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[16787]  うたわれぬもの  【うたわれるものSS 憑依オリ主記憶喪失】
Name: 内海◆2fc73df3 ID:6e1a9f17
Date: 2020/11/08 21:21
 ここではなぜかあんまり見かけない、うたわれるもの二次創作です!

 ※注意※本作は「偽りの仮面」二次創作ではありません。ロスフラ要素もありません。



 シナリオはゲーム版とアニメ版があり、基本的にアニメ版準拠ですが
作者の都合と展開の都合によってはゲーム版(PS2)の方にも一部なるかもしれません。

 チートハーレムにはしない予定です。それはハクオロさんが担当w
 



 ともかく、よろしくお願いします。
 励まし突っ込み愛の告白、お待ちしてます。


【2015年10月追記】 
 永らくの放置、本当に申し訳ありませんでした。
 最新作「偽りの仮面」を作者はプレイしていますが、その世界の設定や新しく明らかになった要素はこの作品にはあまり関係しないと判断しました。
 なので、そっち系のネタは登場しない予定です。期待された方には申し訳ありません。

 ……ていうか、偽仮面の二次創作とか日常系以外はまだ無理だろ……w
 
【2020年11月追記】
 ロスフラ最高!!
 親っさんとソポク姐さんが、元気に仲良くあの世界で生きてくれてるってだけで嬉しいですよ。
 犬塚の名前でTwitterやってます。ほぼロスフラ専用垢です。




2010.2.25  チラシの裏 初出
2011.1.21  その他板へ移転
2011.9.23  20万PVに到達
2015.10.12  再開。いつのまにか34万PV達成してました、感謝!
2020.11.8  ロスフラ関係の注記を追加。



[16787] うたわれぬもの  建国編  1  少年
Name: 内海◆2fc73df3 ID:6e1a9f17
Date: 2020/05/02 22:54
「……かりし……、……!」



 声が……




「――るぞ! おい……!」




 ――誰だ……

 誰かの必死に呼びかける声に、水底から浮上するように意識が蘇る。

 その瞬間。


「――がっ! うあ……あ……っ!!」


 生皮を剥がれるような激しい痛みに全身を貫かれ、そのまま再び意識を手放しそうになる。
 暴れてもがいたその手を、誰かが強く握りかえしてきた。 


「あああっ……痛い……っああ……っ!」
「落ち着け! 大丈夫だ! 俺たちは味方だ!」


 みか……た……?
 なんなんだ……ここは、俺はいったい――

 ああ……頭が……背中が……

 体中が――イタ、イ……!


「生存者か」
「兄者――ああ、顔と背中に火傷。それに頭を強く打っている。このままにはしておけん! くそっ、あいつら……!」


 憤りを隠しきれない声がすぐそばで聞こえる。
 どうやら俺はだれかに抱き起こされているらしいのだが……


「「若様、僕たちはウォプタルを連れてきます!」」
「オボロ、今一度集落を回って他に生存者がいないか確認してくれ。――アルルゥ、すまないがこの子をムックルの背に乗せて砦まで運んでくれないか」
「――ん」


 まて……今、なんて……。


「オボ、ロ……アル……ルゥ……?」
「気が付いたか。そう、お前を見つけた者の名はオボロ。そしてこの子がアルルゥ。私はハクオロだ。――お前の名前は」
「名前……なま、え……うううっ! あた、あたまが……ぐぁあ……っ!」
「もういい、しゃべるな。オボロ! 私とアルルゥは先に戻る。お前達は捜索を続けてくれ」
「分かった!」


 オボロ……アルルゥ……ハクオロ……。

 なんだそれは。

 なんだこれは。

 それじゃまるで……


「おとーさん」
「よし。早く帰ってエルルゥに見せよう。なるだけ揺らさないように走るようムックルに言ってくれ」
「ん」


 不意に痛みが遠のいた。同時に全ての音が遠くなってゆく。
 激痛のあまり俺の体はふたたび意識を手放すことにしたらしい。

 しかしちょっと待ってくれ! 俺は最後の力を振り絞って目を開き、あたりを見渡した。

 そこには、なぜかいつもより狭い視界の中、白い仮面を付けた男と黒髪の少女がうっすらと見えた。
 その背景には、黒く焼け落ちた建物の残骸と幾筋も立ち上る煙……。


 ――なんだ。


 俺はこの景色に見覚えがあるぞ。
 この娘にも、この男にも見覚えがあるぞ。

 しかしアレはフィクションで……しかし、しかし……



「まるで……これ、じゃ……」


 そう、まるでこれじゃあ……





(『うたわれるもの』の世界じゃないか――)




 俺の意識は、そこで闇に落ちた。







※ ※ ※







 辺境の集落ヤマユラに住み、國を越えて人々から敬愛を集めていたある高名な老薬師の、非業の死。

 それは愚皇インカラによる暴政に耐えてきた人々に、叛乱という選択をさせるに足る出来事であった。


 ヤマユラの民は農具を捨て武器を執り、蔵を開いて復讐の戦いを開始した。
 彼らはしばらく前から集落に住み着いていた仮面の男、ハクオロに率いられ藩主ササンテの砦を攻め、これを一夜にして落とす。

 皇弟でもあったササンテは死に、息子のヌワンギは逃亡。
 ろくな戦闘訓練もしていない農民達による戦にしては、考えがたいほどの大勝利であった。

 しかし勝利に沸く村人たちとは対照的に、ハクオロの表情は晴れなかった。
 なぜなら、勝ってしまったことで自分たちが朝廷による正式な討伐対象となってしまうであろうことが、彼には誰よりも分かっていたのである。
 その上、インカラの弟であるササンテを死なせたのである。
 降伏したとしても、インカラはもはや許すまい。

 人々の先頭に立って、戻れぬ道を歩み始めたハクオロは、勝利に浮かれることなどできなかったのである。

 自分たちが破壊した砦の修復を急ぎ、物資をかき集めつつ、ハクオロは叛乱に加わるよう近隣の集落へ働きかけることを決意する。


 「戦に巻き込むのだから、自分自身が直接出向いて誠意を示さねばならない」


 そう言ってハクオロがわずかな供回りだけをつれてチャヌマウの集落へ向かったのがその日の午前。
 しかし、そこで彼らを待っていたのは――




※ ※ ※





「チャヌマウが……全滅!?」

 夕刻、日の暮れる頃に帰還したハクオロからの報せに、砦の中は騒然となった。

「全滅って……どういうことでい! アンちゃん!」
「親ッさん。ともかく今は、この子を早く部屋に」
「この子って――うっ、ひでぇ……わかった、話は後だ。エルルゥの部屋までオレが運んでおくぜ」

 一緒に行かなかったはずなのに、なぜか一緒に戻ってきたアルルゥがまたがる大きな獣――ムックルの背中から、テオロはその逞しい腕で、気を失った少年の体を抱き上げた。

 年の頃は十四・五だろうか。
 今は土とススでよごれてしまっているが、ムックルの背の上でうつぶせのまま投げ出されているその手足や頬は、日焼けの薄い白い肌をしている。

 濃緑の衣服の背は繊維が一部炭化するほどに焦げており、破けた布地の下からはじくじくと血と体液をしみ出させている火傷のあとが覗いており、それは白い肌と相まってなんとも痛ましい眺めであった。

 傷口に触れぬようその少年をうつぶせのまま抱き上げて運んだテオロは、エルルゥの指示で床に敷かれた清潔な寝台の上にその体を下ろす。

 ぐったりと力の抜けた細い四肢に、苦悶に歪んだままの顔。
 強面で豪快だが気の優しいテオロはその顔を見ていられずに、うつぶせに寝かせたその顔を逆の方へと向け――テオロはそこで、火傷が顔にまで及んでいたことを知ったのであった。

「こりゃあ……焼けた柱かなんかが頭に当たっちまったんだろうなぁ」
「ひどい……火傷のキズは跡が残るんです。それに、早くしないと腐っちゃう……!」

 言いながらもエルルゥの手はこまごまと動き、いくつかの薬草を長持から取りだしてすりつぶし始める。

「ヒムカミ(火神)にはクスカミ(水神)。テオロさん、くみ置きじゃない冷たい水を樽いっぱいお願いします!」
「おうよ、任せとけ!」
「エルルゥ、何かあたしでも手伝えることはないかい?」
「ありがとうございますソポク姉さん。わたしは頭の傷を見ますから、このすり鉢をお願いします!」




※ ※ ※




 エルルゥたちの的確で献身的な介護の甲斐あって、チャヌマウの少年は一命を取り留める。

 峠を越えたとの報告がハクオロの元に届けられたのは、運び込まれた次の日。
 しかし、彼はその後なかなか意識を取り戻さなかった。

 ――もしかしたら彼は、目覚めることを拒んでいるのではないか。

 事情を知った大人達がつい、そうつぶやいてしまうほどに。






[16787] うたわれぬもの  建国編  2  覚醒
Name: 内海◆2fc73df3 ID:6e1a9f17
Date: 2020/05/16 02:17
 ――コトン


 目を覚ましたきっかけは、水差しか何かを枕元に置くような、そんな些細な物音だったような気がする。

 ゆっくりとまぶたを開くと、太い梁が走る木張りの天井が見えた。

(どこだ……ここは……)

 目覚めたばかりの、霞みがかった意識のなかで最初に浮かんだのがその疑問だった。

 少なくとも自分の部屋ではない。
 自分の部屋の天井はもっと……

 ――あれ?

(自分の……部屋? なんのことだ……俺は……)

 もしかすると、自分は夢を見ているのかもしれない。
 朦朧としてまとまらない思考も、なぜか力の入らない手足も、それならうなずける。

(は……はは……明晰夢ってやつだな。『うたわれるもの』の世界に入り込むなんて……面白い)

 そうだった。俺は不意に意識を失う前の景色を思い出していた。

 燃え尽きて崩れ落ちた建物と、立ち上る黒煙。地に伏して動かない兵と村人たちの屍。
 そして白い仮面をかぶった凛々しい男と、白い獣を引き連れた少女……。

(ハクオロとオボロにアルルゥが一緒で……そういえばあの”男の娘”二人もいたっけ……)

 ということは、ちょうど「森の娘」のシナリオが終わったあたりなのか。
 他の連中が見あたらなかったということは、ゲームの方じゃなくてアニメの方の記憶で夢を見ているのだろうか。
 それともあの時近くにいなかっただけで――

(私の名はハクオロ。お前の名前は――)

 あの時――

 俺は激しい痛みで――


「――ぁ……」

 喉が震え、小さな小さな声が漏れた。
 それが、本当の意味での覚醒のきっかけだった。


 ――夢じゃない。
 少なくとも、この体中に感じる痛みは現実だ。

 
「ぁ…あ……っ」

 さっきより激しく咽が震えた。
 その肉体の感覚が、これが現実だと教えてくれる。
 手も足もやけに重たくて、力が入らない。でも感覚は繋がっている。

 ごわごわした布の手触りも、ふとんの重みも、声を出したせいか急に感じ始めたのどの渇きも、これが夢ではない、リアルなのだと教えてくれる……。

「――!」

 不意に枕元で誰かが息を呑む気配がした。

(ああ――そういえばその物音で目が覚めたんだっけ……)

 誰かそこにいるのか。
 いるのなら、水を一口……

 そう思ってのけぞるように首を動かそうとした俺の目の前に、突然見知らぬ少女の顔が視界をふさぐように現れた。

 頭の上でお団子にした髪を、オレンジ色の布で包んで飾っているその少女は、大きな目を見開いてこちらの目をじっと見つめてきた。
 俺たちは瞬きを一度する程度の時間見つめ合い

「あ……の――」
「エルルゥ! この子気が付いたよ! エルルゥ!!」

 俺の言葉など聞きもせずに毛先の黒い耳をピンと立て、尻尾をばさばさと動かしながら枕元から大声を上げて走り去っていったのだった。

(はぁ……まあいいか。じきにエルルゥが来るんだろう。水はそのとき……)

 その頃までには朦朧としていた意識もすっかり晴れており、自分の体がひどく弱っていることも何となくではあるが自覚できるようになっていた。

(しかしあの耳、そして尻尾……おれは本当にうたわれるものの世界に……)

 
 

  
※ ※ ※





「ユタフにエプカラ、それにサンとワッカイの連中――と。数日でこんだけ集まったわけだ」

 叛乱への助力を申し出てきた集落の長達との話し合いを終え、ハクオロとオボロ、そしてテオロの三人はハクオロの部屋に集まっていた。

「インカラの無作為な村焼きが、逆に事態を早めてくれた……」
「――ッ!」

 つぶやくようなハクオロの言葉に、オボロは腰の得物をガチャリと鳴らしながら立ち上がる。
 まっすぐで烈しい気性のこの男にとって、インカラの無道は話を聞くだけでも我慢ならないものであった。
 その背には、今にも飛び出して行きそうな怒りがみなぎっている。

「オボロ、お前の怒りはもっともだが――」
「分かっている……!」

 オボロは一瞬歯がみをして、荒々しい感情をとりあえずはなだめることに成功した。

 しかしその怒りは消えたわけでは無く、オボロの魂の深いところに蓄えられただけであることをハクオロもテオロもよく分かっていた。

 蓄えられ練り上げられたその力が解放される時、どれほどの働きをこの若者が見せるのか――
 それは次なる戦いの場において明らかとなるであろう。

「――ハクオロさん」

 エルルゥが部屋に入ってきたのはその時だった。

「どうした、エルルゥ」
「あの子が――目を覚ましました」

 それは明るい報せのはずであった。
 しかしエルルゥの口調はどこか沈んでいて、それがハクオロ達には気になった。

「……なにかあるのか」
「はい。その……あの子――記憶が無いみたいなんです」

 やはりか。ハクオロは胸中でひとりごちた。
 チャヌマウで名を聞いた時の様子から、悪い予感はしていたのだ。

「名前を聞いても思い出せないみたいで……家族のこととか、どうやって逃げたのかとかも覚えてないみたいです。ひどく混乱しているみたいで……」

 目を伏せながらエルルゥはそう言うが、もしかするとあの少年にとって、それらは忘れた方が
幸せな記憶かも知れないとハクオロは思った。

「そうか……今はどうしている」
「はい、今はお薬を飲んでもう一度眠っています。目が覚めたら薄いモロロ粥を食べさせるようにノノイに頼んでおきました」
「うん――あの子には一度会って話をしたいんだが、その分では今日は無理そうだな」
「そうですね……もう少し、待ってあげてください」

 エルルゥは、ハクオロの看護をした時のことを思い出しながら見込みを告げた。

「食事をして薬を飲んで、今日一日休めば体力もかなり回復しますから……体調は明日なら大丈夫だと思います。こころの状態は……その時になってみないと」
「分かった。エルルゥの言うとおりにしよう。明日の調子が良ければ、すまないが呼びに来てくれないか」
「はい、ハクオロさん」

 すると横でずっと二人の話を聞いていたテオロが、腕組みをしたまま言った。

「エルルゥ、そん時ゃ俺にも声かけてくれ。……俺ァどうもあの坊主が心配でよ」




※ ※ ※




 やって来たエルルゥからまずはじめに言われたのは、大丈夫、安心して、ここは安全なところだから、とこちらの不安を取り除くような励ましの言葉だった。
 それからエルルゥの自己紹介、ここが元藩主の砦であること、自分がチャヌマウでひどい怪我をして倒れていたところを助けられたことを教えられ、それから

「あなたのお名前は?」

 ――と尋ねられた。

 俺は反射的に口を開いてなにがしかの音を発しかけ……俺はそこで、自分を表すための固有名詞を思い出せないことを自覚したのだった。

 しかし意識を失う前、ハクオロに助けられた時のように、名前を思い出そうとして頭が痛むということは無かった。
 感覚としてはテストの時、歴史上の有名人の名前を問われて「えーと、えーと」と、ド忘れしてしまったものをなんとか思い出そうとしているようなもどかしい感じ。
 絶対に知っているはずなのになぜか出てこなくて、思い出そうとすればするほど思い出せなくなっていくような、あの感覚。

 エルルゥは硬直した俺を見て話題をかえた。

「どうしてこんな怪我をしたのか、覚えてますか?」
「………」

 俺は目を閉じてすこし考え、それから首を振った。
 村が焼けていたのは知っている。「うたわれるもの」の知識からして、インカラによる見せしめのために焼き討ちにあったのだろうと見当は付く。
 しかし、その知識と、自分がチャヌマウで倒れていたことが、どうしても実感として結びつかないのだ。

 自分はなぜチャヌマウにいたのか。襲撃があった時自分はどこにいて何をしていたのか。
 いや、そもそも自分は本当にチャヌマウで襲われて怪我をしたのか……。

 
 ――そこで俺は、もっと恐ろしいことに気が付いた。


 思い出せないのは「この世界」での記憶だけじゃない。
 俺の自意識の元になっている「もとの世界」、つまり現代日本の生活の記憶も、俺は失っているということに。

 21世紀の日本に住んでいたという意識はあるし、そこに学んだ知識やら身につけた技術やらは覚えている。
 「うたわれるもの」のアニメやゲームに関する知識もそれに含まれる。

 でも――俺個人の情報に関する記憶だけが、なぜだかきれいさっぱり無い。
 自分のみならず親、兄弟、友人の名前、住所、電話番号……自分が何をしていた人間なのかも
思い出せない。
 学生だったのか仕事をしていたのか……だとしたら職種は何なのか。

「俺は――誰なんだ?」

 目の前が急にぐるぐると回り始めた。
 思考が乱れて、重力が消え、体がぐにゃりと歪み――

「大きく息を吸って!」

 耳元でエルルゥの声がした。
 自分でも気が付かないうちに顔に伸びていた手を引きはがすように掴まれ、気付けをするようにぎゅっと力を込めて握られる。

「あ……」
「大丈夫、焦らないで。あなたは頭をひどく打っていたの。しばらくは混乱しているかもしれないけど、そのうち自然に思い出すから。無理に思い出そうとしないで」

 エルルゥは優しくそう言って俺の口に水差しを当てがうのだった。
 俺はこくりこくりと無心に喉を鳴らしてそれを飲み、はぁ、とついた吐息で、その水が薬湯であったことに気づいたのだった。
 正直苦かった。
 思わず顰めてしまった俺の表情に気が付いたのか、エルルゥはくすっと小さく笑った。

「ツェツェ草とハルニレの葉を煎じた薬湯です。滋養があるし、心を静める効き目があるんですよ」
「……それでいいから、もっと飲みたい」

 飲み干して気が付いたのは、薬臭くて苦いそんなものでもいいからもっと飲みたいと思うほど自分が途方もなく喉が渇いていたのだということ。
 しかしエルルゥは頭をふった。

「こういうときに、水をがぶ飲みすると死んじゃうことがあるんです。胃や腸がとても弱っているから……。さあ、横になって、一休みしてください。目が覚めたら、消化の良いモロロ粥かなにかを持ってきますね」
「俺は別に、眠くなんて……」

 あれ。
 エルルゥと、俺の背後にいて背中を支えてくれていたさっきの女の子の手で床に横たえられた途端、急にまぶたが重たくなった。
 ハルニレの葉って……混乱を治すだけじゃなくって、催眠効果もあったっけ?
 ああ、そうかツェツェ草は鎮痛剤でもあったか……。

 急速に眠りに落ちる意識の端っこに、エルルゥの声が子守歌のように響いた。

「おやすみなさい……」





[16787] うたわれぬもの  建国編  3  商人
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/02 23:07
 



「なんなら裸にして調べてもらっても構いませんからァ! もうかんべんしてくださァい!」

 怪しい男を捕まえた、と言ってウー、ヤー、ターの三人がハクオロの部屋を訪れたのは、エルルゥが少年の目覚めを報告し終えてハクオロの部屋を去ろうとしたときのことだった。

 縄でぐるぐる巻きにされて連行されてきた細目痩せぎすのその男は、自らを行商人であると言ったが、発見された時に塀をよじ登ろうとしていたせいかいまいち信じてもらえないでいる。
 気の早いオボロなどが刀の柄に手をかけて

「インカラの間者か。……兄者、やるか」

 などと脅かすものだから、ついに男も悲鳴を上げたものである。
 むろんオボロは脅しのつもりなどではなく、本気で殺る気だったわけだが。

「――商人か」

 成り行きを見守っていたハクオロがそう声をかけると、男はひっくり返った姿勢から驚くほどの敏捷さで飛び起きハクオロににじり寄り、ここを先途と商売文句を並べ立てだした。

「はァい、お頼みいただければ、人身売買以外は何でも扱いますです、ハイ!」
「荷を改めても構わないか」
「えぇえぇ、それはもう! ですが行李には鍵をかけておりますので、縄をほどいていただけませんですかねェ……?」

 男としては誠心誠意言ってるのだろうが、何を言っても裏がありそうに見えるのはこの男の人徳……なのだろう。

「ふむ、いいだろう」
「兄者!」
「何も無ければそれでよし。何かあっても、お前がいるのだから安心だ。そうだろう? オボロ」
「……そういうことなら、いいんだ」

 オボロの扱い方にますます磨きがかかりだしたハクオロであった。

 縄を解かれた男は流れるような手つきで商品を広げ始めて、あっという間にハクオロの部屋に店を開いてしまう。
 いつのまにやらドリィ、グラァにアルルゥまで部屋に集まってきて、敷布の上に置かれたおもちゃや装飾品などを手にとり歓声を上げながら眺めている。
 薬師であると紹介されたエルルゥなどは、ケトゥアマンという最高級の気力回復薬――というかある意味絶倫系の精力剤――の原料となる、とある動物(ヘラペッタ)の”珍宝”を手に、顔を赤くしてうつむいたまま黙ってしまった。

「他にもいろいろございますよォ」
「――用はそれだけか」

 ようやく自分のペースに持ち込めたことに安堵したのか、いよいよ声を高めて売り込みをかけようとした男に、ハクオロは冷や水をかける。

「はィ……?」
「ここはいつ戦場になってもおかしくない。長居をすれば巻き添えを喰うことになる」

 その言葉に、男は張り付いたような薄笑いの顔にわずかな困惑の色を滲ませる。

「……そんなァ。そしたらどうしてあんな可愛い娘さんたちがここにいるんです?」

 その視線の先には、顔を赤らめたままのエルルゥ、おもちゃにご執心のアルルゥ、髪飾りを手に似合うのなんのと談笑しているドリィとグラァ、そして綺麗な刺繍の入った布地を目を輝かせて見つめているタァナクンがいる。
 ……実は半分以上は「娘さん」ではないと知ったら、この男の糸のような細目も大きく見開かれたかもしれないが。

 とはいえ、エルルゥたちを戦場に置いていることに自責の念を感じているハクオロは、その指摘にわずかに目を伏せる。トゥスクルさんとの約束を、自分は守れているのだろうか……。
 しかしそれも一瞬のことで、男をまっすぐに見つめ直しハクオロは告げた。

「――とにかく無関係な人間を巻き込むワケにはいかない。エルルゥ、この者に水と食糧を分けてあげてやってくれ」
「あっ、はい。すぐに」
「仲間が失礼した。送ろう」





※ ※ ※




 
「旦那がそうおっしゃるんであれば、出て行きますがね……」

 溜息まじりの声で、行商の男はハクオロの後ろを歩いている。
 砦の門はもう目の前だ。

「……ここからしばらく行ったところに、チャヌマウという集落があるのを知っているか」

 ふと足を止め、ハクオロが振り返りもせずにそう背後の商人に問うたのは、門近くの兵士の詰め所
のあたりまで歩いてからのことだった。
 別の用件を切り出そうとしていた商人は、あわてて懐に入れかけていた手を戻して平静を装う。

「はァ。こんな商売ですので、知ってはおりますですが」
「行ったことはないのか」
「――ずいぶん昔に、何度か。最近は別の商人が出入りしているようで私は行っておりませんですが。それが……何か」

 ハクオロは振り向いて簡潔に言った。

「全滅した」
「……はィ? ぜ、全滅ゥ?」
「インカラが焼き討ちにした。みせしめのつもりなのだろう。村は焼かれ、村人達は皆殺しにされた。
――生き残ったのは、元服(コポロ)も迎えていない歳の少年たったひとりだ」

 ハクオロの目はまっすぐに商人を見つめていた。
 夕暮れの空を背に、外衣を風にはためかせながら立つハクオロのその姿に男は一瞬目を奪われた。

「……それを私に聞かせて、どうなさろうと? そうなりたくなければ関わるなという忠告です? それとも、行商で行く先々の街で、皇の凶行についての噂を流せとでも?」
「どう受け取ろうとお前の自由だ。どちらにせよ情報は身を守り、そして助ける。商人なら、そのことは十も承知のはずだが」
「あっはっは。旦那は賢い御方だ。情報は身の守り、たしかにその通りです。そして私たちの場合は

 ――――最も高値で売れる、大事な商品でもあります」


 男を取り巻く雰囲気がその瞬間、剣呑なものに急変した。
 懐に手を入れ、上目遣いの細目をわずかに見開き、ハクオロの顔をじぃっと見つめ返す。

「お前は……」
「動かないで下さいませ。すでに間合いでございますので」

 懐から油断無い所作で抜き出されたのは、行商許可の鑑札。
 角を落とした長方形の木片で、先ほどの荷改めでも問題ないと見なされたものだったが……今、男の手の中でそれはわずかに長さを変え、隙間からは薄い刃のきらめきが漏れている。

「――仕込みか」
「私からもご忠告を。……不用心です、はい」

 鋭い目で薄く笑いながら、男は言った。

「私が刺客でしたら、お命頂戴しておりました」
「……刺客ならば、な」

 男の手に握られた暗器を冷静な目で見つめながらハクオロがそう言うと、男はのどの奥でくくっと笑い、出した時と同様、突然殺気を引っ込めた。

「これでも商人でございますので、チャヌマウの情報の仕入れ代に見合うご忠告を、お支払い致しましたまででございます。はい」
「ずいぶんと高値が付いたようだな」
「それはもう。……あと、これはお近づきの印に」

 仕込み刀を懐に収め、抜き出された手にはヘラペッタの”お宝”が握られており、それをハクオロの手に握らせてくる。

「いや、私は別に……」
「――できれば紫琥珀(ムィ・コゥーハ)をおわけできると良かったのですが」

 小声でささやくように告げられたその言葉に、ハクオロは息を呑む。
 紫琥珀――小指の先ほどのかけらに、一生遊んで暮らせるほどの値が付く稀少な宝石を、自分たちが必要としているということを、なぜこの男が……。

 そこに水筒と炙ったモロロ餅の入った包みを手にエルルゥがやってきて、二人の距離は開いた。

「どうぞ、少ししかありませんが……」
「これはお嬢さん、ありがとうございます」

 さきほど見せた殺気など少しも感じさせない物腰でエルルゥから弁当を受け取る男を、ハクオロは横から見つめていた。

 この男が商人であるというのは嘘ではないのだろう。
 しかし、ただの商人ではない。おそらくは――オボロが言った通り、敵から遣わされてこちらの情勢を探りにきた間者なのだろう。チャヌマウの焼き討ちのことも、驚いたふりをしていたように見えた。
 本人の言葉を借りれば、叛乱勢力の情報という商品を仕入れに来た、ということになるだろうが。

 しかし、その情報を発注した”敵”とは誰なのか。

 命がけになる諜報活動だ。よほど高額の報酬が約束されているのだろう。
 それほどの金を、情報収集という重要だが地味な作業に支払う戦略センスと、チャヌマウをはじめとして各地で相次いでいるインカラの無作為な焼き討ちは、どうしてもハクオロのなかで繋がらない。

 脳裏に浮かぶのは、あの男。
 チャヌマウで対峙した、白いウォプタルにまたがる怜悧な眼差しをした若い武人――

「……それでは私はこれで、はい」

 エルルゥに微笑みかけ、ハクオロにもう一度頭を下げて、男はすたすたと外へ歩き出した。
 夕暮れの中、長い影を引き連れて去っていく行商人の背中を見送って、エルルゥはふっと微笑み、傍らのハクオロに話しかけようとして

「………」

 見上げた横顔の、その思わぬ鋭さに、言葉を飲んだのであった。





※ ※ ※





「ほら、口を開けて」
「……いや、自分で食えるから」

 半日ほど寝ていたらしい。
 寝床の上で起こした半身をさっきのお団子娘に支えられながら、今俺は重湯のようなものを食べている。

 ――正確には、食べさせられて、いる。

「なに遠慮してるのさ。あんた自分が何日寝てたか知ってるの? 四日だよ? 弱った時はお互い様。あたしら辺境のモンは助け合わなくちゃいけないって、トゥスクル様も言っておられたんだから」

 そう言ってこの子は、ほれ食え、とばかりに木製のさじを口の前に突きつける。
 しかたなく俺はそれをパクリとくわえて咀嚼する。

 でんぷんの甘みとかすかな塩味。そしてふわりと感じる独特の香り……これがモロロって奴なのか。

「うまい……な」
「そう。そりゃ良かった! 生きてるからこそおまんまが食べられる。見つけてくれたハクオロさんと手当てしてくれたエルルゥに、しっかりお礼言うんだよ?」
「……ああ、わかってる」

 それにしてもどうしてこの子はこうも言葉遣いが上からなんだろう。
 なんだかまるで姉が弟に言い聞かせているような口ぶりだ……。

 その感想は、逆の意味で向こうも同様であったらしい。
 次のひとさじを口のところに運びながら、その子は呆れたような声を出した。

「なーんか生意気な子だねぇ。記憶が無いってったけど、案外どこぞのお坊ちゃんだったりしてね」
「――なあ」

 そこで俺はようやく”そのこと”に気が付いたのだった。
 というか、どうして今まで気が付かなかったのかが不思議なくらいだった。

 俺の自意識と、今の俺の肉体には、大きな隔たりがある、ということに。
 
 これは至急確かめる必要がある。
 それには――

「鏡を見せてくれないか? 顔の傷がどんな具合か気になるんだ」

 おれはちょっとだけ本当の理由をごまかした。
 自分の顔と年齢を把握したいから、などというと、もしかするとエルルゥが来るまでダメなどと言われかねないと考えたからだ。

「鏡? いいけど」

 ところが、あっさりとその要求は呑まれた。
 脇卓の上の椀にさじを置き、少女はちょっと待っててと言って小走りにどこかへ行った。

「自分で食べちゃだめだよ!」
「……なんでさ」

 とはいえ、言いつけを破るとなんだか怖そうなんで俺はおとなしく待つことにした。
 幸い少女は軽快な足音と共にすぐに戻ってきた。
 手には磨いた金属の板のような原始的な鏡が持たれている。

「はいよ、ここで良い?」

 寝床に伸ばした膝の先あたりの距離で、少女は鏡を構えてくれる。
 礼を言って鏡をのぞき込んで……

「――うわ」

 黙っていようと思ったのに、思わずそんな言葉が口を突いて出た。
 そのぐらい、想像外の容姿だった。

 鏡に映っているのは、白い頬に濃茶の髪をした、知らない少年の顔だった。
 顔の左上半分は包帯で覆われているが、見える残りから推測するに、中学生ぐらいか?

 鏡の向こうの知らない自分と見つめ合ったまま、手を挙げて顔をゆっくりと触っていく。
 あごが細い。ヒゲが無い。口元に切り傷があってかさぶたができている。
 そしてなにより、あのケモノ耳がある……。

(憑依ものかよ……TSものじゃなかったのは不幸中の幸いか……)

 俺は内心でそんなことをつぶやいた。
 元の世界での自分の顔や年齢は思い出せない。かといって、いまのこの顔が自分の顔だともにわかに納得しがたいものがあった。
 少なくとも、こんな年齢でなかったことはおそらく確かだ。

 ――というか、これは誰だ?

 アニメにしろゲームにしろ、原作にこんなキャラ出て来てなかったのは確かだ。
 さっき目が覚めた時エルルゥも少し話してくれたけど、俺はチャヌマウで拾われたらしい。
 記憶が確かならアルルゥ&ムックルコンビが戦闘デビューした「森の娘」の舞台がチャヌマウだったけれど、あそこに生き残りなんていなかったはずだったが……。

 ということは、少しだけ原作から外れたってのか。
 もしかして本当は死んでいたはずのこの子の体に、俺が憑依して、それで助かったとかそういうことなんだろうか。

「大丈夫?」
「ぁ、ああ。うん、以外と派手に怪我してるから、驚いただけ」

 鏡を渡してもらい、じっと顔を見つめる俺に、背後に戻った少女が気遣わしげに声をかけてくる。
 ……いや、少女なんて言うけど、今の俺はきっとこの子よりも年下だ。
 だとすると、さっきまでの俺の態度は確かにさぞかし生意気だったことだろう……。

「ほら、それよりも食事、食事」

 後ろからさっと手が伸びて、鏡を奪われた。

「あ……」
「ここに置いとくから後からゆっくり見ればいいさ。今はそれよりおまんま食べて元気付けなきゃ」
「……うん」

 ぱくっ。素直に差し出されたさじをくわえた俺に、その子は満足げに頷いた。

「よしよし!」

 そのあからさまな子供扱いに、俺はまた若干の反発を抱きかけ――

「? なにさ」

 振り向いたすぐ後ろにあったその無防備な表情に、俺は小さな溜息とともにこの肉体年齢を受け入れることにした。

「ううん、なんでもない。……ねえ」
「だからなにさ」

 ひょい、ぱくっ。
 また一口、運ばれてきたモロロ粥を飲み込んで、俺はその子に尋ねた。

「君の名前、なんて言うの?」
「あたし? ノノイだよ。ヤマユラ生まれのヤマユラ育ち。もうすぐ16歳。好きな食べ物はカリンカ! でも、カリンカなんて贅沢品、お祝い事でもなけりゃあたしら辺境のもんは食べれないんだけどね」
「……出身と年齢に好物まで教えてくれてありがとう」

 この短時間で悟った。
 この子は結構なおしゃべりだ。

「――今、あたしのことおしゃべりだ、なんて思ってるだろ」
「はぐっ!」

 意外すぎる言葉に、思わず粥を吹き出しそうになる。
 なんだこの子、もしやサトリか!? 

「図星かい。……たしかにあたしはよくしゃべるけどね、それだけじゃないんだよ。エルルゥがあんたが目をさましたらそうしてやれって言ったからさ」
「……どういうこと?」
「一つには、あんたが記憶をとりもどすきっかけになればってことさ。エルルゥが言うには、人の記憶ってのはいろんなものと紐で繋がるみたいに繋がってるから、いろんな言葉をたくさん聞くことで、忘れてた記憶を取り戻す手がかりがひょっこり見つかるかも知んないだろ?」
「……そうだね」

 俺はその言葉にビックリした。
 それってたしか最新の脳生理学の研究結果とも一致する、正確な記憶システムモデルのはずだ。

「確かにねぇ、あたしも母さんの言いつけをすっかり忘れて、なんか大事な用事を言いつけられてたはずだけどーって考えてた時、なんでかは知らないけど畑のキママゥの糞をみた途端に思い出したことあるからねぇ」
「……ちなみに、なんだったのさ。その用件って」
「ん? へへ、兄さんの帯(トゥパイ)が古くなって新しいの作るから、村長のとこから糸を分けてもらってきてってさ」
「キママゥも糞も関係無いじゃん!」

 思わずつっこんだ。
 っていうかいま俺は食事中だ! クソの話とかすんなよ!
 辺境の女はそういうの気にしないものなのか……。

「じゃん? なんだいそれ、チャヌマウの流行かい? それはともかく、まあ、記憶なんてそんなものってことじゃない? 何を聞いて何を思い出すのかなんて、誰にもわかんないことだし。それなら今のあんたにゃ、黙って世話するよりもあたしみたいなのが向いてるってことでしょ」

 ほれ、とまた突き出されるさじを俺は黙ってくわえる。

「そしてね、もうひとつの理由は――あんたに余計なことを考えさせないためさ」
「……矛盾してない?」
「あたしもそう思ったんだけどね。でも、エルルゥはそうしてあげてって。あたしのおしゃべりでたくさんのことを聞くから、たくさんの事を考えるだろうけど、考え過ぎないようにしなきゃいけないってさ。じゃないと、さっきのあんたみたいにまた頭ン中がぐるぐるしちゃって倒れちゃうから」

 かり、かり、と木のさじが椀の底をこそぐ音がする。
 見るといつの間にか椀一杯あったモロロ粥がもう無くなっていた。

「ともかく、具合の悪い時に考え事したってなんもいいことないからね。そういう時はともかくしっかり食べて寝る。後のことは元気になってからゆっくり考えればいいのさ」

 差し出される最後の一口を食べて、水差しで薬湯を飲むとと、俺はまた寝床へ横にさせられた。
 俺も今度は特に逆らいもせず横になり、一眠りしようと思った。

「よしよし、だいぶ素直になったね」

 腰に手をあて、にこっと笑う彼女。
 ノノイと名乗った今の自分よりちょっとだけお姉さんな少女の顔を見上げた。

「……ねえ」
「ん? なにさ」
「ノノイって呼んでもいい?」

 さすがにこの外見年齢差で、二人称が「君」なのは良くない。
 かといって「ノノイお姉ちゃん」なんて呼ぶのは俺のキャラじゃない。
 呼び捨てするなと怒られるかも知れないとは思ったが、この子だって、エルルゥよりも確実に年下のはずなのに「エルルゥ」ってさっき呼び捨てにしてたしな。
 ヤマユラ育ちってことは、幼馴染みでもあるんだろうけど。

「変な子だね。いいよ、そんなのわざわざ言わなくったって」

 果たして彼女は、あっけらかんと笑って許してくれた。

「あんたのことも、いつまでも『あんた』じゃいけないけど……まあ、それはまたエルルゥにでも相談してみなよ。実をいうとハクオロさんも記憶を無くしてヤマユラにたどり着いた人でね。ハクオロって名前は本当は、エルルゥの死んじゃったお父さんの名前なんだよ。トゥスクル様が、これからはそう名乗れって言って名前をくれたんだ。だからあんたも、思い出すまでの間別の名前を名乗ることになると思うけど……良い名前もらえると良いね!」

 そう――そうだったな。
 ”ハクオロ”は、エルルゥ・アルルゥの亡き父、つまりトゥスクルの一人息子の名。
 しかしそれさえも、実は昔の大戦でトゥスクルと共に闘った白い神の名前――つまりは、ハクオロ自身の本当の名前であり、ハクオロの正体を察知したトゥスクルが名前を返しただけという……
 ……これは、この世界の俺が知らないはずの、知識。

「さ、もう考え事はやめて眠りな。目が覚めたらもうちょっと腹に溜まるもん食わせてやるからさ」

 食器を片付けながら、ノノイが言う。
 俺は何かそれに応えようとして、大きなあくびにそれを邪魔され……

 ――そのまま再び深い眠りについたのだった。







[16787] うたわれぬもの  建国編  4  告知
Name: 内海◆2fc73df3 ID:6e1a9f17
Date: 2020/05/02 23:15
 目が覚めたら、あたりは真っ暗だった。
 
「……寝てばっかだな、俺」

 つぶやいておおきく伸びをする。

 おお。食事のおかげか、体にずいぶんと力が戻っているのを実感した。
 布団に横になっているのが苦痛というほど元気なわけじゃないけど、少なくとも精神的な活力はかなりの程度回復したと思う。
 今だから思うけど、最初に目が覚めた時目の前がぐるぐる回ったのは、記憶のことで混乱したってのももちろんあるだろうけど、それ以上に体力的に限界だったんじゃないのかなぁ。
 具合の悪い時には考え事してもいいこと無いってノノイが言ってたけど、本当にそうだな。

 寝床の上で半身を起こしてそんなことを考えていると、だんだんと目が闇に慣れてきた。
 窓の向こうには星明かりの夜空があり、開け放たれた廊下側の入口からは、通路の明かりが差し込んできている。

 ぶるっ、と体が震えた。
 しかし寒いわけじゃない。

 この感覚は……

「トイレ――おっと、厠って言うんだっけか」

 ズバリ尿意である。
 誤解を招きかねない表現をするなら腹ン中がパンパンだぜ……である。
 膀胱も下腹の内部にあるので、嘘にはならんだろう。
 まああっちは事後で、こっちは今からなわけだが。

「ノノイは……いないな。ま、いっか」

 小便ごときで人を呼ぶのも気が引けるし、ノノイとかエルルゥみたいな女の子に小便の付き添いを頼むのも恥ずかしい。俺は自分で厠に行くことにした。
 厠がどこにあるか知らないけど、歩いてたら分かるだろう。人に会ったら聞けばいいし。
 
 ……とはいえ、気を失ってる間に治療のために服とか脱がされて全身くまなくじっくり見つめられてるだろうから、そんな恥じらい向こうにとっちゃ今更なんだろうけどね……。
 しかしそれとこれは別だ! ちょうど良い機会だから、この体での我が愛棒の具合もしっかり確認してみるとしよう。

 そんなアホなことを考えつつ、俺は寝床から勢いよく立ち上がり――

 ドタッ

 ――尻餅をついた。

「あ、あれ? バランスが……あいてて」

 コケた衝撃が背中の傷に響いて痛みが走る。なんか乾いて固まったのがパリッと裂けた感触もするが気にしないことにする。それよりも今はトイレだ。
 長く寝てたせいで足がなまってしまってるらしい。俺は膝立ちになり、手を床に付けて片足づつ立ち上がることにした。

「せーの……よいしょ! ――っとと。おお、なんとか立てたか」

 うーん。それでもなんだか足下がおぼつかない。
 なんていうか足がしゃんと伸びてない感じというか、力が入らないというか……フラフラする。
 たかだか四日寝たきりになっただけでここまで弱るもんなのか。

「まあ、これも今考えてもしょうがないわな。今はともかく、トイレ、トイレ、っと」

 どうにもふらつくので、壁伝いに行くことにした。
 立ち方といい歩き方といい、なんとも老人か病人のような有様だが、考えてみると今の俺は前者はともかく後者ではあるのだからしょうがない。
 寝床から壁へゆっくり歩き出して数歩歩いた時、なにか堅い物がが俺のつま先に当たった。

「うおっ……とととと!」

 たったそれだけで俺の体は再びバランスを失い、慌てて踏み出した足の裏に床とは違う感触が走って、
それに驚いた俺はその足を反射的に上げてしまい……

 ――ドタッ!
 ガン! ガラン、ガラン……!

 暗い部屋の中に思いがけないほど大きな音が響いた。
 再び派手に尻餅をついてひっくり返った格好のまま音のしたほうを見ると、窓の外の明かりが反射してそこだけ丸く切り取られたように光っている。

「あ、そうか。これノノイがさっき持ってきてくれた鏡か――あいててて!」

 あとでゆっくり見なよ、と言って寝床の傍らに置いていってくれていた金属板の鏡のことをすっ
かり忘れていた。
 転んだ拍子にけっ飛ばしてしまって壁にぶつかったようだけど、凹んだり歪んだりしてないかな……。
 この世界の価値基準ってのがまだよく分からないけど、古代の日本だと結構な貴重品だったはず。
 まあエルルゥの家でハクオロに似たような鏡を使わせているところからすればそれほど稀少品というわけでもなさそうだが、トゥスクルさんは村長だし有名な薬師だから、そういう貴重品が家にあっただけ、という可能性もあるか。

 それはともかく、背中が痛い。反射的に手をついたのがいけなかったのか、左の肩甲骨あたりがじんじん痛くなってきた。
 あー、こりゃ傷口開いちまったなー、なんてことを考えつつ壁際へ手の力で移動してもう一度立ち上がろうとしているところに

「――ちょっと、なにしてんだい!」

 ノノイがやって来てしまった。
 まあこの静かな夜中にあんだけ大きな音がすれば様子も見に来るか。
 トイレぐらい一人で行きたかったんだけどな。

「いや、厠に行きたくなったから、リハビリ――あーえっとナマった足を鍛えがてら歩いて行こうと思ってさ」
「なん――」
「それがさあ、ビックリするぐらい俺の足ナマっててさ。四日寝たきりになったぐらいでこんなにフラフラするなんて驚きだよ。本気で足が上がらないんだよなー。こんな薄い板につまずいちゃうくらいでさ。あ、そういやごめんなノノイ。俺、鏡のこと忘れててけっ飛ばしてしまったけど、どうにかなってないかな。ヘコんでたりしたら弁償するから――ってあはは、俺一文無しだっけ」

 気まずさをごまかすように俺はぺらぺらとしゃべった。
 ノノイが途中で何か言いかけてたけど、被せるように話を続けたら黙ってしまった。
 ……やべ。怒らせちゃったかな。

「ノノイ? あの……もしかして、この鏡ってすごく大事な物だったりする?」
「………!」

 話しかけながら壁を利用して立ち上がろうとする俺を、ノノイはなぜだか目を見開いて見つめ、そしてくしゃりと表情を歪めた。
 ――ヤバイ。これは冗談抜きで大事な物だったみたいだ。

「ご、ごめんノノイ! わざと蹴ったわけじゃないんだけど、そんなに泣くほど大事な物とは」
「バカだね……そんなんじゃないよ」

 ノノイは小さな溜息と同時に表情を緩めて微笑んだ。
 そしてとすとすと軽い足音を立てて俺のそばに歩み寄ってきて、自然な動作で俺に肩を貸した。
 並んで立つと、俺とノノイはほとんど同じ背丈だった。
 ああ、でも掴んだ肩の華奢さはやっぱり女の子だな。

「あ……」
「厠だろ。肩貸してやるから」

 どことなくつっけんどんな感じの口調だったけど、怒っては無さそうだ。
 怒ると言うより、あれかな。厠にさえ一人でいけない俺に呆れたというか、心配させちゃったというか。

「――悪い」
「まったく。あんたはまだ寝てなきゃいけない怪我人なんだから、用を足したきゃ誰かを呼べば良いんだよ」

 ノノイの肩を借りて、一歩一歩頼りない足をどうにか動かして歩き、部屋を出る。

「枕元に鈴を置いとくから、次からはそれを鳴らして呼びな」
「いや、そりゃいくら何でも。ノノイにだってエルルゥにだって、それぞれ他に仕事はあるだろう?
小便ぐらいでいちいち誰かを呼ぶのは気が引けるしさ」
「………」
「それにさ、むしろどんどん立って歩くべきだと思うんだよな。まさかこんなに足が弱ってるとは想像外でさ。ったくもう、どんだけモヤシだったんだよ俺」

 ははは、と俺は笑ったけれど、ノノイは無反応だった。
 モロロ粥を食べさせてくれた時とは別人のように無口になったノノイに、俺はなんとなく不安になり、その横顔に声をかけようとして――

「厠。着いたよ」

 ぽつり、とそれだけを、目も合わさずに告げられた。

「あ、ありがとう」

 俺が礼を言ってノノイの肩から手を離すと、ノノイはまたしても黙って一歩身を引いた。
 そのことに、俺はまた意外な思いを持った。
 別にそうしてほしかったわけじゃないけど、てっきりノノイのことだから、厠の中まで一緒に入ってきて俺が用を足すのを助けてやるとか言いだすだろうと思っていたし、そう言われたらなんと言ってそれを断固拒否しようかなどと考えていたわけなんだが。

「じゃ、じゃあ。行ってきます」

 便所に行くのに行ってきますは無いだろう、と某漫画を思い出しつつ俺が内心でセルフ突っ込みをしていると、ノノイは俺が木戸を開けて中へ入るのを見届けて、タタッと走り去って行った。

 あー。もしかしてやっぱあれか。恥ずかしかったんかな。
 お年頃だもんなー。

 俺はニヤニヤと笑ってズボンを下ろした。
 この世界の着物には、チャックなんて気の利いた物は無いのだ。

 さてさて……この世界での我が相棒の実力の程はいかほど……

「――おおっ!」

 具体的な描写は諸般の事情により控えさせて頂くけれど、まあ、その。
 一言で言えば、良くも悪くも

「……若いな……」

 おかげで狙いが定まらず、小便を終えるのにずいぶんと時間がかかってしまった。


 ――とす、とす

 木戸の向こうに誰かが歩いてくる気配がする。
 ノノイが戻ってきたみたいだ。ちょうど良いタイミングだったかな。
 俺は手洗いがないことにちょっとだけ違和感を感じつつ木戸を開け

「ごめんごめん、遅くなって――」
「いえ。私も今きましたから」

 そこにいたのは、エルルゥだった。
 廊下に差し込む月明かりのなかでちょっとだけ首を傾けて微笑んだ彼女は、厠のそばの手水鉢で濡らした手ぬぐいで俺の手を拭いて、それから「よいしょ」と俺の腕を肩に回させた。
 ノノイより小柄で、もっと華奢なその手応えに、俺はようやくうろたえることを思い出した。

「ちょ、ちょっと……エルルゥ!?」
「脚は、痛くないですか?」

 俺に肩を貸して歩き出しながら、エルルゥはそんなことを聞いてきた。
 脚? 脚が痛くないかって? なんでそんなこと……

「いや、脚は別に怪我とかしてないし。まあさっき鏡を蹴っ飛ばしたつま先が痛いといえば痛いけど」

 それよりむしろ、背中の傷が開いちゃったほうが痛い。
 ノノイと交替してエルルゥが来たとすれば、俺がコケてたのも聞いてるだろうし、そしたら普通そっちのほうを心配するもんだと思うけど。

「そういえば、ノノイは?」
「……あの子なら、あなたに食べさせるためのご飯を作りに、厨(くりや)へ」
「うわ、そりゃ申し訳ないなあ」
「お腹空きました?」
「――すごく」

 言われて初めて気がついた。
 もしかして俺が目を覚ました理由って、尿意だけじゃなくって空腹もあったのかもしれない。

「でもこんな夜中にわざわざ作ってもらうのは気が引けるな」
「作るといっても、たぶん夜番さん用の作り置きを火で温めるだけですけど。でも、ノノイにはお礼を言ってあげて下さいね」
「それはもちろん」

 つっけんどんだなんて思って悪かったなあ。
 めっちゃ良い子じゃないか、ノノイ。

「元気になったらなんかお礼しなきゃ。あ、もちろんエルルゥにも、ハクオロさんにも」
「………」
「何がいいと思う? ……じゃなくって、思います? ノノイどんなのが喜ぶかな。カリンカが好きとか言ってたけど――ハクオロさんにお願いしてバイト……じゃない、なんか使いっ走りかなんかさせてもらって小遣い貯めたりしたら買えるかな」
「………」
「まあそれもこれも、この怪我が治ってからだなあ。トイレに行くのに人の手を借りなきゃいけないようじゃあ、使いっ走りどころの話じゃないしね。あはは」
「あの――ね」

 その時、エルルゥがこちらを振り向いた。
 すぐ近くから、俺の腕の下からかすかに見上げるようにしてこちらを見つめてきたエルルゥの瞳には薄暗い夜の月明かりでもはっきりと読みとれるほどの哀しみが浮かんでいた。
 その瞳に、俺は積み重ねられてきた違和感――無意識のうちに無視していたそれが一気に集まって固まり、胸の中で急速に膨れていくのを感じた。

「部屋に着いたら、そのことについて、お話があります」

 その「お話」というのが、使いっ走りのアルバイト斡旋の話なんかではないのだけは、確かだった。





※ ※ ※





「おや、ノノイじゃないか。どうしたんだいこんな時間に」

 ノノイが厨に行くとソポクをはじめとして数名の女性衆が作業をしていた。
 ヤマユラで見たことのある顔もいくつかあるが、知らない顔も多い。

(この数日でたくさんの集落が仲間に加わったと兄さんが言っていたから、きっとその人たちだろう)

 ノノイは作業の手を止めずにこちらに目を向けたソポクに頭を下げた。

「あ、すいませんソポク姉さん。皆さんも邪魔してすいません」
「なんも邪魔なんかしてないさ。で、なんだい。つまみ食いでもしに来たのかい? アルルゥでさえここには乗り込んでこないってのに、良い度胸だね」

 ソポクの軽口に周囲の女性達が明るく笑う。

「あ、あたしんじゃないですよ!」
「じゃあアンタの兄貴かい? ターの奴は今夜は夜番じゃなかったはずだけど」
「兄さんでもないですってば!」

 ムキになって言いつのるノノイにソポクは目を細めて笑い――

「分かってるよ。あの子が起きたんだろ?」
「あ……」

 その目に、ふいに哀れみの影が差した。
 ノノイはそれですっかり勢いを失ってしまって、小さくコクリと頷くと、そのままうなだれてしまった。

「その様子だと……脚のことに気が付いたのかい?」
「まだ……でも、いまごろきっとエルルゥが……」
「そうかい」

 ソポクは哀れみの影をまばたき一つで消し去って、皮をむき終わったモロロが詰まった籠を隣で作業している女性に手渡した。

「いつまでも隠せるもんじゃないし、それなら早いとこ知らせてやったほうが親切ってもんさ。脚があんなふうになっちまってるのは気の毒だけど……あたしらじゃどうしてやりもできないからねえ」

 新たな籠を足下に置いて、腕まくりをして作業を再開したソポクがそう言うと、周囲の女性達がひそひそと小声でうわさ話を始める。

「あの子って、チャヌマウの生き残りっていうヤケドの子だろ?」
「酷い話だよねぇ。命が助かったものの、記憶はないうえに脚まで悪いなんてさ……」
「脚が悪いって、生まれついてなのかい?」
「それがどうもさ、そうじゃないらしいよ。なんでも脚の筋んとこにざっくりと――」
「ひえっ、あんたそれじゃあまるで奴隷(ケナム)じゃないかい」
「でもさ、脚の悪い奴隷なんて持ってどうすんのさ」
「男の子だけど、肌が白くて可愛い顔してるらしいじゃないか。そういう方面の……じゃないのかい?」
「そういう……って、何さ」
「ほら、あたしらがぶっ殺したあのササンテの豚さ。あいつはなんでも随分な変態だったって話――」

 ――パンパン!

 ソポクが手を鳴らした音で、皆ははっとおしゃべりをやめた。

「ほらほら、みんな手が止まっちまってるよ? 今夜中にあと五袋のモロロの仕込みを済ませなきゃ
ならないの忘れたのかい」
「そ、そうだねぇ。――ごめんよぅ、ノノイ。おばさんたちおしゃべりでさ」

 うつむいて立ちつくすノノイに、皆が気まずそうな顔を見合わせる。
 ソポクのはす向かいにいた年かさの女性が、そんなノノイに声をかけると、ノノイは顔を上げて気にしてない、と首を振った。

「あたしは別に……でもラウネおばちゃん、その話、あの子の前ではしないであげてね」
「もちろんさ。約束する。みんなも分かってるよ。――ねえ、みんな?」

 ラウネがそう言って皆の顔を見回すと、みんなも大きく頷いた。

「――そこの棚ン中に、あとでアタイらがこっそり食べようと思ってこさえてた作りたてのチマクがあるからさ。それ、持っていっておやり」
「ノノイも一つお食べよ」
「うん、ありがとうおばちゃんたち」

 笑顔を見せたノノイに、ようやく女性衆は許された心地になってほっと息をついた。
 しかしソポクだけは危ういものを見守るように眉をひそめたまま、チマクを皿に載せてもらうノノイの横顔を見つめていたのだった。






[16787] うたわれぬもの  建国編  5  傷跡
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/02 23:19

 膝裏に、深くて長い傷跡がある。

 下履きだけの姿になり寝床の上であぐらを掻くようにして、自分の脚に刻まれた古い傷跡を俺は他人事のように指でなぞっていた。


「……傷は綺麗にふさがっていますから、手当もちゃんとされたみたいです。でも……脚の、この部分にある腱は、一度切れると元のようにはならないんです」


 古い、と言っても、この体自体そう長く生きてるわけじゃない。
 ただ、本来まっすぐ走っていたと思われる傷跡が、体の成長に引っ張られるようにしてたわんでいることから、少なくとも1.2年以内のものではないはずだ。


「私もおばあちゃんから聞いただけで、診るのは初めてだからはっきりしたことは言えないけど……訓練すれば、歩くことはかなりできるようになると思います。でも、走ったり、重いものを持ち上げたりとかは……ごめんなさい……」


 偶然の事故で負った傷なんかじゃない。それにしては切り口が鮮やかすぎるし、両足の同じ位置に同じような傷をたまたま負うというのも不自然だ。
 これは明らかに、なにかの目的のために、意図的に付けられた傷だ。

 そして俺は思い出さずにはいられない。
 うたわれるものでも、いたじゃないか。こういう傷を付けられた女の子が。
 タイムテーブルからするとずっと先のことになるけど……


「俺は」

 妙につるつるする傷跡を指先で触りながら、俺は疑問を言葉にする。

「……誰なんだろう」

 答えが返ってくるとはすこしも期待してないけれど、問わずにはいられない。
 心の中でつぶやいて済ませるには、ちょっとばかり、荷が重くなりすぎてしまった。

「なんで、こんな傷があるんだろう」
「……わからないです」

 灯された明かりの柔らかい光は、目を伏せて答えるエルルゥの顔に陰影を刻み、まるで泣いているかのように俺には見えた。


 エルルゥは、きっと勘違いをしている。
 エルルゥはきっと、俺が「自分の体になぜこんな傷があるのか」と悩んでいると思っていることだろう。

 でも、それは違う。
 エルルゥがそう思うのは当たり前だし、説明しても理解してもらえるとは到底思え無いけれど、でも今俺の胸の中にわき上がっている感情は、そして疑問は――そうじゃない。

 なぜなら、「この体」は「俺の体」では無いのだから。

 俺は数日前にこの世界のこの体へ入り込んできた、言ってしまえばヤドカリの本体みたいなものだ。
 そしてその入り込んだ「貝殻」つまりこの体には、少なくとも数年前以上前に刻まれたとおぼしき傷がある。
 ヤドカリが言葉を解したとして、「自分の貝殻にはなぜこんな傷があるのだろう」などという苦悩を抱くことはあるまい。
 「元の持ち主が、なぜこんな傷を負うに至ったのか」ということに関心は持ったとしても。

 そう。俺は悩んでいるわけではないのだ。
 確かに今の体が満足に歩けない身であるということについて、これからどうしよう、不便だ、という将来へ向けての悩みはある。
 でも今はそれ以上に、「かわいそうに」という思いが大きいのだ。

 自己憐憫ではない。
 それはこの子――幼くして脚の腱を切られ、焼き討ちによって天涯孤独の身になり、大けがをした上に、俺によって体まで奪われ乗っ取られたこの体の前の持ち主への、哀れみ。

 「君」は、一体「誰」なんだろう。
 どうして、幼かった君はこんな傷を付けられなければならなかったのか。
 チャヌマウの村はずれの藪の中に埋もれるようにして倒れていたという君は、どんな想いでそこまで逃げたのだろう。

 そして君は今、どこへ行ってしまったのか。
 ――僕に体を明け渡して消えてしまったのか?
 ――それとも、僕のなかのどこかで眠っているだけなのだろうか?


「……エルルゥ、持ってきたよ」
「ありがとう、ノノイ。――あの、少しでも食べられそうですか?」

 エルルゥの呼びかけに顔を上げると、いつの間にか隣にノノイが来ていて、良い匂いのする葉包みが盛られたザルをこちらに突き出していた。

「出来たてのチマクさ。温かいうちに食べな」

 いつも通りを装おうとしていることが一目で分かる硬い表情で、ほれ、とノノイはさらに俺の近くへザルを寄せる。香ばしい香りがぷんと鼻をくすぐる。
 確かに俺はさっきまでものすごく腹が減っていた。
 しかし――今は。

「……いらない」
「冷めちまうよ。いまお食べ。一口食べれば全部食べちまうさ」
「そんな気分じゃない」
「いいからお食べ。そして食べたらまた寝な。ああ、喉が渇いてるんなら水を先に――」
「ノノイ」

 俺はノノイの目を見つめて首を振った。

「本当に、食欲が無いんだ。俺は平気だから、ノノイはもう休んでくれ」
「………!」

 すると、ノノイもエルルゥも驚いたように俺を見つめ、それからなぜか泣きそうな顔で目を伏せた。
 そんな二人の反応が理解できず俺が戸惑っていると、ノノイはチマクの乗ったザルを傍らに置いて、俺がさっき蹴飛ばして壁にぶつけてしまった鏡を持ち上げ、何も言わずに俺の前に構えた。
 薄明かりをうけて鏡の中に映る、いまだ見慣れないこの白い顔は――

「え?」

 ――いつの間にか、涙で濡れていた。

「……どうして」
「俺は平気、だって? 平気なわけないじゃないか。平気ならなんでアンタ泣いてんのさ」
「いや違う、これは」

 これは――”俺”じゃない。
 その瞬間、俺は天啓のように理解した。

 ――君か。
 君は、ここにいるのか。
 この涙は声なき君の叫びなのか。

 生き残ったという喜びの涙なのか。
 死に損なったという絶望の涙なのか。
 体を傷つけ村を焼いた者への憎悪の涙なのか。
 救われ手厚く看護されたことへの感謝の涙なのか。
 この涙がどんな意味を持つのか、俺には分からないけれど、今はそれでいい。

 ”君”が消えずに残った――そのことが、俺には何故かたまらなく嬉しかった。

 頬の上を、新たな涙が滑る。
 さっきまでの自覚のない、温度のない涙とは違う……肌を灼くほどの熱い涙だった。
 ……これは、俺の涙だ。

 二人の涙が、頬の上で混じり合い、あごの先から雫となって滴りおちる。
 掌で受けたそれを俺はまるで宝石のように見つめ、そして、唇へ含ませた。
 まるで盃を傾けるようにして。

 そんな俺をエルルゥとノノイが心配そうな表情で見つめてきているのに気が付いてはいるけれど、二人にこのことを説明しようとは思わなかった。
 これは誰にも言う必要のない、俺からこの子への一方的な、約束。
 この体を君から奪ったものとして、俺にできる最大の誠意の表明。

 いつになるかは分からないけれど、俺は必ず君にこの体を返そう。
 その日まで、俺は責任を持ってこの体を養い、護ろう。
 君にとって生きやすい、よりよい未来も添えて、君へ渡せるように……

「――あ」

 手を伸ばして、ノノイの膝元に置かれたザルから一つのチマクを取り、葉を剥いて口へ運ぶ。
 モロロではない、もちもちとした穀物の歯触りと香ばしい薫りが口の中いっぱいに広がって、のどを滑り落ちて行く。
 あっという間に一個を食べ終え、次の一個に手を出す。
 葉を剥くのももどかしくかぶりつく俺に、硬直していた二人がようやく声をかけてきた。

「あの、もっとゆっくり食べた方が……」
「む、無理しなくていいんだよ……?」
「なんだよ、食えっつったのノノイじゃん」

 もう心配無用だということをアピールするために、意図的に軽口を叩く。

「――もしかして、自分が食べたかった?」
「馬鹿ッ!」

 お、怒った。ということは図星だったのか?
 俺は二個目の最後の一口を口に放り込み、三個目に手を伸ばしながら正面にいるエルルゥに言った。

「エルルゥさん」
「――はい」
「傷のこと、話してくれてありがとうございました。それと、心配かけてすいませんでした。もう大丈夫ですから……たぶん」

 俺の雰囲気から、さっきとは違うものを感じたのだろう。
 エルルゥは俺の目をちょっとの間見つめて、それから口を開いた。

「あなたは……強いですね、とても」
「そんなんじゃないですよ」

 俺は行儀悪いと思いつつ、チマクを頬張りながら答えた。

「強いとか、そんなんじゃないです。ただ、決めただけです」
「決めたって、何を……?」
「優先順位。体のこととか、記憶のこととか、すぐにはどうしようもないことは先送りして、今はともかく傷を早く治すことに集中しようって。さっきノノイにも言われましたからね。具合の悪い時に考え事しても良いこと無い、元気になってからゆっくり考えればいい、って」
「そうだよ! 分かってんじゃないか」

 さっきまで傍らでうつむいていたノノイが、顔を上げて力強く微笑んだ。

「ほら、あと二つあるからたんとお食べ。足りなきゃもっと持ってくるからさ!」
「あ、あの、一応薬師としては病み上がりの大食はオススメできませんよっ!?」
「――それより……ヒクッ……ノノイ、水を……ヒクッ」
「「きゃー!」」




※ ※ ※




 ……うち沈んだ当初の空気はどこへやら、急に賑やかになった室内を戸の影からそっと伺う気配があった。
 ノノイの様子が気になってこっそり見に来た、ソポクだった。
 厨の女性衆からも後で様子を聞かせてくれと頼まれてきたのだが、ソポクは今心から驚いていた。

(なんて子だい……まだ元服も迎えてない――アルルゥよりかちょっと上なだけの歳の子供なのに……)

 強くない、と少年は言ったが、ソポクはその言葉こそが、強さのしるしだと思った。
 あの子供が決めたのは、優先順位だけじゃない。
 受け入れること。そして、立ち向かうこと――だからこその、あの言葉なのだろう。

(ウチの宿六も気にかけてたけど……確かに気になる子だね……)

 水差しの水を喉を反らせて飲み干し、エルルゥから窘められている少年の姿を目に収めて、ソポクはそっと足音を立てないようにしてその場を立ち去った。

 厨で待っている皆に、この成り行きをなんと説明しようかと考えながら。








[16787] うたわれぬもの  建国編  6  授名
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/02 23:25



「具合はどうだい――ああ、そのままで良い」
「……ハクオロ、さん」

 翌朝、俺の寝床にハクオロさんがやってきた。
 朝飯食ってる時に、エルルゥから連れてきても構わないかと言われて頷いたものの、まさかこんなすぐにやってくるとは思わなかった。
 原作中でも感じてたけど、フットワーク軽いよなこの人。さすがキママゥ皇。

「あの時の……わたしのことを、覚えていたのかい?」
「あ、はい。覚えてます。俺を見つけてくれたのがオボロさんで、俺を運んでくれたのがアルルゥさんですよね」
「はは、その通りだ。そしてついでにもう一人紹介しておこう。こちらはテオロさん。この部屋まで君を運び治療の手伝いをしてくれた人だ」

 ハクオロさんの横でどっかとあぐらを掻いているオヤジさんに、俺は当然の事ながら見覚えがあったものの、すんでのところで思いとどまり紹介される前に名前を呼ぶという失態をしでかさずにすんだ。
 ……俺を運んでくれたというのは本気で初耳だしな。

「ありがとうございました、ハクオロさん、テオロさん。皆さん……本当に、ありがとうございます」
「ん~だぁっははは! いいってことよ! それより俺のこたァ『親父』って呼んでくれや。テオロさん、だなんてかしこまって呼ばれると誰のことかと思っちまう」

 後ろ頭をガシガシと掻きながら、豪快に笑うテオロ。
 テレ屋なんだろうな。不器用で、だけどものすごく温かい雰囲気のある人だった。

「はい、親父――さん」
「おう。後でウチのカァちゃんも紹介してやるよ。困ったことがあったら何でも言いな」

 なんでも、のところを強調して、ついでに右腕の力こぶまで見せてくれた。
 ニカッと歯を見せて笑うその男らしさに、俺はつい笑顔になった。
 そんな俺と親父さんのやりとりを微笑みながら見ていたハクオロさんだったが、「――さて」の一言で表情を改め居住まいを正し、俺の目をまっすぐに見つめて語りかけてきた。

「……君は、今この砦がどういう状況にあるかを知っているかい」
「はい。ここは元々藩城で、今はみなさんが叛乱を起こして占領しているんですよね」
「そうだ。そして君の村は、その叛乱に対する見せしめのために皇の軍によって焼き討ちにあった」

 はっきりとした口調で、ハクオロさんは言った。

「――君に礼など言われる立場では、わたしは無い。詫びねばならないのは、こちらの方だ」
「ハクオロさん……」
「すまない。君が傷を負ったのも、一人になったのも、わたしたちの起こした叛乱のせいだ。謝って済むことでは無いとおもうが、ともかく、すまないと思っている」

 す、と頭を下げるハクオロさんに、誰も言葉をかけられないでいる。
 俺もその一人だ。
 というか、感動で身動きが取れないという体験を俺は今生まれて初めてしている。
 ……この誠実さ、真摯さ。ハクオロさん半端ねぇな。これがカリスマってやつか……。

「やっ、あのっ……頭、頭上げて下さい!」

 なにか言わなきゃと慌てて出した言葉は残念なくらいうわずっている。
 うわー、俺小物っぽい……。

「ハクオロさんたちのせいなんかじゃ、ちっとも無いじゃないですか。悪いのは皇で、皆さんは俺の命の恩人です。見捨てることだってできたのに、わざわざ運んで、手当てして、飯まで食わせてくれて……」
「それは当然のことだ。救える命があるのなら、救いたいと思う」
「……俺は」

 ゆっくりと頭を振りながら俺は言った。

「俺は――聞いてると思いますけど、いろんな事を忘れてます。チャヌマウという集落で俺がどんな生活をしていたのか。襲われた時になにがあったのか……思い出せません。でも馬鹿ではないつもりです。だから皆さんが俺にしてくれたことが当然のことだなんて、俺は思いません」
「君は……」
「お願いがあります」

 寝床の上で、俺は手をついて頭を下げた。

「俺にも――手伝わせて下さい。もう少し傷が癒えたら、俺にできることをなにかさせて下さい。何も知らないし、足もこんなだけど……このまま皆さんのお荷物にはなりたくありません。お願いします。一緒に――」

 ハクオロさんの目を強く見つめて、それから床に額が着くほど深く頭を下げる。

「一緒に、闘わせて下さい」

 ――これが、昨夜のあの出来事以来考えて出した、当面の方針だった。
 俺の最終目標は、この体を本来の持ち主に無事に返すこと。しかしそれは、危険から逃げ回っていては到底達成できない目標でもある。
 なぜならこの世界は強烈な弱肉強食。そして、天涯孤独の少年、記憶無しの上、足が不自由という俺はこれ以上ないほどの「弱者」なのだ。

 障害者年金など無いし、働かなくても生活を国が保護してくれる仕組みなど概念自体存在しないだろう。
 孤児院は原作にも登場していたが……あれは戦乱が収まってからの話だ。人の命より自分の髪型のほうが大事なインカラが福祉に気を遣うはずがない。いまのこのケナシコウルペという國には無いか、あっても劣悪なはず。

 それに孤児院で一生養われるわけではない。成人したら出てゆかなければならない。そして俺は――この世界での成人がいくつなのか分からないが、エルルゥと同い年のヌワンギが成人していることを考えると、成人していてもおかしくない年齢のはずだ。

 今の俺に何ができるかは分からない。しかしこのまま流されていてはいけない。
 危険から逃げ隠れしていては、やがて「貧困」「病気」「孤独」などという逃れ得ぬ災厄が襲いかかってくるだろう。

 生きているだけではいけない。
 いずれこの子が体を取り戻した時、その後の生活に困らないようにしてやる責任が、俺にはあるはずだった。
 それになにより、俺自身ハクオロさんの役にたちたいという思いがある。そう思わせるなにか――それをカリスマと言うのならば、この人には確かにそれがある。

 俺の現状は不利な材料ばかりだが、一つ……いや二つだけ、俺には大きなアドバンテージがある。
 一つは、原作知識。どこまで当てになるかは分からないけれど、将来の大きな流れがわかることは絶対的に有利だ。
 そしてもう一つは、ハクオロさんに拾われて、本人が足を運んでくるほど気をかけてくれているという、この境遇。
 ハクオロさん本人含め、みんなまだこの叛乱が成功するか否かを知らないが、俺は知っている。
 今、俺の目の前に座っているこの青年は、程なく「皇(オゥロ)」と呼ばれるようになるということを。
 その人とこの時点で関われたのは、僥倖以外のなにものでもない。
 ――奇貨居くべし、だ。

 俺の本気が伝わったのか、ハクオロさんは言下に駄目だとは言わなかった。
 ただやはり、わずかの間考えた後で

「――考えておこう」

 と言った。
 年齢や体のことなどがあるだけに、即答もしかねるのだろう。
 予想していた反応だけに、俺も食い下がらなかった。ハクオロさんが考える時間は、俺にとっても、自分に何ができるかを探る時間となるだろう。

「ともかく今は、傷を治すことに専念するといい」
「ありがとうございます」
「うん。それと、話の順番が若干前後してしまったんだが――当面の君の扱いについて、提案がある」
「俺の、扱い……ですか」

 なんのことだろう、と思って首をかしげると、ハクオロさんはかるくうなずき返してから言った。

「たとえば、君の名前だ」
「あ……あー!」

 そうだった。そういや今の俺は名無しのゴンベだったか。

「やはり、思い出せないのかい」
「……みたいです」

 というか、名前を忘れていることを忘れてました。
 そういや昨日ノノイも言ってたっけ。良い名前もらえるといいね、とかなんとか。
 どんな名前になるのかなー、好きな名前を名乗れと言われたらどんな名前にしようかなーなんて考えていたら、ハクオロさんたちは驚きの提案を持ち出してきた。

「そこで、こちらから一つ提案がある。――親ッさん」
「おう」

 へ? なんでテオロさんがここで?

「坊主、お前ェ……ウチの子にならねェか?」

 ……な、なな
 なななななななな、



 なんですとぉーーーーッ!!!




※ ※ ※




 あの子をウチの子にできないか、とハクオロに相談してきたのは、テオロの方からだった。
 昨夜の出来事――足のことを知らされた時の少年の反応についてと、ハクオロたちの訪問を受けても問題無いというエルルゥの報告が、今朝ハクオロの部屋で行われた後のことだった。

「それは本人の意向もあるが……ソポクさんはなんと」
「ああ、それがなんだか知らねェが、カァちゃんが妙に乗り気でよ。『アンタにしちゃあ上出来な思いつきだよ』だなんて、珍しく誉められちまったぜ」
「ソポク姉さん……」

 優しさへの尊敬と、容赦のなさへの嘆息が入り交じった、とても複雑なためいきをつくエルルゥだった。

「見たとこまだ元服前みてェだからよ、それまではウチの子ってことで預かってやりてェんだが、どうだいアンちゃん」
「あの子の為にも、それはとてもいい事でしょう。でも――どうして、あの子にそこまで」
「――だはッ。特にワケなんてねェよ。いうならまあ……罪滅ぼし、ってとこかな」
「罪滅ぼし……」

 自分の考えを先回りされたようなテオロの言葉に、ハクオロは目を細めた。
 良くも悪くも豪快な言動が持ち味のテオロだが、決して粗暴な人物ではないことをハクオロは知っていた。
 辺境の男ってのは、強く、優しく、逞しくなきゃいけねェ、はテオロの口癖で、彼はそのまんまの人物だった。
 (そしてこの「男」を「女」に変えるとこれはソポクの口癖であり、彼女もそのまんまの女性である)
 その彼が、ずいぶんとこの少年を気にかけていたのはハクオロも知っていた。
 罪滅ぼしだと言ったその表情に嘘はなかった。
 しかしそれだけでもなさそうだ――そうハクオロは思ったが、追求はしなかった。

「それで、これから本人の意向を確認しに行くんだが……親代わりということで、名前も親ッさんが付けますか」
「ああ、実はもう考えてあるンだ」

 ウシシと頭を掻いて笑うその照れくさそうな顔に、なんとなくいつもの豪快さが足りない気がしたのは――ハクオロの気のせいだけだっただろうか。




※ ※ ※




 予想外の成り行きに驚いたけれども、俺は結局テオロさんからの申し出を受けることにした。

 大きな理由は三つ。
 まずはともかく、身元がはっきりしないとなにもできない、ということだ。
 みなしごの未成年、のままでは、仕事をしようにも任せてはもらえないだろう。しかしテオロさんは叛乱勢力の中心部に近い人物で、信頼もある存在のはずだ。仕事探しも多少は楽になるだろう。
 そして、テオロさんとソポクさんという、ハクオロさんやエルルゥら未来の要人と縁の深いこの二人の養子になるというのは、望外のチャンスのはずだ。

 そしてなにより最大の理由は……断れないって、こんな申し出。
 ハクオロさんといいテオロの親父さんといい、どうしてみんなこんなに優しいんだろう。こんなにいい人なんだろう。
 仕事探しがなんだ、未来の皇との縁がなんだ、というのはほとんど自分への言い訳に近い。

 正直に言おう。
 俺はこの人の子供になりたくなったんだ。

「……それじゃあテオロさんのことは、”親父”じゃなくて、”父さん”と呼んだ方がよさそうですね」

 俺がそう言うと、テオロ――父さんは一瞬きょとんとした顔になり、そのあと奥歯まで見えるほどの大笑いをした。

「親ッさんが”父さん”か。はは、意外な感じだけれど、案外似合ってるな」
「それじゃあソポク姉さんの事は”母さん”になるのかしら。……うふふ」

 ハクオロさんとエルルゥも笑っている。
 父さん母さんという呼び方だけでこれだけ笑いが獲れるというあたり、二人の世間のイメージがどんなものかを探る
いい材料になるな。

 そして、しばし笑ったあと父さんは言った。

「そんじゃあ父親として、お前ェに名前を付けてやる。いずれ本当の名前を思い出すまで、この名前を使いな」
「はい」
「お前ェの名前は 『アオロ』 だ。――文句は受付けねぇ」

 腕組みをしてそう告げた父さんに、俺は何度か口の中でその名をつぶやいた後……

「――はい!」

 俺は笑顔で頷き返したのだった。








[16787] うたわれぬもの  建国編  7  武人
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/02 23:56



 ピューーーイィ
 ピューーーイィ……

「そっちへ行ったぞー!」
「逃すな! 追え!」

 宵闇に包まれた林道の静けさを、兵達の怒声と甲高い呼子笛の響きが引き裂いている。
 場所はケナシコウルペ國中部にある、タトコリ峠。
 獣も迷うと言われる深い森と起伏の激しい地形の中をただ一筋貫くこの峠道は、建国以前より交通の要衝として有名である。

 当然そのような道には関が設けられ、街道の安全を確保するという大義名分の元に関手(通行税)を旅行者や商人らから巻き上げるための兵員が配置されている。
 関守という職は、決して軽いものではない。しかし――

「関破りたァね。ちっとは暇つぶしになりゃあいいんですがね、大将」
「――こちらに来ます。クロウはその影へ」
「了解!」

 ――少なくとも、一國の侍大将とその副官が直々に勤めなければならぬほどの要職でないことも確かである。

 チャヌマウでの叛乱勢力との戦闘で、ベナウィ率いる部隊はムティカパ(通称ムックル)の咆哮に統制を失い撤退していた。
 決して敗退などと評されるべきものではなかったのだが、遊興に明け暮れるインカラの頭脳ではそのふたつの区別はついていなかった。

 逆らう奴らは皆殺し、そうできなければ負け、という非常に明快な理論でもってインカラはベナウィの行動を評価し、能なし、腰抜けと罵った上で、彼をタトコリの関守という閑職に追いやったのであった。

 同時に侍大将の肩書きも皇甥ヌワンギに奪われたはずのベナウィであったが、なぜだか侍大将の職を免ずるという正式な降格手続きが取られることなく出立となったため、現在この國には侍大将が二人いるという不思議な状態になっている。
 同情する声、いい気味だと笑う声、この國は大丈夫なのかと不安がる声……様々なささやきが遠巻きにこの主従を包んでいたが、ベナウィはそれらに全く取り合うことなく左遷そのものの任地へ淡々と向かい、誠実にその職責を果たしていた。

 チャヌマウでの出来事からすでに旬日が過ぎ、部下をシゴき上げるのにも飽きたクロウがボヤき始めた頃――
 関破りを知らせる笛の音が鳴り響いたのであった。


 ガサリと藪が揺れて、若い男の顔が枝葉の合間から周囲を伺うように左右に振られる。
 泥にまみれ、擦り傷から血を滲ませたその顔はひどく焦っている。追っ手がここまで来ていないことを冷静に確認したつもりなのだろうが、現にこうして木陰に隠れて男を見つめているベナウィやクロウの存在に気づいてはいない。
 ……もっとも、気が付いたところで、すでに逃げ道などないのだが。

「ハァ、ハァ……よしっ!」

 追っ手から隠れて逃げるものが、かけ声など上げて走りだすものではありません。と、ベナウィは思う。
 そういう甘さといい、服装といい、顔立ちといい、この若者が逃亡兵や密貿易を企む闇商人などではないことは明らかだった。
 おそらくはどこかの集落の、単なる村人であろう。その推測に、ベナウィの心はわずかに重くなる。
 集落から出ることさえ稀な単なる村人が、こんな夜中に関破りなどという大それた事を働く理由に、ベナウィは心当たりがあったからだ。

 藪から飛び出て走り出した男が一瞬後方へ目をやった隙に、ベナウィはウォプタルを二歩だけ前へ進める。
 たったそれだけで、男の行く手は完全に塞がれた。
 急に目の前に現れたベナウィの姿に男はのけぞるように足を止め、たたらを踏むように数歩後ずさり、後方へ駆けだそうとして……

「あ……」

 そこには音もなく詰めていたクロウが、わずかに眉根を寄せた表情で立ち塞がっていた。
 月明かりに冷たく輝く得物を持ち、軍用のウォプタルにまたがる二人の武人に挟まれ、男の逃亡劇はこれで完全に詰んだ。たとえこの男の背中にオンカミヤリュー族のごとき翼があったとしても、飛び立つ前にその槍が
男を貫き地に落とすだろう。

 男は、己が陥った状況をまだ上手く理解できていないのかもしれない。ベナウィとクロウを交互にキョロキョロと見上げてはうろうろしている男の目に、ゆっくりとゆっくりと絶望の色が浮かびだすのをベナウィは見た。

 ……まだ、どこか幼ささえ残す顔立ちの若者だ。
 汗と泥と血にまみれたその顔には、純朴さが一目で見て取れた。殺さず奪わず貪らず、ただ太陽と森の恵みに感謝し日々を生きる、真っ当に暮らしてきた農民だけが持ちうる純朴さがそこにはあった。
 その頬が今、闇の中で絶望と恐怖に引きつり――

「行きなさい」

 瞑目してベナウィは言った。
 それを聞いたクロウは、えっと微かに声を上げベナウィの顔を見やり、主が本気であることを悟って頭を掻いた。

「ああっ! さっさと行けって言ってんだ!」

 声が荒ぶったのは、関破りを見逃すというベナウィの決定に不服があるからではなかった。
 クロウはその外見と普段の言動のせいで筋肉馬鹿の典型のように目されているが、決して頭の巡りは悪くない。
 このときクロウは、この「見逃す」というベナウィの決定が何を意味しているのかをほぼ正確に読みとっていた。

 見逃したのは、男への哀れみではない。良心が痛んだせいでもない。
 そんなものは二人とも、とうの昔に戦場に捨ててきた。そんなウェットな、生ぬるい感情で動く男達ではなかった。
 ベナウィが男を見逃したのは、この男がどこから来て、どこへ何をしに行こうとしているのかを悟ったからに他ならない。

(こりゃあウチの大将は相当、あのヘンテコな仮面の男に期待してるみてぇだな……)

 つまりは、これはベナウィによる叛乱なのだった。
 いくら罵られようとインカラに黙って仕えてきたベナウィだったが、その彼が今、インカラの敵に塩を送る決定をしたという事実は極めて大きい。
 とはいえベナウィ自身が叛乱軍側へ寝返ることはあるまいし、今後の叛乱軍との戦いで手を抜いたりも決してしないだろう。しかしそれは、ベナウィがインカラに忠誠を誓っているからではない。

 ベナウィが仕えているのは「この國」そのものであり、ベナウィにとって國とは民であった。
 つまり、叛乱勢力が単なる一時の勢いで終わらず、新たな秩序と平和を民草の上へもたらすのであればその方が良いとベナウィは考えていたし、クロウはそれを理解したからこその『ああっ!』であったのだ。

「いたかーッ!」
「あーコッチにはいねえ! 向こうを探すぞ!」

 呼ばわる足軽頭の声にクロウは応え、ベナウィの顔を一瞥すると何食わぬ顔で兵達のところへ去っていった。





※ ※ ※





 ベナウィは峠道を必死に駆けていく名も知らぬ青年の後ろ姿を一瞬だけ見送った。
 曲がりくねる険しい峠道は、すぐにその影の中へ男の姿を飲み込んでしまう。ここから藩城まではウォプタルで半日、人の足なら一昼夜というところだ。この先にも検問はいくつかあるが、どこもまともに機能していない。
 使者に選ばれるほどだ、あの青年は健脚自慢の若衆なのだろうし、明日の夜には藩城に――”あの男”の元へたどり着くだろう。

 見逃した関破りの青年が去り、クロウも去った。
 月明かりの青に沈む峠道に残されたベナウィであったが、彼は最前から背後の藪に潜むもう一つの気配に気が付いていた。
 ひどく巧みに気配を消しているので、クロウでさえおそらくは気が付いてはいまい。
 
「――待っていましたよ、チキナロ」
「やれやれ……あなた様の目はごまかせませんか」

 こちらを試していたのか、気づかれたことに苦笑するような様子で一人の男が藪の中から返事をしてきた。
 しかし藪の中から出てこようとはしない。ベナウィの部下がいつ現れても姿を見られることのないようにしている。

 実際、得体の知れない男である。
 暗器を扱う技や気配を消すことなど、商人としては不必要なほどこういう暗い技に長けている。
 しかし役に立つ男であることも確かだったし、報酬さえ弾めばこちらが望む商品をきちんと仕入れてくれる。
 ――たとえば、敵陣の情報など。

「それで、いかがでしたか」

 挨拶は不要とベナウィは報告を求める。
 茂みの奥にちらりと目をやると、微笑んでいるように見える商人の顔が葉影に紛れて見えた。しかし笑っているように見えるのは上げられた口角と口調のせいで、その細い目はすこしも笑ってはいないのだった。

「なかなか面白い御方でした。詳しい内容は……こちらをご覧下さい」

 かさり、と微かな音がして、木簡の巻物がひとつ地面へと置かれた。報告書ということなのだろう。
 それを横目で見やって、ベナウィは問うた。

「……チキナロ、あなたはどう見ましたか」

 ベナウィが聞きたいのは、報告書には載せなかったであろう、チキナロ自身の意見であった。
 反乱軍の情報などわざわざ高い金を払ってこの男に依頼せずとも、手持ちの情報だけで押さえ込む自信がベナウィにはあった。ベナウィがもっとも知りたいのは、反乱軍の弱点などではない。
 あの男――ハクオロのことだった。

 チキナロも、そのことを十分に分かっているのだろう。主語を抜いた質問であったにもかかわらず、わずかな沈黙のあとに的確に答えてきた。

「――惹きつけられるのです」
「……」
「一見そんな風には見えないのですが……惹きつけて止まないのです」

 ベナウィは内心驚いていた。
 この男が、誰かに心を惹かれたなどということを言うとは信じられなかった。
 そして何より驚いたのは――それが、チャヌマウで対峙してからの自分と、全く同じ意見であるということだった。

「……約束のものです」

 ベナウィが腰から放って寄越した金袋を両手で受け止め、商人は藪の奥で笑った。

「お代は確かに――毎度ありがとうございますです、ハイ!」

 商人らしい猫なで声で告げられた最後の決まり文句が実に空々しい。
 得体の知れない奴だという念が一層強くなるが、仕事さえ信頼できればそれでよい。
 商人が金袋を抱えたまま後ずさるようにして闇の中へ去って行った後、ベナウィは槍の穂先で木簡をすくい上げた。
 しかし、その場で開いて読むようなことはしない。関へ帰り、人払いをしてから読むとしよう。
 ベナウィは木簡を懐に収め、ウォプタルの頭を巡らせた。



 帰り道、ベナウィはふと夜空を見上げた。
 樹と岩ではさまれた狭い夜空だったが、透き通るほどに晴れていて星がよく見えた。

 ベナウィは占いを信じない。星読みをしてこれからの國の行方を占おうというつもりではなかった。
 しかしもし、占師が主張するように人の運命(さだめ)が星辰によって支配され導かれているというのなら――

(愚かな皇を支え数多の兵を戦に導き、叛乱の長に心惹かれ敵を見逃す――随分と半端なことしていますね、私は)

 ――この自分の役回りは、いかなる星の導きだというのだろうか。
 埒もない、と小さく息をついて、ベナウィは思いをさまよわせるのをやめた。

 あの青年がハクオロの元にたどり着けば、必ずここを攻めてくる。
 彼はそれに備えなければならない立場であったし、そこで手心をくわえるつもりはベナウィには一切無かった。

(ハクオロ――あなたが真に皇の器ならば、この程度の試練、打ち破って見せなさい)

 ――自分はディネボクシリ(地獄)に堕ちるだろう。
 チャヌマウでの別れ際、ハクオロが言った言葉をベナウィは思い出していた。

 それでも、成さねばならぬことがある。
 ベナウィは今、そのために闘っているのだった。 
 




※ ※ ※





「ずいぶん良くなりましたね。傷口も乾燥して堅くなったし、この調子だとあと数日で巻き布を外せそうです」

 エルルゥが背中の傷を見ながらそう言ってくれた。
 自分で背中を見られないのは残念だが、順調に治っているのは実感できる。盛り上がる新しい肉がかさぶたの周囲の皮を引っ張って近頃痛いやら痒いやらなのだ。
 食事の方も今はがっつりと普通のものを食べている。兵士や肉体労働をする人以外は一日二回、朝夕のみの食事というこの世界の食事習慣だが、俺は怪我人だからと皆さんの好意のおかげで昼食まで頂いている。

「エルルゥさんのおかげです。本当に、ありがとうございます」
「アオロさん、もうお礼はいいですから。それよりも、きちんと完治するまでこないだみたいな無茶はしないで下さいね。ノノイから聞いた時ビックリしたんですから」
「あはは……反省してます」

 こないだした無茶、というのは数日前に夜中こっそり行った筋トレの事である。
 足がこんななのはもう仕方がないのでせめて腕力で補おうと、寝てばかりいてヒマだったこともあり上半身の強化に取り組んだワケだが……
 結果、傷口が開いて出血、発熱。ノノイに怒られソポクさんに呆れられ、テオロさんに頭を撫でられた。

「ねぇエルルゥ。巻き布を外せるようになったら、アオロはあたしらんとこに引き取っていいんだろう?」

 親子になったその日以来、頻繁に顔を見せてくれるようになったソポクさん――母さんがエルルゥにそう尋ねる。

「はい。かさぶたの周りがまだ少し赤いので、これが引いたら大丈夫です。というか、こないだのアレがなかったら今日にもこの部屋をでれたんですよ?」
「誠に申し訳ありませんでした……」

 平伏して許しを請うしかない俺だった。
 とはいえ、乾燥させたカリンの種を握りしめて握力を鍛える訓練は今でもこっそり続けてるんだけどね。

「さて、あたしはそろそろまた厨に戻るよ。エルルゥ、ハクオロに会ったらチカの仕入れを頼んどいておくれ。できればネウの乳と肉も。ああ、塩も足りなくなってきたね」
「はい、伝えます。お疲れ様ですソポク姉さん」
「あんたほどじゃないさエルルゥ。うちの子の面倒見てくれるのは嬉しいけど、あんたが無理しちゃだめだからね?」

 立ち上がってそう言う母さんのエルルゥを見つめる目はとても優しくて、温かかった。
 はい、ありがとうございますと答えるエルルゥの表情もまた温かく、それは二人の間にある肉親のような確かな絆を実感させてくれるものだった。

「エルルゥ、お水持ってきたよー。あ、ソポクさん行っちゃうの?」

 そこにタライを抱えたノノイが帰ってきた。
 お団子の髪を包む布が今日は薄い青になっている。これがこの娘のオシャレポイントだと最近気が付いた。

「そろそろ夕飯の仕込みだからね。ノノイ、うちの子がまた馬鹿なことしでかしたら遠慮なく殴ってかまわないからね」
「母さんっ!?」
「あっははは! そうします!」
「うわっ、すっげえいい返事だし!」
「当たり前さ、ソポクさんはあたしらヤマユラの女衆みんなの姉みたいなモンだからね」

 そう言って俺のそばにタライを下ろすノノイ。

「さて――アオロ、体拭くから脱ぎな」
「もう脱いでるよ」
「下もさ」
「いやいやいや、それはさすがにもう自分で拭けるから! というか自分でさせて」
「――アオロ?」

 母さんの怖い声。

「観念しな」
「下帯までは脱がなくていいですから」
「ちょっ! ちょっ! やめっ……ああっ!?」


 ――大体こんな感じで、日々は過ぎているのだった。
 とはいえこの平穏が破られる時が近いことを俺は知っているし、皆も知っている。

 俺たちは今、戦をしているのだ。







[16787] うたわれぬもの  建国編  8  出陣
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/16 02:26
 
 
 
 チキナロからの報告書は、いつも通り充実したものだった。

 叛乱勢力の兵力や訓練度合い、物資の備蓄まで、概数ではあるが信頼できる数字が示されている。
 また首脳部の構成や名前を知れたのも大きい。ハクオロ、オボロ、テオロ――あたりはすでに知れていたが、ヤムド、イコロハシヌ、ヒバラウンケなど東部北部の豪族の長の名までもが含まれているのは新しい情報だった。
 これからすると、叛乱勢力はすでに國の北東四分の一以上を実効勢力下に置いていると考えて良いだろう。

 単なる辺境の叛乱、という規模をすでに越えている。

 乱の発生からおよそ一月。人・物・金・領土――勢力は急激な成長を遂げている。
 しかし、ただそれだけでベナウィは乱を恐れはしない。急激に膨張した勢力は組織構築が追いつかず烏合の衆と化し、整然とした正規軍の制圧に耐えきれずやがて自滅するのが常だからだ。

 しかしあの男――ハクオロと名乗ったあの仮面の男の率いる此度の叛乱は、違う。
 急激な勢力の膨張を巧みに制御し、癖の強い豪族達をよく従え、兵を鍛え民を養っている。

 関の自室で、質の悪い光石のもたらす薄暗い灯明を頼りに報告書に目を通すベナウィは、ただ一度相見え言葉を交わした男の瞳を思い出す。
 強い意志と、深い知恵、そして人を惹きつける穏やかさと聡明さ。そして奥に秘められた――激しさ。
 それは悟りを開いた高僧のようでもあり、同時に、己の罪と世界の謎に悩める行者のようでもあった。

 ――ハクオロ、貴方は何者なのですか。

 ヤマユラが叛乱を起こしササンテの屋敷に攻め寄った時、ベナウィはそこにいた。
 捕らえられていたオボロの鎖を切ったあの時はハクオロの存在など知らず、攻めてきたのはオボロを族長とするあの一族のものたちが中心だと思っていた。そして、血筋は良いが怒りにまかせ力を振るうしか知らぬあの若者が
起こす叛乱ならば、自分が出向かずともすぐに収まると考えていた。

 ヤマユラに、あんな男はいなかったはずである。そして、ヤマユラなどにいるはずもない才能である。
 否、この國のどこにも――あのような男がいれば、とっくの昔に噂なりと耳に入っていたはずであるのに。

 ――重傷にて記憶を失い、トゥスクルに助けられヤマユラに居着く。

 報告書にはそう記されている。

 ――ヤマユラの民のみならず、麾下の部族からの信望極めて厚し。
   とりわけオボロは「兄者」と呼ぶなど心酔している様子……

 トゥスクルから跡を託され、あのプライドの高いオボロに忠誠を誓わせる。
 これは偶然なのだろうかとベナウィは思わずにいられなかった。これは誰かがハクオロを歴史に押し出すために描いた筋書きに沿った出来事なのではないだろうか。
 理性は否という。そのような謀事が人の身で成し遂げられるとは考えられぬ。しかし……


 そこで、ベナウィは報告書の終わり近くに記された記述に目を止めた。

 ――チャヌマウに生存者あり。元服前の少年ただ一人のみとの旨。

(まさか――)

 この生き残りという少年が”彼”であるとは限らない。
 しかし、もしそうであるとしたら。

(――偶然であると、私は本当に信じられるでしょうか)


 読み終えた巻簡を火にくべて灰になるのを見守りながら、ベナウィはいつまでももの思いにふけっていた。




※ ※ ※




 エルルゥの許可がついに降り、明日からテオロさんたちの部屋へ移ることが決まったその夜。
 食事をする俺のそばで、厨仕事を終えてやって来た母さんと俺の食事を運んできてくれたノノイがしゃべっているところに、テオロさんがやってきた。

「お、飯か。美味いかァ?」
「父さん」
「お疲れ様です、テオロさん」

 俺とノノイが挨拶するのを鷹揚に受けて、父さんは俺の傍ら、母さんの隣にどっかと腰を下ろした。

「なんだい、今夜の話し合いはずいぶん早く終わったもんだね。茶でも飲むかい?」

 勢力の主立ったものたちを集めての話し合いは割と頻繁に行われているが、それでも毎度夜が更けるまで続くのでこんな月も昇りきらない時間に父さんが戻ってくるというのは珍しいことだった。
 そして、いつにない出来事が起きたということは――

「いや、茶はいらねえ。弁当を頼むぜ、カアちゃん」
「――出るのかい」

 表情を引き締めた母さんの言葉に、父さんは黙って頷いた。
 戦、ということだ。……順番的に、タトコリ攻めか。
 原作の展開を思い出しながら俺が二人のやりとりを見ていると、隣にいたノノイが急に立ち上がった。

「どうしたの?」
「兄さんのとこ、行ってやらなきゃ」
「――そうだね。ターの奴も今頃準備始めてるだろうから、行っておやり」

 ノノイの話に時折出てきた「兄さん」というのが、あのウー、ヤー、ターの三人組の一人、タァナクンであると知ったのは最近の事だ。
 原作ではちょっと気弱そうで、優しい顔立ちのキャラだったけれど、実物は――めっちゃいい人だった。
 ウーさんやヤー爺さんと一緒にこの部屋に会いに来てくれたときも、なんかほわわんとした空気を醸し出していて、大いに俺を和ませてくれた。そんな兄のことがノノイは心配で「頼りにならない」とか「笑ってないでたまには怒りな」なんてうるさいことを言ってしまうようだけど、実際のところ非常に仲の良い兄妹だと思う。
 ――そうか。みんなも、出るんだったな。

「出発はいつなんで――いつなの? 父さん」

 他人行儀な敬語禁止を言いつけられていたことを思い出して途中で言葉遣いを改めながら問うと、父さんは俺と、そして立ち止まったノノイを見やって口を開いた。

「準備ができ次第、すぐだ。――オボロんとこの若衆はもう何人か先に行っちまった」
「もう?! ――すいませんソポクさん、あたし行きますっ」
「そうしな。足りないモンあったら言うんだよ!」
「はあい!」

 だだだっという勢いの良い足音と共にノノイが走り去っていく。そこで初めて気が付いたけれど、城内の雰囲気が急に慌ただしくなっている。
 これが、戦。
 俺がこの世界に来て初めて――いや、生まれて初めて感じる、本物の、戦争の空気。

「……アオロ?」

 腹の底から、一瞬震えが来た。
 戦争映画やスプラッタなアニメなんかはよく見てたから耐性あるかと思っていたけど、実際は全然違った。
 動物番組で蛇を見るのと、この部屋のどこかに蛇がいると教えられるのの違い、みたいなもんだ。
 大丈夫、父さんはこの戦いで死んだりしない、ちょっと怪我はするけど……そう分かってはいるけど、恐ろしかった。
 震えた体を母さんに見られてしまったけれど、俺はこほんこほんと咳をしてごまかした。

 慣れなければいけない。
 いや、慣れるだけじゃダメだ。それじゃ足りない。遅い。間に合わない。
 俺は密かに腹の底に気合を入れて、原作に干渉を開始する。

「そういや父さん、随分と急な出陣だけど、なんか理由があったの?」
「そうだよ。それもこんな暗くなってさ。どうしたんだい?」

 俺の食器を片づけながら母さんがそう言ってくれた。助かる。
 父さんは腕組みをして、それに答えてくれた。

「それがよ、俺らとアンちゃんで話し合ってたら、関の向こうから来たってェ傷だらけの若衆がやってきてよ」
「関の向こうから?」
「おお、これまでタトコリの向こうがどうなってるのかがサッパリ分からなかったけどよ、どうやら向こうもこっちと同じか、それ以上にひでェ有様らしいぜ。そんでアンちゃんが今から出るって決めたってワケよ」

 父さんの説明はかなり順序が吹っ飛んでるけれど、重要なポイントは押さえている。
 アニメの順序通りに物事が動いていると考えて良いだろう。
 ならばこそ――介入できる。

「そうなんだ……その人もよく、タトコリを越えて来れたね」
「ああ、なんでも峠の麓にあるチクパカって村の奴らしくてよ。そんなら森の道なんて詳しいのも当然だわな」
「ふうん……それ、ちょっと気になるなぁ……」

 俺はなるべく自然な疑問に聞こえるように言った。
 緊張と興奮で心臓が高鳴るのを自覚するけど、もう止められない。
 すべては俺と、この子と、みんなの未来のためだ!

「気になるって、何がよ」
「うーん、どうでもいいことかも知れないんだけどさ。――父さんはヤマユラの森で育ったんだよね?」
「おう、生まれも育ちもヤマユラよ。あの森のことなら何でも知ってるぜ」

 自慢げに言う父さんが可愛い。
 この人はごついオッサンなのになぜだか可愛いのだ。

「そうなんだ。俺もいつか行きたいなぁ……じゃなくて。そのチクカパ村の人にとってはタトコリ峠の森は、父さんにとってのヤマユラの森みたいなものなんだよね?」
「そうなるわな」
「父さんは、満月で明るい夜にヤマユラの森を走って――傷だらけになる?」
「馬鹿言うんじゃねェ。オレなら目ぇつぶっても……!」

 父さんの顔が急に怖い表情になる。
 その表情のまま俺をこっちを見るからビビったけど、俺も負けてられない。

「アオ坊……何が言いたいんでェ」
「気になるだけさ。でもきっとその人は――大事なことを言い忘れている」

 母さんまでもが真剣な表情で俺を見ている。
 俺は父さんと睨み合ったまま、本題を切り出した。

「父さん母さん、お願いだけど……ハクオロさんと、その村の人に、会わせてもらえないかな。俺、どうしても気になるんだ」






※ ※ ※





「アンちゃん、ちっと邪魔するぜ」

 不安そうな顔のエルルゥに手を借りながらハクオロが出陣の準備を進めていると、先ほど部屋を出て行ったはずのテオロが、彼の息子となったあの少年と一緒に部屋に入ってきた。

「テオロさん。アオロくん」
「……どうしたんです、親ッさん」
「いやそれがよ、うちの坊主がちっと気になること言うもんでよ。アンちゃんと、ついでにさっきのチクカパ村のなんとかって奴の話を聞かして貰いに来たってわけよ」

 気になること……?
 戦を目前に控えたこの時に、子供の言うことに耳を貸している時間は無い。
 だが、テオロの表情が口調に釣り合わぬほど真剣なのと、テオロの腕に捕まって歩いてきたらしいアオロの目の光が気になって、ハクオロは話を聞くことにした。
 隣室で休ませているチクカパ村の若者を、エルルゥに呼びにやらせる。

「――それで、話とはなんだい」

 エルルゥが彼を連れて戻るまでの間に、話を聞いておこう。そしてもし、アオロがつまらぬことを言って邪魔をしているようなら、釘を刺しておくべきだろう。
 ハクオロはそう思っていた。

「忙しい時に、準備を妨げて申し訳ありません、ハクオロさま」
「大事な用件なんだろう? 遠慮はいらない。なんでも話してくれ」
「わかりました。結論だけ言います――今回のタトコリ攻めは、おそらく罠です」 








[16787] うたわれぬもの  建国編  9  質疑
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/16 02:36

 タトコリ攻めは、罠――。

 顔の左側に残る火傷の跡を引きつらせ緊張した面持ちでそう告げた少年の言葉は、背伸びしたがる子供の差し出口にしてはやや剣呑に過ぎた。
 しかし隣にいるテオロが驚いていないところを見ると、すでに彼ら親子の間では話してあるのだろう。そしてテオロやおそらくは一緒にいたであろうソポクらはその話に信憑性を感じたからこそ、この一刻を争う時に自分の元に連れてきたのだ。

 ハクオロは一瞬目を閉じて考え、それから穏やかな声で問い返した。

「どうして、君はそう思う」
「関向こうのチクカパ村から、峠を越えてやって来た使者がいたと聞きました。気になったのは、その人が傷だらけだったということです。チクカパはタトコリを含むあの一帯の森を生活の糧を得る恵みの森としていると聞きます。父さんたちヤマユラの民にとっての、カカエラユラのように」

 カカエラユラ――懐かしい場所だ、とハクオロは思った。
 エルルゥと薬草を摘みに行ったのは、ムティカパ退治にテオロと森の奥に分け入ったのは……時間で言えばついこの間だというのに。

「生まれ育った森を抜けたのに、なぜそんなに傷だらけになったのだろうか、とそれが気になるのです。昼間ならなおのこと、夜でも昨夜は今夜と同じ、月の明るい夜でした。使者に選ばれるほどですから森に詳しい人でしょうし、不自然だと思いました」

 ほう、とハクオロは声を上げかけた。
 帯(トゥパイ)も締めぬ少年と思いきや、その謂いにはなかなかに筋が通っている。
 しかし、まだ分からない。この少年が何を、どこまで考えているのか……

「……しかし森の獣道を急いで走れば、枝や葉で切り傷を作ることはそれほど不自然ではないだろう」
「その通りです、ハクオロ様。おそらくは傷の原因はそういった、急いだが故の傷でしょう――気になるのは」

 少年は膝の上で握った拳に力を込めて、ハクオロを強い目で見つめた。

「その人は、なぜそんなに急ぐ必要があったのか、ということです」
「――ほう」

 ついに声に出てしまった。ハクオロは軽く目を見開いた。
 認識を改めるとしよう。この少年は――少なくとも背伸びをして大人の戦に口出しをしているだけではなさそうだ。

「助けを求める使者が、急ぐのが不思議かい」
「テオロさ……父から聞きましたが、その人の伝えてきたことは、関向こうの勢力が傘下に加えて欲しいと願っているということですよね。たしかに重要な用件ですが――傷だらけになってまで、つまり枝や茂みにぶつかる物音をたてながら森を駆け抜けなければならないほど一刻を争う用件というわけではありませんよね。むしろ敵に捕まって秘密が漏れるのを恐れて、静かに、慎重に進むはずではないでしょうか」

 少年の横で腕組みをしているテオロは、目を閉じて顔をしかめている。
 こちらをまっすぐに見つめてくるアオロに目を合わせ、ハクオロは気が付けば手元で弄んでいた鉄扇をパチリと鳴らして言った。

「それで――君の予想が正しいとして、彼が傷だらけになった本当の理由は何だと君は言うのかい」
「関の見張りに、見つかったのだと思います」

 しん、と部屋に沈黙が落ちた。
 窓の外から聞こえる出陣の準備のざわめきが、その沈黙を一層際だたせる。
 少年はその瞳に込めた力をいささかも揺るがすことなく、しばしの間の後に言った。

「――罠とはそのことです、ハクオロ様。敵は襲撃を予想して、待ちかまえていることでしょう」
「ふむ……」

 少年の話を聞き終えたハクオロが、言葉を返そうと口を開きかけたその時、荒々しい足音が部屋に入ってきた。

「――兄者! 俺たちはいつでも出れるぞ!」

 出陣準備完了を告げに来たオボロだった。帯に二刀を差し込み、鈎の付いた足袋と革の手甲に身を固め、すでに臨戦態勢だ。
 ハクオロに呼びかけつつ勢いよく入ってきたオボロは、室内から一斉に向けられた視線に一瞬たじろいだ。

「な……なんだ。親父さんに――子供?!」
「オボロさま、お邪魔しております」
「ああ、傷はもう良いのか――っとそうじゃない! 何の用だかは知らないが、今は忙しいんだ! 後にしろ!」

 殺気立つオボロは邪険にアオロへ手を振る。
 確かにオボロの言う通り、出陣の時刻は迫っている。今すぐにでも出なければ、夜明けに間に合わないかもしれない。
 しかしハクオロはオボロに呼びかけた。

「まあ座れオボロ。タトコリ攻めに関係ある話だ」
「まさかアオロを戦に連れて行くなどというんじゃないだろうな、兄者」
「いやそうじゃない。アオロは親ッさんから話を聞いて、チクカパ村の彼は関を抜ける時に見張りに見つかったのではないかと考えているんだ。それでタトコリの関守はこちらの襲撃を予想して守りを固め、待ちかまえているのではないかと心配してそれを言いに来てくれたんだ」
「奴らが待ちかまえてるだと――?」

 ハクオロの傍らにまでやってきたオボロは、立ったままアオロを見下ろすように見やり

「――それがどうした」

 と、事も無げに言った。

「待ちかまえていようがなんだろうが、力で食い破るまでだ。重要な場所とはいえ、所詮、城でも砦でもないただの関に過ぎん。関の向こうも援軍に駆けつける以上、もはや俺たちの勝ちは動かんが、それでも兄者はなるだけ犠牲をすくなくするために、速攻、夜明けの奇襲を決めたんだ。そんなことを気にする暇があったら、少しでも早く出発すべきだ!」
「……そういうことだ、アオロ」

 腕組みをして叩きつけるように言い放ったオボロの言葉にハクオロは小さく頷いて、目の前の少年にむしろ優しく語りかけた。

「敵がこちらの襲撃に用意しているだろうことは折りこんだ上で、私は出陣を決めた。遠からず単独でも攻めるつもりだったが、チクカパ村の彼のおかげで関の向こうの応援も得られることが分かったので、予定を少し早めたに過ぎないんだ」
「そうだったのかィ……」

 ううむ、と唸っているのはアオロの後ろにいたテオロだった。
 ハクオロはふっと微笑み、膝立ちになってアオロの肩に手をかけた。

「アオロ。お前がその歳にしては驚くほど智恵働きができることはよく分かった。戦が終わったら良い師を探してやろう。お前ほどの理解力があれば、すぐに算法論の三学に通じるようになるだろう。だから今は焦るんじゃない。いいね」
「――さすがはハクオロ様です。恐れ入りました」

 観念したかのような少年の言葉に、これで話は終わりだと誰もが思った。
 だから、アオロが言葉を続けた時に皆が眉をひそめた。

「しかしながら、あと一つだけ、お尋ねしたき事がございます!」
「アオロ」
「坊主!」
「……わかった、言ってみなさい」

 テオロがたしなめ、オボロが怒鳴る。強面の大人二人の叱責に、しかしアオロはハクオロを睨むような視線を動かさない。
 そのひたむきな視線に負けて、ハクオロは浮かせかけた腰を下ろして話を促した。
 アオロは床に打ち付けんばかりに礼をして、それから、奇妙なことを言いだした。


「それで、そのチクカパ村からの使者は――関の見張りから、無事に逃げおおせたのでしょうか」









[16787] うたわれぬもの  建国編  10  青年
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/16 02:42
「何をいうかと思えば」

 オボロは笑った。

「逃げられていなければ、ここにいるはずがないだろう。すぐに殺されるに――」
「いや」

 ハクオロはそこでオボロの言葉を遮って、顔に片手を当てて考え始めた。

「兄者……!?」
「アオロ、君は――何を考えている」

 厳しさを増した視線でハクオロは目の前に座る少年を見つめる。
 少年もまた、これまでになく力強い視線でそれに応え、床に手をついたまま言葉を返した。

「誤解しないで欲しいのですが、私はチクカパ村から来られたという使者の方が本物かどうか怪しんでいるわけではありません。……ここから先は、私も確信があるわけではないのです。ただ――」
「ただ?」
「使者の方は、なにか重要なことを、そうと思わず皆さんに話しておられないのではないかと」

 ハクオロは目を細めてアオロを見据えた。
 その目はすでに、子供を見る目ではなかった。

「……どうしてそう思う」
「違和感があるんです。峠越えは確かに難行で危険ですが、地元の森の民なら警備の隙もよく知っているでしょう。いつもとは違い重要な使命を帯びた使者ならばなおのこと詳しく、巧みであるはずです。なのに発見され、追い回された――」

 そこで再びオボロが笑った。

「気にしすぎだ。ドジを踏むことは誰にでもある。俺ならそんな無様なマネはせんがな」
「おっしゃるとおりです、オボロ様。しかし別の想像もできるのです」
「別の想像? なんだそれは」
「警備体制の急な変更、そして強化。――だからこそ、以前の警備の穴を突いた彼の峠越えは見つかったのではないかと」

 緊張で喉が渇いたのか、アオロは喉をごくりと鳴らせてつばを飲み込み、問わず語りを続ける。

「それを事実と仮定するなら、ではなぜ急に峠の警備が急に強化されたのか、という疑問がわきます。インカラの兵は往々にしてこちらを見くびり、私たちの叛乱を土民の叛乱にすぎないと侮っていると聞きました。なのになぜ急に――」
「――ハクオロさん」

 そこに今度はエルルゥが戻ってきた。傍らに憔悴した表情の、背の高い青年を連れている。
 チクカパ村からの使者となったその若者は部屋の入口で、不安そうな顔で室内を見回した。

「フマロさんをお連れしました」
「あ、あの……何か……」

 室内に漂う緊張した空気に怯えたような青年に、ハクオロは口元を微笑ませ招き寄せた。

「休んでいるところをすまない。ただ、君が峠を越えてきたときの話をもう少し詳しく聞きたいと、彼が言うものでね」

 ハクオロはそう言ってアオロを見やった。

「この子はアオロ。そこにいるテオロさんの息子だ。――アオロ、彼がチクカパ村からの使者、フマロだ」
「アオロと申します。フマロ様、お疲れのところ申し訳ありません」
「フ、フマロです」

 フマロと呼ばれた青年は、紹介されたのが顔に火傷の痕がある元服前の少年なのに驚いた様子だったが、丁寧なアオロの挨拶に気圧されたように挨拶を返し、エルルゥに勧められるままにハクオロとアオロの中間に腰を下ろした。合わせてそれまで立っていたオボロもハクオロの傍らに無造作に座った。

 フマロの傷だらけの手足や頬は、すでにエルルゥによる手当が行われ出血は止まっているが、赤い傷痕が縦横に走っておりなんとも痛ましい。ハクオロはその傷をちらりと見て、咳払いをして話し出した。

「さて、話の途中だったが……アオロ、本人が来た以上仮定の話はここまでにして、君が聞きたいことを彼に直接聞いてみたらどうだい」
「――はい、ありがとうございます」

 アオロはハクオロに一礼すると、座ったままフマロと向き合うように腰をずらして、再び頭を下げた。

「フマロ様。私のような子供がこの場にいることに驚いておられるとおもいますが、時間がございませんので前後の説明を飛び越してお尋ねいたします。フマロ様がタトコリの関を抜けた時のことです」
「は、はい」
「フマロ様はその時、関の見張りに見つかって兵たちに追われましたか?」

 ハクオロ、オボロ、テオロの視線が集まる中、チクカパ村の青年フマロは実にあっけなく首を縦に振った。


「あ、はい。関の奴らが沢向こうまで見張りに来てて……これまでそんなことなかったのに……」


「フマロ様、重ねてお尋ね致します!」

 フマロの言葉にオボロたちがざわめくのをアオロは声を大きくして制し、それから核心の質問を投げかけた。

「フマロ様はその時――追っ手から逃げ切ることができましたか?」
「――いえ」

 そのときの恐怖が蘇ったのか、顔をしかめてフマロは首を振った。

「狭い峠道で、前後ろを挟まれて――あのときはもうダメだと思いました」
「前後を。それなのによく脱出できましたね」
「はい……。でも、なぜかは分からないですけど、『行きなさい』って言って、見逃してくれたんです」
「なんだって」

 たまらずハクオロは口を挟んだ。

「『行きなさい』……確かにそう言ったのか」
「え、ええ……殺されると思っていたから信じられなくて……そしたら後ろにいたゴツい人が『さっさと行けって言ってんだ』とかなんとか乱暴な感じで言うので、それで一目散に走ってきました」
「その口調……まさか……」
「ハクオロ様、どうかされましたか」

 ハクオロは驚きに仮面の奥の目を見開き、鉄扇を強く握りしめた。
 アオロの呼びかけにも気づかない――だから、アオロの口元に微かな笑みが浮かんでいることにもまた、気づけない。

「フマロ、お前を見逃してくれた兵は――白いウォプタルに乗っていなかったか」
「そう言えば……はい。確かに」
「何だとッ!!」

 フマロの言葉に爆発的に反応したのはオボロだった。床を蹴ってフマロに掴みかからんばかりに詰め寄って怒鳴る。

「貴様! なぜそれを黙っていた!」
「ひっ! も、申し訳ありません……!」
「アイツが、アイツがタトコリにいるだと……。兄者! 今すぐ出るぞ! アイツの首は俺が取る!」
「落ち着け! オボロ。……すまないなフマロ。しかし、こいつの言うとおり、なぜ話してくれなかった」
「も、申し訳ありません! まさかそんな大事なこととは思わず……」

 そのフマロの言葉に、ハクオロは聞き覚えがあった。
 ハクオロは目線をほんの少し横に動かして、今はフマロを見つめながら何かを考えている様子の少年を見た。
 『そんな大事なこととは思わず』 ――アオロはその理由をすでに予測していたのではなかったか。

(この子は……)

 ハクオロが内心感嘆のつぶやきをもらした時、アオロの目がハクオロの方を向いた。

「ハクオロ様。峠でフマロ様を見逃してくれたという兵に、お心当たりがおありですか」
「――ある。おそらくその二人は、ベナウィとその部下だろう」

 チャヌマウで会った、と言いかけてハクオロは言葉を飲み込んだ。
 目の前にいるこの少年は、そのチャヌマウの唯一の生き残りであることを思い出したのだ。

「ベナウィ……オボロ様が驚いておられましたが、その方は元からタトコリの関にいた人ではないのですか」
「いや、奴はインカラに仕える侍大将……なぜだ、なぜ奴がタトコリにいる。まさか本当にこちらの襲撃を予測して…」

 待ちかまえているのか。
 そう言いかけて、その話もすでにアオロと交わしていることにハクオロは気が付いた。
 罠だ、とアオロは訴えに来たのだ。
 ――待ちかまえているのだ。兵を揃え、杭を打ち、かがり火をたいて。

 あの男がいるのは計算外だった。
 ハクオロは鉄扇をきつく握りしめた。
 勝算はあった。オボロが言ったとおり、敵が待ちかまえていようとなんだろうとかまわずに関を落とす自信はあった。
 しかし……あの男がいるのなら話は変わる。
 ハクオロはチャヌマウでただ一度対峙しただけだが、その一度でさんざんに打ち破られた。アルルゥが来てくれなかったら、すでにこの命はなかったはずだ。

 とはいえすでに作戦は動き出している。ドリィとグラァは今頃命がけで山を越えていることだろう。今さら変更も中止も出来ない。
 どうすれば――と考え出したハクオロに、ふたたびアオロから言葉がかかった。

「ハクオロ様。タトコリの関は、侍大将が直々に護りに出るような重要な場所なのでしょうか」
「……今に限って言えばそうだろう。私たち叛乱勢力が國の中央へ進出するのを妨げるには最適の場所だ」
「そうですか――しかし、それでは少しおかしいのではないでしょうか」
「おかしい、なぜおかしいと……!」

 アオロの言葉に問い返しかけて、ハクオロも気が付いた。

「そうだ。たしかにおかしい」
「兄者、アオロも、いったい何の話をしている。さっぱりわからんぞ」
「俺もだ、アンちゃん。なぁアオ坊、そのベナウィとかいう大将がタトコリにいるのがそんなにおかしいのかィ」
「いいえ、父さん」

 テオロの問いかけに、アオロはわずかに表情から力みを消して応えた。

「おかしいのは、その人がタトコリにいることそものじゃなくて――」

 その目は、傍らできょろきょろしているフマロを捕らえた。


「こちらの襲撃に待ちかまえているならなぜ、フマロさんを見逃したのか、ということです」









[16787] うたわれぬもの  建国編  11  献策
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/16 02:49
「なぜアイツが見逃したのか、だと?」

 オボロは頭を掻きむしってイライラと吠えた。

「そんなモン知るか! おおかた余裕こいて俺たちをナメてるのさ。そんなことより兄者、今は一刻も早く――」
「静かにしろオボロ。時間が大切なのは分かっている。だが」
「……なるほどなァ」

 野太い言葉で理解のつぶやきを漏らしたのはテオロだった。

「父さん?」
「わかったぜアオ坊、お前ェがさっきからおかしいって言ってることがよ」
「な゛っ……」

 意外な人物の意外な言葉に絶句したのはオボロだった。
 幸いテオロの耳には届かなかったらしく、テオロは腕組みしながら続けた。

「そのベナウィとかいうお偉い大将が、今はタトコリにいて、そいつが守りを固めてるってワケだ。そいでそのせいでいつもならカンタンに峠を抜けられるこのフマロが見つかって追い回された。その挙げ句、大将が直々に捕まえた。
 大将はなんとしても峠を守って、俺たちを中央の連中と手を組ませないためにいるはずだわな。しかしそんなら……せっかく捕まえたヤツをわざわざ見逃すのはおかしいわなァ」
「そう、そうなんです父さん!」

 アオロは嬉しさと驚きの入り交じった表情で大きく頷いた。
 ハクオロも内心驚いていた。否、フマロを除きこの場に集う皆が一様に、常々「俺ァ考えるのは苦手でよ」を口癖にしている人物の見せた意外な知性の輝きに、驚きの念に打たれていた。

「そのベナウィという武人は、きっととても優秀な方なのでしょう。叛乱勢力の集合を妨げるのにタトコリを押さえるのが有効であることを察して守りに来た、そしてわずかの間に森の民も通さぬほどの警備体制を敷いた。そのいずれの行動も、他のインカラ兵とは異なり、私たちへの侮りや慢心は感じられません。しかしそれなら……フマロさんを見逃す理由は無いはずです」
「フマロ、お前を捕らえ、そして見逃すときの武人たちの様子はどうだった」
「えっ……は、はいっ」

 キョロキョロしていた青年は、ハクオロの急な問いかけに床に手をついて答えた。

「そう堅くならなくていい……それで、どうだった。どのようにお前は捕まったのか。見逃す時何かたくらんでいる風だったか。表情や言葉遣い、なんでもいい。教えてくれないか」
「はい……関の兵たちに追い回されたわたしは、それでも細い抜け道を通ってなんとか追っ手を撒くことができ、あと少しで峠を抜けられると思いました。しかし、峠の終わりに一カ所だけ、表の道に出なければ通れない場所があるのです。もちろん、道に出る前に兵がいないかは確認しましたが……いないと思って走り出して、一瞬目を後ろにやって戻した時には、まるで幻術みたいに白い騎兵が目の前にいました」

 恐ろしい記憶を呼び起こしているせいか、青年の顔は強張り、言葉は途切れがちだった。
 そしてハクオロは、そんな青年の語る様子をじっと見ていた。

「あっと思って足を止め、後ろに逃げようと振り向いたらそこにはもうゴツい体格の別の騎兵がいて……」
「では、お前を捕らえたのはその二人の騎兵だけなのか」
「はい。他の兵はいませんでした」

 その答えに、アオロが唇を噛んでまた何か考え始めるのをハクオロは目の端で捕らえたが、話を続けさせた。

「――続けてくれ」
「はい……前の人も、後ろの人も、すごく怖い顔でわたしをじっと見つめていました。だからわたしはてっきり殺されるんだと思って……手足が震えて、座り込みそうになったときに、前の――白いウォプタルに乗ったほうの人が言ったんです。行きなさい、と。一瞬何を言われたのか分からなくて驚きましたが……あ、そう言えば……」
「どうした、何か思い出したか」
「は、はい。気のせいかも知れませんけど、私の後ろにいた人も、その言葉には驚いていたみたいでした。後ろから『えっ』とかいう声が聞こえたような気がします」

 それを聞いて、ハクオロの中である予想がほぼ確信に変わる。ちらりとみたアオロも唇を噛んだまま小さく頷いている所を見ると、今の情報には何かしら得るところがあったのだろう。

 そう考えて、ハクオロはふとおかしくなった。
 ついさっきまで、背伸びをして差し出口をしてくる子供として見ていたアオロを、自分はいつの間にか知的に対等な存在として見ている――。

「それからどうなった」
「は、はい。何がなにやらわからなくてわたしが呆然としていると、後ろにいた人が苛立ったみたいな感じで乱暴に『ああっ! さっさと行けって言ってんだこのやろう』とかなんとか……行かなくちゃ殺されると思って、わたしは走り出しました。追っ手がかかってくる様子はありませんでした。そこから先は、誰にも見つかってないと思います」
「そうか……よく話してくれた」
「い、いえ」
「フマロさん、どうぞ」

 ハクオロの礼に恐縮するフマロに、エルルゥが薄緑色のハルニレ茶をそっとふるまった。
 心を静めるこのお茶は、恐怖の記憶を吐き出した青年の乱れた精神に穏やかさを取り戻させるだろう。こういう気遣いが自然にできるのが、エルルゥという少女だった。

 ハクオロは自分にも一杯くれないかとエルルゥに頼み、それから意識を目の前の問題に再び向かわせた。
 正しくは、目の前に座る、一人の少年に。


「――それで、アオロ。今のフマロの話から何か分かったことがあるか」
「はい……しかし、私ごときが分かるようなことは、すでにハクオロ様もお気付きのはずです」
「そうかもしれない。しかし、そうじゃないかも知れない。自分の理解を確かめる為にも、お前の意見を聞きたいんだ」

 ハクオロのその言葉は、実質アオロを認めたことと同義だった。
 しかしすでにそれに異議を唱えるものはこの部屋にはいない。オボロでさえもはや膝に手を立て睨むような目でアオロを見つめ、その言葉を待っている。
 アオロはそんな重圧のなか、一呼吸分だけ目を閉じて、それからおもむろに口を開いた。

「その前に、一つお聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか」
「何だ」
「そのベナウィという方は、このケナシコウルペ國の侍大将なのですよね」
「そうだ。そして一緒にいたというもう一人の体格の良い男というのは、副官のクロウだろう。それがどうした」
「……その方は、インカラの寵を得てその座にいるのでしょうか。それとも、実力ゆえでしょうか」
「実力だ。調べによると、ベナウィは家柄も良いが、それ以上に文武に秀で、また堅物としても有名らしい。度々皇に直諫する為インカラには煙たがられているようだ」

 チャヌマウの事件の後、ベナウィについて調べさせた結果ハクオロは多くの事を知っていた。今だ二十代半ばの若さにして既に國一番としての武芸者として勇名を馳せる一方、自ら兵法書や詩文を書き著すなど、文人としても高い評価を得ている。

 説明しつつ、ハクオロはチャヌマウで出会った男の怜悧な眼差しを思い出した。
 『貴方は自分のしていることが正しいと信じていますか』という問いかけを思い出した。
 あれはハクオロへの問いであると同時に、自らへの問いでもあったのだろう。地獄(ディネボクシリ)があるなら自分はそこへ落ちるだろうというハクオロの返答に、無言ながらも微かな共感の影がその眼差しに宿ったのは、気のせいではないはずだ。

「その、優秀で堅物でインカラにとっては煙たいベナウィ様は――」
「アイツに様を付ける必要はない!」
「――失礼しましたオボロ様。で、その敵将ベナウィは最近なにか失敗をしたでしょうか。戦に負けたとか……」
「あるぞ」

 ハクオロが言葉を返す間もなく、オボロが口を開いた。

「あいつらはチャヌマウで、アルルゥとムティカパの登場にビビッて逃げ帰っ――ア痛っ!?」

 いきなり鉄扇で脳天を打たれて、オボロはハクオロの方を振り向いた。

「あ、兄者!?」
「オボロ! この大馬鹿者が!」
「な、何を――て、あ……」

 馬鹿者呼ばわりに激昂しかけたオボロは、テオロとエルルゥからも非難の視線が寄せられていることに気が付き、そしてやっと自分の失言に気が付いた。

「――す、すまん、アオロ」
「……いえ、オボロ様。お気になさらず」

 チャヌマウの遺児は、そう言って微笑んだ。

「質問をしたのは私ですし、オボロ様はそれに正確にお答え下さっただけです」
「だが……」
「それに私には、悲しむべき記憶がありませんし――」

 その微笑みが哀しみを湛えているように見えたのは、見る者の感傷のせいだったろうか。
 少年は背後に座るテオロにちらりと顔を向け、目を合わせながら言った。

「なにより、今は素晴らしい父と母に囲まれて暮らしております。それもこれも、オボロ様がわたしを見つけて下さったおかげ。こちらが感謝こそすれ、オボロ様が謝られることは何もございません」
「アオロ……」
「アオロくん……」
「アオ坊……」

 オボロ、エルルゥ、テオロがアオロの言葉にしんみりしてしまう中、ハクオロは咳払いをして場の緊張感を取り戻す。

「それにしても不用意な発言ではあった。私からも詫びを言う。――しかし、今は話を先に進めよう。ベナウィの失敗を聞いてアオロはどうしようと思ったんだい」

 話を元に戻しながら、ハクオロはすでにアオロの出すであろう結論を予想していた。
 ――しかし、そのいずれとも違う言葉をアオロは語り出す。

「はい、これで大体わかりました。ベナウィの言動が一貫していない理由、彼がタトコリにいる理由……」

 わずかな沈黙の後、居住まいを正したアオロの口から続いて発せられた言葉は、このケナシコウルペ國内乱の行く末を決める転換点となる献策であった。



「ハクオロ様、その敵将ベナウィに
 ――投降を呼びかけましょう」






[16787] うたわれぬもの  建国編  12  推戴
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/16 02:59

 ベナウィに、投降を呼びかけよ――

 アオロが提案した思いがけない策に、座の空気が揺れる。
 一番強く反応したのは再戦の意欲に燃えるオボロで、表情がこれまでになく剣呑なものになったものの、これまでのように反射的に口を挟むようなことはせず、浮きかけた腰をすぐに落とした。
 ハクオロは敵と対峙しているかのような真剣な表情でアオロを見つめ、しばしの考慮の後に問いを発した。

「……ベナウィが――堅物で知られるあの男が、それに応じると思うか?」

 するとアオロは答えた。

「今回の戦いのことだけを考えれば、ベナウィ大将が投降に応じなくとも、降伏勧告をする価値は十分にあります」

 そもそも、とアオロは言葉を継いで続けた。

「ベナウィ大将がこちらの襲撃を予想し待ちかまえている可能性が極めて高い以上、奇襲で相手の不意を突く当初の作戦は効果が薄いでしょう。であれば、最初から関を取り囲み降伏を呼びかけた方が、その後たとえ戦いになったとしても有利になると考えます。理由は二つ、まず一つは圧倒的な不利を知らせることによって戦意を喪失させること。そしてもうひとつは」

 なぜかアオロは言い辛そうな表情になった。

「ベナウィ大将と兵の間に、不信の種を撒くこともできるからです」
「――離間の計というわけか」
「はい。現在の大将の立場を考えれば、有効かと考えます」
「おいアオロ、ちょっと待て。アイツの立場がどうしたと言うんだ」

 オボロの問いに、アオロはちらりとハクオロのほうを見やった。
 ハクオロが目だけで頷き返すと、アオロは意を決したように語り出した。

「おそらくではありますが、ベナウィ大将は現在、侍大将ではないものと思われます」
「何だとっ! なぜそんなことが分かる!」

 幾度も自分を未熟者扱いしたあの男が凋落したというアオロの言葉に、オボロは憤った。
 あの男と再び剣を交えることを――そして自分の手で打倒することをオボロは望んでいるのだ。
 オボロのその憤激に、しかしアオロは怯えることなく、やや申し訳なさそうな口調で続けた。

「その理由は……オボロ様が教えて下さいました」
「――あっ」
「チャヌマウ村での敗戦……かねてからうるさい事を言う煙たい存在であった将軍の失敗に、インカラはこれ幸いとその責を負わせ、左遷したのでしょう。左遷先がたまたまタトコリであったのか、それとも自らタトコリの関守に降りたのかはわかりませんが……おそらくは後者でしょう。要職を解かれ、理不尽な扱いを受けながらも國を守るために叛乱勢力分断の要所であるタトコリに向かった――このようなところではないでしょうか」

 アオロの説明に、ハクオロは頷いていた。
 アオロは語らなかったが、その予想を支持する状況証拠があることにもハクオロは気づいていた。

 それは、森の警備の話。
 ベナウィが侍大将として正式に関を固守するために向かったのであればそれなりの軍勢を率いて関に入ったはずであり、そのことにフマロら森の民が気が付かぬはずがない。
 しかし、そのような報告は無かった。それどころかフマロたちですら、警備体制がいつの間に変わったのか気が付いていない有様だったのだ。
 動員可能な兵力数においていまだ優勢な國軍側のベナウィが、あえて少数での拠点防御を選択する合理的理由がみあたらない以上、事態をもっとも自然に説明するのはこの左遷説である。

「この國の武人の頂点にいた侍大将である彼が、皇の不興を買いこんなところに落とされた……いずれは兵達の心も掴んでまとめあげるでしょうが、いまだ日にち浅く、それほどの堅い信頼関係が作り上げられているとは思えません。兵たちの間には、ベナウィ大将はインカラ皇を恨んでいるのではないかという疑念があるかと思われます」
「そこで、フマロを見逃したという事実を明かすのか」
「そのときには、取り囲まれているという現実が、死の恐怖と共に説得力を後押しすることでしょう」

 なんという子供だ、とハクオロは思った。
 否――これは何者だ。なりは幼いが、魂は断じて少年のそれではない。
 以前の記憶を失っているというが、一体どのような過去があるというのか……

 そこまで考えて、ハクオロは愕然とした。

 ――同じ事は、ハクオロ自身にも言えるのだ。


「……いかに優秀な将でも、兵が乱れれば戦えないでしょう。むしろ優秀であればなおさら、兵が乱れた時には戦いを避け退くのではないでしょうか。兵の投降も見込めますし、関を放棄して去れば追わぬと約束すれば戦わずして関を開くことも叶うでしょう。
 ――しかし!」

 これまでどこか淡々と語っていたアオロの口調が、そのとき急に熱を帯びた。
 それぞれの物思いに沈み始めていたハクオロたちは、その声の強さに打たれたように一斉にアオロを見る。
 その視線の中、アオロはその勢いをいよいよ増しながら続けた。

「これは下策です! 目先の戦いには勝つでしょう、関も落とせるでしょう。しかし、それだけです。そして一番手に入れるべきものを手に入れる機会を、おそらくは永遠に喪うでしょう」
「……手に入れるべきものとはなんだ、アオロ」
「ベナウィ大将です、ハクオロ様」

 そのとき、ごう――と強い風が窓から吹いた。
 蔀がかたかたと揺れ、なにかとてつもなく大きなものが遠くでうねり、動き、全てを押し流そうとしている気配が満ちた。
 
 アオロとハクオロは、まるでにらみ合うかのように強い視線をぶつけ合い、さながらここが戦場であるかのように向き合っている。

「この戦いでもっとも手に入れるべきは、兵でも関でもないと私は考えます。なによりもまず、ベナウィ大将をお味方にお付けください。確かに先ほどハクオロ様がおっしゃったように、堅物で知られる大将のこと。容易く応じるとは思いませんが……」

 ぐ、と何かを噛みしめるような表情でアオロはハクオロに訴える。

「私はそのベナウィ大将のことを直接存じませんが、ここで皆様からお聞きした話などからある程度はそのお人柄を察することができます。義に厚く、忠義に堅く、私たち民草の暮らしのことを本当に考えておられるお人だと、そう思うのです。そうでなければ、なぜわざわざタトコリに彼はいるのでしょうか。そして、そうであればこそ、フマロ様を見逃したのではないでしょうか。
 ……大将はいま苦悩しておられるのだと私は思います。民を殺し村を焼くインカラの無道に、もっとも絶望しているのもベナウィ大将なのではないでしょうか」

 チャヌマウの孤児は、左頬にまでおよぶ火傷の痕を紅潮させて大人たちに迫った。

「民を思い、インカラに絶望する――そんなお人とハクオロ様が、なぜ戦い、殺し合わねばならないのですか! 望むもの、目指す未来が同じであれば、力を合わせるのが道理ではありませんか!」

 だん、とアオロは床を打った。

「ハクオロ様、わたしははじめ、これは罠だと申し上げにまいりました。そして確かにそれは今でもその通りでしょう。敵はこちらの襲撃を予想し、待ちかまえているでしょう。しかし、ベナウィ将軍はいま文字通りの意味でも、ハクオロ様――貴方を待っていると思うのです」
「私を――?」
「はい。インカラが民を蔑ろにしているのは前からのこと、なのになぜ今頃になってベナウィ大将は揺れているのでしょうか。その答えは
――ハクオロ様、貴方という存在に出会ったからではないでしょうか」

 たった一度。
 焼け落ちた村の残煙漂う中で刃を交え、言葉を交わしただけの二人。
 しかしハクオロはアオロの言葉を否定することはできなかった。
 なぜならハクオロ自身、ベナウィのことを強烈に覚えているからだ。

「大将が、愚かと知りつつインカラに仕えているのは、インカラが皇だからです。國をまとめるには皇が必要であり、國がまとまっていなければ民を養うことも守ることもできない。だから大将は皇に仕えているのでしょう。インカラに仕えているのではない、”この國の皇”に彼は仕えている――そこにハクオロ様、貴方が現れた。そして乱を起こし今や國の半分を治めようとしておられる。だからこそ堅物で知られる大将も迷い、揺れているのだと思われませんか」

「アオロ、君は――」

 ハクオロは、これから口にする言葉の重さに一瞬たじろいだように口ごもり――


「この私に……皇(オゥロ)になれと言っているのか」


 うなるような声で、ついにその言葉を発した。
 その言葉はまるで雷鳴のように聞くものの耳に轟き、オボロ、テオロ、エルルゥ、そしてフマロでさえも、雷で打たれたかのような衝撃が体を貫くのを感じた。 
 ただひとり、アオロだけはその言葉をありのままに受け止めて、そしてしっかりと頷いた。

「はい。そして皇となられるハクオロ様には、優秀な臣下が一人でも多く必要なのではありませんか。であればなおのこと、ベナウィ大将をお味方に招くのは理にかなっているとは思われませんか」
「しかし、私は――」
「気に入った!」

 ハクオロが何か言いかけたその瞬間、馬鹿でかい叫び声がそれを遮った。
 興奮で尾の毛を逆立てているオボロだった。

「アイツがどれほどのもんかは知らんが、兄者が皇になるという話は気に入った! そうなるべきだ! アオロ、よく言った!」
「は、はい。ありがとうございます、オボロ様」
「しかしなオボロ、お前はそう言うが――」
「兄者! いやハクオロ皇! 俺と俺の一族は、永遠の忠誠をここに誓う!」

 完全に興奮しきっているオボロはハクオロの言葉も耳に入らぬ様子で、腰の刀を床にそろえて臣下の礼をする。
 その勢いに流されたのかチクカパ村のフマロも同じ礼をしているが、意味がわかっているのかどうかは怪しいところであった。
 ひれ伏す二人にどう声をかけていいか戸惑うハクオロに、別の声がかけられた。
 テオロだった。

「アンちゃん……俺達ァ、トゥスクルさんを殺された怒りで乱を起こしたわな」
「親ッさん――そうですね」
「おばあちゃん……」

 亡き祖母の名を聞いて、エルルゥは胸のあたりに手を当てる。
 それをちらりと見て、テオロは一瞬神妙な表情になりながらも続ける。

「そんとき、押しかけた俺達にアンちゃんはこう言ったよな。『みんな、自分たちが何をしようとしているのか分かって言ってるのか』ってな。そいで俺達は『分かってる』って答えた」
「――!」
「確かにそんとき、みんなそこまで深く考えちゃいなかったかもしれねェが……あれには、アンちゃんが皇になるってことも入ってたんじゃねェかと俺は思うのよ」
「親ッさん……」
「俺達はアンちゃんに付いてく。そいつはこれからも変わらねェ。トゥスクルさんの跡を継いで村長(ムラオサ)になったアンちゃんだ、ついでにこの國の皇になったってヤマユラの連中は誰も文句は言わねェさ。後から入ってきた連中にも、文句は言わせねェ」

 むき出しにした太い腕を胸の前で組んで、ふんっと力を込めるテオロ。
 振り返ったアオロと目を合わせると、成り立ての父子はふっと微笑みあった。

 ハクオロはエルルゥに目をやり、その瞳が未だ祖母を喪った悲しみの影に覆われているのを見つけた。

 トゥスクルさん――ハクオロは心の中で、命の恩人である今は亡き老薬師に呼びかけた。
 この場に貴女がいれば、わたしになんと言っただろうか。
 自分達が今しようとしていることを、貴女は常世(コトゥアハムル)からどんな思いで見つめているのですか――。

 手の中の鉄扇の重さが、いまさらにずしりと手に応えた。
 それは、彼女から託されたものの重さであるのかもしれなかった。


 ハクオロはしばし瞑目し考えた後、勢い良く立ち上がった。

「――出るぞ」
「兄者!」
「アンちゃん」
「ハクオロさん……」

 呼びかけに順に目をやり、ハクオロは最後にアオロへと視線を戻した。

「ハクオロ様……」
「答えは、ベナウィに返す。しかしそれでも、戦わねばならぬ時は――」

 アオロは頷き、床に手をついてハクオロの立ち姿に頭を下げた。

「ハクオロ様の勝利を、お祈り申し上げます」











[16787] うたわれぬもの  建国編  13  少女
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/05/16 03:12
 
「そんじゃあ、ちっと行ってくるぜ」

 慣れた手つきで脚絆を締め直し、父さんはまるで森に狩りに行ってくるとでもいうような調子で俺と母さんにそう言った。
 母さんはホロの葉で包んだ弁当――モロロ餅に肉を詰めて軽く炙ったもの――を手渡しながら、その言葉に頷き返した。

「アンタ、負けるんじゃないよ」
「おう、任せとけ」

 湿っぽいのを嫌う二人らしい出陣前のやりとり。だけど、見つめ合うそのまなざしには言葉に尽くせない互いへの想いが込められているのが、傍らでそんな二人を見ている俺にも痛いほど伝わってくる。
 いい夫婦だな、と素直に思った。普段は仲良く喧嘩してるけど、本当は心の底からお互いを愛し合ってる。
 せっかく見送りに付いてきたけど、これは割り込めないな……そんなことを思った時、父さんと母さんが同時に俺の方を見た。

「ほら、アオロ。あんたも父ちゃんになんか言っておやり」
「アオ坊。行ってる間、カアちゃんを頼むぜ」
「……うん。任せて」

 戦場へ向かう家族を送り出すのは、俺にとって初めての経験だ。
 ついさっきまでハクオロさんの部屋ではぺらぺらと良く動いてくれた口と舌も、今はなぜか気の利いた言葉の一つも出てこなかった。
 寄りかかった杖を握りしめてどうにか気丈な微笑みに似た表情を作れた俺の頭を、父さんはそのでかい掌でぐりぐりと撫でてくれた。



「ユタフ、ワッカイの隊は門外左手、白い旗の下に集まれーっ!」
「コロトプの馬車隊は先行する! 道を空けろーっ!」

「親父、出発の時間だニ」

 兵を集めるふれ係の声があちこちで響いている。城門そばで盛大に焚かれている篝火の近くで父さんを見送っていた俺達に、歩み寄りながら声を掛けてくる人がいた。
 ヤァプさんだ。みんなは呼び捨てで呼んだり、ヤーとあだ名で呼んだりしているけど、俺は「ヤァプさん」と呼ぶことにしてる。
 年長者だし呼び捨てが論外なのは当たり前だけど、「ヤーさん」と呼ぶのも、現代日本人の知識を持つ俺にはどうにもためらわれた……。

「お。お前ェたちも準備できたみてェだな」
「親父が、一番遅い」
「あはは、しょうがないよ。ハクオロさんのとこでずっと話してたんだもんね」

 朴訥なウゥハムタムさん――以下ウーさんが腰に手を当てながらそう言うと、ター兄さんが明るい笑顔で笑う。
 湿っぽいのが嫌いなのは父さんたちだけじゃない、ヤマユラのみんなもそうだった。辺境の民はみんな楽天的で、陽気で、前向きだ。

「あれ、あんたその杖どうしたのさ」

 ター兄さんの笑顔につられて俺も微笑んでいると、その後ろからノノイがひょいと現れて俺の手元を見つめ話しかけてきた。

「ああ、これ? さっきハクオロさんが作ってくれたんだ。そこへんにあった古い槍の柄を途中で切っただけなんだけどね。お陰で歩きやすく
なったよ」
「へぇ……。ん? ってことは何さ、あんたもテオロさんと一緒にハクオロさんとこに行ってたのかい?」

 やべ、と思った時には父さんが豪快に笑いながらしゃべっていた。

「だぁっはっは! それが聞いて驚け、なんと今回の作戦はこのア――」
「あーーーっと! 父さん! もう出発みたいだよ! ハクオロ様が門の外に!」
「何そんなに慌ててんのさ、あんた」
「おゥ、アンちゃんが出たなら俺達も出番だわなぁ……よっしゃ行くぜ!」
「「おおおーーっ!」」

 三人組と気勢を上げて、門の外へ歩み去っていく父さん。
 外に出る前に一瞬だけ振り返って、ニカッと笑ってくれた。

「――兄さん!」
「すぐ戻るよ~」
「行ってくる」
「ターのことは任せるダニ」

 見送るノノイに、ウーヤーターの三人も振り向いて手を振っている。
 振りながら遠ざかり、やがて人混みに隠れていく。

 残されたのは、俺と、母さんと、ノノイ。
 いつも元気なノノイだけど、兄を見送るその表情にはやはり不安の色が隠せていない。

「……ノノイ」

 篝火の揺れる炎に照らされてひどく心細げな陰影を地に落とす彼女に、後ろから近づいてそっと肩を抱いたのは、残念ながら俺ではなく母さんだった。

「――ソポクさん」
「そんなに気を揉むんじゃないよ。そんな調子じゃあ戦が終わる前にアンタが倒れちまうよ」

 母さんの言葉の最後に、門を閉じる合図のかけ声と大きな蝶番の軋む音が重なった。
 ハクオロさんが、あの良く通る低い声で兵達に何事かを短く語りかけている。

「大丈夫。あのハクオロが付いてるんだから、無事に勝って帰ってくるさ」
「……はい」

 ノノイはこくりと頷いて、でもその場を立ち去ろうとはしない。閉じられた門扉のその向こうを見つめたまま、張り詰めた表情をして立ち尽くしている。

 やがて門の外で、おおおーっと鬨の声があがった。
 そして兵達が進む足音が響きはじめ……

「――ありがとうございます、ソポクさん」

 足音が遠くなった頃になってようやく、ノノイは肩の力を抜いた。
 肩に乗せられた母さんの手に自分の手を重ね、軽く握りながらノノイは礼を言う。いいんだよ、と言うように母さんは微笑みながら首を振り、それから明るい調子の声をあげて手を打った。

「そうだノノイ。アンタ今夜はあたしらのとこにおいでよ。また朝の当番に寝坊しないように、あたしが起こしてやるよ」
「ちょっ、ソポクさん! またって……あたし一回しか寝坊したことないじゃないですか!」
「あたしと同じ組になってからは、確かに一回だねぇ」
「う……」
「へー。ノノイって意外とねぼすけな――ってアーッ!」

 足の甲を思い切り踏まれました。
 杖にすがりついてしゃがみ込み悶絶する俺に、フンッといつもの強気な一瞥をくれると、ノノイはまるで別人のようなしおらしさで母さんに振り向いた。

「じゃ、じゃあ……本当にいいんですか?」
「いいともさ。布団だけ持っておいで」
「はい! じゃあソポクさん、また後で!」

 ぺこりと一礼して、ノノイは屋敷の方へ駆けだして行った。ついでに俺の方を見て、一瞬顔をしかめて「べー」と舌を出して行くことも忘れない。憎たらしいことこの上なかった。

「くっ……そおおおお! あんにゃろ本気で力一杯……あーててて……」
「どれ、しょうがない子だねアンタも」

 苦笑しながら母さんは俺に手を貸して立ち上がるのを助けてくれた。
 そして、篝火の光の輪からだんだんと遠ざかって闇に隠れていくノノイの背中を見やりながら、母さんは言った。

「まあ許しておやり。不安なのさ、あの子は」
「そりゃそうだろうけど」

 俺のぼやくようなつぶやきに母さんは違う、というように首をかすかに振り、そしてつぶやくように言った。

「……ノノイとターの父親はね、傭兵(アンクアム)だったのさ」
「え……」
「アァカクルさんと言ってね、ハクオロ……エルルゥたちの父親と一緒にあたしたちみんなの兄貴分みたいな人だったよ。とにかく体がでかくて喧嘩も強くてね、ウチの宿六なんか子供の頃なんべん泣かされたことか」

 ゆっくり、ゆっくり――俺の歩みにあわせて歩きながら母さんは昔話を続ける。

「でも、ヤマユラと森を誰よりも愛していてね。陽気で優しくて、決して好んで戦に出るような人じゃなかった。だけど……あれからもう十年は経ったのかねぇ。流行病が起きて――たくさんの人が死んじまった。エルルゥたちの父親のハクオロも、ヤーの奥さんも娘のイウリも……」

 初めて聞く話ばかりだった。
 思わず足を止めて顔を向けると、母さんはちらりとこちらを見てふっと微笑んだ。そして俺の背中に手を当てて再び歩き出す。

「アーさんの奥さん……つまりノノイとターの母ちゃんも、その時病に罹っちまった。幸い命は助かったけど、弱ったところに今度は別の病をもらっちまってね。そいつを治すには目玉が飛び出るほど高い薬が必要で、それでアーさんはトゥスクルさまが止めるのも聞かずに村を飛び出して傭兵になったのさ」
「それで……戦死しちゃったの?」
「並の男ならそうだったろうね。でもさすがはアーさんさ。出る戦出る戦すべて連戦連勝。あっという間に大金を稼いで目的の薬を買って、おまけに山ほどのお土産を車に牽いて村に帰ってきた。そりゃもうみんな大喜びさ。奥さんもそれで病気も良くなってね。余った薬とお金は『村のために使ってほしい』とトゥスクルさんに全部気前よく渡してしまう……そんなお人だったよ」

 ”だった”。
 途中までは村に伝わる痛快な英雄伝説のような内容の話だったけれど、最後、過去形で締めくくられているのが気になった。
 俺の表情がはっとしたものになるのに気がついたのか、母さんの表情も痛みを含んだものになる。

「ヤマユラに帰ってきたアーさんは、でも、どこか傭兵になっちまう前のアーさんとは変わっちまってた。別段乱暴になったとか金遣いが荒くなったとかじゃなかったけど……陽気でおしゃべりだったのが妙に口数が少なくなって、笑ったときの顔もなんだか前みたいな心からの笑いじゃない感じでね。そしてなにより変だったのは、時折急に姿が見えなくなるようになって、そういうときは決まって村の入り口の見張り小屋んとこでじっと村の外をみつめてたのさ」

 戦は人を変える。
 それもまた、俺には知識でしかない言葉だが、肩を貸してくれている母さんが一緒に歩きながら話してくれるその実話には、事実ならではの重さと、そしてなんだか不安な気持ちにさせられる怖さがあった。

「そして……しばらくして、あいつらが来た」
「あいつら?」
「傭兵団の連中さ。アーさんはちゃんと約束の日にちを傭兵として勤め上げてヤマユラに帰ってきたんだけど、あいつらはまだ終わってないって言いだしたのさ。これから東の方で大きな戦があるから一緒に来い、こないならこれまでの報酬を返してもらう……ってね」

 俺は目を剥いた。

「そんな無茶な! 言いがかりにしたってひどい」
「そうさ。あいつらはアーさんがあんまり強かったんで、引退させるのが惜しくなったのさ。アーさんを迎えにきた連中は、はじめはおとなしかったけど、そのうちだんだん焦れてきたのか、穏やかじゃない様子で村んなかを歩き回りはじめたのさ」

 まるきりやくざ者の振る舞いだが、考えてみれば傭兵団なんてのは一皮剥けばそういう輩と大差ないものなのだろう。
 はじめから脅しをかけず、交渉から入った分、むしろまともな部類に属するのかもしれなかった。

「アーさん自身も悩んでた。アーさんが何を考えて悩んでいたのかは分からないけど、悩んでるのはあたしらにもわかった。そして帰ってきてからこっち、アーさんがふらっといなくなっては村の外を見つめていたのは、こいつらが遠からず自分を迎えにくることを知っていたからなんだと分かったのさ。――村のみんながアーさんを止めた。トゥスクルさまも、金なら返せばええ、でもタァナクンとノノイの父親はお前しかおらんと、そりゃあ言葉を尽くして引き留めた。でも」

 母さんはそこで急に言葉を切り、ノノイが去っていった方の闇を見つめて歩みを止めた。
 俺はその横顔を見て、そしてそれから俺も同じ闇へ目を向けた。
 ただしくは、その向こうにいるはずのノノイの姿へ。

「――ノノイは父ちゃんっ子でね。アーさんも自分に似ておてんばなノノイをことのほか可愛がってた。車で牽いて持ち帰ってきたお土産の半分はノノイのためのオモチャやお菓子なんかで、中にはあの子が大人になったときのためにって綺麗な服やら布地やら髪飾りなんかもあったね。気の早いことだってみんなで笑ったもんさ。ノノイの方もそんな父ちゃんが大好きで、いっつもくっついてたもんさ。……だから、ノノイのためにも、きっとアーさんは傭兵には戻らないってみんな思ってたんだけど……」

 戻ったのだ。
 ここまでくれば、この先の話の予想は俺にもすでについていた。
 アァカクルさんは――ノノイの父さんは戦場へ戻った。その理由は……

「ある日アーさんはノノイにきいたのさ。『もっとお土産欲しいか?』ってね。まだ四つか五つの歳だったノノイはそれがどんな意味かも分からずに、にっこり笑って『うん、欲しい』と答え――次の朝には、アーさんの姿は傭兵団の連中と一緒に村から消えていたのさ」

 ……最悪だ。
 俺は立ち止まってため息をついた。
 もちろん、ノノイには何の責任もない。四つ五つの幼子の言葉に責任能力などあるはずもない。
 お父さんが好きならなぜ止めなかった、などと言う奴がいたら、そういう奴に俺は言いたい。お前は子供の頃に「もっとおやつが欲しいか」と言われて「お菓子よりお父さんがいい」と答えたことがあるのかと。
 ノノイは、父親の質問に「うん」と答えただけなのだ。

 悪いのはノノイの父――アァカクルさんのほうだ。
 アーさんが何を思って傭兵団に戻ったのか、俺には分からない。もしかすると、戻らないなら村を焼くなどと脅迫されていたのかもしれない。
 だからそのことを俺は責めることはできない。
 でも……戻るなら、黙って戻ればよかったのだ。どうして、ノノイにそんな質問をして去ったのか。残された家族が、幼いノノイが、どれほどのこころの傷を受けることになるか、想像しなかったのだろうか。
 事実、ノノイはいまでも自分を責めている。お土産が欲しいといった自分を、そんな責任をノノイが感じる必要はないんだと誰に言われても、きっと彼女自身が許せずにいる。

 さきほど城門のところで、出発する兄を不安げに見送るノノイの後ろ姿を思い出した。
 いつもの強気さや元気さが嘘のように、頼りない、迷子の子供のような姿だった。
 そしてそんなノノイに、ター兄さんは「すぐ戻るよ」と応えていたのではなかったか。

「……それでその後、アァカクルさんの行方は?」

 歩き出しながらの俺の質問に、母さんはゆっくり首を振った。

「さっぱりさ。もちろんあたしらの村みたいなド田舎に詳しい話が伝わるはずもないけど、それでもやつらが言うような大きな戦があったんならどっちが勝ったとか負けたとか、そのくらいの話は入ってくるもんさ。街の市へ売り買いしに行くモンたちもできる限り噂を集めたり、トゥスクルさまも気に掛けてはくださってたんだけど……不気味なくらい、何も分からないのさ」
「ということは……生きてるかもしれないってことだね」
「ノノイたちの家族は、そう信じてる。もちろんあたしらもそう願ってるけど……もう10年も立つからねぇ」

 戦に出かけたきり、失踪してしまった父。そのきっかけを作ったのは自分の一言。
 ひどい話だが、むしろ遺品が届くなりなんなりして死んだことがはっきりしていれば、10年の時の流れの作用で悲しみも自責も少しは薄らいでいたのかもしれない。
 でも、ノノイはいまでも父を待っている。
 そしてそれと同じくらい、戦に出かけた家族が「帰らない」ことを恐れているのだ。

「……母さん」
「何さ」
「今夜は、ノノイが寂しくないようにしてあげようね」

 母さんは少し驚いた顔をした後、大きく微笑んで俺の頭をがしがしと乱暴に撫でてくれた。
 乱れた前髪に視界をふさがれて、俺はやめてよ母さんと言いながらも嬉しかった。二人で笑いながら屋敷へと入っていった。

「……ちっとは見込みがあるみたいだね、あの鈍ちんどもと違って」


 ――そのつぶやきの意味は、よく分からなかったけれども。







[16787] うたわれぬもの  建国編  14  夜行
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/11/08 21:11

 ハクオロ率いる叛乱勢力が拠点としている藩城からタトコリ峠までは、およそ五里とされている。

 一里は半刻の間に人が歩いて進む距離と言われており、一日は十二刻。
 宵の口に出陣し、翌朝夜明けに攻撃開始として、時間だけみれば充分間に合うように見える。
 しかし五里、二刻半の行軍というのは、言葉で言うほど楽ではない。それほどの長時間歩かせた兵にそのまま戦をさせては戦にならない。
 やむを得ぬ場合を除き、戦の前には充分な休憩と食事の時間を与えて、兵の力が十分に活きるよう取りはからうのも将たるものの役目でも
ある。

 その時間を見込むと、時間が足りない。
 では、ハクオロはこの問題をどう解決したのか。

 結論から言えば簡単である。

 ――大型馬車の多数運用による兵員輸送。

 自室でアオロに話した通り、ハクオロはタトコリ峠が戦略上の要所であることを早期から認識しており、その対策を考えていた。
 フマロがくる前なので当然包囲戦は選択肢になり得なかった。そもそも細い峠道にあるタトコリの関は、そこにある建造物はともかく、その地形が攻めるに難く守るに易い、まさに天然の要害をなしているのである。
 これに対するには、速攻で襲いかかり敵が体勢を整える前に門柵を突破する奇襲攻撃しかない。
 しかし峠まわりの村落に兵をゆったりと集めていては気取られる可能性がある。そこでハクオロが思いついたのが、この馬車の活用であった。

 はじめは、単なる案でしかなかった。ウォプタル(ウマ)は貴重な資産であり、貧しい山の集落であるヤマユラには交易用として四頭が
いるだけだったのだから仕方のないことであった。
(余談ではあるが、かつて夜中に消えたトゥスクルを探しに無断で村のウォプタルに乗って走り回ったハクオロは、その後しっかりとトゥス
クルから釘を刺されていたものである)

 しかし周辺部族が続々と傘下に収まるなかで次第に条件を満たすようになり、ハクオロはその下地となる配備の指示――ウォプタルの供出と
大型馬車の手配と運用系統の形成――を下し始めていたところであった。

 この時ハクオロは、チキナロのような間者の存在を想定して峠攻めとは違う理由をつけて指示を発していたため、今夜フマロの到着を受けて
出陣を決めた後の合議では、その遠謀に驚きのうなり声が部屋を満たすこととなった。

 藩城からタトコリまでを繋ぐ街道沿いにある主要な集落は四つ。サン、エクド、キエンケレ、ウライである。
 ハクオロはこの四カ所に、ウォプタルの産地であり北部の有力氏族であるコロトプから、ウォプタルと馭者を借り受けて配置し、馬車隊を組織した。

 藩城からサンまでは歩いて進み、そこで第一陣が乗り込み出発する。むろん全員を一度に運ぶことはできないので、ピストン輸送となる。
 先行した馬車隊は伝令隊であり最終集合地点であるウライへ直行し、諸準備を行うこととなっている。
 ドリィグラァのふたりは馬車ではなく一人一騎の早駆けではあるが、この四拠点でウォプタルを次々と乗り換えることで山越えの時間を確保させたのであった。





※ ※ ※





 藩城から第一次集合地点であるサンまではおよそ一里半の道のりである。
 しかしこれから赴く戦いが自分たちの将来に直結する重要な決戦になるとの想いから士気は極めて高く、進軍速度は二割増し、いや三割増しといった具合で、快調に歩を進めていた。
 むしろ快調すぎて、先頭を進むハクオロは少し気になり、ウォプタルの背から振り返ってつぶやいた。

「皆、この勢いで進むと持たないのでは……」
「兵を勢い付かせたのは兄者だろう。みんな燃えているんだ、無理に止めない方が良い」

 応えたのはハクオロの横を進むオボロであった。
 ハクオロとオボロの二人は、将として騎乗が許されている。

「さっきの兄者の演説は、短かったがこの俺も血が燃えるようだった! いっそこのまま、一人ででも峠に駆けていきたい気分なんだ」
「おいオボロ」
「わかっている。もうしないさ、あんなことは……」

 オボロの言う「あんなこと」とは、この叛乱のきっかけとなったオボロ単身での藩城侵入のことである。
 トゥスクルの死は自分のせいだと思い詰めたオボロは、仇をとるために双子すら置いて単身でササンテの屋敷に侵入。多数の番兵を切り倒し、ササンテ、ヌワンギまで後一歩と迫るものの取り囲まれ、捕らえられた。
 ハクオロ達の決起がもう少し遅かったら、そしてベナウィがオボロの鎖を断ち切って去らなければ、オボロは生きてはいなかっただろう。

「だがしかし、借りは返す! 必ず……必ずだ!」

 オボロの魂には火の神が宿っている。
 大恩あるトゥスクルを殺された怒り、民を殺し村を焼くインカラへの怒り、自分を歯牙にも掛けぬベナウィへの怒り、そして己の弱さへの怒り……。
 魂の奥へ蓄えられ、練り上げられたまっすぐな怒りは今オボロの総身から吹き上げんばかりの炎となって解き放たれ、戦いへと彼自身を牽いていこうとしている。

 この男は、一個の炎だとハクオロは理解した。
 初めて出会ったときには殺し合い、反目しながらも認め合い、やがて兄弟分の契りを交わしたハクオロの「弟」。
 その男の魂の本質を、ハクオロは今夜ようやく理解したような気がした。
 熱く、激しく、ひたすら天へ向けて伸び上がろうとするまっすぐな炎。今はまだ、その力を誰かが正しく導いてやる必要があるが、いずれは人々を照らし暖める、誰も消すことのできぬ天の火――太陽となりえるだろう。

「ああ、頼りにしてるぞ。オボロ」
「応!」

 ハクオロがわずかに笑んでそういうと、オボロも胸の前で拳を握り猛々しく笑った。

「おうおう、俺のことも忘れてもらっちゃ困るぜィ!」
「親父さん」

 声に振り向くと、愛用の大斧を背中に担いだテオロが月明かりの中で白い歯を見せて笑っている。
 その周りには、ヤマユラから付いてきてくれた仲間達の顔があった。

「ボクもがんばるよ~!」
「オヤジははしゃぎすぎダニ、まったく」
「油断は、禁物」

 可愛い顔に決意を漲らせているターに、猫背をしゃんと伸ばして歩きながらぼやいているヤー。
 そしてのしのしと音がしそうな大股で歩くウー。
 そのまた後ろにはムティカパ退治で一緒に戦ったイパクリとトルシ。クシオロ、タタク。オボロの配下の者達もいる。

 ハクオロは不意にあの時のことを思い出した。集まった村人達に「蔵を開け」と命じたあの時のことを。すべてが始まったあの時のことを。
 あの時も、夜だった。 そして、この顔ぶれがそばにあった。
 まだそれほど遠くない日の出来事。ついこのあいだと言ってもいいぐらいだ。
 なのに、ずいぶんと遠くまで来てしまったとそう思うのは――

「……皇(オゥロ)になれ、か」

 あの不思議な魂をもつ少年との対話のせいなのだろうか。
 独りごちて、ハクオロは夜空を見上げた。月が明るいために隠れがちだが、昨夜と同じ透き通るような夜空には無数の星が輝いている。
 ハクオロの目は無意識に星座を追う。そして天体の回転の中心にある不動の北辰――北極星を探し当てる。
 夜道をゆく旅人は皆、この星に導かれて歩むのだ。

(私は、ヤマユラのみんなを……この國の皆を、正しく導けるのだろうか)

 星は何も答えず、ただそこで静かに輝いている。








 ――そして月は沈み、明けの明星は東の空に顕れ。





 戦いの刻が、来た。









[16787] うたわれぬもの  建国編  15  戦鼓
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2020/11/08 21:13
 


 ウィツァルネミテアの修練に、カムライという行がある。
 端座して印を結び、気息を整え、心を穏やかにして体内と周囲を巡る精霊の流れを正す。これを日々繰り返すことにより精神は鍛えられ、
法力を持つ者はその力を増し、またより巧みに操る事ができるようになると言われている。
 ベナウィはこのカムライの行を、幼い頃よりの日課としていた。

 その朝も、ベナウィは明かりを落とした自室で背筋を伸ばして座り、瞑目して心を澄ませていた。
 夜明けまであと半刻。まぶしいほどの輝きを窓から落としていた月も西の山裾に隠れ始め、室内は暁暗に沈んでいる。
 関も山も静かで、いまだ世界はみな深い眠りに落ちているかに思われたが――

(……静かすぎる)

 違和感にベナウィは薄く瞼を開いた。
 その目が、部屋に満ちる闇のなかにまるで細身の刃物のように閃く。

 森の獣たちの朝は人よりも早い。この時間帯の森は、夜に活動する獣がねぐらに帰り、朝になり目覚めた鳥たちが飛び立つ気配がしはじめる
頃のはずなのだ。
 しかし、今朝は――静かすぎる。まるで森そのものが秘密を抱え込んで息を殺しているかのように。

(やはり、来ましたか……)

 予想より早い、しかし予測されていた到来。
 そしてそれはベナウィ自身、心のどこかで待ち望んでいた刻でもあった。

 カムライをやめ、立ち上がったベナウィは愛用の鎧を手早く身につける。
 そして最後に外套(アペリュ)を手に取り――ほんの一瞬、ベナウィはそれが持つ意味に想いを馳せた。





 濃紺に染め上げられたそれはこの國で最高の武人に与えられる物。侍大将(オムツィケル)の外套である。
 それを纏う者は誰よりも強く、誰よりも気高くあらねばならない。そして誰よりもこの國を愛し、皇を高め、民を護る義務があるのだ。

 ベナウィはわずか二十の歳でこの外套を受けた。
 名門に生まれ、元服してすぐに出た初陣で敵将を仕留める手柄を上げたベナウィは、確かに”いつか必ず侍大将になる”と周囲に目されていた若武者であった。しかしそれにしても二十歳は前代未聞の若さである。

 その異例の抜擢は、先の侍大将であったヤラムィの遺言によるものであった。
 インカラの祖父の代から仕えたケナシコウルペの宿将が、老いから来る病により常世(コトゥアハムル)へ旅立つとき、枕元にベナウィを呼んでこの外套を遺言と共に託したのだ。

「……お前しか、おらんのだ」

 武人としては誉れである。武門に生を受けた者ならば、侍大将の外套を身に纏うことを一度は夢見るものであり、それを、尊敬し私淑していた人物からお前しかいないと言って託される。これほど栄誉なことはない。ベナウィとていずれは侍大将としてふさわしい人物になろうと日々研鑽を積み重ねていたのである。

 その日が、想像よりも早く来ただけ――しかし、ベナウィは病の床に伏せる老将の目を見て理解してしまった。
 お前しかいない、という言葉に込められた本当の意味を。
 その言葉を言わなければならなかったヤラムィの、痛恨と哀切を。

 インカラの即位からまだ数年しか経っていなかったが、この國の腐敗は急激に進んでいた。
 重臣はインカラの一族で固められ、賄賂と讒言が横行した。インカラの親族による不正を告発した役人が逆に罪を着せられ投獄されるに至り、櫛の歯が欠けていくように心あるものたちは野へ去って行った。
 そんな中で、ヤラムィは最後までインカラへの諫言を続けた唯一の人物だった。インカラが幼いときに一時守り役として側で仕えていたこともあり、また前代の皇であり父でもあるナラガンに重用された功臣であるヤラムィを更迭することは、さしものインカラもできなかったのである。
 しかしことある事にうるさく言ってくる「爺や」をインカラは明らかに煙たがっていた。子供の頃のことを知られていて頭が上がらないのもなおさらそうさせていた。それが証拠に、今にも常世へ旅立たんとしているヤラムィの床周りにインカラ本人はおろか使者の姿一つ現れたことは無かった。
 かつてはその背で眠り、あやして貰った「爺や」の死に目に……。

「この國を……頼む……」

 震える声でヤラムィは言った。かつて戦場で万の兵に号令を下していたのと同じ人物とは思えないほどか細い声で、それだけにベナウィは逃れられなくなった。いずれはと目指していた地位が、栄誉の極みであるはずの濃紺の外套が、怖い、とベナウィはその時初めて思った。
 今の自分には荷が重すぎる、あと5年、せめてあと2年待って欲しい、貴方の側で学ばせて欲しい――しかし目の前の老人はもうすぐにでも死んでしまう。この老人が逝き、そしてその後釜にインカラの言いなりになる愚劣な武将が着けば、この國は終わる。

「たのむ……」

 重圧におびえる若いベナウィに、老人はもう一度言葉を重ねた。
 枯れ木のようになった手を掛布の端からにじるように出して、ベナウィの手に触れた。
 はっとして床から目を上げたベナウィに、老人は目を細め、ゆっくりと、深く、頷いて見せた。
 それは、重圧に悩むベナウィの有り様を「それでいい」と是認するかのようでもあり、同時に、重責を押しつけて先に逝くことを詫びるかのようでもあった。

 それで、腹が決まった。
 ベナウィはその手を――強く握れば砕けてしまうと思えるほど痩せ細ったそれを頭上に頂き、床に伏せて誓いの言葉を伝えた。
 老人はそれを聞き、安堵した顔で……そのわずか後にこの世を去った。
 インカラはヤラムィが後任の侍大将を遺言で指名していったことにいい顔はしなかったが、その死に目に顔を出さなかったことはさすがに気まずかったのか「好きにするにゃも」と言ってベナウィに濃紺の外套を与えたのであった。ベナウィの若さゆえに、懐柔の余地はあると踏んだのかもしれなかったが、それでも良かった。

 それ以来、ベナウィはこの國を護ってきた。
 この國の侍大将として、亡き老将への誓いを果たすために……。



 追憶はほんの一瞬だった。
 手の中には、馴染んだ手触りの外套がある。しかし侍大将の座を逐われ左遷された身のベナウィには、今は本来纏うことを許されないものである。
 だが、どういう経緯か、結局ベナウィの侍大将からの降格は正式に手続きされることがなかった。外套も剥奪されず、返納も要求されなかった。
 ならば、これを纏って戦いに赴くことにためらう理由は無い。

 ベナウィは迷いを捨てるように勢い良く外套を広げ、背に回した。

「クロウ、兵たちを集めて準備をさせてください」

 今のこの身は、ただの山奥の関守。
 しかし、背にヤラムィから引き継いだこの濃紺の外套がある限り……否、たとえ外套が奪われようと、自分はこの國の護り手であらん。
 命令を下しながら歩を進めつつ、ベナウィはいよいよその決意を強くしていくのだった。






※ ※ ※






 風が騒いでいる。
 静かな森のなか、ハクオロはひとり馬上にあって瞑目しその刻を待っている。
 右手には手綱、左手にはトゥスクル譲りの鉄扇。その鉄扇が西の山際へ隠れようとしている月明かりを受けてぎらりと光った。

 誰も、何も言葉を発しない。闇に潜む仲間達の静かな戦意が森の鳥たちに囀ることさえはばからせているのか、ただ梢を騒がす風の音だけが
ごうごうと峠に響きわたっている。

 どれほどの間そうしていたのか。
 白い額帯を巻いた鋭い目つきの男が森の奥から現れ、オボロの元に駆け寄り短い報告をした。
 それを受けてオボロは背後のハクオロへ振り向き、気配に目を開いたハクオロに一つ、力強く頷いた。
 
 兵達の緊張が高まる。その視線の先で、ハクオロは鉄扇を頭上に高く振り上げた。

 風がひときわ強く吹いた。
 その風を断ち切るように――

「――始めろ!」

 鈍く光るそれは、敵陣へと振り下ろされた。






※ ※ ※






 ドォォォン

 腹の底に響くような大音響が、夜明け間際で気が緩んでいた歩哨の横っ面を張り飛ばした。

「な、なんだァ!?」
「お、おい。見ろ!」

 櫓の上で大あくびをしていた兵は突然の物音に尻餅をつき、壁の外を指さす同僚のそばへ四つん這いのままにじり寄った。
 そして立て板の影に隠れるようにして外を伺い――

「なっ……敵襲っ! 敵しゅ……!」

 ドオオオオオン

 兵の叫びを中断させたのは矢でも刃でもなく、敵襲を告げる声よりもさらに大きな音――森の奥から現れた叛乱農民たちが持つ、巨大な戦鼓
(イクサマヌイ)の響きであった。



 ドオオオオオオン!

 近づき広がっていく戦鼓の音に歩哨の叫びと打ち鳴らす警鐘が重なり合う中、クロウは配下の兵たちに防御の指示を出していた。

「オラッ、こんな虚仮威しにビビッてんじゃねえ!」

 夜明けの敵襲に緊張した表情を浮かべる兵に、喝を入れる。
 そうする合間にも関を囲む杭壁の向こうから響く音は続き、いよいよ大きく、そして数を増していく。

 ドオオオオオオン!

(なんだ……どういうこった……。ヤツら一体何を考えてやがる)

 叛乱勢力が攻めてくること自体は意外ではない。予想より早かったものの、想定の範囲内ではある。
 加えて大将であるベナウィが気配に気がつき兵達を密かに戦闘待機させていたのである。こちらの不意を突いたと思って不用意に襲いかかってくる
叛乱民たちを返り討ちにする予定だったのだ。
 しかし。

(太鼓叩きながらやってくるなんざ、奇襲の有利をむざむざ捨てるようなもん――こちらが構えてる事を見通したってことかよ。それにしたって……)
「クロウ」
「大将!」

 そこへ白いウォプタルにまたがりベナウィが現れた。
 その物腰は常と変わらず冷静であり、同時に触れれば切れると思わせるほどに鋭く引き締まっている。
 兵達の間に見られる油断や侮りの色は微塵もない。それはまるで決戦の場へ向かうかのような姿であった。

「敵は速戦を選ばなかったようです。ならば守りを固め、しばし出方を見ましょう」
「わかりやした。しかしこいつぁ一体……」

 ベナウィの言葉に応諾しつつも、クロウは敵の予想外の振る舞いに嫌な予感を消せずにいた。
 ここタトコリの関は砦ですらない、ただの関である。深い森と起伏の激しい峠の地形のおかげで高い防御力を持つ陣地となってはいるが、周囲を巡っているのは城壁のような立派なものではなく、先を尖らせた丸太を隙間無く並べて地面に打ち込んだだけの一重杭壁である。堀はなく、見張り櫓はあるものの死角が多い。

(クズどもが……こんなチンケな壁なんざ、俺なら最初の一撃で破っちまえるぜ)

 経済的にも軍事的にも重要な場所でありながら、攻撃の対象になることを少しも考えていない関の造りに、クロウは改めて苦々しく舌打ちをする。
 このタトコリへ着任したベナウィがすぐに行ったのが、出納改(すいとうあらため)――つまり過去の金の出入りの調査である。そしてすぐに判明したのが、前任者のみならず十数年の長きにわたって続いてきた賄賂と着服の横行の事実である。隠蔽すら雑で、ある年など年度替わりの帳面の最終金額と、続き番であるはずの帳面の繰越金額が既に違っているものまであった。
 タトコリは國中央を隔てる山地を安全に抜けるためのほぼ唯一の道である。それゆえここで上がる関手(税)は莫大なものになる。それだけに守りを固め、また国家の偉容を示すための立派な陣地を構築しておくべきものを、インカラと御用役人が全て吸い上げ賄賂と遊興に投じてしまった。
 その結果、ベナウィとクロウはこんな薄っぺらい壁一枚を挟んで、怒りに燃える叛乱民と向き合わねばならぬ羽目に陥っている。

 ベナウィもクロウも、最初からこの壁をあてにはしていない。すぐに破られるだろうと考えている。しかし敵の勢いを少しの間足止めするぐらいの役には立つだろうと考えていたし、それを前提に防御の計画を兵たちに示していたのだ。
 それがまさか、大きな音を出すだけで攻めてこないとは。
 クロウが言ったように最初の一撃で大きな損害を与えられるのは明白なのに、なぜそうしないのか。

「クロウ」

 ベナウィの声でクロウははっと気がついた。

 ――いつの間にか、音が止んでいる。

 月が沈み、陽が昇るまえの濃藍の闇が満ちる戦場に、痛みすら覚えるほどの沈黙が落ちる。
 壁を挟んで見えざる敵と睨み合う。
 その緊迫した空気を、朗々とした口上が高らかに切り裂いていった。
 



「タトコリが関守、ベナウィに告ぐ。疾く開門せよ! 

 ハクオロ皇のお出ましである! いざ、武器を捨て門を開け、新しき皇(オゥロ)を迎えよ――!」
 








[16787] うたわれぬもの  建国編  16  対峙
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2010/11/03 02:32
「タトコリが関守、ベナウィに告ぐ。疾く開門せよ! ハクオロ皇のお出ましである!

 いざ、武器を捨て門を開け、新しき皇(オゥロ)を迎えよ――!」



 戦鼓の轟きが消えたあとに残った静寂を、ふれ係の朗々たる美声が貫いて響く。

 開門せよと求めるそれが、事実上の降伏勧告であることは誰の耳にも明らかだった。


「新しき――皇(オゥロ)だとォ?!」
「農民どもがなにを……」

 兵達の間からは困惑の声に混じって失笑が聞こえる。
 もとからこの國の兵たちは、民のほとんどを占める農民を軽く見る傾向にあった。
 彼らにとって農民とは、租(税)という名の乳を搾り取るために存在する無抵抗な牛(ネウ)のようなものであったのだ。

 そんな奴らが皇を名乗るとは!
 ……しかしその一方で、彼らは違和感に戸惑ってもいた。

 農民が考えることにしては、皇を名乗るというのは”大きすぎる”のだ。


 過去インカラの治世で叛乱が起きたことが無いわけではない。しかしそのどれもが、怒りと不満のエネルギーだけで爆発したような無計画なもので、
事実そのほとんどが具体的な要求も目標も無いためにすぐに最初の勢いを失い、自壊するように鎮圧されていったのだ。
 新しい皇を名乗った者などいなかった。あくまで、ケナシコウルペという國の中での出来事であったのだ。

 しかし、いまこの門の前に集まった奴らはどうだ。
 皇を名乗る男のもとに、実に統率がとれている。払暁とはいえ見張りに気付かれることなくこの距離までこの軍勢を移動させている。
 しかも先ほどの戦鼓を使った演出はどうだ。読み書きもろくにできないはずの農民達が考えつくことではない。
 そして今のふれ声――形式といい声の張り方といい、あれはまるで本物の皇の使者が上げるような堂々としたものだったではないか!

 兵達の間から漏れる侮りの声も嘲る笑いも、どこか弱含みで、自身の不安を振り払うための強がりのような響きが否めずにいる。
 一方、ベナウィとクロウははじめから彼ら叛乱民を侮ってはいない。とはいえ彼らも驚愕と無縁でいられたわけではなかった。
 そして二人を驚かせたのも、字面だけ見れば配下の兵達とかわらない理由であった。


(皇……!)


 クロウは焼け落ちた集落――二人にとって因縁の場所でもあるチャヌマウで対峙した、白い仮面をはめた不思議な男の相貌を脳裏に描いた。

 手前で威勢良く吠えていたあの細い若造とは違う、落ち着いた眼差し。穏やかな声。劣勢に立たされながらも堂々とした振る舞い……。
 会ったのも、言葉を交わしたのもただそれだけである。
 なのにいまだあのときの全てをクロウははっきりと覚えている。忘れられないのだ。

 それは彼の大将であるベナウィも同様であった。
 クロウは副長として常にベナウィの言動を側で見てきたから、誰よりも、もしかするとベナウィ当人よりも確信もってそのことを断言できる。

 ベナウィは、あのハクオロという男に強く惹かれている。その存在と言葉を常に意識している。
 これはクロウの目から見れば極めて明らかなことだった。

 昨夜彼ら二人は関破りを見逃した。捕らえた青年に「行きなさい」と命じて峠の向こう側――ハクオロらの支配地域へ去らせたベナウィの決定は
彼のハクオロへの期待の大きさを示すなによりも明白な証拠であった。
 その期待にたがわず、ハクオロとその一派はすかさず行動を起こしてきた。しかし昨日の今日でこれほど早く攻め寄せてくるとはと感心はするが、
攻めて来たことそれ自体は不思議でも何でもない。予定通りと言っても良い。ベナウィとクロウがこのタトコリにいるのも、反乱軍をここで封じ込め
るためだったのだから。


 しかし――皇を名乗るとは!
 細作らを用いて集めさせた反乱軍の情報のなかに、彼らが新しい国家を名乗ったとか、皇を立てたなどという情報はなかった。
 だとすれば――

 クロウは武者震いに奥歯を鳴らし、先んじて門へウォプタルを進め始めたベナウィの後を追う。

 
「大将――!」

 鞍を並ばせ声を掛けようとしてその横顔を見たクロウは、その表情に言葉を呑んだ。
 否……表情は常と変わらず内心を伺わせない冷めた白皙だが、その全身からクロウでさえ一瞬たじろぐほどの闘気が放射されている。
 ――まるで一國の存亡を賭けた決戦へ赴く時のように。

 
 クロウは驚きに満ちた表情で馬の足を緩め、話しかけられたことにも気がつかぬ様子で歩み去るベナウィの後ろ姿をつかの間見送り……


「――オオオッシャアア! 行くぜお前ら!」
「「 応!! 」」

 自身でも出所のよく分からない高揚と歓喜に心満たされ、兵達に向かってそう吠えるのであった。






※ ※ ※





「……遅い!」

 一方、門の外では気の短いオボロが焦れていた。
 開門を迫ってすでに四半刻が経っている。眼前にそびえる関壁の向こうからは兵が動く気配や掛け声が伝わってくるので、こちらに無反応という
訳ではないのは確かではあるが、返事はいまだ返ってこない。かといって門を開いて突撃してくるでも弓合戦を仕掛けてくるでもない。

 四半刻といえば一刻の半分の半分。自室でくつろいでいれば気も付かぬうちに過ぎ去るほどの時間ではあるが、戦は時の長さを引き延ばす。
 オボロだけでなく、周囲の面々も焦れ始めている。さもなくば、緊張し続けることに疲れ始めている。

(見事だ、ベナウィ)

 ハクオロはそれをベナウィの策であると読んだ。
 なにも相手の士気がもっとも高まっているときに相手をする必要はないのだ。
 こちらの手勢の大半はただの農民。付け焼き刃の訓練を施したとはいえ、戦場慣れするほどの経験には遠く及んでいないのが実情だ。
 あちらは人数で劣るとはいえ正規の訓練を受けた國軍兵。名将ベナウィに率いられており、その上陣地にこもって構えている。
 時間はベナウィたちの味方であった。

(しかし……まだだ)

 今は、まだ。
 ハクオロは吹き付ける風にわずかに眼を細めながら今少し待つことを決めた。

 無策なのではない。敵がこのままだんまりを続けるようであればハクオロにも策がある。敵を否応なく戦いに呼び込む手立てがある。
 しかし――


(試されている。そして……自分を観察している!)


 すでに戦いは始まっているのだ。
 刃を交えずとも、矢を射交わさずとも。
 
 
 ハクオロはオボロに眼をやり、まだ待て、油断するなと無言で伝える。
 オボロは狼のような鋭い眼をしながらも頷き、腰の得物をいつでも抜き撃てる構えで城門を再び睨み付けた。

 オボロも成長している。以前であれば「行かせてくれ兄者!」と騒ぐところだっただろう。ハクオロはその様を一瞬想像し、こんな状況である
にも関わらず少し可笑しくなった。
 奇妙な経緯で兄弟と呼び合うようになったこの火の玉のような男がなにやら可愛いやら頼もしいやらで、ハクオロはほんの少し口元を緩め――



 ――ギンッッッ!!





 突如飛来した稲妻の如き強弓が、ハクオロの眼前で火花を散らし叩き落とされた。
 
 ぱさり、と存外軽い音を立てて真っ二つに切り落とされた矢が足下に落ちる。それと前後して、闇の中を飛ぶ矢を一刀のもとに切り防ぐという
離れ業をやってのけたオボロが足音も立てずに着地し、今こそ狼そのものの声と顔で門の真上にある櫓を睨み上げおそろしい声で吠えた。


「貴様アアッ!!!」

「へぇ……今のを防ぐたあ、なかなかいい目をしてるじゃねえか。ちっとは見直したぜ」


 姿を現したのはチャヌマウでベナウィと共にいた、顔に傷のある大男だった。
 ハクオロは顔の前で開いていた鉄扇をぱちりと閉じて、ざわめき出す周囲の仲間を右手一本で制する。

 ハクオロは黙っている。
 櫓の上の男を見つめながらも、語りかけることはしない。


 ――相手が違うのだ。


 ハクオロが何故ここにきたのか。
 そして何故夜襲という選択肢を捨て、こんな回りくどいことをしているのか。

 そう、全ては……



「――皇の名を騙ることがどれほどの重罪か、貴方は知っているのですか。ハクオロ」

「皇の名の下に國を蝕むことがどれほどの罪か、知らないお前ではないだろう――ベナウィ!」



 ――この男と、対峙するためなのだから。








 ※22.10.26 誤字、誤表現修正
 ※22.11.03 誤表現修正(ご指摘感謝!)



[16787] うたわれぬもの  建国編  17  覚悟
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2010/11/14 18:35
 

 チャヌマウでの邂逅から、およそひと月。
 その間に、二人を取り巻く環境や立場は大きく変転している。


 ベナウィはこの國の武人の最高位である侍大将から、今や一介の関守へ身を落とし。
 片やハクオロは辺境農民の叛乱指導者から、いまや多数の豪族の支持を得て國の半分を実行支配する一大勢力の盟主となり。

 ――そしてついに今、ハクオロは自ら「皇(オゥロ)」となることを宣言したのであった。



 ベナウィにとって、そしてハクオロにとって、先ほど門前でふれ係が高らかに告げた「新しき皇を迎えよ!」という言葉は単なる降伏勧告以上
の意味があった。
 ハクオロが対外的に皇位に就くことを表明したのは、このタトコリ関での宣言が初めてである。
 ハクオロが皇になる、新しい皇が生まれる――それはとりもなおさずこの叛乱が単なる”乱”ではなく、古い國を打倒し新しい國を建国する
”革命”であることを内外に宣言することを意味していた。

 そして、もう一つ――


「……ベナウィ、私はお前と戦いにきたつもりはない」

 ハクオロはウォプタルにまたがったまま、櫓の上のベナウィをまっすぐに見上げてそう言った。
 その声は大きく、山を渡る夜明けの風に運ばれて周囲の仲間や関の内側の兵達の耳にも届いていた。

「だれよりも民の安寧を願い、そのためにこんな山奥までやってきたお前と、なぜ私たちが刃を交え、血を流さねばならない。
 お前のその刃は、一体何を護るための刃か!
 力なき民か。 それとも、インカラの肥えた腹か!」

「――野郎……」
「おやめなさい、クロウ」

 ハクオロの言葉に食いしばった歯を鳴らし思わず怒鳴り返そうとしたクロウを、ベナウィはわずかに動かした掌で止めた。
 くっ、と悔しげな声を吐き捨てクロウは一歩引き下がる。

 ベナウィは思う。クロウはハクオロの言葉が根も葉もない誹謗中傷だから怒ったのではない。
 むしろ、悲しいことではあるがその指摘が的を得ており、しかしそのインカラの元で事態をよりよい方向へ動かそうと孤軍奮闘してきた
ベナウィの隠忍自重の日々まで貶められたようで、クロウは激したのだ。
 しかし――ハクオロと向かい合うベナウィは、それは違うと理解した。

 ハクオロの眼は、表情は、ベナウィを責めてはいない。
 今と、これまでのベナウィの働きの意味そして価値を、ハクオロは充分に知っており、また認めている。
 その上でハクオロは――ベナウィの『これから』を問うために来たのだと、ただ眼を見るだけで分かった。

 知らず、気持ちの高ぶりを覚えるベナウィであった。
 己を識る相手と向かい合うことの愉悦と畏怖を、彼は長らく忘れていた。先代侍大将ヤラムィ亡き後、それに最も近いのは副長として働く
クロウであるかもしれなかったが、クロウとてベナウィのことを十全に識っているとは言い難い。
 それが――ただ一度会っただけの男が、これほどまでにベナウィのことを理解している。

 ”皇(オゥロ)”
 その言葉の意味さえ、ベナウィはいま書き換えねばならぬような心持ちになりつつあった。

 しかしそんな感情を、ベナウィの理性は危険なものとしてすぐに冷却する。
 一介の関守に位は落ちようとも、國を護る決意に変わりはない。侍大将としてではなく、一人の国士ベナウィとして、問うべき事、語るべき事
そして確かめるべき事があるはずであった。



「――戦いに来たつもりはないとは良く言いました。それならばなぜ、このような夜明けに、闇に乗じてこそこそと現れたのです。民の安寧を
語るならばなぜ、農民達の手に武器を持たせ戦場に連れ出したのです」
「……」
「戯れにでも皇を名乗った以上、貴方は相応の覚悟があるのでしょうが、貴方に従う他の農民達は知っているのですか。
 皇の名を騙るものも、それに与するものも、一族郎党残さず死罪となるということを」

 沈黙が、谷に落ちた。
 ベナウィの言葉は重く、血気に逸って押しかけた農民達に冷や水をかけたかに見えた。

 ハクオロは変わらぬ眼差しでベナウィをしっかと捕らえたまま、黙っている。
 言い返す言葉を探しているのか、いや、これはなにか別の――
 何かを信じて待っているような――




「――そ、それがどしたァ!!」


 ベナウィへの答えの声は、ハクオロの率いる民の中から上がった。
 視線が集まる中、農具を改造したとおぼしき武具を持つ中年の男が、わずかに震えながら、真っ赤な顔をしながら叫んでいた。

「オ、オラたちは……オラたちサントペ村のモンは、皇なんて名乗ったこと無かった! 無茶な租を巻き上げられても畑さ耕して、真っ当に
暮らしてたんだ! だのに、だのに……」

 あふれる涙をぬぐいもせずに、泥臭い訛りを隠しもせずに、サントペ村の男は谷中に響くような声で叫んだ。

「なしてオラの村は皆殺しにされねばならねかっただ! オラの母ちゃんも、ミミも、生まれたばかりのイジュも! なんで殺されねば
ならなかっただか! 教えてけろ! アンタ偉いお侍さんなんだべ!? 教えてけれ!!!」

 興奮のあまりぶるぶると震えながら叫ぶ男の肩を、周りにいた男達が手を伸ばして支える。その男達の目も涙に濡れている。サントペ村の
生き残りか、他の村で同じ境遇にある者か――
 気がつけば、ハクオロの後に従う民の全てが声を上げて叫んでいた。

「――オレも! オレたちもだ!」
「殺せるもんなら殺せ! 一度殺したもんを、もう一度殺せるもんなら殺してみろ!」
「もう我慢できねぇ! インカラはもうまっぴらだ!」
「返してくれ! 俺の村を……家族を……!!」

 それは、民の声。
 疑いようのない覚悟の表明であり、インカラの施政への断罪であった。

 ベナウィはその声の一つ一つを忘れまいと思った。
 それはインカラの罪のみならず、彼自身の罪をも告発するものであったのだから。
 民と向き合い、逃げることなく非難の叫びに身を晒すベナウィに、しかしハクオロはそんな心中を読んだように語りかけた。

「ベナウィ、インカラの罪はインカラに贖わせれば良い。お前が奴の罪をかぶる必要はない」
「……どういう意味ですか」
「村を焼き、無辜の民を惨殺したのはお前ではないと、私は知っている。それをしたのはインカラと、甥のヌワンギだ」

 谷を満たしていた怒りの声が静まっていく。
 そこにハクオロの良く響く低い声が、こだまのように広がっていく。

「お前はむしろ、インカラの不興を買いながらも度々その振る舞いを諫め、この國を護ろうとこれまで努力してきた――だからこそ!」

 ハクオロが一際声を強めたその瞬間。
 まるで奇跡のようなタイミングで、ハクオロの背後の山裾から夜明けの光が空を切り裂いて走った。


「……降れ、ベナウィ。インカラを捨て私のところへ来い。この國の行く末を、人任せにするな」


 昇る陽の光を背に告げられたハクオロの声は、まるで天からの声のごとく、聞く者の耳に響いたのであった。






※ ※ ※






 櫓の上に立つベナウィは、正面から差し込む曙光のまぶしさに目を細めた。
 一瞬、影にたたずむハクオロの姿を見失う。その一瞬に矢を射掛けられれば危なかったかもしれないが、そんなことはされなかった。
 再び見いだしたハクオロの白面は、言うべきことは言ったという強い意志と誠実さを漲らせてこちらの出方をうかがっている。


 戦いに来たつもりはない、とハクオロは言った。
 そして今、ハクオロはベナウィに「私のところへ来い」と告げた。

 ベナウィは、ようやく理解した。
 ……ああ、この男(ひと)は、自分にこれを言うために、皇を名乗ったのか、と。

 うぬぼれかもしれない。
 しかし、チキナロや細作に集めさせた情報によれば、つい数日前まで彼に皇を名乗った形跡はなかった。
 ベナウィがこのタトコリにいると知れたのも、おそらくは今夜――あの見逃した関破りの青年からの情報だろう。

 だとすれば――ハクオロは、ベナウィがタトコリにいると知ったために、皇を名乗る決意をしたと、そう推論するのは早計だろうか。
 ただ一度の邂逅で、ベナウィのこの國への思いや立場をここまで理解する男だ。
 ベナウィがタトコリにいる理由を察知しても、そしてそこからベナウィが真実求めているものを酌み取っても、不思議ではなかった。

 ベナウィが叛乱に与することはないだろう。
 しかし、新しい國、新しい皇に仕えることは――心が揺れぬ訳にはいかなかった。
 その皇がこの男であるというならば、なおさらに。


 しかし背に纏う濃紺の外套の重みが、彼に個人としての想いより、国士としての慎重さを優先させる。
 新しい國。新しい皇。
 この腐った國と愚かな皇が取り替えられるのは良い。
 しかしその後にやってくるものが、見かけだけのものであってはならぬのだ。

 ベナウィは自らの価値を理解している。
 自分がハクオロの皇位を認めその許に参じればどうなるか、正確に予想できる。

 だからこそ――目利きを間違えるわけにはいかないのだ。




「――クロウ、門を開いて兵を展開させなさい」
「打って出るんですかい? そりゃあ頼りにならねえ壁ですが、最初から門を開けるのは得策じゃねえですぜ?」
「出戦ではありません。兵達に立ち会ってもらうためです」
「ッ! 大将まさかッ」

 察したクロウが驚きの声を上げるのをよそに、ベナウィは今や朝の光が降り注ぐ櫓の一番前に出でて、高らかに声を上げた。


「貴方の覚悟はよく分かりました。しかし、わたしもまた覚悟を持ってこの地へ赴いた身。そのわたしに主を変えよと言うのであれば」

 キン――と、その手に持つ槍が刃鳴りを起こす。

「――ハクオロ。貴方の力で、『わたしの皇』たる資格を証明しなさい」



 そう言ってベナウィは一気に手すりを飛び越え、ハクオロら叛乱軍の前に降り立ったのであった。









[16787] うたわれぬもの  建国編  18  決着
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/01/12 23:55
 だれがこのような展開を予想しただろうか。

 濃紺の外套を翻して櫓から飛び降り、身を深く沈めた優雅な身のこなしで着地するベナウィの姿をあっけにとられて見ていた民たちは、槍を片手に
立ち上がり顔を上げた侍大将の気迫に押され、一歩無意識に退いてしまう。

 強い――彼を前にした民は一斉に理解した。
 いま眼前に現れたこの武人は、自分たちが束でかかっても敵わぬ相手であると、本能で悟った。

 だれがこのような光景を予想しただろうか。
 たった一人の男が、数百人もの軍勢と対峙し、刃を交えることさえなく一歩を退かせたのである。

  
 伝説が、生まれようとしていた。





 一方、関門の内側では。

「開門、開門ッ! ぐずぐずすんじゃねェ、急げッ!!」

 クロウが怒声を上げて兵達を動かしていた。
 てっきり叛乱軍どもと門の開閉をめぐって戦うことになると思っていた兵達は、見えない場所で起こった事態の急変に理解が追いつかず、門を開いて
外に出ろとのクロウの命令に困惑して動きが鈍い。
 それがクロウをますます苛々とさせる。
 兵たちの困惑もわかるが、今は一刻を争うのだ。

 クロウは別に、自分らが出て行かなければやられてしまうのではないかとベナウィのことを心配しているわけではない。
 クロウの自慢の『大将』はそんなヤワではない。共に戦場を駆けたクロウは、もっと危険な状況から涼しい顔をして帰ってくるベナウィを何度も見て
いるのだ。
 ではなぜ彼はそんなに急いでいるのかというと――

「急げっ! 早く出ろっ! 始まっちまうだろうが!」

 クロウは、見たいのだ。
 彼の『大将』が――あの、苦労人で頑固で律儀で分別くさくて理性的で、しかし誰よりも深くこの國と民を愛し、愛するがゆえに憂いているあの大将が、
あの不思議な白面の男とどのような顔で向き合い、どのような言葉を交わし、どのような結論を出すのか、その目で見届けたいのだ。

 クロウとベナウィは、ベナウィが侍大将になってからの付き合いである。それは時間にすればまだ五年ほどの期間にすぎない。
 しかし短くとも、戦場で命を預け合った日々が築いた絆は時間の長短では測れないものがある。クロウは他の誰よりも、このベナウィという希代の傑物の
ことを知っている自信があった。
 その彼にして、さきほどベナウィが見せた表情はまるで見知らぬものであった。

 あのハクオロとかいう仮面の男は、たった一度会っただけで、ベナウィから副官でさえ見たことのない表情と感情を引き出した。
 それがクロウには少しだけ悔しく――大声で叫びたいほどに痛快であった。

(大将、先におっぱじめねえでくだせェよ! 後生ですぜ!!)

 鬼の形相で兵を動かすクロウの叱咤の甲斐もあり、兵たちはその後速やかに門外への展開を完了する。
 いよいよ陽が昇り朝になりゆく峠の上に、両軍はベナウィを遠巻きに取り囲むようにして対峙する。
 

 舞台は整った。
 こうして、後々の世まで語り継がれる「タトコリ峠、夜明けの一騎打ち」は幕を開ける。






※ ※ ※







「おびえるなっ!」

 ベナウィの劇的な登場に呑まれかけた味方に、そう活を入れたのはオボロだった。
 民が一歩退くところを彼はむしろ軍の先頭に進み出て、双刀を鳴らして見事な構えをとる。
 つま先が土を噛み、足腰は力をため込むように低く構え、目は爛々と輝いている。さながら狩りを始める前の狼であった。
 しかし。

「――待て、オボロ」
「止めるな兄者、アイツは俺の獲物だ」

 ハクオロの制止を、オボロはうなるような声で拒否する。
 オボロにとって、ベナウィは因縁の相手であった。

 最初に会ったときは赤子の手をひねるように倒され、殺す価値も無いとまで侮辱された。
 再び会ったときは地下牢で情けを掛けられた。
 三度目に焼け落ちた集落で会ったときは、手下の大男が邪魔をして戦うことすらできなかった。
 自分は誰よりも強い。強くなければならない。一族のためにも、最愛の妹のためにも……オボロのその誇りを、ベナウィはそのたびに踏みにじった。

 だからこそ、アイツは俺が倒す。
 そう固く心に決めていたオボロであったが。

「オボロ!」
「……くっ」

 再度のハクオロの声に、オボロは構えはそのままに一歩だけ引いた。
 オボロとて分かっているのだ。ベナウィの眼中には今、自分など映っていないことを。
 ベナウィが現れたのは、そして戦いを挑んでいるのは、ただ一人、ハクオロだけであるということを。
 しかし――それを認めるのは、あまりに苦しかった。

「兄者、俺にやらせてくれ!」
「駄目だ」
「アイツは強い。それは兄者もよく知っているだろう。このなかでアイツと戦えるのは俺だけだ。違うか兄者!」

 逆手に握った双刀を顔の前で交差させる独特の構えをとったまま、オボロは振り向きもせずに背後のハクオロと言葉を交わす。

 ベナウィの強さはオボロが誰よりも認めている。そしてハクオロは、単に武力のみで比較するなら、オボロはおろかテオロよりも弱いのだ。
 だからオボロが代わりに戦う、というのは別におかしな話ではない。むしろそちらが一般的な一騎打ちの形でさえある。
 しかし、今回は事情が違うのだ。

「そうかもしれない。しかし……」

 ハクオロは答えながら、ウォプタルをおもむろに進ませ、ベナウィへと歩み寄る。

「それではベナウィを倒せても、手に入れることは出来ない」

 オボロの隣で一瞬足を止めたハクオロはそう語り、それからオボロを追い抜いて行った。
 ゆっくりと離れていく後ろ姿にオボロは叫ぶ。

「――兄者ッ」

 ハクオロはわずかにオボロの方へ振り向き、横顔で小さく頷いた。
 オボロはそれを見て、ようやく構えていた剣を下ろしたのであった。



 風が吹き、背後の森がざわめいた。
 わずかな土煙と木の葉が舞い、青く晴れた空へさらわれていく。
 木立を揺らして風は山肌を滑っていき――


 そして、峠には洗われたような静けさが残された。






※ ※ ※






 ベナウィまで十歩の間を置いて、ハクオロはウォプタルを止めた。
 長い首を押さえひらりと鞍から降り、手綱を軽く引いて頭の向きを変えさせたところに尾の付け根を軽く叩く。
 それでよく訓練された軍用のウォプタルは主の命を理解し、自軍へむけて歩き去って行く。

 ハクオロはそれを目で追うことさえしなかった。まっすぐに正面に立つベナウィを見据えたまま、腰帯(トゥパイ)にねじ込んでいた鉄扇を無言で
引き抜き、右手にだらりと下げた。家族や仲間の前ではいつも穏やかな笑みを浮かべているその口元は、今は固く結ばれている。

 ベナウィもまた無言であった。この國一番の武将とは思えぬ端正怜悧なその顔も、いまは触れれば切れるほどの鋭い闘気をその目に宿らせている。
 背には濃紺の外套。手には馴染んだ斧槍。今のベナウィは、ただそこに有るだけで魔を撃ち邪を祓うというウィツァルネミテアが子神ビシュアラムィの
化身であるかのようであった。


 無言の対峙は長くは続かなかった。
 ベナウィが槍を構えるのに合わせてハクオロも構えを取る。その緊迫した空気の中、ベナウィが口を開いた。

「――始める前に、ひとつ聞いておきましょう」
「なんだ」
「貴方が皇を名乗った、その新しい國の名を」

 ハクオロは、右手にずしりとした重みを感じながら、その問いに答えた。

「トゥスクル」
「………」
「偉大な薬師の名だ。多くの民の病を治し、傷を癒し、命を救った。私も彼女に救われた一人だ」
「この戦はその復讐、というわけですか」

 言いながら、ベナウィ自身そうではないと確信している。
 まるで否定させるための質問のようであり、ハクオロもその言葉に激することはなかった。

「始まりがそうであったことは否定しないが、今ではそうではない。第一彼女ほど争いを嫌う人はいなかった。命を尊び、人を愛し、恵みに感謝していた。
國の名にその名を貰い受けたのは、彼女のその精神を新しい國の基本として伝えるためだ」
「……そうですか」

 ベナウィの表情が一瞬、痛みをこらえるようなものになったのをハクオロは見た。

「――ではその覚悟のほど、試させていただきましょう」

 しかし、それも刹那。
 刃鳴りを起こすほどに強く槍の柄を引き絞ると、ベナウィは静かに、しかし猛然たる気迫と共に告げた。

「参ります」
「――ッ!」

 言うと同時にベナウィは十歩の距離を一瞬で詰めた。
 姿がブレて見えるほどの突進に乗せて、その矛先はまっすぐにハクオロの首を突いてくる。
 ハクオロは反射的に鉄扇をその刺突に合わせようとし――直感に従い後方へ身を投げるように飛び退る。

 ヂッ――

 布が千切れる小さな音は、いよいよ始まった一騎打ちに騒ぐ敵味方の怒号に紛れたが、ハクオロの耳には確かに届いた。
 突きを放ったはずが、何故か斧槍を掴んだ両腕を左へ大きく流しているベナウィも、その音を聞いただろう。
 ハクオロはもう一度飛んで距離を取り、長衣の襟へちらりと目を落とした。それはやはり、腹のあたりで刃物でそうされたかのようにスパリと切れていた。

 ベナウィの斧槍の先端は刃ではない。磨き上げられた円錐形の槍頭は鉄鎧さえも貫く鋭さを持っているが、本来切り裂く類の獲物ではない。
 
(突きに見せかけた胴の薙ぎ払い……いや、見せかけなどと言う程度ではない。錐で首を突き、同時に胴を斧で薙ぐ……か)

 あのまま突きを受けていたら、今ごろ目の前の地面には両断されたハクオロの亡骸が血にまみれて転がっていただろう。
 ハクオロの長衣を裂いたのは錐の先端。鋭いとはいえ刃ではないそれで、分厚い木綿の衣の、それも重ね縫いされた襟を斬り裂くとは恐るべき迅さであった。

「どうしました」

 ゆるりと槍を振り、見惚れるほどに美しい柄捌きで再び槍頭を低く沈める構えをとったベナウィがハクオロに声を掛ける。

「貴方の皇としての覚悟はその程度なのですか」

 ザッ。
 踏み出した一歩で、足下に小さな土煙が上がる。低く吹いた風がそれを流しまた散らしていく。

「旧弊を咎むるは易く、革新を成すは難し。――訓経を引くまでもない事ですが」
「……」
「理念は腹を満たせず、言葉は民を護らぬのです。ハクオロ。貴方の新しい國は、力なき虚ろな國なのですか」
「違う!」
「ならばこの私を打ち倒し、それを証明しなさい。貴方が負ければ――偽皇を担いだ罪は、貴方の一族、そして従った民全ての血で贖うことになるでしょう」

 すっと目を細め、ベナウィは言った。

「――貴方を父と呼んだ、あの幼い娘さえも」
「ベナウィ!」
「それが法です。それが誤りだというのならば……皇として民を、家族を護ると言うのならば!」

 飛び散った火花にベナウィの言葉は中断する。
 ギィン! ガィン!! ――それまでの静けさを打ち破るように積み上げられてゆく得物の衝突に、取り囲む兵たちは割れんばかりの歓声を上げる。

 一瞬の隙をついて懐に飛び込んで来たハクオロに、長物を振り回すベナウィは一転して守勢に回っている。
 どこで身につけたのか鉄扇などという取り回しの難しい得物を縦横に繰り出し、的確に急所を狙い、かと思えば小手や脚も隙あらば狙ってくる。
 至近距離は不利とベナウィが退けば、それに合わせて巧みに詰めてくるハクオロ。既に数十合を越えた打ち合いに周囲の熱狂はいよいよ高まり……

(貴方もそこまでなのですか、ハクオロ)

 裏腹に、ベナウィは冷めていく自分を自覚していた。
 次々と繰り出されるハクオロの攻撃を、ベナウィはその実余裕を持ってさばいていた。そもそも侍大将ともあろう武人に、長物は懐勝負などという陳腐な
定石が通じるはずもない。さらに言えば、ハクオロが飛び込んできた一瞬の隙でさえもベナウィがハクオロを誘うためにわざと見せたものだった。

(娘のことを出した途端に――こんな安い挑発に我を見失うような、その程度の器なのですか。貴方は……)

 これを失望というのだろう。
 ベナウィは哀しいと思った。そしてそう思った自分に驚いた。
 自分はいつの間にか、それほどまで大きな期待をこの男へ寄せていたのだ。はじめから敵で、今も命を賭けて戦っている目の前のこの不思議な男に、ベナ
ウィは裏切られたような気さえしているのだ。
 理不尽と言えば理不尽だろう。ベナウィの立場からすればハクオロは叛乱の首魁であり、國に混乱をもたらす相容れぬ敵である。その男の正体を暴き、打ち
倒すのが彼の役目であり、そのためにベナウィはタトコリまできたのだ。その目的は、もうすぐにでも果たされるのだ。
 ……だのに、ベナウィの心は喜びからはほど遠かった。

(ウィツァルネミテアよ――)

 神の名を唱え、ベナウィは迷う心を捨てた。
 この男が偽物であるのなら、どれほどに惹かれていようとも、この國と民を任せることはできない。

 また多くの血が流れよう。さらに多くの村が焼かれるだろう。しかし飽きっぽいインカラのこと、それもやがて止むだろう。
 腐りきってはいても、ケナシコウルペという國の歴史と名前には未だ力が残されている。寄生虫であると知りつつも、自分はそれを護らねばならない……

 ギンッ!!

 ハクオロの猛攻を右に左に受け流していた槍運びをベナウィは急に変える。
 踏み込んで打ち込まれた鉄扇の一撃に斧槍を添わせて、くるりと石突に円を描かせるように跳ね上げた。

「っぐ! むう……」

 一瞬、ただそれだけの動作で、ハクオロの手からは鉄扇がはじき飛ばされ、重心を崩されたハクオロの体は地に倒れた。

 飛ばした鉄扇が背後に落ちる重たげな音にも目を向けず、ベナウィはハクオロのすぐ側に歩み寄って槍を構えた。
 これで、終わる。
 周囲の誰もが叫んでいるが、ベナウィの耳には全てが遠かった。

 ……短い夢を、見た。

「――終わりです。最後の言葉があるなら聞きましょう」
「………」

 半身を起こした姿のまま、ハクオロはベナウィを睨み付けている。
 その拳が無念を物語るようにぎゅっと握りしめられ、しかし、ハクオロは無言であった。

「そうですか。それでは――」

 兄者ーーーっ! 遠くであの者が叫んでいる。
 クロウも、農民たちも、関の兵たちも、皆が雄叫びを上げている。

 決着。

 こんな形で――

「――覚悟!」

 感慨を振り切りベナウィが高く槍を振り上げたその瞬間――

 ハクオロは握りしめた拳を体の前に突きだして叫んだ。



「ヒムカミよ――!!」
「なっ……!」


 驚きに目を見張った表情のまま、ベナウィの姿は紅蓮の炎に包まれたのであった。






2011/01/12 誤字、重複表現を修正



[16787] うたわれぬもの  建国編  19  凱旋
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/01/21 23:46



「ヒムカミよ――!!」

 ハクオロの叫びは紅蓮の炎を巻き起こし、目の前に立つベナウィの姿を飲み込んだ。
 それは、オンカミヤリューの法術兵が使う火神(ヒムカミ)の術、ヒム・トゥスカイの炎であった。

 炎に包まれその身を炙られながらも、ベナウィは瞬時にそのことを悟った。このケナシコウルペには社も無く、オンカミヤムカイとは絶縁
状態であるため法術そのものはさほど身近ではないが、法術を使う敵と戦うのはベナウィにとって別に初めてではない。
 ベナウィが驚いたのは、ハクオロが法術を放ったという事実についてであり――

「なるほど、それはササンテの……」
「逆転したなベナウィ」

 炎が消えたベナウィの首筋に白刃を添えて立つ、ハクオロの冷静な目を見たからであった。
 ここにきて、ベナウィは全てを悟った。全てがハクオロの計画通りに進んだのだということを。


 法術は別にオンカミヤリュー族にしか使えない力ではない。しかし法術を使うには生まれついての素質が必要であり、また特殊な訓練と教育
が必要である。そのため法術兵のほぼ全ては、背に翼を持つ一族――オンカミヤリュー族のものである。

 しかし、素質の無い者でも法術を使う方法がある。それは、ヒムカミ、クスカミ、フムカミ、テヌカミといった神の力を宿した特別な装備を
身につける事によってである。
 その一つが、ヒムカミの指輪である。今ハクオロの手の内にあって赤く輝いているそれは、元は藩主ササンテの宝物であった。
 ”この國でもっとも強く美しいもののふ”であると自称していたササンテは、自分が法術を使えないことが我慢ならなかったらしい。むしり
取るように租をかき集め、それでも足りない分は兄インカラから借りて(それもまた新たな収奪を産む)、極めて高価で貴重なこの指輪を手に
入れていたのであった。

 その指輪が、ここにある。
 対峙したとき、また打ち合っていた最中に見たハクオロの手には、指輪など無かった。
 地に倒れ、起き上がるその時に、隠しから取り出して嵌めたのであろう。
 それはつまり――ベナウィの挑発に乗って激したように見えたのは、この一瞬を誘うためであったということ。

 いや、それよりも前。自分と一騎打ちになることから彼は予測していたということか――。


「石頭の頑固者だと聞いていたが、噂通り、いや噂以上だな。ベナウィ」
「――全ては貴方の計算通り、というわけですか」

 ベナウィは首筋に擬せられた白刃を見やりもせずに、ただまっすぐに目の前のハクオロを見据えた。

「殺しなさい」
「………」
「関守に降ったとはいえ、いまだこの身はケナシコウルペの侍大将。裏切り者の名でこの外套を汚すことはできません」

 そう言って、ベナウィは観念したように目を閉じた。

「さあ」
「……本気か」

 ハクオロは、ベナウィの言葉になんの強がりも嘘も駆け引きもないことを感じ取った。
 ベナウィは真実、ここで死ぬつもりなのだ。

 気がつけば取り巻く両軍が静まりかえっている。
 ささやくように交わされる二人の言葉が届いているはずもないが、まるで音を立てることを恐れているかのような静けさである。
 ハクオロは決心し、ベナウィにこう問うた。

「……わかった。最後の言葉があれば聞こう」
「良い皇に……民が幸せに暮らせる、良い國を」
「ああ、約束する――では」

 ――覚悟。

 ハクオロの、むしろ静かに告げられた言葉にベナウィが唇を固く結び――




 バサッ



 
 首筋に感じたのは刃の冷たさではなく、布と木の柔らかさであり。
 耳に届いたのは肉と血管を切り裂く死の鋭音ではなく、まるで鳥が目前で羽ばたいたかのような軽やかな音であり……

「これは……!」
「ケナシコウルペの侍大将ベナウィは、たった今死んだ」

 開いた目に映ったのは、開いた白い布扇を刃に見立てて、ベナウィの首に押し当てているハクオロの姿であった。

「ハクオロ、貴方は――」
「これからは、トゥスクルの侍大将ベナウィとして……生きて貰うぞ」

 ベナウィは何かを言い返しかけ、ハクオロの何もかもを分かっているかのような目を見て口をつぐんだ。
 ハクオロの顔に、勝利の高揚は無かった。はじめて会ったあの時――焼け落ちたチャヌマウで対峙したときと同じ眼をしていた。
 もし地獄(ディネボクシリ)という場所が本当にあるのなら、自分はそこへ落ちるだろうと告げた、あの時と――。


「ふっ……ふふふ、はっはっはっはっはっは――!」

 気がつけば、ベナウィは声を上げて笑っていた。
 その明るい笑い声は、静まりかえった両軍兵士の上に、戦いの終わりを告げる角笛のように響き渡ったのであった。





※ ※ ※





「大将が……笑って……」

 兵達の先頭に立って一騎打ちの推移を見守っていたクロウは、突如響いたベナウィの朗らかな笑い声に呆然とつぶやいた。

 彼の知る侍大将ベナウィは、およそ笑うという行為に縁遠い人間であった。人柄は元来物堅く、浮かれるということのない質である。それに
加えて若くして背負った侍大将という役目と、目を覆わんばかりの國の状態が、彼に笑うことを許さなかったのだ。
 夜営時に宴となり、兵達がおどけた踊りや歌で座を湧かせても、せいぜいが微笑み程度。このように声を上げて笑うのはクロウですら初めて
目にする。もしかすると、本人でさえ生まれて初めてなのかもしれないとクロウは思った。

 しかし、初めて聞く彼の大将の笑い声はなんと明るいのだろう。なんと――若く希望に満ちているのだろう。クロウはそこでようやく、ベナ
ウィが己よりも年下の、未だ青年と呼ばれる年齢でしかないことを思い出した。

(大将……生まれて初めて、負けちまいやしたね)

 しかし、それが全く不快ではないのはなぜだろう。
 関の防衛に失敗したのに、どうしてこうもすがすがしく、痛快な気分なのだろう。
 
 ここからではハクオロとベナウィがどのような言葉を交わしたのか聞くことは出来なかったが、クロウは今、まるで手に取るようにベナウィの
気持ちが分かる。
 ハクオロは――あの白い仮面の男は、ベナウィを解き放ったのだ。
 ケナシコウルペの侍大将という呪いからベナウィを解放し、一人の青年ベナウィへと戻らせたのだ。
 あの頑固者をよくぞ……クロウの心に浮かぶのは、ハクオロへの素直な賛辞。

(かなわねえ……アンタはやっぱり、うちの大将が見込んだ男なだけあったぜ。完敗だ)

 そしてクロウもまた、覚悟を決める。
 笑いを収めたベナウィはいま、全軍が見守る中、武器を捨て、ハクオロの足下に跪いた。

 それを見て、クロウもまた腰から大刀を鞘ごと引き抜き地に投げ捨て、背後の兵たちに振り返って怒鳴った。

「戦は終わりだ! 手前ェら武器を捨ててひざまずけ! 新しい皇の御前だ!」





※ ※ ※






 一方、状況が分からず混乱していたのがタトコリ関の西門、ハクオロとベナウィが大立ち回りを演じた場所とは反対側の森で、合図は今か今かと
待ち構えていたドリィグラァの双子率いる、チクカパ村をはじめとする中央部叛乱民の面々である。

 はじめにドリィグラァに託された使命は、獣も迷うと言われる険峻を乗り越え、フマロを送り出したチクカパ村へ赴き、そこにいる叛乱民をまとめ
て明朝のタトコリ攻めに参加することである。急なこともあり、人数は集められるだけで良い、とにかく自分たちが攻めている最中に駆けつけて、
敵の後方を混乱させてくれるだけで良い、という、時間重視の命令であった。

 しかし、ウォプタルを乗り捨てながらタトコリの森へ分け入りキママゥもかくやという速さで山を登った二人が真夜中に村に着くと、そこで待って
いたのは200名を越える武装した男達であった。
 防具など無く、手に持つ得物は斧や鎌、木を削っただけの槍という有様。しかしその全員が壮絶な目をしていた。
 短い誰何の後、ハクオロの作戦通り森を進むことになったが、全員は連れて行けなかった。夜の森を進むには目立ちすぎるのだ。
 それで村長らと諮り人数を50人まで減らし、さあ出発、となったところでオボロの配下の若者がふらふらになりながらやってきて、作戦の一部
変更を告げたのであった。

 奇襲の中止。降伏勧告を行うこと。
 戦鼓の斉打による演出。これは注意を引きつけるのと同時に、関向こうに伏せるドリィたちに戦闘の開始を伝える目的もあった。
 そしてもし戦闘となったら、鏑矢にて西門襲撃のタイミングを伝えること。

 それを伝えるなり若者は気絶してしまったが、大事なことは伝わった。
 強硬意見が出るかと思ったが、二人の説明に集まった民たちは異を唱えなかった。

 そして、いま。
 関の向こうで戦鼓が鳴り響き、ふれ係の美声が響き、急に関の中が慌ただしくなり、歓声がわきおこり――

 ――明るい、こころの底からの溢れるような笑い声が聞こえてきたのである。



「え? 笑い声? どういうことドリィ?」
「ボクもわかんないよそんなの! あ~ん、若様~!」

 鏑矢の合図があるまで動けない。動くなと言う命令である。
 しかし見えない場所、関の向こう側で状況がどんどん動いているのにその状況がまったく分からないというのは恐ろしく不安だった。

 そのとき、木の陰からのぞき見ていたタトコリ関西門の扉が内側から開かれた。

「「――!」」

 高まる緊張。
 ドリィグラァは矢をつがえて静止する。背後の藪に伏せる農民たちも武器を握りしめて息を呑む。

 しかし、そこから現れたのはあまりにも意外な人物であった。


「おい、二人とも。出てこい」

「「わ、わ、若様~~~~!?」」

 現れたのは、数名の手下を従えただけの、抜刀もしておらぬオボロであった。

「ご苦労だったな。みんなを連れて関に入ってくれ」
「若様! 一体何がどうなったんですか!?」
「若様! お怪我はございませんか! 兄者様はご無事ですか!?」

「「若様!!」」

 聞きたいことが多すぎてパニックのようになりながら駆け寄ってきた二人に、オボロはどことなくつまらなさそうに、そっけなく、
大変なことを告げた。

「戦は終わった。ベナウィは降伏して、関の連中含めて兄者――ハクオロ皇の配下になった。つまらんな」
「ハクオロ――皇!?」
「兄者様は皇になられたのですか!?」

 そういえば、こいつらは知らなかったか。オボロは二人が出発した後で藩城の一室で起きた驚くべき出来事を教えようとして

「面倒臭い」
「「若様あ!」」

 何を言うにしても言葉が揃う二人の、教えてください! という見上げるような眼差しにニヤリと笑ってみせるのだった。

「長い話なんだ。後でゆっくり教えてやる。それより今は兄者が呼んでいる。行くぞ」






※ ※ ※






 戦うことなく開かれたタトコリの関。
 ハクオロはまず関の兵たちに、去る者は見逃すこと、ベナウィと共に降るものは咎めぬことを告げた。去る者はいなかった。
 関には当面警備を置き、一旦藩城へ帰還すること。そしてそこであらためて、中央部の農民たちや降伏したベナウィ一党を正式に
迎え入れ、トゥスクル國建国を公式に宣言することを告げた。
 関にはオボロの配下の屈強な戦士達が残されることに決まった。

 全ての準備が整い、藩城目指して凱旋の隊列が出立したのが昼前。
 テオロやウー、ヤー、ターなどは歩きながらこう語り合うのであった。

「ものすげェ時間が経ったみてェだけどよ、まだ昼飯前だぜ」
「なんだか長い一日だったねぇ。いろんなことがありすぎて目が回りそうだよボク」
「……一日じゃない。まだ、半日」
「なにはともあれ、犠牲が無くてなによりダニ」

 勇ましさには欠けるが、これらの言葉は藩城から出撃した農民たち全員の、偽らざる気持ちであっただろう。


 行きは馬車の集中運用によって駆け抜けた道のりも、帰りは徒歩でおよそ二刻半の道行き。
 藩城にはすでに味方大勝利の早馬が飛んでいる。
 遠くに見えた藩城の城門前には出迎えの女房たちが、祈るような表情で群れを成していた。

「おおおーーーい! 帰ったぞーーーっ!」
「勝ったぞーーーっ!」

 わぁぁっ  わぁぁぁっ

 家族の姿が見えるや、雄叫びのような声がわき上がる。
 それに応えて女達のいる城門前も一気に騒がしくなる。

 ハクオロは列の先頭でウォプタルを歩ませながら、これからの事を考えていた。
 今後の戦況予測、戦略。中央農民たちの扱い。増えた味方の分の食料物資の確保。そして、武装解除されたが騎乗を許され今はハク
オロの斜め後ろでウォプタルを歩ませる、ベナウィの処遇……

 考えながら、ハクオロは群衆の中に家族の姿を探していた。
 今は亡きトゥスクルから託された、大切な彼の家族を……

(エルルゥ、あの子には心配ばかりかけている。……アルルゥも、見送りには来てくれなかったが……)

 そこで、ハクオロは見る。
 群衆の一番先頭に立つエルルゥと、ムックルの白い巨体を抱きしめるようにまたがったアルルゥの姿を。

 ――そして、聞く。
 歓声に満ちるこの城門へ続く道の上に、いつの間にか妙なる調べが流れている。
 そのことに、歩き続ける民らも気がつき始めた。

「……なんだ? 楽の音が……空耳か?」
「空耳じゃねえ、これはユナル(弦楽器の一種)だ。それにしてもこりゃあたいした腕だ……」
「誰だ弾いてるのは」
「楽でお迎えたぁ雅だな、わはは!」

 近づくほどに、明るい曲調のユナルの調べが聞こえてくる。
 音の源を探し、城門の上にある小さな櫓にハクオロは目をやり――

「アオロ」

 そこで小さな椅子に浅く腰掛け、瞑想するように目を閉じて流れるような指遣いで弦を押さえ弓を弾いているのは、このタトコリ攻めを
大勝利に終わらせるのみならず、ハクオロに重大な決意をさせる進言を行った少年、アオロであった。
 頭の良い少年だと思っていたが、楽の心得まであるのか。
 ハクオロはますます、彼がどのような生まれなのかが気に掛かり。



 ――そのため、気がつくことが無かった。


 彼の背後でベナウィが、一騎打ちの時にも見せたことのない張り詰めた表情で、アオロを見上げていたことを。









[16787] うたわれぬもの  建国編  20  夜曲
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/01/30 20:48


 父さん達がタトコリへ向けて出陣した夜。
 藩城は家族の無事を祈る粛然とした静けさに包まれた――



 というのは嘘で。

 初めて経験する、戦に行った家族の帰りを「待つ立場」は、想像以上に逞しく、騒々しかった。




「ちょっとラウネ、モロロ粥もうこれっぱかししか残ってないのかい?」
「干しモロロ、古くなったのが蔵にあったろ。アレも持ってきちまいなよ」
「何言ってんだい、そんなのもう無いよ! アルルゥの飼ってるあのでっかいのが全部食っちまったさ」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ! ほら、アルルゥも謝んなさい!」
「はぐはぐ……ん?」
「アハハ、いいんだよ! エルルゥもアルルゥも気にしなくて。あの後ハクオロがたーんと仕入れてくれたしさ!」
「チマク持ってきたよおばちゃん! ……って、あんた何ぼーっとしてんのさ」

 両手にチマク山盛りのザルを持って厨から戻ってきたノノイに声をかけられて、ようやく俺ははっとした。
 いや、実に賑やかだ。酒こそ無いが、みんな良く食べるし良くしゃべる。

 城門でみんなを見送ったあと、母さんからノノイの過去を聞かされて、きっと母さんとノノイと俺の三人で静かに過ごすことに
なるんだろうなとか思っていた時期が俺にもありました。
 それがどうして、いつの間に、こんな宴会もどきの賑やかな夕餉になっているのやら……


 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。
 隣でおしゃべりをしたり料理をつぎ分けたりしていた母さんが、俺の前に煮た川魚を乗せた皿を置きながら、すこしだけ小さな
声で話しかけてきた。

「不思議かい? みんなが戦に行ってる時に、あたしらがこんな風に過ごしてるのがさ」
「……ちょっと、うん」

 正直に俺は頷いた。
 すると母さんは優しく笑って教えてくれた。

「これが、あたしら女の戦いなんだよ」
「……戦い?」
「そう、男達だって敵と戦うときは集まって戦うだろ。それと同じさ。あたしら女も、一人でいると負けちまうから集まるのさ」

 不安という敵に――母さんは最後までそう言葉にはしなかったけど、俺には分かった。
 戦場で刃を交える男だけが戦っているのではなく、後方で待つ女たちもまた戦っているのだと。
 だから、この賑やかさは武器。明るい笑い声やおしゃべりは鬨の声。冬の獣のように身を寄せ合って不安と戦い、夜を越すのだ。
 戻ってくる男たちを元気に、笑顔で迎えてあげられるように。

「だからほら、あんたもそんな顔してないでお食べ。贅沢はできないけど、量だけはたんとあるんだからさ」
「うん――いただきます」

 俺は母さんに頷き返して、椀を手に取った。
 そして少し酸い味付けの汁をすすりながら、場を見渡す。母さんの言葉を聞いた後の今だと、確かにいろいろと分かることがある。

 決してご馳走が並んでいるわけではない。モロロ餅にモロロ粥、チマクにユシリの根の煮物。動物性タンパク質は干し魚を煮て
戻したものが入っているこの汁物くらいのもので、むしろいつもより質素と言って良いくらいだ。
 たぶんこれらは、古くなった食材や余り物を集めて作った料理なのだろう。夜番の兵たちには肉の入った具を詰めたモロロ餅を夜食
として配っているはずなのだが、この席には肉どころか乳や蜜さえ無い。

 そして照明も控えめだ。厨近くの二間続きの大部屋で俺達は集まっているのだが、部屋の端に燭が二つだけ。あとは部屋の中央にある
囲炉裏にくべられた薪の燃える炎だ。
 料理と手元と、お互いの顔だけが明るく照らされていて、部屋の隅には闇が落ちている。

 これは戦いなのだ。
 贅沢をして楽しむのが目的なのではなく、大変なときこそ集まって支え合い励まし合う、辺境の女達の知恵なのだ。
 この部屋にはヤマユラから来た女達が主に集まっているが、きっと今夜はこの城のあちこちで同じような集まりがあっているのだろう。

「美味いだろ、アオロ」

 振り向いた母さんの顔は囲炉裏の炎に照らされて、不思議な陰影を映していた。
 優しさと強さが同居したその横顔に、俺は一瞬見とれた。
 変な意味じゃなく、本当に、純粋に綺麗だと思った。

「母さん――」

 記憶のない俺にとって、これまでその言葉はどことなくくすぐったい、ぎこちなさの残る言葉だった。
 でも、今。
 俺の口から出たその言葉は、なぜだかとても自然に出てきた。

「ん? なんだい」
「……なんでもない。おかわり」
「よしよし! たくさん食べな! ――エルルゥ、そこにあるユシリの根の煮たやつこっちに回しておくれ!」


 ――こうして、世にも質素で逞しい宴はますます賑やかに進んでいくのだった。





※ ※ ※





 
 エルルゥとアルルゥはやがて、例のお姫様――ユズハのところに行くために席を立った。
 藩城で暮らし始めて一月ほど経つけれど、俺はいまだユズハに会っていない。
 ユズハが没落したとはいえ旧皇族の姫君で、かつ盲目でとても病弱な少女であるという身分や健康の問題もあったが、対面を果たせない
最大の理由は、彼女を溺愛して止まない兄の存在だろう。
 普通は割と気さくでいい人なのに……ユズハのことが絡むと急に頭がおかしくなるのだ、あの人は。

「なんだいアオロ、エルルゥたちが出て行ったほうをぼーっと見つめたりして」
「いや、オボロさんの妹のユズハさんって、どんな人なのかなって……」

 つい正直に応えてしまったら、周囲のおばちゃん達が急にニヤニヤし始めた。

「おやおや、女の子が気になる年頃かい?」
「アタシぁ一度お目にかかったことがあるけどさ、綺麗な娘だったよ。肌なんて真っ白でさ。でもなんだか儚い感じの子だったねえ」
「あれアンタ儚いなんて言葉知ってたのかい」
「やめときなよアオロ。あのおっかない兄貴にぶっ殺されちまうよ」
「違いない、あっははは」

 母さんやノノイと同郷のこのおばちゃん達とは、もう馴染みの仲だ。
 親切で優しいんだけど、発言にデリカシーが時折欠けるのが玉に瑕。
 こういう時は下手に反論したり否定したりしないのがコツだとようやく学びました……。

「ああいうのが好みなのかい? あんた」

 母さん……だから蒸し返さないでってば!
 幼児を別にして唯一の男である俺はこうしてしばし、おばちゃんたちのオモチャにされたのだった。



 やがて皆腹がくちくなった頃、囲炉裏にかけられていた鍋がふたをして外され、代わりに茶を沸かす大きな鉄瓶が掛けられると、不意に
座に沈黙が降りてきた。
 鉄瓶がたき火の炎に熱されて立てるチン、チンという音が、薄暗い部屋に響く。城の別の部屋から聞こえる話し声が部屋に遠く届く。

「――今、どのへんかねぇ」

 囲炉裏の炎を見つめたまま、一人がつぶやいた。
 何の脈絡もなくつぶやかれたその一言は、しかし、何よりも雄弁にこの場に集う女性たちの本音を露わにしていた。

「月が明るいから、大丈夫だよ」

 応える言葉も、答えになってはいない。
 でも、皆、理解していた。俺でさえ、理解した。

 本当は皆、心配で心配でたまらないのだ。
 こうしている間にも愛する夫や息子は戦場へ進み、もしかすると帰ってこないかもしれないのだ。
 月が明るいから大丈夫――そんな、理由にもなっていない理由にすがってしまうほどに心配なのだ。

 いけない。
 母さんは、これは戦いだと言った。だとすれば、今、俺たちは負けつつある!
 でも、なんと言えば、何をすれば……!
 
 ぱん、ぱん、ぱん!

 力強い手拍子を打って場の雰囲気を打開したのは、やはり母さんだった。

「ほらほら、今はそういう話は無しだよ! それより誰か、歌でも歌っておくれよ」
「そうだね、それがいいさ! ほれヒオイ、あんたの得意のヒビウラ、ひさびさに聞きたいねえ」
「明るいのがいいね。ヒジャ・クタルムィとかさ!」
「歌ってもいいけど、誰かユナルを弾いておくれよ。歌いながら弾けるほどあたしゃ芸達者じゃないんだから」
「そんならカヌイの出番さ! カヌイ、頼むよ」

 ぽんぽんと進むやりとりに、俺はいきなり取り残された。
 ヒビウラ? ユナル? ヒジャ……なんだって??

 初めて聞く単語の数々に俺はぱちぱちと瞬きをした。
 ずいぶんと馴染みの深いものらしく誰も確かめたり聞き返したりしない。話の流れから、たぶんヒビウラってのは歌の種類で、ユナル
ってのは楽器なんだろう、ヒジャなんとかは……曲名だろうか。そのくらいは予想できたが、詳しいことはさっぱりわからない。

 記憶がないというのはこういう時に便利だ。
 ここはひとつ、素直に質問しよう。俺は隣の母さんの袖を引いて話しかけた。

「母さん、ヒビウラってどんな歌のこと? あと、ユナルって何?」

 俺の問いかけは、ずいぶんと母さんを驚かせたらしい。ついでに俺達の会話を聞いていたらしいノノイまでもが目をまん丸にしている。
 その反応に俺は焦った。もしかして俺とんでもない失敗をしてしまったのか!?
 しかし、母さんはすぐに驚きを消し、かわりに目を細めて俺の額のやけど痕をそっと撫でてくれた。

「あんた、そんなことも忘れちまったんだね……」

 なんか哀れまれてしまった。ノノイも目尻を下げて気まずそうにしている。
 ……便利だけど、もうこの手は使わないようにしたほうがいいのかな……。俺はすこし反省した。

「ヒビウラってのはね、昔話とか言い伝えを唄にしたものさ。子供はみんな親や村の年寄りからヒビウラをならって、そいつを歌い覚える
ことでこの國や村の歴史なんかを覚えるのさ。……あんただって、あんたの本当の親御さんから教わっていたはずなんだよ」

 その説明を聞いて、母さんたちの驚きの理由がよくわかった。
 つまりはヒビウラというのは、文字の読み書きが出来ない農民達による文化や歴史の保存・伝承であり、初等教育なのだ。
 明るいのがいい、というリクエストのあとに出てくるくらいだし、子供も口ずさむほどだから、内容はそれほど入り組んでいたり難解
だったりはせず、面白くて歌いやすいものなのだろう。民謡みたいなものだろうか。
 それを忘れたという俺は――本当は知らないだけなのだけど――例えるなら「ガッコウって何?」と質問したようなものなのかもしれない。

「そしてユナルってのは……実物見せた方がいいかね。カヌイ、その今持ってるユナルを、ちょっとうちの子に見せてやっとくれ」

 考え込む俺をよそに、母さんは囲炉裏の向かい側にいる中年のおばちゃんに声を掛けた。
 カヌイと呼ばれた太っ……ふくよかなそのおばちゃんは、あいよと気軽に座り掛けていた腰を再び上げて、ドスドスとこっちまで歩いて
来てくれた。
 その手にはなんだか三味線に似た楽器が持たれている。
 ただし、もう片方の手に持たれているのはバチではなく弓だ。
 俺がすこしノノイの方にずれて場所を作ると、カヌイさんは俺の隣にどっかと腰をおろした。

「アオロ、このカヌイはね、ヤマユラじゃあ一番の芸達者なのさ。ユナルもリギもなんでもこいの名人なんだよ」
「これでもうちょっと器量が良けりゃねえ、都の楽人様にでもなれたんだろうけどさ!」

 母さんの紹介を誰かが混ぜっ返して、笑いが起きた。
 俺は笑っていいのかどうか迷ったけど、母さんも言われた本人のカヌイさんも笑ってるから、いいのか。

「都暮らしなんてあたしゃゴメンだね。ヤマユラが一番だよ――ほぅらアオロ、これがユナルさ」

 おおらかに笑うおばちゃんは、そう言って俺の手に楽器を渡してくれた。
 礼を言って受け取り、俺は観察した。

「胴も竿も普通の木だし、弦だって安物だからね。あんまりいい音は出ないんだけどさ」

 言いながら、弓の毛を外して弦の下をくぐらせセッティングしてくれている。
 ああ、何かに似てると思ったら、あれだ。
 中国の二胡に似てるんだ、これ。
 弦は三本あるし、胴は丸いけど。
 
 弾いてみろ、と目で言ってくれるけど、どう構えたらよいかわからなくて俺があたふたしていると、おばちゃんは正面から手を伸ばし、
右手に弓を持たせ胴を左足の付け根に押し当てる姿勢を取らせてくれた。
 俺は弦を適当に押さえ、おそるおそる弓を弾き――

 ギギーーーュイン、と聞くに堪えない不協和音をかき鳴らした。

 俺の様子を見守っていた周りのおばちゃん達はそれを聞いて明るく笑った。
 どうやら、初めてだとこんなものらしい。俺は照れたけど、みんながすこしでも楽しくなってくれたなら良かったと、カヌイさんにユナルを
返そうとして……


「――どうも変だね」


 カヌイさんだけが笑っていないことに気がついた。
 変とはどういう意味かたずねる間もなく、カヌイさんは次の言葉を――


 ――そして、今後の俺の人生に大きな影響を与えることになる一言を告げた。




「アオロ、あんた……本当は左利きなんじゃないのかい?」





※ ※ ※

 



 え? と俺は声を上げた。

 俺が左利き?

 そんなまさか。
 だってさっきの食事の時も、俺は右手で箸を使って食べていたじゃないか。
 ボールを投げろ、字を書けと言われたら、右手を使うだろう。それは間違いない。

 ――そう、俺は。


 その時、俺はカヌイさんの言葉が暗示している別の可能性に気がついて息を呑んだ。

 俺は右利きだ。それは確かだ。
 だが……この体は?

 俺が憑依する前の、チャヌマウの集落で暮らしていた頃のこの体の持ち主は――?


「アオロが左利きだって? なんだってそう思うんだい」

 俺が言葉を失っていると、母さんがカヌイさんに質問してくれた。
 その表情にはもう笑いはない。変なことを言い出してと怒るのではなく、教えて欲しいと請うように。
 カヌイさんはそんな母さんと、それから俺の顔を見て、考えをまとめながらのようにゆっくりと話しだした。

「構えがおかしいのさ」
「そりゃ初めてだからじゃないのかい?」
「あたしもそう思ったけどさ、それにしては……うまく言えないけど、体つきというか、弓を持つ手がこう……」

 言いながらカヌイさんは俺の右手を掴み、弓を取ろうとして。

「――!」

 大きな顔の大きな目が、丸く見開かれた。
 弓から手を離し、俺の右手のひらと指を握り、さすり、持ち上げて灯にかざして見つめ、それから言った。

「あんたのこの指、タコが出来てるよ。これはユナルの弦タコだ」
「弦タコ?」
「あたしの手を見てみな」

 そう言ってカヌイさんは俺の前に自分の手を差し出してきた。――左手を。

「ユナルは弦を強く素早く押さえなきゃいけないから、ユナル弾きは利き手とは反対側の手に、タコができるのさ」

 目の前に突き出されたカヌイさんの指は、農民らしく太くてたくましかったが、人差し指と中指と薬指、この三本の指の腹の皮だけが分厚く
固まっている。
 そして俺の右手には確かに――左右対称の同じ場所に、似たようなものがある。
 俺にとっては右手が利き手だからさほど気にもしなかったが、たしかに、ある……!

「これは……どういう……」
「待ちな、いま弓と弦を逆にしてやるから」

 驚きのあまり言葉が上手く出ない俺の膝からユナルをとりあげ、カヌイさんは慣れた手つきで弓を外し、弦を張り替えていく。
 急展開に心が騒ぎ、自然と目は母さんを探す。いない。さっきまでカヌイさんの後ろにいたのに、どこへ……。

 急にぎゅっ、と肩を抱かれた。
 振り向くと母さんはそこにいた。俺を見て、力強く頷いてくれた。

「大丈夫、あたしがついてるからね」

 その声の力強さ、肩を抱く手の優しさ、温かさ……背後に感じる母さんの存在が、俺を落ち着かせてくれた。

 この世界で目覚めてからずっと悩んでいたこと――ふたつの意味での「”俺”は何者なのか」。これから起きることはきっと、そのうちの
ひとつ、「”この世界の俺”は何者だったのか」の答えに近づく大きな手がかりとなるに違いない。
 その予感と期待で、今でも息苦しいほどだ。
 でも、もう取り乱してはいない。舞い上がりかけた心を、母さんが落ち着かせてくれた。
 落ち着くと、周りが見えた。

 囲炉裏を囲んで歌でも歌おうか、と言っていたのどかな雰囲気はどこかに行ってしまっていた。
 全員が囲炉裏のこちら側に移ってきて、俺とカヌイさんを囲むように顔を並べて見守っている。

「ああもう、みんなもうちょっと離れとくれ! 暗くて手元が見えやしない!」

 失礼ながら楽器を扱う人とは思えないほど太い指で、器用に弦を張り替えていく――左利き用のセッティングにしてくれているカヌイさんが
目も上げず手も止めずにそう声をあげた。
 折り重なるように身を乗り出していたみんなはそれで気がつき、わずかに距離を開ける。気の利いただれかが部屋の端にあった燭を一台持って
きて、俺達のすぐ側、囲炉裏とは反対側に置いた。二つの光源に挟まれて、俺達のいるところはまるでステージのように明るくなった。

 つんつん、と誰かが俺の腕をつついている。
 振り向くと、母さんの背中にしがみつくようにしてこちらを伺っているノノイと目があった。

「ノノイ」
「……失敗しても、笑わないからね」

 大まじめに言ってくれるその言葉に、俺は少々ずっこけて、思わず笑ってしまった。

 ああ、全く。
 ノノイの言うとおりだ。
 どうやら俺は、落ち着いたつもりでまだ浮ついていたらしい。まだなにもはっきりしてなんかいないのに、左手で弾いてもなんにもおこらなくて
みんなから「なあんだ」と笑われるかもしれないのに。
 ふっ、と心が楽になった。体の余計な力が抜けて、リラックスできた。

 ――すごいなあ、ノノイは。
 俺は心の中でつぶやいた。
 あのお団子髪の元気娘はいつだって、本能と直感で大事なことを理解している。

「ありがとう」

 笑顔で礼を言って、顔を正面へ戻す。
 ちょうどカヌイさんが弦の張り替えと弓張りを終え、音を確かめているところだった。
 母さんの手が、押し出すように俺から離れた。

 そしてカヌイさんがついに、俺にユナルを手渡してきた。

「さあ、さっきとは逆に持ってみな。あんたのその右手が本物なら……体が教えてくれるはずさ」
「はい」

 集まる注目も、沈黙も、もう気にならなかった。

 右脚の付け根に胴を据え、右手で細長い棹を握り指先で弦の感触を確かめる。
 左手で弓をつまむように握り、肘を曲げて体の自然に動くままに構える。

 目を閉じて、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
 ユナルを、俺にとっては初めて触るこの楽器を、”俺”が弾けるとは思わない。
 だから俺は自分を捨てる。いまからこのユナルを奏でるのは、俺の中で眠っている君――あのとき俺に涙を流させた君だ。

 さあ、また聞かせてくれ。
 君の声なき声を。今度は涙ではなく、ユナルの響きで……!






※ ※ ※







 ユズハの部屋は、藩城の奥まった一角にある。
 ササンテが住んでいた頃は愛人でも住まわせていたのだろう立派な造りのその一帯は、今はハクオロの命によりユズハとその侍女たちが住まう
この城でも最も警備の厳しい場所となっている。

 その部屋にいま、エルルゥとアルルゥが訪れていた。
 ヤマユラのみんなと食事をしたあと、一度エルルゥの部屋に立ち寄り薬箱を取ってからふたりで来たのだった。
 エルルゥはユズハのための薬を煎じに。そしてアルルゥは友達になったユズハと遊びに――

「こらっ! アルルゥ!」
「はぐはぐ……ん?」

 もとい、ユズハの枕元に置かれた果実を食べに来たのだろうか。

「勝手に食べちゃだめっていつも言ってるでしょうっ」
「……ごちそうさまでした」ぺこり
「違うでしょうっ! そのもっと前!」
「お姉ちゃんも食べる?」
「あのねえええ! わたしはうらやましくて怒ってるんじゃ……」
「……くすっ」

 いつもながらの姉妹喧嘩に、部屋の主が小さく笑う。
 それにはっと気がついて、エルルゥは顔を染めて謝りだす。

「あ、ご、ごめんなさい。ユズハちゃん。騒がしくしちゃって……」
「エルンガー騒がしい」
「ア・ル・ルゥ……!?  ……ったくもう」
「ふたりとも、いつも仲良しで、うらやましいです」

 小さな、しかし水晶の鈴を鳴らすような澄んだ声で、ユズハは話した。
 彼女を盾にするように、エルルゥとは逆側へやってきたアルルゥが寝台の側に立ち、友人の手を握る。

「ユズっち」
「アルちゃん」

 名前を呼び合った二人は、ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。
 それを見ると、エルルゥはアルルゥをこれ以上叱れなくなってしまうのである。
 甘いなあとは思うけれど、今は何より、これが薬なのだ。

 ユズハは生まれつき病弱で、その病は治る見込みがない。幼い頃の高熱のせいで視力を失い、今も度々起こる発作を高価な薬と懸命の看護で
どうにか乗り切っている、そんな状態だ。
 しかし。――いや、それだからこそ、なのだろうか。
 ユズハは美しい少女であった。

 寝台の背もたれに細い体を預け、アルルゥと手を触れたり髪に触れたりしながらたわいもない話をしている彼女は、同性であるエルルゥから
見てもみとれるほど繊細で美しい顔立ちをしている。肌は陽を知らぬように白く、髪は夜のように黒い。
 しかし、なにより彼女は無垢であった。没落したとは言え皇族の生まれであるはずなのに、それをまったく鼻に掛けたところがない。
 不幸な境遇に文句ひとつ言わず、周囲に感謝を絶やさない優しいこの娘のことを、兄オボロを筆頭に関わるだれもが心から愛していた。
 エルルゥもまたそうであり、だからこそ――

(ハクオロさんも、きっとこの子のこと……)

 彼女の心は揺れるのであった。

 そのハクオロも、ユズハの兄オボロも、今はいない。
 大事な戦いに赴くために出陣していくのを、さきほど見送ったばかりである。

 オボロがいなくなれば、この子は一人である。
 身の回りの世話をする侍女たちは何人もおり、そしてその侍女たちもユズハのことを心から愛して仕えているが、それは主従の関係なのだ。
 ハクオロによれば、最初に会ったときこの娘は「友達」という概念すら知らなかったという。

 「あの子と友達になってやってくれ」とハクオロはエルルゥとアルルゥに頼んだ。
 だから、エルルゥとユズハの仲は悪くない。ハクオロへの想いが時折心にかすかな痛みを走らせるとはいえ、エルルゥだってユズハのことが
大好きなのだ。むしろ嫌いであったなら、こんなにモヤモヤせずに済んでいたのかもしれないとさえ思う。
 しかし、エルルゥとユズハは「対等の友達」にはなれずにいる。
 それは彼女が薬師であり、ユズハは患者であるという、その関係性が先にあるせいだった。

 考え事をしながらも手と目はしっかりと働き、エルルゥは薬草をすりつぶして煎じ、薬湯を作る。
 病を癒すための薬ではない。血流を良くし体を温め、滋養をとらせて体力をつけるための薬である。

「はいユズハちゃん。ちょっと苦いけど、いつものお薬ね」
「はい、ありがとうございます。エルルゥさま」

 丁寧なお礼を言って、苦い薬を嫌な顔ひとつせずに飲み干すユズハ。
 ユズハちゃん。エルルゥさま。
 ――自分ではきっと、もうこの壁を越えることはできない。エルルゥはそう思っている。それが薬師の運命というものだろう。

 しかしそれは、今のユズハにとって最も必要な薬を、薬師である彼女が備えられないということを示してもいた。

「……ハチミツ、入れる?」
「ありがとうアルちゃん。でも、おくすりは勝手に混ぜちゃだめだって、お兄さまが言ってたから」
「オボロが……?」
「うん、オボロお兄さま」

 対等の友達――どんな高価な薬もかなわないこの最良の薬を、今ユズハに与えているのはアルルゥだった。
 アルルゥは、警戒心の強い小動物のようなところがある。ひどく人見知りで、近づくと逃げてしまう。
 しかしいったん心を開き仲良くなると、驚くほどに距離を無くし、懐に飛び込んでくる。
 はじめは姉の後ろに隠れていたのに、あっという間にアルルゥとユズハは親友になった。今やあだ名で呼び合うほどの仲である。

 そのことを喜ぶと同時に、エルルゥはこう考えている。
 
 ――ひとりじゃ足りない。もっとたくさんの、いい友達がこの子には必要……。

 とはいえ、オボロがそうそう多くの人の出入りを許すとは思えないし、ヤマユラの娘たちは凶暴な兄のみならず、皇族の出というユズハのその
生まれのことでもユズハに遠慮している。だれでもいいわけではないのだ。

 しばらくは、仕方ないかな……そうエルルゥが思っていたそのとき。


 どこか遠くから、美しいユナルの音色が聞こえてきたのだった。






※ ※ ※






 それは不思議な感覚だった。

 奏でよう、という意思の起こりさえなく指が、弓が、滑り始めた。
 それはまるで、歩くときに脚を動かしたり話すときに口や舌を動かしたりするとき、半ば無意識に体が動くのに似ていた。
 確かに自分の行為であるのに、体を操るのに意識を割いてはいない。意識はむしろその旋律へ、よどみなく紡ぎ出されるその楽の音に命を、
己の魂を吹き込むことだけに向けられている。

 初めて聞くメロディ。なのに、深い懐かしさを覚える。この先どのように展開してゆくのかが見える。

 美しい曲だった。

 どこかもの悲しくゆったりとした弾き出しが、複雑な和音を震わせながら終わる。
 と、次の瞬間。
 弓は激しく動き、華やかで軽快な音色があふれ出した。それはまるで室内の色さえ変えてしまうかと思えるほど。
 生まれたての仔馬が春の野で飛び跳ねているかのような、喜びと生命力に満ちた、心浮き立つほど明るいメロディ。 

 やがて曲は再び、次第にテンポを落とし、力強い低音を響かせる新しい展開に移る。
 しかし暗い曲になったのではなく、どこまでも広がる空と草原の間を駆け抜けてゆく野生馬の一群を彷彿させる、逞しく頼もしい響き。
 反復して紡がれるその主題に、やがて変化が訪れる。和音の構成が変化し、曲調がさらにゆるやかに、そしてわずかな哀愁を帯び始める。
 気がつけば、それはいつの間にか曲の弾き出しと同じ旋律になっていた。
 弦を押さえる右手の指は、そして弓を操る左手は、最後までまるで呼吸するかのように自然に、巧みに、動いた。
 高らかに、どこかもの悲しく、しかし深い感動の余韻を残しながら、曲は終わった。


 最後の和音を、たっぷりの情感を込めて奏であげ、俺は深く息を吐きながら弓を置いた。
 どこかけだるい、しかし心地よい疲れが、全身を痺れさせていた。

 弾けた。
 君は、確かに、ここにいるのか。
 君は今なにを思っているのか……

 いろんな感情がわき上がり、それが涙となって爆発するかと思えたその瞬間。



 わあああああああああああっ!!!



 怒濤のような拍手喝采が、俺の周囲でわき起こった。

「アオロ! アオロ! あんたすごいねぇ!」
「こんな綺麗な楽、生まれて初めて聞いたよ! 常世(コトゥアハムル)に来ちまったかと思ったよあたしゃ」
「そのユナル、そんな音が出せたんだねぇ……」

 周りにいるおばちゃんたちは顔を真っ赤にして褒め言葉を投げてくれた。
 最後の言葉は俺の正面にいたカヌイさんだ。その目尻には、涙が光っている。

 カヌイさんだけじゃない、泣いているのは他にも……


「って、なんか人数増えてないっ!?」

 改めて見渡してびっくりした。
 始めは十数人しかいなかったこの部屋は、いつのまにかぎゅぎゅう詰め。廊下にまで人が立っているらしく、あちこちからもっと詰めろとか
もう終わりか、などと声が聞こえる。

「城詰めの暇人どもがみんな集まってきたね、こりゃ」

 後ろでそう話しているのは母さんだ。
 振り向くと、母さんは俺の頬を手で挟んでくれてにっこりと笑ってくれた。
 そして、すこしまじめな顔になってこう言った。

「記憶、戻ったのかい?」

 俺は首を小さく横に振った。
 母さんは、そうかい、とささやいて、俺のおでこにこつん、と自分のおでこを当てて言った。 

「これが、あんたの記憶が戻る手がかりになればいいね……」

 たとえ俺がこの時まで確信していなかったとしても、この言葉にはそう信じざるを得なかっただろう。
 母さんが、俺のことを本当に心から愛して、案じてくれているのだと。

「も、もう一曲弾くよ!」

 なんだか泣きそうになった俺は、照れ隠しにそう言った。
 もう一曲弾くってよーっ! と誰かが叫び、それは新たなどよめきと歓声を生んだ。

「はいはいみんな! そのまえにお座り! アオロ、悪いけどちょっと立って囲炉裏のこっち側に来な」
「だれか燭を持ってきておくれ!」
「アオロ、のど渇いてないかい?」

 ヤマユラの女達の仕切りにより、場は一気にアオロ独演会の様相を呈し始めた。







※ ※ ※






 アルルゥにユズハを任せ、エルルゥは音の源を探して歩き始めた。
 長くはかからなかった。それはさっきまで彼女が食事をしていた部屋であり、今は廊下に溢れるほどの人混みでごった返していたからだ。

(誰……カヌイおばちゃん? それにしては……)

 部屋の中に入りたくとも、近づくことも出来ない有様。そしてこの美しい曲に皆が聞き入っている中、割り込むことはためらわれた。
 エルルゥもまた、この楽の美しさに心打たれていたのだ。
 しかしそれと同時に、これを弾いているのは誰だ、という想いも強くある。
 なぜなら――

(わたしは、この曲を、聞いたことがある……!)

 それはいつのことだったか。
 エルルゥがまだ幼く、父がまだ生きていたころ。
 トゥスクルを頼ってやってきた病の楽人が、治療の礼に聞かせてくれたあの曲とこれはとてもよく似ている……

 やがて、胸が締め付けられるほどの哀愁を込めて、曲は終わった。
 最後の一音が消えると同時に、父の膝で曲を聴いたあの頃の、幸せな記憶も止んだ。
 夢から覚めたような思いでエルルゥは目を開き、そして

「すいません! ごめんなさい! 通してくださいっ!」

 いつもの遠慮深さをかなぐり捨てて、エルルゥは人混みに分け入っていくのであった。





※ ※ ※





 続けて二曲、指と腕の想うままに奏でたところで、お開きとなった。
 場からは不満の声もおきたが、それは大きなものではなかった。家族が戦場へ向かっている最中だと言うことを、皆も思い出したらしい。

「また聴かせておくれよぅ、アオロ」
「疲れたろう、明日甘いお菓子作ってやるからね」
「ありがとうねえ。戦から帰ってきたら、うちの旦那にも聴かせてやっておくれ」

 ヤマユラのみならず、これまで会ったこともない人たちからたくさん声をかけて貰った。
 手も握られたし、号泣してるおばちゃんから抱きしめられもした。
 ……なんだかアイドルの気分だ。

 カヌイさんに楽器を返そうとしたら、断られた。

「あんたはすぐに、もっと良いユナルを手に入れるだろうさ。そん時まで貸しておいてあげるよ」

 ユナルの手入れや音合わせの仕方などを教えて欲しいと俺はお願いし、「全く不思議な子だね、あんたは」と言いつつカヌイさんは快諾
してくれた。
 まあ、これだけ弾けるのに、そんな初歩も知らないってのは、普通に考えて変だよな。



 人の熱気で渦巻いていた室内にようやく静けさが戻りはじめたころ、話しかけてきた人がいる。
 エルルゥだった。

「アオロくん」
「あ、ごめんなさいエルルゥさん。もしかしてうるさかったですか!?」

 ユズハのところにいたはずのエルルゥがここにいるというのは、もしやこの騒ぎでユズハが眠れないとかそういうことかと俺は思った。
 しかし俺の謝罪にエルルゥは慌てたように手を振って、ちがうちがうと連呼した。

「そうじゃないの、本当に。ユズハちゃんも、綺麗な曲って耳をすませて聴いていたから!」
「そうなんですか、良かった……」
「それよりアオロくん、今の演奏は――」

 エルルゥの顔はまじめだ。
 こういう時、この人はいつもの優しいお姉さんではなく、薬師エルルゥとして振る舞っている。
 だから俺も、エルルゥが何を聴きたいのかを察して答えた。

「残念だけど、記憶が戻ったわけじゃないです。ただ、この体の記憶というか……カヌイさんが俺の手を見てユナル弾きの手だと言ったので
ユナルを借りて弾いてみたら、弾けた。それだけなんです」
「そう……でも、大きな手がかりね」
「はい。そう思います」

 カヌイさんは言った。俺の年齢で、あれほど難しい曲をこれほどまでに弾きこなせるようになるというのは、ほとんど信じられないと。
 才能に恵まれた子が、優秀な教師につきっきりで指導され、毎日朝から晩まで稽古を重ねなければ、この域にはなれない。そうも言った。
 そういう生き方が、少年にとって幸福なものであったかはわからないが……


「それでね、ひとつ思いついたことがあるの」

 エルルゥは急にそう言って、手をぱんと叩いた。
 物思いに沈んでいた俺は瞬きをしてエルルゥを見る。
 すると彼女はにっこりと笑顔で、驚きの提案をしてきたのだった。







※ ※ ※







 そして翌日。もうしばらくすれば東の空が夕暮れのあかね色に染まり出す頃合い。
 俺は藩城の城門上にある櫓に登っていた。

「帰ってくるハクオロさんたちを、楽でいたわって迎えてあげて欲しい……か」

 エルルゥのお願いを思い出してつぶやくと、側にいるノノイが返事をしてきた。

「いい考えじゃないか。みんなを楽しませてやれるし、たくさんの人があんたとその腕前を知れば、誰かひとりくらいあんたのことを知ってる
人が出てくるかもしれないじゃないかさ」
「そりゃそうだけど」

 個人的にはその後で、ノノイや母さんに聞こえないようにこっそりとエルルゥが言った一言のほうが重たいのだ。

「もし上手くいってオボロさんから認めてもらえたら、ユズハちゃんに会わせてあげるからね」

 ……エルルゥって、こんなお節介キャラだったっけ?
 っていうか、俺ユズハに片思い的なポジションなの?!

 そんな邪念があると、曲が濁らないか心配だ。
 というか、脚の悪い俺がこの櫓に登るのを手伝ってくれた留守番のオボロさんの一族の人たちの視線が気になってしまう。

「何ぶつぶつ言ってんだい! ほら、来たよっ!」

 結構な高さがある櫓の上で怖がる様子もなく、手すりに身を乗り出して遠くを見つめていたノノイが叫ぶ。
 すぐ下の城門前に居並ぶ家族たちもその声を聞いて騒ぎ始める。

 しかたない。
 ユズハのことはさておき、これが良い案だと思うのは確かだ。

 俺は観念して、ユナルを構えた。
 明るい、華やかな、テンポの速い曲。
 俺の知らない、異郷の曲。
 そういう曲を、俺の中の”俺”にリクエストして、俺は弓を動かしはじめた。



 ――奏でる俺の姿が、そしてこの曲が、あまりにも意外な人物に衝撃を与えることになるなど、思いもよらずに。
 
 



 
 



[16787] うたわれぬもの  建国編  21  宣旨
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/02/27 23:46


 タトコリ攻めの凱旋から、明けて翌日。
 ハクオロは民を藩城の広場に集め、本殿二階の露台から語りかけた。
 トゥスクル建国と自身の皇位就任について農民たちにも理解できるように平明な言葉で語られたそれは、文書化されインカラの横暴に苦しむ
全土の民へと届けられることとなっており、同時に農民達が口伝いに広めていくこととなった。


 ――『トゥスクル建国宣旨』
 後にこの國の基本法(憲法)の原案となったこの有名な演説が、もともとは無学で貧しい農民達への語りかけであったことは注目に値する。
 以下は、その抜粋である。





※ ※ ※

 


「(前略) 新しい國を造り、私がその皇になるということに驚き、疑いや不安を感じる者もいるだろう。それは当然のことだと思う。
 なぜなら、皆はあまりにも長い間、國や皇というものに裏切られ、奪われ、殺されてきたからだ。

 インカラが私に、ケナシコウルペがトゥスクルに変わるだけで、結局は同じ事が始まるのではないかと思う者がいることも承知している。
 しかし、このことは覚えて欲しい。
 トゥスクルは、私たち農民が作り上げた國だということを。
 皇はヤマユラという、辺境の山奥から来たのだと言うことを。

 辺境の苦しい暮らしを、私は知っている。
 痩せた土地を耕し、ようやく作り上げたモロロを根こそぎ巻き上げられる悔しさを知っている。
 収穫前の畑をキママゥの大群に襲われ、糞を投げつけられたことだって何度もある。
 病、災害、難民、飢え、戦……私も、私の家族も、そのつらさ、悲しさ、悔しさを、この身をもって知っている。
 インカラは果たして知っているのだろうか。 それでも私とインカラは同じだと思われるだろうか。

 私は知っている。
 森の恵み、太陽の恵みに感謝して日々を送る、農民たちの美しさを。
 苦しいときは助け合い、お互い様だと言って惜しみなく分け合う皆の優しさを。
 たわわに実った作物を籠いっぱいに収穫する喜びと、精一杯働いた一日の夕餉に友と酌み交わす酒の旨さを――私は、知っている。

 新しい國の名に、私はトゥスクルさんの名を頂いた。
 この事は、トゥスクルさんの家族も、ヤマユラの皆も同意してくれた。
 皆も知っての通り、私たちは村長でもあり命の恩人でもあったトゥスクルさんを、ササンテの兵に殺された怒りでこの乱を始めた。
 しかし、トゥスクルさんの名を國の名に掲げたのはその怒り、憎しみを忘れまいとしてのことではない。

 彼女の生き方――そう、死に様ではなく、その生き方を、忘れないで欲しいからだ。
 彼女は誰からも尊敬される、立派な薬師だった。多くの人の病を癒し、苦しみから救い、進んで助けた。
 決して万能の超人というわけではなかったが、誰かを助けるため自分に出来ることがあるなら何でもしようと決めていて、その通りにしていた。
 私はこの國を、そういう國にしたいと思う。その願いを、祈りを、彼女の名に託して國の名に掲げさせてもらった。

 私たちはこれからインカラを倒し、ケナシコウルペという國を終わらせる戦いを始める。
 しかしそれは手段であって、目的ではない。怒りや憎しみが激しく強い力を生むのは確かだが、怒りや憎しみを基に作られた國はやはり再び
怒りや憎しみを生み出すだろう。
 そういうものは、もういらない。新しい國はトゥスクル――助け合い、支え合う、あの老薬師のような國になるのだ。
 

 國あっての民ではなく、民あっての國。
 新しい國を、皆と共に作りたい。
 どうか、力を貸して欲しい――」





※ ※ ※






 ハクオロの演説を、農民達は耳を澄ませて聞いていた。
 実のところ今のこの話の内容は、一昨日の夜タトコリに出撃する時に城門前で兵たちにハクオロが語った内容を整理し、膨らませたものであった。
 なのでテオロたちのような兵たちにとっては聞き覚えの有る内容ではあったのだが、彼らの目もまた、初めて聞く者達と同じように輝いていた。

 居丈高なところがなく、優しく理解を促すように語りかけるハクオロの姿は旧来の支配者像からは大きく違っていたからだ。
 とはいえ、それに威厳の不足などを感じたりしたわけではない。
 ただ単に、親近感を覚える皇などという者に、彼らは初めて出会ったのだ。

 語るハクオロの背後に、オボロやテオロなど、乱に参加した勢力の主立った者達が並んでいるのも大きかった。
 チクカパ村の村長や、タトコリの向こう側から同様に招いた代表者など、見慣れない顔も並んでいる。
 そして何より、ハクオロのすぐ側――ハクオロを挟んでオボロの反対側に立つ男、ベナウィの存在感はただならぬものがあった。

 タトコリ峠におけるベナウィとハクオロの一騎打ちの様子は、すでに昨夜のうちに帰還した兵たちの口から幾度となく熱っぽく語られ、もはや
知らぬ者など無いほど知れ渡っている。
 所詮インカラの手下ではないか、仇ではないか、という声が無かった訳ではない。しかしベナウィは焼き討ちをして居らず、むしろすぐさま止め
るように幾度も諫言していた事実が知れ渡ると、それもやがて止んだ。
 もともとベナウィの率いていた直属部隊は比較的素行の良いことで知られており、盗賊退治や国境警備などでベナウィに助けられた民も多かった
のである。一晩経った今では、頼もしい仲間であると多くの人が思うようになっていた。
 一部の女性陣はむしろ、その端正な顔立ちに熱心な支持を表明しているようであったのだが。


 ともあれこうして公式に建国が宣言され、「インカラによる非道を早期に終結させる」ことを当面の目的とすることが告げられた。
 この演説はあくまで仮のもので、正式な建国の儀式はその後に成されることも告げられた。
 なにしろ現状、儀式を行う社もオンカミヤムカイの僧もいないのである。
 単なる大規模な叛乱から新国家による革命へと変化したこの戦いに、人々は意気を新たにするのだった。


 夜、ハクオロは主立ったものたちを一室に集め軍議を行った。
 チクカパ村の村長から、改めて救援への感謝が告げられ、同時に國中部の惨状が生々しく語られた。
 命がけでやってきた青年フマロからある程度聞いていたとはいえ、村長が涙さえ流さずに淡々と語るインカラの非道に、座のあちこちからはうめき
のような声が度々漏れた。その者達は自分自身の経験と、あるいは重ね合わせているのかもしれなかった。
 彼は最後にこう言った。

「ハクオロさま、今こうしているこの時も、山の向こう、峠の向こうではどこかの村が焼かれ、民が殺されております。
 どうか、どうか、お救いください。わたしもわたしの一族も、皇に全てを捧げます。ですからどうか……!」

 ひれ伏す村長に、ハクオロは言った。

「わたしはそのために皇となった。
 頭を上げてくれ。そして一緒に考えて欲しい」

 地図が広げられ、敵味方を表す駒と砦や陣地を表す駒が並べられた。
 険峻な峠で遮られたこの国土、ハクオロたち東部や北部の民は、中部西部の地理に明るくない。
 そこでまずチクカパ村の村長をはじめとする中部の代表者たちからの説明を受ける。それからベナウィが朝廷の軍の配置などを示し、およそ信頼
できる図面ができあがった。

 意見を求められ、ベナウィが口を開く。

「いまだ兵力、装備、共にあちらが優勢です。甘く見てかかることは出来ません――が」
「なにか考えがあるのか」
「はい。ここはあえて、兵を二つに分けましょう」


 ベナウィの主張する作戦はこうである。

 タトコリを抜け、この國有数の穀倉地帯であるハヌ盆地に出ると街道は二つに分かれる。
 皇都へ向かう北街道と、南部國境へ通じる南街道である。
 街道に面する主な町、村の総人口が多いのは北街道であるが、独立の気風が強い南部はもとよりインカラへ友好的ではなく、為に現在焼き討ちの主な
標的になっている可能性が高い。それを救えば、味方につけることは難しくないだろうとの予想である。
 また、インカラ勢は兵数は多いものの、実態としてインカラに忠誠を誓っているのはごく少数であり、農民出身の兵たちの間には焼き討ち命令への
動揺が広がっていることなどが告げられた。

「通常の戦をしてはいけません。これは一人でも多くの民を救うための戦であるはず。ならば、目標は二つだけです」

 虐殺の命令者であるインカラと、実行者であるヌワンギ。

「――彼らを斃せば、この戦は終わりです」

 表情一つ変えずにそう言い切ったベナウィの言葉に、座に着く面々はつくづくこの男が味方になってくれて良かったと思うのであった。
 この作戦案は満場一致で受け入れられたが、問題はその後であった。
 誰が、別働隊を率いるか、である。

「兄者! 今度こそ俺にやらせてくれ!」
「皇よ、我らがコロトプの騎馬隊をお忘れ無く」
「ヤッカもいるぞ! 森の民の力を見せつけてやる!」

 方々からあがる勇ましい声を受けながら、ハクオロは隣に控えるベナウィの涼しい顔を見た。
 ベナウィは何も言わず、ただ皇の御心のままにとでも言うような表情で見返してくるだけである。
 それで、ハクオロは心を決めた。

「ベナウィ」
「はっ」
「お前はワッカイ、コロトプ、エクド、その他二千を率い北街道を進み、速やかに皇城を落とせ」
「――はっ」
「私は本隊を率いて南部へ行きヌワンギを討つ。オボロ、付いてこい」

 これには場が騒然となった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ兄者! こいつにいきなり二千を渡して別働隊を――しかも皇城をだと!?」
「なにか問題があるのか」
「ある! 危険だ、兄者。そのままその二千を率いてインカラへ降らんとも限らないじゃないか!」
「オボロ」

 短く名を呼ばれると、オボロはびくっとして口をつぐんだ。
 しかしハクオロは叱らず、諭すように語るのであった。

「考えろ、オボロ。その二千のほとんどはベナウィの兵ではなく、東部の部族の民たちだとわからんか」
「………」
「それに、お前の言うとおりベナウィに未だインカラへの忠心があったとして、ならばお前はそんなベナウィと私を二人にできるのか。インカラ側
からすればこの戦、私の首を取れば終わりなのだぞ」
「……ぐっ」
「今はインカラを討つことを何より優先する。それには不要の戦を避けて皇都へ急行し、皇城へ乗り込まねばならない。それには、騎馬隊(ラクシャライ)
を組織でき、地理に明るく、皇城の構造にも精通しているベナウィが適任だ。一方南部では軍を率いるヌワンギと決戦があるかもしれぬ。そのような
戦こそオボロ、お前とお前の一族の力の見せ所ではないか」


 こうしてハクオロの決定に全員が納得し、その後いくつかの確認がなされて軍議は終了となった。
 明日一日は準備に充てられ、中央への進軍は明後日早朝と決められた。

 三々五々散っていく代表者の中で、ハクオロはベナウィを呼び止めた。

「聖上、なにか御用でしょうか」
「その聖上というのは――いや、なんでもない。それより、お前に会わせたい者がいる」
「私に……?」

 わずかに眉をひそめ怪訝な顔をするベナウィは、直後、その表情を固いものに変えた。


「そうだ。――エルルゥ、すまないがアオロを呼んできてくれないか」
「はぁい」


 アオロ。
 その名は昨日、城門上でユナルを弾いている姿をみてハクオロがつぶやいた、あの少年の名前であるに違いなかった――。





[16787] うたわれぬもの  建国編  22  運命
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/03/28 03:10

 昼過ぎから始まった軍議が陽が沈む頃になって終わり、腹を空かせた父さんが帰ってきた。
 「いつ終わるかわからねェから先に食っとけ」と言われていたので先に夕食を終えていた俺と母さんはそんな父さんをねぎらい、母さんは食事の準備を
整えるために席を立った。
 俺も手伝おうとしたけど母さんに「アンタは父ちゃんの相手してやっておくれ」と言われたので、囲炉裏を挟んで向かい側に座る。
 手にはカヌイおばちゃんから借りたままのユナル。父さんが帰ってくるまでは、母さんと話をしながらこいつの手入れをしていたのだ。

 エルルゥが俺を呼びに部屋にやってきたのは、そんな時だった。



「ハクオロ様が?」
「うん、アオロくんをって。大丈夫だった?」

 エルルゥの目は俺の手元に向けられている。

「ああ、いえ。手入れをしていただけなので大丈夫です。――って、もしかしてハクオロ様、こっちの方の用ですか?」

 タトコリから帰還したばかりの昨夜は慌ただしく過ぎた上、皆疲れていたためにすぐ寝てしまい、結局ハクオロさんともゆっくり話せていない。
 行く前には楽の「が」の字さえ言わなかった俺が、帰ってきた時にはユナルを達者に弾いていたんだから不思議に思っているだろう。無論、エルルゥたち
からある程度のいきさつは耳にしているだろうけど、直接聞きたいのかも知れないし、演奏で心を慰めたいと思っているのかも知れない。
 あらかたの手入れが終わってぴかぴかになったユナルを軽く持ち上げエルルゥにそう言うと、エルルゥは曖昧に笑った。

「うーん、そんな感じでもなかったけど……もしかしたらそうかも。お部屋にはベナウィさんとふたりだけで残っていたみたいだったから」
「ベナウィ大将が?」

 それは意外だった。
 ハクオロさんとベナウィが夜に部屋で二人きり――というシチュエーションで連想するのはあくまで「戦略」「行政」「書類地獄」というお堅い単語で
あって、楽の音にふたりで耳を傾け楽しく雅やかなひとときを……というのは実に想像しにくい。
 「愛を語らう」なんてのは天地がひっくり返っても無いね。

 しかしまあ、それでなんとなく呼ばれた件に想像はついた。
 出陣前に俺がやらかした献策、「皇となり、ベナウィに投降を呼びかけよ」が実現したのだ。
 たぶんそれについて、何か話があるのだろう。
 ベナウィに俺を紹介するつもりなのかもしれないし、今後の事について意見を求められたりするのかもしれない。うぬぼれかもしれないが。

 ――とはいえ、もはやここまで来たら後は放っておいても万事上手く行く気もするけど。
 しかし今後の俺の人生設計のためには、正確に言えば”この体の本当の持ち主”が不自由なく暮らしていける環境を作るためには、ここでまた一介の農民
の子に戻る訳にはいかない。
 ここは一つ、また自分を売り込んできますか。
 ついでにベナウィには、「うたわれるもの」のアニメを見たときから気になっていたこともあるから、それも聞いてみよう。

「わかりました。じゃあ父さん、ごめんけどちょっと行ってくる」
「おう、一緒に行かなくて大丈夫か? アオ坊」

 炒り豆をかじりながら父さんが言ってくれるが、僕は笑って手を振った。
 こんなふうに子供扱いしてくれるのが、なんともくすぐったくて、嬉しいのだけど。

「大丈夫だよ。それより父さん腹ペコだろ? 晩飯ゆっくり食べてよ。今日の汁に入ってるカポイの筋取り、俺も手伝ったんだからさ」
「お、ちゃんと母ちゃんの手伝いしてたみてェだな。よし、後でこっそり焼酎飲ませてやっからよ」
「テオロさん?! 子供にお酒を勧めたらだめですっ!」
「いけねえ、エルルゥがいやがった」

 笑って、それから俺は立ち上がった。

「一応ユナルも持って行こうかな。じゃあ、母さんには伝えておいてね」
「分かった。エルルゥ、うちの坊主をよろしく頼むぜ」
「はい。じゃあアオロくん、私の肩につかまって」
「ありがとうございます」

 こうして俺は、部屋を出た。
 にこにこ笑顔で手を振る父さんに、僕も笑顔を返して。


 行く先の部屋で、運命が待つとも知らずに。





※ ※ ※






「ヤマユラのテオロが子、アオロでございます」

 脇にユナル一式をそろえて置き、ハクオロとベナウィの前に座った俺は深々と頭を下げた。
 ベナウィとは初対面だしな。いろいろ気をつけないと。

「お召しに預かり、参上いたしました」
「――お前は子供らしくない子供だとは思っていたが」

 ハクオロさんが苦笑している。

「そこまで堅苦しい礼をしなくてもかまわんぞ、アオロ」
「いえ、しかし。ハクオロ様はすでに皇となられました。これまでとは礼儀を改めるのは当然のことでございます」
「それはそうだが、今は私的な場だ。それに過剰な礼で祭り上げると、わたしもそのうちインカラのように勘違いするかもしれないぞ? 場さえ間違えなけ
れば、これまで通りでかまわん。 ヤマユラのみんなにも、そうお願いしている」

 ハクオロさんらしいな。
 甘いといえば甘いけど、こういう親しみやすさがハクオロ皇の良さでもあるからな。

「はい。分かりました、ハクオロ様」

 顔を上げて頷くと、正面に座るハクオロさんは仮面の奥の目を優しく細めて頷き返してくれた。
 そして右手側――俺から見て左側に座っている細面の青年へ目をやった。

「ベナウィ、この子がアオロだ。先ほど話した――」

 俺はベナウィと顔を合わせた。
 ベナウィの方は、俺がエルルゥに付き添われて部屋に入ってきたときからずっと俺を見つめている。
 アニメで見たとおりの切れ長の目をもつ端正な面立ちは、武人の荒々しさを連想させない知性を感じさせ、内心を伺わせない無表情は立場にふさわしい
威厳や慎重さを感じさせる。
 この人がタトコリで笑ったって? 信じられないなぁ……。ハクオロさんどんな面白いこと言ったんだろ。

「ベナウィと申します」

 目礼して名乗ってくれるベナウィに、俺は深く頭を下げて礼を返した。

「貴方の話は、聖上より聞いています。この度のタトコリ戦は、貴方の知恵働きが大きかったようですね」
「滅相も無いことでございます。お耳を汚し、恐縮です」

 再び俺は頭を下げる。
 しかし、そうか。ハクオロさんは俺のことをベナウィには話したのか。
 これで、ここに呼ばれた用件はいくらか絞れたかな。とりあえずユナルでまったりの方面は消えたか。
 ――と思っていたら、ハクオロさんは予想外のことを話し始めたのだった。

「そう謙遜するなアオロ。お前の言葉がなければタトコリ攻めでいくらかの犠牲は出ただろうし、時間も物資も余計に失うことになっただろう。なにより
このベナウィを味方につけることが出来たのも、お前がタトコリにベナウィがいると見破ったからこそだ。
 ――それで、アオロ。私もお前への約束をひとつ果たそうと思う」
「は……約束、でございますか」
「ああ。お前に良い師を探してやろうと言っただろう。まだ戦は終わってはいないが、この先時間がしばらくとれそうもないのでな。先に顔合わせだけでも
と考えたんだ」

 俺に、師……。
 ……確かに、そんなことを言われたような気もするけど……。
 って、ええええ!? ベナウィが俺の先生に!?
 盛大に引きつっていると、ハクオロさんが愉快そうに笑った。

「あはは、そうやって驚いている顔は年相応で安心したよ。それでどうだい、アオロ。実際に教えを受けるのは先のことになるだろうが、このベナウィの弟子
という形で、働く気はないか。ベナウィはお前さえ良ければと言ってくれている」

 最後の言葉を告げるとき、ハクオロさんの顔は柔和な笑みを浮かべていたけれど、その目はこちらの心の底を見透かすような鋭さを持っていた。
 ベナウィの弟子。
 働く気……。

 それらの言葉がゆっくりと心に浸みるように理解できてくるうちに、俺は背筋を登る身震いを押さえきれなかった。
 居住まいを正し、二人に正面から向かい合う。
 答えは決まっている。しかしその前に――。

「身に余るご配慮を賜り、恐悦至極に存じます。しかしお話をお受けする前にいくつかの点をお尋ね致したく――」
「だからもう少し普通に話していいぞ、アオロ。何だ、聞きたいこととは」
「は、はい。まず、先ほど「働く気はないか」とおっしゃいましたが、ハクオロ様はこの私に何をご期待なのでしょうか」
「――ふむ」

 ハクオロさんは俺の方を見つめたまま、脇の文机の上の湯飲みを取って一口含んだ。
 そしてゆったりとした動作でそれを机上に戻しながら、言葉を選んでいるようだった。
 そして出てきた言葉は、質問への答えではなく、こちらの不安の中心を貫く質問だった。

「ならば逆に質問しよう。アオロ、お前は自分に何が出来ると思う」
「え……」
「目覚めた次の朝に、お前は私に言ったな。なにか出来ることをしたい、一緒に闘いたい、と。その時私は考えておくと答えたが、それほど大きな期待も
していなかった。なにしろお前はそのときひどい火傷を負っていて、脚の傷のせいで走ることも出来ぬ体である上に、まだ元服前の少年でしかなかったからだ」

 しかし、とハクオロさんは続ける。

「しかし今は、私はお前をただの無力な少年だとは見ていない。確かに未だ年若く、一人前の大人であるとも言えないが――アオロ、お前には特別な何かを
感じるんだ。知恵もそうだが、その魂の有りようが人とは異なっているように思える。似たような身の上である私の言えた事ではないかもしれないが……
 一体、お前は何者なのだろうな――」

 ハクオロさんは感慨を込めてそう言った。傍らにいたベナウィは、ひとつゆっくりと瞬きをしたのみで、表情一つ変えなかった。
 俺は唇を噛んで、胸の奥からわき上がりこぼれ落ちそうな感情を必死に押さえ込んだ。
 猛烈に嬉しかった。そしてそれと同時に、叫びたいほどに恐ろしく、申し訳なかった。
 ――違います! 自分はそんな特別な人間ではありません!
 自分をアピールしよう、なんて浅ましい事を考えてやってきた自分だったが、これほどまでに評価されていると思うとむしろ恐ろしさが先に立った。
 しかし、ここで逃げることはできない。ここで逃げたら、それこそ最低だと思うのだ。

「――私は……戦場で刀を振るうことはできそうにありませんが」

 語りだした言葉は、頭がややかすれてしまった。

「……文字を読むことができます。書くこともできました。そしていくらか計算をすることができます。ユナルを弾くこともできましたし、おそらくは歌うこと
もできると思います」

 文字の読み書きは、昨日、つまり俺がユナルを弾けることが分かった翌日、こっそり試して確認してある。
 元藩城であるこの城には所々に書き付けが貼ってあり、それを改めて読みに行ったのだ。そして庭に出て小枝を拾い、砂の上に字を書いてみた。
 ――思った通り、”左手で”字を書くことが出来た。頭の中の言葉を、ためらいなく文章にすることができた。

「知らないことは山ほどありますが、必死で学びます。自分が何者なのか、何が出来るのか、それを探していきたいと願っています」
「それで十分だ。ベナウィは武将だが、三学詩文に通じるこの國きっての教養人でもある。多くを学ぶと良い。そしてしばらくは、私のそばで仕事を手伝って
欲しい。國を名乗りながら情けない話だが、筆仕事が出来るものが現状少なすぎるんだ。兵数の把握や食料の管理、遠方とのやりとりのための手紙の作成など
やることは山のようにあり、しかもこの先増えることはあっても減ることはないだろう。正直に言えば、アオロ、お前にはこの面での働きを大いに期待している」

 大まじめな顔で言うハクオロさんに、俺は思わず小さく笑い、それから頭を下げた。

「微力ながら、ご期待に応えられますよう、精進いたします」
「そうか。よろしく頼むぞ。――それで、尋ねたいことは他にも何かあるのか」
「あ、はい」

 とても重要な話が終わった。俺はそう思っていた。
 だからこの質問をしたのは、ほんの好奇心で。
 アニメやゲームなどで知っている「うたわれるもの」の物語のうち、前からちょっと疑問に思っていた点を軽く確認しておこう、くらいの気持ちで。

「ベナウィ様にお尋ねしたいのですが」
「……どうぞ」
「私はチャヌマウ村で死にかけているところを、ハクオロ様に助けられました。私以外は皆殺されていたと聞きます。そしてその村に、ベナウィ様、貴方も
居られたと聞いております」
「アオロ、ベナウィは――」
「ええハクオロ様、ベナウィ様がそれを行ったとは私も考えていません。しかし、だとしたら分からない事があるのです」

 ――後になって思う。
 俺が運命の扉を開けたのがいつかとすれば、今、この質問をした瞬間に間違いない。

「ベナウィ様はその時、何をしに私の村へ来ておられたのでしょう。他にもたくさん村や集落がある中、真っ先に襲われたのがチャヌマウだったのは何故か、そし
て何故そこへ、部隊を率いて襲撃の直後においでだったのか……偶然だったのでしょうか」
「そう言われてみれば、確かに」

 ハクオロさんは腕組みをして小さく頷いた。

「その後慌ただしくて深く考えることもなかったが、たしかにそうだな。私たちはチャヌマウへ助勢を頼みに向かっていた。チャヌマウは小さいが古くて歴史の
ある村で、村長はこの一帯で尊敬を集める人物であると聞き、向かったのだ。しかし、インカラが真っ先に見せしめの焼き討ちの対象にするほど脅威でもなく、
場所もへんぴだ。アオロの前で悪いが、私たちに恐怖を与えるためにはもっと目立つところを襲うはずだろう。――何故、チャヌマウだったのだ?」

 俺達の言葉を、ベナウィは目を閉じて聞き。
 答えを待つ沈黙の中ゆっくりと目を開いて――その目は、まっすぐに、俺を見つめてきた。


「……本当に」
「………」
「貴方は、本当に――答えを聞く覚悟があるのですか」
「――!」

 空気が変わった。
 まさか、という思いと、やはり、という思いが電流のように走る。
 この人は、知っているのだ……俺の――いや、『この体の持ち主』のことを!

「教えてください! 私のことを知っているんですね!? 教えてください!!」
「ベナウィ、どういうことだ!」
「知らずに済めば、それも幸せかと……しかし、皇よ、貴方がこの少年を重用しようとされるならば、お知らせせねばならぬことでもありましょう」

 ベナウィはそう言って。
 やはり、表情ひとつ変えない鉄面皮のまま、淡々と俺に告げた。

「アオロ。――いえ『アワンクル』。貴方は……」





「先代ケナシコウルペ國皇、ナラガン様が、チャヌマウ出身の宮廷楽士ミライ様との間に成した御子。すなわち――」




 ――インカラ、ササンテの、腹違いの弟君であらせられます―― 









[16787] うたわれぬもの  建国編  23  歴史
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/05/12 01:51
 ケナシコウルペという國は、もともと二つの豪族が率いる地方勢力が合併して成立した國である。

 現在の国土を斜めに斬るように走る、かのタトコリ峠を含む山脈を境に東側を治めていたのが「ウルブ」または「ウルップ」と名乗る一族で、西側を治
めていたのが「ケナシュク」または単に「ケナシ」と呼ばれていた一族であった。

 東のウルップ族は森に住まい、武を尊ぶ剽悍にして俊敏な一族で、耳は立ち、尾は太くやや短い。
 西のケナシ族は平野に住まい、農耕と通商を行う文化的な一族で、耳は垂れ、尾は短く先端が膨らんでいる。

 この対照的な二つの部族は山を挟んでそれぞれ独自の成長を遂げ、時には交流し、時には争いも生じたが、基本的には好意的無関心とでも言うべき間柄
であった。当時はウルップもケナシも有力とはいえ一地方豪族にすぎず、そのうえ深刻な対立が生じるには国境線を成す山が大きすぎたのだろう。


 状況が変化したのは今からおよそ120年ほど昔のことである。
 ケナシ族の勢力範囲のさらに西方で生じた戦乱が飛び火し、豊かな平野とその産物を狙って逃亡兵や難民、盗賊たちが押し寄せるようになったのだ。
 ケナシの族長アクタクは自ら兵を率いてこれに対処したが、荒事に馴染まぬ一族の気風のためか次々と防備を破られ、畑は荒らされ村は略奪にあった。
 このケナシ族の窮状を救ったのが、ウルブ族の族長エガシである。

 エガシは影が消えると言われるほど素早く強い戦士でありながら、ケナシから書や楽器を取り寄せ親しむようなウルブ人には珍しい風流人としても知ら
れており、同時に義憤に駆られると後先を考えずに行動するという実にウルブの男らしい豪快な人物でもあった。

 山向こうのケナシ族の危難は、ウルブ族にとってはそれほど差し迫った危機ではなかった。可哀想にとは思うものの、この山を越えて来はすまい、
来たら返り討ちにしてやる、と思う程度であって、決して山を越えて助けに行こうとは民の多くは考えていなかった。

 しかし、エガシは違った。
 偵察に放った手下からの報告を聞くや刀を掴んで走り出し、怒りに叫びながら街を抜け、そのまま山へ向かってしまったのだ。

 豪傑の元には豪傑が集うというが、当時のウルブ族はまさにそれで、義憤に燃えて走り出した族長を引き留める者はだれも居らず、逆に若い者は
その姿を見るや皆、弓や刀をひっ掴んでその後を追って走り出ていってしまったのである。
 走り始めたときは族長一人だったのが、山の麓の泉で小休止したときにはその人数は百人を超えていたと伝えられている。

 エガシ率いるウルブ族の一団は無類に強かった。
 数で言えば数十倍もの賊の軍勢をあっという間に蹴散らし、砦に立てこもっていたアクタクらケナシ族を解放したのである。
 敗戦が続き悲壮な覚悟を固めつつあったケナシの族長は、頼んでもいない援軍がやってきてあっさりと川の向こうまで敵を追い散らしてしまった事に
心底驚いた。そしてそのエガシらが、助けた礼も見返りも求めずにそのまま山の向こうへ去ろうとするのを見て、驚くを通り越して慌てふためいた。
 族長アクタクはすがるようにしてそれを引き留め、大宴会を開いてもてなした。そこで西と東の族長は、性格的には全く正反対の人物ながら意気投合し
兄弟のような付き合いが始まったという。


 こうして、ウルブ族とケナシ族の交流は始まった。
 その後いくらかの時を経て、ケナシ側から申し出るようにして、ウルブ族と共に周辺國に対抗できるようきちんとした国家を作ろうということになる。
 初代皇はエガシ、國名は双方の部族名をつなげ、ケナシコウルペ、とされた。
 救済されたケナシ族の名が先に来ているのは、初代皇がウルブ族から出たため、そのバランスを取るためであったとされている。

 その後、周辺少数部族や近隣の豪族を次第に支配下に治めるようになり、ケナシコウルペは単純な二部族国家ではなくなっていく。
 しかし建国の経緯からケナシ族とウルブ族は現在に至るまでこの國において中心的な立場を占め続けており、皇位継承権を持つ一族、いわゆる皇族と
呼ばれるのはこの二部族を指すようになったのである。

 このように極めて友好的な関係の元に始まったケナシコウルペという國であったが、その蜜月は長くは続かなかった。
 居住域も文化も民の気風も、何もかも正反対に近い両部族である。
 エガシとアクタクが存命中は目立った表面化はしなかったものの、発足当初から様々な軋轢は生じていた。

 特にケナシ族の不満は代を重ねるほどに積み重なっていくばかりであった。なぜなら共に「皇族」とされながらも、ケナシ族から出た皇はただ一人、
エガシの死後老齢ながら二代目となったアクタクのみであったのだから。
 しかもそのアクタクは遺言で三代皇に自らの子ではなくエガシの孫を指名して没したとされているが、その遺言を聞いたのがウルブ族に縁のある薬師
ただ一人であったことが、対立を根深いものにした。


 かくしてそれ以降、四代続いてウルブ族がケナシコウルペの皇位に君臨し続ける。
 武力を背景に皇位を堅持し続けるウルブ族と、それを妬み密かに奪還を願い続けるケナシ族。
 その図式に変化をもたらしたのは、今からおよそ50年前の『大戦』であった――。






※ ※ ※







「今から50年程前に起きた、多くの国々を巻き込んで生じた『大戦』と呼ばれる戦乱のことはご存じでしょうか」

 ベナウィはこの國の皇位に関わる驚くべき歴史を話してくれた。そのほとんど全てが初めて聞くことばかりだったが、ここにきてようやく聞き覚えの
ある言葉が出てきた。
 『大戦』――若き日のトゥスクルも参加したという、前回のいわゆる『白い神と黒い神の戦い』。
 この「白い神」というのはハクオロの事であり、黒い神は現在オンカミヤムカイの哲学士ディーの肉体を乗っ取っている存在のことだ。
 その戦いは……そう、確かその時はハクオロ率いる「白い神」側が敗れハクオロは封印され、しかし勝者の「黒の神」もまた力尽き眠りについたとか。
 しかし両者とも中途半端に力を残したまま眠りについたため、50年という短い時しか経ずに覚醒に至った――こういう設定だったはずだ。

 無論、そんなことは言わない。記憶喪失の少年に過ぎない俺が知っているはずもない知識だし、それにいま俺の目の前にいるハクオロさんは、その時の
「白い神」と同じ人物とは言え前回の記憶は無いのだ。
 余計なことを言ってハクオロさんが過去の記憶を取り戻したり、ディーが早めに登場したりしたらヤブヘビもいいところだ!

「詳しくは知らないが、以前にトゥスクルさんが少し話してくれた。世界を二つに分けた大きな戦いだったそうだな」
「はい。同時期に現れた二人の英傑の元に国々は集い、白の陣営と黒の陣営に世は分かれ互いに激しく戦いました。その大戦に、このケナシコウルペも
参戦したのです」

 ハクオロさんの答えに肯いて、ベナウィが続ける。

「大戦は、黒の陣営の勝利に終わりました。白の皇は討ち取られ、その陣営についていた國々はその後衰退、または消滅しました。しかし黒の陣営側も
大きな痛手を負っており、また戦の直後に黒の皇が行方知れずとなったため、やはり多くの國が消えて行きました。――それは、このケナシコウルペも
例外ではありませんでした。時のケナシコウルペ皇ホムラ様は、白の陣営に参陣していたからです」
「ホムラ――それはさっきの話からすると、ウルブ族の皇ということになるのか」
「はい。ホムラ皇は國祖エガシ様の生まれ変わりと言われるほど勇猛で、気性激しく、義に篤い人柄であったと聞きます。しかしその一方、短気で思慮に
欠け、怒りをすぐに露わにするその苛烈な人柄ゆえに敵も多く、とりわけケナシ族の者達からは憎しみすら向けられていたようです」
「ふむ……気性が激しく、短気で、思慮に欠け……まるでオボロだな」
「ひどいですよハクオロ様」

 あごの下に手を当てて真面目にそうつぶやいたハクオロさんに、思わず突っ込んでしまった。
 勇猛とか義に篤い、とかの良いところでも思い出してあげようよ!

 俺の出生の秘密が明らかになるシリアスな場のはずなのに、まだ自分の名前が出てきていないせいか冗談をいうくらいの余裕があった。
 ……いや、胸の奥の心臓は、さきほどから強く打ち続けている。冗談をいう余裕があるというよりも、今のはハクオロさんが張り詰めている俺のために
場を軽くほぐしてくれたと見るべきだろう。それが証拠に、ハクオロさんは俺の言葉に笑いながらも俺のことをじっと見ている。
 ベナウィもまた、ほんの少しだけ笑って僕たちに告げた。

「似ていたとしても不思議ではありません。あの者は國祖エガシの血族に連なる者。ホムラ様の孫にして当代のウルブ族族長なのですから。そして先に
話しておくならば、当代のケナシ族族長がインカラです」

 その言葉に、俺はああなるほど、と腑に落ちた。
 それはハクオロさんも同じだったらしく再びふむ、と肯いた。

「なるほど。しかしオボロは以前、自分たちはシグリの民だと話していたが」
「シグリとは古い言葉で『忍ぶ、潜む』を意味します。彼らが何故誇りあるウルブの名を隠し、辺境の山奥に隠れ住まなくてはならなくなったのかは、
先ほどの話の続きになります」
「そうか。邪魔して済まない、続けてくれ」
「は――」






※ ※ ※






 國を上げて大戦に参加した挙げ句、敗戦の憂き目を見たホムラを、ケナシ族は猛烈に糾弾した。
 はじめはふくれあがった戦費や失われた働き手に対する責任を追及するなどの正攻法であったものが、やがて過去の失政まで引き合いに出して皇として
の能力について声高に疑問を差し挟むようになり、ついには朝議の招集にも応じず皇も無げな振る舞いをするようになっていった。

 大戦前のホムラであったなら、臣下のそのような無礼な振る舞いを断じて許すことはなかっただろう。しかしホムラは大戦で負った戦傷が深く、傷が癒え
てからも度々熱を発して寝込むようになっており、ケナシ族の影響力増大を抑えることができなかったのである。

 しかしホムラは生まれついての頑健さから、その後二十数年もの長きにわたって皇座を守った。皇位を狙うケナシ族も、戦の天才と謳われるホムラの
その将器と、生粋の戦闘部族であるウルブ族を掌握しつづけるカリスマを恐れ、明確な反皇行動を起こすことはなかった。
 六十が近づき、孫、すなわちオボロが生まれたことを機に、ホムラは皇位を降りる決意を固める。

 当然ケナシ族は皇位を望む――と誰もが思ったが、不気味なことにケナシ族は皇位を要求することなく、ホムラの子でありオボロの父であるマギリの
皇位襲名を容認した。その代わり、朝廷の主要なポストや主要な藩の藩主に一族のものを数多く就任させるなどの妥協を強いた。

 しかしそれはケナシ族が皇座を諦めた証などではなく、より巧妙な政略に基づくものであった。ケナシ族のウルブ族へ向ける憎悪はもはや皇座を奪うだけ
にはとどまらず、何もかもを奪わずにはいられないというところにまで達していたのであった。
 自分が死ねば、その後にきっと恐ろしいことが起きる――ホムラはそう予感し、生まれたばかりの孫であるオボロを抱いて涙に暮れたという。


 その予感は正しかった。

 マギリの即位から三年後、ホムラは皇城の一室で眠るように息を引き取った。
 その直後、まだ喪も明けぬうちからケナシ族はマギリに降位を迫りはじめたのである。


 マギリの皇位継承権に疑いありとし、ホムラ皇からマギリ皇への皇位継承は違法にして無効であるとケナシ族は訴えた。
 論拠としては、若いころのマギリがホムラ皇の勘気に触れ、官職剥奪、蟄居閉門を命じられたことによる。その際ホムラは怒りのあまり、親子の縁を切る
とまでマギリに告げたという。その後ホムラの怒りが治まるにつれ自然とマギリも復帰したが、ケナシ族によればホムラ皇からの処罰発言は明確に取り下げ
られておらず、官職剥奪、蟄居閉門を命じた宣告は未だ有効であり、咎人を皇座につけてはならぬというウィツァルネミテアの教えに背くと指摘したのだ。

 誰が聞いても、言いがかりとしか思えない内容である。ホムラ皇は烈火の気性にて、罪に怒り厳罰を命じたかと思えば、あっけないほどに人を許し罪を忘
れる人物であることは、國民の誰もが知ることであったのだから。
 しかしホムラ亡き後の政変を狙い長年にわたって準備と根回しを続けていたケナシ族は、そこで終わりはしなかった。
 ホムラ皇やマギリ皇の失政やその配下の腐敗、横暴の数々を次から次に暴き立て民を煽り、密かに手を結んでいた有力豪族らに同調させ騒ぎを拡大し、
あっという間にウルブ族包囲網を作り上げてしまった。主要な藩の藩主や、朝廷の主要な地位に手の者を多数送り込んでいたのは、この時のための布石で
あったのだった。

 この事態に、マギリは上手く対処できなかった。
 ホムラであれば、動揺する配下の手綱を引き締めて部族一丸となってこの難局に立ち向かい、力尽くででも火消しを成功させたであろう。
 しかしマギリは父に似ず線が細く、詩文芸術を好む文化人として知られていた。風流人が悪いわけではない、ウルブの英雄エガシも風流人として名を残し
ているのだから。
 しかしマギリには、エガシとホムラが持っていた戦士としての求心力が足りなかった。
 それが、波乱の時代に皇となった彼の悲劇であった。

 鉄の結束で結ばれていたはずのウルップの戦士達は次々と切り崩され、形勢が怪しくなったと見た少数部族たちは身を守るために寝返るか、または中立と
いう名の傍観に徹した。ウルブ族自慢の武力をわずかも活かすことが出来ずに、勝負は決したのである。

 そしてある日突然、マギリは残った一族を率いて皇城を去った。この時オボロは4歳、ユズハはまだ生まれていない。
 ケナシ族が放つ追っ手――ケナシコウルペの正規軍によって組織された『偽皇討伐軍』によって数を減らしながら彼らは森の奥へ奥へと隠れてゆき、そし
ていつしか歴史の表舞台からも消え去っていたのである。



 さて、ウルブ族への積年の恨みに燃えてマギリを追い詰めついに悲願を成し遂げた、時のケナシ族族長の名をホヌマンと言った。
 ケナシ族の復権に一生を捧げ、謀略の限りを尽くして来た彼はウルブ族が去った後に皇になるものと誰もが思っていたが、ホヌマンは年齢を理由に皇位
を望まず、一人娘であったアムルタクの夫であるナラガンをその座につけた。

 ナラガンはケナシ族傍系の出身であったが、能力を見込まれホヌマンの婿養子になった人物であった。彼が即位したとき、アムルタクとの間にもうけた
二人の息子――インカラとササンテ――はすでに成人しており、インカラに至っては妾との間にカムチャタールという名の娘までもうけていたが、遊び人
として名を馳せていたインカラにさしもの祖父も不安を覚えたか、ナラガンを皇としたのである。ナラガンとホヌマンはインカラを皇として教育し、イン
カラがその責に堪える力量をつけたなら皇位を受け渡すこととされた。

 しかし、ナラガン即位の半年後、ホヌマンは急死する。ケナシ族再興という大願を果たすために身命を使い果たしたのか、ある夜いつも通りに床につき、
そのまま起きることが無かった。
 そしてその頃、ウルブ族排斥の熱狂に包まれていた世間は理性を取り戻し、いつの間にかケナシ族に逆らえるものがいない状態になっていた國の状況に
気がついた人々が騒ぎ始めたのである。

 今やケナシ族こそが唯一正統なケナシコウルペの皇族である。そのケナシ族に反抗するなど許されぬ。弾圧し、鎮圧し、誰が支配者であるかを徹底的に
知らしめることこそが國のため民のためである――というケナシ族至上主義が、一族内で大まじめに語られるようになり、ナラガンは苦しい舵取りを迫ら
れるようになった。
 元が傍流の出で、純粋なケナシ族とは違う背景で育ったナラガンは、そのような至上主義に共感できなかったのだ。
 公正で公平な皇であろうとするナラガンは、民からはケナシ族の専横の責を問われ、同族からは弱腰と責められ、やがて孤立して行った。


 そんな、民と一族の狭間で苦悩するナラガンを慰め支えたのが――その美貌と奏楽の天才を讃えられたチャヌマウ出身の宮廷楽士、ミライであった――








[16787] うたわれぬもの  建国編  24  秘密
Name: 内海◆2fc73df3 ID:677cd99b
Date: 2011/09/19 22:55
 
 
「ナラガン、ミライ――」

 悩むような顔で父と母の名をつぶやく少年を、ハクオロとベナウィはそれぞれの視線で見つめた。

 ハクオロは、失われている少年の記憶がこれを刺激に蘇るのではないかと観察の目を注ぐ。その眼差しにほんのわずかに共感と羨望の色が混ざっている
ことに、本人は気がついていない。

 そしてベナウィは――幼いときから見続けているこの少年の顔が、見たことのない表情をし続けていることにかすかに困惑していた。
 今自分の目の前にいるこの少年が、あの「アワンクル」であることは間違いない。
 それは違えようのない証拠で明らかだ。しかし……

 チャヌマウ、あの惨劇の村でこの少年が家族と共に記憶も失ったことは聞いている。
 とはいえ、記憶を失った人間は、その人間性までも変化するとでも言うのだろうか? 
 貴方の過去ですと言って実は全くの赤の他人に「彼」の出生を教えるような過ちを、自分はいま犯しているのではないか?

 ――ベナウィは目を閉じて、益体もない物思いを終わらせた。
 自分らしくもないことだ。理性より感情が先立ち、思いを迷わせるとは。
 彼が彼以外の者であるはずはないというのに……。

 再び目を開けたとき、ちょうど、ハクオロが少年に声をかけるところだった。

「どうだアオロ――いやアワンクル、だったな。何か思い出したか」
「……いえ」

 少年はハクオロを一瞬だけ見上げてすぐに目を落とし、静かに首を振った。

「そうか。まあ話もまだ途中、むしろこれからだ。私はなるべく口を挟まないように聞いているが、アオロ、お前は気になったことは質問するといい。
何よりも自分自身の――そして家族のことだからな」
「……はい、ありがとうございますハクオロ様」

 わずかなためらいの後に、決然と顔を上げて少年は肯く。引き締められたその口元と、強い意志が感じられるその目にベナウィは再び違和感を覚えるが
それを完璧な自己制御で抑え、頷き返すまでもなく語り始めた。

「――先ほどまでの話は、この國の歴史に少し詳しい者ならば知っていてもおかしくはない内容です。ミライ様がナラガン様お気に入りの楽士で、度々
招かれ楽の音色で心をお慰めしていたことも、宮中では有名なことでした。しかしここから先、アワンクル様、つまり貴方の出生についての事情を知る
者は、当時でも限られたごく少数。今では数えるほどしかいないでしょう。私にしても、先代侍大将ヤラムィ様よりチャヌマウ巡邏の命を受けるまでは
想像さえ及ばぬことでした」
「チャヌマウ、巡邏……?」

 疑問のつぶやきをこぼした少年をベナウィは見つめ、静かな声で言った。

「……ここから先の話は、貴方にとって辛い内容になります。貴方には真相を知る権利がありますが、義務はありません。正直なところ、全てを知らせる
のは、まだ若い貴方に重荷を負わせることになるのではないかとの懼れも感じます。しかし同時に、今の貴方ならばそれにも耐えられるのではないかとの
期待もあります。
 ――今一度、貴方の覚悟を尋ねます。全てを知ることを、望みますか」
「お願いします」

 間髪を入れない、返答であった。

「どれほど辛い過去であろうと、それが私のものであるならば、それを抱えて生きてゆくほかないと思います。私の年齢に配意くださるのは有り難いこと
ですが、遠慮は無用に願います。全てを、包み隠さずお教えください。覚悟は出来ております」
「承知しました。それでは――」
 
 ベナウィは少年のはっきりとした応えに居住まいを正し、語り始めた。 





※ ※ ※





 チャヌマウは今でこそ寂れた村だが、かつては近くの山から産する黒曜石(コクユカゥン)の取引で賑わった、歴史のある村である。

 ウルブのような単一部族の村ではなかったために後の戦国時代には目立った役割を果たすことはできなかったが、村長の下で多数の部族民が合議で
自治を行うチャヌマウの村のあり方は、昔の時代においてはとても先進的なものであり、その村長は周囲からの敬意を集める存在であった。
 黒曜石の需要が減り多くの人々が村を去った今でも、その名声と信望は残り香のように残っており、だからこそハクオロは乱を起こしたすぐ後に挨拶を
しに行ったのである。

 ミライはその村長の三人兄弟の末娘として生まれた。
 幼くして楽謡に著しい才を示し、数えで十になる頃には在郷の楽士たちではもはや彼女の師たりえぬと、わざわざ皇都から人を招いていたという。
 十五の歳に成人し、すぐに宮廷付きの楽士となった。娘盛りの歳となり、楽の音色と歌声の素晴らしさと並んで、その容姿の美しさもまた称賛されたが
ミライ本人はその評価を快く想っていなかった。楽の申し子であった彼女は、楽以外のことで評価されるのを嫌ったのだ。

 ゆくゆくは女性初の宮廷楽士長となり、歴史に名を残すであろうと思われたミライであったが、しかし彼女の皇都での活動は急な終わりを告げる。
 肺病を患ったミライは都払いの処置となり、故郷のチャヌマウに帰ることになったのだ。
 それは今からおよそ15年前。ナラガンの即位から2年後のことであった。



「――しかし病とは怪しまれずに都を去る方便で、実際はその時、ミライ様は懐妊しておられたのです」
「それが、私……」
「はい。故郷に戻られたミライ様をチャヌマウの村長、つまりミライ様の父君であるカイ殿は、病を理由に屋敷の裏の人気のない場所に建つ小屋に住まわ
せました。ミライ様の二人の兄も、村の人々も、ミライ様が病などではなく御子を宿して帰ってきたのだと感づいていましたが、その父親が現皇ナラガン
であるということは、村長であるカイ殿の胸のうちのみに納められました」


 楽士になり都へ行った娘が、どこの種とも分からぬ子を孕んで帰ってきた。それが恥ずかしくて村長はあんな外れの小屋に隠れ住まわせているのだと
人々は噂し合った。それはいかにもありそうな話であった。決して本来の役割でも褒められた事でもなかったが、楽士には時折そういうことがあるのも
事実だったのだ。
 しかし父である村長が病という建前を決して下げなかった為に、村人たちもそれに倣い、よそ向きには「ミライ様は病」と言うようになった。
 それこそが、カイの狙いであった。

「ミライ様は故郷にいながら、人目を忍ぶようにしてあなたを産まれました。悲鳴が漏れぬよう口には布を噛み、産婆の手も借りずに一人でご出産
なさったと聞いております」
「………」
「なぜそこまで、とお思いかもしれませんが、カイ様がかたくなに「病」の建前を掲げられ押し通したのも理由がありました。ミライ様の懐妊と出産が
口づてにでも皇都に伝われば、やはりそこでも父親は誰だということになりましょう。そこで誰かが、真相にたどり着かぬとも限らなかったからです」

 ナラガンはミライの才能を高く評価していたが、人前では触れるどころか贈り物をすることさえ無かった。唯一、とある事件の後にユナルを一棹賜って
いるが、楽士に楽器を贈ることは名誉はあれど色恋のからむ話ではなく、宮廷の者達も二人の関係には気付かぬままであったという。

「……皇は」

 その時アオロが口を開いた。

「ナラガン皇は、母が自らの子を身ごもったことを、知っていたのでしょうか」

 落ち着いた声でそう問うアオロの姿に、ベナウィは今更ながら驚かされた。
 その驚きが表に出ないように努めながら、ええ、とベナウィは小さく肯いた。

「ミライ様を病として楽士の職を解き、都払いに処したのはナラガン様の命でした。肺病は人にうつる病、それを理由として都を去らせれば、ミライ様
を追ってチャヌマウへ行く者もおらぬでしょうし、いたところで隠れ住む理由になります。カイ様の決定も、ナラガン皇のその気遣いを察してのこと」
「気遣い、ですか」
「――はい。当の本人である貴方に、仕方なかったから納得してくれと言うほど厚顔ではないつもりです。しかし、結果だけを言えば、ナラガン様の
その決定のお陰で貴方は無事に産まれ、ミライ様も命を長らえたのです。なぜならば、ナラガン様の血を引く赤児――貴方の存在が知られれば、早晩
ミライ様共々そのお命が狙われていたことはまず間違いのないことでしたから」

 膝頭に添えられた少年の手に、一瞬、強く力が入るのをベナウィは見た。
 ついに、怒るか、嘆くか――それも仕方がない、むしろ当然のことだとベナウィは思った。この少年には身勝手な大人たちを糾弾する資格も、彼らの
都合で振り回された自分と母親の悲劇を嘆く権利もあるのだから。
 
 しかし、ベナウィの言葉を咀嚼するように瞑目していた少年は、ふっとため息をついて、指先から力を抜いた。
 その表情に、怒りはない。困惑もない。あってしかるべき悲憤さえなかった。
 カムライの行から覚めた高僧のような半眼の奥に見て取れるのはただ、理性がもたらす落ち着いた哀しみと、強い覚悟の存在を示す光だった。
 少年がもらしたため息は、自分の身の上を嘆くものではなく、取り巻く事情を悟ったが故のものであることが、続いて放たれた言葉によって明らかに
なった。

「――皇后、ですね? そして、ケナシ族至上主義……」

 ベナウィは、そのつぶやきに少なからず驚いた。
 その二つの言葉は短いが、彼のまっとうな誕生を妨害した要因の、主な二つを的確に挙げている。

 自らの身の上の悲劇をそうまで客観的に分析できるというのは、単なる知性だけではなく、感情に流されぬ強い心をこの少年が持っているということを
意味していた。しかしそれはベナウィにはむしろ哀しいことのように思えた。
 そして同時に、先ほどから感じ続けている違和感をさらに強めもしたのだ。
 彼の知っている『アワンクル』は、こういう時に、このような振る舞いをする少年だっただろうか……。
 ベナウィはやはり何も口には出さず、肯いて話を続けた。

「皇后アムルタクは先のケナシ族長ホヌマンの一人娘であり、ケナシ族への強い影響力を持っていました。政権奪取以降ケナシ族の間に巻き起こった例の
ケナシ族至上主義の中心は、ホヌマンから娘へと引き継がれていたのです。そしてなお悪いことに、ホヌマンはその至上主義を部族の勢力拡大のための
手段として使用しているという自覚がまだしもありましたが、娘のアムルタクにはその自覚がありませんでした」
「つまり、至上主義を本気で信奉していた、と?」
「はい。そしてそんな皇后にとって、親ウルブと見なされていたチャヌマウ出身の娘との間に、皇位継承権を持つ子ができるというのは許し難いことで
あり、発覚した場合どうなるかは容易に想像ができました。――事実、後にその通りになりました」

 予期していたのだろう、聡い目をした少年はベナウィの最後の言葉にも驚いた様子はなく、ただ話の続きを促すように小さく肯いただけだった。





※ ※ ※





 ナラガンは、ミライと産まれた子供の安全を心から案じていた。そのため、腹心の部下であるヤラムィにとある相談を持ちかける。
 チャヌマウに誰か腕が立ち信用のできる人物を駐在させ、何か変事が生じたときには母子を護ることができるように取りはからえないか、と。

 侍大将ヤラムィはナラガンと同じ部族の出身で、政治にも軍事にも明るく皇の信篤い老練の宿将であり、ミライとの関係を知る極僅かな存在の一人であ
った。ヤラムィは皇の請いを受け、一人の手練れをチャヌマウに送り込んだ。名をワチと言い、ヤラムィ子飼いの細作の一人である。
 ワチの派遣自体公にはされなかったが、用心深いヤラムィは公にしない理由まで用意した。森へ去ったとされるウルブ族の動きを密かに探るため、と
いうのがそれであり、実際彼はチャヌマウでその役目も果たしていたのだった。

 こうして、しばしの間平穏な日々が過ぎた。いよいよ傍若無人な振る舞いをし始めるケナシ族の扱いに苦心しながらもナラガン皇は善政に勤め、忠臣
ヤラムィもこれをよく支えた。ウルブ族もなりをひそめ、周辺諸国との関係も比較的良好、森の恵み太陽の恵みも乱れなく、人々は平和に暮らしていた。
 ミライの暮らしぶりと幼い我が子アワンクルの成長については、ワチからウルブ族に関する報告に紛れて定期的に報告があり、ナラガンはヤラムィから
その報告を受けるときには眉間の深い皺もほぐれ、穏やかな表情になっていたと言う。

 ずっとこんな時が続けば――そんな願いを抱いたとて誰が責められよう。
 しかし、ある国難がケナシコウルペの全土を覆ったことにより、その日々は蝕まれるように終わりを迎えることになる。
 それは今から10年前。ミライが故郷で子を産んでから、およそ5年が立とうとしている時のことであった。



「10年前――流行病、ですか」

 少年のそれはもはや質問ではなく、確認だった。
 ベナウィは肯いた。

「ご存じでしたか」
「一昨日の夜に、母さん……ソポクさんから聞きました。10年前にヤマユラをひどい流行病が襲って、たくさんの人が亡くなった、と」
「本当にひどい災厄でした。あっという間に國全体に広がり、多くの人が倒れ、多くの人が命を喪いました。ヤマユラはトゥスクル様がおられたお陰で
まだしも犠牲者が少なく済んだ方でした。村人が死に絶え廃村になったところもあったほどでしたから。――とはいえ、その病でトゥスクル様はご子息を
お亡くしになっておられたはずですから、良かったなどとはとても言えませんが」

 ハクオロはその言葉に一瞬目を鋭くしたが、小さく息を吐いただけで何も言わなかった。

「……少し話が逸れました。病の事についてはいずれ別にお話することにいたしましょう。ここで重要なのは、病は國中に広まった、という点です。
行疫神(ハラツゥヌカミ)は田舎でも都でも猛威をふるいました。宮廷ですら例外ではなく、ついにはナラガン皇もその病に冒されました」




 高熱と脱水、激しい咳嗽を特徴としていたこの伝染病は、齢既に還暦に達し、しかも心身両面に疲労を抱えていた皇の肉体を容易く蝕んだ。
 薬師らの懸命の努力によって一命は取り留めたものの、気力体力共に著しく衰え、執務にも大きな影響が出るようになった。
 それを待っていたかのように動き始めたのが、皇后アムルタクと、それに従うケナシ族のものたちであった。
 彼らは病を理由にナラガンに対し、インカラへの禅譲を求め始めたのである。

「この時、おそらく皇后はすでに貴方――アワンクルの存在を知っていたものと思われます」
「なぜ、ですか」
「その後の物事の進展の滑らかさは、そう考えると理解しやすいのです」


 インカラに皇の適正がないことは、父であるナラガンが一番よく知っていた。次男のササンテのほうが武芸に興味を示す分、まだしもマシだと腹心の侍
大将に漏らしていたほどであった。
 しかし、ウルブ族無き今、最上位の皇位継承権者がインカラであることは明らかであったし、インカラはその母同様、同族には気前が良いためケナシ族
からの支持はそれなりに厚かったのである。
 度重なる禅譲の要請を、その都度拒否し続けたナラガンだったが、ついに拒みきれなくなる時が来た。

 ――即位後、五年はナラガンの後見を受けるものとし、侍大将の座には引き続きヤラムィを据えること。

 これを条件に、ナラガンはついに皇位をインカラに譲ることに同意した。
 後見も、腹心を要職に送り込むことも、ますます強まるであろうケナシ族主義へのせめてもの抵抗であった。
 こうして、インカラ皇が即位する。今から8年前のことである。


「……そして、そのわずか1年後に、ナラガン皇は急死なさるのです」



 
 先皇ナラガン死去の報は、かつて皇位にあったものへの扱いとしては不自然なほど国民には伏せられた。
 不自然と言えば、降位後一年という早すぎる死も不自然であった。流行病のために衰弱し皇の激務には差し支えが生じていたとはいえ、一線を退き安静に
しているぶんには問題ないはずであった。だからこその五年の後見という条件であったのだから。

 謀殺説が密やかに囁かれたが、大きな声になることはなかった。
 前皇であり、かつ現皇の父のものとしては驚くほど簡素な葬儀が、死後日を置かずに行われ、こうして真相と共にナラガンは葬られた。
 尚、この時の慣例を無視した葬儀(ハハラ)に対してウィツァルネミテアの國師(ヨモル)が抗議し、それに対する報復としてインカラが國師追放、社の
破壊を命じたことによって、オンカミヤムカイとの国交を断絶。ケナシコウルペは対外的にも孤立を深めていくことになる。

 ナラガンの死後、政の実権を握ったのは太后となったアムルタクであった。
 我が儘、かつ傲慢な気質で知られるインカラも、この母にだけは逆らえなかった。というよりももはやインカラにとって母は神のような存在であって逆ら
ったり疑ったりすることなど思いもつかぬ事であった。

 自分には幼児のように従順なインカラを自在に操り、太后は次々とケナシ族偏重の国政を打ち出し続けるアムルタク。
 それに対し、ついにある日侍大将であるヤラムィが動いた。
 単身玉堂へ乗り込み、彼はアムルタクに礼を示しつつも詰め寄った。

「亡き夫君の御遺徳をないがしろにする数々のお沙汰、発令はいかなることか。民あっての國であり、民を和のうちに安んぜしむることこそ皇の勤めと
のたもうた前皇のお心をお忘れか!」

 対して、アムルタクは言った。

「民とは我が同胞のことにゃも。即ち我らケナシ族あってこその國にゃも。そして我が同胞は、皇家あっての一族。ゆえに、皇こそが國と心得えるにゃもよ」

 民を軽視するどころではない、ケナシ族以外は民ですらないと言い切った太后のあまりの発言に絶句するヤラムィ。
 そこへ追い打ちのように、アムルタクは続けた。言いつつ浮かんでいた笑みは、たるんだ頬を歪ませた恐ろしく醜いものだった。

「それゆえ、これからはこのようなものも見逃す訳にはいかんにゃも」

 言いつつ懐から一つの美しい輪を取り出し、アムルタクはそれをヤラムィの前に放った。
 乳白色の石を円い輪に磨いたそれは、硬い音を立てて玉堂の床に落ちた。それは落ちる前からすでに輪の一部が欠けていた。
 ヤラムィは、その輪がなんなのか、誰のもので何を意味するのかに気がつくや全身の毛が逆立つような思いに囚われた。大声を上げそうになるのを必死で
押さえ込まなければならなかった。

 輪は、女性が成人した際に家族から贈られる、いわば成人女性の証である。輪は母から娘、複数いる場合は長女に受け継がれて行くものであり、娘に伝来の
輪を渡した母は、そこで改めて夫や家族から、新しい輪を渡されるのである。髪飾りとするも帯留にするも首飾りとするも自由であったが、身につけることが
求められた。
 エルルゥが髪飾りとしている輪は、数年前にトゥスクルから受け継いだものであり、軽いのに非常に丈夫な、不思議な素材で出来ている。

 同じ目的のものとして、成人男性にはやはり家族から帯(トゥパイ)が贈られる風習がある。これは成人前に締めている腰縄とは違い、家族に伝わる織りや
意匠を凝らした物であり、家族の男衆に立派な帯を締めさせることは女衆の誇りであり、重要な仕事なのだった。
 かつてアルルゥがハクオロの為に帯を織ったのは、彼女がハクオロを家族と認めた証であり、それを知った後は、拙いながらも想いのこもったその帯を締め
る度に、ハクオロは心温かくなったものだ。

 ただし、ここで帯と輪では扱いに違いがあることに注意が必要である。
 男衆は、帯を粗末に扱うことは当然許されなかったが、いつまでも同じ帯を締め続けることも恥とされた。一生懸命に働けば、帯は汚れ、擦れ、綻びるのは
当たり前のことであり、いつまでも帯が替わらずくたびれもしないのは、怠け者の証とされている。事実ハクオロが今締めている帯も最初に渡されたそれでは
なく、アルルゥとエルルゥが二人で織ってくれた立派な菱紋入りの角帯である。

 対して女衆は、親から託された輪を大切に扱うことが求められた。と言って、宝物のように祭り上げることも褒められたこととはされていない。
 輪は成人女性の証であり家族の絆でもあると同時に、健康や安全、多産を願う護符でもあるのだ。常に身につけながらもそれを大切に扱うという行為は、
そのまま女性が成すべき身の処し方を教えるものでもあった。たとえわざとでなくともそれを損なったり喪ったりするものは、家長から厳しく咎められるの
であり、まして故意にそうする者は不忠、不貞、不孝の極みとして家族のみならず所属する地域社会からも断罪され、軽蔑の対象となった。


 その、欠けても奪われてもならぬ輪が――砕かれたような断面を輝かせて、ヤラムィの眼前に転がっている。
 彼には、その輪に見覚えがあった。

 ……ミライのものであった。


「太后である妾に隠し事とは、けしからん侍大将にゃも」

 衝撃に声もなく震えるヤラムィを上座より見下しつつ、アムルタクはにゃぷぷ、と満足そうに笑った。

「――太后様、この者に何をなさいましたのか」
「別に、何もしてはおらんにゃも――今は、のぅ」

 感情を押し殺しつつ問うたヤラムィへの答えは、最悪の結果ではなく、最悪の予定を示すものだった。

「妾はただあのキママゥ臭い田舎へ人をやって、身の程知らずにも我が夫、前皇の愛人などと称する小娘からこの輪を奪ってきたまでにゃも。何かをするのは
――ヤラムィ、お前の仕事にゃも」
「……!」
「皇の情けを受けたと称するだけならまだしも、子まで居るにゃも。田舎者らしい見栄に決まってるにゃもが、事実とすれば許し難いことにゃも。汚らわしい
下民どもと尊い皇の血筋が混ざる事など、あってはならんことにゃも!」

 だん! と脇息を叩いてアムルタクは息巻いた。

「しかし、それに妾が直接手を下すのも具合の悪い事でのう。半分とはいえ皇の血を引いた子を、太后である妾が殺めれば、後々うるさいことの種ともなりかね
んにゃも。――それで、ヤラムィ」

 アムルタクは扇子の先をヤラムィに向けて、酷薄に笑んだ。

「お前がやるにゃも」
「……」
「お前はお父様の代からよく仕えてくれたケナシの功臣にゃもが、近頃は妾や皇となった我が子インカラへの忠誠が薄いようだと噂になってるにゃも。でも、
お前に限ってそんなことは無いと、妾は信じてるにゃもよ?」


 だから――と続ける声は、まるで毒液のしたたりを聞くような禍々しさであった。


「……だから、その証拠を見せて欲しいにゃも」










[16787] うたわれぬもの  建国編  25  真実
Name: 内海◆2fc73df3 ID:f8004052
Date: 2011/12/24 12:10
 ナラガン皇急逝のすぐ後に、太后アムルタクが侍大将ヤラムィを伴い次男ササンテの統治下にある東部の藩を巡幸したことは歴史の記録に残されている。
 それは表向きには、父ナラガンを喪った哀しみに暮れるササンテを慰め、またその支配ぶりを視察するためということにされていたが、そのようなあからさまにとってつけたような理由ははじめから誰も信じてはいなかった。哀しみに暮れるほどササンテが父を慕っていたとは初耳であり、視察するとしてもそれは言いがかりをつけて租(税)を巻き上げるための口実だろうと皆は考えていた。そしてそれは哀しいことに正鵠を得ており、その通りのことが行われた。

 しかし、その途上でアムルタクとヤラムィがごく少数の供回りのみをつれて、チャヌマウという僻村を訪ねていたことを知るものは少ない。
 まして、そこで何が起きたのかを知るものは……。

「――太后とヤラムィ様は、夜に、人目を忍ぶようにチャヌマウを訪れました。彼らの他には、護衛のケナシ兵十数名と太后の乗る輿の担ぎ手だけという、徹底した隠匿ぶりでした。私は当時侍大将直下の部隊に入ったばかりで、この巡幸にも同行していましたが、夜に出かけてくる、供は不要と言い渡されたきりで、何があったのかを知らされたのは都に帰ってからのことでした」

 ベナウィは、そこでふと語る口を止めた。
 不意に訪れた沈黙に顔を上げたアオロは、自分をまっすぐに見つめるベナウィの視線に気がついた。蝋燭のおぼろな照明を受けたその白皙は、相変わらず内心を悟らせぬ無表情だが、アオロにはこのときなぜかベナウィが痛みをこらえる少年のように見えた。
 
 ……ああ、本当にひどい話というのは、ここからなのか。
 アオロがそう悟ったのとほぼ同時に、ベナウィの短い沈黙は終わった。

 チャヌマウにまつわる真実が、たった一人の生き残りの少年へ、淡々と告げられてゆく――。





※ ※ ※





 チャヌマウに到着した太后一行は、村長宅を乗っ取りその全員を庭に引き出した。
 夜中の騒ぎに村人達が集まり始めたが太后の連れてきた兵達に追い散らされ、家から出ることを堅く禁じられた。
 ミライの子の秘密を知る村長のカイは、事情を悟りうなだれるばかりであったが、二人の息子たちは横暴に怒りつつも兵達に怯え、落ち着きのないこと甚だしかった。ただ、先日皇の兵たちが妹のミライの輪を奪っていったことと今回の件が何か関係があるのだと察したのか、ミライとその子が隠れ住む小屋の方へちらちらと視線を泳がせては、不機嫌そうにキセルをふかす太后とその脇で思い詰めたような表情で立ち尽くす老武人を交互に伺うのであった。

 やがて、二人の兵が屋敷の陰から戻ってきた。
 伴われるは、首に縄をかけられた美しい女性と、年の頃六つか七つほどに見える泣きわめく幼児。かつては王宮の華と讃えられた楽士ミライと、その息子アワンクルであった。
 ミライは庭に跪く父を見、怯えたような顔をする兄たちを見、それから太后とその側に立つヤラムィを見た。
 ヤラムィもまた、ミライを見た。その一瞬でミライは全てを悟ったのか、その表情から恐れは消え失せた。

 背を突かれるようにして太后の足下まで連れ出され、棒鞭で足を打たれ平伏させられるミライ。そのかたわらに、まるで猫の子を放るようにしてアワンクルが放り出される。
 泣き怯えながら母にすがる幼児を、兵が蹴った。息子をかばう母をも、兵が蹴る。幾度も、幾度も……
 夜の庭に、肉を打つくぐもった音が陰惨に響く。そして、それを誰も止めようとしなかった。
 太后の肥えた円い顔は醜悪な悦びに歪み、侍大将の痩顔は凍ったように動かなかった。

 やがて二人がぐったりとなり、うめき声さえ上がらなくなったころ、暴行は止んだ。
 しかし、悪夢はまだこれからであった。

「ヤラムィ」

 尊大な声が、かたわらに立つ侍大将を呼んだ。
 呼ばれた老武人が短く「……は」と応えると、太后はニヤニヤとした声で語りかけた。

「お前、自分が何をすべきか、分かってるにゃもな?」
「……太后様」

 ここでヤラムィは驚くべき行動に出た。
 太后の前に進み出て、額をこすりつけんばかりに平伏したのだ。

「太后様、お願いがございます」
「……どういうつもりにゃも、ヤラムィ」
「この者達に死を賜る件、どうか思いとどまりくださいませ」
「ええい、このたわけが! 今更何を言い出すかと思えば!」

 ガッ!
 激した太后が投げた酒杯がヤラムィの額で音を立てて割れ、一筋の血が眉間から鼻筋へと滴る。それをぬぐいもせずにヤラムィは訴え続けた。

「臆したがゆえに申し上げているのではありませぬ。この者らの命を奪うのは容易なれど、今は生かしておく方が太后様、ひいてはインカラ皇のつつがなき治世の御為に役立つかと存じます故」
「……ほう」

 太后は目を鋭く光らせてヤラムィを睨んだ。

「どう、役立つと言うのか、言うてみるにゃも。……もしつまらん寝言を抜かしたら、そこの下民と一緒にその首打ち落としてくれるにゃもよ!?」
「まず申し上げたきは!」

 声を張り上げてヤラムィは平伏したまま言った。

「ここに居ますこの幼児(おさなご)は、まさしく先皇ナラガン様の御胤に相違ございませぬ。このヤラムィ、ナラガン皇より命を受け、この者達をこれまで監視して参りました。命あっての事とは言え、これまで太后様へお知らせせなんだこと、深くお詫び申し上げます」
「……それがどうかしたにゃもか?」

 あっさりとヤラムィが認めたことに僅かに驚いた様子の太后だったが、苛立ったようにそう応えた。ヤラムィはますます頭を低くして続ける。

「命あって、と申し上げましたが、今お願いしたきはまさにその事。不肖ヤラムィ、生前のナラガン様よりこの幼児が成人するまでよく見張り、ケナシの皇統に仇なすこと無きよう、また、その身命に万一の事も無きよう、くれぐれも頼むと直々に命じられております」
「……ふん」
「この者らが分を弁えず皇位皇権を望みましたのならば、御命なくともこのヤラムィがこの者らの素首を必ずや太后様の後足下にお並べいたしましょう。それがナラガン様の御遺志でもございました。されど」

 ヤラムィはひれ伏していた額を決然と上げ、憎々しげにこちらを見るアムルタクと真正面からその眼光をぶつけあった。

「されど! 今はまだこの者らは何もしておりませぬ。ただただ、この僻村にて一農民として慎ましく暮らし居るのみ。ならばこのヤラムィは、この者の身命を保護せよという主命を果たさねばなりませぬ。その義務、使命は、この一命にかけても果たされねばなりませぬ」
「それはお前ゃあの都合にゃも。妾が聞いているのは――」
「もしこの願い太后様の御慈悲によりお聞き届け賜り、この老いぼれに主命を全うさせてくださるのであれば――!」

 わめきかけた太后の言葉をさらに強い言葉で老将は遮り、挑むようにその目を睨みつけた後に再びその額が地に着くほど頭を垂れた。
 垂れながら、血を吐くように、言った。


「……その御恩は死すとも返せますまい。このヤラムィ、これよりはいよいよ誓って太后様の御為に忠勤させていただきたく存じます」


 周りの兵達は、その発言の意味がわからなかった。村長らもわからなかった。いまや最高権力者となった太后アムルタクにいよいよの忠誠をいまさら誓うことが、なぜこの者たちの命を贖うほどの価値を持つのか全くわからなかった。
 ただ二人、痣だらけの身を引き起こされているミライと、輿の上の太后は理解した。
 その発言の意味するところを余さず悟り、ミライは青ざめ、太后は嗤った。

「……ほう。この妾の為に働いてくれると」

 ばさり、と広げた扇で太后は顔の下半分を隠した。口元が笑み崩れるのを抑えきれなかった。

「我が良人ナラガンへのものと変わらぬ忠誠を、妾に捧げると――そう申すか」
「は」

 額を土に押し当てるように地に伏せるヤラムィの、表情は見えなかった。
 ただ、その指先は耐え難い苦痛を耐えているかのように土を掻き、爪には砂が食い込んでいた。
 周囲の困惑を余所に、太后は一転して満足げに笑いだし、異様に目を光らせた喜悦の表情でそのヤラムィの姿を眺めていた。

「ほぅほぅ……まこと、健気なことにゃも。主命というならば、仕方ないにゃも。その願い、聞いてやるにゃもよ」
「では――」
「しかし!」

 顔を上げたヤラムィに、太后は喝とばかりに命じた。

「命までは取らねども、こやつらをこのままにしておくわけにもいかんにゃも! 我が子インカラの治世を脅かす憂いは何一つとして許すわけにはいかんにゃも」
「………」
「立て、ヤラムィ。改めてお前に命じるにゃも。この両名を――脚斬りにし、身分を奴隷(ケナム)に落とすにゃも。わかったにゃも?」

 脚斬り――それは脚の腱を斬って歩行の自由を奪う刑罰であり、重罪人や捕虜や人質、奴隷や娼婦などの逃亡を防ぐためのものでもあった。
 また、奴隷とは他者の所有物となり労働や奉仕を強制させられる”人の形をした道具”の状態であるのに違いはないが、一般の理解としては奴隷となった経緯によってそれは二種類に分かれた。
 ひとつは、借財などの返済のために『自ら望んで』奴隷となった人たちである。貧しい村から娘を買い上げたり、戦争難民を囲い込んでは助けた恩を借金として背負わせる人買い、人さらいの類が供給するのは、この部類の奴隷である。たいていは無法な額を背負わせて低給金でこき使うため返済は無理であるのだが、幸運にも大金を手にした奴隷が身代を支払い、奴隷から脱する事がある。
 対して、為政者によって身分を奴隷に落とされたものは、金で我が身を贖うことはできない。為政者が恩赦をださぬ限り死ぬまで奴隷であり、その子も、子の子も、奴隷である。クンネカムンが建國されるまではシャクコポル族はもっともありふれたこの部類の奴隷であり、よってかの國は「奴隷の國」と呼ばれ侮られているのであった。

 脚斬り、そして奴隷へ……それは殺さぬというだけで、人としての権利や尊厳、自由をことごとく奪う、恐ろしい刑であった。
 ヤラムィは震える指先を地に押しつけた。唇を食い破ったのか口角からは一筋の血が流れだしたが、指先を見つめたまま強張った目はその痛みにすら気がついていないようであった。

 ふと、ヤラムィの目がミライを見た。
 ミライは脚斬りが命じられてからずっとヤラムィを見つめており、目が合うとミライは小さく、しかしはっきりと、頷いた。
 それを見たヤラムィは言葉もなく、ただ一度、何かに懺悔するかのように目を強く閉じ――再び開いたときには迷いは消えていた。

「仰せのままに、太后様」

 一礼して立ち上がり腰の佩刀を抜き放ったヤラムィは、兵達に二人が暴れぬよう取り押さえるよう命じた。
 口には布が詰め込まれ、悲鳴が響かぬようにされた。
 ヤラムィはその元へ無造作に歩きより、一度、そしてまた一度、見事な刀さばきで刃を振るった。

 暴行で気を失っていたアワンクルはその激痛にくぐもった悲鳴を上げたが、ミライはうめくだけで悲鳴を上げなかった。
 あるいは彼女は、自分の悲鳴がヤラムィの負担になることをさえ、懼れたのかもしれなかった。
 ミライはヤラムィの立場をよく理解していた。彼は己の魂を太后に売って、自分たちの命を救ってくれたのだということを。

 ヤラムィが己の命じた脚斬りをし終えるのを見届けた太后は輿を下ろさせ、自分の脚で地面に立った。
 刀の血を払い、納刀して跪くヤラムィを見下し、尊大に嗤った。彼女はついに、この小うるさい老武人を屈服させ、自分の手駒にできたのだ。

 ――確かに、こいつらは生かしておいた方が都合がいいにゃも。
 太后はほくそ笑んだ。
 ――殺してしまっては、この老いぼれに対する切り札にならんにゃも。これで妾に逆らう者は居らぬ……!

 しかし、それでもまだ太后は今宵の楽しみを終わりにする気はなかった。
 殺さぬと決めたときに胸の内に沸いたある欲望を果たすために、アムルタクは輿から降りたのだ。

 近くにいた兵の手から松明を奪い、地に転がるミライのそばへ太后は歩み寄る。
 兵たちを手で追い払い、その鈍重な足先でミライの顔を蹴り、面を晒させた。

 痣だらけの肌に脂汗をかき、血の気は引き、髪はほつれて土にまみれていても、彼女は美しかった。
 それが、その美しさと気高さが、アムルタクには許せなかった。

「太后様、何をなさいますか!」
「黙れヤラムィ。まだこやつの罪は残っておるにゃも」

 振り向きもせずに太后は応えた。

「脚斬りで贖ったのは、皇統を脅かした罪にゃも。しかしこの小娘にはまだ――」

 松明の炎がぼう、と音を立てて揺れた。

「この小綺麗な顔で人の良人(おっと)をたぶらかした姦通の罪があるにゃも」
「太后様!」
「黙りゃ! ……わかっておる、殺しはせんにゃも」

 そう言って太后は懐から砂金の詰まった袋を取り出し、離れたところで震えている村長らの足下にそれを放った。

「――せいぜい良い薬師を呼んでやるにゃも」

 そして、彼女は燃える松明を足下のミライの顔に押し当てた。
 皮膚の焼ける音とにおいが場に満ちた。あまりに壮絶な光景に兵の一人が吐くのにもかまわず、太后はぎらぎらと異様な笑みを浮かべながらミライの顔を灼いた。

 あああぁあぁぁぁあああああ……!

 ついにミライの口から悲鳴が漏れた。かつて都の貴人らを虜にした美声はひび割れ、聞くも恐ろしい苦悶の声であった。
 太后はそれを聞いて、うっとりとした顔で松明を引き上げた。

「……その声が聞きたかったにゃも」

 ――揺れる松明の炎が、悪鬼の如き陰影をその顔に刻んでいた。



 その後、同伴した兵らはもちろんのこと、村人らにも固い箝口令が出され、太后らがチャヌマウを訪れた事実は徹底的に伏せられた。
 チャヌマウは今後も表向きは行方の知れぬウルブ族の追跡拠点として監視の対象とされた。ただ、ヤラムィが派遣していた細作のワチが事件以降姿を消しており、ヤラムィは新たに麾下の若武者ベナウィをチャヌマウ巡邏の任に充てた。

 これ以降、ヤラムィは太后の暴走を諫めることができなくなった。しばしば出される無法な命令に、かつては正面切って反論し時には思いとどまらせることができていたものが苦悩しながらの嘆願という力弱い物言いとなり、それも最後には太后が何事かをささやくと拳を振るわせながら諾と応える、そのような光景が皇殿で繰り返されるようになった。
 ケナシ族の専横はますます目に余るものとなり、心ある人はその横暴に耐えきれず、國を見捨て野へ下って行った。
 そしてその彼らが口々に言うのが、侍大将ヤラムィの変節であった。

「ケナシコウルペの守護神も、今ではケナシの傀儡。人は老いてもああはなりたくないものよ」

 太后の言いなりとなり、民を苦しめるような以前ならば決してしなかったであろう任務まで果たすようになったヤラムィは、民からの軽蔑と憎しみを一身に受けた。正義と民の安寧を護る百戦錬磨の英雄という輝かしい名声は地に落ちた。
 それからのヤラムィは一年が十年であるかのように年老い、ついに病に倒れた。

 このままでは死ねぬ。このまま自分が死ねば、その途端にあの親子は殺されるに違いない。しかし、もはや何が出来ると言うのか……
 病床で、ヤラムィが絶望の涙を流していたとき、驚くべき知らせが舞い込んできた。
 太后アムルタクの、急死である。

 ケナシ一族の者を招いた贅を尽くした、とある宴の席で、アムルタクは突然倒れ鼾をかいて眠り始めた。酒席だったこともあり、その場にいた息子でさえ「母様は酔われたにゃも」と言って取り合わなかった。
 しかし太后はそのまま目覚めることがなかった。己の悪政のために、まともな薬師が宮中から消えてしまっていたことが、結果として彼女の命を失わせる結果になったことは皮肉としか言いようがない。

 ヤラムィはその後一年を生きた。苦しみに満ちた余生であった。臓器が腫れる恐ろしい病の苦しみはひどいものであったが、彼を真に苦しめたのは民を護れなかった己への自責の念であった。

「自分は、あの二人の親子の命を救うために、多くの民を苦しめた。自分のあのときの決定は、間違いだったのではないだろうか。侍大将としてこの濃紺の外套を身に纏うのであれば、皇の遺児だからとて無数の民の幸福と天秤にかけるようなことをしてはいけなかったのではないか。結局、自分も太后らと同類ではないか……」

 病がその身を苛み、苦悩がその心を乱しても、それでもヤラムィは最善を尽くした。
 その彼が最後に打った手が、ベナウィへの侍大将の座の移譲である。
 お前しか居らぬと言い残し、わずか二十歳の若者にこの末期の國を預けて逝くことの非道さを、誰よりもヤラムィが知っていた。
 だが、その手を握り返しその志を継ぐと言ってくれたベナウィのまっすぐな眼差しは、彼の苦悩する魂の最期の救いとなった。

「ナラガン様、お許しくだされ……お許しくだされ……」

 こうして、ケナシコウルペにその人有りと名をはせた英雄ヤラムィは、亡き主人に許しを請いながら死んだ。
 チャヌマウにまつわる秘密はこうしてベナウィに引き継がれ、5年の歳月が流れる事となった――。






※ ※ ※  
  
 





「そのようなわけで、私はチャヌマウを年に数度訪れていました。この地方で反乱が起きたときは藩城陥落の報を都に届けに戻り、その後すぐに駆けつけたのですが、皇の兵が先に村を焼いた後で……それからのことは、すでにご存じかと」

 ベナウィはちらとハクオロを見て、長い話を終えた。

「……以上が、かの村にまつわる私の知る限りの出来事にございます」

 語り終えたベナウィは、目の前に座るアオロ――アワンクルを見つめた。
 正座した膝の上で拳を握り、顔が見えぬほど頭を垂れて話を聞いていた少年は、しばらくの後に、深い呼吸を一つして顔を上げた。
 驚くほどに、落ち着いた顔をしていた。

「大丈夫か、アオロ」
「――ありがとうございます、ハクオロ様。そしてベナウィ様も……包み隠さずお話下さいましたこと、心から御礼申し上げます」

 深々と礼をするアオロに、大人二人はかける言葉が無かった。
 何を言っても、この少年には今は遠かろう。ただただ、取り乱さず落ち着いた様子の少年が、かえって不憫で、哀れに思えた。

「それで、ベナウィ様。よければその後のことも――ベナウィ様が見た、私と母の暮らしぶりなどを、お聞かせ願えませんか」
「――はい」

 軽く目を瞑り、ベナウィは記憶から語り始めた。

「お二人の脚と、ミライ様の火傷の治療をされたのはトゥスクル様であると聞いております。トゥスクル様の優れた医の術と、その後の療養の指導無くば、いま貴方は歩くことはおろか立つことさえかなわなかったでしょう。チャヌマウは皇家からの監視を受けておりミライ様との接触は厳しく制限されていましたが、トゥスクル様はそれでも時折診察に来られ、ミライ様もトゥスクル様に脚のこと以外にもいろいろと相談をしていた様子でした」
「トゥスクルさんが……」
「脚斬りにあったときほんの幼子であった貴方に、楽を仕込むようミライ様に勧めたのもトゥスクル様であると聞きました。奴隷に身を落とされたこの子に、ミライ様が渡せる唯一の財産は楽だと。楽の芸が出来れば脚萎えの奴隷でも口を糊して行くことができよう、と。……それまでもミライ様は笛などを貴方に与えていたようですが、それ以降のミライ様は鬼気迫る様子で貴方に楽を仕込んで居られました」

 ベナウィは思い出す。かつては三国一と歌われた美貌も美声も、太后の押しつけた炎に焼かれて失われてしまった。
 しかし、その手は無事であった。その指の紡ぎ出す天上の音色までは奪われることはなかったのだ。

 はじめは警戒されていたベナウィであるが、その若さと誠実さによって次第にミライからの信頼を勝ち得ていた。むろん、兵達が見ているので親しく言葉を交わすことなどなく、あくまで監視者と被監視者の関係ではあったが、それでもある程度のやりとりはあった。
 ベナウィはしばしばミライに奏楽を望み、ミライはそれに応えた。アワンクルも、母と並んで弾くことがあった。

「貴方には母譲りの楽才があったのでしょう。幼子とは思えぬ奏楽を、早くからしていました。ただ……」
「ただ?」
「――楽は貴方にとって、喜びよりも苦痛であるように、私の目には見えました」

 それも無理からぬことであったろう。
 わずか6つか7つで自由に駆け回る脚を失い、人が変わったように厳しい母から毎日毎日楽の稽古をつけられるのだ。
 自ら望んだ訳でもなく、ただただ母を悲しませたくなくて続ける稽古に、喜びなどなかっただろうことは想像に難くない。

「……ですから昨日、城門の上でユナルを奏でる貴方の姿を見たとき、その調べを耳にしたとき、私がどれほど驚いたかおわかりになりますか」
「あのとき、私が、アワンクルだと……?」
「他にはおりましょうか。あの”ナタム・ハラツヌィ”を、しかもその歳であれほど達者に弾きこなす少年など」
「ナタム・ハラツヌィ?」
「はい、昨日貴方が我々を迎えるために城門の上で弾いていた、あの明るい楽の名です」

 ベナウィはそうして、今宵最後の秘密を明らかにした。

「ナタム・ハラツヌィ――『ハラツィナの春』。ハラツィナ出身のナラガン様のために、村に伝わるヒビウラを元にミライ様が作曲された曲です」







※ ※ ※







 ――その後、どうやって自分が部屋に戻ったのか、俺は覚えていない。
 長い長い夢を見て、目が覚めたら次の日の夕暮れで――


 すでに、ハクオロさんたちは出撃した後だった。







 2011.12.24  一部誤字修正。反乱発生時の表現修正。



[16787] うたわれぬもの  建国編  26  悪夢
Name: 内海◆2fc73df3 ID:f8004052
Date: 2012/01/06 21:53



「……げなさ……、……!」




 声が……




「……や…! ――ない!」




 ――誰だ……

 誰かの必死に呼びかける声に背を押され、俺はふらふらと歩いている。
 俺? これは俺なのか……?
 意識は朦朧として、なにも分からない。考えられない。

 ただ、俺は後ろから声をかけるあの人の言うままに――


 ――まて。

 ”あのひと”って、誰だ。



「――たぞ! おい……!」
「……火を――やがった!」


 荒々しい足音と声が迫る。
 炎に包まれた屋根から大きな柱が一本落ち、黒い煙が立ちこめる。

「――!」
「――!」

 恐ろしい声が煙の向こうから聞こえる。
 ”あのひと”がいる場所から。


 戻ろう。
 いや、逃げなくちゃ。

 でも、この中には、中には――


「あ……あ――さ」
「――やれ!」


 ――ザクッ
  

 声を上げると同時に、重い刃が何かを貫く音がして。軽いナニカが木の床に崩れる音がして……

 直後、焼けた天井が本格的に崩れ始めた。
 なのに俺の脚は前にも後ろにも動かなくて――

「あ……あ……」


 炎を上げる梁が頭に当たり、俺は打ち倒された。
 それでようやく俺は這いずるようにその場を離れ――


「――さん。――あさん」

 泥を舐めるようにして腕の力で進み、藪の中へ頭から突っ込む。
 どこかから飛んできた流れ矢が、寸前まで彼がいた地面に突き刺さる。
 松明のように燃え上がった家が崩落する音が響き、その向こうからは逃げ惑う人々の悲鳴と断末魔が聞こえる。


「ああ……あああ――!」


 ああ、これは夢だ。
 夢でいい。夢であってくれ。

 こんな絶望と恐怖に満ちた――焼け落ちる生家から這いずるように藪の中へ逃げ、血と泥に塗れながら誰かの名を叫ぶような記憶は――


(もういい――やめてくれ……)

 フラッシュバックする光景。
 立ちこめる煙の臭いと、肌を炙る炎の熱さ。

『――ロ!』
(覚めろ、覚めろ! こんな――こんなの……!)
『アオ――ん!』


 一瞬煙の向こうに見えた、”あのひと”の姿。
 地に伏せたその胸元からは、赤い、紅い――



『――アオロ!』



「うわああああああああああああ……っ!!」



 覚醒の瞬間、俺は叫んでいた。
 叫びながら、泣いていた。
 そして気がついていた。


 これは夢だけど、夢じゃなかった。

 これが……こんなに悲しいものが。
 ――君の、最後の記憶なのか。






※ ※ ※






 アオロが魘されている、と言ってエルルゥを呼びに来たのは、彼女が姉と慕うソポクだった。
 熱があるわけでもなし、普通なら悪い夢を見ているだけで薬師を呼びはしない。しかし今回に限っては事情が違った。

 ヌワンギの兵によって全滅させられたチャヌマウ村の唯一の生き残りであり、エルルゥ自身がその治療に当たった彼女の患者でもあるとある少年を、ソポクとテオロの夫婦はアオロと名付け、養子として引き取っている。

 普通の子供ではない。

 脚には、奴隷の如く意図的に斬られた痕があり、手には職業楽人もかくやというほどのタコがある。
 楽器を渡せば見事に弾きこなし、筆を渡せば立派に文を綴る。
 脚の傷はまるで奴隷のようだが、施された教育の跡は決して奴隷に対するそれではない。その上ハクオロらによれば、戦に対しても驚くべき洞察力と先見を示し、堂々たる弁舌で人を動かしたという。
 一体何者なのかと、皆が不思議がった。しかし少年以外皆殺しになっている上に、当人も記憶を失っていたため、どのような身の上の少年なのかこれまで全くつかめなかった。

 しかし、ついに少年を知る人物が現れた。なんとタトコリ関での戦いでこちらに降ったケナシコウルペ國侍大将、ベナウィその人である。
 凱旋する兵達を楽で迎えようと勧めたのはエルルゥなのだから、それがきっかけでベナウィと少年が出会い、身の上が明らかになったのはめでたい事であるはずなのだ。
 しかし――


「――ううっ……うーっ、ううーっ!」
「ちょっと前から、こんな感じになっちまってね……」


 額に汗をかきながら悪夢に魘される少年の苦しみに歪んだ寝顔と、そのかたわらで痛ましい表情を浮かべるソポクを見ると、間違ってもこれがめでたい事であるなどとは言えなかった。

 少年の枕元には、一棹のユナルとその弓が置かれている。ヤマユラ一番の芸達者であるカヌイからアオロが借り受けている、素朴な楽器だ。
 昨夜ハクオロとベナウィの待つ部屋に呼ばれたとき少年はそれを持って行き、帰ってきた時には手ぶらだった。ソポクたちの部屋に戻るなり倒れ、昏々と眠り続け今に至る。
 そのユナルは今朝、ハクオロが部屋に届けに来たのだ。そしてその時、ハクオロはアオロ――本当の名はアワンクルというらしいが――の身の上をテオロとソポク、そしてエルルゥに語った。
 それは歴史の闇に隠された、ケナシコウルペ國の暗部。あまりに、恐ろしい話だった。

「――この話は、口外無用だ。本人の意思を優先するが、私としては今後もこの子はアオロ――親ッさんとソポクさんの息子として扱うつもりだ。それでかまわないか」

 淡々と語るハクオロがそう確認すると、ソポクは小さくうなづき、眠る息子の頬を撫でた。エルルゥも頷き返した。
 アオロの枕元にあぐらをかいていたテオロは、腕組みをして黙って話を聞いていたが、ハクオロの言葉に腕組みをほどいて言った。

「すまねえな、アンちゃん。それで頼むぜ」
「親ッさん……」
「それより、軍議があンだろ。オレたちの都合で遅くなっちゃあいけねェ。行こうぜ」

 今朝になって、山向こうから早駆けの報告が来たのだという。
 ハクオロがこの部屋に寄ったのは、テオロを呼びに来たという理由もあるのだ。

 部屋を出て行きかけたテオロは入り口のところで振り返り、眠る息子の顔を見た。
 
「アンタ」
「カァちゃん、坊主を頼むぜ。起きたら腹ァいっぱいメシ食わせてやんな」

 声をかけてきた妻にそう言って、今度こそテオロは部屋を出て行った。
 前へ向き直り、歩き出す――その一瞬、エルルゥにはテオロの顔が見えた。その瞳が見えた。
 見たことがないほど、怖い目をしていた。

 テオロは土神テヌカミを身に宿している。テヌカミは暴れん坊のヒムカミを封じる神であり、力強く穏やかであると伝わる。人の人格は宿している神によってある程度左右されると言われているが、テオロも例に漏れず、力が強く、豪快で、細かいことにこだわらず、穏やかで我慢強い。育ちが悪いせいか言動がなにかと荒っぽいため、しょっちゅう誰かと喧嘩している怒りっぽい人物のように見えるが、それはほとんど遊び半分なのだ。産まれたときからの付き合いであるエルルゥでさえ、テオロが本気で怒っているのを見たのはついこの間――トゥスクルが兵に殺された時が初めてなのだ。
 そのテオロが、怒っている。
 あの冗談好きで陽気で気さくな、いつもエルルゥとアルルゥを本当の兄妹みたいに見守ってくれているあの優しい瞳が……今は爆発する前の火山のように怒りに満ちていた。

 このまま見送っていいのか、なにか自分も声をかけるべきなのではないか、そう思ってエルルゥは廊下に出――結局何も言えず遠ざかる二人の背中を見送った。
 それが、今朝の出来事。
 そしてまもなく陽が沈むという頃合いになって、アオロがひどく魘されていると呼び出されたのだ。


「う……ううん! あ――う…っ!」
「すまないねぇ、エルルゥ。忙しいだろうに呼んじまって」
「いえ、私もアオロくんの様子、気になってましたから…」
「そうかい。ありがとうよエルルゥ」

 いつも気丈な、しっかり者のソポクだが、今こうして苦しむ子供を見守るその表情は、いつもよりほんの少しだけ心細げに見えた。
 エルルゥは、”アオロ”という名前の由来を知っている。この二人にとってどんな思いがそこにあるのかを知っている。
 だからかもしれない、とエルルゥは思った。普段はアルルゥがお腹が痛いと言っても全然心配せず、むしろおかしなものばかり食べるからだとお小言を言うような肝っ玉母ちゃんのソポクが、今はうめきながら眠るアオロのかたわらで、心配そうな表情を隠しきれずにいる。

「かあ――ん……あ……ううーっ」

 掛け布を跳ねのけるように腕が中空に伸び、悪夢にさいなまれるアオロの表情が一層の苦渋に満ちる。
 しかしそれでも、エルルゥは彼を起こせとは言わない。ソポクもまたそうしようとはしない。なぜなら――

「――あさん…… うーっ うーっ!」

 『かあさん』――母さん、と彼は幾度となく呼ばわっているのだ。
 それは、つい先日親子となったソポクのことではあるまい。衝撃的な身の上話を明かされた直後に観る夢なのだ。そしてなによりこの苦悶の表情……まるで顔を火で炙られてでもいるかのような苦しみようはどうだ。

 彼はいま、夢の中で思い出しているのだ。
 喪われた記憶を――全てを喪った記憶を。

 苦しいだろう、辛いだろう。見守るエルルゥでさえ胸が詰まるほどなのだ。
 肩を揺すり夢から覚まし、悪夢を終わらせてやりたい。それは夢だ、もう忘れなさいと言って抱きしめ、穏やかな眠りにつかせてやりたい。

 しかし――きっとそれは彼の為にならないだろう。
 彼は思い出すべきなのだ。たとえどんなに恐ろしく、恐怖と苦痛に満ちた記憶であっても。
 アオロ自身も、過去を知る覚悟を問うたベナウィにこう答えたという。

『どれほど辛い過去であろうと、それが私のものであるならば、それを抱えて生きてゆくほかないと思います――』

 エルルゥはふと、その言葉にハクオロを想った。
 彼もまた記憶喪失者、だ。
 彼が記憶を取り戻すときも、このように苦しむのだろうか。そのとき、自分はどうするのだろうか……



「うあああーーっ! ああーーっ!!」


 アオロが一際大きな声を上げて暴れ出したのはその時だった。

「――さん! ――あさん!  ああああああぁぁ!!」
「アオロ!」

 叫びながら、泣きながら、もがくアオロ。ソポクがアオロの手をとり、名を呼んだ。
 はっとしたようにエルルゥのほうを見るが、その目はエルルゥに訴えかけている。

 もういいだろう、と。

 エルルゥはうなずいた。
 夢は心の働き。実体無き玄妙なるもの。心や魂といったものはウィツァルネミテアの僧や巫の範疇。
 見習い薬師の、ましてやこんな成人して間もない小娘ごときが口出しできるようなことではないが、それでも偉大な祖母の教えがこの時も彼女を導いている。

『食べ物が口を通って胃の腑に届き、腸へ進み栄養を吸い取るのと同じで、心もまた目で見て耳で聞いたことを、夢の中で消化するものなのさ。悪いものを食えば腹が苦しいし、辛いものを食えば痛む。それは当然のことで、大事なこと。腹が痛いからといってすぐに薬を飲んでいては、体は強くならないだろう。夢も同じだよ。良い夢も、悪い夢も、それは記憶を魂に取り込んで自分のものにしている最中なのだから、途中で起こして邪魔をしてはいけない。――でも、腹が苦しすぎれば人は死ぬ。悪い夢も過ぎれば毒、心を折ってしまうさね。だからそういう時は――」



「アオロくん!」
「起きな! アオロ!」



 ふたりの呼びかけに応えるように、一際大きな叫び声をあげてアオロが悪夢から目を覚ましたのはその直後であった。







2012.01.06 一部表現修正。ご指摘感謝!



[16787] うたわれぬもの  建国編  27  決意
Name: 内海◆2fc73df3 ID:f8004052
Date: 2020/05/16 03:31

 夜を迎えた藩城に、静かな弦の音が流れている。
 満月からやや欠けた月に照らされ、地上は深い藍色に沈み、風はなく、空に雲もない。

 人々はみな眠りについているのか、昼間の騒がしさが嘘のように静かな夜――その静謐の中を、まるで香の煙のようにユナルの妙なる調べがゆったりと流れている。

 どこか懐かしいような、もの悲しいような、安らぐような……まるで母の歌う子守歌のような旋律を仲間の声と間違えたか、一羽の夜鳴鳥が藩城の一室、本殿の真上にある露台の欄干へと舞い降りた。
 ユナルの調べはそこ、月光に照らされた露台の上から流れ出していた。

 

(鳥――)

 ユナルを奏でる少年――アオロは、まるで自分に気遣うようにささやかな羽音ですぐ近くに羽根を休めた夜鳴鳥をちらりと見、ふと微笑んで再び目を閉じた。
 弦を押さえる指と弓を操る手は、その間も一瞬の停滞さえなく動き続けている。

 いま仮に彼の手の内からユナルを消し、その姿をオンカミヤムカイの僧に見せたならばきっとこう言うであろう。
 彼はカムライの行を修めている――と。

 事実、彼は今、深い思惟の中にあった。

 この世界で目覚めてからこれまでのこと。ハクオロに拾われ、ヤマユラの人たちに助けられ、父と母を得たこと。
 この身に刻まれた痕のこと。喪われた記憶のこと。原作では死んでいたはずのこの体の持ち主の謎。
 自分が積極的に関わり結末を変えてしまった戦いのこと。
 昨夜ベナウィから告げられた、このチャヌマウの少年の出自とその真相。その後みた悪夢――映像として蘇った記憶のこと。
 そして、目覚めてから母とエルルゥに聞かされた、その後の状況のこと……

 月明かりの下、少年はユナルと語らうように弾くともなく弾きながら、己の来し方行く末を案じていた。





※ ※ ※






(俺は――どうしたいんだろう。どうしたら、いいんだろう……)

 答えはすぐそこにあるようにも思え、しかし手を伸ばすと何もつかめず思考の指先は空を掻く。
 まるでこの空に浮かぶ月のようだ、と俺は思った。


 俺は昨夜ベナウィから己の出生の秘密を聞かされた後、自室に戻るなり倒れたらしい。
 そして長い悪夢に魘されながら今日の夕暮れになって目覚め、エルルゥと母さんから具合を聞かれ、俺も母さん達から俺が寝ていた間に起きたことを聞き、食事をしてから再び眠ることにした。今日は姿を見せなかったけれど、ノノイの言葉に従うことにしたのだ。『具合の悪いときに考え事をしても良いことはない』。悪夢で消耗し、一昼夜眠り続けていた体は栄養と休養を欲していた。
 そして夜中になって目覚め、俺は寝静まった部屋からユナルを抱えて抜け出し、みんなの眠りを妨げない場所を探してここにたどり着いた、という次第だ。

 
 悪夢によって蘇った恐怖と悲しみは深甚なものだった。
 なにかを叫びながら目覚めた後、目の前にいた母さんにすがりついて泣き出してしまったのは今となってはやや気恥ずかしいけれど、しかし、あれで救われた。あのとき母さんが、激情の余韻に震える俺の体をしっかりと抱き、赤児をあやすように背を叩いて「大丈夫、心配ない」と声をかけてくれていなければ、きっと自分は今でも心のどこかが悪夢に囚われてしまっていたかも知れない、とさえ思う。
 そしてきっと悪夢に囚われた自分は、それを払うために憎悪に身を任せていただろう……ユナルをことさらにゆったりと奏でながら、俺はそう自分を分析する。

 自分はどうすべきか――そう悩めるということは、少なくとも今の自分は悪夢に囚われてなどいないとということだろう。
 無論、母を殺し、村を焼いた兵達への怒り、憎しみが消え去ったわけじゃない。
 しかし、夢から覚めてしばらく経ってみれば、あれはやはり俺にとっては夢――他人の記憶なのだ。あのまま悪夢に囚われていれば、憑依したはずの自分が逆に乗っ取られていたかもしれないけれど、その寸前で母さんとエルルゥが救ってくれた。
 彼女らの優しさと明るさ――前に俺が居た日本ではずいぶんと胡散臭い言葉になってしまったけど、一言で言えば愛の力で、自分も、このアワンクル少年も救われたのだと大げさでなく俺はそう思っている。

 だからこそ、迷っている。
 この世界の行く末を物語として知る転生者である自分が、これからどう動くべきか。
 何を目指して動くべきか。それで得るものと失うものはなにか……。

 自分がただの孤児、テオロとソポクの養子である単なる少年アオロだったなら話は簡単だった。知識と縁を生かしハクオロの元で働き、いつかこの少年自身にこの体を返すときまでに、確固とした立場を得る――そのつもりでいたし、昨夜まではそれは上手く行っていた。ベナウィを師と仰ぎ、ハクオロの元で文官として働くという、願ってもない未来が開けたのだ。
 しかし、そのベナウィから告げられた事実は、俺のその思惑に大幅な修正を迫るものだった。

 この身――脚に奴隷の証を刻まれた小柄な少年は、ただの孤児ではなかった。
 名をアワンクルという、前皇の隠し子。
 インカラの異母弟にして、ササンテ亡き今はケナシ族系ケナシコウルペ皇位継承順位第一位という存在。
 いま民を苦しめ、奪い、殺し続けているインカラやヌワンギが、実は親族(ウタル)――それが自分なのだ、という。
 
 まるで悪い冗談だと思う。なぜよりによってそんなやっかいな生まれの人間に自分が入ってしまったのだろうとさえ、正直なところ思う。
 しかし同時に、だからこそこの俺が入ったのかも知れないとも思う。
 この少年は世界に願ったのだろう。祈り、求め、訴えたのだろう――だれか助けて、と。
 そして俺が――原作知識を持つ自分が、彼に入ったのではないだろうか。検証のしようもないが、今はそう仮定してみる。

 原作では、その願いは叶わず、彼は死んだ。チャヌマウはただの滅ぼされた集落の一つで、生き残りは居らず、ただハクオロとベナウィが最初に出会った場所としてのみ名を残していただけだ。
 とはいえ、今となって思い起こせば、原作でも不思議な点ではあったのだ。
 チャヌマウから引き上げてきたベナウィはインカラに焼き討ちの件を尋ねているが、その時のやりとりがやや不可解なのだ。
 ベナウィはそのときインカラにこう言っている。

 『やはり、あの集落の炎は……』
 それに対し、インカラはこう応えている。
 『刃向かうとどうなるか、見せしめにゃも。おみゃあがチンタラしてるから、こいつにやらせたにゃも』

 ”あの”集落、で話が通じているという点。そして、”その集落”に対し、インカラの指示の元にヌワンギが殺戮を行ったという点。
 そしてなにより、その説明を受けた後の、ベナウィの静けさが不可解だったのだ。
 後に、チェンマが制圧されたと聞いてあれほど強く諫言したベナウィが、なぜあのときはあれほど静かだったのか……。

 叛乱が起きれば真っ先にあの村が潰されるという認識があったせいなのではないかと、今となれば考えられる。
 細かいことは分からない。いつかベナウィに聞くとしても、それは戦が終わってからのことだろう。

 ベナウィも、ハクオロも、テオロも、いまはこの城にはいない。
 明日の予定だった出撃を繰り上げて、今日の昼過ぎに動ける兵だけを連れて出撃していったと母さんは教えてくれた。
 その原因は、今朝になって駆け込んできた早馬の伝令にある。

 チェンマ全滅――叛乱に加わるよう呼びかけた者たちに、中立を守ると応えたその村に対して下されたあまりに無慈悲な行いに対し、軍議の場は怒りの声で満ちた。
 落ち着くように呼びかける皇(オゥロ)に、出撃を迫ったのはなんと父さん――テオロであったという。言葉少なに拳を震わせ『行かせてくれ、アンちゃん』と絞り出すような声で迫る父さんの怒りに、いつもなら、いの一番に出撃を唱えるオボロでさえ驚いて場を譲ったらしい。
 しかしハクオロは、それを退けようとした。補給物資を運ぶ荷駄の手配が、明日にならなければ終わらないと分かっていたからである。
 そこに膝を進め、一日早い出撃の利を説いたのが、ベナウィであった。敵はチェンマにいる――その後移動しているにしても、まだその近郊におり、今なら追跡も容易い。
 早期決戦を実現させるには、一日も早いヌワンギ軍の捕捉が必要であり、今はその好機にある、とベナウィは説いた。
 そしてハクオロさんたちがインカラ軍の主力を引きつけている間に、ベナウィらが皇城を落としインカラの首を上げる――皇はその策を審議の結果採用した。

 ――物事は原作から少しずつ変わりつつある。しかし、大きな流れは変わるまい。
 このまま自分が出しゃばらなくとも、この戦は勝利に終わるだろう。ハクオロは聡明な皇となり、ベナウィはその良き臣下となるだろう。
 優秀な人材は集まり、戦にも勝ち続け、國は栄えるだろう。

 しかし――原作のままの流れに任せて良いのか。
 俺はそう自問する。

 答えは、否、だ。
 なぜならこのままでは――原作のままでは、ヤマユラは滅びるのだ。クッチャケッチャの奇襲によって集落のみんなは皆殺しにされ、一人使者として走った父さんも背に受けた毒矢が元でひっそりと死ぬのだ。
 それはすなわち、俺がこの世界で得た温かい家族と居場所を喪うということ。
 それはすなわち、全てを失ったこの少年がようやく再び得た家族と絆を失うということ。

 俺に名をつけてくれた、強くて頼もしくて側にいると安心できる父、テオロを。
 肝っ玉だけど優しい、さっきは悪夢に怯える情けない俺を抱きしめてくれた母、ソポクを。
 最初に目覚めた俺に食事を食べさせてくれ、それからもなにかと面倒をみてくれるノノイを。
 個性豊かで、朗らかで、いつも気分のいいウーさん、ター兄さん、ヤァプさん……その他のヤマユラのみんなを。
 失うことなど考えられない。
 まして見殺しにすることなど――絶対に、絶対に、できない。

 この体の持ち主である、この少年にとっても、意識の主であるこの俺にとっても、彼らはもはや喪うことなど考えられないほど大切な存在になってしまっていた。
 護りたい。命の恩は、命で返すべきだ。
 しかし、そのためには力が必要だ。これまで願っていたものよりも、もっと、もっと、もっと強い力が。
 なにせ敵はもう一方の神……あのディーなのだから。

 この身は幼く、しかも脚萎えである。ゲンジマルでさえ勝てなかった相手に力で勝つことは不可能だ。
 かといって憎悪の力を借りるのは悪手中の悪手である。それではむしろ黒い神の手中に堕ちてしまうだろう。
 しかし愛や善で屈服させられる相手でもない。
 こちらのアドバンテージといえば、原作をしっているが故に、ディーの存在と動きをこちらが知っているということ。
 そして、向こうは俺が知っていると言うことを知らないはず、ということ。

 であれば……






 それから一刻ほども時は経っただろうか。
 俺の中で一つの答えがまとまった。何度も何度も検討し、覚悟を自問し、後悔しないかと確認した。

 指が止まる。
 そこで俺は自分がユナルを弾き続けていたことを思いだした。
 ――”俺”はユナルなど弾けない。奏でていたのは”彼”だ。
 であれば、今の思索は俺一人ではなく、彼と二人で行っていたということ。
 ユナルの音が途切れず、最後まで穏やかに弾き続けられたのは、その結論に彼も同意してくれたということ。
 勝手かもしれないけれど、俺にはそう思えた。

(ありがとう……)

 俺はそう心の中で彼に言葉をかけ、閉じていた目をそっと開いた。
 欄干の上で翼を休めていた夜鳴鳥がこちらを見ていた。俺と目が合うと小さく首をかしげ、美しい鳴き声を一つあげて飛び立っていった。青黒く輝くその姿が夜の空に溶けていくのを見送り、それから俺は床に手を突きながらゆっくりと立ち上がる。

 先日ハクオロさんが建國を宣言しみんなに呼びかけたこの露台は、その後ろに宴を催せるほどの広間がある。
 その室内、戸の形に切り取られた月明かりがぎりぎり届かない場所に母さんが座っていた。その後ろにエルルゥもいる。そしてなぜかノノイまでいた。
 俺は三人が見つめる中ゆっくりと歩き、影と向き合うようにして母さんの前に進む。
 俺の背に月の光は届き、影に座る母さんの顔は磨かれた床に反射する月明かりに照らされてぼんやりと白い。

 母さんは黙っていた。真剣な目つきと表情で俺を見ている。
 俺はままならない脚をそろそろと動かして正座し、ユナルをかたわらの床に置いた。
 そうして俺は母さんと一呼吸分ほど見つめ合い――それから頭を下げた。

「心配かけて、ごめん」

 夜中に目覚め、ゆっくりと考え事をしたくて一人ふらふらと部屋から出てこんなところに来たが、考えてみれば母さんをさぞ心配させたろう。
 恐ろしい過去を聞かされ、ひどい悪夢から目覚めた子供が、夜中に姿を消したのだ。
 俺はどうしても今の自分が見た目十代前半の少年であるという自覚が薄いので、そういう勝手な行動を取りがちだ。
 ――ごめん、母さん。

 ふぅ、という小さなため息が聞こえ、下げた頭にげんこつがコツンと落ちてきた。
 全然痛くない。なのに、どうしてか俺は泣きそうになった。
 嬉しかった。

「……それで」

 痛くもない頭を手のひらで押さえてうつむき、まばたきで涙をごまかしていると、母さんは俺に問いかけてきた。

「――決めたのかい?」

 主語の無い問いかけは、もはや断定だった。
 俺が夜中にこんな場所で月を見ながらユナルを奏でていたのが、ただの気散じではないと母さんは分かってくれているのだ。
 俺が自分の事についてゆっくりと考えるためにここに来たということ、そしてその結果、俺がなにか決意を固めたのだということを、ただ俺と向き合うだけで理解してくれた。
 それがまた、嬉しかった。

「うん、決めた」

 俺は母さんの目を見て頷き、膝の上で拳を軽く握る。

「――母さん、頼みがあるんだ」
「なんだい」
「先行した父さん達を追って、明日荷駄隊がここを出るんだよね? ……俺も、それに同行させて欲しい。歩いて行ければいいけどこの脚じゃ無理だから、荷車の端っこでかまわないから乗せてもらえるよう、隊長さんに頼んで欲しい」

 俺の願い事に、後ろに座るエルルゥとノノイは目を見開き驚いた顔をするが、母さんは俺を厳しい目で見つめ問い返してきた。

「それはつまり戦場に行くってことなのは……分かってるんだろうね」
「わかってる。もしかしたら戦に巻き込まれて死ぬかも知れないってことも、わかってる。それでも」

 膝の上の拳を握りしめ、口を堅く引き結び、俺は覚悟を口にした。

「……それでも、俺は行く。行かなくちゃ駄目なんだ」
「一人で満足に歩きもできないアンタが、戦場で何をしようってんだい?」

 厳しい指摘。でもそれは、俺のことを大切に思ってくれているが故の言葉だ。
 子供の言うことと適当にあしらわず、俺と正面から向き合ってくれているからこその言葉だ。
 だから俺は微笑む。母さんには、知っていて欲しい。俺の思いを。

「みんなには怒られるだろうけど、俺は兵になりに行くんじゃない。ヌワンギに――俺の村を焼き、母さんを殺した奴に会いに行くんだ」
「会って、どうするんだい」

 ヌワンギ、と言った瞬間、エルルゥがぴくりと肩を震わせるのが見えた。

「殺すのかい?」
「殺さない。殺させないために――父さんを止めるために、俺は行く」

 ヌワンギを、救う。
 それが、今俺が打つ一手。
 原作介入と、俺自身の将来のためへの、それが布石。

「そんなことがアンタにできるのかい。タトコリで上手く行ったからって、戦をナメちゃいないだろうね」
「……本当は、怖いよ。戦は怖い。ヌワンギも、憎い。だけど――アオロとしてじゃなくアワンクルとして、俺はこの戦に無関係ではいられないんだ」
「アンタはまだ腰帯も巻いてない子供なんだ、関係も責任もあるもんかい!」
「母さん――」

 強く言い切った母さんは、痛みを堪えるような辛そうな顔をしていた。

「ありがとう、母さん。でも、俺がそうしたいんだ。そうしなきゃきっと――俺は一生後悔すると思う。俺のせいで殺されたチャヌマウの人達のことも、俺を逃がして死んだミライ母さんのことも……自分の中でけじめをつけられずに、ずっと引きずることになると思ったんだ。だから俺はアワンクルとして――」

 言いながら、そういえばノノイにとっては初耳になるな、と思った。
 かまわない。こういうことはどうせ隠してもいつかはわかるものだ。

「――先のケナシコウルペ皇ナラガンの末子としてこの戦に関わり、この國を終わらせる。そのために、俺は行く」

 俺がはっきりとそう告げると、部屋には沈黙が落ちた。
 後ろでエルルゥはなんだか悲しそうな顔をしている。相変わらず優しい人だ。俺はちっとも悲しくなんてないのに。
 ノノイは案の定びっくりした顔をしている。これは後できっと質問責めだな。
 母さんは……しばらくじっと俺の顔を見つめていた。
 そしてやがて、何かを諦めたように小さなため息をついて天井を仰いだ。

「やれやれ……嫌だね男の子ってのは。あっという間に大人になっちまう」
「……なんか、ごめん」
「謝るようなら言うんじゃないよ、まったく。――わかったよ、明日荷駄隊の隊長さんに頼んでやるよ。……ただし!」

 ありがとう、と言いかけた俺の鼻先に指を突きつけ、母さんは怒ったような顔で言い渡した。

「絶対に、無事に、父ちゃんと一緒に帰ってくるんだよ! いいね」
「うん、約束する。……ねえ、母さん」
「なんだい」
「俺、本当の名前がわかったけど――戦が終わっても、このままアオロって名乗っていても、いいかな」
「……」
「父さん母さんの息子でいて――いいかな」

 それは、本当は真っ先に訊きたかったこと。
 だけど最後になるまで勇気がだせなかった質問。

「――あたりまえさ」

 返答は、抱擁と同時だった。


「アンタは、うちの子なんだよ」









[16787] うたわれぬもの  建国編  28  由来
Name: 内海◆2fc73df3 ID:d1c298e7
Date: 2020/05/16 03:31
 
 
 月明かりの差し込む広間で語り合った後、母さんは俺を自室へ送るのをノノイとエルルゥに任せ、すぐに動き出してくれた。

「夜明けまで二刻、アンタの戦支度をして隊長さんとこにお願いに行って……厨の仕事もあるし、時間がないったらありゃしないね、まったく」
「ごめ……いや、ありがとう。母さん」

 また反射的に謝りそうになって、俺は言葉を変えた。謝るくらいなら言うんじゃないと言われたばっかりだった。
 だから替わりに言葉にしたのは、感謝。
 意思を認め、送り出し、応援してくれることへの感謝。

 そんな俺の気持ちを分かってくれたのか、母さんはノノイの肩を借りて立つ俺の目を一瞬見つめて微笑み、それから隣に立つふたりへと顔を向けた。

「それじゃあすまないけど、この子を部屋まで頼んだよ。エルルゥ、ノノイ。またどこぞへふらふら行かないように、寝床へ叩きこんで寝かしつけてやっておくれよ」
「ええ、そうします。ソポク姉さん」
「……だからそれはごめんってば」

 ――結局ごめんなさいを言うことになってしまったのだけれども。




 腕まくりをしながら暗い廊下に消えて行った母さんと分かれ、俺達は別棟に割り当てられている自室へ向かった。
 燭を持つエルルゥと、俺に肩を貸すノノイの三人は俺のペースにあわせてゆっくり進む。
 来るときは夢中で気がつかなかったけど、結構な距離や段差がある。明かりも無しによく一人で来れたもんだな、などと考えていると、隣から小さな声が俺に問いかけてきた。

「――さっきの話、本当?」

 ノノイだった。
 俺は目を動かして隣を歩く彼女の顔を見ようとしたけれど、先を歩くエルルゥが持つ燭の明かりは僅かに及ばず、その表情は陰影に隠れて見えなかった。
 そういえば、彼女のトレードマークの団子髪も今はほどけていて、緩く波打った黒髪が横顔を流れている。
 もしかして、いやもしかしなくても、寝ていたところを起きて俺を捜すのに協力してくれたのだろう。
 ごめん、そしてありがとう。内心で俺は彼女にもそう言いつつ、俺はノノイからの質問に答えるため、言葉を選んだ。

「さっきの……って、俺が前皇の子だっていう、あれ?」

 コクリ。
 ノノイは小さくうなずく。
 俺は思っていたよりも静かなノノイの反応に少しだけ戸惑いながら、どう答えたものか考えをめぐらせる。
 たぶん――そう、きっとノノイのこの問いは、俺が前皇の子であるかどうかの信憑性を問うものではなく……

「ノノイ」

 彼女の肩につかまる手に、少しだけ力を込める。
 そしてその名を呼ぶ声に、精一杯の誠意と感謝と願いを込めて、俺は語りかけた。

「――俺は、変わらないから」
「……」
「さっき母さんに言ったの、聞いてたろ? これからも、アオロでいていいかって」

 ノノイは答えず、俺にあわせてゆっくりと歩いている。
 でも、話を聞いてくれている。それははっきりわかった。

「母さんはそれでいいって言ってくれた……だから俺はアオロだよ。今も、これからも。皇族の血とか権利とか――俺は望んでやしない」

 それはむしろこの子――アワンクルにとって、呪いだ。
 自由に動ける脚を奪い、村を焼き、母を殺し、一生消えない傷を顔と背中に焼きつけた、おぞましい呪い。

「確かに、ベナウィさんのおかげで自分が何者か分かったし、チャヌマウでのことや母さん――僕を産んでくれた、楽を教えてくれたミライ母さんのことを思い出したりもした。こんな脚してるから何か訳ありなんだろうなって我が事ながら思っていたら、まさかインカラの異母兄弟だったなんてさ……」

 でも、と俺は言葉を継いだ。 

「でもノノイ。そしてエルルゥさんも。お願いだから……態度を変えたりしないで。距離を取ったり、祭り上げたりしないで欲しい。俺がそういう事を求めだしたらひっぱたいてでも目を覚まさせて欲しい。――頼むから」

 次の言葉を言うべきか俺はしばし迷い……意を決して俺はとある名を出した。

「――俺が第二のヌワンギにならないように、見張っていて欲しい」

 ……前を進むエルルゥの足がとまり、燭を手に振り返ってくる。
 そのおかげで、隣に立つノノイの顔も照らされ、ようやくその表情をうかがうことができた。
 ふたりとも、驚きと不安がないまぜになった、もの問いたげな表情でこちらを見ている。エルルゥはそこへさらに痛みまでも加わっているのか、かすかに眉根を寄せている。

 ”ヌワンギ”
 エルルゥの前でその名を出すことにためらいはあった。
 大切な幼なじみであると同時に祖母を死に追いやった張本人であるヌワンギのことは、エルルゥにとって今も触れれば血が流れる生々しい心の傷であることは誰の目にも明らかだったからだ。

 しかし、俺は決めたのだ。
 俺はこれから原作の流れに逆らい、ヌワンギを捕らえ、活かす、ということを。
 その目的を果たすために、俺はこれから無理を通してまで戦地に行こうとしているのだから――避けては通れなかった。

「……母さんから聞いたんだ。ヌワンギのこと。むかしはヤマユラでエルルゥさんたちと家族みたいに暮らしてたってこと。ちょっと気が弱くてそのくせ強がりで、でも飼ってた小鳥が死んだときになかなか泣き止まなかったような優しい子だったって、母さん言ってた。でもササンテに呼ばれて都で暮らすようになってから変わってしまった、って」
「ヌワンギ……」

 エルルゥの表情が、痛みを堪えるそれになる。
 傷口をえぐる酷さを自覚しながら、俺は言葉を重ねる。

「それを思い出してさ――確かにヌワンギは俺の本当の母さんや村のみんなを殺した憎い仇なんだけど……許せないという思いは、確かにあるんだけど……それよりも今は、他人事じゃない気がして――怖いんだ」

 知らず、声が震えた。

「皇の血は――権力の臭いは、人を狂わせるのかもしれない。俺や、その周りに集まる人を歪めてしまう力があるのかもしれない。俺の中を流れるその血の臭いに惹かれて歪んだ人が集まって、俺を狂わそうとするかもしれない――そして俺は、自分だけは大丈夫なんて思ってない」

 あえて言わなかったが、俺はこれからその”血”の力を使ってハクオロさんたちの戦に介入するつもりなのだ。
 そしてその後も、必要に応じてその力を使うことになるだろう。前皇の隠し子である「アワンクル」として行動しなければならなくなるだろう。
 ”血”の力を使いながら、その「影響」をまったく受けずにすむなんて、そんな都合の良いことあるわけがない。
 自分が聖人君子なんかじゃないことは、自分が一番よく知っている――自分の本名すら思い出せない記憶喪失は相変わらずだけど、そのことだけは断言できた。

「だから俺はヌワンギに罪を償う機会を、せめてその可能性を与えたいんだ。彼の罪はあまりに深くて大きいけれど……だからこそその命を奪ってその罪が見えないようにするんじゃなく、俺たちの戒めになるよう活かすべきだと思うんだ」
「アオロくん……」

 それは、俺がヌワンギを助けると決めた理由の一つ。俺個人にとっての、その意味の一つ。
 
 エルルゥは俺の言葉に少し目を瞠り、それから短く祈るように目を閉じ――開いたときにはもう、不安な色は消えていた。

「……ありがとう」

 その表情に、いまだかすかな痛みは残ってはいたけれども。
 



 その後、俺達は口数少なく歩き続け、部屋にたどり着いた。
 質問攻めにしてくるかと思っていたノノイが意外なほどおとなしく、最初に一つ質問してきた以外は何も語らなかったのは予想が外れたが、まあ夜中だったし眠かったのかもしれない。
 いや、俺を布団に押し込んだらさっさと部屋を出て行ったところから察するに、機嫌を悪くしたのかもしれない。

 ……そうか。寝床で目を閉じながら、俺はそのときはたと気付いた。
 そういえばノノイは、タトコリへ出陣するター兄さんを見送る時にもナーバスになってたからなあ。
 アァカクルさんだったっけ? ノノイたちを置いて戦場に消えた彼女の父親の話を思い出す。
 死にかけてたのを助けたのに、自ら望んで戦場なんかに行こうとする俺の勝手さに腹が立ったのかもしれない。

 とはいえ俺も、だからといって予定を変えることはできない。
 これはなんとしてもみんなで無事に帰るしかないな。

 そんなことを思っているうちにだんだん意識が薄らいで行き……。
 夜明けに揺り起こされるまで、夢も見ずに、俺は眠っていた。




※ ※ ※



「うー……眠い。自業自得だけどさ」
「うふふ。初陣前に熟睡できるなんて、アオロくんは大物ね」

 四時間ほどの短い眠りを覚ましてくれたのはエルルゥだった。
 中途半端に眠ったので眠くて仕方ない俺だったが、エルルゥはちっとも眠そうではない。
 聞くと、彼女も母さんと一緒に俺の準備の手伝いをしてくれたらしく徹夜だそうだ。
 みんなを送り出してから休むから気にしないで、と言われたけれど、なんとも申し訳ない。

 夜明けの藩城内は出陣に向けて動き始めた人々の気配で、活気付きはじめている。
 差し出された蒸かしモロロと干魚に煮豆の朝食を食べつつ、俺はエルルゥに母さんとノノイの様子を聞いた。

 母さんは俺を起こして身支度を調えさせるのをエルルゥに頼み、今頃はちょうど荷駄隊の隊長へ掛け合ってくれているころだという。
 正直断られるかもしれないとは思っているが、俺の背景を話してもいいと言ってあるので、おそらくは大丈夫だろう。
 ノノイもまた母さんと一緒に手伝いをしていたが、半刻ほど前に自室に戻ったらしい。
 やっぱり眠かったのだろうか。それなのに手伝いをしてくれたなんて、本当に有り難い話だ。

 ……でも、そんな三人がかりでやる準備ってなんなんだろう?
 もしかして戦支度って、俺が思っているよりずっと大変なんだろうか。

 そんなことを考えながらやけに腹にたまる朝食を終えて白湯を飲んでいると、給仕をしながら俺の寝床を片付けていたエルルゥが俺の前にやってきて、つい、と座った。

「アオロくん。ソポク姉さんたちが来る前に、ちょっとだけ話があるの」
「は、はい」

 その改まった様子に、俺は正座になって背を伸ばす。
 エルルゥは言葉を選ぶように少し黙って、それから意外な……しかし今の俺にとって必要な話を始めた。

「あなたが貰ったその『アオロ』という名前の由来を――戦場に行くというあなたには、知っていて欲しいの」




 

「アオロくんは、テオロさんが付けてくれたその”アオロ”ってお名前、どう思う?」
「気に入ってますよ。――単純だなあとは思いますけど」

 俺は正直に答えた。

 そう。
 「アオロ」というこの名前は、ひどく単純で簡単な名前だ。

 この世界の言葉で、この「アオロ」という三音は二つの部分に分解される。
 「はじまり」や「最初の」「一番目の」という意味がある「ア」と、力ある人、つまり男を意味する「オロ」、の二部分だ。
 性別での男を指す言葉は別にあるから、「オロ」は力強さや勇敢さなど男性の特質を特に意味する言葉で、人名によく用いられる。例をあげると父さんの名前「テオロ」は土や土地、大地を意味する「テ」にオロをくっつけたもの(「”テ”ヌカミ」つまり土の神は父さんの宿神)で、「ハクオロ」はそのまんま白い男(白の男)だ。
 ちなみにこの「力強い」という意味がやがて権力をも指すようになり、「オロ」が転じて「オゥロ(皇)」という単語を産んだ。

 さて、蛇足はさておき、つまりこのアオロという言葉の意味は「最初の男」――日本語で言うなら「太郎」とか「一夫」とか「初雄」とか、そんな感じになる。
 あまりに単純すぎて逆に珍しいような、そんな名前だ。


 父さんが、それを俺に名付けたのはなぜか。
 どうせいずれ本当の名前がわかるまでの仮の名だから、と適当に付けたのだろうか。
 まあ父さんの良くも悪くも大雑把な性格を考えると、あり得なくも無いかなとも思わないでもないが、しかしそれにしては、俺に「アオロ」という名を授けたときの父さんのあの様子――「文句は受付けねェ」と胸を張ったあの誇らしげな様子が腑に落ちない。
 
 言われてみれば、違和感があった。

「由来って――この名前、何か意味があるんですか?」
「意味そのものはアオロくんの言うとおり単純すぎるくらいの理由だと思う。でも、テオロさんとソポク姉さんにとっては――」

 エルルゥは、続く言葉を発する前に、きゅ、と膝の上の手を軽く握った。


「……その名前は、テオロさんとソポク姉さんの赤ちゃんに付けられるはずだった名前なの」


 ――驚きで息が止まる。
 しかし、言われてみれば……これまで何故疑問に思わなかったのかが不思議なほどだ。
 あれほど仲の良い二人の間に、子供がいないなんて。

 これが他の人なら疑問に思ったのかも知れない。しかし、なまじ原作知識があるだけに、先入観というか、アニメやゲームの設定を当然のように受け入れていた。
 しかし――いま俺の前にいるエルルゥや父さん母さんは、生きている生身の人間なのだ。「そういう設定」で思考停止してはいけなかった。
 二人が住まうヤマユラは山奥の農村だ。早婚多産が期待される土地柄だろうに、何故。

 ……と、そこで俺はエルルゥの言葉に引っかかるものを覚えた。

「付けられるはず『だった』……? と、いうことは――」

 まさか。
 俺が目で問うと、エルルゥは小さな命を儚むように眉をそっとひそめて

「……流れてしまいました。そしてさらにその影響で、ソポク姉さんは――赤ちゃんが産めない体になってしまいました」

 辛そうに、しかし薬師らしくしっかりとした声でそう言った。





 幼なじみだった二人が結婚したのは、テオロ19才、ソポク17才の時だったという。
 当時からあだ名が「オヤジ」だった父さんは、村一番の器量良しだった母さんと並ぶと新郎新婦というよりまるで父と娘で、ずいぶんと皆にからかわれたらしい。
 結婚前から決まっていた力関係が結婚してから覆るはずもなく、父さんははじめっから母さんの尻に敷かれっぱなしで、でもとても仲の良い夫婦だったという。
 それだけに、子宝にはすぐに恵まれるだろうと周囲も本人達も信じて疑っていなかったのだが、一年経っても二年経っても、子を授かる気配がなかった。
 当時生きていた双方の親族たちも気を揉んだし、村長として、また薬師として二人の相談に乗っていたトゥスクルも心配した。

 しかし、一番辛い思いをしていたのは当人達だった。
 ――もしかするとソポクは石女なのではないか
 ――いや、むしろテオロが種なしなのではないか
 そんなささやきが聞こえる度にテオロは血を見るほどの大げんかを始め、それをソポクが泣きながら止める。そんなことが繰り返された。

 だから、数年後にソポクが妊娠していることが分かったときの、テオロの喜びようといったらなかったという。
 まだ膨れてもいないソポクの腹を日に十回は撫でて蹴飛ばされ、会う人会う人捕まえては。子が出来た、これで俺も本当の親父になるんだと自慢した。
 幼児だったエルルゥと赤児だったアルルゥのところにソポクを連れて行って、お前ェらに弟が出来るから仲良くしてくれと頼みに行ったりもした。
 ――そう。テオロは産まれる我が子が男児であると決め込んでいたのだった。

 アオロ、という名前はこれもまたかなり早いうちに決まっていたという。
 いろいろ呆れたソポクは浮かれるテオロに言った。

『もう少し考えて名前を付けたらどうだい』

 すると、テオロは笑って答えた。

『いや、これが良いんだ。トゥスクルさまも賛成してくれたしよ』

 こんな大雑把な命名にトゥスクルが賛成したと聞いてソポクは驚き、改めて命名の理由を尋ねた。
 テオロは堂々と胸を張って答えた。

『最初の子だからよ!』

 ずっこけそうになったソポクだったが、続いたテオロの言葉に、自分の夫がいかに子宝を願っていたか、懐妊を喜んでいるかを思い知るのだった。

『次の子はトゥオロ、その次はレオロ、そのまた次はネオロ……これから十人だって生まれるんだからよ! わかりやすくていいじゃねえか!』

 それはまるで、太郎、次郎、三郎――とでも言うような安易きわまる命名法だったが、それだけにテオロの思いは妻に伝わっていた。
 次に繋がることを願っての「アオロ」、であるのだという――。


 ――しかし。
 悲劇はやってきた。
 腹部の膨らみが目立ち始めたある日、身重の体で畑にいたソポクは突然痛みを訴えて倒れた。
 異変に気付いた知人が彼女を自宅へ運びトゥスクルを呼んだが、産道から激しく出血していて、顔色は青ざめ、脂汗をびっしょりとかいていた。
 予定よりも、二月も早かった。

 到着したトゥスクルによって処置が行われ、ソポクは一命を取り留めた。
 しかし、目覚めたソポクに、トゥスクルは薬師として告げねばならなかった。
 子供は助からなかったこと。
 そして――今後、子を宿すことは難しい体になってしまったということを。


 ――これが、およそ10年前の出来事です。
 そうエルルゥは締めくくった。




「10年前――!」

 またか。
 俺は運命のあまりの残酷さに天を仰いでしまう。

 10年前……國全体に疫病が流行った年。
 あまりにも多くの命が奪われ、あまりにも多くの人の人生が、そして運命が狂った年。
 しかしそんな俺にエルルゥはゆるやかに首を振った。

「この出来事は、流行病が村に伝わる前の事なんです。だから、ソポク姉さんの赤ちゃんの事と流行病は関係無いとお婆ちゃんも言っていたんだけど……」

 父さんと母さんは、そう思わなかったらしい。
 すぐ後に流行った疫病に、二人は罹らなかったのだ。流産の直後で体力を落としていたソポクは病に対して弱い状態にあっただろうに、疫病が治まるまで一度も、どんな小さな症状すらも出ることはなかった。そしてそれは夫であるテオロも同じであったという。

 次々に病に倒れる村人達の看病と、働き手を大きく喪った村を支えるための過酷な労働、そしてきちんとした葬儀すらできぬままに荼毘に付されてゆく死者たちの弔い……
 死にものぐるいで動き回り、死と悲痛と苦悶に充ち満ちた数ヶ月が去った後、二人は不思議なことを言い始めたという。

 曰く 「アオロが、うちの子が、護ってくれた」――と。

「二人はいまでもそう思ってます。あの子は自分たちの身代わりに死んでしまったんだ、って。自分たちがあのひどい疫病を無事に乗り越えられたのはあの子のおかげだ、って……。お婆ちゃんも、何も言えなかったそうです」

 経験豊かな老薬師ですら何も言えなかったのだ。
 半端な記憶と知識しか持たない若造の俺に、何が言えるだろう。
 ただただ、自分の無知と無力を思い知らされるばかりだった。

 そして、悟らずにはいられなかった。
 なぜいま、この時にエルルゥがこの話を俺にしたのか、その理由を。

「――だからね、アオロくん。あなたは決して自分を粗末にしてはダメ」

 まっすぐに俺を見据えて、エルルゥは蔀から差し込む白っぽい朝の光の中で俺に告げる。

「貴方の本当の名前がどうあろうと、本当のご両親が誰であろうと――”アオロ”というその名を名乗る限り、あなたはテオロさんとソポク姉さんの子供なの」

  ――そんじゃあ父親として、お前ェに名前を付けてやる。

「あの二人を、父さん母さんと呼ぶのなら」

  ――坊主、お前ェ……ウチの子にならねェか?

「死にかけていた貴方を助けて、面倒を見てくれたことに恩を感じているのなら」

  ――これが、あんたの記憶が戻る手がかりになればいいね……

「今の私の話を聞いて、その名の持つ重みを少しでも分かってくれたのなら」

  ――お前ェの名前は 『アオロ』 だ。文句は受付けねぇ

「……お願いだから、無事に帰ってきて。あなたにその名を与えた姉さんたちの思いを、忘れないで」

 俺はもう、エルルゥの顔を見続けて居られなかった。
 その語られる言葉へ、はい、というそのたった二言の返事が、どうしても言えなかった。
 うつむいて、唇を噛み、鼻の奥に思い切り力を込める――涙を堪えるので、俺は精一杯だった。

 ただ小さく、頭を揺らすようにして伝えた俺の意思を、エルルゥはきちんと酌み取ってくれた。
 ありがとう、アオロくん――そう言って深々と下げられたエルルゥの頭と耳が、うつむいた俺の目にも見えた。

 


※ ※ ※


 

 それからしばし。
 食事を終え、旅装に着替えた俺の元に母さんがやってきた。
 徹夜の疲れなど一切見えない母さんは、俺の目の赤さに気がついた様子だったが何も言わず、飯は済んだかだの襟が曲がってるだのと言って相変わらずやかましく面倒をみてくれた。
 そして、思い出したかのような軽さで最重要案件について語り出した。

「ああ、そうだった。アオロ、隊長さんのお許しいただけたよ」
「そうだった! すっかり出陣する気マンマンだったけど、まだ決まってなかったんだった!」

 絶対無事に帰ってくること、という話を涙ながらに聞いていた俺だったが、これで帯同まかり成らぬという事になって出陣が無しになっていたら、この高まった気持ちをどこに持って行けば良かったのか。
 いやまあ、それも一つの親孝行だったかもしれないと思いつつ、それでも正式に出陣が決まったことに改めて気を引きしめていると、ノノイの声が戸口からした。

「ソポク姉さん」
「ああ、ノノイかい。すまなかったね、さあ入ってもらっておくれ」
「はい――隊長さま、どうぞ」

 どうやらノノイは、その隊長をこの部屋まで案内して来たらしい。
 本当なら、我が儘をいった俺のほうが行かなければならないところを、わざわざ来てくれるなんて――気さくないい人なのか、それとも前皇の子としての俺に気を遣っているのか……

 そんなことを考えながら、居住まいを正し、床に手を着いてその人を迎えることにした俺は。

「――失礼しやすぜ。ああ、やっぱり大将の言ったとおりだった」

 その巨体をかがめるようにして戸を潜ってきた隊長の姿を見た瞬間、全ての計算は吹っ飛んでしまったのだった。
 歴戦の武人らしい精悍なその貌。左目に縦に走る刀傷。
 それは紛れも間違いもなく――

「クロウ……さん!」
「おっと。俺のことも覚えてくれてやしたんで」

 あちらの世界の俺がうたわれキャラの中で二番目に好きだった頼れる副長が、ニヤリと笑って俺の前に立っていたのだった。








[16787] うたわれぬもの  建国編  29  密命
Name: 内海◆2fc73df3 ID:8b684ad2
Date: 2020/05/02 23:36
「クロウ……さん!」
「おっと。俺のことも覚えてくれてやしたんで」

 戸口に立ち、ニヤリと笑ってこちらを見るそのあまりに意外な姿に俺は一瞬放心し――直後、己の失言を悟った。

 ――ヤバい。うっかり名前を呼んでしまった。

 俺は、この”俺”は、この男がクロウだと知っている。侍大将ベナウィの信頼厚い副長であると原作知識で知っている。
 しかし、クロウが知っているはずのこの少年”アワンクル”は、果たしてクロウのことを知っているのだろうか。知っていたとして、どこまで知っているのだろうか……。

 一昨日の夜、悪夢と共によみがえった過去の記憶はまるでバラバラになった写真のようにとりとめもなく断片的なもので、人間関係の細かな履歴のようなものは正直に言って覚束ないのだ。
 とはいえ、すでに口から出たものはいまさら仕方がない。
 クロウも「俺のことも覚えていてくれた」みたいな事を言っているからには、知っていて不自然というわけではないのだろう。ここは、適当にごまかしつつ乗り切るしかない。

「っと、すいません。お顔を見た瞬間、お名前がふっと浮かんで……」

 すこし考えるフリをして

「……たしか、ベナウィ様の部下の方ですよね?」
「そうでさァ。 坊ちゃん――いや失礼」

 そこで急に、クロウは膝を折って俺の前に傅き、胸に手を当て神妙な面持ちで頭を垂れた。

「ナラガン前皇が末子、アワンクル様」
「……っ!」
「我ら御身を護る役目にありながら、此度のチャヌマウの非道を防げず、ミライ様と御身をお救いすることもできなかったこと、隊長であるベナウィに成り代わり、深くお詫び申し上げやす」

 そして一層深く下げられるその大柄な背中と頭に、俺は激しい困惑を覚えずにいられなかった。

 なんだこれは。
 誰だこれは。
 俺の知っているクロウという男は――あくまで原作での話だが――豪快で、男らしく、建前や理屈より本音と男気を重んじるような、そんな人物だ。
 それがなぜ今、俺を「アワンクル様」などと呼び、恭しく礼を示すのか。

 いや、いかに粗野にみえるとて、一國の侍大将の副官にまでなった人物だ。必要とあらば、宮廷での礼儀作法を一通りこなすくらいのことはできるのかもしれない。
 ベナウィはそういうのが得意そうだから、門前の小僧よろしく見て覚えたのかもしれないし、教育されたのかもしれないが……。

「どうか、頭をあげてください」

 訳の分からない状況に飲まれつつある自分を自覚しながらも、とりあえず俺はそう言った。
 俺やミライ母さんを助ける事ができなかったと、この人達が気に病む必要はない。そう思ったからだ。

「チャヌマウを焼き、村人と母を殺したのは、インカラでありヌワンギです。罪も呪いも彼らにこそ帰せられるべきもの。間に合わなかったと悔いるお気持ちは私の心の慰めとしてありがたく受け取らせていただきますが、どうぞ、ベナウィ様とクロウ様におかれてはそれ以上ご自分を責められる事のないよう、お願い致します」
「………」
「それに、今ではお互いハクオロさまにお仕えする仲間。この國にいち早く安寧をとりもどし、私のような家族や故郷を失うものを一人でも少なくすること、共にこの大義を果たす事に力を注ぐ事が、なによりもの贖罪となるのではないでしょうか」

 クロウ。
 見上げるほどの大きな体と、真っ直ぐで剛毅な内面をそのままに表す精悍な貌。
 原作でも大好きで、実際にこうして会ってますます好感を覚えるこの見事な武人(もののふ)が、今俺の前に跪き、背を屈め頭を垂れ、堅苦しい礼儀を態度と言葉で表しながら謝罪をしている。
 そのことが、まるで野生馬に曲芸をさせているかのような罪悪感を、俺に抱かせた。

 ――そしてなにより、違和感を。

「クロウ様、どうぞお手をお上げください。もう、充分ですから」
「は、それでは失礼しやして……」

 重ねて俺がそう勧めると、クロウはようやく顔を上げ俺を真っ直ぐに見た。

「しかしアワンクル様、自分を『クロウ様』と呼ぶのはおよしくだせえ。すでに國替えした身とはいえ、御身は主筋にあたるお方。どうぞ、クロウと呼び捨てに」
「いえ、かつてはそうだったかもしれませんが、今はもうわたしは貴方の主筋ではありません。先ほども言いましたが、わたしたちはハクオロ様を皇として頂く仲間、同志なのですから」
「……では、なぜ」

 ぎら、とクロウの目の奥に鋭い刃のきらめきが宿ったのを俺は見た。

「なんのために戦場(いくさば)へ行かれるんですかい。今ここに俺が呼ばれたのは、戦場へ向かう荷駄隊に同行したいとの依頼をうけてのはずですがね……。恐れながら御身におかれては剣も振るえず弓も引けず、ウマに乗る事はおろか駆けることもできぬ体。その上、血筋まで否定されちゃあ戦場でなしえる事など何もありはしませんぜ」

 眼光の鋭さと、全身から放射されるその迫力。
 甘い、生半可な答えは許さないという威圧を感じる。
 
 そうか。
 俺はクロウのこの質問、そして態度で、ようやく腑に落ちる事があった。
 ――なるほど。
 このためにクロウがここにいたのか。

「……優しいですね」
「は!?」
「クロウ様――いえ、この場合はベナウィ様なのか……ともかく、ありがとうございます」
「いや、いきなり何の話ですかい」

 睨みつけるような眼光が戸惑ったように揺れ、眉をひそめてこちらを見上げたクロウに俺はにこりと意図的に微笑み、言った。

「――私を、試したんですね? クロウ様」
 



※ ※ ※




「大将、どういうことですかい! 俺に荷駄を任せるってのァ……!」

 それは昨日の朝の事。
 反乱勢力改めトゥスクルを名乗ったこの軍勢が拠点にしているこの藩城に、ヌワンギによるチェンマ全滅の一報が夜明けと共に飛び込んできて、ベナウィの進言を受け入れたハクオロが予定より一日早く、今日中の出陣を決めた後の事。

 急な出立に城中が大わらわになっているなか、慣れているせいかすでに全ての準備を終わらせたベナウィとクロウは、客将としてベナウィに与えられた一室で向かい合っていた。
 とはいえ、それは戦場へ向かう手はずを確認するための話し合いなどではなかったのである。

「そのままの意味です。クロウ、貴方はここに残り、明日出発予定の荷駄隊の隊長としてこれを纏め、保護し、合流まで導き、その後は聖上の指揮下に入りなさい」
「だからそれがわからねェと言ってるんですわ!」
「荷駄の、補給線の重要さを理解できない貴方ではないはずですよ。クロウ」
「分かってまさぁ……ソイツは大将に万べんも言われたからそいつはよおォォォォォォォッく分かってまさぁ! 俺が分からねぇって言ってんのは――」
「聞きなさい、クロウ」
「――ッ!」

 クロウは奥歯をかみしめ、言いかけた言葉を飲み下した。
 若かった頃、力任せに敵をなぎ払っていればよかった時代にはできなかったであろう自制が、今のクロウにはできるようになっていた。なぜなら彼が大将と認めた男が「聞け」といった言葉に、無意味な物はこれまで何ひとつ無かったからだ。

「不服なのは分かります。私も、これから行う皇城攻略のことだけを思えば、貴方を伴わない理由は何もありません」
「………」
「しかし、大きくふたつの理由で、貴方を連れて行く事はできないのです。ふたつのうち、ひとつは表向きの理由。そして今ひとつは……」

 ベナウィはそこで歩を進め、クロウの目の前に座り直した。
 その目には極めて怜悧な、冷たい輝きがあった。

「クロウ、貴方にしか頼めないことです」
「……あ~~ッ!! ッたく!」

 さっきまでの剣呑な気迫はどこへやら、クロウはがしがしと頭をかきむしりうなり声をあげた。

「わかりやした、わかりやしたよ! 大将にンなこと言われちゃあ駄々ァこねられませんわ。――で、俺は何をすれば良いんですかい」
「その前に、順を追って説明しておきましょう。貴方を連れて行けない表向きの理由とは、私たちがまだ合流して日が浅く、このトゥスクルの民から十分な信頼を受けていないからということなのです」
「……ああ、なるほど」

 はぁっ、と面倒くさげにクロウはため息をついた。
 とはいえ、たったこれだけの説明で理解できたクロウもまた、単なる猪武者ではないことは明らかであった。

「聖上は、下ったばかりの私を信用しいきなり二千もの騎馬隊(ラクシャライ)を任せ、皇城攻略をお命じになりました。無論、私はその任務を全うするつもりです。インカラに通じる気など毛頭ありません。……ただ、他の者たちは、未だそこまで私たちを信用しているとは言えません。それも無理のない事です。一昨日まで私たちはケナシコウルペの将としてタトコリでにらみ合っていたのですから」

 言いながら思い出すのは、タトコリ攻めの翌日、トゥスクル建國の宣旨を発した後の軍議でそのことを諮った際、猛烈な反対を唱えたオボロの姿だ。ハクオロがあの場は宥めたが、その場にいた他の豪族達のわずかに不安げな表情もまたベナウィは見ていたのである。

「なので、貴方を同行させないことで、そして荷駄隊という後方の隊を任せる事でその不安を和らげるのが、ひとつ」

 ひとつ、と軽くベナウィは言い、クロウもそれを当然とばかりに聞き返しもしないが、これは余人が放てば傲慢のそしりを免れない発言でもあった。
 つまりベナウィはこう言っているも同然だからである。
 堕ちたりとはいえ一國の皇城を攻め落とすに、腹心の驍将の助力は不要、と――。

「そして今ひとつ。貴方に本当に頼みたいのはこちらなのですが……」

 ベナウィはそこで言葉を句切り、少し言葉を探すように考え、それからクロウを見つめて淡々とした声で言った。

「クロウ、貴方は一昨日、タトコリからこの藩城に入ったときに雅なユナルの楽を奏でて迎えた少年が誰か、気がついていますか」
「……まさかとは思いましたがね」

 クロウは厳しい表情になって床を見つめながらつぶやいた。
 あのときウォプタルの上から見上げた少年の白い貌は、遠目で、しかも櫓の影にあってはっきりは見えなかったが、ベナウィとともに何度も訪れた山村チャヌマウの『あの少年』のものに相違ないはずであった。
 ――母親とともに死んだと、殺されたと、そう思っていたあの少年に。

「あの者はひどい傷を負い、ほとんど死にかけているところをあのとき聖上に救われ、それ以来この藩城で過ごしているそうです。ただ傷のためか記憶を失い、名前すら思い出さない、そのような状態であったようです」
「………」

 クロウは思い出す。
 村人がおびえるからと他の兵士を村の外に留め、ベナウィとふたりで訪れたあの村はずれの粗末な小屋を。
 前皇の寵をうけた元宮廷楽士と、前皇の落胤が住まうにはあまりにみすぼらしい――家畜小屋同然のあの家を。
 何度か訪れ言葉を交わすうちに信頼を寄せ、こちらの求めに応じて楽を奏でてくれることもあった母親に対し、いつまでたっても懐いてくれず、こちらの足音が聞こえただけで母親の背にしがみついて隠れていたあの少年の姿を――。

「昨夜、私はあの者に会い、全てを教えました」
「大将、そりゃァ……」

 あの線の細い坊主には酷なことを、と言いかけて、クロウはまたも言葉を飲んだ。
 余人ではともかく、相手はベナウィなのである。彼の大将が、言うべき相手を間違えるとは思えなかった。
 事実、ベナウィはクロウが言いかけたその言葉の先も察した上で、小さく頷いた。
 その言葉は、驚くべき、信じがたい言葉であった。

「彼が、”あの少年”であることは間違いありません。火傷でいささか損なわれているとはいえ見間違える顔ではありませんし、なによりあのユナルの腕前がその確たる証拠です。しかし同時に、私は懸念を抱いてもいるのです。本当にあの者は――昨夜私の前に立ったあの少年は”あの者”のままなのか、と」
「どういうことですかい」
「クロウ、信じられますか。密かにタトコリに入り待ち構えていた私たちの存在をわずかな手がかりから推測し、堂々たる弁舌をもって聖上に作戦変更を説き、私たちへ投降を呼びかけるよう献策を行ったのが、あの者であると」
「まさか!」

 反射的に言葉が付いて出て、ベナウィの顔を見直し、その表情が揺るがない事を見て取ったクロウは、驚きのあまりについつぶやいてしまった。

「……あの陰気な坊主が……ですかい?」
「不敬ですよクロウ――とはいえ、私もはじめは聖上の戯れかと思いました。しかし直接言葉を交わすうちにそれは事実だと確信するに至りました。今のあの者は、私たちが見知っているチャヌマウの幼子と同人物でありながら、その魂のありようはまるで別人のようです」

 ベナウィはふと目を伏せ、再びそれを上げたときにはそこには、情を廃し大局を決することのできる國士としての表情があった。

「――今の彼は、危険です」
「っ!」
「私はあの者に、あの者が忘れていた、または知らずにいた過去の出来事を教えました。あの者はその衝撃のため、いまは深い眠りについているそうです。私は真実を伝えた者の責任としてあの者が目覚めるまで待つつもりでしたが、戦の状況がそれを許さなくなりました。なのでクロウ――貴方をここに残すのです」

 キン……と硬質な音を立てそうなほどに二人の間の空気が張り詰めた。
 二人の間では過不足なく聞こえるのに、他の者には一切聞こえない、そんな不思議な声でベナウィは彼の腹心に告げた。

「当初の予定通り、明日の朝に出立できるよう、荷駄隊の準備を行いなさい。それまでにあの者が目覚めず、または目覚めてもなにも言ってこない場合はそのまま何事もなかったように出立しなさい。後の指示は先に述べたとおりです。しかしあの者が目覚め、かつ、戦場に出ようと貴方に願い出てくるときは、その願いに応じなさい」
「そんなバカな……あり得ると思うんですかい、大将」
「私はその可能性は充分にあると思っています」

 ベナウィは至極真面目な表情のまま頷いた。

「――今の、あの者であれば」
「そこまでですかい……」

 正直、信じがたかった。いつも母の背に隠れ、おびえたような目でこちらをうかがっていたあの子供が、戦場などに行く事を望むとはクロウには考えられないことであった。
 しかしクロウは信じる事にした。なぜならベナウィがそう言うからである。

「わかりやした。ンじゃあそん時は荷車にでも放り込んで連れて行きやす。……んで」

 クロウはハッと荒く息をついて、頭をぽりぽりと掻いた。

「大将、だいたいわかりやした。だからこの際はっきり言ってくだせぇ。俺はあの”坊ちゃん”に何をすりゃあいいんですかい」
「私に代わり、見定めて下さい」

 簡潔に、それでいて触れれば切れるほどの鋭さでベナウィは言葉を吐いた。

「真実を知り目覚めた彼が戦場で何を願うのか。今のあの者が――何者であるのか」
「………!」
「それでもし、あの者が野心を――前皇の遺児として名を上げることを望み、聖上に仇なす虞があるのであれば」

 淡々とした、冷たい覚悟のにじむ声だった。

「――殺しなさい。責任は私が負います」

 それは彼の選んだ新しい皇、ハクオロと同じ覚悟。
 もしも地獄(ディネボクシリ)があるのなら自分はそこに堕ちるだろうとあの村で言った、あのハクオロと同じ覚悟だった。





※ ※ ※





「――はじめは驚きました。違和感があったんです」

 口をつぐむクロウに、俺は説明をすることにした。

「歴戦の戦士で、まちがいなくこの國有数の騎馬武者で、ベナウィ様の副官として信頼厚く、本来ならばハクオロ様やベナウィ様とともに戦場へとっくに向かっているはずの貴方がここに残っていて荷駄隊の隊長として現れた事が、どう考えても変だったんです」

 俺はそこでちらとクロウの顔をうかがったが、怒るでも驚くでもなく、ただじっとやけに真剣な目で俺を見つめていた。

「そしたら、そもそも最初から変な事を言ってた事に気がついたんです。『ああ、やっぱり大将の言ったとおりだった』……たしかそんなことをつぶやかれましたね。……つぶやくにしては少し大きい声でしたけど。でもそれで私は気がついたんです。それはつまり、出立するまえに貴方とベナウィ様の間で、私に関するなにかが話し合われたんだな、と」

 クロウは黙っている。
 俺はそこから先を話していいものか一瞬悩み、周囲にいる母さんやノノイをちらと見て、話そうと決めた。
 この二人には、知っておいてもらった方が良い。
 これから俺がどんな世界に身を置こうとしているのかを……。

「此度の出発は急だったと聞いています。そのあわただしい出立前にわざわざ私について話し合い、その結果ベナウィ様の右腕であるクロウ様、貴方がここに残った。だとすればそれはアオロとしての私ではなく、アワンクルとしての私についての話であるに違いありません。――ここまでは、簡単でした」

 少し目を見開いたクロウに、俺は反応を待たずに続けた。

「分からなかったのは、その私について何を話し、何を託してベナウィさまは自らのもっとも信頼する部下をここに残したのか、です」

 いよいよクロウの目に真剣さが強くなる。
 俺が何を話すのか、その内容に強く警戒している。
 ……そのことが、これから話そうとしている推測の正しさをさらに補強してくれた。

「最初は本当に分からなかった。でも、クロウ様の振る舞いや言葉を拝見するうちに、今の私が何者であり、どのように思われているのかに気がつく事ができました。――前皇の末子、主筋と何度も持ち上げ、過剰なまでの礼を尽くしてくれました。血筋なくして戦場に出る事の無意味さも教えてくれましたね。そして何をしに戦場にいくのかと理由を問われた……」

 この違和感には、この世界の人間では気がつく事ができなかっただろう。なぜならそれらはいずれも事実で、主筋に礼をつくすのは当たり前のことだからだ。そして俺たちとクロウは初対面かそれに近い関係で、お互いの人柄などはまるで知らないはずなのだ。

 しかし俺は、原作知識でクロウの人柄をよく知っている。その彼からして、さっきまでのアレは彼にあまりに似合わない振る舞いだったのだ。
 だからこそ気がつく事ができた。そして察する事ができた。
 ――試されているのだ、と。

「前置きが長くなりました。クロウ様、ご質問にお答えしたいと思います」

 居住まいを正し、精一杯の威厳を取り繕って、俺はクロウに告げた。

「私、前皇ナラガンの末子であり、ササンテ亡きいま皇位継承権最上位であるこのアワンクルは――

 ――ベナウィ様の部隊が現皇インカラを斃した後に、ケナシコウルペ皇およびケナシ族族長として名乗りをあげるために、戦場へ向かうつもりです」








2015.10.12 投稿
2015.10.15 誤字修正



[16787] うたわれぬもの  建国編  30  元服
Name: 内海◆2fc73df3 ID:8b684ad2
Date: 2020/05/02 23:31
 ケナシコウルペ皇およびケナシ族族長として名乗りをあげるため、戦場へ向かう――


 俺のその発言にクロウが呆けたような顔をしたのは一瞬で、すぐに牙を剥くようなどう猛な笑みを返してきた。
 こんな時に変かもしれないが、それを見て俺はとてもクロウらしい顔つきだと思い嬉しくなった。

 やはり、クロウはこういう不敵な笑みを浮かべている方がいい。
 だからゲームでもアニメでも好きだったんだ。

「……アワンクル様、それがどういう意味か分かって……ハッ、分かって言ってるんでしょうな。今のあんたなら」
「しゃべり方に地が出ましたね。いいですよ、そっちのほうがクロウ様らしくて好きです」
「――本当に、大将の言ったとおりだぜ、こりゃ」

 つぶやくように言ったので最後のには返事をしなかったけれど、ベナウィさん俺について何て言ったんだろ。
 まあ、だいたい想像はつくけど。

「ったく、だから俺ァこういうの苦手なんだ……。なら、お言葉に甘えて”前の通り”坊ちゃんと呼ばせてもらいやすがね」
「では私もクロウさん、とお呼びしても?」
「……好きに呼んでくだせぇ。で、だ。坊ちゃん、あんた何を考えてなさるんで。そんなこと聞いたら俺はあんたを――」

 そこでクロウはチラリとおれの周囲を見た。そこにはソポク母さんとノノイがいる。

「……俺が何をするつもりか、分かってるんでしょうに」
「そっちこそおかしなことを聞きますね。クロウさんだって分かっていたんでしょう? 私がそのつもりで戦場に同行することを願っているって。だってさっきクロウさん自身がおっしゃいましたよ。血筋を否定しては私にはなにもできないって」
「そりゃあそうですがね。多少はごまかすとか、それらしい理由を言うとかするんじゃねえかと思ったんですわ」

 あまりにあけすけな物言いに、俺は思わず笑いそうになった。
 さっきまで様つけで御身とか主筋とか言ってたのが、たがが外れたとたんこれだ。

 でも、それがいい。
 クロウと――俺が大好きなうたわれるもののあの副長と、差し向かいで男の話し合いができている。そのことがたまらなく嬉しい。
 
 そんな密やかな喜びを胸の奥に隠しつつ、俺も殺されたくないのでそろそろ説明する事にした。

「ごまかす? そんな必要がどこにあるんですか。私がケナシコウルペ皇として名乗りを上げる事は、むしろこの戦をもっとも犠牲少なく収める方法だからこそ、危険を冒してまで戦場に行くんです」
「悪いが俺にはさっぱりわからねえ。坊ちゃん、あんたさっき確か俺にこう言いなすった。俺たちは”ハクオロ様を皇として頂く仲間”だってな。……なのに今、あんたはインカラの後にケナシコウルペ皇になろうって言う。しかもそれが戦を丸く収める方法? どういうこったか、納得のいく説明を聞かせてもらいやしょうか」

 ごまかしを嫌う、武人らしいすがすがしいほど真っ直ぐな言葉遣いと理屈立てで、俺に向かい合って視線をぶつけてくるクロウ。
 その背後に、俺はこの人を遣わしたベナウィの影を見る思いだった。
 そして、ハクオロさんのあの優しい眼差しをも思い出す。

 ――なんて優しい人たちなんだろう。
 俺は、一つ誤ったらきっと俺を殺すつもりの人物を目の前にしているというのに、どうしてもそう思えて仕方がなかった。

「簡単な理由ですよ――だって、持ってもいないものを人にあげることはできないじゃありませんか」 

 きっとこの人たちは優しすぎるがゆえに、俺という少年の人としての幸福を願うがゆえに――思いつきもしなかったか、思いついても実行しようとしなかったのだ。

「私がケナシコウルペ皇になれば、ハクオロ様に皇位を譲ることができます。私がケナシ族族長となれば、新しい國トゥスクル、そしてその皇ハクオロ様は、ケナシ族とウルブ族という旧い國の皇族に支持され皇位につくことになります」
「――!」
「このまま何もせずに戦を進めても、きっとトゥスクルは勝ち、ケナシコウルペは滅びるでしょう。ヌワンギは負け、父テオロはおそらく彼を殺すでしょう――でも、それではだめなんです」

 俺は知っている。
 原作の世界では、ハクオロさん達の勢力はケナシコウルペを力で滅ぼし、ヌワンギを放逐し、ケナシ族をさんざんに打ち破って流族化させた。そのことでハクオロさんの治世に大きな乱れが生まれたわけではなかったが、周辺諸国からの警戒を余分に呼び、さらにはケナシコウルペ残党による襲撃が多発し民の生活を後々まで脅かしたのだ。
 ゲームでは、それはたんなるイベントでしかなく、兵を鍛える手段の一環となっていた。

 しかし俺の目に映るこの世界はゲームではない。
 戦はイベントではなく、戦いで失った手足は二度と戻らず、死ねば生き返る事はなく、大きな悲嘆が残された家族を包むのだ。
 それを――その予測される悲劇を防ぐ、完璧に防げなくとも小さくする力がこの俺にあるのであれば。
 そしてそれが、この体の持ち主であった少年の立場をより安定させ、身を守る力を得る事がかなう手段であるのならば。

 俺はためらわない――昨夜、月夜の下で俺はそう決めたのだ。

「ハクオロ様は、私の血筋を知ったとき、私をそのような政治的な道具に使えるとすぐに気がついたと思います。そしてそうすればより簡単に、安全に、合法的に、この戦を終わらせ、戦が終わった後の國の統治を円滑に行えるという事も――。あの方は真の王器をお持ちの方です。気がつかないはずがありません。……なのに、そうしなかった。なぜでしょうか」

 答えを求めず、俺は目の前の巨漢に首を振って語りかけた。

「ハクオロ様が、とてもとても優しい方だからです。血筋故に全てを喪い孤児となった私に、再び血筋ゆえの業を背負わせて自らの覇業の糧とすることを、ハクオロ様の男気が拒まれたのだと私は思うのです。思い上がりでしょうか。私を護るために、ハクオロ様は私を置いて戦場へ行かれたのだと考える事は」

 本当に、心の底からの感謝と共に思う。
 ハクオロさんは、呆れるほど優しいひとだ。
 血のつながりも何もない一人の子供のために、あっけなく、当然のように、これっぽっちも恩を着せることなく、最善の選択を捨ててくれたのだ。

 だからこそ――俺はそれを甘んじて受け入れる訳にはいかない。

「本当にありがたいことです。本当にうれしいことです。あのような素晴らしい方が、今この時代に我らと共にいて下さる事をウィツァルネミテアに百万回感謝いたします。――しかし、だからこそ私は、なおさら戦場に行かなければならないのです。私は私の意志で、この血筋で手に入れられるものを手に入れるために、戦場へ行くのです」

 じっと、クロウの厳しい目を見つめ返す。
 さきほどからずっと黙って俺の話を聞いてくれているクロウに、俺の心の内が伝わるようにと願いながら。

「私はもう、誰かに護られるだけの子供でいたくないのです。自分の事は自分で護れるように、そして、周囲の人が困っていたら助けてあげたり護ってあげたりできるような力が欲しいのです。とはいえそれは、まもなく滅ぶ腐った國の皇座がもたらす力ではありません。しかし、その権利者としてそれを手に入れそれを譲り渡すことでハクオロ様の治世の礎となる、それが巡り巡って私の力となる。――綺麗事を抜かして言えばそう思ったからこそ私は戦場へ行くのです。……クロウさん、貴方が連れて行ってくれるのなら、ですが」

 俺はそこで口を閉ざした。
 話すべきことはすべて話したからだ。
 考えていることの全てを話したわけではないが、省いた部分は要点ではない、おまけのようなものだ。

 クロウはしばらくそのまま、俺の言葉を吟味するように黙り……
 しばらく後に、俺の目を見ながら、小さな声でこう質問してきた。

「……一体何者だ?」

 どういう意図の質問か分からなかったけれど、俺は少し考えて、つまりは今の長い話を要約しろと言ってるのだと思いこう答えた。

「前皇ナラガンの子アワンクルとして戦場へ行き、テオロの息子アオロとして戻ってくる予定の者、です」

 すると、クロウは本日二度目の呆けたような顔になり、前のめりだった姿勢が崩れ、そして全身に張り詰めさせていた緊張感を綺麗さっぱり消し去ってしまった。
 くっ、と小さな声と共に肩が震え、心配して見つめる俺をみてさらに肩が震え……

「くっくっく……あーっはっはァ! 何だそりゃあ!」
「あ、ひどいですよクロウさん。そんなに笑うなんて! 本気なんですからね!」
「だからですぜまったく! 坊ちゃん……くっくっく。さすがの大将もここまでとは思って……いや、大将なら……」

 笑っていたかと思うと、急に考え込み出したクロウに、俺もノノイも母さんも首をかしげている。
 なんだか妙な事になり始めた場の空気を破ったのは、俺のすぐ後ろから進み出たソポク母さんだった。

「な、なんだかこ難しい話してなすったけどさ。結局隊長様、うちの子を連れて行ってくれる件はどうなったんでしょう?」
「あー、お袋さん。心配させて申し訳ねぇ。約束通り、傷一つなくハクオロ皇の元までお届けさせていただきやすぜ」
「本当かい! ありがとうございます隊長様。ほらアオロ、あんたもちゃんとお礼言いな」
「クロウ様、ありがとうございます! よろしくお願い致します!」
「……本当に、何者だよ……」

 聞こえてるぞ、本音が。
 しかしまあ、これでようやく出発か。
 ――と思われたその時。待っていたかのようにエルルゥが「失礼します」と部屋に戻ってきた。
 
 その手には、焦げ茶色の一本の細い帯が持たれている。

「すまないね、エルルゥにまで手数かけちまって」
「いえ。もうほとんどできていましたから」
「そうかい。ノノイが頑張ってくれたおかげだね。ありがとうねぇノノイ」
「……ちょこっとだけだし」

 そんな話を交わしながら、母さんはその帯をエルルゥから受け取る。
 そして、俺の横に歩み寄って俺を立たせ、逆に母さんは膝立ちになって俺に話しかけてきた。

「アオロ。アンタは昨日の夜、あたしにこう言ったね。この戦が終わっても、アオロと名乗ってもいいかって」
「……うん」
「そしてさっき、アンタはこうも言った。アワンクルとして戦場に行き、アオロとして帰ってくるって」
「うん」
「……なら、アンタはこれからもウチの子だ。あたし達にとっちゃあ偉いどこぞの皇様の御落胤なんかじゃなく、あたしとうちの宿六の子供だ。そういうことで、いいんだね?」

 俺はふと、先ほどエルルゥから聞かされた「アオロ」という名の持つ意味を思い出した。

「うん。それがいい」
「――そうかい」

 母さんは、俺の言葉にふんわりと優しく微笑み。
 それから、きっと口元を引き結んで俺に告げた。

「それなら、戦場へ向かうアンタを子供のままにはしておけないね。親の責任として、アンタを元服(コポロ)させてやらなゃいけない」

 俺はそこではっとした。
 元服(コポロ)、そして帯(トゥパイ)。
 これはこの世界で、一人前の男として社会に認められるための儀式と証しであったはず。

「本当は僧をお呼びして家長が立ち会って行うもんなんだけど、今この國に僧はいないし、宿六は戦に行っちまってるからね。――隊長さん、申し訳ないけど、この子の元服の立会人になってやっちゃくれませんかね?」
「俺で良いんですかい? 喜んで、勤めさせていただきやしょう」
「エルルゥ、ノノイ。あんた達もいいかい?」
「はい」
「立ってるだけでいいの? ……なら、うん」

 俺を置き去りにとんとん拍子に話がまとまり。
 
 


「――命たるイェ、ネアラオンカミ、アニクシエテ、ヤティケル
   絆たるマゥ、クビラオンカミ、ハタクエトゥイ、コポロクッカム

   カティム カティム アオロ ミサップ

       クエセ、ソポク、ポトゥム、ソトゥカイ」


 母さんが、よく分からない言葉で、祝詞らしきものを上げ。


「――クエセ、エルルゥ、ポトゥム、ソトゥカイ」
「えっと――クエセ、ノノイ、ポトゥム、ソトゥカイ」

 エルルゥとノノイが神妙な顔でそれに和し。

「――クエセ、クロウ、ポトゥム、ソトゥカイ」

 クロウもまた、目を閉じて真面目な表情で祈りを捧げた。

 そして最期に、母さんが目線で「今だよ!」と合図をくれたので、さっき教えられたばかりの言葉を、俺も跪いて恭しく申し述べるのだった。

「――ケラン、クエセ、アオロ、ポトゥム、ソトゥカイ」


 ――こうして俺は。
 戦場に向かう直前の早朝、藩城の片隅の一室で。
 蔀から差し込む白い光の中あわただしく元服を行い、大人となったのだった。






※ ※ ※






 
「――ケラン、クエセ、アオロ、ポトゥム、ソトゥカイ」

 クロウは、目の前で元服の祝詞をたどたどしく読み上げる少年の姿を、目に焼き付けるように見つめている。

 ついさっきまで、大人顔負けの理屈と言葉で熱く思いをぶつけてきた少年と、ソポクというこの母親に子供扱いされてちょっと嬉しそうな男の子は、果たして同一人物なのだろうか。
 なにより、クロウが知っているあのチャヌマウの「アワンクル」とは……

 クロウは、自分の任務が失敗した事を悟った。
 見定めろ、とベナウィから命じられていたが、クロウは素直にそれが失敗した事を認めた。

 わからないのだ。

 クロウも、荒くれどもを長年鍛え率いてきた強者だ。軍にはいろんな奴が来る。
 性格であったり背景であったり能力であったり、さまざまだ。中には男女を偽って入ってきた者もいた。
 その中で磨いてきた人を見る目に、クロウはいささかならず自信を持っていた。

 嘘をついているか、本気なのか、悪意があるのか、覚悟があるのか……その嗅覚はクロウをこれまでずっと助けてきた。
 細かい事までは分からずとも、大事な事は気がついた。

 それは今でもそうだ。

 クロウの嗅覚は、アオロの言葉を「本心からのもので、覚悟もある、本気の本音だ」と判断した。
 それに間違いはないだろう。
 ハクオロ皇とトゥスクルというこの國に害をなす気は一切無く、むしろ差し出すために戦場に行くと言っている。
 インカラが死んだらヌワンギを抑えてケナシコウルペの皇位を名乗り、ハクオロ皇に禅譲する。
 少年が語った計画は、実に合理的なものだった。それによって生まれる利点は、自分のような政治に疎いものでもなんとなく想像が付く。クロウは少年の言葉のどこにも、ごまかしの気配を感じなかった。

 ……だからこそ。
 クロウはもっとも大事なことがわからなくなるのだ。
 
『この子供は、一体何者なのか?』

 しかし、つい口からこぼれたその深甚なる問いを聞いたこの少年は、とぼけたようにこう言ったのだ。

「アワンクルとして行き、アオロとして帰る者」 と。

 その言葉もまた本心であるとわかる。だが、クロウが知りたいのはそういうことではない。

 いまさっき言葉を交わした少年は、間違いなくあのチャヌマウにいた少年である。
 しかしあの少年とは、あまりに魂のありようが異なるのだ。
 あの、いつもおびえたような顔で人の顔色をうかがい、泣かない代わりに笑いもしない、たまにしゃべったと思えば小声で挨拶をするだけで、痛みさえ伴うような必死の表情で楽器の扱いを母親から仕込まれていた――うつむいた顔しか思い出せないあの少年とは。

 ……とはいえ、この少年にこれ以上問うても答えが得られるとは思えなかった。


 ――なあに、まだまだ時間はある。
 先行する本隊に追いつくには一両日ほどもかかるだろう。その間に言葉を交わせば今少し理解も進むだろう。

 クロウはそう思って、再び少年を見やる。
 今まで巻いていた紐帯を外した少年は、新しい帯を母親の手によって結ばれくすぐったそうな顔をしている。
 年の近い少女ふたりに祝いの言葉をかけられたり、からかわれたりして、照れたり言い返して笑ったりしている。

 クロウはふと、これはこれでいいのではないか――そんな思いを抱いた。
 そういえばこの少年が子供らしい無邪気な顔で笑っているのを、クロウは初めて見たのだ。

(戦場なんぞに行かなくても、穏やかに生きていこうと思えばできるだろうに……『護られるだけの子供ではいたくない』……かよ。チッ、いけねぇ。情が沸いちゃあ目が濁っちまうってもんだぜ)


「そんじゃあ、いいかい。だいぶ端折っちまったけど、これで元服の儀は終わりさね。 最期の手拍子、いいかい?」
「はい」
「はーい!」
「へいへい! 待ってやしたぜ!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って、もう一回教えて!」
「あーもう、鈍くさい子だね。いいかい最後だよ? パパパンパン パパパンパン――」


 ――クロウはとりあえず、結論を急ぐ事をやめることにして。



 今は、手拍子が覚えられずに首をかしげる少年を指さして大笑いしてやることにした。
 








2015/11/01 投稿
2015/11/03 誤字修正



[16787] うたわれぬもの  建国編  31  思惑
Name: 内海◆2fc73df3 ID:8b684ad2
Date: 2020/05/16 03:25
 


 
 タトコリを抜け、木々に閉ざされた細い道をさらに数里進むと、緩やかになり始める山麓の山間に不意にやや開けた場所が現れる。
 チクカパの集落である。
 かつてこの國の政が滞りなく行われていた頃には、山地を抜ける旅商人達の宿場町としてささやかながらも賑わいを見せた村であったが、今では見る影もなく廃墟が立ち並ぶ有様である。

 しかし、その責は村人達には無い。

 たしかに、近年は往事の賑わいは無くなりつつあったのだ。それはタトコリの関手(関税)が不法に値上がりし、また治安が悪化したため、商人達が敬遠し始めたことも要因の一つであっただろう。
 とはいえ――事態が急激に悪化したのはほんの二月ほどのことである。

 山向こうで大規模な反乱が起き、皇弟ササンテが殺されるという事件があった。
 ついに起きたか――それが人々の偽らざる思いであった。
 血縁のある関係ではないが、互いに山の民である。暮らしの辛さはわがことのように分かる。
 さらにあの地には政争に敗れた者達が潜むと言われており、今の皇族たちから目をつけられ、事あるごとに言われ無き搾取を受けているとも伝え聞いていた。
 
 しかし、皇族殺しとは目も眩むほどの大罪である。
 朝廷による徹底的な報復によってあっというまに元通りになってしまうだろう。
 それならば、巻き添えを食らわぬようしばらくはおとなしく暮らすのが最善。
 気の毒だとは思うが、それでこれまでもやってきたのだ……チクカパの村長はそのように考えた。

 しかしその予想は外れ、物事は急速に、そして劇的に進行した。
 その変化の早さと容赦の無さは、残酷なほどであった。

 反乱の制圧に乗り出した朝軍は、その度手痛い敗北を喫して逃げ帰ってきた。
 こちらまで名が聞こえる山向こうの豪族たちが次々と傘下に加わり、反乱勢力は日に日に拡大した。
 ついにタトコリは閉鎖され、山向こうの情報が手に入りにくくなった。

 経験した事のない状況に言いしれぬ不安を抱えるチクカパの人々に、そんなある日、悲劇が訪れた。



 『我々は侍大将ヌワンギ様の命によってやって来た! この村には、反乱に荷担した疑いがかけられている。そのため全ての財産を没収し、食糧は九割を租として取り立てるものとする! 逆らうものは反乱勢力の手先と見なす! 異存ないな!』

 ウォプタルにまたがってやって来た小太りの貪欲そうな中年男は、のけぞるような姿勢で笑いながらそう言った。
 無茶苦茶な要求であった。
 疑いだけで全財産没収のうえ、九割の租。これでは死ねと言うのと変わらない。
 集まった民の間に怒りが満ちるのを、老いた村長は感じた。
 不穏な空気を感じ取った村長は、意を決して前に出て跪き、哀れを求めて言った。

 『財産は持って行ってかまわない。しかし食糧は七割にして欲しい。そうでなければ皆飢えて死ぬしかない』

 それに対して小太りの隊長は愉快そうに答えた。

 『お前達山猿が、山で飢え死にするとは笑わせる。キママゥのように木の皮や根をかじればいいだろう』

 男と、その背後の兵達は嘲笑を谷に響かせた。
 山猿とは、山の民への最高度の侮辱である。ついに村長は叫んだ。

 『我々が一体何をしたというのだ!』
 『貴様、逆らったな! この反乱の手先め! もはや一割も残さぬ、全て奪い去れ!』

 そうして略奪が始まった。
 呆然として村の広場にへたりこんだ村長の周りで、悲鳴と怒号が次々と上がる。
 ほどなく、どこかから断末魔の声が上がる。抵抗した若者が兵達の手にかかったのだ。

 『殺せ、殺せ、逆らうものは殺せ。女は数人連れて行けよ』

 先ほどの隊長の粘ついた声が、呆けていた村長に現実を取り戻させた。
 彼は無駄にした時間を悔やみながら、立って近くの男達を数人呼び集めた。
 
 『村に火を放て。抱えられるだけの荷物を持って落ち延びるのだ。バラバラに散って、見つからないようにイクタラの洞窟で落ち合おう』

 男達は速やかにそれを実行した。
 立ち上る炎は見る間に村を飲み込み、兵達は舌打ちをしながら略奪を中断し引き上げていった。
 その混乱のなかで、さらに二人の村人が命を落とし、十三人が怪我をし、三人が行方知れずとなった。

 避難場所となった山の民しか知らぬ断崖の洞窟に潜むこと数日、兵達の姿が失せたことを確認した村人たちが戻って見たのは、廃墟と化した村の景色と、行方が分からなかった一家三人の、焼け焦げた遺体であった。
 家の中で、幼子をかばうように夫婦で身を寄せ合って、一つの丸い炭となっていた。

 村長は人目をはばからず慟哭し、許してくれとその家族の骸の傍らで泣き続けた。
 村人達も泣いた。
 そして――涙はやがて、怒りへと変わった。
 その怒りは村を焼いたのより遙かに大きな炎となって、人々の魂を焦がすのであった。


 これが、チクカパ村がハクオロへ使いを出し、反乱に加わることになった経緯であった。
 そして忘れてはいけないのは――これと同様の、否さらに酷い悲劇が今、この國のいたるところで起きているということである。







※ ※ ※





「ハクオロ皇。このような何もない場所にお迎えしなくてはならぬこと、深く恥じ入る次第にございます」

 ――そして、今。
 廃墟と化したチクカパの村の中心で、痩せた老人がハクオロの前で深々と頭を垂れた。
 ほんの一月たらずの間でさらに十年は年を取ったように見えるその老人こそ、チクカパの村長、クネラゥであった。

 藩城を出て進軍を続けたハクオロ達本陣は、タトコリを通り過ぎて、ここチクカパで夜営の準備を行うところであった。
 焼け残った壁や梁に板や布をわたして即席の家とし、身を寄せ合うようにして暮らしているチクカパ村の住民達は、やや離れたところで向かい合う二人を見ている。

 タトコリが落ちた後にそのまま藩城へやって来て軍議に参加し、チェンマの凶報によって進発してからここまでずっと同行してきた村長が、ここに至ってそのような改まった態度を取った理由を、ハクオロはすぐに察した。
 
 兵達に略奪された村人達は、味方とは聞いてはいるものの、初めて見る軍勢におびえているのだ。
 この村長はそれを理解しているので、わざと村人たちが見ている前でハクオロの前に跪いたのだ。
 何が求められているのか、どう振る舞うべきか、分からないハクオロではなかった。

「――悲しい景色だ」
「……」
「賑わう町が、穏やかな人々の暮らしが、子供達の遊ぶ姿と微笑む女達、働く男達の姿が、かつてここにあった――しかし、それは無残に喪われてしまった。それが見える……本当に悲しい、景色だと思う」

 村長はただ頭を深く下げた。
 背後ですすり泣く声が聞こえた。

「クネラゥ。私も同じなんだ。私たちは皆、何かを喪ったものの集まりだからだ。だからもう、これ以上誰かから奪う事などしない。だから――顔を上げてくれ」
「はっ!」
「チクカパの村長、クネラゥ。あなたの村に宿営を張る事を許してもらい感謝する。我々は明日の朝にここを発つ予定だ」

 再び頷く村長に、ハクオロはいたわるように声をかけた。

「……そして村人達に伝えて欲しい。どうかしばらくの間、耐えて欲しいと。そしてできるならば、トゥスクルという私たちの新しい國造りに力を貸して欲しいと」

 するとすかさずクネラゥは地にひれ伏し、声を張った。

「慈しみ深い皇にウィツァルネミテアの恩寵あれ! ハクオロ皇万歳! トゥスクル万歳! この老骨、塵となるまで御前に忠誠をお誓い申し上げる!」
「ハクオロ皇、どうか俺……わたしもお連れ下さい!」
「私も! 私も付いていきます!」

 背後の集団から数人の男達が駆け寄ってきて、クネラゥの後ろで同じようにひれ伏した。
 そのなかには、タトコリ越えを成し遂げてハクオロ達の藩城へ最初に接触したかの青年フマロの姿も含まれていた。

(不思議なものだ。あれからまだ数日しか経っていないというのに、あの夜のことは遠い昔の様に感じる)

 鷹揚にそれらの声に応えながら、ハクオロはふとそんな思いにとらわれた。

 チクカパ村からやってきたフマロによってタトコリへの出陣を決めた、あの慌ただしい夜を思い出す。
 そうだ、あのときはまだ、皇(オゥロ)と呼ばれるつもりなど全くなかったのだ。
 それがどうだ。今ではトゥスクルさんの名前をつけた國を立ち上げ、タトコリを落とし、ベナウィを仲間に加え、決戦をするべく兵をそろえてタトコリを越え、こうして皇らしい振る舞いで人心を慰撫することさえしている。

 それもこれも――

(アオロ――もう目を覚ましただろうか。目覚めた彼は、記憶を取り戻しただろうか)

 悲劇がありふれたこの時代にあって、なおアオロを取り巻く状況は数奇としか表現しようがない。
 あの時彼がみせた、年に似合わぬ知謀も落ち着きも、ハクオロにはどこか悲しいものに思えていた。

(あれほど賢い子だ。自分の置かれた状況をすぐに理解するだろう。そしてきっと……)

 彼はすぐに、自分が藩城に置いて行かれた理由を、出る前にソポク達に「二人の子アオロとして扱う」と言い残した理由を、察するだろう。
 ハクオロは願う。どうか、そのままアオロとして生きて欲しい。
 いずれ世に出るとしても、もっと世の中が落ち着いてからでいい。

 しかし、きっとあの少年は――


「皆の気持ちは確かに受け取った。望むものは隊伍に加わることを許そう。村長クネラゥはこれをとりまとめ、隊長として明朝夜明け前半刻より始める軍議に参加するように」
「はっ!」

 ハクオロは、それ以上ここにいない少年について考えるのをやめ、村長の前から踵を返した。
 兵達のざわめきと視線を感じる。背後に付き従うオボロと双子の気配を感じる。
 目線だけでふと仰いだ空はすでに茜色から藍色に染まりつつあり、森に帰る鳥たちの群れの鳴き声が木霊のように聞こえてくる。
 
 その眺めだけは、懐かしい、あのヤマユラでの記憶に酷似していた。

 遠くに来た。
 そしてこれから、もっと遠くまで行くのだ。
 戻れぬ道を歩むことは、皆あの夜に覚悟したはずだ。

 ハクオロはそう思い、手の中の鉄扇を握りしめて、再び歩みを進めるのであった。





※ ※ ※






 ハクオロが、チクカパ村の村長から忠誠の誓いを受けているころ。
 ベナウィは同じ陣営のなかに張られた本陣の片隅で筆をふるっていた。
 とはいえ、兵糧の管理などの事務をしているわけでも、戦記のような記録をつけているのでもない。当然ながら詩などを吟じているわけでもなかった。

 一つ書き終わった書簡を、書き違えがないか今一度目を通した後、くるくると筒のように巻いていく。
 傍らの箱より短い紐を取り出してその巻物がほどけないように結び、最後に表面に宛先を記す。
 そう、それは信書であった。

 ベナウィは完成したそれを文机の横に置き、休むことなく再び新しい書簡を手に取り次の信書を手がけ始める。
 すでに文机の横には書き終えられた書簡が小さな山をなしている。

(エルスンガの族長は日和見で利に聡い。私が國替えしたことを知れば、加勢は望めなくとも物資や通行で協力はしてくれるでしょう。ホゥホロは遠すぎて此度の戦には関係しないでしょうが、あすこは難攻不落の名城。逃げた残党に籠もられても厄介です。城守のエベルイはケナシ系ですが皇族本流からは距離をとっている男。これより大きな戦があるので流賊に注意するように伝えれば察するでしょう。問題は、ヌワンギと聖上が決戦を行う予定のマシュケ平野近辺に住まうアトゥとヤタムの不仲ですが……)

 手に執った筆は一時も止まることなく木簡の上をさらさらと流れ、完璧な書法と形式で信を作り上げていくが、同時にベナウィの脳内ではこれからの戦をいかに手際よく、効率的に終わらせるか、その方策が怒濤のごとく渦巻いていた。

 すでに、大方針は決している。
 藩城を出る前の軍議でそれはハクオロに奏上され、認可を受けている。
 その上でベナウィは今こうして信書をしたため、各所へ繋ぎを取ろうとしているのだ。

(それにしても……)

 手を休めることなく筆を進めながら、ベナウィはちらと思う。

(アワンクル、あの少年はもう気がついたころでしょうか)

 ハクオロに招かれた藩城の一室で記憶を喪っていたあの者と向かい合い、この國の歴史からあの者の出自に至るまでの秘密を語ったのは昨晩のことだ。
 気を失い魘されていると聞き、それが気がかりだが、エルルゥという若いが優秀な薬師が側にいる。なによりあの者を心から案じている新しい母がいる。ベナウィは、彼に対してこれ以上自分にできる事はないと見切り出立したのだ。

 むしろ、ベナウィはあの少年の健康を案じる以上に、あの少年の置かれている立場と、あの異様なまでの変化を懸念していた。
 
 ベナウィは思う。あの者がチャヌマウで瀕死の重傷を負い、記憶を喪っていた事は嘘ではないだろう。
 しかし、記憶を喪ったものが、喪う前と喪った後で、あれほどまでに人間性が変化する事があるのだろうか。

 ベナウィも若いながら侍大将として戦場や荒事をあまたくぐってきた男である。心身に強い衝撃を受けた者が記憶を喪うということは知っていたし、実際にこの目で見もした。
 しかしその場合、大抵は記憶がないだけで、人としての本性に変化はなかった。
 記憶がない、という自分の置かれた状況に怯えはするものの、悪人は悪人のままであり、善人は善人のままであった。勇敢なものは記憶が欠落しても勇敢であったし、口べたなものは口べたなままであった。
 ベナウィは、それらは記憶に支えられた特質ではなく、魂のありようによって顕れるものだと考える。

 だからこそ、アワンクル――アオロというあの少年の変化は、異様なのだ。
 彼の変化は、まるで魂が入れ替わったかのようだとベナウィは感じている。

(それとも、これまで私たちの前では隠していた……?)

 チャヌマウ巡邏を重ねる間、ベナウィは幾度かアワンクル少年と話した事がある。
 ひどく内にこもる少年で、人と目を合わせる事を極度に恐れ、ベナウィのそばに立つときはいつもその手が強く握りしめられ、かすかに震えていた。
 一度、母のミライが不在のときに訪問したことがある。
 そのとき、たった一度だけ、挨拶とお礼以上の言葉を交わし、会話らしい会話をした事がある。

 従兄弟にあたるチャヌマウの村長の孫たちが怖いこと。
 焼きモロロが好きだけど、食べ頃のモロロは滅多に回ってこず、いつも固くなった古いものしか食べていないこと。
 母親のユナルの練習が厳しくて辛くてイヤなこと。だけど上手くできたときは褒めてくれるから嬉しいこと。
 こないだ夜に起きたとき、母親が月を見て泣いていたこと……

 純粋で、優しく、繊細な少年であるとベナウィは感じた。
 話し相手が母だけのためか、年齢よりも語り口は幼く、途切れ途切れに思いついたままに話す様子だった。
 比喩や反語や対照と言った修辞で言葉を飾り、自分の意志や考えを相手に理解させ、強い印象を残すことなど思いも寄らぬ様子であった。

 アオロは――あの少年は違った。
 純粋で、優しいという心根の部分は、そう変わっていないのであろう。真実を聞いて寝込むのであるから、繊細というのも変わっていないのかもしれない。
 だが、あの少年が示した勇敢さと、他者を動かす強さは、明らかにアワンクルのものではない。

 真実を知り、目覚めたあの少年がどのように動くのか。
 ベナウィは武将の本能と理性の両面で、彼を危険だと感じていた。

 もはやケナシコウルペの皇朝は、早晩滅ぶ定めである。他ならぬベナウィがそれを行うのだ。
 油断も慢心もなく、ただ季節が変われば木々の葉も入れ替わるような当然の摂理の結果として、皇座はインカラからハクオロへと、國号はケナシコウルペからトゥスクルへと移ろうのだ。

 しかしそこに、あれほどの知性をもった直系の皇族の存在が明るみにでたらどうか。
 その者が、私心無く新しい皇に仕えるつもりであるのならば、それはむしろ良い一手を打ちうる駒となる。
 しかし、あの者に野心あらば、再び國を乱す元凶となるであろう。

 ベナウィは、それを、その可能性を看過できない。
 だからこそ、この大事の前に片腕をもぐようにして、信頼する副官を適当な理由をつけて残してきたのだ。

(……私情を捨てるとは、難しいものですね。あの者の立場とその身を襲った出来事を思うと不憫の極みではあるのですが)

 それでも、かつてケナシコウルペの侍大将であり、今はトゥスクルの侍大将である者として、非情の決断をせねばならぬことはある。
 たとえそれが、足なえの無力な少年を密かに殺せという陰惨なものであっても――

(大神よ、どうか聖上と民の歩む道を照らし賜え。我が魂に厄災神の影が及ばぬよう。そして願わくば、あの少年の魂を護り賜え――)

 声に出さずに祈りながら、ベナウィはただひたすらに、この戦を一刻も早く終わらせるために手を打ち続けるのであった。





2015.11.22  投稿
2015.11.22  誤字と一部表現を修正



[16787] 用語集  資料集
Name: 内海◆2fc73df3 ID:6e1a9f17
Date: 2010/02/25 01:46
正直、こういう下調べをしているときが一番楽しい……
うたわれ二次創作が拡大することを願い公開。


薬草関係
シゥネ すりつぶして傷薬にする
シゥネ・ケニャ  シゥネの芽
シゥネ・ヌクイ  丸薬 かなり苦い
シゥネ・ウンヤク 特選の芽を集めて作られた秘薬 ものすごく苦い
ツェツェ草 痛み止め 意識が朦朧とすることがある
ソヴヤピ・ンクリ  ツェツェ草を煎じた物 滋養がある(気力回復)
アマム・ウチュ  クコの実を干し日持ちを良くしたもの かなり滋養がある
ケトゥアマン   ヘラペッタの(お宝の)粉 気力回復絶大。一種の興奮剤。
スリテンユシリ  スリテンユの根を使った解毒剤
トゥレプの茎  ウバユリの茎を煮詰めたもの 目が覚める
ハルニレの葉  精神安定作用がある
ユケラウケラ  触るのも危険な猛毒草
ネコン  かなり強い薬。ひとつまみ間違えただけで患者は死ぬ可能性がある。薬術に登場。ネコンの香煙(その刺激臭のする煙をかいだ者は、激しい嘔吐感と気怠さに襲われる)
ケスパゥ  薬? 薬草? 薬術に登場。ケスパゥの香煙(外科医術に使われる揮発性の高い液体で吸った者の意識を一瞬にして奪う)テオロが死んだ時エルルゥがアルルゥに使ったものと思われる。
ポロネロ  薬草 薬術に登場。ポロネロ草の軟膏(筋力増強と軽い興奮作用があり、飲むと一時的に攻撃力が上がる)
トンプルチ 薬草 薬術に登場。トンプルチの軟膏(沈痛と軽い覚醒作用があり、飲むと一時的に防御力が上がる)
カプマゥ  薬草。花が咲いたら取り頃。薬術に登場。カプマゥの煎薬(辛みと独特の香りで少々の見にくいが、気付け薬として重宝されている)
テクヌプィ 薬草 薬術に登場 テクヌプイの香煙(本来は心を落ち着かせる薬で、筋肉を弛め、防御力を低下させる)

フミルィル 薬草? 薬術に登場。フミルィルの蜜(その爽やかな甘さの蜜は、躰にたまった毒素を清めてくれる)

ヤツモロロ 薬用モロロ。薬術に登場。ヤツモロロの薬湯(滋養効果の高い薬用モロロの煮汁。景気付けなどで、よく回し飲みする)

ワブアブ  虫の名。薬術に登場。ワブアブの粉末(ワブアブという虫を乾燥させ粉末にしたもの。筋力を低下させる効果がある)
紅皇バチ  虫の名。その蜜は極上の味だが幻覚作用を引き起こす。紅蜜バチの蜜の香水はカルラが使用。薬術に登場。紅皇バチの蜜蝋(燃やすと微かに甘い香りを放つ蜜蝋。激しい幻覚作用を持つ)




トゥスクルがエルルゥに教えていた調合
「ケスパゥ + アマム・ウチュ + ネコン」
 気絶 + 滋養 + 気力↓  ……なんの薬を作ろうとしていたかは分からないが、かなり危険な組み合わせである。
 このことからエルルゥはこの時相当に薬術を修めていたものと思われる。


ハチミツ酒  とても暖まる。ソポクがエルルゥに作り方を教えた。

カルラのお茶(ギリヤギナ伝統??)  お茶ッ葉と一緒にモッチョモ(陸なまこ)とホッコモッコ(なにかの珍宝)
マポッティ  チキナロが、ササンテ屋敷でよく売れていた、と紹介した薬。珍しい。「マポッティの」と言っていたので、生き物の名でもあるかもしれない。
カリンカ  果実のハチミツ漬け。お菓子などに使ったりする。アルルゥの餌付けにトウカが使用。
チマク   お菓子? 腐ったものを食べると悲劇が……
ネウの乳   これにモロロの煮汁を混ぜた物をフミルィルに母乳の代わりに与えていた。ネウは牛? 羊?
ヤオシケプ  蜘蛛のこと?(アイヌ語そのまんま)アイテム名に登場。ヤオシケプの袋(幾重にも織り重ねられた袋。一匹の蜘蛛が女性の姿になって織ったといわれる。道具使用範囲拡大)
キムン  凶暴な獣 アイテム名に登場。キムンの毛皮(凶暴な獣の毛皮でできた襟巻き。獣の魂が宿り戦いに魅入られるという。経験値増大)
ユカッテ 角のある生き物。アイテム名に登場。ユカッテの角(ユカッテの角で作られた装身具。生き物を惹き付けるまじないが施されている。エンカウント増大)
シトゥンペ  精霊の名。アイテム名に登場。シトゥンペの鈴(精霊シトゥンペが宿る黒い神楽鈴。鈴の音が全ての敵意を惑わし霧散させる。エンカウント減少)
コゥロナナ  巨獣の名。鉄より固い牙を持つ。オボロの装備、双滅牙はこれを削って作られた。

一般名詞
帯    トゥパイ
ツーヌ  前に立つと矢が飛び出すワナ
霊宿   タムヤ  エルルゥがタムヤで祈る言葉
      「命たるイェ、ネアラオンカミ、アニクシエテ、ヤティケル
       クエセ、エルルゥ(アルルゥ)、ポトゥム、ソトゥカイ」

子守歌  ユカウラ

金剛石   アムル  ダイアモンドのこと?
紅玉    ティ・カゥン  ルビー?
青玉    ワゥ・カゥン  サファイヤ?
黒曜石  コクユカゥン
琥珀   コゥーハ  薬術に登場。コゥーハの軟膏(神の力を鎮めるコゥーハを軟膏にしたもの。躰に塗ると法術への耐性が上がる)
紫琥珀  ムィ・コゥーハ  小指の先ほどの欠片があれば一生遊んで暮らせるといわれるほど高価な宝石。ユズハの発作を鎮める薬の原料のひとつでもある。しかしあくまで症状を緩和するのみで、病気そのものを治すわけではない。
禁裏   皇城でのハクオロの自室(寝室)
関手   通行税
租    税金
朝堂   皇城の集会の間、謁見の間
愁文   うれいぶみ。嘆願状
防人   各藩に配置されている警備隊?
鍛冶司  武器などを作るところ、人
獄司   牢番
室    妾。後にユズハ
膠    にかわ 接着剤
速荷   街や國を越えて荷を運ぶ長距離便。
法術   オンカミヤリュー族の使う術

誕生   アックン
元服   コポロ
婚姻   ハシェク
葬儀   ハハラ

親族  ウタル 血族に近い意味合い

奴隷  ケナム
剣奴  ナクァン
傭兵  アンクアム
弓衆  ペリエライ  ドリィが朱組隊長 グラァが蒼組隊長
歩兵衆 クリリャライ  隊長はオボロ
騎兵衆 ラクシャライ  隊長ベナウィ 副長 クロウ
侍大将  オムツィケル  ベナウィ
國師   ヨモル。 オンカミヤムカイから各國へと派遣された司祭。外交官や調停役としての役目もあり、
     國師同士で連絡を取り合いその國の周辺国との同盟締結や和平交渉なども仲介する。社にて執務。




地獄  ディネボクシリ
常世  コトゥアハムル 黄泉の国?
この世 ツァタリル


巫    カムナギ  シャーマン ウルト。
森の母  ヤーナマゥナ  アルルゥ。ある種のカムナギ



地名
カカエラユラの森  ヤマユラの麓に広がる森。ムティカパが住んでいる。

ヒッタ   ヤマユラ近隣の集落? ムティカパ被害
トトゥ   同上

チャヌマウ  ササンテの砦陥落後、ハクオロが最初に出向いた集落。何者かにより(ヌワンギだろう、と思わせる雰囲気)皆殺しに。
       切り立った崖がそばにある(ムックルが斜面を駆け下りてくるシーンあり)

ユタフ    チャヌマウでの「森の娘」以降叛乱に加わった集落
エプカラ   同上
サン     同上
ワッカイ   同上

タトコリの関  関手を取り上げるために作られた峠の関。交通の要衝。

チェンマ   ヌワンギが見せしめに皆殺しにした中立の村。

トワモ      建国後、キママゥ被害に遭った集落
ペチャイキ    同上
ハラツィナ    同上

ウッパコの関  ニウェがトゥスクルに侵攻してきた時、手始めに落とされた関。南西部の国境近辺。
シシハル藩   ウッパコの関の後続けて攻められた。南部?
キヌハン藩 シシハル同様シケリペチムに攻められた。南部?
ホゥホロ城   シシハル、キヌハンの後方に位置する難攻不落の要塞。キヌハン、シシハルの軍勢はここに集結し
        ベナウィの指揮のもとシケリペチムの猛攻に耐えきった。が、後にクンネカムンのアヴ・カムゥに陥落。
ハイチャカの関  調練で使用。
エニワヤイ砦   同上
シャムシャナ平原 同上。

シロトゥクの海岸付近   カルラを乗せた船ナ・トゥンクの船が座礁したところ

アトゥ    フミルィルの父か母の出身集落。ヤタムとは長年対立しているが、國の仲介により和解。
ヤタム    同上



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