謎の少女B』
 ハティと呼ばれた少女。
 長い黒髪で紅と蒼の色違いの目を持つ。
 なのはやヴィータを一方的に知っており、シグナムのことも知っている。
 彼女は信奉者のリィナとテオの個人的な友人であり、信奉者ではない。






 あとがき
 今回もまた自重せずに好き勝手やらせていただきました。
 32話から分岐したなのはたちのお話。








[17103] 第三十九話 暴君
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:4ad3027e
Date: 2014/06/14 13:03



「改めて名乗らせていただきます」

 シグナムと同じくらいの年格好の女がヴィータに対して片膝を着いて頭を垂れる。

「私の名はリィナ・アヴァンシア」

「俺はテオ・オペル――うおっ?」

 そんな彼女と同年代の男が気さくに名乗り、リィナにどつかれた。

「馬鹿テオッ! ヴィータ様に対して馴れ馴れしいわよ! ちゃんと膝を着きなさいっ!」

「わ……私の名前はテオ・オペルです……以後お見知り置きを……」

「あ……ああ」

 過剰なまでにかしこまった態度に頭の冷えたヴィータは大いに戸惑う。

「私たちは今より83年前の闇の書の主、その末裔です」

「末裔って……いきなり言われても……」

 そんなことを突然言われてもヴィータには具体的な主の顔など思い出すことはできなかった。

「ヴィータ様の事情は把握しております……
 そのことで御聞きしていただきたいことがあるのですが……」

「お、おう」

「ありがとうございます……
 実は御身の源である闇の書、それは偽りであり、本来の名は夜天の魔導書といい――」

「ちょいちょい、リィナさん」

「ハティ悪いけど後にしてくれない。今、重要な話を――」

「もう終わってるよ」

「終わってる? 何のことよ?」

「だから、闇の書はもう夜天の書に戻ってるんだよ」

「…………はぁ?」

 オッドアイの少女、ハティの言葉にリィナは呆ける。

「ねっ?」

「あ……ああ」

 同意を求められてヴィータはとりあえず頷く。

「…………はぁっ!!」

 数秒止まってリィナは驚愕の声を上げて、ハティに詰め寄る。

「ちょっとどういうことよっ!?」

「今代の主のはっちゃんとなのちゃんたちがいろいろやって闇の書の呪いは解けました、めでたしめでたし……
 と、いうことなんだよリィナさん」

「全然説明になってない! それからどうしてさりげなく呼び方の距離が開いてるのよっ!?」

「だって二人とも、私に自分たちが信奉者だって教えてくれなかったじゃない?
 だから二人にとって私はその程度の関係なんだなーって」

「おいおい……待ってくれ、ハティ誤解だ」

 すねるハティにテオが口を挟む。

「おい……」

 しかし、それにヴィータの声が重なって信奉者の二人は黙る。

「そいつはいったい何なんだ?」

 ヴィータはハティを睨みつけながら問う。
 今代の主、はっちゃん。それが誰を示しているのか考えるまでもない。
 自分のこと。なのはのこと。そしてはやて。
 彼女は自分たちのことを知っている。しかし、自分もなのはも彼女を知らない。

「紹介が遅れました……彼女はハティ・アトロス……私の親友であり、次元世界最強の魔導師です」

「リィナさん、インターミドル優勝くらいで次元世界最強は大袈裟じゃない?」

「貴女がやったことはそれだけじゃないでしょ『暴君』様」

「あれは……若気の至りっていうやつだよ、てへ」

「んなことどうでもいい! どうしてあたしらのこと知ってんだって聞いてんだよっ!?」

 軽い調子のハティにヴィータは苛立ち口調を荒くする。

「それは私も教えて欲しいわね。どうして貴女はヴィータ様や今代の主様のことを知っているのかしら?」

「それは、ほら……前世の記憶」

「は……?」

 あまりにも突拍子な答えにヴィータは呆ける。

「ハティ……またそれ……?」

 リィナは慣れているのか、ため息を吐いて白んだ視線を彼女に向ける。

「いつも言ってるけど、別に信じてくれなくてもいいよ」

「申し訳ありませんヴィータ様……
 このような娘でして、私たちも把握しきれてないんです。電波を受信したから、とでも思ってください」

「お……おう」

 少ないやり取りだが彼女の人となりは理解できた。
 まるで誰かを思い出させる軽薄な態度と人を煙に巻く言動。
 思い出したくない人間を思い出させる彼女にヴィータはそれ以上の追及する気にはなれなかった。

「ねえ、私からも聞いていい?」

「何だよ?」

「闇の書事件が終わってからどれくらい経つの? 一年? それとも二年くらい経ってる?」

「そんなこと聞いて何の意味が――」

「えっと……まだ八ヶ月くらいしか経ってないです」

 素直に答えたくなかったが、なのはが勝手に答えてしまう。

「八ヶ月……そうなると私の知らない時期の……」

 ふむっと口に手を当ててハティは考え込む。
 一人だけで訳知り顔で納得している彼女にヴィータの苛立ちは募るばかりだった。

「それでヴィータ様、闇の書は夜天の書に戻られたという話は本当なのでしょうか?」

 そんなハティを無視してリィナが話を戻す。

「……ああ」

 それを知ってどうするのか、何が目的なのか、かつての心ない主にされていた扱いを思い出してヴィータは身構える。

「それは何よりです」

 しかし、返ってきたのは心からの安堵。
 まるで本当に自分たちの呪いが解けたことを祝福するかのような笑み。

「むっ……」

 ヴィータはいっそう警戒心を強める。
 こういう一見、人の良さそうな奴こそ腹の底では黒いことを考えている。
 それを経験でヴィータは知っている。

「ヴィータ様、貴女に……いえ、貴女方に会っていただきたい人がいます」

「…………誰だよ、そいつは?」

「それは――」

「あ……あのっ!」

 リィナの言葉を遮ってなのはが声を上げる。
 彼女が他人の話を切ることは珍しいが、彼女の顔には焦燥が見て取れる。

「すいませんっ! 私たち急いでいるんで失礼しますっ!」

「あ……」

 なのははヴィータの手を掴んで飛び出した。

「おいっ! いきなり何をっ!?」

「ユーノ君達が誰かに襲われたみたいなの!」

 その言葉に彼女の焦燥の理由をヴィータは理解した。
 通信回線を意図的に閉じていたせいで自分の方には連絡はなかった。

「くそっ……」

 なのはの手を振りほどき、ヴィータは自分で飛んでスピードを上げる。
 偵察だけのつもりだったのに、我を忘れて独断専行。それをなのはが追い駆けて、戦闘能力の乏しいユーノたちを孤立させた。
 完全に自分の判断ミスだった。

「全開で飛ぶぞ、なのはっ!!」

「うんっ!」

「りょーかい」

 ヴィータの声に二つの返事。しかし、それに彼女は気付かずにさらに速度を上げるのだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ユーノ君っ!」

「あ、なのはお帰り」

 焦燥に駆られて戻ったなのは達を出迎えたのは朝食の準備をしている呑気なユーノの姿だった。

「あ……あれ……?」

 予想していた光景とは違いなのはは戸惑う。

「ユーノ君……襲撃者さんは……?」

「あー……それなんだけどね」

 ばつが悪そうにユーノは頬を掻く。

「ちょっと戦ったら、勝手に墜落しちゃって……」

「あらら……」

「そのことを連絡しようとしたんだけど……受け取る余裕はなかったみたいだね」

「ごめん」

 全力で飛んできたせいで通信に気付かなかった。
 アリサの一件のことが脳裏にちらつき、視野が狭まっていたことを自覚する。
 そして自覚すると、疲労が一気に身体を重くする。
 急ぐあまりに余力を残していなかった。これでは仮に戦闘があったとしても碌な戦力にならない。

「焦り過ぎだよ、なのは」

 こちらの内心を見透かしたようにユーノが気遣ってくれる。

「……ごめん」

「ところでそっちはどうだったの? なんかいろいろ大変だったみたいだけど」

「え……?」

 ユーノの言葉になのはは思い出す。

『我ら――闇の書の騎士、ボルケンリッター!!』

「っ……」

 今度はなんとか耐える事ができた。
 完全な不意打ちと、本物とはかけ離れた姿の視覚ダメージがないのは大きい。

「えっと……うん……大変だったよ、主にヴィータちゃんが……」

 遠い目をしてそれだけ言うのがなのはには精一杯だった。

「ヴィータが……? って……え?」

 ユーノがなのはの背後に目を向ける。
 それと一緒になのはは振り向くと、そこには息も絶え絶えにしたヴィータともう一人。

「初めましてゆーくん」

 にっこりと涼しげな笑顔を浮かべるハティ・アトロスがそこにいた。

「ゆーくんって僕のこと? って、まさか『暴君』? 本物!?」

「ユーノ君、ハティさんのこと知ってるの?」

「うん……たぶん管理世界で一番有名な魔導師じゃないかな」

「一番は大袈裟じゃないかな?」

「でも、僕が知っているくらいだし……やっぱり本物なんだね」

「この人、何をしたの?」

「全管理世界の十代の魔導師の大会の優勝者……だけならそこまで有名にはならなかったんだけど……」

 言葉を濁すユーノ。
 なのははその内容だけでも感心してハティを見る。

「彼女はその……優勝した一ヶ月後に殺傷有りの非合法な闇試合に出場してことによって優勝は取り消し、以後の大会参加資格も剥奪されたんだ」

「え……?」

「それでその時のコメントで『もう大会には興味ないから、別にいいよ』なんてことを言ったみたいなんだ」

「あの頃は私も若かったんだよ」

 あははっと苦笑いを浮かべるハティになのはは思わず尋ねる。

「人を……殺したことがあるんですか?」

「ううん、ないよ……殺し有りの闇試合だけど、私は強くなりたかっただけだからそういうことはしてないよ」

「そう……なんですか」

「続けるよ……
 で、彼女のコメントに大会の選手たちが怒って、次の年の大会で世界代表全員が彼女の復帰を望んだんだ……
 運営もリベンジに燃える彼らに折れて彼女の参加を認めたんだけど、彼女が参加する条件として提示したのが……
 世界代表全員対自分一人の、多対一戦」

「え……?」

 あまりに突拍子な内容になのはは理解し切れず、ハティを見る。

「てへ……」

 可愛らしく笑って誤魔化す彼女にそれが本当のことだと理解させられる。

「まさか……勝っちゃったの?」

「うん……辛勝だったけど勝って、その要求から『暴君』っていう二つ名がついたんだ……それで……」

「まだ続くの!?」

「うん、でもこの先は暴君伝説じゃないんだけど、彼女は今――」

「はい、ハティ・アトロス……歌って踊れて戦えるアイドルやってまーす」

「…………へ?」

 世界最強の魔導師の発言に今度こそなのはの思考は停止した。

「ま、歌は趣味で暴君のネームバリューで売ってるようなものだけどね……ところで襲ってきた人はどうしたの?」

 そんななのはを置いてけぼりにしてハティは勝手に話を進める。

「え……えっと……今、すずかとアリサが話をしているんだけど」

「それ、大丈夫なの?」

「……それなんだけど、一つ問題ができちゃったんだ」

 言葉を濁すユーノになのはは首を傾げる。
 そして、彼がそう言った理由はすぐに知ることになった。

「えっと……初めまして、高町なのはさんですね?
 この度はお連れ様に多大な御迷惑をおかけしたみたいで、申し訳ありません」

 赤い髪に青い服の女性が生真面目になのはに向かって頭を下げる。

「えっと……」

 想像していた襲撃者のイメージとは異なり、なのはは大いに戸惑うと同時に言葉の中の違和感に首を傾げる。

「どうやらこの人、記憶喪失みたいなのよ」

 深いため息を吐きながらアリサがなのはが感じた疑問に答える。

「記憶喪失……本当なんですか?」

「はい、自分の名前も、ユーノさんを襲った理由も何も思い出せません」

 恐縮して身体を小さくする彼女になのははいっそう困惑する。

「……ど、どうするの?」

「どうしようかしら?」

 なのはの問いにアリサも同じ言葉を返す。
 記憶を失ったとしても相手はユーノたちを襲った人物。
 そして、自分たちは今クラナガンへと向かっている道中で、彼女を連れていける余裕はない。
 彼女の面倒を見る義理などあるはずもない。
 しかし、それほど悪い人間に見えない彼女をこのまま放り出して行けるほど薄情にはなれなかった。

「ちょっといい、アミタ」

「え……? はい」

 唐突にハティが誰かの名前を呼んで、それに彼女が反射で応えた。

「え……?」

 さらなる疑問符をなのはたちが浮かべる中で、ハティは彼女に顔を近付けてその瞳を覗き込む。

「アクセス」

 次いで指を彼女の額に触れて魔法陣を展開する。
 なのはもよく知っているミッドチルダ式の魔法陣。

「んー……ねえゆーくん……この人、治癒術師がどうとかウイルスがどうとか言ってなかった?」

「え……ああ、うん……確かにそんなこと言っていたけど」

「そっかそっか……」

 一人で納得してハティは彼女から手を放し、魔法陣を消す。

「…………ハティさんはこの人と知り合いなんですか?」

「ううん、今が初対面だよ」

「でも、さっきこの人の名前を呼んでましたよね?」

「うん、それがどうしたの?」

 逡巡のない肯定。

「……ねえ、アリサちゃん……わたしがおかしいのかな?」

「いいえ、おかしいのはこいつの方よ……っていうか誰なの?」

 ハティの意味不明な言動にアリサは警戒心を強め、すずかが車椅子を引きアリサをハティから遠ざける。

「えっと……お名前はハティ・アトロスさん……」

 言って、それ以上続けられるほどなのはは彼女のことを知らない。
 続ける言葉に迷っている内に、彼女が展開した魔法陣が消える。次いで、額に当てていた指も離す。

「ウイルスの除去と墜落による身体の破損を治すのにセーフモードに切り替えたせいで一時的な記憶喪失になってるみたい」

 ハティはまるで機械の診断をしたかのようなことを言う。
 しかし、それをなのはたちが問い質すよりも先に記憶喪失の少女が尋ねる。

「あなたは私のことを知っているんですか?」

「うん、直接会うのは初めてだけど、貴女の名前はアミティエ・フローリアン……
 エルトリア、ギアーズ、あとキリエって名前で何か思い出せることはない?」

 ハティの言葉に少女は考え込む。
 思い出そうとする彼女の邪魔をするわけにはいかず、なのはたちはハティへの追究をせずにことの成り行きを見守る。

「…………キリエ……そうだ私……キリエを……妹を追い駆けて来たんです」

 ふらりと熱にうなされる様にアミティエは立ち上がる。

「行かないと……」

「こらこら、そんな身体で無茶しちゃだめだよ」

「大丈夫です、これくらい気合いでどうにかしますっ!」

 そうはいうものの立ち上がるだけでもかなりの時間がかかって、上体もふらついて安定していない。

「行く宛ては? 今、キリエがどこにいるか分かるの?」

「根性で見つけますっ!」

 言葉だけは強いが、それに身体が伴っていない。

「はぁ……」

 深く大きなため息をハティは吐く。
 次の瞬間、アミティエの身体は地に伏していた。

「え……?」

 アミティエの手を取り、足を払う。
 たったそれだけの動作。しかも地面に当たる音もさせない静かな押さえ込み。
 まるで途中のコマを切り取ったかのように錯覚するほどの業になのははただ感心する。

「そもそも、今の貴女はゆーくん達の捕虜なんだよ? そんな勝手が許されると思ってるの?」

「でも――」

「へー……口応えするんだ……」

 ぞっと、傍で見ていたなのはは悪寒を感じた。

「ハティさん、待って!!」

 思わず声を上げるが、遅かった。

「んー……よっと……」

 軽い調子の声を発して、ハティはアミティエの腕をもぎ取った。

「にゃぁああああっ!?」

 突然のスプラッタな出来事になのはは悲鳴を上げる。

「ななななな、なんてことするんですかっ!?」

「大丈夫、だいじょーぶ……ほら」

 そう言って気楽にハティはもぎ取った腕をなのはに向ける。

「何がだいじょ――え……?」

 そこにあったのはグロテスクなものではなく、鋼が覗く断面。

「機械……?」

「そ……アミタはエルトリアのギアーズ、簡単に言うとアンドロイドだよ」

 呆気なく明かされた事実になのはたちは呆ける。

「さてと……あんまり我儘を言うと残りの四つももぎ取るよ?」

「よよよ、四つっ!?」

 残った腕と足をバタバタと使ってアミティエは尻もちを着いたままハティから距離を取る。

「もう一本の腕と……両足……それから首?」

「あわわわ……」

 見ていて可愛そうなくらいにアミティエは涙目になって震えている。

「ちょっと、なのは……何なのあの危険人物は?」

 小声でアリサが非難してくるが、まったく反論できなかった。
 誰が呼んだか知らないが、『暴君』の二つの名の由来を見た気がする。

「それじゃあ……はい」

 などと考えているとハティはアミティエの腕をなのはに笑顔で渡した。

「……え?」

 ハティは軽々持っていたが、渡されたそれはずっしりと重く取り落としそうになる。

「貴女の生殺与奪の権利はなのちゃんたちのものだから、命乞いはそっちにしてね」

「ちょっ!?」

 さらにもっと重いものまで勝手に押しつけられ、流石になのはは反論しようと口を開く。
 しかし、ハティはなのはの耳に口を寄せて囁く。

「別にいいんだよ? アミタをこのまま行かせて、何も気に病まないって言うならね」

 言われて思い出すのは彼女の今の状態。
 記憶喪失もだが、まともに立つことさえできない彼女をこのまま行かせてしまえばどうなるか。

「どうか命ばかりは御助けを!」

 片手で土下座するアミティエをなのはは見下ろすことになる。

「あ……」

 言葉が出てこない。
 自分にはアリサの身体を治すためクラナガンへ行く目的がある。
 そして、そこへ行くための船の席に余分はない。
 だから、ここで彼女に腕を返して別れてしまえばいい。
 元々はただの襲撃者。自分たちの目の届かないところでなら、それこそハティが言う様に気に病む必要はない。

 ――だから……だから……でも……

「アミティエさん――」

「なのは」

「なのはちゃん」

「なのは」

 振り絞って出した声は三人の声によって止められた。
 振り返るとそこには――
 怒った顔のアリサがいた。
 心配そうな顔のすずかがいた。
 そして、それは違うと首を横に振るユーノがいた。

「あ……」

 それだけで肩に重くのしかかっていた重さが消えた気がした。

「アミティエ! あんたは記憶と体調がよくなるまであたしたちと一緒に行動してもらうわよ」

 車椅子を動かし、なのはを押しのけてアミティエの前に移動したアリサが言い放つ。

「いいんですか?」

 おずおずと土下座の姿勢から顔だけで上げてアミティエはアリサを窺う。

「とりあえず悪い奴じゃなさそうだし、襲ってきたのも事情があったって思って上げるわ」

「ありがとうございます……えっと…」

「アリサよ。それから――」

 順に自己紹介をしていく。

「そして私がハティ・アトロスだよ」

「ひぃっ……」

 最後にハティが名乗るとアミティエはこれ見よがしに怯える。

「じゃあ、まずその腕をつけ直そうか」

 ふふふ、と不気味に聞こえる笑みを浮かべてそんなアミティエにハティはにじみ寄る。

「た……助けてっ!」

「ちょっとその女の気を引いといて」

「そ、そんなー……」

 助けを求めるアミティエにアリサは無情な宣告をする。

「えっと……いいの、アリサちゃん?」

「腕をつけ直せるのはあいつだけなんだから仕方ないでしょ。それよりも改めて聞くけど、何なのあいつは?」

 若干の非難を目に込めて尋ねるアリサ。
 しかし、なのはは先程と答えた様に彼女の名前しか知らない。
 それを察してアリサは言い方を変える。

「それじゃあ何があったのか手短に話しなさい」

「えっと――」

 とりあえずなのはは見て来たものをそのまま話す。
 ヴィータ達の偽物、ボルケンリッター。
 ヴィータ達を崇める信奉者。
 そして、前世の記憶で自分たちのことを知っているハティ。

「あー……一つ、可能性があるとすれば……」

「え、今の話だけで分かったの?」

 少ない説明だけでそれを想像できるアリサになのはは驚く。

「あくまで可能性よ。確証はないんだから早まるんじゃないわよ」

 そう釘を指してアリサは告げる。

「第一に挙げられるのはあいつが執行者の可能性よ」

「執行者……」

「落ち着きなさい」

 その言葉だけで我を忘れそうになったなのはの額をアリサが叩く。

「確証はないって言ったでしょ」

「でも、アリサちゃんっ!」

「一応、そう思った根拠も言っておくけど……
 彼女が言っている『前世』、あからさまに疑ってくれって言ってる言い訳を深読みすれば、そう思うのは当然でしょ?」

「あ、そっか……」

 彼女が執行者なら自分たちのことを知っていてもおかしくはない。

「目的はたぶん監視でしょうね」

「それじゃあ、もしかしてアミティエさんも――」

「あはは」

「いやぁぁぁっ!」

 ハティに掴まり、悲鳴を上げるアミティエ。

「それはないんじゃない」

「うん、なさそうだね」

 あの嫌がり方は演技に見えない。
 それに警戒心を解くための演技としてなら、こんなやり取りよりもアミティエの襲撃にハティが介入した方が効果がある。

「でも、ハティさんが執行者なら――」

「もちろん違う可能性もあるわよ。でも、今のところその可能性が一番高いわ」

 言われてなのはは考え込む。
 ハティ曰く、前世の記憶で自分たちのことを知っているそうだが、流石にその矛盾を疑わないほど素直ではない。
 過去の記憶で現世の自分たちを知ることは不可能。
 そんな馬鹿でも分かる嘘を平然と吐くハティの目的は何か。

「そうだな……その可能性が一番高いよね」

 アリサの考えに同意する。
 兄と戦い素顔をさらしたノア。そしてソラが戦っていたラントという男。
 それだけではなく、姉が戦っていた執行者は一様のフルフェイスヘルメットで顔を隠していた。
 だからなのはは他の執行者の顔を知らない。
 そして、能天気な振舞いをしているが世界最強の魔導師。
 実力的に考えても彼女が執行者であっても不思議ではない。

「それじゃあ、どうする?」

 警戒心を高め、アミティエを組み伏せるハティをなのはは睨む。

「そうね……とりあえずは様子見かしらね」

「んな面倒なことする必要ねーよ」

 静観しようと提案するアリサに、今まで黙っていたヴィータが異を唱えた。

「ヴィータ? それってどう――」

「おいっ!」

 アリサが聞き返すより早く、ヴィータはぞんざいな口調でハティを呼びつける。同時にグラーフアイゼンを振り上げて突撃した。

「ん……? 何か――」

 振り返ったハティは目前に迫るヴィータに言葉を止める。

「潰れろっ!」





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 完全に当たるタイミングの不意打ちだった。
 しかし、ヴィータの予想に反してグラーフアイゼンは空を切って、地面を穿っただけに終わった。

「いきなり――」

「ちっ……」

 動揺はない。
 ヴィータは返す力でグラーフアイゼンを下から頭を狙って振り抜く。

「――何をするかな?」

 しかし、その一撃もハティは難なくかわし、言葉を続ける。

「アイゼンッ!」

『ラケーテンフォーム』

 カートリッジをロードして、ロケット加速を用いた打撃。
 独楽のような回転をしながらの高速連打。
 バリアジャケットを展開してすらいないハティにとって、加速したスパイクの一撃さえ致命傷になるというのに――

「ひょい……ひょひょーい……」

 ハティは呑気な掛け声とともにヴィータの鉄槌を紙一重で避けて行く。

「馬鹿にしやがってっ!」

 さらにカートリッジをつぎ込み、噴射を強める。
 しかし、それでも当たらない。

「何でっ!」

 思わず叫ぶ。

「何でなんだよっ!」

 それは今の状況のことではない。
 これまでの溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために、怪しいハティの存在はヴィータにとって絶好の八つ当たりの相手。
 しかし、蓋を開けてみれば一方的な展開だった。

「うそだ……」

 どれだけグラーフアイゼンを振り回してもかすりもしない。
 世界最強と言ってもそれは試合上のこと、幾星霜の時を戦場で過ごしてきたヴィータにとっては遊戯の王。
 しかし、そんなヴィータの侮りをハティは嘲笑う。

「うそだうそだうそだうそだ」

 目の前の現実を振り払うためにヴィータはがむしゃらにグラーフアイゼンを振り回す。
 アポスルズのレイ。過去の亡霊のソラ。闇の書の残滓、過去の自分。偽物のビータ。そして、世界最強のハティ。
 一対一ならベルカの騎士に負けはない。
 それを謳い文句にしていただけに、負け続けたヴィータのプライドはすでにボロボロだった。

「アイゼンッ!!」

『ギガントフォルム』

 距離を取って、グラーフアイゼンを変形させる。

「っ……ヴィータちゃんダメッ!!」

 制止の声が掛かるがヴィータの耳には届いていなかった。

「轟天爆砕っ!」

 巨大になった鉄槌を、ヴィータはただ勝つことしか考えず振り下ろす。

「ヴァジュラ」

 ハティが呟く。
 彼女の足下にミッド式の魔法陣が広がり、その手に黄金の槍が現れる。
 それは飾り気のないとてもシンプルな槍。
 ハティは淀みのない動きで槍を構え――

「貫け」

 光が閃き、ヴィータの肩から鮮血が吹き出した。

「なっ!?」

 ギガントを使うために距離を取ったにも関わらず、ヴィータには視認できない速度での高速魔力刺突。
 しかも、溜めなしで騎士甲冑を難なく貫通する威力。

「デタラメ過ぎだっ!」

 超重量の巨鎚を片手で制御できるはずもなく、グラーフアイゼンはヴィータの手から抜け落ち在らぬ方向へ飛んでいく。

「あ……」

 剣士が剣を落とされることは負けを意味する。
 ヴィータは剣士ではないが同じようなものだった。
 しかし、呆けている間などなかった。
 叩きつけられる濃密な殺気。それは決して非殺傷で出せるようなプレッシャーではない。
 黄金の槍が輝き、閃光を――

「こなくそっ!」

 ヴィータに見えたのはそこまでだった。
 男の声と共にヴィータの視界はその背中に塞がれる。
 見えないヴィータに理解できたのは、ハティが魔力刺突を放ち、男――テオが身体を使ってそれを防いだことだけだった。

「そこまでよハティ、ヴィータ様にこれ以上の無礼を働くと言うなら私が相手になるわ」

 そしてハティの前にはリィナが立ち塞がる。

「無礼って……先に手を出したのはヴィータの方だよ?」

「見え透いた嘘ね……貴女は昔から強い人に挑戦する悪癖があったでしょ?」

「あれは若気の至りだけど……別にヴィータってあんまり強くないから私の守備範囲外だよ」

「な――」

「ヴィータ様への侮辱は許さないわよっ!」

 ヴィータの声はリィナのそれにかき消される。

「リィナはその子を美化し過ぎだよ……
 ヴォルケンリッターは貴女が思っている様な清廉な騎士なんかじゃないよ」

「黙りなさい、ハティ」

「その子だって、不意打ちを仕掛けておいて反撃されたら逆ギレする様な、やり返される覚悟もない卑――」

「ハティッ!!」

 リィナの怒声にハティは肩を竦めて、手にした槍をくるりと回す。

「勝手にすれば、アヴァンシアさん」

 そのままハティは槍を消す。

「申し訳ありません、ヴィータ様……すぐに治療を」

 すぐさま謝るリィナ。
 そして貫かれた肩に治癒魔法がかけられる。
 しかし、ヴィータの目はハティの背中から離れない。

 ――闇の書の一ページにもならないと思ったのに……

 何も無根拠でハティのことを侮っていたわけではない。
 感じる魔力はほとんどない。
 長年培った魔力資質を計る目で見ても、ハティの実力はユーノが言うほどのもとのは思えなかった。
 しかし、彼女が槍を構えた瞬間にその魔力が一気に跳ね上がった。
 普段は0に抑え、任意のタイミングでそれを爆発的に高めるSランク級の瞬間増幅技術。
 それがあのデタラメな刺突の正体だった。

「くそっ……」

 負けたこと以上に、彼女の実力を見抜けなかったことに苛立つ。

 ――そうだ……雑魚だと思って油断しただけだ……負けじゃねえ……

「あの……ヴィータ様……」

「何だよ……?」

「ハティの行った無礼、彼女に代わり謝罪させてください」

「え……あ……」

 咄嗟のことにヴィータは歯切れの悪い返事をしてしまう。
 襲いかかったのは自分で、ハティの言い分の方が正しい。それを口にすることができなかった。

「確かに彼女は喧嘩早いですが、それは昔の話で今はだいぶ落ち着いていたんです……
 ただ今回に限っては出発の前からだいぶはしゃいでいまして……」

「はしゃいでる?」

 思わずハティの背中を見直す。

「ねえねえ……あーたん」

 そのハティはすでにヴィータから意識を外してアリサに話しかけていた。

「あ、あーたん? それってわたしのことっ!?」

「そーだよ。アリサちゃんだから、あーたん」

「……それじゃあ、すずかは?」

「すーちゃん」

「…………なのはがなのちゃんで、ユーノがゆーくん、それですずかがすーちゃん……
 って、何でわたしだけ『たん』なのよっ!」

「何となく」

 グッと親指を突き立てて言い切る彼女の姿は、確かに言われてみればテンションが振り切っているようにも見える。
 しかし、それよりもそんなハティと平然と話しているアリサ達にヴィータは顔をしかめた。

 ――どうしてそんな怪しい奴なんかと話していられるんだよっ?

 まるで長年付き合っている友達のような馴染みぶり。
 彼女への疑いが晴れたわけではないのに、手の届く距離で騒いでいるアリサたちが理解できなかった。

「……ああ、そうか……」

 年相応なやり取りを見せつけられ、ヴィータは理解した。

 ――あいつらは全員平和ボケしてるんだ……

 地球、海鳴は平和だった。
 だからこそ、アリサたちは命を狙われるような経験をしたことはない。
 狙われている自覚、命のやり取りの経験、死に対する危機感。他人への警戒心。
 頭では理解していても、それを行動として実行できていない。
 戦場を知っているヴィータからすれば許せない緩みだった。

 ――ま……どーでもいいけどな……

 しかし、それを指摘する気にはなれなかった。
 そもそも自分とアリサの関係性は薄い。見過ごすほどに薄情ではないが、かといってはやてのように積極的に守るほどのモチベーションはない。
 それよりもヴィータはハティのことが気になっていた。

「おい」

「はい、何でしょうか?」

 打てば響くようね返答でリィナが応える。

「あいつのこともっと詳しく教えろ」

 一方的な要求にも関わらず、リィナは嫌な顔一つせずにヴィータの問いに答える。

「ハティ・アトロス……
 先程、紹介しました通り次元世界最強の魔導師です……
 使用魔法体系はミッドチルダ式ですが、戦闘スタイルは近接の槍を使います」

「ミッドなのに槍なのか?」

「ええ……ですが、その槍の一撃はまさに必殺の閃光……
 彼女はそれだけでインターミドル――全管理世界魔法戦技大会を制しました」

「……その世界大会ってのはそんなにレベルが低いのか?」

「とんでもありません……
 確かにスポーツ感覚の参加者も多いですが、本線に進んだ選手は管理局で即戦力として起用できるほどの猛者ばかりです」

「管理局……なぁ……管理局の暗部って知ってるか?」

 ヴィータの問いにリィナは目を見張る。

「どうしてそれを?」

「知ってんだな?」

「ええ、ハティが昔から口にしていた組織のことですが……
 実際はよくある管理局を誹謗中傷する都市伝説の一つ……そんな組織は存在しません」

 ――黒だな……

 リィナの言葉にヴィータはハティが敵だと確信する。
 暗部は実際に存在しているが、リィナのように普通なら知ることはない。
 しかし、ハティはその存在を知っている。それは確たる証拠と言える。

「ちょっとヴィータッ! こっち来てハティに謝りなさいっ!」

 そんな結論に達したヴィータにアリサの馬鹿げた声がかかる。

「何であたしが謝らなくちゃならねーんだよ!? そいつは敵だぞっ!」

 ありえない要求をヴィータは言い返す。

「敵って……あんたねぇ……」

 呆れた眼差しを向けてくるアリサに頭が痛くなってくる。
 アリサは自分でハティは怪しいと言ったはずなのに、このわずかな時間ですっかり懐柔されてしまったようだ。

「別にいいよあーたん……ヴィータがツンデレさんなのは分かってるから」

「はぁっ!? いきなり何言ってんだてめーはっ!?」

 ハティのあまりの言動にヴィータは猛抗議する。
 しかし、彼女は笑うだけで相手にもしないでなのはに話しかける。

「ねえ、なのちゃん」

「は、はいっ!」

「実は私の使い魔が貴女に会って御礼がしたいって言ってるの」

「え……?」

「無視すんじゃねーっ!」

「えっと……わたしはハティさんの使い魔に会ったことなんてないはずなんですけど?」

「うん、知ってるよ……でも、ふーちゃんから聞いてない?」

「ふーちゃんってもしかしてフェイトちゃんのことですか?」

「そうだよ。それでこの子がその使い魔」

 と、そのハティの言葉と同時に空から彼女は現れる。
 その姿をヴィータは知っていた。
 虐殺が行われた集落で出会った使い魔。相当な実力者だと思っていたがハティの使い魔なら納得がいく。

「初めまして、高町なのはさんですね?」

「は、はいっ!」

 かしこまった態度になのはが緊張した返事をする。

「それから……アリサ・ローウェルさんに月村すずかさん、ユーノ・スクライア君、ヴィータさん」

 順に名前を上げていく使い魔に自然と警戒心が高まる。
 そんな空気を気にせず、使い魔は頭を下げる。

「いつもフェイトが御世話になっています」

「へ……?」

 その間の抜けた声をもらしたのが誰かは分からない。
 しかし、唐突の感謝の言葉に呆けたのはヴィータも同じだった。

「私の名前はリニス……プレシア・テスタロッサの元使い魔で、フェイトの先生です」

 顔を上げた使い魔は笑顔でそう名乗った。








 補足説明

 『ハティ・アトロス』
 このエピソードでのデタラメーズであり、キーパーソン。
 魔力瞬間増幅というSランク技法を使いこなしインターミドル優勝経験がある。
 その実力はヴィータ達以上。
 転生者であり、前世の記憶からなのはたちのことを知っている。



 あとがき
 なのはが暗黒面に落ちかけて、ヴィータが大いに空回る御話でした。
 アミティエ参戦。キリエの登場は次のエピソードに持ち越しですが、流石にヴィヴィオたち未来組は出さない予定です。
 







[17103] 第四十話 不和
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:ccd75bff
Date: 2015/05/31 20:06

 闇の書の信奉者、テオ・オペルとリィナ・アヴァンシア。
 二人の一族が所有する次元航行船の一室で、その内の一人テオとユーノは対峙していた。

「以上が闇の書事件の顛末です……それから休める部屋や食事を用意していただきありがとうございます」

 彼らと合流し、彼らが乗ってきた船に招かれて休息を取る事ができた。
 自分は慣れているが、やはりなのはたちにとっては不慣れだった野宿は消耗が激しかったのだろう。
 ベッドに横になった途端に彼女たちは寝入ってしまった。
 そのため、自分たちの旅の目的や、闇の書事件の顛末をユーノが説明することになった。

「これくらいどうってことねぇよ……
 むしろ礼を言うのはこっちの方だぜ」

 しかし、ユーノの礼を受け取らず、逆にテオが感謝を告げる。

「あんたたちのおかげで闇の書は夜天の書に戻ることができた。一族を代表して礼を言わせてもらうぜ」

「あ……いえ、僕が実際にできたことなんて高が知れていて……御礼を言われるようなことはなにもできてないんです」

「それを言ったら俺たちなんてその場にいることさえできなかったんだぜ?」

 無念さをにじませるテオの言葉にユーノは黙り込む。

 ――闇の書の信奉者……彼とリィナ、二人の一族が……

 知識としてはそういう人たちがいることは知っていた。
 しかし、実際に自分が彼らと顔を合わせることになるとは思ってもみなかった。

「それにしても……オペルって、やっぱりあのオペルですか?」

 話をそらすようにユーノは尋ねる。
 テオ・オペル。
 ユーノにとってオペルの名はハティ・アトロスに以上によく知っているものだった。

「意外か? まあ、表の顔は管理局に気付かれないようにするためのもんだったんでけど、じいさんたちがいつかヴィータ様たちに出会う時のために張り切ってな」

「本来は何の関係もない一流企業がどうして遺跡発掘に多額の出資をしているのか分からなかったけど……
 闇の書を見つけることが目的だったんですね?」

「その答えだと正解は半分だな」

「違うんですか?」

「闇の書は自分で主を決めてそこに転生する……
 こんな性質のロストロギアは探そうと思って見つけられる代物じゃない」

「ならどうしてオペルは遺跡発掘に出資していたんですか?」

「闇の書の本来の名前はもう知ってるんだろ?
 俺たちもそれを知って、闇の書を元に戻す方法を探していたんだよ。出資はそのためのもんだ」

 そう言われてユーノは押し黙る。
 ここにもグレアム提督のように自分たちの知らないところで戦っている人たちがいた。
 それも世代を重ねて。
 そのことに感動を覚えながらもユーノは一抹の不安を感じた。

 ――この人たちはどこまで知っているんだろう?

 胸中に浮かぶ疑問。
 闇の書が主殺しの魔導書だと知っているのなら、彼らの王を食い殺した現況に好意を向けるとは思えない。
 なら、彼らは闇の書の本来の姿は知っていても、その全てを知っているわけではないのだろう。

「…………あなたたちはこれからどうするつもりなんですか?」

 それを部外者の自分が口にするのは筋違いだと思いながら、確かめておかなければならないことを尋ねる。

「どうするかは、ヴィータ様次第だな」

 返ってきたのは曖昧なものだった。

「ヴィータ様たちのおかげで生き残れたばーさんたちはその恩に報いるためにオペルの会社を作って大きくした……
 時期が時期なら『蒐集』の手伝いだってするはずだった……俺たちはそのために鍛えられたからな」

「それは……管理局と戦うっていうことですか?」

「その覚悟はできていたし、今だってヴィータ様たちが望めばそうするつもりだぜ」

 笑って告げるテオだが、今の危ういバランスにいるヴィータのことを考えるとユーノは笑えなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 次元航行艦の中だとは思えない豪奢な部屋だが、なのはたちはそれを気にするよりも目の前の女性に注目していた。
 見た目は年上のお姉さん。そして名乗ったリニスという名前はなのはがフェイトから聞いたことがあるものだった。

「あの……リニスさん」

「はい、何ですかなのはさん?」

 丁寧な物腰になのはは戸惑う。
 フェイトたちの話ではすでに消えてしまったはずの存在。
 彼女が本物なのか、それが判断できない故の戸惑い。もっともそれはなのはだけではなかった。

「ねえ、あんた本当にそのリニスだって証明できる?」

 言葉を濁しているなのはに代わってアリサが直球で尋ねる。
 あからさまな疑いの眼差しだが当のリニスは気を悪くした素振りもなく答える。

「難しいですね……
 フェイトのこと、プレシアのこと、話すことはできますが、それを調べたことではないとそもそも証明できませんし……
 昔、フェイトがお風呂で溺れかけて大泣きしたことがあると話しても、その話を本人から聞いたことはありますか?」

 なのはは首を横に振る。
 当然、アリサやすずか、ヴィータもそんな話を聞いたことはない。
 結局のところ、フェイトやアルフ、プレシアの三人の内の誰かに会わせない限り彼女が本物かどうか証明はできない。
 双方ともにそれを理解しているから、どうしようかと途方に暮れる。

「あの……」

 そんな中おずおずとすずかが手を上げる。

「リニスさんはどうして今までフェイトちゃんに会いに行かなかったんですか?」

「それは……」

 核心を突いた彼女の言葉にリニスは言葉を詰まらせる。代わりに彼女のマスター、ハティが答えた。

「単に顔を合わせ辛かっただけだよ……
 ほとんど何も言わずに別れて、遺書みたいな日記を残しておいて、実はまだ消えてませんでした、だもん」

「っ……元はと言えば貴女のせいでもあるんですよハティ……
 貴女の前世の知識を信じて第89管理世界のジャポンを見張っていたのに何も起きなくて、気付いたら事件は終わっていたじゃないですか」

「だって仕方ないんでしょ? 生まれる前の記憶なんだもん、細かい数字まで覚えてないよ……
 でも、闇の書事件に介入できなかったのはリニスのせいだよね?」

「何があったの?」

「この子ね……フェイトの裁判の結果が気になって頻繁に管理局にハッキングしてたの、それがばれて捕まってたの」

「貴女が私を置いて逃げなげれば、あんなことにはならなかったんです」

「あらら? そんなこと言っていいのかな?
 こんな情けない姿をフェイトには見せられないってレティさんに泣きついたんでしょ?」

「ど……! どうして貴女がそれを!?」

「ふふふ……何を隠そうレティさんにハッキングのことをチクったのは、このわ・た・し♪」

 あまりの告白にリニスは絶句して固まってしまう。

「何でそんなことをしたんですか? リニスさんは貴女の使い魔なのに?」

「ペットの粗相を躾けるのはマスターの役目でしょ?」

 正論なのだが、思わずリニスに同情の目を向けてしまう。

「レティさんとは知り合いなの?」

「私は世界大会の優勝者だよ……管理局にスカウトされたことがあるからその時にね」

 その答えになのはは考え込む。
 当然、レティ提督からリニスとハティのことを聞いたことはない。
 しかし、それでも一応話の筋は通っている。

 ――リニスさんのことは納得できるけど……

 結局、彼女に聞いてもハティについては曖昧で何も分からなかった。
 リニスの話では、消えようとする彼女の下に前触れもなく現れ、これから起こるPT事件のことをほのめかして契約を迫った。
 その後はリニスが言った通り、別の世界と間違えて当時に関わることはなかった。
 しかし、それにも関わらずハティはPT事件の詳細も闇の書事件のことも知っていた。
 ハティ曰く、前世の知識。
 普通では知りえない情報ばかり、同じ管理局の人間だったとしても簡単に調べられることでもない。
 それこそ彼女が執行者である理由なのではないのだろうか。
 しかし、なのははどうしても違和感を感じずにはいられない。

『管理世界の平穏のために必要な犠牲です』

 なのはが会った執行者ノアの口調を思い出す。
 淡々とした抑揚も人間味のない、まるで機械の様な口調。そして同じような眼差し。
 そんな人間味のなかった執行者と、感情豊かなハティが仲間だとは到底思えない。

「ねえ、ハティ・アトロス……」

「なーに……あーたん?」

「あんたって執行者なの?」

「あっ、アリサちゃんっ!?」

 まさかの直球な問いになのはは驚く。

「こっちでいくら考えても無駄よ」

「そうかもしれないけど……」

 なのはが躊躇ったのは、ハティがもしそうだと肯定した場合の想像だった。
 この場でハティがそれを肯定し、襲いかかってきたらなのはにはアリサやすずかを守りながら戦える自信はない。

「…………リニス、お茶」

 しかし、ハティは肯定も否定もせずにリニスに飲み物を要求する。

「誤魔化しても無駄よ……あんたが管理局の暗部のことを知っているのは分かってるんだから」

 答えないハティにアリサは追究の手を緩めない。

「――ない」

「何……? 聞こえないんだけど」

「ありえないっ!」

 アリサの訊き返す言葉に、ハティが声を大にして否定を口にした。

「私が怪しいのは分かるけど、よりにもよって執行者? ありえない!」

 捲し立てるハティの勢いに気押される。
 彼女の口から発せられる言葉には嫌悪が感じられる。

「なら、あんたが執行者じゃないって証明できるの?」

「私とあいつらのコンバットパターンの違い……はい、証明終了」

「は……? それだけで納得できるわけないでしょ!?」

「え……?」

 アリサの反論にハティは意味が理解できずに呆ける。

「いやいや……十分でしょ?」

「いやいやいや……全然納得できないんだけど?」

「いやいやいやいや……だって……ねえ……?」

 視線で同意を求められるが、なのはは首を横に振る。
 その答えにハティは天井を仰ぎ、深々とため息を吐いた。

「ねえ……貴女達は執行者についてどれだけ知ってるの?」

「えっと……管理局の非合法部隊で人殺しの仕事を主にしている」

「それだけ?」

「えっと……はい」

 なのはが頷くと、ハティはまた深々とため息を吐く。

「呆れた……ほとんど何も知らないで私のことを疑ったの?」

「う……」

「そういうあんたはいろいろ知ってそうね?」

「はいはい、挑発しなくてもおねーさんが教えてあげますよー」

 アリサを適当にあしらいつつ、ハティは語り出す。

「初めに説明しておくけど、魔導師って結構個人主義的なところがあるのは分かる?」

 なのはに例えるなら砲撃魔導師。
 ユーノなら結界魔導師。ヴィータは万能型のベルカ騎士。

「これはランクが上がるほど、その人の個性が強くなってくるんだよ」

「ちなみにハティさんはどんな魔導師なんですか?」

「私は一芸特化型だよ……
 で、肝心の執行者だけど……彼らの基本概念は高ランク魔導師の平均化……
 『最強の兵士』じゃなくて、『最強の軍隊』であることが最大の特徴なの」

「それって何の違いがあるの?」

「最強の兵士をただ集めれば、最強の軍隊ができるわけじゃない……
 個性、理性、禁忌、感情……それに才能、思想、武器の違い……
 人が集まれば様々な要因で不和が生じる。普通なら長い時間をかけてその不和をすり合わせて部隊としての形を作る」

 でもね、とハティは空になったコップに力を込めながら続ける。

「執行者は違う……
 薬物投与や催眠、思想教育。それに脳にデバイスを移植したり、あらゆる手段で人間らしさを壊して命令を聞くだけの人形にする……
 その戦闘能力も魔力量に至るまで『管理』された性能で個人の能力を統一させる……
 どれだけの人数がいても、たった一つの思考で統制された完璧な連携、死を恐れず、欠員が出ても同じ性能の人形をすぐに補充できる群体……
 それが執行者……なんだよ」

「…………それはおかしいです」

 説明された内容に圧倒されながらもなのはは言葉を返す。

「私が戦った人も……ソラさんが戦った人もちゃんと話ができた……そんな人形なんかじゃなかった」

「なのちゃんが言っているのは指揮官のことだよ……流石にそれまで人形にしたら機能しなくなるからね……
 それでも同じ武装で統一していたはずだよ」

「つまり、一芸特化のあんたは必然的に執行者じゃないってこと?」

「……もう一つ……理由はあるけど……」

 不意に言い淀むハティ。

「今、証拠を出すことができないんだよね」

 しかし、次の瞬間には曇らせた表情がなかったかのように無駄に明るい口調でそう言った。

「…………どうしてハティさんはわたしたちに関わろうとするんですか?」

 思わずなのはは尋ねていた。

「わたしたちはあなたのことが信じられないって、ひどいことを言っているのにどうしてわたしたちを助けようとしてくれるんですか?」

「理由は三つくらいあるよ」

 なのはの問いにハティは指を立てて答える。

「まず私がなのちゃんたちのことが好きだから、二つ目はここでなのちゃん達に死なれると私の前世の知識との齟齬ができてしまうから」

 指を折って、最後の一本。

「ねえ、なのちゃん……なのちゃんは執行者の話を聞いてどう思った?」

「え……?」

「無限に近い次元世界のフィールドに対して管理局の人員は有限……
 より多くの人を守るためなら多少の外法は仕方がない。それは私だって理解している……
 でもね、それでも超えてはいけない一線っていうのがあるはずなの……執行者はそれを超えて作り出された兵器……」

「ハティさん……?」

「……そんな執行者を作り出したのは……私のお母さんなんだよ」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「どうかなさいましたか、ヴィータ様?」

 廊下の様子をうかがうために顔を出したヴィータをすかさず控えていたリィナが出迎える。

「うえ……」

 反射的にもれた拒絶の声。
 しかし、リィナは嫌な顔一つせずヴィータの前に膝を着く。
 まるで命令を待つ犬の様な彼女の態度にヴィータは辟易とした思いを感じずにはいられなかった。

 ――83年前の闇の書事件なんて言われてもなぁ……

 内心でため息を吐き出す。
 前回のことさえまともに覚えていないのに、それよりも前のことなどそれこそ何も覚えてない。
 それを改めて言おうとヴィータは――

「うっ……」

 キラキラした目に言葉が詰まる。
 夢を持つ純粋な眼差しを前にヴィータは現実を突きつけることができなかった。

「ヴィータ様……もしかして御一人であの偽者たちと戦う御積りですか?」

 何も言わないでいると、リィナはしたり顔で頷いた。

「あ……ああ……そうだけど……」

 異様な雰囲気のリィナに思わず肯定する。
 実際、ヴィータは一人であの偽者たちと戦うために船から降りようとしていた。
 なのはたちを巻き込むつもりはなかった。
 彼女たちにはアリサを守る役目があるし、何より偽者の存在は自分たちの問題だ。

「どうか、私たちにヴィータ様の戦いを手伝わせてください」

「…………わりーけど……昨日今日会ったばかりの奴に背中を任せる気はねーんだよ」

 はっきりと拒絶してヴィータは跪くリィナを無視して歩き出す。

「ですが、奴はヴィータ様の一撃を――」

「あんなのはまぐれだっ!」

 思わず激昂して振り返る。

「しかし、ハティにやられた傷が――」

「こんな傷、大したことねーっ!」

 なおも引き止めようとするリィナにヴィータは苛立ちを隠さずに怒鳴り散らす。

「だいたいあれは本気じゃねー、本気を出せば偽者にもあの女にだって負けねえ!」

「やはりそうでしたかっ!」

 しかしそんな意地と八つ当たりにリィナは目を輝かせた。

「城一つを一撃で破壊したといわれるヴィータ様の本気があの程度のはずないですよね!?」

「お……おう」

 あまりな反応にヴィータは我に返るが、その言葉を取り消すことはしなかった。

「それは聞き捨てならないかな」

 そして突然、割って入った第三者の声にヴィータは眦を上げて彼女を睨み付ける。

「私だってあの時のは本気じゃないよ」

「ハティ……アトロス……何の用だ? なのはたちはどうした?」

「なのちゃんたちは聞きたいこと聞いたら寝ちゃったよ……長旅の疲れが出たんだろうね、リニスに任せてるから安心して良いよ」

「ちっ……」

 彼女の物言いに思わず舌打ちする。

 ――どの口が言いやがる……

 リィナやテオ以上に得体の知れない女。テスタロッサに縁のある使い魔を騙って取り入ろうと彼女から不信感は大きくなるばかり。

「私の用は一応の報告かな?」

「報告……?」

「うん……あのヴォルケンリッターの偽者たちのことだけど、あいつら私が倒すから」

「何だと……?」

「あいつらをこのまま放置しておくとなのちゃんたちが無茶を言い出すかもしれないからね……
 今晩、あの人たちを誘い出して私が潰すよ。大丈夫、私が本気を出せばあんな奴ら三分で片付けられるから」

「あいつらを倒すのはあたしだ! 無関係な奴は引っ込んでろ!」

 そんなヴィータの激昂にハティは冷ややかな視線を向ける。

「関係ならあるよ……あの人たちは私の行く道を邪魔する障害物……
 それに私から言わせてもらえば、弱い奴こそ引っ込んでて」

「っ――」

「ハティッ! いくら貴女でもヴィータ様への侮辱は許さないわよ」

 叫ぼうとしたヴィータを遮って、リィナがハティに詰め寄る。

「本当のことでしょ? ヴィータが本気だったら、私はともかくあの偽者はあの時に潰せたはずだよ」

 ただ貶されるだけだと思ったが、意外な高評価にリィナとヴィータは勢いを失う。

「はっちゃんに少し冷たくされたくらいであそこまで弱くなってるとは思わなかったよ……
 うさぎは寂しいと弱って死んじゃうのは本当だったんだね」

「誰がうさぎだっ!?」

 笑顔で吐かれる毒にヴィータは叫ぶ。

「とにかく今の弱ウサギちゃんじゃ無様に負けるのを待つのは時間の無駄だから、私がやるの」

「てめぇ……」

 あくまでウサギ扱いをやめず、それどころか雑魚扱いするハティにいよいよ我慢の限界が近付く。

「いい加減にしなさいハティ! それ以上は許さないと言っているのが分からないの?」

「許さないからなんだって言うの? 貴方たちは私のスポンサーなだけで、何の権利があって私の邪魔をするつもり?」

「あの偽者たちはヴィータ様たちの名誉を汚しているのよ……
 貴女の即物的な理由でそれを蔑ろにしていいものじゃないっ!」

「元々そんなもの最底辺にあるんだから気にする必要ないでしょ?」

「ハティ、それは誤解よ……
 ヴォルケンリッターは管理局が吹聴しているような非道な存在じゃない……
 過去の悪逆はその時の主によるものでヴィータ様たちに非は――」

「あるに決まってるでしょ」

 擁護するリィナの言葉をハティは一刀両断で切り捨てる。

「力に惑わされる馬鹿が悪い? 惑わせる方がずっと悪いに決まってる」

「……どうしてもヴィータ様たちを悪者にしたいようね」

「悪者っていうか……まあ、私がヴォルケンリッターのことが好きじゃないのは認めるけど……
 私は客観的な事実を言ってるだけなんだけどなぁ」

「あなたの言い分は分かったわ……でも、それを曲げてあの偽者の始末はヴィータ様に任せてくれないかしら?」

「あのね……私は別に弱ウサギちゃんが嫌いだから勝てないって言ってるわけじゃ――」

「お願いします……ヴィータ様にチャンスを与えて下さい」

 ハティの言葉を遮って、リィナ床に手を着いて頭を下げた。

「お……おい……」

「ヴィータ様が何かを抱え、その御力を十全に発揮できていないことは私にも分かっている……
 でも、だからと言ってあの偽者を貴女に任せてしまえば、ヴィータ様の御心には一生拭い去れないしこりを残すことになってしまう……
 それだけは決して認められない」

「……リィナ……自分が何をしているのか、分かってるの?」

「分かってる……貴女の生い立ちを考えればこの願いがどれだけ身勝手なものかも理解している……
 それでも私はヴィータ様のためなら、こうして頭を下げることを厭わない」

 冷めたハティの視線が床に手と頭をつけて土下座するリィナを見下ろす。

「そう……」

 短くハティは目を伏せて呟く。
 そこから感じられる感情は寂しさと諦め、そんな風にヴィータには見えた。

「三つ条件をつけるよ」

 指を立てて譲歩したハティはそのまま続ける。

「まず戦闘について、制限時間は三十分、その間でももう勝ち目がないって判断したら私がやる」

 リィナではなく、自分に向かって言うハティにヴィータは頷く。
 彼女が自己申告した十倍の時間だが、それに文句を言うことはしない。

「それからリィナ、貴方達との契約は全部破棄させてもらうよ」

「ハティッ!? ……分かったわ」

「最後の三つ目……私はもう貴女のことは友達とは思わない」

「っ……」

 リィナの息を飲む音が聞こえた。
 ハティは一方的に言うと返事を待たずに彼女に背を向けて歩き出した。
 コツコツコツ、規則正しい足音が遠ざかり、消える。
 彼女の気配が全てそこからなくなり、リィナはようやく顔を上げた。

「……申し訳ありませんヴィータ様、聞いていた通りの時間しか譲ってもらえませんでした」

「何言ってんだよ、お前?」

 思わず、ヴィータは言葉を返していた。
 一瞬で決着が決まることもある戦闘において三十分など十分な時間だ。
 ヴィータが不快に感じたのは彼女が必要とした時間の十倍であることであって、そこではない。
 しかし、今はそれ以上に気にするべきことがあった。

「お前、今絶交されたんだぞ……なんでそんな――」

 リィナとハティとの間にどれだけの友情があったのか分からない。
 しかし、リィナはヴィータのために土下座をして彼女との対等な関係を自ら壊した。
 それなのに彼女は原因となるヴィータに笑顔を向ける。

「残念ではありますが、致し方ありません……
 彼女の生い立ちを知っていたのに、ヴィータ様に出会えたことに浮かれ彼女の気持ちを考えなかった私が悪いんです」

「あいつの生い立ち……? 前世とかいう電波以外に何かあるのか?」

「ヴィータ様がお気になさることではありません」

 あからさまに失言だった顔しかめての発言だった。
 好奇心がヴィータの中に湧き上がる。が、喉まで出掛かった言葉は飲み込んだ。

「そうか……」

 ただ素気なく納得する。
 命令すればリィナは躊躇いながらも答えただろう。
 しかし、自分を嫌悪する理由の生い立ちなど容易く想像できる。

「どうせあたしらは嫌われもんだ……」

 小さな呟きはリィナの耳には届かなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「と、言うわけでアヴァンシアさんたちと縁を切ったから、ここの荷物をまとめるの手伝って」

「いきなり何を言い出すんですか、ハティ……」

 滅多に使わない使い魔のパスを使って呼び出したかと思ったら、そんなことを言われてリニスはため息を吐いた。

「またリィナさんと喧嘩したんですか? 今度はどんなことで喧嘩したんですか?」

 ほとんど自室と化していた部屋をひっくり返して荷造りする現マスターにリニスはもう一度ため息を吐く。
 生真面目なリィナと自由奔放なハティ。
 性質が正反対な二人が喧嘩をすることは珍しくない。
 彼女をマスターにしてからの一年の中でもそれなりの頻度で喧嘩をしている。

「喧嘩って言うよりも、優先するものの違いかな」

「…………どういう意味ですかそれは?」

「分かってると思うけど、私はヴォルケンリッターのことはあまり好きじゃないの」

「どうしてですか? 聞いたかぎり話では情状酌量の余地はあると思いますけど?」

「十二年前、私があの子に殴り倒されていたとしても?」

「……え?」

 突然の告白にリニスは思わず耳を疑った。

「前世の知識でね……あの時の闇の書事件がどんな形で終わるのか、私は知っていたんだ……
 だから、それを止めるためにヴォルケンリッターに会いに行ったんだよ」

「どう……なったんですか?」

「当時、力のない小娘だった私は何もできずに殴り倒されてお終い……
 弱すぎたから『蒐集』対象にもならなかったし、ゴミを蹴飛ばすくらいに簡単にやられちゃった」

 軽い口調で話されるが、リニスはその事実を軽く受け止めることはできなかった。
 彼女の使い魔になって一年が過ぎた今日まで、リニスは彼女の家族と会ったことは一度もない。
 ミッドチルダでは彼女の年齢で自立していることは珍しくはないが、写真の一枚も見たことがなかった。

「今日会ってみて分かったけど、あの子は私のことなんて欠片も覚えてなかった……
 口では償うなんて言ってるけど、あの子は前の主と向き合うことから逃げて、今の主からも逃げてこんなところにいる……
 何よりアヴァンシアはヴォルケンリッターより主の方が悪いって言った……
 他の主の事は知らないけど、十二年前の闇の書の主は五歳の子供だったんだよ……なのにあいつは一方的に主を悪者扱いして……」

 どんどんぞんざいになっていく親友だった者の呼び方にリニスはこの喧嘩が今までのものとは違うことを察した。
 軽い性格のハティに真面目な性格のリィナ。
 元々は世界大会でハティが蹂躙した選手の一人で、彼女の家の人がハティの趣味の歌を聴いて、アイドルとしてスカウトされたことが関わる切っ掛けだったと聞いている。

 ――不思議な子ですよね……

 目の前で愚痴を続けるハティにリニスは考え込む。
 ハティ・アトロスは強すぎる。
 才能のあるフェイトを育てたことのあるリニスから見て、彼女の強さは異常だった。
 汎用性の高いミッドチルダ式魔法を使用しながら、戦闘スタイルは槍を使った近接戦闘のみ。
 そしてその槍から繰り出される一突きはまさに神速の一撃必殺。
 しかも驚くべきことに師のいない彼女はそれを独学で身に着けた。

 ――それでいて傲慢にもならないで、増長もしない……

 その実力も異質なら、精神性もそうだと言える。
 ハティは世界一の自分の力をどこか弱いと思っているのか、とにかく強くなろうとしている。
 今回のリィナたちの遠征に同行したのも見知らぬ強者との出会いを求めてのこと。
 それなのにロストロギアやデバイスの強化には無頓着。
 戦闘スタイルも近代ベルカ式の方が合うはずなのに変えようともしない。
 使い魔となって一年以上経つのに未だにリニスは己の主のことを理解できなかった。

「――というわけだから、リニスも覚悟を決めてね」

「え……?」

 話を聞き流していたリニスはにっこりと笑うハティに嫌な予感を感じた。

「聞いてなかったの? ミッドに戻ったらなのちゃんたちに同行してあーたんの身体の呪いを速攻で解いて、そのまま一緒に海鳴まで行ってそこに住むから」

「いきなり何を言っているんですか!?」

 思わずリニスは叫ぶ。
 なのはたちに協力することには異論はない。

「海鳴って管理外世界ですよね? 私たちが移住できるはずないでしょ」

「ところがどっこい、何故かふーちゃんたちはそこに住んでいるんだよね」

「何をやっているんですか管理局は……」

 職権乱用している事実にリニスの中にある管理局のイメージが揺らぐ。
 フェイトが友達と一緒にいられることは喜ぶべきことなのだが、何故か納得いかない。

「それにしても急ですね」

「いつまでも会う勇気を持てないへたれな使い魔が正直ウザイ」

 あまりの言い草だが、言い返せないリニスは項垂れる。
 しかし、彼女の言うことも一理ある。気まずいのは自分だけ、きっとフェイトとアルフは自分が消えていないことに喜んでくれるはず。
 しかもそこにはプレシアもアリシアもいると聞く。
 つまりそこに自分が入ればテスタロッサ一家は勢揃いとなる。

「分かりました……正直に言えば私だってフェイトたちには会いたいですからね……
 そうと決まれば、すぐにあんな偽者は倒してアリサさんの呪いを……呪い?」

 自分の口から出た単語にリニスは首を傾げる。
 アリサの身体に呪いがかけられているなど、なのはたちの話では聞かなかった。それを聞いたのは直前のハティの言葉。

「ハティ……呪いってなんのことですか?」

「あーたんの身体が不自由になっている原因のことだよ……軽く診てみたけどリンカーコアに術式がつけられてたよ」

「軽く診てって……ならどうしてなのはさんたちはそのことを知らないんですか?」

「あーたんは知っているかもね……でも口止めされてるじゃないかな?」

「…………呪い系統の魔法を解くもっとも知られている手段が、術者を殺すことだからですか?」

「そう……しかもあの術式は分かり易くあーたんを任意で殺せるようにセットされてた……
 そんなことを今のなのちゃんに教えたら、トラウマとか状況も関係なしに行き着くところまで突っ走っちゃうかもしれないからね」

「それを知っているのはアリサさんだけでしょうか?」

「ここにいる人以外なら、シャマルとクロすけ君の二人は確実に知っていると思うな」

 また知らない名前が出てきたが、おそらくヴォルケンリッターの一人なのだろう。

「管理外世界の人間にそこまでするんでしょうか?」

「それだけの秘密がソラにはあるんでしょ?」

「貴女ならそれも知っているんじゃないんですか?」

 リニスの切り返しにハティは押し黙る。
 その様でリニスは知っているのだと判断する。

「ハティ……正直に言えば、私は貴女が言う前世の知識について半信半疑でした……
 ですが、なのはさんたちの話を聞いて貴女の知識が間違ってないことは分かりました……
 だから改めて訊きます、貴女の目的は何ですか?」

「御主人様に対して随分と上から目線ね」

「確かに私の身体は貴女のものですが、心まで貴女に差し上げたつもりはありません」

 はっきりと言うが、ハティはそれに特に不快感を示さずに頭をかく。

「私の目的……ね……」

 目を細めたハティの視線を受けてリニスは思わずたじろぐ。
 今まで見たことのない憂いに満ちた表情。
 普段が明るい顔ばかりだから余計にそのギャップが際立って別人に見える。

「私の目的はズバリッ!」

 しかし、次の瞬間にはハティは満面の笑みを浮かべて拳を握り込んで告げた。

「ふーちゃんにお姉ちゃんと呼んでもらうこと!」

「…………真面目に答えるつもりはないということですか?」

 一瞬でも彼女の雰囲気に飲まれた自分が恥ずかしい。

「えー私は真面目だよ……そのためにリニスを助けたんだし」

「ちょっと待ってください! それはどういう意味ですか!?」

「リニスを生かしておく、この大きな借りを盾にすればちょっとくらい無茶なお願いも……ふふふ……」

「貴女って本当に暴君ですねっ!」

 今更ながらリニスはこんな人間をマスターにしてしまったことを後悔するのだった。









[17103] 第四十一話 意地
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:1f4b6b07
Date: 2015/06/07 14:26


「…………何だ、これは?」

 目を覚ますと世界が逆転していた。
 比喩ではなく、本当に見える景色は逆さまだった。
 しかも身体がまったく動かない。

「なのはっ!?」

 少しでも情報を集めようと唯一動く首を動かすと気を失っている状態のなのはが見えた。
 髪を下に垂らし、首から足までロープで過剰なまでにぐるぐる巻きにされた姿。
 おそらくは自分も同じようにされているのだろう。

 ――いったい誰が……

 気を失う直前のことを思い出そうとしたところで目の前に空間モニターが開く。

『目が覚めたようね、弱ウサギちゃん』

 今までの脳天気な笑顔ではない、邪悪な笑みを浮かべるハティ・アトロス。

「てめぇ……」

 本性を表した彼女に憤りと彼女の罠にはまって拘束をされた無様な自分に怒りが湧き上がる。

「やっぱりてめぇは執行者の一味だったのかよ」

『ふふふ……』

「くそっ……」

 思わず悪態を吐き、なんとかしてロープを解こうと身をよじる。

『あーはははっ!』

 そんな姿をハティはヴィータを指差して笑う。

『一度やってみたかたんだよね、蓑虫拘束……安心して良いよ記録はちゃんと残してはっちゃんたちにも見せてあげるから』

「おいまてこら……この外道」

 先程までの邪悪な顔から一転、やはり脳天気な馬鹿顔をさらすハティをヴィータは半眼で睨みつける。

「これは何のつもりだ?」

 努めて冷静に、ここで怒ってはダメだと自分に言い聞かせてヴィータは尋ねる。

『んーとね、話せば長くなるんだけどね』

「さっさと話せ」

『偽者たちを誘い出す手段を考えずに弱ウサギちゃんたちは休んじゃったでしょ……
 で、いつまで経っても起きないし、起こそうとしてもアヴァンシアさんたちが『弱ウサギちゃんの眠りを妨げるなんて恐れ多い』とか言い出すから、私の案を強制的に実行しました』

 身体を揺らして視界を変えれば自分たちと同じように蓑虫にされて気を失っているリィナとテオの二人の姿もあった。

「まさかこれがお前の案か……?」

『うん……無防備に吊るして置けば勝手によってくるんじゃないかなって』

「お前馬鹿だろ! 分かっていたけど馬鹿なんだろっ!」

『ひっどいなー……じゃあ弱ウサギちゃんにはもっといい考えがあるの?』

「それは……」

 言い返されて言葉に詰まる。
 旅の疲れを理由にそれを決めるのを先送りにした。当然、覚醒したばかりの頭で具体的な考えを出すことはできない。

「だからって、こんな馬鹿丸出しの罠に引っかかる奴なんているかよっ!」

『じゃあ、もし来たらどうするの?』

「そん時は土下座でもなんでもしてやる!」

『へー……』

 ヴィータの言葉にハティは笑みを意味深に笑みを深める。

『うん……それでいいよ……来なかったら逆に私が土下座するし、何でも言うことを聞いて上げる……
 それじゃあ明日の日の出までそのままでいてね』

「……あ」

 しまったと気付いた時にはもう通信は切られていた。
 偽者たちが来ないことを証明するにはそれこそ彼らが活動が終わる夜明けまで待たないといけない。

「くそっ……馬鹿馬鹿しい」

『まさか自分で言い出した勝負から降りたりしないよね』

「おま――」

 言うだけ言って、すぐに通信は切れる。
 人の神経を逆撫でするその所業にヴィータはこらえ切れずに叫び散らした。

「この電波女っ! ぜってーに土下座させてアイゼンでタコ殴りにしてやるっ!」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「申し訳ありませんっ! ヴィータ様っ!!」

 声を大にしたリィナの謝罪でなのはは目を覚ました。

「あーもう……ハティの奴、まじで怒ってんなぁ……やばいな」

 続くテオの言葉を聞きながらまどろみから意識を浮上させ、なのはは世界が反転していることに気が付いた。

「何これっ!? えっ!? ヴィータちゃんどうしたのその格好……ってわたしもっ!?」

 まんがのようにロープでぐるぐる巻きにされたヴィータやリィナたちの姿に驚くも、自分が同じことをされているのにさらに驚く。

「申し訳ありません、なのは様……私がハティを止め切れていれさえおけば」

「いえ、リィナさんの責任じゃないですから」

 なのはが闇の書事件解決の最大功労者と聞かされてリィナはヴィータに次ぐ敬意を向けてくるようになった。
 いくら言ってもやめてくれない様付けになのははため息を吐く。

「それで……本当にこのまま朝になるまで待ってるの?」

 状況を聞いてなのははヴィータに尋ねる。

「当たり前だっ! あの電波女には絶対に土下座させて、泣くまでアイゼンで殴り回すんだっ!」

 息巻くヴィータ。
 ここ数日のふさぎ込んでいた彼女より今の方がずっと彼女らしいがそれを素直に喜ぶには言動が物騒だった。
 しかし、なのはは思わずため息を吐く。
 逆さになった景色は夕暮れ。今まさに日が落ちようとしている。
 程なくして偽者たちが活動を始める夜になる。

「いくらなんでも来ないよね……?」

 人を疑わない純粋な子供、そう定評されるなのはでもこんなあからさまな罠に引っかからない自信はある。

「だけどよ……」

 不意にテオが声をもらした。

「あのハティがこんな単純な手だけで済ませると思うか?」

「それは……」

 テオの言葉にリィナが息を飲む。
 同時になのはも悪魔のシッポを生やして笑うハティの姿を思い浮かべて納得した。

「じゃあ――」

 なのはが言葉を作ろうとした瞬間にそれは現れた。
 太陽の光が隠れた瞬間に立ち上った金色の光。それは巨大な槌となってなのはたちに目掛けて振り下ろされた。

「ええっ!?」

 咄嗟にただのロープの拘束を切ってその場から離脱――

「ちょ……何でっ!?」

 他の二人、リィナとテオも難なくロープを引きちぎり離脱を図るが、ヴィータだけがそれをできずにいた。

「ヴィータちゃんっ!」

 勢いをつけて飛び出したため、すぐに戻れない。
 金の巨槌がヴィータ目掛けて振り下ろされる。

「……っ」

 ――飛んで間に合う? それとも砲撃で巨槌を逸らす? それとも――

 手段を逡巡するなのはの目の前でヴィータの頭上、逆さまになっているからヴィータの下の地面に魔方陣が浮かび上がった。

「え……?」

 次の瞬間、爆発が起こる。
 派手な閃光。そしてカラフルな煙を尾にして吹っ飛ばされたヴィータは頭から地面に突き刺さった。そこでようやくロープが解けた。
 目を点にして、開いた口を閉じれないままなのはは呆然とその姿を目で追うことしかできなかった。

「ヴィータちゃん…………えっと……大丈夫?」

 恐る恐るなのはは動かないヴィータに声をかける。
 金の一撃は避けられたものの、それ以上のダメージを受けている気がする。
 どこか遠くで悪魔のような女が笑っているような気がした。

 ――うん、わたしは本当の悪魔にはなれないなぁ……

 そんなことを思いつつ、もう一度声をかけようとして――

『マスターッ!』

 次の瞬間、なのはの周りを鎖が取り囲んだ。
 縦横無尽に走る鎖が全方位から襲ってくる。

「っ……」

 問答無用の奇襲だが、なのはは動じずにアクセルスフィアを展開して自分の周囲を守らせる。
 いくつもの鎖を目前で撃ち砕き、それを放った相手を探し、シャマルの偽者、翠の軽鎧をまとった小さな少女を見つけた。

「あなたは……確かツァマルちゃん……」

「……死ね」

 何の言葉も交わす素振りもない殺人宣言。同時に薙ぎ払われた鎖の一撃をなのはは上空に飛び上がることで回避する。

「みんなは……」

 視線を巡らせればそれぞれに一人ずつ敵が分かれて戦いを始めている。

「今死ね、すぐ死ね、早く死ね、死ね死ね死ね」

「な、なんかものすごく怒っているような気がするんだけど……ハティさん一体何をしたんですかっ!?」

『聞きたい?』

「あ、やっぱりいいです」

 なのはの言葉に通信を開いたハティだが、彼女が浮かべる悪魔な笑みを見ただけでろくでもないことだと理解した。
 意識を切り替えてなのははシャマルの偽者に集中する。

 ――伸縮自在の鎖の魔法……

 縦横無尽に襲い掛かってくる薙ぎ払いを回避しながらなのはは分析する。

「…………?」

 分析するのだが、なのはは奇妙な違和感を覚えた。
 しかし、連続する攻撃にそれが何なのか考えている暇もなく、なのははレイジングハートを構える。

「――シュートッ!」

 六発のアクセルスフィアを撃ち出し三方向から来る鎖を打ち砕く。

『アクセル』

 そのままスフィアを加速させ、ツァマルを狙う。

「え……?」

 回避されることを想定し、スフィアの誘導に集中しようとしていたなのはは疑問符を浮かべた。
 十分な回避距離があるにも関わらずツァマルはシールドを張って弾丸を受ける。

「きゃあっ!?」

 しかもその衝撃を受け止めきれず、シールドは砕けツァマルは吹き飛ばされた。

「何で……?」

 呆然としている所に鎖が飛んでくる。

「しまっ――」

 咄嗟に腕を盾にして鎖を受け止める。が、予想した衝撃よりもずっと小さく鎖の方が弾けた。

「え……?」

 何が起きているのかなのはにはまったく理解できなかった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「あのくそ電波女っ! ぜってーに殺す殺してやるっ!!」

 拘束が解けたヴィータはまず先に虚空へと向けて叫び散らした。
 他の三人は簡単に解けた拘束が自分だけ解けず、ダメージがほとんどない爆発、受身を取れない墜落。
 これを仕込んだのが誰なのか、考えるまでもない。
 今すぐに、今の光景を見て笑っている電波女を殴りに行こうとしたが、ヴィータの前に自分の偽者が立ちふさがる。

「随分となめたことをしてくるわね」

「あぁっ!?」

 視線で人を殺しかねない眼光でヴィータは偽者を睨み付ける。
 が、対するビータも憤怒に染まった目でヴィータを睨み返す。

「ふん……本当に手足を縛った状態で私の一撃をかわしたからって調子に乗らないことね」

「分けわかんねーこと言ってんじゃねぇっ!」

 ぶつけられない怒りを目の前の敵に転化してヴィータはグラーフアイゼンにカートリッジをロードする。

「とりあえず死ねっ!」

「ふん、調子に乗るな小娘っ!」

 同じようにカートリッジを注ぎ込んだビータが金の大槌を振り上げる。

「あああああああああああああああああああああっ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 二人が雄叫びを上げて互いの槌をぶつけ合う。
 威力は拮抗し、互いを弾き合う。
 だが、二人は素早く体勢を立て直し槌を振る。
 足を止め、駆け引きのない愚直な殴り合い。
 まるで退いた方が負けだと言わんばかりの気迫をまとってぶつかり合う。

「……なるほど……私とここまで打ち合えるとは思わなかったわ……貧弱と言ったのは取り消して上げるわ」

「お前はしゃべるな気持ち悪い」

 自分を騙る存在。その存在は百歩譲って許せても、筋肉質で大柄それでいて女言葉で男だということは許せそうにない。

「生意気ね……」

 ビータは顔をしかめる。

「その年でそれだけの才……確かに英雄を騙るだけの力はあるようね」

「ちっ……」

 本物だと言い返そうとしたが、ヴィータは無駄だと思って舌打ちする。

「でも……」

 一際強い一撃にヴィータの腕はグラーフアイゼンを握ったまま撥ね上がる。

「まだ甘いっ!」

「――それはてめーの方だっ!」

 弾かれた勢いに逆らわず、ヴィータはバク転するように後ろに飛び、追の一撃をかわす。
 危なげなく足から着地したヴィータの目の前にハンマーを振り抜いたビータの無防備な隙がさらされる。

「アイゼンッ!」

 号令を合図にカートリッジがロード、そのまま魔力を上乗せした一撃を横薙ぎに打ち込む。

「ぐほっらっ!?」

「――ちっ」

 盛大に吹き飛ぶが、手応えは騎士甲冑を壊せていない。
 なので追撃を仕掛ける。

「潰れろっ!」

 横に飛んで行ったビータに一息で追い付き、縦にハンマーを振り下ろす。
 寸でのところで楯が張られて防がれる。
 しかし、受けた衝撃まで防げず地面に叩き付けられる。

「潰れろ潰れろ潰れろっ!」

 さらにヴィータは何度も楯を殴りつけビータを地面に埋め込んでいく。

「くそくそくそっ! 何でだよっ!」

 一打するたびに楯に亀裂が走るが、むしろこの程度の楯を一撃で壊せないことにヴィータは苛立ちを覚える。

「いい加減にしなさいっ!」

 楯を破壊してそのまま振り下ろされた一打をビータはその手で受け止める。
 そのまま押し込もうとするが、ビータはグラーフアイゼン越しにヴィータを持ち上げて投げ飛す。

「くそっ……」

 空中で体勢を整えて着地している間に、地面に埋め込まれたビータは力任せにそこから這い出る。
 仕切り直しとなって、ヴィータはグラーフアイゼンを構える。
 改めて自分の偽者をヴィータは観察する。
 大きな体躯に男らしい身体つき。にもかかわらず仕草がいちいち女くさい。しかも女言葉。
 他の偽者たちは許容範囲内なのにどうして自分だけと思わずにはいられない。

「何でだよ……?」

 自然と口からもれる言葉。
 だが、それは目の前の理不尽だけに向けられた言葉ではない。

「何で闇の書なんだよっ!? 何でいまさらっ!」

 今まで溜め込んできたものを吐き出すように叫ぶ。
 長い闇の書の呪いから解放され、はやてとの穏やかで平和な日々がこれからずっと続いていくはずだった。
 なのに、過去は逃がさないと言わんばかりに逃げ道をふさぐように現れた。
 前回闇の書の主。遥か昔の主の末裔。そして偽者。

「その歳でそれだけの才に恵まれた貴女には分からないでしょうね」

 ヴィータの叫びを別の意味で捉えたビータは見下した視線を向ける。

「力が欲しい……それはこの次元世界で誰もが持っている望み……貴女のような選ばれた存在には分かるはずないっ!」

「ざっけんなっ! お前に何が分かるっ!?」

 ビータの台詞で理解した。
 目の前の男女はかつての主たちと同じだ。
 闇の書の力に魅せられ、己の欲望のために勝手に振舞うヴィータが最も軽蔑する人種。

「貴女のような強者には絶対に負けられないっ!」

 偽者が叫ぶが、ヴィータはその言葉に耳を貸さずに笑みを浮かべた。

「そうかそうか……そうだったのか……」

 目の前に最低な主と同じ奴がいる。
 そう思うと気持ちが昂ぶる。
 かつては主従の関係からいくら不快感を覚えても何もできなかったが、今は違う。
 偽者と自分をつなぐ関係は敵対関係のみ、だから――

「こいつをぶっ殺しても誰も文句はねーよな」

 自分に言い聞かせるようにしてヴィータは獰猛な笑みを深める。
 しかし――

「見なさいっ! これが私のアルティメットスタイルッ!」

 ビータの叫ぶ声とともに広がるベルカの魔法陣。
 そこからの変化は劇的だった。
 騎士甲冑の装甲が内側からの圧力で弾き飛び、筋肉が盛り上がってただでさえ大きかった身体が一回り大きくなる。

「うわぁ……」

 身体の急所を守るための最低限な面積の防具。
 それ以外からは躍動する筋肉がこれでもかと言わんばかりにその存在を主張している。
 その姿は筆舌に耐えないもので、正視すらしたくない。
 殺気立っていたはずなのに、その気持ちは一瞬で霧散し、意識は空の彼方まで吹っ飛ぶ。

「これがわたしの偽者……これがわたしの偽者……これがわたしの偽者……これが――」

 目を泳がせてぶつぶつと現実逃避を始めるヴィータだが、ビータはそれに構わず巨槌を構える。

「くらいなさいっ! 金色の将が必殺の一撃っ!」

 金の巨槌からカートリッジが排出され、解放された魔力がその金色のボディを一際輝かせる

「ヴァーデン・シュテルンッ!」

 先程までと比べ物にならない突進力の速度に意識が崩れていたヴィータは完全に虚を突かれた。
 そして、それを立て直すよりも早く下から打ち上げるように振り抜かれた巨槌がヴィータにぶちこまれた。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ちっ……」

 バリアの向こうから大きな舌打ちの音が聞こえた。
 何度も繰り返される鎖の攻撃。
 それを防ぎ続けたことでなのはは違和感の正体に気が付く。

「レイジングハート……もしかしてこの子……」

『その通りかと思います』

 肯定の言葉になのはは安堵するよりも戸惑う。
 今まで戦ってきた相手を思い浮かべてなのはは少女と比べる。
 その少女はフェイトよりも早くない。
 その少女はヴィータほどの破壊力を持ってない。
 その少女はリィンフォースと比べて手札がない。
 その少女はシグナムのような技量もない。
 そして、その少女はデタラメではない。

『推定ランクB……非魔導師を除外して、今まででもっとも弱い敵対者です』

 歯に衣着せない報告になのはは過剰に警戒していた身体から力を抜く。
 その息を吐く動作を余裕と見て取りツァマルは目を吊り上げて憤慨する。

「馬鹿にしてっ!」

 激昂して繰り出される鎖による攻撃。
 鏃と鉄球が先に付いた二つがそれぞれ複雑な軌跡を描いて飛んでくる。
 だが、どちらもなのはのバリアジャケットに空しく弾かれる。

「殺傷設定……」

 しかし、見て取れる魔法の設定になのはは顔をしかめた。

「どうして……どうしてそんなことができるのっ!?」

 思わず叫んで問い質す。
 魔法は大きな力だ。その気になれば人を簡単に殺せる力なのに、彼女はそれを躊躇わず人に振るう。
 目の前の少女も、アリサに乱暴しようとした不良たちも、執行者たちも平然と人を傷つけていた。
 なのはにはどうしてもその気持ちが理解できなかった。

「っ……」

 しかし、答えは苛烈な攻撃。
 鏃が急所を狙ってくる。鉄球が遠心力と加速魔法を合わせて打ち込まれる。
 だが、そのどちらもバリアジャケットを貫通することができずにいた。
 それでも殺傷設定の攻撃にさらされるなのはは不快に顔を歪ませる。

「いい加減にしてっ!」

 レイジングハートを振り被ってアクセルシューターを撃つ。
 縦横無尽に走る鎖を粉々にして、そのままツァマルに殺到させる。

「っ……」

 防げないことを分かっているため、ツァマルはすぐに飛び、スフィアの一発を回避する。
 だが、そこに軌道修正した二発目が当たり、彼女の身体を跳ねさせる。
 一発スフィアが当たるごとに、空き缶のように撥ね上がる彼女の姿になのはは息を飲み、まだ当ててないスフィアを消す。

「ツァマルちゃんっ!?」

 戦闘を開始して彼女に直撃させたのはアクセルシューターのみ。
 それにも関わらず、彼女の騎士甲冑はほぼ全損し、意識を失ったのか真っ逆さまに地面に落ちていく。
 すぐになのはは飛ぶ。
 いくら彼女が嫌悪する人種であっても、見殺しにできるほど心を冷徹になることはできなかった。
 しかし、伸ばした手が彼女に触れる直前にその手に鎖が絡み付いた。

「捕ら――きゃあっ!?」

 咄嗟に身を引いたら、その慣性が鎖を伝ってツァマルの身体を振り回した。

「えっと……」

 ふざけているのかと思ってしまったが、振り回されながらも鎖を懸命に引いてこちらを動かそうとするツァマルを見てなんとも言えない気分になる。

 ――あ……ちょっと涙目……

 魔導師ランクの差。
 それだけでここまで一方的な展開になるとは思っていなかった。
 まるで弱い者いじめをしているようで気分が悪い。

「レイジングハート……終わらせるよ」

 宣告してなのははレイジングハートを構えた。
 いくらなのはが弱いものいじめをしたくなくても、降り掛かる火の粉は払いのける。

「っ……」

 砲撃の姿勢を作ると脳裏に自分を化物とののしった男の顔が浮かぶ。
 だが、もう覚悟は決めている。震えそうな手でレイジングハートを強く握り締め、魔力を――

『マスターッ!』

 レイジングハートの声が響く。
 鏃を失って、ただ腕に絡み付いていただけの鎖。
 その先端に新たな鎖と鏃が再構成されてなのはの額に目掛けて襲い掛かる。

「っ……」

 本能的になのははその攻撃に危機感を感じた。
 砲撃に魔力と集中力を割いたことによって、バリアジャケットの防御力はわずかに落ちている。

 ――まさかこの一瞬を狙ってっ?

 そうと理解してもなのはに対処する時間はなかった。
 鏃が眼前でバリアジャケットを構成するフィールドと衝突して互いの魔力で火花を散らせる。
 結果、なのはの危機感は杞憂に終わった。
 今までと同じように鎖はバリアジャケットを貫通することができずに弾かれる。

「ほっ……」

 思わず安堵の息が漏れる。
 しかし、息を吐いて気が付いた。腕に絡みついた鎖に再構成された鎖は二本。
 内一本は今目の前で弾かれ、もう一本はなのはの身体を伝って首に絡み付いていた。

「っ!?」

 咄嗟になのははその鎖を掴む。
 首への攻撃ならバリアジャケット越しでもわずかに圧迫できれば効果は出る。
 首にかかる圧迫感。無理やり手を入れたことによって息が止まるのを防ぐことはできた。しかし――

「今度こそ捕らえた……爆導索」

 ツァマルの言葉を合図に鎖が発光し、爆発した。

「――っ!」

 悲鳴を上げることさえできずになのはは凄まじい衝撃を受ける。
 実際には爆発の規模はそこまで大きくはない。
 だが、爆発の指向性を内側に向けられての零距離爆破。
 いくらなのはのバリアジャケットがその爆発を受けてさえ健在だったとしても、その内側まで守り切れるものではなかった。
 首に受けた衝撃になのはの意識は激しく揺さぶられ、電源が切れるようにその意識は途切れた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 咄嗟に庇った左腕とそれごと潰された左半身は筆舌にできないものとなっている。
 天高く打ち上げられたヴィータはまるで他人事のように自分の身体を見ていた。

「ははは……」

 身体に走る激痛はかなりのもの、にも関わらずヴィータは笑っていた。

 ――懐かしい痛みだ……

 かつての蒐集の日々、人扱いされず酷使され続けていた頃ではこんな損傷は日常茶飯事だった。
 だからこそ、思考がかつてのものに回帰する。
 あの頃は、どれだけ傷付いても休むことはできなかった。
 あの頃は、どんな怪我を負ってもただ敵を壊すことだけを考えていればよかった。

「あははははは……」

 人間なら致命傷の一撃を受けて、ようやく思い出して認識した。
 どんなに取り繕っても自分は人間じゃない。
 穏やかな生活を与えられても、どこかで自分は壊し壊される戦いを求めていた。
 それが自分の本質だった。

「あーはははははははははっ!」

 狂ったように笑う。
 ぬるま湯のような穏やかで優しい日々。
 それも悪くはなかったが、やはり自分にはこっちが合っているのだと自覚する。
 壊すべき敵がいて、それを邪魔する主の意向もない。自分が今自由なのだと理解する。

「まずはあいつをぶっ壊すっ!」

 笑うのをやめたヴィータは今なお上に飛んでいる力を押さえ込んで、逆に地上へと急降下する。
 同時に取り出したカートリッジをヴィータはあろうことか、口に入れ飲み込んだ。
 体内に備わった機能が起動して取り込んだカートリッジを体内で解放する。

「くっ……」

 身体の内部、それも制御機構もなしに行ったカートリッジ解放。
 それに伴う身体が破裂しそうになる衝撃をヴィータは歯を食いしばって耐える。
 直接体内に取り込むことで、損失効率を限りなくゼロにしてカートリッジの魔力を十全に使用できる。
 普通の人間が行えば内臓が破裂するが、魔導生命体であるヴィータによって身体の損傷など見かけ上のものでしかない。
 どれだけ人間の痛みを模倣したところで、自分を構成している術式が無事ならどこまでも無茶が効く。

「ぐっうううっ」

 悲鳴を押し殺し体内の魔力を操って身体の損傷を修復させる。
 折れて砕けた骨を接ぎ直し、潰れて破裂した筋肉を張り替える。
 シャマルがいれば痛覚を遮断した状態で直してくれただろうが、ヴィータにはそんな器用な真似はできない。
 痛覚を残したまま損傷を修復する行為は言わば麻酔のない手術と同じ。
 しかし、神経を直接いじる激痛も昔の自分にとっては些細なことでしかない。

「アイゼンッ!」

 地表が近付いてくる。
 流石は自分の偽者。かなりの距離まで打ち上げてくれた。

「お返ししてやらねーとなっ!」

『了解』

 カートリッジを一発ロードする。
 
「くらえっ!!」

「何ですって!?」

 戻ってきたヴィータに偽者が驚愕に目を見開く。
 硬直するビータに対して、ヴィータはあえて偽者の眼前をかすめるようにグラーフアイゼンを振り抜き、地面に叩き込んだ。
 その衝撃に地面が爆ぜ、大地に大きな亀裂が走る。

「私の必殺の一撃で無傷ですって!? それにこの一撃は……」

 ヴィータが健在であること、そして今目の前でやった大地割りにビータの声が震える。

「久しぶりにやったけど、こんなもんか」

 割った亀裂の大きさを見て、今の調子を確かめてヴィータはグラーフアイゼンを肩に担ぐ。
 グラーフアイゼンを叩き込んで大地を割るベルカ式対軍攻撃魔法『ボーデンシュラーク』。
 空戦が主戦場となるため使う機会は滅多にないが、戦時中は大軍を相手にこれで一掃したものだ。

「さてと……じゃあ次はこれをてめーに叩き込む」

 グラーフアイゼンをビータに突き付けてヴィータは獰猛な笑みを浮かべる。

「ぐっ……」

 雰囲気がまるで違うヴィータに気押されてたじろぐビータ。

「どうした? 早く構えろよ……てめーには一度あたしの一撃を止められてんだ……
 だから不意打ちで終わらせるつもりはねーんだよ」

 動揺しているビータに声をかけて正気にさせる。
 その言葉にビータは目を閉じて深呼吸をする。
 そのまま、金の巨槌にカートリッジを再装填する。

「ボルケンリッター……金色の将、ビータ、参るっ!」

「ヴォルケンリッター……紅の鉄騎、ヴィータ……よく覚えておけっ!」

 二人が同時に動く。
 カートリッジを上乗せした、一撃必倒の破壊の一撃が激突する。

「ヴァーデン・シュテルンッ!!」

「テートリヒ・シュラークッ!!」

 二つのハンマーのぶつかり合い。
 轟音は大気を震わせ、衝撃が地面を揺らし、一方のハンマーが相手のそれを粉々に打ち砕く。

「っ……!?」

「よしっ!」

 砕けたのは偽者、ビータのハンマーだった。

「まだよっ!」

 しかし、自失は一瞬、ビータはすぐに丸太のような腕を振り被る。
 即席とは思えない堂に入った拳。
 渾身の一打を振り切り、死に体をさらすヴィータにそれをかわす余裕はない。が――

「あめーんだよ」

 振り切った体勢から、ヴィータはグラーフアイゼンのブースターを起動し、独楽のように回転する。
 回転した初撃で打ち込まれた腕を横殴りに砕き、さらに回転を重ねて脛、太もも、胴、肩を順番に殴りつける
 怒涛の連続攻撃にビータの半身が血で染まる。
 そして、横の回転を身体を捻って縦に変え、下から残っているカートリッジの燃料を全て使い切って加速させた一撃をビータの胸に叩き込んだ。

 ――通ったっ!

 腕にかかる確かな手応えにヴィータは勝利を確信してビータを空高く打ち上げる。
 先程のヴィータと同等、いやそれ以上に高く打ち上げられたビータが落ちてくるのをヴィータはワクワクした気持ちで待つ。
 が、いつまで経っても落ちてこない。

 ――おかしい……

 流石に成層圏を突っ切ってお星様にできたとは思えない。
 警戒を強めるが、すぐにそれは降りてきた。

「てめー……何のつもりだ?」

 打ち上げたビータの首根っこを掴み空から降りてきたハティ・アトロスをヴィータは睨む。
 ハティはそんなヴィータを一瞥してから、ビータを無造作に地面に投げ捨てた。

「気を失った状態で地面に墜落したら死んじゃうからね、不可抗力ならともかくそれは困るでしょ?」

「そんな奴、生かしておく理由なんてねーだろっ!?」

「だからって、貴女が殺したら誰が責任を取ると思っているの?」

「責任……? そんなもん知るか!」

 ヴィータの答えにハティは深々とため息を吐く。

「貴女は保護観察を受けている立場なんだよ……
 事情はあっても、その監視の目を盗んで今ここにいるのにそこで人殺しなんてしたら、更生の余地なしって判断されるよ」

「だからそれがどーした?」

「最悪はっちゃんが責任を取らされて永久封印っていうことも」

「っ……だ、だから何だって言うんだ!?」

 一瞬言葉に詰まるが、はやてに捨てられたことを思い出して反発する。

「だいたい生かしておいてどうすんだよ? あたしらはこいつらを管理局に突き出せないんだぞ」

 ミッドチルダに密入国を謀っている自分たちが通報したら、偽者たちと同じように逮捕されてしまう。

「そんなのアヴァンシアさんたちに任せればいいの」

 あっさりと論破されてヴィータは歯噛みする。

「とにかく――あ、なのちゃんがやられた」

 話を切ろうとしたハティが唐突に上を見上げて呟いた。

「何……? なのはの相手はシャマルの偽者のガキだろ……そんなにやばい奴だったのか?」

「ううん……格下も格下、偽者ボルケンリッターの中でも一番弱い子だったよ……
 敗因はなのちゃんが油断して慢心して過信したあげく、情けをかけたせいだね」

「おいおい」

 戦場のタブーのオンパレードにヴィータは呆れてしまう。

「それでどうする? この筋肉ダルマにとどめを刺す? それとも他の偽者たちを倒しに行く? ちなみに時間はあと十分」

 笑みを乗せた言葉にヴィータはハティを睨む。
 あからさまな挑発。
 しかし、自分の偽者を倒して溜飲が多少は下がったヴィータはムキにならずに他の戦場を見渡した。

 ――シャマルの偽者はボロボロだな……あとは……

 リィナとテオが相手をしているシグナムとザフィーラの偽者。
 本物ほどではないが、少なくてもリィナたちよりも強いのは見て取れた。それに目立った消耗もない。
 彼らの強さ、それから消耗の割合からヴィータは時間内で倒せるか判断する。

「無理だな」

「あ、意外と冷静」

 状況を正しく判断したヴィータにハティは意外そうな感想をもらした。

「てめーはあたしを何だと思ってやがる?」

「弱ウサギちゃん」

 即答の答えにヴィータは眦を上げるが、怒鳴るのは我慢する。

「そういう次元世界最強様は三分で終わらせられるんだよな?」

 実際に戦ってみてそこまで弱い敵ではないというのがヴィータの評価だった。
 ハティの戦闘スタイルはミッドチルダ式でありながら槍での近接特化型。
 視認困難な突きがもっとも効果が発揮されるのは近距離から中距離まで。
 そういう意味ではベルカの騎士にとっては天敵といえる。
 だが、すでにいくつかの弱点をヴィータは見つけている。

 ――射程そのものはそこまで広くはねー……それに攻撃力も守りを固めれば防げる……

 ハティと戦うことを想定して戦術の組み立ては行っている。
 リィナたちが知っている情報は全て話させたが、やはり自分の目でも見ておきたい。
 自分の偽者を倒して満足したヴィータは意地を張るよりも、敵情視察を選んだ。

「もちろん……でも、やっていいの? まだ時間残ってるよ?」

「あいつらにはあとであたしから言っておけば大丈夫だろ」

「それもそうだね」

 頷いてハティはその手に槍を持つ。

「それじゃあ、まずはなのちゃんを倒した偽シャマルを――あれ……?」

 その場で槍を構えようとしたハティはその動きを止めた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ――また負ける?

 暗闇に落ちたなのはの思考に敗北の二文字が浮かぶ。
 相手は格下だった。
 それ故に油断して、彼女の必殺技を受けることになった。
 魔法が人を簡単に殺せるものだと分かっていたはず、なのにバリアジャケットに守られているからと油断した。
 自分だってバリアジャケットの中身はただの人間に過ぎないのに、それを忘れて彼女の攻撃は安全だと判断してしまった。

 ――馬鹿だ……わたしは強くないって思い知らされたはずなのに……

 圧倒的な実力差を覆す意志の力。
 それはなにもなのはだけの専売特許などではない。

 ――ああ、ソラさんたちが言ったことは正しかった……

 人を殺す覚悟のある者の力を思い知らされた。
 覚悟がなく、非情になれなかった自分は彼女を倒し切れなかった。

 ――約束、破っちゃったな……

 お父さんと交わした生きて帰るという約束。
 なのに、致命の一撃を受け死に直面している。
 一つの判断ミスが、決定的な破滅の結果をもたらす。
 全ては自業自得。
 弁明のしようのない結果をなのはは薄れ閉じていく意識の中で受け入れるしか――

『なのはっ!』

『なのはちゃんっ!』

『なのはっ!!』

 響いた三つの声が途切れかけた意識を繋ぎ止めた。
 目をこじ開けて先には襲い掛かってくるツァマルの姿が眼前に迫っていた。

「っ……」

 身体を捻って、胸をえぐるために突き出された手をかわす。
 彼女の魔力光に彩られた指先がなのはの肩をかすめて鮮血が散る。

「しぶとい」

 意識レベルの低下によってバリアジャケットの構成が甘くなっているのか、彼女の攻撃がなのはの身体に届く。
 混濁する意識。歪む視界。鉛のように重い身体。
 気を抜けばすぐにでも意識が飛びそうな状況だが、それでもなのははレイジングハートを強く握り締めた。

「馬鹿だな、わたし……」

 何を勝手に諦めていたのだろう。
 自分がここにいる目的を忘れて、目の前の少女のことを気にかけていた自分をなのはは自嘲する。

「そんな余裕……わたしにはないのに……」

 その言葉を自分に言い聞かせて、なのははツァマルを、敵を見据える。

「ごめんなさい」

 首にダメージを負ったせいでその声は小さくか細い。
 距離が遠いツァマルには届かないと分かっていながら、なのはは謝る。

「できればあなたとちゃんとお話したかった……わたしでできることなら手助けしてあげたかった。でも――」

 三人の声で思い出した。
 何をするためにここまできたのかを。

「わたしはアリサちゃんを……みんなを守る……」

 自分が巻き込み足が動かなくなってしまったアリサ。
 彼女をクラナガンに連れて行き、魔法由来の治療を受けさせること。
 彼女を狙うだろう執行者の魔の手から守ること。
 それを通すためにも――

「わたしはここでやられるわけにはいかないっ!」

 叫び、レイジングハートを突き出して構える。
 カートリッジを連続でロードして魔力を充填させる。

「ディバイン――」

 今度は躊躇わずに引き金を引く。

「――バスターッ!!」

 しかし、爆破されて痛めた腕が砲撃の衝撃を支え切れず、狙いが大きく外れる。
 野太い桜色の砲撃はツァマルにかすりもせず、虚空を貫く。

「チェーン・マインッ!」

 なのはのミスを絶好の好機と見て、ツァマルは二本の鎖を放つ。
 未だに砲撃が途切れていないなのはにその攻撃を避ける術はない。
 それどころかバリアジャケットが不安定な現状では先程までのように防げるとは思えない。

「っ……こっ――のぉっ!!」

 放射し続けている砲撃を撃ち出してまま、なのはは力任せにレイジングハートに横に振り抜いた。

「なっ!?」

 迫る鎖が薙ぎ払われる桜色の砲撃に飲み込まれ、その延長線上にいるツァマルを巻き込む。

「な、何が――ひっ……」

「うおおおおっ!?」

 レイジングハートを振り切るまでに、別の悲鳴が二つ聞こえたような気がしたが、それを聞くだけの余裕はなのはになかった。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 感覚がなくなった右腕を押さえてなのはは息を切らせる。

「あ……もうダメ……」

 相手の撃墜を確認する余力はなく、なのはは飛行を維持できずに墜落した。

「おっと、なのちゃん……そのまま墜ちたら死んじゃうよ」

「……ハティ……さん」

 何処からともなく現れて、落下していた自分を抱き止めてハティはゆっくりと地上へ降りていく。

「ハティさん……ツァマルちゃんは?」

「安心して良いよ……なのちゃんの砲撃薙ぎ払いで見事に撃墜、ついでに偽ザフィーラとオペル君も巻き込んだけどね」

「え……?」

「安心して良いよ、オペル君は身体だけは頑丈だからなのちゃんの砲撃の一発や二発直撃しても死んだりはしないから」

 死にはしない。墜ちたかどうかを言及していない言葉。なのはは笑って言ってのけるハティに様に笑うことはできなかった。

「それにしても随分と無茶したね……これ折れてるよ」

 全身を触って怪我の具合を診断するハティの手付きをくすぐったく感じるだけで、彼女が指す腕には痛みを感じない。

「そんなはずは……ぜんぜん痛くなんて――っ!?」

 ハティの言葉を否定しようとしたところで、その腕と首から走る激痛になのはは声にならない悲鳴を上げる。

「脳内物質による一時的な鎮痛、聞いたことくらいはあるでしょ?」

 乱暴な手付き、わざと痛がるようにハティはなのはの折れた腕に添え木を当て固定する。

「あ……あの……魔法で……」

「成長期に過渡な治癒促進は成長の妨げになるし、身体に歪みが残るからダメ」

「で、でも……」

「治せる時には自然治癒に任せるべき……どちらにしろここではそこまで強力な治癒魔法はできないから我慢するんだね」

「せ、せめてもう少し優しくしてください」

 涙目で訴えるが聞いてもらえず、なのはは痛みに耐えながら応急処置をされる。

「あの……他の……ヴィータちゃんたちは……?」

「弱ウサギちゃんはなのちゃんが爆破される少し前に終わってたよ……
 アヴァンシアさんの方は、なのちゃんの砲撃に驚いて隙を見せた偽シグナムを斬り伏せてお終い」

 みんなちゃんと相対した敵を倒したと聞いてなのはは安堵する。

「あの……ハティさん」

「ん……何、なのちゃん?」

「ハティさんはわたしたちのこと知っているんですよね?」

「そうだけど……?」

「なら……ツァマルちゃんたちのことは知ってるんですか?」

 なのはの問いにハティは空を仰いで困った顔をする。

「流石にそこまでは知らないけど……なのちゃんが聞きたいのは彼女たちが闇の書を求める理由かな?」

 コクリと頷くと、ハティはもう一度困った顔を作る。

「知らないけど、予想はできる……でも、あんまり気分のいい話じゃないよ」

「それでも良いですから、教えてください」

 真摯な眼差しにハティはため息を吐いた。

「次元世界は実力主義なのは身を持って知っているでしょ?」

「はい」

 なのははハティの言葉に頷く。
 次元世界では就業年齢は地球の日本に比べて低い。
 自分が管理局で働こうとしているのがいい証拠だ。

「実力主義、なんて言えば聞こえはいいかもしれないけど、それってつまり弱肉強食なんだよね」

「弱肉強食……?」

「そ、強い人や才能がある人は相応の地位を約束されるけど、能力が低ければ逆に見向きもされない」

「それは……言い過ぎじゃないですか?」

「例えば……そうだね……
 ふーちゃんがもっと弱かったらどうなってたと思う?」

「会った時にわたしが勝ってたと思います」

「…………なのちゃん、実はふーちゃんに負けたこと根に持ってる? ブレイカー叩き込んだだけじゃ満足してないの?」

 なのはの返答にハティは半眼になって呆れる。

「そ、そんなことないですよ」

 明後日のほうに視線をさまよわせるなのはに、ハティはため息を吐いてから続けた。

「ふーちゃんはPT事件の裁判で嘱託魔導師の資格を取ることで減刑していたけど、それは管理局がふーちゃんの力に利用価値があるからって判断したから……
 もし、その力がなかったらふーちゃんは嘱託試験を受けることはできなくて、減刑されることもなかった」

「そうかもしれないですけど……」

「管理世界では魔導師は強ければ優遇されて、弱ければ冷遇……この場合は何の恩恵も受けることができないって言った方が正しいかな……
 ま、そのせいで才能がある人とない人では大きな差ができちゃうんだよ……
 そこで出てくる差別意識……才能がない人たちは見下されて扱われる」

「わたしはそんなこと――」

「なのちゃんの問題じゃないんだよ……
 それにこういう問題は管理局特有のものでもないしね」

 反論しようとするなのはをハティはなだめる。

「ま、そういう人たちは早々に見切りをつけて別の道を探すけど、中にはどんな侮蔑、嘲笑を受けてもその道を進もうとする人はいる……
 彼らの原動力はそれぞれだけど、その中でも間違った方向に進んじゃう人がいる……それがああいう人たちだよ」

 ハティが指差した先、自分が撃墜したツァマルを見る。

「同情する必要はないよ……あの子たちがどんな事情を抱えていたとしても、あの子達は外法に手を出して他人を犠牲にした……
 なのちゃんがしたことは間違いじゃない」

 しかし、いくら肯定されてもなのはの胸の中で生まれたもやもやは晴れない。
 
「その後味の悪さ、忘れないほうが良いよ」

「え……?」

 内心を見透かしたようなハティの言葉になのはは俯いていた顔を上げた。
 見上げた彼女の顔は優しげで兄姉を思い出させる。
 強張っていた身体から力が抜ける。それに伴って意地で繋ぎ止めていた意識が遠のいていく。

「でも――」

 続くハティの言葉を最後まで聞くことはできずになのはは今度こそ、その意識を闇に落とした。

「この程度で打ちのめされていたら、あの人の真実なんてとても受け止め切れないんだからね……なのはちゃん」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「わああああああああああああああああああっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「きゃあああああああああああああああああっ!!!」

 目の前で起こる老若男女入り乱れた大歓声にヴィータは圧倒されてその場に立ち尽くした。

「うおおおおおっ! 本物のヴィータ様だっ!」

「ヴィータ様が、ヴィータ様が御降臨なされたっ!」

「見なさい……あの御方が私たちの英雄、紅の鉄騎ヴィータ様よ」

「…………何事ですか、これは?」

 背後からアミティエがそこにいる全員の気持ちを代弁して呟く。
 テオたちの次元航行艦から降りたヴィータたちを待ち構えていたのは人、人、人。
 一面、埋め尽くされた人の海。
 その全ての人の目がたった一人、自分に集中していた。

『ヴィータ様、ばんざーい! ヴィータ様、ばんざーーい! ヴィータ様、ばんざーい!』

 熱狂に侵された群衆の万歳三唱。
 鳴り止む気配が微塵もない声援が何度も繰り返される。
 しかも、前を先導していたはずのリィナとテオもいつの間にか群集の最前列でヴィータを讃えていた。

「…………あ、私はミッド式の魔導師だから」

 ヴィータたちと同じように呆気に取られていたハティが我に返ってヴィータから一歩退いて距離を取る。

「私はそのミッド式魔導師の使い魔です」

 同じようにリニスが己のマスターに続く。

「えっと……」

「ゆーくん、はっきり言っておいた方がいいよ」

 戸惑うユーノにハティが諭すように肩を叩く。

『ヴィータ様、ばんざーい!! ヴィータ様、ばんざーーい!! ヴィータ様、ばんざーい!!』

「ほら、みんなも」

 同じようにハティは呆然としているアリサたちに距離を取らせる。

「ちょっと待て」

 そこでようやく我に返ったヴィータが言葉を作る。

「うおおおおおおおっ! ヴィータ様の御声がっ!」

「ヴィータ様っ! ヴィータ様っ!! ヴィータ様っ!!!」

「ぐすっ……もう一度ヴィータ様の御声が聞けるなんて……」

 そのヴィータの声に反応してより大きな歓声が上がる。

「聞こえなーい……周りの声が大きくて何にも聞こえませーん」

 白々しい言葉でハティはユーノたちをヴィータから遠ざける。

「頼むから待ってくれよっ!」

 ハティに対しての不信感や敵愾心は消えていない。
 それでも懇願して退き止めずにはいられなかった。

『ヴィータ様、ばんざーい!!! ヴィータ様、ばんざーーい!!! ヴィータ様、ばんざーい!!!』

 なおも鳴り止まない大歓声はヴィータの気持ちとは別に何度も繰り返された。










[17103] 第四十二話 苦悩
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:ccd75bff
Date: 2015/06/14 10:02



「大人しく観念するんだね、なのちゃん」

「ハティさん……」

 謝りながらもにじり寄るハティになのはは後退りながら逃げ道を探す。
 だが、戦闘者として圧倒的な差のある彼女から隙を見つけることはできなかった。

「すずかちゃん」

「ごめんね、なのはちゃん……でも、なのはちゃんのためなの……」

 頼みの綱のレイジングハートはいつの間にか彼女の手の中に。
 ユーノもアリサもヴィータも、三人の後ろで見ているだけで助けようとはしてくれない。

「どうして……?」

「どうしてじゃないわよ、いいからこっちの言うことを聞きなさい」

 アリサが怒った口調でなのはを従わせようとするが、それに頷くことはできなかった。

「でも、わたしはっ……アリサちゃんを守るために――」

「そんなこと今はどうだっていいのよっ!」

「まあまあ、落ち着いてあーたん」

 激昂するアリサをハティがなだめる。

「でも、あーたんの言う通りだよ……私たちだって手荒なことはできればしたくないの……
 だからなのちゃん、いい子だから大人しくしてね」

 笑みを浮かべながらハティは無造作に間合いを詰めてくる。
 咄嗟に後ろに退くが、すぐに背中が壁にぶつかって逃げ道はない。

「さあ、なのちゃん……」

「いや……いや……い――」

「はい……周りの迷惑だから静かにしてね」

 悲鳴を上げる寸前に、無造作に間合いを詰めたハティに口を塞がれる。
 それだけではない。
 もう片方の手で肩を掴まれただけで、抵抗の動きを全て抑え込まれてしまう。

「大丈夫、だいじょーぶ……痛いのは最初だけだから」

 反論は許されず、力尽くになのはは引き摺られる。
 その姿を助けることは誰もしなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「それでは一週間、安静にしていてくださいね」

 首と折れた腕をギブスで固められたなのはを置いて、医者は診察を終えて去っていく。

「うう……なんでこんなことに……」

 ベッドの上で涙目になって嘆くなのはにユーノは苦笑する。

「仕方ないよ、殺傷設定の魔法を首元で起爆されたんだから、普通のバリアジャケットだったら死んでいたかもしれないんだよ」

「でも、わたし……アリサちゃんを守るために戦わないといけないのに」

「だからって、今のなのはが戦ったりしたら命に関わるんだよ……そんなこと誰も望んでないよ」

「それは分かってるけど……」

 口では納得していると言っているが、全身で不満だと告げている。
 ユーノは表向きでは苦笑し、内面では安堵していた。

 ――ハティさんには感謝しないと……

 なのはは友達のためなら自分を省みない。
 しかも、いくら言葉を尽くしてもそれを振り切って突き進む。
 もし、ここでアリサの診断結果を彼女が聞けば、当てもないのに飛び出していく姿が容易に想像できる。

「ところでアミタさんの方はどうだったんですか?」

 彼女の意識を逸らすように
 隣のベッドに身起こしているアミティエにユーノは話を振った。

「私の方も一週間ほど入院だそうです……体内のウイルスの特定に時間が掛かるそうです」

「それもそうか」

 彼女は人間ではないギアーズと呼ばれる機械の人工生命体。
 その構造は管理世界でもオーバーテクノロジーに近い存在なのだろう。

「私も……ゆっくりしていられないんですけどね」

「記憶が戻ったんですか?」

「いえ、それはまだですけど……でも、私の心が早くキリエを探さなくちゃって急かすんです」

 逸る気持ちを抑えるように胸に手を置くアミティエの姿が身近な誰かに重なる。具体的には目の前の少女が。

「二人とも気持ちは分かるけど……今は大人しくしててよね……
 当てなんてないんだから動いたって野垂れ死にするだけなんだからさ」

「で、でも……」

「ですけど……」

 二人が声を重ねて反論する。
 が、二人は顔を合わせた後に押し黙る。

 ――本当にハティさんの言ったとおりだな……

 同じ気質の二人を同室にしておく指示はハティによるもの。
 自分のことを省みないが、他人の無茶を止めるために無茶をしても止める二人を一緒にしておけば不測の事態が起きない限り大人しくしているはず。

「キリエさん、妹さんのことについては僕たちも協力します……管理局に伝手がありますから特徴を思い出してもらえるなら一人で探すよりもずっと効率的です」

「…………よろしくお願いします」

「なのはも、とりあえず執行者も僕たちが何かをしないかぎり事態は動かない……だから今のうちに調子を万全にしておいて」

「……うん」

 不承不承でも頷く二人。
 問題が目の前にあれば無茶をしても、なければ分別はつく。

 ――これもハティさんの言うとおりか……

 初対面のはずなのに、二人の性格を見透かす彼女についてユーノは考える。

「それじゃあ、僕はリィナさんたちと話があるから行くけど、絶対に無茶はしないでよ」

 最後に釘を刺してユーノは二人の病室から退出する。
 扉がしまったことを確認してユーノは溜めていた息を吐き出した。

 ――常識的に考えて前世の記憶で僕たちのことを知るのは不可能だ……それでもそんな分かりやすい嘘を吐く理由はなんだ?

 分かりやすい闇の書の信奉者の存在はいい。
 しかし、未だに何を考えているのか分からないハティ・アトロス。
 それが直前のやり取りでいっそう深まった。
 なのはたちには事態が進まない限りと言ったが、事態はとっくに進んでいる。
 それも自分たちの手の遠いところで。
 ユーノは彼女がなのはを医者に突き出した後のことを思い出した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「さてと、なのちゃんとアミちゃんはこれでよし」

 診察室に今言った二人を放り込んだハティは一仕事終えたとばかりにかいてない額の汗を拭う。
 その光景にアリサは安堵した。

「まあ、一応お礼は言っておくわ」

 聞けばなのはの負傷は前の戦闘の時だけではなく、AMF状況下で無理な魔法行使をした反動でリンカーコアがかなりの疲弊した状態だったらしい。
 未だに怪しさしかない相手だが少なくても自分たちに害をなそうとしているわけではないことは認めるしかない。

「これくらいいいよ、それよりもあーたん、ちょっと付き合ってもらえるかな?」

「付き合うって……どこに?」

「んー……ここの屋上でいいや」

「…………いいわ」

 少し考えてアリサは頷く。わざわざ場所を変えてしたい話とハティが言ってきた。
 少しでも彼女の情報を得るためにアリサは頷く。

「ちょっと待って」

 しかし、それにユーノが待ったをかける。

「流石に君たちを二人だけにすることはできないよ」

「ユーノ、そうかもしれないけど」

 アリサとてハティと二人きりになる危険性は理解している。
 それでもあえてその危険を踏まなければいけない必要がある。

「あれ……? ゆーくんも一緒に来ないの?」

「はい……? えっと二人っきりで話がしたいんじゃないの?」

「え……私、そんなこと言った?」

 きょとんと首を傾げるハティにアリサは言葉を失う。

「ちょっと待ってなさい」

 それだけ言って、アリサはユーノとすずかの三人で円陣を組む。

「ねえ、これってわたしたちの警戒心が完全に空回りしてるだけじゃない?」

「もしかして、あの人は天然なのかな?」

「悪い人じゃないのは確かだと思うんだけど……」

 三人そろってハティを見るが、彼女は言われたとおりその場で待っている。

「できればなのちゃんたちの治療が終わる前に済ませたいから早くしてね」

 要求はそれだけ、特別急かすこともしない。

「……とりあえず、行ってみるしかないわね」

 アリサの言葉に二人は頷く。
 すずかに車椅子を押してもらい、ユーノは念のためにと先導するハティとアリサたちの間を歩く。
 何事もなくエレベータに乗り込み、何事もなくそれは屋上に辿り着く。
 改めてみる次元世界の光景はアリサが予想していたものとは違った。
 近未来のSFのような世界を密かに楽しみにしていただけに、地球の日本と大して変わらないコンクリートのビル郡に落胆を感じずにはいられなかった。

「それで……こんなところで何の話?」

「え……話って何のこと?」

 先程と同じように首を傾げるハティにアリサは眦を上げる。

「あんたが付き合えって言ったんでしょうがっ!?」

「うん、だからここに来てくれただけで用は済んだよ」

「それはどういう意味よ?」

 言葉を返しながらアリサはハティが自分を見ていないことに気が付いた。
 彼女の目は自分たちではないどこか遠くを見て、何かを探していた。

「…………見つけた」

 不意に呟いた言葉。

「待ちなさいっ!」

 ハティが次の行動を取る前にアリサは声を上げた。

「ん……どうかしたのあーたん?」

 何事もなかったように笑顔を向けてくる彼女にアリサは顔をしかめて尋ねる。

「あんた、何のつもり?」

「何のつもりって、何のこと?」

「あんたが今しようとしてることはこの世界を敵に回すことじゃないの?」

「そんなことないよ、あいつらは今はまだ存在を認められてないから……だからあーたんが考えてるようなことにはならないよ」

「でも……あんたがそこまでする理由は何?」

「これは私にとってのチャンスなんだ……
 私はあいつらの存在が許せない……私のお母さんが作り出した戦闘兵器……人の尊厳を踏み躙った外法……
 私の家族が積み重ねた罪……それを少しでも償わないと私はあの人に顔向けできない」

「あの人……?」

「大丈夫……もうアリサが狙われることはないよ……
 だって、私は全部知っているから……管理局が隠したがっている十二年前の闇の書事件の真実を」

 その瞬間、ハティは腕を撥ね上げてどこからか飛んで来た白色の魔力弾をその手で受け止めた。

「アリサッ!」

 ユーノが楯を張り、すずかが車椅子を押してその場から逃げ出す。
 そしてハティは槍を片手に屋上から飛び出していた。

「あたしのことはいいっ! 追い駆けなさいユーノッ!」

 ユーノはアリサの叫びに逡巡する。それに畳み掛けるようにアリサは言葉を重ねる。

「今ここで、何もしなかったらあたしたちは完全に蚊帳の外よっ!」

 未だに自分が何故、執行者に狙われている理由も分からない。
 しかし、ハティはそれを知っていると答え、自分たちを遠ざけて戦おうとしている。
 後で詰問してもはぐらかして誤魔化されるのは目に見えている。

「行きなさいっ! ユーノッ!」

 もう一度叫ぶと、ユーノは意を決してハティの跡を追いかけるために屋上から飛び出した。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 そこにユーノが辿り着いた時にはすでに戦闘は終わっていた。
 病院からだいぶ離れた位置にあるビルの屋上。
 立っているのはハティ一人だけ。
 その周囲には破壊されたライフル型デバイスが散乱し、三人のフルフェイスヘルメットとボディスーツで統一された執行者たちが倒れていた。

「ハティさん……」

 ユーノの呼びかけに応えることはせず、ハティは執行者の内の一人に近付き、乱暴にその首を掴んだ。
 次の瞬間、その執行者は突然燃え上がる。

「なっ……!?」

 絶句するユーノを他所にまだハティが触れていない残りの二人にも炎が点いた。
 炎は瞬く間に大きくなって執行者を包み込むと、骨も残さずに彼らを焼き尽くした。

「ハティさん……なんて――」

「私じゃないよ」

 震えるユーノにハティが振り返りながら彼の言いかけた言葉を否定する。

「執行者にはやられた場合を想定して証拠を残さないための自決魔法が組み込まれているの……
 まあ、私が殺したことには変わりないかもしれないけどね」

 ハティは炎に焼かれた手を振りながら気楽に告げる。

「そこまで……するんですか?」

「執行者は外法の固まりだからね……証拠隠滅のためにはするでしょ」

「だからって……こんな……」

 まだ生きていた彼らを物のように使い捨てる所業にユーノは吐き気を感じずにはいられなかった。

「それじゃあ戻ろうか」

「……もういいんですか?」

「うん……他の監視は放っておいてもいいよ、必要な情報は今ので手に入れられたから」

「え……? 監視ってまだいるんですか?」

「少なくてもあと二箇所から監視されてるね」

 周囲に視線を巡らして告げるハティに、ユーノも視線を巡らせて見るが何処にいるのか当然分からない。

「本当に放っておいて大丈夫なんですか?」

「今回のことであいつらの意識は私に向いたはずだからね……変なことをしなければ大丈夫だと思うよ、たぶん……
 それにいくら潰しても、代わりが来るんだから時間と労力の無駄だよ」

「なら、手に入れた情報って何ですか?」

「解析してみないと確かなことは言えないけど、私が欲しいのはあいつらのアジトの情報だよ」

 予想していた答えにユーノは驚かなかった。

「まさか、一人で乗り込む気ですか?」

「まあね、一応はなのちゃんたちが入院している間に終わらせるつもりだよ」

「ハティさん、それは……」

「ゆーくんもさっきのを見たでしょ? 執行者は血生臭い管理局の闇……
 なのちゃんやゆーくんが関わるのには汚すぎるよ」

 今見たばかりのものを思い出してユーノは押し黙る。
 確かに彼女の言うとおり、執行者は今まで戦ってきた相手とは毛色が違い過ぎる。
 戦わせることの危険性もそうだが、倒すことが殺すと同義になる敵を相手にさせるにはなのはは純粋過ぎる。
 その点に関してユーノはハティの考えに同意せざる得ない。

「もういい……? それじゃあ今度こそ――」

「待ちなさい」

 踵を返したハティを呼び止めたのはユーノではない別の声。
 声に遅れて空から降りてきた二人はユーノの見知った顔だった。

「リーゼロッテさん、リーゼアリアさん……」

「やっほーユーノ……何か大変なことになってるみたいね」

 気軽な声をかけてくれたリーゼロッテに、知らずに緊張していたユーノは安堵を感じて息を吐く。

「久しぶりね……ハティ・アトロス」

「そうだねロッテアリアさん……で、何か用?」

「ハティさん……?」

 温度の下がった返事をするハティにユーノは首を傾げる。

「貴女が執行者から引き出した情報をこちらに渡してくれないかしら?
 貴女は確かに次元世界最強の実力者よ……それでも貴女は一般人、そういうことは私たちに任せておきなさい」

「任せられるわけないじゃない」

 正論を並べるリーゼアリアにハティは拒否を示した。

「はっちゃんの処遇を一任するための交換条件に、執行者の存在を黙認した貴女たちが何様のつもり?」

「変な言い掛かりはしないでちょうだい」

「貴女たちと同じで私だってこの十二年間いろいろ調べてたんだよ……
 だから、私は貴女たちが隠している十二年前の真実を知っている」

「…………そうだよ、十二年前の闇の書の主は管理局の身内から出た不祥事――」

 ハティの言葉に逡巡してリーゼロッテが認める。しかし、ハティはそれを遮って真実を突き付けた。

「違うでしょ? ……それは管理局が隠したい真実で、貴女たちが隠している真実じゃない」

「そんなもの――」

「貴女たちの主、ギル・グレアムが闇の書の封印を解いてソラを主にさせた」

 その時、ユーノはハティが言った言葉の意味を理解できなかった。

「ふぅ……」

 現在に意識を戻して、ユーノは胸に溜まった重い息を吐き出す。
 あの時のリーゼ姉妹の反応は、絶句、激昂、そして突然の実力行使だった。
 激情に突き動かされた二人はハティに簡単にあしらわれたが、彼女たちの行動はハティが告げた事実が正しいと雄弁に語っていた。

 ――そんな馬鹿な……

 「時空管理局歴戦の勇士」と呼ばれ、はやてにしたことを除けば清廉潔白、管理局員の鑑といえる偉人。
 ユーノ自身も直接会った事はあり、真面目で誠実な、クロノの先生だと紹介されて納得した。

 ――それなのに……

 封印されていた闇の書を求めるほどの野心を持っていた。
 その闇の書を何らかの方法で自分の孫を主にさせた。
 ユーノの中のギル・グレアムに抱いていたイメージが崩れていき、不信が芽生える。
 果たして、彼は八神はやての闇の書事件に何を考えていたのだろうか。

「これが……ソラの真実……」

 思わぬところで知ってしまった真実は重く苦い。
 一人で抱えるには重過ぎる真実をできれば誰かと分け合いたいと思うが、そんな弱気をユーノは必死に押し留める。

 ――アリサやすずかは論外、なのはにだってこんな真実は言えない、ヴィータに言ったら何をしでかすか……

 せめてハティ・アトロスがまだこの場にいてくれていたなら、そう思わずにはいられない。
 しかし、彼女はすでにいない。
 故に、ユーノはギル・グレアムがしたことしか知らない。
 そこにどんな意図があったのかも説明されず、ただ行われた真実だけを知ったユーノは胃と頭の痛みを抱えることしかできなかった。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 病院へ行ったなのはたちと別行動を取ることになったヴィータはどこか懐かしさを感じさせる造りの屋敷の中を歩いていた。
 先導するリィナは出会った時の活動的な服装ではなく、綺麗に仕立てられた洋服をまとっていた。
 まるでどこかの令嬢のような姿だと思った。

 ――いや、本当にお嬢様なんだよな……

 ここまで歩いてきた廊下に飾られた調度品の数々。
 全体を把握できない規模の土地、屋敷。
 個人で所有している次元航行艦。
 背筋を伸ばして歩く様は育ちの良さを感じさせ、遥か昔のベルカの王族を思い出させる。

「こちらになります、ヴィータ様」

 案内されたのは今まで見てきたものよりも明らかに作りが豪華な扉。
 しかも、その扉には金十字の装飾が施されていた。

「御婆様……リィナです、ヴィータ様を御連れしました」

 ノックをして、声をかけてリィナは扉を開き、ヴィータに道を譲る。
 促されるままに部屋に入ったヴィータが最初に見たのは機械の群れだった。

「ヴィータ様……御久し振りです……このような姿で申し訳ありません」

 両脇をたくさんの機械に挟まれたベッドに身を起こしていたのは老婆だった。
 長い白髪。しわくちゃな顔。枯れ木のようにやせ細った手。
 その腕には機械から伸びたコードや管がいくつも繋がっていて、機械によって生かされているという印象を強く抱かせた。

「闇の書の主、カイエンの娘のアルティマです……私は初陣でヴィータ様に助けられたことがありますが、覚えておいでですか?」

「わりーけど……」

 首を横に振ってヴィータは否定する。
 彼女のことはもちろん、カイエンという名の主のことさえヴィータは何一つ思い出せなかった。

「御身の事情は存じております」

 しかし、アルティマは気を悪くした素振りもなくヴィータに笑みを向ける。

「この日を心待ちにしていました……語りたいことはたくさんありますが……何から御話しましょう?」

「その時のあたしたちの最後がどんなだったか聞いてもいいか?」

「ええ、もちろん」

 笑顔で頷くアルティマにヴィータは思わず顔を背けたくなった。

 ――そんな顔すんなよ……

 自分たちに向けられるのは怨嗟と罵倒、軽蔑と恐怖だった。
 なのに彼女が向けてくる眼差しは海鳴のじいちゃんやばあちゃんのそれによく似ていた。

「御父様は――」

 その闇の書の主は今は無き国の王に仕える兵士だった。
 騎士の称号を持たず、戦士としては二流。
 そして仕える国もまた、小さく、戦乱の世のベルカにおいて、大国に飲み込まれるだけのちっぽけな存在でしかない。
 しかし、彼の下に転生した闇の書のおかげでただ蹂躙されることは免れた。

「御父様は闇の書の完成よりも、ヴォルケンリッターという戦力として使い国を護らせました」

 小さな国でも国土そのものは広い。
 広大な領土、多方向から攻めてくる敵。圧倒的な人数差。
 それらを覆すために、彼はヴォルケンリッターを者ではなく、物と割り切り使い潰すつもりで戦わせた。
 休む間も与えず、最前線の最も激しい戦場に駆り出させた。
 それが人間だったらすぐに倒れていただろう。しかしヴォルケンリッターはそんな酷使に耐えた。

「そのおかげで犠牲になるはずだった領民は城に避難することができました」

 しかし、それは滅びを先延ばしにすることでしかなかった。
 いくらヴォルケンリッターが優れた騎士だったとしても数の暴力には抗えない。
 それは官制人格が解放され、五人になっても同じだった。

「私たちの国の最後の日、他国がヴォルケンリッターの存在を脅威と感じ、総力を挙げて攻め込んできました」

 その時にはヴォルケンリッターも満身創痍だった。
 戦えない民間人。半死半生の戦士たち。対する万を超える軍勢。
 圧倒的と言っても足りない絶望的な状況を前に彼が下した決断は闇の書を完成させることだった。
 もはや動けない負傷者や少しでも魔力がある民間人への『蒐集』。

「多くの人が自分から闇の書に身を捧げました……私は逃がす民を守るためこの身を捧げることはできませんでしたが」

 闇の書を完成させた彼はヴォルケンリッターを伴って大軍に特攻した。
 残った動ける者たちは彼らを囮にし、城を捨てて逃げ延びた。

「御父様も、皆様も帰ってくることはありませんでした」

 語り終えたアルティマの話をヴィータは反芻して、戸惑った。
 話を聞くにつれておぼろげだが思い出した過去。

「ヴィータ様、私は御父様に代わって謝らなければならないことがあります」

 自身の思考に没頭していたヴィータはその言葉に顔を上げる。

「御父様が貴女方にした仕打ちの数々、申し訳ありませんでした」

「仕打ちって……」

「何度も死地に送り出したこと、貴女方の反乱を恐れて牢に入れていたこと、粗末な食事しか出せなかったこと……
 上げればまだありますが……私たちはあの時、命を懸けて戦ってくれた貴女方に何も報いることはできませんでした」

「それで……今なのか?」

「はい……闇の書が転生を繰り返すのなら、いつか貴女方と再会できる日が来ると信じておりました」

 真っ直ぐ見つめる瞳からヴィータは目を逸らした。

 ――何も知らなかった……

 自分たちが戦わされていた理由も、自ら進んで闇の書にリンカーコアを捧げた人たちがいたことも。
 元々戦うことにしか興味を、存在意義を見出していなかった。いや、見向きもしなかったと言った方が正しいのだろう。
 思い出せたことは牢獄の中でその時の主を侮蔑していたこと。
 しかし、実際は自分たちが見下し侮蔑した王は高潔だった。
 自分の欲のためではなく民のため。そしてその民も国のため、生き残る者のためにその命を捧げて闇の書を完成させた。

 ――謝らなくちゃいけないのはあたしの方だ……

 主の考えに興味を抱かず、闇の書を完成させることばかり考えていた自分。
 無知を理由にはやてと勝手に比較して悪く言っていた。
 それだけに純真な感謝の念を向けてくるアルティマの眼差しに居たたまれなくなる。

「…………うそだ」

 だからこそ、ヴィータはその善意を疑わずにはいられなかった。
 歴代の主は最低な人間だった。
 そうでなければいけない。自分たちがしてきた非道は全て主の命令によるものでなければいけない。でなければ――

「そんな話、信じられるわけないだろっ!」

 自分の両手は血で汚れてしまっている。
 それでもその手を握ってくれた今のきれいで優しい主――八神はやて――。
 しかし、その両手の持ち主の性根が腐っているのだとしたら、果たしてその優しい主に手を握ってもらう資格があるのだろうか。

「…………ヴィータ様」

 激昂して息を切らせるヴィータに、アルティマはそれでも優しげな眼差しを送った。

「今すぐに……いえ、私たちの話の全てを否定していただいても構いません」

 アルティマはヴィータの否定を受け入れる。
 その全てを受け入れるたたずまいに、ヴィータは思わずはやての姿を重ねてしまう。

「ですが、これだけは覚えておいてください……私たちはいついかなる時でもヴィータ様たちの味方です……
 必要とあらば、いつでも利用してください」

 差し出された枯れ木のような手にヴィータは応えることはできなかった。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「…………暇だな」

 この三日で見慣れてしまった病室の天井を眺めながらなのはは呟いた。
 それは魔法を使うことを禁止された時間でもある。

「わたしって……魔法を覚える前は何をしていたんだっけ?」

 いつからだろうか、学校の宿題や友達付き合い以外の時間が全て魔法に置き換わっていたのは。
 近頃は暇さえあれば魔法の練習ばかりしていた。
 しかし、強制的に魔法を禁止され、さらには安静にしていなければならないため、考え事しかすることがない。
 今までの自分を振り返ってみてなのはは魔法への傾倒していることを自覚する。

「全部捨てて魔法を選ぶ……か」

 セラが自分に突きつけた言葉を考える。
 管理局で働くことを決めても、今はまだ自宅からの通っている感覚が強く認識が薄かった。
 これが数年したらどうなるか。
 管理世界の就職年齢は低い。
 今はまだ訓練期間だからいいが、将来は――

「このまま毎日海鳴から通う?」

 言っていてそれこそありえないとなのはは否定する。
 第1管理世界から第97管理外世界は遠く、とても往復して通える距離ではない。

「クラナガンに住む?」

 その可能性を考えて、なのははあることに気付く。
 フェイトにはハラオウン家、今ならテスタロッサ家の人間もいる。
 はやてにはヴォルケンリッター。
 自分だけが、自分の家族だけはそこにはいない。
 何も今生の別れではない。しかし、気軽に会えなくなる事は確かだ。

「それでもよかったと思っていたのに……」

 仲が悪かったわけではない。それでも家の中で感じる疎外感から家を出て自立することに抵抗は無かった。
 しかし、今はその抵抗が出てきた。

「本当に私には才能があるのかな?」

 度重なる敗戦の弱気がなのはの思考に影を作る。
 自分よりも明らかに才能があるセラ。
 才能を失っても強いソラ。
 そして、自分よりも弱かった相手にさえ辛勝だった。
 だから疑わずにはいられない。

「なのはちゃん起きてる?」

 ノックの後に扉越しからかけられた声になのはは思考を中断する。

「うん……大丈夫だよすずかちゃん」

 なのはの許可を得て病室にリニスを伴って入ってきたすずかは室内を見回して首を傾げた。

「アリサちゃんとアミタさんは?」

「アリサちゃんはリハビリで、アミタさんは検査だよ」

 幸いと言って良いか分からないが、魔法の治療を受けることができてアリサの足の感覚は徐々に生来のものに戻りつつある。
 しかし、彼女に埋め込まれた呪いの術が解けたわけではない。
 その存在を始めて知らされた時、なのはは一気に頭に血を昇らせて、次の瞬間ハティに意識を刈り取られた。
 その時のことを思い出してなのはは身体を震わせる。

「何か変わったことあった?」

 すずかからの差し入れを受け取りながらなのはが尋ねるとすずかはあからさまに目を逸らした。

「落ち着いて聞いてね、なのはちゃん」

 逡巡の間を置いてすずかは意を決して口を開く。

「今朝のことなんだけどね、ユーノ君が……」

「ユーノ君に何かあったのっ?」

 思わず声が大きくなる。その反応にすずかはいっそう表情を険しくする。

「ユーノ君は今朝、この病院の屋上で突然奇声を発しながら踊り出して倒れたの」

「…………えっと、わたしすずかちゃんが何を言っているのかよく分からないんだけど……」

「うん……わたしも何が起きているのかよく分からない」

 二人で顔をつき合わせて首を傾げ、なのははリニスに説明を求めるように視線を送った。

「診察では極度のストレスに寝不足、それにこの三日ちゃんと食事を取ってなかったそうです……
 総じて考えるなら、今の状況で発生したストレスによる精神崩壊と判断するべきかと思います」

「あ……」

 治安が約束されている病院で入院生活を強いられているせいで失念していたが、自分たちは今執行者に狙われている身。
 周囲の警戒はヴィータを慕うリィナとテオの一族が行ってくれているが、ユーノはそれとは別に警戒網を張っている。
 どこに敵の手があるか分からないからこそ、警戒心は強くしているが、今はその負担がユーノに集中してしまっている。
 暢気に入院して暇だと愚痴っていたことに罪悪感が湧き上がる。

「ユーノ君は大丈夫なんですか?」

「今は点滴を打って眠っています……とりあえず休めば問題はないとのことです」

 リニスの言葉になのはは安堵する。

「なんか大変なことになっちゃったね」

 不意に俯いたすずかが気弱な言葉をもらした。

「ごめん……わたしのせいだよね」

「ううん、それは違うよ」

 首を振って否定しながら、すずかは窓の外に視線を向ける。

「次元世界、魔法の国でも地球とあまり変わらないんだね」

「すずかちゃん……そうだね」

 すずかと同じように窓の外、道を行き交う人たちを見下ろしてなのはは頷く。

「魔法の世界って言っても、どちらかといえばSFの世界だし、街の作りも…………すずかちゃん?」

 じっと眼下の道を見るすずかの様子がおかしいことになのはは気付いた。
 彼女の目にあるのは落胆ではない。
 見下ろす目には真剣みを帯び、食い入るように何かを探しているように見えた。

「どうかしたの……?」

 なのはの呼びかけにすずかは我に返って窓の下から視線を外す。

「ううん、何でもない……ちょっと残念だなぁって思っただけ」

「残念……?」

「うん……魔法の世界だから狼男とか、エルフとか、そういう人たちがいるのかなってちょっと期待してたんだ」

 ちょっとにしては鬼気迫るものを感じたが、なのはは気のせいだと判断した。

「わたしも獣耳と尻尾がある人は見たことあるけど、それは使い魔さんだし……
 本当にそういう人とは会った事ないかな」

「そっか……」

 なのはの言葉にすずかは肩を落として落胆した。

 ――そんなに見たかったのかな?

 彼女は本好きだからそういうファンタジーの世界に憧れを持っていてもおかしくはない。
 そう納得しながら、なのはは彼女を慰める言葉を探す。

 すずかが何故、『人外』を探していたか。そこにある彼女の苦悩をなのはが気付くことはなかった。




[17103] 第四十三話 暴動
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:a56f5bd0
Date: 2016/01/17 10:52


「……ありがとうございます」

 何事もなく一週間が経った。
 診察してくれた医者に頭を下げてなのはは診察室から退出する。
 ギブスがなくなった開放感を感じながら、なのはは拍子抜けした感覚を感じずにはいられなかった。

「何かあると思ったんだけどな……」

 病院を戦場にしたかったわけではないが、身動きができなかった自分の存在など関係ないといわんばかりの無視ぶりにちょっとだけへこむ。
 しかし、嘆くと同時に納得もしていた。
 現在、アリサの中心としてリィナたちの一族が警備についている。
 具体的な人数は知らないが、最初の予定にはなかった厳重な守りに流石の執行者も手を出せないのだろう。

「これからどうしよう」

 とぼとぼと宛てもなく歩いて、中庭のベンチに辿り着き、そこで腰を下ろす。
 なのはの沈んだ気持ちとは逆に、日は輝き、暖かな陽気がその場に照らしている。

「はぁ……」

 そんな中でなのはは陰鬱なため息を吐き出した。
 アリサの動かなかった足は順調に回復している。
 彼女の中に撃ち込まれた呪いによってできた魔力の淀みは魔法治療を施すことで整理され身体への負担を軽減した。
 麻痺していた期間も長くないため、長期のリハビリも必要とせずにアリサの身体は元に戻りつつあった。

「でも――」

 それは表向きの状態に過ぎない。
 身体は治っても、アリサの中に呪いが消えたわけではない。
 依然とアリサの命が向こうの手の中にあるのは変わらない。
 それを思い出すと自然と拳を握ってしまう。
 ならばやることなど決まっている。なのに何をすればいいのか分からない。

「なのはさん……?」

 病院の中庭にいるはずのない執行者の姿を探していたなのはは呼ばれる声に振り返る。

「もう大丈夫なんですか?」

「はい、退院していいって言われました……アミティエさんの方は?」

「ウイルス除去は完了しました……でも身体の修復がまだ七割ですね……こればかりは自己修復機能に任せるしかないみたいです……
 それに記憶もまだはっきりしていません」

「そう……ですか」

 明るい口調なのは彼女の性格なのか、それとも周りを気遣って気丈に振舞っているだけなのか。
 どちらなのかなのはには分からない。
 できることなら彼女の記憶を取り戻すことや彼女の妹を探す手伝いをしたい。

「アミタさんは……キリエさんを探すんですか?」

「そのつもりです……まあ当てもなければ妹の顔もまだ思い出せてないんですけどね」

「…………ハティさんが言っていたこと、信じられるんですか?」

「なのはさんは信じられませんか?」

 アミティエの問いになのはは押し黙る。
 真意は分からなくても誠意を持って彼女は自分達を助けてくれている。それは理解している。
 少し前までの自分なら多少の不信があっても、それで信用していただろう。
 だが、今はそれができないでいた。
 彼女の真意が分からない。それだけでこれまでの好意が全て自分達に取り入ろうとしている打算なのではないかと疑ってしまう。

「……分からないです」

 そう答えるだけで続く言葉は出てこなかった。
 自分が人の親切にここまで疑り深い性格だったことにショックを感じずにはいられない。

「まあ、怖い人なのは同意しますが……」

 腕を組んでうなるアミティエ。

「でも、悪い人ではないのは確かだと思いますよ」

「それは……分かってるんですけど」

 頭や感情ではそれを理解していても、この数週間で様々な人の悪意を見せられて人間不信になってしまったような気がする。
 見るからに人が善さそうということが、むしろ彼女を疑う要因となっていた。

「あのー……すいません」

 不意の呼びかけになのはは振り返る。

「ベンチ詰めていただいてもよろしいですか?」

 いつの間にそこにいたのか、手が届くような距離にその女性は立っていた。
 薄い病院着に身を包んだ線の細い、見るからに病弱な女性。

「あ……はい……どうぞ」

 三人掛けのベンチをアミティエと二人で座っていたため、詰めて場所を空ける。

「ありがとうございます」

 頭を下げて女性はなのはが空けた場所に座り、持っていた本を開く。

 ――ハティさんやソラさんと同じくらいかな……あれ……?

 ふと、気付けば対面のベンチには誰もおらず、隣のそれも空いていた。
 わざわざ声をかけた理由が分からずになのはは首を傾げる。

「随分と暢気なものですね」

「え……?」

「私達を相手にしようというのに、その程度の警戒心で何ができるんでしょうね?」

 先程のにこやかな声が一転して、無感情で冷めた声。
 その声になのはは聞き覚えがあった。

「っ……」

「なのはさんっ!?」

 弾かれたようになのはは女性、『執行者』ノア・ロータスから距離を取って身構える。
 そんななのはの動きに驚いて席を立つアミティエに対して、ノアはなのはを一瞥もせずに本のページをめくる。

「どうして……」

 自然と胸元を探るが、レイジングハートはそこにはない。
 そのことを改めて思い出し、なのはは焦る。

「安心していいですよ。今は戦うつもりはありませんから」

 とても信じることのできない言葉。
 なのはは相手を警戒させないようにゆっくりと魔力を練って――

「それともここで戦いたいんですか?」

 その言葉と共にノアは視線を周囲に巡らせた。
 その視線に釣られて見たのは、中庭の風景。
 入院患者とその家族が散歩している。
 子供が看護婦に付き添われて遊んでいる。
 他にも様々な人たちが思い思いで中庭で過ごしている。
 それでなくてもここは病院の敷地内。こんなところで自分が戦えばどうなるか、簡単に想像できる。

「っ…………何のようですか?」

 それでも練り上げた魔力を霧散させるのには血を吐くような思いだった。

 ――目の前に、アリサちゃんを撃った敵がいるのに……

 何もできない歯痒さに拳を握ることしかできない。

「とりあえず、座ったらどうですか?」

 最初のようににこやかな口調に変わる。
 口調だけじゃない。表情も雰囲気も何もかも冷然とした暗殺者からどこにでもいる一般人、同じ顔のはずなのにまるで別人だった。

「いえ……ここでいいです」

 とてもではないが、彼女の隣に座る勇気は持てない。

「…………まあ、いいでしょう」

 なのはの拒絶を特に気にもしないで、ノアはページをめくる。

「なのはさん……この人が敵ですか?」

 遅まきながら彼女の異常性を感じたアミティエがなのはに耳打ちする。

「……はい」

 なのははアミティエに頷きながらも、ノアから視線を外さない。

「よ、用件は……な、何ですか?」

 声が震えてしまう。
 ここで自分は戦闘はできない。が、彼女はここで自分だけを殺す技量を持っている。
 一方的に生殺を握られている状況になのはは震えそうになるのを押し隠す。

「アリサ・バニングスのギアスを解いてほしいですか?」

「解いてくれるんですか!?」

 思わず身を乗り出して聞き返してしまう。

「ええ……ですが、それはあなたが私達の要求を飲んでくれるなら、ですがね」

「要求……ですか?」

「最初に説明しておきますが、アリサ・バニングスにギアスを刻んだ目的は三つ」

「三つ……お兄ちゃんは二つだって言ってたはずですけど?」

「高町恭也は被疑者ですからね、全てを教えるわけにはいきませんよ」

「お兄ちゃんが被疑者?」

「まずは一つ、高町なのは、並びにその周辺への警告……
 管理外世界の人間にこちら側の情報を部外者に漏らしている制裁処置です」

「部外者って……アリサちゃんたちは闇の書事件の時に巻き込まれたから――」

「本来ならマニュアルに従い、目撃者の記憶を改竄すべき案件です……
 そういう意味ではリンディ・ハラオウン提督は重大な服務規程違反を犯しています」

「なっ……」

 ノアの言っていることになのはは絶句する。
 しかし、ノアはなのはの驚きを意に介さずに続ける。

「二つ目に、アリサ・バニングスはあなたからの情報でハヤテ・ヤガミの真実に気付きつつあること」

「だから、アリサちゃんを殺そうとしたんですか?」

「勘違いしないでもらいたんですが、私にはあの時アリサ・バニングスを殺す意図はありませんでしたよ」

「アリサちゃんを撃っておいて、何を言ってるんですか!?」

 あまりの物言いになのはは怒鳴っていた。

「暗殺者の凶弾を受けておいて生きていることが何よりの証拠です」

「それはシャマルさんの治療が間に合ったからで――」

「殺す気なら治療が間に合うような半端な殺し方はしませんよ。ですから、あれは警告です」

 言い切られ、考え方が根本的に違うことを思い知らされる。

「三つ目は何ですか?」

 これ以上ノアと話していたら頭がおかしくなりそうに感じた。だからなのはは先を促す。

「三つ目の目的はカウンターです」

「カウンター?」

 突然出てきた言葉になのはは首を傾げる。

「吸血鬼というものを貴女は知っていますか?」

「吸血鬼って……あの血を吸う化物ですよね? でも、それは空想上の生き物ですよ」

「いえ、吸血鬼はこの世界に実在しています……
 旧暦のベルカに人を家畜にした一族が存在していました。詳しく知りたければスクライアに尋ねるといいでしょう」

「はあ……」

「吸血鬼の魔法体系は根本から人間のそれとは違います……
 吸血鬼には魔力素を魔力に変換、蓄積するリンカーコアがありません。代わりに血を触媒にして魔力を生成し溜め込みます」

 突然始まった講義になのはは訳も分からず耳を傾ける。

「そのエネルギー効率は破格で、人一人の血液量でSランク相当の魔力を作り出せます……
 ですが、吸血鬼の特性はそれだけではありません……
 眷族化、吸血した対象を同族に変容させる力。これは一度の吸血では起こりませんが、された人間には大きな変化を与えます」

 一度言葉を切ってノアは告げる。

「例えば、通常人が異能力に覚醒する」

「え……?」

「その異能力には魔法も含まれています……管理局暗部は貴女が半眷族であることを疑っています」

「何を……言ってるんですか?」

「八神はやてのリンカーコアの急激な成長により、早まった闇の書事件への関与……
 不自然な対応を行ったアースラクルーも汚染されている可能性が高いと見ています」

 ついていけないなのはを他所にノアは淡々と言葉を並べる。

「だからこそ、ハヤテ・ヤガミの存在を口実、隠れ蓑に三人目に首輪をつけること決定された」

 これ以上、ノアの話を聞いてはいけない。
 そう本能が訴えているのに、その場から離れることができない。

「ギアスの効果は二つ……彼女が三人目の魔導師として覚醒した場合の抹殺……
 彼女が吸血された場合の吸血鬼へのカウンター。この二つです」

 そして、最悪の条件が告げられる。

「高町なのは、アリサ・バニングスのギアスを解く交換条件は吸血鬼、月村すずかの抹殺です」

「す……すずかちゃんを……殺す……?」

「明日、管理世界に侵入した吸血鬼の掃討作戦が決行されます……
 それが決行されれば『月村すずか』だけではなく、彼女がこの世界に来て関わったほぼ全てが殲滅対象になります」

 話は終わったと言わんばかりに、ノアは本を閉じて立ち上がる。

「最後に忠告です……
 貴女は吸血鬼が管理局に送り込んだ尖兵ではないかと疑われています。自身の潔白を証明したいなら――」

「待ってくださいっ!」

 咄嗟になのはは声を大にしてノアの言葉を遮った。

「すずかちゃんが吸血鬼……そんなの嘘です、信じられませんっ!」

「それなら魔導師の眼で彼女を見るといいですよ」

「魔導師の眼?」

「人間は一人の例外を除いて、必ず大なり小なりのリンカーコアを持っています……
 ですが、吸血鬼はそれを持っていません。魔導師としての眼でリンカーコアを探せば、彼女がどちらなのか分かるはずです」

 淀みの受け答えに気押されて、なのはは否定を重ねることはできなかった。

「では、失礼します」

 一礼して去って行く。
 その姿はやはり暗殺者には見えなかった。
 なのはの心情なんてお構いなしに、まるで世間話をした様に去っていく足取りに追い駆けるという考えさえも思いつかなかった。

「すずかちゃんが…………人じゃない?」

 与えられた情報を口に出して振り返る。
 言われても心当たりなんてあるはずがない。想像もできない。

「あの……なのはさん……」

「あ……アミティエさん……?」

 声をかけられてようやく彼女の存在を思い出した。
 同時にそれが余計になのはの心に圧力をかける。

「そろそろ戻りませんか? 病み上がりの身体に障りますよ」

「…………アミティエさん……さっきの話……」

 すがるように、懇願するようになのははアミティエに頼む。

「お願いです……みんなに……誰にも言わないでください」

「なのはさん……」

「お願いします……お願いします……お願いします……」

 壊れたようになのはは何度も繰り返した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 吸血鬼。
 旧暦時代に生息していた亜人種。

 中略

 人間とは異なる魔法体系を持ち、リンカーコアを所持していない数少ない種族。
 彼らは空気中の魔力素ではなく、人間の生命子を吸血によって取り込み、それを魔力へと変換、蓄積する。
 また、吸血による副次効果として吸血された者のリンカーコアは活性化された後に変容し、増大したリンカーコアが全身に溶け込むように消失する。
 いわば、全身がリンカーコアの役割となり、機能も吸血鬼のものへと変化する。こうなった者を吸血鬼の眷族と呼ぶ。
 その感染力と人間社会への隠遁性は極めて高く危険。
 よって吸血鬼を発見した場合、感染者と思われる関係者全てを対象として殲滅しなければならない。

 第一級危険指定生物として登録。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「本当にいたんだ」

 端末で吸血鬼のことを調べたなのはの最初の感想はそんなものだった。
 検索すれば出てくる様々な種族、生物。
 なのはが耳にしたことがあるものもあれば、ないものもある。
 流石は魔法世界だと関心するも、意識はすぐに吸血鬼に戻る。

「吸血鬼……か」

 記載されている情報は完璧とはいえないが、それでもその種族が旧暦時代に猛威を振るっていたことだけは理解できた。
 血を吸うという性質上、人とは相容れない種族。
 記録として残っている戦争の歴史になのははすずかが何故、そのことを秘密にしていたのか分かった。
 そして、ノアが、管理局暗部が危惧していることも。

「どうしよう……」

 すずかが歴史で語られるような吸血鬼ではないことは断言できる。
 彼女が自分の血を吸っていないと信じることだってできる。
 なのははそれで納得できても、管理局という組織はきっと納得しない。

「そっか……わたしがソラさんにしたことってこういうことだったんだ」

 前回闇の書の主であることと、ヴォルケンリッターの話だけで彼を悪と決め付けて引き金を引いた。
 今までうやむやにしてきた後悔が大きくなる。
 が、今はそれを気にしている場合ではないと意識を切り替える。

「執行者の本当の目的はすずかちゃん……お兄ちゃんも疑われているっていうことは月村家そのものが警戒対象なんだろうけど」

 しかし、ノアは月村家に攻め込むことはせず、アリサを使って遠回りに対処をしてきた理由は――

「きっと管理外世界だからかな……でも、そこにわたしがいたから」

 本来なら不干渉、もしくは監視で済んでいたことが、自分という魔法への繋がりがあったから危険視されているのだろう。
 それでいてアリサの誘拐に関わっていなかったはずなのに、彼女の治療のために管理世界に来てしまったことで余計に執行者達を刺激してしまった。
 奇襲せずに事情を説明したのはせめてもの温情なのではないかと思ってしまう。
 そうなってしまえば、理不尽だと憤っていた感情も消沈してしまった。

「わたしがこれからすべきことは……」

 ノアに示されたすずかを殺す道を選ぶことは論外。
 かといって、最初のプラン通り執行者と戦うことを選んでも意味はないだろう。
 例えノアを倒すことができても、すずかという吸血鬼がいる以上、最終的には執行者どころか管理局の全てが敵に回りかねない。

「すぐに地球に帰らないと……」

 今更遅いかもしれないが、それ以上のことは思いつかなかった。
 アリサたちに何と言って説得しようかと考えたところで、部屋の扉がノックされる。

「誰っ!?」

 並べていた空間モニターを一斉に閉じながら、なのはは声を大きくして反応する。

「なのはちゃん、もうすぐお昼だけど……今、大丈夫?」

 おずおずと開かれた扉の向こうから現れたのは月村すずかだった。

「すずかちゃん……」

 知らずの内に声に緊張が孕んでしまう。
 病院からオペルの人たちが用意してくれた部屋にそのまま閉じ篭って今があの話から初めて顔を合わせる。
 彼女の知らぬところで秘密を知ってしまったことにやはり罪悪感を感じてしまう。

「……どうかしたの?」

「何でもないっ! 何でもないよっ!」

 力強く否定する。
 果たしてちゃんと誤魔化せているのか自信はない。
 が、少なくてもすずかは困惑して首を傾げるだけで察した様子はない。

「えっと……お昼ご飯だっけ? うん、すぐ行く、いま行くよ」

 すずかの背中を押してなのはは食堂へ向かう。
 なのはのおかしなテンションにすずかは戸惑うばかりだった。
 そのことになのはは内心で安堵しながらも、ふと気になった。

 ――魔導師の眼で見る……

 具体的にどんな風に見ればいいのかと考えながら、とにかく目に魔力を集中しながら自分の胸元を見てみた。
 すると確かに桜色の光がおぼろげだが見ることができた。
 なるほど、と納得しながらなのははそのまますずかの背中を見た。

「…………ふぁ……」

「え……どうかした、なのはちゃん?」

「いや、何でもない……本当に何でもないから」

 思わず出た声を誤魔化しながらなのはは魔導師としての眼を閉じる。
 結論から言えば、ノアの言葉は正しかった。
 すずかのそれは、自分のように胸の中心に光があるものではなかった。
 つたないなのはの見方でもはっきりと分かる緋色。
 全身にその輝く緋色を纏った彼女の姿は覚悟していたはずなのに声をもらしてしまうほど美しかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「さてと、これからどうするか話し合いましょう」

 昼食を終えたところでアリサがその場を取り仕切る。
 改めて増えた顔を見回してアリサは違和感を覚えた。

「どうかしたのなのは?」

「にゃ、にゃんでもないよっ!」

 上擦った声の返答にアリサは首を傾げる。
 昨日まではかなり落ち込んでいたはずなのに、今はそれがなくなっている。
 何でもないなんて言っているが、確実に何かがあったのだと察する。
 そう思ってなのはからアミティエに視線を移すと、あからさまに顔を逸らされた。

「……まあいいわ」

 一旦二人から意識を変えて、アリサは現状を口にする。

「さしあたって問題なのは、今のわたしたちにできることはないってことよ」

「おい……」

「質問を許可するわ」

「かっこつけておいて何だそれはっ!?」

「だって、事実なんだからしょうがないじゃない」

 声を大きくして責めてくるヴィータにアリサは負けじと応戦する。

「いろいろ考えてたけどハティ・アトロスに横から取られちゃったんだから仕方ないでしょっ!」

「そうかもしんねーけどさ……他になんかあるだろ?」

「あたしはこれでもリハビリとかで忙しいかったんだけど」

「う……」

 自分はリハビリ、なのはとユーノは入院、すずかとリニスがそんな三人の世話をしてくれた。
 部外者で同じく入院していたアミティエはともかくとして、この一週間何もしていなかったヴィータにだけは文句を言われたくなかった。

「まあ、いいんだけどね……元々、あたしは執行者なんかと本気で争う気なんてなかったし」

「え……?」

 その言葉に真っ先に反応したのはなのはだった。

「それはどういう意味なのアリサちゃん」

「言葉通りの意味よ……
 本気で執行者と戦うつもりだったなら、クロノやリンディさんたちが何としてでもあたしたちを止めてるわよ」

 それほど危険な相手だということは理解している。
 だが、なのははそれを理解した上で刺し違える覚悟までしていたように見えた。

「どうしてそんなことを?」

「どうしてって、何かさせてないと暴発しそうなのが一人いたし……」

 ――もう一人、何かさせてないと腐り堕ちそうなのが一人いたから……これは言わないほうがいいか……

「だいたいあたしの身体を元通りにするためだけど、矢面に立つのはあたしじゃないのよ……
 後ろで待ってることしか出来ないのに命賭けて戦って、なんていえるわけないでしょ」

「待てよ……いくらお前がやり合うつもりはなかったって考えていても、それはこっちの都合だろ?
 向こうにとっては殺し損ねた相手なんだから襲ってくる可能性は高いだろ」

「生憎だけど、向こうにあたしを殺す価値なんてないわよ」

「何でだよ……?」

「まず最初に暗殺者に撃たれてあたしが生きていること」

「そんなのシャマルの治療が間に合ったからだろ?」

「それもあるかもしれないけど、あたしは誰にも邪魔されずに撃たれたのよ……
 暗殺者が本気であたしを殺そうとしてたなら、蘇生ができないような半端な殺し方をするとは思えないのよ」

「それは……」

「で、あたしが推測したソラさんの話はもうクロノさんにしているわけだから今更口封じの意味はない……
 ほらね、執行者があたしを狙う理由なんてほとんどないでしょ?」

「そういえば、アリサちゃんが気付いたソラさんの秘密って何なの?」

「あー……それはね、なのは……」

 思わず声がにごる。
 果たしてこのことを今の段階で話していいのか迷う。

 ――まあ、いいか……

 五秒考えて、アリサは気にする必要はないと結論に至り告げた。

「ソラさんが御両親に管理局に差し出された時、あの人は闇の書の主じゃなかったってだけよ」

「は……? それはどういう意味だよ?」

「考えてもみなさいよ……ソラさんは管理局に閉じ込められていたはずなのよ……
 それがどうして青天の魔導書と出会って、あたしたちの世界で恭也さんたちと友達になっているのよ?」

「それは……あれ……?」

「しかもその時のソラさんははやてと違って五体満足だったのよ、つまりソラさんが闇の書の主になったのはあたしたちの世界に来てからなの……
 なら当然、管理局がソラさんを閉じ込めていた理由は別の理由なのよ」

「そんなありえねーっ! 闇の書の主になってたってことははやてと同じ状態だったはずだ!」

「でも、当時ソラさんは恭也さんと殴り合いの喧嘩までしてたのよ」

 アリサが突きつけた真実にヴィータは愕然として言葉を失う。

「さらに言えば、十二年前と違って魔導師じゃなくなってたソラさんを前の闇の書の主だと結びつけたものはなんだったのか?
 それだって、まだはっきりしてないでしょ?」

 問いかけても返事はない。アリサにしてみればどうして誰も考えなかったのか不思議な疑問なのだが、魔法組みは誰もが言葉を失っている。

「ま、そこまでがあたしが考えられたことよ……それ以上は情報が少なすぎて分からないけど……
 でも管理局はその先の真実、相当後ろ暗い闇を隠しておきたいってことなのよ」

「…………まさか……」

 不意にユーノが蒼褪めた顔で震えた声をもらした。
 その表情は戸惑い、何かを振り切るようにして顔を上げる。

「…………みんなに伝えておかなくちゃいけないことがあるんだ」

「それはやばい情報?」

「うん、かなり……ハティさんが言っていたんだ……
 ソラさんを……ソラさんを闇の書の主にしたのはギル・グレアム提督なんだって」

 その言葉に息を飲んだ。
 一つ一つの事実が明かされていく度に同じ様に驚いているが、何度繰り返してもその感覚には慣れない。

「リーゼさんたち二人との連絡は?」

 しかし、アリサは動じることなくすぐに言葉を返す。

「取ってない……っていうか二人の前でそう言って、攻撃されてた……
 闇の書は元々封印されてて、グレアム元提督がその封印を解いたって……」

 搾り出すように語るユーノ。その表情には苦悩で満ちていた。

「あたしはそのグレアムさんに直接会ったことがないから分からないんだけど、そういう野心を持ってそうな人だったの?」

「そんなことはない……と思いたい」

 答えるユーノの言葉に自信はない。
 痛くなる静寂が流れる。そんな中、おずおずとなのはが手を挙げた。

「あのさ……もう海鳴に帰った方がいいんじゃないかな?」

「なのは……?」

 彼女に似つかわしくない弱気な発言にアリサは耳を疑った。

「だって、ほら……ここじゃあ、もう誰を信用していいのか分からないから……
 海鳴だったら周りを疑わないでいいと思うし、さっきの話もクロノ君たちに相談した方がいいと思うから」

「まあ、リンディさんたちは信用して大丈夫だと思うけど」

 言葉を返しながらアリサはなのはの提案を吟味する。
 思い込んだら一直線、猪突猛進な気があるなのはの口からまさかの撤退宣言。
 そのことに違和感を感じながらも、その提案が妥当なものだと判断する。

 ――現状、味方だと思っていた人が黒になった……ユーノの口を封じなかった理由は分からないけど、敵地に居続けても利はないか……

「そうね……そうしましょう」

 頷きながら、アリサはユーノがもたらした情報で新しい推測をしてしまった。

 ――ソラさんを闇の書の主にしたんだったら、もしかしてはやてもそうだったんじゃないの?

 もしその推測が正しければ、『はやての闇の書事件』はまだ終わってないのかもしれない。
 最悪の考えを口にしないことにして、アリサは――

「そうか……じゃあここでお別れだな」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「そうか……じゃあここでお別れだな」

 ヴィータが口にした言葉でその場の空気が改めて止まった。

「ヴィータちゃん……何言ってるの? 一緒に帰らないの?」

 聞き返してくるなのはにヴィータは冷たく言葉を返す。

「帰るって何処にだよ?」

「何処って、はやてちゃんの家に」

「はっ……もうあそこはあたしのうちじゃねーよ」

 はやてにヴォルケンリッター解散を告げられて、それを信じることができなかった。
 しかし、いくら待ってもあの家に誰も帰ってくることはなかった。
 聞けばはやては実の兄を追い駆けて、他はあんなことがあったばかりなのにすぐに仕事に行ってしまった。

 ――結局、あの生活を大事にしていたのはあたしだけだった……

 はやてにだけではなく、シグナムたちにも裏切られた。
 今、こんなところにいるのもあの家からシャマルに追い出されたからで自分の意思ではない。
 しかし、不本意だった旅だがそのおかげで居場所を見つけた。

「ふーん……それであんたはこの後どうするの? まさかこの人たちのところに厄介になるつもり?」

「べつにいいだろ……こいつらだって迷惑ってわけじゃないみたいだし」

「当然ですっ!」

 ヴィータに話を振るわれて、リィナが勢いよく立ち上がる。

「ええ、それはもう迷惑だなんてあるわけがありません……
 ヴィータ様が望むのなら一族が総力を掛けて御世話させていただきます」

「お……おう……まあ、そういうことだから」

 最初こそ戸惑ったが、なのはたちが入院している間の生活は実に快適だった。
 はやてが作るよりも豪勢でおいしい料理。
 はやての家にある自室よりも大きく広い部屋。
 好きなだけ食べられるアイス。
 口うるさい説教もなければ、管理局なんかに媚を売って仕事をする必要もない。
 そして、会う人全てが優しく、自分の言うことは何でも聞いてくれる。

「別にいいけど、はやてには何って言うつもり?」

「……っ、はやては関係ねーだろっ!」

 思わずアリサに怒鳴り返す。

「そう……ならあたしから言うことはないわ」

「なんだよ文句あんのか?」

「だから別にないって言ってるでしょ」

 含みを持たせた言い方が癇に障る。

「ちっ……お前も結局そういう人間かよ」

「は……?」

「さんざん人に頼っておいて、都合が悪くなったら人のせいにする。人間なんて結局そんなもんだ」

 好き勝手にしていた歴代の主のことを思い出す。

 ――ああ、そうか……別にはやてが特別だったわけじゃねーか……

 これまで多くの人を見てきた。
 だからこそ、知っている。
 人は簡単に裏切る。嘘もつくし、昨日まで聖人だった者が次の日悪人になった様も見てきた。
 一皮むけば、特別だと思っていたはやても同じなのだ。

「あんた……自分が何言ってるか、ちゃんと分かってるんでしょうね?」

「はん……たかが十年しか生きてない小娘が偉そうに物言ってんじゃねーよ」

「そういうあんたは見た目通りの子供だったみたいね……前に礼儀正しい子だって言ったけど、あれ撤回させてもらうわ」

「んだとっ!?」

「あんたの本性がそれなら切り捨てて正解よっ!」

 その言葉にヴィータはカッとなった。

「ちょっとアリサちゃん、言い過ぎだよ」

 なのはがいきり立つアリサを止めているが、それさえも目に入ってない。

「言い過ぎなわけないでしょっ! こいつははやてのことを都合のいい召使いかなんかだと思ってんのよ」

「ふざけんなっ! はやてはあたしたちの王だっ!」

「そっちこそふざけたこと言ってんじゃないわよっ!
 はやては王様なんかじゃないっ! あたしたちと同じただの女の子よっ! 勝手にあんたの理想の王様をはやてに押し付けるなっ!」

「うるさい……うるさいっ、うるさいっ!」

「そんなだからガキなのよっ! 都合が悪くなったら癇癪起こせば誤魔化せると思うなっ!
 あんたはね、優しくしてくれる人だったら誰でもいいのよ! だから優しくしてくれないはやてから逃げ出して、優しくしてくれるここの人たちのところにいたいのよ」

「いい加減黙れよ……その口、潰すぞ」

「できるものならやってみなさい、卑怯者……
 陰口を叩くことしかできないくせに粋がってんじゃないわよ」

「――っ!」

「そこまでです」

 本気でグラーフアイゼンを叩き込んでやろうと思ったところで、それより速くリィナ・アヴァンシアが動いていた。
 いつの間にか、テーブルを迂回してアリサの傍に立って剣を突きつけていた。

「お、おい……」

 その光景に急速に頭が冷えたヴィータは声をかけるが、止める言葉は出てこなかった。
 しかし、アリサの口撃は止まらない。

「いくら王の御友人とはいえ、ヴィータ様への暴言は許さないわよ」

「ふん……ベルカの騎士って随分と手が早いのね……
 口で勝てなければ即暴力? 流石、そこのお子様を信奉しているだけはあるわね」

「アリサちゃんっ!」

「で、どうするの? やめないって言うなら、その剣であたしを斬るの? やれるもんならやってみなさい」

「アリサちゃんっ!」

 剣を突き付けられても怯まないアリサになのはとすずかが止めに入るが、それでもアリサの口撃は止まらない。

「何度でも言ってあげるわよっ!
 今のヴィータは最低よっ! ソラさんの方がずっとマシな人間よっ!!」

「……忠告はした」

「ま――」

 一切の躊躇いなく振り下ろされる刃。
 まさか本当に斬りかかると思っていなかったなのはは反応できなかった。

「正気ですか、リィナ……?」

 代わりにその斬撃を止めたのはリニスだった。

「どきなさいリニス……ヴィータ様を侮辱した罪、万死をもって償わせるのが道理……邪魔をするなら貴女も敵と見なします」

「はぁ……妄信もここまでいくと病気ですね……
 なのはさん、アリサさんを連れてこの場から離れてください」

「リニスさん……でも……」

「アリサさんをまず落ち着かせてください……こっちはこの子達に少しオシオキです」

「……分かりました」

「ちょっと! 二人とも放しなさいっ! まだ言うことが――」

「ごめんねアリサちゃん」

 二人に引きづられて出て行くアリサにヴィータはホッと胸を撫で下ろす。

「ちっ……屋敷にいる全ての使用人に告げます……
 我が一族の英雄ヴィータ様を貶めた大罪人、アリサ・バニングスを捕まえなさい」

「はっ……?」

「なっ……!? そこまでしますかっ?」

 あまりの展開についていけなくなったヴィータを他所に、暴走が始まった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「何でこんなことに……」

「いたぞっ! こっちだっ!!」

 自分達を探す怒声に逃げ惑いながらなのはは頭を抱える。

「むしゃくしゃしてやった、でも後悔はしてないわよ」

 原因を作ったアリサは悪びれもせずにのたまうアリサになのはは半眼の目を向ける。

「な……何よ……あんたたちは頭にこなかったっていうの?
 あいつは、はやてのことさんざん振り回しておいて、その自覚もしてないのよ」

「それは……」

 アリサを止める側に回ったが、なのはもヴィータの物言いには怒りを感じずにはいられなかった。

「でも、これからどうするの?」

 隠れた物陰から廊下をうかがいながらすずかが尋ねる。
 ここに隠れるまでアミティエが足止めしたり、ユーノが囮になってくれたりとなんとか無事に来れた。
 しかし、館の玄関が近いせいか見回りは増えていく一方だった。

「とりあえず、この館から脱出しないと」

「思ってたよりずっとやばい人たちだったみたいね……
 ヴィータが命令すればきっと平気で戦争起こすわよ、ここの人たち」

「うん……」

 アリサとすずかが話をしているが、周囲の警戒以上になのはは焦っていた。

 ――こんなことしてる場合じゃないのに……

 一刻も早く、管理世界から出なければノア達が襲ってくる。
 未だに誰にも言えない情報を抱えているなのはからすればこの状況は最悪だった。
 身体は快方に向かっているとはいえ、未だに杖が必要で動きが制限されているアリサ。
 魔導師と相対できる力を持っているが、それを隠しているすずか。
 そんな足手まといの二人を抱えて、着々と狭まっている包囲網を突破しなければならない。
 仮に突破したとしても、土地勘のないクラナガンではどこに逃げていいかも分からない。しかも自分達は密入国してここにいるため管理局には頼れない。

「おっ……こんなところにいたのか」

「にゃあっ!?」

 不意に隠れていた物陰を覗き込んできた彼になのはは猫のように反応して、レイジングハートを構える。

「安心してくれ、俺は敵じゃない。安全なば――」

「バスターッ!」

 話を聞かずになのはは撃った。

「げふっ……」

「バスターッ! バスターッ! バスターッ!」

「たわばっ! あべしっ! ひでぶっ!」 

「なのはちゃん、ストーップッ!」

 突然現れたテオに動揺して砲撃を乱射するなのはをすずかが止める。
 幸い、チャージもしてない砲撃だったためダメージはなかったのか、彼――テオ・オペルは煤まみれの身体で起き上がる。

「あー……落ち着いたか?」

「す、すいません」

「いや、こっちも脅かしたみたいで悪かったな」

 気を悪くせずに謝罪を受け取ってくれるテオに少しだけ警戒心が薄れる。

「まあ、疑う気持ちは分かるが落ち着いて話を――している暇はないか、とにかく今は俺を信じてついてきてくれないか」

 自分達と同じように周囲のざわめきに警戒するテオになのはは即答した。

「はい、分かりました」

「は……?」

 すると、テオは固まってなのはを凝視してからアリサたちを見た。

「そういう子なのよ」

「あははは……」

 呆れるアリサと笑うすずかになのはは首を傾げる。

「まあ、ごねられるよりかはいいか……と、東館に行ったぞ! 絶対に逃がすなっ!」

 突然テオが叫ぶと、周囲の足音が一斉に離れて行く。

「よし、行くぞ」

「は……はい」

 言葉を返しながら、なのははアリサに肩を貸してテオの後を追った。
 周囲に人影はない。
 そのことに安堵して、余裕ができた心でテオに話しかける。

「あの……テオさんは、何で……」

 口を出さなかったが、アリサがヴィータを批判した場には彼もいた。
 しかし、怒ったリィナと違って彼は普段と変わらないように見えた。

「わりーな……ここまで暴走するとは俺も思わなくてな……たぶん、闇の書を信奉してたことを隠さなければいけなかった反動、なんだろうな」

 闇の書は管理局にとっての怨敵。
 声を大にして主張して敬うことはできなかったことは想像に難くない。

「それにしたって行き過ぎじゃないの? ここまで行ったら危ない宗教よりタチが悪いわよ」

「言い訳させてもらえば、ヴィータ様にだって責任の一端はあるんだぜ」

「ヴィータちゃんの責任……ですか?」

「俺達の一族の最後の戦場で、ヴォルケンリッター様たちはいつか戻ってくるって約束してたらしいんだ……
 その時こそが、虐げられた一族の再起の時だって、俺達の年代はそう教え込まれて育ってきたんだ」

「そういうあんたは、周りとは違うみたいね」

「今更昔の話を蒸し返したって仕方ないだろ? だいたい戦争なんてどんな時代でもしないに限るだろ」

 正論を語るテオに最後に残っていたわずかな警戒心を解く。

「それはそうとどこに向かってるんですか?」

「ああ、それは――」

「そう、ヴィータ様を裏切るのね」

 振り返り、なのはの疑問に答えようとしたテオの言葉を、何処からともなく現れたリィナが遮った。
 咄嗟に動くも、容赦なくリィナはテオを斬り伏せる。
 噴き出る鮮血に言葉を失う三人。
 だが、リィナは構わずアリサに襲い掛かる。

「っ……レイジングハートッ!」

 なのはの反応は遅れるが、その意を汲んですでに愛機がシールドを展開してくれる。

「ちっ……」

 舌打ちをしながら打ち込まれた剣はシールドによって弾かれ、リィナは大きく距離を取る。

「いたぞっ! こっちだ!」

 背後の廊下からの声になのはは思わず振り返る。
 その隙を逃さずにリィナがもう一度斬りかかる。

「させっかよっ!」

 が、走り込んできたリィナをテオが蹴り飛ばす。

「テオさんっ! 大丈夫なんですかっ!」

「これぐらいハティの訓練に比べればかすり傷だっ!」

 盛大に肩から斜めに斬線を刻まれて、血が止まってないにも関わらずその物言い。逆になのはが戦慄した。

「ハティさんの訓練って……いったい何をしてるんですか!?」

 その問いにピタリとテオとリィナの動きが凍り、小刻みに震え出す。

「聞くな……」

「え……?」

「いいから聞くな、聞かないでください」

「は……はい」

 リィナと睨み合いながらの懇願になのはは頷く。

「リィナが足止めしている、急げっ!」

「ヴィータ様を貶めた罪、死をもって償えっ!」

「ミッド人を殺せっ!」

 そうこうしている内に背後の廊下に人が集まる。
 聞くに堪えない罵声の数々に身を竦ませながらもなのはは杖を向ける。

「この馬鹿どもが……」

 が、なのはが動くよりも先にテオが動く。

「アリサを抱えろ」

 小さな声の指示に従ってなのははアリサを抱える。

「えっ!? 何っ……?」

「少しは頭を冷やせっ!」

 拳に魔力を集中させ、テオは廊下の床に叩き込んだ。
 周囲の足元を陥没させると同時に全方位に向けて放たれる魔力衝撃がリィナたちに襲い掛かった。
 同時にそれは館そのものを破壊する。

「飛べっ!」

 続く指示になのははアリサを抱えたまま飛翔する。

「待ち――」

 リィナがそれを追い駆けようとするが、彼女の足は光の杭によってその場に固定されていた。
 瓦礫に飲み込まれていく彼女達を下になのはは崩壊した館から屋根の上へと着地する。
 遅れて、すずかを抱えたテオが隣に降り立つ。

「だ……大丈夫なんですか、これ?」

「大丈夫大丈夫、これくらいで死ぬほど家の連中はやわ――」

 不意にテオの言葉が途切れる。
 何事かと思ったなのはの前で崩れるように倒れるテオ。
 抱えられていたすずかは危なげなく立ち、妖艶な顔で唇に残った何かを舌で舐め上げる。

「すずかちゃん……」

「…………あ……」

 正気に戻ったように声をもらし、倒れたテオを見てすずかの瞳が動揺に揺れる。
 そして、テオから顔を上げたすずかの目がなのはのそれと合う。
 血の紅よりも緋い瞳と。

「っ……伏せてっ! すずかちゃんっ!」

 なのははアリサを抱えたまま、すずかに飛びかかり――爆発が起きた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ――どうしてこんなことになった……

 騒然とした館の中でヴィータは自問自答する。
 ことの起こりはただの痴話喧嘩だった。
 手を出してしまいそうになったことは認めるが、決してこんな事態を望んだわけではない。

「絶対に奴らを逃がすなっ!」

「草の根をわけてでも探し出せっ!」

「生きてこの館から出すな」

 飛び交う怒声。
 ヴィータの怒りが飛び火して信奉者達に火をつけた。

「ちがう……ちがう……ちがう……」

 この空気はよく知っている
 戦場の、暴動の空気。
 よく知っているからこそ、この勢いを止められないことも知っている。

「ちがう……あたしのせいじゃない……あたしのせいじゃない……」

 周りの喧騒から逃げるように、壊れたように同じ言葉を繰り返し、ヴィータは幽鬼の足取りで宛てもなく彷徨った。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「何がどうなってるのよっ!?」

 突然の爆発に動揺するアリサが叫んでいるが、それに答えている余裕はなのはにはなかった。

「すずかちゃん……」

 緋い瞳を覗き込みながら、彼女の名前を呼ぶ。

「なのはちゃん……わたし……わたし……」

 動揺しているが普段と変わらないすずかになのはは安堵をして、テオのバイタルをレイジングハートに探らせる。
 結果は良好。
 大きな傷のはずなのに、何故か出血は止まっているので一先ずは安心できた。

「大丈夫……大丈――」

 慰めようと伸ばした手でなのはは咄嗟にすずかの身体を引っ張って位置を入れ替える。

「ぐっ……」

 次の瞬間、バリアジャケットをまとっていたはずの肩に鈍い痛みが走る。

「なのはちゃんっ!」

「なのはっ!」

 二人の悲鳴が上がるが、それに答える余裕はなのはにはなかった。
 狙撃と同時に屋根の上に躍り出た影は三つ。
 それはこの館の者ではなかった。
 ライダージャケットのような服で全身を覆い、フルフェイスヘルメットで顔を隠して個をなくした一様の姿をした敵、執行者。
 撃ち抜かれた左腕は動かせない。痛みで集中しきれない。
 それでもアクセルシューターの迎撃を飛ばす。
 撃ち込んだシューターは防御されるが、その反動で執行者たちを大きく飛ばすことに成功した。
 が、入れ替わるように新たな執行者が小太刀を手に襲い掛かってくる。
 同時に感知した狙撃になのははすずかを突き飛ばす。

「がっ……」

 覚悟していた痛みに耐えながら、シューターを制御して新たな三人を撃つ。
 だが、当てられたのは一人だけ。
 残った二人は屋根を一直線に駆け、すずかに肉薄する。

「っ……」

 寸前に桃色の円環が執行者の疾走を止めた。

「アクセラレイターッ!」

 そして突然、彼らの目の前にアミティエが現れ、両手剣で二人まとめて斬り飛ばした。

「みんさんっ、大丈夫ですかっ!?」

「アミティエさんっ! まだっ!」

 心配する声に対してなのはは警告を返す。
 アミティエが剣を振り抜いた体制のところになのはが弾き飛ばした三人が襲い掛かる。
 だが、その三人はアミティエに届く前に緑光の鎖に繋がれる。

「ファイネストカノンッ!」

 空中に止められた執行者たちにアミティエはすかさず砲撃で撃ち落す。

「何ですか……今の黒いの?」

「あれが私達の敵です……それより気をつけてください。まだ狙撃主がいます」

「警戒は私がしますっ! ユーノさん、なのはさんたちを安全な場所に運んでください」

「はいっ!」

 アミティエの声に答えて、ユーノが現れる。

「っ……」

 なのはの有様にユーノは息を飲むが、すぐに四人を包むように魔法を発動させる。

「このまま下まで移動させるから、動かないで」

 言っている間に、飛来してきた魔弾をアミティエが切り払う。

「早くっ!」

 アミティエが急かすが、ユーノも四人同時に移動させるには集中が必要になる。
 せめて自分の負担を減らそうとなのははフライヤーフィンを展開して――

「なのは、動いちゃダメよっ!」

「大丈夫、下に降りるくらいなら――」

「なのはも動かないでっ!」

 ユーノの初めて聞くかもしれない一喝になのはは身を竦ませる。

「でも――」

「でも、じゃないっ!」

「は……はい」

 あまりの剣幕になのははユーノに従う。

「っ……」

 身動ぎをすると身体に痛みが走る。
 撃ち抜かれたの左肩と脇腹。バリアジャケットは貫通し、血が滴り落ちる。

「すずか……その目……」

 零れる落ちる血から目が離せないすずかの緋い目にアリサが気が付き、困惑の声がもれる。

「あっ……」

 咄嗟に顔を隠してすずかは後ずさる。その動きでユーノの魔法圏内から踏み出し、すずかの身体が後ろに流れる。

「ダメッ! すずかちゃん」

 咄嗟になのはは手を伸ばす。
 しかし、向けられた血塗れの手にすずかはいっそう顔を引きつらせ固まり、なのはの手を取ることなく落ちた。

「すずかさんっ!」

 一番早く動いたのはアミティエだった。
 落下するすずかの身体を空中で抱き締めて――狙撃の魔弾がアミティエを撃った。

「アミティエさんっ!」

 すずかを抱えたまま吹き飛ばされるアミティエに、なのはは声を上げる。

「私もっ! すずかさんも大丈夫ですっ!」

 返ってきたアミティエの声になのはは安堵する。

「ごめん、二人とも……少し荒っぽく降ろすよ」

 そう言ってユーノは負荷が減ったフィールドを一気に動かして地上に降ろした。

「なのは、大丈夫?」

「大丈夫……大丈夫だよアリサちゃん」

 加速と停止の勢いで身体に痛みが走るが泣き言は言ってられない。
 屋根から降りたことで狙撃は止まったが、まだ周囲には執行者が潜んでいるはず。
 身体が痛いからといって休ませてくれる相手ではないことは分かっている。

「ごめん……あたしのせいだ」

「アリサちゃん……」

「あたしが……ヴィータのこと、責めなかったらこんなことにはならなかったのに」

 執行者の本当の狙いを知らないアリサがこの襲撃の切っ掛けを作ったのは自分だと責める。

「アリサちゃん……違うの、執行者は――」

 言いかけてなのはは止める。
 執行者の目的を話せば、自然にすずかの秘密も言うことになる。
 自分の口からそれを言ってはいけないと、なのはは口をつぐむ。

「なのは……?」

 不自然な沈黙にアリサが首を傾げる。

「二人とも、話は後にして」

 顔を合わせて黙り込んでいるとユーノが意識を失っているテオを担いで二人を促す。

「とにかく建物の中に、オペルの人たちには事情を話して一時休戦にしてもらおう」

「うん、そうだね」

 見晴らしのいい屋根から降りたとはいえ、外にいたままではいつまた狙撃されるか分からない。
 ユーノの意見に頷いて、なのはは痛む身体をおしてレイジングハートを片手で構える。

「ごめんなさいっ!」

 悠長に玄関に回る暇はない、と判断してなのはは館の壁を撃ち抜く。

「なのはっ!?」

「とにかく中にっ!」

 無茶を咎める声を無視してなのはは先を促す。

「ああ、もうっ!」

 悪態を吐きながら、ユーノはテオを引きずってなのはが開けた穴から館に入る。

「アミティエさんっ! こっちに来れますかっ!」

「何とかしてみせますっ!」

 しっかりした返事になのはは安堵して、館から聞こえてきた足音に振り返る。

「なのは……」

「大丈夫だよアリサちゃん、話せばちゃんと分かってくれる」

 怯えてバリアジャケットの裾を掴んでくるアリサを落ち着かせるようになのはは手を重ねる。

「違うの……音が」

「音……?」

 耳を澄ませると、先ほどまでうるさいと感じた複数の足音や物音、人の怒声も消えていた。
 騒がしかった音の重なりがわずか数瞬で不気味な静寂に置き換わる。

「二人とも、僕の後ろに」

 異常を察してユーノは前に出る。

「ユーノ君、それは私が――」

「なのはは後ろから攻撃に専念して、怪我をしているところで悪いけど、僕は盾以上にはなれないから」

 なのははユーノがかすかに震えているのに気が付くが、彼の提案を受け入れる。
 万全ならともかく、怪我で動きが鈍っている自分では対処しきれなくなる可能性は高い。

「無茶だけはしないでね」

「なのはにだけは言われたくないな」

 苦笑するユーノは呼吸を整えて身構える。
 物音はしない。
 自分達の息遣いしかない空間に見えない緊張の糸が張られ息苦しさを感じさせる。
 十秒、二十秒、三十秒。
 物音も気配もない、それでも漂う魔力の気配がそこにいることを示す。

「遅れてすいません、ただいま到着しましたっ!」

 その緊張の中、すずかを抱えたアミティエが合流する。

「二人とも、よか――」

「来るよっ!」

 二人の無事な姿に緊張が緩む。そこにユーノが叫ぶのと同時に、廊下の角から黒い影が飛び込んできた。

「バルカンレイド」

「アクセルシューター」

 なのはがアクセルシューターを撃つと同時に、アミティエも銃を撃つ。
 だが、執行者は怯むことなく前に疾走する。
 執行者は両手になのはの見慣れた小太刀を手に走り、迫るアミティエの連射弾を小太刀の一刀で切り払った。
 さらにはほとんど着弾に差がない二発、三発と続く弾丸を走る速度を緩めず、全て二本の小太刀で切り払って突き進む。

「うっそっ!?」

 曲芸じみた動きにアミティエは驚愕するが、なのはは冷静に執行者の死角からシューターを強襲させる。
 しかし、それさえも見ずに察知され、かわされる。
 張った弾幕など意に介さない執行者の疾走は瞬く間にその距離を縮める。

「ラウンドシールド」

 ユーノが廊下の全てを遮るようにシールドを展開する。
 迎撃は出来なくなるが、これで執行者の足が止まる。
 そう期待したのも束の間に、ユーノが張ったシールドに弾丸が穿たわれた。
 見れば、廊下の先で走る執行者とは別の執行者が二人、ライフルを構えていた。
 前を走る執行者に当たらない正確な射撃がユーノのシールドに着実なダメージを刻む。

「くっ……」

「ユーノ君っ!」

 敵の弾幕でその場に釘付けにされたユーノは近付いてくる執行者に対して何も出来ない。

「なのはさん、シールドが壊されるタイミングに合わせてくださいッ!」

「はいっ!」

 言ってアミティエはユーノと位置を交換するように前に出て、なのははいつでも撃てるようにシューターをセットする。
 執行者が迫る。
 が、おもむろに執行者は右手の小太刀を消すと拳を作ってシールドに叩き込んだ。

「っ……みんな防いでっ!」

 なのはからではユーノが邪魔で何をされたのか分からない。
 シールドは破壊されていないが、声から察せる焦りになのははシューターを破棄してアリサたちを守るためにバリアを張る。
 一瞬、遅れて閃光を伴う爆発が起こった。

「ユーノ君、アミティエさんっ!」

 悲鳴を押し殺して、二人の名前を叫ぶ。
 爆発が巻き起こした煙によって二人の様子は分からない。
 煙の奥で人が動く気配と音がする。
 しかし、煙をかいくぐって現れたのは執行者だった。
 驚く間もなく、執行者はなのはが張ったバリアに肉薄し、一瞬で四つの斬撃を叩き込んで破壊する。
 咄嗟に迎撃を考えるが、煙を切って飛来した魔弾がなのはを撃ち貫いた。

「あっ……」

『リアクターパージ』

 胸を抉るはずだった弾丸をバリアジャケットの一部を犠牲にしてやり過ごし、強固な楯を張って追撃を防ぐ。
 煙が晴れると、爆発の衝撃をもろに受けてしまったユーノとアミティエが倒れていた。
 対して、目の前の執行者は怪我らしいものは見当たらなかった。
 執行者はユーノのシールドを破壊せず、銃撃で脆くなった場所から拳だけを貫通させてシールドの内側に爆弾を投げ入れたのだ。
 しかし、見えてなかったなのはには何をしたか理解できないが、はっきりしていることは敵が自分達よりも遥かに戦い方がうまいということは理解する。

 ――勝てない……でも、アリサちゃんとすずかちゃんだけでも逃がさないと……

 目の前の執行者はすぐに攻撃を仕掛けてこない。
 その間に後方の執行者達が距離を詰めてくる。
 状況がどんどん悪い方へ傾いていく。
 しかし、下手な動きを見せることは出来ない。

 ――どうしよう、どうすれば……

 目の前でシールドを無視した爆破攻撃をされたため、自分が張った楯でさえ不安が残る。
 わずか数秒でなのはの精神はやすりで削るように磨り減り、疲弊する。
 そこで天井が崩れた。

「っ……」

 目の前の三人にばかり集中していたなのはは天井を崩して現れた四人目に顔を上げるだけで、それ以上の反応は出来なかった。

「あっ……」

 スローになる景色。
 落ちてきた執行者がその勢いを乗せて、なのはがシールドを張るためにかざした手に小太刀を振り下ろす。
 敵の動きはゆっくりのはずなのに身体が動かないし、思考も追いつかない。
 ただ呆然と、なのはは自分の腕を斬り落とされる様を見ていることしか――

「え……?」

 刃が届く直前に金の光が執行者を貫き、吹き飛ばしていた。
 なのはの時間感覚が元に戻る。同時に三人の執行者が動き出していた。
 集中が途切れたシールドは簡単に破壊される。
 だが、その瞬間金の光が走ると後方の二人が光に撃ち抜かれる。
 小太刀の執行者がなのはに斬りかかるが、その凶刃はなのはの後ろから現れた槍に受け止められる。

「ハティ・アトロス」

 背後で槍の持ち主の名前を誰かが呟いた。

「はいはーい……みんなの味方、スーパーアイドル、ハティお姉さんが助けにきましたよ」

 軽いノリの声に緊張に張り詰めていた思考が緩む。
 目の前の執行者が距離を取る。
 が、後ろに跳び退き着地したところですでにハティが開いた距離を駆け抜けていた。
 槍を一突き。
 執行者の身体をそのまま廊下の先まで突き飛ばし、左右の壁が爆発すると同時に新たな執行者が現れてハティに迫る。

「ハティさんっ!」

 槍を突き出した体制で硬直しているハティに対処できないと、なのはは思わず叫ぶ。
 が、ハティは突き出している槍を引き戻し、石突で一人を突き飛ばし、その場で回転する。
 旋回した棒がもう一人を捕らえ、横殴りにして壁に叩きつけた。
 そのまま床に転がる一人の喉仏を踏み砕きながら、ハティは振り返りなのはに向けて槍を構える。

「え……?」

 疑問を感じると同時に耳元に金の光が通り過ぎ、なのはの背後の廊下から現れた執行者を射抜く。
 その間に石突で突き飛ばしてもまだ健在な執行者が斬りかかる。

「お……? っと……」

 距離を取ってかわそうとしたハティの動きが不自然に止まり、小太刀の斬撃を槍で受け止める。
 見れば、喉を潰された執行者がハティの足を掴んでいた。
 動きが制限されたハティは足を止めて、執行者と相対する。
 が、槍と小太刀二刀。距離を詰められた状態でどちらが有利なのか一目瞭然だった。
 槍が弾かれハティの手から飛んでいく。

「ハティさんっ!

 再び、なのはがその名前を叫ぶ。
 しかし、ハティは飛んで行った槍のことなど意に介さず、剣を振った執行者に下から鋭いアッパーでヘルメットの下あごを殴り上げた。

「ふっ……」

 鋭い呼気を発し、ハティは固定された足を軸に、アッパーで上に身体を伸ばさせた執行者の首に上段回し蹴りを叩き込む。

「あ、しまった」

 そんな声をもらしながら、ハティは下ろす足の勢いをそのままに、足元の執行者の胸を踏み抜いた。

「え……うそ……」

 見惚れるほどの戦いぶりだった。
 しかし、なのはの意識は早々にハティから離れ、目の前のそれに釘付けになっていた。
 ハティのアッパーと回し蹴りの余波を受けて粉々になったヘルメット。
 首を不自然に曲げ、絶命していることは間違いない。
 初めて見る、出来たての死体。
 嫌悪感が込み上げてくるが、それ以上になのはは困惑していた。

「ソラ……さん……」

 砕けたヘルメットの下はなのはも知っている人間の顔だった。
 この数週間、助けてもらい、裏切り、酷いことを言って、それでも助けてくれた人。
 恩を仇で返してしまったことに後悔して、謝って償いたいと思っていたのに。
 その人は敵となっていて、目の前で殺された。

「あ……」

 光を映さない虚ろな目になのははまるで責められているかで、全身から血が抜けるような寒気を感じたじろぐ。

「なのちゃん、落ち着いて」

 彼を殺したハティはそんななのはの気も知れず軽い口調で声をかける。

「ハティさん……」

 何と言っていいのか分からない。
 ハティが助けてくれなければ、自分は間違いなく彼に殺されていた。
 そのことに感謝すべきなのに、言葉にならない。

「落ち着いてよく見て、その人はソラじゃないよ」

「え……?」

 ハティに言われてなのははソラと思わしき死体をもう一度見た。
 髪型、というよりも坊主頭だが、差異はそれくらいしか分からない。
 細かな特徴までは分からないが、顔の作りなどはどう見てもソラにしか見えない。

「違うよ、なのちゃん……見るのはこっち」

 そう言ってハティは踏み殺した執行者のヘルメットを槍で割った。

「…………うそ……」

 思わず、目の前の死体とハティの足元の死体の顔を見比べる。
 新たに見せられた顔もソラのものだった。
 二つを見比べてみても差異が分からないほどにそっくりな顔。
 思わず、なのはは廊下に倒れている執行者達に目を向ける。

「うん……そうだよ……みんな同じ顔」

 なのはの考えをハティが肯定する。

「どうして……?」

「なのちゃんはその答えを知っているはずだよ」

「わたしが……知っている……?」

 言われても思考が回らず、何も思いつかない。
 そんななのはを見かねて、ハティは語り出す。

「昔々、とある事故で一人の娘を亡くした母親がいました」

「え……? それは……」

「絶望に沈んでいた母親はある日、こう言われました『娘を生き返らせたくないか』と」

 その出来事で連想される母親をなのはは知っている。

「母親に示された人造生命を作り出す技術の名前は『プロジェクトF』……
 母親はそこに記憶転写技術を合わせて娘を蘇らせようとした……その先を説明する必要はないでしょ?」

 聞き返されるが、答える余裕などなのはにはなかった。

「組織に娘を利用されることを恐れた母親は技術が不完全なまま逃げ出したけど……
 組織はその技術を彼女とは別の方向で、いや正しい方向性で完成させた……
 少ないコストで大量の魔導師を生産する……
 常日頃から人手不足に悩む組織が望む技術……」

「それが……ソラさんの真実……?」

 知らされた真実になのはは愕然とする。

「でも……どうして、ソラさんがっ!?」

「プロジェクトFの目的は優秀な魔導師の大量生産を行うこと……
 その条件において、ハヤテ・ヤガミという素材は最高のサンプルだった」

 闇の書に選ばれるだけの魔力量。
 まだ方向性の定まっていない若い魔導資質。
 子供という記憶保持情報の少ない年齢。
 そして何より闇の書の主、つまりは犯罪者であり人権も倫理も気にする必要のないモルモット。

「『闇の書の主に死よりも重い、未来永劫の罰を』……
 それが管理局がハヤテ・ヤガミに与えた贖罪で、今もこんな形で償わせているんだよ」

「そんな……」

「私がこの一週間にやっていたのは、その生産工場の破壊……
 二つ、潰したけど……きっとまだ沢山存在しているはずだよ」

 ハティが語る現状になのはは絶句する。そこに新たに現れた声がハティの言葉を聞き返す。

「何だよそれ……?」

「ヴィータちゃん……」

「何だよそれっ! あたしはそんなの知らないっ! あたしのせいじゃないっ!」

 目の前の二つのソラの死体。
 ハティが語ったハヤテ・ヤガミの身に起きた真実。
 それに直接関わっていたわけではないが、ヴィータにとっても前の主への非道な扱いは見るに耐えないものだったのだろう。

「貴方達のせいでしょ」

 しかし、ハティはヴィータの拒絶を否定した。

「貴方達が彼を闇の書の主にしたから、彼は十二年前から利用され続けてるのよ」

 一歩、ハティがヴィータに向けて踏み出す。

「ええ、そうよ……元凶はそんな技術を作った私の母さんのせいよっ!
 それに仮に闇の書の主が選ばれなかったとしても、別のサンプルが用意されていたでしょうね……だけどっ!」

 背中越しの怒気になのはは身を竦ませる。
 直接その怒気をぶつけられているヴィータは涙目になって震えていた。

「洗脳紛いの知識を焼き付けられて、身体は薬と電気刺激で無理矢理成長させられて、使い捨ての人形として使われる」

「だ、だから……それは……」

「挙げ句の果てには、闇の書の被害者の憂さ晴らしのために造られ、売り飛ばされて、苦しまされて笑われながら殺される」

 その真実にヴィータが絶句する。
 ハティは固まったヴィータの襟を掴み上げて、言葉と共に壁に叩きつける。

「この十二年っ……お前達は何をしていた!?
 彼のクローンが殺され続けてるのも知らなかったくせにっ!
 自分達の罪を彼に肩代わりさせているくせにっ!」

 まるで我がことのように怒るハティになのはは止めることができなかった。

「貴方達がそれをしたわけじゃない……でもっ!
 ハヤテ・ヤガミをその道に堕としたのはお前たちだっ!」












 補足説明

 ハヤテ・ヤガミ(S) プレシアが丹精込めて造ったオリジナルに極めて近い性能を持つクローン。
 執行者・雑兵 (AA) 工場生産による大量生産クローンのため、オリジナルから劣化した性能。生産コストはかなり低い。
*上記のハヤテのランクは彼の素のランクになります。




[17103] 第四十四話 呪縛
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:a223a14e
Date: 2016/01/25 16:49



「ふーん……すずかが吸血鬼ね……」

 目の色が変わった理由を説明し、自分が人ではないと説明するとアリサは納得したと頷いた後に顔をしかめた。

「……ごめん、わりと重要なことですずかもいろいろ悩んでいたのは分かるんだけど……その……ね」

 歯切れの悪い物言いに思わずすずかは苦笑した。

「うん、ちょっとソラさんのことの方がインパクトが強すぎたよね」

 すずか自身、直接会ったわけではないが、その人物のことはよく話題になっていたため知っている。
 なのはたちの命の恩人。
 はやての生き別れのお兄さん。
 恭也義兄さんの友達。
 次元世界の元重犯罪者。
 それが昨日まですずかが知るソラの人物像だった。
 しかし、昨日の騒動によって明かされた彼の真実はすずかが思っていた以上に複雑で悪意に満ちたものだった。

「でも、そのおかげでわたしも何か気が楽になったから」

 薄情なことに彼の秘密を知ってすずかは思った。、

 ――彼より、ずっとわたしは恵まれている……

 なのはやアリサと友達になってからずっと付きまとっていた後ろ暗い秘密。
 人とは違う、人の血を吸う化物。
 物語のような吸血鬼のような大きな能力はなくても、人ではないその一点がすずかにとっては大きなしこりだった。

「二人なら……もちろん、フェイトちゃんもはやてちゃんも……
 わたしの秘密を知っても友達でいてくれるって信じていた……でも、ずっと言い出せなかった」

「うん……それで?」

「なのはちゃん、アリサちゃん……わたしは普通の人間じゃない、夜の一族と呼ばれる吸血鬼です……それでも友達でいてくれますか?」

「当然よっ!」

「もちろんだよ、すずかちゃん」

 すずかの問いに躊躇わず答えてくれる二人にすずかは零れそうになる涙を拭う。

「それにしても、すずかが吸血鬼で……なのはたちは魔法使いか……普通の人間はあたしだけか」

「アリサちゃんが普通っていうのは、ちょっと納得いかないかも」

「それはどういう意味よ、なのは?」

「そ、そういえば吸血鬼って太陽の光に当たったらって話があるけど、どうなの?」

「あ、それ……あたしも気になる」

「えっと……それはね――」

 自分のことを包み隠さず話せることにすずかは嬉しくなる。
 それもこんな気安く話せるとは夢にも思わなかった。
 すずかは二人にせがまれるまま、自分の種族のことを話していく。

「ふーん……それじゃあ、あたしたちもその『誓い』を立てないといけないんだ?」

「うん……ごめんね……本当はこんなこと二人にはしたくないけど、一族の掟だから」

 夜の一族には他人の吸血鬼であることを知られた時の掟がある。
 秘密のことを忘れて普通の生活に戻るか、秘密を共有して一族の一員になるか。

「あれ……? そういえばお兄ちゃんはそのこと知ってるの?」

「うん、お義兄さんはお姉ちゃんと『誓い』を交わしてて……その……恋人になったから」

「もしかして一族の一員になるって、そういう意味なの!? まさか遠回しのプロポーズ!?」

「えっと、同性の場合は決して裏切らない生涯の友であること……それを言葉にしてもらって、わたしの力で縛るの」

 力に集中して目を開く。
 二人が変色した自分の目を見て驚くが、そこにやはり恐れはない。

「分かったわ……それじゃあ、あたしから」

 アリサが率先して名乗りを上げる。
 すずかは彼女と目を合わせて――

「えっ……?」

「だーれだっ!」

 突然、視界を誰かの手によって遮られた。

「出たわね、ハティ・アトロス」

 邪魔をされたことに忌々しげな声をアリサがもらす。

「はいはーい……呼ばれてないけど、みんなのスーパーアイドルハティちゃん参上ですよ」

 目を覆う手を払いのけようとしても、ハティの手はビクともしない。

「お呼びじゃないんだから、邪魔しないでもらえる。これはあたしたちとすずかの問題なんだから」

「そうはいかないんだよね。とりあえず、すーちゃん……その目を引っ込めてくれる?」

「は……はい?」

 言われるがままにすずかは力の集中を解く。
 それを察してハティが目隠しを外した。

「で……いったいなんなのよ?」

「まず、なのちゃんに確認するけど執行者の本当の目的はすーちゃん、吸血鬼だったんだよね?」

「はい……そう言ってました」

「……私の憶測になるけどすーちゃんがしようとしている『誓い』はやめておいた方がいいよ」

「どういうことよ?」

「あーたんに掛かっているギアスが対吸血鬼用のトラップも併用していたとしたら……
 カウンターで何が起きるか分からないのよ」

「……そういうことね」

 ハティの説明にアリサが納得する。

「それから、なのちゃんとするのもお勧めできないかな」

「それはどうしてですか?」

「えっとね……そもそもできるの?」

 聞き返されてすずかは意味が分からず、首を傾げる。

「なのちゃんは少し勘違いしているみたいだけど、次元世界の記録にある吸血鬼は真祖っていって純血の吸血鬼なの……
 それに対してすーちゃんは混血の吸血鬼で、真祖と比べると全然弱くて……
 精神に作用する吸血鬼由来の魔法もすーちゃんが使ったところでCランク相当の力しかないと思うんだけど」

「つまり……?」

「その程度じゃ、なのちゃんの素の魔力抵抗に弾かれて効かないよ」

「え……でも、これはわたしたち一族固有の力で……」

「はっきり言って、魔法でも同じことできるからね……その場合、相手の力量に応じた力でないとギアスはかけられないの……
 ましてや、ギアスがかかっていることを自覚させてやるわけだから、仮にかかっても意識しただけで解けることもあるし……
 ただでさえ、なのちゃんはバカ魔力なんだから」

「バカ魔力なんだ?」

「バカ魔力なの?」

「ばかって言わないでよ」

 確かにそう言われてしまえば納得できる。
 力の大きさなら、自分よりもなのはの方がずっと大きいものを持っているのは感じられる。

「例えるなら、なのちゃんがキングスライムで、すーちゃんがただのスライム、ちなみにあーたんはアメーバくらいの力差かな」

「最後は余計よっ!」

「とにかく、今のすーちゃんは血を吸うことしかできない無能というわけなの」

「む、無能……?」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃をすずかは感じた。

「病気の原因になる蚊よりも無害」

「蚊……の方が……わたしよりも危ない」

 ハティの言葉に心が折れそうになる。

「ちょっと、すずかをいじめないでよ」

「いじめっていうか、ある意味注意なんだけど」

「注意……?」

「ほら、すーちゃんは吸血鬼の中でも最弱だけど……
 なのちゃんは指一本で山一つ消し飛ばせるから、ここで力関係をはっきりさせておいた方が後のためになるかなーって」

「はぁっ!? 山を消し飛ばせるって、そんなことできるわけないでしょ?」

「うん……指一本じゃ、反動を抑え切れないから無理だよ」

「え……?」

「え……?」

 思わず、アリサと一緒になのはを見る。

「えっと……たぶんフェイトちゃんもできるし、はやてちゃんなら二つくらいいけるんじゃないかな?」

 首を傾げるなのはに戦慄を覚える。そこにハティが補足説明を入れる。

「わりと今の時点で管理局の上の方の実力……将来はきっと大魔王……対してすーちゃんはスライム」

 肩を叩いて現実を突きつけられて、すずかは――

「ねえ? どんな気持ち……? 自分の方が種として優れていると思ってたのに、なのちゃんたちの方がずっとすごかったって、知ってどんな気持ち?」

「う……うう……わーんっ!」

 ハティの手を振り払って、泣きながら駆け出していた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「すずかちゃんっ!?」

 泣いて駆け出してしまったすずかをなのはは呼び止めるが、廊下をのぞいた時にはもう彼女の背中は見えなくなっていた。

「ちょっと、あんたっ!」

 すずかを泣かしたハティにアリサが食って掛かるが、当のハティは飄々とした態度でアリサをなだめる。

「ほらほら、友達なんだから早く慰めに行って上げなさい」

「泣かした元凶が何言ってんのよ?」

「意味もなく泣かせたわけじゃないよ」

「む……」

「えっと……どうゆうことですか?」

 押し黙るアリサに代わってなのはが尋ねる。

「吸血鬼が特別じゃないってことよ」

 答えたのはハティではなくアリサだった。

「行くわよ」

 アリサは杖を突いてなのはを促す。

「がんばってねー」

 ひらひらと手を振る、ハティをアリサは睨み付ける。

「ちなみにあんたならどう収拾させるつもり?」

「とりあえず、口約束と血判状でも書けば?」

 最後は投げやりにハティはまとめられる。

「四つの約束より、一つの結束……それにそういう風に形にしてある方がすーちゃんの好みだと思うしね」

「四つ……? あ……」

 自分とアリサで二つ、あとの二つにフェイトとはやてを入れてなのはは納得する。

「それですずかの一族は納得してくれるの?」

「してくれなかったら、大魔王様を降臨させればいいんだよ」

「ふーん……すずかのこと、よく知っているみたいね……
 もしかして、あんた……すずかが吸血鬼だってこと、もしかして知ってたんじゃないの?」

「アリサちゃんっ!?」

 突然そんなことを言い出したアリサになのはは驚く。

「知ってたけど、忘れてた……あんまり関わりがなかったし、重要な設定でもなかったからね」

「それは前世の記憶?」

「そうだけど」

 言葉の応酬が止まり、二人が睨みあう。
 なのははオロオロと視線を彷徨わせる。

「…………一応、感謝しておくわ」

 そう一方的に言って、アリサは部屋から出て行く。

「えっと……ありがとうございました」

 乗り遅れたなのはは頭を下げてからその後を追った。

「―――」

「えっ……?」

 ハティの呟きになのはは思わず、振り返る。
 しかし、ハティは振り返ったなのはにどうしたの? と首を傾げるだけだった。
 なんでもない、そう返してなのははアリサの後を、すずかの後を追い駆けた。

 ――気のせいかな……?

 それにしてははっきり聞こえた。

『嘘つき』

 それが何のことなのか、なのはには分からなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「吸血鬼か……」

 半壊したオペルの屋敷を外から見ながらユーノは呟く。
 吸血鬼、その単語は考古学者でもある者からすれば大いに心揺れる単語だったが、ユーノは空気を読んで三人の話し合いの場から身を引いた。

「……いないな」

 周囲を注意深く見回しながらユーノは本来の目的を呟く。

『探さないでください』

 そんな書置き一枚を残して姿を消したヴィータ。
 屋敷の周囲を探してみても、彼女の姿は影も形もない。

「ヴィータが逃げ出したくなるのも無理ないか……」

 ハティ・アトロスが明かしたソラの真実を思い出してユーノは憂鬱な気持ちになる。
 あの時、動けなくなっていたが意識はあって、彼女の言葉をユーノは聞いていた。

「僕にとっても他人事じゃなかったか……」

 プロジェクトFの素体としての条件で、ユーノの頭に過ぎったのはなのはだった。
 高い魔導資質を宿し、まだまだ成長の余地を期待できる若さ。
 管理外世界から誘拐してしまえば、当世界の人たちにとっては神隠しで探す術はない。
 管理世界にとっては身元不明の存在が認知されていない魔導師。

「実際にそういう事件があるっているのは知っていたけど……」

 知っていても今まで他人事だった。
 報道で知るだけの世界。
 それが実際は身近に存在していたのだと思い知らされる。
 もし、あの世界に来たのがクロノたちではなく、ソラを利用している一派の管理局員だったとしたら、どうなっていたことか。
 なのはもフェイトも、自分さえ秘密裏に管理局の闇に取り込まれていたかもしれない。

「プロジェクトF……闇の書……執行者……」

 ジュエルシードから始まった事件がこんな風に繋がっているとは思わなかった。
 自分達はまだ関わりの薄い部外者だから落ち着いていられるが、より深い繋がりがあるフェイトやはやてがこの真実を知ったらどうなるか。
 何より、本人が知ったら――

「やっぱり……復讐かな……」

 自分に当てはめて考えてみて、ユーノはそんな結論に行き当たる。
 才能のない自分では想像は難しくても、自分が巻き込んだなのはがそんな風に利用されたとしたら、絶対にそいつらを許さない。
 それこそ、自分の能力、発掘技能を悪用したっていい、そう思えるほどにだ。

「ユーノさん……随分と怖い顔をして、どうかしましたか?」

「リニスさん……いえ……それは……」

 ばったりと出くわしたリニスからユーノは思わず目を逸らした。

「あ……すいません」

「あっ……そんなつもりじゃなくて……その、ごめんさない」

 申し訳なさそうに頭を下げるリニスに、ユーノは自分が勝手な八つ当たりをしたことに気付いて謝る。
 リニスはソラと会った事がない上に、マスターのハティから何も聞かされていなかった。
 そのため、プロジェクトFが今、どのように使われているか知って一番のショックを受けていた。

「えっと……被害状況はどうでしたか?」

「建物の被害は意外と少なかったですね……
 暴動を起こした一部の人たちはアルティマお婆さんの名の下に反省中です」

 そのショックを紛らわせるためか、リニスは今回の騒動の後始末を率先して行っていた。

「どうもここの人たちは派閥があって、リィナはヴィータ派筆頭だったそうです」

「だから、あの反応ですか?」

 ヴィータとアリサの言い合いに剣を抜いて反応したリィナを思い出す。

「テオが言っていました……
 ヴォルケンリッターがした再起の約束……きっとその時代の人たちは大きな辛苦を味わってきたんでしょうね」

「戦乱の世ですからね……オペルの人たちが特別だというわけじゃないですよ」

 そう言って、ユーノは自己嫌悪した。
 そういう本で見知った知識だけで分かったようなことを言っている。

「こういう言い方は失礼なんですよね」

「仕方ないですよ……
 当事者じゃない私達はその人の気持ちを理解して上げられないんですから」

 リニスの表情は暗い。
 彼女の言う当事者が誰を指しているのか、ユーノは聞こうとは思わなかった。

「執行者の死体は……全てひとりでに発火して灰も残らなかったそうです」

「徹底した証拠隠滅ですね」

 おそらく今までずっとそういう風にして、彼らの存在が表に知られないようにしてきたのだろう。

「私はプレシアがしたことを知りませんでした」

「それは仕方ないんじゃないですか?」

 使い魔であるなら、知らされていない情報を知ることはできない。
 それに時期的に考えても、リニスが生まれたのはプレシアが管理局から離反した後のはず。

「プレシアは……どうしてフェイト、一人しか造らなかったんでしょうね?」

 その気があれば、自分が望むアリシアになるまで何度も造り直すことはできたはずだった。
 記憶の差異はともかくとして、利き腕や魔導資質という明確な違いを修正することはできたはずなのに。

「そういう意味ではプレシアさんは正常だったんじゃないですか?」

 リニスの疑問にユーノは自分の考えで答える。
 違うからといって、フェイトを殺したりせず、新しいアリシアを造ることをしなかった。
 もしかしたら、実験としてソラを何人も造りだし、何人も廃棄していたことに思うところがあったのかもしれない。

「ソラさん……でしたか……?
 彼は……この真実を知ったら、やはりプレシアを恨みますか?」

「それは…………分かりません」

 ソラの考えを理解できるほど、ユーノは彼と関わっていない。

「私なら……許しません……
 フェイトをそんな風に使い捨てに利用されていたら、どんなことをしてでも報いを受けさせます」

 それはユーノも同じことを考えた。
 だが、言葉に反してリニスの顔は暗い。

「プレシアがいない今、せめてソラさんの復讐がフェイトに向かわなければいいんですけど」

「……え……? あれ……?」

 リニスの呟きにユーノは疑問符を浮かべた。

「どうしてそこでフェイトに……? 普通に考えてプレシアさん本人か、アリシアに矛先は向くと思うんですけど」

「何を言っているんですか、ユーノさん……いない人間に復讐なんてできるはずないじゃないですか」

「いや、いないって……あれ……? アリシアが生き返って、プレシアさんが融合騎になって戻ってきたって話しましたよね?」

「え……?」

 ユーノの言葉にリニスは固まった。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 第一世界クラナガン次元港、正面玄関でなのはたちはここまで見送りにきたテオにみんなで頭を下げる。

「大変御世話になりました」

「いや、こっちこそすげー迷惑をかけて悪かったな」

 勢いよく頭を下げるなのはに対して、自分の方が悪かったとテオが頭を下げる。
 すずかに衝動的に吸血され、直後は衰弱で倒れたものの今ではすっかり回復していた。
 懸念されていた吸血鬼の汚染も、ハティの推測通り、彼にその兆候はなかった。のだが、

「あの……本当にすいませんでした」

「いや、そうかしこまって何度も謝られてもなぁ」

 深々と何度目になるか分からない謝罪をするすずかに、テオは困惑して包帯が巻かれた頭をかく。。
 最初こそ、すずかは彼に会うことを怖がっていたが、テオはすずかの事情を知っても拒絶しなかったことに安堵して、何度も謝る様になった。
 しかし、すずかとテオの間に交わされるはずだった『誓い』で一つだけ事件が起きた。

『え……俺が関係を決めていいの? それじゃあ――』

『ん……? 何を言うつもりなのかなテオ君?』

 後ろ首をハティに掴まれてどこかへ連れ去られたテオは、次の日すずかが吸血鬼だったことをすっかり忘れていた。

 ――うん、頭の包帯は幻覚、幻覚……

 なのはは努めて、彼の頭に増えた怪我を見ない振りにした。

「はいはい、二人とも……もういい加減そのやり取りは飽きたよ」

 パンパンと手を叩いてハティがずずかの謝罪を終わらせる。

「それじゃ、テオ……見送り御苦労様、アヴァンシアさんには宜しく言わなくていいけど、おばあちゃんに宜しくね」

「おいおい、いい加減許してやったらどうなんだ?」

「あら……? オペルさんは率先して馬鹿やった馬鹿を庇うの?」

「あーまあ……確かに今回のことはリィナが悪いっちゃ悪いんだけどさ」

「そういうこと、今度会う時までに貴方も含めてどうするかちゃんと決めておきなさい……
 でないと、私は貴方達の敵になっちゃうよ」

「それは勘弁してほしいんだけどな……っていうか、本当にハティもその子達について行くのか?」

 恐ろしいといわんばかりに肩をすくめるテオはそのままハティに疑問を返す。

「そうだけど、でもそんなの私の勝手でしょ?」

「そうかもしれないけどさ……そもそも、何でそんなに急いで帰ろうとすんだよ?
 流石にばあさんのお叱りが出たから、リィナたちだって大人しくするぜ……ヴィータ様を探してからでも遅くないんじゃないか?
 それにまだ、そっちのお嬢ちゃんのギアスだって抜けてないんだろ?」

「それは――」

 なのはが口を開こうとしたところがハティの手の平に遮られる。

「私が時間の無駄だって言ったからよ」

「おい……それはどういう意味だ?」

「自分が何をしたのか、それと向き合うこともしないで真っ先に逃げた臆病者が何の役に立つっていうの?」

「ハティさん……あの……」

「勝てない相手とは戦わないっていうのも戦術だけど、弱い敵としか戦わないとじゃ意味は全然違うよ」

「ハティさ――」

「おい、ハティ」

 抗議をしようとしたなのはの声を遮って、重い重圧を感じるテオの声が口を開いた。

「俺は別にリィナと違ってヴィータ様派って訳じゃないし……
 他の奴等と違ってばあさんやじいさんが交わした昔の約束にこだわるつもりはねえけどな……
 だからって、俺らの英雄をあんまり馬鹿にするならお前でも容赦しねえぞ」

「はっ……そんな英雄譚が何だって言うのよ。偶像崇拝なら人様に迷惑をかけないでほしいわね」

 ギシギシと軋む空気になのははいたたまれなくなる。

「ちょっとあんたたち、こんなとこで空気悪くしてんじゃないわよ」

 そんな二人にアリサが臆することなく割って入り、仲裁する。

「ごめんさないテオさん、わたしたちが元の世界に帰らないといけないのは、すずかの家族に不幸が起きたからで……
 ヴィータのことをないがしろにするつもりはないんです」

「え……アリサちゃん?」

 そのまま、流れるように話を進めるアリサになのはは首を傾げる。
 急いで帰る理由は、執行者の襲撃を警戒することと、管理局と夜の一族との話し合いの場を一刻も早く作るため。
 すずかの家族の不幸なんて話、なのはは初耳だった。

「アリ――」

「はい、なのはさんはちょっと黙っていましょうね」

 後ろからリニスに口を塞がれ、余計になのはは困惑する。
 その間にもアリサはテオと話を進めてまとめてしまう。

「それじゃあ、ヴィータのことよろしくお願いします」

「おう、任せておけ……っていうか、まあ言われるまでもねえことだけどな」

 気さくに笑うテオに罪悪感を覚えてしまう。
 アリサの説明は全てが嘘ではないが、本当でもない。
 吸血鬼のことに触れないで説明しないといけないのは分かるが、なのはは複雑な気持ちになる。

「それじゃあ、王様や他の騎士様たちによろしく言っておいてくれ……
 それからあんたたちも落ち着いたら尋ねてきてくれ、その時にはちゃんとした歓迎を用意しておくから」

 それじゃあ、またな。
 そう言って去って行くテオを見送って、ハティが唐突に声を上げた。

「さあ、いざ行かんっ! 第97管理外世界地球、海鳴っ!」

「ちょっ!? ハティさん、声が大きいですよ」

 旅行鞄を片手にハティが声を上げる。
 周りの視線が集まって、羞恥を感じるが当の本人はスキップして完全に浮かれていた。

「はぁ……本当にこんな奴に頼って大丈夫なの?」

 ため息混じりにアリサが愚痴をもらす。

「えっと……悪い人ではないし、強いのも確かだよ」

「あれを見てると、とても次元世界最強だと思えないよね」

 なのはのフォローに同意するようにユーノが頷く。

「あんな主で、すいません」

 らんらんっとスキップしているハティにリニスは止めに行く。

「ところでみなさん。第97管理外世界とはどういうところなんですか?」

 リニスが先に行ってしまったハティを追って行くのを尻目にアミティエが尋ねる。

「世界っていうくくりだと大きくて説明しづらいけど、わたしたちが住んでいる海鳴は海と山に囲まれた街です」

「そこは死蝕に侵されていないんですか?」

「死蝕……?」

 初めて聞く単語になのはは首を傾げる。

「水と大地を腐敗させる現象のことです……その様子だとなさそうですね」

 ホッと安堵するアミティエになのははもしかしてと、尋ねる。

「アミティエさん、記憶が戻ったんですか?」

「え……ああ、そういえばだいぶ頭がすっきりしてきましたね……でも……」

 んーっと米神に指を当てて唸る。

「ダメですね……肝心の妹の顔がはっきり思い出せませんし、博士の名前も出てきません」

「でも、だいぶ快方に向かっているみたいね……
 ハティさんが言うには海鳴にその妹さんも来るみたいだから、それが切っ掛けで元に戻るかもしれないわね」

 アミティエの言動から回復は順調のようだとアリサが推測する。
 しかし、アミティエの表情は優れなかった。

「あの……私、妹に会って大丈夫なんでしょうか?」

「アミティエさん……?」

「まだちゃんと思い出せてないんですけど、私にウイルスを打つ込んだのは……たぶんその妹なんだと思います」

「それは……」

「姉妹喧嘩にしてはちょっとやり過ぎね」

 言葉を失ったなのはに対してアリサが眉をひそめる。
 しかも、アミティエはその直後に墜落して記憶を失っている。
 最悪、死んでいたかもしれない。それとも死んでもかまわないから、そうしたのかもしれない。
 少なくても、状況だけ見れば姉妹仲はとても良好だったとは思えない。
 勝手な想像をして、勝手に落ち込むアミティエにどう慰めていいのかと、なのはは戸惑う。

「ハティ・アトロス」

「はいはい、何かなあーたん」

「たんはやめなさいって言ってるでしょ……
 アミティエと妹さんの関係って、どうだったの? 殺し合いをするほどに険悪だったの?」

 アリサがハティを呼び、前世の知識で自分達を知る彼女に答えを求める。

「別にそんなに仲は悪くなかったはずだよ」

「じゃあ、どうしてその妹さんはアミティエにウイルスなんて打ち込んだのよ? 最悪死んでたかもしれないウイルスなんでしょ?」

「いや、ウイルス自体は致死性のものじゃなかったはずだけど……ちょっと待ってね、今思い出すから」

 腕を組んで考え込むこと十秒。

「たしか……『わたしのことなんて放っておいてっ!』バシーンッ! みたいな感じで……
 で、『放っておけるわけないでしょ!』って無理してバタンキューだったかな?」

「えっと……もしかして、記憶を失ったのって半分は自業自得だったの?」

「じゃないかな?」

 一斉にみんなの視線がアミティエに集中する。

「あ……あははっ!」

 笑って誤魔化すアミティエに先ほどの悲壮感はなくなっていた。

「さてと、私はアミちゃんの検閲に行ってくるから」

「え……?」

 笑っていたアミティエの表情が凍りつく。
 未だに初めて会った時のことを引きずっているのか、アミティエはハティに苦手意識があるようだった。

「ちょ、ちょっと待ってください! 検閲ってなんですか!?」

「待たない……アミちゃんの身体はこっちの世界じゃロストロギア扱いだから、通常とは違った審査が必要なの、分かった?」

「分かりました、分かりましたからっ! 引きずらないでくださいっ!」

「それじゃあみんな、また後でね」

 ひらひらと手を振りながら、ハティはアミティエを引きずって行ってしまった。

「……とりあえず、わたしたちも行こうか」

「そうだね、搭乗までまだ時間があるから御土産でも物色して、次元航行艦でも見に行ってみるのはどうかな?」

「いいわね、それ」

 ユーノの提案に真っ先にアリサが乗る。
 もちろん、なのはも異存はないし、すずかとリニスも反対の声を上げなかった。

「それにしても本当にプレシアはやり遂げたんですね」

 歩きながら、不意にリニスが呟く。

「やっぱり、本当のマスターに会えるのは嬉しいんですか?」

「まあ、いやではありませんが……プレシアとはあまり良い関係をつくれませんでしたから……
 そういう意味ではフェイトとアルフの今後の方が気になっている気持ちは大きいですね」

 若干の気まずさを感じさせながら、リニスはなのはに応える。

「ただ、まさか全てがうまくいく未来があったなんて想像もしていませんでした」

 嬉しそうな顔でリニスは続ける。

「あの時の私は祈ることしかできませんでした……何もできなかった私ですが……
 プレシアがいて、フェイトがいて、アルフがいて、そしてアリシアまでいる……
 そのみんなに未来があるなら、私だけがいつまでも尻込みしているわけにはいきませんからね」

 しかし、その表情が曇る。

「でも、プレシアを生かし、アリシアを育てたのは……ソラ……プレシアが実験動物にした子供だったんですよね」

 言葉にしてみればひどい繋がりだ。
 恩を仇で返されたと思っても仕方がない。

「きっと大丈夫ですよ……ソラさんは意地悪で厳しい人だけど、悪い人では……悪い人じゃ」

 悪い人の定義に悩んでなのはは言葉を止めてしまった。
 ソラは前回闇の書事件で多くの人を蒐集して殺した。これは悪だ。
 でも、彼の境遇、真実を知り一方的に悪だと思えなくなってしまった。
 なら、誰が悪で、誰を倒せば一連の事件は解決できるのだろうか。

「――はさんっ! なのはさんっ!!」

 思考にはまったところでリニスの叫びが耳を叩く。
 しかし、遅かった。
 正気に戻ったなのはの目の前に横から通り過ぎようとした誰かの身体が一杯になっていた。

「あっ……」

 身体を止めきることはできず、そのまま弾かれてしりもちをつくなのはにぶつかった女性が手を差し伸べる。

「失礼……」

「……すいません、わたしの方こそ」

 なのはは女性の手を取りながら謝り、彼女の顔を見て息を飲んだ。

「っ……あなたは――」

 しかし、急激に襲ってきた眠気に耐え切れず、なのははその意識を途切れさせた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 目の前でなのはが崩れるように倒れていく。

「なのはちゃん……?」

 彼女の前にいた女の人がなのはを受け止めているのをすずかは呆然として動けなかった。
 何が起きたか、把握できない。
 そうしている間に女の人が顔を上げる。

「……え? アリサちゃん……? ユーノ君っ!? リニスさんまでっ!?」

 次の瞬間、三人がなのはと同じように倒れていく。

「これってまさか……」

「魔眼を使えるのが自分だけだと思っていたのかしら?」

 受け止めたはずのなのはを押しのけて、女性はすずかの前に立った。

「貴女は……まさか……」

「私は執行者……ノア・ロータス……覚えなくて結構よ、吸血鬼」

 そう言ってノアはすずかに銃を向けた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「起きなさいっ! 高町なのはっ!!」

 身体を揺さ振られ、徐々に意識が覚醒してきたなのはが最初に見たのはハティの顔だった。

「ハティ……さん……?」

 何故、彼女はそんな焦った顔をしているのだろうか。
 そもそも飄々とした態度ばかり取る彼女のそんな顔は初めて見た。

「寝惚けてないで、さっさと目を覚ましなさいっ!」

「にゃあっ!?」

 ビシバシッと、容赦なく頬を張られてなのはは飛び起きる。

「いきなり何をす――」

 抗議しようとして、そこが空港のロビーであることに気が付いた。

 ――なんで、こんなところで寝ちゃったんだっけ……?

 困惑したまま周りを見回すと、自分と同じように眠っているアリサとユーノ、そしてリニス。それを起こしているアミティエ。
 すずかの姿だけが、そこにはなかった。
 サッと全身から血の気が引き、意識を失う直前に見たものを思い出す。

「ノア・ロータス……執行者……」

 一瞬のことだったが間違いない。
 完全に油断していた。
 ハティが近くにいるから。もう自分達は管理外世界に帰るから、襲われる理由はないと勝手に思い込んでいた。

「そいつがすーちゃんをさらったの?」

「わたしのせいだ……わたしのせいですずかちゃんが……」

「落ち着いてなのはちゃんっ!」

 ハティが一喝して、なのはの顔を強引に自分に向ける。

「そいつはすずかちゃんを誘拐したけど暗殺したわけじゃない……つまり前回とは別の目的で動いているってことだよ」

「別の目的……?」

「そこはまあ、すーちゃんは吸血鬼だし、研究目的とか?」

「研究……目的……」

 モウム返しにその言葉を繰り返して、頭に過ぎったのはソラをモルモットにしたプロジェクトF。

「っ……」

「だから落ち着きなさいって言ってるでしょ」

「でも……早く追い駆けないとっ!」

「居場所が分からないのに無闇に探しても時間の無駄だよ」

「だったら、どうすればいいんですかっ!?」

 思わず、八つ当たりするようになのははハティに向かって叫んでいた。

「方法はあるわよ」

 そう言って、ハティは声を上げた。

「リニスッ! 山猫モード、匂いですーちゃんを追いなさい」

 目を覚ましたリニスが御主人様の命令に言葉を返す。

「私は犬素体じゃないんですけどっ!」

「そのくらいの能力差、魔法で誤魔化しなさい……だいたいなのちゃん達と一緒に気を抜いてたリニスのせいでもあるんだからね」

「ッ……分かりましたよ」

 無茶な要求をされつつも、リニスは命令どおりその姿を人から山猫に変える。
 ええ……と思いつつも、なのはは山猫になったリニスが鼻を忙しなく動かすのを見守る。

「…………こっち……だと思います」

 数十秒の時間をかけて、リニスが自信なさ気に道を指し、先導して走り出した。

「よし……アミティエとユーノはここで――」

 ハティがその後を追おうとして、その前に誰かが立ち塞がった。

「っ……邪魔をし――」

「待って」

 なのははそれを敵と見なして払い除けようとしたが、ハティがそれを止める。

「どうしてっ!? 急がないとすずかちゃんがっ」

「よく見なさい」

 言われてなのはは立ち塞がった者を見る。
 それは何処にでもいるようなスーツ姿の男だった。
 敵の変装じゃないのか、そうハティに言い返そうとして異変に気が付いた。

「うあぁ……ああ……」

 呻き、幽鬼のような足取りで手を伸ばしフラフラと近付いてくる男の様子は正常には見えなかった。
 身体は腐っていないが、まるでゾンビ映画のそれのような動き。
 さらに付け加えるなら、今まで遠巻きにしていた観衆が同じようにゆっくりとなのはたちに群がってきた。

「何よこれっ!?」

 なのはと同じものを連想したアリサが恐怖に混じった悲鳴を上げる。

「アミティエ、ユーノ……二人はあーたんを安全な場所に避難させて防衛に専念……
 なのちゃんとリニスはすーちゃんを追い駆けて」

「ハティさんは?」

 なのはは不安を押し隠して尋ねる。

「私は……」

 なのはの問いに対して、ハティは行動を起こした。
 一跳躍でハティは傀儡の大衆の中に跳び込む。すると、一斉に傀儡たちの視線がハテへと集中する。

「やっぱり、この傀儡の目的は私の足止め……ここは私に任せて行きなさいっ!」

 槍を手に掴みかかってくる大衆をあしらいながらハティが叫ぶ。

「でも……」

 促されてもなのはは躊躇う。
 執行者は自分よりも強い。ハティがいなければ先日の戦いもほぼ一方的に負けていた。
 ならば、この場は自分が引き受けてハティにすずかを助けに行ってもらった方がいいのではないか。

「私はノア・ロータスの顔を知らないから、最悪誤魔化される可能性があるわよ」

 なのはの不安を先取りしてハティが駄目だしする。

「それにこの間、私がだいぶ戦力を削ったから雑兵の補充はまだできてないはず……
 だから大丈夫……なのちゃんはやればできる子だから」

 根拠のない励まし。
 だが、それはなのはの止まった背中を押してくれた。

「だから、すずかちゃんを助けに行きなさいっ!」

「はいっ!」

 力強い返事をして、なのははそこから駆け出した。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 すずかは先導されるままにノアの後を歩いていた。
 無防備な背中を見せられていても逃げられる気がしない。

「どうして……今さらわたしをどうするつもりなんですか? 管理局はわたしが弱い吸血鬼だって知ってたはずです……
 もうあなた達にわたしを狙う理由はないはずです……よね?」

 沈黙に耐え切れずすずかは尋ねる。

「この世界に人食いは存在しているだけで悪……今の時点で弱くても成人して、吸血を重ねれば強くなる」

「それは……」

「さらにいえば、時間をかければ高ランク魔導師を眷族にすることも不可能ではない……
 いますぐ高町なのはたち三人と縁を切るならともかく、関係を継続するのなら貴女は私の標的で変わらない」

 無情な答えにすずかは言葉を失った。
 長い階段を下まで降り切って、ドアを開けるとそこは薄暗い駐車場だった。

「私をどうするつもりですか?」

 自分が未だに彼女の標的なら何故すぐに殺さないのだろうか。

「随分と浮かれているようね……」

 すずかの問いに答えず、ノアが冷めた目をすずかに向ける。

「何のことですか?」

「化物が人間と友達ゴッコ……まさか本当に自分が受け入れられたとでも思っているの?」

「そんなこと、あなたなんかに言われる筋合いはありません」

「今、友達だと思われているのは本当の貴女を知らないからよ」

「本当のわたし……?」

「成人すれば吸血衝動によって、貴女は彼女達の誰かを襲うでしょうね」

「そんなこと――」

「しないって言えるのは、まだ貴女がそれを知らないからよ」

 言葉を遮られた断言からはとても否定できない何かを感じさせた。

「わたしは――」

 それでも何かを言い返そうと、すずかは声を上げ――
 閉じたはずのドアが音を立てて開く。
 そこから飛び出してきたリニスがノアにステッキを向けて撃つ。

「リニスさんっ……!?」

 だが、光弾は空を切り、ノアは目にも止まらない速さでリニスの背後を取っていた。
 すぐさま振り返るリニスに、ノアが小太刀を振り抜き、彼女のステッキを斬り払う。
 
「っ……」

 それでもリニスは無手のまま魔法を使おうとして、額に突きつけられた銃口に動きを止めた。

「くっ……」

「随分と弱いわね……あの『暴君』の使い魔とは思えないわ」

 侮辱の言葉にリニスは歯噛みして――

「ダメですっ、リニスさんっ!」

 玉砕覚悟の意思を感じてすずかは思わず叫ぶ。
 すずかに気を取られたリニスは再度動きを止め、その間にノアはリニスに向けていた銃口をすずかに向ける。

「貴女に用はない……そこで大人しくしていなさい」

 そこに一台の乗用車がすずかたちの前で止まる。
 車から出てきたのは二人。目元はサングラスで隠しているが、ほとんど見分けることができない二人は銃を抜いてリニスを牽制する。

「乗りなさい」

 促されるまま、すずかは助手席に座り、ドアが閉じられる。
 ノアはそのまま運転席に座る。

「お友達は助けに来なかったわね」

「なのはちゃんは……来ます」

 そう言い切ったところでリニスが動いた。

「はああああああっ!」

 声を大にして、光り輝く黄色の魔方陣が彼女の足元に展開される。
 すかさず二人が反応して、魔力の弾丸がリニスに降り注ぐ。それらをリニスは障壁を張って防ぐ。

「無駄なことを……」

 車に乗ったことですずかに向けられた銃口はなくなった。
 それだけで状況が変わったと思ったのなら浅はかだと、言わんばかりの嘲笑をノアは浮かべる。
 二人によって動けないリニスを無視して、ノアが車を発進させようとしたところで、側面のエレベーターの扉が開いた。

「っ……なのはちゃんっ!」

 エレベーターから飛び出した親友の姿にすずかは思わず叫ぶ。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 エレベーターの中でなのははすでに臨戦態勢を整えていた。

「レイジングハート……いけるね?」

『問題ありません』

 カートリッジを注ぎ込んでエクセリオンに変形させ、さらにカートリッジを使って穂先に赤色の刃を展開する。

『ストライクフレーム展開』

 狭いエレベーターの中に桜色の羽が広がる。
 下からリニスの魔力を解放しているのを感じる。
 その魔力を隠れ蓑にしてなのはは自分の力を高める。
 室内であること、すずかが敵の近くにいることから余波の大きい推進力は大きく出来ない。
 その代わり、刃をより硬く、鋭く研ぎ澄ませる。

「エクセリオンバスター……A.C.S――」

 エレベーターの音が鳴り、同時にエレベーターの動きが減速して止まる。そして少しの間を置いて扉が――

「ドライブッ!!」

 半ば扉を破壊する形でなのははエレベーターから飛び出した。

「っ……なのはちゃんっ!?」

 位置関係は最悪だった。
 動き出した車のほぼ真横。助手席に座るすずかが盾になっていてノアに直接攻撃はできない。

「っ……」

 わずかに迷い、本人ではなく車を破壊してすずかを確保する。そう切り替えようとしたところで――
 すずかは目を閉じて、椅子に背中を預けた。

「っ……!」

 なのははほとんど考えずに助手席の窓にストライクフレームの穂先を叩き込んだ。
 ガラスを難なく突き破り、レイジングハートはすずかの目の前を擦過し、ノアが張った障壁さえも難なく貫通してその肩を貫いた。

「とどいた――」

 自分の攻撃が届いたことに喜ぶのも束の間にノアが銃を乱射する。
 至近距離からの銃撃はなのはのバリアジャケットを貫通して、身体を穿つ。
 しかしなのはは怯まず、ノアにレイジングハートを突き刺したまま叫ぶ。

「ブレイクッ――シューットッ!!」

 穂先を起点に、ノアの体内からの直接砲撃。
 防御不能の砲撃にノアはなす術なく飲み込まれる。

「なのはちゃんっ!?」

「すずかちゃんっ! 大丈夫っ!?」

 文字通り半壊した車からすずかを救い出し、なのはは確認する。

「それはこっちのセリフだよ……」

 苦笑いで答えるすずかになのはは安堵する。
 見た目に何かをされた形跡はない。むしろ少なくない数の銃弾を身体に受けた自分の方が重傷だった。

「ごめん……そういうのは後で聞くから」

 ノアは倒した。それでも執行者はまだリニスと戦っている二人が残っている

 ――急いで援護しないと……

 そう思って振り返ったなのはが見たのは、困惑するリニスと棒立ちで無防備をさらす執行者の二人だった。

「リニスさん……何をしたんですか?」

「いえ……私は特に何も……なのはさんが彼女を倒したら途端に攻撃をやめて動かなくなってしまったんです」

「それは……命令をする人がいなくなったから、ですか?」

「そうだと思いますが……なのはさん、いなくなったってまさか殺傷設定で撃ったんですか?」

「え……あ……違いますよ! 今のは言葉のアヤでちゃんと非殺傷設定で撃ちましたよ」

「ならいいんですが……改めて見せられると酷いですね」

 動かない執行者、ソラのクローンを見てリニスが呟く。

「…………そうですね」

 文字通りの人形。命令一つで顔色一つ変えずに人を殺せる殺人人形。
 人の姿形をしているだけに、微動だにしない彼らはいっそう不気味だった。

「来なさい」

 不意に響く声になのはは身体を強張らせた。
 声に従って、止まっていたはずの執行者が動く。
 なのはが撃ち抜いた先、一部の壁が崩れたところに二人が素早く移動する。

「今のは少し効いたわね……おかげで溜め込んでおいた魔力のほとんどがなくなってしまったわ」

 直撃、どころか直接砲撃を撃ち込んだにも関わらず、執行者ノアは煙を掻き分けて現れた。

「そんな……」

 会心の手応えだっただけになのはのショックは大きかった。

「落ち着いてください、なのはさん……
 今の言葉が真実なら彼女にはもう魔力が残ってません。貴女の砲撃は無駄になってません」

「そ、そうですよね」

 リニスのフォローになのはは気を張り直して構える。

「ええ、いくらデタラメな相手でも今なら十分に勝機はあります」

 三対二の構図だが、実際は二対二。
 ソラのクローンの脅威は数の利とそれに伴う高度な連携。

「確かにクローンを二人だけで連携させたところで貴女達二人を始末することはできないでしょうね」

「だったらもうやめてください……すずかちゃんを狙う理由はもうないはずです」

「高町なのは……貴女は人間と吸血鬼の友情なんて幻想を本当に信じているんですか?」

「幻想なんかじゃないっ!」

「彼女が成人すれば吸血衝動は大きくなって、必ず誰かを襲う……
 人間は吸血鬼にとって食料と代わらない……貴女がどれだけ否定したところでその摂理は変わらない」

「すずかちゃんは絶対に人の血を飲んだりしないっ!」

「どうして人間の貴女がそんなことを言える? 吸血衝動を知らない貴女に何ができるのかしら?」

「友達だから……すずかちゃんがそんなことを望まないって分かってるから……もし、そうなっても私が止めます。だから――」

「ズレ過ぎよ、話にならないわ」

「え……?」

「それに魔導師として随分と増長しているようね」

 嫌な予感がする。
 その予感はすぐに現実となる。

「吸血鬼の恐ろしさとその力を見せてあげるわ」

「え……?」

 なのはが疑問符を上げていると、ノアは行動を起こしていた。
 ノアは自分を守るように立っていた執行者を後ろから掴み、その首筋に噛み付いた。

「え……え……?」

 何が起きているのか理解できないまま、その光景を見守ることしかできなかった。
 ノアの喉が動くにつれ、なのはが貫いたはずの肩や砲撃によってできた傷が見る間に治っていく。
 それに伴って苦悶の声一つもらさない執行者の顔が青白く変色し、果てには干乾びる。

「ふぅ……」

 鋭い犬歯がのぞく口元を拭いながら、ノアは執行者を投げ捨て、もう一人に同じように噛み付く。

「いけないっ!」

 固まっているなのはに対して、状況を察したリニスが動く。
 刃を手に走り、執行者ごとノアを両断しようと振り被る。

「プラズマセイバーッ!」

 躊躇わずに振り抜かれた閃光の刃。
 しかし、リニスの必殺技はノアの二本の指で挟むようにして止められた。

「ふん……貧弱ね」

 ノアは枯れ果てた執行者の死体を投げつける。

「っ……」

 それに驚いて硬直するリニスに、ノアは肉薄して小太刀を抜いた。
 一瞬、四連撃。
 なのはがよく知る兄の動きで、ノアは執行者の死体ごとリニスを斬った。

「リニスさんっ!」

 駆け寄ろうとしたところで、なのはの前にノアが立ち塞がる。

「っ……」

 咄嗟にバックステップで距離を取って、アクセルシューターを放つ。

 ――近づけさせちゃ、ダメ……

 本能でそれを感じ取って、場所や彼我の距離を忘れて出せるだけのシューターを出してしまう。
 細かな制御を捨てて、とにかくノアに殺到させる。
 が、なのはの目の前でノアの姿がかき消える。
 そして次の瞬間にはなのはの身体に衝撃が走り、痛みにシューターが霧散する。
 全身に走る激痛に思考が焼かれる。
 前のめりに倒れるところで、ノアのつま先が見えた。

「がっ……」

 蹴り上げられて大きく宙を舞う。
 さらなる衝撃が身体を走り抜ける。それも一度では終わらず、二度三度。
 地下という狭い空間にも関わらず、壁や天井、床に激突することなく空中で踊らされる。
 そして――

「雷徹」

 二本の小太刀によって交差して打ち込まれた一撃を受けて地面に叩き付けられた。

「がはっ……」

 身体の芯に響く鈍い衝撃になのはは血を吐く。

 ――バリアジャケットがなかったら死んでいた……

 一番効いたのは最後の一撃。
 他の攻撃はバリアジャケットのおかげでだいぶ緩和できたが最後の技だけはそうもいかなかった。

 ――骨が折れてるかもしれない……内臓も痛めた……でも……

「なのはちゃんっ!」

 駆け寄って縋り付くすずかに応える余裕はなかった。
 血を吐きながら、それでもレイジングハートを支えにしてなのはは立ち上がる。

「なのはちゃん……もうやめてっ」

 涙混じりに懇願されるが、なのははかすかな余力でノアをその眼で見た。
 薄暗い地下駐車場の中で爛々と緋く輝く目。
 そして、彼女の胸にはリンカーコアはなく、代わりに全身に目と同色のオーラをまとった人ではない存在。

「あなたも……吸血鬼だったんですね…………でも、どうして……?」

「吸血鬼だからこそ……よ」

 絞り出したなのはの問いにノアは答える。

「今、貴女が味わった通り、吸血鬼の身体能力は魔導師のそれを軽く凌駕している……
 魔力量も餌があればいくらでも溜め込んでいられる……
 さらにいえば、強い吸血鬼は不死者と呼ばれ、生物ではなく動く概念とさえ言われ、魔導師の攻撃力でも殺しきるのは困難とされる」

 淡々と語るノアから何の感情も読み取ることはできない。

「そんな化物を殺すためにはどうすればいいか……答えは簡単、化物には化物をぶつければいい」

「なっ……」

「吸血鬼を殺すための吸血鬼……それが私、執行者ノア・ロータスよ……
 だから、私は管理世界にいる月村すずかを殺す、それが私に与えられた役割だから」

「そんな……」

 初めて会った一族ではない、同族の宣言にすずかはショックを受ける。

「どうして……すずかちゃんはあなたと同じ吸血鬼なのに……どうしてそんなことができるんですかっ!?」

「どうして……? そうしないと私は生きていることを許されないからよ」

 返ってきた答えになのはは絶句する。

「吸血を抑制させられ、ギアスで自由を奪われ、言われるがままに同族を殺し、ついでに人を殺す……
 吸血鬼の私が生かされている理由は、私に利用価値があるからよ」

 言葉の端々に見える彼女の境遇になのはは身を震わせた。

 ――この人は……ソラさんと同じなんだ……

 社会的に存在が許されない。
 それでいて有用だからの理由だけであらゆる権利を奪われ、ただの役割を果たす道具として扱われる。
 許せないことなのに、自分にはできることもなければ、かける言葉さえない。

「でも……でも……」

 なのはは必死に言葉を探す。
 何かあるはずだと。すずかを死なせず、ノアが解放される答えがきっとある。
 そう信じても、そこには代わりに答えてくれる誰かはいない。

「話は終わりよ……さあ、殺し合いを続けましょう」

 目の前から再びノアが消える。
 その瞬間、なのはは死を覚悟した。
 元々、まともに動きそうにない身体に加え、相手の動きは自分の反応速度を振り切っている。
 仮に動けたとしても、それではもうなのははノアに勝つ術はなかった。

 ――わたしにはノアさんを撃てない……

 その境遇に同情してしまい、戦意を保つことができなかった。

 ――結局、ソラさんの言ったとおりになっちゃった……

 敵に同情し戦意を鈍らせ、ありもしない『たった一つの冴えたやり方』を求めてしまう。

 ――ごめん……え……?

 諦めかけたその時、なのはが見たのはすずかの背中だった。
 両手を広げて庇うように、それでいて受け入れるように無防備にすずかはなのはの前に立つ。

「あ……」

 何を馬鹿なことを考えていた。
 自分が死ぬ。それが何を意味するか思い至る。
 怪我をしても帰るという父との約束を破ってしまう、だけではない。
 ここで自分が死ねば、残ったすずかも殺される。さらにリニスも殺すかもしれない。
 ハティは……大丈夫そうだが、アリサにはまだギアスが残っている。

「――せないっ」

 すずかの震えている背中を目の前に、アリサが撃たれた光景を思い出して、なのはは叫ぶ。

「そんなことっ! 絶対にさせない!」

 萎えた戦意を奮い立たせるために声を大にして渇を入れる。
 すずかの肩を掴んで、乱暴に自分の後ろに引き寄せる。

「わたしはすずかちゃんを守るっ!」

 その瞬間、なのはの世界から色が消えた。

 ――見える……

 何故か、見えるようになったノアの姿。
 しかし、いくら気合を入れたところでなのはの身体はすでにスクラップ寸前。しかも意思に反して身体の動きは鈍い。

 ――なら……

 どうせ動かないのならと、なのはは身体を動かすことを完全に放棄する。
 代わりに動かすのは思考。
 ノアの小太刀二刀に対抗するためのシューターは二つ作り出す。

 ――余計なものは必要ない……

 その二つに自分の全てを注ぎ込んでノアを迎え撃つ。

「ああああああああああっ!」

 突き出された刺突を弾く。二つの刺突から隙なく繰り出される刃を弾く。
 ノアがステップを踏んで、背後に回り込む。

「――っ」

 なのはは振り返らない。
 己の空間把握能力を信じ、背後からの剣戟をとにかくシューターで撃ち落す。

 ――弾く、弾く、弾く――

 前後左右、上に足元。あらゆる方向から迫る刃をとにかく撃ち落すことしか考えない。

 ――弾く弾く弾く――

 何合、何十合。
 一瞬の中に凝縮されたぶつかり合い、その果てに小太刀とシューターが同時に砕けた。

「っ……」

「――っ」

 集中が途切れ、急速に戻ってくる色彩。
 ノアは半ばから折れた小太刀を捨てて、距離を取って虚空に腕を振るう。
 魔力で編まれた光の糸が閃く。十糸が煌き、なのはを囲う。

「――まだっ!!」

 切れた集中を無理矢理つなぎ直す。
 再び戻った白黒の世界の中で、さらになのはは思考を加速させる。
 あまりの集中力に血涙が零れるが、なのははそれすら気付かず魔法を操る。
 砕けたシューターを集束して編み直し、糸が襲い掛かるよりも早く発射。
 糸が集束してなのはの身体に絡み付き――神速のシューターがノアを打ち抜いた。

「ぐっ……」

 下から持ち上げるように鳩尾を捕らえた一撃にノアの足が浮く。

「ああああああああああっ!」

 からまった糸をそのままに、強引に振り払った糸がバリアジャケットを切り裂き身体に斬線が刻まれる。
 それは一瞬の差だった。もし、そこに躊躇いが生じていれば、わずかな隙でノアがなのはの腕を落としていただろう。
 だが、その時のなのはは他のことを考える余裕などなかった。
 故に、相手の生死など一欠けらも考えず、レイジングハートを魔力推進をかけて――ぶん投げた。

「くっ……がはっ!」

 先端が鋭利な槍となっているエクセリオンモードはノアの胸に突き刺さり、壁まで吹き飛ばし、張り付けにする。

『エクスプロージョン』

 極め付けにレイジングハートがマガジンに残っていたカートリッジを全てロードして解放する。
 レイジングハートを中心に魔力爆発が起こり、ノアを飲み込む。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 無我夢中でやったなのはは壁に張り付けにされたノアを判別できなかった。

「あれ……? わたし……わたしがやったの?」

 呆然と自分の両手を見る。
 一連の攻防、動いていたとは思っても明確な記憶はなのはの中には残っていなかった。

「つっ……」

 たったそれだけの動作で身体の節々に痛みと鈍い頭痛が走る。

「なのはちゃん……」

「だ、だいじょうぶ……すずかちゃんはそこで待っていて」

 引きずる様になのはは一歩一歩張り付けにしたノアに近付いていく。

「っ……」

 近付いてなのはは息を飲む。
 張り付けにされたノアの背後に広がるバケツをぶちまけた様に広がる大きな血痕。
 レイジングハートそのものに非殺傷設定は当てはまらない。
 胸に突き刺さったレイジングハートに血が滴り、雫となって落ちる。

「く……ぅ……」

 だが、驚くべきことにノアはまだ生きていた。
 普通なら死んでいておかしくない負傷に、出血。
 だが、なのはの目の前で傷付いた身体は驚異的な再生能力で治っていく。

「…………殺しなさい」

 レイジングハートに手を伸ばしたところでノアがなのはに言った。

「…………いやです」

『アクセルモード』

 レイジングハートのエクセリオンモードを解除すると、壁に突き刺さった先端が消えてノアの身体と共に落ちる。

「もう……こんなこと……しないでください」

「それは……無理ね……」

「どうしてですか……? あなたはわたしに理由を教えてくれた……わたしの潔白を証明する機会を作ってくれた」

「貴女は無視したけどね」

「それは上からの指示だったんですか?」

 茶化す言葉を無視したなのはの問いにノアは押し黙る。

「あなたはきっといい人なんです……
 管理局の悪い人に言われてこんなことをしているだけで、本当はこんなことしたくないんじゃないですか?」

「…………」

「クロノ君たちに協力してもらえば執行者なんてやめられるはずです……だから……」

「ふざけるなっ!」

 その叫びと共にノアはレイジングハートを掴んで自分の額に向けさせる。

『システムをハックされました……殺傷設定に固定されました』

「なっ……!?」

「撃ちなさい」

 彼女の血がまるで意思を持ったように動き、レイジングハートを持つなのはの手に絡みつき、固定する。

「撃てっ!」

「なん……で……?」

「お前に私の何が分かる、人間っ!」

 今までの感情の希薄な目ではなく、憎悪の宿る目で睨まれなのはは息を飲む。

「私が優しい……? 見当違いも甚だしい」

 レイジングハートを引き離そうとしても、まったくビクともしない。

「忘れていないか、高町なのは?
 私はアリサ・バニングスにギアスを打ち込み、月村すずかを殺せと教唆したことを」

「それは……」

「私が憎いでしょ!?」

 思わずなのはは押し黙る。
 ノアの言う通り、自分を責めていたが、やはり理不尽を彼女達に強いる管理局の暗部とそれを実行したノアを殺したいほど憎んでいた。
 アリサがユーノと管理世界に密航しようと言い出さなければ、単身で目の前のノアを殺すために飛び出していたかもしれない。

「それでも……いやですっ!」

 確かにノアのことは憎い。
 それでも人殺しの抵抗感の方が今は大きい。
 二度の拒絶。ノアはそれ以上の言葉を重ねることはしなかった。

「そう……」

 分かってくれた。なのはは安堵して――

「なら、こうすればどう?」

「え……?」

「きゃあっ!?」

 悲鳴は背後から。
 腕を固定された状態でなのはが振り向くとリニスがすずかの首を左腕で掴み上げていた。。

「リニスさんっ!? 何を――」

 叫びながら気付く。リニスの目に宿る緋色の光に。

「私の魔眼はそこの吸血鬼のそれと違って魔導師であろうとその使い魔であろうと操れる」

「あぐっ……りに……さ……」

 リニスの右手に爪がきらめき、すずかにその凶刃が突き出された。

『レストリクトロック』

 固定されてない手をかざし、リニスの動きをバインドをかけて止める。が、その力は凄まじく、少しでも気を抜けば弾けてしまいそうだった。

「憎悪が足りないなら増やしてやる」

「何をっ!?」

 余裕がなくなったなのは嫌な予感に叫ぶ。
 ノアは空いている手で魔方陣を展開し、そこに現れた結晶を掴む。

「アリサ・バニングスのギアスの制御キーよ……
 これを壊せば、あの子の中にある術式の魔力が暴走して、中から彼女を殺すわ」

「なっ……!」

「さあ、選べっ! 二人を見殺しにするか、私を殺すかっ!」

 ――狂ってる……

 ノアの目を見て、なのはは彼女が正気ではないことを感じると同時に本気だと悟る。

「そう……ですか……」

 言葉が通じない狂気を目を前になのはの声音が変わった。

「レイジングハート」

 自分でも信じられないくらい冷たい声でなのはは己のデバイスに命令を発する。
 ノアの額とレイジングハートのわずかな隙間に桜色の魔弾が集束され、作り出される。

 ――元々覚悟だけはしていたんだ……

「だから……」

 いくつも考えた最悪な可能性。
 人を殺すことをしたくないのは今だって変わらない。
 それでもアリサやすずかが命の危険にさらされた時、この手を血に染めることは覚悟していた。
 言葉は届かず、思いは通じない。そして互いに譲れないものがあって妥協できない。
 だから、もう躊躇わない。

「撃て……」

『――て――』

「だからっ!」

 自分に言い聞かせるようになのはは叫ぶ。

「撃てっ!」

『――して――』

「だからっ!!」

「撃てっ!!」

『私を殺して』

「っ……」

 鬼気迫るノアの顔に重なった、彼女の泣き顔の幻視と殺して欲しいという幻聴になのはの殺意が鈍った。
 全てが一斉に動き出す。
 リニスを止めていたバインドが砕け、鋭い爪がすずかの胸に――
 ノアが握る結晶体が振り被られて、地面に――
 そして、なのはの殺意の魔弾が――

「あっ……」

 なのはの顔に熱い赤が降り注ぐ。
 目の前には首のなくなった死体が一つ。
 レイジングハートを掴んでいた腕が力なく落ち、そして身体が崩れ落ちて倒れた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 少女には親友がいた。
 かけがえのない友達に少女は自分の秘密を打ち明けた。
 次の日、両親は殺され、少女は管理局に捕まった。


 少女は稀少生物だという理由で研究資料にされた。
 人を超えた生命力を持つ彼女は何度も切り刻まれた。
 少女は死ねなかった。


 少女は種族ゆえの能力を利用されることになった。
 本能を抑制され、痛みで調教され、ギアスで自由を奪われた。
 少女には自殺する自由も有りはしなかった。


 少女に一つだけ自由が与えられた。
 任務達成を念頭においての自由行動、そして任務中の殉職。
 少女は求めた、自分を殺してくれる者を、この地獄の世界から解放してくれる誰かを。
 人を殺す仕事の中で、少女は自分を殺す誰かを捜し求めた。
 そのために、少女は多くの憎しみを振り撒いた。


 そして、少女は――



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「なのちゃん……大丈夫……」

 呼びかけられて、なのはは白昼夢から覚める。

 ――今のは……?

 走馬灯のように頭の中を一瞬で過ぎって行った記憶になのはは困惑する。
 自分の記憶ではない。
 だが、ただの幻覚とは思えないほどに、残酷で凄惨な記憶だった。

「もう、ひどい顔ね」

 未だに呆けるなのはの顔をハティが乱暴に真新しいハンカチで拭う。

「わっぷ……ハティさん……?」

 そこでようやくなのはは正気に戻る。

「っ……ハティさん、すずかちゃんとアリサちゃんはっ!?」

「落ち着いて、二人とも無事よ」

 その言葉になのははホッと息を吐いて、ハティが左手に持つそれに気付いた。

「…………弓……?」

 ゆっくりとなのははそれから視線を移し、灰となった何かの中に突き立つ金色の魔力の矢を見た。

「ハティさんが…………撃ったんですか?」

「そうだよ。リニスが送ってきた視覚情報と私のデバイスを併用して、壁越しだったけどうまくいったみたいでよかった」

「デバイス……」

 てっきり槍が彼女のそれだと思っていたが、本当のデバイスは――

「そっ……これが私のデバイス」

 そう言って髪をかき上げ、片目を瞑って赤い瞳を見せ付ける。

「眼が……デバイス……?」

 明かされた事実に驚くが、異様なまでになのはの心は凪いでいた。

「わたしは…………撃てなかったんです」

 ポツリとゆっくりと霧散していく矢を見ながらなのはは呟く。
 覚悟を決めたはずだった。直前に常人なら致命傷の攻撃もした。
 なのに、土壇場で死にたいと泣き叫ぶノアを幻視してなのはは撃てなかった。

「覚悟してたのに……アリサちゃんとすずかちゃんを死なせるくらいなら人殺しになってもいいって、覚悟していたはずだったのに……できなかった」

 ハティがノアを射抜けたのは彼女が言った通り運がよかったから。
 本来なら、なのはが撃つことを躊躇った時点で二人の命は消えていた。

「もっと……わたしが強かったら……ハティさんやソラさんみたいに強くならないといけなかったのにっ!」

「そんなことないよ」

 俯くなのはを背中からハティが抱き締めた。

「今のなのはは十分に強い……むしろ私達みたいになちゃダメだよ」

「でも……でも……」

「私達は誰か彼構わず、優しさを向けられるほど強くない……私達の強さはたくさんのものを切り捨てた強さなんだよ」

「だったら、わたしも――」

「忘れないで……貴女が弱いって言ってる力は、フェイトやはやてを助けた『優しさ』って言う強さだってことを」

「っ……」

「もし、なのはが平気で命を奪えていたら、二人とも生きてない……
 二人を救った貴女の力、それは誇っていい力なんだよ」

「あ……」

「もしなのはの力が足りなかったら、その時は誰かに頼ればいい……一人で全部をやろうとしなくていいの……
 一人ぼっちの私やソラと違って、なのはがその力で繋いだ絆はそれだけで十分な強さなんだから」

「ハティさん……」

「とりあえず、今は泣いちゃいなさい……
 辛いのも、怖かったのも、苦しかったのも、痛かったのも、やるせなかったのも、全部ここで吐き出しちゃうといいよ……
 強くなるのは、その後でもできるんだから」

「う……あ……」

 なのはは堪え切れず嗚咽をもらした。そして、決壊するように声を上げて泣き出した。
 声を上げて泣くのはいつ以来だっただろうか。
 ふと、そんなことを背中に温もりを感じながらなのはは思った。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 雨が降っていた。
 ヴィータは何処とも知れない場所を歩いていた。
 雨の中、人通りは少ない。
 ましてやヴィータのように傘を差さずにさまよう人などいない。
 すれ違う人が怪訝な眼差しを送ってくるが、ヴィータが全身から滲み出させるオーラに見ない振りをしてすれ違う。

「そこの君っ!」

 不意に誰も関わろうとしなかったヴィータに声がかけられた。
 振り返るのも億劫だったヴィータは無視して歩く。
 が、回り込まれて進路を塞がれた。

「君、こんな時間に一人でどうしたの? 親御さんは?」

 差し出された傘が雨を遮る。
 そして、屈んでヴィータに視線を合わせて尋ねたのは、管理局の制服を着た男だった。
 視線を彷徨わせれば、もう一人いて通信で報告をしていた。

 ――ちっ……

 内心で舌打ちをする。
 警邏か巡回か、どちらにしても人と関わりたくなかったヴィータは受け答えを拒否するように黙り込む。

「もしかして家出かな?」

「っ……」

「あっ……待ちなさいっ!」

 その一言にヴィータは走り出していた。
 呼び止められる声を無視して狭い路地裏に入り込み、追跡を撒く。
 逃げ続ける。
 はやてから逃げ、ソラから逃げ、信奉者から逃げ。
 自分の知らない罪が明かされる度にヴィータは逃げ続けた。

「おや……?」

 狭い路地から飛び出したヴィータはそのまま誰かにぶつかって弾き飛ばされた。

「っ……」

「おっと、すまない……大丈夫かね?」

「うるせいっ! 触るなっ!」

 差し出された手を振り払って、ヴィータは宛てもなくまた逃げようとして肩を掴まれた。

「まあ、落ち着きたまえ……見たところ、訳ありのようだが」

「うるせいって言ってんだろっ!」

 強引に魔力を使って手を振り解き、ヴィータは男を睨みつける。
 格好は安っぽいスーツ、髪の色が少し目立つが他はどこにでもいそうな中年の男だった。

「ふむ……」

 ヴィータの激昂を男は軽く受け流す。

「自棄になりたい年頃なのは分かるが、流石にこんな時間にこの雨の中、彷徨っている子供を見ない振りは大人としてできない相談だな」

「子供扱いすんなっ!」

「はっはっはっ……そうだね……これはとんだ失礼をレディ」

 子供扱いに、子供の癇癪、さらには大人ぶりたい子供。
 それに合わせる寛容な大人の対応だったが、そんな気遣いが逆に癇に障る。

「このっ!」

 思考を放棄していたヴィータは気の赴くまま、殴りかかっていた。
 小さな体躯から連想できない洗礼された動きと速さで男の顔面に小さな拳を叩き込む。

「おっと」

 しかし、男は首の動きだけでそれを避ける。

「なっ!」

 絶句するも、拳を突き出した体勢からヴィータは蹴りに繋げる。

「ふむ」

 慌てることなく男は蹴りを鞄を盾にして受け止める。

「やれやれ、随分とお転婆なレディだな」

 傘を手放し、雨が彼の身体を濡らし始める。
 しかし、それでも男は気を悪くした様子を見せなかった。

「アイゼンッ!」

 男に得体の知れない雰囲気に圧されて、ヴィータはグラーフアイゼンのペンダントを握る。
 しかし、返ってくる筈の応答はなく、武装形態への展開も起こらなかった。

「おいっ! アイゼンッ!」

 怒鳴っても沈黙しか返ってこない。

「くそっ!」

 グラーフアイゼンを投げ捨てて、ヴィータは再び男に殴りかかる。
 男は避ける素振りを見せず、ヴィータの拳を手の平で受け止めた。

「やれやれ……本来なら部外者がすべきことではないが、子供のおいたを叱るのは大人の役目と割り切らせてもらおうか」

 足先から練り上げた力をヴィータは見た。
 足から腰、背中、肩、腕、それらの動きが魔力の流れを連動させて一つの拳に集束される。

「っ……」

 男の拳に危機感を感じるが、ガッチリと掴まれた拳は振り解くことはできない。

「なに……手加減はする、安心するといい」

 ――んなことできるかっ!

 抗議の声を上げるより速く、空を断ちかねない一撃がヴィータを空高く打ち上げた。

「がっ……」

 そのまま重力の働きに従って地面に落ちたヴィータの意識が遠のく。

「て……めえ……なにも……んだ……?」

 グラーフアイゼンも騎士甲冑もなかったとはいえ、ヴォルケンリッターを一撃で戦闘不能にさせる男は異常だった。

「なに、ただのサラリーマンだよ……少々武術を嗜んでいるね」

 しかし、返ってきたのは白々しい言葉。

「お……お前みたいなサラリーマンがいてたまるかっ!」

 渾身の力を込めた叫びを最後にヴィータの意識は途切れた。








 あとがき
 これにてなのはルートは終了です。
 また、ヴィータルートには行かず、次ははやてたちの話を予定しています。





 補足説明

『義眼アルテイア』
 ハティ・アトロスのデバイス。
 性能の全て見ることに特化させており、制御補助の類は一切存在しない。
 ハティ・アトロスの本来のスタイルは遠距離狙撃型であり、槍の技量、普段の射撃は彼女自身の素の力。

 ハティの槍は矢を加工して作ったシューターを維持したものであるため、槍を振り回しながらノーモーションで射撃魔法を撃てる。






感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
2.1577899456024