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[16740] RealCelia(オリジナル/VRMMORPG)*第二章開始
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:a9e048f4
Date: 2015/09/27 03:41
-作品説明-

 この作品はオリジナルのヴァーチャルリアリティマッシブリィマルチプレイヤーオンラインロールプレイングゲームもの小説です。とか書くと何のことやら。
 英語で書くとVirtual Reality Massively Multiplayer Online Role-Playing Game。
 パソコン技術により仮想現実を作り出すことに成功した未来。
 そんな仮想現実を使ったゲームのひとつである「ラーセリア」。

 それをプレイする主人公のお話です。





2012.11.20
 第二章 開始

2012.5.20
 第一章 完結






------------------------------------------------------------
 2015.09.27

 データ破損の様子が明らかに酷く、続きを執筆するために設定を再構築しなければならない模様です(設定のメモ帳データが文字化けしており、正常に読み込みができていない模様)。
 待っていただいている方がいらっしゃるかもしれないので、なるべく急いで作っておりますが、さすがに忘れてしまっているところも多く、もう少しお時間をいただければ幸いです。

 本当に申し訳ありません。よろしくお願いします。



[16740] 1- 「ラーセリアへようこそ」
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2012/10/15 23:26
The program is started........

Even the connector starts are three another seconds........
Even the connector starts are two another seconds........
Even the connector start is another second........
Connector start

Body information is scanned

Even the scanning beginning is two another seconds........
Even the scanning beginning is another second........
The scanning begins

Even the scanning completion is ten another seconds........
Even the scanning completion is three another seconds........
Even the scanning completion is two another seconds........
Even the scanning completion is another second........
Scanning completion

Body information is being transmitted to the server........
Complete

Game information is downloaded........
Please remove and wait for the connector


 俺は頭に被った帽子のような機械――ヘルムコネクタと呼ばれる――を外し、ふうとため息をついた。
 英語は得意ではないが、説明書……というかパッケージ同梱の紙に一通りの直訳が載っていたので助かった。
 ダウンロードが完了するまで、俺の家の回線なら10分かからないが、わざわざ重いヘルムコネクタを付けたまま、しかも青い画面に白い文字だけを見ながら待つこともないだろう。
 それにしても、初期起動時が一番面倒臭いと聞いていたのだが、噂通り……もとい噂以上に本当に面倒臭い。
 ヘルムコネクタを付けた時点からほとんど動けなくなる。
 いや動こうと思えば動けるのだが、ヘルムコネクタの思考スイッチをオフにしないと動けない。大したことがないように思えるかもしれないが、トイレに行くとかにもスイッチをオフにしてからコネクタを外してから行かないといけないと言うことだ。あーめんどくさい。いっそボトラーにでもなろうか……と一瞬考えて、いやそれは人としてちょっとなと思い直す。
 沸かしていたお湯をカップ焼きそばに注ぎ、待つこと3分。
 そういえば、カップ麺は技術的には1秒でもどる麺を作るのも可能らしいが、麺が戻った後さらにお湯を吸収してすぐに伸びてしまうので、食べ終わるまでの時間を考え、3分で戻るくらいの麺がちょうどいいということなのだという。どうでもいいが、どうでもいいだけにすごい情熱だ。
 また3分は、待つのにちょうどいい時間だという。この3分間に人はさらにお腹を空かし、カップ麺をおいしく食べることが出来るということらしい。
 ちなみに俺の目の前にあるのは数世紀前の復刻版だ。
 未確認飛行物体と言う名のカップ焼きそば。超謎なネーミングだが意外と美味い。

 わずか数分でそれを食い終わると、ゴミをコンビニ袋に押し込んでヘルムコネクタを付けた。
 青い画面の中、ダウンロードはすでに完了していた。


Download completion
Please push [Enter Key]

The game is started........

Please input the language name
[Japanese]

The language in the program is being converted into Japanese........
The simultaneous interpreter mode is being set to Japanese........

Complete


 Completeの文字が画面に表示されると、視界が開けてきた。
 と同時に、浮遊感と吹き抜ける風の感触。当然脳内に送り込まれたイメージなのだが、これだけでもかなり精巧に作られたヴァーチャル・ワールドだという触れ込みが嘘ではないことを知る。
 とん、と爪先が地面に付くと同時に、俺の体にリアルでお馴染みの重力感が宿る。

 手や足を見てみると、古臭いポリゴンで構成された、ゴツゴツしたものだった。

[キャラクターを作成します]

 アナウンスが流れ、目の前にウィンドウが現れる。
 ゲーム内で使用するアバターを作るのだろうと当たりを付けた。

 キャラクター枠は合計3つ。
 一つ目は美形に作ってみようと試みる。
 試行錯誤すること10分。まぁまぁいけてるんじゃないかと言えなくもない顔が出来上がる。
 うん。俺の造形美はこの程度だと認め、諦めよう。
 体付きは一度は細マッチョ的な感じで造形したが、思い直してヒョロい感じに作り直す。
 最初は魔術師を目指してみようと思ったからだ。
 背はやや高め。身長にして172くらいにする。実はリアルの俺の身長と同じなのは気にしてはいけない。

 そしてスタートボタンを指でタッチすると、

   ぱぁんッ!

 まるで交通事故でガラスが砕けたかのような音を立て、ウィンドウが弾け飛んだ。
[キャラクター情報をアップロードしています]
 アナウンスが流れ、弾け飛んだウィンドウがゆっくりひとつひとつ、古臭いポリゴン――つまり俺の体を覆っていく。

「ようこそラーセリアへ」

 突然、今までとは違い、声でアナウンスが流れた。
「……この世界では、君は君の分身であるそのキャラクターとして、リアルと同じように動くことができる」
 なるほど。この「声」は操作方法とかを教えてくれるキャラクターか何かか。
「この世界は君が何をすれば良いか、とかそう言ったことは一切教えない。……もし知りたいのならば、最初のセーブポイント以降でログアウトし、ファンサイトで情報を集めるといい」
……ちょっと待て。
「繰り返すが、この世界は、君に何も教えない。全て手探りで進めて欲しい」
 言うだけ言って、声は本当に途切れた。
 呆然とする俺を尻目に、キャラクター情報のアップロード完了を告げるアナウンスが無機質に響き渡る。
 いやいやいやいや待て待て待て待て。動き方のレクチャーとか、コマンドウィンドウの出し方とか、そういうのも一切教えないつもりなのか。
 そうかこれがクソゲーと呼ばれる由縁か、と弱冠納得してしまう。

 そして暗転。

「ラーセリアへようこそ。……君の名前を教えてくれ」

 言葉とともに唐突に、視界が一人の男をライトアップした。
 黒い衣装に黒い皮鎧、そして黒い長髪。
 このキャラクターは知っている。
「神」にして「ゲームマスター」、佐伯 緋文。
 だが、ここにいる彼はそれを模したNPCなのだろう。

「どうした。君の名前だ。教えてくれないか」

 キャラクターネームはとっくに決めてある。
 答えようと辺りを見回すが、普通こういった時に出て来るであろうキーボードウィンドウなどは影も形も見当たらない。
 バグか?それともウィンドウを出すためのコマンドでもあるのだろうか。いやしかしさっきのアナウンスも、このゲームマスターを模したキャラクターですら、そのコマンドを教えてくれてはいない。

「どうした。君の名前だ。教えてくれないか」

 同じくらいの間をおいて同じ言葉。おそらく答えるまでは同じ状況が続くのだろうことは容易に想像が付く。
 機械的に同じ言葉を言われるのは苦痛極まりないな。
 っつってもどうすりゃいいんだよ。
 っていうかこういう操作説明はすべきじゃないのか。
……ん、待てよ?
 さっきの、声でのアナウンスを思い出す。
『リアルと同じように動くことができる』
 もしかしたら、いやもしかしなくても。
 あれが操作説明だったんじゃないだろうか。だとしたら。
「――アキラ=フェルグランド」
 口に出して呟いてみると、目の前の黒尽くめの男はにやりと笑みを浮かべた。
「うむ。それでいい。名前はアキラ=フェルグランド、で合っているか?」
 カタカナで、目の前に青く光る文字が浮かび上がる。
 アキラ=フェルグランド。
 文字も思考パターンをトレースして読み取ってくれるらしい。
 そして、GMは人の悪い笑みを浮かべて言った。

「合っているなら苗字も教えてくれ」
 待ていコラ。



[16740] 2- クソゲー?
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2012/10/17 00:42
「さて」
 名前と苗字を改めて伝えると、数秒のローディングをしてからゲームマスターは言った。
「……改めてようこそ、アキラ」
 この先の展開は公式サイト及び情報サイトで調べて来たから少しだけ知っている。
 まず、種族を決められるんだったな。
「君の種族は人間だ」
……自動的かつランダムに、だが。
 これは、生まれからリアルを、と言うことらしい。
 アバターを設定できるのはただのお情けのようなものなんだろう。
「なので外見は君が設定したものと変わらない」
 あ、と俺は思った。そして同時に人間に設定されたことに安堵する。
 ドワーフになったりしていたら、背が縮んでいたんじゃないだろうか。
 いやそれどころか、魔法使いを作る予定だったけどドワーフって魔法覚えられない、とかそういうこともあったんじゃなだろうか。ヒョロく作ってドワーフだったりしたら目も当てられないところだ。
……評判聞いてて良かった。
 聞いてなかったら、俺の性格からなんてクソゲーだと即ログアウトしていたかもしれない。まぁ操作説明がないってところでちょっと落ちたくなったけどな。
……いやまぁ、評価もクソゲー扱いされてたけど。
 ただしこのキャラクター作成には対策がある。
 作ったキャラクターの種族が気に入らない場合、そのキャラをデリートすることができるらしい。
 また、キャラ枠が3つなのもその対策として、ということのようだ。
 しかし逆に言えば、運悪く3回気に入らない種族だった場合は作り直しができないってことにもなるけどな。
 まぁ噂通りなら、クソゲー度はこんなもんじゃないんだけど――

「そして、今日登録した『日本人』には、抽選で特別にプレゼントがある」

――は?
 俺は目を点にした。
 公式サイトにも目を通してから来たが、……そんな告知はなかったぞ。
「君はそれに該当する。受け取るかどうか選択したまえ」
 言って、ゲームマスターは握ったままの手を差し出した。
 このゲームでなければ、ラッキー、と何の躊躇もなくこちらも手を出していたところだ。公式サイトにすら何も告知のないゲームマスターからの贈り物。
 罠に見えるが、こんな初っ端から罠を仕掛けたりするものなのか。
「……質問は許されるのか?」
「質問に対する答えはYesだ。ゲームシステムの質問は答えないが」
 お、なるほど。
「なら質問。アンタはNPCか?」
「質問に対する答えはYesだ」
 なるほど。……ってことは、
「質問の答えは全てテンプレートか?」
「質問に対する答えはYesだ」
 やっぱりな。だとするなら多分、あえて答えられない質問をすれば、「その質問には答えられない」とでも返って来るのだろう。いちいち試す気にもならないが。
「今日登録した全ての日本人プレイヤーが、俺のようにアイテムをもらえるのか?」
「質問に対する答えはNoだ。君は運良くもらえると言うだけだ」
 運良く、とはどういう意味か。
「何故俺がもらえるのか、その理由は?」
「今日初回キャラクター登録をした日本人に対し、今日一日ランダムにアイテムを渡すようにプログラムされているからだ」
 なるほど。今日が日本での初日ということでのシークレットサプライズアイテムか。だとするならば、受け取って損はないように思える。
「アイテムをもらうことにより不具合は?」
「ない。強いて言うならば、いきなりアイテムインベントリもしくはイクウィップインベントリが1つ埋まるということ、そして重量もかさむと言うことくらいだ」
 なるほど。どうやら何かの罠ということではないようだ。
「そしてこのアイテムは受け取ると同時に、『特別な品物』として、君のキャラクターデータに登録され、誰も奪えない仕様に変わる」
 誰も奪えない、と言うのはありがたい仕様だが、こちらから贈呈した場合、もしくは売り払った場合は別問題だろうか。いやまぁ、レアアイテムの可能性もある以上、使うにしても売るにしても交換するにしても、損はない。
 逆に、持っていても全く役に立たない、もしくは邪魔になるアイテムだったとするならば、それはそれでネタとして持っておくのも面白い。
 なら答えはひとつだ。
「なら遠慮なくアイテムを受け取る」
 言って手を伸ばすと、俺の手の平の上でゲームマスターは手を開いた。
 瞬間その手に、鞘に納まった一本の剣が出現し、装飾の鈴がりん、と鳴った。装飾はやや過多で綺麗ではあるが、ちょっとくすんだ色をしている気がする。
「アイテム名は【レイピア】。未鑑定品だから気を付けてくれ」
 俺がそれを受け取ると、ゲームマスターは一歩後退した。
「……他に質問がなければ、ゲームを開始しようと思うが、準備はいいか?」
 質問は特に残っていなかったが、ふと頭に浮かんだ質問がひとつ。
「……ゲーム中に、アンタが出て来ることはあるか?」
 ゲームシステムに抵触しそうな気がするが、さてどう答えるか。
 答えられない、と返って来るんだろうと予想する。

「質問に対する答えはYesだ。イベントなどで会うこともあるだろう」

 意外にもしっかりと返答が返った。
「また、俺以外のゲームマスターも出没する」
 なるほど。これは隠す必要がないということなんだろう。
 他に質問はあるかと再び問われ、俺は迷うことなく「ない」と答えた。

「ではゲームスタートだ。……幸運を祈る」

 言うなり、視界が暗転した。
 わずかに浮遊感。と同時に足元の地面の感触が消える。
 りん、ともらったアイテムの装飾が音を立てた。


 全ての感覚が遮断されたような感覚(というのも変だが)。
 数秒後、ローディングが終了したのか、視界が一気に白一色に染められた。
 というか、すげぇ眩しい。
 目が慣れていないのか、白い視界にかすかな人影が見えるだけだ。
 と思っている間に、視界がどんどん見えてきた。どうやら機械の方が読み込み中だったようだ。
 まず見えたのは町並み。どうやらキャラクターの生まれ故郷は結構栄えている町らしい。
 見渡す限り人、人、人。
 仲睦まじそうに歩く男女や馬鹿騒ぎする男ども。
 男女比で言えば半々だが、この中の誰がネカマで誰がネナベかわからない以上、もう普通に見た目通り半々と判断しておこう。
……どこへどう行けばいいのか、NPCも見当たらない。というかNPCとプレイヤーの区別も付かないので迂闊に誰かに話しかけるのも億劫だ。
「さてどうすっか」
 町を出るべきか、それともNPCを探すべきか。
 広場らしいそこを見渡すと、噴水が見えた。
 結構な人数が行き交っているが、……やはり何だか声をかけるのを戸惑ってしまう。
 それにしても評判通り、景色がリアルだ。
 噴水の水しぶき、人の影のぼやけ方、太陽の光の反射具合。
 本当に自分がそこにいるものだと勘違いしてしまう。
「んー……お」
 立て札のような案内板を見つけ、そこを覗き込む。
 どうやら町の見取り図のようだ。
「……えーっと。現在地がここだから……」
 確認すると、色々な施設があった。というかここは城下町のようだ。地図の中心に大きく手書きで「城」。
 宿が数件。学校が3つ……中学、高校、大学。小学校がないのは何故だろう。まぁいいや。そして神殿がいくつか。あとは図書館。そして、手書きで「衛兵詰め所」と書かれている場所。あとは雑貨屋や武具屋など、基本的な商店が立ち並ぶ商店街らしきところだ。
……というか所持品とか装備品とかどうやって確認するんだろう。
 ゲームマスターが「インベントリ」と言う言葉を使っていたところから見て、アイテムをしまっておけるものは存在するようだけど、……ウィンドウがどうやったら出るのかわからない。
 まぁいいや、とりあえずオーソドックスに神殿とやらに行ってみよう。


 神殿へ向かおうと道中を歩きながら、ふと俺は気付いた。
 そういえば宿も、「セーブポイント」としてはオーソドックスなのではないか。
 しかし所持品をどう確認すればいいのかわからない。
 と、目に入る「←図書館」の看板。
……そういえば、以前ネットで読んだ小説に、「図書館で本を読んだらスキル習得」と言う描写があったような。
 物は試しだ。どうせ神殿に行くのも急いでいるわけじゃなし。


 予想以上に大きい建物がそこにあった。
 受付には、NPCと思われる受付が数人。
 NPCなら、図書館の使い方を教われるだろうと当たりを付け、俺は手近な一人……女の職員に声をかけた。
「すみません」
「あ、こんにちは」
 普通に応対してくるNPCの女性。思考ルーチン……というかAIか。
 まぁ応対くらいならパターン用意すりゃできるか。
「利用するにはどうしたら?」
 俺のこの質問に、女性は一瞬きょとんとした表情を返す。
……ん?質問の聞き方が曖昧すぎたか?
 どうやらわからない質問にはこうした「反応」で返す仕様らしい。
「……図書館を初めて利用するんですが、」

「あぁ、初心者さんね」

 俺の言葉を遮り、くす、とNPCが笑顔を見せ――
――ちょっと待て。今初心者って言ったか?
 普通、NPCは初心者などと言う言葉は使わない。
 こういう、リアルを追求するようなゲームは特にそうだ。まぁこのゲームが例外ではないと断言はできないが、NPCなら少なくとも「初めてのご利用ですか?」と言った程度の受け答えくらいは準備しているだろう。つまり、
「プレイヤー……なのか?」
「そ。装備でお金切らしちゃってね。バイトしてるのよ」
 どうやらそういう金の稼ぎ方もあるらしい。
 初心者さんだとわからないことだらけで困るよね、と女性はくすくす笑いながら、隣の男に声をかけた。どうやら隣はNPCらしい。
 会話を聞く限りではNPCだとはわからないが、会話の最中にそれがNPCだとわかるような信号でも出ているのだろう。何故かその男がNPCだというのはすぐにわかった。
 そしてNPCは彼女に早めの休憩を勧めた。
 どうやらNPCのAIは予想以上に優秀らしい。

「簡単に説明するよ。何が聞きたい?」
 彼女の言葉に、俺は遠慮を忘れて次々と質問を重ねた。

 まずウィンドウはどうやって出すのか。これに対しての答えは、
「出ないよ?」
「は?」
「このゲームね、ウィンドウは一切表示されないの。ステータス確認はできないし、スキルなんて覚えるしかないよ」
 なんてこった。想像以上に面倒臭い。
 どうりで攻略サイトとか調べても一切操作説明がなかったわけだ。
「マジで?」
「うん。アイテムとかは手荷物で持てるだけしかもって行けないし」
 つまり、ゲームマスターの言うところの「インベントリ」とは、……手に持てる範囲、と言う意味だったんだろう。もしくは英語から日本語に翻訳した際の誤訳と言うか微妙なニュアンスの差か。
 つまるところ、俺は今無一文ってことだ。
「……じゃあ、図書館は今は利用できないか」
「ん?図書館はタダだから利用できると思うけど」
 そうなのか。
「使い方は後で軽く説明するよ。それよりお昼食べてきた?」
「俺は未確認飛行物体食った」
 ぷ、と吹き出し笑いをして、彼女はあれ美味しいよね、と微笑んだ。
「じゃあ、先に使い方教えるね。……この目録に手を触れて」
 言って、部屋の隅に設置された、紫色の水晶に手を触れる。
 言われた通りに触れると、
「うぉッ!?」
 視界が文字で埋め尽くされた。
「図書館ではお静かに願います、ふふ」
 横から聞こえる声に振り向けば、女性の姿。
「あ、って言ってみて。今の私は職員だから反応しないけど」
「……あ」
 言った瞬間、視界を埋め尽くす文字郡がざぁっ、と整列した。
 良く見ると、その文字軍の正体はタイトルらしい。
 最初の文字は全て「あ」で構成されている。
「なるほど」
「あ、ちょっ」
 俺の言葉に応じて文字が再びざぁっ、と整列を開始した。
 そして目の前に1つだけタイトルが表示される。
「……えっち」
 一つだけ残った卑猥なタイトルに、女性がジト目で一歩後ずさる。
「ちょっと待てこういうことになるなら先に教えとけよ!」
 思わず噛み付くと、最後に残ったタイトルが姿を消す。
 というかなんつータイトルの本があるんだよ!
「図書館ではお静かに願います」
 この女……。
「とりあえず、図書のタイトルはこんな風に出すわけ」
「……良くわかった」
 ふふ、と意地の悪そうな笑みを浮かべる女性。
「指をこう、前に出して」
「こうか?」
 言われた通り、彼女を模倣して人差し指を立てる。
「インデックス、って言ってみて」
「……インデックス」
 呟くとほぼ同時に、予想通り文字軍が戻って来た。
「なるほどな。で、出る時は?」
「イクジットって言えば出れるよ。本を持った状態で言えば本は持ち出せるから」
 ふむふむ、と覚えたことを脳内で反芻する。
「私はご飯食べて来るけど、図書館に来たんだったら……えーっと」
 言って、彼女は胸で十字を切り、初心者と呟く。
 同時に、俺の目の前に「初心者さんへ」と言うタイトルが表示された。
「実質この本が、このゲームの説明書だよ。ご飯食べてくるから読んで待っててね?」
 言うだけ言って、彼女はその場から掻き消えた。
 どうやらヘルムコネクタを外したらしい。
 思わず溜息をつき、俺はタイトルに手を触れた。
 瞬間、重量感を持った本が手元に現れる。

 さ、彼女を待つ間、とりあえずこれでも読んでるか。



[16740] 書物 「初心者さんへ」
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2012/10/19 12:11
作成ユーザー名  リア=ノーサム

 こんにちは。これを読んでいると言うことは、あなたは初心者だってことでいいんでしょうか?

 そうであるならばようこそラーセリアへ。
 私がこのゲームを始めてから困ったこと、聞きたかったことをこの書に記そうと思います。


 まず、このゲームは基本的に全て非表示です。
 目に見える情報が全てです。
 ステータスウィンドウはありませんし、スキルも自分の体や頭で覚えるしかありませんし、魔法も頭で覚えるか紙にでも書いて読み上げるかしかありません。
 ただし、スキルや呪文をオートで発動する方法自体は存在するようです。
 ただし現時点で私はその情報を手に入れることが出来ていないので噂の真偽は保障しませんが。


 ステータスを確認する方法は目測です。
 たとえば、今の時点で壊せないものが、ある日突然壊せるようになったりします。


 ステータスを上げる方法

・モンスターを一定数以上狩る
 どんなに弱いモンスターでも、100匹単位で狩ることで、そのモンスターに対応したステータスが上がることがあるようです。
 強いモンスターほど、ステータスが上がる可能性は高まるようです。

・レベルを上げた後、訓練をする
 とは書いてみましたが、正直レベルが上がったのかどうか、プレイヤーには判別できません。
 訓練場で訓練に行ってみましょう。そこのNPCが、「強くなった」というようなことを口にしたら、まず間違いなくレベルが上がってます。それ以外の場合、訓練を終えた後、「やっぱりこの訓練はまだ早い」というようなことを言われます。
 そして注意。訓練でも「ステータスが上がることがある」、と言うだけで、確実に上がるわけではないようです。

 ちなみにステータスはキャラクターによって、向き不向きのようなものがあるようです。向いているステータスを見極めて上げるようにするといいかもしれません。


 スキルは条件さえ満たせば無限に覚えられるんじゃないかと推測してます。
 どれかのステータスによって覚えられる数が決まっているようですが、どのステータスなのかわかりません。
 ちなみに私は現在スキルを120種習得していますが、私と同時に始めた友達は、常に私とPT組んでるにもかかわらず現在118種で警告の台詞がNPCより出ます。
 NPCに「いっぱい覚えている」「これ以上スキルを覚えるのは早計」と言われたら、今の段階でこれ以上習得スキルを増やせない、と考えていいんじゃないかと思います。
 スキルの覚え方ですが、様々です。
 ただし本を読んだだけで覚えられると言うことはなく、人に教わってクエストをこなす必要があります。

 魔法は、そのキャラクターの素質が物を言います。
 これを読んでいる方で、魔法使い志願の方は、とりあえず魔法ギルドへ行ってみて下さい。あとはそこのNPCが教えてくれます。
 魔法は素質によって覚えられる数が限定されるようです。
 とにかく試してください、としか言いようがないです。
 私は覚えられるのに友人は覚えられないのがあったり、逆パターンがあったりと、属性ごとの素質があるようなので。
 魔法の覚え方ですが、魔法ギルドのほかにも、魔法屋というのがあります。
 また、ダンジョン等に潜って手に入るアイテムにより覚える、モンスターのドロップから覚える、などがあります。


 図書館で書を書くには、羊皮紙が書く枚数分必要です。
 雑貨屋で購入できますが、高いです。
 材料を用意し、羊皮紙作成できる職人さんに依頼して作ってもらう方が安く上がります。


 種族について。
 私が確認した種族は、今のところ10種です。

・人間
 普通の人間です。
・ティタニア
 天使のような種族です。翼は白か黒か灰色です。
・エルフ
 耳が長くて肌が白いです。比較的、魔力が多い傾向があるようです。
・ドワーフ
 背が低く、男性は髭がモジャモジャです。比較的、筋力が高いようです。
・ホビット
 子供を一回り小さくしたような種族です。敏捷が高いようです。
・獣人(亜族?)
 獣の特徴を持つ種族です。色々な動物がいます。
・有族
 手が多かったり翼が生えていたりします。人間以外の外見の有族もいます。
・ライアット
 翼と羊のような角を持つ種族です。飛べます。
・ラッティアス
 とても小さい種族です。踏みそうになると警告が出ます。踏むとPK扱いです。


 ここまでは普通と言えば普通の種族なんですが…

・魔族
 凶悪なステータスの種族です。1レベルの段階で、120レベルプレイヤーをPKできるほどのチートキャラです。PKに走る人がほとんどですので気を付けて下さい。見ればそれとすぐわかります。
 魔族は、死ぬとキャラクターが消去されるそうです。
 噂によると、世界に常に一匹になるように、突然「覚醒」することもあるそうです。
 討伐隊を立てて討伐すると、それに見合った経験が手に入るようです。


「死」について
 最後に。
 このゲームで死んでしまった場合、自らの意思で「蘇生」することはできません。
 死んだ場合、そのキャラクターは肉体をそこに残し、「霊魂」となって動くことになります。
 霊感能力はランダムで付与されているらしく、霊感能力者に自分が死んだことを伝え、誰かに蘇生してもらうようにお願いするしかありません。
 また、当然ながら死んだ死体から他人がアイテムを剥がすことが可能です。
 PKの場合、特別なもの以外のアイテムは無制限に全て取られます。
 PKではない場合は、特別なものですら剥ぎ取ることか可能となってしまいます。
 また、死んだ肉体をリアル時間で2日放置すると、キャラクターがロストされます。ロストになったキャラクターのスロットは、新しいキャラクターを作成することが可能です。

 こんなものでしょうか?
 質問があればWISしてください。

 あ、WISの方法ですが、目録と同じく指を立てながら、「ウィスパー、xx」と呟くと、自分だけがウィスパー部屋に行くことができます。
 相手もウィスパー部屋に行くこともできますが、行かなくても会話は可能です。
 当然ですが戦闘中はウィスパー部屋には入れません。


 以上です。書物としては短いですが、貴方の冒険の役に立てれば幸いです。

                  2515.1.12 リア=ノーサム



[16740] 3- 「アタシ達に追い付いて来い」
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2010/02/26 02:41
 一通り読み終え、ため息をついた。
 2515.1.12、と書いた日が記されていたが、……これって3年も前じゃん。
 3年前の1月といえば、このゲームサービスが開始されてから数ヶ月だ。

 つまるところ、この本は情報が古いってことだ。

 とはいえ、確かに参考になった。
 色々な基本的なことが書かれている。
……WISの説明は、特に参考になる。
 WISはMMOではほぼ基本機能で、1:1で会話するシステムだ。
 こういう基本的な機能は最初に説明するべきなんじゃないだろうか。

『全て手探りで進めて欲しい』

 最初に聞いたアナウンスを思い出す。
 そうだ。
 サービス当初から同じ設定で作られていたのなら、もちろんこのWISもプレイヤーが自力で探り当てたものなんだ。
 いや、あるいはNPCがそういったことを教えてくれるのかもしれないが、そのNPCを探すまでWISが使えない、と言うのは困ったものだ。
 この本を書いたリア=ノーサムと言う人に感謝すべきだろう。

「ただいま♪」
「あ、お帰り」

 言って振り向くと、彼女はにこりと微笑んだ。
「良かった……まだ読んでたんだ?」
「あ、いや読み終えたんだけどさ、礼も言ってないし待ってなきゃって」
 うんうんいい心がけ、とか言いつつ、彼女はごそごそと服のポケットを探ると、中から4つに折った紙とペンを差し出してきた。
「これ、良かったら使って?」
「お、サンキュ。……これって羊皮紙?タダじゃないんだろ、いいのか?」
 受け取ると、ファンタジーの世界とは思えない、リアルな感触。
「うん。バイトで何枚でももらえるから」
「あぁなるほど。……さっきの本に高いって書いてあったからさ」
 あー、と彼女は言って、くすくす笑う。
「……現実世界に換算して、大体1枚100円ってところかな?」
 うわ高!
「そんなの平気でぽんぽんくれるなんて気前いいんだな」
 あはは、と彼女は笑う。
「売り捌けばそれなりに儲かるよ。……バレると着服扱いでしばらく拘留所だけど」
「やったことがあるのか」
 彼女は苦笑した。
「んー、前にね、同じくバイトしてた人が捕まったの見たことあるから」
 なるほどな。
「せっかくだから、名前メモりたいんだけど教えてくれない?」
「……あ。自己紹介まだだっけ」
……間違いなく天然だ、この人。

「リリー=ビーヴァン。ティタニアよ、よろしくね」

 言うなり、彼女と俺の中間くらいに名前が文字で浮かび上がる。
 どうやら自己紹介と言うか、自分の名前を言うと浮かび上がる仕様のようだ。
 あれ?
「ティタニアって翼があるんじゃなかったっけ」
「うん、あるよ。バイトする時は邪魔だから片付けてるけど」
 言うと、彼女は俺に背中を向けた。
 あ、ホントだ。見てみれば服が盛り上がってる。
「私はまだ2枚だからね、4枚の人もいるって話だけど」
 なるほど。
「俺の名前はアキラ=フェルグランド」
 言ってみるが、俺の名前は浮かび上がらなかった。
 どうやら自分には見えない仕様らしい。
「アキラ……日本人?」
「うん。リリーは日本人じゃないのか?」
 言うと、リリーはこくりと頷いた。
「日本人に会ったのはこれが初めてよ。……ちなみに私はカナダ」
 同時通訳システムが完璧に働いている証拠ってことか。
 それとも、通訳じゃなくて、相手に伝えたいイメージをそのままイメージとして相手に送るシステムなのかもしれないな。
「カナダって、開発元だろ?緋文が住んでるんだっけ?」
「あれ?ヒフミはもう日本に帰ったって聞いてるけど」
 そうなのか。……その辺は興味ないから調べてないんだが。
「ところで、アキラ……今日は何時までログインしてるの?」
 そういえば、今は何時だろう。
 時計がないから時間がわからない上に、リアルと連動している太陽の動きも、この空間じゃわからない。
「明日は休みだから、とりあえず遊べるだけ遊ぼうかと」
「OKOK、私と同じってことね」
 ちなみに今は6時43分ね、と呟く彼女。
 たしか17時間の時差があったはずだから……日本時間は23時43分か。
「じゃあ、バイトが終わったら狩り行かない?」
「え、いいのか?俺今日始めたばっかりでレベルは確実に1だけど」
 ふふ、と彼女は笑うと、俺の手を指差した。
「剣はあるじゃない。私みたいに……最初に素手でやるよりは段違いよ」


 リリーに教えてもらった通りに道沿いを歩く。
 手には紙。……リリーがもう一枚紙を用意し、そこに簡単な地図を画いてくれた。
 空から町を見渡せる彼女は、道を覚える必要がないはずなのだが、丁寧でわかりやすい地図だ。
 いくつか、行くべきところを教えてくれた彼女は、一銭も持たない俺に少しだけと言いつつ1万$をくれた。
……1万$、この世界のお金は$と¥の2種類で構成されているらしい。
 1$=100¥。貨幣の流通状態によってリアルと同じように変動はあるものの、この周辺を行ったり来たりしているらしい。
 つまるところ、100万円もらったってことだ。
「……いいのかな」
 いいのかなも何ももらってしまったものはしょうがない。
 一応断ったんだが、彼女はその10倍近くもの金額を銀行に預けているらしい。
 そして、リリーが教えてくれた目的地のひとつに到着する。


「いらっしゃい」
 無愛想な挨拶をする女の子……ってかホビット。
 この子がそうか。
「フィリス……さん、でいいのかな」
「お、アンタがアキラか。そう。アタシがフィリスだよ」
 無愛想が突然愛想良く笑って見せた。
 赤いショートヘアが笑いに合わせてさらりと流れると同時に、中間にフィリス、と名前が表示される。
「リリーにさっきWISもらってさ。日本人だって?」
「うん。今さっき始めたばっかりの初心者」
 おおー、とフィリスが感嘆してみせる。
「ちなみにアタシはオーストラリアからだ」
「オーストラリアか。……エリマキトカゲってまだ生息してんの?」
 ぶは、とフィリスは吹き出した。
「フリルドリザードは天然記念物だよ?そう簡単に絶滅しないって」
 言いながら、カウンターをひらりと飛び越える。
「フィリス!カウンターを飛び越えるな!」
「……あちゃー。ゴメン店長」
 見つかった、とペロリと舌を出して見せる。
「とりあえずローブでいいの?金に糸目は付けなくていいって話だけど」
 レベル的に着れるのは、と言いつつひょいひょいといくつかのローブを引っ張り出すと、フィリスは俺にそれをあてがい、違うなぁ、とそれを元に戻す作業を始めた。
 どうやら俺に似合うものを見繕ってくれているらしい。
「そういえば、ローブとか言う前に魔法ギルドは行った?」
「――あ」
 言うと、フィリスは一瞬固まった。
「……行って来な。ローブ買ってから魔法向いてませんでした、じゃ本末転倒だから」
「――りょーかい……」
 最大級の呆れ顔でフィリスが呟いた。


 でっけぇ。
 塔があって、それが魔法ギルドだと聞いてはいたけど。
 何だこれでっけぇ。
「……あの」
 でっけー!
「……もしもし?」
「あ、ごめん」
 通行の邪魔になっていたんだろうと道を避けると、声をかけてきた彼女は会釈をした。
「……ひょっとして、……初心者さん、……ですか?」
 あ。
「もしかして」
「はい、カルラ=クルツ、……です」
 黒い髪が、さらりと揺れると同時、青い文字がそれを補足する。
「……リリーから話は聞いて、……ます。こっちへ……どうぞ」
 ありがとう、と声をかけると、カルラはくすり、と笑った。

「これが……素質探知機、……です」
 触れて下さい、と差し出され、俺は迷わずその水晶のようなものに触れた。
……無反応。
「――魔力がない、ってことなのか?」
「……いいえ、……いきます」
 言うと、カルラは自分の手を俺の手に乗せた。
 一瞬心臓が跳ね上がる。
――と、水晶が青く、鈍く光を放つ。
 お、どうなんだ?
「…………」
 無表情のまま、カルラが俺の手から手を離した。
「――結果は?」
「……素質、……19、ですね」
 19、ってのがどんな程度なのかわからないんだが。
「……20ランク中、……2位です」
「お、それって」
 結構高いってことか?
「私が知っている中では、……最上位です。……おめでとう」
「うん、ありがとう」
 言うと、カルラはくす、と笑った。
……無表情だと冷たく見えるけど、笑うと可愛いな、などと考えていると、カルラが一枚の紙を差し出した。
「……これは?」
「素質1レベル魔法のリスト……です」
 見ると、ものすごい数が羅列されている。しかも手書きだ。
「……ひょっとしてカルラが?」
「――……ごめんなさい、……汚い字で」
 汚い字?……そんなことはないと思うんだが。
「いや、丁寧で読みやすいよ。ありがとう」
 言うと、カルラは少しだけ照れたように笑って見せた。


「……ここ」
 地図ではわかりにくいと言うカルラに先導してもらい、曲がりくねった路地を進むと、ようやく魔法屋についた。
「魔法屋って、どんなシステムなんだ?」
「それは俺が説明しよう」
 突然、背後から野太い男の声がした。
 心臓が跳ね上がる。っつかスゲーびっくりした。
「……アズレト。……びっくりする」
 カルラが男を非難すると、
「はは、スマンスマン。カルラがいるってことはコイツに間違いねーと思ってさ」
 初心者だろ?と男が確認してくる。
「……アキラ=フェルグランドだ。よろしく」
「おう。俺はアズレト=バツィン」
 言うなり、金髪男は手を差し出した。
 青い光がその名前を文字で示す。
「アズレトはどこの国の人?」
 言いながら、手を握ると、力強くその手を握り返す。
「ロシアだ。よろしくな。ところで素質レベルいくつだった?」
「19……」
 カルラが呟くように言うと、ひゅぅ、とアズレトが口笛を吹いた。
「すっげーな。俺より3つも上か」
「……ってことはアズレトは16なのか」
 おう、とアズレトは言って、そこらじゅうの棚を調べ始めた。
「軽いところでいくつか呪文覚えとけ。最大習得数がわからない以上、どの系統にするかで戦闘パターンが変わるからな」
 言いつつ、最下級魔法リスト、と書かれた紙を取り出した。

 最下級魔法リスト
・ファイアー Lv.1 20$
・ウォーター Lv.1 20$
・ウィンド Lv.1 20$
・アース Lv.1 20$
・ヒール Lv.1 20$
・スピード Lv.1 20$
・ガード Lv.1 20$
・ライト Lv.1 20$
・エンチャント Lv.0 20$
・クリエイト Lv.0 20$
・ファーマシー Lv.0 20$
・ブレイク Lv.0 20$
・サモン Lv.0 20$

 全部20$だ。
「覚えられるんなら、エンチャント以降は全部覚えておいてもいいぞ」
 ふぅむ、と俺が唸ると、アズレトは軽く笑って深く考えるなとアドバイスをくれた。
「なら……その前に聞きたいことがあるんだけど」
「うん?」
 このLvってのが気になる。
「Lvってのは、たとえば2にするためには新しく買わないといけないのか?」
「あぁ、そのLvは熟練度だ。その熟練度を貯めて次のステップに進める魔法がある」
 なるほど、納得だ。
「なら全部」
「……いいのか?」
「うん。とりあえず最下級魔法で様子見するにも、全部使ってみないとわからないから」
 なるほどな、とアズレトは呟くと、リストを手に俺の手を引いた。

「じゃあ、行くぞ」
 儀式魔方陣、と説明された光る円……ただの二重丸にしか見えないが……の中央に立つと、アズレトが呪文らしきものを呟き始めた。
 リストに目を一瞬落としたアズレトの呟きに呼応するかのように、赤い塊のようなものが俺の胸に吸い込まれる。色から見てファイアーの魔法だろう。多分。
 リストに目を落とすたび、青、緑、茶、と塊のようなものが俺の胸に次々と吸い込まれていく。

「……サモン以外全部か。中々優秀みたいだな」
 サモン魔法は覚えられなかったものの、他は覚えることができた。
「ところで、……魔法ってどうやって使えばいいんだ?」
「ん?……あぁ、後で呪文書渡すよ。口で言うより早い」
 なるほど、呪文があるのか。
「詠唱は自分の口で喋ることで認識されるから」
「なるほど」
 さて、と呟いて、アズレトがまた棚を漁り始める。
「ほいっと」
 ばさ、と音を立てて置かれた数枚の紙に目を通す。
 呪文自体はそんなに長くないようだ。
……ん?あれ……
「エンチャントと、クリエイトと……あぁ、Lv.0全部かな?呪文書はねーの?」
「ん?あぁ、ないよ。良く気付いたな」
 しれっと答えるアズレト。どうやら聞かなければ答える気はなかったらしい。
「……Lv.0に関しては、ファーマシー以外は謎なんだ。どうやって使うか誰も知らない」
「何だよそれ」
 はは、とアズレトが笑う。
「――ファーマシーを使えるヤツはこの世界で2人しかいないんだ。その2人は、――呪文書をドラゴンからドロップしたと言ってる」
 ドラゴン!?
 唖然とする。
「まぁ、使えないからと言って役に立たないわけじゃないんだ」
「と言うと?」
 うん、とアズレトがリストを指さす。
「ここ、エンチャントより上の魔法はボーナスはないんだが、エンチャント以降はな――ここだけの話、ステータスにボーナスが入るようなんだ」
「ほう」
 それが本当なら確かに、習得して損はない。
「ちなみにそれを発見したのはフィリスだ。……あぁもうフィリスには会ったよな?」
「武具屋の?」
 うんうん、と首を縦に振るアズレト。
「あいつ、こことは別の魔法屋と喧嘩したらしくてさ、エンチャント以降を全部習得してから、ムカついたウサ晴らしに狩りに行ったそうなんだ」
「ふむ。そしたら?」
 と言うか全部習得って。素質19の俺でもサモンは無理だったのに。
 カルラが言うには、カルラの知り合いで俺は一番素質が高い。ってことは少なくともフィリスは同じ19かそれより下ってことになる。
 それでも覚えられるってことは、サモン習得に素質レベルは関係ないのかな。
「それまでファイアー2発で倒してた敵が、1発で倒せたそうだ」
「たまたまクリティカルだったとかじゃなくてか?」
 アズレトがあぁ、と頭をかく。
「……それはないと思う、……多分」
 カルラが口を挟む。
「どうして?」
「んー……。まぁいいか。あいつな、」
 アズレトが言いあぐねた上で、カルラの顔を確認するかのように見た。
 いいんじゃない?と呟くカルラに、アズレトは再び口を開く。

「攻撃のほとんどがクリティカルなんだよ」

 つまりクリティカル率が半端ないってことなんだろうか?
「どうやら幸運のステータスが高いらしくてね。この世界じゃフィリスはちょっとした有名人だよ」
 なるほど。ってことは、
「……当然ドロップも?」
「あぁ、ちょっとしたレアなら結構出る。さすがにプレミアまでは出ないみたいだけどな」
 レア、プレミア、と言う言葉を初めて聞いたが、この辺の単語は常識の範囲で理解できるのでスルーだ。


「お帰り、どうだった?……ってカルラも一緒か」
「……19、……だって」
 ひゅう、とフィリスが口笛の口真似をした。
「アタシなんか3だよ3。まぁ魔法は使わないからいいんだけどさ」
 じゃあ何で習得したんだよ、とは言わない。
 一応さっきの話をしたのは内緒って約束させられたからな。
「じゃあ遠慮なくローブでいいね。……ついでに杖も用意したけど、どうする?」
 俺の手に持った剣が気になるんだろうか。
「あぁ、コイツは一応腰にぶら下げとく。メインはどうやら魔法になりそうだしな」
「おっけ!じゃ、まずはこいつ使いなよ」
 彼女が用意して来たのは、黒を基調にしたデザインのローブ。
 普段着として着ていても差し支えないレベルだ。
「お。センスいいな」
「だろ?アタシのセンスがわかるとはいいね、気に入った気に入った」
 あはは、と笑いながら、フィリスが次に取り出したのは、
「何だこのスゲーデザイン……」
 杖の上に4枚の羽。そして杖本体に巻きついた、蛇。
 その翼についた輪が、それぞれぶつかりあって綺麗な音色を響かせる。
「ケツァコアトルの杖。……ダメ?」
「いやデザインは格好いい。だけど装飾過多なんじゃないか?」
 いやいや、とフィリスが勝ち誇ったような顔をする。
「……実はこれ、こないだアタシが出したプレミアなんだ」
「お前のかよ!」
 あはは、と笑い、フィリスは杖を差し出す。
「アタシじゃ使えないしさ、どうせ露店に出そうと思ってたんだ。アタシとセンスが似てるアンタになら、売ってもいい。どう?」
「……性能次第かな」
 一応それは聞いておかないとな。
「魔法の方の性能は、アタシの検証ではダメージの底上げだね」
 魔法の方、という但し書きを付けるなら当然……
「他の性能は?」
「攻撃性能は、鉄扇並。杖にしちゃ上出来な攻撃性能だよ」
 ほう、と思わず呟くと、フィリスはにやりと笑ってみせる。
「どうだい?2千$にまけとくよ」
「……高くねーかそれ」
 20万円とは明らかにボッタクリだと思ったんだが、
「……、……安い」
「よし買った」
 カルラの呟きで俺は即決してしまった。
「アタシは信用しなくてもカルラは信用すんの?ちぇー」
 とか言いつつも、嬉しそうに杖を引き渡す。
「ちなみに相場はいくらなんだ?」
 ふと気になって聞いてみる。

「ん?百万$」

 一瞬絶句する。
「馬鹿じゃねぇの!?いいのかそんなのそんな値段で!」

「いいんだよ。……アンタがこの世界で楽しんでくれるんなら、さ」

 うわぁ……臭いセリフ来ちゃったよ……。
 だが感動した。さらに続けて、
「――ま、もし借りを返したいんなら、……アタシ達に追い付いて来い。戦力でありがたく頂戴するよ」
 なんてことを言いやがった。
「……わかった。これは借りとして借りておく。必ず返しに来るからな」
「期待せずに待ってるよ」
 お陰で、強くなる意思は固まった。


 フィリスのところでローブをはじめとした装備を軽く揃え、途中薬屋に寄ると、ヒールローションだの何だのを持てそうなだけ買い込んだ。
 途中リュックを買い、その中に買ったヒールローションなどをとりあえず入れておく。
……ヒールが実用レベルなら、買ったヒールローションは使わなくて済むんだろう。その場合は、ヒールが使えなくなったところで使えばいい。
 と言うより、ヒールを最終手段に持ってきた方がいいんだろうか?
 まぁ、戦ってみればわかるか。

 俺は、戦う覚悟を決めて荒野へと踏み出した。



[16740] 4- 初めての修練
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2010/05/22 23:45
――参った。
 荒野に踏み出して早々、俺は町へと撤退していた。
 何だあのスライム。
 強い。っつーか強すぎるだろ。

 荒野に出て最初に出会ったのは、紫の、スライムのようなモンスターだった。
 スライムといえば最下級モンスターだとタカを括って殴ってしまってから、俺は楽勝モードで殴り続けた。
 しかしすぐに気付く。
 20発杖で殴り続けても死なない。
 それが30発、50発と増えたところで焦りを感じた。
 モンスターの攻撃は俺に確実にダメージを与えているはずだ。
 感覚的――おそらくシステムが、HPが低くなったところでその感覚をプレイヤーに感知させるんだろう――に、ヤバいと思ったところでローションを取り出して付ける。そしてまた殴る。この繰り返し。
 周囲に他にもスライムがいたが、戦闘には参加してこないところを見るとどうやら、スライムはリンクモンスター――仲間が殴られるとそれを探知して加勢する類のモンスター――ではないらしい。
 しかし、数を数えていたわけではないが、だいたい3000発近く殴ったところで、ローションが残り1個になった。
 そろそろヤバいかなと逃げに入る寸前、スライムの体は弾け、その液体のような体が地面に染み込んで行った。
――助かった。素直にそう思ったが、そこへ背後からの奇襲。
 慌てて杖を振り、その杖で背後を殴る。
 奇襲してきたのは、白い狼のようなモンスターだった。
 こっちは何とかなった。
 100発ほど殴ったところであっさり倒れ、動かなくなる。

 だが念には念を入れ、最後のローションで回復を済ますと、俺は全力で町へと引き返した。

 そして今に至る。
 最初の町を出てすぐ、言わば序盤のモンスターでここまで強いと、もはやどうやっても無理な気しかしない。
 さてどうするかな……
『もしもし、アキラ?』
 不意に響く救いの声。
 見回せど姿はない。
 これはひょっとして。
『あ、返事は普通に喋れば聞こえるから』
「あ、そうなんだ。聞こえてるよ」
 言いつつ、思い出す。
 ウィスパー部屋に入りたい時は、確か。
「――ウィスパー、リリー=ビーヴァン」
 コマンドを呟くと、視界が一瞬暗転し、すぐにリリーの姿だけが映し出される。
「おかえり。調子どう?」
 リリーはにこやかに微笑むが、それどころじゃないことをアピールするために、俺はため息をついて見せた。
「どうもこうもない。何だって序盤であんなに強いんだ」
「……うん?」
 ことのあらましを説明すると、リリーはあはは、と笑った。
「それ、多分高レベルだったんだね、スライムが」
「はい?……スライムが高レベルって?」
 あぁそっか、とリリーは呟く。
「あの本にはなかったっけ。えーっとね」
 リリーは唇に指を当てた。
「モンスターを倒すと経験値を手に入れられるように、モンスターもプレイヤーを倒すと経験値が入るみたいなのね」
 は?と俺は目を点にした。
「当然だけど、モンスターがモンスターを倒しても経験値は入るよ」
 ついでに、スライムは二匹以上が近寄りすぎると、片方が片方を討伐した扱いになり、レベルが上がることもあるという。また、モンスター同士あるいは動植物も含め、生態系もあるのだとか。
「ちょ、それはマジな話か」
 うんそうマジだよ、とリリーは苦笑した。
「だから、ベータテストの時はひどかったよ。装備がないプレイヤーを倒したモンスターが、レベルアップしちゃっててね。プレイヤーより強いから倒せないし、かと言って倒さなきゃレベルも上がらないし」
「それはちょっとヒドかねーか」
 あはは、と空笑いをし、リリーはそれでも笑顔に戻る。
「まぁ巨大パーティー組んで何とか倒したんだけどね。ベータ時代はそういうのが楽しかったところもあるよ」
 へぇ、と俺は素直に関心した。
 クソゲー呼ばわりするヤツもいれば、こういう考えのできるプレイヤーもいるんだな。
「でもすごいねぇ。高レベルスライムなんて、1レベルで倒せる相手じゃないはずなんだけど。下手したらHPも4000近くになるはずだし」
「あぁ、それは多分これのお陰かな」
 言って、俺はフィリスから買ったケツァコアトルの杖を見せた。
「……!ケツァスタ!?それどうしたの!?」
 あぁ、ケツァコアトルスタッフ、略してケツァスタか。
 何でも略してしまうのは日本人の悪い癖、とよく言うが、日本人でなくても略す時は略すらしい。
「フィリスに売ってもらった」
「わー、いいなぁ……!」
 よほどいいものなんだろう。カルラも欲しそうにしてたし。
「これってそんなにいいものなのか?」
「うん。最強クラス。多分杖の中では一番高いよ」
 見せて見せて、と言うから渡すとリリーは、はわわわすごいすごい本物だとか言いながらそれをゆすって音を立てたりひとしきり撫でたりした後、満足したのかようやく俺に杖を返した。
……よかった。帰ってこないかと思った。
「最強クラスってどのくらい?」
「1レベルで持てる杖の中では、一番高いよ、これ。これより強い武器だと、ゲームマスターが以前イベントの景品にしたデュルグミュエルくらい?」
 ん?その名前には聞き覚えがあるぞ。
「神杖デュルグミュエル?」
「そうそう。持ってれば通常攻撃じゃ絶対に死なないアレね」
 スキルでは死ぬんだったか。確か情報サイトに出てたな。
「その代わり能力補正はないんだっけ?通常攻撃もダメージ0」
「よく調べてあるね。うんそうそう」
 13種類の神の刃の一つだ。
……なるほどね。そんなにいいものだったのか。
「これは大事に使わないとだな。感謝してもし足りない」
「そうだね、……羨ましい」
 まだ未練があるのか、翼のあたりを指で触りながら、リリーは呟いた。

「ところで、高レベルスライム倒したんだったら、レベル上がってるんじゃない?」


「おう。これは強そうな冒険者だ。……名前を教えてくれ」
 暑苦しい体躯のNPCが受付に座っていた。
「アキラだ」
 言うと、NPCは書類を差し出す。
「この訓練所は初めてだな?この書類に必要事項を書いてくれ」
 渡された紙を見ると、名前、性別、年齢、生年月日、上げたい能力とある。
「なぁリリー。これってネットで登録した時のキャラクター情報を書けばいいんだよな?他に思い浮かばないんだけど」
「ん?うん、そうだよ」
 なら簡単だ。
 さらさらと書き込み、能力指定を魔力にすると、NPCに書類を渡す。
「OKだ。じゃあこっちへ」
 言うと、奥へと繋がる扉を開けるNPC。
「おっと、忘れてた。俺の名はクリステン。呼ぶ時はクリスでいいぜ」
「よろしくクリステン」
 皮肉を言ってやると、クリスは苦笑した。
 皮肉にも対応するとは。AIの優秀さがわかるな。
「冗談だクリス。早く訓練しようぜ」
 思わずこっちまで苦笑し、俺とクリスは訓練所へ続く扉をくぐった。

 入った瞬間、何かが風を切る音が鳴り響いた。
「お、やってるなイシュメル」
「……サボったりしないから見に来なくていいよ」
 言って振り向いたのは、細っこい体をした男だった。
 手には弓。今の風切り音は矢を放つ音だろう。
「違う、新入りを連れて来たんだ。ここはお前だけの専用ルームじゃねえぞ」
「……暑っ苦しいなぁ。わかったよ」
 はっはっは、と豪快に笑いながら、クリスはふんと鼻を鳴らした。
「さて、アキラ。おめーはあっちだ」
 言って、部屋の隅に設置された、……何だあれ。
 カカシみたいだけど、明らかに金属製?
「10分、魔法をアレに唱えまくれ。どれでもいい。熟練度も上がるからな」
 言うだけ言って、クリスは頑張れよと笑いながら部屋を出て行った。
 ふむ、と思わず呟いて、懐から呪文書を取り出す。
 全部習得したはいいが、やっぱり俺の一番好きな属性を先に伸ばすか。
「『我願う』」
 一節目を唱えた瞬間、ぶわっと俺の周りを風が取り巻いた。
 うぉぅこりゃスゲェ。思わず感動する。
「『赤き気高き紅蓮よ』」
 取り巻いた風が手のひらに集まるのを感じる。心なしか手のひらが温かい。
「『その姿をここへ示せ』」
 と、手のひらの風が一気に熱を帯びる。
 見ればそこには掌サイズの炎。
「『ファイアー』」
……あれ、炎出たはいいけど、これどうしたらいいんだ?
 しゅぱん、と風切り音。
 振り返ると、イシュメルと呼ばれたさっきの男。
「……なぁ、これってどうすればいいかわかる?」
「――そいつは近接魔法。近寄って殴れ」
 近接用だったのか。
 とりあえず言われた通りカカシを殴ると、カカシの顔に1の文字が現れた。
「おお、なるほど。サンキューな」
 男は、ふんと鼻を鳴らし、弓を射続けた。
 さて俺も頑張るか。
「『我願う』『赤き気高き紅蓮よ』『その姿をここへ示せ』『ファイアー』」
 ガス。
 一撃目はあっさり1と表示されたカカシの表示は1のままだ。
「『我願う』『赤き気高き紅蓮よ』『その姿をここへ示せ』『ファイアー』」
 もう一度ガスっと食らわしてみる。
 それでもまだカカシは1のまま。どうやらバグではないらしい。
 つまり、1上げるのと2上げるのでは上がり幅が違うということか。
 連続で殴ればそのうち変わるだろうとあたりをつける。
「『我願う』『赤き気高き紅蓮よ』『その姿をここへ示せ』『ファイアー』」
 ガス。
「『我願う』『赤き気高き紅蓮よ』『その姿をここへ示せ』『ファイアー』」
「あぁ畜生、ムカつくな」
 突然、男が割り込んで来た。
「初心者か。初心者だろそうだろ。いいか一度しか言わねーぞ 。一節一節いちいち間を空けるな。一気に読んでも呪文は認識されるんだ」
「お、へぇそうなのか。スマン助かる。サンキュ」
 ったく、とイシュメルは呟くと、弓を再開した。
 つまり間を空けずになるべく早く唱えろってことなんだよな?
 だったら。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 お、マジだ。間を空けてた分、それが詰まったら呪文が早い。当たり前だが。
 ガスっとかかしを殴ると、カカシの顔の数字が2に変わる。
 よし。やっぱり殴れば殴っただけこの数字が上がるってことか。
 なら時間をかけてはいられない。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高きぐで』」
 っ痛舌噛んだ……。
 一人悶絶する俺を尻目に、弓を射続ける男。
 負けてらんねー!
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
「『我願う赤き気高き紅蓮よその姿をここへ示せファイアー』」
 ガス。
 ようやく3になった。
 何か段々むなしくなってきたけど。

「お。強くなったみたいだな」

 突然の声に振り向くと、クリスが立っていた。
「うん、今日はこの辺にしておけ。また来るといい」
 言うと、クリスは戻って行った。
 どうやら、これ以上は上がらないと言うことらしい。さて戻るか。
「……お前、いつからだ」
 イシュメルが、振り向くこともなく声をかける。
 いつから始めたのか、ってことか。
「ん、……日付がかわってなけりゃ、今日からだよ」
 マジか、とイシュメルの目が落胆したものに変わる。
「装備といいレベルの上がり方といい、どうやったんだ?」
「ん?レベルの上がり方?」
 問うと、イシュメルはうわぁ……と明らかに呆れた顔を俺に向けた。
「……そのカカシに3って出てるだろ。その3が魔力の上がり幅の目安だ」
「そうなのか」
 イシュメルが弓で射ているワラのカカシを見ると、1と表示されている。
「3ってことはだ。……少なくとも3レベルは上がってるってことなんだよ」
「少なくとも?」
 再び聞くと、そんなことも知らないのか、とイシュメルは顔をしかめる。
「……その装備はどうやって集めた」
「ここの外に俺を待ってる人がいる。その人から金をもらって買った」
 イシュメルは一瞬呆気に取られた顔をした。
「も……もらった!?」
「おう、1万$ほどな」
 あぁなんだ、とイシュメルはあっさり納得した。
 1万$はどうやら普通らしい。
「……じゃあ、どうやってレベルを上げた?」
「多分この杖のお陰だ」
 言って、ケツァスタを取り出すと、イシュメルはまたしても呆気に取られたような顔を見せた。
「…………何でンなもんもってるんだ……」
「知り合いから安値で買った」
 ずずーん、と言う効果音が聞こえてきそうなほど、目に見えて落ち込むイシュメル。
「……悪い、何かスゲー楽してるみたいだな。俺」
「いや、それはお前の人徳の成せるところだろう。気にするな」
 あっさり言い放つと、イシュメルが弓を放つ。
 カカシが2を表示すると、クリスが顔を見せた。
「お。強くなったみたいだな。うん、今日はこの辺にしておけ。また来るといい」
 言われ、イシュメルはよし、と声を上げる。
「……おい、お前」
「ん?」
 呼び止められ、俺は思わず振り返る。
「……とりあえず俺のレベルはお前と同じく3だ。……上がった数だけどな」
「ふむ?」
 つまり俺と同じだということだ。
 イシュメルは少し照れくさそうにしながら、それでもはっきりと呟いた。

「……俺とパーティー組まないか?どうやら魔法使いのようだが、あとは戦士でも募集したらそれなりのパーティになると思うんだが」



[16740] 5- 冒険の仲間
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2010/05/22 23:53
「……と言うわけなんだ」
 フロアで待っていたリリーにイシュメルを紹介すると、イシュメルは自分でも自己紹介をした。
「イシュメルだ」
 言うと、イシュメルと俺の間に青い文字。
 イシュメル=リーヴェント。それがコイツのフルネームらしい。
 そういえば、俺もこいつの自己紹介は初めて聞くんだっけ。
「リー……ヴェント?」
 リリーは呟くと、不思議そう――というよりは不審そうに首を捻る。
「――ッチ、やっぱり知ってたか」
 ポリポリと首を掻くイシュメル。
「じゃあ、やっぱりあのタイラス=リーヴェント?『憂う狂気』の」
「あぁ。その通りだ」
 イシュメルが苦笑する。
 はぁ、とリリーが溜息をつく。
「……で、どうしてそのタイラスがここに――」
「待て、リリー。俺にもわかるように話してくれよ」
 喧嘩腰になりつつあるリリーを制してみると、リリーは我に返ったのかごめんねと呟いた。
「……この人、【セカンド】――二人目よ。ううん、3人目かも」
 そりゃ、3キャラ作れるならそういうこともあるんだろう。
「いーじゃねーか。それが?」
「うーん……えっとね」
 リリーは言葉を濁す。俺とパーティーを組む奴を悪く言いたくないのだろうか。
「――いい。自分で言うさ」
 イシュメルがそこに割り込んだ。
「この女の言う通り、俺は【セカンド】だ」
 本当は【ファースト】だけでやっていくつもりだったんだけどな、と呟いて、イシュメルは溜息をついた。
「それが何かまずいのか?」
「……まずくはないさ、普通ならな」
 言って、苦笑する。
 普通じゃないってことか。と当たりを付ける。

「俺の【ファースト】はな。……魔族なんだよ」

 魔族、という言葉に思い出す。
 確か、あの本にはこう書いてあった。
『凶悪なステータスの種族です。1レベルの段階で、120レベルプレイヤーをPKできるほどのチートキャラです。PKに走る人がほとんどですので気を付けて下さい。見ればそれとすぐわかります。
 魔族は、死ぬとキャラクターが消去されるそうです。
 噂によると、世界に常に一匹になるように、突然「覚醒」することもあるそうです。
 討伐隊を立てて討伐すると、それに見合った経験が手に入るようです。』
 俺の今のレベルで3。
 作ったばかりで実質120レベルを誇る凶悪チートキャラ、か。
 ん、待てよ?
「ってことはイシュメルがここにいる以上、魔族は生まれないってことか?」
「――そういうこと、になるかな」
 言って、リリーは苦笑した。
 世界唯一の魔族の【セカンド】。
「で、それが何か問題なのか」
「……はぁ、何もわかってないな」
 イシュメルは呟くと、溜息をついた。

「仕方ない。見せてやるよ。――魔族がどんなものなのか」

 言うなり、イシュメルの姿が消えた。
「ちょっ――!」
 リリーが慌てるが、もう遅い。
 そして、リリーは溜息をついた。
「……もう。口で言えばわかることなのに」
 リリーは不満そうだが、俺は内心わくわくしていた。何しろ世界に一匹しかいないという魔族だ。
「知らないわよ、――どうなっても」
「いいんじゃないか?相手はイシュメルだろ」
 はいはい、とリリーは手を上げた。
 どうやら説得するのを諦めたらしい。
「生易しい現象は期待しないことね……」
 生易しくない現象が起きるらしい。期待が膨らむ。

[魔族、タイラス=リーヴェントがログインしました]

 アナウンスが流れると同時、
「う――ッ!?」
 猛烈な寒気と強烈な嫌悪感が全身を駆け巡る。
 さらに襲い来る脱力感。
「マジ――かよ!何だこれ……ッ!」
「だから言ったでしょ――!」
 確かに生易しくはない。素で吐きそうだ。

[討伐隊:サイラスの光 が召集されました]
[討伐隊:魔族を殺せ が召集されました]
[討伐隊:無理だろJK が召集されました]
[討伐隊:やってみるか が召集されました]
[討伐隊:行くぜオラァ! が召集されました]

 わずか数秒で討伐隊が次々と編成されるアナウンスが流れる。
 思わずぞくりと背筋が凍える。
「……そろそろ、かな」
「?――何が……」
 リリーの呟きに反応した瞬間。

[討伐隊:サイラスの光が壊滅しました]
[討伐隊:やってみるかが壊滅しました]

「嘘だろ!?」
 エンカウントしたのが召集直後だったとしても、数秒だぞ!?
「こういうものよ。……ちなみにサイラスの光はレベル平均70で、パーティーを組める最大人数の13人」
 70レベル13人がかりでこれかよ!?
「どうするの?……あなたが止めないと、被害は増え続けるわよ」
 止めろったってどうやって!

[リア=ノーサムがタイラス=リーヴェントにウィスパーを申し込みました]

――あ……!そうか、それがあった!
「ウィスパー、タイラス=リーヴェント」
 思わず口にする。
 瞬間、視界が暗転する。

「ごきげんよう、『憂う狂気』。……あら?」

 そこには、2人のプレイヤーがいた。
 1人は、背中に4枚の黒い翼を背負った女性。ティタニアだ。
 1人は、……イシュメルそっくりではあったが、禍々しいとでも形容すべきオーラを放つ男。
 なるほど。見ればわかる……か。
 このオーラが魔族の印なんだろう。
「……この馬鹿。テメーは来なくて良かったのによ」
 イシュメル――いやタイラスがはぁ、と溜息をついた。
「あら、知り合いかしら?」
 女性がほっとしたように会釈する。
 釣られて頭を下げると、女性はふふ、と笑った。
「……セカンドの知り合いだ。超初心者」
「あぁ、なるほどね」
 くすりと笑う女性。……見た目の雰囲気は少女趣味満載のゴスロリだし、背が俺の胸くらいまでしかない幼女にしか見えない。
「初心者さん、お名前は?」
「……アキラ=フェルグランド」
 言うと、女性が目を輝かせた。
「まぁ、……日本人?」
「うん、日本人」
 ついに日本もサービス開始したのね、と言いつつ、女性が俺の周囲をうろつき始める。
「おい、そいつに触らせないほうがいいぞ」
 俺の方に手を伸ばす彼女に、タイラスがぴしゃりと言い放つ。
「あら。勝手に覗いたりはしないわよ」
「……覗く?」
 言っている意味がわからずに、楽しそうに俺のローブをぺたぺた触る彼女のなすがままになる。
「――そいつの二つ名は『黒翼の星詠み』。この世界唯一、キャラクターの魔法の素質をデータとして見ることができる」
「見ないってば」
 怒ったように反論すると、彼女は手を離した。
「……どうだかな。俺の時は初対面でスキャンされたけど」
「貴方は魔族だからいいの。スキャンが良くないってモラルくらいはあるわ」
 くすくすと笑う。
「……それで、お前は自己紹介しないのか」
「するわよ?貴方が余計な茶々を入れるからでしょう」
 もう、と女性はわざとらしく怒って見せ、俺の方に振り向いた。
「改めて、初めまして。リア=ノーサムです」
 さっきのアナウンスの時も思ったが、どこかで聞いた名前だ。
――どこだっけ。
「よろしく」
 手を差し出すと、彼女はくすっと笑った。
「いいの?手を触れるとスキャンしちゃうけれど」
「むしろして欲しいね。結果を教えてくれ」
 軽く言い放つと、リアはびっくりしたような顔を見せた。
 あれ、俺変なこと言ったか?
「……うん、別にいいんだけれど、一つ忠告」
 リアはその手を触れずに、言葉を続ける。
「たとえばこの魔族さん、炎が弱点よ」
「ちょっ、バラしてんじゃねーよ!」
「という風に、弱点も丸見えになっちゃうんだけれど。それでもいいかしら?」
 あぁ、と俺は納得した。
「問題ない。弱点の対策も練れていいんじゃないか?」
 言うと、リアはくすっと笑った。
「前向きね。……でも次の機会にしましょう」
 言って、リアは踵を返した。
 他の人……つまりタイラスのいるところでは話せないってことなんだろう。
「さて。……いつも通りここでログアウト?」
 あぁ、と頭を掻くと、タイラスは頷いた。
「話がある。リアも話に混じってくれるとありがたいんだが」
 俺の言葉に、ふふ、とリアは笑った。
「そんなのセカンドでもできるじゃない」
 そりゃそうか。


「――で?」
 ジト目でイシュメルを睨み付け、リリーが言う。
「……。すまん」
 はぁ、とリリーが呟くと、イシュメルが頭を掻いた。
『聞こえる?アキラ』
「あ、……うん聞こえる」
 突然飛んできたウィスパーに、思わず素で応える。
 突然ハンズフリーで電話し始めたようなもんだが、リリーやイシュメルは慣れているのか、会話を中断した。
『ごめんなさい、タイラスのセカンドの名前を聞くのを忘れてしまって』
「あぁ、……勝手に教えるのも何だし、こっちに来ることはできないか?」
 言うと、リアはくすりと笑い声を漏らし、
『別にいいけれど。貴方今どの街にいるの?人間で初心者なら、フェイルスかシルヴェリアだろうと思うんだけれど、最近の仕様がどうなっているかわからないわ』
 あ。
 そういや町の名前とか知らないな。
「この町の名前って何だっけ」
 リアに聞いてみると、フェイルスよ、とあっさりと教えてくれた。
「フェイルスだってさ」
『ポータルで飛ぶわ。町の中央噴水で会いましょう』
「了解。――町の中央噴水ってどこかわかる?」
 言うと、リリーはこっちよ、と先導してくれた。

「こんにちは」
 リリーが声をかける。
「あら、ごきげんよう。……アキラのお知り合い?」
「この世界初めての知り合いだ。何かと世話になってる」
 言うと、照れたようにリリーが頬を掻いた。
 ふぅん、とリアが興味深そうにしげしげと周りから見つめる。
「おい、そいつに触らせないほうがいいぞ」
 イシュメルが言うと、リアがもう、と不満そうな声を上げた。
「勝手には読まないわ。……執念深いわよ」
「?」
 リリーも何が何なのかよくわかっていないらしい。
「……リア、自己紹介した方がいいんじゃないか?」
「――あ。リアって……」
 何かに気付いたらしく、リリーが目を丸くする。
「初めまして。リア=ノーサムです」
 言うと、リアとリリーの間に青い文字が流れる。
「き、きゃー……!本物っ!?」
 リリーとリアの行動が逆転した。
「はわわわ、すごいすごい!うわー!」
 ケツァスタを目にした時の再現のようだ。
「……リリー」
「っ、ごめんなさい」
 我に返ると、リリーはすかさず手を差し出した。
「リリーです!」
 言うと、青い文字がその中間に表示される。
「……あぁ、貴方が『白翼の幻』?」
 リアが呟くと、手はやはり出さないままで問う。
 ってかリリーにも二つ名があったのか。
「……その呼び方はやめて下さい」
 一転、リリーの表情が歪む。
「あら。……何か訳ありみたいね。ごめんなさい」
 そういえば、図書館を出ても羽を出す気はないらしい。
 それも、そういうことなんだろうか。
「ところで、それでも私にその手を出すのかしら?」
「ええ。この場合、有名人と握手するほうが私の得ですから!」
 うわ、はっきり言い切った。
「……変わってるわね」
 言うと、リアはその手を取った。
 途端、リアの目の前に3つの塊のようなものが浮かぶ。
 それを手で軽く持ち上げると、塊は音も立てずに消えた。
「ちょっと失礼。……ウィスパー、リリー=ビーヴァン」
 言うなり、リアの姿が掻き消える。
 なるほど。これならば誰も会話を聞くことができない。
「え、……あ、はい。ありがとうございます」
「というわけ」
 伝えることは伝えたのか、リアがいつの間にか戻っていた。
「……私はある程度レアな存在、ってことですか?」
「ええ、間違いなく屈指のレアよ」
 私と同じくね、とリアが笑う。
「次は貴方ね、アキラ。手を」
 言うと、リアは手を差し出した。
「お、よろしく」
 言って手を差し出すと、リアは俺の手を握る。
 同じように、リアの目の前に3つの塊……いや違う。4つの塊が姿を現す。
「……え――」
 リアが驚き、困惑した顔を向ける。
「ん?……何だ?」
「いえ、ごめんなさい。結果はウィスでね。……あなたも来てくれるかしら」
 言うと、手を離すリア。その目は確実に俺が異端だと告げている。
 頷いて見せると、リアはようやく笑って見せた。
「ウィスパー、アキラ=フェルグランド」
「ウィスパー、リア=ノーサム」
 口にしてから、唐突に思い出した。
 そうだ、この名前。

「アキラ、座ってくれる?」
 リアが真剣な顔で言う。
「あぁ、その前に一つ。……礼を言わせてもらいたい」
 うん?とリアが不思議そうな顔を見せた。
「……初心者本、ありがとうな」
「――!貴方、アレを読んでたの!?」
 ひどく慌てた顔で、……その顔は明らかに照れて真っ赤になっている。
「あ、あれはね、数年前のものだからデータが古いのよ?だからあんまり鵜呑みにしないこと。まさかアレを今も読んでる人がいるなんて……」
 リリーが薦めて来た、とは言わなかった。
 図書館職員のリリーが薦めている本だ。おそらく他にも読んでいる初心者がいるはずだ、なんて知ったら余計話が遅くなる。
「ともかく、俺の結果は?」
「……あ、ええそうね。良く聞いて」
 リアの表情はまだ赤かったが、表情は真剣なものになった。

「貴方は、オールラウンダーになるべきだわ」

……オールラウンダー?
 聞いたこともない言葉だが、何となく予想は付く。
「つまるところ、浅く広く能力を集めろってことか?」
「そう、正解よ」
 にこりと笑う彼女。
「貴方には、全ての魔法の素質が満遍なく中途半端に備わっているわ」
「中途半端ってひどい言われようだな」
 苦笑すると、事実だもの仕方ないじゃない、と苦笑で返された。
「嘘だと思うなら、魔法屋に行ってごらんなさい。……サモン以外の魔法は全て習得できるはずよ」
 ずばりと当てられた。つまり真実だってことか。
「でもサモンは覚えられないんだろ?」
「心配には及ばないわ。……サモンの前提条件は、たぶん魔力の数値だから」
 私もそうだったもの、と呟くと、にこりと笑う。
「これはある意味リリーよりもレアな魔力情報よ」
「そうなのか。魔法使い志望だからそれは願ったり叶ったりだけど」
 言うと、彼女は首を横に振った。

「違うわ。魔法だけじゃなく、全てのオールラウンドを目指しなさい」


 部屋を出ると、リリーとイシュメルがこちらを振り向いた。
「話は済んだ?」
「……あぁ」
 言うと、イシュメルが興味深そうに俺を見る。
 リアに指示された通りに答える方がいいんだろう。
「……魔法戦士の方が向いてるらしい」
 お、とイシュメルが呟く。
「いいね。俺が弓だし回復も使える。絶好の能力だ」
「そうだな。……よろしく頼むぜ、相棒」
 リリーがくすりと笑う。
 この様子だと、どうやらイシュメルとは和解したらしいな。
「ってわけで装備は買い直しかな。ローブじゃ戦いにくそうだ」
「あら、結構似合っているのに」
 リアが不満そうに呟く。
 ひょっとすると、ローブの方がいいってことなんだろうか。
「……リアがそう言うならやめとく」
 ぷ、とリリーが吹き出す。
 まるで俺がリアに心酔してるみたいだ。
「じゃあ、そのローブを前衛用にエンチャントしに行きましょうか?」
「あれ、エンチャントは使える人がいないんじゃ?」
 思わず口にする。
 くすり、と笑うリア。
「……貴方の他に、知り合いでエンチャントを使いたい人はいるかしら?」
「ん?心当たりなら一人いるけど」
 リリーがうんうん、と頷いて見せる。
「秘密を守れそう?その人。アキラは信用できると判断しているわ」
 あ。
「……まさか、とは思うけど」
「あら」
 ふふ、と笑みを浮かべる彼女。
「フィリスのこと?保障してもいいわ。あの子口だけは堅いから」
 リリーが助け舟を出した。
「あと私も出来ればその中に入れて欲しいわね。実は私も習得してるから」


「どうもー!フィリスです!」
 近くにいたらしく、結構すぐに到着したフィリスが走ってきた。
 遠くからだったが、名前がはっきりわかるように青く光で表示される。
「……早速貸しの一部が返って来たね。偉い偉い」
 バシバシと背中を叩くフィリス。
「一部かよ!」
 思わずツッコミを入れると、フィリスははっはっはと笑った。
 心なしか嬉しそうだ。
「カルラも来るって?」
「うん。アズレトはもう落ちてた。仕事の時間だと思う」
 声をかけまくったらしい。
 イシュメルもエンチャントを習得しているらしく、数に入っている。
「……合計で、5人?」
 リアが確認すると、リリーが頷いた。
「もう一人が来るまで待機かしら」
「いえ、……もう、……着いてます」
 いつの間にか、カルラが俺の背後に立っていた。
「私を含めて6人ね。念のため誓いの儀をするけれど、構わない?」


「床に画いた魔法陣に、魔力を吹き込んでしまうわけだけれど」
 言いながら、床に円を描き、その円の中にチョークで文様を描き込んで行く。
 やけに手馴れているところを見ると、これが初めてというわけではないようだった。作業は数分続き、リアはそれを済ませると、手を軽く叩いた。
「これでいいわ。全員、この円の中へ」
 全員が従うと、それを確認したリアが床に向かって手を伸ばす。
 と、描かれた文様が光を放った。
 赤と緑。目がチカチカするような色だ。
「私の言葉の後に続いて、誓いの言葉を言ってくれればいいわ。……この場合、私との秘密の内容を決して漏らさない」
 全員が頷くと、その魔方陣が光を緑に固定させた。
「私の呼びかけを聞きし者よ、誓いの儀を滞りなく行え」
 リアは言うと、一呼吸置いた。
 魔方陣が光を緑から赤に変える。
「……リリー、もう少し中央へ」
「あ、はい」
 言われた通りにリリーが動くと、魔法陣は再びその色を緑に変えた。
「魔方陣を誓いの証に。汝は証人となれ」
 魔方陣が一瞬赤く光り、その色が今度は青に固定される。
「……アキラ。秘密を誓えるならば、誓いの言葉を」
 いきなり俺か。どう言えばいいんだ。
「……誓う、ってことと破らない、ってことを言ってくれればいい」
 なるほど、とは声に出さない。
「――誓う。絶対に破らない」
 一言、呟くと、魔方陣がそれに呼応するように俺の足元だけを緑に変えた。
「――イシュメル。秘密を誓えるならば、誓いの言葉を」
「誓う。破らない」
 同じように、イシュメルの足元が緑に染まる。
「リリー、秘密を誓えるならば、誓いの言葉を」
「誓います。破りません」
 足元の色が変わる。
「……ごめんなさい、名前を聞き忘れていたわ」
 思わずツッコミを入れたくなるのをこらえる。
 いや、別に声を出しても儀式には支障はないんだろうけど。
「――カルラ、……です」
 カルラとリアの間に、カルラ=クルツ、と文字が表示される。
「……変わった綴りね。ではカルラ。秘密を誓えるならば、誓いの言葉を」
「誓います、……破らない」
 カルラの言葉に、呼応して、足元が緑に染まる。
「フィリス。秘密を誓えるならば、誓いの言葉を」
「誓う。破らない」
 魔方陣は、リアの足元を除いて緑に染まっていた。

「誓いの儀において、私も誓う。偽りは述べない」

 言うと、リアの足元も緑に染まる。
 魔方陣全体が緑に染まったのを確認するように、リアが魔方陣に手をついた。
 瞬間、魔方陣が光を強くし、そのまま光ごと魔方陣が床から消えた。
「……終わり?」
「そう、終わり。少し移動するけれど、いいかしら」
 リアは言うと、腰から針を取り出した。
「……まず、エンチャントというのがどんなものなのか見てもらおうかしら」
 にっこりと笑うと、リアはその針を床に刺した。
 瞬間、床に現れる魔法陣。
「うっわ……!」
 一番近くにいたフィリスが、驚いて声を上げる。
「え、これはポータル?魔法詠唱なしで!?」
 リリーも驚愕した表情だ。どうやらこれは凄いことらしい。
「さ、乗って。……魔方陣を踏んでさえくれれば、どこでも構わないわ」
「マジかよ……」
 イシュメルでさえ、驚嘆を隠さない。カルラも、無言ではあるものの表情は戸惑っている。
「ポータル、座標登録ナンバー20」
 リアの言葉に応じて、その魔方陣が風を吹き上げた。
 全員の髪がぶわりと逆立つと、その視界が光で一気に白く染まる。

 そして暗転。

「到着よ。……多分誰も知らない場所だから、ローディングに時間かかるけれど」
 キャラクターはローディングが早いのか、それとも知った顔はローディングの必要がないのか。
 全員の顔がすぐに見えた。
 そして徐々に見えて来るその風景。
「……小屋?」
「そう。モンスター・キャラクター・自然現象の完全排除結界をエンチャントしてあるわ」
 言ってくすりと窓の外を指差す。
「え……嘘でしょ何ここ!?」
 俺にはまだ見えていないが、リリーにはもう見えているらしい。
「マジかよ……嘘だろ」
 イシュメルにも見えているらしく、呆然とした声が聞こえてくる。
 その景色が俺にも見えた。

 そして、思わず絶句する。

 見渡す限りの断崖絶壁。
 そして、空を優雅に飛んでいるそれは……
「まさか、……巣?……ドラゴンの」
 カルラが呆然と呟いた。
 緑の鱗、巨大な体躯、……その体躯に負けない巨大な翼。
 紛れもなくドラゴンだ。
「そう、あれは純粋竜ドラゴニア=ドラゴン。ここはその巣よ」
 どこかは聞かないでね、とリアは苦笑した。
「ドラゴニアは誰も発見したことがない未発見種よ!?」
「……だからこそ、知られたくないの」
 なるほど、と俺は感心した。

「この秘密も込み、か。さっきの儀式」

 あ、と声がハモる。
「ご明察。……世界にたった一匹の竜よ。大事にしたいじゃない」
 窓から竜を見上げ、リアが呟いた。



[16740] 6- リアの真髄
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2010/03/02 23:01
「エンチャントの仕方は簡単よ。最初は失敗ばかりだろうけど」
 一息付くと、紅茶を全員に振舞いながらリアは呟いた。
「Lv.0でどの程度の成功率?」
「0なら成功率は1%を切るわ。……ほとんど成功しない」
 それは実用に程遠いと言わないか?
「うわ、使えなー……」
 思わず口に出したのはフィリスだ。
「……そうね。全部失敗するくらいのつもりで材料を集めないといけないけれど」
 ないよりはマシでしょう?と笑顔で返す。
「万が一成功したら、すぐにNPCに売ったほうがいいわ。……ひとつの能力を付加しただけで、格が上がってしまうから」
「……ひとつ質問」
 手を挙げたのはリリー。
「それって見た目でわかるもの?」
「いいえ、多分わからないでしょうね。特別なドロップだと思われるかもしれないわ」
 ん?どういうことだ?
「話はそこではないのよ、リリー。NPCであることがポイントなの」
 リアは指を顔の前に立てた。
「人に売るよりも遥かに高値で買ってくれるわ。小さい効果のものでも」
 あ。なるほど、と俺は気付いた。
「そうか。有益な魔法じゃなくてもいいわけだ」
 イシュメルが何かに気付く。
「……無益な、……もの?」
 カルラも気付いたらしく、ぽつりと呟く。
「あるいは呪いね。……無益なもの、例えばライトの魔法程度なら、人はそんなに欲しがらないでしょう?それでもNPCは高値で買うわ」
「ダンジョンに持って行くなら役立ちそうだけどな」
 イシュメルが口を挟む。
「あぁ、そういえばそういう使い方もあるわね。……決して消えることのない灯りね」
 リアが感心したように呟く。
「……そうね、参考までに教えるわ」
 リアが軽く手を振ると、一振りの短剣が現れる。
「……まずこの短剣。実はライトの魔法がかけてあるわ」
 言いつつ鞘から抜くと、刀身が光を帯びていた。
「光を帯びる条件は、鞘から抜くこと。――そうね、持続時間は1時間ってところかしら」
「何だ、使えるんじゃん」
 フィリスが珍しそうにそれを見る。
「ええ、確かに言われてみれば実用的よ?――けれど」
 リアはもう一度、指を顔の前に立てる。
「さっきも言ったけれど、話はそこではないのよ」
 言ってから、短剣を鞘に納める。
「例えば、リリー、これ貴女ならいくらまでお金を出すかしら?」
「え?うーん、そうね……」
 リリーが思わず唸る。
「ずっと油を買わなくていいと考えると、20万$くらいかしら?」
「……フィリスは?」
 答えの提示を後回しにし、次にフィリスに向き直るリア。
「アタシはもっと出すね。これ一本で半永久的にランタンがいらないんだから」
 言いつつ、フィリスの提示した金額は40万$。
 くすりとリアが笑顔を見せ、そしてカルラに向き直る。
「貴女はいくら出すかしら?」
「……、……100万$」
 いくらなんでも高すぎはしないか?と突っ込もうと思った俺だったが、リアの余裕の表情を見て確信する。
「――ってことは、もっと高いんだな?」
 それぞれの考えを提示した3人と、まだ質問を受けていないイシュメルが、ぎょっとしたような表情を見せる。

「ご明察。NPCなら……1本で1千万$程度の値段が付くわ」

 ¥に換算して10億。
 馬鹿のような値段だ。
「それは……当然マジな話よね?」
 他3人が絶句する中、リリーが恐る恐る尋ねる。
「ええ。……偽りは述べないと誓った通りよ」
 ただし、と前置きし、リアは苦笑する。
「私が1本目を作ってからこの2本目が出来るまで、およそ1年よ」
 げ、マジか、とイシュメルが呟く。
「私は、短剣を毎日のように掻き集めているの」
「それが一日どのくらい?」
 フィリスが聞くとリアは、ふふ、と笑う。
「この頃は一日3000本ほどかしら」
「さんぜ……!?」
 リリーが、いつの間にか電卓を手に、1本10$の短剣がどうのと計算を始める。
「1095万$!?大赤字じゃない!」
 呆れたような口調で言う。
「Lv.0ならそのくらいの大赤字だってこと」
 くすくすと笑うリアに、全員が呆れた顔をする。
 ちょっと待て?俺のローブをエンチャントするって話はどうなった。
 思わず問い質そうとして、ふと気付く。
 そうだ、ここに来る時に使った針。
 あれもポータルがエンチャントされていたはずだ。
「つまり、エンチャントに成功したら売ったほうがいいということ」
 リアが、言いながらくすくすと笑う。

「……それは、俺たちの話だろ?……リアはどうなんだ?」

 くすり、とリアが笑みを向ける。
 そう。
 リアはLv.0ならの話をしているだけだ。
「リアはLv.0じゃないだろ?つまり成功率はかなりあるんじゃないのか?」
 こっちに集中した視線が、再びリアを見る。
「ええ、その通りよ」
 言いながら、リアは机の上に白紙の羊皮紙を広げた。

「エンチャント、――マジックブック『エンチャント』」

 言うなり、文字が羊皮紙に浮き上がる。
 書いてある内容は理解できないが、おそらくそれは――
「――どうぞ、これがエンチャントの呪文書よ」
 言いながら俺にそれを手渡す。
「呪文破棄……!?それって」
「Lv.30以上だってこと!?」
 くすくすとリアが笑う。

「ごめんなさい、Lvはわからないわ。気が付いたら呪文破棄でも出来るようになっていたの。……1年ほど前かしら」
 全員がこの言葉に絶句したのは言うまでもない。 

 その後エンチャントを全員が取得し、全員の装備をきっちりエンチャント成功させたリアが、ふぅ、とため息をつくと、リリーが気を利かせて紅茶を全員分淹れてきた。持参した茶葉があったらしい。電卓といい、一体どこから出て来るんだ。
 ティーブレイクを入れながら雑談していると、自然と話はリアのエンチャント書取得の話を期待するものになった。
「ちょっと昔の話なのだけれど」
 リアは呟くと、少し寂しそうな、悲しそうな顔をした。

 ボス討伐連合パーティ総勢200人で赤の灼熱、【タイラント・デビル】を討伐にやって来た。
 リアはそのうちの一人にすぎず、その頃の強さは大したことはなかったらしい。パーティは、その日実装されたタイラントを倒そうと、かつてない壮大な連合パーティを編成し、それは始まった。

 飛び交う魔法、治癒の光、剣戟の音が鳴り響き続け、たった1匹の悪魔に全員が立ち向かい続ける。
 リアの役割は後方治癒。
 リアが一番レベルが低いというわけでもなかったが、低い者ほど後方からの支援に徹するのが基本だった。
 巨大な戦場の完全に隅の方で、リアはとにかく治癒支援を与え続ける。
「攻――が弱ま――き――!も――ぐだ!」
 誰かが叫ぶ。
 攻撃が弱まって来た、と言っているのだろう。リアの目からもそれはわかっていた。
 傷付きながらも自らにヒールをかけ、その傷を癒しつつも4本の腕でプレイヤー達に襲いかかる赤の灼熱。
 もう、パーティは半分が死んでいた。
 蘇生班が蘇生魔法で蘇らせているが、蘇生する端からバタバタと倒れて行く。
 パーティの勢いはもはや絶頂にあったのだろう。
 徐々に赤の灼熱はその傷を増やし、傷を癒す暇を余裕を削られて行く。
 200人のパーティだ。
 勝てるという自信は五分五分だったが、いいところまで行けると誰もが踏んでいた。

 だが、その希望は次の瞬間打ち砕かれる。

 タイラントの激昂の遠吠え。
 周囲で死んだプレイヤーを蘇生していた蘇生班がその遠吠え一つで吹き飛んだ。
 慌てて他の蘇生班が駆け寄ると、前衛の蘇生が優先して始まるが、
「やばい、蘇生班、半数は蘇生班の蘇生に回れ!間に合わない!」
 後方の指揮を取っていたリーダーの一人が叫ぶ。
 前衛の蘇生の数が一気に落ちた。
 それは、今まで優勢に戦っていたパーティに取って、一気に形勢が逆転されたことに他ならない。
 蘇生班が蘇生班を蘇生し、前衛蘇生の数も戻っては来ているが、その端から次々と倒されて行く。
「治癒班は蘇生班の治癒を最優先しろ!」
 リアはこの指示に従った。
「馬鹿、――じゃ――」
 タイラントとパーティの剣戟の音が耳障りに響き、誰かの声を掻き消す。
 すぐにリアは気付く。
 治癒をやめたら前衛が決壊するのでは?
「――前衛にも治癒を!決壊しては意味がありません!」
 誰かが聞いていることを願いつつ、リアは叫ぶなり前衛に治癒を戻した。
 だがすでに遅い。
 治癒を一瞬緩めたことで、前衛の半数が死滅していた。
「ッチ、弓兵!撃て!」
 前衛に当たることを危惧し、支援に徹していた弓兵が弓を番える。
 魔法班はまだ後方支援のままだ。だが弓を射始めてから気付く。
「まずい!……反射されてるぞ!」
 まさに反射。
 射た弓はそのまま、羽と矢を反して同じ軌道で返る。
「規格外すぎるだろこんなのッ!」
 慌てて弓を捨て、自らの攻撃で数を減らした弓兵は後方支援に逆戻り。
「くそ!後衛、支援で前衛に回れる奴はいないか!」
 十数人が近接魔法を手に前衛に回り出す。
 水・氷系魔法がなんとかモノになるようだと悟ると、近接魔法のことごとくがそれらをタイラントに叩き込む。

 だがここで二度目のタイラントの遠吠え。

 支援を減らし前衛に回し、蘇生班が蘇生班を蘇生しながら前衛を蘇生し、
 尚且つ今まで何とか保っていた前衛がついに決壊する。
「やばい!散れ!!」
 決壊した際は瞬時に逃げる。
 パーティの鉄則を全員が実行しようとする。
 リアは踵を返すと一目散に逃げた。
 タイラントが自分を追って来ないことだけを願って。

 だがリアの運は悪かった。

 何と他には目もくれず、リアを視界に認めたタイラントがリアを目標に定めたのだ。
 何で私、と思う暇も与えられない。
 そしてタイラントの気配がリアの背に迫る。

「――ッ!無理でしょうこんなのッ!」

 言いつつ、咄嗟に方向転換。
 ここは砂漠。

 確かこっちにオアシスがあったはず……ッ!!

 その記憶は当たっていた。
 自分にヒールを連発しつつ、鞄からヒールローションを全身にかけつつ走る。
 あと少し、あと少しで何とかなるに違いない!
 オアシスの水など意にも介せず追って来る可能性はあった。
 だがこれに賭ける以外、リアに思い付く手立てはない。

 見えた!

 水面の光を目にした瞬間、気を抜いたリアの足が砂を蹴る。
 リアがバランスを崩すには、それで事足りた。
「ひゃ……っ」
 思わず頭を手で覆い、そのままの勢いで前へ転がる。
 まずい、とリアは即座に全力で右に足を蹴る。
 転がったまま、リアの体が左に浮くと同時、ついさっきまでリアの体があった場所へ、タイラントの剣の一撃。
「――っ!」
 その衝撃が砂を巻き上げる。
 巻き上がった砂に巻かれ、リアの体が吹き飛ぶ。

 だが、リアの災難はまだ続く。
 今蹴った足を痛めたようだ。
 確実に逃げる速度が遅くなる。
「リジェネレイト――!」
 咄嗟に足に魔法をかける。
 その判断は正しかった。
 足の痛みが嘘のように引いた。
 まだ行ける。
『リア、大丈夫?』
 相方の声が頭に響く。
「大丈夫じゃないわ!逃げているところよ!」
『え、マジで?最悪じゃん――』
 問う相方の声を切るように、タイラントの剣がリアの右肩を襲う。
 ギリギリでかわすが、その一撃が足元の砂を巻き上げる。
「きゃ――」
 思わず悲鳴を上げて頭を庇う。
 巻き上げられた砂ごと、リアの体は吹き飛ばされた。


「……あ、……れ?」
 気が付くと、リアは水面に浮かんでいた。
 吹き飛ばされた後の記憶がない。
 助……かった?
 腰に手をやると、そこにはいつも使っているショートソードとソードブレイカー。
 どうやら落とさなかったようだ。これが重いものだったなら、リアは溺死していたかもしれないが。
 服が鎧ではなくローブだったことも幸いした。
 ざぷん、と水音を立てて起き上がる。
 思ったより水は深く、足は底に届きそうにもない。
『リア、ねぇ大丈夫ー?』
「何とか……なったみたいよ」
 ウィスパーの向こう側で、お、と反応を喜ぶ声が返る。
 どうやら一定時間ごとにウィスパーをしてくれていたらしい。
「水の中までは追って来なかったのかしら……」
 相方にそれだけを言って、リアは水に潜り込んだ。
 顔に付いた砂や、体に付いた砂が鬱陶しくて仕方ない。
 そして一度顔を出す。
「砂落として帰るわね」
『あっはは、了解~。無事でよかったよ』
「もう、縁起でもないことを言わないでくれるかしら」
 思わず言葉を返すが、すでにウィスパーは切れてしまったのか、相方からの反応はない。狩りにでも戻ったのか。
 ふぅ、とため息をつくと、リアは大きく息を吸い込むと水の中に顔を沈めた。
 軽く手で体を擦り、ローブを少し体から離して砂を落とそうとする。
 しかしそんな方法で落ちるはずもなく、どうやらローブの中の砂は、シャワーと洗濯で落とすしかないようだった。

 と、リアの視界に赤と白が映る。

 モンスター!?
 ぎょっとし、慌てて腰に手をかける。
 今の自分の状態がどんなものかはわからないが、水中で襲われたら魔法もローションも使えない。頼りは腰の2本だけだ。
 しかし、その赤白は追っては来なかった。
 というか、どうやら漂流物のようだ。
 とりあえず水辺まで運ぼう、とリアがそれにソードブレイカーを引っ掛けた瞬間。
[タイラント・デビルを討伐しました]
 アナウンスが頭を流れる。
「……まだやってたのね」
 思わず苦笑する。
 新しいパーティがタイラントを討伐したのだろう。
 アナウンスは聞こえたが、ウィスパーが届いたリアはすでにパーティを抜けている。
 というか決壊した時点で、統率を敢えて取らないようにするため、パーティはその場でブレイクされるのが普通だ。
 間違っても、リアがパーティに残っているはずはない。
 つまりこれは、バグだ。
 後で運営に報告しよう、などと考えながら、リアは漂流物を何とか浜辺まで引き上げることに成功した。

 マントで隠れて見えないそれは、どうやらロスト寸前の人間の成れの果てのようだ。
「後で蘇生班呼んであげるわね。……もう少し待ってて頂戴」
 リアは言いながら、少しだけ手を合わせた。
 蘇生には立ち会うつもりだが、……遺品は残っているのか。
 もし残っているのなら、回収して後で返してあげないと。
「……失礼するわね、死体さん。無礼はしないと誓うわ」
 言って、リアはマントに手をかけ、

――そして、驚愕して後ずさる。

 腕が、――4本。
「嘘……でしょう」
 嘘ではない、と頭ではわかっていた。
 一気に恐怖が蘇る。

 巻き上げられた砂ごと吹き飛んだ後、リアがオアシスに沈んでも、タイラントはそれでも諦めなかったのだ。
 そして水中にまで追って来た。
 結果、……炎の属性は水に侵食され、タイラントは瀕死状態となって。

 リアが、ソードブレイカーを引っ掛けた瞬間に、絶命したのだ。

 タイラントの巣に戻ろうという人間は、しばらくいないだろうから、
……おそらく、あの巣の人間は、全員ロストする。
 たった今、タイラントを倒したリアのせいで、

 僅かに残った生還の可能性を、潰したのだ。

「……ごめんなさい」
 この情景を誰か幽霊として見ているのなら、その呟きは通じただろう。
 だが、幸か不幸か。
――そこには誰の幽霊もいなかった。
 そして、タイラントの遺体に手を触れる。
「ジャッジ、タイラント・デビル」
 リアの目に、戦利品として剥ぎ取れる物がいくつか見て取れた。
――あ。
 ボスモンスターからのアイテムは、……特別な品として扱われる。
 このタイラントから剥ぎ取れる全てのアイテムは、……リアのものだ。

 心底後悔しながらも、リアは全てのアイテムを剥ぎ取ることに成功した。


「そのうちの一つが、エンチャントの書」
 何と言う武勇伝か。
 むちゃくちゃ感動したぞ、俺。
「それから、何度もタイラント討伐隊は出たみたいよ」
 一度もエンチャントの書の話は聞かないけれど、と話を締めたリアに、拍手喝采が注がれる。
「つまりタイラント討伐のレア、……レア中のレアってことね」
 リリーが目を輝かせる。
「他には何が出たの?」
 んー、とリアは唇に手を置いて考え、
「タイラントの剣が2本、フレイムLv.10の書、後は今でも出るプチレアくらいかしら」
 へぇー!とフィリスが興味深そうに体を乗り出す。
「タイラントの剣なんて、1本取れればいい方のレアじゃない。それが2本ってよっぽどツイてたんだね、いいなぁ!」
 羨ましそうに呟くと、リアが首を振った。
「実装直後の数日限定、アイテム取得率が100%だったのよ」
 キャンペーンみたいなものだったんだろう。
「フィリス。……欲しいのなら、売ってあげましょうか」
 え、とフィリスが顔を輝かせる。
「マジ?いいの?マジで?!」
 笑顔で頷いて、リアが家の奥へと入って行くと、フィリスはよっぽど嬉しいのか、その行方を体ごと、目で追っていた。
 イシュメルも実は欲しいのだろう。そわそわしている様子が実に笑える。
「タイ剣なんて諦めてたのに……!おいアキラ、感謝しろ!お前の借りはチャラにしてやる!」

……あれ、何だその上から目線――
 ちょっとイラっと来たのは言うまでもない。



[16740] 7- 相棒
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2010/03/03 01:40
「さて。……そろそろ狩りに行きますか?」
 1時間以上もくつろいだ後、リリーがようやく重い腰を上げた。
 俺の方は狩りに行きたくて仕方ないんだが、リアがポータルを出してくれないと帰れない。
「フェイルスでいいのかしら」
「うん、お願い」
 フィリスがタイ剣を片手にご満悦の表情で言う。
 その横では、カルラがフレイムLv.10を習得して満足そうだ。
 何ももらっていないのはリリーだけなのだが、この中で一番満足そうな顔をしている。
 イシュメルはプチレアである鱗をもらった上、装備可能になったらタイ剣をもらうという約束をしたらしい。
 リアって太っ腹なんだな。
「いいかしら?」
 全員の準備ができていることを確認し、リアは来た時と同じように針を床に刺した。
 瞬間、そこに現れる魔方陣に俺たちが足を乗せると、全員の髪が風の煽りを受けて逆立つのが見え、その視界が白に染まった。


「さて。……どうする?」
 リアがポータルで飛び、カルラが手を振りながらログアウトするのを見届けると、イシュメルは口を開いた。
 俺はうーんと呟く。
「杖のまま戦うのもいいと思うんだが――リリー、武器を鑑定してもらうには、どうしたらいい?」
 俺は、腰にぶら下げたままになっていた剣をリリーに見せた。
「鑑定?……うーん、――ごめん、知らない」
 アズレトなら知ってるかもだけど、と言うと、リリーは剣に指を触れる。
「――スキャン」
 魔法かスキルか、呟いたリリーの言葉に応じ、剣が一瞬薄く光る。

[未鑑定、アイテム名【レイピア】]

 どう?とリリーに問われ、そのまま答えると、リリーはやっぱりね、と言った。
「ってことは、鑑定ってスキルがあるってことなのかな?」
 リリーがぽつりと呟く。
「今のスキルは?」
「今のはスキャン。アイテムの名前と能力を調べるスキルよ」
 なるほど、と思わず納得する。
「ってことは、しばらくこの剣は使えないってことか」
「どうして杖にエンチャントかけなかったんだ?」
 イシュメルが不思議そうに聞いた。
 そう。俺はケツァスタにはエンチャントしなかった。
 理由はいくつかあるが、大きな理由としては、
「……これはフィリスからの恩だからな」
 エンチャントをすれば、確かにもっと戦いやすくはなるんだろう。
 だが今のこの状態が、フィリスからもらった「恩」だ。
 忘れないためにも、俺はこのままでいたかった。
「ふぅん。……変わってるんだな」
 イシュメルが、わかったようなわからないような返事をする。
「ってことは、鉄扇並みのその杖しか攻撃手段はないってことか」
 防具はこのままでいい。
 ローブには、【ガードLv.2】のエンチャントがかかっている。
 そして、靴には【スピードLv.2】。ただしガードが-2される。
 つまりローブのガード分をプラスマイナスして、スピードLv.2分だけが残るということらしい。
 問題は武器だ。それも近接用の。
「……買いに行くか?」
 フィリスが声をかけてくる。
「そうだな。イシュメル、時間は大丈夫なのか?」
 問うと、イシュメルはちょっと待てと言って姿を消した。
 そういえばイシュメルってどこだっけ。
 数秒すると、時間を確認したイシュメルが戻って来た。
「4時半か。まだ大丈夫だ。正午まではログインしてるからな」
 俺と同じくらいの時差なのだろうか。
「イシュメルの家はどこだ?」
 う、とイシュメルが言葉に詰まる。
「……韓国だ」
 あぁ、なるほど、と思った。
 イシュメルが言葉に詰まるのも頷ける。
「心配すんな。韓国に偏見はない」
「そうか、ならいい」
 少しだけほっとしたような表情を見せる。
「ってことは、日本も4時半くらいってことか。なら俺も問題ない」
「じゃあ決まりだな」
 フィリスは言うと、俺達を先導して歩き始めた。


「これはすごいな」
 店に入ると、見渡す限り武器が立ち並んでいた。
 リリーは用事があるとかで、店の前でログアウトした。
 また来たら俺にウィスパーをくれるらしい。
「いずれその腰のものを使うことを考えると、……そういえば、スライムでレベル上がってたんだっけ」
 フィリスは、じゃあと呟くと、一本の細剣をその中から選ぶ。
 ほとんど迷いがないところを見ると、歩きながらどれがいいのか考えていたのか。ホント面倒見がイイヤツだ。
「……これなんかどう?アタシ的には大剣がオススメだけど、杖と両立させるのは至難だし」
 両立、という言葉に思わず感心する。
 確かにレイピアと杖なら両立も楽だろう。
 リアも使っているという、ソードブレイカーと似たような使い方をすれば、杖も防御に使える。
「ちなみに杖は左手でも、装備していれば魔法を使う分には支障はないぞ」
 イシュメルが太鼓判を押す。
「片手剣で、他に使えるものはないのか?」
 一応聞くと、フィリスは待ってましたとばかりに俺に細剣を押し付けた。
「アタシに武器を聞くのは正解だね。例えばこれなんだけど」
 言いつつまず出して来たのは、
「まずこれ。ドゥーサック」
 うぉ、見た目からしてスゲぇ。
 刃、柄、護拳が一体成形で作られていて、鞘がない。
 柄部分に、申し訳程度に巻き布が施されているものの、それは手を保護するという役目以外を果たしそうにない。
「見た通りのつくりだからね、生産費も安い。だから1本の価格も安いよ」
 おまけに壊れにくいし、と呟くが、どうやらフィリス的には細剣のほうがオススメらしい。
「だけどね、見た通り抜き身だからね。危ないことこの上ない」
 なるほど。とすると初心者の俺には向いていないってことだ。
「次はこれ、バゼラード。ストラータ式って言うんだけどね」
 言いつつ出して来たのは、長さが控えめの、いわゆるショートソード。
「刀身から柄頭までが一体成形型のフレームを使ってる。そこに、持ち手用のグリップとかを付けたのがコレ」
 長さ的には扱いやすそうなんだが、どうやらこれもフィリス的にはオススメしないらしい。
「長さが短いってことは、それだけリーチがないってことだよ」
「敵の攻撃は杖で捌くなら大した問題じゃないんじゃないか?」
 一応反論を試みるが、
「……大剣を杖一本で裁けるかい?」
 と言うわけで一蹴される。
「あとはファルシオン、カットラス、ハルパーやショテルのように曲剣って手もあるけど、こっちは斬るための武器だからね。扱いが難しい」
 ふむふむ、と相槌を打つ。
 確かにその辺の扱いは難しそうだ。
「刺突用の武器なら、魔法を唱える間に敵の動きを捌くこともできるし、杖と合わせて捌けば大剣だって捌ける。その中で一番アンタに適してそうなのは細剣だと思うんだけど、どうだい?」
「……そこまで力説されちゃ納得するしかないな」
 まいった、と苦笑して見せると、フィリスは俺に押し付けた細剣を受け取ると、それをすらりと抜いて見せる。
「この剣はレイピア。……アンタの持ってるソレと同じ名前だね」
 アンタの腰のは、鑑定すれば名前が変わるけど、と注釈を入れる。
「日本だとレイピアの扱いは慣れてない人が多いと思うけど」
 言って、フィリスはそれを縦に構えた。
「使い方のコツは一つだけさ。この武器は斬るんじゃなくて、突く武器だ」
 ひゅ、と音がすると同時、俺の懐にフィリスが潜り込んでいた。
「……こんな具合にね」
「――ビビった」
 思わず両手を上げて見せると、フィリスは満足そうにははは、と笑った。

「25$……っと、君はフェイマンのところのバイト君か」
 俺がカウンターに剣を出すと、レジを開けた髭モジャのドワーフが後ろにいたフィリスを目ざとく見つけた。
「アタシの連れなんだけどね、安くしてよおっちゃん」
 レジのドワーフは、やれやれと肩をすくめる。
「じゃあいつもの割引で、23$でいいか?」
「もう一声」
 あっさりとさらなる値引き要求。
「……仕方ない、なら22$。これ以上は無理だ」
「さすがおっちゃん、話がわかる!」
 フィリスがバンバンと背中を叩くと、ドワーフが軽く咳き込んだ。
「兄さん、この女おっかねぇな」
「あんだって?」
 ドワーフが俺に呟くと、フィリスはそれに反応してパキパキと拳を鳴らす。
 おお怖い、と言いつつ、あっさり22$で会計を済ますと、俺たちは店を後にした。
「さて、それはともかく、アンタ戦闘方法はどうするんだい?」
「基本的には魔法と前衛で行きたいんだけどな」
 呟いてみると、なるほどね、と呟いたフィリスだったが、
「難しいと思うぞ」
 今まで黙っていたイシュメルが反論する。
「そうなのか?」
 聞き返すと、イシュメルはしまったという顔をした。
「……いやまぁ、できないことはないんだけどな」

 そろそろ狩りにと言うことになり、フィリスは寝るよと言い残してログアウトした。
 残されたのは俺とイシュメル。
「……どこで狩るのが一番いいと思う?」
「西門のホワイトファングか、南門のフライトバグか、……だな」
 ホワイトファングという言葉に思い出す。
 スライムを倒した後、後ろからエンカウントしてきた狼だ。
「ホワイトファングなら、1匹だけなら倒した」
 ほう、とイシュメルが呟く。
「ならそっちに行ってみるか。スライムは高レベルの可能性も考慮して、無視でいいな?」
 高レベルの可能性は最初から危惧するのが普通らしい。
 そりゃそうだ。
 ローションがいくらあっても足りないだろうしな。
「ところで、フライトバグは弱いのか?」
「弱い。俺の弓で一撃だ」
 ふむ、と思わず唸る。
「ま、1匹だけホワイトファングでやってみよう。一人で行けたならいけるだろう」
 イシュメルは言って歩き始めた。

「回復は任せろ!お前はとりあえず殴れ!」
 イシュメルが背後で叫ぶ。
 杖を防御に回しながら、レイピアで攻撃を試みるが、どうやら相手の方が早い。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 修練所で覚えた呪文を唱えると、杖の先に赤い炎が宿る。
 思わずレイピアをしまい、杖を持ち替えて殴りつけると、白き狼はたまらず牙を離して地面に転がった。
 それでもそいつは死んでいなかった。
 すぐに立ち上がると地を蹴り、俺目がけて突進する。
 来ることがわかっていれば避けようもあるんだが、立ち上がってからのモーションが早すぎる。
 再びその牙が俺の腕を捕らえる。
「馬鹿、レイピアで刺し殺せ!」
 あぁそうか、と、一度杖で殴りつけ、腕から振りほどいてレイピアに持ち替える。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 もう一度呪文を唱えると、今度はレイピアの先に炎が灯る。
 どうやら、意識したものに力が宿る仕組みらしい。
 ホワイトファングは再び立ち上がると、俺を目がけて突進した。
 思わず杖でガードすると、俺はそのままレイピアでそいつを刺し貫いた。
 肉に刺さる感触がわずかに手に残り、レイピアで刺し貫かれたそいつは、炎に巻かれて絶命した。
「……余裕、でもないな。危なっかしい」
 イシュメルがはぁ、とため息をつきながら俺を回復する。
「慣れてないんだ、勘弁してくれ」
 思わず苦笑すると、イシュメルは軽く笑みを浮かべた。
「まぁ、最初は誰でもそんなもんだ」
 そして、数歩下がり、セーフティーエリアである町に踏み込む。
「ちなみに今のホワイトファングは、確か4レベルで適正のモンスターだ」
 ファンサイトの情報だけどな、と補足して、イシュメルが腰を下ろす。
 その横に腰を下ろし、俺はふぅとため息をついた。
「つまるところ、今の俺達にちょうどいいくらい、ってことか」
 そうだな、と呟くと、休憩だ休憩、とイシュメルは大の字に寝転がった。
 俺もそうしようと思ったのだが、
「すまん、ちょい」
 言って、俺はヘルム・コネクタの思考スイッチをオフにした。
 視界が暗転、と言うかブルースクリーンに染まる。
 そして慌ててそれを外すと、俺は一目散にトイレへ駆け込んだ。

「ただいま」
「あぁ、お帰り」
 声をかけると、大の字になっていたイシュメルがむくりと起き上がる。
「よし次行くか」
「おう!」
 立ち上がると、俺は杖を掲げて見せた。

 五分後。

 ぜはーぜはーと肩で息をする俺とイシュメルがそこにいた。
「……あれは危なかったな……」
「スライムならともかく高レベルホワイトファングはシャレにならん……」
 マジで死ぬかと思った。
 回復と、コツを得たレイピアの攻撃とで何とか倒しはしたものの、たまたま通りかかったプロフィット――補助魔法専門の魔法使い――の助けがなかったら死んでいたに違いない。
「大丈夫?マジで」
 そのプロフィットが苦笑する。
「大丈夫です、すみません迷惑かけました」
 イシュメルですら青ざめている。
「いえいえ。趣味で辻プロフやってるだけだから」
 本気で高レベルはシャレにならん。
「見分け方ってないのかな、あれ」
 ぽつりと呟くと、プロフィットがあははと呟く。
「あるよ?けどまだ君には無理じゃないかな」
 聞けば、スキャンのLv.20からそれが可能らしい。
「ってことは、プレイヤーのステータスも……?」
 見れる奴がいるんじゃないだろうか、と思ったのだが、
「あ、いやそれは無理」
 イシュメルにあっさりと否定された。
「ファーストがスキャンLv.33だが、それでも見えん」
 なるほど、と思わず納得する。
 もしLv.100から見えるとしても、そこまでレベルを上げるにはどれだけ労力が必要か。
「とにかく、気を付けて。こないだも高レベルスライムに一人で立ち向かってる勇敢な人がいたけど」
 あれは危なかったなぁ、と苦笑するプロフィット。
「――。それ昨日のことですか?」
「え?」
 あれ?と何かに気付いたのか、俺……特に俺のケツァスタを見つめるプロフィット。
「あ。あぁ、あれキミか!運がないね、二度も高レベルに遭遇するなんて」
 気を付けてね、と念を押し、プロフィットは爽やかに去って行った。
 どうやら俺は、知らないうちに助けられていたらしい。
「よし。修練しに行くか」
 イシュメルは呟くと、呆然とする俺の背中を叩く。
「ま、それでも高レベルを実質一人で倒してるのは間違いないんだ」
 そして、俺の背中をもう一度、力を込めて叩きながら、
「これからも頼むぜ、相棒」
 イシュメルはそんなことを言って先を歩いた。



[16740] 8- イベント
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:35d47757
Date: 2010/03/04 07:23
「……ふへぇ。流石に眠くねーか」
「同感だ。いい加減キツい……」
 気付くと12時はとっくに超えていた。
 さっき確認でリアルに戻ったのが11時50分。
 それから今まで、さっき雑貨屋で買った安物の時計で時間を確認しながら狩りを続けて2時間になる。
 つまるところ、13時50分だ。予定時間を2時間弱オーバーしている。
「今日はこの辺にしとくか」
「そうだな」
 言いながら、俺がレイピアを前へと思い切り突き出すと、今まさに飛びかかってきたホワイトファングの腹に突き刺さる。
 どうやら弱点は心臓ではなく腹らしく、何度か戦っているうちに余裕で、……とはお世辞にも言えないものの、それでも形にはなってきた。
 もっとも、ソロでやったら死ぬレベルではあるのだが。

「その調子なら、ソロでもフライトバグならいけるんじゃないか」
 町の門をくぐりながら、イシュメルが呟いた。
「いや、まだやめとくよ。……リアに次のローブのエンチャント頼んでからだ」
 今のところ、死亡回数は0だ。
 一応コツは掴んだものの、いまだ能力レベルの上昇は合計6。この世界でレベルは、と聞かれたら6、と答えることになる程度だ。
「それにしても一日で6か。結構な廃だな」
「……そうなのか?」
 イシュメルの言葉に、思わず聞き返す。
「俺はセカンドを1週間前から始めた。ファーストの資産は使えないから、実質最初からやり直し感覚だ」
 ついでに言うとリア以外の人脈も絶望的状態なのだろう。
 名前を言えばわかる奴は敬遠するだろうしな。
「それで俺のレベルは同じ6だ。地味にフライトバグを弓で一匹づつってのは意外と上がらん」
 フライトバグってそんなに弱いのか、とは口にしなかった。
「それなら確かにソロでも行けるかもしれないな、フライトバグ」
「あぁ。俺より早く目が覚めたら行ってみろ。多分充分太刀打ちできる」
 オッケ、と軽く返事をし、お互いのメールアドレスを交換する。
 ログアウトしたら、ついでにメッセンジャーにも登録しておこう。
「少なくとも俺は7時までは寝てるぞ」
「わかった。俺はメシの時間には起きるから、……6時半くらいか。俺の方が早いかもしれないな」
 気付いたらメッセで返事をくれ、とだけ言うと、イシュメルはログアウトした。
 同じところで落ちた方が無難だろうと俺は考え、そのまま思考スイッチをオフにする。
 目に青い画面が映ると、俺はヘルムコネクタを外し、ディスプレイのスイッチを入れた。
 メッセンジャーを起動して、イシュメルのアドレスを入力する。
 しかし完了を押すより早く、イシュメルから登録の要請が届いた。
 何てマメな奴、と思ったが、考えてみれば人のことは言えないか。
 すぐに承諾を押すと、会話ウィンドウが音を立てて開く。

崔英愛 の発言:
 æ–‡å—化ã '

 いやいや待てイシュメル。それはひょっとしてハングルで打ち込んでるか?
 文字化けしてるんだがどうすりゃいいんだ。
 少しだけ考え、俺はメッセに返信を打ち込んだ。

アキラ@ラーセリア の発言:
 See you later.
 Have a good dream.

 英語ならわかるだろう、という希望的観測を思いつつ、パソコンを離れた俺はベッドに横たわった。
 昨日の夕方に干したベッドは、いわゆる「お日さまの香り」というやつがして、俺に眠りを誘って行く。


 目が覚めると、部屋が赤く染まっていた。
 薄暗いのは嫌いなので、部屋の明かりを点け、時計を確認する。
 18時20分。
 そろそろメシでも食うかと冷蔵庫を開けると、中身はほとんどからっぽだった。あるのは梅干、明太子、そしてクリームシチューの残り。
 米が炊いてあるかを確認するが、そっちもからっぽだ。
 考えれば何もせずに寝たんだから当たり前か。
 食物庫と化している机の引き出しを開けると、パスタがあった。
 クリームシチューに入れて食うか、明太子を和えるかで一瞬俺の心が葛藤するが、すぐダメになりそうなクリームシチューを使うことにし、パスタ鍋を火にかけた。
 そしてパソコンの電源を入れる。
 性能がいい分、起動が長いんだよな。……常時起動は壊れやすそうだから面倒だしな。
 コンロ前に戻ると、パスタ鍋がいい感じに沸騰していた。
 塩を取り出し、適当に塩を放り込むと、パスタのケースから適当に取り出し、鍋に扇形に広げて立てる。
 パスタは放っておいても勝手に沈むんだが、俺はある程度時間が立ったらパスタをかき回し、水に沈めてしまうことにしている。
 そしてそれを一旦放置し、パソコンの前に戻ると、すでにユーザー選択画面へと切り替わっていた。と言ってもユーザー登録は1アカウントしかしていない。マウスでそれをクリックすると、パソコンは起動時の音楽を奏で、デスクトップを映し出した。
 それを確認してから、再び鍋の前に戻り、箸でパスタを一本だけつまんで指で潰してみる。
……うん、いい感じだ。
 それを確認すると、ザルに麺をあけ、フライパンにオリーブオイルを敷く。
……っと、オリーブオイル足りねぇな。いいやサラダ油で。
 じゅうじゅうと音を立てるのを無視し、フライパンを振りながら麺を炒めると、適当に、その辺に転がっていたコーヒーミルクを1つ、パスタに放り込み、間を空けずに昨日のシチューを注ぎ込むと、すぐに俺は火を止めた。
 そしてパスタをフォークで皿に移し、もう一度残りを火にかけた。
――シチューがちょっと薄い気がしたからだ。
 ある程度水気を蒸発させたところで火を止めると、俺はそれをパスタの上から注ぎ込んだ。


 ごちそうさまでした、と心の中で呟くと、皿とフライパンを水の中に沈め、俺はパソコン前に戻った。
 スタートアップに登録していたから、すでにラーセリアの起動準備は完了していた。
 ヘルムコネクタを頭に装着すると、リクライニングを軽く倒し、思考スイッチをオンにする。
 瞬間、昼まで使っていたキャラクターがそこに浮かんでいた。
[キャラクターを選択して下さい]
 アナウンスが流れる。
 俺は迷うことなく答えた。

「アキラ=フェルグランド」

 ぱぁん!
 キャラクターのアバターが弾け、その粒子が俺に纏わり付いていく。
[ローディングが完了しました]
 再び流れたアナウンスとともに、俺の視界が暗転した。

 視界が晴れたのは、数秒後。

 しかし、そこは数時間前に見た景色とは明らかに変わっていた。
 基本的には同じだ。……と、思う。見覚えはある。
 しかし、違う。
 門は破壊されてはいなかったし、町の中央付近には、あの馬鹿でかい魔法ギルドの塔があったはずだ。それがない。
 それに、至る所で炎が上がっているし、叫ぶ声や怒鳴り声、そして剣戟や魔法の爆発が目や耳に飛び込んでくる。
 一体、何が起こったのか。

――そこには、阿鼻叫喚の地獄絵図が待っていた。

「おい、そこの!……何をしてる!死にたくなかったら避難しろ!」
 呆ける俺に声をかけてきたのは、長い刀を手にし、馬に跨った騎士だった。
「――何が起こってる!?」
 思わず聞くと、男は俺がログインしたばかりだと理解したのか、馬を降りた。
「突発イベントだ、今ゲームマスターが町にモンスターをばら撒いてる」
 男は言うと、俺の装備に手を触れた。
「――スキャン、イクウィップ」
 言い、何かを探っていた男は、ふと繭を潜めた。
「……未鑑定?いやそれはどうでもいいか。装備から察するに始めたばかりのようだな」
 低レベルの装備ばかりだからだろうか。男はすぐに俺から手を離す。
「お前、名前は?」
「アキラだ」
 言うと、男は俺の名前を確認し、あぁ、と笑みを漏らす。
「タイラスにウィスかましてた奴か。……初心者だったとはな」
 言われて俺はようやく気付く。
 そういえば、慌ててウィスパーしたものの、リアと同じように俺の名前もワールド中に響き渡ったんだろう。
 魔族であるタイラスにウィスパーしたプレイヤーとして。
『この馬鹿。テメーは来なくて良かったのによ』
 タイラスの言葉が今更ながらに思い出される。
「まぁいい。それより、シャレにもならんモンスターばっかり召還しやがってんだよ、ゲームマスターの奴」
「へぇ、……でもそれって後で困ったことにならないか?」
 シャレにもならんような、ということは、下手をしたら町が壊滅する恐れもあるということだ。キャラをロストしたりとか、色々弊害があるんじゃないだろうか。
「今回のイベント中、キャラロストとアイテムの剥ぎ取りはシステムをオフにするんだとさ」
 あぁ、なるほど。
「だからその点は心配してないんだが、見たこともないようなモンスターまで召還されまくってんだよ」
「つまり新種ってことなのか?」
 俺が聞くと、男はさぁな、と返答を返した。
「知らん、未発見種かもな」
 と呟くと、男は馬の手綱に手をかけた。
「……低レベル連中はとりあえず、南門を出たところのフライトバグ地帯まで避難してる。お前はどうする?」
「あぁ、じゃあ俺もそっちに避難するよ。ありがとう」
 礼を言うと、男はひらりと馬に飛び乗った。
「気を付けろよ!……あとタイラスによろしくな!」
 言うと、男は馬の手綱を引き絞り、腹を軽く蹴った。
 嘶きもせず、馬は男の手足であるかのように走り出していた。



[16740] 9- 黒の恐怖
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9b3a872
Date: 2010/03/05 02:46
「……うわ」
 南門に到着すると、俺は思わず絶句した。
 完膚なきまでに破壊された南門。
 そこには、低レベルなのだろうと思われるキャラクター達の死体が山積みにされていた。
 避難……というより虐殺場だなこれ。
 思わずこっそり様子を伺いながら、俺はため息をついた。
 モンスターの姿はないが、あれだけの死体の傍に行くだけの勇気がない。
 かと言ってここ以外に避難場所を聞いていたわけでもない。
「……どうすっかな」
 思わず呟いて、適当な場所に腰をかける。
 誰がログインしているのかさえわかれば、誰かに保護してもらうのが一番なのだろう。
 だがその心当たりに声をかけようにも、誰がログインしているのかわからないことにはどうにもならない。
 仕方ない、片っ端からやってみるか。
「ウィスパー、リリー=ビーヴァン」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、フィリス」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、アズレト=バツィン」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、リア=ノーサム」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、カルラ=クルツ」
 瞬間、視界が暗転する。
 お、カルラはいるらしい。
「カルラ。今へい」
『内なる力を我が前に示せ、……フレイム!』
 平気ではないらしい。ウィスパー部屋からでは情景が見えないから、どういう状況なのか見えないが、少なくとも戦闘中だってことだ。
『……アキラ?』
「うん、平気か?」
 平気ではないと知りつつも思わず聞いてしまう。
『……何とか、……かも』
 声が微妙に疲弊している。
「戦闘離脱は可能?」
『それは、……無理』
 パーティ組んでるから、と理由を言って、再び何かの呪文を唱え始めるカルラ。その呪文が終わると、肩で息をする吐息が聞こえた。
「無理ならいいけど、終わったら」
『大丈夫、……ウィスパー部屋に、……いて』
 言われてから、俺は気付いた。
 確かにここが一番安全なのではないだろうか。
 その代わりここにいたんじゃ経験にはならないんだろうけど。

 一息つくと、カルラがパーティーを抜けて部屋に入って来た。
「……お待たせ」
「ご苦労さん。ってか、イベントの告知なんてしてたっけ」
 公式サイトひとつ見ずに来たから告知を見落としたか、と思ったのだが、カルラは静かに首を振った。
「……突発、……みたい」
 なるほど、文字通り突然発生するイベントか。被害はどんなもんだったんだろうか。まぁ、南門の様子とログイン直後の戦闘音だけでかなりの被害だとわかるが。
「……バフォメットとか、……いた」
「バフォメット!?」
 半人半羊のモンスターで、――確かこのゲームではボス扱いのはずだ。
 実際に戦ったことはないので、強さのほうはわかりかねるが、昨日リアに聞いたタイラントくらいの強さは軽くあるんじゃないかと予想する。
 ぽつりぽつりと話すカルラの言葉をつなぎ合わせると、どうやら突然降って沸いたバフォメットに周囲が凪ぎ倒されたことからイベントが始まり、その場にいたプレイヤーたちにはゲームマスターの声が聞こえたのだという。

『突発イベントを開催する。……対象は城の存在する町だ。尚、このイベントにおける、キャラクターロスト・及びアイテムの剥ぎ取り機能をオフにする』

 告知の内容はたったこれだけ。しかもその場にいたプレイヤーにしか告知されなかったらしく、後から来たカルラは人からこれを聞いたのだという。
 そして、カルラが来た時にはすでにバフォメットは右足を失っていたにも関わらず、激しい攻防を繰り返し、カルラが来てから1時間以上もの間、バフォメットは暴れまわっていたんだとか。
 また、町に降ったモンスターはバフォメットだけではなく、これまでプレイヤーが見たことのないモンスターが数体。
 初見モンスターの最大の強みは、その弱点がわからないということだ。
 戦いながらその弱点を探り当てるか、力で捻じ伏せる以外に対処法がない。
 プレイヤーが取ったコースは後者だった。
 弓・魔法に対する反射がなかったことが幸いし、その見たことのないモンスターは何とか沈黙させることができたが、それでも被害は甚大だったという。
 バフォメットを討伐した後、蘇生に回っていたプレイヤーはさらに悲惨なことになった。
 バフォメット討伐隊の死体のことごとくにカースがかかっていたのだ。
 蘇生をかけたプレイヤーを呪いが襲う。
 つまりそれは、蘇生班が甚大な被害を受けたということだ。
 そこにさらに降って沸く未知のモンスター。
 蘇生班の半数を失ったプレイヤー達にとって、必死にならざるを得ない自体。
 プレイヤー達は、他の町にいるであろう仲間に連絡を取り始める。
 瞬く間に、城下町にプレイヤーが集まった。
 フェイルス以外の城下町にも、同じようにプレイヤーが集まっているに違いない。
 そこに、ゲームマスターが更なる恐怖として降らせたものが、……何と。

 ラーセリア史上最も残忍な悪竜、黒の恐怖【ダーク・ブラック】だ。

 姿を見るなり、プレイヤーたちは正攻法を捨てた。
 物陰からの奇襲に徹し、その後速やかに撤退。これを繰り返した。
「ダークは、……治癒魔法がない、……から」
 カルラもそれに参戦した。
 ダーク・ブラックの弱点は、氷と炎。
 炎の魔法を得意とするカルラは、あまりにもそこに適役だった。
 覚えたばかりのフレイムLv.10を唱えた瞬間、俺からのウィスパーが入る。
「うわ、じゃあ俺スゲー邪魔だったか?」
「……問題、……なかったと思う」
 そしてダーク・ブラックに一撃を与えると、全力疾走でその場を離れ、そしてウィスパー部屋に逃げ込んだ。そして今に至る。
「……って、ことは」
「まだダークは、……健在」
 参った。
 こりゃソロ狩りとかそういうレベルじゃないな。
 お手上げもいいところじゃねぇか。
「あ、アキラ。おはよう。カルラも」
 何この騒ぎ、と言って突然割り込んで来たのはリリーだった。
「突発イベントだそうだ。……俺も来たばかりでな」
 それにしてもおはようって何だ。今カナダは真夜中のはずだろ。
「バフォメットとか出たらしいぞ」
「ちょっ、何それ!」
 ことの重大さを知り、青ざめるリリー。
「ちなみに今、外ではダーク・ブラックが進撃中らしい」
「うっそでしょ……」
 それにしても、気がかりが1つある。
「あのさ、イシュメルがそろそろ来る頃なんだけど」
 え、と二人が固まった。
「ど、……どこ」
 恐る恐る聞いてくるカルラに、落ちたのが西門の辺りだと告げると、カルラはあっさりと指を立て、「アウト」と呟く。
 自分だけがウィスパー部屋を出る時の動作とワードらしい。
「待てよカルラ、大丈夫なのか!?」
「……イシュメルは、……もっとあぶない、……から」
 俺のウィスパーにそう返すカルラは、慎重に進んでいるようだ。
「ウィスパー、カルラ=クルツ。――カルラ、西門前に来たらすぐこっちに。無茶はしないで!」
「うん、……わかった」
 リリーに答えると、カルラは息を整えるように深呼吸をし、……聞こえる吐息から察するに走り出したようだった。
「西門の辺りって、結構被害甚大じゃなかったか?」
 万一俺より早く来てたりしたら、冗談じゃないことになってるな、きっと。

 カルラが再びウィスパー部屋に戻ると、カルラの息はかなり切れていた。
「だ、大丈夫か……?」
 思わず背中をさすると、カルラはかろうじてこくり、と頷くと、何とか深呼吸で息を整えた。
「……今、……彼がログインしたら、……かなり」
 まずいってことか。
「西門前の状況は?」
「ダークが、……居座ってる」
 最悪で絶望的だ。
 何とかして動いてもらわないと、イシュメルが入った瞬間に即死しかねない。
「せめて、誰か知ってるヤツがいればな」
 注意を逸らしてもらうくらいはできるかもしれない。
 いや無理か。……自分が死ぬかもしれない危険を冒すヤツはそうそういないだろう。
「アキラ、どこでウィスパー部屋に入ったの?」
「ん?俺は南門の近くだけど」
 リリーの問いに答えると、うーん、とリリーが唸る。
 せめてアズレトがいればなぁ、とか言っているところを見ると、どうやら策はあるらしい。
「いればどうするんだ?」
 一応聞いてみると、
「いないからどうにもならないよ」
 ごもっとも。思わず肩をすくめる。
「ちょっと様子見て来る」
 リリーが、言ってウィスパー部屋を出た。
 様子を聞こうとウィスパーを送ると、リリーは呪文を唱えていた。
『――我が足と羽に祝福を……スピード』
 あ。翼を隠してるからすっかり忘れてたが、そういえばティタニアなんだっけ。
「リリー、無茶はするなよ」
『大丈夫よ、様子見で帰るから』
 言って、余裕にも鼻歌を歌い始めるリリー。
 本気で様子見だけらしい。
『いたいた。……おー、大きいねぇ』
 竜が見える位置まで到着したのだろう。嬉しそう……というより観光気分のようだ。
「……リリー、大丈夫そうか?」
『あーうん、今のところ動く気配はなさそうだよ』
 ってことは、戦ってた連中は全滅したんだろうか。それとも俺達と同じでウィスパー部屋へ避難しているんだろうか。
 と、思った瞬間。

『プレイヤー諸君』

 頭に響く、ゲームマスターの声。
 今回はどうやら、緋文ではないらしい。

『ゲームシステムを活用するのは良いことだとは思うが、それではいささかつまらない、と我々は考える』

 うわ、嫌な予感。
 的中しないことを願うばかりだが、その言葉から察するに、俺の予感は的中するんだろうな……。

『今から10秒後、全てのウィスパー部屋を開放する。折角のイベントだ、是非全員参加でお願いしたいと思う』

「やっぱりか……」
 10、9、とカウントダウンを始めるゲームマスターに、俺とカルラは顔を見合わせた。
「……仕方ない、リリー、南門付近で落ち合おう!」
『うん、了解』
 そして、カルラの方を見る。
「……悪い」
「大丈夫、……多分」
 言って、カルラは微笑んで見せた。
 その瞬間、無情にもゲームマスターのカウントダウンが0を告げた。

『さぁ、楽しい破滅の始まりだ』

 ゲームオーバーさせる気満々かよ!
 と突っ込みを入れる間もなく、パキンと音を立て、ウィスパー部屋が破られた。
 問答無用のデスゲームか。
……俺、南門で助かっ……

 どん、と地面を揺すぶる衝撃。
 思わず見渡すと、俺を含めた十数人が、モンスターに囲まれていた。
「うわ、マジかよ!」
 思わず絶句し、そして気付く。
 そういや、ここって低レベルの避難所じゃなかったっけ。
 と思う間もなく襲い来る獣の牙。
 思わず避けると、牙は俺の右耳をかすり、そのまま肩にぶち当たり、俺は床を転がった。
 ぐるるる、と獣が姿勢を低くする。
 姿はホワイトファングに似ていた。
 しかし違う。
 牙がかすった瞬間感じた冷気。属性は間違いなく氷だろう。
 なら、火が効くか?……どうせこのままじゃやられる。ダメ元だ。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 レイピアに宿る炎で周囲を威嚇し、時間を稼ぐ。
 せめてリリーが来てさえくれれば、何とかなるかもしれない。
……もつかなぁ。無理だろうなぁと弱気な所が本音だ。
 しきりにがう、がうと吼えていた一匹が、さらに姿勢を低くした。
――来る!
 瞬間、俺は咄嗟に右に避けた。
 その判断が間違ってはいなかったことを悟ったのは数瞬後。
 まさに俺の頭があったあたりを、獣の牙がガキン、と音を立てる。
 一気に血の気が引いた。
 レイピアを持つ手を突き出すことすらできず、俺はそのまま後ろに飛びのいた。
 その瞬間、一斉に逃げ出すプレイヤーたち。
 数匹がその後を追うが、俺の周りは依然として囲まれている。
「何でこっちに残るんだよ、くっそ」
 悪態をつきながら、震える手でレイピアを構える。
 左手には杖があるはずだ。魔法でスピードを上げたいが、呪文書なんて読ませるヒマは与えてくれないだろう。
 しかしこれがゲームか?と思えるくらいリアルな恐怖だ。
 ゲームマスターが悪魔にしか思えなくなってきた。
 と、獣が一瞬身を低くする。
 慌てて少し左へ身を屈めると、ガキン、と牙がぶつかり合う音が右上で聞こえた。
 その瞬間、俺は慌てて後ろへ転がった。
 他の牙が一斉に飛び掛ってくるのが見えたからだ。
「うぉぅおっかねぇ!」
 思わず声を出しつつも何とかかわすと、時間差で一匹が飛びかかって来た。
 慌ててレイピアを突き出すと、なんと獣はそれを足がかりに上へと跳躍する。
 うへぇ卑怯だろこんなのありかよ!
「『我願う猛る獰猛なる覇者よ内なる力を我が前に示せフレイム!』」
 瞬間、横薙ぎの炎が獣を襲う。
 ぎゃん、と悲鳴を上げ、一匹が俺から距離を取った。
 炎の放たれた方を見ると、そこには杖を振りかざすカルラの姿。
「……伏せて。『我願う猛る獰猛なる覇者よ内なる力を我が前に示せフレイム!』」
 言われるまでもなく思わず伏せる俺の真上を、炎が薙ぎ払う。
「……大丈夫?」
 カルラの声に恐る恐る顔を上げると、獣たちは倒れ伏していた。
「な、何とか……」
 ほっと胸を撫で下ろす。
 どうやら最優先で助けに来てくれたようだ。
「助かったよカルラ」
「……そうでもない」
 え、と声を上げる直前、カルラの腕が俺のローブを引っ掴む。

   ずがァんッ!!

 そこに黒い塊が落ちて来た。
「――ッ!?」
 いや違う。
 これは塊じゃない。
 再びローブがカルラに引っ張られる、と言うより引きずられる。
 その瞬間、俺の今いた辺りの空気をを黒い爪が切り裂いた。

「……ごめん、……振り切れなかった」

 黒の恐怖、【ダーク・ブラック】。
 その姿に俺は、冗談抜きで死を覚悟した。



[16740] 10- 二重の歩く者
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9b3a872
Date: 2010/03/07 12:00
 命からがら、とはまさにこのことだ。
「撒いたか?」
 振り返るのも恐ろしい。
「……多分」
 横でカルラが、瓦礫の隙間から背後を確認する。
 あの馬鹿でかい巨体から、逃げ出せるとは思ってもみなかった。
「さっきの馬鹿デカいシールド魔法のお陰だな。ありがとうカルラ」
 魔法で巨大な盾を展開し、カルラは一撃だけ黒い巨体から放たれる業火を防いでくれた。
 代わりに、と言っては何だが、
「けど、……MPが、……ない」
 これでカルラの魔法は打ち止めだということだ。
 一応システム上、少し経てば自然回復するはずなんだが、カルラの今使った魔法は、どんな攻撃でも一度だけ防ぐかわりにMPが30分ほど自然回復しないそうだ。
 薬でも持ってれば良かったんだが、バフォメットとの戦いでほとんどを使い切ってしまったらしい。
『アキラ、まだ無事?』
 リリーからのウィスパーが響く。
 どうやら部屋に入れなくても、ウィスパーだけは可能になっているらしい。
「何とかまだ無事だ。2回ほど死にかけたけど」
 ほっとしたような嘆息が返る。
 リリーは今どこにいるんだろうか。
『ところで、リアがいるよ』
「え、どこに?」
 思わずそう言うと、上から一枚の羽が降ってきた。
 ばさり、と音を立て、それを追うようにリリーが降りて来る。
――お、羽だ。
 二つ名の通り、まさに白翼を折り畳むように舞い降りたリリーの手を握り、一緒に降りてきたのはリアだ。
「――ごきげんよう、アキラ」
「あぁ、数時間ぶり」
 ふふ、とリアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それにしてもまさかボスのオン・パレードとはね」
 嬉しそうだな、とは口にしなかった。
 多分言うまでもなく嬉しいんだろう。
「しかし状況的にヤバくないか?コレ」
 言うと、リアがくすりと笑う。
「私の小屋に行きたいところだけれど、こんな機会でもなければ拝めないダーク・ブラックまでいるのだもの。……楽しみましょう」
 死ぬかと思ったんだが、と呟いてみると、あらあら、と笑って返された。
「あの狼みたいなのは何だ?ホワイトファングじゃないよな?あれ」
「狼?」
 リリーが問い返す。
「ああ。南門に戻った直後に襲われたんだ。多分属性は氷か何かだと思う」
「……多分、……ハティ」
 カルラが答えると、リアが顔を輝かせる。
「ハティもいたの?何て大盤振舞いなのかしら」
 ハティか。後で調べるとして、そんなことよりどうするかだ。
「イシュメルが来たら、魔族でぶちのめしてもらうってのは?」
「タイラスでは歯が立たないわね。……ダークは魔族と同じ闇属性よ。炎と氷が弱点だけれど、」
 リアがそこまで言った瞬間、誰かが俺を突き飛ばした。
 位置的にはカルラだ。
 そしてそこに襲い来る黒い爪。
   ズガァンッ!!
 轟音を立て、いつの間に忍び寄っていたのかダーク・ブラックの足が今まさに俺たちのいた辺りを踏み潰す。

「――忘れていたわ、私は運がないのだったわね」

 言うなりリアは、背に担いでいた自分の身の丈ほどもある杖を振りかざす。
「リリー、この辺りには誰もいないわね?」
 リアが声をかけると、リリーが上空へと舞い上がる。
 遥か上から、オッケーよ、と声がすると、リアはにこりと笑った。

「受けて立つわ、ダーク・ブラック。今なら私の本領を発揮できそうだもの」

 言うなり、リアはダーク・ブラックの前に飛び出した。
「ちょ、あぶな――」
 俺が制するより早く、竜の目が彼女を捕らえる。
 その爪がリア目がけて振り下ろされる瞬間、思わず俺は目を背けた。
   ズガァンッ!
 衝撃と音が響く。
 目を背けたことを後悔しつつリアの方を見ると、リアは何事もなかったかのようにぱんぱん、とマントを掃っていた。
「リア!」
 無事だったことに安堵しつつ名前を呼ぶと、リアはにっこりと笑って見せた。
 その後ろ姿に、容赦なく振りかざされる巨大な爪。
「危ない!」
 思わず叫ぶと、リアはマントを盾のように持ち上げた。

「――エンチャント、アンチドラゴン。エンチャント、アンチインパクト」

 マントにダーク・ブラックの爪がかかる寸前、リアの口から呪文が漏れるのが聞こえる。
 轟音とともにリアの体が数メートル弾き飛ばされるが、リア自身はほとんど無傷だ。
「うっわ……何だ今の」
 解説されるまでもない。
 リアはその場でマントをエンチャントしたのだ。
 恐らくは、対ドラゴンと、対衝撃の防御を。
 一歩間違えば、マント自体が消滅すると言うのに、そんな危険を思わせることもないほどリアの表情は余裕綽々だ。
 先ほどと同じようにマントを手で掃うと、
「衝撃全部を弾くことはできないってことかしら。私もまだまだね」
 それでも不服なのか、はぁ、とため息をつく。
「リア、人が来る!」
 リリーが上空から叫ぶ。
「あら。……ではそちらに任せましょうか」
 言うと、追撃するダークの爪をひょいひょいと避けながら、リアは数歩後ろへバックステップした。
――と。その時。

 ダークの口が業火に燃える。

 やばい、と思った時には遅かった。
 どん、と言う衝撃とともに、業火が放たれた。


 ぜーはーと肩で息をしながら、俺達はようやく東門の辺りまで退避していた。
「マジビビった……今度こそ死んだと思ったぜ」
 一人平気そうなのは、空を飛んでいてダーク・ブラックの視界から逃れていたリリーだけだ。
「大丈夫?」
「……多分、……平気」
 カルラが、平気とは思えないほど疲れた声を上げる。
「……まさか、『黒の暴虐』とはね」
 リアが呟くように言いながらも、ふうと溜息をついた。
 リア曰く、あの業火はそういう名前のスキルらしい。
 使えるプレイヤーはドラゴニアンの専用スキルらしいが、ダーク・ブラックにもそれは可能らしい。
「もっともそれはプレイヤーが勝手に付けたネーミングなのだけれどね」
 実際のスキル名は不明。最初にダーク・ブラックが使ったことからこのネーミングが付いたのだそうだ。
 さて、と呟いて、リアはふふ、と笑った。
「どうなるかしら、見物ね。魔族でもいれば話は別なのだけれど」
 あ。
「そういやそろそろ8時だけど、イシュメルのやつは寝坊か?」
 時計を見ながら言うと、あ、とリリーが声を上げた。
「まさかとは思うが、やられてたりはしないよな」
「ありえないことではないわね」
 あっさりとリアが言う。
「死んだらウィスパーは、ログインしていない扱いになるもの」
 あ。
 そう言えばイシュメルに対してのウィスパーは試していない。
「ウィスパー、イシュメル=リーヴェント」
[該当キャラクターはログインしていません]
 無機質なアナウンスだけが帰って来る。
「ダメだ、繋がらない」
「電話じゃないんだから」
 くすりとリリーが笑うと、カルラもつられたのか、くすくすと笑う。
「ま、死んでないことを祈るか」
 呟くと、俺もつられて笑う。

「あいつだけじゃなく、俺のことも心配して欲しいな」

 振り返ると、アズレトがそこにいた。
「あら。……こんばんは」
 リアが声をかけると、手近な岩……というか瓦礫に手をかけ、息を整えながら、アズレトはにこやかに笑って見せた。
「初めまして。リアです」
 言うと、リアの名前が浮かび上がる。
 それを見たアズレトの顔が興味に変わる。
「お。あの本の作者か」
 どうやらリリーは、知り合い全員にあの本を勧めたようだ。
「本のことは忘れて頂戴」
 やや赤くなりながら、リアが即座に切り返す。
 どうやらあの本はリアにとって黒歴史らしい。
「そうはいかないな。あの本が書かれた時期、俺はまだ初心者だったから大いに助かった。例を言わせてもらうよ」
 下手をすると嫌味に聞こえるが、リアはそうは受け取らなかったようだ。
 もう、と苦笑してみせるリア。
 と言うかアズレト、考えてみればお前、俺が来るまではハーレム状態だったんだな、考えてみれば。
 仄かに沸いた殺意を抑えつつ、簡単に現状を説明する。
「バフォは倒したんだな?……それにしても、ダークにハティか。同時に来られたら厄介だな」
 他にも同時に召還されている可能性はあるが、当面わかっている情報はその二つか、とぶつぶつ呟きながら、アズレトが杖を肩に担ぐ。
「壊滅させるつもりのイベントなら、こんなもんじゃ済まさないだろうし、どうする?」
 リアの小屋に逃げ込むという手も実はあるのだが、それは根本的な解決にはならないだろう。
 そもそもこのイベントの後始末はするんだろうか。
 イベント終わっても町はこのまま、と言う可能性も捨てがたいが。
 実際、情報サイトによれば、イベントによる町の破壊はNPCとプレイヤーの手で修復されたそうだから、今回も例に漏れずそういうことになるのだろう。

『おいおい、アタシがいない間に何コレ』

 頭にフィリスの声が響く。
「お、フィリスか」
 言うと、全員が俺に注目した。
『町の壊れっぷりが笑えるんです、けど!』
 あはは、と笑うフィリスの言葉が不意に乱れる。
「――ひょっとして戦闘中か?」
「どこにいるか聞いて」
 リリーの言葉に従い、どこにいるか聞いてみる。
 どうやら、朝俺と別れたところからほとんど動いていないらしい。
「ってことはあのドワーフの武具屋前か」
 言うなり、リリーがそっちに飛んで行った。
「リリーが行った。俺たちも向かうよ」
『リリーが?』
 怪訝そうな声色が帰る。
『……ひょっとして、そこ他にも誰かいる?』
 おっと、と声が一瞬慌てたような声色に変わる。
「あぁ、アズレトとリアがいる。あとカルラ」
 言うと、一瞬フィリスが息を飲む。

『逃げろ、そいつはアズレトじゃない』

 その言葉とほぼ同時に、背後から聞こえる鋭い金属音。
 振り返ると、アズレトとリアの杖が交錯していた。
「……ドッペルゲンガーとは、また古風な罠を敷いてくれるわね」
 苦笑するリアが、アズレト……いや、ドッペルゲンガーの、俺への攻撃を防いでくれたらしかった。
 マジかよ、完璧に騙されたぞ。カルラも信じられないと言う顔をしている。
 鋭い剣戟が2度、3度と交錯する。
 火花さえ散らし、鬩ぎ合うリアとドッペルゲンガー。
『よりにもよってアズレトとはね……気をつけろアキラ』
 今行くから、とフィリスが言うが、何をどう気をつければいいのかわからない。
「……生憎ね。私はアズレト本人のことは知らないから手加減はしないわ」
 言うなり、リアが距離を取る。
「『我願う、全てを焼き尽くす炎よ、全てを等しく塵と化せ』」
 その呪文を聞いたカルラが、俺の頭を引っ掴み、地面へと押し付ける。

「『フレイム・ゾナー!』」

   ごぅんッ!!
 まさに灼熱の業火。
 一瞬遅れたカルラの髪を巻き込みつつ、業火はアズレトに似たそれを焼き尽くす。
 うへぇこぇぇ。
 以後リアだけは怒らせないようにしようと心に誓う。
「……ッ!?」
 しかしそれで終わりではなかった。
 炎の中から立ち上がる影。
 リアも信じられないものを見ているように一歩後ずさる。
「――『リジェネレイト』」
 炎の中からその声が響く。
「無茶苦茶ね。……そのアズレトって男」
 ドッペルゲンガーは殺した者に成り代わるって話だけれど、と呟いて、リアが溜息をついた。



[16740] 11- ゲームマスター・エクトル
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9b3a872
Date: 2010/03/12 00:21
 熱気と狂気に歪む笑顔が、俺たちの前に立ち塞がる。
 って言うかあの業火で死なないとか反則すぎるだろ。
「まさか対人で、……ゾナーで倒せないなんてね」
 厳密には対人ではないんだが、どうやらリア的にもショックというか、驚きを隠せないらしい。
「……アズレトの二つ名は、……【神の狂気】」
 カルラが呟くと、リアは驚いたように振り返った。
「まさか――あのアズレト=バツィン?」
 こくりと頷くカルラ。
「ッ――逃げるわ」
 言うなり、リアとカルラはアズレトに背を向け、全力で駆け出した。
 俺もそれに倣うと全力で走り出すが、ドッペルゲンガーは、それを追っては来なかった。


 三者三様に肩で息をしながら、それぞれ膝や壁に手をついて息を整える。
「アズレトなんて名前で思い出すべきだったわね」
 はぁ、と溜息混じりに呟きつつ、リアが壁に寄りかかった。
「なぁ、アズレトってそんなに強いのか?」
 思わず聞くと、カルラはこくりと頷いた。
 リアも、まぁ知らないのも無理はないわね、と呟きつつ溜息をつく。
「アズレト=バツィンのヒットポイントは、9千…いいえ、もしかしたら1万を超えるとも言われているわ」
「それってスゴいことなのか」
 思わず口にすると、二人は俺に苦笑を向けた。
 どうやらズレているのは俺の方らしい。
「例えばだけれど、私が見せた【フレイム・ゾナー】。MPがマックスの状態から使うなら、ランダム・ダメージを含めて……倒せない敵は竜族と炎系モンスターくらいのものよ」
 確かにさっきのリアの魔法は凄かった。
 それで生き残るアズレトはマジでヤバいってことなんだろう。
「……なら、アズレトは最強ってことか」
 言うと、カルラはこくりと頷いた。
「……私たちの中では、……最強に、……近い」
 リアの方をちらりと見ている様子から、それがリアを含めたものであることがわかる。
「そのアズレトを倒したドッペルゲンガーはもっと最強かよ……」
 思わず溜息をつく。
『アキラ、いるか』
 突然ウィスパーが頭に響く。
 イシュメルだ。
「……本物か?」
『何言ってる。偽者でも出たのか?それよりこの状況をまず説明してくれ』
 言うイシュメルの声がわずかにブレる。
『ウィスパー部屋にも入れないし、何だ、バグでも起きてるのか』
 至って冷静な口調だが、声がブレているところを見ると、走っているか戦っているかなのだろう。
「イベントらしい。詳しいことは合流してから話そう」
『了解だ。……どこにいる?』
 言われ、リアに場所を聞くとどうやら北門までが近いらしい。
「北門の付近だそうだ」
『難しいな……今南門が見える位置にいるんだが』
 ということは、あの死体が積み上げられているあたりか。
「中央広場も候補のひとつだけれど、難しいわね」
 いつの間にかウィスパーに参加していたリアが意見を挟む。
 そういえば、イシュメルの落ちたあたりはフィリスのいた武具屋のあたりじゃなかったか?
「イシュメル、フィリスと合流できないか?リリーもそっちに向かったはずだ」
 俺が言うと、リアが首を振る。
「待って。……フィリスの所が安全とは限らないわ」
 ん、とイシュメルが声を返す。
「……ドッペルゲンガーはね、アキラ。とても特殊なのよ」
 リアははぁ、と溜息をつく。
「こんなことを言ってしまうと、何も信じられなくなるかもしれないけれど」
 そして、一瞬言葉を選ぶ。

「……ドッペルゲンガーは、ゲームマスターが操っているとも言われているのよ」

 一瞬何が言いたいんだと返そうと口を開きかけ、俺は唐突に気付く。
「そうよ、アキラ。ドッペルゲンガーは、」
 だとしたら、MMOとしての常識を覆すシステムだ。

「――ウィスパーすらも、可能なのよ」

 フィリスとウィスパーをした時、リリーが向かったと言った瞬間、フィリスは怪訝そうな声を上げなかっただろうか。
 そして、すぐにドッペルゲンガーの成り代わりを見抜いたのもフィリスだ。

「――フィリスが、アズレトをドッペルだと言ったのなら、……リリーもまたドッペルゲンガーだという可能性も高いと言うことよ」

 それはもちろん、リアやカルラ、そして今まさにウィスパーをしているイシュメルすらもその可能性があるということだ。
「……、つまりそれは、フィリスも」
 そう、あの時アズレトをドッペルだと見抜いたフィリスもまた、ドッペルである可能性があるということだ。
「確かに――それは何も信じられなくなるな」
 思わず苦笑する。
「だけど、俺は今襲われたアズレト以外はとりあえず信じてみようと思う」
『……ふむ、なら俺はフィリスと連絡を取ってみるさ』
 言って、イシュメルとの通信が途絶える。
「……リリーがドッペル、か。だけどその場合、ウィスパー部屋で襲うこともできたんじゃないのか?」
 思いつきを口にするが、リアからは意外にも否定が入った。
「ウィスパー部屋は攻撃不可の空間だから、無理だと思うわ」
 そう考えると、リリーの行動は途端に怪しく思えた。
 様子を見てくる、と最初にウィスパー部屋を出たのはリリーだった。
 今まで見せる事のなかった羽を簡単に晒したこともそうだ。
 南門で待つ俺を、リリーより遠かったはずのカルラが先に到着し、助けてくれたことも考えてみればおかしい。
「……スキャンなら見破れるか?」
 わからないわ、とリアが答える。
 カルラも同様に首を振り、持っていないと答えた。
「一人だけ、心当たりがないわけじゃないんだが」
 今日ログインして最初に出会ったあの男だ。
「長い刀で、馬に跨った騎士に心当たりはないか?」
 ダメ元で聞いてみるが、……どうやら心当たりはないらしい。
「……この町にいるのは確かだと思う。探すしかないか」


 探すなら散った方がいいだろうという提案の元、リアと別れた俺とカルラは、慎重に歩を進めていた。
 別れ際にもらった、プレミアアイテムである「ワールドツリー・リーフ」を手にしたまま、滑稽なほど慎重に辺りを見回す。
 俺なんかは、敵と出会ったらまず戦力にならないから、逃げるしかない。
 現時点でわかっている敵の残存兵力は、ダークとアズレトと、そしてハティだ。
 もちろん、ゲームマスターが新たな敵を投入してくるのならば、もうお手上げだ。
 しかしこのイベント、クリア条件は何だ。時間経過か?
 何も説明しないというところがこのゲームらしいと言えばらしいのだが。

「ふむ」

 背後の壁越しに声を聞き、ギクゥッ!と心臓が跳ね上がる。
 見ればカルラも同じようで、顔を見合わせた俺たちは思わず壁に背中を付けた。
「……なるほど、だが壊滅させても構わんのだろう?」
 この声はゲームマスターだ。
 つまりこの壁の向こうには、ゲームマスターがいるということだ。
「あぁ、理解しているよヒフミ。壊滅したら全員を強制蘇生でイベント終了。そういうことでいいんだろう?」
 一つ目の終了条件は、やっぱり壊滅か。
 しかもそれを前提に話を進めてやがるなこのゲームマスター。
「万一私が負けることがあれば、……あぁわかってるって」
 くく、と黒い笑いを残しつつ、ゆっくりと声が遠ざかる。
 どうやら、終了条件はあいつを『負かす』ことにあるらしい。

「……負けることがないよう全力を尽くすさ」

 完全に声が聞こえなくなる直前、俺の耳に微かにその言葉が届く。
 どうやらこの町の『敵』であるゲームマスターは、負ける気は微塵もないらしい。
 ずる、と壁に背を滑らせてカルラが腰を下ろす。
「……、……無理」
 ふぅ、と完全に諦め顔だ。
「あいつの能力は何だろうな。召還だけか?」
 カルラの言葉を聞き流しつつ聞いてみる。
 カルラも知らないんだろうと思ったが、
「ゲームマスター、……エクトル。……サモンと近接魔法のエキスパート」
 うげ、と俺は手を上げた。
 召還だけなら主を叩けば何とかなると思ったが、近接魔法までエキスパートとは。あのエクトルというゲームマスターは、どうやらとんでもない実力者らしい。
「……さて、人数を集めるか。誰がドッペルかもわからないけどな」
 言って、俺はリアにウィスパーを送った。


『そうね、クリア条件がモンスターの討伐でないのなら、モンスターは無視すべきだわ』
 リアはあっさりと賛成し、人数集めに入ると言うとウィスパーを切った。
「……うん、……そう、イシュメルも無事?……そう、……良かった」
 カルラはフィリスとウィスパーをしているらしい。
「ウィスパー、イシュメル=リーヴェント。……無事合流できたみたいだな」
 声をかけると、イシュメルがおう、と返事を返す。
『途中ハティに襲われるわ、散々だったけどな』
「安心しろ、俺もそれに襲われた。カルラがいなかったら死んでたぜ」
 お前もかよ、と笑い、イシュメルは現状を説明し始めた。
 案の定というべきか、リリーはドッペルゲンガーだったらしい。
 フィリスがそれを何とか撃退し、ドッペルから正体不明の未鑑定アイテムをゲット。
 どうやらスキルブックらしいのだが、未鑑定のアイテム入手はフィリスにとって初めての経験らしい。とは言っても鑑定できないのでどうにもならないんだが。
『ハティからも牙を取ってた。炎なしでハティ倒すヤツは流石に初めて見たけどな』
 どうやら、アズレトのみならず、リリーやフィリス、カルラを含め、4人は優秀揃いらしい。



[16740] 12- 他力本願
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9b3a872
Date: 2010/04/01 07:32
「今はこれで全員かしら?」
 後から増えるのだろうけれど、と呟いて、リアが人数を数え始める。
「あぁ、まだ行方不明な奴は多いが、集められる限りは集めたよ」
 フィリスが言うと、リアが38人ね、と最後に俺を指差した。
 って言うか俺もイシュメルも戦力に入れたらしい。
「増える可能性はどのくらいあるんだ?」
「そりゃー、死んでるヤツを蘇生するだけでも戦力は増えるし」
 あぁ、なるほど。
「なら十分戦える範囲ってことでいいのか?」

「ちょっと待ってもらえるかしら」

 突然、リアが異を唱える。
「倒したドッペルゲンガーがどうなったのかを最後まで見ていた人はいるかしら?」
 フィリスに目を向けるが、フィリスは見てないと即答する。
 イシュメルに至っては戦っている現場から離れていたらしく、見てすらいないそうだ。
「俺も知り合いのドッペルと戦ったが、……すまん、見てない」
 斧を構えたドワーフがそう申告するのをきっかけに、目撃情報がいくつか報告される。
 38人中、7人がドッペルゲンガーに遭遇し、7人ともが倒した後は確認していなかった。
「7人のドッペルゲンガーに私たちが出会ったアズレトを含めて、最低8体のドッペルゲンガー。……ゲームマスターの召還には制限というものがないのかしらね」
 リアが溜息をつく。
「それがどうかしたのか?」
 ドワーフが思わずリアに尋ねる。

「……蘇生してみたらドッペルゲンガー、という可能性はないかしら?」

 一斉に場が静まり返る。
「さ……さすがにそれは」
 反論しかけた俺をリアが制する。
「――ドッペルゲンガーは、特殊だけれど、一応ボスモンスターよ?」
 リアの言葉の真意が掴めない。
「……あ、……まさ、……か」
 カルラが呆然とする。
 何かに気付いたようだが、俺にはそれが何かわかるはずもない。
「リア、何なんだ?勿体つけてる場合かよ」
 俺が言うと、リアはふぅ、と溜息をつく。

「――誰か、この中で、……ドッペルゲンガーを倒しました、ってアナウンスを聞いた人はいるのかしら?」

 絶句。
 一瞬沈黙が場を支配し、ざわつき始める。
 そうか。
 カルラは俺の目の前でハティを倒しているし、バフォメットの討伐にも加わっている。だから誰からもアナウンスの報告がないことに気付いたんだろう。
「そもそも、ドッペルゲンガーは特殊すぎてまだわからないことの方が多いのよ。……可能性があるなら潰すべきだと考えるわ」
 つまるところ、安易に蘇生するわけにはいかなくなったということだ。
「――一人だけ例外がいるぞ」
「……あのドッペルゲンガーが死んでいないなら、だけれどね」
 倒したのではなく、俺たちはドッペルゲンガーを放置して逃げ出している。
 つまり、アズレトの「死体」だけは蘇生しても問題がないということになる。
「アズレトなら、場所は知ってる」
 フィリスが呟く。
「では、まずは最強の味方を蘇生に行きましょうか」
 再び場がざわつく。
 一体誰が行くんだよという声がほとんどだ。
「アタシが行くよ。あとカルラも来てくれる?」
 呆れたようにフィリスが呟くと、カルラがこくりと頷いた。
 そのカルラの顔も落胆しているように見える。
「……俺が戦力になればいいんだけどな」
 思わず声をかけると、カルラがくすりと笑って見せてくれた。
「大丈夫、……行って来る」


「さて、こちらはこちらで作戦でも立てましょうか」
 一息つくと、リアが皆を注目させた。
「皆の目撃情報をまとめてみたわ」
 言って、羊皮紙を一枚、机の上に広げて見せる。

×バフォメット 1体
 ダーク・ブラック 1体
 ハティ 最大2体(4体は討伐済み)
 ドッペルゲンガー 1体以上(7体は討伐済み)
 レディ・ヴァンパイア 1体
 ワイバーン 8体

×スライム状モンスター 30体ほど
 キジムナー? 20体くらい ― 半分ほど討伐済み
 竜のようなモンスター(名称不明) 1体

「今の所これだけ残っているというわけね」
「あぁ、そのドラゴンみたいなヤツだが、馬鹿みてーに強かった」
 ドラゴンではない、と念を押すエルフの弓師。
 聞けば、竜殺しの霊薬を撒いたが効かなかったとのこと。
……そういうのはダークに使って欲しいもんだと思ったのはきっと俺だけじゃないだろう。
「――それにしても、38人の目撃情報がこれって少なくないか?」
 そうね、と呟きながら、リアは考え込むように羊皮紙を見つめた。
 討伐された分を含めて75体。
 数時間そこそこでこの量なら多いとも思えるが、無尽蔵に召還できるのなら、あのゲームマスターのことだ。これくらいでは済まさないだろう。
「……なぁ、タイラスで蹴散らすってのはダメなのか?」
 大剣を持った男の問いに、イシュメルが明らかに不機嫌な表情を見せる。
 それを無視して数人が、それがいいと口にするのが聞こえる。
――確かにそれは俺も考えた。
 現に同様の意見を提案としてリアたちに言ったこともある。
 だが、イシュメルがログインしただけで殺そうと集まる奴らが何を言ってやがる。
――そうでなかったとしても、……イシュメルが不機嫌そうな顔をしている時点で諦めるべきじゃないのか。

「……他力本願だな」

 思わず口にしてしまってから、しまったと思ったがもう遅い。
「――ンだと?」
 男が反応する。
 ここで内部分裂はマズいか。……謝ろう。それで丸く収まる。

「……いいえ、アキラの言う通りよ?他力本願の極みね」

 その怒りに油を注いだのはリアだった。
「全くだな。……普段は出て来るなり俺を殺そうと待ち構えてるような連中が何を言ってやがる」
 ふん、とイシュメルが追い討ちをかける。
「テメェ……!」
 殴りかかろうとする男の拳を間一髪でかわし、イシュメルがその背を蹴り倒すと、勢い余った男はそのまま派手にすっ転んだ。
「……いいぜ、魔族でログインしてやろうか。目的はゲームマスターの肩入れになるが、それでもいいならな」
「――言い過ぎだイシュメル」
 慌ててイシュメルを制する。さすがに実行するつもりはないだろうが、これ以上こじらせる意味がない。

「いいえ、いいのよアキラ。……もうこのムードで団結するのはさすがに無理でしょう」

 リアが溜息をつくと、羊皮紙をたたんだ。
「このゲームはゲームマスターの勝利よ。少なくともこの町の城は落ちるわ」
「そうならないために、魔族で蹴散らせばいいだけじゃねえのか」
 男が話を蒸し返す。
「では聞くけれど」
 リアがその男に向き直ると、呆れたように呟いた。

「――その魔族が、万一新たに呼び出されたドッペルゲンガーに敗北した場合のことは考えているの?」

 それこそ一巻の終わりだ。
 ドッペルゲンガーは魔族のステータスとスキルを得て、……さらに魔族を倒したことによる経験値で、下手すればレベルが上がってさらに凶悪になるんじゃないだろうか。
「普段俺に勝てねえような雑魚どもが、俺に勝ったドッペルに勝てるのかよ」
 ふん、と鼻を鳴らしてイシュメルが言うと、男は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせた。
「そもそも団結しましょうと集めた場で、一人の力に頼るなんて本末転倒もいいところではないかしら?」
 言うなりリアは踵を返す。

「もういいわ。行きましょうアキラ。例の小屋ならおそらく安全でしょう」

 隠れていた小屋を出るリアの言葉には、悲しそうな響きが含まれていた。
 イシュメルははぁ、と溜息をつき、それに続く。
――きっかけを作ってしまったのは俺の一言だ。
 俺だって他力本願だ。低レベルのくせにそんなことを言う資格はなかった。
 だが撤回するつもりはない。それでも。

「……情けねえな。……お前ら」

 俺は思わず口にした。
 多分、これは逆効果なんだろう。
 それでも口にせずにはいられなかった。
――先を続ける言葉が思い浮かばず、……俺はそのまま小屋を後にした。



[16740] 13- 壊滅情報
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9b3a872
Date: 2010/04/01 07:48
 ウィスパーで連絡を取り合い、落ち合ったフィリスとアズレト、カルラを目にした瞬間ほっとした。それが俺の今の心境だ。
 落ち着ける場所に腰をかけ、アズレトがリアと挨拶を済ませると、今さっきあったことを3人に話す。
「……そりゃこっちが悪いね」
 フィリスがばっさりと切り捨てた。
「他力本願ね、確かにそうだけど。なら彼らを集めたアンタ達は他力本願じゃないってのかい」
 フィリスの言う通りだ。
 俺に至ってはそんな言葉を口に出せるほどの実力すらないのだから。
「とは言え、――魔族を出すことに関してはアタシも反対だ」
 フィリスが言うと、アズレトもこくりと頷いた。
「チェスと同じだ。――個にすがる集団は、その個が敗れたら統率を失う危険があるからな」
 なるほど。
 キングが死んだらゲームそのものが終わるということか。
「リリーがいれば、まだ何とか……ねぇ」
 フィリスがぽそりと口にする。
「ん?リリーは見つからなかったのか?」
 思わず聞くと、フィリスは乾いた笑いを向けた。
「……どれがリリーかわからなかった、って言うべきかね」
 聞けば、リリーの死体のあった辺り一面が焼け野原だったと言う。
 アズレトは、フィリスがかすかに持っている霊感能力でギリギリ感知できたため蘇生されたが、リリーはその霊魂を見つけることもできず、結果蘇生することが適わなかったのだそうだ。
「そういえば、リリーのドッペルも『アズレトがいれば』とか言ってたな」
 そりゃ光栄だな、とアズレトが驚きを露にする。
 あの炎に耐えられる肉体を持ったアズレトに「光栄だ」と言われるとか、リリーはどれだけ高性能キャラなのだろう。
『――この名で間違いなかったと思うが』
 唐突にウィスパーが俺の頭に流れ込む。
 誰だ、と声を返そうとして、
『できる限り何気ない顔で話を聞いてくれ。返答はいらない』
 真っ先に釘を刺される。
 ならば話題提供をして無言で話を聞く方に回ろうと考え、
「そう言えば、例の長い刀の男は見つかったのか?」
 一同揃って否定を返す。
 そうか、と返答をして、

『何だ、――俺を探していたのか』

 意外なところから思わぬ肯定。
 内心驚きを隠せないが、一応ポーカーフェイスで押し通す。
「どこにいるのかしらね」
 リアが溜息をつく。
「――マジでどこにいるんだろうな」
 ここぞとばかりに相手に尋ねると、男はくっく、と笑った。声の感じから、恐らく苦笑なのだろう。
『君に会った場所に戻って様子を伺っている。だが来ない方がいい』
 言うと、彼は苦笑する。
『――今来ても険悪なだけだろうからな』
 ん、と思わず口に出し、その呟きが気にも留められていないのを確認してから思考を巡らせる。
 険悪なだけ、――と言う台詞から大体の予想は付く。
 俺がこの世界で「険悪」になったのは、ついさっき喧嘩をして別れた集団だけだ。と言うか今目の前にいる連中以外に知り合いはほとんどいない。
――今ウィスパーをしている彼と、あの時のプロフィットは別だが。
 つまり彼らと彼が合流した、と言うことになる。
『タイラスの気持ちはわかる。――実は俺も魔族だったからな』
 すまなかった、と彼は詫びた。
 あぁ、そうなのかと俺は思う。
 いくらか胸の溜飲は下げられたが、実際にタイラスに丸投げしようとした彼らを許したわけではない。
「彼を見つけるのが先決かしら」
 そんな彼の言葉と同時進行で会話を進めているリアがふぅ、と溜息はく。
「目撃情報がないなら彼を探すのは一旦諦めよう。この後はどうするんだ?」
『――だが一つ勘違いだ。アキラ達が思っているように、彼らは全てを魔族に託そうとしたわけではない。……それだけは覚えておいてくれ』
 ふむ、と思う。
 自分で改めて考えてもわかる。
 やっぱり俺の一言が余計だったと言うことなのだ。
「――神の狂気と白翼の幻でなら、ってことなのかしら?」
 リアの言葉に我に返る。
 彼の話に集中しすぎて、こっちの話を聞いていなかった。
「いくら俺とリリーでも、さすがに二人で何でもできるわけじゃない」
 それはそうだろうな。
 二人揃ったら何でも出来るとか、どこのチートだよ。
『何か進展があれば連絡するが、』
 彼が話を切り上げようとしているのがわかる。
 言うなら今か。言うには少し場違いな言葉だし、イシュメルにとっては不快かもしれないが。
「俺のせいだな。……悪かった」
 リアが首を傾げるのと、イシュメルがん?と声を上げるのと、彼の声がイシュメルと同じ声を上げるのが見事に揃った。
「――レベルも実力もない初心者が言う台詞じゃなかったと思ってな」
 少なくとも、当のイシュメルが反論するまでは黙っているべきだったのかもしれない。
 簡潔に言ってしまえば、「ついかっとなって言った。今は後悔している」ってやつだ。
『――伝えておこう。何か用がある時は連絡する。……ではな』
 男はそう言ってウィスパーを切った。
 リア達の苦笑。
 今更ね、とその目が言っているのがわかる。
「あぁ、別に構わんさ。お前が言わなきゃ俺が言ってたしな」
 イシュメルが横からフォローを入れるが、それがフォローになっていないのは言うまでもない。
 本人が言うのと俺が言うのとでは全く違うし、何より本人が言ったのならば彼らだって納得したかもしれないのだから。

「ところで、他の城はどうなっているのかしらね」

 さらりと話題を変えたリアの呟きに、カルラがぽそりと呟く。
「ラフィリアとアルティリス、……シルヴェリアと、……ルフェルドリアが落ちた」
 うわ。
 どうやら他の国も凶悪なことになっているらしい。
「ライラガルドとラグフィートは今のところ健在のようだね」
 誰かにウィスパーを送っていたフィリスが次に報告した。
「……あと、……新情報」
 カルラが手を上げる。
「イベントが開始されてから、……キャラクターはログアウト、……しない」
――は?
 思わず目が点になった錯覚を覚えた。
「用事があっても落ちれないってことか?」
「……プレイヤーがログアウトすると、……キャラは、……眠り状態になる」
 あぁなるほど。それなら納得……
――するか莫迦。
「つまり、どこにキャラを置いてログアウトするかも重要になるってことね」
 ウィスパー部屋の破壊といい、いくらイベントだからってやりすぎじゃねーのか、と思ったが、リア達の表情を見ると、「やれやれまたか」みたいな顔をしている。リアの話では、どうやらイベント時はいつもこうらしい。
「予想はしていたけれど、ここまでの壊滅イベント敷いておいて、それすらいつも通りとは恐れ入るわね」
 全くだ、とイシュメルが溜息をついた。


「んで、要するに」
 他国にいる冒険者からの情報を得た上での結論は、国外からの助力は絶望的ということだった。
 リアのポータルエンチャントも試してみたが、ポータルそのものが発動しない。
 加えて、他国にいるフィリスの知り合いからの報告によれば、国境を越えようと試みたところ、その場に凄まじい量のモンスターが召還され、撤退を余儀なくされたらしい。そしてそれらのモンスターは国境から他国へは行かず、自国へ攻めて来たという。
 他国へ侵入すると自動で発動するのか、またはゲームマスターがそれを感知して召還するのかは謎。
 それから、他国のゲームマスターは、フェイルスにいるゲームマスターとは違うらしいこと。根拠は、まだ落ちていないライラガルド担当のゲームマスターが、自らをヒフミだと名乗った、という報告。フェイルスの担当がヒフミでないことを考えると、全て違うゲームマスターである可能性が高い。
「この国のイベントは、この国に今いるプレイヤーだけで解決しなければいけないということね」
 正真正銘、マスターの総力をかけた全身全霊の壊滅イベントだ。
「……ヒフミの担当するライラガルドが落ちていない……と言うのは気になるな」
 アズレトが顔に手を当て、ふむ、と考え込む。
 アバターの顔がムカつくほど男前なので、そんな仕草が嫌味なほど似合う。
――という私情はこの際挟まないが、
「何が気になるんだ?」
 勿体つけんなこの野郎。

「――うん、いや、ヒフミは極大範囲攻撃持ちの生粋の剣士だったはずだ。一度だけイベントで手合わせしたことがある」

 僅差で負けたけどな、と苦笑するアズレトに内心戦慄を覚えた。
 イベント時はチートをしていないという前提だったとしても、ゲームマスターはそれなりに強い状態でのイベントにするはずだ。
 でなければ勝利した時の喜びはない。
 それを「手合わせ」して「僅差」だと言うのだ。
 実質、ゲームマスターである緋文と同程度の実力者だということになる。
「……あぁ、勘違いするなよ?手合わせと言ってもこっちは2人だ」
 それでも実力者には違いない。
「ちなみにその時のペアはアタシね」
 自慢げにフィリスが補足する。
「……私とリリーは、……ボロ負け」
 こちらは相手にすらならなかったそうだ。
「相性が悪かっただけだろ。ヒフミとじゃなく、例えばヤスミとなら勝てたとは行かなくてもいいところまで行けたかもしれないぜ」
 戦うゲームマスターはくじ引きで決められ、運悪く緋文と当たってしまったということらしい。
 実際には、そのイベントでの勝利者は出なかったらしいが。
「この町担当は、エストルとか言ったっけ」
 聞くと、エクトルだと訂正された。
「召還魔法と近接魔法のエキスパート、……って言われてる」
 近寄って来ない敵には召還を、近寄ってきたら近接魔法。
 完璧とは言わないが、どうやら骨が折れそうだ。どの道俺ごときじゃ相手にもならないんだろうけど。


「そう言や……アズレト、鑑定って何だかわかる?」
 アズレトが怪訝そうに眉を潜めると、フィリスが紙のようなものを差し出した。
 ぴらりとそれを開くと、モザイクが入ったような文字らしきものの羅列。
「……スキャン、ズィス」
 アズレトにそれを持たせたフィリス言うと、紙が青く光り、アズレトの表情がさらに怪訝に歪む。
「――知らないな、聞いたこともない」
 そっか、とアズレトから紙を受け取ると、アキラの剣もそうらしいんだけどね、と付け加える。
「金庫に預けなくて正解だったかもな。……最悪中身ごと破壊されていたかもしれん」
 アイテムが預けられる「金庫」なるものがあるのだろう。
 今初めて知ったが、それを紹介されていなくて助かった、と俺は思った。
 アズレトの言う通り、預けていたらそれごと破壊されていたかもしれないのだから。
「――ってことは火事場泥棒ってのもいるかもな」
 ぽそりと俺が呟くと、そんなの茶飯事よ、とリアが苦笑した。



[16740] 14- 蛇の潜む藪
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9b3a872
Date: 2010/03/26 01:14
 どうするか、などと作戦を立てている最中。
 それは、突然起きた。
 どん、と言う破壊音。
 最初に反応したのはアズレトだった。
「ちっ……くそ、逃げるか?」
 言うなり、持っていた杖を構える。
 その横に立ったのはリア。
「逃げる?冗談でしょう」
 言いつつ、リアは腰から短剣を抜いた。

「知恵と勇気で何とかなるものよ」

 うわぁ……。言っちゃったよ。と思わず心でツッコみを入れる。
 そのリアの横で、アズレトが爆笑した。
 その笑い声に反応してか、黒い爪が二人のいるあたりを凪ぐ。
 自分のことでもないのに一気に血の気が引いた。
――いや、自分のことでもないわけではなかった。
 爪によって抉られた土が、俺たちのいる辺り一面に降り注ぐ。
 思わず腕で頭を庇うと、物凄い力で背後からマントを引っ張られた。
 って締まる締まる!
 思わず咳込むと、カルラが酷く申し訳なさそうに背中をさすってくれた。
「……悪い、助かった」
 言うと、カルラは微笑みでそれに返し、リアとアズレトのいた辺りに視線を向けた。

「……嘘だろ」

 信じられない物を見た。
 アズレトは、何とその爪を杖で砕いていた。
 リアはと言うと、ちゃっかりアズレトの陰にいて何の被害もない。
「私の補助はいるかしら?」
「Lv.20以上があるなら全ていただきたいね」
 自分に補助魔法をかけながら言うアズレトの言葉に、リアは肩をすくめて見せた。
 それはつまり、全ての補助がアズレトが上だと言うことなのだろう。
「……勝てそうかしら?」
 リアの言葉に、アズレトがはは、と苦笑する。
「ダーク相手にソロで勝って見せろって?……無茶を言う」
「あら。貴方なら不可能ではないと思うのだけれど」
 皮肉で返すアズレトの言葉に、しかし平然と返すリア。
「それはさすがに買い被りが過ぎると思うんだがな」
 アズレトがはははと苦笑するが、リアはくすりと笑って見せた。

「では一人でなければ余裕だということかしら」

 リアの言葉に応じたわけではないだろうが、黒い竜が突然悲鳴を上げた。
 いつの間にか、その足元にフィリスが走り込んで……いや、すでに攻撃を叩き込んでいたらしい。
「余裕ぶっこいてないで手伝いな!アタシ一人でやれったって無理だよ!」
 言うなり、再び振りかぶったタイ剣を足元に叩き込む。
 そう言えば、タイラント・デビルは火属性だ。ってことはその剣も属性は火なのかもしれない。――見事に、ダークの弱点だ。
 悲鳴を上げ、ダークがその巨大な羽をばさりと動かした。

「逃がすかよ」

 言ったのはアズレトだ。
「――『スロウ』!」
 スロウ、ってことは動きを遅くする魔法だろうか。
 そんなことよりも詠唱しているように見えなかった。――つまりあれは詠唱破棄ってやつなんだろう。
 ダークの動きが極度に遅くなる。
――と、ダークが口を大きく開く。
 その口から覗く、灼熱の業火。
 やばい、『黒の暴虐』だ。

「――それを待っていたわ」

 それを見ながら、リアが不敵に笑う。
「『我願う、絶対なる氷の王女よ、』」
 スロウで動きが落ちているとは言え、さすがに自殺行為ではないのか、と思った直後、ダークの口から炎が迸る。

「『その力で炎さえも凍て付かせよ――アブソリュート・ゼロ』」

 瞬間、リアの呪文が完成した。
 バキン、と嫌な音が響く。
 その瞬間、ダークの口から迸っていたはずの炎が、リアを襲う。
 しかしその直前。

 赤い炎がバキバキと音を立てて凍り出す。

「嘘だろ!」
 イシュメルが叫ぶように、同じことを俺も考えていた。
 炎が目の前で凍り付いて行く。
 その炎を吐いた主――ダークに向かって。
 そしてそのまま、その凍て付く炎がダーク自身を襲う。
 ダークは自らの炎を凍らされ、悶絶し、暴れ回る。
 当然だろう。口は氷で塞がれているのだから。
 そこに叩き込まれ続けるフィリスのタイ剣。
 そして、カルラがそこにフレイムで加勢を始め……

 巨体が、音を立てて膝を付いた。
 そして天に向かって悔しそうに吼える。
 そして、それを最後の悪足掻きに、……その巨体が地へと崩れ落ちた。
[ダーク・ブラックを討伐しました]
 そのアナウンスとともに――ダークが完全にその動きを止めた。


「ジャッジ、ダーク・ブラック」
 リアは呟くと、ダークを次々と解体して行った。
 鱗、牙を始めどこから出したのか魔法書、短剣、そして。
「この杖は――また未鑑定?」
 またしても未鑑定品が出た。
「……鑑定でも実装するつもりなのか?」
 アズレトが言いつつそれをチェックし、とりあえず物品はリアが預かることになった。
「これでダークもチェックから外れるわね」
 言って、羊皮紙のチェックに×印を付けるリア。
「それにしても、――たった4人で倒すとか、ホント規格外だなお前ら」
 ははは、と乾いた笑いを向けると、アズレトが苦笑した。
「……そんなわけないだろ。今までの戦いで弱ってたんだよ」
「ダークは、……治癒魔法がない、……から」
 あぁ、確かに言われてみればそうだったっけ。
「まぁそれでも規格外って事実に変わりはないけどな」
 イシュメルが俺に同意する。
 そう言えばイシュメルの魔族って元のレベルはどのくらいだったんだろう。
 少なくとも、ある程度は育っていたように感じる。
「リア……さっきの魔法は何だったんだ?」
 アズレトが興味津々と言った顔でリアに尋ねる。
「――さぁ、何のことかしら」
 くすり、と笑うリア。
 どうやらあれは隠しておきたいものらしい。
 ちぇ、とアズレトが肩をすくめて見せる。
――というかリア、まだ隠し玉をいくつか隠していそうな気がする。
 例えば腰の剣。
 武勇伝を聞いた限りでは、ソードブレイカーと短剣、という話だったはずなんだが、明らかに短剣ではなく長剣……あるいは細剣の類のような気がする。
 フィリスがツッコみを入れなかったところから、俺の勘違いかもしれないという可能性はあるが。
 それに、マントだ。
 前回ダークと対峙した時、わざわざ攻撃を受ける直前にエンチャントをしていた。
 エンチャントは一度きりで消えるものではなかったはずだ。
 なのに一度防いだはずの攻撃に対し、エンチャントをし直す必要はなかったんじゃないだろうか。
 まぁ、どうせ聞いたところで答えてはくれないだろうけど。
「さて、これからどうする?」
 言ってみたものの、俺は何もできることはないんだろうな、とは思う。

「――そうね。折角のイベントだもの。アキラやイシュメルにも楽しんでもらわないといけないかしらね」

――にっこりと笑うリア。
 どうやら、……蛇の潜む藪を突付いてしまったようだった。



[16740] 15- サラマンダーの脅威
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:5e69c54d
Date: 2010/03/31 23:07
「――それはマジな話か」
 俺が尋ねると、アズレトがおう、と満面の笑みを浮かべて見せる。
 どうするかと聞いたのは確かに俺だ。
 そしてすることがあるのなら、それに参加したいとも思う。
 だが。
「……俺が先頭に立つ意味は?」
 そう。
 リアはあろうことか、俺を先頭に立てると言い出したのだ。
――そしてアズレトもそれに賛同し、フィリスもそれがいいと囃し立てる。っていうかフィリスの場合は楽しければ何でもいいんじゃないか?そう思うのは俺だけなのだろうか。
「『しんがり』が俺ってのも、……当然マジなんだよな?」
 イシュメルは完全に諦めた顔だ。
 俺の時と同じように、アズレトが満面の笑みでおう、と頷いた。
 俺の質問に答えるつもりは、さらさらないらしい。

 俺とカルラがゲームマスターを見たのは町のどこだっただろうか。
 俺の記憶はアテにならないということで、カルラの記憶から位置を推察し、ゲームマスターの向かう進路を予想。
 2つ3つと様々なルートを地図で検証するリアの手は、……そのことごとくが同じ場所に辿り着いた。

「目指すはルディス城かしらね。……落とされていなければいいけれど」

 縁起でもないことをさらりと言ってのけるリア。
「当然モンスターをばら撒きながら歩いてると考えるべきだな」
 フィリスが楽しそうに笑うが、先頭を歩くのは俺だ。
「――全力で援護するから、……大丈夫」
 カルラが心中を察してくれたのか、にこりと笑いかける。
 どう考えてもヤバい時はリアとアズレトが前面に出てくれるそうだが、今の二人の様子を見ている限りではそんなつもりがさらさら無いように見えるんだが気のせいか。――そしてフィリスは戦う気が無いのか。
 そして最後尾のイシュメル。
 イシュメルを最後尾にするのは理由があるらしい。
「……イシュメルはある程度戦いに慣れてるから援護頼む」
 そう。弓での援護射撃に徹するということだ。
「まぁ――上げたレベルも全部弓の修練に注ぎ込んだからな」
 ある程度弓を鍛えたイシュメルなら最後尾を任せられるということか。


 正直キツい。
 数回目になる戦闘をこなした後、頭に思った言葉はそれだった。
 膝に手をつき、息の乱れを整える。
……今頃リアルの俺の体は、汗だくでひどいことになっているような気がする。
 動きは連動しないが、精神的な発汗まで抑えることは難しいだろう。
「……ハティはこれで殲滅完了かしら?同じモンスターはどうやら召還されないようね」
 再びダーク・ブラックのような凶悪なモンスターが出ることも想定していたのだが、どうやらその心配はないようだ。
 と安心させておいて突然降って沸くと言う可能性もないわけではないのだが。
「ん、ドラゴンのようなモンスターってのはアレか?」
 言って、アズレトが指をさした。
 その先を見ると、燃えるような赤が目に入る。
「――竜、ね」
 見た目は確かに竜だ。
 その大きな体をくねらせるようにしながら、俺たちに気付いたのか威嚇しはじめた。
「……どっちかと言うとオオトカゲじゃね?」
 思わず感想を言うと、
「――言われてみれば確かにトカゲだな」
 そしてそのトカゲが動く。
 慌ててレイピアを構えると、俺の横スレスレをイシュメルの矢が音を立てて横切った。
 それがトカゲの腕を見事に射抜く。
 シャー!と声を立てながらトカゲがこちらへと近付く。
 その腕に刺さった矢が燃える。
――サラマンダーだ。
 と言うことは属性は炎。
「『我願う、静かなる清流よ。濁流と化して敵を流せ、ウォーター!』」
 唱えた途端、ケツァスタから水が溢れ出し、サラマンダーを直撃する。
「いつの間に!」
 アズレトが驚いたように言うと、感心したようにフィリスが口笛を吹く。
 実はリアの家にいる時と、あいつらと目撃情報をまとめている時間など、暇に任せて呪文書をチラチラ読んでいた。
 とは言っても、短時間で覚えられたのはウォーターくらいだったけどな。
 だがあのエルフが言っていた通り、サラマンダーはどうやら強敵のようだ。ウォーターが直撃したにもかかわらず、多少怯んだだけだ。
「でもさすがにLv.1程度じゃ倒すのは難しいか」
 言いながら、アズレトが次の攻撃に備えてか、杖を構える。
「目撃情報では倒すのは難しいと言ってたんだろ?ならアキラは下がって」
 フィリスがタイ剣を構える。
――いやちょっとまてフィリス。タイ剣って炎属性じゃ……
 俺が何かを言うより早く、フィリスはタイ剣をサラマンダーの巨体にぶち当てる。

 瞬間、サラマンダーの巨体が吹き飛ばされる!

「ちょ、無茶苦茶だな!?」
 質量の法則などまるで無視だ。
「見ているといいわ、アキラ。いずれあなたも使う攻撃よ」
 吹き飛ばした巨体に走って追い付き、属性の相性など無視してタイ剣を連続で2発巨体に叩き込み、さらに叩き込まれた攻撃がサラマンダーの前足を宙に浮かせる。
 浮いた前足が再び地を踏んだ瞬間、フィリスの足が一歩踏み込む。
 同時に、そのガラ空きの巨大な腹に向けての一撃。
 巨体が再び吹っ飛んだ。

 リアが平然とそれを解説する。
 最初の吹き飛ばし攻撃はチャージング。
――それは納得だ。巨体を吹っ飛ばすほどの威力以外は、だが。
 次の2発はダブルインパクト。これも納得だ。
……たった2発でサラマンダーが悶絶することを除けばだが。
 そして最後の一発はストロングインパクト。
 どれもこれも、大剣スキルらしい。
――つまりリアは、俺に大剣も覚えろと暗に言いたいのだろうか。

 平然とフィリスが剣を肩に担ぐ。
「ゴメン飽きた」
 言って、アズレトの肩にタッチ。
「……やれやれだ」
 呆れたように呟くアズレト。
――いや、呆れるのはフィリスにではない。
 サラマンダーの方だ。
 視線を戻すと、あれだけやりたい放題やられたにもかかわらず、サラマンダーはこちらを威嚇していた。
 それでもダメージはあるのか、その動きはさっきと比べて遅い。
「フロスト」
 サラマンダーに杖を掲げつつ、アズレトが呟く。
 攻撃魔法も詠唱破棄。何てデタラメな。
 しかしサラマンダーもそう簡単にはやられない。
 それを素早く避けると、こっちに向かって炎を吐く。
「うわッ!?」
 思わず声を上げ、慌ててそれを避ける俺。
 しかし慌てたのは俺だけで、他のメンバーは全員スマートに避けていた。
――そこにイシュメルも含まなければいけないことにイラっと来るが。



[16740] 16- 評価
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/04/08 16:50
 威嚇するサラマンダー。
――その口から炎が再び放たれた。
「と、っと」
 若干焦っているのは俺だけで、皆は俺が避けるのに合わせてスマート且つ楽々と炎をかわす。
 いや、表面上楽に見えているだけで、実は楽々ではないのかもしれないが。
――同じレベルのはずのイシュメルは、ゲームの経験の差なのだろうと信じたい。むしろそうであってくれ。じゃないと俺は悲しい。
「アキラ、ウォーターを準備しておけ。万が一目の前に迫ったら放て」
 準備も何も覚えているんだが、と不思議に思っていると、
「――最後の一言以外を、……あらかじめ唱えて」
 カルラの言葉に気付く。
 そういう手があったか。
「『我願う、静かなる清流よ。濁流と化して敵を流せ』」
 やってから気付く。
 ひょっとしてここから先はウォーターを放つまで喋れないのだろうか。

 アズレトがサラマンダーに殴りかかる。
 その杖をひょいと避けたサラマンダーだったが、アズレトの杖から放たれた氷の魔法にダメージを食らう。
 なるほど。当たってもダメージ、外れても魔法。
 あわよくば、当たったと同時に魔法でダメージの2段構えか。
――前提条件として、魔法を詠唱破棄できることが必須だというのが辛いところだが。
 リアが戦い方を覚えておけ、と言った意味がよくわかる。
 確かにこれは勉強になる。
 ただ強力なスキルを覚えるだけが強くなる秘訣ではないということか。
 このゲームをクソゲーだと評していた連中を信じていた俺自身を撤回する。

――面白いじゃないか。

 どんな戦略を組むか、もしくは組めるのかを考えながら、無尽蔵ではないスキルを習得して行く過程はさぞ面白いだろう。
 そして、その戦略をどう組めば強くなれるのか、どう訓練すれば強くなれるのか。どうやってその戦略を相手に効率良くぶつけるのか。
 そして戦略だけではない。発想の柔軟さも必要になる。
 失敗した時はどうするのかを考えなければ、場合によっては死ぬこともあるだろう。失敗した時の作戦が失敗した時も、どう対処するのかをその場の閃きだけで決めなければいけないこともあるだろう。

 考えただけでわくわくする。

 そうだ。
 俺は今まで確実に恵まれていた。
 仲間に、装備、金。
――少しだけ上がったレベルは、全て与えられた恩恵だ。
 だがその恩恵に与ってただレベルを上げているだけではダメなんだ。
 考えて考えて、考え抜きながら強くならなければ強くなれない。

 攻撃を避けながら、サラマンダーが口から炎を吹く。
 アズレトがそれをシールド魔法で防ぐと、サラマンダーはそのまま牙をアズレトに向けた。
 しかし黙って咬まれるアズレトではない。
 杖をその鼻っ柱に叩き込むと、サラマンダーは小さく悲鳴を上げて後ずさった。
 そして一度威嚇し、再びアズレトに炎を放つ。
 こちらにもその火が流れ弾として飛んで来たが、俺の前にリアが立ち、マントでそれを払い落とした。
 片手でスマン、とジェスチャーをすると、リアはにこりと無言で微笑む。
「アキラ、行ったぞ!」
 見れば、サラマンダーが俺の方を目がけてダッシュしてくる。
 見ている限り、あれだけ攻撃を受けていたサラマンダーはすでに死に体なのだろう。
 さっきの流れ弾も、実は流れたのではなく、実はこっちを狙ったものだったのかもしれない。……AIがそこまで優秀ならば、の話だが。
――あわよくば道連れに俺を、とでも考えているのか。
「アキラ!早く撃て!」
 アズレトが、俺が魔法を撃たないことに気付き、慌てたように声を上げる。

 だが、俺は試してみたいことがあった。
――呪文を口にしているから、それを言う手段がないのだが。
「……、アキラ」
 カルラがくい、っと服を引くが、それを手で軽く制する。

 目の前に迫るサラマンダー。
 その炎で、牙で俺を襲わんと迫る。

――ここしかない!

「『ウォーター!』」
 俺の持つケツァスタの、羽が光る。
 その飾りが鈴のような音色を立てる。
――そして放たれる濁流。
 それは俺の狙い通り、サラマンダーの口へと流れ込んだ。

   じゅうッ
 ギャア、と赤い巨体が悲鳴を上げて仰け反った。
 がら空きになる腹。そこを見て、気付く。――やってみる価値はある。
「『我願う、静かなる清流よ。濁流と化して敵を流せ、ウォーター!』」
 フィリスから選んでもらったレイピアに魔法をかけ、濁流と共にその剣を腹にぶち込む。
 だがレイピアでは威力不足なのか、その切っ先は固い腹を貫けない!
……か、硬ぇ!
 瞬時に無理だと判断し、俺は素直に後ろにダッシュ。

 それと入れ替わりに滑り込む人影。

「狙いは悪くないね!」
 フィリスだった。
 俺の狙った、がら空きの腹に、タイ剣ではない方……出会った頃から腰に下げていた剣に持ち替える。
――それはレイピアだった。
 鞘の細さからそうじゃないかとは思っていたんだが。
 だがフィリスの力でも無理なのか、レイピアはそこを貫けない。
「だけど通常攻撃でこいつを抜こうなんて無謀は今後禁止ね!」
 俺を見もせずに、ただ顔に笑みを浮かべたフィリスが一瞬レイピアを引いた。

 その瞬間、レイピアが音を立てて凍り付く!
 そして次の瞬間、サラマンダーのその巨体の裏側から、微かに雪のような結晶が噴き出したのが見えた。
 その巨体がフィリスを下敷きに、静かに崩れ落ちた。

[サラマンダーを討伐しました]

「涼しい顔をして『剣よ凍れ』。しかもクリティカルとはね」
 どうやらそういう名前のスキルらしい。超そのままなネーミングだ。
「……アキラ」
 アズレトが、苛立ったような声を俺に向けた。
 当たり前か。命令無視の上に独断行動。それも無謀な行動だ。

「――あぁくそ、認めたくねぇ」

 予想に反し、ボリボリと頭を掻くアズレト。
 カルラがそれを見つつ、くすくすと笑っている。
「でも、……確かに認めざるを得ねぇか」
 その目が再び俺を向いたが、その声に苛立ちはすでにない。
「――正直、俺はお前を見くびっていた。弱いからあの時点でアレに立ち向かうのは無理だと思った」
 正直な気持ちなのだろう。オブラートに包むことすらなく、直球な言葉。
「だから俺の命令を無視したのには正直ムカついた」
 う、それは悪かったと思っている。

「だがお前の判断は正しい。……サラマンダーの弱点が口と腹だと気付いたお前の観察力を高く、高く評価したい」

 アズレトの言葉に、一瞬何を言われたかわからずきょとんとする俺。
 一瞬遅れて、ようやく褒められたのだと気付く。
 口が弱点だと言うのはなんとなく思ったことだ。
 炎を吐くそここそが、硬い鱗に覆われていない唯一の場所だったからだ。
 腹が弱点だとは気付かなかった。
 そこが鱗の中で一番やわらかい場所だったのだろう。一度そこを狙ってスキルを叩き込んだフィリスを見ていたから、何となくそうは思っていたが。
――気付いたのは実はサラマンダーが反った時だ。
 腹にあった、一筋の亀裂。
 フィリスがスキルを叩き込んだ時にできたものだったのだろう。
 だからそこが弱点で、その亀裂を狙えば倒せるんじゃないか、と思った。
「――いや、結果は俺の実力不足。アズレトが思うほど俺は正しくない」
 言って、すまなかったと頭を下げた。
 しかも狙った亀裂を外した。考えれば考えるほどに間抜けだ。
「そんなことはないわ」
 リアが後ろから口を挟む。
「――アキラの機転がなければ、フィリスは動かなかったでしょう?」
 フィリスの方を向くと、話題の本人はにやりと笑った。
「まぁね。……正直防衛だけをするつもりだったからね。タイ剣効かないし」
 亀裂が入っていた以上、剣を叩き込んだ効果はあったと思うが、それでもフィリスは不満だったのだろう。自分の攻撃があまり効いていないのだという事実が。
「クリティカル無効、なんじゃないかな。コレの特性」
 フィリスが、さっきサラマンダーから剥ぎ取った鱗を見せながら言った。
 アイテム名、【サラマンダーの鱗】。……未鑑定。
 鱗に未鑑定も何もないと思うが、その効果を隠したい意図が見え見えだ。
「鎧を作れば、クリティカルを受けない?……それは魅力ね」
 リアが呟くように言う。
「鑑定、ってのをどうにかしないとダメみたいだけどな」
 はは、とイシュメルが笑う。
「アタシにもアレは見えてたから、割れてるところだったらイケるんじゃないかって思ってね」
 そして念のため、属性攻撃を氷に変え、一点に集中攻撃できる武器……レイピアで攻撃。
――フィリスのその狙いは見事に炸裂した。
 割れている鱗はフィリスの神懸りなクリティカルを許した。
 弱点である氷属性をクリティカルで叩き込まれたサラマンダー。……さぞかし鬼のようなダメージが叩き込まれたことだろう。
「だけどアキラが動かなかったらまだ苦戦していたかもね」
 フィリスがちらりと俺を見る。
「……そこは評価するけど、アタシからはそれだけだ。無謀は評価しない」
 う。……面目ない。
 無言でぽりぽり頭を掻いて見せると、フィリスはそれをくすりと笑った。



[16740] 17- 作戦
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/04/16 16:11
「小休止だ小休止。一体何匹いるんだか!」
 フィリスが呆れたように声を張り上げた。
 その大声で敵がエンカウントしてきたらどうするつもりだと思わずツッコみを入れたくなるが、もしそうなったとして、本人が責任を持ってすぱっとやってくれるだろうと思い直した。
 リアの持つリストは、1匹を残して全滅しているはずだった。
――アズレトのドッペルゲンガー以外は。

「ところで」
 俺の呟きに、全員がこっちを向く。
 サラマンダーの一件以来、俺が何かを発言するたびに妙に視線がこっちを注目するようになった。
――期待されているようで、少し視線が心地いい反面、むず痒い気分にもさせられる。
「……アズレトは一回ドッペルに負けてるんだよな?」
 聞きたくはないが、聞かないわけにはいかない。

 何の……いや、誰のドッペルにやられたのか。
 もしくは、素のドッペルにやられたのか。

 後者ならいい。アズレトより強いヤツにやられた、と言うのなら。
 散々ここまで助けられて来たからこそわかる。
 ドッペルが、素の時点でアズレトよりレベルが上だと言うのなら、良い意味でも悪い意味でも……どうしようもないのだから。

 だが、もし前者なら。

「……わからん」
 一瞬の沈黙の後、アズレトが苦笑しながら呟いた。
「気が付いたら俺は幽霊だった。いつ殺されたのかも記憶にない」
 よくあることね、とリアが溜息つつ呟く。
「――私も何度か経験があるわ。私の場合、数分歩いてから、自分が殺されていたことに気付くことが多いわね」
 幽霊になった場合、その肉体の位置は「魂のロープ」で示されるらしい。
 それが本人にだけは見えるのだという。

「どっちだかわからん……すまんな」

 アズレトが申し訳なさそうに言う。
 リアが言うには、可能性として考えられるのは2つらしい。

 まず、その記憶が破壊されるほどのダメージを「頭」に受けた時。
 これは、ログアウトするまでの蓄積されたデータが、キャラクターの部位で言うところの「脳」に蓄積されることにあるらしい。つまり、ログインしてから殺されるまでの間に、何かの方法で頭に加えられたダメージが「脳」を砕き、データそのものを破壊した、ということだ。

 もう1つの可能性は、これはリアルと全く同じだ。
 殺されたことにすら、本人が気付いていなかった場合。
 幽霊が体から離れたことに気付かず、そのまま体を残して歩き去ってしまう場合……リアがさっき言ったような場合だ。気付いていない本人からしたら、「いつの間に」ってことだ。

「その二つの可能性で言うなら、多分前者なんだがな」
 アズレトがきっぱりと言った。
 つまり、ログインしてからの記憶が一切ない、ということだ。
「それってリアルに影響が出たりしないのか?」
「あるわけがないでしょう?あるとしたらゲームとしての欠陥よ。サービスそのものが終了しているわ」
 なるほど。確かにその通りだ。
「まぁどっちにしても対策を取る意味はない、ってことか」
 もしアズレトが、何に殺されたのかを見ているのなら、話は変わっていたのかもしれないが。
……待てよ?
「なぁ、今アズレトにウィスパーしたら、……どっちに届くんだ?」
 俺のふとした問いに、一瞬全員がきょとんとした顔を向ける。
「オリジナルがいる場合はオリジナルじゃないのか?」
 可能性としてはそれもアリだろう。
 だが、ウィスパーが向こうに届く以上、向こうが何かを喋っているのなら。

――誰と喋っているのかを特定できるのなら。
 ドッペルの位置を特定できはしないだろうか?
 あわよくば、奇襲も可能かもしれない。

「――!」
 リアが驚いたように顔を上げる。
「適任が、……一人だけ、いるわね」
 そう。
 適任はたった一人。

 あとは、誰がドッペルと対峙するか、だ。


「作戦開始の前に、……ログアウトするヤツはいるか?」
 ん、と思わず口にする。
 考えてみれば、俺がログインしてから数時間が経過している。
 カルラは俺より前にログインしていたし、一番遅いイシュメルでも、かなりの時間が経っている。
「――申し訳ないけれど、少しだけお願いしていいかしら」
 リアが小さく挙手をし、壁際に寄りかかるように座ると、そのまま崩れるように眠りに付いた。
――あまりに無防備な状態に、思わず苦笑する。
 リアの小屋なら、全ての外敵から身を守れる。あそこならどんなにか楽だっただろうと思う。
「リアが戻ったらアタシも行く」
 苦笑し、フィリスが挙手をした。
 それに合わせてカルラも、小さく私も、と呟く。
「……全員、交代で行けばいいさ。リアルで背伸びの1つもしないとな」
 イシュメルが呟くと、アズレトもこくりと頷いた。
「にしても、……ウィスパーなんてよく思い付いたな」
 アズレトが興味深そうに俺に目を向ける。
 全くだ、とフィリスが笑った。
「またどんな無謀がアンタの口から出るのか楽しみにしてたのに」
 当分、俺はフィリスから無謀者扱いされるようだ。
 いや、フィリスに限らないか。
 ここにいる全員に同じ評価を受けてるんだろう。
「あぁ、そういや今更だけどイシュメル」
 ん?と俺の呼びかけに反応するイシュメル。
「――メッセ、発言バグってたぞ」
「マジか。道理で英語で返答が帰って来たわけだ」
 やっぱり気付いてなかったか、と苦笑して見せる。
「じゃあ今後、メッセは英語で頼む」
「……苦手なんだがな。了解だ」
 ちなみに英語の成績は高校時代で2。英検なんか受ける気すら起きなかったくらいに苦手だ。夕方のメッセも、某翻訳サイトで翻訳したものをコピペしただけだ。
「ん、なになに、メッセ持ってんの」
 フィリスがここぞとばかりに食いついて来た。
 それが後でアドレス交換よろしくね、という結論になったところで、
「――ただいま。どうやら無事のようね」
 リアが戻り、入れ替わりにフィリスがヘルムコネクタを外した。

 そして、便乗してアドレス要求をするアズレトとカルラとの会話を聞き、リアまでもがアドレス要求して来たのは言うまでもない。



[16740] 18- 消沈
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/04/19 02:07
 ふう、と溜息を吐くと、俺は即座に額の汗を拭いた。
 予想通り、横たわっていたリクライニングシートは汗で大変なことになっていた。
 のんびりしている場合じゃないが、風邪を引くのは御免だ。
 タンスからありったけのバスタオルとタオルを出し、それをリクライニングの上に敷くと、俺は急いで服を着替えた。
 思った以上に汗をかいていたらしく、完全に――それこそパンツの果てまで汗だくだ。西日が当たる部屋だったこともあったかもしれないが、それだけ俺がゲームに必死になっていたことがわかる。
――だが、たかがゲームとは言わない。
 俺的には久しく出会ったことのない、面白いゲームだ。
 本当は、着替える時間さえ惜しい。まだまだ遊び足りない。
 だがゲームでリアルを疎かにするやつは馬鹿だ。
 こんなことで風邪を引きたくはない、という程度には分別は付く。
 廃人になる気はないが、俺はこのゲームにしばらくハマるだろう、と言う予想だけはしていた。
 急いでバスタオルを敷き終わると、俺は猛ダッシュでトイレへと駆け込んだ。


 戻ると、フィリスが少し暗い顔をしていた。
「何かあったのか?」
 周囲を見回すが、これと言って変わったところはないように見えた。
「ん、――あぁいや……」
 珍しく、フィリスが言葉を濁す。
 その様子に溜息を吐きつつ、リアが代わりにと割り込んだ。
「フィリスの友人が、ライラガルドとラグフィートにいるらしいのだけれど」
 そして、ちらりとフィリスの方を見る。
 ぽりぽりと頬を掻くフィリス。
 リアはもう一度、溜息を吐いた。

「ラグフィートのフィリスの友人が、――ついさっき消息を絶った」

 絶句するしかない。
 しかも、続けてリアの言葉が告げる。
 場所は城内。――最後のパーティーメンバーの、唯一の回復役。
 つまり。

「ラグフィートは、――陥落ね」

 どの道助けに行けるわけではない。
 ないが、……確かに意気消沈もするだろうな。
「大陸上の七大国で、……まだ残っているのは、」
 カルラが続けて言う。
「……ライラガルドと、……ルディスだけ」
 ちなみにルディスとはここ、つまりフェイルスを首都とする、俺たちの今いるこの国のことだ。
 思った以上に……壮絶なイベントだ。


 作戦開始だ。
「――ウィスパー、アズレト=バツィン」
 呟いたのは、アズレト本人だ。
 ドッペルとつながるかどうか、まずそこが問題だが。
 無言のまま、アズレトが親指を立てた。
――繋がった!
 まずはドッペル本人の会話から、居場所を探る。
 アズレトは、紙を手に、慎重に会話を聞き続ける。
 その間、俺達は周囲の警戒だ。
 だが幸いモンスターは出ない。
 警戒すべきはモンスターだけではない。他のプレイヤーもだ。
――と、アズレトが不意に紙に文字を書く。
 このゲームでは文字は通用するのだろうか、という疑問はすでに、アズレトが紙に文字を書くことで解決している。
 文字は一瞬俺の知らない文字として書かれるが、一定の間を置いて、日本語に変換されて行く。
 わずかなタイムラグがあるが、声に出してドッペルに気付かれるよりは数倍マシだ。
『最悪だ』
 アズレトの言葉は簡潔だった。
「何がどう最悪なんだ?」
 フィリスが聞くと、アズレトはすぐにその答えを紙に書いた。

『現在地はゲームマスターの所らしい』

……こりゃダメだ。
 作戦もへったくれもない。
 凶悪な敵二人が同じ位置にいるとは、予想以上にエクトルは意地汚い。
「……中止するにも、今ウィスパー解除するわけにもいかないしな」
 フィリスが苦笑した。
 ウィスパーを解除するためには、「アウト」と言葉に出す必要がある。
――相手にも、それが聞こえてしまうのだ。
 もっとも、今アズレトが息を乱せば、それだけでウィスパーを受けているのがドッペルから丸わかりになってしまうわけだが。
『だが、面白いことがわかった』
 アズレトが、再び紙に文字を書いた。
 全員が紙に注目する。

『ドッペルゲンガーは、変身能力を持ったアルバイト・プレイヤーだ』

 アルバイトか。
 なるほどねー、とフィリスが納得したように呟いた。
 要するに、ゲームマスターや俺たちプレイヤー同様、中身が存在する、ということだ。
 プレイヤーの記録を見た上で、真似をしているということだろう。
 いや、もしかしたら口調その他は俺たちの勝手なイメージから、プログラムがそのイメージに合わせて俺たちに表現したものなのかもしれない。だとしたらあそこまで成り切れることも納得が行く。
 例えば、見た目が男キャラなら中身が女であっても男の声で聞こえる……というように、だ。
 そして、アズレトが紙に図を描き始めた。
――地図だ。
 まず描いたのは中央の噴水。――俺たちがリアと合流するために待ち合わせをした場所だ。
 そして、その地図は大きく十字で区切られる。
 なるほど、と納得した。
 中央噴水から、アズレト目線で下が南、ということだろう。
 今アズレトが南側に背を向けて座っているはずだから、このまま現在地だと思えばいい。
 中央噴水からやや東北、つまり城のある位置だ。
 落城はされていないだろう。――イベントが終了していないことからの推測だが。
「厄介ね。――ゲームオーバー目前というところかしら」
 リアが俺の考えと同じ感想を漏らす。
 食い止められているのかどうか。
 その答えは、アズレトが教えてくれた。
『現在戦闘中』
 そして、その位置を示すバツ印から、城の位置に向けて矢印が引かれる。
 ゲームマスターであるエクトルも、その能力でモンスターを撒き散らしつつ城に向かっているのだろう。
 道理でこっちに新しいモンスターがほとんど出現しないわけだ。
「アズレト、もういいぜ。――場所はわかった。戦闘中ならそうそう動かないだろ」
 フィリスの言葉に、アズレトが一言「アウト」と呟いて指を立て、溜息をついた。
「ちょっ――!」
 不意にフィリスが、慌てたように叫んだ。
 一瞬緊張が走り、全員がフィリスに注目するが、フィリスは慌てたように耳に手を当てる。
 すぐに気付く。ウィスパーだ。
「――おい、……嘘」
 フィリスの呆然とした声と表情。
 それがどんな情報だったのか、――もう聞かなくてもわかっていた。
 だが、それを信じたくはない。
――それは皆も同じようで、次のフィリスの言葉を待つ。
 だが、呆然とするフィリスは何も言おうとしない。
「――フィリス」
 リアが、口を開く。

「――堕ちたのね?……ライラガルドが」

 フィリスのライラガルドの友人。
 その王城を1年以上に渡り支配し続け、守り続けた巨大ギルドの王。

『――済まない。――お前は勝てよ、フィリス』

 それが、フィリスに宛てた最後のウィスパーだった。



[16740] 19- 要塞
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/04/26 07:57
 時計を見ると、すでに時刻は日付を跨ぐ頃だった。
 イベントが開始されてから、まだ半日も経っていない。
――だと言うのに、俺たちが今いる国以外は、全て全滅、――イベントが終了したのだと言う。

 いや、正確には違う。
――イベントが終了したのだと推測される、というだけだ。

「希望はある」
 うなだれるフィリスに向かって言うと、全員が俺を見た。
「――ねぇよ。楽観的なのはいいが楽観と希望的観測を混ぜるな」
 反発するフィリスだが、――ここで引いてちゃ勝てるものも勝てない。
「あるだろ。俺たちが勝てばいい」
 じと、と俺を睨むフィリス。
 言っている意味がわからない、と言う顔だ。
 聞いてやるから喋れ、――目がそう言っている。
「蘇生は可能なんだよな?」
 ちらりとアズレトを見ながら言う。
――ここにアズレトがいるのがその証拠だ。蘇生すれば蘇る。
 なら、その敗れた国の王を蘇生しに行けばいい。
「どうやって。そもそも国から出れないのに」
 悪態を吐くフィリス。
 そう。他ならぬフィリスが言っていたことだ。
――国境を越えようと試みたところ、その場に凄まじい量のモンスターが召還された、と。
 それこそ、撤退を余儀なくされたほどに。
「――簡単な話だろ?」
「だから何がだ」
 ふと、横からアズレトが口を挟む。

「イベントをクリアしてからなら、ってことか?」

 まだ、試したヤツがいない方法。それはイベントクリア後の行動全てだ。
 クリアした後でなら、ポータルも発動するかもしれない。
――発動すれば、リアのポータルで、様々な国に出入りできる。
「――!」
 フィリスが顔を上げる。
 リアは、俺の方を向いて微笑んだ。
「悩んでいても仕方がないということね」
 そう。
 ここで悩んでいても何も解決はしない。
 どの道ゲームだ。リアルで人が死んだわけじゃない。
――リアルすぎて忘れがちだが、所詮ゲームだ。
 ならば塞ぎ込むんじゃない。楽しまなければいけない。
「行こうぜフィリス」
 俺が右手を差し出すと、フィリスはそれを右手で叩いた。
 今にも泣きそうだったフィリスの顔に、にっ、とようやくいつもの笑みが戻った。

「あぁ、行こう。ダメでもせめて連中の無念は晴らしたい」


 全速前進、と言う言葉が相応しいと感じた。
――もはや俺のレベル上げ、などと言っていられなかった。
 フィリス、リア、アズレトを先頭に、俺の覚えたて回復魔法とイシュメルの弓を最後尾に回し、突き進む。
 まさに圧倒的な強さを誇る3人は、出る敵出る敵を瞬殺した。
 俺たちの出番なんか微塵もない。
 カルラですらその出番がほとんどないくらいだ。
――わずかな傷を負った時だけ、俺に少しの出番が回る程度だ。
 イシュメルも隙を見ては矢を射てはいるが、味方に当たることがないようにほとんど出番がない。
 俺の覚えている「ヒールLv.1」よりも、アズレトの「リバイブLv.20」の方が遥かに回復力は上なんだが、アズレトは自分のMPを使いたくないらしく、俺が何度かのヒールをかけることで回復していた。
 けどこれ、……確かにMP効率はいいようだ。
 アズレトが魔力剤と呼ばれるMP回復薬をガブ飲みするよりも、自然回復で全回復まで数分で済む俺がちまちまヒールかける方が、断然オトクだ。
 加えて、この3人が化物すぎて、ほとんどダメージを受けていないらしい。
 たまに怪我をしても、俺のヒール数発で済む程度だ。
 ちなみにレベルは、と聞いてみたが、4人とも答えてはくれなかった。


「……でけぇ」
 思わず見上げつつ呟くと、俺を除く全員が苦笑した。
「――そういえば初めてだっけ、ここまで来るの」
 目の前に、巨大な建造物が聳え立っていた。
 確かに、……町の案内にはでっかく描いてあった。
 だがここまででかいとは――いや当たり前か。

 まさに要塞。
 敵を阻むための分厚い壁、高さを生かして攻撃するための塔。
 銃や大砲が存在しない世界ならば、これほど戦闘拠点として適したものはないだろう。

――ルディス聖王国城。その正面に位置する門だ。

 中から時々、爆発音や剣戟の音が聞こえて来る。
 つまりは、今まさに――押し進もうとしているゲームマスターがそこにいるということだ。
 まぁ、考えてみれば当たり前だよな。
 ゲームマスターにとって、城を落としたら勝ちはほとんど確定なんだから。
 ウィスパーで位置を特定するまでもなかったってことだ。
 城を落とすのなら、総力を結集し、モンスターを撒き散らしつつ突き進むのがエクトルにとっては最も簡単な方法のはずだ。
 城さえ落としてしまえば、――イベントクリアの条件がゲームマスターを倒すことである以上、必ずプレイヤーはエクトルに戦いを挑みにやってくるのだから。
「急ごう。今戦ってるヤツらと俺たちでゲームマスターを挟んで戦う」
 アズレトが呟くように言うと、全員で速さを揃えて走り出す。
 破壊音が徐々に大きく、鋭く響く。

「――アズレト!上だッ!」

 俺が叫ぶと同時、アズレトが素早く飛び退いた。
   ズガガガガン!!
 そこに降り注ぐ大量の岩石。
――いや、あれは、
「……見えない位置にガーゴイルとはな。――卑怯臭い」
 肩を竦めて見せつつ、アズレトがそこに飛び込んだ。
 そして杖を一閃。
 スキル名、「神の怒り」。
――杖スキル中唯一の範囲攻撃で、中程度の範囲全ての敵に対し、MPを全消費して使用される技よ、とここに来るまでにリアから何度も解説を受けている。
 アズレトの杖を軸に、半径1メートルほどの床がバキバキと悲鳴を上げた。
 ランダム・ダメージが最低値でも、アズレトのそれはかなりの威力だろうと推測できた。
「『フレイム・ゾナー』」
 そしてアズレトが再び飛び退いた瞬間、リアの杖から灼熱の業火が放たれる。
 MP全消費魔法、フレイム・ゾナー。
 残りMPに応じた火力を相手に叩き込む、炎系最強の魔法、だそうだ。
 魔力に比例してダメージが増えるそうだが、果たしてリアの魔力はいくつなのだろう。
 使ったMPを回復するために飲んだ魔力剤の瓶を、リアは素早くポケットにしまう。
 様子を伺うと、あれだけのダメージを叩き込まれたはずのガーゴイルが一匹、ふらりと立ち上がった。
「魔力隔絶のエンチャントでも張られていたのかしらね」
 冷静に分析するリア。
 言われて見れば、他のガーゴイルのように黒コゲてはいない。
 リアの魔法がほとんど効いていないということか。
 そこへ瞬時に走り込んだのはフィリスだ。
 ガーゴイルがそれに反応するより早く、タイ剣の巨大な刀身がガーゴイルの胸元に突き刺さる。
 石が砕ける音と共に、あっさりとガーゴイルが砕け散った。

 ちなみにガーゴイルはプレイヤーが設置したものなんだそうだ。
 城に入る前、リアが言っていた。
 ゴーレムの一種で、彫刻技術の最高峰技術。
 ちなみに小さいものを作ればペットにもできるそうだ。

「――近い、か?」

 ふとアズレトが声を潜め、指を口元に立てて当てる。
 ゲームマスターたちの戦闘の音が、かなり近くに聞こえていた。



[16740] 20- 賭け
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/02 01:05
 まるで地獄のような光景が広がっていた。

――という表現は、比喩としてはチープだと思っていた。
 だがあえて俺は今、この表現を頭に思い浮かべる。

 まさに地獄。
 ゲームマスターと思われる、長い金髪の男と、その隣にはアズレトによく似た――そう、ドッペルゲンガー。
 ドッペルとの見分け対策に肩に巻いたスカーフを除いて、完全にアズレトの外見に一致するそれは、もはや自分がモンスターであることを隠しもしない。
 狂ったような笑い声を上げながら、ガーゴイルを破壊するドッペルの横には、赤い鎧姿のリザードマン。
 見るからに凶悪そうな、長い斬馬刀を両手に持ち、威嚇する声を立てながらそれを一閃すると、対峙していた男の脇腹から下が弾け飛んだ。
――規制がかかるほどグロいのかモザイクがかかっているが、それがどうなったのかという疑問すら沸かない。
 さらにその斬馬刀はその遠心力に任せ、その隣の、盾を構えた男を盾ごと吹き飛ばす。
 さらに追い討ちをかけるのは、飛び跳ねるように駆ける、一匹の馬。
――炎に燃える鬣を始めとしたその体が、盾を飛び越え頭上から襲撃する。
 慌てて剣を構えるが既に遅い。
 上げられた悲鳴を無視し、炎の馬がその頭に蹄を叩き落した。
 その横で、ゲームマスターがさっき破壊されたガーゴイルを修復している。
 見る見るその手の中で形を取り戻したガーゴイルに、ゲームマスターはぽつりと何かを呟いてそれを放した。
 修復されたガーゴイルは、自分の定位置である、天井に貼り付けられた台座にぴたりと座り込み、その動きを止めた。

「サモン、クリムゾン・マンティコア」

 ゲームマスターの言葉に応じ、その掲げた手の先の空気が歪む。
 まず見えたのは赤い毛皮。次にコウモリのような皮膜の翼がばさりと現れる。誇示するかのように立てられた尾には、サソリのような毒針。その尾も太く節があり、単純に振り回されるだけでも厄介そうだ。そして「人を喰らう生き物」の名に相応しい、何列にも及ぶ並ぶ鋭い牙。鬣はライオンを思わせるが、その顔はどこかその辺にいそうなオッサンの顔だ。
 某戦記もののラノベでは高い知能を有する魔物として描かれていたが、果たしてこのゲームでは魔法を使うのか。
――使わなかったとしても強敵であることに違いはない。
 それにしても、エクトルのサモンのレベルはいくつなんだろうか。
 アズレトが呪文を唱え切るのを確認し、俺は後ろを振り返った。

「――行くぞ!」

 言うなり、イシュメルが不意打ちで弓を射る。
 風を切る音と共に矢がドッペルに突き刺さる直前、ドッペルがその矢を剣の腹で叩き落とす。
「――ほう」
 エクトルが目を細くする。
 今まで対峙していたプレイヤー二人が、それを好機と取って剣を振り下ろすが、その剣をマンティコアの太い尾が阻む。

 そこへフィリスが飛び込む!

 そしてマンティコアの赤い毛皮に向けてタイ剣の巨大な刀身を叩き込むと、結果も確認せずに全力でステップバック。
   ガゴン!
 ドッペルの杖での一撃が、一瞬前までフィリスがいた所を中心に周囲を弾く。
 だがフィリスはすでに範囲から離脱している。
「『ウィンド・ブレイク』、『スロウ』!」
 さらにそこにアズレトが、唱えていた攻撃呪文と詠唱破棄の妨害呪文を連続で解き放つ。
 インタラプト。
 呪文に、もう1つの呪文を割り込ませて発動させるスキルだ。
――この場合は【スロウLv.32】が先に発動し、動きを鈍くして【ウィンド・ブレイクLv.19】を当てるという順番だ。

「――エンチャント、アンチ・ウィンド」

 ゲームマスターの口が滑らかに言葉を紡ぐ。
 リアと同じだ。
 対風属性エンチャント。
 動きが鈍くなったドッペルに呪文が炸裂する直前、手を掲げるリア。
 まずは賭けの1つ。

「エンチャント、――アンチ・エンチャント」

 バキン、と音がしてゲームマスターのエンチャントが破壊される。
 そこへ呪文が炸裂。
 避けることすらできずに、ドッペルに叩き込まれる風属性。
 1つ目の賭けはどうやらリアの勝利だ。
 エンチャントをエンチャントで無効化できるのか。そしてそれはゲームマスターのエンチャントに通じるのか。
 どうやら、両方の答えはYesのようだ。
 そして賭けのその2。
 キンキン、と音を立て床を転がる数本の空瓶。

「『フレイム・ゾナー』」

 最大MP全快まで回復したリアの解き放つ炎系最強魔法が、ドッペルを完全に捕らえた。
 断末魔じみた絶叫が迸る。
――アズレト本人が苦笑をしているところを見ると、さすがのアズレトでもこれは耐え切れない範疇のダメージなんだろう。
 ちなみにリアの魔力剤はこれで打ち止めだ。念のためアズレトから数本譲り受けてはいるが、自己防衛に使うため、無駄遣いはできない。
「――『リバイブ』」
 炎の中から響く声。
 どうやら賭けその2はドッペルの勝利のようだ。
「――ッ!」
 フィリスが炎のド真ん中に駆け込み、

――いや、すでに駆け込んでいる。

 振り下ろされる剣。杖がそれと交錯し、ぎぃん、と嫌な音を立てる。
 あっさりその巨大な剣を左手に持ち替え、フィリスは利き手で素早く短剣を抜き放つ!
 しかしそれすらいなしつつ、ドッペルが杖の先と柄とでフィリスの二つの剣を捌く。
 チッ、と舌打ちするとフィリスが短剣をエクトルに向け投げ付ける!
 しかしあっさりやられるエクトルではない。
 驚きもせず一歩左に動くと、短剣はかすりもせずにその横を素通りする。

「『ダンシング・ソード』」

 リアの呪文に応じ、短剣が円を描くようにエクトルに迫る。
 エクトルはそれを一瞥すると、手に持つ杖でそれを叩き落とす。
「――、やるね!」
 フィリスが数歩間を空けると、ドッペルは即座に反撃に転じた。
 がぎん、ぎぃん、と耳障りな音を立て、剣と杖が交錯する。
 隙があればイシュメルが矢を放つ予定だったのだが、その隙すら見当たらない。
 猛攻を掻い潜りながら、フィリスが再びバックステップで間を空け、体勢を整える。
 読んでいたかのようにドッペルがその間を詰めた。

――ここしかない!

「――ッ!?」
「――!」

 背後から息を呑む気配。
 正面には剣を振りかぶりながら驚愕するドッペル。

 その剣が振り下ろされると同時に肩に強烈な衝撃を覚え――
――俺は、意識を手放した。



[16740] 21- 自己像幻視
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/13 00:31
 気が付くと、目の前には俺の死体が転がっていた。
 肩からざっくりと斬られた傷。
――それが背から斬られたものではないと確信し、俺は自分の企みが上手く行ったのだと同時に確信した。
 リアが、蘇生用アイテム……確かアイテム名は「奇跡の葉」、を片手に、俺の死体を抱き起こす。
――俺の体め、何て役得な。
 不謹慎なことを考えつつ、俺の意識は再び薄れて行った。

「リバイブ」

 アズレトの言葉が響くと、俺の体に大きく作られた傷が一気に引いていく。
「――、……ッ」
 フィリスが何か言いたそうにしているのが見てわかる。
 理由は怒りからだ。
 後で拳骨の一発くらいはあるかもしれない。覚悟はしておこう。
「――考えたわね、……アキラ」
 言いつつ、こちらも怒りを抑えている無表情のリア。
 カルラは声も出さない。アズレトもだ。……多分後でスゲーぶちまけるつもりだろう。
 そして、……イシュメルは、アズレト以上に怒っているようだった。
 だがそんな場合ではない。
「イシュメル。俺とお前だけで倒すぞ」
 俺が声をかけると、一瞬怒りに満ちた表情を向ける。
「――、わかった」
 それでも怒りをなんとか抑え、弓に矢を番える。

 そして、姿を俺へと変えたドッペルに改めて視線を合わせる。

 姿形はまさに俺そのままだ。
 つまり、これで能力も俺そのままに変わっているはずだ。
 俺の持つスキルは限られている。
 アズレトの姿をしたドッペルを倒すより、段違いに弱体化しているはずだ。
 そして、たとえレベルが上がった「俺」だとしても、スキルは皆無。魔法はわずかに初級だけだ。

 単純な計算だ。敵がアズレトと俺なら、俺の方が弱い!

 イシュメルがしゅぱっ、と音を立てて弓を射ると同時、俺はそれを追うようにドッペルへ向けて走る。
 確認されて困ることはないが、今までの履歴を確認する暇は与えない。
 一気に決着をつける!
 突き出したレイピアの軌道を冷静に読み、ドッペルが避ける。
 と同時、イシュメルがそれを読んで左右に1発づつ、矢を射る!
 だがドッペルは矢の軌道をも読み、しゃがみ込んでそれをも避ける。
 そこに左手に持つケツァスタを叩き込むと、ドッペルの方も杖を振りかざし、杖の飾りが耳障りにジャギィン!と音を立てた。
 すかさずレイピアで突きを繰り出す。
 ッチ、と舌打ちをすると、ドッペルはバックステップで後ろへと下がる。
 体勢を低くし、俺が真正面からレイピアで突進すると、すかさずドッペルは横へとステップで避け、その横スレスレをイシュメルの矢が通り過ぎた。
 イシュメルの矢は、牽制としての役割を十分にこなしていた。
 ドッペルも、それはわかっているのだろう。
 忌々しそうにイシュメルを一瞥すると、警戒しながら俺の攻撃を避け続ける。
「――『我願う、赤き気高き紅蓮よ』」
 いつの間に俺の習得魔法の履歴を調べたのか、呪文を口にするドッペル。
 いや、ひょっとしたら当てずっぽうで初級呪文を唱えたのかもしれない。
 ほとんどの初級呪文を習得しているため、そんな当てずっぽうでも的中してしまうのが悲しいところだ。
「――ッ、『我願う』」
 対抗すべく、慌てて呪文詠唱を始める俺。――間に合うか?
「『その姿をここへ示せ』」
「『静かなる清流よ。濁流と化して敵を流せ』!」
 ドッペルの詠唱が終わる前に、どうにか詠唱を完了し、俺は杖を掲げた。
 同時にドッペルも鏡写しのように杖を掲げる!
 ジャラン!と二つの杖の飾りが音を立てた。

「『ファイアー』」
「『ウォーター!』」

 威力は向こうの方が上のはずだ。
 だが炎が水で消えない道理はないはずだ。
 その読みはどうやら正解のようだった。放たれた炎は、俺の杖からの放水によって、じゅうじゅうと音を立てながら消滅していく。
 さらに、どうやら放水は炎を圧倒したらしく、その余波がドッペルを襲う。
 風を切る音と共にイシュメルが矢を左右へと数発放つと、ドッペルはッチ、と舌打ちをしてその場に留まった。
 矢のダメージ数発より、魔法1発の方がダメージが少ないと踏んだんだろう。

 畳み掛けるなら今しかない!

「『我願う、静かなる清流よ。濁流と化して敵を流せ!』」
 杖に水音が木霊する。
 俺のMPがどこまで続くかわからないが、少なくとも続く限り連発し、ヤツを圧倒するのが最善だろう。
「『ウォーター!』」
 じゃらり、と音を立てたケツァスタから水が迸る。
 俺の作戦を理解したのか、イシュメルはドッペルを封じるべく、その左右に矢を乱射する。
 矢のストックは一体何本かわからないが、俺のMPかイシュメルの矢が尽きるまで、このまま押し切ってしまうしかない!

「『風よ、我が足に祝福を。スピード』」

 水の中からドッペルの声が響く。
 当てずっぽうか調べたか、どちらにしてもスピードを上げて撹乱するつもりか。
――くそ、そうなると押し切る作戦は一旦中止だ。

「『風よ、我が足に祝福を。スピード』」

 ドッペルの唱えた呪文をソラで詠唱してみると、足元に風を感じた。
 どうやら正解のようだ。
 そしてそのまま、レイピアを構えて突貫する。
 うぉ、早ぇ!
 自分のスピードに少し戸惑うが、突貫するには最適だ。
 あっという間にドッペルとの距離を詰め、俺はその腹にレイピアを叩き込んだ。

 と、微かに感じる生臭さ。

 何となく、それが何かを悟った。
――だが、敢えてそれを無視し、叩き込んだレイピアを引き抜くと、
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ』」
 杖を振り上げつつ呪文を唱える!
 ガギィン!と左の方から剣戟の音が響く。
 わかってはいても思わず一瞥すると、そこにはマンティコアの攻撃から俺を庇う、フィリスの姿。

「――説教は後だ!後で覚えてなッ!」

 うへぇ、こりゃ一回くらいPKされそうな勢いだ。
 多少青ざめつつも視線を無理矢理ドッペルに戻す。

「『プロテクト』」

 声がドッペルの後ろから響く。
 エクトルがドッペルに支援をかけたのだろう。

「――『オフェンシブ』、『プロテクト』、『ブレッシング』」

 俺の後ろから、立て続けに声が響く。
 確認するまでもない。アズレトだ。
――こっちからのPKも、ひょっとしたら覚悟しておかないといけないかもしれん。

「エンチャント、――アンチヒール」

 本当は貴方にかけたいのだけれど、とでも言わんばかりの冷ややかな声がさらに背後から響く。
 3回か。思わず背に感じる冷や汗を無視し、振り被った杖をドッペルに向けて叩き付ける!
 さすがに避けられるが、それは計算の内だ。
 杖を即座にドッペルへと向ける。

「『その姿をここへ示せ、ファイアー!』」

 そのまま、足を止めずにドッペルへと突っ込みつつ、レイピアを構える。
「――ッ!」
 ドッペルに炎が灯ると同時、レイピアの先がドッペルを掠る。
 レイピアは避けられたが、ひゅん、と風を切る矢がその右肩に刺さる!
 俺のHPがどの程度のものか知らないが、とにかく倒れるまで押し切るしかない!
 再びギィン!と真横でフィリスとマンティコアの剣戟の音が響き、一瞬それに気を取られた。
 その一瞬でドッペルは俺の懐に潜り込む。
 突き出されるレイピアを、思わず杖で叩き上げる。
 予想外だったのか、一瞬その腹ががら空きになる!

「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ』」

 呪文を唱えつつ、そのがら空きの腹にレイピアを叩き込むと、ドッペルがにやりと笑みを浮かべた。

「『ファイアー!』」

 俺の姿が、民族的なペイントを施した野箆坊に変わり、俺の腕の中に崩れ落ちた。
 瞬間、魂のような光が俺とイシュメルの周囲を回ると、胸に吸い込まれるように消えた。


[ドッペルゲンガーを討伐しました]



[16740] 22- 大地の蜥蜴
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/16 03:05
「――ほう」
 俺を見ながら、薄く笑うエクトル。
 その手が薄く、青く光る。
 サモンではないようだ。――とすると、あれは近接魔法か。
 思った瞬間、エクトルの姿がブレる。
「――ッ!?」
 直感的に判断し、全力でバックステップする。
 一瞬の後、目の前を掠めるようにブンッ!と風を切る音が響いた。

――何だ今の音。風を切る音なんて表現じゃ生温すぎる!

「ッチ、外したか」
 エクトルが心底残念そうに呟くと、そこへリアが立ち塞がった。
「――随分な真似をするのね、ゲームマスター」
「弱い相手から順に殺すのは鉄則だと思うがね」
 言うエクトルの表情が、再びブレる。
――ブレて見えた瞬間、俺は恐怖で再び飛び退いた。
 例え俺が目標じゃなかったとしても――

   ひゅごッ!!

 こんな風切り音を立てるモノを前に逃げずにいられるほど俺は強くない!
 目の前をレーシングカーのようなスピードで通過するそれを、俺はかろうじて、どうにか回避する。
――レベル差云々の話じゃない。
 これはスキルか何かを近接魔法と同時に使っているんだろうか、などと無難な推理を立てるが、こんなモノの対処法なんか考え付くはずもない。
 回避力、確実にあいつの攻撃を回避できればいいが俺の実力じゃ無理だ。
 盾か鎧、確実にあいつの攻撃を防ぐことのできなくてもいい。せめて受け流す物があれば話は別だが、俺にそんなものはない。

 だとするならば、俺にこの状況を引っくり返すのは無理だ。

 エクトルに背を向け、全力でアズレトの方へと駆ける。
 唯一の希望は、あいつがあの攻撃を連発できるわけではない、ということか。
 大抵のゲームには、強力な技を連発できないように「ディレイ」と呼ばれる準備時間が存在する。
 希望的観測だが、あの技に使われているスキルにもディレイが存在するはずだ。
 イシュメルもここで俺の考えに気付いたのだろう、俺の後ろ――エクトルに注意しながら後退を始める。
 そろそろか、と当たりを付け、後ろを振り向くと、それを待っていたかのようにエクトルの姿がブレた。
 思わずバックステップをした瞬間、俺は自分の迂闊を呪った。
 馬鹿だ、エクトルが来る方向と真逆に逃げてどうする!

 瞬間、ブレた姿がそのまま目の前に迫る!

 攻撃の延長線に俺はいた。
 思わず、まだ浮いている足で左に回避しようとして、その足が地を滑る。
「――ッッ!」
 転倒する俺の顔の数ミリ前を、エクトルの右手が物凄い音を立てて凪ぐ!
 その攻撃が俺の髪を捕らえ、凪がれた髪が燃えるように消失する。
 そのまま背を地で叩き、悶絶しそうになるのをこらえて横に転がる。
 その判断は間違っていなかった。

――ただ少し、遅かったと言うだけで。

 脇腹に衝撃を覚え、思わず舌打ちをする。
「リバイブ」
 すぐ近くからアズレトの声が響き、脇腹のダメージが即座に消えた。
 慌てて起き上がると、エクトルの右手がアズレトの剣と交錯しているところだった。
   ぎィンッ!
 おいおい、それは生身の肉体の出す音じゃないぞ、と思わずツッコミを入れかける。
 エクトル単体でも、俺の手に負える敵じゃないってことだけはよくわかった。
「イシュメル、後ろ!」
 フィリスの叫び声に思わず振り返ると、すっかり存在を忘れていたリザードマンがイシュメルの後ろで斬馬刀を振り被っていた。
 それを一瞥すると、イシュメルはステップで左に跳びつつその顔目掛けて矢を放つ!
 そのまま、背に負った矢筒から数本の矢を引き出し、番えるとほぼ同時に引き、放つ!
 俺と同じレベルでここまでの動きができるのか。
――弓を習得してみるのも悪くはない。ただしイシュメルがいない時限定でしか使えないし使いたくないが。
 叫んだ当のフィリスはというと、周囲を必死の形相で警戒しながら、マンティコアの攻撃を捌き続ける。
 俺も一度周囲を見回す。
 動くかどうかはわからないが、天井にガーゴイルが2匹。
 フィリスが相手にしているマンティコア。
 イシュメルが相手にしているリザードマン。
 そしてアズレトが相手にしているエクトル。

『無事か?』

 不意に頭に響く声。
「あぁ、無事だ。現在地はルディス城。来れるなら来てくれ大至急だ!」
 思わず叩きつける様に叫び、杖を構える。
 声に反応したのはガーゴイルだ。
 ぱらり、と小石が落ちるようなエフェクトとともに、ガーゴイルが俺に向かって急降下する!
 それが俺の目の前に着地、いや落下して俺に衝撃波を浴びせる。
「『我願う、静かなる清流よ、傷を浄化し癒せ、ヒール』」
 思わず唱えてから、少しもったいなかったかと思い直す。
 ガーゴイルか。地属性……いや石、と考えた方がいいだろうか。
 彫刻の延長と考えるなら、どこか重要な場所を壊すか削れば倒せるはず。
『すまん、少し時間がかかるかもしれん。耐え切れそうか?』
 ウィスパーの声は少しブレている。
 恐らく馬で疾駆してくれているのだろうが、それでも時間がかかるということは相当遠くにいるのだろうか。
「期待はしないがなるべく早く頼む!……全滅寸前だと思ってくれていい!」
 言うと、何の返答もなく「アウト」とウィスパーが途切れた。
「フィリス!」
 見ると、もう一匹のガーゴイルが俺を無視してフィリスの元へ向かっていた。
「わかってる!アンタは自分を守ってろッ!」
 言うなり、フィリスは手近な部屋に駆け込んだ。
 ズガン、と物凄い音を立てているのが気になるが、フィリスのことだ。大丈夫に違いない。
 それにこっちもそんなことを考えている暇もなくなった。ガーゴイルが落下攻撃のディレイだったのだろう、硬直から復活し、ぶるぶる、と頭を振った。
「――!」
 頭を振った拍子に見えた。
 後頭部に刻まれた、ルーン文字のような印。
 同時翻訳補正か、あれが「生命」を意味する文字であることを悟る。
 気付くのが遅かった。
 ガーゴイルが動かない間にあれを削ることが出来ていたら。
――何てもったいない。
「……アキラ、……伏せて」
 いつの間に後ろにいたのか、カルラが杖を構えていた。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、フレイム!』」
 慌てて身を伏せると、カルラの魔法は突進してきたガーゴイルに直撃する!

「――!イシュメル、お前も伏せろ!」

 その先を見ると、イシュメルを挟んで向こうにリザードマンが斬馬刀を構えていた。
 俺の声に気付き、イシュメルが地面を蹴った。
 その瞬間、フレイムの流れ火がリザードマンをも直撃する!
 悲鳴を上げ、リザードマンが斬馬刀を取り落とす。
 イシュメルの判断は素早かった。
 すかさずその足元に飛び込むと、取り落とされた斬馬刀を俺の方へと蹴り飛ばす!
「――ナイス!」
 思わず叫ぶと、俺はその斬馬刀を手に取った。
 お、やや重いが持てないほどでもない。っつってもリアルだったら絶対持てないんだろうけどな。あと、多分レベルが足りないとかって理由で振り回すこともできそうにない。相手の武器がなくなるってこと以外、全くもって無意味――
[スティールを習得しました]
――ではないようだった。
 頭の中に響き渡るアナウンス。
 何か習得したらしいが、何を習得したのか全くわからない。後でリアにでも聞こう。
 武器のなくなったリザードマンが、俺の方に向けて走る。
 とは言っても、武器がなければ攻撃力はダダ下がりだろう。
 いや、過信は禁物だ。素手でも一撃で死ねる威力があるとかだったら困る。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 ケツァスタに炎を纏わせ、それで殴る。
 素手での攻撃は斬馬刀と比べてとんでもなく早いが、それでも避けきれない程ではない。――いけるか?
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 杖で殴りつつ、レイピアにも炎を纏わせる。
 ぶんっ、と音を立ててリザードマンの攻撃が目の前を通過するのを見て、攻撃力が下がってるかも、などという過信は完全に捨てた。
 人型である以上、弱点は頭か心臓か。
 と見せかけて違うところに弱点設定ってのも有り得るが、とりあえず試して損はないだろう。
 リザードマンが再び素手で俺を殴り付けようと拳を繰り出す。
 それに合わせ、カウンター気味にレイピアを突き出すと、レイピアは狙いを外して肩へと突き刺さった。
 ギャッ、と悲鳴を上げて後ずさるリザードマンに杖での追撃を試みる。
 だが流石にそれは避けられた。
――が、背後からイシュメルの矢がリザードマンに突き刺さる!
 俺とイシュメルを一瞥し、リザードマンはそれでもイシュメルを無視して俺へと拳を繰り出した。
 イシュメルがすかさず数発の矢をリザードマンにヒットさせる。
「うぉうッ!?」
 そのうちの1発が狙いを逸れて俺に向かってきた。
 慌てて避ける。
 一瞬すまなそうな顔をしたイシュメルだったが、
「――今のでさっきのチャラにしてやる。有難く思え」
 苦笑と共にこんなことを言いやがった。
 数十もの矢を背に受けたリザードマンは、さすがにイシュメルを脅威と認定したのか、方向転換をした。
――チャンスだ。
 炎を纏わせたままの杖を振り被り、リザードマンの頭目掛けて振り下ろす!
 ジャラッ、と飾りが音を立てるが、ほとんど効いていないのか、リザードマンは構わずイシュメルの方へ向かう。
 ならばと慎重に狙いを定め、頭へとレイピアを突き立てる。
 が、またしても狙いを外し、リザードマンの肩へとレイピアは突き立った。
――いや、違う。
 これは多分、リザードマンの方の回避補正だ。
 頭を狙って肩に当たるのは普通に考えてありえない。
「――伏せて」
 背後から響くカルラの声。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ』」
 成り行きを見守っていたのだろうか。
 いや違う。
――考えてみれば、俺が先頭に立てと言われたあの時も、誰もカルラを戦力扱いしなかった。
 カルラより戦力がある3人を主軸にするのは当然だろう。
 だが、カルラだって戦える。
――戦えるカルラを戦力にしない理由は何か。
 あの巨大な盾の魔法を、いざと言う時、当てにしていたんじゃないだろうか。
 そして、盾の必要がないと判断したカルラは、今ようやくそのMPを攻撃に費やし始めた。

「『フレイム』」

 巨大な火柱を上げ、カルラの杖から放たれた横薙ぎの炎は、リザードマンを直撃した。

[アース・リザードを討伐しました]
 無機質なアナウンスが、リザードマンの最期を告げた。



[16740] 23- 深緑の王者
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/16 23:59
「ふむ、いささか不利かな」
 呟くエクトルの声に、アズレトが何かを察してその懐に飛び込んだ。
 鋭く、杖を突き出すが当然のようにエクトルの素手がそれを阻む。
「『スロウ』」
「――『エアリー』」
 アズレトの呪文を受け、即座に対抗呪文代わりか、自らに補助魔法をかけるエクトル。
 すかさず剣を叩き込むアズレトだが、アズレトの杖を掴んだままのエクトルの素手が、その杖を使って剣の進路を阻んだ。
 成す術がないわけではないが、エクトルの相手がアズレト1人、という状況ではまず厳しい。
「イシュメル、援護頼む!」
 アズレトが声をかけるが、アズレト自身それは無理だと思っているはずだ。
 こんな近接戦闘では、下手をしたらアズレトに当たる。
 さっきの俺のように、当たろうが当たるまいがどのみち一発で味方が沈んでしまうような状況ではない。下手をしたらイシュメルの攻撃が命取りにもなりかねない。
 だから多分、エクトルにそれを警戒させるためのフェイクだ。
 金属と素手の鬩ぎ合い、あるいは剣戟の音が、まるで金属同士のような音を立てる中、エクトルの右腕が不意に真横に掲げられる。

「――サモン、グリーン・ドラゴニア」

 残る片手でアズレトの攻撃を見事としか言いようがないほどほぼ完璧に防ぎつつ、だ。ますますもって絶望的だ。
 掲げられた手の先に浮かび上がる、緑の竜人。
 手には細い剣と盾。
 深緑の王者【グリーン・ドラゴニア】。通称はグリドラ。
 ゲームをインストールする前、軽くネットの情報で調べた時に軽く見たことがある。
 確か弱点は炎。ボスキャラではないが、レベルはかなり高かったはずだ。
「――ッチ!」
 アズレトが思わず舌打ちをすると、イシュメルがグリドラに向けて数発の矢を放った。

「――アズレトはそいつを頼む。俺とアキラで何とか抑えるから!」

 イシュメルが叫ぶ。俺も勘定に入ってるのかよ!とツッコミたいのはやまやまだが、確かにここはそれしかない。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 既に消えてしまっていた杖の炎を再び灯し、
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 同じく消えてしまっているレイピアの炎を灯す。
 少しだけ、本当にちらっと見たことがある程度だ。
 正直炎が弱点だと言うのだけでは戦いようがない。
 だが、幸いにもグリドラの動きはそんなに早くないように見えた。
「イシュメル、俺の後ろ行け!」
「――わかった!」
 言うなり、イシュメルがグリドラから視線も逸らさずダッシュする。
 追うグリドラだったが、俺が杖で目を狙った一撃を見舞うと、それを簡単に避け、ターゲットを俺へと変更した。
 どうやら、俺の武器に宿る炎を脅威と判断したらしい。
「――アキラ、……伏せて」
 言うなり、カルラが杖を掲げる。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、フレイム!』」
 言ってからの行動が早ぇよッ!と内心ツッコミを入れつつ、慌てて地に伏せる。
 グリドラは動かない。――いや、俺に攻撃の目が向いているから気付いていないのか。
 そう思った直後、グリドラの目がフレイムの炎を目に留めた。
 瞬間。

   カァァァッ!

 グリドラがその炎に向けて威喝するかのような声を上げる。
「――ッ!?」
 目の前の光景を疑った。
 横薙ぎに薙がれた炎がグリドラの目の前で動きを止め、あろうことか180度向きを変える!
 当然炎が向かう先にはカルラ。
 しかし一瞬驚いたものの、
「『フロード!』」
 即座に判断し、杖を掲げて叫ぶと、濁流が杖から炎に向けて迸る。
 迫る炎は音を立てて水を蒸気に変え、それでも勢いを止めずに濁流をも飲み込んだ!
 嘘だろ、水の魔法が炎に押し負けてる!?
――ってか炎を反射しやがったぞ……!弱点じゃねぇのかよ!?

「『プロテクト』」

 いつの間にそこにいたのか、リアがカルラに魔法防御の呪文をかけていた。
 水に押し勝った分の炎がカルラを襲うが、そのダメージは大したことはなさそうだ。
「――厄介ね、まさか反射スキルを使ってくるとはね」
 言って、カルラに魔力剤を一本手渡すのが見えた。
 迷わずそれを飲み干し、カルラはぺこりとリアに頭を下げた。
「ってことは弱点がないってことか?」
「――弱点は炎なのだけれど、――ね」
 ちらりと俺の両手の武器に視線を落とす。

「弱点を狙うなら腹の白い鱗を狙いなさい」

 なるほど、――つまり射撃魔法は今のように反射スキルがあるからやめておけということなのか。
「――リア、補助を頼む」
「ええ、もとよりそのつもりよ」
 言うなり呪文を詠唱するリアに構わず、俺は緑の竜人を視界に納めた。
「『大地よ宿れ。オフェンシブ』」
 呪文が短いのが気になったが、おそらく熟練度による短縮なんだろう、と推測する。
 どちらにでも動けるように注意しながら、グリドラを注意深く見ると、確かに白い鱗が見える。
「――『水よ弾け、プロテクト』
――いや、うん見えるけど。あれを狙えってのはキツくないかリア。
 思わず内心でツッコミを入れた瞬間、グリドラがシャア!と一声上げてからこちらに向けてドスドスと歩き出す。
 とほぼ同時、イシュメルの矢が風を裂いて数本、咄嗟にグリドラが掲げた盾に突き刺さる。
 動きは確かに遅いが、反応速度半端なさすぎるだろ?!
「『主よ導け、ブレッシング』」
 リアの声が響くと同時、俺は駆け出した。
 相手は高レベル、無謀は承知だ。――だがリアの魔力はもう当てにはできない。アズレトの持つ魔力剤だって、これが終わるまでもつかどうか。
 矢の攻撃が途絶えたせいか、グリドラの盾が一瞬開く。
 そこにタイミング良く滑り込む俺。
――イシュメルがタイミング良く攻撃をやめたおかげだ。

 AIの優秀さを考えれば、こんなの二度とないチャンスだと思うしかない!

 目の前に白い鱗を確認し、そこに杖を叩き込む!
 耳障りに響くグリドラの叫び声を無視し、そこにレイピアを叩き込もうとした瞬間、横からの叩き付けるような攻撃に弾き飛ばされた。
 そのまま俺の体は一直線に壁に叩き付けられる!
 どうやらそれで死んだわけではなさそうだった。
 HPの脳内警告もないところを考えると、ただの弾き飛ばしスキルなのかもしれない。
 だが、立ち上がろうとした俺の視界がぐらりと歪む。

――やばい、これがスタンか!?

 スタン、と言うのは気絶と言う意味だ。
 一切の行動を不能にされる状態異常。
 まずい。非常にまずい!

「『風よ吹き荒れよ、エアリエル』」

 リアの声が聞こえた。
 横目でちらりとリアを見ると、こちらに向けて魔法をかけているらしい。
 そして視線を戻すと、緑色の……おそらくグリドラだろう、動きが押し戻されているように見える。
 行動妨害系呪文か。
 焦れたようにグギャァ!と声を上げつつ、無理矢理突破するつもりなのかグリドラがぶんぶんと何かを振り回す音が聞こえるが、その攻撃は俺に届いていない。
 何とか体を動かそうと必死に意識を叩き起こしていると、唐突に視界が開いた。

 ほぼ同時に、グリドラが剣を俺に向けて振り下ろす!

「うぉぅッ!?」
 思わず声すら上げ、横は無理と判断して前へと駆ける!
 杖の炎は消えていない。レイピアもだ。
 今度こそ鱗を貫こうとして、それでも恐怖から盾が来ないか確かめてしまう。
「――ッ!」
 思わず身を伏せると、その上を、さっきのエクトルの攻撃並のスピードで盾が通り過ぎた。
 こ、怖ェー!
 さっきのはこれか。ひやりとしながらも体勢を立て直し、再び鱗を狙う。
 だが、さすがにそうは問屋が卸さなかった。
 グリドラも簡単に弱点を突かれたくはないんだろう、バックステップで距離を開く。

   ズガァンッッ!!

 突然、フィリスの突っ込んだ部屋の方から轟音が響く。
 うわぁ、何だあの音……
 思わずフィリスを心配するが、視線を向けることもできない。
 そもそも一応剣戟のような音は聞こえていたんだが、こっちの戦いに集中するあまりにすっかり意識の外だった。
 イシュメルの弓がグリドラを牽制しているため、どっちにしても俺が突っ込むこともできないんだが、だからと言って目を離してしまえるほど余裕なわけじゃない。
 フィリスは大丈夫なん――

「とったぁぁぁッ!」

――あ。そうだよな。心配することでもねえか……。
 心配して損した、と俺は心底自分の愚かしさに溜息をついた。



[16740] 23+1/3- 真紅の恐怖
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/18 00:00
――ち、いくらアタシでもこれはキツイね。
 ちらりと部屋の入り口の方に目を向ける。
 他の邪魔が入らず、1対1なら行ける、か……?
 そう判断すると、アタシは念のため周囲を見回した。
 とりあえず敵はアタシの周囲にいない。
 キツそうなヤツは幸い、名前何だっけ――このマンティコアだけだ。
 って言うか、コイツのせいで部屋の方に行けないんだけどね!

   ぎィンッ!

 イヤに響いた音のする方に咄嗟に首を向けると、ゲームマスターとアズレトが対峙していた。
 ゲームマスターの武器が何かよく見えない。けど相手がアズレトなら問題ないだろうとすぐに首を他のメンバーに向ける。
 アキラは大丈夫だ、イシュメルは、――と首を巡らせたところでそれに気付く。
「イシュメル、後ろ!」
 思わず叫ぶと、イシュメルはようやく背後で斬馬刀を振り被るそれに気付いた。
 大地の鉄槌【アース・リザード】。
 初期に実装されたボスモンスターだが、1年前に強化されたっきり、強さのバランスが振り切れていると噂になってからは誰も狩りに行かなくなった不遇の存在だ。
――でもあの頃はオーストラリアでようやくサービスが開始された頃だ。
 アタシはその強さを知らないし、アズレトが半年ほど前に10人程度で楽勝だったと言っていたから、ひょっとしたら当時よりプレイヤーレベルのインフレで、今となっては楽勝なのかも。
 ともかく、イシュメルが一撃を避けたところでマンティコアの攻撃を牽制しながら視界を巡らせる。
 炎の馬――多分あれはファイアーメアだ――と戦うリアの姿が映る。
 リアなら大丈夫だろう。いざとなれば採算無視してあの「アブソリュート・ゼロ」とかかましそうだし。
 そう判断し、ようやく視界が一周した。
 ぱっと見大丈夫そうだ。あの部屋に飛び込んで1対1でコイツを潰してしまおう。
 マンティコアの尻尾の先の針と、爪に気を付ければ何とかなりそうな気がする。
――なるべく消耗せずにコイツを片付けることが最優先。

 最も厄介なのはモンスターじゃない。ゲームマスターだ。
――あとアキラの無謀も。

「あぁ、無事だ。現在地はルディス城。来れるなら来てくれ大至急だ!」

 不意にアキラの声が木霊する。
――ウィスパー?誰から。アタシら以外に知り合いなんかいたっけ?
 思わず戦いから意識を離した瞬間、マンティコアの尻尾が目の前に迫る。
 タイ剣では間に合わないと判断し、素早く腰から短剣を引き出して尻尾を払う!
 そしてそのまま、反動を利用して素早く短剣を鞘に収めると、アタシはタイ剣を両手に持ち直した。
 思ったより手ごわいと言うか、こっちの攻撃がほとんど当たらないのがムカつく!
 前足後足共に、俊敏な動きがチョー早いんですけど!
 って言うか、アキラの声に反応してガーゴイルが動き出した。
 あの馬鹿気付いてるのか、と声をかけようとしたが、それよりも早くガーゴイルがアキラに向けて落下した。
 今のアキラに2匹は無理だ。
 そう判断し、思わずタイ剣と一緒に握り締めていた棒を地面に叩き付けた。
 アイテム名、「挑発の枝」。
 モンスターにだけ聞こえる音を発生し、使用者にターゲットを強制変更するためのアイテムだ。
 道中何度も使おうと思っていたそれは、結局使うことがなかった。
――目標がゲームマスターである以上、これから後は使う予定はない。

 思い通り、にはならなかった。

 こちらに向かって来たのは1匹だけ。
 良い意味で誤算だ。2匹来たらピンチだった。

「期待はしないがなるべく早く頼む!……全滅寸前だと思ってくれていい!」

 アキラの声。
 確かにこのままじゃジリ貧で負けだ。
 アキラの判断は正しい。
 くそ、アズレトの気持ちが痛いほど良くわかるよ。認めたくないけど、ドッペルのときだってあれが最善の手だった!

――だからこそ、アキラを殺させてしまった自分の不甲斐なさがムカつく!!

 こちらに向かうガーゴイルを無視。マンティコアが振り上げた尻尾に向かってタイ剣を叩き付ける!
 一瞬怯むマンティコアだったが、タイ剣を両手で持っている以上、攻撃力重視でスピードが出ないからその隙は突けない。
 ちなみに片手で持てば、隙が小さくなりスピードは出るが、反面反動が大きい上に攻撃力も下がる。
 あえてその隙を無視して背中に一撃を叩き込もうと振り下ろすと、そこに尾が滑り込んでガード!
 戦闘ルーチン用AI高くない!?半端ないんですけど!
――アタシが見たことない以上、たとえボスでもせいぜい中級レベルのはずなのに!

「フィリス!」

 思わず首をそっちに向けたくなるようなアキラの声。
 多分ガーゴイルのことだろうと推測し、その衝動を抑える。
「わかってる!」
 ってかアンタはアタシのことなんか気にしてる場合かッ!
「――アンタは自分を守ってろッ!」
 マンティコアが飛び掛ろうと姿勢を低くした。
――瞬間、部屋の入り口を目に捉える。
 思わずマンティコアの背に手を付き、襲い来る尻尾を無視してその背を全力で蹴り飛ばす!
 マンティコアの向こうに立つだけのつもりが、反動でそのまま部屋の方へとダッシュする形に。
――ラッキー!
 そのまま部屋へ駆け込むと、剣を片手に構え直した。
 追って部屋に飛び込むマンティコアとガーゴイルを尻目に、ぐるりと部屋を見渡す。
 書類やら何やらが散乱する部屋。
 邪魔なのは机くらいか。
 振り返った瞬間、ガーゴイルがこっちに突進する。
 回転して避けつつ、その尻にタイ剣を叩き込む。
 勢い余ったガーゴイルが机に激突し、いいカンジに机をずらしてくれた。
 そこへ時間差で飛び込むマンティコア!
 うひ、だからアンタ戦闘ルーチン高すぎッッ!
 思わずしゃがみ、タイ剣を瞬時に両手へと持ち直して足元に叩き込む!
 が、それをも地を蹴りかわすマンティコアに、咄嗟にその剣を振り上げる!
 さすがに真下からの攻撃は見えなかったのか、ようやくマンティコアにダメージらしいダメージが……

――あれ?

 ひらりと着地したマンティコアには、ダメージの影すらない。
――うっげ、何コイツ!ルーチンだけじゃなくて防御力も!?
 と思ったのも束の間、ガーゴイルがマンティコアの影から飛び出した。

「――あぁもう!邪魔だアンタ!」

 頭にスキルを思い浮かべ、ガーゴイルの方へとダッシュし、両手に握り締めたタイ剣を思いっきり振り切る!

――ストロングインパクト!

 技名はイチイチ叫ばないけどね!
 ガーゴイルはあっさりと砕け散り、細かい石コロと化して辺りに散らばった。
――と、そこへまたしても時間差でマンティコアが飛び込む!
 だっから戦闘ルーチン!
 思わずしゃがもうとするが、ストロングインパクトのディレイで体が動かない!
「――ッ!」
 なす術もなく、マンティコアの一撃がアタシの右肩にめり込んだ。
 強烈な衝撃。続いて、断続的に軽い衝撃が何度も続く。
 状態異常の1つ、「出血」だ。断続的な衝撃と共に、HPが削られているのがわかる。
 肩で良かった、と思うしかない。心臓や頭なら死んでたかも。
 左手で道具袋を探りつつ、マンティコアを観察する。
 アッチもディレイなのか、1秒ほど固まった後ゆっくりと動き出す。
 探り当てたホーリーポーションを右肩に振り掛けると、一定感覚で続いていた衝撃がぴたりと止んだ。肩も光を放ち、傷が完全に塞がって行く。
 HP警告がないのが逆に怖い。今どの辺までHPが削られているのか。
 右肩粉砕する威力。軽く半分くらいは持って行かれてるような気がする。
 ポーションでどの程度回復できたのかもわからない。
――っていうかポーションなんて滅多に使わないしねぇ……。
 こちらを威嚇しながら、マンティコアがじり、と体を低くした。
 来るか、と身構えるが、そのままじりじりと横に移動するマンティコア。
 背の翼がばさりと羽ばたいた。

 ちょ、嘘、浮くのコイツ!?

 飛ぶゴキブリ並にイヤな光景だ。
 あれで動きがほとんど劣化しないなら、アタシ1人で何とかなる相手じゃない。
 と思った瞬間、マンティコアが猛烈な勢いでこちらに向けて突っ込む!
 マジですか卑怯でしょ反則じゃないこんなの!?
 思いながら、思わず身を屈めると、頭の上でぶわっ、と音がして背後でガリガリと地を削る音が響く。
 慌てて振り向くと、マンティコアの足元の床がその爪で盛大に削り取られていた。
 いくつ攻撃パターン持ってんのコイツ……!
 考える暇も与えず、マンティコアが再び体を低く唸る。
 羽を動かすこともなく、マンティコアが地を蹴る!
 半分カンだったが、左にステップでかわしつつ、その首を狙ってタイ剣を叩き込む!
 そのまま、タイ剣から手を離し、左腰の短剣を逆手に持ち振り上げると同時、右腰のソードブレイカーを抜くのと同時に、さらに頭にスキルを思い浮かべ、それを両手で同時に使うと強くイメージする!

――ダブルスラスト!

 例によって技名は叫ばないけどね!
 スキル発動と同時に、マンティコアの背と腹に、それぞれの武器(ソードブレイカーは厳密には防具だけど)が突き刺さり、素早く引き抜かれもう一度突き刺さる!
 うガァ!と悲鳴じみた声を上げ、マンティコアが悶絶する。
 やっぱりタイ剣の炎属性が効かないのか、と判断し、タイ剣を拾うのをとりあえず諦める。
 しかしアレで立つとか普通に呆れる。
 マンティコアは、ボタボタと青黒い血を流しながらも、立ち上がる。
 もう足元ふらついてはいるけど、だからって油断はしない。
 ジリジリとタイ剣に近寄ると、刃の部分を足で踏み、浮いた柄を掴み、両手で構える。
 属性の問題だとわかってしまえばこっちのもんだ。
 もう負ける気はしない。
 ふらつく足をぐっと踏み締め、マンティコアが上体を一瞬下げ、そのまま飛びかかって来る。
 それに合わせ、アタシは両手で握り締めたタイ剣にスキルを2つ、イメージした。

――剣よ凍れ!
――チャージング!

 例によって技名は叫ばないけど!
 込められたスキルはタイ剣の炎属性を侵食した。
 属性は相殺され、「無属性」と化す。
 一瞬屈み込み、隙だらけの腹にタイ剣を叩き込む!

   ズガァンッッ!!

 派手に吹っ飛んだマンティコアは、その巨体を天井に強打して派手な音を立て、そのままアタシ目掛けて落下する。
 すかさずバックステップすると、アタシは再びタイ剣にスキルをイメージした。

――ストロングインパクト!

 叫ばないけど、頭の中では実は叫びたいってのは内緒!
 マンティコアの巨体が部屋の入り口目掛けて吹っ飛ぶ!
 駄目押しもういっちょ行っときますか!
 タイ剣を片手に持ち替え、ダッシュでマンティコアに追い縋る!
 そしてレイピアを腰から引き抜くと、マンティコアの体に飛び乗る。

――チェックメイト・レイ!

 断末魔さえ上げることなく、マンティコアの巨体が地面に沈む。

[クリムゾン・マンティコアを討伐しました]

 思わずガッツポーズをし、うっしゃ、と内心思ったが、アタシの嬉しさはそれでは止まらなかった。
 アタシは息を大きく吸うと、アイツらに聞こえるように盛大に吼えた。

「とったぁぁぁッ!」



[16740] 23+2/3- 真炎の恐怖
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/20 02:35
 地獄のような光景。
 アキラが後でそう形容した時、言い得て妙だと思った。

 目の前に広がる光景は、まさに地獄。

「――『リバイブ』」

 炎の中からアズレトの声が響く。
――違う。アズレトの声に似た声が、――響く。
 最大出力、文字通り全力での『フレイム・ゾナー』を耐えたドッペルゲンガーに、すでに絶望の色さえ覗かせるメンバーたち。
 それでも、自らの勇気を最大まで振り絞ったフィリスが、私たちの勝利へのわずかな蜘蛛の糸を掴むためだけに、――地獄の業火の中央へと駆け込んだ。
 フィリスが振り下ろす剣とドッペルゲンガー・アズレトが振り上げる杖とぶつかり合い、激しい不協和音を醸し出す。
 本物のアズレトから足しにと渡された魔力剤を一気に飲み干すと、頭を白紙にして状況の把握に努める。
 フィリスがタイラントの剣を瞬時に片手で持ち直し、素早くドッペルゲンガーの死角から短剣を抜き放つが、杖がそれを上手く捌き、さらに襲いくるタイラントの剣の威力を柄で受け流す。さらに短剣が二度、三度とドッペルゲンガーを狙うが、涼しい顔をしたままそれら全てを叩き落された。
「――チッ――」
 業を煮やしたかのように舌打ちしたフィリスが、隙を狙い、ゲームマスター目がけて短剣を投げつけると、瞬時にタイラントの剣を両手に持ち直した。

 思わず短剣の、その正確無比な美しい軌道に目を奪われる。

 だが涼しい顔をしたゲームマスターは、無常にもあっさりとその短剣を僅か一歩移動するだけで避けてしまった。

「『ダンシング・ソード』」

――あまりの無粋に、思わずその短剣に意識を集中させてスペルを発動する。
 エクトルはそれを一瞥すると、手に持つ杖で短剣を叩き落した。
 僅かに溜飲を下げ、私は視線をイシュメルへと向けた。
 矢を番え、弓を射ろうとタイミングを見計らっている彼は、しかしドッペルゲンガーの猛攻にその隙が見当たらないのか、必死にタイミングを計っているのがわかる。

――と、その目が驚きに見開かれた。

 思わずその視線の先に目を向けると、フィリスとドッペルゲンガーの間に立ちはだかる様に、アキラの姿がいつの間にかそこにあった。

 思わず絶句する。
 確かに私もそれは考えた。
 だけれど、私はその考えは、思いつくと同時に捨てた。
――誰かが捨石になり、犠牲になって掴む勝利など、美しくないと思えたから。

 だが彼は私のその考えをあっさりと裏切り、自らの身を曝け出すことで勝利しようとしている。
――思わず手を伸ばすも、それが届くはずもなく。
 ドッペルゲンガーの右手に握られたロング・ソードが、アキラの肩から胸あたりまでを大きく切り裂いた。
「――ッ!!この馬鹿野郎ッ――」
 フィリスが叫ぶと、ドッペルゲンガーは動揺したかのようにステップバックした。
 思わずアキラの元に駆け寄ると、ちらりとアズレトに視線を向ける。
「――『葉』を使うわ。――回復を頼めるかしら」
 返事の代わりに杖をアキラに向けるアズレト。
――そうこうしている間にも、ドッペルゲンガーの変化は始まっていた。
 私の考えが正しいのであれば、これで正式にドッペルゲンガーを討伐できる。

 復活すらすることもない、完全な討伐を。

「――葉よ、」
 アキラの頭を膝に乗せ、葉を使用するとイメージしてアイテム・オブジェクトを握り潰す。アイテム使用のざらりとした感触が、掌を蠢く。
「アキラ=フェルグランドを今一度現世へ。――『リザレクション』」
 奇跡の葉。
 実はスペル補助のアイテムだ、ということはあまり知られていない。
 呪文を知らずに使用しても発動しない「スペル補助アイテム」ではなく、「呪文を唱えることで発動する蘇生アイテム」だと勘違いしている者も少なくない。
――どちらでも大差はないけれど、設定をしっかりと覚えていて損をすることはない、と思う。
 アキラの体が緑の光に覆われるのを確認し、私はアキラを地に横たえて距離を取った。
 アズレトの呪文が私に誤射されないように、未然防止。
 蘇生とほぼ同時に、アキラの肩から胸への傷を治療しなければいけない。そして傷は、生きているプレイヤーにしか、効果がない。
――万が一アズレトの魔法が外れた場合、蘇生されたアキラは再びその傷によって死亡し、貴重な「奇跡の葉」を無駄にすることになる。
 アズレトの杖が震えているのがわかる。私が近くにいることで誤射される危険性はある、ということ。

 プレッシャーからではない。アキラへの怒りから。

「リバイブ」
 タイミングを見計らい、アズレトの唱えた呪文はアキラを捕らえた。
 傷が一気にその形を変え、アキラの傷が一気に癒えて行く。
「――、……ッ」
 あぁフィリス。気持ちはわかるけれど落ち着いて。終わってから2・3発殴ってあげればいいわ。
「――考えたわね、……アキラ」
 フィリスの怒りを諌める意味を込めて、私はアキラへ声をかけた。
 フィリスが、舌打ちをして視線を外す。
 アキラの視線が、私からカルラ、アズレト、イシュメルへとゆっくりと巡り、
「イシュメル。俺とお前だけで倒すぞ」
 アキラが声をかけると、イシュメルが一瞬、怒鳴ろうとしたのか怒りの表情をアキラへと注いだ。
「――、わかった」
 それでも怒りをなんとか抑えたのか、弓に矢を番えるイシュメル。
 そして二人はドッペルゲンガーへと視線を戻した。

 と、二人の死角からファイアー・メアが迫る。

 二人がドッペルゲンガーへ集中していて、全く気付いていないことに気付き、
「――エンチャント、――アンチファイアー」
 小声で呟くと、マントにエンチャントを施した。
 そのままファイアー・メアの元へ走り出すと、アズレトが気付いたのか、同じようにファイアー・メアへと走り出す。
 先にファイアー・メアとエンカウントしたのはアズレトだった。
 杖で強襲すると、ひらりとそれをかわしてアズレトへ目標を変えたファイアー・メアは、音も立てずに90度向きを変え、アズレトへ向けて跳躍した。
 すかさずアズレトが杖を振り被るが、ファイアー・メアはそれを足がかりにアズレトを飛び越える!

――狙いはアズレトじゃなくて、この私!?

 すぐに思い出す。
 そう、私は運がないのだったわね。
――相方にはよく、「モンス運がある」と称される。
 要するに、乱戦になった場合、私にモンスターが向かいやすいという意味で言っているのでしょうけれど、――いつだってそれで得をした気がしないのは何故かしらね?
 ファイアー・メアの上体が沈み込み、自らの鬣を誇示するかのように突進する。
 その体が私に体当たりをする直前、私はマントの端を手に持ってファイアー・メアと自分の間に滑り込ませた。
 僅かな衝撃に、足が宙を浮いた。

――フローツ・アタック!?

 俗に、浮かし攻撃、と称される攻撃。
――主に連続攻撃の初撃として使用されることが多いこの攻撃方法を持つモンスターは多くない。
 連続攻撃を叩き込まれても、それが炎属性である限り、マントのエンチャントがほとんどを防いでくれるはずだと信頼していても、――それでもその攻撃がこのマントを貫通して通らないかと、背筋にぞくりとしたものが走る。
 浮かせた私よりもファイアー・メアが高く跳躍したのを見て、上からの攻撃に備えるべくマントを掲げた瞬間、ファイアー・メアの蹄が私の足を掠る!
 思わずぞくりとしながらも足に灼熱を覚えるが、ファイアー・メアの攻撃はそれで終わったわけではない。
 さらに同じ蹄が頭の上から目の前へと振り下ろされ、直前でマントをその間へと滑り込ませると、衝撃が僅かに私を下へと押し下げた。
 その隙を狙い、マントの裾を軽く持つと、私はマントの端をファイアー・メアへと叩き付ける!
 一瞬、怯んだようにファイアー・メアが目を閉じる。
 その隙を狙い、地が足に着くと同時に私はバックステップで距離を稼いだ。

 二つの同じ声色が、それぞれ違う呪文を詠唱する声が聞こえた。
 ほぼ同時に、水で火を無理矢理消したような音と矢を射る音、さらにゲームマスターが補助魔法を唱える声まで聞き取ったところで、ファイアー・メアが再びこちらに突進するのが見えた。マントで自分の体を隠しつつ、

「――エンチャント、アンチインパクト」

 エンチャントをかけ直す。
 その瞬間、ファイアー・メアはその上体を下げた。
 フェイント。本命の属性は衝撃ではなく炎!
 思わずマント防御を放棄して真横へとステップする。
 熱気と共に巨体が通り過ぎるとほぼ同時に、アキラの方から鋭い金属音が鳴り響いた。
 いつの間にか、先程召還されたばかりのクリムゾン・マンティコアがアキラに迫っていた。
 そしてアキラをその奇襲から救ったのはフィリス。

「――説教は後だ!後で覚えてなッ!」

 怒気を孕んだ声は、普段のフィリスと変わりない。
 あの様子なら、あのマンティコアはフィリスに任せても平気だろう。

 ちらりとファイアー・メアに視線を戻すと、私を見失ったのか、それとも攻撃のディレイか、ファイアー・メアはこちらを見てはいなかった。

「『プロテクト』」
「――『オフェンシブ』、『プロテクト』、『ブレッシング』」

 ゲームマスターの声が響くと、すかさずアズレトの声が後を追って響いた。
 背後にゲームマスターがいる以上、――ドッペルゲンガーを随時回復されたりすれば、アキラは徐々に状況を悪化させ、下手をしたら負けを喫する。

「エンチャント、――アンチヒール」

 ドッペルゲンガーへとエンチャントをかける。
 アンチエンチャントで壊されたら、即座にもう一度かけるだけ。
――アキラ、私はね?

――本当は、全部台無しにした貴方にこそ、せめて勝利を掴んで欲しいのよ。

 そして振り返る。
 それが早くて助かったと気付いた。
 突進して来るファイアー・メア。
 思わずマントで防御すると、幸いにも攻撃は炎属性ではなかった。
 僅かな衝撃がマントに響くと同時、マントを翻してその頭に叩き付ける。
 手に強烈な手応え。
――ここでまさかのクリティカル!
 ファイアー・メアが僅かに怯み、その巨体の二つ分ほどを一瞬でバックステップする。

「『ファイアー!』」

 アキラの声に思わず振り返ると、特徴的なペイントを施した顔のないモンスターが、今まさにアキラの腕に崩れ落ちたところだった。
 崩れ落ちたその体から白い光がアキラとイシュメルを数回回り、二人の体に染み込んで消える。
――今二人には聞こえているのだろう。
 討伐しました、と報告する、あの無機質なアナウンスが。

 私の推測は当たっていた。
 ドッペルゲンガーの討伐は、殺された本人が討伐すること。
――無茶苦茶な話に見えなくもないが、討伐されたドッペルゲンガーは全て、

 殺された本人がいない状況で倒されていた。

 そして誰も聞いたことのない、ドッペルゲンガー討伐のアナウンス。
 討伐の条件を満たしていないのだから、当然と言えば当然のことね。
――ドッペルゲンガーが自己像幻視とも呼ばれるように、幻視された自己像を破壊することでしか、ドッペルゲンガーの討伐は成されないということ。

「ほう」

 薄く笑うゲームマスターの声が響き渡る。
 青く光る手。
――まずい、と思う前に走り出す。

 その姿が一瞬ゆらめくと同時に消失する。
 私の目には捉えられない現象。
 次に私の目がゲームマスターを捉えたのは、さっきまでアキラが立っていた場所だった。
 私が立ち塞がったところで無意味なのだろう。
 ただ牽制のためだけにアキラとゲームマスターの間に立つ。
「――随分な真似をするのね、ゲームマスター」
「弱い相手から順に殺すのは鉄則だと思うがね」
 即座に切り返したゲームマスターの姿が揺れると同時、
   ぎんッ!
 風が曲がる音が響く!
――あの速度で曲がることもできると言うの!?
 だとしたら、アキラが目標である限り私には何も出来ないと言うことだ。

 アキラが全力でアズレトの元へ走る。
――あぁ、そうね。
 アズレトならあの攻撃を真正面から受け止めて、その上で反撃もできるかもしれない。
 アキラの判断が冴えていることに感嘆しつつ、不意に気配を感じて思わずマントをかざす!
 僅かな衝撃と同時に、私の体がふわりと浮き上がった。

――油断した、私としたことが――!

 いつの間に私との距離を詰めていたのか、全く気付かなかった。
 動きを冷静に判断し、集中してその動きに合わせ、上手くマントを滑り込ませる。
 連続攻撃は炎だと思っていたのだが、――と気付いてひやりとする。
 もしこの連続攻撃が炎だったなら、私は恐らく死んでいる。
 マントが対衝撃属性のままだ。
 迂闊すぎるにもほどがある。
 見たところ素手だったはずのゲームマスターと、アズレトとの剣戟の音が耳障りに響き渡る。
――幸か不幸か、アキラにしてあげられることは今のところ、ない。

 目の前の敵に集中することを決める。

 炎が揺らめくようにファイアー・メアが後ろ足で立ち上がった。
――チャンスだと言える一瞬に、私は迷わず駆け込んだ。
 マントから手を離し、腰を両手の得物に添えると、私は右手を添えた方にスキルをイメージした。
 相手の心臓を狙うイメージ。
 スキル名はアイムス・タブ。
 思い浮かべると同時に、右手で短剣を抜き放ち、ファイアー・メアの無防備な胸目がけて振り上げる!
 僅かな衝撃。手元が狂ったのか、短剣の軌道はその胸ではなく、肩を抉ったに過ぎなかった。
 迷わず短剣を鞘に戻し、マントの端を掴むと後ろを振り向いた。
 そこへ迫り来る蹄の一撃に合わせ、マントを間に滑り込ませた。

――そこへ強烈な衝撃!

 衝撃属性ではなく、炎攻撃を叩き込まれた。
 まずい、と気付いた時にはすでに遅い。
 迷わず左手に握るそれに力を込める。
 蹄の追撃が来ると同時、私は左手に握ったソードブレイカーを抜き放った。

 ソードブレイカーに阻まれた蹄は、その勢いを半分に削り取られ、しかし残った半分の勢いを私に叩き付ける!

 そのまま落下し、背から叩き付けられた私は、無様に床を転がってファイアー・メアの後ろへと転がり出た。

「『我願う、静かなる清流よ、傷を浄化し癒せ、ヒール』」

 アキラが唱えた呪文が、私のHPを僅かに回復したのを感じた。
 視線を向けると、アキラはガーゴイルと対峙している。
 どうやら私にかけたものではなく、アキラの傷を癒し切った残りが私へと効果が流れて来たもののよう。

「期待はしないがなるべく早く頼む!……全滅寸前だと思ってくれていい!」

 アキラが叩き付けるように叫ぶ。
――何の話だろう、と一瞬考えてすぐに気付く。
 恐らく援軍の誰かとのウィスパーだ。
 私たち以外に知り合い、と言う話を聞いたことはないけれど、と一瞬思ってからふと気付く。
 そうか、探していた長刀の男。
 アキラの方は覚えていなくとも、彼の方では覚えていたということだろう。

 ならば、それまで少なくとも全員が生きていればいい。
 援軍は増える。それまで生き延びれば可能性はまだあるということ。

 最優先は、私にとって最も相性の悪いファイアー・メアかしらね、と思いつつその姿を探すと、一瞬私の影が揺らめいた。
 思わずバックステップすると、そこに叩き落される赤い炎の蹄。
 思わずひやりとし、もうMPを節約、と言っている場合ではないことに気付く。

「――サモン、グリーン・ドラゴニア」

 後ろで不穏な科白が響くが、とりあえずは目の前の敵。
 右の腰に手をかけ、私はファイアー・メアへと突進した。
 当たり前のように迫る蹄をかわし、その巨体の下へと潜り込む。
 さらに迫る蹄に炎属性が乗っていないと半ば勘で判断し、それをマントで防御する!

 衝撃はほとんどない。どうやら珍しく、賭けに勝てた。
 綱渡りはあと2つ。
――激昂したように、ファイアー・メアがその巨体を起こして立ち上がる。
 一つ目の綱渡りは、どうやらするまでもなく太い橋へと変貌した。

 そして最期の綱渡り。

 右手に触れる柄に手をかける。
 相手の心臓を突き刺すイメージ。
 スキル名は――

――剣よ凍れ――!

 パキン、と抜き放った剣が音を立てた。

[ファイアー・メアを討伐しました]

 無機質な声が響き渡るのを無視し、アキラの方へと視線を向ける。

「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、フレイム!』」

 アキラやイシュメルには悪い言い方になるけれど、今、一番の穴はあの3人。
 そう判断し、加勢すべく駆け出す。
 相手はグリーン・ドラゴニア。
 深緑の王者とも呼ばれる強敵。――本当に悪いけれど、アキラたちには逆立ちをしたって勝てる相手じゃないことは明白。
「『水よ弾け』」
 熟練度によって少しだけ短縮された魔法を唱える。
――と、

   カァァァッ!

 グリドラがカルラの魔法の炎に向けて吠えた瞬間、炎が反射され、カルラを襲う!
「――!」
 咄嗟に、アキラに向けていた手をカルラに向ける。
「『フロード!』」
 詠唱破棄の水属性魔法を唱えるカルラ。
――フレイムのレベルは、私がカルラに渡した呪文書から上には上がっていないだろう。
 つまり、Lv.10。ただしフレイムは上位に位置する強大魔法。
 対するフロードは、詠唱破棄の様子から見てLv.30を超えているだろう。

――でも惜しい。フロードは中級下位魔法。恐らくフレイムに押し負ける。

「『プロテクト』」
 カルラに魔法防御をかけると、カルラが押し迫る炎に思わず目を閉じた。
――そして恐る恐る目を開けるカルラにほっとする。ダメージは低そうで何より。
「――厄介ね、まさか反射スキルを使ってくるとはね」
 カルラに、魔力剤を1本渡すと、カルラはすぐにそれを飲んだ。
 当然。――生き残るべき戦いで出し惜しみは許されない。
 ぺこりと頭を下げるカルラ。礼のつもりなら必要はないけれど、一応会釈で返事を返す。
「ってことは弱点がないってことか?」
 アキラがどうするんだ、と言う眼差しを向ける。
「――弱点は炎なのだけれど、――ね」
 その両手にある炎は何の為?気付きなさい、アキラ。

「弱点を狙うなら腹の白い鱗を狙いなさい」

 意を決したように、アキラが立ち上がる。
 そうね、男の子は凛々しくなくては――ね。
 女の子集団に守られているようでは、先が思いやられるわ。
「――リア、補助を頼む」
「ええ、もとよりそのつもりよ」
 やるとなったら意気込みが気迫に代わる、その単純さが少し羨ましくもある。
「『大地よ宿れ。オフェンシブ』『水よ弾け、プロテクト』」
 イシュメルが戦いの合図のように、矢を数本撃った。
 命中するかと思われたそれを、グリーン・ドラゴニアは素早く盾で防ぐ。
「『主よ導け、ブレッシング』」
 駆け出すアキラ。
 そのスピードがいつもより速いことにようやく気付く。
――戦闘の間にスピードでもかけていたのかもしれない。
 それなら私の補助はもう必要ないだろう。
 そう判断して床にへたり込む。
 座ることで少しでも魔力の回復を図らなければ、魔力剤が何本あってもただの無駄になる。
 イシュメルとの連携も見事だ。
――と思った瞬間、グリーン・ドラゴニアの盾が飛び込んだアキラに直撃する!
 思わず立ち上がると、私は慌てて杖を構える。
 グリーン・ドラゴニアは、悠然とアキラに向かって歩き出す。
 どうやらアキラはスタンしているらしかった。
 MPの消耗を気にしてる場合じゃない、と判断し、私は杖をグリーン・ドラゴニアに向けた。

「『風よ吹き荒れよ、エアリエル』」

 MPは残り僅かだと感覚が告げる。
 構わない、全て使い切るまでサポートする!
 いつもは私に向かって来るモンスターも、こんな時に限って私の方を向かない。
――アキラはまだスタンから回復していないのだろう。
 立ち上がろうともがいているのが手に取るようにわかってしまう。

 まずい、MPが限界……!

 私の杖から吹き荒れる風が止まる。
 こちらを一瞥したグリーン・ドラゴニアがアキラへと剣を振り下ろす!
「うぉぅッ!?」
 ギリギリでスタンから回復し、アキラが声を上げてその一撃を避ける!
 そこに迫る盾に即座に気付き、身を伏せてかわす様は、見ていて心臓に悪い!
 しかしそれをなんとかかわしたアキラは、弱点を狙おうとレイピアを突き出すが、グリーン・ドラゴニアはそれをあっさりとかわしてアキラを威嚇した。

   ズガァンッッ!!

 突然の轟音に振り向くが、城の一室から爆発でもしたかのような煙が上がるだけで何もわからない。
 アキラに視線を戻すと、その横を掠めるようにイシュメルがグリーン・ドラゴニアへと矢を連続で撃ちながら牽制していた。
 そしてもう一度煙へと目を向ける。

「とったぁぁぁッ!」

 フィリスの吠える声。
 どこへ行ったのかと心配していたら、――そんなところで戦闘していたのね。



[16740] 24- 激昂の遠吠え
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:3c685a44
Date: 2010/05/25 00:10
 形勢は俺たちに有利に進んでいた。
 とは言っても、目の前のグリドラを始めとし、さらにエクトルという強敵までいる現状。――さらにエクトルはサモンを使う。良い方に傾いた形勢だが、だからといって楽観視はできないのが辛いところだ。

「――アキラ、……離れて」
 カルラが俺のローブの袖を引っ張った。
 俺が顔を向けると、リアが俺とグリドラの間に立った。
 リアの魔力剤は残り少ないはずだ。
 何か勝算でもあるのか、と思ったが、フィリスがタイ剣を手に突っ込むのを見て、あっさりとグリドラから視線をエクトルへと移した。
 そのエクトルは、アズレトと互角以上の戦いを繰り広げている――と言えば拮抗しているかのようだが、実際にはアズレトが軽くあしらわれていると言ってもいい。
「――ッ!」
 無言のまま、アズレトが腰から剣を抜くと、エクトルの手が青く光った。
 伏せることすらせず、アズレトがそれを迎え撃つように杖を構えるとタイミングを見計らってステップして避ける。
 どうやら距離とエクトルのダッシュ速度である程度の計算をして、ギリギリのところでかわしているようだが、――俺なら恐ろしくて真似は無理だ。

「サモン、」

 右腕を掲げ、ちらりと周囲を一瞥するエクトルが召還の対象に選んだものは、

「――タイラント・デビル」
「――ッッ!」

 リアの表情が変わった。
 同時に、アズレトもあっさりとエクトルとの戦いを放棄してその場を離脱する。
 カルラが俺の頭を引っ掴み、フィリスは素早くグリドラの影へとステップし、そこにタイ剣を叩き込んだ。

『イシュメル!伏せろッッ!』

 フィリスとアズレトがほとんど全く同時に叫ぶ。
 だがそれは一瞬遅かった。
 伏せようとしたイシュメルの動作よりも一瞬早く、

――召還された『赤の灼熱』が激昂の遠吠えを炎へと変えた。

 爆音と爆風に呑まれ、タイラントの周囲が完膚なきまでに破壊される。
 足元の床が崩れ、俺と、俺を地に伏せさせたカルラは階下――城の地下へと落ちた。
 上で剣戟と僅かな俺を呼ぶ声が聞こえる。――あれはフィリスか。
「――落ちた、……みたい」
 カルラが短剣を抜き放った。
 ライトのエンチャントがかかっているダガーだ。リアにもらったものだろう。
 周囲が僅かに照らし出され、そこが地下牢になっていることにようやく気付いた。
「牢、……だと思う」
 言って、俺たちが内側なのか外側なのかを確かめる。
――内側だ。鍵もかかっている。
 上に戻るのは地獄に舞い戻るのと同義だ。
 かと言って、ここに残るのも問題がある。
 万が一タイラントがこっちに落ちて来たら成す術がない。
「鍵開けとかできないか?カルラ」
 聞いてみると、カルラはじっと俺を見つめた。
 そして、牢獄の部屋を調べ出す。
「――カルラ?」
 声をかけるが、カルラは無視するかのように牢を歩き回り、一周したところでようやく俺に視線を向けた。

「――戻って、……また無茶をするの?」

 冷たい声色。
 ようやく気付く。
 無視するかのように、ではなく無視していたのだと。
 他のメンバーと同様、カルラも俺の無謀に腹を立てていたのだと。
「レベルに差がありすぎる、……戦力に差がありすぎる、……それでも」
 一言一言呟くような声。
 カルラが、こちらを睨み付け、静かに叩き付けるように言った。

「それでも貴方は、……まだ戻るの?」

 わかってる。
――カルラは怒っているのではなく、呆れているのだと。
 それでも俺を見捨てず、俺の考えを聞きたいんだ、――と。
「――俺は弱いさ、だけど」
 カルラの顔が呆れ顔に変わる。
 無謀だとわかっていて無謀を繰り返すのに何の意味があるのか、と言う顔だ。

「だけど俺は楽しみたいんだ」

 呟くと、カルラはやれやれ、と苦笑して見せた。
 俺の考えをわかってくれたのか、言っても無駄だと呆れられたのかわからないが、苦笑とは言え笑ってくれたことに安堵する。
 カルラは無言のまま牢の錠に杖を伸ばした。

「――『アンロック』」

 お、と思わず声を上げると、カルラが杖を離した。
 かしゃん、と音を立て、錠があっさりと開いた。
「行こう」
「……うん」
 言って牢を開けると、俺を制してカルラは前に立って歩き出した。



[16740] 25- タイムオーバー
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:e9ec620f
Date: 2010/09/14 02:55
「……これは、要するに上に戻れないって言わないか」

 上に戻るための、ドアが閉まっていた。
 試行錯誤してドアを開けようとして1時間ほどが経っているが、――どうやら開きそうにないな、と諦めて手を離した。
 鍵がかかっているわけではない。
 物理的に、何かが向こうを塞いでいるか、あるいは扉そのものが歪んでいるか。
 ぶち壊して進むしかないと言うことだ。
――でもなぁ。

 水を差したくなかったから黙っていたんだが、……実はあと2時間ほどで出勤時間だ。
 腕に巻いた、日本時間に合わせた腕時計は、すでに午前6時を示していた。

「……どうするか」
 このままここでログアウトすれば、とりあえず地下で眠るアキラが発見されない限りは死ぬことはないだろう。
 ただし、数度の「激昂の遠吠え」で床をブチ抜いて落ちたことは間違いなく知られている。
――まぁ、かと言ってもどうしようもなかったりもするんだが。
「ウィスパー、リリー=ビーヴァン」
[該当キャラクターはログインしていません]
 リリーは、まだ死んだままか。もしくは蘇生したけどログアウトしたのか。
「ウィスパー、フィリス」
 上で、剣戟の音を響かせている張本人にWISを送る。
「ウィスパー、アズレト=バツィン」
 続いて、常識外れの耐久男の名前を呟くと、フィリスがWISで、ん?と声を上げた。
「ウィスパー、イシュメル=リーヴェント」
 このゲームで最初に出来た相方の名前を呟く。ここでようやくアズレトが、フィリスと同じように声で反応した。
「ウィスパー、リア=ノーサム」
 カルラは目の前にいるため必要ない。メンバーはこれで全員だったはず。
『何だい?忙しいんだけど』
「……あー。悪い。そろそろ仕事の時間が迫っててな」
 言うと、不機嫌そうな声だったフィリスは軽い口調であぁ了解、と応えた。
『……とりあえず地下ならば問題はなさそうね。――行ってらっしゃい。気をつけて』
 リアはリアらしく、丁寧な口調でさらりと言う。
『――おう。次に入ってイベントが終わっているようなら徹底的に教育してやる。行って来い』
 イシュメルはまだ怒っているようだ。声が据わっている。
『だが断る』
 アズレトがあっさりと言い放つ。
「いや無理だから。仕事休むわけに行くか」
 冗談だと判断し、軽く受け流してみる。
『仕事なんてやめちまえ』
「いやいやいや何言ってんだお前」
 あまりに真面目な口調に思わずマジで焦ると、――なんてな、と声が途端にふざけた口調に変わる。
『ネタにマジレスは格好悪いぜ?仕事頑張れ』
――くそ、いつか言い負かす。
 カルラの方を向くと、無言でにっこりと頷いた。
「――悪いな。リリーによろしく。――あぁ、例の長い刀の男も後で追い付いて来るらしいから」
『あ、ソイツならもう来てる。落ちるなら「ウェイン=マークウッド」って名前を覚えておけって』
 ますます俺の出番はなさそうだ。安心して落ちられる。
「ウィスパー、ウェイン=マークウッド」
 一応礼儀として声をかけることにする。
「――すまんな、来てもらっておいて合流もしないで」
『む、いや構わんさ。リアルを優先するのは人間として当然だ』
 それに他の連中もいるしな、と呟く。
 どうやらあの連中を掻き集めてから来たようだ。
――ますます俺の出番はなさそうだ。

「んじゃ、――仕事に行って来るよ」

 おう、とかまたな、とか手を振るカルラとかに若干の名残惜しさを覚えながら、俺は思考スイッチを切った。
 瞬間、カルラのダガーに頼らなければ見えないほどのリアルな暗闇から一転、視界がブルースクリーンの青に染まる。
――急にコレだと眩しいな、とどうでもいい不満を残しつつ、俺はヘルムコネクタを外した。

 1時間ほど仮眠を取り、シロフォンの音を奏でる携帯アラームをタッチ操作で切る。――まだ眠い。
 その眠気を少しでも取ろうと、洗面所で冷水を手に溜めると、目を開けたまま叩き付けるようにそこに顔を鎮めた。
 軽く目に染みるが一時的に目は覚めた。
 軽く朝食を取ろうと食料を漁るが、食えそうなものが明太子くらいしかない。
 自炊するのを諦めて、俺は財布と携帯を手に家の鍵に指紋を認証した。
 このままバイト先に直行してしまおう。
 朝食は途中で、あのパサパサしたスティックでも食えば事足りるだろう。


 仕事と言っても、俺のそれはバイトだ。
 2種類をかけもちすることで生活費を作り、一応貯金も多少程度には貯めてある。

「Sはない?6本ほど」
「あるよ!――あ、5本しかないや」
「ん、いいや1本はMから出しとく」
 本当はダメなんだが、同じ家からの商品だ。問題はない。
 ちなみに2S、S、Mは商品のサイズだ。
 2Sが15センチほど、Sが25センチまで、Mがそれ以上……というのが大体の目安だ。
 詰め込んだ商品を手で抑えつつ、下の段に13本を2列。
 さらにその上に13本を2列入れると、下から商品を巻くようにフィルムをかけ、下敷きのような板でそれを端へと押し込む。
 えらく大雑把に見えなくもないが、どうせ運搬で多少動くんだ。構わない。
 中途半端に残った商品を両手で抱え、秤の上に置いて重さを量る。
 3キロと少しだ。
「2キロ半以上の場合は他の家のと混ぜてもハンコはこの家のでしたよね?」
 伝票に半端が3.0、と書き込みつつ聞くと、俺と同じように商品を詰めていた爺さんがおう、と肯定した。
 緑に細長いソレを見ていると男としての自信がなくなって来るが、さすがに職場で下ネタは言わずに黙々と仕事をこなす。
 とりあえず1件の家から出た商品をすべて箱に詰め終えると、箱の数を数えて伝票に記入した。
――2Sが10、Sが5、Mが3……、と。
   ジリリリリリリリリ
 けたたましい音を立て、休憩時間を告げるベルが鳴り響いた。

「――眠そうだな」
「ん、あー、うん。俺今日あんまり寝てねえ」
 声をかけてきた同僚に返事を返し、俺はソファーへと横になった。
 ソファーの感触が、一瞬ひんやりして気持ちいい。
「どうせゲームだろう?……ったく」
 図星なので返事はせず、寝たフリを決め込むうちに、俺の意識はあっさりと夢へ落ちて行った。

 昼食も食わずに午後の仕事を終える。
 昨日は雨で寒かったせいか、商品の生産量が少なかったため14時で業務が終わった。爺さんの話では、暑い日ほど生産量が上がるらしい。
「――ゲームと言ったな。何をしているんだ?」
 同僚が不意に話を振ってきた。
「ん、最近テレビとかで話題になってたろ。ラーセリアってやつ」
「……あー。……ネットで散々クソゲ扱いされてたアレか?……物好きな」
 呆れたように言う同僚が、しかしそれでも興味を引いたのかサイフの中の大型カメラ屋のポイントカードのポイント残高をレシートで確認する。
「――あれはいくらだっただろうか」
「ヘルムコネクタとか持ってるのか?バーチャルものだから必要だけど」
 聞くと、ぴらりと同僚はレシートを俺に見せた。
――残高、78001ポイント。
 ちなみに1ポイント1円だ。
「……おい」
 ヘルムコネクタとゲームを同時購入して釣りが出るほどのポイントに、思わず俺はツッコミを入れた。



[16740] 26- 帰還
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:e9ec620f
Date: 2010/09/20 02:57
「やるなら最新の買った方が性能いいのか?随分値段に差があるけど」
 同僚が最新のヘルムコネクタと、1代の型落ちで2万円近く安くなったヘルムコネクタを見比べつつ言う。
 どちらかと言うと最新の方が性能はいい。あと俺が使っているものと同じものも売ってはいる。
「――や、性能はいいんだが値段の差がありすぎるし、何より多分、お前のパソに対応できるかわからない」
 ふむ、と顎に手を当てる同僚。
 気分としては一分一秒でも早く家に帰ってログインしたいんだが、リアル付き合いを優先すると自分に誓った手前、こっちが優先順位としては優位に当たる。いやまぁ、その結果コイツがラーセリアに来ることを考えると疑問も残るけど。
「お前のパソと同じじゃなかったか?判断できないか?」
 っち、余計なことだけは覚えてるな。適当にあしらってさっさと選ばせようと思ったのに。
「――正直言ってお前が見比べてるその2つなら安い方を勧める。理由は聞くな」
 きっぱり言い切ってやると、同僚はおっけ、とあっさり頷いた。
「ちなみに俺が使ってるのはそれの3代前の型の……ほら、そこにあるH-51007STだ。今お前が持ってるのは同じ系統の最新1代前だから多少信頼性はあるけど俺のと同じじゃないから保障はしない」
 何だそれ、と同僚が俺を胡乱だという目で見る。
 しまったと思ったが時すでに遅しだ。
「……説明を求める」
 くそぅ、こんな時に限って。
「――俺の使ってるH-51007STは、俺のパソに合うタイプの中で今のところネットでは一番信頼性があるものに挙げられてる。理由はH-51007STと俺のパソのグラボと同じ会社が作ってるせいだ」
 あぁなるほど、と同僚がちらりと手に持ったそれに目を向ける。
「ちなみに今お前が持ってるそれは、H-51712ST。STタイプとしては……型落ちっつっても1代だし、同じ会社なんだからいいとは思うんだが、何しろ最新が一昨日発売されたばかりの――あぁ、ここにはないな。まぁ実質H-51712STが最新だと思ってもいい。ちなみに俺は当然それを持っていないので俺のパソに合うかと聞かれたら判らないと答える。ついでに言うと調べたこともない」
「ん、最新版の方が信頼性は高いんじゃないのか?」
 くそ、食いついてきた。釣りたい時に釣れない釣りは、釣らなくていい時に限って釣れるもんだな。
「簡単に言ってやろう」
 別のもので例えたら判りやすいかもしれないと思い直し、適当な例を頭に浮かべる。
「ここに2つのケーキがある。1つは昨日発売の、口コミもほとんどない、言わば未知の商品。1つは1年前からある、口コミで大絶賛の大人気商品。どちらも見た目は大差ないし両方うまそうだが新商品はちょっと高い。両方1個づつショーケースに並んでて、一緒に来てる友達が余った方を買って帰るそうだ。どっちを買う?」
 ふむ、と同僚は数秒コネクタを見詰める。
「――という事は、間違いないのを選ぶなら、そのH-51007STだと言うことか?」
 ようやくわかったか、と俺が呟くと、同僚は満足気な微笑を俺に向け、うむ、と呟いた。

 H-51007ST。定価58000円のそれは、3万を切っていた。ちなみに俺が買った当時では38000円。妥当なところだ。
 さらに同僚はゲーム売り場にてラーセリア本体を買った。ちなみに本体価格は18900円。

「意外と安いな」
 同僚の言葉に溜息をつく。俺はその安い金額で20日以上生活したりしてるんだが。
「――まぁ、後はパスコードだな」
「パスコード?」
 意外と物を知らないところが多いこの同僚は、案の定パスコードも知らなかった。
 ゲーム本体だけでゲームが出来ると思っていたらしい。
「ゲームのアップデートをダウンロードしたり、後は接続用IDを作るためのコードだ。ないとゲームができない」
 そうか、と呟いて、どこに売っているのかと問われたので売り場のねーちゃんに聞けと突っぱねた。
 実際売り場のねーちゃんに聞かないとどこにあるかなんてわかるわけがない。
 大抵はレジカウンターの内側にあるけどな。
 ちなみにパスコードは、ラーセリアを買った客が、取り扱い店にレシートを見せることで買うことができる。割れ厨防止なんだそうだ。普通はレシートにハンコを押されるが、この店は怠慢なのか忘れているのか押さないため、パスコードの複数買いが可能だ。買う気ないけど。
 この調子だと、同僚の家に行ってセットアップや登録の完了まで付き合う可能性が高いと判断し、携帯でメッセンジャーを起動する。その途端、窓が2つほどポップアップした。ロシア文字に英語。――即座に両方無理だと判断する。家に帰ってから改めて開くことにし、2つの窓に日本語で、「遅くなる」と入力して送信し、携帯を閉じたところで同僚が戻って来た。
「ところで、この後時間はあるのか」
 同僚から放たれた言葉は超予想通りの展開だった。
「――そう来ると思ったよ」
 もう早く帰るのは諦めた方が良さそうだ。


「――後は秘密の質問を書いて、それと全く関係のない『答え』を入力しとけ」
「む、質問の答えを書くのではないのか」
 相変わらず頭の堅い奴だ。
「例えば、質問欄にペットの名前、と書いたとしよう」
 言って、俺の足の上で丸くなってしまっている黒猫の耳の周りを指でなぞる。ちなみにこの猫の名はタマだ。ひねりがない。
「で、この猫の名前を知ってる奴がこのアカウントをハッキングしようとかんがえたとする」
「――あぁなるほど。理解した」
 回転は速いんだがな。イマイチ理屈に拘るところがある。
 しかしオイ。俺が言ったことをそのまま使うとかどんだけアレだよ。しかもその答え、俺から丸見えだぞ。まぁハッキングする気もねぇけどよ。っつーかクロって。タマが黒いからクロか?
「……せめて4文字は入れとけ。覚えるのが難しくなければさらに数字4文字付けとけ」
 ふむ、と呟くと同僚はクロたん0224、と変えた。――センスねぇー。しかも数字は迷わず携帯の下4桁。ついでに言うとコイツの誕生日でもある。わかりやすい。まぁいいけど。
 俺が何をするまでもなく登録作業を済ませると、同僚はそれをメモ帳に速記で控え、買ったソフトの封を開けてROMドライブに差し込んだ。速記で控えるのは賢明だな。――速記を知らない奴には、何を書いてあるのかすらわからない。
「説明書は読んだ方がいいのか」
「あぁ、読む必要は……って説明書?」
 俺の買った時は説明書なんか付いてなかったはずだが、見ると同僚の手にはしっかりと「説明書」と書かれた冊子がある。
「……まぁいいや、とりあえず軽く流し読みくらいはしとけ。終わったら後で見せてくれ」
 同僚は返事もせず説明書に目を落とした。
 そうやってる間に、ディスプレイのインストール項目は順調に消化されて行く。
「――なるほど」
 言って、同僚は説明書を俺に差し出した。
 もう読み終えたのか、と受け取ると、同僚は迷わず言った。

「何もわからないということだけ理解した」

 その言葉は真実だった。
 説明書が説明書の役割を全く果たしていないことを俺は読んで理解した。
 そもそも書かれている内容の大半がトラブルシューティングだ。20ページの内15ページがトラブルシューティング。
 残りの5ページは、俺が買ったパッケージに同梱されていた紙とほぼ同じもの。
 つまるところ、初心者がこれを読んだところで、割と本気で「何もわからない」。意味ねぇなこの説明書。紙でいいんじゃないかコレ。
 インストールはまだ半分ほど残っているが、することが本格的になくなったな。

「――『黙示録』でもすっか」
「受けて立とう」

 俺が普段から鞄に入れているカードゲームのデッキを取り出すと、同僚も同じように鞄からデッキを取り出した。

 黙示録。ラーセリアの子会社の開発したVRTCGで、一人の少女が最初から最後まで一人で完成させてしまったというカードゲームだ。世界観にラーセリアのものを使っているカードもあり、実はラーセリアをやろうと考えたのはコレがきっかけだ。
 フィールドシートにカードを置くと、カードの情報をシートが読み取ってホログラムとして浮かび上がるという良くあるゲームだが、やってることは昔から流行していたトレーディングカードゲームと変わらない。
 まぁ、今ではほとんどのカードゲームがVR化してしまっているが。
 昔からある、「ゲーム・キング」とか「魔法の集会」とかもいいんだが、第一弾から収集している俺としてはこのゲームのシステムも捨てがたい、と思う。

 互いにシャッフルし、デッキを相手に渡す。
 渡されたデッキをシャッフルし、相手からデッキを受け取ると、シートのデッキゾーンにセット。
 瞬間、シートの電源が起動する。
 お互いのデッキを、シートが読み込んでいる「ローディング」。
 デッキ枚数が両者ともに53枚だということもローディングで確認できるし、カードの枚数制限なども自動で識別してくれる。また、不正動作をすると警告音が鳴るし、さらに間違ったプレイをしても同じく警告音が鳴る。ルールを完全に把握していない俺にとってはありがたいシステムだ。また先番もランダムに決めてくれる。ちなみに俺が先番のようだ。
 ちなみに53枚、と言うのも意味がある。
 このゲームのスリーブは、全てにトランプのマークと数字が割り振られており、プレイヤーはそれらを考慮してデッキを組む。
 ちなみに、例えばスペードがフィールドにあれば、スペードのカードを使う際には1枚につき1コストが免除される。0以下にはならないが。
 ローディングが終了し、お互いにデッキの上から3枚を「アメンズエリア」に一枚づつ移動する。
「――1枚」
「2枚だ」
 俺の宣言に続き同僚が宣言し、宣言した枚数をアメンズエリアからドローする。
 ちなみに残ったカードはコストとして使うことも、次のターン開始時にドローすることもできる。
 手札は『神の悪戯』。――幸先がいいが今は使えない。
「パスだ」
 何もすることがない。
「――そうか。なら『ウィル・オー・ウィスプ』を召還」
 青い光のようなクリーチャーがシートの上にホログラムとして浮かび上がる。
 幸先がいいのは向こうも同じのようだ。0コストでクリーチャーを召還か。攻撃力がない壁扱いのクリーチャーだが、1コストで再生するその異常にウザい【回帰】ステータスが邪魔臭い。
 マークと数字はスペードの4。無難な所だ。
 出し惜しみしてたら負けるな、コレは。
「じゃあコイツを伏せる」
 言って、唯一の手札を場に伏せてからパスを宣言する。
「――ブラフか?」
「どうかな」
 同僚が俺の顔色を伺うが、とりあえずシラを切る。
「……、ふむ」
 少し考え、同僚はパスを宣言した。当然俺もすることがないのでパスだ。
「――バトルフェイズはするまでもないな。パスだ」
 俺のパス宣言に、同僚も同じくパスを宣言する。
「じゃあ補填だ」
 アメンズエリアに3枚のカードを移動する。
 回復フェイズはすることがないのでパスだ。
 手番が交代し、同僚が先番となった。
「――ふむ。2枚だ」
 ドローの数が多い。ウィニーデッキか。厄介だな。
 ちなみにウィニーとは、コストの少ないクリーチャーを大量に召還することで優位を得るデッキだ。
「1枚」
 宣言し、二人同時にドローする。
 うぉ、と思わず顔がにやける。
――いきなり起死回生の一手が来た。
「――ふむ、いい手が来たようだな」
「どうかな」
 手札に来たのは『青の聖女』。俺の持つカードの中では最もレア度が高いカード。デッキに1枚しか入れられないという制限があるが、一応2枚ある。1枚はコレクションアルバムに保存してある。
「レジェンド」に位置するカードで、強力無比な一手だ。その分召還条件も痛いが。
「仕方ないな」
 同僚は1枚のカードを伏せ、パスを宣言した。
 困ったな。――万が一あれがカウンターだったら厄介だ。
 ちらりとディスプレイを見ると、インストールに手間取っているのか、いまだ82%。まぁ俺のパソコンも同じくらいの時間がかかったし気にすることもないんだが。
「――その伏せカードはブラフか?」
「――、どうだろうな」
 一瞬困ったような顔を見せる同僚。
 様子を見るべきかと思うが、序盤から長考なんてしてられるか!
「キャラクター召還、『青の聖女』だ」
 ぐ、と言葉に詰まる同僚を無視して、アメンズエリアからコストである3枚のカードをデッキに戻してコストに換える。
 青い長髪のエルフの少女がホログラムとして展開されるが、その姿は半透明だ。
『青の聖女』、マークと数字はハートのクィーン。攻撃力7、防御力7。初期ライフが40しかないゲームでこの数値は凶悪だ。
 効果は、自身の召還コストが支払われた時、デッキの上から5枚以内にカウンターカードがあれば1枚だけ手札にできる。
 上から5枚のカードを手に取ると、『神の悪戯』と『竜の彷徨』が含まれていた。
――ここは『竜の彷徨』で行くべきか、と決め、残る4枚を頭に覚えてデッキに戻す。というか4枚中3枚は必要ないカードだ。
 そのまま、今手に入れたカードを伏せ、
「そしてコレを発動だ」
 伏せてあった『神の悪戯』を表に返し、コストとして1枚をデッキに戻す。
『神の悪戯』。「ゲーム・キング」での罠カードのような使い方をする、「カウンターカード」。
 効果は、コインフリップをし、直前に発動された効果を無効化。
「――表だ」
 言いつつ、フィールドシートのフリップ【表】ボタンを押す。
 きん、とコインのホログラムが現れ、結果が表を示した。発動成功だ。
「対象は『青の聖女』の召還効果な」
『青の聖女』の召還条件は、コスト以外にもう1つある。
 自身は召還時、カウンターの効果を一度だけ無効化できる。この効果が使用されなかった場合、ターン終了時、自身はデッキの一番下に戻る。
「『青の聖女』の召還時効果を発動」
 言って、青の聖女の効果テキストを指で触れる。
 これで『神の悪戯』の効果は無効化され、『青の聖女』は残る。
――はずだった。

「――カウンター」

 同僚は言うと、伏せていたカードを表に返す。
『神の悪戯』、スペードの3。1コストから1枚分の軽減でコスト0だ。
 うげ、と思わず両手を挙げる。
「対象は、『青の聖女』の召還時効果だ」
 抜け目なく、すでに無効化された『神の悪戯』ではなく、無効化した方の『青の聖女』の効果を無効化する。
――結果、『青の聖女』の効果は無効化され、俺の発動した『神の悪戯』が発動。『青の聖女』の召還効果が無効化されたということだ。

「――残念だったな」
「まだ終わったわけじゃない」

 強がりは通じなかった。
 数分後、インストールが終了するより早く俺の負けが確定していた。
 基本的にウィニーは、大雑把に展開し続けるだけでも強い。同僚の場合、カードのマーク配分がしっかりしていてソツがない。
 ほとんどをノーコストで展開された。っつーか最終的にはコスト8のカードを無償降臨とか半端ねぇ。
 最近組んだばかりのデッキとは言え悔しい。調整して次は勝つ。勝てたらいいなぁ。勝てる気がしないけど。
 まぁ、そんな理由で3マッチ勝負の1マッチ負けただけで俺は残り2マッチを放棄し、当然結果は同僚の勝利となった。

「さて」
 手早くアップデート手順までを進める。
 ついでに俺のパソコンと同じように、パソコン起動時にそのままラーセリアが起動するよう、スタートアップにラーセリアを登録する。
「やらんときは出た窓を消せばいい。やるときは開始ボタンを押せばヘルムコネクタに自動で繋がる」
「――了解」
 すまなかったな、と同僚はぽりぽりと頭を掻いた。
「あ、そうそう。今日ログインすると下手したらイベント真っ最中かもしれん。終わってる可能性もあるが」
「――イベント?」
 興味深そうに反応する同僚。
「ゲームマスターによる各国への蹂躙イベントだ。面白いぞ?」
「……何だそれは……」
 呆れたような声を上げる同僚。だが事実なんだから仕方ない。
 毎回イベントは強烈らしいぞ、とさらに情報を付け加えると、呆れた顔が苦笑に変わった。


 家に帰り、パソコンを立ち上げると、メッセンジャーを立ち上げる。
 読めなかったメッセージを翻訳ソフトに通すと、片方はアズレトからだった。

アズレト の発言:
 交戦中。戻る可能な場合戻れ。

 発言時間は1時間前。まだ交戦中だったとは。
 意外と両方とも粘るもんだ、と感心する。
 もう1つを翻訳ソフトが吐き出した。

フィリス の発言:
 一時撤退中。ボディは確保

 発言時間は32分前。
 運が良ければ、まだ参加可能だ。
――ところでボディって何だ?
 まぁいいか、と思い直し、同僚に電話をかける。
 数度のコール音の後、コール音が止まる。
「――もしもし」
 無言で対応する同僚はいつものことだ。こちらから話しかけると、同僚はあぁなんだ、と呟いた。
『何か言い忘れでも?』
「あぁ、イベントは終わってないそうだ。もしログインするようならと思ってな」
 ふむ、と呟き、同僚は電話の向こうで何かを飲んだ。
『実は今から入ろうと思っていたところだ。――で、どうすればいい』
 入ったらWISしてくれ、と言おうとしてふと気付く。
 考えてみれば、ログインした先が俺のいる国だとは限らない。
「……ログインして、町まで出たら見回してみてくれ。もしそこに噴水があったら俺が今いる町である可能性は高い」
 ふむ、と返事が返る。
「そうじゃない場合は適当にほっつき歩いててくれ。多分その町は全員死んでる」
『……そういえば蹂躙イベントとか言ってたな』
 こういう時の察しの早さは助かる。
「もし噴水があるようなら、その場で『ウィスパー、アキラ=フェルグランド』と発言してくれ。それで俺と話せる。俺が生きてたらだけど」
『ウィスパー機能があるのか』
 心底意外そうな声でそう言うと、同僚は了解、と言葉を続けた。


[キャラクターを選択して下さい]
 お馴染みのアナウンスが流れる。
「アキラ=フェルグランド」

 ぱぁん!
 どうでもいいけど、この音あんまり好きじゃねぇな。
 そんな俺の溜息を無視してキャラクターのアバターが弾け、その粒子が俺に纏わり付いていく。
[ローディングが完了しました]
 再び流れたアナウンスとともに、俺の視界が暗転した。

「――ん」
 白い視界に最初に現れたのはカルラだった。
 椅子に座り、――ログアウトしているのか寝ているようだ。
「お、アキラお帰り」
 フィリスが声をかける。
「――ただいま」
 何だかHPが減っているらしく脳内警告。
 とりあえず自分にヒールをかけると、横でアズレトが噴き出した。
「――いない間に2発殴られてたからなー。手加減とはいえクリティカル2発は危険領域だったろ」
 なるほど、犯人はフィリスか。
「……悪かったよ。あらかじめ言ってたら相手も警戒すると思ってな」
 ふん、とフィリスが鼻を鳴らす。
 ただしその表情はいつものフィリスだ。
「で、状況は?」
 徐々に開けた視界に、人影が一人、二人と増えて行く。
 その数が元々の6人じゃないことに気付いたのは、視界でローディングが完了した長刀の男、ウェインを見付けたからだ。
「……リアとイシュメルは?」
 俺たちと決別した奴らも数人いたが、二人の姿が見当たらない。
「――俺たちが気に入らないんだとよ」
 俺と真っ先に衝突した、例の男がぽりぽりと頭を掻く。
 まだ俺の言った一言はわだかまりを残しているのか。
「悪かった。――あの一言は軽率だった」
 思わず脊椎反射で頭を下げる。
「――あぁいや、――そうじゃねーんだ」
 慌てたように言う男に俺が恐る恐る頭を上げると、男はぽりぽりと頭を掻いた。


 時は数時間前に遡る。

 俺が落ちて数時間後、彼らはアズレト達と合流した。
 そこで善戦していた彼らだったが、タイラント討伐まであと少し、と言うところでエクトルが未知のモンスターを一気に20体も召還し、状況は一変した。
 っつーかマジでエゲツねえ。エクトルのサモンには際限ってものがないんだろうか。
 カルラの落ちる時間が迫っていると言う理由でとりあえず俺を背負ってルディス城を撤退した彼らは、アズレトを最後尾に、ウェインの所属するギルドのアジトへと避難し、カルラはそこで落ちた。
 そこでウェインが、俺とWISをしていたことを暴露し、すでに謝罪は受け取ったと報告。
 再び彼らと手を組むことになったアズレトたちだったが、

「なぁ、……やっぱり魔族で殲滅すんのが一番早くねぇか?」

 話し合いの最中、そう男が切り出したところでリアの怒りが爆発した。
 一瞬の沈黙の後、リアの声がアジトに響き渡る。

「ふざけないでもらえるかしら――何度同じ議論を繰り返せば気が済むの貴方達は!」

 リアに先に爆発されたことで、イシュメルは比較的穏やかだったそうだが、それでも腹に据えかねたんだろう。
「話にならないな。――アキラにも言われただろう、情けないなと」
 目を伏せ、怒りを押し殺したイシュメルの言葉はフィリスやアズレトから見てもキレかけだったという。
 もはや返す言葉もない男を尻目に、付き合い切れないと言い残して二人がアジトを出て行ったのが10分ほど前。

 思わず溜息をつく。

 俺が謝った意味は皆無かよ。
――や、アレは一方的に俺が悪かったんだろうけど、だからって俺の謝罪をダシに嫌がられるのが明らかな提案をぶり返すとかどんだけだよ……。
「…………」
 思わずこれ見よがしにもう一度溜息をつく。
「――すまん。散々言って聞かせたから反省はしているはずだ。許してやってはもらえないか」
 ウェインが頭を下げ、慌てたように男も頭を下げた。
 あぁくそ、イラつくな。
 ウェインより先にお前が頭を下げるべき場面だろ。
――けど、それは俺が言う言葉じゃない。
「頭を下げる相手、間違えてねーか」
 憮然とした表情を隠すこともできなかった。
 ウェインが頭を上げ、ちらりと男を見る。
 目に見えてしゅんと落ち込む男。その落ち込み方がまたイラつく。
「落ち込んでる場合でもねーんじゃねーか?」
 前回は明らかに俺が悪かった。だから謝ったが今回は違う。くそ、もう謝る気はねーぞ。
「前回俺が謝ったのは分不相応だったからだ。――だが今回は言わせてもらうぞ」
 俺を前回嗜めたフィリスも今回は嗜めもしないし止めもしない。アズレトをちらりと見ると、小声でいいんじゃねーか?とWISが飛んできた。
「このゲームは強いキャラで弱い敵を圧倒するゲームなのか?対等な敵を知略や戦略で倒すからこそ面白いんだろうが。俺強ぇとかやってたいんだったら俺達と関わらないところでやってくれ。少なくともそんなつまらないゲームを俺はしたくない」
 ウェインが驚いたような顔を向ける。
「――それを前提に。あんたの考えを聞かせてくれよ、……えーっと」
 そういや俺、この男の名前知らなかった。
 ウェインが、テオドールだと呟く。本人が小声で何かを呟くと、青い文字でテオドール=グレイと浮かび上がった。
「……悪かった。返す言葉も出ないよ。俺が一方的に悪かった。許して欲しい」
 あまりにあっさりと謝罪を述べる。芯から悪いヤツじゃないことくらいわかってはいても、これだけあっさり謝られると思わず許してしまいそうになるが、――悪いが少しキツく言っておくべきだろう。
「答えになってない」
 テオドールの顔が歪む。少し心が痛む。
「――考えを聞かせて欲しいと言ったんだ。許す許さないは俺が判断するところじゃない。あの二人に説明するにしても、どうあんたが反省しているのかを知りたいんだ」
 沈黙が場を支配する。
 ウェインと目線を合わせるが、無言で軽く首肯するだけだった。
「――、あの時は……タイラス一人に任せてしまえば、……楽が、そう、楽ができると思ったのは確かだよ。でも、でも今は力を合わせて勝ちたいと考えている。本当だ」
 態のいい言葉を言ってるだけかもしれない。……とは思うが、勘繰っても仕方ない。
 アズレトに視線を送ると、無難な回答だな、と小声が飛んできた。
「……その言葉を信じるよ。けど忘れないでくれ。もう一度同じようなことがあったら俺は二度とあんたを庇わない。まぁ俺一人あんたの周りから消えたところで何ってこともないだろうけど」
 視界の端で、ウェインがくすりと笑うのが見えた。
――ゲームごときで青いなとでも思われたか。まぁこういうのは臭いくらいでちょうどいいんだ。



[16740] 27- 同僚の参戦
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:e9ec620f
Date: 2010/06/18 02:00
『私たちの怒っている意味を理解して欲しいものね』
 それすらわからないなら話にならないわ、とウィスパーでのリアの第一声は、溜息から始まった。イシュメルにも繋がってはいるが、挨拶のみで無言のまま会話は続く。
「――言いもせずに理解しろってのは少しヒデーんじゃないか」
『以前イシュメルが言ったはずよ。覚えていないと言うのなら、聞いていなかったということね』
 まぁ確かに、と苦笑する。
「とりあえずこっちに戻って来ないか?――二人と顔を合わせて話がしたい」

『嫌よ』
『嫌だ』

 二人同時に拒否。
 思わず苦笑し、俺はふと思いついた。
「――実はさ、リアルの知り合いをゲームに勧誘してきたんだ。イシュメルと俺は同じくらいのレベルだし、リアにもサポートしてもらいたいと思ってたんだけど、無理か?」
「何でそういうことは早く言わないんだい」
 後ろからフィリスにぺしんと叩かれ、鋭い衝撃が走った。
 そしてHPの脳内警告。――全快していなかったとはいえ、この程度であっさりとさっき自分でかけたヒールの1発分、HPを持って行かれたらしい。
 ジト目でフィリスを見ながら自分に数発のヒールをかけると、フィリスがようやく気付いたように片手でゴメンと謝った。
『とりあえずそこは嫌よ。せめて別の建物というわけにはいかないかしら』
「別の建物……、ね」
 ちらりとアズレトを見ると、顎に手を当て少し考える。
「一番近いところでフィリスのバイトしてる武器屋なんてどうだ?」
「あぁ、いいね。あそこなら倒壊はしてないだろうし」
 フィリスがその考えに賛同するので、二人にそれを伝える。
 二つ返事で承諾すると、二人はあっさりとウィスパーを切った。


「どうしても話をさせたいらしいな」
「連れて来るなとは言われなかったぜ」
 呆れたように呟くイシュメルに涼しい顔をして言ってやると、リアは俺の後ろの二人を見て苦笑した。
「――最初にキレた俺が言うことじゃないから」
 言って、ウェインとテオドールに視線を向け、促す。
「……すまなかった」
 先に頭を下げたのはウェインだった。ここでも驚いたようにテオドールは慌てたように頭を下げる。
「まったくだ」
 イシュメルが溜息をつく。

「まず――俺で全部やればいいとかふざけんなよ」

 思わず素っ頓狂な声を上げかけ、その声を無理矢理抑え込む。
 ある程度は予想できてたことだが、こうしてイシュメルに改めて話を聞いて確信を得た。
 つまるところ、テオドールは俺にまだ黙っていたことがあったわけだ。
 本人が俺に自己申告したのは『なぁ、……やっぱり魔族で殲滅すんのが一番早くねぇか?』と言う言葉だけだ。
 だが、今のイシュメルの話を聞くと、さらに『魔族で全部やっちまえ』とでも言ったんだろうと予想がつく。
 意図的に黙っていたんだろう。――いや、まぁ言い辛いのはわかるけどな。
 思わず溜息をつきたくなる。
 まぁ、テオドールの言葉に嘘はない。人間関係を円滑にするために何かを黙っていることは必ずしも悪いことではない。
 それにテオドール自身、『タイラス一人に任せてしまえば、楽ができると思った』と言っていた。決して悪意で黙っていたわけではなく、ただの保身で黙っていただけだ。
 テオドールはひたすら謝り続けるだけだ。――ムカつくが、許す許さないは俺の範疇じゃない。
『――キミはここでキレると思ってたよ』
 不意にウェインが小声でWISを飛ばしてきた。
「……俺がキレるところでもないだろ」
 小声で返してやると、そうだな、と乾いた笑いが返った。
 俺がテオドールを問い詰めた時、ウェインが驚いた顔をしたのを思い出す。
――あぁ、あの時も同じか。ウェインは俺がキレると予想していたんだろう。
 ということは、青いと思われたわけでもなかったってことか。
 笑っていたのは――キレずに上手く取り纏めたな、とでも思ってくれたのか。

「リアはどう思う」

 イシュメルがリアに話を振った。
「――ひとつ聞きたいのだけれど」
 普段と変わらない、冷静な顔でリアがテオドールの方を向いた。
「私やイシュメルが怒っている理由は理解できているのかしら」
 質問に、テオドールが言葉を選ぶようにわずかに時間を置く。
「――魔族を出すのが嫌だから?」
 身も蓋もない返答が返る。
 はぁ、とリアが溜息をついた。――そして、WISをしている俺にだけ聞こえる程度の小声で『やっぱり』と呟いた。
「以前にイシュメルも言ったはずだと思うのだけれど」
 イシュメルの、前の言葉は何だったか。
 確か、「魔族が出て来るなり殺そうと待ち構えてるようなヤツらが調子のいい」みたいなことを言ってたな。

「――味方に、背後から討たれないという保障はあるのかしら」

 なるほど、そこに疑問を持つわけか。
 単に、イシュメル一人に全てやらせるからイヤなのかと思ってたんだが。
「いくらロストしないからと言って味方に倒されるのは、……確かにいい気はしないな」
 思わず呟くと、イシュメルがちらりとこちらを一瞥する。
 いや待て。……下手したらエクトル討伐と同時にイベント終了で、ロストの可能性もあるのか。
「それに、魔族で出るってことはこのキャラに経験値が入らないってことでもあるしな」
 そう言えばそうだ。タイラスが出ると言うことは、同一人物であるイシュメルは戦えないということだ。
「――もう1つ言いたいことがあるわ」
 リアがさらに言葉を続ける。

「――未討伐のドッペルゲンガーが、貴方たちの中に混じっていない保障はあるのかしら」

 その場合は経験値は無視で叩き潰せば済む話だけれど、とリアが物騒なことを呟く。
 確かに、――ドッペルの「討伐」報告は、プレイヤーたちの自己申告だ。
 そのプレイヤーの中に、ドッペルがいたとしても不思議ではない。
 しかも、報告された「討伐」は、アナウンスのない……つまり、討伐されたわけではなく、死体として転がっているだけだ。
 万が一、タイラスが背後からドッペルに討たれでもした場合、――それこそ阿鼻叫喚の地獄の始まりだ。
「理解してもらえたかしら」
 言いたいことを言ってすっきりしたのか、リアがテオドールに視線を向ける。
「……すまない。――そこまで考えているとは思わなかった」
 ゴメン、俺もそこまで考えてなかった、……とは言い出せなかった。

『……聞こえているだろうか』

 ふと、聞き慣れた声が響く。
「――お。来たか。WISって来たってことは噴水か?」
 リアたちの視線が俺へと注がれる。
『あぁ、どうやらそのようだ。――どうすればいい?』
「アキラの知り合いかしら」
 リアの呟きに頷いて見せると、周囲に敵はいないかと同僚に問う。
『――どうやらモンスターらしきものはいないようだが』
 噴水までなら、走れば数分の距離だろうか。
「そこに迎えに行くから待ってろ」
 言って、俺はWISを切った。
 ちょっと行って来る、と武器屋の扉をくぐると、WISの間に話は終わっていたのか、皆も俺の後に続いた。


「…………」
 噴水に辿り着き、そこに待っていた人を見て、思わず絶句した。
 青い長髪。白い肌。尖った耳。――エルフだ。
 初期装備も、着ている服のデザインは青を基調に統一し、武器も青を基調とした色合いの杖だ。
「――どうだ?我ながら自信作なのだが」
 得意気に言うエルフの声と言葉使いに、――それが同僚であると確信を持つ。
「……ふむ、どこか変か?」
 そう言う同僚に対し、俺は思わず額を抑え、どう言うべきなのかを考える。
「――いや、変ではないよ」
 それしか言葉が出て来なかった。
「うむ、ならばいい。――後ろの人達は知り合いか?」
 額に手を当てたままちらりと背後を振り向くと、……まず不思議そうな顔をしたリアが見えた。
 リアルでの同僚を知らないリアから見たら、――俺のこの苦悩はわからないだろう。
 その後ろには、イシュメルが、何となく察したような顔で立っているのが見える。
――その察しが的中しているわけではないことを祈りたい。
 テオドールとウェインは、リアと同じく俺の苦悩がわからないと言った、不思議そうな表情だ。
「――一応こっちの世界では初めましてだな。……アキラ=フェルグランドだ」
 名乗ると、おお、と同僚は呟いた。
「なるほど。――名前はこんな風に表示されるのか」
 感嘆する同僚に、リア、イシュメル、ウェイン、テオドールの順に自己紹介し、それぞれの名前が同僚の目に映る。
「テオドールと言うのは薬名から?」
 テオドールの自己紹介に、ややズレた質問をする同僚。
「フランスやドイツでの男性名だよ。『神の贈り物』と言う意味がある」
 なるほど、と同僚が呟く。
 喘息で同名の薬を服用しているので俺もそっちだと思っていた。同僚の場合は俺が使っている薬の名前を覚えていたんだろう。
「――ところで、お前は自己紹介をしないのか」
 ホントはして欲しくないんだが、――どんな自己紹介をするのか、という怖い物見たさに思わず口にする。
「あぁ、――これは失礼」
 同僚は、――妙に堂に入った仕草でスカートを軽く摘みながら、

「――初めまして。トラスト=レフィルと申します」

 小首を可愛らしく傾げ、とんでもなく美少女に作り上げられたその顔に、天使のように可愛らしい笑みを浮かべて見せた。
――忘れてた、コイツ本職イラストレーターだったっけ……。
「……青の聖女、とはな」
 さっき同僚とやった、黙示録を思い出しながら小声で呟く。
 起死回生には至らなかった一手、――青の聖女。
 運良くエルフに種族が決定されたのか、何度か作り直したのかは定かではないが、――ここまで忠実に再現するとは恐れ入った。
「――それで、アキラは何をそんなに苦悩しているのかしら」
 溜息をつく俺の態度が不思議で仕方ないんだろう。
 翻訳も、……日本語で喋る俺以外には、トラストが実際にはこんな喋り方をしていることすらわからないだろう。
 ちらりと同僚……もといトラストを見ると、人指し指の先を可愛らしく口元に当て、ウィンクして見せた。
 この野郎。ネカマする気か。
「……いや、何でもない」
 言うと、トラストは口元に手をやり、くすくすと笑った。
「ところで、……この状態じゃ素質も調べに行けないんだが」
 思わず話題を変えると、同僚はにこやかに言った。

「イベントが終わるまでは諦めるさ。まぁ、……死ぬつもりで見物するのも悪くはない」



[16740] 28- 絶望的状況
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:e9ec620f
Date: 2010/06/25 04:25
「攻めるにしてもあの召還はどうにか対策すべきだな」
 アジトに戻るなり、最初にその苦言を皆に呈したのは、ウェインだった。
「召還速度が半端なさすぎる。……俺が現場に着いてから、ものの数分であの20体同時召還だ」
 流石に半端ない。
 というより、召還魔法の実態すらわからない以上、対策をどう取ればいいかなど、――推測で考えるしかないのだが。

「――一応、その召還時の状況などを詳しく聞きたい。……新参者が生意気かもしれないが、聞かせてもらえるだろうか」

 トラストの声は、姿を見た瞬間から徐々に女性の声に近付きつつはある。
――多分、この姿に慣れたせいで、同僚のイメージからトラストのイメージへと脳が変換をしているんだろう。
 急激な変化がない分、……違和感は感じないのだが、リアルで会って話したら物凄い違和感を感じてしまいそうな気もする。
「どこから?最初からがいいか?」
 こくり、と頷くトラストに、とりあえず俺はカルラから聴いた情報を話すことにする。
「最初はバフォメットだったか?突然街中に降って沸いたとか」
 街中で、周囲を薙ぎ倒しつつ出現したバフォメットを見た者は、この場にはいない。
「あぁ、俺がログインした時、バフォメットはすでに討伐されていた。――その時に俺の目の前に召還されたのが、藁を水で作ったような、変な形をしたモンスターだ」
 藁で水?……どこかで聞いたな。
「……またマイナーな妖怪を召還したものだ」
 トラストが苦笑する。それで思い出した。
 確かかなり前、ゲームマスターである緋文作のファンタジー小説を同僚から借りたことがある。
 中国の古い伝奇にのみ存在する、名前すら無い妖怪がその小説に雑魚として登場していた。
 その時、主要登場人物である狐の神がそれに付けた名が確か、
「――ミズワラノアヤカシ、だっけか?確か弱点は『縦に切り裂かれる』こと」
 うむ、とトラストが首を縦に軽く振る。
「で、そいつらを倒してる間に出現したのが、ダーク・ブラック」
 最強と言っていい竜だ、と注釈を入れると、トラストがふむ、と人指し指を口に当てる。
 現実世界で同僚が本気で考えごとをする際に見ることのできる癖だが、……同僚がやるのはアレなのに、このキャラがやるのは……クソ、やばい可愛い。だが中身は同僚だ。騙されんぞ。
「んで、逃げてる間に俺はハティと遭遇した」
 俺もそれ見たぜ、とイシュメルが呟く。
 目撃数は、俺の見たものと被っていなければ8体。
 内2体はカルラの魔法で倒して、残りのうち4体はフィリスが討伐。
「……最悪、2体残っていると思っていいのか?」
 トラストの言葉にいや、とウェインが呟く。
「ここまで誰も出会っていないところを見ると、……カルラの撃退した分とフィリスの撃退した分で全部と考えていいだろう」
 とすれば、ここまではほぼ全てが討伐済みと考えていい。
「――問題はここからかな」
 アズレトが苦笑混じりに呟く。
「俺を殺したドッペルゲンガー、リリーを殺したドッペルゲンガー。真偽はともかくとして、他に6体だったか?」
 ほう、とトラストが面白そうに呟く。

「――ドッペルゲンガーか」

……トラストは別のMMO――具体的なゲーム名を言うならば『神々の運命』――の元廃プレイヤーだ。恐らく、ただ強いだけの半透明剣士姿を想像しているに違いない。ついでに周囲に数体のナイトメア付きで。
「……倒されたプレイヤーの模倣をする、アルバイト・プレイヤー操るモンスターだ」
 む、とトラストが唸る。俺の予想は的中していたらしく、無言で自らのイメージを脳内で書き換えているのだろう。
「そうなると、……何が厄介だ?」
「模倣をする時点ですでに厄介ね。プレイヤーにはその区別が付かないわ」
 リアが涼しい顔で解説を入れる。しかし厳しい顔をするわけでもなく、トラストは再び人差し指を口に当てた。
――ちらりと周囲を見ると、トラストのその仕草に数人の目が釘付けになっている。
 これだから男は、などと思いつつ、俺も中身が同僚だと知らなければ可愛いと思っているところだ。実際わかってても可愛い。
「討伐条件を満たしたのは1匹だけだ。他のは倒れているだけで蘇生したら蘇る」
 ほう、とトラストが感嘆の言葉を漏らす。
「――モンスターも蘇るのか。いやドッペルゲンガーが特殊なだけか?どちらにしろ楽しそうだ」
 ぶつぶつと楽しそうに呟く同僚を無視し、俺は続きをリアに促した。
「……後は、最初に集合をかけた際に集めた目撃情報ね」
 言って、ぴらりと討伐済みの印の付いた紙を広げる。


×バフォメット 1体 討伐済み
×ダーク・ブラック 1体 討伐済み
×ハティ 最大2体(4体は討伐済み)6体討伐済み
 ドッペルゲンガー 1体以上(7体は討伐済み)8体以上(1体は討伐済み)
×レディ・ヴァンパイア 1体 討伐済み
×ワイバーン 8体 討伐済み

×スライム状モンスター 30体ほど 20体討伐済み
×キジムナー? 20体くらい 半分ほど討伐済み
×竜のようなモンスター(名称不明) 1体 討伐済み
  サラマンダー

 広げてすぐ、スライム状モンスターと書かれた上に取り消し線を引き、ミズワラノアヤカシ、と名前を書き換える。
「……なるほど。大体把握した」
 それで終わりだと思ったのか、トラストが話を締めようとするのを、フィリスがまだだ、と止めた。
「ゲームマスターと戦闘中の召還分がまだいる」
 鬼畜だな、とトラストの口から本音が漏れ、続きを、とその口が閉じる。
「俺達がエンカウントした時には、さっき言ったドッペルゲンガーの1匹と、アース・リザード、炎の馬、あとはガーゴイルだったっけ」
「炎の馬はファイアー・メアね。ガーゴイルは召還されたものではないわ。仕掛けられたものを洗脳したのよ」
 リアが情報を訂正しつつ、それを紙へと追記して行く。
「それから、俺たちの目の前で……何だっけ」
「……クリムゾン・マンティコアだね。アタシが倒したヤツ」
 フィリスが呟くと、アズレトが顎に手を当てる。
「それから、グリーン・ドラゴニア。アキラがログアウトするちょっと前くらいにタイラント・デビル……」
 聞けば聞くほど、よく俺生きてるな、と思えるラインナップだ。
 さらに俺が落ちた後、タイラントが陥落しかけたその時、……未知のモンスターを20体、ゲームマスターが召還した。
「タイラントはその20体のヒール一斉正射により全快。……後は主力の一人が落ちると言う理由で撤退した」
 ウェインが以上だ、と言うと、トラストが情報を整理するかのように紙に書かれたモンスター名を見ながら、何やらブツブツと呟き、顔を上げた。

「……アキラ、少しだけ規則性があるように見えるのは気のせいだろうか」

 トラストがぽつりと呟く。
「どういうことだ?」
 俺を含めた数人が思わず紙を見るが、俺にはその規則性はわからない。
 最大一気に20体ほど、しかし強いモンスターに限り1体のみ……?
 いや違う。だったらドッペルゲンガーが8体も召還されているのはおかしいし、ワイバーンの強さがどんなものかはわからないが、少なくとも雑魚と呼ばれるほど弱いとも思えない。それが8体。さらにハティも6体だ。
「……ふむ、気のせいか?」
 トラストは唇に指を当てながら、これは勝手な推測だが、と前置きを入れる。
「まずこのバフォメット。……イベント開始で突然に降って沸いたものであるなら、……人数の密集はそうでもなかったと予想できる」
 ふむ、とアズレトが声を出した。
「――なるほど、つまり、このイベントが開始されたことでバフォメットを倒そうとプレイヤーが集まり、」
「このミズワラノアヤカシ、……これが密集された群集の中に召還される」
 む、と思わず唸る。……規則性ってのが俺にはまだ良くわからない。
「……で、このダーク・ブラックが召還された時、」
 確かカルラが言ってたな。蘇生班の大半が、バフォメット討伐隊にかけられたカースにより大打撃を受けた。
――つまり、

「プレイヤーは、……数が激減していた」

 そこに来てようやく、……俺にも規則性が少しだけ見えてきた。だが。
「待て待て。……じゃあこのハティはどうだ?」
 ハティと遭遇した時、少なくとも俺の近くには4体のハティがいた。俺の近くにいた他のプレイヤーが散った時、2体だけがその後を追い、俺のところに2匹のハティが残った記憶がある。どう考えてもハティの方が多いように思う。
「――召還された時に居合わせたわけじゃないんだろう?」
 トラストがすかさず横槍を入れる。
「……、あ」
 ようやく気付く。そうだ。俺がハティに出会ったのは、ウィスパー部屋の破壊直後。
 何体召還されたのかはわからないが、――すでに召還されていたハティのど真ん中に俺が出現しただけだ。
 その内の数体が、俺の出現前に他のプレイヤーを追ってあの場を離れていたのなら。
 逃げたプレイヤーにハティが気付かず、そこに俺が出現したのなら、ハティは俺にターゲットを合わせ、逃げたプレイヤーなど目に入らず、無視したのではないだろうか。少し追って行ったにしても、俺の方に残った数が多かっただけではないのか。
「――ドッペルゲンガー、は言うに及ばずだな」
 アズレトの言葉が呟いた。プレイヤーの数がドッペルゲンガーより少ないはずがない。
 少なくともドッペルゲンガーよりプレイヤーの数が多い計算だからだ。

「――つまり、周囲に敵の数が多ければ多いだけ、召還の精度が上がるということね」

 自分を中心とし、スキルの範囲にいる敵の数に影響される召還。
 無茶苦茶だ。
――何だそのチート魔法は。
 と一瞬思ったが、範囲に敵がいると言うことは、逆に言えばそれだけ術者はピンチだということでもある。
 バランスが崩壊しているというほどでもない。無詠唱だからチートに見えるが、……呪文詠唱中に襲われたらひとたまりもないわけだ。つまり魔法レベルの問題で……逆に、1人で多数と戦っている立場にしては公平だと言ってもいい。
 思わず頭を抱えたくなる。

「もう1つ」

 トラストが指を立てる。
――まだ何かあるのか、と思わずげんなりすると、トラストが俺の顔を見て苦笑した。
「――そんな顔をするな。こっちは予想通りなら、我々の有利になる情報だぞ」
 はた、と全員の視線がトラストを向く。
「その前に聞きたいのだが、……このリストの中で最も強いのはどのモンスターだ?」
 トラストの問いに、一瞬戸惑ったリアが、しかし迷わず指差したのは、今はまだ討伐されていない、タイラント・デビル。
「ならば問おう」
 トラストがにっこりと可愛らしい顔で微笑む。

「――何故、最初からこのモンスターだけを大量召還しないんだ?」

 そう。今まで討伐した種類のモンスターは、その後一度も召還されていない。
 楽観するほどの情報ではない。誰もがきっと気付いている。
 ただのマスターの気紛れかもしれないし、……そもそもプレイヤーによって苦手とするモンスターは違うから、色々召還しているだけなのかもしれない。
――だが、確かに言われてみればそうだ。
 タイラントのような、多人数で攻略するようなボスモンスターを大量召還するだけで、エクトルは勝てるはずだ。
 だがそうしない理由は何だ。

 ゲームマスターはきっと、公正な立場でゲームをしているのだ、という前提においてなら。
 きっとこれは、……プレイヤーとゲームマスターの立場を公平にするための、『良心』だ。

 システム上のものなのか、ゲームマスターの独断なのかはわからないが、……どちらにしろ、確かに付け入る隙ではある。
「……まぁ、当面の問題はあのタイラントをどうやって攻略するか、……なのだけれど」
 リアが呟く。
 言ってる本人の隠し種の1つ、【アブソリュート・ゼロ】。
 あれならばリア一人でも攻略できてしまいそうだが、……きっと使うつもりはないんだろうな、と思う。
 もしくは使えないのか。……例えばディレイが丸一日かかるとか。
 さらに、もしそれでも決め切れなかった場合、……回復魔法の一斉照射がタイラントを全快にする。

 異常なほどの絶望的状況だった。



[16740] 29- セーブポイント
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:e9ec620f
Date: 2010/08/17 14:59
 絶望的状況を打破する方法として、いくつか案が出た。
 まず、回復役である未知のモンスターを先に殲滅するという案。
 ちなみに形状は?と聞くと、ウェインを始め何人かがそのモンスターの形状を口々に話した。
 それぞれのイメージは彼ら曰く、……本、辞書、辞典、教典、経典。……要するに分厚い本だ。
 行動パターンは、「何もしない」と「回復魔法」。
 要するに、味方が厳しい状況に襲われた時、回復魔法によってその状況を覆すためだけの存在だということだ。

「つまり放置しておくべきではないってことね」
「……本モンスターの回復魔法が無尽蔵だとは思いたくもないが、最悪の可能性から考慮して動くべきだな」

 リアの言葉に、ウェインが苦虫でも噛み潰して舌の上で転がしたか、あるいはセンブリ茶でも口にしたかのような顔で提案する。
 問題なのは、回復魔法だけではない。正体がわからないということだ。
「セオリー的には火が効くと思いたいが」
 トラストが呟くと、ウェインは静かに首を振る。
「――当然試したさ。結果は本同士のヒール合戦だったがな」
 無機物ゆえのHPの高さなのか、それとも火が弱点ではないのか。
「火で本を燃やすのがダメなら、本のインクを滲ませる水ってのはどうだ?」
 考え付くままに案を出してみる。
「――それは思い付かなかった」
 ふむ、とウェインが顎に手を当てる。
 水でダメなら、とかぶつぶつ言い出してはいるがとりあえずそっちはウェインに任せよう。
「一番厄介なのはタイラントか?」
 リアに問うと、リアは苦笑した。

「そうね、……ある意味ゲームマスターよりも厄介な存在かしら」

 3年前に実装されたばかりのボスモンスター。
 討伐連合パーティ総勢200人を壊滅させた凶悪な赤の灼熱、【タイラント・デビル】。
 リアが言うにはいまだその存在はボスとしては最強の部類で、そこに本モンスターの回復が加わることにより、最悪に近い事態なのだという。
 特筆すべきは遠距離物理攻撃の反射、炎攻撃の完全無効化。さらに4本の腕での剣捌きは超一流。回復力は微小ながらも自らに対するヒールもあり、さらに極めつけは「激昂の遠吠え」だ。
 全くもって凶悪極まりない。

「――そういえば、イシュメルは遠吠えに巻き込まれてなかったか?」
 思い出したままを言葉に出した瞬間、一瞬だけ「嫌なことを思い出させんじゃねぇよ」と言う顔をしたイシュメルは、しかしその顔を苦笑に変えた。
「そうだな、せっかくお前が倒したドッペルまでの経験値は持って行かれたわけだ」
 待て、と思わず声が出た。
「イベント中なのにデスペナがあるのか?」
「イベント開始時に経験値の保護を宣言しなかった以上、あるだろうな」
 ウェインがこともなさそうに言い、アズレトとフィリスが今更かと呆れたような顔を向けた。
 どうやらそれがこのゲームでは普通のようだ。
 俺同様、今まで俺と同じゲームを数タイトルに渡って遊んできた同僚……トラストも少し驚いた顔をした。
――しかも今のイシュメルの言い方を聞く限り、稼いだ分の何割とか何%とかと言う話ではなく、全ての経験値を没収されるらしい。
 さすがにエグい。
 そう考えてる俺も、実はドッペルで一度死んでいる。
 つまるところ――どこから逆算するのかは定かではないが、ドッペルまでの経験値全てを一度喪失しているわけだ。
 ドッペル以降で得た経験値がどの程度なのかわからないが、ボス数体だ。ここで死ぬのはかなりもったいない。
「経験値を保護する条件は?」
「――セーブポイント、もしくは修練ね」
 リアがぴらりと一枚の紙、――この町の地図を広げた。
「この国の場合はこことこことここ、3つの修練所とシェルシア神殿とガルー神殿、……あとは王城かしら。NPCがいて、話しかけるか手を触れればセーブが完了するわ」
 とんとんとん、と計6箇所を指さし、最後に現在地はここね、と一箇所に指を乗せる。
 その指から一番近いのはシェルシア神殿。
「――まぁ、アキラの場合はセーブしといた方がいい。目減りしてるとは言えボス何体かの経験値もあるし、それに、」
「無謀だからね」
 アズレトの言葉を遮ってフィリスがばっさりと言い放ち、全員が爆笑したところで、俺たちはシェルシア神殿へと向かうことになった。

 途中、雑魚の群れが俺たちを襲ったが、カルラとイシュメルの2人だけであっさりとカタがついた。
 ちなみにイシュメルに倒させたのは喪失した経験値を少しでも稼がせるためだ。
 とは言えさすがは魔族経験者。率なく戦闘をこなし、難なく群れを撃破した。

 シェルシア神殿。
 シェルシアは神の名で、戒律は「嘘を吐け」。
――人は時に、嘘を言わなければいけない場面がある。そういう場面での嘘を象徴するという神らしい。
「ちなみに俺はここの神官だ。――幻覚系魔法を中心に覚えられるが、俺の素質じゃここの魔法は何一つ教えてもらえなかったがな」
 ウェインが言いながら苦笑した。
 ちなみにウェインの素質は10で、補助系魔法方面の素質が強いそうだ。
 補助と幻覚はどうやら別のものらしい。当たり前か。
 窓はステンドグラスで埋め尽くされ、そこから漏れる光にプリズムのような色を付ける。
 床の素材は大理石なのか、歩くたびにコツコツと音が響き渡り、その音が周囲の静寂さを強調する。
「――ここだ」
 不意にウェインが扉を手で示す。
「NPCとは言え、失礼のないようにな」
 言って、ウェインが扉をノックした。

「――はい」

 短く、透き通るような声で返事があった。
「ウェインです。客人を連れて来ました。入っても?」
「……どうぞ」
 躊躇うように間を空け、軽く扉に隙間が開いた。
 よく見れば、扉には取っ手がない。――つまり、向こうから押して開けない限りは開かない仕組みということだ。
 その隙間に指を入れ、ウェインが扉を開く。
 扉の向こうに1人の女性……いや、少女と言っても差し支えなさそうだ。
 髪を左右対称に束ねた――いわゆるツインテールのような髪型。整った顔立ちは、トラストとはまた違った魅力を感じさせるものの、気丈さが滲んでいる。
「――ようこそシェルシア神殿第二教典室へ」
 ぺこりとその頭が下げられる。
「……アキラ=フェルグランドだ。よろしく」
 言いつつ手を差し出すと、少女は微笑を浮かべながら俺の手を取った。
「咲良=E=Webです。……よろしく」
 緑の文字で、キャラクター名が表示される。
 それにしてもE=Webとは。……何と言うか、特徴的な名前だ。
[経験値保護が完了しました]
 今までのアナウンスとは声が違い、……透き通るような咲良の声だった。



[16740] 30- 攻城作戦
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:f09bb48a
Date: 2010/10/06 00:26
 城を落とす戦い、と言うものが存在する。

 このゲームの場合、他のゲームにありがちな「破壊不可属性」……いわゆる「オブジェクト」と言うシステムがそもそも存在しない分、その戦略の幅は大きく広がるのだと言う。
 だが、普通のプレイヤーはそれは考えない。理屈の1つとしてはまず、城を落とす理由が頭に浮かぶ。

 落とした城を乗っ取り、自らのものにするという理由だ。

 城が自らの物になったからと言って、攻略時に破壊された城は攻略に適した形で破壊されたままだからだ。最悪それに沿って攻略されてしまえば、自分たちが攻略した時よりも楽に攻略されてしまうだろう。
 だが、今回の俺たちのようにそもそも城そのものを守ると言う意味が大きく薄れ、何が何でも城を落としたいと言う場合。城を「奪還する」のではなく「敵を討伐」した方が手っ取り早いと言う言い方をすれば理解しやすいだろうか。
 だから、今回この辺は考えていない。そもそも城を落とす理由は奪還するため、ではない。

 破壊を考えない最大の理屈は、「そもそも手間がかかる」――これに尽きるだろう。


「――と言うのはどうだろう」
 トラストの、全員が問答無用で絶句させられた一言に、一瞬躊躇した後に思わず俺が発した言葉は、正気か、だった。
「……その一言から察するに、俺の聞き間違いではないらしいな」
 ウェインが堅い表情のまま呟く。アズレトでさえ本気か、と言った顔だ。
「つまり、どういうことかしら?」
 さっき吃驚している顔を見てしまったので、平然としているとはお世辞にも言えないが――リアが平静を装ってトラストに言葉の続きを促す。
「どういうことも何も、……言葉そのものだが。城を破壊しつつ最短でゲームマスターに辿り着き、不意を突けないだろうか」
 そこまで言うと、ようやく俺を含む全員がそれについて理解した。
「……城を破壊、か。できないことはないだろうが――」
 ふむ、とウェインが顎に手を当てる。
「まず火薬製造を可能とする製造師はどれだけ残っている?」
 火薬はどうやら製造可能なものらしい。つまり爆弾のようなものを作ることも可能だということだろうか。
「話が脱線してすまないが、先に『国』のシステムはどうなっているのか教えてもらえないだろうか」
 ふむ、とウェインがトラストに目線を送り、説明を始めた。

「そもそも国境と言うのは運営側が決めたものだ」

 ウェインの説明する国と言うシステムをさらに大雑把に説明すると、国王、あるいはそれに準ずる地位にいる者を中心として、ある一定の領土を支配するというものだ。
 それは国同士の「戦争」というものに発展する場合もあり、また国同士が合意すれば、境界線が取り払われることもある。ちなみに元々の境界線を復活させることも可能だが、境界線そのものを変えることはできないらしい。
 国を仕切る条件は、その国を「陥落」させることにある。
 一番最初に国を仕切ったのはどこのギルドだったのか、もう誰も覚えてはいない。後はそのギルドを倒したギルドが上に立ち、そしてそのギルドをまたどこかのギルドが倒し……その繰り返しによって今がある。
 国主の呼び名はいくつもある。国王、公王、公爵、大統領、……まぁ申請が必要らしいが、現実の世界で国主を示すものならどれでも適応が可能らしい。
 その呼び名に応じ、国は王国、公国、合衆国……など、その都度呼び方を変える。

「――なるほど」

 トラストが相槌を打つ。
「――ちなみに、」
「聞かれる前に答えよう」
 トラストの言葉を遮り、ウェインが頭を掻く。

「俺がこの国の王だ」

 マジか、と思わず声を上げる。この場合、現実なら膝でも付いて頭を下げるべきなんだろうか。
「城がイベントの中心になると踏んで早々に城を放棄したんだ。……まぁ、城が落ちた今、俺を王とシステムが認識しているのかは疑問だが」
 その読みは完全に的中していたわけだ。奪還のために城に戻り、すでに戦闘中だった俺たちと合流したのはただの偶然だったのか。
 いや。
 あのウィスパー自体、俺たちと合流するためではなく、純粋に俺の無事を心配してのことだったのだろう。もしかしたら、その俺たちが目的地にいると知って、慌てて駆け付けてくれたのかもしれない。

「……さて、どう攻略するかだが、……城の内部を知っている俺たちが攻略を立てるべきか?」

 ウェインの言葉に、トラストがふむ、と唸る。
「――その前に確認したいことがあるのだが」
 トラストの次の言葉に、……今度こそ全員が絶句した。


「――話はわかったが、……そこまで城を把握しているわけではないぞ」
「推測で構わない。それよりこちらから話を持ちかけておいて今更なのだが、」
 ウェインがトラストの言葉を片手で止める。
「構わないさ、俺は城に執着はない。すでにシステム上王ではないのかもしれんと諦めている」
 ふむ、とトラストが相槌を打つ。
「……その作戦に反対意見がなければだがな」
 ちらりと周囲を見回すと、周囲からは動揺というか、……微妙な空気が流れた。
 ウェインはこの案に賛成なのか、言葉とは裏腹に意外と乗り気のようだが、周囲は何とも言えない気分だろう。反対する大きな理由はないが、賛成するにも憚られる案だ。
「――本気で実行するしないはともかく、まずは物理的に可能かどうかを知りたい」
 アズレトが半ば諦観したように手を挙げる。
「まずそれをやるに当たって必要な火薬……いや爆薬か。次に実行する時必要な人数の確保。……最低限、城を攻略する時に必要なものだろ」
 アズレトの意見はもっともだが、……それが揃っていたとしても揃っていなかったとしても、後は城を攻める度胸と、落とすだけの運があるかどうかも必要だ。
「――人数についてはそれほど問題ではない」
 ウェインが頭を掻いた。
「順当に行けば、蘇生・回復役さえいれば乗り切れる計算だからな」
 そう。
 明らかに実行不可能な無茶な案ならば、誰もが反対するのだろう。
 だが、なまじ実行可能な案であることが、反対し辛い理由だ。
「火薬製造が可能な者は――ここにいるだけで2人。蘇生が可能ならばあと5人というところか」
 意外と数が多いことに正直驚いた。
 製造職は、金を稼ぐ以外の……要するに戦闘では弱い部類に入ると思っていたからだ。
 それが、イベント中も製造職のまま、戦闘職にキャラクターチェンジしないと言うことは、そのキャラクターしか存在しないプレイヤー、または戦闘職のキャラクターより製造職のキャラクターの方が強いのか。
――製造職を趣味でやるヤツもいるだろうが、正直そんな変わり者がそんなに多くいるとは思えない。
 ウェインに呼ばれた製造職が2名、前に出る。
「ちなみに爆弾を作るのに材料や手間はどの程度かかる?」
 アズレトの問いに、二人はそろって1時間あれば1個製造できると答えたが、……後に答えた方、赤髪のドワーフはガリガリと額を掻いた。
「だがよ、作るのに失敗しなきゃいいが――失敗したらドカンだぞ。工房が用意できる状況でもないだろう」
 言われてもう1人の方、新緑色のホビットが言い辛そうに苦笑する。
「その問題なら僕のアトリエでクリアできるよ。……僕は爆弾専門だからアトリエも専用のだし、多分時間もある程度なら短縮できるかも?」
 もっとも僕は花火専門で城攻め用なんか作ったことないからわからないけどね、とホビットが付け加えると、ドワーフはそれなら何とかなるか、と言葉を止めてウェインに視線を送る。
「1時間で今のところ2個。爆破すべき場所は何箇所になる?」
 言いながら、ウェインは白紙に簡単な見取り図を描き始めた。
 まずゲームマスターのいるであろう中央の玉座。
 それからそれを囲むように数箇所、さらにそれを避けるように数箇所の印をそこに書き込み、ウェインはテオドールに「こんなものか?」と確認し、俺たちにそれを見せた。
――トラストの考えた戦略上、必要なのは最低7箇所。これは最低必要な数だが、実際にはそれ以上必要になるだろう。

「――2人で5時間と言うところか」

 爆発のリスクも込みでな、とドワーフが呟く。
 5時間。イベント開始からの時間を考えると、ゲームマスターがイベントを終了させるつもりがないのはわかる。だがそのゲームマスターがしびれを切らし、自ら攻め込んでくる可能性などを考慮すると、――微妙な線だ。
「あてにしないで欲しいな、僕はホントに花火専門でさ」
「花火ができるなら爆弾も作れる。俺が言う通りにやればいい」
 ホビットの言葉をドワーフが切って捨てる。――どうやら、ドワーフは乗り気側のようだ。
「どうする?――可能と言えば可能だ。念のため町に出て、死んだ人間を蘇生して回るって手もあるにはある」
 ふむ、と呟きつつトラストがウェインの書いた見取り図をチェックする。
「……いや、7つも必要ない。全部である必要はない」
「――いや、全部である必要はないが、全部行こう。……悟られたら台無しだ」
 ウェインが地図を指差す。
「たとえばこう攻めるとして――召還を駆使して反対側からこう逃げられた場合、半分では意味がない。どうせなら全部爆破しつつ、中央に向かう方向で行くべきだ」
 犠牲はどの道必要だがな、と呟き、ウェインが苦笑した。



[16740] 31- 白翼の幻
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:ac096b52
Date: 2010/10/26 03:46
「じゃあウェインは向こうで俺とカルラは南門付近か」
 各々の担当を決め、唯一蘇生も回復もできない俺たち二人には数本の『奇跡の雫』――1本1000ドルもする蘇生薬で、1本で死者が全回復するという優れものらしい――が手渡された。
 と言うか、リアが俺に使ってくれた『奇跡の葉』も、この10分の1程度の値段がするらしい。
 呪文書、と言うか呪文を書いたメモも一緒に渡され、俺はそれを2・3度頭の中で反芻してからローブの下のポケットにたたんでしまい込んだ。
「『奇跡の葉』以上に稀少だけれど、遠慮なく使って構わないわ」
 その稀少な『奇跡の葉』を使用させたことに対する微妙な皮肉を混ぜつつ、リアが手渡した『奇跡の雫』の数は20本。
 とりあえず無駄遣いさえしなければ、20人を生き返らせることができると言うことだ。
「最優先はリリー、ってことでいいんだよな?」
 それをバッグにしまいつつリアに尋ねると、リアは苦笑に似た笑顔を俺に向けた。
「リリーを探すのは難しいと思うけれど、……そうね、優先して構わないと思うわ」


 ふぅ、と溜息をついて手近な瓦礫に腰を下ろすと、カルラがその隣に静かに座った。
「――あと3本か」
 すでに、手渡された20本のうち、17本を使い、ずいぶん軽くなったバッグから、残り少ない『奇跡の雫』を取り出す。
 俺もカルラも中途半端に霊感があるらしく、南門からたった30分ほど歩いただけでかなりのキャラクターを蘇生した。『奇跡の雫』の呪文には名前が必要なので、名前がわかるプレイヤーとNPCに限定されたが、……蘇生を行えるNPC司祭を復活出来たのはかなり運が良かったと言えるだろう。カルラがいなければスルーしてたんだけどな。

――つーか、何なんだあの微妙にグロい幽霊どもは。

 元がキャラクターだってのはわかるし、確かにアレが幽霊だと言われれば納得はするんだが、その……頼むから冷気を発するような出方はやめてくれと突っ込みたい。ついでに、幽霊にはモザイク・ポリゴンが反映されないのか、グロいままで出現する。正直吐きそうになる幽霊もいたくらいだ。最初に出てきた幽霊をモンスターだと思って斬りかかったのは――いい思い出にしたい。ちなみにアンデッド系モンスターを『奇跡の雫』で倒すこともできるが、勿体なさすぎて万一出て来たとしても普通は使わない。もう一つちなみに『奇跡の葉』でヴァンパイア・ロードが倒せるそうで、奇跡の葉があればアンデッド系は楽勝らしい。若干呪文が違うらしいが。
 蘇生した中に蘇生魔法が使えるNPCがいたためか、ウェインから報告があった限りでは、人数は倍の100人以上になったとのことだ。
 リリーが死んでいた辺りは、フィリスが戦っていた――この武器屋周辺のはずだ。
――フィリスが別れ際に言っていた、武器屋裏口から右に2回、左に1回曲がったところってのは恐らくここだろう、という予想は付くんだが、……リリーの幽霊が見つからない。
 もしかしたら俺たちの霊感では察知できないのか、肝心のリリーがログアウトしてしまっているのか。
 ふと、視界の端で何かが動き、そっちに目を向ける。
――何もない。気のせいか、と別の方向に視線を動かした瞬間、同じ方で再び何かが動く。
「――、あぁ、何だ」
 何かが動いた方へと向かう。

 視界の端で何かが動く、なんてのはホラーじゃよくある表現じゃないか。

 それがリリーである確証はないが、少なくともプレイヤーの1人ではあると言うことだ。
「……アキラ」
 俺の後ろに続きながら、カルラが声をかける。
 振り向き、カルラの指差す方を向くとそこには――
「――、うわ」
 一瞬何があるのか、理解できなかった。
 白と黒。――いや、白と黒に変色した赤だ。その所々……いや約9割ほどをモザイクポリゴンが処理している。
 この中にリリーが紛れ込んでいるとすれば、……さすがにお手上げだ。
「ウィスパー、フィリス」
 思わず溜息を吐きつつ唯一の情報源に声をかける。
「なぁ、まさかこの死体の山の中にリリーがいるとかいわねーよな」
 ん、とフィリスの声が聞こえる。
『死体の山?……ンなのあったっけ』
 目の前にあるんだが、と突っ込みを入れようとして、思わず山に目を向ける。
「……あ」
『ん?』
 フィリスが俺の声に不思議そうな声を返す。
「悪い、……いた」
『話が見えない。死体の山って?』
 あぁちょっと待ってくれ、と呟いてから、俺は一応頭を整理することにした。
 まずここにあるこの「死体の山」をフィリスは知らないようだということ。
 つまり、死体の山は、フィリスがドッペルを討伐したその頃には存在しなかったということだ。
 そして、その中に。

 リリーがいた。
 それも――2人。

「……参ったな」
『何が参ったんだい。わかるように説明しな』
 問うフィリスに、軽く答えてみると、フィリスは2人いるってのはどういうことだとかどのくらいの人数の山だとか、場所はどこだとかいくつか会話すると、合流するから待てと言い残してウィスパーを切った。
 フィリスは隠れ家の門番役の1人のはずなんだがいいのか、と思いつつ、俺とカルラはモザイクポリゴンだらけの死体の山をとりあえず崩すことにした。


「……おやま」
 フィリスが一瞬絶句した後呟いた。
 目の前には同じ顔をした2つの死体。
 傷は綺麗に消え……いや、ポリゴンで上手く隠されているというべきか……どっちが本物かが判別できない。偽者を判別するために片方を蘇生すればいいと提案すると、
「さすがに『白翼の幻』ともう一度はやりたくないよ、アタシ」
 思わず苦笑する。
 そう、問題なのはこのどちらかがドッペルゲンガーである可能性が高いということだ。
 そして、片方だけを蘇生するにせよ両方を蘇生するにせよ、どっちがドッペルゲンガーなのかを判別する方法すら限られる。
「『雫』はいくつ?」
「――3つだ」
 俺の答えを聞き、心許ないね、と感想を漏らすフィリス。
「……大丈夫」
 カルラが呟くと、にこりと笑う。何か策があるのかと聞くと、カルラは数秒言葉を選ぶと、

「殺し合ってもらう、……だけ」

 物騒な台詞をさらりと言ってのけた。


「……『雫』よ、リリー=ビーヴァンを今一度現世へ。――『リザレクション』」
 プレイヤー名が間違っていれば発動しないはずの、『奇跡の雫』。
 あわよくば片方が蘇生しないでくれれば、と期待したのだが、
「――ありゃ、両方起きちゃったか」
 フィリスが両肩を竦めて見せる。
 どっちが本物か全くわからん。
「リリー、……」
 カルラが苦笑を向ける。
「ドッペルは本人にしか討伐できない、……から」
 そう、ドッペルを討伐できるのは本人だけだ。
 つまり。
「――リリーがドッペルを倒しても、……ドッペルがリリーを倒しても、」

 ぎぃんッ!

 言い終える前に、二人のリリーの刃が火花を散らす。
――と思った瞬間、二人の姿が掻き消すように消え、四方八方から金属が弾ける音が響く。
「――っち、……やっぱり早いね」
 言って、わずかに身を屈めるフィリスの数センチ上で火花が散るのが見え、わずかに二人のリリーが見えた。――が、それも一瞬。
「こっち狙ってくれりゃ早いのにな」
「――そうだね、アキラ殺してくれりゃ手っ取り早く倒せる」
 物騒なことを平気で言うフィリスだが、――まぁもう経験値はストック0だ。今殺されるならリスクもないし楽でいい。――まぁ冗談だが。フィリスも目が笑ってない。
「で、フィリスにはこの動き見えてんのか」
 ん?とフィリスが声を上げ、
「――あぁうん、まぁ見えるよ、ギリで」
 もしかして動体視力は鍛えられるものなんだろうか。後で聞いてみよう。
 それにしても早い。
 火花を目で追うことしかできない俺は、確実にフィリスの見ているものより遅れている。
 リリーの相手が俺だったなら、おそらく何もできずに終わるだろう。
――『白翼の幻』。
 その二つ名の意味を俺はようやく知ったということだ。
 断続的に聞こえていた刃の音が、その間隔を徐々に短くする。
「――、あれアタシに使われてたらマズかったかもねー」
 フィリスは何を見ているのか、と思った瞬間、フィリス目掛けてナイフが2本。
 軽くいなしつつもフィリスはそちらから目を逸らさない。
 さらにカルラに向けてナイフが4本。
 しかしそのナイフはカルラに届く前に全て叩き落された。
――誰に?カルラは身じろぎ一つしていない。――フィリスもこの状況では自分の身を守るので精一杯だ。なら答えは一つ。リリーしかいない。
 再び刃の音が、――いやもはや共鳴とでも呼ぶべき澄んだ音色が周囲に響き渡る。

『風よ大気よ、我が足と羽に祝福を……スピード』

 同時に二人のリリーが叫ぶ。瞬時に繰り出される共鳴音!
 マジかと叫びたい。――あれで呪文なしのスピードだったとかどんだけの化け物だよ!
「やっば、見えねぇー」
 まぁその分一撃一撃は軽くなっただろうけどね、と呟くフィリスには一応どこにいるかくらいは見えているらしいが、俺にはもう火花を追うことすらできなくなっていた。良くて消えかけた火花が散る瞬間をギリギリ追えるだけ。
 この動きどうなってんだと呟くと、あぁそれは、とフィリスが軽く解説を入れた。
「処理はAGI順で全部後送りなんだよ。この場合リリーとドッペルは普通に戦闘しているんだけど、アタシたちの処理が強制的に遅れてる状態になるわけ。要するにこの二人のせいで世界全体が遅くなってんの。さっき二人が手持ちを2本にした辺りから処理も跳ね上がったかな」
 言われて時計を見れば、時計の秒針がものすごい速度で動いていた。
「――戦闘が終わるまで時計はそんな感じだよ」
「つまりこの戦闘中、俺たちの時間が止まってるようなもんか」
 すでに実時間にして10分。俺の感覚では2分も経っていないんだが、感覚が正しければ優に5倍ものスピードで動いているということだ。
「ちなみにスピードの魔法は逆。身体能力を上げるだけだから……って知ってるか」
 一度アズレトにかけてもらったお陰でその辺は実感済みだと言うことを思い出した。
「――ふん、どんなに真似したって」
 フィリスが不敵に笑う。
「本家の技を分家が使いこなすにはそれ相応の努力ってもんが必要なもんだよ」
 言ってフィリスは目を伏せた。

「――偽者如きが本物の『白翼の幻』を超えれるもんか」

 ずがん!と何かが地に落ちた。
 慌ててそっちに目を向ける。
 片方のリリーが片方を組み敷き、その喉元に2本のダガーを突き付ける。

「チェック・メイトよ。ドッペルゲンガー」
「――お見事。楽しかったわ」

 ドッペルの手が――悪足掻きのように掴んだナイフを振り上げる前に、リリーの手がドッペルの喉を掻き切った。
 その喉から血が吹く前にリリーが離脱すると、民族的なペイントの野箆坊の手が地に落ち、魂のような光がリリーの後を追うように、螺旋を描きながらリリーの胸元に吸い込まれて行った。

 実時間15分の死闘は、――オリジナルの勝利で幕を閉じた。
 まぁ仮に倒されても、オリジナルを蘇生して総力戦だったのだが――と言うのは敢えてリリーには話さなかった。



[16740] 32- 死者の行方
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:e5fa8d63
Date: 2011/01/29 00:53
「まったくもう、全然蘇生に来てくれないんだもん。忘れられてると思ったわ」
 拗ねたような顔でリリーが呟いた。
 その横では、フィリスがごめんごめんと軽い調子で両手を合わせる。
「ドッペル倒した直後にさ、イシュメルがハティ連れて来たっしょ?アレに気を取られて」
「気を取られてすっかり忘れてたわけね、ほほぅ」
 うぐっ、とフィリスが苦笑のまま言葉を止めた。
 はぁ、と溜め込んだ息を吐き出すと、リリーは俺へと手を伸ばす。
「数日会ってなかっただけなのに、……何だか久しぶりね」
「全くだ。……お帰り、リリー」
 手を握りながら、その背の純白の翼をちらりと見ると、リリーは視線に気付いたのか翼を服の中にしまい込んだ。
 何だか微妙にコンプレックスでもあるんだろうか。まぁとりあえず聞かないけど。


 手持ちの『雫』を使い切った。
「ふぅ~、助かったわ。ありがと、リリー」
 言っておもむろにリリーの頬にちゅっとキスをする、妙にグラマーでセクシーな女性がその最後の1人だった。どうやらリリーの知り合いらしい、ということで蘇生したのだが、
「いえいえ。……そのクセはやめなさいって言ったでしょ。するならそっちの男の子にね」
 リリーが苦笑しつつ言うと、女性は肩をすくめてにっこりと笑った。

「誰が野郎になんかキスするもんですか穢らわしい」

 うわぁ……とさすがの俺も思わずヒいた。
 フィリスもリリーも若干引き気味なところを見ると、どうやら俺の反応は普通であるようだ。カルラは苦笑を浮かべている。
 リリー曰く、彼女はとても優秀な回復役らしい。
 ちなみに二つ名もあるらしいのだが、リリー曰く「言うと彼女が激怒する」らしい。
――そう言われると余計に気になるのだが、下手に激怒されても仕方がないので黙ってリリーに従うことにする。
 ちなみにフィリスとは初対面らしく、
「こういうボーイッシュなキャラも素敵ね」
 と迷惑がるフィリスの顔も気にせず、べたべたと触りまくっている。
「アキラ、……とりあえず隠れ家に」
 うんざりした表情を隠すどころか前面にしっかり押し出しつつ、カルラはフィリスから自分にターゲットを変え触ろうとする同性の手を軽い調子で叩き落す。
「そういえば、名前も聞いてないんだが」
「何で野郎に名前教えないといけないのかしら穢らわしい」
 語尾が穢らわしい、な女性は即答した。
「とりあえず何て呼べばいいのかわからないだろ」
「呼んでもらう必要なんかないわ穢らわしい」
 もっともらしい理屈で応戦してみるが、取り付くシマもないほどの即答が返る。
 こりゃダメだと肩を上げてちらりとフィリスを見ると、呆れたような顔の前で、臭いものでもあるか蝿でもいるかのように手を振った。
 視線をカルラに向けてみると、カルラは困ったような顔で首を振る。
 そうなると、リリー以外にその役目ができそうにないのだが、リリーはリリーで女に纏わり付かれていたりする。

 そんな感じで、俺たちは結局女の名前を知ることなく、隠れ家へと辿り着いた。


「皆さんにお願いと言うか、聞いて欲しいことがあります」
 開口一番にリリーが大声で言うと、喧騒のボリュームが少しだけ下がった。
 リリーを見ると、1人が驚いたように時計を確認し、挨拶もそこそこに慌ててログアウトしたのか、その場に座り込んで眠り始めた。
「――今すぐ時計を確認してください。予定が入っている方は特にです」
 ざわり、と場に喧騒が一気に戻る。ヤバいと叫んで一人がログアウトし、
 ふと気付く。
 さっきの戦闘だ。
 そんなに長くはなかったと思うが、予定時間ギリギリまで遊ぶ予定だったプレイヤーは10分が死活問題になることもある。
 あと10分ある、そろそろ落ちるが挨拶くらいは……そうタカを括っていた人が泡を食ったということだ。

「……ごめんなさい、ドッペルもいたので『加速』しました」

 そのリリーの姿を見て、あぁなるほど、と少しだけ納得した。
 コンプレックスにも見えるリリーの「羽隠し」はこのためか。
 たかが10分程度であればそんなに問題はないだろう。だがそれが1時間2時間と加速されたらどうだろうか。
 なまじ体感時間に頼っているプレイヤーは時間に気付かず、下手をすれば出社時間や約束の時間に遅れるなど、リアルにも支障が出るのではないだろうか……いや、実際過去にそういうことがあったのだろう。
「――『白翼の幻』か。……すまない、忘れていた」
 謝るウェインにぺこりと頭を下げるリリー。
「……相手がドッペルゲンガーだとわかっている情報で気を使わなかったのはこちらのミスだ。君に責任はない。仕様でもある。気に病まないで欲しい」
「仕様を変えるべきって管理にも進言したんですけどね……」
 リリーが苦笑する。
 管理、つまりゲームマスターであり最高管理責任者である緋文は、その「進言」をどう考えているのか。……クソゲー扱いされている原因の一端はそこにもありそうな気がする。
「まぁまぁ、仕様なんだし気にすることないって」
 相変わらず纏わり付いている女が軽く笑い飛ばすのを見て、リリーは苦笑を漏らした。
「こちらは?」
 ウェインがリリーに女の紹介を促す。
「私の知り合いです。元相方」
 少しだけ「元」をさらりと強調した言い方にかまわず、ウェインが女に向き直る。
「初めまして。一応この国の国主、ウェインだ。よろしく」
 ウェインが手を差し出すのを見つつ、俺はこの後の展開を簡単に予想することができた。


「……」
 リリーと纏わり付く女を見ながら、ウェインは集まった全員に作戦を説明し始めた。どうやら纏わり付いている女が気になって仕方ないらしい。
 集まった全員、と言うのは俺が蘇生したプレイヤーたちなどを含めた……ええと何十人いるんだっけコレ。あぁそうだ、俺が途中で確認した時点で100人超えてたんだっけ。
 某ゲームのレイドボス並みの巨大パーティが出来そうだ、などと考えながら大人しく聞いてみる。
――が、途中で気付いた。さっき俺たちと話した内容そのままだ。何も考えていないし細かい作戦はこれからパーティを編成しつつ考えるらしい。
 城の内部構造はウェインの方がよく知っているから、その辺はウェインに任せるしかない。
 つまるところ今俺にできることは何一つない、ということだ。
「……ふむ、……世界中から接続されている割にプレイヤーの数が少ないな。……ルディスは過疎なのか?」
 トラストの呟きに、少しだけ同意するところがある。
 このゲーム、リリーの住むカナダを中心にヨーロッパ方面から接続可能エリアを増やし、今ではほぼネットの接続できるエリアであればどこでもプレイ可能になっているはずだ。
 そうなると、トラストが言うようにこの国が過疎なのか、あるいはすでにそれだけのプレイヤーが倒されて蘇生手段が貧窮しているかのどちらかだ。
「――倒されたんだろうね」
 横からフィリスが口を挟む。
「……国が過疎というわけではない、と?」
 トラストが顎に手を当てる。
「ルディスはラーセリアで3番目に発達した大都市だ。プレイヤーの数で言うなら2番目と言ってもいい」
 ログインしたばかりの頃を少し思い返すと、俺は確かに一番最初の時点で、結構栄えた町だと思った記憶がある。
「ルディスはね、全ての町の中でNPCが3番目に多い町なんだ」
 なるほど。
 フィリスの言う「発達した」町と言うのは要するに、アップデートの回数やNPCの充実度を指すのだろう。
 必然それらが多い町にはプレイヤーが集まり、そうでない町からはプレイヤーは減って行く。
「まぁ、蘇生アイテムが限られてるからね、イベントが終わるまではこんなもんさ」
「……倒された連中は今みたいな時間はどうしてるんだ?」
 んー、とフィリスが言葉を濁らせる。
「ごめんよく知らない」
「何だそれ」
 思わず苦笑すると、
「……壊滅イベントで死んだことがないからだろ」
 後ろからアズレトが声をかける。
 考えてみれば、フィリスほどの化け物が死ぬことは考え辛い。
「ん?いや待て。こういう壊滅イベントって初めてなのか?」
「いや、2回目かな?前回はモンスターだけでマスターは出て来なかったけど」
 なるほど、つまり前にも同じようなイベントがあったらしい。
「アズレトもないのか?」
「いや、ある。死ぬと生き返るまでは強制的に別サーバーに隔離されるんだ」
 その説明によれば、そのサーバーは元サーバーのコピーで、元サーバーの機器がトラブルを起こした際に使われるものらしい。
 元サーバーとコピーサーバーは常に情報をやりとりし、コピーサーバーであっても元サーバーと同じ状態で存在し続けるらしい。
 また、常に情報をやりとりすることにより、元サーバーにいる「生きている」プレイヤーの動きの情報や自分が蘇生されたという情報をコピーサーバーに送ったり、逆に幽霊情報を元サーバーに送ったりもされる。
 真偽のほどは定かではないが、実はコピーと元サーバーの他、両方の情報をコピーしたサーバーもあるらしいという。
「運営も大変だな」
 トラストの呟きに思わず同意する。
 設備投資や設備維持費にはたしていくら注ぎ込んだのか、そして今なお注ぎ込み続けているのか。
 さらにこのゲームは大企業の融資によって成り立っているというから、そちらへの働きかけも大変なのではないだろうか。
――などと考えている間にもアズレトの説明は続く。
「で、隔離された別サーバーでどうするかはプレイヤーの自由。その場合、大抵は蘇生を待って他プレイヤーとダベってるかもしくは諦めて狩りにでも繰り出すか……まぁ狩ったところで経験にはならないらしいが」
 検証したのかどうかはわからないが、まぁいつ蘇生されるかわからない状況で狩りに行ったりはしないだろうな……あくまで俺ならという話だが。

「こんなところだ。質問はあるか?」
 無駄話をする俺たちの会話を遮るように、ウェインの声が響き渡った。



[16740] 33- 割り振り
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:6e68c083
Date: 2011/03/14 04:22
 話を知っている連中が無駄話をしているのはわかっていたのだろう、説明をしている時の声よりよく響く大声でウェインが声を響かせる。
 質問があるか、とのことだが俺は正直特にない。
 他が途惑う中、トラストがゆっくりと手を挙げる。
「攻め方は今の方法でいいとして、パーティの割り振りはどうするのかまだ聞いていない」
 当たり前だとツッコミを入れそうになったが、周囲の視線が突き刺さりそうなのでかろうじてその衝動を抑える。

 ウェインが今話したのは俺たちが蘇生に向かう前の状況から立てた作戦だけだ。
 人数すら把握もせずパーティの割り振りは無理だっただろう。だが今は人数をある程度把握できる。

 あぁ、とウェインは苦笑した。
「わかってる、今からそれを決める」
 言って、ウェインは周囲を見渡した。
「まず、城の出入り口は8つ。正門を志願したい人はいるか?」
 さすがにいないだろ、と思ったが数人が迷わず挙手をする。そしてそれに追随するかのように数人が続く。
「……13人か。その中で回復・蘇生に回れるのは何人だ?」
 3人を除き、上がっていた手が下りた。
 戦闘員が10人、回復係が3人。
――意外にもそのまま採用できそうだと思ったが、ウェインは少し迷うような仕草を見せた。

「――ちなみにこの全員の中で回復役は全部で何人だ?」

 トラストが口を挟むと、ウェインの「手を挙げてくれ」と言う声より早く、次々と手が挙がった。
 軽く数えただけでざっと25人、8で割って3人強だ。
 ふむ、と俺と同じ計算をしたのだろう、トラストが呟いた。
「それしかいないのならば3人は少し多い気がするが、判断は任せる」
 ウェインが考えるように視線を一瞬足元に落とし、すぐにその視線を上げた。

「――正面は正直捨て駒のつもりだが、それでも今の13人は志願するか?」

 あっさりと事実だけを告げるウェインに、そんなことはわかってると言いたそうに、内数人が「行くぞ」「俺もだ」と声を上げ、残りのメンバーもそれに合わせて首を縦に振って見せた。
「……いいだろう、その13人は戦いの準備を始めてくれ。言った通り捨て駒ではあるが、……全力で攻めて損はない。質問があれば囁いてくれ」
 言うと彼らは軽く返事を返し、部屋を出た。ちなみに囁くと言うのはウィスパーのことだ。

 さて、とウェインは13人減った部屋を改めて見渡した。
「次は残る7つの割り振りを考えよう」
 言って部屋の壁に、いつの間にか持っていたチョークのようなもので図を描き始めると、辺りのざわつきが少し収まった。
 途中、テオドールに図を見せつつ何かを尋ねていたが、ようやく完成したのかその手を止める。
「――これが大体の見取り図だ。攻城戦をしたことがある者もいるだろうが……まぁここ数年の間で壊されてリフォームしての繰り返しだから、多分覚えと違うところもあるだろう」
 言うと、プレイヤーは我先にと見取り図へと近寄り始めた。
 俺も近くに寄ろうと思ったが、あのプレイヤー達の壁を抜けるのは不可能に近いだろうと判断し、壁に寄りかかって見守ることにする。
「いいのか?見に行かなくて」
 ウェインがいつの間にか俺の隣で壁に寄りかかっていた。
「……どうせ俺はこの中じゃ最弱に近いプレイヤーだからな。雑用程度しかできることはないだろ」
 ふむ、と俺に視線を流し、ウェインは考え込むように視線を足元に落とす。
「……いや、そんなことはないさ。――たとえ最弱でも使い道はある」
 言うと、俺の肩にぽん、と手を乗せウェインはその手を後ろ手に振りながら壇上へと歩いて行った。

 ん?ちょっと待てそれは俺を最弱だと言っているのか……


 しばらくしてプレイヤーが図から退き始めると、ウェインは割り振りの希望を取り始めた。
 各々好きな場所を羊皮紙に書き込んでウェインに渡し、テオドールがそれを集計しているようだ。
 とりあえず俺は地図を眺めることにする。

 城の構造はシンプルだった。
 まず、正面から玉座までは一直線で最も近い。
 中央に玉座。その玉座を、まるで蛇がとぐろを巻くかのように廊下が円状にぐるりと取り巻いているが、所々通路が設けられ、壁で塞がれてまるで……いや、これは迷路だ。出入り口は正面を含め8つ。正面から8方向。おそらく上が北とすると正面は南口だ。希望を取る目的のため、西南から順に東南まで、1から7の数字が割り振られている。玉座から通路に繋がる道も8つ。
 とりあえず玉座からその迷路を辿ってみる。
 すると、かなり複雑ではあるが、正面を含めた全ての出入り口は玉座に通じていることがわかった。
 最短のルートは――正面を除けば――行き止まりの存在しない4だが、7も別れ道は多いが微妙に近いと言えば近い。
 逆に3は行き止まりが多く、地図でもなければ辿り着くのは難しそうだ。
 あとの1・2・5・6は当たらず障らずと言った感じか。
……ただし、壁を壊す手段があれば話は別だ。
 ドワーフが今製造している爆弾、……いや壁を破壊できるだけの物であれば何でもいい。ハンマー、槌、場合によっては剣や斧なんかでもいい。
 最短距離、つまり壁を壊して突き進む。それができるのがこのゲームだ。
 古くからあるオブジェクトシステム……いわゆる「破壊不可システム」が残るゲームでは、こうはいかない。
 一番楽なのは4だが、多分そっちは希望が多いだろう。
 無難な1・2・5・6を辿ってみる。
 この中で一番わかりやすいのは2か。1箇所壁を破壊すれば玉座に辿り着ける。次点で1、5、6で2箇所壁を壊せばいいだけだ。
 だが、2の壁は壊して行き着く先は正面の連中と同じ「正面通路」だ。そっちの道から行くのなら、正面隊と分ける意味がない。
 念のため3も辿ってみるが、3箇所破壊しないと辿り着けない。
 となれば、一番安全なのは3だ。――俺やトラストのようにレベルの低い連中はこちらを選ぶ方がいいかもしれない。
「どう思う?」
 声に振り返れば、いつの間にかリリーとカルラが隣にいた。
「んー……。安全策なら3だと思うが、活躍したいなら4かな」
「2も捨て難いと思うがな」
 トラストが会話を聞きつけて会話に割り込む。
「……そうか?いや、壁を一つ壊せば行けるのはわかるが正面に出るのは得策じゃないだろ」
 ん、とトラストが声を漏らす。

「――あぁ、ひょっとしてこの道のことか。違う、こちらの道だ。辿ってみるといい」

 言われて道を辿り、なるほどと思う。ひとつ壁を破壊し、正面通路に沿う形で通路を進んだ先にある、玉座の間と通路を隔てる壁をもうひとつ壊せば玉座だ。
 まぁ壁を壊す手段にもよるだろうが、その手段として爆弾が玉座手前の壁で使うことができれば奇襲としてはかなり有効な手だ。
 そうこう言っている間に、アズレト、カルア、リア、フィリスの4人が俺の背後から地図を覗き込んでいた。などと考えている間にリリーも近付いて来てトラストの指をさした先を見て「なるほど」などと感嘆している。
「他にこの道の希望者がいなかったらこの7人でここを攻めるってのはどうだい?」
 勝算があると踏んだのかどうなのか、フィリスがにやりと俺たちに笑いかける。
「いいけど、――敵がいないわけじゃないんだぞ。そうそう上手く行くと思うか?」
 俺が苦笑して見せると、リアが「そうね」と呟く。
「確かにこの道は魅力的ではあるのだけれど、どうかしらね。ゲームマスターが気付いていなければ楽に通してくれそうだけれど」
 ふむ、とトラストが唇に手を当てる。っていうかネカマの仕草が妙に上手い。実はネカマプレイはこれが最初ではないとか……いや考えすぎか。考えすぎだと信じたい。
「……では一応別の希望を各々出し、この道に志願者が少なければ改めてこの7人がここに志願、という形でいいだろうか」
 まぁ、フィリスやアズレトはさっき羊皮紙をテオドールに渡しているのを見ているのですでに希望は出していただろうからそういうことになるんだろうか。他の4人は知らないが。
「いや、俺は最初からこの道に志願する」
 いつまでもアズレトたちだけに頼ってプレイしているのはつまらないと思う。
 俺のように初心者プレイヤーは、死んでゲームを覚えるのが基本だし、そもそもセーブしてあるので経験値を考える必要もない。ここらで現実を見てさっさと死んでしまうのもまた一興だ。ドッペル戦で死んだ時に見た「死人の世界」。あの状態ならば他のプレイヤーに迷惑をかけずに見学もできるのではないだろうか。まぁ他に志願者がいなければ、あるいは少なければいつものメンバーでの行動になってしまうが、それはそれで楽しそうだ。
「そうか。それならばこちらもこの道に志願することにしよう」
 トラストが、俺がその道を選ぶと思っていたかのようにあっさりと道を決めた。

「では発表する。予想通りかなり道によってばらつきがあるな」
 ウェインがよく響く声で告げる。
 集計結果、プレイヤー数は104人。
 正面に13人だから、残り91人。
 順に、1-13人、2-3人、3-10人、4-30人、5-12人、6-14人、7-9人。
 圧倒的に4が多いのは理解できるが、7が意外と少ないのは何故だろう。
「13人以下の箇所を希望したメンバーはそのまま準備に取りかかってくれ。それ以上の箇所を希望したメンバーは話し合いを……」
「あ、アタシは4にしたけど降りる。2に変更で」
 フィリスがあっさりと手を上げ、俺たちの方へと歩み寄って来た。俺も2で、とアズレトが6から抜ける。
「……そうか、では残りの6のメンバーもそれで確定だ」
 そうこうしている間に、リア・リリー・カルラも4を抜け、事前の打ち合わせ通りに俺たち7人はあっさりと2へと固まった。

「……ところであと一人って誰だ?」
 7人が揃い、もう一人は……と周囲を見渡す。
「はい、ボクです」
 どこからともなく可愛らしい声が聞こえ、ん?ともう一度見渡す。誰もいない。どういうことだ。
「――アキラ、足元」
 カルラの声に従ってちらりと足元を見る。
――いた。
「ってちっさ!」
「ちっさい言わない!ボクから見ればそっちがデカい!」
 思わず声を上げると、即座に反応が返る。
 その声の主は足元に確かにいた。
 身長は……およそ10センチほどだ。
「――まさかラッティアスが生き残って混じってるとは驚きだね」
 フィリスが呟いたので思い出した。リアの初心者本に確かあったはずだ。「とても小さい種族」とか「踏むとPK」とか。……これは確かに踏みそうだ、などと考えていると、足元のそれはむっとした表情を苦笑に変えた。
「――まぁいいか、ボクの名前はムル。よろしく」
 名乗った瞬間、ムルの趣味なのかそれともバグなのか、膨大な文字列が壁を作って俺とムルを隔てた。
――一応目で追っては見たものの、一応名前らしき文字列だ。バグではないとしたらムルの趣味か。……かろうじて最初の「ムルシアレス=フェイルザード=ラクティスィ……」まで読んだところで文字は消えてしまった。いくらなんでも読めないだろ。
 しかし少し興味がある種族だ、と実物を見て思う。
 見た目はただの人間……言うなれば小人だが、これだけ小さいと動いているのが不思議で仕方ない。
 どんな種族かは知らないが、この種族の視点から世界を見た場合、どういう感じに見えるのだろう。――というより、スライムですらデカくて倒せないんじゃないだろうか。戦力になるのかコレ。
「どうやって戦うんだ?」
 思わず問うと、ムルは手のひらを差し出すように出し、そこに炎を生み出した。
 魔法使いか、と思った矢先、その炎が徐々に形を作っていき、数秒もしないうちに炎が狼の形を作る。
「おぉ、スゲェ」
 思わず感想を言うと、ムルは「君、初心者でしょ」と俺をびし、と指差した。
 聞けば、ラッティアスは耐久に欠けるのものの攻城戦では主力となる存在で、エルフ並みの知能とティタニアには及ばないもののそこそこの俊敏さを誇る強力種族なのだという。
 ただしさっきも言ったように耐久に欠けるので、一撃食らえばあっさり沈むのが玉に瑕だ。
 ムルはその俊敏と知力の両方を徹底して育てた、いわゆる二極型だということらしい。

『一つ確認したい。……2に行きたいというメンバーが他にいないんだが、君たち8人でも大丈夫か?』

 ウェインからのウィスパーを全員に伝えると、フィリスが「いいんじゃない?」とあっさり言い、ムルを除く他の全員がうんうんと頷いた。
「いいそうだ。こちらはこの8人でやる」
 言うと、すまないなと苦笑してウェインはウィスパーを切った。


「……んで、今回の問題は2つの壁を1個の爆弾でどうやって壊すかなんだが」
 各道に配られた爆弾は各1つ。ドワーフとホビット、そして後で蘇生された製造ドワーフが頑張った結果だ。
 どう考えても1個で2つの壁を壊すのは間違いなく無理だ。
「フィリスのクリティカルで壊すのは?」
 と言ってみたが、さすがに壁にクリティカルは無理らしい。両肩をすくめ、フィリスに呆れた顔をされた。……ですよねー。
「リアの大魔法は?」
 こちらはひょっとしたらいけるんじゃないかと思ったが、わざわざフィリスと同じリアクションで返された。これはリア流のジョークなんだろうか。
「壁を凍結くらいはできるだろうけれど、……MPがもったいないかしらね」
 うーむ、と少し考えるフリをする。当然ながらリアのMPは貴重だ。なので魔法案は却下だ。
 とはいえ、さてどうしたもんか。

『……少し話があるんだが』

 野太い声でウィスパーが流れた。
 どこかで聞いた声だ。
『あぁスマンな。俺だ俺、火薬製造の』
 一瞬俺俺詐欺かと思ったところで赤髪の火薬製造ドワーフを思い浮かべるキーワードを後出しされ、「あぁ何だ」と思わず声を出す。
『――実はだな』
 ドワーフは、困った様子もない声でこう言った。


『爆弾製造の過程で困った物を作っちまってな』



[16740] 34- ファンブル
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:6e68c083
Date: 2011/05/08 01:00
『爆弾製造の過程で困った物を作っちまってな』
 赤髪のドワーフはそう言った。
「ん?いやそれを俺に言ってどうするよ」
 失敗して妙な効果の爆弾でも作ったのだろうと推測する。となれば俺に言ってもどうしようもない。
 そもそも爆弾は7個、すでにひとつづつ配られているもので十分なはずだ。となれば、それは処理するかもしくは別の機会にでも使うべきものだ。
『いやまぁそうなんだけどよ』
 困ったような口調で言うドワーフ。
『ウェインの野郎が推薦して来たのがお前なんだ、一応意見を聞いておこうと思ってよ』
「一体何の話だ」
 ははは、とドワーフが苦笑する。
 歯切れが悪い。話しにくいことなのだろうとあたりをつけてみる。
「一応こっちも作戦会議中なんだが」
 続きを促してみると、ドワーフは再び苦笑した。
『――簡単に説明だけするとだな』
 ドワーフの説明はまさに簡潔だった。

『製造でファンブった』

 思わず目が点になる。ちなみにファンブった、と言うのはファンブル、つまり大失敗したと言う意味だ。
「――爆発とかしなかったのか?」
 あぁ、とドワーフは苦笑した。
『爆発はしなかった。普通ならしてもおかしくないところだったんだけどな』
 ドワーフが言うには、爆弾を製造する際、失敗=爆発となるらしい。だがそれがどうして「困った物」という話になるのかわからない。
『仕様が変わったのかもしれんな』
 そう前フリしたドワーフの言うところによれば、爆発すると覚悟していたファンブルによって、「困った物」が出来あがったらしい。
 ふむ、と思わず声を漏らす。
「それで、さっきと同じ質問なんだが……それを俺に言ってどうするよ」
 ウェインが俺を推薦してきたとのことだが、それも意味がわからない。
 俺とウェインとの付き合いは短い。そのウェインが俺を認めてくれたというのは少し考え辛い。
 それでも俺を指定したと言うのなら何か考えがあるのか、厄介払いとして俺に押し付けるということか。
『ウェインの野郎の考えはわからないけどな』
 そしてこのドワーフにしても意見は同じということだろう。
「それで、その困った物ってのは何だ?」
 俺の言葉に、一瞬ドワーフは沈黙する。

『……とりあえず、会ってから話そう』


 以前リアと待ち合わせた噴水へ着くと、そこにはすでに赤髪のドワーフがいた。
 よく見るとドワーフも戦闘に参加するらしく、本人の身の丈ほどもあるデカい斧と、同じくらいデカいイカツい盾を背にかついでいた。
「製造じゃなかったのか」
「いや製造だがな」
 聞けば、製造は素材を採って帰るため、特に力の強いドワーフは戦闘もこなせる者が多いらしい。サブでドワーフを作って育てず、製造に専念させるってヤツもいるんだろうが、この赤髪はどうやら戦闘もできるというタイプらしい。
「今回も参加するのか?」
「あぁ、一応ウェインと同じ班で戦闘に出る」
 俺はシールダーだからな、と盾を指差す赤髪に、なるほどなと思わず納得する。

「……で、コイツが例のモノなんだが」

 おもむろに、ドワーフが懐から小さな筒を取り出した。
「……スキャンはできねぇよな?」
 言いながら、俺にそれを持たせ、ドワーフは指でそれに触れる。
 スキャンの無詠唱発動。確か30レベル以上だったか。

[アイテム名【ギャンブルボム】ランク20、破壊力1から9999までランダム。起動コード:未設定]

 アナウンスの言葉に思わず目を点にする。
「……どうだ?俺の言ってる意味はわかったか?」
「――ちょ……っと、待て」
 確かに「困った物」だ。
 9999というのがどの程度の威力なのかは知らないがきっと味方を確実に巻き込む程度の破壊力なのだろうし、さらに最低値が下手をすれば無に近い。
 例えば壁を破壊しようとして1ダメージとか低い破壊力だった場合は全く意味がない。
 また逆に、壁を破壊しようとしただけなのに最高値近いダメージが出た場合はどうか、というと敵味方巻き込んでとんでもないことになりかねない。
「……俺たちに渡された普通の爆弾はどの程度の破壊力だ?」
 聞くと、ドワーフは俺にウェイン班のだろう「攻略用」の爆弾を持たせ、スキャンを発動する。
[アイテム名【ランポートディストラクション】ランク3、破壊力300。起動条件:火類]
 城壁破壊、と名の付いた爆弾の破壊力が300。だとすれば、……下手をしたら城が吹き飛ぶな。
 うまく壁を壊すだけ、くらいの威力で爆破されてくれれば助かるが、それ以外は全く役に立たないか、もしくは逆に迷惑極まりないか、……ということだ。
 思わずうへぇ、と声を上げるとドワーフが苦笑する。
「どうする?いくらウェインの推薦っつっても使い所がないだろ」
 まったくだ、と反射的に言ってしまってから、それでも一応考えてみる。

 まず、城壁にコレを使うのは危険極まりない、と判断する。
 理由はその破壊力だ。中間が5000だからそれを基準にするとしても危険極まりない。城壁が17枚弱破壊される計算だ。下手に最大威力なんか出さなくても城が吹き飛ぶ計算だ。
 だとしたら、城壁ではなく敵に対する攻撃として使うべきか、とも考えたが、赤髪ドワーフに聞いてみると、プレイヤーの方はともかく、ボスモンスターには爆発破壊耐性があるのが普通らしい。
「まぁ耐性っつってもノーダメってわけにはいかないけどな」
 赤髪ドワーフが言うには、ボスモンスターに限り、レベルに応じたダメージ軽減があるらしい。
 過去の検証では、レベルがそのままパーセンテージだと推測されている。99レベルならば、たとえ9999の破壊力だとしても101ダメージでしかないということだ。まぁあくまで推測なので、もっと低い可能性も高い可能性も捨てられてはいないのだが。
「つまりボスには無意味ってことか」
「あぁ。そうなるな」
 ふむ、と相槌を返し、俺はとりあえず渡されたギャンブルボムを手で弄んだ。

「――わかった。とりあえずこいつの使い方を教えてくれ」


 赤髪ドワーフの説明の受け売りをメンバー全員に伝える。
 ちなみに隠れ家からすでに出て、フィリスのバイト先の武器屋前だ。
 ふむ、とトラストが考えるように手を唇に添える。
――その仕草が完全に堂に入っている上、声もすでに完全に女性の声にしか聞こえない。もはや完全にトラストはネカマと化して――いや、最初からそのつもりでやっているのだろう。
 まぁいいか、と内心呆れつつ諦める。
 ちなみにトラストと俺のシフトは今週いっぱいは休みだ。
 所詮バイトでしかない仕事だが、休みでなければ今頃二人とも仕事の時間だ。
 現在時刻は日本時間で、夜が明けての9時。
 そして、ウェインから全員に配られたもうひとつの時計の時刻は2時。
――この時計が5時になるまでに城に辿り着き、6時に攻城戦を開始するそうだ。
 あと3時間。城に着くのに障害がなければ1時間せずに城に辿り着く。
「……とりあえず、起爆コードを何にするかだな」
 赤髪ドワーフの話では、起爆コード付の爆弾は起爆コードを設定すると設定した者が所有者になり、「特別な品物」となるそうだ。そして所有者でなければ起爆コードを発動できない。さらに起爆コードを設定後は外から爆発させることは不可能。特別な品物は解体も壊すことも不可能と言うことらしい。
「それを踏まえ、まずは誰が持つかだ」
 一番の問題を口に出す。

「アキラじゃね?」
「――アキラだろ」

 フィリスとアズレトが即答した。
「ウェインから託されたのがアキラである以上、私もアキラが持つのがいいと思うわ」
「うん、……同感」
 追随してリアが言い、それにカルラが同意する。
 一応リリーやトラスト、そして足元のムルに視線を向けるが、どうやら依存はないようだ。
「いやいや待て待て。それだと俺が死んだらコレ使えないだろ」
 第一の問題はそこだ。
 俺はこの中では2番目に最弱だ。さっさとやられてしまった場合爆弾自体が無意味になってしまう。
――さすがにそれは勿体無い気がする。
「いいんだよ、使うつもりはないんだから」
 フィリスがあっけらかんと言ってみせる。
「あくまでそいつは保険だし、――ってかそもそもアキラを死なせるつもりはないし」
「それに、咄嗟の判断能力の高さはこの中でアキラはかなり高いと思うわ」
 フィリスの言葉に続き、リアがそう言って肩をすくめる。
「――認めたくはないけれどね」
 持ち上げてから叩き落された。だが俺に貼られた「無謀」と言うレッテルがある以上、俺に反論の余地はない。
「……それなら、お前が持つことでお前を中心とした作戦を考える必要があるな」
 トラストがふむ、と各自に配られた城の内面図――皆がどの道を進むかを決めている間、赤髪ドワーフが各班に行き渡る数だけの地図を作っていたらしい――の道を指で辿る。
「道選びの時も言ったが、こっちの道でいいか?」
 言いつつ、2箇所壊すと玉座、という道筋を辿ってみせる。

 ムルが不思議そうな顔をし、疑問を口に出し、トラストが説明すること数分。

「――一枚の壁を自力で壊す、……ねぇ」
 ムルはどうやら正面突破組と合流するつもりだったようだが、明らかに俺たちの作戦に興味を示していた。
「確かに自力で一枚壊すだけの準備があれば……いやでもその準備がキツくない?」
 ムルの言う通り、当面の問題はそこだ。
 このゲームでの壁の性質がわからない以上、ただ破壊するという目的での準備はキツいような気がする。
「――初心者丸出しで申し訳ない質問なのだが」
 不意にトラストが声を出す。
「城と言うのはこのゲームのサービス開始から存在したものなのか?」
 どうやら、噴水付近に立っていた地図の、手書きでの「城」の文字が気になっているところから、ある程度の推測を立てていたようだ。
「いや、ギルド対戦が開始されてからプレイヤーたちが自力で建てたものだ」
 建築知識と技術、材料確保とその採取、いったいどれだけの苦労があったらあのデカい城が建つのだろうか。――さすがに今回の作戦は気が引けるな。

「ふむ、だとしたら城の外壁の属性はそのまま土というわけか」

 なるほど、と感心したような声がアズレトから漏れる。
「だとしたら水に弱いか?……いやそんな単純な話でもないか」
 水で崩壊する建物、なんて簡単な話があるはずがない。
 そもそも来年以降、天候を実装予定だと公式サイトにあった気がするから、それだと雨が降ったら城が崩れてしまう。
「そうなると――物理的に壊すしかないってことかしらね」
「――そうなると鎚とか……いやそれでも難しいぞ」
 リアやアズレトが難色を示す。
「じゃあさ」
 フィリスが背負ったタイ剣の柄を軽く叩きながら、
「一枚目を壊してみて無理なら――いっそのこと正面突破でどうよ?」
 正面突破。――フィリスは苦肉の策みたいに言っているが、俺はむしろそっちの方が成功率が高いんじゃないかと思いつつ、それでも策は練りたいなぁなどと少しだけ困った顔を向けてみる。

「……壁を、――壊せればいいの?」

 言いあぐねていたのか、カルラがぽそりと小さい声で呟く。
「――ん?カルラ、何かあるのか?」
 思わず反応してみると、全員の視線がカルラに集中した。


「城の壁が壊せるかどうかは、……わからないけど……」

 言いながら、カルラが振り返る。
――その様子に全員が絶句していた。
 小さく「奥の手だから」などと言いながら、カルラは少し俺たちから離れたところの壁を選び、軽く杖で小突いて見せたのだ。
「すっ……げぇ」
 結果は、その杖を中心にして、壁に巨大な穴が開いた。
「――モンスターには一切効果が、……ない、……から」
 言い訳でもするかのように、カルラが照れたようにぽりぽりと頬をかく。
 いや実際言い訳なんだろう。カルア唯一、内緒内緒の「奥の手」スキル。
「――って、一枚目をこれで壊せたら爆弾いらないんじゃ」
 ムルが思わず口にすると、カルラが首を振る。
 ぽつりぽつりと言うところによれば、効果は絶大だが2時間のディレイがあるそうで、滅多に使いどころもなかったんだとか。
 これで何とかなるかもしれない、と思いつつも、
「――一応、城の壁相手じゃダメだったときのことも考えておこう」
 相手はゲームマスターだ。
 ドッペルゲンガーを対象にやってみせたように、壁の構造をエンチャントで強化する、なんてこともあり得るかもしれない。
 ふむ、とトラストが呟いて、目を伏せた。
 そして一度地図をちらりと眺め、――そして口元に笑みを浮かべた。

「――こんなのはどうだろうか」



[16740] 35- 突入
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:6e68c083
Date: 2011/06/28 17:13
「――というのは可能だろうか」
 そんな言葉でトラストが言葉を締めくくるのを聞きつつ、俺は思わず呆れ果ててため息をつき、ついでにぼりぼりと頭を掻いた。
 どうせ俺にはそれが実行可能な案なのかどうなのかはわからない。回答は皆に任せよう、と思いつつ周囲を見渡し……

――おいおいおいおい。

 思わず、トラストの言葉を聴き終えた瞬間より絶句した。
 フィリスやアズレト、それにリリーやムルまでもが全員、真剣にそれを検討しているらしい表情をしていた。
 アズレトは手に持っている地図を見つめながら道を辿り、ふむと呟いた。
 まさかやるつもりなのかよ、と突っ込みを入れかけた瞬間、
「問題は山積みのようね」
 とリアが声を上げ、俺は思わずほっとした。つまり不可能だということだろう。本気で実行を考えているのかと思って心配したんだが。
「最低でも、――正面突破組に迷惑。……それから」
「司令塔であるウェインにもだね」
 カルラの言葉に続け、フィリスが呟くように言って、呆れたように首を振る。
 司令塔であるウェインに迷惑がかかる、と言うのは、言ってしまえばこの作戦に携わる全員に迷惑がかかる、ということでもあるのだがそれを口にしないのは敢えてだろうか。
 それとも、
「……司令官に負荷がかかってしまうのは確かに問題ではあるのだが、」
 ヤロウわざわざ口に出しやがった。つーかコイツのことだからきっと全員に迷惑がかかるということまでしっかり考えた上で提案してやがるんじゃないだろうか。
「――この作戦の良い点としては、すでに作戦として決められていることと平行して行うことができるという点にある」
 確かに、今さっき聞かされた提案は、すでに立てられている作戦の補助に過ぎない。そして、
「何より正面突破組がただの捨て駒にはならない」
 しかもそれでいて、この作戦だけを単発で実行したとしても、成功すれば確かにプレイヤーの勝利と言う形にすることが可能だ。
 ゲームマスターは両方の作戦を、あわよくば――あくまでプレイヤーにとっての「あわよくば」――同時に阻止しなければいけない。
「どうする?――やってやれないことはないが」
「あぁ、あくまで素人である1個人の無謀な作戦だと思うのであればあっさり却下してくれて構わない。ただ意見を聞きたいだけなのでな」
 アズレトの言葉に、トラストが顔の前で手をぱたぱたと振って謙遜する。
 本人はああ言っているが、俺が思うに実行は可能だ。
「山積みの問題をひとつづつ片付けましょう。……実行するかどうかはそれ次第ということでいいかしらね?」
 リアの言葉に、リアを除く全員が首肯した。

――てかやる気なのかよ。


 残り時間があと2時間ちょっと、ということも考慮し、俺たちは城に向けて歩き出した。
 唯一空の移動が可能なリリーは物資の調達。3箇所を回って調達し、1つでも無理なようならその場でこの作戦は諦める。
「頼むわね」
 リアが、財布であろう革の袋をリリーに渡し、渡されたリリーは頷いた。
 ムルはパーティーの護衛だ。すでに炎の狼を10体出し、そのうち1匹の頭の上にちょこんと腰を下ろしている。
 複数体の狼は、ムルの乗ったヤツの周囲に他のメンバー全員を囲む陣形を取っている。
 もっとも周囲に警戒できる形――ただし操作が異常にムズいらしく、ムルは少しだけ渋った――なのだそうだ。
 ちなみに、ムルにはこの狼全部の視界を共有できるらしい。俺にはどういう状況なのかわからないが、一匹づつではなく、すべての視界を同時に共有し、異常があればどの狼の視点に異常があるのかも把握できるのだそうだ。
 リアとアズレトは他のパーティへの伝達と言うか「進言」だ。こっちが失敗した場合も、リリーを呼び戻してこの作戦は諦めることになる。
 他のパーティの承認とリリーの物資調達が成功して初めてウェインに作戦を伝える。その後、ウェインによって各パーティへもう一度作戦の実行が伝達され、そこでようやく作戦の実行が決定される。――それまではあくまで「ただの作戦案」であることを各パーティへ伝言するのもリア、及びアズレトの「進言」の内容のひとつだ。
 カルラとフェリスは、ムルの狼が万一突破された場合の、警護役だ。
 俺とトラストは特にすることはない。――呪文の契約をしていないトラストはともかく、俺は呪文でも覚えながら行くことにするか。


 城に辿り着き、ムルが溜息を吐いて狼を消した。
「ご苦労様」
「まったくだよ」
 リアの微笑みに苦笑を向けながら、ムルはその場に寝転がった。
「――ちょっと落ちつつ回復するから、ボクを守っててくれる?」
「あいよ、任せときな」
 フィリスがにっ、と笑みを向けると、ムルは「よろしく」とだけ呟いて大の字に寝転がって寝息を立て始めた。
 リリーの連絡はないが、リアとアズレトの「進言」は上手く終わったようだった。
「遅いね」
 フィリスが時計を見つめて呟く。
「さっき、……あと10分くらいで着くって」
 カルラが言うと、フィリスがあぁ、と納得したように呟く。
「買えたって?」
「うん、……みたい」
 うへぇ、と思わずげんなりして、俺はトラストの方を横目でちらりと見、その表情が微笑の形で固定されているのを見て溜息をついた。

――突入まで、……あと1時間半だ。

「――ウェインに連絡を取ってもらってもいいかしらね?……アキラ」
「俺かよ」
 思わず苦笑しながら呟いて周囲を見る。
「ん、当たり前じゃん」
 フィリスが表情でも当たり前じゃんと言いながら、俺に視線を向けた。
「そうだな、当たり前だ」
 アズレトは苦笑を向けながらも同じ言葉を呟いた。
「どうして俺なんだ」
 思わず呟くと、え?とリアとフィリスがこちらを見た。

「――だってお前リーダーだろ」

 イシュメルの言葉に目が点になる。
「ちょっと待て聞いてないぞいつ決めたンなこと」
「あぁスマン言い忘れてた」
 アズレトが笑いながら、少しも悪そうに思っていないようなセリフを吐いた。
 聞けば俺が赤髪ドワーフと話していた間に決めたらしく、俺とトラスト、そしてイシュメルは最後尾で指令、及び警戒を担当することになったらしい。
 そして、その3人の中でリーダーを決めることに俺を話に加えないまま勝手に決め、イシュメルとトラストの強力なプッシュで俺がリーダーということに勝手に決めたらしい。
「――いや、冷静な判断力ならトラストの方が上だろ。それにゲーム歴ならイシュメルの方が上だし」
 すでに決定事項と化してしまっているらしいリーダーを何とか変えることができないかと反論を試みることにした。
「判断力や計画力でならお前に劣る気はしないが、……突発事項に強いお前の方がリーダーにはうってつけだと思うのだが」
 口論や論議において、トラストには何を言っても勝てる気がしないのはいつものことだ。現にすらすらと反論を述べるあたり、俺が反論することもお見通しの上、その反論をとっくに考えていたに違いない。つまり、こっちに何を言っても無駄だということだ。すでに俺の言ってくる言葉程度ならシュミレート済みで、それに対する答えも当然決めているだろう。黙示録だけではなく、コイツに俺は口論で勝った覚えがない。
「――ゲーム歴は確かに俺の方が上だが、俺の専門は弓だ。後衛に徹したい」
 イシュメルの言葉通り、弓で形だけでも戦闘に参加できるのであればそっちに徹してもらった方がいい。場合によってはモンハウ状態――敵が同じ所に固まっている状態――の敵をこちらに引き付けて「散らす」ことのできる「弓」は、全体を見渡す余裕があるかと言えば確かに難しい。
「むぅ、俺でいいならやるけどよ、初心者にンな大役任せて、」
「いいんだよ」
 フィリスが俺の言葉をすっぱりと遮る。
「どうせ魔法も剣も、マスター相手じゃ格が違いすぎてアキラじゃ無謀が関の山さ」
「そうね。……今回はその無謀が通じる相手でもないわけだから」
 ぐっ。……返す言葉も見付からない。
 カルラが俺のその表情を見て、くすりと微笑する。
「――ドッペルの、……対処は素晴らしかった、――から」
 言葉を選ぶように途切れ途切れに、それでもカルラは言葉を続ける。
 俺のあの無謀を「対処」として評価してくれている、と言う言葉は、少なくともカルラからは初めて聞いた。
「期待……、……違う、――私たちは、……アキラがリーダーならいいと、」
 どう言えばいいのか迷っているかのように、カルラが言葉を選び、ゆっくりと俺の顔に目を向けた。

「――希望、……する」

 俺がリーダーであることを希望する、――そう言い切り、カルラは再び俺に微笑んだ。
 一応他のメンバーを見回すと、フィリスもアズレトもリアも、俺の返事を待つかのように俺に視線を向けた。
「ま、さっきも言ったが……まぁ俺でいいならやるけど、あんまり期待はしないでくれよ」
「しないしない。何しろ無謀だからな」
 言って、イシュメルが俺の背中をぽん、と叩いた。


 地図を片手にトラストの作戦をウィスパーで軽く説明する。
『――それは真面目な作戦か』
 向こうも地図を片手に聞いているのだろうウェインの声から、乾いた驚きを感じつつ、俺はそれを肯定した。
「トラストの案なんだけどな」
 すでに準備を進め、あとはウェインの承認待ちであることと、各ルートのリーダーに伝えれば作戦が実行されることを伝えると、ウェインは少しだけ考えるように唸り声を上げた。
『作戦の実行は構わない。――今回の作戦には支障はないのだろう?』
「ないと思うが、多分」
 俺に自信はない。自信があるのはこの作戦を立てたトラストだ。
「――トラストの考えだからな、多分信用していいだろうと思うぜ」
『ふむ、まぁメインの作戦は彼女の案だから問題はないだろう』
 言ってから、ウェインは笑いをこらえるような声を出した。
『大変だが、……まぁ了解した。その作戦は効果的だ。突入案を一度検討してから全パーティリーダーに一斉ウィスパーで流す』
「わかった」
 言ってウィスパーを切り、時計を見る。
――あと、30分。
「どうだって?」
 いつの間にか――おそらくウィスパーで話してる間に――帰ってきたリリーが、俺にアイテムを手渡しつつ聞いた。
「――作戦は実行可能、突入案を検討してもう一度連絡する、だそうだ」
 すでに全パーティにこの作戦案が伝わっている。ウェインが突入までにウィスパーで指示を与えれば即座に作戦開始だ。


『――ウィスパー、リナ=セラ』
 不意に、ウィスパーでウェインの声が流れる。
「お」
 思わず声を上げる。メンバーの全員がこっちを向くのを感じつつ時計を確認する。突入2分前だ。
『遅くなってすまなかった。トラスト嬢の考えた案より少しだけ効果的な突入を考えていた。……アキラ、すまないが彼女にこの案を伝えてくれ』
「面倒だから本人にもウィスパーを通してくれ」
 一蹴すると、ウェインは微かに笑いを返し、『ウィスパー、トラスト=レフィル』と呟いた。
『少し時間が押すが聞いてくれ』
 地図を見ながら聞いているうち、確かにトラストの案よりも「少しだけ」、ウェインの案が効果的なことがわかる。
「少しだけ時間をもらっても?」
『あぁ、構わない』
 トラストがふむ、と呟きながら地図に指を這わせる。視線が地図の上を、指を無視して動く。
「――なるほど、確かにそちらの方がいい。その案でお願いしていいだろうか」
『ではこの案で』
 とウェインが呟く。
『では各自、突入の準備を終えたら作戦開始だ。敵との遭遇での負傷・死者の情報は――』
 不意にウェインの声が途切れ、そして笑いが漏れた。
『――わかったよ、わかり切ったことを繰り返す必要は確かにないな』
 どうやらどこかのパーティが、口上が長いとでも言ったらしい。

『では行こう、各自突入開始』

 その言葉とともにウィスパーが切れた。
「さて、俺たちは多少ゆっくりできるわけだが」
 言って振り向くと、
「何言ってる。こっちには初心者が二人もいるんだ。低レベルの数は3人だしな」
 イシュメルが腰を上げつつ呟いた。
「――そうだな」
 言って、地図を丸めながらトラストが呟いた。
「タカを括って遅れました、じゃあ、作戦立案者として申し訳が立たない」
 言って、そこにすでに見えている、「2の入り口」に視線を流す。
 他のメンバーも同じ意見のようだ。――まぁ俺も言ってはみたもののゆっくりするつもりはないんだが。

「じゃ、行くぞ」

 言うと、ムルが周囲に狼を展開した。
 後方の警戒に1匹を残し、残りの視点を全て前方に集中した、通称「突入型」と言う配置なのだそうだ。
「上から来るガーゴイルの警戒は後衛陣に任せるからよろしく」
「おう」
 イシュメルが言い、俺たちは入り口へと歩き始めた。



[16740] 36- 開戦
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:baba9bf0
Date: 2011/08/12 04:17
 城に入る前から内心何とエンカウントするのかと内心ビクついていた。
 最初は恐々と、少しずつ1歩ずつ、ゆっくり慎重に進んでいた俺たちだったが、次第に曲がり角でのみ緊張するようになり、それも緊張しなくなった。
「――出ないなぁ」
 フィリスが気の抜けたような声を出す。
 これが俺たちを油断させるための罠だとしたら、ことフィリス相手になら大成功だ。一応警戒はしているが、緊張感などかけらもない。
 とは言っても、もうすぐ爆破地点まで到着しようと言うのに、敵モンスターどころかガーゴイルの彫像すら見当たらないのはどういうことだ。

「……狙いは意図的なモンハウか」

 声に出して呟くトラストに、思わずぎょっとする。アズレトも同じことを考えていたようで、首を縦に振った。
「――だろうな。……俺がゲームマスターの立場ならそうする」
 攻城のつもりで攻略しようとしていたら、敵の思うツボってやつだ。
 攻城であれば普通、そもそも玉座に辿り着かせることすらよしとはしないだろうが、今回のゲームマスターの目標は「プレイヤーの全滅」であって、玉座を守ることではない。最悪、城を捨てて逃げ出せば次のチャンスはやってくるってわけだ。
 とは言え、それがわかったからと言ってどうしようもないのは事実だ。
「とりあえず、カルラの『奥の手』で爆弾が不要になるなら不要にした方がいいよな?」
 俺たちの持つ爆弾は実質1つ。俺の持つ博打爆弾はよっぽどのことがなければ使わない、……いやむしろ使うなと全員から釘を刺されている。
「『迷路』に変更点はなし、か」
 城の内部そのもの――特に迷路の部分が作り変えられている可能性もあったが、地図と照らし合わせて進んでいる限りで、今のところは目立った違いはない。
「――この壁だね」
 フィリスが、壁のひとつに手を触れる。第一関門。カルラにこの壁が壊せない場合、ちょっと面倒なことになる。
「カルラ、よろしく」
 言ってカルラに道を譲ると、カルラはゆっくりと近付いて杖を構えた。
「――壁の向こうにモンスターうじゃうじゃ、って可能性もあるから気を付けろ」
 一応全員にわかりやすく最悪のパターンを口に出してやると、全員がそれぞれ慌てた様子もなく武器に手をかけた。
 カルラが、それを確認していたのかわずかに頷いて、壁を杖で軽く叩く。そしてその結果も確認せず、踵を返してパーティの真ん中へと駆け込んだ。
   ぴしっ。
 音を立てて壁に亀裂が入るとほぼ同時に、下の方からがらがらと音を立てて壁が崩れ落ちた。土煙がわずかに視界を曇らせるが、崩れた壁の向こうから何かが飛び出す気配はない。
「――ふむ。徹底的に玉座をモンハウにしているのかもしれないな」
 だとしたらかなり厄介だ。
 タイラントに、俺は見ていないが回復を扱う「本のモンスター」が20体。
 本のモンスターが回復を扱う条件で他のモンスターがうじゃうじゃと召還されているとしたら、そのモンスターたちにも回復魔法の恩恵があるということにもなる。
「最優先は『本』?」
 フィリスが、やる気満々と言った表情で聞いた。
「『本』は……いや、『本』は引き付けて散らそう」
 最初に玉座に突入するのは俺たちではないが、決められた順――ちなみに2番目だ――に突入するのならば、相手の配置次第で十分可能だ。
……しかしそれが20体。こちらの引き付けに果たして乗ってくるかどうか、という問題も残っている。
「行動パターンは『何もしない』と『回復魔法』だったかしらね?」
 だとしたら、最悪引きずって玉座の間から連れ出す、と言うのは……いやさすがに無理か。

『準備はいいか』

 考え事をしている間に、ウェインからの『声』がかかる。
 気が付けば、すでに玉座まで壁1枚だ。
「あぁ、あと壁1枚で玉座だ」
 応えると、パーティの視線が俺に集中した。
『あとは4番パーティが辿り着けば作戦開始なんだが』
 4番と言えば、行き止まりすらなく玉座まで辿り着くはずの単純な道だったはずだ。
「4が一番遅いってどういうことだ。狙われたか?」
『いや、パーティリーダーとは連絡が取れてる』
 聞けば、全員無事ではあるものの、一人がリアルで呼ばれてログアウトしたため、それを待っていて少し遅れているのだとか。
「……リアルの事情じゃしょうがないな」
『まぁな――お、着いたか』
 意外と早かったな、と皮肉を呟きつつ、ウェインが少し笑う。
「――そういえば、ウェインはどの班だっけか」
 肝心なことを聞き忘れた。
『俺か?……俺は5番パーティだ』
 あぁ、あの当たらず障らずの微妙な道か――とは思ったが、2番の道とそう大差はないのでとりあえずは黙っておくことにした。
『では行くぞ。最初の爆発から7秒後に点火してくれ』
 点火してから3秒で爆発、というのは出発前にアズレトから聞いている。
 一番敏捷が高いと思われる、フィリスが点火役だ。

「フィリス、7秒後だ。頼んだ」
「――おっけー、任せとけ」

 最初に爆破されるのは7班と6班。
 俺たちと正反対の方向から爆破されるが、その音が届かないことはない、とウェインが言っているから問題ないんだろう。
   ――ォォン
 かすかに聞こえる爆破音。
 頭の中でカウントダウンを開始する。
――4、3、2、1。
 フィリスが、俺の頭の中のカウントダウンより少しだけ早く火を付け、こちらに向かってダッシュで走り込み、アズレトが構える盾――ちなみに盾を使うのはこの一瞬だけで、ここに捨て置いて後で回収するらしい――の後ろに滑り込む。
 直後。
   ずがァんッ!
 鋭い爆発音と同時に、フィリスがアズレトの盾を跳び越え、再びダッシュをかけた。
 土煙というか爆発の煙というか、思わず咳き込みそうになるほどの煙の中、フィリスの剣だろう、一瞬光るものが見えた。
「――行くぞ」
 アズレトが盾をその場に放り、フィリスを追って走った。
 続いてムルの狼がムルを頭に乗せたまま、2匹だけを残してその後を追うのと同時、リリーがその上を飛翔し、追い越して飛んで行く。
 カルラとリアがその後ろを追い、俺たちはさらにその後ろに続いた。ちなみにムルと俺、イシュメルの3人は玉座直前からの援護だ。トラストは見学。

 玉座の間に突入すると、そこには予想以上の光景が待っていた。

「――うへぇ」
 思わず声を上げる。
 雑魚ボス問わず、見える範囲だけでも数十匹単位のモンスターだ。
 中にはスライムや、果てはフライトバグまで見える。かと思えばその横に巨大な蛇の鱗が見えるし、それが動いて見えた先にも違う色の鱗が見えた。
『どうした』
 ウェインから返答が返り、思わず「すげーモンハウ」と一言で状況を説明してやると、ウェインが囁きの向こうから苦笑を漏らす。
 と、予定通りに正面隊が突入してきた。
――タイラントと『本』は……、と視線を巡らせ、
「――2班伏せろッ!」
 視界を遮る土煙の向こうに見覚えのある4本腕、そして横に水平に振り上げられた両腕を見つけ、思わず叫んで地に伏せる。
 カルラがトラストの頭を引っ掴んで地面スレスレまで頭を下げさせたその瞬間、俺たちの頭上スレスレを炎がジェット機のような轟音を上げて通り過ぎ、俺たちの背後にあった壁が大きな音を立てて崩れ落ちた。

 いきなり「激昂の遠吠え」だ。

 伏せろと叫んでからわずか1秒足らず。一番前にいたにも関わらず瞬時に伏せたフィリスを化け物かと賞賛したいところだが、そのフィリスよりも先に頭を下げ切っていたアズレトを本物の化け物だと俺は賞賛する。
 さらに、伏せたフィリスの左右から襲い来る4枚の刃。
 だがフィリスは右の2枚の刃に自らのタイ剣を叩き付け、さらにその反動を利用し、左から来る2枚を足からスライディングの要領で避け、その勢いのまま滑り込んだ先にいたフライトバグにタイ剣を叩き込み、文字通り「叩き斬」った。
「あっぶね」
 まぁフライトバグごとき程度なら楽勝なのだろうが、それでもボスを相手にしているにもかかわらず軽口を叩く程度には余裕らしく、フィリスはタイラントから視線を一瞬逸らし、黒い狼のようなモンスターを蹴り飛ばしつつ「本」を確認する。その視線を追って俺もそれを確認し、――思わず舌打ちした。
 見える限り、その「本」の位置は絶妙だった。タイラントだけに集中して固まっているわけではなく、部屋全体に散らばって存在しているらしい。
 さっき部屋に飛び込んだ時に倒し損ねたのか、数匹のモンスターに2匹ほどが献身的に回復魔法をかけて回っている。
 タイラントの遠吠えに巻き添えを食ったのか、慌てた様子で開いたり閉じたりしていた数冊もすでに回復してもらったのだろう、回復役に復帰している。

『作戦通りに』

 ウェインたちと立てられた作戦は、トラストの一言を軸に作られた。
「城を守る気がないのであれば、いっそ城の壁を破壊しつつショートカットで突き進むというのはどうだろうか」
 トラストは、本来なら守るべき城の壁を一直線にブチ壊して進めないかと提案したのだ。
 これは攻城戦ではない。攻城戦では、落とした城を把握し、その城を次は死守しなければいけない。つまりあの迷路を壁を破壊せずに抜け、その要所要所にいる敵を倒して進み、玉座を奪い取らなくてはいけない。
 だが今は違う。落とした後の城を考える必要はない。自分たちが落とした城を守ることを考える必要がないのだ。だから攻略に適した形で城が破壊されていても何の問題もない。
――などと考えているうちに爆弾による煙は徐々に薄れ、ようやく玉座の間の全体が見渡せるようになってきた。

 玉座はモンスターでひしめいている。――まるで朝の都会の満員リニアだ。よくもこれだけのモンスターを召還したもんだと敵ながら感心する。
 ホワイトファングなどの雑魚だけは俺たちでも何とか倒せるとしても、それ以外の……よくわからない敵どもが邪魔でどうしようもない。
「イシュメル、雑魚を頼む!」
「任された」
 フィリスの声に、イシュメルがいつの間にか番えていた矢を放つ。狙いはそこら中にアホのようにいるフライトバグか。
 確か前に一撃で倒せると豪語していたから余裕か、と思っていると、1匹だけが矢を浴びたにも関わらずこちらに向かってきた。
「――おい、まさかあれ」
「……やっぱり混じってた」
 引き攣った声で言うイシュメルと、覚悟していたかのように言うムル。
 フライトバグの、その蚊か蝿に似た姿と瓜二つのそれから、そいつの名前は容易に推測できた。

「ベルゼブブかな」

 ムルの一言で推測は確信に変わる。
 蝿の王ベルゼブブ。確か攻略サイトで見た限り、弱点は炎だったか。虫だもんなそうだろうなと思った覚えがある。
 だが、他のモンスターが吹く炎を平然とシカトしているのはどういうことだ。
 さっき、『本』がタイラントの遠吠えの巻き添えを食らっていたから、他のモンスターの攻撃が当たらないということはないはずなんだが。
「火が弱点じゃないのか?ベルゼって」
 思わず口にしてやると、イシュメルがあぁ、とこともなさそうに呟いた。
「亜種なんだろ」
「――亜種?」
 そんなものがいるなんてのは初めて知った。
「モンスターの中には、たまに弱点とかクリティカル率が通常の固体と違うのも出るんだ」
 それが亜種だ、とイシュメルが説明する。
「――つまりなんだ、アレは」
「火が弱点じゃないベルゼブブってことだろ」
 こともなさそうに言うイシュメルだったが、その顔は明らかに引きつっている。
「ムル、行けるか?」
「お安い御用……ってわけにもいかないかな。さすがのボクでも普通なら逃げてる。おまけに火が弱点じゃないって何さ……」
 普通なら、そう呟くムルはそれでも、両手で左右1匹づつの狼を操ってけしかけると、その間に両手を合わせるようにしながら何やらブツブツと唱え始めた。
「前衛、伏せさせた方がいいか?」
 思わず尋ねると、ちらりと俺に目配せをしたムルは呪文も止めず、首を振ってその返事に変えた。
「ラッティアスは器用だからな、まぁ見とけ」
 イシュメルが少し安心したような、それでもまだ不安は残っているような顔を見せる。
「育てたことがあるのか?」
「――あるが挫折した。サードキャラだったがやり込まずに消した」
 イシュメルが苦笑する。ムルを見て一度はやってみたいと思っているんだが、やはりアレは苦労するものであるらしい。
「……興味があるなら種族パスくれてやろうか」
「種族パス?」
 聞き返すと、「まぁその話は後だ」とイシュメルはムルの方を指さした。
 視線をムルに戻すと、すでにムルの攻撃は始まっていた。
「何だありゃ」
 赤い、……あれは炎だろうか。糸のように細いモノがベルゼブブの動きを制限していた。
 そのせいで動きにくいのか、炎の狼にいいように齧られつつ、それでも必死の抵抗を見せるベルゼブブ。
「……操るのも至難なら、相手の動きをあれだけ制限するのも至難だぞ」
 羽は根元から動きを封じられ、足というか手というか、とにかく手足は2本、根元から折られている。
 相手が虫なだけにちょっとグロい。モザイクかけるほどでもないが、虫が嫌いな人は直視するのも嫌だろう。

「――そろそろ来るぞ」

 イシュメルの言葉に警戒しつつその戦いを見守っていると、ベルゼブブがその動きをぴたりと止めた。
「来る」
 ムルが緊張した声で言い、「2班後衛陣逃げるからよろしく!」と前衛2人に声をかける。
 黙って見守っていたカルラやリアも、すでに逃げる準備のつもりか杖を構えつつ、目はベルゼブブから離さない。
「何が来るんだ」
「弱点知ってるなら技も知っとけ。――いいから来い!」
 イシュメルが言い、ムルがそれを合図にしたかのように糸を引いた。

――瞬間。

 ベルゼブブの体が、粉々に砕け散った。
「……ッ、逃げろ!」
 イシュメルがそれを確認するなり叫び、ダッシュで迷路を走り始めた。ムルはイシュメルを尻目に、一瞬送れて別の道へと走り出す。
 何が起こっているのかわからず、むしろ倒したんだとほっとしていたところに浴びせられたイシュメルの言葉に戸惑う俺だったが、数秒遅れて砕け散ったベルゼブブの「技」に気が付いた。
「――ッッ!?」
 思わずイシュメルの逃げた方へと猛ダッシュしつつ、無駄だと思いつつそれでも覚えたての呪文を走りながら詠唱する。詠唱するのはいいがかなりキツい。
 ちらりと振り向いて、即座に俺は後悔した。

 ベルゼブブは砕け散ったのではない。無数の羽虫に分裂し、分裂した羽虫が霧のように追いかけて来ていた。

 その黒い霧が俺のわずか1メートル弱程度の背後に差し迫っている。
「ちょっ、これどうすりゃいい!?」
 思わず詠唱を中断してイシュメルに叫びつけると、
「何で詠唱止めんだよとにかく逃げろスキがあったら魔法でもぶちかませ!」
 先を走るイシュメルから罵倒にも似た助言が返る。
 カルラやリア、そしてムルは別の道に分かれて走ったらしく、今この道には俺たちしかいない。
「地図は頭に入ってるのかイシュメル!」
「――知るか!詠唱しながらナビれ!あとファイアー頼む!」
 無茶を言いつつ走るイシュメルだったが、それでも手に持つ弓を引き絞ると、ちらりと俺に目配せをした。
 悟れってことだろう。言われなくてもわかっていることは1つ!
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、』」
 そこまで唱えて呪文を止め、曲がり角の壁を手で引っ掴み、勢いだけで曲がる。
 瞬間、イシュメルが引き絞った弓をこちらに向け、矢を放つ!

「『ファイアー!』」

 放たれた矢に集中しつつ呪文を完成させると、矢は炎を纏いつつ俺の頭の上スレスレを通り過ぎる!
「――ッ、っぶねぇな!」
 焦げ臭い匂いを感じた気がして思わず叫ぶ。
 背後で無数の、何かが燃える音がしたが振り返る余裕なんかあるはずもない!
「当てねーよ俺は弓特化だッ!」
「レベル俺と一緒だろ!まだまだ信用なんかできるか!」
 矢を放った瞬間、イシュメルが足をもつれさせつつ身を翻し、再び走り始めた。
 それにしても他のメンバーはどうしているだろうか。
 一応ウィスパーは接続しっぱなしだが、そこから聞こえる息遣いだけでは状況の把握もクソもない。
 誰かが詠唱するような声は聞こえているが、それが誰かなんて考える余裕など微塵もない。
「アズレト!フィリス!まだ無事か!?」
『――おう!』
『誰に物言ってんだい新米が!そっちこそ無事なら指示くらいしなリーダー!』
 アズレトと、少しブレたフィリスの声が同時に頭に響く。
「状況は!?こっちはベルゼに追われてそこにいない、すまん!」
『よりによってベルゼっ!?何してんの馬鹿!』
『フィリス、こっちはいい。ベルゼを片付けてこい!』
 頼もしいアズレトの言葉が聞こえるが、ベルゼを引き付けられるなら、俺たち二人が死んだ方がマシな気がする。
 下手にフィリスが援護に来てアズレトが負けたら、それこそ目も当てられない。
「――いや、そっちはそっちの倒してくれ!俺ら雑魚二人でベルゼ引き付ける!」
『雑魚二人ってまさかお前とトラストか?』
 うげ、とフィリスが苦笑する。
――そういえばトラスト見てないな。どこ行ったんだアイツ。
「いや俺だ、トラストの嬢ちゃんはベルゼから逃げる直前に壁にこっそり隠れて手を振ってるのを見た」
 うわぁ。――いつの間に。
『こちらトラスト、アズレトさんとフィリスさんの二人の戦いを観戦させてもらいつつ隠れてるところだ』
 思わず「卑怯者」と呟くと『褒め言葉と受け取ろう』と返事が返り、ウィスパーごしにカルラとムルの笑い声が響いた。
「――リアは?」
『心配されなくても大丈夫よ。私はゲームマスターと一騎討ち中』
 リアの言葉に、『ちょ』と慌てたようにフィリスの声が響く。
『マジだ、いた』
 アズレトの位置から見えているのか、呆れたように呟くアズレト。
『――でももう無理ね。MPもHPもアイテムも限界よ』
 どうやらリアは押されているらしい。というかMPも枯渇しているなら魔法も使っていたのだろう。呪文詠唱はリアの声か。
「離脱は無理か?」
『リリーかカルラがいれば可能は可能ね、でもあの二人はここにはいないわ』
 あっさりと諦観したような言葉が返る。――くそ、考える暇もなく走らないと追い付かれるってのに!
「別の班は?」
 ゲームマスターがいるところ、ということは玉座の間だろう、そう当たりを付けて聞いてみる。
 実際、突入してから他の班とは連絡を絶っているから、他の班の行動が全くわからないが、玉座であれば他の班のメンバーはほぼ全員そこにいるはずだ。

『――死亡前に言っておくわね。4番パーティのリーダーはドッペルゲンガーよ』

「ッ!?」
 思わず絶句する。
「ちょっと待て、……ってことは」
『4番パーティは玉座の間に辿り着くことなく全滅していたということね』
 確か4班は遅れて到着したはずだ。
――ということは、道中で4班のリーダーが他のメンバーを倒し、単身で玉座の壁を爆破したということだろう。
『ついでに言っておくけれど、そのせいで玉座にはほとんど生きたプレイヤーはいないわ』
『最悪だな』
 トラストが呟いた。
 そう、これは最悪の展開だと言えるだろう。

『作戦は全部筒抜けか。――どうする、アキラ』

 作戦が筒抜けなら、それを逆手に取るしかないが、相手はウェインのキャラクター名を当然知っている。ウィスパーでも口頭でも、この先全ての発言は筒抜けだと思っていいだろう。当然、ウェインに作戦の立案を言うこともできない。
「――トラスト、何か案は出ないか!?」
 全力疾走のままちらりと振り返り、ベルゼとの距離を確認する。
 火矢の攻撃で少しは引き離せたのか、距離はおよそ2メートル弱。
『突発事項が多すぎて整理しきれない。時間がかかるが構わないか?』
 絶望的な言葉だが、逆に言えば時間を稼げば何か思いつくかもしれないということか。
「――ッ、ムル!カルラ!どこにいるか教えてくれ!」
『ボクは途中でベルゼ振り切って戻るところ』
 あっさり返答が帰ったのはムルだ。
『――、わからない』
 どこかで道に迷ったのか、カルラが申し訳なさそうに呟く。
「リリーは!?」
 そういえば逃げる前から姿を見てないな。
『私は他の班の救護よ。例の作戦用のストックは確保してあるけど』
 他の班。多分ウェインの5班あたりの線が濃厚だろう。
「――そこにウェインはいるか?」
 足は止めずに言いつつ、
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、』」
 今度はイシュメルがちらりと俺を確認し、弓を引き絞る。
『あ、』
 一瞬カルラの声が聞こえた気がしたが、今はそんな場合ではない。
 相変わらず正確なイシュメルの矢が、俺の顔をかすめそうな勢いで風切り音を立てつつ通り過ぎた瞬間、俺は矢に集中して振り返る。
「『ファイアー!』」
 あれだけの羽虫の大群相手じゃ、今できることはせいぜいこんなもんか、と思った瞬間。

「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、フレイム!』」

 聞き覚えのある声とともに、背後で轟音とともに熱風が吹き荒れた。
 ほとんど転びそうになりながらも立ち止まると、キャンプファイアーにでも突っ込んだかのような音をじゅうじゅうと立てて虫のほとんどがその炎に焼かれるのが見えた。
「――カルラ!」
 声は思った通りカルラだ。
「おい、ベルゼの残りを叩いてからにしろ」
 言ってイシュメルが矢を放つ。
 数匹の羽虫が炎を逃れたのか、それでも混乱しているようにその矢から逃げ惑う。
「――いやいい、ベルゼはほっとけ!リアを救助に行くぞ!」
 イシュメルは驚いたような顔をしたが、思い出したように「わかった」と呟いた。


 来た道を引き返して数分。
 途中リアの生存を確認しつつ、全力疾走で玉座に向かう。
 ゲームのシステム上の「疲労」なのか気のせいなのか、走るスピードが行きより遅い気がする。
「アズレト、フィリス!無事か!?」
『だから誰に物言ってんだい新米リーダー!』
 相変わらず元気なフィリスの声が響く。
――が、アズレトの返答がない。
「アズレト!……ちょ、おい!」
 まさかやられたのか、と血の気が引く。
『――、アタシのとこから見えればいいんだけどね、ちょっと見えない、っていうかそれどころじゃないわ、ごめん!』
 さっき元気だと思ったフィリスの声も、注意して聞いてみれば心なしか疲弊している気がする。
「……トラスト、アズレトは見えるか」
 唯一安全圏にいるはずのトラストにも声をかけるが、
「――、おいおい」
 トラストからも返答なしだ。いや、アレや俺やイシュメルが生き残っている方が不思議なのか。
「リアは大丈夫か」
『ええ。本当にギリギリではあるけれど』
 ふぅ、と溜息に似た呼吸をしながら、リアの返答が返る。
――というか、無理と言ってから10分近く。それでも粘っているのは根性なのか余裕を見て言ってたのか。
 リアの声を聞く限り、エンチャントで攻撃を防ぐのが手一杯のようだ。それでも天下のゲームマスター相手にそら恐ろしいと思うのは俺だけだろうか。
「こっちはもうすぐ着く、何とか持ち堪えてくれ!」
 あと少し。
『HPもギリギリね。間に合うかしら?』
 くすり、とリアが笑う。
「――もう全力で撤退していいぜ。万一死んだらごめん!」
『了解。ゲームマスターさん、悪いけれど私の負けよ。逃げさせてもらうわ』
 わざとなのか余裕なのか。そんな風に宣告されたら逃がしたくなくなるだろ、とは思ったが、何か考えがあってのことかもしれないので黙っておく。
「――ムル!今どこだ!」
 そう言えば発言がずっとないムルを呼んでみる。
『――ごめん、多分そっちには戻れない』
 返った返答は謝罪。何があったのか、と聞くまでもない。
 ムルはムルで戦闘中なんだろう。
「何と戦ってるかだけでも教えてくれ」
 少しだけ返事もなく、焦ってもう一度声をかけようとした瞬間、

『――4班リーダー、かな?』

 最低な返答が返る。
『アキラ、ムルを優先して援護して来い!』
『ダメだ。ボクのところに来たらリアが死ぬ!』
 あぁくそ、どっちも正論だ。選んでる暇もないってのに。
「ムル悪い、――リアを優先する。できれば死ぬな。死ぬなら一言言ってくれ」
『わかった。ダメだった場合はごめん』
 くそ、状況が把握しきれん。
 アズレトは何と戦ってたんだっけ?確かフィリスはタイラントとサシで戦ってた気がする。化け物だ。
――そうだ、思い出した。
「アズレトは確か『本』か」
 となると、あんなのに負けて死んだと言うのは考えにくい。だとしたら、何か都合があって声を出さないんだろう。
 そうなると、一緒になって声を出さないトラストも同じか――と推測する。
 息を潜めて何かを狙っているんだろう。
『うわッ!?』
 フィリスが焦ったような声を出す。
「どうした!」
『何でもない、ただの不意打ち激昂だ!』
 何でもなくない。あんなのとサシで戦うとか正気の沙汰じゃない。
「――もうすぐ着く!」
 見えた。玉座まであと少し。

『あぁくそ、回復がウザい!』

 イラつくフィリスの声が聞こえるのとほぼ同時に、俺はフィリスの背中を見つけていた。



[16740] 37- 無謀な突貫
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:0f26c9ba
Date: 2011/10/06 01:29
 一言で言えば、戦力の差は圧倒的だった。
 8つの班のうち、1つは突入前に全滅し、残りの班も戦力を削ぎ落とされている。
 ゲームマスターと対峙しているのがリア一人であることからも、ゲームマスター自身の力というよりもこの圧倒的な数の方が問題だ。
 ウィスパーでさっきリリーに状況を聞いたところ、リリーはトラストの例の「作戦」分の物資を残し、ほとんどお手上げ状態だと言った。
 リリーに回復は使えない。敵を翻弄しつつ味方――ウェインの班のようだ――をアイテムによって回復していたが、今ではリリー自身が戦闘で前面に立って敵をあちこちに散らす作戦を取っているらしい。
 その分手薄になりつつある中央、つまり俺たちが今いる玉座の部屋では、イベント開始時に召還されたラーセリア最強と謳われる最強ボスであるバフォメットが討伐された今、実質今のゲームマスターの手駒としては最強を誇るだろうタイラントを、フィリスが実質一人で抑え込んでいるが、例の『本』が邪魔だ。フィリスが削れば削っただけ、『本』が端から回復して全快、一方フィリスは見たところほとんどダメージはないものの回復役だったはずのアズレトもいない。あいつマジでどこいったんだ。
 さらに戦力にはならないが作戦の立案をしたトラストも、アズレト同様消えている。
「――いくらアタシでも、いい、……っ加減キツいって!」
 言うというより叫ぶフィリスの声は完全に疲弊の色が滲んでいた。
 そりゃそうだ。今はともかく、実装当時にタイラントに数百人体制の連合パーティを全滅させられたというリアの話から、タイラントの強さは折り紙どころか千羽鶴を折っても余るくらいの折り紙の束が付いている。
 勝てるのか、と聞かれたら「フィリスならいけるだろ」と思わなくもない。正気の沙汰とは思えないが。

 だがそれはサシでならの話だ。むしろサシでも正気の沙汰じゃない。

 ダーク・ブラックを倒した時はほとんどサシだった。だが今回は相手に回復がいる以上、セオリーであれば相手の回復を先に殲滅すべき場面だ。
「リア、フィリス、流石に無理だ。退こう!」
 もうそれ以外に思い付かず、一旦退却を進言すると、リアが懐から短剣を数本取り出し、エクトルに向けて投げた。
 エクトルが眉ひとつ動かさずにそれを叩き落し、

「『ダンシング・ソード』」
 
 すかさずリアが短剣に向けて呪文を放つ。
 叩き落された短剣が重力に逆らい、軌道を変えるのを振り返りもせずにリアはダッシュでエクトルから距離を取った。
 そして、エクトルが咄嗟に叩き落した音を合図にすかさず振り返る。
「『ダンシング・ソード』」
 MPも余裕がない、そう言っていたはずのリアの口から再び呪文が漏れると同時、エクトルに向けて短剣が再び軌道を変えた。
「――ッ」
 さすがに驚いたのか、エクトルはバックステップでそれをかわした。
 リアはもうすでに、フィリスのところまで下がっている。
「リア!」
 フィリスは、叫ぶと同時に懐から瓶を取り出し、リアに投げた。あの青い色からして、魔力剤だ。
「――ありがとう。これでまだ戦えるわ」
 言って、リアは片手でそれを受け取ると、その中身を半分だけ口に含んで飲み込んだ。


 退く、と言った俺の言葉は、班全員、――及びウェインに届いているはずだ。
 アズレトやトラストが気にならなくもないが、ヤツらはどこで何をしているのか、全く言葉を発しようとしないので当面は無視だ。とは言え一応小声で、
「――作戦があるなら小声でいいからいつでも言え」
 そうとだけ呟いておいて、まずは班のうち、声を頼りに居場所が特定できるムルとリリーの様子を探る。
 的確に指示を飛ばしているのは、それに返答するウェイン、及びその仲間たちと行動するリリーだ。こちらはしばらくほっといても大丈夫なはずだが、最終作戦の要はリリーだ。実行に移すなら、の話だが。
 まぁ最終作戦は、最初の作戦が失敗した――あるいは失敗がほぼ確定となった段階から始まるため、こちらはあまり考えることもない。というよりその場合は完全に相打ちを覚悟の上なので、最終作戦は正直どうでもいい。まずは最初の、通常通りの作戦での勝利を考えるのが先だ。

『――もう無理そうだけど、リアは無事?』

 ムルの疲弊、あるいは憔悴しきった声が頭に響く。
 可能であれば、ムルを助けに行きたいところだが、確か4班リーダー……つまりドッペルゲンガーとの対戦中だったはずだ。
「一応状況を頼む。可能なら迎えに行く。場所はどこだ」
 それでも僅かにでも可能性が残っていると信じたい。ムルはこのパーティの期待すべき戦力だ。
『――無謀だと思う。ちなみに場所は多分キミたちの反対側。――4班が爆破した通路のはず』
 はず、ってのは何だ――そうツッコミを入れそうになってから思い直す。ドッペルがいる場所――それは恐らく4班が突入するはずだった通路だろう、そう俺も推測し直した。
 ドッペルがそこから動くメリットは無いに等しい。なぜなら玉座の間に入れば、例のモンスターの大群がそこにはうじゃうじゃいるはずだ。そして、背後には4班が突入してきた、外へのかなり単純な道。そこをドッペルが塞ぐ形で居座れば、プレイヤーたちがそこを通って退却する道をひとつ塞ぐことができる。
 間違いない、とまで断言はできないが、ならばムルはどこから通ってそこまで辿り着いたのだろう。

――『ボクは途中でベルゼ振り切って戻るところ』

 ムルは、俺たちと離れてから最初そう発言した。つまり、少なくとも道を戻って玉座に向かったはずだ。
 だとすれば、どこかで道を間違えたか、回り道をして反対側から玉座に辿り着き、ゲームマスターに奇襲でも仕掛けようとしてドッペルと鉢合わせたか――俺の頭で考えられる可能性はこの2つだ。
「ってことは、」
 ざっと地図を思い返す。俺たち2班から見て4班通路に辿り着けそうな道はあっただろうか。
――ある。あるが確かにムルが言う通り、それを通ってムルを助けるには時間がかかりそうだ。
「――すまんムル。頑張って玉座に入ることは可能か?」
 俺たちからの救出は無理だという意味を込めた謝罪を先に言い、その上でダメ元で提案する。

『仕方ないよ。――見捨てて行って。ボクはもう戦力外だ』
 
   カチン。
 俺の意識がそう音を立てた。
「リア」
 ちらりと横を見ると、俺の表情から何かを察したのかリアがくすりと笑った。
「何かしら、――リーダーさん」
 何をしたいのか、薄々勘付いているのはリアだけではなかった。フィリスも、一瞬の目配せだけで指示を寄越せと訴えると同時に、また無茶すんのか、と怒りの眼差しでもあるようだ。
「無茶な命令があるんだが。――フィリスにも」
「構わないけれど、――何をすればいいかしら」
 横を見ると、イシュメルがやれやれ、と言いたそうな顔で弓に矢を番えた。カルラはすでに呪文の詠唱を始めていた。

「援護を頼む」

 簡潔に一言だけ。俺のしたいことがわかっているなら、リアもフィリスもイシュメルもカルラも、多分俺の言った言葉の意味がわかるはずだ。
『――イベントが終わったら、』
 ムルが何かを言いかけた瞬間、俺はその言葉の続きを待たずに駆け出した。

――玉座のど真ん中へと。

「うっせェボケ!今行くから耐え切れッ!」
『えっ?』
 余程驚いたのか、ムルの、体の大きさに応じた少し高めの声が裏返る。
 見捨てて行け?戦力外?負けることが前提の負け犬の言うことを聞く気はない。

――っつーかそんなに死にたいなら俺が踏み潰してやる!

「『フレイム!』」
 まずは先制のカルラの炎が、俺の走る道を塞ぐ邪魔な雑魚どもを薙ぎ払った。中級モンスターなどは死なずに残って本の回復を受けているが、無視してそのど真ん中を突っ切って走る。どうでもいいけどカルラ、ちょっと熱い。
 部屋の中央付近に差し掛かったところで、予想通りゲームマスターが進路を塞ぐ。

 と、俺の耳に響く風切り音。

 イシュメルの射た矢だろう、俺の横スレスレを掠めながらゲームマスターに向けた一撃。
 当然のように軽くいなしたゲームマスターが、俺の突進を止めるべく手に持つ短剣を構えた瞬間、

「『ダンシング・ソード』」

 リアの口から言葉が漏れた。
 さっきリアがゲームマスターから離脱する時に投げた短剣が勝手に浮き上がり、イシュメルの矢同様に俺の体を掠めてゲームマスターを襲う。
「――ッチ」
 舌打ちしながらそれを叩き落し、今度こそ俺へと刃を向けようとして、猛然とダッシュで駆け抜ける俺へと追いすがるゲームマスター。
 一応横目でそれを確認しつつも、俺は足を止めずに走り続ける。
 2つの風切り音。続けてリアの涼しげな声で呪文が漏れ、ゲームマスターの気配が少し遠ざかった。
 構うことなく走り抜けると、4班リーダーの姿が見えた。あのリーダー、名前は何だっけか。
 俺は頭の中で1つのスキルをイメージした。使ったことはない。ないが習得はしたはずだ。
 成功するかどうかは関係ない。

 それで一瞬でも、ムルへの攻撃の手が休まればそれでいいはずだ。

 ムルの驚いたような顔が目に入る。反射的にか、ドッペルがこちらを一瞬振り向いた。
 俺に驚きつつも、その隙を見逃すほどムルは迂闊ではなかった。咄嗟にか、口の中でブツブツと呪文を唱え始める。
 その呪文に、今度はドッペルが咄嗟に反応した。両手に持つ巨大な剣を振り下ろすと、ムルを守るように囲んでいた狼のうち、一番先頭の一匹がムルとドッペルの間に割り込んだ。振り下ろされる剣はそれを何の慈悲もなく叩き斬り、勢いを少しだけ落としつつもさらに切っ先はムルへと向かう。
――間に合うか、と考えるまでもなく間に合わない。

 だがムルの次の対応は見事だった。

 先頭の一匹が倒されたことで先頭に踊り出された狼が、勢いを落とした巨大な剣へと体当たりし、剣はその切っ先を大きくムルから外して地面を叩き割った。それを確認しつつも、狼たちは防御の陣形を攻撃へと転じたりはせず、ただひたすらにムルは自身を守る。
 もう少し、あと3秒もあれば辿り着ける――そう思った瞬間、俺の目の前に一匹のスライムがぷよん、と落ちてきた。咄嗟に走る足を止めようとして、しかしその衝動をかろうじて俺は抑えた。
 ここで足を止めたら確実に間に合わない。
 歩幅を無理矢理に調整し、半ば転びそうになりながらスライムの目の前で地面を蹴った。
「――ッ」
 少しだけ地面を蹴るタイミングが早かった。飛び損じたか、とスライムの真上に着地してしまう想像をしつつ、無理矢理足と手を前へと伸ばす。わずかにスライムの粘液を踏み付けて転倒しそうになり、思わず声を漏らしつつ、軽く手を地面に付くことで転倒せずかつほぼ勢いを殺さずに飛び越えることができた。
――ドッペルは目の前だ。
 ドッペルは俺の接近に気付いたか、俺の突進を軽いステップで右に避けた。そして同時に、両手に持った巨大な剣を右横に構えた。咄嗟に防御の姿勢を取る。

 今だ。ここしかない――!

 イメージしたこのスキルを発動するのはこれで合っているのか、タイミングはどんなもんなのか。自信は毛の先ほどにもなかったが、どうせ失敗したら死ぬだけだ。斬られたとして、それでも一瞬の好機をムルが得られればそれでいい。あわよくば成功してくれれば俺とムルの生存率が上がるというだけに過ぎない無謀な、賭けとも言えない賭け。
 だから俺は、いつでも仲間から無謀だと罵られるのだろう。
 ドッペルの、両手で右から振り切られる剣。スキルを発動するイメージ。

――スティール!

 不自然に両手がドッペルの手に伸びた。
 システムによる動きの補助だろう、そのまま相手の手から剣がすっぽ抜けるように、そして俺がそれを握ると同時、ドッペルの――すでに剣がすっぽ抜けたただの両拳が、俺の頭へと振り下ろされた。
 鋭い衝撃。――レベルが違いすぎるためだろう。ほとんど満タンだったはずの俺のHPはそのたった一撃で脳内警告を発動した。――が、わずかにHPは残ったらしく、そして幸運なことに、殴られた勢いで俺の体はドッペルからムルのいるところを遥かに超え、5メートル近く吹っ飛ばされた。しかもスタンしたらしく、身を起こすこともできなかったが、わずかに頭が持ち上がっている状態で倒れているため、ムルとドッペルの様子だけはかろうじて見ることができた。
 もし攻撃がまかり間違ってクリティカルだったら死んでいただろう。頭部への打撃だっただけに、クリティカルにならなかったのはただの運だ。
「なっ――!?」
 一瞬遅れてドッペルが叫ぶ。
 まさか剣を奪われるとは考えていなかったのか、呆然として立ち尽くしたそこへ、ムルの呪文が完成したのかしゅるり、と音すら立てて赤く輝く「糸」が絡みついた。
「――無茶だ無謀だと聞いてはいたけど……さすがに」
 一瞬もドッペルから視線を外すことなく、ムルは溜息混じりに文句を呟いた。
 俺だって驚いている。というか成功するとは思っていなかった。ただ運がいいだけなのか、それとも敵とのレベル差は関係ないスキルなのか。いやそうだとしても運がいいだけか。というかぶっちゃけ今のは死ぬのを覚悟してた。
「何やったのさ、――どうやって、……あぁもう、」
 ムルは苛立ったような口調だったが、しかし声の質は明らかに嬉しそうな音色と震えを滲ませた。

「――ありがと」

 ムルがその言葉を発した瞬間、ドッペルの体が炎に包まれた。
 断末魔とともに、ドッペルの体がどんどんモザイクポリゴンに包まれて行き、片手を天井に掲げ――そしてついに崩れ落ちた。これでドッペルを撃破したわけではないが、プレイヤーが死亡した時のように、戦闘不能にはなっただろう。
「さて、――戻ろうか」
 ムルが言うが、俺の体はスタンしていて動かない。それどころかしゃべることもできない。
 ムルもすぐに気付いたのか、「まったく」と呟くと俺の横に狼を配置し、玉座から出てくる雑魚を赤い糸で倒し始めた。
『……急に会話がなくなったが……生きてるだろうか』
 超小声。一瞬誰かと思ったが、この話し方はトラストだ。やっぱり生きてたか。
『――会話の返答がない場合はどんな状況が考えられるか教えてもらえるだろうか』
『……俺たちのように声を出すのが憚られるか、もしくは死んだか』
 こちらも超々小声で、アズレトの声がした。
 やっぱりツルんでたか、と俺は少しだけ状況を整理し始めた。

 まずアズレトとトラスト。
――何らかの作戦で、どこかに潜んでいるのだろう。何の作戦かはわからないが、とりあえずアズレトがいる限りは大丈夫だと判断する。よって当面は無視。
 次にリリー。
――ウェインのところで別行動。今のところ走るような息遣いが聞こえているし、こちらも当面は無視で大丈夫だろう。
 リアとイシュメルとフィリスとカルラ。
――今はこの4人が1セットだと思っていい。だとすると、フィリスがいるなら大丈夫だということでいいと思う。ただ、戦っているのがフィリスが相手をしているタイラントだけなのか、さっきの俺への援護のせいでゲームマスターも戦闘に加わったのかはわからないが。
 俺とムル。
――ムルには悪いが、俺たち二人だけで何ができるとも思えない。当面スタン状態は任せるとして、どうにかして4人とまず合流したいところだ。

 だがそのためには、ゲームマスターがすこぶる邪魔だ。

 合流して正面突破でゲームクリアを狙うか、もしくは4人と打ち合わせて挟み撃ちを狙うか、どちらもダメなら一旦退いて体制を立て直すかだ。
 排除してゲームクリア。これが最短ルートで現実的な気がするが、問題はあのゲームマスターをどう倒すか――ということだ。「本」もそうだが、周囲に蔓延る強弱問わずの……言うなればテロ状態がどうにもウザい。
 ゲームマスターの動きを見ていて思ったが、どうやら召還したものを自由に操れるというものではなく、単に呼び出すだけ呼び出して自分の敵を襲わせるというもののようだ。人型モンスターが少ないのはひょっとして、モンスター同士で争っているような種族もあるからではないだろうか。モンスターがモンスターを倒しても経験が入るという仕様は、もしかしたらその辺を狙ったものもあるのかもしれない。

 などと考えている間に、ようやくスタンが治まったのか、ようやく体が言うことを聞きはじめた。

「大丈夫?」
 赤い糸を手から切り離しながら、ムルがこちらをちらりと見た。
「――何とか」
『何とか、じゃないよ何とかじゃ』
 フィリスの声とリアの苦笑、そして誰かの溜息が同時に聞こえた。
「……スマン、頭に血が上った」
 言って身を起こし、どうしたものかと考えつつ、
「『我願う、静かなる清流よ、傷を浄化し癒せ、ヒール』」
 自分にヒールをかけると、ようやく脳内で続いていた警告が収まった。
 リアがふふ、と笑いかける。
『それでこそアキラ、って感じもするのだけれど』
『――違いない』
『どうせ何か無茶したんだろ』
『――らしいと言えばらしいのではあるが』
『いつもの、――こと』
『何とかって何だろ……』
 銘々が俺への誹謗中傷……もとい感想を口にするのを華麗にスルーしながら、
「ところで、ゲームマスターは何をしてる?」
 とりあえず4人に声をかけてみる。
『静観ってところかしらね』
 リアがぽつりと答え、カルラが治癒らしき呪文を唱えるのが聞こえた。続いて、フィリスの「さんきゅ」という軽い礼の言葉がかかる。

「――相談というか、……戦略を変えよう」

 ん?とフィリスが声を上げる。
 さっき撤退を宣言しておいて戦略を変えようとかちょっとアレかと思ったが、
「タイラントとゲームマスターは無視。まずはそこいらの邪魔な中堅モンスターあたりを殲滅しよう」
 玉座を走り抜ける時に思ったことだ。
 カルラの一撃程度で倒せる敵、あるいはそれに近い雑魚ならば、フィリスやリア、いやむしろイシュメルや俺でもなんとかなる雑魚もいる。モンハウ状態から抜け出す鉄則をすっかり忘れていた。
「弱い雑魚から殲滅しよう」
『えぇ?何でさ。タイラントはいるだけでウザいのに』
 俺の言った意味がわかっているのかわかっていないのか、フィリスが不満そうな声を上げる。
「ウザいからこそだ。回復さえいなかったらフィリスだけで勝てそうだし」
 少し本心の混ぜて煽ててみると、フィリスがぶは、と吹き出した。
『さすがに買いかぶりだって』
 現に今だって一撃食らったし、とさりげなく言うフィリス。食らったのが俺やイシュメルだったら一撃死するだろう。


『ところでトラスト嬢とアズレトは何やってんの?』
「わからん」
 フィリスの問いに即答すると、リーダーなんだから把握しろと笑われた。



[16740] 38- モンハウ
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:0f26c9ba
Date: 2012/04/11 08:29
38- モンハウ

 ラーセリアを始める少し前、別のゲーム内で今の玉座のような光景を見たことがある。

 俺が知っているそれは折ることでモンスターがランダムに出現するだけのアイテムで、まずモンスターはアイテムを折ったそのプレイヤーにターゲットして攻撃を始める、というものだった。
 このアイテムを利用し、プレイヤーや露店を混乱させる目的で「テロ」を行う者たちが続発した。逃げながら次々と折っては、プレイヤーは自分のHPが尽きかけたところでアイテムまたはスキルによるマップ上ランダム・テレポートで逃亡し、他のプレイヤーを襲わせておいて再び同じ場所へ戻り、次々と折っては逃げ、戻って折って、を繰り返すことで混乱を招き、他プレイヤーにデスペナを与え……運が悪ければ、死んだプレイヤーはアイテムをドロップする場合もあった。
 この「テロ」で、このゲームは一度サーバーがシャットダウンする寸前までの負荷をかけられ、イベントでもメンテナンスでもないのにゲームマスターが登場する、という騒動にまで発展した。

 後にゲームの管理会社によって仕様を変えられ、一律にランダムで出現していたものが、強いモンスターほど出現しにくいという仕様になった。また、セーフティーゾーンでのMPKによるアイテムや経験値のドロップなどのデスペナを緩和――というよりセーフティーゾーンでのデスペナ自体がなくなった。その仕様変更によりアイテムの価値は暴落したが、それでもいまだに1万ゲームマネーは切っていないという。

 俺がやっていた当時、この「テロ」は「首都」と呼ばれる大都市を筆頭に、プレイヤーの集まるところで規模の大小も、場所――町ですらない平原、果てはダンジョンに至るまで――をも問わずに何度も行われた。
 ただしこんな狭い部屋で、しかもこれだけ大量のモンスターを召還し、しかも召還した本人には一切危害を加えない、などと理不尽極まりない仕様などではなかった。
 バランスは確かに取れている。
 エクトルの「サモン」の詠唱レベルがどの程度なのかはわからないが、少なくともまず、今の俺のように「覚えているだけ」の段階ではないし、俺が覚えている他の魔法のように「詠唱」するという準備をすっ飛ばせるだけの力量まで、このゲームマスターは何らかの方法で修練したか、あるいは一定の制限のもとで今の段階のゲームマスターキャラクターを作ったのかだろう。
 別のゲームマスターを俺は直接知らない。いや知っているには知っているマスターもいるが、知っているのは外見だけで能力や性格などは全くと言っていいほど情報がない。そのため、エクトルについての情報も推測の域を出ることはない。
 犇き続けるモンスターが玉座を満たし続ける限り、エクトルは次のモンスターを召還しようとはしないかもしれない。だが今の状況で一番邪魔なのは何か、と聞かれたら間違いなく『本』だ。
 そして、雑魚だとタカをくくっていた、……俺でも一撃で倒せるようなモンスターも、いるだけで集中力を削るには十分すぎる数がいる。今まで無視していたが、今となっては何故無視していたのか疑問なくらいだ。

「一撃で倒せるモンスターをまず倒そう」

 俺はウィスパーで聞こえる連中全員に向けて呟いた。
 当然ながら何かの考えで動いているアズレトとトラストは除外だ。
『了解』
『わかったよ』
『心得た』
 口々に囁くような声を残し、動いたのはほぼ全員が同時だったようだ。かすかな戦闘音が反響して聞こえる。
 俺から見えるのはムルの行動だけだが、そのムルも例の赤い糸を操っている。
「……ムル、手伝えることはないか?」
 やることが思い付かず、かと言って玉座に飛び出したら何を言われるかわかったもんじゃないのでムルに声をかけてみる。
「雑魚はあらかた倒したよ。……そうだね、瀕死の雑魚そっちに放り投げるから処理して」
 言うなり、ムルは一匹の触手の生えた……いや触手そのものをこっちへ投げた。
「――っ」
 いきなりだったが、慌ててレイピアを鞘から抜いて触手を弾き飛ばす。
「頼んだよ、終わったら声かけて」
 言うなりぽつりと詠唱し、再び室内に赤い糸を伸ばすムル。
 触手――ローパーは、……まぁ予想はしていたがしぶとく生きていた。


 肩で息をしつつ、俺はようやく動きを止めた触手を念のためレイピアでつついてみた。
 さすがに死んだフリはなかったようで、その姿が透けてきた。どうやらドロップもないようだ。
「――瀕死じゃなかったのかよ」
 思わずムルに不満を呟くと、「結構時間かかったね」とムルは平然と笑った。
「半分以上ヒットポイントは削ったから、瀕死って表現に間違いはないはずだよ」
 その半分未満が俺のHPを何十度も脳内警告状態まで削ってきたのは、きっと俺のレベルが低いせいなのだろう。そうだと思いたい。まぁ死にそうになってヘルプを求めるたび、軽くヒールしてくれたり補助魔法をかけてくれたりしたことには感謝するが。
「ま、ローパーなら補助があれば死ぬことはないから大丈夫だと思ってさ」
 前言撤回。どうやら確信犯のようだ。思わず怨み言を口から放出しかけるのを溜め息もつかずに抑え込む。
「――で、玉座の状態は?」
『だいたい倒した。後は本と、ボス級キャラがタイラント含めて12、3体。雑魚が2、30ってところだ』
 肝心の本は倒せていないらしい。
「じゃあ次は本を集中して倒すか。何匹いるんだっけ」
『17……いや8かな』
 聞こえたのはフィリスの声だ。雑魚を倒すついでに何匹か倒したのかそれとも数え間違いか、はたまた覚え違いか、数が減っている気がする。
「減ってねえ?」
『1撃で難しいのを倒すのに邪魔だったからちまちま攻撃してたら何匹か死んだ』
 あっさりと言うフィリス。

『――あと、――名前わかった。――ライドワード』

 いつの間に調べたのか、カルラがぽつりと呟く。
『玉座から引き摺り出せば何とか倒せるっぽい。やたらHP高いけど』
 中級以上のモンスターが邪魔だ、と付け加えながらフィリスが言う。
 玉座から引きずり出せば、か。
――他のものはいいとして、タイラントの周囲にいるヤツをどうするかだ。
「タイラントの周りにはどのくらいいる?」
 聞いてみると、フィリスが3かな、と答えた。
 残りの15を先に叩くべきか、と判断してみるものの、さっき疾走してきた玉座にはタイラント以外にも中級以上、つまり俺では歯が立ちそうもないモンスターがうじゃうじゃしている。

『本を閉じても詠唱は止まらないだろうか?』

 ぽつりと、微かに呟く声。トラストの声だと気付き、ふむ、と思わず唸る。
 考えてみれば、詠唱のとき開いたりしていたような気がする。気がするだけで全く自信はないのだが。
「――やってみるか」
『ん?何をやってみるって?』
 フィリスが俺の言葉にすかさず反応する。
「誰かさんからの提案だ。『本を閉じれば詠唱が止まるんじゃないか』ってさ」
 リアがひと呼吸置いてから、『ありえる話ではあるわ』と呟く。
 ここからでは見えないが、きっと玉座では激戦が繰り広げられているのだろう。ただし中堅クラス以上のモンスターしか残っていないはずだ。
「それにしたって合流しないとキツい話でしょ」
 ムルがぼやくように呟く。呟きつつも糸を操る手は止めていない。
「なら、合流前に詠唱が止まるかだけでも試そう」
 そのためにはまず、本を2匹だけ移動させる必要がある。
 具体的には玉座から引き摺り出すのが一番望ましい。
 俺は玉座が見渡せる位置……と言っても大分後ろに退いてはいるが――まで移動するが、さすがにここからフィリスたちのいるところは見え辛い。

「――二匹だけ、部屋から引き摺り出して試してくれ」

『――、了解』
 俺の言葉にカルラがぽつりと短く呟くと、フィリスが飛び出したのが見えた。
 そして、女性キャラにあるまじき『オラァ!』という掛け声とともにそのままライドワードを2匹素手で引っ掴み、力づくで通路に放り投げた。
『死なない程度――というよりどうせ死なないかしらね』
 リアが言うなり、カルラが『ファイア』と呟く。
 ここからでは見えないが、向こうでは恐らく火達磨になっているはずのライドワードはどう反応するのか。
 と思った矢先、フィリスが玉座に飛び出した。
 どうやらライドワードが引き摺り出された分手薄になったところを叩くようだ。
 トカゲ型モンスターがフィリスに向かって威嚇すると同時、飛び掛るのが見えたが、フィリスはそれを難なく斬って捨てると、その奥にいるスケルトン型モンスターへと歩を進める。スケルトンが剣を振りかぶると同時、待っていたかのように……というか実際待っていたのだろう、フィリスがその隙を突いて骨盤の辺りを叩き割り、返す剣で剣を持った方の腕を叩き折って無力化し、後はスケルトンを無視して右から飛びかかってきた、こっちからは点にしか見えないモンスターを腰からダガーを抜き様に斬り、腰へと納刀する。――一連の動きが素早すぎて、点にしか見えないモンスターが何か――というより、斬るまでそこにモンスターがいることすら気付かなかった。

『――止まるようね』

 リアが呆れたように言う。
『初見のモンスターとはいえ……迂闊だったわね。まさかこんな方法で本当に止まるなんて』
 どうやら実験は成功だったようだ。
『まったくだ、こんなことに気付かなかったとはね』
 フィリスも声が呆れている。
 つまり、ライドワードは。
 閉じている間はほぼ無抵抗、サンドバック状態で倒せるということだ。
「なら合流しよう。ゲームマスターをなるべく迂回してこっちに来れるか?」
 ライドワードの位置は確か、ゲームマスター付近に2、3匹で、その他は玉座の外周沿いにいたはずだ。
『お土産いる?』
 フィリスが呟くように言うので、思わず一瞬考えてから、
「本を2・3冊」
『了解』
 俺の返答に、くっく、と笑いながらフィリスが答えるのとほぼ同時に、向こうの3人が走り出すのが見えた。

 こっちでは、ムルが糸で敵を拘束しつつダメージを与え、かつ拘束した敵でこっちにモンスターが来ないように妨害してもいる。さらに、再召喚して数を戻した炎の狼が拘束された敵を齧り、入り口付近で他の敵を威嚇し牽制し、かつ動向を観察し――
 難しいと言われたラッティアスをここまで精密に操作できるようになるまで、ムルはどれだけやりこんだのだろう。
「器用だな」
「――――あれ?ボクに言ってる?」
 本気で自分に向けられた言葉だと気付いていなかったらしく、ムルが数秒の間を空けてから答える。
「こんなのはコツをつかめるかどうか次第だと思うよ」
 つまりムルはその「コツ」を掴んでいるということだ。
 とか言っている間にも相手をしていた敵を倒し、次の敵を糸で捕獲する。
 確実に一匹づつ地道に倒すスタイルなのか、それとも俺が背後にいるから危険の少ないこの方法なのか。……おそらく後者だろう。
 見える玉座の中央というか、やや手薄になったゲームマスターの付近にはもうプレイヤーはいない。
 ちらりと時計を見ると、すでに8時。突入から2時間が経っていた。
 日本時間で20時だが、こいつらはいつ寝るんだろう、とふと考えてから思い出した。
 そもそもヘルムコネクタを起動している間は、体と脳は休眠状態……つまり眠ったのと同じような状態になる。外部から無理に取ろうとしたり、体に触れたりした場合などには、外部の人物が触れた瞬間にゲーム内で脳内警告アラームが鳴り、自動でスイッチがオフになり、どれだけ急にヘルムコネクタを外しても健康や精神には問題ない構造になっている……と先日テレビ放送で説明した技術者と医者がいた。
 じゃあ眠っているのと「同じような状態」ではなく「同じ」なのかと言われると、現在は賛否両論がある。

 否定側の理由は2つ。

 1つ目は、ゲーム中に収集した「知識」はどうなるのかということ。
 当然ゲーム内では眠っていないのだから、現実の「脳」がそれらの「知識」を整理する時間がない。その知識はゲーム終了と同時に脳に流れ込む仕組みになっているらしく、要するにスイッチがオフになったその一瞬にデータとして脳に「知識」が叩き込まれるということで……要するに、俗に言われる睡眠の目的である「記憶の再構成」が不十分であり、さらに「心身の休息」のうちの「心の休息」が出来ていないということだ。

 2つ目は、そもそもヘルムコネクタを起動している間は「眠った状態」なのではなく「仮死状態」……すなわち「植物状態」であるという暴論。
 仮死状態なのだから、何かの拍子でヘルムコネクタが壊れた場合、もしくは心肺機能が低下するなど、危険なのではないかと言う論理だ。
 これはさすがにテレビ放送内で論破されて失笑されていた。
 実際にはその心配は皆無なのだそうだ。
 ヘルムコネクタが壊れた場合や故障した場合、破損した場合について、少しでも異常があった場合はそもそもゲーム内から即座に切り離され、要するに強制的にスイッチがオフになったのと同じ状態になると説明していた。つまり現実への帰還が最優先に設定されているというわけだ。
 そもそも、ゲーム内で「自己」だと思っているものは実は「オリジナルのコピー」にすぎない。
 必要な情報を脳内から電気信号としてヘルムコネクタが受け取ることによりコピーし、ゲーム外の肉体を休眠状態に誘う。
 ゲーム内での「記憶」は数十分ごとに電気信号として脳に与えられることで現実世界とリンクさせる。
 そして、あまり長時間のゲーム稼動をしている場合には精神的にも「休息」を取るようにと「眠気」という形でゲーム側にもそれを知らせるのだそうだ。

 要するに、たとえばまかり間違ってゲーム外の人間が休眠状態を解除されたとしても機器が壊れたとしても、現実にはまるで影響がない、……ということらしい。
 まぁ厳密に言えば「ゲームをしていた記憶」を失う、ということなのだが、そもそもゲームなのだから「問題」は些少だということだろう。

 まぁどっちにしろ、ゲームをやめてから必ず、数時間の休憩を取る俺には関係がない話だが。

「来たよ」
 ムルのぽつりと呟く一言で我に返る。
 気付けば、フィリスたちがすでにこちら側の入り口付近まで進んでいた。
「本は5冊あるけど多すぎた?」
 すでに肉声で聞こえるフィリスの声にそちらを向き、そして苦笑する。どうでもいいが手に持つ本の、歯なのか触手系のものなのかわからないが蠢くその様子がちょっとグロい。それ以外はまぁ問題はないだろう。
「サンドバックが何個いようが平気だろ」
「了解」
 HPが高い、とフィリスが言うくらいだから手間はかかりそうだ、と思ったのは黙っておくことにした。


 ようやく最後の一匹、というか一冊が地に落ち、痙攣するように体を震わせた後動かなくなった。
「ジャッジ、ライドワード」
 フィリスがライドワードに手を触れつつ呟くと、ライドーワードからページを抜き取るように取り出した。
 ゲーム開始から何度も見ているこの「ジャッジ」と言うワードは、アイテムの剥ぎ取り成功率を上げるためのものらしい。
 フィリスのラックの高さは異常だと前に聞いたが、この場合も例外ではないらしく、フィリスはほくほく顔でそれらを懐にしまいこむ。
「分配は後でな」
 ちなみに出たのは「ヒール2レベル」の呪文書、「フレイム」の上位スペルである「フレア1レベル」の呪文書、そしてまたしても未鑑定の、スペルブックが今度は2つ。
 個人的にはヒールの書が欲しいところだが、俺より欲しいヤツがいれば俺は辞退するつもりだ。他の書は欲しいものがない。
 まぁ分配のときにそれは考えるとして、今は状況の判断だ。

 まず、玉座の状況は芳しくない。
 雑魚は皆で始末してくれたものの、俺では見たこともないようなモンスターが蟻の巣の中の蟻のごとく数がいる。
 とりあえず突入時よりは数は減ったが、それでもまだ数は多いし、今度ばかりは無謀が売りの俺でも手が出ない。
 唯一開いている場所と言えば、ゲームマスターの位置を含む2班突入口までの……要するに俺がさっき突っ切ったことによりできた「通路」だ。
 この通路を使って、ゲームマスターまで一直線に攻撃を仕掛けるか?いや、それは無理だ。
 運良くモンスターたちが無視してくれたとしても、ゲームマスターの例の「技」の格好の餌食になってしまうだろう。
 だとすれば、モンスターを撹乱しながら進むか?いやそれもダメだ。
「……仕方ない、トラストの案で行くか」
 あの作戦がゲームマスターに筒抜けである可能性はある。だが一つだけ、あの作戦立案時に敢えて言わなかったことがある。
「トラストの案って……まさかアレ?」
 うん、と首を縦に振って見せると、全員が全員、「マジかよ」と言うような顔を見せた。
――準備までしといてそりゃないだろ、と思わなくもないがしかしまぁ、……俺も同感だ。
「地道に倒して行ったところで、新たにモンスターを呼ばれたら厄介だし際限がなさすぎる」
 それに、未発見種などやボスモンスターなど、どの程度の種類がいて、などの情報はプレイヤーからの情報ソースでしかないし、ライドワードのように俺たちが知らないだけで色々なモンスターが未発見なのかもしれないことを考えると、……どう考えてもゲームマスターを直接狙うしかない。少なくとも、俺がエクトルの立場であればそう考える。

 だからこそ、その裏をかくトラストの案は手っ取り早い「作戦」と言える。

「……ウェイン、それでいいか?」
『あぁ、ならばこちらも撤退を実行する。各班一旦撤退、城の外に出ろ』
 きっとウェインの方には、各班リーダーの「了解」と言う声が聞こえているのだろう。
「――ところで正面突破組はどうした?」
 聞くと、ウェインが乾いた笑いを返す。
 あぁなるほど。とその笑いで全て察したが、敢えて返答を待つ。
『――俺たちの突入前にすでに散った。ゲームマスターのHPは削ったと言っていたが、例の本もあるし全回復してるだろうな』
 言われて気付く。それにしては雑魚がほとんど残っていたのはどういうことだ。
 ひょっとしたら。
――だとしたら勝ち目はある。
 タイラントなど、ボス級モンスターは無理だとしてもそれ以外なら。

「行こう、撤退だ!」


 いつものように不遜な態度で……と言っても、この口調で聞こえていたのは俺だけなのだろうが、ともあれ不遜な態度でそう言ったトラストはあの時、とんでもない計画を口にした。
「――こんなのはどうだろうか」
――おいおいおいおい。
 無言で絶句していると、
「可能は可能だろうけれど」
 リアの声がして振り返る。
 あのリアの引きつった笑みなど、この時初めて見た気がする。
 それほどまでに作戦は無謀で、凶悪なものだった。
「ゲーム的には可能だろうな」
 アズレトはむしろ落ち着いた口調で呟くように言う。
 その表情はむしろ、初心者ゆえの単純な質問に答えているかのような、穏やかとも言える顔だ。
「――成功率を上げるならむしろ、」
 そう言いつつアズレトが「作戦」に余計な追加注文を加える。
 ふむ、とトラストが口元に手を当てて考えた後、そんなものが売っているとは思わなかった、と言った。
 ゲームにログインして数時間のトラストは、すでにこのゲームの本質のようなものを理解していた。
 俺なんかよりも数段早く、そして数段深く。
「問題は、物資の量ね」
 溜息をついたリアがさらに口を挟む。
「玉座の大きさを考えてざっと……そうね」
 呟くように言ったその量は、作戦実行の要であるリリーの筋力を考えたらどうなのか、という量だったが、当のリリーは「そのくらいなら持てなくもない」と言った。

「とすると、実行するにはまず全員が撤退する必要があるな」

 アズレトが呟きながら地図を片手に、もう片方の手で迷路でもなぞるように地図を辿る。
 破壊されるのはこの壁だから、とかぶつぶつ言っているのが聞こえるが、この際無視だ。
 まさかやるつもりなのかよ、と突っ込みを入れかけた瞬間、
「問題は山積みのようね」
 リアの声にちょっとほっとしつつ、山積みである問題に俺の思考は無意識に向いた。
 俺の意見は無視でもいいが、だとしたらこの案を実行するには条件がいくつかある。
 まず一つ目。ゲーム製作側がこう言ったものに寛容であること。
――というより、むしろゲームがどれだけリアルに製作されているかということ。
 現実世界でなら、トラストの案は間違いなく成功するだろう。だがそれはあくまで現実を基準に考えた場合の話だ。こう言ったことをゲーム製作側が想定しているのかどうか、疑問は残る。
 そして二つ目。
「最低でも、――正面突破組に迷惑。……それから」
「司令塔であるウェインにもだね」
 この作戦にウェインをはじめとした皆が寛容であること。
 ウェインたちにも多大な迷惑がかかる。
 特に、正面突破隊の連中に関しては、突入してからのほぼ全てが文字通り「無駄骨になる」と言う意味で超超多大な迷惑がかかる。俺が正面隊であればそんな作戦は棄却するかもしれない。
「……司令官に負荷がかかってしまうのは確かに問題ではあるのだが、」
 わざわざ口にされるまでもないことを口にするトラスト。
 こう口にした以上、この作戦を考えるに当たってすでにコイツはこの問題を考えた上で発言しているのだろうと推測する。
 理由は、トラストが突発的な問題に弱いところにあるということ。過去に黙示録で、一度だけトラストの予想外をついたコンボが成功したことがある。と言っても結局運が悪く負けてしまったわけだが、あの時のように突発事項があると軽くパニックを起こすこいつの性格は、それに限ったことではない。仕事上でも何度かパニクって固まることがあり、そのたびにフォローに回るのは周囲の仕事のひとつだ。
「――この作戦の良い点としては、すでに作戦として決められていることと平行して行うことができるという点にある」
 言葉を続けるトラストの声に耳を傾ける。
 平行して行う、と言うのは言葉上に過ぎない。
 普通に攻略するのが無理だと判断したら行う、というだけの話で、実行するのはいささか無理があるというのは自覚済みなのだろう。
「何より正面突破組がただの捨て駒にはならない」
 無駄骨にはなるけどな――、とはあえて口にしない。言うだけ時間の無駄だ。
 正面隊はあくまで囮。ウェインが言った通りの意味だ。
 そんなことをするはずがない、むしろできるとすら思っていないゲームマスターの裏をかくのであれば、正面隊の存在がこの作戦を全否定してくれることが望ましい。
 それは、正面隊の連中が優秀であればあるほど効果的だ。
 正面切って戦いに挑む彼らの姿を見て、こんな無茶苦茶な作戦が裏にあるなど誰が想像するだろう。

 それにしても、誰も犠牲が出る方に関して何も言わないのは何なんだ。
 無駄死にではない、ないがこの作戦で死人が出るのはわかりきった決定事項なのに。


「行こう、撤退だ!」
 念のため言うだけ言って少しだけ走り、途中で俺はジェスチャーで黙るように合図をしつつ全員を立ち止まらせた。
 地図を取り出し、裏に『不自然じゃないように何かしゃべりながら聞いてくれ』と書き込む。
「どうでもいいけどどこまで行きゃいいんだい」
 早速ブラフを呟いたのはフィリス。
「出口までだ決まってるだろ」
 言いつつ、グッジョブ!とジェスチャーを送ると、さらに裏に文字を書き込む。
『玉座からモンスターはたぶん出ない。そこで作戦だ』
 ずっと考えていたことだ、という前振りは省いて作戦を書いて行く。
 トラストの作戦を聞いたその時からずっと思っていたことだ。
「――」
 カルラが、俺の文字を見て一度俺の方を向く。
『どうだろう?無理はあるか?』
 最後にそう書き込むと、全員――トラストとアズレトはこの場にいないので除外だが、それ以外の全員が首を横に振る。フィリスが俺の手からペンをもぎ取り、俺の文字の下に文字を書き込んだ。
『無謀だと何度言ったら』
 日本語に変換された文字に、思わず苦笑を漏らしそうになった。


「――リリー、今どこにいる?」
「中央に向かってるけど」
 呟くリリー。声が直接聞こえるような距離にいるリリーとは、玉座から少し離れたところで偶然に出会った――会った瞬間のジェスチャーに気付いて言葉は発していない――ので軽く地図の裏を見せて説明しておいた。
 最後のフィリスの書き込みに一瞬吹き出し、慌てて口に手を当てて笑いを押し殺す。
――一応リーダーである俺はともかくリリーがウィスパーによる監視を受けている可能性は低いが、作戦の要として監視されている可能性がまだ残っているため、楽観はできない。
 と言うか、荷物が超重そうだがその重さを無視するかのような速度で飛ぶリリーの筋力はどのくらいなのか。っつーか荷物の中に金属も入ってたよな……
「全力で飛び回れ、――ウェイン」
 一応声をかけると、『わかってる』と声が帰った。

『トラストの作戦を実行する。――20分以内に用事がある者は時計から目を離すな』

 そう。
 この作戦はリリーの『加速』が要だ。
 つまり、現実での時間は『加速』が始まると同時に、ゲームにログインしている全員の――リリー以外の感覚を無視して飛ぶように過ぎるはずだ。
「行くぞリリー、カウントダウンしてくれ」
 目の前で、滅多に人に羽を晒さないリリーがその羽を大きく広げる。
「了解」
 そして左手のグーとパーだけで『バイバイ』を表現し、荷物で重いはずのその姿は重さを感じさせずに角を曲がる。――あと一度角を曲がれば玉座のはずだ。
『3、2――』
 カウントダウンが始まると同時、俺たちは目的の位置に向けて走り出した。
『1、――突入開始』
 俺たちの目には見えていないが、ゲームマスターは今どんな顔でそれを見ているのか。
 時計を見ると、すでに分針が秒針のようなスピードで動いている。
『あ』
 リリーが何かに気付いたような声を上げる。
『ごめんね、トラスト』
『構わない』
 途中でトラストの姿でも見付けたのだろうか。まぁ作戦立案者だしこれで死ぬ分には文句は出ないだろう。
『――準備完了、』
 リリーの言葉と同時に、時計の針が普通の動きに戻る。

『じゃあ皆、後よろしく!』

 リリーの言葉と同時、

   ごうんッ!

 玉座の方から轟音が響き渡った。



[16740] 39- 爆発
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:0f26c9ba
Date: 2012/04/14 00:07
 大学か何かの講義で実験をしているのを撮った動画を見たことはあった。
 実験では防護ガラスを割ることもなく、内側で爆発しただけだったが。
 空気中にある一定以上の濃度で浮かぶ粉があれば実行可能だ。

 その「一定以上の濃度で浮かぶ粉」は、リリーが持って行った「物資」だ。
 爆弾が作成されるのであれば、その原料となる「火薬」がこの世界には存在する。
 そう、リリーの持って行った「物資」とは――「火薬」。
 さらに、アズレトの余計な一言で、その物資の半分は別のものに変わった。
 現実世界において、最も手に入れやすいであろう「爆発の材料」とは何か。
 そして、すでに作戦が漏れているのであれば意味がないが、それはゲームマスターの視界を奪う役目をも同時に果たす。

「――成功率を上げるならむしろ、小麦粉で煙幕張るってのはどうだ」

 小麦粉。そんなものが存在するとは俺も知らなかったが、考えてみれば製作スキルがある以上、お菓子作りや料理に必要な小麦粉は必須アイテムだ。
 ゲームマスターの視界を遮り、「爆発」の材料として機能し、さらに重量を減らすことでリリーの負担を軽減する「小麦粉」は、トラストの作戦にはぴったり当てはまった。
 そしてトラストの作戦は形となった。

 現象の名は「粉塵爆発」。

 そんなものがゲーム内で現象として起きるのか、と言うのは甚だ疑問だったが、それはたった今、リリーの手によって「起きる」という答えが実証された。
 代わりに、実行したリリーの生存確率は0に等しいが。

 玉座の方から轟音が鳴り響くと同時、俺たちの先頭に立つカルラが両手を前に突き出した。
「――『ライト・クォリフィケィション・シールド』」
 半透明の巨大な盾がカルラの目の前に現れ、

――瞬間、がらがらと目の前の壁が音を立てて崩れ去る!

『うっわマジで』
 さすがにここまで強力な爆発をするとは思っていなかったのだろう。フィリスがヒいたような声を出す。ウィスパーが繋がっていなければ、俺にその声が届くことはなかっただろう、その程度には小声だったが。
 さらに、玉座から砕けた壁はもう1枚――つまり粉塵爆発は合計で中心から2枚――壁をぶち破る。
 カルラの盾に、崩れた城壁が音を立ててぶち当たり、ガンガンと音を立てた。
「――あと2秒」
 カルラの呟きが、その盾の継続時間を告げる。
 頭の中で一応カウントダウンするが、もはやそのカウントダウンに意味はない。
 粉塵爆発は一瞬だ。すでに次の爆発が起きる可能性は、ゼロに等しい。
 一応メンバーに手招きして、全員が破壊されていない壁の後ろに隠れる。

『――ッ、やって――くれる』

 エクトルの声が頭の中に鳴り響く。
――コイツ、わかってはいたがやっぱりウィスパーで監視してたか、……と言うよりあの爆発で生きてるのかよ。
『ゲームマスターか』
 ウェインがその声にそう返すと、エクトルは舌打ちでその返事を返した。
 何も喋らずにいることがウィスパー監視の基本だ。つまり、これでもう監視は監視の役目を果たさないと察したのだろう。
「今回の作戦のリーダー全員の会話を盗聴か。……4班リーダーは相当初っ端からやられてたんだな」
 思わず苦笑してしまう。
『ウィスパー、ゲームマスターエクトル。――アウト』
 ウェインが即座にゲームマスターとウィスパーを繋ぎ、ウィスパー回線を遮断した。当然ながら俺たちリーダーとの会話も遮断されてしまうが、今となってはウィスパーを繋いでいる意味もない。
 ドッペルの存在は、リアがその特性について語ってくれた時から危険視していたはずだ。
 だというのに、俺たちはその存在はもう危険ではないものとして勝手に判断してしまっていたが、考えてみれば当たり前か。
 俺たちの会話は、4班リーダーを介してだけではなく、……俺たちの会話自体が盗聴されていたわけだ。
「……4班リーダーがドッペルだった時点で気付くべきだったということね」
 リアが苦笑する。
「――ウィスパー、ゲームマスターエクトル。――アウト」
 ウェインに倣って回線を切りながら、盗聴をしていたのはいつからか、と考える。
 推測するしかないが、……たぶん今回の作戦が開始されるにあたり、ウェインを中心にウィスパーによる情報網を展開させた時だ。

 それでも疑問が残るのは、俺の耳にはウェインの声しか届いていなかったことだ。

 ウェインは全員からのウィスパーが届く。全班を束ねるリーダーとして、情報管理のために。
――が、俺はどうか。
 俺には、他のリーダーと回線を繋いだエクトルの声は聞こえていない。とすれば、ゲームマスターが最後にウィスパーを繋いだのは俺、ということになるのか。
 ウェインは、……各リーダーとウィスパーを繋いだから、そのうち1人がゲームマスターでも気付かなかったのかもしれない。
 俺が繋いでいたのはウェインだけで、別のリーダーとは繋がっていない。
 ウェインの所属する5班以外の動向は全くわからないが。

――あれ?

 そう言えばこれだけ時間経ってるのに、1、3、6、7班とは全く会ってねぇな。
 いや、会ってないという意味では5班も、そして突入前に敗れた正面班も4班も同じだが……
「ウィスパー、ウェイン=マークウッド」
 とりあえずウェインとの回線を繋ぎなおす。
「なぁ、1367はどうした。まさか全滅してんのか?」
 さすがにないな、と自分でも思いつつ聞いてみると、ウェインが「ん?」と声を漏らした。
『1は壁を破壊せず迷宮突破。俺たちの突入前にゲームマスターと戦闘して全滅だそうだ』
 馬鹿かよ。何のために作戦を立てたのかわからん。
『3・6・7は壁破壊後にモンスターたちと戦闘して、残ったメンバーは撤退中だ。ちなみに3はリーダーが死んで別のリーダーになっている』
「1はともかく、その3・6・7とも一度も会ってないんだが」
 む、とウェインが呟く。
『――おかしいな。玉座には突入していたはずなんだが』
 玉座に突入したのであれば、……
「爆弾の音すらしなかった気がするんだが」
 そうだ。俺たちが突入して以降、爆発するはずの音は一切聞こえていない。
 5班については俺たちと同時に爆破の予定だったから、タイミング次第ではこちらに音は届かないはずだが、残りに関してはどうなのか。
 トラストの最初の案は「城を破壊しつつ突き進む」。
 この際、どの班から玉座に突入するかが最大の論点だった。
 元のトラストの作戦は、確か4班の後、2・5、1・3、6・7じゃなかったっけか。
 正面から正反対に位置する4を筆頭に、正面に近い2と4に近い5を同時に爆破。ちょっと時間差で1・3、最後に1・2・3に敵側戦力が集中したところで6・7が爆破し、真横から奇襲――確かトラストの案はそんな感じだったはずだ。
 ウェインが変更したのは1が爆弾を使わず通り抜ける――これは1のリーダーが提案したらしい――ことと、6・7が3より先に爆破するということ。
 6・7側に戦力が集中することで、3の戦力が背後から奇襲できる――ということだったはずだ。
 それが爆発していない、と考えるなら最悪のパターンとして、

 今の3・6・7のリーダー3人は全員ドッペル、……という想定ができる。

「まさかの残りリーダー3人が全員ドッペルとかないよな」
『……考えたくもないな』
 考えても仕方ない可能性はとりあえず横に置く。次の可能性としては、
「爆発する前に強襲されたとか」
『そんな話は聞いてない』
 ウェインがそういうのならそうだろう。リーダーとは全員ウィスパーで繋がっていた。
「まぁ何にせよ異常事態だな」
『まいったな……』
 返答と一緒に空笑いが返る。
 全くだ、と返答を返して少し考える。
「とりあえず、ウィスパー回線は定期的に遮断すべきだな」
『あぁ』
 そう言うだけ言って、ウェインは『アウト』とウィスパーを切った。
 俺も一応切りつつ、さてどうしたものかと考えてみる。

 正面突破の連中が雑魚を残した理由。

 恐らく、際限のないあの玉座の状況を見て、正面隊の連中は雑魚を倒すのをやめたのだろうと推測する。
 考えられる理由はひとつ。
 一匹でも多くの中級モンスター、もしくは、あわよくばゲームマスターを倒そうという判断をしたからだ。
 そのゲームマスターがライドワードの回復によって討伐困難である以上、正面隊の連中は間違いなく、目標を中級モンスターに定め直したはずだ。

「……たたみかけよう」

 玉座の方から、音がほとんどしない。
 回復しているのか、それとも想定外の事態でエクトルが混乱しているたけなのかはわからないが、チャンスがあるとすれば今だ。
 アズレトやトラストのいる位置に関しては予想が付くし、アズレトであればトラストを完璧にガードして余りあるだろう。
 もしトラストが死んでいたとしても、もうあいつにできることは多分、何もない。
「OK、先行くよ!」
 言うなり、フィリスはまだ爆煙の立ち込める玉座へ走った。慌ててフィリスとウィスパーを繋ぐと、それを尻目にイシュメルも続いて飛び込んだ。
――イシュメルは後衛として、弓で牽制に徹するだろうとわかってはいても、同じレベルの俺は頭脳しか担当できないのはちょっと情けないなと思う。

「気を付けてくれよ、これからエンカウントするだろう敵は全部ボス以上だ」

 一応注意すると、『マジで』とフィリスから苦笑が返る。
 さっきの爆発で生き残れるとしたら、何が想定できるのか。
 城壁2枚、確か壁1枚で「破壊力300」だったはず。とすれば、破壊力600はあった今の爆発はどの程度のダメージになるのか。
「リア、城壁一枚ってどの程度のダメージになると思う?」
「確かヒットポイントに換算して3000だったはずよ」
 過去のデータだけれど、と付け加えるリアの言葉に、即座に破壊力1=10という計算をする。
「私も先に行ってるわね」
 リアが呟いて駆け出すと同時に、「あ、ボクも」と炎の狼に跨ったムルもそれに続く。
 1枚の壁が3000。となると、単純計算で6000程度のダメージが、玉座内部で起こったことになる。
「さっき玉座にいた敵で、6000ダメージ受けて死なないようなボス以外のモンスターは?」
 隣に唯一残ったカルラに聞いてみる。
「――ボス以外は、……ライドワードも含めて――多分」
 ボスしか残っていない、と言うことならばまだこちらに分はあるが、……相手はサモンのエキスパートだ。
 が、すでに俺たちは「小数部隊」だ。
 リリーが欠けた今、俺たちの班はたったの8人。アズレトやトラストの隠れて入る場所によっては6人しかエクトルの回りには存在しない。

「ウィスパー、アズレト=バツィン」

 トラストよりも生存率の高いアズレトにウィスパーを繋ぐ。
「アズレト、その位置からマスターは見えるか?」
『――見える』
 単純な質問から、位置を推測する。
 見える、と言うのであれば隠匿場所は限られる。
 上か下か。
 天井に張り付く、または登る手段があるのなら、上に隠れる手段もあるだろう。
 だが恐らく、――まだ完全に爆煙は晴れていないので見えないが――天井も今の爆発で相当破壊されたはずだ。
 だとしたら下か。――答えはNOだ。
 下も同じだ。地下があったとしても、恐らく同じ要領で破壊されているだろう。
――だとしたら。

「――通路か」

 玉座から続く通路は2・4・5班の爆弾で開いた通路と、そして元々開いていた通路だ。
――トラストの嬢ちゃんはベルゼから逃げる直前に壁にこっそり隠れて手を振ってるのを見た――
 イシュメルの言葉を思い出す。
 最初トラストがいた場所はどこか。
 俺たちと同じところから、カルラに頭を引っ掴まれて地に伏せ、……あそこでベルゼから隠れるポイントと言えば一箇所しかない。
 俺たちが破壊した壁。
 爆発による破壊ではなく、カルラが破壊した方の壁だ。
 だとすれば、地図を頭に入れていたトラストであればシミュレートできるだろう。
――俺に気付かれずジェスチャーでアズレトと合流し、かつ現在ゲームマスターが見える位置。

 正面通路。俺が一度ログアウトした付近の、タイラントが破壊した地面の下だ。

 トラストのやろうとしていることが、俺の推測と同じものなら、今の期をおいてほかにない。
「――カルラ、魔力剤は?」
「――3回、……全回復分」
 3回。
 あの盾を3回出せるだけのMPが残っているなら。
 いやむしろ1回でいい。
 そしてそれがおそらく勝つためのラストチャンスだ。
「……全快しておいてくれ」
 自然回復しないとはいえ、アイテムによる回復は受け付けるはずだと予想する。
 カルラは青い魔力剤の瓶を1つ、一気にあおって飲み干した。
 この作戦は多分、また皆に無謀だ馬鹿だと罵られるのだろう。しかもそれで絶対に勝てるのかと問われたら、五部だと答えるしかない。
 一応、爆煙で覆われていた視界が徐々に晴れてきた玉座の状況を見回す。
 まず天井。……崩れ落ちはしなかったようだが、城の2階部分に登れそうな勢いで破壊されている。
 次に地面。……ヒビが入ってはいるが、崩れ落ちてはいない。
「アズレト、……MPは?」
『全快。絶好調だ』
 となれば、後は運の要素以外全ての準備が整っている。
 まぁ運が悪かったとしても勝てる要素は間違いなく残ってはいるが。

「ウィスパー、リア=ノーサム。ウィスパー、イシュメル=リーヴェント」
 生きているとして、アズレトと一緒にいるであろうトラストは除外でいい。……あとはムルだが、
「リア、……ムルに俺にウィスするように言ってくれ」
『――ムル、アキラにウィスパーをお願い』
 ひと呼吸おいてリアの声が聞こえ、そしてムルの『どしたの』と言う緊張感のない声が聞こえた。
 さて。どう伝えるか。――簡単なことだ。

「アレを使う。トラストの今考えてるだろう作戦通りに」

 くく、とアズレトの笑いが頭に響いた。
『気付くと思っていた、――だとさ』
 あの野郎。買いかぶりすぎだ。
 俺が気付かなかったら全てが無駄だったはずだ。
「――今からやることは俺の無謀じゃないぞ。一応言っとく」
 全員から『はいはい』と呆れた口調が返った。
 くっそ、誰も納得しちゃいねぇだと……

 そして、それを懐から取り出す。
「――……っ!」
 全てを悟ったのだろう。カルラが絶句したように驚愕の視線を向ける。
「……ウィスパー、トラスト=レフィル」
 一応トラストにウィスパーを繋ぐ。
「トラスト、自分の立てた作戦だ。悔いはないな?」
『……うむ、――やれ』
 もう一度、アズレトの笑いを押し殺す声が聞こえる。
「笑ってるけどアズレト、お前もだぞ」
『ん?あぁわかってるさ』
 そうか、とだけ返答して、息を整える。

 今ならわかる。
――ゲームにも関わらず、俺の無謀に怒り狂った皆の気持ちが。
 確かに本人は楽しいかもしれない。
 だが本人以外は楽しいとは程遠い感情だろう。

 自分の目の前。手を伸ばせば届くであろう距離で、誰かが死ぬと言う光景など、ゲームであろうと見たいものではない。
「全員、――」

 さぁ始めよう。救いのない戦いの結末を。
 運が良ければ――あるいは悪ければ、全員無事でイベントクリアだ。

 運が悪ければ、――あるいは良ければ――

「こっち側に撤退だ!」
 最悪の状況ではあるが、恐らくイベントはクリアできるだろう。



[16740] 40- 決着
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:0f26c9ba
Date: 2012/05/18 10:34
 こっち側に撤退、とそう宣言してから数分が立つ。
 とりあえずこちらに即座に戻ってきたのはムルだ。
『今度は何をやらかそうと言うのやら』
 フィリスがあっはは、と笑いながら、撤退のために剣を振りながら進路を開く。
 リアはその背を守る役か、ゲームマスターからの一撃一撃を捌きつつ――直撃を受けなければ威力はさほど高くはないらしい――時々受けては即座に回復しつつ。フィリスの方をちらちらと見ながら後退する。
『さぁ、何かしらね』
 呪文の間に溜息混じりに呟いたフィリスへの返答は、しかしくすり、と笑いを含んでいた。
 その様子を見ながら、ゲームマスターの表情をとりあえずチェックする。

「撤退してんだから逃がしてくれればいいのにな。意外と粘着質だな」

 あからさまに挑発してみると、一瞬、しかし確かにエクトルの視線がこちらへ泳いだ。
――思った通りだ。俺たちの班のリーダーが俺だと認識した上で、俺へのウィスパー監視。
 だとすれば、撤退だと言った言葉も聞こえていたはずだ。
……と、イシュメルの矢が風を切る音。
 俺とリアたちのちょうどど真ん中くらいまで後退し、すでにモンスターたちから距離を離している。
 風を切る矢の狙いはゲームマスターか。正確なその軌道はゲームマスターを狙ったもののようだ。
――とはいえ敏捷の差か、矢は狙った場所へは刺さらず、当たったとしてもせいぜいが腕か足だ。
 それでもエクトルの集中力は少なからず削っているらしく、リアの攻撃が何度か当たっている。

 その足元。――ゲームマスターは気付いていない。

 あと少しでいい。少しだけリアとフィリスが引き付けてくれればいい。
――いつでも実行に移せるよう、カルラに一応目配せを送る。
 一瞬目があったカルラに、指を3本立てて見せる。
 カルラの方はもうそれで見ない。
 たとえカルラがいなくても、この作戦は決行できる。

――あと少し。あまり引き付けすぎても困る。そろそろか。

 指を2本に減らす。
 間を俺の時間間隔で1秒開け、2本から1本へ。

「――イシュメル、牽制任せた!」

 言うなり、指を全てたたみ、同時にダッシュ。
 ここからゲームマスターの場所まで何秒かかるか、と言う計算はいらない。
 さっき玉座横断をした時の感覚と大差ない。
「アズレト!」
 叫び、かすかなアズレトの返事を無視してさらに走る。
 背後からかすかに足音。……カルラだろう。
『――何しようってんだ』
 呆れたように呟くイシュメル。それと同時に無数の矢が俺の背後から飛んだ。
 何かのスキルなのか、それとも俺に当たるのを覚悟で「数撃ちゃ当たる」なのか。
 俺に当たっていないところを見るとどうやら前者だろう。
 フィリスとリアが驚いた顔でこっちを見る。それと同時に、正面通路からゲームマスターの背後に走る人影。――アズレトだ。
『こっちだゲームマスター!』
 アズレトの声に、ゲームマスターが驚いたように振り返る。
――声をかけるのが早すぎだアズレト、と一瞬思ったがすぐ気付く。

 予定より俺が動くのが遅かったらしい。つまりアレはトラストの計算か。

 今戦っているリアを、そして走って近付く俺を無視してアズレトの方へ意識を向けるエクトル。
 いつだって、突発事項さえなければ――トラストの計算はいつだって正しい。
 エクトルの足が地を駆ける。
 あの超速攻撃がアズレトに向かうと、アズレトは身を翻してそれを避ける。
――が、エクトルの攻撃が直角に曲がる。
 毎回思うが、あの速度で曲がるとか反則だ。
 だがアズレトのHPの高さも反則に近い。直撃を受けたにも関わらず、何事もなかったかのようにバックステップで距離を取る。
 距離を詰めようとゲームマスターが踏み出すのとアズレトが杖を振り上げるのはほぼ同時。
 それに一歩遅れて俺とカルラが辿り着いた。
「――行くぞ、ゲームマスター」
 肉声で聞こえるアズレトの声。振り上げた杖が一閃される。

 スキル名、「神の怒り」。

――杖スキル中唯一の範囲攻撃で、中程度の範囲全ての敵に対し、MPを全消費して使用される技よ、とリアから受けた説明を思い出す。
 アズレトの杖を軸に、半径1メートルほどの床がバキバキと悲鳴を上げた。
 すでに入っていた床の亀裂が、アズレトのスキルを受けて大きく広がり、音を立てて崩れ落ちる。
 狙いは1つ。

「全員突貫!」

「マジで!?」
 言いながらも、フィリスは律儀にも真っ先に――俺が走り出すより早く、穴へと走っていた。
「マジで!」
 俺もそれに続きながら叫ぶ。
 そう。トラストの作戦はゲームマスターの孤立。
 穴に落ちたゲームマスターは自力で戦うか、新たに別種のサモンをしなければいけない。
 玉座1Fにいるボスが落下してきたとしても新たにサモンしたとしても、これだけ密集しているボス全部を相手にするよりは遥かにマシなはずだ。
「なるほどそういうことね、ひゃっほぅ!」
 作戦の意図に気付いたのか、言いながらフィリスが穴へとダイブする。
 俺は穴の淵で一瞬躊躇し、
「――言いだしっぺはさっさと降りろ」
 イシュメルに蹴られて仕方なく跳び降りる。
『……流石に驚いたわ。……考えたわね』
 リアがぽそりと呟いて、苦笑しつつ背中の4枚の羽でふわりと浮いた。
「――そういえばリアってティタニアだったっけ」
 ほとんどずっと羽をたたんでるからすっかり忘れてた。
『私も忘れていたわ。実は飛ぶのは苦手なのよ』
 くすりと笑いながら冗談なのか本気なのかわからない言葉を返し、リアは滞空したまま魔力剤を呷った。
 ガギン!と金属音がして、思わずそちらに視線を向ける。
 フィリスのタイ剣とエクトルの短剣が交錯していた。ってか短剣の立てる音じゃなかったぞ。
――と思う間もなく、エクトルの手が高速で横薙ぎに動く。
「――ッ!」
 フィリスの腕にひと筋の赤い線。
 大したダメージではないのだろう、フィリスはそれを無視し、タイ剣を片手に持ち替え、離した右手で腰の細剣を抜き、そのままエクトルの喉元へ突き込む。
――が、エクトルの方が一瞬早い。予想していたのか気付いたのか、顎を反らしてそれを避け、それをカムフラージュに今度はフィリスのがら空きの腹へ短剣を凪ぐ。
「チッ――」
 舌打ちをしながら、フィリスがバックステップでそれを回避。
 その瞬間を狙ったのだろう、イシュメルが弓を放つ風切り音。
 俺の後ろにいたはずのイシュメルはいつの間にかチョロチョロと移動していた。
 ちらりとそちらを見たエクトルの姿がブレる。
「しま――ッ!」
 イシュメルの叫びも、危ない、と他の全員が思うのもすでに遅い。
 エクトルの姿はすでにイシュメルの懐に飛び込んでいた。
「イシュメル!」
 叫び、フィリスがそれを追う。
「目障りだ」
 エクトルがたった一言を呟くと、もう一度エクトルの姿がブレる。
 風を切る音。
 エクトルが前にリアに向けて言った言葉がフラッシュバックする。
――ヤバいと思い咄嗟に地面を蹴ると、そこに上から黒い影。
 短剣の立てる音ではない、と何度も思った金属の衝突音。

「――随分乱暴ね、ゲームマスター」
「言っただろう、――弱い者から片付けるのは鉄則だと」

 言いつつも、さっきサシで自分と渡り合っていたリアを相手にするのはさすがにキツいのか、フンと鼻を鳴らして距離を取る。
   がギィン!
――と見せかけてもう一度こちらを狙ったのか、瞬きした瞬間にいつの間にかリアが俺を庇っていた。

「――下がりなさいアキラ。悪いけれど少し邪魔よ」

 言われて仕方なく後ろへ下がる。
 それと同時に一歩カルラが前へと進む。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、――』」
 口から滑らかに発せられる呪文。最後の一語がないのはタイミングを見ているのか。
 フレイムは横薙ぎの炎。――今撃つとリアに当たるから中断しているのだろう。

「ラスボスさえ倒せばゲームクリアってのも鉄則だよ!」

 フィリスが叫びつつエクトルの背後に迫る。その声にいつもの飄々とした感じはない。
 目の前でイシュメルを倒されたからか。
 しかし頭に血が上っているわけでもないようで、一瞬視線を走らせると瞬時にバックステップ。
 それに合わせたわけでもないだろうがリアも数歩距離を取る。

 そこに無数の赤い糸。

「――!」
 エクトルは驚いたように目を見開くと、腰から剣を素早く抜いた。
 その剣で『糸』を絡め取るように逃げ場を作り、赤い糸の包囲から脱出する。
 というか、あの糸実体があるのか。――まぁ、実体がなかったらモンスター捕縛したりできないよな、などとどうでもいいことを考える。
 しかしそれを見逃すフィリスやリアではない。
 脱出する先を見越していたのか、まずフィリスが大きく振りかぶったタイ剣をその首目がけて振り下ろすと、リアがその逃げ道を塞ぐ形で進路を塞ぐ。
 舌打ちがウィスパー越しに聞こえ、エクトルの視線がリアとフィリスを一度づつ捕らえた。
 完璧とは行かないだろうが、これは行けるだろう。
――と思った瞬間。
 風を切る音と共にエクトルの体がブレた。
 まさかこっちに来るかと思わず身構え、思わず数回瞬きし、――
『――ッ、――!』
 ウィスパー越しに聞こえた呻きに思わずそちらに目を向け、絶句する。

 フィリスの懐にエクトルがいた。

『――済まないな。隙だらけだったものでな』
 あっさり呟くと同時に、フィリスの膝が崩れ落ちる。
 そこにさっき絡め取られたムルの赤い糸が動き、エクトルの背後から迫る。
 だが――冷静に攻撃するのはいいが冷静になりきれていない。
「サモン、ウィクトールバード」
 その言葉に応じ、数匹の鳥がエクトルと糸との間に現れると同時、赤い糸が鳥たちを絡め取り、蒸発するかのように鳥たちは焼け落ちた。
 それを見て気付く。さっきの状況でも同じ手が通じたはずだ。
 糸を防ぐだけなら召還で事足りるのに、わざわざ剣を使って脱出して見せた意図。
――隙を見せておいて相手の隙を突いた。エクトルのやったのはそれだけだ。
 フィリスを見る。――もはやぴくりとも動かない。
 俺は気付かず、指示すらせずに主力を無駄に失った。それだけだ。
「リア、蘇生は可能か?」
「――難しいわね」
 フィリスの蘇生はリアの一言で無理だと悟る。
 今いるメンバーで何とかするしかない。――そう決める。
 だが、俺に指示する裁量なんかない。皆それをわかってリーダーに俺を据えた。
 打開策を見つけるしかない。この状況でも勝てる策を。
 トラストは今どこにいるだろう。――一瞬そう思ってから、とりあえずは無視だと判断する。
 主力戦力になり得るのはムル・リア・アズレトだ。
――いかにフィリスが頼もしい主力であったのかがイヤというほどわかる。
 主力と言う意味ではカルラもだが、現状出て行かせるわけにはいかないので除外。俺は戦力外通告を自分で自分に出している。

「――この状況で集中力を殺ぐようで悪いが、質問は許されるのかゲームマスター」

 ウィスパーに気付いていないフリをしつつ、とりあえず話しかけてみる。
 当然ながら返答は返らないだろう、――と思ったが、
『どうせ気付いているだろう、構わないぞ。――システム以外の質問に限るがな』
 意外にもあっさりとウィスパー越しに返答が返る。
「いつからウィスパーを監視していた?システムじゃないから答えてくれよ」
『――くく、それに答える義理はないな』
 愉快そうに笑うエクトル。こちらからでは表情は見えないが、戦いながら笑う余裕があると言いたいのか。
『訂正しておこう。システムと作戦に関する質問以外の質問であれば答えよう』
 律儀に訂正しつつ、エクトルは右手に持った短剣を振る。カキンと音がして、弾かれたのは多分リアの放ったナイフだ。
『ダンシング・ソード』
 リアの涼しい声が聞こえると同時に、もう一度エクトルが短剣を振るう。
 今度は叩き落されるナイフが見えた。
「――じゃあシステムでも作戦でもない質問だ」
 今回、エクトルは何の説明もせずイベントを始めた。
 だから、

「イベントクリアの条件を聞かせてくれ」

 せめてこの程度の質問は許されて欲しい。
『――く、――っくく、今更それを問うのか』
 まさに今更だ。
 最初に問うべき質問。だがそれを誰もマスターに問わなかった。
 問わなかったから答えなかった。そう言われたら返す言葉もない。
――だから敢えて今、その質問を投げた。
 さぁ、答えるか答えないか。
 聞かれるまでもない質問であれば、当然答えは決まっている。
 タイムオーバー、ゲームマスター討伐、ゲームマスターを含む敵の全滅、そして俺たちの全滅。
――このうちのいくつかが答えのはずだ。

 なぜなら、それ以外の答えはゲームとして成立しないからだ。

『私を倒せばクリア、君たちの全滅がゲームオーバーだ』
 言ったな、と内心ほくそ笑む。
 これでほぼ勝利は確定した。――よほど運が悪くなければ勝てる。
 だが、――できれば運ではなく実力で勝ちたいところだ。
 運に左右される勝利は、ジャンケンで勝つのと大差ない。

 フィリスやイシュメルが死んだ時点で、戦闘による勝ち目はもう薄い。

 ないとは言わない。リアが主力となり、それを他全員でカバーしつつ戦えばあるいは、勝てる見込みは十分にある。
 だが向こうもそれは承知のはずだ。
――だとしたら、

「リア、ナイフはあと何本持ってる?」

 リアを主力にするわけにはいかない。
 主力はムルとアズレトだ。今現在、いい感じで挟み撃ちができる。
――だが、それすらエクトルが計算していたら……、いやもうそこまで考えている暇はない。
『20本ね。――どうするのかしら』
 20本。――予想より多い。
「操れるだけ操って撹乱してくれ。――できるか?」
 返事より先に、リアが動いた。
 浮かぶリアが、スカートの裾を軽く持ち上げて払うと、短剣がバラバラと零れ落ちる。
「ムル、リアと一緒に撹乱を頼む!」
 ムルも返事より先に動いた。
 と言うより、すでにその行動を予定していたのだろうか。
 無数の赤い糸がエクトル目がけて襲いかかる。
 エクトルがふん、と鼻を鳴らしたのがウィスパー越しに聞こえた。
『サモン、――』
 サモンの際、呼び出すモンスターの名前の前。ワンテンポ置く癖は把握している。

「今だフィリス!」
『――なッ!?』

 俺の声に驚愕し、エクトルが振り向いた。
『――ッ!』
 だが、当然ながら死んでいるフィリスが動くはずもない。
 ようやく謀られたと悟ったエクトルはすでに赤い糸に絡めとられる寸前だ。
『ッッ!』
 喉の奥から焦ったような呻きを漏らし、エクトルがバックステップしつつそれを剣で払う。
『ダンシング・ソード』
 リアの声にリアを仰ぐ。
 手には青い液体の瓶が2本。魔力剤が続く限り操る気満々らしい。
 エクトルは手に持つ短剣でそれを弾きつつ、腰から剣を抜いた。
『ダンシング・ソード、ダンシング・ソード』
 もう詰め将棋と同じだ。
 リアとムルが詰めて行き、背後のアズレトが奇襲。
 詰むはずだ。詰むと思いたい。
『ダンシング・ソード、ダンシング・ソード、ダンシング・ソード』
 リアの声が次々と短剣を操って行く。あれだけの数のナイフを、一本も落とさず操り続けるのはどのくらいの技術なのか。――リアさえよければ俺も試してみたいところだ。ってかリア楽しそうだな。
 あの魔法のMP消費は一体どのくらいなのか、と思った瞬間、ムルが糸で隙を作り、その隙にリアが手に持った魔力剤を一口含んだ。
 余裕のあるうちに飲んでいるのか、MPが枯渇したから飲んだのかはわからない。
『ダンシング・ソード、ダンシング・ソード』
 それでも間をほとんど置かずに操られる短剣が、徐々にエクトルに当たり始める。
『――チッ……!』
 舌打ちをしつつ、後ろに下がるエクトル。
 俺はちらりとエクトルが退がるその先を見る。
 物陰に隠れている、という情けない姿のアズレトと目が合ったと同時、アズレトは微かに一度頷いた。
――意図は伝わっているようだ。
 行けるはずだ。――そう信じたい。
 あとは運。これは詰め将棋ではないから、運の要素が絡んでくる。
 何かのはずみでエクトルがこの作戦の意図に気付くかもしれない。
 何か予期せぬことが起こるかもしれない。
『ダンシング・ソード』
 同じ呪文だけを繰り返しつつ、リアが再び魔力剤を――呷る。呷ったということは飲み干したということ。つまり魔力剤はあと1本か――と思ったが、リアは懐からもう一本魔力剤を取り出した。

――って、ちょっと待て。魔力剤そんなに残してたのか。

 今更気付いた。
 さっきMPが限界とか言ってた時、粘り続けられた理由はこれか。
 魔力を残してたわけではなく、魔力剤を隠し持ってたわけか。
『ダンシング・ソード』
 つまるところ、まだ全然続く。――リアの攻撃の方は余裕だ。
 ムルの赤い糸は、一度出したらMPを消費しないのか、器用に逃げ道を塞いで動く。
 いや、もう逃げ道云々ではなく当てるつもりでやっている。
 あわよくばこのまま絡め取ってやろうと考えているらしい。
 それでも背後に隙を残すあたり、一応は作戦の趣旨を理解しているのか。
『ダンシング・ソード』
 何十回目かの呪文の後、手に持つ魔力剤の瓶をリアは不意にエクトルに向けて投げた。
『――ッ!?』
 驚愕の表情を浮かべ、エクトルがそれを避けると、地面に落ちた瓶が砕け散った。
『……く、姑息な真似を!』
 言うエクトルの声にはすでに余裕はない。
 その調子で余裕を削って、いずれ辿り着くアズレトの位置で詰めだ。

――そう思った瞬間、それは起きた。

   がぁァッ!!
 上から聞こえる、何かが吼える声と爆音。
 思わず見上げ、
「――リア!」
 自分の考えの至らなさを呪う。
 崩れ落ちた床の穴。そのすぐそばに。
――よりによってタイラント!
『迂闊――、……ッ!』
 リアの声。回避したのかダメージは低そうだが、――背に湛えた黒い羽から煙。
『――ッ、ダンシング・ソード!』
 焼かれた羽では飛べないのか、頭を下に落下しつつ、それでもエクトルに向けてナイフを操る。
 操られたナイフはエクトルの腕を掠め、リアはどさりと音を立てて落ちた。
 いくつかのナイフがからんからんと音を立てて落下する。
「リア!」
『大丈夫よ』
 死んではいないようだが、それでも起き上がれないのか体を横たえたままだ。
『……ダンシング・ソード』
 リアはその状態でも詠唱をやめない。
 落ちていないいくつかのナイフが声に応じてエクトルを襲う。
『く、――しつこい!』
 言うなりエクトルはナイフを無視し、糸を剣で跳ね上げた。当然のようにナイフがいくつか肩に命中するが、しかしエクトルはそれすら刺さったまま、リアに憎悪の目を向ける。
 エクトルの狙いをすぐに察した。
「ムル!そっちへ行かせるな!」
『サモン、エンジェリックキャット!』
 俺の叫びとほぼ同時に、エクトルは腕を掲げて呪文を放つ。
 ムルが放った赤い糸は、現れた数匹の猫型モンスターを絡め取った。
 にゃあ!と断末魔を上げ、すぐに猫は掃討されるがもう遅い。
――と、物陰からアズレトが飛び出す!
 今リアを失えば致命的だ。アズレトの判断は正しいし、出なかったら俺は出ろと叫んでいたところだ。
 だが、それすらも遅い。俺は再び考えの甘さを思い知らされた。
 風を切る音。――高速移動スキル!
『あと、……何人だったかな?』
 言いながら、エクトルはリアに短剣を投げ付けた。
『――無念ね。……後は任せるわ、リーダー』
 任せるって言われてもな。……もう勝ち目ないだろ。
 残るは、戦力にならない俺とトラスト、そしてアズレトとムル、カルラ。
 ウェインたち5班や他の班の連中は、良くて城の外。悪くすれば5班を除いて全員敵だ。

 もう、戦闘での勝ち目はおそらく残されていない。

『残念だ。……私を追い詰めたその戦略は見事だったよ』
 ふん、と笑いながら、――リアはまだ息があったのだろう。肩に刺さったナイフを抜くと、それをリアにもう一度投げ付ける。
『特にナイフを操る技術は見事だった』
 それに、とちらりとアズレトに視線を向ける。
『あのまま追い詰められていたら背後から討たれていたか。――つくづく見事だ』
『あぁ、本当に見事だった』
 ゲームマスターの声に続いて、小声で可愛らしい声が聞こえた。
――ってトラストか。つい可愛らしいとか言っちゃったぞくっそ。
『――アレを使うだけで勝てるかもしれないというのに、使わずに勝とうと画策するとは』
 あっれ、そこは計算外だったのか?
 てっきりそれを狙ってるとばかり。
『しかしさすがに万策尽きただろう?……残りのメンバーで総攻撃という手以外は、だがな』
「今みたいに詰み将棋でまた詰めればやれるさ」
 一応言ってみる。
 だが虚言だ。……駒が足りない。一方向こうは、盾としてのサモンを含め、恐らく手駒となる駒は無数に……文字通り「無数」に持っているだろう。
『無駄だと思うがやってみるか?』
 中堅モンスターを大量に出されるだけで、数の上でも戦力でも圧倒される。
 ムルとアズレトに視線を向け、最後にカルラに視線を向ける。
 微かに、――俺にしかわからないほど微かに、カルラが頷いた。
「ムル、アズレト。……例のアレだ。間違いなくお前ら死ぬけど覚悟はいいか?」
 一応確認を取る。
『あんまりよくないけど仕方ないな』
『やれやれだね』
 二人ほぼ同時に苦笑混じりの言葉を呟く。
『ほう、まだ何かあるのか』
 楽しそうな。……いや実際楽しいのだろう。
 自らの勝ちを悟った戦いは、いつだって嬉しいものだ。

 だがそれでも8割方、俺たちが勝てる。

 運が良ければ、……全員無事で終わると思っていた。
 だがそれは同時に運が悪い――俺にとっては。
 結局ほとんど全部、仲間の優秀さに助けられて終わった形になる。――全員無事という意味ではそっちの方が確かに望ましいのではあるのだが。
 だが今回は運が悪すぎた。
――いや、運のせいにするな。俺が迂闊すぎた。
 運のせいにしようと思えばできる。
 フィリスが死んだのは、リアが死んだのは運が悪かっただけだと。
 だが、フィリスが死んだ時、……俺は頭の中で予想が付いていた。エクトルがそこまで計算していると気付かなかった。そこまで優秀ではないだろうと高を括った俺のミスだ。
 赤い糸を跳ね上げた剣。あれは咄嗟に出た苦し紛れの行動だったのだと思う反面、どうしてサモンで防がないんだと、――頭ではわかっていたはずだ。
 リアが死んだ時も同じ。――いや、こっちに至っては考えが足りなさすぎた。
 俺は予期せぬことが起きるかもしれないとはっきり考えていた。
 なのに、一番予期せぬことが起こり得る可能性、……玉座のモンスターたちを完全に念頭から外していた。――迂闊すぎるにもほどがある。

 後で謝ろう。……この戦いに勝つことができれば、それを土産に。
 これでも負けたなら、……もうジャパニーズドゲザでもするしかないな。

「カルラ、後は頼んだ」
 言うと、カルラはこくりと頷いた。
「ムル、アズレト。……エクトルの足止めを頼む」
『了解』
 言うと、二人は同時に返事を返して走り出した。その声が見事に同時だったので不謹慎にも笑みがこぼれる。
『足止め?……私を相手に足止めができると思っているのか』
 言うなり、エクトルとの距離が一気に詰まる。
 高速移動スキル。
 こちらに向けて。

――予想通りだ。

 俺は懐に手を入れ、それを掴むと同時にエクトルに向けて投げ付けた。
 頭の中で言葉を反芻する。
 それを使うための言葉、――俺が設定した起動コード。
 覚えているのは受け取ったときのアナウンス情報だけ。

[アイテム名【ギャンブルボム】ランク20、破壊力1から9999までランダム。起動コード:未設定]

『な』
 エクトルの、驚愕に満ちた表情が見えた。
 最後の最後で、――この最悪の状況で。
 例えダメージが1で、この戦いに負けようと。――いくらかの溜飲は下げた。
 思い残すことはない。

「神はサイコロを振らない」

 ピピ、と投げた爆弾から電子音にも似た音が鳴り響く。
[起動コード確認。威力9929]
「『ライト・クォリフィケィション・シールド』」
 カルラの声だけが、静かに響く。
 半透明の巨大な盾が目の前に現れ、俺たちとエクトルの間を隔てた。
――これで、エクトルが何をしてこようと、俺たちにその攻撃が、そして爆発が届くことはない。
『――ッ!?』
 息を飲む声。
 99290ダメージ。さすがに耐え得るものではないはずだ。
 勝利を確信する。
 というか期待値5000だからそのくらいだと踏んでたのに。ほぼ最大ダメージじゃねぇか。
 だが向こうにいるムルとアズレトは、そしてトラストは助からない。
 これほど最悪の状況はない。

 鼓膜を破ろうかという轟音。もはや音というより衝撃の塊が、鳴り響いた。


 何も聞こえない。動く唇から恐らく呟いているであろうと推測できる、カルラの残り何秒、の言葉すら、そして俺の、自分で呟いた「うへぇ」と言う呟きすら。
 というかカルラの声がウィスパーとしてすら俺に通って来ない。
 周囲を見回す。
 ほとんど黒煙に視界を遮られ、ほとんど何も見えない。
 ぼんやりと見えていたカルラの盾が消える。
 音がしないからか、どこか現実味のない光景。

『声は通らないか。天の声なら通るかな』

 どこかで聞いた声が響く。
 天の声、と言っていたがエクトルの声ではない。
 ちなみに天の声と言うのは、ゲームマスターが何かの告知をするための「声」を指す言葉だ。
 視界が徐々に晴れて行く。――と思った矢先、煙が何かに吸い込まれるかのように渦を巻いて消えて行く。
 そして、そこに二人の影が見えた。
「な――!?」
 1人はエクトル。
 無表情に佇んでいたその顔が、俺の顔を見るなりにやりと笑う。
 もう1人は。

――ゲームマスター、佐伯緋文。

 その手から、見覚えのある半透明の巨大な壁が聳え立っている。
 ライト・クォリフィケィション・シールド。
――つまり。
 俺たちの負けと言うことだ。


 確信した瞬間、――脱力した。



[16740] 41- イベント終了
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:0f26c9ba
Date: 2012/11/21 18:51
 何度目になるだろうか。
「お疲れさん!」
 と言いながら、誰かが俺の背中を叩いてくるのは。

 発端はフィリスだった。
 イベント中の俺の失態……いや無能を侘びようと近付くと、俺の顔を見るなり「お疲れ!」と俺の背を叩き、笑いながら振り向きもせずに後ろ手にひらひらと手を振った。
 HPが脳内警告を発していない以上、フィリスの手はそれほど力を入れていなかったのだろう。そう気付くこともなく、俺は去ろうとするフィリスに追いすがる。
「ちょ、フィリス」
 呼びかけるがもはや返事もない。振り返りすらしようとしない。
「いいんじゃないのかしらね」
 リアが横から話しかけて来て、俺はフィリスを追うのをやめた。
「――実際アキラはよくやったと思うのだけれど」
 そうだろうか、とリアの言葉に反論しようとしたが、リアはにこやかに笑うことで黙殺した。
 それでも、フィリスが死んだのは俺のせいだと思う。
 リアもそうだ。――あれは完全に俺の考えの至らなさが原因だ。
「誰も彼もが完璧に全てをこなせるなら、……リーダーなんて必要ないでしょ」
 ぱしん!と軽い音を立てて俺の背を叩くのはリリーだ。
 イベント終了と同時に、エクトルはイベントで死んだ全員を蘇生させた。
 生き返ったリリーは、まず城の惨状が自分の行った粉塵爆発のせいなのかと恐れ戦いた。
――まぁ、それなりに破壊力があったのは確かだが、さすがにそれはないと全員に突っ込まれ、「あははそうだよね」と今度は乾いた笑いで俺の無謀を評価した。多分悪い風に。
 フィリスの、そしてリリーの背叩きを見ていた連中が、それからひっきりなしに俺の背を叩きに来るのでそれで俺たちの会話は一時中断された。
 まぁ、「お疲れさん」ではなく、中には「この野郎」とか「オラ!」とかただ単に叩きたいだけのヤツも多かったのだが。

 ちなみに、予想通りというかなんと言うか。
 俺たちと5班以外の連中は、やはりリーダーがドッペルに成り代わっていた。つまり味方は俺たちと5班しか残っていなかったことになる。その5班にも実は主力にドッペルが混じっていて、――ウェインの最後のウィスパーが切れると同時、不意打ちでウェインと赤髪ドワーフ……名前は何て言ったっけか……以外が範囲魔法により強襲を受けた。ウェインはそこで俺にウィスパーをしようと一瞬考え、混乱させないようにとウィスパーすることを断念したそうだ。
 まぁ、ドッペルに勝てたらするつもりだったらしいが、――結局勝てず、そのままウィスパーすることなくウェインたちは退場することとなる。
 ついでに、新たにこのゲームにログインして来た新規メンバーたちはというと、一時的に死者サーバーにキャラクターを落とすことで、説明専門のゲームマスターを配置し、賞品込みのプチイベントをやっていたのだとか。1時間に1個の賞品が配布されたそうなので、実は俺もそっちに参加したかったな、とちょっと思ったりもしたのだが、口に出すとフィリスあたりに叩かれそうなので黙っておくことにする。まぁ実際トラストが口に出して叩かれたからそう思うだけだが。

 ようやく俺の背を叩くことに飽きたのか、連中は行われている宴会へと戻って行った。
 というか、まぁ宴会の会場ではあるのだが、ゲーム内で宴会をする光景はなかなかシュールだ。
 さまざまな国を跨いで接続されているラーセリア。反応はさまざまだが、それでも一応楽しんでいるようではある。
「……シュールだな」
 声にちらりと視線を向けると、片手にワイングラスを持ったトラストがそこにいた。
「まぁいいんじゃないか?これが毎日だと笑えるけどな」
 イベントは祭りと同じだ。それが終わったら、作法は違えど宴会をするのは世界共通認識でいいはずだと思う。
 あとはそれを宴会と呼ぶか、パーティと呼ぶか、バンケットと呼ぶか。せいぜいその違いだけだ。
 馬鹿騒ぎに興じるのは悪いことではない。
 むしろこの宴会を無視して狩りに行く方がシュールというか、どうかしている気すらしてくる。

「――ご苦労だったな」

 声をかけられて振り向くと、ラフな格好のウェインがそこにいた。
 そういえば、ローブ系のヤツら以外は、全員鎧を脱いでいる。
 まぁ俺はローブだし、別に着替える必要もそのつもりもない。
 トラストはといえば、初期装備というか初期の服がドレスとしても通用しそうだ。全身青を基準にしただけの初期装備なのだが、裾のひらひらしたレースといい、散りばめられた刺繍といい、俺が全く手を付けなかった初期装備の意匠まで完璧に作り込んである。俺が家に帰るまでの30分ちょっとの間にここまで作り込むとは。無駄にここまで情熱をかける意味はあったのだろうか。あったんだろうなぁ、何しろその衣装込みでのトラストに、何人かは完全に見蕩れているくらいだから。しかも一発でエルフになったわけではなく、一度目はドワーフだったと言うのだが、作り直す時間も込みで30分ちょっとか。というかドワーフ……見てみたかった気もする。
「悪かったな、ウェイン」
 俺が開口一番謝ってみると、ウェインは、はは、と乾いた笑いを見せた。
「――まさか、あの状態で城と国主権を返還されるとは思っていなかったよ」
 そう。最後の爆発込みで城は完全に破壊されたと言うのに、……ゲームマスターはあろうことか、その状態の城をそのまま返還したのだ。
 次の攻城戦はさぞかし国を守るのに苦労することだろう、と心から同情する。
 まぁ、返還する際に「説明がなかったのは済まなかった」とエクトルも苦笑いしていたのだが。
 あそこまで破壊するとも思っていなかったんだろうな、と思う。まぁ毎回イベント中の破壊についてはそのままだと攻略サイトにも書いてあったので、予想はしていたのだが。
「まぁ、国は捨てたつもりでイベントに望んでいたからな。……折角だからせいぜい粘るとするさ」
 言って目を伏せ、手に持ったビールジョッキをぐいっと呷る。
「ところで、それって酔えるのか?」
「ん?――あぁこれか」
 俺の質問の意図するところに気付いたのか、ウェインがすたすたと手近なウェイターに歩み寄り、一言二言話しかけてお盆からジョッキを持って戻ってきた。
 ちなみにウェイターはNPCたちだ。咲良や武器屋のドワーフ、図書館のリリーの同僚など、その中に知った顔もいるのを見て驚いたが、……国主――当然ながらウェインだ――に頼まれたのだと言われて納得した。
「……実際に飲んでみるといい」
 どうやら俺とトラストの分だったらしく、目の前にずいっと出された俺は思わず受け取ったが、トラストはにこやかにそれを手で押し返した。どうやら飲む気がないらしい。リアルでも飲まないから当然か。
 まぁ、手に持っている黒い箱も気になって仕方ないみたいだしな。
 ちびり、と一口含んでみる。
「――お、うまい」
 生ビール独特の香りと味わい。炭酸が舌にほどよく刺激を与えてくる。
 料理製造が実装されているだけのことはある。と思った瞬間、顔が少しだが熱くなるのを感じる。
「リアルに戻れば酔いは醒めるが、……まぁ酔うのは可能だ」
 つまりリログ――一度ログアウトしてすぐにログインすること――すれば酔いの状態はリセットされるということか。リアルに持ち込まないのはいいことだ。
 それにしてもこの酩酊感はリアルだ。
 俺が酒に弱いからなのか、それともこのキャラが酒に弱いからなのかはわからないが。
「……悪いな、あんな城にした上に、こんなうまい酒までもらって」
 もう一度、礼を兼ねた謝罪を口にする。
 この宴は全て、ウェインのギルドが用意した。酒も食べ物も飲み物も、ダンスを踊るのはギルドメンバーらしいし、盛り上げ役の囃子も全てギルドメンバーのようだ。
 ふ、とウェインは微笑んで、それからもう一度同じ言葉を口にした。
「国は捨てたつもりだったと言っただろう、気にすることはない」
 戻って来ただけでも儲けものだ、と付け加え、トラストに渡し損ねたビールをぐいっと一気に呷る。
「それに、トラスト嬢の作戦を全員に伝えたのは俺自身だ。城の破壊がイヤならしなかった」
 むぅ、と俺が唸って見せると、ウェインはくっく、と喉の奥で笑った。

「よう」
 歩く俺を見つけて軽く手を上げて俺を呼ぶのはイシュメルだった。
「おう」
 俺は何も考えずにその隣に座ると、ついて来ていたトラストが、さらにその横に座った。
 イシュメルはちらりとトラストを見やり、
「――それって初期服だろ」
 言われてもう一度その服を見る。
 汚れも染みも何一つない。
――戦闘に参加していないのだから当たり前か。
「あぁ、うむ。入ったらすでにイベントが始まっていたのでね」
 装備を買い替える暇などなかったのだよ、と呟いて、トラストはいつの間にもらったのかジュースを口に含んだ。
「ところでさ、……トラストの嬢ちゃんって」
 そこまで言いかけたところで、イシュメルが言葉を止める。
 ん?と小箱から目を離して小首を傾げるトラストを見て、言いかけた何かをどう変化させたのか。
「――いや、……何でもない」
 くすくすと笑いを堪えつつ、イシュメルは手にした小さいグラスの酒をちびりと含む。
 そうか、と呟きながら、再び黒いその小箱に集中するトラスト。
 と、背後にただならない熱気を覚え、ふと振り返る。
「お。ムルか」
 がう、とムルの変わりに炎の狼が返事をした。
 その背中に、のびているのかムルがぐったりと横になっている。
「の、飲みすぎた……気持ち悪い」
「飲みすぎたって。……そういや大きさ違うからそんなに量は飲めないよな」
 聞くと、それでも白酒(パイチュウ)……イシュメルが今飲んでいるのと同じ酒で、中国の酒――を1杯、ロゼワインを2本飲んだらしい。
「リログして来いよ、待ってるから」
 苦笑して言ってみると、
「どうしてさ。折角酔ったのに勿体ない」
 狼もそれに同調し、がうがう!と声を上げた。戦闘ではないからか、狼は一匹しか出していない。
「どうでもいいけど、――吐くなよ」
 イシュメルが呟くと、「約束はできない」との返答。思わず数歩距離を開くと、「冗談だよ」と悲しそうな顔をされた。
「――今回は楽しかったね」
 ムルが、のびたままで声を出す。
「……何か、今までで一番楽しかったよ」
 どう答えていいのかわからず困っていると、ムルががばりと体を起こした。
 一瞬、吐くのか!?と思わず距離を取ると、「あぁもう、吐かないって」と苦笑されたので元の位置に座り直す。
「ボクは楽しかったよ。――一応褒めてるんだけど。リーダー」
「……。いやでもな」
 結局、最悪の結果でしか終わらせられなかったイベント。


――そのイベントの終わりは、何とも呆気ないものだった。


 いまだ耳鳴りが治まらない。
 だが、こうしてエクトルが生きている以上、――もう打つ手は完全にない。
 俺たちの――

『おめでとう』

 俺の考えに反し、天の声が祝福を述べた。
 は?え、あれ?と口にしたつもりだが、それが実際声になっているのか怪しいところだ。
『――君たちの勝利だと言ったんだ』
 煙を集束させていたのは、エクトルの呼び出したモンスターのようだった。
 どういうことなのか理解できず、俺はもう一度言葉を口にしようとして気付き、耳がおかしくなっていることを示すために耳を指さした。
『ふむ。……まぁ1から説明しないとわからないか』
 緋文は、手の盾を俺に向けて見せた。
 よく見れば、形状がカルラの出したそれと少し違う。まずそれに気付き、次に、盾に光る文字を見つけた。煙で見えなかったのだろうそれは、

[System:Object Guard]

 オブジェクト。
――つまり、これは。
『そう、これはスキルじゃない。ゲームマスターのみが使うことのできる、システムだ』
 エクトルを倒されるわけにはいかなかったからな、と付け加え、緋文がそれを軽く叩くと、その半透明の盾は姿を消した。
「ちょ」
 思わず声を出し、それが耳に届いたことに気付く。
 とは言っても、まだ耳鳴りはするが。
「――つまるところ、あんたがズルをしたから反則負け、……そう言いたいのか」
『あぁいや違う、そういうことではない』
 エクトルが口を挟む。
『――君たちには謝らないといけないな』
 苦笑する緋文。

『そもそも彼は、……元々参加予定のなかったマスターなんだ』

 ゲームマスターの語った事実は、やたら長い上に肝心なところを隠しているらしく、要領を得なかった。
 要約すると、
――曰く、参加する予定だったマスターが1人急病で倒れ、替わりに入ったのがエクトルである。
――曰く、エクトルを倒されると「不都合」がある。
――曰く、その「不都合」を回避するため、敗北が確定された時点で救助が予定されていた。
――曰く、さすがにギャンブル・ボムは予定外で、助けるためにはシステムを使うほかなかった。
――ちなみに、オブジェクトシステムを使えるのは緋文だけだということだ。
 まず理解できたのはそれだけだ。
「不都合」の項目は、システムに関することであるらしく、質問には答えられないとのことだ。
 俺はそこで、可能なら答えて欲しいとだけ告げ、いくつかの質問を投げた。
 もしその救助がなかったらどうなったのか。
――曰く、答えられないが大変なことになった。
 ゲーム自体が崩壊するとかそういうレベルなのか。
――曰く、そこまでではない。せいぜい人が1人死ぬ程度のレベル。
 ゲームが崩壊することと人が1人死ぬのと、崩壊の方が問題なのか。
――曰く、この件に関してはゲーム崩壊の方が問題である。

 まったくもって意味がわからない。
 わからないが、……とにかく大変なことになるところだった、と言うことだけはわかった。
 ふと思い出す。

「万一私が負けることがあれば、……あぁわかってるって」
「負けることがないよう全力を尽くすさ」

 あの時の会話は、別にエクトルの性悪が出たというわけではなかったということだ。
『納得できないか?』
 緋文が苦笑し、エクトルに視線を向ける。
――いや、納得云々の問題ではない。システム上問題があるというのなら、それはゲームマスターとしての役割であって、俺なんかが口を出せる範疇にない……そう言いかけようと口を開く。

「構わないぞヒフミ。……教えてやればいい」

 エクトルが、神妙な顔でこくりと頷きながら呟いた。
「――そうか。エクトルがそう言うのであれば構わないのだろうな」
 言われた緋文は、少し複雑そうな顔でぽりぽりと頭を掻く。
 そして、あー、とかうん、とか、何て言えばいいのか、とかぶつぶつと呟いた後、

『――彼は、……人間ではない。AIだ』

 思わず目が点になる。
 というか、もう声は聞こえているから天の声はいらないとか、そういう突っ込みはとりあえず置いておくべきだろうか。
『この世界の、』
「あ、――耳鳴り治まってきたので普通に喋って大丈夫です」
 置いておけずに思わず突っ込みを入れる。よく考えたらこのままでは世界チャットで全員に丸聞こえな気もする。その辺は制御しているかもしれないが。
 む、と声を普通に戻して呟いた緋文は、もう一度ぽりぽりと頭を掻いた。

「彼は、とある教授が独学で作った、優秀なAIデータの塊なんだ」

 緋文が語ったところによれば、エクトルはAIのデータであり、この世界でのNPCに相当するのだということだった。ただし他のNPCは単なる普通の「AI」に過ぎず、データ量を比べたら象とミジンコくらいの大きさの差があるらしい。
 そのデータ量が巨大すぎて、――具体的な数字を集計したことがないらしいが、ヨタ単位の数値になるだろうとのことだ。しかも毎日どこかしらのサイトで「学習」し、今はもうデシ単位程度でしか増加しないが、それでも今なお容量は増え続けているらしい。
 彼がネットの海を徘徊し始めたのは西暦2100年頃。
 人間の年齢にすれば、彼はもう415歳程度なのだと言う。

 人間としての肉体を持たない、データの塊によるAI人格。それがエクトル。

「……にわかには信じられないな」
 思わず本音を漏らすと、「別に信じなくても構わないがね」と当のエクトルが呟く。
「今まで色々な人間に自分のことを説明してきたが、一人として私を信じた者はいなかったよ」
 諦めているのだろうか、……そう考えつつ、疑問がひとつ浮かぶ。
「――それがどうしてラーセリアのマスターに?」
 エクトルは苦笑し、緋文がそれに答えた。


「ある日VRゲームに興味を持ち、たまらなくやってみたくなったのだそうだ」
 その格好の対象となったのが、当時まだ開始されたばかりのこのゲームだった。
「それで、俺の元にメールが届いてね」
 緋文がそれでエクトルに興味を持ち、ゲームを開始したエクトルはあっという間にゲームを理解し、あっという間にキャラクターデータを限界まで育て上げた。
 最初に発現した魔族は、人知れず討伐されたのだと言う。

――それを難なく1人で倒したのはエクトルだ。それで緋文も彼の強さを看過できなくなった。

 そこで、緋文は彼に持ちかける。
 ゲームマスターとして、飽きるまでこの世界で働いてみないか、と。


「まぁそんなわけで私はここにいるわけだ」
 絶句するしかない。
 本当のことなのか、何かを隠すための嘘なのか、その区別も付かない。
「――そんなの、俺たちに話していいのか?」
「信じてはいないだろう?――誰に話しても同じように信じない」
 そりゃそうか、と苦笑する。たとえ信じたところで、信じたことを証明する方法がない。
「……質問、……いいかな」
 黙っていたカルラが口を開く。
 どうぞ、と緋文が呟くと、カルラは少し考え、言葉を口にした。

「もし、――ヒフミが庇わなかったら、……エクトルは消滅していた?」

 あ、とようやくその重大な意味に気付く。
 ヨタ単位のAI。その存在が本物であるなら、……彼の消滅は確かに重大な「不都合」だ。
 データなのだから、「人」ではないとはいえ、それが消えることはエクトルの「死」を意味する。
「いやでも、……エクトルはゲームをしているだけ、なんだろ?」
「まぁそうだな」
 何となしに答えているが、結構重要なことじゃないのか。
 俺たちプレイヤーは、コピペされた脳内のデータでこの世界にいるだけだ。
 たとえこの世界の俺のデータが消滅したところで、現実の俺に一切の影響はない。

 だがエクトルはどうなのか。

 バックアップを取ってしまえばいい――というわけにはいかないのではないだろうか?
 バックアップを取った瞬間、そのバックアップそのものが第二のエクトルになってしまうような気がする。第一容量が巨大すぎる。それにそもそも、思考データの塊であるエクトルがゲームをしようと思った場合、その思考データそのものをどこに休眠させるのか。
 答えはNOだ。データは休眠などしない。ネットに繋がるどこかのパソコンが動く限り、常に休むことなく動き続けるのだろう。
 そもそもヨタ単位のデータが休眠できるほどの巨大な容量を持つパソコンなど、そうそう存在するものではない。
 だとしたら、エクトルはこの世界にしか存在しないことになる。

 つまり、この世界でエクトルが死ぬということは、エクトルというAIそのものの死を意味する。

 存在が本物なのかただの騙りなのかはわからないが、わからないからこそ。
――このエクトルを殺すことはできない。そういうことか。
 ゲーム崩壊の方が重大だと緋文は言ったが、俺的にはエクトルの死の方がよっぽど重大だと思えるのだが。


 その説明が終わると、後はイベントクリアの報酬だった。
 俺は迷わず報酬を辞退し、マスターによって蘇生されたリアにその権利を譲った。
 そのリアもさらにそれを辞退し、権利をフィリスへと委譲すると、フィリスは何の迷いもなくそれを受けた。
「何で受け取らんの?勿体ない」
 うん、いつものフィリスだ、などと少しほっとしてしまうのは、エクトルの話を聞いたからなのか。
 残る生き残りであるカルラ、……そして、アズレトとトラストも生き残っていた。
 アズレトが盾と自らの体を犠牲にし、爆発から守ったのだと言うが、……実際にはおそらく、爆発が起きた時、爆発とトラストたちの間にエクトルたちがいて、例のシステムガードが張られたのではないかと俺は思っている。
 でなければ計算が合わない。99290ものダメージを盾と体で受け止めるとか、どんだけの化け物だ。
 さすがに嘘くさいというか何というか。
 1人づつ、緋文からランダムで「報酬」を受け取って行く。
 各自が渡されたのは、箱だった。それぞれ全部色が違う。
「――で、これは?」
 トラストがその箱をくるりと回しながら、開ける方法を探している。

「――ゲーム開始時に言わなかったかな」

 くく、と緋文が悪戯でもしているかのように笑った。
「――質問には答えられない。開け方はシステムであり、規約に抵触するのでね」
 それを受け取った全員が固まった。
 うへぇ、マジかよ。と思いはしたが、……それはそれで面白そうだとも思った。


「で、結局開け方はわかったのか、ソレ」
 トラストが手で弄ぶ黒い箱を見ながら、「全然」と素っ気なく呟いた。
 ちなみに箱は色が違い、薄い色ほど開けやすく、濃い色ほど開けにくいのだそうだ。
――説明はなかったが、多分濃い色ほどレアなアイテムが入っているのではないだろうか。
 エクトルのことを思い返している間に何人かの男性プレイヤーが話しかけてきたが、「済まない、忙しいので」の一言で全て追い返してしまうあたり、一応何らかの考えは浮かんでいるようではあるが。
 そういえば、男性プレイヤー以外にも1人来たな。「こんな穢らわしい男どもといないで私と踊らない?」とか言って。全く同じリアクションで返されて、しょんぼりして戻って行ったが。

――さて。

「トラスト」
「ん?」
 視線を箱から外すこともなく、生返事を返す同僚に少し苦笑し、俺はトラストの手から箱を取った。
「イシュメルも。――そろそろ修練に行かないか」
 このイベントでどれだけの経験値が溜まっただろう。
「イヤミか。俺は死んだから経験値はないぞ」
「ん?いや一度セーブしてるだろ」
 思わず呟くと、「そういや」とようやく思い出したのか、腰を上げる。
「……トラスト。行こうぜ」
 言って箱を手に返すと、「うむ」とそれをポーチにしまう。ちなみにポーチは俺が買ってやったものだ。
 パーティ会場の端っこでちょこんと露店を開いているプレイヤーがおり、デザインが青だったので似合うと思って買ってやった。喜んでくれたようなのでよしとしよう。トラスト用だとわかった瞬間、20ドルだったのを1ドルにまけてくれた露店のおっちゃんに感謝だ。
「行くか。……トラストは当然魔法から覚えるのか?」
「魔法屋が先だな。アズレト呼んで行こう」
 イシュメルに言われて思い出す。そういえば、魔法屋の存在をすっかり忘れていた。ついでにアズレトがそのバイトだったことも。
「どうせなら武器も防具も揃えるか。……あぁ、そういや魔法ギルドで素質レベルもだな」
 となると、カルラもフィリスも必要だ。そういえば塔は破壊されていたが、ちゃんと機能するのだろうか。
「――図書館で例の本も読ませるか。リリーも連れて」

「いっそリアとムルも連れて、全員で行くか」

 そばでぐったりとしていたムルが、「んあ?」と寝惚けたような声を上げるが、実際に寝ていたわけではないだろう。イベントが終わった今、確か寝るとログアウト状態になり、キャラクターはこの場から姿を消してしまう。
 まぁ、酔い自体仮想的なものなので、実際に酔ってるのとはさすがに少し違うようだ。
 ちなみにリアルの俺は酒に弱く、カシスオレンジ一杯でかなり酩酊状態になる。思考状態も最悪になり、次の日にはその後のことを完全に覚えていないことも多いほどだ。
「行きますか」
 とムルが体を起こし、四肢を曲げて座っていた狼が立ち上がる。
「リアがいる場所はわかってるから、呼んで来るよ」
 言うと狼が、がう!と呼応するかのように声を出し、走って行った。
 トラストの方を振り返ると、「――ん」と手を伸ばしてくる。どうやら掴んで立たせろと言うことらしい。苦笑しつつその手を取ると、一瞬周囲からの殺気を感じ、その殺気で殺されるんじゃないかと背筋が凍った。

「――行こうぜアキラ」
「あぁ行こう、とりあえずまずは魔法ギルドからな」

 イシュメルの言葉で気を取り直す。
 そういえば、魔法の素質次第では、……トラストは魔法使いを目指すのだろうか。
 イシュメルが回復と弓での後衛。
 俺が前衛と魔法。
 トラストが後衛で魔法と回復ができるなら、……ちょっと魔法側に偏りすぎな気もするが、いいパーティになりそうだ。
 イベントで全くと言っていいほど普通にプレイしていない俺にとって、ここからしばらくは普通のゲーム攻略だ。
 序盤はすっ飛ばしてしまった気もするが、まぁトラストがいるので本当に最初からの感覚でしばらく遊んでみようと思う。
 ふと、トラストが首を少し斜めにしているのが目に入る。
 どうしたのだろう、と思い声をかけようとしたところで、トラストが先に口を開いた。


「――ところで、ステータスウィンドウはどうやって出すのか教えてもらえないだろうか」

                      ――第一章 Fin.――



[16740] 42- オートマティック
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:2eda929c
Date: 2012/12/14 13:15
 私は、生まれた時から色というものをを知らなかった。
 生まれた時から見ている唯一の色が黒という色であることを知識として知ってはいても、それが他の人の言うところの黒と同じ意味を持っているのだと真に理解していなかった。

「――何故、過去形なのかね?」

 君ならばそういう質問が返ってくると思ったから過去形だったのさ。ははは、気を悪くしないでくれよ、いつも私がこういう喋り方なのは理解しているんだろう?
 色という概念を知ったのは小学生の頃だったかな。
 私には5感のうち視覚が完全に欠けていたから、知識だけあってもそれを知ることは終ぞないと思っていたんだがね。そう、真に私は「色」と言うものを理解していなかった。

 ところで、無趣味だった私には最近趣味ができてね。

 え?唐突な話題変更だなって?いいや、それが話題変更ってわけでもなかったりする。
 VRMMORPG、って言葉を聴いたことがあるかね?ほう、言葉は知っているのか。
 そう、ヴァーチャルリアリティってヤツさ。はは、君はアキラと同じくらい察しがいいね。ん?アキラって誰かって?いや、すまない、こっちの話だから気にしなくていい。友人の名前だよ。

 私はこのゲームを最近、友人の紹介で始めたわけなんだ。
 どうせ、ゲーム内でも視界はないんだろう、と最初は乗り気じゃなかったんだがね。
 勧められてと言うより騙されての域だったがね。まぁともかく、ゲームを始めるだけやってみることにしたわけだ。
 それでも私は期待していたんだろうね。
 だからゲームを始めた瞬間、私は期待を完全に裏切られたことを知ったよ。

 とても良い方向に、私を感動にまで導いたと言う意味でね。

 一生知ることがないと思っていた「色」ってものを知るくらいは出来たらいいんだが、なんて思っていたから、それが見えた瞬間に私は驚嘆したよ。
 何せ私の目は今まで何も見たことがなかったんだからね。

「――見えた、と言うことかね?」

 はは、驚いているね。私もさ、私もアレには驚いた。
 脳の機能が問題で見ることが出来ないはずの世界を、私はあの世界で「見る」ことができたんだ。
 色というものがどんなものなのか、今まで触れることでしか知らなかった形というものが見えたこと、言葉では語り尽くせない最高の気分の連続だった。興奮と感動と期待の連続だった。
 まぁ、あの世界がこっちの世界とは全くの別物だとは知っているよ。だから別にこっちの世界が見えたとは思っていない。
 君は小人を見たことがあるかい?背中に羽の生えた人間は?頭に角の生えた人間は?尻に尻尾の生えた人間は?ヒゲだらけで背の低い、筋肉の塊みたいな人間は?……おや、それは見たことあるって?まぁ君の言うそれは多分、私の言うのとは違うものなんだろうがね。

 え?じゃあもうここには来ないのかって?

 馬鹿を言わないでくれないか。
 さっき無趣味だとは言ったね。でも実は私にはたった1つだけ趣味があるんだよ。今は2つになったがね。
 君と話すことは何よりも楽しいんだ。その楽しみを私から奪うような真似だけは、神にも悪魔にもさせはしないさ。――はは、泣くことはないだろう?悲しくて泣いているわけでないことくらいは私にもわかるが、君がそんな風にしていると私にまでその泣き虫菌が移ってしまう。

 また来るよ、神父。君の声を聞きにね。

 さぁスージー、帰ろうか。
 おいおい、君は盲導犬だろう、役目はしっかり果たしてくれよ。……わかったわかった、早く帰ろう。
 じゃあ神父、また来週。その時は、向こうの世界で数々の命をこの手で絶った懺悔でも聞いてくれ。


 RealCelia 第二章


 ブゥン、と動作音を響かせている方に耳を向ける。
 静音で高性能が売りであるはずのパソコンなのだが、それでも買った当時からこの音は、常にと言ってもいいほど常に音を響かせている。買った時にアドバイスをしてくれた友人によれば、
「この程度の音ならいいもんだ。どんなに質のいいパソコンでも完全に消すことはできないよ。お前は耳がいいからね、その分気になるかもしれないが、まぁゲームを開始すればどうせ気にならなくなる」
 と、半笑いで言われた後は気にしないようにしている。まぁ実際ゲームを始めれば現実の音など全く聞こえないので、友人の言ったことは真実なのではあるが。
 ヘルムコネクタ、というものを小サイズ化して作られた「ヘッドセット」なるものを頭に付けると、いつもどおり外界の音がスイッチを切るように消えた。
 ヘッドセットに付属されているヘッドホンのせいではない、ヘッドホン程度であれば、私の聴力は音楽かたとえかかっていても、外界の音を聴き漏らすことは――ほとんど――ない。
 まぁ家には鍵がかかっているし、部屋のドアにも部屋と玄関の間のドアにも厳重に鍵はしてある。
 逆の意味でちょっと危険な気がしなくもないが、このゲームにおいては、体調の変化を最優先に設定しているらしく、以前風邪で体調が悪化した際には、あの鈍いアキラにでもわかる程度に顔色が青く変色していたらしい。鈍いと言えばあの男は、自らを慕う女性の存在に気が付いてはいないことだろうが、実はとある女性に慕われているというのは、彼を知るメンバーほぼ全員の共通見解である。その女性本人は嘘が嘘だとわかるほどにうろたえながら完全否定していたが。
 余計なことを考えている間に、私の目の前に1体の人間が浮かび上がった。
 アキラの同僚、私の「狩り友達」でもある、トラスト嬢製作の、私そっくりだというアバターだ。
 友人が写真を送り、それを見ながらそっくりに作ったとのことだが、友人が感嘆の溜息とともに最大級の賞賛をしていたので、間違いなくそっくりに作られているのだと思う。
 アナウンスに従い、キャラクターの名前を告げると、アバターの全体像がポリゴンとなって嵐のように舞い上がった。
 この「ローディング」と呼ばれる現象――私は他のゲームをやったことがないので何ともいえないが、パソコンやテレビゲームのようなものにはほとんどの場合、この「ローディング」が必ずあるのだそうで、面倒ながらも「儀式」だと思うことにした。
 以前は単にけたたましい音が鳴り響き、ポリゴンが自分に付着していくというものだったらしいが、現在はいくつかのパターンから選択可能だ。私は「tornado」という種類を選択した。
 私の顔は世界認識で「渋い」のだそうで、現実で友達であるところの「友達」……ゲームの名前は何だったか。ともかく「友達」が勝手にトラスト嬢に提供した写真から、それを数年ほど若く、彼女が作ってくれたものだ。
 ゲームをやり始めてからまだ間もない私から見ての感想としては、見るに、「これが厳ついというものか」と認識せざるを得ない。
 アキラ曰く「イケメンめ」とのことだが、イケメンとはなんのことか。日本語なのだろうがさっぱり意味がわからない。言葉をイメージとして伝えるというシステムを取っているらしいこのゲームを持って解読不能の言葉とは、ひょっとしたらアキラの造語なのだろうか、それとも造語ですらなく意味は特にないのだろうか。まぁ英語から日本語に訳す際も時々誤訳があるというから完璧ではないのだろうし、仕方ないことなのだろう。


 視界が開けると、「よう」と一人の男が手を上げた。
「アキラか、奇遇だな」
「いや、今日は教会の日だったろ。大体このくらいにログインすると思って待ってた」
 前に話した参拝の日を覚えていて、酔狂にも私がログインするのを待っていてくれたらしい。しかも私が昨日落ちた場所の近くで。
「イシュメルやトラストは今日は?」
「トラストはレベル引き離しすぎたから今日は生産だとさ。イシュメルは仕事」
 確か、律儀にレベルを数えているアキラのレベルが35だったはずだ。少なくとも昨日までは。
「引き離しすぎた……?彼女のレベルはそれほど高くなったのか」
 見目麗しい青き少女を思い浮かべつつ聞いてみると、アキラは苦笑した。
「……あいつさ、こないだ俺が仕事行ってる間にソロ狩りしまくってたみたいでさ」
 アキラの言葉を聴くだけで、その情景が目に浮かぶようだ。
 続けてアキラが言うには、レイピアと魔法を駆使する彼女は、先に始めたアキラのレベルをあっと言う間に追い越した上、初期魔法だけを広く浅く習得し、どんどん強いエリアへと進みつつコツを掴んで行ったらしい。
 ちなみに私のレベルは彼らと一緒にやるうちにスムーズに上がり続け、現在20程度のはずだ。もう数えてはいないので忘れたが。
「昔からハマるとやりこむからなぁ、アイツ」
 そう言葉を区切ったアキラは立ち上がり、軽く前屈運動を始めた。
「――別に現実の体が痛むわけでもないだろう?その前屈は必要なのかい?」
「気分だよ気分。こうやってると『やるぞー!』ってならね?」
 そういうものか、と呟いてみるが納得はしない。
「――で、相棒は今日は?」
「同時ログインだとどうしてももう1つのパソコンのスペックの問題でね……」
 自分と同時にログイン作業を始めた私の相棒は、昨日確かにここでログアウトしたはずだ。なのでここで待っていれば必ずここに現れる。
「ま、前屈を続けたまえ。私はやらんけどね」
「ひでぇー」


「……お待たせしました」
 馬鹿噺で盛り上がっていると、ふわふわのブロンドヘアーの相棒が現れた。
「リラ、こんにちは」
「こんにちはアキラ」
 リラ、と呼ばれたブロンドがちょこんと頭を下げて見せる。
 アキラは彼女の現実での姿を知らないが、現実の彼女の姿とこのアバターの姿が違うことだけは知っている。
 やや背の低い、これもまたトラスト嬢の作ったアバター。
 彼女の持ち得る限りの「モエ」を実装した、とトラスト嬢自身が自負する作品なのだと言うが……アキラですらも「モエ」らしい。他の友人には無愛想に見えることもあるというのに、ことリラに対しては、まるで父親かのようだ。他のプレイヤーが近寄ろうとすると睨みを効かせるあたりまで含めて。
「さて。揃ったところで行こうか」
 言って私が立ち上がると、リラは「はい」と、アキラは「そうだな」と同時に言った。
「今日はどこ行く?」
 アキラの問いに、フィールドダンジョンが2つほど頭に浮かぶ。
 ひとつはフィレオの洞窟。
 弱いアンデッドがぽこぽこと湧き出るじめじめとしたダンジョンだ。
 効率はいいが見た目が気持ち悪い、とはアキラの弁だ。そして匂いがキツい……こちらはリラの弁だ。
 もうひとつはホロルの空島。
 見た目と匂いは最高だ。何故なら一面の花畑。
 ただし行くのに手間がかかる上、ログアウト禁止区域で、さらにカップルが多い。

「あー……ホロルはやめ」
「フィレオは匂いが」

 二人同時にそれぞれの主張。
「いやでもほら、カップルが」
「あの匂いだけはどうしても」
 そうして二人は主張を続けるのだが、変なところで息が合うのがこの二人だ。
 今回は言い争うところで息が合ったらしく、匂いが、の一点張りとカップルが、の一点張りとで一触即発だ。
 思わず溜息を吐くのを抑える。
「じゃあ間を取ろうか」
 私の言葉に二人が振り向いた。


「――あぁなんだ」
 アキラが行き先に気付いたのか、ホロルに行くのと同じ程度のイヤそうな顔をした。
「うん?」
 その理由は知っているがあえて口にはしない。
 まぁ口にすれば「じゃあ何でここにしたんだよ」と文句を言われるのは目に見えている。
「まぁ、別にいいんだけどさ」
 アキラの声はそこで途切れた。
 よほどカップルイチャイチャ庭園がイヤだったのか、もしくはそれよりはマシだと判断したのか。
 まぁある意味効率が良くはないところなのだが、ある意味では効率がいい場所なのだ。
 そして安全でもある。


 通称「炭鉱」。
 アンデッドモンスターはいないが、通称「鉱夫」と呼ばれるモンスター――ちなみに正式名称「鉱山モグラ」――がかなりの頻度で地面から湧き水のごとくポップする、かなり高度な中級狩場。
 最初アキラと一緒に行った時、あの頃は私のレベルもリラのレベルもかなり低く、一応善戦はしたものの結局敗退し、命からがら逃げ帰った経験がある。
 しかし今では3人ともレベルも上がり、連携も取れるようになった。楽勝とはお世辞にも言えないが、死なない程度に経験を稼いで撤退するくらいはできるようになったという程度の腕前はある。まぁまだ3人のうち一番レベルの高いアキラに頼ってしまうことになってしまうのは否めないが。


「『我願う。風よ吹け。荒れ狂い壁と化せ、……ウィンドウォール』」
 私の言葉に応じ、アキラの背後に風が数秒吹き荒れ、アキラを背後から襲った矢がその風に飛ばされた。
「サンキュ」
 言うなり、振り向き様にアキラが投げ用のナイフを投げた頃にはすでに風は止み、アキラを襲った矢を撃った鉱夫が断末魔にギギ、と鳴いて地に伏した。
 私たちは一人と二人、アキラとその他に分かれて湧き続ける鉱夫を狩り続ける。
 どうやら鉱夫は単体モンスターではなく、群れで1匹という単位らしく、一度湧き始めると軍隊のように統率力があり、そしてもぐら叩きのように地面から顔を出しては引っ込めるという奇抜な攻撃方法でこちらを攻撃する。まぁ経験値は一応、群れ単位ではなく匹単位であるところはゲームの良心か。
 リラはモグラをひたすら素手(正確には鉄製グローブ)で殴り、簡単に気絶する鉱夫が意識を失ったところをアキラがレイピアか投げナイフで仕留める。
 私の役割はいわゆるところの「盾」だ。
 後衛しかできない私は、アキラやリラの行動を観察し、敵が奇襲攻撃をした際に今のように防御・行動妨害系魔法で隙を作るという役割。まぁ私の役割が一番厳しいのは言うまでもないが、アキラの方でも私の方を注意してくれており、場合によっては投げナイフで援護してくれるので安全だ。

 ちなみにこの狩り方を考案したのはトラスト嬢だ。

 元々私の位置はトラスト嬢の位置であり、リラの位置はアキラの位置、今のアキラの位置はとある弓使いの位置らしい。
 固定というわけではないが、3人は頻繁にパーティを組み、こう言った効率のいい狩り方を考案しては実践するという楽しみ方を好む。
 まぁ必ずしもそれが成功するわけではないし、以前死んでしまって危うくキャラクターをロストしかけたらしく最近は慎重になってはいるのだが。
 と、リラの背後に鉱夫が現れ、
「『我願う。風よ吹け。荒れ狂い壁と化せ、……ウィンドウォール』」
 私の魔法で行動を一瞬阻害された直後、気付いたリラによって殴られ気絶した。

「そろそろ逃げか」

 アキラが呟くと同時、鉱夫たちが穴から這い出し、一目散にその場を散った。
「何匹だ?」
 石を拾いながら聞く。
「多分5匹。リラはそっち頼んだ」
 散った数匹の数をざっと数え、一番少ない方向にリラをさらりと誘導すると、アキラは数の多い方へナイフを投げた。
 小気味の良い風斬り音を立て、ナイフはあっさりと2匹の命を絶つ。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
 呪文を唱えつつ、アキラが追ったほうでもなくリラが指示された方でもない鉱夫を狙って石を投げ、その石に意識を集中する。
 ひとつは命中。ギッ!と声を立て、鉱夫はその場に倒れ伏した。もう一匹を狙おうと石を構えたところで、アキラのナイフがもう一匹に命中し、背後でゴン!と音が聞こえて振り返れば、リラが最後の1匹にトドメを刺したところだった。
 そして全員、しばしの沈黙。
――耳を刺すような沈黙が数秒続き、やがて鉱夫が全滅したと悟ったアキラがOKサインを出す。
「――お疲れ」
 ほっと一息。
「今のは結構大きい群れだったね」
 私が苦笑混じりに呟くと、「その前ので何匹か逃したから合流されたか」とアキラが苦笑した。
 鉱夫の戦闘ルーチンの高さは意外と低い。
 奇襲をかけてくるもの以外に関してはほとんど真っ向勝負だが、彼らの場合は数が減ると逃げるのが厄介だ。
 しかも散り散りに逃げるので、ソロではほぼ必ず、何匹かを逃がしてしまうことになるのだが、その逃げた何匹かが別の群れに合流し、さらにそれが繰り返されることで、時々今のような鉱夫による巨大集団が出来上がることがある。ちなみに今の群れは数えられただけで58、数え間違いや数え損ないを含めて60ないし70程度だろうか。まぁ通常が何匹かわからないので何とも言えないのだが。
「そろそろ一旦出るか?」
 アキラは疲れたのか飽きたのか、休憩を挟みたいようだ。
 逆にリラの方はまだ物足りないらしく不満そうな顔。

――と、不意に。

 ひゅん、とサウンドエフェクトを鳴らし、1人の男性が目の前に現れた。
 一瞬驚くリラだが、私とアキラはもう慣れたものだ。アキラの表情は「またか」とそのプレイヤーを見下してすらいる。
 そのプレイヤーは周囲を確認するわけでもなければ表情を変えでもなく、数秒、……いや一秒も経たない間に音もなく姿を消した。
 壊して使うことで今いるダンジョン内をランダムにテレポートできるアイテムを使ったのだろう。おそらく、現れた時と同じように。
「――びっくり」
「……さすがに俺はもう慣れた」
 リラはまだ慣れないのか驚いたままだが、アキラは溜息すら吐きながら呟いた。
 私はと言えば、慣れたと言えば慣れたが、唐突に出現しては無表情に消えて行く彼、――いや『それ』に何の感慨も起きない。
「よくやるねぇ、――運営はまだ動かないのかな」
 戦闘中だとウザかったな、とアキラが洩らすのを聞いて、心底そのとおりだと私も同意した。


 BOT、という言葉をご存知だろうか。ロボットの略らしいが、工業系のロボットやアニメなどのロボットではない。
 別の名称で言えば、「マクロ」、「自動実行プログラム」などがそれにあたる、要するにチート行為だ。
 ネットゲームに関わったことのある者であれば、一度は聞いたことがある程度に有名らしい。
 私はネットゲームどころかゲームそのものが初めてのため、アキラから聞いた話ではよくあることのようだ。
 ネットゲームでは、人間が全て操作をすることを前提にバランスが作られているものが大半なのだが、そういったプログラムを導入したプレイヤーがいる場合、そういったバランスの全てを覆してしまうのがこのBOTという存在だ。
 当然ながら、ほとんどのゲームではこういった行為を不正としており、発覚した場合にはペナルティとしてゲームアカウントを削除されてしまうようなこともある。

 だがまぁ、BOTが消えないのも無理はないと私は思う。

 理由はいくつかあるが、理由の多くには利益が発生するという一言に尽きる。
 BOTは24時間絶え間なく狩りをする。
 つまりそれは、ドロップアイテムもその分多く拾得するということだ。
 BOTを稼動させているプレイヤーが通常起動した時、レアアイテムがあればそれを高値で売り、またはレアアイテムではなかったとしても売却することで利益を得ることができる。
 たかがゲーム内の利益じゃないか、と最初は私も思った。しかし現実に帰り、モバイルフォンのアクセシビリティを駆使して検索してみた結果、私の考えは大きく変わり、そうして納得した。

 リアルでのゲームマネーの売買。

 あぁそうか、確かにこれは「利益」に繋がる。
 たとえアカウントを削除されてしまったとしても、彼らにとっては問題がないのだ。
 利益でゲームを買いアカウントを買い、ゲームで再び利益を得るだけなのだから。

 まぁ当然ながら、このゲームにもそういった規約は存在する。
 存在するにはするが、どんなに取り締まろうともそれが「無駄な努力」なのであろうことは周知の事実だ。
 現に、――これはアキラから聞いた話だが――月に数万ものアカウントが全世界で削除されている。にも関わらずBOT撲滅に至らないのは、もはや運営のせいというわけではないということだ。

 プレイヤーからの目撃情報を元にする?――いいや、私怨で無罪のアカウントを削除してしまう恐れがある。現に過去にそういったゲームがあった。
 ならばRMTをしたと思われるプレイヤーの方を規制する?――この方法も過去に大問題になったケースがあるらしい。

 BOT撲滅は現状無理、というのがプレイヤーたちの大半の意見のようだ。
 無理なら無理と諦めるのが一番いいのだろう、だが。


「あああうぜぇッ!」
 アキラがイラついた声を上げた。同感だ、と声に出さずに苦笑する。
 リラはよくわかっていない顔だ。これはBOTだと言ってやれば理解はできるのだろうが、リラ的にはどうしてこれが悪いことであるのかの理解もできていまい。
 それでもせっかくポップしたモンスターの大半をプログラムによって倒すだけ倒ししっかりアイテムを全部拾って消える行動だけを、今日だけですでに10回以上見たので、リラもしっかりイヤな顔はしているのだが。
 さすがにアキラじゃなくてもこれは許容範囲を超えていると言えよう。
「ホロルとどっちがいいかね」
「――くっそ、そう来るかよ」
 皮肉を投げてやると、アキラはうんざりした顔で苦笑して見せた。



[16740] 43- レジェンドモンスター
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:2eda929c
Date: 2013/02/19 16:53
 アキラの話を聞いた、私のリアル悪友であるところの背の低い種族――ホビットというらしい――が爆笑した。
「くっく、……いやはや。どこ行ったのかと思ったら炭鉱かー」
 リラは何故このホビットが笑っているのか全くわかっていないらしい。まぁBOTのこともほとんど理解できていないようだし、当たり前だろうか。
「だからホロルがいいとリラがあれほど言ったのに」
 皮肉を投げてやると、「うるさい」と不機嫌な顔で投げた皮肉を叩き落すアキラ。
 実際にはそんなに不機嫌ではないはずだ。むしろ今回の炭鉱狩りでは、増えすぎた「群れ」を散らすのに、BOTを利用していたようにすら見えた。
 弓を使うBOTだったせいもあり、巨大な群れを散らす際には確かに上手く散らしてくれたので、私に不満は少しもないのではあるが。

 ちなみに、アキラのキャラクターは弓の才能が全くと言っていいほどないらしい。
 一度、いくらかのレベルアップの後で弓を修練してみたら、10回の射撃で1度も的に当たらなかった――要するに弓の修練レベルが一切上がらなかった。
 諦めて別の修練に変更したのは正解だっただろう。彼の知り合い――今は私の知り合いでもある。イシュメルという――は、初期から弓はほぼ命中だったと言うことだから、それを考慮に入れれば、本当に才能がないということになる。
 ただし、その際変更したのは投げナイフで、これが面白いようにレベルが上がったため、しばらくアキラは投げナイフに重点を置いてレベルを上げた。彼の「師匠」が言うには、彼にはほぼ全ての能力が中途半端に備わっており、オールラウンドに能力アップを図るのが最も効率よくキャラクターを育成できるだろうとのことだ。その割にはレイピアと魔法のスキルが突出しているように見えるのは、きっと私の気のせいか、もしくはアキラの修練の賜物だろう。

「さって。そろそろアキラも『島』くらいなら行けるレベルかねぇ」

 ホビットが、――ちなみに、彼女のキャラクターネームは「フィリス」と言う――散々笑い飛ばした後でそんな提案をした。
「『島』?」
「そう、『島』」
 怪訝な顔でアキラが問い返すと、ノータイムでオウム返しにフィリスが答える。
「――まだ早い、……と思う、……けど」
 アキラの隣でコーヒーを飲みながら聞いていた女性――こちらの名前はカルラと言う――が、それに反を唱える。
「そう?」
「――たぶん」
 自信や根拠があるわけでもないのだろう。その瞳が、「余計なこと言ったかも」という後悔の色を見せた。
「……ま。カルラの判断は結構鋭いからね……今回はやめとこうか」
 くすくす笑うホビットは、それならどこにしよう?と考えを巡らせる。
「キューレ神殿は?」
 カウンターの向こうで作業している男、――通称【神の狂気】、アズレトが提案する。
「あそこ嫌い」
「そりゃお前だけだ」
 大いに苦笑するアズレトに、アキラもつられたのか苦笑を向ける。
「つまりラックが高いのか」
「そゆこと」
 サラマンダーとかもいるしね、と両肩を竦めて見せるフィリス。
 フィリスは、信じられないほどラック値が高いらしい。アキラの師匠曰く、アキラのパーソナリティである「オールラウンド」と同等程度にレアのようだ。
 サラマンダーには「クリティカル無効」のパーソナリティを持つ鱗が全身に付いており、攻撃の威力のほとんどをクリティカルで賄っているフィリスには、手応えが全くと言っていいほど感じられないサラマンダーは「嫌い」な部類に入る、ということらしい。
 そして、どうやら『キューレ神殿』とやらにはそれ以外にも、クリティカルがほとんど効かないモンスターが多いということでもあるらしい。
「目的はアキラのレベル上げだろ?」
「あそこ最近結構湧き湧きなんだよ。だからいざって時救助も面倒」
 無理と言わないところが彼女らしいと言えばらしいのだが、まぁ無理だと思う場所ならそもそもアズレトが提案したりはしないだろう。
「あと2時間潰して来てくれれば俺も行けるんだけどな」
 ちらりと時計を見ながらアズレトが呟くと、店のマスターであるNPCが「雑談が過ぎるなら残業させるぞ」と低い声で呟き、「おぉ怖」とアズレトは両手を秤のように上げて苦笑した。
「2時間か……どうする?」
「だからアタシは嫌いなんだってば、あそこ」
 嫌いだ嫌いだと言っているが、「嫌い」と断言するということは、少なくとも以前に行ったことはあるのだろう。そしてそれが無理ではないこともわかっているはずだ。
 まぁ、アキラのレベル上げである以上、いわゆる「壁」を嫌うアキラの方ですでにキューレ神殿行きは除外されているかもしれないが、今のところ何も言わないと言うことは、彼らの先導で自力で戦う分でなら行くという心積もりなのかもしれない。
「ところで、リリーとイシュメルは?」
 アキラが回りを見回しつつ、トラストがいないのは知ってるけど、と呟く。
 そう言えば、今日に限って見当たらないアバターが3人ほどいる。
 そのうち1人がいないことには気付いていたが、それに加えて白い翼のティタニアと、黒色の髪の弓手がいない。
 まぁリアルでの事情もあるのだろうし、いつでも必ず全員が集まるべしと決められているわけでもないのだが。
「リリーは図書館だってさ」
「――またバイトか?」
 アキラが尋ねると、いやいや、とフィリスが手を振った。
「神話のネタ探しだってさ」
 ふむ、と呟くと、アキラはカウンターに手をついて立ち上がる。どうやら行ってみるつもりらしい。
「アキラ」
 隣のカルラが声をかけると、「ん」と声を出し、アキラは声の主を見た。
「図書館行くなら――私も行って、……いい?」
「いやいや、いいも悪いもないだろ」
 思わず発したアズレトの言葉は、NPCに睨まれ黙殺された。
 そしてもう一人、私の隣で目を輝かせているプレイヤーがいた。


「あら」
 図書館のNPCが、結局ついて来た私の隣を見て微笑む。
「こんにちはリラさん、今日も読書ですか?」
「はい。本楽しい」
 いつの間にか、リラはここの常連となっていたようで、すでにNPCにも顔を覚えられていた。
 NPCに案内されるまでもなく、すっかり覚えた「目録」に手を置くと、途端に文字が視界全体を黒く覆う。

 この状態で使えるコマンドその1。特に何も特殊なことをしない「サーチ」。
 読みたい本のタイトルを呟くことで、呟いた言葉の文字列を含むタイトルの文字列が整理されるというものだ。
 例えば、「初心者」で検索すると、あるプレイヤーが執筆した文章がタイトルとして現れる。
 今は加筆修正されているものの、数ヶ月前の段階では、書いた本人が赤面するほどの初級的内容で、本というよりは「紙」だったらしい。
 読んだアキラが言うのだから間違いないし、書いた本人が言うのだから間違いない。

 コマンドその2。指を立てて「ランダム」とワードを言う「ランダムサーチ」。
 リラがよく使うコマンドで、彼女は雑多に色々なものを読み漁るのが趣味のようだ。
 以前リラと一緒に何度か試したが、ここには読み物系や歴史系(この世界の)の本しかなく、辞典が出てくることはないため、それでも確かに楽しめるは楽しめるのだが、その「読み物系」には性的内容が含まれるものもあるし、「歴史系」には嘘八百をさもありなんと書き連ねるものまである。
 なのでオススメはしないのだが、狩場に困った時にこれをやり、真偽を確かめてみるという遊び方もあるにはある。

 コマンドその3。私が使うのは主にこれだ。
「ソート」
 指を立ててワードを呟くと、視界の文字列が渦を巻くように回り始めた。
「C-A」
 タイトルが一気に目の前に整列し、CAを頭に持つ本が整列する。
 BZまでで読みたい本に関してはすでに読んでおり――実は流し読みだが――今回はここから読みたいものを探すということだ。
 いくつかのタイトルを物色し、適当なタイトルを本に変えて手に取る。
 後は一応念のため。
「ソート、ニュー」
 同じソートの使い方として、新作を選ぶ。今月に入ってから「入荷」された本、あるいは加筆修正された本などを対象に選ぶものだ。
 アキラが好むのは主にコレだ。
 ちなみに、作者名での検索もソートコマンドで可能だ。

 現実とは違い、同じ本を選んだからと言って本の在庫が切れる、ということはない。
 なのでアキラと私が選んだ「新作」が同じ、ということは何の不思議でもない。今日発刊ともなれば、被るのも当たり前と言えよう。
「――本が被ること自体は不思議ではないが」
「ん?」
 どうしてこの男は本を読んでいるのか。記憶が確かならば、アキラはリリーを探しに来たのではなかったか。
「――リリーは?」
「あぁ、さっき一旦落ちたらしい」
 どうやら、道中ですでにそれをウィスパーで聞いていたらしく、目から視線を離しすらせずそれを説明された。
 ふむ、と呟きつつ、疑問が晴れた私は改めて新作、「ライルゲート」の表紙を開いた。
 ちなみにCAのソートは、ロクなものがなく、仕方がないので適当に「C.A.~その地平の彼方」と言うタイトルの本を持って来たのだが、さらりと読んでみるとこの世界の、ある地域の紹介……要するにダンジョン踏破の入門本だった。よくあることだ。
 そして「ライルゲート」の方は、どうやらこちらは伝奇ものであるらしい。ちなみに筆者の名前は空欄。――つまりゲームマスターの誰かが書き、そして情報のひとつとして図書館に入れた、ということだろうと推測する。
 内容は、この世界の歴史に基き、それなりに上手くまとまっている。ただしこれが真実である保障はない。
 これまでに読んだいくつかの歴史書のうち、別の本と完全に真逆のことを書いてあるものもあったくらいだから信用はすまい。
 だが、これが真実であるならば面白いだろう、と思わせる程度には冒険心をくすぐられるものだ。
「……ふむ」
 ふと横から声が聞こえ、視線をアキラの方へと向ける。
「――レジェンドモンスターか」
 伝説、と冠されたモンスター記述のところを読んでいるのだろうと見当をつけて聞き流しつつ、私もそのページを開く。

『レジェンドモンスター、ナイトフューリー。
 姿を見たものはおらず、風か音かはたまた光かという速度で冒険者を屠るという悪魔。』

「興味があるのか?」
 聞いてしまってから、当たり前か、とアキラの返答より先に結論を付ける。
 本に夢中で聞こえなかったのか、それとも図星を当てられた腹いせの無視なのか……アキラは本から視線をはずすこともなく、そして返答することもない。
 まぁ、彼の読書を邪魔することもないだろうと、私は再び本に視線を落とす。
――「激怒せし夜」。確か数世紀前の映画でそんなモンスターが出て来るものがあった気がする。
 まぁこのモンスターがドラゴンであるとは限らないし、そもそもこのモンスターが実在するかも疑わしいのだが、この本が発行されたという事実は、ひとつのことを読み取れる。
……ゲームマスター的にはここに行かせたいのだろうという意図だけは知ることができるのだ。


「レジェンドモンスター?」
 お前ら、ここはお前らのための溜り場じゃねぇぞ、と視線で語るマスターを無視し、フィリスが頓狂な声を上げた。
 他のプレイヤーがちらりと視線を向ける中、構わずアキラが「さっき本で」などと続きを話す。
 イシュメルはまだログインしていないがリリーとは合流でき、元の店に戻ってすぐ、アキラがこの話を出した。よほど先程の本が気になっているのだろう。
「いいね。そういう冒険みたいなの、ボクは好きだなぁ」
 テーブルの上で――もう何杯呑んでいるのか忘れるくらいの酒を飲んだ後、ぐったりとしていた小人が不意に声を出した。
「……起きてたか、ムル」
「寝てないってば」
 オゥボーイ、と呟きつつムルが半身を起こし、「さすがに呑みすぎたかな」と呟いて姿が消えた。
 この世界での「酔い」ステータスはリログすれば治るので、恐らく一度キャラクター選択画面まで戻ったのだろう。
「どう思う?」
 アキラが私に声をかけるので、「さぁどうだろう」と気のない返事を返してから、そんな返事ではあんまりだと思い直す。
「――少なくとも、ゲームマスターがそこに行かせる意図で書いているのだろうとは思うがね」
 ふむ、とアキラが私の返事に興味を抱いたように考えを巡らせる表情をした。

 イシュメルが到着するのを待ち、出た結論は「とりあえず行ってみるか」、というアキラの一言だった。
「どこにだ、ちゃんと説明しろ」
 呆れたようなイシュメルの口調で我に返ったのか、アキラは図書館のくだりから説明を始めた。
「レイルゲートのナイトフューリー、……ね」
 イシュメルは、手持ちの地図を取り出し、カウンターに広げた。
――広げたところで、いつものようにマスターに睨まれ、苦笑しつつカウンターではないテーブル席を見回す。
 ここのマスターにとってカウンターは酒を飲む所で地図を広げる場所ではない。他の誰かが同じように地図を広げても、1分きっかり経ったところで必ず雷が落ちるだろう。
 手近なテーブル席にアキラと私、そして地図の所有者であるイシュメルの3人が移動する。他のメンツはカウンターからでも会話が聞こえればいいと判断しているのだろう。
「今俺たちがいるのがここ、ルディス王国第三都市、フェイルスだ」
 イシュメルがまず広げたのは世界地図らしく、現実の世界を模していくつかの大陸が並ぶものだ。――とは言っても、形は現実と似ても似つかないものだが。
「レイルゲートはここだな。――ライラガルドの第二……あれ?第四都市だったか?」
「シルヴェリアだろ、第二都市で合ってる」
 フェリスが横から口を挟み、イシュメルが「サンキュ」と笑んだ。
 シルヴェリアは、と言いながらごそごそと別の地図を見つつ、「これだ」とイシュメルは世界地図の上にもう一枚の詳細地図を重ねた。
「第二ってことはこの辺か。――シルヴェリアのレイルゲートと言えばかなり有名だ」
 現実の世界地図で言えばアフリカ大陸の辺りを指し、左上から第一・第二と数えるあたり、この辺はプレイヤーの理解度を重視した呼び名なのだろう。
 まぁ詳細地図に第一第二と書いてあるわけではないので、おそらくプレイヤー間での呼称というやつだ。
「――これか」
 アキラが早々に指をさすと、確かにそこには「Rale Gate」の文字。
「確かその付近に、すでに廃墟と化した砦があるんだが、多分その本の言ってるのはそれだと思う」
 ふむふむ、とアキラが周辺を指で辿りつつ、あっさりと砦跡を探し当て、そこに指を止める。
「むー。アキラのレベルじゃちょっとキツかない?」
 フィリスが言うと、「こんな時トラストあたりがいればなぁ」とアキラが呟き、その斜め後ろでカルラが苦笑した。
「――彼女がいても、……多分、――無理」
 カルラが言うには、カルラと同レベル帯の数人で行って狩りになるかならないかと言ったところらしい。
 しかも、本によればナイトフューリーが出るのは深夜4時前後。シルヴェリアとルディスの時差がどの程度かわからないが、地図で見た限りでは、少なくとも同じではないだろう。
「シルヴェリアの4時って日本時間で何時くらい?」
「んー。多分アタシんとこと東京とが時差変わらないはずだから、……午後9時かな?」
 計算が苦手なフィリスに任せきりにはせず、一応頭の中で自分でも計算してみることにする。
 時差に関してはフィリスの言うとおり、日本時間とこちらとでは大差ないものとすれば、およそ7時間。
 4時、……つまり28時から7を引いて21時。珍しくフィリスの計算は合っているということになる。――まぁ、合っている以上余計な口は挟まないが。
「今が……7時か。もうちょっと時間あるな」
 とは言え、それはあくまでアキラと我々の話であって、他の地域はそうではないだろう。
 特にリリーなどは今は朝方。リリーの生活パターンから考えてそろそろ寝たいところではないのだろうか。

「ま、全員揃うようなら行ってみよう。その頃にはトラストも来るしな」

 言うアキラは、まるで遊園地を楽しみにしている子供のように見えた。



[16740] 44- ミーティング
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d2be6971
Date: 2013/04/14 23:49
「あー。解散解散」
 ひどく残念そうに言ったのは、まるで遊園地行きを親の都合で中止にされた子供のような顔のアキラだった。
「ん?」
 イシュメルは不思議そうな顔でアキラの方を向くと、言った言葉の意味にようやく気付いたように、再び呆れたような顔をする。
「だから説明が足りない。どういうことだ」

「――リリーの身内が急病で倒れたそうだ」

 あぁなるほど、と理解する。
「そりゃ仕方ないな」
「んでリリーは?」
 フィリスが、運ばれて来たロング・ブラックに口を付けつつ尋ねる。
「家で留守番してるからパソの前にはいるけどインはできないとさ」
 正当かつもっともな理由だ。ぐうの音も出ないし、そもそも身内が倒れてはゲームどころではないだろう。
「ふーん……仕方ないね」
 フィリスがにやりと笑う。
「アタシらだけで行く?」
「おいおいおい」
 ようやくバイトから開放されたアズレトが呆れたように呟く。こちらが飲んでいるのはショート・ブラックか。
「無理だろ。俺たちだけならともかく」
「――私も、……そう思う」
 カルラがそれに同意すると、フィリスはちぇ、と軽く舌打ちをした。
「じゃあ今日は解散?ちょっともったいなくない?」
 それでもどこかへ行きたい気持ちはあるのか、フィリスはこちらのテーブルに寄ってくると、イシュメルが広げたままの地図を覗き込んだ。
「さっきも言ったけど、キューレ神殿でも行くか?それか島」
 アズレトの言葉に、フィリスは即座に「島がいい」と呟く。
「フィリスの意見は二の次な。目的はアキラのレベル上げだし」
 その意見をばっさりと切り捨て、アズレトがきっぱりと言い切る。
 私とアキラは顔を見合わせると、視線をイシュメルに同時に向けた。キャリアは今いる低レベル組4人のうち一番長いのが彼だからだ。リラはそんな私たちを不思議そうに眺めている。
「……いやこっち見んな。俺は所詮後衛だから決定権ねーよ」
 苦笑して言うイシュメルに、もう一度顔を見合わせるが、どちらがいいかなど、両方行ったことのない私たちにわかるわけもなく。そんな私たちの様子に気付き、イシュメルが苦笑しつつ溜息つつ、仕方ないなと言った感じで呟いた。


「まぁ参考意見としてだが――」


 二つのエリアを比較するのであれば、まずは概要からな。

 まずは通称「島」。
 島と呼び名が付いているが、孤立した島なのかと言えばそうでもない。
 今いるのがルディス。ここから、一応橋はあるものの5時間くらい歩けば行くことのできる地域だな。船もあるが正直歩いたほうが早いし船のあるところまで行くのは遠回りだな。
 正確には半島と言ったところか。まぁ一応川が横断しているから、地続きではない――と言っていいのかどうかは知らないが、まぁ海洋に隔てられているわけでもないのでいいんじゃないか、ということにしておこう。
 正式名称はアガリグスク・アイランド。
 ルディスのある大陸の東側に位置する半島で、横断している川を挟み半島全体が「国」としてシステムに認知されている。
 半島そのものがダンジョンというわけではないが、中級クラス相当のモンスターがフィールドを闊歩し、そのほとんどが動物型モンスターだ。
 だが、「島」と通称されている狩場はこのフィールドではない。

 この半島のど真ん中に、ひとつの洞窟がある。
 この洞窟の名前は「アークケイヴ」。
 洞窟の中は暗く、松明もしくはランタン、あるいはライトの魔法がなければ少し先すら見えない。
 当然ながら松明を持つプレイヤーが一人は必要で、持っているプレイヤーはほとんどの場合戦闘行為ができない。灯りが揺れたら遠近感掴み辛くなって弓はキツい。ついでに前衛も敵が見辛くなるのでかなり不利になる。――まぁこの辺は一緒に行くならフィリスにやってもらうかな。
 モンスターとしてはアンデッド系が多いかな。スケルトンにゾンビにキョンシー。あとはボスとしてヴァンパイア。
 言うまでもなく、ヴァンパイアは強敵だ。――とは言ってもフィリスやアズレトにとってはソロでも勝てる楽勝な相手ではあるが、初心者組――ここにはいないがトラストが加わったとしても、勝つにはレベルが足りない相手だ。

 そして「キューレ神殿」。発見されたのはつい最近だ。
 かなり遠いからこっちに行くなら、馬車使っても今日明日は移動だけで終わるだろうな。
 神殿と名の付くものは無数にあるから、略すのであれば「神殿」だ。文字通り神殿ではあるが、廃棄された神殿という名目であるため、安全エリアではない。
 だが神殿と呼ばれるだけあり、一応神を祀っている。――で、その祀ってる神ってのがそこのボスだ。まぁ出会うこともないだろ、2階に上がらなかったらいいだけだ。ちなみに実装から今まで、一度たりとも倒されてない、レジェンドボスだ。
 モンスターとしては、サラマンダーやシルフなんかだな。いわゆる精霊で、サラマンダーは鱗のせいでクリティカルが無効になるしシルフは実体がないからそもそも物理攻撃が無効だ。シルフは一応魔法をかけた剣とかは効くには効くが風だからほぼ攻撃が通らない。その代わり、風以外のほとんどの魔法攻撃が弱点だけどな。
 ちなみにフロアは全4層あり、それぞれにフロアボスが存在する。
 4層は階層になっているわけではなく、神殿周辺にある4つの属性オブジェクトを中心にモンスターが出現すると思えばいい。
 まぁボスもフロアを徘徊しているだけで、正直いる場所によってはスルーできるし、戦う必要はない。ついでに言うなら出会ってしまったとしても逃げることはできるし、そんなにしつこく追いかけて来たりはしない。


「ま、個人的には神殿を推すけどな」
 神殿の方移動は遠いから判断は任せるけどな、と話を締め、イシュメルはいつの間に頼んだのか、カップの紅茶を息で冷ましながら口に付ける。
「行くのにかかる時間か……」
 ちなみに、ラーセリアの世界は非常に広大だ。
 一説によれば、地球全体ほどではないが、月程度の広大な敷地があるのだと言われている。
 まぁさすがにそれは嘘臭い、と前にアキラは言っていたが、それでも島までの距離程度ならともかく、神殿までとなると、先程イシュメルも言っていたように今日と明日は馬車に揺られるしかない。
 アキラの師匠の『針』であれば、ある程度の距離までならば一瞬で移動することも可能だろうが、生憎ウィスパーも通じないらしい。ためしにと私も送ってみたが、
[該当キャラクターとの距離が離れすぎています]
 との音声メッセージが流れただけだった。
 ログインはしているようだが、どこにいるのかはわからないということだ。

「こんばんはー」

 声に振り向くと、可愛らしくスカートを持ち上げて現れたのは、青く長い髪の少女だった。
「――うん、リラちゃん今日も可愛いね」
「こんばんは」
 リラの頭を撫でつつ、彼女……トラスト嬢は机の上を覗き込んだ。
「ん、どこか行くの?」
「今どっちにするか迷ってるところだ」
 イシュメルの言葉に「ふぅん」と聞き流し、「候補は?」とさらに質問を重ねる。
 仕方なくさっきと同じ説明を繰り返すイシュメルが、再び神殿を推したところで、彼女は口に指を当てた。
 周囲の……おそらくこの店に入り浸るプレイヤーのうちのほとんどが、トラスト嬢がここを溜り場のように使い、ログインやログアウトをするときは大抵ここであることを知っているし、むしろ彼女目当てで入り浸っているらしく、今も彼女の可愛らしい仕草を見て感嘆の溜息を吐いているプレイヤーが見える視界だけで2桁はいる。
「うーん」
 ぽそり、とトラスト嬢は仕草をそのままに呟いた。

「イシュメルが推すなら神殿かなぁ。試したいこともあるし」


 結局行き先は神殿に決まった。
 反対意見を出そうとするだけでギャラリーに睨まれて黙殺されたせいなのだが……。



[16740] 45- キャリッジ
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d7ad6cde
Date: 2013/05/09 00:12
 車輪がごとごとと音を立てるたび、座っている背中や腰を打ち付けられる衝撃が走る。それでダメージを受けるわけではないが、現代の車の衝撃を吸収する技術は至高のものだと改めて思わざるを得ない。まぁ、この馬車に衝撃吸収の技術が全くないわけではないし、現代の車も大きな石を踏めば車内に衝撃が来るのだが。
 痛みはないが、かといって衝撃が断続的に腰を襲うので結構辛い。ムル以外の皆も同じなのか、衝撃が来るたび顔をしかめたり、つい声を出してしまい雑談を終了したりと色々苦労はあるようだ。ちなみにムルは、魔法で召還した炎の狼の上で寝そべっており、ぴくりともしない。狼は狼で、衝撃など意にも介さないように床に寝そべり、はっきり言ってくつろいでいる。まぁムルは馬車に乗るなり「ちょっとAFK」と言い残して寝てしまったので、おそらく現在コネクトしていないということだろう。
「結構酷いんだな」
 アキラが苦笑すると、その言葉にアズレトが苦笑した。

「だから言っただろ」


 出発前、どの馬車に乗るかでメンバーが揉めた。
 このゲームは敷地が広大な分、移動手段は馬車、船、飛行船など多岐に渡る。
 ちなみに料金的には言及した順に高く、たいていは馬車一台分あたりの値段を、乗った全員の数で割って負担するが、PT募集などをする場合にはその募集主が馬車代を持つこともあるらしい。
 ちなみに、サービス開始当初はともかく、今現在ほとんどの馬車を運営しているのはプレイヤーだ。
 担当のNPCに許可を取り、移動経路の国の王に許可を取る必要があるが、基本的に必要な資金は馬車の購入費用だけだ。その許可も、担当NPCはほぼノーチェックで許可してくれるらしく、また国の方でも基本的に拒否をすることはない。
 また、それぞれランク付けがされており、今回私たちが乗っている馬車は下から数えて3つ目のDランクだ。DでこれならGはどのくらい酷いのかと少し気にならなくもないが、それはまたの機会でいいだろうと思う。ちなみにプレイヤー運営の馬車のランクは、担当NPCが馬車をチェックしてくれるらしい。
 最低レベルはG。最高レベルはAではなく、S……でもなくSS。
 出発前アズレトは、自分が全部払うのでAか、せめてBにしないかと言ったが、アキラやトラストが頑なにそれを拒否した。
 日本人は少しプライドが高いと聞いていたが、まぁ金を出してもらうというのが私としても望むところではないのは同意したい。
 まぁ、正直な話今では後悔しているのだが、もうさすがに遅い。


「ま、AやBじゃ襲撃イベントの確率が下がるしいいんじゃない?」

 フィリスがからからと笑いながら言った。
「襲撃イベント?」
「――あぁ、そういや知らないんだっけ」
 苦笑し、例によって解説してくれたのはイシュメルだった。


 馬車に限らず、こういった移動手段には、襲撃される確率がある。
 今乗っているDランクは50%、最下級のGランクは75%だと言われている。
 まぁ飛行船のSSランクくらいになると今のところ一度も発生してないが、ランクが高ければ高いほど敵は強いし、落とすアイテムも高価なものが多い。
 基本的に襲ってくるのは、山なら山賊モンスター、海なら海賊モンスター、空なら空賊モンスターだ。
 襲撃が始まれば馬車は止められるから、降りて戦うか降伏するか殺されるかのどっちかだが、逃げるなら馬車を捨てることになるな。


「ってことは、出てくるとしたら山賊あたりってことか」
「そうだな。まぁ山賊は弱いからこのメンツなら問だ、――っと」
 馬車の衝撃が唐突にあり、イシュメルは一度言葉を止めた。
「……このメンツなら問題ないだろ」
 山賊というなら、人型モンスターなのだろうか。おとぎ話にも出てくるようだが、幼い頃から視覚のなかった私にはそんな姿すら想像がつかない。
「まぁ、……とりあえず次の町はすぐそこだ。どうやらこの馬車では出なかったみたいだな」
 言われて馬車の前窓を見ると、イシュメルの言葉通り、すでに町が見えていた。

「――ふぅ」
 トラスト嬢が、アキラのその溜息に続くように馬車から降りた。
「大変だったね」
 あはは、と苦笑すると、彼女は手を上へと掲げ、体を伸ばした。
「で、ムルは?」
 AFKというより、移動が長いと見て寝てしまったのではないだろうかと思う。
 以前、一度寝てしまったら目覚ましでも起きれないくらいに朝は弱いと言っていたので、とりあえず、ムルだけでも降ろそうかと考える。
「AFK中。――まぁとりあえず狼は置いといて本人だけでも降ろすか」
 リラが炎の狼を放置し、ムルだけを両手で持ち上げると、狼がそれに追随するかのように腰を上げた。
「おお、――オートでついて来るわけか。ちょっと便利だな」
 言うと、アキラは眠りこけるムルをリラから受け取ると、自分の頭の上に乗せた。
「――たれラッティアスって感じだね」
 それを見ていたトラストが呟くと、何が面白かったのかアキラは吹き出し、「それは卑怯だろ」と呟いた。
「その狼どこでテイムしたの?」
 再び呟いたトラストのその言葉に、次に吹き出したのはカルラだった。
 いまいちどこが笑いの種だったのか理解できないが、何か元ネタでもあるのだろうか。
「さて、とりあえずあと3回くらい馬車に乗る必要があるんだけど、今日はこの辺にしとく?」
 フィリスが言うと、アキラは何故かイシュメルに向き直った。
「この辺のモンスターは強いのか?」
「――何で俺に聞く。後ろに俺より詳しいのがいるだろ」
 多少不機嫌そうに呟くと、イシュメルは溜息を吐いた。
「あはは、解説はイシュメルの方が上手いしね。アタシからも頼むよ」
 匙を投げ返され、イシュメルは苦笑を向けた。


 この辺はそろそろ国境に近い。
 次の馬車で一応国を出るわけだが、――まぁ国を出るまでのところなら俺たちのレベルくらいでも安全に狩れるだろうな。
 この辺で強敵なのはアークコボルドだな。
 一応亜人種で、場合によっては俺たち同様にパーティを組んでて、当然メンバーが襲われればパーティメンバーは急いで合流して敵対してくる。
……ついでに言うが、アークコボルドはリンクする。
 つまるところ、俺たちがアークコボルドを攻撃しているのを見た他のアークコボルドがいたり、戦闘の音がしたりすると寄ってくる。

 ふむ、とアキラは考えるように腕を組んだ。
「攻撃しなければ寄って来ないのか?」
「残念ながらアクティブだ」
 うげ、と声を上げ、手を上げるアキラに、背後にいた古参数人が苦笑する。
 恐らく、アキラがそれでも狩ると言えば、古参がコボルドの相手をしてくれるだろうが、アキラやトラストの性格上それを断るのは目に見えているからだろう。
 それでも迷っているのか、アキラがトラストに視線を向ける。
「どう思う?」
「――ちなみに、次の目的地の場合は?」
 今回をパスし、狩りをせずにという意味だろうと当たりを付ける。
 今日は狩りをせず解散するとして、明日の移動後に狩りはできるのか、という意味だろうか。
「んー。明日到着すんのはシュメルクだっけか。天気によるな」
「なんだそりゃ」
 アキラの言葉に、ははは、と古参プレイヤーであるアキラの後ろ数人が笑う。
「メタモルスライムがいるからな」
 アズレトの言葉で思い出すことがあったのか、アキラは「あぁ」と納得したように呟いた。
 その名前には聞き覚えがある。
 昨日だったか、モバイルデバイスでラーセリアの掲示板を流していた時、その検証をするスレッドがあった。
 何だろうと聴いてみると、スライムの検証スレだった、というように記憶している。
 よくわからず、結局途中まで聞いて止めてしまったのだが……
「簡単に言えば、晴れてれば晴れてるほど弱いくせに硬くなって、天気が悪ければ悪いほど強いくせにやわくなる」
「それでいて特性は普通のスライムと同じ扱いだっていうんだから最悪だよな」
 スライムの特性とは何だろうか。序盤はほとんどアキラたちの手を借りてレベル上げをしてしまったため、本当に序盤のスライムは一匹も倒した記憶がないのだ。
「ま、アズレトたちもいるし何とか……」
 イシュメルが苦笑しつつ呟くと、
「勝てなきゃ逃げればいいしね、あいつら遅いから」
 フィリスが可笑しそうに笑って見せた。

「――ん、じゃあ今日はやめておく?」

 トラストが可愛らしく首を傾げると、話に全くついて来れないリラが、よくわからない、という顔で首を傾げた。



[16740] 46- クエスト(前)
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:d9a5e090
Date: 2013/08/06 03:01
 結局、一日狩りは行わないことになった。
 その分時間が余るので、各自適当に、という話になった。
「――さて」
 リラはトラストについて行き、少しだけレベルを上げるとのことだ。
 少し前、リラは戦闘中に死亡し、経験値を喪失しているため、私との間にレベル差が少しだけあるからだ。
 まぁリラは気にしていないようだが、トラストがそれをどう言い含めたのか説得し、今日一日はとりあえずその差を埋めようということらしい。
 そして私自身は、この町でクエスト探しだ。
 少なくとも3つのクエストが存在するらしく、その場所も聞いている。

 まず1つ目。
「生キャラメルの箱」。
 超簡単なおつかいクエストだ。
 要するに、生キャラメルを買い、その箱をNPCの元まで持ち帰ればOKだ。
 経験値少量と、箱の数と種類に応じた報酬が手に入る。

 2つ目。
「ライカンスロープの境遇」
 とあるNPCの境遇を聞き、その話に応じた何かをすることで、様々な報酬が手に入る。ちなみに何が手に入るのかは不明。行動によっては全く何も手に入らないこともあるらしい。

 3つ目。
「大樹の受難」
 とあるグランドクエストの開始地点にあたるクエストで、これを受けないで別の開始クエストを受けることもできる。
 が、フィリス曰くオススメはここのクエストらしい。理由は、「メンバー全員がここから開始しているから」。もし私がここで開始するようなら、後でリラもここで開始しておくとのことだ――もちろんトラストが連れて来るということだが。

 今はその3つのうち、どれにするべきなのかを考えているところ――正確にはどれから始めるのかを考えているところだ。
 つまり、どうせ全部やるのではあるが、どれから始めればいいのかわからず、また、地図などで調べたわけではないので、どこから始めるのが効率がいいのかわからない。
 唯一開始地点を知っているのは、町からでも仰ぎ見ることのできる、町中央の大樹。開始されたら1時間はかかると言われているが、ここから始めるべきか。


 町中央に到着すると、予想よりも遥かに大樹の幹は逞しかった。
 現実の樹を実際に目にしたことはないが、ゲームを始めてからこれまでには、少なくともこれほどの大きさのものは見たことがない。
 そんな風に考えながらも、歩調を少しだけ早めつつ、大樹の麓に座り込む一人の老人を探すと、存外あっさりとその老人を見つけることができた。

「――こんにちは」
「おお、……良い天気だな」
 こちらに視線を向けた老人は、私の背後で燦々と輝く太陽に、目を細めた。老人のその仕草で眩しいのだろうと気付き、眩しくないように老人の隣に――とは言っても、座っても不自然にならない程度には距離を離したつもりでだが――腰をかけた。
 それにしても今日のゲーム内気温は高いな、と思う。気温設定は現実での1年前の気温や天気を参考にしているそうだが、だとすればこの暑さはやや納得できないところがある。
 黙って座っていると、老人もそれ以上何を言うこともなく、数回こちらを見たり視線を戻したり。何かを言いたいが、言うべきかどうか、と迷っている様子だ。
 クエストの開始地点は聞いているが、何をどうすれば開始できるのかなどは一切聞いていないことに気付いた。
 まぁ、一応挨拶はしてあるし、名目は「自由時間」なので、クエストを受ける受けないは自由だ。このまま何も起こらないのであれば適当に時間を潰して戻ろうか――などと少し考えていると、

「若いの、時間はあるかね」

 唐突に、老人が声をかけてきた。
「ええ。あると言えばありますが」
 とっさに即答する。
 よく考えればそんなに急いで返答しなくてもよかった気がするが、一度出した言葉を引っ込めるわけにもいかないだろう。
「ふむ、――そうか。ではワシについてきなさい」
 言うと、私の返答も待たずに老人は杖を突きながら歩き始めた。
 ひょっとして、クエストが開始されたのだろうか、と、私は老人の少し後ろを歩き始めた。

「おおい、いるか」
 ある雑貨屋の前で立ち止まった老人は、おもむろに店の扉を開けつつ大声を出した。
 奥の方からだろう。はいはいはい、と可愛らしい声を響かせつつ、小さい子供の人影がぱたぱたと走ってやってきた。
「カーリー。珍しいわね、貴方がここに来るなんて」
 子供、と思ってしまった思考を訂正しよう。よく見ると子供なのではなく、ホビットのようだ。確かドワーフの一種で、フィリスと同じ種族だ。ドワーフと違うのは、ムサ苦しいヒゲ面ではなく、子供のような外見が特徴の、NPCではいわゆる「好奇心の塊」という一面が強い種族だ。
 白い長袖のワンピースに、きらきら光る、ガラスのようなアクセサリーが適度に似合っている。
「――あら。カーリーが人を連れて来るなんて」
 クエスト上、決められた台詞なのか、本当に珍しいのかはわからないが、少女……のような外見をしたホビットは、私の顔をじろじろと遠慮なく見つめ、次いで服から靴までを一通り眺めると、再び視線を私の顔へと戻した。
「……まぁいいか」
 何がいいというのか。とりあえず何かを納得したのは確かのようだ。
「いらっしゃいませ。何か買ってく?」
 言葉とともに輝くばかりのスマイル。
 アキラが言うところのエイギョースマイルというやつか。なるほど、若い娘がこういった笑顔をするならば、客はその笑顔に騙され、ほだされて財布の口を開けてしまうのだろうな、――などと余計なところで納得しつつ、店の中を眺める。
 店まで老人について来た以上、何かを買ってから話を聞くのがセオリーなのかもしれない。
 幸い所持金には少しだけ余裕がある――まぁなければアキラから借りればいい。利息計算を別にすれば、あの男ほど財布の緩いプレイヤーはいないだろう。

「――ん?」

 ふと、店の奥に立てかけられている杖が目に入る。
 確か店の看板は「雑貨屋」だったはずだ。
 しかし確かにそこに立てかけられているものは、間違いなく「杖」――武器だ。
「――そこの、杖は売り物?」
「ええ、もちろん」
 雑貨屋なのに?という言葉はかろうじて抑え、杖を手に取る。

「スキャン」

 スキル名を声に出す。
 アイテムの詳細アナウンスが聞こえる。
[アイテム名【ウィザードリィ・オールド・スタッフ】]
 ふむふむ。
[ランク35、最大耐久値2000、耐久値1。魔法攻撃力に2200追加。修理不能]
 思わず目が点になる。
 耐久値1――最悪、一回使えば壊れるということだ。
 元々の耐久値は2000だったようだが、修理不可能、ではなく「不能」ということは、元々あった2000のうち、誰かが1999までを使い切っている。――つまり。
「――中古品か」
 聞こえない程度の声で呟く。
 別に中古が悪いとは言わないが、……だからって耐久限界すれすれの商品を店に並べるというのもどうなのか。
「ちなみに、これはいくらですか?」
「30ドルですね」
 ほぼ使い捨て同然の杖に対してこの値段。
 元々の性能からして、いったいどれだけの値段だったというのか。
「――この店は、中古も?」
「ええ、冒険者からの買取もしております」
 口調が少し固い。
――ひょっとして、この杖は単純に冒険者から買い取っただけの品物で、売れるとは思っていないのか。売れると思っていないからこそ、売れそうなので緊張していると。
――一応周囲をもう一度見回す。
 カーリーの方を見ると、一瞬どこかを見ていたが、こちらに気付くと慌てたように視線を動かされた。
 杖を手に持ったまま、カーリーが見ていたのだろう棚を見る。

「強精剤」

 そう書かれた値札があった。お値段、一粒10ドル。
 思わず絶句し、もう一度老人を見ると、もう老人はそ知らぬフリで空を見上げていた。


「ありがとうございました!」

 心なしか、少し赤面している店主から袋を受け取り、明らかに突き出している杖を取り出す。
 ちなみに、購入したのは、耐久値が1の杖、強精剤、強壮剤10錠、魔充錠10錠。
 しめて300ドル。
「悪かったのぅ」
 ボリボリと頭をかき、老人はカラカラと笑った。
「――コレ、貴方が使うのですか?」
 溜息を吐きながら渡すと、老人はいやいやまさかまさか、と両手を振った。
「使うのは息子だよ。長年子供ができんで困っていたところでな」
 じゃあ自分で買えば良かっただろう、とはあえて言わない。
――強精剤、という言葉を見て、私ですら絶句したのだ。当然老人にも羞恥はあったろうし、私に買わせるにしても恥も外聞もあったろう。
 まぁ、私を連れて来た上、自分は何も買わず、おまけに私がソレを買ったことで、あの店主であるホビットは何かを気付いただろうが、買ったのはあくまで私だし、あの店主もそこまで邪推はすまい。

 それにしても。

「ではな、若者よ」
 私に何かを手渡すと、老人は大樹の方へと手を振りつつ戻って行った。
 それにしても、だ。
――女性プレイヤーであるフィリスも同じことをしたのだろうか。
 それとも、女性プレイヤーは内容が変わるとか、実は買わなくても顔さえ通ればいいとか、そういう類のものだったのだろうか。
 大樹の受難、と言う割には受難を受けたのは私だった気がするのだが――

 まぁいいか。
 さて、次はライカンスロープのNPCを探そう。


 NPCはあっさりと見つかった。
 人――主にプレイヤーに――聞き回ると、案外あっさりと彼女はそこにいた。
――というか、さっきの店主がそうだった。
 非常に顔を合わせ辛い。
「いらっしゃ――あら」
 NPCも気付いたのか、こちらに向けてぺこりと笑顔を下げる。
 よくよく見れば、この暑いのに長袖を着ている時点で何かあると思うべきだったか。
「――今度は客じゃない。すまないね」
 言ってやると、ホビットの彼女は苦笑して見せた。
「ええ、冒険者の方ですものね」
 言うと、彼女はおもむろに店の入り口を閉め、鍵を掛けた。

「――で、何が聞きたいのかしら?」

 彼女の言葉に、思わず言葉を詰まらせる。
 フィリスから聞いていたことと随分違う。
――フィリスが言うには、勝手にペラペラと話を始めるとのことだったのだが。

「境遇、かな」

 ともあれ、聞くのは境遇だとわかっている以上、キーワードである単語を口にするしかない。
「――境遇、ですか」
 そう判断したつもりだったが、彼女は一瞬キョトンとした表情を見せた。
「私は、ヴィラルドのフーリッシュパーソンズで生まれました」
 それでも、少しづつだが彼女の話は始まる。


 彼女、ユーリ・マンクラインの家は一般的な、お金以外には何ひとつ不自由しない平凡な家庭だった。
 彼女が12歳になったある日、父親が彼女の誕生日の祝いのご馳走にするための獲物を狩りに、猟に出る。
 そして、彼女の父親は仕留めた獲物を家に持ち帰ることもなく、行方知れずとなった。

 父親がいない生活が数年続いた。
 弟や妹を女手ひとつで必死に育てる母を支えるため、彼女は学校を――ちなみにこの世界では中等校と呼ばれるものまでが義務教育であり、本来であれば卒業しなければいけないところだ――彼女は卒業を待たずに学校に行かなくなった。

 そしてさらに数年。

 いつしかそんな生活にも慣れ、何とか自宅で雑貨屋を経営できるまでに家計が落ち着いた頃。

――唐突に、父親が帰って来た。
 行方不明になった時とは似ても似つかぬ、汚れ、悪臭を放つその姿に、彼女はかつての父を連想することはできなかった。
 当然のように自警団を呼び付け、父親は自警団の手によって、正義の名の元に殺された。

 それが父親だとわかったのは、父親が死んで1年後だった。

 どうしてわかったのか――と言われれば不思議で仕方ない、と彼女は答えるより他にはない。
 ただ、何となくだ。
 何となくあの男はひょっとしたら帰って来た父なのではないかと思い立ち、何となく、すでに死んだ男の持ち物を調べてもらった。

 その持ち物には、彼女に贈られるはずだったバースデイカードが紛れ込んでいた。

 それを知った母親は、それを知ってからわずか七日後に死体となって発見された。その遺体の損傷具合、刃の位置、そして腐敗具合から見て、父親が発見されたその日に自害したものと推測された。
 真実が明らかにされたわけではないが、彼女がそれを信じるには十分すぎるほど、昔の父母は仲が良く、そしてそれと同時に彼女を襲った異変が、彼女から正常な思考を奪うには十分だったこともある。

 その日、朝彼女が起きた際には何も気付かなかった。
 彼女が家――つまり雑貨屋から出ると、まず最初に周囲から悲鳴が上がった。
 それとほぼ同時に自分に対して詰め寄って来る旧知の男性は、まず一言目にこう言った。

――化物め、ユーリちゃんに何かしたのか。

 意味がわからなかった。男性に何言ってるのかと即座に問い返すと、それで男性は彼女がそのユーリだと気付き、慌てて自分の持つ手鏡を手渡した。
 手鏡を見た彼女は、即座にその手鏡を服で拭った。そしてもう一度見て、自分の顔を動かし、ようやくその鏡に映る狼のような姿が自分なのだと理解した。理解したがそれでもそれを信じることはできず、自分が何に見えるのかを手鏡の主に聞き、周囲の人に聞き――もちろんその声で彼女であると周囲の人たちもわかっていたので、それが彼女であると理解したのではあるが、――だからといって生理的な恐怖は拭えないらしく、声をかけた先から周囲の人々は恐怖に慄き、彼女を取り巻くその群衆は徐々に彼女の家から離れて行った。

――後天的動物化(ライカンスロープ)。

 彼女のそれは病気だったのか、それとも何かの呪いだったのか、しばらくすると彼女の見た目は元通りになって行った。
 だが、あくまでそれは見た目だけの話だ。
 食べ物の嗜好は野菜から肉や魚へと変化し、服に隠された見た目は明らかに昔とは比べ物にならないほどに変わった。
 最も顕著に変わったのはその狼のような毛深さだ。その腕が毛深くなるのに応じ、彼女はある一定以上の毛深さになると店を閉め、家に閉じ篭るのだという。
――当然ながら、そうなったら完全に家からは出ない。旧知の、手鏡を貸してくれたという男性が気を効かせて持って来てくれる食料だけを細々と食べてやり過ごす。
 そうすれば元に戻ると知っているから今は苦でもないが、一体どうしてこうなったのか、彼女にはその理由がわからない。


「――ふむ」
 理由がわからない、という言葉とほぼ同時に、彼女の頬を何かが光って落ちたのを見て、私はもう一度、ふむ、と声を漏らした。



[16740] 47- クエスト(中)
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:5b0e2179
Date: 2013/08/06 04:47
『えっ』
 ウィスパーごしに返ったフィリスの声は、続いて『何それ』と続いた。
「――教えてもらったクエスト……『ライカンスロープの境遇』だったかな、話をしてみたらそうなった」
 フィリスが反応したのは、彼女が泣き出したあたりの件を話したあたりだ。ということは、少なくともフィリスの場合と私の場合では、彼女の話すクエスト内容が違ったということなのだろう。
『何それ。マジで聞いたことない』
 フィリスの声が少しだけ真剣味を帯びた。
『道具屋って言うか、雑貨屋って名前の店だよね。ホビットの』
 どうやら場所を間違ったわけでもないらしいので、そうだと告げると、『わかった今から行く、――アウト』と、フィリスはウィスパーを切った。

 十数分経った頃、現れたフィリスは、手に串焼き肉の入った木でできた箱のようなものを真っ先に私に差し出した。
 遠慮なく一本をもらい口に含むと、匂いで以前フィリスがリアルで持って来た肉に味が似ていることに気付いた。そういえばあの時、「かなり精密に再現できた」と得意がっていたが、……そうか、あれはこの味を再現しようとしたのか。まぁ私はリアルで食べた方が個人的に好みだった気がするが、何せ食べたのが数ヶ月も前の話なので、どうだっただろう。少なくとも今味わっている肉は少し薄味な気がする。

「で、何かわかった?」

 フィリスが来る前、少しだけ彼女のことについて聞いておいた。
――まぁ当然というか、彼女から得られる情報だけしかないのだが、それでも手がかりの最初としては十分な情報が手に入ったのではないかと思う。
 まず、彼女の父親の遺体がどこにあるのか。
――これは、現在この町の神殿に保管されており、調査のためという名目と、魔を祓うという意味を込めて、管理をしている神官がいるのだとのことだ。
 ちなみに母親の方の遺体はすでに、同じ神殿にある墓地に埋葬されており、埋葬される前に火葬されたとのことだ。骨は墓の下にあるが、これをわざわざ掘り起こす意味はないだろう。
 次に、彼女の体に生える体毛のうち、抜け毛として抜けたものを少しだけ、彼女の許可を得て貰った。
「これがその体毛?……ふぅん、黒い狼、ねぇ」
 そのユーリの体毛や髪は、狼にしては黒いものだった。ちなみにホビットとしての体毛でもここまで黒いものはないらしい。現にフィリスの髪は金に近い橙色で、黒と呼ぶには程遠い。
「アタシもここまで黒い毛が生えるホビットは見たことないね」
 まぁユーリ自身、こうなる前はもう少し髪の色が薄かったと言っているので、多分ライカンスロープ現象のせいなのだろう。

 さて、と声を出し、すでに空になった木箱をリュックにしまうと、フィリスは「行きますか」と歩き出す。
「どこへ?」
 聞いてやると、相変わらず主語を言わぬまま、「決まってるだろ」とフィリスは歩き出した。


 到着し、門を開けて中から出て来た人物を見るまで、そこがどこなのかわからなかった。
 それでも、出て来た――そして私達をほとんど無視するように通り過ぎた――人物が、前にセーブポイントで見た「咲良」というNPCと同じ、白地に光る刺繍の衣装を着ているのを見て、そこが神殿であり、その人物が神官であるのだとようやく気付く。
 だとすれば、ここに来た目的は2つか。
 ユーリの父親の遺体と、母親の墓。
「んじゃアタシこっち見てくるから、神官の方に会ってきてくんない?」
 フィリスはそう言って、返事も聞かずに墓地へ向かって歩き出した。
 仕方なく、私は神殿であろう建物の中へと入る。
 数人の、白い衣装の――こちらには刺繍は入っていない。おそらく多少位が低いのだろう――NPCに声をかけ、ユーリの父親の遺体はどうすれば見せてもらえるのかと尋ねてみると、彼は微かに驚いたような顔をし、それでも「高司祭様なら知っているかも」と、自分より位が上なのであろう人物の居場所を簡単に説明してくれた。


「ユーリの父親?」
 高司祭と思しき人物に遺体を見せて欲しいと尋ねると、何のことかと言いたそうに、彼は胡散臭そうに私を見つめつつ、白い髭を触った。
 掻い摘んで話をしてみると、ようやく思い当たったように、
「……あぁ、イェスタのことか」
 そういえば娘がそんな名前だったな、と懐かしそうに目を伏せる。

「――しかし、遺体など見てどうしようと言うのだ?」

 再び胡散臭そうに私を見る目は、今度は少しだけ鋭い疑いの色を持って見えた。
 まぁ、死んだ人間の遺体を見たい、というのはあまりいい趣味とは言えないだろうし、私が彼の立場であれば、何か魂胆があってのことと邪推もするだろう。気持ちは重々理解できる――多分フィリスは、こうなることを見越してさっさと墓の方へ行ってしまったのだろう、ということも理解できる――し、まぁ確かにある意味「魂胆」があって聞いているのは確かなので、事情を掻い摘んで話すと、高司祭は「ふむ」と何かを考えるように黙り込んだ。
「――見せて頂くことはできますか?」
 少しだけ待ってもう一度声をかけてみると、高司祭は私がいたことを忘れていたかのように少し驚いた顔をした。
「……ふむ」
 それでも返事は変わらない。どうしようかと迷っているような返答だが、彼の表情はわずかに曇ったままだ。
「何か、見せていただけない事情が?」
 もしかすると、遺体を見せてもらうことはできないのかもしれない、と僅かに考えて問いかける。
「――いや、……ん、そうだな。いいだろう。こちらへ」
 迷ったような、それでも大丈夫だろうと判断したのか、彼は部屋の奥の扉を押し開いた。


 扉を潜り、その先に続く下に向かう階段を下りつつ、高司祭はぽつりぽつりと話し始めた。
「――彼の遺体は非常に不可解でね」
 彼の言葉によれば、害があるわけでもないようだが、その遺体には明らかに呪いと呼ばれる類の何かがあるのだと言う。そのため、今遺体を墓地に埋葬すれば、その呪いが何らかの作用を引き起こし、墓地に眠る遺体たちをアンデッドに変えてしまうかもしれない――そんな理由から、イェスタの遺体は埋葬することも出来ないまま、呪いを封じて保管されているのだと言う。
「彼は非常に優秀な狩人でね」
 だがその遺体は、一言で言うならば陰惨なほどに損壊していた。
 自警団が殺した彼の遺体は、自警団が傷付けたもの以外にも、彼が死ぬに足る傷が最初からあったのだと推測できるのだと言うのだ。
 イェスタほど優秀な狩人が殺される程の相手とはどんなモノだったのか。傷を調べた鑑識家は、その傷を獣によるものだと断定した。

 ただし、一匹ではなく数匹のだ。

「数匹?」
「――認識できた限りでは3匹だそうだ」
 そのうち2匹は恐らく狼か野犬だろうと鑑識家は言ったらしい。だが他の1匹のものであろう傷は、全く違う傷であった。
「……蛇、だと言うんだよ」
 狼か野犬と行動を共にする蛇。
 いや、もしかすると蛇が首魁で狼あるいは野犬の方が僕である可能性もあるが、どちらにしろ珍しい組み合わせではある。
「――それにしても長いですね」
「……地上にある墓に影響を及ぼさないようにしているんだ」
 言いつつ、高司祭は壁を指先でつつつ、となぞる。
 途端、壁にある紋様のようなものが青く、部分的には緑に光り出す。
「これは?」
「呪い避けだよ」
 なるほど、と納得する。
 地上に影響を及ぼすほどの呪いであれば、私達がその影響を受けないとは限らない。それを防衛するのがこの紋様だということなのだろう。
「ちなみに腐ってたりはしませんか」
「……一応、防腐処理はされておるよ」


「さぁ、着いた」
 扉の前に辿り着くと、高司祭の額には脂汗が滲んでいた。
 暑いせいもあるだろうが、恐らく精神的なものだろう。
――つまり、高司祭がここに私を連れて来ることを躊躇った理由は、それだけその「呪い」が強烈だということなのだろう。
 高司祭の喉が一瞬、ごくりと音を立て、続いて扉が軋むような音を立ててゆっくりと押し開かれる。
――だが、思ったほど、何かがあるわけではなかった。
 こちらがプレイヤーなので感じないのか、それともこのキャラクターにそう言ったものを感じる能力がないのか。または高司祭が呪いに対して単に怯えているだけなのかはわからない。
 押し開かれた部屋の中央を見ると、人間大の、黒い入れ物が置かれているが、恐らくあれにイェスタの遺体が収められているのだろう。
 警戒しているわけではないが、高司祭がゆっくりとその箱へと近付くので、私の歩みも自然それに倣ってゆっくりとしたものになる。
 そうして、ようやくその箱へと手をかけ、ゆっくりと箱の蓋を開けた。

「――っ」

 思わず絶句する。
 ところどころモザイクが入っているものの、確かにその遺体は陰惨を極めていた。
「――解説はいるかね?」
「……お願いします」
 聞いた方が良いのだろうと判断してそう返すと、皮肉のつもりだったのか、高司祭はやれやれと苦笑を向けた。
「まず、――こことここが、自警団が彼を突いた傷だ」
 楕円のような傷。
――形状を見れば、恐らく剣か何かで刺した傷だと判断できる。
「――そして、ここだ。わかるかね?獣が咬んだ跡だ」
 言われ、次に示されたのは左足だった。
 モザイクがかかって少しだけ見辛くはあるが、言われてみれば、以前アキラが狼型モンスターに咬まれた時のような傷に見える。まぁ私達プレイヤーの傷は、生き残れば時間が経つと消えるのだが。
 無言で、同じような傷跡を付けられている別の場所――右肩へと示す指を動かす。これも確かに足同様に獣に咬まれた傷のように見える。
「――そして、ここだ」
 最後に示されたのは、右の首筋だった。
 4つの小さい傷。それを結ぶような、小さい点が楕円を描くように取り囲む。
「確かに蛇に見えますね」
 言いつつ、彼の、もはや生前の風貌を残さない顔へと視線を移す。
 果たして彼は、ユーリの元へ戻った時、この状態で生きていたのか。場合によってはすでに事切れ、彼の意思とは別に、何かの理由で体だけが操られて――あるいは呪いが元凶か――町まで戻っただけなのではないだろうか。
 彼の顔の傍に、血か土かはわからないが、汚れてしまったカードのようなものが置いてある。
「Happy birthday ,To my dearest daughter」
 目は見えなくても文字は習ったことがある。
――何と書いてあるのかもわかる。
「お誕生日おめでとう、我が最愛の娘へ」
 このカードが発見された時、ユーリは何を考えたのか。
――所詮ゲームのNPCだ、と考えることはできる。だがそう考えるには、この世界はあまりにも現実味を帯びていた。


「――狼2匹に蛇、ねぇ」
 フィリスと合流し、とりあえず得た情報を彼女に伝える。
「父親ってのは、優秀な狩人だったって?」
「少なくとも高司祭はそう言っていたよ」
 ふぅん、とフィリスは眉を上げた。

「――だとしたら、たった二匹の狼と蛇程度にやられるっておかしくない?」

 優秀が聞いて呆れる、とフィリスが呟く。
――言われるまで気付かなかったが、確かにその通りかもしれないとは思う。
 以前アキラと狩った狼型モンスターは、何度かアキラと一緒に咬まれはしたが、あれは確か私が本当に低レベルの、始めたばかりの頃だ。
――確か名前はホワイトファング。
 高レベルホワイトファングでも、今のアキラなら倒せる程度のレベルのはずだ。……まぁ、それに負ける程度の「優秀」だったと言うのならそれだけの話だし、他のモンスターだったというのなら話は変わって来るのだが、そうではないとしたらどういうことか。
 イェスタは、勝てる相手に負けたということになる。
 何かと戦ってすでに風前の灯火だったのか、もしくはやはりホワイトファングではなく、別の、もっと強いモンスターだったのか。

「森って言ったっけ」

 フィリスが思い出したように、呟くように言う。
「ん?」
「父親が狩りに行くって出かけた場所」
 少しだけ話を思い返す。
「森とは言ってないね。猟に出かけたとしか」
 彼女は、どこに出かけたと言うような具体的な場所は何ひとつ言っていなかったように思う。狩りという言葉から、フィリスが勝手に森というイメージを持ったのだろう。

「――だとしたら、……ダンジョンかもね」

 ダンジョン。
 リラが今、トラストと一緒にレベル上げをしに出かけている場所だ。
「でも蛇なんか出たかなぁ」
 うーん、とフィリスは少しだけ思案し、
「ま、考えてもわからないし行ってみる?」
 いつものように気楽に、非常に単純な回答を出した。


「ウィスパー、トラスト=レフィル。おーい。まだ中にいる?」
 ダンジョンの入り口……この場合廃墟と言うべきか。その目の前で、中にいるであろう青髪の美少女を呼ぶと、フィリスはまるで電話でもしているかのような声で話しかけた。
 当然私には相手の声は聞こえず、相槌を打ったりしているフィリスを傍目に周囲を見回す。
 まさに廃墟と呼ぶに相応しく、瓦礫がそこら中に転がっている。石畳はところどころ剥がれて下の土が見えてしまっているし、そうでなくともほとんどがひび割れてしまっている。壁も、フィリスが何発か殴ったら崩れ落ちそうなほどにボロボロで、ダンジョン攻略中に建物が壊れて屋根が落ちてきた、と言われてもこの現状を見た後なら多分私は信じるだろう。
 ちなみにこのダンジョンは、廃棄された後動物型モンスターが棲み付いたという設定のようで、また、モンスターではない動物も現れることがある場所だ。「優秀」な狩人であれば十分対応することが出来る狩場で、ホワイトファングも、その上位種であるグレイファングも出るらしい。

「は?いやいやちょっと待とうよ」

 フィリスが楽しそうにあっはは、と笑った。
 どうやらトラストが面白そうな――もちろんフィリス基準で――ことをしているようで、待てと言う台詞とは裏腹に腰のレイピアを抜いた。何かあると推測し、念のため私も杖を構える。
「お前は壁ね。トラストたち出て来たら入り口塞いで」
 私が杖を構えたのを確認し、楽しそうに指示を飛ばす。
「戦闘参加してリラの経験に支障は?」
「――ない、多分!」
 多分って何だ、と呆れるものの、まぁ唱えろと言うのだからとウィンドウォールの魔法を思い浮かべる。
「『我願う。風よ吹け。荒れ狂い壁と化せ』」
 呪文を中断し、入り口を注視していると、中から微かに音が響いていた。何かがこちらに向かっているようで、だんだん音がこちらに近付くのがわかる。

「――来るよ!」

 フィリスの言葉から数秒遅れて、廃墟から青い影が飛び出したのが見えた。ブロンドヘアーがその後を追うように入り口を飛び出すのを確認し、唱えていた呪文を思い起こしつつ、私は杖を入り口へとかざす。
「『ウィンドウォール』」
 入り口から中へ吹き荒れるイメージ。
 それと同時に、がうがう!と獣の唸るような声と、数匹は風に飛ばされたのか、きゃん!と悲鳴のような声が響く。
「うっは、これ何匹くらいいんの」
「えーっと、30匹くらい?」
 こともなさそうに呟く青髪の少女は、風に負けじと入り口から這い出ようとする数匹に向け、構えた弓を引き絞る。
 弓に番える矢の数は1本だが、その手には何本かの矢が用意されている――のを確認する間もなく、トラストの弓から矢は放たれた。
 その矢の穿つ結果を確認するより早く、素早く番えて第2射、第3射と放つ。「ラピッドアロー」と呼ばれるスキルだ。その弓に正確性はあまりない。だがその弓はウィンドウォールの風の力を得て軌道を変え、狙ったかのように這い出ようとする獣の鼻っ面や肩を射抜いて行く。
 沸き起こる獣の悲鳴。前列にいた獣は、悲鳴すら上げることなく倒れ伏し、それを乗り越えて進もうとする勇敢な獣にすらも、無慈悲に彼女の矢が雨あられと降り注ぐ。まぁこれだけ大量にいれば、当てる気がなくても当たるだろう。むしろ当たらなかったらそちらの方を奇跡と呼ぶべきだ。
 だがそろそろ魔法の効果が切れる、とわかりきった注釈を入れようとした時、獣達はきゃんきゃんと悲鳴を上げ、一目散に逃げ始めた。
 それを見てようやくトラストの計算に気付く。
 風の壁で進めない上に、そこに矢の攻撃が仕掛けられた獣はどうするか。当然勝ち目がないことは知能のない彼らでも気付くだろう。
――ウィンドウォールが切れるということなど微塵も知らない彼らは、勝ち目がないなら逃げる。命を大事に。ガンガン行こうぜなんてことは絶対にしない。
 そこまでを計算に入れた上で、この入り口におびき寄せ、私達と合流すると同時に経験を稼ぐ――システム上パーティと認識されているのはトラストだけなので、リラにはしっかり経験値が入る。
 問題なく最良の手段だ。

「お見事」
「ありがと」

 フィリスが手を上げると、トラストはそれにぱしん、と控えめに自分の手を合わせてそれに応えた。


「ユーリちゃんの体毛?……言われてみれば確かに」
 ドロップアイテムを集めた後、しばらくトラストの作戦を褒め称え、その後私の受けたクエストの話をトラストに聞かせると、体毛の件で彼女は確かに黒い、と反応した。
 見せてと言うので、ユーリから貰った彼女の体毛を渡すと、あぁ確かにこんな色だったよね、とすぐにこちらに戻した。
「――ライカンスロープの影響だとするなら、その病原菌とか呪いとかの元凶も同じような色なんじゃないかな」
 ふむ、とフィリスが思案する。

「ブラックドッグかな」

 かなり昔、フィリスがまだリアルで中学生くらいの時――まぁ私もその頃は高校生だったが――に教えてもらったイギリスの神話……というより伝説か。それを朧気に思い出す。
 シャーロックホームズのシリーズに、このブラックドッグをモデルにしたとも言われている犬が登場するほどの有名な伝説で、唸り声だけで兵士を殺したとされている……のだったか。
 なるほど、優秀な狩人だったとしても、唸り声だけで殺されては抵抗手段がない。――まぁ、そこまで凶悪な設定のモンスターを、ゲームバランスを考えずに出すほど馬鹿げたゲームではないとは思うが。せいぜい、イェスタでは敵わない程度の強さを持ったモンスターなのだろう。
「ちょっと言いにくいんだけど」
 トラストが苦笑する。
 ん?と全員の視線がトラストを向くと、彼女は少し困ったような顔をした。

「――今倒したモンスターの中に、ブラックドッグいたよ」

「えっ」
「えっ」
 フィリスが驚いたように言うと、トラストがそれに追随するかのように同じ言葉を返す。
「それで、ちなみにそのブラックドッグの毛がコレ」
 どうやら何かの素材らしく、毛皮のようなアイテムを取り出す。比べてみると確かに色が全く違うのがわかる。
――どうやらブラックというのは名前だけのようで、厳密には濃い灰色といったところだろうか。比べてみないとわからないが、明らかにユーリの体毛の方が色が濃い。

「あと黒い犬とか狼なんていたっけ?」

 首を捻るフィリス。
 当然ながら、この場にいる他のメンバーがフィリスの知らない情報を知っているわけがないのだが。



[16740] 48- クエスト(後)
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:b26660f9
Date: 2013/08/27 01:22
 入って最初に現れたのは、牛のように鳴くハイエナだった。
 モンスターの名前はコロコッタというらしい――というのはトラストが教えてくれた。
 弱点は特にないが、それほど強いわけでもないらしい。
 時々「ひとつなぎの牙」というアイテムを落とすということ以外は特記すべき点はないらしい。もちろんフィリスにとっては敵ですらないのだが、まぁ数はそれほど多くないということで、とりあえず私とトラスト、リラの3人で戦うことになった。

 先制攻撃を仕掛けて来たのはコロコッタ側だった。
 波状攻撃とでもいうのだろうか。統率の取れた動きで、巧みに私たちを分断しようとしているのがわかる。
 相手は4匹。分断されたら少しだけ厄介だということはわかるが、何しろ私は目が見えるようになってから日が浅いので、作戦はトラストに頼るしかない。
「――リラ、彼の方へ!」
「はい!」
 魔術メインの私の方が分断に弱いと判断したのだろう、トラストはレイピアを構えつつリラへ指示を飛ばす。
「リラが合流したら――」
「『壁』でいいかい?」
 最後まで言わなくとも作戦を理解した。
 リラを追って来るコロコッタを私とトラストの『ウィンドウォール』で逆に分断し、各個撃破を狙おうと言うのだろう。案の定、トラストは微かに頷くと、そのまま目の前に迫る牙に、一歩下がると腰から抜いたレイピアを下から突き上げる。寸前で気付かれ、コロコッタは後ろ足で器用にブレーキをかけると、バックステップでトラストと距離を取る。
 その間に、リラは私の元へ辿り着いた。
 まぁ当然その後をコロコッタは追って来るが、それも計算のうちだ。
「『我願う。風よ吹け。荒れ狂い壁と化せ』」
 私が呪文を唱えると、
「『我願う。風よ荒れ狂え』」
 少しだけ短縮されたトラストの呪文がその後を続く。

『【ウィンドウォール】』

 完全にではないが、ほとんど同時に同じ呪文を解き放つと、トラストの呪文と私の呪文に挟まれるような形で、4匹のうち3匹が風に前後を挟まれた。
 どうやら狙っていたのは分断ではなく、完全なる足止めだったようだと判断し、ランダムにしていた風の向きをトラストのほうへと全て向ける。
 一匹はこちらに向かって来るが、3匹足止めしている状態であれば何とかなる。――まぁ戦闘前にフィリスが言っていたから確かだろう。
 リラが少し前に出る。
 少しだけ楽しそうな顔を浮かべ、まるでじゃれるようにコロコッタとの戦闘を開始した。
 何度か相手の牙がリラの喉元を捉える度にヒヤッとするが、華麗に回避して顎を狙って拳を叩き込むのを見て、あれはああいう遊びなのだと判断することにした。

「『クラウド』」

 トラストの声が響く。
 前に一緒に狩りに行った際には覚えていなかった魔法だ。
――などと思っていたら、天井付近に灰色の靄のようなものが出現した。
 まぁ、呪文の名前通り雲を作る、あるいは雲を召還する魔法なのだろう……などと思っていたら、
「『雲よ集え、集いて注げ、豊穣の恵みを』」
 続けて、またしても新しい魔法だ。
 製造のためにソロでと言っていたが、どうやら製造ではなく魔法を覚えて育てていたらしいと気付く。
「『レイン』」
 ぽつ、ぽつとコロコッタの頭上から水滴が降り始めた。
 ひゅう、とフィリスが口笛を吹いた。

「やるね。――サンダーアローでも覚えた?」

 その言葉で、なるほどと舌を巻く。
 雨によって敵の体を濡らし、雷属性の矢を打ち込めば、恐らくコロコッタはひとたまりもないだろう。少なくとも完全に現時点ではトラストが有利になったということだ。
「リラ、そいつ壁に入れて」
「え?あ、はい!」
 トラストから指示され、一瞬躊躇があったものの、リラは素直に頷くと、すかさずコロコッタの足を払った。
 悲鳴を上げる隙も与えず、バランスを崩した相手に強烈な蹴りを入れ――いや、きっと何かのスキルを発動したのだろう。コロコッタの体は地に一度だけバウンドして、壁の中へと閉じ込められた。
 後はサンダーアローで、濡れた彼らに雷属性を射込んでずっとトラストの手番だ。

「――『怒れし獣よ』」

 だが、トラストはフィリスの、そして私の想像を無視し、別の呪文を唱えた。
「『その足を彼らに伸ばせ』」
 フィリスもこれが何の呪文なのか知らないのだろうか、不思議そうな面持ちで見守っている。
「『我と汝の名のもとに、等しく怒りを振り下ろせ』」
 その瞬間、私は――おそらくフィリスもリラも――その呪文の正体に気付いた。ついでに、トラストがジェスチャーで何かを伝えようとしているのがわかる。
 彼らの頭上にある雨雲が、わずかに光ったのが見えた。
 意識せず、私は一歩後ろに下がった。
 リラが私を見て、追随するかのように一歩下がったその瞬間。

「『フォールサンダー』」

 薄暗い廃墟の天井から、眩い光が断続的に、哀れな彼らに降り注いだ。


「まさか雷魔法まで覚えてたとはね」
 ドロップ品を回収し、――とは言っても、「煤けた毛皮」とか「破れた毛皮」とか「砕かれた牙」とか「破損した骨」とか、およそ雷のせいで破損したとしか思えないようなアイテムばかりではあったが――フィリスは苦笑した。
「ん、あぁ結構前から覚えてたんだけど」
 さらっと言うところを見ると、どうやら思ったよりもトラストはレベルを上げているらしい。
 トラストが言うには、必勝パターンのひとつとしてずっと考察していたのだとか。ただしこの3つの魔法を使うにはどうしても相手の動きを何らかの方法で数分間封じる必要があるとのことだ。
 雲を作る魔法。その雲を発展させ、雨を降らす魔法。雨を降らした後、雨を降らした際の摩擦により雷に発展するということに気付いたのは、もう1年近くも前のことだという。
「出来なかったりしたらカッコ悪いから黙ってたんだ」
 本来、「フォールサンダー」は、天候が雨か雷でないと使えない。
 だが、レインの発動でその条件は揃う。
 本来呪文の発動を制限するための条件を利用し、魔法の威力を上げるというのは誰でもが考え付くものではない。
 まぁ、話を聞いてみれば「レイン」の魔法は意図せず倒したユニークモンスターが落としたものらしいし、「クラウド」を入手できたのは完全に運だったとのことらしいが。

 先に進むに従って、何度かブラックドッグやコロコッタ、ホワイトファングやグレイファング、ブラックファングなどが次々と現れる。
ホワイトファングはともかく、ここまで数が多いと一苦労だが、それほど強いわけでもないので先へと進む。
「左はさっき通ったよね」
「はい。右には多分行ってない」
 トラストとリラが行った方は特に異常はなかったと言うので、行っていない方へと足を進める。
 あまりに数が多い時は、私とトラストの二人でウィンドウォールを張り、トラストが弓で射て数を減らし、残ったものをリラが殴って始末する。
 少ない場合は正攻法。リラを前衛に、トラストが回復に回り、私が二人の様子を見て、場合によってはウィンドウォールなどの妨害魔法で牽制する。

 そうこうしながら進むうちに、
「――嫌な匂い」
 リラが唐突に呟いた。
 意味がわからず、それでも一応警戒する。
「まぁイザとなったらアタシやるし大丈夫でしょ」
 フィリスが笑いつつ先を促すと、リラは納得したのか、ゆっくりと前へ――

「下がって!」

 その言葉を発しつつ、トラストが弓を引き、狙いも付けずに撃った。
 リラが反射的に一歩下がると、その目の前に矢が突き立った。
「――何かいた?」
「……いた」
 フィリスが言うと、それにリラが答えた。
 何も見えなかったが、どうやら何かがリラを狙っていたとのことだ。

「そこから、線で区切ったみたいに精霊が見えないから注意ね」

 正確に言えば今さっき突然見えなくなったらしい。
 エルフという種族の特性上、トラストには「精霊」という存在が見えているらしいが、その存在はそれと理解できる形で見えているわけではないらしい。
 今回の場合で言えば、土の精霊が見えていることに今の今まで気付いていなかったらしいのだが、突然リラの目の前を境に、床の色がドス黒く変化したのだという。
「多分そこから先、瘴気あるよ」
 さらっととんでもないことを呟くトラスト。
 そうなると迂闊には進めないが、先に進まなければ話にならないだろう。
 アキラがいれば『ホーリーライト』で何とか進めるか?と思ったのだが、フィリスが先にその可能性に気付いてアキラにウィスパーで話しかけ、「ダメだ落ちてるっぽい」と苦笑した。
 そうなると、考え得る限りでは選択肢は多くない。
 撤退するか、無理をするかだ。
「ところで、瘴気を突き進むとどうなる?」
「――お前、アキラに似てきたね」
 何の話かと眉を顰めてやると、フィリスは喉の奥を震わせるようにくっくと笑った。
「進めないことはないけど、異常にこっちが不利になる」
 フィリスの説明を聞くに、あまり楽しいものではないらしい。
 悪寒や虚脱感、焦燥感。そう言った感情が強烈に襲って来る――と言うのがフィリスの説明だが、正直な話、よくわからない。
「んー。お前、タイラスに会ったことあったっけ?」
「タイラス?誰のこと?」
 なぜか私が答える前にトラストが答えるが、フィリスは「トラストが知らないなら知らないか」と勝手に納得した。

 数秒後、フィリスの説明の意味を身をもって実感しつつ、私たちは結局先へ進むことを選択した。
 気力で何とか、というフィリスの言葉を信じたのだが、まぁ確かに気力で何とかなる範囲だ。風邪かインフルエンザか何かを拗らせて、それでも無理して何かをしようとしたらこんな感じだろうか。実際にはどちらにもかかったことはないが。
「奥に何かいるってことかね」
「どこにいるかまでは」
 フィリスが軽口を叩くと、トラストも辛そうに口元を押さえながら――その行為に意味があるのかはともかく吐きそうだというその仕草には同意したい――それでも視線を前へ向ける。
 この瘴気とやらのせいかどうかはわからないが、トラストが弓を突き立てた場所から先には、モンスターは一匹たりとも出ていない。リラは顔を顰めながら、こちらは口と鼻を押さえている。
 思えば、リラが「嫌な匂い」と言ったのが最初だった気がする。
「……リラ、匂いはどっちから?」
 試しに聞いてみると、先頭を歩くリラはまっすぐ奥を指で示した。
 見れば、確かにそちらからは嫌な感じしかしない。恐らくはゲームのシステム的に、どちらに強敵がいるのかを理解できるようにしているのだろう。
「さっきはこんなのなかったのに」
 トラストが顔を顰めながらも前へと進む。
 さっきまではなかった、と言うからには、これはきっと私が受けて来たクエストの結果なのだろう。
 だとすればどういうことなのか。
 フィリスは知らないと言うし、トラストは、ユーリの毛の色すら忘れていたようだから、少なくともトラストやフィリスがやったクエストとは内容が違うということらしい。

「避けろ!」

 フィリスが唐突に声を上げた。
 慌てて周囲を見回し、緊張し、警戒する。リラも警戒しつつ無言で一点を見つめ、トラストは慌てたように呪文を唱える。
 当のフィリスは、「チッ」と舌打ちして私の前に立った。
 奥から聞こえる唸り声に目を向ける。
 黒い何かが見えた。暗闇というわけではないが、少しだけ周囲の暗さと同化し、その姿を捉えるのは難しい。
 唸り声がもう1つ。どうやら相手は二匹いるようだ。寄り添うように立つその姿が、目が慣れるに従って徐々に輪郭をあらわにする。
――輪郭を追っていると、その2匹の背中から首をもたげる蛇の姿が見え――

 いや、違う。

 ようやく気付く。
 寄り添っているのではなく、1つの胴体に首が2つ。
――そこまで気付いて思い出し、そしてさらにもう1つ気付く。
 背に乗っているのではない。あの蛇はきっと、尾から生えている。

「――オルトロス」

 トラストが、乾いた声でその正体を告げる。
 オルトロス。某ゲームではタコのイメージだが、最初に登場するのはギリシャ神話だったか。ファンタジー好きのフィリスの受け売りだが、有名な近親モンスターにケルベロスがいる。
 牛を守る番犬だったが、それを盗もうとする英雄と戦って敗れた不遇の存在だ。英雄なのに牛を盗むのかとか、牛を守る番犬を倒して英雄扱いとか色々とヒドい、と思った記憶があるのでおぼろげに覚えている名前だ。

 フィリスが下がるのに合わせ、一歩後退する。
 トラストが青いポーチに手を入れ、中から一枚の葉――確かアイテム名は「奇跡の葉」――を取り出した。戦う前から誰かが死ぬことを想定しているのか。トラストにしては少しだけ弱気な姿勢だ。

「葉よ、彼を現世へ」

 思った瞬間、トラストは短縮されたその呪文を唱え、私の目の前へと腕を突き付けた。
 思わずその腕の下――足元へと視線を落とし、それでようやくトラストのその言動の意味に気が付いた。

――そこには、すでに屍となった私の姿があった。



[16740] 48+1/2- トラストの試行錯誤
Name: 佐伯 緋文◆d27da47b ID:0dc84b70
Date: 2013/08/31 23:25
 肩で息をする。
「何とか行けるだろうか――」
 ぽつりと呟いて、トラストは土砂降りの中、目の前の泥の塊を見据えた。
 もう1時間程度は戦っただろうか。
 相手が無機物のように攻撃してくるので、どの程度ダメージを与えているのかは全くわからない。

 モンスターは「泥ン子」、と呼ばれるクエストモンスターだ。

 土砂降りの中、必ず町へとちょっかいをかけて来る厄介なモンスターで、どれくらい厄介なのかといえばまず、さっきも言ったようにどれくらいダメージを受けているのかがわからないということだ。
 例えば通常攻撃をする。
 泥が主体のモンスターなので、レイピアは貫通し、矢は突き刺さり、あるいは貫通する。
 魔法はと言えば、土砂降りなので炎は全体的に使い物にならない。水も同じような理由で却下。泥なので土魔法も同じような理由だ。風に攻撃系魔法はほとんど存在しないし、唯一トラストの使える風系攻撃魔法である「ウィンドカッター」は初級魔法であり、通常攻撃と同じようにダメージがあるのかどうかもわからない。ついでに言うとMPの続く限り序盤で使い続けたせいで、MPもほとんど空っぽだ。まぁ魔力剤はいくらか残ってはいるが。
 雷があったら、と思わなくもないが、さっきも言ったように主体は泥なので、土属性だと考えると効果がなさそうにも思える。まぁ効果があったとしてもトラストは習得していないのだが。

 そう考えると、後はもう攻撃がほとんどダメージを与えていないのを覚悟で、泥団子を崩すイメージでちまちま攻撃するしかない。
 幸いウィンドカッターで何度か削った時、少しだけだが泥を吹き飛ばし、その泥が相手の背後の木に泥の跡を付けている。
 その跡が動き出す様子もないことから、このまま吹き飛ばし続ければいずれ小さくなって倒せると踏み、こうして1時間近くも戦っているわけだが、それはそれで正解だったものの、別の難点が発覚した。

 小さくなるにしたがって、攻撃しにくくなってきた。

 的が小さければ当然命中しにくい。
 一応弓は持っているものの、トラストの手腕ではもう当てることはできないだろう。

 何故なら、その姿はもう30センチくらいしかないからだ。

 あとは、レイピアで何とか――文字通り削り切るしかない。
 だがそのレイピアすらも当たらない。
――いや、厳密には当たってはいるのだが、突いて攻撃をするレイピアでは、突いた後にレイピアを突いた方向と90度違う方向へ「斬」らなければいけない。
 その斬る直前に、泥ン子は逃げてしまうのだ。

「――もう仕方ない――」

 溜息を吐きたくなるのを抑えて、ポケットに入っていた魔力剤を1つ取り出す。
 1本あたりの価格が高い――あくまでトラスト基準でだが――ので、あまり使いたくはなかったのだが、これではキリがない。
 勝算はある。
 ウィンドカッターはある程度、放ってからのコントロールができる。
 加えて「ウィンドウォール」を使っておけば、ある程度敵の動きを制限しつつ、コントロールしたウィンドカッターで、

「――詰みだろう。いい加減観念するといい」


 ようやく倒した泥ン子というモンスターについての話をしよう。
 とある条件で出現するモンスターで、知らず知らずのうちに条件を満たしていたのだろうとトラストは後に自己分析した。
 だが同じことを後ほどアキラとやった時は出なかった。
 ならばソロでないといけないのかとアキラが一人で同じことを行ったが、やはり出なかった。
 そこで、トラストが攻略サイトに書き込んだ。
 書き込まれた情報を元に数人が検証した。条件が足りないのか何が原因なのか、と色々と検証を行ったところ、誰かが質問欄の乱立を諌めつつ、「ユニークモンスター出現クエなんじゃね」と発言し、全員が「それだ!」と納得してしまった。

 それでようやく泥ン子は「ユニークモンスターだった」とトラストも認識し、ついでにその際に得た魔法書「レイン」も、今のところ他からは得ることのできないユニークスペルだとトラストは認識した。
 この時点でトラスト自身、「レイン」がどのような魔法なのか全く知らない。

 魔力を無駄にする覚悟で唱えてみたものの、最初はやはり完全に魔力を無駄にするだけで何も起こらず、あろうことか一度はファンブルしてしまい、魔力の暴走により瀕死まで追い込まれ、散々だった。
 これがトラストの一度目の挫折だ。
 一時はそれで懲り、数日は考えるだけに留めていたのだが、レインの呪文を思い浮かべていた時に、ひょっとしたら雲がある程度空にある際に使う呪文なのではないか、と気付く。
 気付けば実行するのがトラストの良いところであり、悪いところでもある。実際に空が曇っている日を待って実験してみたところ、本当に雨が降り始めた。
 だが、ここで疑問が浮かぶ。
 この雨は、天候設定によって降り出したものではないのか。
――まぁ、魔力が消費されているので成功しているのは確実なのだろうが、失敗したときでも魔力が消費されたことを思うと、実は失敗しているが雨は天候操作で降り始めたという可能性もないわけではない。
 ちなみに、トラストはこの時には気付かなかったが、一度目の挫折の時点ですでに呪文短縮ができるほどこの魔法の熟練度は上がっていた。が、少なくともこの時には気付かず、さらに「レイン」の実験を繰り返す。
 そうして、晴れから曇りに変わった瞬間を狙って魔法を成功させた時、ようやく「レイン」の魔法の効果を信じることができた。
――信じることができたはいいものの、トラストは2度目の挫折にようやく気付いた。

 雲がなければ使えない天候操作の魔法など、一体どこで何に使うというのか。

 当然ながら、その答えなどない。
――ない、はずだった。

 ところが、トラストは偶然にもその挫折から自分を救うものを露店巡りで目にした。
 一度は何か頭に引っかかるものを感じつつ通り過ぎたのだが、数分後に気付いた。
 慌てて露店巡りを中断し、元来た道を取って返し、露店を畳もうとしていたプレイヤーに声をかける。
「ん、あぁこれ?使い勝手っつーか、何に使っていいのかもわからんからとりあえずパンダで売ってんだけどさぁ」
 そのプレイヤー曰く、プレイヤー自身習得すらしておらず、また習得することもできなかったとのこと。――つまりそれは、その魔法書は新品であるということだ。
 入手先は、とあるクエストの、魔術師モンスターが作り出したゴーレムの残骸から。ゴーレムは雲から作られており、それを倒した結果ドロップしたのが「クラウド」という魔法だったとのこと。
 雲を作る魔法。使い勝手は不明。雲なんか作ってどうすんだ、希少価値は確かにあるかもしれんがせいぜい真夏日にちょっと涼しくなる程度だろ、……などと仲間達に笑われ、レアなのになぁ……と思いながら仕方なく売りに出すことにした。
 売りに出したはいいものの、当然ながら興味を持ってもらえたりはするものの、誰も買わない。
 誰も買わないが、露店に出していると人が来ることもある。
 客寄せ……すなわちパンダで売ってる、というプレイヤーに、値段を尋ねてみると、当然ながら客寄せに使っていたものを売りたくはないという話になる。
 敢えて値段を付けるならば、と聞いたところ、プレイヤーはうーん、と少しだけ考え込んだ。
 そして出した結論は、習得できるか試そうというものだった。

「習得できなくても金は取るけどいいか?」

 その条件にトラストは乗った。
 もうひとつ条件を出された。
 習得できたとしても、魔法書の「残りカス」はこれからも客寄せパンダとして使いたい、という条件だ。
 ちなみに魔法書は、レアなものとノーマルなものとがある。
 店売りのものがノーマル。それ以外はレアだ。
 ノーマルの魔法書が数回使うとそれぞれ独特のエフェクトを発生して消失するのに対し、レアの魔法書は1度しか使えない代わりに、魔法書そのものは何があろうと消えない。
 ちなみに保護されているので盗むことも奪うこともできないが、譲渡は可能だ。――まぁ使った後の「残りカス」など、欲しがるプレイヤーはほとんどいないが。
 使ったとしても外面は変わらないので、客寄せパンダとしては十分に使えるという算段なのだろうと理解し、トラストは条件を飲んだ。

 二人はその町の魔法屋へと向かい、トラストはこうして「クラウド」の魔法を手に入れた。

 まぁ当然のように「見せてくれ」と言われ、唱えて見せると、「ホントに雲だけかよ」と笑い飛ばされたものの、すでに使い勝手については算段があったため、苦笑を返して内心ではほくそ笑んだ。

 さて、これで首尾よく「クラウド」と「レイン」のコンボを手に入れたわけで、トラストがこの時考えていたのは、「これでイシュメルとの連携がまたひとつ増えた」ということだった。
 すでにイシュメルは「サンダーアロー」を習得している。検証は必要だろうが、雨で濡らせばその効果も上がるかもしれないし、雨で地面を濡らせば、足場が悪くなって敵も近寄りにくくなるだろう。そこにウィンドウォールを挟めばほぼ完璧な状況を作り出せるシーンもあるかもしれない。
 そんな風に考えを膨らませた。

 だから、この後トラストが情報サイトを覗いた時、もう1つ、トラストが上手く立ち回れば、もしくは仲間との連携次第では最高の組み合わせになるかもしれない魔法の記述を見つけた。
 ラーセリアには魔法が非常に数多く存在する。
 中には、リアがいまだ隠している「アブソリュート・ゼロ」のように、秘匿され続けている魔法もあるし、いまだ誰も見つけていないような魔法も実は存在する。
 まぁ使えるかどうかは別として。
 その数多くの魔法をたまたまチェックしていて、比較的手に入りやすい部類の魔法を調べつつ眺めつつ、今日もあんまり良い情報はないようだと諦めかけた。

 だが、その目はある魔法でぴたりと止まった。

 その魔法を万一見落としていたら、トラストの「クラウド」と「レイン」のコンボは、ほぼソロでは役に立たないものだっただろう。
 だとするならば、これは最高に僥倖で、奇跡の組み合わせと言っても過言ではない。

 何故なら、「レイン」はいまだにユニーク魔法の域を脱していないからだ。

 探し当てた魔法の名前は「フォールサンダー」。文字通り雷を狙って落とす魔法だ。
 本来、「フォールサンダー」は、天候が雨か雷でないと使えない。
 しかし、その「雨」を自発的に生み出すことのできるトラストならば、その制限は簡単にクリアできる。
 難点は「時間がかかること」。
 それぞれの魔法はまだ無詠唱の域ではないから、詠唱にそれぞれ20秒として、「ウィンドウォール」「クラウド」「レイン」「フォールサンダー」の順で、最低1分20秒はかかるだろう。ソロではまず役に立たない。
 だが、それならばそれでいい。
 なぜなら、今まで仲間との連携をメインに模索してきたのだ。
 そのかかる時間を仲間に稼いでもらえばいいだけだ。
 まぁ、森などで使って足場を悪くすることで時間稼ぎはできるかもしれないが、「かもしれない」程度の理由で危ない橋を渡るつもりは、少なくともトラストには、ない。

 問題となるのは、落雷の際や雨を降らせた際、仲間にもその被害があるのではないかという懸念。
 範囲はある程度の実験を重ねて確認した。目測で当たる範囲にいるかどうかもわかるようになった。
 それでも、雨で別の場所に置いた目標を濡らした上で、敢えて範囲を外して雷を落とすと、落雷は濡れた物を高確率で被雷させた。
 濡らさなければいいと言う問題でもない。ある時など、雨が流れた場所にあった物……この時は金属製の時計にまで被雷した。

 ならばと実験を続ける。
 雨が流れる場所をウィンドウォールで塞ぎ、それ以上範囲が拡大しないように試みる。

 実験はすんなりと成功した。

 ウィンドウォール2枚。それが最低限用意しないと仲間を被雷させてしまうラインだと考えた。
 問題は、ウィンドウォールを使えるのは、今のところトラストを含めて2人しかいないということだ。
 機会を待ったが、その機会はしばらく訪れなかった。
 使い道は限られると悟る。

 ある時、屋外ではなく、ダンジョン内ではどうかと思い立つ。
 壁がない屋外では使い勝手が悪いが、屋内で使えるのなら。
――思い付きは、ことのほか上手く行ったが、問題はいくつもあった。
 出ないかもしれないと思った雲は出た。
 ただし、魔法レベルが低いためか、詠唱短縮した呪文では薄い雲しか現れなくなった。――上げるべき魔法レベルがさらに高くなった。
 雨は簡単にウィンドウォールで抑えることができた。
 だたし、抑えた結果岩に染み込んでみたり、土があればそれに染み込んでみたりとさまざまな不具合があった。――雨の強さを上げるために、上げるべき魔法レベルがさらに高くなった。

 実際に仲間との連携として実践して見てもうひとつ気付く。

 最後の呪文を唱えている間に、仲間が範囲に入ってしまうと、それを教えることができない。――まぁ何をするのかを伝えもせず使った自分が悪いが、言葉を介する相手だった場合、伝えることによって相手に反撃の隙を与えるだろう。できれば何をするのかを悟ってもらい、もしくはジェスチャーだけで伝えなければいけない。
 今回は仲間が悟ってくれて下がってくれたが、毎回悟ってくれるとは限らない。

 十分に試行錯誤しながら、それでもトラストの実験は一歩一歩前進して行く。


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