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[15007] 【ゼロ魔習作】海を讃えよ、だがおまえは大地にしっかり立っていろ(現実→ゼロ魔)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/05 01:35
皆様のすばらしい作品に感銘を受けて
勢いで投稿してしまいました。

ゼロ魔の世界を舞台としていますが
実際にその地に流れついたらどうなるか?
という視点で作成していこうと思っています。

なにぶん未熟ではありますがよろしくお願いします。

一応、主人公は架空の人物を使用してはいますが
できる限りちーとをさせないようにしていきたいと思います。

※ブリタニカ百科事典はあんまり使いすぎないようにしたいです。
予定では、「場違いな工芸品」はこれ以上は主人公に使わせる予定はありません。中世の国において機関銃とか零戦とか使ってしまうとあまりもチートだと思われるので。まあ、ブリタニカ百科事典の内容も十分にチートだとは思いますが。ただ、産業基盤のない地域でいきなり活用できるような真似はしないのでご容赦ください。


製造者の成分分析
作者は、塩野七生先生の作品によってローマへの思いとか共和国への愛とかがかなり混入しております。あと、英国海軍の帆船ものが好きでつい勢いでいろいろやってしまうかもしれませんが、お付き合いいただければありがたいです。英国海軍の帆船ものは政治とか社会とか当時の情勢を反映して人物が描写されるのですごく好きだったりします。あと、ギボンとかブローデルとか。カイロで雪を売っていると読んだときから、地中海の多層的な魅力とかいろいろに惚れこんだり。あと、ビスマルクとかの外交政策でさりげなく追い込んでいくのにもすごいなー。と考えているような人間がお送りします。

苦手な方は、ご注意ください。

トマス・アレクサンダー・コクランの子孫という設定で
海軍軍人としての能力を異世界で発揮できればと思っています。



12/26
量が少ないなら数で補えば良いじゃないの精神は
ソ連の物量式で結局質が悪くなってしまいかねないので
やや質・量ともに改善する方向でしっかり書くことに。

12/29
アドバイス・指摘をたくさんいただきました。
ありがとうございます。
少しずつ訂正していきます。
今後も、お付き合いいただければと思います。

12/30
タイトルについて少し悩み中。
もともと、この作品を書き始めたのは自分も書いてみたいと思っていたところに、大学の論文で溜まっていた憤激が直接のきっかけでした。
(ついカッとなってやってしまった。)
で、ちょうど読んでいたのがブローデルの地中海。
そこの一節から引用したので結構好きなのですが、そこが読み手の皆さんに避けらる原因だとご指摘をいただきどうすべきか。
頭の中で整理中です。→開き直ることにしました。(1/4)

あと、原作の前提からかなり社会が変化しているので原作とは全く異なることになると思います。原作のイメージを崩す部分も多々出てくるかと思いますので、苦手な方はご注意ください。 <(_ _)>

1/2
徹夜明けに同輩や先輩と前日初詣に出て風邪か何か貰った模様。
更新を一日抜いてしまいましたorz

1/3
近代医学の力で復活。でもこの時ばかりは水の秘薬が欲しかった。
とりあえず、英国帆船時代の強制徴募とか念頭に置いてみました。
あとは、ちまちまと歴史的なものを混入中。
誤字脱字の指摘がありがたい限りです。

タイトルが若干あれだというのは、何度もご指摘頂いたのですがまあ、何とかなるだろうと思って現状維持を決意します。

今後もよろしくお付き合いください。

1/11
構想を練り直します。
少々お待ちください。

1/26
新規に更新を少しずつ進めながら
過去の部分の加筆・訂正を行っております。
完了次第纏めるつもりです。

1/30
段階的に改訂版に変更中です。

7/25
ちまちまと更新中。
ようやく、纏まった量ができつつあります。
でも、中世世界が分からなすぎて難しい・・・。

7/28
手直しが上手くいかない・・・。
時間がもう少しかかりそう?
どっちも中途半端になりそうで怖いなぁ…

取りあえず更新しました。
随分と、お久しぶりです。
覚えてくださっているでしょうか。(-_-;)

8/5
私用でしばらく忙しくなるため、更新がまた遅れますorz



[15007] プロローグ1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2009/12/29 16:28
Lauso la mare e tente’n terro
海を讃えよ、だがおまえは大地にしっかり立っていろ
(仏:プロヴァンス地方の諺)

1942年 英国某所 ダーダネルス

親愛なるシシリア・コクラン様

この時ほど、郵便配達人の勤勉さを呪うことはありません。
その職責によって彼らはこの手紙を貴女の元に届けてしまうでありましょうから。

残された者の義務として
ペンをとることが、これほど苦痛な手紙を
あと幾度私は書かなくてはならないのでしょうか?

私は、
貴女のその背の君であるロバート・コクラン海軍中佐の戦死を
彼の上官としてここに報告するものであります。


その高貴な精神によって彼は艦と運命を共にしました。
彼は、最良の船乗りでありました。
ともに、彼の愛した祖国を守るべくともに戦ったことを
彼のクルーは心から誇りに思っております。
祖国への挺身において彼は常に士官としての義務を果たしておりました。その勇気は獅子のごとく気高きものでありました。
常に模範的な士官であり、彼のごとき人物を部下とできたことは至らない私にとって最高の栄誉でありました。


土は土に、灰は灰に、塵は塵に。



軍機につき詳細を申し上げられないことをどうか
ご容赦ください。
彼の遺書を同封しております。
衷心からお悔やみ申し上げることをどうかお許しください。



[15007] 第一話 漂流者ロバート・コクラン (旧第1~第4話を編集してまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/02/21 20:49
{ロバート視点}

気がつくと、私はみすぼらしい小屋で横たわり年季の入った天井を眺めていた。私はにわかにはその事実が信じられないでいる。何故私が生きている?被雷し、クルーの退艦もままならないまま私のマタベレは急速に沈んでいった。左舷から辛うじて一部のクルーを救命艇で退艦させた直後に私は波にのまれたはずだ。

1月のバレンツ海である。

まずもって生存は絶望的だ。友軍の船団が忌々しいUボートに付け回されている中私を回収してくれることを期待するのは難しい。Uボートが追跡を断念し私を収容することも同様に考えにくい。狼群が獲物を放り出すはずがないのだから。何故生きているのか、わからない。いや、わからないと言えばそもそも、ここはどこだ?ソ連領ならばまだ良いのだが・・。

この小屋を見る限りではなにもわからない。私の物と思しき防寒コートとバッグ以外にこれといって軍関係の物資は見当たらない。ということは、私は民間人に救助されたのだろうか。見たところ、拘束されていないことを考えるとそこまで敵対的でもないようだ。体を起こし風の吹きこんでくる窓から周囲を見渡すもののこれといった建築物も見当たらない。ごく、平均的な海岸線が見えるのみである。

平均的な海岸線?・・・!?降雪が見られない!?流氷が見られない!?これほど狼狽するのはシシリアに結婚を申し込んだ瞬間以来だ。わからない。ここは煉獄か?主は我をここに召したもうたのか?だが、体の芯からの悪寒は確かなものだ。気が付くと全身が痛みを訴えている。私は生きている。これは不可解だ。だが、実感として生きている。ならば、私は助かったのだろう。

・・・ふむ案外私は図太い精神と肉体を持っていたようだ。部下たちもそうであるならば良いのだが。いずれにせよ、だれかが私をここまで運んでくれたはずだ。彼か彼女かに話をしてみなくてはならないだろう。私がそう思い、いくばくか気を払いつつ起き上がろうとしたとき小屋の外から人の声が聞こえてきた。思ったよりも状況は悪くないようだ。

そう思い直し、状況を見極めるべく小屋に入ってきた男達を観察してみる。彼らはあまり裕福な身なりではないものの潮風に身をさらすもの特有の引き締まった体をしていた。場所柄と合わせると自分は漁船に拾われたのか?自分を見る目に敵意は感じられない。というよりむしろ、こちらと同様に混乱しているのか?彼らは、どこの国家に属するのだろう?容貌からではいまひとつ判断材料に乏しいと言わざるを得ない。

私自身、この地域の詳細な民族構成を理解できていないのは海の勤務とはいえうかつだった。唯一の手掛かりとなる身なりは、古式ゆかしいと言えば聞こえは良いが大学において古典の講義から生まれ出た衣装そのものだ。逆に考えるべきことが多すぎる。オッカムの剃刀は至言だが、難しいものだ。だが、少なくとも彼らには感謝しなくてはならないだろう。合わせて戦時国際法にのっとり私は速やかに所属と声名をその義務の求めるところによって申告しなくてはならない。

「小官は、英国海軍、本国艦隊隷下駆逐艦マタベレ所属ロバート・コクラン大尉。救助に感謝します。」

「海軍?」

・・・男たちの反応が妙だ。彼らの私を見る目線にある混乱の色が強まったように思えるのは何故だ?だが、ここに至って仮定を多くすること程無駄なこともない。言うべきことを言い、事態を解決することが優先だろう。

「ここは、どこでしょうか?また、小官同様に救助された部下の有無をご確認させていただければ幸いです。」

私の問いかけにおずおずとしながら男たちが口を開き答える。

「事情はよくわかりませんが、見つかったのは貴方だけです。」

「ここはカラム伯の治めるシューレ村ですよ。ご存じありませんか?」

・・・部下は見つかっていないのか。カラム伯・・聞き覚えがない。だが、共和制ではないならばスウェーデンかノルウェー。海岸線を考えればノルウェーだろう。鉤十字が進駐しているのは忌々しい限りだが流れ着いた身としては不満の一つを漏らすことも憚られる。この不満は誰にこぼせばよいのだろうか。

「申し訳ないが小官には心当たりがない。最寄りの軍基地か大使館はどちらに?」

「カラム伯領警備隊です。」

「そこに、連絡は可能でしょうか。」

申し訳なさそうに男たちの中で年長者の威厳を見せている老人が頭を下げ謝罪の意思を表してくる。少なくとも、この人々は問答無用で私を拘束するような系統の輩ではないようだ。まあ、これ以上状況が悪くなることはそうそうないだろう。

「失礼かとは思いましたが、あなたを見つけた時に村の若い者を伯爵様の館へやっています。」

警備隊か。自警団のようなものか?まあ共産主義者の近くで暮らしていくにはそのくらいの備えは確かに必要だろう。連絡がいっているならば対応してくれていると考えてよいだろうか。あまり、迷惑をかける訳にはいかないが、助けが得られればありがたい。

「その・・・御不快でないとよいのですが。伯爵様のところへあなたを迎えるために人が派遣されています。その者たちとともに館へ向かっていただけないでしょうか?」

「いえ、適切な処置です。ですが、出来るだけ速やかに大使館に連絡を取りたいのですが。」

「ここからウィンドボナまではかなりの離れております。何かあるのでしたら伯爵様にご相談なさってはいかがでしょうか?」

大使館はウィンドボナとやらまで行かねばないというのは厄介だ。まず、そこがどこなのかという懸念も大きいが。まさか、ウィーンでもあるまいし現地読みの地名なのだろう。名前からするとゲルマン系か?そもそも、英国大使館がおかれた地名を海軍士官が頭の片隅に治めていないというのは上官には知られたくない面倒事に入れておくべきだろう。

・・・うん?私はそこまで語学に堪能ではないはずだ。遠洋航海番での難点は現地での会話のちぐはぐ感だ。無意識に英語を話していたが会話が成立している。彼らの英語は確かに容認発音ではないが、労働者階級のそれとなんら変わりがない。出稼ぎにでも出ていたのだろうか?しかしそれにしては奇妙な齟齬がある会話が成立しているにも関わらず、意思疎通の成立が実現しているような気が全くしないのは何故だろう。疑問ばかりが浮かんできてならない。教官殿の教えによれば、わからないことは許される限りにおいて解消しておくべきだ。ええい、ままよ。疑問は解消すべきだ。

「失礼、あなた方はなぜ英語に堪能なのか?」

「英語? なんですかそれは。」

・・・母国語がわからないと母国語で返される時にどう応じるべきかまでは、さすがに海軍の教育では習っていない。これは、下手なジョークなのだろうか?私は笑えばよいのだろうかということさえ分からない。周辺国の反英感情がここまで高いという事前の情報もないはずなのだが。部族ごとに違う可能性は否定できないが・・。

ええい、状況を整理する必要がある。何か情報が得られないかと、話してみるべきか?だが、いくら話せども状況が整理できなくなる一方だ。正直に言って違和感が多すぎる状況に、私は困惑を隠せないでいる。

メイジ・水の秘薬・ゲルマニア・ウィンドボナ・アルビオン会話に次ぐ会話で私の頭には理解できない専門用語のようなものがいくつも出てきた。メイジ? 確か日本の用語だったはずだ。東洋学のバルフォア教授の講義で独特なものを扱った記憶がある。あの国のメイジ維新とやらはある程度東洋に関心がある人間ならば良く知っている話だ。

水の秘薬とはなんだろう?ジンかラムなのか?確かに、低体温に陥っていたはずであろう私に酒精はありがたいものだ。ゲルマニア・アルビオンとわざわざ言わずとも英独ですむものだ。ウィンドボナはまさか、ウィーンではないだろう。だとすれば、ローマ人の北進した地域かそれに付随するゲルマン系氏族の建設した町か?だが、会話の文脈がついていけない。私の認識したようにとらえることが全くできない。いや、何か悪質な誤解をしているのではないのだろうか。

幼少期から、あれほどまでに感情を抑えよと教育されていたにもかかわらず私は自分が錯乱したのではないかと勘ぐってしまった。どうも周りの男たちも私をそのようにみている気がしてならない。少なくとも視覚野に深刻な損傷が生じていると判断するにたる材料を見つけてしまった。遠くのものがぶれて二つに見える症状は、軍医に即刻相談すべき事態だ。酸素欠乏症を疑うべきだろうか?まったくもって悪夢を見ているかのようだ。

結局、私の混乱具合を錯乱と判断したのだろう。男たちは丁寧ながらもテキパキとした手際で私を館からの迎えに引き渡した。私自身混乱していたので、誰にも話しかけられずに自分の考えをまとめられるのはありがたかった。さしたる考えや解答を見出すには至らなかったものの精神的に落ちついて事態を把握しようとすることが可能になった。

が、それでもだ。私を受け取りに来たという警備隊という連中の奇妙な恰好は何だろうか?剣や槍を実際に使っているのだろうか?いや、火縄銃は実用的なのか?一部の猟師が未だに一部の地域で使っているとは聞いているが、それは伝統猟に限定されたはずだ。その火縄銃にしたところで、もう少しまともなものを使っているはずだが。競技用のものならば、命中精度を重視するために瞬発式を採用しているはずだ。これでは、本当に伝統に忠実で愛好家が使っている程度だと聞いていたのだが。

いやそもそも、なんでこの女性は私に杖をつきつけているのだろうか?仕込み杖でも、ずっと構えるのは困難なはずなのだが。それとも服装を先に悩むべきなのか?ここでは新年を祝う行事でもやっていたのか?妙齢の女性が奇妙な恰好をして奇矯な行動に及ぶ際の対処法はどうすればよいのだろう。現地の文化やマナーなのかもしれないが私はそれに疎い。考えれども、考えれども逆に意味がわかなくなってくる。海軍の任務で様々な奇妙な風習に慣れたつもりであったがこれでは、理解できないことこの上ない。



{ミミ視点}

警備隊というのは概ね、辺境開発に関与する貴族にとってはかかわらざるを得ないものである。ゲルマニアの辺境開発には大きな危険が伴うものだから亜人などから貴重な労働力を守るためにも警備隊にはそれなりの人と物を集めなくてはならない。辛うじて集まった労働者が瞬く間に消えてしまうのがここしばらくの父上の悩みの種らしい。

宮仕えは多くの厄介事があり父上はそれを忌避されていた。だから、鬱憤を亜人討伐で晴らしているだけでは物足りず辺境開発に乗り出したらしいのだが別の悩みが父上を待ち構えていたようだ。宮廷陰謀に辟易した父上らしいといえばそれまでかもしれない。物事を深く判断していながら、小さな落とし穴を見落としているのは、私の一族特有の傾向らしいのだから。

もちろん、様々な困難を開発に際しては覚悟の上で行っているのだが、当然、メイジを遊ばせておく余裕があるはずもなく私、マリア・クリスティーネ・フォン・カラムも父の命ずるところに従って経験を積んできた。うん、積んできたはずよ。魔法学校をでて、気がついたら義務を果たせとか父上に言われて婚約者探しの前に亜人やら盗賊やらと戦わされてきたのだから。

ところが、ある程度の分隊を率いたこともあり、火のトライアングルメイジでもある私は父上に言わせればまだまだ経験不足も甚だしい小娘らしい。本日も兄たちがそれぞれ一隊を任されているのに私の仕事といえば領民から届け出があった不審者を引き取るという、おおよそ気乗りしないものだ。血なまぐさい辺境の討伐任務よりもましというべきかそれとも、こんな雑用に使われることを嘆くべきだろうか?それなりの身なりで、見つけた漁師たちが処遇に困ったのは理解できる。だが、なにも高位のメイジを出す必要はないのではないだろうか?たち振る舞いや、見かけもまあ悪くはない。杖を持っていないことを考えるにおそらくは商人かどこぞの貴族につかえている教育を受けた者だろう。

だが、頭に問題でもあるのではないだろうか?先ほどからブツブツとつぶやいている上にこちらをみて困惑したような表情を浮かべている。メイジに対する礼を知らないのだろうか?私が杖を示しても胡乱な眼を向けて挙動不審なことこの上ない。

「我が名はマリア・クリスティーネ・フォン・カラム」

「問う、そなたは何者だ?」



{ロバート視点}

「英国海軍、ロバート・コクラン大尉であります。このたびは、レディにご足労をおかけして大変申し訳ありません。」

貴婦人に対する礼儀として執拗に教育係のじいやが指導してくれた作法がようやく再起動したようだ。幼少期の教育が無駄にならなかったことを喜ぶべきだろう。そして、彼女の名はマリア・クリスティーネ・フォン・カラム、つまりカラム伯の縁者に当たる方だろう。ゲルマン系の姓名の気がするがどうしてなかなか流暢な名乗りだ。まさか、容認発音で名乗られるとは。これならば話は通じるかもしれない。やはり、何がしかの祭日に飛び込み休日に余計な手間をかけてしまったのではないだろうか?鉤十字どもへの鬱憤がたまっているところに不審者が来たのではまともに相手にしてもらえないのも仕方がなかったのだろう。

「救助していただいたことに感謝を。」

最低限の礼節を保ってくれているということに感謝しなくては。出来る限り迷惑事には巻き込まないようにしたいが私とて部下に対する責任があるのだ。叶うことならば助力を得たいものだ。

「私の部下が同様に漂着しているかもしれません。もし可能であるならば海岸線を捜索していただけないでしょうか?」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき。
1/30に差し替えました。

微妙に修正したり、加筆したりしておりますが
大筋に変更はありません。

今後、段階的に変更していくつもりですが
話数に関しては置き換えるさいにいじる予定です。

全て終わればゼロ魔版に移行するつもりです。



[15007] 第二話 誤解とロバート・コクラン (旧第5話と断章1をまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/01/30 22:55
{第三者視点}

英国海軍士官ロバート・コクラン。彼は、軍務中の戦闘で死を覚悟していたが、目覚めると見知らぬ土地に漂着していた。幸いにも、現地の人間に救助されたらしく英語圏の人間でないにもかかわらず会話が成立したこともあり、ロバートは安堵するも彼らとの意思疎通は何故か困難を極めていた。現地の人間に大使館への連絡と戦時国際法の規定による処遇をロバートは求めたものの、彼らは困惑するばかりで、事態はますます混乱の度合いを高めていた。



「英国? 海軍? あなたは何を言っているの?」

若い女性が首をかしげつつ諭すように応じる。彼女の表情には疑問の色と困惑の色が浮かんでいる。

「軍人なの?いったいどこ国の軍に属しているのかしら?」

「ですから、英国海軍であると。私はコクラン家の一員として祖国である英国に海軍軍人として奉職しています。」

「質問に答えて。英国海軍とはどこの軍隊かしら?」

いくばくか強まった困惑といら立ちが込められた回答が繰り返される。双方ともにお互いの言わんとすることが通じるようで通じないもどかしさを感じながら、疑問ばかりが積み上げられる会話が繰り広げられていく。

「あなたはメイジ?」

「メイジ?さきほどから、何のことです?」

質問の意図と解答の意図が食い違うままに議論が進み双方とも誤解が累積していく。

「ですから、自分は連合王国の軍人で、メイジではありません。」

「だからどこの王国の?」

相互に理解を行おうと努力した結果としてそれぞれのパラダイムで解釈が行われ盛大な誤解が再生産されていく。



{ミミ視点}

王国の軍人?どこの軍人なの?トリステイン?それともガリア?王国である以上、ロマリアや大公国ではないのね。確かに、この男はそう主張している。それにメイジでなく軍人であると主張している。それでいて、礼節をある程度持っているということは傭兵ではないと考えるべきかしら。平民、それがある程度の教育を受けられるであろうということはどういうことだろう。

「あなたは、軍人として連合王国に属しているのね?」

「ええ、そうです。大使館を通じてロンドン、あなた方の親しみのある呼び方ではロンディニウムというべきですか、にお問い合わせいただければ私の軍歴は確認できるはずです。」

ロンディニウム?まさかアルビオンの!?・・・落ち着くのよ。アルビオンの大使館を通じて確認するには時間が必要。でも、自己申告でそう宣言している。ここで嘘をつく必要もないし・・、どういうことかしら。艦隊司令部とはアルビオン艦隊の司令部のことよね。まさか、アルビオンでは空軍のことを海軍と称するのかしら?ひょっとして、ゲルマニアとアルビオンでは軍の制度が異なることもあり得るのかしら。いえ、そのことを検討しておくべきだったのね。父上にこのことは黙っておかないと。また、勉強が足りないからだと指摘されてしまう。

「あなたはフネに乗っていたの?」

「ええ、そうです。詳細は申し上げられませんがマタベレというよいフネでありました。」

今度は、ためらいのない肯定。マタベレというのは彼の乗っていた軍艦の名前らしい。良く事情が把握できないものの、これは私の手に余る厄介事であることは間違いないと判断すべきだ。帝政ゲルマニアの北部にアルビオン軍人が漂着するのは普通ではまずありえない。漁師たちによれば、この男を拾ったときはそれなりに負傷しており、居合わせた者たちで小屋に運んだとのこと。アルビオン空軍のフネから偶然転落したとしたらメイジでもない限り生きているはずもない。しかも、確か先ほどは自分と同じように部下もといっている。部下というからには彼の乗っていたフネに何かがあったということだ。

よりにも寄ってアルビオン軍艦がゲルマニア近隣で事故に遭遇?いったい、何をしていたのかしら。まあ、そう簡単に口を割らないでしょう。先ほどからはっきりと答えようとしなかったのはこちらを煙に巻くためかしら?だとすれば、頭の回る軍人ね。どちらにせよ、できるだけはやく父上に引き渡すべきよ。とにかく、早馬を出してこのことを報告しなくては。



{カラム伯視点}

また、亜人と辺境で衝突した。いつものことながら、貴重な労働力である年季奉公人が襲われてしまうのは、辺境開発に乗り出した時に予想した以上に厄介だ。まず、開拓に従事する人間が集まらなくなる。もともと、ゲルマニアが新興国であるだけに働くところなどいくらでもある。奴隷や債務返済者労働者などの値段も年々高くなっていく一方だ。自由民も割のよい職を求めて定着しない。

宮廷貴族や、大貴族のしがらみが忌々しく距離を取ろうと思い立ったのは良いのだが、世の中は案外とうまくいかないものらしい。眼前に積み上げられた報告書の束は見るだけで気が滅入ってくる。警備隊も最近では息子たちに任せてひたすら領内の整備に追われる毎日。経験不足の娘まで領民の嘆願に応じるためにこき使わなくては回っていかないほどの仕事に追われ、人手不足がそれぞれに割り振られる過剰な仕事につながり役人が逃げ出しかねないという面倒な状況になっている。

そもそも、カラム家は新興の伯爵家である。人手はそこまで多くないにもかかわらず北方の開拓ということで侯爵並みの土地を一時的に管轄する契約を結ぶことで開発が認可されたという経緯がある。そして、その契約のために慢性的に厄介事を抱え込んでいるともいえる。だから、厄介事を抱え込んでくる早馬にももう慣れた。血相を変えて飛び込んでくる執事の顔も最早見慣れたものだ。新興の辺境開発に携わる者ならばだれでも一度は耐えなくてはならない時期があると親切な友人から耳に入れておかねば、この苦しい現状にくじけかねない。だが耐えきれば光明も見えてくるのだからとも、励まされている。ここを乗り切れば軌道に乗るのだ。

「ベルディー、今度は何事か」

「ハッ、マリア・クリスティーネ・フォン・カラムお嬢様よりの急報にございます。」

「ミミからのか?」

身分ありげな漂着者を発見したと領民が届け出てきたので一応のことを考慮して貴族である娘を出した。大抵のことならば問題ないはずだが。まさか、出会いがしらに娘が人を焼き払うほど短慮だとも思えない。昔はやりかねなかったかもしれないが、さすがに今はその程度の思慮分別はあるはずだ。

「はい、現地にてアルビオン王国の士官と思しき軍人を拘束。尋問の結果、アルビオン王国本国艦隊所属の軍艦マタベレのクルーであるとのことです」

「・・・間違いないのか?」

「お嬢さまによれば、確実にマタベレに何らかの問題が発生しこの付近でクルーが遭難したようであるとのことです。」

「大抵の難題には慣れ親しんだつもりだったのだがな・・・。」

宮廷陰謀などかわいく思えてくるような難題に思わず頭を抱え込んでしまう。このような問題は政治的な爆弾だ。他国の軍艦がゲルマニア領付近で遭難。もちろん、外交的にそれらが事前に通達されているということもないだろう。無断で侵入して何をしていたのだろうか。あるいは、何をするつもりであったのだろうか?どちらにせよ、問題は起きてしまっている。そしてその場所が、よりにも寄ってここカラム伯領であるとは。ああ、始祖ブリミルよ、我らが何をしたというのでしょうか。

「とにかく、ウィンドボナにグリフォンで急報を届けろ。文面はミミの報告を簡潔にまとめた程度で構わない。」

このような厄介事を一介の伯爵で扱うのは危険すぎる。面倒事はウィンドボナの閣下に押しつけてしまうに限る。他の貴族のように積極的に閣下と争う気にもならないが心中するのはごめんこうむりたい。なにより、他国の事情に首を突っ込むことは避けたいものだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

1/30に改訂しました。
断章の扱いは今後、独立させるものと
纏めて一つにするものとにしようと考えています。
もし、何かあればぜひご指摘ください。



[15007] 第三話 ロバート・コクランの俘虜日記 (旧第6話~第11話+断章2をまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/01/30 23:29
{ロバート視点}

・・・主よ。私は、何を見ているのでしょうか?マタベレが被雷してからというもの不可解なことやどうにも奇妙な出来事が起こっているとは思っていました。それでも、最初のうちは時代錯誤的かもしれませんが、善良なる人々に救助されたと思っていたのですが彼らはいったいどこの国のものなのでしょうか?

他国に侵入したとして拘束されて護送されるのは軍人としては致し方ないと納得できるものではありますが護送手段が馬車であるということへの違和感をもう少し早めに持っておくべきであったのかもしれません。未舗装の、街道ともいえないような荒れ道しかなく大量の休耕地が放置されているのはどういうことでしょうか?

・・神にすがらねばならないとは。仕方ないとは言えないこともなくはないのだが。いや、そういった瑣末な事象は捨て置こう。・・・魔法とはなんだ?何故、空を飛ぶ? あの、幻獣は何だ?子供のころから愛読している≪船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇≫は、現実の出来事をまとめたとものだったとでもいうのだろうか?わからないことが多すぎて、混乱する。だが、どうにも厄介な誤解をされているような深刻な懸念がある。それが、何なのかいまひとつ把握できていないのは事態を正確に把握できていないことと同義だ。まずもってよろしくない。

カラム伯の元へ護送されるはずだったのだがいつの間にか帝都へ護送されるとのことになっているようだ。帝国?いまさら、欧州の主要国に帝政をとっているのは・・などと考えるだけ無駄かもしれないが首脳陣によって事態が解決に向かっていることを祈るばかりだ。護送車とでもいうべき馬車に放り込まれてからはほとんど放置されているために、現状がいまひとつ理解できないのも事態を悪化させている。思索に耽ることのできる利点は軽視できないものの、やはり情報を集めることが出来ないのは歓迎できない。出来ることといえば、周囲を見渡し観察する程度だ。そのことでは馬車を曳いているのが馬でないことには驚愕したが。

護送の要員が変わったわけではないので彼らの服装が日常的なものであることは間違いないはずだ。手織りなのだろうか?私が、ガリヴァーと同様の経験をしているということならばここは産業革命に至っていない異世界と考えるべきなのであろうか?さすがに、ここまで奇怪な幻獣たちが跋扈する地域を我が祖国の探究者たちが見逃すということは考えにくい。彼らの好奇心がこのような地域を見逃すはずがないからだ。祖国の教授陣がこの地のことを知れば、大学の講堂から教授陣が消えかねない。

しかし、やはり世界がことなるからだろうか。産業革命以前にしては奇怪な発展を遂げているような分野も散見される。先ほど、宿泊のためによった宿舎の照明は明らかに私の理解の及ぶものではなかった。護衛の要員にそのことを聞こうにも彼らが口を聞いてくれないのが厄介きわまりなく、もどかしい。

マリア・クリスティーネ・フォン・カラムと名乗りあれほど熱心に私を問い尋ねた女性も今では何か聞きたそうにしながらも口を開こうとはしない。出される食事は質的にはあまり上質とはいえない上に栄養価にも問題がありそうなものだ。遠洋航海の食事と良い勝負かもしれない。とはいえ、さすがに鮮度はある程度確保されている。だが、陸に上がっているのだからせめて紅茶くらいはまともなものを出してほしいのだが。それすらも叶わないとなるといささか気が滅入るというものだ。せめて、熱い湯くらい出してもらってもよいはずだが。

分かったことの中で、複雑なこととしては部下たちが、こちらに流れ着いていないらしいということだ。少なくとも、発見されているとは聞かなかった。バレンツ海を漂流するのと、わけのわからない世界に迷い込むのとではどちらが救いになるのかいまひとつ分からないが・・・。シシリアに手紙でも出せればよいのだがそれも叶うかどうか。ソ連につき次第電信で電報を送るつもりだったのだが心配をさせてしまっているだろうな・・・。

物思いにふけっているうちに少しばかり時間が経過していた。どうやら、ある程度の距離を移動したようだ。気がつくと、それなりに発展していると思われる街に到着していた。我が祖国に比べれば、至らないとはいえなかなかに見事であると言えなくもないこともない。にぎわいや人々の活気があり、商取引もあちらこちらで散見される。服装や人種に多様性がないことはやはり遠距離との通商がまだ発達していないからだろうか?それとも、この地が単純に辺境なのだろうか?

ただ分かる範疇のことは、やはり城壁をもっていることなどからして火砲の発達はそこまで発展してないと思えるということだ。陸戦はブルタニアで主要戦史を扱った程度だがオスマントルコのウィーン包囲時代の城壁に類似しているような気がしてならない。気になっている魔法がどのように使われているのかいまひとつ戦術発展及び形成に組み込まれているかがわからないが画一的に魔法を行使できるのだろうか?戦力として整備していくのが困難であるならば城壁を攻略する手段を持ち合わせている魔法使い(メイジというらしい)はどの程度各国が保有しているのだろうか?

街のつくりは見える限りでと防衛を重視した構造になっている。明らかに経済的な発展よりも都市の防衛を優先しているのだろう。都市国家に近いものがあるのだろうか?そうであるならば、権力構造も複雑で統一された中央政府の存在自体を真剣に懸念する必要もありそうだ。まるで神聖ローマ帝国に飛ばされたような気がしてならないのはどうしたものだろう。あの国の政治構造は極めて複雑というか研究対象としては極めて興味深いと常々考えていた。

とはいえだ。都市での防衛を念頭に置いたとしても本拠地まで攻め込まれる時点でどうかとも思うのだが。バトル・オブ・ブリテンで我が祖国の空軍が忌々しい鉤十字どもを大陸に追い返したのも、祖国の地に連中の汚らしい一歩を刻ませないために他ならないのだ。侵略され、守るべき街で敵を食い止めようという発想はまるでソ連そのものではないか。その、忌々しいソ連への物資を搬送していた船団を護衛していた身としては思うところがないわけではないが。

そのようなことを考えているうちに、私はある程度の装飾と物がそろえられた部屋に軟禁されていた。漏れ聞こえる話から察するにここが目的地で、私の処遇について担当の要員が決まらずに、困惑していると思しきことまでが察せられた。鉤十字どもや共産主義者よりは理性的に私のことを処遇してくれると助かるのだが、何事も悲観的に備えて置くべきだろう。そう考えていると、数人のメイドによって私の部屋の扉が開けられた。

「失礼いたします。」

そう言うと、彼女らは手際よく私の部屋に衣類を持ち込んできた。

「ミスタ、失礼ですがお召物をおかえください」

「こちらに、替えのお召物を用意しております」

差し出された物は、ある程度古典的であるもののそれなりに見慣れた礼装であった。いまさらこの程度に動じるだけ無駄であるが、衣類の質ではなくその意味がわかりかねた。これまで道中で渡されていたものもそれなりに清潔なはずだ。捕虜を着飾らせる意味がいまひとつ想像できない。だが、謁見などの可能性は否定できない。処刑するにしても見栄えが良い方が宣伝性を高めるには良いのだから。まあ、敢えてみすぼらしくする場合も逆にあるのだが。

「ふむ、何かこれからあるのか?」

着替えることにはさして異論もない。だが、状況が理解できないでいるので今後のことを知っておくにこしたことはないだろう。できれば、これから何があるのかといったことが推察できれば最善なのだが。

「申し訳ありません、ミスタ。私どもは、何も知らされておりません。」

「いや、構わない。」

本当に知らされていないのだろう。秘密は知っている人間が少なければ少ないほど守りやすいものだから。この措置は賢明というべきだし、従者に教育が行きとどいていることも称賛すべきことだろう。

「それでは失礼します。」

そういうなりメイドたちは手際良く退室していった。本当に私に着替えさせることを考えているならば見届けるなり、念押しなりをするだろうが・・。価値観や文化の相違なのであろうか?わかるのは、遠洋航海で他国の価値観や風習に戸惑うことも少なくなかったがここでは何もかもが手探りということだ。

だから、状況に応じて最適な行動を取る必要があるのだ。そして、紳士たるもの恥をかくことなくそれらの大半に対応することが出来るように広範な分野に関して懐かしの学びやでは、厳しいマナーを指導された。これでも燕尾服でできない動作はクリケットと、ポロくらいであると自負している。それをやらせる人間に出会いで見しない限り無様な有様を露呈することもないだろう。

もちろん、英国海軍に奉職するもの海軍独特の作法も一通りは習得し、幾人かを自分の艦で食事に招待する光栄にも属してきた。だから、ある意味で作法を使うことは日常を意味するのかもしれない。そう考えると、着替えた後に護衛兼執事と思しき人物に宮中の奥へと案内されるときには私はかなり落ち着いていた。

見知らぬ宮殿に連れ込まれ、いつの間にか身分ありげな男性と面会する事態になったとしても私は落ちついていることを冷静に確認できている。まあ、ここしばらくの事態で驚きという感情が摩耗してしまっているのではないかと疑ってもいるのだが。魔法使いと出会うのと、同族のような貴族と会うのでは後者の方が精神衛生に良いのはいうまでもないことだ。

だが、やはり懸念通り誤解されているようだ。私があった男は私をどこかの別の国の軍人だと誤解していた。私は栄光ある連合王国の海軍軍人である。栄えあるロイヤル・ネイビーの一員であることを誇りに思っていると言ってよいだろう。

「で、ありますから小官は連合王国海軍軍人であり、アルビオン王国なる王国の軍人ではありません。」

“ここの”、“ここの世界の”というべきか、国家のことは分からないが私に端を発する誤解による外交問題を生むのは私の本意とするところではない。私が、ここの世界の住人でないと理解してもらうのは困難だろう。私自身、メイジ達が飛んでいるのを目にしても未だに半信半疑であるのだから論理的に説明できるかどうかはなはだ疑わしい。だが、それでも微力を尽くすことが私の責任である。常に、冷静沈着であらねば海軍士官など勤まる訳がないからだ。

「ふむ、話がだいぶ異なるな。お前の属しているという連合王国とやらはどこに所在するのだ?」

「我が祖国は、この地にはございません。」

このようなことを認めたくないが、それを他人に論理的に説明しなくてはならないというのも何とも言えない葛藤を伴うものだ。余人にはこの苦しみと葛藤が到底理解し得まい。自らでこの世界において自らの祖国の存在を否定するのだ。

「この地にない?」

「気がつけば、貴国の民に救われておりましたが、我が祖国はこのように魔法が存在する世界には存在していませんでした。」

「異世界と申すか?」

与太話と取ったのだろうか?男の声におもしろがるような色が感じられる。無理もない。私とて彼の立場なら同じようにこのような戯言に真剣に耳を傾けるか疑わしい。精神を戦場で病んだと判断するのが妥当なところと考えるだろう。

「小官は軍務によって北方の地に赴き、厳寒期の海域で戦闘の末に波にさらわれたのです。通常、生存は絶望的ですがこちらの小屋で救われていました。」

「ふむ、余にその軍務とやら語ってみよ」

「軍機に抵触しない程度でよろしいでしょうか?」

「お前は、ここが異世界だと言うではないか。そうであるならば、いまさら規則を気にする必要があるのか?」
「小官は、連合王国に海軍軍人として奉職しており、小官はその職務の求めるところに従う義務を有しております。どうぞ、ご了承ください。」

これは、私の誇りと義務に関わることだ。誇りを亡くした貴族など存在する価値はなく、義務を果たさない軍人は、軍人たりえない。私は、ロイヤル・ネイビーに奉職していることを心から誇っている。この誇りを汚すような真似は私が私である限り断じて為すことはありえないだろう。

「ふむ、では話せるところを話すがよい。」

「ありがとうございます。」

さて、どの程度まで話すべきか?産業革命以前の社会に近代的な軍制度について語って理解を得られるであろう。概念としてまったく異なるものであることを前提に配慮する必要があるだろうな・・・。



{カラム伯視点}

厄介事にはもはや、断固として動じない自信があると日記に書いたのはいつのことだったであろうか?そう思いつつ、帝都より駆け込んできた凶報に頭を抱える。思わず目の前が真っ暗になりかける大問題だ。

アルビオン軍人だと娘が報告してきたので、帝都に送った。その判断自体は間違ったものではないにしても、娘の判断にもう少し注意して確認しておくべきだったといまさらながらに後悔する。アルビオン軍人と娘が判断した男は、メイジでもないただの平民でしかもアルビオンとは関係がないことがよりにもよって閣下との会見で発覚したのだから誤魔化しようがない。下手をすると、外交問題に発展しかねないからこそ中央に懸念を回したつもりが悪戯に乱を招くような行動を結果的には取ってしまっている。はっきりというならば虚報で持って他国を誹謗したことになるのだ。

「いったい、何があったらそのような誤解が生まれると言うのだ!?」

一応、気の利いた者が帝都から急報してくれたおかげで問題が発生したことは把握できている。そうでなくては、帝都からの公式な使者の前で無様に動揺することになっていたところだ。帝政ゲルマニアは、潜在的に貴族の力を削ごうとする中央政府とそれに反抗しようとする貴族たちの抗争が他国よりも激しい。自分自身は、積極的に反抗していく意志はない。閣下への忠誠に関してもある程度は高い方だとは評価していただいているはずだが何ごとにも取り返しのつく物とそうでないものがある。おかしいな、昔はもう少し精神に余裕があったはずなのだが。

「伯爵閣下、ウィンドボナより使者が参られました。」

ベルディーはいつも聞きたくない凶報を告げてくる。ヤツの仕業ではないとは言え、最近では顔を見るたびに頭痛がしてくる。水のメイジに秘薬を作らせているが最近は効き具合が心なしか落ちてきている。水のメイジを本格的に増員するべきかもしれない。

「客間にお通しせよ。」

家人に歓迎の指示を出しながら、使者を出迎えるべく玄関へと重い足を引きずってゆく。よほど厳しい案件になるだろうと覚悟し使者に相対した時、使者に見覚えがあることに気が付く。問責の使者ならば私の政敵か少なくとも中立のものを派遣されるはずだが?

「久しいな、カラム卿! やつれたのではないか?」

「貴殿の来訪の要件で心明るくなれるものがいると思うか?ラムド卿?」

中央からやってきた知人と旧交を温めつつ客間へと向かう。思っていたよりも事態は私にとって最悪を避けられるのだろうか?まあ、彼らならば悪いようにはしないだろう。

「それで、私の罪状は?」

「公式には御咎めなしだ。」

「これだけの、事態を引き起こしておいてか?」

下手をすれば文字通りに首が飛びかねないと懸念していたのだが。閣下が私を敵視しておらずラムド伯との友誼があったとしてもこれはさすがに想像外だ。動揺を表に出すつもりはないがさすがにこれは意外だ。

「これだけの問題事をしたからこそだ。勘違いでアルビオンに抗議していたら閣下のメンツなど吹き飛ぶ。発覚すれば旧態然としたアルビオン貴族どもがどんな難癖をつけてくるか想像もつかない。」

実際に、外務に携わるラムド伯の口からはそこはかとない苦笑がこぼれだしてきている。貴族の中でそれなりに忠誠心があり、頭が回り先の見える人物であるだけに厄介事を率先して押し付けられているところは相変わらずのようだ。以前はトリステイン貴族の愚昧さについて激烈な不満を酒の席で漏らしていたがその点についても相変わらずのようだ。愚痴を吐き出す口の友としてタルブ産ワインを片手にしていたので何ともいない光景であったがそれは友人として指摘しないに越したことはないだろう。

「だから、なかったことにしたいと?」

「卿の手配が適切なればこそ、知りえた人間も多くはない。公式の理由もなく貴族を処罰すればいらぬ腹まで探られかねない。卿は自らの賢明さで家を守ったと考えればよいだろう。」

家人が差し出したワインを受け取りつつ、ラムド伯が器用に肩をすくめる。

「とはいえ、こちらもいろいろと込み入った事情がある。」

「面倒事がやや面倒に変わった程度でもありがたい。構わなければ言ってほしい。」

「卿は領民からの申告により、遭難者を拾うも、その男は護送の途中で息途絶えたということにしてもらいたい。尋問する機会もなく身元不明だったと。」

そもそも、存在しなかったことにするつもりか?適切といえば適切な処置である。だが、その程度のことで言い淀む男ではない。本題は何だろうか?

「本題は二つある。」

「伺おう。」

「事情を知っている関係者は、幸いにも多くはない。卿の警備隊で、護送に従事していた者たちと発見した領民の口を封じさせることが免責条件の一つだ。」

「口を封じろとおっしゃるが、それは二度と口を開けないようにとの要請か?」

「卿に一任するとのことだ。漏れた場合はそれ相応の覚悟をされよ」

二度と喋れないように口を封じろと命じられなかっただけましとすべきだろう。貴重な労働力なのだ。悪戯に減らすわけにもいかない。ある程度の情報操作で誤魔化し決着をつければよいだろう。さすがにここで失敗するわけにもいかないが、この問題を解決する目処がついただけでもだいぶ違いがある。

「二点目に、卿の娘を軍に出仕させること。詳細は明かせないが、誤報の責任もこれでとらせる。」

「・・・軍役につくということか?」

「詳細は明かせない。ある程度機密性が高いものの、近いうちに本人の口から説明を行えるはずだ。それまでは、何も明かせない。」

できるだけ、中央と関わりたくなかったのだが、これでは不可避に中央の宮廷陰謀に巻き込まれかねないのが懸念すべき問題だ。この程度の処分ですんだことを僥倖と素直に思えないのは何故だろうか?

「その例の、男については?」

「彼については、卿は何も知らない。そういうことだ。」

比較的、友人として親交が深いつもりであったが取り付く島もなく沈黙を要求されるとは。それほどに、優先されるべき何かがあったのだろうか?

「要件は、以上だ。正直長居できる身ではない。この辺で失礼させて頂く。」

「わざわざ、ご足労いただき申し訳ない。」

客人には罪はないにしても今晩は久々にアルコールでも嗜むとしよう。そうでもしななければ、厄介さにくじけてしまいそうだ。



{ロバート視点}

言葉が通じると言うのに、言わんとするところが相手に通じないというのは想像以上に厄介な問題であった。会話の中に名詞を入れるのは誤解のもとであるということは、学習してはいる。だが、やり難さは下手をすれば言葉の通じない相手と対話するようなものに匹敵するかもしれないだろう。だが、幸いにも私が出会えたのは比較的にせよ知識人といってよい要人であったようだ。

幸いにして思考に柔軟性も持ち合わせていただけに先入観による誤解が解ければかなり話しやすかった。程度問題であるのは否定できないが、それでもかなり意思疎通を図ることが可能だった。このゲルマニアという国家においてどの程度高位かはさすがに推測に留まるにせよそれなりの地位にある人間に理解してもらえたというのは今後に多少なりとも光明が見えたものだろう。私が、異世界から来たのではないかとの奇抜な意見に対して最終的に理解を示しこの世界について学びたければ図書館を解放していただけるとのこと。申し出れば護衛兼監視付きとは言え、この提案はありがたい限りだ。もっとも、無償で援助してくれるはずもないだろう。私に対価として何を求めてくるかが気がかりだが、だからこそ相手の思考を理解するためにも相手の価値観や世界について学んでおく必要がある。さっそく、明日にでも図書館を訪ねさせてもらおう。



{アルブレヒト3世視点}

カラム伯からの急報を耳にしたとき余は、歓喜した。アルビオンへ難題を突きつけられるかと思うとあの忌々しい古いだけの連中がどのような醜態をさらすかが目に見えるようであった。(まあ、空軍力が優れていることを認めるにはやぶさかでもなかったが。)それだけに、カラム伯の報告が誤りであったと知ったとき長年、政争に明け暮れていなければ思わず落胆に顔をしかめそうになったほどである。即座に、糠喜びをさせたカラム伯の勢力を二国間の友好を損ねかけた大罪人であるとして処分することを検討したが連行されてきた男の語る与太話を聞いているうちに思わぬ拾いものをしたことに気がついた。

この男はメイジでないという。そして、貴族であると。我がゲルマニア以外にそのような国家がありえるのだろうか?男は月が一つしかない世界から来たという。月と魔法に気がついたとき、自らの正気を疑ったと語っていた。そして、男は、魔法が存在しない国で軍人であったという。それは、貧弱なものだろうと考えてどのような軍備であったかと尋ねた。男は、いくら尋ねようと任務については頑なに詳細を話そうとはしなかったが、それ以外に関しては実に多くのことを詳細に細部まで語った。

想像もつかなかった。男の世界では鋼鉄の巨艦が海を制覇し、メイジ以外の平民でも空を魔法抜きで自由に飛びまわり、あまつさえ、鉄の馬が大地を走っているという。男の語ったことは荒唐無稽に聞こえるだろう。事実、このロバート・コクランと名乗った男を護送してきたカラム家の令嬢は自らが狂人をアルビオン軍人と誤って護送してきたものと思いつめ、顔色を失っている。ただの狂人であるならば彼女の想像通りに中央政府の集権化を進めるためにカラム伯家はすりつぶすつもりであった。しかし、今はそのようなことは考えていない。

カラム伯家の廃絶を余に思いとどまらせたのはこの男の言にいくつか無視しえない現実味があるからだ。男は、貴族でありながら王室の軍隊に奉職していると称した。土地を持っていないのかとも思ったが先祖の功績により王国から土地を頂いていると誇らしげに語った。それでありながら、男は自前の軍事力を有していなかった。聞けば簡単な自警団のようなものは存在していたが泥棒や酔っ払いどもを押さえる程度の存在であるという。聞けば、王国の軍事力は全て常備軍にあるという。

完成された中央集権について男が知っているように思えてならない。男の言葉にしばしば理解できないものが混じっているだけにやや苛立たしくはあったがその内容は一つの完成をみているようだ。確かに、この男は先ほどから頑なに自分の属している王国と軍隊に忠誠を誓っているようにも見える。貴族であると称しているにも関わらず、だ。

我が、帝政ゲルマニアは始祖ブリミルの血を引いていないがために他国から低く見られているが国力は有数のものがある。もともと、都市国家の連合体であったとはいえ中央権力が強権を発動できないためにいまひとつ力を出し切れていないがこの男はその解決策を提示できるのではないだろうか?

男は、「ふね」に乗っていたと称している。その「ふね」は鋼鉄でできているということまでしか理解できなかったがそこで部下を使っている立場にあったという。であるならば、それなりに経験を積んだ軍人か名門の門閥貴族であったのだろう。この男をただの狂人として切り捨てるのはいささか早計に思えてならない。カラム伯はもともと、中央へ積極的に反抗してくる人物ではない。ここで、秘密裏に処罰するよりも恩を売っておくほうが効果的ではないだろうか?そう判断し、カラム伯の娘を保証にしばらく男を自由にさせることにしてみた。監視につけたものによると、男はこの世界について知りたがっているとのことだ。演技にしては真に迫っているらしいので、様子見を兼ねてこれを許可した。さて、何が出てくるだろうか?



{ロバート視点}

私が希望していた、図書館の利用が叶う日が来た。それ自体は喜ばしいものがあるが若干の経験からの予想通り、どうやら私にはこの世界の文字が読めないらしい。言語がわかっても文字がわからなくては求める知識も知り得ないだろう。この世界には、魔法が存在するのだ。過去に私のような人間が存在していなかったと否定することもできないし、あるいは可能性は少ないにせよ私の部下も一緒にこの世界に流されて来ているかもしれないのだから調べたいことはたくさんある。だが、これでは図がわかる程度だ。幻獣の図などは興味深いものではあるが・・・。

まず、地図の精度が低すぎる。大まかな形も辛うじて分かるといった程度でほとんどわかないのが現実だ。未調査地域が多すぎて信頼性もわかりかねる代物だ。記載されている事項は読めないにしてもこの精度ではさして意味をなさないものだろう。さすがに、実際に使うであろう海図はというと、こちらも沿岸に沿って航海するのでさほど期待していたほどはなかった。

妙に、風向き等が事細かに記載されている空路図はこの世界で「フネ」と称される空を飛ぶ船が使うためにそれなりの精度を誇っているらしい。飛行船のようなものなのだろうか?船が浮くということが私にはいまひとつ想像がつかない。輸送機を大きく拡大したものかとも思ったが手元にある資料から判断する限りにおいては「フネ」とは帆船の形をしている。これをどうやって飛ばすのだろうか?解説と思しき文章が読めないことがもどかしい。恐らく、何らかの魔法の技術が使用されているのだろう。それは、何かに応用できないだろうか?

私についてきた護衛という名の監視役も図書館の中には入ってこない。おそらく、監視は続いているのだろうがここなら護衛は必要ないと判断されているのだろう。出入り口が一つしかないので逃げようにも逃げられないので、それは合理的な判断だ。だが、困った。これでは、図書の持っている価値が私にとってあまり役に立たない。まずは、読み書きから始めなくてはならないのか?

「前途多難か、紅茶でもあればよいのだが。」

図書館で紅茶をたしなめるとも、嗜もうとも思わないが。そう思いつつせめて何か得るものはないかと図書館をくまなく巡り歩きいくつか興味深い絵柄の本は見つけた。しかし、それ以外には午前中はさしたる収穫もなかった。

「やれやれ、ここで得られる情報には限りがありすぎますね。」

出口で待ち構えていた面々に肩をすくめつつ提案してみる。彼らは一日中ここで私の警備と監視を行っているようだが、はたしてその心中はどのようなものなのだろうか?出来れば彼らとは良好な関係を構築したいのだが。

「別館とやらがありましたよね?午後はそちらを覘いてみたいのですが可能ですか?」



{ミミ視点}

閣下は、私の過ちをなかったことにする代わりに私が、自発的に帝都に出仕したという形で相殺してくださった。それ相応の難しい任務が与えられると思っていたが与えられたのは私が帝都まで連れてくることになった男の監視要員手伝いだ。良くわからないものの、男にはできる限り余人を接触させるなとのこと。私は、要員の一員として先回りし、人払いを行わされていた。

「とはいえ、別館までいらっしゃる方もそう多くはないようですね。」

「まあ、別館はよくわからないものが積まれているだけだからな。」

「研究者が好奇心に駆られて通う程度だ。利用者もそう多くはない。」

この程度の人払いが私に与えられた名誉回復の機会とは考えにくいですね。やはり、父上に対する牽制にとどめるという意味合いが強いのでしょうか?



{ロバート視点}

随分とまとまりのない書籍や物品が展示されているというのが最初の感想であった。図書館の別館というが、これは博物館ではないだろうか?祖国のそれに比べると質も量も劣るうえに展示も随分と一貫性を持っていないと言わざるを得ないにしてもだ。ここには、かなり破損している物や、使い道が想像もつかないようなものまである。だが、ここの展示は魔法という概念が発達したこの世界においては若干違和感を醸し出している。ひょっとして宗教上の理由でもあって本館での展示が憚られたのだろうか?

「ミス・カラム、ここに展示されている物品は何でしょうか?」

「申し訳ありません。これら『場違いな工芸品』と呼ばれるもので、私にはこれがなんであるか説明致しかねます。」

『場違いな工芸品』?確かに、珍しい品々かもしれないが製作者の意図するところがそれほどまでに場違いなのだろうか?見る限りあるものについてはそれなりの実用性が感じられるのだが。それに、工芸品というからには誰かが造ったはずだ。帝政ゲルマニアは技術力が相対的に低いのだろうか?それならば、確かに場違いかもしれないが・・・。だとすれば、ここに展示されているのは技術サンプルだろうか?だが、それならばこの世界の技術力に関して私の理解力が及ばないところもあるということだ。もとより、英知をすべて修められるとは思っていない。物事について先達がいるならば教えを請うのが道理だろう。ローマとて先人の英知に多くのことを学んだおかげであれほどの歴史的な偉業を成し遂げることが出来たのだから。

「失礼ながら、これについて詳しい方はいらっしゃらないだろうか?」

「『場違いな工芸品』についてですか?」

「ええ、これらについて詳しく知りたいのですがどなたかご紹介いただけないでしょうか?」

「失礼ながら、このようなものを専門に研究されている方はそれほど多くはないはずです。調べてみますのでお時間をいただいてよろしいでしょうか。」

「もちろんです。お手を煩わせて申し訳ないのですがよろしくお願いします。」

これは、研究対象として一般的でないということか。しかし、何故だろう。ざっと見渡す限りにおいてこれらはそれなりの水準にある工芸品や私にも使い道が想像もつかない工芸品があふれている。これらを研究して、複製するだけでもそれなりに便利なものを作れるはずなのだ。他国の技術を研究する気がないのか、魔法が便利であるからこれらを必要としていないかのどちらかだろうか?確かに、魔法はよくわからないにしても便利であるのは間違いない。この世界にいては文明が魔法を中心として発達してきているようだ。

私が元の世界に戻ることがあれば、最低でも子供たちに良い読み物を一冊増やすことができるに違いない。だが、今はまずこの世界を理解しなくてはならないだろう。ここにある物品はおそらくこの世界においてはそこまで普遍的なものではないようだが、だからと言って侮るわけにはいかない。かつてのボーア戦争でも祖国は敵を侮り、十分に敵情を理解しなかったがために大きな損害を被ったのだ。祖国の陸軍と同じ過ちを海軍軍人が再びするわけにはいかない。なにより、知を深める機会を逃したとあれば、かつてプリフェクトに任じられるという名誉を与えてくださった校長に合わせる顔がないではないか。英知は自ら求めなくては深まらないのだ。だが、ここにある展示や書籍もまったく理解できそうにない言語で書かれているのはどうしたものか。動物学や、植物学と違い歴史学や政治学について調べようと思えばやはり言語を理解しなくては観察すらままならない。未開拓の知の平原を目にしていながら前に進めないとは。

せめて、何かないだろうか?時間は幸いにも予定が何も入っていないのだからこの別館も一通り見て歩くべきだろう。この別館の展示品自体もそれなりに興味深くはある。この世界でも工芸品はある程度の水準にあるのであることはここの展示品からしても察せられる。場所が違えば祖国の博物館に同じような展示室があったかもしれないのだ。そう思いながら、展示されている物品を見て回っていると、ふとホールの端にあった小さな小部屋に妙なものを感じ取った。

うまく、言葉にできないものの何かが引っ掛かっている。

まるで、試験の時に答えを知っているはずなのにそれが引っ掛かっていて出てこないもどかしさ。私は、よくわからない衝動に駆られてその小部屋へと足を向ける。そこで、無造作に置かれているケースに私の眼は釘づけになった!

「Encyclopædia Britannica!?」

「どうされましたか、ミスタ・コクラン?」

私の叫び声に反応して護衛(兼監視)たちが思わず駆け寄ってくる。だが、それすら気にならず信じられないような思いで私はその見覚えのある木製のケースに手をかけ、その中に収められている一冊を震える手でとる。ああ、間違いない。全29巻からなるそれは、私にとってなじみ深いものであった。それは、私と同じく英国のものであった。私と同じ運命をたどったであろうものだった。その名を「ブリタニカ百科事典」という。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あとがき的な何か

どうしても、思いついたままに仕上げると短くなってしまいます。
すみません。m(_ _)m
全然、軍人としての能力を発揮していませんが
もうちょっとするとその機会を与えられるはずです。
場当たり的だと反省中。

1/30に改訂済みに変更しました



[15007] 第四話 ロバート・コクランの出仕  (旧第12話~第16話を編集してまとめました)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/02/21 20:47
{ロバート視点}

ブリタニカ百科事典を見つけてから、一か月が過ぎようとしていた。私は、その間に何とか基本的な文字を習いこの世界の読み書きに習熟しようと努力しているがその進捗の度合いはいまだ遅々たるものであった。

この世界の常識については、ゲルマニア政府から派遣された講師に教わっているのが現状だ。情報源が一つであるということは望ましくないうえに相手の話が真偽を検証できないのが気にかかるところではあるが、少なくともマナーや文化についての理解はある程度確かなものがあるだろう。

この世界において、帝政ゲルマニアは私の世界であった神聖ローマ帝国に類似した地理的要因と都市国家の連合体ゆえの中央公権力の脆弱さを抱えている。実際、話を聞いているだけで面白いものだ。だが、事実かどうかはわからないもののこの世界の宗教は魔女狩りに明け暮れていたころの私の世界に似たところがある。異端者は焼くらしい。スペインの異端査問官ども並みの熱心さと判断できるほどだ。いや、狂信か?

肝心の軍事力や技術水準に関しては今一つ会話に齟齬が大きいため漠然としたことしかわからないものの、メイジを中心として魔法が軍の主力を務めている。また、ゲルマニアの軍事力は動員数こそそれなりの規模が見込めるであろうものの常備軍の規模はささやかなものだった。

落胆すべきことに、この世界において海軍はさして重要な役割を与えられていないらしい。と、いうよりも空軍のそれと混同されているようである。「フネ」と彼らが呼称しているものについて理解するのは困難であったが、やはり図書館で見かけたとおり木造の帆船が浮いているのだ。これらで艦隊を構成しているというのだから、私にしてみれば海軍に近いものを感じざるを得ない。

だが、おもしろかったのはゲルマニアが鉄鋼技術に関してはやや発展の度合いが早いことだ。新興国であるだけに、さまざまな分野に活気があるのも良い作用を生みだしている。そんなことを思いながら、部屋で読み書きの練習用に与えられた絵本を四苦八苦しながら読んでいると以前面会したゲルマニア高官が私の部屋を訪ねてきた。



{アルブレヒト3世視点}

余が、異郷から来たと称している男に会うのはこれが二度目であった。報告では聞いているものの、子供が読むような絵本を苦労して読んでいるのはそう見られるものでもない。

この男が、文字を読めないというのは二つの可能性を意味している。一つは、男が教育を受けていないという真っ当な可能性。もう一つは、男が受けた教育にこの世界の文字が含まれていないといこと。

それと、この男についての報告の中に『場違いな工芸品』に執着していると特記されるものがあった。その分野の専門家を紹介したところ、執拗にこれらの製造者や発見場所などについて尋ねている。その専門家の中から、(可能性の問題ではあるにせよと但し書きがついている)『場違いな工芸品』の中の奇妙な本について理解できているのではないかとの報告も上がっている。それは、その男が『場違いである』ということでもある。

その奇妙な本というのは、紙でできた本であるにもかかわらず極めて画一的な字で記載されており、それが複数冊にわたって続いているという奇妙なものだ。この本を読めたものがいないので内容については全く不明とされてきた。だが、一番の驚きは紙らしい。それが想像もできないほど均質なものであるという。たかが本ではないのかと余は専門家に尋ねたところ、どれほど優秀なメイジをしてもあそこまで均質な紙をあれほど大量に作り出すのは不可能に近いと返された。

それを、理解できる可能性があったと報告を受けた時に余は決断した。

「今日は、卿に話がある」

「何でありましょうか。」

「卿は何が余に提供できる?」

この男は、解答を持っている。余の考えが正しければこの男は本当に異なる世界からきており、その世界は余の悩みを克服しているはずだ。余が求めるものを理解できるのならば、この男の価値は並ぶものがないといってよい。

「私が、提供できるものでありますか。」

男は、少し考え込みやや申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「まず、便宜を図っていただいたことに感謝します。そして、申し訳ないことに私は一軍人であったために即戦力に足り得るような物質的な面ではお役にたつのは難しいと思います。」

「軍人としての能力はどうだ?」

「一士官として海軍に奉職していました。しかしながら、この世界においては軍の制度が異なるために再教育が必要な水準かと思います。」

「だが、何も提供できないわけではないのであろう?」

そうでなくては、この男にさしたる価値もないであろうから。そして、余がこの男に期待するのは既存のものでもないのだから。

「はい。いくつかの知識を提供できるかと思っておりました。」

「思っておりましたとは?」

「私は、この世界のことをあまりにも存じておりません。ですので、何がこの世界にとって必要とされているのかや、提供するにあたっての前提知識に関する欠落があまりにも多すぎました。」

ここまで、冷静に分析できるのはそれなりに節度ある分別を持っているからであろう。余は、この地位に就くまでに長い抗争の歴史を戦い抜いてきた。待つことには慣れている。だが、目の前にあるかと思われた果実が空虚なものであるというのはいささかの落胆を伴うものであるのは確かだ。

「すぐには、役に立たないと?」

「その通りです。恐れいりますが私がこの世界を理解してその根底にある概念の齟齬を乗り越えられるまでには有益な知の提言は望みえないかと思われます。」

「『場違いな工芸品』についてはどうだ?あの中の書物を卿は解読できるというではないか。」

正確にはその可能性があるとのことだが、できぬならできぬで構わない。だが、『場違いな工芸品』はこの男と同質のものを感じるのだ。

「Encyclopædia Britannicaについてでありますか?」

「そうだ、それについて余に説明せよ」

やはりか。このものはそれについて語れる。余の見込み通りだ。

「あれは、私の世界で学問や様々な知をまとめた書物であります。」

このものの語る異世界の様相は余には想像もつかないものが多数存在している。それらについての知をまとめた書物があるならばそれらを再現し活用することができれば大いに力となるであろう。それらについては、研究させるべきかもしれぬ。

「卿の世界で知を集めた書籍であるというならば、そこから英知を取り出すこともたやすいのではないか?それならば卿は帝政ゲルマニアのあるべき道筋を余に提言できるではないか。」

「ですが、提言を行うためにもゲルマニアについて詳細を知らねばなりません。そして私にはこの世界についてあまりにも限られた知識しか入ってこないのです。」

「余は、余の顧問の中から優秀なものを卿につけて教えさせたはずだが。」

知識の吸収を貪欲にこの男は行っていると報告されている。一部はゲルマニアの抱えている技術や国の機密までも教えてあるはずである。それにも関らず情報が足りないとはどういうことか?

「私には、あなたがどの程度まで私に機密を教えて下される立場にあるか存じておりませんが、できれば今少し地理と物流に関する詳細をお伺いできないでしょうか?せめて地図だけでも良いものをいただければと・・。」

「何故、そのようなものを欲する?地図ならば軍でもつかっているものを与えたはずだ。」

男はやや躊躇したものの申し訳なさげに告げる。

「言葉を選ばずに申し上げますと、あの程度の地図は私の軍では実用に堪えるものとはみなされません。国家の運営においても同様です。」

軍の使っているような高水準の機密ものを実用に堪えない水準と断じられる。この男の言にはいつも驚かされる。

「ほう?卿の世界の国家運営とはいかなるものか?」

「国家は自らの国土を緻密に把握し、そのうえで対外政策を行うものです。古代の帝国はそのすべての国土の物産を把握し適切な物流網を構築することで強大な国力を誇りました。」

面白い。この口ぶりからするとこの男はすでに方策を有している。だが、おそらく何らかの事情がありそれを言い淀んでいる。

「では、ゲルマニアが何か卿の提言を実現するためにはそれらが不可欠であると?」

「その通りです。ですが、そのためにもまずゲルマニアという国家につて調査しなくてはなりませんが・・・」

「そのような権限を要求することは難しいであろうし余がどの程度でそれを許すかわからないというのであろう?」

「その通りです。」

権限の問題か。その程度ならば弱体とはいえ中央の権限で行える。そして、この男は知らないことであるが余が自国の調査を命じてそれを妨げられるものなどいてたまるものではない。ヴィンドボナを蔑にする貴族どもとてその程度の分別はあるだろう。

「ならばことは簡単だ。帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の名において命じる。汝はゲルマニアの詳細な調査を行え。余の名において汝の権限を保障しよう」

ああ、門閥貴族どもが煩わしいであろう。いくばくかの地位に任じておくべきだ。だが、旧来のものだとまた面倒な騒ぎが出ないとも限らない。で、あるならば適当な役職をつくるべきだろう。

「卿よ。汝をゲルマニア国土調査卿に任ずる。」



{ロバート視点}

地図の重要さは軍務につく者にとっても行政をつかさどる者にとっても言うまでもなく重要なものであると認識が私にとっては常識であった。だから、国土の調査をして、それらをまとめるということについての必要性は理解しているしその役職に任じられたことに対する驚愕はあれども学術的な関心からも、職業上の経験からも引き受けて問題はないと判断した。おそらくこの職務は私にとって良い肩慣らしになるだろう。

私自身もこの調査を通じてゲルマニアとこの世界に関する見識を深められるので今後に活かしたいものだ。だが、何事もうまくいかないものだ。なんでも私に与えられた地位は貴族としての身分を保障するものではあるらしいがさしたる箔にもならないようだ。まずもって選帝侯達の領土は自由に調査できない。せいぜい可能なことが主要な街道を確認する程度か?

それと、人員の問題も大きい。一応、人員は与えていただけるとのことではあるが測量の概念を正確に理解できるものは皆無であった。辛うじて、空軍から派遣されてきた士官たちはかなり有望であったが彼らは数が少なすぎる。彼らはこの世界における経験豊富な面々であるからかなり力になるはずなのでできる限り融通してほしいものであるが。だが、彼らには期待できる。

それとこの手の作業において気球があれば便利なので代わりとなるメイジを幾人か借りることができたるのはありがたい。さすがに「フネ」は貸し出すにはいろいろと差しさわりがあるようだ。申請してはいるがあまり期待もできないだろう。

それとは、別に私の監視を引き続き行うべくマリア・クリスティーネ・フォン・カラム嬢以下数名が監察の名目で付けられた。もっとも実質的には副官として使って構わないとアルブレヒト三世は言っていたがレディを部下として使うというのは経験がないものだ。このやりにくさも頭痛の種である。慣れるしかないのであろうが。

さて、これらの人員でどうするかの手順を考えなくてはいけない。説明された限りでは、求められているのはゲルマニア全土の国勢調査に等しい。だが、この程度の人員で国勢調査を行うのは無理がある。精密な測量に関してもそこまで行うには時間と労力がかかりすぎるだろう。

であるならば主要な街道と都市の地図とインフラ網程度のものを習熟も兼ねて作成し、それらにのちに地域別の物産や人口構成等をつけたしていく形で作るのが最も現実的か。ここで求められているのは組織形成とその育成だ。私自身が全土を巡るよりも有能な専門家集団を形成し一任できる形にするほうが今後のためにも良いだろう。

一つのモデルケースとして帝都近隣の地図作成と村々の概略をまとめることで組織として動くかどうか確かめてみるべきだろう。帝都周辺の地図すらままならないのは軍事的な要因を差し引いても経済的に大きな損失だ。まずは、ヴィンドボナの精密な都市地図を作製することで要員の訓練を行いつつ今後の方策を検討するべきだろう。



{アルブレヒト三世視点}

命じていた作業に関連して拝謁を願いでてきたロバートの報告は意外なものであった。全土を調査し地勢について調べるはずであったのだが。

「帝都付近を測量?」

命じたのは、確かに国土の調査だ。帝都付近は立派な国土である。だが、比較的にせよ中央政府が知悉している帝都付近をより精密に調べる必要があるのか?

「はい。今後、ゲルマニアの地勢を把握する基準としてヴィンドボナを使いたいので、基準は緻密に調べておきたいのです。」


「『すべての道はローマに通じる。』これは、古代の帝国がその首都であるローマを中心とおくことで中央への集権を可能とした制度であります。」

そういうと、古代の帝国に関する諸制度をロバートは話し始めた。いまだにお互いの用語が多少は食い違うものの言わんとするところは明白であった。中央を基軸とした地図や諸制度の確立。そのための基軸作成。

「なるほど、そのローマとやらの前例に倣うためにか。」

ヴィンドボナを中心として置くか。都市国家の集まりであっただけにそのように中心をおくことがこれまでのゲルマニアでは確かになかった。既存の権益を侵すわけでもないので貴族どもの反発も生じようがない。なかなか良い案だ。

「して、いかほどの時が必要か?」

「ひと月ほどもあれば十分であります。ただ、願わくは民間のもので構わないのでフネを借り上げるだけの資金をお与えいただけないでしょうか?」

「ふむ、そのように具体策がまとまっているのであればとり図ろう。」

「ありがとうございます。」

「さっそく取り掛かるがよい。」



※解説

海軍にとって正確な海図は必要不可欠です。
今日でも各国海軍が調査船とかいろいろ使って
海底の深さとか海流とかいろいろ調べているらしいです。

もちろん、陸の地図も重要です。たとえば、良い湾口を探すために測量するのは大航海時代に遠洋航海に出た帆船などではちょくちょくやっていました。

ただ、ハルケギニアにおいてロバートは基準たりえるデータを持っていません。ですので、海軍軍人でありながら天体をうまく活用して緯度経度をはかるなどの方法を使えないようにしてあります。



{ミミ視点}

私は、今すごく不本意な仕事に従事させられている。閣下から命じられ、私にとっての災厄の種をばらまく男の監視に従事していたのが、監察という名目で実質的に副官の任に就かされて酷使される毎日。それも、職務の内容が今一つ何を目的としているか理解しにくいようなものが多いうえにそれらがかなり機密の高い内容であるらしい。

「コクラン卿、ご要望のあった有力な商人たちとの会談ですが先方から応じるとの返事が参りました。」

私も監察の職責上有力な商人との会談には立ち会わなくてはならない。せっかくの虚無の日だというのに休暇を返上し、頭の疲れる職務にまい進することの無粋なこと。

「御苦労。次は、主要な貴族の配置図と可能な限りの資料を集めておいてくれ。基準の観測が終わり次第行動に移れるように用意しておきたい。」

「かしこまりました。それと、先刻お問い合わせになられました空軍からの出向人員ですが午後には到着するとのことです。」

「ああ、了解した。到着次第私のところに出頭させてくれ。」

平然と、メイジでもないのにメイジを顎で使えるような平民がいることも驚きです。何故閣下はこのようなものを貴族に任じあまつさえ私の上に置かれるのでしょうか?外聞が悪いので外に漏らすなとおっしゃるのならばまだしも、理由の説明もなくただ機密を漏らせばお家断絶と言われるのも気の重い所です。



{ロバート視点}

まずもって、ヴィンドボナの測量は基準となるものであるために緻密なものが求められる。だが、同時にそれらはヴィンドボナに滞在している貴族たちに対しては可能な限り隠匿されるか、関心を喚起しない方策で行うことが望ましいだろう。

貴族たちが多い区画に関してはその区画の外郭程度を詳細に調査するにとどめ内部構造に関しては既存の地図を流用することにする。これは、地図が公開された際、貴族の権利意識対策も兼ねられるためにこの程度にとどめておくべきだ。厄介なのは、混在している地域と商人たちの区画だ。そのため、この面々の中で有力者とは渡りをつけておくことで、物事が柔軟に進み良好な結果につなげるべきだろう。できれば隠蔽にも協力させたい。

それと、この世界の主要な物流について詳しいのは商人たちと空軍の軍人たちだ。前者は細かな物流網に至るまで知悉しており、その密度はおそらく国家のそれを凌駕する。空軍の軍人たちは主要な空路を把握していると同時に有力な停泊地についても良く理解しているだろう。

自分がどこにいるかを知らなければ目的地へ向かえないのだから航行能力の高い空軍士官は即戦力になる。一度、顔合わせと引き抜きを兼ねて閣下よりまわされてきた人材の中から有望な面々と話してみたがやはり世界が異なる。帆船への知識は私よりも慣れているだけに豊富だった。私の経験はせいぜいがヨットのようなサイズであるのに対して彼らは現役の軍艦を運用しているのだから当然の帰結である。だが、私も与えられるものの中で最善を尽くすためにもこれらに慣れていかねばならないだろう。

そのまま考え込んでいると、いつ間にか昼食を取り損ねていた。時間外に食事を要求するのも気が引けるので簡単なものをみつくろうべきか考えていると、来客の知らせが入る。そういえば、空軍から出向してくる人員の代表が訪ねてくる時間だった。

「ハインツ・ギュンター、軍命により参上いたしました。」

「御苦労。会うのは二度目になるか。」

「いえ、三度目であります。」

おや、失敗だ。部下となる人間にこのようなことがあっては信頼を損ねるだけだ。しかし、どこで会ったのだろうか?一度は空軍から引き抜く人選の時のはずだ。もう一度は?

「実はコクラン卿が閣下に拝謁されている際、控えの間に控えておりまして。」

「貴官は、侍従武官だったのか?」

「メイジでもない私たちを引き抜こうとする上司を知りたいと思いまして。お偉いさんの従者に紛れ込んで聞いておりました。」

悪びれずに笑う男は、経験豊富なたたき上げを思わせる頼りがいがあふれている。なにより、自ら情報を集めようと決意し、完遂してのけるだけの軍人というのはなかなか多くはない。軍務の手腕は未知数であるが空賊討伐の経験も豊富で、これといった失敗は記載されていない。これほどの優秀な部下を手放すものだろうかと勘ぐっていたが、『メイジではありませんからすぐに手放されるでしょう』と言っていたカラム嬢の判断は正しかったようだ。メイジ偏重は今後改めていくべきかもしれないが現状では私にとって優秀な人材の収集を後押ししてくれている。苦言を呈するべきかどうか少し迷う。

「いや、そういうことならば事情の説明が省けてありがたい。」

しばらく間が空いているうえで出向に応じるのだから私がやらんとすることも十分に理解しここに立っている。有能な良い部下は容易には得難いが彼が信頼に足る人材であってくれると良いのだが。

「単刀直入に頼もう。貴官らには空路に関しての知識の提供と、それらを活用した国土調査の協力を要望する。」

「了解しました。」

「合わせて、急な召集に応じた貴官が昼食に付き合ってくれるならば光栄だ。」

「ハッ、降下するなりの出頭でしたので、喜んでお付き合いさせていただきます。」



{ロバート視点}

虚無の日に私は、ヴィンドボナに滞在している商人たちと席を設けることに成功していた。貴族としての品格を保つためにもカラム嬢が同伴を申し出てくれたのは結果的にはありがたかった。貴族でないとはいえ、裕福な商人たちとの会談はそれなりの品格を必要とする。

その結果は私にとっては成功と言えなくとも失敗とまでいかないというある種、想定内の結果に留まった。ヴィンドボナ在住の商人たちは比較的にせよ、交易機会の拡大に消極的であった。曰く、関税の仕組みが複雑である。曰く、これまで付き合いのあった貴族からにらまれると。物流網に関しては言を左右したものの、商業上の障壁に関して把握できたのはありがたい。

彼らは、ヴィンドボナ周辺にも大規模なフネの停泊地があれば物流が便利になるのではないかとの私の言に対してはおおむね肯定的であった。だがその一方で既存の停泊地との兼ね合いをやや懸念しているようでもある。そのことについては、未だに詳細を調査している最中なのでいくばくか時間が必要になるだろう。そう思い、会談を切り上げようとすると商人たちの従者らがいかにも費用をかけられていると一目でわかるような装飾が施された品々を持ちこんできた。

「コクラン卿、よろしければこちらをお近づきの印に。」

「いや、ミスタ。私が諸君にお会いしたのも職務の一環なれば諸君の誠意とはいえ私個人が受け取るのは心苦しい。」

「とはいえ、我らの心ばかりのものでございまして。」

「ふむ、そこまで申されて謝絶するのも失礼にあたろう。」

いささか、茶番劇ではあるがこの手の贈り物を受け取らないことで逆に商人たちに誤ったメッセージを出すわけにもいかない。だが、役得で懐を潤すのはいつの時代も貴族が失脚させられる遠因であるのだ。少なくとも一つの綻びになりかねない。

「では、諸君から頂いたこれでフネを一隻融通してもらえないだろうか?私が閣下より任されている職務に使うためのものだ。」

「それは、もちろんのことでございます。お役にたてるようで何よりでございます。」

「いや、諸君のゲルマニアへの奉仕に感謝する。」

予想外の収穫だ。フネが二隻になれば予定よりも早く国土を横断し主要な地勢を把握できるだろう。なにより、費用が浮くことはありがたい。運用に関してはギュンターに検討させておかねばならないだろう。

いや、その前にヴィンドボナの調査はどの程度進捗したか確認しておくべきだろう。既に主要な都市図は既存のものの訂正や改修である程度仕上がっているが人口や物産に関しては大まかな推測をまとめている段階だ。その進捗如何ではもう少し人員にテコ入れを図らなくてはならない。ヴィンドボナ在住の商人たちも消極的ながらいくつかの商会が援助を申し出てきた。少なくとも妨害する意図はないようだ。どの程度基準作成ということの重要さを理解しているかは、現状として未知数ではある。だからというわけでもないが、邪魔の入らないうちに物事は可能な限り進めておくべきだろう。


「ヴィンドボナの調査は、どうなっている?」

「おおむね、第二段階は終了しております。既に第三段階の予備調査に取り掛かったとのことです。」

アルブレヒト三世から派遣されてきた属僚にさりげなく事態の進捗度合いを確認し、おおむね満足できる結果を得られた。

「結構。物流の調査についてはギュンターに空路を一任してかまわない。予定通りスラム街に関しても外郭を把握する程度にとどめろ。内部の調査はリスクが大きすぎる」

「かしこまりました。それと、閣下より現状についての報告を求める書状が届いております。」

「召還か?」

「いえ、書状で構わないとのことです。」

予想よりも信頼されているのであろうか?問いかけが書状に留まっているということは現状を把握したいという額面通りに取るべきか、それとも若干の不信感に留まるのでこちらを疑っていることをこちらに察されたくないというべきか。

「分かった。明日までには仕上げる。」

どちらにせよ、この世界において私の利害共有者に疑われるのは望ましくないだろう。目的と現状について再度詳細を報告しておくにはちょうど都合のよい時期でもある。



{アルブレヒト三世視点}

余は、積み上げられた書類の中からロバートの報告書を手に取ると手短にまとめられたそれに目を走らせた。それによれば調査の進捗状況はおおむね順調であるとのこと。ただ、ヴィンドボナの調査でいくつかのスラム街の拡大が事前にこちらが認識していたものよりも拡大しており、可能なれば専門の対策が必要であると提言し来ていた。また、将来的な課題であるとしながらも市街地拡張のために防壁は撤廃すべきであるとそれは主張している。かなり過激なことだ。だが、その視点は歓迎するべきだろう。

本題の調査はおおむね情報収集は完了しており第三段階の予備調査、すなわち製図のできる人材探索と収集した情報の検討が始まると申告してきている。合わせて、次期国土調査計画への移行に備えて商人達からフネの提供を受け専従の調査船にしたい旨が記載されていた。

活動資金をねん出する一環として、そのフネでの交易を希望するものの、汚職や既存権益との衝突が懸念される。そのため、現状では困難であることも察せられるため、『あくまで可能であればそれを希望する』という一節には追加資金を必要としているものの現状の手札で最善を尽くそうとする姿勢がみられて好感を抱けた。だが、フネをどうやって商人たちから調達したかがいささか気にかかるところであった。後ほど、監察にその旨を確認すべきだろう。とはいえ、これならば現状問題はなくそのまま進めさせるべきだ。

「よろしい、問題ない。コクラン卿にはそのまま次の計画に取り掛かるように伝えよ。」



{フッガー視点}

ゲルマニアでも有数の商会であるアウグスブルク商会のハンス・フッガーは先日の会談でであった一人の貴族についての詳細な調査を命じていた。ここしばらくでアルブレヒト三世近辺でいくつか気になる動きがあったのだ。

出入り先の貴族たちによれば皇帝が新しく関税や関所をもうけるために物流に食指を伸ばしたという程度の認識であった。その人事についても平民が任じられることにもとより抵抗が少ないことと徴税などというものは平民風情が似合いであるといった態度をとっている。さして問題視しているようでもなかったがそれが事実であるとすれば商人にとっては頭の痛い問題である。

そのため、そのコクラン卿なる人物から会談の席へ招かれた時はどのような難題を押し付けられるか危惧していたが、嵐の前の静けさのように新しい税制については触れられなかった。その程度であれば腹芸の一つと認識できるが、コクラン卿は想像以上にやり手であると認識せねばならない出来事が二つあった。

一つは物流網への異常な関心だ。通常、貴族たちは関税をかける程度までは思考が及ぶもののどこを流れるかはさして気にしない。せいぜい自らの領地を流れていく商人の荷に課税する程度の関心でしかない。

だが、コクラン卿は主要な物流網とその構成・手段についても詳細に尋ねてくる。こちらでも把握しないでいる込み入った部分にまで踏み込んでだ。今後の交易機会の拡大についても確認してきた。もしも関税制度が変更された場合、この人物相手では定額でごまかすことは今後からは困難にならざるを得ない。

二点目は袖の下をうまくいなしたことである。むしろ、これに関しては逆襲されたといってよい。通常、貴族はこの手の贈答品に対して無頓着に受け取ってきていた。通常は便益を図ってもらうことで見返りもそれなりに期待できるが、コクラン卿はそれを逆手に取って、受け取らないのも失礼にあたると称しておき、こちらがいかにも渡したがっているという茶番劇でフネを受け取るという方式をとられた。

あの場で拒否するのは困難だった。初めにフネをとの要望が出されたならば断ることも容易であったであろうにこちらの失点につけ込まれる形で貴重なフネを提供させられることになったのだ。新興の貴族であるというが、これほどの人物がアルブレヒト三世の下についていることも驚きだった。そして、調査の結果は思わず唸らざるをえないものであった。

「メイジでないのは間違いないのだな?」

「報告によれば、杖を持っておらず、まずメイジではないだろうとのころです。」

ここゲルマニア以外では栄達は見込めないメイジでない貴族。こちら側に引き込もうにもそう簡単にはなびかない。何より、先が見えているのだろう。これがメイジで大貴族であるならば火種になりえるので政争によって失脚も期待できるが、さして利権が生じないような職権に留まるうえに、既存の貴族たちの権益層にはまるで手をつけていない。

「何が目的かわからないのか?」

「未だによくわかりません。提供するフネには手のものを潜ませようと試みているのですがなかなか厳重でして。」

「ヴィンドボナ内での調査はどのようなものを?」

「なんでも収集していると言ったような傾向がありました。」

それは、調査の意味があるのだろうか?何かを調べているのであることは分かりのだが、その目的が皆目見当もつかないというのも気にかかる。

「何か、特定の目的があるのではないのか?」

「不明です。」

密偵を幾人も放っているがその目的が皆目つかめないことがあるとは。かなり用心深い相手であるのだろう。もう少し、慎重に探らせ続けるしかないだろう。



{ロバート視点}

この世界は、私のいた世界とは物事が異なる。故に、物事を進める際に前提となる条件も異なっているがそれらは想像以上に大きな足かせとなっていた。私としては、他国と接しているいくつかの地域は政治的にも軍事的にも詳細な地勢図の把握が必要不可欠であると判断していたが、その前に厄介な問題が横たわっていることを嫌でも気がつかされた。

「つまり、空賊の危険性が大きいために民間のフネで調査行動に出ることが困難というわけか?」

「おっしゃる通りです。ヴィンドボナの外延部に勃発する盗賊等に比べても一段上の悪質な連中が執拗に徘徊する空域であります」

「だが、アルビオンとの交易路なのだろう?何故、これらを討伐しない?」

この目で見たので信じられないが、この世界には浮遊している国家まであるというのだ。その国家との交易路にあたる空路近隣の調査計画に際してギュンターはわたしの当初計画にあった民間船の使用に苦言を呈し今に至っている。

「空路は長大であります。賊を探すためだけにそこへはりつかせるわけにはいきません。フネがあまりにも多く必要になります」

ふむ、ヴェネツィア共和国流の定期船団方式を検討する余地があるな。護送船団方式については開戦以来それなりに研究されてきている。その上にこの世界において想定すべきは正規軍による通商破壊作戦ではないのでそれほど重武装の艦船、つまりフネを割く必要もないだろう。最悪の場合でも、潜水艦がいないだけかなり楽なはずだ。

「そのことについては、後日検討しよう。まずもって危険地域に空軍のフネを使わざるを得ないとするならば、民間船の運用はどうすべきか?使いどころが私には今一つ分からない」

「そうですね。快速を活かして、伝令や調査士の運送に使うのが適任ではないでしょうか?ある程度の地域までならば一応の治安も確保されています」

「専門家の忠告に従うのが道理だろうな。しかし、治安の悪いことよ!」

国内に盗賊はのさばり、忌々しい海賊もどきの空賊が交易路を襲撃している。ことごとく銃殺に処してしまいたい気分だ。曲がりなりにも貴族であるならばこの世界の貴族連中は何故このような無法者どもをのさばらせているのだろうか?高貴なるものの義務を果たさないものに存在する価値があるとでもいうのか。

「ヴィンドボナの調査と並行して賊の討伐要請を上奏することを検討すべきだな。国土の調査をしつつ賊と渡り合うのはかなりの手間だ」

調査をしている最中に襲撃されては堪らない。かつての大航海時代、マゼランや多くの先達たちは調査の最中に襲撃されて命を落としている。言葉の違いや文化的な相違による衝突ならばまだ調査の犠牲としてあきらめもつくが賊に部下を殺められるなど耐えがたい屈辱だ。

「空軍でも、可能な限り賊を討伐するようにはしておりますが・・」

「やり方についても詳細に報告をまとめてほしい。このままでは国土調査以前の問題だ。ようやくヴィンドボナでの前準備が終わったというのにこの手の問題が出てくると計画に大幅な遅れが出かねない」

「機密に抵触する事項もあるのですが」

「そこは、口頭で構わない。文章には残さないので安心してほしい」

「了解しました。可能な限り速やかに報告を提出いたします」

退室したギュンターを見送ると、入れ替わりにカラム嬢が追加の報告書を持って入室してくる。デスクワークは苦手ではないが現場に出てフィールドワークも実践に移したいところなのだがなかなか思うようにいかないものだ。義務を果たさなければならないのは間違いないのだが。

「ヴィンドボナの大まかな概要はまとまりました。現在、細部の検討と修正に入っています」

「細かな詳細は後ほど修正したものに任せるとしよう。現状でまとまっているものを複製し、閣下に提出しておくこと。合わせて、計画に変更を必要とするのでその旨を報告し、善後策の検討を要請する」

「かしこまりました。ですが、そのように計画に大規模な変更を必要とするならば直接報告なさるべきではないでしょうか?」

その通りかもしれない。利害共通者にとって計画の変更を通達するのは直接自分で行った方が意志疎通に誤解が混ざりこまずに円滑に進むはずだ。

「確かに、その通りだな。すまないが、日程を確認し可能な日に目通りがかなうように手配してくれ」

「ただちに取り掛かります」



{ミミ視点}

この仕事についてから、おぼろげながらも目的としているところが見えてきたと言えます。男の言は確かに通りにかなっているところがあるのです。でも、その目的は理解できてもその効果までは・・。

とにかく、この男の下について以来厄介な指示を出されてきているものの、皇帝であるアルブレヒト三世への面会をその場で要請するなどの思考にはついていけないところがります。それでいて、閣下がそれをおもしろがっているように見受けられるのもついていけません。とにかく、今は手配すべきことを手配しなくては。

「ああ、合わせて主要な選帝侯に関して通じている人間はいるだろうか?」

選帝侯について?曲がりなりにも貴族の一員である私を差し置いて、聞くべき質問ではないように思われるのですが。

「選帝侯の皆様に関することでありましたら、私でも一通りは存じておりますが」

「ならば、最も中央に対して協力的な選帝侯と反抗的な選帝侯について教えてもらいたい」



{アルブレヒト三世視点}

「つまり、次期計画への移行は大幅に遅延するということか」

「はい。このままでは調査にかかる費用と時間は当初の見積もりを大幅に超過することが予想されます」

「原因は?」

「要調査地域、すなわちこれまであまり詳細な情報が入ってこない地域の調査に際して賊の存在が厄介な問題となっております。襲撃の危険性が調査の効率を大幅に低下させ結果的に予定外の時間と労力を割かれかねません」

「卿のことだ。すでに対策は考えてあるのだろうな」

「はい。空賊対策を提言いたします。これによって調査が円滑に行えるともに今後のゲルマニア経済の活性化に大幅な貢献が期待できます」

ロバートの言わんとするところはいつも理解するのが困難であるか、想像もつかない視点からの指摘になる。だが、今回の言は最も道理でありながらも実現が難しいものだ。それとも、それを踏まえたうえでの提言なのか。

「空賊討伐?確かに、空賊は煩わしい連中ではあるが軍を動かしたところでさしたる成果も上がらないはずだ。空路は長くすべてを見張るだけのフネはさすがに出せん」

「おっしゃる通り、空路は長大であります。しかし、既にいくつか腹案があり現在部下に詳細を検討させておりますが恐らく基本方針は問題がないと判断しております」

「ほう、その方針とやらを申してみよ」

「根拠地・及び背景の組織討伐であります。同時に、空賊の温床である貧困を解決することで空賊の発生そのものを抑制します」

「その、所以を申してみよ」

「空域を動き回る空賊のフネを補足するのは困難かもしれません。しかしながら、動かないフネの拠点にするにふさわしい地域ならば容易に捜索し補足することが可能です」

それならば、同時にさして多くの軍を動員せずとも可能であるのも魅力的であるな。何しろ軍というものはただ存在するだけでも多くの経費を必要とする上に、空軍と来ては風石の費用もばかにならない。しかし、これまでも少なからず軍を動かし、空賊共を縛り首にしてきたにもかかわらず未だに空賊は減少していない。この方法で、本当に空賊が減るのだろうか?

「それは、道理にかなっているようだがその程度で空賊が抑制できようか?」

「恐らく、空賊の収入がその地域にとっての主要な経済基盤でありましょう。そのため空賊のフネを仮に補足しても効果は薄いものの逆に、根本を絶てばかなりの効果が期待できます。」

「根本を絶つ方策は?」

「三段階によって空賊対策を遂行いたします」

三段階?想像もつかない方策のようでありながらもロバートの提案はその実極めて合理的である。このものが所属していた世界での積み上げがあってこその提言であるのであろうがどれほどの労力がはらわれたのであろう。現状でその助力を得られるのはまさにゲルマニア一国のみである、その恩恵を独占できれば中央の集権以上のことが成し遂げられるだろう。

「まず、すでに公布されている法に基づいて空賊の活動拠点を制圧します。主要な賊共は法によって裁き、襲撃犯の背後にいる者たちをあぶりだします」

「なるほど。支援組織を襲うのだな?」

「はい。これにより、一時的にせよこの地域では深刻な収入源不足に陥ることとなるでしょう。いくら、空賊たちが襲撃を繰り返そうとも、略奪品をさばけなければ彼らの収入は限定的となるのですから」

「道理であるな」

「これを踏まえて、空賊共に対して投降を勧告します。これに従うならば恩赦を検討し、殺人などを除き微罪か軽い刑にとどめることにします。この際に、恩赦を拒否した上役を捕まえて投降してきた者たちに対しては功績に応じて免責をお願いします」

何者かを失脚させる際や、粛清の際にあまり、ほめられたやり方ではないにせよ使い古されてきた政治的な手法である。ゲルマニアにおいてこの手の手法で余に及ぶものはそうはおるまい。その有効性も余ほど知悉しているものも少ない。この提案がある前に余自身でこの問題への転用を発見しておくべきだった。だが、それを思いつける優秀な人材を獲得し制御しているのだからその代替も果たせていると見なせるものではあるが。

「投降してきた者たちは、国立で新しく作る商会か、主要な商会に委託するか現在詳細を検討中ですがそのどちらかで雇用します。同時に、これは空賊の収益に依存している地域に対する雇用を創出するものであります」

「なかなか、うまい手であるな。投降してきたものも活用次第ではよい駒になる」

「その通りです。これによって経済的に活路を提供すると同時に罪を問わないことで空賊を抑制するとともに、ゲルマニアのフネの保有台数を増加させることが見込めます」

「では、最後の手法は?」

「恐怖であります」

やや、気乗りしないようすであるもののロバートは淡々とした口調で余の諮問に応じる。この男は、高貴であろうとすることを好み、どちらかといえばこの手のことにためらいを見せる。もっとも、実行に際して躊躇うことがないので健全な部類の人間ではあるが政治を専門にしているわけではないのであろう。

「恐怖をいかなる方策にして生み出す?」

「空賊を支援するものに対してはこの一定の布告以後の免責、恩赦を一切行わず徹底的に根拠地を襲撃します。かくまった場合、村落ならば村落ごと襲撃し、砲撃し焼き払います。女子供を例外とし、関わった男達は重罪に処します。」

「ふむ、空賊を支援することへの恐怖心と経済的に釣り合わないと思い知らせるのだな」

「その通りです。空賊とその支援者たちに楔を打ち込み、分割し統治すればおのずと空賊の発生自体を抑制することが望めましょう」

「大変よろしい。その方策は極めて現実的に思える。だが、女子供といえども罪人であるならば裁かねばならない」

「過度に厳しくしすぎると徹底的に抵抗されます。逃げ道を与えることも必要です」

甘いがこの男はその甘さを理で埋めようとする。それが理にかなう限りにおいては余もそれを認めるべきであろう。意見は理にかなう限り尊重すべきである。

「良い。卿の提言を踏まえて対策を検討しよう。詳細の出来次第報告せよ。軍と諮る。」


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あとがき的な何か。

海賊は結構昔からいる存在です。
有名どころでは地中海に名をとどろかしたバルバロス・ハイレディンとかアルマダの会戦で有名なイギリスのドレーク提督とか。

ドレーク提督など、スペイン嫌いが嵩じてスペインの船舶や植民地を襲撃しまくってなんと、イギリスの年間の国家歳入以上の額を王室に献上するほど。(その額なんと三十万ポンド以上。これによって叙勲されます。)

まあ、海賊の経済的な損失がこれくらい大きいですよという目安と、海賊放置することの厄介さを。

ついでに、ロバートの提案した海賊の根拠地叩きは古代ローマ時代からの手法。ポンペイウスやカエサルも海賊討伐でこういうことやりました。カエサルなんて、一度留学先に行く途中に捕まった海賊全員を法にのっとって討伐し縛り首にしたと聞いたような気がするほど。

まあ、地中海世界の海賊対策を真似してみるといったところです。

2/21 ようやく、推敲が出来ました。意外と時間がかかってしまう・・。



[15007] 第五話 ロバート・コクランと流通改革 (旧第17話~第19話+断章3を編集してまとめました)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/02/25 01:53
{ロバート視点}

一般に賊の根拠地に生活している女子供の処遇には悩まされる。なぜならばそのものたちは非戦闘員であり、潜在的には敵であるのかもしれないが私はそれらを攻撃する意思も能力もないのだから。

だが、忌々しいというべきかこの世界のやり方としては順当とするべきかアルブレヒト三世の修正案によれば、死刑を免れる代わりに辺境開発に送り込むとのこと。流刑植民地に送り込むといえば一つの懲役刑のようであるが99年の奉公契約という段階で、実質的な奴隷制度と変わらない。

気乗りしない方策であるのだが、代案が出せない以上この方針にのっとってことを進めるしかない。せめて、空賊たちが早い段階で抵抗の無益さを悟り帰順しやすい環境を作るようにしよう。また、帰順せずとも討伐対象にされることを恐れてくれるならば効果も期待できる。最悪でも、ゲルマニア内部での略奪行は割に合わないと悟って、他国へと流れるだけで国内の物流は一変する。

彼らの受け入れ先となるのは船倉を貸し出すことで商人たちから運営資金を調達する国立運送会社となる予定である。これは、ヴェネツィア共和国の定期船団方式に習い複数の船舶がきめられた拠点間を定期運航しコストダウンによる通商の活性化を図りつつ、空路の安全を確保するという多方面への影響を併せ持つ政策の一環として提起されている。

実際に、これらが機能するのは国土の調査が完遂し、物流網の要点を把握してからになるであろう。実際の組織形成を今から始めてちょうどこちらの調査が終わるころまでに組織が形成できられていれば良いほうだろう。

だが、この政策には当然ながら商人たちが定期船団を使うということが前提になっているだけに簡単ではない。既存の商人たちの物流に対しては悪影響を及ぼしかねない一面がある。それだけに導入に際しては彼らに便益を図り賛意を取り付けなくてはならないだろう。

だが、それらを考える一方で本命の測量や地勢調査の人員の訓練も確認しなくてはならない。どうも、調子が良くないとの報告もあるだけに仕上がりは徹底的に鍛える必要があるように思える。いっそのことと思い、この件についてはだいぶ経験を積んできたように見えるカラム嬢に任せてことも検討してみた。だがさすがに枠組み作成に私自信が関らなくて良くなるまでにはもう少し時間がかかるだろう。

時間があればブリタニカ百科事典を読み返すなりしたいのだが。ようやく、文章を理解できる程度にこの世界の言語『ハルケギニア語と称する』を読み書きできるようにはなったが高度な学術論文を読むにはやはりこちらのほうが慣れ親しんでいるためにやりやすい。とはいえ私の主観では30年近く昔の時代に出版されたものなのだからまずはその違和感を乗り越えなくては。

だが、惜しむらくはギボンのローマ帝国衰亡史だろう。あるべき帝国の理想像について、その構造を理解する最良の知が詰まっているであろうそれについて私の知識は完全でない。この世界で見つけられた英語の本はブリタニカ百科事典のみというのもさびしいものである。読み物として、他人には理解されない英語で日記をつけ始めているがこれが主要な読み物になっている現状を脱却できる日は来るのだろうか?

この世界の文物はある意味で娯楽の対象、好奇心を満足させるにふさわしいものがある。とくに、メイジたちの使う魔法の技術については大いに関心を持っている。ぜひ、機会があれば系統だった研究を行いたいものだ。だが、そのためにも自由に研究につかえる時間を捻出しなくてはならない。とはいえだ、このゲルマニア調査も面白いといえば面白いので知的好奇心は常に充足していると言える。

「コクラン卿、国立運送会社についてでありますが内実はともかく外向けの名前はいかがなさるおつもりですか?」

カラム嬢との会話も、女性を部下に持っていることへの違和感がようやく抜けてきた。この女性は副官としての資質はそれなりのものを持っている。

「ああ、それならば閣下に相談しようともっている。」

「閣下に決めていただくのですか?」

当局に媚びたりするつもりはないが、この手の問題は私よりも国家運営の当事者が判断すべき問題もあるのだ。

「貿易に従事することも念頭に置くならば商会にすべきかもしれない。だが、商人を下にみる風潮が強い現状で国家が商業行為に手を出すことへの外聞はどう思われるか?」

「・・・成り上がりのゲルマニアと他国からまた騒がれるかと。」

「それに、既存の商会と競争することとなるのはあまり望ましくない。やはり、ここは物流網に安価な輸送手段を提供することにとどめるべきだろう。ギルドを通じて各商人に輸送する貨物量を割り当てるのはどうだろうか。」

「問題ないかと思われます。ですが、それだけで収益源になり得ましょうか?」

「そういうことだ。名は実態を表す必要が必ずしもないにせよ現状で外向きの名前にこだわる必要はあまりない。それはゲルマニア政府が決断すべき問題だろう。」

定期的なフネの往来は計画的な事業を可能とし、船団であること・護衛が付いていることなどから空賊への対応も基本的に考えられる。だが、収益については難しいものがある。試算してみなくてはわからないが風石などの諸経費も調査しなくてはならない。

最悪、国家事業として赤字を覚悟で行うべきかもしれない。貿易量の増大による税収増で相殺することも視野に入れれば最終的には収支がつくのかもしれないが初期投資がかなりかさむだろう。東方貿易で高価な交易用の物産品を運べた地中海世界と異なりゲルマニア内部で主要な交易品の利益率はそこまで並みはずれて高いだろうか?

それと、この世界はどの程度まで海洋に対する調査が進展しているのだろう。確かにフネは便利ではある。だが、そのためフネの航続距離に探索領域が限定されているのも気にかかるところだ。まあ、これらは今後の検討課題だろう。現在進めている懸案事項についてはやはり商人たちと協議しなくてはならない。そう思い、私はカラム嬢に以前面会した商人たちの中からヴィンドボナの調査に消極的にせよ協力を申し出た一派と協議する場を設けるように要望した。



{フッガー視点}

近く、ゲルマニア空軍が何らかの行動に出るらしいとの噂が在ヴィンドボナの商人たちの間でまことしやかに囁かれている。通常の買い上げ以上に物資を買い求め、いくつかの傭兵団が招聘されている。だが、奇妙なことに帝政ゲルマニア政府はこれらの動きを隠そうともしていない。政争ではないのだろうがでは何だろうか?

選帝侯らが訝しがっているとの噂があれば、逆に選帝侯らも積極的に居力しているとの評もあり状況はなかなか錯綜している。将来への目利きに優れる商人たちも情報を求めて奔走すれども、混乱が拡大するのみであった。そんな時、私の元に届けられた招待状に私は長年の経験が何かあると核心に迫れるような気がしてならず、指定された日時に会談に応じる旨をすぐに伝えた。


「急な日程に諸君が応じてくれたことに感謝する」

「いえ、私どもでお役にたてることでしたら何なりと。」

ヴィンドボナ近郊のそれなりの館に招かれた同業者たちはコクラン卿の調査活動に消極的にせよ手を貸したものばかりが集められている。このやり手の新興貴族が利権に簡単に釣られる俗物でないことはこれまでの調査でも、私の人物鑑定の経験からも間違いない。ならば、何か別の基準に使われそれに合格した私たちが呼ばれたと考えるべきだろう。

「本日、諸君に集まってもらったのは以前の話に関連してだ。」

集まった者たちの中から促されて、主席格の私が皆を代表して尋ねる。

「物流に関して、でありましょうか?」

「そうだ。諸君に以前訪ねた時、交易の拡大は危険が大きいことをあげていた。そこに安価に商品の輸送を行える商会を設立するとなれば、諸君のような商人たちにとってはどのような影響が出るかということについて意見が聞きたい。」

「恐るべき、競争相手にございましょう。商品の搬送にかかる費用は容易には削減しえないものでありますから。」

「では、逆にその安価に商品を諸君が運べる商会に荷をゆだねるということはどうか?」

「安価に、でありますか?それはどのようにして行われるのでしょうか。」

コクラン卿はこちらを試すような表情をされておられる。まるで、敏腕の同業者とやりあっているような感覚にならねばならないのは何故なのだろうか?貴族などというものは、概ねプライドだけが肥大化している生き物であるはずなのだが、このコクラン卿はしたたかな狐そのものだ。その皮を剥いで高価な商品にできるほどに敏腕な商人がいるとは到底思えないほどに。いや、むしろ我々が剥がれかねない。

「それについて話すには諸君にもそれなりの対価を求めなくてはならない。これは、ゲルマニアの新しい国策の一環であり諸君にはそれに乗るか降りるかが問われている。」

「ゲルマニアの新しい国策、でありますか。」

「そうだ。近く、空軍は空賊討伐を本格化させる。諸君も気が付いているかもしれないがすでに討伐の用意が始められているはずだ。」

安価な輸送手段。空賊の討伐?これを掛け合わせると何かが見えているのだが思考が迷走した螺旋からなかなか抜け出せない。経験からいってこの手の謎かけは愚者か賢者が行うものである。そして、相手は愚者とは思えない以上賢者と想定する方が安全だろう。

「この件については、これ以上語るのは差し控えよう。諸君にもここで決断せよというのは酷な話だ。少し時間を設ける。次の席までに思うところをまとめて決めてもらいたい。」

そう言うなり、コクラン卿は全く別の話題、現在の主要な交易品についていくつかの調達を希望してきた。量自体はさして大口の注文というわけでもないのでその場で持ち合わせのあった商人とコクラン卿の間で即座に契約が交わされ、その契約の締結を持って会談はお開きとなった。

だが、参加者の顔には疑問が張り付いたかのような空気が漂っている。「新しい国策」とコクラン卿は語っていた。その何かをつかみ、理解することができれば莫大な富のにおいがするのだ。長年の経験で培った鼻が、儲け話を嗅ぎつけている。何が何でも、詳細を調べ上げなくては。



{アルブレヒト三世視点}

ロバートの報告は国立運送会社に関する名称の問題とその運営経費、商人層への影響調査と現在段階で完成しているヴィンドボナ周辺の詳細な報告書と先行して調査が行われている地域に関するものであった。

「ふむ、これらは随分と面白い。確かに国家を運営していく際にこれほどのものがあれば計画を立てる上でも大幅に便利であろうな。」

余は提出された近隣の詳細を見つつその可能性に驚かされていた。だが、片方で国立運送会社の経費はあまり望ましくない額に膨れ上がっている。空賊対策は当初の計画通り、軍事費にはさほど影響が出ていないもののそれ以外が膨らんでいるのはあまり歓迎できないことこの上ない。余とて無限の財源を持つ訳ではないのだ。

「しかし、これはどうにかならないのか。」

「現状、あまり他の商人から権益を侵害しない形で進めてまいるにはこうせざるを得ません。選帝侯らの収益源である商人からの税収が減少するとなると選帝侯らの影響力は落ちるかと思われますが、現状では商人たちが潰れていくことのほうが問題です。」

「だが、そうやって育成した商人たちからの利益を選帝侯らにさらわれないか?」

「そのためのヴィンドボナを基軸とした体制構築です。中央を基軸化することで、相対的な設ける場としての選帝侯領を沈下させればおのずと商人たちは税をヴィンドボナに落とすようになるでしょう。」

そこまで見通せるのであれば、もう少し国庫をいたわれと余も思うところであるが、この男も万能ではないのだろう。だが、いくつか検討すべきものに対して道筋は付けられている。この方策によって空賊が沈静化できるのであれば許容範囲内である。ついでではあるが、中央の威光も多少は輝きを増すこととなるだろう。

「わかった。卿の計画を認める。卿はゲルマニアにおいて軍人としての地位を持っていないので、残念ながら今回は朗報を待つがよい。」

「はい。ですが、こちらに出向してきている空軍の軍人たちを一時本職に復帰させることは可能でしょうか?」

「構わん。討伐に合わせて予備調査を行え。」

まったく抜け目のないやつだ。



{フッガー視点}

ここしばらく、私はゲルマニア中枢の枢機に数多くの密偵をはりつかせていた。他方面へも多くのものを派遣し、ここしばらくは一瞬たりとも他者に後れを取らないように心がけていた。その成果である情報は空軍の基地へ出入りしていた物品納入に携わっていたものからもたらされたもので十分に報われた。

「定期航路と船団方式、それらを護衛する護衛のフネ数隻による大規模なもの。それが、コクラン卿の推進する新しい国策の中核を担う商会の運営構想であります。」

「間違いないのか!?それが事実だとすれば、私たちは競争から駆逐されてしまうぞ!」

もともと、ハルケギニアにおいて民間のフネは空賊の襲撃に対してかなり脆弱である。アウグスブルク商会のフネもその例外ではなく多くの商会と同様に快速のフネによる希少性の高い物品の搬送を主軸としてきていた。大規模な交易に適さない希少性の高い品々を快速のフネで扱っているのは快速を活かして空賊から逃げ切るためではあるが同時にそれらは搭載できる貨物の上限を狭めるとともに運送費用全体の上昇に悩まされていた。

だが、陸上のキャラバンのように船団が組まれるとなると護衛がつき、空賊程度の武装では容易に手出しができなくなる。それだけでも大幅にリスクが減少するのだが定期船団となるとコストがさらに切り詰められるとともに商取引上計り知れないメリットがもたらされる。いつ来るかわからない高価な品々よりも来るとわかっている商品を買い求めるにきまっている。だからこそ、大きな商会が小さな商人に有利に商売を進められているのだから。

「ですが、それほどのフネです。いくら利益が見込めるからと言ってそうやすやすと捻出できる額ではないと思うのですが。」

「なるほど、それだけの船団を組むだけのフネを調達するには難があるのだな?」

「私どもがお貸ししなければそれだけのフネを建造することも購入することもできますまい。」

確かに、それは一理ある意見だ。机上の空論をもてあそぶ宮廷貴族どもならうぬぼれた頭でさぞかし得意げに語ることであろう。その背後で我々商会の面々が笑えば良い話だ。だが、今回ばかりは嫌な予感がしてならない。コクラン卿は机上の空論を転がすものとは全く逆の存在だ。むしろ、すでに調達の目処が立っているからこそ商人への接近を始めているのではないだろうか?

「しかし、その情報をどうやって手に入れたのだ?」

「空軍の中で、年を取って軍をやめる平民の中から希望者を募っているところにはち合わせまして。そこで聞き耳を立てていると新しく設立される商会が平民にはお似合いだとメイジの方々がおっしゃっていました。そこから話を得てまいりました。」

「では、空賊討伐もその商会の交易路を切り開くために邪魔な空賊を排除するためか。」

確かに、空賊がいなくなることまで望めなくてもある程度でも抑制されるだけで商会にとっては大きな便益をもたらす。だが、空賊以上に有力で厄介な存在が生まれるとあっては手放しで喜ぶこともできない。

「ご苦労だった。少なくてすまないが、これで酒でも楽しんでくれ。」

コクラン卿との会談前にこれを知れたのが、せめてもの慰めになる。だが、本当になんという厄介な人物を相手としなくてはならないのか。貴族の相手など楽だと言える時代が本当に懐かしい。


{ロバート視点}

これで、三度目となる商人たちとの会合であるが最初のころに比べると随分と商人たちの私を見る目が厳しくなったものだ。たかが貴族といったある種の油断が完全に抜け落ちていて徴税に赴いた役人を迎えるかのように油断一つ見せない体制である。

空軍で流れてしまった噂は予想以上に早く商人たちによって収集されていると見てよい。この世界でも情報の重要さに気が付き、先を見据えられる商人がいるのはこれからのことを考えると信頼してビジネスに取り組めるだろう。それに、物流を商人だけが担えるのではないとその可能性を見据えさせることができたのも今後の交渉を考えると有効なカードになりえる。もはや、彼らの占有物でないのならば交渉も大いに譲歩させられる。

「さて、諸君。お集まりいだいということは、ある種の対価を払う用意があるということと受け止めて良いだろうか?」

沈黙。反論は出ていない。しかし、その参加者も沈痛な表情なのは少々薬が効きすぎたか。今後のことを思うと商人たちとも良好な関係を築いておきたいのだが。彼らとは物流網の情報と交換で、定期船団に荷を積み込ませる権利の配分に参加させることにしよう。双方にとってそれがよい落とし所となるだろう。

「安心してほしい。私は、パイを一人で食べるよりも諸君と食べることを望んでいるのだから。」

パイを人前で独占して食べるのは愚者の愚行に他ならない。特に、飢えた集団の前でパイを見せびらかす真似はその極みである。

「パイを一人で作るのは困難だが、諸君とともに作りそれを共に食したいと私は考えているのだ。」


{ミミ視点}

私は、あの男の代理という極めて遺憾な職分によって空軍の軍艦に搭乗していた。閣下からの指示によれば私は、貴族の一員として空賊討伐に志願したという名分でコクランの部下らを預けられるので予備調査を行っている。

ゲルマニアはその国土の大半が森に追われている。それまでは、そのために根拠地を発見するのが困難であると思われていたが、逆に言うとこちらの監視要員も空賊から発見されないという利点があった。だから、身代金を受け取って帰還していくフネを追跡するのは網を張っていれば大まかな方角がわかり、その方面を虱潰しに調べていけば予想以上にたやすく根拠地を捕捉することができていた。

それから後は一方的だった。夜間に乗じて先行していた傭兵たちが根拠地に火を放ち、そのかがり火と言うには、大きすぎる明かりを頼りに圧倒的に有利な上空から空軍の軍艦で上昇しようと足掻いている空賊のフネを制圧する。混乱しているところへ上空に空軍のフネが砲口を向けてきていれば大抵の空賊とて抵抗の無意味さを悟るところとなる。龍騎士か、メイジでもいれば上空への攻撃も手段がないわけではないが、抵抗を行おうとした瞬間に撃沈される位置にいるのだから当然のことだろう。

仮に、空賊のフネが見当たらない場合はそこに軍が展開しかつて誘拐されていた者たちからの証言と突き合わせて空賊の根拠地と判明次第焼き払われる。同時に少なくない量の風石はことごとく押収され帰還したとしてもそのフネは地面に這いつくばることとなる。その際に根拠地の中で、今後軍の拠点として活用できそうな場所を見つけてそれを記録するとともに、後方へ送るのが私の主要な職務となっている。

「それにしても一方的ね。まるでこれでは狩りだわ。」

「あの方は、狐を燻りだすのだとおっしゃっていました。」

私のそばに現れたギュンターは愉快そうに眼下で旗を降ろしていく空賊のフネを眺めている。空軍の軍人としては、忌々しい空賊があっさりとしとめられてうれしいのだろう。まあ、私も亜人討伐の際に楽であればきっと同じ顔をしているはずだ。

「それにしても、狐とはうまい表現ね。」

「巣穴を封じこみ、猟犬で追い回したあげくに法で裁くのが最終的な目的だそうです。」

「随分と周到に考えていらっしゃるわ。あまり、良い趣味とも思えないのだけれども。」

「理には叶っておりましょう。よほど無駄がない。」

確かに、あっけないくらいに簡単に片が付いているのはあの男の計画に半信半疑であった私としては衝撃的であった。カラム伯領で警備隊に努めているときも賊と戦ったことがあるがこれほど鮮やかに問題の根本を断ち切ることまでは思いいたらなかった。

「さて、拿捕賞金とやらがまた入ってきますな。」

「私としては、そろそろ本末転倒のような気もしてならないのだけど。」

そのような、私の思考を見透かしたか、ともかく良いタイミングでギュンターが空軍の軍人たちが意欲的に働く秘訣に言及した。空賊の根拠地にはたいていの場合いくばくかの財宝が貯蓄されている。それらは身代金として支払われたものが大半であるが、通常、それらはすべて国家の財産に回されることとなっている。だが、今回の討伐任務において仮に空賊のフネを拿捕することに成功するとそのフネの規模に応じて褒賞が任務参加者に与えられる。

なんと、傭兵にまで支払われる拿捕賞金制度の導入によって貴族の一部などからは空賊を襲って身ぐるみはいでいるとまで言われるほどに意欲的に討伐任務が進捗している。フネは手に入り、運営資金となる財宝を手に入れる。それすべてを空賊から調達するというのだから、あの男はメイジの錬金に相当する魔術的な手法を持ち合わせているのだろう。



{アルブレヒト三世視点}

余が、カラム伯より奇妙な男を受け取って一年が立った。カラム伯は誤解があったとはいえ結果的には余によい人材をもたらした。今、そのものから提出された報告書の内容に余は笑いが止まらないのだから。


『帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世閣下

ゲルマニア国土調査卿ロバート・コクランより謹んで報告奉る。

一、マリア・クリスティーネ・フォン・カラムより空賊討伐に関連して報告。

損害は、当初の予定内に収まり現在頑なに投降を拒絶する空賊を追討中。獲得せりし戦果はフネ大小合わせて14隻を鹵獲せしものを筆頭にそれらを二年運用するに足るだけの風石と17万エキューの純収入。撃沈せりし空賊のフネは22隻。同時に開放した人質は57名。また恩赦期日を過ぎてから拘束した労働力3000人強を辺境開発に動員可能。これらには技能労働者を含む。

二、ロバート・コクランよりゲルマニア国立運送船団に関連して報告

ヴィンドボナ近郊にある商会等の助力により空軍に編入された三隻を除くフネ11隻によってゲルマニア横断航路の定期便を現在試行中。辺境地域とヴィンドボナとの物流改善に対して概ね成功している模様。

三、同じく、国土調査に関連して報告

国土の主要な街道を把握。選帝侯など一部大貴族領に関しては詳細な調査が行えなかったものの現状でのゲルマニアの理解と行政効率の改善には役立つと判断される。

付記
現状の懸念材料として、ゲルマニア艦隊の追討から逃れようと複数の空賊が活動領域を隣国に移し始める傾向があり、根拠地を根絶することが困難になりつつあり。国境の監視を強めることを提言する。』

あやつめ、空賊からフネを本当に分捕りまんまと船団に必要なフネを調達してのけた。軍事行動が黒字だというのも初めてのことだ。国内の限定的な動員とはいえ数百万エキュー単位の出費が最終的に黒字となるとは予想できなかった。気前よく、拿捕賞金なるものをばらまいていて黒字であるというのだから『素晴らしい』一言に尽きる。味をしめた空軍はこの空賊追討がひと段落したのちも拿捕賞金目当てに折々の任務でこれまでになく空賊を探し求めているという。襲う側と襲われる側が逆転しているといってもよい。

いずれにせよ、思わぬ副産物を得たものの、当初の目的通りゲルマニアの地勢調査は完了した。今後は緩やかながらも確実に中央集権化の流れを強化していけばよいだろう。問題はこれからであるにせよ本格的な改革によって可能な限り他の貴族との相対的な力関係の差を強化し他国と対峙していかなくては。


{ギュンター視点}

コクラン卿の部下たちはコクラン卿のことをボスと最近呼び出した。貴族でありながら平民の引き抜きを行う変わり者かと思っていたが、あのボスについていくと大きな御利益があることがわかったからだ。親愛と、敬意を示すべき相手であるというのが儲けさせていただいた部下一同の総意である。

自分など、メイジでないにもかかわらずフネを一隻任されるまでに出世することができた。その上、空賊討伐という本来の目的とは異なる任務に従事した際の拿捕賞金でそれなりの邸宅をヴィンドボナに買うことまで叶った。拿捕賞金を最も稼いだあるフネなど一番下っ端の水夫連中にすら500エキューは下らない額の報奨金が振舞われている。

軍務を司るハルデンベルグ侯爵には合計で十万エキューが司令官の取り分として振舞われ、軍費の負担を嫌い参加しなかった貴族たちを歯ぎしりさせたという。特に、金策に苦しんでいる貴族たちの落胆は見事なものだったとのことだ。ハイデンベルグ侯爵自身も乗り気でなかったはずが、拿捕賞金が2万エキューを超えたことから、いつの間にか空賊討伐をこよなく愛されたという。これまで空軍に見向きもしなかったメイジたちが方針を一変させたというのが最近の軍内のもっぱらの話題だ。

「しかし、船長。どうしてボスは取り分を断ったのでしょうか?」

「さあな、ボスの考えることは俺にもよくわからん。ボスのことだから何か考えがあるのだろう。」

公式にはコクラン卿は国土調査がその職務であり空賊討伐とは縁もゆかりもない。せいぜいが平民上がりというのがおおよそのコクラン卿に対する認識でありごく限られた範囲でのみ知られた存在であった。

「しかし、ボスが名乗り出ないでいるおかげで貴族たちは疑心暗鬼に駆られていませんか?」

アルブレヒト三世の下に優秀な軍人がついたのだの、誰それがひそかにヴィンドボナについているだの現在の貴族たちはお互いの動向に戦々恐々としている。

「だが、名乗り出たら名乗り出たらで面倒だろう。あの人もメイジではないし何やらわけありらしい。」

「ですかね。まあ、名乗り出たら古いだけの国からろくでもないお客さんがわんさか来そうですし黙っておく方が良いかもしれませんし。」

「ああ、連中自分たちの無能を棚上げしてゲルマニアの陰謀だとか叫んでいるらしい。空賊の裏にはゲルマニアがいると主張してやがる。」

食糧輸入の都合上どうしても空路の安定に本腰を入れなくてならないアルビオンはその強力な艦隊を用いて本気で空賊を追いかけまわしている。内々にではあるが事態の遠因を引き越したことを理解しているならば助力するように求められているらしい。まあ、合同で対処しようと提案してきているため練度の高いアルビオン艦隊から何か学べるのではないかと空軍の一部はこれに好意的に反応している。

ガリアは沈黙を保っているがあの無能王は何を考えているかわからないだけにそれが何を意味するかは不明だ。だが、それらもトリステイン王国に比べればまだましだろう。トリステイン王国はお話にならないほどひどいというのが、衆目の一致するところだ。

「トリステイン王国が、責任者の首を求めてくるかもしれないという噂はシャレにならん。」

「国境沿いの貴族どもでしたっけ?伝統と栄光ある王国貴族とやらの威光は空賊にも通じないほど滑稽な有様でありながらこちらに責任転換してくるとは。」

「半分以上は、もともとトリステイン王国からの出稼ぎ空賊でしたよね?まったく厚顔無恥にもほどがあります。」

「こちらに頭を下げるどころか、下げさせようという鳥頭どもでは恥を理解できないのも無理はないでしょうが。」

部下たちの憤りを聞きながらギュンターは貴族というのは底抜けに最下位争いが得意な人種なのではないだろうかと真剣に考え始めた。いい加減な統治に間の抜けた政策を打ち出す程度ならよほどまともな部類の貴族というのが現状であるならば、自分の上司が本当に貴族かどうか誰かと賭けでもしてみる価値があるかもしれない。

空賊は、富があるところに集まる。当然、食うに困った連中はとってりばやく稼げる空賊に魅力を感じ集まってくる。そのような空賊たちにとってこれまではトリステイン王国はカビの生えた存在でしかなく魅力も乏しかった。

しかしながら、ゲルマニアにおいて大規模な追討が行われ、空賊を軍が猛烈に追い回し始めるようなるとゲルマニアでの略奪行は危険が高まる一方であった。当然、暴れれば根拠地に目をつけられ軍が飛んでくる。それを嫌った結果、空賊の中でそれぞれのゲルマニア外へと根拠地を移動させる集団も現れ始めた。根拠地をゲルマニア外においたそれらの空賊に対してゲルマニアは忌々しく思ったが、越境攻撃をかけることもできず国境を固めるにとどまっていた。

だが、空賊たちにとっても厳重なゲルマニアの哨戒線を突破することは多くの危険を伴うもので割に合わなかった。そこで、当然の帰結として彼らは自分たちの根拠地がある国で仕事をすることとなっていた。その影響を一番受けているのがトリステイン王国の国境地帯である。収益自体はさほど豊かなものではなかったが、危険度が遥かに低いために空賊たちは手数で利益を上げることに成功している。

「トリステイン王国はアルビオンほど差し迫っていないだけに団結もできまい。連中は、本当に救いがたいな。」

「いい、ボスに恵まれたことを素直に喜びましょう。」



{カラム伯}

最近空軍からの年季奉公人や流刑者の割り当てが急激に増大しカラム伯領の開発は急速にピッチを上げていた。特に、空軍からまわされてくる技能労働者は高価であるものの、これまで辺境では容易に調達できなかった部分を補える技師などが含まれているために辺境ではもろ手を挙げて歓迎していた。

「ようやく、亜人を討伐した地域に鍛冶屋ができました。これで、耕作の用具をいちいち運ばずに済みます。」

ここしばらく久しく聞いていなかった望ましい報告をベルディーから矢継ぎ早に聞くことができ、カラム伯は大変心穏やかに毎日を過ごせていた。近年では稀だった心穏やかな日々を過ごせていることを始祖ブリミルに幾度となく感謝している。

ここ、カラム伯領にも多くの技能労働者が割り当てられていた。帝都で出仕していることとなっている娘からはようやく近況報告代わりに軍務に従事している旨を記した手紙が届いている。それによれば、軍務での功績によって年季奉公人5名を特別に贈与されたらしい。だが、実際には軍務が多忙で軍営にいることが常態となっており使い道がないのでそちらで使っていただきたいとのことが記されていた。帝都にいる友人からは、娘が何か厄介事にかかわっている可能性があると忠告されているもののこの調子であるならば特に問題もないだろう。

最近は、ようやく商人たちもこのカラム伯領にまで足を延ばすようになった。このためにこれまではあまり手に入らなかった物品も多少は安く手に入るようになっている。概ね平和。亜人盗伐も最近はひと段落し息子たちもそれぞれ見通しが立ち始めている。カラム家の未来は明るいだろう。

そこまで考えた時、カラム伯は娘だけがまだ残っていることに深いため息をつきたくなった。親の贔屓目を差し引いても美しい子に育ってくれたはずだ。まだ、判断力や先行きの読みは甘かったり経験不足で会ったりはするが十分に優秀な能力も持っている。貴族の娘としてそれなりの教育もしてきたはずなのに、どこで間違えたか帝都に出仕する羽目になり気がつくと一年が経過してしまっている。そろそろ、初めての孫が生まれるだろうがその子が生まれるころまでにはできればミミの婚約相手も考えておかなくては。

好好爺とした穏やかな顔をしながら、カラム伯はゆったりとした一日を過ごしていた。



{ミミ視点}

「ええ、そうです。はい、艦隊の停泊地として新規に建設することを申請してください。民間との兼用になるので維持費は国立運送船団が出しますので初期費用のみ空軍の負担という線で交渉を進めてください。」

書類の山に包囲されつつもマリア・クリスティーネ・フォン・カラムはその同僚たちと懸命に決済に務めていた。

「え?はい、拿捕賞金の申請ですね。今回鹵獲した物品の一覧をこちらに記載して空軍の担当官に提出してください。」

空軍はこれまでになく積極的に任務に従事しているようね。今月に入ったばかりだというのにもうすでに撃破賞金の申請が2件に拿捕賞金の申請が1件。順調なことは結構なことだけれども、こちらの書類仕事が増えているのは正直、手放しに喜べるものでもないわね。

「コクラン卿への面会要望ですね。ミスタ・フッガーのご要望をお伝えし、後ほど日程についてお知らせいたします。」

商会との面会には可能な限り立ち会わねばならないので大変憂鬱です。虚無の日がお休みになったのはいつが最後でしょうか?

「ミス・カラム、フネの改修に関して報告書がまとまってきております。」

「ご苦労様です。ミスタ・ギュンターに確認をとり問題がなければそのまま改修に取り掛かるように指示なさい。」

さすがに、拿捕したままで運用するには問題があるとのことなので元空賊のフネも改修し使う予定なのですがこれまで私が指示すべきことなのでしょうか?空軍の専門家たちが処理すべき案件なのではという気がします。ボスの不在時には、責任者はあなたでしょうとさりげなく仕事をギュンターに押しつけられたような気がしてなりません。

「コクラン卿より、近隣の土系統のメイジについて詳細を調べ上げこちらで雇用が可能なものについては採用を始めよとのことです。」

「わかりました。別途予算等についてコクラン卿にお問い合わせしたい懸案事項についての書類を作成し、明日の定時連絡時に提出するのでその旨ご連絡ください。」

「その件についてなのですが、明日はミス・カラムに閣下より召集がかけられております。出来れば本日中にお願いできないでありましょうか。」

ああ、そうでした。監察の職務から解放されたわけではないのでした。当然ながら、報告義務が。

「わかりました。本日中に纏めますので少々お待ちください。」

そう言うや否や、ミミは目の前に積み上げられた書類に懸命にペンを走らせる。魔法学校の時に友人たちからペン運びが遅いと称されていたが、今ならば同期の誰をも驚かせることができるまでに習熟している。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

2/21 推敲して差し替えました。まだかなり量があるorz

2/25 差し替えの際に誤って抜け落ちていた部分を追加しました。
カザミ様ご指摘いただきありがとうございます。

見落としているとはorz



[15007] 第六話 新領総督ロバート・コクラン (旧第20話~第24話を編集してまとめました)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/03/28 00:14
{ロバート視点}

最近は、それなりに有意義な毎日になっていた。現在の私は、ヴィンドボナを離れ空賊討伐で新たに直轄領に編入された地域に総督として赴任している。この直轄領は暫定的に新領と名付けられて二週間ほど前に任されたばかりだ。

ここに至るまでに、さまざまな紆余曲折があったようだ。メイジでない私が一代限りではあれ貴族として任じられるのはかなり貴族からの反発が予想された。ゲルマニアでは資金さえあれば平民でも貴族になれる上にメイジである必要はないとのことなので、法的には問題がないとのことではあるが、伝統との兼ね合いがあるとのこと。そこで、急激に成り上がり者だと思われ警戒されることや面倒ごとが起きるのを私が嫌ったことと、下手に政治問題化させたくないアルブレヒト三世の利害が一致した。貴族でありながら、領地持ちではないことになっている。

そして、私の総督としての職務はこの地域の統括とされ、いかにも中央から統制されているように外からは見えるようにされている。だが、その内実は統括する領域内においては辺境伯と同等の権限を与えられ大抵の事象ついては自由に裁量することができるようになっている。外聞と内実が一致しないのはいつの世も共通のことだ。国土調査の任は解任され、今はそれなりの時間を自由に使える立場となり、前々からの関心事項をようやく楽しむことができそうだ。

アルブレヒト三世からは新領に関しては自由に開発してかまわないと保証を得ている。近隣の貴族たちには注意することが求められているだが。私の持ち込めるものを持ち込み自由に開発できるのですぐにでも発展するだろうというのがアルブレヒト三世の思惑らしい。ある程度、政治的な手腕を示すことも期待されているのだろう。少なくとも、隣人との折衝もできない人間とはみなされていないようだ。その上で、開発の進捗を見極めるつもりだろう。

しかし、開発についてであるが私はいささか困難が存在するのではないかと思っている。確かに、私の世界であった技術はこの世界のものを大幅に上回る分野が圧倒的である。だが、水の秘薬に代表される医療関係に関してはこちらの世界の水準は私の知る世界のものを大幅に上回っている。厳密には私の専門ではないが、知人の軍医が語っていた我が祖国の発見した新薬は従来では不治だった結核等にも有効とのことだが、このハルケギニアの水の秘薬はあらゆる疾患にかなりの効能がある。金銭的に余裕のある階層は老衰を除けば死因は毒殺か外傷によるものだとすら言う。

土のメイジたちの錬金についてもそうだ。土のメイジたちは物質を変えることができるのだ。私の世界の錬金術師たちが求めて止まなかった金を作れる者までいるという。さらに、物質を自由自在に変化させられるとも。一応、金の錬金は100%の純度を誇るものを作れるわけでもないらしい。だが、これらが国法で通貨偽造に使用した際に厳罰を科すことになっているのは当然の帰結ともいうべきだ。

このハルケギニアにおいては魔法がその他の手法よりも圧倒的に効率的である。そのため魔法に依存しない産業はあまりにも未発展と言わざるを得ない。競争しても勝てないのだ。積極的に投資されるはずもない。確かに、私の世界からその技術とそれを支える基盤を丸ごと持ってくれば魔法に依存するそれらよりもはるかに効率的だろう。

だが、私は技術者ではないのでせいぜい概念の伝授やある程度の模倣しかできない。それだけでも試行錯誤しなくてはならないだろうことは自明であるが、さらにこの世界の技術基盤はあまりにも私には異質で馴染みの無いものだ。自分が異邦者であるとこの上なく理解させられるものでもあるが、とにかく戸惑いが絶えない。むろん、知的好奇心を伴うものではあるのだが。

私にしてみれば当たり前に手に入るべきものが手に入らない。製鉄技術が比較的にせよ整っているとのことなので転炉を希望したところでそれが何なのかと尋ねられるありさまだ。原油などは燃料として入手することもかなわない。そもそも、この世界には蒸気機関がないのだ。動力として採用されているのはすべて魔法由来のものだ。

産業革命は大量生産をもたらし従来の手工業を粉砕した。それらは、圧倒的に早くそして安かったからだ。同時に、機械による生産速度の急激な向上はその材料資源と市場の獲得を巡る植民地獲得競争とその激化をもたらした。その植民地獲得競争や軍務ならば専門事項だが、まず産業革命を引き起こすことができないのだから私の手腕はそこではあまり揮えない。

であるならば、私ができることは産業革命以前の手本に習うことだろう。すなわち、古代ローマやヴェネツィア共和国の政策に。特に古代ローマの政策は驚くべき繁栄を産業革命以前において達成している。鉄道ができて初めて古代ローマ街道を上回る移動速度が部分的に世界で達成された。それ以前において私の世界でこれを上回ることは一度たりとも達成されていないというのは、大きな歴史的な事実であった。

このハルケギニアにおいてはフネが存在するために高速で国内を輸送する手段は鉄道ではなくフネの船団になるだろう。だが、その積載量は限界があり決して多くはない。経費をできるだけ削減しても輸送費用は鉄道に比べれば高い水準にとどまる。鉄道の代替としてフネが担えるものは不十分な範囲に限定される。やはり物流の主軸となりえるものはローマ式街道が一番有望だろう。整備の問題はあるにしてもやはり費用が少なくて済むと思われる。

だが、そういったことを考えるよりも今の私は最大の関心事項である魔法について調べることに没頭したい気持ちである。この分野に関する書籍はヴィンドボナの図書館で読み漁ったが、ベーコン以後の自然科学を厳密に研究しようと心掛けてきた学問に慣れ親しんだ身からすれば到底満足できるものではなかった。

ならばと、興味を持ったことを早速調べてみることを私自身で調べてみることを思い立った。最近ではようやくハルゲニア語でももっともらしい文が書けるようになっている。魔法について研究し、実際にメイジ達の意見を聞いてみるのは面白いだろう。そう判断してメイジから協力を募ろうとしたもののこれらは難航していた。

「魔法も使えない貴族になど仕えたくないということなのか」

ふと、愚痴にも似たつぶやきを漏らして私は届けられた書状を片付ける。

「研究対象にされたくないという矜持なのか。どちらにしても、研究するためには彼らの協力が不可欠なのだが。」

もはや、何度目になるか分からない協力要請への断り状に首をかしげつつ思案にふける。一番の関心事項に携われないのは残念極まりないことではあるが、私の関心事項はまだ複数あるのだ。焦ることもないだろう。幸いにも選択肢はまだ豊富にあるのだ。

さしあたっては、ゲルマニアが強く求めているこの地域の産業育成に絡めて何か興味をひくものがないか調べてみようと思う。現状で用意に取り掛かれる近隣地域はいくばくかの平地とそれなりの山岳地帯だ。探せば未発見の動植物もあるかもしれない。学術的にはそれほど興味あるわけではないが山岳地帯には鉱物資源がある可能性も高いだろう。こちらは土のメイジ達が専門であるというので彼らに任せてしまうつもりである。

いくらメイジが鉱物を作れるとはいえ、採掘の方がこの世界でも圧倒的に効率が良いとされている以上鉱脈の探索と採掘に力を入れておくべきだろう。もっとも産業育成上重要であることは間違いないが、いま一つ自分には興味が持てないのでこの手のものを任せられる専門家がいるならば専門家に任せてしまう。カラム嬢に任せたメイジ達の召集は上手くいっているようなので特に口出しすべきこともない。

だが、この世界において銃があまりにもお粗末であるのには耐えがたい。これでは狩りを楽しむこともできないではないか。そう思い、量産せよとまでは求めないが良い猟銃を作れる鍛冶屋を探したが見つからなかった。装飾銃などいらないのでとにかく実用に耐える猟銃を求めているだけなのだが。

猟犬の訓練もいま一つだ。貴族連中に狩りはさほど人気がないらしく優秀な狩猟犬の育成は行われていなかった。犬がいるからというので、染料程度は手に入るので正装を仕上げ、幾ばくかの期待を込めて狐狩りに出かけてみたものの、狐を追いかけまわすどころか野鳥に気を取られて狐に逃げられるありさまであった。おかげで私は一度狐狩りを試みただけで当分は狐狩りをあきらめる羽目になっている。あと、ひと月はヴィンドボナに出仕しなくとも問題はないらしいが猟犬の訓練が完了するのは随分と時間がかかりそうだ。

平野部の開発も検討しなくてならないがいくつか気になる部分がある。まず疫病だ。比較的この新領は北方に位置し疫病の媒介を行うものがいないと予想されるものの水の問題は深刻だ。きれいな水がなかなか見当たらない。山岳部は湧水が期待できるが、平野部はそうはいかない。人口増加を見据えると、長期的には水の問題は深刻だろう。土地改良事業には多くの時間と費用がかかるだろう。

平野部が発展し工業の中心となる前提を満たしていない現状では開発の重点は山岳地帯におく方が良いかもしれない。なにより、平野部には主要な人口密集地帯が存在しないためにまず人集めから始めなくてはならないのだ。一応将来的な拡張性を想定し、この新領を統括する城館は平野部に作ることにしているがその建築資材や技術者を呼び寄せている段階でしかない。

今のところ、私は山岳地帯のある小規模な城館を拠点にしているが将来的には別館のようにここを拡張するつもりだ。さしあたってはヴィンドボナから人を連れてきたが、統治を進めていくならば現地からも雇用を始めなくてはならないといったところか。



{アルビレヒト三世視点}

「余は常々、ある隣国を古いだけの連中だと思っていたが、腐っているとはついぞ知らなかった。あまりにも腐った言葉を吐くとは思っていたが本当に頭が腐っていたとは。」

余はつい先ほどの退出させたトリステイン貴族からの使者の口上を思いだし、あまりの馬鹿さ加減と配慮の欠如具合に盛大に嘲笑を楽しむことにする。だが一通り笑いが収まると、冗談で言ってきているのではなさそうな雰囲気の書状に思わず頭痛がしてくるのを感じた。救い難い愚か者との意思疎通は極めて難解であるというのが政治経験のもたらした普遍の鉄則のはずだが、意思疎通の存在を疑う羽目になるとは。なかなか斬新な経験だ。

曰く、ゲルマニアと空賊がつながっているのではないか。
曰く、否定するならば空賊をどうにかせよ。
曰く、それらを行わないのであれば空賊とつながっているとみなす。

ゲルマニアが空賊とつながっていると断定しているようなものだ。連中は本気でゲルマニアが空賊とつながっていると信じているらしい。ブリミルの名にかけて謝罪せよなどと言ってよこしている。

曰く、空賊への支援を打ち切れ。
曰く、捕らえた空賊を引きわたせ。
曰く、責任者を引きわたせ。
曰く、損害を補償せよ。

「それにしても貴族たちの連名であるとはいえ、やはり我がゲルマニアを見下した書状であることよ。こんな書状を送ってよこすとは。トリステイン王国には舐められたものだ。」

「まったくです。ですが、王国からの使者でなくあくまでも国境付近の貴族たちからの使者をトリステイン王国が扱いかねてこちらに回したのでしょう。トリステインでの認識はその程度かと。」

曲がりなりにも帝政ゲルマニアは一国の国なのだ。それを、あたかも下に見下し方のように貴族たちが要求を突き付けてくる時点でトリステインの認識が目に見えるようだ。

「戯言にいちいち付き合っておれんな。」

「しかし、あの王国の貴族どもは本気で我が方の仕業であると考えております。いかがなさるおつもりですか。」

トリステイン貴族との交渉を任せてあるラムド伯が同じような感情を味わっているのだろう。頭痛をこらえるような表情を浮かべつつ対応策について指示を求めてきた。何となしに、外務を任せ始めたころからすると急速に老けているようだ。

「連中の泣言など知ったものか。討伐してやるといったところで軍を入れるのは認められないとほざくのであろう?」

「討伐を口実に侵略するつもりかと疑われましょうな。」

「しかも、空賊が暴れるのにつられて農民どもが逃走し賊になったことまでゲルマニアに責任があると断じている。連中は交渉する気があるのか?」

連中、自分で討伐すらできないとはいえこのような理屈に至れるとは頭に問題しかないのではないだろうか。常識的な帰結が出来ないあのような愚者どもが隣人とはわが身の不幸を嘆きたくなる。まあ、愚者ならば料理しやすいとも言えるのだが。

「越境して侵入してくる空賊や山賊の討伐に苦労しているのはむしろゲルマニアなのですがそのような事実は、トリステイン貴族には理解できていないと思われます。」

まったくもってその通りだ。まともに働いていない王国の連中と異なりまともに働いているゲルマニア軍は苦労しているのだ。空軍が拿捕したフネは略奪行動の前であるからさして財源になるわけでもなくむしろ拿捕賞金で出費がかさむ。まさか、見逃せというわけにもいかないので頭が痛いところだ。

辺境伯などからは、山賊が流入してきているとの報告ももたらされているが、討伐しようにも流入数があまりにも多く対応に苦慮している。軍を国境全域に貼りつかせる和敬に行かないのだ。苦慮の策として、適宜間引きしているのが、一度は没落したメイジが混じった大規模な山賊団の越境が確認され、空軍を動員した山賊討伐まで行ったばかりだ。

「とにかく、ゲルマニアとしては関与していないと主張するほかあるまい。」

「わかりました。ですが、マザリーニ枢機卿に事実確認の使者を送っておこうかと思います。どうも、今回の使者についてマザリーニ枢機卿が知らされていないのではないかと私には思えてならないのですが。」

「かもしれぬな。その件については卿に一任する。」


{フッガー視点}

「では、コクラン卿によろしくお伝えください。」

「はい、確かに卿にミスタ・フッガーよりの誠意をお伝えします。」

コクラン卿は今回の功績によって新領を任された。当分の間、同地の統括に従事するのでヴィンドボナには顔を出さないらしい。現地の開発に必要な人間の紹介を求められたので幾人か気の利いたものを紹介しがてら、密偵を送り込んでおいたがやはり油断ならない。

つい先ほども、買付けの使者がやってきたが大量の建築資材と馬車を要望された。城館を築くとのことなので資材はわかるが、それにしては発注量が多かった。馬車の使い道と合わせて尋ねたところ街道網とフネの停泊地整備に使うらしい。即座に進軍路の整備を行うのかと驚いたが、規模が違いすぎる。完全に、流通の改善に傾注するようだ。

それと、表だってコクラン卿は山岳地帯の鉱物資源に興味を示していないようであったが、その部下がいつの間にかそれなりの土のメイジを集めていた。密偵を入れる間もなく、情報も限定されたものしか入らなかったが、かなりの規模で探索を行うようだ。新領の鉱山開発は国が独占的に行う腹積もりだろう。せめて、買付けでも行えればよいが交渉の材料が少ないのはあまり歓迎できない。

コクラン卿はパイを分かち合うと明言してはいるものの、それはこちらが協力することを前提としているものに限定してのことだ。こちらの協力に見合ったものしか差し出す気がないのだろう。難しい関係ではあるが総じて有益なものである以上、こちらからの行動は慎重であるべきだろう。コクラン卿の政策はかなり成功している。その手腕は確かなものがあるのだから利害関係に関してもこちらに一方的に損害だけを無思慮にもたらすとも思えない。

鉱山開発の利権について深入りするのは諦めるべきかもしれない。将来的にそれらを販売するためにはコクラン卿も我々との取引を望むことになるだろう。ならば、そこでお互いに利益をうまく配分できるようにできれば望ましい。

だが、コクラン卿は別方面で起きている事態を想定して名も出さずに新領へと赴任したのであろうか?空賊や山賊がゲルマニア外に流出したことで流出先の商業網はかなり混乱している。密偵たちからは他国の貴族たちがこれはゲルマニアの陰謀だと疑い騒ぎ始めていると報告してきた。このことは、今少し探ってコクラン卿に知らせておくべきだろう。



{ロバート視点}

産業革命以後急速に発展した工業が平野部での展開に適していたために山岳地帯は相対的に衰退したのが私の世界である。しかしながら、この世界においては依然として山岳部のほうが富になりえる物品が多い。初期コストがかさまないということも大きな要因となっているだろう。

なにより、私にとって山岳部での調査のほうが興味深い。プラントハンター達には及ばないにしても興味深い植物が見つかる山岳部を歩くのは楽しいものだ。護衛のために幾人かを連れて歩くのは気乗りしないものだが、私自身の自衛力はこの世界においては低い水準で、彼らに採取した物品を運んでもらうっていることを考えるならば感謝しなくては。

この地に赴任すると同時に、各村落に対しては布告を出し、それぞれ代表を仮の行政府に召集している。この期日まで少しばかり余裕があることを考えれば、遠出してみるのも良いかもしれない。この付近はともかくとして新領の大半はいまだに詳細を把握されてない。空賊たちを制圧する際にある程度の人口密集地域は把握しているもののまだ未調査の区画は広いと言わざるを得ない。早急に改善するべきだろう。

空賊から盗賊や山賊に転職した連中も多いらしく、山狩りを検討すべかもしれないと報告されていことも考慮するとそれなりの人数で出かけるべきだろう。一応、フネが空軍からの出向とムーダと名付けられた国立運送会社からの出向で3隻ある。現状では慣熟を兼ねて地形調査や村落探索は行っているものの、森にさえぎられると視界は限定されてしまう。これほどの材木があるならば燃料や資材として使うには困らないだろうが。とにかく、長期的には治安確保も重要な課題だ。だが、現状ではもう少し大まかでも探索の範囲を広げるべきかもしれない。

「ギュンターを呼んでくれ。申請のあった新領北方地域への探索について相談したいことがある。」

「かしこまりました。お時間はいつごろになさいますか?」

「彼とともに昼食をとろう。たしか、衛兵が訓練で仕留めた猪を持ってきてくれていたはずだ。彼らに感謝を伝えておいてほしい。」

森の恵みは豊かだ。山岳地帯で果樹畑を作り、酒造に乗り出すのもよいかもしれない。水の秘薬があるためにあまり関心が払われていない薬草やハーブ等を見つけられればよい特産品が開発できるだろう。山岳部と平野部を行き来する移牧も選択肢としては有望だ。両者を活用することでかなりの数の家畜が養えるだろう。現在のところ、羊か山羊を想定しているが場合によっては騾馬でも良いかもしれない。どこかの商会と契約し、技術供与を受ける代わりに物品を提供するのが一番実現しやすいだろう。

冷蔵設備はないものの、鮮度の問題は魔法で解決できるために乳製品もかなり期待してよいはずだ。さすがに、家畜の品質改良には長い時間がかかることを覚悟しなくてはならない。だが、それが成功し栄養価のあるこれらをうまく活用できれば栄養環境は大幅に改善できるだろう。

染料や、紙も検討すべきだ。特に北方方面には紙の材料となる針葉樹が豊富であるために大いに期待できる。それと、北方には海に面した地域が複数確認されている。残念ながらカラム伯領のように漁村は確認できていないが、将来的に海に進出するためにもまずは北方領域の調査を強化すべきだろう。湾口施設に適した地形が見つかれば、なお良いだろう。だが、懸念材料が報告されているので少し考えなくてはならない。



私の知識は限定的であるし、ブリタニカ百科事典も詳細な製造工程にまで微細に記述してある訳ではないにしても比較的山岳部で活用できるものは多いだろう。

正直にいって、大規模な投資を必要とする平野部の開発を放棄してしまいたいくらいだ。都市計画の作成を考えているが、ハルゲニアの人口を考えると山岳部の開発に留めたほうが良いのではないかとすら思えてくる。耕作に使える土地が限定されるとはいえ、食糧を必要とする人口が少なければ耕作地の問題はそれほど深刻ではないのだから。

だが、無作為に放置しておくよりはなにがしかの手を打っておくべきだろう。地質の研究や、水路敷設の資金調達について方策を考えておかなくては。そこまで地質が良くないようだが耕作可能地域はそれなりの広さがある。これらを自ら開墾したものに与えるという政策は問題が予想されるにしても、元手がかからず人口を増やせる上に開発も進むので中央と相談する価値があるだろう。

だが、中央に相談するといのはもろ刃の剣だ。土地配分問題化するのは面倒事ともなりかねない。穏便に、それとなくなにがしかの行政上の諸案件に紛れ込ませる形で処理させた方が差しさわりがなくて良いだろう。海軍で備品請求を行うコツでやってみよう。



{ギュンター視点}

「急な呼び出しですまないな。以前から鉱山開発関連で申請されていた新領北方地域への探索についてだが、これについて探索担当者としての意見が聞きたい。」

この新領でとれた産物を中心とした昼食を共にとりつつ、ボスが本日の本題について語り始めた。以前から、鉱脈調査にかかっているメイジたちから北方の探索が要請されていたことが今回の本題らしい。

「北方地域ですか?一応、空軍が哨戒しているのと近隣でアルビオン艦隊が空賊を討伐しているため空路は安全でしょうが山賊が問題です。」

この地域は街道が未整備であり、地形も厳しいために、山賊の獲物となるような隊商などには乏しい。だが、空賊とつながっていた村落の中で空賊からの収入が断たれたために山賊業に傾注し始めた村落がいくつかあると事前の調査では報告されている。また、山賊行に手を染めた村と一定の耕作地を持つ村同士での抗争も不確実ながら疑われている。

「それが懸念材料であることは報告されている。だが、山狩りを行えるほど警備隊や衛兵の数も質も整っていないのが現状なのだ。そこで、フネで何かできないか聞きたい。」

「残念ですが、それほど多くのことはできないと思います。傭兵を雇ったとしてもそれらが山賊になっては本末転倒ですし、地道に警備隊などを強化していくのが良いのではないでしょうか?」

「だが、この地域の調査にもいずれ取り掛からねばならない。それに、この地域が一番有望でありながら鉱脈調査にすら取り掛かれないでいる。」

実際に、この地域での鉱脈調査は危険が高いことと、未知の要素が多いことから鉱脈調査の計画も立てられないでいる。ボスがこの鉱脈探索を任せている土のメイジたちはこの地域が有望であることは間違いないが危険が多いとして調査に乗り気でない。まあ、口には出せないが、傭兵上がりのメイジは貴族どもと違って危険を危険と言えるだけまともではあるのだが。

「ですが、せめて地元から情報を集めてからでよろしいのではないでしょうか?」

「やはり、そうなるか。しかし、できることはやっておこう。今の段階で空から観察してわかることはどうだ。」

「空からわかることは大まかな地形程度でした。」

この方面に赴任するなりボスの指示で新領の大まかな地形は空からの調査で把握されている。せいぜい山や川の位置と海岸線を把握したにとどまるが。しかし、大まかな概観はすでに把握済みだ。

「この北方方面を重点的に私としては調査したいところなのだ。おそらく新領の大規模な開発にはこの地域が必要不可欠だと私は考える。」

「わかりました。現状で何が可能であるかを検討し後ほど報告いたします。」

現状で何が、可能か検討しよう。それと、猪肉に香辛料を使った料理は悪くない。空軍でも銃兵の訓練として猪狩りを検討すべきかもしれない。私としては鹿も考慮すべきだとは思うが。塩漬け肉にでもして、フネの食糧事情の改善にあてるべきだろう。



{フッガー視点}

ゲルマニアにおいて新領と呼ばれる直轄地域の開拓に関連し、ヴィンドボナの商人たちの間でどこどこの商会が何を請け負ったという新領関連の商取引が話題となり始めている。建築資材や労働者の斡旋などですでにひと稼ぎした商会などは早々と現地に店を構えることを申請し始めている。

コクラン卿は平民上がりだという。直轄領の統括を任された経緯を考えても、領地経営の経験があるはずがないと有能な補佐役の存在を疑ってはいるものの、今のところ側近と言えるような部下の中に領地経営の経験をもつ人材は見つかっていない。

一番、経験がありそうなところで辺境開拓に従事しているカラム伯家出身のメイジがいる程度だ。これほど老獪な手法が思いつけるほどの経験を持っているのだろうか?これは、どちらかと言えば、コクラン卿の手腕だと考えておくべきだろう。次の月にまで用意しておくように求められた人材や物品の一覧は密偵によればコクラン卿の強い要望によって決められたという。

一見すると、無駄な買い物が多いように見えるが、大半が将来への投資とみなせる買い物だ。今でこそ、費用がかさむにしても将来的には大きな収益を得られると確信していなくてはこれほどの規模で買い付けを行えるとは思えない。

今は試行錯誤の段階なのだろう。この段階で恩を売っておけば良いお得意様になっていただけるだろうが、そのためにも同業者との競争に打ち勝たなくてはならない。コクラン卿の手腕と将来性に気が付いている同業者はそこまで多くない。だが、逆に言うならばそこまで見通せる同業者なのだからそこまで少なくないだけで十分に厄介な競争相手である。

パイは大きいが、群がるものも多くてはなかなか思うようにいかないものだ。さぞかし、高くパイがお売れ遊ばされていることだろう。



{アルブレヒト三世視点}

「人口が増え、元手が不要で開発が進む方策だと?」

ゲルマニアの土地はいまだに多くの開拓の余地がある。問題は、その土地を開拓するだけの人手が足りないことにある。余としては、辺境開拓をできるだけ直轄領の増大と結び付けたいために積極的に中央も開発に乗り出させてきた。だが、その足を引っ張っている人口問題は長年の悩みのタネである。

元々が、都市国家の連合体として成立したにも関わらず、急激な辺境開拓を行っているゲルマニアは慢性的に人口が不足しがちであるという課題を抱えているといってよい。今でも積極的に新規移住者をゲルマニアが歓迎するのも人口問題に悩まされているからだ。

「はい。ある意味でゲルマニアの得意とする方策です。」

「わからんな。余としてはそれが得意であるなら今すぐにでも行いたいものだ。」

「ゲルマニアでは貴族の位を購入できます。それによって有能な人材を発掘するとともに国家の歳入に充てておりますが私の提言はそれに近いものであります。」

「つまり、どうするというのだ。まさか、ゲルマニアの平民になるために金を積むものもおるまい。」

ロバートは、余の言に心得たとばかりに笑みを浮かべる。こ奴が名乗り出ないために、余の懐刀を血眼になって探っている貴族や他国の探し求めている人物像によれば、悪魔に魂を売った謀略家とこいつはなっている。なんでも、嗤うだけでゲルマニアの悪名をハルケギニア全土に轟かしうるとのことだ。

「新教徒はいかがですか?彼らならば追手のかからない辺境部へ安全に移住できるならば喜んで払うと思われますが。」

「ロマリアの坊主どもが騒ぎすぎるだろうな。魅力的ではあるがその案は毒が強すぎよう。」

「では、新領で特定の区域を開墾しそこに住まうものに対しては土地を無償で与えるというのはいかがでしょうか?開墾に従事する者は税を5年ほど免除するとすれば大勢が集まりましょう。」

土地を無償で与えるとはこ奴は本気だろうか。それも平民に対して無償で土地を開放するとは。税を取らねば本当に収支が合わない。そこに、大貴族でも小作人どもを派遣してきたらそれこそ中央の強化にとって好ましくない事態だ。

「それでは、ゲルマニアの取り分がないではないか。何のための新領開発かわからない。」

「あえて、国有地にする必要もないのではないでしょうか?耕作可能地の地質や開墾にかかる費用等を検討すれば開墾にかかる費用を平民もちにできる上に税収の基盤となり得ます。」

「・・・つまり、費用がかからずに開発ができるというのだな。」

もともと、空賊が巣を張っていた地域を正式に版図に編入しただけだ。人口はさして多くはないが土地だけはある。国有地にしてただ時間を無駄にするよりは開発させ将来的にそこから税収を得たほうが賢い形かもしれない。だが、大貴族にその地域で利権を上げさせることはどうやって防ぐ気なのか?

「それどころか、人口が増大する上に発展し別の形での税収の増大も見込めましょう。」

確かに、人口が増えればさまざまな形で栄えるであろうし税収もふえるであろう。

「しかし、呼び寄せようにもそれでは少ない人口が新領に偏るだけではないのか?中央に反抗的な貴族どもの力を削げるにしても、やりすぎると政情が不安定化しすぎる。」

どこの貴族も人口流出を寛容に受け止められるかと言えば異なるだろう。少なくとも、良い感情は持たないうえに、流出が大規模にもなれば実力行使も辞さないはずだ。

「それに、大貴族どもから小作人が送られてきてその地を実質的に荘園化されても困るのだがな。」

「それらの点は懸念しておりましたが、人口については良い供給源を見つけてあります。そこからの供給に限定することで大部分の問題は解決できるかと。」

「良い供給源?」

「隣国です。それも弱小の割にゲルマニアよりも人口の密度の多い。」

その答えを理解した瞬間、余は笑いが止まらなかった。この提案は面白い。現在のトリステイン王国は空賊に山賊が暴威をふるい、治安が悪化し商人が取引を諦めて撤退していくという。治安の悪化は国土全体に広がりつつあり、資産を持った商人などが一部すでに他国へ移住を始めているという。それだけでもトリステイン貴族どもがうろたえ、余の気が晴れるというのにこの男はそれにさらに油を注ぐという。ゲルマニアは何もせずともよい。ただ、トリステイン王国に近い国境の街などで新領の噂を流すだけで自然と広まっていくだろう。

「一応、受け入れる街は直轄地に所在があるものに限定することで他の貴族らの勢力が伸びることも抑制できます。また、直轄地を結ぶムーダの船団で移住者を運ぶ予定なので、移動中のトラブルも最小限に抑えられる予定です。」

「素晴らしい。カビの生えた愚者どもが油を注がれた火のように怒り狂うのが目に見えている。」

合わせて、外交を担当している者たちが苦労することになるだろうがそれでも実害はゲルマニアにとってはないに等しい。ガリアやアルビオン方面への噂の流出を抑えることは難しいがガリアとて多くの未開地域を抱え、アルビオンは移住自体が困難だ。ロマリアからの移住者が懸念される点を除けば問題はトリステインの暴発が予想される程度か。

「問題は、そこなのです。理性的にじり貧を予想し賭けに出てくるか感情的に暴発するかは不明瞭ながらも戦争になった場合得るものが限られるか最悪、財政が傾きます。」

「戦えば勝てるのであろう?」

「軍の数では絶対的に勝っているので負けることは考えにくいかと。ですが、征服するほどの価値がある土地でもないかと思われますが。」

増強された空軍の艦隊に、元から圧倒的な陸軍の差がある。しかも、こちらは後方の暴動や治安をさほど不安視しなくてよい。辺境開発に際して、かなりの自衛戦力が必要であるために、かなりの規模が後方にも必然的に展開している。だが向こうは遠征そのものが危険を伴うだろう。この状況で負けるのはよほどの無能であっても難しい。最も、ここで負けるから無能と言われるのかもしれないが。

「だろうな。征服したところで賊がうろつく貧しい土地を得るだけだ。そうなると笑うのはガリアであろう。」

ガリアこそが、ゲルマニアの最大の脅威と言ってよい。トリステイン王国と心中する羽目になるのでは釣り合わない。

「収支をつけるため、ロマリアに働きかけることは可能でしょうか?」

「ロマリアから貧困層を買うのか?坊主どもは相当高く恩を売りつけてくるぞ。」

確かに、ロマリアには働き口の無い貧民が多く、ロマリアの坊主どもがいやいや援助していたはずだ。連中ならば厄介払いを喜んで行いつつ盛大に恩を売ってくるだろう。慈悲だとかブリミルの名においてと称して。

「ですが、最終的に収支は合うはずです。ゲルマニアがロマリアから人を受け入れていると知ればトリステインの貧困層は自然とロマリアを目指しましょう。先のものよりも多くの人口を得ることができます。」

「さらには、ロマリアとの関係を強化できるということか。」

「さらに、ロマリアに形式上にせよ援助を求めている形をとれば責任もロマリアに大部分を押しつけることが可能です。」

形式上、ロマリア皇国は特別な地位にありゲルマニアの開発に協力するというもので申請する。向こうは厄介払いと名声に加えて実利をあげられる。乗るとみて間違いない。

「素晴らしい。ゲルマニアは何も汚名を被ることなく利益を得られるであろう。その案を認める。ただちに取り掛かれ。」



{ロバート視点}

懸念していた労働力の問題は案が認められたためにかなり楽に解決できる見通しが立ったと言える。忌々しい、アメリカのまねごとをするのは気に入らないが実利にかなっている以上いたしかたない。移民政策については、祖国も苦々しい経験がある。まあ、厄介払いが出来たと思っていた移民たちがあれほどまでに活力がある国を作っていたということは祖国の失策に数えられる事態だ。まあ、アメリカ人自体は気に入らないにしても特別な関係であるので評価しづらいのだが。

そのことは早めに忘れるとしよう。今は、狐狩りのための猟銃を作成できる人材を筆頭にゲルマニア新領の開発に必要な専門家や技術者を集めなくてはならない。

アウグスブルク商会といくつかの商会に依頼してあったがこちらの要望にかなり応じられたとの返事が来ている。正式な商談を纏めれば、新領の発展は軌道にかなり乗るだろう。そう考えていると、控えの間で待ち構えていたらしいカラム嬢がこちらを見つけるなり声をかけてきた。

「コクラン卿。明日の会合についてですが、私も出席させていただくことは可能でしょうか?」

「ミス・カラムならば構いませんが、どのような理由で?」

「商人との付き合い方や領地経営の勉強になるかと思いまして。御迷惑でないとよいのですが。」

なるほど。確かに、あまり外に漏らしたくないやり方もある。だが、私にしてみれば優秀な副官がその能力を向上させるのは歓迎すべきことであるし、この分野について任せられるという選択肢ができるのであればそちらのメリットが大きい。

「いや、気にしないでほしい。時間があるときで良ければ私に聞いてくれても構わない。」



{ミミ視点}

副総督としての私の職務は、主として雑用係です。なぜかというならば人手不足であるからです。一年ほど前に貴族でもメイジでもない平民の採用に私が異議を唱えたところ、ありがたくも上司は『ミス・カラムが働きやすいようにしてくれて構わない』とおっしゃってくださいました。今となってはあの時の判断を後悔しております。始祖ブリミルよ、我が無知をお許しください。

だいぶ前から平民の採用を始めたのですが、読み書きができて信用できる人材がそう簡単に集まるかというと違うようです。過酷な業務の噂が先行して志望者が減るという悪循環に陥っているような気がします。父上がどうして、あれほど領地経営でお悩みになっておられたかようやく理解できました。

「ミス・カラム。編成の完了した歩兵隊の練兵を兼ねて北方へ長距離行軍を行わせるのでその用意を頼む。」

「かしこまりました。どの程度の行軍を予定されていますか?」

「軽装歩兵だが、街道を敷設しつつ行軍させる。さしあたっては先日報告された鉄鉱山までを想定してほしい。」

ようやく、編成が完了した歩兵100名に建築用資材と食糧を手配し、命令書を作成し、補給の手配を行わなくてはならない。手配と配送だけで、いくばくかの人員を割かなくては。

「それと、ムーダからまわされてきた停泊地拡大の要請だが、最大で標準規模の定期船団が追加で停泊できるように取り計らってほしい。軍団兵を使って構わないので可能な限り早めに完遂してほしい。」

停泊地は現在、フネ三隻に対応。空軍からの出向が1隻とムーダからが2隻。仮設のものとはいえ、これを標準船団の5隻が追加で停泊できるように拡張?平野部に設置しているとはいえ整地に受け入れ設備にと手当てすべきことが少なくない。いくら、軍団兵が仕えるとはいえ、資材等はこちらで用意しなくてはならないのだ。

「最後になるが、予定では来週ヴィンドボナから到着することになっている農業技術者らの受け入れの用意にかかってほしい。」

「わかりました。規模はどの程度でありましょうか?」

「バルフォン商会によれば15人だそうだ。滞在期間は3年の契約だ。延長契約を結べるように、できるだけ好待遇で迎えてほしい。」



{ロバート視点}

朝の定例会議で伝達事項をいつものように優秀な副総督に伝えると、私は以前派遣した歩兵隊から、鉱山まで到着した旨と、仮設道の敷設についての報告を受領し、午後から到着する予定の農業技術者との面会時間を指示したところで、血相を変えた伝令の到着によって次の言葉を遮られた。

「ギュンターからの急使に間違いないのだな。」

部下に確認させつつ私はギュンターからの竜騎士によって差し出された北方の情報収集に関する報告書に目を通す。その予想通りの碌でもない結果に渋面を作らざるを得なかった。もともと、数少ない竜騎士を伝令に使うのは非常時に限定してある。だが、この報告は予想の中でも最悪に等しい。

「ギュンターはいつ帰還するか?」

「ミスタ・ギュンターでしたら今日の午後には帰還されるはずです。」

伝令として派遣されてきた若い竜騎士に労をねぎらい、帰還次第出頭するようにと伝言を託す。

「ネポス、大至急ヴィンドボナへ使者を送る。文面は、『新領北部地域に亜人の南進動向を認む』だ。」

血相を変える文官に、こちらまであわてては事態を悪化させるだけなのでできるだけ冷静に告げるようにする。

「ギュンターの報告によればオーク鬼の群れだ。かなりの北方に位置し今すぐに脅威になるわけではないのが救いだが、南進されると山が時間を稼いでくれるとはいえ一週間以内には開発中の鉱山区画だ。空から叩ければよかったのだが、帰還中で風石が乏しくさして叩けたわけでもなさそうだ。」

「では、警備隊を出しますか?」

「先行させた100名では厳しい。当然増派だ。今後のことを考えると使いたくないが、最悪傭兵団の運用も視野に入れて予算を立案せよ。鉄鉱山は手放すわけにはいかないし、居住地域に亜人を接近させることも論外だ。」

オーク鬼は単独で手だれの戦士5人に相当するという。歩兵隊は100人だが、オーク鬼の群れを相手にするには荷が重いと言わざるを得ない。新領の警備隊には、火砲の配備も計画されてはいるものの計画の段階で難航しておりオーク鬼の相手をできるのは実質的にメイジか兵士の数に頼った方法しかない。防衛側が有利とはいえ、これはかなり負担が大きいだろう。

「コクラン卿、私は実家で亜人盗伐の経験があります。私にお任せ願えませんか。」

「ありがたい。私はフネを率いてせいぜいできることをすることにしよう。オーク鬼と対峙する際に警戒すべきことなど新領の警備隊は不慣れであろうからお任せする。どの程度増派すべきと思われるか?」

「こちらの戦力を惜しまないならば300程度増派し、数で押し包むべきです。メイジの前衛に万全を期せばその程度は必要になります。仮にフネから魔法で攻撃するとしてもその半数は、鉱山防衛のために増派すべきです。」

「わかった。今回は、後者の案を採用するとしよう。ただちに取り掛かってほしい。」



{ギュンター視点}

その集団を見つけたのは海岸線沿いに北上する調査航行の帰路のことだった。より正確を期すために言及するならば、作成した地図に書き込みを加えつつ船長室で報告書を起草している時のことだ。

「船長!南の川沿いのほうです。動く集団を確認しました!」

「今行く!」

すばやく防寒着をまとい、デッキへと飛び出したところで部下の指さす方向をにらみつける。確かに何かが集団でそれなりの速度で動いている。人の集団だろうか?

「高度保ちつつ接近しろ!総員を見張りにつけろ!!」

メイジが含まれる山賊であることを警戒し、一定の高度を保つように指示しつつ確かめるべく接近したその集団は山賊以上に一番会いたくない連中だった。

「亜人だと?それもオーク!まったく面倒な!!」

思わず悪態をつき、一人しか乗っていない竜騎士を呼びつけるとすぐに伝令として派遣する。快速の船なら一日。山岳地帯であることを考えても亜人の足なら一週間もせずに最寄りの進出部にオーク鬼が到着する。連中と遭えばただでは済まない。まして、鉱山の中にはいりこまれた場合、排除は至難を極めるだろう。

「砲撃だ!メイジは魔法攻撃の用意。風石の残量が乏しいが、せめて一撃与えるぞ。」

もともと調査航行用にさして砲弾を搭載しているわけでもない。せめて、散弾か鎖弾でも積んでいれば、対地攻撃で大きな戦果が期待できるのだが航続距離を伸ばすため重量物はおろしているために緊急時に必要な自衛用の分しか積んでいないのだ。メイジも風系統のラインなどが風石を補うために乗っているのが大半で十分な打撃にはなりえないだろう。

この森の深さだ。一度見失うと次に遭遇できるのがいつになるのか全く分からない。上空から一方的に攻撃できる機会を活かせそうにないことに舌打ちしつつも、発見できたことを始祖に感謝した。

「砲撃用意完了!」

「攻撃開始!」

放たれた砲弾と魔法攻撃がオーク鬼集団に叩きこまれる。だが、その火力は万全には程遠く、数体を吹き飛ばしその同数を傷つけるにとどまった。めったにない好機を逃した口惜しさで帰路は苦々しい時間であり、帰路途上で帰還完了直前に合流した竜騎士から即座に討伐隊が編成されたことを告げられるとその思いはさらに強くなる。

「砲弾・火薬と風石の積み込みを急がせろ。補給作業が完了次第討伐に出るぞ!」



{ロバート視点}

亜人討伐は、できるだけ犠牲を払わずに遂行したいと思っていた。貴重な常備軍をオーク鬼と殺し合わせるのは不毛極まりない。しかも得るところが何もないのだ。守るべき鉄鉱山が重要な資源の産出地であり、北方への進出拠点出なければ放棄したいほどだ。

あの地域に展開しているのは、こちらからの歩兵隊に試掘を行っている土のメイジらの調査隊で200人弱だ。いくつか、人の手が加わったものが発見されているため、村落の存在が期待されたが、何度かの探索にも関らずこの周辺には進出している人間は確認されていない。かつては村落だっただろうと推察される廃墟と、白骨化した遺骨の中に亜人のものと思われるものが含まれていることなどから調査隊によって、亜人の南下が活発化する冬季にこの周辺で冬越えをするのは不可能であると断定された。

亜人が食糧を求めて時折南下してくるとなればこの進出部は安全ではないということだろう。このあたりで鉱山部に一番近い村落でさえこれまでは徒歩で二日は必要だったという。主要な村落と城館の建設予定地を仮設の街道を歩兵隊の訓練も兼ねて敷設させていたので、予定では増派の歩兵隊はぎりぎり6日以内には鉱山防衛に取り掛かれるはずだ。

だが、今後の防衛や亜人対策を考えるとこの鉱山地帯よりも北側へ進出するのは相応の軍事力と出費を覚悟しなくてはならない。だが、それでも労力に見合ったものが得られるだろうか?この近隣で防衛線を構築し亜人の浸透を防ぐことのほうがまだ経済的だ。この鉱山の近辺には水源があり要塞を建てれば防衛は容易になるだろう。

「ギュンター、鉱山部周辺に人間が住んでいないのは間違いないのだな?」

「一番近いアグドの村でさえ二日は離れています。それに、アグドの住人は北へは狩りに出ないそうです。」

「結構だ。念のため、竜騎士を出してアグドの村で北側に出ている者がいないか確かめておいてほしい。」

亜人討伐に巻き込み北方の進出拠点付近の貴重な労働供給先に感情的なトラブルが生まれるのは避けておきたい。なにより、武器を持たぬものを守れぬならば高貴な義務を果たせたことにはならない。仮に、彼らが祖国の民でないとしても、私の職制として守るべき民なのだ。

「伝令を出す際に、合わせて樵を何人か借りたいのでその旨も伝えさせること。ただし、協力を求めるときは高圧的にでるなよ。フネが上空を通過する際に拾えるように手配してくれ。」

「わかりました。何か、お考えがあるのですか?」

「なに、消極的で、しかも面白味の全くない方策だ。火なら有効なはずだ。私自信、この程度しか思いつかないというような碌でもない案だが試してみる価値はまああるだろう。」



{ギュンター視点}

「火ですありますか?」

確かに亜人には火が効くだろう。だが森に一度火がつくと抑えるのは困難を極める。短期間に消火するのは困難でかなりの延焼を覚悟しなくてはならない。突拍子の無い案に驚いていては空軍の士官として失格かもしれないが、これは驚きだ。なにしろ、貴重な木を焼き払いうというのだ。

「ああ、鉱山北側一帯をことごとく南進してくる亜人どもと一緒に焼き払う。」

「それはまた豪快な。」

「ああ、針葉樹は惜しいのだが。一応、東部やここまでに来る途中の山にも木材は豊富であるから今回は仕方ないだろう。」

見事な針葉樹はよい木材になる。フネの木材にせよ、日々の燃料にせよ、森は生活に不可分なものなのだ。当然、それらは新領の貴重な産物であり伐採に関する規制を検討していた矢先だった。それを自分自身で焼き払うことになるとはボスも面倒なことに直面するらしい。

「ですか、どうされるのですか?風向きがいつ変わるかわからない状況で火を放った場合最悪、南側まで延焼しかねませんが。」

「それは、考えてある。あらかじめ鉱山近隣の木材を伐採し延焼を防ぐ。アグドの村はもともと山火事対策を行っているはずだが、それをさらに拡張させれば最悪には備えられる。」

「つまり、延焼しても村が燃えないように計らうのですね。」

「当然だ。ことが終わったら、到着した農業技術者たちを呼んでこの辺に適した農作物を調べさせて耕作を拡大する用意に取り掛からせろ。森を焼き払って広大な穀倉地帯を獲得したと思えば、我慢もできる」

「東西への延焼は大丈夫でしょうか?」

だが、北側はともかく近隣の貴族領への配慮は足りているであろうか?亜人の被害よりも延焼の被害のほうが場合によっては高くつきかねず、その場合の処理は厄介を極めかねない。ボスが軽々しくそのような事案を見落とすとも思えないが確認するのが部下の務めだろう。

「新領より西に他の貴族領はない。海に面するのだからな。東側はギュンゼル男爵領だが、その前にこちらの川が三本も都合のよいことに流れている。一応、延焼対策としては十分だ。」

「なるほど。確かに川ならば延焼しようにもかなり難しいでしょうな。」

「それに、今の季節は冬にかかろうとしている。当然、風は大陸から海へだ。ここならば東から西へと吹くだろう。」

確かにそうだ。この時期、アルビオンへの船団は追い風を受けている。経験上この時期は夏とは逆の風が吹く。まだ、肌寒いに留まるがもうすぐ冬だ。風は吹かないか、吹いたとしても問題ないものになるだろう。

「なるほど。それならば確かに問題ないでしょう。問題は火をつけられるかどうかになりますが。」

「火のメイジ達は少数ながらも精鋭だ。火つけに使うのはもったいないほどの実力者だと私は確信している。」

それもまたその通りだ。あとは、延焼を防止するための用意次第だろう。



{ミミ視点}

「火計ですか?」

亜人との戦いを想定し、入念に戦い方を検討していた私は船長室で差し出された地図を見ながらそこに書き込まれている火計の案に思わず呆れてしまった。北方の未開拓で放置されている無人地帯の大半が焼かれることになる。

「確かに、その、有効であるとは思いますが、これほど焼き払ってしまって構わないものなのでしょうか?」

「幸いにもこのあたり焼き払う予定の区画に人間は存在していない。」

「ですが、貴重な木材資源を喪失することにもなります。」

「森が亜人の発見を妨げていたことも考えるとこの区画を焼き払うことはむしろ理にかなっている。延焼の防止もすでに検討済みだ。」

北方のかなりの部分まで延焼するとしても問題がないと書き込みには記されている。だが、これはオーク鬼の群れを相手にするとはいえ大げさすぎるのではないだろうか?貴重な木材を亜人と引き換えに焼き払うのは理解に苦しむ。さらに言うならば、これは亜人討伐ですらない。

「私は、亜人と戦いに来たつもりでした。」

「亜人とまともに殺しあうのは私の趣味とするところではない。幸いにも、最良の地形亜人は侵入しているのだ。ミス・カラムには申し訳ないが、ここは焼き払っていただきたい。」

「ですが、この手の策はもう少し大勢の亜人を相手にするときに取っておくべきではないでしょうか?」

オーク鬼の群れ程度ならば今の戦力でも十分に叩けるのですが、大規模な移動がはじまると本当に苦労することになります。一度、父上が軍にいた時に直面されたのは軍団規模のオークが南進してくるところであったそうです。この策は今後のことを思うと取っておくべきなのでは?

「亜人の生息数自体がこの地域はそう多くはないのだ。幸か不幸かこれまでは、食糧が足りなかったのだからな。予定では、それらの巣まで焼き払えるかどうかは微妙だがあぶりだすことも念頭に置いている」

「つまり、根を張られる前に追い出すとおっしゃるのですね。」

「その通りだ。連中には北に帰ってもらう。一応、追撃をかけて数を減らすつもりでもある。追撃時に全力を揮ってもらうことになるな。」

「わかりました。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

微妙に編集しつつ喉の痛みを紛らわすためにのど飴を投入する生活。
何故か判らないのですが、最近喉が痛くてたまらない・・・。

現在進行形で喉が痛いです。
肝心の編集はまあ、ぼちぼちと行っております。
微修正で済むところとそうでないところがあるので
話の大筋は変わらないのですが細部が変更されていたりします。



[15007] 断章4 ゲルマニア改革案 廃棄済み提言第一号「国教会」
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2009/12/30 15:29
帝政ゲルマニアはその基本を都市国家に置いている。

そこの構造上中央集権の推進には多大な労力を必要とし、必然的に外部からの介入を受けやすい構造を有している。

このため、これらの諸問題を解決するとともに始祖の血をひかない皇帝の地位向上を目的とした方策の一環として権威強化を試みることで中央の影響力を強化することを提言する。

その具体策に関しては以下のとおりである。
一、既存の宗教者の腐敗を活用して、既存宗教組織への不信感を高揚させる。これを悪化させるべく、宗教者に大きな利権を貧民救済のために分け与える。後に、その使い道を糾弾するなどし、その不正をただすことで中央への求心力を貧困層より得る。

二、比較的現状を変革せしめんと努力する宗教家らと接触。現状への改革に手助けを行うとする。可能ならば、彼らには既存組織の改革という問題に対して過激に行動することなく組織内で穏便な改革路線を堅持させること。大規模な宗教戦争は望ましくない。

三、ロマリア本国において腐敗の程度を悪化させること。可能であれば、穏健な改革派を異端であると指弾し、追放または査問することに持ち込めれば最善である。その動きを促進するために、過激な改革派による暴発は一つの選択肢と認識すべきではある。宗教戦争は望ましくないので局地的な暴動が許容の限界であり、それはゲルマニア外であることが必須条件となる。

四、上記の如く事態が推移した段階を持ってゲルマニアに存在する教会の中から比較的改革の必要性を認識しつつもロマリア本国への不信感や異端と指弾され、生命の危機にさらされている者たちを糾合し、分離を促進。ロマリア在住の信徒から一部をこちらに招くことで腐敗の噂を流布することを並行して行う。

五、皇帝によりロマリア本国に対して腐敗を是正するように提言。おそらくこの段階において懸念されるのはガリアの介入のみ。民心を固めておくことが肝要。ガリアよりの介入以外は軍事力によって排除が可能であると思われる。これをロマリア宗教庁が拒絶した段階で新教徒への弾圧の事例を提示。その威信を揺さぶる。

六、混乱に乗じて分離運動を行っている一派と接触し、「信仰の擁護者」として真の信仰を守ると宣言。これをもって、ゲルマニア内における宗教的権威を活用し、中央集権にくみするものとする。この分離独立運動を行っている一派を以後国教会とし政治との距離を保たせる。

これらにより、ゲルマニア内部における外的干渉要因を排除すると共に貴族らに対する影響力の拡大を図るものとする。


追記:当該案は社会変動を過度にもたらすものであり、その影響が予想の範疇にとどめることが極めて困難。アクターが複数に分かれるため実行を開始するとその後の変更も覚束ないため計画は取扱いに極めて慎重を要する。また、ガリアの介入という不安要素を排除しきれないのが重大な懸念材料である。ロマリア宗教庁の腐敗に関しても現状ではロマリア内部で粛清が行われることで逆に権威再構築に活用される可能性が介在するためリスクが大きすぎると判断。

当該提案は廃案とする。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
裏書。

いや、改革するのっていろいろ考えて書類出して検討してと大変なんだよとおもって裏側をちょっと演出してみました。

督戦隊?
今、ちょっとお出かけ中。機能から前々からの予定があったらしい。
平和です。( ̄ノ日 ̄)



[15007] 第七話 巡礼者ロバート・コクラン (旧第25話~第30話+断章5を編集してまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/07/25 23:08
{アルブレヒト視点}

「新領総督ロバート・コクラン卿、その統治に際し不手際があると認める。」

余は、一人の参列者として沈痛な表情を浮かべつつ脚本通り劇が進展していることに内心満足している。

ヴィンドボナの宮廷貴族どもが居並ぶ前で壮大にして、無駄極まりない滑稽な茶番劇が繰り広げられていた。
予算の無駄というべきか、時間の浪費というべきか。人生の大半をこういった宮廷陰謀に費やす連中の人生に何と価値の無いことか!
その首魁である余が座る皇帝の席、何と虚飾の栄光に満ちたことか。余は、ただブリミルの血を引いていないがゆえに他の諸王に劣るという。

「亜人討伐においては、辛うじて撃退に成功したことを認める。しかし甚大な被害をもたらし、その備えるべきところを怠り、甚大な火災によってゲルマニアの財貨を喪失至らしめた罪は大きい。」

「もうよい。」

さらに続けようとする者を不機嫌そうに遮り、心にもない沈痛な表情で遺憾をあらわにした口調をとるように努め、悲しみに満ちた声を作る。
まったくもって時間の無駄ということを考えるならば、これほど悲しいこともないので演技に苦労しないのは不幸中の幸いというものだろう。

「余は、汝に新領の調査と開発を命じた。」

居並ぶ貴族どもが余の心痛を察するとばかりに一様に押し黙り、一葉の絵として残せば後世になにがしかを伝えるであろう重い空気が立ち込める。その内心はともかく、この場において余は断罪者として振舞うことが求められている。
可能ならば、ゲルマニアに寄生した狗どもこそ首を刎ね飛ばしたいところであるが、狗は狗で使いようがあるのだから我慢も肝要であるのだろう。自分の安いプライドのために振舞える隣国のアホどもの精神がこの時ばかりは羨ましい。
まあ、知をとるか、連中のようにアホになるかといわれれば前者を選ぶところであるのだから、世界は存外思うようにならないものだ。

「だが、汝は余の命じるところを全うしえず、多くのものを失った。」

さも大げさに噂を流布したおかげで領地経営の経験がない新興貴族が任されていた統治に失敗し、新領では大規模な山火事によって多くの財貨が失われたというのは隣国にまで伝わっている。
メイジでない者に対するある種の排除意識と、宮廷貴族の無聊の慰みとして新興のロバートに対する責任追及の声が上げられ始めるまでにさしたる時間が必要とされなった。なんと、宮廷貴族どもが慰みに飢えていたことよ!

「汝の忠勤は認める。が、汝のもたらした害は見過ごせない。」

こ奴のもたらした害など、ここに居並ぶ貴族のものに比べれば不問に処すべき軽微なものにすぎないのだが。弾劾している連中は、自分が弾劾されうるということを念頭に置いているのだろうか?
狗の心配を余がせねばならないほど頭の無い連中なのか、それとも考え方がまったく我々とは異なるのか。まあ、群れた馬鹿どもはさすがに、愚者だけに何をしでかすかわからないので脅威ではあるのだが。

「汝を解任する。その顔も余は見たくはない気分だ。汝を追放刑に処す。」

「閣下の御慈悲に感謝いたします。」

そういうなり、完璧なしぐさでロバートは衆人環視の中を退出していく。脚本を書いた本人としては、合格点をつけて良い出来だったと自負している。
ここまで良い主演を演じることができたのは、良い助演があればこそだが。筋書きを提案してきただけあって演技も合格点をつけれるといってよい。


{ロバート視点}

宮中の一角にある小部屋で私は、つい先ほどまでの茶番劇を演じていた共犯者たちと共に、今後の計画について再度の確認を行っていた。計画は緻密であるにこしたことはないが、柔軟性が多いに越したことはない。そして、最も重要なのは打ち合わせの徹底による意思疎通の確保である。

「これで自由に他国を視察することが可能になりました。感謝を。」

ゲルマニアの役人、それも広大な直轄領を統括している人間が他国を訪問するのは多くの制約事項に縛られる。だが、それが失敗を犯して追放された貴族崩れとなると国境を超える障壁は大幅に減少する。なにしろ、公式には平民に等しい上に、そのような貴族崩れなど腐るほどいるのだ。貴族ならば縛られるさまざまなこの世の面倒事も、貴族崩れは逆に関係がない。

「かまわぬ。もとより、ロマリアの坊主どもに頭を下げて助けを求める名分が必要だったのだ。これほど派手に噂を煽れば他国にも鳴り響こう。」

すでに、多くの噂が世間には流布されている。大抵の認識はゲルマニアの新領の総督が失政を犯し追放されたというものに留まるが、他国の反応はそれぞれ異なっていた。
浮遊大陸であるがために材木資源が乏しいアルビオンは、今後の材木価格の高騰するのではないかとの危惧を内々に伝えてきた。
ある程度の援助ならば応じられるために、材木の確保とフネの整備を確実なものとし食糧の輸入路を確実にしたいという意思がにじみ出ている。先の見える人間が多いらしい。あるいは常に、その問題に悩まされているからというべきか。

ガリアからは一通りの慰みと大量の密偵が送られてきている。大半は捕えられているはずだが、かなりの腕利きが複数潜り込んできているためすべてを把握できてはいない。
おそらく、あの無能王はこちらの意図にを把握していか、すぐに把握するであろうと予想されている。
トリステインは、ゲルマニアの不幸を公然と喜ぶ有様である。一応、枢機卿からはこの事態を遺憾に思い、ゲルマニアの災害に同情する旨が伝えられたが。
ロマリアは表立っては被災者に同情する旨を告知し、援助するとしているが実態は事前の打ち合わせ通りの取引を行い利益を得るつもりであるようだ。
宗教庁内部でも様々な駆け引きが行われているようだが、少なくともゲルマニアに損になる事態は確認されていない。

「では、私もこのような事態を招いたことを悔いて、巡礼の旅に出ることにいたします。一応、アウグスブルク商会とムーダを連絡先として使う予定ではありますが最悪独断専行もあり得ることをご了承ください。」

誰と交渉するべきか?枢機卿の派閥一つとっても、接触対象を見極め損ねると厄介事を惹き起こしかねない。
その交渉に際して、ロバートは完全な信認を必要としている。交渉の鉄則事項は、交渉する価値がある交渉相手と見なされることだ。
独断専行を認められ、自由に行動できる交渉相手と、本国の意向をいちいち伺う交渉相手は全く意味が異なる。後者ならばわざわざそのような使者と交渉するのではなく、決定権をもった人間と交渉すれば良いからだ。

「構わん。前非を悔い、汝がロマリアで司祭らに救いを求めようとそれは汝の私財で行わる贖罪であるからな。エルフどもへの接触にしたところで聖地への巡礼の一環であるならば不可避と認めてやる。」

また、各種情報収集のための捜索も、国家に属する一個人が行うのと、国家に属していた一個人が行うのでは全く事情が異なる。
ロマリアにお向き、懺悔を行った人間が宗教的情熱から聖地へと旅立つ。途中で、砂漠を越えられずに帰還したところで誰もそれをとがめることはできない。
まして、それが公職を追放されたことにされている人間であるならばその行動の責任は公的にはゲルマニアに帰するものではないのだ。

「しかし、実際にエルフはこちらに接触してくるかどうかが気がかりです。連中はガリア寄りではないかとも危惧されています。」

この巡礼の目的にはエルフとの接触もある。詳細は聞かれていない。何を持ち帰ってくるつもりかと期待はされている。だが、捜査の結果、何もないやもしれないし、あるいはこちらを驚かせるものがあるかも結局こればかりは行ってみなければ判明しない。
だが、専権事項として処理することが認められていることは大きい。

「そこは、最終的にはわからん。だが、汝の調査だ。人の誘致に成功すればそこいらの成果は問わない。」

「ありがとうございます。さっそく、旅支度にかかります。」


{フッガー視点}

フネの停泊地に呼び出された私にコクラン卿は憔悴した表情を浮かべながら疲れ果てた声をかけてきた。まるで、都落ちだ。いや、厳密に解釈するならば確かに追放される身なのだが、いかにもという感じがしすぎる。
大半の貴族は、自身の威儀にかなり偏執的なまでにこだわるものだが。

「すまないが、フネを手配してもらいたい。」

それだけに、フネの手配を頼むときの憔悴した表情が、まるで仮面であるように思えてならない。感情を表しているはずの顔がまるで、のっぺりとしたそう見えるべく演じているように見えてならないのだ。
あえて、類を求めれば同情を集めようとする詐欺師のそれだ。

「それは、構いませんが行先はどちらになされますか?」

つい先ほど、ゲルマニアよりの追放令を浴びたコクラン卿は国法の定めにより国外へと退去しなくてはならない。その一報がもたらされたときいくつかの商会は動揺を見せていた。良くあるように新興貴族が失敗したのか?
だが、私の密偵は新領での亜人盗伐や統治は成果を上げてきていることを報告してきている。
複数の密偵からもたらされるものはコクラン卿が意図的に森を焼き、亜人の南進を妨害するとともに、森からあぶりだされた亜人を一方的に嬲ったという流されている噂とは正反対のものであった。

継続して調べさせていると、焼き払った跡地にバルフォン商会が斡旋した農業技術者達が現地入りして耕作地として開発しているという。
意図的に失敗の噂が流されているのではないか?そもそも北方の事件がヴィンドボナで噂になるまでにあまりタイムラグがない。なさすぎるといってもよい。
情報を意図的に封じ込めようとして失敗し漏れ聞こえてくるという形ではなく、ごく自然に流れてきているのだ。
それが、私の中にある推論として固まったのはコクラン卿の部下たちがおとなしいとの報告がもたらされた時だ。子飼いの部下が黙っているというのは、ありえない。
おそらく、これはアルブレヒト三世とコクラン卿のやらせなのだろう。目的は予想がつかないが、国外で何かを行うことまでは考えられる。

「ロマリアだよ。今回のことは、いささか堪えてね。贖罪を兼ねて巡礼に出ようかと考えている。」

「それは、災難であらせられましたな。もちろん、喜んでお送りいたします。」

この人が罪の意識で贖罪の旅に出るということを信じるとでも思われたのだろうか?これほど、あからさまに国外に出るために演技をされると何を求められているかは考えずとも目の間に答えがぶら下がっているようなものだ。
コクラン卿が敬虔なブリミル教徒であると信じるくらいならば、私の商売敵が聖人と信じる方が容易だ。並みの貴族でさえ、没落したら復権を求めるというのだ。
新興貴族でも特に、総督にまで出世した人間が、そもそもこの程度のことで気落ちするなどあり得ない。メイジの方々は、魔法を使えない貴族は所詮成り上がりと油断されているようだが。

「コクラン卿が傷心のところに心ない言葉も多いかと思います。微力ではりますが、コクラン卿のお心を伝え、皆様の誤解が解けるように致したいと思います。」

「おお、感謝の念をそなたに!」

聞き耳を立てている者たちへ聞こえるように大げさに感激した風に声を上げると、コクラン卿は事情を知る者には白々しく、事情を知らぬ者には単純に見える人物を演じつつ、アウグスブルク商会の用意したフネに護衛と共に乗りこんでいく。
それを見送り、私はこの噂を広めるべくウィンドボナの騒々しい雀たちへそれとなくこのことを漏らす用意に取り掛かった。まあ、私が何を話そうと、コクラン卿が喋ったことは敬虔なブリミル教徒として賞賛されることのみだ。
大多数の人間がそれを目撃している以上、噂はいっきに広がらざるを得ないだろう。肝心なのは、誰の口からどの印象で語られるかだ。
私もこの機会に、付き合うべき人間を見極めることにしよう。



{ロバート視点}

ロマリア連合皇国は「光の国」と呼ばれている。始祖の教えを守り、信仰に満ち溢れた地上の楽園!内実は、貧困層対策に頭を悩ませる裕福な宗教家にとっての楽園であるが。
その、ロマリア連合皇国は海岸に面する地域が多いため、海路を経由して複数の難民が流入していることが確認されている。トリステイン王国からの貧困層がその中にかなりの割合で混ざっていることは間違いない。
一度、ロマリアを経由することでトリステインからの人口引き抜きは極めて容易に行えるであろう。
最も、どの枢機卿の派閥に接触して利害調整を行うかという問題はあるのだが。最近の情勢は、だんだんときな臭くなっているだけに何を選択するか一つとっても、先々のことまで慎重に考えなくてはならない。

まさに急を要するというわけでもないが、最近ではきな臭い動きがアルビオン・トリステインの両国で立ち込め始めているとアウグスブルク商会から忠告されているのが、最も頭の痛い問題だ。
いわく、聖地奪還だの、貴族連合だの。まだ、直接の火種と言うわけではないようだがこの手の運動は明らかに人為的に何者かが火をつけたと考えざるをえない。
特に、アルビオン・トリステインという距離がある国家で同時期に報告されているのは間違いなく人為的なものだ。疑わしいのはガリアであるが、ロマリアの歴史を考えるとロマリアを除外するのも危険すぎる。
ガリアの目的が不明であるため推測を重ねざるを得ないことに対して、ロマリアは聖地奪還の妄執にとらわれているといっても過言ではない。
程度問題ではあるものの、どちらも信用できないことに関してのみは、疑う余地がないのがありがたいというべきか。
どちらにしても、結構なことだ。聖地奪回を支持する意見が広がれば広がるほどロマリア経由での人の流れるルートは不可侵とならざるを得ない。
まあ、その不可侵のルートをどこの派閥が抑えるかという問題はあるのだが、どちらにしても、今回はそれが不都合ではない。

ロマリアに巡礼に行く人間を宗教的情熱に直面した王国政府が阻止するのは暴動か革命の執行書にサインするようなものと言える。
宗教的な情熱を封じ込める先にあるのは、救いのない暴動か宗教戦争だ。さすがに、そこまではいかないにしても、あの鳥とか骨とか言われる切れ者は、それに気がつかないはずもない。
よしんば、気がついても止められなかったとしてもさして問題ない。
少しばかり視点を変えて、聖地回復運動については第四次十字軍のヴェネツィア共和国の役割をこの世界で演じることができればと考えてしまう。
落とすべきコンスタンティノープル程の戦略上の目標が存在しないのが残念極まりないが。ガリアにでも向けるべきだろうか?考えてく価値のある問題だ。

私自身は、さして謀才に恵まれてとは思わないが解答を知っていればそれなりの模倣と改良によってできないこともないわけではない。なにより、純粋にスポーツと戦争には全力で臨みたい。できることはすべからく実行しておくべきだろう。
この世界について知れば知るほど、流れ着いた土地がゲルマニアであることについて神へ感謝したくなる。辛うじて、合理的な思考を可能としている国情がなければ今頃錯乱した人間か異教徒として火あぶりにされていてもおかしくなかった。
そもそも、世に出て才を発揮することも不可能だろう。

宗教改革に直面し対抗宗教改革に乗り出したローマ教会と異なり、このロマリア宗教庁は火あぶりによる問答無用の行為に及んでいる。救いがたい汚物どもと言える。
だが、それでも使えるならば使うことにしよう。現状では聖地奪還を諦めていないように思われる。聖地奪還のため盛大な浪費をしてくれればやがては、衰退してくれるだろう。
しかし、この地にある建築物の壮麗さは見事なものだ。よほど手間暇をかけなければ維持しえないような華麗な庭園と見事な聖堂が立ち並んでいる。「光の国」とはこれに関しては言い得たものだろう。
フランスのマジノ線と同じで外見だけは一級品のようだ。そして歴史的な発見といわざる得ないだろうが、根性はエスカルゴどもにすら劣るかもしれない。
とはいえ、エスカルゴや、共産主義者と同じ空気を吸うことは、耐えがたい苦痛であるが、致死的ではないのだ。この街は、瘴気に満ち溢れている。

「ロバート・コクランと申します。バーレンハルム枢機卿に懺悔をしたく参りました。」

到着するなり、そうそうある程度の目安として仲介能力に優れた枢機卿の根拠とする教会堂へと顔を出すことにする。
誰と接触するかを考えるときに、蝙蝠は役に立つのだ。どことでもある程度の意思交換ができるのだから。

「罪の告白をなさりたいのですか?」

入口の坊主から敬意をもって声をかけられる。一目で高級な衣類とわかる服をまとっているだけで、ここの教会堂ではにこやかに歓迎されるのだ。周りの貧しい身なりに彼が見向きもしないということが雄弁に事態を物語ってくれる。
まわりの貧民が足を踏み入れられないような明確な壁がそこには厳然としてあるのだ。

「はい。私の前非を悔い私財を信仰を同じくする人々のためにお使いいただけるようにお願いに参上いたしました。」

私が、そういうと男は顔に喜色を浮かべて何度もうなずく。ここまで露骨な男が宗教家であるというのだから救われるものも救われまい。

「それは、素晴らしい心がけです。枢機卿もお喜びになられるでしょう。」

「ああ、ありがとうございます。始祖ブリミルに貴方のような方におあいできたことを感謝いたします。お近づきになれた記念にこちらをお納めいただけなでしょうか。」

「いや、私は信仰に身を捧げるもの。俗世のご配慮は無用に願いたいものです。」

ああ、だろうよ。収賄は、この世界において普遍的にみられる現象でありながらも宗教家にとって外聞を憚ることであるのだから言葉上では断るのも良く知られている。
まったく会話するだけで、耐えられない瘴気を吸いこまされているようだ。塹壕戦でガスを流されていた陸軍兵士とも今なら語り合えるかもしれない。

「こ、これは言葉が足りないようで御不快にさせてしまったようで申し訳ない。信仰を同じくする人々のためにご活用いただきたいと願えばこその寄付をお願いしたいだけなのです。」

「おお、そうでしたか。いやはや。信仰に身を捧げるものとしてはこのように厳しいことを言わねばならないこともありますが、ご理解いただけたようだ。」

ここの枢機卿とやらも程度が知れるというものだ。まあ、ほどほどに情報を得られるであろう。お互いに、損得勘定で取引を行えるという意味において蝙蝠のような枢機卿は貴重な価値を持っている。


{トリステイン貴族視点}

「何故、枢機卿はあの成り上がりどもに下手に出ようとするのだ!」

メイジですらない平民に貴族の地位を与える成り上がりどもの集まりであるゲルマニアに対して、我々トリステイン貴族が真の貴族としての精神を教えてやるべきではないのか。

「所詮、やつは鳥の骨だ。誇りも知らぬ腰ぬけだ。」

杖にかけて王家に忠誠を誓っている我らトリステイン貴族を何と心得ることか。高貴な者の精神を理解できない坊主上がりはこれだから、面倒なのだ。

「忌々しいことに、ゲルマニアは糾弾に白々しい解答をよこすばかりだ。そもそも、成り上がりの分際でこちらと対等な気になってつけ上がっている。」

次第に激昂していく若い同輩たちを横目に見つつ、その思いをくみ取らない王家に対して私は憤りを覚えざるを得ない。
誇りを知らない王家との噂が口さがない平民にまで流れていると知らされた時は激昂したものだがこれでは真実を語っているとしか思えない。
我らの杖は、なんのために忠誠を誓ったのかわからないではないか。

「諸卿よ、落ち着かれよ。この問題はまず王家が不甲斐ないからこそゲルマニアに侮られたと言えるのではないか?」

思わず、その言葉に首肯してしまいたくなる自分がいる。王家はその役目を果たしていない。特に、辺境貴族らは王家の無作為にいら立ちを隠せないでいる。
表立っての批判は、ある程度自重してきたが、貴族大半の意向がこちらと同じであるならば、恐れることもさほどない。いや、むしろ声を上げるべき時でさえある。

「その通りだ!」

「貴族の誇りを何と考えている!」

「貴族のことは、貴族で決めるべきだ。腰ぬけの王家などから何故我ら貴族の誇りを持つものが平民のごとく指示を仰がねばならない?」

「このことは、王家に我々の誇りにかけて掛け合うべき問題だ!」

「王家におかれては、恐れ多いことではあるが過ちを認め、過ちを改めるべきだ!」

そう、王家は、我らの誇りを尊重するべきなのだ。忌々しい鳥の骨が実権を握っていることを容認している今の王家は明らかに間違っている。
有為の貴族達が集まり、行動すればトリステインの栄光が再び取り戻される日も近い。今、まさに行動が必要とされている。

「私も、賛成だ!!」


{ミミ視点}

「サー・ヘンリ・ボーウッドがお見えになられました。」

ネポスの言葉で我に返った私は、積み上げられている未決済の書類をさりげなく机の隅に寄せてせめてもの抵抗を試みる。
執務室が整っているかどうかと言われると極めて不本意な現状にあるが、うまいこと自由の身を得た元上司の分まで職務を代行させられているのだから仕方ないはずだ。
貴族令嬢として維持すべき様式からすれば、どのみち軍務に従事しているということや、行政を担っているということはあまりほめられないのだから今さらと開き直る。

「サー・ヘンリ・ボーウッド、ようこそお越しくださいました。お初お目にかかります。マリア・クリスティーネ・フォン・カラムです。」

「これはご丁寧なごあいさつ。恐れ入るばかりです。」

社交的な会話をこなしている時間が私には惜しい。
早く終わらないかしら。

「お忙しい身にわざわざご足労いただき、恐縮の念に堪えません。本日は、なんでも木材についてのお話だと伺いましたが、よろしければさっそく本題をお伺いしたく思うのですが。」

「おお、これはありがたい。フネのマストに適した木材が産出されると聞いて参ったのです。マストに適したものが見つからず、なかなか苦労しておりまして。」

言葉を飾らない軍人と言うのは本当に素晴らしいわ。空軍士官が皆こうだというならば、軍人をすべて空軍士官に取り換えたいくらい。

「お恥ずかしいことに、私はあまりそのことに関して存じておりません。もしも、私の無礼をお許しいただけるのでしたら木材に関して管理させているものをご紹介させていただけないでしょうか?」

「結構です。こちらからお願いしようと思っておりました。」

アルビオン貴族、というよりも空軍士官の評価を心内で上方に修正しつつ、ミミはすばやく面倒事をギュンターのところへ回すように手配する。木材の管理は、当然ながら専門家に一任すべきだ。
大規模な“火災”でそれなりの森が焼失したとはいえ、今ならば亜人も駆逐されている。多少の危険があるとはいえ、良質なフネ用の木材を北方から調達するには適しているだろう。
冬の寒さにサー・ヘンリ・ボーウッドならば慣れているであろうしあとは専門家同士でよろしくやってくださるはず。

ともかく、今は冬越えの支度にかからなくては。


{ロバート視点}

情報は力であり、宗教庁はその存在によって自然と情報を各地から集められる恵まれた情報網を有している。この、情報網は受け身ではあるかもしれないが各地についての情報を得るためには極めて有効なものとなるであろう。
なにより組織的なネットワークだ。しかも、国境に関係なく各地に張り巡らされている。情報収集にしてみれば全くもって理想的な環境と言うしかない。

そして、ロマリア宗教庁は、派閥によって程度の差があるにしても一様に聖地奪回を名目上は悲願としている。
実際に軍を派遣するかどうかというところになるとまったく利害関係の問題になる部分もあるが、少なくとも聖地奪還に向けての功績は派閥の利益となると判断するのは間違いない。
当然、こちらは積極的に聖地を抑えているエルフ達に関する情報を収集しているであろうし、往来にも網を張っているはずだ。
ここまでは、理知的に分析するまでもなく自明のことであるが問題はこれからだ。どうやって、流れている情報を拾うか?それが問題だ。
私の護衛は手だれであれども10名。新領で私が個人的に雇い入れた従者ということになっている。実際には、ギュンターが腕利きを選抜したメイジたちなのだが。実力はともかく、情報収集に努めるにはそれほど多くない。
何より、私は情報収集など専門にしたことがない。与えられたカードの活用ならいざ知らず、カードの収集に乗り出すには経験があまりにも足りない。ここは慎重に行かざるを得ない。実質的に敵地での情報収集と変わらないのだ。

「アヒム、テーオは当分、こちらになじめるように心掛けろ。ネリーは孤児院を廻れ。」

「ミスタ・コクランはいかがされますか?」

護衛の長であるニコラウスが今後の行動について相談に応じてくれたので部下たちの前でも、それなりには振舞えている。彼には感謝せねばならない。

「残りの者と宿に向かい、当分は参拝に努める。まずは歩き回るつもりだ。」

ロマリアには外国からの巡礼者向けにいくつか大きな宿がある。概ね、評価の高い所であれば治安の問題もない。巡礼者を迎えるという名目で、豪華な宿があるのだ。

「わかりました。」



しばらく、ロマリアに滞在していてわかったことがある。孤児が異様に多い。それも、すべからく母親に先立たれるか、捨てられた者たちが。
街を歩いていると、物乞いやすりを働こうとする子供を目にするがそれらは孤児が多いと耳にすることができた。
笑うべきか、嘆くべきか微妙なところであるかもしれないが彼らについては一種の口にできない真実というものがある。公然の秘密というやつだ。
宿で早めの夕食を頼む際に、この街の住人なら何か知っているのではないかと彼らの存在について尋ねようとすると宿の主人がそれとなく口を憚る真相を耳打ちしてくれた。
まあ、こちらも察してたのだから、ある種確認に近い作業だ。

「司祭様たちの私生児であります。外聞が悪いので子を孕むと手の付いた女たちは追い出されその子供たちが路上にあふれているのです。」

あたりをはばかりつつも、重大な機密を漏らしているのではなく、ご政道批判といった程度で、世慣れた店主がこちらの疑問に答えてくれる。

「しかし、それだけであのような多くの孤児がすべてそうだというわけでもないだろう?」

「やもしれませぬ。ですが、捨て子の多くはそのような身の上です。あまり外聞の良くないこと故、この話題に触れるのはお気を付けください。」

だが、今彼からもたらされた情報ついて少しばかり気になるところがある。後ほど、ニコラウスが戻り次第彼の意見を参考にしてみよう。
そう思っていると、この手の忠告を幾度もおこなっているらしい。主人はそれだけ言うとすぐに話題を切り替えお勧めのワインについて語りだした。

「ああ、お客様には当店秘蔵のタルブ産のワインなどいかがでしょうか?トリステイン王国から苦労して手に入れた逸品ですよ。」

そういうと、彼はウェイターが持ってきたワインをこちらに差し出す。確かに、ワインの名産として有名なタルブ産のワインだ。
これ一本でさえ、この宿の近くからは聖堂騎士団によって追い払われた貧者たちにしてみれば一生口にすることもないような代物だ。

「トリステイン王国からか?良く手に入ったものだな。確か、賊が跋扈し買い付けいに行くのも困難だと商人たちが嘆いていたはずだが。」

取りあえず、代金を払いつつ、ワインの風味を楽しむ態を装うことにする。まあ、実際にワイン自体は良い品であるし、嫌いではない。

「その通りなのですが、幸いにも良いつてがありまして。」

「ほお、話のタネに聞いても構わないかね?私も良いワインを得るためにはいろいろと商人達に注文を付けたが、なかなかうまくいかなかったのだ」

というよりも、私個人に限らず大半の人間が、トリステイン産の物産を入手しようとしてもかなりの困難に直面する。流通の悪化は劇的なまで拡大し、かなりの富裕層の嗜好にもある程度の制約を及ぼすほどの影響を持ち始めている。
金で解決しようにも、本当にものが流れないほどなのだ。

「アルビオンへのフネがかなり纏まった数で送られておりまして、当然空賊に備えて武装しているものが多い。その商人達に帰路に調達してもらっているのです」

まとまった数のフネがアルビオンへ行く?ロマリア連合皇国は輸入超過であり、アルビオンが必要とする物資を纏まった数のフネを必要とするほど輸出する余剰はないはずだが。気にかかるのでこれも後で調べてみるべきだろう。
だがさしあたって今は、この世界のワインでも楽しむことにしよう。
ブリミルがこのように華美に奉られることを望んでいたかどうかを考えながら、金さえ払えれば何でも手に入るという「光の国」で主人が進めてくるタルブ産の高級ワインを楽しむのはそのこと自体が滑稽でならない。
シニシズムは知識人のダンディズムである。
大抵の事象には風刺の一つ二つすぐに思いつくつもりであったがだが、存在自体が矛盾したソドムの街には冷笑する気もわき起こらない。素直に腐っていると評すべきかもしれないが、ウィットの聞いた表現ができないのは少しつまらないものだ。


{ロバート視点}

タルブ産のワインを楽しみ、自室に戻った私はある種の疑念をゆっくりと考えてみることにした。何故、この世界はブリミル教に対してこれほどまでに帰依しているのであろうか?聖地奪還運動にしても砂漠のオアシス地帯から得られる収益など限定的に留まるはずだ。
砂漠を越えた先に何があるにしても、それは交易によって利益を生み出さないものなのであろうか?
純粋な信仰であるというが、この現状を見ていると宗教的熱情とは無縁のはずであるの高位のものも聖地奪還を望んでいるという。
採算を度外視して行動する連中ではないはずだが今一つ理解できないでいる。枢機卿らの派閥があるにしても、やはりある程度聖地にこだわるのだ。
この世界について調査していく過程で随分と、大まかな部分に関しては私の飛ばされた世界と似ているような物事がわかっている。人間がいて、多少違うにしても植物も共通している。
月が二つということには少々驚いたが、月という存在が理解できる範疇にあったからこそ驚けたともいえる。
本質的に私は、この世界について類似したものを知っていると前提して行動してきてはいないだろうか?過去から学べるものは強いが、差異に注目すべきでもある。
この世界にいて、信仰は大きな権威を有している。それらに関連していくつか、再構築することも検討したが影響が未知数であるため現段階では行うつもりはない。

この世界の歴史を研究して驚いた。六〇〇〇年の歴史がある世界において技術の進歩は遅々としたものであり魔法が発達するなど独自の進歩があるにしてもいびつである。
だが、一番の問題は六〇〇〇年の歴史を持ちながらも依然として中世の技術基盤にあることではない。六〇〇〇年にも及ぶ伝統を誇っておりながらもブリミル教は始祖ブリミルに関連する情報があまりにも少ないのだ。
中世ヨーロッパにおいてさえ、イエスや聖書の研究がおこなわれていた。
あの忌々しいローマ教会によるものが大半であるが、それでもいくつかの研究がおこなわれ、世紀の偽書が暴露されるなどある種の自浄作用はあるものだった。

ブリミル教会もローマ教会同様にして、弟子によって設立されている。だが、ブリミルの弟子に関しては初代の教皇以外伝承されているのものはあまりにも少ない。
さらに、ロマリア宗教庁はスペインの異端審問官と比較しても後者が色あせるようなことをやってのけているという。詳細は不明だが、異端と認定した村を丸ごと焼き払うなどの所業を現地の軍と行ったようだ。
アルビジョア十字軍に近い性質と言わざるを得ない。その点、我が祖国は距離の壁によってローマ教会からの影響を限定的にとどめられていたがそれでも悪弊はあった。政治に干渉しすぎる教会は望ましくない。
そもそも、聖地奪還という目的に対してそれを成し遂げる必要があるということですべてが解決するのは理解できない。聖地を奪還せよというが、それはそもそも誰の意思だ?
アブラハムのように大切なものを犠牲に捧げよと命じられて、悩まないというのは理解に苦しむものだ。
幼少期の教育か?鉤十字どもや、忌々しい共産主義者のプロパガンダ教育を信じ込んでいれば多少はあり得るが、雄弁で持っても鉛を金にかえることはできないはずだ。
共産主義者や鉤十字どもは、幻想を信奉しているかもしれないが、良い迷惑というものだ。

幾度かの聖地への派兵が行われているが、成果は一度たりとも上げられていない。まだ、十字軍のほうが見込みがあると思えるような実績だ。この世界における宗教の存在理由は何なのだ。
わからないが、この世界が全体としては思考停止になりがちなことは判明している。六〇〇〇年の作り上げた変わりのない世界は大きな影響をもたらしている。その、根幹にあるものを理解し調べてみたいものだ。

だが、思索にふけるのもある程度、一段落してからだろう。すでに、いくつか処理すべき課題ができつつある。
端的に言うと、政治的に中立を指向し、聖地奪還よりも現世での救済を重視するこの瘴気漂う世界における変わり種との交渉である。


{パウロス視点}

「ゲルマニアから参りました。ロバート・コクランと申します。このたびは、施設の見学をお願いしにまいりました。」

「ようこそ、お越しくださいました。当院の院長をロマリア宗教庁より拝命しておりますパウロスと申します。その見学・・ですか?」

「ええ、できれば子供たちの生活や学び舎を拝見させていただきたく思うのですが。」

身なりのいい来訪者が、私が院長を務めさせていただいている孤児院に厄介事以外を持ち込んだことは記憶にない。清貧を旨とすべき理念は、もはや空洞化している。
宗教庁は、迷えるものを救うどころか、私のもとに多くの私生児をもたらしているのが現状だ。
この男は、メイジでも貴族でもないものが着ることのできる最上級のものを身にまとっている。つまりは、経済的な理由ではなく没落した貴族なのだ。なにがしかの問題があったのだろうか?
聖職者としては、それで彼を差別したり、偏見で見るのは避けたいのだが経験則からして、面倒事の気がする。
厄介事を持ち込むか、これから引き起こすのだろう。できることならば、子供たちを巻き込まないでほしいのだが。

「その、失礼ながら理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

「純粋に、知りたいと思ったのです。正直に告白しますと、動機の大半は好奇心によるものです。いくばくかの義務感を伴うものであることは否定しませんが。」

うん?この男の言動はこれまでの来訪者のそれとは少し違う。好奇心で孤児院をのぞこうという姿勢は好ましいものではないにせよ、まだましな部類の来訪者らしい。
奴隷や、玩具を探しに孤児院に来る面々に比べれば、格段に良い部類の来訪者といってもよい。

「そうですか、立ち話もなんですのでよろしければ私の部屋にでもどうでしょう。」

「ああ、構いませんか?」

「何のおもてなしもできませんが、それでよろしければ。」

院長室に案内し、一応来客用にと用意してあったの椅子をすすめる。本来ならば、ここでお茶でも出すべきなのだろうが切り詰めて運営している院には茶葉などはおろか、燃料用の薪さえ十分には足りていない。
客を迎える身としては悲しいことだが、子供たちの一食を優先すべき身でもあるのだ。富貴を極めつつある高貴な身分の人間には、嫌われてしまうが。

「申し訳ないのですが、歓待したくともできない事情を察していただけないでしょうか。」

男の反応は、やや申し訳なさげに手にしていた木箱を差し出すことだった。よろしければ、と言われて受け取り開けてみると中にはワインと思しきものが入っている。
気を使ったのか、単純に聖職者という分類で、他のものと同一視されたのかは分からないが、ぶしつけな来訪者の類ではないのだろう。

「ああ、お心はありがたいのですが聖職者としてアルコール類は遠慮させていただけないでしょうか?」

「これは、私がゲルマニアから持ち込んだ果実の飲料です。お酒とは別のものです。手ぶらで参るのもどうかと思いまして。」

果実の飲料。確かに、葡萄酒は、ブドウの飲料であり、ブドウそのものは禁止された食べ物ではない。
全く残念なことに、聖職者の大半はアルコールでないと称しつつワインを愛飲しているのが実態だ。
厄介なのは、出されたワインを拒絶することがどういう印象を相手に持たすかということをさすがに、聖職者として経験を積んでいる以上知らないわけにはいかないということだ。
貴様の出すものなど飲めないというメッセージを発するわけにもいかない。

「それでしたら。」

そう言いつつ、差し出された瓶を受け取ると棚から木製のコップを二つ取り出し、来客の前に差し出す。気乗りしないが、彼の酒を飲まないわけにはいかないのだろう。
そう思っていたが、私の考えは良い意味で裏切られた。

「ああ、失礼。これは、水で割って飲むものでして。」

そう言うと、机の上に置いてある水差しをとると適量と混ぜ合わせ、私の分を差し出す。少し、ワインに近い飲み方かもしれないが確かに果実の匂いがする。
いやいや馴染まされていたアルコールの風味もそこにはない。むしろ、自然な甘さがそこには含まれている気がする。

「おお、なかなか美味ですね。」

思わず、笑みを浮かべてしまう。そう、アルコールが入っていないならば子供たちに飲ませてあげられるのだ。甘いものを彼らに上げられるとは。
今度の祝祭日にでも、できるだけの用意をしてあげよう。虚無の日にでもおやつとして出すのも良いかもしれない。

「いやはや、ロマリアの方にそう言っていただけると自信が出ますな。今度、ゲルマニアのアウグスブルク商会が売りだす予定の商品でして。よその国の人からも評価していただければこれに勝ることはありません。」

うれしそうに笑うと男は周りを見渡して、さりげなく扉に目を何度か向けて私のほうを見る。
まるで、そっちを見てほしいといわんばかりの動作に気がつき、お客の前で失礼かとは思ったが扉のほうに振り返ってみる。

「こら!お客様がいらしているときは勝手に覗いてはいけないとあれほど言ってあるでしょう!」

思わず、私は声をあげてしまった。物珍しさと好奇心につられたのだろう、子供たちが扉の陰からこちらを覗きこんでいるではないか。
まあ、子どもというのは、悪意に敏感だ。近づいてこれるような来客で良かったというべきだろうが、この来客がこれまでのそれと違うからといって、覗き見ることはほめられたことではない。
だがまずは、無礼を詫びなくては、と思ったときにはもう男が立ち上がると手にコップを持ち、子供たちへと歩み寄っていた。
そして、しゃがみこんで一番手じかにいる男の子にそれを差し出し、受け取らせると私のほうを見て気にしていないといわんばかりに子供たちを中に入れるように促した。

「まあ、子供のしたことですから。彼らも一緒にどうですか?」


{ロバート視点}

ニコラウスに相談し、いくつかの孤児院の中から比較的まともな人物が運営していると思しき孤児院に訪問することにした。
予想通り、ロマリアの数多くの腐敗した孤児院の中からまともなものを見つけるのはかなりの労力を必要としたものの、その労力に見合った成果があったと言える。
護衛のうち幾人かは、そのような孤児院が見つからないことに今晩のワインを賭けていたが、どうなることやら。
初老の院長は、理知的であり、かつ身にまとっている服も粗末なものだ。なにより、途中で見かけた子供たちが院長ではなく、私にしか怯える視線を向けてこなかった。
子供と言うものは、なかなか鋭いところがあるとシシリアが私に教えてくれている。まあ、すぐに懐かれたようだが、彼らのお目当ては私ではなく持参したブドウのジュースだろう。
何にしても、孤児院を運営しているこの人物は、その人間性において善良なのだろう。
差し出した、果実の飲料も私が注いだ分以上は口にしようとしない。子供たちのために取っていると考えるべきだろうか。
清貧の中にある心がけとしては素晴らしいモノがある。孤児院にいる子供たちは、程度の差こそあれども影があるのかもしれないが、彼はできることをしようと努力している。
彼ならば、政治に積極的に関与しようと欲するタイプの宗教家と間逆であるといってよい。
そして、ゲルマニアはそのような人材を欲している。そのような人間であるからこそ引き抜くのは困難であるといわざるを得ないが、説得の価値もある。
彼に、案内されて子供たちと共に施設を歩いた。清潔ではあるがやはり貧しいようだ。予算は大量に組まれているはずだが、途中で何重にも抜かれているというのは間違いないらしい。
(少なくとも、しぶしぶゲルマニアが払っている教会税だけで、相当な額なのだ。)
生まれてきた、子供に罪はないと彼は言う。同意しよう。彼は、キリスト教徒とは異なるが尊敬できる宗教家である。善き人であるのだろう。

「ミスタ・パウロス。貴方は、子供たちを救済されている。子供たちは貴方の存在によって救われているでしょう。」

「私は、微力をつくすのみですよ。ミスタ・コクラン」

「ですが、あまりにも現状はひどい。ロマリアにおいて貴方の守るべき子供たちに居場所は与えられない。彼らには多くの支援が必要です。」

私生児や孤児などは、ロマリアの暗部だ。多くの聖職者は彼らの存在を認めたらがらない。建前でこそ平等であっても孤児院の出身であるというだけでロマリアでは働く機会も絶望的に乏しくなるという。
まあ、暗部に引きずり込まれて、どこぞで倒れるかもわからないような仕事ならばあるだろうが。そういう仕事をこなす駒ならば、ロマリアではいくらでも需要があるのだ。
なにせ、生還をさほど期待せずに大量の密偵をエルフの砂漠に突入させたり、ガリアに潜入させようとしているのだから。
供給が追い付かなくなれば、狂信者に加えて、経済的に弱い立場の人間が投入されるのは、時間の問題でしかない。

「何がおっしゃりたいのでしょうか?」

「これは、個人的な願望になりますが、ミスタのような方にはぜひゲルマニアにいらしていただきたいのです。」

宗教家と戦争をする気はない。少なくとも、私は十字軍ではないのだ。蛮族を相当することには良心が耐えられても、信仰を弾圧する勇気はない。
狂信的な連中と、果てしのない宗教戦争をやれるほど愚者ではないのだ。だから、宗教家とやっていかないといけないのであるならば、せめてまともな宗教家と手を握りたいと願って何が悪かろうか。

「ゲルマニアにですか?しかし、私は多くの子達を見捨てることなどできませんよ。」

「子供たちと一緒に移動されればよろしいのです。」

「・・・そこまで援助していただけると?いったい何を考えているのでしょうか。」

子供のことを考えられて、かつ頭の回転も問題はない。うってつけの人材をロマリアは良いところに投げ捨てているものだ。
これほどの人材がこの程度に地位と権限に甘んじているということが、ロマリア宗教庁の人材の豊富さを物語るものか、腐敗を物語るかは興味深い味わいがある。
まあ、貴腐という概念があり、本来の意味からは逸脱するが、ロマリアは腐っても高貴な恵みを私に下さっていると感謝すべきかもしれない。

「詳細は申し上げられませんが、私は帝政ゲルマニアで以前官職にありました。その任地は辺境でありましたが、開発の途上であり多くの人々を受け入れております。今後もその用に発展していくと聞き及んでおります。」

「つまり、その地にならば受け入れることが可能であると?」

「以前の同僚より、ロマリアに向かうならばこちらに良い方を紹介していただきたいとも頼まれておりました。向こうも喜んでお迎えするかと。」

「しかし、それは司祭として求められているということではないでしょうか?」

「私どもとしては、信徒の義務として困窮している同胞を救う施設もまた当然のこととして整備したく思っています。」

なかなか、腰が重たいのは仕方のないことだ。慎重であることは美徳ではあるが説得する際には不便でもある。こちらとしても、説明できる限りの事情は話、双方が納得できるようにしたいものだ。



{アルブレヒト三世視点}

「先立って、余はトリステインに対して事態に関連して釈明の使者を出すように命じたが、その件はその後どうなっておるか?」

呼び出したラムド伯に、余は尋ねる。以前からちらほらとは噂になっている反ゲルマニアを唱えるトリステイン貴族の増加は極めて煩わしい。弱い犬ほど虚勢を張ってよく吠えるものだ。
いちいち、構っておくのも面倒でしかないが、こちらに吠えてくるものだからうるさくて仕方がない。しつけのなっていない犬は喉をつぶしでもしないと黙れないのだろうか?
マザリーニ枢機卿に王国としての意向を確認する使者を出しているが、この様子ではまともな対応は期待できないかもしれないと危惧し始める必要がある。
トリスタニアのアホどもは、部屋の装飾物としては空間の無駄であり、政治家としてはこの上なく優秀な問題作成能力を有している。

「どうも雲行きが怪しいです。入ってくる情報では、なかなか、苦しいようです。」

アホどものアホさ加減に耐えさせるために昇進させらたラムド伯は、情勢の悪化にうんざりした表情を隠そうともしていない。

「枢機卿はロマリア出身で貴族からはうとまれています。冷静な貴族も、この状況下では同様です」

むしろ、ロマリア出身でありながら私心をもたずに王家に忠誠を誓っているような行動を取っている鳥の骨が珍物なのではないだろうか?
よほど人材に恵まれていないトリスタニア中枢にあれほどの宰相格の人間がいることそのものが不思議でならない。
あの鳥の骨がいるためか、辛うじて財政が維持できている上に、曲がりなりも政治を行えているからだ。

「死に体のトリステインは、やはり立ち直れないか。」

しかし、死んだものを生きているように取り繕うにも限度があったということだろう。
もはや、才覚の問題というよりもよって立つ基盤に欠陥があるといわざるを得ない。
まあ、鳥の骨の上司にあたる王族が有能であれば少しは事態も違ったのであろうがこればかりは、ヤツの不幸だろう。

「抑えきれないのか?」

「扱いに苦慮しているようです。一部の貴族がかなり強硬な姿勢を見せているとの報告もあります。」

国力差を知っているのだろうか?連中に破滅願望があるといっても何も、わが国で破滅してくれなくてもよいであろうに。
せいぜい、自分達で杖をつきつけ合って自分たち自身で吹き飛べばいいのに全くはた迷惑な隣国だ。

「ところで、ロマリアで行っている例の交渉はどうなっている?」

「取引相手が恥ずかしがってなかなか出てこずに、こちらから出向かざるを得ないとか。ただ、いろいろと準備不足であることは否めないのでまずは下調べから取り掛かるそうです。」

エルフとの接触を希望していたが、砂漠の壁は大きくロマリアの手も想像以上に長い。諜報網に引っ掛かることは避けたいという報告も以前にゲルマニアの領事経由で届けられている。
あのエルフと交渉が成立するかどうかは未知数であるが、少なくとも会話が可能であるということは、意思疎通を試みるだけの価値もあるだろう。
そう思い、許可したがまず交渉を始めるための相手を見つけることから始めるとなれば難渋するのもいたしかたない。

「本命の取引はうまくいっているのであろうな?」

むしろ、本命である帝室の財源にロマリアの坊主を寄生させない方が重要度は高い。
もちろん、労働力は欲しいが、しかし面倒事がついてくるのは歓迎できないのだ。

「それは、問題なさそうです。ムーダのほうに船団をロマリアに回すよう要望されています。宗教庁からちょっかいを出される前に、掘り出し物の聖職者を見つけたのでこれに教会を与えてしまってほしいとの付記もあります。」

「ロマリアにからまともな坊主を見つけただと?本当ならば、偉業ではないか。」

まったくもって面白い。ロマリアにまともな坊主が存在していたことと、それを発見したことを考えれば、文字通りブリミル教の奇跡ではないか。

「最後になりますが、ハルデンベルグ侯爵がアルビオンとの合同訓練について承認を求められております。」

「目的は?」

「空賊対策のようです。ハルデンベルグ侯爵は練度を向上させるためにもアルビオンとの訓練は有効であると。」

アルビオンとの合同演習。確かに、悪くはないがこの手の行動で同盟とみなされるのはいささか厄介かもしれない。合同演習を行うほど緊密な関係と見なされるのは同盟国かそれに近いと見なされかねない。
アルビオン自体を敵に回すつもりはないが、アルビオンと運命を共にするほどにはなれない。

「卿の見解を聞こう」

「断るよりは、一部でも派遣すべきかと。」

「理由は?」

外交の担当者がこういった事例に賛成するのは珍しいように思えるが、まあ例外がないわけではない。
厄介事を避けたがると思っていたが、ラムド伯はむしろ断るほうが面倒だと考えているようだ。

「やはり、アルビオンの空軍をじかに調べられる機会は逃すべきではないかと。」

ふむ、軍事面で正面から戦ってもアルビオン空軍に敗れるとは思わないが、しかし個別の技量で劣っているだけに質的改善のきっかけとはなるかも知れぬ。
加えて、アルビオン空軍の実力を把握できるならばそれに越したことはないだろう。

「外交上の問題も、空賊対策に近隣国が一致して取り組んでいるとの姿勢を示すことである程度までならば問題はありません。」

確かに、その通りともいえるが近隣国と言えども被害に遭っているトリステイン王国抜きでやるのは対外的に名分が厄介にならないのか?
あの、プライドならばエルフすら越えるような隣国があるので少々気になる。

「また、隣国との関係をアルビオン側も意識していたようで、トリステインを誘ったものの断られているそうです。」

「何故だ?」

ある意味で、軍を精鋭に育てられる上に他国の実力を測る良い機会のはずだが。まして、空の国「アルビオン」の軍だ。
戦時に負けるとは思えないが、しかしその質が他を圧倒するのは認めざるを得ないところなのだ。
それを連中が断るという理由が見つからないが、なにか我々が知らない事実でもあるのだろうか?

「成り上がりのゲルマニアとは共に訓練するに及ばずとのことです。」

「自国に割と好意的に接しているアルビオンに言う理由がそれか?いつものことにせよ、時代錯誤の愚か者どもの集まりだな。」

安定した航路の確保、アルビオンの至上命題である。そのアルビオンにとってみれば地上の友好国や隣国が戦争するよりは、平和であるにこしたことはない。
当然のこととして、トリステインとゲルマニアの関係が安定しているほうが彼らにとってみれば国益に可能のだろうから、一応気を使ってきてくれている。
それを、高慢なプライドで蹴り飛ばせるトリスタニア中枢の神経が余には理解できなかった。

伝統的な友好国が、なぜ友好国でいてくれるか忘れているほどの間抜けがいるとは知らなかった。
裏をかかれている可能性も考慮すべきかもしれないが。まあ、相手はロマリアやガリアの怪物ではなく、トリステインの愚者どもだ。
侮りは危険だが、過大評価するには当たらないだろう。

{ロバート視点}

「まったく、砂漠越えに必要な物資の調達すら見通しが立たないとは。」

テントや馬車はある程度簡単に入手できるようであるものの、駱駝や地図等は到底入手が困難な水準であった。
一応、陸路でなく空路として砂漠を横断する選択肢もあるものの、遮蔽物が何一つとしてない砂漠上空をフネで移動するのは目立ちすぎる。

「商人への監視は異常ですな。場違いな工芸品の流出が懸念されるとしても、ここまで徹底するとは。」

ある程度のところまでエルフの居住地域に関連して情報収集には成功している者の、ロマリア宗教庁の暗部は想像を絶する深さであるようだ。というか、これ以上踏み込むのは危険すぎる。
まだ、浅い部分を軽くなでたような調査でこれだ。どれだけ危ないのかと疑いたくなるが、それほどの規模なのだ。

「むしろ、私としてはロマリア外にある場違いな工芸品がどこから来たのか気になるがね。」

どこから流れてきたのだろうかということを考えるときに二つの可能性がある。
ロマリアから流出したのか、それとも私のようにどこかに偶然流れ着いたのか。
前者ならばそのルートを発見できれば得られる成果は果てしないモノがあるものの、おそらくは後者だろう。

秘蹟探索部という機密の塊のような部署は「場違いな工芸品」を探すためだけに大量の密偵を砂漠へと送り込んでいる。
成功や、生還の確率は果てしなく低いが、物量で問題をねじ伏せている。
「砂漠は、ロマリア密偵で舗装されている」調査していて頭に浮かんだのは死屍累々にも構わず大量に投入されている密偵だ。
砂漠越えは当然陸路を使うしか秘密裏に行えないが、陸路にすら密偵が潜んでいる可能性があると指摘されては慎重にならざるを得ない。
そのように、幾重にも諜報に力を入れている組織が、その成果を流出させるとは、希望的観測にもほどがあるだろう。
忌々しい限りではあるが、現状では種を播くにとどめるしかない。
そろそろ、追放令を金で贖うという形でゲルマニアに帰還する予定日にも近い。成果がない以上、この地に継続的に活動させる人間を残して戻らねばならないだろう。

「ミスタ・ニコラウス。この地に留まってもう少し探ってほしい。任せられるであろうか?」

彼自身は、情報の取りまとめ役としてさほど顔を知られていないということと、要領を得ているために万一の際にもある程度の希望が持てる。
なにより、面倒事を避けつつ情報を収集するという神経を使う仕事だ。余人には代わりが務まりにくい。本当は、本国で活用したい人材ではあるのだが、いたしかたない。

「問題ありませんよ。まあ、面倒事ではありますが、さほどの荒事も必要ありませんし、うまくやって見せます。」

「よろしく頼む。だが、宗教庁の連中にだけはくれぐれも注意してほしい。」


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ザ・あとがき

結構他国に留学したりと自由と言えば自由かもしれない世界でも、案外お偉いさんとかが行き来するのは不自由だったりするかもしれないと。

そこで、今回は亜人討伐の際の火計が、ゲルマニアに損害をもたらしたということにして追放された形にしてみました。

言うならば、彼は公務についていないゲルマニアと関係ない人。

最近暗躍してるの誰よ?お前んとこの人間じゃないの?
           ↓
(´・ω・`)@<いやいや、ウチとは関係ありませんよ。誰ですそれ?

ザ・裏工作を目指して頑張ります。


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説明的な何か。またの名を補足

ご指摘があったのでちょっと補足をば。

アルビオンの面積には限界があるので、当然自国内の木材獲得にも限界があると想定しております。これが、(広大な未開発の土地を)もつものと(限界がある)持たないものの差です!

戦前の日本海軍と米海軍の油の使い方的な何かをお考えください。
ある種絶望的な差?

今回参考にしたのは、実際の英国海軍が木材供給を東欧やロシア方面にかなり依存していて、造船事情が変化するまで木材獲得に心血を注いでいたという歴史的な現象です。

英国海軍も強大な海軍を維持するために多方面からの木材調達に勤しまなくてはなりませんでした。今でこそ、木材をめぐって深刻な利権対立と言われてもピンと来ないかもしれませんが重要な戦略物資だったのです。

今でいうところのレアメタルとかに匹敵する重要なものです。

たとえば、自国内の木材を可能な限り保護するためにもできるだけ使わない(伐採しないことが)望ましいです。アルビオンが厳密にどの植生に分類されるかはちょっとわからないのですが、すくすくと木が生長するとも思えないので使わないに越さないのです。

たとえば艦船のマストとして30メートルの物を作るためにはそれなりの長さの木を必要とします。そんなに簡単には育たない。メイジ使っても限界はあるので、浪費厳禁は当然のこととしても節約は使用量を減らせるだけで、増やせるわけではないという現実があります。

そして、アルビオンは強力な空軍の編成のために備蓄し保護している木材を簡単に浪費することはできません。予備がなくなってしまうので。

だから、アルビオンとしては代替調達先として期待しているので、木材供給してくれるなら援助するよと申し出てくれるのではないかなと思って表現してみました。


\(-_\)(/_-)/それはともかく。つ小ネタ

うん、新大陸に独立されて本格的に木材涙目の英国海軍の悲哀をアルビオンには経験してほしかった。いくらやりくりしてもどうにもならない絶望的な持つものの差を思い知ってほしい。

たぶん、今の戦力でアルビオン艦隊とゲルマニア艦隊が戦えばアルビオン艦隊が勝てると思うんだ。でも、きっとその時アルビオン艦隊の諸君には文字通り「ピュロスの勝利」というものをかみしめてもらうつもりなんだ。

すまないね。人口と資源が多いので、うちは艦隊再建がその気になればたぶん、そちらの資源が枯渇するまでお付き合いできるんだ。ああ、罵ってくれて構わないよ。

その間に、以前に倍する戦力をぶつける用意をするから。

でも、ちょっと考えてほしいんだ。
お互いに、得るもののない戦争なんてするべきかな?
だから、拳を振り上げる前に冷静に計算してほしい。
僕らはきっと良いお友達になれると思うんだ。

だからさ、得るもののない戦争なんてやめて一緒に他の所から分捕ろうよ?分け前は五分で構わない。近くに良い狩り場があるんだ。ああ、ガリア君ももちろん仲間はずれにはしないよ。

みんなで分割しようよ。
そうすればみんな幸せになれるんだ!

※気がついたらネタに走ってしまっていました。ポーランド分割とか列強の倫理はどこかが壊れていると思います。でもそんなことのできるEU3やvicが大好きだ!


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権力、宗教とか?

( ゚∀゚)o彡°アクトン!アクトン!

Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.(「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」)

貴腐ワインと言うので腐ったものも使いようと腐らせ方次第だと思います。使い道次第ということで、とりあえず腐敗している宗教家とも仲良くなります。

とりあえず、ゲルマニアではお客さまは神様ですの精神で行こうと思います。市場なってくれる限りは良いお付き合いをの精神のことです。
(≒経済的な植民地?or良い商売先)

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地中海は、ローマの物。少なくとも、ローマ教会のものではなかったんだ!
(なにをいまさら。)

異教徒と取引するのは難しいものです。

地中海世界において、イスラム教徒と取引しようとするイタリア都市国家の大半は、ローマ教皇の目を盗んだり偽装したりしなくてはなりませんでした。今回は、ロマリアの目を盗むための下準備に終わったということで。

考えてみると、砂漠に密偵をたくさん送りこんで場違いな工芸品を回収しようとするならば、いっそ普通に貿易すればいいのにと思います。
まあ、ロマリアもいろいろあるのでしょう。





断章5 ネポスの人材狩り紀行

{アルブレヒト三世視点}

「人手が足りない?」

ごく単純に事務的な嘆願を行ってきたのは、北部新領から派遣されてきた行政官である。
言わんとするところが分からなくもないが、だからと言って嘆願書をあちらこちらに提出する暇があるのなら仕事にかかるべきではないのか?
人材の採用に関しては一任してあるものだから、現地で不足している人数を確保すれば良い話だ。
何故ヴィンドボナに嘆願する必要がある?
余が訝しがっているのであろうことを察したのだろう。使者として派遣されてきたネポスと名乗る若い男は言葉を継ぎ足した。

「はい、ゲルマニア新領の開発が進展するにつれて行政府の要処理案件増加に処理能力が追いつかないのであります。」

「余は、現地の人材に関して登用は自由に行ってよいと言っておいたはずだが。」

「無論、現地でも人手を募ってはおりますが、それでも不足しているのであります。どうか、ウィンドボナから応援を頂けないでありましょうか?」

まあ、事務的な仕事を行うためにはある程度の教育を受けたものでないと使い物にならないだけに辺境部で人材を確保するのはある程度の困難が伴うのは理解できる。
だが、それはどこも同じだ。

「希望は理解できなくもないが、そうそう人手に余りがあるわけでもないのだ。軍を退役したものを何人かすでに派遣したばかりでもある。」

「しかし閣下、現状では到底足りないのです。」

はて?予想外にも、この若い嘆願者は引き下がる様子がない。ここまでくらいついてくるほどに人材が不足しているとの報告は派遣してある監察共からは入ってきていないが。
連絡が途絶えがちということと併せて不審なことでもある。さすがに定時連絡は付いているが、詳細な報告が滞っているのは危険な兆候かもしれない。これは調べておくべきか?

「あいわかった。こちらでも善後策を練るとしよう。その方らでも随時手当せよ。」

「ありがとうございます。」


{ネポス視点}

「困った。どこで、人を集めればよいのだろうか。」

頭を抱えつつ、ウィンドボナにある宿へと僕はトボトボと足を向けている。久しぶりの休暇を上司であるミス・カラムより頂いたと思いきや、厄介なおまけが付いていた。

“行政府の人手不足を解消するために、人材を狩り集めてきなさい”

もちろん、あの地獄のような書類の山から解放されるとあらば喜び勇んで人手を募るところだが、ことはそう簡単ではない。新領にかなりの数の役人を引っ張って行ったため、新規に採用するには時間がかかるうえに、どこも余裕がある訳でもない。
当然、乏しいパイを巡って激烈な競争である。負傷し、引退せざるを得ない傭兵などで読み書きができるものをギルドから優先的に引き受ける契約をコクラン卿が結んでくださっていなければ今頃書類に殺されているかもしれない。
業務に卓越して熟練しているはずの役人が沈むほどの業務量など、初めて見た思いだ。

「はあ、商会をめぐってみますか。何人かでも回してもらえればよいのだけれど・・・。」

予算にはある程度の額が用意されているとはいえ、必要量を調達できるだろうか?確保できねば、帰還した時待っている一人当たりの業務量が致死的な量に至りかねない。


{フッガー視点}

「人手不足、でありますか?」

「ええ、そうです。何人かまたご紹介いただけないでしょうか。」

新領の慢性的な人手不足は有名だ。すでに、ウィンドボナにあるほとんどの商会に対して人材がいないかとの問い合わせが行われている。最初のころは気楽にこちらとしても引き受けられていたものの、現在では余所からの依頼もあり簡単にはいかない。
今は、完全に人手が不足しており、有能な人材は囲い込まれる傾向にある。

「そうですね、ご希望はどのようなものでありましょうか?」

「メイジならば大歓迎。読み書きと一通りの計算ができるならば何でも構わないのでご紹介いただきたい。」

と、言われても簡単に紹介できるような者にはいろいろと問題があるか高額すぎるかのどちらかしか残っていないのだが。
さすがに、信頼できないものを大量に紹介したとなると、商売上よろしくない問題に発展しかねない。信頼は重要なのだ。

「はい、ですがさすがに適当なことをして人材をお勧めすることはできません。」

「いや、使えるかどうかの判断はこちらで行う。」

はあ、断りすぎるのも問題か。あまり、使い道がないような人材で無難な選択肢がないわけではないが、そう代替選択肢があるわけでもないのでまた人材を探さねばならないだろう。

「魔法学校を卒業されたばかりの方でよければ何人かはご紹介できるかと。ただ、確実ではありませんが・・・。」

メイジとしてはさほど優秀ではなく、進路を確保できていないようなものでもある程度の教育は受けているので、数には入れられる。とは言え、これらはそれほど多くもない。

「結構です。今すぐにお願いいたします」

うーん、どこかに大量に余っていないものであろうか?読み書きができると言うとそれなりに教育を受けているものか、ギルドに属しているものなどに限定されてしまう。
せっかくこうして多くの買い手がいるのだから何とか見つけられれば大きな利益になるのだが。


{ネポス視点}

数件の商会をめぐって獲得できたのはドットのメイジが三人。目標まではまだ到底およばない。正直なところ、さらってでも働かせたい気分になってきます。
しかし、人材不足はどこも同じようで、何人か同業者に遭遇し、お互いの苦労を理解しつつも譲れない一線を感じるところです。
なぜなら。他の面々はまだ余力があるのに対してこちらは絶望的なまでに追い詰められているからです。

「どこかに、ただで使える人材が落ちていないものですかね・・。」

そう言いつつ、僕は疲れ果てた体でベッドにもぐりこむと明日もウィンドボナの商会をあちらこちらめぐるために早めに休むことにする。
できるだけ人を集めて帰らないとミス・カラムに焼かれるかもしれない。そんな、滑稽なことも本気で不安になってくるような切迫した顔で人材を集めるように命じられたのだから気が重い。
果てしなく、気が重い。少しばかりの休暇につられて引き受けるのではなかった。
ムーダの方に頼み込んで募集の告知を各地で実行していると言うが採用に至るような応募は今一つだ。やはり、何とかしてここで人を集めなくては本当に書類の山に殺されかねない。


{アルブレヒト三世視点}

少し前に、気になったため調査を命じていたことにようやく報告が行われたが余は不覚にも、その報告の内容が一瞬理解できないでいた。

「つまり、あまりにも多忙であったために詳細な報告書を送ることができないでいたと?」

「はい、派遣した監察要員の大半は過労で当分使い物になりそうにもありません」

確認のために派遣した監察官が、妙に面談を強く希望するものだからと目通りをこのような時間に行うことにしたのだが・・。
急ぎの用件ということで妙に緊張したが、叛乱やその類ではないようである。

「では、人手不足は間違いないのか?」

「間違いありません。危うく、同僚に捕まって書類に殺されかけるところでありました。」

「・・・そこまでか?」

一応、密偵たちは中央派遣の人間や、派遣された役人の元同僚や友人というものに偽装して査察を行っている。
当然、名目上とはいえ派遣された役人の、同僚であれば仕事を手伝うのは当然のこととなってしまう。
機密維持や内部の秘密を維持しようと、領主などであれば断ることもあり得るが、直轄領の総督であれば彼もまた皇帝の役人にすぎないのだ。
そういう意味で、融通がきくことが逆に監察官の負担となっているとは驚くべき事態だ。

「辛うじて逃げ出してまいりました。できれば、早めに人を派遣すべきかと」


{ネポス視点}

道を歩いている商人たちをさらって役人にしたいという衝動をこらえつつ僕は、一つの名案を抱えて閣下へと拝謁の申請を行う。正直に言ってこの腹案がなければ手当たり次第に人手を確保していたかもしれない。
あっさりと許可され、驚きつつも幸運に感謝しさっそく中へと向かいます。

「つまり、読み書きができるかメイジである囚人から軽微な犯罪による者をことごとく、新領によこせというわけか。」

「はい。土木作業などの基本的なことでしたらそれらを使うだけでもかなりの進展が期待できます。これでしたら、各所に迷惑をかけることもございません。」

ある程度の能力があれば多少の事務作業を必要とする程度の仕事ならば任せてしまえる上に、メイジであれば大半のことをやれる。土系統であれば完璧なまでに建築に適合する。水系統であるならばさっそく開発に従事させよう。
風系統ならば、野戦に駆り立てて、とにかく亜人と遊んでももらえる。火系統は、土の補助にも討伐の補助にも使える。とにかく、メイジはできることが多い。

「しかし、囚人だぞ?」

もちろん、あまりにも問題がある者を使う気にはなれない。それは結果的に仕事を増やすだけだからだ。後始末と本来の仕事で仕事量が二倍になるのを望むのは本意とするところではないからだ。
おまけに、そんなことをしては、同僚に殺されるか、責任を取ってその仕事を行わされ、結果的に死に至るかの二択しかない。おそらくは後者だと思われるが。

「公金の横領などならばともかく、酒場で騒ぎを起こした程度のものでしたら使い道はあるかと。」

「だが、それらは通常罰金程度で釈放されるではないか。」

「ですので、罰金を払えないで数日拘留されるものをこちらに回していただきたいのです。」

酩酊し、意識が戻る前にこちらで強制拘束してしまえばよいのだ。裕福な貴族のメイジであれば面倒事になるかもしれないが、裕福な貴族のメイジはまず牢屋にいないから問題ない。
むしろ、いればそのことが問題だ。ある程度、貧しい者ならば職を与えられることに対して感謝するか、まあ受け入れるだろう。こちらはなりふり構っていられない。

使えるものならば、何だってかまわない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

新規に獲得した植民地での問題は?
       ↓
人手不足と、合わせて役人不足
       ↓ 
足りないならば人狩りだよね

を背景でやってもらいました。
書類を処理できる人材は中央集権化が進み官僚制が整備されるなかでも貴重なものだったりします。

新領ではもう、役人にメイジかそうでないかの区別なく人を集めております。



[15007] 第八話 辺境伯ロバート・コクラン (旧第31話~第35話+断章6を編集してまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/07/27 23:55
{ロバート視点}
貴族としてこの世界を眺めるならば、それは黄金の自由を享受することに等しい。貴族は、貴族であるがゆえに上下があるにしても自由で平等なのだから。

ゲルマニアにおいて貴族たちは皇帝に対して忠誠心が乏しいのも本質をたどれば都市国家に由来するものだからであろう。貴族民主主義が各地で勢いを伸ばしているとの風聞も別段驚くには値しない。
むしろ、王家に忠誠を誓わせることのできる実力が過去にあったことが驚きというべきかもしれない。だからこそ、ゲルマニアにおいては実力が重視されるのかもしれない。
とりあえず、今の自分はゲルマニア辺境伯コクラン卿である。公職から追放されたものが罪を贖うために金を積むという形で辺境開発に再度取り組むように命じられたと外向きには伝えられることとなっている。

貴族として任じられ、旧ゲルマニア新領を領地として与えられたということに対する内外の反発を避けるために、領地として与えられるのは子爵領程度の面積となる。残りの領土は信託統治という形式によってあくまでも形式上は直轄領となる。
まあ、微妙に官吏の運用上の制約等があるため子爵領程度でないと官吏不足するということを考慮すると、さほど深刻な問題でもない。
正直なところとしては、この地域の動植物やメイジの研究さえ行えれば私自身の好奇心は満足するのでそこまで形式ばったことはお断りしたかったのだが、諸般の事情からそれはできないらしい。まったくもって不本意ながらも、ヴィンドボナに参上し、仰々しく任命されなくてはならないというのだから自由のないことこの上ない。

私自身は、叶うことならば魔法学校の蔵書を読み漁ってメイジをつぶさに研究したいのだが、それは幾度も申請しているのだが一度も通らない。
ならばと思い、ロマリアから魔法が使える可能性のある子供たちを孤児院ごと招聘し、魔法の素質がある子供たちを教育しつつ研究する計画を立案したのだがパウロス師は子供たちを実験台にするのには反対らしい。
実験台と言うよりも調査対象であり、人体を対象とした実験は行わないと主張したのだがそれでも受け入れてもらえなかったのは残念と言わざるを得ない。周りの人間からも理解を得られないとあれば本当にどうやって研究したものだろうか?むしろ、まずは諸々の科学的な知識を理解し、協力してくれる助手を探すことから始めるべきなのだろうか?
結局、私にしてみれば不本意ながらも辺境伯として軍務に従事するという形をとりアルビオン方面への旅行を計画するぐらいしか自由がなかった。
自由、まったくもって我らにとって不可欠であり、渇望の対象であることだ。
以前、王立協会かどこかの講演でシュラフタについて極めて高く評価されていた老教授がおられたが、できるならばその見解に不同意である旨を今度お送りしたいものだ。
なるほど、権限があり、政治上の権限もある。だが、貴族による選挙など極論を言えば混乱の原因でしかないのだ。
まあ、シュタラフのもとで貴族が比較的自由であったというのは認めるが、それはそれとしてもだ。さしあたっては、アルビオンとの合同の艦隊訓練を見分しアルビオン散策を楽しむとしよう。

「ハルデンベルグ侯爵、このたび北部を代表しアルビオンとの合同訓練に参加いたします、ロバート・コクラン辺境伯であります。」

軍務といえども、貴族の礼がこの世界ではまだついて回る。そのため、爵位の上位に対する敬意を表し挨拶を交わす必要がある。これは、例え北部方面からの代表であろうとも例外ではない。とはいえ、実質的に北部を代表するとはいえ、派遣されるのは委託されている軽装備のフネ二隻で指揮をとるのはギュンターだ。私自身は精々が観戦武官といったところだろう。面倒な礼節に悩まされる機会は、そこまで多くはないだろうと期待したい。

「御苦労、コクラン卿。いろいろと、面倒事も多いかと思われるが、卿には軍人として期待している。」

気楽にして良いと、手を振りつつハルデンベルク侯爵は一応礼節を維持した程度に答礼する。

「ありがとうございます。ご期待に添えるよう微力を尽くす所存であります。」

「何、以前卿の発案した案によって軍も大いに潤った。卿には感謝している。」

「光栄の極みであります。」

ハルデンベルク侯爵は、私自身について多少知っている上で好意的な部類だ。理由として彼は、私の発案した拿捕賞金で相応の収入があったとも聞いている。まあ、軍務で潤いを与えつつ評価を得られるというのだから不満もでてくるものではないが。
上司としても、割合物事に道理的であり、選帝侯寄りでもない軍人としての思考を維持している人材だ。それであるだけに今回の演習はおおむね楽しめるだろう。
ただ、私の乗艦が旗艦が違うために移動のたびに龍騎士の背中に乗らなくてならないことが気に入らない。あの龍騎士の背中に搭乗し、移動するのだけは好きになれない。
知識としては、空を飛ぶことに納得していてもあまり下を見たくはないものだ。航空支援のありがたみは理解しているが、だからといって空を飛びたいかといえば微妙なのだ。船と運命を共にするという意味なら、フネだろうと対して軍艦と異なるわけではないのだが。

{ギュンター視点}

「前方に艦影を確認!」

「艦隊旗艦より、信号を認む!“予定通りアルビオン艦隊と会合セリ。礼砲用意!”」

「礼砲用意!」

「アイ・サー、礼砲用意!」

部下の見張り員達からの報告に即応する形で、争うようにデッキへ飛び出す。かなり早く飛び出したつもりだったが、どうやら上司には一歩遅れたらしい。既に到着しているコクラン卿がデッキでアルビオン艦隊を油断なく注視していた。
形式だけとはいえ、北部派遣艦隊の指揮官であるコクラン卿は熟練の空軍士官並みに空軍の作法に通じておられる。というか、信号に即応できるだけの軍務を積んだ軍人である以上、生粋の軍人のはずなのだが。どうも、このボスは生粋の軍人というよりも、権謀術策に長けた策略かの側面も持ち合わせている。まあ、ボスであるから何があっても多少のことではボスだからでかたづいてしまうのかもしれないが。

「旗艦に従い礼砲を撃つ。間違っても実包で行うなよ!?」

「アイ・サー!ですが、アルビオン艦隊が臆病風に吹かれて事故を起こしても小官の責任でないと認めていただきたいものであります。」

名にし負うアルビオン艦隊相手にいささか気を張りすぎている部下を和ませるために上司に提言をしてみる。

「構わん、強装で肝を冷やすくらいはやってやろう。」

わずかに笑い声が艦橋をにぎやかにさせるが、まあボスを始めすべてのクルーが冗談だとわかっているからこそこういう笑い話もできる。
トリステイン艦隊ならば、あるいは本当に実包と混乱して、応戦してきかねないくらいにゲルマニアとアルビオンの艦隊は大きな礼砲を鳴らすのだから。

「よし、アルビオン連中の度肝を抜いて見せろ!礼砲撃ち方始め!」

指示を出しつつ艦隊行動に乗っ取りゆっくりとフネを隊列に従わせる。今回の演習はゲルマニア側7隻、アルビオン側9隻が参加する大規模なものになる。
目的は、この周辺に猛威をふるっていた空賊対策に近隣諸国が一致団結するためのものというのが建前であるが、内実はお互いの実力を誇示する場でもある。
率直に言うと、アルビオンがその練度を見せつけて、ゲルマニアがその実力が侮れないものであると知らしめるだけだ。なるほど、確かにアルビオンのフネは優秀だろう。
だが、質で数を圧倒できるほどには我がゲルマニアの練度が劣っているわけではないのだというお互いの実力誇示だろう。まあ、艦隊行動をみる限りではやはりアルビオン側に一日の長があるのは認めなければならないだろうが、それでもこちらの練度もかなり伸びているのは間違いない。艦隊行動とは言え、勇名をとどろかせているアルビオン空軍に及ばんとするならば、まずまずの評価をして良いだろう。
肝心の演習であるが、この場では精々が艦隊行動を見せ合い、標的射撃といったところで終わる予定だ。うちのボスは一応この演習に観戦武官と称して参加している。だが、まあ実際の目的はこの後の相互表敬訪問でアルビオン側に行くことだろう。そんな考え事をしていると、こちらの礼砲が終わりアルビオン側からの答礼が返され始める。

「アルビオン側からの答礼です。」

「御苦労。艦隊旗艦に出頭する用意を整えてくれ。」

無事艦隊が会合に成功し、旗艦よりも指揮官召集の信号旗が掲げられた。それを確認し気乗りしない表情で龍騎士の後ろに乗るボスは、空が苦手らしい。
これほどまでに、空軍のやり方に慣れていながら、空を苦手としているのでは空軍の軍人としてどうかと思わざるを得ない。まあ、あの人は直接戦うよりは指揮を執る側の人間ではあるのだが。

「さて、今のうちに標的をならべておけよ!」

手際良く演習を行い、練度を誇示するという以上、ここで手間取っては仕方がない。さっさとやることをやってしまおう。


{ロバート視点}

「いや、見事です。正直に言って、これほどとは思わなかった。」

アルビオン側の練度はこちらの想像を遥かに上回るものであった。砲撃精度、速射能力、いずれも良く訓練されたそれである。空中を飛びながら標的に砲撃をあてられる能力は、対空防御力が乏しい木製の装甲では大きな脅威だろう。
名目では友好であるが、ある一面の真実としてはアルビオン空軍の精強具合を誇示することでゲルマニアに対抗しようという性格も持っているだろう。練度の誇示を通じてそれらは完全に成し遂げられたと言ってよい。

「悔しいが、我がゲルマニアはまだまだ向上の余地がある。今後も精進に努めるしかあるまい。」

「まあ、いつまでも彼らの空でないと示してやれるように部下を鍛えるとしましょう。」

ハルデンベルグ侯爵が、忌々しげに髭を撫で始めたので話題転換の必要性を思い立ち、気になっていた本題に話題を変えることにする。旗艦への出頭に龍騎士を使わなくてはならないことで一瞬、気づくのが遅れたが、礼砲の変更は急なものであり不可解なところがあった。

「しかし、気になっていたことが一つ。アルビオン側の参加者に王族が入っていないのはなぜでしょうか?」

「ふむ、トリステイン王国を誘う際に、メンツの問題もあって王族が参加すると称すればかの国も参加すると見なしたからではないか?」

事前の予定では明言こそされなかったものの、実質的に礼砲や儀礼等の観点からアルビオン側の指揮官格には王族が参加するとみなされていた。だが、実際の様子ではその気配がみられていない。

「確かに、トリステイン側は拒否しています。それでも、ゲルマニアとの演習を希望したのはアルビオン側です。」

つまり、王族を参加させるかどうかの有無を決定したのはアルビオン側だ。こちらとしてはそれに釣り合う人材として、ハルデンベルグ侯爵が選別されたというのが背景にある。王族に対しては格がやや劣るにしても、軍務を司る長を派遣しているのだ。
まがりなりにも、形式上の問題がないにもかかわらずアルビオン側は予定にない行動を取っている。

「こちら側に合わせたということは考えにくいか?」

「つまり、ゲルマニア単独では逆に格が劣るために出せないと?」

それは、妙な話だ。確かに、トリステイン王国を勧誘する際にアルビオンの王族が参加しているというのは大きな利点だが、ゲルマニア単独での参加に王族を出さないというのはアルビオン側らしくもない外交的な失策だ。
こちらが、先に通達したのならばともかく、アルビオン側が先に通達した上で変更するというのはやはり納得がいかない。通常、対外的に発表した予定を王家が変更するということは政治的な意図か事情が変化しない限りありえないと言ってよい。
アルビオン側は、内々であれども当初の予定では礼砲を21発要請してきた。だが、土壇場で変更があり19発に変えられている。これが、意味するところは少しばかり気になる。アルビオン側がゲルマニアとの関係を軽視する理由は現状では思いつかない。

「それは、確かに考えにくいな。なんぞ、変事でもあったのだろうか?」

不審に思ったのだろ。ハルデンベルグ侯爵の声にも格下に見られたという不快感よりも不可解な事象を怪しむような声になっている。軍人というものは、とにかく予定にない行動や不審な点を見たら疑う方が無難なのだ。
無論、猜疑心にとらわれて自身の行動を束縛してはいけない。だが、生き残れるのは臆病ものだ。

「分かりませんが、お許しを得られれば少々探ってみようと思います。」

常に、注意深く物事を観察せよ。違和感は、原因を突き詰めれば解答に結びついている。ゆえに、如何なる事情も見落とすことなく見張りを行うことが士官には求められる。
総員が、右に関心をひかれているならば左側を注視するほどの用心深さが海軍士官には求められるのだ。故に海軍軍人は、徹底して警戒を怠ることなく軍務に従事するのだ。

「あまり、問題にならない範疇であるならば許可しよう。卿個人の裁量で行うがよい。」

「感謝致します。」

さて、許可は出た。どうやって事態を探るかだが、ことがことであるから簡単にはつつくこともできない。王族がらみの問題に不用意に干渉すると好奇心が猫を殺すことになりかねない。
さらに、微妙なことはこの変事がどのような意味をもっているかどうかだ。人員を即応要員のみ配置するべきだろうか?いや、過敏な対応は不信感をお互いに惹き起こし不用意な事態になりかねない。ということは、警戒を緩めないぐらいしか現状でできる対応はない。まあ、事態が政治的なものであるというのならばアルビオン側の事情を調べてみる必要がある。
だが。アルビオンに滞在できるのは長くても一月だろう。その間に嗅ぎまわれるところを部下と手分けして調べるべきだろうが、どうにも時間が足りない。正直なところ、政治的な問題とアルビオン大陸という不可思議な存在のどちらも疎かにしたくはないのだが。できることならばアルビオン大陸を貫通する井戸か穴を掘ってアルビオン大陸の浮遊する原因を突き詰めてみたい。
せめて、その植生と動物等について調査し高度の高い地域での植物研究の新分野に貢献したいのだが。


{ギュンター視点}

「ギュンター、話がある。」

そう言うと、ボスは艦長室にもぐりこむようにして人払いを行う。機密の含まれた話だろうと察して私も従者をつけずにボスに続く。

「何でしょうか、コクラン卿」

神妙な表情を作り、厄介事を持ち込むであろう上司に尋ねることにする。大抵の場合、上司の持ち込む問題は愉快であるか、厄介極まりないが大きな成果が期待できるだけに安易に引けないシロモノであるかのどちらかである。

「礼砲は19発だった。貴官らには明かされていないが、当初の予定では21発だったのだ。私も確認して初めて分かったのだが、アルビオン側に急な予定の変更がみられた。」

周囲をはばかるように声を落としてボスが告げた内容は、空軍の伝統に通じる人間には一発で理解できる代物であった。格が落とされた。それも王族を使う予定がありながら。
事前の通達も無くに土壇場に変更というのは手落ちというべき事態だろうか?それ以上だろう。だが、それだけにさまざまな解釈が成立し得る。
さすがに、旗艦から迎撃指示が出ていない以上、こちらに直接攻撃等してくるわけではないのだろうが・・・。

「恐らく、アルビオンで大規模な変事が水面下で進展している。」

「まさか!ジェームズ王の統治はこれと言った災禍に直面せず、後継者もウェールズ皇太子に決まっています。王家にも貴族にもさしたる火種はないはずです!」

アルビオンの王家は他の始祖に連なる王家と異なり安定している。後継者問題を抱えることなく、貴族の忠誠もおおむね王家に対して向けられている安定した王国と言える。
火種となりえるような問題を抱えているのだろうか?大抵あり得るお家騒動の要素となるような問題もなく、むしろ当分は安定が約束されているはず。
多少貴族に不審な動向が見られるという程度で、これはむしろ他の王国に比べれば平均的な水準だ。

「分からん。だが、変事もなく王族の予定を変更するとは思えない。」

「急病の可能性等は?」

「それならば、むしろ隠す可能性が乏しい。まあ可能性としては排除できないにしても、アルビオン王家の人間はこちらの使者が拝謁した時は健康そのものだったという。」

確かにそうだ。仮にウェールズ皇太子かジェームズ王が急折したとしてもそれならばその旨を告知し、演習そのものを延期すべきだ。このようなところで演習に興じている余裕などない。
そうでないならば、向こうにとって公表できず、かつ隠しておきたい事情があるのだろう。状況はまあ、何かあるだろうということだ。

「つまり、余程の変事が内々で処理しなくてはならない問題として発生したと?」

対外的にはあまり変事であると察してほしくはない。だから、可能な限り平時を装う。むしろ、内部に対しても平時であると錯覚させたいからこその演習か?
だとすれば、ことは本格的な問題であると言わざるを得ないのも納得できる。どういった問題なのか?それを考えるべきか。

「可能性の問題だが、ありえるだろう。」

「それを、内々に調査するのですね?」

「その通り。我々はよそ者であるために現地で行動する際には慎重であることを求められるが、できる限り情報を収集する。」

アルビオンのように閉鎖的な領域では、外部の人間ほど目立つものはない。何しろ、空中に浮いているのだから湾岸隣接部でもないかぎり外部からの流入は稀としか言えない。
今回の演習で相互に表敬訪問するとはいえ、ゲルマニア艦隊に属する人間が現地で情報を集めるのは厄介だろう。ことが王家に関わることであるならば難易度は跳ね上がると言ってよい。

「この件に関して、参考になるかどうかは不明だが、以前ロマリアからアルビオンに対して大量の物資が輸送されたことを確認している。」

「ロマリアから物資でありますか?」

普通は、ロマリアが何かを輸入するか、高位の聖職者が移動に使う程度で通常は考えにくいルートだ。まして、大量の物資となると輸入するにも相応の資金が必要となる。簡単に出せるものではないはずだ。

「調べてみると、ガリアからロマリア経由で大量の火薬に武器弾薬だ。仕入れ元は、なんとアルビオン王家。それも他国を介して秘密裏に輸入とあるので軍事活動かとも思ったが遠征に回すには種類と量が微妙だ。」

遠征に回すには種類も量も微妙だろう。確かに、火薬に武器弾薬だけでは遠征は行えない。アルビオンは食糧の一部を輸入に依存している。対外戦争を行うならば、食料をあらかじめ備蓄しておく必要があるだろう。
さらに、アルビオンがしばらく戦争を行うことを想定すれば、食料以上に、燃料などの炭や各種魔法具の輸入も行うはずだ。そもそも、アルビオンが戦争を決意する理由が見当たらない。秘密裏に行っている可能性は排除できないにしてもそうであるならば、火薬などの購入ももう少し慎重に行い気づかれないように行えるだろう。
それに、火薬自体も、補給の困難さを考えるならば備蓄を切り崩す必要のないように大量に手当てすべきだ。それほどとなれば、逆に隠しておくこと自体が困難だ。調べるまでもなく、軍人ならば気が付いていなくてはならない。

「つまり、何らかの軍事行動を国内で起こす可能性があると?」

「貴族の反乱の可能性を第一に念頭に置くべきだろうが、王家内部の事情も今回はきな臭い。内部を主眼とするにしては王族の動向が不可解だ。」

王家が貴族の反乱を察知しているかのようにふるまうのは確かに賢明ではないはずだ。となると、王家内部の問題か?しかし、確証はない。他国の情報は伝達手段が限られるうえにその精度も疑わしい。

「だが、何らかの変事があるならばそれを把握しておくべきだ。今後は、もう少し早く事態に気づくことができるように情報網を整備しておくべきだな。」

「今後の課題ですな。それらも合わせて、閣下にこの件について報告しておくべきかと思いますが。」

アルビオン側の情報が途絶しているのは望ましくない。一応、大使や領事館がアルビオンにあるとはいえ、それらとの連絡は取れていないのだから急場の用には立っていない。

「だろうな。伝令を飛ばす。最低でも三騎だ。龍騎士で伝令を送れ。内容は暗号化してしまう。万が一、アルビオン側に漏れるとことは厄介だ。この件に携わる人員を選別しておけ。」

ことがことであるだけに、慎重にならなくては。クルーを信頼しないわけではないが意図せずにことが漏れる可能性も排除しなくてはならないのだ。

「了解致しました。」

「私は、艦隊司令と共に、アルビオン側の旗艦に表敬訪問する予定だ。気のきいた者を従者として選別してくれ。案外、向こうの乗員も異常に感づいているかもしれない。」

確かに、直接相手側の旗艦に乗り込む機会を逃すべきではないな。しかし、ボスといると本当に厄介事に首を突っ込むことになるものだ。
厄介事であるけれどもその先に得るものが大きそうであるだけにボスはこれに喰らいついていくだろう。望ましくないかもしれないが、このボスについていくと退屈だけはしなくて済む。


{ロバート視点}

「ジェームズ陛下、初めてお目にかかります。ゲルマニア艦隊司令長官を拝命しております、フォン・ハルデンベルグ侯爵にございます。」

「同じく、初めて御意を得ますゲルマニア艦隊次席指揮官、フォン・コクラン辺境伯にございます。」

アルビオン王室の不穏な動向を探るべく部下たちは既に王都に散らばらさせてあるが、随行してきている人数の関係上もあってそう大勢で情報収集に勤しむわけにもいかない。
王都の領事館要員との接触も微妙な手掛かりしか得られていない。領事館の報告では、これといった異常が見られずに我々の一報からでようやく疑い始めたという。
人員がある程度借りられるのは助かるが、顔が見知られていることを配慮するとあまり過度に期待するのもどうかと思う。
私自身は、ゲルマアニ貴族として今回の演習に参加するアルビオン側の貴族たちや歓迎式典に参加している。
この手の行事は光栄と受け取るか決められた役割に乗っ取って行動する予定調和の一つとして億劫に思うかだが、どこか心あらずと言った参加者達の表情を見つけられたのでやはり何がしかの異変があったとみるべきだろう。

「大義である。今後は両国で共に事に当たり、もって安寧を保つことを望もう。」

だが、その前にこのことを持って対外的に同盟と見なされることを防いでおかなくては。同盟とは、ある意味で運命共同体足ることの宣言だ。運命共同体が本当であるかどうかは知らないが。
良好な両国の関係は望むところであるが、弱小な他国に運命共同体に引きずり込まれるのは外交政策上度し難い失策である。

「陛下のお言葉に感謝いたします。」

「ただ今のお言葉、大変光栄極まるものであります。今後も、両国が協力して空賊を討伐するなどし、秩序を回復していけるようにゲルマニアと致しましても隣国の一員として努力する所存にございます。」

ハルデンベルグ侯爵は、おおむね外交というよりは武を専門とされる御仁だ。いささか、外交交渉は荷が重いのではないかとも懸念されているため次席指揮官に私が任用された。とはいえ、侯爵とてゲルマニア貴族。
最低限の保身技術くらいは持ち合わせているので、さほどの欠点でもない。私の仕事は他人の心配ではなく、それよりは、無礼にならない程度に外交上の距離を保つことだ。
外交交渉は訓練された専門家に一任すべきなのだ。後ほど、ラムド伯等の専門家が束縛されないように基盤を作っておければよい。

「両国の、関係を今後も良好にするためにも、引き続き緊密な関係を構築できるようゲルマニア側より後ほど使節を派遣しようと考えております。御承諾いただけることを切に望むものであります。」

「あいわかった。今後も良好な関係を望むのはこちらとしても同じところだ。」

そう言い放つと、しばしの歓談を楽しむとよいと称し王が下がっていく。残された貴族たちとしばしの会話を交わすが、気になるのはここにいる貴族達の領地が北部に限定されていることだ。
艦隊構成上、一つの地域に偏ることは珍しくもないので当然の結果ではあるのかもしれない。それ自体はゲルマニアでも一般的であり、私自身ゲルマニアが新規に開拓した方面の部隊を統括しているのだから不審ではないかもしれない。
だが、アルビオンの艦隊構成上、ありえるのだろうか?王族を派遣するとあればその人物が管轄する艦隊を派遣するのが一番自然であり、北部に王族は存在しない。
遠縁の大貴族ならば存在しないわけでもないが、彼らが今回の演習に指揮官として参加しているわけでもない。まして、大貴族で王家に連なるという意味では適任というべき人材がほかにいくらでもいるはずだ。
メイジ達の中でも優秀な部類でもある彼らは、概して王国の騎士団かそれに類する類に属しているはずだ。そうなると、やはり違和感があると言わざるを得ない。何故、北部から貴族たちが出張ってきているのだろうか?
それとなく、会話に事かけて探りを入れてはみる。けれども、あまり露骨にやる訳にもいかないのだ。曲がりなりにも親善と友好をうたっている手前、専門家の足を引っ張るような、独断専行は望ましくない。
しかし、それが義務への怠慢でないか常に自省する必要もある。会場を見渡すと、どうしても違和感が付きまとい、判断に迷いが生じてしまう。
行動すべきか?すべきでないのか?つまるところ、本格的に探りを入れるべきだろうか?
どうも、北部の貴族というのは、誇りが高く家系自慢に興じる余裕がある。だが、正直に言って彼らの家系自慢は少々長すぎる。
貴族の礼節からいえば、お互いに自家紹介をしているときに話を遮るのは最悪のマナーの一つかもしれない。だが、つまりは、長すぎるとそれそのものが別の意味を伺わせてくるのだ。
自慢しかできないでいるおろか者を演じているようで、ゲルマニアからの客というものに対してはやや距離を置こうとしている。会話そのものが、情報の流出を恐れて防衛的なのが原因だ。
つまりは、礼節を守っているとはいえ、終始典礼の範疇で終わらせようとする姿勢が垣間見られる。
一応、隣り合わせとなる貴族達と、簡単に挨拶を交わしてはみるが、どうにも、口を割らせることができないでいる。
ここは一度、アプローチの方向を変えてみるべきか?貴族ではなく、王族についての反応を見るべきか。

「いや、それにしてもウェールズ皇太子殿下は御聡明であらせられる。モード大公殿下もウェールズ皇太子殿下をご支持されていると仄聞します。アルビオンは安泰でうらやましい限りですな。」

「いや、まったくもってその通りであります。」

見事なまでに、公式見解をなぞり、それに応じている。アルビオンが安泰であるということに、少しばかり疑問を彼らが呈するときは、逆に余裕がある時が多い。つまりは、謙遜で危機を語れるほどの安定がないのだろう。
それは、ここの奇妙な違和感とも一致している。では、何が原因か?

「アルビオンに比べ、我がゲルマニアはどうしても、問題やごたごた多くて。安定の秘訣をお教え願いたいものです。」

「これというものはないのですが、平穏で波風が立たねば、おのずと安定しましょう。」

平穏か。つまりは、なにかそうでないことが起きているという仮説が間違いなければ彼らは、この現状に対してなにがしかの状況を抱え込んでいるということか。

「それにしても、モード大公殿下がおうらやましい。私など、後継者に恵まれないでいるのに、殿下は後継ぎどころか優秀な甥にさえ恵まれておられる。」

「いや、私もモード大公殿下にあやかりたいものです。」

「なにをおっしゃいますか。卿とてまだまだお若い。」

「いやいや、お上手ですな。」

やはり、奇妙だ。こちらが触れていることは失礼にならないように言葉を選んでいるにしてもあまりほめられた会話ではない。モード大公は南部に主軸を置く大貴族だ。
これに対して、北部貴族は敵対とまではいかずとも、親愛の情をもつ理由がない。もちろん、口では何とでもいえるが、まるで、そういってほしいかのようにふるまっているのは何故だ?
北部貴族たちが反発を覚えてもしかるべき内容だ。しかし、彼らはニコニコとこの会話を楽しんでいるように見せたがっている。普通は、言葉に出さずとも、不快感を表明してしかるべきにもかかわらずだ。

「いや、本心なのですが・・・。失礼、少しはずします。」

礼を述べて少し距離を取り、給仕からワインを受け取るふりをしてテラスへと向かう。テラスから式典の会場を眺めてみると、どうしてもアルビオン側の貴族たちが何かを隠している様が気になって仕方がない。少なくとも、ゲルマニアとの友好を望んでいるということだけは確実なので遠征の可能性は乏しい。となるとやはり、内乱か?王家の中で叛意を抱いた人間の可能性を想定にすべきかもしれない。だが、それにしては日常といったものが落ちつきすぎている。それこそ、平穏なのだ。
やはり、この手のことに長けた人間を見つけ出して採用しておくべきだった。アルビオン側の腹を探ることが出来て、忠誠心に問題がない人間の発見は難しいかもしれないが。
最近では、ガリアの密偵共の優秀さがうらやましくて仕方がない。メイジでありながら魔法を過信せずに最善を尽くすところなど、よほどの訓練を積んでいるとしか考えられない。
忌々しいが、恐らくガリアはアルビオンにおけるこの問題も既に把握している可能性が高い。情報の不足というつけは、あまりにも高くつくだろう。
隣国に先んじられるということは大いなる失策だ。たまたま気がついたから良いものの、祖国のように他国へとしっかりと関心を払うようにしておかなくては大きな損失と脅威に直面せざるを得なくなる。


{ロバート視点}

事態が急変したのは、一人の密偵からいろいろと役に立つことを親密な友人達が聞き出してからであった。
ギュンターの船室で、周りに誰も近づけないように人を配置した上で私は、集まった情報を整理しため息をつきたくなるのを、辛うじて堪える。

「モード大公は政治感覚が幼児並みだな。」

月並みな表現で、我ながら情けない限りだ。それでも、私としてはそう言わざるを得ないような状況が脳裏に描き出される。
せめて、大公がウィンザー公爵並みに潔く地位を放棄し、その後に引退なり亡命なりを行えば王家の損害はともかくとしてある程度の個人としての幸福も追求できるだろうに。
公的な地位に恋恋としているつもりが本人にないのかもしれないが、現状では問題の悪化を座して見ているとしか思えない。
生まれながらの王族とて、最良の環境に置かれて教育された個人と、このぬるま湯のような義務と権利意識しか発生していない世界では質が違うのもやむを得ないことかもしれないが。

「これらが事実であれば、です。実際のところどうなのでしょうか?」

ギュンターが慎重な意見を述べてくれるが、それは空軍士官としての彼の経験が為したものであろう。彼自身も、私の見解にほぼ同意しているようだ。事実は、よっぽど小説やおとぎ話よりも怪奇きわまる。
とあるきっかけで出会った情報源は大変有意義な情報を残してくれた。その入手方法については単純で偶然によるところが大きく、かなり無粋な方法であったが、情報は情報だ。選り好みをできる立場ではないだろう。

「エルフを匿っているというだけでも宗教上、致命的な失点だ。ところがよりにもよって王族が相思相愛とくれば、王家の一大事だ。風評で流すにしては具体的すぎる。」

「だとすれば、これは大きな外交上のカードになりませんか?」

確かに、大きなカードではあるが大きすぎる。なまじ、小規模な問題であれば干渉しても相互に受ける傷は小さくて済むがこの規模の問題に下手を打つと火傷では済まない。
燃え盛る何かを掴もうとするのは異端査問にかけられた哀れな犠牲者でなければ、ただの愚者か狂人だろう。火に油を注ぐような真似を好んでする気にはなれない。
物事には、知られていても、知っていると名乗りを上げられると都合の悪ことがあり、なかったことにするために事態がさらに悪化することもよくある。

「無理だろうな。この手の問題は王家の威信が絡んでいる。下手な譲歩は望めない。全面対決を覚悟で対峙するにしては得るものが乏しい。」

「となると、今回の一件は秘密裏に処理されるということになるのでしょうか?」

他国が、これを名分としてアルビオンに介入したり宣戦布告するにはやや弱いが、異端であると火種として焚きつけるのにはほどよい問題だ。ロマリアの宗教庁が介入してきて事態をかき回すことはアルビオン貴族たちの望むところでもないだろう。
モード大公と王家の内密の問題とするには厄介な問題である。さらに頭が痛いのはエルフがどこから来たのか?という問題だろう。エルフの居住地域とアルビオンは重ならない。
それどころか、浮遊大陸に対して迷い込むとするにはあまりにも無理があるだろう。下手をすれば、アルビオン内部に意図的にエルフを匿っているという“誤解”が真実として流布されかねない。そうなれば、エルフを目の敵にしているロマリアの坊主たちはアルビオンを討伐することも目に入れかねないのだ。ロマリアの坊主以外誰も望まない戦争だ。
まあ、アルビオン出身系の枢機卿やその派閥以外にとっては、利権獲得という尊い聖戦なのだ。嬉々として邁進しかねない。

「少なくとも、アルビオン貴族ならばそう考えるだろう。彼らにしてみれば、火種が他国に飛び火する前に消し去ってしまいたいだろうからな。」

「では、この事態が収束すると?」

「それが、微妙だ。モード大公はジェームズ一世の実弟で有力な王族だ。彼の下にある貴族たちも南部で大きな力を持っている。有力すぎるといってもよい。」

「容易には処断しかねる、そういうわけですか。」

最悪内戦だ。エルフのために内戦を起すというのは名分としてはこれほど適さないものもないだろうが、政治というものは如何様にでも取り繕うことも可能だ。事実無根の口実によって粛清されようとしたとモード大公が主張すれば、エルフを匿う王族がいるものかという一般的な平民の思考に迎合するものとなり予断を許さない。
モード大公がエルフと心中する気になれば、それこそ面倒事が加速度的に拡散される。
アルビオン王家も警戒を強めており、それなりの戦備が整えられているのは間違いがないだろう。恐らく、内乱になっても南部の貴族全てがモード大公に与するとも思えない。だが、それでも内乱は確実にアルビオンに傷跡を残すであろう。

「では、この状況下での最善手はどのようなものだと思いますか?」

「現状で最適なのはモード大公の地位を保証する代わりに、問題となっているエルフを追放することだ。」

エルフの問題を除けば、モード大公は王弟として問題となるべき人物ではない。人格は比較的穏やかであるとされるし、王位を望んでもいない。皇太子との関係は、未知数であるものの険悪でない以上主たる障害要因とは現状ではならないだろう。南部の統治に関しても、有力であることは懸念材料になるとしても、行政官としては少なくとも腐敗した部類ではない。

「では、そのことをアルビオン側が何故行わないのでしょうか?彼らならばその程度のことはすぐに思いつくはずですが。」

「だから、モード大公の政治感覚が幼児並みなのだ。大方、公がそれに同意しないのだろう。」

モード大公がどのような判断をしたかは情報源も知らないようであった。だが、彼の口を割らせることができた範疇でも、状況証拠と組み合わせればある程度の想像はつく。
王家内部の問題として発覚次第迅速に処理されていないことを考慮すると、何かが問題の解決を妨げているのだろう。当然、それは当事者のどちらかに起因するものだ。
ジェームズ一世としては波風を立てたくないであろうから、問題の解決策は可能な限り穏便にとどめるのが、最も合理的な選択肢となる。それは、当然のことながら、妥協の模索となる。
では、それをモード大公が飲むか飲まないかで考えてみれば事態の理解も容易だ。国王にとって妥協可能なライン。それは、エルフの追放を含めた最低限の要求に留まるはずだ。
おそらく、ジェームズ一世個人の意向としては、事を荒立てたくないからと処罰さえ行われずに、奇妙な噂が流れて調べたけれども何も出てこなかったというところで落とし所を見つけるつもりだろう。
だが、最低限、エルフがいるのは飲めない。個人としての意向ではなく、政治的な意味合いが大きすぎるのだ。すでに、我々のような外部の人間が嗅ぎつけている以上、機密保持もあったものではないのだ。
物証が残されていては、良いのがれすらままならない。だから、最低限の要請としてエルフの追放要求は最大限の譲歩と共に突き付けられる。
恐らく、大公はそれに同意していないのだろう。だから、事態が難航している。

「では、王家はやはり処断するのでしょうか?」

「せざるをえなくなるか、それともロマリアになかったことにしてくれと頭を下げるかだろう。」

「ロマリアに頭を下げられるでしょうか?」

「そして、貴族達をどうやってか抑えられる目処がつくならば、一つの可能性としてはあるがね。」

難しい問いかけだ。王家内部の不和をなかったことにするためにロマリアに事態に目をつぶらせる。あるいは、発覚した時に穏便に済ませるためには相応の代価が必要となる。
そして、それ以上にエルフのためにロマリアに頭を下げたという事実は王家の権威に重大な危機をもたらしかねない。ゲルマニアほどでないにしてもアルビオンとて貴族と王家の関係はある面で牽制しあうものがある。
当然のことながら、ロマリア枢機卿団は、干渉してくるだろうし、利権にも貪欲に介入してくることとなるだろう。国家の趨勢を他国に影響されることを認めるかといわれると、それは認め得ても、統治者としては自殺に等しい。肉親の情として、最大限かばうという選択肢すら、政治家としては時と場合によっては致命的になるのだ。

「最終的にはジェームズ一世の性格次第だろう。王の性格はどのようなものだ?」

ギュンターは、ここしばらくのアルビオン滞在でアルビオンの世情に通じている。本人の語るところによれば、酒場での会話ほど有意義な情報はないとのことだ。
まあ、公開されている情報も大半がある面では真実なのだから、彼の主張も一理あるのだろう。むしろ、学ぶべきところも多いと捉える必要がある。

「良くも悪くも、王たらんとある御仁です。頭は耄碌していないようですから事態を理解した上で、王としての責務を果たそうとするでしょう。」

「この場合、王としての責務が何を指すかを理解すべきだな。王として、国を乱すわけにもいかないだろう。当然、この問題を何としてでも解決したいはずだ。」

「では、やはりモード大公を粛正する方向で動いていると見るべきでしょうか?」

モード大公の粛清。それは、当然の帰結としてアルビオン南部地域の動向が不安定化する。のみならず、アルビオンとの通商関係を強化しているゲルマニアの流通や貿易関係の商人達にも影響が出てくることが避けられない。
なにしろ、風石の使用量を抑えて、寄港するためには距離が短い飛行のほうが望ましく、さらに言うならばアルビオン南部は伝統的にフネの湾口を多く有してきた物流の拠点が多い。純粋な他国の問題であっても、こちらにも影響するのだ。

「そう判断させるのが、例の密偵の目的かもしれない。最後の最後で情報を操作された可能性が排除できない以上、慎重に探る必要もある。」

情報源の口を割らせるのは困難であった。まあ、以前新領でガリアから来た商人の中にいた不審な連中が、アルビオンでギュンターの部下に見つけられたのが運のつきだったのだろう。
比較的早めに啼いてくれたので、聞きたいことがそれなりに聴けた。それそのものはありがたかったが、彼はどうやら啼くには、いささか脆すぎたようだ。
私の好みの手法ではないが、時間がなかったために水のメイジ達による尋問、言葉を選ばないで言うならば自白剤に近いものを使った拷問だろう。これは、それなりに効果があるという。ただ、注意しなくてならないのは自白したことが真実であるとは限らないのだ。彼が、自白したことは彼が真実であると思っていることであるのだから、その事実確認を怠る訳にはいかないだろう。真実だと思いこませた情報を与え、敵に捕らえさせるという選択は、必ずしも珍しくないのだ。

「分かりました。こちらでもできる限り事態を把握できるように再度。事実確認に努めてきます。」

「よろしく頼む。だが、こちらの防諜を優先しろ。情報の確実性を求めるあまり、こちらの動きを掴まれては逆効果だ。」

そう付け加えると、ギュンターを退室させ、私なりに考えをまとめる。現状では、自白が正しいかどうかをまだ判断していない。だが、仮にだ。彼の言が正しかったと仮定して事態を考えてみよう。
ゲルマニア側のプレイヤーとしてこのゲームを把握するならば、何が得られるだろうか?まず、内密理に粛清された場合はその証拠を拾い、後ほどアルビオンかロマリアに恩を売りつけることができるだろう。
ロマリア枢機卿団との腹の探り合いは、腐臭がするので望むとするところではないが、選択肢としては何事も等しく検討される価値がある。
また、粛清の度合いによっては一部の人材が亡命しやすいよう、ゲルマニア側の受け入れ態勢を整備しておけばアルビオン側の内情を掴めるうえに、人口の増加と知識層の流入が期待できる。メイジ層の流入も期待可能だ。
次に、モード大公がおとなしくエルフの処分に同意した場合も同様だ。この場合は、個人的な関心としてはエルフがどうやってアルビオンに入ってきたのかという経路と、エルフたちの情報を得ることが可能だろう。
モード大公と取引することはリスクも大きいが、個人的にはやる価値が皆無ではないはずだ。選択肢の一つとしてエルフの追放先にゲルマニアの広大な森林地帯を提供することもありだろう。あとは、亜人討伐と称して適度に茶番を繰り広げておけばアルビオンに恩を売ることが可能だ。だが、この選択肢は、限りなくありえない選択肢だ。
むしろ、それよりは、内戦の公算が高い。可能性の問題に過ぎないが、内戦に発達した場合は望ましくないと言わざるを得ない。
隣国としては、適度にこちらを脅かさない程度の国力を持って安定した隣国であることが理想であるが、アルビオンはまあ安定していたし、こちらにとって深刻な問題では無かった。だが、内戦となれば当然治安は崩壊せざるを得ないだろうし、市場としての価値も暴落とせざるを得ない。まずもって、この内戦から得るところはないどころか早期の終結を望む立場にならざるを得ない。
それに、空賊を抑え込んでいるのはゲルマアニの艦隊によるところが大きいが、一方でアルビオン艦隊の役割も無視できないのだ。空域の安全を考えるならば、このことはあまり望ましくない。
国外の市場が喪失され、国内の物流が厄介事にさらされるのは正直に言って耐えがたい損失でしかない。浮遊大陸への干渉は、総合的にみても得るところが乏しい。
しかも派兵するならば、空軍に相応の被害を覚悟しなくてはならないところも厄介だ。補給線一つとっても広大な上に、脆弱なのだ。望ましいかどうかで言えば、距離の壁はあまりにも望ましくない。恐らく、アルビオンにもゲルマニアは勝てるだろう。得るもののない戦争を行う覚悟があればだが。占領地は経済的な負担でしかない。事態が加速度的に悪化する前に、介入してみることは可能だろうか?
選択肢として、モード大公の亡命先としてゲルマニアが受け入れるというものは伝統的な選択肢かもしれない。だが、それはエルフの処断が完了していなくては、公式には受け入れかねる。厄介事を抱えたまま来られても困るだけなのだ。何より、王位継承権を持っている王族の亡命を許すかといわれると、アルビオン王家は乗り気ではないだろう。何代にもわたって禍根を残しかねないのだ。
内乱は、避けなくてはならない。この情報を掴んだのだから活かせるものは活用したい。消極的に受け身で事態に対応するべきか?内乱にならないならば痛むものはあまりこちらとしてはないのだから。
さしあたっては、万一のモード大公派の貴族たちが、亡命しやすいように環境を整備する。さしあたっては、ムーダの船団を定期的に南部に寄港させるように手筈を整える程度にとどめるべきだろうか。次の定期報告書と、新領の行政府への指示書にこの旨を記載しておくべきだろう。あまり時間に余裕がないので早めに取り掛かることにしよう。


{ミミ視点}

「強制徴募してきた面々で、公務に志願したものはそちらに回しなさい。それ以外は、開発区画の整備に回し、適性に合わせて再配置するように。」

自業自得というべきかもしれないが、メイジ達も酒に酔えば当然、酔態を晒すことがある。その酔態が多少高くついたと彼らは学習し、メイジとしての誇りを学んでくれるであろうと、私は期待しています。高貴な精神と、高貴な能力をもったものを、教育する。まさしく、始祖ブリミルも我らが行いを賞賛しこそすれども、批判することはまずないという完璧極まりないことです。

「しかし、ミスタ・ネポスの提案がなければ今頃行き詰るところでした。彼には、功に見合った褒賞を用意すべきですね。」

そう部下に指示し、彼に休暇と褒美の手続きを取ろうと考えていたところにネポスが、上からの指示を持って駆け込んでくる。何にしても、行動が素早いというべきか、的を射ているというべきか。

「どうしました、ミスタ・ネポス?」

「コクラン卿より、急な御指示が。他国からの貴族を受け入れる用意を行っておけと。」

“貴族の受け入れですって!?”“他国から、受入!?って、それは!?”

思わず、叫びそうになるのをこらえネポスから差し出されたコクラン卿の指示書なる厄介物に目を通す。思えば、碌でもないことばかり、この封書から差し出される指示書には書かれている気がする。

「・・・つまり、貴族たちが亡命しやすいように整備しておけと卿はおっしゃる訳か。これはまた厄介な問題ですね。」

貴族とは誇りが高い生き物だ。高すぎるために、目線があまりにも高みに向けられすぎているといってもよい。おかげでメイジでない平民も、決して『使えないこともない』と悟るまでに多くの苦難がなければ、平民の価値を理解し得ない存在でもある。
亡命してくる貴族たちを受け入れるということは、彼らを受け入れるための人員の手当てや設備の用意も必要ということだ。それも至急に。しかし、この手の問題に関わるのは厄介事に関わるのと同義だろう。
そして、貴族位を持っている人材の大半は抱えている仕事が多すぎる。貴族以外に、貴族の相手をさせるのはお断り。自分から仕事を無駄に増やす趣味は、今のところないし、属僚にもそういう趣味は存在しない。
だから、仕事のできる貴族は慢性的に、各所との交渉等があり、簡単には新しい仕事に就けないのが実態。ただし、目の前のこの善良なメイジは別だ。彼は、今回の功績で叙勲されるのだから。
いささか彼には申し訳ないとは思いますが、尊い犠牲になっていただきましょう。

「ミスタ・ネポス。貴方には二つのことを伝えなくてはなりません。」

「私にですか?」

「ええ、まずはおめでとうを言わせてください。貴方のこれまでの。貢献を讃えて、シュヴァリエの地位が与えられることとなるでしょう。」

善良な、彼が喜びを満面に浮かべているうちにもう一つの厄介事を押し付けることにします。まあ、さすがに良心が痛むので、一日くらいは喜びを味わいさせてあげたいとも思いますが。

「そして、その地位にふさわしい仕事が貴方に与えられることになります。詳細は後ほど伝えるので、明日受け取りに来てください。」


{アルブレヒト三世視点}

アルビオンより戻ってきた演習艦隊から報告を聞き終えると、余は別室でつい先ほどまで随員の一員としてかしこまっていた男と話を交わしていた。

「結局、アルビオンに関しては放置か。」

「介入するにはあまりにも事態が中途半端でありました。」

確かに。もう少し、他国の情報を緊密に収集するべきかもしれない。現状では噂に頼る部分がかなり大きいのが問題であるとは思っていたがこれほどとは。

「最低限の利益は期待できるかと思われます。むしろ、問題はガリアでありましょう。あの国の情報収集はこちらを隔絶した水準にあると思われます。」

「あの無能王のやることだ。何を考えているのやら。」

ヤツが無能かどうかということに関して、余は大きな疑義を抱いていたがこの件で完全に認識を固めることができている。粛清の手際は問題を抱えているにしても効果的であったし、ジョゼフは想像以上の手腕と先を見通す目を持っているのかもしれない。

「好奇心で噂を集めるのと、賢明さで情報を収集するのでは事態が全く異なります。完全な憶測にならざるを得ないのですがガリア王が事態の背後にいるのではありませんか?」

それは、さすがに考えすぎだろう。だが、その用に思えるほどガリアの密偵が暗躍しているのは事実なのだ。もう少し、警戒を行うとともに、対抗策を検討しなくてはならないというべきだろう。
この男、ロバートはあまりにも、便利に使えるので多方面に活用してしまうが、そのために本来の目的であった国力増強が遅れているのは少しばかり本末転倒かもしれない。
余が対応策を練っている間に国力増強に勤しませるべきだろう。ともかく、新領は課題が少なくはないのだ。

「それは、いささか買い被りであるにしても警戒を要することは間違いあるまい。今後はその件についてこちらで検討してみよう。卿は、当分統治に勤しみ国力の発展に傾注してほしい。」

「分かりました。」

{ロバート視点}

アルビオンを去った私は、新しく設けられたコクラン辺境伯領の内政に取り掛かっていた。結局、アルビオンに対しては消極的に関わっていき、事態が致命的に悪化した際にのみ介入することをゲルマニアとしては決定している。
忌々しいことではあるが、過去の祖国の薔薇戦争のように泥沼化した内戦にならない限りにおいて、アルビオンはゲルマニアにとってよい穀物の輸出先であり、市場たりえるだろう。
私の直轄領と信託統治領は広大であるために、否応なしに役人の人手不足に直面している。このことを考えると、専門的な教育を受けた人材が不安を感じてアルビオンから亡命してきてくれることはある程度歓迎したい。厄介事を持ち込んでくるような大物については多少考えるべきかもしれないが、カラム嬢とその件に関しては打ち合わせを終わらせている。今後は、熟した果実が地面に落ちるのを眺めておくことが主たるものとなるだろう。
種をまいたならばそれを刈り取らねばならないだろうが、今回の件については私達は種まきを見学した程度にすぎない。貴族の責務として、領地の統治と領民を庇護することは、欠かせない義務である。
私自身としては、新しく設けた孤児院の子供たちの中からメイジなる素質のありそうな子供たちについての調査結果を耳にして、で少しばかり調査してみたい事項が増えたのだが、まずもって取り掛からなくてはならない責務が多すぎる。
個人的な好奇心を充足させうるためにもまずは統治機構の整備と内政の充実を図り、時間に余裕が出来次第に好奇心の赴くままに物事を楽しむことにしよう。残念極まりないにしても、今できる最善を尽くすのみだ。盲目的な快楽の追及は、度が過ぎると身を滅ぼす。
さて、私の職責は新領の信託統治を兼ねつつ、自らの領地を発展させることとなっている。実際には、新領の行政府が私の領地の中に置かれることとなっている等、実質的には自らの領地として扱って構わないとされている。カラム嬢が新領の監督官という役職で名目上の現地の責任者とされているが、辺境伯に従うものとされているために実質はさして変わっていない。
いろいろと、問題が山積している領地の現状であるが、最大の問題は人口の過剰流入だ。ある程度はトリステイン・ロマリアの外部からとゲルマニア内部からの人口の流入を想定し拡張の余地がある制度設計を行っていたにも関わらず、ダンドナルド・シティと命名された都市は既に人口が推定で2万人に匹敵しようという拡大具合だ。
頭痛の種であるのは、ムーダ経由で農民を辺境開発部に送り込む一定数だけを確保する予定だったにもかかわらず、ロマリアを経由しないルートでトリステイン王国からの流入者が都市部に流れ込んできていることである。これでは、都市計画そのものが見直しを必要とする。
ヴィンドボナのような、自然発生的な都市ではなく、明確な都市計画に基づいて効率的な開発拠点としてダンドナルド・シティを開発したいが、現状では都市の設計を行っているうちに、大量のスラム街が自然発生している。
自由農民ならば歓迎すること限りないが、逃亡者を匿うという対外的な印象はまずもってよろしくない。まして、スラム街の形成が急速に進展しかねないのは治安上も衛生上も許容しかねる問題である。国境を越境する際に様々な問題を隣接する領地でも引き起こしており、同格の辺境伯より苦言が呈されている。
その件については、ヴィンドボナ経由でのいくばくかの損害補填と謝罪によってことを鎮静化することに成功しているのもの、トリステイン王国からの流入は想像以上に数が多かった。貧困が一般的な中世とはいえ、多すぎやしないだろうか。
私個人としては、ある程度の貧しくも優秀な農業従事者と、専門的に教育された技術者を受け入れることで段階的に発展させていくつもりであっただけに現状には著しく困惑している。まず、食料流通の確保が頭痛の種だ。私の管轄権が及ぶ地域にどの程度の人口が存在しているかさえ、不明な現状で、都市部に合わせて周辺の人口も組み合わせると最低でも3万人以上の人口を養うだけの食料を確保しなくてはならない。
スラム街が形成されつつあることを考えると、暴動を抑えるためにもパンとサーカスは不可欠であるが、そのパンをどうやって確保するかで頭が痛い。パンを買う資金の工面も問題であるが、肝心のパンをどこから買えばいいのかすら、疑問である。食料は、収穫するまでにしばらくの時間を必要とする。
集団離村で、村がまとまって移住してきたケースは、彼らに自治を行わせる形で土地を与え、一任すれば問題はない。一応は、支援を行わなくてはならないだろう。最初に何を土地で育てるかや、農作の道具など多くの助言や協力が必要となるのは間違いない。
だが、人的なつながりがあり互助意識が高いために翌年からは収穫が十分とはいえずとも期待できる。彼らの食いぶち以上の余剰を買い上げる契約は早めに成立しており輸送コストが極めて安価に獲得できる見通しだ。
問題は、スラム街を形成しつつある面々だ。税がないという一面だけが強調された風説が意図的に流されているような印象を受けるが、課税能力がないような貧困層が急激に肥大化しつつある。当然、生きるためには何でもやらかしかねない。
これは、開発を進めていく上で極めて厄介な重荷と言わざるを得ないだろう。将来的には、豊富な人口を背景として発展する余地が大きいのだろうが現状では治安が悪化するきっかけになりかねない。行きつく先は、武装蜂起か暴動だ。
ロマリアから引き取る厄介者程度の扱いである貧困階級に関しては、ロマリアである程度の教育が施されているものが多かった。まあ、単純な日曜学校水準ではあるが、ある程度容易に仕事を割り振ることができた。この点に関しては、ロマリア内部での腐敗の是非はともかくとして教会での教育に感謝したいところだ。それでも今後はロマリア経由でムーダが搬送してくる人的資源のうちの何割かが教育を受けておらず、特に専門分野を持たない都市住人である可能性が懸念されている。
農民はいくらでも受け入れる余地がある。なぜならば、広大な土地が余っているのだから。技能者も歓迎する余地がある。彼らはその技能でもって富をもたらすのだから。問題は、都市にスラムを形成する面々だ。
労働意欲があるならばまだ鉱山労働や、街道整備等での需要がある。しかしながら、スラムには、どちらが先かわからないにしても大量の犯罪者が潜んでいるために問題が厄介になっている。犯罪者を鉱山や街道におけるか?鉱山で強制労働に使うならばともかくだ。
歩兵隊は、亜人対策の関係上と絶対数の不足から治安を十分に維持するには不足している。慢性的に治安機構が人員不足であることに加えて、犯罪者の多くがメイジである。
大半が傭兵崩れで、何故かここまでの旅費を篤志家によって支援されているようだ。トリステイン貴族たちがここまで慈悲深くも貧しい人々を旅に送り出すべく手を差し伸べていると知らなかった私の責任というべきだろうか。
とにかく治安機構の強化は急務の課題だ。それと並行して、税収が当面は期待できないために物産の開発等によって利益を得ることを考えなくてはならないだろう。予算がなくては、なにもできない。
山岳部の物産は多くの利益をもたらすことが期待されているものの、現状では効率的な収益源にする多面開発が不足している。北部の鉄鉱山は幸か不幸か人手が有り余っていることを背景としてかなりのペースで開発が進められている。
とはいうものの、メイジの不足という問題から加工に関しては手探りの状況だ。転炉でも作成できないかとブリタニカ百科事典を参考にある程度の概念設計図を試作しているが、効率は魔法の方が優れそうだ。蒸気機関も現状では必要かどうか微妙に疑問であるので、最も効果的に活用できるのはメイジ達であるというのが現状での私の結論だ。
メイジ達の固定化の魔法は物産の劣化を完全に防止できるという点において最大の価値を持っている。喜ばしいことに、ある程度の固定化ならば大半のメイジ達がこの作業に従事できる。このことを活用し、高価な山の物産を即座に固定化で鮮度を保ったまま消費地へ送り込めることが可能となっているのだ。
それらを活用し、今後はこれらの物産をアルビオンに輸出しようかと考えている。そこで得た資金で、ガリアから小麦を輸入することを現在検討している。だが、小麦を輸入したとしてもそれを買うことのできない貧民の問題が解決できない。
ともかく救貧策を検討しなくてならない。ギルバート法およびスピーナムランド制度を部分的に導入するべきだろうか?忌々しい共産主義者どもの口車に乗るようでまったく気乗りしないが、貧民問題を軽視すると暴動が続発した社会の経験を積むことになってしまう。
教会が役に立つならば彼らに問題を部分的に任せてしまうところだがこの世界の教会は面倒事があまりにも多すぎる。ロマリアから孤児院を丸ごと引き抜いたおかげで、その系統の比較的まともな聖職者が多数引きぬけたにしても、だ。
教会にあまり大きな財源を与えるとそれだけでロマリア本国の蛆虫が集る誘蛾灯になりかねない。ともかく、貧民対策についてはパウロス師の見解を伺うべきだろう。救済に関して熱心に活動されていると聞く。この件に関してはそれまで保留だ。
破壊工作というか、足を引っ張っている傭兵崩れ共に関しては討伐するしかないだろう。この件に関してはカラム嬢に一任する。悉く火刑に処してかまわないだろう。衛生上磔刑にして放置するのも好ましくないために早めに処理するように要望しておこう。
奇特なトリステイン貴族の面々に関しては、ヴィンドボナのラムド伯経由でマザリーニ枢機卿に話を通すことである程度の解決を図りたい。海に出ていた頃が恋しくなるような毎日だ。


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あとがきという名の言い訳編1

Q:礼砲の意味は?
A:1. 国旗、元首(天皇・国王・大統領など)、皇族 21発
2. 副大統領、首相、国賓 19発
3. 閣僚、特命全権大使、大将(統合・陸上・海上・航空幕僚長) 17発
4. 特命全権公使、中将(陸・海・空将) 15発
5. 臨時代理大使、少将(陸・海・空将補) 13発
6. 臨時代理公使、総領事、准将 11発
7. 領事 7発

※ウィキペディアより引用しました。


うん、イギリス海軍は予算にも厳しかったんだとご理解頂けるでしょうか?際限なく撃たれると予算が・・。

あと、礼砲で全部火薬使いましたと申請する艦長対策でもあったりします。訓練用の火薬も海軍の定数で行うのは厳しかったりするので、砲撃を重視した艦長なんかは私物の火薬を使った時代もあったりするそうです。(私物の火薬をつかってでも訓練し、巡航にでて拿捕できれば黒字です。すなわち、案外美味しかったりします。)
追伸
うっかり、入れるつもりだったエドワード8世の故事を入れ忘れていたので慌てて追記しました。

「王冠を賭けた恋」と言われるイギリスの王位を捨てて愛する女性と暮らした公爵は
「もし時計の針を元に戻せても、私は同じ道を選んだでしょう」
と言っていたそうです。

まあ、周りから誉められないにしてもこういう例もあるのだという感じでご参照ください。


福祉について。
一応、このロバートは一九四二年段階での救貧政策を念頭に置いて行動しているので今日のように充実した社会福祉という発想ではなく統治上の必要行為としてこれらを認識しています。

貴族の義務としての庇護も意識はしていますが、パトローネスとして貧民に接するかというと彼らをクリエンテスとは認識していないので弱いとお考えください。


{パウロス視点}

手元の予算と、来月から送られてくる子供たちの人数を考慮し、少しばかり余裕があると判断して、ささやかではあるけれども甘味を用意することにした。子供達の好きな果実の飲料と、少しばかりのパイを日曜日にでも出せるだろう。

「では、来月からはこのようにお願いします。」

「分かりました。」

出入りの商会の取り扱う商品は、ロマリアに比べるとやや劣るところがあるかもしれない。だが、もともと孤児院の予算では手が出せずに子供達には貧しい食事しか用意できなかった。それを思うと、予算が多少増額され、物価が少し下がっているということはかなり助かった。
それを考えると、安価な食糧が提供されているこの地でならば、子供たちの必要とするものもそこまで不足することがないことだろう。

「さて、お昼までにできるだけ早く仕事を終わらせなくては。」

ロマリアにいた頃は報告書を書いても、要望書を出してもそれが読まれているのかすら定かではなかったが、ゲルマニアに来てみれば提出を求められて係りの役人が回収のために飛び込んでくる有様だ。忙しさも、喜ばしい。
思っていた以上に、ゲルマニアは受け入れに際して最善を尽くしてくれている。要望した子供用の教育道具については、追加で20人分の筆記用具と初歩的なテキストが送られてきている。羽ペンにインクだけでも、昔はどうやって用意しようかと悩んだものだ。
いろいろと、考えなくてはいけませんが、不快ではないのでおもしろいものです。

「パウロス師、今よろしいでしょうか?」

物思いにふけりペンが止まっていたようだ。聞き覚えのある声に我に返ると、見覚えのある来訪客が扉からこちらの様子をうかがっている。どうやらノックを聞き逃すほど考え込んでいたらしい。慌てて、椅子を進めると共に、詫びることにする。

「失礼しました。なんの御用でしょうか?」

「教育についてご相談があります。コクラン卿よりパウロス師にダンドナルド・シティの初等教育をお願いしたいとの言伝が。」

「ですが、私は院を預かる身ですが・・・」

子供達とのことを考えつつも、教育に関わる時間はどれほど取れるだろうか?私一人で、院を運営するわけではないが、人手が余っているわけでもない。

「いえ、そのこの孤児院に付属の学舎を用意いたします。同時に、何人かのシスターやブラザーを募っていただき、貧しい子供達も教育を受けさせるために施設の外から少しばかり受け入れていただきたいのです。」

「お話しはごもっともです。ですが、急に人を集めるとなるとどうしても問題が出てきてしまいます。」

聖職者たちもそれぞれに仕事を抱えている。ゲルマニアやガリアといった大国ならば多くの聖職者が奉職しているのは間違いないが彼らを集めるとなるとどうしても時間がかかる。なにより、受け入れる人材はできる限り選びたいという本音もある。

「それよりは、読み書き程度を教える簡単な施設をコクラン卿がおつくりになる方が簡便ではないでしょうか?」

学舎はありがたいかもしれないが、少しばかり大きすぎて不便だろう。多くの子供達を学ばせるならば、出来る者たちから少しずつ協力を求めるのが最善だ。

「分かりました。こちらでも検討してみます。」

「よろしくお願いします。」

「いえ、助言を頂いているのはこちらですのでお気になさらないでください。それと、こちらは別件になりますがコクラン卿よりの私信になります。」

そういうと、若い役人は懐から書状を取り出すと私に手渡し、一礼すると立ち去っていく。若いながらも、優秀な彼らは、多忙なのだろう。

「なんとも、慌ただしいことです。子供達自慢の、ハーブティーをお出しする間もなかった」

ここでは、産物の開発が進められておりハーブや香草といったものが市中でも栽培するために売買されており、比較的安価に手に入るので子供達に手入れをお願いしてある。子供達の貴重なお小遣いになる、皆の自慢の一品だ。
お客に出すつもりで、子供たちが張り切っていたが、これは自分達で楽しむことになりそうだ。まあ、私は飲む専門ですね、と子どもたちに言われているのだが。私も、子供達に交じって土いじりをしているのだが、どうにも手際が悪いらしい。
子供達に先生は下手だと笑われてしまっている。こっそり、見ているとみんな毎日交代でやっているようなので、時たま混じる程度では一番下手になってしまうらしい。

「まあ、何はともあれ、お昼を皆と食べる前にやるべきことをやってしましょう。」

そう、独り言を呟くとパウロスは羽ペンを手に取り、手早く雑務に取り掛かった。



[15007] 歴史事象1 第一次トリステイン膺懲戦
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/01/08 16:30
{トリステイン貴族視点}

我々は、現在有志による国境の警備強化を行っている。成り上がり共の国から賊が複数侵入してくるおかげで麗しきトリステインの栄光をこれ以上にない形で貶められる日々は王家の無為無策で長らく続けられてきた。だが、我々心ある者たちの行動によって、トリステインは貴族とは何かという答えを内外に見せつけることができるだろう。

ラ・ヴァリエール公爵領の一角に陣取り賊の侵攻に備えていた我々に、その一方が飛び込んできたのはかなり日が沈み始めたころ合いであった。

「賊だ!越境してきたぞ!」

「よし、貴族に逆らうことの愚かさを教えてやろう!」

忌々しことに、これまでと同様に賊が越境してくるのは視界が限られる夜分に限られている。おおよその国境沿いに配置してある見張りからの警告が届くころには暗くて見過ごしてしまうことが多かった。だが、今ならばまだ日の光もあり見つけることも可能だろう。

「難しいな。時間が過ぎれば日が暮れてしまうぞ。」

「ウィンプフェン卿は慎重にすぎますぞ!賊ごときに後れを取る我らではないということを今こそ示すべきではありませぬか!」

杖を取り、威勢よく幾人かが出撃を唱和する。確かに、時間がかかれば日は暮れるかもしれない。だが、現状で手を拱くよりは行動すべき時期に来ている。

「備えを怠る訳にも行きますまい。ウィンプフェン卿は、事態をラ・ヴァリエール公爵に急報するとともにこの地で賊に備えていただこう。そうすれば、我らも心おきなく賊を討伐できよう!」

「その通りだ!」

「メイジの力を示す時が来ているのだ!」

大勢は、出戦に傾いている。だが、王都より派遣されてきたグリフォン隊の若い衛士が慎重論を投げかける。

「しかし、慎重を期すべきではないでしょうか?夜間の戦闘は多くの障害が予期されます。」

「だが、やらねばならない時があるということだ!」

まったく、栄光ある魔法衛士隊の精鋭がこのように及び腰になるとは、情けない限りだ。王家の唾棄すべき脆弱さはここまで伝染してしまっているようだ。

メイジの誇りである彼らがこのように堕落してしまうほど今の王家は混迷を極めていると言わざるを得ないのか。まあ、良い。この危機にあってこそ貴族としてのあるべき姿を見せつけることでハルケギニアに対してトリステイン貴族の誇りを見せるときだろう。

一人、また一人と杖を手に立ち上がり、出戦を主張する。今こそ、立ち上がりゲルマニアの成り上がり共とその賊に鉄槌を下すのだ!




{アルブレヒト三世視点}

「トリステイン軍がわが軍に対し攻撃を行っただと!?」

息も絶え絶えに駆けつけた急使がもたらした一報はウィンドボナの中枢に重大な驚きをもたらした。居並ぶ貴族達の顔にも驚きの表情が並んでいる。

「ラムド卿、これはどういうことだ。トリステイン王国はゲルマニアとの関係改善を望んでいるのではなかったのか?」

「確かに、マザリーニ枢機卿からはそのように。」

動揺を隠せずにラムド伯が、弁解を行う。トリステイン側と交渉を行ってきた彼からの報告によれば、トリステイン側も国内でも反ゲルマニアから関係の改善を希望しているとのことである。彼としても、この一報で揺らがざるを得ないだろう。

「連中に一杯食わされたということか?」

「だが、状況はどうなっている?全面的にトリステインが宣戦も布告せずに侵攻してきたというのか?」

「ガリアはどうだ!?側面を衝かれと、ただでは済まない!」

貴族たちは混乱もあらわに議論を行っている。現状では、分かっていることがあまりにも少なすぎる。突然の、急な攻撃を受けたとの報告。それが、過去に何度かぶつかっている相手であるために再度の戦争を予期するものは早くも軍備の懸念に掛っている。

「諸卿よ!落ちつくのだ!カビの生えた連中が攻めてきたというなら焼き払えば済むまでのことではないか!」

ハルデンベルグ侯爵が一喝し、ある程度混乱が収まる。状況は不明であるが、そうであるだけに無為に騒ぐのも無益と悟れるだけの武人が存在したことに余は感謝したくなる。貴族達を一喝するのは厄介な問題を巻き起こしかねないために余としては必要以上に面倒事を起こしたくはない。

「ハイデンベルグ侯爵の言やよし!トリステインがその気であるというならこちらも思い知らせてやればよい!」

幾人かの大貴族達が不快そうな表情を浮かべつつも沈黙を守る。選帝侯らにしてみれば、戦費の負担は気乗りする所ではないにしてもトリステイン側からの侵攻に対してはさすがに無視もできないだけに苦虫をかみつぶしたような心境であるだろう。

幸か不幸か、彼らは近年新規に領地を開発することに失敗しておりトリステイン側に対して領土的な要求を突き付けることに意欲的な面々が含まれている。

恐らく、この報が誤報でなければ間違いなく戦争だ。そして、やや困ったことに余の兵力は2000ほど北方に留まっている。ロバートによると増派が必要とのことで急に引き抜くわけにもいかないだろう。手元に兵を集めるのは時間がかかりそうだ。

「諸卿よ!余は、トリステインの攻撃が事実であるならば、帝政ゲルマニア皇帝としてこれを見過ごすことはできない!」

だが、対外的に弱腰であると内側から批判されることも厄介だ。政治闘争を辛うじて勝ち抜き親族を幽閉してまで得た地位には相応の威厳や役割が求められるものだ。

「ただちに真偽を確かめよ。事実であればトリステインに自らの行いに対して相応の結果をもたらしてやろう。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
解説(N○Kのその時歴史が・・風)

トリステイン王国は何故、ゲルマニアに対して攻撃を行ったのでしょうか?当時の反ゲルマニア感情は極めて高く、偶発的に戦闘行為がエスカレートしてしまったというのが判明している事実です。

今回資料をあらためて検証したところ、奇妙な点が明らかになってきました。これまでの定説と異なり、資料によれば、当時の王国首脳部はゲルマニアに対して宥和的な政策を望んでいました。さらに、一部の貴族達はアルビオンを交えた三国での同盟を模索していた動きも見られます。

トリステインは必ずしも、ゲルマニアとの衝突を望んでいたわけではなかったのです。

ですが、現実はそうはいきませんでした。

山賊を討伐するとの名目で出陣していた諸侯軍がゲルマニアに越境し付近に駐在していたツェルプストー辺境伯軍の一部を攻撃してしまいます。

この原因については諸説あるものの、夜間での追跡中に誤って越境し付近にいたツェルプストー辺境伯軍を賊だと誤認したというのが有力な定説です。

ここで、大きな悲劇が誤解によって引き起こされてしまいます。トリステイン側と異なり、ゲルマニア側は越境してきた謎の軍隊がトリステイン所属の軍であるとこの段階で把握しており、これをトリステイン王国による軍事行動であると認識していました。

彼らからしてみれば不法に越境し攻撃を加えてきたトリステインの意図は明白でした。敵わぬながらも全力で応戦するとともに、事態を告げる使者を各地へと派遣したのです。

この事態に真っ先に対応したのは友軍を攻撃されたツェルプストー辺境伯軍でした。寄港中であった空軍のフネに乗船した彼らは、トリステイン諸侯軍に対し空からの襲撃を敢行します。

この段階で、トリステイン諸侯軍の認識は空賊と遭遇したというものに留まっていました。当時は地図が整っておらず、夜間であることも災いします。彼らは、トリステイン領を出たことに気が付いていませんでした。トリステイン諸侯軍はこれを空賊を討伐する好機であると錯覚してしまいます。その結果、一撃を当てて帰還するフネを追跡し、救援に来たツェルプストー辺境伯軍と衝突することとなります。

この衝突は双方が誤解したまま行われた遭遇戦でした。
しかし、これによって双方の誤解はこの段階で極めて深刻なものとなってしまいます。

ゲルマニア側はトリステイン王国が本格的な侵攻を行うものであると錯覚し、トリステイン側は帝政ゲルマニアによる不法侵略と遭遇したとの錯覚にとらわれてしまいました。

これが、戦争の始まりになってしまいます。

この一報はウィンドボナが届くと同時にゲルマニアは大規模な軍事行動を決意します。一方、トリステイン側は首脳陣が事態の把握に混乱し、状況が把握できていませんでした。

今日でも議論の対象となるのがゲルマニアの即断です。宣戦布告の有無にもかかわらず報復行動に出たことに対してはいくつかの問題が指摘されています。

この件については、○○学院の××教授に・・・



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あとがき

こんな感じでちょっと両国にぶつかってもらいます。
どっちかといえばゲルマニア側が事態を深刻に受け止め、トリステイン側が勢いに任せている感じです。



[15007] 第九話 辺境伯ロバート・コクラン従軍記1 (旧第36話~第39話を編集してまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/07/28 00:18
{ロバート視点}

私は、まったくもって望まない戦争に従軍する経験に恵まれているようだ。以前は、騒がしい鉤十字共が祖国に牙を剥けてきたがために剣を取らざるを得なくなった。
今度は、望みもしない戦役に従軍する羽目になるのだ。祖国と女王陛下のために銃を取るのは吝かではないが、ゲルマニアのために報酬以上の労働を強いられるのは不当なものを感じざるを得ない。
まして、敵側の奇襲攻撃から戦争が始まったのかと少しばかり緊張して情報を収集してみれば実態は偶発的な遭遇戦がきっかけ。
しかも、事態の収拾どころか悪化を、何故か弱小戦力側が望んでいるという理解に苦しむ戦局なのである。追い詰められたものが牙をむくということはあり得ないわけではないが、最終的な勝敗は物量が決する。
だが、戦争は経済的に収支が厳しい。

「これは、戦後分割するパイが不足しないかが不安であるな。」

「コクラン卿、勝敗が定かである前にその言は油断大敵ではないでしょうか?」

確かに、フッガーの指摘は正しいものではある。敵を侮り、油断していては勝てる戦いも勝てなくなるだろう。あの忌々しいボーアで祖国は敵を侮り大きな痛手を被った。
栄光ある祖国の陸軍はたびたび敵を侮ったがために大きな損失を被り貴重な戦訓をもたらしている。まあ、最終的には勝利を収め、収支も釣り合ったとはいえ、油断した犠牲が大きかったということを忘れてはならない。
だが、それでもだ。勝敗は大半が、戦う前に決しているのだ。兵員の訓練、戦争計画の策定、補給計画の策定、物量の力。戦術的な失敗は挽回が可能な範疇の失態であるが、戦略的な失策は、戦術で持って贖えるものではない。
今回のトリステイン側の行動は、偶発的な行動に近いと言わざるを得ない。そして、なんら見通しもないままに全力で崖に向かって突撃しているようなものだろう。
トリステイン諸侯軍は戦力としてみた場合、戦術的には脅威たりえるが戦略的には取るに足らない戦力だ。それらが、国境戦である程度の活動を行っているために初動では立ち遅れたものの大局には影響を与えないだろう。

「油断は大敵であるが、仮にこの派遣軍が破られたとしてもゲルマニア側は増派を行えば済むだろう。だが、トリステイン側は一度崩れるとそれを立て直す余裕はない。」

だから、勝敗はそこまで問題でもないのだ。最終的には勝つのだから。むしろ、下手に大勝する方が危険である。敗北を別にすれば、安易な勝利ほど危険なものもないのだから。
従軍貴族という存在は、戦後にこそ厄介になりかねないのだ。我々、大英帝国の正確なビジョンをもって一次大戦後を予言した職業軍人と異なり、感情的な面々が軍権を持っているのだから。

「むしろ、ゲルマニアとしては貴族らの統制が問題なのだ。」

「しかし、褒賞としてトリステイン領を切り取るのでは?」

それを配分すれば褒章は十分ではないだろうか。そう言わんばかりのフッガーの疑問は純粋に彼が有能な商人だからだろうか?切り売りすることにかけては商人に勝るものはいないという点に関しては完全に同意する。
だが、土地を商品とみなすことは今後は政治的に望ましくないのだ。土地の所有権のみならばともかく、土地に付随する裁判権や行政権までもを分配することは簡単には容認できない。
中央集権を進展させるにしても土地を分配することによる権力構造はあまりにも脆弱だ。土地に依存する経済構造である以上、不動産物件は安易に切り売りできない。
そもそも、ゲルマニアでは貴族の力が強い。権威と実力を身につけることができれば中央集権が実現するにしても、仮に貴族たちに実力を伸ばす機会を下手に与えるわけにはいかない。

「無論、切り取ることも視野に入れている。だが、実際は武力で威嚇する程度にとどめたいものだ。」

何より、植民地の統治は得るものがないならば赤字なのだ。インドのように、トリステインが魅力ある土地ならば切り取ることにも同意できるだろう。だ
が、なまじ貧しく、治安が優れない地域を編入しても得るものは乏しく長期的な不安要素になるのみだ。そこが、シンガポールやジブラルタルのように戦略的な要衝であり死守すべきものでもない限りは予算の無駄というしかない。

「今回の目的は、反撃にとどめる程度なのですか?」

「率直に言おう。商会の行動原理と同じで今回の軍事行動は元が取れない。ガリアへの備えが無い状況での出兵はどうしても片手間にならざるを得ない。そうなれば、統治するにしても得るものが乏しい地域を抱え込むのは不採算なのだ。」

問題は、どこで手打ちにかかるかだ。戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは至難を極める。何より、この戦争に一部とはいえ貴族たちが乗り気であることは頭痛がひどくなる原因だ。
アルブレヒト三世の権力基盤上貴族たちの支持を失うような行動はとれず、戦争で勝った以上領土意欲が肥大化しかねない。かといって負けるわけにもいかない。
そして、下手をすると停戦に至るまでに多くの赤字を重ねることとなるだろうから、処理が難しくもなる。。何よりも、国力向上計画や、メイジの研究を行う時間的な余裕がなくなることもこの軍事行動が気乗りしない要因に入れるべきか。
勝敗をあいまいにすれば究極的には早期の講和も期待できるかもしれない。だが、それでは戦後に火種を抱え込みかねないだけに処理が難しい。こういうことを考えるのは、アルブレヒト3世の仕事であるだろうが。

「ですが、そのようなことを私に漏らしても構わないのでしょうか?」

大変、気を使ってもらうようで申し訳ない。話を漏らしてよいかどうかの伺いをさりげなく行えるあたりにしたたかな商人の本懐が垣間見えるというべきか。したたかで結構。
ともかく、外交的な解決を図りえないにしてもラインをつないでおくに超したことは無い。戦いを終わらせるためには相手との交渉が不可欠なのだから。
私はハンニバルの轍を踏むことは望んでいないのだ。ラムド伯に依頼し、隠密裏に交渉相手を見繕ってもらうしかない。そのためにも交渉する意思がこちらにあることだけでも伝えたい。
そのような意味からすれば、商人達に噂程度にせよこちらの意図を理解してもらえるものを流させるのも一つの手である。

「なに、ゲルマニア側に好戦的でない人間が混じっているということを伝えてくれるであろう?大きな商会にいつもお世話になっているが、今後もよろしくお願いしたい。」


{フッガー視点}

物資納品の契約を結ぶや否や、私はロマリアにある支店に当ててコクラン卿の意向をそれとなくトリステイン王国側に流すように指示する手紙を書き始めた。
戦争が始まって以来、突発的な需要に対応しようと多くの商会が動き回っている中で、どのように戦争が経過するかは重要な情報になるだけに噂そのものは比較的早く流れるだろう

「しかし、領土を目的としないとは。褒美に何を宛がうおつもりやら。」

書き上げた書状を送るように指示しつつ、この戦争の行く末を考える。双方ともに傭兵の募集を始めているが、景気の良いのは間違いなくゲルマニアだ。賃金の払いや、危険性を考慮すれば大半の良質な傭兵はゲルマニア側に着くと見るべきだろう。
事実、自分の商会が扱っている傭兵の仲介業も良質なものはゲルマニア側についている。質・量共にそこそこそろったものの多くがゲルマニアに勝算ありとして、従軍を求めるトリステイン側の要請に応じないか、ゲルマニア入りしている。
勝敗は、まずゲルマニアに分があると見るべきだ。トリステインの味方になりそうであったアルビオンは最近ゲルマニア寄りになりつつあるうえに国内に問題が何かあるらしい。
ガリアの動向はまったく不明だが、軍備を整えているとの報は入っていない上に、ゲルマニアの最大仮想敵であるから、常々防備が考えられている。ロマリアの介入は懸念材料ではあるにしても、動き始めるには時間がかかるだろう。
純粋に二国による戦争となるならば、トリステインの敗北は時間の問題だ。だが、戦後統治を考慮すると支配するのは避けたいとコクラン卿は指摘されている。

「目的がわからない。コクラン卿は何を考えているのだろうか?」

口に出してコクラン卿の目的を考えてみるも目的が皆目わからない。何を望んでいるのだろうか?この戦争から最大限の利益を引き出すつもりならば、征服してしまうに限る。
確かに、費用はかかるだろう。だが、統治に組み込むことは可能なはずだ。長期的な投資ということを厭うような人間ではないはずなのだが。
なによりも戦争馬鹿とまで称される貴族達を下手に押さえ込む理由があるのだろうか。単純な問題として、コクラン卿はメイジでない新興貴族だ。
仮にその新興貴族によって得るべき褒章が妨げられていたとなると政治的にコクラン卿の立場は致命的なものとなりかねない。当然、卿のことであるからその点からのフォローは考えているはずだが、それが思いつかない。

「諸卿の動きはどうだ?」

「現在のところ、選帝侯の一部が消極的な程度で大半の貴族たちは従軍を希望しているようです。」

情報収集に当たっている部下の一人に尋ねてみるもののその返答は予想しているものと異ならない。予想通りという答えに、自分の勘ぐりが外れたのかどうか微妙に判断が難しいところだと結論を保留。

「トリステイン側の反応は?」

「いまひとつ情報が錯綜していて判然としません。可能性の問題かもしれませんが、事態を理解できていない可能性すらあります。」

・・・は?理解できない。事態を理解できていないとはどういうことだ?偶発的な戦闘行為を拡大し、戦争に至らしめた挙句に、どうしてそうなったか理解できていないのか?

「どうも、現地の軍が独断で行動した可能性があります。」

戦争馬鹿の独断で軍事行動を行った可能性があるのだろうか?しかし、ラ・ヴァリエール公爵は比較的にせよ聡明な人間であるとの評価を固めていたはずなのだが。伝統的に関係の良くない両国間の衝突を望んだのか?
無益に戦役を引き起こすほどの愚者であっただろうか?報告によれば、軍事行動を行った部隊はラ・ヴァリエール公爵領から侵攻してきたというが、事実であるならば頭を抱えているのは中央の数少ない良識な面々だろう。
だが、憶測は後回しにしよう。情報が不足しすぎている。

「それと、真偽は不明なのですが先ほどのロマリアからの情報では、ゲルマニアが不法に越境攻撃してきたとして非難する声がトリステイン宮廷で有力なようです。」

「・・・事態を把握できていないな。見事なまでの混乱具合だ。これならば迎え撃つどころではないだろう。」

ここまで周知狼狽するとは、なかなか愉快な混乱具合になっているようだ。

「さらに、激昂した一部の反ゲルマニア貴族が志願して前線に出向いているらしく、国境付近で散発的に衝突が続いています。」

「つまりそのような面々の、士気は旺盛なのだな?」

貴族が志願して前線に出るとは。正直に言ってこれは予想していなかった展開だ。急に義務に目覚めたのでないならば反ゲルマニア感情は鋼の意志なのだろうか。ともかく、今分かっていることをまとめよう。

「貴族たちはゲルマニア・トリステイン共に総じて戦争には乗り気。ただし、上はそれほどでもないということか。」

「そのようですね。ただ、トリステイン王国のそれは事態を把握できていない可能性を考慮すべきかと。」


{オスマン視点}

「やれやれ、厄介ごとになりそうじゃのぉ。」

国境沿いでの緊張が高まっていることは分かっていた。何事も起こらねば良いと願っていたものの、戦争馬鹿が騒いだようじゃ。王家は混乱しているようだし、一部の留学生の中にはガリアやアルビオンに帰国する者たちも現れている。
ゲルマニアからの留学生が途絶え、次にガリアとアルビオンからの留学生が減少し始めている。寂しい限りじゃ。現実的には、少しばかり学生の質も落ちてきているようで嘆かわしいことでもある。

「最近は、賊も多いと聞くし警備を強化しなくてはならないかのう。」

王国に依頼して警備の強化を依頼することも考えてみたが、現状でまともに対応してくれるだろうか?仮にもここまで侵入されることも無いじゃろうが、備えるに越したことも無いはずだ。
自分でできることをやっておくにこしたこともない。

「ミスタ・コル・・、なんじゃったかな。ともかく、警備を固めるようにお願いする。」

抗議してくるミスタ・コル?なんとかの声を聞き流しつつ、状況を考える。風聞が流れているがはっきりとしたことが分からないのは面倒だ。
せいぜい対応をしっかりとしておかなく程度のことでもやっておかなくてはならないだろう。最悪、ロマリアに頭を下げることとなることも視野に入れなくてはなるまい。


{ギュンター視点}

ムーダの運ぶものは基本的に物資である。だが当然、フネにつめる以上ならば人でも乗せるのだ。フネは開けた土地を運用上必要とするもののそれ以外の地理的な制約からは自由な部類だ。
馬車を使うことなく国土から傭兵を募り運送するという点に関してならば見事な役割を果たしている。

「しかし、ツェルプストー辺境伯は災難だったな。」

「確かに。夜襲によってかなりの痛手を受けられたとか。事態を問い合わせる使者にも攻撃があったと聞きました。おそらく、向こう側は相当に本気なのだろうな。」

傭兵団の団長たちの情報交換に耳を立てて情報収集に勤めるが、やはり彼らの耳は早くて正確だ。ほぼ正確な情報をつかめているのは見事というべきだろう。
最低限の状況判断をおこい損害を最小に収めるという点においては彼らの戦術能力はそこそこの水準にある。

「しかし、ラ・ヴァリエール公爵は歴戦のメイジだ。あまり相手にしたくないな。」

「だが、今回はそれを避けるわけにもいかないだろう。なにより、向こうの払いは良くない。全般的にこちらを見下す上に支払いを踏み倒すこともある。」

「そこが納得いかない。なにより、魔法が使えない傭兵は壁にしか見ていないからな。使い潰されるのはごめんこうむりたい。」

確かに、トリステインはメイジ至上主義の弊害が大きい。それはトリステインの欠点だろう。彼らはメイジにはある程度の執着をもっているため、メイジを主軸とする軍備強化に努めているかもしれないが平民の活用は得意ではないはずだ。
空軍においてすらその傾向があったとアルビオンで知り合ったアルビオン軍人が語っていた。それが事実であるならば、彼らの空軍運用は困難に直面するだろう。
なにより、アルビオン艦隊との演習でそれなりの練度にあることが確認できているのはありがたい。あの高名なアルビオン艦隊に比べればトリステイン艦隊は獲物としては少しばかり魅力に劣るかもしれないが。
まあ、ボスの懐から鉛弾を馳走してやる気になる程度には魅力的であるからけちけちする気も無い。
ついでに言うならば、拿捕賞金が期待できるならば喜んでお付き合いしてあげるだろう。大規模な会戦となれば鹵獲も困難かもしれないので、散発的な襲撃計画があると良いのだが。

「それにしても、今回のトリステイン側の募兵は奇妙だったな。」

「というと?」

「何でも、珍しく貴族連中が志願する形で募兵を行っているらしい。王国の募集は遅々としたものらしいぞ。」

「変だな。貴族が乗り気なのか?寝返る工作でも考えているのだろうか?」

残念ながらそうはいかないだろう。ムーダを通じての報告ではトリステインの空気は純度の極めて高い反ゲルマニア一色のはずだが。それはつまり貴族が乗り気であるというのはメイジが戦意旺盛ということだ。
貴族どもは例外なくあの国ではメイジであるのが確かであるだけに厄介だ。珍しいことであるだろうが、貴族が戦意旺盛ということはメイジの精神力が旺盛ということを意味するのだから。
こちらも気を引き締めてかからねばなるまい。


{ニコラ視点}

トリスタニアの一角で財務次卿のニコラ・デマレことメールボワ侯爵は苦虫をかみつぶした表情で報告を持ち込んできた部下と相対していた。
財務を司る部門に配属されて以来、メールボワ侯爵に機嫌のよい時など訪れたことがないが、本日の不機嫌さはいつにもなく深刻である。

「つまり、諸侯軍が交戦に陥ったと。」

「はい。どうも、釣られて追撃したところを待ち伏せされていたようです。」

それはどうかな、と思う。血の気の多い誇りだけで生きているような連中だからな。自分の同類であるとは思いたくないが、いかんせん自分も先の見えないトリステイン貴族としてゲルマニアの連中に嘲笑されていることだろう。
あの卑しいだの成り上がりだの言われているが、ゲルマニアの財務はこちらよりもはるかにまともだ。為政者としてみれば向こうのほうが健全な水準を保っているのは間違いない。

「まあ、それはいい。状況はどうなっている?可能ならば事態は早い段階で収集をつけたい。」

マザリーニ枢機卿ならば話は通じるだろう。問題は、話が通じることと、事態が改善することが直結していないことだ。ここしばらくの反ゲルマニア感情の高まりは異常だと言ってもよい。
こちらの暴発をゲルマニアが期待したのかとも勘ぐっているが、どうにも奇妙だ。ゲルマニアの軍備は戦時に移行しているようでもなく、むしろこちらの行為に当惑しているようでもある。
現地の軍は、こちらに対して奮戦してはいるようだが、どうにも場当たり的な印象だった。

「いえ、その、前線ではゲルマニア軍に対して積極的に攻勢に出ており、戦果報告と増援の要請がきております。」

「はあぁ!?連中、遭遇戦に満足せずに戦争でもやらかすつもりか!?」

思わず、悪態をつきたくなる。ただでさえ予算に余裕がないのだ。ここしばらくの賊の跋扈やら人口の流出やらに真剣に対応したいときである。ただでさえ貧しいというのに、これ以上に浪費できるわけがない。にもかかわらず、大半のアホ共は傭兵を雇って戦争ごっこに備えているようであったが、ごっこで済ます気がないようだ。

「いいか、王国にそんな戦争をやらかす余裕はないのだ。マザリーニ枢機卿にはその旨をよろしく伝えてほしい。さっさと、ゲルマニアにでも頭を下げないと、クルデンホルフ大公国に頭を下げて金を借りることになりかねん。」

曲がりなりにもゲルマニアに頭を下げることになるのも気に入らないが、それよりも格下のクルンデンホルフの連中に頭を下げるのはさらに耐えがたい。最悪の場合、諸侯軍の暴走ということで切り捨てる選択肢も視野に入れるべきかもしれない。

「いっそ、勝ってくれれば楽なんだがね。」

夢想と笑われるくらいにありえないことではあるが、ヴィンドボナまで征服してくれるならば問題は何もない。だが、実際のところそううまくも行くまい。現状では、まず勝利は困難だ。
というよりは、侵攻し遠征をおこなうには少々どころか物資に難点がある。皮肉な問題なのは、諸侯軍は自前の物資を意欲的に調達しており長期にわたり戦う意志を示していることだろう。王国の窮乏にもかかわらず、貴族が戦意旺盛とは。
今の予算の出所は、以前アルビオンから勧誘された艦隊演習用に捻出しておいたものだ。
忌々しいことに、ゲルマニアとアルビオンとは合同演習に参加し友好を深めるべきだと、予算が苛立たしい中で提案したにもかかわらず却下された。
それどころかその予算を、無駄な戦争用に流用された時にはデムリ卿と共に嘆いたものだ。
だが、いろいろと問題があるにしても軍備に関しては、実のところ防衛に関してならば問題はそうない。演習用の予算から曲がりなりにも装備は整えられているのだ。
ゲルマニアの戦力は間違いなく優勢だ。だがそれを全力で動員できるかどうかといわれると微妙にならざるを得ない。どちらにしても時間がかかる。
かの国に対して本格的な動員を完了し、攻勢に転ずる前にそれがあまりに釣り合わないということをヴィンドボナのまともな貴族達に認識させることができれば、講和の可能性がないわけではない。
リッシュモン卿にいくら鼻薬を嗅がせつつ、諸侯軍に責任を押し付ける形で最終的には王家に反抗的な貴族達をすりつぶすことにしよう。
確かに、がっちりとぶつかれば勝てないかもしれないが、局地的に勝利できれば向こうも交渉にははいるだろう。幸いにも、ラ・ヴァリエール公爵家は有力な貴族の中でも有数の軍備を持っている。中央の統制に服していない軍事力をすりつぶすにはよい機会であるし簡単にすりつぶされるほどでもないのでよく使えるだろう。まあ、そうでも考えないとやっていられない。

「なにはともあれ、デムリ卿と相談し、傭兵を雇う資金を捻出しなくては。」

まったく、無能共の後始末ほど気の乗らないうえに面倒な仕事はないものだ。まだむしろ、敵のほうが信頼できるとは。
だれか、予算の範疇で物事をやるということを理解できる政治家がいれば、我が国が誇る歴史ある貴族一ダースと交換してもらいたい気分だ。望むならば、いくつかの鉱山採掘権と湾口管理権をおまけしてもよい。おつりがくるくらい、我が国の財務状況は改善できるはずだ。


{ロバート視点}

私は、戦争におけるメイジの役割を軽視しすぎていたのかもしれない。増派の第一陣として2000名規模の近隣の軍が派遣されていたはずだが、半数以上が使い物にならないでいるという。実に半数が損耗している計算である。
ツェルプストー辺境伯軍の消耗は想像以上だ。聞けば反攻作戦の一環として拠点を獲得しようと前進したところに強力なメイジを擁するラ・ヴァリエール公爵軍が出張ってきたらしい。奮戦したのは事実であっても、反攻攻勢用の拠点構築どころか駆逐されるというありさまだ。ラ・ヴァリエール公爵軍の練度そのものも、かなりのものだという。
強力なメイジを有する敵軍との対峙という情勢は厄介なものだ。

「ギュンター、事前報告と違うぞ。戦力では優勢にあるのではなかったのか?」

事前に耳にしている兵力比率ではほぼ互角かやや優勢のはずだった。そこに増援として2000程度の歩兵とメイジの混成部隊を送りこんだ。小規模な国境紛争ならば十分に優勢を保っていなくてはならないはずだが。
戦力で圧倒できている以上、多少の戦術的な齟齬があったといえどもこれほど壊滅的な損害をこうむりうるものなのだろうか?敵がそれほど戦備を整えているとなれば、こちらの動員速度を圧倒するだけの動員能力を有するか、すでに展開している戦力がこちらの予想を大幅に上回るのか?

「どうやら、かなり有力なメイジがいるようです。風系統のスクウェアメイジが間違いなく暴れているはずです。」

「空から叩けないのか?」

大半のメイジとて対空攻撃力は限定的のはずだ。対空砲にいたっては概念すら存在しないに等しい。この状況下においては余程、高度を落とさない限りにおいては一方的に攻撃し、砲弾で大地を耕せるはずだ。支援攻撃能力としては十分のはずだったのだが。

「叩くも何も、話にならないそうです。空まで攻撃が届くメイジらしいです。」

「本当なのかそれは?まったく、これではフネでの会戦は期待できないではないか。」

既存の問題としては、空と陸の連携がうまくできていない。所属する組織が違う軍である上に諸侯と常備軍であるから連携がうまくいかないにしても、これまではある程度空軍に余力があるために問題がなかった。
問題がないと見なしたのは、制空権が獲得できている以上優勢が確定したと判断したから。そこに空からの攻撃が持つ優位性を否定される可能性を考えていなかった。

「空まで攻撃が届くメイジがいるとは。」

護衛という名の盾に囲まれた強力なメイジ。これは要塞に匹敵する難攻さだ。これでは、地上の要塞対海の戦艦という最悪のタブーを犯すことになる。ダーダネルス作戦の失敗を繰り返すようなものだ。
これだけは絶対に避けなくてはならない。こちらはあまりにも脆弱なのだ。向こうのメイジとて脆弱さはこちら以下だが、厄介にも人間の盾で防備を固めている。
損害比を気にしない共産主義者共の手法を真似するのは、指揮官としてあるべからざる愚行であるし、敵に背を見せて無意味に逃げ出すのもおぞましい。何とかして、優勢を保ちつつ勝たねばならないのだ。

「まったく、予定通りにいく戦争などないということだな。ともかく敵戦力の再評価だ。前線の指揮を取られている諸卿とも合流し、今後の方策を考えていかざるを得ないが、ここはツェルプストー辺境伯の顔を立てておくべきだろう。」

「では、表敬訪問を為されますか?」

・・・部下はなかなかの皮肉精神に充ち溢れているからなかなかに飽きないものだ。この状況下では表敬訪問を喜ぶのは貴族だろうとさすがにいないだろう。まあ、何も知らない後方の間抜けどもならやりかねないだろうが。
まして、当初より前線にあるツェルプストー辺境伯にしてみれば時間を無為に取られるよりは目の前の問題を解決したいに違いない。
下手に表敬訪問などするとこちらの真意が疑われかねないだろう。まともに援軍として戦闘する意思が存在するということを示した方がよほど礼にかなっている。
だが、私の部下はいかにもといった態で貴族全般を皮肉るということを趣味にでもしているのだろうか?
部下の趣味嗜好にはさほど干渉しない主義だが、行き過ぎるならばたしなめるべきだろうか?

「いや、軍議の打ち合わせを希望していることを伝えてほしい。我々は増援の第二派で本格的な増派の先遣隊だ。さしあたっての指示だけでも受領したい。」

「了解しました。合わせて情報を頂いてまいります。」

能力ならば、有能なのだが。まあ、どこにも問題の無い人材など不思議の国にしか存在しないおとぎ話といえば其れまでだが。

「任せる。私は、これから先遣されたフネと合流する。午後には出撃用意を整えておくのでそれまでに帰艦せよ。」

忌々しいことに、この戦争は対して収益がないまったくの赤字だ。全面動員など無意味極まりないが、かといって負け続ける訳にもいかない。まったく手札が限定された状況でこのように面倒極まりない事態になるとは。
戦後の和平交渉においてはこの結果を踏まえて念には念を入れて対応しなくてはならない。二度と騒げないように改善してやらねばなるまい。
どちらにせよ、そのためにも現状を勝ち抜かなくては。最善を尽くし、優勢をもぎ取るしかないだろう。そのためにも情報が必要だ。
沸騰していない湯で淹れられて、冷めきった紅茶を飲むように苦々しいことこの上ないが、私もアフガニスタンに派遣された祖国の陸軍のように敵情を完全に把握せずに情勢を判断していたツケを払わされているらしい。
常々、赤軍の無能共に物資を運んでいたことを嘆いていた身がまさか、同じような立場に立たされるとは何たる皮肉だろうか。共産主義者共と同じように死体の山で勝利を買う真似をしたくはないものだ。

「伝令を出す。次にムーダが補給を持ってきた際に、ヴィンドボナへの伝令を乗せるようにしろ。人選は、任せる。」

同行する部下達に指示を出すと、手際良く処理すべき補給物資の受領指揮に取り掛かる。物量で敵を凌駕できるならば、それに越したことはない。
質のみで戦争ができるわけではないのだから、穏当にできることを堅実に行っていくのみだ。
まあ、帆船の戦隊を預けられることになるとは、神ならぬ身にしてみれば予想もしなかったことだけに多少困惑しているのだが。
ただ、軍人として、出来ることを士官として尽くすのみだ。


{ロバート視点}

さて、状況を整理しよう。受領した情報によれば、こちら側が戦力的には優勢である。
しかしながら、部隊当たりのメイジ比率では、彼我の戦力は逆転している。そのために部隊単位での戦闘力はこちらが劣る。
しかも、陸戦では常軌を逸脱した攻撃力を有するメイジが敵側に存在している。
おそらくメイジ達は防衛に関しては素人だと踏んでいるのだが、無策に射程に飛び込むのも気に入らない。なにより、こちらの歩兵も敵メイジと防御力には大差がない。
赤軍のように人肉でもって大地に肥料をばらまくほど無策に指揮できるほどに、私は恥を知らないわけではない。
率直に言って状況は膠着状態にある。援軍を待つというのは堅実な方策ではある。だが、それではあまりにも消極的にすぎる。戦争とは他の手段をもってする政治の継続であるのだ。
内実はともかく、対外的には優勢にあるかを装わなくては政治的な失策になるだろう。つまり、面倒事が増えることを意味する。
この状況下に適した戦略は二つだ。一つはキツネ狩りだろう。公爵家の物資を貯蓄してある拠点を散発的に襲撃し、後方を潰す。
これによって、安全な後方地域を失い疲弊したところを機動力で翻弄し、疲弊しきったところを撃つ。
もう一つは、ハンニバルのイタリア分離工作の模倣だ。もともと、この世界の貴族は疑心暗鬼の塊が人間の体をしているような面々が多すぎる。
であるならば、疑心暗鬼が駆り立てられるように分断してしまえばよい。
つまり、戦術的に圧倒的に優位とある部隊ならばそれを遊兵にしてしまうに限る。それと、ぶつからずに特定の貴族の部隊のみを攻撃してみたとする。
できれば、強力な敵部隊を指揮する貴族となにがしかの問題を抱えている貴族のほうが、効果的だろう。放っておけば、内部不和で崩壊するのも期待できる。連中は、ローマではないのだ。ハンニバルは実に正しかった。ただ、相手が悪かったにすぎない。
古代以来、敵の最大の主力を遊兵に出来るかどうかが大きな分水嶺であったのだから、この戦術も大いに有効だろう。二つの戦略を組み合わせるべきかもしれない。

「この付近のトリステイン貴族の勢力図は分かるか?」

「こちらになります。」

たたき上げの平民士官は、ゲルマニア空軍の中でも最も優秀な人材の類だ。まあ、一定以上に昇進するには、面倒事も多いようではあるが。
彼らの補佐能力は、参謀として理想的かもしれない。まあ、これは余裕ができてから考えるべきことだろう。
さて、トリステインに関する地図はゲルマニアの地勢図に比較すれば不正確であるにしても、これまでの調査である程度のことは分かっている。大まかな概要を理解する分には問題はない。相手側貴族を捕虜として地図でも獲得できれば通商破壊等で有利なのだが、さすがにそれは高望だろう。現状で最善は尽くされている。

「戦力として、突出しているのは前方に展開している公爵家の軍なのだな?」

「はい、それに付随する形で諸侯軍の主力がこちらの国境沿いに展開しています。」

「では、第二戦線を形成、これらを圧迫、包囲できないか?今ならば、敵の側面が脆弱なのだが。」

敵主力がこちらに終結しているということは、正面戦力に全力を傾注しすぎている傾向があるはずだ。後方の防衛はお粗末にならざるを得ない。
兵站は事前の想定通りこちらが有利だ。国力の違いが、局地戦にも露骨に反映される形で潤沢な物資供給体制がこちらには用意されている。
その上に、空賊対策から護衛船団方式を研究してあるために、長距離浸透通商破壊攻撃対策もある程度は整っている。
この状況下で、敵正面戦力とまともに遊ぶのは、本意とするところではない。
せいぜい、彼らには走り回ってさんざん疲労し尽くしてもらおう。

「側面に展開できる軍の目的は何でありましょうか?」

「ガリアへの牽制、及び第二戦線形成によるトリステイン側の戦力の分散だ。確固撃破を指向せよ」

例えばだ。公爵軍らがこちらとにらみ合いを続けている状況で、他の戦線で激しい戦闘が起きていればトリスタニアでこれをどう判断するだろうか?
もっと言うならば、対峙するということの難しさを理解できる連中が、後方にいるだろうか?
あとは、ヴィンドボナで、公爵家と内々に話がついているとでも流せば、いつの間にやら戦う前に敵は崩壊する。

「恐らく、第二戦線の形成は相当時間がかかるかと思われます。」

「いや、主戦力を割り振るわけではない。あくまでも敵の動揺を誘うための助攻だ。」

「しかし、第二戦線を形成するとなると、距離があるためにどうしても時間が必要です。」

ふむ、たしかに陸を進軍しているのでは時間がかかりすぎる上に、対応の余裕をもたらしてしまうか。
だが、機動力でならば随一の戦力をこちらは持ち合わせているのだ。

「となると、やはりフネの機動力が頼みの綱となる訳だ。よし、主要な人員を集めてくれ。ギュンターが戻り次第方針を説明する。」


{ニコラ視点}

財政改善の必要性を認められて次卿に抜擢された時は喜び勇んだものだ。さっそく改革に乗り出す、とまではいかなくとも相応のことを試みるつもりであった。だが近年の情勢がそれを許さない。もちろん、親愛なる貴族達の予算の浪費癖は知っていた。だが、戦争となるとこれまでのものとは訳が異なってくる。
連中に知性を教育したという教師が存在しないか、あるいは存在したとしても、その教師に知性が存在しなかったことに、私ならば全財産を賭けてもよい。ついでに言うと、そういう面倒事の後始末を自分に押し付けるやつは碌でもないやつらだ。当然、目の前にある手紙の差出人、マザリーニ枢機卿は絶対に清らかな魂の持ち主ではないはずだ。

「艦隊をただちにゲルマニア方面へ進発させる費用を捻出しろと?」

思わず、マザリーニ枢機卿の要請に反発してしまう。この方は優秀であることは否定できないが、どうにも政治の事情を財政に強要してくる傾向があるのだ。
嘆かわしい財政状況のことを念頭に置き書状にため息をつきたくなる。予算があるのならば早々に手当てしたいことがあまりにも多いというのにこの現状ではそうもいかない。
しかも、放置していれば段々と予算が先細っていくことが目に見えている。

「まあ、来年の予算を前倒しで流用すれば不可能ではないが・・・。」

その場合、王家の関連予算は相当数の削減を余儀なくされるとともに、いくつかの主要な収入源を下賜せざるを得なくなる。貴族達が喜び勇んで王家に形だけの忠誠を誓うことになるだろう。
ただでさえ程遠い財政健全化は、自分の後任者の後任者くらいには見当が始められるかもしれない。それくらい、事態が悪化しかねない。
今は、まだ良いものの、アンリエッタ王女の婚姻費用を捻出するなどの措置も行わなければならない時期にこう言った出費は手痛いものだ。

「むしろ、傭兵に多数を出すべきだろうな。メイジに対して壁となりえる連中が少なすぎる。」

一部の貴族達が、前線では支払いを渋っているとも聞く。確かに対峙しているだけでは傭兵に給金を支払いたくはならないだろう。とはいえだ、それはあまり望ましくないのではないだろうか。前線で反乱騒ぎを傭兵に起こされるのも困る。
こちらの弱みを敵前で晒されても困るのだ。そうなれば、交渉に際して露骨に足元を見られることとなる。
トリステインの特徴は、多くのメイジに支えられた強大な魔法の力を活用する軍だ。魔法衛士隊など、一隊が全て実力者で構成されている。
それらに加えて、前衛がしっかりとしているように見せているからこそある程度の戦線の停滞が実現しているだけだ。
壁となる兵さえいれば十分にメイジの力で押し返せるが、その壁が少ない状況での戦争は犠牲が大きくなるだけだろう。
当然、相手は損害を抑えることが可能であるだろうし、そうなれば戦意も高揚するのは間違いない。

「メイジである程度の優位を獲得できることが不幸中の幸いだった。」

普段は多すぎるのではないかと思えてならない貴族達が複数従軍しているために、一応の戦力としてのメイジが確保できているのはありがたい。
個人的には、そのまま祖国のために殉職してくれれば言うことは何もないのだが、面倒事を残したまま死なれても厄介なので現状では放置するしかない。

「必要なのは、戦術的な勝利。交渉のきっかけさえ掴めれば後はどうとでもなるのだが・・。」

まあ、増援とそのための資金を送っておくべきだろう。ある程度護衛を強化しておくべきかもしれないが、今回は増援がそのまま護衛になりえる。気に入らないが追加支出について検討するべきかもしれない。


{ギュンター視点}

「諸君、私の提案するものは空賊討伐と違い拿捕賞金も出なければ、動きもしない獲物である。すなわち、目標は各貴族の城館である。」

ボスの言うとおり、トリステインの城館は動かないだろうし、そもそも拿捕賞金の対象でもないだろ。だから、わざわざそれを襲いに行く理由は何だろうか?
挑発せずともトリステイン諸侯軍は戦意過剰のはずだが。つい先日も、先走った一隊がラ・ヴァリエール公爵軍の進路上に割り込み、見事なまでに吹き飛ばされかけているほどだ。
敵を誘導し罠にでも嵌めるのだろうか?しかし、ここは火計の用意もできていないのだ。どういう意図なのだ?

「友軍の援護ですか?」

「友軍の援護という目的を最大限に発揮するためにも、こちらの方が効率的だ。一度の攻撃で敵の動揺と、分裂を期待できるという点は大きい。」

敵の戦意を対象とする攻撃か。しかし、貴族達が城館を攻撃された程度で戦意を失うだろうか?むしろ、さらにいきり立つとしか思えないのだが。
誇り高い連中だ。我慢どころではないだろう。泥を塗られたら、相手の血を見ないと我慢できないような相手ということをボスにご理解いただけていないのだろうか?

「コクラン卿、それでは敵の戦意が過剰に高まるだけではないでしょうか?」

「その可能性は排除できないが、傭兵や平民たちの動揺は期待できる。」

「しかし、それで釣り合いますか?」

「メイジの割合が高いとはいえ軍の大半を占めているのはメイジではないのだ。彼らの戦意を挫ければ優勢となる」

「確かにそうです。ですがメイジの戦意が高まれば、精神力が爆発的に力を出す可能性を考慮なさってください。」

メイジの力をボスは理屈で判断するが、どうも不安になる。このボスは優秀であるがゆえに時々、こういった視点が欠落している。
ボスの判断はおおむね正しいにしても、理で動かない相手に対しては、もう少し慎重にあるべきだと進言しておかねば。


「なにも、城館を襲撃する必要はないはずですであります。他の目標を破壊するのではどうでしょうか?」

「一理ある。だが、城館を襲撃されたとなれば敵も根拠地を懸念せざるを得ないではないか。」

確かに、自身の領地が襲撃されたと聞けばある程度は動揺するだろう。だが、それは怒りにも帰結しないだろうか?

「怒りに駆られるのでは?」

「・・・だが、何かそれ以上に有効な目標があるだろうか?」

貴族の動揺と従軍している平民や傭兵たちの戦意喪失。これらの両者を狙える目標は確かに難しい。ボスのことだ。自分でも真剣に次の目標を検討しているのだろうが、ここは言い出した手前それなりに意見を考えなくてはならない。
そして今回ばかりは、自信がある。先立つものがなければ、傭兵という連中は見限りをつけるのもはやくなるうえに、付近の平民たちも協力を惜しむようになるというものだ。

「もうすぐ月末です。傭兵たちに支払うべき給金が運ばれてくるとみるべきでしょう。ここは傭兵たちの給金を襲うべきです!」

「それはどの程度の額で、どのルートを通じて搬送されるのだ?」


{ロバート視点}

傭兵・メイジ、これらは私にとって異質な存在だ。知識としては身につけたつもりでもやはり体で理解するのは難しいのだろう。傭兵の給金という視点からのアプローチは、このギュンターの指摘まで気付けなかった。いわれてみれば、スイス傭兵の希少性も、彼らの戦意や忠誠心がずば抜けていたからこそである。
そうでなければ、フランス王室が、自国の兵士ではなく彼らを近衛になど採用しない。まして、それ以外の一般的な傭兵など規律の面では高が知れよう。確かに、傭兵には給金が支払われなくてはならない。彼らは常備軍ではないのだから契約の不履行に直面すれば直ちに不満を表明するだろう。

「では、まず馬車駅を潰そう。逃げ道をなくして追い立てれば、容易に補足できる。」

要領はキツネ狩りと同じだ。少々大げさな砲を使うことになるし、獲物がそこまで俊敏に逃げ回れるかどうか疑問があるにしても、心躍る物がある。追いかけまわし、疲れきったところに砲撃を加える。実に爽快な気分である。

「わかりました。ですが、さすがに護衛が付いていると思われますが。」

「目的を悟られるのはまずい。適当に破壊行動を行っているように偽装せよ。ある程度手当たり次第に攻撃し、こちらの目的を悟らせるな。」

馬車駅を重点的に狙ったのではなく、たまたま攻撃されたと誤解させることができればよいのだが。今回の攻撃は、補給線や城館襲撃といったことよりも深刻な問題をトリステインにもたらすであろう。仮に、給金が支払われたとしても傭兵への支払いのたびに給金を艦隊に奪われていてはいずれ前線の資金が枯渇する。
なにより、護衛にもこれまで以上に、手間をかけなくてはならない上に、兵站への負荷も莫大なものとなる。こちらは、少数のフネで奇襲を随意に行えばよいのだ。しかも、相手に通商破壊をやられる不安はない。なにしろ、敵側のフネではこちらの防御を打ち破って浸透する能力はないのだ。
空賊対策の一環としてこちらの整備した、対空監視網はそうそう容易に突破できるものではない。だからこそ、多数の空賊がこちらから、トリステイン側に亡命しているのだ。

「それと、虚報をこちらの陣地に流しておこう。艦隊がトリステイン艦隊を引き出すために挑発行動に出ると噂を流しておけ。」

「了解しました。出立はいつほどになされますか?」

「噂が広がるのを二日待つ。その間に襲撃計画の策定と斥候の派遣を行っておくことにしよう。」

この戦場では噂が広がってもトリステイン側に届くまでにしばらくの時間がかかるであろう。相手とて多少はこちらに情報を集めようとはするはずだ。そこで、耳にするのは少数のフネが挑発行動を計画しているということ。
そして、実際に少数のフネが破壊活動を行っているとの続報が届けばどうだろうか。向こう側はそれを真実であると見なさねばならない可能性に直面し混乱するはずだ。少なくともこちらの意図を解するにはすこしばかり余計な時間がかかることになる。
小手先の類かもしれないが、敵が錯乱できるならばそれに越したこともないだろう。

「了解しました。さっそく、用意に取りかかります。」

~襲撃航行に発してしばらくたってから~
 {ロバート視点}

思っていた以上に、この衝突は長引きそうである。目的が、軍事的に限定的な勝利でなければこちら側の好戦的な貴族達を巻き込んで戦争を行うことも可能であるが、それでは簡単に収集をつけることがこれまで以上に困難になる。
最悪、疲弊した領土を得る代わりに強力なガリアに相対する羽目なるのは気に入らない。疲弊した占領地など儲からないのだ。赤字以外の何物でもない領地に資源と、軍事力を注ぎ込むのは無益だ。ある程度の戦略的な要衝や、巨大な市場でもない限り、物事は上手くいかない。
植民地自体は、利益を生み出すが、利益が産み出せるところでないならば手を出すだけ無益だという見極めができることが最低条件だ。
現在のところ、戦局は拮抗している。混戦に持ち込めれば兵の数で圧倒しているために優位に戦局を維持できるのだが、魔法を使わせてしまうとかなりの兵が一度に吹き飛ばされてしまう。射程外から攻撃されるのはあまり体験したくはない経験だろう。
このような強力な敵を相手にする際に、教官たちは敵の弱体化を常に主張されていた。敵の弱体化。すなわち、この場合は敵の補給線と後方拠点を襲撃することだ。一次大戦の経験で通商破壊や補給線攻撃の重要性は否応なしに理解している。強力な力を維持するには多くのものが必要であり、それらへの襲撃は極めて友好であるのだ。
さしあたっては、投降勧告を拒絶し眼下を懸命に疾走している馬車の一群にその襲撃を向けることにしよう。

「帆を絞れ!僚艦に通達、“高度保ち単縦陣を維持しつつ並行砲撃戦に移れ。”だ。」

無線がないのは少々慣れないが、注意しておく必要がある。手旗信号やそれ以外の伝達手段は無線封鎖下にあると思えば少しは馴染み易いが、意識しておく必要があることもだ。

「足を止め、護衛の排除を優先する。ブドウ弾用意!以後、鎖弾と交互にそれぞれ三斉射。可能な限り高度を保ちつつ並走砲撃戦用意。」

「アイ・サー。並行砲撃戦に入ります。」

「メイジは優先して敵護衛を排除!龍騎士は降下に備え待機せよ。」

作戦自体は単純だ。距離を保ちつつ高度を活かして一方的に砲撃。敵戦力の排除を持って龍騎士隊と随伴部隊が降下し積荷を確保。そのまま搬送する。やや、当初の計画と異なるのは襲撃回数だ。
様子見を兼ねているために、ある程度の砲弾を搭載してきたが、襲撃航であるため使う砲弾は、ブドウ弾や鎖弾などに限定される。通商破壊を想定し、何度か獲物への攻撃を行う航海を想定していたのだが風石の関係上あまり長距離を探索航海をするのは困難があるようだ。
何度か試してみた結果であるが、今後はやはり弾薬と風石の搭載割合を見直すべきだろう。主として、対地戦闘が基本となるならば、そのように兵装を考慮しておく必要がある。

「砲撃用意!」

ギュンターが指揮所に上り指揮を執っている。彼はよいフネの指揮官だ。上から命じられた任務を最善の手段で持って遂行する能力と意志を有している。彼のように優秀な人間を旗艦に持てたことは私にとっては大いに歓迎すべき事態だ。操鑑に関しては彼に任せてしまえばよいのだから。

「コクラン卿、攻撃用意、完了しました。」

「よろしい。では派手にやろう。」


{ミミ視点}

「では、鉱山区画の周辺にいくつかの商会を進出させる見返りに5年間の減税を認めましょう。」

「カラム卿のご高配に感謝いたします。」

政務を取り行っていく上で最大の課題はいかにして人材を宛がうかだと父上はおっしゃっていた。その意味は十分に理解できている。必要なのは、効率的な運営を行う組織と、柔軟な人材の活用だ。その重要性も理解している。
今回の商談は重要なものだ。鉱山開発の進展を加速させることが期待できるだろう。それに加えて、スラム街の形成を防止するために貧民対策を行う上で、雇用先が増えるのも望ましいことだ。鉱山地区近隣は亜人の脅威が懸念され、商会の進出も遅れがちだっただけにテコ入れを図るという意味において成功したことは大きな一歩と言える。
しかしながら、本来は戦役に私も参加し、メイジとしての実力を披露する最良の機会であったはずであった。にもかかわらず、こうして書類に囲まれ商人たちと商談を交わす日々を私は強いられている。

「次の者を」

私は、傍に控えている従卒を促し待ち構えている来訪客の一人を招き入れるように促し、懸案事項を少しでも減らそうという悪戦苦闘を繰り返している。午前中から既に7人の来訪客と商談かそれに部類することを話している。だが、まだそれでも5人ほど残っているという。
しかも午後の部類の方が時間のかかる大物だというではないか。作業ははかどらない。より、厳密に言うならばなかなか減らない。軍にいくばくか人材を持っていかれてしまっているので、余裕があまりないところに加えて戦費の関係上書類の決裁だ。
戦費関係の決済を遅らせる訳にもいかずに私達はなかなかに余裕のない状況に置かれている。ここしばらくでは、ようやく強制的に徴収した人手で余裕が出来ていただけにこれはまた逆戻りしたと言える。忙しくてまた、口実を設けて労働力を確保すべきでないかとすら最近では思えてきてしまう。
ただ、ここから戦場に行って実力を発揮したいという思いの方が最近は強いのだが。

「お久しぶりです。アウグスブルク商会会長ハンス・フッガーにございます。」

「ああ、久しいわね。頼んでいたものは出来そうかしら?」

上司の発案した商品開発を商会と共同で行うという計画は、なじみの深いアウグスブルク商会に委ねられている。山の産物を使った魅力的な商品開発を商会に行わせることで開発にかかる労力と費用を省いて成果をこちらは得ることができ、商会側はそれらを優先的に売買する権利が与えられる。この試行がうまくゆけばいくつか他の商会とも提携することを検討することになっている。

「ええ、いくつか魅力的な案が用意できました。本日はその報告に参ったとのともに国境の件についていくつか耳にしましたので。」

例え、善意であるにしてもだ。商人たちが来るたびに戦局について情報がもたらされていては、この地から動けないわが身としてどうしようもない憤りを覚えてしまう。北部だからという理由で従軍できないのはまだ理解できるが、身の周りからそれなりの人数が従軍しているのだ。ああ始祖ブリミル、何故私はこのようなところにいるのですか?


{ギュンター視点}

砲撃を散々浴びせられ、かなり弱ってきた敵の護衛が戦意を喪失したらしく四散していく。一度だけブドウ弾で念押しをし、追い払ったところでボスが龍騎兵による降下を指示し、それに合わせて誤射を防ぐために砲撃の中止を指示する。並行して龍騎士たちが甲板にそろうのを待つ。
この目的のためにこの分艦隊で龍騎士が10人乗っている。彼らの任務は、背にメイジを乗せるとそのまま横転している馬車めがけて降下することだ。その後は、戦利品の回収ということになっている。

「目標を確保したようです。」

「よし、受け入れ用意!」

自分自身では油断することなく戦闘するよりも、時間をかけて積み込みを指揮する方がより気が疲れる。襲撃よりも実はこの積み込みが厄介かもしれないとひそかに思っているくらいだ。なにしろ、重量がある上に、時間をかけて敵地で回収作業をやらねばならないのだ。その分、見返りも大きいのだが。

「しかし、やっていることがほとんど賊だな。」

「上官批判ですか、ギュンター艦長?」

「冗談じゃない。ボスを批判するつもりはない。ただ、トリステイン貴族の皆様とトリステインの財務卿に対する申し訳なさで俺の良識的な心は一杯なのだ。」

「おや、艦長もでしたか。私も申し訳なくて、暖かい懐で飲むビター酒が苦くて苦くて仕方がないのです。これも罪の意識に苛まれるからかと泣く泣く飲み干しているのですが。」

拿捕賞金とは異なるがこの分捕り品から何割かがボスのご高配により分配されることになっている。傭兵たちの給金だ。酒に変えて飲み干すだけでも相当な苦労が想像できるほどの額であることは間違いないだろう。なにしろ、前線にいる傭兵たち全員分の給金を、いくら分艦隊の面々で処理するといっても人数が違いすぎる。
一番働くことになっている龍騎士の面々など財務関係者への罪悪感に駆られてワインに溺れて一晩で全員が昏倒したほどだ。まったくボスに従っていくと頭が痛くなって吐き気がしてしょうがない。

「おや、お前もか。」

良識的な部下に恵まれたものだ。自身とて帰還した後に飲むビター酒が苦くてたまらない。まったくもって苦いものだ。このフネにいるクルーはことごとくトリステインへの慙愧の念にとらわれることしばしというべきだろうか。今後は、トリステイン財務卿の健康を祝って乾杯をするべきかもしれない。

「良識的な人間が苦労するのはいつものこととはいえ、帰還するとまた頭が痛くなるのだろうな。今度はどこで飲もうか。」

「いい店を見つけておきます。」

見事な模範ともいうべき敬礼をして部署に戻っていく部下に感心しつつ最初の龍騎士がフネにもどってくるのを注意深く観察する。うっかり、龍の羽と帆がぶつかったりするといろいろと厄介だからこのところで気が抜けない。
そう思っているだけに最後の収容が終わるとほっとした気になる。何ごともなく撤収に成功した。陸に降下した面々は馬車に火を駆け金貨の袋をフネの甲板に山積みにしている。

「収容完了!荷物を金庫に運べ!それと、龍騎士たちに前祝だ。一杯だけ用意しておけ!」

一応、この金貨は王国の戦利品ということになっているが半分は実働部隊で山分けにすることをボスが上に掛け合って認めさせてくれている。近いうちに、家族にまた大きな仕送りが出来るかもしれない。
一族郎党はヴィンドボナの館に住んでいるが、いろいろと物入りのようだ。やはり、ボスを習って教育を受けさせるように指示したために金がかかっているらしい。だが、まあ当分は大丈夫だろう。

「さて、誰かコクラン卿に戦利品の鑑定と概算の算出を行う旨を通達してほしい。」

さて、いかほどのものがあったかゆっくり数えさせる事にしよう。帰還中に大まかな額が判明するだろう。どうも新金貨が混じっているようなので計算に揉めるかもしれないことが気がかりといえば気がかりだが思えば贅沢な悩みだ。
しかし、風石の関係上あまり長々と探索できないのは勿体ない。後方に浸透したのだから今後はもう少し長く動き回れるように方策を検討しておくべきだ。その方が接敵の機会も多くなるだろう。帰還する途中でボスと相談してみるべきかもしれない。



 {ある分艦隊クルーの視点}

そこは、とある酒場であった。どこにでも、従軍している商人達が営業しているといっても過言でないごくごく平凡な酒場である。その、酒場を独占して景気良く注文を出しているのが、自分達コクラン分艦隊のクルーであるということ以外、是といった特徴すらないくらいだ。まあ、居合わせた戦友諸君にも馳走するのもごく普通だ。
まあ、金遣いが少々以上に派手であるのは間違いないが、空軍の軍人なぞ、地上に降りなければ金に使い道もないということからしてもごくごく普通というほかないだろう。フネに乗っているときの金の使い道など限られているのだから。

「諸君、ビター酒は行き渡ったかね?チキンやステーキが足りないということはないかね?」

すでに、楽しげな気配が漂い始める中、ギュンター艦長が手にした杯を掲げて問いかけてくる。

「問題ありません!」

「大変結構。」

そういうなり、ギュンター艦長は手にしたトリステイン国旗を盛大に掲揚するよう、副長に重々しく命ずる。心得たりとばかりに、副長はコクラン卿の旗と、トリステイン王国の旗を掲揚し重々しく重厚な敬礼をしてのける。

「さて、お集まりの我がコクラン分艦隊クルー並びに、ゲルマニア戦友諸君。」

手にした杯を盛大に突き出しながらギュンター艦長が演説を一つぶちあげる。

「本日は、なんとトリステイン王国財務卿の御厚意により我らに振る舞い酒と、豪勢な宴が提供されている。」

「太っ腹ですな!」

「いや、御厚意が沁み渡ります!」

野次を挙げる声も実に楽しげだ。

「いや、かかる戦時にこのように敵方にまで、心遣いをしていただけるとは実にありがたいものです。」

「私など、トリステイン側にこれからは足を向けて寝れませんな!」

「はっはっはっ。部下が騎士道をわきまえていて大変結構。では、トリステイン財務卿の健康祈って乾杯!」

「乾杯!」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
補足的な何か

(´・ω・`)
無双ものにするつもりはもともとないのですが、ちょっとご指摘が多かったので補足を。

国力差があるけれども全面動員すれば勝てるよ的な。
            ↓
米国様だって太平洋と大西洋を二正面にしてもなお余裕があったけれども、一応本気になるまでいろいろ面倒事ありましたし。
            ↓
本気になれば週刊護衛空母とか、IC半端ないよねとか。

一応、ゲルマニア側が国力的には優勢で、かつそこそこ物量に物を文字通り言わせるわけですが、フィンランドのように抵抗されることも世の中にはあるのです。誰だってヘイヘがいる前線を攻撃したくないですよね。といった感じです。

今作は、弱小国をぼこるという原則に忠実に行いますが、弱小国が抵抗するという事例も多々反映するつもりです。

原作のキャラであるマザリーニ枢機卿とかの活動を書こうかとも思ったのですが、原作キャラの位置が難しいです。ヾ(´・ω・`)ノ

そこら辺を考えていこうと思っています。

7/28
まあ、ワルド子爵とかどうよと気がつきました!
彼には、活躍してもらう予定です。でも、原作から逸脱しているorz

画一的な対応に見えてしまうかもしれないとのご指摘もあるのですが、事象は全ての人に見えるとしてもその過程で何があったのかは結構他国には伝わらないものです。だから、できるだけこう反応するだろうなという形で対応しております。

全てのご指摘や、アドバイスにお応えできずに申し訳ありません。
m(_ _;)m

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
傭兵について
傭兵の忠誠心は伝統的にあまり高くありませんが、お給金が支払われている限りはそこそこに働いてくれます。まともな傭兵団なら。

常備軍以降にはあまり傭兵が正規軍にとってはなじみ深いものではなくなってしまいましたが、給料の支払いをめぐって反乱をおこしたりもするのが傭兵なのです。

常に忠実なのはスイス傭兵くらいです。(給金が支払われている限りにおいて。)

追伸: 帆船なら財宝を積んだ敵国の船を襲撃することはロマンです。英国なら伝統も加わるはずです。船ではなく馬車であってもそれはロマンに違いないと思いたいです。



[15007] 第十話 辺境伯ロバート・コクラン従軍記2 (旧第40話~第43話+断章7を編集してまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/07/28 23:24
{ロバート視点}

何度目かの巡航に従事していた時だった。それまでの巡航でもそれなりの戦果が挙がっていたが大規模な戦果というには至らずに、補給線の締め上げは未だ緩やかなものに留まらざるを得ないでいた。そこにトリステインからの急報がもたらされる。
大規模な物資輸送の動きがあるとの噂が囁かれていたがついにしびれを切らして現実となったらしい。調査しいたところ、確かに大規模な物資が流れていた。だが、その輸送方法は予想された中では最悪のものだった。予想以上の大物がかかってしまったというべきだろう。現状逆に喰われかけそうになっている。

「トリステイン艦隊の主力だな。15いや、少なく見積もっても20はいるな。」

こちら側は、偵察を兼ねるための長巡航用の兵装だ。数の上でも武装の質でも砲戦になれば圧倒される。まともにやり合えば敗北するのが目に見ている。
風石の搭載量がやや多めになっているのが強みではあるが、速度に乗るまでに敵艦隊の射程外に離脱できるかだろうか。離脱できるかは微妙なところがある。どちらにせよ、楽観するには程遠い。

「まずいですね。風向きが追い風ですので転進が間に合うかどうか微妙なところです。」

トリステイン艦隊と正対しているため、追い風に乗って分艦隊は加速状態にある。転進するにしても半径が大きくならざるを得ないうえに、相対速度が高いために両艦隊は急速に距離を狭めている。
そして、龍騎士がトリステイン艦隊から飛び出してき始めている。龍騎士に纏わりつかれながら操舵を行うのは厄介極まりないだろう。練度がどの程度かは分からないにしても、数は脅威だ。

「だが、むざむざと沈められるわけにもいくまい。転進だ。戦闘配備!龍騎士がこちらにたどり着く前に少しでも距離を取るぞ!」

龍騎士との戦闘はメイジや銃兵に依存する形になっている。数で飽和攻撃をうけるとあっけなく突破されかねない。距離があるうちにブドウ弾で迎撃すべきだろうか?だが、重量物を放棄し船足を速めたほうが最善であるようにも思える。
なにより、金貨や報酬として用意されている物品などでフネの重量が増大しているのは状況としては望ましくない。戦利品は惜しいが、命に勝るものでもないだろう。

「忌々しいが、戦利品を放棄だ。どの程度、連中の気を引けるかはわからんが黄金をばらまけば少しは気もそれるだろう。」

「もったいないですな。」

「だが、新金貨と心中することもないだろう。ブドウ弾の代わりに金貨でも装填するか?」

最悪、大砲等の重量物も放棄することになる。遠距離砲戦は命中率が期待できない。さらにこちらの砲戦能力を悟らせることにもなりかねない。だがここまで戦力に差があるのでは仕方がない。生き延びるためにも最善を尽くさねばならない。

「御冗談を。砲身が破裂しかねません。」

「なら、やむをえまい。重量物は投棄。大砲も最悪投棄する。」

ギュンターは即座に物申したげな顔になる。彼の言わんとするところは私の懸念する所でもあるが、今回ばかりは大砲を捨ててでも逃げる必要があるだろう。もちろん、無抵抗で逃げる訳ではないが。

「忌々しい追い風だが風上を取っている優位を活用しないこともない。こちらが反転するまで長距離砲撃だ。足止めを狙う。」

「アイサー。ただちに砲戦に入ります。」

「出し惜しみ無用だ。命を賭けるのだ。チップを惜しむなよ。」

状況は難しいところだが、逆にいえばこれ以上の悪化は予想しなくて良いというのが朗報だろう。さしあたってゲルマニア主力も動員を完了し、増派される。戦力面では相変わらずの優位を保てる。局地的な戦術的敗北は許容の範囲内だ。
今は逃げきれば勝利であると言ってもいい。トリステイン艦隊は金食い虫そのものだ。動員するだけで莫大な資金を浪費する。連中には、ボディーブローのようにじわじわと効いてくることだろう。仮にゲルマニアが同数を動員したところで国庫への負担は比較にならない程国力差はある。
まあ、何ら得るところのない戦役であるということが気分を著しく害しているのだが。貴族としての責務である青い血を流すことを厭うつもりはない。だが、消耗戦に陥り泥沼となることはあまり快適ではない。これは得るところがないうえに無駄でしかないのだ。


{ニコラ視点}

マザリーニ枢機卿の方策は常に国庫へ重大な脅威をもたらすものである。だが、マザリーニ枢機卿個人の責任というよりは、国家の失策をぬぐうために国庫に負担がかけられるというべきだろう。結局、財政面に掛る負荷は一向に改善されないのだが。
宮中の一角で私は、試算される費用の捻出に頭を悩ませつつも、要求された額を辛うじて捻出することに成功している。本当に、綱渡りのような方法での捻出になっている上に、これ以上は全くひねり出せないくらいに絞ったが、要求は達成した。

「では、確かに艦隊派遣費用と補給をお願いいたしします。」

「あいわかった。こちらも最善を尽くすと猊下にお伝え願いたい。」

ただ、何度も期待されても答えられるかは微妙だ。今回は、王室の過去の美術品などをさもありがたげに戦役に参加していない貴族どもに売却するとともに、本当に価値があるものや希少品の管理を美なものから実質重視に変えて節約した費用で賄った。
本当に限界寸前まで絞っているのだ。価値の高い美術品や、メイジが錬製したという装飾品は王家の権威を象徴すると貴族たちが建前では思っている。虚栄心の高い連中が購入してくれたためにある程度の予算は捻出できたが、このままでは借り入れることも検討しなくてはならない。
それでは、さらに首が回らなくなるところだ。早期にこの事態を外交的に解決できないだろうか。秘密裏の賠償ならばメンツもつぶれないのでこちらにしてみれば合意も容易だろう。艦隊の動員費用や戦費に比べれば負担は軽い。
仮に吹っ掛けられたとしても、分割払いならば財政に与える束縛も許容範囲は広いものだ。ゲルマニア側にしても、トリステインと対等になったという外交的な姿勢と、こちらの融和姿勢があれば多少は交渉に応じる可能性はあるとみてよい。
彼らは非始祖由来だが、それだけに権威付けが出来るとあれば多少の譲歩も辞さないだろう。今回だけならば。すでに、アルビオンとの友好関係を着実に構築している。ほぼ外交的に対等になりつつある今だからこそトリステインの外交的な価値も保たれているのだ。
ここで、トリステインがゲルマニアを認める。これが出来れば権威という面においてゲルマニアは妥協の可能性を見せるはずだ。おそらく、この戦いに負けてからでは、トリステインの権威など、その辺の瓦礫とさしたる違いがなくなる。
虚飾だろうと、なんだろうと、今ならばまだある程度は有効なのだ。

「ああ、それとすまないがもう一つ伝言を頼みたい。」

「何なりとお申し付けください。」

「私自身も猊下にお目にかかりたいとお伝えしてほしい。」

「かしこまりました。」

おそらく、マザリーニ枢機卿のことだ。ロマリア経由で既に外交交渉を始めているだろう。今回の艦隊派遣もその外交戦略の一翼と私は睨んでいる。あの方は有能であるが、それだけに敵も多い。ロマリア内部における枢機卿団の派閥争いは熾烈を極めるだろう。
意図的な、外交交渉のリークもありうる。ゲルマニアにならば、足元を見られるだけで済むだろうが、トリステイン内部には劇的な反応を惹き起こすことも懸念される。特に、外交交渉が発覚した場合の反マザリーニ派は激烈な反抗を見せるだろう。
前線にいる貴族の多くは、枢機卿を侮る言動が見えるという。彼らそのものはさして優秀ではないかもしれないが群れると脅威度は大きくならざるを得ない。反マザリーニという目的が一致すれば彼らは珍しく団結してことに及べるかもしれない。
どちらにしても、これ以上の混乱は許容できない。いい加減に、国力を回復させるべき時期が来ているのだ。でなければ、ヴィンドボナに忠誠を誓いに行く羽目になりかねない。まあ、必要とされるかは微妙だが。


{ラムド視点}

「いつ来ても、ロマリアは苦手ですな。」

「ああ、卿もでしたか。私もどうにも苦手でして。」

一隻の船が豪壮な船着き場に停泊すべく降下している。ゆったりと降下しているそのフネの船室で外交交渉を行うべくゲルマニアより派遣されたラムド伯は窓から壮麗な建造物を眺めつつも気乗りのしない表情でつぶやいた。

「まず、ロマリアにお世話になる。次にトリステイン貴族と仲良くお話しする。帰りたくなってしまうのは、私の意志の問題だろうか?」

「正使が、そう落ち込まれることもありませんよ。今回はそう難しい交渉ではないと閣下もおっしゃっていたではありませんか。」

そう慰めるようにとりなしてくる副使の言葉に礼を述べつつもラムド伯は、アルブレヒト三世からの難しい注文に先行きを悲観せざるを得ない気になる。まず、簡単な材料はトリステイン王室に対する賠償要求の放棄。代わりに向こうの王家はこちらに賠償要求を行わない。これは簡単に合意できるだろう。
問題は、国境付近の貴族に対する処罰要求だ。国境における貴族達の子弟をゲルマニアに留学させること。これは、末子や庶子があてがわれる可能性が高いが、メンツ以外ならばまあ飲めない条件ではない。相互理解や、融和など友好をうたって飲み易くすることも考えてある。
どちらにせよ、実質的には人質だが。それでも、この問題がまだ手ぬるく思えるほど激烈な要求が用意されているのだ。戦闘のきっかけになった貴族の半数を断絶させ、領地をゲルマニア側に譲渡するか、それに相当の金額をゲルマニアに支払わせよ。
この要求を彼らに求めるのはかなり厳しい。ヴィンドボナが外交解決を望んでいないのではないかと、錯覚しかねない程に激烈な要求なのだ。まず、トリステイン王家がこれを行えるかどうか微妙だ。王家がその気になればこれは不可能ではない条件だが、
その権威と実力は確実にこれまでになく動揺する。弱体化は免れないだろう。だが、これを認めさせることが出来なくては従軍しているゲルマニア軍は納得できないと聞く。取り分け、国境付近の諸侯に対する影響力は、決定的に落ち込むことになるだろう。
いくら、ゲルマニアが泥沼化を望んでいないといっても、トリステインのメンツのために中央集権を放棄することなどはありえない。それくらいならば、覚悟の上で泥沼の戦いに身を投じるだろう。マザリーニ枢機卿もそこを理解しているはずだ。
こちらがある程度の戦果と賠償を必要としていることは、認識した上で最善となる手法を追求してくることが想像に難しくない事態だろう。だが、ここはロマリアだ。第三国経由での交渉といえば聞こえは良いが、枢機卿にとっての第三国と言えるかどうかははなはだ疑わしいと言わざるを得ない。
枢機卿団は、少なくともいくつかの会派があるにしても、マザリーニ自身が属する枢機卿団もあるのだ。ロマリアの坊主が仲介を申し出てくるという事態からして手をまわされているとみて間違いないだろう。これだからロマリアというところが苦手になるのだ。
宗教者を相手にするのは、下手に刺激することもできず、外交交渉においてはなかなかに苦痛でしかない。現実的なマザリーニ枢機卿との交渉ならばまだ耐えようもあるにしてもだ。それを、唯一の慰めにするのは気乗りしないが。ともかく、早めに現地での情報収集と本国との連絡の強化に努めるほかないだろう。


{ロバート視点}

先の遭遇戦では辛うじてトリステイン艦隊を振り切ることに成功した。もっとも、大砲などの重量物も全て投棄した上に、遠距離の砲戦とはいえあれだけの戦力差だ。龍騎士による攻撃も結局防ぎきることは出来なかった。
忌々しいが、さすがにある程度の戦力は有している相手だ。衰えたりといっても、砕くにはある程度の抵抗を排除しなくてはならない。この、抵抗の排除にかかる時間が、手間があまりにも無駄に思えてならないのだが。
逃げ切れたものの、分艦隊の大半のフネはかなりの損傷を受けているために再戦力化にはかなりの時間が必要となるだろう。旗艦は幸いにも帆を少々痛められた程度であったので早期に戦線復帰が可能だ。
しかし、瞬間的にせよ艦隊比率が変動するのは避けねばならないために本隊と合流し、対峙することとなる。可能な限りの消耗回避に努めたいところではあるものの、外交努力次第といったところだろう。

「しかし、トリステインの財務はどうなっているのだろうか。」

出征中とて領土の管理は必要であり、当然のように書類が送られてくる。重要なものの決済は早めに済まさねばならず、それらはことごとく資金を必要する懸案事項で出征の影響を被っている。予算の使い道が、軍務に吸い取られており、最低限の必要を除けば、開発に必要な経費がことごとく不足している。
財務状況は当然のことながら、望ましいものではない。出征に際してある程度の余裕をもって編成した予算でさえ、これ以上の出費がかさむと開発計画に支障をきたしかねない水準にまで落ち込んでいる。ありていに言って予算がない。
まして、軍の維持に加えて、我々の飲食代や諸経費まで負担してくれるほど気前の良いトリステイン財務はどうなっているのだろうか。

「借金漬けなのでは?」

可能性として最も高いものを文官が指摘してくれる。確かに、借金漬けという可能性がないわけではないが、それにしては大規模な資金を市場から借り上げたときの市場における資金の不足や噂話が流れてこない。市場における資金の不足や、過剰な吸い上げは未だ耳にしていない。
そうである以上、金策を借入に依存せずにやってのけるか、あるいは借入を拒否されたかのどちらかということになる。どちらにせよ、相手もある程度の資金をもって戦場に出てきていることになる。借金ができないのであるならば、今後はさほど余裕もないだろうが、油断は禁物となる。

「そうならば、首がいずれ回らなくなるだろう。だが辛うじて踏みとどまっていると聞く。」

問題なのはそこだ。なりふり構わずに、資金調達をしなくて済む程度の財源をまだ有しているということだ。それならば、賠償に充てる資金も捻出できるのではないだろうか。もう、残っていないにしても、今回の分を捻出する余力はあるのだ。
そうであるならば、その経済基盤が残っているうちに早期講和に持ち込むほうが遥かに有益だろう。得るもののない戦争を長々と続行した揚句に、取り立てられるものが何一つとして存在していないよりは、不完全燃焼であっても賠償を得て引き揚げる方が損失も少なくて済む。
赤字ならばせめて最小限にとどめるべきだ。戦争を目的としないかぎり、どこかで落とし所を見つける必要があるというのだ。

「では、こちらの優位は時間の問題なのでは?」

「だが、こちらとて本気で軍を動かすとなると相応の面倒があるぞ。」

「国力差からして恐らく負けることはないはずですが。」

ああ、その通りだ。負けることはない。問題は、それで勝っていると言えるかどうかだろう。戦略的にみればこの戦役は無益極まりない。外交的にはこれそのものが敗北である。する必要がなく、かつする意味のない戦争をだらだらとやっている。
この恩恵を被るのはゲルマニア以外の他国だろう。トリステイン貴族たちの暴発が意図的なものかどうかは不明だが、煽られた可能性は否定できないものだ。勝てる戦争で勝っても自慢にならないが、する必要のない戦争をやらされているとなれば、笑い物になる覚悟が必要だ。
面倒事が多い。そして、考えるだけの時間が余っているだけに気にかかることが多くて仕方がない。取り分け、最近アルビオン方面からの情報流入が極端に減少し始めていることが気がかりだ。情報で後手に回ることは将来高くつきそうだ。
フネの流入は増大しているにもかかわらず王家関連の情報が著しく統制され始めている。恐らく、何らかの動きが近いうちにモード大公をめぐって起こるのだろう。現状で見れば、7:3で王家が有利だが、暴発や内乱の可能性がないわけでもない。
内乱か、そうなれば当然大きな変動が起こることを覚悟しなくてはならない。忌々しいというか、幸いにもというべきか、ゲルマニアは今回トリステイン問題を抱えているためにアルビオン問題に関して悪戯に食指を伸ばす愚者が出てくることはあまり懸念しなくてよい。
だが、それにしても出遅れている感じがあるのは気のせいなのだろうか?かつて有名な謀略家であるフランスのリシュリュー枢機卿の神聖ローマ帝国弱体化策やビスマルク外交の基本は悟れない範囲からの包囲だった。
気がついたころには決着がほとんどついているのだ。違和感を抱いているということは、何かがあるのではないか?その疑念が戦役のさなかにありながら付きまとって仕方がない。きな臭いことを感じ取ることは、生き残るうえで大きな分水嶺になると常に海軍では教えられた。分野が違うとはいえ何か厄介な事態が進展していることくらいは把握できる。ラムド伯は優秀だが、その本分はあくまでも外交交渉に留まる。諜報力、その欠如は対外政策において致命的な遅れをもたらすとともに、何者かの暗躍を容易にしてしまっている。

「盤外で分からないことが、複数存在している。それが我々には把握できていない。最悪の状況だ。つまるところ、忌々しいが笑うのはガリアだよ。ガリアとロマリアの坊主どもを喜ばしているようなものだ。」

「確かに、そうですね。ですが、目の前の敵を放置するわけにもいきません」

「分かっている。ああ、後でギュンターに夕食をともにできればうれしいと伝えてくれ。」

「かしこまりました。」

考えるべきことは多い。だが、それも前線ではあまり価値ある時間ではないだろう。今の戦力で何が出来るか。上の意向は少なくとも終戦か停戦。ただ、ある程度の戦果を望んでいないはずもない。
純粋に勝つためだけならば、損傷艦を火船に仕立てて敵艦隊に火薬を満載した状態で突っ込ませれば密集した艦隊に相応の打撃が与えられるだろう。だが、小手先での戦術的な戦果が求められているわけではない。
むしろ、問題解決のために必要なのは、政治的な戦果である。



{ラムド伯視点}

「ふむ、なかなか良いワインですね」

「お喜び頂けて光栄です。秘蔵のタルブ産ワインを出した甲斐があったというものです」

にこやかな笑顔を浮かべる神官に、こちらもにこやかな笑顔を貼りつかせて答礼とばかりに、ワインを注ぐ。ワインの質事態は素晴らしいものだ。だが、このワインは大方トリステイン側からの回されたものだろう。
どうやってかは分からないが、宿泊先に提供されているワインがことごとく、トリステイン産であれば、よほど愚鈍であっても気がつく。交渉前にワインでどちらに属しているとさりげなく暗示されている。
交渉はあまり歓迎できない状況で行わなくてはならないのかもしれない。マザリーニ枢機卿は基本的には道理が通じる交渉相手であるが、そうであるだけに最大限こちらの譲歩を引き出そうとしてくる交渉相手でもある。

「いや、わざわざ恐れ入ります。つまらないものですが、よろしければこちらも。」

ゲルマニアで新規に開発されている酒類の中から比較的高価なものをいくつか随員がさしだす。聖職者への贈答品は原則としては認められていないが、宗教行事への喜捨や、名目をつけさえすればどうとでもなるものだ。
こちらの国力を示しつつも、相手を尊重している姿勢を保たなくてはならない。自分でいうのも少々億劫だが、こういったことに才があるためにアルブレヒト三世からかなりの激務を委ねられているような気がしてならない。
爵位は先代より一つ昇格した。もともと、ゲルマニアにおける爵位は金銭で売買できるものとはいえ、ある程度の格式や面倒事が昇進の際には付きまとうものであるだけに昇進がすんなりと出来たことはうれしかった。
だが、現在の心境としては厄介事を拾ってしまったのではないかとの思いだ。出世競争は、出世してからが面倒だと、後輩に伝えたくてたまらない。

「おお、これはこれは。信徒と共に祝う祭りが素晴らしいものとなるでしょう。」

信徒にどれだけのものが祝祭日に出されるものか見てみたいものだ。劣悪な保護しか齎していないというのが世間の評価だが。感情とは裏腹に口は丁重さを保ち、その信仰心を擁護しながら本題へ切り込む隙を窺っている。
トリステインとの外交交渉に関して仲介したいことがあるのでぜひご足労願いたいと言われて出向き、示されたのは相手の立ち位置を知らせるためだけのものではないだろう。そろそろ本題に入るか、切り出してくるところのはずなのだが。
藪をつつくか?あまりやりたくはない。だが、どうも相手の様子が穏やかさを装っているだけのようにも見える。僅かにではあるが仮面の隙間から動揺と焦りが垣間見える。
誘いでないとしたらこれは、突くべき問題が生じている可能性も高い。外交官に必要なのは機を見ることだ。この経験を信じるべきだろう。

「しかし、私にお話とは何でございましょうか?」

「おお、その事でしたか。」

如何にも聞いてくれたとばかりにうなずく。間違えたか?いや、それにしては相手に余裕が感じられない。ここは引くべきではない。最悪でもここから深入りしすぎなければ挽回も可能だ。

「はい、極めて重要なものだとお伺いしました。」

「うむ、実は信仰を共にする兄弟との争いについて宗教庁は憂慮しているということをお伝えしなくてはなりません。」

「そのことについては、我々ゲルマニア貴族一同も極めて心を痛めておる次第であります。」

実際、財政や内部の統制でゲルマニアの中央よりの貴族たちは極めて心を痛めている。トリステインやアルビオンと異なり、ゲルマニアは中央の権威が低いために戦時にはことさら行政が困難になる。さらに、一般の貴族達にとっても望ましくない戦費負担や、戦争の余波が及んでいる。
だが、ここでその弱みを見せる訳にはいかない。ここは、貴族たちがそのことを憂慮しているということを示しつつ被害者であると最大限演技をしなくてはならないだろう。

「では、宗教庁に置かれましては、我々の置かれている現状に御助力頂けると認識してよろしいのでしょうか?」

まず、その通りの解答は得られないだろう。少なくとも公的に見た場合先に手を出したのはトリステインであってもここまで事態が拡大すると一方的な肩入れと見られるような和平案ではなく、双方に折衷するように外交交渉でまとめていくことが求められる。
ロマリアの理念は、正義ではない。当然のことであるが、連中も自分の利益を追求しているにすぎない。ロマリアにはいくばくかの恩をゲルマニアが売っているのでこちらに対して一方的な行動が行われていないものの、ロマリアの価値観が恩を金銭よりも重視するとは考えにくい。

「うむ、そのことについては、そもそも、政治のことであってな。」

介入するつもりがないのだと言わんばかりの表情にいら立ちや混乱がみられる。この会話はあくまでも既定路線であるはず。それが、これほどまでの焦燥を生みださせるということはやはり何かあったのだろう。
ふと、気がつけばおかしなことがいくつもある。重大な用件があると言う割には重大な用件とやらに未だ切り込まれていない。何があったのか?こちらの予想では最悪の場合、トリステイン寄りの和平案を突き付けられることまで想定していたのだが。
結局、終始不審な思いに駆られたものの、カラム伯は満足いく情報を収集するには至らずしぶしぶ拠点にしている旅館へと戻ることとなった。ワインすらすべてトリステイン産で整えられるほどの敵地であっても、一応は拠点である。
しかし、その帰路に待ち構えていた部下からの報告に思わずカラム伯は舌打ちを路上で漏らすこととなる。

「トリステイン側の使節が襲撃されただと!?」

急ぎ、情報を整理するべく旅館へと馬車を走らせる。駆けこんだ人払いを済ませた一室思わず疑念を口にして再度確認し、それが事実であることを理解すると直ちに、書状を仕上げるべく羽ペンを手に取る。

「状況は?」

「はい、秘密裏に入っていた使節が襲撃を受けた模様です。」

「こちらはそもそも、トリステイン使節のロマリア入りすら知らされていないのだぞ。」

「マザリーニ枢機卿派が秘密裏に受け入れていた模様です。聖堂騎士団の護衛と、襲撃者が交戦し、双方に死傷者が出ているとの報告がありました。」

何故、襲撃者はその情報を把握していた?ロマリア側の聖堂騎士団にも死傷者が出ていると聞く。有能ではないにしても聖堂騎士団という軍事組織と正対し戦えるだけの実力。
そして張り巡らされた情報網。これらを活用して、トリステインの講和に反対する組織がある。それも、かなりトリステイン内部に巣くう形で。どうやら、よほど過激な連中のようだが、なかなか長い手をもっているようだ。

「これは、交渉以前の問題かもしれないな・・・。」


{アルブレヒト三世視点}

ゲルマニアの皇帝は悩み多き地位にある。まず、非始祖由来であるためにあまり権威がない。ゆえに中央の権力が強くないうえに、対外政策に際して国内の意見をかなり反映させなくてはらない。そして、隣国が強力である。
それだけに仮想敵に対して慎重に対応しなくてはならず皇帝の権威向上と国力強化が急務であった。ところがだ。国力差を弁えずに噛みついてくる国が隣国にあった。もちろん、勝てないかと聞かれればおそらくよっぽどのことがない限りは完勝できるだろう。
しかし、アルブレヒト三世にしてみれば得るものない戦争で大貴族たちに恩を売られた揚句に戦費を浪費する戦争でしかないだけに長引くことは本意ではなかった。無駄を行うことは、本意ではなかったからだ。
だからだ。わざわざロマリアの坊主どもを介しての講和会議に応じる姿勢を見せてやったにもかかわらず、トリステイン側は講和のための会談すらすらまともに行えないらしい。講和以前の問題である。
自国の講和反対派に使節派遣が漏れた挙句に襲撃を受けて、講和会議どころではなくなっている。馬鹿げたことであるが、トリステイン側の交渉条件が漏洩していて各所から反発が挙がっている。
トリステイン側はこれ以上の講和提案は政治的に致命傷になりかねず、ゲルマニア側としてはこれ以上の譲歩は国内に問題が起きかねない。

「それで、マザリーニ枢機卿はなんと?」

「可能な限り停戦に持ち込めないかと・・・。」

使節として折衝を担当しているラムド伯の言葉がはっきりとしないのも無理はない。確かに、一部のトリステイン貴族は現状をはっきりと理解している。それだけに、こちらが譲歩できる限界まで見極めて講話を持ちかけてきた。こちらとしては、厄介ではあるもののまだ事態の収拾の見通しが立っていたが、今後はそうも言ってはおれない。
マザリーニが停戦を希望すると言ってもそれを言い出すのはトリステイン側から正式に申し入れられなくてはならない。曲がり間違っても国土を侵略してきた相手に停戦を申し込むということは国内情勢上不可能に等しいからだ。それが、求められるのは降伏せざるを得ないときに限られる。
古代ローマを思い出すがいい。講和とは、相手にさせるものだと、明確に彼らは認識していた。攻め込まれて、城下で結ばされるものであっては断じてならないのだ。

「アルビオン経由で交渉を持ちかけられないか?」

「難しいかと思われます。現在、アルビオン王家はモード大公粛清を始めようとしているようです。対外政策を行う余裕があるとは思えません」

「ええい、この際ガリアでも使うか?」

友好関係にあるアルビオン王家はいよいよモード大公を切る覚悟を決めたようだ。最近になってアルビオン領内で前哨戦とみられるいくつかの水面下での動きが活性化しているとの報告が入ってきている。
モード大公の動向は今一つ掴めないものの到底こちらの問題を仲介するだけの余力があるようには思えない。何より、むしろ援軍要請が来るのではないかとすら最悪の場合を想定すると頭が痛くなってくる。この件については対外的には中立を保っているガリアに仲介を依頼すべきではないかとさえ思えてくる。
いっそ、政治的に自由な連中になにがしかの束縛をつけたくなる。

「あの無能王に仲介を依頼すると何を押し付けられるか分かりませんぞ。」

「余とてわかっておる。血相を変えるな。」

ラムド伯をなだめつつアルブレヒト三世は前線のロバートからの報告書を手に取り読み上げる。そこには、ラムド伯が言いたそうにしているガリアの動向に不審なものをおぼえるとの文面が事細かに記載され、ガリアへの警告と警戒を促している。
さらに、可能ならば、ガリアのトリステインへの影響力の行使を阻止するために、ガリアとトリステインの取引や援助がないか探るべきだと提言してきた。確かに、分艦隊を使用してのやつの指揮能力は卓越しているから、選択する価値はある。
だが、コクランを使って国境探索を行ったところで、さしたる成果があるかといわれると、どうも期待できない。相手は、無能王なのだ。油断できる相手ではない。

「ガリアの動向がきな臭いと前線にいるコクラン卿すら嗅ぎつける。ガリアが火を煽っているか油を注いでいるのは間違いないはずだ。」

「ではどうするおつもりですか?」

「使えるものなら他にもあるだろう。大公国はどうだ?」

トリステイン近隣には名目上独立している領土がいくつかある。実質はトリステインの属国であるが外交的には独立国であるということが大きなアドバンテージになりえるのだ。名目上であれども、独立と外交権は得難い権利である。
そういった価値を持つからこそそれらの領地は独立していると言ってもよいくらいなのだ。そして、大公国の多くは、金銭的な面でトリステインに大きな融資をしている。連中とて、貸し倒れは避けたいだろう。

「現在、そちらから交渉を試みるところです。」

ラムド伯が現在の進捗状況を報告する。芳しくないが、必ずしも現状で悲観する必要のあるものでもないようだ。まあ、金貸し同士思考が似ているということか。ゲルマニアと大公国の思考方法は似通ったものがある。

「なるべく早く終わらせよ。率直に言ってこのままでは得るもののない赤字だ。」

「いっそのこと、根本から絶たれていかがですか?」

物騒なことをいうヤツだと思いつつも、アルブレヒト三世はそれもまた一つの選択肢としては考えざるを得ないと判断する。ガリア方面のきな臭さがある以上、トリステインの動向は常にこちらの不安定化要素となりえてしまう。
最終解決策は併合か。しかし、貧しい土地を獲得したところで、パイを満足に分配できるものでもない。反ゲルマニアの空気がメイジに強いので軍備の強化に充てることもあまり期待できないのはダメな要素の追加にしかならない。

「それは、本当に最後の手段だな。あまり気乗りせんが。」

「確かにそうです。できれば、今度こそ交渉をまとめたいものです。」



{フッガー視点}

手にした報告書を一読すると、フッガーは報告のためにトリステインからロマリアを経由して飛んできた部下に再度事態を確認する。何事も確認し、徹底してミスを防ぐ。これが、失敗を避ける唯一の努力だと知っているからだ。

「はい、間違いなく微量ではありますがトリステインの新金貨は金の含有率をこれまで以上に低下させています。」

「なるほど、どの程度金の含有率が低下した?」

「僅かなもので、3%程度です。もともと新金貨は従来のものよりも金の含有量が減少しているために全体から見た重量の変化の割合は限定的になります」

ふむ、新金貨はもともと従来のものよりも三分の二程度の金含有量しか有していない。当然のことながら、それを3%程度減らしたということは微々たる額が捻出できるに過ぎないだろう。国家が求める額としては少なすぎるが、個人が求める額にしては大きすぎる。
だが、それは辛うじて市中に悟られるか悟られないかの微妙な金含有量の変化の水準だ。ぎりぎりの水準で最大限の資金を生み出す手段としては合理的なものだ。
代わりに混ざりものとして銀とその他の金属で、金の含有量が減少している分の重量をうまくごまかしているならば、噂として囁かれても必ずしも真実と証明できる訳でもないだろう。

「間違いないのか?」

「御法度の金貨を溶かして調べてみました。まず間違いありません。」

確信を持って断言してくる部下の表情に偽りを申しているそぶりや、自信が欠如している陰も見当たらない。ということはおそらくトリステインのやり手の財務担当者が資金を捻出しようとして何とかひねり出してきた手法だろう。
やはり、追い詰められて金策に励んでいるといったところだろうか。少なからず、同情すべきかもしれないが、そういう立場でもないのだ。ここは、素直に距離を取ることにしよう。

「ふむ、今後は新金貨の取り扱いに注意するように促してくれ。」

言いつけを伝えるべく部下が退出するのを確認すると、フッガーはゲルマニア軍に納入する食料と武器やフネの補修材等の見積もりを改めて確認し、思わずその低調ぶりに嘆きたくなる。
たしかに、戦時需要は湧いている。だが、いずれも長期契約でないうえに利率があまり高くないのだ。特に、資源面で原価を北部の高山地帯が安価に抑えているために加工の際に水増しした額を請求しようものならば、取引が打ち切られかねない。

「うまみのある契約が少なすぎるな、捕虜交換の仲介業とて身代金を豊富に払う相手でもないのでさほど収益が上がる訳でもないし・・。」

なにより、ゲルマニア系の商人よりもガリア系やロマリア系の仲介業者に身代金交渉をトリステイン側が委ねる傾向にある。市場にあまりもぐりこむことが出来ないでいるのが現状だ。
商会側としては今回の戦役は赤字ではないにしてもあまり利益が上がらないうえに苦労が多く気苦労も絶えないものとなってしまっている。低収益の事業が何と多いことか。無論、それでも利益は出せているがだからと言って安穏としているわけにもいかない。

「ああ、アルビオンへの穀物輸出はどうなっている?」

軍の出動や、アルビオンとの共同作業によって空路が安全になったおかげでアルビオンとの貿易状況が一段と改善された。そのため、貿易収支はこれまでのところもアウグスブルク商会の主要な収入源の一つであったが、現在までのところは、順調にさらなる拡大をしてきた。

「それなのですが、当分南部の港への寄港が制限されるそうです。」

秘書の報告に思わずため息をつきたくなる。アルビオンに何かの問題、異変が起きていることは耳ざとい商人ならばある程度勘づいている。その実態が何であるかまでは深入りしていないが、南部に何らかの問題があるのだろう。まったく上手くいかないことが連続するものだ。
そして、厄介なことにアウグスブルク商会の取引先は南部に多い。ムーダの定期輸送便で送る穀物の大半は、前々からの取引先である南部の大手商会に輸出しているだけに、ムーダの船舶が寄港を制限されるとなると輸出先との提携関係で見込める利益が大幅に減少してしまう。
さらにだ、万が一何か事変が起こり、アルビオンの市場に問題が生じるとなるとアルビオンとの貿易も見直すべき事態になってしまう。それでは、フッガーとしてはやりきれないことこの上ない。辛うじて、北部の新領で産出される木材の輸出仲介権を獲得したばかりなのだ。
北部の優秀な木材の一部を委託されて売買することで得られる手数料収入を期待して、かなりの投資を北部新領に行っている。将来的に回収できるとみてはいるが、木材需要が一番高いのはアルビオンなのだ。
コクラン卿は取引相手として油断ならない人物であるが、パイの分配は公平である。公平であるが、それゆえにこちらの失態を補填してくれるかというとそういった手合いではなく公平な取引の結果として対応を求めるならば対価を要求してくると覚悟しなくてはならない。
北部地域における新領の経済発展は著しく、かなりの見返りを得られることが予想されるだけに関係悪化を覚悟するのは難しい。つまりは、自前で事態を乗り切る必要がある。

「それは、新たに北部に取引相手を開拓すべきかもしれないな。」

もともと、大口の取引相手一つに依存することは危険だと思っていた。この機会に、もう少しアルビオン北部の地域に進出することを検討すべき時期になっていると思いなおし、フッガーは対応策を検討することにする。
とにかく、商会というものは楽に儲けているとの世評があるようだが実態はそうはいかないのだ。ため息をつきなおし、フッガーは蓄積している仕事に取り掛かりなおすことにした。



{ミミ視点}

「また、亡命貴族です。どうやら、本格的にアルビオンは粛清を始めたようです。」

「礼をつくしつつそれぞれ用意した受け入れ先に分散して当面存在は極力伏しておきましょう。コクラン卿が帰還なさるまで事態は内密に。」

ミミは、かなりの量の書類を決裁しつつ部下が報告してくる事態に一つ一つ迅速に処理していく。役人が不足しているとはいえある程度は慣れれば効率も改善してくるというものだ。
さらに、一部のアルビオンの役人が身の不安を感じてこちらに流れてきており、メイジでも貴族でもない連中ならば憚りなくこき使えるだけに僅かながら余裕が生じ始めていた。まあ、信用の問題があるのであまり重要なことは任せられないが、それでも人手が増えるのはありがたい。
そのことを喜ばしく思いつつも、彼女にしてみればやはり仕事が多い現状が変わるわけではないだけに全てを投げ出して前線に赴いた連中が妬ましくてたまらない。
少しばかりの手助けがあるとはいえ、それらは本来上司の直接の決裁を必要とするものである。そのために上司が前線にいるようでは、前線でいちいち決済をしていただいて送り返されるのを待たねばならないのだ。むしろ、書類を送って往復させる時間が大いに彼女をいら立たせている。

「コクラン卿にはいかが報告いたしますか?」

「明日のこの時間までに現在把握している亡命貴族とその家族についての報告を口頭で私に行いなさい。私から使者を出すつもりです。」

「分かりました。」

まったく、やらねばならないことが多いというのは厄介なものね。そう一人心中で嘆息するとミミは目の前の書類を一読し、必要な点にいくつかペンを入れてサインをする。書類を処理することに関しては、もはや経験豊富な官吏にも劣らないだろう。
その中にいくつかの孤児院からの要請や、公的な伝達事項等が含まれていたが、それらに関してやや予算が不足しているようだ。何故かと思い、一瞬で答えに思い至る。予算は、人口増加を前提としていないものだった。
移民と、亡命者や何やらの流入で予算が不足しているのは、その帰結として自明の理だった。取り分け、孤児院に関しては貧しい子供がこちらにまで迷い込んでくる例もあるようだ。予算の手当ては必要だろう。
だが、これでは貧しい子供を我々が背負い込むことになりかねないわねと彼女は一瞬嫌な想像に駆られる。大量の孤児が、保護を求めて領内に流入し、費用手当てが必要になる。まさに、財務担当としては悪夢としか形容できない。

「とはいえ、無視できるものでもない、か。」

そう嘆きつつ、彼女はいくばくかの予算の増額を認める書類を作成し関係する各所へと手配し、配送するように段取りをつけるため、執務室に付属している書類提出用のベルを鳴らすと決済が完了した分を属僚に引き渡し、次の書類へと向き直り、作業に戻る。


{ニコラ視点}

財務卿との打ち合わせを終えた直後に、マザリーニ枢機卿より辛うじて捻出した予算に追加の予算支出要請を出されて思わずニコラはめまいを感じた。予算、予算などどこから絞り出せというのだ。金でも錬性しろとでもいうのか。
すでに、打てる手はことごとく打っている。売却しても差し障りのない美術品や過去に手に入れた戦利品などは貴族に押し付ける形で売却し、戦時課税は法で認められている限りで絞り出せるだけ絞り出した。財布はもはや空だ。
戦時であることの重大性を無理やり主張して商会に対して支払いを全て新金貨で行った。相当渋られたが、最終的に従来の古い貨幣5枚に対して新金貨6枚というレートまで譲歩させることが出来た。
その新金貨はすでに、ぎりぎりまで金の含有量を切り詰めさせている。これ以上は、市場に感付かれて弁明しようのない水準にまで、金を切り詰めているのだ。この方面からのアプローチはもう限界となっている。
事態が事態であるためにこれまでに集めてきた貴族たちの犯罪行為の証拠を突き付け、減刑の対価として賠償金という名目で金納させた。取りつぶしの掛っている貴族たちの罪状を金銭で免除することまでやってのけた。
幾人かの貴族らの名誉回復や養子縁組もこの際に、金銭で融通を利かせることも特例として高等法院のリッシュモン卿に一部を握らして認めせた。かなり、きわどい綱渡りをやってのけたという思いはあるが、二度もできるものではない。
これらの方策は、「講和が成立するならば」という前提が成立していたからこそ成し遂げられたものなのだ。講和が成立するならば短期的な支出の増大は辛うじて財政に致命的な損害を与えずに済むだろう。それであるならば、まだ耐えられると判断し、ここまでの無理な金策に奔走したのだ。
講和が、上手くまとまらなかったことは理解している。一部の過激な主戦派が講和を妨害しようと動いているとの警告や、その兆候を掴める程度には貴族という生き物を良く理解しているつもりだった。陰謀が生きがいの、寄生虫も少なくはないことなど百も承知。
だから、それを予見して、マザリーニ枢機卿がかなりの腕利きたちを魔法衛士隊から護衛に回したとも聞いていた。ところがだ。その腕利きたちを遥かに凌駕するメイジによる襲撃を受けたと報告が来ている。
内通者がいたのか、純粋に実力で圧倒されたかは不明だ。だが、これで容易に動くことが出来なくなっている。万が一、再度の交渉で同じような事態が生じてしまってはもはや交渉による終戦は望めなくなってしまう。当然、交渉に入ることも慎重にならざるを得ない。
当然、これで主戦派と戦争の継続を望む連中の希望通りの展開だ。だが、忌々しいことに財政上、トリステインは必ずしも戦争を続行することが可能な経済体制ではないのだ。
メイジが人口の一割以上を占めるトリステインでは人口の流出と、耕作放棄地の拡大が税収にすでに厄介な負荷をかけている。そして、地方ではかろうじて現段階では部分的な範囲に留まっているものの貧困の拡大が確認されており、これ以上の課税は農民の地盤を致命的に破壊しかねない。いや、それ以上に、農民の逃亡や流出を加速度的に悪化させてトリステインの経済そのものが自壊しかねないのだ。税率を上げようにも、納税を行う平民がいなくなっては税など入るはずもない。
商会や、有力市民への協力依頼も既に限界に近い。これ以上は到底望みえないのだ。

「予算をこれ以上徴収するのは困難を極めます!」

「メールボワ侯爵、卿の言い分は分かるが、それでもやらねばならないのだ。」

思わず、財務卿のところに駆け込み苦情を申し立て用にも上司のデムリ卿は諦めた表情で事態を受け入れるように促してくるのみだった。上司は、トリステイン貴族としては珍しく良識派の部類に属するが人柄良いだけに、こういった依頼をはねつけることを得意としていなかった。一応、事情を王国中枢に説明してくれてはいるようだが、どちらかといえば押し切られているように思われる。特に、軍部は極めて強硬に予算の手当てを希望し、一歩も譲ろうとしないと聞いている。幾人かの貴族たちは既に、借財に手をつけ始めているとの風評もささやかれている。

「ですが、これ以上の課税は困難です。来季の予算を宛がっても到底賄いきれません!」

「卿の言い分はわかっている。」

「でしたらば、何故!?」

礼儀が許す範疇をやや踏み越えつつ、ニコラは信じられないと言った表情で抗議の意思を明確に表す。予算を担当する人間にしてみれば、これ以上は財政が許さないのだ。今ならば、まだ時間をかければ、財政は持ち直し、国力回復も可能だが、これ以上ではその回復力すら失ってしまう。

「既に、前線からは次の送金要請が来ているのだ。まさか、送れないとも言えまいだろう。」

苦汁を飲み干せと言わんばかりの上司の主張は正しい。だが、それでは目の前の事態を解決するために泥沼に足を踏み込むようなものであるのだ。分かっていても避けられない事態を何とか回避しなくてはならない。

「ならば、全貴族に諸侯軍か軍役免除税の支払いを求めるしかありません。」

そう、せめて全面戦争の体制をこちらが整えれば、ゲルマニア側とて対応に慎重にならざるを得ないだろう。向こうの戦争指導部は極めて理性的だ。徹底抗戦すると叫ぶトリステインを蹂躙することが可能であってもそれが収支に合わず、外交的に成果をもたらさないならば選択する可能性は低い。
まあ、そういった推測と希望的観測に頼らねばならない時点で彼としてはろくでもない現状であると考えているのだが。なにしろ、全力で組み合っては敗北する相手と分かりきっているのだ。そのような相手に虚勢を張ることの無意味さが、重い現実として横たわっている。

「それは、検討せざるを得ないだろうな。」

「まあ、実質的には税を払ってもらうほかありますまい。」

とはいえだ。実際に、動員したからといって事態が改善するかどうかは微妙なところがある。目の前の対応に追われるあまり大局的に大きな失態をしでかす寸前なのだ。まあ、越境した揚句にゲルマニア軍に盛大に誤射をしでかした間抜け共を前線に送ったこと自体が極めつけの失態であるように思えてならないのだが。祖国はどうなるというのだろうか。



{ロバート視点}

「では、コクラン卿、卿の軍略を語るように。」

「では僭越ながら。」

そう言うと、居並ぶ将官を見渡し、ロバートは語り始めた。

「十中八九、まず間違いなくガリアはトリステインに対して秘密裏に支援を行うはずです。現行でも行っている可能性すらあります。」

前線の軍議で、ロバートはトリステインとガリア間の国境沿いで陸路や、水路でガリアからの物資の流入の可能性を指摘する。あれほどの規模の軍を維持しているのだ。財務的にも、そろそろ限界であるのは自明である。
にもかかわらず、未だ値を上げないというのはなにがしかの援助に期待がかけられているからではないか?その可能性があるのはどこか?我らが隣国であり、仮想敵国であり、なおかつ強国であるガリアが相当するだろう。
ロマリアは、残念ながら、この件に関しては寄生虫的な役割に留まることが予想されているので、ガリア方面からの援助を主として警戒すべきとなる。これを徹底的に阻止し、ガリアによる戦乱への介入を阻止する必要がある。
と、同時にトリステインの継戦能力に余裕を与えないことが何よりも重要だ。そのため、交通の遮断と通商破壊を主眼とする分艦隊と軍の一部の分遣隊派遣を強く主張し、それはゲルマニア軍首脳陣にはおおむね肯定的に受け止められていた。

「なるほど。だが、それでは、こちらの敵を打ち破れるのか?」

「そもそも、敵の頑強な抵抗に正面から付き合う義理もありません。第二戦線の形成は敵の戦力上、分散を余儀なくさせ苦しませることが可能なはずです。」

トリステインは戦争を理解している人間があまりにも少ない。というよりも、声の大きな主戦派や過激派の声に圧倒されてしまっている。前線で抵抗している優秀な指揮官連中とて足を引っ張る友軍で苦労しているのだ。戦略と戦術の区別すら曖昧なようだ。
無能な友軍は優秀な敵よりも悪質であることをその身で体験しているだろう。だが前線の状況は、それゆえに微妙だ。こちら側としては、敵の脆弱部を衝いて全面的に決戦を促すべきか、消耗戦を継続すべきか悩まざるを得ない状況にある。
だから、正面から戦力を引き抜くことの意義を理解しつつもややためらう意見が出てくるのは当然のことだろう。まあ、正面戦力を欠いたからと言って攻勢に対応できない程ではないが、前線指揮官はとにかく兵力を欲するものだ。

「つまり、こちらの敵には捨て置くのか?」

「いえ、振り回し疲弊に至らしめます。」

ならばだ、優秀な連中を振り回すことによって敵失が期待できるだろう。こちらが、別方面に進撃したとなるとそれに対応しなくていけなくなるが、それだけの負荷に耐えられるだろうか?
下手に前線から兵力を引き抜こうとすれば、相対的には依然として優位にあるゲルマニアの圧力が増大し、危機が拡大する。放置すれば、浸透され、喰い破られることとなる。まさに、連中にしてみれば悪夢だろう。

「また、ガリアの介入を防止する意味においてもこの地域を獲得することが急務であると考えられます。」

何より他国からの援助が期待できなくなればトリステインの主戦派の求心力は低下するだろう。そこで国内の穏健派が事態を収拾できればよし。出来ねばできないで本格的な武力侵攻によってトリステインを併合する際の拠点を事前に確保することが出来る。

「なるほど、だが肝心の成功の見込みは?」

抵抗は脆弱になるだろう。鉤十字どもの模倣は唾棄すべきことではあるが、敵から学ばないわけではない。それは、愚か者のすることだから。経験からすら学べないものは、もはや暗闇の中で跪くだけだ。マジノ線に引き籠り、迂回された連合軍の戦訓を活かすべきだろう。前線に有力なメイジや、傭兵隊が集結しているならば、それを無視して別方面から突破してしまえばよい。それを可能とする隙がトリステイン側には垣間見られる。もっとも隙と見るべきか、国力の限界とみなすべきかはあいまいな問題であると言わざるを得ないのだが。

「かなり、高いものが見込めます。」

「ううむ、諸卿の意見はどうだ?」

それに応じるのはおおむね賛成の意向であった。対峙に飽きはじめた兵の気が緩んでいることが昨今では危惧されている。それらの情勢を懸念している将らにとっても今回の作戦は緊張感を取り戻すという意味でも良い時期にあったと考えられているようだ。
結局、やや修正が加えられることにはなったものの、ロバートの提案に準じる形で分艦隊派遣と一部の兵がガリアとトリステインの国境方面に出征することが決定される。これらは、ヴィンドボナに対して報告されることとなり、提案者のロバートが軍情報告と作戦説明のためにヴィンドボナへの使節として赴くということを決定すると散会することとなった。



{ギュンター視点}

与えられた命令は単純なものだった。ボスの命令はいつも複雑怪奇にして珍妙な事態を引き起こすものであっただけにこれは予想外だ。これもそう考えれば普通なのかも知れないが。
そう考えつつ、ギュンターは与えられた命令を忠実にこなすべくトリステイン軍への夜間砲撃を加えていた。ボスは確かに、こういった嫌がらせに長けている。寝込みに砲撃を毎晩加えられてはたまらないだろう。
取り分け、艦隊の練度で劣るトリステインが、夜間にゲルマニア艦隊に奇襲されることを恐れて艦隊を後方に下げている現状で、夜の暗闇に乗じてのお祭り騒ぎを留めるのは困難なはずだ。
当然、こちらとて当たるとは期待していない砲撃だが、陣地をめがけて砲撃している以上、多少の戦果はあげられている。

「よし、適度に砲撃を済ましたな?」

「ええ、こちらの夜襲を警戒している篝火で標的を見つけやすくて助かりました。」

部下の報告に満足げにうなずくと、何ごとにも慎重に行くべきかと思い残弾の装填を指示し、今後の行動についてしばし考えることにする。目的は砲撃による寝込み襲撃。つまるところの嫌がらせだ。
安心して寝ることが出来なければたまったものじゃないだろう。当然、兵の戦意を維持するのは難しいこととなる。そうなれば、平民や傭兵たちの元々さほど高くない戦意はどん底を衝くのではないかとこちら側としては期待している。
一部のメイジや貴族達には必ずしも歓迎されているわけではないのだが、少なくとも空軍にしてみれば無駄な犠牲が出ないということで平民出身の連中を中心にこの作戦を歓迎する向きが少なくない。
なにより、犠牲が出ない一方で実戦であるから、適度な緊張感を保つことも可能と、上は歓迎している。

「ならば、残弾にも余裕があるな?」

「ええ予定よりもまだ残弾が余っております。」

予想外だったのは、視界が確保できずに嫌がらせを効果的に行うことは難しいだろうと覚悟していたところ、こちらの奇襲を警戒したトリステイン諸侯軍が周辺に光源を用意してまで陣地を暗闇の中で照らし出していたことだ。
さすがに、ここまで明るいものに対して砲撃をはずすのはどうかと思わざるを得ない。まあ、相手は陸からの夜襲を警戒しているのだろうが、そこまで本気でこちらが襲いかかると信じ込んでいるのだろうか?

「ならば、隣の陣地にも数斉射お見舞いしておこう。公平な取り扱いが必要だからな。」

まあ、そう心配している相手に、心配のしすぎだと笑って放置しておくのは不公平というものだ。そう、片方にだけ砲撃を打ち込むというのは不公平というものだろう。
もう少し、離れたところにある陣地に対しても砲撃を加えても問題はないはずだ。まだ、部下は不完全燃焼であるだろうしせっかく夜間砲撃の担当が廻ってきたのだ。
戦功をあげることを考えるならばここでもう一働きしておくにこしたことはない。幸いにも予想よりも弾薬の消耗が少なかったならば問題はないだろう。発砲の際にこちらの位置が掴まれるのは時間の問題なので、長居は無用だろうがもう少しばかりならば時間に余裕がある。

「了解いたしました。トリステインの貴族さま方を公平に取り扱いたく思います。」

「丁重にやれよ。一発も外すな!」

「お任せください。ご満足いただけると確信しております。」

そう言うや否や、大砲にとりついた士官たちが一斉に砲撃の指示を出す。命中率はまあ、全弾命中というわけにはいかないだろうが、夜間の暗闇の中であることを考えれば一応の満足もできるものである。アルビオンと合同で訓練した成果があったというものだろう。あの国の砲撃術はかなりのものがあり、機密を漏らしてくれるわけではないにしてもレベルの高い砲撃を見せつけられることでこちらの訓練にも熱が入った。

「よし、もう一度斉射し、帰還だ。斉射後、反転。帰還する。」

「はっ、斉射後反転。帰還します!」

復唱し、任務に取り掛かる士官たちの機敏な動作に及第点を付けつつ、ギュンターはこの砲撃のトリステインに与える効果をおおむね満足いくものになるだろうと予想する。
ボスの予想では寝込みを妨げることが出来れば良いという程度らしいが、これなら実害も敵に出ているだろう。まさか、夜襲の警戒を逆用して空から砲撃されるという発想が欠如しているとは思わなかった。
こちらも同様のことをされないように気をつけるべきだろう。まあ、そうなったらそうなったで、迎撃するだけの話だが。こちらとしては、艦隊決戦は望むところなのだ。
最後の艦砲斉射が完了したのを確認し、念のためにブドウ弾の装填を指示する。何ごとも備えが重要なのだ。それらを確認し、何ごとも所定の位置にあることを確認しギュンターは満足げにうなずいた。

「よし、帰還だ。」

幸いなことに、好きなだけ後方から砲弾と弾薬が送られてくるのだ。拠点に戻ればまた自由に暴れられる。今後も継続的にこの嫌がらせが行えるだろう。ずいぶんと余裕があるように思えるが、補給を安心して行えることがこれほどまで楽になるとは・・。


断章7 ゲルマニア軍行動計画廃案済み提言第二号「トリステイン問題最終解決策」

トリステイン問題は、昨今のゲルマニアにとって頭痛の種と化している。この問題に伴う障害で最大の難点はゲルマニアにとってこれらに関わることで利益が見込めないことにある。この問題に対処する際には、この問題から利益を導き出すことを目的とするのではなく、最大限赤字を最小限にとどめることを目的として行動計画を策定するものとする。
まず、本行動計画の立案背景にはトリステイン王国の統治能力の著しい低下と、有効な交渉相手が存在しないというものがあり、交渉による事態解決が望みえないと判断されたことから本計画は策定された。トリステイン王国の要人の中でも一部の穏健派等は積極的に講和交渉や終戦に向けての動きを示しているものの、主戦派が主流を占めており交渉の使節団が襲撃されるなどの内部紛争が確認された。このような事態において実効性のある交渉が実現できるかどうか極めて疑わしいものがあり、この問題による損害の拡大を最小限にとどめるべく問題の根本的解決としてトリステイン王国併合か、傀儡政権の確立による問題収束を試案として本計画は検討するものである。
第一義的な目標はトリステイン問題による損失の最小化である。そのため、この問題に際しては可能限り迅速な解決が求められる。現行の軍事作戦は、あくまでも国境防衛を主眼としたものであり、局地戦の範疇をこちらとしては超えていない。だが、このままずるずると戦役を継続する場合、従軍貴族への恩賞、北部地域の開発予算への圧迫等いくつかの問題が必然的に生じてくる。さらに、このような問題に長期的に拘束されることで政治的・外交的な柔軟性に深刻な障害をきたしかねない。このような事態は対ガリア政策と、ロマリア宗教庁の影響力増大に対抗するためには極めて憂慮すべき事態となる。

※ただし、第三案においては敢えてこのことを逆用した。

現状として、ゲルマニアは国力に対する局地戦の負荷は限定的であり大規模な動員も財政上の破綻を迎えることなく実現することが可能である。

第一案
トリステイン方面の制圧のみに限定して考えるならば、諸侯の勢力拡大を敢えて容認することが可能でさえあれば、諸侯軍の大規模動員が最も合理的であると考えられる。ガリア方面への備えがいくばくか懸念されるものの、ガリアの動員体制が平時であるならばこの方策が一番得るところが大きいと思われる。前線の戦場分析を参照するに、前線のトリステイン軍の練度はバラツキがあるものの一部の有力な貴族らに率いられた諸侯軍は精鋭でありメイジの比率も極めて高い。これらとこちらの有力貴族らを潰し合わせることが出来れば、中央の求心力はかなりの改善が期待される。権威という面において、ゲルマニア皇帝は戦勝による求心力を高めつつ、ゲルマニアの諸侯に対して領土という飴を与えつつ、長期的には不安定な領土統治に専念せざるをえなくすることで政治的策動を防止することも期待できる。難点は、前述の通り諸侯の領土の拡大という問題と、トリステインの貧民問題である。これらを考慮する場合、長期的には対ガリア政策において柔軟性を阻害される可能性がある。

第二案
拠点後方への襲撃戦術を活用する。これまでの戦闘で確認されたところによれば一般に、トリステインの領土制度は分権的であり即応性に余裕がない。このことを応用し、敵主力を助攻で受け止め主攻は迂回挟撃に置く。これは、基本的にトリステイン諸侯軍の壊滅とそれによる講話もしくは併合・傀儡化を視野に入れて検討すべきものでる。重要なのは、この戦術の実行に際してはあまり貴族の発言力拡大をもたらすような戦功を立てさせることなく皇帝派の部隊によって決着をつける必要がある。そのため成功した際の成果は大きいものの失敗した際に損害の程度によっては皇帝の権威及び中央の権力衰退の可能性を内包している。また、戦後統治にさいして直轄領にくみこむか、従来の国境沿いの貴族たちに分割するかは検討の必要がある。どちらにせよゲルマニアにとってこの方法は長期的に貧しい領土に発展を阻害されることが危惧される。このために可能な限り貧しい地域は傀儡化する方が経済的であると思われる。

第三案
ガリア対策及びロマリア宗教庁対策として一つの試案を提言する。すなわち、三国による分割案である。この問題は、トリステイン王家に統治能力が欠如しているとの批判をロマリア宗教庁より獲得する。これと同時に教徒保護の義務が各国にあることを名分とし分割を行うものである。ガリア側の介入は最小限にとどめるべきであるが、ある程度の譲歩により宥和を演出することが期待できる。提案をガリアが蹴った場合、ガリアとロマリアの関係悪化をこちらとして煽りたてることを検討できる。ただし、ガリアの動向をロマリアによって左右されることは避けたいのでこの方策はあくまでも選択肢の一つであることを付記する。これらの方策は三方面(もしくは二方面)からのトリステインに対する圧力となりえる。また、ロマリアはその地勢上の要因からトリステインの統治に多大な困難が生じることも予想される。ロマリアの行動を阻害しつつ、問題事を一部押し付けつつも恩を売れるということを考えるならば有効性が高いと思われる。なお、この方法は過激であり問題解決が結果的に他の問題を生じさせる可能性があることを付記しておく。最大の問題は、ロマリアに他国を侵略する権威と名分を継続的に与えかねないという問題と、ガリアの動向が把握しきれないという点にある。これらの問題は長期的にみれば大きな脅威となりかねないために第三案の実行に当たっては余程の事態を覚悟する必要がある。

補足
傀儡化の対象としてはいくつかの候補があるものの一番の有力案は現トリステイン有力貴族の中からではなく、トリステイン王族かその一門が望ましい。理想的な交渉相手となりえるのは、不幸にも最前線でこちらと対峙している。逆に考えるならば彼に疑似的な戦功を立てさせることも視野に入れるべきか。


追記:当該行動計画はゲルマニアの負荷があまりにも大きいために主要方針とするには問題が多い。また、当該行動計画の実地に際しては前提条件が変更されることも想定されるために現状で行動方針を明確に固定することは柔軟性を喪失しかねない。当該行動計画は廃案とし、これらを基本とし、より高度に応用性が高い計画案を再編するものとする。



[15007] 第十一話 参事ロバート・コクラン (旧第44話~第49話を編集してまとめました。)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/17 21:15
{第三者視点}

ヴィンドボナに赴き、第二戦線の形成を提言したロバートは、同時にRAFが祖国でヒトラーの驕りきった傲慢さを粉砕するべく展開した敵首都空襲による権威への深刻な打撃を与える作戦を提言した。無論、政治的に正しい爆撃ではなく、戦術的に正しい爆撃である。
敵国上空からビラの散布に空軍を使うほどには、彼は政治的に正しいということを将兵の命をチップとして駆けるに値するとは信じていない。まあ、ハルケギニアに戦時国際法の規定がないことも行動の自由を担保していたが。

このことを受けて、ゲルマニアは二つの戦略を決定する。一つは、数の優位を活かしつつ、敵の疲労を狙った第二戦線の形成。これは、ガリアの介入を懸念する観点からも、牽制を兼ねる作戦として大々的に推進されることとなった。
もう一つは、ひそかに分艦隊を派遣しトリスタニアへの空からの奇襲である。後者は、制空権の一時的な確保という戦術的要素以上に、致命的な政治的打撃をトリステインにもたらすと期待された。
これは、同時に進められる第二戦線の形成までもを陽動とする大胆な作戦であると高く評価される。さらに、ロバートは戦後の講和の条件について一つの腹案を提示し、アルブレヒト三世の認めるところとなった。これらの提案を持ってアルブレヒト三世は辺境伯コクラン卿の功に報いて叙勲し、参事に昇進させることを決定する。
無論、戦時であると同時に、ゲルマニア内部の政治的な事情もあり、ロバートは帰還することとなるが、あくまでも一時的な後方帰還であると含んだ上での、一時的な措置ではあった。
その後任としては、現地のツェルプストー家に分艦隊が任されることとなり実際の指揮を執ることとなる。ロバートはこれに対して短い演説を分艦隊に届けるように軍使に依頼し参事として、以後の事態に当面は対処することとなる。

トリステインの横暴さにゲルマニアは長年耐えてきた。
その忍耐も、一方的な越境攻撃によって応じられるのみだ。
だが、我々は平和的な解決を模索した。
あくまでも、我らは武器を取るのを最後にした。
それを拒絶したのはやはりトリステインだ。
我らの忍耐の限度を限界まで試したのは彼の国だ。
一線を越えたのはすべからく彼の国の意思によってである。
ついには、我らの忍耐の限度を超えたと言わざるを得ない。
我々はいまや、諸悪の根源であるトリステインに報復する。
今回の作戦は、本格的な反抗作戦の第一歩である。
トリステインへの圧力増大と、政情不安定化は致命的な効果をもたらすだろう。
だが、より重要なのは我らが、奴らを圧倒しているという事実だ。
本作戦の目標は敵王都に対す示威行動である。
すなわち目的は、敵のその根拠なき主戦論を完膚なきまでに粉砕することにある。
夢の世界に引きこもっている連中を起こしてやろう。
本作戦は、タルブ経由にてトリステイン王都を空襲するものになる。
はっきりと言おう。
我々は巡航によって長距離浸透攻撃の経験が豊富であると。
諸君ならばこの作戦を成し遂げる技量をもっている。
なお、タルブ進駐に際しては、可能な限り近隣の平民に対し宥和的に接すること。
高圧的な王軍と比較すれば、救済者としての我々の宣伝も効果があるだろう。
時間をかければかけるほどガリアの介入の可能性が高まり危険性が拡大する。
速やかに事態を解決することを念頭に置きたい。
この一撃で、トリステイン王家はその威信を徹底的に喪失するだろう。
空が誰のものであるか、連中に現実を教えてやろう。
傲慢極まりない連中に現実を突き付けてやろう。
戦役の終結は時間の問題だ。

~トリスタニア襲撃に赴く分艦隊への激励、ロバート・コクラン辺境伯~



{アルブレヒト三世視点}

「まずは、前線での働き、御苦労であった。」

「ありがとうございます。」

余は限られた近臣が廻りを固めた一室でロバートと席を設けていた。この男は、前線にいるときほど策謀が冴えるらしい。まあ、杖を持って戦うたぐいの男ではないが、軍とは個人の武力で戦うものでないという方針からすれば、まあ優秀だ。
それが、誇らしげに語る歴史の蓄積がもたらしたものなのか、この男本来の力なのかは不明だが少なくとも余にとっては重要な問題ではない。この男の提案は、この不毛な戦争を早く終わらせるという一事において合理的だ。無論、予定通りに進むとも考えにくいが、悪い案ではない。

「それで、汝の提案した案だが採用する所となった。」

この男は前線で指揮官にとどめるには少々勿体ないものがある。さらに、いよいよアルビオンがきな臭いというどころではなくなってきた。細々と流れてきていたモード大公の消息もついに途絶えた。
新しくひそかに流れてくる噂では、王家によって粛清されたのではないかとのこと。対応すべき事態があまりにも多岐にわたる今、使える駒は前線にとどめるべきではない。
正直なところ、講和の条件はあまりトリステイン王家に負担をかけないことと言われた時は理由が分からずに困惑したが、講和の条件に際しては「分割し統治」すべきとの指摘は確かに、的を射たものであった。そう、トリステイン王家には恩を売ろう。トリステイン王家はせいぜい簡単な額の賠償金を払うことになるだろう。建前としてはだ、トリステイン王家が全額この戦争の経費を払う。だが、それではトリステイン王家の財政が破たんする。さらに、実質的には不幸な事故から始まった戦争だ。ならばだ、賠償金代わりに不幸な事故を起こした貴族らの領土を割譲させよう。だが、それではトリステイン王家にとっても不幸なことになる。そういう建前でこの男は、割譲ではなく買い取りを提案した。買い取り?正直なところ理解しがたい概念だが、その額は手元の資金が苦しいトリステイン王家が飛び付くことは間違いないだろう。ゲルマニアにしてみれば払える額だが。
余は少し考え、この視点を他者からどう見えるか考えることにする。そう、トリステイン貴族の視点から物事を分析するのだ。王家のために戦争しているのだと、トリステインの栄光のために戦っているのだと連中は称している。嘘八百極まりないと思うのだが、自己欺瞞や自己陶酔も油断ならない要素ではある。
その思い込みはすがすがしいほどだが、上手く講和を誘導できればその連中にとって戦ったにもかかわらず称賛されるどころか、王家に売られたように感じるだろう。当然、かの国は内戦だ。どちらにしても矛先がゲルマニアに向くことはなくなる。それならば、いっそのこと必要経費だと割り切ることのできる額だ。内乱や、返還要求が高まってくれば傀儡として擁立すれば良い。ある程度、辺境の貴族たちに土地を割譲した後で、ゲルマニアの爵位をくれてやればよいのだ。実に簡単な方法だ。ゲルマニアの爵位は金で贖うものなのだから彼らもそうせざるを得ない。実質的には彼らの私財をまとめて搾り取ることが出来るだろう。

「しかし、汝の戦後構想にはかなり恐れ入ったものだ。余とて外交は得意とするのだがな。あれほど、狡猾な選択はそうないだろう。汝の外交の才覚に今後も期待したい。」

これほどの策謀が出来る男を前線にとどめておくのはむしろ愚策でしかない。特に、アルビオン方面のきな臭さは第二のトリステインの誕生を招きかねないだけに慎重な対応が必要となる。また、この男に功績を立てさせすぎるのも問題なのだ。政治的には英雄や、賢者はあまり望ましくない。そこには虚像が伴い、結果的に本人の意図や意思とは関係の無い問題が噴出する。その意味において、この男を前線から引きはがしたのは、ある種の政治的な配慮があった。

「つまり、その能力を活かせる場に移れということでしょうか?」

察しが良いが、さすがにそこまで露骨な人事であると他の貴族たちにもよろしからぬ影響が出かねない。ゲルマニア皇帝といえども有力貴族どもの意向を無視することは出来ない。そして、有力貴族たちは功績を欲しているが、さすがに他人から譲られることを是とするほど矜持が低くもないのだ。厄介な連中であるが、連中にほどほどの武功を立てさせねば国内の不満が高まるばかりであるし、新興の貴族が大戦果をあげるとなると反発も大きいのだ。まして、建前とはいえ一度失脚した人間なのだ。そう簡単に取り扱うことは出来ない。
問題が、一番厄介であるのは、講和会議はラムド伯が担当するべき事象であり、この男はあくまでも参事として私案を練っているにすぎないとし、功績は貴族たちで分配することを上手く采配することである。余が主導しては、貴族らの功績ではなく、この男が主導しては、功績の独占であり、ラムド伯に独占させるのは、ラムド伯と対立する諸候の神経を逆なでする。
ほどよい落とし所を探し、情勢がある程度明確となるまで、動かしにくい情勢でもあるのだ。

「そうしたいがな。事情が許さん。当分は自領の手当てでもしておくがよい。」

「では、アルビオンからの客人と交流を深めてもよろしいでしょうか?」

そう、この男の領地は亡命貴族どもの受け入れ地となっている。つまるところ、対アルビオンの外交戦略を練るうえでも最良の拠点のひとつなのだ。亡命者の管理は、適切な配慮を欠くと政治的な爆弾になりかねないだけに、手当しておくにこしたことはない。
それに、この男を本来北方に派遣したのは新領の開拓と開発を行わせるためでもあり、トリステインに煩わされていなければ今頃この男が行政改革を自由に行っていたはずでもある。使いどころが多いと、逆にどれを選択するか迷うものがある。
遅れてしまったのが気に入らないが、今後の戦争が物量に物を言わせる戦いであるのは間違いない。実際、我がゲルマニアの敵足りえるのはガリアだけだ。片手間で戦争できるトリステインとの戦争そのものは、実のところ終わらせ方以外はさしたる難題ではない。終わらせるのは困難だが、戦術的に蹂躙するのはそれほど突出した将官でなくとも可能な問題である。
ならばこの男の使いどころは、また別のところにあるだろう。だが、しばらくは限定的な使い方しかできない。そうであるならば、本業であるゲルマニア国土開発でもやらせるべきだ。

「構わん。積極的にせよ。」

「分かりました。では、さしあたり留守にしていた北方開発の陣頭指揮に戻ります。」

「そうするが良い。汝の働きに期待している。」

この男は基本的に使い勝手が良い。今後も適切に遇するならば大きな益をもたらしてくれることであろう。使えるものはことごとく使ってきた。これからもこの男には活躍の場を与え、活躍して貰いたいところだ。まあ、昇進の際には少々周囲に配慮しなくていけないだけに面倒ではあるがそれを補って余りあるものがある。
それにしても、権勢欲でもなく、金銭欲でもなく、この男の行動原理は何なのだろうか?ゲルマニアに忠実である限りは、是と言って問題ではないが、知るにこしたことはない。

「で、汝は何を望む?」

「褒賞でありますか?そうですね、メイジを解剖する許可でもいただければ幸いですが。」

「トリステインのメイジでも、膾切りにしたかったのかね?まあ、それは考えておこう。」

ふむ、前線での活躍を望んでいるということか?まあ、希望にこたえてやりたくはあるが現状では、困難だ。まあ、頭に留めておくことにしよう。

「ほとぼりが冷め次第、昇進だ。参事の職を用意した。だが、それまでは北部の開発に勤しむがよい。」



{ロバート視点}

一言で現状を言い表すならば、失望だ。北部の要として発展しつつあるダンドナルド・シティに到着した私を待ち構えていた報告は、私の望んだものとは全く方向性がことなる物だった。山岳部の開発が進んだのは結構なことだ。これで、大きな金銭収入源として山の産物を加工し輸出できるだろう。亜人対策として歩兵隊の編成や、メイジの雇用が進んでいるのも評価できる。鉱山の開発と、穀物の栽培が順調に拡大しスラム街が解消されて治安が改善しつつある。だが、私個人にとって重要なのは知的好奇心を満たすことだ。まず、魔法の研究は外せない。最大の優先事項の一つだろう。一度、医学的な検証をメイジの解剖という形で検証してみたいが、それは、当分かなえられそうにもないし、さすがに、生きているゲルマニアのメイジを解剖するわけにもいかない。
となれば、魔法の研究としては、戦訓の分析くらいしかできることはない。こちらは前線で運用を見たものをまとめている。まずは、これの整理に取り掛かるべきだろうが、目の前に積み上げられた報告書の山は私にその時間を許さないだろう。にこやかな笑顔で書類を突き付けているカラム嬢がまず許さないはずだ。
そして、私は良い報告と悪い報告ならば先に悪い報告を聞くことにしているが、その悪い報告の筆頭が私の開発を命じていた物が遅々として開発が進んでいないというものであった。さすがに、この方向での最悪の事態など想定もしていなかった。

「つまりだ。キツネ狩り用の銃は出来ていないと?」

良質な鉄と火薬は用意できるように手配した。もちろん、概念として最低でも騎乗したまま使えるようせよ、などといくつかの要求を伝えはしたが基本的に無理難題は要求せず自由に開発するように求めたはずだ。職人たちが実力を遺憾なく発揮できるように最大限環境は整えたはずなのだが。

「その通りです。その、腕の良い職人たちを集めたのは良いのですが・・・。」

そう。高い報酬を提示して商会を通じて多くの熟練した職人を集めたのは、ひとえに彼らが重要な役割を果たしてくれるだろうという政治的・経済的な理由と、私の望むものを作るだけの技量を持ち合わせていると考えたからだ。私は何もライフルを量産しろと求めるつもりはない。ただ、キツネ狩りに使える猟銃が一つあればよいのだ。弾丸も特注で構わないと伝えてあるはずだ。確かに、時間がかかることは理解しているが、少しも開発が進んでいないとはどういうことだ。意図的な妨害かサボタージュでもあったのか?そうでもなければ、納得がいかない。

「続けたまえ。」

部下が言いにくそうにするとき大抵の理由は叱責を恐れるからだが、叱責される原因が自らの失敗にあるときと異なり、別のところにあるようなためらいがちな口調だ。何か事情があるのだろう。だが、それが想像もできない。どのような事情があるというのだ?

「閣下が以前全てのフネの大砲を投棄されたため、現在大砲の製造に追われております。その、戦争中は弾丸やその他の物を作る必要があったために、特注の銃を作る余力がなかったと・・・。」

「・・・そうか。わかった。何も言うまい。だが、出来るだけ急がせよ。」

まったく、忌々しい。トリステインごときに煩わされたことそのものが不快であるが、まさか投棄した大砲の影響がこのようなところに出ているとは。確かに、前線で大砲や弾丸を豊富に使用したことは認めよう。浪費に近い水準で出し惜しみしなかったのは、事実である。弾を惜しんで、戦死するよりは、ましであると思うが。
戦果を逃すことのないように、巡航に際しては、鎖弾やブドウ弾を大量に消費した。さらに、トリステイン本国艦隊と接触した際に重量物は全て投棄した。当然、重量物には大砲も含まれている。
後方に下げて修復させていることと、大砲の補充の申請に許可のサインをしたことも覚えている。だが、まさかこのような形で影響が出ているとは。まったく予期せぬ落とし穴があったものだ。分かっていればもう少し前線でトリステイン軍に憤懣のぶつけようもあったもののここからでは憤ることしかできようがない。せめて、檄文を前線に送り彼らの奮起を期待するのみだ。後任のツェルプストー辺境伯は極めて優秀な指揮官であるという。メイジとしても優秀だと言うが、いつか語り合う機会があれば幸いだ。大規模な会戦におけるメイジの運用方法について研究する際には大きな助けが得られるやもしれない。

「それで、閣下、こちらの書類なのですが。」

「ああ、それらならこれから決裁しよう。何か、留意事項があるか?」

時間があまりないのだから迅速に取り掛かるべきだろう。少なくとも留守にしていた時間の分だけ書類が積み上げらているのだからやらねばならないことがあまりにも多いように思われる。当分は、まずこの書類の処理を終わらせなければ自由に何もできそうにない。

「その、アルビオンからの亡命貴族やその従者について身元特定がすすみつつあります。」

「大変結構。貴族相手で神経を使うが、トラブルに留意し、早急に終わらせるように。」

貴族はプライドが高い。そして、ここはゲルマニア領であるが、貴族の身分を持った他国人は官吏にとっては実に厄介な問題を持ちこんだり、惹き起こしたりする存在だ。なにしろ、法はゲルマニア官吏の味方であるが、メイジにして貴族であるということは、大きな意味があるのだ。

「その件で、厄介な問題を抱えているものも少なからずおりますので早めにご指示を頂きたく思います。」

「分かった。担当者は誰だ?」

「ミスタ・ネポスです。彼に詳細を早めにお尋ねください。」

そう言い、カラム嬢は封がなされた書類の束を差し出すとそれぞれアルビオンにおける階位ごとに整理してある旨を告げると退室していく。とはいえ、彼女だけが報告を持っているわけではない。単純に残留した部下の最高位が彼女だったということであり、他の報告書を持った部下がいまだ大量に控えているのだ。ネポスの報告も早いうちに聞かなくてはならないだろう。

「厄介な問題も山積みになっていのだろうな・・。」

思わず、天を仰ぎ嘆きたくなるのを耐えつつ次の面会者を入れるように促す。未だ大勢の面会希望者が来ているが次の面会希望者は役人ではなく商会の人間だ。なんでも、アウグスブルク商会の北部総括を行っているという。
今回は顔合わせと、山岳地域の物産開発に関して報告と商談があるとのこと。確かに重要な問題でもあるし、優良な商会とのつながりは重要であるとはいえ、やはり気の疲れることとなるだろう。ヴィンドボナで耳にする限り、北部の開発は大きなパイとなっているという。それを否定することは出来ないが、その分配方法について事細かに要求されるのも気乗りがする話ではないだろう。羽ペンが重くなったような錯覚に駆られつつ、ようやく従者に案内されて室内に入ってきた男を歓迎し、話す席を設けることとする。まったくもって、思うに任せないことが多すぎる。

「とにかく、案内してくれ。」

取次に部屋へ案内するように促すと、即座に小奇麗な身なりの商人が部屋に飛び込んでくる。実に手際よく書類を並べると、こちらを尊重しつつもしっかりと自分達の商会の功績を主張しつつ、権益の分配交渉を希望していると暗に何度も示してくる。実に厄介な交渉相手であり、同時に有能な商人だ。

「ふむ、農村の技術指導は順調。山岳部は、染料の商品化に成功か。おおむね堅調だな。」

「はい、しかし私どもの商会といたしましては、もう少し分野を広げることでより大きな貢献ができるかと考えております。」



  {アウグスブルク商会‐ダンドナルド・シティ業務日誌}

本日、北部統括業務の一環として、ロバート・コクラン卿と面会。
卿の健康状態は、一見する限りにおいては良好。会話に際しても、これといった健康状態に異常は見当たらず。壮健と思われる。
本日、確認した限りにおいては、当面北部の人事は既定路線を保つ模様。

本日の面会事項は、北部における我が商会の権益拡大と、開発中の商品について。
コクラン卿は、あくまでも、北部開発は中央、ヴィンドボナの利益になる形で行う模様。
少なからずの賄賂が必要経費として認められているものの、有効性は低く、別経費として計上することを検討する必要あり。

アルビオンからの亡命貴族らが増加中。面会を希望する数組を視認。将来的には、彼らの取り込みと顧客化が望まれる。
望ましくない兆候としては、彼らの一部が北部の権益に関心を示しつつあること。同時に、アルビオンからその伝手でアルビオン系商会の進出が危惧される。



  {ロバート視点}

報告書の束を少しずつ切り崩しながら、私は羽ペンを止めることなく書類に走らせる。黒々としたインクが渇く間もなく、書類に次々とサインを行い、訂正や改善、指示を書き込んでいく。

「だが、ふむ。やはり、これらは猟銃の開発資金に回せないだろうか?」

それでも、忙しい政務の合間を縫って私は、職人たちへの助言と要望をまとめる努力を行っていた。幸いにも資金と原料にはある程度の余裕があり、大抵の物資も用意できる見通しが立っている。
方向性を明確にすることで開発の時間が短縮できるだろう。幾分、職人たちの作品と言えるかどうか微妙なのであまり乗り気がするものではないが、これ以上無為に時間を取られるよりはこちらの方が良いと判断した。概念さえまとまっていれば30日で新しい銃を作ったアメリカの技術者の話もある。おそらく概要でも理解できれば、職人たちが制作に必要とする時間も大幅に削減できるだろう。
まず、連射性は期待しない。だが、せめて騎乗して取り回しできるように軽量化することを求めたい。そこで、騎兵銃としての性能を十分に満たすならばフリントロックを要請したいが、そもそも加工精度に難がある現状では逆効果だろう。やりたくはないが、プロイセンのドライゼ銃もどきでもこの際構わないつもりだ。いや、だがやはりそれは気乗りしない。
現実的な選択肢の中から選択することにして、できるものならば、ボルトアクションと紙薬莢を採用することとしたい。ここから先は職人の裁量に任せることとしよう。理想を言えば金属薬莢を採用したいが、加工精度が上がるまではそこまで求めるのは酷であろう。冶金学や加工に関連する項目はブリタニカ百科事典に載っていなかっただろうか?次回ヴィンドボナに行くときは必ず確認しておく必要があるだろう。騎乗して射撃することと命中率を考えるとライフリングをどうにかして職人たちに理解させ実現したいが、そこまでの加工精度は期待できるだろうか?馬具も少しばかり改良が必要であるように思えてならない。やはり、ネックになるのは加工精度か。実際のところ、この問題に関してはどの程度の加工精度であるかが再現できる限界を決定するようだ。
それらを考慮すると、加工精度について職人の意見を聞いてみたいところだ。物事の問題点を合わせると、解決策はやはり人づてではなく直接話を聞いてみることが最善となるのだがなかなか思うに任せない。ほとぼりが冷めるまでという、いささか不透明な時間が与えられているが、少なくともトリステインとの戦争が終わるまではまだ余裕があるはずだ。だが、結局のところ早めに動かなくては完成までに時間がかかるだろう。猟犬の教育も行いたいが猟犬の教育を行える人材も獲得したい。こちらは商会の人間に依頼してあるのだが未だに見つかっていないようだ。

「ううむ、時間をどこかで作れないものだろうか。」

一人呟いて本日の予定を頭に思い浮かべて何とか時間を捻出できないかと考えてみる。時間を捻出すること。少ない手持ちの物を如何に活用するかが優秀な士官の条件であると教えられている。何が出来て、何をしなくてはならないだろうか。その義務と余剰の確認も慎重にやらなくては。
まず、本日の面会だけで午後まで埋まっている。商会からの人間が5人に、近隣の貴族からの要望が3件。アルビオンからの亡命貴族が2名に、ロマリアからの通常の布施要求に来る坊主が1件。坊主については、招聘したパウロス師にお任せしてしまうべきか?だが、多少は布施を用意しておかなくては謂れのない厄介事を持ち込まれる。まったく、これだから腐敗した聖職者ほど忌々しく厄介なものはないというわけだ。近隣の貴族からの要望については難しいが現実的なものが多い。辺境開発に従事する人間の要望は現実的なものが多いからだ。こちらは、多くの益がこちらにもある場合が多い上に、近隣との関係は開発を進めていく上で大きな助けになるので話を聞くべきだろう。亜人の共同討伐等はこちらにとっても安全に辺境開発を進める上で必要不可欠なので断ることはまず不可能か。アルビオンの亡命貴族との会談はまず、ネポスの報告が優先だ。つまり、こちらは後日に回させていただくことにしよう。よし、ならば商会の人間の要望を確認しよう。

「商会の面々の案件は?」

「開発を任されている商品についてコクラン卿の御意見を伺いたいとのことです。」

ふむ、新規に開発させている商品の優先的な供給がかなり有効であったようだ。どの商会もそれなりの速さで商品を完成させているし、たびたび権益に関する交渉をこちらに持ち込んできている。関心は、上々といったところだ。それらは、こちらの領内でとれる産物をこちらの領内で加工できる範囲でという制約があるにしても悪くはない取引条件であると認識されているようだ。それほどまでに、条件面での問題も領土が広いことと技術者が多数流入しているために無いことが大きく影響しているようだ。今後の税収の増大には大きく期待できるところだ。財務状況に多少なりとも余裕が出来るならばまた人員を雇うことが出来るので労働状況も改善するだろう。

「よろしい。その件については実際に製造現場と現物を見たいと伝えてくれ。」

実際に、製造する現場には多くの職人達が集まっている。現地の視察を行いつつ、商会の面々との会談を並行して行えば余剰時間が捻出できる。その時間で、職人たちと話をする時間も捻出できるだろう。上手く、要点と要望を伝えて開発速度を進めることができれば、冶金技術が高いゲルマニアの熟練工が叶う範疇で望みの品を仕上げてくれるだろう。そうなれば、後は猟犬の育成を行える人材を見つけるだけだ。最悪の場合、こういう方向で猟犬を訓練せよと領地の貧しい開発村に依頼し租税を免除することも選択肢に入れるべきかもしれないが、それでは時間がかかりすぎるのであまりやりたい手法ではない。

「ミスタ・ネポスが至急の報告を行いたいとのことですが。」

「・・ううむ、やむを得ないな。彼を通してほしい。」

アルビオンの亡命貴族を受け入れるということは一つの政治的なリスクを伴うものだ。基本的には現王家はゲルマニアに対してある程度の理解があるので敵対しようとは双方とも考えていない。だが多少こちら側の事情が変化すればその前提も変わりかねない。出来れば自ら敵を招くような愚行は避けたいものだ。

「では、こちらの報告書を合わせてご参照ください。」

差し出される報告書の束はそれぞれ亡命者についての情報と、現在のところまでの報告の抜粋であるが、それだけであっても相当の量を誇っている。家系やそれらの親族関係の調査は未だ続行中であるため空白が目立つにしても、貴族の情報は可能な限り頭に入れる必要がある。時間は、捻出できたものの恐らくここで全て消費しかねないだろう。午後から視察を行うためにもこれを片付けなくてはいけないだろうが、多忙と時間上の制約で短絡的に判断を下してしまうことも失敗の要因となっている。ここで、着実に決裁しておくべきだが、それでは時間が足りない。
思うに任せないことが多いと嘆くよりも、まず目の前の課題を処理するべきだがやや徒労感におわれてしまう。カラム嬢にいっそ一任してしまうべきか?女性が公務につくことも能力があるならばある程度は許容されるのではないか?・・・いや、紳士たるものがそのようなふるまいを積極的に行うことは許されるべきことではないのだ。やはり、毅然として自らで処理しなくてはならないだろう。とはいえ、これは本当に面倒な内容だ。亡命者の中にはアルビオンで罪を犯しているものや、公式にアルビオンによって手配がされたものまで含まれている。一応、アルビオンとゲルマニアは友好国なのだ。曲がり間違っても、亡命者の内実を外に漏らすわけにもいかないが、早めに手を打たなければ時間の問題だろう。秘密は知っている人間が多ければ多いほど露呈することも早まるものであるうえに、亡命してきた貴族たちの全てが大人しくしているわけでもないからだ。

「問題が山積しているな。改めて実感させられる。」

「はい、ですが記載できない程の問題も中にはあるものです。」

頭が痛い。機密扱いの報告書にすら記載が憚られる亡命者だと?モード大公か、その側近の重鎮でも亡命してきたとでもいうのか?さすがに、モード大公の血縁者は受け入れることを拒否するように命じてある上に、それほどの大物がアルビオンから亡命すればこちらの耳に入らないはずもないのだが。耳に入らないということは、想定の範疇ではないのだろうが、最悪の想定は行っているはずだ。仮に、モード大公の情人とやらのエルフが亡命してきたとしても、それほど目立つものならば直ぐに私のもとに報告が入ってこなければならないはずだ。だいたい、それを匿っているとなれば政治的に致命的な爆弾となるはずだ。当然、私に真っ先に報告されているのだからこれは違うのだろう。そうでなければ、今頃は、私自身が事態の収拾に取り組んでいる。

「ほう、それをネポスから聴取する訳か。」

「はっ、その、いささか、奇妙な話でありまして・・・。」

曖昧な報告や見解を聞く必要はないだろう。だが、奇妙な話ということは念頭に置いておかなくては。ネポスが呼び出されてこちらに着くまでに出来る限り事前に把握できることを把握しておく必要がある。



{第三者視点}

第二戦線の形成は、戦力において数の劣るトリステインにとって対応に苦慮するところとなった。

「金払いが悪い、負け戦にはした金で死ぬのはごめんだ。」
~あるシェフの吐き捨てた言葉~

ある傭兵が語ったとされるこの言葉が当時のトリステインの置かれた状況を物語っている。金も人も物も不足した、軍体というのは、悲惨だ。精強なメイジを抱えてはいる。だが、メイジだけでは戦線は維持できない。
まずメイジの盾となる傭兵の召集が遅々として進まない。資金の捻出も困難を極める中、辛うじて動員できた魔法衛士隊と現地の諸侯軍によってゲルマニア軍に対して、辛うじて戦線を維持し対峙することはできた。
だが、それは王都トリスタニアの防備を薄めざるをえないという事態と引き換えであった。当然、その穴埋めとして傭兵と直轄領からの動員によって王都の防衛を固めることを計画していたものの、結果的には有力なメイジや練度の高い兵は前線に送られ、王都には戦力の空白が生じていた。
タルブ経由での王都奇襲作戦でトリスタンは、まさにその動員システムの欠陥を衝かれる形となった。タルブ防衛を担うべき部隊は在郷の貴族の私兵のみでありそれらは本格的な動員を完了する前に四散する。
辛うじて急を知らせるべく急使が派遣されるも、襲撃と同時に潜伏していた伏兵が連絡路を封鎖し、難なく急報を妨害することに成功していた。トリスタニアへの情報の漏えいを防止したゲルマニア艦隊は、トリスタンの空で妨害をうけることもなく悠々と進撃を行い、白昼トリスタニアを直撃することに成功する。ゲルマニア艦隊は、トリスタニアを自由自在に遊弋し、我が物顔でトリスタニアの各所に砲撃を行う。
残留していた数少ない魔法衛士隊は、王家の護衛を行いつつも、辛うじて反撃態勢を整えようとするものの、王家の安全を確保し、反撃を試みられるようになった時点で、ゲルマニア艦隊は後方のタルブまで後退し戦勝を祝うところであった。
戦勝記念として、ゲルマニア艦隊は進駐していたタルブ地域に対して余剰の資金や物資を提供し、タルブ側も名目上はゲルマニアに徴発されたという形でワインやこの地の奇妙な物産などを提供し交換することとなった。両者ともに、良好な関係を構築していたとは後世の歴史家が一致して指示する所である。
この一撃によって、トリステイン王国の権威は致命的な打撃を受けるところとなった。白昼、王都を敵艦隊が縦横に暴れることはそれを阻止しえなかった王家に深刻な影響をもたらさざるを得ず、動員を求められた諸侯軍が王都防衛の名目のもと前線への出征を拒絶する事態に発展。さらに、前線の傭兵たちが給金の払いが滞っていることに加えて後方から聞こえてくるトリステイン王家の現状に負け戦を連想し、士気が低迷し始める事態となる。脱走や、抗命が相次ぎトリステイン王国の前線指揮官たちは超過気味であった作業にさらに負荷を受けることとなる。合わせて、ゲルマニア側の勝利を見越して勝ち馬に乗ろうと多くの傭兵がゲルマニア側に集まり始めた。傭兵は契約が果たされる限りは従うが、当初楽観視し傭兵を集めることを重視したトリステイン貴族らは給金の支払いが大きな財政的負荷となり、支払いが滞る寸前に追い詰められ、ついに前線でも一部の過激な主戦派を除き講和もやむなしかとの議論がひそやかに、しかし確実に語られるようになる。
しかし、並行して不甲斐ない王家の状況が白日の下にさらされ、貴族たちへのトリステイン王家の影響力は致命的な打撃を被るところとなった。取り分け、戦費調達に協力させられていた貴族たちの多くはこれ以後トリステイン王家に対して極めて不誠実な対応を繰り返すこととなり、王家を悩ませることとなる。



{ネポス視点}

私は、ゲルマニアの中でも最も辣腕だとされる策略家に極めて奇妙な報告をしなくてはいけないこの身の状況を極めて嘆きつつ、面倒事から解放されたい一心で報告書を作成した。さすがに、意味がわからないと報告書に記載するわけにもいかず、口頭で至急報告したい奇妙な事態に巻き込まれているとの報告になったが、結果は、至急の会談を認めるという上司からの伝言であり、あまり楽しいとは言えない昼食への招待状が同封されていた。

「つまりだ。亡命者の受け入れ処理をしたにもかかわらず、それらが関係者から悉く記憶に抜け落ちていると卿は主張するのだな?」

報告した際にミス・カラムが浮かべた、呆れたような表情をコクラン卿が浮かべることが目に見える。状況の確認を行わせるべく数名の人物を派遣したが、そのような人物には心当たりがないと報告されるばかりだ。郊外に奇妙な二人組が住み着いたとの報告があったので確認を行おうとしても報告がさっぱり要領を得ないものしか得られない。事態に苛立って何人か気心の知れた同僚と事態を直接確認することを試みたものの、何故かその記憶が部下に指摘されるまでは抜け落ちているありさまだ。自分の日記に、「友人と視察」と記載してなければ到底、そのことを信じられないでいただろう。何かがあるのは間違いないのだ。問題なのは、それが何であるのかさっぱりわからないことであり、それを上司や最高責任者に当たる人物に自分が報告しなくてはならないことだ。

「ああ、貴族に叙勲されたと喜んだ自分が恨めしい・・・」

曲がりなりにも貴族の末席を与えられれば、様々な法的な特権が与えられるとはいえ、その分厄介事を押し付けられるものである。ある程度ならば受容する気にもなるが、この厄介事は果たして見合ったものだろうか?もしも、ミス・カラムが優秀なメイジでありこのところ憤懣をぶつける対象を亜人にしていることを知らなければ思わず辞職する所だった。誰だって、自分が火だるまにされる対象へ積極的に名乗り出たくはないだろう。少なくとも、相手にしたい相手でないのはまず間違いない。
だが、コクラン卿を侮れるかというとそれもまた別問題だ。未だに、知名度はさほど高いわけではないが、その手腕が分からない人物は高い授業料を払わされるところとなるだろう。ダンドナルドの開発に際してコクラン卿が示した手腕は辣腕そのものだ。軍務に関して仄聞する限りにおいてでさえ、歴戦の士官たちが舌を巻く指揮を執っていたという。不興を買いたい相手ではまずない。出来ることならば、誰か別の人間がこの件に関して報告を代行してくれないかとすら思ってしまう始末だ。だが、同僚達とて、この激務で関係者の間では有名な北部の人間だ。当然、このような事態を回避する術にも長けている。結局、この報告を代行しようなどという奇特な同僚は探しえなかった。

ああ、何故このようなことになったのであろうか・・・。




お売りになられますか?この額が限度額になりますが。
~ゲルマニア商人の口癖~

ゲルマニアの商人は強欲であると世間では噂されるが、ゲルマニアの商人に言わせると、彼らが強欲なのではなく、他が怠惰であるに過ぎないと彼らは主張する。
その証拠に、と彼らは続ける。『どことは言わぬが、輝く国や大公国とて、我らと同様に勤勉ではないか』と。



{ロバート視点}

ムーダ経由で運ばれてきたトリステイン方面に関する報告と、最新の伝達事項を記載した書類と共にネポスから提出されたばかりの最新の報告書に目を通し、ロバートは重々しい口調で言葉を紡いだ。

「ミスタ・ネポス、私は卿の物忘れや悔悟について相談に乗れるほど教養があるわけではないのだ。そのような相談ならば、パウロス師のところへ行きたまえ」

緊急の報告だと?私は、憤怒に駆られそうになるのを自省しつつ目の前の文官の評価を心中で債権とするべきかもしれないとの思いに駆られていた。亡命貴族の処理に関して何らかの問題が生じたという報告は確かに重要だ。書類が抹消されていうか、改ざんされている痕跡が発見されたというならば、事態は一刻を争うだろう。それらの事態ならば、急ぎの報告となるのも妥当な処置だと納得できる。
だが、単純に物忘れと?亡命処理をしてその決裁を怠った理由が忘却?健康上の問題ではないか。担当官から外すべきかもしれない。痴呆かそれらに類する症状かもしれない。この手の問題は、完全に教会に任せるに限る。多忙な時間を割くほどの問題ではないではないだろう。誠実にあらんとして自らの失態を報告に来ることは評価すべきかもしれないが、わざわざこのようにする必要はないはずだ。

「いえ、そのそういった問題ではないのです。閣下。」

私の、やや同情するようで不信感を伴った視線に慌てたような表情でネポスは否定の言葉を口にする。この男の発想力は評価している、うん、何がしかの事情がある可能性も考慮すればもう少し話を聞くくらいの価値はあるだろう。

「うん?それはどういうことかね。」

「不審なことは、組織的に記憶が失われているということなのです。関係者が悉く記憶を失い、書面でのみ事実が確認されているのです。」

・・・組織的に記憶を失っている?そのような魔法が存在し得るのだろうか?それは、系統魔法というものの範疇からは明らかに逸脱しているように思える。まあ、水系統は精神にも影響すると言うので必ずしも断言できる訳ではないが・・・。一時的に記憶を阻害させると言ったことならば可能なのだろうか?大変に興味深い。砲弾の衝撃で自失する兵は知っているが、それとはどう違うのだろうか?実に知的好奇心が刺激されてやまない。これは、ますます研究したくなるところだ。それが叶わないのはまったくもって忌々しい時間の制約だ。この時間の制約から解放されるためにも早めに義務を完遂し、可能な限り私的に使える時間を捻出したいのだが。

「それについて、卿の見解はどうなっている?」

「分からないのです。本当に、何が起きているのか不明でしかないのです。」

「ふむ、推察で構わない。亡命してきた際の書類はあるのだろう?それから想像できる範囲で分析してほしい。」

亡命を受け入れると公的にゲルマニアは宣言したわけではない。ただ、ムーダの定期船団が南部に寄港し、そこで乗船した人間の身元を確認していないだけだ。だが、実際はこちら側に到着した際にメイジやディティクト・マジックに反応があった人間には聴取を行っているのだ。当然、拒絶した場合はその場で送還すると明言して行っている。アルビオンからの亡命者は大半が南部貴族だが一部は中央のモード大公派の官僚たちも混ざっており、彼らには簡単な事務仕事をこちらでの生活の糧を提供する対価として行ってもらっている。それらの調査の際の書類がないままこちらに滞在しているアルビオンの客人は問答無用で拘束することになっているが、それらが報告されていないということは何がしかの審査は受けているはずだが。

「はい、私達はそれをモード大公にかなり近いサウスゴーダに関係する貴族だと判断しています。最悪の可能性としては、モード大公の縁者の可能性を考慮すべきかと。」

「その根拠は?さすがにそのような判断を担当官が下すとあれば、簡単には対処を決することが出来ない。判断の根拠が聞きたい。」

「戯言に聞こえるかもしれませんが、アルビオン王家の秘宝があればあるいは記憶を操れるのかもしれません。」

魔法の道具については現在辛うじて文献を集めている段階だが、様々な効能が記載されていた。それらの多様性を考慮すれば、当然排除されるべき可能性でないのは同意できる。だが、いくらなんでもそのような秘宝が簡単に国外に持ち出されることがありえるのだろうか?そもそも、モード大公の縁者ともあれば、アルビオン王家といえども狩りだすことに熱心なはず。それが全く聞こえてこないはずもないと思うが。

「そして、モード大公に正妻とエルフ以外の妾がいないという保証はありません。」

頭が回らなかったようだ。なるほど、エルフが問題になっている以上、注目がそちらに集まっているために取り逃がしもあり得る。確かに、それならばモード大公の関係で何がしかの秘宝が流れてきている可能性自体は否定できない。特に、モード大公の周囲が長らくエルフとの関係を隠匿してきたことを考えるとその可能性は無視できない。別の縁者が存在し、それらがこの粛清劇を逃れてゲルマニアへと亡命してくる可能性は排除しきれないと言える。
しかし、それはあくまでも可能性の問題ではある。そのようなことがありえるだろうという程度に過ぎないのだが。だが、それには何ら保証があるわけではない。しかし、このことが事実であれば容易ならざる政治的な爆弾になりかねない。モード大公の縁者ともなればそれを匿っている国はアルビオンに含むところがあると明言しているも同然だ。いや、そのような風聞が立てられるだけで窮地に追い込まれる。もともと、ある程度の亡命者の受け入れをアルビオンへの牽制と友好関係構築の前提であるアルビオン安定のために行っていたのだ。
反体制派を国外追放することが可能ならば事態の収拾は比較的簡単に行える。これによってアルビオンには恩が売れる上に、反対派の統制もこちらで可能だろうと当初は判断されていた。だが、それは亡命者達が統制可能な範疇に留まる事が大前提だ。処刑された王族の縁者では問題が根本的に別問題になってしまう。本当に現アルビオン体制を転覆しようとしていると、きめつけられても反論できない現実が成立してしまう。アルビオンとは同盟国ではないにしても、利益をある程度妥協して分配できる関係であり、今後もこの関係は維持したいと思うのだが。

「重大な案件だぞ。推測だけで判断するには情報が不足しすぎている。」

問題の本質を見極めなくては。下手に軽挙妄動を犯すと逆に事態を悪化させる恐れもある。状況が許すならば、徹底的な調査こそが望まれる。それは可能か?だが、情報はそれを知りえる人間を制限することこそ機密保全の鉄則だ。簡単に大規模な物量に任せた調査を行うことも簡単にはできない。何がしかの確信がほしい。可能な限り行動を容易にしてくれる決定的な確信。
・・・将校の悪い癖だ。少しでも多くの情報を欲して決断を躊躇してしまう。慎重さは美徳だが機を逃す可能性を同時に考慮して決断するという勇気が必要なのだ。躊躇うだけならばそれは脆弱さの弁明の仕様のない証明であり、無能の照明でしかないではないか。

「ミスタ・ネポス。事態を見極めるまで他の任務はミス・カラムに代行させる。卿は事態を一刻も早く解明せよ。忘却を防止するために毎日私のもとへ直接報告すること。万が一、忘却した際は、それが手掛かりになるはずだ。」

仮に彼が、再度忘却したとしても私が前日に彼が翌日行う調査の内容を把握しておけば名何がしかの手掛かりを得られるだろう。組織的に取り組めるという利点をこちらも使うべきだ。個人のミスを防止するためには艦内のクルーで協力し相互に支援する必要があった。その延長として事態を把握することが事態の解決に有意だろう。経験からすらも学べないならばそれは救い難いとしか表現しようのないことであるのだからせめて教訓を活用することとしよう。

「かしこまりました。ただちに調査に取り掛かります。」

「大変結構。さっそく、明日の調査予定を報告するように。」

状況は不明だ。

・・・これで少しは改善するといいのだが。



王都襲撃、それによってトリステイン王国の受けた衝撃は絶大であった。白昼、易々とゲルマニア艦隊の王都上空侵入を許した揚句に、迎撃すら叶わず我が物顔で砲撃を行われた。
もはや、弁明もしようのない事態である。この報を耳にしたとき、賢者はトリステインに訪れるであろう動乱を予見し、知者はトリステイン王家の崩壊を悟った。無知な大衆でさえも大きな潮流の変化を感じ取っていた。歴史の当事者たちとてこの大きな変化に無関心であったのではない。彼らはその歴史の中で、自らの最善を尽くし歴史を紡いだのである。

フォン・クラウツェル 「~ゲルマニア・トリステイン戦役~考察」



{ニコラ視点}

悪夢だった。

目の前の光景が信じられなかった。

砲弾で崩れ去る塔が、まるで祖国の将来を暗示している・・・

そう思ったところで砲撃の巻き添えを喰らい昏倒していた。そこから気がつけば高官たちが手当てを受けている城内の一角で水の秘薬とメイジ達の治療を受けていた。狙ったのか偶然なのかは不明だが、ゲルマニア艦隊からの攻撃で財務関係の施設が攻撃を受けた。砲弾が私のすぐそばの壁にぶつかり、その破片をまともに浴びたらしい。正直に言って、あの時生き残れたのはまれにみる幸運だったのだろう。
だが、それが同時に可能ならば見たくないものを眼前に突き付けてくることでもある。砲撃による被害事態は急速に修復されている。だが、その影響は尾を引くだろう。私は、トリステイン王家というよりも祖国に忠誠を誓った身だ。身の振り方をそろそろ考えるべきかもしれない。このままでは祖国はゲルマニアの傘下に収まることとなるのが時間の問題だ。現王家の求心力崩壊は避けられない。なんとしてでも、事態をここで納めなくては待っているのは国内の分裂とそれによる祖国のハルケギニアでの狩り場化だ。
祖国はこのままでは、狡猾なガリアとゲルマニアの遊技場となり荒廃してしまう。なんとしてでもここで食い止めなくてはならないのだ。国力を無為に浪費した揚句に、他国の戦乱を持ち込まれるのは絶対に食い止めなくてはならない。先の見えない馬鹿どもが暴れたせいでここまで事態が悪化してしまっている。なにが、貴族の誇りだ。誇りがなんたるかすら理解していない畜群共が誇りを口にするとは。

祖国はどこに行くというのだ・・・。



{フッガー視点}

「では、間違いなく白昼王都を蹂躙したのだな?」

「はい、間違いありません。すでに、ゲルマニアは襲撃した艦隊の凱旋式を用意しているとのことです。」

一方的な国力差からいつかはこのような事態になるだろうと考えていたが、まさか王都の防備すら簡単に抜かれるほど今のトリステインは追いつめられているとは。これでは、先日形成されたという南方での新たな進撃に対応するどころか、前面崩壊も時間の問題だ。

「今のうちに、トリステインの財産を安く買いたたこう。将来を見据えて優良な物件の洗い出しを行っておく様に。」

「かしこまりました。ある程度の案件は検討してあります。後ほどリストを提出いたしますのでご裁可ください。」

トリステインにはさしたる物産はないが、ある程度の富の蓄積は行われている。当然のことながら貴族階級や王家は衰えたりとはいえある程度の財物をため込んでいるものだ。そして、彼らは既に価格交渉を悠長に行っておれるほどの余力がない。ここまで追い詰められているのだから、相場よりも遥かに安価に買い叩けることだろう。
今まで、トリステインでは理不尽な買い上げや税金が課せられて商会の負担となっていたが、これで心おきなく元手が回収できるだろう。ゲルマニア系列と悟られないように商会を進出させるためにわざわざ、別名義で商会を立ち上げてまで、トリスタニアに店を構えておいたのは情報収集と万が一の保険程度の認識だった。しかし、この様子では採算も取れることとなるだろう。なにより、貴重な古宝物が流出してくればそれだけでも大きな商いの好機だ。ヴィンドボナでは帝室の権威高揚と、戦勝誇示の証として極めて高値を付けて買い取ってくれることだろう。

「わかった。一定の範疇で現場の裁量に任せる。今のうちに先行するぞ。」

「かしこまりました。全力で事態に取り掛かります。」

これは、大きなチャンスだ。先の見える商人たちならば、トリステインの没落と現状は把握しているだろうがだからこそ手を引いていた面々も少なくない。ここで、初動を取れば大きな成果を我が商会が得ることが出来る。独占することは叶わないだろうが、少なくとも商いの大きな部分を掴むことは出来るだろう。
コクラン卿は前線から後方へと配置転換になったという。暇があれば、この件について耳に入れると同時に何がしかの話を聞ければ良いだろう。ある意味で、この商いが成立するのもコクラン卿がきっかけとなっているということだ。多少のお礼を申し上げると同時に次回以降のこういった商いの機会を見失わないようにするためにもより深い関係を構築しておくべきだろう。

「いやはや、まったく笑いが止まらないな。」

なにしろ今回のトリステインへの大規模作戦があると感づくことが出来たのは、秘密裏にいくつかの物資やトリステインの大まかな地勢上の案内等を求められたからだ。信頼を得られるということがいかに商いにとって重要であるかということの典型的な契約であったがそれに応じたことよって、遥かに大きな代価を得るところとなっている。
情報を制する者が、商売での栄光を手にすることが出来る。その点において、我がアウグスブルク商会は大きな優位を占めていると言ってよいだろう。他にもいくつか有力な競争相手が存在しているのは事実だが、少なくともそれらを含めてもその将来は大きな栄光が保証されていると言ってよい。
多少の先行投資を懸命に行うことがこれほどまでに大きな成果につながるとは。思わず、笑いが止まらないのではないかと懸念するほど愉快な気持ちになり、トリステインでゲルマニア艦隊が購入したというタルブ産のワインを楽しみながらその奇妙な現象を考えて、物思いにふける。
タルブ産のワインは名ワインとして名高いがこの戦乱以前からトリステインの治安悪化や様々な要因によって輸出が途絶し気味であった。それらが、戦争によってより一層状況が悪化したかに思われたものの、実際にはゲルマニア艦隊が展開することで在庫も含めてかなりの量が出回ってくることとなった。この一本はタルブ到着の際に伝令の龍騎士達が記念にとヴィンドボナに送ってきた内の一つだ。戦勝記念ワインとして極少量であるが、一般にも販売されたものを入手したが、極めて上質のものだった。聞くところによれば、公平な商取引でこれらをゲルマニア軍は入手し現地から大歓迎を受けたという。

「公平な取引でこれほど利益に結びつけるとは・・・」

思わず、その報告を耳にしたときは唸ってしまったものだ。現地の協力を得るというのは商売にせよ軍事にせよかなり重要なことであるが、同時に困難なことでもある。それを成し遂げられるということの意味は大きい。
戦後統治の問題があるにしても、有望な地域が親ゲルマニアとなっているということは今後のトリステイン問題を考える上で大きなカギとなるだろう。まあ、そこから先はゲルマニアの統治の問題であり、商会にとっては注意すべき事象にすぎないのかもしれないが、何が幸運するかわからないのだ。慎重に事態を注視しておくべきだろう。これまでにも、大きな戦争のたびに利益を上げた商会が出てきたが舵取りを誤ると一瞬にして没落していったものだ。その愚を真似たくはないものだ。



{ロバート視点}

参事としての将来的な職務は、ゲルマニアの国力向上が求められることとなるだろうが、まずそのためにも北部開発に傾注しなくてはならない時期であることは理解している。だが、世事は何事も思うに任せないものだ。ボーアの連中のように、物事は我々の思惑通りには進めまいと何がしかの因果が働いているのだろうか?
猟銃の生産は軌道に乗らない。加えて。忌々しいことに、亜人の南下がまた活性化してきた。以前かなりの森林地帯ごと焼き払ったので巣を絶ったと予想していたのだが。想像以上に繁殖力が強いのだろうか?害虫ほど直ぐ沸くものだ。繊維業者が足りないので、多種多様な染料を開発しても需要が不足しがちで山岳地帯の収入増には微妙な効果しかない。山岳地帯での積雪を固定化の魔法で固めて夏に売るというアイディアは悪くないのだが、商会に相談したところ、販売した瞬間他の地方で同様のことをされるだけなので独自性を入れる必要があると助言される始末だ。

「貿易に傾注しようにも問題は山積か・・・。」

財源の確保と、北部の開発は容易ではない。借金をする気にもなれないのでどうにかして資金を捻出しているが状況は難しいモノがある。あと少しすればだいぶ投資が回収できると思われるのだが。ムーダのおかげで物資輸送の費用がかなり削減できているため、比較的に簡単に投資が行えるとはいえ貿易ですべてを賄うにはやはり無理があると言わざるを得ない。フネの数がもう少し多ければかなりの貿易が行えるだろうがそのためには風石や乗員の確保を考えなくてはいけないのだ。
フネの船体部分を構築する木材ならば比較的安価に自領で調達できるが、訓練された乗員となにより風石の調達がネックになっている。アルビオンのように浮遊する大陸にでも行けば風石が埋蔵されているのだろうか?どこからまあ、浮遊大陸のことはともかくとしても輸送コストは可能な限り削減しておきたい。
とすれば、便数の増大と民間への開放によって利潤をもう少し稼ぐしかないだろう。さしたる効果も期待できないかもしれないが、アルビオン方面への貿易路の拡充に努めるとともにいくばくかの鉱山開発の資源を市場に放出すべき時期に来ているかもしれない。だが、厄介なことに一部の鉱山開発が難航している。良質な鉄鉱を期待しているのだが、石炭がないことには効率的に開発し活用することができない。石炭の探索はいくつかの成果を出してはいるが、厄介なことにかなり深度が深いところまで採掘しなくてはならないとのこと。露天掘りなどが簡単にできる地域は存在しないのが現状であり、石炭を活用することはしばらく時間をかける必要がある。

「いっそ火のメイジたちに火をおこさせるか?いや、しかしそれでも望みえる火力ではないだろうな・・・」

魔法が精神力とやらによって顕現しているというが、工業用足りえるだけの水準の火力を一定以上の時間一定量なし得ることが可能だろうか?それを考えるとやはり火のメイジを活用して石炭などの燃料の代替にしようという発想には限界があると言わざるを得ない。瞬間的な火力ではなく持続的な火がなくては鉄鋼業の発展に寄与することは難しいはずだ。そもそも、鉄の質が改善することだけでも多くの試行錯誤が必要になるためこの分野には長期的な時間がかかることを覚悟しなくてはならないだろう。
あと、教育機関の拡充と受け入れ人員用の施設を整備させなくてはいけないのが自明だ。かなりの専門家や労働者が獲得できているのでここでさらに教育を施すことで将来へとつなげたいものだ。将来必要なるという意味では、情報機関のようなものを設立することが出来ればより一層望ましい。だが、それらを担える人材をどこで獲得したものだろうか?さすがに今の衛士に警備を行わせるだけでは密偵対策が十分ではないが、かといってまさか密偵に侵入された情報機関など役に立たないどころか有害でしかないのだ。なさねばならない責務が多いことも考えると信頼できる人材から抜擢するのが一番となるがそう簡単にことを勧めるわけにもいかない。
まず間違いなく、ガリアやアルビオンから密偵が大量に侵入してきているはずだ。この現状では下手に信頼できる人間を探そうにも、とんでもない外れを引かされかねない。風聞にすぎないが、ガリアの諜報機関の手は、あまりにも長すぎる。その点に関しては私も同意せざるをえない。これは、というところでは、必ずと言っていいほど行く先々で連中の残り香がしてならない。アルビオン情勢に関する教訓を活用しなくては永遠に後塵を拝することとなる。
いっそ孤児院から人間を募集するか?ブラザーが同意してくれればとの前提がなかなか困難であるのは間違いないだろう。信頼できる人間を推薦してくれるという点では間違いがないがこの手の諜報を理解してくれても、賛成してくれるかどうかは微妙と言わざるを得ないだろう。人格が高潔であることを見越してわざわざ引き抜いたのだからそれはまあ、当然の論理的な帰結であるのだが。
さすがに、ゲルマニアに心中するつもりはないので利益共同体が繁栄することを望む以上のことはあまり積極的に行わないつもりだが、ガリアはやはり脅威となるとみなくてはならないだろう。聖地のエルフどもとは接触しようと策動しているがなかなか難航しているのが現状だ。何としてでもエルフと接触を持って彼らの技術や思想、またエルフなる生態を観察したいという欲求もあるのだが。純粋に人間に類似しつつも異質の生物と言う点で極めて興味がそそられるものだ。まあ、政治的に大きな争点であることも間違いないのだが。
だが、とりあえずは北部の安定を維持するために亜人の討伐に力を入れざるを得ない。北部開発の脅威となっているのは間違いなく亜人の南下に対する恐怖だ。鉱山地帯に人間が定住し始めているために亜人の獲物としての魅力も格段に上がっているのだろう。頻繁に亜人発見の報が届くようになっている。それなりの亜人が南下する構えを見せている。無視できる脅威ではない。狐が相手ならば、喜び勇んで撃ちに行くが、亜人ではただの討伐戦だ。実に気乗りしないが、軍務を遂行するのみだ。
とはいえ、相手は亜人だ。要領は少々異なるにしても、狐狩りのような方法で討伐することが可能だろう。それが、慰めと言えば慰めである。猟銃の変わりが大砲と言うのは少々優雅さに欠けるとしてもこの際いたしかたない。獲物も気品という点において狐にはるかに及ばないのだが、鹿狩りの獲物よりも手ごわいという点においては評価すべきものがなくもないだろう。何事も最善を追及すべきではあるが最善に拘泥するのは愚か者の専権事項だ。

「ミス・カラムをここに。まず懸案となっている亜人を討伐する。」

とにかく、時間をかけることなく懸案事項を一つ一つ処理していくしかないだろう。やりたいことをやれる人生こそが喜びだと言ったのは誰だっただろうか?工業機械なくして目標が達成できないとは全くままならないものだ。正装に使う最良の赤い染料は手に入ったというのに衣装が出来ても肝心の猟銃が出来ないとは。ええい、我ながら埒もないことを。


{ミミ視点}

亜人討伐。それは辺境開発の貴族にとっては必要不可欠な責務の一つである。父上とてそれに追われていたのだから、領主が積極的に亜人討伐に乗り出すことを責めることはどなたにもできないだろう。だが、嬉々としたような表情で出征の指示を出している領主は責められるべきではないだろうか?そんな益体もない妄想に一瞬とらわれかける自分がいます。

「では、艦隊で持って亜人の根拠地を襲撃。巣穴から出てきた所で、主力の待機するこの地点まで誘導し、包囲しせん滅と言うことでよろしいですね?」

作戦自体は、極めて合理的な案であり順当な選択肢である。亜人が南下することが既定事項であるならば、それらを都合のよい地点におびき寄せることができれば、容易に迎撃できると共に被害を最小化できる。
地図の一角には布陣すべき地点が示されている。隠れるところの無い渓谷に誘導し上から艦隊が砲撃を加え、連動してメイジが魔法攻撃を行う。誘導が行えれば、それで決定的に亜人を討伐できるはずだ。誘導と言っても実際は、砲撃を行い亜人たちが激昂するように仕向ける程度だが有効だろう。挑発し、亜人から判断力を奪った上でいくつかの誘導経由地点に肉やその他の物を置き、段階的に進路を誘導するだけだ。

「大変結構だ。ただ、念のため艦隊にもメイジを多少配属させよう。」

妥当な判断。もっとも主力のメイジを引き抜かれることを考えると本当に多少に留めなくては主力が戦力不足になりかねないがその配慮はしていただけるだろう。むしろ、艦隊と主力で合流した際に多方面から包囲できるメリットも大きい。

「わかりました。それと、艦隊の指揮はどなたが?」

「ギュンターに一任する。」

おや、てっきりご自身で指揮を執るものかと思われたが。思わず疑問を顔に浮かべてしまう。確かに、ミスタ・ギュンターは適任ではあるが。

「ああ、私は別動艦隊を指揮する。猟犬役の艦隊は2つだ。相互に連携しつつ亜人を誘導するためには二手に分かれたほうが効率的だろう。」

「なるほど、では私が主力を率いて誘導された亜人たちをせん滅するのですね?」

「ああ、指揮は任せる。存分にやりたまえ。」

久しぶりの実戦だ。いささか、感が鈍っていないかとも危惧するべきかもしれないがまずは喜ぶべきだろう。ここしばらく燻っていた炎を外に盛大に吐き出す機会なのだ。いまだ戦役が続いていることなどから叶うことならば前線に赴きたいところではあるがそれが不可能であるならばせめてこのようなところで憂さ晴らしをするしかない。もちろん、感情に任せて行動するつもりはありませんが。

「ああ、それと、率いてもらう歩兵隊についてだ。現地の部隊とダンドナルドからの増援で数は揃えられるだろうな。」

「はい。展開が完了すれば十分な数が揃います。」

「だが後方の部隊は実戦に耐えられるか?」

「問題ありません。」

幸いなことに後方のダンドナルド駐在歩兵隊の練度は、そこそこのものになっている。文官が労に追われている中で歩兵隊を遊ばせておくなど論外であったのでかなりしごいてあるからだ。前線に相当する鉱山地区での勤務を望むものが続出するほどに過酷な訓練を課してあるので今回の実戦でも相応の戦果を期待できるだろう。
むしろ面倒なのは、メイジのほう。最近は亡命貴族やあちらこちらの貴族から三男や四男と言ったものたちが複数流入してきているものの実際に戦場に立つのは初めてのものが多い。特に、大規模な討伐戦であることを考えるとやや統率が不安。いくばくかの訓練が必要かも。まあ、歩兵隊との連携や訓練を行っておくにこしたことはない。

「ただ、できれば一度演習を行いたいのですが。」

「かまわん。どのみち誘導するまでは相応の時間がかかるだろう。現地に布陣したら訓練にいそしんでほしい。」

現地で魔法を使った演習か。いい機会なのでさまざまな状況を想定した訓練を行っておくべきだろう。艦隊との連携が課題になるかもしれないがそこはさすがにフネがいない以上仕方がない。だが、部下として率いるメイジたちの実力を把握しきれていないので実力把握という点では期待してもよいかもしれない。
現状でできるのは狙いを精密につける訓練くらい。まあ連携が取れないであろう寄せ集めの集団で戦うこととなるならばその程度を行えるようにしておくだけでも大きな成果とすべきやも。歩兵隊に関してもある程度密集隊形の訓練を再度行っておくのは有意義なものとなるはず。どちらにせよ状況が許す限り手を尽くして練度の向上と連携の確実性を確保しておかなくては。



{ダンドナルド行政府 募兵官視点}

いつものように出府し、最近では珍しくなくなったアルビオン訛りのお客を迎える。いつものように私は、来客として訪れてきた若い女性のメイジに今回の亜人討伐戦に関する協力依頼について説明を行う。実のところ、この説明業務というダンドナルド行政府において、極めて楽な部類の職務を遂行するという幸せを味わっていた。

「つまり、ダンドナルド在住のメイジたちに兵役を課すのではなく、任意での従軍を求めるわけです。」

まあ、任意での従軍とはいえそれなりの報酬が提示されている。察するに大人しくさせるため、亡命してきた貴族たちに食いぶちを与えておこうと上は考えているようだ。まあ、察したからと言ってそこまで口にするほど軽率では、ダンドナルド行政府でやっていけない。上司たちは、珍しく貴族にしては優秀な上に割と規律に厳しいが、それでも話せる。だが、それだけに軽率にも意図せずとも機密を漏らした間抜けは相応の対価を求められるものなのだ。

「じゃあ、年齢は問わないのですか?」

「もちろんですミス。もちろんあまりにも幼い子供の従軍を認めることはできませんが、よほどのことがなければどなたのお力添えもお願いしたいところです。」

っと、考えが横に行っていた。この娘も亡命貴族だろうか?まあ、確かに従軍による褒賞は亡命貴族には高めに設定されている。しかしながら亡命してきた貴族たちには一定額の給付金が与えられていたはずだが?もちろん、豪勢に暮らせる金額と言うわけでない。それに、貴族たちの多くは金銭感覚が崩壊している。だから多くの貴族たちが資金不足に苦しんでいるからこそ多くの参加表明もあるのは事実だ。
だが、そこまでこの娘は豪奢な衣装を使っているようにも見えないし、これまでの会話で知性に深刻な問題も見受けられない。いわゆるワケありだろうか?一応後ほど上司に報告しておく必要があるだろう。こまめな報告が奨励され、上司が忙しくなっていくわけだが、しかし仕方ない。

「それで、給金はどれほどいただけるのでしょうか?」

おやおや、割と率直に聞かれる娘さんでしたか。普通の貴族はこういうことをかなり体面に気を使っていらないが寸志ならば、とかのたもうはず。まあ正直なのは善いことだ。効率的なことはもっと素晴らしいことだ。こちらも無駄な時間を使わずに次の書類に取り掛かれる。プライドが高いうえに金欠の傲慢貴族を相手にした日など一日潰れてしまったのだ。それに比べれば何と恵まれたことか。

「メイジとしての実力と、戦場での働きによる評価でだいぶ異なってきますが、参加を表明していただいた皆様には寸志として旧金貨で300エキューが支給されます。」

普通にしてはかなり高額だが、この手の事業の目的の一つは亡命貴族たちを食わせることにあるのだから仕方がない。まあ、行政府の給金よりも払いが良いことに対しては。何も知らない一部からは批判が出ていたりもするのだが。具体的には、強制徴募されてきた面々からだ。実際には手取りで月々1000エキューを超える額をもらっている高級役人が結構いるのは内緒だ。私がその一人であることはとっても重要な秘密だ。仕事が多すぎなければ完璧なのだが。

「もちろん、寸志は即座に登録していただき次第お支払いいたします。当然ながら戦場での働きはそれとは別に評価されますのでそちらは、後ほどの論功褒賞時に。」

「その、登録方法は?」

ああ、身分を知られたくないというワケありで確定かな?まあ、メンツや体面に傷をつけないように配慮されているのでそのところは問題なのだが。正直に言って貴族の思考、特にアルビオン貴族特有の体面重視は厄介なものだ。経済的に苦しいということを知られることだけでも極端に嫌がるのだ。もっとも、これでトリステイン貴族より格段にまともだというのだ。だから、曲がり間違っても外務担当になどなるものではない。同期が体を崩したのは八割がたロマリアとの折衝を担当させられたからだとみてよい。坊主どもの相手をするのも一部の例外的な聖者を除けば大変なのだろう。

「単純に、コモン・スペルを何か詠唱していただくか、あるいはレビテーションを行使していただき、そのまま従軍協力を行う旨を宣誓していただければその場で登録証を発行いたします。」

まあ、金だけもらって逃げられることも想定している。従軍後にまたその登録証で募兵することになっているのだ。新しく亡命してくるものたちには別途証明証として来訪の日が記載された書類があるのでその書類で職を斡旋することになっている。

「それで、それからどうなるのでしょうか?」

「既定の期日までに集合場所に集まっていただければ結構です。」

実際に、従軍するまでには1週間程度の時間があるので身なりを整えることもまあ可能だろう。メイジたちがどの程度の従軍を希望するかは不明だがそれなりに良い待遇だと知れば集まってくるのは間違いない。



{ロバート視点}

亜人討伐を前にしてダンドナルドでは軍の集結作業が急速に整えられていた。主戦力であるメイジの集結状況も順調であり討伐戦に赴く軍の首脳陣をして安心材料とみなせる水準に至っていた。

「ふむ、予想よりメイジが多く集まったな。」

高貴なるものの義務を理解できない面々に軍務をどの程度期待できるかと思っていたがこれは予想外だ。実際に、モード大公派の貴族たちがそれなりに人格が出来ているのか生活の必要性に迫られているかのどちらかは判然としないが傲岸に献上品を要求してくる寄りははるかに好感のもてる実績だろう。

「ですが、練度では少々物足りないところがあります。亜人討伐の経験が不足しているメイジで主力を編成することを考えるならば実際にはこの数でようやく妥当なところかと。」

ミス・カラムの忠言は耳に留めておくべきだろう。亜人討伐の経験は、地方の貴族ならば豊富かもしれない。アルビオンも北部には、亜人の巣があるというが、モード大公派は基本的に南部が基盤であった。加えて、今回の亡命貴族の大半は都市部からの亡命貴族が多く、人格の優劣以前に軍務経験に偏りがあると分析されている。確かに、教育は受けているのだろうが実際に魔法を実戦で使えるかどうかは未知数だ。それだけに数で補わざるを得ないという発想自体は間違ったものではない。

「まあ、予算を除けば特に問題はないな。だが、亡命貴族救済を兼ねてはいるが今後は少々額を考え直すべきかもしれない。」

ダンドナルドの人件費は高騰する一方だ。多少見直しておかなくては今後経済に悪影響を及ぼしかねない。ローマ時代の農民の生活基盤を崩壊に至らしめたのは彼らの産物が価格競争でエジプトの小麦に劣ったからだ。ダンドナルド全体の物価が高騰し、結果的に貿易で赤字が出るようになっては本末転倒もよいところだ。
それ以前に、役人の人件費である程度の支出があるところに纏まった数のメイジを高額で一時的とはいえ雇用するのは長期的にみれば無駄遣いもよいところだ。多くの貴族を傘下に入れたといえば外聞もよいのだろうが今回は亡命貴族たちの体面を保ったままでの救済策にならざるを得ないために持ち出しがはるかに多いのが実情と言わざるを得ない。
多少の人材登用をもくろんでいなければ絶対にこの支出には同意できないところだ。最終的にはアルブレヒト三世にいくばくかを請求するべきかもしれない。教育を受けた有為な人材が一定数発見できなければそうするべきだろう。ネポスの人材リストと照合しつつ使えそうなものはそろそろ粗方把握し始めているが、結果が出るまではもう少しと言ったところか。

「まあ良いではありませんか。空軍としては龍騎士が多いことは歓迎ですよ。」

ギュンターが口にした龍騎士の任用は確かに現状でも歓迎できる数少ない事態である。今後も自らの龍を持って亡命してきた面々は大歓迎したい気分だ。確かに、一時金が高いのは否定できないうえにある意味で傭兵雇用に近い形態で現在は雇用しているが今後は常備軍にぜひとも加入してもらいたいものだ。偵察に伝令、奇襲に警戒と万能の兵科と言っても過言ではないのだ。
航空機と艦船の関係を思い起こさせられるために海軍士官としては不快極まりない部分もなくはないのだが、正当な評価が出来ないほどに落ちぶれているつもりもない。俊敏性に富む龍騎士の実力は様々な局面で極めて有用だ。戦い方次第では十分な装備を持つ艦隊とでさえも龍騎士の襲撃には無力になるかもしれない。これも研究課題だろう。だが、おもしろいのはメイジが魔法を複数並行して使用できないという問題の克服に使えるということだ。メイジが飛行しながら魔法で攻撃することはできない。だが、龍騎士とその背中に随伴させれば艦隊に反復して魔法攻撃を浴びせることができるのではないだろうか?これは今後の検討課題だろう。

「うむ。伝令として今回の作戦にある程度柔軟性を持たせるという意味では大きなものがある。」

密接に連絡を保つという点において多くの龍騎士を活用できるのは今回の亜人討伐戦においてもとても便利だろう。無線には及ばないとしても情報伝達速度が格段に改善することは間違いない事実だ。手旗信号の応用で塔を作り連絡手段とすることも検討してはいるがやはり伝令を活用したほうが柔軟性と即時性に勝るだろう。

「それと、艦隊随伴のメイジですが少数精鋭にこだわった結果です。」

こちらを、と提出された書類を確認しロバートはその記載された内容を吟味し無難な選択に満足する。バランスのよく配慮された編成と言ってよい。

「うん?各艦に3名ずつか。まあ、誘導目的だから土のメイジがいるのはありがたいな。」

「正直に申し上げますと、主力も必要としているのですが。」

実力のありそうなメイジは主力にあれば当然心強いだろうが、だからと言って猟犬役の艦隊に実力の劣るメイジをたくさん載せるだけのスペースなどない。特に罠の設置や地形改善に使える土のメイジは多くの役割が期待されている。仮にゴーレムがつくれるのならばゴーレムを突っ込ませて亜人を挑発したり誘導したりさせること可能だ。フネに搭載している砲弾や甲板からの銃撃である程度の攻撃はできるが罠の設置などはやはりメイジの方が圧倒的に効率的なのだ。

「そちらは、数で補うしかあるまい。どちらにせよ、ある程度の頻度で伝令の龍騎士を送る際に人員の補充を行えるようにしておこう。」

むしろ、猟犬役の艦隊で精神力が疲弊することを考慮すると龍騎士で交代要員を搬送することも想定しておくべきかもしれない。定期的に後方に下がれるということは精神的には大きな救いがある。また、最前線の状況を理解して後方で待ち構えているメイジがいることも大きな視点から見れば十分に望ましいと判断できる。
前線の連携を保つ上で難しいのは感覚だ。だからこそ艦隊は迅速な展開を重視しながらも合同訓練を執拗に繰り返し各艦の実力を相互に把握しあい支援を行いやすくするものだ。今回の亜人討伐戦は臨時編成とはいえ一応核となる部隊があるだけやりやすいだろうがそれでも多くの課題があるのだ。不安要素を限りなく減らせるならば減らしておくことにこしたことはないだろう。

「では、各人が職責を全うすることを期待している。」



{第三者視点}

トリステイン戦線

すでに戦線は崩壊していた。トリステイン側には一部の反ゲルマニア貴族を除いては戦意が乏しく、ゲルマニア側はこれ以上の戦果を必要としていないがために戦線は比較的平穏を保っていたが両陣営の内実は全く異なっていた。ゲルマニア側はすでに戦後の構想を探っており、とどめの一撃を与えるか降伏を促すかを議論する段階であり、トリステイン側は亡国を回避すべく懸命な模索が繰り広げられている状況であった。
実質的にこの戦いが赤字であることはゲルマニア側にとって得るべきものが乏しいとの評会にあらわされるように戦利品が期待できないために早期終結が望まれていることもあり降伏するならばそれを受け入れようという機運がある程度ゲルマニア側では高まっていた。ただ、一部のトリステイン貴族と折衝した経験を持つものたちからはプライドの塊である連中が用意に降伏するはずもないだろうとの諦めにも似た嘆息が漏れている。
この状況下においてトリスタニアでは講和派と交戦派が水面下で主導権を巡って抗争を繰り広げていた。講和派とて無条件降伏ではなく条件降伏を志向してはいたもののそれすら受け入れがたいとする反ゲルマニア感情もあり王宮は伏魔殿と化した。すでに、賢明な貴族の幾人かはこの伏魔殿に見切りをつけ自領に隠遁するか、独自にゲルマニアとの伝手を求め、いくばくかの忠臣は踏みとどまらんと足掻いたものの情勢は混とんとするばかりだった。
状況をさらに悪化させたのはゲルマニア側の一部、特に継承すべき領地をもたない貴族子弟らが功績を求めて積極的に遊撃戦を展開したことにある。当然のことながら、これらに応戦する必要があるものの対応が後手になってしまい、このため主導権で完全に後手に回りトリスタニアどころか各地の軍は統率がかき乱されて軍としての機能に深刻な障害をきたしていた。
ゲルマニア側にしては相応の損害が襲撃部隊に出ようとも、実質的に家督争いが沈静化することと能あるものが発見できればよいと割り切った上での活用であったためにこの襲撃は例外的に収支に会うものとして黙認されていた。しかし、上層部においてはいたずらに和平への障害になっているのではないかとの危惧が提言されており、前線での意見調整ではなく上層部の意向を確認するまでは黙認し、以後は上層部の指示に従うという方針が立てられ使者が後方へと派遣されることとなった。



{バルホルム視点}

ダンドナルド方面派遣艦隊の一員として仰々しい名前と共に数隻の軽コルベットで赴任した北部は概ね上司に理解があることと、空軍上がりの良識ある軍人たちが多かったために比較的に快適な勤務先だった。ただ、どうしても辺境の地とであるために亜人討伐に従事しなくてはならず拿捕報奨金とも無縁の討伐戦に明け暮れなくてはならないのはまあ義務としては仕方がない範疇であるにしても気乗りするものでもなかった。さすがに、軍務にその悪影響を繁栄させるほど素人でもないつもりだったので職責を全うすることには問題がないのだが。

「コクラン卿、今回の航海で我が艦隊に配属されるメイジの一覧です。」

問題があるとすれば、やや細かいところにまで指図しようとするためにこちらの労力をかなり割かなくてはならないということぐらいだが、無能ではないだけに案外的確な意見や指示がもらえると思えばむしろ積極的に指示を仰がなくてはならないのだろう。
まあ、メイジについて研究したいと常々口にされているところをみると、メイジについて事細かに情報を求められるのは趣味ではないかというのが艦隊の賭けであるのだが。

「ありがとう、艦長。・・・やはり、使えるメイジは大半が訳があってということか。」

まあ、それは仕方がないことだろうと思いつつ同意する。何せ、実力があるメイジならば問題がなければわざわざゲルマニアまで亡命するような酔狂な真似をしなくても十分に生活していくことができるのだ。亜人討伐での傭兵としての雇用や、宮廷での任用などいくらでも職が見つかるにもかかわらず亡命しなくてはならないということはやはり相応の理由があるということであり、今回の募集に際してその背後関係を問わないという条件設定を設けたのもそのためだ。

「ミス・ロングビル?まあ、明らかに偽名だろうな。とは言え、実力があるならば構わん。募兵官の所見では人格にさしたる問題もないとのことだ。」

名簿を眺めている上司のご機嫌は良くも悪くもないところからやや、良好にシフトしたようだ。まあ、実力があって人格に問題がないメイジが戦力になるなら指揮官なら誰でも喜ぶものだが。

「ありがたい限りですな。しかし、何故偽名と?」

「トライアングル以上のクラスは亡命者の中にもそう多くない。だが、私の知る限りではロングビルなどという名前は初めて耳にするものだ。」

まあ、そうだろう。何より訳ありと推察されるような実力者が本名で募兵に応じるかどうかという賭けが成立したとすれば、間違いなく自分ならそんなバカなことがありえないに手持ちの全額を賭けることにする自信がある。

「それに、長いくちばしだよ。こちらをひっかけようとでも考えているのか?」

「は?」

「いや、こちらの問題だ。私の私見にすぎんよ。」

そう言うと、コクラン卿は艦隊に人員の収容が済み次第最初の索敵航海に出るように発令すると、駆け込んできたミスタ・ネポスからの報告を聞き始めた。邪魔をするよりは、甲板で出航準備をしておく方が好みに合っているのでまあ、戦準備と洒落こむことにしよう。



{ネポス視点}

以前から、直接口頭で報告せよと命じられているアルビオン亡命貴族に関する疑惑の報告を行いつつ思う。気がつけば厄介事を処理させられている自分は一方で出世していると世間的には評価されているらしいがはたして幸せなのだろうか?だが、まずは目の前の問題を解決しておこう。

「艦隊が航海に出ている間は、以後の報告はいかがされますか?」

亜人討伐は当然ある程度の日程を必要とする。記憶の消失を防止あるいは、影響を最小化するために直接口頭で報告を毎回行うことで確認を行ってきたが、さすがに機密保持との兼ね合いがあるために簡単に判断がつかない。

「事態が事態であるだけに、亡命してきたメイジたちが多く艦隊に搭乗している状況で報告を受けるのは望ましくない。帰還するまでは卿の専権事項とせよ。」

「かしこまりました。しかし、詳細な情報を現在集めているところですが徹底的に消息を探すとなると歩兵隊を動員したいのですが。」

情報を集めて、分析したところある地域での記憶消失が確認されているためにおそらくその一帯に住み着いているのではないかという分析が上がってきている。幸いにも、人口密集地域ではないので、捜索は容易ではないかとみられている。仮に何も発見できなかったとしても記憶いかんではその地域に滞在が確認できるだけにより詳細に調べ上げれば済む問題だ。

「却下だ。露骨すぎる。」

まあ、当然のことながら機密保持をコクラン卿は優先される。確かに、事態を正確に把握できていない段階で不用意に行動することへの危惧があるのは間違いないが、卿の慎重さは筋金入りだ。謀略家として天性のものに恵まれているのではないだろうかと、根が呑気だと評される自分でさえ思いたくなるほどに卿はその方面での才に恵まれておられる。

「ですが、辛うじて潜伏地域と思しき領域を補足しつつあるのです。」

とはいえ、これ以外に解決方法がそう多いわけでもないのだ。少数の探索では判然としないところでもある程度の人員を動員すれば多くの情報が集められるはずなのだ。それに、辛うじて把握した潜伏地帯候補から移動してしまわないという保証もないのだ。

「・・・では包囲線を形成し監視するところまで認める。ただし、名目は治安出動だ。情報収集は能動的に行わせよ。」

つまり、包囲してその周辺を監視しつつ、出入りを確認する程度は認められたということだろう。まあ、確かに行方のめどもつかなくなるよりは賢明だし、案外関係者が網にかかるかもしれないことを考えれば賢明な方策だ。

「ありがとうございます。」



{ロバート視点}

状況を整理しよう。我々は、辺境諸公に特有の亜人との特別なお付き合いの一環として北部に展開中である。まったく、前線が騒がしい時期ではあるが後方に匹敵するこの地域ですら戦力を必要とすることを考えると、ゲルマニアの戦力は全面戦争で総動員を行うと深刻な問題が発生するかもしれないだろう。かといって辺境部に戦力を貼りつかせなくてはならないのも戦略的に大きな束縛を受ける問題だ。だが、今いる部署で最善を尽くさなくては。関心事項はいくらでもあるのだから。


「観測地点を確保。設営が完了次第、周辺に罠を設置せよ。」

「全龍騎士隊の宿営地を確保させろ。」

「宿営地の防備を編成する。当直はただちに任につけ。」

「周辺捜索を行う。歩兵隊の中から志願者を選抜する!志願者は特別手当と、特配があるぞ!」

単調ではあるが、規則正しく動き回る兵士たちや地面を一度に変形させる従軍を志願したメイジたちの活動を士官たちが最適化するべく、指示を出す。戦略思考から喧噪を背景音として現場に思考を戻したロバートはあるメイジに関心を惹かれていた。

「やはり、土のメイジは優秀だな。設営がこれほど効率的に進むとは。」

視線の先には、若い女性のメイジが杖で土を動かし作り出したゴーレムで陣地を設営している。従軍する以上、ある程度の筋力や訓練を受けていたとしても到底生身ではなしえないような速度で設営を行っているすべはまさに驚嘆に値する光景と言うべきだ。ただ、それらはメイジが当たり前の世界にとってはさほど驚くべき事象でもないようだ。大半の兵はそれらに対して心強いものを感じる程度であり、驚きはさほどみられていない。

「ええ、腕の良い土のメイジがいてくれたおかげでかなり時間に余裕が出来ました。」

「しかし、これだけ利便性が高いのだ。討伐戦が終わったら鉱山地区の開発にもっと本格的に土のメイジを動員するべきかもしれないな。」

まあ、すべてはこの討伐戦が完了してからの議論であるのは間違いない。ただ、メイジを活用するという点からすれば土のメイジは建築に関しては極めて有望と言えるだろう。早急に組み込むべき要素に数えておくべきだ。とはいえ、外部からの登用に際しては頭の痛い機密保持の問題が介在しているために慎重にやらなくてはならない問題でもあるのだが。それを補っても効率的であるのは間違いないだろう。

「さすがに、私は専門ではありませんのでなんとも。ただ、開発が速くなるのは間違いないでしょう。とはいえ、単純にメイジを増やすだけではあまり変わらないのでは?」

「いや、これまでは地質調査を任せるだけで、掘削は人手でやっていたのだ。そこを改善できれば冶金術も大幅に改善するだろう。」

そういえば、地質調査はどのようにして行っているのだろうか?ボーリング方式をとっているのかどうか確認してみるべきかもしれない。メイジの感覚が優れていることは否定しないものの、それを科学と組み合わせることでより一層効率化できるならば当然それを実行するべきだろう。掘削技術などいろいろと課題も多いかとは思われるものの、担当の研究にさせれば時間をかけて解決可能だろう。魔法の利便性はやはりかなり高いと言わざるを得ない。
しかし、一方でメイジの大半が進歩の無い愚者どもでもあるのだが。与えられた状況に安穏として進歩を怠る傾向があるのは進化の可能性を絶っているように思える。メイジは確かに力を持っているが種としての発展性について考えるならばどうなのだろうか?進化論の議論に踏み込むことは気が乗らないが、少なくとも将来性という議論については検討しておくべきだろう。
だが、それを見下すということは正当な評価を行えないという軍人にとって戦闘以前の愚行を犯すことにもなりかねない。我々が恐るべきものは慢心であり、常に希望的観測で事態を推測しようとする己の感情であるのだ。自らを律する者こそが海軍軍人であることを許されるのだ。この地においてもその規範はみじんも揺らぐことのない鉄則であるといえる。
頭を振り、思考を切り替える。今は、目前の軍務に集中する必要がある。視野は広く、ただし注意力は常に保っておかねばならない。基本的なことで、当たり前のことであるがその当たり前のことこそが一番肝要なのだ。

「伝令を出す。分艦隊へ定時連絡だ。」

「ただちに。こちらから特記すべき事項はありますか?」

事態は基本的に想定通りだ。現時点では南進してくる亜人の大半が、群れからはぐれたか追放されたと思しき個体だ。群体として南進してくるものはなく、拠点設営時にもさしたる困難は起きていない。ある程度の亜人が南進してきつつあるものの、この一帯までは予見された通り進出してはいないようだ。それらは以前の定時連絡で相互に確認済みである。

「いや、定時連絡事項で構わない。」

しかし、実際に中途半端に前線にいるからこそ埒もない考えにとらわれるものだ。後方のことが常に気にかかってならない。トリステイン方面はそろそろ終結したのだろうか?この問題が片付いた後には中央で仕事が私を待ち構えている。ガリアの動向も気にかかって仕方がない。忌々しいことこの上ないが、矜持だけは一人前どころか肥大化しすぎた貴族どもはこのハルケギニア大陸に船底にこびり付くフジツボのごとくこびり付いている。快適な船旅には手入れが欠かせないだろう。ああ、削ぎ落してしまいたい。

「ああ、伝令として定期連絡とは異なるが、ダンドナルドに使者を。ヴィンドボナの動向を知らせるようにつたえよ。」

後方の情報は極めて重要だ。言うまでもなく、それ相応の手当てをしていないわけではないが、念を入れて後悔したためしはない。慎重さは、許容される場合において常に肯定されるのだ。少なくとも、臆病であるものが最後まで生き残れる確率が高いと教官殿は常に仰せられた。『無謀を勇気と取り違え冷静な判断が出来ないものこそ愚者の極みである』として私どもを強く指導してくださったその教えは軍に入って変わらずに通用する原則の一つだった。
だが、不便だ。本国艦隊にいれば大半の情報は電信で届けられたのだ。まさか、大航海時代に単独行動を強いられた派遣艦艇のように独自で行動を決定し中央の動向は推察することに限らなくてはならないとは。このような現状はあまり効率的ではないだろう。全く音信不通と言うわけではないが、不便だという実感からは逃れられない。
むろん、トリステインとゲルマニアのように国力差が明確に表れている場合、勝敗の行方よりはいかにして戦後処理を行うかが焦点であるのは間違いない。関心事項が勝敗でないだけ心理的に余裕があるのは大きいだろうが、その分逆に先の悩みが絶えないというある意味贅沢な問題だろう。

「ヴィンドボナの動向でありますか?」

「ああ、帝都からの連絡を事細かに維持せよ。可能な限り事態に即応したい。」

即応というべきか、ヴィンドボナで政務につけられる際に予備知識が欠如している事態だけは避けたいものだ。ある程度、戦後を見据えた自身の処理方針を明確にしておかなくてはいざという時に迅速な行動に支障が出かねないものだ。
たとえば、現トリステイン王族は始祖由来の系統だという。その血統は政治的に大きな価値を持つだろう。下手に降嫁させる?政争の種を自ら播いて育てるようなものだ。かといって、現皇帝との婚姻は、政治的に危険極まりない。敗者には相応の分が存在しなくてはならない。少なくとも、中央の威令を轟かせるために、皇紀が敵国出身であるというのは不安要素でしかない。さらに言うならば、皇帝の後継者争いを今から激化させる必要もないだろう。とにかく、さまざまなことを脳裏に入れておかなくてはならないのだ。

「いかんな。前線にありながら後方に気をとられるとは。」

後ろに気を取られて、不覚を取るような無様な真似を晒したくはないものだ。気を取り直してこちらに意識を集中させるとしよう。それにしてもあの土のメイジはやはり気にかかる。報告にあった、例の土のトライアングルのメイジだろうか?トライアングルというには、あまりにも若いように見えるが必ずしも年齢は実力に比例しないことも考慮しておかなくては。

「ああ、それと、あの土のメイジは何と言ったかな?」

「ミス・ロングビル、土のトライアングルです。コクラン卿。」

ふむ、やはり彼女がロングビルか。若い女性で、身元不明。別段、珍しくもない話かもしれないが亡命貴族であることを考えると大きな問題になりかねない。こちらの知らない火種を持ち込まれることは断固として避けたいものだ。接触すべきか?しかし、情報が少なすぎる。それとなく、監視をつけて様子をうかがうに留めるべきだろう。いや、しかしそれでよいだろうか?

「あの若さで、トライアングルか。素晴らしい実力の持ち主だな。」

穏便で、波風を立てずに接触する方法は?彼女は実力があるメイジで討伐戦に従事している。私は、指揮官だ。軍務にことかけて接触するか?いや、このハルケギニアの貴族たちは思考の方法が異なる。軍務を名分と捉えすぎるのではないか。

「ええ、優秀な人材です。ぜひ、軍に欲しい逸材です。」

「確かに、陣地設営の手際を見る分には優秀だ。だが、実戦で見てみないことにはな。」

亜人の挑発に同行させて手腕を見る分には問題ないだろう。それにことかけて、実力を示せば登用もあり得ることを匂わすか?それで反応をみるとともにそれとなく監視をつける目的が実力を見極めさせるためのものと思考を誘導することが出来るだろうか?何もしないよりは有効だろう。少なくとも、相手の判断材料を増やし、錯乱させることは可能だ。

「少し、話を聞いてみたい。彼女を呼んでくれないか。」



{ロングビル視点}

「失礼、ミス・ロングビル。」

近づいてきた男は、討伐軍でそれなりの地位にある指揮官の一人だったはずだ。単純な軍人で、アルビオン貴族のような厄介さを持っているわけでもなく、どちらかと言えば好感のもてるタイプだ。もっとも、一緒に仕事をする際に、であるが。振り返り、ある程度貴族としての教育を受けたものが浮かべる上位者への敬意を込めた表情と、一方で内心を表さない独特の微笑を浮かべる。

「いや、作業中すまない。だが、ミス・ロングビルの実力にはコクラン卿も驚かれていてね。できれば、話がしたいとのことだ。」

コクラン卿、まったくもってわからない人物だ。実績だけを見るならば、アルビオンと合同で空賊討伐を行い、両国間の懸案事項を解決に持っていくと同時に艦隊演習を通じて関係改善を図っている親アルビオン派の筆頭だ。事実、アルビオンへのゲルマニアからの輸出拡大等、両国関係は目覚ましく発展している。
だが、一方でこうしてアルビオン王室が粛清しようとした人間を匿っている。人間としての情?あり得ない。聞き及ぶ限りでの推察でしかないものの、それほど甘いような人間でないのは確かだ。ロマリアから孤児院をこの地に招聘したと聞いたとき、開かれた孤児院を訪ねてみてそれを実感した。

「コクラン卿が?大変光栄なことです。」

「ああ、できれば時間を作っていただきたい。作業が終わり次第顔を出してくれないだろうか。」

確かに、孤児院の質は良かった。アルビオンにあるものよりも良いだろう。だが、真の目的は聖職者だったのだろう。アルビオンでも、サウスゴーダでも、ブリミル教との距離感は為政者にとって懸案事項に入っていた。だが、ここダンドナルドでは事情が異なる。孤児院に敷設して教会を建築中であり、既成事実としてパウロス師がこの地の司祭に任じられようとしている。お会いした限りではパウロス師は聖職者の模範と言うべき人間だ。なんとも、珍しいことに。

「もちろんです。」

外聞だけ聞けばさぞかし慈悲深く聞こえるだろう。自国の孤児たちに思いをはせ、ロマリアに嘆願して孤児院を招聘し、孤児たちの救済に当たっていると。だが、実態はロマリアに頭を下げるように見せて相手のメンツを保ちつつ自領への干渉をそれとなく排除するための施策だ。それを、自領が貧しいと思われている時にやってのけた。
坊主どもにしてみれば、中央の目障りなパウロス師の一派を辺境に追い払ったということになり、満足すれども失うものはないだろう。今日急速に発展しているが、いまさら派遣したパウロス師より上位の司祭を派遣しようにも逆にパウロス師をコクラン卿が重視しているのは明白だ。

『我が領を開拓以来、領民の心の支えとなり、親なき子たちをブリミル教の慈愛で救済されてこられたパウロス師を讃えるとともに、感謝の念を込めて。』
などと、パウロス師を賞賛する手紙を多額の寄付と共にロマリアに送っているようなのだ。
サウスゴーダ領でも相応に寄生されていたことを考えると、この寄付は安いものだろう。何より領地経営に口出しされずに、領民の面倒を見てもらえるのだ。厄介ものの教会をこれほどうまく活用する人間が、情で行動するわけがない。損得計算できる人間ならば、アルビオン王の怒りを恐れるはずなのだ。
王弟でさえ粛清した王だ。当然、他国の貴族など容赦されないだろう。なにより、当然のこととして外交問題に発展しかねないにもかかわらずコクラン卿は南部の諸都市に堂々と交易船団を指揮して派遣し、それとなく亡命者を回収している。初めは、アルビオン王と取引したゲルマニア貴族が、亡命者を誘い出すための罠かと勘ぐったほどコクランという男は損得計算にたけて、親アルビオンのはずなのだ。
何を考えているのかわからない不気味な貴族。なまじ、欲望に忠実な坊主や低俗な野心にあふれた貴族たちの方がよほど付き合いやすい。何故私に目をつける?まさか、ティファのことが露見した!?いや、まだそうときまったわけではない。でも、何となしに疑われているような傾向があった。私たちの存在を特定していないにしても、記憶を不用意にとは言わないが、消してしまったために逆に注目を浴びているらしい。書類不備などどこにでもある話だと思って油断したのがいけなかった。逆に、探し出そうと相手を決意させてしまったようにも思えてならない。
だから、本来ならばこのように長い間離れるような仕事には付きたくなかった。だが、お金が必要だった。私は、子どもたちを守らねばならない。幸い、この職は困窮した貴族の経済的な支援も兼ねているようで報酬は良い。この仕事が終われば、その報酬で遠くへ、少なくとも私たちの身元を探られないところへ。だが、そうやって自分に言い聞かせてきたとはいえ、やはり心配だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

それとなく、改訂したものを・・・。
改訂が終わらないorz



[15007] 断章8 とある貴族の優雅な生活及びそれに付随する諸問題
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/03/28 00:30
{リッシュモン卿}

最悪だ。状況は最悪だ。金はなし。兵はなし。ゲルマニアの侵攻は防ぎようがない。軍の無能どももあれほど日ごろ大言壮語していたが、蓋を開ければ無能そのものだ。鳥の骨など講和を模索しているようだが、実際に講和するとなれば相応の厄介事になるのが目に見えている。

なにより、現在の首脳陣は有形にせよ無形にせよ責任を取らされることが目に見えている。高等法院の長だからこそ私がこれまで富を築き上げることが出来てきたのに、その地位すら危うい。いや、危ういだけならば良い。だが、現状ではすりつぶされかねないのだ。

ゲルマニアの講和案に、高等法院の名において両国間の関係を悪化させた貴族たちの断絶を求めるとの一節があったと密偵から報告が来ている。粛清した後で、地位を追われれば待っているのは一族の断絶だ。仮に、公式な処分がそれですまされたとしても、復讐の手におびえなくてはならない。

「やはり、行うしかないのか。いや、だが。やはり。」

ためらう気持ちと、不安が天秤にかけられる。どちらも、これまでになく重いものだ。政治を専横するのはまだ良い。だが、反逆となると、成算がなければこれも身の破滅だ。

「やるしかない。だがしかし、成算が微妙だ。」

武力蜂起自体は成功が間違いない。私兵は、王都防衛のためと称して前線に送らずにトリスタニアに駐留させてある。その上、厄介な魔法衛士隊は大半が前線に赴くか、奇襲で築かれた別の戦線に送られている。傭兵を雇おうにも、王国には最早財源がないのだ。まして、城下を実質的に制圧可能な私兵団に逆らってまで王国に忠義を尽くす人間はいない。

だが、外交はどうか。ゲルマニアの外交官に話が通じるだろうか?なにより、名分が重要だ。いかようにも国内向けは取りつくろえるものの、相手方がどう応じるかは全くの未知数なのだ。相手が望むものを提供できれば一番だが、そうでなければ買いたたかれる。もちろん、買いたたかれることは覚悟の上ではあるが、大きな危険を冒す以上、高く売りつけなくてはならない。

成功すれば、今まで以上の栄華が期待できる。成功すればだが。はっきりとしていることは、ゲルマニアの成り上がりどもに頭を下げなくてはならないということと、ゲルマニアに縋らなければ蜂起が成功したところでなぶり殺しにされるだけであるということだ。

ゲルマニアにしてみれば、私が蜂起したところで痛くも痒くもないのだ。反乱を鎮定するために、前線から戦力抽出が行われればそれでも最小限の利益を得ることができる。あるいは、傭兵など多少の援助だけ送ってよこし、内戦に近い形でこちらを疲弊させることで講和交渉に際してこちらの足元を見てくるだろう。交渉がまとまれば、私は用済みになる。

どちらにしても、愉快とは言い難い結末につながっているのが目に見えるではないか。

「ええい、小娘め、軍の暴走も止められないとは。」

事実上、軍の暴走を野放しにした責任はあの小娘にあるのではないか。自分の世界に耽溺するのは自由だが、こちらに被害を及ぼすならばそれ相応の償いをしても習いたいものだ。せいぜい、交渉材料として高く売りつけてやる。

だが、問題は蜂起に際してゲルマニアが否応なしにこちらに味方するような方策を探すことだ。交渉相手としてこちらに味方せざるを得ないような良策があればの話だが。

と、そこで彼はふと我に返る。誰も近寄らせていないはずの自室の扉、そこからこちらを覗き込んでいる者がいる?

「そこにおるのは誰だ!」

使用人か?聞かれていたとしたら口を封じなければならない。いや、聞かれている可能性があるのだ。どちらにせよ口を封じてしまうべきだろう。そう判断し、杖を引き寄せたリッシュモンだが、彼の予想に反して不審者は堂々と彼の前に姿を現す。

「お初御意を得ます。リッシュモン卿。私共の主から以前新教徒どもの件でお世話になったと言付かっております。」

新教徒の件。こやつはロマリアの手のものか?しかし、容易に信用するわけにもいかない。まず、その真偽を確かめなくてはならない。仮に、このものが本当にロマリアの手先だとしても、以前の件は利害が一致したからこそ手を結んだのだ。いまさら、ロマリアが私に何を求めるというのだ?

「端的に申し上げましょう。ロマリアは、このブリミル教徒同士の争いを非常に憂慮しております。」

「おお、それは恐れ入る。私どもとしても、信仰を同じくする兄弟と争うのは本意ではなく、ロマリアの皆様にご心労を強いてしまい大変申し訳なく思っておりますとお伝えあれ。」

お題目でよければいくらでも応じてやるが、時間がない上に奴に蜂起の情報をつかまれるくらいならばここで亡き者にしてしまうべきではないのか?死人に口はない。そのような密使がこなかったことにしてしまえば問題はないはずだ。仮にも戦時下なのだ。最悪の場合には誤って補殺してしまったことにすればよい。要は、用件次第だ。

「それです、リッシュモン卿。貴方が正義と信仰を持たれる貴族と見込んでロマリアは貴方にお願いがあるのです。」

「ほう、なんでしょうか。私で皆々様のお役にたてるかどうか。」

「誠に、遺憾ながらこの戦争はトリステイン側が始めたものであるとロマリアは認識しております。」

本題に入ってきおった。しかし、ここでうかつに言質を取られるわけにもいかない。なにより、これがロマリアの密使でないとすれば政治的に窮地に追い込まれかねない。まあ、相手が本当にロマリアからの例の人物が派遣してきた使者ならば最後の符号次第だろう。

「いや、しかし、それは。」

「立場上、口にされにくいかもしれませぬが、これはアンリエッタ王女のゲルマニアへの不当な干渉ではないのでしょうか?」

「失礼ながら、仰っていることの意味がわからぬ。」

まさか、ロマリアはトリステインの現王家を見限った?しかし、何のために?連中がゲルマニアの肩を持つ理由はなんだ。いや、むしろ、ゲルマニアは何故ロマリアを味方につけることに成功したのだ?ここで、言わんとされていることは、トリステイン王家にこそ侵略の原因があり、ロマリアは信仰を同じくする兄弟の争いを招いたという大義名分でアンリエッタの排除に大義名分を与えようとしているということだとすれば、当然ゲルマニアもその意図を了解しているとみるべきなのか?

「リッシュモン卿、貴方は高等法院を司る身であらせられます。当然のこととして、一切の私情を除かれ、正義と信仰の名において行動していただきたいのです」

「このリッシュモン、失礼ながら常にそうあるように努めてまいった身。ことさらに強調されるまでもないこと。」

筋書きは読めた。高等法院の名において戦犯としてアンリエッタを断罪することをロマリアはそのブリミル教の名において許可するということか。つまり、これはゲルマニア側にとっても有利なように筋書きを運べということだ。ゲルマニアの望むもの?

・・・始祖開闢のトリステイン王家の血か。

なるほど。だが、戦犯として裁き、許しを与えるという形でゲルマニア皇帝に嫁がせればよいのか?敗者の捕虜として遇すればまあ、良いだろう。あるいは、トリステイン王家に連なる人間を適当に差し出せばよいということか。いや、穏便な形を取るならばアンリエッタ王女をゲルマニアが保護するという形でも良いだろう。

しかし、これらが私にとって利益を具体的にもたらさなければ意味がない。はっきりと言って、それなりの処遇程度ではこれの対価に見合ったものが得られるとは考えられないからだ。

「おお、なんと心強いお言葉。」

こちらの、考えが読めないほど無能でなければ対価を示すだろう。さて、どの程度の報酬をこちらに提示する?

「私共、ロマリアとしては、これからもリッシュモン卿には信徒を保護していただきたいと願っております。」

「言うまでもない。ブリミルを共に信仰するものとして当然の義務を果たしたまでのこと。」

「ですが、このように不幸なことが往々にして起きてしまうのが現状です。」

不幸な出来事と言うが、実際にどう感じているものやら。確かに、こいつの主が例の件で協力した坊主ならば狂信的な聖地奪還主義者と手を結んでいても不思議ではないが。とは言え、建前としては確かに悲劇なのだ。せいぜいが、悲しげな表情を作っておくことにしよう。痛みをさして伴うわけでもないが、面倒ではある。が、その程度の労力にすぎない。このような努力を惜しんでいては政治で遊ぶなど夢物語だろう。

「そこで、リッシュモン卿、私どもは貴方にひとかどの指導者として信徒を導いていただきたいのです。」

ひとかどの指導者?また、どうとでも解釈しようのある言葉だ。

「むろん、信徒として責務を果たしていくのには異存がないが。」

「ですが、大変失礼ながら高等法院では王家の暴走を止められなかったのです。もちろん、是正できるでしょうがそれでは、信徒が苦しむこととなります。」

「ふむ、一つのご意見ですな。」

「どうでしょう、ひとつ、独立した公国としてこの地域を導いていただけないでしょうか?」

面白い提案ではある。だが、形式として、政治には必要な手順と手続きがどのような形にせよ存在しているのだ。ここで、与えられた目の前の利益に貪りつくのは愚策極まりない上にこちらを侮らせる隙となる。

「いや、ご提案はごもっともだが、私は杖の忠誠を誓った身でして、」

「ああ、お悩みになるお気持ちはよくわかります。ですが、どうか私人としての情ではなく大義のために情を克服してくださいまし。」

悪くない。独立した公国と言うことはこの場合、ゲルマニアの宗主権を認めるなら自治を認められるということだ。実質的にトリステインと大公国の関係に近いと思えばよいだろう。見返りとしては十分満足いく水準だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

何故か知らないけれども今日のアルカディアは重いです・・・。



[15007] 第五十話 参事ロバート・コクラン 謀略戦1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/03/28 19:58
{ギュンター視点}

「よし、ボスの指示通り誘引を適宜行いつつ主力に合流する。」

目の前を覆い尽くさんばかりに展開している亜人たちだが、実際にはその数はそれほど多くない。比較的中規模な群でも、その亜人群には存在感があり空から見ていても個体として戦士をはるかに凌駕する身体能力が脅威を醸し出している。そのため実数以上に多く見えるのだろう。

とはいえ、行動は単純であり頭に血が上った状態で安易に行動してくるために知恵と戦術をもってすれば容易に御せる相手でもある。だからだ、誘導作戦は恐ろしいくらいに順調に進展している。適当に餌をばらまき、食事時のところに散弾とメイジによるおもてなしを行うだけで順調にかかってくれる。

「しかし、散弾は予想以上に効果が薄いですね。」

「確かに。一応、逓減させる程度は期待したのだが。」

亜人討伐において散弾を斉射する機会が乏しかったために実際に使ってみなくてはどの程度の効果か未知数だった。一応、命中率は上がっているのだが砲撃担当の士官によれば歩兵に向けて撃ったのとでは全く異なる感覚だという。あたっても致命打を与えられていないという。効かないわけではないが、少々頭の痛いところだ。

まあ、実際に問題となりそうなのはそれくらいである。万一に備えて数か所の拠点を構築したものの実際にはほとんど使うこともないようだ。一応将来の前哨基地として使うことも想定しているらしく、かなりしっかりとしたつくりにするように要求されていたが、これならば討伐後もこれと言った損傷がなくて済みそうだ。

伝令の龍騎士に定時連絡を持たせて、フネを立たせる。概ね順調。誘導状況の報告と相互の連絡を維持。主力からは陣地構築完了の報が入ってきている。ミス・カラムが完了と言うのだ。間違っても入り込みたくはないような火力を備えていることだろう。



{ロングビル視点}

貴女は、お若いにもかかわらず大変な実力者だ。ぜひ、これからもダンドナルドの発展に寄与するためにお力添えをお願いしたい。これが、要約すると呼び出されて言われたものだった。

単純に言ってしまえば、コクラン卿の呼び出しはそう言った期待と勧誘の声かけのようなものであった。丁寧な物腰と、ごくごく平凡な勧誘の言葉はこれと言って特徴をもつものではなかったが、まあ貴族にしては物腰が柔らかい部類だろう。

まだ、未熟だといって謙遜し誘いを断ることも考えたが、ここははぐらかしておくことにしようと思う。おいしい話に飛びつかないということは、それだけで相手に警戒させるのでこちらが、相手の申し出を真剣に検討しているか、信じられないでいると思わせる程度に距離を取りつつ礼節にのっとって行動すればさほど注目されないと思っていた。

だからだ、『いや、働きには期待している。まあ、部署で全力を尽くされよ。適切に評価させていただく』などと言われた時には思わず自分のミスで身動きがとりにくくなってしまった。

なにがしかの人間が私の働きを評価しているのだろう。まずいことに、これをかわす術が私にないのだ。暗黙の監視ならば排除するなり、戦場のどさくさにまぎれて処理することも考えられるが、公然と多くの人間が見ているならば可能な限り隙を見せないようにするくらいしかない。まさか、フネの士官を全員と言うわけにはいかない。

すでに、ゴーレムの運用でいくばくかの役割を宛がわれてしまっている。このまま、ずるずると泥沼に陥ってしまうわけにもいかない。だが、私にはそれを回避するためにあまり選択肢がないのだ。

亜人討伐自体も極めて順調に推移している。すでに、誘導は最終段階に入り、渓谷に向けて亜人を誘導するところだ。いくばくかの挑発と少しばかりの食糧で亜人の群れはなだれ込み待ち構えている主力の攻撃と、艦隊による空からの攻撃で挟撃され討伐されることとなるだろう。

これまでに、さんざん亜人の群れを追いまわし、飢えさせてきている。おそらく、さしたる損害もなく順調に討伐作戦は終了することになるだろう。そうなれば、妥当な結果として論功褒賞が行われる。すでに、フネで誘導を行った人員は顕彰するとの公式の宣言が行われている。

褒賞が増えることを純粋に喜ぶクルー達だが、私にとって評価され、有名になることは身元が露呈しかねないという問題を抱えている。できれば、何とか静かに身を隠したいものだ。とはいえ、逆にそれで注目を引いてもどうしようもないのだ。

「まったく、嫌になるね・・・。」



{ロバート視点}

「コクラン卿、北東にギュンター分艦隊です。」

「確認した。向こうも、予定通り誘導を完了したようだな。」

状況は順調だった。艦隊は所定の配置についており、主力はすでに展開を完了し大規模な統制攻撃を行う用意を整えている。信号弾が上がり次第、渓谷を亜人の墓場とする用意は完了しきっていた。問題は、なんらない。

「ギュンター分艦隊より、手旗信号。ワレ、ハイチ、カンリョウ」

「了解した。受信信号を送り返せ。ミス・カラムにもいつでも良いと伝えろ。」

担当の士官が手旗信号で手際よく各隊へ連絡事項を完了したのを見極め、予定の変更がないのを確認すると、この時のために用意された信号弾を装填した砲を指揮する砲術士官に一瞥を与え砲撃を命ずる。

「手際良く済ませよう。」

信号弾が発射され始めるのを眺めつつデッキから指揮を執るべく、望遠鏡を手に取ったとき違和感に気がつく。

「信号弾は、7発では?」

「申し訳ありません。最後のものが、不発でした。現在処理中です。」

よい、この程度のつまずきならばさしたる問題でもないだろう。そう思ったものの、嫌な予感が何となしにする。戦場で勘ほど信頼に値する助言者はいないのだ。気を引き締めることにしよう。



{アルブレヒト三世視点}

「嵌められました!トリステインで反乱です!」

血相を変えて飛び込んできた諜報官の一報は、ヴィンドボナ中枢に激震をもたらした。トリステインの高等法院長が親ゲルマニアの立場を掲げて蜂起。主要な王族を捕捉し、トリスタニアを制圧して、講和を呼び掛けてきている?信仰を同じくする兄弟で争うことの無益さを訴え、武器を捨てよう?すでに交渉と援軍要請の密使がこちらに向かっている?

ロマリア宗教庁は、戦争の終結を求める教書を発表?

ありえない。

誤報ではないのか?

月並みな感想しか漏らせない諸官に交じりアルブレヒト三世は心中で盛大に罵詈雑言を一通りままならない現実に浴びせた。苦虫をかみしめたような表情を浮かべつつ、せいぜい不快感を他人と共有するべく、厄介事を処理できそうな人間に押しつけることにする。

「コクランを参事官として呼び戻せ。やつにこの件を処理させろ。」



{ロバート視点}

「やられた」

勝利の杯を苦くするのは敗北の苦みだ。

随分と、効果的な一手を打たれたものだ。それが、ヴィンドボナからの急使がもたらした一報に対するロバートの感想だった。親ゲルマニアの反乱。正直なところ、外から眺めている分にはトリステイン戦を早期に打ち切りたいゲルマニアが考えつきそうな手ではある。

「至急、帰還用意を。」

だから、世間は驚きつつも、ゲルマニアの所業だと勝手に納得するだろう。まさかと驚きはするだろうが、その思考は比較的理解しやすい筋立てを与えられればおのずとそれが真実であると信じ込むことが予見される。蜂起した連中も、本心からゲルマニアと裏取引している気にでもなっているかもしれない。

「龍騎士でダンドナルドに伝令。帰還次第、最速のフネでヴィンドボナを目指す。用意を。」

状況を整理しよう。腹立たしいことこの上ないが、状況は単純だ。どこぞの愚か者が、親ゲルマニアのつもりで、蜂起した。有名な格言にあるだろう。愚かな味方は有能な敵よりもはるかに悪質だと。しかも、面倒なことにロマリアが介入し、ご丁寧にも、親ゲルマニア姿勢を示している。

はっきりと言ってやりたくもないトリスタニア進軍すら視野に入れなくてはならない。いや、やらねばならないだろう。やらねば蜂起した連中は血眼になって怒り狂っている一部のトリステイン軍に叩き潰されかねない。正直、蜂起した連中の先行きなどどうでもよいのが私的な感想だが、戦略という見地からすれば味方を減らすような政治的自殺に他ならないので見捨てることは難しい。

前線は、状況を有利な状態に持ち込み、敵の前線部隊を拘束することに成功していた。だが、まだ敵の弱体化が完了したわけではないのだ。敵の主力艦隊がまだ残っている。敵艦隊を拘束しているだけで良かったものが、撃滅し進軍するとなると相応の手立てを講じなければ無駄な損害が出かねない。

都市を、空襲するものと占領するのではその労力も後者が段違いに大きくならざるを得ない。それもこちらの戦略的な予定を大幅に繰り上げる形で急激に進軍しなくてはならなくなるのだから予想される損耗は通常の比ではないだろう。

勝てるだけならば、難しくはない。問題は、勝利で何を得るかなのだ。ピュロスの勝利に酔う愚者には愚者にふさわしい末路があるのみだ。

なにより、致命的なのは、まともな交渉相手が根こそぎ駆逐されてしまっているということである。部分講和を希望していたのだが、これでは完全に降さねばならなくなってしまった。戦略資源獲得のために損害を度外視いなくてはならない状況でないにもかかわらずである。

冷静に損得算を行い、ゲルマニアにとっては過度の介入そのものが赤字であると判断する意見は決して多数派にはなりえない。大方、これほど面倒な仕掛けを効果的に行ってくるのはガリアあたりだろう。だがそれが分ったところで仮に、ゲルマニアが関与を否定したうえで真の黒幕はガリアかその一派だと主張したところで受け入れられるかどうかは微妙なところだ。

当然、王族を捕えたと称する以上、その処遇についてもゲルマニアに委ねられる事となるだろう。処断?論外だ。始祖由来の血脈を暗殺ならばともかく、公的に処刑するのはロマリアの介入が面倒になる。では、恭しく保護する?国内貴族どもに恩賞を与えずに保護してみれば愉快な結果になるだろう。

いっそ、皇帝と婚姻政策を行うか?以前却下した理由は後継者問題だ。排除すればよいが、そもそもの問題として、厄介事を抱え込まないほうが賢明だろう。むしろ、いかにしてこの厄介な来訪客を始末するかを考えるべきだろうか?

トリステインの反ゲルマニア貴族らによる襲撃を誘発し、輸送途上で暗殺?リスクが大きすぎる上に、事態をこちらで把握しきれないのは許容しがたい。さらに、反ゲルマニア派に一定の求心力を与えかねないのが問題だ。かといってメンツの問題から、解放するのは論外。こちらの内政事情はそれを許容できるほど中央が安定していない。

まったく、ヴィンドボナにではなくトリスタニアに網を張っておくべきだったのかもしれない。常に後手に回っている印象がぬぐえないが、これでは完全に後れを取っている形だ。いっそ、蜂起した連中が不手際で殺してしまったことにするか?それがうまくいけば将来的な問題は解決するが、一方でまた面倒な事態も予見される。

中央に貴族の私兵団が駐屯する状況を生みだしたのはトリステイン王家の失策と言えば失策だが、逆に言えば状況があまりにも混沌としてしまっている。いくつかのメンツをつぶされた有力貴族が王都へ進撃しようとしているとの報もある。

今回の戦いは、そもそもがトリステイン側からの暴発であった。戦後統治の費用と得られるものの欠如を考慮すれば搾り取ることこそ考慮に入れられるが、それにしてもそれらは現実的な範疇に留めて損失を最小限度に抑えることのみが目的であった。

ところがだ。まともな交渉相手はことごとく蜂起によって駆逐されるか、捕縛されてしまっている。蜂起した連中は、親ゲルマニアのつもりで捕えた王族やらをこちらに嬉々として手土産にしてくるだろう。そうなれば、行きつく先は全面侵攻しかなくなる。赤字もいいところの上に、泥沼化すら懸念される。

愚か者を煽てて、躍らせるだけでこれだけの成果を出せる謀略は忌々しいまでに見事なもとしか言いようがない。あの鉤十字どもの先達に当たる鉄血宰相の手際を見ているような錯覚に一瞬でも駆られるほどだ。敵が有能なのは少しも歓迎できない事象の一つだが、有能な敵から無能な味方を大量に押しつけられるのは、もはや形容しがたい悪夢だ。



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あとがき

ガリアの
ガリアのための
ガリアによる謀略です。

ゲルマニア:不毛な消耗は避けたいよ。

ガリア:消耗してちょ。

というわけで、ガリアがそれとなく蜂起をゲルマニアの手の者風に誘導してみた結果がこれだよ!

「ゲルマニアの方から来ました。」
といっしょですね。消防署“の方”から来ましたのゲルマニア版です。

前回の断章で、それとなくリッシュモン卿にゲルマニアが反乱を肯定しているような意識誘導に近い文脈で書いてみました。

リッシュモン卿はむしろ、だまされた口です。
ロマリアは、まあおまけで付いてきたと。



[15007] 第五十一話 参事ロバート・コクラン 謀略戦2
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/03/30 17:19
{ロバート視点}

ダンドナルドからヴィンドボナへ向かう快速コルベットの船室でロバートは、ヴィンドボナからもたらされた最新の戦況と各種報告に頭を抱え込むこととなった。トリステイン貴族などいちいち覚えていないので、主要貴族の名前のみ頭にあっただけだが、この情勢下では些細なきっかけすら見逃すわけにもいかずに貴族録に齧りつき、士官候補生時代を思い出す勢いで暗記しなくてはならなかった。

だが、それらも頭痛の緩和と言う点においては有効だろうと、認めるに吝かでもないのが現状だ。最新の報告によればロマリアは、完全に善意の第三者と言う形で大幅に介入してくるという紛争当事者にとって最も望ましくない形で干渉し始めている。

「つまり、彼らは何がしたいのですか?」

「確証はありませんが、ガリアから相当の資金が動いています。現在、宗教庁の一部は商人と同じです。」

相当やつれた顔で同乗したラムド伯から、最新の情勢についての分析を聞きつつ目の前の各種報告書に目を通す。想像以上に、事態の進展は急速に悪化している。良くも悪くも利害にさとい貴族と、無駄に矜持の高い英雄願望の愚者どもが壮絶な泥仕合を繰り広げるもの時間の問題だろう。

前線からは、辺境伯を中心として急激な戦線の押し上げに対する懸念の念が伝えられてきている。領地を隣接する宿敵の排除には歓迎の趣がいくばくか含まれているが、それらを放置して敵主力の包囲、せん滅を行いトリスタニアへ進軍することには現状の軍備では二の足を踏まざるを得ないようだ。

「前線では物資の調達状況がよろしくないのです。」

「何故です、ラムド卿。ムーダの船舶を総動員して後方の補給網を稼働させれば辛うじてではあるものの前線に送り込めるはずだ。」

「後方の補給網はようやく整備され始めたばかり。前線では、停泊地が足りないのです。」

これは、整備された停泊地に慣れ切った失態か。前線で通常消耗する物資はある程度余裕を持って備蓄されている上に一定量の消費が続いていたために若干の余剰を持たせる程度の停泊地がようやく整備されている程度であった。書類上は、停泊地とあるものの前線の動向次第で簡単に変更が出来るような簡易仕様なので、設置自体は容易なものの、面積の割に収容数・機能ともに限定的とならざるを得ないでいた。

損害と消耗を度外視すれば、進軍は可能だろう。だが、問題はそれだけの価値がある成果が期待できないにもかかわらず進軍しなくてはならないという問題である。戦後の処理を考慮すれば無益な損耗は論外と言わざるを得ない。だが、戦後の政治戦略を考える際に、進軍は不可避なのだ。

ある程度、纏まった物資に優勢な戦力。これだけの条件がありながら、友軍を救援できなかったとなれば相当の政治的な失策となる。救援できるだけの力がありながら友軍とされる存在を見捨てたとなれば面倒事が追加されるのだ。信じてもいないブリミル教だが、ここで蜂起した間抜けどもが自然死の範疇で急死するならばいつも以上の寄付程度ならば喜んで応じてもよいくらいだ。

「さて、厄介なことに財務担当・外交担当のトリステイン貴族は拘束されており穏健派は完全に勢力を失っています。」

「この状況下で、交渉相手がいないのは悲劇ですな。」

「まったくもって。多少の望みをかけて前線部隊と交渉することも考えたのですが・・・」

話にならないだろうということくらいは容易に想像がつく。いくら士気が低迷し脱走が相次いでいる軍であっても、それだからこそ追いつめられたと感じれば窮鼠猫をかむともなりかねない。逃げ道をある程度用意するのは敵の崩壊を容易にする上で不可欠な方策なのだ。だが、これでは背後から追撃と言う戦果拡張は期待できそうにもない。

難しいのは、ロマリア側からの支援とも横やりとも受け取れる教書は、教皇の意向を体現したものではなく、ロマリア宗教庁の声明であるという点だ。ある程度の、政治的な影響力こそあるものの本格的にトリステイン貴族どもがひれ伏すほどの効能は期待できない。

このような、状況下で信頼すべきはむしろ友好的な第三国による仲介、すなわちアルビオンによる仲介交渉だろう。かの国には、内紛のごたごたをそれとなく支えてやったという貸しがあるのだ。国家にとってこの手の協調関係は持続性こそが重要なので、相互に友好関係を再構築するという点からもアルビオンによる仲介は一定の有効性が期待できる。

「アルビオン側の意向は?」

「もともと、事態を憂慮していたので仲介には喜んでとのことです。」

「それはありがたいですな。」

ここで、なにがしかの法外な対価を請求されるならば友好国としての在り方に疑問をつけることとなるだろうが、これならば比較的良好な良識ある隣国として良い関係を維持することが出来るだろう。

「ですが、その程度ゲルマニアも予想しているのではないかとの懸念がありましてな。」

確かに。第三国の動向を正確に把握するのは極めて困難であるが、ガリアの密偵はアルビオン全土に散らばっていることだろう。状況の大まかな把握程度は容易であろうし、主導的に事態を動かしてきたことを考えれば、アルビオンの仲介を妨害してくることも想定に入れておくべきだろう。あるいは、ぶち壊しを狙ってくるかもしれない。アルビオンの仲介で交渉がまとまり調印式に赴くアルビオン・ゲルマニアの使節団を襲えばアロー号事件が再現できる。

「・・・その通りですな。まったく疑い始めればきりがない。」

アルビオンを巻き込んで、やりたくもない仕事を抱え込むことになるのは、ごめんこうむりたい。ただ、アルビオンと負担を共有すること自体には不満がないのだが。もちろん、負担に相応の対価をこちらが用意することを考えると費用負担で頭が痛いがそれらは、政治的な取引で対応すれば済む話だ。理性的な相手との交渉は、油断がならないものの常識の範疇で交渉が出来るだけにありがたい。

「ところで、蜂起した連中の要求はどの程度厚かましいものでしたか?」

視点を変えることも時には重要だろう。そう判断し、現状で面倒事を持ち込んできた連中が嬉々として手柄だと思っている事柄に対して何を要求してきたか確認する。忌々しいことではあるが、公式には彼らを顕彰するか、ある程度の理解を示さなくてはならないだろう。足を引っ張った愚か者を引き立てるなど、砲弾を転がされる最悪の一歩手前だ。

「それが、はっきりとしません。」

「・・・援軍要請等は来ているのですか?」

はっきりしないということは判断材料が乏しいということだ。当たり前のことであるが、つまりこちらとしては最小限度の配慮で済ませたいが、対外的なものと、相手の要求額がわからないだけに下手に手を打つと面倒事に発展しかねない。

「そちらは、蜂起直後にまっさきに送られてきました。」

「我々の都合を無視していること甚だしいですな。」

「まったく。こちらに恩を売るつもりなら、蜂起前に一言声をかけるべきでしょうが。」

呼応した形で蜂起することにしてくれれば、まだ最小限の損害で進軍できただろう。用意を整えた攻勢が一番攻勢の中で損害を出さなくて済むのだ。まあ、相談されたらただちに自重を促したであろうし、今回はロマリアとガリアの脚本で踊っている道化なので求めること自体が違うのかもしれないが。

「ラムド卿、卿の指摘するとおりでしょうが、経験則からいってトリステイン貴族がそこまでの頭を持っていると判断される材料はおありですか?」

「いや、失礼、確かにおっしゃる通りだ。」

「どうも、お疲れのようですな。」

そう言い、軽口を交わしながら器用に肩をすくめつつ戦況図と援軍の針路を書き込んでいく。戦線は現在二つ。侵攻路は空と海と陸。問題は、破壊でも、敵のせん滅でもなく、敵地後方どころか中央の救援という任務なのだ。

第一案、セオリー通り敵戦力を分散させたまま確固撃破。第二戦線から助攻にでて、第一戦線から主攻?むしろ、逆にして、第一戦線で敵主力を拘束し、第二戦線から攻勢により突破、トリステインを大きく横断し、迂回挟撃で敵艦隊及び正面戦力を包囲せん滅のほうが効率的か。しかし、時間的な制約から当該案を今回は見送らざるを得ない。

第二案、忌々しい鉤十字どもに倣って一点突破、包囲せん滅。この場合は、艦隊を衝撃力として第二戦線の敵前線をぶち抜き、全面侵攻を行うか?だが、地上部隊の進軍速度は、機械化されたそれとは遥かに速度が異なる。艦隊は、打撃力には優れるが、地上を占領するには戦力がやや不足している。補給線の確保と、時間的な制約も懸念材料。

第三案、第二案に修正を加えたもの。艦隊をトリスタニアへ増派し、防衛戦を支援。トリスタニアへの地上部隊の進軍までの時間を稼ぐ。これならば、時間的な制約はある程度逃れられる上に、政治的にも安全ではある。だが、艦隊は万全の支援がなければ戦力を十二分に発揮することはできない。艦隊戦力を分散配置すること上、拠点防衛に艦隊を使うために、遊兵化の懸念も無視できない。派遣した艦隊を蜂起した貴族達からの補給に依存させることも危険である。

第四案、全面侵攻による損害度外視の制圧。可能か不可能かで議論するならば、可能なものの範疇に含めることもできるが、もっとも忌避するべき選択でもある。敵戦力を圧倒できるうえに、上記3案の問題点は解決されるものの、損害が許容範囲を圧倒的に超過することが予想される。

「ラムド卿、純軍事的な解決策は犠牲が多すぎます。絡め手から解決できそうな糸口に心当たりはないものでしょうか?」

「難しいですな、一応、離間策等をもう少し時間があれば効かせることもできるのでしょうが・・・。」

「寝返りを決意させるだけの時間的な余裕がない、ですか。やはり制約事項は時間ですね。」

嘆かわしいことだが、文明人にあるまじきことに、問題の解決に暴力を用意なくてはならないようだ。文明人ならば、初めから殺しあうのではなく、たとえ未開人のところへであっても海軍艦艇でこちらから赴き、程度に応じて説得するくらい度量が大きくなくてはならないのに。まあ、さすがに、やりすぎも問題であるのだが。

「時間で言うならば、現在の最大の問題は、二つの魔法衛士隊がトリスタニアへ急行しつつあるとのことです。」

「第二戦線に貼りついていた二つですか?」

曲がりなりにも、魔法衛士隊は精鋭だ。少なくとも、通常のトリステイン王国軍に比べれば戦力として極めて優れている。それが、前線を放棄しトリスタニアへ急行しているというのは頭が痛い展開となる。第二戦線が追撃をおこないつつ拘束しているが、一部は追撃を振り切りそうだという。

報告の時点で、一部に逃げられかけていたということは快速の部隊は一部離脱に成功し王都へ急行中だろう。そうなると、面倒事がさらに厄介になることが自明の理だ。快速の艦隊で襲撃し、進軍を阻止することも視野に入れなくてはならない。曲がりなりにも、敵戦力と相対している前線で、快速部隊の抽出と戦線投入に耐える指揮系統編成を短時間で行う?

なかなか、重労働にならざるを得ないだろう。指揮官の人選も難しい。いっそヴィンドボナで善後策を議論し次第、前線に飛ぶか?だが、情報は多角的な角度から分析するべきだし、外交情報等はどうしても後方の方が豊かだ。情勢次第で、後方から指揮を執るか前線に赴くかは判断するべきかもしれない。

「参ったな。龍騎士で急使を送り出して、追撃を艦隊に命じていただけませんか。」

「コクラン卿、それは越権では?」

「御忠告には感謝いたします。ですが、機を逃すことなく軍務を果たすのが軍人の責務でありましょう。」

厳密に言えば、艦隊に行動を命じる権利は現時点ではないのだろう。指揮権が追認される公算が高いためにさほど問題とならないで済むかもしれないが、軍権の管理が甘い現状だからこそ可能だとも言える行動になる。さすがに、何度も行いたいとも思わないが事態を収束する方が優先させられても問題ないだろう。

とにかく、事態を少しでも悪化する前に改善させなくてはならない。ここまで、戦略上の後れを取ったならばおそらく戦術での盛り返しは困難だ。勝利ではなく、最小限の敗北に留めなくてはならない。極めて面倒極まりない。

「では、私も裏書きを行いましょう。そうなれば、ある程度は良いでしょう。」

「貴公に感謝を。」

「いえなに、貴方についていけば立身も間違いなさそうですからな。恩を売っておこうかと思いまして。」

まあ、同僚に恵まれたことは数少ない良い点だろう。ここで、無能な人間と共に仕事をしろと言われれば、たまったものではない。面倒事を引き起こすわけではないが、主計官と仲良くやれといわれるくらい難しい問題である。なにしろ、妥協できる問題でもないことがあまりにも多すぎるのだから。

「では、ここはありがたくお世話になっておきましょう。」



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あとがき
(≒言い訳)
季節の変わり目なのか、微妙に体調が・・・。
まったり更新中・・・。



[15007] 第五十二話 参事ロバート・コクラン 謀略戦3
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/04/02 14:34
{アルブレヒト三世}

ヴィンドボナで盛大に、諸賢の意見を求めるという名目のもと壮大な舞台が開幕された。

政治と言うものは、表舞台と舞台裏に分けられる。役者は、舞台裏で決められた脚本を壮麗に演じ、失敗すれば失態として退場を迫られる。だが、大抵の役者は表舞台での演技に慣れているものだ。少なくとも、ここ帝政ゲルマニアで最低限の許容を超えてしくじるような人間はそもそも舞台に上がれずに蹴落とされる。

「余は、ここにゲルマニア皇帝として、ブリミル教徒として、この戦争を早期に終わらせるべく行動することを決意する。」

心にもない演技をすることのなんとむなしいことか。無駄だとわかっていることをやらねばならないことのなんと気乗りしないことか。心中に、醒めた自分を認識しつつも脚本を彩るために、感情をあらわにしていかにも苦悩に苦しみつつも行動するといった表情を作る。

「閣下、諸卿を代表しお尋ねする愚をお許しください。」

一刻も早く、前線の状況を把握したいであろう諸官の中からいかにもと言わんばかりに役目に従って一人の侍従が前に出てくる。道化役をコクランに演じさせようかとも思ったが、やつは情勢の把握が必要なのでと逃げおった。

「構わぬ。諸賢の意見は等しく余の求めるところである。」

「何故、かの時期に武器をこれ以上取る必要がありましょうか。」

むしろ、武器を取って、忌々しい坊主の首をはねたいと貴様の顔に書いてあるではないかと正直な感想を持つが、それは演技の題目と違うのだ。

「それが、諸賢の疑義か。確かに、戦争の終結という一つの大きな目的が達成されつつあるときに武器を取るのは余とて本意ではない。」

「ならば、剣を置き、隣人と友人になればよいのです。隣人と、共に歩む道を求めるべきでありましょう。」

貴様らの『友人』は物騒極まりないがな。余が皇帝に上り詰めるまでにどれほどの『友人』と殺しあったことか。どれほど邪魔されたものか。公式の場では和やかに会話する程度の関係でもって友人とするならば彼らは良い『友人』だった。いささか、見栄えが悪い上に知的側面に欠陥があったがその程度の欠陥ならば許容してやろう。

「卿らの慈悲の心は、誠に賞賛するべきである。だが、だからこそ戦争を終えるべく尽力した友人の求めに応じて剣を今一度手に取り、真の平和を求めることこそブリミル教徒の鑑であろう。」



{ロバート視点}

宗教が影響力を持つという意味合いについてかつて祖国は国教会で応じたことがある。廃案になったが、ゲルマニアにおける国教会の有用性も今後検討しておくべきかもしれない。だが、現状では目の前の課題である直近のロマリア宗教庁対策に専念していかなくてはならない。

「教書への対応は?」

厳密に言うならば、聖務を司るロマリアの各行政府が出す教書自体はさほどの拘束力を法的に持つ訳ではない。ただ、かの国の意向が表明されるにすぎないのだ。やや、影響力が強すぎるという問題は過分にあるのだが。教書の影響力は極めて強力であり、その点に関してはハルケギニアの各国も歴史的に対応に苦慮していたようだ。

だが、これらに対処する方策が皆無なわけではない。権威的な文章や声明であるならば、それらの権威を上回るものによって上書きすればよいのである。この場合で言うならば、ロマリア宗教庁と言うロマリア行政機関の最高機関を上回る存在、つまり教皇の勅書、回勅である。

「宗教庁の教書に対して、先ほど閣下の演説とほぼ同じ趣旨で回勅を教皇が出すと密使が。」

戦争をやめよう、この方針は変わらないだろう。だが、現実的な人間ならば、そのために行動することに大義名分を与えて恩を売ることのメリットも理解できるはずだ。そして、今の教皇は忌々しいまでに策謀好きで、聖地奪還に燃える狂信者とのことだ。

「対価に何を?」

「莫大な寄付と様々な恩を売りつけてきました。」

まあ、その程度はある程度予想済みであるので今は苦虫をかみつぶすにとどめておこう。
と、そこに部下と情勢を分析していたラムド伯が最新の情勢を持ってやってくる。ロマリア情勢で最新の情報を龍騎士が運んできたようだ。

「どうやら、いまさらながら、ロマリアで他国への教書のあり方について教皇が検討すると言い出したようです。」

「ほう、今さらですか。気がつかなかったわけでもないのに役者ですな。」

「どのみち、親ガリア派の司教らの動きを掣肘しなかったということは、あぶりだしと害虫駆除を兼ねているのでしょうな。」

教書の出し方について疑義をはさむという名目で粛清を正当化する気だろうか?どちらにしても、自浄能力を誇っているように見せつけられるのはあまり気のよいモノではないし、それで恩が売られるとなれば忌々しいことこの上ない。なにしろ、その程度のネズミのような動きなど把握できない教皇ではないはずだ。そうでなければ、あの汚濁のような中で政治的な地位を確立しえるはずがない。

「いい身分をしている。旨みだけを持っていかれると詐欺師を相手にしている気分だ。」

「まあ、腐敗した教会ほど悪質で厄介なものもありませんからな。」

ラムド伯のつぶやきにまったくもってその通りだと同意しつつ、頭の中を不満から現状の問題解決へ切り替えることにする。強硬な進軍を可能にするためにはある程度前線部隊を発奮させる材料が必要になる。それも、長期的にではなく今すぐに。

「しかし、貴族らはどう判断したものか。」

「大義名分が与えられ、恩賞も目の前にぶら下げられれば従軍を拒絶することもないかと。」

「コクラン卿、その件については、そろそろハイデンベルグ侯爵と協議するべきでしょう。」

恩賞の問題については、貴族の中でも有力な軍人たちの意見を軽視するわけにはいかない。この面においてハイデンベルグ侯爵は武人らしい武人でありある程度の合理性を持った提案を行える上に、軍人の意見を代表するために向こうの意向が把握しやすい。

「だが、貴族の大半は従軍をした結果として中央の影響を排除せんと欲するでしょう。」

有力貴族は恩賞として土地を要求するだろう。下手に力をつけさせるわけにはいかないし、戦功を無視することも危険で戦後処理ほど厄介なものがないと実感させられる。まあ、トリステインには地図から消えてもらった方が戦後処理としては完璧だろう。ドイツのように、搾りとりすぎようと過度に懲罰的な内容にするとフランスの元帥がいみじくもつぶやいたように30年の停戦にすぎなくなる。だが、これらは頭の片隅に留めておくべきことだ。

「それもそうですな。しかし、中央の戦力が減るものいただけませんぞ。」

「代案として比較的、大貴族と利害が対立している小規模な男爵や准爵を大量に動員してはどうでしょうか。」

ラムド伯のように中央寄りで成果を上げられるような人材だけが帝政ゲルマニアの貴族であるはずもない。当然、もともとの爵位が低い上にさして他人よりも秀でている手腕がないモノとて少なくはないのだ。以前、魔法に関する研究のために予備調査としてヴィンドボナ魔法学校の生徒を対象として進路研究を行わせたが、多少意欲的な程度で他の魔法学校の生徒と比較しても優越性が見られなかったことからこれは普遍的な現象なのだろう。

「目的は?」

「もともと、経済的に困窮した厄介な貴族はどこでもいるものです。」

ついでに言うならば、爵位をもちながらもさしたる収入源を持たずに爵位を手放さなくてはならない貴族達は意外に多く、不平不満を持ち合わせていて中央の影響力を及ぼす上で一つの問題となっていた。治安上も不満を持ったメイジや、爵位を手放さざるを得ないメイジの存在は危険と言える。

「で、あるならば一つ盛大につぶし合わせてはいかがですか?恩賞をトリステインの強硬派貴族領地から宛がえば、土地を持たない不平貴族達が間引ける上に恩も売れましょう。」

彼らに活躍の場を与えよう。新興貴族達として軍人としての実力があるものは引き立てよう。無能なものは、この戦役で活躍できずに戦場で倒れるか、戦功不足を理由に爵位を剥奪することをちらつかせればそうそう反抗できるものでもなくなるだろう。大貴族達の実力を伸ばさなくて済むという点を取ってもこれらは大きな成果が期待できる。

さらに、土地持ちになれる希望があれば、小規模貴族達もなけなしの資金で傭兵をかき集めてでも従軍してくることとなるだろう。当然、通常よりも多くの兵が動員される上に、一部は私兵軍に仕官することも考えられる。これまでさしたる動員能力を持たなかった小規模貴族達でトリステインの制圧を行うので計算外の余剰戦力を捻出することが出来る。それに、大半が近隣の大貴族の影響力から距離をとれるだろう。これも大きな利点だ。

なにより、対ガリア及び有力貴族への戦力均衡策と言う点で、ヴィンドボナ管轄の戦力をさほどトリステイン方面に割かなくて済むということのメリットは大きい。言い換えるならば、これまではむやみに戦線の拡大を抑えるために中央の指示を聞きやすい諸隊を前線に貼りつかせていたが、進軍し被害担当を担うだけならば臨時編成の諸公軍で一向に構わないとも言える。

特に、諸公が傭兵で戦力を編成している場合、損害の申告を行おうにも私兵軍でないためにこちらが相手の足元を見て交渉できるというのも大きい。自らの私兵を持って国家に軍務で貢献したとなると相当の評価をしなくてはならないかもしれないが傭兵であれば常備軍でないために、費用を安く見積もって貢献の度合いを計算できる。

まあ、大貴族達の影響を極力排除しつつとならざるを得ないだろうが、現状で取りうる方策としては決して悪いものでもない。大貴族の影響を派以上するという政治闘争はある程度時間的な余裕が現状ではあるのだから。

「やれやれ、とりあえず方針としては諸公軍を主軸として各地の制圧を行わせましょう。戦略上の要衝のみこちらの手のものに抑えさせることは怠らないでください。」

「戦略上の要衝の定義にも寄りますが、どの程度を想定されていますか?」

「トリスタニアは政治的な理由から、トリステインにおける空路の要衝であるタルブは艦隊行動上絶対に直轄地として頂きたい。」

旧王都に諸公を任じるわけにはいかない。それは、将来的に独立をもくろむ素地をこちらで育てるようなものだ。タルブに関しては艦隊行動上、可能な限り速やかに制圧されなければならない。

「むしろ、それらは妥当な水準ですな。」

「さらに、沿岸部と、ラグドリアン湖近隣も抑えられるだけ抑えたいと思います。」

「ラグドリアン湖は対ガリアの観点からも理解できますが、沿岸部の理由はどのようなものでしょうか?」

「交易の統制及び把握です。空路はムーダがある程度抑えています。タルブを抑えれば空路に関しての流通は把握できますが、海路も統制するべきでしょう。」

交易に関してはどのような努力を払おうとも陸路よりも海路の方が大量の物資を運ぶことが可能だ。迅速さと言う点ならば空路がこの世界では鉄道に相当するかもしれないが、いくつかの違いがあることを運用に際しては気をつけなくては思わぬところで足をすくわれることとなるだろう。

「把握しました。一応、こちらも諸官と諮ってみます。」

「ところで、諸外国の動向ですが他に気になるようなものはありませんでしたか?」

あくまでも、戦略的な環境があって初めて戦術上の勝利も意味があることになる。仮に、100万の大軍を10万で打ち破ろうとも、敵に10万が残っていれば全滅してしまっては意味がない。

「むしろ、ガリアの影が見えないのが気になります。まさか、ロマリアの単独の演出と言うことはあり得ないでしょうか?」

「確かに、宮廷陰謀などは彼らの得意とするところでしょうが・・・。」

確かに、それは奇妙ではある。

「いや、しかしガリアの動向がそれだけ緻密であったということではないのか?」

ガリアの手の長さと賢さは嫌というほど認識している。今回の件にしてもガリアの見事な策略ではないかというのが首脳陣の共通認識だったのでは?この情勢下でトリステイン及びゲルマニアが泥沼化して利益を得るのはガリア以外にあり得ない。

「影くらいはさすがに掴めるはずです。なにがしかの偽装があったとしても違和感程度ならばわれらとて見つけられるはずです。」

「確かに一理あり、その通りです。ですが、ではどこが、何のために?」

アルビオンは間接的な被害者だろう。苦労して確保した空路が不安定化する上に、貿易相手国の政情が不安定化するのだから事態を収集することに対してある程度の動機を持っていてもおかしくはないが、悪化を望むとは思えない。ロマリアとて、対ガリアの牽制を担っているゲルマニアの弱体化を望むかと言われれば難しいが・・・。

「最悪の選択肢として、ロマリアが、対ガリアにおいてゲルマニアを制御するための陰謀の可能性を考慮するべきではないでしょうか。」

鎖のつながっていない強大な獣よりは多少劣っても制御しきれる獣の方が戦略的な選択の幅は広がるとも考えることは可能であり、そういった意味で見てみれば確かにこれらは有効な選択肢とも言えなくもない。

「あるいは、意図せぬ共演の可能性も排除しきれませんな。まったく、これだから、暗中を探索するような真似は好きになれない・・・。」

つまり、ガリアの動向をみたうえで、ロマリアがそれに便乗した可能性は否定できない。戦略的にみた場合、ガリアとロマリアは短期的にはそこまで利害が対立しないのかもしれない。だから、本当に意図せずして共演している可能性も排除できないのだ。

「まあ、仮定に仮定を重ねても混乱するだけでしょう。現状、できることで最善を尽くすとしましょう。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

ぼちぼちと話を書いているとどうしても書いては消してとなりますが、それでもぼちぼちとは更新していこうと頑張っていきます。



[15007] 第五十三話 参事ロバート・コクラン 謀略戦4
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/07/29 00:45
  {ロバート視点}

現状での最善とは何か?行動あるのみだろう。いくつかの重要な打ち合わせを行うと、私はヴィンドボナからただちに前線に向かって、移動した。

龍騎士の背に乗って先行していた艦隊と合流したのはそれから間もなくであった。さすがに、先行の指示を出してから、動き出すまでにいくばくかの時間を必要としたことと、敵前で艦隊戦力の抽出を行うのは時間を必要としてしまう。
ヴィンドボナから全速で飛んでくれた、龍騎士に礼を述べると、即座に艦隊司令部に乗り込み、指揮権の確認を行うと、戦略目標の確認を行う。打ち合わせ通り、トリスタニアへ全力で向かい、まずは王都を抑えることとなる。

「全艦最大戦速、目標トリスタニア!」

「アイ・サー!全艦最大戦速にて、トリスタニアへ!」

どうも、ここのところ、この世界の考えたかに馴染みすぎたせいか頭が鈍っている。走らせねば、猟犬や名馬とて駄犬や駄馬となるのだが、自身の事となると不快極まりない。いつもの祖国ならば、鉤十字どもの台頭を許すような失態を犯すわけもなかった。
エスカルゴ共が馬鹿なことをして、敬愛すべき祖国が失策を犯したことも平和に浸かりすぎていたからだろうか?そのように、気の抜けた状態ではこのようなぬるま湯の様な外交情勢すら複雑怪奇に思えてくるものだ。パラダイムは、祖国の方式を維持しなくては。
さて、統治の基本は分割にある。「分割して統治せよ」。この理念を解していなかったのだろうか?ともかく、敵の暗躍を許すことになったのは痛恨の事態だ。

「龍騎士隊の先行偵察に力を注ぎこめ!長距離浸透偵察が可能な練度をもつものはあるか?」

他国との利害を一致されることなく、ただ自陣営の利益を最大化せよ。この状況下において、利益とは何であろうか?取りあえず、ゲルマニアと私の利害は対立しない。であるならば、ゲルマニアの利益を最大化すればよい。
ゲルマニアの利益最大化に際して望ましい国際環境は?アルビオンとの友好を維持しつつガリアに隙を見せないことだ。
そして、ロマリアという嫌な隣人に笑顔で死んでくれと願い続ければ良い。同時に、ガリア、ロマリア、アルビオンの三者がお互いのことを殴りたいけれども自制する程度に嫌悪感をもつように仕向けられれば完璧である。

「数名ですが、精鋭がおります、サー!」

やるべきことが多いが、実務をこなす傍らで必死に頭を回転させる。目の前の敵を撃滅する方策を全力で模索しつつ、いくつもの可能性や、選択肢を考慮する能力は、海軍士官に必須の技能であり、同時に得意事項でもある。

「大変結構だ。前方の索敵に先行させるように。」

「艦長より、コクラン卿へ。交戦規定に関して照会であります。」

では、まずアルビオンとの友好を維持するためにはどうすればよいか?彼らは、確かにゲルマニアとの通商や友好関係の深化を希望してはいるものの、トリステインとの友好国でもある。
友好国に配慮し、戦後処理にある程度の処置を希望している可能性があるが、その思考システムを理解する必要がある。ここで重要なのはアルビオンがなぜ伝統的にトリステインの友好国であったかということ。
速い話が、大陸との交通路の一つとして無視できないからだ。彼らにとって農作物の輸入や、毛織物等の輸出の航路に中継地点が絶対的に不可欠である。ここで、ゲルマニアがトリステイン全土を領有することは両国間にとって対立点となりかねない。

「対空、対地の両方があり得る。敵地なのだ、識別信号に応答がなければ、先制攻撃を認める。混戦中の状況下で敵味方の識別を怠った者の責任だ。」

アルビオンの介入はない。余力も意図もないはずだ。だが、今後のことを考慮するならば、アルビオンとの関係を考慮する必要がある。先の演習で示された連中の、空軍は強力だ。敵に回しても得るところもない。
国家にとって永遠の友好国も同盟国も、まして敵国も存在しないのであるならば、ただ自国の国益があるのみだ。ルートを抑えられる可能性を考慮するのは地政学上不可避の反応とならざるを得ない。
笑顔で、こちらの戦勝を言祝ぎこそすれども、内心では疑心を抱いている可能性のほうが高い。であるならば、いっそ既存のアルビオン―トリステイン間の有力な港はアルビオン信託統治領にでもした方がよい。
こうすることで、アルビオンをトリステイン情勢に拘束することも期待できる。有事に、アルビオンが既得権益を死守するためには我々に味方せざるを得ないだろう。

「全艦に即応体制を命じておけ。」

次に、頭に何か神々の深刻な事情によって欠損を運命づけられた人々及びその他トリステイン貴族の処遇。まず、有能で反攻的な連中は引き続き拘束する。状況いかんでは家門を取りつぶすべきだろう。反抗の可能性及び、団結の種となりえる連中には早々に退場していただかねばならない。誠実で有能な人間を買うことは難しいが、売る程度ならば無能な人間にでも可能だ。
まあ有能な面々は、忠誠が期待できる面々のみ旧トリステイン領から切り離す形で辺境開発に活用。名目は、身の安全を確保するために移住を促すとでもする。せいぜい、亜人と仲良く遊んでもらい、碌でもないことを考える余裕がない程度に活路を用意する。
帝政ゲルマニアに忠実であると判断できれば、待遇をある程度までは改善させることも視野に入れておく。残りの無能どもを何カ国かの大公国にでも再編。そして、楽しく自分達で削り合ってもらう。

「龍騎士隊の準備が完了いたしました。」

「よろしい、何か情報をつかむか、敵影を確認次第、即座に帰還させるように。偵察は可能な限り、ツーマンセルを維持させよ。」

さらに、連中を牽制し、分裂させるためにトリステイン王族を大公国に任ずるという選択肢も検討の余地がある。現王家の直系が王女のみというのは実に望ましくない。始祖の血統になどなんら価値が見出せないとはいえ、他者はそれに価値を見出しているのだ。
ならばこそ、それを逆手にとり名目上の婚姻政策を採用する。それも、外戚がつかないようにと、戦後処理上妾か側室という形式を取るということにしてしまう。そして、名目上ゲルマニア皇帝の側室とでもして、叙爵し、一定の領土を与える。
ここで重要なのは、かの王女の養子認可や婚姻の一切を帝政ゲルマニアが決定するということだ。あの国の面々で、王室派は暴発するのは不可避に等しい。これは恣意的な反乱をおこさせるための火種だ。
鎮圧できる反乱は、政権を強化する。合わせて、投降してきた貴族達の忠誠を確認する最良の機会ともなるだろう。

「やれやれ、これでは、トリスタニアについてからが課題か。」

反乱を惹き起こさせるためには、ある程度の成功の見込みを与えさせることが重要。めでたい頭に、可能性をチラつかせてやればよい。例えば、戦後処理に不満を持っているゲルマニア貴族達が、トリステイン王家こそが始祖の血統をもつ正統な王室なのだと叫んだり、
一部で、はびこっているとの報告が入りつつあるレコンキスタ等のアホどもが唆せば蜂起は確定だ。いや、だが時期が不確定になりかねないのは気に入らない。それに、レコンキスタなる連中の目的や性質がどうも曖昧すぎる。最悪、ガリアのひも付きの可能性すらありえる。
ならば、いっそトリスタニアの駐留ゲルマニア軍司令官が寝返りを約束したと仮定しよう。駐留ゲルマニア司令官とは誰か?情勢次第では私がなることとなるだろう。

「とにかく、政治的な課題か。こちらに寝返りを打った連中の処遇も面倒なことだ。」

あるいは、勝敗が見込める程度に賢明で、無謀を行わない程度に理性的な軍人を任命してもよい。そして、トリステイン王家に同情的であることを最初から匂わせればどうか。おそらく所定の効果を発揮するであろう。
その上で、ゲルマニアの下風に立たせることを条件として、こちらの軍事力を拘束させないためにも、反抗するにはお互いが邪魔であるという程度に分散した領地に配置しよう。こちらのゲルマニア駐留軍は即応可能にしておき、洗い出しが完了した時点で一撃をもって鎮圧する。これで、同地域の不安定化工作をたくらむガリアやロマリアを掣肘できる。
また、ガリア対策は隙を見せないことだ。ガリアはロマリアと関係を改善するために活用できるだろう少なくとも、ある種の利害一致が期待できる。ロマリア一国では、ガリアに対抗できない以上、我々の軍事力は不可欠だ。政治的な影響力や統治上の問題形成能力が大きいだけに、できればガリアにロマリアを地上から昇天させしめてもらっても微塵の問題もない。
いっそ、秘密裏にガリアとゲルマニアが接近しているような工作でも行うべきだろうか?こちらを掣肘しようとすれば、どのような結果を惹き起こすか連中に理解できるように教育の機会を用意するのもよいかもしれない。だが、正直なところ地上から消えてくれた方がよっぽど人類のためなのだが。

「閣下、ムーダより補給について照会がありました。」

さて、肝心のガリアだ。我々の補給線妨害程度は、平然とやりかねない相手だろう。補給線には警戒するといっても、飢えることのないように警戒が不可欠だ。

「まずは、新鮮な水と食料だ。現状では、砲弾よりも食糧のほうが重要となる。」

敵地で出される物品を安心して食するというのは少々気が引ける。貴族連中が、何を思ってか一服持ってくる可能性は皆無ではないのだ。可能であるならば、自前の食糧で事を進めたいと思わざるを得ない。

「閣下、ラムド伯がお見えです。」

「ラムド伯が?よくぞ強行軍で追いつかれたものだ。ただちにお会いしよう。従兵!熱い飲み物を!」

ラムド伯には、我々と共にトリスタニアへ赴任し、状況の把握と外務の交渉に当たる任が与えられていた。だが、事態が事態であるために、出立しても我々の強行軍に追いつけるとは期待していなかったのだが。
まさか、こちらに追いついてこられるとはまさしく、外交官として驚異的なフットワークと評するしかない。この場にまで駆けつけてくれるとは、まさしくありがたいというほかない。事態が、我々の意図せざる方向に動いているのは間違いない。
この状況下、まるでこちらの取りえる選択肢が意図的に狭められているかのような状況なのだ。この策謀の筋書きを描いているのは、稀代の謀略家と賞賛するほかない。なにしろ、我々の取りえる最善手が政治的に限定されているのだ。
そして、その最善手は、多くの問題や課題を否応なくこちらが抱え込まなくてはならないような悪手ともなりかねないものばかりだ。いや、すでに、こちらの選択の自由など皆無に等しい。

「チェックメイト寸前ということか?実に厄介な・・・。」

こちらの合理的な思考が完全に把握されている?いや、分からない。ここまでわかっている人間ならば、何故このような策を弄する必要がある?根本的には、トリステインを滅ぼすことになる紛争を誘発する理由が、どこの国にもない。
ロマリアにしてみても、ガリアにしてみても、ゲルマニアやアルビオンにとってさえ、わざわざトリステインを滅ぼす必要性は皆無だ。アルビオンの国益にとってトリステインは安定が望ましいモノの特に敵対する理由がない。
ロマリアにしてみれば、鳥の骨一派の根拠地となりつつあるのだ。対抗派閥がちょっかいを出す可能性は皆無ではないが、得る物も少ない以上、ゲルマニアやガリアでの利権争いに血眼となるのが、当然のことだ。そうなると、やはりトリステインを使ってゲルマニアの戦略的柔軟性を拘束するのが目的となり、アルビオンかガリアの動向次第となる。だが、アルビオンは内戦寸前までいった混乱が大きい。内乱時の介入を恐れての策謀か?しかし、費用対効果や、成功率に加えて市場への影響を考えると望ましくないだろう。

「ガリア?しかし、意図が分からなすぎる・・・。」

まるで、走らせて、餌を食わせて、肥えたところに鉛玉を撃ち込もうとするようなものだ。意図が分からない。

「思考に囚われているか・・・。今は、なすべきことをなそう。」


  {ワルド視点}

第一報は、王都での反乱だった。第二報は、王都が制圧されたことと、王族や枢機卿等の拘束を知らせてきた。事態は急速に悪化しているようだ、そんな場違いな感想を思わず抱く自分は、やはり祖国への忠義を等に見限っているのだろうか?
そう、思いつつも当面は、魔法衛士隊の副隊長としての職分を全うしようと決意する。とにかく、行動しなくてはならない。聖地への欲求も、真理の探究も生きてこそ可能なのだから。

「子爵!君はマンティコア隊とグリフォン隊の一部を率いてただちに王都へ先行せよ。」

「拝命します。しかし、マンティコア隊も、でありますか?」

王都への帰還、それそのものは望ましいものかもしれないが、事態は切迫している。確かに、純軍事的な観点からすれば快速のグリフォン隊やマンティコア隊で先行することは望ましい選択肢だ。だが、それを、自分が率いるというのはどうなのか?

「風系統のスクウェアメイジの卿こそふさわしい。とにかく、事態を把握することが重要でもある。」

確かに、こういった情勢下で、風系統のメイジ、それもスクウェアクラスとなれば大きな働きができるだろう。だが、混乱しているトリスタニアを、精鋭とはいえ、魔法衛士隊だけで奪還できるのだろうか?
状況によっては、単独で、もしくは少数のメイジたちで王都内部から王族や、マザリーニ枢機卿等を救出しなくてはならないだろう。そうであるならば、少数精鋭であることが強みなるが・・・。

「では、可能であれば王族の方々を救出するのも、任に含まれるのでありましょうか?」

王家ならば、何か、聖地に関する秘密を知っているのではないか?何かの伝承があるのではないか?アカデミーは何かを知らないだろうか?そう思い、出世を重ねるたびに見聞を広めようとしてきたが、上手くすればここで解答が得られるかもしれない。
その思いが、祖国に、貴族達の在り方に絶望している自身の心を震わし、今一度祖国への奉仕を決意させることとなる。

「無論だ。卿には期待しているぞ!」

自分は、騎士ではなく、勇者でないのかもしれない。だが、母の求めた聖地への渇望と、腐敗しきった祖国といえども、祖国に対する思いがなにがしかは残っているようなのだ。上手くすれば、聖地に関する見聞を得られるかもしれない。

「はっ。ただちに先行いたします!」


 {???視点}

「報告です。どうやら、トリスタニアに魔法衛士隊と、ゲルマニアの艦隊が良いように急行しております。」

とある、一室で男達は、現状を「どう打開するか?」という一事に全てを注いで議論を行っていた。部屋の周囲には、護衛のメイジや衛兵たちが展開し、それとなく外部を寄せ付けないような雰囲気を形成してある。もっともここも秘密の通路や、隠し扉といった疑心暗鬼の産物を知らねば入れない隠し部屋であるのだが。

「ほう、ならばこのままいけば両者はぶつかるというわけか。」

「しかし、思い通りに動くかはわかりません。」

「魔法衛士隊の先鋒はワルド子爵、風のスクウェアともあれば期待できましょう。」

一瞬、その情報に男達の間にざわめきが広がる。風のスクウェアメイジ。その意味は、ここでは小さくない。さらに言うならば、現状で求められている人材としても、ワルド子爵という人物は、申し分ない役割が果たせるであろうことが期待されている。

「そう言えば、ロマリアからフネが来ておりましたな。」

「ああ、枢機卿団のかね。」

確かに、ロマリアの一部が気を利かせたのだろう。フネを用意している。救貧に回すとの名目で、物資を運んで来ているとの触れ込みだが、中には諜報員が満載されていることだろう。

「検討してみる価値はないでしょうか。」

「ゲルマニアを泥沼に突き落とすのか?」

「他に有望な選択肢はありません。」

男たちは、一様にお互いの表情を見やる。そこにあるのは、賛同の表情。事態は、すでにあまり面白くはない状況になっていることを示唆しているが、出しぬけるという案は決して悪くない。

「アルビオンの動向は?」

「当分は動けますまい。これで、かの国々は望もうと望むまいと・・・」

「それが、最善手か・・・。ここに至ってはやむなしだな。」

「次の機会を待ちましょう。」

「そうだな。では、手はず通りに。」

司会格の男がそういうや、即座に隠し扉に身を投じる。時間に余裕がない中で最大限の行動をするのだ。賽は投げられた。願わくは、始祖ブリミルの加護があらんことを。


{ロバート視点}

嫌な知らせとは、こちらの用意ができていないときに最悪のタイミングをうかがって訪れてくるらしい。思えば、マタベレでの勤務中も、雷撃が来たのは碌でもないタイミングであった。鉤十字どもといい、トリステインといい、とかく最悪の事態で、最悪な事態を惹き起こすことに関しては天賦の才能でもあるのではないだろうか?
あの、頭に深刻な欠損でもある連中のことだ。王族から、捕虜宣誓を取りつけて油断している間に逃げられたと思えば、当然といえば、当然である。そう冷静に思う一方で、確実に憤りを覚える自分もいるのだ。

「亡命されただと!?」

ラムド伯が血相を変えて、トリスタニアからの知らせをもたらした龍騎士に飛びかからんとしている。気持ちは良くわかるところだ。先行偵察の報告が事実であるならば、連中は一目散にロマリアめがけて亡命中だ。我々という盛大な、道化師が到着するのを待っているのは、おそらく混乱しきった貴族どもだけとなる。

「はっ、ロマリアの高位聖職者らが手引きをおこなった模様です」

「腐った坊主と、忌々しいガリアめ!」

怒りのあまり思わず手にしていたグラスを地面にたたきつけて、ロバートは呪詛の言葉を吐き捨てる。例えば、統治者の責任を痛感した王族が、悔いあらためて修道院に入るとしよう。どの程度、悔い改めていることができる?面倒事の雌鶏が一羽増えるだけではないか。

「片手で握手をしつつ、片手で短刀から毒を滴らせるとはいい度胸だ。」

「っ、ではロマリアの政治工作の一環ですな。」

教書に回勅。いずれも、政治的にこちらが対処にある程度の時間を必要とする代物だ。当然ながら、首脳陣の対応はこちらに集中することとなる。だとすればだ。その間に、この亡命劇の小道具が用意され、舞台の幕が上がることになる。

「事態を憂慮する、か。なるほど、確かに事態は憂慮すべき事態だ。」

まして、状況はゲルマニアにとって望ましいどころか、最悪の更新中である。本格的な戦闘を望んでいなかったにもかかわらず、現状では王族を拘束した貴族連中からの増援要請に応じて王都行軍を強行する羽目になり、あまつさえ肝心の王族がいないと来た。脚本は、ガリア。演出はロマリア、おそらくは鳥の骨に連なる枢機卿団。或いは、教皇の意図も入っているのか?

「道化もよいところですな」

「トリステイン貴族も、我々も、今頃ジョゼフにとってみれば笑い物でしょうな。」

事態を告げるべく、飛んできた急使から届けられた報告に、思わずラムド伯と二人して渋面を浮かべることとなる。新ゲルマニア勢力の救援という名目で派遣されている我が軍は、ここで引き返すことはできない。厄介なのは、王族が亡命し、明確な事態の終結方法が消滅してしまったということだけではない。どうやって降伏を認めさせるか一つとっても厄介なことになる。
だれが、どうやって降伏処理を行う?トリステイン貴族どもが、泥をかぶるわけがない。その一事において王家には価値があったのだから。戦後統治の方策すらおぼつかなくなりかねない。まったくどうして私がこのような理不尽な問題に直面しなくてはならんのだ。
正直に言って、私は狐狩りか研究ができればそれで良いのに、どうしてこのように面倒事を処理せねばならないのだ。私の職分は、あくまでも祖国防衛においてのみ高貴な義務を求められるものであり、祖国への奉仕でもないのに、これほど働かされるのは不本意極まりない。

「いや、一撃で解決できましょう。」

「は?コクラン卿、何を?」

機動遊撃戦だ。単純に言って、航続距離の観点からフネといえどもトリスタニアからロマリアまで直行ではいけない。そして、ロマリアには純粋な軍事力としての防空戦力が乏しい。ならば、追撃をかければ捕捉可能なのではないか?

「針路変更!全艦に作戦変更を通達!並行して各艦の艦長を旗艦に召集せよ!」

幸い私の戦隊はトリステイン戦初期から通商破壊作戦に従事している関係で長距離浸透攻撃の経験が豊富である。トリスタニア進軍を見据えて航続距離延長用に風石はかなりの余剰がある。戦隊で索敵線を構築し、追撃を敢行すれば捕捉できる可能性は少なくない。
王女の亡命規模から推察と、龍騎士による高機動の移動は困難だ。さらに言えば、航続距離の観点から一度か二度は、補給を必要とするはず。少なくとも、ムーダからの報告を信じるならば、ロマリアのフネにアルビオンに見られる長距離航行可能な性能をもつものは存在しない。最短路を取るにしても、ガリアを突っ切るならばなにがしかの補給をトリステインで済ましておく必要が高いだろう。
ガリア上空に侵入する前に、捕捉は不可能ではない。情勢如何によっては、ガリア侵犯も含めた全ての処置を選択肢に有しておく必要があるが。

「追撃戦発令用意!全速で針路ロマリア方面だ。索敵用の龍騎士隊出撃用意。」

一日程度の差ならば、挽回可能ではないだろうか?最悪、ガリアへの越境攻撃も辞さない。その場合、空賊に偽装し敢行する。

「二種偽装襲撃戦装備を用意させろ。ラムド伯以下外交官の面々には申し訳ないが、フネを乗り換えていただけ」

「アイ・サー」

「風石の余剰を移送。長距離浸透作戦だ。不要物の移送を。」

「旗はどこの物を掲げますか?」

「当然アルビオンだ。連中も馬鹿正直にロマリアの国旗を掲げて逃亡しているわけでもないだろ。だとすれば、ここで最も中立に近いアルビオンの旗が無難だ。」

「おい、龍騎士は迷彩を施しておけ。そうだ、索敵優先だ」

快速のフネを抽出し、最大戦速でロマリア方面に向かわせる。そして、搭乗させている全龍騎士隊でもって前方を捜索させる。
これだけ見れば極めて容易な作業であるものの、実質的に友軍支配地域とは大凡程遠い地域上空で長距離浸透襲撃を敢行するのと大差はない状況で行うのだ。多くの困難が予見されてならない。
未だ降伏したわけではないので、トリステイン軍との接敵の可能性を完全に排除するわけにもいかない。それだけに、索敵には神経を使わざるを得ない。前方に敵がいつ現れるか、そしてそれがどのような敵であるかは未知数なのだ。
そして、龍騎士隊による捜索は確かに多くの情報を集めることは可能である。しかしながら、こちらの龍騎士から接敵せんとするこちらの意図を第三者に気づかれる可能性も濃厚にある。
一応、保険の意味もかけてアルビオン旗を掲げ、龍騎士に迷彩を施させて捜索を行っているものの、気を抜くには危険が大きい。

「コクラン卿、お待ちいただきたい。どういうおつもりか。」

長距離航続になる可能性が高いため、随伴できるのは巡航能力の高いコルベットのみで、戦列艦等は次席指揮官に一任することになる。この場合、指揮権の関係上、辺境伯の同格者に任せることになる。まあこの混乱を名目としてトリスタニア進軍を取り止められれば良いのだが、そうはいかないだろう。ラムド伯以下、政治向きの専門家らが同伴しているので、トリスタニアでの加減は専門家に一任することにしよう。

「ラムド伯、亡命中のトリステイン王族らですが、追撃をかければ捕捉し得ると判断しました。」

「ですが、追いつけるのですか?」

疑問は尤もだ。もっとも、正確に質問をしていただくならば、トリステイン上空で追いつけるかということになるが。

「最悪、ガリア上空での遭遇戦になりますが、捕捉自体は可能であるかと。」

「ガリアを侵犯するおつもりか!?」

確かに、ガリアの侵犯は厄介な問題を生じさせかねない。だが、越境をどう判断するか、そして、越境可能かどうかという時点で疑問がある。明確な国境線地図が存在しない以上、錯誤を主張することは不可能ではない。無論、相手側の意図次第になるが。
理想を言えば、ガリア上空に侵入される前に、ロマリアのフネを捕捉、捕縛なり撃沈なりしてしまうことだが、現状の速度でそれが可能かどうかは微妙なものがある。ぎりぎり間に合うかどうかというところだろう。発見が遅れれば、ガリア上空で遭遇することになる。

「・・・仮に捕捉できた場合、撃沈ですかな」

「難しいですな。拿捕できればそれが一番だが、抵抗された場合撃沈も選択せざるを得ない。」

事は微妙な問題である。捕捉するのが最優先ではあるものの、捕捉してからも問題が山積している。極論を言うならば、代表格のアンリエッタ王女ごと搭乗したフネを撃沈できれば問題は解決する。だが、政治的には確実性が求められる上に正統性も不可欠だ。
死体の確認という全くもって気乗りしない作業を経ないことには、アンリエッタ王女の亡霊にゲルマニアが悩まされる素地を残してしまう。妖精の悪戯程度ならば、ジョークにもできるが亡霊が徘徊するのは許容の限界を超えてしまう。まして、アンリエッタ王女ほどでないにしても、王族が生き残り、ロマリアにわたっては後々の禍根となりかねない。
だが、ロマリア籍のフネにおそらく宗教関係者が搭乗している状況で撃沈というのは発覚すれば、政治的には致命的な問題を惹き起こしかねない。さながら、スペインの異端査問官の前の新教徒並みに愉快なこととなるだろう。さらに厄介なのは、ガリアの動向だ。ルート上でガリアを通過する場合、ガリア上空での戦闘は政治的に厄介な問題を惹き起こしかねない。それが目的かとすら一瞬勘ぐってしまう。

「拿捕しても、お嬢様を移送するのは気が折れそうですね。」

「確かに。下手に荒事にするわけにもいかない。ですが、最善を尽くすのみです。」

目を艦隊に向ければ、各艦から龍騎士の背に乗って、艦長たちが集合してくる。手早く事態の説明と、今後の方針説明を行い、速やかに行動に移らなくては。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

随分とご無沙汰しております。
ちまちまと、改訂したりしていましたが、一応、この話と纏めて、謀略戦は謀略戦という一つの話に纏めてみようとアイディアだけはもっています・・・。

今回は、まあ「王女様亡命しちゃったよ」ということで。
誰が責任持って降伏するの?
(要するに、降伏文章にサインするのはだーれだ?)
梅津大将みたいに、責任とってサインしてくれる人がいないのです。

7/29
細部を修正
でも、誤字等がまだあるやもorz



[15007] 第五十四話 参事ロバート・コクラン 謀略戦5
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/07/29 13:00
{ギュンター視点}

追撃航行とは、響きこそ勇壮なものがあるが、実行するとなるとかなりの苦難を乗り越えなくてはならないものである。間断なく緊張感を維持し、ただ一つの目標を捕捉するまで、ひたすらに全ての空間を見張るのだ。焦燥感と疲労がミスを誘発し、それがさらなる焦りを招くという悪循環を避けられるだけで、すでに熟練のクルーというしかない。
また、前方を凝視していた、見張り員が不審な何かを発見したようだ。追撃航行が決定されてからすでに、これで8度目である。

「前方に、正体不明の影を視認。」

ただちに、当直中の龍騎士隊が、甲板で飛び立つ用意を整える。相手が、ロマリアのフネならば、そのまま接舷すればよい。だが、トリステインの龍騎士隊や魔法衛士隊の幻獣であれば直ちに叩き落とさねば、こちらの位置情報が露呈する。逆に、何かの錯覚や見間違いであれば、大騒ぎするだけ徒労に終わる。
複数の見張り員が、前方に向けて監視を強める。視認できるぎりぎりのところに、辛うじて何かが存在しているのが窺えるのだ。時刻と位置が良くないのが、判断を難しくさせている。時刻は、ようやく夜が明けようとしているところで、位置はこちらのかなり前方に位置している。
ごくまれにではあるが、この地域を航行している商業目的のフネや、それらを狙う空賊である場合、時間の浪費になることは避けたい。

「艦影を視認!ゲルマニア旗です!」

「ゲルマニア旗?この地域でか!?」

すでに、本艦の位置はガリア・トリステイン・ゲルマニアの隣接地域へと接近している。龍騎士隊は、夜明けとともに先行偵察に派遣させるべく当直を除き、全て休ませているが叩き起こすべきだろうか?いや、ゲルマニア旗ということは、軍艦か?
友軍の第二戦線にある程度位置が近い。行動圏内ではあるだろう。しかし、方角がそれにしてはおかしい。こちらと同一の針路を採っているようでは、ガリア上空にいずれ侵入することになる。あの方面に向かうゲルマニアのフネがこの時期にあるだろうか?

「艦長、艦影の特徴から重コルベットと推察します。」

当直の航海士が、手元の双眼鏡を覗き込みながら報告をよこしてくる。形式にこだわり、流動的な情勢を見逃すやつは、うっかり事故で落下しているだろう。要領が悪い空軍軍人は、フネに乗る資格がないのだ。そして、部下の報告を丸のみにして、確認しない士官は、いる必要がない。
だから、当然のように見張り員を信用しつつも、彼もまた自分の目で確認しようとしているのだ。

「軍艦か?しかし、ならば何故この空域で行動している?」

「見張り員によれば、クヴォールに艦影が類似しているとのこと。」

クヴォール?それならば、確か、第二戦線形成に際して、急派された重コルベットの一隻だ。長距離砲撃用の砲を積んでいるために、重コルベットの快速性を活用し、敵戦列艦を射程外から翻弄するという設計方針で作られた新世代のフネだ。
ガリアの両用艦隊と同様に、純粋な練度のみではアルビオンに劣る各国が技術で対抗しようとする風潮の一つとして、建造されたと記憶している。当然、重コルベットというフネの中では、変わり種であるために見間違うことは少ない。

「ふむ、たしかに特徴的な艦影だ。」

手元の双眼鏡でこちらも確認し、彼の報告に同意する。確かに、砲撃と一撃離脱を意識し帆が増量された艦影はゲルマニアの重コルベットに類似している。よし、ゲルマニア艦だと仮定しよう。ではなぜここにいる?それ以上の判断は、上官の職分だ。自分なりに思うところはあるが、指示を仰ぐ必要がある。

「まあいい、クヴォールならば、まずは艦影だ。コクラン卿をお呼びしろ。」

ボスを起こして、さっさと判断を仰ぐべきだろう。とにかく、友軍かどうかいささか不安があるにしても、こちらのコルベットは3隻。アルビオン旗を掲げていることから向こうも警戒しているだろう。接触を兼ねて龍騎士を出すべきかもしれない。

「龍騎士に信号旗を曳航させろ。所属を誰何する用意だ。」

「アイ・サー!」

こちらの位置情報が露呈する危険性はあるが、あれがゲルマニア艦に類似している以上、行動を起こす必要がある。友軍誤射はばかげているし、友軍に偽装したフネであるならば、それも一大事だ。ともかく、状況を確認。運が良ければなにがしかの情報も得られるかもしれない。とにかく、接触してみよう。全ては、それからだ。



{アルビオン的な視点}

「反乱だと!?トリスタニアで!?」

ロンディニウムの混乱は、ある程度予定調和の範疇であった。情報を集めるべく、特命を帯びた空軍のフネが緊急出港し、何組もの密偵が複数のルートから投入されることとなる。王家、大貴族、それらに加えて在アルビオンの神官ら多くの人間が、さまざまな思惑をもって、この事態を注視していた。
その中でも、アルビオン王家の雰囲気は最悪であった。誰も、口にはしないものの、モード大公の粛清以来漂っているどことなく重い空気が、トリスタニアにいる王族が貴族に反逆されたという事実を否応なく、王家に突き付けていた。

「忠誠が軽くなった時代だ。」

心ある、王の臣下はそういって嘆いたという。心あるものからすれば、王族が、叛乱によって貴族に捕らえられるということは秩序への挑戦であるとみなされていた。貴族とは本来、忠義の存在である。そのように、アルビオンの臣下はあるべきではないのだろうか?
少なくとも、彼らはそう信じているのだ。背信は恥ずべきものであり、忠誠の誓いは崇高なものだと、王の忠臣は信じているのだ。

「私らには、関係の無いこと。」

そう割り切って議論を行えるのは、あくまでも一部の有閑階級や、大多数の臣民の特権であった。まあ、彼らの大半にしてみれば、トリスタニアでの反乱など、せいぜいが貴族と王族の争いでしかない。その意味では、トリスタニアでの反乱も日々の生活に直接かかわってくる問題ではなく、気楽な物とも言える。
それとは、全く異なるのが貴族達である。モード大公派は、大きく勢力を減じたとは言え、ほとんど名分すら明かされずに粛清されたことに含むところがある。北部貴族にしてみれば、モード大公をめぐる一連の抗争で、王家の直轄領が結果的に増えることになったのはあまり歓迎できる事態であるとは認識していない。
どこの貴族も、法衣貴族をのぞけば、中央集権に対しては忌避感を抱かざるを得ないのだ。結果として、巨大な王家の直轄領が南部に形成されたということは、王家が南部の交易路を抑えることも意味していた。むろん、統治機構を組み込むまでの混乱は、予想されるものの、その将来は王家にとっては明るく、北部貴族らにとっては愉快なものではない。
交易路の大半は、南部経由で北部にまで届くのだから。

「南部に恨まれ、王家に使われ、王家に頭を下げる。いくばくか、含むなというのは無理な相談である。」

とある北部の大物貴族が酒席で漏らしたこの一言が、北部貴族達の感情を物語っている。むろん、表面上は変わらぬ忠誠を誓ってはいる。だが、一時的にせよ彼らの動向が不安定化することは避けられない情勢であった。
これに加えて、モード大公派のメイジや役人が逃亡したために、ある程度のポスト争いが生じている。この処理を誤ると、アルビオン内部にさらなる火種が生じることが予見されており、王家は深刻な危機感を抱き、貴族はいつものごとく虎視眈々と機会をうかがっていた。

「忠誠を杖で誓うのは、代わりが効くから」

メイジは杖で忠誠を誓うという。だが、『この杖に』というならば、代わりはいくらでもあるのだろう。こう言って、傭兵は貴族達を嗤う。金のために戦う傭兵と、貴族は何が違うのか?メイジは強力な力をもっている。そう、魔法が全てなのだ。結局、魔法が使えるというだけで、メイジは偉いのだ。
ならば、力なき王家など、力のあるものに組み伏せられるのは、当然のことではないかというのが、傭兵たちの常識である。ゲルマニア統一過程で、複数の王家や、独立国側に付き貧乏くじを引いた経験は今日でも傭兵たちに語り継がれている。
同時に、彼らは金の匂いに敏感だ。正確に表現するならば、傭兵を求める風に応じて、彼らが集まってくる時、そこには豊かな財があり、かつ戦乱の可能性があちらこちらに埋まっている。あとは、戦乱の種が芽を出し、育っていくのを待てばよいというわけだ。

「軍務に専心せよ。我らこそが、アルビオンの誇り。」

ただ、空軍のみがアルビオン王家の刃である。これは世間が一致して認めるところでもある。本国艦隊の司令は、代々皇太子が務め、実質的に王家の近衛軍の役割を担ってきた。無論、そこには王家に使えることによって、活路を見出した平民層や下級貴族の存在も大きい。彼らは、ある意味で王家の本当の私兵に近い存在であり、空軍のフネと人員もあり、アルビオンにおけるもっとも熱烈な王党派でもある。
もっとも、政治的な事柄に対しては沈黙を保つ傾向がある。なぜならば、本質的に彼らは軍人であり、彼らは任務に忠実であることを誇っている。その彼らが、一隻の不審なフネを見つけたことで、アルビオンは再び政治的な混乱の渦に巻き込まれていくことになる。だが、当事者達にとってそれはあまりにもごくありふれた臨検の一環としか受け止められていなかった。


{ロバート視点}

前方に見えたゲルマニア艦、それは確かに僚艦のクヴォールであった。さらに言うならば、クヴォールは哨戒中の龍騎士が発見した不審なロマリア船籍のフネを追跡中であり、大よその位置予測を済ましているところであった。実に、幸運に恵まれたものだ。少なくとも、クヴォールのクルーには一杯奢らねばならないだろう。

「予想より、だいぶゲルマニア寄りだな。」

「トリスタニアからの最短路を採ったようです。おかげで、こちらの哨戒に引っ掛かってくれました。」

哨戒網は完全ではなく、あくまでも、こちらの後方地域への浸透、通商破壊を警戒したものであった。むろん、ある程度前線でも警戒をおこなっているという水準のものだ。斥候目的で龍騎士を散発的に派遣していたものに、引っ掛かってくれたのは僥倖というしかない。

「おそらく、捉えた。あとは、追いかけて、掴むだけだろう。」

航路図を取り出し、予想進路と、最終目撃情報を換算して大よその位置を算出する。だがこの予想が正しいならば、ガリア上空での接敵となる。厳密に言うならば、ガリアが自国の領有を主張している係争地域ということになる。
ガリアの辺境貴族と、トリステインの辺境貴族、そしてゲルマニアの辺境貴族らが複雑な婚姻関係や継承権をお互いに主張し合う、紛争の種にことかかない厄介な領域でもある。法的に、確定しているわけではないので、厳密にとらえれば、越境攻撃の誹りは逃れられる。
だが、厄介事に火種を放り込むべきかどうかということについて、決断しかねる要素があまりにも多すぎる。ぎりぎり最大戦速で予想ルートを進めば、係争空域にかかる寸前で捕捉できる可能性もあるが、その場合は他の方面の索敵が弱くなる。

「問題は、仕掛けられるかどうかだ。」

「はい。現状ではほとんど余裕がありません。」

ギュンターと二人して、得られた情報を分析しつつ頭を抱えることになる。

一つは、火薬庫で火遊びをするような蛮行であり、一つは、子供の頭に乗せたリンゴを狙うようなものだ。後者は成功すれば賛辞の対象になるだろうが、失敗すれば大きな代価を払うことになる。判断は難しいといわざるを得ない。
ほぼ、位置情報は掴んでいる。誤差の範疇がやや大きいために再度索敵を龍騎士でかけたいところだが、帰還を待つ間に本隊が大幅に移動してしまっては、合流に時間のずれが生じてしまう。かといって、各艦が分散して捜索したのでは、最悪の場合確固撃破されかねない。
臨検をする以上、接舷せねばならず、この時がもっとも危険なのだ。数の優位を生かしたいところだが、快速のコルベットで長距離行航行に耐えると判断した3隻に絞ったのは失策だっただろうか?いや、クヴォールは重コルベットといえ、ある程度の速度は出る。合流させれば、分派は可能だが・・・。

「いかがされますか?」

「個人としては、安全策を取りたい。だが、それだけの決断をする権限が今の私にはない。」

任務遂行の観点からのみ議論するならば、決断し、断行するだけの勇気がないわけではない。私自身、軍務上での決断には全責任を負う覚悟はあるし、そのために後悔しないようにも努めている。だが、状況は個人の名誉の範疇を超えたところに問題が介在している。
少なくとも、仮に捕捉に成功し、所定の目的を達成したところでガリアとの交戦に至ったのであるならば、いっそ所定の目標をしくじるほうがまだましだといわざるを得ない。ガリアとの交戦を決断する権限がない。無論、その権能があったところで、ガリアと交戦するだけの必要性が見当たらない。

「では?」

「博打となるが、最短路を最大戦速だ。ロマリアの坊主どもが航海術に長けていないことを願おう。」

どのみち、安全策をとっては、発見し、接触できたとしてもガリア上空では手が出せない。で、あるならば最大戦速でガリア上空寸前まで捜索をし、最悪の場合、潔く諦めることが必要だろう。


{ニコラ視点}

脱出の航海は概ね良好であった。ロマリアから、マザリーニ枢機卿の縁で提供されたフネは、上手い具合に、叛乱貴族の目から我々を包み隠すことに成功している。目に見えるものしか信じられない俗物どもにとってみれば、それが真実なのだろう。そう、安堵できるほどには状況は安定し始めている。

「ふむ、どうやら予想以上に早いおでましだ。」

『停船せよ。しからずんば、撃沈す』

通常のフネの通るルートを避けて航海しているつもりであった。しかしだ、だからこそ隠れて航海しているフネは、専門家にしてみれば目立つということらしい。空賊対策ということだろうか?予想以上に素早く、アルビオン空軍の哨戒網にかかっていた。アルビオン空軍の練度が高いとは耳にしていた。これはあるいは、彼らが極端に優秀だということもあり得るのだろうか?どちらにせよ羨ましい練度と規律である。

「王立空軍の照会です。ご安心を、あれらは敵ではございません。」

こちらの様子をうかがってくるアンリエッタ王女を安心させるようにお付きの者をつうじて、敵でないことを言い伝えておく。

「ワルド子爵に、ひと手間願うとしよう。」

叛乱直後から、ここに至るまでかなりの紆余曲折があったが、自分はどうやら金勘定ができるだけと見なされていたらしい。叛乱直後に追い出されて、その後はこれといった処遇もなされずに、マザリーニ枢機卿とひそかに連絡をとれる有様であった。
魔法衛士隊の動きも俊敏であることが、敵には災いした。特に、マザリーニ枢機卿が脱走に成功した混乱に乗じて、先遣隊のワルド子爵と合流できたのは幸いであった。遍在の使い手であるワルド子爵に、その遍在を囮にひと騒ぎ起こしてもらい、そのすきにこちらも王女殿下を連れてロマリア船籍のフネに駆け込むことができた。
まったく、祖国がもはやだめなのかと思い知らされた時に、祖国に奉職する軍人に彼のような有能な人材がいるのだから、始祖ブリミルも因果なことをなされるものだと思わず、加護にお礼を述べるべきか、言祝ぎの代わりに恨み事をのべるべきか迷うものだ。

「子爵、すまないが、こちらに敵意がないことと、トリステインからの特使が乗っていると伝えてくれないか?」

「おまかせを、メールボワ侯爵。」

そういうと、彼はすばやく遍在を作り出し、その遍在がグリフォンに騎乗する。確かに、何かあっても遍在であれば即座に甲板にいる我々とも相談できるが、このような配慮が指示されずともできる人材が、まだまだいたとは。本当に、祖国は人材の活用を誤ったというしかない。
そう思いつつも眺めていると、ワルド子爵が遍在を見えてくるアルビオン艦に向けて接近させていく。敵意がないことを示すために、杖剣は、手に帯びずに代わりに、使者として白い旗をグリフォンがたなびかせている。アルビオン艦から飛び立ってきた龍騎士たちが、その周りを取り囲み、武装を確認している。

「どうやら、納得してもらえたようです。向こうの艦への乗艦許可が出ました。」

アルビオンは少なくとも、我々の言い分を聞くだけの耳は持っているか、少なくともなにがしかの対話が可能という状況にはあるようだ。モード大公の粛清以来、アルビオン情勢が不透明であったためにここまで、かなり状況が不明確になることを覚悟していたが、思っていたよりは状況が悪くないとの希望が抱ける。
空軍がここまで出てきているということは、アルビオンは空軍が外を向ける程度には、安定しているのだろう。本当に、切羽詰まっている状況下で、実質的に王家の私兵に等しい空軍をここまで、分散して運用するというのは考えにくい。であるならば、ある程度は安定しているに違いなく、自分達の活路もまた期待できる。
亡命ということになるが、少なくともこれからは自分の腕の発揮どころだ。マザリーニ枢機卿という外交の怪物とまで例えられるような辣腕を欠いているとはいえ、自分もひとかどの能力があると自負している。ここが、正念場となるだろう。

次代を担う者達に、少しは楽をさせてあげたいものだ。

「よし、では私も向こうのフネに顔を出すことにしよう。すまないが、龍騎士に乗せてくれるように頼む。」



{ラムド伯}

トリスタニアにて、私は混乱している。
事態が理解できない。
これは、どういうことだ?

「むざむざと嵌められた、そういうわけか。」

導き出される解答は、必然的に、屈辱的な事実を物語る。

これで、ガリアの嘲笑は確定だ。演出したロマリアや、鳥の骨もさぞかし、愉快な笑いを浮かべていることだろう。実に不快だ。見抜けなかった自分が憎たらしい。情報をうのみにせざるを得ないような環境に追い込まれていることを、コクラン卿に忠告するのはあの状況下では私の職分だった。政治やそれに伴う騙し合いは、コクラン卿が熟達しているとはいえ、責任はあそこでは私にあった。

「激昂したのは私が、先だったか?まったく情けないことだ・・。」

油断に、情勢判断ミス。あとは、コクラン卿が致命的な錯誤をしないことを祈るしかない。だから、取りあえず、笑顔を浮かべて、蜂起した連中と相対することとしよう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき
伏線の張り方が難しいです・・。
今後の方針
・ここからは、綺麗なワルドの提供でお送りします。
・国家というキメラではなく、個人プレー!魑魅魍魎の本領発揮?
・狐狩りはジョンブルの嗜み
以上の方針で頑張っていこうと思います。



[15007] 第五十五話 参事ロバート・コクラン 謀略戦6
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/02 18:17
{ロバート視点}

「目標を捕捉!間違いありません!クヴォールからもたらされた艦影の特徴とも一致します!」

目標発見!この一報がフネに行き渡るのは一瞬であった。すでに、全てのコルベットが事態に気がついているようだ。全艦の速度が心なしか限界を超えているように思えてならない。この瞬間、目標を追い詰めたこの一時に勝る至福はない。知勇を振り絞り、獲物を追い詰めることこそ、誇るに足る。これが、賢者と英雄の御代から続けられた、由緒正しい貴族の在り方と言える。

「ギュンター!空域は?」

「辛うじてですが、トリステイン圏内です!仕掛けられます!」

パーフェクトだ。状況は、完全にこちらに味方した。目標は完全に捕捉され、我々は任意に砲火を開くことが可能である。煩わしい他国の介入や、面倒事といった制約とも辛うじて縁がなくてすむ最高のタイミングというほかない。まさに、神が祝福したもうた瞬間である。

「龍騎士隊甲板へ!」

「可能ならば拿捕だ。初弾は鎖弾を装填!」

「僚艦がカバーに入ります!」

「接舷用意だ!木板を並べろ!」

慎重に、されど残された襲撃可能な時間を最大限に活用して速やかに目標を料理するべく全艦が行動を開始する。その様は鍛え上げられた猟犬たち同様に、実に有能極まりない。アルビオン艦隊と比較しても我が分艦隊の練度は引けを取るものではないだろう。

「クヴォールの情報通り航続速度よりも、搭載量を重視した、交易船のようです。」

監視にあたっている航海士が、敵影の詳細を記録しながら報告してくる。こちらでも、それを確認しつつ敵戦力を想定し、少しばかり舌打ちしたい思いに駆られつつも部下の手前自重せざるを得ない。交易船ということは、ごく一般のフネを偽装する上では最適な艦種だ。だが、逃走するには、足が遅いという欠点があるはず。つまり、それを承知で交易船を採用しているということだ。
では、それが意味することは?交易船である以上自衛用の火器を積んでいることは自明。おそらく、特殊な目的を想定しているのであれば、サイズからしてかなりの火力を有していることになる。単独では、挑みたくない火力を有している可能性がある。さらに、積載量が多いということは、大勢の人間が乗り込めるということを意味している。王族に忠誠を誓ったメイジが多数搭乗している場合、制圧はかなりの流血沙汰だ。
むろん、普通の衛士が搭乗しているだけでも数の脅威は、接舷した時に発揮されることとなる。抵抗されれば、犠牲はかなりのものになる。では、砲撃戦で撃沈すべきか?その選択肢が許されるならばそうしてしまいたいが、それは望みえない選択肢だ。
万一にせよ、砲弾の流れ弾が、ガリア方面に流れて行った場合これまでの配慮が無に帰すことになる。搭乗している重要人物を確認しなくては、混乱の下だ。さらに、龍騎士が搭乗していない保証がない以上、撃沈されたという擬態で王族が逃亡する可能性もある。で、ある以上拿捕せざるを得ない。

「旗はロマリアのものか。やはり、沈めるわけにはいかないな。」

ハルケギニアに国際法が存在していないのは実に、厄介だ。慣習法が、習わしとして採用されているだけでも感謝すべきかもしれないが。とにかく、交戦区域の船舶を臨検する権利があるかどうかすら微妙なのだ。撃沈など選択し得うるものではない。
せいぜい、強襲制圧し、それがロマリア船籍のフネでないと強弁しなくてはならない程度には、事態が厄介であるということだ。とにかく、フネは主権国家の延長上に存在しているという厄介で愛すべき事態に対して、慎重に配慮しなくてはならない。士官教育の過程に、国際法があるのは必要だからに他ならない。

「アルビオン旗を下せ。ゲルマニア旗掲揚後に停船命令。従わねば、鎖弾による足止めまでは許可する。」

当たり所が悪ければ鎖弾で王族が死にうる。だが、それは甲板で動き回っている船員に限った話だ。木とはいえ、装甲がある以上鎖弾程度で守られている人間を襲うのは無理がある。仮定に、仮定を重ねて負傷したところで水のメイジによって治療しうる範疇の負傷が限界だろう。
停船しない場合の威嚇射撃にうっかり当たったなり、空賊と誤認したなり、いくらでもいいようはある。それにだ、本質的にあれがトリステインの人間を乗せたフネである以上、交戦国の人間に肩入れしてでもいない限り、連中はこちらに引き渡す義務があるのだ。
トリステインに公的に肩入れするのであれば、それは我々の交戦国ということでもある。この局面に限定するならば、事態はさらに分かりやすく対応できるだろう。

「狩りにしては、無粋だな、まあ獲物の品格の問題かもしれないが。」

「始祖由来の王族様ですよ?選り好みのしすぎでは?」

ギュンターが興奮を隠さず、満面の笑みを浮かべながら艦橋でロマリア艦を注視しつつも、反論してくる。その器用さに一瞬感心しつつも素でやっているのだろうと、思うことにする。腕の良い海軍士官も、Uボートを追い回す時はこうである傾向があった。案外、自身も知らず知らずと笑みを浮かべているのかもしれない。

「腐った血には、興味がなくてね。一応、レディへのマナーを弁えるつもりだが、はたしてレディであるかどうかという疑問もある。」

「良くおっしゃる。礼儀正しく拘禁して、処刑台までエスコートなさるおつもりで?」

まあ、それは一面の真実ではある。処刑台までのエスコートであろうと、覚悟を決めた王族であるならばその侍従を務めることも、一つの栄誉であるだろう。最も、大半の王族が覚悟を決められるかどうかということに関しては、必ずしも最後に名を貶めずに済んだものが少ないとのみ語ることに留めよう。

「責任を自覚し、覚悟されていればこそ王族足りえるのだ。かくある王族であるならば、栄誉と喜んでエスコートを務めるがね。その覚悟があるものか疑問に思う次第だ。」

「忠告ですが、そのうちとんでもない忌名を敵からつけられかねませんぞ。」

「結構だ。それこそ、我らが誉とするところだよ。」

敵に恐れられるならば、それは軍人としての宿命だ。真に恐るべきは、自らが、祖国に顔向けできない行動をとることと、一門の名を汚すことのみ。この世界においても、私はコクラン家の名を背負っているのだ。



{ワルド視点}

「諸君、御苦労。このフネの艦長を紹介願えるだろうか?」

アルビオン旗を掲げたフネに乗り込んだところ、極めて礼儀正しいメイジによる包囲とも手厚い歓迎とも受け取れる出迎えを受けたが、内実は当然のごとく武装解除であった。我々、魔法衛士隊も、要人護衛の観点から似たような技術は持っているものの、フネの上での行動に特化しているのはさすがに学ぶところも多い。

「失礼、所属と名前をお伺いしたい。」

「トリステイン王国、魔法衛士隊副隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵だ。」

王国か、自分で所属と名乗っていて始めて意識せざるを得ないが、自分は確かにトリステイン王国の人間だ。母が求めた聖地に囚われていて、祖国の現状に絶望していた時は、何ほどの価値もない祖国であった。だが、それがなくなって、なお祖国について語るのはやはりなにがしか思わざるを得ない。
名乗りを上げたことと、こちらの身分を確認していたのだろうか?しばらく待たされたが、最終的には到着したメールボワ侯爵と共に、船長室に案内されることとなった。実のところ、遍在を出している時点で優秀なメイジであることが伝わっているので、この確認は形式的なものだとわかっている。
普段であれば、いや、これまでであればそれを必要な確認事項だと思っていたであろうが、ここしばらくでの経験が華美よりも効率を追求することを考えてしまう。無論、礼儀というものを軽視するわけではないが、軍人の本分は行動することにあるのではないだろうか?

「ミスタ・ワルド。いかがされた?」

「失礼、少々考え事をしておりました。」

情勢が混乱している以上、当事者達が考え込むのは仕方がないのだろうな。そういった納得したような表情を浮かべているクルーに謝辞を述べながら、どうしてもアルビオン王国の臨戦態勢のいびつさに気を揉んでしまう。練度は一流だ。規律も徹底している。だが、戦争というものを彼らは実体験として知らないでいる。
空賊討伐はあくまでも、賊と国家の対峙にすぎない。王立空軍といえども、国家対国家の戦争を想定して訓練されているのだろうか?そこまで考えてから、自分の心配性に首を振る。アルビオンがどこと戦争をするというのだ?ゲルマニアとアルビオンは強固な友好国だ。両者ともにお互いを必要とこそすれども、敵とする理由がない。
ガリアがはるばるアルビオンまで遠征するかと言われれば、その可能性はなくはないにしても、その時は何を考えているのかさっぱり不明だ。無能王がどうするかは、知らないが、アルビオンに遠征する必要があの国あるだろうか?
どうも、前線に身を置いていたためか、戦争に物事をからめて考えてしまう。

「すまないな、どうにも無理をさせているようだ。」

「いえ、メールボワ侯爵。魔法衛士の衛士は、この程度では。」

もっとも、ようやくアルビオンの領空だと思うと、さすがに力を抜くことができる。ゲルマニア艦隊が、トリスタニアへ強行軍で進撃しているとの報が入ってからは、本当に一瞬たりとも気を緩めることができなかった。聞くところによれば、マザリーニ枢機卿が囮の一団を率いて陽動を兼ねてロマリア方面へ向かっているらしい。
なんとか、快速のコルベットがそちらに向かっている間に、遍在でトリスタニア内部の叛乱勢力に対して騒ぎを起こした。その隙をついて本命の王族らを護衛し、潜伏していたトリスタニアの王宮内部から用意してあったグリフォンで、ラ・ローシェまで飛ばしたときは本当に不眠不休だった。
メールボワ侯爵の手配したフネに乗り込み、先行していたマンティコア隊に護衛を引き継ぐとその瞬間に意識が飛びかけた。護衛が醜態をさらすわけにもいかず、取り繕って辛うじて割り当てられた船室までたどり着いたが、その直後にベッドに倒れこんでしまったものだ。

「はっはっは、なかなか豪気だな。ミスタ・ワルド。我々空軍の士官とて、そのような立場に置かれれば弱音くらいは漏らしかねんというのに大した胆力だ。」

「キャプテンにそうおだてていただけるとは。光栄というべきでしょうか?」

「なに、事実を語ったまでだ。」


{ミミ視点}

領内で開発中の産物は多数存在する。とは言え、その大半は商会との提携や、村落との提携によるところが大きい。純粋に手持ちから大量の資金と資材を投入してまで開発が命じられているのは、鉱山地区や街道整備などの建築などを除けば、コクラン卿が執拗に求めている奇妙な銃の開発程度である。
とにかく、湯水のように良質な鉄と、火の秘薬を浪費されているのは開発にとって影響がない範疇であってもあまり気のよいものではない。上司の妙なこだわり一つで、あれほどの資金と資源をつぎ込まれていることを思うと、他に使い道があるのではないかと真剣に検討してしまいたくなる。

「いえ、そうなったら、そうなったで人が足りませんね・・・。」

何かにつけて人手不足。メイジどころか、平民であっても文字が読めて計算ができるならばことごとく強制的に捕まえて、働かせたいほど人手が不足しているからこそ、使いきれない資金と資源があり、それをコクラン卿が趣味に投入しているだけだと自分に言い聞かせる。

「ミス・カラム。コクラン卿の依頼で銃を作っている鍛冶からなのですが、もう少し良質な紙を用意していただけないかとの要望が来ております。」

「え?ごめんなさい。どういうことかしら?」

鍛冶師が紙を欲しがる?無論、報告書やら要望やらを書くために紙は必要でしょう。なにがしかを書き留めるためにも、紙は有用であるのは間違いない。でも、それにしたって良質な紙を要望するほどの、理由になるのかしら?

「その、銃の開発に際して部品として必要とのことです。」

「よくわからないのだけど、銃にそういうものも必要なのかしら?」

一応、部下達が銃を使っているところを見たことがあるのだが、そういうものを必要としているのだろうか。それと、作る過程で紙が必要になるとか?しかし、そういうことは初耳なのだが。いったいどういうことなのか。ただでさえ、紙の需要は高く、報告書を大量に仕上げていくためにも、領内の紙は質よりも量で製造させている。
品質を改善させると、生産量が落ち込むのだ。さすがに、ヴィンドボナへの報告書はある程度の物を使わざるを得ないものの、それらの製造には手間がかかるので、できる限り抑えている。良質な紙をと言われて、提供できるものはそうない。

「いえ、その私もよくわからないのですが・・・。」

「取りあえずは、現状の物でやりくりするようにと申し渡しを。」

これ以上の雑事は処理できない。ない物ねだりをされても困るというほかない。


{ロバート視点}

失敗。

結論だけ、述べよう。小官は所定の任務を達成するも、戦略目標の達成に失敗した。
確かに、逃亡していたロマリアのフネを拿捕することには成功した。
だが、王族の拘束による戦争の終結という戦略目標の達成には失敗している。
包囲し、降伏を勧告させて、接収要員を送り込む。実に単純な作業の結果は失望するべき結果でしかなかったのだ。

「つまりは、囮か。」

王族モドキ発見の報告を耳にして思わず魂が呆ける。いくら、他国の王族といえども外見の特徴程度ならば伝わってくる。発見された少女はピンク髪だと?少なくとも、隠し子がトリステイン王室にいでもしない限り、直系ではありえない。マリアンヌ・アンリエッタ両名の捕捉に失敗した以上状況は解決できなくなった。
直系の王族に逃亡されたのだ。傍系では、正当性が欠落することこの上ない。傀儡にするにせよ、事態の幕引きを図るために処刑するにせよ、処遇をどうしても事態が解決しない。で、あるならば、本心ではない手荒な扱いをしなくてよいことを喜ぶべきだろうか?

「コクラン卿、船内の捜索が完了しました。」

「念のため、再度船内を捜索だ。多少手荒に壁も調べ直せ。」

ギュンターが隠し扉や隠し部屋を徹底して捜索するように指示する。だが、実際にこのフネは囮なのだろう。で、なければフネが比較的容易に拿捕できたはずもない。ガリア上空に逃げ込もうとしてはいたが、それはできれば損はしない程度の見込みであったのだろう。
せいぜい、マザリーニ枢機卿という大物を逃がさずに済んだことを喜ぶべきか?しかし、それであってもこの事態の解決にはつながらない。

「やられたな。意図的な混乱を生じさせて、本命を逃がすとは。」

トリスタニアで混乱が生じている中、蜂起した貴族達は、王族が逃げ出すことを警戒する程度の配慮はできた。そこに、もっともらしくロマリアからフネが来ればそれに集中してしまうのは避けがたい。まして、ゲルマニア側にその情報を精査する余裕はなく、結局不確定な情報に基づき追撃を敢行し、まんまと囮を追いかけることになっている。

「コクラン卿、可能であれば廻航要員を選抜できますか?」

こちらの監視や、警戒がことごとく、逃亡したというロマリアのフネに集まっている間に本命が陸路で逃げだせばよい。あとは、どこからでも好きなルートで亡命できる。おかげで、我々が得たのはロマリアのフネ一隻だ。拿捕したものの、正直なところ得るところは乏しいのだ。

「かまわん。ギュンター、要員の選抜は一任しよう。」

おそらく、トリスタニアに向かった本隊は状況を把握しているだろう。だが呼び戻そうにも、追撃する以上、追撃部隊は囮を全速で追い続ける。そのため後方からの連絡は、大幅な遅延を余儀なくされたというところだろう。今頃は、トリスタニアに到着した友軍から連絡用の龍騎士が急行中と見るべきだろうか。それらが、こちらを発見するのがいつになるかは分からないが。

「取りあえず、拘束した主たる人物はマザリーニ枢機卿と囮となっていた貴族の令嬢のみかね?」

「はい、幾人かの女官と護衛のメイジもおりましたが、それほど抵抗はありませんでした。」

ギュンターが連絡を任されている龍騎士から事態を確認するが、損害がないのは良いことだろう。しかし、この事態が無意味に等しいとなれば、感じる責任感も別のものとなる。事態は泥沼化するに違いない。戦後処理の形式一つとっても、責任者がいないのだ。戦争をいかにして終わらせるかという方策が、最悪の混乱によって無意味に長引くことになる。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

現状
トリステイン側
王族の皆様→亡命(アルビオンへ)
+綺麗なワルド
+やり手の財務官メールボワ

追撃したロバートとゆかいな仲間達
マザリーニ枢機卿と、王女の友人を捕捉することに成功。
(でも、あんまり事態の改善には役立たない。)
一応、枢機卿は枢機卿であるという一事をもって身柄の扱いが難しいのです。

戦争の状況
戦後処理→調印してくれる人がいない。
前線→まだ降伏していない部隊いっぱい。
諸候の処理→下手に厳しくすると徹底抗戦される。

ゲルマニア本国の意向
どーすんのよこれ。

アルビオン
え?亡命?→受け入れる?面倒だよね・・・。

ガリア
???(何を考えているのだろうか?)

ロマリア
???(暗躍中?)

現状こんな感じでしょうか?

追伸
次回の方針→綺麗なワルド・恐怖爆殺公女でお送りする予定です。



[15007] 第五十六話 参事ロバート・コクラン 謀略戦7
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/03 18:40
{ワルド視点}

アルビオン艦隊との邂逅後、少々事情確認に手間取ったものの、向こう側も情勢の複雑さを理解し、取りあえず、ロンディニウムまで同行するようにと申し出てくれた。
これで、緊急を要する事態は解決したと思い、ようやく肩の重荷が取り除かれたと感じた矢先のことだった。メールボワ侯爵と今後のことを相談していたところ、会話のはずみで姫殿下から、ルイズが姫殿下の影武者を務めていたことを知らされ、私は愕然とした。
遍在というのはある程度の距離があっても偵察に活用できる存在だ。このようなことになるならば、こちらに遍在を一体残して自分はトリスタニアに残るべきではなかったのかと後悔する。

「では、ルイズが囮を務めているのですか!?」

「落ち着きたまえ子爵。しかし、どういうことですかな姫殿下?」

メールボワ侯爵に宥められつつ私は、ある可能性に気がつく。彼女は、姫殿下の学友だ。そろそろ、魔法学校に入学を考えるべき時期が近いが、それだけに姫殿下と会える機会を作ろうとしていても不思議ではない。そして、彼女はトリステインでも有力な公爵家の令嬢だ。蜂起した連中とて、無視して取り逃がすはずもなく、当然捕えられていただろう。
知らぬばかりに、私はこちらの護衛ばかり気にかけていた。だが、考えてみろ、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。もしも、拘束されていた時に、姫殿下から事情を耳にすれば、彼女はどう行動する?ああ、己の思慮と視野の狭さがこれほど憎いとは。

「その、ルイズに相談したら・・・」

「義侠心が厚い彼女が囮を買って出たということですか!?」

ルイズが囮になっている。そして、何かと引き立ててくれたマザリーニ枢機卿もろともゲルマニアの快速部隊に追いかけられているのだ。その事実に思わず、全身に冷や水をかけられたような悪寒を感じてしまう。マザリーニ枢機卿は、有能なお方ではあるが、戦争の専門家ではない。
ルイズは、未だ保護されるべき少女なのだ。無事、ロマリアに逃げ延びてくれればよいのだがと縋るような気持ちになる。だが、戦争以来成長を続けてきた自分でも驚くべき冷静な思考は、可能性は半々だろうと難しさを指摘している。思えば、彼女は親同士が決めた婚約者であったが、彼女のことも決して悪しからず思っていた。無事であってくれればよいのだが。
そう思うしかないのだ。自分は、母の死後、ひたすら栄達を求め、どこか冷めた目でトリステインを見ていた。だが、そこには確かに、私の知己があり、友人がおり、私の祖国であった。失いかけて初めて、自分が祖国を憎み、母を軽蔑しようと努めつつも、どこかで愛着を抱いていることを実感するとは。
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドよ、貴様は気づくのが、何もかもが遅すぎるのだ。ひたすらに、一本の道を走っているようで、大切なものを全部失っている嗤うべき愚者ではないか。

「ワルド子爵、確か彼女は君の婚約者ではなかったのかね?」

「いえ、その、正式なものではなく、あくまでも両親の口約束に近いものです。」

ですので、どうか御気になさらず、と口にしようとして、口をつぐんでしまう。そうだ。確かに、口約束にすぎないが、私自身は彼女にも誇れる人間でありたかった。確かに、そう以前の自分ならば考えて行動していたはずだ。それが、今ではどうだ。つい先ほどの思考が頭をよぎる。
気がつくのが遅すぎる愚か者?まだ足りない。それを知ってなお決断できない、救いようのない一面があるではないか。その場を取り繕い、辛うじて礼を失わない範疇で、自室に戻ったが、それからどうすればよいかわからず呆けてしまう。
何もかも投げ出して、行動したくなるが、何をすればよい?ゲルマニア艦隊の所在を探ろうにも、ここはアルビオン付近だ。下手に行動するよりも、ルイズが捕虜交換で返されることを待つべきなのかもしれない。だが、何かあればどうすればよいのだ?


{ギュンター視点}

「コクラン卿、こちらがマザリーニ枢機卿猊下とルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢になります。」

重要な捕虜というのは、大抵の場合捕虜宣誓後、一定の自由を許される。逆に言えば、捕虜宣誓を行う必要があるのだ。貴族としての処遇を要求するならば。問題は、マザリーニ枢機卿は軍人でなく政治家であるため捕虜宣誓がさしたる意味をもたないことと、貴族の令嬢に捕虜宣誓をさせることの無意味さにコクラン卿以下、大半の士官たちがうんざりとしていることだ。
一刻も早く、トリスタニア方面に引き返し、情勢に即応したいにもかかわらず面倒な戦後処理を行わなくてはならないという一事をもって、面倒だと感じることを批判するのはだれにもできないだろう。

「お初お目にかかる。ロバート・コクラン辺境伯だ。」

「マザリーニです。枢機卿をロマリアより拝命しております。」

さりげなく、ロマリアの名を出すか、鳥の骨。まあ、先立って枢機卿を発見したという報告からすでに、厄介事を認識していたが。一介の軍人にすら、教皇候補と称される有力な枢機卿を拘束することの厄介さくらいは想像できる。ロマリアのありがたい泥沼の政争に参加させていただける栄光は、この身には少々過ぎた栄光だと我々は身の程を知っているのだ。

「おお、ご高名な猊下とお会いできるとは。このような、不幸な形での出会いでなければ、光栄であったのですが。」

握手を交わしつつボスが無難な言葉を選んで会話を行っている。ごくごく基本的な事項確認に行い、礼節を保って降伏を受け入れる。実に、貴族的であり、面倒な処遇であるが、いたしかたないことなのか。ボスは必要があれば、こういった礼節を完全に理解して実践できるが、本質は戦場の武人だ。実に面倒だと感じているのだろう。

「さて、残念ながら猊下。一応、捕虜となった以上宣誓をしていただきたいのですが。」

「やむを得ませんか・・・。トリステインの宰相として、確かに宣誓いたしましょう。」

あっさりと、マザリーニが首肯し、驚きかけたが、コクラン卿にとっては納得いく回答ではなかったらしい。この種の連中は、絶対にエルフでも騙してのけるのではないかと常々賭けをしている連中を知っているが、どうも騙せるのではないかに賭けたほうが分が良さそうだ。言葉一つとっても、まったく意味が違う解釈を好き勝手にやっている。

「マザリーニ枢機卿猊下個人でしていただけるとありがたいのですが。」

「はて、どういうことでしょうか?」

首をかしげる枢機卿。その表情は確かに疑問を浮かべているようだが、何かコクラン卿にとって納得いかない何かがあるのだろうか?

「端的に申し上げますと、価値の無いトリステインの宰相としてではなく、猊下個人として宣誓していただきたいのであります。」

さすがに、これには鳥の骨と呼ばれた辣腕家も事態を悟ったようだ。そう、彼は確かにトリステインの宰相として有名だがその権威はブリミル教枢機卿というところにある。彼は、個人としては宣誓したくなかったということか。まったく実に高貴な方々は騙し合いがお好きなようだ。だが、どうもこの会話を御不快に感じる高貴な方というのもおありなようだ。実直であるというべきかな?まあ、若いということだ。

「価値がない!?価値がないですって!?」

「失礼、ミス。」

「黙りなさい!野蛮なゲルマニアの分際でトリステインに価値がないですって!?」

ああ、あれか、彼女は所謂メイジさまだ。そして、伝統と栄光ある貴族さまで、プライドの高いトリステイン貴族の典型例か。面倒な捕虜を捕まえたものだ。あれの管理はさぞかし、面倒だろうなと思いたくなる。世話人一つとっても文句を言いそうな性格をしているに違いない。誰に世話係を申しつけるべきだろうか?下手な人間をつけて、あとでこじれてはボスから面倒事を、とマイナスの印象になるし、なにより厄介だ。

「ヴァリエール嬢!」

鳥の骨が思わず、彼女をたしなめようとする。まあ、捕虜になってあれほど気炎を吐けるのだから、見ている側としては面白くもあるが、少々面倒事が深刻に思えてきてならない。従兵でこの手の世話に慣れている人間はいただろうか?

「ミス!言葉を慎まれよ。少しは礼節というものを持たれるべきでしょう。」

「礼儀?いきなり攻め込んでくる蛮族相手に礼儀ですって!?」

はあ、あれか。本気で、信じ込んでいる目だ。あれは厄介なものだよ。まったく、どうしてこっちから戦争を仕掛ける必要があるのか説明してほしいものだ。できれば、納得できる理由か、宴会で笑い話程度には笑えるものであることを期待したい。もし、次回の艦隊の拿捕賞金宴会で笑い話一位を取れたら、タルブ産のワイン一本でも進呈するのだが。

「事実を認識されるべきですな。失礼ながらヴァリエール領から、越境した貴族達が付近にいたゲルマニア諸候に一方的に攻撃を仕掛けて、撃退されたという事実が開戦の契機であったはずですが。」

ああ、ボスのあの表情は完全に呆れているな。子供を諭すのは面倒であることだといわんばかりの表情だ。

「な、な、な、何ですって?もう一度言ってみなさい!」

ああ、完全に激昂している。

「失礼、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢は少々動揺されているようだ。従兵!」

彼女を部屋にご案内して差し上げたまえ。できるだけさっさと黙らせてくれるとありがたいのだが。そう内心で呟いたときだった。ふと、何かを呟く声が聞こえる。これは、よく聞き覚えのある口調だ。はて、何であったか・・・

めいじの、えいしょうではないの、か、

思考が、辛うじて、追いつく。ぬかっ、

その次の瞬間。

甲板で火が爆ぜた。

「グゥウゥウウ!?」

近距離での爆発。その巻き添えをくらって、したたかに甲板に押し付けられる。
甲板に打ち付けられた際に、ロープで胸を強打し、思わずむせる。

「コクラン卿!?ギュンター艦長!?」

「コクラン卿がやられた。ギュンター艦長もだ!」「僚艦に事態を伝えろ!」「殺すな!捕えろ!」「かかれぇえ!」「水のメイジはどこだ!?さっさと秘薬をもってこい!」「火のメイジだ!詠唱させるな。さっさと取り押さえろ!」「マザリーニ枢機卿まで巻き添え、トリステインの貴族は正気か!?」「杖を取り上げた!そのまま船倉にぶち込め!」「無茶ですよ。こんな状態では!」「治すか、ここで殺されるか選べ!」「やりますよ!やればよいのでしょう!」

「艦長!すぐに船室へお連れ致します。」

「じょ、状況は?」

意識がもうろうとしている。火のメイジ、それもかなり有力なそれがまだ若い少女である可能性を失念していた。仮にも王族の囮を務めるということは、それだけ信頼されているメイジであるということ。完全な油断だ。囮と知って油断しきっていたところに見事な逆襲をくらわされることになる。
捕虜宣誓していない貴族がどう行動しようと、連中は責任を感じないだろう。忌々しい連中だ。


{ネポス視点}

「やれやれ、上司の決裁を仰ぐべき書類が多すぎる・・・。」

仕事は順調に遅延している。何故か?ミス・カラムに焼かれる恐れがある以上、北部新領の役人は真剣に仕事に取り組むが、元締めのコクラン卿が軍務について、遠征しているからである。フネで書類を送ろうにも、重要な案件のそれは簡単には外部に持ち出せない。
つまるところ、やってはいるものの、コクラン卿の御帰還がければ、我らが政務の滞りもさらに悪化するという悪循環なのである。以前から命じられていた不審な亡命者が潜伏していると思しき地域の絞り込みには大凡成功している。

「とはいえ、手詰まりだ。」

だが、どうしても最後の一線で捕まえきれないでいる。貴族である以上、どこかで必ず、地元民らは、なにがしかに気がつくはずなのだが、杖をもったメイジの目撃情報が全くない。記憶を飛ばされているかとも疑うが、そもそも、杖の無い貴族を探し出せと言われるとかなり難しい。

「人手が足りない。人海戦術で探すしかないのかもしれないのだがなぁ。」

直接の部下達や、友人達と取り組んで探してはいる。だが、それでも少しも事態は解決しないのだ。おそらく、包囲網の外には逃していないはず。しかし、捕捉できないでいるのだ。このままでは、いつの間にか取り逃がしてしまうことも懸念されてならない。
モード大公派の有力なメイジや可能性の問題にせよ血族がいるのであるならば、問題は実に厄介極まりない。

「ミスタ・ネポス。スラム街で密偵を拘束。また、どこぞの密偵が探りを入れてきているので警戒せよとのことです。」

「了解した。」

伝令係に了解した旨を告げると、ため息一つつきたくなるのをこらえて、善後策を考える。各国から、あるいはあちこちの貴族から密偵が放たれている。あまり、解決に時間をかけすぎると秘密裏に処理できなくなってしまう。頭が痛い。はやく、コクラン卿に御帰還願いたいものだが。


{ラムド視点}

「リッシュモン卿、このたびのご決断。さぞ困難なものであったことでしょう。」

「ええ、お察し頂けますか?」

貴様の苦悩しているところなど、想像もつかないが、自己保身に悩んだということならばよく理解できる。

「我々としても、貴方に語らせるのは忍びないのです。」

時間の無駄な修辞学に耐える余裕がないのだよ。リッシュモン卿。さっさと貴様の粗を探してそれなりに処理できないかと探したいのだが。無論、現状でも部下がやっているが、貴様は特に面倒事を惹き起こした根本であるから自分で処理したいのだが。
実に、不快なことだが、このリッシュモン卿、自分はゲルマニアに恩を売ったのだという認識でいる。当然ながら、見返りを大量に要求しているのだ。露骨でないにしても水面下で。この手のアホどもは、中途半端に現状を認めてやると、使い捨てにされたと騒ぐ。
後腐れの無いように、処理してしまうのが、一番なのだが何か良い方策があれば完璧なのだが。

「それよりも、今はお国の現状を如何にして取りまとめるかが課題です。」

「そうですな。同じブリミルの信徒が相争う事態はもうこりごりです。」

口では何とでも言えるだろうよ。それよりも、王族を取り逃がした手際の悪さをいい加減、閣下に言い訳する用意がこいつにあるのだろうか?自分のライバルが消えて良かった程度に思ってはいないだろうな?鳥の骨は、ロマリアの枢機卿。リッシュモンはゲルマニア派と世間では見られている以上、降伏を処理させるためには王族が、それに準じる格をもつ人間な必要だ。だが、誰がそのような面倒事を買って出るか?どうやって事態を収拾しろというのだ!

「いや、全くです。ですから、早々とこの嫌な戦争を終えたい。ぜひ、リシュモン卿にもご助力願いたいものです。」

理想を言えば、前線に行ってくれないか。前から魔法をくらって倒れたくないなら、後ろからでも一向にかまなわいのだ。

「もちろん。私なりに、できることを行うつもりですな。」

ええい、コクラン卿が帰還すれば、こいつの相手は任せてしまえるのだが。どうして、外交官の自分が爵位の点で指揮権を行使せねばならんのだ。どうしても、面倒な事ばかりが頭に浮かんでしまう。できないわけではないが、本業と違うことをするよりも、なれた本業を行う方が成果が上がるのだが。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

うん、落ち着いてほしい。この暑さはサービスなので遠慮なく日焼けを楽しんで健康的になってほしい。きっと炎天下での行動は、貴方がうんざりとしてクーラーをつけたまま寝て、うっかり風邪を引いてしまうくらいには、きついものだと思うけれども。

本作は綺麗なワルドと恐怖爆殺公女ルイズでお送りしております。
原作でのワルドの扱いと、主人公(ヒロイン?)補正のかかったルイズの扱いを入れ替えた感じでしょうか?

次回、「会議は踊る。されど、進まず。」
タルブ産のワインでお楽しみください。



[15007] 外伝? ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝 
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/04 03:10
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝 

序文

語れと言われれば、人は彼のことを騎士であると褒め称えた。
彼こそが、最後の騎士であると、人は物語で語った。

彼は、トリステインにある子爵領の嫡子として生まれ、成長するに従い、国を思い魔法衛士隊の門をたたくことになる。賢明な研鑽と、その天賦の才は彼を風のスクウェア・メイジに至らせた。だが、彼はそれでもなお自らを鍛えた。二つ名は「閃光」。皮肉なことに、水の国トリステインで名を轟かせた烈風と閃光は風のメイジであった。
人は語る。それが、トリステインの行く末を暗示していると誰も当時は分からず、ただ風のメイジたちが活躍していると耳にしたと。

しかし、ハルケギニアにおいて、「閃光」はその二つ名が、轟くまでにはしばしの、時間を必要とするメイジでもあった。それは、彼の忠誠と義務が、彼に求めた職分によるところが大だからである。語ることも禁じられたいくつもの責務と、重大な秘密を彼は職責上扱っていた。ゲルマニア・トリステイン戦争のさなか、彼が始めて歴史の表舞台に立った時から、彼ほど忠勇で思慮に溢れる人物を人々が気がつくことに遅れたのもそれが原因である。



{ワルド視点}

「先行した、マンティコア隊の衛士が情報をつかんできました。」

「でかした!良くやり遂げてくれた!」

トリスタニア方面への急進撃。幻獣を駆けさせる我々、魔法衛士隊だからこそやれる無茶な強行軍を行い、トリスタニア付近にまで近付いたところで、部隊はほぼ体力の限界に達していた。しかし、一部の精鋭たちはさすがに余力がないわけではない。
無理をさせているとの実感はあったが、情報収集に彼らを送り込む。この手の任務は、半数でも情報をつかんで帰還できれば成功だ。当然、ある程度の小競り合いや損失は覚悟の上だったが、指揮官としてこのような決断を下すには、少々気が参るものだと実感する。
愛国心や、名誉心といった個人の感情以前に、共に轡を並べて訓練した部下達や、戦列を共にした他の魔法衛士隊の戦友達を危険にさらす決断を行うのは自分なのだ。たとえ、職責がそれを命じるとしてもだ。隊長にのぼりつめれば、大きな権限がある。そのことばかりに、眼が眩んでいたが、副隊長ですらこの責務だ。

「決断。それが、重いものだとは知っているつもりだったのだが。」

疑問を感じる心をことさらに無視して、情報をもって帰還してきたマンティコア隊の衛士へと駆けよる。華麗な礼節も、沈着な動作も無用だ。必要なのは、実利的かつ効率の良い行動。前線で、こちらを圧倒するような数のゲルマニアの圧力に抵抗するためには、それしかなかった。
マンティコア隊から、半数。グリフォン隊からも半数。実質的に前線からは一個の魔法衛士隊が抜けたに等しい穴があいている。これだけの負担を強いておきながら、任務が達成できないとなれば、申し訳が立たないだろう。

「ワルド副隊長。情勢は不明なのですが、叛乱軍で騒ぎが起きています。」

「どういうことだ。」

叛乱軍で騒ぎということは、何か状況が動いているということだ。この状況下で、何が起きているか。それが、今後の行動を決定的に左右しかねない。

「わかりません。ロマリアのフネが絡んでいるというところまでしか把握できておりません。」

「ロマリアのフネ?いや、わかった。本当にご苦労だった。」

贅沢ができる状況ではないが、許されるならば苦難を掻い潜って情報を集めてきてくれた彼らに一杯奢りたいところだ。落ち着いたときに、お互いが生きていたら忘れずに、杯を酌み交わすことにしよう。

「ロマリアのフネということは、マザリーニ枢機卿がなにがしかの手をうたれたのではないでしょうか?」

確かに、それはあり得る。元々、マザリーニ枢機卿はロマリア枢機卿団中でもかなりの有力な一派に属しておられる。だが、マザリーニ枢機卿ご自身ならばともかく、王族の方々を連れてロマリアを目指すことがあり得るのだろうか?ロマリアのお方ならば、聖地について何かご存じではないだろうか?
そう思い、訊ねたことがあるものの、どうも口ぶりからしマザリーニ枢機卿ご自身は聖地への関心がさほど高くはないように思えた。聖地を頑なに求める、現在のロマリア宗教庁とは必ずしも、見解が一致しておられない。さらに言えば、ロマリアの現状に含む心がおありのようでもある。
そのような方が、王族の方々というある意味で、手土産を連れる形でロマリアへと向かうことをよしとされるかといわれると、疑問なのだ。鳥の骨と陰で罵られようとも、誠実なお方ではある。聖地への熱意ないと知った時には、いささか距離を取るべきかと思いもしたが、このような情勢下では最も信頼できる人間でもある。

「いや、そのような断定は危険だ。」

「では、いかがされますか?」

「しばらくここを任せる。夜明けまでに戻らねば、君が指揮を取りたまえ。」

後方で、部下に指示を出しているよりも自身で情報を集める方が良いだろう。トリスタニアは混乱しているともいう。そうであるならば、風のメイジである私ならば遍在を活用し、情報を拾い集めることも可能なはずだ。なによりも、疲れている部下を働かせて、後方で休むよりは、私が彼らを休ませるべきだ。

「ご自身で行かれるのですか!?」

「どちらにせよ、部隊は休養が必要だ。これからは、休養を取る時間もないはずだ。今のうちに休めるだけ休んでおくように。」

そういうと、即座にグリフォンへと飛び乗り、闇夜に紛れてトリスタニアを目指して駐屯地から飛び立つ。演習でこのあたりを飛びまわっているのだ。叛乱軍よりもよほどこのあたりの地理に関してならば知悉していることが、幸いし、哨戒線にかかることもなく、トリスタニア近隣を捜索可能である。
一応、有事に王族の方が避難することになっている場があり、そちらを調べるべきかと、遍在を一体そちらへと向かわせ、残りはトリスタニア内部の情報収集に向かわせる。

「確かに、叛乱軍が動揺している?これは、王族の方々が亡命されたというのは事実か?」

マザリーニ枢機卿が、王族の方々と共にロマリアへ逃げ出した。是が、叛乱軍の貴族たちの間で囁かれている。事実であれば、ただちに今から引き返して、そちらを発見し護衛すべきなのだが、何かが引っ掛かる。
確かに、枢機卿は正式な宰相というよりも国政を壟断しているかに見られることがあった。しかし、どうも自分が見知っている枢機卿らしくないのだ。戦場で生き残れたことは、戦場での噂と実態の乖離をいやというほど自分で経験しているということでもある。
今、叛乱軍の連中が語っているのは、そうであるとされてきた枢機卿像だ。確かに、納得しそうである。だが、知っている人間からすれば、少しかみ合わない。その、少しの違和感が重大な懸念につながっているように思えてならない。

「情報が足りない。っ、どうしたものか。」

決断するにも情報が足りないが、時間も足りない。もしも、ロマリアのフネに乗っておられるのであれば、ただちに馳せ参じるのが解答だが、もしも乗っておられなければまだ敵の手の中におられるかもしれないのだ。ええい、もどかしい!
焦りを何とか抑えようとして、あたりを見回し、ふと王族の方々の避難場所へと向かわせた遍在が、潜んでいる影に気がつく。このような、隠し部屋を知り、なおかつ隠れている?

「動くな!杖を捨てて、ゆっくりと出てこい!」


{ニコラ視点}

「動くな!杖を捨てて、ゆっくりと出てこい!」

鋭い警告が発せられた時、思わず覚悟していた時が来たかと思う。この隠れ場を知るものは、王族の方か、マザリーニ枢機卿、あるいは、魔法衛士隊の副隊長以上に限られる。マザリーニ枢機卿から、連絡を託されでもしなければ自分が、このようなところに潜むことにはならなかった。
だが、叛乱軍とて貴族なのだ。伝承や、伝聞。或いは、密告やかつての文献から、この隠された場を知っている可能性がないわけではない。

「今、出ていく!杖は持っていない!」

辛うじて、声を張り上げ、杖を地面に置きながら、できれば組み伏し、正体を見極めたいと思いながらゆっくりと物陰から顔を出す。ここに隠れていることを察する以上、風のメイジであるのは間違いない。そして、風のメイジは、私の待ち人でもあるはずなのだ。
油断なく、こちらに杖剣を向けている姿を確認し、ようやく安堵する。杖剣を使うのは魔法衛士隊のメイジだ。そして、風となれば、おそらくあたりだろう。我々は、賭けに勝ちつつある。

「ワルド子爵か?」


{ワルド視点}

問いかけられ、その意味を考える。確かに、ワルド子爵かと、確信をもってこちらに確認してきている。ということは、私が駆けつけてくることを知っている?

「確かに、私はワルド子爵だ。そちらも名乗っていただきたい」

「ニコラ・デマレ・メールボワ侯爵だ。良く駆けつけてくれた。」

メールボワ侯爵?財務次卿で、マザリーニ枢機卿の一派であるはずだ。だが、しかし、何故ここにいる?何故隠れている?分からない以上油断はできない。すでに、トリスタニア内部にいる遍在たちと共に、こちらへ向かってはいるものの状況を確認する必要がある。

「状況はどうなっている?」

「失礼。その前に、何故こちらに?」

未だ、杖剣を下げることなく問いただす。無礼は承知だが、ここで油断し、事態を台無しにしてしまうよりは、はるかにましだ。

「っと、すまない。こちらも焦っていたようだ。マザリーニ枢機卿からの手紙と指示だ。君を待っていた。」

差し出された手紙を手に取り、眼を通す。見慣れた署名に、見慣れた書体。様式は完璧。紙質も、触り慣れた枢機卿の指示用に使われる紙に間違いない。偽造防止用のサインもひそかに行われている。つまりは、本物か?

「失礼致しました。メールボワ侯爵。」

「構わんよ。非常時だ。むしろ、君のような有能なメイジが駆けつけてくれることの方がありがたい。」

「して、私への連絡とは?」

枢機卿からの指示は、私に対して、メールボワ侯爵の指示に従うようにと記載されているのみであった。口頭で重要な連絡事項があるということ。つまりは、仮にメールボワ侯爵が捕まっても口をふさぐことが期待されるような情報があるということか?
この情勢下では、当然のこととして、重大極まりない案件に他ならない。

「マザリーニ枢機卿が囮となられた。王族の方々が未だ城内に潜伏されているのだ。今の混乱に乗じて御救い申し上げられないか?」

「城内からでありますか?むろん、困難ではありますが、不可能ではありません。」

曲がりなりにも、魔法衛士隊は、王族の方々の護衛が任である。城内の構造は理解している上に、戦闘にも慣れている以上、お連れするのは不可能ではない。戦闘になり、全滅するとも、目的を達成しうるだろう。全滅するまでの時間に、遠くへ御逃げいただくことは可能だ。
だが、それで、逃げ切れるのだろうか?

「しかし、逃げるにしても、手がありましょうか。」

「それは、大丈夫だ。何とか、ラ・ローシェルまで護衛してほしい。そこにフネを手配したが、我々だけではお連れできないでいたのだ。頼む子爵。」

フネがある。ラ・ローシェルに手配してある。というのは、驚きだ。この混乱下でそれほどの手配ができていることを喜ぶべきか、それほどまでに、追い詰められていることを嘆くべきか。

「分かりました。ただちに取り掛かります。」

そういうや否や、私は遍在の一体を部隊へと向かわせる。彼らには申し訳ないが、休息は打ち切りだ。時間との勝負になるが、ここでトリスタニアから王族の方々を連れて何とか、ラ・ローシェルまで急行することになる。戦力としては、まとまっている方が理想ではあるが、マンティコア隊とグリフォン隊では最大速度が異なる。
無論、ここまでも警戒を兼ねながら進軍してきたために、強行軍といえども纏まった部隊として行動してこられたが、これから先は文字通り速度勝負だ。それと、ラ・ローシェル近隣の確保を考慮すると、マンティコア隊を先行させ、救出後はただちにひた走れるようにしておくべきだろう。

「状況を把握した。ただちに総員出撃用意だ。説明は、進みながら行う。マンティコア隊の代表者に連絡してほしい。急ぎだ!」

遍在を通じて部下に指示を出しつつ、残りの遍在でメールボワ侯爵からもたらされた情報をもとに、トリスタニアの情勢把握に努める。蜂起したのは諸候軍。貴族達本人はともかく、その兵はトリスタニアには不慣れだ。ならば、その間隙をついで混乱を惹き起こせば、その隙に王族の方々を脱出させることは不可能ではない。

「メールボワ侯爵。失礼ですが、マンティコア隊と合流し、ラ・ローシェルにて我らをお待ちください。」

メールボワ侯爵がしぶしぶといった表情を浮かべて、頷き同意を示してくださる。ここで、私も残るだの、爵位を笠に着て功績を求めるタイプの貴族でないことを始祖に感謝したくなる。段取りが取れていて、トントンと処理できるこの素晴らしさ。軍に入り、ひたすら権勢を追い求めていたころにはついぞ実感できなかった快感だ。

「先行して、退路を確保しておけというわけか。しかし、王族の方々は確かにお連れできるのだろうな。」

「お任せを。確実にやり遂げて御覧に入れましょう。」

一人のメイジとして、並みならぬ鍛錬を積んできたという自負はある。二つ名の「閃光」は自身の栄達を望んでのこともあったが、確かな裏付けをもっている二つ名でもあるのだ。メイジとしての実力をもって、トリステインの貴族同士で相撃つのは気の進むことでは本来はない。
だが、叛徒を討つのだ。それも、長年憎悪し抜いてきたような、膿のような連中だ。まさしく、王族の方々、姫殿下を御救いし、悪漢を討つのは本懐である。立派なメイジでありたい。そんな、子供のころの理想を、体現し得るかの機会がこのような形でもたらされるのは不本意だが、心が躍るものでもある。

「状況を説明する。メールボワ侯爵がラ・ローシェルにフネを確保されている。我々の任務は、一、王族の方々の救出。二、ラ・ローシェルの確保、三、ラ・ローシェルまで王族の方々を護衛である。」

遍在を通じて、集結した魔法衛士隊の指揮官たちに状況を説明する。とにかく、王族の救出が成功しないことには意味がない。手だれを投入し、救出を行う必要があるが、しかし脱出できねば意味がない。この手の任務は、全滅すれども王族の方々が脱出できれば成功であるが、退路が確保できなければその全滅の意味がなくなる。

「戦力の分散は避けたいが、退路がなくては脱出も行えない。」

そこで、部隊を二分せざるを得ないが、これは安全策をとって鉄の規律を誇るマンティコア隊に一任する。仮に全滅すれども彼らならば任を全うしようと努めるはずだ。

「そこで、マンティコア隊はメールボワ侯爵と合流しラ・ローシェルへ急行。掃討を行う。」

「了解。しかし、ラ・ローシェルが制圧されていた場合は?」

「強行突破になる。突破できねば脱出行の意味がない。」

「了解しました。」

状況はすでに流動的な部分がある。王族の方々がひそまれている王宮の一角に突入するのは、騎乗し、飛行していけば比較的容易に行えるが、追撃は苛烈を極めるだろう。そうなると、地上から侵入し、離脱を速やかに行った方が理想的ではある。しかし、時間がない。

「我々、グリフォン隊は救出を担当だ。陽動を兼ねて遍在が使えるメイジは、現在トリスタニアを占領している叛徒の軍を襲撃、この混乱と同時に一隊で持って救出を行うものとする。」



{ニコラ視点}

「お急ぎください!」

先頭を駆けるマンティコア隊のメイジが、こちらを襲撃してくる傭兵崩れどもに応戦しつつ、部隊の一部を足止めに残して駆けるように促してくる。

「賊は討ち捨てて構わないのか!?」

退路に賊を残しておくことが懸念されてならない。本当に、先を急ぐばかりでよいのだろうか?

「ご安心を。グリフォン隊ならば、空の上です。我らのようにあえて地上を駆けぬ限り、傭兵崩れ程度では障害足りえません。」

「なるほど、つまり深刻な脅威はフネと龍騎士のみか。」

ラ・ローシェルまで、ひたすらに駆け続けてきたが、理由が理解できた。ある意味で、囮であり、掃討要員なのだ。この夜道をひたすらに駆け続ける存在に気がつくような連中を引きつけ、後続の脅威になるようであれば排除し、そうでなければひたすら無視し続けている。
幸いなことに、未だトリスタニア方面に急行中とされているゲルマニア艦隊は、トリスタニアに到着しておらず、快速のコルベット群さえ未だに確認されていない。運が良ければ、トリスタニアに付いたところで、ロマリア方面に慌てて追いかけていき、ガリア上空で地団太を踏ませることもできるかもしれない。
連中とて、ガリアに戦争を仕掛ける決断はできていないはずだ。あとは、何食わぬ顔で、マザリーニ枢機卿がロマリアに枢機卿として行くためにフネを利用したという全くの事実を公表すれば、全て問題はない。

「問題は、ワルド子爵の方か。いくら、彼が優秀とはいえ、上手くやってくれるだろうか・・・。」

「心配無用でありましょう。グリフォン隊の副隊長にして、『閃光』の二つ名をもつスクウェアです。叛徒どもに後れを取ることはありますまい。」

「全く大したものだ。あのような、人物がいてくれるおかげで、なんとか道が開けるような気がしてくる。」

存在を疑っているが、始祖ブリミルの加護とやらがまだトリステイン王家にあるならば、どうか、彼の者を守りたまえ、彼の者をして、任を全うさせたまえ!



{ラムド視点}

艦隊は、トリスタニアへと順調に航海していた。予想されていた、魔法衛士隊による妨害や、抵抗もなく、龍騎士隊が展開していることもなく、航海は予定よりも順調なほどであった。

「ラムド卿。状況が想定よりも余裕がありますが、トリスタニア方面への偵察部隊派遣を御許可願えないでしょうか?」

「かまわんよ、艦長。専門家の意見には従うものだ。しかし、具体的にはどうするつもりかね?」

確かに、情勢がはっきりとしないよりは、ある程度の情報得ている方が今後の方策も立てようがある。艦隊にしても、最悪想定されていた交戦がなかったために余力があるため、積極的な情報収集も可能となる。コクラン卿が、追撃部隊を指揮している以上、そちらは卿を信頼して待つしかない。
で、あるならば、こちらもこちらで最善を尽くすほかないのだ。

「フネからそれぞれ龍騎士を出そうかと。10騎ほどですが、情報収集は行えるものと思います。」

「結構だ。概略で良いが、情報があると助かる。」

「では、さっそくトリスタニアの偵察に向かわせます。」

「よろしく頼む。」

王族は、現在ロマリア方面に逃亡中。では、現在のトリスタニアはどうなっている?蜂起した連中が、自軍の統制もできない程抜けているとも思いたくはないが、最悪統制が崩壊して混乱している可能性もある。ゲルマニアの艦隊が無駄な損耗を受ける可能性は避けたいのだが。
コクラン卿が、王族を確保。こちら、トリスタニアを制圧で戦争の終結も見えてくる。この情勢下で、できる限りの最善を尽くしたいが、どうだろうか?だとすれば、情報が多いに越したことはない。

「いや、まってくれ艦長。」

「はっ。」

「龍騎士はどれくらいまでなら、偵察に派遣可能だろうか?」

艦長はしばし、こちらの質問の意味を考えてくれたのだろう。情報を最大限集めることを視野に入れた数として、18騎という数を出してくれた。

「すまないが、情報が欲しい。出せるだけ出してもらえないだろうか。」

「分かりました。もとより、問題などありません。ただちに取り掛かります。」



{ワルド視点}

遍在達で、ちょっとした小火をトリスタニア制圧中の叛乱軍テントで起こすと共に、物資集積場に襲撃を仕掛ける。目立つのが目的のそれらに、つられた諸候軍兵士達が注目をそちらに向けている隙を掻い潜り、王宮の中へと侵入。
守るべき対象であった王宮の内部に、騎乗し、侵入する皮肉を味わいながらもグリフォン隊の行動は素早く、満足いく水準であった。

「排除完了しました。」

「制圧完了。退路確保!」

「よし、脱出までここは任せた。」

そう言い残し、王宮の一角にあるちょっとした壁に杖剣を当てて音を調べる。かすかながら、それを知らずに叩けば分からない程度の違いだが、確かにそこに隠し部屋があるのが分かる。以前、伝えられた手順に従い、壁に偽装された扉をこじ開ける。
中にいる人間が、息をひそめる音が、間違いなくここに目的の人物がいることを暗示している。さすがに、救援かどうか分からずに不安なのだろう。かすかに、恐怖があるかもしれない。恐怖で混乱されてはたまらない。それだけに、努めて明るい表情を浮かべると杖剣で光をともしながらその中に入る。

「王女殿下の魔法衛士隊、グリフォン隊副隊長、ワルド子爵です。お助けに参るのが遅くなり、申し訳ありません。」

「グリフォン隊のワルド子爵ですか?ああ!よく来てくれました!」

「マリアンヌ大后、王女殿下、ご無事で何よりです。今、私の部下が脱出の手はずを整えております。時間がありません。身支度があればお急ぎください。」

王家伝来の秘宝や、持ち出すべき物品。このようなときだからこそ、逆に必要となるような品々はすでに隠れる際にまとめられていた。手はずの良いことだが、このようなことを見越していた女官でもいたのだろう。とにかく、時間がかからないことを歓迎すべきだ。
「烈風」が現役であったころならばともかく、魔法衛士に女性はいない。故に、無礼を承知ながら大后殿下と、王女殿下にはグリフォン隊の衛士と同乗していただくことになる。一時ばかりとはいえ、強行軍にお付き合いいただくことになる。

「すでに、ラ・ローシェルを先行したマンティコア隊が確保しております。メールボワ侯爵がフネを手配されておられるので、ひとまずはラ・ローシェルにつければ脱出の目処は立ちます。」

「ミスタ・ワルド。卿に任せます。」

「ありがとうございます。ですが、これは時間との戦いにならざるを得ません。少々、きつい旅になることをご容赦ください。」

鍛え抜かれた魔法衛士隊の隊員ならばいざしらず、特にまだ若いというよりも、幼い王女殿下には少々きついやもしれん。王族の方々の体力がどうなっているかまではさすがに分からないが、人並みという程度だろうか?或いは、もう少し弱いかもしれない。
無茶な行軍で最悪、体調を崩すこともあり得るだろうと、覚悟している。一応、水のメイジが隊にはいるが、全面的には安堵できない。このような、慌ただしい情勢下とはいえ、このような不確実さがあるのは、不手際か?だが、完全など望みえない状況下での最善でもあるのだ。

「副隊長、悪い知らせです。ゲルマニア旗を掲げた龍騎士、約20がトリスタニアに接近中です。」

最悪とは、こういう知らせのことだ。遍在を出して偵察に当たらせていた一人の隊員がもたらす知らせに、思わず顔をしかめそうになるものの、護衛対象を不安がらせてはならない。

「そうか、では、諸君で先行したまえ。大后殿下、王女殿下、恐れ入りますが、この者たちとご同行ください。」

「子爵、まさか。」

「ご安心を。何、『閃光』の二つ名がゲルマニアの龍騎士に通用するか少々試してみたいものでして。」

戦場では実力が全てなのだ。確かに、私は実力あるメイジだ。だが、それ以上に、数をもった軍の実力に個人という実力で贖うのは困難極まりないだろう。だが、この任務は、脱出に成功すれば、いい。魔法衛士隊の犠牲など、脱出に成功すれば全滅しても構わないとすらされる種の任務だ。
だが、マリアンヌ大后の不安を煽っても仕方がない。それに、貴夫人に心配をされるようなメイジでもないつもりだ。

「副隊長、ご武運を。」

「これは光栄な。ぜひとも、勝利をもって追いつきましょうぞ。」

そういうと、グリフォンに跨り、急上昇し、龍騎士隊の上空に回る。メイジの基本として魔法の同時使用ができない以上空を飛ぶと、他の魔法は行使できない。だから、龍騎士は空を飛びながら、魔法を行使できる最強の兵種だ。しかし、同時にさまざまな制約が存在しているのだ。
まず、龍とて飛び続けることは困難だ。ゲルマニアの龍騎士があれほど纏まった数として存在するのは、トリスタニアへ向かってきている艦隊のものだろう。数は、約20。一当てして、距離を稼ぎ、錯乱すればおそらく長距離偵察の龍であるはずだ。追跡を振り切るのも困難ではない。
一撃当てて、挑発し、時間を稼ぐ。それに徹するほかない。そう決断すると、王族の方々を護衛して、離脱するグリフォン隊に気がついた龍騎士隊が、取るであろう針路上に待機。はたして、単騎のこちらには気がつかずに、纏まったグリフォン隊の行動に気を取られたのだろう。
情報収集を目的としているのか、何騎かをトリスタニア上空に残して、残りが追撃に入ってくる。数が減ったことは、素直にありがたい。

遍在を空で作り出し、遍在をそのまま急降下させながら魔法を詠唱。

確実に撃破するよりも、行動を阻害する方を選択し、龍騎士隊に向けて、遍在すべてでライトニング・クラウドの詠唱を行い、その直後にウィンド・ブレイクを本体で詠唱。

完全な奇襲。

しかし、数の差はいかんともしがたい。ライトニング・クラウドの直撃を受けた何騎かがそのまま墜落し、ウィンド・ブレイクを受けた何騎かも行動が怪しくなる。とはいえ、数が減じたとはいえ、相手はまだ7・8は残っている。

「奇襲で全て、片付けられれば良かったのだが、っ、仕方ない!」

飛来する反撃の詠唱をエアシールドでしのぎつつ、急速にこちらに龍騎士隊が鉾を向けてくることにひとまずは安堵する。これで、脱出する方には追撃がこないで済む。あとは、これらを振り切りさえすればよい。厳しいのは間違いない。
だが、やってやれないこともないはずだ。首筋を掠めるファイアーボールを辛うじて回避すると、そのままグリフォンで龍騎士隊を突っ切る角度をフェイントでとり、向こうが防御を取ろうとした瞬間に離脱を図る。

「っ、クソ!存外しぶとい!」

全騎振り切るというわけにも行かず、しつこく3騎ほどに追い立てられる。練度も悪くない。即席だろうが、連携も取れている。だが、条件が悪すぎるのだろう。なにしろ、向こうは長距離偵察・情報収集を前提として長距離を飛んできた龍だ。
本調子というわけにもいかない。当然、動きは全力には程遠くならざるを得ない。で、あるならば、隙を突くのも不可能ではないのだ。そう決断し、包囲するべく旋回している隙を見計らって突破を試みる。結局、連携が取れているにしても、彼らの龍では完全にこちらの動きを封じこむこともできなかった。

「本当に、執念深い龍騎士だ!」

もっとも、完全に無傷というわけにはいかない。致命傷には程遠くとも、いくつもの軽傷をおわされ、激しい疲労にも襲われる。だが、ここで意識を手放すわけにもいかない。幸い、敵の龍騎士隊はある程度私を追いかけまわすことで余力の限界を使い果たしたようだ。
まだ、トリスタニア上空にいる数騎は脅威であるだろうが、その程度であれば、脱出中のグリフォン隊から何騎か抽出し、安全に迎撃できる。

「思ったよりも練度も高い。とにかく、今のうちに距離を稼がなくては・・・。」

長距離偵察中の龍騎士は脆弱とはいえ、しかし今回の敵には粘られた。事実、初撃で全滅させるつもりであったのだが。しぶとく喰いつかれ、結局半数もうち取れていない。まだ、鍛錬の仕方が足りないのか、空戦に不慣れなのだろうか。とはいえ、今は思考よりも行動だ。まずは、合流だ。そう判断し、合流する。結局、合流後は、是といった障害には遭遇しなかった。ただ、気の張り詰めが顔に出ていたのだろう。マンティコア隊と合流した時、引き継ぎを頼んだ瞬間に肩を支えられ、部屋まで案内しようかと促された。
辛うじて、それを断ることができたが、気の張り詰めはこれまでになく私の心身を疲労させた。だからだろうか、普段はほとんど意識しない昔の夢、母がまだ、何かの研究を行っていたころの会話が何故か夢に出てきた。何かを母が語っている?
それが、何かはわからない。だが、それが、気になるのだ。何を伝えようとしているのだ?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき。

綺麗なワルド。
ついカッとなってやってしまった。
勢いで書き上げたことは、遺憾ながら事実であります。
やりたかったというのも事実であります。
反省しているかというと、している方向で前向きに検討することを、次回以降議題にあげる程度には真摯に反省しております。
再発は、防止できるか分かりません。
たぶん、やってしまう。

でも、こういうワルドがいたっていいじゃないと、思うのです。



[15007] 第五十七話 会議は踊る、されど進まず1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/17 05:56
言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである。
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール

戦後処理ほど面倒なものはない。

勝敗に関係なく、ひたすら面倒であるというほかない。

開戦という政治の延長行為を集結させるためには、政治的な決断が不可欠であるのは間違いない。だが、大抵の場合開戦の決断よりも、終戦の決断のほうが困難である。勝利をもってしてもなお終戦に至るのは容易ではない。

ハンニバルは偉大であった。地中海最強のローマを相手に、文字通り獅子奮迅の奮戦をやってのけ、敵地を我が物顔で蹂躙し得た。しかし、ローマはローマであった。そのローマの崩壊と分裂を目論んだハンニバルの戦略的な意図はついに達成されなかった。

戦争を無事に終わらせて、敗者を撫で斬りにし尽くせば事は別であろうが、たいていの場合はそうもいくものではない。ある政治的な連合体の紐帯を断ち切って、戦争を終わらせるには、どうすればよいか?それは、断ち切られた紐帯に代わって構成要員を再度からめ捕り、再編する長い政治的なからめ捕りが不可欠だ。

{アルブレヒト三世視点}

ヴィンドボナは異例の混乱に包まれていた。後方ゆえに、情報の入りが遅いこともあるが、途切れ途切れにもたらされる知らせは、容易ならざる事態が引き起こされているであろうことを示唆してやまないのだ。

「コクラン卿が負傷、王族はどこぞに亡命されたとか。」
「枢機卿まで巻き添えにする、狂った王党派がいたとか。」
「そういったことを含めると、メイジでもないものを軍務につかせたことが失敗のもとなのでは?」

事態に対する宮廷貴族どもの囀りは、メイジという個人の力量に戦争が委ねられていた事態の名残から解放されない無能さを残すものではあるが、しかし同時に一面の真実でもあった。火のメイジが大規模な魔法を展開し、自爆覚悟でこちらを葬り去るような事態に対しては、メイジ以外に対抗できるものは確かにいない。

「して王党派の動向は?」

ようやく、正式な情勢が理解できたのはこのラムド伯がヴィンドボナに帰参してからであった。トリスタニアでの政治的な情報収集や必要な交渉が、ある程度片付き次第としていたが、さすがに帰参には時間がかかったようだ。それでも、一応の事態はここに至って把握できている。

「ほぼ間違いなくアルビオンに亡命したものかと思われます。」

「引き渡しは要求できそうか?」

「恐れながら、困難かと。」

友好国であっても主権の及ぶところ、つまりはアルビオン大陸に匿われている王族を引き渡せと要求できるかどうかは微妙な問題が存在している。例えば、事前に受け入れを拒むように要請するとなれば、比較的事態は容易だ。両国間の関係に基づき中立を維持するといわせてしまえば、それでよいからだ。だが、一度中に入れられてしまうと、それは別の要求を伴わざるを得ない。

「ゲルマニアの圧力には屈せないと?」

「御意。おそれながら、閣下の要請はゲルマニアからの圧力と受け止められかねません。」

事実がどうであれ、他国の要求に無条件に屈するということは王権の権威に著しく悪影響を及ぼす。まして、始祖由来でないゲルマニアに対して、相手はアルビオン。正当な始祖由来王朝であることを国是として誇っているアルビオンが、圧力に屈するという政治的な形式だけは断じて取りえないのだ。モード大公粛清以来の政治的な緊張は緩和されつつあるといえ、ここでゲルマニアに屈して安定を保ちえるほどのものでは断じてない。

「で、あるならばまったく受け入れねば良いものを。」

政治的な判断を極力行わない王立空軍は、政治的には極めて従順なアルビオン王家の僕であるのかもしれないが、戦時の国境に隣接する軍として受け入れを行ってしまうというのはもう少し政治的に考えて行動できないものか、と苦言を申し入れたくなる。大方、そこいらまで見越しての鳥の骨の陰謀なのだろうが、これだから枢機卿なる生き物の厄介さが分かるというものだ。

「それで?肝心の枢機卿と、捕えたとかいう例の公爵家の小娘はどうした?」

「現在、トリスタニアより艦隊が護送中です。近日中にはヴィンドボナにまで護送される予定です。コクラン卿も同便で帰国を。」

まったく、コクランも小娘にしてやられるとは。油断というよりも、そういった蛮行を想像できなかったというべきか?まあ、身の安全に対して病的なまでに執拗な警戒を施してでも来ない限り、捕虜宣誓を受け入れる相手からの自爆じみた攻撃には対応できないのやもしれないが。

「やれやれ、それで?戦争はどうなっている?本来であれば奴が王族を受け取ってヴィンドボナで降伏の条約にサインさせれば戦争は終わっているはずなのだがな。」

前線からの報告によれば、第一戦線は依然として停滞している。とはいうものの、第二戦線は精鋭の魔法衛士隊が引き抜かれたこともあり、全体としての戦局は堅調である。すでに、湖畔の周辺からトリステイン王国勢力を駆逐しつつあるとのことだ。だが、それらは所詮、戦術的な優位の範疇にとどまる。トリスタニアを制圧した蜂起軍に加えて、領地に多くの未動員兵力を抱える貴族らが残っており、一方である程度の戦力が前線には確かに存在している。動向の定かでない貴族らを慰撫しつつ、降伏に持ち込ませるのは困難が伴うだろう。

「ようやく、停戦の合意を取り付けることができそうではありますが・・・。」

ラムドが言いよどむ。奴は外交に関しては有能であるだけではなく、胆力もあるはずだが?なにをそこまで言いよどむ必要がある?

「現状維持を前提として、監視にアルビオンをとの要求が出ております。」

「アルビオンを立会人に指定するだと?」

監視の人間を置こうと提案することそのものは、まあ妥当だ。選択肢としてロマリアは実に不快な相手であるし、ガリアに頭を下げるのは我々の問題となる。いくつかある外交的な自立を持っているクルンデンドルフに代表される大公国もこういった問題になると、トリステイン側との関係で、微妙な問題があるのもわかる。だから、この場合において両国と友好関係にあるとされるアルビオンを立会人に求めるというのもまあ、筋が通らないわけではない。

「是非にとのことですが。」

アルビオンが仲介の労を承諾したということを暗に意味しているのだろう。全く面倒な事態には放っておいても厄介事の種がやってくるようだ。

「遠い親族の助け合いということか?実にすばらしいものだな。」

「王族の亡命受け入れ、停戦の監視。まるで、トリステインの擁護者ですな。」

事実、その通りだろう。アルビオンにとって、トリステインは自国の友好的な勢力であると同時に、陸地への道でもあるのだ。まだ若い王太子ならばともかく、経験豊富なジェームズ一世ならばその事実を冷静に受け止めて策を練ること程度は間違いなくやってのけるに違いない。それが、国益にかなうという判断があるのだろうが、誰かのお膳立てにでも乗ってくるということは、こちらにとって望ましいものではない。

「まあ、トリステインの厄介事もでは同時に片付けてもらうとしよう。」

「擁護する以上責任も、でありますか?」

「仲介を頼むのだ。まして、かの地には亡命した王族とやらもいるのだ。この際、手痛い損害を拡大しないことを主とする。」

これ以上、厄介事に関わりたくない。言外にそう匂わすと、向こうもこちらの言い分を理解したのだろう。はっきりということは憚られるが、アルビオンには仲介の御礼として土地を進呈して差し上げる。もちろん、係争地をだ。好きに料理してくれればよい。その意図を汲み、ラムドも委細承知したという顔をして、おとなしく頷いている。しかし、実に面倒なことだ。落とし所を探すための会議を開くことから、まずもって段取りでもめるのだ。

「それと、早めにコクランを復帰させるように手配せよ。奴が抜けると何かと不便だ。」

「かしこまりました。」



{アルビオン視点}

亡命者というものは、おおむね虚勢を張るか、それとも卑屈になるかだ。だが、それも従者次第では凱旋者にも見えるのだということをアルビオン貴族たちは発見し、思わず自らの頬を人知れず抓ることになった。

「メールボワ侯爵に、ワルド子爵?トリステインの鳥の骨はどうしたのだ?」

「ロマリアにお帰りになったのでは?しかし、彼らは本当にプライドだけのトリステイン貴族か?」

「さてさて、始祖も皮肉なことをなさるものだ。あのような人物を、滅びかける直前にお与えになるとは。」

今少しさかのぼって彼らが国政を左右する立場にあれば、今日この日にこのような亡命劇の使者を彼らが務めることもなく、おおかたトリステインは安泰であったであろうに。そういった皮肉を感じつつも、アルビオン貴族らは陸への進出がこれでかなうのではないかと少々期待に胸を膨らませる。ゲルマニアは未開発の地を豊富に抱え、開拓の余地がいくらでもある。ガリアは砂漠やエルフによって占領されている地とはいえ広大な土地が開けているうえに、国土そのものも広く、開発はいくらでもできるのだ。さすがにゲルマニアほど辺境部が豊かというわけではないが、しかしその国力はハルケギニア最大のものだ。

「我等は、空の王国から陸を統べることも可能となりえる。そのことを考えると、我らアルビオンに始祖が微笑まれているようですな。」

翻ってアルビオンをみると、それらに比較すると貧しいものである。まず、国土の面積は狭い。浮遊大陸と称しても、実態は各国の中でも小さな国土しか持ちえず、交易が主たる産業の基盤となってきた。当然、交易相手である大陸の諸国との関係に汲々とせざるを得ず、アルビオンから、大陸への玄関口を確保することは一つの悲願となっているといってよい。

「アルビオンに不可欠なもの。それは陸である」

伝統的なアルビオンの政治外交方針は大陸との関係を穏便に済ませるというものである。だが、それは必ずしも、大陸に対する意思がないわけでも、領土欲と無縁というわけでもない。それが、国益にかなう以上不可欠な選択だとの理解があったからである。そこに、トリステインの敗北と、それに伴う王族の亡命劇だ。ゲルマニアとの関係は確かに重要ではあるものの、一方で多少はこちらの要求も通すことが可能になるのではないだろうか?講和の仲介というものは、成功すれば少なからずの成功報酬が期待できるものだ。

「たしか、アンリエッタ王女は年頃でしたな。」

「さよう。時に、ウェールズ王太子殿下にはいまだ婚約者がおいでにならないとか。」

「頃合い、やもしれませぬな。」

王国にとって有力な外戚というものは不要極まりない。まして、王族以外の貴族にとってみれば、自信は外戚になりたいとしても、他の有力な貴族が外戚になることは断じて首肯できない事態でもある。だが、亡命者は権力などない。そして、一定以上の血の尊さがそこには存在している以上、王族の婚姻相手としてはなんら、差しさわりがない。どころか、始祖ブリミルの贈り物とでもいうべきトリステインの土地を得る大義名分も婚姻のおまけとして付いてくる。

「お似合いでしょうな。」

誰ともなしに、つぶやかれたその言葉が、アルビオン内部において一定の理解を占めるに至るまでにさほどの時間も必要とされなかった。あくまでも政略を優先とした婚約などハルケギニアにおいて珍しくもなんともない。それでいて、これほど誰にとっても損の見当たらない取引ならば、行わない方が厄介な面倒事を引き起こしかねないのだ。後日、あの取引をまとめておけばよかったと後悔するくらいならば、どうしてこのような取引に応じてしまったのだと、後悔をしておく方がまだ、ましだろうと彼らは判断する。

「国王陛下への根回しは?」

「議会での多数派工作は・・・」

「付き人はどの家から?」

各貴族たちにはそれぞれの思惑がある。とはいえ、一つの意思と意図をもって濁流のように加速していくその中における思惑とは、どの程度までその思惑を達成するかといった個々の要素よりも、それら全体が混じり合って複雑怪奇な人間模様をごく濃縮された短い期間に描くこととなる。その政治的な喜劇に、否応なく巻き込まれていく当事者たちは、自らの運命をそこにある者は見つけ出そうと欲し、ある者は他者を出し抜こうとあがきつつも、総体としてはおおよそ混沌以外の何物でもなかった。



{ワルド視点}

「このたびはお招きいただきありがたい。」

隣でメールボワ侯爵がこの宴席に招待されたことへの謝辞を述べておられる。一応、招待という形ではある。しかしながら、『実質的には来ていただきたいという召喚状に等しい』とメールボワ侯爵は漏らされていた。まあ、有力な貴族の招待状など概ねそのような物であるのかもしれないが。講和会議についての話があるといわれれば、我々が拒絶できないのも当然のことだ。

「いやいや、名高いお二人をお招きで来て光栄ですぞ。」
「さよう、ワルド卿のような有能なメイジがおれば、アンリエッタ殿下もご安心でしょう。」
「いやいや、しかしここはアルビオンです。ご安心あれ。」
「我らが、王太子殿下とて、貴婦人を遇する礼も、メイジとしての実力もなかなかのものです。」
「おお、そう言われれば、お似合いのおふた方やもしれませぬな!」
「確かに!これは、ぬかりましたな。」
「いやいや、ここで我らが先走ってもいかがなものかと。どうですかな、ワルド卿?」

私は、亡命を受け入れられたことに感謝するべきだろう。だが、貴族という生き物の厄介さをもう少し、考えると、亡命を受け入れることにともなう、利害計算を完全にやってのけた損得を考慮の上での判断なのだろう。自然とこちらの礼を述べる声も、尻すぼみになりそうなものである。加えて、講和会議についてこちらの意向を確認するというよりも、別の話題について話だ。

「はっ、小官は一介の護衛でありますのでそのことについて、言を述べることは・・・」

戦争の終結どころか、王族の婚姻についての意見を求められる態でそれとなく、要求を伝えるように求められることが続けば、さすがに不愉快極まりない。つい先日まで立っていた戦場では泥にまみれていたが、やはり王宮ではどの国も悪意が汚泥のように全身にまとわりついてくる。吹き飛ばし、駆け出したい衝動に駆られるのも若さ故のみではないはずだ。アルビオンが仲介をしてくれることはありがたい。だが、我々の意向を汲み取ることはなされないということだろうか?敗戦の悲哀を肴にワインを傾けるのは実に苦々しいものでしかない。

「いえ、ウェールズ王太子殿下はご立派な方だとは承っております。ですが、そのような方のご婚姻に関しては、まず国王陛下の御意向も重要でありましょうな。」

隣のメールボワ侯爵が、それとなく王族の動向に関して、貴族といえども自由に行動すべきではないのではないかという意味合いを含めて腹の探り合いを始められる。むろん、個人としての侯爵はご立派なお方ではあるものの、やはりどうもそういった腹の探り合いは好きになれないものだ。

「いや、小官のような軍人には少々、過ぎたお話です。」

高みに登り、力を得たいと思わなかったわけではなかった。だからこそ、スクウェアのメイジにまで登りつめた。魔法衛士隊で栄達をした。だが、その成果は実に虚しいものだ。祖国はすでに、ゲルマニアの蹂躙にまかされている。そして、自身は祖国から貴族によって追われる形でアルビオンに亡命し、その地でも政治に巻き込まれている。かつては、忌々しいだけであった軍人としての分が、これほど心地よいことになるとは。

「軍人は、軍人同士親交を深めることといたしましょう。少々失礼いたします。」

幸いというべきか?サー・ヘンリー・ボーウッドがこの宴席にはおられた。失礼ではあるが、あちらの軍人たちが集まっている一角で飲むことにしよう。軍人というか、王立空軍の面々はなかなか付き合っていて芯のある人物が多く、付き合いたいと思えるような人間が多い。どこの国でも、人間には付き合いたいものと、そうでないものがいるものだ。どこも、同じであるものだろうか?


{フッガー視点}

「王家が亡命?では、大公国は借金を踏み倒されるのではないのか?」

トリスタニアからもたらされた情報は、一つの興味深い情報を含んでいた。借金まみれの王国が崩壊して困るのは、実は王国の当事者ではなく、金貸しの大公国ではないかというものだ。もちろん、表向きは、宗主国の不運に泣いているようであるが、実態は金が返ってこないことを泣いているのだろう。つまりは、彼らの涙が本物であるということでもあるのだが。

「それが、微妙な情勢でして、書類の上ではトリステインはいまだに健在なのであります。」

そこである。誰の目から見ても敗北しているのであるが、降伏しているわけではなく、ゲルマニアにしても全土を文字通りに制圧しているわけではないことが大きな問題となっている。トリステインという当事者が曲がりなりにも存在している状況なのだ。

「なるほど。つまり、戦後処理に際しては面倒なことになるだろうな。」

担保として何を抑えていたのか微妙であるが、少なくともなにがしかの利権を獲得する可能性があったのだ。そして、いくつかの金貸したちからしてみれば、トリステインが宗主国であっとしても自身はこの戦争において中立であったのだから、権利が侵害されることは遺憾であると抗議するだろう。

「しかし、彼らの債権は紙くずになるのではないのか?」

「はい、徴税代行権や様々な行政上の特権はおそらく無意味になるかと思われます。」

行政能力の末端が、有効に機能しない国家にとって、債権者による代行は二重の意味で首根っこを押さえられることになる。返済のための原資調達が困難になる一方で、さらに国内情勢に口を突っ込まれやすくなるのである。だが、それはヤドリギに近いものでもある。寄生すべき老木が朽ちてしまえば、ヤドリギもまた朽ちざるを得ない。

「はい。可能性にすぎませんが、講和会議に口を挿むこともあり得るかと。」

「それは、可能性ではないだろうな。というか、うちも可能ならばそうしたい。」

「はっ、そうでありました。」

大した額ではないのかもしれないが、アウグスブルク商会とて、いくつかの提携先と共にトリステイン貴族に融資を行っている。借り手が間抜けで、借金漬けになることは知ったことではないが、間抜けすぎて破滅的な戦争に行って貸し倒れにされるのはたまったものではないのだ。貸し手からしてみれば。まして、この問題の厄介さは、取引相手の商会らが負債を抱え込んでいる可能性があるということで膨れ上がる。

「とりあえずは、どこの商会が債権を抱え込んでいるかだ。早急に調べてほしい。」

「かしこまりました。」

ありがたきかな!トリステインはゲルマニアを野蛮な国家だと罵り、市場から締め出そうと懸命に、今となっては実にゲルマニアにとって賢明な措置を取ってくれている。おかげでゲルマニアの商会にはさほど損害の可能性はないであるだろう。ここは、ライバルである他国の商会の動向を把握しておくべきではある。もし可能であれば、開発中のゲルマニア利権から手を引くように促すことも有効な選択肢であるに違いない。ただ、気になる問題として、問題の規模がまだ分からないということが大きい。できれば、大公国が傾くことは避けてほしい。大きすぎる金貸しの倒産は、逆に問題を生じさせることもあるのだから。

「とにかく情報だ。今は、首を長く、聞き耳を立てることを怠るな。」

「了解です。」

配下の者に指示を事細かに行いつつ、気に留めるのはすなわち、自らの商会にどの程度利得が獲得できるかということと、トリステインとの関係が深かったアルビオンの商会との関係を見直すべきだろうかということである。貿易相手として提携している相手が不渡りをだそうものなら、こちらにまで代金が未納になりえる。そうなったら、少なからずの損害をこちらとて受けざるを得ないだろう。

「今回の戦争は、そこそこ、儲けた。だが、あまり満足できるものでもない。早々と利益を獲得して、危険な可能性からは降りたいものだよ。」

一人そうつぶやくと、いくつかの報告書に目を止めつつ、最近の情勢を注視する作業に没頭することになる。まったく、商会長になって以来、すこしも自由がないではないか。まあ、望んでそうしているのだが。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

しばし、ご無沙汰してました。

ちまちまと更新を続行していこうと思う次第であります。

8/17微妙に更新



[15007] 第五十八話 会議は踊る、されど進まず2
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/19 03:05
{ゲルマニア視点}

例えばの話だ。そう、あくまでも私の親族の知り合いに起きた出来事なのだがね。金を借りた遊び人が、金を散々浪費した揚句に遊び呆けて精神を病んだ隣人に悩んでいたらしいんだ。まあ、狂った隣人だからね。何を言い出すのかわからないでいたのだけれど、うちの庭にはいりこんで散々迷惑をかけた挙句、転んでポックリ逝ったとしようか。

「やれやれ」

そうつぶやくだけで私の親族の知り合いは、事態が治まるかと思ったんだがね。どうも、面倒事というものは拡大していくらしくて、その狂人の保護者がどっかに行ってしまってね。だれが、後始末をする必要があるのかということになっているのだよ。まあ、仕方ないから、壊されたり、汚されたりした庭の片付けに必要な費用をどこからか回収しようと相談をしていたのだ。そうしたら、突然その迷惑な隣人の財産を債権者たちが差し押さえようとしてくるのだよ。まったく、こっちの損害をどうしてくれようかと思って頭が痛くなったんだ。まあ、ここまでは仕方のないことだ。ある程度は我慢しよう。

「まあ、落ち着こう。我々は、交渉するべきではないだろうか。」

とにかく、我々は、理性的に関係者でお話をしようと決意するとこにまでは至ることができた。ところが、どうにも運がなく、我々は望んでいない介入を受けることとなってしまった。

「いや、待ってほしい。あなた方は、まず我々の意見を聞くべきだろうね。」

『「どちらさまで?」』

「君たちが財産を差し押さえようとした憐れなわが子の保護者です。あれは、私たちのものですよ。」

「失礼ながら、ご婦人。貴女にその資格が御有りなのでしょうか?」

今さら帰って来てそういうことを口にするなら、そもそもこういう面倒事を惹き起こさないでくれないかね?そう言おうと思ったのだが、知った顔がそこにあってね。うん、付き合いのある人物が、付添できていて追い返すわけにもいかなかったのだ。

「まあ、とにかく、お話しする必要がありますね。」

「・・・・そう、ですね。」

ま、こんな感じだね。ずうずうしいというしかないけれども、とにかく口をはさんでくる人間が多すぎてだね。話し合いを始めるだけで一苦労なんだと耳にしたんだよ。ああ、恥知らずと仰る方々に鏡の存在を誰か思い起こさせてくれれば、いくらでも支払ってやるのだが。


うん?この話のオチかね?

そんなものはどこにもないのだ。よろしければ、そこのワインをとっていただけるかね?飲んでしばしの間忘れたいのでね。



{ワルド視点}

「全戦線で攻勢、でありますか。」

アルビオンの外務省で耳にしたのは、ゲルマニアが全戦線で総力を挙げて攻勢に出たという知らせであった。時期からして、停戦交渉に入る前なのだ。前線を押し上げて、それらの既成事実で持って交渉に臨む気だろう。

「そうだ。なんといったか、そうタルブ経由で、トリスタニアを確実なものとし、トリステイン残存主力を包囲し、追い詰めようとしている。」

アルビオンの外務官僚たちが頭を抱えながら、交渉の諸方針を決めようと奔走しているのを見やりつつ、祖国の情勢に思いをはせる。戦線はこれまで2つであった。それゆえに、メイジの練度でかろうじて、戦線は維持できていた。そう、辛うじて。しかしながら、トリスタニア陥落後は、王都を起点として戦線が加速度的に拡大された。その結果、トリスタニア陥落後情勢は急激に悪化しつつある。トリスタニアを分岐点にゲルマニア寄りの地域は強大な圧力によって危機に瀕しているというほかない。

「停戦の合意はいつごろになるのでしょうか?」

「ヴィンドボナの意向は微妙だ。無益な戦争はさっさと終えたいと考えてはいるが、取れるものを放棄するほど無欲でもない。」

つまり、ゲルマニアにとってみれば意味のない戦争ではあるものの、そうであるからこそ回収できるものは回収しておくということだ。アルビオンが外交上の介入を行ってくれるとはいえ、それが停戦の合意に至るまでは無意味であるとすれば期限付きの戦争となる。そうであるならば、全力を投入しておく気にもなるのだろう。事後処理のことを考えると、発言力は少しでも大きいほうが望ましい。そして、おそらくは、ゲルマニアとアルビオンによる勢力交渉で、トリステインの今後は決定されることとなるだろう。

祖国は、もはや切り取られるのみなのか。

「一応、領地に残っている貴族達の兵を動員すれば対抗できなくもないだろう。戦線を押し返すことの可能性は?」

つまり、交渉を行うアルビオンとしては、ゲルマニアにトリステインが全面的に制圧されるよりは、ある程度拮抗した状態で仲介する方が、交渉そのものが容易であるとの認識がある。逆に、ゲルマニアにしてみれば戦後処理を重視する観点から、できるだけ主導権を獲得しようと行動する。ここで、トリステインが後日のためにできることは、戦線を支えることで一定の発言権を確保することなのだろうが・・・。

「難しいでしょうな。日和見の貴族達がここで出兵を決意するのは難しい。」

まずもって、先立つものがない貴族すら多い。動員を完了できるのはいつになることか。それどころか、統一的な指揮系統すらまとめられずに確固撃破されるのが目に見えている。よほど、大規模な領地を有する名門貴族が陣頭指揮を執るならばともかく、そのような人材はほぼ国内にはもはや存在しない。ラ・ヴァリエール公爵のように、後方の貴族達を纏めるだけの格をもちえる大貴族が前線から動けない以上、こちらは絶望的だ。

「では、卿には方策が何かおありか?」

現状の対抗策?確かに、求められているのはそのような対抗策であるが、しかしそう容易に思いつくものでもない。講和会議の前までに用意できて、対抗できる選択肢。そのように画期的な方策は容易に思いつくものではない。国土に侵入され、我々はもはや敗北寸前なのだ。このような目に遭うとは想像だにしていなかった。フネで存分に空が制圧され、我々は、自由にトリステインに帰還することも困難なのだ。敵の主力はこちらに向かいつつあり、逆転は困難を極める。・・・、敵艦隊を含めた主力がトリスタニア方面に向かいつつある?

「失礼、ゲルマニアの主力はトリスタニアへの途上にあるのでしょうか?」

「ああ、それは間違いない。だが、通商破壊は無意味。いつもと変わらず護衛付きの船団ばかりだ。」

「いや、問題はありません。」

やられたらやり返せばよい。国土を守るべきではあるのだろうが、できないならば次善の策を採用するほかない。

「失礼、少数でよいので我々をヴィンドボナに潜入させる手助けをお願いできないでしょうか?」

アルビオンに到着した魔法衛士隊の隊員は決して多くはないが少数精鋭だ。この作戦はできないものではないだろう。少数精鋭は時として、大きな成果をあげうるものであるのだ。これは、一つの小手先の抵抗に過ぎないのかもしれない。だが、しかし、それでも何もしないよりははるかにましだろうと思う。無力を嘆く前に、まずは行動あるのみだ。それが、できなければ、任を辞して速やかに引退するほかないだろう。

「破壊工作かね?却下だ。リスクが多すぎるし、発覚すればアルビオンにとって致命的だ。」

「いえ、異なります。それでは、今のゲルマニア中央が重視している地域は?」

「北部の開発に傾注している。我々も一枚かもうとしているがね。まあ、そこになら入口がないわけでもない」

そうか、そうなるとそこで行動するほかないだろう。だが、どこであろうとも全力を尽くすのみだ。


{フッガー視点}

「・・・講和会議の用意ですと?」

「間違いないでしょう。アルビオンから特使が派遣されたという情報があります。」

「では、やはり停戦交渉というのは確実ですか。」

ヴィンドボナの一角にある高級料理店で、料理を楽しむ態で集まった商会の主要な人間達が頭を抱えながら、情報の交換をそれとなくお互いをけん制しながら行っている。講和会議が本格化するのは時間の問題であるにしても、情勢が混沌としすぎているのだ。

「時間の問題でしょう。そこで、我々も考えなくてはいけません。」

トリステインとの関係はごくごく比率としては小さな部類になるが、それでもいくばくかの貸しがある商会は少なくない。それに、取引相手であるガリアやロマリアの商会がトリステインにかなりの貸し付けをもっていることも頭痛を酷くする。貸し倒れが連鎖されてはたまらないし、手形の決済が滞るのもご免こうむりたいの一言に尽きる。

「クルデンホルフ大公国の介入は?」

「水面下でアルビオンとゲルマニアの両方に交渉している気配があるとはいえ、根っこが同業者に近い。掴むのは困難だ。」

この情勢下で最も影響力があり、かつ重要な動向を握る大公国の動向は、秘密が徹底して守られている。彼らも自身の金のために泣き寝入りすることは、間違いなくありえない。それ故に、その行動は熾烈を極めることとなるだろう。問題は、その矛先がどこを向き、何を目指しているかが一切我々にとっては不明であるということだ。在ヴィンドボナの商会らをしても、その秘密は容易にはつかめえないでいる。

「やれやれ。ならば、最悪を想定するほかにないでしょうな。」

「その、最悪が分かれば苦労しない!」

そう、その最悪が想定できないのだ。情報不足ということもあるが、要素があまりにも多い上に行動が明確でない。はっきりとした予想を行うには、情報があまりにも少なすぎる。判断を下す上で、適度な量の情報が手元にあることは少ない。処理できない程に多すぎても、逆に判断できない程少なすぎても、判断の正確性は確保されない。

「状況をまとめましょう。クルデンホルフ大公国の目的は?」

「利権の確保と、政治的な地位の確立では?」

「いや、最低ラインは政治的な独自性の維持であると思うが。」

大公国は、独立国家である。曲がりなりにも、トリステインから独立した独自の国家という体裁をもっているのである。無論、トリステインを宗主国として持つ形をとってはいるので、明確には今回の戦役でトリステインが崩壊すると、その政治的な地位も揺らぐことになる。しかし、ゲルマニアにとって、大公国の保有する空中戦力や資金力は、戦争の早期終結を考慮すると敵に回すべきものではない。多少の妥協を両者が見出すことは可能であるやもしれない。

「微妙ですな。経済力を背景とした政治的自立性である以上、多少の利権は保持しておかねば国家として成立しませんぞ。」

一国が、一国として発言力をもつためには、自国のことを最低限決定できることが重要である。外交権をトリステインに大幅に制限された大公国が曲がりなりにも一国として行動することができるは、その経済力を背景とした影響力があってこそである。当然、その権力の源泉である経済力を手放すようなことは、緩慢な政治的な自殺に等しく、クルデンホルフ大公国が、ただのクルデンホルフ領になり下がるきっかけだろう。

「では、経済的な権益をどこかに求めてくると。」

「まさに、我々と利害がぶつかるわけですか。」

住み分けはおそらく困難だろう。なにしろ、向こうの泉は枯れかけており、どこからか新しい泉を見つけなければ干上がるのは彼らだ。そして、こちらは新しい泉を見つけており、たっぷりと湧いてきているのだ。干上がりかけている者にとっては、まさしく待望の泉である。これに目をつけないわけがない。つまりは、権益の衝突が予想されてしまう。それは、実質的には不可避に等しい。

「北部にはアルビオンの介入もある。我々も競争する仲ではありますが、国家が介入してくるとなる少々考えなくてはいけません。」

連絡を取り合って集まり、情報を交換する。少なくとも、その程度には繋がりがヴィンドボナの商会にはあり、外部にパイを分配することを忌避する程度には、一体感がある。正確には、国家規模での介入によって、不利な競争を強いられることには、対抗する程度の信頼関係とも言う。むろん、金銭的な利害のみで形成される極めて即物的な同盟であり、それゆえに情よりはある意味において確実なものだ。個々人の人格や善意は重要であるが、同時に感情を除いての判断も重要極まりない。信頼あってこそであるが、その信頼もまた計算が皆無なのではない。

「ふむ、しかし過度な連合は逆に上を刺激するのでは?」

中央集権的な傾向を強めている閣下の意向に真っ向から対立するのは望むところではないし、望ましくない。確かに、我々は自分の庭を外部の侵入者から守りたいとは思う。だが、そのために庭の主を怒らせてしまっては、目的の達成以前の問題だ。自らいる庭から追い出されては、本末転倒もよいところだろう。

「今は、そこまでは考えなくてもよいと思う。とにかく、意思疎通ができただけでも大きい。」

「とにかく、情報に耳を立てることと、密接な連絡が欠かせませんな。」

方向性としては、取りあえず国家規模で商会に干渉してくるならば、ある程度対抗することに決定。無論、クルデンホルフ大公国がそのように行動するかどうかは、実際のところ分からないので気休めに過ぎないのだが。むろん、政治的な自立性を維持するためにいろいろと策動しているのは理解できるが、その手段が分からない以上、現状では是以上は無意味な議論でしかないだろう。

「では、これにてお開きに。」



{リッシュモン視点}

貴族の中でも、高位の者は自己保存能力に賭けては天性のものが少なからず備わっている。少なくとも、トリステイン高等法院も権力闘争とは無縁ではないのだから。それ故に、リッシュモン卿は状況を理解し、焦っていた。表面では、戦勝を言祝ぐようにしつつも、自分の置かれた立場のまずさが、理解できる程度には、熟達した政治家である。

「王族の亡命を許したのは失態だった・・・。」

状況を一変させるために蜂起したが、どうにも冷静になって考えると、何物かに都合のよい筋書きを押し付けられた気が濃厚だ。確かに、ブリミル教を共に信じる教徒同士での戦いを憂いてということは一つの名目としては問題がない。だが、蜂起の結果として保身が見込めなくなっている。保身のために行動したつもりが、失策だ。誰かの筋書きに踊らされているような気配すらある。なにより、ゲルマニアから派遣されてきたラムド伯は、怒り心頭であった。まずもって、あの調子ではこちらの蜂起を望んでいたとは思えない。おそらく王族を拘束していれば、まずまずの処遇を否応なしにこちらにしなくてはならないために、ゲルマニアからある程度の処遇を引き出すことも期待できるだろうが、現状では絶望的だ。

「ええい、どうしたものか。」

ゲルマニアは、私を切り捨てる気が濃厚だろう。アルビオンは、王党派の根拠地になっている。この情勢下では、アルビオンにすり寄ろうにも、先に亡命された面々が私を許さないだろう。大義名分があるとはいえ、その名分に今となっては逆に拘束されてしまっている。

「アルビオン、トリステイン、ゲルマニア、どこも望ましくない。」

ここに至っては、多少の面子は耐えて、他の選択肢を検討するべきだろう。生きていれば、また上り詰めることも可能だ。そうなると、ロマリアか、格は劣るものの実質のあるクルデンホルフ大公国となる。ロマリアは、マザリーニ枢機卿一派とは異なる枢機卿団と接触できればよい。だが、いつもの伝手は今回に至って私を助けてくれるだろうか?そのことを考慮するならば、むしろクルデンホルフ大公国のほうが信頼できるかもしれん。純粋に逃げることだけを考慮すればガリアも望ましい選択肢にも見えるが、あの無能王の思考が分からずに、むしろ危険が感じられる。その点、大公国はしたたかな相手ではあるが理解できない相手ではない。

「リッシュモン卿、ラムド伯が面会を求めておられますが。」

「お断りせよ。少々、体調が望ましくない。」

ゲルマニアから派遣されてきたラムドという人間は有能だ。あの顔に一瞬だけ浮かべてしまったであろう、こちらへの軽蔑を見せたのは一瞬のミスだろうが、それだけにまだこちらにも運がある。あちらの本心を垣間見ることが一瞬足りといえどもできたのだから、こちらとしては、かなり優位に事を運べるだろう。まったく、疲れを隠して仕事をするからあのような失態を犯すのだろう。まあ、いい。これも始祖は、今だ私に微笑んでいると思うことにする。では、始祖がらみのロマリアにするか?

「いや、いや、逆だな。」

始祖の恩寵輝かしいであろうトリステインは、この様だ。光輝溢れるロマリアもいうに及ばないだろう。そうであるならば、むしろ信じるべきは現世のクルデンホルフ大公国となる。そうなると、手土産が必要になる。彼らが望んでいるものをある程度把握し、それに対応する必要がある。取りあえずは、先立つものが必要になるだろう。その意味において、高等法院の長であるということは大きな権限をもたらす。

「解任されていないとはな。」

思わず自分でも嗤いたくなるが、これでもトリステインの高等法院の長を解任されていないのだ。戦時の混乱や、蜂起直後に逃げ出している以上、そのような手続きを取るだけの時間の余裕がなかったとはいえ、これは面白いことである。追い出した王族の名において任命された職をもってことを行うのだ。当然、法的な裏付けがある以上、国内の財産やそれに伴う様々な書類も管理できる立場にある。このことをもって、大公国に売り込むのが一番無難だろう。領地の温存が一番の理想ではあるが、まずは保身第一で行くつもりである。情勢次第ではあるが、できるだけ堅実に行く必要がある。ひそかに。そして確実に、大公国に接触し、ゲルマニアからの人員に感付かれる前に事を成し遂げなくてはならない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

暑いというどころじゃないと思います。
そんな、毎日ですがどうも頭の回転が遅くなり、行動ものんびりしてしまいます。

今回は、教科書とかだとXXX年開戦~XXZ年終戦くらいにあっさり書かれるところにもいろいろな動きがあるのだ!というベクトルで書いております。(視点くるくる変わって申し訳ないですorz)

傭兵将軍の方は、なんか勢いで書いてしまっているので、勢いが出れば・・・でご容赦くださいm(_ _;)m

追伸
誤字修正(8/19にも追加で修正)
集中力緩慢なのだろうかorz



[15007] 第五十九話 会議は踊る、されど進まず3
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/19 12:59
{ロバート視点}

船上で爆発に巻き込まれた後の記憶は、見覚えのあるヴィンドボナ宮廷の一角で横臥しているところからだ。武装解除しようとし、抵抗されただけだが、降伏を潔しとせずに徹底して抗戦するとは。事前の分析と全く異なる。貴族子弟らが、あれほど戦意旺盛ということならば戦後の抵抗も激甚を極めかねない。民衆と貴族の分離は容易だろうが、それにしてもメイジの戦術的な脅威はやはり侮れないものがある。そう考えていると、見舞いがてら、ハルデンベルグ侯爵が訪れてきた。従兵によれば、ある程度の頻度で様子をうかがいに来ていたらしい。すでにある程度の情勢は耳にしているが、最新のそれが聞けるのは、やはりありがたい。

「コクラン卿、今回はしてやられたな。」

私が負傷退場している間の軍務は、ハルデンベルグ侯爵が担われていた。軍の代表として、前線全般の統括を行う地位にあられたのだから、分遣部隊指揮官が負傷退場した際の代理は義務ではあっても、その厚意には感謝せざるを得ない。唐突な指揮系統の切り替えに伴う諸混乱もあったのだろうが、恨み事一つはかないのは尊敬に値する。

「ハルデンベルグ侯爵には、ご迷惑をおかけしました。申し訳ない。」

「よい。戦場の習いだ。しかし、卿も油断したのか?」

「左様ですな。トリステインの女性は慎み深いと、自称しているようですが、どうしてなかなかゲルマニア並みに情熱的な炎をお持ちだ。」

しかし、実際にあの爆炎はきつかった。痛みを感じる前に、意識が飛んでからこそ、直後は痛みがなかった。しかし、水の秘薬を大量に使用する治療を受けた今ですら、微妙に腕から先にかけて痺れが残り、全身が軋むように痛みを訴えている。常にユーモアを。とりわけ、海軍士官でユーモアもないような人間は、戦場で自己を落ち着かせることもできないのだから。

「はっはっは。おおかた、ツェルプストー辺境伯に対抗したのだろう。」

「ああ、なるほど。そう言えば、そういう御家柄でしたな。」

まあ、冗談の種にはなるという程度のことであるが、あの小公女のご一家は、辺境伯の一家と並々ならぬ関係にあるらしい。なんでも、恋人をたびたび奪われ、思い人をかっさらわれたということがあったということだ。そういうわけで、あの小公女のご一家は、辺境伯に対抗して情熱の炎を高らかに燃やしているのだろうと。そう笑うしかないのが、今の自分の状態だ。

「それで、肝心のご用件は?」

「卿は北部の防衛に自信があるか?」

笑いをひっこめたハルデンベルグ侯爵は、唐突に軍務に関する話題を切り出してくる。北部、つまりこの場においては私の管轄下にあることにされている北部新領一帯はこれといった脅威は亜人程度だが。無論、一定数の戦力は残してある。メイジはアルビオンからの亡命組を組み込む形で増強されているし、歩兵隊にしても練度向上に余念がない。

「亜人の南下程度でありましたら、即座に対応可能です。さすがに、エルフでも来れば別でしょうが。」

幸いかな、あるいは不幸かな。エルフは砂漠越しに探しに行かねば纏まっては存在していないのだ。故に、私の防衛義務は実に容易なものとなっているが、それだけに知識欲は満たされない。

「うむ、その北部だが、トリステインの遊撃部隊に荒らされている。」

「トリステインの!?」

はっきりと言って、戦線のはるか後方。そこに、トリステインの遊撃部隊?何より理解に苦しむのは、荒らされているということだ。少ない戦力でならば、あるいは前線を突破して後方に浸透することも、可能やもしれない。或いは、海路もしくは空路を使用することで、警戒線を突破も可能だ。しかし、その程度の戦力ならば、守備に当たっている残存部隊で容易に対処可能なはずなのだ。

「まさか、アルビオンの支援が?」

可能性として考えられるのは、亡命先のアルビオンからなにがしかの支援を受けていること。しかし、これほど露骨に肩入れしてくるとも思えないのだが・・・。

「情勢はどの程度理解しているのかね?」

「アルビオンが仲介。大陸領有には意欲的。なれどもこちらとの友好関係を損なうことまでは望んでいないと。」

そこに大公国とトリステイン亡命王族とその一派、通称王党派が口を突っ込み、ロマリアがそれを外から眺めているというところが、現在のトリステイン戦後処理問題の構図だ。戦場では、依然として戦闘が継続しているものの、それらは基本的にはトリステイン軍主力の包囲せん滅と、戦後処理での発言権確保の一環としての攻勢である。

「そのはずなのだが。しかし、少数精鋭のトリステイン部隊が北部を荒らしているのも事実なのだ。」

「私の留守部隊はそれほど、無能ではないはずなのでありますが。」

練度は最高とまでは言い難いにしても、編成直後の部隊としては高い士気と練度を誇っている。メイジは寄せ集めに近い形となってはいるが、それにしても一定数を確保していることもあり、相応の戦力として見なせるはずだ。その防備を掻い潜って荒らすとなれば、相当の戦力のはずだが。

「まあ、良くはやっているのだろう。」

「と、申しますと?」

「相手は魔法衛士隊の一隊だ。さすがに、辺境防衛の部隊だけでは、荷が重いだろう。」

「魔法衛士隊!それは、相手にとって不足はありませんな。」

しかし、トリステインにそれほど残存の余剰戦力はあるのだろうか?投入して規模いかんによっては、こちらの前線を押し返しうるだけの技能をもつ部隊をそこに投入し得るだけの余剰戦力が捻出できるとは考えにくいのだが。可能性としては、前線に埋め合わせとして傭兵等を急募し、それによって余剰戦力を捻出することはありえる。しかし、現実にそれほどの戦力をもつ傭兵となると容易に雇用できるとも思えない。

「アルビオンに、つまり卿が取り逃がした王族の護衛についていたらしき部隊だ。」

「晴れがましくもお会いできるとは。」

「トリスタニア派遣艦隊の龍騎士が、かなり手酷く叩かれている。練度はあの不抜けた国の軍とは思えないほど高い。」

なんともはや。国家という規模でみれば、碌でもない国家であるにもかかわらず、崩壊間際になって、国家という束縛から解放された瞬間に、活力ある抵抗を行ってくるとは。この様子では、戦後の統治如何では、さらに赤字を垂れ流すことになりかねない。ある意味で、それを示唆するための抵抗であるようにも思えて仕方がないが。

「つまり、私は療養を兼ねて帰還し、講和会議の足を引っ張るような抵抗を排除せよということでしょうか?」

「しかり。アルビオンからの特使もこちらに向かいつつある。講和会議をどこで開催するかの下準備だが、あまり時間がないと思ってほしい。」

講和会議をどこでおこなうか。それすらも、交渉においては重要な意味づけを持ってくる。このことを考えるならば、交渉はある程度の時間を必要とすることになるだろう。だが、逆に言えばある程度の時間しか捻出できないともいう。速やかに帰還し、できるだけ早めに敵戦力の排除を行うべきだ。

「了解です。すぐに行動に取り掛かりましょう。」

「よろしく頼む。」

まだ仕事があるのだろう。侯爵はそれを機にすぐに立ち去ってゆく。仕事が多いのはどこも同じらしい。それにしても頭が痛い。現在の北部は、政治的にある種の火薬庫なのだ。アルビオンからの亡命貴族達に、各種利権をめぐって暗闘が各勢力の中でひそかに繰り広げられようとしている。無論、あくまでも北部ゲルマニア新領という枠組みにおいてであるが。しかし、だからこそそのような枠組みを揺るがすような脅威は、排除しなくてはならない。そのことを視野に入れあえて、それなりの戦力を北部に残していたのだが。

「戦闘規範が異なることを視野に入れておくべきなのだろうな。」

少数の後方錯乱は、危険性が高い。さらに付け加えれば、敵後方地域で警戒厳重な拠点を錯乱するのは、支援があっても不可能に等しい。兵站一つとっても補給が容易ではなく、戦力としてもせいぜい重火器は軽機関銃が限界だ。さすがに、潜水艦のように通商破壊作戦を行うならば、かなり深入りも可能だろうが、それにしても限界があるはず。まして、陸戦ならば、戦力としては脆弱すぎる。そう判断したつもりだった。陸戦については専門ではないとはいえ、ある程度は判断に自信があったが、魔法についての理解が不十分であったらしい。メイジならば、少数でも戦術的な脅威足りえる。そして、状況によっては、戦略にすら悪影響を及ぼす可能性があるということだ。投入方法にもよるが、大局に影響を与えないとはいえ、揺さぶることはできるという潜在的脅威だけで十分すぎる。



{ミミ視点}

「だめです。突破されました!」

これで何度目になるかわからない部下の報告に思わず、苦虫を噛み潰した表情を浮かべてしまう。ごく少数の、そうそれこそ分隊か、小隊規模の部隊に良いように錯乱されているのだ。

「索敵急げ!」

指示を出しつつも、この損害に思いをはせると頭が重くなる。少数の敵戦力出現と聞いた時、鬱憤を纏めてぶつけられるかと思いきや、この様。思わず自分自身を嘲笑したくなるほどだ。貴女はそれほど無能なのかと、自分自身に問いかけたいほどだ。

「損害報告。」

「やられました。南東区画の風石集積場は全壊。船着き場の損害は軽いものの、これでは運行に支障が。」

トリスタニアの残存部隊?どこに隠していたのかと問いかけたいほどの精鋭よ!思わず、叫びたくなる衝動に耐えつつ彼女は、自分の思考を冷却するように努める。敵の遊撃部隊はすでに散々こちらの重要な施設を破壊しているものの、決してそこに留まろうとはしない。おかげで、こちらは兵の大半を遊兵とさせてしまっている上に、捕捉してもすぐに包囲を突破されてしまう。メイジの質がほとんど信じられない水準だ。包囲し、せん滅するという基本的な作戦が有効に機能しない。

「北西区画のものを切り崩して運用。何とか、調達し確保を。」

ムーダの船団は、大量の運送により物流と人的移動を容易にする。だが、それは根幹となる船団が移動できることによって成り立っている。そう。船団なのだ。確かに、リスクは激減する。船団を組み、護衛がつくことによって安全性は確実なものとなる。だが、そのためにはそれ相応の風石を必要とするのだ。このままでは、北部での物流に深刻な影響が出かねない。このまま風石の備蓄場を痛打されると、フネが飛べなくなるのだ。

「すでに、調達額が高騰しております!すぐには困難です!」

「国外向けの切り崩しは、認められておりません!」

忌々しいことに。そう、誠に遺憾ながら南東区画の備蓄分はゲルマニア国内航路用の風石であり、北西区画のそれはアルビオン航路の物なのだ。戦時中であり、対外的に弱みを見せられない。とはいえ、この状況はいかんともしがたいものがある。このままでは、北部開発の遅延は深刻な段階までに悪化する上に、費用が高騰し、おまけで書類が信じられないような水準にまで増大し、官吏はすでに超過労働も良いところだ。人手がいくらあっても足りない状況で、討伐任務などこれでは、何から手をつけていいのかすら分からなくなる。

「ミス・カラム、複数の商会から面会の申し入れが。」

「思ったよりも速いわね。仕方ないわ。一段落ついたら予定に入れて。」

実に面倒というほかないが、商会からの苦情申し入れにも対応しなくてはいけない。なにしろ、私はこの地における最高位の現地責任者なのだ。遺憾ながら。コクラン卿が帰還されるまでの辛抱と自分を宥めるが、実際にこの面会の処理をしなくてはいけないのは自分なのだ。ロマリアから上司が引っ張ってきた、ロマリアからの干渉を極力排除してくれる善良な司祭さまという奇跡に習って、自分も面倒事を処理してくれる代理人を見つけるべきかもしれない。いや、そうすべきなのだろう。

「とにかく、捜索線の再構築と捕捉を急ぐこと。」

突破されねば、戦力差で圧倒できる自信がある。だが、そこまで包囲するのが困難なのだ。全力で追いかけて、ようやく捕捉したかと一度は思ったものの、それが遍在であったというのが現在の最大の成果なのだ。本隊を完全に捕捉するに至ってはいない。敵はかなり有力なメイジであるというほかないが、だからと言ってこれほどまでにかき乱されてよいものではない。重要なのは、私たちが後手に回っているということと、それによって無様な姿をアルビオン・ゲルマニアの商会が噂として運んで行くということだ。そう、後手に回るのを何とかすればよい、それができていないのだ。

「再度、おとり作戦でも考えるべきかしら。」

「上手くかかると思われますか?」

「厳しいと思うわ。」

すでに何度か実行はしているが、成果が出ていない。出ていれば、これほどまでに討伐作戦に追い回されてはいないのだから。状況は、依然として相手に主導権を握られたままである。囮にした物資も、そこから自然に出てくるわけではないので、成果に見合った結果とは言い難いのが実態である。主導権の奪還。それができなければ、このまま翻弄されてしまう。それこそが、課題なのだ。コクラン卿が帰還されるまで、手をこまねいているという印象は、面子以前に、対外的にもよろしくない。ゲルマニア北部の防衛能力に疑問符が、露骨に付けられるのは避けなければならないのだ。

「とにかく、戦力を出せるだけ出すしかないわ。予備としていた歩兵隊に、アルビオン亡命貴族達も出せる?」

練度、規律、さまざまな課題があるとはいえ、メイジは戦力としてはずば抜けている。アルビオンからの亡命貴族達の中でもましなものを選んで運用すれば、ある程度の戦力足り得るに違いないだろう。運用を考えると、実に頭が痛い限りだが。



{クルデンホルフ大公国視点}

良い顧客とは、ひたすら利息を支払ってくれる顧客のことを意味している。逆に言うならば、どれだけ借りてくれようとも、貸し倒れになるようなお客はお断りということである。普通、傾きすぎた国家に融資をすることは、善意ではありえない。そこにはたいていなにがしかの理由があるが、大公国の場合は外交上の独立を維持するためであった。

「貸し倒れは確実でしょうな。」

会議に参列する人物達は実に不愉快と言わんばかりの表情を浮かべつつも、冷静に事態を捉えている。少なくとも、金を貸す人間というものは情と理性をどこかで分離しなければ、失敗しかねないのだ。情を完全に排除しても、なお躓くこともある世界で、甘いことは言ってはいられない。

「ゲルマニアにつくか?」

「今さら遅きに過ぎよう。我々の金は微々たる額しか戻ってこんよ。」

「では、今更トリステインに味方して立ち上がるかね?それこそ論外だ。」

選択肢は概ね3つである。ゲルマニアにつくか、トリステインにつくか、アルビオンと協力しての中立かだ。だが、トリステインに付くのは自殺行為だ。なるほど、確かに大公国の戦力はそろっている。だが、得る物がない戦争に積極的に参加し、物量が圧倒的なゲルマニア相手に摩耗するならば、国家としての独自性は危ういだろうし、自殺行為に等しい。かといって、ゲルマニアについても得られるところは乏しい。政治的自立性を支えるためには、一定以上の経済的な基盤が必要になる。だが、それは利権だ。それは容易には譲渡されないことは間違いない。

「かといって、中立ではむざむざと金が捨てられるのを見過ごすのみですぞ。」

アルビオンと合同でゲルマニアを牽制すれば交渉力は付く。それは間違いないが、それにしても得られるものは微々たるものに留まるだろう。なにしろ、分配するパイは小さく、ゲルマニアはたくさん食べなくては飢えてしまうのだから。そして、我々はパイに多くの投資をしているのだ。食べなければ飢えるのはこちらも同じようなものだ。すぐに、飢え死にする心配こそなくても、将来は楽しくないことになるとわかっていれば状況は別だ。

「諸君、実はトリスタニアの大使より第四の道が提示された。」

「ほう、第四の道とは?」

「ゲルマニアとアルビオンに恩を売る方向だ。詳細は伏せるが、有望な方策である。」

有望な方策?参加者の顔に想像もできないというような色が、軒並み浮かぶ。この情勢下でアルビオンとゲルマニアに恩を売る方策がないわけではないだろう。それこそ、我々が、握っているトリステインの利権を放棄すると宣言するだけでも感謝はされるに違いない。だが、はたして恩を売りつつこちらに利益がある方策など有るのだろうか?

「なに、戦後交渉のことを見据えての方策だ。私も同意する良い策だ。」

「秘密にされるには理由があるのでしょうな。」

「肯定する。実に、興味深い事象である。ことが上手く行けば、諸君にも披露するだろう。」

そう言われると、もはやここで論ずべき事象は別のものとなる。なにしろ、秘密とされる方策だ。ここでこのように明言されている以上、方策を予想して賭けを行うくらいしかやることが一般にはないのだ。まあ、大公国の処理すべき案件は多いのでそれは私的な場でワインを嗜みながらなされるべきだろう。

「では、関連して次の案件を処理しよう。ゲルマニア北部の開発に参入すべきか?」

「すべきでしょう。将来性が高い。」

「賛成します。ですが、ヴィンドボナの商会らとは協調すべきです。」

北部の開発は魅力的だ。未開発の鉱山や、木材。さらに山岳地帯の開発。大きな見返りが予想できる。だが、一方でそれだけ大きな泉には多くの利権を見込んで現地の商会が介入している。そこに、割り込むようなことは外国勢としては得策でない場合も多々ある。協調できるならば、それによって無用な対立を避けられる。

「だが、それは無理とまではいかずとも、困難極まりない。」

「介入への反発は相当なものがある。」

すでに、少数のアルビオン系の商会が進出しているが、かなりの妨害を受けているという。目に見える形での実力行使は受けていないが、いくつかのゲルマニア系商会は団結して対抗する意思を示し始めている。そこに、大規模な割り込みを平和裏に行うのはかなり難しいといわざるを得ない。なにしろ、大規模な北方開発は、莫大な利権が見込める。ゲルマニアの選帝侯らも乗り遅れないよう、密かに開発に参入するか、開拓に乗り出しているという北部はかなり活性化しているのだ。

「見過ごしては、地盤沈下につながります。」

「しかし、その分はロマリア市場へのてこ入れで代替可能では?」

「ガリア市場も依然として有望ではありますが。」

金の集まる、ロマリア。最大の大国であるガリア。どちらも市場としては有望で大きいが、すでに成熟してしまっているという欠点がある。急激な成長が見込めないのだ。だが、一方で、依然として新規開拓の余地があり、安定しているため収益源としては一つの形として期待できるというのも事実ではある。どちらにしても、現在においてはかなり有望な市場であり、なおかつゲルマニア北部が急激成長しているとはいえ、これらには及ばないのだ。

「だが、ムーダ絡みの利権に手をつけたい。あれは、大きいぞ。」

「国営で運送業を始めるとは盲点であった。確かに、あれは将来の交易に影響する。」

ゲルマニア北部はムーダと連中が称している大規模船団の拠点の一つであり、アルビオンとの交易拠点でもある。国内の拠点網としては、ヴィンドボナに次ぐ規模を誇り、なおかつ対外交易拠点としての発展しつつあるのだ。金融業が盛んといえども、大公国も交易には力を注いでいるのは間違いない。なにしろ、交易によって大規模な利益を上げて、それを原資に金融を行うのだから。

「では、北部に干渉すると?」

「するほかにない。さすがに、ムーダに対抗する規模の船団をそろえるのは手間だ。」

「他に反論は?では、程度の打ち合わせは必要にしても介入する方向で動くことにしよう。」

その彼らからして、ムーダというのは魅力的な交易手段なのだ。大規模船団は、これまでにない安全な輸送を可能とする。当然、商品の積み荷にかける保険一つとっても随分と楽になる。それらの意味において、交易国としてはなにがしかの行動を起こさなくては大公国の独自性はすぐに消失してしまうのだ。

大公国。

それは、独立性を認められているということであるが、その基盤は経済力だ。人口にしても、軍事力にしても、諸候としてはずば抜けている。軍事力は、人口や領地に比較すれば強大な方だろう。だが、それでもガリアやゲルマニアといった強国からすればすりつぶし得る範疇だ。大きな、損害を与えることはできる。だが、勝利は望めないだろう。そして、その力を維持する経済力なくしては、即座にどこかに併合されてしまうのだ。

「力なきものは、喰われる世界だ。」

誰ともなしに呟かれたその言葉が、大公国の置かれたハルケギニアという世界の現実を物語っている。法は、強制的にそれを執行する機関があって初めて有効なのだ。世界にいては、国力と実力のみが雄弁にものを主張し、自らの欲するところを追求し得る。大公国とてその中で生き延びてきたプレイヤーなのだ。ゲームのルールは、嫌というほどに熟知している。


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あとがき

ワルド無双?そういう方向でやろうとおもっております。
りっしゅもんがうるのはなんだろう。
と、ご期待ください。
彼は、生き残ることにかけては天才だと思います。(うっかり、アニエスにでも会わなければ。)

でも、一週間から二週間にかけて更新が滞るかもしれません(-_-;)



[15007] 外伝? ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝2(会議は踊る、されど進まず異聞)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/08/28 00:18
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝

トリステイン戦役、それはジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが初めてハルケギニアに躍り出た戦争であった。だが、彼が舞台に上がった時、彼が直面したのは、一人のメイジがどうにかできる戦争ではなかった。すでに、如何に負けるかのみが問われていたのだから。だが現実の圧力に屈せず、忠義を全うするという意味において、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは真の騎士であった。同時に、彼は真のメイジでもあった。メイジとは、貴族とは何かとの問いに対して、その理想像として彼が今日でも語られる所以は、そのトリステイン戦役末期の活躍にあるとされている。

参考
(アルビオン:サウスゴーダ)
当時、ゲルマニアの国営商会ともすべきムーダの船団が主として南部の寄港地としていた都市。北部のダンドナルド・シティとの定期航路が運航されていた。このため、モード大公に関する政変を受けたアルビオン貴族らが、多数ゲルマニアに亡命する際の足となった。また、その一連の動きによって、極めて政治的に緊張をはらんだところであり、以後のアルビオン王家にとって気の抜けない地域として記憶されている。



{ワルド視点}

「はっきりと申し上げましょう。ゲルマニアの策を模倣ですな。」

「ゲルマニアの策を?」

アルビオン外務省は、実に有能な外交官という怪物を有している。だが、彼らは政治の怪物であって、軍事に関しては知識でしか知らない。故に、多少の解説を必要とする。だが、多少で理解できるあたりが、恐ろしい所以でもあるのだが。

「トリスタニア襲撃は、主として後方錯乱を目的とした奇襲でした。後方錯乱の模倣で少しでも前線の動きを留めようかと。」

ゲルマニアの軍人には有能なのがいたとしか思えない。あのトリスタニア襲撃がだれの発案かは聞き及んでいないものの、あの襲撃の着眼点は実に優れていた。戦争は、メイジが対峙しあって魔法を唱えている前線だけではなかった。すべからく、全ての場所で戦うしかないのだ。

「では、つまり、北部で錯乱工作を行われるおつもりだと?」

「ええ、そのつもりです。」

「しかし、軍用のフネは提供できませんぞ。」

それは、考えてある。さすがに、アルビオンの空軍が出張ってくることは無理がありすぎるだろう。それでは、講和の仲介どころか、新たな戦争だ。

「心配ご無用。私と部下を運んでいただきさえすればよいのです。」

後方錯乱ということを行われた。これは、確かにトリスタニアに対してゲルマニア艦隊による襲撃ということでインパクトが大きく、結果的に混乱を招くと共に事態を悪化させた。その効果が大きいところは、なによりも前線にいたからこそ知っている。それは極めて有効なのだ。で、ある以上その先例に倣って後方錯乱を行い、講和会議に向けて事態を改善できるように取り組むことは有効だろう。それを、手持ちの戦力で可能な策に心当たりがある。

「ふむ、それでしたら、ムーダの定期船団があるのでそちらでどうですかな?」

「定期船団?」

「サウスゴーダとダンドナルドのものが。」

ならば、アルビオン外務省に求めるのは、単純に通行許可証のみ。それも、面倒事を避けようと向こうが考えているならば、サウスゴーダまでのものでも構わない。少々手荒になるものの、アルビオンがゲルマニアに最接近するところまでまち、ゲルマニアとアルビオンの領空ぎりぎりまでフネで近付き、後は騎乗して降下するのもありだろう。ただ、定期船団というからには、護衛のフネがついているだろう。振り切るのが厄介かもしれないないが、それにしてもどうにかなる。艦隊の龍騎士隊を振り切ることに比べれば、容易なものだろう。やってやれないものではない。

「だが、実際のところ上手くいくのかが。」

懸念される材料であると。暗に、そう伝えてくるアルビオンの意向は単純だ。後方錯乱で足止めができることには期待しているが、一方で失敗されることで面倒事が拡大することを懸念してもいる。できれば、大きな損害を出すことなく、解決策を欲しているということだ。だからこそ、私の提案には賛同してもらえるだろう。

「少数の精鋭で、大いに暴れ回ってごらんにいれましょう。」

戦役全般で痛感したことは、数に抵抗するのは困難だということである。だが、逆に言えば、抵抗せずに逃げるだけならばそう難しくはない。前線で、数の圧力をひしひしと痛感していたとしても、部隊抽出は可能だったのだ。まして、トリスタニアから脱出するのも蜂起軍とゲルマニア先遣隊を振り切ってだ。無論、かなりの困難を伴うものであるのは確かだが、優秀なメイジが本気で逃げに徹すると、拘束するのは手間だろう。当然、追跡部隊として多数の部隊を必要とする上に、労力と物資を浪費することとなる。それは、間接的に前線部隊の圧力緩和につながるに違いない。

「なに、魔法衛士隊の精鋭です。さんざんゲルマニアを悩ませてご覧にいれましょう。」

「成算についての貴公の言を信じるのは容易。しかし、政治的に場所が悪いのを承知で?」

「場所、でありますか?」

言われてから、はたと気がつく。この国は、ついこの前政変があったばかりだ。そして、その政変に敗れたアルビオン貴族達が多数亡命していると、トリステインでも噂されたものであった。他国のことゆえさほど詳細が伝わってくることはなかったが、それでも南部の有力な貴族らが国外、つまりゲルマニアに亡命したとは耳にしている。ゲルマニアが、アルビオンとの関係に配慮し、ヴィンドボナではなく北部に場所を提供したとも。

「さよう。亡命貴族達という問題に火をつけるわけには、行きませぬな。」

過度に締め付け上げると、叛乱の火種をさらに招くことになる。かといって、放置していると示しがつかずに、王家にとっても望ましくない。であるならば、友好的な他国で、何もしないでいてくれるのがアルビオンにとっては理想的である。逆に、その付近に新たな火種をたてられることは本意ではない。むしろ、状況次第では積極的に鎮定に努めても不思議ではないのだ。

「ですが、逆にそれだけ重要な地点であるかと。」

「それは確かに。」

しかし、この講和会議における政治的意味合いを鑑みるとその政治的な複雑さは決して無意味ではないのだ。アルビオンからのお客人達が多い地域で火種が燻っているということは、アルビオンとの関係に決定的な亀裂をきたしかねない要素であると共に、客人の面倒すら見ることができないという意味において、ゲルマニアのマイナス要素足りえ、結果的にトリステインにとっては利益となる。同時に、それはゲルマニアに対するアルビオンのアドヴァンテージにもなるのだ。

「しかし、わがアルビオンが敢えて同意するに足るかは、明言しかねるものがあるか・・」

だが、それはあくまでも一つの側面にすぎない。アルビオンにとって得る物もあるが、同時に多くのものを危険にさらす選択肢なのだ。確かに、この仲介で利益を得ることは期待しているが、それはなにも無益な犠牲を払っても得なくてはならない性質のものでは断じてないのだ。故に、このアルビオン人は利害計算を持ってある程度の利益が見込めることを確信しつつも、躊躇いも覚えている。

「ですが、代替案は他に現状では持ち合わせが。」

「むう・・・」

「はっきりお聞きしたいのですが、最大の懸念材料は何でありますか。」

効果的である可能性が高く、かつリスクも大きいことは承知している。だが、アルビオン最大の懸念は、どこにあるのだろうか?それ次第で、行動するかどうかを決断することにもなる。アルビオンを、仲介者として信じてよいか。それもかかっているといってよい。我々は、確かに仲介者を必要としているが、必ずしもアルビオンである必要はない。より言葉に正確さを求めるのならば、ガリアやロマリアよりもアルビオンがまともな仲介者としてほどほどの利益を追求するだろうと判断しているのだ。それが、トリステインを完全に貪るだけであるならば、他に当たるほかない。

「卿の暴走。つまり、高度に政治的な判断が求められる作戦を行えるかということに尽きる。」

「私の政治的な判断力に疑問があると?」

「卿、というよりもトリステイン貴族全般だ。」

「それは、侮辱と捉えざるを得ませんが。」

小国とはいえ、貴族全般の判断力を疑われるとあっては、物申さずにはおれない。確かに、不手際が多かったのは事実だ。祖国の舵取りを誤ってしまったとの貴族としての自覚もある。だが、それをそのように侮辱されて甘んじられるほどには、ないのだ。全ての貴族が、そのように自身に誇りを持たないわけではない。リッシュモン卿のような叛徒は、誇りはなくとも生き残る才覚があるだろう。どちらにしても、判断力が皆無と断じられるのは異論がある。

「無論、暴言であることは理解する。」

「では、あえてそれを言われる理由をお伺いしたい。」

「未確認情報だが。徹底抗戦を主張し、降伏しようとしたロマリアの坊主ごと敵を吹き飛ばしたとの情報がある。」

一瞬頭が凍る。降伏、そう、降伏しようとした教会関係者ごと攻撃?貴族が、メイジが、そのようなことを?

「なんですって!?」

どこの馬鹿ものがそのようなことをしでかした!?思わず、叫びたくなる。政治的な汚点だ。外交的には大失態だ。徹底抗戦はよい。まだ、良いのだ。日和見に走るわけでもなく、貴族として国に準じるのは美点だろう。だが、貴族としての誇りや、メイジとしての善悪すらわきまえない程の愚か者がいたことに、目の前が真っ暗になる。

「あくまでも、裏付けが取れていない情報に過ぎない。だが、そういう噂が流れるほど、貴国の統制には疑問がつくのだ。」

「一部の暴走でありましょう。魔法衛士隊は精鋭、それに我々は誇りを持ったメイジであります。」

そのような、愚か者と同一視されることは耐えられない。私は、私の部下と属僚たちは、貴族として、メイジとしての誇りを持っているのだ。私自身、私の小さな婚約者に恥じないメイジであろうと志している。我々は、賊ではないのだ。誇りあるトリステイン貴族にして、思慮深いメイジであるのだ。

「貴公の人格は信ずるに足る。だが、それは私という一介の私見に過ぎない。全体での保証がないのだ。」

「ふむ、では、こういうのはいかがですかな。」

「なにか。」

聞き返してくる相手の顔を見詰めつつ、言葉を口で紡ぐことに一瞬ためらう。だが、他に方策はない。どのみち、遅かろうと速かろうと相手から要求されるかもしれない提案なのだ。ここで、提案しておくことで、祖国に利があるならば、やむを得ない。これならば、無碍にもされずに済むであろうし、アルビオンに対する我がトリステインの誠意の表明にもなる。

「我々が、アルビオンを離れる間のアンリエッタ姫殿下の護衛を、貴国の王太子殿下にお願いするというのはどうでしょうか。」

「・・・よろしいのか?」

さすがに、相手もこちらの意図を窺うように問いかけてくる。その意味するところを理解すれば当然だろう。実質的に人質か、よく言えば、王太子の婚約者候補としてこちらから差し出すというに等しいのだ。アルビオン貴族達がそれを望んでいると知っているからこその提案。あまり、愉快なものではない。祖国を、王女殿下をお守りするという魔法衛士隊の副隊長としてはあるまじき提案。だが、それすら祖国に、王族の方々に忠義を尽くす提案となるとは。

「王族の方々の護衛にあたる魔法衛士が抜けるのですから、当然の処置でありましょう。」

「それは、独断では?」

これは、最終確認だろう。さすがに、この手の提案を手放しで受け入れることのできる貴族はいないはず。なにしろ、事が大きすぎる上に、一歩間違えばどうしようもない没落につながりかねない程の懸案事項なのだ。逆に言えば、成功すればとてつもない成果となるわけであるが。

「護衛任務に関しては、小官に一切が任されており、問題はありません。」

トリスタニア脱出以来、メールボワ侯爵は政治的な問題を、私が護衛等軍務を管轄してきた。確かに、政治的な要素が大きすぎるのは事実だ。だが、代替案が軍人として私には他にない。そして、メールボワ侯爵にこの旨を提案しても同意を得られるだろうとの確信が私にはある。

「政治的な意味合いを理解してなお、行えると?」

「理解し、提案しております。」

最悪の責任は、一切を自分が引き受けよう。それで、部下やメールボワ侯爵には申し訳が立つ。

「そこまでの覚悟があるならばこちらからも一つ。」

「なんでしょうかな。」

「数名ほど、腕を発揮してほしいものがおります。」

「それは、どういうことですかな。」

「アルビオンを守る免罪符とお思い頂きたい。それをやっていただけるなら、支援できる。」

「・・・わかりました。」



ムーダ サウスゴーダ・ダンドナルド定期航路船団
護衛艦隊旗艦、リュツァー 航海士日誌

サウスゴーダ入港。道中の総評を兼ねて、艦隊司令部が会食を開催。4人の船長達からは、船団の規模が小さすぎるために各フネが過積載気味であるとの意見が出される。特に、木材需要が高いアルビオンに対する輸出が活発化していることと、ヴィンドボナ向けの毛織物の需要が高いために船団規模の拡張も必要かもしれない。帰国後、上申する必要あり。本航海が処女航海となる新造のグルッツァーは、最近の対空賊戦闘の戦訓や、トリステイン戦役での長距離航行の必要性が反映されたという売り込みの新造であるが、単一のフネとしては優れた物であるというのが、艦隊一同の認識。定期航路の護衛が本艦とグルッツァーのみであることは、当初は不安要素であったが、現状ではその問題に関しては解決できたと言える。快速性に優れ、小回りのきくグルッツァーは、運動性に関しては理想的なフネであるだろう。ただ、あまりにも風石を必要とする点が課題。船体の規模に対して風石の使用量と搭載量が従来のフネをあまりにも上回る。

「主力にはできないでしょうな。」

グルッツァーの艦長自身の言葉であるが、その通りだろう。風石の浮力を最大限に活用する設計の上に、長距離航行を念頭に置いたために、軽武装の上に風石の搭載量が多すぎる。大量の積載風石によって、航続距離は長距離を保ちつつ、風石の力で機動性を獲得するという設計自体は優れているものの、主力として運用するには絶望的だ。フネの足が速くなったとはいえ、龍騎士を振り切れるほどではないのだ。使い勝手は良いかもしれないが、対龍騎士戦闘を考慮すると軍用としては疑問が残る。軽武装ということは、打撃力も乏しい。重コルベットの速度改善を図るほうが実用的かもしれない。空軍で常に議論されている快足と火力の問題はいつまでも改善できないでいる。



サウスゴーダで積み込み作業監督中に、二件の政治的な要因がある乗客があるとの報告あり。ムーダの船団にアルビオン貴族が乗船。状況から見て、亡命貴族と思われるとの報告あり。同日、市街地で衛士とメイジが争ったとの報告が入ってくる。おそらく、厄介事を持ちこんできたのだろう。とにかく、何事もなくさっさとダンドナルドの当事者に引き継げることを望むのみ。そのほかに、酩酊した水夫がアルビオン当局に保護されたとの知らせがあり、引き取りに行く。喧嘩に発展していないことを始祖に感謝。入港許可証の更新時に、担当者と顔を合わせる際に気が重くならないのは何よりも重要だろう。積み込み作業の進捗状況も順調。すでに、小型の2隻は積み込みを完了し、水夫が他の手伝いに駆り出されている。会食後、アルビオンで収集した情報をオフィサーで整理。やはり、ガリアの手が長いのではないかと囁かれる結果になる。ヴィンドボナの商会支店経由で現地の情報を入手。どうも、北方でオークの行動が活発化しており、羊の飼育に影響が出ている模様。これは、帰国後に報告し、注意しておく必要あり。



{ワルド視点}

ゲルマニアのムーダ船団への潜伏は驚くほど容易であった。元々、訳ありの乗客、本来はアルビオンからの亡命貴族を受け入れるために、アルビオン領内での身分確認を意図的に行わないでいることがこのような形を可能にした。私と、数名の部下が使い魔として騎獣を連れてフネに乗り込んでいるが、大凡疑われてすらいない。

「配置を把握しました。武装したクルーは少数。いずれもただの平民です。」

「我々は、フネの内部に不慣れだ。荒事は避けた方がよい。」

アルビオン軍人ならば、フネの内部で戦闘する経験も豊富だろうが我々にはその経験が不足している。空軍の軍人ならばともかく、魔法衛士隊では、さすがにそこまでの訓練はできていない。故に、いざとなったら騎乗し、各人陸地に降下することを想定したが、それほどの必要もなかったようだ。

「幸い、浮遊大陸はかなり大陸に接近している。数日中には始められるだろう。」

「では、せいぜい英気を養うことにいたしましょう。」

そう言い、何食わぬ顔でフネの食堂へ向かう部下に、それとなく距離をとって続くことにする。元々、厳しいフネの労働を想定し、この食堂で出される食事は量がある。アルビオンの食事よりは、まだゲルマニアの食事の方が微妙に口に合う上に、これからの作戦行動を考えるならば、食べられるときに食べておくにこしたことはないのだ。平時では、手づかみで食事をかきこむということは、蛮族の仕業であると信じていた。確かに今でも、指揮官は最低限の威容を保つべきであるのは間違いないと信じているが、しかし、無駄な作法に拘泥して前線で飢えるよりはどこかで妥協する方を選ぶ。

「ふむ、良いワインだ。すまないが一本いただけるだろうか?」

「おや、お分かりになりますか?最近、ガリア産のワインが流れていまして。」

ガリアのワイン?ふむ、確かに悪くない。だが、アルビオンまで運びこまれることを考えると、かなりの距離を運ばれているのだろう。そう言えば、耳にするのはガリアの密偵が各国に出没しているという事実だ。案外、そう言った連中が表の顔として売りさばいているのがこのワインなのかもしれない。まあ、純粋にワインとしてこれは楽しむことにしよう。決してものそのものは劣悪ではないのだ。秀逸であるといってもよい。

「ああ、構いませんよ。」

白いパンに、新鮮なサラダとチーズと火の通った肉、加えてワインだ。前線では到底望みえない食事というほかない。せいぜい薄い野菜スープに固いパンを浸していた前線からすれば、到底望みえないものがいとも容易に、他の地で手に入っている。改めて、祖国の置かれている厳しさがひしひしと実感されるというものだ。まあ、諸候軍の貴族達は何故か知らないが、豊富な食料とワインがあったようだが。

「考えすぎだな。ふむ、馳走になった。」

礼を述べて船室に戻ると、アルビオンで調達した本に目を通すことにする。読書の習慣は、戦争が始まってからは暫く絶えていた。おそらく、後方錯乱の任務が始まると、すぐにその暇もなくなるだろうが、現状ではこれに最適な環境がもたらされている。アルビオンはさすがに歴史ある国家の一つだけあり、普通眼にするようなものとは異なり、いくつかの貴重な古書を目にすることができていた。むろん、それらを買うことはできなかったが、タイトルを確認することができただけでも成果だろう。今手にしている一冊にしても、これはトリステインではアルビオンからわずかに流れてくる程度の代物だったが、アルビオンでは纏まった数が出版されている。アルビオンの古典や資料を使った一冊であるだけに、これはこれで面白い。



{アルビオン視点}

ウェールズ殿下、アンリエッタ王女の護衛に。その一事は、大貴族達にとって待ち望んでいた状況にまた一歩近づいていることを確信させた。トリステインの数少ない王党派、そのうるさい連中が譲ったのだ。名目上は、縁戚関係にあるアンリエッタ王女の護衛に万全を期したいと、アルビオン王家の好意という形をとっている。だが、それは結局実質的には、アルビオンにトリステインが頭を下げる形を最終的には意味していると見られていた。

「恐れながら陛下、ウェールズ殿下の婚約者としてアンリエッタ王女は理想的ではないのでありますが。」

しかし、少なくともアルビオン外務省はこの事態をあからさまに歓迎する風潮とは無縁であった。確かに、陸地は欲しい。だが、それは親戚として継承するということも選択肢として有望なのだ。少なくとも、トリステインとアルビオンの血のつながりは決して薄くないのだから。むしろ、これ以上トリステインの血を取り込むよりもガリアやゲルマニアとの関係を考慮すべきではないか。その種の議論が、アルビオン外務省では密かに繰り広げられている。ゲルマニアが格下であるとしてでもだ、実力はすでに十分な脅威に発展しているのだ。これ以上のトリステイン接近は危険すぎる。

「良い。今はあれの好きにさせておけ。」

「陛下!ことは、アルビオンの将来がかかっております!」

「わかっておる。だが、余にはガリアが今一つ信じられん。」

思わず、声を荒げて詰め寄りたくなるが、彼もまたガリアのことを心底信用しているわけではない。例えば、ガリアのイザベラ王女などを王妃にお招きすれば、堂々と北花壇騎士団が従者としてアルビオンを併合するためにやってくるだろう。案外、結婚初日にウェールズ殿下が急死することすら、ありえると勘ぐっている。

「陛下、せめて諸貴族の動きを掣肘していただけませぬか。これでは、既成事実が先行してしまいます。」

とはいえ、だからと言ってここで選択肢を望まぬままに選ばされるのは、外交当事者としては望ましい、望ましくない以前に論外なのだ。選択すらできないとなると、行動の余地は極限までそりおとされる上に、行動が他国に容易に予想されてしまうのだ。行動を予想された外交は、あまりにも無力だ。むろん、示威的に行う選択肢はある。だが、示威とて示威するという意図が決定するまでは隠蔽しなくてはいけないのだ。

「難しいであろうな。卿も分かっておろう。」

「はっ、出すぎたことを申しました。陛下、これにて失礼いたします。」

北部の貴族達は必ずしも現状の王家に対して不満や含むところが皆無ではない。そして、行動の掣肘を彼らは望まないだろう。王家としても、徒な行動は王家の威信失墜や実際の威令を徹底することの困難さを招きかねない以上、不用意には行動し得ないでいる。先の政変は未だに、アルビオンに対して痛々しい傷痕を残している。対外的には、傷はほぼない。だが、内部を蝕んだ傷は、アルビオンを確実に痛めている。故に、アルビオン外務省の基本方針は、20年の安定であった。だが、眼先に大陸領という巨大な利権が転がって来てしまっている。これが目の前に転がっているのを見過ごすことも、いまのアルビオンでは難しい。難しい外交交渉がアルビオン外務省には課せられているというほかない。無論、本懐であるが、しかし、厳しいものがあるのは事実なのだ。



{ワルド視点}

結局、船団は平穏無事に航海を完了し、ダンドナルドを視野に収めつつあった。すでに、フネは高度を下げつつ着陸に入っている。我々はここから二手に分かれて行動することになっている。私の遍在が指揮する一団が、入国する時点である審査場で我々ごと襲撃。その混乱に乗じて侵入を行う。

「手はずが整いました。」

「気取られるなよ。では、行こう。」

そういうと、ごく自然な態に偽装しつつ、騎獣を連れて入国の審査を行っている方向にゆっくりと歩き出す。状況は実に予想通りだ。一応、犯罪者の密航を警戒しているとの情報通り、衛兵が立っているものの、杖は所持している気配がない。メイジが圧倒的に不足しているとの情報も正しい可能性がある。そうであるならば、活動はより容易になる。予断を持って判断を行うのは危険だが、頭に留めておくべき情報かもしれない。

「ようこそ、ダンドナルドへ!当シティは帝政ゲルマニア領、ロバート・コクラン辺境伯管轄下の地域となります。アルビオンとゲルマニアの許可証をご提示願います。」

「おや、アルビオンのもかね?まあ、仕方ない。」

そう呟き、如何にもといった態で騎獣の背嚢に手を伸ばす。これが、合図であった。この瞬間に、遍在が一斉に詠唱を開始。ゲルマニアの国境側から一斉に攻撃魔法を放ち、初弾が盛大に審査場へ直撃する。

「何事だ!?」

「魔法攻撃?クソッ、我々を売り飛ばす気か!」

「王家からの追手か!?ええい、ゲルマニアめ!図ったな!」

アルビオンからの亡命貴族達が、ゲルマニアから攻撃されたらどうなるだろうか?当然、亡命先に売られたと判断するだろう。そして、自らの安全をはかろうとして何とか、活路を求めて脱出を図る。一方、ゲルマニアの動きは低調ならざるを得ない。アルビオンからの亡命貴族を、誤って攻撃するわけにもいかず、結果的にどうしても事態の収拾には手間取るだろう。当初は、メイジ等が展開されている厳重な警備を想定したためにこのように、段取りをつけたが、しかし、メイジがほとんどいないとは。これでは、教皇突破したほうが効率は良かったやもしれない。

「ええい、散れ!散れ!」

如何にも、誤解したという態で、一気に部下達があちらこちらに散らばっていく。合流場所まで一気に駆け抜けたいところだが、まずは私自身もここから立ち去らなくてはならない。そういうわけで、盛大に杖を引き抜き、煙幕を張り巡らすと、騎乗し一気に国境を超える。ここを越えれば、後は広大な森が、丘陵地が姿を隠してくれるだろう。地理に不慣れということもあり、当分はこの地域を探索することになるが、ある程度の事前情報は収集に成功している。今は、まずできる範疇での情報収集と、地理把握だ。集合場所は、ダンドナルドの北方にある鉱山地区。まずは、その近隣で属僚と合流しなくては。



{ミミ視点}

「ミス・カラム!至急です!」

書類の海で、広大な海の広さを否応なく実感させられる執務室に歩兵隊の伝令が駆けこんできたのは、日がそろそろ沈み始めようとするときであった。うんざりするほどの、職務をこなしてきただけに、いい加減追加の職務に辟易としつつも儀礼的に笑顔を浮かべ、責任者として落ち着いた対応を取るように心掛けて、応じる。

「何事ですか?」

「船着き場で戦闘です!詳細不明!アルビオンからの亡命貴族が襲撃されたとの未確認情報もあります!」

「は?・・・船着き場で戦闘!?」

思わず椅子を倒して立ち上がり、詰め寄って問いかける。船着き場、つまり空からの玄関口で戦闘?アルビオン亡命貴族が襲撃された?しかし、誰によって!?アルビオン?ガリア?いや、ロマリア?まさか、本当にゲルマニアから?いや、誤報や欺瞞情報の可能性もなくはない。とにかく、情報。それを集めないことには始まらない。

「臨時召集を!今すぐに動かせる兵をすぐに呼び出しなさい!」

兵力自体は決して不足してはいない。しかし、それは動員が完了してからの話。現状では、手元にある兵力は乏しく、広く薄く展開している以上、集結させるだけでも時間を必要としてしまう。一応、城館の警備要員や、最低限の訓練中の部隊も合わせれば最低限の部隊は形成できるものの、それを投入すべき対象が多すぎる。そして、主力のメイジは対トリステイン方面を意識した配置となっている。破れかぶれになったトリステイン空軍の強襲を警戒し、いくつかの哨戒地点に分散されている以上、集結させるべきかどうか迷うところというほかない。一応、ここまで侵入された場合を警戒し、虎の子の龍騎士隊が展開しているものの、これも一個中隊しかない。下手に動かせる余力が全くないのは、失策であった。

「はっ、ただちに!」

「ミスタ・ネポス!アルビオンからのご客人たちの警備強化を!」

担当している、ミスタ・ネポスも事態を理解している。ただ、問題なのは兵力なのだ。アルビオンからのお客人、つまり亡命してきた面々にはさほど護衛が用意されていない。まず、こちらの兵力に囲まれることをそもそも嫌われたこと。次に、アルビオンとの一種の政治的合意から、護衛戦力がさほど必要とは想定されていなかったこと。最後に、余剰戦力にそれほどこちらの余力がなかったということがある。それらが重なり合った結果、実質的には彼らの自衛に任せるしかないのが現状なのだ。

「兵はどの程度いただけるのでしょうか?」

「動員の完了次第、2個歩兵中隊をそちらに回すが、それ以上は無理!」

無茶を言っている自覚はある。一応、アルビオン亡命貴族が一定の地域に集まる傾向があるとはいえ、さすがに護衛対象は分散している。その上に、そもそも2個歩兵中隊ではメイジが相手では、襲撃してきた際に分散配置では対応できない。

「しかし、それでは、十全な警備どころか、地区の維持すら・・・」

「それ以上は、ないわ。」

とは言え、手札は全て使ってしまっている。動員が完了するまで、約3日間。手持ちの戦力でやりくりするしかない。一応、事態が把握できれば龍騎士隊を投入することも可能であるが、同時に龍騎士隊は貴重な伝令でもある。下手に飛ばすわけにもいかないという問題が厄介な問題としてある。

「わかりました。できる限りで、最善を尽くします。」

「まったく、手持ちの兵力が、足りなすぎるわ・・。もう少し、常備兵を次からは配置しておきましょう。」



{ワルド視点}

集合地点には全員がほぼ完全な装備で集合できた。とは言え、人数が二桁にも呼ばないような少数精鋭主義なのだから、脱落者がいないことを喜ぶよりも、集結に手間取ったことを嘆くべきかもしれない。同時に、この地のゲルマニア軍は良く整えられているというほかない。すでに、数回哨兵が鉱山付近を警戒しているのに接触しかけた。だが、事前情報通り、メイジは別方面に展開中とみてよいだろう。

「まず、当面は根拠地を獲得する。情報によれば、亜人対策用の拠点がいくつか設置されているとのことだ。」

「では、そこを確保し、仮設拠点に?」

「その通りだ。運が良ければ、備蓄物資も確保できよう。」

物の本で読んだ限りでは、辺境開拓の任に当たる諸候は必ず亜人に悩まされているという。実際、アルビオンでも北部の亜人は完全に討伐するには至っていないことを考慮すると、広大なゲルマニアの辺境部で亜人に悩まされるのはある意味自然な事。それに対して、諸候軍が備えを行っていない方がおかしいのだ。そして、鉱山地区近隣にはすでに放棄された仮設拠点がいくつも途中で散見された。もう少し北方寄りに移動すれば、今も使用可能な状態にあるものが見つかってもおかしくない。

「また、亜人との交戦は極力慎め。下手に騒ぎを起こさないことを徹底。」

「了解であります。」

杖剣を手に各人が、北方への探索と、情報の確認に走る。その中で、遍在を連絡要員に貼りつけると、私も森の影に潜みながら、探索に加わる。騎乗し、空から探索する方が容易ではあるが、それは目立ちすぎるとして却下した。哨兵の探索が想定以上に頻繁であり、発見されるのがほぼ確実である以上いたしかたないが、時間がかかりすぎるのではということが不安要因として湧いてきた。諸候軍の動員が完了するまでに、時間があまりないとみている。早めに行動を行わなくてはならないのだが。

「諸君、予定と異なり空からの探索は困難だ。遅延しているが、行動を繰り上げられるように、最善を尽くしてほしい。」

本作戦の最大の目的は、我々の存在感の誇示と、威圧でしかない。だが、それだけに、虚勢であって、局地的な有意に過ぎないとしてもゲルマニア軍を翻弄しなくてはならないのだ。



{ネポス視点}

「つまり、アルビオン貴族を狙ったものではないと?」

動員に忙しい中で、開かれた緊急の会議。そこで、提示した案は予想通り、盛大な疑念の提示で迎えられることとなった。無論、自分自身でこの結論に至るまでには念には念を入れて確認を行ったが、どうしても結論はそうならざるを得ない。

「はい。収集した情報を分析すると、トリステイン軍かと。」

トリスタニアから逃げている一隊が、アルビオン経由でゲルマニアの北部入り。ご丁寧に我々のムーダを使用して、浮遊大陸からこちらまで訪れるという念の入れようである。

「ミスタ・ネポス。トリステイン軍はここにはいないが。」

「少数の精鋭かと思われます。」

とはいえ、文官の自分達にとってみれば、侵攻してくる軍と言えば、絶対的にきらびやかな軍体という印象があった。それだけに、少数精鋭で破壊工作をというトリステインの方策には少々、対応がまごつかざるを得ないことも理解している。事態が把握できずに、徒に兵力を分散していたために、捕捉もより困難になっている。

「少数の精鋭だと?」

「では、まさか。」

「手当たり次第に荒らされるということか!?」

事態の理解が広がるにつれて、出席者達の表情が青ざめることとなっていく。優秀なメイジは、それだけの脅威になりえる。もちろん、軍という圧倒的な集団で蹂躙することは不可能ではない。だが、少数が逃げ回ってこちらの弱点を重点的に叩いてくることとなれば、まったく対処するすべがないのだ。

「ミスタ・ネポス。では、今後も襲撃があると?」

出席者を代表してミス・カラムが嫌な事実を噛みしめるように確認を行ってくる。そう、一過性の襲撃であれば、その後始末に頭を悩ませればよいが、さらに問題が連続して発生するとなると、それはとてつもなく厄介なことである。

「間違いないかと。」

「大変結構。ゲルマニアの炎をご覧にいれましょう!」

そう言い放つと、カラム嬢は手に杖を持ち、立ち上がる。

「お相手仕りましょう。ただちに軍を!」



{ワルド視点}

拠点構築、警戒線突破。言葉にすると、これだけであるが、敵地で行うにはかなり手間と難易度が高い。だが、私の部下はやり遂げてくれた。亜人の大規模南下に備えて設置してある拠点を発見し、そこの付近に隠蔽された拠点を構築。拝借した物資を活用し、積極的な行動を行い、遂に警戒線の突破に成功。初の攻撃目標は、伝令用の騎獣が集められている駅舎である。広大な北部の連絡線を維持するために、莫大な努力が投入されているが、それらを支えているのは、こういった駅舎の騎獣である。同時に、こういった騎獣がいなくては、軍を動かすことも大きな困難を伴うだろう。

「よし、始めるぞ!」

杖剣を引き抜くと、騎乗し振りかざす。

「かかれぇええ!」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき
(;・ェ・)更新が遅い・・・orz

これが、ワルドさんがゲルマニアに来るまでの感じです。
あと、地理関係がはっきりしないとのご指摘があったのですが、ハルケギニア大陸がヨーロッパに類似しているという前提と、wikiの地図を念頭に置いております。

次回も、ワルド視点で、ロバートが帰還し、対峙するところをやろうかなーと思っております。次回、綺麗なワルド伝。騎士対軍人でお送りする予定です。



[15007] 外伝? ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝3(会議は踊る、されど進まず異聞)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/01 23:42
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝


最後の騎士、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドにとっての最悪の敵とはなにであったか?それは、彼自身の言葉を借りれば、魔法であった。晩年に、魔法学校で行った講演において、ある生徒がその人生での教訓を尋ねたところ、「魔法という巨大な力に魅せられ、全てが見えなくなるなかれ。」と語った。曰く、“メイジは力を持つ。個人としては破格の力だ。が、諸君。我々はエルフとすら戦う。その力は我々よりも大きいのだ。さて、エルフに勝つには知恵を使い倒すしかない。知恵なくして勇を振るうものは、無能という。そして、メイジの力量におぼれる愚者があまりにも多い。故に、私にとってみれば魔法の力こそが敵ですらある。”と。

今日でもなお議論を醸すのは、後には親しい友人に向けて魔法を呪いとすら言いきった手紙が発見され、その真偽が激しく議論されている反魔法思想とでもいうべき独特の魔法観である。少なくとも、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドにとって、その手にした力は、諦めるには大きすぎ、何かを変えるには小さすぎたのだと本人は信じていたという。だが、彼自身は紛れもない真の騎士として人々に記憶されている。後に、彼の親しい友人が書き残した彼の一言がある。『友が、今日逝った。私は気がつくのがいつも遅すぎるが、彼の口癖であったが私も彼を失い、初めてその喪失感に気がつき、愕然とする思いだ。』と。

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは一つの時代を生きていた。或いは、それがメイジと貴族が花形であった時代の残り火であったのかもしれない。



{ミミ視点}

「発見しました。間違いありません。わずか、一個分隊です!」

その度胸は認めなくては。なるほど、魔法衛士隊の練度は、人口に占めるメイジの多いトリステインの中から、選りすぐっただけあって少数精鋭の練度としては悪くないどころか、卓越している。だが、いかんせん、少数のメイジにすぎないのだ。盾となる兵もなく、ただメイジだけで戦うというのは賢明とは大凡表現しがたい。

「それで全て?」

「周囲には敵影なし。龍騎士隊が展開済みですので、逃がすことはあり得ません。」

包囲が完了次第、攻勢にでることになっているものの、敵の規模が分隊であれば包囲の手間が少々惜しまれた。まあ、徹底しておくにこしたことはないのだろうが。むしろ、この情勢下では、攻撃時の同士討ちのほうが厄介かもしれない。

「結構。では、敵味方の確認を徹底するように。錯乱されて、同士打ちはごめんよ。」

「もちろんです。」

敵情を把握するまでに時間を浪費したものの、発見してしまえば戦力差は圧倒的にこちらが優位を確保している。積もり積もった仕事の鬱憤を詠唱に宿し、戦場に向けて放つことができるのは一興であるだろう。トリステインの着眼点は恐るべきものであったが、投入する戦力不足という失敗は高くつくことになる。包囲された少数部隊がとりえる戦術など、一点突破か徹底抗戦だが、この分隊では、包囲を突破しようにもそもそも困難だ。包囲の薄いところとて分隊以下の戦力ではない上に、即応用に龍騎士の中隊を持って来てある。

「龍騎士隊を、いつでも上げられるように。」

始まるまで今しばらくの時間はある。だが、それだけに、少々もどかしくもあるものだ。鉱山部の駅舎が破壊されたせいで、業務が山積している上に、連絡網のやりくりに手間取っている。部隊運用にしても、本来ならば、軽装の猟兵で狩りたてるつもりであったのが、召集が間に合わず、この手の任務は不得手の重装歩兵を一部使う羽目になっている。無論、その分だけ、包囲形成に遅延が生じてしまっている。そのために、即応用の龍騎士を用意してあるが、これらは伝令にも使えるだけに長々と待機させておくわけにもいかない。駅舎が連続して襲撃されている今、連絡手段の確保が難しいのだ。

「包囲網の形成状況は?」

「すでに、北方は完全に閉ざしました。西方、東方はメイジの展開が遅れていますが、歩兵による封鎖は完了しております。」

「では、敵は逃れようと思えば、私達のいるここを突破しないことには先に行けないと。」

「そういうことになります。」

包囲網は四方から形成される。そして、唯一包囲が意図的に薄めてあるのが南方のここだ。数で言えば、歩兵隊が少ない。ただ、メイジが集中的に配置されているために、戦力としては十分に、伏撃可能であるといえる。若干個人的な鬱憤晴らしが入っていることは否定しないが、戦力としては十分であると認識できる。

「よろしい。迎撃準備に抜かりがないように。」



{ワルド視点}

「副隊長、やはり、南方のみが手薄です。」

偵察に従事していた若い魔法衛士隊員が、やや上気した表情で報告に戻ってくる。なるほど、若いころに何か手柄をあげたと思うと、初めのころの自分もあのような表情を浮かべたものだ。良くも悪くも、トリステインの魔法衛士隊は政争に巻き込まれることが多いだけに、自分自身のそのような純朴さは消え失せてしまっているが。

「では、君は南方を突破することを進言するかね?」

「はい、それが一番かと思います。」

どうしたものか、と思う。単純に包囲に不手際があるとは考えにくい。あちこちの駅舎をつぶし、連絡線を散々かき乱したつもりであったが、残留部隊の指揮官はよほど優秀らしい。通常であれば、これだけ混乱した状況下では、明らかに処理できる能力が落ちるにもかかわらず、対応は迅速を極めるとしか言いようがない。よほどの組織力と、事務能力をもった官僚集団がなくてはこれほど迅速な対応はあり得ない。それらを考慮すると、手薄な包囲網の一角は、まず罠の可能性を疑うべきだ。それに、これまでは隠してきたものの、こちらはグリフォン隊。空駆けることも、可能なのだ。

「だが、おそらくそれは罠だ。これほど手際よく我々を包囲できる相手が、そうそう隙を見せるとは思えない。」

ゲルマニアのことを野蛮と批判する我々の祖国では、敵情の理解があまり進んでいない。なまじ、大国意識がそれほど強くないというか、中央集権が進んでいないゲルマニアは有事にもそれほど国力をすべて戦争に投入できないだろうと油断していたことも大きな失敗だ。たとえ、ゲルマニアが全力を投じなくても、ゲルマニアは圧倒的にトリステインよりも強大であったのだ。ゲルマニアが全力を出さなくてはならない相手はせいぜいガリアくらいで、消耗覚悟ならばアルビオンとも片手間で戦えるだろう。そういう相手に、我々が抵抗するには知恵あるのみだ。

「それに、グリフォンならば、どこの方角でも空から悠々と突破できる。」

「しかし、それでは我々の素情が明らかになりませんか?」

確かに、一応正体は隠してきたが、それはあくまでも目立つことで、敵にこちらの詳細案情報を掴まれて行動が束縛されることを懸念してのことだ。こちらが、空路を使って移動していることを知られなければ、敵の警戒は陸路に限定され、こちらの移動が容易になると共に、地上から空を飛ぶ我々が万一目撃されても知らなければどこかの龍騎士隊と誤解を期待することもできた。だが、逆に言えば、錯乱作戦は戦略目標である示威行動に発展することが不可欠なのだ。トリスタニア襲撃で、ゲルマニア艦隊はタルブまではその存在をひた隠しにしていた。そして、トリスタニアに堂々と現れたのだ。あれから学ばなくてはならないだろう。

「今のところは隠し通しているが、置いていくわけにもいかない以上、ここで隠し札をきることにしよう。」

「では、どちらを突破されるおつもりですか?」

「無論、南方だ。」

「南方、でありますか?」

釈然としないといった表情を浮かべる部下を見て思わず、自分の入隊当初を思い出す。上官の思わせぶりな態度に困惑していたのは自分もだ。そういう余裕を持っている態度を維持することで、部下の緊張を解きほぐし、あるいは頭を使わせるようにするなどの目的がある。いろいろと苦労してそういう態度であるということを長ずるにつれて彼も理解できるとよいのだが。

「良いかね。敵は確かに優秀だ。成り上がりどもの国家とみて侮る危険性は理解しているな。」
「はっ」

アルビオンへ渡った魔法衛士隊では、その点を徹底して教え込んである。敵を侮ってはならない。自らの力量におぼれてはならない。皮肉なことに、私自身が前線で気がついたそれは、部隊に教えることができたのはアルビオンに亡命してからである。前線で侮っていた敵が恐るべき敵であることを理解したのは、あまりにも遅すぎた。それは、敵情をあまりにも理解していなかったからだ。

「だが、敵は我々がグリフォン隊であることを考慮に入れていない。」

「では、罠も陸だけであると?」

ならば、容易に突破できるのではないかと期待する彼にはすまないが、下手な希望的観測は打ち砕いておかねば、いざという時動揺されて使い物にならなくなる。最悪に備えなくてはならないのだ。

「いや、あれだけ用意周到な相手だ。確かに、罠は陸路に用意していても、フネや龍騎士隊がいないとは考えにくい。」

純粋にフネならば、簡単に振り切れる。快速のフネであっても、グリフォンほどの速度は望むべくもない。接近した時の火力は脅威であるが、振り切ればさほどの物でもない。だが、龍騎士隊は大きな脅威だ。なにしろ、長距離を追撃してくる上に、騎乗したメイジの攻撃にも耐えなくてはならない。我々は、精鋭の魔法衛士隊であるが、無限の敵に無傷で勝つことは叶うわけがないのだ。

「では、何故あえて南方に?」

「相手の思惑に乗るのだよ。おそらく、敵は罠に踏み込むまでは、我々が突破しつつあると錯覚できるように手出しを控えるはずだ。」

「そのために、龍騎士等の展開を控えると?」

「わざわざ罠を仕掛けたのだ。罠に踏み込もうとしている相手に余計な手出しは控えるだろう。」

仮に、相手が対応をどこかで変化させて、攻撃してきてもその時は騎乗して空を駆け抜ければ突破は可能だ。それならば、一番敵の行動が予測できる南方を突破するのが堅実だろう。相手の思惑を挫くことができれば、その打撃も大きい。どちらにしても、不確実な部分が多い以上、それを少なくとどめるようにしたい。であるならば、途中まで相手の思惑に乗る振りもよいだろう。

「さて、手はずを整えるぞ。まず、南方に向けて一心不乱に突破を図る。おそらく、敵の伏兵があるとみていいだろう。」

であるならば、その伏兵を釣りだすことを主眼としなくてはいけない。当然、ここは風のメイジが誇る切り札を切るべきだ。遍在は偵察にも戦闘にもどちらにも恐ろしく有効だ。それだけ消耗もするが、先行させるのは4体。なんとか、やってやれない規模ではない。

「遍在を先行させ、それが襲撃された時点で、空に上がる。」

そうそう、簡単にやられるつもりもないが、足止めできる時間は限られているだろう。だが、その瞬時の差で距離を稼ぎ、追撃を振り切るほかない。分隊規模の遍在に敵が喰らいついた瞬間が勝負だ。全力で敵が攻撃してきた瞬間は、敵の注意がその点に集中せざるを得ないだろう。空は、警戒が薄まる。そこで、しかける。

「ただ、龍騎士隊の追撃が懸念される。最悪、中隊規模の敵が数個来ることも覚悟しておくように。まあ、トリスタニア上空のように何かを、守りながらというわけではない。気楽に突破するように。」

部下達の緊張がややほぐれたのを見て安堵する。言うは簡単だが、龍騎士隊は強敵だ。トリスタニア上空では、奇襲を敢行できたために、一撃で大きな戦果をあげることができたが、今回は立場が逆だ。逃げるという構造は変わらないが、奇襲にも警戒しなくてはならない。追撃を振り切っても捜索の手ものばされるはずだ。当分は、情報収集に専念して潜伏するほかない。

「ああ、そうだ。突破できたら、先日駅舎から頂戴した良いワインを提供しよう。残念ながら、タルブの名物ではなく、ガリア産だが。」

気をはるな。自然体であれ。

「ガリア産?毒でも盛られていませんかねそれ。」

「問題ないでしょう。ゲルマニア人が試飲しているはずでは?」

「いや、我々は繊細だからな。」

怯えは死因だ。笑える兵士は強い。虚勢でも良い。指揮官とは、そういう雰囲気を形成するのが仕事なのだ。

「部下にそういうのがいたとは知らなかった。この発見をアカデミーにでも報告するとしよう。」

「捕まるのはごめんですな。」

「だから、グリフォンに乗っているのでは?」

「なるほど、ならば今回も楽に逃げられますね。」



{ミミ視点}

「かかりました。連中が突進してきます!」

「さすがに、速いわ。もう、第二陣に斬り込みを?」

衝撃力が想像以上だ。予め手薄にしてあるとはいえ、一個分隊にそうそう簡単に突破できる水準の防備ではないつもりなのだ。それがどうだ。本命の第三陣までまだ余裕があるとはいえ、今にも二層目の重装歩兵を突破しようとしている。第一陣の防御に特化したそれをあっさりとだ。第一陣の突破報告と第二陣の接敵報告がほとんど同時というありさまには、敵練度に感嘆するばかりだ。

「メイジ達が交戦中ですが、おそらく突破されるのは時間の問題です。」

「想像以上の練度ね。さすがに、敵後方地域で暴れるだけのことはあるわ。」

少数で後方を錯乱するには、多くの困難が伴い、それらを克服するだけの技量を持ったものでなくては成し遂げられない。技量や精神力のある文字通りの精鋭が突破しようと、全力で突撃してきている。その攻撃力はまさに驚異の一言に尽きる。まともに正面から当たっていたらどれだけの損害を覚悟させられるだろうか。考えたくもない水準にならざるを得ないだろう。

「罠を仕掛けて正解ね。正面からぶつかりたい相手ではない。」

アルビオンからの流入してきたメイジたちは、実力確認も兼ねて第二陣に配置したが、やはり連携と錬度が今一つだ。むろん、急ごしらえにしては良くやっているのだろうが、相手が連携のとれた少数の部隊で突破を図ってくるのは抑えにくいだろう。犠牲が出ることを避けるために無理をさせていないとはいえ、もう少しやりようがあればよいのだが。

「敵の系統は?」

「風との報告が。どうやら、風メイジだけで編成された分隊のようです。」

風メイジ。なるほど、確かに汎用性が高いのは間違いない。何より、連中の耳の良さやすばしっこい動作は後方で策動するには有効だろう。だが、威力に関してならば火が一歩先んじる。決定的な打撃力を発揮すれば、打倒せない相手ではない。

「第二陣抜かれました!突っ込んできます!」

飛び込んでくる報告に、気を引き締める。ここが正念場。まさに、働き場である。杖を構えて、精神を集中させる。

「ひきつけろ!一撃でしとめる!」



{ワルド視点}

南方は確かに手薄であったが、それにしても二層の重装歩兵は少々抜くのに手間取った。接敵するまでは、他方面が四層だったので手薄かと思っていたが、これで意外に時間が喰われる。メイジの数も、大半は遠隔地の防衛に出払っていて少ないと聞いていたのが、かなりいるではないか。大方は、アルビオンからの流入メイジを上手く編入したのだろうが、これほど戦力化されていると、多少なりとも時間が惜しい時に足を引っ張られる。

「第二陣の重装歩兵団が散らばりました。今のうちに、我々も出ますか?」

「遍在との距離を保ちつつ出る。おそらく次が本命だろうが、手ごわいぞ。」

白い仮面を全員でかぶり、こちらの身元を特定できないようにしているために、遍在が同一の顔をしていることにも気がつかれていないために、遍在の一群をこちらの全てだと敵は誤認している。故に、伏兵のつり出しは上手くいくだろう。だが、遍在だとばれるまでにあまり余裕がないかもしれない。

「っ、どうやら本命のお出ましのようだ。一体やられてしまった」

「上昇しますか?」

「いや、今しばらく待て。できれば、敵指揮官を仕留めたい。それで、遅延できるはずだ。」

欲張っているとの自覚はあるが、ここで敵の伏兵指揮官を仕留められれば、おそらく指揮系統の混乱を期待できるだろう。そうなれば、突破の難易度もかなり低く抑えることができるだろう。指揮官先頭の精神は賞賛されてしかるべきだが、さて、突っ込むしかあるまい。どのみち、ここを突破できなければトリステインもルイズも守り抜くことすらできないのだから。メイジたらんと。自らを定義したその初心に帰るのは、いつ以来のことだろうか。笑うほかない。聖地を求め、権力を求めた自分にとって、戦場がこれほど心安らぐ思想場となるとは。

「私の遍在も介入させましょうか?

「いや、引き続き監視にあててくれ。」

投入できる戦力が欲しいとは思う。だが、状況理解と監視の任も重要なのだ。突っ込むだけが戦争ではない。まあ、敵中に活を求める道もないわけではないのだが。

「閃光の二つ名をゲルマニアにも広めておく良い機会だ。邪魔はさせんよ。」

「これは失礼。副隊長に譲ると致しましょう。」

「すまんね。」

そう言うないやな、遍在を一気に飛び出してきた伏兵部隊にむけて突貫させる。錬度の高い良い動きをする軽装の歩兵が弓や銃で発砲してくる。同時に、その間隙をぬって白兵戦に持ち込もうと剣士が突っ込んでくる。良い判断ではある。確かに、メイジは一般的には近接戦闘が苦手だ。メイジ殺しの大半が剣士であることもそういう理解があるからに、他ならない。だが、我々は魔法衛士隊なのだ。杖からして貧弱な木の棒ではなく、実戦を想定した杖剣。剣術とて、並みの剣士に引けを取るつもりは一切ない。我が身を平民の剣にかけられるなどあり得ない。

「命が惜しい者は退くがいい!」

そう怒号すると杖剣を振るい、敵兵に斬り込む。伏撃の初撃で、魔法攻撃。メイジが本能的に平民の武器によって殺されること忌避することを活用し、魔法攻撃に並行しての投げ槍から矢に弩に銃まで放たれた。そして、そこで足が止まったところに近接戦闘。実に、理想的な対メイジ戦闘の教本のような攻撃手順であるが、単純に魔法衛士隊相手であるという一事を理解できていないことが大きな代償を払わされることになる。接近戦に持ち込んでいる歩兵ごと魔法攻撃を行うほど愚かな指揮官で無い以上、この混戦は私にとって有利なのだ。メイジは遊兵となり、結果的に時間が稼げる。なにより、いちいち投射されてくるものに対応する手間がかなり減るのも大きいが。

「その程度か!」

勇を振るって斬りかかってきた剣士を返す一撃で斬り伏せ、そのまま混戦を少しずつ敵指揮官に近付けてゆく。一撃。その機会をうかがいつつ徐々に、そう徐々に斬り込んでいく。指揮官がいると思しきメイジ達の一群。その盾となっている歩兵まで混戦に巻き込めば、指揮官強襲が可能となる。仮に指揮官を仕留められずとも、その防戦に手いっぱいで指揮系統が混乱するのは避けられない以上、時間は稼げる。

「射線を確保しろ!混戦に巻き込まれるな!正対するな。数の優位を生かして押し包め!」

「ほう、驚いた。レディが指揮官か。」

若いが優秀な指揮官だ。混戦の不利を悟っている。杖に手を伸ばしていることから、最初の魔法攻撃にも参加していたのだろう。そして、最悪巻き込まれることも懸念しているあたりは良い読みだ。だが、対応が少しばかり遅い。判断が、教科書通りすぎる。或いは、経験が偏っているのかもしれない。こういった、普通とは少し異なる戦い方はあまり、一般的ではないのだから。

「さて、しかけるか。」

「では、上がりますか?」

「私の遍在が敵指揮官に斬りかかる。その瞬間に上がるぞ。」

遍在が奮戦する一方で、そのやや後方に潜んでいる我々が突破し、脱出するためには敵の組織的な追撃をできるだけ混乱させて、麻痺させる必要がある。故に、南方の伏兵に指揮官がいるのは幸いだ。罠を張り、優秀な手際を見せているよき敵だ。だが、まだ若い。戦場では、経験がものを言うのだ。今しばらくは、経験の差というやつを味わってもらうとしよう。次に活かせる機会があるかは、彼女次第だが。



{ミミ視点}

何故!?何故!?伏撃は完璧に決まった。四方からの魔法攻撃。並行して銃と弓による攻撃。その直後に剣士による白兵戦への移行。全てが、順調であった。なのに、倒せたのはわずかに一人。そして、混戦になった部隊は徐々に抜かれかけている。声をからして指示を飛ばすも、追いつかない。

「かかれえっ!数で押し包め!」

たった、たった三人のメイジ。そこに、白兵戦を専門とする剣士をぶつけたのだ。圧倒するのは時間の問題でなくてはならない。だが、実際はどうだ。また、一人、また一人と斬りかかった剣士が斬り伏せられているのだ。時折、剣を振るいながら魔法攻撃まで放たれている。なまじ接近しているために、剣士達がそれを避けるのは非常に困難となる。

「ミス・カラム、お下がりください。混戦に巻き込まれかねません。」

「お気づかいには感謝しますが、指揮官が下がるわけにもいかない。」

押されているときに指揮官が後退する?それは、できない。いくら合理的な理由があっても、それだけはできない。敵に背を向けないものを貴族と言い、メイジというのだ。我が一門は常に辺境でその勇を示してきた。ここで、その名を辱めることはできない。

「良い判断だ。まさに、基本に忠実といったところか。」

「迎撃!」

抜かれてしまった!?いや、一人が突出して突っ込んできている?っ、歩兵は混戦で動けない。こちらは、こちらで対処するほかない。後手に回り、終始後手ではないか!先手をとったのはこちらで、主導権を握っていたはずではなかったのか?

「む、炎のメイジか。面白い。」

「風で押し返せると思わないことね!」

「芸の無いことだ!」

『フレイム・ボール』を詠唱、手数で押すつもりが、エア・シールドに防がれる。火で圧倒できない?つまり、火力不足。ならば!

「思い切りのいいことだ!」

とっさに詠唱を行おうとしたところに、何かの詠唱が行われた気がして、とっさに回避する。つい先ほどまで立っていたところが不可視の風の刃に切り刻まれている。会話していたのに、魔法を詠唱している?この独特の詠唱方法は、名高い魔法衛士隊のものか!相手が悪い。忌々しいが、相手は手だれの対メイジ戦闘専門家だ。

「槍衾で対応しろ!数の優位を活かせ!」

並みのメイジ相手では、近接して斬りかかるほうが効率的だが、そうでない相手には、槍衾で四方八方から襲いかかるしかない。手数で圧倒するしかないのだ。そうでもしなければ、魔法を使えない兵士では戦闘に特化したメイジ相手には対処ができない。そして、厄介なことに、魔法が使えて、接近戦にも対応しているメイジというものに対峙したがるほどの勇者は、物語にしか存在しない。

「怯むな!押し返せ!」

自分でも無茶を言っていると思う。組織的な抵抗ができているだけでも、兵の士気を讃えるほかない相手なのだ。単純な計算だが、仮に、一体の亜人を5人がかりの戦士で倒せるとしよう。実際は一人か二人が犠牲になれば、その隙に亜人を倒せる。だが、その一人か二人になりたい兵はいないのだ。まして、その亜人を圧倒するメイジをさらに圧倒する難敵が相手では、兵には荷が重い。それが、ここを死に場と暴れまくるのだ。

「化け物め。」

混戦では、切り札の龍騎士隊すら上げられない。並行追撃をかけられては、ここで後退してもじりじりと圧力がかけられてしまう。仕留めることを断念し、防御に徹したとしても、包囲形成中の他部隊が合流し仕留めることができるようになるまでに、考えたくもない損害を出さなくてはならないだろう。いっそ、本当に、突破させて後ろから追いかける方が幾分楽だ。死ぬ気で抵抗されては、本当に大きな損害を出される。

「よそ見する余裕があるのかな?」

「っ!?」

咄嗟に掲げた盾が真っ二つに切断される。鋼鉄製の代物がだ。風のメイジは一般にいろいろと器用ではあるが、単純な火力は文字通り火のメイジに譲るとされるが、これは規格外の化け物だ。正直、突破されていないのが奇跡としか思えない。やつはこちらと会話しながら戦闘する余裕すらあるのに、こちらは指揮すらまともにとれない状態だ。

「センスは良いが、経験が足りないようだな!」

突っ込んでくると予想し、ファイヤー・ウォールを目の前に出すも、あっさりと回避される。突っ込んでくるように見せて、こちらの詠唱を聞きとっていたとしか思えない反応。いくら、風メイジの耳が良いといったところで、この混戦で聞き取れる物なのかと思わず、呆れてしまうほかにない。これだけの相手を押さえこめている?何かの冗談だ。

「何かの、冗談?・・・まさか、貴様!遍在か!」

可能性は一つ。この厄介な突撃と、厄介な混戦は意図的な物。この死に物狂いの奮戦も、遍在という使い捨ての陽動。だとすれば、本隊は別にいる!?だとすれば、この目の前の仮面をかぶった人物は全て遍在。まさか、一人で全ての遍在を出しているわけではないのだろうから、少なくとも2・3人の本隊がこの混乱に乗じて離脱しようとしている?

「ご名答。だが、貴女は気がつくのが少しばかり遅すぎたようだ。」



{ワルド視点}

ゲルマニアの人材は実に豊富だ。いっそ羨ましいというほかないほどに優秀なのだ。数百人単位の兵を、混戦でありながら指揮系統を維持しつつ、スクウェアである自分をまわりの護衛たちと抑え込もうとできる人材が、あっさりと出てくるゲルマニアの軍人が実に羨ましい。アルビオンの空軍と言い、ゲルマニアの諸候軍といい、実に優秀な人材が集まっている。

「経験不足といったところで、いつまでそれが通じることか。」

まだ若いからと侮るか、まだ若いにも関わらず、あれほどのと見るべきか。こちらの遍在が囮だと見破るのが遅かったとはいえ、まあ対メイジ戦闘の専門家でないことを考えれば上出来すぎるくらいだ。

「まあ、なにはともあれ、今はのんびりと飛べますがね。」

「ああ。だが、気が重い。ああいうのを敵にたくさん抱えているのだからな。」

ゲルマニアの龍騎士隊は結局、上がってこなかった。と、いうよりはいつでも上がれる状態で動けなかったというべきか。なにしろ、計画通りに事態が推移しているとばかり、思われていたのだから、上昇命令がなくとも不信感を抱かず、結果的に我々を見逃すことになった。残してきた、監視用の遍在がやられる前にようやく慌てて飛び出したが、遅すぎる。とはいえだ、今回は上手く切り抜けられたが、次もそううまくいくと期待しすぎないことが肝要だ。我々は実に困難なことをやらざるを得ないし、続けざるを得ないのだから。

「それにしても、敵は想像以上の連携が取れていました。あの伏撃など教本にのっていてもおかしくないものです。」

「後方、それも前線に出ていない諸候軍と侮っているつもりはなかったが、甘かったようだな。」

敵は組織的な抵抗を最後まで維持し、結局遍在は仕留められてしまった。次は、容赦なく距離を取って火力で犠牲をいとわずに圧倒してくることが予想される。思い切りのよい指揮官ならば、接近されて大量出血を強いられるよりは、メイジの本領を発揮されても、仕留められる魔法の応酬を選択してくるだろう。今回のような奇手はそうそう使える物ではない。これで、留守を、守っている軍なのだから、主力が帰還した時のことを思うと、率直に言って手を焼かざるを得ないだろう。

「一撃離脱。それに徹するほかあるまい。」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき(という名の、贔屓の隠蔽?)

7万人を相手にできる素質を持つ勇者と、戦えるワルドは、リアルチート級の戦力何だと思うのです。

アルビオン王家滅亡時に、壁となる兵がいなければとか言われてました!だから、エルフみたいに反則級の防御ができるわけではありませんが、しかし、すごく強くたっていいじゃないか、ワルドだもの。

彼は、立派なゲリラ屋になるのです。でも、軍人ならむしろ武勇伝で、綺麗なワルドだと思うのです。ほら、スカンデルベクとか英雄ですし。

更新が遅れた理由は、パラドックス社の新作です。
Warband、楽しゅうございました。というか、まだ止められませんorz

できれば、できれば今週中には、外伝終えたい・・・。



[15007] 第六十話 会議は踊る、されど進まず4
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/04 12:52
{ロバート視点}

「メイジというのは、恐ろしいものだな。」

報告書を見るなり、私はそう呟かざるを得なかった。艦隊で、トリスタニアを白昼堂々襲撃することに比べれば地味かもしれないが、分隊で白昼堂々船着き場を吹き飛ばすのも派手だろう。おかげで、我々は絶望的なまでに高騰した風石の調達費用と、壊された施設の復旧作業を速やかに完遂して、影響がないことを対外的に示さなくてはゲームに負けるということになる。だが、それよりも報告書を呼んで驚愕したのは個人が、文字通り戦力として異常に脅威足りえる世界だ。

「スクウェア・メイジ。まさにメイジの中のメイジです。」

「で、どうすれば倒せるのかね?」

スクウェアといえども、メイジだ。エルフではない。個人的には、エルフの精霊魔法といいもので戦艦の主砲でもはじき返せるかどうか試してみたいが、ビスマルク級よりも頑丈なのだろうか。いや、それはいい。ともかく、メイジは防御能力があるとはいえ、決してエルフほどには倒せない相手ではない。少なくとも、戦争でスクウェア・メイジといえども戦死しないわけがないのだ。

「弓矢や銃でとにかく四方八方から撃つほかないのでは?」

ギュンターの提案してくる案は、無難な物ではあるが、しかし、それに残留部隊はことごとく失敗している。接敵しても、足が速い上に、突破力が優れている部隊らしく、まともに拘束することすらできていない。講和会議は確かに、開催までに時間がかかるが、その事前交渉において足を引っ張られるのは望ましくないだろう。特に、大公国はしたり顔で出てくるし、アルビオンも利益代表国としては、プロイセン並みに平和を愛する善意の仲介者だ。

「それは、狩りだな。となると、久々に狩りを楽しむことにしよう。」

根本は、石器時代の勇者と同じだ。なるほど、さすがに魔法を手にしている点は、まさしくおとぎ話の世界から出てきた英雄かもしれない。だが、個人の力量に依存した戦争がいつまでも戦え抜けるとは思わないことだ。ハンニバルですら、ローマを打ち破ることはできなかった。とにかく、煩わしいができる限りのことを尽くして、外交に専念したいところなのだが。



{アルビオン一般視点}

講和会議をどこで開くべきか?実のところ、それが微妙にして、講和会議最大の課題である。ゲルマニアにしてみれば、トリスタニアという征服したばかりの敵国の首都か、ヴィンドボナで開くことを希望している。だが、アルビオンにしてみれば、それでは得る物がないのだ。いくばくかの土地は得られよう。運が良ければ、いくつかの停泊地の使用権も得られるだろう。だが、大陸への渇望がいやされることはない。

「同君連合ではなく、実質的な吸収合併。大公国は、自国の独立性が維持されるならば、同意すると。」

カードが一枚大きなものが転がり込んできた。大公国がトリステインの貴族から買い取ってきたカードは、いくばくかの利潤を上乗せされて、アルビオンの手元に届けられることとなっていた。まっとうな商取引として、当事者はすべからく満足するという実にすばらしい商取引であった。

「大変結構。だが、連中のことだ。抜け目なく、経済的な独立性も主張していよう。」

旧トリステイン領処遇に関する会議。すでに、過去の存在としてのみ語られ始めた王国の領地に関する経済的な権益を依然としてかの国は求めている。いささか大きな要求ではあるものの、こちらは失うものよりも得る物が多いことを考慮すると、よい一つの取引である。大公国が、金融という力で持ってロマリアにも一定の影響力を行使できるのも大きい。

「ゲルマニアの占領地は?」

「ゲルマニアに帰属だ。幸い、王室領は乏しい。」

対ゲルマニアの前線警戒。ごくまっとうな感覚で、トリステインのゲルマニア国境付近はすべからく有力な貴族や、軍人上がりの貴族らが配置されていた。故に、暴走を招いたとはいえ、それは、我らの完治するところではない。問題は、依然として防衛を継続している有力貴族らの領地だが、その帰属に関してはさほど重要ではない。ゲルマニアが血で買い取った大地は、さすがにゲルマニアのものだ。取り上げれば、纏まるものも纏まらないだろう。当然、抗戦中の領地についても譲歩する必要がある。

「では、重点は分割で良いのか?」

「構わないだろう。」

重要なのは、双方が、妥協できる程度の水準までこちらの要求を付きとおせるかにかかっている。極めて簡単にして重要なポイントは、欲張らないこと。全てを取って滅ぶよりは、長く人生を楽しめるようにする必要がある。だが、そのためには、人生において多少の苦労を厭うことができない場合がある。例えば、旧首都。

「問題は、トリスタニアだ。帰属は?」

併合ではなく、婚姻による共同統治ということを考慮するならば、完全に敗北したトリステイン王都といえども、完全な割譲は政治的には受け入れがたい。少なくとも、旧トリステインは、講和文章にサインすると同時に、アルビオンとの連合にもサインしてもらうまでは存在しなくてはならない。当然、場所はトリスタニアでなくてはならない。名目上の対等性。実質は一切伴わないといえども、その程度はやらねばまずい。

「ゲルマニア・アルビオンの共同統治しかあるまい。」

「サインさせるまでは、押さえておきたい。できないだろうか?」

トリスタニアの規模は確かに、経済的にも政治的にも魅力的でないとは言えない。だが、それを取りに行って、ゲルマニアとの、最後の一線を踏み越えるのは断固として回避せねばならない。大公国との合意では、平和が大前提なのだ。サインさえさせれば、トリスタニアはガリアに帰属しようが、ロマリアに帰属しようが、ゲルマニアが焼け野原にしようが一切我々としては関知するところではない。

「実質的な対トリステイン戦勝記念碑に等しい。譲らせられるのか。」

「戦費支援はいかがでしょうか?」

「連中が、満足する額を払ってみたまえ。破産する。」

ゲルマニアはトリステイン戦で領土を分捕っても赤字である。で、あるならばその分の穴埋めを申し入れれば可能性はあるのではないだろうか?もちろん、イエスである。ただし、払えるかどうかという問題は深刻であるが。

「たしか、大公国から買い付けたアレの対象は資金に余裕がありましたな。」

「絞り上げると?ですが、ロマリアが横やりを入れてきませんか?」

対ガリアという点からして、ゲルマニアの弱体化はロマリアにとっては望ましいものではない。しかし、飼いならされていない猛犬よりは、訓練された狗の方が使いやすい。ロマリアにとって散々恩を売りつけ、ゲルマニアに影響力を行使するべく暗躍している情勢下で、アルビオンとゲルマニアが円満に解決できることを妨害してくることが予想されてならない。例えば、反アルビオン叛乱や宗教上の介入などいくらでもやりようがある。

「むしろ、ガリアだ。我々は、国内にも多くの不安要素を抱えているのだぞ。下手に動けば大惨事に発展しかねん。」

国内は政争の傷痕が残り、貴族達は不安と不信を王家に抱きつつある。事情を知る人間が少ないが、その一件は政治的には致命的な宗教問題にも発展しかねない火種だ。誰が火種に油を注ぎこむのかさえ、わからない状況では下手な行動は爆炎を招きかねない。

「いっそ、大公国が出してきた例の提案に乗りますか?」

「トリステイン4分割構想かね?論外だ。」

「ですが、検討の余地はある。」



{ロマリア、某枢機卿団視点}

光あれば、影がある。彼らは信じていた。自らの影が、その光を生み出す真の要因であると。歪んでいようと、それは確かな信仰心であり、利権が複雑に絡み合ったキメラのような精神であったが、それだけにここにいる人間は強力な団結力を誇っている。

「で?トリステインはどう処理されるのかね?」

「分割でしょう。2か3か4かは知りませんが。」

ゲルマニア、アルビオンによる分割は確定だが、大公国と、防戦に成功している公爵家を入れるか、いれないかとい問題がある。2はアルビオン、ゲルマニア両国の望みだろうが、それは受け入れがたい。理想は、各勢力が混在することだ。できないならば、せめてトリステイン旧領分割に際して、大公国の独立を認めつつ、旧トリステイン領をゲルマニア・アルビオンに加えて、公爵家で割るのが次善の策となる。

「我々としては、4が望ましい。だが、3が最も現実的な選択ではないだろうか。」

「公爵家を残す理由は?教会の統制にも伏さない上に、さしたる権益ももたらさない以上、影響力を積極的に行使する理由は乏しいのですが。」

教会にとって、飼いならせない猛獣など危険な存在でしかない。そういう視点から見た場合、優秀なメイジと諸候軍を備えて、求心力のある大貴族ほど始末に負えない存在はないといってよい。

「猫には鈴が必要だと思わないかね?」

だが、それは同時に規模の問題を伴う。それが、ゲルマニアの規模であれば何があっても排除すべき対象だが、弱小国の、一角を占める程度の規模であれば毒薬とて、薬足りえるのだ。量が問題であり、毒薬としての量に達していないならばこれを処方することにためらいはないといってよい。

「空の国ではいけませんか?」

「甘いな司教。君は、優秀だが鈴の数がいくつあっても困らないということを知らないようだ。」

選択肢は多いほうがよい。とてつもなく、選択肢の多寡は全てに影響してくる。で、あるならば、必然的に鈴は多いほうが安全であるのだ。

「相互に牽制させれば、よろしい。元々一つにして力を合わされるよりは、ばらばらにしておく方が操るのも容易でしょう。」



{フッガー視点}

「講和会議は?」

「前哨戦、どこにするかといったところで未だに揉めておるよ。」

状況は常に把握している。しかし、火種が大きすぎて下手に探りを入れると、こちらも大やけどでは済まない。近づいて確認するのは良いが、近づきすぎては危険な領域がある。それは、交渉の秘密事項というやつであり、情報という商品の独占をはかろうとする当事者達の駆け引きでもある。だが、商人という者は、落とし所を見つけることにかけてはずば抜けた才覚を発揮する。

「トリスタニアで確定でしょう。アルビオンもゲルマニアも我慢できるところはそこしかない。」

「だが、貴族がそう判断するか?」

合理的な人間の、最も不合理な失敗は、誰もかれもが合理的であると仮定し、信じて疑わないことだ。火に触れれば火傷する。ならば、誰も火に触れないであろう。これは、合理主義者にとっては自明の理だが、火に触れて火傷する人間は後を絶たない程度には、不確実である。

「メンツ、プライド、意地。まったく、厄介な子供に危険物を与えたようなものだ。連中がどうするかわからん。」

「アルビオンもゲルマニアも現実的だ。今回は、安全だろう。」

まあ、さすがにというべきか。アルビオン王家は、堅実だ。政変があった時はさすがに揺らいだといえるが、その判断力は健在だろう。対して、ゲルマニアは政治に長けた皇帝なのでここでしくじることは考えにくい。両者ともお互いを嫌い抜きつつも、最低限の落とし所を見つけるためににこやかに握手することは可能であるし、あり得る。

「では、例の分割構想案について何かつかめたか?」

「無理だ。そもそも、口頭で行われた可能性が高い。」

「文章としては残っていない?」

情報の信ぴょう性、あるいは単純な情報の精度でもいい。とにかく、把握できなければ予想は予想にすぎないのだ。誰が、どこを斬りとるのかさえ分かれば、個別交渉に持ち込みいくらでも損害は抑えられる。重要なのは、損害の最小化と利益の最大化だ。そこには決断のための、なにかカギが欲しい。



{ラムド視点}

「では、講和会議の場所はともかくとしまして、当該会議の参加国について、アルビオンはどのような形が適切であるとお考えかおうかがいさせていただきたく思います。」

外交官の本分とは、こういった外交交渉である。時間がかかり、無駄な当てこすりと、言葉に毒を混ぜたやりとり。悠長であるように見えて、気を抜けば一歩で転落が確定するために神経を使わされる仕事だ。まるで、メイジ同士の決闘に近い感覚を抱かされる。いつも、杖を握りしめて油断なくあたりを見渡さねば、一撃で叩きのめされるのではないかという危機感すら覚えるのだ。

「はい、アルビオンといたしましては、その議論は火急に解決すべき問題の解決を遅くさせるために、当事者間、つまりトリステイン及びゲルマニア双方から関係者を選出していただき、その上で申し出があった各国を招き入れることを検討しております。」

「ゲルマニアは、主として事態の重要性を鑑み、アルビオン提案を真摯に検討するものであります。ゲルマニアとしては、議長国として参加国をただちに招聘する手続きに入りたいと思っております。」

正直、アルビオンがここで譲歩してくるはずがないというのは、参加者全員が共通了解として有しているが、ある程度の予定調和は不可欠な一部である。これを欠いては、こちらにその意思なしと見なされるのだから。言っておくことに意味がある場合もかなり多い。どれほど馬鹿げた提案であろうともだ。

「アルビオンといたしましては、事態の重要性を鑑みて、ゲルマニアが当方の提案を真摯に検討される旨、歓迎いたします。」

ほとんど機械的な礼儀の応酬すら、一個抜けると政治的な意味合いを持ちかねない。魔法は詠唱だが、言葉というものには魔力が何かあるように思えてならない。外交という仕事はこれほどまでに、言葉が大きな事態を惹き起こしかねない力を持っている。これは、メイジにとっての本分であると言ってもよいのではないだろうか。

「ですが、利益代表国としてトリステイン及びゲルマニアの仲介を行う我が国としたしましては、交戦国の当事者であるゲルマニアが議長国を占めるのは、講和会議の正当性に関する無用な疑義を招きかねないという点から、反対の旨、表明させていただきます。」

「ゲルマニアとしては、アルビオンの友情ある忠告に感謝したいと思います。しかし、講和会議の性質上、被害者である我が国に過度に同情的であるとトリステインに見なされうる議長国の任は、我が国自身が引き受けることで後日の禍根を、少なくとも他国におよぼさないようにする道義的な義務があると、私たちは確信しております。」

誰がやっても問題ないだろう?実質的にトリステインという国家の存続が許されるのはこの講和会議の講和文章にサインするまでなのだから。叛乱や、抵抗運動など面倒な事象が山積することになるよりは、一部をアルビオンに押し付けて苦労を分かち合う程度の忍耐力は我々も持ち合わせているのだから。

「アルビオンといたしましては、その議論は、ともかくとして、ゲルマニアが適切と思われる参加国についてのお話をまずは伺うべきかと考えております。」

「はい、基本的に関係国が納得し、全員にとって公正かつ納得いくものにしたいと考えております。」

基本的に、だ。極論を言えば、我が国とまあ大公国あたりが納得できればそれでよい。一応、ロマリアの坊主どもにも多少の甘い汁を用意しておかねば後が厄介なことになりかねないだろうが。だが、それらを差し置いても、我々としても多国間の関係を重視しておきたいのは間違いない。我らの主敵はガリアであり、一に対ガリア、二に対ガリアである。ガリアを挟撃できるというならば、エルフとでも抱擁して見せる自信が外交官としてはある。ならばだ、どうでもよいような領地などアルビオンにくれてやってもよい。だが、譲歩はできる限り最小限でなくてはならないのも当然だ。



{トリステイン‐ゲルマニア第一戦線、ゲルマニア視点}

「攻撃開始!」

指揮官の怒号と同時に、大砲、銃、クロスボウ、弓、魔法。ありとあらゆるものが目の前の抵抗を粉砕しようと放たれる。もっとも、これは敵からも放たれるので、攻撃の応酬は過激な形で返されるとも言う。なにしろ、相手は規格外のメイジをそろえているのだから。

「側面を突くぞ!騎兵を出せ!」

本来、戦術的にみれば力攻めは得策ではないのかもしれない。じりじりと圧力をかけて包囲していくことが理想だ。だが、事情が変化した。いつになるのか不明な講和会議が開かれている以上、時間をかけて領地を斬りとるよりも、とにかく現時点での占領地拡張が最大の戦果になりえる。

「くそ!穴を広げろ!兵を突撃させろ!」

当然、犠牲が大きかろうと短期的な損害で回復が見込めるとなれば、講和会議に圧力がかけられるとなれば、上が求めてくるのは大規模な全線での攻勢である。曰く、戦後を見据えた占領政策。曰く、講和会議に影響を与える必要がある。とはいえ、要はたくさん兵の死体を積み上げろということでしかない。

「第三中隊長がやられた!後退だ!後退しろ!」

「追撃を叩き返せ!」

「砲兵!敵集団にお見舞いしてやれ!」

「畜生!また、あの風メイジだ!クソッたれ!!」

結局のところ、得るところがなくとも、外交的には猛攻をかけているという事実が重要であるというならば、死体の量産を躊躇なく上は要求し、指揮官も前線に出ないものは一瞬の躊躇いもなく肯定し、前線の兵が突撃させられることとなる。かくして、小競り合いは双方の外交上のカードとしてのみ認識され、その陰惨な実態は当事者の悪夢として残されることとなる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

頑張ってそろそろ講和会議の席順を決めたい・・・。
ウエストファリア条約は席順決めるだけで半年かかったらしいですね。
何とか、ペース上げていきたいと思っております。



[15007] 第六十一話 会議は踊る、されど進まず5
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/08 00:06
分身ができる敵というのは、軍にとって悪夢のような存在だ。斥候一つとっても、犠牲を全く恐れずに果敢に情報を集めていく。こちらは、敵の斥候を追い回しているつもりが、遍在に翻弄されているからだ。罠に嵌めたと確信した時、それが分身であれば、徒労でしかなく、複数の敵を追いかけまわすのは非効率的だ。故に、こうした相手は、まとめて吹き飛ばすに限る。それは、どうすればよいか?それは、ひとえに火と水によってのみ達成しうる。

ゲルマニア士官学校教典、非正規戦闘対遍在戦第一章より
著者:ロバート・コクラン辺境伯

補足事項
後方錯乱におけるメイジの有効性と脅威
風メイジは一般に遍在の脅威が、突出しているかのような印象が先行しているが、これらは適切ではない。実際の脅威は、耳の良さと機動力の高さに他ならない。戦闘に際して、風メイジほど組織的な戦闘継続能力を維持するメイジは存在しないと言える。火のメイジは火力で他を圧倒できるものの、メイジ特有の、打たれ弱さとは無縁ではない。長期的な消耗戦が最も有効である。水のメイジは戦略においては不可欠の存在ではあるが、戦術レベルでは一歩譲らざるを得ない。後方拠点での兵站や治療を担う水メイジは、護身を優先することが望ましい。土のメイジは大規模会戦が本領である。ゴーレム群の一斉突撃は、あらゆる戦場において最も恐怖すべき瞬間だろう。だが、単独行動中の土メイジの撃破は困難ではあるが、不可能ではない。後方錯乱に際しては、風を主として、補助として水系統が使えるメイジが最も合理的選択肢であるが、打撃力を求めるならば火系統でも良い。

追記
どちらにしても、狐にしては元気が豊富なので狩るときは細心の注意を払うこと。



{ロバート視点}

「諸君、狐狩りという遊びを今日は伝授しよう。」

居並ぶ諸官を前に、楽しい楽しい遊戯を説明する。伝統に溢れ、健康的で、かつほどよい疲労感がたまらなく素晴らしい英国が誇る無二の遊戯である。貴族の義務であり、たしなみとしてこれほどのものはどこにも存在しない。唯一ヨットは対抗し得るかもしれないが。私は、競馬よりはヨットを好まざるを得ない。

「獲物は、元気あふれるトリステイン狐だ。」

狐狩りで狐の代用品を追いかけまわすのは本意では何しても、切迫している以上やらざるを得ない。圧倒的に優勢な我々がいいように翻弄されているという事実は政治的に実に不愉快極まりない汚点なのだ。この事実、つまり私個人の名誉に何故か疑問が投げかけられるというのは、ひいては祖国の陛下に顔向けできない事となりかねない。

「狩り方は、まず燻し出すことから始めよう。」

「燻し出す、でありますか?」

「その通り。浮遊大陸はそろそろ最も遠方に行った頃合いだ。」

浮遊大陸が接近することによって、ハルケギニア大陸では天候が悪化し、降雨の可能性が高まる。当然、包囲網を形成する側にとってみれば天候という要素は大軍ほど影響をこうむりやすいだけに、十分な配慮が不可欠である。会議室の机に広げられている北部の地図に記載された、いくつかの拠点を意味する点にペンで攻撃対象と書き入れる。

「見通しは良好だろう。さっそく巣穴をつぶすことから始める。」

「明確な拠点探索でありますか?少数部隊では狩られませんか?」

「いや、違う。潜在的な拠点候補をつぶすことに重点を置く。探索ではない。サーチサンドデストロイだ。」

通商破壊作戦を防止するにはどうすればよいか?答えは実にシンプルだ。敵拠点を全て潰してしまえば、敵部隊は活動どころではなくなる。広大なエリアを探索して疲れ果てたところを襲撃されるよりも、広大なエリアを逃げまどわせ、疲労したところを討伐する方がはるかに容易だ。敵がこちらの弱点を突いてくるというなら結構。弱点を突く暇なく狩りたてればよい。要は、対潜戦闘と同じだ。

「敵はおそらく、我々の仮設拠点に備蓄されている物資を使用しているはずだ。」

本来は、亜人の大規模南下時に即応できるようにとある程度の拠点を構築した程度であったが、物資がある程度備蓄されている。それらは、管理されていないために、襲撃されて、奪取されていると見るほかないだろう。或いは、そこを根拠地と連中がしている可能性すら排除できない。ある程度の簡易的な防御設備があるために野営するには最適だ。

「そこの物資をすべからく回収すると同時に、一部に毒餌を混ぜて交換しておくこと。」

狐狩りの手法とはことなるものの、獲物が狐でない以上仕方ない。この程度の変更が有効かどうかは効果が出なければ分からないものだ。

「巣穴がなければ、出てこざるをえまい。」

「しかし、出てきたところで、捕捉できましょうか?」

簡単なことだ。毒にあたれば、指揮官は撤退を考慮せざるを得ない。毒にあたらずとも、食糧や水の補給を考慮すれば河川沿いに探索すればよい。なにしろ、獣一つとっても、水場付近にいるのだから探索行動は、方針が絞れる。あとは、空から探せばよい。分隊規模のメイジというのは、拠点や錯乱攻撃には有効でも、艦隊攻撃には向かないのだ。耳がいいということは、音に弱いということでもある。消耗させ、ミスを誘発すれば、捕捉は不可能ではない。


{マチルダ視点}

警戒に当たっている兵士の目を盗む形で彼女はひっそりとまた、一つの警戒線を突破した。これで何度目になるかわからない哨兵との接触に、肝を冷やしつつ、こっそりと帰還を図る。

「っ、それにしてもしつこい連中だ。」

そして、優秀でもある。ゲルマニアの官吏は仕事熱心というほかない。ロングビルなる亡命者一人を追いかけていくうちに不審な事態が複数確認されているという理由で、複数のメイジや兵が真相究明のために駆り出されている。

「最近は追及が緩くなったと思ったのに!」

余計なことをトリステインの人間が行っているせいで、ゲルマニアの不審者追求が苛烈を極めつつある。人目のある市街地を避けて、奥地の方へと潜伏しているにもかかわらず、そこの付近も戦闘によって軍が探索行動を行っている。仮に、発見されてしまえば、不審以前にハーフエルフということで、軍によって捕縛されかねない。いや、最悪は問答無用で殺されるかもしれない。

「どこの馬鹿か知らないけど、本当にいい迷惑だわ。」

なんとか、潜伏しているところへ戻ろうとするものの、すでにあたり周辺が軍によって何重にも包囲されている。孤立した集落の発見など、時間の問題かもしれない。いるのは、子どもたちだけなのだ。とにかく、最近はゲルマニアのフネや兵がうろうろしていて、危険が多い。実に厄介だ。



{ワルド視点}

「これ以上は、限界か。」

部下は良くやってくれている。少なくとも、何か問題があったとすればそれは指揮官としての私の力量に他ならない。だからだろうか、すでに我々は追い詰められつつある。けちのつき始めは、ゲルマニアの仮設拠点から奪取した食料に毒が盛られていたことだ。メイジにとって魔法以外で仕留められるという実に望ましくないかたちで一人脱落した。辛うじて一命は取り留めたものの、今は戦力にならない。誰かを残すにしても戦力は半減。

「見張り、交代いたします。さすがに、振り切れたでしょうか?」

さらに、毎晩のように敵龍騎士隊が徘徊し、中隊規模の敵歩兵が捜索行動を緊密に行っているために、休息をまともにとることも困難になりつつある。ようやく、今は、一段落つて、敵を振り切ったと思うが。すでに、小規模の小競り合いは二桁を越えそうなペースで増加している。警戒と、情報収集を兼ねた遍在が発見されて、襲撃される件数も増大している。おかげで、精神力の消耗も回復が追い付かないペースだ。

「ここに至っては、撤退だな。警戒も厳しい。これ以上は、全滅する。」

だが、どうやって撤退するかだ。当初は、ムーダの定期航路を使うか、陸路で脱出することを想定していたが、それ以前に封鎖線を突破しなくてはいけない。グリフォンで空路離脱する選択肢は、もう数日は使えない。アルビオン大陸は現状で遠すぎる。ある程度の時間があれば離脱行動も選択肢に余裕ができるが、現状では追い詰められているというほかない。

「ひとまず、態勢を整えよう。全周警戒だ。夜になり次第道を探すぞ。」

「敵です!副隊長、敵が!」

そう指示した時だった。遍在での見張りを交代したばかりの部下が、悲鳴のような報告をもたらす。耳がいい、風メイジだからこそこれまで、気がつけた。逆に言えば、敵情報を自由自在に集めてきたが、疲労困憊がここで祟った。交代するまで、疲労した部下が見落としていた!気がつくのが遅れた部下を責めるわけにもいかないだろうが、発見が遅れたということは、こちらに敵が気がついてしまう。

「三時方向より龍騎士隊です。全速でこちらに突っ込んできます!」

龍騎士隊!?最悪だ。こちらは疲れている上に、一人負傷者を抱えている。龍騎士相手では追撃を振り切るのは容易ではない。全速で突っ込んでくるということは、こちらの位置を捕捉していると見るほかない。まして、こちらの方が疲弊しているとあれば、騎乗しても逃げ切れるかどうか微妙なところとなる。油断した!

「ええい、貴様らは撤退しろ!遍在は残していけ。私が囮になる!」

囮になるのは良くも悪くも慣れ切ったことである。トリスタニア撤退からいつもこういったメイジとして、騎士としての働き場が与えられている。どう思うかは少々難しいものがあるのだが。龍騎士隊との戦闘は、地上で動きの遅い部隊を翻弄するのとは少々訳が異なる。

「副隊長!?」

「なんとしても、アルビオンへ逃げのびよ!いつかは、トリステインへ反攻するぞ。」

ゲルマニアは強敵だ。なるほど、一代で帝政ゲルマニアの皇帝としての地位を固めたアルブレヒト三世から始まり、その軍事的な練度も侮るべからざるものがあるのは認めよう。だが、いつまでもその栄華が堪能できるとは思わないことだ。私は、聖地へと赴きたい。だが、その前に、祖国を取り戻さねばならないのだ。

「そちらはどうされるおつもりですか!?」

「なに、逃げ回るだけなら死にはしない。少しばかり、振り回したら、私も後を追う。」

「囮ならば、自分が!」

部下が申し出てくれるのはうれしいが、彼の実力では無理だろう。優秀とはいえ、疲労しきっている部下では、囮にもならない。

「指揮官先頭の精神というだろう?私の領域だ。ゲルマニアを翻弄するのは私の特権というわけだ。」

言うほど簡単なことではない。だが、部下を犠牲にするわけにもいかない以上、囮は自分がやるほかない。指揮官先頭の精神を語っていた、アルビオンの空軍軍人たちに笑われるわけにもいかないだろう。となると、この杖をかけて戦う権利と義務は私にある。そういうことだ。


{ギュンター視点}

「捕捉できたのは幸いでしたが・・・。」

「抵抗が激甚を極めるか。遍在の出現パターンを分析したのは正解だが、できればもう少し敵の油断を突きたかったな。」

巣穴から追い出された敵が、遍在で哨兵代わりに警戒を行っていることは、これまでの分析で把握していた。河川沿いに探索を行いつつ、絞り込んだ結果として敵を捕捉。遍在の交代をつけたのだろう。まずまずの状態で龍騎士隊が強襲をかけることに成功したものの、抵抗が激しく、大きな損害を出してしまっている。

「いっそ、装甲化を検討すべきかもな。足が長くとも、打たれ弱くては、損害が大きすぎる。」

攻撃をした龍騎士隊の損害は目を覆いたくなるようなものであった。死兵、恐るべしというが、あれほど激甚な抵抗をされるとは。足が遅いフネに先行していた龍騎士隊の帰還部隊と遭遇したさいに、ただちに収容求むと請われて、大混乱を惹き起こしながらも何とか収容作業を行っている。

「収容急げ!」

甲板士官が、不要な物品の投棄を決断したのだろう。いくつかの箱が投げ捨てられている。むこうでは、水のメイジが飛び出して、負傷した龍騎士隊の治療に邁進している。どちらにしても、ひどい混乱が起きている。軽装の龍騎士では、風メイジ相手に致命傷と行かずとも、多くの手傷を負わされてしまっている。

「手酷く叩かれたものだ。今度こそ最後の足掻きだと思うのだが・・・。」

龍騎士隊の損害は甚大だ。撃墜された者こそ少ないものの、手傷を負っていないものはまったくいないと言ってよいほどにボロボロにされている。重傷者の多くはフネで水のメイジがついていても戦線復帰が可能かどうか厳しいところだ。

「艦長!龍騎士隊の報告では確かに仕留めたと。」

「念を入れるべきだろう。捜索班を編成しろ。地上を虱潰しに探索だ。」

龍騎士隊の奮戦を疑うわけではないが、それだけに万が一のうち漏らしが怖い。これだけの犠牲を払わなくては排除できないような敵戦力が、再度蠢動するようなことになれば、甚大な損害をまた払わなくてはならないのだ。で、あるならば、念入りに付近を捜索すると同時に、掃討戦を行っておくべきだ。多少時間がかかるとはいえ、急の任務も無い。徹底した捜索を行わせるべきだろう。

「フネは空を警戒。残存の龍騎士隊は休養をとりつつ、即応に備えよ。地上捜索班の降下急げ!」

追撃戦で落とされてはたまらない。取りあえずの方針としては、警戒しつつ、地上捜索班の報告待ちだ。状況が完了するまでは、この付近で探索行動をとることにする。

「ああ、それと伝令だ。ダンドナルドに吉報を届けられるぞ。戦果確認が完了次第、司令の振る舞い酒も出してやる!」

「振る舞い酒!それは素晴らしい。兵も意欲が出ましょう。」

{ロバート視点}

「仕留めたのかね?」

「十中八九は。スクウェアといえども、疲労困憊し、精神を使い果たしていれば倒せない相手ではないので。」

吉報はやや、曖昧さが残るとはいえ、満足に値するものである。少なくとも、当分荒らされないというだけでも全く意味合いが異なってくる。とはいえ、獲物に銃弾を撃ち込むのはできれば自分で行いたかったのだが。やはり、狐狩りというものは馬に乗って追いかけまわして、知恵と技量を振り絞って成し遂げてこそだ。他人の猟が上手くいくのを聞くと、やはり自分もと思ってしまう。まあ、時至れば自分もできるだろうと思うことにする。

「では、いい加減私も講和会議に口を突っ込むことにしよう。」

騙し、欺き、背中を刺すのは高貴な義務ではないにしても、紳士に求められる義務である。一介の士官であるとはいえ、その誇りが胸に無いわけではない。たとえ、祖国がどこにあろうともだ。

「ヴィンドボナへのフネを用意いたしますか?」

「いや、トリスタニアだ。」

講和会議をどこで開くかを明確に、こちらが意思で示す必要がある。既成事実を突き付けることも、一つの手段なのだ。速い話が、どこでテーブルを作りますかと議論するよりも、テーブルを作って招待状を送るほうが、効率的にある場合では物事を進められる。断ることも、一つの選択肢であるが、断れない状況での提案は、実に魅力的な解決策たりえる。

「ヴィンドボナへ使者を。講和会議をトリスタニアで開くように、人員を手配してほしいと。」

あの皇帝は、政治的な才は傑物だ。実に奸智に長けていると評するほかない。このような人間を相手に交渉をしなければならないアルビオンに同情するべきか、あるいはこのような事態に首を突っ込むアルビオンの意思に感嘆の意を示すべきだろうか?どちらにしても、今回は、気分がだいぶ楽だ。トリステインの貴族に爆殺されかかった当事者が、平和を訴えているテーブルを蹴れば、どうなるかわからない程無能な交渉相手でないと相手を信頼しているからこその手であるが。

「ああ、あと、私自身はこの戦争を遺憾に思い、早期に講和を希求しているという旨、ラムド伯と相談したいと伝令に言伝するように。」

被害者としての立場を恩着せがましく使うのは、一つのカードなのだ。ここで、マザリーニ枢機卿が介入してくると少々厄介なことになるものの、幸いなことに彼は、トリステインの宰相だ。本質的には、ロマリアの枢機卿といえども、立場はトリステイン寄りであるから、発言力はここでは一歩こちらに劣る。そこが、決定打だろう。

「それと、新聞社があったな?それらにどこからか、漏れる形をとってトリスタニアで講和会議とリークするように。」

「よろしいのですか?」

「なに、リークをつかんだ気になれば、事後の整合性を取るために、連中は世論を勝手に盛り上げる。あとは、既成事実だ。」

プロパガンダは好むところではない。だが、有効であるのは紛れもない事実だ。社交界で噂となれば、それが既定事実として語られる頃には、アルビオンもロマリアも、それに些事ながらトリステインも拒絶はできない。なにしろ、どういう形であれ、我らは勝者なのだ。一次大戦時の反省をもってすれば、過酷な懲罰案は避けるべきだろうが、それはトリステインという国家を存続させればという条件がつく。トリステインは、地図から消されることが妥当であるだろう。

「それとなくでいい。それと、商会の面々に旧トリステイン領に関して相談したいと使いを出すように。」

「旧トリステイン領と称して良いのでありますか?」

「良いか、トリステインから割譲される領土に関しての相談だ。それも私的な。一切公的な物で無いので意見を伺いたいという旨、間違いなく伝えるように。」

形の上では、一貴族が、トリステインから割譲される領地について商人の意見を求める形をとっている。故に、なんら問題はない。実際には選帝侯や皇帝に加えて有力貴族らや従軍した貴族らの意見を聞いての分割配置となるのだろうが、それ以前にある程度商人の意向を聞いておく必要があるということだ。資金源は、どこの世界でも確保しておくにこしたことはない。いや、しておくべきものだ。スエズを買い取ったのは金融人の力があればこそであった。私も祖国を担保にできるほどではないが、ある程度の覚悟を持って資金源と相談をつけておく必要がある。

「そちらは、可能な限り急がせるように。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

感想で、ワルド無双について説明不足を指摘いただきました。
これは、ゲリラ戦で、遍在と風メイジの特性をどのように活用するかという想定が説明不足でありました。

まず、風メイジの特性。
サイレント:音を消します。隠密行動用に。
音に敏感:接敵を回避できます。
遍在:索敵、奇襲、囮なんでもござれ。反則のゲリラ用戦術だと思います。
遠見:索敵用に。

これで、包囲網の弱点部を発見し、あとは錯乱行動を行います。
遍在はUCAVみたいなものです。
落とされてもあんまり痛くない+偵察能力+攻撃能力です。
で、地形にかかわらず高度な移動力を有しています。
ゲリラ戦にうってつけなので、追手を翻弄するのも、相手がなれていないうちなら容易かなーと。

物量相手でローラ作戦をとられるとさすがに追い詰められますが。
でも、それでも全部を打ち取れないのが対ゲリラ戦闘のむずかしさだと思います。一応、ワルドには一時退場してもらいますが。

ある程度のモデルとしてはレットウ=フォルベックを想定しています。
勝てないにしても、戦力を引きつけたり、健在を誇示したりするのが目的です。
歴史上もっとも成功した偉大な単独ゲリラ作戦と比べれば、風メイジは与えられている条件が恵まれていると思うのです。

今後は、話のペースを上げていけるようにしたいと思います。



[15007] 第六十二話 会議は踊る、されど進まず6
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/13 07:03
ホームパーティの招待状をいただいたときは、何か一品手土産を持っていくこと。これはごくごく常識的な事である。故に、講和会議のお誘い状をいただいた時、お土産をもっていくのはこの常識の延長線上であり、至極当然な行為であろう。誠に残念ながら、我が国の特産品がゲルマニアの舌には合わなかったようであるが。突然のご招待でなければ、もう少し好みに適う物を用意できたであろうに、実に遺憾である。

アルビオン外務省条約局長私見録


デートのお誘いをする時に、相手の都合を考えない殿方では相手の心を射止めることができませんよと、貴夫人から忠告頂いたことは無いだろうか?幸いなことに、私自身はそのような失敗とは無縁で過ごすことができてきた。しかしながら、女性を無理やり、呼び出すというのはスマートなやり方ではない。ゲルマニアのお誘いが執拗である上に、要点を押さえているのは忌々しくも事実だが。

クルデンホルフ大公国外務卿日記


会議の仕方について話そう。やり方は三つある。一つは、人が集まるまで待って穏便に始めるやり方。最も協力を引き出すということに関してはこれが、最善だ。まあ、時間がかかるが。もう一つは、集まった面々でとにかく話せることから話すという方法。これは、物事を段取り良く解決する上では有効だ。でも、状況次第では前提条件が足かせとなりかねないために上手くやるのは難しい。最後のやり方は単純だ。呼びつけて、こちらの案を杖でのみ込ませれば良い。飲めない?焼けば、水を求めて勝手に飲むまでである。

ゲルマニア艦隊司令部の談話



{フッガー視点}

「つまり、我々としては投資した資本が、帰ってこないのではないかとの恐怖が存在しているわけであります。」

商売の基本を説明し、コクラン卿が求めている情報を間接的に提供する。それは、他の商会からも求められた一つの圧力交渉でもあり、協力体制の構築でもある。公式には、トリステインにおける空路は、ヴィンドボナを経由せずにトリスタニアへと行ける。だが、実際にそのような空路を取るのはよっぽど急ぎのフネくらいだ。大半のフネは積み荷を降ろし、取引を行うことで、利益を出している。寄港しないという選択は、あまり考えにくい。だから、公式にはトリスタニアへ急行中のコクラン卿が、ここでのんびりと私の前でお茶をたしなんでいたとしても、一向に普通なのである。外部には断じて漏らせないが。

「諸々の権利のことかね?正直に言うが、旧トリステイン領は、我々にとっては魅力的ではない。」

「では、従前どおりの権利が認められるのでしょうか?」

荒れ果ててしまっているものの、豊かな土地からの収穫や、利益は決して将来性がないわけではない。多くの権利や利権を抱えている上に、将来的にはゲルマニアの商圏に取り込める地域に経済的な特権を抱えら得るというのは、見方を変えれば、長期的には得をすることも可能だ。まあ、深入りして債権を抱え込んでいるアルビオン・トリステイン系列の商会はその限りでもないだろうが。だから、それらの商会を狼のごとく皆で食らいついて利益を分割しようという発想がヴィンドボナの商会連で生まれるわけである。

「徴税権はさすがに中央の権限に関わることであるし、貨幣鋳造権も同様であるが、それ以外は従来通りで構わないとさえ、私は思っている。」

っ、さすがに要点は抑えられている。徴税権と貨幣鋳造権が認められないとなると、大商会といえども権益が限定されざるを得ない。なにしろ、トリステインの徴税権や貨幣鋳造権を倒産したトリステイン関連資本を有するアルビオン・トリステイン系列の商会から買いたたくつもりであったのだ。それが、国家に回収されるとなると、利権としての価値は大幅に低下する。

「そこは、どうにかしていただけないものでしょうか?」

「一介の軍人には、過ぎた仕事だよ。ミスタ・フッガー。私は、双方にとって納得できるパイの分け方を提案したつもりなのだが。」

「良く理解いたしております。ですが、我らも泉が無ければ、壊死しかねないのです。」

パイの分割が公平に半分であるとしよう。だが、我らはいくら食べても限度が無い。言い換えれば、いくらでもパイを必要とすることが可能なのだ。飢えを恐れるくらいならば、飽食の批判を受ける方が、安心できる。

「ここに、北にで二つだ。西方に求める必要があるのだろうか?」

「水瓶は、多く用意するべきです。同様に、泉も多くあることが望ましい。」

水が枯れれば、おのずと生きてはいけなくなる。その命をつなぐ貴重な泉は一つあれば生きてはいける。だが、それを失う恐怖を思えば、一つでも多く持っていたいと願うものである。

「水瓶があれば、我々はそこから飲んでも構わないのかね?」

端的に言うとこちらの金で何事かをしたいということだろうか?まあ、確かに旧トリステイン領の再開発や整備ということには何かと物入りであることは想像がつく。そして、ある程度の投資を行えば元手が回収できるであろうことも予想がつく。まあ、さほどの利益は出ないだろうが、水瓶を確保できることを思えば協力は惜しむべきではないのかもしれない。北部開発にしても、足元の利益を見すぎると転ばされそうになったものだ。

「枯らさないことをお約束いただきたいのですが。」

「ああ、それは確約しよう。なに、畑にまく水が欲しかったところだ。」



{ラムド視点}

予備交渉というものは、あくまでも名目上は双方の要求を突きつけ合う会議である。だが、誰に、何を、突き付けるかということで意味合いが大きく異なってくるものである。例えば、アルビオンからトリステインの利益代表国として駆けつけてきた、アルビオン外務省に、トリステイン王家としての賠償を要求するのと、現地での停戦交渉の責任者格である諸候に撤兵を要請するのでは全く意味合いが異なる。逆ではいけないのだ。同時に、予備交渉と称して、交渉の場を常設にしないことで、交渉を開く場所をめぐって駆け引きをする余地が生まれる。今回は、アルビオンまで出向いているが、次回はどこになるかは未知数だ。そして、予備交渉から毒は仕込むものである。

「賠償金、2500万エキューを要求します。これは、主として戦費の補填であります。」

暗に、トリステインを持っていくなら、その分を払えよという要求を突き付ける。漁夫の利を漁るのならば、それ相応の出費を覚悟してもらわねばならない。トリステインから絞りとろうと考えるならば、王宮でも売らねば、金はひねり出せないだろうが、アルビオンはまだ肥えている。資金援助をせざるをえないことを見越して、少々吹っかけてある。払うのを渋るのであれば、いくつかの領地を分割させるまで。

「また、現有占領地に関しては、ゲルマニアに割譲。一部の諸候領も譲っていただきます。」

金と土地。たとえ、統治が困難になると予想されていても、それらの獲得なくして従軍した貴族らの不平不満は抑えられないだろう。従軍した中小貴族らの大貴族化は避けたいとはいえ、選帝侯らの権力拡大につながらないだけましとするほかない。

「しかし、今回の戦争は、偶発的な暴走がきっかけ。関係ない貴族らまで処罰すべきと?」

「アルビオンのご発言は、公正の精神が発露されたものと確信いたします。故に、我らもその意向に同意するものであります。」

こちらには、面倒事を全てアルビオンと大公国に押し付ける秘策が用意されている。連中が、我々に分割する領土を最小限に抑えて、残りを併合してしまおうという計画を練っていることは把握している。無論、いかにして併合し、諸候の首を抑えるかということは未だに判然としないものの、手段はともかく目的は容易に予想ができる。で、あるならば、その妨害に努めるのが極めて自然の帰結だ。

「ですが、王家に責任なしとは申せません。無論、本来は無関係の諸候への追及は無用でありますが。」

言いたいことはたくさんあるが、要は資金を出して、領地を割譲するのはそっちで見つくろってくれて構わないということだ。むろん、実際には我々が散々口を挟む上に、要求を要望という形で突き付けていくことになるとしてもだ。これから、消失する王家に責任を取らせてしまえばよい。大公国とアルビオンはその線で一致している。まあ、王党派がどう動くかは未知数であるにしても、これは大きな意味をもっている。王党派は首根っこをアルビオンに抑えられており、大公国は債務者でもある。逆らえるかどうかは、まず無理だろう。まあ、債務が危なくなっているから、大公国が出張って来ているともいえるが。

「では、諸候の領土に関しては、交渉の余地があると?」

「いえ、現在我々が占有しているエリアはその最終的な帰属が王家の直轄領でありましょう。あくまでも、その貴族が委託しているだけなのですから、交渉の必要性が無いように思われます。」

交渉する気なんぞない。“我らが血で持って贖った大地である。わずかなりとも譲歩はできない。”こう軍部が主張しているのだ。下手な譲歩は、辞表では許されないだろう。向こうも、先祖伝来の領地であると叫ぶ貴族がいるので、お互いに難しい交渉になるかともおもうが、立場はやはりこちらがやや強い。戦場での働きは、戦術的な勝利であったとしても外交で使える一枚のカードであるのだ。それが、いくつもあるという点で、我らは優位にある。

「それなのですが、我々が高等法院から入手した資料によれば、それらは委託ではなく下賜された領土とのこと。」

「なんですと?」

だが、アルビオンから提示された解答に思わず顔をしかめたくなる。割譲対象にする予定の地域が、全てことごとく、書類上は王家から下賜されたということにされている?アルビオンにとって全くもって都合のよすぎる話だ。まあ、どこかに種はあるのだろう。

「こちらがその書類になります。」

「っ、そういうことか。」

思わず舌打ちをしたくなる。アルビオンに都合のよいように国境線が引かれているようなものだ。タルブにしても、トリスタニアにしても、これでは陸の孤島だ。本来ならば、アルビオンこそがトリステインにおける陸の孤島となり果てるべき交渉で、こちらに提示されたのは間逆の提案でしかない。書類などいくらでも偽造できるし、捏造した文献も有効だろう。恥さえ忘れれば。思った以上に、アルビオンは強欲なようだ。

「失礼、どこからこの文章を?」

「伝統的にトリステインと友好関係の深いクルデンホルフ大公国からです。」

大公国が、トリステイン・アルビオンよりの姿勢を示す?大公国が、トリステイン分割に首を実質的に突っ込むということでしかないではないか。連中、貸した金が惜しいあまりに担保は領土で取り立てる気だ。しかし、それでも債権が回収できるかどうか微妙というのがヴィンドボナの認識ではなかったのか?

「ふむ、困りましたな。こうなると、諸候領を我々は併合せざるを得ませんな。」

「なんですと?」

アルビオン側がこちらに引くことを求めているならば、こちらは断固とした措置をとって交渉に臨むほかないだろう。どの道にせよ、これは予備交渉でしかない。あまりに譲歩しすぎて本交渉の前に、足かせを自らに嵌めるのは愚策極まりないし、背信行為だ。

「我々の認識によれば、この地域における諸候は義務の一環として王国に奉仕せざるを得ない立場にあったがために従軍したという認識でありました。」

「それがどう関わるのですかな?」

「下賜された領地であるならば、軍役免除税という手段もあり得るというわけであります。それを辞して、積極的に参戦している以上、やはり彼の地域に関してはゲルマニアの安全を守るためにも、併合をせざるを得ませんな。」

はっきり言うと、それなり以上の貴族らは軍役免除税を払うと称して、この戦役に従軍していない。トリステイン・ゲルマニアの双方がだ。まあ、選帝侯らや大貴族の軍役免除税は貴重な財源でもあるために歓迎できるが、なくても困らない水準ではある。ところが、トリステインの場合それを戦費にあてていたために、実質的に動員に応じた貴族らの諸候軍を維持するだけで限界に近かったという。速い話が、だれも軍役免除を希望しても問題ないという状況だったのだ。

「敵を前にすれば、貴族としての義務もありましょう。ご寛恕願いたいものですな。」

「義務とは、本来余計な災厄を招かんとする愚者を止めることでありましょう。本筋とは全く異なりますな。」

状況はまあ、お互いに軽く手札とブラフを交わしたというところ。次の交渉に備えて一定程度の状況把握ができただけで良しとしよう。取りあえず、厚顔なアルビオンが提出してきた資料の出所と真偽を検証させることにしよう。



{ロバート視点}

「トリステインは地図から消されるべきかと思いますが?」

「国家というものは厄介なのだ。我々が消して余計な逆恨みを買うよりは、穏便にアルビオンが消すことを祈ろう。」

トリスタニアへの船上で、ギュンターが私の用意した腹案に少々疑問を提示してくる。そこにある訝しげな表情は、まあ妥当なものだ。旧トリステイン3分割構想ではなく4分割構想を採用し、アルビオン・大公国に加えて、トリステイン大貴族を残し独立させるという方策は一見すれば実に手ぬるく、その実猛毒でしかない。

「その、どういう意味でありましょうか?」

「下手に一致団結し、反抗されたらまた無駄な戦費が必要となる。主敵はどこにおくべきか?」

「対ガリアであります。」

結構。その通りなのだ。主要な要衝でもない地域に戦力を引きずり込まれ、意味も際限もない出血を強いられることは本意ではない。で、あるならば、ここで一時的に得られる猛毒入りの餌を食べるくらいならば、潔く毒餌は他の貴族に食べてもらうことにしよう。

「その通り。故に、トリステインなど正直どうなろうが知ったことではないが、国境線の引き方で将来に禍根を残すよりは、禍根を与えたほうが後々楽なのだ。」

統治の基本は、分割である。古代ローマより言うではないか、分割して統治せよと。団結して、反抗されるよりは、甘い蜜を吸わせて太った生贄を撃たせておけばよい。幸い、こちらにはそれを可能とする手札が数枚転がり込んでいる。ヴィンドボナを経由する際に確認しておいたが、ゲルマニア首脳陣の方策としても特に問題ないとのこと。

「では、アルビオンに後始末を任せるのでありますか?」

「いや、アルビオンにはせいぜい忠勇な同盟国となっていただく。ロマリアに邪魔されてもたまらないのでな。」

ロマリアは実に厄介な国である。私の溢れんばかりの知識欲を刺激してやまない、エルフなる存在を調べる妨害は甚だしく、腐った宗教家というものの典型例があまりにも多すぎる。聖戦などと正気で謳う人間がいるなど、中世かと叫びたくなるほどだ。顔をしかめつつため息すらつきたくなるが、感情を表に出すことは抑えられる。

「ロマリアのやんごとなき方々の権益は、アルビオンに肩代わりしてもらうということだ。」

任命権一つとっても歴史的には戦争や陰謀に加えて、血なまぐさい欲望が渦となっていたのが中世の基本的な政治だ。この世界が、中世と同様であると一概に断じるのは先入観という枠に捉えられることに他ならないが、オッカムの例えもある。下手に判断材料を増やし、仮定を増やすよりは、単純化する方がまだ解答は見つけやすいだろう。

「重すぎて、浮遊大陸が墜落しないか、気になって仕方ありませんな。」

「何、その時は大公国あたりが懸命に支えるだろう。」

肩をすくめて、従兵にお茶を申しつける。本当にどこからこの大陸に流れ込んできたのか並々ならぬ関心があるにしても、お茶があるのだ。それもごく一般的な趣向品として。中世において、そのような歴史は無かった。となると、ここは大航海時代以降であるはずなのだが、海洋の活用はさほど活発でもない。時代区分が実に曖昧だ。まあ、混沌を楽しむのも楽しみ方の一つであり、知の僕としては楽しむべき事でもあるが。

「それに、実際のところ、アルビオンと大公国が接近しすぎている。下手に刺激したくない。」

忌々しいプロイセンの忠実な仲介人の策ではないだろうが、アルビオンと大公国の接近は、対ガリア戦略において両国との利害関心事項に差が開くことを意味する。これを歓迎するのはロマリアとガリア程度だ。つまりは、我が国が孤立化され、エスカルゴ共の立場に置かれることを意味している。で、あるならば不和の楔は打ち返す必要もある。

「ある程度までは、良い友好国だから大切にしたいがね。こそこそと裏で手を組まれるのはさすがに不快だ。」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

後は、後は、講和文章にサインさせるだけなので・・・・。



[15007] 第六十三話 会議は踊る、されど進まず7
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/14 16:19
{アルブレヒト3世視点}

「またか?実に面倒なことだ。」

講和会議に際して、帝政ゲルマニアは要求する領土と、その分割予定に関して貴族達からの要望を内々に募っている。実に単純な要求として、その選好に際して、自らの戦績と貢献度を主張してくる貴族の使者や、意向を上奏してくる選帝侯の使者との面会が実に億劫である。なんなれば、連中ほど強欲な請願者もいないからだ。いや、厳密に定義すればロマリアの坊主どもと良い勝負かもしれないが。さりとて、それを疎かにするわけにもいかない以上、機嫌とは裏腹に極めて真摯な表情を作ると、謁見を求めてくる使者に相対する。

「で、ありますので、閣下、我らの戦功を勘案していただき、ぜひ彼の地を我が主に賜りたいのであります。」

「うむ、卿の主は実に忠勇な士である。余としてもその忠義には、応えたいと思う。」

忠勇であるというのは、言葉だけに関しては間違いない。言葉の上では、我が帝政ゲルマニアは万全の統治機構を誇る。実態に関しては、余のことを侮るものや、自尊心の高すぎる貴族も少なからずいるが、強欲さと抜け目なく領土要求するところは、共通している。故に、手玉に取りやすくもあるが、誰かに踊らされることもある連中であるだけに気が抜けぬ。

「だが、事は公平を期さねばならぬことでもある故、大臣たちとも諮り、その功に応じた処置を行うつもりである。」

なにしろ、まだ講和会議そのものすら予備交渉の段階だ。下手に空手形など出せば、代用地を見つくろうべし!などと叫び出しかねない連中に、付け入らせることになる。こういう輩から、壁となるべく大臣や諸官が任命されているのだ。余としては、実に遺憾であるという姿勢を保てばよい。

「引き続き、卿らの忠義に期待する。」

「ははっ、我らこの杖に賭けまして。」

なら、今すぐにその杖をよこせ。この死肉すら漁るハイエナどもが!余とて言えた身ではないが、貴様らに比べば遥かに始祖に愛されるほど清らかであろう。

「うむ、余としても忠勇なる卿らに期待するや大である。その働きに見合った地を、用意するように諸官らに必ずや、諮っておこう。」



{ロバート視点}

「ラムド伯、久しいですな。」

「おお、コクラン卿!傷は癒えましたかな?」

外交の最前線とは、胃がやられるか酒毒で倒れかねない危険な前線であるともいうだけに、外交官は体調にことのほか敏感である。まあ、種類が違うといえども厳しい戦いを行う外交官というものは、そういうものだ。まあ、忌々しい鉤十字の跳躍跋扈を許した祖国の外務省には、うっかり主砲弾の誤射を行いたくもなるが。

「いや、ご心配をおかけした。すでに、水のメイジからも前線に出ても問題ないと言ってもらえていますぞ。」

「それは良かった。少しばかり難しい交渉となるだけに、体調が万全であるにこしたことはない。」

やはり、難航しているというのは間違いないか。前線で圧倒しつつあるといえども、所詮それらは東部に布陣した貴族らの軍であってトリステインの全力ではない以上、交渉のために敵戦力を全て撃滅するか、或いは交渉で解決するかを図るほかない。そうである以上、相手はこちらに譲歩を求めてくる。

「実際にどの程度、アルビオンは求めてきますかな?」

「いや、かなり強欲だ。国境線に関してもかなり譲歩を求めてきている。」

「トリステイン王党派の影響ですか?」

亡命を受け入れ、ついでに併合の手順を整えているならば、そこで条件闘争に持ち込まれたということだろうか?予想では、トリステイン王党派にそれほどの影響力は無く、名目的な存在としてアルビオンにあると思ったのだが。いや、考えすぎか。

「それは、考えにくい。むしろ、国内のアルビオン貴族らがパイを求めているような印象もあったが、大公国と分割する気だろう。」

本気でアルビオンに侵攻することを計画すると、国力の大半を注いで整備された艦隊に対抗する必要があり、得る物が全く乏しいため、浮遊大陸はこれまで安寧に包まれてきた。だが、アルビオン貴族らが大陸を求めることは、伝統的な矛盾である。曰く、浮遊大陸は攻めるに難しく、守るに容易い。だが、地上との交易は利益が大きく、浮遊大陸は土地も痩せている。故に貴族らは、常に土地の豊かな大陸を求めてやまない。それが、厄介な地上のもめ事に巻き込まれるとわかっていても葛藤があるのだろう。

「ほう!彼の大公国は債権の回収を諦めて、土地を分捕る気ですか?いや、しかし・・・」

大公国が債権の回収を諦めるものだろうか?フッガーらの話によれば、商会は投資が帰ってこないことを最も恐れるという。で、あるならば、彼の国も同じはず。そして、トリステイン全土の貴族や王族に貸し付けてある資金は莫大な額になる。まあ、貴族からは取り立てることも可能であるだろうが、王国という主体からは難しくなるはずだ。土地で補てんできる額なのだろうか?

「それで補てんできるほどの額ではない、ということなのですが、どうも損を埋めるためになりふり構っていないようだ。」

「現実的な連中だと思っておりましたが。」

目先の利益を追い求めているように見える行動。どうも、釈然としないものを感じるのだが。トリステインという餌でアルビオンとゲルマニアを手玉に取るくらいのことは覚悟していたが、拍子抜けですらある。いや、楽ならば、楽に越したことは無いのだが。

「十分に抜け目ない連中ですよ!すでに、リッシュモン、あの蜂起した忌々しいハイエナに貴族録や領地に関する法文書を偽造させて、トリステイン貴族に売り払っています。」

「なんですと?」

法文書の偽造?っ、そう言えば、リッシュモンは、高等法院の長。その権限はある。まさに、偽造された本物が氾濫することになる。実に忌々しい。それを思えば、その偽造した書類をアルビオンに売り払い、トリステインに売り払うことで二重取りだろう。リッシュモンと山分けしても相当な額が回収できるうえに、土地の配分を巡ってトリステイン貴族に大きな影響力も及ぼせる。

「おかげで、トリステイン領土の正確な帰属があまりにも曖昧になっており、交渉に取り掛かることすら至難です。」

「強硬策はできないのでありますか?」

相手の戦場に引きずり込まれかけているのは実によろしくない。しかも、大半が虚構とブラフなのだ。それを打破し、突破し、ひれ伏せさせることこそが求められている。外交は紳士的なゲームであるが、机の下は蹴り合いである。

「一部は、すでに、アルビオン領や、大公国領に偽装されています。下手をすれば開戦の口実にされかねません。」

「いっそ、ブラフというならば、乗ってみませんか?連中も開戦を望んではいないのであれば、どこかで引くかと思いますが。」

本気で開戦を望むのはどちらでもない。せいぜい、トリステイン王党派はアルビオンで主戦論を唱えるだろうが、実質的な影響力は無いに等しいだろう。影響力を持ち始める事態があるとすれば、それはアルビオン王家とトリステイン王家が一体化し、両家直系の王子が立った時に、外戚として権を振るうことだろう。だが、アルビオンでそれが可能とも思えない。連中が、外来の外戚に大きな権威と権力を持たせるほど穏便な貴族らだとは到底思えないのだ。まあ、どちらにしても、ブラフの張り合いならば最終的に相手が引くのではないか?可能性の問題だが。どの程度強硬に出てくるかが分かれば、一つの手だ。

「ご冗談でしょう!アルビオン領に偽装されている地一つとっても、下手をすれば本当に戦争になりかねません!」

なんとも。それほどやる気があるとは。勝算は全くと言っていいほどないはずだが、ガリアの援軍のあてでもあるのだろうか?そうでも思わないと、理解しがたい態度である。それらがブラフである可能性が高いと思うが、かといって確証もなく行動はできない。

「少なくとも、そう見えるほどやる気だと?そうなると、まずは真偽の確定から始めなくてはいけない。面倒ですな。」

「まったく、理解しがたいのですが、トリステイン王党派がリッシュモンの解任を忘れていたとか。」

何が、災いし、何が幸いするかわからないとはまさしくこのことだ。ゲルマニアにとって、リッシュモンの存在は実にうっとおしい災いであるが、幸か不幸かアルビオンや大公国にとっては都合の良い手札だ。良い手札である以上、それをゲームに参加するプレイヤーが有効活用するのはむしろ自明の義務だろう。となれば、如何に相手の有効な手札をつぶすかだ。

「混乱していた、そういうことでしょうな。だが、おかげでアルビオンと大公国が喜び、圧力をかけてリッシュモンの地位を今は守っていると。」

「そうなります。」

いやはや、ポーカーはそれほど得意ではなく、士官室で先任達にはそれほど敵わなかったが、やるほかないのだろうか。私は、どうもこういったことに関しては得意ではなく、狐を追いかけている方が気は楽なのだが。ゲームのルールが決まっている以上、その中で最善を尽くすほかない。

「いや、実に世渡りが上手だ。剣の上を歩けるのではありませんかな。」

「本当に、歩かせてみたいものですよ。」

ラムド伯が忌々しげに同意する。だが、案外トリステイン貴族ならば本当に、剣の上を悠々と歩いて世渡りをすることくらい可能なのかもしれない。腐ってはいるのだろうが、生存本能とその能力に関しては、認めざるを得ないものが間違いなく存在している。剣どころか炎の上さえ平然と歩けるかもしれない。杖を取り上げてやらせてみるべきだろうか?メイジは杖なしでもそういうことができないものだろうか?

「では、そうしてみますか。少々手荒ですが、策があります。すでにヴィンドボナからの承諾は取り付けてありますが、現場のご意見をお伺いしたい。」

「ほう、どのようなものでしょうか?」

「ああ、単純にトリスタニアで講和会議を行うと宣言を行い、講和会議を開催します。」

今、トリスタニアで最も高位の貴族は誰か。トリステイン側は、蜂起したとはいえ、高等法院の長であるリッシュモン卿である。さて、問題だが、誰にとっても降伏文章へのサインは拒みたいものである。だが、明確な高位者がいる場合はどうだろうか?これ幸いと同意するだろう。そうなれば、リッシュモン卿は売国奴という批判以上に、とりつぶされる貴族らからの恨みを恐れなくてはならない。なにしろ、割譲を求められている領地の貴族らに諸寮安堵の公文書を売りつけておいて、取りつぶす降伏文章にサインしようという風聞一つとっても、裏切りだと感じられることは間違いない。

「有無を言わさぬおつもりですな。」

ラムド伯もこれには同意を示してくれる。まあ、外交官というものは、この手の手法に熟達しているというほかないので、これも選択肢の一つとして持っていたのだろう。驚きはさほどなく、むしろ待ち望んでいたという色すら浮かべている。やはり、鬱憤は溜まっていたのだろうと察せられる。

「さよう。ついでに、リッシュモン卿を軽く脅しておきますか。」

「脅すとは?」

「なに、軽く暗殺まがいのことをやらせてみようかと。」

暗殺される可能性がある。そう怯えるところに、ちょっと怯えを増幅させるだけでよい。あとは、疑心暗鬼がおのずと育ってくれるだろう。そうなれば、彼も少しはおとなしくなるはずだ。おとなしくならないならば、彼もそれまでだ。放置しておいても、本当に暗殺されかねない。その時は、手が汚れないことを喜べばいいだろう。

「それと、大公国に顔つなぎをできますかな。」

そのために、わざわざヴィンドボナの商会から資金協力の確約を取り付けてある。さすがに、トリステインの債権を全て補填する額には及ばないにしても、かなりの額が見込めるとあれば彼の国と交渉するには十分だろう。

「構いませんがどうされるおつもりですか。」

「いえ、買い物をしようかと思いまして。」



{トリステイン一般貴族視点}

ゲルマニアの下に屈するのは実に気に入らないが、同時にゲルマニアに味方して莫大な利益を得る存在は妬ましい。例えば、ヴァリエール家は、前線でありながらゲルマニアと密約でも結んだのだろうか。耳にする限り、ゲルマニアはこの家には少しも攻め込んでおらず、前線は極めて平穏であるという。

「王家の血を引きながら、救国の意思が無いのではないか?」

口が緩い雀どもが囀り始めているが、まあ、誰だって自家の温存が第一なのは同じである。とは言え、東部の大貴族として権威と権限を持った有力な貴族であるだけに、口だけかと思いたくもなるし、ゲルマニアに尻尾を振っているのではないかと疑念の一つも抱きたくなる。なにしろ、最前線が軒並み押されている中で、そこだけ平穏であるのだ。疑うなという方がおかしな話である。

「出し抜かれましたな。」

だが、今一番の話題筆頭はリッシュモン卿だ。当初は、忌々しい戦役を集結させると共に、貴族らの自治権強化が期待できたために、少なからずの貴族が、その蜂起に同調するか、少なくとも暗黙の同意を示してきた。やがて、リッシュモン卿は高等法院の長という権限で、直轄領を味方する諸候らに配分する動きを見せ始め、期待にこたえるかに思えた。ここまでは、歓迎できた。だが、事態は急変する。

「領有権を、アルビオンと、クルデンホルフが主張し、ゲルマニアはそれを受け入れつつある。根拠は、リッシュモン卿の名が入った公文書?」

「トリスタニアで講和会議。リッシュモン卿が、東部や中部まで売り渡し、自身が西部で独立国家を?」

「我々に売られた名目上の諸領は、ゲルマニアやアルビオンに引き渡される予定?」

「大公国とリッシュモン卿が組んでひと儲けしたとか。」

全て噂に過ぎなかった。だが、明確な反証のしるしもない上に、ゲルマニアもアルビオンも、大公国もこれに関しては何ら言っていない。ただ、一人噂だけが独り歩きしている。証拠など無い。だが、確かな筋から、ゲルマニアがトリスタニアで講和会議を行う用意をしているとは漏れ聞こえてくる。リッシュモン卿と大公国の親密さも目立っている。公式には、そう言ったことは一度も言われていないが、貴族社会で公的な発表を待っているのは、刑死をのんびりと気長に待つのと同義だ。誰もかれもが疑心暗鬼に駆られざるを得ない。

「皇帝が、西部の諸領を求めたゲルマニア貴族に、それはリッシュモンにすでに与えると決めていると漏らしたとか。」

「大公国は債権の回収のために領地に目をつけて、リッシュモン卿と山分けする意向?」

噂だ。証拠など何もない。そもそも、誰からそのような噂を耳に入れられたのかね?そのように笑い飛ばせるものではなかった。なにしろ、リッシュモン卿は練達のベテランであり、生き残りを図るために何を行うか誰にも予想がつかないように思われたし、自分達がいつの間にか引き渡されている可能性も一切否定できる要素が無い。

「考えすぎでは?ゲルマニアが我らを動揺させようと流した他愛もない流言でありましょう。」

笑いながら、何かの席では当然のようにそう主張する。だが、実際には、間抜けな誰かがこれを信じ込んで馬鹿を見ればいいと思いつつ、賢明に虚実を見極めようと耳に何もかも入れようと懸命に集中する。そう、噂に過ぎない。しかし、噂ではあるのだ。



{ガリア一般論}

ガリアにとって、対岸の火事は実のところ、民衆にとってはさしたる影響はなかった。大国であるガリアは産物も豊富であり、同時に交戦の当事国で無いだけに実のところ、戦争で設けている一部の商会や武器商からは、継続を望む声すらちらほらと流れている。

「王は無能でも、大国である。それに、トリステインとは良い勝負だ!」

これが、ガリア一般の感情であると言って良かった。実のところ、有能極まりない王を抱いているにしても、庶民まで行き渡っている魔法絶対思想はかなり強固であると言える。とはいえ、平民にしてみれば、生活が苦しくなければ、王は誰であってもさして重要ではない。なにしろ、ガリアは対アルビオンの想定を行い、国費の半分を駆けて両用艦隊の整備を行いながらも、国家が破たんしないどころか、余裕があるのだ。

「大国、ガリアに乾杯!」

ガリアの酒場では、戦乱に明け暮れる他国の様子を面白おかしく肴としながら、ワインを酌み交わし、エール酒を楽しむ人々の姿で満ち溢れている。皮肉なことに、最も恐るべきガリアとは、最も平民に無自覚に支持される国家ですらあった。貴族らにしてみれば、魔法も使えない無能な王に使えることに思うところもあるだろう。

「無能王、死すべし!オルレアン公万歳!」

こう叫ぶ若い貴族が王を打倒しても、おそらく平民らは貴族らの争いとして生活に影響がない限りは無視するだろう。逆に言えば、王族や貴族らの争いは基本的にガリアでは平民にまで深刻な影響を及ぼしていないのだ。識者は気がつくかもしれない。

「モード大公と、オルレアン公の違いはなにか?」と。

アルビオンは、モード大公の粛清一つとっても、これまで国内を盤石に固めていた王家が揺らぎ、アルビオンも不穏な空気に包まれざるを得なかった。一応、日々の暮らしに致命的な影響はなかったものの、緊迫した空気が流れたのは間違いない。これが、盤石の基盤を持った王による粛清である。

「あの無能が何故?」

こう、貴族どころか平民にすら王位継承が疑問視されたガリアのジョゼフ1世が、王位継承が確実視されたオルレアン公を殺し、なおかつ、オルレアン公派の諸候を粛清してなおガリアは安定している。少なくとも、平民らが日々実感する限りにおいては。それは、恐ろしく幸運であったのだろうと片付けられることが多い一つの、小話である。ジョゼフ一世は恐ろしく、幸運に恵まれた王であるという。



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あとがき

料理で言えば、肉や野菜をカットして、調味料で味付けしたところです。次回、焼きます。



[15007] 第六十四話 会議は踊る、されど進まず8
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/18 03:13
国際会議に必要な物は、実のところペンと紙で足りる。究極的には、条約にサインさせれば良いからである。

だが、会議は踊る。

故に、演奏家と、音楽隊と聖歌隊、加えてミサを行う司祭に、諸々の手はずを整える侍従が不可欠と見なされる。当然のことであるが、ミサを行う以上、礼拝堂が無くては話にならないし、礼拝堂が必要である以上、司祭の格は司教以上である必要がある。

さて、司教となると司教領が望ましく、そうでない場合は寄進で代替する必要が出てくる。司教の威厳や格式を維持するためには、いくつかの装飾品に加えて、つき従う聖歌隊の格も高くなくてはならず、結果的に相応の衣装を必要とする。

また、ミサを行うということは、晩餐会がつきものでなくてはならない。料理人と、良質なワインを提供するための手配を行う商人が必要となる。当然、ワインは多種多様でなくてはならず、同時に取扱いに細心の配慮を行える執事が不可欠だ。

執事にも、当然ながら格式が不可欠であり、理想としては、貴族出身の次男が望ましい。私生児はその次点であるが、王家に連なる者は例外として良い。これに並行して、晩餐会で演奏を行うために、演奏家や音楽隊の楽器は豪華絢爛であるべきだとの無条件の前提がある。そう言った晩餐会にでは、食器一つとっても伝統と格式という問題が発生する。故に典籍に詳しい人材が必要だ。

典籍を専門とする役人は、出席者に合わせて、それぞれの格と伝統的な権威を鑑み、古典と伝統に背かない形で席を整える必要がある。当然ながら、こちらが決定した席を一方的に告知するのではなく、相手方の意向を確認する必要があり、このための使節がいなくてはならない。

言うまでもなく、使節には相手の格式を鑑みて、最低でも相手より格があまりにも下の人間を派遣するべきではない。そのために、使節の威容を整えるためには幾人かの従者が不可欠であり、相応の格式を維持しなくてはならない。同時に、相手方からの使節を饗応するための手配も必要である。

饗応係は、交渉の一環であるために気の利いたものであると同時に、相手に対して誠実かつ粘り強い交渉を行えるものが望ましい。当然、相手の使節と同格かやや上の人物でなくてはならない。

また、饗応係の経費を鑑みるに、そのための出費は不可欠であり、出納長が万事に手配を行う必要がある。しかし、饗応の規模が相手方に勝るとも劣らぬ水準を保つためには、万事情報を把握する必要があり、密偵頭や公文書配達人らへの支払いにも出納長は配慮する必要があるのは言うまでもない。

出納長は当然ながら、資金管理を行うために、信頼のおけるものでなければならない。だが、それだけでは手落ちとなるので、出納長を監視する人物も不可欠である。こういった出納長が関与すべきでない、いわゆる裏方の元締めには身内を充てるのが望ましい。つまり、後継者にやらせるべきなのである。

だが、一門の後継者である以上さまざまな義務がある。それらを行うためには、股肱の部下が必要であるだろうし、後継者にふさわしい貴族の友人も不可欠となってくる。当然、贈答品は欠かせない。

故に、ペンと紙があれば、インクを垂らして紙にサインさせるだけの話をするためには、意味のわからないような規模にまで膨れ上がった国際会議を開かなくてはならないのが、いわゆる貴族社会というものである。

はっきり言えば、万事彼らはこういう無駄に耽溺している。
意味がないわけではないが、テーブルの下で蹴り合える化け物は少ない。
むしろ、大半はそれが貴族だと誤解している。
だから、経済的に余裕がなくなり、破産するのである。
愚者を見て、それを戒めとするように。

ゲルマニア、平民で商人出身の貴族が、年頃の息子に与える訓示。



{ロバート視点}

決定的な切欠となったのは、リッシュモンによる公文書偽造である。アルビオンが、我らを錯乱するというのであるならば、ゲームのやり方を変えればよい。リッシュモンを、トリステイン過激派の仕業に見せかけて、襲撃。無論、暗殺未遂であるが、これでリッシュモンは自分の立ち位置を悟ったようだ。もう、十分に儲けたこともあり、背後にいる大公国と相談し、大公国経由でこちらに正規の書類を持ってきた。大公国にしてみれば、我らに恩を売るつもりであったのだろうが、纏まった額の資金で取引を提案すると、アルビオンの背中を刺すことをあっさりと了承した。

「ヴィンドボナの意向とは言え、少々拙速でしたな。」

気がつけば、こうして、トリスタニアで講和会議が開催できるというものだ。万事神速を尊べば、講和会議というものは容易に開催を宣言できるという好例だろう。旧王都というものは、喰いつめた饗応係や典籍に詳しい人材を抱えており、格式だけは無駄にあるために手配には困らない。統治の一環として、示威行為を行うようなものだと思えば、植民地統治の手法をまねるだけで良い。他国への配慮は、あくまでも、自主的なもの。誰が、どこで、一番、権力とパワーを有するか?ゲームのルールを御存じで有れば、無理が通る。

「しかし、良くアルビオンが席に着いたものですね。」

ゲルマニア代表団にとって、アルビオンがトリスタニアまで足を運ぶか?これが一つの分水嶺であった。何しろ、公式にトリステイン王家が、停戦監視の任を委ねると共に、交渉の善意の利益代表国に任命した国家だ。まあ、出てこなければトリステインの併合を宣言すると、水面下で脅したのが有効だったのだろう。我々が、トリステインの併合を宣言すれば、実態はどうあれ、交渉対象からトリステイン王家は排除され、アルビオンの介入は困難になる。我らとてアルビオンが、面倒事を処理するように仕向けたいがために、介入そのものを排除する意思はないが、ここで譲歩する意思がないことを示し、アルビオンはそれに抵抗できなかった。その脅迫まがいの水面下での交渉を行っていたラムド伯が、素知らぬ態で談笑してくる。

「左様ですな。まあ、議長は格式の点から、ロマリアの司教様ですが。」

中立的であり、公平であり、信徒を善導するとして、派遣されてくるロマリアの司教選定が一番難物であった。理想としては、トリステイン王家やロマリア宗教庁の意向に反発したがる新教徒寄りの、人材が望ましかったが、それは露骨すぎるので、ゲルマニア出身の司教を据えることで代替している。

「まあ、問題のある布陣ではありません。午後から本格的な交渉ですな。お互い、万全の態勢で臨みましょう。」

ラムド伯の言う万全とは、一方的な通知ではないだろうかと思うのだが。リッシュモンといい、ヴァリエール公爵といい、トリステイン貴族にとっては毒を無理やり飲まされるような条項の塊だ。まあ、ポーランド分割の事例を鑑みても、重要なのは列強か、それに準じる国家であり、狩り場の意向はさほど重要でもないのやもしれないが。とは言え、鉤十字に少々妥協しすぎた経緯も考えると、我らの意向を明確にしておくのが最善だろう。

「一介の武官には、複雑怪奇な世界でありますが、微力を尽くすほかないのでしょうな。」

海軍は、士官に万能であることを求める。パブリックスクールでの教育は、謙虚かつ万能人の育成が主眼に置かれていた。そうでもなければ、一介の善良なキリスト教徒である英国人らが、偉業をこれまでに成し遂げられるはずもなかった。その先人達に習い、能力はともかくとして、自身も最善を尽くすほかないのだろう。



{ラムド伯視点}

「議長、発言を許可していただき感謝いたします。」

ゲルマニア代表団の代表は、不在である。あくまでも、代表の代理として外務担当の自分と、軍部代表の代理である、コクラン卿をトップとしているが、公式にはアルビオンやトリステインに比べて帝政ゲルマニアの格式が劣ることを考慮してのことだ。高位の人間が、敗者よりも下位の座席に割り当てられるわけにはいかない。故に、代理の人間であるという建前が必要となるのだ。ゆえに、今発言しているコクラン卿は、公式には参事というゲルマニアの官職が、アルビオンやトリステインの貴族らの官職に劣るという建前で下位の座席に座ることを了承しているということになっている。まあ、誰が勝者かは明白で、真の実力者でもあるのだが。

「我々の要求は、実に単純であります。まず、即時停戦。そして、現有占領地のゲルマニアへの割譲であります。」

リッシュモン?大公国?王家直轄領?確かに難題であるが、逆に言えば、配慮しなければ問題ではない。配慮せねば暴動や、叛乱、抵抗運動が起きるだろうが、交渉に際してはある程度のブラフは有効だ。まあ、責任をリッシュモンに押し付けて粛清するなり、なんなりするのは大公国とアルビオンの仕事であり、トリステイン領主らの恨みを上手く誘導できれば、良い。まあ、これに関しては、すでに良い祭壇用の羊を見つけてある。まあ、大公国は、アルビオンに押し付ける気であるらしいが。それは、人の事情であり、我らの関与することではないだろう。余計な、口を挟む気はない。

「次に、賠償金。これらは、二千五百万という数字を事前に提示させていただいておりますが、変更はありません。支払いは、一括で旧金貨にてお支払いいただきたい。」

ゲルマニアの戦費は、トリステインの比ではない。優秀な、財務卿や財務官吏を備えてなお、トリステイン側は戦費の調達にもがいていたことを考慮すれば、払える額ではない。支払おうと思えば、国土を売り払う必要があるだろう。買い手がつくかどうかは、不明であるが。

「そして、この戦争を惹き起こした責任者の処罰。」

純粋に、責任の押し付け合いによる不和を期待しているが、基本的にはゲルマニア内部向けの条項である。我らに大義があり、信仰を同じくする同胞が争う羽目になったという悲劇的な戦争の、責任者を生み出しておけば、統治にしても外交にしても有利になるという配慮もあるが。理想を言えば、北部を荒らした実力者のように、有能な人間が粛清されれば、我が国の幸いだが、さすがに王党派と現トリステイン在地貴族らの力関係からして期待はできないだろう。揺さぶる程度でもよい、そう割り切っている。

「これらが、ゲルマニアの基本的な要求であり、同時に最低限度まで絞った要求であります。」

平然と、トリステインにとっては到底のみえない条件を読み上げるコクラン卿は、よくもまあ、微力を尽くすなどと、言うものだ。楽しがっているようにしか思えない。無論、表情は謹厳実直そのものであるし、貴族としての礼節を完璧に保持しているために、如何にも譲歩し、最低限度の基本的な要求を読み上げているようにしか見えないが。そこはさすがというべきだろう。

「一方、我が、ゲルマニアは交渉締結後に以下を提供する用意があります。」

喜ばしい事を伝えたい。全身で、そう言った表現を行い、朗々と条文を読み上げる姿からは、その条項に猛毒を仕込んであるようには到底見えないだろう。分割し、統治しましょう。提案し、私に案を取りまとめさせていた一介の武官とやらは、実に誠実な嘘つきだ。彼がまとめたわけではないが、毒を作った責任を分かち合うべきだと思うのだが。

「まず、こちら側で拘束している全ての捕虜は身代金交渉がまとまり次第、解放いたします。」

なまじ矜持が高い貴族にとって身代金は、頭痛の種である。下手に低い金額に設定されるわけにはいかない。なにしろ、自らの格を低くするような交渉はできない。だが、一方で経済的に苦しい貴族らにとってみれば、高額の身代金を払うのは困難だ。一番理想的なのは、相手の貴族を捕虜として交換することだが、いかんせん交換用の捕虜は不足する一方だ。そして、他の貴族らが解放されるなかで、身代金をはらえないという一事が社交界での失脚の一歩であることを思えば、実に容赦がない。

「ただし、講和会議妥結を願うと同時に、両国間の関係改善を希求するために、講和妥結と同時に、無条件で一部の捕虜を解放いたします。」

そこで、この毒が効いてくる。つまり、ゲルマニアと裏取引したのではないかと思わせることができる。例えば、コクラン卿を枢機卿もろとも爆殺しようとした公爵家の令嬢が、無条件で解放されることを疑わない貴族は、せいぜい裏事情を知っている我らくらいだ。当事者とて、これらを理解するには、しばらくの時間が必要であるか、或いは理解しても拒否できないだろう。子弟を解放しますと言われては、受け入れるほかない。何しろ、我らは解放するだけなのだ。これは、興味深い計略だろう。コクラン卿の提案だが、実に手の込んだ趣味のよい復讐の方法だ。

「同時に、関係国との外交関係を交渉したいと思います。具体的には、いくつかの国家を完全に独立させたい。」

クルデンホルフ大公国との取引は、シンプルだ。独立をゲルマニアは支持する。身代金交渉や、賠償金支払い能力がアルビオンだけでは肩代わりできないだろうから、アルビオンは大公国に譲歩せざるを得ないだろうが、その金額も馬鹿にならない。で、ゲルマニアの商会からタダでばら撒ける利権と引きあけに集めた金額を、ゲルマニアが秘密裏に立て替えている。ちなみに、その額を要求する賠償金に上乗せすべきでないかとの議論があったが、もとから吹っかけてある数字なので、変更なしとしても痛手がないために保留としてある。実際の戦費は、1200万程度だ。大公国に秘密裏に支払われるのは650万程度。実に愉快な利益が見込める。支払いは、実質的にはアルビオンになるのだろう。モード大公という財務責任者が粛清されたアルビオンにとっては、少々きついかもしれないが、逆に粛清に際していくばくかの国庫への収入が、乏しいとはいえあっただろう。それを思えば、臨時収入を没収するようなものだ。まあ、それだけでは足りないだろうが、そこは大公国がいかにして付け込むかだ。

「次に、安全保障に関する会談と通商協定を提案いたします。」

ゲルマニア軍部は、トリステインとの安全保障に関する会談を希求している。両国間の平和を希求している。本音であるだろうが、それは、トリステインにとって望ましくない形での平和を希求しているということでしかない。実に、愉快なことであるが、通商協定は、講和会議でトリステインにのませることで、トリステインを継承するアルビオンにも及ぼされる毒素である。トリステインに対して、ゲルマニアが有せる経済的な特権は、アルビオンがトリステインを継承するならば、継承国家として引き続き保証し、尊重する必要がある。それを、悟ったのだろう。アルビオン代表団が表情にこそ変化を見せていないものの、形容しがたい雰囲気を漂わせ始めている。

「並行して、ゲルマニアへの割譲予定地であるラグドリアン湖一帯の水利権に関して、交渉し、譲歩する用意があります。」

割譲を既定路線としての提案である。速い話が、水を抑えたものの勝ちであるという、コクラン卿の提案に従う形で発展的に盛り込まれた条項であるが、確かにトリステインに水を安定的に供給している湖の水利権をゲルマニアが完全に抑えるということを明確化するのは大きい。第二戦線の形成に際しても、こういった事情が念頭にあったと私は勘ぐっている。

「同時に、これらの講和条約が遵守され、両国関係が平常に回復するように尽力していただく、アルビオンの友情と正義に感謝します。」

最終的には、アルビオンにとって不利な通商条約や、水利権を巡る諸権利を自らの国家の威信にかけて誓約させることを、綺麗に表現すればこのようになる。実のところ、トリステインの抱えている諸問題は、全てアルビオンに継承させ、ゲルマニアは良いところを総取りするように配慮された条約が、ゲルマニア提案である。その代替として、アルビオンは血を流すことなく、大陸に足場を得る。要は、そういう取引だ。後は、大公国が、大公国から単にクルデンホルフと呼ばれるようになるか、クルデンホルフ王国に昇格するのだろう。そこは、アルビオンの自由裁量だ。厄介事について、ゲルマニアは今回手を引くことにした。速い話が、ゲームのプレイヤーとして扱わない。ゲームをしているのは、ゲルマニアとトリステインなのだ。非公式のプレイヤーは、公式の場にしゃしゃり出てくるべきではない。だから、我らはそうした。無論、関係者としての参加を促してはいるが、積極的に関与されることは極力排除だ。こういう態を装っているために、大公国はアルビオンにメンツを公的には保てるという。



{アルビオン視点}

策を弄しすぎた。大陸利権に目が眩んでいた。早急に、手を引くべきだ。これが、アルビオン外務省内部で急速に叫ばれ始めているトリステイン放棄論である。ゲルマニアとトリステインの血みどろの戦争から、クルデンホルフ・アルビオンの両国が利益を総取りするという発想がそもそも甘かった。

「大公国に担がれた!」

これが、共通認識として、外務省にある。連中が売りつけてきた案は、大公国にとっては利益がもたらされる提案であり、すでに相応の利益を出している。例えば、リッシュモン高等法院長が発行している偽造された本物の公文書の販売代金で、かなりの資金をトリステイン貴族から絞り上げている。我らに有利な文章を、売ってきたが、ゲルマニアが強硬策に出てくれば、紙切れになると悟るのが遅すぎた。偽造の証拠とやらが見つかっているのだ。文書で、錯乱を図ろうにも、効果が乏しい。

「2500万?むちゃくちゃな数字だ!」

国庫への収入は、確かに大規模な南部の粛清であった。数字だけ見れば、2500万はそのほんの一部だろう。だが、先祖代々の城館や土地の金額なのだ。現金や、宝石といったたぐいのものはそう多くない。美術品や、王家の価値あるとみなす物品を売り払うのはメンツに関わる問題であり、論外。そうなると、粛清時に生まれた現金程度では到底足りない。国庫とてそう余裕があるわけでもない。当然、大規模な赤字を覚悟するほかに、道はない。そうでもしなければ、トリステイン領土は賠償の一環としてさらに斬りとられるだろう。だが、そのためには大公国に妥協しなくてはならない。

「水利権が抑えられれば、領土としての魅力が乏しい。」

豊かな大地。それは確かに魅力的であったが、首根っこを押さえられていては、魅力も半減だ。それに、軍事的にみれば、ガリアに隣接する魅力の乏しい地域を防衛させられるようなものだ。経済的な負担も小さくはない。空軍の戦力を分散配置するのは望ましくない結果をもたらす。

「今さら、引けるものか!いくら投じたというのだ!」

トリステイン王党派の受入に、ゲルマニア北部での秘密裏侵入を支援。まあ、いくらでも尻尾を切り捨てられるように配慮してはあるが、投資した額は小さくない。しかも、アルビオン王家ではなく、各貴族達がアンリエッタ王女とウェールズ王太子の婚姻を前提として、当然のごとく、トリステインを併合するという条件で動いているのだ。すでに、多額の資金が投じられている既定路線と、そう見なされているものを変更するのは至難の業である。

「王家の出費?弱体化?大歓迎である!」

これが、偽りなき大貴族、有力貴族の意向であるだろう。特に北部の有力貴族らは、人目がなければ、本気でそう叫びかねない。少なくとも、有力な面々にしてみれば、トリステイン併合に利益があり、併合しなければ損をする。一方で、アルビオン王家にしてみれば、負債の塊を引き受けるようなものだ。王家が相対的に、弱体化することは避けられない。そのような、状況であるならば、有力貴族らの動向は簡単に確定する。併合論を前提としての、講和会議へ参加すべしという意見が盛り上がってくる。

「まさか、クルデンホルフ王国でも作る見返りに、大公国はゲルマニアから最初から同盟していたのでは?」

「考えすぎだ。そう言いたいが、難しい。しかし、事態は連中の手を借りねば解決できないのだ。」

モード大公粛清という事態は、王家の力に若干以上の影響を与えたのは間違いない。少なくとも、王家に付け入らせる隙を生み出すと同時に、各貴族らに王家に粛清されたくないがために、王家の弱体化を積極的に図らせる動機を呼び起こしたのだ。アルビオンの外務官吏らは、そこはかとなく、このような事態を招いたモード大公粛清を呪った。事態の裏を知る者たちは、軽率なモード大公を呪うと同時に、エルフと、ロマリアに災いあれと願うほかなかった。

「で、毒を食らうほかないのか?」

ゲルマニアの提案は、実に毒素に満ち溢れた碌でもない提案であり、こちらが断りにくいという一事をもって最悪の提案である。無論、トリステイン放棄を含めて、複数の選択肢はまだ理論上は選択可能である。

「他の選択肢を取ると?毒ではなく、杖で殺されるぞ。」

だが、理論上、可能であるということは、あくまでも可能であるということに過ぎない。例えば、フネから飛び降りることは、理論上は可能だ。フネから飛び降りるなど、論外であると主張することは可能だが、実際には飛び降りることはできる。よほど、窮したか間抜けでもない限り死ぬとわかっていることを実行する者がいないので、不可能だといわれているにすぎず、理論上は可能なのだ。だが、愚か者でもなければそういう選択をすることは無い。

「死ぬのが確実な案よりは、毒を飲んでのたうち回れと?」

「それしかないと思うが。」

結局、選択肢は実に乏しい。死ぬか、のたうち回るかの選択肢が提示され、我々はそれを選ぶ自由が提示されているということに過ぎないのだ。死にたくないと思えば、選択肢はもう片方に傾かざるを得ない。如何に、不本意な結果であるとしても、だ。

「まあ、決断は王家がするものだ。一介の官吏のみで決められるものでもない。」

「確かに。しかし、奏上するのも、気が重いですな。」

不愉快な決断を迫る上奏。如何に、王が傑物であろうとも、そう言った危険極まりない上奏を行う羽目になるのは実に不愉快な経験だろう。とはいえ、これを避けるわけにもいかないし、先延ばしにするわけにもいかない。決断を先延ばしにすることは、事態を悪化させるだけだろう。少なくとも、事態が改善する見込みは一切ない。むしろ、ゲルマニアがトリステイン領を蚕食するだけだ。

「とはいえ、急がねばならぬのも事実。上奏し、早めに決断をしていただくほかに無い。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

味方も敵もくるくる変わるのが欧州政治の怪奇。
欧州情勢は複雑怪奇と叫びたくなるのもわかる気がします。
個人的には、国際的な会議で、貴族らがよく半年とかで席順とかを決められたものだと感心したくなります。

さりげなく改訂したりしていますが、ご意見・ご指摘があれば是非。

次回、『アルビオン、決断の時』・『さらば、トリスタニア』でお送りする予定です。


(予定していた、『復活・綺麗なワルド』は都合により再検討することとなっております。原作並みに放置すべきかどうか、悩ましいところです・・・。)



[15007] 第六十五話 会議は踊る、されど進まず9
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/09/23 06:43
商人が三人集まって、それぞれ利益を分配しあった。いずれも、自分の取り分を最大化しようとした結果、ある程度の妥協が成立することをよしとした。(しかし、お互いに最大限に罵り合う関係である。)

貴族が三人集まって、それぞれ利益を分配しあった。血縁と、格式から自分が全てとる権利があると主張しあったが、経歴を慮り、穏当な解決に至った。(後日、二人が、偶然にも病気に倒れ、一人の貴族が友人と、親族を失う悲しみを得ることとなる。)

欧州の外交官が三人集まって、それぞれ利益を分配しあう交渉を始めた。密室で行われた交渉の結果は、死因は刺殺・絞殺・毒殺であることが判明した。(なお、検視は『誠実な仲買人』が行った。)

国家が三つ集まって、それぞれ利益の分配交渉を行った。上手くいき、それぞれが国益にかなう結果に満足し、友好関係が発展すると称した。何故か、各国とも翌日から軍拡にいそしむことになる。

理由?自国が損をして、他の二国は本当に目当てのものを掠め取っていったと被害妄想に駆られるからである。



{ロバート視点}

「治外法権まで要求するのは、やりすぎでは?」

アルビオンが毒を飲むというのであれば、その強弱をある程度、相談しておかねばならない。アルビオンに一服盛るところまでは構わない。だが、アルビオンという善良な隣人が病死してしまうことは、親愛なる隣人としては大いに悲しむべき事態でもある。故に、致命的でなく、かつ長期的に利益が導き出される形での毒が望ましい。その意味において、試案として上がってきた治外法権は行きすぎだ。

「しかし、過去に何件か、法を無視した形でゲルマニア系の資産が押収されています。一部の貴族らは、強くこれを求めていますが。」

トリステインの末端が腐敗していたのは事実だ。特に、徴税に従事する官吏が汚職に手を染めていた。だから、トリステインの法は信用がならないと主張するゲルマニアの感情はある意味では妥当なものだが、統治行為という観点から見れば、予想されるものとして、あまりにも反発が大きい。経験則からいって、治外法権は政治的な火種になりうる。確かに、あの野蛮な国家に、治外法権は適切かもしれないが、アルビオンにまで援用することを考慮すると、行きすぎだろう。

「アルビオン自体は、特に法と執行に問題が無いのですぞ。さすがに、行き過ぎです。」

トリステインという食事に毒を混ぜるには、無味無臭であることが政治的に望ましい。気がつかれないことが一番理想的で、次善の策は、仕方がないと受け止められる程度に留めることだ。やり過ぎは大きな反発を招く。適量こそが望ましい。『ボルジアの毒』のように、幸運すぎては疑われるのだ。幸運も重なれば、偶然ではなく、何者かによる意図がそこには介在する。だから、偶然で、連続性が無いように見せかけねばならない。

「では、通商協定に付随事項として盛り込みますか?どちらにしても、アルビオンの態度次第では外交問題に発展するではないですか。」

通商協定は、ゲルマニアの水瓶を拡大し、水源を獲得するという点から見れば有効である。しかし、同時にこの提案は、他の通商国家に大きな悪影響が及ぼされるという点で、政治的に推奨されないものがある。当然、ラムド伯の指摘するようにアルビオンにとっても愉快なものではない。当然、これは政治的に外交問題に発展しうる。結局のところ、アルビオンを締め上げるには、少々毒が強すぎる。

「大公国を追い詰めすぎない方がよいでしょう。ここは、無難に関税自主権を取り上げては?」

それに、一番の難点は大公国という通商国家を追い詰め過ぎてしまうということにある。経済力が、政治的な自立性への唯一の道である彼の国にとって生命線である水源を、我らが独占するという意志と、新たな水瓶も分捕るという意思を示せば、あの国はガリアに縋ってでも生き延びる道を選びかねない。そうなれば、何のための戦果か分からない。

「反対ですな。陸へのアクセスがアルビオンの大陸進出最大の目的ですぞ。」

だが、アルビオンにとってみれば、トリステイン領域における関税自主権がないことは、水源がゲルマニアに抑えられる以上、農業生産物に水利権が引かれる上に、不利な関税で競争を迫られるということで、大陸の魅力が極端に低下する。浮遊大陸で囁かれているという、大陸放棄論も可能性の一つとして無視できないものとなるだろう。現状では、アルビオン貴族らは、大陸放棄論には同意していないものの、アルビオン王家自体は、大陸に対する未練は全くないはずだ。

「では、大人しくこちらに有利な一般協定でお茶を濁すしかありますまい。」

ある程度の優先的な権益。しかし、致命的でないそれを得るほかに無い。ある程度の実利と権益がありつつそれほど摩擦を惹き起こさないものを集めて要求するほかに無い。

「思った以上に絞れませんな。」

「もともと、限界まで絞ったものをさらに、絞ろうという方に無理があるというものです。」

ラムド伯という同僚は実に有能だが、私も同様であるが、外交官としては錬金術が使えないという欠点がある。まあ、無から有を生み出して、相手に売りつけることが出来る百戦錬磨の傑物と比較すると、どうしても我らが劣るのはいたしかたないとしても、ラムド伯の絞りとらんとする強靭な意志には一介の個人として敬意を惜しむ理由がない。

「いっそ、ロマリアにでも土地を売りますか?」

「悪くはないですが、寄進しろと言われる始末でしょうな。」

教会領なり司教領なり、表現は多種多様であるが、実に寄進という形以外でロマリアが土地に手を出すとは到底思えない。その可能性は、過去に見られていないといっても過言ではなく、ロマリアにとっては宗教上も政治上もさほど重要性の見当たらない土地に大金をつぎ込むとも考えにくい上、下手なジョークにもならない。

「やれやれ、こうなってはガリアにでも売りますか?」

「まあ、それは最終ですな。」

簡単な冗談を交わす程度には、お互いを信頼できる関係でもある。まあ、過度に感情を表すことを忌避する祖国流に表現するならば、よき友だ。少なくとも、私の心臓にナイフを突き立てる前に、彼は、ドアをノックする程度の配慮はしてくれるだろう。

「ならば、輸出を締め上げますか。」

「却下です。ガリアに市場を喰われるだけだ。」

アルビオンは浮遊大陸であり、それが故にいくつかの基本的な物産を輸入に依存しがちな傾向がある。無論、食糧自給そのものには致命的な欠陥はないものの、人はパンのみにて生きるわけではない。さまざまな物品が必要であるのだ。特に、アルビオンで深刻に不足している木材等を締め上げるのは一つの手段ではある。だが、さすがに、自給体制を長年にわたって整えてきているだけに、不足して困るという程度で致命的な影響があるほどは期待できないだろうというのが、実態である。むやみに敵意をかきたてる政策は、愚の骨頂である。意味無く、敵意を駆り立てることほど、無為かつ無益なことは無い。敵意を駆り立てるにしても、それは必要があり、合理的な場合に限るべきだ。

「では、どうします?」

「いっそ、この議事録でも送りつけますか?どの程度までなら耐えられるか貴国の意見をお伺いしたいとでも。」



{ニコラ視点}

ニコラ・デマレことメールボワ侯爵は、トリステイン王党派の重鎮であり、最もアルビオン外務省の忌避する貴族の一人でもある。なにしろ、トリステイン貴族である。その一事をもってしても、外交官から忌避されるに十分すぎる要素であるに上に、傲慢ではなく狡知であるという世評だ。当然、アルビオン内部で大人しくしているわけもなく、多くの監視や、対応用の人員などが割かれることとなる。そして、その監視にあたっている彼らは、頻繁にメールボワ侯爵がトリステインからの密使と接触していることを、上司にいつものように報告することとなる。

「ワルド子爵の消息はいかがでしょうか?」

「未だ、分からん。捕虜名簿に名が無かったことを思えば、逃げ延びてくれていることを願うほかないだろう。」

アルビオン滞在中の仮住まいとはいえ、屋敷を手に入れる程度の財はアルビオンにもメールボワ家は持っている。なにしろ、一国の財務次卿まで上り詰める才覚ある貴族だ。資産を分散させておくというのは、とりわけ有事に際しては常識的な対応であり、そこに抜かりはなかった。

「で、ラ・ヴァリエール公爵からの伝言は?」

「はい、アルビオンはあの講和案を飲むのか?とのことであります。」

やはりか、と思う。なにしろ、前線の貴族らにしてみれば、停戦合意は速い方が良い。特に、この戦争で得る物が無いとわかっていれば、出費は少ないほうが望ましい。仮に、身代金が払えるならば、捕虜解放が近いと分かっている方が望ましいというのも大きい。そして、公爵家は王家に忠誠心がないわけではないが、最終的には自家の温存を優先しても構わないのだ。まあ、祖国に準じるという発想自体が、錆びついた思想である。自分も含めて、アルビオンに亡命した王党派は、よほどどこか古典的な思想にかぶれていたのだろう。

「飲むだろうな。少々条件で揉めるやもしれないが。それで?公爵はなんと?」

名目上とはいえ、アルビオンとトリステインは別個の交渉主体である。故に、一応はトリステインが講和条約を拒否することもできる。まあ、アルビオンからも見放される覚悟があれば、であるが。それは、強欲な親族の下から飛び出し、悪裂な奴隷商人の下に飛び込むようなものだ。

「トリステインという国家は、存続できるのかと。」

「存続?」

「アルビオンと合併することを懸念されておられますが。」

「あくまでも、婚姻による同君連合だ。次代は或いはトリステイン単独ともなろう。」

名目は、そうだ。アルビオンとトリステインの王族同士の婚姻による連合王国構想。しかし、実態はアンリエッタ王女の持参金がトリステインということだ。仮に、生まれた子供が複数人いたとしても、領地を分割するということに合意するだろうか?かなり綱渡りではあるが、分割させられたとしても、従属国扱いされるのが目に見える。この状況下で、存続を確認するのは、占いにでも頼った方がましなくらいだ。

「・・・では、在トリステインと貴族は、アルビオン貴族らから距離を取り、一派をなすべきとお考えでしょうか?」

「無論、一派を形成できるならばよいが。具体的には、王家を支えるに足る人材が多数出てくれば、影響力を獲得できると思う。」

アルビオン王家の人材不足は、突発的な南部粛清により表面化こそしていないものの、一部では大きな問題となっている。特に、財務関係でモード大公と緊密な関係にあった官吏や、諸候が軒並み取りつぶされているために、徴税業務に支障が出ているところすらある。無論、浮遊大陸内部での事であるために、そうそう外部からは窺えなかったが、さすがに、亡命してくればいくらかは目にすることもできる。だが、トリステイン貴族に大きな影響力を持つ、公爵家がこのような形で、トリステインに一定の配慮を行うというのであるならば、当代はともかく、次代でトリステインが分離独立することも夢ではない。

「時に、貴殿はいかがする?しばし、アルビオンの情勢を探っていくか?」

「はい、情勢を見極めてまいれとも。」

「ならば、南部と北部の確執を見極められるがよい。では、公爵にもよろしく願う。」

使者が退室していくと、思考にいくつかの取りとめもない案が浮かぶも、やはり現実的でないとこれらを破棄する。アルビオンとトリステインの同君連合自体は、不可避だ。ボロボロに国家という枠組みが崩壊している以上、連合王国の一角としてのトリステインとして、愛郷心に訴えつつ、行政上の独立した区画としての地位を維持し続けることができれば、アンリエッタ王女の御子息の代で独立することも可能性はあるだろう。アルビオンにしてみれば、速やかにトリステイン地域を取り込むことに主眼を置いてくるだけに、相当の反発を覚悟しなくてはならないかもしれない。

「私の生きているうちに、次代が生まれればよいが・・・。」

王女殿下も、ウェールズ王太子も未だ若い。無論、適齢ではあるものの、お二人の子が成長し、一国の主足りえるまでに、生きながらえることができるかどうか。正直に言えば、お子様が生まれるまでは、生きながらえるだろうが、政治的に活躍できるころまでは微妙だ。そういう意味では、若い貴族、それもできればアルビオンでの権謀術策から守りぬけるだけの力量がある貴族の中の貴族が望ましい。

「ワルド子爵、彼がいればどれほど心強いことか・・・。」

王族の救出、献身的な護衛に、志願しての敵地後方錯乱。今の時代においては、希有の忠勇の士である。もはや、真の騎士というほかに無い。幸いなことに、自分と異なり、王女殿下の信頼も万全のものだ。自分のような、いわゆるマザリーニ枢機卿派の官吏は、有能ではあっても煙たがられるものが多かった。その意味においては、王女殿下の信頼を得られており、献身的な忠義を示している彼の存在は、トリステインを次代に語り継ぐに足る資格を有している。曲がりなりにも、子爵位を持ち、魔法衛士隊の副隊長になっている貴族だ。政治向きのことにも、全く才覚が無くてなれる地位でもない。確かに、今だ、若い。だが、少なくとも、彼が円熟するまでは、我らで支えることもできる。とにかく、今は無事を祈るほかにはない。



{ロマリア某所}

「水の国と空の国が同君連合?」

始祖直系の国家は、ガリア・トリステイン・アルビオンであり、それに始祖ブリミルの弟子がその後を守っているロマリアが存在してきた。実に6000年の歴史である。この枠組みが、歪められようとしている。それは、始祖の残したエルフに対抗する貴重な虚無という伝説の魔法が、失われるのではないか?との危惧を密かに知る者の間で惹き起こしていた。

「それでは、虚無が途絶えかねない!」

始祖がもたらした魔法は、貴族を、メイジを強力な存在としたが、エルフは未だに強大な敵である。だが、そのエルフとすら始祖は虚無の魔法で対抗していた。聖地を取り戻すために不可欠な虚無。それが、失われるのではないか?その恐怖はロマリアの原理主義的な枢機卿らにとって悪夢としか言いようのない事態であった。

「落ち着かれよ。何も、王家に限らず、王家に連なる家系であれば虚無足りえるのだ。」

理論上は、始祖の血脈に虚無は宿る。だが、すでに虚無が伝説となり、存在が疑われているのもかなりの期間に上っている。ここにいる面々は、虚無の存在自体は疑っていない。秘められた文献と、公開できないような秘密裏の諜報から、虚無の存在自体は確信している。

「だが、アルビオンもトリステインも虚無は見つかってすらいない!」

しかし、それでも、虚無は発見できていない。そう、存在自体は確信しているし、探索も行われているが、アルビオンもトリステインも虚無の魔法は見つかっていない。無論、探索の仕方にも制約はある上に、各魔法学院に虚無の魔法使いの捜索に協力するように要請するわけにもいかないために、手足が不自由な状態であるのは否定できないが、それでも懸命な捜索にもかかわらず、両国から入ってくる報告は、芳しくない。

「4の4が揃うことなどあり得るのか?」

聖地を取り戻す。その第一歩すらおぼつかない。

「場違いな工芸品がある。」

「場違いな工芸品も、限定的な戦果しか期待できないではないか!」

秘密裏に、砂漠から持ちかえられたそれらは、確かに強力だ。だが、使い方が分からないものから、全くのガラクタまで様々であり、しかも量産どころか再現すら困難な代物ばかりで、運用にも大きな制約が課せられている。

「エルフから、聖地を取り戻す。そのためには、手段を選ぶべきではない!」

故に、虚無への期待は大きい。いっそ、縋って祈りたいほどに虚無が待ち望まれている。自分の生きているうちに、虚無が揃い、聖地が奪還されることを夢見て、多くの先人が逝ってしまった。手段など、選ぶべきではないのではないか?そういった声すら、枢機卿の一派からは水面下で聞こえてくる。

「世俗のことに少々、関心を持つべきでしょう。これは、不可避のことなのです。」

とはいえ、さすがにこればかりはどうしようもない。なにしろ、不用意に開戦をあおったり、下手に宗教庁が介入したりした揚句に、教皇が事態の収拾に乗り出す羽目になっていた。まさか、ゲルマニアに虚無の保護をしたいがために、ガリアが策動するのを放置したどころか、秘密裏に支援したなどと、いいやるわけにもいかない。下手な介入を行ったという悔悟の念のほうが強いが、今更どうするわけにもいかない。

「アルブレヒト三世は、喰えない政治家ですな。」

「それで?対策は無いのですか?」

「アルビオンとトリステインの完全な合併を阻止するほかにありますまい。」

王族の血脈が交わる程度であれば、虚無の魔法が消失するとは思えない。事実、各王族の血は度重なる婚姻政策で交わり合っているのだから。だからこそ、トリステインとアルビオンの完全なる一体化は望ましくない。無論、可能性としては、アルビオンに二つ始祖の系統を継ぐ虚無の持ち主が現れる可能性もある。だが、それは可能性であり、その裏面に虚無の消失という可能性もある。

「6000年の枠組みが崩壊するとは。」

いくつもの王朝や国家、それに自治都市が併合され、歴史から抹消されてきたが、始祖由来の国家が直面するとは考えられなかった。格式にしても、実力にしても、他を圧倒していたのだ。だからこそ、6000年という歴史の試練にもこれまでは耐えられた。耐えてくることができたのだ。

「近年のトリステイン弱体化を放置した責任でしょうな。」

その原因は当然ながら、トリステインの弱体化と、ガリア・ゲルマニアの二強体制が成立しつつあるのを放置したことにあるのではないか?そうした疑問提起がなされる。なにしろ、都市国家を纏めたゲルマニアは、もともとは弱体であったものが成長した姿なのだ。当然、弱体化していたトリステインはこれでさらに力を落とすこととなり、今日を迎えている。

「そのために、マザリーニ枢機卿を陰に陽に支援したのです。」

だから、わざわざ、ロマリアで有力な枢機卿一派を有し、かつ有能で次期教皇の評価もなされたほどの有力な枢機卿がトリステインで実質的な宰相となることを妨害しなかったうえに、諸政策において、マザリーニ枢機卿が本国の厄介事に極力巻き込まれないように取り計らったばかりか、いくども秘密裏に支援を行ったのだ。

「腐った老木は誰であってもどうしようもない。むしろ、細くとも健全な若木を育てようではないか。」

場の雰囲気を仕切りなおすように呟かれた言葉は、一つの暗喩を含んでいた。トリステインという旧来の国家は、ロマリアにとって意のままになるものではなく、潰すことも躊躇われる存在であった。だが、彼らは今や弱体であり、自立のすべすら危うい。ここで、アルビオンに完全に吸収されないためには、ロマリアの助力が不可欠であり、こちらのいいように制御できる新しい、トリステインも十分に期待できるだろう。

「最悪の場合、ゲルマニアから土地を買い取ってでも、トリステインは我らの手で復活させる。」

アルビオンから分離独立するためには、ある程度の支援と、最悪の場合ゲルマニアから土地を引き出すことが必要になる。当然、それを見越して資金を集め、人脈を形成し、情報を収集していかねばならない。そうであるならば、ここで全体の意思を統一し、事態を解決すべく行動することで合意しなくてはならない。

「私としてはその方針で良いかと。異議のある方は?」

一人の出席者が肯定の意を示すと、異議を申し立てる声は無く、ただ賛意を示す声か、無言の肯定が繰り出され、出席者の総意が確認される。そこにあるのは、間違いなく宗教的な使命感と、自らの悲願達成に賭けた真摯な熱意であった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

みなさんおはようございます。

本作は、The炎の曲芸師リッシュモン・カリン様TUEEEEEEEと綺麗なワルドが共存する奇妙な事態になっています。

正直、こうなるとは思っていなかったですorz
(いや、綺麗なワルドは意図してやりましたが・・・。)

プロットが、プロットが崩れていくんです(´;ω;`)

水面下での講和会議の動向はどういう風にするかと考えてみて、
そうだ、『大英帝国』を参考にすると、いいんじゃないかと。
三枚舌外交(実際は、解釈次第では矛盾しないというまさに魔法)とかいろいろネタを盛り込もうと思ったのですが・・・。



欧州情勢は複雑怪奇。


まあ、そう言って総辞職する内閣も欧州からすれば、複雑怪奇だったらしいですが。

こんな本作ですが、次回は
寝業師ロマリア・The炎の曲芸師リッシュモン・飛べアルビオン!の三本で送りすることを検討しています。プロット通りに進んでいないので、大幅な変更も視野に入れていますが・・・。

気長にお付き合い下さい。



[15007] 第六十六話 平和と友情への道のり 1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/10/02 07:17
敵が百人の賢者でもって、その知恵を振り絞り、悪意滴る策謀を練るよりも、味方の救い難い間抜け一人の方が、深刻な脅威である。

貴族の日記より



アルビオン・トリステインにとって、誤算は一つ。政略結婚のつもりが、当人達が熱烈に恋をしていたことである。年相応の微笑ましい感情は、周囲で権謀術策を張り巡らせている貴族達にとっては激烈な頭痛に種であった。ある貴族が漏らしたとされる言葉で、『むしろ、エルフの方が理解できる』とすら言われるほどに、恋は周囲からすれば非合理なものである。故に、アンリエッタ姫に関わった貴族達を徹底的に翻弄することとなる。

作者不詳 歴史の大恋愛



{ロバート視点}

トリスタニアで飲む午後の紅茶は、良い思い出は乏しいが、お茶が苦くなるような思い出はたくさんある。おそらく、今日の報告は、これもまた、優雅とは程遠い午後のティータームを約束してくれるだろう。まったく、実に不愉快にして、碌でもない地である。紅茶があれども、寛ぎとは程遠く、気を鎮めるためにお茶をする羽目になるとは。

「・・・失礼、今何と申された?」

そう言うわけで、一応、誤解を防止するために私は、調査の報告を再確認する。願わくばなどと祈る気はないが、しかし人間というものは、願望を抱きたくなるものだ。

「アルビオンとトリステインが王族の婚約を行うとの噂が。」

「この時期にだと?誤報では?」

アルビオンが、トリステイン旧領度を蚕食する名目として、婚姻による同君連合を組みたがっているということは、予想される範疇に留まるものである。だが、それは、公然の秘密というものだ。少なくとも、ゲルマニア・アルビオンの講和会議当事者にとっては。だが、ハルケギニア大陸においては、秘密に部類されるものである。それに、政略結婚の婚姻というものは、政治的に最も効果の大きい時に発表されてしかるべき性質のものだ。本来は、大々的に発表するか、電撃的に発表するかのどちらかになる。少なくとも、こうした形で漏れ聞こえてくるということは、通常ではありえない。

「いえ、それが、トリスタニアですら知らないものがないほど、広まっております。」

「まて、知らぬものがないだと?」

囁かれている、あるいは耳にした、程度であればなにがしかの情報保全の失策の可能性もあるが、大々的に民衆が耳にしているとなると、事態はややこしくなってくる。なにしろ、意図的に流している可能性が極めて高くなってくるのだ。

「はっ、新聞等大々的に報じられていますが。」

「ああ、すまないが、一部もらっておこう。」

こちらに、新聞を差し出すと、調査にあたっていた担当者が退出する。その後ろ背中が扉の向こうに消えた瞬間に、私は届けられた新聞に目を走らせ、思わず閉口する。これは、まずい。本格的に、火災に発展しかねない。なにしろ、通常、こういった婚姻による吸収合併を志向しているのであれば発表のタイミングには細心の注意が図られ、政治的な意図に糊塗されていなくてはならない。故に、通常、このタイミングで、この噂は流れる物ではない。

「アルビオンは正気か!?この状況下でそのブラフが持つ意味を知らぬわけもなかろうに!」

ところがだ、通常ではありえない速度で、噂は伝播し、もはやあたかも既定事項であるかのように語られる始末である。事態は、素晴らしく錯綜しはじめた。なにしろ、ありうべからざるべき事態が、あたかも既定の事項であるかのように語られるのだ。アルビオンが、発狂でもしていな限り、情勢はアルビオンの露骨なトリステイン支援の表明になる。この異常な情勢下では取次の係官が、まるでタイミングを見計らったように、メッセージを抱えて駆けこんでくるのも、ある意味では予定調和の範疇にはいる。

「至急お目にかかりたいと、ラムド伯が。」

当然ながら、この事態は異常だ。アルビオンの意図は不明であるにしても、対処が必要であることは紛れもない事実。否応なしに、行動が求められる。

「分かっている。ああ、ヴィンドボナに急使を派遣し、事態を報告するように。」



{ホーキンス視点}

軍人という生き物は、実に難儀な生き物だ。軍人は政治家に、つまるところ国権に忠実であるべしと信じているが、一方で貴族らの陰謀劇は苦々しく思わざるを得ない。なにしろ、貴族の陰謀劇ときたら、正視に絶えず、名誉も誇りも投げ打ってしまわなければ思いつかないような代物ばかりなのだ。

「だから、というわけでもないのだがね。」

お二人には、周りの喧騒を余所に静かな環境で穏やかに、と願っていた。政略婚姻であるとしても、両者が好きあっているのであれば、と。故に、本来の任務に忠実かつ誠実に勤務した結果、両者の面会を遮る警備という名目の隔離は、穏やかに解除されていた。

「今にして思えば、少々軽率に過ぎた。」

後悔しているとまでは言わないが、少々軽率に過ぎたという反省の念はある。曲がりなりにも、警護の任にある以上、余計な風説の流布を防ぐか、もしくは王太子殿下に忠告をなすべきであった。確かに、王太子殿下は、アンリエッタ王女に恋されているであろうし、おそらくは、婚姻にも前向きであらせられるだろう。だが、さすがに王太子殿下は、物事の道理を把握されてもいる。さすがに、時期の問題は重要であると察しておられただろう。

「卿の責任ではあるまい。むしろ、今はどう対応するかだ。」

急遽、事実確認と、関係者の聴取に当たっているアルビオン外務省の官吏が疲れ果てたように呟く。数カ月もすれば、既定事項になることであり、旗幟を鮮明にするという意味合いが無ければ、ここまで災いにもならぬことであるのに、と言いたげな表情には同意する。

「現在は、王太子殿下に事情を説明致し、トリステイン関係者との接触を自粛願っておる。」

「問題は、アンリエッタ王女殿下の恋文か。」

思いの程を書き綴った手紙が一度奪取されかけている。公にはされていないが、手紙の配達人を襲撃し、婚約の日程について問いかける無邪気に書かれた手紙が奪取されかけた。事実は、ともかくとして、どのようにでも曲解できる情勢下で、そういった物証と見なされる手紙が発見されることは実に危うい。奪取未遂の報を聞いた時、アルビオン外務省は、思わず倒れかける担当者の姿があったとも聞く。

「姫殿下もお年頃。とは言え、さすがに、部下をそのために危険にさらすのは避けたい。」

そもそも、我々にしてみれば、アルビオンのために行動しているのであって、自由に王女殿下を動き回らせること自体、あまり乗り気ではない。正確には、王女殿下個人ではなく、それに付随して行動してくるメールボワ侯爵のような、厄介な面々のことを意図するものだが。なにしろ、アルビオン内部を事細かに観察しようとしている。内部には、外部から、伺い知られるとまずいものもあるというのにだ。

「では、いっそ、王宮でご一緒に?」

「論外だ。警備の問題以上に、政治的にまずかろう。」

婚約の噂が大々的に流され、その当事者達が王宮で共に過ごす。まさしく、風聞は事実な知りやと、勘ぐられるに十分すぎる物証になる。確かに、動き回らなくなるとはいえ、それはだめだ。さすがに、軍人ですらこの程度の思慮が回るところに、頭が追い付かないとは、アルビオン外務省はよほど追い詰められているのだろうか?

「確かに、政治的にみた場合はまずい。だが、ミスタ・ホーキンス、未確認情報だが、アンリエッタ王女の暗殺計画があればどうだ。」

トリステイン王国は、名目上未だに健在である。故に、講和会議は成立し得るし、おそらく講和文章も発行されるだろう。忌々しいリッシュモンのような輩も未だに、堂々と王政府の役人であると称し、正式には停戦交渉そのものが、アルビオンが仲介し、トリステインとゲルマニアの二国間交渉ということになっている。実態はともかくだ。そう言う虚構を打ち壊すには確かに、アンリエッタ王女の存在は弱点部分となりえる。だから、名目上の王女と王太子の婚姻による自発的な連合王国案は、それを克服しない限り、成立し得ない。

「・・・トリステインは、アルビオンに併合できない、と。しかし、どこがそのような計画を?」

だが、どこがそのような事を望むのか?ゲルマニアにしても、あるいは大公国でも、この講和を望むだろう。ガリアにしてみれば、妨害の意図はあるだろうが、あの無能王の思考は今一つ読めん。

「ロマリアだ。あの坊主どもめ、始祖の血脈を貶めたという名分で、狂信者を送ってきこねん!」

「ロマリア?で、襲撃してくれば、殺して構わなないのだろうな?」

「可能であれば、捕えてほしいが。」



{リッシュモン視点}

自身の価値というものを、正しく理解する程度の知恵は、貴族ならずともあってしかるべきだ。高等法院の長に上り詰めるまでの道のりで、競争相手の大半は、そのことを理解せずに自滅してきた。ここまで、上り詰めるに際して、最大の懸念であったのは王家の力と、藩屏どもの脅威くらいであったといってよい。そして、その王家の力は、実に弱体である。そもそも外来であるか、現在のように有能な代理を忌避して、は政治のことを理解しようとし得ない小娘。詰めさえ誤らなければ、危険な橋も渡ろうという気になるものだ。だから、というわけではないが、引き際を見極めることにも自身があるつもりである。

「講和を結ぶほかありますまい。」

「リッシュモン卿!ご自身の発言を理解しておいでか!」

怒りとも、我慢の限界とも、どちらともとれる激情を目の前のラムド伯の表情はぶちまけんとする内部の意志に半分降伏寸前である。まあ、そういう風に装っているというよりも、政治的に怒鳴らざるを得ないというゲルマニアの立場を踏まえてのものなのだろうが。ここしばらく、声をからすような大声を発することを強制される立場にあったためか、少々疲労の色も見える。因果な仕事だ。

「無論ですとも。ゲルマニアの方々には、このままでは良くない。ならば、今講和条約を結ぶほかに無い。」

アルビオンは、ゲルマニアと親愛なる大公国の提案をのまざるを得ないだろう。少々、アルビオンに肩入れして保身を図るつもりであったが、ゲルマニアは予想以上に激烈な対応でこちらに決断を迫ってきた。さすがに、暗殺者まで向けられると、次は無いという警告だと理解できるというものだ。だが、ゲルマニアは優秀であるが、いかんせん、彼らの視座から自由に慣れていない。アルビオンは、時間をかけると提案が飲めなくなる理由があるのだが、それに気が付いていない。要は、搦め手の策に対する防御に不慣れだ。

「アルビオンが、飲むと思うのかね?」

「無論ですとも。まさか、本気でアルビオンがこのような時期に旗幟を一転させる必要がありましょうか。」

誰もかれもが、合理的であるというゲルマニアの成り上がり根性は、一つの欠点がある。古い貴族内部の激烈な暗闘を、能力が劣るもの同士の足の引っ張り合いと見なしつつ、自分達の実力を誇ってしまうところだ。誇りが高いだけの傲慢な連中と見下す。まあ、成り上がりという連中は、自身をそうして差異化しようとするが、良くも悪くもそれもまた、傲慢さだ。それ故に、この手の搦め手は、攻めるのはお上手でも、防御は下手もよいところである。

「ならば、この情勢をどうとらえておられるのか?」

興味深そうに、こちらへ観察眼を向けてくるのは、ゲルマニアの有力な新興軍事貴族である、ロバート・コクラン辺境伯だ。あの者は、どうも血統的に古い貴族の一派に似た匂いがする。メイジですらないので、平民の上がりなのだろうが、ああいったものがいることそのものも驚きというほかに無い。権益を侵さないことを期待できない相手であるのが、間違いないからこそ、私は笑みを浮かべて、抱擁しようとせざるを得ないだろう。

「慶事を、たまたま先走って勘違いされた方々がいた。そういう、善意の誤解でありましょう。」

ロマリアが、この問題に口を突っ込み始めている。実のところ、この問題に関して、ロマリアの介入は避けたい。奴らと手を結ぶことそのものは、問題ではないが、マザリーニの一派がどのように蠢動しているか不明な情勢下では、ロマリアという要素は極力排除してしまうに限る。それが、限定的なゲルマニアとの共通利害である以上、ここで共闘をもちかけるべきであり、それを避ける理由はない。ついでに、最終的にアルビオンに多少恩を売っておけば、関係改善の糸口にもなりえる。

「ほう!つまり、誤解が原因と仰るわけですな。」

「左様に。コクラン卿、偶然の誤解かと私は思っているところですよ。」

偶然、仲の良い従兄妹の仲を、誤解した教会関係者がいたとしても別段何ら不思議なことはないではないか。それが、噂を招いたとしても、なんら不可思議ではなく、悪意はなかった。したり顔で言ってしまえばそれまでだ。今は、それで押し通せばよい。

「事態を、正しく把握されているようですな。」

これが、既定路線であることに同意しよう。つまりはそういうことを、ラムド伯は表明してくる。おそらく、この直後から、そのように周囲へ告知していく手はずを整えることだろう。その方面に関しては、ゲルマニアは得意としているはずだ。

「よく、光り輝く国の方々が、ものごとをどのように運ぶか、間近でみる機会に恵まれました故に。」

「なるほど、実にお羨ましい。私にもそのような機会があればよいのですが。」

皮肉、というわけでもないのだろうが、コクラン卿の言葉が含む政治的な意味合いは微妙に厄介だ。マザリーニというカードは依然としてロマリアにある。もしも、彼のものと接触し、なにがしかの対応を取られたらと思うとよろしくないのだが。まあ、理論的な脅威でしかないとはいえ、揺さぶりとしては、優秀だ。


{ロマリア・某所視点}

「対アルビオン工作は?」

アルビオン内部で、陰謀が漏れ聞こえる形を採用し、流す。現在のところ、採用しているプランは、アルビオン王家が、トリステインを吸収合併しようと画策しているというものだ。だが、これを発展させれば、アルビオンは、トリステインの味方を装って、ゲルマニアと対立する態で、最終的にゲルマニアに妥協するのだと、いう噂を流せばよい。とにかく、アルビオン王家の求心力を削ぐこと。これが望まれている。

「順調だろう。これで、トリステイン貴族のアルビオンに対する反感に火が付きつつある。」

アルビオンの仲介は、王家を実質的な人質としたうえで、予めゲルマニアと示し合わして、トリステインの分割交渉ではないか?こういった、示唆は非常にすばやくトリステイン貴族に広がっている。表面上は、お互いにアルビオンとゲルマニアの分離を図っているように見せかけられるが、実態は、アルビオンとトリステインの離間策でもある。

「将来的な分離独立の芽は育っている。」

統合に手間取れば、分離独立は容易になる。当然、この不和の種をばら撒き、水を用意して、最終的に刈り取るのはロマリアでなくてはならないだろう。

「だが、決定打足りえていないのも事実。ところで、聞くところによれば、どなたか独走されましたかな?」

「独走とは?」

「アンリエッタ排除計画なるものに心当たりは?」

司祭が掴んできた情報だが、アルビオンは本気でアンリエッタ王女暗殺を恐れている。確かに、婚姻による同君連合は頓挫し、トリステイン王家傍流が、トリステインを存続させうる計画である。だが、いくつかの要素から、あまりにも冒険が過ぎる。暗殺者の身元が割れること自体が厄介な政治的課題になる上に、アルビオンがそれを懸念している状況下で、暗殺を遂行することの政治的意味合いが厄介極まりない。

「・・・一部の聖堂騎士団過激派の監視にあたっている部下から報告が上がっている。まさか、事実であったとは。」

「いかがしますか?」

「処理せよ。カバー工作が無意味に終わってしまうではないか!」

下部組織の救い難い愚行だ。我々は、ロマリアの長い手を意識させること無く事を成し遂げたいにもかかわらず、信じられない愚策だ。我々が、隠れて事を進めようとするそばで、堂々と行軍する愚者がいたとは!頭が、足りない連中に、始祖の呪いあれ!計画は、修正を必要とするやもしれん。いや、不可欠か。手を一時引くことにする。

「では、今後の方策は?」

「一時的に、行動をひそめる。各自、内部の引き締めを徹底せよ。」

下手を打つよりは、忍耐することが不可欠である。始祖以来、6000年。我らは、ひたすら悲願である聖地奪還を志しつつ、待ち、そして、今もまた待ち続けている。我らの悲願に比べれば、いささか待つことはどうということでもない。今は、足元を徹底的に固める必要がある。

「反ゲルマニアの感情はどうなっている?」

「やや、反アルビオン感情を上回る。ここはさじ加減が難しいところじゃろう。」

アルビオンは、早期講和締結を迫られる。時間がたてばたつほど、アルビオンへの反感と不信感な高まる以上、否応なしに、講和を結び、ほとぼりを冷ますための時間が不可欠だ。アルビオンのもくろみである、トリステイン獲得、すなわち大陸進出を実現するためには、まちがいなく同君連合以外に選択肢はないが、本来はトリステインを助けるという体裁を取る予定であった。それが、乗っ取りと噂されては、当分行動に出にくいはずである。理想は、形式的な同君連合。だが、反ゲルマニアで旧トリステイン地域がアルビオン王家になびいては意味がない。現状では、これで満足するほかない。むしろ、アンリエッタの暗殺が回避されたとして、安堵してくれれば、多少の目くらましにはなるだろう。当分は、それで次の策につなげるように努めるほかに無い。

「ゲルマニアを支持する教説でも?」

「論外だ。その介入方式は露骨に過ぎる。やはり、水面下での反アルビオン扇動の強化では?」

「どちらも、強すぎる。なにより、そこまでする必要もないはずだ。」

陰謀好きのトリステイン貴族は、放置しておいても、勝手にあること無いことを自分達の妄想でアルビオンの陰謀と断定することだろう。そうなれば、大局を見ることのできない連中だ。ある程度の良識な意見は、無視されて怒涛の勢いで、アルビオンとの対立に向かうだろう。ある程度の不信感さえあれば、それが自己増殖するのは時間の問題だ。

「なにより、王弟すら粛清する陰謀好きの王家だとの風聞は大きな効果が期待できる。」

アルビオン内部ですら北部貴族らでさえ、王家に不信感を持ち、弱体化に弾みをかけようと試みている。粛清された南部貴族らは、もはや忠誠心を期待できないだろう。そういった国内事情に、トリステインを抱え込むことになれば、アルビオン王家は、これを抱え込み続けることはできない。できたとしても、それは統一とは程遠く、始祖の加護したもうロマリアの一刺しによって、容易にあるべき姿に戻しうる。

「始祖の作りたもうた秩序に逆らうことは認められん。各々の最善を尽くすように。」


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あとがき

おはようございます(二回目)

@ウィーン会議

魑魅魍魎の跳躍跋扈する議場→会議進まず
      ↓
ナポレオン脱出→即妥協

のように、何かがあれば、会議は纏まります。
うん、外交官って因果な職業だと一瞬思いました。

今回は
ロマリア:合併阻止or合併の実質的な無力化を希望!
→一部先走りが出たせいで、ちょっと態勢の整えなおしへ。
ゲルマニア:アルビオンどーする気なの?(⇔疑心暗鬼)
→取りあえず、サインする気はあるのだよね?
アルビオン:ロマリアが仕掛けてくる?マジやめろし。
→サインしたくないけど、さっさとするかなー

でお送りしております。

そろそろ、講和して、平和になって、愛と友情あふれるハートフルな世界に戻るといいなぁ・・・。



[15007] 第六十七話 平和と友情への道のり 2
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/10/03 21:09
愛と平和の物語は、騎士物語と同じく、人々に好まれる。それは、確かに、高尚な物語であるとされるからであるが・・・、諸君。実態について理解し、なおかつ是を首肯することを耐えうる精神を持ちえたならば、申告したまえ。外交官・指揮官・情報機関、何れにでも私の権限で推薦しよう。

ロバート・コクラン辺境伯
「外交史-圧力形成に関する備考」講演録



ココから下
愛を語るばかっぷる?が出てきます。アレルギー・心的障害など様々な脅威が存在することをここに申し添えておきますが、それでも構わないという方は会話部分をごらんください。愛とかそういうのどうでもいいよと思われる方は、会話を読み飛ばすことをお勧めいたします。
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{ワルド視点}

「ジャン、ごめんなさい。それを持ってくださるかしら。」

「構わないよ。ああ、確か子どもたちが、果汁の飲料を飲みたがっていたね。ついでに買っていこうか?」

ヒゲは、剃り落とされた。帽子は、今頃孤児たちの玩具入れにでもされているだろう。髪はバッサリと切り落とされ、彼女いわく、多少若返って見えるので相方として連れて歩くにはまあ、妥協可能な範疇とのことらしい。おかげで、仮面で顔を覆って密やかに徘徊していたダンドナルドシティを、白昼散策することができているとはいえ、いささか、やはり含むところもある。

「あら、ごめんなさいジャン。でも、大丈夫?」

「もちろんだとも。馬の荷に積めば、ある程度は余裕もあるし、君と子どもたちの笑顔を見たいと思ってはいけないかね?」

無害であると認識されろ。与えられた役割を演じるのは、実に不快極まりない部分があるのは、事実だが、これで、勤めが、果たせるというのであれば、耐えねばなるまい。実に不愉快だからと言って、耐え難いからと言って、任務を放棄することは許されない。

「ああ!ジャン!」

大げさに感動したように彼女が私に抱きついてくる。少々演技が大袈裟な事と、人目をそれなりに引くようにしているとはいえ、赤面せざるを得ないと、やはり恥を知る心が叫んでいる。

「尾行は?」
「耳にする限りではいない。少なくとも、敵意は感じられない。」

愛をささやいているように、はみかみを浮かべながら、抱きついてきた女の耳元でささやく。平和な往来の道端で、若い男女が抱き合って愛を呟く。微笑ましい光景として、認識されることこそあれども、後々まで、記憶に留められ、警戒される理由とはなりえないはずだ。なにより、堂々としていれば、さほど疑われるものでもないのだ。

「そうだわ。ジャン、あなたの好きなハーブティーを近くの教会で作っているのよ。よければ、いくらか分けていただけないか、お話を伺うのはどうかしら。」

「それは、良い。ぜひそうしよう。」

ここにロマリアから出向してきたパウロス師の一派は清貧を旨とするか、少なくともロマリアの人間であるかどうか、疑わざるを得ないような人間が多い。善良なる信徒を装って、他愛もない告解を行ってもよいし、或いは、この聖地への思いに、なにがしかの答えを与えてくれるかもしれない。

「待っていてくれ。すぐに支払いを済ませてくるよ。」

ダンドナルドシティの物価は、風石集積庫を吹き飛ばしていたため、物流に影響があり、一時的には高騰する兆しを見せていたものの、現状では安定し、下降しつつある。無論、カバー工作に活用するという点からは、孤児院の運営が安定するという点では歓迎すべきなのだろうが、トリステイン側の抗戦意志表明という点ではいささか不十分であった。

「恋人ですか?」

「はははっ、恥ずかしいことを言わせないでくれ。」

気を利かせたのだろう、商会の若い人間が、それとなく花束か、ブローチでもいかがですか?と問いかけてくる。ちらちらとこちらのことをうかがっている視線からして、微笑ましいと見る物か、最もがめついものでも、こうして気のきいたプレゼントの推奨に留まっているのは良いことだ。

「ああ、彼女を待たせるわけにもいかない。これで足りるかな?」

「もちろんですとも。こちらは、おまけしておきますよ!ぜひ、今後の贈り物でごひいきを。」

渡されたのは、ごくごく平凡なご婦人用の化粧品だ。まあ、いくばくかの葛藤はあるものの、孤児院では調達するべき物資ではなくとも、ご婦人は喜ぶだろう。そういう意味では、この店の店員は実に気が聞いていると言える。

「すまないね。彼女に喜んでもらえたら、考えるよ!」

ブロックサインで、意思疎通をしておくべきだろうか?しかし、ロングビルと名乗る彼女の経験が正しければ、逆にダンドナルドシティでは、そうしたサインで疑われるか、勘付かれる可能性が高まるので、逆効果だとも知らされている。ええい、ままよ。

「愛しい君へと、カードをもらえるかな?」

土メイジであっても、一定の距離があるというわけでもないのだ。こちらの会話内容に聞き耳を立てていることは間違いないだろうし、そこで包装を行おうとしている店員の行動からこちらの意図も察してくれるはずだ。恋人と認識されること。警備の兵士から、無害な片割れだと認識されること。近隣に展開している封鎖線の解除まで、潜伏し、事態を見極めること。

「こちらになります。では、ご武運を。」

ご武運をか。実に皮肉な、応援ではないか。ダンドナルドどころか、ゲルマニア北部辺境を震撼させた自分が、このように恋路について、一介の商会店員から激励を受けている。どころか、それに対して、にこやかに、うれしげに、そして誇らしげに対応しなくてはいけないのだ。

「始祖の加護あらんことを。感謝する。」

そう呟き、さりげなく、贈り物を手に入れて、喜びを隠せない。そういう態で、平和な街並みを闊歩する。そう、少なくとも、この街は平和だ。穏やかですらある。目前では、善き人々が、日々の生計を立てているのだろう。活気ある街並みは、ようやく、トリステインの脅威から、解放されたと喜びを隠していない。警戒に当たっているはずの、ダンドナルドシティの衛兵や歩兵隊の緊張感も、眼に見えて緩み始めている。なにしろ、すでに、討伐隊が、全滅させたのではないかとの楽観的な観測と、よしんば離脱されていても、すでに力尽きているのではないか?そういった観点から、掃討は主として戦場付近に限定され、街では日常に回帰している。

「すまない。待たせてしまった。」

「そんなこと無いわよ。さあ、行きましょう?」

腕をからめてくるが、油断なく、カバーしあう態勢をそれとなく維持する。片手に荷物を抱え、もう片方に恋人を抱えていれば、戦うことには不向きだろうが、こちらはある意味で、片手に荷物を抱えているが、捨てて、手をほどいて魔法を詠唱するまでさほどの手間と時間を必要とするものでもない。本当に、まさしく真のメイジ足らんと欲しての行動であったのだが、今ではゲルマニアの地をはいずり回ることに使われている。

「そうだね。パウロス師にお目通りを願わなくては。」

ロマリアからの情報でも良い。ルイズの、僕の可愛い婚約者は今無事にしているのだろうか?あの子は、気が強いようでさびしがり屋だ。構って上げることができればよいのだが、現状ではそれもおぼつかない。捕虜交換があればよいのだが、戦争は我々が圧倒的に不利な情勢下だ。捕虜交換を要請することそのものが、困難かもしれない。さすがに、ルイズの実家は身代金を支払えないことは無いだろうが・・・。

「おっと、そうであった。」

ルイズの所在がどこにあるかは不明だが、それはさほど深刻な問題ではない。仮にも公爵家に連なる可愛い彼女が、害される危険性は乏しい。だが、厄介なことにあの子はまだ幼く、従者も付き従えない状況で、一人で物事をやれるだろうか?まだ、子供なのだ、あの子は。

「ジャン?」

「いや、パウロス師の教会にも確か子どもたちがいたと思ってね。」

子供たちは、いろいろなものから、ある程度守られていなくてはならないのだろう。一人で立ち上がり、自分の足で歩けるようになるまでは、責任を持って、外に世界との緩衝材足りえる何かが求められる。パウロス師のところにいる子供たちとて、その例外ではない。善き師に、よき教え。私のように、母を・・・いや、私の自業自得か。

「ああ、焼き菓子でも持っていこうかしら。」

「君が作るのかい?」

子供であることを、疎ましく思う。愛情を注がれることを理解できないか、何かに気を取られ、理解できないでいた。聖地を。ひたすらに聖地を。なぜこうまでも、渇望しつつ、母は追い詰められていたのだろうか?聖地に赴けば、何か解答があるのだろうか?母は、何を作り上げて、私という子供を守ろうとしていたのだろうか。あまり、普段意識しない部分が、仮面をかぶって演技をしていると、どうしても内面で見えてきて仕方がない。

「残念。今日は、評判のお店で買っていきましょう。おいしいと評判の店があるのよ。」

「なるほど。では、君の手料理は帰るまでの、お楽しみとしておかなくてはね。」

「ジャンったら。もう。」



{ロバート視点}

「アルビオンの意向は?」

はてはて、冬眠中のクマを叩き起こし、脅して、狩りたてることになるのか、それともトリステインという小熊を慮って、撃たずに見逃すのか。平和的な、穏便な解決ができればそれに越したことはないのだが。まあ、狐狩りができていないことを思えば、クマ狩りでもやっても構わないのだが。だが、さすがに、撃つべき時期と禁猟期くらいの区別はつくというものだ。

「早期の平和回復と、そのための講和を強く希求するとの回答でありました。」

居並ぶ関係者は、眼に見えて安堵する。それは、そうだろう。一時期相手の動向が理解できないという外交官にとって、最も精神の胆力と忍耐心が問われる事態におかれていたのだから。まあ、予想されている回答であるだけに、安堵もひとしきりというところだ。絶対に、感情を外面に出したいとも思わないが。

「結構ではありませぬか。先方も講和を望む。我らとしても、さしたる利益も見込めないこのような戦争、早期に終戦させてしかるべきだ。」

「物資と資金、それに兵の無駄遣いですからな。講和すべきでしょうな。」

実のところ、得られる物が無い戦争に、まるで、逐次投入のように戦力を取られてしまうのは、ガリアの長い手で踊らされているかのような懸念が絶えない。ロマリアの腐臭もそこかしこに漂ってくる。エスカルゴは、救い難い精神であったが、アフリカでの会遇は、それほど不幸な事件ではなかった。エスカルゴにすら劣る連中では、相手として精神の健全さに差しさわりがある。

「先方の意向は?どこまで飲むと?」

「確かに。妥協の余地はあるのかね?」

「基本的に、原案に忠実な形でと。」

原案に忠実な形?大変結構な外交的な言い回しではないか。忠実であったことなどないだろうし、原案とは何だ?誰の作成した原案だ?回答する意思は、何を言わんといしているのか、我らに説明するところまで為そうという意思は、乏しいということであるのだろうか?

「ふむ、原案か・・・。」

居並ぶ関係者の表情も心持悪化する。原案とは何か?そのような物、自分の方にとって最も都合のよいように解釈された都合のよい文章の塊にきまっている。もしも、そうでないならば、晩のワインを一本かけてもよい。なんならば、とっておきのワインを賭けてもよいくらいだ。

「結構だ。確かに、原案に忠実に行こう。」

「ラムド伯!?」

ほう、強硬策か。悪くない提案だ。相手が迷っているときは、多少強引でもアプローチを仕掛けて、積極的な行動に出ることそのものは、悪くない。ラムド伯のアプローチは、おそらく少々強引でも、成功しえるだろう。

「アルビオンは、回答したのだ。原案と。つまり、我々は自由に、原案から選べばよい。」

「どういうことでしょうか、コクラン卿?」

簡単なことではないか。原案をと回答したのだ。我々の原案を飲ませれば良いだけのことだ。飲みたくないならば、銃剣と軍艦で持って、飲めるように押し込むまでのこと。無粋極まりなく、紳士の道からは程遠いという他にないが、紳士を相手としていない以上、やむを得ないと嘆くほかないだろう。

「いや、喜ばしいことだ。遂に、アルビオンも平和を希求し、我らの提案を、原案に、忠実な形で、受け入れようということではないか。」

平和を希求。原案に忠実。実にすばらしい。我々にしてみれば、この上なく楽しい展開だ。なにせ、本来では、まず講和会議の会場設定から手間取っていたものが、ここではトントンと調子よく進んでいく。愉快というべきだろう。少なくとも、私にしてみれば、喜ぶほかない状況だ。

「さっそく、それらを前提として交渉に赴かなくては。」

「ラムド伯には及ばずながら、お助けしますぞ。」

大方は、時間稼ぎと条件闘争を主とした、抵抗だろう。或いは、講和条約反対派との折衝に手間取っているかのどちらか。前の方であるならば、叩き潰し、後ろの方であるならば、相手の足もとが固まる前に、押し通るほうが望ましいだろう。困難は予想されるといえども、道は辛うじて見えつつある。これで、長かった無益な戦争も集結し、私の自身の研究にあてることが可能な時間も増えることが期待される。まさしく、平和とはすばらしく、心の底から希求したくなるものだ。

「諸君、平和だ!望んだ、終戦だ!さあ、もう一仕事しようではないか!」

鉤十字どもを湧かせるつもりはない。故に、殴り返されることのない程度に、物事を処理してしまえばよいだろう。



{ネポス視点}

「あら、ジャンたら。」

「そう言ってくれるなよ、可愛い君。」

道端で、仲良くやっていると思しき面々の能天気さと、平穏な日常を喜ぶべきか、それとも与えられている任務の重さを嘆くべきか。実に嘆かわしいくらいに難しい問題ではあるが、遣らねばならぬことがあまりにも多い。

「決済事項が山積みになっていく・・・。」

先日、会議に先立って突き付けられたのは、掃討戦や封鎖線の維持によって、大半の業務がそちらを優先した結果として山のように積み上げられていた書類によって、会議するおぼつかないという実に望ましくない知らせであった。

「新型大砲の鋳造依頼、歩兵隊の装備一式の発注は終わった。」

歩きながら、手帳のメモ書きという名の、分厚い一覧を一つ、また一つと処理していくが、はっきり言って冗談ではないくらいに多い。最初は、まあ、風石の補充と、アルビオン亡命貴族らの動向調査だった。これは、まあいい。しかし、アルビオン亡命貴族らの動向といわれても、いちゃついているか、そろそろ赦免がないだろうかと期待する程度で、不信の動きなど見受けられない。

「歩いた限りでは、治安も平穏。愛を囁くことができる程度に安定、と。」

焼き菓子を露店で買う。食べた限りでは、なかなかに美味。だが、むしろ、価格が低下してきていることと、安定してこうしたものが出回っているという事実の方が大きい。風石を吹き飛ばされたものの、一応風石の備蓄量は水準にまでは回復している上に、穀物を中心として食料品は安定的に供給されていることが、現場で確認できる。なにより、趣向品がそれなりに落ち着いた値で販売されているということは、要求されている市内の物価調査に概ね回復と記載して良いだろう。

「さて、次は、と。」

武器屋の価格を確認せよ?馬を取り扱う商会を廻り、需要を確認せよ?アウグスブルク商会に依頼してある商品の販売動向を確認せよ?などなどいろいろか。実にせわしないが、まあ幸いなことにこの区画に集中しているので、比較的楽だろう。

「すまない、ダンドナルドシティの公務である。主人はおるか。」

「貴族さま?いったい、どのような・・」

「ああ、よい。大したことではない。一般的な武器の価格調査だ。こちらの書類に記入してほしい。午後に来る時までに、書いておくように。」

カラム嬢が、コクラン卿から指示されたというところによれば、武器価格は、戦争の特需で儲けようとして大量に生産されているものの、商人達が終戦も間近だと判断していれば、つまり、平和となるため、平民向けの武器が売れなくなると判断していれば、価格が下がっているはずなので、市場調査を行うことで、連中の読みを把握したいということらしい。本当に、細かいところまで、情報を求めるお方だ。

「ああ、ミスタ・ネポス。こんなところでお会いするとは。」

声をかけられて振り返ると、行政官の同僚が同じような調査で歩いていたのだろう。こちらに気がついて声をかけてくれた。お互いに、疲れているのだろう。私は、先ほどの焼き菓子を一袋さしだし、代わりに彼はそこで買い求めたらしい果汁飲料をこちらに差し入れてくれる。

「調査の方は?」

「概ね堅調だよ。この果汁飲料は、やはり人気があるようだ。おかげで、税収が増えて、計算が面倒だと嬉しい悲鳴を財務の連中は叫んでいる。」

「こちらは、それほど嬉しい悲鳴を聞けるような知らせは無いな。」

焼き菓子は、子供から大人まで好まれるものではあっても、残念ながら、それほど大量に消費されるものではない。何かを食べるときには、選択肢がたくさんあるのだ。果汁飲料にとって、ワイン・水・お茶といった競合相手に比べて、焼き菓子には相手とすべきものが果てしなく多い。

「ふむ、だがこの焼き菓子はおいしいな。」

「ああ、砂糖が本格的に供給され始めているようだ。良質な物が供給されている。」

「仕事ばかりしていると、外回りも悪くないものだ。」

羽ペンにインクを滴らせて、山のような書類を決裁する。一番過酷な部門は、書類の紙を調達する部門と、予算を管理する財務の部門だろう。次から次に、滞りを見せていた支出の請求と、しぶしぶ集められた税収の報告とを比較しながら、各部門の請求になんとか応じようと獅子奮迅の働きを行っていると聞く。つみあがった書類の山で、窓が遮られてしまい、日の当らぬ魔窟とまで言われるあの部門には近づきたくないものだ。

「講和会議も近く纏まるという。ようやく、落ち着いてくるのではないだろうか。」

「そうだと良いのだが。いずれにせよ、自分のできることをするとしよう。」

立ち話を切り上げ、しばしの休息をうちきると、仕事に戻ることにする。なにしろ、遣らねばならない仕事は、多い上に、帰りが遅いと、その間に溜まってきた仕事を押し付けられている危険性が低くないのだ。決済が一番早い人間は、どうやっているのかが、本当に不思議でならないのだが自分の仕事を終えて、定刻までに逃げ出すようにして帰ることもできている。だが、仕事が遅ければ、捕まって別の仕事をさせられる。特に、怖いのは夜だ。

「そうだな、できるだけ苦労は分かち合いたいものだ。」

「だが、ミス・カラムとだけはお断りさ。」

なにしろ、コクラン卿から一心に業務を丸投げされているのだ。分かち合おうと思ったら、自身がつぶされてしまうか、それとも倒れてしまうかのどちらかだ。それは、さすがにごめんこうむりたいと思う。なにせ、アルビオン貴族の動向調査がようやく終わり、不明だったある貴族かわからない不審な亡命者は少なくとも、ゲルマニア北部周辺には見当たらないとの結論が出されているのだ。トリステインの襲撃部隊残党の捜索も兼ねて徹底的な捜索が行われているのだから、ほぼ確実だ。そう言うわけだから、できるだけ気持ちよく仕事ができる環境を死守したいものだ。変な特命を授けられてはかなわない。

「ああ、例の調査の件は、大変だったな。」

「まったくだ。あの森林地帯を切り拓いてでも捜索せよなどと命じられた時は、思わず倒れるかと思った。」

その意味においては、トリステイン襲撃部隊掃討作戦はありがたかった。文字通り、徹底的な捜索が行われた結果として、最終的には、どうにかこうにか結論が出せる程度には、徹底した捜索が行えたのであるから。

「さて、仕事だ。私は、商会を廻るが、卿はどうする予定で?」

「これから、村々への駅馬車調査だ。駅が多くて少々辟易しているがね。」

それは、大変だろう。まあ、仕方ない。こういう平穏な仕事の方が、戦場で警戒心をぴんと張り詰めるよりはましなのだから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

ハートフルを盛り込みました。

私見ですが、髭を剃って、髪をざっくりとカットすれば、ワルドはもっと若々しく見えるじゃないかと。むしろ、別人かも。

後は、アルビオンの王族カップルとかも検討するべきかと思っておりますが・・・。



[15007] 第六十八話 平和と友情への道のり 3
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/10/14 01:29
トリステイン貴族曰く
・ゲルマニアは断崖絶壁から転落する一歩手前である。
・トリステインは、全ての面においてゲルマニアの一歩先を行く

あるアルビオン外交官とゲルマニア外交官が、自らが描いた理想とはかけ離れたトリステインの自己認識をジョークにして遊んだことが由来の小話。


Q.降伏文章にサインするのはどういう気持ちであるか?
1.答えは、トリスタニアのトリステイン大使に聞けばいいさ。
2.だが、今やアルビオン大使に聞く方が、実感がこもっている。

トリスタニアで見られた風刺
トリスタニアに大使がいるトリステイン王国の悲哀と、それを操ろうとして、結果的に大きな代償を支払う羽目になったアルビオン王国を風刺したものである。


何れもトリステイン王国正史より



ウルの月 ヘイムダルの週 虚無の曜日
旧トリステイン王都トリスタニア 
ゲルマニア・トリステイン戦役講和会議場

「このような文章に調印せよと!?」

文字通り激昂したアルビオン外交官が、空の国という謳い名に恥じない勢いで飛びあがらんばかりに突き付けられた要求を叩きつける。音から察するに固定化がかけられていなければ、華奢な机はたたき割れていただろう。まあ、もともとトリステイン王国の机なのでゲルマニアにしてみれば、懐は痛まないわけだが。

「そう剣幕を変えるほどのものではありますまい。」

アルビオン外交官の立場になってみよう。間違いなく、今のラムド伯を吹き飛ばしたくて、杖に手を伸ばしかけているに違いない。自分でも、自制できるものかどうか怪しいものだと、一人納得し、ロバートは飲み干した紅茶を持ってくるように従者に促すと目の前の茶番劇を冷ややかに眺めなおす作業に、自らを戻すことにした。何しろ、絶妙な配分なのだ。

一、占領地に関して
①現有占領地のゲルマニアへ無条件の割譲。
②ゲルマニアは、割譲された地に関して、いかなる処理を行う権利も持ちえる。
③トリステインは、請求権を全面的に放棄する。

二、賠償金に関して
①賠償金は、2500万エキュー(戦費)+1500万エキュー(損害補填)の4000万エキュー。
②担保として、全額払われるまで、トリステイン領に対する無条件の請求権をゲルマニアは行使する権利を留保する。

三、領土に付属する権利に関して
①現トリステイン領は、その土地固有の権利として、関税自主権をゲルマニアに対して放棄する。
②現トリステイン領は、その統治者が結んだいかなる国家との関係も問わずに、ゲルマニア領に対する片務的最恵国待遇を提供する。
③ゲルマニアは、現トリステイン領における治外法権を有するものの、両国関係の友好的な発展を祈願し、これを保留する。
④現トリステイン領は、ゲルマニアに対する通行の自由を保証する。

四、捕虜に関して
①停戦後、即時捕虜交換が行われる。なお、差額は身代金にて支払い、その差額は第2条1項の4000万エキューに加えられる。
②4条1項の結果出された金額は、2条2項が保証する担保によって保証される対象である。
③例外として、双方共に15歳以下の、判断能力乏しき子供については、無条件に釈放する。

五、ラグドリアン湖に関して
①ラグドリアン湖に関しては、現交渉家を残留させしめ、ゲルマニアに臣従するものとする。
②ラグドリアン湖の水利権については、ゲルマニア及び水の精霊による承認を得たうえで、現トリステイン領は使用することが可能である。

六、債務の現状維持に関して
トリステインは、ゲルマニアに対し、旧トリステイン領における諸債務の引き継ぎを行う責任を負う。

七、両国の安全関係について
トリステイン・ゲルマニアは相互の権利を保証し、保護する。なお、ゲルマニアは、トリステインの独立と安全のために、特別な権利を有するものとする。

八、関係国に関して
トリステイン及び、ゲルマニアは、当該条約発効に際して、すべての関係諸国と現時点において中立かつ対等な立場にあり、全ての国家がそれを尊重することに同意することを調印する諸国に要求する。


アルビオンが行うのは、せいぜい、第八条くらいだが、それがよろしくないらしい。これだけで、平和が回復するというのだが。まあ、あのすまし顔のラムド伯と居並ぶゲルマニア諸官をみると、一言二言反論せねばという気持ちにアルビオンの外交官がトリステインのため、つまりは引いては自国のために反論したくなる気も分かるが。とはいえだ、カードはすでに配られた上に、カードも実はどういうものか、相手の手札を知悉している。ゲームにはならない。ふむ、どうやらラムド伯はだめ押しを行うらしい。

「失礼、率直にお伺い致したいのでありますが、なにかアルビオンに、有害な条項があるのでありましょうか?」

「アルビオンに?違いますな。お忘れか!トリステインにこのような過酷な条項を叩きつけることの是非を議論しているつもりですぞ。」

心外である、いかにも、納得しがたい言いがかりだ。そう言わんばかりに机を叩くのは、いささか芸にしては単調に過ぎる、ロバートしては辛く採点をつけざるを得ない。まあ、つまりここでの激昂はつまるところ、対外的なポーズだから気の持ちようが熱心でないのだろう。なにしろ、この外交交渉に際して、アルビオンが、トリステインの利益を擁護するために最大限努力し、ゲルマニアに激昂しているものの、如何ともしがたいというところが、両国にとって重要なのだ。

「失礼、ゲルマニア軍部より、アルビオンにお伺いしたいのでありますが構いませんかな?」

議長席を伺い、議長を務めるゲルマニアの息がかかった聖職者達にお伺いをかける。イエスと言われることが分かっていると言え、何事も形式は重要だろう。外交官の基本的な礼儀作法と、外交慣用句だけで、専門のテキストが細分化できるほどにあるのだ。形式はできる限り尊重しておいて損はない。

「コクラン卿、発言を許可します。」

「ありがとうございます議長。」

さて、ゲルマニア軍部を代表して申し上げるとしよう。飲み込みにくいものを、銃口と銃剣で押し込む作業は、気乗りしないが、必要とあればやらざるを得ないのだ。実に面倒だが、やらねばならない。

「アルビオンに対しまして、我々といたしましては、どれくらいで回答が頂けるかお伺いしたい。」

「それは、ゲルマニアの外交担当者としてもお伺いしたい。」

さりげなく、部下から現有占領地が赤く塗られた地図を講和会議場の机に広げると、指揮杖で、第二戦線に展開中の部隊を意味ありげに、さしておく。一応、交渉のための停戦が、仮に成立している状況ではあるものの、この講和交渉が決裂した場合、即侵攻の態勢が整えられている。第一戦線は、さすがに例の化け物じみたメイジの抵抗が予想されるが、損害を無視すれば突破は可能だろう。損害を気にしないのであれば、物量ですりつぶせばよい。

「どういう意味でしょうか?」

こちらの言わんとするところを理解したアルビオン大使が、平和を構築せんとする極めて崇高極まりない意志でこちらに異議を申し立てられる。実に遺憾ながら、講和が決裂すれば、我々とて望まない再戦だ。速やかに後退してくれることを望んでやまないのだが。まあ、仕方ない。そう割り切ると、手元の地図を見やり、ごくごくさりげなく圧力をかけておく。

「単純に、次の軍事作戦が控えております故。」

まさしく苦痛は理解の元だ。トリステインは自身の国力を鑑みずに、驕った。よく言えば、矜持を保ったとも言えるが、矜持とは裏付けなくして誇るものではない。内面でも良い。力でも良いだろう。私は力を単純に肯定するわけではないが、それによって誇りを保つことはまあ、理解できなくはない。だが、力が足りず、頭が足りず、ただ傲慢なだけのそれは致命的だ。そこで叩きのめされたトリステインとは異なり、アルビオンはまだ賢明だろう。だが、苦痛を経験していない以上、どこか判断が甘くなる。だから、次の一手が有効になる。

「進軍を再開せねばならない場合を我々は想定しております。」

そう言いやり、手元の駒を進軍させ、南部で抵抗しているトリステイン魔法衛士隊残党と、王党派軍に正対させる進軍路を示唆。すると、アルビオン大使が我慢しかねるという態度で立ち上がり、大いに激昂したといわんばかりに、腕を振り回し、大げさに机を連打する。実に多彩な腕の振りようであり、少々感嘆する思いだ。むしろ、この机の固定化をかけたメイジの力量を賞賛するべきかもしれないが。すでに、普通ならば、華奢な机の一つや二つ、粉砕せんばかりにアルビオンの面々が容赦なく強打しているのだ。

「講和交渉中ですぞ!」

「回答次第では、停戦破棄でありましょう?あくまでも、軍務の一環としての備えであります。」

回答し、それとなく手元の資料をしまう素振りを見せつつ、隣に座っている属僚に、やれやれと肩をすくめ、資料の束を渡しながらそれとなく軍人たちに指示を出す。内容はさほど重要なことではないが、軍務の一環ということに意味がある。白々しいと自身でも思うがまあ、圧力をかけているということは自覚した上での行動だ。圧力にすぎないとも言う。そして、そこにラムド伯がフォローに入って流れの微調整を施そうとしてくれる。

「外交当事者としては、アルビオンの意向を伺いつつ、他国とのすり合わせを行いたいであり、他意はござらぬ。」

事実だ。無論、だれも交渉失敗による停戦破棄など望んでいない。だから、ブラフだ。まあ、外交当局にしてみれば、次の会合の予定を知りたいという実利的な理由もあるのかもしれないが。一方で、我々の発言は完全なブラフなのだが、ブラフであってもこちらは採算を度外視すれば実現可能な選択肢なのだ。故に、アルビオンはこれを無視することができずに、いよいよ、妥協できるぎりぎりのラインをそのまま飲み干すことになる。

「我らとて、再度の軍事行動は望むところではありません。」

できれば、平和が望ましいのは偽りではない。少なくとも、これ以上の抗戦派紛れもない赤字でしかないからだ。我々は、今や採算性の悪化をこれ以上深刻化させないことこそに主眼を置いているのだから。赤字の拡大のために投資を行うのは愚者か、道化の詐欺師くらいだろう。私自身は何れにも当てはまらないつもりだ。

「平和の希求という点において、アルビオンも見解は何ら異なるものではありません。」

ゆっくりと、手元の資料を眺めるようにして、さりげない視線で持って確認した限りにおいて、アルビオンの外交にとって我々の提案は、想像していた範疇の最悪に留まるものであり、最悪であっても許容範囲であるのは間違いない。本気で、交渉の決裂を目論むのであれば、激昂してここを立ち去るなり、逆に堂々と全く道理の通らない主張を行うはずだが、忍耐をしているということは、まあ問題はない範囲内だ。見極めを誤らなかったということを喜ぶべきだろう。

「しかし、ご理解いただきたい。アルビオンはあくまでも善意の仲介者であって、当事者同士の合意成立が前提であるのです。」

「無論です。我らの行き違いに対する後仲介の労には感謝の言葉もありません。」

ここからは、一つの様式美というものだろう。或いは定まった形式と言ってしまってもよい。なんにせよ、物事には手順というものがつきものである。ビスマルクですら、善意の仲買人になれるというのであるならば、アルビオンは聖人のごとき仲介者だ。個人的には、是非がでもロマリアに叙勲するように申請したいところだが、どうも列福申請するための手続きが公開されていないのが残念だ。間違いなく列福されるであろうし、間違いなくそののちに列聖されるはずなのだが。

「我らといたしましても、アルビオンの御厚意に甘えているのみではなく、自らも行動する意図であります。」

頭に浮かんできた取りとめもない戯言を振りはらい、定型句を述べつつ、暗にそちらで調整を任せますという姿勢を示しておく。形の上では、我々がトリステインを説き伏せることになっているが、実際はアルビオンのおぜん立てがなくては始まらない。だから、ある程度アルビオンに譲歩してあるのだ。そうでなければ、今頃隣に座っているラムド伯を筆頭に杖を引き抜いて、アルビオン側に斬りかかりかねない程に、アルビオンの漁夫の利をかっさらっていく行為に激昂している面々が多い。

「さしあたっては、捕虜の即時釈放を目指しての捕虜名簿交換と、面会許可を検討しております。どうか、トリステイン側にもよろしくお伝えください。」

外交交渉の手土産としては、まあ、無難な範疇に留まるものの、捕虜との面会許可と捕虜名簿の正式な交換によって、ある程度のメンツがアルビオンも保つことができるだろう。トリステイン王党派は、完全にアルビオン貴族らの圧力に抵抗しきることができるほどには、強力でも、間抜けでもない。故に、これで決まりだ。

「かしこまりました。ゲルマニア側の残された方々のご期待に応えられるように尽力することをお約束しましょう。」

しれっと言ってのけるアルビオン大使にいささか拍子抜けする。たしかに、名目上はそう取り繕う方がよいのだろうが、ここまで臨機応変にやられると見事なものだ。トリステイン貴族の面子をほどよく持ちあげつつ、精一杯の皮肉と抵抗とみれば、実に風流だ。このような機転がきく相手を交渉相手に持てたのは幸いだ。後ほど、ワインをもって訪問するべきだろう。信頼関係を築いて置いて損のある人間ではないはずだ。そう思い、退室する間際に、相手に訪問のアポイントメントを要請し、同僚と訪れる許可を取っておく。

「コクラン卿、失礼ながらアルビオン当局に出すワインはゲルマニア産にしていただきたいのだが。」

「おや、トリステイン特産のタルブワインではいけませぬかな?」

艦隊がタルブに以前寄港した際に、治安悪化と物流網の混乱から大量に貯蔵されていたものをこれ幸いと買い込んだ。そのストックが大量に保存されており、試飲した限りにおいては、再度試飲を試みたくなる程度には、満足できる品質であったと記憶している。ラム酒も良いが、あれは、軍人や身内の気の知れた面々と飲む方が適している。こういった場に持ち込むには、良いワインが最適で、それは地元のワインが最も喜ばれるはずなのだが。

「メッセージ性が強すぎないだろうか?ワインそのものの選択には異論がないのだが・・」

「ああ、これは失礼。確かに、少々メッセージ性が強すぎますね。」

確かに。ラムド伯に言われてみれば、それもその通りだ。ゲルマニアの代表団が、占領地のワインを持って、仲介の労をねぎらいにアルビオン外交関係者を訪れるとなると、いろいろと差しさわりのある誤解を、ある意味では招きかねない。意図するところは、単純に良いワインをというものだが、外交とは、どういうメッセージであると解釈されるかも検討しつつ、行動しなくてはいけないものである。少々、見落としていたようだ。私の顔に浮かんだ納得の表情を見て、ラムド伯も得たりというようにうなずく。

「いや、理解を得られてよかった。ヴィンドボナから取り寄せた逸品を出すので、それでいかがだがろうか?」

ヴィンドボナからの逸品?この情勢下でということは、政府の蔵から出されたものだろう。実にすばらしいワインであることが容易に想像されてならない。こちらの世界のワインには未だ完全に習熟しているわけではないが、それとなく分かる限りにおいては、良質な物は決して少なくないものの、入手の難易度は高い。なにしろ、ワインの保管技術の問題が大きいのだ。無論、メイジという存在が、保存を容易にしているという側面も無きにしも非ずではあるのだが、ワインセラーから出したワインを長距離輸送するのだ。品質維持にかかる手間暇は容易ではない。そういう意味では、寄港した際にマディラワインを大量に買い込んでいた時代も懐かしいものではなく、切実な経験として感じられるというものだ。

「ああ、それは良い。」

だから、一流の品質管理が施された最上級のワインを手土産にしつつ、それを飲み干せるということは実にすばらしい。まあ、一種の役得として楽しまざるを得ないだろう。

「うん、実に良いものだ。」

「渋さの多い我等の要求につきあわせる口直しにはなるでしょうな。」

短い要求事項であるが、細則は明示されていないということから、大まかな方針に過ぎない。つまり、吹っかけたこちらの意向で如何様にでも要求を拡大することも可能であり、同時にアルビオンにとっては碌でもない要求ばかりが盛り込まれている。トリステインというアルビオンにとっての食材に、これでもかと毒を盛ったに等しい条項ばかりだ。アルビオンは、捨てるにはどこか惜しく、しかし取るには余りにも負担の大きいという選択を迫られる。

「酔えるかどうかは、微妙でしょうな。まあ、彼らには申し訳ないことをした。」

ラムド伯に同感である。仕事とはいえ、圧力をかけて、銃剣と銃口で持って要求をのみ込ませることは、よほどのサディストか、鉤十字ども以外のまともな人間にとっては、前向きに検討することが気乗りしない仕事だ。銃剣と銃口を垣間見せるだけで、要求を受諾してもらえたことは喜ばしい。あまりに、厚かましい要求を突き付けてくる鉤十字や、救いがたく愚劣なコミュニストに比較すれば、我等の精神はまともに過ぎるのだ。無論、そのことを主に感謝しているが。

「職務ですからな。それよりはまあ、トリステイン貴族の応接役に宛がわれなかったことを、喜びましょう。」

私は、ガリア近郊の遭遇戦時に攻撃魔法、おそらくは炎の爆炎というらしい極端な攻撃特化のそれを使ってきたトリステイン貴族子女はよほど、特殊な類かと思っていた。だが、それは、私の思い違いであり、彼女が特殊だったのではないようだ。彼女の場合は単純に子供じみているだけであり、異様にプライドが高く、扱いにくいといった共通点は他の面々にもみられるのだ。

「ああ、そればかりは始祖ブリミルの恩寵を感じますな。」

現在ゲルマニアに逗留という名目で、つまるところの捕虜となっている面々との折衝は、担当貴族が、怒りと我慢の限界で数人が集まると、その愚痴ばかりになるらしい。応接役の貴族が、何故異様に疲れ果てているのか理解したいものだとおもうのであれば、一日、その職務を見ればわかるという。

「では、さしあたっては職責を全うするのみですな。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

最近、多忙につき更新が滞っておりますが、何とか更新を・・・。

ついでに、ちょっと書き方を変えてみました。視点切り替えやめただけですが。

なんというか、トリステインは魏にとっての漢中みたいな位置づけで。
鶏肋とぶつくさ呟く感じで。



[15007] 第六十九話 平和と友情への道のり 4
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/10/17 23:50
Q:人生で一番いやな仕事は?
A:トリステイン貴族を相手にする仕事である。

ゲルマニア貴族の意識調査第一位の解答



彼女は端的に言って、怒っていた。怒って、あたりかまわずに、怒りをぶつけていた。どの程度かといえば、応接役を命じられたゲルマニアの貴族が、その立場にもかかわらず“ふざけるなぁ!”と叫ばんばかりであった。後世、明らかにされた記録によれば、水メイジに対して身体の不調を訴えるものと、処刑の許可を訴えるものが圧倒的に多数に上っている。

「恥を知りなさい!」

響き渡る罵詈雑言に対して、またか、と。応接係達は、人知れずため息をつきたくなる気持ちを抑えている。命じられた職務は、捕虜の管理であり、同時に情報の引き出しだ。最終的には身代金と交換ということだが、それまで有効活用するべし。それが、仕事だとは分かっているが、こうまでも扱いにくいと少しばかり物申したくもなるのだ。

「ようやく、捕虜交換の話が上で交わされているらしいが。」

「急いでほしいものだ。もう、あのじゃじゃ馬の相手はご免こうむる。」

詰め所で、事務作業を行いつつうわさ話を交わし合う面々はまだ、いくばくか被害が少ない系列に属している。やれ、このような食事は、貴族にふさわしくないだの、従者の頭が高いだの、さんざん文句を言われ続け、反論も許されないとしても、まだましだ。ここは、パーティー会場ではなく、軍の兵站部から食糧が回され、ゲルマニアの一線と同様の食事であるということを、驕り高ぶったトリステイン貴族に説明するのは馬鹿馬鹿しいし、平民といえども、トリステインのそれよりは、地位が高い。相手が、ただ文句を言い続ける無能だと思えばいくばくかは、我慢できる。

「我々に侍従を務めろとでも言うのか!」

一方で、文字通り応接役の中でも、そばで相手をしなくてはならない面々の憤激は限界に等しい。なにしろ、文字通り、朝から晩まで顔を合わせなくてはならないのだ。杖を取り上げ、こちらの監視を掻い潜って新しく杖と契約してしまわないように、とにかく気が抜けない。うっかりすると、また攻撃魔法をあたりかまわずまき散らされかねないと、上が執拗に警戒を求めている理由も、本人を目にすれば良く理解できるだろう。

「誰か、あの小娘を黙らせられないのか!」

「小国の陪臣の、その三女の分際で、」

その後の言葉は、形容しがたいのか、感情のままに拳を机に叩きつけると、彼らは一様にトリステイン貴族を呪った。はっきりと言って、帝政ゲルマニアの貴族など、彼らは貴族として思っていないと、嫌というほど理解する機会に恵まれているのだ。成り上がりと、カビが生えていることだけが自慢の連中に罵られることは、馬鹿馬鹿しい限りだ。そして、それを、唯々諾々と黙って聞けと命じられた日にはたまらない。

『可能な限り優遇せよ。王族に準じる扱いで、絶対に機嫌を損ねるな。臣のごとく近侍せよ。』

本国の訓令がなければ、間違いなくあのような小娘一人、土獄にでもぶち込んでいたのだろう。そのような思いに一同は支配されかけているが、さすがにまともな判断力があるだけに、なにがしかの政治的な事情があると、それとなくではあるが察する程度のことはできる。

「だから、我慢できずに漏らす愚か者が出ましょうな。」

「それでよい。だからこそ、選帝侯らに連なる面々を任じたのだ。」

故に、政治的な失点足りえるのだ。物事の道理を議論していく上で、このような些細なことに見えることが、重要な政治的な問題に発展させられるということを、ヴィンドボナの主と、同席者はよく理解している。いや、正確には、理解というよりも、ごく自然な思考に織り込んである。

「連中の封土は、卿の望む物産を産出する。余は、反抗的な面々を削げる。実に望ましい結果だろう。」

「実のところ、石炭が手に入るのであれば、別段交易でも構わないのですが?」

暗に、利益があるのはそちらなのでは?という問いかけが発せられる。恩や義理という関係は両者にとって、少なくとも政治と個人的な関係を別にする程度に過ぎない。だが、政治的な貸し借りは大きいという認識は、共通している。この程度は、時候の挨拶程度だが、政治的な生き物として進化してきた両者は、ある意味でダーウィニズムの忠実な体現者でもあった。

「それで?鉄の量産だったか。職人を路頭に迷わすのは感心せぬがな。」

皇帝は、あくまでも一諸侯の利益を叶えるために、こうした政策を採用することの弊害を理解できる程度には、優しさがある。少なくとも、痛まない腹ならば、同情でも憐れみでも、それこそ隣人愛でさえ、彼らは持ちえるだろう。

「選帝侯らの弱体化が叶うならば、という事情は了解済み。」

だが、自分の腹が痛むとなれば、事情は一切別の次元の議論とならざるを得ない。具体的には、選帝侯らの弱体化による中央集権の推進と相対的な優位の確保だ。都市国家の連合体からなり、その発展形である帝政ゲルマニアは、選帝侯らの基盤となる封土の都市が大きな経済的な核となっている。故に、それの弱体化は、皇帝の権力強化につながる上に、それらに対抗できる経済力が確保できるのであれば、ゲルマニアの総合力も落ちずに良いことづくめである。

「受入の手はずも完了したとか。」

ロバートは、前線での戦闘・交渉に携わる関係から後方に関してはどうしても手薄にならざるを得ない。だが、それでも、出入りの商会から耳にする情報だけでも、選帝侯らの統治する地域から流出することであろう技術者の受け入れ先を、ヴィンドボナが用意しているのは察することができる。

「その視点、驚くばかりだ。」

政治の化け物をして、そうしたことを思いつかせるにはいくばくかの知恵を必要とさせていた。しかし、ロバートはすぐに察する。それが、本人達の智の差というよりは、浸かっている文明の智的経験則の差であるということは、皇帝にも理解できる。できるからこそ、この男を高く評価しているのだ。

「しかし、頭が痛いことだ。ゲルマニアは積極的な辺境開発を行い、人手が不足しているかと思えば、周期的に人口が過剰になる。」

「開拓によって養える人口が増えれば、餓死せずに済んだ人口が、ネズミのように増える。そういうことでしょう。」

一般に、古代ローマ崩壊後の中世でも、開発や収穫の増加が無かったわけではない。だが、それらはマルサスの罠と呼称される、貧困の罠に落ちている。彼らは、明確な理論として把握しているわけではなかったが、技術的な制約があり、限界生産力逓減法則が厳しいことはハルケギニア大陸もまた同様であり、各国は概ね人口問題に関して周期的に人手不足と人手過剰に悩まされていた。

「しかし、トリステインよりはましでしょう。」

だが、ゲルマニアは幸いにしてフロンティアを持ち合わせていた。亜人が生息する森であり、危険極まりないとはいえ、土地がまだ拡張する余裕があるのだ。おまけに、亜人を除けば先住者もおらずに、開拓すれども他国との紛争も心配しなくてよい。増大した人口を受け止めることが可能であり、どころか、周期的に労働力不足にすらなりえる。だから、わざわざロマリアやトリステインからの移民を受け入れているのだ。だが、トリステインは辺境を持たず、しかも、限界寸前までの戦時体制で、農村は荒廃しきっている。収穫量は平時をはるかに下回る。つまり、行きつく先は明るい未来とは程遠くなることだろう。

「ああ、荒廃は限界だ。アルビオンも余剰穀物はそう多くはあるまい。」

アルビオンは援助せざるを得ない。だが、彼らの引き出しは無限ではない。唯一、この規模での必要量を支援できるゲルマニア以外の国家はガリアだが、国家予算の半額を艦隊整備につぎ込んでいる国家だ。そう簡単に用意できるかといえば、少々時間がかかるだろう。その時間が致命的になりえる。

「飢餓ですかな?」

「で、あろうな。」

都市部は飢えざるを得ないだろう。農村は、荒廃しきっており、ゲルマニア占領下の地域では多少の食糧援助が、不可欠と見られており、ゲルマニアの財務担当者らの機嫌を悪化させている。拿捕賞金は非課税であり、特別俸給もつく軍人は戦争を、命をかけた稼ぎどころとみているが、財務担当者らにしてみれば、吝嗇にならざるを得ないところだ。

「それは、人道的に捨て置けませんな。」

「では、援助するのか。」

だが、財務担当者の嘆きよりも優先すべき事象が、存在することも多い。良くも悪くも政治はその種の要求を、突き付けることも仕事になっているのだ。なにしろ、事は、無辜の人々に関わる事象なのだ。少々の、政治的な効果などが付随するとはいえ、道徳的にも請求することにため依頼を感じる必要は、あまりない。無論、個人的には財務担当者に対して、慙愧の涙を流しても良いくらいだが、とロバートは思い定められる程度に自身の感情を分析している。

「無論。さっそくラ・ヴァリエール公爵領に送り届ける支度をしなくては。」

「少々、露骨に過ぎぬか?」

先に、身代金を請求せずに、三女の身柄を解放するという手がうたれている。ここで、飢餓に苦しむ他の領地を別に、特定の地域だけを支援するのは、露骨な策謀に見えないだろうか?結束を斬り裂くという以上、それとない疑惑の方が効果的なのだ。あまりにも、激しすぎると、誰かが違和感を突きとめて、はかりごとを台無しにしかねない。

「どう転んでも良い以上、こだわる必要もありますまい。」

援助を受け入れれば、トリステイン貴族からも、アルビオンからも不信の目で見られるだろう。当然、併合されれば冷遇は避けがたく、求心力も低迷し、反ゲルマニア的な団結よりも、党派抗争に明け暮れることだろう。対ガリアにおいて一致団結した隣国が、確保できないことはマイナス要素と見なすほかないが、損害の最小化という点からは推奨できなくもない。

「卿はどのような返答を期待している?」

「断わってくれないことを期待しますよ。」

ゲルマニアからの支援を公爵が拒否したら?実に単純だ。包み隠さずに、その事実を告知すればよい。飢えた民衆が、援助を拒絶されたと知れば、暴動だろう。何食わぬ顔で、公式に遺憾の意を表明しつつ、暴動を見て恐れている近隣貴族達に援助を申し込む。それで、すべからく上手くいく。まあ、飢えた民衆をみるに忍びない上に、分裂を促すという意味では、素直に、支援を受け入れてもらう方が効果的だろう。

「条約の締結は?」

「数日以内に、ヴィンドボナに正使が派遣されるとのこと。時間の問題かと。」

ほぼ時を同じくして、『時間の問題だ』と、居並ぶ男達が呟いた。枢機卿団に、高位聖職者らからなる彼らが一様に居並ぶのは実に荘厳ですらある。だが、彼らは、ここにいるはずの無い人間達であった。ロマリアの壮麗な宗教施設の一角に、壮麗さとは裏腹に秘密で集まった彼らは、正確に事態を把握していた。トリステインはゲルマニアに蚕食され、アルビオンが残飯処理を行うだろう。

「ゲルマニアには、優秀な顧問団がいるようだな。」

手元の資料には、ゲルマニアがアルビオンに突き付けたとされる条約の抜粋が記載されている。アルビオンにとって、ぎりぎり利益が確保できなくもない水準であり、同時にゲルマニアの利益を最大化している要求だ。さらに、いくつかの付随する策は、阻止するのが容易でない悪意の塊としか形容しようがない。

「死んでもらえないものか・・。」

「率直に過ぎる表現だな、司教。私としては、君の軽率さが不安にすらなる。」

若い参加者が漏らした呪詛の言葉を、上位の者がそれとなく嗜める。高位聖職者とは、生まれながらの貴族と異なり、実力で持って勝ち取る地位という傾向が強い。確かに、名門は存在するものの、策謀と計略、或いは真摯なまでの信仰や学識が問われるという点において貴族よりも、頭の回転が劣ってはならないのだ。

「ですが、現実として、ゲルマニアの方策は我々にとっても望ましくないのは事実です。いかがされますか?」

しかし、呪詛の言葉を咎めるよりも、その方策をいかに実現すべきか、という点に、参加者達は関心を示さざるを得ない。6000年の秩序が崩壊しようとしているのだ。小国の勃興や衰退は、彼らの関心事項足りえないが、始祖が作りたもうた秩序の崩壊ともなれば、それは容認されることではない。

「何としてでも、阻止するほかにないでありましょう。」

事態は、何としてでも、阻止して見せる。これ以上、秩序への挑戦は許さない。そうした、決意を込めた一言。だが、それに水を差すような意見がそれまで、ひたすらに沈黙を守っていた面々から発せられることとなる。

「反対ですな。むしろ、火に油を注ぐべきかと。」

既定路線では、緩やかな分離独立の芽を育てるという計画であった。それは、ここにいる全員が理解している。だが、容赦のないゲルマニアの出方は、最終的にアルビオンによる併合を確実にしかねない。なにしろ、大きな代償を払ってアルビオンが入手するともなれば、容易には手放さないだろう。で、あるならば、大きな反発を招くように、更に事態を扇動すべきだとする意見も、一理はある。

「どちらも一長一短がある。何もしなければ、手を汚さずに介入できる時を待てるのでは?」

一方で、何もしなければ、事態の変化に対して、綺麗な手で介入できる。なにしろ、ここにいる誰も彼もが、事態がこれで完結するとは信じていないのだ。下手に干渉し、以後の柔軟性を欠くよりは、機会を伺うべきではないか?との提案も、決して道理から外れたものではない。

「指をくわえて、黙って見ていることなど、できますまい。」

しかし、実際のところとして、なにがしかの手を打たねばという危機感があるのもまた、事実。参加者にとってみれば、始祖の作りたもうた秩序が崩壊する、という一事がすでに恐怖に値する。それを、手をこまねいてただ傍観しているというのは、耐えがたい。それだけに、焦燥感もひとしきりとなっている。

「ガリアを使うのはいかがでしょうか?」

「却下だ。全面戦争になりかねん。エルフどもにぶつけるべき戦力なのだぞ!」

ゲルマニアをして、ガリアを牽制する。これが、基本方針であり、最終的には、ガリアを含めた全ての国家で、聖地を奪還するべくクルセイドを行う。これ以外に、彼らの念頭にある目的はない。聖地、ああ、聖地。彼らが、ひたすらに追い求めるのは、約束された土地なのだ。・・・そして、聖地を求めるのは、彼らだけではない。

「講和がなれば、聖地へ赴く?あんた、正気かい?」

ゲルマニア、その辺境部に位置するダンドナルド・シティよりさらに森の奥深くに立ち入ったところに、ひっそりとたてられた家屋で、彼女は理解しがたいと言わんばかりに問いかける。

「行けるところまで、行くにすぎぬ。エルフ相手といえども、逃げ回るだけならば、そう不可能でもないだろう。」

ワルド子爵、そのトリステイン史上、遅すぎた騎士とまで後世では語り継がれた男は、自身の力量に確かな自信を抱いている。同時に、エルフ相手で何ができて、何ができないかを理解し、謙虚に受け止めた上で、最善を導き出そうとする戦術的な選択肢も持ち得ていた。

「それで?あんたはそれで何を得るんだ?」

「何もないさ。ただ、一度行ってみたくてね。」

講和がなれば、当分は自分のような人間は、仕事もないだろうしね。いっそ、追及をかわすためにも、遠くまで足を延ばしてみるのもいいかもしれない。本国が消失するさまに、居合わせなくて済むことも一つの喜びだろう。とにかく、一度自分を見つめなおしてみたいという欲求もある。

「放浪癖かい。止めておきな。砂漠でくたばるのが落ちだよ。」

やめときな、と手を振りつつ思う。聖地を追い求めるのは結構であるが、くたばるのまで、勝手だと放置できないところが、この男にはある。子供じみたというべきか、少しばかり冷静な子供というべきか。言葉にするのは、難しいのだが。

「それよりも、ゲルマニアが嫌いで、アルビオンも好いていないのだろう?」

「まあ、そうだが。」

なら、と彼女は言葉を続ける。一つ、仕事をやってみないかと。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

○○視点をちょっと、廃止しようかなと。
うまく場面の切り替えができないかと試行錯誤しております。
なにか、ご感想、ご指摘あればありがたく存じます。

今回は、子爵の義賊フラグがファーストフェイズ突入です。
フーケと組ませよう!というプランがどこまで行くかは分かりませんが。

あとは、こまごまとした周辺事項が収斂していく途中です。
花火で言えば、もうちょいで打ち上げというところになります。

次回は、ガリアに一肌脱いでもらう予定。
衝撃!無能王の失態!・恐怖!新たな敵!のベクトルでお送りする予定です。(事前の予告なく、変更になる可能性があります。予めご了承ください。)



[15007] 第七十話 平和と友情への道のり 5
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/11/03 04:02
物事が上手くいった時ほど、横から邪魔が入る。たいていは青い。

ゲルマニア外務関係者談話。


困難なことはすぐにやれ、不可能なことを行うには少し時間がかかる。

ゲルマニア空軍訓令

Q:アルビオンと、ゲルマニアを相思相愛にさせるためには?
A:ガリアという仲人が出てくるだけで良い。



捕虜釈放と、条約締結直後に起きたことを語ろう。それは、突然であった。対ガリアへの牽制を兼ねつつ、トリステイン軍の降伏監視という名目で、哨戒活動を行っていたゲルマニア南方戦線派遣艦隊所属(通称警戒艦隊)の重コルベット、クヴォールが第一報を告げたのは、ようやく艦隊が、クルーに昼食を配給しようとし始めた時だ。

「南方に艦影多数!艦隊規模です!」

見張りが、昼食を交代でとろうとし始めたところ、奇妙な黒点が見つかり、見張り員が目を凝らした瞬間に、交代は打ち切りとなる。忌々しいが、見張り員達は温かい食事を諦めて、南方を中止する羽目になった。

「艦隊の所属は!?」

「ガリアです!ガリア両用艦隊に間違いありません!」

両用艦隊は、空海のどちらにも対応し得る艦隊である。当然ながら、微妙とはいえ各国ごとにフネの設計構造や理念が異なるために、識別は民間船を除けば比較的容易である。無論、類似している点も多いが、この状況下では間違いようがないだろう。ガリアから、ガリアのフネ特有の特徴を持つ、艦隊が出てくるのだ。ガリアの誇る両用艦隊以外に、適合するものがあるはずもない。

「監視怠るな!総員配置!旗流信号用意!我、敵ヲ見ユ!」

飛び出してきた当直士官が、事態を把握するや否や、自らの権限で戦闘配置を発令すると同時に、信号旗で全艦に通達するように叫ぶ。同時に、全力で駆け出すと艦隊司令部が昼食をとっているであろう、ワードルームに直行する。

「司令!急報!」

司令が、艦長以下を招待しての昼食会。乾杯の音頭が今まさにとられようというその時、ワードルームに血相を変えた当直士官が飛び込み、報告をまくし立てた。普段ならば、その振る舞いを嗜める上級の面々も、その報告に、血相を変え立ちあがるのみであった。まさに、有事にして火急の事態。報告者は結局その振る舞いが咎められることは、遂になかった。後日、艦隊で語り継がれる7つの物語のひとつである。

「領空侵犯アリ!両用艦隊です!」

「なんだと!?」

知らせを聞かされた、士官たちが血相を変えて一斉に立ち上がる。両用艦隊。それは、ガリアの誇る、ハルケギニア最大の艦隊であり、ゲルマニア最大の仮想敵である。大国ガリアがその国費を投じて整備した、艦隊が領空を侵犯している?だが、彼らの硬直はすぐに、次の報告によって一時的にせよ、解きほぐされる。

「現在急速接近中!本艦隊に突っ込んできます!」

「ヴィンドボナとトリスタニアに伝令!想定ケース青の件!」

ガリアの強襲は全くもっての想定外というわけではない。それは、確かに可能性としては想定されてきたもののひとつである。なにしろ、両国の国境はかなりの規模にわたって接しており、辺境部での小競り合いを含めて、突発的な遭遇戦から開戦に至るケースから、大規模な全面的大攻勢まで含めた様々な可能性が想定されてきた。それらを、ガリアの王家特有の髪になぞらえて、「青の件」とゲルマニアでは呼称している。

「全艦戦闘配置!砲戦用意!」

艦隊は急速に戦闘態勢を整えつつある。曲がりなりにも最前線付近で警戒行動をとっている部隊である以上、即応も比較的容易に行えるのだ。ただ、撃つべきか、撃ってはならないのか迷わねばならない軍人は、実に行動が取りにくい。なにしろ、自分の判断すべき事象かどうかい曖昧なのだから。だが、それだけに、判断を躊躇う必要ない事態となれば、本来の能力を良く活かすのだ。

「迎撃許可は!?」

このような時に、迎撃許可も何もあったものではない。だが、曲がりなりにも、艦隊の指揮官ともなれば、一応の手続きがある。この場合、敵対行動を確認しているので、本当に建前にすぎないのだが。

「敵艦、発砲!龍騎士隊が展開中!」

「ええい、やむを得ん!迎撃だ!伝令!先の伝令に追加で、我交戦中と送れ!」

撃たれて、ただ、良いようになぶり殺しにされるわけにもいかない以上、応戦せざるを得ない。なにしろ、ゲルマニアのフネは、対アルビオンを想定しているガリアの艦隊と類似の設計思想で建造されているだけに、砲戦距離がほぼ互角なのだ。撃ち返さねば、撃沈される。ある意味では、本来設計上想定している敵を相手としているわけではないのだ。ガリア・ゲルマニア共に、対アルビオンを主眼に置き、直接の砲火を交えての艦隊戦は設計上では想定されていない。そのため、戦術も類似せざるを得ない。

「撃ち方始め!微速後退用意!」

しかし、ゲルマニア艦隊は、警戒部隊だ。無論、一蹴されない程度の戦力を持ってはいるが、逆に言えば、まともに撃ちあえるほどの戦力ではない。ここで、敵戦力を逓減するという選択肢を取るのは悪くはないが、何よりも戦域全体に警報を出すことこそ主任務である。で、ある以上、牽制しつつ距離を維持しなくてはならない。戦術的な選択肢が多くはないのだ。

「敵艦隊と距離をとりつつ砲戦を維持するのは困難です。距離をとりますか?」

「ある程度の遅延戦闘を行いたい。伝令が急を伝えるにも時間がかかるからな。」

だが、急報を発したとしても、すぐに軍が即応できるわけではない。全軍を即応体制に維持することは困難なのだ。当然、接触した部隊には可能な限りの情報収集と遅延戦闘が要求される。死守命令よりはましであるにしても、指揮官にしてみれば途方もなく疲れる時間を覚悟しなくてならない。

「近隣に駐留している艦隊の集結は?」

「コルベット数隻が明日には合流できる予定です。ですが、戦列艦ともなると、時間が・・。」

「龍騎士だけでも先行して集結できないのか?」

そこまで、余力があるわけではないが、龍騎士隊だけでも集結させることができれば、ある程度の遅延戦闘は容易だ。なにしろ、龍騎士を相手にフネだけで撃ちあうのは困難であり、足止めとしては大いに期待できるのだ。

「戦列艦の合流とほとんど時間的な差はないかと思われます。」

そうであるならば、無駄に体力を消耗させてまで集結させる意味が乏しい。難しいところにならざるを得ない。敵の針路次第では、挟撃を試みたいところではあるが、龍騎士隊の集結に手間取っているうちに、挟撃をし損ねるのも癪である。

「敵の針路確認!」

「現在の針路、ヴィンドボナ方面!」

「首都襲撃か!ええい、本国から纏まった艦隊は出払っているのだぞ!」

厳密に言えば、ゲルマニア本国に残留しているフネはトリステイン方面に派遣されているそれを上回る。だが、ムーダの護衛に従事していたり、各地に分散していたりと、戦力として纏まっていないのだ。開戦と同時におそらく集結行動が試みられるとしても、それには時間が必要である。しかも、時期が悪い。講和もなり、もうすぐ終わるという気が緩むところへの襲撃なのだ。

「やられましたな。」

苦々しい空気が艦隊の司令部を包み込む。ガリアの動向を監視するとしても、ガリアでの不審な兆候が見られなかったために、このように白昼襲撃を受ける羽目になっている。ここまで、こちらに意図を隠蔽することに成功している相手だ。本国の戦力配備にしても、間違いなくなにがしかの確信があっての行動に他ならないだろう。実に、望ましくない展開だ。

「敵艦隊、戦列を維持しつつ反航戦を意図する模様!」

何とか、針路を妨害したいが、同航戦に持ち込むと、こちらの艦隊が先に摩耗してしまう。あちらは、両用艦隊。こちらは、戦列艦が数えるほどしかない、警戒艦隊なのだ。さらに、ある程度距離をとって単縦陣を形成していたために、艦隊行動として追撃には手間取らざるを得ないだろう。反航戦から同航戦に艦隊を整えなおしている間に、引き離されてしまいかねない。さらに時刻の問題がある。現状としては、日が高いうちに追撃戦を行える分には良いが、明るい時間に距離を離されてしまうと、爾後の追跡が困難を極めかねない。

「ええい、龍騎士隊だけでもまとわりつかせて、帆を狙わせろ!」

「鎖弾だ!何としても足を止めろ!」

撃沈できず、撃破に至らずとも良い。敵艦隊の航行能力に大きな打撃を与えられれば、それだけで遅延戦闘の目的は達せられる。極端なところ、敵艦隊のクルーを狙って、足止めを試みても良いだろう。ブドウ弾による接舷砲撃も選択肢の一つだ。まあ、拿捕できるかもしれないというのは魅力的な未来だ。実現性は恐ろしく乏しいにしても。

「っ!敵艦隊より龍騎士隊こちらへ接近中!」

「対龍騎士戦闘用意!火薬量を変えろ!急げ!」

ひたすら遠くまで撃ち込むつもりで用意していた火薬も、接近されるとなると、また話が違ってくる。遠距離砲戦ほどの射程は不要であるし、なにより、近接されると硝煙の煙がこちらにとって敵影の捕捉を困難にする。

「ええい!」

思わず、誰かが悪態をつくほど碌でもない状況だ。敵は、自分達警戒艦隊とまともにやり合って時間を浪費する意図は全くない。龍騎士隊の接近からして、こちらのフネを撃沈するというよりは、こちらの意図した航行能力を損なわせることによる追撃防止というところだ。なにしろ、遠距離からの砲撃戦を志向しているように見えて、こちらを悠々と抜き去ろうとしている。

「とにかく、龍騎士隊に対処する!全艦帆を畳ませろ!マスト防護!」

とにかく、警戒艦隊は龍騎士隊に対しては完全に対処することが、辛うじてではあるが達成し得た。もっとも、両用艦隊にしても、それはあくまでも牽制と足止め程度と割り切った行動であっただけに、悠々とヴィンドボナへの針路をとっている。状況としては、ただちにゲルマニア軍による探索と追跡が行われるべきであったが、纏まった艦隊戦力である警戒艦隊は航行能力に支障をきたし、後方部隊の即応も間に合わず、完全に両用艦隊をロスとしていた。

「龍騎士一騎といえども見逃すな!」

「探せ!この空域に入り込んでいるはずだ!」

辛うじて、警戒艦隊の中でも損傷軽微にして航行能力の高いコルベット数隻からなる索敵戦隊が追跡に従事したものの、両用艦隊は忽然と消失したかのようにその行方を掴ませないでいた。龍騎士隊による捜索も、夜間が近いということもあり、低調。ゲルマニア空軍にとって、碌でもない事態であるのは間違いなかった。しかし、ゲルマニア軍は、依然として、裏をかかれることとなる。

「さて、条約も無事締結。戦後処理も問題なければ、ようやく帰還できる。」

トリスタニアのゲルマニア空軍司令部。そこで、気のきいた従兵が仕入れてきた紅茶を楽しみつつ、ロバートは無事にアルビオンがしぶしぶとはいえ講和条約を受けいれる旨を回答してきたことを言祝ぎたい気分にあった。これで、ようやく趣味嗜好に十分な時間が用意できるだろう。そう思った矢先のことであった。

「コクラン卿、急使です。」

だが、始祖ブリミルの加護は、キリストの加護には及ばないのだろうか?気がつけば、碌でもない事態を上官へ報告しなくてはならない時に、特有の顔色をした下級士官が、飛び込んでくるではないか。

「何事か?」

アルビオンから厄介事を申し込まれたか?或いは、トリステイン王国による破壊活動?考えたくはないが、トリスタニアでなにがしかの暴動か問題でも発生したのか?取りあえず、ざっと想定される厄介事を念頭に訊ね返したものの、その答えは、さすがに予想を上回る最悪なものであった。

「ガリア国境より急使です!伝令、青の件!」

「青の件!?間違いないのか?」

誤報ではないのか。思わず本気でそう訊ね返したくなるほど、唐突なガリアの襲撃になる。何故?そもそもどうして、今の時期なのだ?いや、それ以前に、事実確認が必要になるだろう。当然、それに加えて、警戒行動も必要にならざるを得ない。しぶしぶ紅茶を下すと、軍帽に手をかける。

「全艦半舷上陸中止!警戒態勢へ移行。」

とにかく、状況が判然としない以上、臨戦態勢を整えて、即応できるようにしておく必要がある。トリスタニアに駐留している艦隊は、威圧と実用上の理由からそれなりの戦力を有しているとはいえ、停泊中ではただの的だ。

「アイ・サー!すでに、各艦で上陸した水兵の帰艦を促しております。」

「大変結構。伝令の龍騎士に会いたい。旗艦に向かう。」

とにかく、ひとまずフネを上げるほかにない。そうである以上、ただちに艦隊を行動できるようにしなくてはならないだろう。

「コクラン卿、状況は?」

「わからん、ギュンター。とにかく、伝令の龍騎士は待たせてあるな?」

旗艦に飛び込むと、すでにいつでも上がれる状態にある。さすがに、艦隊旗艦ともなれば、行動がいちいち気が効いている。私自身は、艦隊の指揮権を持つとしてもギュンターがこの戦列艦の指揮権を継承したのは、つい先日のこと。講和会議がなるとわかって、先任の艦長が先延ばしにされていた名誉除隊を行い、現在領地で気ままな隠居生活を楽しめるようになったからだ。それを、ここまで掌握できるのは優秀の一言に尽きるだろう。

「はい、閣下。すでに、艦隊に警戒信号を独断ですが発しております。」

「全く問題ない。それで?龍騎士を本艦から出しただろうな。」

「はい、周辺の索敵と警戒を兼ねて出しました。」

それで?と聞こうと思った時であった。ようやく上昇を一段落した艦隊が、一定の高度に達して艦隊行動をとるべく旗流信号で準備完了と全艦からの変事を得たと同時に、敵艦見ユを表す、発光信号―索敵に当たる龍騎士から発せられたものが、艦隊から目撃される。

「艦隊見ユ!ガリア両用艦隊です!」

ガリア両用艦隊?まったく、冗談ではない。そう思いたいが、各艦の見張り員が発光信号の見られた方角にメイジまで導入して睨むように見つめていると、やはり、間違いないとのこと。実に、厄介な報告だが、無視して現実逃避するわけにもいかない。

「交戦用意!それと、一応信号だ。停船要求!しからずんば撃沈も辞さずと送ってやれ!」

最後の望みをかけて、何らかの事情があるのでは?と念をかけての信号にも、なんら反応はない。まあ、別段期待したわけでもなく、単純に手続き上の事に過ぎないのだが、上手くはいかないものだと思わざるを得ない。仕方ない。頭を切り替えなくては。

さて、伝令と敵が同時に飛び込んできた時には、どうするべきか?

狂して、この戦機を興じるしかない。見敵必戦、実に本懐である。

「Tally-ho!!」

「コクラン卿?」

やれやれ、言語の問題は今一つか。見敵必戦を上手くこちらの言葉で解釈できていないということか?どちらにしても、戦機は熟しているのだ。いや、正確には、熟したというよりも、無理やり舞台へ引き上げられたとすべきか?まあ、よい。なぜ、トリスタニアへ突撃してきたのかは謎だが、艦隊行動の妙を教えてくれよう。

「全艦、上手回し!風上をとるぞ!」

遠距離砲撃戦を志向する以上、少しでも条件を有利にしておきたい。風は強風とまではいかない以上、風上を抑えなければ、戦術的選択肢はありえないだろう。

「コルベットだけでも高度を取りますか?」

いや、連絡線維持のためにもコルベットを切り離すのは早計だ。それに、孤立させてしまっては確固撃破されかねない。状況はこちらの方がやや不利なのだ。ここで戦力分散の愚は犯したくない。

「戦列維持だ。代わりに龍騎士隊を上げるぞ。」

龍騎士隊は、汎用性が高い上に、貴重な戦力であるが、出し惜しみしているわけにもいかないだろう。とにかく、今は、相手の風上を上手く抑えて、戦機を抑えなくてはならない。そのためにも、敵龍騎士隊による妨害は許容できないのだ。これを防ぐためにも、龍騎士隊で制空権を獲得しておかねばならない。

「彼らには、追い風になりますな。」

「突撃待て。あくまでも敵部隊の上昇牽制と敵龍騎士隊警戒に留めよ。」

だから、牽制目的である以上、突撃に最適な環境といえどもそう容易に、事態を動かしてもらうわけにはいかない。戦機を損なうという懸念がないわけではないが、突撃といってもやや優勢な敵艦隊に艦隊の支援もなく突撃させれば、的だろう。ここは、定石に従い、艦隊行動を整然と行うほかにない。

「しかし、何故、この時期に、ここに連中が現れているのでしょうか?」

ギュンターがそれとなく疑問を漏らす。知らないか、と聞かれても残念ながら私自身にも心当たりは、全くないのだが。まあ、推察することはできるが、材料が乏しい料理と同じで、分析情報が欠如しすぎていて、推論もろくでもないものしかないのが実情だが。

「わからん。だが、我々は軍人だ。ひとまず、それは後で考えることにしよう。」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

状況として、ようやく講和がなる目処が立ったところ。
ゲルマニア:OKだ。
アルビオン:議会でイエスと言わすよ。
トリステイン←イエスと言えbyゲ・ア

(ここへ)
ガリア両用艦隊が、いわゆるガリアの方からきましたというやつです。

次回は、らしくなく、戦闘描写をがんばってみようと思います。

帆船の戦いに魔法と空戦の概念を取り入れるトンデモかもしれませんが。お付き合いいただければ幸いです。

11/3題名を微修正
といっても七〇→七十くらいですが。
あとは、なんか、変な宣伝が一段落したらで・・・



[15007] 第七十一話 平和と友情への道のり 6
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/11/08 02:46
艦隊決戦は、言うほど簡単ではない。
まず、広大なエリアで敵と会合しなくてはならない。
場所も分からない敵をどうやって見つけるか。それは、情報が決定的に状況を左右する。
だが、どうであれ遭遇してしまえば、両軍ともに対応を迫られる。
では、どのように対応すればよいだろうか?
実のところ、フネが、フネを倒し得るのは、実に乱戦のみである。
あるいは、これを格闘戦とも空軍では呼称する。

トリスタニア回廊遭遇戦こそが、乱戦の典型的な代表例である。



トリスタニア回廊
旧トリステイン王国首都トリスタニア南方


さて、どうしたものか。戦力差は、実に二倍に近い。ガリア両用艦隊所属戦隊と思しき敵部隊は、戦列艦31にコルベット7。対してゲルマニア駐留艦隊は、戦列艦17にコルベット4。さて、偉大なるネルソン提督に倣うことができれば、だいぶ楽ができるのだが。戦史をもうしばし真摯に学んでいれば、気が楽なのだろうが致しかなし。

「不要可燃物投棄!全艦に通達、接近戦に備えよ!」

戦列を形成し、砲戦を行うことは、教科書的には間違っていない。だが、教科書通りにやれば、戦力が勝る側が当然のように勝利を収める。そもそも、海軍の伝統とはエスカルゴのように決戦を回避して良しとするものではないのだ。やれるだけのことは、やってみるべきだ。

「では、追いつかれると?」

接近戦を戦力が劣る側が懸念するのは、大抵の場合、敵龍騎士隊を振り切れずに、敵の戦列に拘束されることを懸念するからだ。だから、ギュンターが乗り気でないのもまあ、理解できなくはないが、それでは少々積極性に欠ける解釈だろう。私個人の使っている伝統は、ネルソン提督以来のものなのだ。

「いや、こちらから仕掛ける。」

どちらにせよ、乱戦こそが最適解であるのだ。戦列分断戦術こそが、至高の艦隊行動であることを知らしめてくれよう。曲がりなりにも、海軍士官である以上、やるべき義務は果たそう。

「戦列を組んだ相手にですか?」

「言わんとすることは、分かる。だが、相手はアルビオンほどでもない。」

ガリアの両用艦隊の練度に関しては、まあ、常備軍である以上、最低限の水準は上回るものに違いないだろう。だが、あくまでも、最低限度の水準を上回るに過ぎない。実戦を経験していない軍など、張り子の虎であり、無敵艦隊か、せいぜいが、エスカルゴ海軍だ。無論、優秀な敬意を払うべき軍人も少なくないのだろうが、戦場で脅威になるのは、優秀な敵よりもえてして無能な味方なのだ。ガリア両用艦隊の優秀な面々といえども、全体の質で、こちらが経験豊富である質的優位を凌駕することはできないだろう。

「では、撃ちあうと?」

「まさかだ。接舷用意、怠らせるな。」

ハルケギニアで最大射程を誇るほうでも2リーグ前後。有効射程ともなれば、最早、遠距離砲撃戦など教科書上の空論に過ぎない。甲板での撃ちあいや、ブドウ弾による撃ちあい、鎖弾による帆の攻撃等はまだしも、撃沈を狙っての砲撃戦はそれこそ至難の業だ。だから、大抵の場合、逃げるフネは重量物を放棄する際には、使わない砲まで投棄する。おかげで、狐狩りに使う猟銃開発が滞っているのだから、あれは忌々しい見落しであった。まあ、その教訓から、艦隊について、徹底的に学びなおしたのだから、全く学ばなかったわけでもないが。

「水メイジを除き、他のメイジは接舷強襲を想定せよ。マストに狙撃要員配置!敵メイジの排除を優先させること。」

ともかくだ。事態を整理しよう。砲は、フネの装甲に有効打を与えうる。しかし、長距離での命中率は微々たるものだ。次に、フネの加速度は、相対的には、かなりのものになりえる。おそらく、敵戦列の有効射程は1リーグもないだろうが、そこに飛び込んでも3隻以上から同時に砲撃を受けるかといわれると、微妙だろう。戦列の構造上、平行線を維持しようと思えば、砲の角度を取るにも限界がある。上手くやれば、敵の戦列を見出し、確固撃破し得る。さらに、運があれば、敵は戦列を乱して混乱に直面するだろう。かのネルソンは、接舷攻撃で特許を取ったと称される。一等戦列艦を分捕るための特許をまあ、英国海軍軍人が使う分には、彼の提督からの目こぼしも頂けよう。

「接舷!?」

「私の知る限りにおいては、乱戦こそ最適解だよ。」

ガリア両用艦隊は、実際に動いているフネに向けて砲弾を撃ちはなった経験が乏しい。良くも悪くも、ガリアの国力が強大であり、無能王と言われているジョゼフの統治にも関わらず、ガリアの治安は良好な部類なのだ。本当に、無能王が無能であるかどうかは興味深い課題であるが、ともかく、ガリア両用艦隊ではここしばらく、砲兵の訓練から実戦が抜け落ちている。

「では、ガリア艦隊に突っ込んで、暴れまわるということでありますか?」

ギュンターが少々、顔を引き締めつつ、嫌な事を嫌々やらなくてはならないという表情で確認してくる。実に、同意せざるを得ない表情ではあるが、小官とて軍人。英国の伝統と、誇りにかけて素振りたりとも見せるわけにもいかないだろう。

「両舷斉射だ。無駄がなくてよいだろう。」

「アイ・サー!」

そう叫ぶなり、ギュンターは近接戦と、接舷用意に取り掛かるべく部下に慌ただしく指示を出し始める。実のところ、本当に近接戦に持ち込むかどうかはまだ決していないが、部下にその覚悟をさせておくことは不可欠だ。接近戦に持ち込むための最低条件はただ一つ。友軍の龍騎士隊が敵龍騎士隊を妨害しきれるかどうかにかかっている。敵戦列に突入する以上、撃たれるのは覚悟せねばならない。だが、短期間であれば、耐えて、戦列を分断し、確固撃破できるだろう。だが、龍騎士隊に航行能力をやられて、的となれば、我々は壊滅する。

「龍騎士隊は、敵を牽制しつつ、喰いとめられると思うか?」

「ご命令とあれば、抑える試みは致します。ですが、支援としてコルベットを上げていただきたい。」

返された龍騎士らの要求は、実に単純ではあるが、難しいものがある。高度を上げている龍騎士隊に支援用のコルベットを上げるのは、支援火力の増大と、精神的な支えに加えて、コルベットの付近で戦術的なアドヴァンテージを確保できるという点から、龍騎士隊にとっては望ましい。だが、コルベットを艦隊本体から離脱させるということは、艦隊の小回りが利く予備戦力がなくなることも意味する。

「コルベットは不可欠か?」

「正直に申し上げれば、ぜひにでも。」

難しいところだ。勝算は、乱戦に持ち込めば無いわけではない。だが、乱戦に持ち込まずに、戦闘を回避する選択肢も政治的なリスクを除外すれば検討すべきものである。特に、手持ちのコルベットを上昇させれば、ある程度の火力支援も期待はできる。だが、敵はコルベットの数においてもこちらに対して4:7で優越しているのだ。ここは、判断が難しい。敵が、コルベット同士の交戦を目論めば、碌でもないことになる。

「コルベットを上げたとしよう。敵コルベット全ても同時に対処し得るか?」

「・・・ひきつけるだけならば、容易かと。コルベット7隻といえども、接近せねばそれほど脅威ではありません。」

コルベットの火力は、戦列艦にはるかに劣る上に、さほど射程が長いわけでもない。元々、命中率が低い上に、メイジの射程内に接近しなければ是といった脅威ではないという解釈は、決して的外れではない。的外れではないのだが・・・。

「だが、全てを足止めするのは困難というところか?」

「おそらく、その通りかと。」

「乱戦時に、快速のコルベットという予備兵力を敵に与えたくないのだ。」

いくつかの小型なフネは輸送船として運用しているものがあるが、さすがに混戦といえども、使用できる水準にはない。快速かつ、ある程度の耐久力と火力を有しているという点で、コルベットは乱戦時には一定の価値があるのだ。これをフリーハンドにするのは、甚だ気が進まないことだ。

「コクラン卿、ご意向は理解します。ですが、龍騎士の数量差をご考慮ください。」

「無論理解する。・・・戦列艦一隻を可能な限りにおいて、支援に充てるとすればどうか?」

「高度が足りません。上を抑えられれば、数で劣る以上、どうしようもないかと。」

ええい、思うにままならん。個人的には、コルベットを手放すことは実に不快極まりない上に、気乗りしないが、敵コルベットの無力化は自前でやるほかにないだろう。

「よし、卿の提案に同意する。コルベットを全てつける。敵龍騎士は一騎たりとも自由にさせぬこと。」

「アイ・サー!感謝いたします。」

「感謝無用。ただ、状況によっては敵龍騎士隊が本隊支援に転進する場合がありえる。その時は、突撃を敢行してでも、足止めしてもらわねばならん。」

敵の龍騎士隊が多い以上、敵は部隊を二手に分け、一隊が友軍の龍騎士隊牽制、一隊で持って、こちらの航行能力削減を試みる可能性がありえる。それは、戦列分断を試みるこちらにとっては碌でもない事態を惹き起こすだろう。それを阻止するためにも、敵龍騎士隊に対して、友軍龍騎士隊には絶対の拘束を行ってもらわねばならない。

「足止めは我らにおまかせを。」

「よろしく頼む。」

手持ちの戦力からコルベットを除いて計算するとしよう。実にやむを得ない措置ではあるが、運があれば、敵は整然とした戦列の形成に専念し、こちらを圧倒しようと試みてくるかもしれない。教科書的には、それも間違いではないのだから、実戦から敵が遠ざかっていることを信じるしかない。

「よし、敵は戦列を形成したな?各艦に確認だ。突撃に耐えないフネはあるか?」

望遠鏡をのぞきこめば、見事なまでに整然とした両用艦隊の戦列が、視界に飛び込んでくる。実に整然としているだけに、練度の高さが察せられると言えば聞こえは良いが、あれは閲覧式用の無用の長物であればよいのだが。確かに、理論上戦列は尤も最適化された戦術行動だ。戦列艦の高度上昇限界があることと、浸水による沈没の懸念がないことを考慮すれば、戦列艦は、どうしても三次元戦闘といえども、ある意味でそれほど高度に差が取れない。コルベットや、龍騎士による上下からの襲撃に警戒は必要だろうが。

「コクラン卿、空を本命とする我が方で、海も空もと欲張りなガリア艦に劣るフネなどありませんよ。」

「確かに、そこは強みであるな。」

ゲルマニアは、海上での利用をそれほど検討していない。一方のガリアは両用艦隊だ。その意味においては個艦性能において、海上での利用をも想定したガリアの両用艦隊は器用貧乏だ。浸水対策を行わざるを得ない以上、設計に一定の束縛がかかり、空での戦闘のみを想定して設計されているゲルマニア艦が、やや個艦性能としては分がある。とはいえ、この数の差は、微々たる差を押しつぶしかねないのだ。気は抜けない。

「各艦に通達。旗艦に続け。」

戦列をこちらも形成するように見せて、一本の単縦陣を形成しつつ、状況を伺う。辛うじて、2リーグという距離を保ち、遠距離砲戦の範囲外から、敵との接触を保ちつつ、風上を占位し、時期をうかがっていたところ、遂に敵の龍騎士隊が、こちらへ急速に接近してきた。

「敵艦隊!寄せてきます!砲戦を意図する模様!」

「龍騎士隊接触!こちらの頭を押さえる気配です!」

「教科書通りですな。」

ギュンターは、実に想定通りだと言わんばかりの表情で、クルーを指揮しつつ、肩をすくめてくる。龍騎士で持って敵の航行能力を剥奪し、戦列で持って敵を粉砕するという敵の意図は実に教科書通りの定石であるだけに、予見するのはたやすい。

「風は、突撃に最適。敵龍騎士隊もコルベットも、定石通り高度をとっての妨害行動を志向。」

「これは、いよいよ、こちらの望み通りというところでありますな。」

全くもってその通りだ。適度な追い風を受けて、順風満帆に敵戦列を分断、乱戦に持ち込み確固撃破し得る。やや、想定外であるのはガリア戦列の整然とした艦隊行動だが、乱戦の経験は乏しいだろう。これならば、ある程度確固撃破は可能だ。そして、懸念材料の敵コルベットは、現在のところは全て足止めできている。

「さて、こちらも覚悟を決めよう。諸君、突撃だ。敵戦列を分断し、両舷斉射を意図する。実に、本懐ではないか。」

「アイ・サー!全艦突撃体制へ!」

「全艦突撃!敵戦列を分断せよ!」

叫び声とともに、舵と帆が調整され、可能な限り最大の速度で持って、針路を変更。敵戦列前方に対して、突撃隊列を形成し、全速で突撃を敢行せんと試みられる。先頭艦より順次、艦首の軽砲より煙幕を展開。さしたる隠蔽効果を狙えるわけでもないだろうが、幸いこちらは風上を占位しているために、ないよりはまだましだ。敵戦列艦の斉射は、さすがに容易に当たるものでもなく、そう何度も連続し斉射し得るものでもない。とはいえ、当たればただでは済まない以上、できることはしておくべきだろう。

「マストを守れ!速度を上げろ!敵戦列に割り込めなければ、ただの的になるのだぞ!」

ギュンターが絶叫しつつ、応戦の指示を出している傍で、泰然とした態を装いつつ、敵艦隊を注視する。2リーグは、敵艦隊が目の前にあるかのように見える距離ではあるが、遠い。指揮官先頭の精神を実行せざるを得ない旗艦はあまり当たらないとはいえ、敵の砲弾が付近を掠め、嫌な風切り音が耳に飛び込んでくる。私にしてみれば、ほとんどゼロ距離射撃に等しい。よくぞ、我らが先達はこのような距離での砲戦を決意できたものだと思わざるを得ない。

「龍騎士隊は、敵部隊を拘束できているな?」

「苦戦しているようですが、未だ拘束には成功しております。」

「大変結構。このまま、加速。敵戦列を分断する。可能性として、接舷までを想定せよ。」

上空からの敵部隊による急襲を受ければ、戦列艦といえども、上方への防御は脆弱だ。斜め上からの砲撃に、なすすべもなく、敗退せざるを得ない。少なくとも、戦闘継続は絶望的になる。だから、敵部隊を、友軍が拘束している今のうちに、突破、分断を成功させ、乱戦に持ち込まなくてはならない。

「後続艦リューゲン被弾!前部船殻剥離している模様!」

「まぐれあたりか?ええい。」

状況を把握しようと士官たちが、甲板を駆けまわり、砲声にかき消されないように、喉をからして、指示を叫び続ける。まさしく、戦場の中にしかない、喧騒の音だ。まったくもってこのような場など、好ましくないにもかかわらず、これに身をゆだねるしかないのが、嫌な一時である。

「我ニ続ケを掲げ続けろ!そうそう当たるものではない!」

「もっと煙幕だ!」

目を凝らして、敵を凝視していたギュンターが、突撃角の最終調整を兼ねて、こちらに最終確認をそれとなくしてくる。

「コクラン卿、どこに割り込みましょうか?」

敵戦列を分断する。それは、敵艦隊を分断すると共に、確固撃破に持ち込むための日つよ不可欠な方策なのだ。

「できるだけ、多くの敵艦を旗艦から切り離したい。」

「なるほど、孤立した敵旗艦をつぶすおつもりですか。」

状況次第では、後続部隊と連携し、半包囲体勢を形成するのが理想だ。戦列は限りなく平行に一本となるため火力の集中が困難だが、こちらはTの字を形成し、そこから弓形に火力網を形成することも戦術的な選択肢としてありえる。問題は、敵艦隊が急降下して、この半包囲網を突破することだ。まあ、戦術上、一時的にせよ戦線を離脱し、戦力外となってくれるために、数で劣るこちらとしては、敵戦力が一時的にせよ減ることで良しとするほかにない。

「敵戦列との相対距離、500メイルをきりました!」

「この距離ではさすがに当たるぞ!総員、身を隠せ!」

ある意味で、ここが山場である。敵練度からして、斉射は3・4回回が限度だが、最後の一斉射撃が最も近く、命中率・威力共に高いのだ。これが、敵の最後の好機であり、我々にしてみれば、最大の危機とも言える。これを乗り越えれば、その先には道があるのだが。さて、神に祈ることを検討するとしよう。

「敵艦発砲!」

言われずとも、砲声でその程度は分かる!と叫びたいが、指揮官が取り乱すわけにもいかない。なにしろ、こういった局面で兵は将校の顔色を伺い、その表情をつぶさに観察して、戦局を判断するものだ。ここで、将校が怯えては、兵に侮蔑される以上に、戦意に致命的な悪影響をもたらす。故に、指揮官先頭の精神とは、仮面をかぶり続けることを指揮官に要請するものでもある。

「至近弾多数なれど、本艦は健在!」

やはり、戦列に突撃してくるという事態を、ガリア両用艦隊は想定し得ていない。おかげで、本来微調整を行い、徐々に射程を変更するといった従来の砲戦の概念に囚われて、咄嗟射撃戦には対応しかねている。なにしろ、戦列に艦隊で突撃など、我が大英帝国海軍が戦術として確立するまでは、何人たりとも想定し得ていなかったのだ。魔法を重んじ、砲をともすれば、軽視しがちなハルケギニアの艦隊では、この戦術の転換に即応できなかったのだろう。次があるかは分からないが、今は、戦果を得ることこそが肝要である。

「よろしい。では、ガリアにお返しを差し上げよう!」

すでに、敵艦隊では、眼に見える範囲で動揺が広がっている。既存の戦術とは全く異なる形での戦闘に即応できず、何が起きているかわからないことで彼らは混乱に突き落とされている。まあ、結構。その動揺した戦列を一本の鋭利な矢のように、艦隊で分断。

「目標!両舷の敵戦列艦!右舷兵員は集結!接舷用意!」

「狙撃兵!任意射撃だ。目標!甲板上の敵士官」

敵旗艦以下3隻の戦列艦と、その他の残存艦とを分断。状況は、ここから、ゲルマニア有利で戦局が推移する決定的な事態が惹き起こされる。突撃したゲルマニア艦列によって、分断された旗艦は、なんとか、指揮系統を維持しようと試み、離脱を躊躇したがために、被弾。マストを撃ち抜かれるという致命的な事態に至り、航行能力に致命打を受けることとなる。そのため、指揮統制を後続艦に移譲せんとするも、戦列を分断したゲルマニア艦による砲撃と硝煙で後続艦からの視認が断たれ、果たせなかった。結果的に、両用艦隊は、半包囲下で、組織的抵抗を行えずに個艦で事態に対処する羽目となる。

「敵旗艦無力化!」

「半包囲体勢構成完了!全艦斉射を開始!」

「敵旗艦へ斉射直撃!リュイスが、接舷拿捕を希望しています!」

戦列艦は、構造上、前後に対して砲撃力が著しく劣る。故に、戦列を形成することは、その火力を最大限発揮しうる構造を形成すると共に、弱点を相互に補うという意味合いもある。それを、分断するということは、こちらの戦列艦が火力を最大限発揮し、かつ、戦列では困難である火力の集中を、弓形の艦列で実現し得る。同時に、戦列艦には両舷に砲があり、孤立した敵の旗艦と直属戦隊も同時に猛烈な砲撃を浴び、空飛ぶ木棺へと変化させられてゆく。

「戦果拡張を優先!リュイス以下の艦隊は残存する敵主力の頭を押さえろ!そちらなら、接舷拿捕を許す!」

「コクラン卿!敵後続艦が、戦列を解きました!」

報告を受け、目線を敵戦列後方にやると、確かに、22番艦以降の戦列艦が何隻か、上手回しで、半包囲下からの離脱を試みようとしている。意図するところは、頭を押さえられた状況から脱し、反撃に転じることだろう。その数でも、我々には確かに脅威ではあるのだから、選択肢としては悪くない。

「よろしい、では、包囲下の敵艦隊を徹底的に叩くとしよう。リュイスに信号!」

だが、少々遅すぎた。もう少し距離が離れていれば、こちらの砲戦可能距離をかすめることなく戦列を再形成しえただろう。もう少し、決断が早ければ、こちらは半包囲を解除して、突破することも検討せざるを得なかっただろう。だが、今離脱を決断したのは遅すぎる。まず、後続艦に見捨てられたと判断したと、半包囲下のフネは判断するだろう。さらに、全てのフネが同時に離脱を試みていないことから、混乱はさらに拡大している。実質的に、敵艦隊は、戦わずして、戦力の一部を遊兵化させてしまっている。だから、ここは、叩ける敵を徹底的に叩くのが正解となる。

「なんと送られますか?」

「半包囲下の敵戦列艦拿捕賞金に関して、小官は貴官らの取り分を要求しないと。」

だから、艦隊司令長官の取り分である拿捕賞金総額の8.3%の権利(艦長の取り分の三分の一)は譲ってもよい。これだけ、獲物が多いとなれば、各艦の艦長たちの戦意を高めることの方が優先されてしかるべきだ。

「それは剛毅な!小官も戦意が出るというものであります。」

「ギュンター、卿には空賊で稼いだであろう。譲るべきだろうよ。」

17隻の戦列艦で、すでに、4隻を完全に破壊・撃破。半包囲下においてある敵戦列艦27隻のうち、後続の一部が遊兵化し、実質的な敵戦力は16隻。そして、今、まともに航行しているのは、わずか、6隻に過ぎない。他のフネは、継戦どころではなく、高度を落とし、なんとか不時着を試みている。浮いている6隻とて、砲撃によって、かなり痛めつけられ、甲板は地獄と化しているだろう。敵は、艦首砲で辛うじて応戦するものの、門数と口径の差は、歴然である。そして、こちらは、戦列を半包囲下に置くべく弓形の艦列を形成しているために、一方的に砲撃し、敵を撃破し得る。

「リュイス、敵戦列艦に接舷!」

そのため、追撃戦による戦果拡張こそが、この戦局における最重要の課題となる。

「ヴァイター、ザーヴァス追随し、敵戦列艦の拿捕を敢行中!」

同時に、リュイスの後続艦2隻も、リュイスにならって、辛うじて浮いていると言った態の敵戦列艦に急接近を試み、無理やり、頭を押さえて、強行接舷、拿捕を試みるという積極的な行動に出ている。実に戦意旺盛であり、望ましい。常に最大限士官が義務を果たすことを見ているのは、最良の気分にさせられるものである。

「離脱した敵艦は戦列を形成したか?」

「形成中ですが、手間取っております!」

一方、戦列艦を二桁有することになる、敵離脱艦の群れは、ばらばらに行動し、何とか、戦列を再形成しようとしている者の、指揮系統の混乱に加えて、旋回に失敗したフネが目立つ上に、ばらばらで恰好の確固撃破の機会である。

「よろしい。戦果拡張を試みるべきだろうな。ギュンター、信号を・・」

其の時、上空で、これまで友軍龍騎士隊によって束縛されていた敵龍騎士隊の一派が、遂にその束縛を振り切り、増援として、戦列艦直上に急降下。そのまま突入を敢行し、ゲルマニア戦列艦隊の足を鈍らせる結果となる。

「直上より、敵龍騎士隊接近!」

悲鳴のような、見張り員の警報に、思わず全身に突然冷や水を浴びせられたような感覚に陥る。あと少し、あと少しで、追撃戦に移れたというのに!このタイミングで介入されるとは。

「近接防御だ!砲弾をブドウ弾へ!手すきの者は、上方警戒!」

「友軍龍騎士隊が振り切られた?」

「チッ、迎撃せよ!帆をたため!このままでは、ただの的だ!」

警報と同時に、きびきびとした素早い動作で対応が採られるものの、そもそも、戦列艦といえども、上方への警戒はせいぜい、メイジの魔法詠唱と、銃による単発的な迎撃が精々であり、運が良ければ、ブドウ弾の射角に入り、迎撃できるものの、そうそう、対応できるものでもない。狙撃兵が、銃をつかみ取り、メイジが迎撃のために魔法を唱え、何騎かは叩き落とすものの、肝心の速度は、追撃戦に望ましい水準とは程遠いところまで足止めされることとなる。

「消火だ!火薬を投棄、急げ!」

「治療は後回しだ!水メイジ!とにかく火を消せ!」

さらに、負傷者の手当てに従事すべき水系の魔法が使えるメイジはがことごとく消火と防戦に手をふさがれるために、戦力を維持するのが極めて困難になる。そして、近距離での魔法の撃ちあいとなると、フネの天敵である火に加えて、風系統の航行能力阻害を狙った攻撃魔法の脅威も格段に跳ね上がる。

「狙撃兵!火だるまになりたくなければ火のメイジを落とせ!」

「左舷の龍騎士を狙え!船底に潜り込ませるな!」

言うまでもなく。近距離からのメイジによる魔法詠唱はさすがに、破壊力としては絶大である。無論、戦列艦とは、そういったメイジに攻撃されうることも想定し、建造されてはいるものではあるのだ。だが、だからといって、無傷で済むほどの水準は望むべくもない。そのように、龍騎士を相手にするには、誰であっても相応の犠牲を覚悟せねばならないのだ。


「友軍龍騎士隊、支援を要請しております!」

「コルベット各艦の損害甚大!」

加えて、これまで、辛うじて持ちこたえていた友軍龍騎士隊と、コルベット部隊が、崩れかけている。それに加えて、龍騎士隊の奮戦に気がついたのだろう。敵艦隊から分離した部隊は、この好機にとばかりに、急速に離脱を図っている。これ以上の戦果拡大は、逆にこちらの艦隊にとって危険を冒すことになりかねない。忌々しいが、一部は取り逃がすことにならざるを得ないだろう。むしろ、ここまで持ちこたえてくれた、友軍の奮戦に感謝すべきでこそあれ、彼らに不満をぶつけるのは筋違いだ。

「追撃は、不可能、か。」

「ですが、こちらの足止めをしている限り敵龍騎士隊は、退路がありませんが・・・。」

足止めを切り上げ、早々に離脱を図るのではないか?死兵と化しての抵抗を覚悟し得る状況でもないかという希望的な観測は、確かに魅力的だ。だが、いかんせん、ここは下が陸なのだ。海と異なり、地に足をつけることが叶うのである。まあ、海を楽しむことができる海軍軍人であれば、いつでも陸に上がることを覚悟しているものでもあるが。何しろ、海の下は、地球の大地なのだ。

「希望的観測に縋るわけにもいかない。」

残念だが、陸地に降下した龍騎士隊の機動力と遊撃戦での有効性は身をもって実体験させられている。さすがに、祖国がボーア戦争であの手の錯乱に悩まされた理由も良くわかろうというものだ。実に厄介極まりないというほかにない。

「降下すればあるいは、不時着した戦列艦の兵員と合流できよう。」

そうなれば、一定の陸上戦力に化けることとなる。無論、専門の陸戦要因ではないが、しかし、艦上での戦闘を想定した兵隊と、メイジが存在する以上、これらからトリスタニアを防衛する必要が我々ゲルマニアには存在する。そこに、龍騎士隊が合流するとなると、早期に撃滅するか、武装解除せねば、またゲルマニア北部で行われた非正規戦を繰り返されかねなくなる。

「やむを得ないな。トリスタニアの守備隊を支援する。各艦は、残敵掃討だ。リュイス以下、追撃を逸るフネを呼び戻せ。」

戦列艦を有する艦隊の対地支援能力は絶大だ。故に、今なすべきことは、離脱しつつある敵艦隊の追撃ではなく、敵残存部隊の掃討だ。これ以上の戦果拡張は欲をかきすぎることとなる。功績筆頭の戦列艦隊といえども、義務を果たしてこそだ。

「追撃は断念されますか。」

「断念だ。一応、伝令を出し、友軍に追撃を促そう。だが、大魚は仕留め損ねたな・・・。」


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あとがき

帆船って勝つ時は圧勝し、泥仕合になる時は、トコトン泥仕合になると思うのです・・。

最近、業者の広告が大量に投稿されていて、どうにも頂けない。

まあ、そんなこんなで、微妙にテンション下がっておりますが、ちびちびと継続して更新していこうと思います。



[15007] 第七十二話 平和と友情への道のり 7
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/11/14 15:46
功ある者には、それ相応の名誉が与えられる。信賞必罰は、まともな統治、まともな運営、不可欠な代物であるのだから。故に必然的に、賊軍を討伐した将の軍服に勲章が輝くのは、理屈としては当然のこととなる。当然のことであるのだから、無能と言われるガリア王であっても、左右の者がよろしく輔弼し、適切に叙勲の手続きが滞りなく処理される運びとなる。結果、ゲルマニア辺境伯ロバート・コクラン卿に対して、ガリア叛乱軍鎮圧の功績を讃え、つつがなくグラン・トロワ勲章が授与される運びとなった。つい先ほどまで、交戦していた相手と思しき国家の使者からそう伝えられ、納得できる人間が見つけられるのであれば、責任を持って学会に報告してよい。

「叙勲?」

ガリア両用艦隊と交戦からやや時間が経過した時、ヴィンドボナからガリアの使節が派遣されてくると知らされ、その目的について説明された時、謹厳であることを誇るゲルマニア艦隊司令部をして、思わず疑問を口から漏らすのを禁じ得ないところであった。狐狩りに出かけたところ、飛び出してきたのが狐ではなく、愛すべきウィスキーキャットが銃口の前に飛び出して、銃口を咄嗟に逸らしたような衝撃だ。

「左様、このたびは賊軍撃滅にゲルマニアのお手を煩わせて実に遺憾に思っております。」

ゲルマニアの苦虫をダース単位で咀嚼させられているような表情を浮かべた担当者に連れられてヴィンドボナからやってきたガリアの外交官は、晴々と言ってのけた。賊軍撃滅に手を煩わせて申し訳ない?実に斬新かつ、独創的な外交上の表現だ。特許を申請しておくべきだろう。脱走兵でも、退役軍人でもなく、賊軍とは!

「失礼、卿は、ガリア両用艦隊の行動は、正規のそれではないと仰せになるのか?」

「これは、心外な。ガリアは常に諸国との友好を望むのみですぞ!」

ガリアが望むのは、友好の反対のことだろう。少なくとも、碌でもないことしか思いつかないが、概ね国家とはそういうものだと解しているのでこの点に関しては特に異議を挟むまでもないだろう。むしろ、ここで、細かい事に時間や気を取られるべきではない。そう思い、肩をすくめて、こちらの意志をそれとなく表しつつも、話題をもとに戻すべく、相手の顔を睨みつける。まったく、表情が仮面であると露骨にわかるような、にこやかな表情は、忌々しいことこの上ないが、睨みつけるだけ力の浪費だろうか?

「では、この件について、我々に説明がいただけるのでしょうな。」

「無論ですとも。いやはや、これは実に難しい事態でありまして。」

答える気があるならば、率直に答えることを要求したいのだが。まあ、いい。無論といって、はっきりと答えないということは、それなりになにがしかの理屈を用意し、緻密な論理を説明するという態を装ってこちらを騙し、欺くというよくある手法だ。とはいえ、難しいということは、一応問いただしておかねばならない。

「難しいとは?」

「レコンキスタなる運動をご存知ですかな?」

レコンキスタ?まったく、とんでもない言葉だ。碌でもない意味でしか、外交上使いようがないではないか。その種の運動をガリアが扇動しているとしたら、連中はエルフと一戦交えるのか?聖地など、求めるのであるならば、我々に構わずに、砂漠に死体を並べることに専念してほしいのだが。いや、むろんガリアがロマリアをいざない、理想に燃えた両国だけでやってくれても、一向に構わないところである。

「語意からいえば、レ・コンキスタ、つまり再度の征服運動とは、穏やかではありませんな。」

穏やかどころか、歴史的な事象としてみれば、碌でもない事態を惹き起こした。補給という概念が乏しい時代において、長距離進軍する軍は実質的に単独で、行動し、補給し、さらに自活する必要があった。つまり、自活する軍など軍税を導入せねば、略奪でもするほかにない。

「再征服?どのような意味でしょうか。」

ギュンターが、すこしばかり興味を引かれたというよりも、義務感から質問を丁重に行う。この場合、意味があると言えば、意味がある。まあ、指揮官が知らないと口で言うよりは、その部下が問いかけているということに意味を見出すほどの相手かどうかは知らないが。まあ、無用の警戒であるようだが。こちらを嵌めるというよりは、どちらかといえば、これはごまかしの類だ。

「聖地を取り戻す、始祖の作りたもうた秩序を擁護すべし、そうした思想をもつ一派であります。」

それは、枢機卿団の原理主義派の一部に近いように思われる。だが、以前見聞きした限りにおいては、レコンキスタなる運動は、アルビオンやトリステインで萌芽がみられたものの、停滞傾向にあった。はっきりと言えば、種をまいたガリアが、水を播かずに放置し、枯死させたように見える。そもそも、それが、何故ここに出てくる?関連性が、あまりにも分からない。

「それが、どう関わりがおありか?」

恥ずかしげに、顔を下げて、ガリアの使節がぼそぼそと秘密を漏らすようにして口を開く。こちらに申し訳なさげに語る、という態ではあるが、実に疑わしいことこの上ない。恥を知っているという態であるにしても、ガリアの手の長さを思えば、なにがしかの疑いしか抱きようがないのだ。

「我が国には、オルレアン派なる一派がありまして。」

それは、知っている。正確に表現するならば、無能王に不可思議にも有能と言われていた王弟が粛清された事件の後に、生き延びている残党のことだ。アルビオンでの粛清劇といい、最近は王弟を粛清することが、兄王達の趣味であるのだろうか?まあ、これはつまらぬ余念だろう。徹底して継承者をゲルマニアの皇帝が排除していることを考えれば、比較的にせよどちらも相対的にはまともだ。人格に問題があるにせよ、皇帝は統治者としては比較的にまともではあるのだが。

「はて、耳にした事は有りますが・・。」

で、それがどのような関連性を有しているのか述べてみよ。疑問を抱いていると言わんばかりの口調で問いかけてみる。オルレアン派は、はっきりと言えばレコンキスタとは無縁の精神をしている。むしろ、彼らはガリアの無能王打倒に専心していると言ってしまっても良いくらいだ。良くも悪くも外部との連携を取るわけでもなく、ひたすらに国内での政治権力闘争に専念していたと思うのだが。

「おはずかしながら、それら叛徒が、蜂起いたしまして。」

蜂起、つまり武装蜂起したと?有りえん。木の防壁をエスカルゴが打ち破り、海から襲来する並みにありえん。あのガリアが、武装蜂起を許す?意図的に、武装蜂起を見逃していたの間違いでしかありえない。その意図するところは、不明であるにしても、確信できるのは、この侵攻劇は、ガリアの脚本であるということ。

「内乱と仰せになるのか?」

内乱というのは、自国の内部闘争であって他国に武力進攻することではないと思うのだが、彼が言うにはそうでもないらしい。ガリアの辞書を買って、内乱の定義を読み直すべきかもしれない。創造性豊かな弁解ではあるものの、もう少し、論理的整合性を重視していただければ、アイロニーも楽しみがいが多少は、期待できるのだが。これでは、くだらん政治的な欺瞞に過ぎない。

「その通り。お恥ずかしい話でありますが。」

これは辞書を書き直すべきかもしれませんな、と皮肉を言いたい心を抑えて、ギュンターにそれとなく目くばせする。激昂するのは、時として戦術足りえるということを、この部下はよく解する。心得たりとばかりに、顔を赤らめて、如何にも激昂したという態で甲板をふみならし、口を開く。

「貴国の内乱が、なぜゲルマニアへの軍事行動になる!」

「いや、これが、実に難しいところでありまして、彼らは始祖の秩序を保つのだと称しておりまして。」

のらりくらりか。まともに回答するというよりは、論理構成を複雑にする方針を貫徹するというところ。実につまらない。機転を利かせることもなく、ウィットのかけらもない。まるで、泥人形を相手に会話をしているかのような徒労感すら襲ってくる。いや、押しても引いても反応がない。ガリアの派遣してくるメッセンジャーとは、不気味極まりないではないか。

「どういうことですかな?」

「神聖なるガリア王室の簒奪者、ああ、これは叛徒どもの視点でありますが、これと神聖なるトリステイン王家への挑戦者はどちらも許しがたい敵と認識しておりまして・・・。」

トリステイン王家そのものを神聖だとガリアの貴族が思っていると知れば、アルビオンに亡命しているトリステイン王党派が欣喜雀躍するか、不安感に駆られて胃痛に悩まされるかのどちらかだろう。というか、トリステイン貴族ですら、王家を便宜的なものだとおもっている状況下において、トリステイン王家を惜しむのは、何故かは不明だが、枢機卿団の一派程度だ。純粋に始祖の作ったという枠組みを擁護しようとしている枢機卿団の一部を例外とすれば、トリステイン王家の滅亡は誰にとっても既定事項として受け入れられているはずなのだが。

「ああ、それでガリアを上げての開戦を叫ばれたと?」

「いや、そこが微妙に異なるのですよ。」

「ほう、どういうことでありましょうか?」

率直にぜひとも説明していただきたい。オルレアン派は、レコンキスタに共感するはずがないではないか。そもそも、ガリア無能王監修のレコンキスタに、オルレアン派が自発的に入ることなどあり得ない以上、どうやって、組み込んだかがぜひとも説明していただきたいところでもある。

「外聞を憚ることではありますが、陛下は魔法が、その、人並み以下でありまして。」

それは、聞いたことがある。だから、無能王という政治的な隠れ蓑を手にしているということを延々と説明してくれなくても一向に結構だ。本当に無能であるならば、今のガリアはあまりにもまともに統治されている上に、暗躍する手ももう少し短いはずだ。現状では、整然と統治され、外部での情報収集も実に能率的だ。

「それで、オルレアン派の中で、これは始祖の作りたもうた秩序への造反ではないかと。」

「失礼、私はオルレアン派の詳細に通じていないのだが、何故彼らがそう考えたと?」

ああ、なるほど、論理が飛躍しているようで、辛うじて納得させうる範疇に留めてある。事実は小説よりも奇なりというべきであるが、この論理の切り替えは或いは賞賛されるべき政治的な一芸やもしれない。碌でもない方向に活用されているというほかにないが、実に見事だ。

「魔法が使える貴族の上に立つ、魔法の使えない王。これは、王足りえるのかと。」

「なるほど、難しい内政事情ですな。」

暗に、魔法の使えない王という問題に集約しようとして口を利いてみる。本来であれば、王の資質をめぐるガリア内部の面倒事が何故、こちらに?ということをそれとなく匂わせているが、まあ、真摯な反応を引き出すことを期待するのは無意味だろう。

「すると、叛徒どもの中から、ゲルマニアがトリステインという始祖由来の王朝をつぶすのもけしからんという話になりまして・・・。」

「つまり、内乱でタガの外れた一派が暴発したと?」

ガリアはその線で、この話をまとめに入ってきたということで良いのだろうか?という確認を行う。実に不愉快なまとめと説明を延々と聞かされるのは、気乗りしないことこの上ない時間の使い方でしかない。だが、嫌な物を感じる理屈だ。ガリアの内乱という名目に、ゲルマニアが、味方して叛乱を鎮圧したかのように語られて、既成事実化されている。これでは、知らぬ間にガリアの味方と見なされかねない。

「ええ、誠にご迷惑をおかけしてしまい恐縮する次第。」

恐縮するのは、卿の自由であるものの、いい加減にガリアの真意を語れとも詰め寄るわけにもいかない。ここで求められているいのは、あくまでも現地の先任指揮官としての最良の行動なのだ。

「いや、それが貴国の内政事情であるとお伺いし、ヴィンドボナから卿の身分が保障されている以上、小官が、ここで述べることができるのは、情報提供に感謝することのみであります。」

感謝を。これほど内容の無い回答を出さねばならないことは、楽しみの無い不毛な消耗ではないのだろうか。騙し合い、腹の探り合いは一つの形式ではあるものの、まるで考えの読めない、不合理な行動原理に支配されている敵と言葉を交わすことほど、疲れることはない。だからこそ、外交官とは専門家にしか務まらず、えてしてその専門家をして疲労困憊に追いやるものだと、外務省に奉職していた先人から耳にした事があるが、実にその通りだ。

「ああ、いや、それではこちらの立つ瀬がない。だからこそ、叛徒撃滅の功を讃え、貴公を叙勲することとなっております。」

叛徒撃滅の功を賞賛されるという事の意味は、単純明快だ。やはり、我らとガリアが友好関係を維持しているということをハルケギニア、おそらくはロマリアやアルビオンの首脳部にそれとなく示唆すること。事実としてではなく、単純に疑念という程度かもしれない。だが、信頼関係の醸成にはまず大きなマイナスだ。誰だって、盗人と親しくしているという風聞の絶えない相手には、警戒をしてしまうではないか。

「ああ、なるほど、それで小官に叙勲と。」

「左様です。」

許されうるならば、机を蹴飛ばし、席を立ち去りたいが、いかんせんそれは叶わぬ願望である。蹴り飛ばす机はなく、甲板に転がっているのは補修用の工具程度だ。これを蹴飛ばすのは、水兵らに余計な労働をさせるだけであり、なんら問題解決には至らないのだ。だが、次の言葉を聞いた時、それを踏まえてでも、蹴飛ばしたくなったのは、断じていわれのないことではないだろう。

「それで、願わくば捕えた賊を引き渡し願いたい。」

「いや、それには応じかねる。」

「それは心外な。」

如何にも、如何にも当然の要求を拒絶されて、困惑し、異議を申し立てるといった態のガリア側の態度から、これが本題かと察する。なるほど、前線で拘束されている捕虜を取り戻すためには、叙勲という名目で前線まで押しかけ、勲章と引きかえに捕虜を回収すればよい。実に安上がりな回収方法だろう。なかなかに発想としては興味深いと言える。

「貴国の事情はともあれ、我が国に対する攻撃によって拘束されている賊は、我が国の法によって処罰する。これは、道理ですよ。」

ものわかりの良い士官としては、無理な要求にもそれとなく無難な解答を持ち出すことで、穏便に事態を解決することが可能らしいのだが、相手は道理を無理で押し切ろうとしている。果たしてかな、彼らの要求は執拗だ。

「いや、国家への反逆者は、我が国で裁くべきでしょう。」

「失礼ながら、ゲルマニアの法を優先させていただく。」

冷静に考えればおかしな話だ。ゲルマニアに侵攻したガリアの捕虜を引き渡せとガリアの使節に面罵されるような事態になっている。だが、建前として、外交上はガリアとゲルマニアは交戦状態にないのだ。誰にとっても驚くべきことであるが、これは司法権の問題に集約されてしまっている気配すらある。そして、おそらくヴィンドボナでは要求が突きつけられていないのだろう。ほとんど憮然とした表情で同行してきたゲルマニアの役人が、事態を悟って顔色を真っ青に変えている。

「これは、したり。ガリアが直面した反逆などどうでもよいと仰せになるか!?」

そのような、茶番劇などまったくもって、どうでもよい。だが、外交上は、そのような発言が許容されるわけもないので、あくまでも許されうる範疇で韜晦するほかにない。

「それは、小官の判断し得る事ではありますまい。」

「では、どうせよと?」

どうするも、本来これは、ヴィンドボナに要求すべき事柄なのだ。司法権とその執行を巡る議論は、主権に属する議論である。出先の役人に問いただすのではなく、あくまでもヴィンドボナにて明確な結論を導き出すように、ガリアとゲルマニア双方が議論しておくべきことだ。そして、それはガリア側から提起されない限り、ゲルマニアの国内法規で処理するべき案件に他ならない。ガリアは、ゲルマニアにて治外法権を有しているわけではないのだ。

「ヴィンドボナで議論し、結論が出されるまでは、小官は現場の先任指揮官としての裁量権を有すると共に、その範疇で行動する義務を負うということしか、申し上げようがない。」

暗に、現場の指揮官としては、ゲルマニアの現行法規に従って行動せざるを得ないとの解答を行う。無論、忠誠はユニオン・ジャックにあるとはいえ、契約上の誠実な履行義務を果たす限りにおいては、これは一個人の名誉の問題であるのだから、義務を遂行するのは全く滞りなくやってのけるべきだろう。

「では、ひとまず、賊軍の指揮官だけでも、身柄をお渡し願いたい。」

「先ほどからも、お断りさせていただいているように、それは、無理であり、叶わぬこと。」

指揮官ともなれば、相応の情報を抱いていることも予想される。尋問し、しかるべく情報を引き出すことも必要であるし、なによりも形式的にはこの件に関するガリア叛乱軍とやらの責任者でもあるのだ。簡単に身柄を釈放し、ガリアに引き渡せるものではない。現場が判断すべきことではないのだ。それは、政治的に極めて厄介な問題をはらんでいる。

「身代金を支払えとでも仰せになるのか?」

身代金?それこそ論外だろう。ここで、着服だの横領だの批判されるようなことで、離間策を取られるわけにもいかない。そのような可能性が潜在的にせよ有る以上、解答としてできることは、ヴィンドボナに問題を通報することのみだ。

「小官には、分かりかねること。それ以上は、ヴィンドボナにて存分に議論されるように願いたい。」

ともかく、情報だ。防諜が整っているとはいえ、これだけの規模ともなれば多少のことは、ガリアからも漏れ聞こえるはず。情報を集めなければならないだろう。それも、速やかに。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

これは、ガリアですか?NO!これは叛乱軍です。
建前:ガリアは、無能な王さまが統治しているので叛乱が起こるのです。残念ながら。
byガリア

しかし、三次元の空戦?というか海戦というか、微妙に難しいですよね。魔法の射程とか、艦砲の射程とか、設計とか、判断に困る・・・。

でも、これで、取りあえず、ガリアとゲルマニアはお友達になれるきっかけをつかみました。平和と友情が期待できます。

まったりと更新中・・・。



[15007] 第七十三話 平和と友情への道のり 8
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/11/18 19:45
友人は選ぶべし。

一個人の卑近な事例から、国家間の関係まで、すべからく適用できる一般的な原則にして、最も含蓄のある格言であるだろう。例え、どれほど立派な身なりで、教養があろうとも、碌でもない連中と交友があれば、それはその紳士の品格を大いに損なう。

国家間の友情は、あくまでも合理的な利害関係の一致がある時にみられるものであるとはいえ、誤った指導者の国家と運命を共にすれば国を傾ける。当然、良識があるものは、交友関係に配慮を欠かさない。で、あるならば、大変芳しくない交友関係を持っているのではないかと世間から疑われている時はいかがすべきか?

身を慎み、世評に穏やかに反論を加えつつ、誤解が去るのを待つしかない。

「兄弟は選べないが、友人は選べると、聞いていたのだがな。」

司令長官室で、ギュンターと肩をすくめながら、ラムをあおるようにして飲み干す。不快極まりないガリアとの交渉。その疲労と不快感を、ラムで押し流しつつ、歎きたくなる感情を抑え込む。

「しかし、ガリアは意図的に介入してくるでしょうな。」

「さもありなん。信じがたいことに、連中、妥協してきた。」

戦場での勝利は、戦術的な勝利と、戦略的な勝利に区別し得る。戦場では勝てても、それが必ずしも戦略的な勝利でないならば、いかがすべきか?

「捕虜を、ゲルマニアとガリアの友好関係に基づき、委ねると?」

まったく碌でもない声明だ。

武装解除し拘束されているオルレアン派からなるという、ガリア側の説明するところの叛乱軍。これは、それなりの数がいる上に、大半は、負傷している。無論、身代金を請求し、それ相応の処置をとることで、上乗せして請求する旨をギュンターが提案してくれたが、どうにも嫌な予感しかしない。

「なら、とんでもない意図があるのでしょうな。なにしろ、ガリアとゲルマニア間のありもしない友好関係に基づくものですから。」

だろうな、と胸裏でつぶやく。卑劣極まりないとしても、指揮官が処理されていたとすれば、すんなりと理解が幾。有能な士官にとって戦傷が原因で死亡というのはよくある話だ。指揮官先頭の精神は賞賛されてしかるべきだが、時としては、名誉のかけらもない者の名分とされてしまう。

「まあ、おかげで近隣国の猜疑心を否応なく刺激することになるのだろうな。」

「ガリアとゲルマニアの連帯でありますか?」

たちの悪い冗談を聞かせているような気になるが、語っているロバートも、聞かされているギュンターも、世間というものの判断基準がそれほど複雑でない、表層にとらわれがちであるということを判断できる程度には、人生を経験している。

「カラム嬢に伝令だ。ゲルマニア北部でガリアが融和的な動向を見せてきかねないと警告を発しておこう。」

「それが、よろしいかと思われます。」

ここで、ゲルマニア内部での保身を考慮するならば、ガリアとの融和的な動きを見せないこと。猜疑心の強い近隣国以上に、こういった政治的な話題で対抗勢力を削ぎ落そうとしかねないゲルマニア内部の政争が厄介極まりない。例えば、選帝侯らにとって、脅威なのは、中央集権の進むことだろう。その妨害のためにならば、何だってしえる。

「しかし、忌々しいことこの上にない。」

北部へ書状をしたためるべく、羽ペンを握り、インク壺に浸しながら、忌々しいガリアへの配慮と、内部闘争を言祝がんばかりに待ち構えているであろうゲルマニア内部の敵を思いつつ、ため息もつきたくなると胸中で呟く。

「分断し、統治するのは結構だ。だが、我を統治しうる権利を有するのは、我のみ。」

帝国を統治し、白人の義務を果たす。それを担ってきた大英帝国は、分割し、統治し、よって安寧と繁栄をもたらしてきた。

我らが、分割し、統治するのであって、我らが分割し、統治されるのでは断じてありえない。

だが、それは、すでに既定事項として語られてしまっているのだ。

「ガリアとゲルマニアが友好関係を築いた?」

疑問符を付けつつも、そう語られるとロバートが予想した通り、例えそれがそのように意図して流布された情報であれど、いや、だからこそ、アルビオンは悩まされることとなっていた。

「ゲルマニアの説明は?」

外務省の役人が頭痛をこらえるような表情で、参列者を見渡し、ため息をついてから、ぼそりと答える。

「片思いされて困惑しているとのこと。」

「ですが、世間はそう見ませんぞ。」

無能王が、ガリアを統治できているのはなぜか?という疑問がある。

そこに、ゴシップが生まれる余地が有りすぎるほどにある。ここに、有能なガリア王弟が粛清されたのはなぜか?という疑念と、ゲルマニアという要素をかき混ぜれば、一つのもっともらしい解答が出来上がる。

曰く、ゲルマニアの主敵はどこか?

言うまでもなく、(自意識過剰なトリステインを例外とすると)、ガリアであることは衆目一致する。

では、ゲルマニアにとって、長大な国境で隣接する強力な隣国はどのような存在であることが望ましいか?ということを考えてみると、おもしろいことになる。ガリアとの友好関係が望ましいのは言うまでもない。だが、ガリアが強大な国家でないに越したこともないのだ。

さて、この前置きで議論を進めよう。

ジョゼフ王は魔法の使えない、無能な王子であった。オルレアン公は、自他ともに認める魔法の天才である。

ジョゼフ王は、人形遊びに戯れる狂人であるという。オルレアン公は人品共に優れると万人が認めた。

さて、ガリアにとって望ましい王とは、誰だろうか?そして、ゲルマニアにとって望ましくない王とは、誰になるだろうか?という疑問には、純粋な知的好奇心の発露以上に、奇妙な疑念がわき起こる。

曰く、ジョゼフの即位を望むのは誰か?

ガリア国内の貴族ではない。
ガリアの平民でもない。
だが、ゲルマニアにとっては、最良の選択肢とみられる。

さて、ここでひとつ思い出してもらいたいのは、皇帝アルブレヒト三世という政治的な怪物である。かれは、自国の政争慣れした継承権保有者をことごとく無力化するに至っている。その彼にとって、搦め手から、若い王子を追い落とす策は簡単ではないだろうか?

ジョゼフが、王位を欲した時、彼の味方足りえたのはアルブレヒト三世のみではないだろうか?つまり、秘密裏に両者が手を結ぶということもありえたのではないか。

それまで、その協力関係は隠されてきたが、国内のオルレアン派が蜂起した時、ジョゼフ王にゲルマニアは味方したばかりか、オルレアン派と直接交戦しているではないか。聞けば、その功績を讃えて、ゲルマニアの指揮官を叙勲までしているという。

やはり、繋がりがあったのではないのか。

そう、人々は囁かざるを得ないだろう。思えば、トリステインをゲルマニアが抑えた際に、最も隣国としてストップをかけうる立場にあったガリアは沈黙を保っていた。それを不可思議に思う人びとも少なくなかったが、これで説明がつくのではないか。

世間で、そのように意図的に意識が誘導され始めている。当然のこととして、ガリア王は、無能王と程遠いと認識できる人物以下では、この噂に惑わされるだけだろう。

「トリステイン王党派は?」

無能な集団、その筆頭格を占有する面々が、アルビオン内部には転がり込んできている。それらを料理し、アルビオンにとって最適な結果を導き出そうと欲してはいるが、なかなかにしぶとい抵抗が現在までのところは、主として少数の例外的にまともな面々から行われてきてはいた。

「いやはや、醜いものです。ごく例外的な最初に付き従ったものを例外とすれば、あとは、無能が喰いつめて王党派の衣をまとっているようなものですよ。」

だが、王党派ここにあり、と示すことは、人を良くも悪くも引きつけるということだ。当然のこととして、望ましい有能な人材を招く以上に、碌でもない無能な自称忠勇の士が有象無象に集まってくることになる。

「ふむ、組織として我々にとっては健全になりつつある。」

当然、まともな貴族達が、王党派を制御しきれなくなるのも時間の問題となってくる。まともな眼があれば、ガリアとゲルマニアに挟まれてなどいないトリステインの独立を維持するのは、困難ではあるが、絶望以外の選択肢もあるだろう。だが、まるで八方ふさがりのような時に、アルビオンから手が伸ばされれば、耐えられない。耐えられるはずもない。

「見通しが甘いのでは?報告では使いようのない代物ばかりだ。」
だが、家名を維持するということ以上に、妙に誇り高い連中を扱うには、こちらがとにかく歩み寄らねばならない。はっきりと言えば、労力の割に合わないという印象すらあるのだ。

「トリステインの情勢は?」

その点をみれば、王党派からは王女のみを抜き出し、現地に残留している貴族らと渡りをつける方が、結果的には事態が容易に解決するのでは?という意見がアルビオンでは一定の支持を集めるに至っている。

「ゲルマニアが上手くやりました。一番面倒な公爵家が、周囲から孤立しています。ここで、我々が手を差し伸べれば、事態は決定打になるでしょうな。」

武力をもった、有力な貴族が国家の藩屏として健在である時は、厄介だろう。だが、その藩屏をして、周囲から孤立させてしまえば、料理を行うのは決して難しいことでもない。ゲルマニアにとっても、アルビオンにとっても主体として、トリステインという要素を極力削ぎたい以上、ここでは協力を惜しむ理由もないところだ。

「では、リッシュモン卿の上に、トリステイン王室の宰相か、摂政の地位でも用意致しますか?」

「摂政は望ましくない。ここは、宰相の地位を正式に用意すべきでしょうな。これでリッシュモン卿の力を抑制しつつ、相互に反目させられる。」

「奴は、したたかですぞ。これ幸いと、公爵を使いつぶしかねない。」

適度にゲルマニア、アルビオンとの矢面に公爵を立たせて、対外的な厄介事を押し付けた挙句に、梯子をはずすなり、後ろから刺すなり、トリステイン貴族ならばこの程度は誰でもやりかねない。だが、リッシュモン卿は、確信的に、やるだろう。

「それならば、それはそれで結構ではありませんか。」

だが、それはそれで、アルビオンにとっては特に問題があるという事態でもない。強力な抵抗勢力が排除される。これだけみれば、これといって併合に障害あるわけでもないのだ。各国の影響圏を侵害するような事態にでも至らない限りにおいて、この事態は別段、問題視すべき要素ではない。

「大公国は?」

その点において、大公国の動向は、影響圏の問題に少なからず関わってくるだけに少々手を焼かざるを得ないものがある。なにしろ、彼の国は、独立国なのだ、外交的には。そして、講和条約上、善意の仲介者としてのアルビオンはその立場を尊重するという制約が課せられている。別段、大公国に親愛の念を抱いているわけでもないが、対外政策上、容易にその立場を侵害するような行動を表だって、取るわけにはいかない。

「ゲルマニアに権益交渉を行っているとか。」

「さてさて、取りあえずは、我々にとって障害はない、と見てよいのか?」

ゲルマニアとの権益交渉は、あくまでも一つのステップ。だが、逆に言うならば、ゲルマニアが自国で大公国に認めた以上の権益を、アルビオンが用意する必要もまたない。つまり、一定程度の落とし所が模索されている以上、この問題については、取りあえずは注目しておくだけで良い。

「概ねは問題ないだろう。では、本題に入ることにする。」

だが、アルビオンの中枢で緊急の課題となっているのは、全くの純粋な内政上の要請である。すなわち、内部の敵の存在である。貴族、それは、最も誇り高き王権の守護者であると共に、最も身近で、恐るべき敵になりうる存在であるのだ。

「諸君、内戦の萌芽がみられる。おそらく、このままでは、乱に我々は直面することとなるだろう。」

「内戦?まさか!」

王位継承戦争ならば、一般的に理解しやすいだろう。だが、アルビオンには正式な王太子がいる上に、競合するような王族も存在しない。さらに言うならば、アルビオンを悩まして来たゲルマニアのような外部からの干渉による国内の不安定化も、それほど問題ではない。だが、事の本質は、いつもとは少しばかり異なっている。

「北部の貴族に不平不満がたまっている。なまじ南部貴族が弱体化している分、歯止めがかからん。」

「法衣貴族だけでは、抑えられないと?」

名分がないのだから、法衣貴族らがそれとなく抑えられるのではないだろうか?なにしろ、王家に反逆するにしても、名分なくただただ、貴族が乱をおこすということは、容易にありえることではない。無論、暗殺という手がないわけではないが、それは名分がないことを認めるようなものだ。

「そもそも、名分がありえないでしょう。」

ガリアで、有力な一派であったオルレアン派がなすすべもなく粛清されたのも、旗がなかったからだ。オルレアン公という旗印がなければ、あれほどに支持を集め、強力であった一派ですら、抑え込まれるのだ。

「抑えられるだろうが、当分は内が混乱する。下手をすれば、ガリアやロマリアに付け込まれかねない。」

厄介極まりないことに、名目だけでもゲルマニアが大人しくなれども、ガリアやロマリアは依然として健在だ。これまで以上に、うるさい存在になってくるやもしれない程である。なにより、頭が痛いのは、ロマリアの正統主義だ。あるべき、始祖の作りたもうた秩序に回帰せよなどと叫ぶ連中がいる以上、アルビオン悲願の大陸進出にもけちが付きかねない。

「特に、ロマリアは厄介だ。」

「例の件がありますからな。」

正確な情報は一切公表されていない。だが、知る者は知っているのだ。なにしろ、兵を差し向け、事を解決しようと試みたのだから、当事者が存在しないわけがない。

「処理が完遂したとの報告がないが、その後の経過は?」

だが、いつまでたっても肝心の報告がこない。曲がりなりにも、相手はメイジを圧倒するエルフだ。当然、抵抗し、こちらの手を逃れたということは可能性としては考えられる。平民の兵すらも選別し、精鋭を投入したつもりであったが、相手はエルフを含んでいた。当然、激しい抵抗の報告があることも覚悟していたつもりだった。だが、肝心の報告すら上がってこないとはどういうことだ。

「行方がつかめておりません。」

調べてみれば、この件を担当していた部隊が、忽然と命令系統から下されていた命令を遂行しないばかりか、包囲網を解除していた。急遽、捜索を開始してみたものの、結果は望ましいものではない。

「ようやく、掴んだ乏しい情報では、ゲルマニアに亡命したとの未確認のものが一件。」

一応、成果らしきものは上がって来ている。だが、それはゲルマニアに亡命したという事実であれば、アルビオンにとって頭痛どころか、致命傷になりかねないような大規模な爆弾のような情報である。

「・・・なんだと?出所は?」

思わず、うめき声が上がるような室内で、ようやく確認の声がかけられる。そこには、そうであってほしくないという願望と、忌々しい事柄の真偽を見極めたいという欲求が限りなく入り混じっている。

「ゲルマニアのムーダからです。」

淡々と出所が明かされるが、それは良くも悪くも期待にそぐうものであり、同時に、難しい判断を迫れる情報でもあった。ゲルマニアのムーダ!ゲルマニア国営の船団ならば、確かに、アルビオン南部に寄港している。なにより、アルビオンが殺すコストが高すぎる一方で、放置しておくコストも高いような面々を、事実上の国外退去に使うという意味合いを見出していた、代物だ。当然、そこに潜り込まれれば、国外に悠々と脱出される。

「輸送船団か、可能性としてはありえるだろうが・・・。裏付けを取れ。ただちにだ。」

だが、しかしだ。ありえないのだ。曲がりなりにも、まともな政治的な判断力のある人間が、理性的に判断するならば、エルフなど匿わない。せいぜい、捕えてアルビオンに牽制をかけることはありえても、その情報をまったく隠蔽するなど無意味極まりないことはしないはずだ。そして、仮にこちらに敵意を有していると仮定しても、良くも悪くも、ゲルマニアのロバート・コクラン卿という貴族は、信頼できる敵であるのだ。そして、少なくとも現状では、敵ではないはずなのだ。だとすれば、その意図がわからない。

「しかし、ゲルマニアが匿っていると?」

「ありえん。連中がそこまで、無能だとも思えない。」

疑問の余地なく、化け物が蠢くのが国家外交の基本なのだ。アルビオン、ゲルマニア、そのどちらといえども、無能とは程遠い。当然、必要のないことはしない。

「では、アルビオンとゲルマニア双方の眼を掻い潜れると?エルフですよ?」

だからこそ、疑問がわく。一体どこにいるのだ?死んでいるならば、それはそれでかまわない。だが、国外に出ているかどうかも定かでないというのは、全く望ましいものではない。北部貴族らの動向と合わせて、実に頭を悩ませる問題であるのだ。

「人間に擬態できる可能性は、どうでしょうか。」

ふと、思いついた提言が、議論の俎上に挙げられる。魔法には、変身し、擬態するものもないわけではない。むろん、相応に貴重なマジックアイテムや、高度な魔法であるのは言うまでにないにしても、エルフの力量なのだ。可能性として、排除し得る物ではない。

「エルフが、そのような事をすると思うか?」

「連中が、しないということも、考えられますまい。」

確かに、と一同は思わざるを得ない。エルフとは、彼らにとってでさえ異物なのだ。思考が、合理的であるかどうかといったところではなく、人間に紛れ込むかどうかなどというエルフの価値観に関する知見など、持ちうるはずもなかった。当然、可能性として検討すべきことがらである。

「では、どうしろというのだ!最悪、ただの王位継承者として名乗り出られては、名分が・・・。」

一人の言葉に、もう一人が、劇的な反応を示した。手にしていたカップをほとんど滑り落とすようにして、机に置き、思わず、序列も礼儀も忘れて、叫ぶように問いかけてしまう。

「まさか、北部貴族がそれを!?」

名分なき反逆を行うのは、難しい。貴族は、なんだかんだと名分を欲する生き物でもあるのだ。あの、リッシュモンでさえ自分は忠臣であるという態で持って、クーデターを起こしているのだ。実際の行動がどうであれ、名分を欲する連中にとってみれば、これは一つの大きな名分たりえる。モード大公は、第二位の継承権を有していた。情報が正しければ、その子供なのだ。すさまじく、厄介というほかにない。

「では、ゲルマニアに逃げ込んだというのは、偽装?」

もしも、そうであるならば、ゲルマニアはこのような爆弾を抱え込む余裕があるとは思えない。策謀好きだとしても、当然引きどころを弁えていることは、長年の付き合いがいろいろな意味であるアルビオンは知っている。ならば、眼を外にそらすためであると考えればどうか。

「あるいは、欺瞞情報のどちらかやもしれん。」

ゲルマニアには、不信感が確かに有る。ガリアとの関係を疑わされていることもあり、この疑念は間違いなく、ゲルマニアに亡命したのではないかとの、憶測を招くには十分だろう。だが、視点を変えてみれば、これほど疑わしい情報もないのだ。

「ワルド子爵と言いましたか、確か魔法衛士隊の精鋭をしても、最終的にゲルマニアの監視に捕捉されている。」

アルビオンまで、トリステイン王党派が亡命してくる過程において、恐ろしく強力な風のメイジが護衛として付いてきた。あのゲルマニア艦隊の追撃すら振り切ってだ。そのメイジが、一矢報いんとゲルマニアで暴れ回ったが、やはり、最終的には封じ込められたらしく、それからの情報が一切聞こえてこない。げに、ゲルマニアの手と眼の良さを物語っているというほかにないだろう。訓練され、ひたすらに軍務に従事していたスクウェアが、これだ。エルフといえども、そうそう監視を掻い潜れるとは思わない。

「・・・そのことを思えば、国内に潜伏していると考えるべきやもしれませぬな。」

そもそも、一部の部隊が、包囲を解いたところからして、理解ができないでいた。だが、士官に、もしも、もしもだ。内通者がいれば、命令書を握りつぶしていたらどうか。まったくの無抵抗というわけでもなく、それなりの損害が出ていることを思えば、混乱に付け込まれた可能性は排除できない。

「国内の掃討、今すぐに始めるほかにありますまい。」

アルビオンが懸命に国内の掃討を行うのは、さながら必死の狩りたてに類似しているだろう。だが、狩りたてる、という一事において宗教が異端を血眼になって捜すことにまさるものもない。同時に、聖遺物を求めるという事においても、狂信者はおどろくべき熱意と、その偏執的な知性で持って成し遂げうる。その、狂信者をして、苦悩に陥れるという点において、始祖の作った世界の秩序は、彼らの主観であるにしても、大いに乱れていた。

「虚無は見つからない。ガリアは無能王がゲルマニアに接近している。」

虚無は存在する。その前提を疑わないならば、始祖の築き上げた秩序が崩壊することは、その探索の糸口がさらに失われ、聖地から遠ざかることを意味する。同時に、ガリアが始祖の恩寵厚き魔法を碌に使えない無能王に統治されていることは、望ましくない傾向であるように彼らには思えてならない。政治的に、ジョゼフが無能で無いことは、認めよう。しかし、それは、彼らにとっては、無価値なのだ。始祖の恩寵なき者など、語るべくもない。それは、やっかいな、排除すべき汚点でしかない。

「トリステイン王家も、ガリア王家も虚無が見つからず、アルビオンに至ってはエルフとの通敵の噂すらある。秩序が乱れ過ぎている。」

いまさらのことを言ってどうする?その一言を発することもできずに、一同は沈黙せざるをえなくなる。始祖由来の伝統と格式を誇った王室のうち、健在なのはガリアとアルビオンのみ。しかし、両者は望ましい姿とは程遠い。だが、そこに一石が投じられる。異端審査を担う、原理主義を信奉する一人が、原理主義ゆえに許される解釈を口にしたのだ。

「いや、文献を紐解けば、エルフが敵であるかどうかは、この際重要ではない。」

「卿は!?なにを、仰るのか!!」

若い司教が、信じられない裏切りにであったかのように絶叫する。エルフを倒し、聖地を奪還すべし。それこそが、彼らの使命にして、崇高なる義務であり、大いなる喜びが約束された契約なのだ。それを、こともあろうに、エルフが敵であるか、どうでもよいと?

「エルフであろうと、エルフを殺すのであれば、構わんではないか。」

「気でも狂われたか!エルフが我らに味方するとでも言うのか!」

話にならない、そう言わんばかりの面々に、彼は教会淡々と、答える。ごく、ごく限られた部署に密かに蓄積されている虚無の歴史を思い出すように促し、一つの故事を思い出させる。

「始祖は、エルフを使いつぶしたもうた。」

始祖の使い魔にはいくつかの謎がある。だが、意図的に姿を描かれない使い魔もいるのだ。そして、そのルーンの一部は、通常のルーンと異なり、使い魔を死に至らしめるものすら有ると噂される。何故か?もしも、もしもだ。エルフを使役するものであれば、理屈が叶うのではないかと、かねがねから、ごくごく限られた範疇では、語られてきている。

「・・・アルビオンのエルフをそのように使えと仰せになるか?」

「思い出すがいい。ガリアもエルフと通敵の疑いがある。アルビオンよりも、どちらの罪が重いか思い出すがよい。」

人の武器となり、エルフを殺す道具と、エルフと結び、人に対峙するガリア。どちらが、有るべき姿から程遠いだろうか?この明確な疑念に、幾人かがすぐに同意する。

「簡単だ。我々は、罪なきゲルマニア、アルビオンをして、異端ガリアを討つ。基本方針は変わらぬ。」

虚無が見つかるまでに、なすべきことを為そう。それは、ガリアを討つことだ。あるべき姿から外れたもの同士を戦わせ、すりつぶし、新たに秩序の復興をロマリアが担えば良い。それを考えれば、方針は既定のものと変わることがないだろう。

「異議はないな?では、各自、それを踏まえて、事をなすように。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

エロ中年様にご指摘ただき、多少修正しました。
ご教授いただきありがとうございます。
全部できていませんが(-_-;)

たぶん、ジョゼフはガリアの兵士なんてどうでもいいかなーとおもっている傾向があると思います。じゃなきゃ火石なんて使わないかと。

Q:1980年代の冷戦を平和というでしょうか?
A:すくなくとも、影響圏の侵害は比較的穏便だったと思うのですが。

平和と友情と言いますが、国家の友情なんてそんなものではないでしょうか?

某パラドげー風に歴史を表示すると

賢明にも"イギリスには永遠の同盟国もなければ、永遠の敵対国もない。あるのは永遠の利害関係者のみ"と、パーマストン卿は仰せあそばされました。



[15007] 第七十四話 美しき平和 1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2010/12/16 05:58
不正義の平和であろうと正義の戦争よりはよほどマシだ。

では、不正義の戦争はどうか?
実のところ、正義の平和に勝るのである。
何故か?答えは単純である。
そこに、利益があるのだ。故に、それは、国家の意志によって遂行される。

ガリア・ゲルマニア二国間の友情を評して叙勲されたこと、このことは政治的には毒薬のように周囲に悪影響を及ぼす。しかし、少なくとも表面的にはハルケギニアに平穏が戻り始めている。

ゲルマニア・トリステイン間の火種は、ようやく解消に向かい始めた。

人々を緊張させたアルビオン・クルデンホルフ大公国の動向もゲルマニアと利害の妥協を見出した。

最大の緊迫を迎えたガリア両用艦隊越境事件も、最終的には両国間の妥協が成立した。

故に、本当に稀なことながら、ロバート・コクラン卿なるゲルマニアの辺境伯は自領に軍務から帰郷することが叶い、ようやく領地経営に勤しむことになると世間には語られた。

「北部開発こそ、本業ですからな。無論、契約の一環として軍務を果たすことを厭うものではありませんが、やはり領地を治めてこそ貴族と言えましょう。」

そう語るコクラン卿について、多くの事情通はこの喰えない平民上がりの辺境伯がまた平然と騙るものだと受け止め、次の動向に油断なく注視することを決意した。トリステインを散々かき回し、ガリアとの一戦すらやってのけた新興の貴族である。大人しく、隠遁するはずがない。それが、ヴィンドボナが概ね一致する風見であった。

「・・・おかしいですな。」

「さて、何か動きは有りましたか?」

だが、観察者たちを困惑させる事態が生じるのはそれからしばしたってからである。コクラン卿は、申告通りに自領に引きこもり、内政に勤しんでいた。まあ、それそのものは、驚くには値しない。なにしろ、本業と本人が建前だろうが口にしている通り、北部辺境伯の職分は、北方の開発なのだ。職分を全うしていることそのものには、なんら問題の生じようはずも、ない。

「ヴィンドボナへの連絡もムーダを使った定時の報告のみ。」

「領地の視察もごく、普通のものです。誰かと密かに接している模様がない。」

だが、それ以外のところで、当然あるべきアクションが見られないのだ。策謀家が策謀を欲するヴィンドボナの主と連絡を絶やすことが有るだろうか?無論、公的には職務上の報告書を上げている。だが、それは多くの衆目にさらされるルートで送られている。公用文章を搬送するムーダ船団の行政書簡として送られ、ヴィンドボナの担当官吏によって開封されるようなものが、秘密の連絡を取り合うにはふさわしくない。

では、秘密裏に使者と接しているのではないか?聞けば、コクラン卿は視察や、狩猟と称してしば山野を馬で駆けるという。当然、人目を忍ぶことも可能であり、そこで接触していると考えるのが、当然の判断となる。だが、多大な労力を割いて監視を行い、防諜関係の部門と散々揉めに揉めて得られた成果は、本当に何もないという結果だけである。代わりに、多くの情報入手手段がつぶされたことを思うと、採算が全く合わない。

「囮、ということですかな?」

「でしょうな・・・。」

故に、ようやくヴィンドボナの一角で囁かれる会話に理解と、厄介だという頭痛をこらえるような感情が込められるようになる。

陰謀家は、何もしないという策謀で持って他を混乱させることも可能という証明だ。全くもって、有能な貴族というやつは、いけすかない。なにしろ、存在するだけで、誰にとっても緊張を強いる相手なのだ。まして、こちらの油断を見出すや否や、そこを重点的につついてくる相手ともなれば、気を張り詰めざるを得ない。それ事態が、相手の目的であるとしても、相手方としてはそれに乗らざるを得ない。

「と、まあ、勝手に気苦労を背負い込んでくれている間に、のんびりやるわけだ。」

今日も今日とて、しぶとく付きまとってきたどこかの密偵を、ようやく警備の衛兵たちが追いこんでいる喧騒を余所に、熟練の鍛冶屋達が集っている技術開発用に築かれた兵舎の一角で、ロバートは手にした試作の猟銃を実に気分良さげにながめていた。

「ふむ、単発、紙制薬莢、後装式。微妙というほかにないが、まあ、一定の水準には達している。」

プロイセンのドライゼ銃を参考にせざるを得なかったのは、不本意極まりないが、職人が量産を度外視してようやく実現できた水準がこれだ。当初弾丸は、エスカルゴのミニエー弾を、量産性度外視で試作。これは、精度はともかく取りあえずは作れた。しかし螺旋など、量産しようにも、失敗続き。猟銃ということもあり、散弾で妥協すべきかもしれない。連発式のボルトアクションなど、夢のまた夢だ。そもそも、ボルトアクション一つとってもまともに動くのは、さんざん試作して、試行錯誤のすえに、これだけというありさま。そして、雷管の性能は遂に満足いくものができていない。

「しかし、これだけでも、心躍るものだ。」

撃鉄ばねの強化や、雷管に使う起爆薬の調整等課題はあるにしても、一発試射できた。それで、十分だ。ようやく、ようやく可能性が見えてきた。猟犬の訓練は、すでに一定の目処が立ちつつある上に、衣装は完全に古式通り仕上がっている。

「それで?実用に耐えるものは、いつ頃にはできるのか?」

肝心なのは、これだけなのだ。なにも、1会戦分の弾薬を用意しろとは言わない。数回、狐に向かって発砲することができる程度のもので良いのだ。生産性も、最低限度でいい。要するに、完全に趣味の代物だ。確かに、純粋な技術的革新という視座から、見れば、異常なまでの発展であるかもしれない。

「量産性皆無、趣味本意の代物だ。そう、難しくもないと願いたいのだが。」

だが、言葉の通り、量産性はまったく考慮せず、職人が工芸品のように作り上げた代物なのだ。それならば、良く言われるマジックアイテムの劣化版でしかない。なにしろ、この銃は、大量生産し、大量配備することで火力戦を行うという思想背景がある。個々の威力は、せいぜいがメイジの不意を打てば、撃てるかもしれないという程度。同じ金をかけるならば、費用対効果、実用性を考慮して、メイジをそろえたほうが戦争には使える。

「いや、この火薬の調合に難渋しておりまして。」

だが、いかんせん技術的に突出した代物なのだ。可能か不可能かで言えば、可能であるとしても、純粋な技術力の課題は解決に時間を要する。理論上可能という新型兵器や新種の道具が必ずしもうまく機能するわけではない。で、なければ我が祖国は今頃理論上設計されていた空軍ご自慢の飛行船による帝国ネットワークを達成していた。まさか、その構想を祖国よりもその分野の技術では遥かに劣るであろうこの地で、実地する羽目になっているのは、まさに驚き以外の何物でもない。

「うむむむむ、湿気る時以外に使えればよい程度でも無理だろうか。」

だから、取りあえず、要望を出すだけ、出しておく。私個人の知性は、あくまでもこの問題に関して解決策を導き出す答えを持ち合わせてはいない。だが、私の視点以外から物事を眺めた場合、他の解決策もあり得る。

「その、衝撃で爆発するなど、安全性に問題がありすぎるものでして。」

「いや、少量なのだから、銃機構を頑丈にできないだろうか。」

雷管が鈍感では使えない。確かに、既存の火縄銃に比べれば取り扱いも厄介だろうが、兵に新型銃の講習を一からする必要があるわけでもないので、多少機構が複雑になってもこの際構わない。紙制薬莢の信頼性も取扱いに配慮すれば、狩りができない程ではない。軍の蛮用に耐える代物ではなく、狩猟用の趣味のためだけに作らせている逸品なのだ。無論、私財を投じてのである。で、有る以上、例えカラム嬢のような行政官兼監視役のような有能な補佐官がいくら抗議しようとも、自分のライフスタイルを取り戻すことに一切躊躇する気はない。

「ああ、試射の結果、もう少し調整してみようとは考えておりましたが。」

「よろしく頼む。なに、試射までこぎつけたのだ。先に期待している。時間も惜しい。」

そう、すでに、だいぶ時間を使ってしまった。研究開発に時間がかかるというのは仕方ないことなのかもしれないが、ここでの談笑も多少の時間に含まれるのだ。意見交換が終わった以上速やかに邪魔をしないように立ち去るべきだ。と、いうか、執務室に戻らねば厄介な量の裁量を待っている案件が積み上げられかねない。最近思うのだが、どうも忙しすぎる。猟銃が完成した暁にはいっそ休暇をとって、象撃ちに近い何かを探して旅を楽しむべきかもしれぬ。

「やれやれ、ともあれ、目の前の課題を解決するとしよう。」

そう嘯き、ロバートが手にしていた猟銃を戻していた時、ヴィンドボナで鼻の聞くアウグスブルク商会を筆頭として、きな臭いものを彼らは嗅ぎつけていた。煙がなくとも、硫黄の匂いがあれば、火を予想し、それに備えること。それは、彼らが競争を生き抜く上で養ってきた本能とも言える。

「・・・鍛冶師を大量に集めていた?」

報告は二件。情報の重要度が低いものも、いくつも組み合わせれば、一つの重大な秘密にたどり着きうる。あるいは、その可能性を察することができてしまう。一件目は、有る程度は知られている技術者の収集。しかし、これだけでは北部開発という職責上求められる行為の範疇に留まる。

「従来のものよりも高性能の銃を開発させているようです。」

だが、それが純粋な軍事目的ともなれば話は違ってくる。各地の貴族達もメイジを鍛え、兵士達を訓練するなどしているが、北部新領全体の兵への武具ともなれば相応の額が動く。必然、取引の好機である。そう判断していたが、自給されるとなるとまた少し状況が変わって来てしまう。

「だが、武器の改良程度どこのゲルマニア武門系ならばやっている。何故召集を?」

そう、ある程度の領地を持つ貴族ならば誰だろうと有る程度の武具の自作程度はやっている。まして、名門貴族や選帝侯に加えて、武門を専門とする貴族ならば、自領の戦力強化に余念が全くない。シュペー卿のような酔狂な粋人など、自ら平民の武器である剣を魔法で鍛造しているとの評判ですらある。だから、その程度の情報を総合した程度でわかるのは、北方で大々的にコクラン卿が戦力強化を図っているという程度の事。無論、情報の価値自体は大きい。だが、単純に各領で行われていることをコクラン卿も行っているということであれば、定例会合まで待てばよいことだ。

「遠目から見ても異常な銃だったとのことで。」

そう、この情報がなければ今日の招集はありえなかった。ただの銃ならば、まあ気に留める必要は乏しい。なにしろ、銃の強化といったところで、平民の持つ武器の一つだ。陸戦の決定的な要素はメイジの力量であり、せいぜいが撹乱と足止めの銃兵では決定的な要素ではない。

「遠目から見ても異常な銃?それは、おそらくマジックアイテムか、場違いな工芸品では?」

だから、参列者は思う。それは、銃の形をした何かではないのかと。例えば、銃の形をしたもので銃に擬態した他の何かではないかと。

「いえ、それが、異様に連発性能の高い銃を試作させています。」

だが、実際には銃以外の何物でもないが、これまでの火縄銃とは大凡別物というべき代物が試作されているのだ。抱えている鍛冶師にそのような銃が作れるかと尋ねたが、到底作れるとは思わないとのこと。よしんば、作れるにしても相当の研究が必要になるはずだと言っている。

「・・・連射できる銃の開発でしょうか?」

しかし、それの目的が分からない。まさか、銃の改良のためにあれほどの予算をつぎ込むものだろうか?コクラン卿は、辺境伯だ。おまけに、新領の行政権を委託されているだけに、その実入りは悪くない。だが、私財をなげうったとするならば、家を傾けるような額なのだ。最初は道楽かとも疑ったが、道楽にしては目的が不明すぎる。だが、そこで、ハタと気になる指摘を、技術に詳しい部下から指摘されている。

曰く、『極論すれば、火縄銃を巨大化したのが大砲です。』

「空軍の兵器開発。その可能性が高いと判断します。」

「空軍の?しかし、銃が空軍にそれほど重要ですか?」

そう、銃という単体では、と思う。例えば、メイジの杖職人達が懸命に大量の剣を作っていた時に、剣か、と思っては騙されるのと同じだ。例えば、それが杖剣であるとすればどうか。一見すると、対したことがない武器でも、実は、とんでもない用途を目的とされていることも多いのだ。

「銃で試して、それを大型の大砲に流用するかと。」

そう、銃という小さな比較的作りやすいもので実験し、その成果を大砲に使えば、新しい早く撃てる大砲が作れるのだ。コクラン卿は平民上がりの新興貴族ながらも空軍における地位を確立している。そんな、人物が大人しく自領で、湯水のごとく私財を投じて銃などというものをいじくりまわしていると考えるのは、無理がありすぎだろう。とすれば、当然空軍の予算で、軍備を秘密裏に整える準備だ。

「可能なのですか?」

「どうも、可能なようで。」

同じ考えに至ったのであろう。これからは、更に空軍のフネは高価な商品となる。同時に、我々が取り扱ってきた商品の人気も下がりかねない。とすれば、新しい商品を確保する必要がある。問題は、それが、事実であるかということである。だが、それも確信に近い。

「だとすれば、その空軍の底上げというのも納得できる範疇ではありますな。」

「なるほど、確かに銃そのものは戦争に影響せずとも、フネの砲撃力が底上げされるとなると。」

「両用艦隊を砲撃戦で叩き潰した経歴を鑑みれば、銃砲の改良に血眼になるのも通り。」

そう、経歴を見れば、何を考えているか程度の予想は子供にでもできる。砲撃戦で勝利を収めている空軍の指揮官が、より性能のよい大砲を求めるのは当然のことだ。龍騎士隊の強化や、訓練といった事も並行して行われているとしても、こうした目につかないところで牙をといでいる。

「・・・そう言えば、ガリアの叛乱に参加していないフネに新型の砲が搭載されたとか。」

耳よりな、というよりはやや旧聞な情報である。だが、改めて考えてみるとガリアとゲルマニアの考えるところは大凡、予想がつく。空軍軍拡競争だ。実質的にこの戦争で戦果を一番上げたのは空軍であり、その性能改善は急務ですらあるだろう。

「具体的には?」

「従来のものよりも射程が長く、さらに命中率も高いとか。」

「なるほど、ではガリア・ゲルマニア共に空軍の改良に勤しんでいるというわけですな。」
そう、本格的な空軍の時代が来たのだ。ゲルマニア・トリステインの小競り合いで陸戦においてトリステインのメイジは暴れ回ったが、大局を決したのは空軍だ。少なくとも、大きな打撃力を有し、これまでのおまけのような存在とは程遠い存在感を発している。

「アルビオンの動向は?彼の国がこと、空軍の増強で後れを取るとは考えにくい。」

そうなると、必然的にこれまで空軍こそが国の守りであったアルビオンの動向が気にならざるを得ない。これまでの、艦隊戦力の整備に安穏としているような国ではないのだ。当然、他のどこの国よりも先に、ゲルマニアとガリアの艦隊戦力増強が持つ意味を理解し、それに対応する必要に迫られることになっているだろう。

「本国艦隊に新造の何隻かが加わっているほか、すでにこれまでの戦訓を反映したと思しき新規建造計画が、有るはずだ。」

特に、弱点となりがちな上方を守るためと、コルベットの増強を目的とした建造計画が囁かれ、特需に沸いている。おまけに、一部のフネは改修のためにドッグ入りしたとの情報すら伝聞ではあるものの漏れ聞こえてくる。実態は、現在急ぎ調査中であるにしても、おそらく、この情勢であるならば事実であるだろう。

「アルビオンの名高い龍騎士隊を増強するとか。」

大々的に行われた、式典によればトリステイン出身の貴族らを中心として、アルビオン王家とトリステイン王家の一体化という名目だったが、実態はアルビオンが戦力を増強しようとしているともとれる。今の視点から見れば、戦力増強以外の何物でもない。なにしろ、疲弊したとはいえ、旧トリステインと今日では囁かれるトリステインの西部を事実上併合しているのだ。将来的な国力の伸びを見込めば、さほどの負担もないやもしれぬ。よしんば、無理をしているとしても、資金の融通から始まり、各種利権確保の機会はどちらでもありえるだろう。

「他国もそれなりに、対応策を持っているかと。」

「そういえば、大公国でも兵力の増強を行っていましたな。」

空軍の大幅な底上げは必要。しかし、国力と対外関係から、それほど強力なフネを配備しにくい大公国は、龍騎士隊の増強に走っている。龍騎士隊の足止めがすさまじいことを勘案すれば、守り抜くだけならばかなりの期待ができるという。

「では、今後は、空軍という要素を各国が強化していくというに認識であるならば、我々は、当然一つの疑問に対応しなくてはならないでしょうな。」

「左様。単純な事です。」

仮定に過ぎないが、かなりの信憑性でもって各国が空軍に傾注している。この認識に基づいて行動計画を立案するならば、当然多くの権益の中でもゲルマニア商会達として取り組むべき課題が一つある。

「風石の調達は、いかがしますか。」

そう、フネを動かす風石だ。もともと、ムーダによる大規模船団方式による風石の使用量そのものが増大しつつあった。まあ、風石に風メイジが力を注ぐことで有る程度の消費量は抑制が効いた上に、絶対量が不足するという事態はこれまでは、早々なかった。だが、これからは、風石が絶対的に必要になってくる。

「・・・誰も、これまで気にしては来ませんでしたが、そもそもあれはどこから?」

ガリアでやや多めに流通している傾向が有る他、時折ロマリア経由で流れてくることもあるものの、現在の風石は力が満ちるまでは、代わりがないのでフネが動かなくなる。風メイジを酷使すれば、動かないこともないだろうが、軍用としては実に致命的だ。だから、当然代わりの風石を求めることになる。ムーダも定期的な運航のために予備の風石を常に用意しているという。だから、これまで以上に風石の需要が急騰するのは目に見えているだろう。だが、どこで取れるのかさえ、実は曖昧なのだ。

「一説によれば、風の力が強いアルビオンが特産品として有しているとか。」

「さすがに眉唾ものだがエルフが売っているとさえ囁かれる代物だ。」

「ガリアが秘密裏に製造方法を持っているというのは、良く噂になりますが、さて。」

「トリステインがラグドリアンの精霊から聞き出した製造法が有るという噂はいかがですか?・・・ようするに我々はこの程度の噂しか持ち合わせていない。」

だから、空軍が新しい取引相手として安定的に風石を供給してくる新興の商会と出会えば、これまでの既得商会はことごとくお得意相手を失うこととなってしまう。風石を納入するだけで、その商会が落ち着くだろうか?住み分けができればよい。だが、単価でも相応の値段がする風石を扱える規模の商会ともなれば、住み分けが平和裏に実現するわけもない。

「少々、よろしくない。」

「さよう、望ましくない。」

「いかがします?」

「選択肢など、有りますまい。」

「個々に至っては、学術的な探究心を発揮するほかにありますまい。」

結論は、単純。いかなる費用も惜しまずに、風石の製造方法か製造地を発見すること。それ以外には解決方法が期待できない。最悪の場合、為すすべもなく駆逐されかねないのだ。この世界の競争は、お互いの被害が大きすぎるとなれば、手打ちが期待できる。だが、駆逐する見込みがあり、しかも駆逐すれば大きな利益があるにもかかわらず、利益が減ってしまいかねない妥協を選択するほどお人よしな商会はない。少なくとも、抵抗しなくては、悪戯に餌食となってしまう以上、風石というどこからともなく流れてくる商品も、とにかく調べねばならないのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

最近、妙に多忙であります。
何故か知らないけれども、やはり師走というように、師匠も走り回るほどの忙しさなのでしょうか?

ちまちまと、更新、更新そのものは、なんとか・・・。

取りあえず、実戦で活躍した新兵器
鉄砲を見た商人の反応。
→これからは、鉄砲の時代だ!:堺衆

みないなノリで、新兵器関連の技術を囲い込んだりしませんか?
例えば、麗しの産軍複合体とかも発想としては、新しい有望なジャンルに積極的に投資して、経済発展に貢献していますし。

あと、軍隊でも一緒な気がします。
超ド級戦艦の建造競争とか、そういう気がします。
なんとなくですが。

本作は、誠に遺憾ながら、登場人物たちは戦争そのものには、消極的です。
(戦争が目的化しては、あれです、戦争中毒。依存性が高いのはいけません。)
つまり、英雄譚は、あんまり有りません。
⇔ちょいちょい、ワルドにやらせようとは思っていますが。

盛り上がりに欠ける傾向が当面続くと思われます。
『平和』こそが、最良の道と信じる、『平和』主義者達による、ユートピア実現のための物語。

夢も希望も理想も、正義もなくとも、たぶん当分は、『平和』な時代を描写していこうと思います。
・・・でも、『平和』の描写の方がすごく厄介です。

今しばし、のろのろとした更新でよければ、お待ちくださると幸いに存じます。



[15007] 第七十五話 美しき平和 2
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/01/14 22:53
大軍拡時代。

平和な時代に、軍隊はどうなるだろうか。

一般的には、戦時中に肥大化した軍事機構のスリム化が志向される。
総動員を解除し、市民を、農民を家業に戻らせねば膨れ上がった軍事費に頭を抱えることになるどころか、租税の徴収すらおぼつかなくなる。

・肥大化した歳出と減少していく歳入

それは、破綻に直結する。

同様に、常備軍以外の傭兵に関しては、当然のこととして戦争が終われば、高額な給金を支払い続ける必要性は激減してくる。戦時中は貴重な戦力であるにしても、終戦と同時に彼らは金食い虫と化す。

結果的には、どうしても大胆な兵力削減による経済的な負担軽減によって、国家財政の再建が不可欠。その流れは、急速に進められることとなる。

そのために現状では、解雇され不十分な支払故に現トリステイン王国領域(実質的アルビオン領)ならびに、旧トリステイン領(現ゲルマニア領)では、夜盗化した旧トリステイン傭兵による治安問題が起きつつはあるものの、傭兵の解雇という流れは後退するどころか急速に進められている。

ローマ帝国などは、内戦で膨れ上がった軍事機構をアグリッパの補佐があったとはいえ、軍才には乏しい皇帝が相当苦労して削減していた。ブリタニアとてキッチナー陸軍を戦後は市民生活に戻すことによって復興に当ててきた。

だが、不完全燃焼ならば、完全燃焼を志して特定の軍備を増強する例もまた一般的なのだ。増強の必要があり、かつ増強に時間がかかる分野に集中的に金が投下され、急速に戦備が整えられる。

一次大戦前夜は、小規模な各国軍の小競り合い故に、軍拡が強烈に推進されていた。

帝国主義華やかなりし事態において、軍備とは、すなわち自らの意思を行使するための必要最低限度の条件である。なるほど、傭兵は集められる。だが、軍艦は、大砲は、諸々の兵器は備蓄し、其の日に備えなくてはならない。

麗しき平和を満喫しているハルケギニア大陸は、誠に遺憾ながら議会すら存在しない実に古典的な絶対君主制国家にして、帝国主義時代の萌芽の段階である。6000年もの間、この秩序を維持してきたことそのものからして、驚嘆に値するというほかにない。

さて、このような世界において、軍備増強競争、軍拡競争をする時に主導するのは誰だろうか?

まずもって、筆頭に来るのは、実のところ王族や王家ではない。門閥貴族らが主導するというのが一般的である。

何故か?答えは、軍役とそれに伴う封土の関係にある。フランスの封建制に代表されるように、基本的な軍役⇔封土という関係上、軍備増強は王家にとってみれば、貴族への封土の下賜を伴わざるを得ないものであった。

そして、名目上は王家に忠誠を誓っている貴族達だが、はっきりといって忠誠は自己保全のための聞こえの良い道具に過ぎない。トリステイン貴族は節操がないというのは、一般的な傾向である。だから、政治的な反発から王家の命に従わないというのはまあ、よい。

だが、まともな判断力がある面々すら王家の救出に消極的であったということは、貴族が自己保全を重視する生き物であるということの体現だ。どこの家とて、滅亡に準じるほどの酔狂さは持ち合わせていない。貴族にとって家門の保全は最早行動原理そのものとすらいえる。

故に、このように忠実に使えるかどうか不明な、しかも指揮系統が複雑怪奇な軍隊を増強したところで、実質的に王家の戦力向上というよりは国内貴族の発言力を高めるだけなのだ。なにしろ、貴族軍ごとに異なる方法で訓練され、命令一つとっても手順や方式が異なる軍隊を有機的に運用するという発想そのものが、不可能事だ。

そのため、王家はたいていの場合傭兵を雇用し、自らの手駒を確保することを好む。これが、発展し常備軍制度となるには、しばしば財政的な制約が大きいとはいえ、王権の強化にはこれが最適である。だが、現在のハルケギニアはメイジが最強の戦力なのだ。

その制約があるがために、これまでのところ各王家は信頼のおける少数の魔法衛士隊と多数の平民兵からなる傭兵といった軍事機構を中核とし、それに諸候軍を加えるという編成で自国の軍事力を構成してきた。当然、動員には柔軟性が乏しく、封建的契約という名目による実に使い勝手の悪い軍隊である。これの増強に熱心になるのは、少々難しいだろう。

そこに、平民、つまり貴族よりも王家に反抗する可能性が実は乏しい存在が主力となれうる存在が見つかればどうだろうか?なるほど、確かに龍騎士隊はメイジの力が物を言う。だが、空軍は圧倒的にこれまでの軍と異なり、王家の統制が及びやすい軍であり、貴族が影響力を行使しにくい軍隊なのだ。

アルビオンの空軍は、伝統的にアルビオン王家最良の忠勇な軍であった。彼らは、常に国を守ると共に、王権の守護者でもあったのだ。故に、アルビオン王家は、大国が策謀を練っていようとも自国の安寧を最後の一線で信じることができてきた。ずばり、軍事力によって王権が守護されているのだ。

国内の貴族が叛乱を起こしたところで鎮圧できる。外敵の介入を排除し、自国の安定を保持し得る。その自信がアルビオン王家には間違いなく存在する。故に、アルビオンはその国土の面積にもかかわらず対外的に比較的主導権を王家が発揮し、外交上大きな影響力を行使してきた、

それでも、各国は、それがアルビオンという特殊な地理的な条件故に空軍が大きな影響力を発揮し得るとみなし、費用がかさむ割には、運用に制約の多いフネにはさほどの期待をかけてこなかった。なにしろ、フネで軍隊を運ぶとしても、戦隊を編成しても運び得るのはせいぜいが2~3千人。無理をしても万を超える兵を送り込むのは至難の業だ。その兵站の維持を考えれば、頭痛がするであろうし、敵は自国の領土故に容易に国防がし得る。
・・・これが、比較的聡明な貴族達の間で共有された空軍という物の限界であった。

だが、一つ視点を変えるならば、別段軍隊をフネで運ぶ以外の用途が存在するということになる。熟達したメイジ以外にとってフネによる対地攻撃は恐るべき脅威になりえる。なによりも、任意に、一定の戦力を従来よりも素早く投入できるということは従来の会戦方式で決着をつけるべく全戦力をかき集め、敵国に対抗するという旧来の方法に、著しい制約をもたらすことを意味する。敵空軍が健在であれば、戦力を分散し、どこに来るかわからない敵に備えなくてはならないのだ。

先を見る目が有る者にとって事は簡単である。これからは、空軍の重要度がかつてないほどに高まるのだ。そして、王家にとってなによりも喜ばしいことに、その空軍は、メイジ以外も戦力として活用するに足る。

それほどまでに、理想的な軍隊が、これからの主力足りえる上に、忠誠心が既存のそれよりも信頼できるとわかればどうか。

結論は、珍しく王家が主導し、一般の貴族達が反対するという大軍拡の始まりである。

後に、ハルケギニアの大空軍時代の幕開けとまで称されるこの軍備拡張競争はしかし、ただ一つの論争を有していた。すなわち大砲か、龍騎士かである。

「アルビオンの龍騎士隊に、トリステイン貴族王党派が志願したと?」

「さよう、トリステインはメイジだけは豊富。故に、少数精鋭で力を示すつもりかと。」

ワイングラスを傾けながら、ごく寛いだ雰囲気で、ヴィンドボナの軍閥貴族と、外交担当者は意見交換とごく短い夕食を楽しんでいた。彼らにしてみれば、食事時というものは、大がかりな晩餐会ほどで無いにしても、ほどほどにゆったりとくつろいで楽しむべきものである。だが、いかんせん皇帝に顎で使われるほどの身となると、時間というものは万金に値するどころか、金銭ですら購えない貴重なものであると実感せざるをえない。

「そこでハイデンベルク伯爵。失礼ながらお伺いしたい。トリステインのメイジは戦力足りえるのでしょうか?」

外交当局とすれば、重要なのはトリステイン王党派が自らの価値をアルビオンに示しつつあるという事実。そこに、アルビオンが価値を見出し得るかどうかで、今後のアルビオンが良き友人か、腹に一物含んだ友人となるかに微妙な影響を与えかねない。

「なりえる。」

「しかし、トリステイン軍の脆弱さは彼らも目の当たりにしたはず。」

「ああ、ラムド伯、卿はどうも勘違いされているようだ。」

ハイデンベルク伯爵は従兵にワインを追加で用意するように指示すると、空になったボトルをメイジに見立てて、テーブルにおく。

「と、申されると?」

ガリア産の良質なワインのボトルは、相応の値段であるが、味わいそのものは良好だ。今日ではさすがに、他のワインも育っているとはいえ、ガリアのワインはその大国にふさわしい努力が注がれ、高い品質を誇り続けてきた。しかし、ワインと食事が合わなければ、それは究極の無駄でしかない。

「ワインと同じだ。そのものがよくとも、料理次第では楽しめぬということにすぎぬ。」

最高のワインに、最高の料理と素材、それを司る料理人でもいれば、楽しめるが、最高のワインを持ってしても料理人の技量不足は誤魔化すのは難しい。むしろ、違和感が、問題を露わにする傾向が強いだろう。

「トリステインの軍隊は弱くともメイジは優秀な者が多いという事であるな。」

ゲルマニアの軍部からしてみれば、考えたくもないような精鋭がごろごろ転がっているのがトリステインのメイジというものだ。某辺境伯など、隣接する公爵領の風メイジ一人のせいで、さんざん打ちのめされ、いつも大きな被害を出す羽目になっている。聞けば、北部に赴任している某辺境伯も同じく風系の魔法衛士隊関係者に散々掻き乱されたという。奴ら程の面々が、という思いよりも、ああまたか、と思うほどに、トリステインには小国の割に例外的なまでにメイジが突出していた。

・・・水の国というが、一番活躍しているのは風メイジだというのが彼の国の未来を物語っている気もしないでもないが。

「つまり、メイジの集団としての龍騎士隊は、アルビオンにとって価値があると。」

要するに、希少なワインのボトルと同じなのだ。どれほど、料理人の技量が劣っていようとも、それの持つワインの価値までは下がらない。それが秀逸であるならば、料理人の技量に関わらず、欲するものは欲する。

「間違いなく、有るであろうな。」

故に、ゲルマニア軍部としてみれば、トリステインメイジによる龍騎士隊に価値を見出すかと聞かれれば、見出すと判断する。それは、少なくとも、脅威になりえる。その上に、アルビオンの戦争指揮能力はまともだ。つまるところ、厄介な事態であるのは紛れもない事実。

「故に、我等もそれを踏まえ、空軍は強化している。」

重コルベットは、やはりどうしても火力が中途半端になっていた。龍騎士隊の母艦として活動するには、高度が微妙に苦しい。一方でコルベットの性能が微妙で、龍騎士隊の母艦として改良を希望するというのが、コクランの希望である。同時に、奴は長距離魔法の研究を要請し、なんとかメイジの火力を有効に艦隊戦に使おうと苦慮していた。現状、ゲルマニア空軍は、戦列艦の防御力向上と、コルベットの数的充実に努めているものの、質的向上も着実にこなしていると言える。

「率直に申し上げますが、近隣各国より何のための軍拡かと嫌味を言われるのでありますが。」

「ふん、言わせておけ。閣下も御同意くださっているように、ガリアを叩き潰さねばならんのだ。」

その目的は、究極的な仮想敵国であるガリア対策一本である。アルビオンは空軍戦力こそ突出しているものの、陸戦兵力ではこちらに遥かに劣る。故に、こちらから侵攻しない限り、対処は可能。しかし、ガリアは国力・人口の何れにおいてもこちらにとって容易でない脅威なのだ。そのガリアが熱烈に軍備拡大に勤しんでいる。対岸のゲルマニアが平穏をむさぼっていることなど許されるわけがない。まして、両用艦隊は、ほんの一部が落ちただけであり、むしろ、その戦訓をもとに質的改善が進められているとさえ噂される。

「ああガリア、おおガリア。常にガリアを念頭に置くのはよろしいが、ハルケギニアがガリアだけでないことをご配慮いただきたいのでありますが。」

ラムド伯にしてみれば、無論対ガリアを重視することそのものには異論がない。しかし、方法論としてみれば、明らかに現状のやり方には懸念を覚える、覚えざるを得ない。行き過ぎて、孤立してしまえば、ガリアを封じ込めるどころか、ゲルマニアが潜在的に封じ込めの対象となりかねない。

「その件について、卿と議論するつもりはない。」

「しかし、単純な武力依存は脆弱です。」

ゲルマニアの戦線を国家どころか一公爵家で持ってくい止めていた例の公爵家も、政治という搦め手からのアプローチで急激に無力化している。孤立し、周囲から猜疑心で持って監視されるようになれば、多少の武力差というものは意味をなさない。行動に制約が著しくかけられているとすれば、軍事の卓越は負担に見合ったものとならない。

「ラ・ヴァリエール公爵領を思い出していただきたい。結局、武力だけでは孤立いたします。」

「卿は、ラグドリアン戦線を思い出すべきだろう。力無くばそれ以前に蹂躙されるのだぞ。」

「無論、防衛に足る戦力が必要であるということには、同意いたします。ですが、このままでは、過剰と周辺諸国に受け止められかねません。」

ゲルマニアは、トリステインの一部地域を割譲させ、面積が微増した。そう、微増したにすぎないのだ。確かに国力が向上したと言えなくもないが、向上といっても大した規模ではない。しかし、軍備の拡張は明らかに国力の増加分を遥かに上回るペースで進められている。それも、明らかに防衛よりも、攻勢を意識した長距離航行能力に優れたフネを大量に建造している。

「ガリアの両用艦隊に備える必要がある。卿とて、トリスタニア回廊で迎撃に失敗していたら如何なるか想像できよう。」

「それは、そうでありますが・・。」

「我らにしてみれば、ようやくゲルマニアの態勢が整いつつあるのだ。実際、ガリアと同等の規模の軍事力を我等が保持することを考えれば、両用艦隊に匹敵する規模の艦隊は不可欠。」

そう、そこだ。ガリアの両用艦隊対策が重要なのはわかる。わかるが、しかしパワーバランスが急激に崩れる行為は望ましくない。おまけに、ガリアの両用艦隊は国家予算の大半を投じて長年にわたり整備されてきた艦隊群なのだ。これに対抗する戦力を短期促成するとなれば、文字通り国家を傾ける規模の財源が必要になる。当然、多方面へ悪影響を及ぼす計画だ。

「その予算が、他を圧迫していることをお忘れないでいただきたい。すでに、トリステイン復興費用の捻出が滞っている。」

トリスタニアの再開発・タルブ軍港の整備は、現在のゲルマニア軍にとって急務だ。政治的には、旧トリステイン西部地域がゲルマニアに編入される既成事実の固定化と確定化を狙っている行為であるだけに、外交当局としてはこれを速やかに完遂することを欲してやまない。だが、軍部の傾向として軍港整備はともかく、他の地域復興には極めて無理解か、配慮が極端に乏しいのが実態だ。

「それだ。正直なところ、旧トリステイン領の復興や関連予算や兵を持っていかれるのはつらい。」

「すでに、帝国領なのです。」

「いや、直轄地以外はどうだろうか?直截に言うと何故、我らが、トリステイン貴族領の復興に携わる必要がある?」

同時に、有力なゲルマニア貴族を中心として、何故トリステイン出身の貴族らに金を流すのかという身も蓋もない疑念も提示されている。言うまでもなく、ゲルマニアは完全に実力主義の国家。アルブレヒト三世の即位からして、伝統的な経緯にのっとるものではなく、完全に実力によってだ。

「ただ、安穏として朽ちていくものは、朽ちていかせればよいではないか。」

ゲルマニア貴族特有の自身で持ってハイデンベルク伯爵が豪語するように、ゲルマニア内部には、トリステイン貴族への救いがたい蔑視感情がある。安穏としてきた連中がのたうち回るからといって、何故我等が?

曰く、歴史結構。ご先達も、このようなできそこないの子孫しかお持ちになれず、恥の歴史を積み上げるだけとは、さぞお嘆きでしょうな・・・と。

「それはともかくとして、トリスタニア・タルブといった軍の駐屯地の整備に加えて、盗賊の討伐等やるべきことは少なくありません。」

「トリスタニアか。いい加減改名してはどうか?」

「トリスタニアよりトリステイン大使館がなくなれば、すぐにでも改名しますよ。」

トリスタニアが、誰のものであるのかを明確に誇示し続ける意味と、トリステインの権威失墜の相乗効果が期待できるトリスタニアの名前は、トリステインの決定的な凋落までは、そこに残しておくという選択肢が選ばれている。

「ならば問題は、せいぜい賊ではないか。」

「それが、そうそう簡単ではないのでこうして議論しておる次第でして。」

「といってもせいぜい山賊程度だろう?それならば、貴族の私兵で事足りる程度だ。」

空賊は、基本的にゲルマニア直轄領を避け、取り締まりの脆弱な地域へ流れる傾向にある。元々、ゲルマニアの強烈な討伐作戦を忌避してトリステインに流入したものが大部分である。ゲルマニアが乗り出して来れば、逃げ出すのが道理。あとは、喰いつめた反乱兵程度というのが、ゲルマニア側の把握している実態である。正規軍としては、人員・資材・資金を引き上げたがってやまない。

「解雇された、傭兵が加わっていることをお忘れなく。」

「傭兵?いかなることだ。」

「給金未払いで、夜盗化した連中が少なからずおりまして。」

トリステインが戦時中なりふり構わずにかき集めた傭兵は、それなりの数になる。当然、戦時中に脱走したり、戦死したりすることで数は減じたとはいえ、纏まった数はあった。そして、トリステイン側に、約束した給金の残りを支払う余力は無く、怒り狂った傭兵が暴徒化し、賊と化している。さすがに、ゲルマニア軍政下では排除したとしても、いまだ全てを狩り尽くしたわけではない。

「なんにせよ、頭を押さえておくためにも兵が必要なのです。」

統治機構は、基本的に組み込みが完了し、なじませるまでが一番兵による威圧を必要とするのだ。特に、動向が定かでない貴族達の頭を押さえておくためには、有無を言わさないだけの兵力が不可欠。賊が徘徊している現状は、望ましくないのだから、これ幸いと兵で持って投降した貴族と賊の双方を威圧したい。それが、ゲルマニア外交関係者らの切なる願望である。一方で、ゲルマニア軍部にしてみれば、これに対して反論がある。

「迂遠である。・・・直截にやればよいではないか。」

「と、申されますと?」

「あの、リッシュモンとかいう古狸を締め上げれば済む。」

そう、軍政下では排除できているのだ。間接統治機構などなければ、そもそも、ここまで問題が発展することは無かった。だが、それは暗にゲルマニアが採用している間接統治機構‐すなわち政治的に曖昧な地位にいる統治協力者リッシュモン卿の法的地位を活用した正当化に対する批判でもある。ようするに、ゲルマニアは不良債権を押し付けられて、面倒な処理を必要としている。だが、外交関係者も軍部関係者もお互いに不良債権の処理は相手に押し付けておきたいと欲するものだ。

「さてさて、どうにもうまくいきませんな。ロマリアもいつもよりもあれでして。」

雰囲気を転換するべく、ラムド伯はもう一つの懸案事項を口にする。そう。結局のところ、トリステインを懲罰する程度の戦争がこれほど入り組んだ結果に終わったのは、各国の利害が入り乱れていたから。

要するに、政治だ。

結局、終戦と後始末を始めようにも、むしろ、この混乱を活用しようと考える役者があまりにも多いため、ゲルマニアの意向とは裏腹に、事態は上手く進む気配すら見せていない。予定では、今頃はトリステイン旧領をすべからく配分し、帝室に反抗的な貴族を辺境に追いやる予定であったが、それすらままならない。

なにしろ、それよりも厄介な外部からの干渉が目に余る水準で繰り広げられている。

「聖戦でも起こす気か?」

そう。その呟きは、一つの真実を示唆している。

「さよう軍拡するならば、聖戦に使えと。」

「・・・冗談ではないな。そのようなこと、飲める話ではない。」

別段、聖地を奪還するために軍備を充実させているわけではない。ただ、隣国の脅威に備えているだけなのだ。はっきりといってしまえば、その防衛に必要な戦力すら聖戦の名のもとに、聖地に持っていかれて使いつぶされるのは軍にとっても、ゲルマニアにとっても、到底耐えがたい。なにより、ゲルマニアという国家にとって、砂漠に進軍して得ら得るところなど皆無なのだ。勝敗に関係なく、それは果てしなく無意味でしかない。攻め込まれたというならば、自衛するのは当然のこと。しかし、利権すらないにもかかわらず、無謀な遠征など拒絶以外の選択肢がありえない。

「でしょうな。ところが、糞坊主ども、すでに軍拡をそのように説話にして広めております。」

だが、それはこちらの都合。先方はそのような事に関係なく、ひたすら先方の都合で持ってこの風聞を流布し始めている。聖戦熱に浮かされる間抜けが出てくるとも思いたくないが、いかんせん聖戦という政治的に厄介な爆弾に火をつけたがる間抜けには心当たりが有りすぎる。特に、帝室の弱体化を喜ぶ選帝侯らは、積極的にヴィンドボナが抱える軍事力のすりつぶしを欲するだろう。瀉血戦略は、極めて有効に選帝侯と皇帝の勢力関係を逆転させうる。

「・・・我等が聖地に赴くと?」

「はい。おかげで、軍への志願者が一部には出ているとか。」

大衆は、この手の事業を歓迎し、むしろ積極的に待ち望んでいる傾向すら有った。うっぷんがたまっている、というわけではないと思うのだが。はっきり言ってゲルマニアでの生活は、将来に希望が持てるものだ。他国と相対的に比較すれば、自明なのだ。しかし、どうしても困窮した層や、流浪の面々が志願し、聖地に救いを求めるという傾向はとまらない。そして、さらに深刻な問題として、旧トリステイン領の疲弊と荒廃はその傾向に悪影響を確実に及ぼす。

「・・・宗教狂いを軍に入れるわけにはいかぬ。」

これは、信仰の問題ではなく、軍の統帥に関わる。軍人が、命よりも自信の宗教的な感情を優先するということは、ハイデンベルクにとって、断じて許容し得ることではない。彼は古い軍人であるが、それだけに軍を愛し、軍人としての一線を固持せんと欲する。

「閣下としては、宗教狂いどもを片道旅行に送り出すことは吝かでもないとのことですが。」

一方で、そういった良くも悪くも宗教的な人間は、統治上少ない方が望ましいという内政上の要請も一面では存在する。小うるさい連中が、殉教を欲するのだ。欲望の二重一致が見られるのであれば、纏めて殉教させるのもありではないのか?

「卿らの言い分もわかるが、やはり反対だ。軍としては、ともかくこれ以上無駄なことは避けたいのだ。」

その通り。誰にしたところで、無駄は避けたいのだろう。軍と文官の意見のすり合わせをおこないつつ、ワインを共に楽しんだ両者は、短い休息を終えせかされるようにして自らの職分を全うするべく、足早に、自分の執務室へと足を運ぶ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

もうちょっと、がんばって更新速度を上げたいとは思います。

原作キャラは、ルイズを筆頭にもう少し出していこうと思っております。

ジョゼフが、脳内で勝手にダンディな暴走をするせいで、陰謀をたくさん出すべきかと真剣に迷ってます。

ワルドは苦難をはじき返させるべきか、山中鹿之助的なポジションにおくか・・・。

当分は、平和な世界と、その特集をやろうと思います。
NO! 軍靴の足音!
YES! 平和!



[15007] 第七十六話 美しき平和 3
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/01/22 03:25
建前というものは、重要だ。

何をなすにしても、人は自らの行為に理由を求める。後ろめたい行為であっても、一定の大義名分が、理由があれば、それは正当化できる。それを究極の形で体現したもの。それが、国家だ。

だから、外交当事者どころか、市井の人々すら微塵も信じていないとしてもだ。公的には、ガリアとゲルマニアは叛乱を協同鎮圧するほどの友好関係にある善良な隣国だ。誰しもが、トリステインはアルビオンに併合されたと認識しているが、外交における建前としては、アルビオンとトリステインははっきりとお互いに独立した同盟関係にある国家である。正しくは、明確な独立国家同士であり、王子と王女の親密さが伝え聞こえてくる事や、トリステインの貴族らが、友好国にメイジの誇りによって助力するということが伝え聞こえてくるほどの良好な友好国という。

そして、公式には、すべからく各国はブリミル教の恩寵と無縁ではなく、すべからく信仰心を基盤とし、政教分離どころか、政教一致が図られるべきであるという公式の見解が存在している。

だから、誠に気に食わないとしても。異端の宗教に寛容であるべきであるとしても。ロバート・コクランという一人の辺境伯なる貴族は、ブリミル教に対して為政者として肝要であるどころか、帰依することが、求められてやまないのである。

『教義体系に対する神学的な関心ならば払いましょう。』

無論、インドの諸宗教を分析し、インド的観念を良くも悪くも博物学者的アプローチから植民地官吏的アプローチまで様々な形で分析し、分類し、まとめようとした国の知的エリート階級にとって、それへの知的好奇心は存在し得る。

『信仰を妨げずに、尊重し、敬意も払いましょう。』

分割し、統治するとしても。少なくとも、英国は宗教上の寛容さは、不快であるとしてもカトリックと席を共にして殺し合わず、お互いにまあ存在を我慢しあう程度の理性は持ち合わせている。為政者であれば、信仰の如何に関わらず、寛容であるべきであり、それを実践するだけの知性を欠くこともない。

『ですが、帰依せよとは、無理難題ですな。』

だが、植民地政府で官吏として、軍人として勤務するのは、連合王国の軍人としてブリタニアの旗に恥じるところが無しとしても。異端の神に帰依し、それを崇めよと言われるのは国教会の信徒として断固として許容できるところではない。

「奴のところのパウロスなるロマリアの神官だったか?確か奴はは、ロマリア本国にこの件を上げていないが、政治的に厄介な火種になりかねんぞ?」

ヴィンドボナの一角で、久々に北部から秘密裏に届けられた書簡に目を通しつつ、アルブレヒト三世は、頭痛をこらえるような表情を浮かべつつ、ため息をつく。使える駒が、便利であることに不満は無い。だが、万能な、全てに通用する駒という物も存在しない。使い勝手がこれほどによいとしても、どこかしら、欠点があり、この場合コクラン辺境伯の不信心という問題は厄介な問題になりえる。だが、完全に政治的行動だが、ロマリアに巡礼に赴いたこともあった。

「ヴィンドボナに召還するか?いや、しかし北部開発は、ようやくこれからか。奴自身、政治的にはロマリアに巡礼に赴いた事もある。問題要素と比較すれば、許容できる範囲か。」

街道の整備。基本的な治安の確立と亜人からの防衛体制の確立。産業の奨励と、農業生産による食糧自給。辺境特有の労働力不足解消に加えて、開拓地に付きまとう男女比の問題の解決策。いずれも、報告によれば、現状満足のいく水準に近づきつつはあるか、しのげそうではある。だが、それは為政者がその地に存在してこそ。

「ふむ、パウロスとロマリアの通信は、疎遠。まして、パウロスは基本的に親コクラン。・・・今は捨て置くか。」

アルブレヒト三世にとって、問題は山積する一方である。例えば、書簡に記載されているように、辺境特有の労働力不足解消は戦時体制の終焉に伴う動員解除によるものが大きい。散々、トリステインの風メイジに暴れまわられた結果大量の兵士を動員する羽目になり、ただでさえ少ない人手が、不足した。それが、動員解除で元に戻ったということにすぎず、根本的に人手が足りないことは間違いない。

「だが、余剰民の取り込みを許されたし、か。微妙だぞこれは。」

そこで、ゲルマニア内部の余剰人口に期待したいというのは、理屈としてはわかりうる。だが、開発が進み、人口に対して、土地が余っている地域というのは要するに選帝侯らに代表される旧都市国家が存在する地域の事だ。

「選帝侯らの基盤切り崩し。ふむ、方針そのものには賛成だが・・。これは、少々賭けになるか。」

犯罪者・どうしようもない穀潰しならば、まあ手放すこともあり得る。だが、余剰民といえども、選帝侯らの労働力であり、同時に税の基盤なのだ。加えて都市国家は、性質上、傭兵に依存しない正規の都市国家兵を都市の青年層から確保することを至上命題としている。確かに、余剰労働力であろうとも、都市国家の系譜を引く意識はそれらを外にとられることに対する根深い反発と警戒心があるだろう。

「併合したトリステイン領の余剰人口を移すことで、食糧問題と、労働力問題を解決できるか?」

むしろ、ゲルマニアにしてみれば負債でしかない地域の食糧不足問題の解決策と連結して発想すべきだろうか。北部に関して言うならば、食糧は豊富だ。アルコールを大量に穀物から生産して酔いしれることが、それほど高くない値段で可能になっている。

「ふむ。誰ぞ!誰ぞあるか!至急旧トリステイン領の資料を持ってまいれ!」

だが、アルブレヒト三世は、トリステインに関する限り、中央集権どころか、そもそも王権が存在していたことが奇跡と思えるような状況の実態に直面することになる。トリスタニアにて根こそぎ押収された資料一式は確かに、ムーダの船団が快速のフネでヴィンドボナに搬送していた。そして、ゲルマニアの法衣貴族らは確かに、仕事をこなして、資料の整理分類を行っており、要請されたものを届ける程度の仕事はどうということもなかった。

問題は、その押収した資料そのものの中身があまりにもお粗末であったことにある。

王都のまともな統計どころか、ガリアやアルビオンでは王家が把握したであろう国内戸籍の概略さえ王宮から押収した資料には含まれておらず、王の行政権が及んでいたのは事実上トリスタニア近隣に留まる上に、各貴族らがゲルマニア以上に中央行政を牛耳っていた。高等法院の事例からして、有る程度予想はしていたとはいえ、これで国家を曲がりなりにも国家たらしめられた鳥の骨は、実に有能だ。率直に言って、これが所謂奇跡だ。

「・・・魔法学校が事実上、国権の管理下から逸脱して運営されている?貴族子弟の管理を手放すなど、正気か?」

気を取り直し、報告書に列記されているトリステイン行政の実態と改善提案に目を通すもののアルブレヒト三世とて人である。君主である以上、仕事を行う義務があり、その意思があるとしても、精神がうつろうことも多少はある。

「ラグドリアンの水の精霊と交渉ができなくなり、それを放置。どうかしておる。アカデミーの実験部隊が、指揮系統を無視して幾度も独断専行?管轄下の統帥すら怪しかったのか。」

まあ、問題はトリステイン領から、現在自発的に行われているに過ぎない北部への移民を、国家が主導して、移民するように命じるどうかにある。一定の人数を北部へ移すことができれば、併合した領地の問題が山積しているとはいえ、有る程度処置も施しやすくなる。

「治安回復に軍を使用し、それの引き上げに合わせて、移民を連れ帰る?だが、実質護衛が必要なのは、旧国境までだ。無駄が多い。多すぎる。おまけに得るものが無い。」

まだ、アンリエッタの身柄なりなんなりがあれば、始祖の血脈という一つの手札もあり得たが、それがあってさえ荒れ果てた土地など得るだけ赤字だ。ゲルマニアにしてみれば、未開拓の肥沃な大地がまだ豊富に存在するのだ。亜人という問題があるにしても、トリステインの土地が抱えている問題に比較すれば、規模が比較にならないほど明確だ。

「閣下、失礼いたします。」

どうしたものかと頭を抱えてしまう。別段、トリステインなど欲しくもないのに、何故得るものに見合わない厄介事を処理しなくてはならないのかという思いは、止めようもないほどに、全身の疲労感を誘発してやまない。だから、気分を切り替えるという意味では、侍従の呼びかけは、良い契機であった。

「何か。」

考えてもらちが明かないことがあるならば、別の事に目を向けてみるのも一興である。思考を惹き起こし、少しばかり気分を切り替えることにする。

「ラムド伯が、旧トリステイン領における軍事力の増強と治安回復のため掃討戦を要望されております。」

ああ、それもあった、という気にはなる。確かに、報告によれば解雇された傭兵が治安上の問題、具体的に言えば小さいところでは飲食をめぐるいささかいから、郊外での略奪まで散々のさばっているという報告は受けている。それを、どうにかするべきであるという指摘も、まあ、法衣貴族らの報告には有った。リッシュモン卿から、増援の要請なるものも、来ていた。それも、トリステイン要素として無視はできない。

「ちょうど良い。考えていたところだ。卿を呼び入れよ。」

「御意。」

治安回復。行政秩序の再編。可能であれば、トリステインの余剰貴族を間引きつつ、反抗を削ぐための基盤を確立。軍人でも、外交官でもなく、政治家こそがこの任にふさわしいだろうが、はっきりといって適任であるのは、ガリアの厄介な無能王くらいができる仕事だ。無論、個人でできないのであれば、複数で問題に取り組めばよいことである。だが、難しいのは、法衣貴族には数の限界が存在し、かつ使える平民での官吏も急激には増加しないということだ。

「いっそ、現羽状のままの間接統治が理想であるか?しかし、誰に統治させる?」

リッシュモンは論外だ。あまりにも、政治的な生き物に過ぎる。奴は、高等法院のおさとしての公式の権限がアルビオンの差し金で削がれ次第、自領に隠遁し、あとは自領の経営に専念させるべきだろう。功罪相半ばということも勘案すると、領地は安堵するが、取り立てて優遇するのは理にかなわない。

「閣下。」

考え込んでいたところに、声をかけられ、視線を動かす。報告を出し、報告が済み次第ただちに次の任をというラムド伯の仕事ぶりに不満があるわけではないが、やはり外交官という生き物は好きになれん。政治的な配慮ができないわけでもないのに、外を見すぎる傾向がある。ラムド伯は、随分とバランスがましな人材であり、端的に優秀だとしてもだ。

「ああ、ラムド卿。一つ卿に聞きたいのだが、トリステインの整備に関して卿に聞きたいことがある。」

「はっ、なんでありましょうか。」

「率直に言って直接統治・間接統治どちらが望ましい?」

ヴィンドボナを二分する論争において、間接統治か、直接統治かというものが法衣貴族らで繰り広げられている。有力な商会の多くは、我関せずという態を装っているものの、実態は権益に注視してやまない。他国も、実質的な緩衝地帯をゲルマニアがアルビオン・ガリアとの間に構築するかということを真剣に見つめている。問題は、外交当局は、これをどう見ているかということだ。

「私としては、段階的な直接統治以外に道は無いと感じますが。」

まあ、予想されている範疇ではある。なにしろ、軍部の奉仕方針に消極的な反対は唱えている・・・・つまりは間接統治を一撃のもとに否定する意見には与していない。だが、同時に、頭を押さえておくことをも志向しているのだ。つまりは、威圧効果を狙いつつ、徐々にこの地域を実質的な直接統治下に編入することが最終的な目的とみるほかに無い。

「理由を聞こう。」

「治安一つとっても、間接統治では効果ある対応がとれておりません。なにより、従軍した貴族らへの恩賞を勘案すれば、土地の手配を行う時期も迫っております。」

間接統治を徐々に名目化し、実質的に直接統治する。つまりは、トリステイン貴族らも、杖の忠誠をゲルマニアに差し出すか、取りつぶされるかを段階的に選ばせるということだ。確かに、短期的には対外的に波紋を惹き起こすことなくゲルマニアの国内問題に収斂しつつつ、問題を処理することは可能だろう。だが、はっきりといって、それは政治的配慮がなされているとはいえ、外向きの理屈でしかない。一応は、国内の従軍貴族らへの恩賞問題も意識してはいるが。しかし、トリステインの土地など、直轄地を除けばすでに貴族らがびっしりとこびり付いているのだ。下賜するといっても容易なことではない。

「なるほど。だが、直接統治をおこなっても、得るところが無い。余の、本意とするところではないのだが。」

「お気持ちは理解いたします。ですが、そもそも信頼のおける我がゲルマニアの代理人をトリステイン内部に見つけるのは極めて困難でありましょう。」

それも、また、事実である。

現状、リッシュモンが名目上はトリステインから併合した地域における行政上の代理人ではあるものの、はっきり言って信頼という言葉から、これほどかけ離れていることほど信用できる人物はいないのだ。これに代わる人材を見つけ出し、ゲルマニアの意向に従わせつつ、厄介な貴族の連中を統制し、かつゲルマニア本国の意向に忠実にさせしめることができるような人材が、いない。

「ならば、ゲルマニア内部で見つくろい、直接統治にというわけか。いたしかたないのやもしれぬが、割に合わぬ。」

だが、ゲルマニアにしてみても、そのような有能な人材などそう簡単に見つけ出し、トリステイン方面問題に専念させられるほどには余裕が存在しうるかというと、それはさすがに難しいという問題がある。不可能ではないのだ。不可能ではないのだが、果てしなく割に合わない事を行わざるを得ない。

「では、大公国でもおつくりになられますか?」

「悪くはない構想だとは認めよう。」

解決策の一つは、過去の教訓の一つを活用し、第二のクルデンホルフ大公国を干渉地域として設立することが考えられた。大公国という以上は、一定以上の爵位をもつ貴族、この場合は、適当なトリステイン貴族をゲルマニアの宗主権を確立する形でというものだ。

「しかし、将来的な火種を作るわけにもいくまい。余とて、その案を考えなかったわけではないが。」

なにしろ、その大公国は少なくとも旧トリステインで現在ゲルマニアに制圧され、割譲された地域の全貴族を従えることが最低限求められる。当然、ゲルマニアの権威のもとにという条件が付き、ゲルマニアという軍事力が背後にあるとしても、それでもなお問題は山積する。まず、忠実な代理人が見つからないという大前提からして、見つからないので段階的な直接統治への移行案が提出されるのだ。忠誠を全く期待せず、常に緊張関係にあるという独立国家をつくったとしても、それでガリアやアルビオンに介入されるとなれば、いま費用が節減できるとしても、将来的には大きな禍根とならざるを得ないだろう。

「確かに、トリステイン半分を持つ大公国ならば、そうかもしれません。ですが分割されてはいかがでしょうか?」

一部を直轄地として直接統治下に置きつつ、不毛な地域のみを、間接統治の公国化という構想も、歴史的にみた場合、ハルケギニアの政治力学上はまったくの例がないわけでもないだろう。

「ふむ、おもしろい。着眼としては、アリではある。だが、やはり空論だ。」

面白いとまでは認められよう。だが、所詮は、一興に過ぎず、事の解決策としてはどうにも実現性に乏しい。

アカデミーの討議ではないのだ。事は、本質的な議論として、捨てるか、火傷を諦めて拾うかしかない。そして、ゲルマニアは対外的に火傷程度では、どうということもないのだということをはっきりと示しておく必要がある。少なくとも、動揺しているととられるわけには絶対に行かない。

「・・・やはり、関わらざるを得ないと同意いただけるでありましょうか?」

「だろうよ。ここで抑えられないとなれば、ゲルマニアの軽重が問われる。」

少なくとも、戦争では勝利した。名目上はガリア両用艦隊の反乱とやらの鎮圧にも成功している。だが、ここで、トリステイン系貴族らに蠢動されることは長期的な統治上到底望ましい者とは程遠いことを惹き起こす。わかりきった事象である以上、これに対処する必要はあるのは明確な結論である。

「御意。介入の必要があると、判断いたしますが。」

「卿に同意だ。まったく、嘆かわしいことでは有るがな。」

「では、やはり、軍の増派を?」

どこから、その費用を捻出すべきか?その問題はあるにせよ、アルブレヒト三世にしてみれば、出すと決めた以上は、どこからかでも捻出せざるを得ない予算の一つに過ぎないことを意味している。無論、それは一時的な出費であり、恒常的な収入の減少ではないだろうということも大きいのだが。

「必要なのだろう?ここで、惜しむのは、時間の無駄だ。」

「感謝いたします。」

しかし、アルブレヒト三世にとって軍の出兵にかかる一時的な費用増大はまだ耐えられるとしても、これ以上、恒常的に収入が減少することとなる事だけは、許容したがたい問題であった。曲がりなりにも、皇帝は、実権を有するゲルマニア皇帝であるためにも、相対的に他を圧倒する力を、損なうような行為に気乗りするわけにもいかないだろうが。

「だが、誰に任せる?はっきりと言えば、これ以上下賜する土地は増やしたくないのだが。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

戦後処理ってすごく大変だと思う。

追伸

全く関係ないのだけれども、ナポレオン三世って以外と有能だった気がします。

確かに、プロイセンにぼこぼこにされました。
オーストリアと無様な泥仕合をイタリアでしたし、おまけに途中でひよってイタリア中からバッシングを受けました。
イギリスの歓心を買おうとクリミア戦争で共闘したにもかかわらず土壇場でおりて、『さあ、本腰を入れて有利な形に持っていこうか』と闘志満々のパーマストンに舌打ちされました。
ついでに、イギリスの女王陛下から馬鹿にされたりしました。
植民地ゲッツだぜとかいって、実はベトナムで清軍にぼっこぼっこにされた挙句に首相が責任問題で更迭されたりもしました。うん、政争が清で起っていて、まあ、うん、なんとか、ね?という感じでした。
メキシコから、オーストリアを巻き込んだ末に、追い出されたりもしました。

でも彼、割と内政に関しては有能なのです。

皆、すっかり彼のことを無能野郎だと罵ります。だけど、再評価すべき。一応、彼、労働者の福利厚生を真剣に考えてみたり、フランスを近代化させるための鉄道整備とかはきっちりやっています。

我らが、アンアンも、歴史が再評価すべき時かもしれません。

アンアン、マリアテレジア化とか?



[15007] 外伝? ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド伝4(美しき平和 異聞)
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/01/29 05:07
ワルド子爵と言えば、伝説的なメイジの一人である。

紛れもなく、風メイジとして完成した技量を誇り、同時に軍人として、メイジ至上主義から完全に解放され、本物の戦争を戦い抜いた、生き残り中の生き残りである。

騎士であり、同時に彼は時代が最後に求めた英雄であった。

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、英雄であった。
だが、思い出すが良い。英雄を必要とする時こそが、最も悲劇的な時だと。
すなわち、本来は、無いはずの犠牲が払われている時代だと。
実に不幸にも、彼は本物の英雄として生を与えられてしまっていたのだ。
必然、彼が眼にしたのは、最も汚泥に満ちた、世界の最底辺である。

「ジャン!4人だ。引きつけられるわね?」

教会の周りを警戒するともなしに、うろうろとしている傭兵を見る限り、それほど手を焼かされる相手ではないようだ。
警戒といってもせいぜい野党や、武力をもたない周囲の平民を威嚇する程度の役割だ。
本職のメイジ、それも戦闘訓練を受けた自分にとってそれほどの脅威たりえるとも思えない。
マチルダにとっても、せいぜい、注意しておくに越したことはないという程度の脅威でしかない。

「無論だ。・・・しかし、本当に構わないのか。」

「簡単な仕事から、始めると言ったろう?」

「いや、だが、どうにもな。」

最初は簡単な仕事から、義賊の仕事を始めるつもりであった。まあ、そこまでは、良いだろう。
なんだかんだでメイジがスリに落ちぶれることに比べれば、随分とまともな仕事だ。
碌でもない国家の恥さらしどもに鉄槌を下すことは、まあそれほど悪くないように思えた。

ところがだ。

「ああ、もう、さっさと行くよ!」

気がつけば、やっていることはロマリアの腸が腐った連中が誘拐した子供達、大半はルイズよりも幼い少女達の救出だ。確かに、傭兵がせいぜいという程度の連中が相手だ。難しくはない。難しくはないのだが、いくらなんでもゴーレムでいきなり、建物をぶち抜くのは、どうだろうか?

「ロマリアの名を辱める愚者よ!始祖の鉄槌を喰らうがいい!」

高らかにマチルダが、名乗りを上げている。たしかに、挑発するというのは、ありかもしれない。
聖地へと赴く方法を研究しておくべき輩が、本来の聖務を怠っているのは、許されるものでもない。
とはいえ、、仮面をつけて、遍在を突出させている私にしてみれば、いい迷惑だ。
始祖の鉄槌などと言われては、さすがの連中にも守るべき体面がある。
のこのこ逃げ出すわけにはいかなくなった神官連中が、証拠をどのように隠滅することか。
このことを思えば、ほとんど遅延なく行動しなくてはいけない。

「ええい、まったく、どうしてこうなった!」

そう呻きながら突進しようとして、違和感。
眼で見える範疇以上に長年の経験を信じ、咄嗟にワルドの遍在は横へと飛ぶ。
直後に、背後で何かが、刻まれる音。間違いなく、エアカッターの類。
其は不可視。
純粋に、風メイジ故に、違和感を覚え、避け得た。
鍛錬のみが、一瞬の回避を辛うじて可能としている。
思考を切り替え、咄嗟に一帯を再度見渡す。
視界の隅に、油断なく杖を構える神官風の男達。
一見すると、聖職者だが、構え方は本職そのもの。
中身は殺し合いを是認するメイジの一団だ。

「っ、フーケ!状況が変わった!」

メイジが複数いる。それも、それなりの腕の相手である。まあ、それでもはっきりと言えば、脅威ではない。
先ほどの不意打ちが、相手の唯一の勝機であった。
それを逃した以上、ワルドという練達のメイジを討つのはかなわないだろう。
だが、問題は、そこではない。問題なのは、メイジが、神官の中にいたということ。
すなわち、教会にメイジが紛れ込んでいるという事実だ。
事前の情報では傭兵にメイジの存在は確認されていない。
そして、消去法では教会にいるメイジは、聖堂騎士ということになる。

「まさか、聖堂騎士!?どうして、こんなところに!?」

マチルダが動揺しつつも、ゴーレムによる破砕を的確に行いこちらを援護。
遍在の視野を通じて確認しつつ、迎撃用意。
目前で杖を構えて飛び出してくる神官の身なりをした面々に牽制の攻撃魔法を放ち、ひとまず距離を稼ぐ。
一人、二人ならば、例外かもしれない。
だが、部隊規模でいるとなれば、なにがしかの理由がそこには存在することとなる。

「単なる誘拐ではない?くそっ、連中の狙いは何だ?」

児童の人身売買?あるいは、特定の言葉にしがたい性癖をもった輩の可能性が、ないわけではない。
無いわけではないのだが、聖堂騎士の部隊が展開。極めて、統制がとれ、訓練されている。
さらによくよく見ると、司祭達も質素な身なりの上に、澄みきった眼をしている。
言い換えれば、狂信者の眼と言えるかもしれないが。
ともかく、金銭目的の可能性は低いと思わざるを得ないだろう。つまりは、厄介事。
軟弱な精神の持ち主ではないが、ワルドでさえため息の一つでもというところだ。

「口を割らせるのは、難儀な仕事だろうな。」

無理やり口を開かせる術ならば、魔法衛士隊でもある程度は知っている。
だが、狂信者相手に、口を開けというのは、殺しでもしないとイエスと言わないだろう。
そのような仕事は、専門家にでも任せるほかにない。
拷問吏の技術は、さすがに書物でわずかに読み知る程度にしか持ち合わせていないし、実践の経験はさらに乏しい。

「そちらは?」

遍在を通じて、陽動を兼ねて施設の破壊に従事しているマチルダの様子を伺う。
とはいえ、実のところマチルダは、迎撃されるどころか、放置されているといっても良いほどだ。
散発的に思い出したように、傭兵が飛び出してくるものの、それも驚いて逃げ出すのがせいぜい。

・・・抵抗など皆無に等しい。

「メイジはなし。宝物も大した物はなし。これは、訳アリだわ。」

ゴーレムが倉庫を押しつぶし、頑丈な壁をぶち抜く破壊音がすでに何度も鳴り響いている。
しかし、出てくるのはせいぜい、質素な麦か、空っぽの僧房だ。
ため込んだ財産とでもいうべきものは、ほとんど存在しない。
ある意味で、ロマリアの掲げる理想的な教会生活そのもの。
清貧を地で送っているような教会でさえある。そんなところで、人身誘拐。厄介事しか想起されない。

「だろうな。心なしか、先ほどから賛美歌詠唱が聞こえてくる。」

ただ魔法が使えるだけのメイジが神官になり、便宜的に聖堂騎士を称しているのではないのだろう。
なにしろ恐るべき修練を必要とすると語られる集団魔法だ。当然、昨日今日で習得できる魔法で無いのは明白。
となれば、ロマリア本国から出張ってきた、文字通りの精鋭だ。

「本物かい?」

まあ、自分でも信じていないだろう疑問をマチルダが敢えて語る。
狂信者じみた行動で、賛美歌詠唱を行うともなれば、十中八九本物の聖堂騎士だ。
個人で、戦いたい相手ではないし、そもそも、敵対して得られるものが有るわけでもない。
こんなはずでは、と一人であれば呟かざるを得ないところなのだ。

「まずいことに、本物だろう。」

「掩護は?」

彼女の仕事は本来陽動。しかし、実際には、遊兵になってしまっていた。
当初の予想と子なり、宝物庫を壊されて慌てて対応してくるはずの、人員がいないのだ。
むしろ、まったく見向きもされていないことを考えれば、こちらの支援を検討してくれるのは、ありがたい。
微妙に、思うところがあるとしても、意地を張るよりもやれることで、最善を尽くすべきだろう。
そう思い、随分と自分の思考が、成長しているものだとこんな時にもかかわらず、苦笑したくなる。

「無用だ、と言いたいところだが、頼めるか?」

聖堂騎士と実戦で戦ったことは、当然ながら、ない。
知識として、多少のことは聞き知っていても、それはあくまでも伝聞。
残念ながらトリステイン王国に属している身分では、国外のメイジには疎い。
まして、聖堂騎士団と交戦する機会などは当たり前だが、有るはずもない。
無論、さすがに、魔法衛師隊出身だ。個々のメイジとしての技量で劣るとは思わない。
先ほどの攻撃にしても、まあ、優秀であるという程度に過ぎない。
加えて、ゲルマニアで手を焼かされた圧倒的な物量というわけでもない。
だが、対メイジ戦と言っても、今回は勝手が異なる。
聖堂騎士のように、最初から集団で個人とさえ戦うことを想定している連中相手は初めてだ。
まあ、対エルフということを前提としているロマリアの武力だ。本来は、聖地に向けるべきものだ。
まあ、矛先すらわからぬやつらには、エルフに勝るとも劣らなければ良いだけではないか。

「わかった。ゴーレムを突っ込ませる。」

「私の遍在をそれに合わせよう。」

トライアングルのゴーレム。
攻城兵器というにふさわしいそれが、一気に突撃する。
その突撃に合わせて、遍在を3体ゴーレムの周囲に配置。
ゴーレムに対処し、対応が鈍っているところに、接近。
一気に勝負をつけるべく攻勢に出る。

「そんな!」

「!?ゴーレムを崩すか!」

だが、さすがに、というべきだろうか。
集団で行使する賛美歌詠唱の威力は、聞くと知るとでは全く異なる水準であった。
激烈な暴風が瞬間的にゴーレムを蹂躙。
再生する暇すらなく、一気に砂塵に還元される。遍在も一つをのぞき巻き込まれる始末。
辛うじて、接近し、ブレイドで刃を交える物の、対応が素早い。
個々の力量では圧倒しているにもかかわらず、連携が上手い。

「貴様ら、聖堂騎士だな?何故、このような行為に手を染めた!?」

「我らの志を解さぬ、異端に話すことなどなし!」

異端?志?遍在を近づけてブレイドで斬りつけるも、重厚な陣形を汲まれて、弾かれる。
まるで、城攻めを行っているようなものだ。
エルフと戦うとは、つまるところこうした戦術が有効だということか?
まあ、いい、攻城戦だと考えれば、脅威度の高いゴーレムが真っ先につぶされるのも理解できる。
ならば、動揺を誘うのも、定石だ。

「異端?始祖の恩寵厚きメイジが、信徒の子供に杖を向けて連れ出すことこそ、告発されるべきではないか!」

「異端は排除されるべし。不義の子は、焼かれるべし。真の御子のみ、罪が許されるのだ!」

全くの動揺がない一糸乱れぬ行動。
どころか、こちらがやや気がめいるありさまだ。
ロマリアの腐敗などというが、これはどうしたことか。
こちらはこちらで、どこかおかしいのではないかと勘ぐってしまう。
まともな精神では、仲間入りしたくないだろう。
誰だって、子供を焼くべし、などと高らかに謳う連中と同じ道を歩みたいとは全くもって思わないものだ。

「思っちゃいたが・・・、お付き合いしたい相手じゃないね。」

「やれやれ、君のハードルは聖堂騎士様でも越えられないのか。」

冗談の一つや二つ、戦場では良く呟やかれるものだ。
何故かと言えば、緊張を緩和すべきだから。
或いは、緊張を緩和しようとする意志があると、周囲に示すため。
まあ、こんな機会だからこそ、彼女をからかうこともできるのだが。

・・・本当に自分は、こんなときでも思考に余裕があるようになっている。
まったく、経験とは良い教師だ。授業料さえ高すぎなければ、完璧なのだが。

「ああ、あんたは良い線行くと思うけどね。」

「それは光栄。さて、一働きするとしようか。」

ブレイドを構えた遍在に同調して、さらに何体かの遍在を出し、ゴーレムの形成を待たずに吶喊。
少数の強襲によって落城した城塞も皆無ではない。それは、メイジの腕による。
大がかりな魔法で、大規模な効果範囲のある魔法を、ぶち込むというのは対軍戦闘においては、完璧な解答だろう。
それはできずとも、解答方法はいくらでもあり、これはその一つに過ぎないのかもしれない。
だが、これは、風メイジによる、風メイジのための、風メイジによる一撃離脱戦なのだ。
徐々にでも、削れればこちらに分がある戦いに過ぎない。

「さて、付いてこられるかね!?」

「侮るな!」

軽く挑発の声をかけたところ、実に迫力ある解答が寄せられる。
戦意は旺盛。戦術に関しては、未知数といえども連携を徹底して強化した精鋭だ。
完全に無能ということはありえない。嫌な相手だが、まあ、軍隊ではないのだ。
彼らは、精鋭だろう。なるほど、連携の極めて卓越した部隊だろう。

だが、確かに軍隊でないのだ。

例えスクウェアクラスのメイジでも、軍隊相手では勝てないとしても、部隊となれば、料理できないわけではない。

「始祖の栄光を讃えよ!」

「狂信者を、お望みになるとも思えんがね!」

会話の合間に詠唱を完遂。無造作にエアカッターを乱射し、陣形に圧力を加える。
メイジは、先手必勝。なにぶん、攻撃魔法が圧倒的な威力を防御に比べて有している。
そうである以上、攻撃を受けるよりも、主として回避せざるを得ない。
当然、魔法を受ければ陣形も乱れることとなる。・・・普通ならばだが。

「・・・なんとも、驚いたわね。」

マチルダが、嫌な物を見たと言った声を上げる。
一部の前衛が回避行動をとるどころか、全く驚きの行動をとった。
魔法や防具で防御を高めたとはいえ、積極的に前衛が攻撃を浴びているではないか。
盾と矛というが、これは厄介極まりない。まともに防御に入られては、期待ほどの効果が見込めないのだ。

「同感だ。肉を切らせて、骨を断つというが、本当にできるとは。」

まったく嫌な抵抗だ。風メイジは、個人対個人では最強だとしても、破壊力の点において火には一歩劣る。
単純化するならば、敵を皆殺しにするには、少々骨を折らなくてはならないということになる。
さらに言うならば、ワルドほどのメイジで持ってしても、死兵を纏めて相手にするには少々以上の苦労を必要とする。

「フーケ、一撃を叩きこめるか?」

ならば、攻城兵器で粉砕してしまう方が、効率的だろう。
そう判断してワルドは、戦術を変更することにする。脅威なのは、賛美歌詠唱だけだ。
ならば、それを詠唱させない程度に接近し、かき乱しておけばよい。

「やれなくはないね。もう一度いくかい?」

「頼む、任せたぞ!」

ただ、誤解しないでほしいのだが。
会話というものを戦闘中に行うのは、二つの意味があるのだ。
一つは、友軍との連絡。もうひとつが、敵軍に聞かせることによる、錯乱。
単純に言って、敵が攻撃してくるとわかっていれば、迎撃できる。
だが、どこから攻撃が来るとわかっているのと、そのほかの攻撃が、あるかもしれない、とは別だ。
そうあるかもしれないとは警戒できる。
だが、確実にくるという脅威に警戒心の大半を取られてしまうものなのだ。

「始祖の秩序のために!異端よ、滅びよ!」

肉が焼け焦がれているにも関わらず、戦意が旺盛な聖堂騎士。
味方でなければ、本当に厄介極まりない存在だ。彼らは、対エルフの精鋭たるべきなのに。
出血を喜びさえして、突撃してくる敵は、力量に関係なく、忌むべき存在だろう。
だが、今はそれを倒さねばならない。
だから、ゴーレムの突撃に備えて、分散した敵を、個別に間引く。
しかし、戦術的に最適であるとしても、気が乗るかと言われれば、最悪だとしか、言いようがない。

「しかし、個人としては、凡庸に過ぎんな。」

ブレイドで、斬りかかってきた聖堂騎士を袈裟切りにして、ワルドは、肩をすくめる。
なるほど、よく訓練されている。だが、訓練され過ぎているのだ。
連中は、集団行動で、対エルフ戦に特化しすぎている。個人の動作を、徹底的に共通化した。
結果、血のにじむような努力によって、賛美歌詠唱をものにしているのは、驚嘆すべき実力だろう。
だが、個々で見た場合、動きが同じになりすぎるという欠点がある。

「同じ攻撃手段に、同じ防御手段。単一化にも限度があると思わざるを得ないな。」

極端な、共通化は、えてして弱点を突かれると、脆いということでもあるのだろう。
片っぱしから、遍在と共に、孤立した敵聖堂騎士を屠り、掃討を敢行。
その過程で、ワルドは溜息を盛大につきたくなる衝動に辛うじて抵抗する。
やはり、メイジの本懐は魔法で戦ってこそだ。戦いとは、神聖なもので決闘である。
しかし、この敵は、決闘というよりも作業で、殺しているようなものだ。
最後の一人を、斬り伏せるまで、その感覚が常に付きまとってならない。

「まったく、文字通り全滅するまで抵抗するとは。」

結局、聖堂騎士の部隊は、乱戦に持ち込み、ことごとく斬り伏せた。

所属、階級、目的、一切を漏らさず、全員が、同じように、斬られるか、魔法で殺された。
この単純な事実を除けば、何一つとして手掛かりを残していない。

「おまけに、普通の神官まで抵抗してきた。なんなんだい、ここは?」

聖堂騎士の部隊を殲滅後、施設内部の探索を行おうとするも失敗。
避難するどころか、ことごとく、神官がこちらに抵抗を示してくる始末だ。
建前で言えば、守るべき信徒がいれば、まあ、神官らも、懸命になるだろう。
だが、そもそも、そういう理由でもなしに、ここを死守するには、相応の理由があるはずなのだ。

「さてな、まともなこととは程遠いのだろうが。」

緊張感を維持したまま杖に光をともしてワルドは周囲を見渡す。
一通り、確認し、抵抗や罠が待ち受けていないと結論。
何故?という疑問を解き明かすべく、内部へと侵入。
そして、つい先ほどまで、頑強な抵抗が繰り広げられていた地下墳墓群の入り口をくぐった先で、答えを見ることになる。
転がっているものは、おそらく生き物であった肉塊なのだろう。
それは、ワルドの眼が正しければ、誘拐されたという子供に違いない。
そして、間違いでなければ、彼女はすでに、息をしていないのだ。

だが、加えて重要なのは、彼女の耳が、尖っているということだ。
そう、まるでエルフの耳のように。
・・・ああ、そういうことか、なるほど、とワルドとしては思わざるを得ない。

「これは?エルフの血を引いている?」

訝しげにマチルダが、彼女の耳を指さして呟く。
そう、それが、世間の一般的な反応としては正しいのだろう。
エルフの耳は尖っているというのは、ハルケギニアでは子供でさえ知っている。
逆に言えば、耳が尖っていれば、エルフと疑うに十分なのだ。

「いや・・・、似ているが違うな。この程度の耳ならば、時折普通の子供が持って生まれる。」

しかし、ワルドや、彼の属する魔法衛士隊ともなれば、この手の判別にはある程度の経験が存在している。
例えば、本物のエルフの疑いがある人間と、そうでない人間の区別程度は魔法を使わずとも可能。
むしろ、それらは容易にわかるのだ。具体的に言えば、反射魔法を扱うエルフは、至近弾も防御し得る。
だから、近くに一発銃でもを試し撃ちしてみれば、まずまずの確率でわかる。
少々手荒とは言え、確実にエルフと分かれば仕留めればよいし、そうでなければ両親を捜し、尋問すればよい。

「やけに、詳しいね。」

暗に、あんたもエルフ狩りに熱を上げている口か、と含む声のマチルダ。
その声に、まさか、と言わんばかりに首を振ると、懐かしい経験談を語ることにする。
まあ、エルフを見つけたと騒いでいるのは、決まって面倒事を起こす連中であった。
大抵の場合新しく赴任した司教であったり、密偵だったりする。
功績を焦っているのだろうというのが、大半の見解だった。
記憶が正しければ、本物のエルフ討伐などないといってさえよい。

「エルフと誤報があって、飛び出して、包囲してみたら、こういった子供だった事が何度かある。」

血相を変えて、討ち死にすら覚悟して、誤報の有った村へ突撃。
そして、出会えるのは、エルフどころか、魔法の使えない子供が怯えているだけだった。
などということは、決して少なくなかった。むしろ、それがほとんどだ。
国家の魔法衛士隊は、その手の誤報に常に悩まされているといってもよいだろう。
だから、どうしても初動には慎重となりがちですらある。

「殺したのかい?」

「いや、マザリーニ枢機卿猊下が、お引き取りになられた。ロマリアでも、この手の誤解には注意するように促しているはずだが。」

身内の恥ということもあり、基本的にロマリアは、ミスを隠ぺいしたがる。
なにより、秘密主義の傾向が極めて濃厚である。
故に、誤解されやすいが、完全無比に無責任というわけでもない。
一応、組織として建前があり、必要があれば、多少の救済は行う余地がある。

「で?じゃあ、この子は、エルフの血が混じっていると本気で誤解されて、異端扱いされたと?」

狂信者というのは、そのくらい馬鹿なのかと、問いかけるその眼。
これに対して、ワルドはあまり愉快になれそうにない噂話を思い出す。
事実かどうかの判断は、控えてきたが、少なくとも状況証拠は真黒だ。

「有りえん。聖堂騎士が、エルフを発見して、どちらかが生き残ることを期待する方が間違いだ。」

本物の、聖堂騎士であればエルフを発見し次第戦闘行動に入る。
つまり、どちらから死なない限り戦闘は終わらず、強力な魔法を双方が行使して戦う。
当然、このような地下牢にエルフが存在していることはありえない。
聖堂騎士団もこの子供が異端の血を引いている可能性を信じたとしたとしても、不自然極まりない状況なのだ。

「じゃあ、この子は?」

「わからん。実験でもするつもりだったのかもしれん。」

一応、名目の理由は想像できないものではない。
混血の可能性がある以上、エルフの特性が引き継がれている可能性は排除されていない。
なにしろ、エルフと人間の混血というのは、知る限りにおいては、事例がない。

・・・厳密に言うならば、なかった。

まあ、それは良い。
だが、その件同様に、エルフと人間の恋は禁忌どころか、破滅しか終焉にはない。
なるほど、皆愛する人を守るために戦うのだろう。
自分とて、守るべき者のために杖を取ることは厭わない。
だが、世間の嵐からまず隠し、守ろうとするものなのだ。
嵐が激しければ激しいほど、懸命に。

「エルフを使った実験?」

「エルフの血が持つ魔法抵抗の強度でも図る。或いは、毒物への抵抗を確認する。こういった需要があるのだろう。」

だから、エルフの情報を渇望する聖堂騎士団とエルフは、最悪の関係にある。
同時に、エルフの血を引く可能性がある者にとっても、聖堂騎士団は悪魔のような存在である。
なにしろ、彼は異端を認定し、その場で裁く権利すら、有しているのだから。

「まったく、冗談じゃないね。」

なにより、耳にした限りにおいて、真実か偽りか、不明である。
不明であるのだが、現状をよく説明できる。
普段ならば碌でもない悪質すぎるデマゴーグでもガリアからきたのか、と疑っているところだが。
しかし、目の前の現実はかなり状況証拠としては有力極まりない。白か黒かと言えば黒一直線か。

「連中、エルフの血が入ったとみなされたメイジをエルフと見立てて、実戦演習をやらかした事があるらしい。」

「演習?」

「エルフと対峙したことがなくとも、エルフに対峙するという心構えにはなるらしい。」

敵が恐ろしい。ならば、その恐怖心を乗り越えさせる必要がある。
これは、戦場では一種の道理だ。ただ、やり方に明らかな問題がある。
効果的であるのは、間違いないのだが。
初めての殺人というものは、魔法衛士隊における新人が乗り越えるべき一つの壁だった。
乗り越えてしまえば、本当にどうということも無くなるものだが。

「事実かどうかは、わからないが、まあ、事実だろうな。」

擁護するわけではないが、自身とてエルフと対峙することを思えば肝が冷える。
だから、だからというわけではないのだが。
しかし、指揮官として部下を鼓舞するためにこの手段を取らざるに入れるかという可能性はある。
部下が怯えて実力を発揮できずに全滅するよりは、悪党が発破をかけたほうがよい時もある。
それが、自分の感性で理解できずともだ。

・・・だからといってその行為を正当化することなどおぼつかないが。

「それで?この子はどうする?」

「せめて、埋葬しよう。始祖の加護は、私が願っても、誰もしないよりはましだろう。」

正式な埋葬の手順は踏めない。なにしろ、聖堂騎士団に、宗教施設で異端として殺されているのだ。
どこだって引き受けてくれないだろう。
で、有る以上、どこか始祖の御許にまいるための埋葬地を確保する必要がある。

「なら、私は生き残りに何か知っていることがないか、話させるとするよ。」

全滅するまで抵抗してきた狂信者といえども、気絶くらいはする。
当然、ただの神官ではトライアングルのゴーレムに突撃されてしまうと意志とは関わりなく昏倒せざるを得ない。
その手の連中を、叩き起こして口を割らせられないだろうか?無理だろうな、と思わざるを得ない。
ワルドにとって狂信者は(やったことはないにしても。)ラグドリアン湖に放り込みでもしない限り口を割らないという印象しかない。

「無駄だ。生き残りも何も、連中の口は開かん。」

「・・・じゃあ、どうするのかい?ロマリアに聞きに行くとでも?」

その通りだろう。ロマリアのことを知悉し、こちらが知遇を得られている相手がいるのだ。
当然、そちらに話を通しておく方が、随分と物事を進める上では容易である。
なにより、真相を知るためには、ロマリアの内部で何が起きているのかを確かめる必要がある。

「ロマリアのことは、ロマリアの専門家に任せるのが一番だ。」

「ああ、マザリーニとかいう枢機卿?」

曲がりなりにも、枢機卿団の中で一派を築かれただけのことは有るお方だ。
いくばくかの後ろめたいロマリアの暗部についてもそれなりには、ご存じのはず。
まして、聖堂騎士団が動いたともなれば、枢機卿団に全く悟られずに動くとは思えない。

「その通り。猊下は、ゲルマニアから釈放されて、ロマリアに戻られているはずだ。」

幸い、というべきだろうか。
囮として行動されていた猊下を、さすがのゲルマニアも拘束し続けることはできずにいた。
散々抵抗はしたものの、しぶしぶ釈放している。今の時期には、すでにロマリアに帰国されているはずだ。

「まさか、本気でロマリアへ行く気かい?」

「良い機会だ。それに、聖堂が秘蔵しているという聖地に関する資料にも関心がある。」

「止めはしないけど、さすがに、付き合いきれないね。」

肩をすくめて、馬鹿じゃないのかとこちらに一瞥をくれるマチルダは、まあ、賢明なのだろう。
彼女にしてみれば、ロマリアに近づかない方が災いを避けるには適しているという発想が有ってしかるべきだ。
彼女のためには、それは正しい。
だが、できることならば、何かと彼女がいてくれると助かるという事情もこちらにある。

「まあ、そこはそちらの自由だ。だが、秘宝なら、ロマリアも多いだろうな。」

彼女がこれで関心を示してくれるというのは、正直表層的な部分だろう。
もちろん、稼ぎを欲しないわけではないはず。とはいえ、安全策を選ぶ彼女だ。だから、本来は望み薄。
しかし、利益よりも、これまでの付き合いで同行してくれるように、依頼すれば、応じてくれる。

・・・甘えているのだろうか。

「自分が何を示唆しているか、わかっているのかい?」

「さてな。教会に秘宝が多いことを、信徒同士が話して、何故悪い?」

実際、教会には秘宝が多い。良くも悪くもため込んであるものだ。
用途が不明な収集物も少なからず存在し、私が求める聖地に関する文献がどこにあるのか想像もつかない。
だが、それでもとにかく、探してみないことには始まらない。

「やれやれ、高貴な貴族さまも、随分と悪党になったもんだ。」

「それは、お互い様だ。」

付き合ってくれる彼女に感謝せねば。全く、良き友人ほど始祖に感謝したいつれあいも世にはない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき。

ちまちまと更新。
遂に、周一ペースの死守に成功。
ワルド、ロマリア突入フラグ。

あと、アンアンのテレジア化は決定。
ウェールズさんは政治的には、まあ常識人。
軍人としては、そこそこ。
メイジとしては優秀。
だけど、まあ、テレジア化を阻止できるほどには頼もしくない。
そう、ここ重要だと思います。

あと、キュルケの語源て何でしょうかね?
キェルケゴールの略称とか?



[15007] 第七十七話 美しき平和 4
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/02/24 21:03
握手という行為は、お互いにナイフを持ち合わせていないことを確認する動作でもある。

友好関係とは、すなわち、単純に敵対しないことを約束するだけではなく、絶対に絶えずそれを確認しなくてはならない。それを明示的にするかどうかはともかくとして、友好を謳うだけ程むなしい行為は無い。

だから、敵対関係は、むしろわかりやすい関係だろう。

はっきりと、敵だとわかっていれば、それが潜在的な敵なのかどうか悩む苦労からは解放されるのだ。無論、強大な国家と敵対関係にある国家がもがかねばならないのは変わらないのだが。

まあ、どの時代も楽な外交官など、そういるものでもない。
まして、それが大国の外交官ともなれば、懸案事項は山積している。

例えば、ラムド伯のような、帝政ゲルマニアの外交官などは、役得云々以前の職責である。

「・・・旧トリステインに巡行だと?」

トリステイン方面へ向かうコルベットの上で、急を告げる龍騎士からもたらされた最新の情勢報告にラムド伯は思わずキリキリと悲鳴を上げる胃を押さえたくなる衝動に駆られた。最悪の報告ではないが、最悪を予見させる報告だ。

「正確には西トリステイン、つまりはアンリエッタ王女の持参金を確認ということでしょう。」

「確かに、通告では、東トリステインには一歩も踏み入れないと明言されていますな。」

部下が情勢について言葉をそれとなくかわしあっているが、今はそれよりも重要な事がある。アルビオン王家が動くのだ。

プリンス・オブ・ウェールズは婚姻に前向き。まあ、彼の意向などせいぜい良好な夫婦関係が構築できるかどうか程度にしかこの場合は重視されないとしても、スケジュールが順調に進むことは望ましい。ほとんど誰にとってもだ。

だが、王家にとっては、どうだろうか?

まともな王家の君主ならば、この婚姻が実に微妙で、可能ならば忌避すべき要素を数多く含んでいることを察せざるを得ない。それほどまでに、この婚姻はアルビオン王家にとっては政治的失策となりかねないのだ。

だから、それを知っているであろうアルビオン王家がわざわざトリステインまでやってくるという事は、なにがしかの動きがあったと見ざるを得ない。

「なにより外交上は、まだトリステインだ。そして、アルビオン王国は、他の国家を巡行するつもりなのかね?」

トリステイン情勢は、その土地が持つ地政学的重要性の低さと、経済的な魅力の乏しさにもかかわらず純粋に政治的な事情から非常に入り乱れた厄介極まりない事態になっている。単純に、アルビオン影響圏と見なされる西トリステインはまだましだ。

正確に言うならば、トリステイン王国領であり、厳密な独立国家として存在している。だから、友好国の訪問までならば、関係するゲルマニアとしても口を挟むことは許されないだろう。せいぜい、外交的についでにヴィンドボナを訪問しろと要求するか、非始祖由来という経歴上の弱味があるために近隣国の友好関係を言祝ぐ程度だ。

だが、巡行となると、まずい。

正確に言うならば、東トリステインは、条約上はゲルマニアの権益圏だ。だが、それは利害当事者であるアルビオンとゲルマニア間での合意に過ぎない。トリステインやロマリアといった外部の連中を含めた一種のコンセンサスではある。

だから、政治的な合意であり実質的にこれで行こうということにはなっている。

だが、内実は非常に危ういバランスの上に立っているのが実態だ。

一応、トリスタニア、タルブ、ラ・ローシェルといった戦略上の要衝とその付随地域はゲルマニア本国の統治下にある。だが、それ以外の東トリステインの大半は諸候領だ。言い換えれば、ブリミル教徒同士の、不毛な戦争に反対し、王家に諌言を呈し奉り、教義上の理由から、ゲルマニアとの融和関係を構築しようとしている良識ある諸候ということである。

つまりは、風見鶏。

なにしろ、こいつらは厳密な意味で、ゲルマニアの臣下ではない。ゲルマニアの爵位ではなく、依然としてトリステインの爵位を名乗っているところからして、連中が非始祖由来のゲルマニアに対して内心でどう思っているかが察せられる。ゲルマニアの支配下にいるとはいえ、腰かけ程度に考えている可能性は常に付きまとう。

そいつらを束ねるべきは、リッシュモン卿だが、これは政治的怪物だ。どうも、最初期こそ、相互に誤解があったがために行動に齟齬が生まれていたが現在はよくよくお互いの立場を理解している。つまり、純粋に利害関係だ。

・・・連中が、アルビオンにつかないという保証はどこにもない。

「ラムド卿、その、岳父として、乱れた国土を鎮撫するは、余の義務であると。」

「岳父?嫌な表現だな。」

外れ年のワインのように苦いものがこみ上げてくる。アルビオン王家が政治的自殺を図りでもしない限り自発的にはありえない表現だ。ますます巡行の意味が分からなくなる。トリステインで帰属が曖昧な連中を動揺させるためではなく、色分けの固定化のために動くなど、ありえない。国家理性は、善良からは程遠く、邪悪なものというのが、外交の常識中の常識だ。

アンリエッタ王女と王太子を結婚させて大陸進出を実現する。
ついでに、ゲルマニアとの友好関係を構築する。

これらは、まことにアルビオンの国益にかなった選択肢であるだろう。
そのことは、紛れもない事実だ。

しかし、トリステインが分割される以前ならばという但し書きが付くべきだ。弱体な王家との婚姻は多くの義務をアルビオン王家に課す一方で、王権の強化にはつながらない。なにより、有力な藩屏を築くどころか、ことごとく国内の有力な貴族に侮られかねないのは、王家の婚姻政策としては貴族側の政略的大勝だ。

亡国の姫君を守る騎士というプリンス・オブ・ウェールズは実に気高いのかもしれないが、現在は実に厄介な火種としかならない。商権を持っている北部の大貴族達にとっては、魅力的な交易の機会がもたらされようが、潜在的なゲルマニアとの緊張関係を回避するためには東トリステインの権益を明確に放棄する必要がある。そしてそれは、トリステイン王党派にとっては悪夢だろう。つい先だって、彼らがトリステイン王家の権益を守るために龍騎士隊に志願した事と合わせて考えれば、彼らの貢献を裏切るような形だ。よほど火種になりかねない。

「トリステイン分割線を承認するのは間違いないのだな?」

「事実上、トリステイン王国岳父としての形式での声明になります。」

つまりは、アルビオン王家ははっきりと宣言したのだ。トリステインは分割されたと。そして、トリステインに対する宗主国の権限で持って、トリステイン王国は、東トリステインの領有権を放棄すると。

「・・・わからん。何故、この時期にアルビオン王家がそのように動く?」

まったくもって支離滅裂だ。一個一個をつなぎ合わせていけば、其れなりの理由や合理性が付きまとうが、全体の流れで見た場合、何がしたいのかさっぱり理解できない。よほどアルビオンは賽で国家の行く末を決めていると信じかねない程に、一貫性がないのだ。

「アルビオン方面からの報告では、一部の艦隊に動きがみられるとのことですが。」

出された書類を見る限りでは、本国艦隊の一部が、防衛体制に入っているとの報告が届けられている。これが、侵攻体制ならば、即刻開戦だが防衛体制というのが理解できぬ。いったい何に備えるというのだ?ガリア?我らゲルマニア?それと、ロマリア?しかし、その何れも、アルビオン艦隊と交戦し得るものはないのだが。

「・・・本国に急報だ。合わせて、トリスタニアに伝令。準戦時勧告を。」

「アルビオンが裏切ると?」

「いや、何が起こるかわからん。だから、備えるほかにないのだ。」







彼らは、憤っていた。
無能王を支持するゲルマニアは、所詮成り上がりどもの成金だ。
なるほど、正統な王権はさぞかし眩しいのだろう。
始祖の恩寵である魔法を使えない無能王であれば、彼の国の皇帝とやらも恥じ入らずにすむのだ。そのことを考えれば、正統な王家に味方する勇士を叩き潰したのにも納得がいく。

なによりも、あの蛇蝎のような汚い策謀を得意とする皇帝ならば、無能王をして、王権につけることも成し遂げうる。汚い手を使いなれているゲルマニアならば、賢明で清廉な王弟を排除して、ジョゼフを王に即位させることも可能だろう。

はじめに、ガリアの王権は汚された。

アルビオンのモード大公が粛清されたという。何故、粛清されたのか?漏れ聞こえてくる王家の醜聞は、全く理解できない粛清劇だという風聞でしかない。そう、何故なのだろうか?

現国王は、暗君か?

国民と貴族からは敬意を払われ、諸外国からも尊敬される統治を敷く、王である。

暴君であるか?

この粛清劇以前は厳格ではあっても正義に忠実な王権の体現者であられた。

では、モード大公に問題があったのか?

いや、モード大公は、王弟として忠実であった。それどころか、兄王との仲は良好で、王太子の即位に対しても、極めて篤実な支持を与えるとみなされていた。まさに、王家の藩屏として理想的な王弟であるにも関わらず、突如として粛清されたのだ。それも、モード大公に与する南部諸候ごと。弁明も裁判もなく、突発的に王家が王弟を粛清した。本来、通常ではありうべからざる事態だ。

何故だろうか?

ところで、モード大公の近辺よれば奇妙な傾向があったという。幾度か、兄王に召喚され段々と関係が悪化していたように見えるという。良好な統治を両者ともにし、対立する利害関係などないように見える二人がだ。

さて、このころのことだ。
急にゲルマニアは空軍の増強に乗り出した。
陸軍でも、海軍でもなく、空軍である。
そして、現在でも急激にゲルマニア空軍は増強されている。
いったい、何にその空軍力を使うのだろうか?

そして、唐突にアルビオンと合同訓練がやりたいと言い出した。
あたかも実戦形式で、アルビオンと合同訓練を何故、ゲルマニアはあの時期に行おうとしたのだろうか?

その前後に、アルビオンに対して、ゲルマニアの国立船団、ムーダがわざわざ南部に寄港していたのは偶然なのだろうか?ゲルマニアから空路を取るならば、わざわざ南部に重点を置く理由があるのだろうか?なにより、何故、ゲルマニアは亡命者を大量に抱え込んでいるのだろうか?それも、モード大公派と見なされていた諸候らの子弟に限って。

ゲルマニアは何を考えていたのだろうか?

それは考えれば考えるほどゲルマニアの意図は下種の所業に他ならない。

今ゲルマニアはアルビオンの王権をも脅かし、それどころかトリステインの王権を踏みにじった。そこに、答えがあった。

聞けば、意図的に国境紛争を惹き起こし、艦隊戦力で持って蹂躙したという。トリステインの健闘もむなしく、おぞましい裏切りが起こされた。リッシュモンはまさに、腐敗の権化であり、悪臣の代表格だろう。それを、ゲルマニアは重用している。もはや、意味するところは明白ではないだろうか?

正統なトリステイン・アルビオンの王家の付き合いを蹂躙し、トリステインの領土を不当にも奪取した揚句そこに居直っている。聞けば、トリスタニアを蹂躙する際には、アンリエッタ王女という幼い王女を重武装の艦隊で追いかけまわした揚句に、枢機卿の身を呈した囮に引っ掛かり、ガリア寸前まで追跡をするという狂騒をやってのけた。

だが、さらにそこから恐るべき推論が導き出される事態があった。トリステイン王家の藩屏として、ある公爵家は先の戦争で一歩も引かない奮戦ぶりを見せ、賞賛されていた。その娘も王家に忠実であらんとし、王女の影武者を務めた挙句ガリア直前で捕捉された際に、爆炎を使う立派なメイジとして奮戦した。

そこまでならば、素晴らしい美談で済む。

だが、不思議な事態が起こった。

ゲルマニアは追撃艦隊の司令が吹き飛ばされるという醜態まで晒した揚句、ようやく力尽きた彼女を拘束するに留め、それどころか無条件で釈放した。わざわざ、捕虜交換の第一陣として交換する捕虜も無しに。

そして、一歩も引かない奮戦の実態は、単なるにらみ合いであった。損害も出さずにただ、にらみ合っている。それも、有力な諸候軍をことごとくひきつれてだ。まるで、ゲルマニアのために戦力を動かさないでいるようなものだった。

いや、それどころか、ゲルマニアは艦隊すらこちらに回していなかったことが明らかになった。もしや、某公爵令嬢は確かに愛国者であったのかもしれないが、その家はどうであったのだろうかと考えるだけ無駄ではないか。

つまり、王家に連なる藩屏どころか、最も王家に近しい逆臣だったのではないだろうか?なにしろ、国境紛争が起きたのもかの公爵家の管轄する地域でのこと。まるで、ゲルマニアに大義名分を与えるために存在しているような公爵家がゲルマニアの長い手として活動していなかったと誰に言えようか。だからこそ、家よりも王家に忠実であった愛国者たる令嬢は、今なお幽閉されているのではないのか?

もし、モード大公がこの某公爵家のような態度を取ったとすればどうなっていただろうか?現在のアルビオン王家、そして王権はどうなっていただろうか?

もしも。そう、あくまでも、『もしも』であるが、南部諸候らが貪欲にも権益を欲し、モード大公をかついで現王家に反旗を翻さんとゲルマニアに扇動されていたとしたらどうだろうか?

それを、兄王が気付き、粛清を行うように弟を説き伏せようとする。だが、自分の部下を信じて王弟が拒否したとしよう。兄王は、忸怩たる思いに駆られざるを得ない。放置し、誇り高き弟を逆賊として蜂起させるのか?断じて、説き伏せねばならないと。だが、モード大公が真に善良であり、王家に忠実かつ部下を信頼していたらどうであるか。

兄王は苦悩しながらも王弟もろとも粛清せねばならない事態になるのではないだろうか。なにしろ、モード大公には戦意がない。だから、兄王の粛清に蜂起せず受け入れる。そして、国王は、このような事態を惹き起こした南部諸公を許さないだろう。だからこそ、アルビオンは執拗に、南部諸候子弟を現在も掃討しているのではないだろうか?

つまりは、ゲルマニアの長く、そしてうす汚れた手に、アルビオンは危うく襲われるところであったのではないだろうか?

そして、つい先日は、あるブリミルの敬虔な僧院が襲撃され、完膚なきまでに破壊された。信徒を守るべく滞在していた聖堂騎士団を殲滅してまでだ。生半可な夜盗の仕業ではない。

この件に関して、ロマリアは懸命な捜索を大規模に続けているものの、真相は謎に包まれたままである。

ただ、北部新領とゲルマニアが呼ぶ地域特産かつゲルマニア方面で一般に使われている短刀が落ちていたとの噂が流れたことで、彼らは確信に十分至ることができた。

ああ、やはりやつらは異端なのだと。

考えてみれば、当然のことだ。

当たり前すぎることだが、あまりにもおぞましく考えたくなかったが、それが事実なのだと。

正統な王家の王権を汚し、あまつさえ、貴族に平民すら登用してのける。その平民は、メイジですらないのだ。いくら、成り上がりのゲルマニアといえども、これは看過しがたい事態でしかない。そして、ゲルマニアは何のために強大な軍事力を有しているのか?

それは、始祖の降臨された聖地を取り戻すための軍であるべきだった。

ところが、それは敬虔な信徒を殺戮するべく行動している。つまりは、エルフの味方であるような行動だ。いや、そもそもエルフの味方で無いと誰が言える?

東へ赴けば聖地だ。にもかかわらず、西に刀を向けるということは、もはや明白ではないのか?

『聖地へ!』誰かが叫ぶ。

「聖地へ!!!!!!!!!!!」
「聖地を我が手に!!!!!」
「エルフの手先どもに死を!!!!!」

感情のままに彼らは唱和する。

そう、ゲルマニアという異端は存在自体が許容されないのだ。
それは、ゆるされざる存在だ。

始祖の形成したもうた6000年の秩序に背く異端だ。
エルフに利する行為をする背教者の集まりだ。
ゆるされざる悪魔だ。

それは、地上から消されなければならない。

アルビオンから、ガリアから、トリステインで、彼らは目覚めた。

そもそも、元をたどればゲルマニアなど、トリステインの一総督が簒奪のために成り上がったような国だ。それを放置しておいたことが、現在の諸悪の根源を形成したのだと。

故に、彼らは宗教的な使命に応じる義務を悟った。

杖にかけて、その存在を粉砕せねばならないと。

それは、エルフ同様の存在が許されない国家だと。

『聖戦を!』
気がつけば、彼らはようやく敵の姿を悟ることができていた。遅すぎたくらいだが、彼らは遂に悟っている。もはや、欺かれることはない。

思い起こせば何故、聖地を奪還せんとする聖地奪還運動が幾度となく失敗したのか?多くの有徳の貴族が我が身を呈して聖戦に参加し、数多の犠牲を払ったにも関わらずだ。そんなことが何故起こりえたのだろうか?

エルフは恐るべき敵であるが、真の信仰を共にする鉄の団結を誇る貴族らが何故勝てなかったのだろうか?違う。その疑問は、前提から間違っていたのだ。

背後に常に裏切り者がいたのだ。
恥ずべき、裏切り者。
恥すらわかりえない悪魔の手先。

だから、聖地奪還運動は、常に背後から妨害され、背後を疑うことを知らなかった敬虔な信徒の屍を砂漠に並べるという悲劇を招いたのだ。つまり、背教者にすべての責任があるのだ。今や、背教者は素知らぬ顔をしてハルケギニア有数の大国として振舞うに至っている。

放置していれば、ゲルマニアという国家に真の信仰を共にする王家がことごとく危機にさらされるところであった。だが、危ういところではあるが、ようやく彼らは悟ったのだ。

背後からナイフで一突きしてきた忌むべき裏切り者の存在と、その正体に。今や、一刻の猶予がない時点にまで追い詰められているが、しかし、まだ間に合う。

疑問に思ってしかるべきであった。何故、非始祖由来の国家が存在するのかと。

エルフの手先なのだ。

故に、それは討伐されねばならない。それも今すぐに。

放置していれば、異端どもはますます力を蓄えるだろう。我々が抵抗し得なくなったとき、彼らは、エルフの先兵としてハルケギニアを征服しようとするに違いない。

無能王の下ではガリアは骨抜きにされている。
トリステインの勇士たちは、裏切りと戦いで撃ち滅ぼされる寸前であった。
ロマリアの聖堂騎士たちは、忌むべき暗殺者に狙われ、多くの犠牲を強いられている。
アルビオンは間一髪で国土をゲルマニアに犯される寸前で食い止めたものの、あまりに多くの犠牲を払っている。

もはや、本当に猶予がない。
今、連中が事態が発覚したということに気がついていないこの時しか猶予はないのだ。

『正義を!』

そう、この事態を打開するためには、彼らが正義を為さねばならない。

『鉄の団結を!』

そう、忌むべき裏切り者共に対抗するためにも、彼ら誇り高き真の貴族は団結しなければならない。

『始祖の恩寵があらんことを!』

そう、杖にかけてこの正義を為さねばならないのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

・・・更新速度について、弁明はありません。
ごめんなさい。

どうしようかと悩んだのですが、やはりクルセイドで行こうと思います。

でも、アンアン・テレジア化計画は勝手に進捗中。

まあ、最初はプロイセンにぼこられるのと同様に、ゲルマニアに毟られますが。



[15007] 第七十八話 美しき平和 5
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/03/06 18:45
帝政ゲルマニアとは、何か。それは、恐るべき実力主義に裏打ちされた良質な統治システム、まともな国家戦略、そしてなによりも緻密な情勢分析能力をその時代において持ち得ていた稀有な国家である。

では、帝政ゲルマニアの同時代の評価はどうだろうか。隣国のトリステイン曰く、魔法技術でガリアに劣り、メイジの割合でトリステインに劣り、空軍の練度でアルビオンに劣る国家であり、始祖由来ですらない。

これらの事実は、間違いなく事実ではある。ゲルマニア自身をして、この事実を良く理解し、トリステインと同様の見解に至っている。

すなわち、ゲルマニアの空軍は、ガリア自慢の両用艦隊を打ち破ることが可能であり、トリステイン軍は、鎧袖一触であり、アルビオン空軍を圧倒する規模を誇ってはいるものの、確かに上記の欠点が存在するのを認めるには吝かでもない、と。

無論当然のことではあるが、この当時のゲルマニアは新興の成長途上にある大国であり、他の国家に比べてかなり歴史が浅いのは否めない事実であった。言い換えれば、経験があまりにも不足していたということである。

故に、ゲルマニアはその当時、情勢分析において致命的な錯誤を犯すこととなった。いや、錯誤というよりはゲルマニアの優秀な官僚は、その優秀さ故に、事態が致命的に至るまで問題を認識し得ずにいたというのが実態である。帝政ゲルマニアの根本的な錯誤が明らかになるのは、ロバート・コクラン卿が事態を正しく認識し、文字通り唖然としてからである。

歴史的にみた場合、事態の初動において、北方の辺境伯としてコクラン卿が帝都ヴィンドボナを空けていたことはゲルマニアにとって大いなる不幸であった。或いは、皇帝アルブレヒト三世までに、報告が上がらずに、事務レベルで処理されたことが悲劇であった。

さて、ゲルマニアが犯した錯誤とは何であろうか?

それは、極めて単純かつ、純粋なミスである。

そもそもゲルマニアは実に合理的な国家である。質実剛健というには、やや派手な傾向があるものの、物事の実利的に考える極めて現実的な世界に彼らは自らを置いていた。当時の皇帝、アルブレヒト三世に至っては当代きってのリアリストですらあったのだ。

なにしろ、無数の競争相手を蹴落とし、ゲルマニアの皇帝たるのだ。ゲルマニア官界においては、夢も希望も存在事態が、学者たちで議論すべき次元の議論でしかない。彼らにしてみれば、喰うか喰われるかの世界だ。そこには、希望的観測は身の破滅しか意味しない。馬鹿げた行為は、付け込むものでこそあれ、自分がすべきことではない。そして、なによりも、馬鹿な事をすることほど無意味な事もない。

だから、彼らは、現実を見て、極めてリアリズムに忠実であった。だから、そうであったがゆえに錯誤を犯すことになる。

彼らは、敵も自分達に勝らなくとも、すべからく交渉相手とは一定程度には頭がまともであると信じる世界に生きていた。つまり、限界はあるにしても、人間とは極力合理的な判断によって行動するであろういうことに疑いを持ちえなかった。彼らは、ごくごく純粋に人間とは合理的であると信ずるパラダイムに生きていた。

言い換えれば、ある種の愚行に対して、彼らはまさか、そんなバカな事をするわけがないだろうと判断してしまう悪癖があった。なにしろ、彼らの思考ではなんら利益を得るところがなく、盛大な浪費につながるような行動を起こす人間がいるはずがないからだ。道連れに自爆しようという発想は、辛うじて彼らも予見し、理解し得る範疇であったものの、無意味な集団自殺に類する行動は彼らの理解し得る範疇ではなかったのだ。

なにしろ、そんなバカなことはしないだろうから。

この、人間の合理性に対する過信は、特にゲルマニアという新興の国家において深刻な水準であった。なにしろ、彼らは合理的な世界で生きてきた。隣国の最も話の通じないトリステインでさえ、鳥の骨というまともな対話チャンネルが存在していたことが、さらに彼らのパラダイムを強化してしまっていた。

『あの、トリステインですら、一定以上の人間はまともに考えられるのだ。ならば、それ以下の無能が存在し得ようか?』
・・・あるゲルマニア軍部でかく、呟かれるほどに、彼らは夢を見るには余りにも醒めた人種であった。

一般の面々ならば、普通に考えて、そのような馬鹿な真似はするはずがない。あの不毛な対トリステイン戦争は事故のようなものだった。だから、次はそんなこともないだろう、と。

他方、同時代のアルビオン王室は、経験上必ずしも人間や統治者が合理的でないことを知悉し得ていた。彼の国は、国土の面積が遥かに劣るにも関わらず、ゲルマニア・ガリアの両大国に伍してきたのだ。それを為すためには、人間理解は深くならざるを得ず、かつ根本的には人間不信を基盤とした外交感覚が否応なく育まれてきた。

本質的に、アルビオンは経験の蓄積という最も高い授業料を幾代にもわたって払ってきたがために、事態を最も鋭敏に察知し得たといえる。

つまり、熱狂と狂奔を、アルビオンは悟り、忌避した。故に、彼の国はこの災害からの損害を最小限度に抑えたどころか、辛うじてではあるものの、最終的な収支を黒字に持ち込むことに成功している。

ゲルマニアの軍務官僚をして、10年対ガリア戦に影響をもたらすと嘆かせた『聖戦』は、ひしひしと、ゲルマニアが眠っている間に近づきつつあった。


年代記『あの狂騒に駆られた時代』より抜粋



辛うじて、処理し終えた書類を上司へ送るべく待っていた秘書官を呼び入れようとベルに手を伸ばした時だった。慌ただしい足音。つまり、厄介事をもたらす聞きなれた音が、どたばたとこちらへ近づいてくるのに気がつく。聞きなれたことを嘆くべきか、駆けこんでくることを嘆くべきか。

「・・・・ままならんな。ようやく、遅い昼食かと思ったのだが。」

まさか、部下の前で溜息をつくわけにもいかないだろう。気分を紛らわすように頭を振ると、羽ペンを置いて入室してくるであろう悪い知らせに備えるべく、ひと呼吸。ゲルマニア官吏が何故優秀かと言えば、間違いなく実践あるのみだ。少し昔の自分ならば、杖を片手に亜人討伐こそが辺境貴族の本領と思っていただろうが、今となっては其れすら楽なのだと思える。

「ミス・カラム。至急決済をお伺いしたい事態です。」

飛び込んできたのは、アルビオン人街の監視に充てていた風メイジたちの取りまとめ役。貴族の無意味に高尚な表現ならば、『善き隣人たちの善き友人』。監視役としてではなく、あくまでも接待役として送り込まれている人間である。普通は、持ち場を離れる人間ではない。つまり、彼が飛び込んでくるほどの事態が起きているということだ。これは、当分机を枕に、羽ペンと従士を酷使することにならざるを得ない。今ばかりは、山のようなエキューの給金よりもわずかな睡眠時間へひたすらに恋焦がれる思いだ。

「なに、アルビオン貴族らに不穏な動きあり?」

だが、さすがに、これは眠気も疲労も吹き飛ぶような代物というほかにない。アルビオン人街に亡命してきた一部のアルビオン貴族らに不穏な動き、それも武装蜂起に足るような極めて過激な動向が見られるというのだ。亡命してきた、アルビオン南部諸候のメイジらが、蜂起する可能性あり。単なる流民や亜人討伐戦とは規模の違う鎮圧戦を最悪は覚悟しなくてはならない。

「はい、武装蜂起の兆候が。」

「・・・間違いないのか。」

だが、それにしてもアルビオンの、亡命貴族が、武装蜂起?いったいなぜ?

「コクラン卿には?」

「現在、伝令が向かっております。」

本当に、間の悪いこと!内心で、思わず彼女としては嘆息せざるを得ない状況である。なにしろ、北部新領の総責任者コクラン卿は、艦隊の視察で留守。留守居役の中で最高責任者は不幸にもヴィンドボナから委託される形で派遣されている私。つまり、面倒な事態をなるべくすばやく掌握し、解決しなくてはならない。

「ミス・カラム。部隊の展開許可を」

アルビオン人街は、政治的に様々な配慮を必要とするために、必要最小限度の治安維持要員を除いては、こちらの戦力が存在していない。無論、武装蜂起されるとなれば否応なく、鎮圧しなくてはならないし、未然に予防する意味合いも兼ねて多少の兵力を送り込むというのは選択肢の一つではある。だが、逆にそれは刺激することにもつながる。

「それが、きっかけとなりはしない?」

「現状、放置する方が危険であります。」

どちらに転んでも、後悔しかないのだろう。放置すれば、火種は広がるかもしれない。介入すれば、刺激するかもしれない。ならば、何も手を出せずに後悔するよりは、自身の信じる最善を尽くしておくほかにないと言える。

「歩兵をある程度。そうね・・・中隊までは許しましょう。それに、行政府の衛兵二個と、龍騎士隊の一個小隊を出します。刺激しない程度に取り巻きなさい。」

「最悪交戦すべきでしょうか?」

「亡命してきたアルビオン人全てが蜂起すれば、北部新領全体でなければ鎮圧は困難。交戦を禁じはしないけれども、最悪の時はせいぜい情報収集で構わないわ。」

無論、交戦など無意味極まりない。なにしろ、相手は、南部という地域から纏まって流れてきたメイジだ。言い換えれば、アルビオン南部諸候領のメイジがごろごろ集結しているに等しい。北部全体で鎮圧するならばともかく、在番の将兵のみで鎮圧できる相手ではない。せいぜい、こちらが蜂起に警戒しているという姿勢と、即座に踏み込まないことで尊重している事を示すくらいしかできることはない。

「わかりました。」

しかし、そういうことであると、やはり軍に動員をかけるべきか。与えられている権限では非常時にこそ軍の動員令を独断で出す権限が与えられてはいる物の、情勢としては微妙だ。亜人の大量南下でもあれば、留守居役らの判断で軍を動員し得るものの、アルビオンがらみとなると、少々火種が飛び散りすぎる。

「さて、肝心の私だけれども北部全域に召集命令と、警戒令をだすべきかしら。」

個人的には、警戒令程度はともかく、動員するのは、まずいと判断している。だが、いかんせん事は色々と厄介な要素も含んでいる以上、現場の判断も尊重したい。戦力が足りずに事態を徒に悪化させるのは、直属の上司や、その上の閣下のご機嫌を考えれば、愉快な事にはならない事だけは確実だろう。

「召集令はともかく、せめてもの警報は必要です。」

やはり、現場もそう思うか。そうであるならば、当初の予定通り警報を出しつつ、演習からコクラン卿が帰還されるのを待つのが得策だろう。どの道、戦時警報が警戒令で出されれば、即時動員体制を容量の良い部隊長ならば自主的にとりえる。だとすれば、さほどのタイムラグも生じずにすむだろう。

「わかったわ。報告御苦労。引き続き警戒に当たりなさい。」

部下をいたわりつつ、退室させると、気乗りしないとはいえ仕事と判断し、自分の名前で北部新領全体に、戦時警報を意味する暗号を作成すると、龍騎士隊の隊舎へ直接持参すべく立ちあがる。

これが、世の人が魔法学校では羨む高級官吏、エリートだというのだから、世の中は本当に上手くは出来ていないものだ。やりたいといっている奴らが、できるのならばやればいいのに。代われるというものならば、誰にだって代わってやる。それも、火急的かつ速やかにだ。



さて、アルビオン人街に不穏な兆候ありという報告は、時をそれほど違えずに、艦隊演習中の北部新領艦隊にあったロバートにも届けられていた。所定の艦隊演習行動中であった北部の艦隊にてロバートは、急を告げる龍騎士が急速に接近してくることを副官から告げられ、嫌な予感がするなと眉を軽く顰め、齎された情報を確認すると、やはり碌でもないことかと思わず部下の前にもかかわらず嘆息したくなるほど嫌になった。

「従兵、熱い紅茶の用意を!」

ともかく気を取り直すために、紅茶を用意させるべく従兵に命じると、ふと龍騎士が容易にこちらに接触できたということの意味が頭をよぎる。つまるところ、空中で、高らかに砲撃音を響かせている艦隊を発見することは、龍騎士にとっては容易極まる作業でしかない。今後の艦隊行動を行う際は、偽装と隠蔽にも課題があるか、と思いつつもまずは眼の前の事象に対応しなくてはならないことを思い出す。

「ギュンター、演習中止だ。ただし、さりげなく、それとなく。」

「・・・また無理難題を。」

艦橋で右に座ったギュンターが引き攣ったような苦笑を浮かべる。無論、それには当然の理由が存在するものだ。なにしろ、演習というものは始める際に理由が必要であるが、同時に終了するにも相応の理由が必要となるものだ。中止命令ならばいくらでも出せるが、さりげなく中止しろというのは彼にとっても。初めての注文かもしれない。

「全力射撃後、抜き打ちで巡察。ついで砲の点検。そのまま各艦の補修だ。」

「そこまで、でありますか」

演習とは言え、全力射撃。使用する火薬の量もそうだが、砲への消耗も軽くはない。当然、その後の混乱も眼に見えるようであるし、そこに巡察を入れるとなれば、艦隊の不平不満は考えたくもない水準になりかねない。誰だって、右往左往して忙しいところに、上司が抜き打ちで視察に来るなど喜ぶものか。そこで、砲にけちをつけられればたまったものではないだろう。

「その通りだ。さっそく海兵隊に巡察の用意をさせろ。」

「小官のフネで砲弾を転がされたくはないのでありますが。」

露骨ではないかもしれないが、兵にとってはちっとも歓迎できないイベントだ。ギュンターとて平民士官として今でこそ、士官だが、平民の気持ちならばよほど知悉している。メイジが如何にも傲慢に当たり散らすのに比べれば士官の巡察はましとはいえ、ましに過ぎない。演習中の艦隊、それも全力射撃後に抜き打ちの巡察など嫌がらせ以外の何物でもないだろう。要するに、上官が御不快を婉曲な表現で表わしているようなものだ。兵たちに落ち度があるならばともかく、現状では本当に単なる嫌がらせだ。

「理由はこれから話す。手配は副長にやらせろ。貴様は、公室に顔を出せ。」

「はっ、了解いたしました。」

ギュンターが、傍の副長に耳打ちして、つい今しがたの命令を遂行するように求めているのを背中に、提督執務室へと潜り込むと、つい先ほどダンドナルドより届けられた悪い知らせへ再度確認の意味を込めて眼を走らせる。やはり、どう読んでもアルビオン系の叛乱か。

「仮に鎮圧戦に発展すると、すれば・・・。ああ、これではだめか。」

艦隊戦力は、基本的に対地鎮圧戦など想定されていない。まともに、市街地を制圧しようと思えば、大量の歩兵とメイジが必要になるが、いかんせん急激に発展した北部は兵力がどうしても外周部分の警備に食われて、中心部の兵力が空白となってしまっている。艦隊だけでは、都市を更地にしでもしない限り鎮圧は困難。龍騎士隊は市街地空爆には使えることは使えるが、自分の街を空爆したがる龍騎士隊は極めて稀だろう。それならば、歩兵をどうにかしたほうが効率的だ。

「前線から引き抜く?いや、それくらいならば、近隣から増援を受けたほうがましか。」

純軍事的にみた場合、余力がある余所から援軍を呼び込むことは決して悪い選択肢ではない。北部新領に隣接する諸候軍の来援を仰げば、おそらく十分に鎮圧するだけの兵力は確保し得るだろう。何より、亜人等の南下に備えている部隊を引き抜くことは、辺境防衛上人心に最悪の不安をもたらす。

「しかし、とてもではないが、政治的には耐えがたい。」

ヴィンドボナよりの自分が、ここで諸候に借りを作るということの意味は、単に個人レベルの問題ではない。むしろ、中央集権化への碌でもない反論の材料を有力貴族らに提供するに等しいだろう。曰く『中央では、有事にこうしたことに対応できず、周辺諸侯の助力を仰ぐ始末。やはり、すべてを集権化するのは困難であり、これまで通りの封建的契約こそが最適解である。』と。それだけは、避けねばならない。従兵が用意した紅茶を傾けながら、思考を整理する。

「戦力が必要となるか。それも、出所がまともな。」

或いは、戦力を必要としない解決策か。可能であれば、軍事力の行使は尤も最後の選択肢でなければならない。言い換えれば、他に打つべき手段をことごとく尽くしてからになる。ともかく、戦力は余剰を少ないとはいえ集める一方で、平和的な解決も模索しておくべきだろう。

「ギュンター、入ります。」

「良くきた。そこの棚にある瓶から好きに選べ。」

「では、御言葉に甘えまして。」

ヴィンドボナでカットされた良質なガラスのグラスを取り出し、それをギュンターに出す。私は、明らかに紅茶派ではあるが他人の趣向に対して寛容であることは不可能ではない。唯一の異端は、紅茶に後からミルクを加える一派程度だ。どうにも考えが煮詰まって先に進めない。この思考の混迷具合をどうしたものだろうか。

「ああ、飲みながらで良いので情勢を説明しよう。」

整理するのだ。どこかに、見落としている要素は無いだろうか?思考が凝り固まっていないだろうか?ともかく、ある程度思考を片付けなくては、考えが彷徨って迷い道に入り込んで仕方がない。

「端的に言えば、アルビオン亡命貴族らの動向が危険な兆候を見せている。」

まだ、報告書によれば公的なものとまではなっていないものの、暴発は時間の問題。手をこまねくわけにはいかないという担当者の分析が付けられていた。事実、大量の火薬が集積されているとの情報が、いくつかの商会経由でもたらされている。貴族が火薬を集めるのはある程度までは軍役義務の範疇だろうが、この量ならば戦争すらできる。向こうは一戦交える気もあるということだ。

「パウロス師によれば、教会で祈る貴族が急激に増えている。それも、厄介なことにモード大公派の中核的な奴らがだ。」

言い換えれば、忠臣たちだ。義に生きる貴族は多くは無いが、皆無というわけではない。そして、その杖をどこに奴らが向けるかということを考えると、あまり愉快な想像は浮かべようがないだろう。金銭面での懐柔はむしろ逆効果になりかねない。説得するには大義名分が必要となる。旧南部諸候を説得するに足る大義名分だ。いっそアルビオン王家にでも応援を要請するべきだろうか?それは、後で考えるべきだろう。

「当然、声も大きい。最悪の場合、アルビオン人街を全て敵に回すことも想定せねばならん。」

人格を認められた指導者が蜂起を指示した場合、原住民の鎮圧戦すら厄介なものになりかねない。最終的には軍事力で鎮圧し得たとしても、その費用は莫大であり、植民地官僚としてのキャリアは事実上吹き飛ぶに等しい。故に、可能ならばなんとしても情勢が爆発する前に事態を収めておきたいところである。

「その理由が厄介きわまる嫌がらせのような風聞と来ている。」

「伺ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、あきれ果てる事を約束しよう。」

本当にくだらない欺瞞情報だ。プロパガンダの極致とすら言えるだろう。この話の筋道を立てた奴は本当に性格がコミュニスト並みにねじくれているに違いない。まともな神経では大凡考えつかない事だけは認めてやれるが。

「なんでも、モード大公派が粛清されたのは、アルビオンの弱体化を図るゲルマニアの陰謀であり、亡命という名で監視下に置かれているらしい。」

全くもって事実無根だ。そもそも、アルビオンという良識あるバランス感覚を有する同盟国との関係深化こそ望めども、どこの誰がアルビオンの弱体化など望むものだろうか。なにしろ、アルビオンに実質的なゲルマニアへの脅威は乏しいのだ。アルビオンはその地理的条件より、空軍戦力が主力の国家として防衛に特化している。

「アルビオンの弱体化をゲルマニアは現時点では全く望んでいないのだがな。」

無論、優秀な空軍による襲撃は可能だ。それでも、長期的な占領を考慮すれば、彼らが遠征軍をだして戦えるのは弱体なトリステイン程度。広大なゲルマニアを占領するには、人手不足もよいところだ。こんな条件の良いアルビオンというゲルマニアにとって良識的な同盟国が弱体化するのを歓迎するのはせいぜい、ガリアかロマリアくらいだろうと思う物なのだが。

「極めつけがすごい。何でも、モード大公の御落胤がサウスゴーダに連なる忠臣によって密かに守護され北部新領から逃げ出そうとしているらしい。」

「で、我が艦隊の行動はその阻止ということでありましょうか?」

「その通りらしい。なんでも、我々は追いかけっこが大好きらしいな。」

確かに、対トリステインでは散々対地追跡で通商破壊作戦や要人捕獲任務に従事した故に、そのような印象を抱かれてしまうのは理解できる。そう簡単にできるほどに長距離追跡が楽かと言われれば断じて、異なるが、それは余人に理解され得ない。だから、今回の演習は、演習ではなく追跡戦とでも風聞が流されているのだろう。

「当然、不穏なうわさを流されるわけにもいかない。ただちに帰還せざるを得ない。」

「その後はどうなされますか?」

全くもってその通り。演習中止後の行動こそが重要になってくる。そして、そこが悩みの種でもあるのだ。蜂起しようか迷っている連中の前に重武装の艦隊をひきつれて帰るというのはあまりにも露骨に過ぎる。

「二つ案がある。一つはフネを全てダンドナルドに戻すという方法だ。」

当然、全艦演習用とはいえ、実弾を装填済みであるため、戦力として運用できる上に、こちらが追跡戦などやっていないという政治的な証明にもなる。なによりも、蜂起が成功するかもという程度の見込みであれば、粉砕できるだろう。まああまり、その可能性が高くないということは、分かっているのだが。期待しない方が安全ではあるだろう。

「戦力の集中・威圧効果、しかし暴発を誘発する可能性でありますか。」

だが、これが火薬庫に火種を投じる真似ともならないでもない。歴史的な教訓は力による応酬は必ずしも正解ではないということだ。頭を使うべきであり、ナポレオンのように戦場で勝ち続けても、最後に笑うのは我が祖国ということを思い起こすべきだ。

「その通り。もう一つは、分散し、各地の停泊地に帰還させる方法。」

艦隊の分散配置は、一度の襲撃で全てを潰されないためには最適な方法であるが、確固撃破の対象ともなるために軍事上の常に付きまとうジレンマですらある。

「無用な刺激こそ避けられましょうが、有事には致命的ですな。」

「まあ、仕方がない。やらず後悔するよりは、やって後悔するほかにないだろうな。」

つまりは、艦隊を連れ戻すということだ。卵を一つの籠に入れるのは、良くないかもしれないが、分散撃破の的になるよりはましだと判断せざるを得ない。

「帰還だ。全艦でダンドナルドに帰還する。」

「なんでしたら、ブドウ弾の実弾射撃演習でもいかがですか?」

悪くない提案だ。どの道対地射撃を想定すれば、ブドウ弾の演習を行っておくのは慣熟訓練という以上に、弾が常に装填されているという状態の方が即応性は高まる。さすがに、射撃目標がなんであるかをそう簡単に漏らすわけにはいかないが、亜人を想定し打たせるべきだろう。あとは、鞭以上に飴があれば事は足りる。

「大変結構。それらが終わり次第、グロックの特配を手配しろ。」

「了解であります。」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

戦争がない=平和
軍隊がいる≠平和
=戦争がなければ軍隊もいらなくないだろうか?

この問題に対する解答は以下の通り。
・コミュニスト
原則としてその通りである。
故に、帝国主義的な資本主義国家はただちに軍隊を手放すべきである。
ただし、世界革命に邁進する観点から、人民には武装するべき時がある。

・英国人(WW1~WW2くらい)
原則として、この件には基本的に同意する。
ただし、大英帝国の艦隊戦力が他国の全てを結集したものを上回る規模で維持される場合のみ、英国は余剰戦力の削減に同意するものとする。

・米国人
原則としては間違いない。
私も、一個人として平和が訪れ、軍備を溶かして農具とかし、大地に向き合うことを切実に願っている。
私達は、合衆国に対する邪悪な侵略が完全に排除されるという状況が達成されしだい、ただちに取り組む用意がある。

・平和国家
我が国には、軍隊が存在せず、故に最も平和である。



ええと、なにが言いたいかと言えば、軍隊という暴力装置が活動していても、公式には平和なのです。つまり、タイトル『美しき平和』に嘘偽りなし。

まあ、単なるアイロニーを言っているだけではアレなので、少々付けたしを。今後の方針です。

・綺麗なワルド
立派なメイジです。
※予め明言しておくと、彼だけは本当に綺麗です。

・真黒な皇帝陛下
時々冤罪をかけられるのは間違いありません。ですが、真黒なことも間違いありません。

・真黒友達無能王
彼もまた誤解された人間なのです。

・真っ白な信徒たちの導き手
ロマリアは目的のためには手段を選ばず情熱的になります。

・えげれすじん
彼は、陸戦は苦手です。


※ご指摘のあった誤字の修正を3/6の18:44くらいにしました。



[15007] 第七十九話 美しき平和 6
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/03/16 02:31
「先行した龍騎士隊より伝令。“ワレ異常ヲ認メズ。”」

アルビオン王国本国艦隊、第二戦隊、旗艦アーク・ロワイヤル。その名も音に聞こえたハルケギニアきっての戦列艦であり、既存の戦列艦としては最大級を誇る。そのアーク・ロワイヤル艦橋は、居並ぶ高級士官たちの緊張した精神状態を反映してか実戦そのものの張り詰めた緊張に包まれていた。

「これで、空域の安全は、一応は確保されたというわけですな。」

「いや、対地偵察次第だ。ピケット艦の報告あるまで、三種戦闘配置を維持。」

アルビオン王国国王陛下の護衛としてトリステイン方面へ進出してきた第二戦隊。彼らは、全艦砲口を命令あり次第いつでも開けるようにしつつ、敵地襲撃巡行さながらに名目上の友好地域上空を通過中であった。

「ピケット艦、ホレーションより急報!平穏なれども、波高し。」

「波高し?間違いないな!?」

「間違いありません!」

平穏なれど、つまりは現在のところは敵意無し。されどはっきりと戦備を整えつつあるという前衛の報告は、歴戦の彼らをしてじりじりと恐ろしい焦燥感と危惧を感じずにはおられなくするものである。なにしろ、第二戦隊は、戦列艦4隻を含めた重戦列戦隊ではあるものの、本国艦隊のごく一部に過ぎない。

「次発の龍騎士隊は予定を繰り上げて発進させろ。それに反応があれば、反転する。」

「全艦対龍騎士戦闘を想定せよ。」

「第二種戦闘配置!」

艦橋で矢継ぎ早に出される指示を、伝声管や伝令が手際よく艦内へと伝達し、急速に戦備を整える。

「よろしいですな?」

本当に可能であれば、今すぐにでも全力で反転したい。そう言わんばかりの表情をしながらも居合わせるトリステイン・アルビオンのお偉方にクルーの意見を代表して提督がお伺いを立てる。この巡行の目的は完全に達せられた。灰色かと思い、確かめるべく派遣されてきたが、真黒い外の何物でもないことが明らかにわかる。

「状況が状況ですからな。致し方ありますまい。」

「陛下は御帰りになられたのだ。多少の危険を冒してでも、進むべきではないのかね?」

当然、お偉いさんという偉い荷物を抱え込んでいる艦隊にとっては少しも嬉しいとは言えない事態だ。なにしろ、彼らは、状況が黒ければ、それに対応するように王都から指示されている。つまり、渦中に飛び込む必要があり、そのお乗り物はありがたくも光栄なことに彼ら第二戦隊となる。

「レコンキスタ、でありましたか。連中と本気で交渉なされるおつもりですか?」

「交渉?まさか!」

面白い事を聞いた。そう言わんばかりに笑いだす法衣貴族に思わず、顔を顰めつつ艦長が一応の礼節を保ったまま、気が狂っているならブリッジから叩きだしてやろうと決意を固めて問いかける。

「いかがされました?」

「艦長、言葉の通じない獣相手に交渉できるのかね?」」

その事を察したか、我関せずと我が道をゆくのか。彼は、実に愉快な事を提言されていると言わんばかりに、盛大に笑顔を浮かべてくる。いっそ優しいとすら言えるような微笑みを浮かべ、慈父が愛しい子どもに問いかけるような問いかけに一瞬怯んだのだろうが、艦長はそれでも、平静を保った。

「無理でしょうな。」

言葉の通じない亜人は、ことごとく討伐の対象である。まあ、エルフのように言葉が話せても不倶戴天の敵というものが存在するとはいえ、言葉も通じないような連中はそもそも問題にならないのは言うまでもない。

「そうだろうともさ。だから、我々はせいぜい交渉のまねごとに付き合って差し上げて、えさでも放り投げてやるだけではないか。」

「よろしいのですか?飼いならせない獣は、殺すほかに使い道は無いはずでありますが。」

使い魔のように契約で飼いならすなり、龍騎士の龍のように有益に飼いならせるならば、餌を与える価値もある。だが、下手に亜人の群れの前に餌を投じるのは、自殺行為であるか、そうでなくとも基本的には無益極まりない。

「いや、実にその通りなのだよ。私としても、そうしたいのは山々なのだ。」

実に同感であると、全身で同意を示しつつ、顔を顰めるという器用なことをやりながら、彼は実に忌々しげに肩をすくめる。そうすることで、あたかも不本意極まりないのだと示しているのだとすれば、明日路頭に迷うことになったとしても、即座に役者としてやっていけるだろう。

「ただ、何も我がアルビオンが処刑の役目を独りで背負う事はあるまい。」

「なるほど。我が国には、頼りになる同盟国がありますからな。」

帝政ゲルマニアは実に厄介だが、それでも同盟国である。それも、格段に優れた軍事力を保持し、それらが豊富な実戦経験を持ちそろえたという同盟国として実にえ難い戦力である。故に、理屈の上では、アルビオンが単独で問題を処理できないであれば、ゲルマニアの力を上手く使う必要がある。と、理屈をこねまわしている理論屋ならではの理屈で持って彼らは、アルビオンの王政府を動かした。

「私としては甚だ不本意だが、今のアルビオンは戦争よりも政争で手がいっぱいだ。ならば、他を頼るほかにあるまい。」

なによりも、アルビオン王室をしてこのような方針を決定させ得たのはひとえに国内情勢によるものである。アルビオンは、未だ外征はおろか、防衛戦すら危ぶまれるほどに国内情勢が不穏なのだ。先日、ゲルマニアの北部に大量亡命した旧モード大公派の動向が急激に不穏化して以来、国内の問題は急速に悪化し、今や問題が表面化する寸前となった。

はっきりと言えば、アルビオンは、外のことに関心を割く余力がほとんどない。

「せいぜい、同盟国に期待するとしようではないか。」

故に、彼らは、同盟国であるゲルマニアに期待する。

そう。ゲルマニアが、同盟国であるアルビオンに期待するのと同様に。



ギュンターと頭を痛めながらも辛うじて、ロバートは必要な戦力の抽出計算と、増援の見通しを立案していた。何を選択し、何を捨てるかが難しいとはいえ、基本的に選択肢があるだけましというものだと、歎きながら。

「では、ムーダを戦力と為すと?」

「正確には護衛艦と護衛要員をだ。」

手にしたカップが空いたために、従兵に手配するように指示を出すと、ロバートは資料の中から、航路防衛についている部隊のリストを抜き出し、該当する部分を指さす。軽コルベットを主体としたムーダの護衛部隊は対艦戦闘能力こそ、劣る。だが、人員を運ぶ点から多数の傭兵や、護衛用の龍騎士も少数とはいえ搭載しているため、フネの戦力こそ乏しくとも、鎮圧戦に使う分には十分に戦力と見なせる。

「政治的にも、中央の色が強い。動員になんら問題はないはずだ。」

ムーダという国営の運送船団は、その成立過程からして明らかに中央の意向を濃厚に反映した組織だろう。さらに言えば、比較的中央の統制に服している空軍の中でも、ムーダの護衛部隊はヴィンドボナ派閥で完全に固められ、物流を掌握すべく図られてきた。当然、ロバートにとっては使いやすい部隊と言える。なにより、北部全域での指揮権上、最も抵抗なく動員し得るのだ。

「しかし、それとて戦力としては不完全であります。」

だが、その戦力はギュンターが危惧するように、完璧ではない。いや、護衛戦力としては十分以上の水準を保っているが、純粋に目的が違う用途に使うには、いささか数が足りないのだ。

「わかっている。だから、辺境諸候を部分的に動員せざるを得ん。」

「動員されるので?」

「せざるをえまい。」

その事を考えれば、周辺の諸候軍に頼らざるを得ない。そのことは自明だが、ギュンターにしてみれば、過剰なほどに彼のボスは諸候軍の動員を忌避している。何しろ、つい先ほどまで、対亜人の前線から戦力抽出を本気で検討するほどだったのだ。無論、其れが不可能であると認め、適切な次善の策を模索しているという点でボスの能力に彼が疑問を呈するわけではない。だが、その点が彼には引っ掛かって仕方がなかった。

「だとすれば、全面動員ではなくてよろしいのですか。」

政治的に中央の統制に服したがらない諸候を率いるのだ。部分動員では、公平性を欠くではないか?或いは、全面動員をかけたほうが、まだましではないのか。なにしろ、部分動員とは、特定の諸候に助力を求めるようなものだ。言い換えれば、口の軽い雀に特定の諸候へ依存していると受け取られかねない。

「応じんよ。」

それは、ロバートとて考えていないわけではない。むしろ、考えた末の部分動員である。

「はっ?」

「選帝侯らの息がかかった諸侯は全面動員を拒むということだ。」

そもそも、帝政ゲルマニアの弱点は国力の割に、纏まりが弱く、ガリアに比較して常に国土の割に実力で劣っているという点である。だが、言い換えれば、その分諸候らの権限は強い。中央集権を恐るべき手腕でいつの間にか成し遂げつつあるガリアと異なり、ゲルマニアで中央集権を為すには、この諸候らの抵抗を粉砕し、ひれ伏させる必要がある。だが、大人しく屈服するほど諸候は牙を抜かれているわけではない。当然、隙あらばこちらの網を喰い破ろうとするだろう。

「・・・それほど、我らは目の敵にされていると?」

「ご名答。邪魔なのだろうな。まあ、お互い様故に、我らは極めて同じ事を考えているということになるのだろうな。」

だからこそ、全面動員という形で踏み絵を迫ることは、政治的に危険すぎるどころか悪手だ。向こうが積極的に敵対することを選択していない以上、こちらから敵対するように仕向けるのは、エスカルゴが迂闊にも宣戦布告してくるのを待ち望んでいるビスマルクでもない限りやるべきではないし、やれるものではない。今の均衡を崩すことは、とんでもない事態を惹き起こすことがほぼ確実なのだ。

「故に、個人的な友誼による形で、処理する。」

「個人的な友好関係でありますか?」

ロバートは、軍人である。先立っては北部諸候らと共同でトリステイン方面に従軍し、ある程度以上の戦功とそれに伴う恩賞を従軍した諸候らと分かち合っている。身も蓋もなく言えば、稼がせた。つまり、近隣の諸候にしてみれば、隣人として付き合っていて損の無い相手だ。なにより、近隣の諸候にしてみれば、アルビオン系貴族らが暴動を起こせば問題が波及しかねないこともあり、比較的動員に応じてくれる確率は高い。

「辺境諸公は助け合わねばならない。そういうではないか。」

もともと、辺境諸公はお互いに兵力の融通を行い、亜人討伐戦はもとより、警戒線の構築や通商にかけても其れなりに関係が深い。北部新領は、やや中央集権の観点からダンドナルドに強力な戦力と経済的基盤が整備されてはいるものの、やはり周辺諸侯との関係を適当に処理できる物でもないために、隣人として助け合うには困らない程度の関係は構築している。

「まあ、もちろん遠方の貴族らが援助してくれるに越したことはないがな。」

無論、頼りすぎるということは望ましくない。何より、兵力は多いに越したことは無いのだ。当然、近隣の有力な貴族で、協力的な家門には支援を要請するべきだろうし、ヴィンドボナにも可能であれば支援を要請しておくべきではある。

「では、カラム嬢の御実家でも頼られますか?」

「政治的には悪くはないが、遠すぎる。」

信頼はできる。だが、あまりにも時間がかかりすぎる選択肢だ。当然、事が終わった後に、支援を要請し、経済的な援助を求めるのは良いだろうが、即応性が求められる今となっては、むしろ時間が惜しい。

「確かに、時間との戦いにならざるを得ませんな。」

ギュンターとロバートは一つの共通点を持つ。それは、彼らが共に非メイジという点であり、同時にフネと船に乗り組んできたということである。要するに、彼らは船頭が多くなる事を嫌う。そして、なによりも、今手元にあるもので何とかやりくりする現実的な習慣が身についている。なにしろ、洋上でものが足りないと嘆いたところで、足りないものは決して湧き出てくるものではないからだ。

「まあ、実際には各員の伝手を頼るしかあるまい。」

その意味で、北部新領に近隣から奉職しているメイジらの実家や、関係者らは支援要請先としては当然有望である。なにしろ、一門の人員を帝政ゲルマニアの中央集権推進派が統治する北部で奉職させることを認めている面々だ。こちらの内情を知りたいという思惑などもあるにはあるだろうが、少なくとも、ある程度こちらに肩入れているのは間違いない。なにより、近いのだ。時間が大きな要素を占める時、この事は絶対に無視し得ない。

「だが、個人的には、本当に軍を動員せずに済ませられないかとの思いがある。」

「平和的な解決でありますか?」

「最小限の武力行使と言い換えてもよい。扇動者を捕えられれば良いのだが。」

少し頭を働かせれば、絶対におかしいのだ。何故、アルビオン貴族が、今蜂起する必要がある?モード大公派と言えば聞こえは良いが、国家の庇護なき武力集団というのがせいぜいの実態だ。それを、ゲルマニアが様々な思惑があって一時的にせよ、受け入れているのが現実なのだ。抑圧されていると亡命貴族らが本気で陰謀論を信じ込むには、少々利害関係が乏しすぎる。アルビオンに帰れば、狩りたてられる連中が、ここで監視下にあるとして蜂起するには、少々動機が弱すぎるだろう。

「また、例のガリアの長い手でありますか?」

当然、考えれば考えるほど、とある国家の長い手を想像せざるを得ない。彼らにしてみれば、今更ながら、なんとも長いことだと忌々しい限りを歎かざるを得ない程だ。アルビオンといい、トリステインといい、ガリアはどこまで手を伸ばしているのだろうか?本当にその勤勉さには休養を勧告してしかるべき水準だ。

「ありえないと言えるかね?」

だからこそ、もしやガリアでは?とロバートは勘ぐり、ギュンターが常識的な見解としてガリアだろうか?と提示したことがありえない筈もないだろうと、示唆する。

「・・・断言致しかねます。」

「そうだろうよ。まったく、ハルケギニアとはガリアの遊び場だったのかね?」

アカども以上に、我が物顔でガリアが掻き乱してくるとは、本当にメイジ至上主義に囚われない優秀な国王がこれほど厄介だとは!全く、ガリアの無能王とやら、可能であれば一度その顔を見てみたいものだとロバートなど本気で思っている。

「北部新領では、かなり厳重な防諜体制を構築したはずでありますが。」

「ギュンター、上官を馬鹿にしているなら止めておくことだ。」

ロバートにしてみれば、本業は情報士官などではなく海軍士官だ。情報戦など、一般的な知識以上には知りえていないし、多少の素地があろうとも、本業の連中と渡り合えると自惚れるほどに間抜けでもない。あくまでも、他よりは多少ましという程度の防諜ではガリアに面倒が増えたと思わせる程度の効果しか期待できないと諦観する程度には現実が見えている。

「それにしても全く、人の庭に手を入れるとは無粋極まる連中だ。」

「現実に、扇動者を捕まえられるでありましょうか?」

疑問としてあるのは、扇動者の有無と、その確保がし得るかということにある。仮に扇動者を発見し得たところで何事もなく鎮圧し、取り押さえられると考えるのは、あまりにも楽観的に過ぎる見解だ。

「捕まえるのだ。そうしなければ、やっと終わった戦争を、またしなくてはならないのだぞ!」

だが、戦争に等しい鎮圧戦を行うより、よほどましでもある。だからこそ、断じて、これは火種を早期に消さねばならないのだ。ゲルマニアの内政事情以上に、拡大させてしまえば様々なところから、いらぬ介入を受けることにもなりかねない。そうなれば、事の厄介さは急速に跳ね上がっていくだろう。そうでなくとも、厄介なのだ。これ以上の問題は、できれば避けたい。

「最悪には備えつつ、扇動者を穏便にとらえよと?なんという無理難題を・・・。」

「なに、部下を限界まで酷使するのが、提督の特権なのだよ。」



部下を酷使する。その点に関して、コクラン卿に勝らずとも劣らぬことを彼の留守居役は行動によって証明してきた。少なくとも、彼女が勤勉であることを疑う属僚はいないものの、同時に限界まで能力を酷使することも骨身にしみて実体験済みである

「ミスタ・ネポス!」

そんな評判の女傑に呼び出されるのだ。属僚達から、屠殺場へ赴く家畜を見送るような目線に見送られて出てきた哀れな一官吏に対して、彼女は実に良い事を思いついたと言わんばかりに微笑みすら浮かべた。

「ミス・カラム。何事でしょうか?」

「卿は、受入担当。顔も効きましょう?」

きっと碌でもない事に違いないと思いつつ訊ねた結果は、実に単純明快に嫌な予感を保証し得るものであった。アルビオン貴族らの受け入れに、確かに彼も関与していた。ちなみに、そのことも、この目の前で微笑みを浮かべていらっしゃる上司が決定したことである。


「・・・ええ、受入担当ではありますが。」

誇り高い高位貴族らの受入に苦労し、この運命は無いだろうと思いつつ、彼は諦めの入り混じった解答を口にする。他に何を口にしえようか?何しろ、相手は自分が受入担当に携わっていたことを知り、ついでにいくつかの疑惑案件の処理に失敗したことを知っているのだ。その関連性を突かれて失点を拡大しないためには、ここで唯々諾々と聞くほかにない。

「結構!ええ、話が進んで結構です。」

「その、何をお望みで?」

だが、この情勢下で上司が望む事と言えば本当に厄介なことしかない。そうでもない限り、多忙極まる彼女が呼び出してくるはずもないではないか、と誰だってわかる道理だ。そして、この場合、予想は実に的確極まりなかった。

「彼らと交渉をしましょう!」

彼女にとって、時間を稼ぐことは職務上何よりも優先されてしかるべきである。何しろ、手元戦力が乏しく、上位の上司が大急ぎでこちらに急行している情勢下において最も有効なのは時間を稼ぐことなのだ。そして古今東西時間を稼ぐ上で、交渉は尤も有効な手段の一つである。その発想は、なんら間違ったものではない。

「私が、でありますか?」

その使者に赴くものでもない限り、という但し書きがつくが。何事も、自身が当事者とならない限り正論は、実にすばらしいが、それが自分に関わってくるとなるといくら正論とはいえ、なかなか飲み干すのは困難だ。

「まさか、そこまではお願いできませんわ。さすがに。」

「では何を?」

多少なりともましであってくれればよいなと思いつつ、ネポスはきっと交渉の使者に勝らずとも劣らないどうしようもないぐらい嫌な任務を課せられるということに、賭けがあるなら全財産を賭けても良いくらいに覚悟を決めていた。きっと、碌でもないことに違いないからだ。

「いえ、まず話を聞こうかと思いまして。」

物事を交渉する際に、相手側の話を聞くのは実に必要不可欠である。それもまた間違いのない事実だ。交渉するにも、拒絶するにもまずは、声明を聞き、対応を検討しなくてはならないのだから間違ってはいないだろう。時間を稼ぐことも可能であるのだから、方針として、ゲルマニア北部全体の利益もよく考えられているとコクラン卿も評価なさるだろう。なにより、交渉という形式で無いだけに、独断専行の誹りを受けることもない。

「ええ、大変結構ですな。」

だが、いくら言葉を飾ったところで要するに、話を聞きに行かねばならないということだ。先方がこちらに赴いて、大いに要求を論じたてることをしでもしない限り、こちらから行かねば相手の主張を聞くことすらおぼつかない。当然、そのためには誰かが話を聞きに行く必要がある。

「ですから、卿にはお手数ながら、御話を聞いてきてほしいのですよ。」

「・・・本気でありますか?」

「ええ、もちろん。」

それを、一般には、使節というのでは?と思いつつ、何故私が?という疑念と反論を込めた問いかけに、彼女は実に素敵な微笑みを浮かべると、力強く頷いてその意志の所在を明らかにする労を惜しまなかった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

地震に日本は慣れていると思っていましたが、やはり自然の恐ろしさを改めて思わざるを得ませんでした。

直接お手伝いできることはないのですが、募金等できることをしよう…と考えているところです。

こんなSSですが、みなさんの娯楽となって喜んでいただければと思っています。




[15007] 外伝 とある幕開け前の時代1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/03/24 12:49
アルビオンは空の王国である。
言い換えれば、陸からは絶対不可侵にして、極めて防衛が容易。
なにしろ、アルビオンの空は彼らの庭なのだ。
よそ者の遠征軍は、まず遠征用に大量の陸兵を満載し、現地調達(たいていの場合は、略奪を意味する)で賄いきれないとみなされた物資を嫌々搭載した軍用のフネを引き連れ延々空を飛んで待ちかまえているアルビオンの精鋭と戦うのだから、これで楽に勝てるという考えがどうかしているだろう。

よしんば、陸にたどり着けたとしてもだ。
補給も増援も、そのためのフネは絶えず襲撃される事を覚悟せねばならない。
万が一、撤退するとなったとして、どうやって撤退すればよいだろうか。増援も補給もまともに届かないような不利な状況下で、撤退のための船団が無事に到着すると期待するのはあまりにも夢見がちだ。国内の余剰戦力や不平貴族らを消耗させるために送り込むのでもない限り、遠征は元が取れるとは考えられないだろう。

そんなアルビオンだからこそ、空軍の重要性は突出している。

これは、どこを歩いている子供でも知っているような単純極まりない真理だ。

だから、アルビオン人は本能的に自国の空軍力に対する挑戦は絶対に看過し得ない。彼らがガリアを警戒する根底にあるものは、過去にガリアが始めた対アルビオン戦を想定した両用艦隊の整備が大きな割合を占めている。だから、アルビオンはトリステインとゲルマニアという壁を欲した。

そして、ゲルマニアという壁は、確かに得難い同盟国である。アルビオンとの良好な通商関係。ガリアに対する共通の警戒心。何よりも、未開拓地を数多く所有し、領土欲がアルビオンに向かないばかりか、アルビオンの欲する木材を供給し得る能力。

故に、ゲルマニアが想定したように、アルビオンは確かにゲルマニアとの友好を欲してはいた。ただ、それは、両立というには余りにも脆いとしても、トリステインというもう一つの天秤が存在してこその前提である。アルビオンは老練な国家であった。彼らは知っている。永遠の同盟国も敵国も存在しないことを。

無論、敵を自ら作るつもりはなかった。だが、彼らは経験則から今や、片方が崩れ落ち、もう片方は壁というには、少々アルビオンにとって許容できない程に固いことを知悉し、懸念する。アルビオンの盾は歓迎できよう。だが、いつその壁がアルビオンを封じ込める壁と転じないと保証できるのか?

繰り返すが、アルビオンには、積極的にゲルマニアという同盟国を敵に回す意志はない。だが、近年のゲルマニア空軍が劇的に拡大されていることに対して、無配慮に歓迎できるわけもないのだ。一部とはいえ、アルビオンが長らく主敵と想定していた両用艦隊を撃破できるまでに、ゲルマニア空軍は錬度を向上させ、あまつさえ戦闘艦の配置も進んでいる。

なにより、これまで団結しているとは大凡形容しがたかったゲルマニア内部の政治情勢が、やや中央の意志を反映する形で進みつつあった。これは、外からの侵攻に対処するには十分であったゲルマニアのシステムが、外への侵攻にも適応し得る可能性を示唆するものである。

矛先が、アルビオンに向くとは思えない。

だが、矛先を向けられるようになる可能性は存在する。

何より、ゲルマニアの空軍は今なお空軍力の増強に著しく傾注している。先のトリステイン及びガリアとの交戦から得た戦訓を踏まえての措置であるのは間違いない。そして、今は良いだろう。同盟国がより強固になるのだから。

しかし、長期的に見てみれば、強すぎる同盟国というのは、少々考えものだ。

さて、どうしたものかと彼らは考える。

そう、あくまでも、彼らアルビオン王政府はゲルマニアの同盟者ではあるのだ。

だから、自らゲルマニアに敵対する意志はない。

だが、アルビオン人がどのようにこの事態を考えるかという点に関してもよく知っている。なにしろ、自分と同じような懸念を抱くのが、教育を受け、物事を良く知っている貴族の条件なのだから。

そして、彼らは、アルビオン人ではあっても、アルビオンという国家に属しているわけではなく、つまり、ゲルマニアを同盟国としていないということも、良く理解している。その上で、誰かが囁けば、どうなるか。

まあ、これ以上は、ゲルマニアの内政問題である。

ゲルマニアという国家を尊重し、その内政問題に口を挟むような無礼な真似を礼儀正しく善良な友好国としてアルビオンが為すわけにはいかないだろう。なにより、同盟国なのだから、彼らがどのように処理するにしてもだ。信頼して黙っておくことこそ、真の同盟関係と言える。

故に、アルビオンは沈黙することにした。名目上、完全な善意と、敬意によりて。



トリステインとは何であったかと言えば、メイジの多い水の国である。狭い国土、低い国力をメイジの力量によって補ってきたと言える国家なのだ。歴史的に見た場合、抑え込もうとした大公国に経済的にかなりの部分を侵食され、あまつさえ見下していたゲルマニアの台頭によって駆逐された国家であるが、国の崩壊がそのままメイジの消滅を意味するものではない。

ゲルマニアによって東半分とトリスタニアという経済の中心地を奪われ、アルビオンに飼われる形となったメイジの数は、爵位持ちや軍属らも含めると膨大な数に膨れ上がる事となった。もちろん、人口に占める割合が多いとはいえ、元々の人口が乏しい以上、上限はゲルマニアやガリアに比較すれば劣る。

だが、彼らには守るべきものがない。

高等法院のリッシュモン卿のように、華麗な政治芸をやってのけ、今なお駐トリスタニア全権代表代行権限相当等という胡散臭い肩書と、ゲルマニアによる保護という実質上の権力を有している貴族はごく少数だ。

役得の多い官職からは悉く追われるか、借財を取りたてるべく立ちあがった大公国にほぼ役得を絞り取られ、体面を維持するために大公国にさらに借りるか、先祖代々の秘宝を売り払うという悲惨さである。領地は、東半分が吹き飛び、さらに、戦役中にはなりふり構わない王家がかなり大鉈を振るって集金していたために、財務次卿に絞り取られた状態であった。

なによりも、王家に名目だけ忠誠を誓っていればよかった状況が吹き飛んでしまっている。何もせずとも、先祖代々の官職が約束していた利権は、少数の例外を除いてアルビオンとゲルマニアが認めるはずもない。法衣貴族らは、給料の支払いはおろか、身分の保証すら怪しくなっている。

西半分の貴族はまだ状況がましであるといえども、領土はアルビオン王家の保証と承認を受けたものではない。封建的契約は、あくまでもトリステイン王家との間にあるものであるのだから、アルビオンと結ぶ時に、どれほど足元を見られることだろうか。

弱体なトリステイン王家と異なり、アルビオン王室は権威と実力を兼ね備えているのだ。アルビオン貴族らと利権を争う以前に、生き残ることをまずは心配しなくてはならない。仮に、狭いトリステインで伯爵であったとしよう。トリステインの基準で軍役義務を課せられ、宮廷や職責上の役得と領土の上がりでまずまずの生活を送れたとしても、アルビオンの基準で軍役義務を課せられ、更になんら役得が無くなるとすればどうか。

アルビオンの官職とて、トリステイン同様に、世襲が多い以上、割り込むのは至難の業だ。辛うじて、志願という形で龍騎士隊が編成される運びとなったが、龍騎士たれるような練達したメイジでもないかぎり、その道を選ぶこともできない。

無論、トリステインのメイジといえども軍事的に見た場合戦力としての価値を有してはいる。だから、軍事義務以上の奉職で、稼ぐことも可能だろう。だが、アルビオンは財政規律を重視する傾向が強く、トリステイン西部獲得による増収分以上に軍の規模を拡大することは検討すらしていない。

つまり、トリステインに存在していた貴族のうち、ゲルマニア影響圏に残るリッシュモン卿らのような一派か、残らざるを得ない公爵家のような一派を除いた全トリステイン貴族のパイは、半分以下。残された彼らは、生き残るためには。それをもぎ取りあうような状況しか残されてはいないように見えていた。

不満?ルサンチマン?
この状況でたまらない方がどうかしている。

加えて、治安機構が全面的に崩壊しており、空賊・山賊が跳躍跋扈するような状況において、平民らといえども、その生活は安寧とは程遠いというのが実態である。もちろん、元々楽ではない事は言うまでもないだろう。加えて、困窮した貴族らは何とか絞り取らんと欲する。

必然的に行き着く先は、大量の流民である。それも、過去に類を見ないような。

一部は、ガリアやゲルマニアへと流れてゆく。特に、開拓が盛んなゲルマニアは辺境部での人手不足から、一定以上の許容余地があるがために受入も比較的前向きではあった。

だが、それは、平民の中でも特に恵まれている一定以上の知識を持つ技術職や、少なくとも、開拓し、収穫ができるまで援助がなくとも自活できるような集団に限っての話である。

言ってしまえば、ゲルマニアに来て欲しいと思われているのは、貧しい援助を必要とする流民ではない。普通の平民を対象に考えれば、歓迎される候補は豊かな自作農が筆頭であり、せめて小作人であっても数年分の備蓄がある家族であるか、もしくは村組織ごと丸ごと移って互助できる組織があるような場合に限られる。

もちろん、技術を持った鍛冶師や、貴重な食材を調理できる料理人などは、どこからでも引く手あまただろう。其れなりに錬度と規律が高いことで有名な『本物の傭兵』も、辺境で対亜人という観点からは、需要がある。

つまり、開拓地では、確かに人手が欲しい。だが、人というのはゴーレムと異なり、食事を必要とする。平民は、比較的辛抱強いとはいえ、さすがに粥と水だけでは、物事をやっていけないだろう。それこそ、餓死させることが目的の監獄でもない限り、これで良しと言える統治者はまともではない。そして、飢えた人間というのは、生きるために何でもやるものだ。

ゲルマニアは辺境開拓の経験が実に豊富である。つまり、過去の経験から、どのような開拓者が失敗し、どのような種類の人間を受け入れるべきかが分かっているのだ。その中でも、飢えた流民というのは、最悪の分類に入れられている。受け入れなど、普通は考えない。考えるとしても、よほどの状況でなければありえない。

それによればだ、援助を必要とする開拓者まで受け入れるのは、よほど大規模な開拓で、上が積極的に援助を惜しまないような条件によってのみ成功し得るとうことである。その時も、援助を必要とする開拓者を受け入れることは目的ではなく、やむを得ずに行う選択肢という意味合いが強い。

例えば、亜人の出没するような辺境最前線付近での屯田や、新規に叙爵された辺境貴族が、自らの領土を切り開く時にやむを得ずと言った場合である。

そうでもなければ、良くてスラム街の形成。普通の場合はまず疫病の流行によって自活できる真っ当な労働力まで削ぐばかりか、辺境では貴重な知識や技術を持つ平民まで損なう。これだけでも、辺境統治の頭痛であるのに、この手の流入人口は犯罪の温床であるばかりか、最悪の場合は暴動をおこし、ようやく軌道に乗りつつあった開墾事業を頓挫させかねない。

というか、スラム街の形成で、諸問題を将来的に恒常的に招きかねない。なにしろ、まともな住居に居住できず、違法に滞在している連中である。生きていくために仕方がないとこれを容認した瞬間、諸問題の発生に頭を悩ませる事にならざるをえない。だから、否応なく追い返すか、住みつくのを防止するのが一般的となる。

だれが、喜んで災いをもたらす連中を受け入れるだろうか。

だから、辺境開拓で食いつなぐことを考えた流民は、すげなく拒絶される事となる。それは、ゲルマニアにとって何も難しいことではない。なにしろ、貧しい蓄えなどないような流民だ。どうやって、辺境まで赴くのだろうか?

一番、確実なルートであるムーダに乗船する資金はないだろう。物流の改善とはいえ、フネの運賃は相応の額である。まして、ムーダは国の意向を受けているのだ。胡散臭いと判断すれば、多少金額を吹っかけて、そこで乗船希望を跳ね飛ばすくらいは、やっている。

二番目が乗合馬車だが、これとて安いモノではない。そして、乗合馬車でゲルマニア全土を横断するのは宿泊や食事を考えると、大半の連中は半分もいけないうちに身動きが取れなくなるだろう。そうなれば、不逞の輩として衛士に追い立てられるのが行きつく先の運命となる。必然的に、賊化し、討伐対象となるか、どことも知れぬところに堕ちてゆくかだ。

後考えうる数少ないまともな選択肢の中で可能性があるものは、何とか町や村で働きながら、とびとびに辺境を目指す方法だ。歩いていく分には、金はかからない。食料と水さえあれば、まあ時間はかかるが歩いていけるだろう。当然、健康で其れなりの体力があれば、何とかという条件が付くがやれないこともない。そして、健康な若者ならば、たどり着いて、受け入れられることもあるだろう。

だが、そもそも健康な若者ならば傭兵やその他の移民団に受け入れられる可能性の方が高いのだ。そして、健康な若者というのは、栄養状態の良い自作農の子供や、最低限の商売をやっているような連中や、軍人の子供に限定されるのがハルケギニアの一般的な栄養事情である。

さて、飢えた彼らはどうすべきだろうか?

そのままでは、餓死するのみだ。
ゲルマニアの経験則通り、生きるためには何でもやって、生存の努力を行わざるを得ない。




さて、この悲惨なトリステインと異なり、ロマリアは光輝が溢れんばかりに繁栄を謳歌することが可能であった。『光の国』とはよく言ったものであるが、腐敗だろうが、汚職だろうが、金の光で満ち溢れていることには変わりがないだろう。

そして、建造物に美術的価値を持つものが多いことから、ロマリアの町並みは少なくとも表面上は壮麗極まりない。そこに、経済上の潤いがもたらされることは、確かにロマリアをして光の国たらしめる。

まず、ガリアという地理上の障壁が、トリステインの流民を吸収し得た。対ロマリア懐柔政策から、一定量の流民や貧困層を敢えてゲルマニアの辺境部が吸収していたために、これまで嫌々とはいえ、拠出していた貧困層向けの金も随分と削減することが可能であった。

ばかりか、新たなポストをゲルマニアが創出し、うるさ型を追い出したことによってロマリアの聖職者らは一般的には自由になったように感じられる状況である。なにより、派閥抗争に勤しむ枢機卿らにとって、有力な一派であったマザリーニ派が失墜したことに加えて、枢機卿にまでは至らないものの、無視するには危険な一派が国外に出ていったのだ。

それも、ポストが増えるという形であるのだから、歓迎こそすれども、誰も損をしないように考えられているのだから不満が出るはずもない。むしろ、喜び勇んで、この状況を真っ先に堪能しているのが大半である。

この事を、快く思わないものはほんの一部だろう。例えば虚無や、始祖のことを原理的に追及し、探究するロマリアの暗部に身を浸しているような本物の狂信者を除けば。故に、彼らロマリア枢機卿団を筆頭としてロマリア坊主にとって現状はさほど不満を抱くべきような状況でもない。なにより、ゲルマニアの経済的発展とアルビオン・ガリア間の流通事情改善は、従来よりも安価に物資がロマリアにもたらされる事を意味する。

やや、安全保障上の懸念であった両用艦隊はゲルマニアとの衝突で摩耗し、懸念していたガリア王室の動向も、無能王が統治しているとあらば、さほど警戒を必要するものでもないように一般には思われている。なにしろ、人形遊びに興じるような無能な王だ。戦争どころか、国内を安定させるのが、限界だろう。一般の予想はこうならざるを得ない。

それらの事情から、経済は発展し、残っている貧しい階級にもそれなりに経済上の恩恵がもたらされ始めた。当然、治安も劇的に改善する。従来が酷過ぎたと言えば、其れまでではあるが、状況の改善は、巡礼を安全なものとし、巡礼者を増大させうるのだ。

つまり、信仰は高まり、なにより重要な事に、巡礼者が落としていく寄付金は莫大な額に膨れ上がる。聖職者は、経済学でいうところの消費行為に勤しむ余裕が生じる。ここに至れば、良質なサイクルが形成されたといってよいだろう。

つまりは、人々が安心して、経済上の営みを行い、発展する事が可能な状況ということだ。それだけに、彼らは、繁栄を謳歌する事が可能なだけの条件を十分以上に満たしていると言えた。

献金が増大し、物価が安定し、権力への監視が弱まり、あまつさえ隣国である意味で圧迫を覚えざるを得ないガリアは、まるで気力がない。対外的に策謀を試み、陰謀をめぐらすことは、おもしろい選択肢であるだろう。なにより、彼らは自分達の影響力がここしばらくでは、かつてないほどに上昇しているように感じているのだ。

これからは、再びロマリアが大きな影響力を行使するために行動するとしても、その結果はかなり良好なものが期待できるように思えてならないのだから。



さて、ここで全く無力化されたと称されるガリアを語ろう。

実は、この時代、ガリアは何ら記述すべきことがない。

一部の歴史家は、この時代は、記述することすら行う必要がないと考えるほどに、大きな出来事は何もなかったのだ。唯一の事象は、無能王即位前後の出来事を記述するのみで、その後は本当に、何もないのだ。

一部の叛乱が唯一の騒乱であり、それも友好関係にあったとされるゲルマニアが協力してくれたことによって、なんら問題沙汰となることもなかった。少なくとも、ガリアではそう信じられている。

言い換えれば、しごく平穏であった。

歴史家の共通理解としては、無能王は、『良く統治し、国内に混乱をもたらさなかった稀なる無能王である』と称されるほどに、国内を平穏に統治していたとすら言える。

奇妙なまでに、平穏であった。

故に、政治学ではこの時代を断じて無視し得ないのである。



そして、友好国とガリアから称されたゲルマニアの記録は、ひたすらガリアを罵倒している。もちろん、表面でこそ言葉を選んではいるが、私的な記録や、通信は明らかに敵意を隠していない。

『あの薄汚い手長の影を叩き潰せないのか』
ロバート・コクラン辺境伯、艦隊演習中の一言

『奴に比べれば、余とて清廉潔白である。』
アルブレヒト三世、近臣の記録による

『ガリア!ガリア!ガリア!いつも、貴様らか!』
ゲルマニア外交担当者、非公開の場での発言

『やむを得ない誤射は、ガリア方面に行うように。』
ゲルマニア空軍、統合演習時に指揮官通達に付随事項として。

『諸君よりの、ガリア産ワインに関する不満への解答。ラベルに腐臭がするとはいえ、中身は問題ないので腐臭は我慢するように。』
ゲルマニア艦隊司令部、兵站部非公式通達


それは、憎悪と形容せざるを得ない程のものであり、ぬぐいがたいほどの敵対心を暴発させなかったゲルマニアの国家理性という物のおぞましさを暗に物語るほどである。彼らは、ゲルマニアという国家は、はっきりと仮想敵をガリアと想定していた。

そこまで憎いガリアに対して、自ら先制して攻撃を行うという愚行が議論されなかっただけ彼の国の合理主義は徹底しているとも言えるだろう。例え、その前提条件が絶対にガリアが何か仕掛けてくるという確信が彼らにあり、機会あれば叩きのめさんと欲していたとしてもだ。

経済的には辺境部の開拓に傾注し、国内は選帝侯らに代表される有力貴族との抗争があるとはいえ、ゲルマニアという国家は、国家理性として対ガリアを最優先とせざるを得ない程、ガリアの脅威を自覚していた。そして、攻め込む愚を悟り、油断なく防備を固める。この歴史上の賢明さは特筆に値する。例え、それが今日では議論を呼ぶ方針であったとしてもだ。

歴史的に見た場合、隣接する強大な二国家が平和裏に共存する困難は、なかなか興味深い課題ではある。それを、解決すべく取り組むのも実に結構ではあるものの、ゲルマニア軍部にとっては、少なくともそれは畑違いの仕事であった。

諸候軍からなるために、反中央色の傾向が強い陸軍はともかくとして、最初に組織的に接敵せざるを得ない空軍は、紛れもないほどに対ガリアを意識せざるを得ないという事情もあり、ゲルマニアの軍事的主軸は、常に対ガリア方面に配置されていた。

特に、再編が進みつつある空軍は、アルビオンという同盟国とトリステインという一つの厄介事を処理できたためにさらに、辺境配置を推し進める一方で、対ガリア戦を意識した配置を行うことができるほどに、状況は改善しているかに思えていた。

トリステイン方面に従軍した貴族らへの恩賞問題をやや財政上の課題として抱えてはいるものの、ゲルマニアは、その程度で傾くほどには脆弱ではない。むしろ、大公国やアルビオンからむしり取れると財務官僚は睨み、その皮算用すらはじき出す状況である。

トリステイン貴族らににらみを利かせるのは、当該方面の辺境伯らで十分であると判断し、戦力上の余裕を捻出。ひたすら戦技訓練に勤しむゲルマニア軍の練度は、極めて高水準にあり、経済も順調に発展。

ゲルマニア経済は、順調に拡大基調にあり、フロンティアの効果も絶大である。辺境を開拓すべし。商会の発展に邁進すべし。金儲け次第では、魔法の使えない平民ですら貴族になることも夢ではない。なにより、チャンスがあるのだ。ゲルマニアの平民は、他国の平民と違い、夢を見て昇り詰める努力に期待できる。

統治階級にとっても、ヴィンドボナと積極的に対峙し、政治的権力をもぎ取ろうとする有力諸侯でもない限り、状況はさほど難しくない。やや課題であった人口問題も、不足分は、トリステイン流民から選べる状況なのだ。

もちろん、魑魅魍魎が跳躍跋扈するのが、ゲルマニア政界である。油断は、即命取りになるために、政治上の配慮は常に必要不可欠だろう。なにより、辺境諸候らが動員に応じる、応じないで相当の政治的配慮を必要とするように、中央集権派と分権を求める有力諸侯派の政治的抗争はかなり激しいモノだ。

国営のムーダからして、本来は通商上の諸権益を付随する構想が存在したものの、各種利権のバランス上、運送船団という形式に留めるという政治的な配慮を必要とした事や、平民の中でも経済的に成功している商会はある程度政治に関わらざるを得ないという点からも、この国の政治が如何に油断ならないかを示唆している。

だが、ゲルマニアの政争は、基本的には統治階級内部の闘争であり、一般の平民にはさほどの影響も及ぼさない。何しろ、ゲルマニアは、広大な面積を誇る。はっきり言えば、広すぎる。だから、地方を抑え込めないのではないかと素人は誤解するが、それは全く逆なのだ。

ヴィンドボナという中枢を抑えられねば、なにもできないのだ。経済力・人口・そして空軍という軍事的資源。そして、なによりも、情報がヴィンドボナに集中しているのだ。故に、政争の中心地はヴィンドボナの利権という点に関わってこざるを得ない。

まして、地方の多くは未開地域。亜人と対峙しつつ、討伐軍と戦争をしたいほど、ゲルマニア貴族らはギャンブル好きでもないようである。無論、奔放なゲルマニア貴族が、この事を考えてもみなかったということまでは、保証の限りではないが。

かくして、権力を欲する者たちは数多く、かつ内部で政争に勤しんでいるとしても、ゲルマニアという国家を欲するのであり、他者への臣従を望むものではないゲルマニア貴族らは、基本的に対外的になびくように見せかけることこそ多くとも、歴史的には外部からの干渉を排斥して、ゲルマニアという国家を形成してきている。

彼らは、実に巧妙なのだ。
例えば、ガリアに対峙する番犬として皇帝を置いても良いと考えられる程度には。

そして、皇帝が番犬たりえないのならば、交代すればよいと。
番犬以上になりたいと欲すれば抑え込もうと。

もちろん、皇帝側とて其れは百も承知している。

だから、政争が絶えず、この方面に関する限りゲルマニアは新興の国家にもかかわらず成熟しているとみなされてきた。もちろん、合理的利害の観点から物事を考えるという新興国特有の癖はあったが。

故に、ゲルマニア政府は、今後一層の対ガリア政策を推進し得ると判断する。

少なくとも、ガリアが問題であり、国内での政争に関わらず、これは意識せざるを得ないというコンセンサスはあったのだから。

そう、判断できる情勢であり、ゲルマニアは合理的な国家の常として、合理的ということを信用していたのだから。


ハルケギニア政治学における諸外国の基本的な状況と思考に関する考察。
『ハルケギニア史一考』より。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき
状況をまとめてみたものになります。

ちょっと、頭の整理を兼ねて、各国情勢を。
・アルビオン:国家に永遠の敵も味方もないのだ。
文句あっかbyパーマストン

・ガリア:パクス・ガリア
まったく問題がないのだ。

・ロマリア:ああ、宗教的権威万歳
十字軍、始めますか?

・ゲルマニア:国家理性万歳
くたばれガリア。できれば、ロマリアもろとも消えてくれ。

なんか忘れていると思ったら、
クルデンホルフ大公国を忘れるところだった。

めんどいので以下大公国。
・大公国:ヴィネツィア目指して商権拡大
ゲルマニア、あそことは経済的に良いお友達になれるかも。

なんか、他にもあった気がしますが、取りあえず現状これで。


うん、話は変わるけれども、考えれば考えるほど、メイジの在り方にこだわる某公爵家の末娘さんとか、政治向きじゃないよね。

平民の無力化かつ支配の確立以前に、暴動起こされそうな気がする。

アンアン・テレジア化計画のためにも、信頼できる武官や女官に、外交官とか必要だけど、正直ワルドくらいしか適合するのが今のとこ思いつかない・・・。

無理やりアニエスあたりに頑張ってもらうべき?
でも、手柄すらないのにどうやって出番を?

というのが、アンアン・テレジア化計画の蹉跌です。

頑張って解決できるように前向きに検討中。



[15007] 第八十話 彼女たちの始まり
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/04/06 01:43
大きな家というのは、どこも問題を抱えているものだ。だから、トリステインで最大の家である王家で問題が山積しているのだから、その親戚に問題があることなど、考えずとも理解し得ることであろう。

藩屏に期待する事、貴族に期待する事、そして、親戚に期待する事。その何れも、確かに浮世離れしていた。そして、練達の政治家である枢機卿が声をからして訴え続け、彼女が無視し続けたのは、その幻想を信じていたからだ。

何故か?
実に単純である。
彼女は、それを判断するだけの教育を施されていなかったからだ。

何故か?
単純極まる。
必要だと思われなかったからだ。

元々、彼女に政治的な資質など、期待されていなかった。なるほど、彼女は、長女だ。第一王女である。が、所詮は子供であった。彼女に政治的な教育を施すことを、検討する以前に、王室の礼儀作法に一般的な教養を詰め込んでいる間に直系が彼女だけとなるなど、誰も予想していなかったのだ。

せいぜい、何も問題を起こしてくれるな。それが、彼女の政治的に求められる役割のはずであった。彼女が成長し、他の兄弟が生まれない場合は、優秀な王配を宛がい、ほどほどのバランスを保てばよい。或いは、傍系からの縁組は良い選択肢足りえるだろう。

だが、王の崩御と、王妃の政治的役割の放棄によって、その目算は一夜にして崩れ去った。王位継承権を持った王女は、言葉を選ばねば、お花畑に住んでいる令嬢なのだ。鳥の骨と嘲笑される枢機卿が、文字通りその骨身を削ってまで国政の舵取りに努めねば、とうの昔に崩壊していただろう。そして、避けがたい破局によって彼女は国を追われる事となっていた。

歎き?悲しみ?裏切りへの憤り?

理由は、ともあれ、彼女は強い感情を抱いたことだろう。

そして、彼女は若い。
つまりは、まだ未来がある。
そして、若さゆえに未だ疲れを知らない。
だから、怒りという感情を持続し得る。

復讐を。
祖国の復権を。

初めは、ただ嘆き悲しむだけであった。
彼女の身代わりとなった親友は、捕虜となる憂き目にあい、先立ってようやく解放されたと聞く。
彼女の窮地を助けに駆けつけた親友の婚約者は、怨敵との戦いに赴き、音信が絶えた。

彼女は、ひたすらゲルマニアを憎んでいた。
あの連中が。あの連中こそが、祖国にとっての諸悪の根源であった。
大トリステインの崩壊、以後代々彼の国に圧迫されていた王国の歴史。

だから、彼女は臨んだ。
復讐を。
手段を問わないゲルマニアへの報復を。

そして、そのための手段が目前に提示された時、彼女はアルビオンの提案に飛びついた。

裏切り者と、ゲルマニアを双方潰し合わせるというアルビオンの策は、実に汚れた策であった。彼女の婚約者が、何故、かくまでも彼女を政治から守ろうと画策していたのかを理解し、始祖に感謝したくなるほどに現実は薄汚れたものだった。

実に嘆かわしい限りであり、彼女としては天を仰ぎて、そのままに歎きを抑えられない程の衝撃を受けていたといえよう。何たること。貴族の誇りも名誉も蹂躙せんばかりの提案が、日常になされ、それを平然と処理する化け物どもが、政治という巣を築いている。だが、彼女は決めたのだ。

復讐を。

故に、彼女は、アルビオンの提案に笑って快諾する旨を告げると、復讐を求めて、一枚の書類に嬉々として署名する。その時を持って、アルビオン・トリステイン間における貴族らに対して、両国に対する封建契約の二重契約を認める旨に、彼女は同意した。

同時に、現トリステイン封臣の中で封建契約更新に対して同意しないものは、仕官自由となし、自由貴族足る事を許すと。

つまり、国家という枷にて、枢機卿や、数多くの愛国者らによって、曲がりなりにも抑え込まれてきたが、全く使えなかった暴力装置をぶち壊し、解き放つことに彼女は歓迎の意図を示した。言い換えれば、安全装置を解除し、暴発への歩みを促した。

ゲルマニアへ自由に殴りかかってよろしい。
政治的に言い回しは慎重になされているものの、本質はつまるところ、そういうことである。

彼女の婚約者が、政界からだけは、彼女を守りぬこうとした好意に感謝しつつも、彼女は復讐のために敢えて汚泥に飛び込むことを決意した。

さて、この復讐の女神の名をなんというだろうか?
ゲルマニア曰く、ペチコートの悪魔。
その名は、アンリエッタ・ド・トリステイン。

その生涯を復讐と闘争に捧げた王女であった。



「状況報告」

艦橋で男たちは、実に慌ただしく作業を行っていた。龍騎士によって届けられた暗号を解読し、ついでに返信を暗号化するだけでも大変な労力を必要とすると言えよう。ところが、彼らの上官ときたらそれだけでは飽き足らず、情勢の全体像を描き出せと要求するのだ。

「最悪ですな。なんでも、我が艦隊はアルビオン侵攻用の艦隊らしいですぞ。」

さほどの情報も集まっていないものの、風聞だけをかき集めると、そういうことになるらしい。アルビオン人街に対する情報収集は元々想定されていなかっただけに、情報の確度も必ずしも高いわけではない。ないのだが、反ゲルマニア感情を測定し得る程度には確実である。

「諸悪の根源が我がゲルマニア。アルビオン貴族らは陰謀に嵌められているそうです。」

ゲルマニアにしてみれば、艦隊整備一つをとって、アルビオンに対する侵攻意図ありとされてはたまらない。なにしろ、艦隊整備は計画的に行ったものですらなく、単純に効率的な兵力運用と、通商路の保護を目的にロバートが、英国の感覚で通商保護網を整えた結果としての余剰戦力誕生だからだ。対ガリアの戦訓を踏まえての艦隊改修に至っては、至極まっとうな軍組織ならば、どこでも行うような反省を行っての結果に過ぎない。

つまり、ゲルマニアの主観で見た場合、途方もない言いがかりを何故か、アルビオン貴族らが突然唱え始めたような感覚になる。あくまでも、ゲルマニアの視点に限ればであるが。

「・・・なるほど、アルビオンからしてみれば、そうなるか。」

しかし、ロバートは、ゲルマニアの側に立つ人間ではあるものの、その主観はゲルマニアに属するものではない。彼は、大英帝国の軍人であり、そして海軍士官である。

英国の誇る海上支配権への挑戦行為とはなにか?

それは、他国が、英国に対して、艦隊戦力で優位に立ちえる環境の整備で十分に達成され得る。

制海権が国防に直結する英国にとって、相手の意図など意味を持たない程に、この意味合いは大きい。軍事力の持ち主の意図などどうでもよい。重要なのは、それが英国の支配権に対する挑戦権を獲得し得るという一事で持って看過しがたいほどに脅威であるのだ。

だからこそ、彼の祖国は、低地地方に対するエスカルゴの伝統的な進出意図を常に阻害し、バルト海交易を死守するためにデンマークへ介入し、熊どもを、絶対に地中海へ接近させなかったのだ。

エスカルゴが安全保障上の必要性から、低地地方を望む意図は、英国に対する直接の侵略を意図せずとも、それが可能となりえるのだ。ドーバー海峡が近いだけでも、許容しがたいほどであるのに、低地地方まで許すわけには断じていかないだろう。

ジャガイモ一派が、ナショナリズムに染まるのは、非常に望ましくないものの、まあ内政問題である限り、英国は伝統的に大陸には不干渉で良いだろう。だが、英国の交易路、バルト海方面へのアクセスを妨害するというのであれば、徹底的に妨害する意図を英国は有している。少なくとも、英国にとって海洋支配で妥協することは考えたくもない。

熊どもが、不凍港を欲するのも、まあ、経済的必要性から理解はしよう。彼らが、侵略の意図を持ちえないことそのものがありえないとしても、まあ、平和的進出を選択することも或いはありえるだろう。だが、地中海への進出と、カフカス方面への進出は、インドに対する許しがたい脅威であり、運河に対する悪質な通商破壊の可能性を看過し得るほど、英国は寛容ではない。

つまりは、新しい台頭はそれそのものが、意図に関わらず歓迎されないのだ。そして、今さらであるが、ゲルマニアは既存の秩序では、空軍国ではなかった。それが、空軍戦力で特筆に値するようになるのだ。摩擦は、勢力均衡策の観点から見た場合、かなりの頻度で起きざるを得ないだろう。

「・・・この問題は、議論の余地があるだろうな。」

迂闊、というべきだろうか。アルビオンが、覇権を有していないがために、見落としがちだが、彼の国の思考は、祖国の防衛政策に似通った状況下のそれだ。ロバートにしてみれば、情勢の理解さえできれば、彼の国の思考が手に取るように理解できる。

・・・意味するところは、彼の国がゲルマニアに含むものがあることも理解できるということだ。

だが、それらは後ほどにでも考えればよい。

「それにだ。諸君、諸悪の根源かどうかは私の預かり知るところではないが、彼らの主張は部分的には正しい。」

「と言いますと?」

「現在進行形で踊っているではないか。」

間抜けどもの自己主張も、少なくとも一点では間違っていない。確かに、連中は陰謀に踊らされて、舞台に上ったつもりになっている哀れな道化だ。哀れな道化にしては、やや重武装すぎるので、苦労せざるを得ない。とはいえ、苦労の無い人生など望みえないものである以上、いた仕方ないのだろう。

「ですな。」

意味するところを解した将校たちが、思わず苦笑いを浮かべ、場の空気がやや軽くなる。少なくとも、思考が追い詰められ、余裕がなくなっていない証拠だ。悪くない。少なくとも、焦りからの判断ミスは回避できうるだろう。

「で、いかがされますか?」

「鎮圧するにしても、兵力が足りない。かといって、説得できる相手か?」

できる限り、事態を穏便に収束させる必要があるという点において、艦隊首脳部の意向はぶれることがない。ただ、その可能性については、彼らをしても見通しの不透明さを認めざるを得ない程に難しいものがあった。

「難しいでしょうな。ダンドナルドからによれば、交渉担当者を送ったものの、難しいと。」

まあ、それでもましか、とロバートにしてみれば思わざるを得ない。貴族が介在し、名誉を欲する戦争は、まだしも話がしやすい。塹壕と機関銃の時代に比べて、なんと平和なことか。まあ、話ができるというだけで持って、だいぶましだろう。少なくとも、外交官が第三国経由でなければ、接触できない程にまで交渉ルートが限定されないことを喜ぶべきなのだ。

「要求は?」

「即時艦隊の引き渡しと、事情の説明をアルビオンに行えと」

吹っかけるにしても、これは、程度を遥かに過ぎている。武装解除や、停戦ラインではなく、即時艦隊引き渡し。加えて、我が方によるアルビオンでの事情説明?交渉というよりも、それでは戦後処理だ。連中が勝利をおさめたらこうするという宣言ではないか。

「・・・つまりは、譲る気がまったくないとのことです。」

「よろしい、教育方法は言葉で言って聞かせる段階を過ぎたというわけだ。」

戦意旺盛かつ交渉に応じる意図がないとあらば、こちらとしても、それを前提にことを構えねばならない。

「しかし、時間を稼ぐ必要があります。」

「艦隊の帰還は急がせれば半日で可能ですが、鎮圧しきれるかは自信が持てません。」

やっかいなことに。本当に厄介なことに、この戦力では空戦や海戦こそ可能であっても陸戦に関してはおぼつかないということだ。海兵隊を指揮しての、強襲上陸や陸戦支援程度であれば、ロバートとて、経験がないわけではない。だが、本格的な陸戦。それも、魔法という未だに完全に慣れたとは言い難い要素を含んだ連中を相手取っての陸戦ともなれば、できれば避けたい。

「現戦力での鎮圧は不可能とみるべきだろう。撫で切りにしてよいならば、別だがね」

何も考えずに、焦土にする決意で持って砲弾を叩きこめばよいのであれば、話は簡単だ。ここは塹壕もトーチカもないのだから、炸裂しないとはいえ、ブドウ弾の連続射撃であらかた処理できるだろう。だが、それは、政治的には自殺に等しい。

「為されませんので?」

部下は意見を提示するという点から、確認を行ってくるものの、まあ、誰だって飛び下りれば、自殺だとわかるし、アルビオン貴族を虐殺するのも同じようなものだとわかる。万一を考慮すれば、鎮圧戦事態が悪夢に等しいのだから、これ以上悪化させるのは断固ごめんこうむりたい。

「無粋極まるではないか。なにより、無駄だ。」

そもそも論になるが、アルビオン亡命貴族らは、アルビオン王家に対する貸しなのだ。わざわざ、アルビオンの頭痛の種を軽くするためにゲルマニアが泥をかぶるのは、いくら同盟関係に準じるようなものであったとしても、割に合わないこと甚だしい。それ以上に、この事態を笑う存在のことを思えば、亡命アルビオン貴族の完全な抹殺などできるわけがない。

「それはどういう?」

「ガリアのために働いてやるのも、むなしいではないか。」

部下達が、認識しているかどうか不明だが、ロバートにしてみれば、ガリアのすることは、よくわかる。自分でも、同じようにするだろう。愛国者を虐殺されたアルビオンと騒げば、アルビオン王家はこれ幸いと、ゲルマニアに対する支援を打ち切る口実とするだろう。なにしろ、彼の国にとってゲルマニアと敵対する意図はなくとも、ゲルマニアの弱体化を願う理由は十分すぎるほどにある。そして、ゲルマニアの弱体化は、相対的にガリアにとっての利益でしかない。ガリアの目的が防衛にせよ、攻勢のどこにあるかは、関係なく、ライバルの弱体化と分断をガリアが望むのに素直に応じるのは、文字通り骨折り損。

「ガリアですか?」

「主演は、連中にきまっている。他にいるかね?」

なにより、ゲルマニアの経験は、物語っている。たいていの場合、碌でもないことが起きた時には、ロマリアとガリアを警戒しておくことが重要だと。

「なるほど、いませんな。」

「だから、どうすべきだろうかということになる。」

方法論としては、単純にガリアの思惑通り踊る必要がないという一点に過ぎないが、現実の方策としてはいかがすべきか。まさか、区画丸ごと砲撃で吹き飛ばすわけにもいかないだろう。そうである以上、地上戦力を投入しての鎮圧を最終的に行わざるを得ない。しかし、誰もが理解している事実としては戦力が不足している。

「やはり、時間を稼ぐしかありますまい。」

「だが、どうやるか、が問題だ。」

当然、幕僚たちにとってこの事態は頭痛の原因とならざるを得ない。交渉なり、あるいは遅延防御でも構わないが、ともかく時間を稼がねばならない。だが、ダンドナルドの残留戦力ではさしたる遅延戦闘を行う間もなく、圧倒されかねないのが現実。そして、交渉に応じる構えこそ見せている相手であるが、内実は要求を一方的に突き付けてくるに等しい。

「さてさて、諸君。交渉の基本は何か知っているかね?」

だが、純粋に時間を稼ぐことをなりふり構わずにおこなうならば、何事にも挑戦してみるだけの価値はある。少なくとも、交渉すると相手が振りだけでも見せているならば、こちらも交渉する振りをしてみたところで問題はないのだ。交渉とは、ナイフを袖の下に仕込ませた紳士の会話なのだから、おしゃべりを楽しめる余地がある時に、やっておいて損はない。そして、損がないならば、交渉には誠意を持って臨んでおくのが一番である。嘘は露呈するが、真実は、確認されたところで一向に問題が生じない。

「十人十色の回答がありえると思いましたが、卿のお考えはいかがなものでありますか?」

「簡単だ。誠意だよ、諸君。」

交渉で相手をだますのは、相手があまりにも格下で、交渉の価値がないような相手に限定するべきだ。対等な交渉相手と見なせないような相手ならば、それも良いだろう。だが、曲がりなりにも、交渉相手足りえるならば、相手にこちらの言葉を信頼するに足ると信じさせねば、大きな大きな取り返しのつかない損失となる。

「誠意でありますか?」

「その通り。明日殺し合うかもしれない相手にこそ、敬意を払うべきだ。明後日には友人となれるのかもしれないのだからな。」

最終的に友人足れるかどうかは、関係ない。少なくとも、友人になれるという可能性を残しておくこと。これが、ヨーロッパの流儀であり、同時にリアリストの真理である。ハルケギニアだろうが、おそらくは宇宙のどこだろうと、この原理は一定以上の理解を得られることだろう。

「では、今日の友人は大切にせねばなりませんな。」

「その通り。いつ殺し合っても後悔しないように、良き友人でありたいものだ。」

そして、友好関係がいつ変化するかわからない時だからこそ。曲がりなりにも、同盟国であり、友好国であるアルビオンへの配慮も必要にならざるを得ないのだ。彼の国との関係に配慮しつつ、彼の国に縁のある叛徒を鎮圧する。実に気分が重たくなるような仕事であるのは間違いないが、それが仕事というものだろう。

「・・・随分と、友人思いですな。」

「それが、我々のやり方だと思うのだがね。」

少なくとも、外交官や、まともな海外経験を持った海軍士官はこのことを常に意識せざるを得ないのだ。寄港地でもめ事を起こす水兵にはほとほと手を焼かされたものだが、そこでの経験は、海軍士官をしたものならば、寄港一つとっても外交を意識せざるを得ない現実が存在するのだ。

「偉い方の発想は理解しかねます。」

「そうかね?自明だと思ったが。」

最も、この種の苦労を楽しめる人間というのは、古今東西奇人の類を例外とすれば、よほど稀らしい。大半の人間は、絶対に関わりたくないし、巻き込まれたくないと願ってきたのだ。まあ、組織内での出世に伴い、だれしもが嫌々関わっていくのはあるが。

「その種の苦労はしたくないとばかり願っておりまして。」

「諦めることだな。」

士官なのだ。水兵の不始末から始まって、寄港先との折衝一つとっても、この種の苦労から解放されることはありえない。しかも、フネというものは、士官が怠惰であることを許容できる余地があまりにも乏しいために、不始末は命にすら関わってきかねないだけに、苦労を望まないのは不可能なのだ。まあ、この程度のことは、誰でもわかっているが、口にしてしまう不平に過ぎない。

「さて、ともかく、我々には時間が足りない。」

当たり前のことではあるが、軽口を叩きつつも、交渉の必要性があるのは、間違いないと全員が認識していることだ。ただ、それがあまりにも面倒あるために悩まざるを得ないという話に過ぎない。軍の集結どころか、艦隊の帰還一つとっても時間が必要。そして、時間がたてばたつほど、こちらにバランスが傾くとあっては、相手はこちらに時間を与えたがらないのだから、時間稼ぎもなかなか大変ではある。

「どうあっても、交渉は続行だ。」

しかし、だからこそ、交渉を続けねばならない。答えの無い問題。解決を期待しない交渉。だが、時間の浪費を相手に強要できるのだから、断じて無益ではない。必須であるというならば、為すのみだ。

「交渉担当者には、絶対に誠意を持って対峙しろと伝えるのを忘れるな。」

現場の判断とやらで、騙すための協定など結ばれてみたりした日には、非常に厄介なことになりかねない。間違っても、こちらの動きを束縛するような協定を結ばれでもした日には、根本から対応を検討しなおさねばならなくなるし、騙すことを前提としていたらならば、それは今後の交渉に悪影響以上の打撃をもたらす。故に、可能な限り譲歩を拒絶しつつも誠意を持って交渉には臨んでもらわなければならないのだ。

「しかし、軍の集結は?おやめになられますか?」

「続行だ。」

もちろん、続行する。何のための交渉かと聞かれれば、時間稼ぎなのだ。軍の集結を滞らせることなどありえん。性質から言えば交渉というよりも、懇談会に等しいようなものであるが、それでもとにかく時間を稼ぐことを考えておくほかにない。矛盾するようであるが、誠意を持って時間稼ぎをしてもらわねばならないのだ。

「どこに、誠意が?」

誠意を示す。言うのは簡単である。だがしかし、交渉中に軍を動かすことは背信行為とも取られかねない。ましてや、相手方も時間が重要であると理解している時に、軍を動かすという事へ神経質にならざるを得ないだろう情勢下でだ。普通に考えてみれば、誠意など存在しないだろうし、考えずとも背信行為と受け止められても仕方ない。誠意ある交渉を命じられた使節は、このことを問われた場合正直に答えたとして、どうなるというのだ?

「簡単だ。正々堂々と集結させる。」

だが、ロバートにしてみれば、隠す意図がない。むしろ、これ相手の名誉心に付け込むしかないとすら考えているのだ。相手は、貴族。それも、自分達のように見栄も晴れない繁栄ならば、捨ててしまえといえるほどには、我慢強くない連中だ。しぶとくないのだ。手玉に取れるかと言われれば難しくとも、裏をかくことは不可能ではない相手だ。

「そんな器用な真似が可能でしょうか?」

「可能だとも。連中に軍の集結まで待ってもらうための交渉なのだからな。」

問題を簡単にしてしまうには一つの方法がある。例えば、交渉か決戦かと迫るやり方だ。決闘の精神に近いモノがあり、近代以降の勝利を重視する軍人ならば陥らない思考にも、貴族的な騎士道精神は拘束され得る。そこに賭けるほかない。

「いったいどのように?」

「剣とパン、いや杖とパンか。好きな方を選べといってやるまでのことだ。」

暴徒や叛徒、あるいは賊。いかようにでも奴らを定義することはできるが、連中自身は紳士のつもりだ。だからこそ、大義が自分達にあると信じている。そして、それ故に、信義を裏切るような真似はできないのだ。だから、こちらはそこに付け込むのが最善。理想としては、相手方に泥を突けるような形へ最終的に持ち込むことだろう。平和を望んだゲルマニアに暴発した暴徒が襲いかかった。

ここに持っていければ、最善なのだろうが。

「決闘か、講和か。選べと伝えよ。決闘を望むならば、我ら挑戦状に応じる意図ありとも伝えさせろ。正々堂々とな。」

戦争に名誉が存在することは、麗しの伝統だ。人間として実にあるべき姿の一つなのかもしれない。ロバートにしてみても、決して不快と断じきるわけにもいかない価値観だ。戦争などという碌でもない行為に倫理が存在することはまだしも慰めになる。が、それは塹壕と機関が誕生するまでの世界だ。人間を効率的に殺すことを至上目的とした消耗戦の世界を知る人間にしてみれば、戦争に名誉というものを持ちこむことは、二次的にとらえるべき要素だ。

勝者が歴史を作り、明日を謳歌できるのだとすれば、国家理性と戦争の合理性は、大半のことを許容する。道徳的価値観からではなく、必要性によって。故に、彼は、相手方の過剰な名誉心を言祝ぎつつも利用する。


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あとがき

たまに思うのですが、公爵さん家って、後継者本当にどうする気なのですかね?

あと、メイジ使った陸戦って極端に会戦重視だと思っていいでしょうか?
決戦主義というか、消耗戦って概念が乏しい気がするのはどうなんですかね?
まあ、西部戦線異状なしみたいに、だらだらと膠着した戦線なんて描写が物語性に乏しいという傾向はわかるんですが、どうも・・・。


トウランとか、そういう人間が評価されないような世界ですよね?



[15007] 第八十一話 彼女たちの始まり2
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/04/11 23:04
辺境地帯に不穏あり。

急を告げる使節がヴィンドボナに駆けこむことは、決して多くはないが少なくもない。

なにしろ、帝政ゲルマニアは広大なのだ。
それだけ陰謀をたくらむ輩が潜むだけの影も少なくない。
なにより、歴史的に見た場合若い新興の国家である。
その存在という物に慣れ得ない人々は多くもないが、少なくもないのだ。

だから、ゲルマニアの官僚は急報に対処する術を経験則から豊富に有していた。
都市国家由来故の内紛。
加えて、周辺国の定かではない動向。
これらが、ゲルマニアを鍛え上げたといっても過言ではない。

過言ではないのだが、しかし彼らをしても、北方と西方から同時に急報がもたらされることは少々厄介に過ぎると悟り、舌打ちしたくなるほどには事態は碌でもないものであるのは間違いなかった。

南方と東方に異常がないのは望ましいことだ。
なぜなら、そちらは対ガリア方面なのだから。
当然、ガリアに対峙するという意味で、油断ならない戦線である。
だから、一時たりとも気が抜けないが、備えもある。

そして、西方に対する備えもないわけではない。
ヴィンドボナにはある程度の戦力が残っており、北方の余剰戦力を動員すれば、西方からの侵入にも十分に対応できる。なにより、前回の対トリステイン戦線も、北方の増援と若干のヴィンドボナ発の部隊が西方の軍勢に合流することで事足りている。

しかも、現在のところ、旧トリステイン方面に確固たる戦略的脅威が存在しないとみなされ、軍事力の再編が行われようとしているところだ。

本来であれば、北方の騒乱程度は悠々と鎮圧し得る。
あるいは、西方の動乱ごとき、一撃で粉砕し得ただろう。

だが、微妙な時期に両者の戦力が不足し、事態の対処に苦慮しているとならば、鋭敏をもって鳴らすゲルマニア官僚たちをしても頭を抱えざるを得ないことを意味する。

足りないのだ。

再編中の軍事力を再編するには時間が必要である。

それ自体は、再編を急がせれば済む話である。

だが、厄介なことに旧トリステイン方面から抽出した艦隊戦力は北方方面で再編・訓練中であり、陸戦の主軸足る兵力の大半はトリスタニア方面にて再編中なのだ。

北方は陸戦のために兵力を欲し、西方は会戦のために艦隊を欲している。

ここまでくれば、どちらも間が悪かったのだとのたまう愚図はゲルマニア行政府には存在しないし、存在し得たとすれば奇跡だろう。ゲルマニア官界において間抜けは即日、荷物ごと叩きだされれば運の良い方で、大方の場合は有りもしない濡れ衣を押し付けられて、大河に浮かんでいるのが一般的なのだ。

アルビオンから、トリステイン方面に派遣していた艦隊が襲撃され、全滅したとの急報はさらに嫌な予感を刺激する。曰く、封建的契約の更新を拒絶した貴族らが、ゲルマニアに対する聖戦に参加することをアルビオン艦隊に要求。義によって拒絶した艦隊を卑怯にも奇襲し、一部の艦隊が逃れ得たのみで、大損害を被った、と。



そして、同時刻にアルビオン王政府も苦虫をダース単位で噛みつぶすことになっていた。

いや、苦みということならば、こちらの方がはるかに深刻であったかもしれない。

何故か、何故かアルビオン艦隊が突如として離反したのだ。あるまじきことに、アルビオンの誇る空軍で叛乱が起こったということをして、アルビオン王政府は衝撃を受けざるを得なかった。だが、それ以上に彼らに衝撃を与えたことは何の前触れもなく突然各艦が叛乱に直面したという事実である。

アルビオン王国本国艦隊、第二戦隊は全艦で武装反乱が勃発。ほぼ全ての艦で鎮圧に失敗し、辛うじて鎮圧し得たかと思われるフネに対しては叛徒の手に落ちた戦列艦からの躊躇なき砲撃によって同士打ちを演じるという醜態をさらすこととなる。幸運にも、艦内の叛乱を早期に鎮圧し、離脱しえたフネは旗艦故に海兵隊と衛士が多数同乗していたアーク・ロワイヤルと第一戦隊からの増派組である軽コルベット、フォルクスのみ。そして叛乱に寄与しなかった艦隊龍騎士隊がその他には数えられるのみ。他は撃沈されるか、叛徒の手に落ちたと見られている。

彼らは一様に、義を叫ぶ。

ゲルマニアを討つべしと。

聖地を奪還すべしと。

そして、始祖の定めたもうた秩序を再興すべしと。

アルビオンとトリステインは兄弟にも等しいではないかと。

何故、成り上がりのゲルマニアが対等な面をしてそこに立つのか?

奴らを討たずして、この世界を保ちえるのかと。


・・別段アルビオン王政府にしてみれば、ゲルマニアの弱体化を歓迎しないわけではない。強大に過ぎるゲルマニアという存在は、アルビオンにとって害毒でしかないことを彼らとてよくよく理解している。

だが、物事には許容できる限度というものが存在するのだ。何事も過ぎたるは及ばざるが如しと言う。

例えば、ゲルマニアに対するトリステインの無謀な挑戦であり、あるいは、今回のアルビオン艦隊の離反である。はっきりと言って、許容できる限度を突きぬけて、到底許容できない水準に至っている。

なぜ、離反したのか?
その兆候は確認されていなかったのか。
或いは、何故見逃されていたのか?

その一切が不明なままに艦隊が離反するということは、アルビオン王政府の軍事的な実力というものへの信頼性を著しく損なわざるを得ない。なにしろ、陸軍と異なり、平民主体の空軍は、アルビオン王政府の牙と見なされてきた存在である。

それが、牙を飼い主に直接的ではないにせよ、向けることを躊躇しないという事は、いつ何時寝首を掻かれるかわからないということを意味せざるを得ない。同時に、この意味は、艦隊全体での相互不信を招きかねないだろう。そうなれば、信頼し、戦列を形成せねばならない艦隊行動そのものが機能不全に陥ることとなる。

さらには、艦隊という武力によって王権を守護していた空軍が揺らぐことは、国内の貴族らを抑え込む術をアルビオン王室が有していないのではないのか?という疑念をはぐくむには十分すぎる騒動である。先立って、アルビオン王室の護衛として第二戦隊が出立するほどに本来は信頼されていたということの衝撃はそれほどの重みを伴わざるを得ない。

そして、北部貴族らにしてみれば、おもしろくなかった事態が急速に面白くなってきたと解釈し得る状況であった。彼らに機会が与えられたかにも思えるのだ。

まだ、まだ王家の力はそれでも、相対的には強い。

だが、それは艦隊の忠誠に裏付けされた武力という実力によって絶対不可侵を誇った其れまでとは異なり、基盤であるべき忠誠に信頼がどこまでおけるかわからない軍事力によって立つものである。

王家に最も忠勇と見なされてきた空軍ですら、反旗を直接的ではないにせよ明確に示すというのであるならば、陸軍はどうだろうか?諸候軍に王軍の一部が離反し加われば?

そして、この叛乱の原因もモード大公同様に不明と来ていれば、多くの忠臣とて、なにがしかの事情があるのではと勘繰ってしまう。当然、事情が分からない時に行動を起こすのを躊躇せざるを得ない。なにより、誰が裏切っているのかわからない。そこまでいかずとも、信頼できるか不明ともなれば、発揮し得る力などたかが知れている。

そして、叛乱に直接対峙した第二戦隊の報告は、衝撃的であったのだ。
平民どころか、士官、それもメイジの高級士官すら一部では蜂起に加わっているというのだ。

そうそう、ありえる事態ではない。

個人ともなれば、ありえなくはないだろう。

だが、組織的にそれが行われているとあらば、絶対に理由が存在する事となるだろう。

なにしろ、艦隊全体での叛乱を鎮圧し得なかった原因は、メイジが叛徒につくという大凡想定し得ないような原因によるものなのだ。

第二戦隊との連絡任務に従事していたフォルクスでは、幸いにも叛乱こそ起きていないものの、第二戦隊叛乱勃発とほぼ同時に砲撃が加えられ、艦長以下相当数を失っている。若い海尉が代理で指揮を取り、叛乱に与しなかった龍騎士隊の支援で辛うじてアーク・ロワイヤルと後退を達成し得たというが、これが意味するのは明白である。第二戦隊では組織的に叛乱が勃発した。

幸いというべきか、旗艦と連絡艦が情報を持ちかえったために事態を辛うじてにせよ察することができた。だが、もしもそれに失敗していれば、各国に通達する前にアルビオン艦隊が、戦争を吹っかけるという醜態に陥っていただろう。

悪夢以外の何物でもないだろう。

釈明を聞き入れる前に、報復の砲撃が飛んでこないのが不思議なほどの事態なのだ。

そして、誰が釈明を信じるだろうか。
一個戦隊がそのまま離反したと。

ガリアの無能王に反対するモード大公派の蜂起に連動しての艦隊行動ではない。

唐突にアルビオン艦隊が戦隊丸ごと叛乱を起こし、ゲルマニアに攻め込んだ?
信じる方がどうかしている。

逆の立場に立って考えてみれば、とても簡単なことだろう。

ゲルマニアが同じような釈明をよこしたとして、絶対に信じられない自信がある。

たまたま、重武装の戦隊があって。
その重武装の戦隊全部で武装蜂起が起きる。
そして、高級士官らで形成されたメイジ集団が叛徒に味方。
戦隊は叛徒の手で運用されています?

それを信頼せよという方がどうかしていないだろうか。

せいぜい、同盟国の顔を立てると称して信じるふりをしつつ全力で報復の用意に走るということが目に見えるように想像できる。おそらく、躊躇せずに相手方を敵と見なしてあとの言葉を信頼することなどありえないだろう。

以後の交渉に誠意を信じることなどできもしないはずだ。

それは、当然事態の収束をより困難にする。

不可避なまでに、事態を悪化させるのは間違いない。

だから、辛うじてにせよ、急報を各国に送り届けることができたのは幸いであった。
詳細を把握していない段階で、艦隊が襲撃されたという旨のみゲルマニアに急報したが、取りあえずは最低限の警戒を相手も行うだろう。

後は、大使を呼び出してどこまで話すかを外交担当者達が真っ青な顔で議論し、胃を痛めながら結論付けることだ。当然、誰が王政府にこの厄介な決定を上奏するかという問題も存在しているが、それは組織間のパワーバランスが、ゲルマニア官界顔負けの激しさで鍔迫り合い合いを行っていることだろう。王政府の当局者としては、ぜひとも少しでも自分達の負担が軽くなることを願っている。

そして、その当事者の一員であるウェールズ王太子は、不躾な思わぬ来訪者に驚きつつも、やむを得ないと言った諦めの表情で招き入れるように執事に指示を出して、若さに似合わぬ盛大な溜息をもらす。

「アンリエッタを、政治に巻き込まぬと誓ったのではないか。」

呟きつつ、彼は手にした書状に目を走らせ、天を仰がんばかりに盛大に頭を抱えることとなる。父王からの手紙。そこに記されている内容は、明らかに子の幸せを願うという文面ではあるものの、明らかに政治的な必要性に迫られた婚姻に関する内容だ。これがつい先ほど、父王から届き、トリステイン王党派に知らせたところ、実質的な取りまとめ役である財務次卿が門を叩くということは、まあ予想できないものではなかった。

「王太子殿下、御尊顔を拝し奉り、誠に・・・」

「無用だよ、メールボワ侯爵。」

できることならば、早々と案件を相談したかった。彼ならば、或いはこの事態からアンリエッタを遠ざける術を持ち合わせていないかと考えたからこそ、不躾な来訪も歓迎しているのだ。

「届けた書状は読んでもらえたと思う。本題に入りたい。」

「殿下、御恐れながら殿下のご期待には応じられないかと存じます。」

だが、トリステイン貴族の中でも稀有な人材と見定めてある程度心を許していたそのメールボワ侯爵は、申し訳なさ気ではあるものの、ウェールズの希望を否定する。魔界の様であると称される政界を長らく泳ぎきってきた政治家である彼がだ。意味するところは、術がないということではなく彼が、こちらの希望に応じないということになる。

「どういうことだね?卿ならば、と思ったのだが。」

彼は、間違いなくトリステインの忠臣である。なればこそ、アンリエッタに対するこのような要求を跳ねのけるべく共にある程度の協力関係が構築できていたつもりだった。少なくとも、望みは一致しているはずなのだが。

「殿下、私個人としては殿下の道を選びとうございます。」

「これは異なことを。どういうことだろうか?」

だが、この老人は疲れ果てたような表情で申し訳なさ気にこちらの要望を拒絶している。一体何が、この善良なる人物をしてこのように言わしめるのだろうか?考えられるのは、北部貴族らの圧力と父王の強制。だが、そう容易に屈する人物ならばとっくの昔に喰い散らされているはずなのだが。

「いったい誰が?」

「殿下、私はトリステインの臣下にございます。」

「無論、承知しているが・・・」

そう、彼は動向定かでない亡命貴族らの中では数少ないはっきりとしたトリステイン王党派だ。だからこそ、アンリエッタの臣として信頼し、期待もしている。それ故に、このような不躾な訪問も、むしろ歓迎し、形式ばった謁見ではなく私的な懇談という方向で応じているのだ。

「殿下、である以上我らは姫殿下の意向に従わざるを得ないのであります。」

「アンリエッタの意向を尊重するのは、臣下として・・・」

当然ではないか、と続けようとしたところでウェールズは自分が口にしたことの重大な意味に気がつく。メールボワ侯爵はアンリエッタの臣下である。故に、杖にかけてアンリエッタに忠義を尽くすという望ましい善人である。ならば、彼が従うのは、アンリエッタ個人となる。つまり、ウェールズが政治から遠ざけようという申し出を拒絶しているのは、アンリエッタの意志ということか!?

「まて、待ってほしい侯爵。つまり、卿は、アンリエッタが望んだというのか!?」

「御意。」

老臣が、そのように絞り出すように、声を震わせて応じる姿を見て、ふとウェールズは違和感に気がつく。老臣?侯爵は、一見すると老獪かつ経験豊富な政治家だ。だが、彼を策謀家と呼ぶには、彼は誠実に過ぎるし、なにより、初めに出会った時に彼はこれほどまでに年齢を重ねたようには見えなかった。

「・・・卿にも、苦労をかける。」

独りで、アンリエッタを担ごうとするハイエナのような王党派と称する大半の恥知らずと、北部貴族らからなるアルビオン貴族と、一筋縄ではいかない法衣貴族らを退けてきたのだ。その苦労は、彼をしてどれほど疲弊させたことだろうか。

「そのお言葉だけで報われましょう。それよりも、姫殿下のことです。」

「アンリエッタ?そうだ、確かに彼女は何故前に?」

王族とは、いくつかの義務を果たすことを求められるものだ。しかし、大半の場合は、一族の直系かつ嫡男に課せられるのが一般的だ。あまり好ましくない表現だが、アンリエッタはその義務の大半をウェールズが肩代わりすることが可能なのだ。なにより、彼女は、まだ守られてしかるべき乙女に過ぎない。だからこそ、彼のような臣下が身を呈して、守らねばならない。故に、アンリエッタの盾となると自分や彼は決断したのではないのか?その彼女が、矢面に立つというのは如何なる心境の変化か?

「姫殿下は、愛国者におなりあそばされました。」

「国を愛せぬ王族があろうものか!侯爵、卿は何を言われているのだ?」

受け継がれてきた王家の伝統と始祖からの血脈。

そして、守るべき民と封土。

貴族は、なるほど国家に対し愛憎半ばの感情を抱くことはありえるだろう。だが、王族は、その国家そのものなのだ。その始祖の血脈故に、6000年の長きにわたる統治を行ってこれた。もはや、国王は国家であり、王族は、国家の一部に等しいのだ。言い換えれば、王家ほどの愛国者も珍しいと言えよう。

だから、ウェールズの疑問は、至極もっともなものとなる。

愛国者が、愛国者になるというのは、変化なのだろうかと。

「殿下、殿下は失っておられないのであります。」

「失う?」

だが、彼は、ウェールズ王太子は、歴然たる持つ者なのだ。
アルビオン王家という始祖由来の血脈に、アルビオンを統べる実権。
ロイヤル・ネイビーを統べる司令長官としての軍権。
そして、なによりも、父王から国家を引き継ぐ王太子という地位。
その全てが、彼という愛国者に無条件で付随しているのだ。
もちろん、ウェールズはその重要性を知っているし、誇ってすらいる。
だから、彼という愛国者は一つの完成した形をすでに持っている。

翻って見てみれば、彼女は、持っていたものを奪われた、持たざる者だ。
何よりも、彼女の愛国心は、全てを失ってから初めて自覚されたといえる。
故に、その執着は極めて、強い。

「愛すべき国家を奪われた。その一事が姫殿下を突き動かしておられるのです。」

「そのために、汚泥のような政界に飛び込むことを辞さないと?」

奪われたものを取り返すために、家門の復興のためにというのは、貴族社会では別段珍しくもない執念だ。かつての栄光を追い求める没落貴族など、それこそ紋章院の記録にあるだけで広大な王宮の一角を埋め尽くせるほどだ。だが、国を奪われ、破られたとなると、さすがに広範な事例があるわけではない。

なにしろ、始祖由来の王朝こそが唯一の正統と見なされているのだ。都市国家単位での抗争や、有力独立系諸候による国家は究極的には僭称と見なされ、ようやくゲルマニアの台頭を持って、始祖由来の王朝貴族らも初めて嫌々ながらこの現実に向き合わされているに等しい。なにより、6000年の重みが、アンリエッタ一人の肩にのしかかっているに違いないのだ。

「侯爵、私は、善き統治者としてトリステインに必ず配慮する。そう誓ったつもりだ。」

だが、トリステインを完全に絶やさないためにも、アルビオン王家との融和と一体化を図るという方向性に、彼女も賛成したはずなのだが。なにより、彼女は政治という世界にはあまりにもそぐわないというのが、ウェールズの嘘偽りなき実感なのだ。

「殿下、トリスタニアより追われた我らが姫殿下の心中をお察しください。」

「その恐怖から彼女を守るべく私は、立っているつもりなのだ。」

追われてきた彼女を守ると決意した。貴族として、王族として、一人のウェールズという彼女を愛する個人として、彼女の騎士として守ると、彼は誓った。ツケ加えるのであるならば、その義務を果たすことに対して、常に忠勇であったつもりだ。

「殿下、失望も怒りに変わります。絶望も不屈の闘志に変わりえるのです。」

「ならば、彼女を説き伏せ、そのような方策を取らないように説くまでだ!」

だが、メールボワ侯爵はアンリエッタの変貌を間近で見ているだけに、彼女の決意がどれほど強固かよくよく知悉している。彼女の変貌に一番驚いているのは、彼自身なのだ。ただのひ弱な王女殿下と見ていたものが、いつの間にか、復讐を遂げるべく、確固たる愛国者に変貌していたのには、驚かざるを得ないでいる。

「殿下、もはや手遅れです。」

「手遅れとは?」

「姫殿下は、すでに御決意為されました。」

アルビオン艦隊の造反。この報告は、時をそれほどおかずして、メールボワ侯爵らの耳にも飛び込んできた。忠誠の撤回。そして、ゲルマニアに対する攻撃の兆候。この二つを耳にした時のアンリエッタの表情は、いっそ聖母かと思えるほどに神聖であり、悪魔とはこのようなものかと思えるほどに、壮絶であった。

アルビオン王家を守護奉りつつ、トリステイン王家とアルビオン王家を接近させるという政治的な決断。そして、それは、同時に、ゲルマニアに対する彼女の復讐を遂げるための一助足りえるのだ。

彼女は、アルビオンが、直接ゲルマニアと戦えないことを理解している。
だが、ゲルマニアを叩くことを欲してもいるのだ。

その矛盾しているかのような感情を満たす選択肢が眼の前に現れた。

で、あるならばだ。

彼女が躊躇するのは、もはやほんのわずかな瞬間に過ぎないと言えよう。

いや、彼女が決断に時間をわずかなりとも要したのは躊躇空ですらないのかもしれない。それは、歓喜であった。そこには、ゲルマニアへのあり余らんばかりの憎悪と、好機への感激が存在していたのだから。

「私が、直接彼女を説得する!」

ウェールズの好意は一人の個人としてみた場合、これほどまでになく高貴なものであり、ありがたいものであるというのは、彼やアンリエッタもよく承知している。だが、それに感謝しつつもアンリエッタはそれを謝絶することにしたのだ。もはや、ウェールズの言葉を持ってしても彼女を変心させるのは不可能だろう。

「殿下、どうか姫殿下をお支え下さりませぬか。」

「彼女を、あの伏魔殿に入れないと私は誓ったのだ!」

気高い精神である。これが、次代の王かと思えば、アルビオンの未来は明るいだろう。だが、それでも、彼の主であるアンリエッタは、ウェールズの好意に感謝しつつも、矢面に立つことを自ら決断したのだ。

「殿下、姫殿下自ら入ると決められました。ご厚意には感謝いたしますが、もはや御身の誓いは無効でありましょう。」

本当に、良くしてくれた。その感謝はいくら伝えても伝え足りないものがある。だから、わざわざアンリエッタの意を伝えるべくここにはせ参じたのだ。願わくば、彼女の味方であり続けて欲しいと願いながら。

そして、それを察せない程にウェールズは、無能でも鈍感でもない。
だから、彼は、宣言する。

「ならば、私はせめて彼女の盾となろう。」

「殿下、すでに過分なご厚意を頂いております。」

「よい、それが至らなかった私の責務である。」

アンリエッタの騎士として、政界という伏魔殿における盾となろう。かつて、始祖の使い魔に、主人の盾となる使い魔がいたというが、なるほど、騎士としてそのようにアンリエッタの盾となるらば、彼にとって本懐である。元より、この身はアンリエッタに捧げているのだ。

「・・・言葉では尽くせぬ感謝を。」

「いや、卿こそよくアンリエッタに仕えてくれる。本当に感謝している。」



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あとがき

彼女たち=複数形。
そろそろルイズ、キュルケ等などにスタンばってもらわねば・・・。

ちなみに。
フネでの叛乱は、まあ稀ということでアルビオンは大きな衝撃をうけたというのは、あれの指輪のが原因だったり原因で無かったり?
バウンティ号の叛乱とか、スピットヘッドとかの叛乱はあっても、英国の戦隊が丸ごと離反した例とかは有りませんし、それくらいのインパクトと捉えてもらえれば幸いです。

あと、ワルドの活躍を其れとなく仕込む予定。



[15007] 第八十二話 彼女たちの始まり3
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/04/17 23:55
ゲルマニア官界でタブーがあるとすれば、その筆頭はペチコートだ。ゲルマニアの官界は完全な実力主義である。他国とは異なり、辺境開拓の必要性から、女性の地位が決して低いというわけでもなく、男女の区別などよりも、むしろ官僚として使えるならば、山積している仕事をどれほど押し付けられるかでしか図らないのはゲルマニアならではだろう。

だが、それほどまで、ある意味では開明的かつ実用的なゲルマニア官界においてさえ、禁忌は存在するのだ。

ペチコート。

実用本位のゲルマニアであるがために、その無用さを嫌ったと嘯いてはいるものの、これに対する忌避感は上層部になればなるほど強烈である。曰く、ペチコートを付けて目の前にのこのこ出てきたのならば、焼いてやろうかと某辺境伯など嘯いたというほどである。

ペチコートに対するゲルマニアの忌避感は、根本的にはたった一つのシンプルな原因によるものである。

それは、アンリエッタという一個人に対する嫌悪感であり、つまるところ、散々妨害されたという経験則による。ゲルマニアにおいて『ペチコートをはいたハイエナ』『ペチコートの悪魔』と政府関係者が憎しみをこめて口にする際は、その対象がアンリエッタと同義であると解釈して間違いない。

彼女は、無能か?

帝政ゲルマニアという巨大な暴力装置、それも極めて効率的かつ精緻な機構に挑むということを余人は、理解得ないだろう。乏しい勝ち目。はっきりと言ってしまえば、帝政ゲルマニアは一国で、ハルケギニアの全てと戦いうる列強である。当時は、まだそこまで意識されてはいないものの、実質的に列強としてのゲルマニアは完成していた。

現在の感覚からすれば、ゲルマニアに挑むということは、あまりにも無謀であるということに同意するしかないだろう。

ロイヤル・ネイビーに勝らずとも劣らぬ練度かつ、ガリアの両用艦隊に匹敵する規模を誇るゲルマニア艦隊。

冶金技術故に、相対的に装備の質が高いゲルマニア歩兵。

驚異的な兵站線の確立と、圧倒的な戦略機動能力。

ガリアが全面戦争でも決意しない限り、ゲルマニアへの挑戦は無謀かつ無意味だろう。

だが、それでもゲルマニアは確かに被害を被った。
最悪のタイミングで、最悪の方角からの聖戦と称する連中の殴打によって。

少なくとも、アンリエッタという少女は、政治的に見た場合、あまりにも無能かつ空想を抱いた少女であったが、アンリエッタと女傑に成長するに至り、ゲルマニアにとって無視し得ない存在となったのは間違いないのだ。



トリステイン方面における問題を処理すべく派遣されてきたラムド伯爵の任務は、単純に言えば内政問題にけりをつけることである。いや、つけることであった。

誠に彼とゲルマニアにとっては不幸なことに、ラムド卿の仕事は、加速度的に増大し、いまや内政問題どころか、国防問題にまで発展し、西方方面の防衛という実にありがたくない議論を、延々と関係者と行う羽目に陥っていた。無論、外交官にとって楽しいことではない。

なにしろ、言葉で戦うのが、外交官だ。軍艦と銃剣で交渉するのもありではある。ありではあるのだが、結局のところ、破壊衝動に身を任せてぶち壊すのが目的でもない限り、やはり言葉というものが大きな役割を占めるのは変わりない。軍事力の行使も究極的には利益の追求か、利益の保護の観点からどこかで落とし所を探さねばならない以上、本来外交官が戦う舞台は戦争回避か、早期の落とし所模索となる。

「諸君、知っての通り私は軍務が専門ではない。」

だから、ラムド伯という現場の最高位に相当する貴族は、軍務が専門ではないのは、本人の責任ではない。責任ではないのだが、どうにか後任なり、ヴィンドボナからの指示が届くなりしない限り、現場で最終的に決断するのは、ラムド伯の役割とならざるを得ない。

「まあ、直接杖を手にしての戦闘までの準備は、ある程度できる。」

少なくとも、直接部隊をぶつけ合う戦術的な範疇は全くの専門外だが、場面を読み、手を整えるという場所では外交官としての経験もある程度は存在するし、思考パラダイムも似通っているために、そうそう遅れを取る心配もしていない。

「よろしく補佐を願う。」

そう述べると、属僚達に頭を下げ、さっそく彼は本題に入ることにする。時間はいくらあっても足りない。なにしろ、こちらは防御側であり、無駄なことをしている時間はないし、なによりゲルマニアの気風に全く合わないのだ。

「肝心の龍騎士隊は?集結状況を知りたい。」

単なる地上戦力であれば、移動に時間を要するだろう。
賊程度であれば、警備兵や、その辺のメイジらを使えば、追い払える。

艦隊だけであれば、まだ局所的な損害に抑えることも可能であっただろう。
よほど纏まった数の艦隊でもない限り、地上に与える損害は限定的なのだ。
空賊程度であれば、大きな町ならば追い払えないものでもない。

だが、そのどちらも持ち合わせた軍隊に対抗するには軍隊を持ってせざるを得ない。
その両者が組み合わさった場合、対処するのは容易ではないのだ。

「難渋しております。率直に申し上げれば、アルビオンの龍騎士とやり合うには、あまりにも質、量ともに不足していると言わざるを得ません。」

「状況が望ましくないのは、承知の上だ。クルデンホルフ大公国からはなんと?」

ゲルマニア、西方防衛司令部。要するに、今回の矢面に立たされる不運な連中は、至極まっとうに戦力不足という問題にたいする解答を選択している。数が足りないならば、増援を。それも、できる限り精鋭を大量に。だから、可能性があれば、どこにでも動員要請を発する。たとえ、其れがあまり期待できない大公国だとしてもだ。

「自国防衛の戦力が必要だと。」

「では、増援は送れないと?」

曲がりなりにも、友好国の危機に援軍を送る意志がないかどうか。ある意味で、究極の踏み絵に近いのが戦争である。味方で無いならば、少なくとも中立であってほしいと交戦中の交戦国は願う。だが、戦争が終わってみれば、大抵の場合どちらからも恨まれるのが中立国だ。曰く、戦勝国からは、奴らが味方すれば、これほどまでに大きな犠牲を払う必要がなかったと。敗戦国からは、見捨てられたせいで敗戦したと。

「龍騎士隊母艦一隻の派遣に同意しました。陸兵は送れないものの、少数の空中戦力を急派するには吝かではないと。」

だから、賢明な国家運営者はどちらにも保険をかけつつ旗幟を鮮明にしたように装うものだ。大公国が誇る龍騎士隊の派遣となれば、少なくとも額面戦力は十分な水準だろう。龍騎士隊母艦付きということは、当然艦隊行動につき従える。何かと利便性の高い部隊を心づくしで馳走するという形を取り繕いつつ、全体ではさしたる戦力を派遣しないことでどちらにも決定的な要素を持たせない。

「・・・メンツを保ちつつも両天秤にかけると?」

もちろん、それ故に世間からは、風見鶏と言わるだろうし、関係者から蛇蝎のごとく裏では警戒されるだろう。なにしろ、空中戦力を喉から手が出るどころか、全身一式新しく出てきかねない程にゲルマニアは空中戦力を欲している。例え、どこまで信用できるかわからない代物であっても、天秤に乗ったものに頼らざるを得ない。

「いえ、さすがにそれだけではまずいと判断したようです。」

「では?」

「子女を従軍させると解答しています。」

盟友への馳走。友好国との協力。うたい文句は立派極まるが、実態は人質を自発的に納めてくるという形を取ることによって、こちら側に媚びて見せる。だが、子供だ。所詮老臣が一人罪を問われれば、最悪の形は避けられる。なにより、派遣されてくる子女とやらが本物かどうかをまず疑わねばならない。

「・・・やはり大公国は好かんな。政治的には満点だろうが、さほども自らの懐を痛めてはいないではないか。」

子どもを人質に自発的に差し出すともなれば、形の上ではこの上ない信頼だ。だが、実際にはどれほどの意味があるだろうか。確かに、大公国にとっては、貴重な次代であるのかもしれないが、大公国自身の存続に勝る優先物もないと言えばないのだ。ラムド伯にしてみれば大公国の臓まで見透かせるだけに、クルデンホルフなる大公国に災いあれと叫びたいほどだ。

「いざとなれば、その龍騎士隊が、護衛となって逃亡でしょうな。」

政治的に味方の振りをするだけましなかもしれないが、正直どこまで信用できたものか。
なにより、龍騎士隊とその母艦という編成が気に入らない。快速部隊であるのは間違いないが、伝統的に龍騎士隊は護衛にも適している。コクラン卿のトリスタニア制圧時にトリステインより逃亡した王家も、龍によって逃がされていた。まあ、あの国では魔法衛士隊とう近衛が逃がしたが、運用上はあまり変わらないと見ていいだろう。

「理にかなった派兵でしょうな。龍騎士部隊ならば、逃げ足も速い。いざとなれば、どうとでもできる。」

こちらに恩を売りつけつつも、いざという時は、沈むフネと運命を分かつ。実に大公国とは喰えない狸であるだろう。それがわかっているものの、ゲルマニアの現状はそれでも助力に感謝せねばならないのだ。なにより、負けない限り、大公国はしれっとこちらの味方として振舞うのだ。いや、利害がある限りか。どちらにしても、外交関係者にとってみれば、碌でもない日常に過ぎないが、碌でもない日常ほど解決したい日常もまあ、ない。

「で、リッシュモン卿らは?」

以前、やや侮ったがあれは本物の狸だ。風見鶏としても、本物だろう。良くも悪くも究極的な貴族思考の持ち主ですらある。要するに、政治的に魑魅魍魎の輩で、油断したり侮ったりすれば大きな代償を支払わされることとなる。連中の軍事力を統制できねば、前の時のように暴発され、後始末をそれとなくこちらに押し付けられかねない。

「喜び勇んで、義務を果たすとの回答です。」

あの連中が喜び勇んで?

そもそも、連中の言う義務とは何か?

考えれば考えるほど碌でもない思いが頭をよぎる。

「従軍するとはいわなんだ?」

「いえ、聞いておりません。」

一気に居並ぶ貴族ら官僚らが苦虫を口がふさがるほどに突っ込まれたような表情を浮かべることになる。連中は、前回蜂起した際に、宗教上の義務を大義名分として掲げていた。

「・・・連中の言う義務は何処にあるのか、非常に興味深いものだ」

思わず、というところだろう。誰かがぼそりと呟いたことにラムド伯としても同意せざるを得ないところである。相手は、歴戦の風見鶏。要するに、信用できないことに関しては、保証付きの相手だ。大公国に勝らずとも劣らぬ嫌な一応の味方と称している相手である。

「警戒を怠れぬということになると、どの程度戦力をのこすべきだろうか?」

トリステイン王家のように、手元戦力を空白にし、あまつさえリッシュモン派の蜂起にあうという愚を繰り返すわけにはいかない以上、周辺の投降してきた旧トリステイン貴族らを含めて威圧できるだけの戦力はトリスタニアに駐屯させておかねばならない。

「・・・ですが、前線にも戦力は必要なのです。」

「さすがに、それくらいは承知しておるとも。」

しかし、当然のことではあるが、戦争をする以上、戦力は前線に送らねば意味がない。トリスタニアで防衛戦など無意味極まりないだろう。なにしろ、実質的に相手方の舞台で戦うようなものなのだ。武装蜂起されるのも困るが、かといってトリスタニアで兵隊を案山子にしておく余裕もない。

「戦力が足りない。どこかに、メイジなり、諸候で動向を定めていない連中は?」

「二か所ほどございますが。」

「・・・魔法学院と、例の公爵殿かね?」

さすがに、二か所と限定されれば、トリステイン問題に関わっている人間であればだれでもわかる問題だろう。ある種の独立性を保っている魔法学院と例のラ・ヴァリエール公爵家は、本来は内政問題として処理すべき案件であり、ラムド伯自身ある程度下調べを行っていたところだ。その知識をこのような形で活用することはさすがに想定外であったが。

「左様です。」

「魔法学院など、お荷物でしかあるまい。あの拠点を防衛せよと言われれば、軍は拒否しますぞ。」

だが、軍の意見としては、魔法学院は全く戦力にならないということである。聞いてみれば、本来いるべきメイジの盾として、また数の力に物を言わせるべき歩兵の比率が著しく乏しいために、少数の例外を除けばメイジとしての力量も中途半端な学生を戦力として期待するのはまあ無駄だと。

「いっそ、人質に取った方がよほど速いのでは?」

故に、ゲルマニア軍部にしてみれば、裏切られることの予防として、むしろ学生を人質としておく方がまだ有効だろうと判断してさえいた。まあ、軍部にしてみれば、お荷物になるかもしれない危険物を抱え込みたくないという発想に過ぎないのだが。なにしろ、戦闘中に何かあって苦労するのは、軍人なのだ。

「すでに、大半の大きな家は退避させている。むしろ、感情的な反発を考えれば避けたい。」

だがラムド伯にしてみれば、できるだけそのような事態を避けたい。むしろ、拘留なり捕虜なりにして人質にしてしまうと、一層その後の交渉がこじれることが目に見えているだけに、否定的にならざるを得ない。なにしろ、こじれた時に、苦労するのは、自分たちなのだ。

「例ならば、魔法学院など捨て置き、公爵家を抑えたほうがよいのでは?」

単純に魔法学院が駄目ならば、もう片方が使えないだろうか。実にすばやく切り替えた軍人に、その割り切りと切り替えにやや感心しながらも、ラムド伯は別の視点からの意見提起を行う。

「いや、接収した資料から、魔法学院に関しては興味深い報告がある。」

「ほう、拝見しましょう。」

「トリステインのアカデミーが、実験部隊を有しているのは聞いたことがあるな?」

本来は、内政問題の処理に当たるつもりだっただけに、ラムド伯は外交と同等程度に内政問題の研究もおこなわされていた。繰り返すが、行わされていた。実に、閣下は貴族を情け容赦なく労働させることに関して、真に偉大であるということは、ヴィンドボナ官界のゆるぎなき普遍的公式見解である。

「例の中隊だか、小隊だかわからない部隊ですな。聞き及んでおりますが。」

「レポートによれば、村一つくらいは殲滅できたそうだ。」

積み上げられた資料の中に、気になるレポートもあった。過去にゲルマニアはロマリアとトリステインの外交関係に関連して、新教徒の問題が議論された形跡を掴んでいた。その経緯があり、トリスタニアで資料を徹底的に押収し、検証した際に新教徒を葬り去った記録が山ほど発見されている。なかでも、アカデミーの部隊が、村ごと掃討したのは類を見ない規模だったので、ラムド伯の記憶にも留まっている。

「・・・間違いないのですか?どうも、それほどの精鋭がいたとは思えないのですが。」

「殲滅任務で、村を焼き払った記録があった。王軍の記録はだめだったが、アカデミーの資料には、部隊長に関する資料も。」

王軍の資料は、秘密保持の観点からか、あるいは単純に手続き上の瑕疵かは知らないが、トリスタニア制圧以前に大半の資料が放棄されるか処分されていた。まあ、トリステインの官吏は一般的にさほど勤勉で無いことを考えれば、ぐしゃぐしゃであっても驚くべきでもないのだろうが。一方で、さすがに研究機関の部隊を動かすともなれば、多少の記録も残っているのだろう。こちらは、機密保持の観点から見てあまりにも望ましくいないが、まあ、抜けていたというほかにないのだろう。

「その部隊長は、炎蛇だとか。」

「随分物騒な名前ですな。」

その通り。まったくもって、殲滅任務に従事するような、強面の歴戦を経験してきたメイジが名乗るにふさわしいおどろおどろしい二つ名だ。焼き払うという点から考えるに、よほど炎に好むところでもあるのかと思ったほどである。

「いやいや、おもしろいのはここからだ。」

「碌でもないの間違いでは?」

実際、行ったことを見れば、村ごと燃やしつくし、よくわからないが副長まで焼いている物騒極まりないメイジだ。報告書によれば、副長が杖を向けたということになっているが、村ごと焼くような殲滅任務に嬉々として従軍するメイジなど稀であってほしいものだ。副長が錯乱して、杖を向けたとしても全く当然に思えてならない。

「まあ、主観の相違であるのは認めるに吝かでもないが。」

だが、それだけの実力者であることは間違いないのだ。平然と殲滅戦をやってのけられるようなメイジには少なくとも、戦争においては期待できると言えよう。無論、平時にお付き合いしたいかと言えば、職責でもない限りは断固謝絶したいくらいであるが。

「続けていただけますか。」

「魔法学園の教員に炎蛇の二つ名をもつメイジがいる。」

こちらは、資料を取り寄せて調べた際に気がついたことだ。まったく、アカデミーで殲滅戦に従事した人間が、王家からも独立した魔法学院で教職?なるほど、軍内部の綱紀粛正を逃れるには最適手だろうと感心したことが記憶にある。

「面白いのは間違いないが、所詮個人だ。戦争においては、さしたる働きも期待できないだろうが、戦力になるとは思うがね。」

一人でも人手が欲しい以上、こういった経験豊富なベテランという物は、多少のリスクがあっても抱え込むに吝かでもない気がする。まあ最低でも、略奪なり火付けなどをやらかす統制の効かない傭兵よりははるかにましだろ。

「ああ、個人としてならばもう一度、敵地浸透強襲作戦をやってもらうのはどうでしょうか?」

「つまり、ゲルマニア北部でやられた撹乱のようなこととしてかね?」

「はい、少なくとも、連中の兵糧なり集積場なりを吹き飛ばすことを期待したいのですが。」

なるほど、確かにコクラン卿も手こずったという手法をやり返すのは、意趣返しという点から見て有効であるということ以上に、実用上の効果も期待できるだけに良い手であるかもしれない。なにしろ、相手は飢えている上に大勢いるのだ。食料を焼かれるのは、本当に大きな打撃となることだろう。

「なるほど、悪くない。」

だが、それは、地上の話。

残念なことに、常と異なりここにおいては全く別種のアプローチが必要とならざるを得ない。すなわち、艦隊戦力への対処。なにしろ、通商破壊はあちらとて可能であり、なによりアルビオンの戦隊は、伝統的に高い質で有名なのだ。暴れまわれたら、どのような損害を被るか考えたくもないほどだ。もちろん、むざむざとフネを獲物として差し出すつもりはないが、停泊地を襲撃でもされたら、其れまでと覚悟せざるを得ない。

「左様。悪くないが、それだけでは戦局は動きません。とにかく、艦隊をなんとかせねば。」

「アルビオンめ、なにが、艦隊が撃破され拿捕されただと?」

「戦隊丸ごと離反とは、暗黙理の取引があったとみなさざるを得ませんな。」

そう。

艦隊が、アルビオンによれば、乗員まるごと拿捕されたという信じがたい主張がなされている例の艦隊が存在している以上、それに対抗しなくてはちまちまと地上で敵兵力の妨害を行っている間に、決着がついてしまいかねないという問題があるのだ。

「貴族不平派のガス抜き件処刑を代行させる気では?」

「あり得る話だ。」

モード大公の粛清以来燻っている王家への反感。抑え込むのは容易ではないだろう。そこで、一人ばかり知恵者があれば、それをこちらに敢えてぶつけてくることを思いつく策謀が産み出されても不思議ではない。ゲルマニアにぶつければ、ゲルマニアが其れを叩く。そうすれば、直接の恨みはゲルマニアに向かう上に、王家への叛意を持つものは減らされるのだ。連中にしてみれば、悪い手ではないと判断したのだろう。

「では、手をこまねいて観察を?」

「論外だろう。とにかく叩く。」

もちろん、連中の思惑を忘れ去るわけにはいかないが、まずもって何よりも優先するべきは、侵入の排除だ。その意味においては、手段の硬軟こそ問われようものだが、目的に変更はない。

「しかし、辺境の戦力を引き抜いても、到底間に合いませんが」

だが、その排除という目的のためには、根本的に難しい問題が存在しているのだ。

「・・・国土が広すぎるのも考えものだな。」

帝政ゲルマニアは、国土の広さ、特に辺境開拓の余地があまりある国家である。それは、貴族の次男三男に、分家独立の道を可能とさせるものであり、平民でさえ一旗上げることを可能に至らしめている。それだけに本来であれば、それはゲルマニアの未来を約束するものであるが、しかし、有事においては守るべき国土の広さと人口分布の薄さという課題を抱えているのだ。さすがに、ガリア方面には幾層にも備えてあるはずであるが、それでも、主要部の防衛が限度。きめ細かな監視網などの構築は未だに完成にはいたっていない。

「分割貧乏に陥るよりはましかと思いますが。」

「場合によりにけりだ。失う物の無い飢えた集団を相手取るのは厄介だぞ。」

ゲルマニアにしてみれば、無意味極まる戦いだけに、まったく気乗りしないこと甚だしい。防衛戦ともなれば、得られる恩賞は本国内部の直轄領。さらなる中央集権化を図りたいヴィンドボナは恩賞を相当惜しむであるだろうし、貴族らへの締め付けを一層強化し、何とか減少した直轄領を回復しようと図るだろうと、誰にだって予想できる。

「トリステイン貴族らのために、我らが破産するのは諸君も納得いかないだろう。」

しかも、別段現状では自領を失う恐れがあるゲルマニア貴族はさほども多くないのだ。ラムド伯ならずとも、辺境貴族らが従軍に極めて消極的になるのが容易に想像できる。何が悲しくて、開拓すれば無尽蔵に手に入るかに見える猫の額のような面積でしかない土地のために莫大な軍事費を自弁して従軍したがるものか。不幸にも、トリスタニア駐屯を持ち回りでやらされている関係上、引けない面々を例外とすれば、ゲルマニア貴族らとて、従軍を避けるのは間違いない。

「軍役免除税の納付が認められれば、即刻我らも退散致すのですがな。」

そう誰かが呟くと、それに賛同するような小さな囁きが渦となって会議室に響き渡る。軍役免除税。それは、従軍を免除される代わりに金納するというシンプルなシステムだ。従軍しない以上、恩賞に預かることはできない。その上に、相当額を徴収される事となるため、普通は従軍を貴族らが望む傾向が強い。とは言え、今回ばかりは従軍という事業はひたすら赤字を吐き出すだけと見なされているため、各貴族らは損切りの発想に至っている。

誰だって損をするならば、最小限に抑えたいにきまっている。

「いっそ、焼きますか。」

だから、だろうか。

「何?」

「いえ、くれてやるくらいなら、焦土戦術でもとってみますか。」

期待できないならば、焼いてしまえという案が、ゲルマニア貴族の頭に浮かんだのは当然の帰結だろう。

「正気か?いくらなんでも、そこまで各所から恨まれたくないぞ。」

さすがに、というべきか。外交上の配慮というべきか。ラムド伯にしてみれば、名目とはいえ、ゲルマニアが自壊したと酷評されるのは避けたい上に、焼かれた土地の所有貴族とのごたごたはまずいという判断があるために、ややこの提案に惹かれるものがあるのは認めつつも、論外だと言わんばかりに否定する。

「ですが、ここは元々連中の土地です。」

「問題があるならば、連中の内輪で解決させればいかがでしょうか。」

だが、よくよく考えればだ。トリステインの土地のために死ぬというのも、ゲルマニア貴族にしてみれば、馬鹿げた話だ。どの道、焼き尽くしてやると意気軒高な連中が進軍してくるというのであるならば、手間を省いてやるのも一つだと思えてくるのが、不思議なところである。だが、それを考えた時に、ふと、本当にちょっとした思いつきがラムド伯の頭をよぎる。

「それも一理あるが、・・・いや、もっと良い方法がある。」

「はっ?」

トリステインの土地のために死ぬのはばかばかしい。それは、事実だ。

そして、ここは連中の土地である。

あとは、連中が飢えた狼のように貪婪ということくらいか。

だとすれば、極めて単純な方法でも良いだろう。

なにより、ゲルマニアが直接手を汚さないところが、素晴らしい。

「物資を引き揚げろ。民間からは、いくら費用がかかってもよい。とにかく、全てを買い付けよ。」

「はっ?」

「名目は、戦に備えるための緊急調達でよいな。初めから金を惜しまずにばら撒けば、かなりの量を市中から引き上げられるはずだ。」

そう、どのみちトリスタニアにある財物など、持って逃げることができるものでもないし、焼いたからといってそう簡単に減少するものでもない。金銀財宝ならば、なおさらだ。ならば、これらを有効活用すると共に、戦争に必要な物資をせめてなりとも敵の手に渡さずに、こちらで確保しておく方が面白いことになる。

「徴収する事も可能でありますが?」

「いや、絶対に避けるべきだ。」

あくまでも、金銭と引き換えにしなければならない。旧トリステイン東部には、大量の金を積み上げたうえで、物資をことごとく持ち出していかねばならないのだ。それも、可能な限り悪評を避けたうえで。

「それは構いませんが、むざむざと、財を残すのでありますか?」

「それこそが、目的だよ。」

そう、乏しい食料と山積みにされた財宝。これが、トリスタニアにもたらされた場合における効果はちょっと想像しがたいほどの効果をもたらし得る。なにしろ、トリスタニアは消費地であって生産地で無いのだ。金銭で穀物を買うことに慣れ切っている。だから、供給が耐えるということが、どういう事態をもたらすか、まるで警戒していないし、その時まで理解できないだろう。

「飢えた連中だ。わずかな餌をめぐって同族相殺し合うだろうよ。なにより、金は喰えない。」

金銭の誘惑に耐えきれずに分配で揉めてくれれば、それだけで内輪もめによる自壊が期待できる。なにより、近隣に食料は無いのだ。住民の持っているパンを奪うか、どこからか食料を調達しない限り軍は飢えるだろう。あるいは、住民が飢えて、パンを欲した時にどうするか。

「なるほど、飢えた群衆と飢えた軍隊ですか。楽しいことになるでしょうな。」

手際良く進軍すれば、あるいは合理的に判断すれば、金を有効活用し、より強大になることも理論上は可能だ。しかし、ラムド伯は外交官としてトリステイン貴族らと数多くの折衝を行っているだけに、相手のことをよく理解している。とてもではないが、機会を活かせるものではない。むしろそれどころか、自分達の内輪もめに汲々として、お互いの足を引っ張り合うような連中だ。

「良い機会だ。旧主を懐かしむ連中には、自己決定させてやろうではありませんか。」

だから、というべきか。同じ外交の属僚が、よいことを思いついたとばかりに口を挟んでくる。残された大量の財宝。そして、ゲルマニア軍事力の空白。降ったばかりのトリステイン貴族らがどう動くか見モノだといわんばかりの意見だ。

「いや、それは駄目だ。それでは、戦後の統治があまりにも難渋するうえに、外交上も避けたい。」

だが、それは、ラムド伯にしてみれば少々困った意見とならざるを得ない。まだ、戦後のことを見据えて対処せざるを得ない以上、あまり過激すぎる手法は取れないし、ヴィンドボナの意向を把握しないうちに政治的自殺を行うつもりもない。

「ご意見は理解します。しかし、戦後のことなど、戦後に処理するほかにありますまい。」

「いや、一応形式だけでも、抵抗するように促しておく。我々が旧東部を放棄すれば、連中も言い訳が効くだろう。」

そうすることで、ある程度の道筋が立てばよい。最低限の処置を為せば、良いのだから、その程度でも戦後のことを考えておくべきである。だが、最低限の水準ということに関して、外交の観点からはそれだけで事足りるとしても、軍からはまた別の要望が上がらざるを得ない。

「失礼、確かにそうかもしれませんが、せめてタルブ近隣だけは固守していただきたい。」

「平原ですぞ?明らかに防衛には適さない。」

官吏の一人が疑問の声を上げるが、発言した軍人は如何にもという風に同意しながらも、交通の要衝故に放棄することは断じて避けたいと主張して譲らない。なにより、空軍にとって、数少ない整備された拠点なのだ。敵の手に渡ることは望ましくないということ以上に、艦隊の整備計画どころか運用計画がまるごと狂ってしまいかねない。

「つまり、あそこを取られた場合、艦隊にとってあまりにも大きな制約となりかねません。」

「撤退するとすれば、さほど問題もないのでは?」

「ご冗談を。当該方面唯一の我が空軍によって整備された仕様に耐えうる軍港ですぞ。」

簡易仕様とはいえ、タルブには停泊地が整備されている。簡易仕様の設備設置は設営工事の中では比較的簡便に行えるとしても、そうそう戦時に行えるものではないし、なによりタルブほどの広大な土地と空域が空いている適地はそう容易には存在しない。しかも、それが直轄地としてゲルマニア空軍にとって使用しやすい土地ともなれば、本当に稀だ。

「仮に、この拠点が使えない場合、我が空軍は、散発的な支援しか行えないと思っていただいても結構。」

今でこそ、ゲルマニア空軍は当該方面に戦力をさほども展開していないために重要性が忘れられがちであるが、空軍は停泊地が絶対に必要である。そうでなければ、長距離の移動によって徐々に消耗し、戦力発揮に著しい支障をきたすこととなるのだ。北方から来援した部隊を整備できねば、空軍にとってみれば、少しも望ましくない戦いにしかならないだろう。

「だとすれば、主戦場は旧トリステイン領に留めるという方針で行かざるを得ないか。」

だが、それはゲルマニア本国を戦火に晒す必要がないということでもある。それだけに、ラムド伯としては安堵する事ができる。軍事的な必要性からゲルマニア本国での戦争を避ける筋道があれば、少なくとも、彼としてはそうなるように努力することが国益にかなうのだから、気分は多少なりとも楽になる。

「ふむ、だとすれば、辺境伯の指揮権で処理すべき範疇の問題になりますな。」

「幸か不幸か、諸候軍の来援も間に合わないとなれば、現場の最高位は辺境伯ですね。」

そして、方面の関係から、当該方面の防衛はツェルプストー辺境伯の管轄下に置かれることになるだろう。少なからずの戦争に従軍し、炎で名高い軍事系貴族だ。辺境防衛の任から侵入者撃退とやや仕事は変わったものの、彼らならば、為すべきことを為すだろう。

「ならば、大公国の軍も辺境伯の指揮下に組み込めば良いことだ。」

「さすがに、大公国の子ともならば、少々面倒では?」

だが、さすがに、というべきか。指揮権の問題を考えた場合、大公国軍の存在は実に微妙な問題となる。戦力はどの道足りないのだ。だから、いるに越したことはない。だが、政治的に相手方の爵位が高かろうと、こちらの指揮統制に服さないのであれば、面倒事がおきる。まあ、組み込んでも問題があるのだが。

「名目上独立国なのです。政治的に問題が多すぎ、かつ危険かと。」

「同盟軍扱いせよと?」

暗に、こちらにいつ砲と杖を向けるかわからない奴らを信頼できないでしょうと顔が雄弁に物語っている軍部に頷きつつ、ラムド伯も面倒なことだと歎きつつも、筋違いを指摘しておく。

「だとすれば、外交の管轄分野だ。はっきり言って、辺境伯に外交を行わせるわけにはいかない。」

同盟軍の扱いともなれば、それはヴィンドボナの判断するべき問題となる。友好国からの善意の従軍と、対等格での出陣とは全く意味合いが異なる。

「頭が痛い問題だ。ならば、いっそのこと人質を兼ねてヴィンドボナ駐留にいたしますか?」

「却下だ。首都に他国の軍をいれるなど、ありえん。」

子ども一人で送れるならば人質の価値もあるだろうが、一個龍騎士隊が同伴するともなれば、それは人質という名の進駐になりかねない。そんな報告をヴィンドボナに送れば、即刻召喚状が叩きつけられて、しょっ引かれることになるだろう。その後は、少しも明るい未来が見えないのは間違いない。

「では、タルブ防衛でも割り当ててはいかがですか?」

「いやいっそ、通商破壊作戦にでも従事させてみては?」

「残念だが、却下だ。轡を並べて戦うことが政治的に求められている。」

どちらの提案も魅力的ではあるが、しかし、政治的に見た場合トリステイン系であった大公国がゲルマニアと轡を並べて戦うということの意味はやはり大きい。できれば、公的にゲルマニアの側に立つという政治的な声明でもあれば、最高なのだが、それでも轡を並べるという行為もそれに勝らずとも劣らない程に重要なのだ。

「いっそ、援軍無用といってやっては?」

「卓見だな。だが、ここで援軍の申し出を断れば、連中はこれ幸いと離脱しかねん。」

援軍を一時的に断るというのも、方便ではある。共に友好国同士でお互いを気遣ったという姿勢を見せることもできるのは悪くないし、ゲルマニアの自信のほどを見せることができるのも大きい。だが、今回ばかりは兵力が不足している上に、相手はこれ幸いと見切りをつけかねない以上、なんとしても組み込まねばならないのだ。

「ならば、無理やりにでも戦力に組み込むしかありませんな。」

「しかし、辺境伯指揮下に編入するのは、あまりにも難しくありませんか。」

「ヴィンドボナから書付で、すます。」

だから、やむを得ないとは思うが、辺境伯指揮下に組み込むしかない。そのために、ヴィンドボナから要請を発してもらい、先方がそれに同意するという手順を踏むとしても、なんとかやっておかねばならない。逆に言えば、これが政治的、外交的なゲルマニアにとって取れる最後の許容線ということだ。

「指揮下に入ることを要請する書付に先方が同意しない場合いかがされますか?」

「沈めるしかないのだろうな。」

それが、受け入れられない場合。
其れすなわちゲルマニアにとって、望ましくない事態である。

「はっ?」

「母艦ごと沈めるしかないだろう。そこで拒絶するようならば、連中この戦争は向こうに味方するとみなさざるを得ない。」

「よろしいのですか?」

「よろしいも何も、そうしなければ、終わりだ。」

それだけの決断を迫る他にない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

というか補足説明?



トリスタニア駐留組:旧トリステイン東部↔タルブ←ゲルマニア西部

ソ連軍:DDR駐屯↔ワルシャワ条約機構拠点←ソ連本国

要するに、あんまり信用できない拠点にいる時に、敵がわーっと攻めよせてきたらどうするかという状況ですね。

まだ、ソ連軍のように、経路にあたるポーランドの動向を警戒しなくてはならない程で無い分ましですが。

ゲルマニアって地理的に広いのでソ連戦術を採用できる気がします。

さすがに冬将軍はいませんが。

あと、アンアン・テレジア化計画は、アンアンの知力をビフォーアフターで別物といたしますので、単なるおバカアンアンから進化する方向でご期待ください。

まあ、テレジアさんも、もともとは頭がお花畑でしたから。
フリードリヒ大王と対峙するうちに進化したことを思い起こしていただければと思います。


追伸
経歴だけ見たら、炎蛇まじ危険人物。
殲滅任務従事→部下を焼く→脱走→独立性の高いところに潜り込む



[15007] 第八十三話 彼女たちの始まり4
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/04/28 23:45
『夜』

それは、戦意盛んな指揮官をして、攻撃を躊躇させるとされてきた概念である。

まあ、諸君にしてみれば、実家で亜人討伐でも手伝っていない限りあまり分からないだろう。だが、はっきりと覚えておいてほしい。無策のまま夜を迎えるのは、あまりにも高くつくと。夜は、夜だからこそ、警戒が必要なのだと。

視界が制限されるということは、非常に大きな意味を持つということを、諸君は肝に銘じてほしい。なにしろ、声の届く範囲に兵が集結しているかどうかすらおぼつかないのだ。戦場で部隊を掌握するのは、そもそも困難であるが、夜間は、更にこの難易度が跳ね上がる。

試みに夜間に行軍してみればよいだろう。ただ、前進するだけで、大量の落伍兵と、輜重の混乱を招き、到底戦闘どころか、混乱の収集だけで、一晩をゆうに浪費しかねない。どころか、夜間行軍によって、戦力が戦う前に摩耗してしまうとすら評価できよう。

そんな状態で、敵と戦闘し得るだろうか?

ただ、前進することすらおぼつかないのだ。

普通の指揮官どころか、血気盛んな指揮官でさえ、素直に進軍を断念し、翌日の進撃なり、戦闘に備えさせるのが一般的だ。もちろん、無謀にも夜間に進軍した例がないわけではないが、高い授業料を払っているのが一般的だ。

もちろん、例外がないわけではない。

宿営地を確認するために、少数の龍騎士による夜の暗闇に守られる事幸いとばかりに夜間偵察が行われ、或いはフクロウなどの使い魔と視野を共有できる特殊なメイジによるちょっとした襲撃ならば、まあ、例がないわけではないのだ。

とはいえ、メイジとて大半は夜の戦闘を得意としているわけでもない。

一応、組織的戦闘にならず、乱戦に持ち込まれてもメイジ個々の戦力が高いために夜間も戦えないことはないとされているが、それは遠距離攻撃魔法がさほども使えないために、味方の援護ができるわけではなく、混乱による同士打ちの可能性すら危惧されるために、それを警戒し、メイジの力量もそれほど発揮することができない無意味な戦闘と見なされているのが一般的だろう。

まあ、夜間に行われるのは、暗闇を活用しての盗賊や、なにがしかの陰謀が一般的となっている。

あるいは、敵が優勢な場合に、単独のフネが、敵の哨戒を掻い潜り、という例もないわけではない。アルビオン大陸の空賊たちは、優秀なロイヤル・ネイビーの哨戒を振り切るために、日中は行動をできるだけ自粛し、夜間にひっそりと逃げるということも、有名な空賊の頭目は行っているとされる。

アルビオン空軍の戦闘方針にも、夜間に動くものを見かけた場合、ただちに誰何し、応答がない場合は、可能な限り照明を向けて、その姿を暴露させ、確認次第空賊であれば、適切な対応を取ることを求めていることからしても、夜間という物に対する認識は、そういった影に潜んで行動する時間といったところだろう。

私の経験則から言えば、圧倒的多数の敵戦力とて、夜の帳に隠れてならば、相手にできないこともないと断言してもよいくらいである。なにしろ組織的に運用され得ない環境下でならば、大軍の監視網とて、それほど恐るべきものではないのだ。信頼できる少数の部隊を率いた指揮官が、夜間に突破し目的を成し遂げた戦訓は豊富に存在している。

とはいえ、これらは、基本的には邪道。

そこまで追いつめられないようにすることこそが、重要なのだ。

世間では、英雄譚を望むらしい。だが、諸君、心せよ。

勇者など、存在しない。

戦場に勇者など、いっそ無用ですらあるのだ。

本来は、勇を振るい、個人の力量に依存しなければ戦えないような事態に追い込まれないことこそが、重要なのであって、英雄や、勇者といった存在を求めるようになれば、それはもはや負け戦でしかないのだ。

『エルフでさえ、夜は休む』

これは、ハルケギニアにおける軍事的常識であり、少数の例外を除けば普遍的に見なされてきた事実である。その常識が、存在する中で英雄譚を鳴り響かせるというのは、要するに戦略的敗北を高らかに宣言しているにすぎないのだ。もちろん、現場の奮戦を貶すことは断じてすべきではないが、為政者の視点として言うならば、このことを留意しておくべきだろう。

夜間戦闘など、本来は邪道であり、これを為すということは、どこかで無理をしているという認識で良いほどだと、一部の戦略論は主張しているが、私もこれに一定の同意を示すことに吝かでもない。

まあ、攻城戦などでは、夜に敵が逃げるなり、使節を派遣するなりといった事例があるために、攻城側が盛大にかがり火を用意し、鼠一匹といえども見逃さない徹底的な包囲網を整備したり、あるいは防衛側が、夜間浸透を警戒し、衛士と光源を盛大に城壁の上に用意するなどの例がないわけではないのだが。

さて、諸君。

メイジである諸君に、このようなことをわざわざ学ばせるには当然ながら、意義があるからである。夜が恐ろしく、軍の運用を妨げるという事実。

これは、諸君に知っておいて欲しい常識である。

そして、諸君。

まったく矛盾だろうが、常識に囚われた戦争など、存在しないことを覚えておくように。

メイジというものは、ただ杖を振り回せればよいのではない。如何に、その力を効率的に使い、必要とされることを為せるかを忘れてはならないのであり、教条主義的になることは、最も忌むべきことであるのだ。私に言わせれば、教条主義的になり、単に魔法の力を誇るだけの無能なメイジは、オークと違いがないといってしまってよい。

確かに、力は強いだろう。だが、致命的なまでに頭脳が足りていない。少しばかり連帯のしっかりとした平民が数人もかかれば、仕留めることも容易なのが、現実だ。諸君、覚えておくとよい。戦争は、メイジが主役ではない。

戦争の主役は、常識にとらわれず、常に自分の頭で最善の解答を見つけ出す指揮官であり、戦略と戦術が全てを決するのだ。従来のメイジ士官教育が抱えている致命的な欠陥と、私が信じるところは、魔法の力を過信しすぎる傾向が、メイジ一般に見られることであるとすら言えよう。

ふむ?納得がいかないようだ。

常識に囚われすぎているようだな。よろしい。ちょうど、夜間戦闘の項目に関連していると言えるので、少しばかり過去の戦訓をさかのぼって学んでみることにしよう。或いは、多くの者が初見ではないかもしれないが、よくよく考えて、その意味を理解してほしいところである。

諸君、アルビオン亡命貴族と、ゲルマニア北方方面展開中の艦隊が交戦した所謂ダンドナルド事変は覚えているかね?

ああそうそう、あの大戦争の前哨戦とも言える戦いだ。今日でこそ、我々はあれを『小競り合い』と評価することに全く疑問を抱かないが、当時からすれば、本当に驚天動地ものだったことを備考するように。

言ってしまえば、ゲルマニア艦隊の夜間襲撃だ。

ハルケギニアでも稀な艦隊による、大規模な夜間宿営地襲撃の実例であるから、よく勉強しておく良いだろう。

要点は、3つ。
夜間に、組織的に、襲撃。
このことを成し遂げたことで、ゲルマニア艦隊の練度はアルビオン艦隊に勝るとも劣らずと現在強く認知されているといってよい。

偶然?

たまたま?

全く事実と異なるだろう。私は、あの指揮官と対峙したことがあるから、断言できるが、淡々と合理的にやって可能にしたと信じてやまない。つまり、不可能だと思われていることが、本当に不可能かどうかは、疑うべきなのである。

諸君、疑いたまえ。既存の全てを。

守るべきものを、本当に、守るためには、考え抜かねばならないのだ。

諸君、人生はさほども、英雄譚ではない。如何に、己の為すべきことと向き合うのか。そのことを、終生をかけて、問われ続けるのが、人生なのである。

これからの、人生に旅立つ諸君には、厳しい事と思うが、覚悟し、挑んでほしいとも願っている。

諸君の学生生活に実りの多からんことを。

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド魔法士官学院入学記念講演 『近年の戦訓と、批判的思考の重要性』より抜粋





「・・・連中馬鹿か?」

挑発行動を行ったのは、せいぜい効果があればよし。どのみち相手の判断力になど期待していないだけに、せいぜい怒りで過ちでも犯せばと願ってのことだった。だから、まさか、本当に挑発に応じてくるとは、理解に苦しむしかない。少なくとも、ロバートにとってみれば、なにが悲しくて、市街戦をやらねばと苦慮していたところに、相手がのこのこと平野に出てくるのだ。

まったく、理解に苦しむとしか形容しがたいだろう。

「せめて、誇り高いと言いませんか?」

さすがに、直截に過ぎたか。

部下からの、苦言とも苦笑ともつかないような、言葉に苦笑いを浮かべることで同意を示しつつも、仕方のないことだと我知らずに思ってしまうのだ。そう形容してしまうほどに連中の行動は、間抜け極まる。

わざわざ、地の利を取るつもりで、先立って布陣している。

なるほど、陸対陸ならば、それでよいだろう。

だが、こちらは艦隊戦力が主力なのだが。つまり、連中が高台に陣取ろうと、さほどの影響もない。むしろ、的が近くなったことを喜ぶべきだろう。それとも、決闘でも連中はお望みか?確かに、決闘は名誉あるものだが、これは戦争なのだ。最低限度の名誉はあるのかもしれないが、それは、彼らの期待する水準には到底及ばないだろう。

「蛮勇と知性を取り違えることを誇りとは呼ばないのだ。彼の国ではどうなのか知らないがね。」

「随分と辛辣ですな。」

ふむ、憶測だけでモノを語るのは、確かに賢明とは言い難いかもしれない。私の教官達の教えからして、事実確認を怠ることを極めて厳格に戒めるべきだと言われていたのだから、そこを怠るのは望ましくないだろう。そこは、素直に、確認の労を取るべきだ。

「ふむ、念には念を入れるべきだろうか。航海長!」

かくして、ロバートは素直に辛辣だと評される意見に対する衆議の見解を確認することにする。まあ、彼自身、可能な限り公平かつ客観的でありたいと願えばこそであるのだが、艦橋の緊張を解きほぐすという意味合いも、まあ、ないとも言えないが。

「はっ、なんでありましょうか?」

「彼の国では、蛮勇と知性を同一視する奇習があるのかね?」

そして、問われた航海長は、首をかしげて、さも思い出さんばかりに考える素振りを見せる物の、やはり、という態でそれに応じる。なかなかの役者ではないか。次回の考課は、少し良く書いておくべきだろう。

「寡聞にして、小官も、彼の国とてそのように取り違えるとは聞き及んだことがありません。」

「聞きたまえギュンター。やはり、あれは馬鹿だというのだよ。」

我が意を得たりとばかりに、ロバートは頷く。まあ、もともとさほどの意味があったやりとりでもなく、強いて言えば、知的な言葉遊びだ。緊張を解きほぐす程度以上の期待はしていない。

「そういうわけだ。陣すらまともに構えられない愚者を教育してやろうではないか。」

「しかし、一応正々堂々と布陣しておりますが。」

まあ、一応、見た目だけならば、確かに布陣している。しかし、戦略的に優位を獲得するという行動が一切見られない以上、それらに対して、陣を構えたという評価をなすことが可能かどうかについては、私は少々躊躇せざるを得ないだろう。

「だから、理解に苦しむ。軍の根本とは、言いかえれば如何に敵を孤立化し、分断撃破するかだ。わざわざこちらの集結を待つこともあるまい。」

基本的に、軍を集結させるということは決して悪いことではない。まあ、分散配置や浸透襲撃と言った戦術的な選択肢では別かもしれないが戦略的に見た場合、如何に敵主力を分散させるかが、重要となり、こちらの主戦力を有効に活用するかということが問われる。

そして、言いたくはないが、ゲルマニア戦力は分散している。

だからこそ、こうして如何に劣勢な戦力を有効活用するかとこちらが懸命に考えているというのに、目の前の連中は全くそのことを考えもせずにのこのこと布陣しているのだ。正直に言ってここまで無策だと、何がしたいのかと首を傾げたいほどになる。

集団自殺というやつなのだろうか?

理解に苦しむ。

「理解して待ちかまえているだけでは?」

一応の可能性としては、確固撃破される可能性を恐れて、戦力を集中し、こちらが纏まって出てくるところを叩くという可能性もないわけではない。だが、艦隊戦力を地上戦力で叩くという発想からしてありえない。対艦隊戦闘ができないわけではない。できないわけではないのだが、得手かどうかと聞かれれば、まず例外的な事例を除けば艦隊に分があるのだ。

「本気で、迎撃できると信じているなら、思い上がりも甚だしい。」

そもそも、アルビオン貴族らだ。艦隊の威力を十分に熟知しているものだと思ったのだが。それとも、単純に艦隊決戦で、メイジによる魔法攻撃が有効なことに誤解して、フネから降りて圧倒的に劣位にある高度の差を失念しているのだろうか?

「劣勢を自覚しているからこそ、確固撃破を恐れたのでは?」

「だとすれば、連中は分散して例のトリステイン部隊のように撹乱戦でもやればよいのだ。」

それこそ、以前は北部全域で盛大に駆けずりまわされた。まさか、メイジが個人であそこまで侮れない戦力を持ちえるとは、と何度も苦労したものだ。単純な人海戦術が有効でないとなると、通商破壊任務中の仮装巡洋艦を追いかけまわすように、纏まった戦力を常時張り付けねばならないだけに、大きな負担にならざるを得ないというのに。

「だらだらと、掃討戦をやるなど悪夢ですからな。」

「いやはや、あの時は、本当に大変でしたな。」

「確かに、趣味ではないな。」

まったく、本当に大変だった。

あのような、破壊活動を一番懸念して、心配していただけに、こうまでも単純に連中が集結しているのを見ると、どうも、何か、罠にかけられているのではないかとの心配をしてしまうほどだ。

誰かが、我々に、連中を、処分してほしいとでも願っているのではないか?

真剣に考えておく価値があると言えるだろう。

アカどものように、ガリアが暗躍していないという保証はどこにも存在していないのだから。

「では、ここで一掃を?」

「いや、首謀者を洗い出したい。」

その意味において、何故蜂起したのか。どのような意図があるのか、というようなことは徹底的に究明し、再発を防止せねばならないのだ。可能な限り、情報を集めるためにも、首謀者を追い詰めて、銃剣と杖で口をこじ開けてでも話をやらせねばならないだろう。

「ふむ、では首脳陣の降伏のみは、受け入れるように兵に通達しましょう。」

「ああ、そうしてくれ。」

基本的に、捕虜を取るのは、あまり得策とは言えないだろう。なにしろ、彼らの身代金を請求する先などどこにも存在しないのだ。捕虜にした挙句に、釈放しても、恨みなりなんなりを抱かれるだけであるだろうし、なにより捕虜にとるのは難しく、余計な犠牲を払うことになりかねない。そして、大半の手足は捕まえたところで、使い道がないのだ。

「では、予定通り明日早朝の開戦ということでよろしいですね?」

「・・・卿は何を言っているのだ?」

わざわざ、無為に敵前で時間を浪費するなど論外。

西方では我々の艦隊戦力集結が一刻も早く望まれているのだ。目の前の連中が我々の足止めとも限らない以上、急ぎ撃破し、早急に西方戦線に合流しなければならないというのに、わざわざ、連中の前で陣を呑気に構える必要などありはしない。

「軍の集結が完了次第戦うと宣言したではないか。」

「ですから、明日堂々と会戦を行うのでは?」

「論外だ。戦えるのだぞ?今すぐに、攻撃するに決まっている。」

ネルソン提督以来、敢闘精神は常に賞賛されている。ナイルの勝利も、エスカルゴ相手に夜戦を挑んで、果敢に勝利を収めた背景には、敵の油断を突く積極的な戦闘精神があればこそであった。

「なるほど、連中が戦争の準備をしているとも思えませんな。」

「よく気がついたな。その通りだ。連中、野営のことしか頭にあるまい。」

なにより、こちらの参謀の一部すら、明日が決戦であると考えているのだ。連中は、頭からそう決めかかっているとしても驚くにはあたらないだろう。ならば、悠長に構えているところに、あいさつ代わりに砲弾を馳走してやって、眼をさまさしてやるのも悪くはない。悪くないどころか、ぜひやるべきだろう。

「払暁攻撃でありますか?」

「いや、夜戦だ。」

払暁攻撃は、悪くはないが、相手にこちらの姿をとらえさせることで、魔法による迎撃を可能とさせるというデメリットがある。奇襲に近い以上、敵の組織的な迎撃があるとも思えないが、無用な損害を出すことは本意ではない。

むしろ、動かない野営地相手に襲撃をかけるのであるならば、夜間襲撃でも悪くないはずだ。

「・・・正気ですか!?メイジ相手に歩兵で夜戦など、自殺としか思えない!」

「・・・用意だけはするが、艦隊による襲撃が主目的だ。」

もちろん、組織的に運用できなくなる恐れがある以上、夜間に陸上部隊を大量に動かすのは避けるべきだ。何より、周辺諸侯軍すら混じっているのだ。指揮系統は考えたくもないほどに、混乱を招きかねない。混乱に乗じられて痛手を被りかねないならば、陸戦はあまり考慮しない方が確かに懸命だ。

「ですが、艦隊とて、夜間の攻撃力は限定的では?」

「実際はどうされるおつもりですか?」

そして、参謀らが懸念するように、夜間の砲撃は決して命中率が高くはない。なにしろ、目標がはっきりとしていない以上、さほど有効な打撃が与えられないのではないかという懸念は尤もなのだ。だが、やり方次第だ。なんなれば、相手は動く目標とは違い、野営中の敵戦力なのだから。

「実際に夜戦をするつもりだが。」

「本気ですか?」

そう、相手は動かないアブキール湾のエスカルゴ艦隊のように、安寧を信じ切っているだろう。夜間に組織的戦闘の困難性を理解しているからこそだろうが、困難であるということは、不可能という事と同義で無いということを、彼らはもう少し真剣に検討してみるべきだったのだ。

「ああ、本気だ。ただし、艦隊が、だが。」

「艦隊が?」

重要なことは、たった二つだ。

艦隊は、夜間というよりも、視界の制限された悪天候下でも行動できるように、各種の手旗信号から、照明を使った信号まである程度整備されている。つまり、言いかえれば、悪天候下に昼間航海するのと、平穏な夜に、航海するのではさほどの違いもなく、後者の方が容易であるのだ。

そして、砲撃するだけならば、別段夜だろうと一向に差し支えない。なにしろ、本来艦隊が夜間戦闘を忌避するのは、目標捕捉の困難性が著しく高い上に、先んじて砲撃したほうが、発砲炎で位置を露呈し、よほど上手い距離で無いと、敵艦に位置を悟られた上に、交戦に失敗し、離脱されてしまう危険性が高いからなのだ。

つまり、要点をまとめると、動かず、日中測定され、おまけに寝込んでいるような宿営地を砲撃する程度には、なんら支障がないといってしまえるのだ。

「確認だが昼間のうちに、連中の宿営地は把握したな?」

敵がのこのこと集結している時点で、ゲルマニアの地上部隊が黙って傍観しているなどありえず、しっかりと諸般の情報収集が徹底されていた。敵部隊の構成から、ある程度の布陣傾向、そして、重要な野営地の構築情報も当然のことながら、概要は把握されている。

そして、合流前に、敵情を再度確認するように促しているだけに、この方面でのぬかりもない。観測データによる間接射撃も、上手く機能するだろう。

「ええ、それは大丈夫です。」

「ならば、その地点に観測を基に砲弾をしこたま馳走してやろうではないか。」

決まった距離を飛ばすだけならば、大抵のフネは可能だろう。そして、測定され、動かない野営地に砲弾を直撃させるのは、砲撃演習となんら変わりがないほど、簡単な仕事になるはずだ。なにしろ、存在が一部確認されている少数の敵龍騎士及び飛行可能な騎獣では、フネを沈めることは困難。そして、夜間ともなれば、連携しての戦闘は難しい以上、フネと一対一で戦闘するのは無謀極まりないだけに、向こう側の躊躇も期待できる。

「なるほど、泡食って出てきたところを歩兵で叩くのですな。」

そして、私の説明に我が意を得たりとばかりに、ギュンターが、問いかけてくる。まあ、包囲殲滅戦を志向するならば、陸で包囲網を引くなりなんなりしなければならないのだから、あながち間違いとも言い切れない方針なのだが、今回は、そのような純軍事的解決策は、実に悩ましいことに選択しない方が望ましいのだ。

「それも、悪くはないのだがな。」

「まさか、宿営地ごと焼き払うおつもりですか?」

「いや、そのまま逃がしてやるが?」

物騒なことを最近のギュンターは想定しているようだ。まったく、無粋極まる予測だといえよう。アルビオン亡命貴族らは、はっきり言えば、殺して楽しむような種類の獲物ではない。活きの良い狐とは似ても似つかない獲物なのだ。狩りに出かけて、出てきた獲物が、太りきって身動きすら取れないでいるような獲物であれば、引き金を引く前に、興ざめを覚えて、頭を急速に観点させようというものである。

つまり、逃がしてやるという結論だ。

何故かと言えば、殺すことを誰かが望んでいる以上、その反対のことをやるほうが、理にかなっていると考えざるを得ないのだ。

「はっ?」

「余計な損害と恨みを買う必要もあるまい。」

いろいろと、ゲルマニアは余計な陰謀に巻き込まれているようだが、ここでもう一つ濡れ衣を好んで被るのも不毛だろう。陰謀で虐殺したと罵られるよりは、正々堂々と戦ったという態でお互いに落とし所をさぐるのがよほど将来に有益だろう。

ぶどう弾をばら撒いて、アルビオン亡命貴族らを粉砕したところで、せいぜい来年の収穫が微増するかどうかという程度問題くらいしか、利益が思いつかないが、撃ち殺すことによる悪影響は、簡単に想像できるといってよい。

「・・・我々は、鎮圧にきたのでは?」

「だから、散らしてその間に首謀者を捕える。扇動者さえ落とせば、反逆などすぐに鎮圧できるものだ。」

捕虜もそういう理由で取らないように指示しているつもりだったのだが。なにより、インド大乱でも、精鋭とみられていた大軍さえ、まともな指導者を打った瞬間に纏まりを欠いて、各個撃破の対象となり下がった。セポイ兵の装備・錬度には議論の余地があるにしても、指導者を欠いたという一事が、大勢を決したのだ。団結し、統制下に置かれていない戦力など、正直に言って、そう脅威でもない。

「コクラン卿、少々短絡的過ぎませぬか?」

「ふむ、経験則上、私はそう判断するのだがな。」

軍というのは、頭を潰されて戦えるほど器用ではない。それでも、軍組織がある限り、指揮官の交代要員が存在し、戦闘を継続し得るようにしているのだ。だが、軍組織を欠き、個人の力量に依存した形でもなければ、叛徒などまとめあげようがないのが、現実であり、代替の余剰など、望むべくもないだろう。だから、叛徒は放置しておいてもよいと、判断している。

「ですが、仮にそうだとしても、扇動者を見つけられねば飛び火するやもしれません。」


「拘束できれば、問題はないだろう。龍騎士隊をそのために温存してある。」

決して豊富とは言えない地上戦力と異なり、艦隊主力が集結している手前、艦載龍騎士隊の戦力は豊富だ。砲撃の混乱に乗じて、所定の目的を達成し得るだろう。そうなれば、後は、これという特徴もない掃討戦に等しくなるはずだ。

「艦載龍騎士隊の戦力ならば、可能と信じている。」

「しかし、念を入れて捕縛にこだわらず、補殺を想定するべきではないでしょうか?」

「それも、検討はした。」

・・・正直なところ、確かに確実を期すならば、ここで砲撃し、殲滅しておくのも一つの選択肢ではある。だが、それだけは妙手に見えて、悪手なのだ。絶対に、ガリアがそれを望んでいると思しき以上、相手方の思惑に乗って踊るほどの義理は存在しない。

「では?」

「殺す、となると、目前の敵を全て全滅さうる程度の用意が必要になる。」

不可能ではない。不可能ではないものの、それには大きな損害を覚悟することになるだろうし、政治的に見た場合、大きな面倒事を呼び込むに違いないのだ。そんなバカな事態を自ら呼び起こす趣味は無いのだ。

「では、せめて確実を期すために追い散らすのではなく、大きな損害を敵に払わせることを認めていただきたい。」

・・・もっともな要求であるか。

「仕方ない。焼玉の用意を。」

砲弾を過熱させ、敵の火薬でも誘爆させることができれば、御の字だろう。それが不可能であったとしても、焼玉の方が、拠点に対する効果は大きい。有効な打撃を求めるのであれば、これくらいはかまわないというところか。的になるアルビオン亡命貴族らも、この程度であれば、恐怖を感じつつも、全滅に至るまでは無いだろう。

「焼かれるおつもりですか?」

「ご自慢の御立派なテントはよく燃えることだろうよ。」

戦場をつくづく侮っているような過剰な生活設備。こんなところにまで、天幕付きの御立派なテントを自慢げに展開するなど、司令部はここであると、的を自慢しているようなものだ。目立つ司令部にそのまま龍騎士隊を突入させるだけでも、あるいは効果があるかもしれない。

「それと、龍騎士に予め火をつけさせよう。一方的に照らし出された相手を討つならば、陸の大砲も使えるはずだ。」

敵に対する撹乱と、嫌がらせ。そして、友軍に対する功績の分配という政治的配慮も勘案すれば、砲撃くらいは、陸上からも行ってしかるべきだ。

「いそぎ、陸兵を配置いたします。」

固定目標をただ、砲撃するだけの簡単な任務だ。せいぜい、上手くやることにしよう。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

うん、図を入れてみようと思い立った。
■が防御隊列
一段目が平民主体(所謂壁)
二段目が攻撃用のメイジを多く含む。
三段目が、背後の警戒兼、戦略予備。
ある程度、各隊ともに魔法攻撃で一掃されるのを避けるために、間隔を取っていると想定。
☆が所謂側面防御用の龍騎士とかそういうのだと。

    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(壁)
  ☆   ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■(攻勢)☆
  ☆                        ☆
  ☆           『本陣』         ☆

          ■■■ ■■■ ■■■   (後方の壁)

で、これ、二次元的な戦闘にならば、強いのだけどさ。
三次元的な近代以降の戦闘ドクトリンなら、かく考える。
『本陣』を上から狙えば良いのではないか?と。

具体例:電撃戦とか。

とりあえず、図を書く才能がないことは分かっているので、ご容赦ください。


追伸
キュルケって、たぶんどの時代でも其れなりに上手く世渡りできると思ったら、駄目でしょうかね?



[15007] 第八十四話 彼女たちの始まり5
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/05/08 07:23
戦争がここまで単純だと、全く悩まないで済むのだが。

この、単純な一言は北部から届けられた報告を耳にしたアルブレヒト三世の呟きである。

そして、これは今日でも多くの議論と解釈を招き、アルブレヒト三世の真意は何処にあるのかということが論じられている一言でもある。

・・・かく申す私も、これで本を書いているのだから、とやかく言えたものでもないのかもしれないが。

多くの学説が提唱されてはいるものの、いくつかの有力な学説が存在し、それぞれが解釈によって非常に大きな議論を招かざるを得ないものだけに、この一言のもつ意味合いはそれほどに大きいと言えよう。

最も無難な帝政ゲルマニアの公式見解によれば、信頼できる帝政ゲルマニアの各員によって、戦争を戦い抜くことに希望を見出した皇帝閣下の真情が発露した、ということである。

なるほど、確かに無難かつ尤もらしい解説だ。

なにしろ、字面だけ見れば、北部で蜂起したアルビオン系貴族らの武装集団を、コクラン卿が散弾と鎖弾で散々に砲撃し、北辺貴族と称されることになる辺境貴族らに陸戦で完膚なきまでに討伐された報告書である。

問題が起きても、忠勇な部下が解決するとなれば、戦争も単純だろう。

故に、悩まなくて済むというのも、真理だと。


しかし、一次資料から分析を行った史家の多くが、そもそもアルブレヒト三世はコクラン卿に対しては異常とも取れるほどの全面的な信頼を寄せていると主張している。

言い換えれば、コクラン卿という重石を置けたからこそ、皇帝閣下にあらせられては、北辺に憂いなく諸々の行動計画を立案することができたのであり、北部での問題解決もそもそも当然視していたのではないかという疑念提起だ。問題が起きても対処し得ると信じていた人材配置が叶っただけということならば、まだ無難な解釈だろう。

問題が起こると見通し、人材を配置していた。そして、その配置が巧妙に機能したというならば、皇帝が自らの先見を誇ってこのように呟いてもまあ、驕りとはいえないのではないか。

だが、多くの史家はこの意見にも否定的だ。

なにしろ、膨大な資料の大半は、ゲルマニアにとってこの一連の事態が想定されていなかったことを示してやまないのだ。

つまり、ゲルマニアは多くの事態に備えを怠ってはいなかったにしても、少なくとも生じた問題に対処するための人材配置を行っていたわけではなく、むしろ周知狼狽していたのが実態なのだ、と。

『こんな馬鹿な』

言葉にならないゲルマニアの驚きと、混乱が、残された記録からは数多く見られているのだ。アルブレヒト三世の近衛が残した記録によれば、皇帝自身、最も警戒していたのはガリア方面であり、次いでロマリア方面であったという。それだけに、西方と北方からの騒乱は、ゲルマニアにとってみれば、ほとんど想定していない事態ですらあったとみなされているのだ。

これらに対して、ゲルマニアが想定していなかったわけではないという説もある。ただ、こちらはさして有力な学説足りえてはいない。確かにトリステイン方面にラムド伯爵。北方にコクラン辺境伯という共に帝政ゲルマニアを代表して、アルブレヒト三世に酷使された人材が配置されていたことを反証材料に使うことはある程度可能に見えるだろう。だが、内部資料は純粋に内政上の配慮からこうなったことを示唆している。

曰く、
ラムド伯爵に諸貴族の権利問題解決を。
コクラン辺境伯に北方開発を。

単純に内政上の必要性からの配置であるというのが今日主流となっている歴史的解釈である。

だから、それらから推察されることは、実に単純だというのが、一部で提唱されている戦争そのものを見下した発言という説になる。曰く、これほど想定外の事態を重ねようともあっさり勝利できる戦争に、悩む必要を見出さなかったのだ、と。

これ以後の帝政ゲルマニアの拡張主義を説明するものだという解釈に近いこの学説は言って以上の支持をあつめているといえよう。

だが、興味深いことに、アルブレヒト三世本人は以外に思われるかもしれないが、拡張戦争に極めて消極的であった。この事実に対する、明確な説明が、なかなかこの学説では完璧にはできないでいるという欠点もまた存在している。

そこで、近年新たに浮上してきたのが、目に見える敵を倒せばよいわけではないという自戒の一言ではないかという新説である。

ようやく一部に光が当てられてつつあるゲルマニア・ガリア・ロマリア間の諜報戦について、アルビオン当局者が残した貴重な分析によれば、三国間に信頼など、エルフとメイジに分かつことのない友情が全ての種族から祝福されて成立する並みにありえないと断じられるほどに悪化していたとされる。

その点からみれば、実にアルブレヒト三世は賢明故につぶやいたというのだ。

敵がこれだけなわけがないだろうと。

確かに、この見方からすれば、やや不穏当な見解が多分に含まれているだろう。

だが、実のところ、これすら生温いように思える斬新かつ一定以上の説得力を有する説も存在しているのである。

曰く、アルビオン貴族らの間抜けさを嗤ったと。

のこのこと平原に決闘だと息巻いて出撃し、艦隊と終結した地上戦力の見本のような連携戦によって戦力的優勢を活かすことなく壊滅したアルビオン南部諸候軍を嘲笑してのことだと。

あの連中の間抜けさは笑い話として後世に語り継がれるべきだろうと、アルブレヒト三世自身も近臣に漏らしていることを考えると、一定以上の説得力を有するようにも思えるだろう。だが、奇妙なことは、同時にアルブレヒト三世はその勇気を賞賛してもいるのだ。それも、本気で。

或いは、当時順調に進捗していた西方戦線と重ねて、あまりにも単純に事態が進んでいるかに見えたことを危惧した、そんな未来を予見したと言えるような主張も為されている。

さてその真意のほどは?となると、議論が尽きないだろう。

とはいえ、かなり意味深な呟きであったのは間違いない。

その真意のほどは、それこそ歴史のみが答えを独占しているのかもしれないが。



『ゲルマニア艦隊視察報告』 従軍武官 サー・マクナドル

メイジの個体戦闘力に依存するトリステイン軍に対比し、ゲルマニア軍は戦力の均一化、代替可能性を重視した戦闘配備の傾向が著しい。このことは、個艦性能を重視しつつも、全体的には均質な戦力発揮を可能とするアルビオン艦隊とも同様の整備方針が見受けられる。

ただ、ゲルマニアはその地理的条件より、広範囲な防衛線を防衛するための戦力としてメイジは不足の一言に尽きるため、やむを得ず艦隊や大砲に傾注し、結果的に一つの解答に至っているように、見受けられた。

本戦闘において、メイジを大砲と艦隊で持って圧殺するというゲルマニアの戦術は極めて有効と認められるものであった。龍騎士隊と艦隊の連動の可能性を勘案するに、我がアルビオンにおいて、夜間防衛の方策を検討する余地があるように思われてならない。

ただ、今回ゲルマニアが戦略的に犯した錯誤として、物資の消耗が想定外に至っていることを記載する。

本戦闘時において、夜間砲撃の命中率は限定的であり、艦載砲弾薬の消耗は危険なまでに至っている。また、連続砲撃による砲身の寿命劣化は錬金で持ってしても補えきれない水準であり、継続戦闘能力に大きな疑問をもたらすものであり、艦隊は大幅な整備を必要とすると思われる。それは、ゲルマニア北部屈指の拠点であるダンドナルドですら少々手に余る規模であり、艦隊拠点の整備はアルビオンも今後持続的に行っておく必要が痛感される。

なお、ゲルマニア艦隊は消耗した大砲の代替に、ダンドナルドにて新型の砲を一部のフネに積載した模様。詳細は軍機として公開されていないものの、試射を遠望する限りにおいては、従来の砲に比較し、やや威力が劣る一方で速射性が著しく向上したと思われる。

ただ、練度の問題やもしれず、追加調査を必要とする。この件に関しては、艦政本部の支援が必要であり本国の武官と技官らの意見が必要不可欠かと思われる。

どちらにせよ、ゲルマニア艦隊は、整備・休養を必要とし、ただちに西方戦線に来援できる状態にはあらず。



「トリステイン方面概要」 ロマリア国務院、対外連絡局、トリステイン方面担当より。

宛:マザリーニ枢機卿猊下

トリステイン方面の主要な情勢
・現在のところ、蜂起した旧トリステイン西部貴族諸候軍と、アルビオンより分離した軍集団が、ゲルマニアの当該方面軍と対峙中。
・旧東部トリステイン貴族らの動向は動揺が見られるものの、大枠としてはリッシュモン卿に代表される恭順派と、ヴァリエール公爵家に代表される局外中立派に二分される。
・西部諸候軍及びアルビオン分離派と、ゲルマニア西方軍は数でこそ前者が圧倒的に優位にあるものの、戦場では、ゲルマニア軍が質的優位から圧倒している模様。
・どちらも、主軍を投入しておらず、前哨戦の段階にあると思われる。

アルビオンにおけるトリステイン王党派の動向
・アンリエッタ王女及びウェールズ王太子の婚姻は確実。
・亡命トリステイン貴族らによる龍騎士隊の編成が完了した模様。
・お問い合わせのあった、ワルドなる人物の件については、現在調査継続中。

追記
マザリーニ猊下に対し、一部より審問の要求が出ています。
ご注意ください。




さて、戦術の決定、戦場での躊躇、行動の決断、戦力の投入。
言葉を飾ることに意味はないだろう。
彼は、ロバート・コクラン卿は、やってのけた。

少なくとも、アルビオンよりの亡命してきたお客さんを吹き飛ばすことには。

北部のゲルマニア諸候らは、蜂起した旧アルビオン南部貴族らをものの見事に粉砕し、文字通り当然の帰結として、大量の物資を消耗した。

損害は、許容できる範疇。
というよりも、さほどの損害も出ていないとさえ言える。

戦果は、判定が完了していないために大まかな水準に留まるが、まぎれもなく目標は達成されている。

砲撃目標をマークするための龍騎士隊に多少の損害。
本陣制圧の突入部隊も同等程度の損害。
それで、敵本陣を潰し、拿捕し、戦力を粉砕したのだ。

上出来以外の何物でもないとはこのことだと、兵卒は喜べる結果である。
まあ、下士官たちも、部下に損害が出ないことを言祝げる。
一般の士官たちも、まあ、悪くないということができる。

だが、艦隊を率いる立場にいる人間にはそう手放しに喜べる結果でもなかった。

夜間砲撃戦である。

昼間ならば、目標が沈んだとわかれば、無駄玉を惜しむ。
なにより、無駄なことをしている余裕はなく、次の敵に向かうだろう。
だが、夜間故に動かない目標相手には、弾が無くなるまで撃ち続けてしまった。
加えて、龍騎士に明かりを灯させるために大量の油を消費している。

故に、当然の帰結として、砲弾と火薬を筆頭に物資は底を突く。
加えて、交戦すれば、装備とて消耗する。
まずもって、連射すれば当然のこととして大砲も消耗した。
砲身寿命以前に、ガタが来てしまって使い物にならない理由などいくらでも噴出する。

それらは、当然乗員の疲労を伴う上に、整備拠点の不足もあって、ゲルマニア艦隊の継続戦闘能力を致命的なまでに損なう。回復不能ではない。だが、回復には時間を必要とせざるを得ないのだ。

ゲルマニア艦隊全ての物資を賄いきれるだけの物資など、ゲルマニア北部には積み上げられていない。なにより、以前風石を拠点備蓄分丸ごと吹き飛ばされた経緯もあって、分散配置された物資の集結・積載には、多くの時間を必要とするだろう。

意味するところは実に単純である。

時間が足りない。
貴重な時間が、湯水のごとく浪費されてしまう。

戦術的には、正解だろう。少ない犠牲で、大きな戦果。
だが、戦略的にみれば、貴重な何物にも代えがたい時間を浪費したという失敗である。
そもそも、蜂起を許した時点で、政治的には問題だったとさえ言えよう。

評価するとすれば、トラブルに対処し、損害の最小化にこそ成功しているものの、被害は無視し得ない程というところか。

まあ、このことをトリステイン方面の立場から見てみればトリステイン方面に、艦隊の来援は当分ないということでしかない。つまり、当面はゲルマニア軍の艦隊は遥か彼方で整備や補給に勤しみ、敵艦隊は手放しにされるということだ。

言い換えれば、当分は、撃たれていろということになる。

これまで通りに。



まあ、ゲルマニアの女性はそのように燻る戦機に対して、逆に燃え上がるっていたりするのだが。

例えば、彼女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーのように。

「あら、無粋なお客さんじゃない。」

主軍より、やや離れた哨戒地点。一門の男達が、なんだかんだと、宿縁のヴァリエール公爵家方面の警戒に配備され、形だけでも指揮官の一門が従軍しないわけにもいかないと、やや主戦線から離れた地点ではあるものの、キュルケは帝政ゲルマニア西部方面軍にその身を置いていた。

仕事は簡潔。

微熱のキュルケの名にふさわしい結果として、山賊とさしたる違いも無いような叛軍を焼くだけである。

「お嬢、お願いですから、単騎駆けは自重していただけませんかね。」

まあ、当然というべきか、ある意味必然と言うべきか。始祖ブリミルの意図は不明だが、まあ自然の帰結というのは、実にすんなりと落ち着くものだ。

まずもって、彼女がヴィンドボナ魔法学校で少々問題を起こしたのも火が由来。

そもそも、その性質が極めて奔放な女性である。

付けられた下士官は、突拍子もない行動を取る貴族さまのお守りにほとほと振り回され、冷や汗が絶えない。なにしろ、指揮官先頭の精神を文字通り実践しているメイジは、非常に下士官にとっては気が抜けない存在なのだ。

万一にでも、けがをさせるわけにもいかないが、縛り付けて後方に放り込むわけにもいかない以上、実に難しく、貴族士官を上手くあやせるかどうかが、重要な評価基準になっている下士官らにとってみれば、実に頭が痛い事態である。

「マスケットといえども、当たればタダでは済みません!」

もちろん、彼女の火に巻き込まれて焼かれたいわけではないので、彼女の前面に歩兵を展開するわけにはいかない。そして、マスケットは狙って当たるものではないとはいえ、弾幕を張られれば、万が一ということもあり得るだろう。

本来ならば、戦場に立つメイジは、大凡基本として気心の知れた平民の護衛を連れてくるべきなのだ。或いは、使い魔。あの始祖の使い魔として名高いガンダールヴも、始祖ブリミルの詠唱を敵の妨害から守ったというではないか。

全く、指揮官として心構えを聞かれた時に、本当に全部実践されるとわかっていれば、後ろで安全にしていてくださいと言うべきだった。

「あら、あなた達も同じでしょう?それに、わたしだけ後ろで震えているなんて、性に合わないわ。」

「ですが、お嬢。」

「あなたの言葉でしょう?」

熟練、練達、或いは、ベテラン。そのように形容される下士官であっても、失敗をすることが、たまにはある。神様と呼ばれ始祖ブリミルの恩寵厚き、下士官といえども誤りを犯しうる。

たとえば、小悪魔のように微笑む目の前の令嬢と出会った時のことだ。今でも実にはっきりと思い起こされてならない。本当に、とんでもないへまをしでかしたと自分でも不思議なくらい、迂闊であった。

指揮官の心得、でありますか?
そうですね、まあ、貴族さまが平民の前に立てば、おのずと皆ついていくものです?
逆に、怯えなどを見せると、一気に侮られるものですよ。

もしも、もしも時をさかのぼることができるならば、気に入らない新任貴族士官をからかうつもりで建前をのたもうた自分を修正してやる。絶対に、口が災いのもとであると新兵に教え込む並みに修正してやる。

間違いなく、この苦労の大半は自分の口が招いたことなのだ。

「それに、ゲルマニアは御もてなしもできないと思われたくないもの。」

眼下には、略奪帰りだろうか?

傭兵崩れ、山賊以上という程度の練度と武装の集団が、まあ一言で言えば、のろのろと警戒を碌にせずに規律の欠片も見せずに進んでいる。一応、戦闘に際して、略奪をうける可能性があるとして、村々には避難を促してはいるが、あの感じだと、逃げ遅れたのだろう。

統率が驚くべきまでに乱れていることからして、まともに指揮系統が機能しているとも思えない。案外、連中の指揮官からして、女を連れ込んで、部隊の掌握どころではないのかもしれない。

そんな連中だ。追い払うのは、まあ訳もないだろう。見逃すのは、良い気分ではないだろう。そんなところである以上、やるべきことは決まっている。

「ゲルマニアの燃え上がる炎で、歓迎してさしあげるべきではなくて?」

のろのろと運んでいる略奪の成果品。それらを、焼き払い、混乱しているところを蹂躙する。キュルケにしてみれば、最早何度繰り返して来たか数えるのが、ばかばかしいほどだ。

「正直、単純すぎて燻っているのだけれど。」

こんなことなら、実家で亜人討伐を手伝った時の方がよほど緊張したというものである。辺境伯、それもあの、ヴァリエールの隣ということもあって、軍務を多少なりとも知っているキュルケにしてみれば、ここまで簡単に散らされる叛軍には、肩すかしをくらったような気分でさえある。

「上もそれを望んでいるのでしょう?」

つまらない、とばかりにわざわざ豊かな表情をころころ変えながらキュルケは全身で退屈であると言わんばかりに、肩をすくめて見せる。

「・・・まあ、そうだとは思いますが。」

実際、ゲルマニア軍上層部にしてみても、この敵の実態は想像外でさえあり、少々混乱してさえいる。ある程度は、予想されていた。喰いつめた平民と傭兵崩れ、それに不平不満を募らせたトリステイン西部貴族が蜂起し、東部貴族らも動向が定かではない。とはいえ、敗残の連中だと侮っていた。

油断はならないと思い、ゲルマニアとしても一応警戒は怠っていなかった。さらに、アルビオンからの怪しげな一派の合流もあり気を引き締めてはいたが、早くもこの程度かと侮る雰囲気が一気に蔓延し始めている。

なにしろ、碌に統率も取れていない賊と傭兵の中間のような連中ばかりなのだ。本能のままに突っ込んでくるオークの方が、まだ幾分手強いのではないかと思えるほど、単調な連中がほとんどである。一部では、アルビオンからの艦隊を考えなければ、よほど楽な戦争だと、囁かれるほどである。

「それにしても、こんなのを相手に下がるなんて。どうも、気に入らないのよね。」

だから、キュルケにしても、こんな連中を相手に、作戦とはいえ、トリスタニアを放棄して後退するという方針には、少々以上に不満を持っている。

どうにも、まどろっこしいのだ。

炎を一気に燃え上がらせる。そんな、ゲルマニアらしい爽快な戦い方ではなく、ちまちまと細かいところに気を配って、こそこそと勝利を盗むのは、まあ自分の戦い方としては気に入らない。

「まあ、確かに歯ごたえの無い相手ですが、油断するとけがをされますぞ?」

「あら、もちろんわかっているわよ、そのくらい。」

まあ、確かに気を抜きすぎるのはよくないだろう、と自省できるくらいに、彼女は公平であった。だから、まあ油断なく杖を構えて、しっかりと敵に意識を向けながら、行動する基本に忠実に戦うことに留意する。

確かに、不満はある。

ゲルマニアの血に流れているのは熱情。燃え上がるような情熱的な一面は、確かにこの戦いに不満を募らせている。燻っているとさえ言えよう。

「はぁい、こんにちは。」

だから。

せめて。

局地戦とはいえ、しっかりとゲルマニアの炎を示しておくべきなのだ。

そして、それは、微熱の二つ名をもつ、自分だからこそである。









「・・・慎重に過ぎましたかな?」

キュルケの一隊が、小競り合いで完勝を収めているのとほぼ同時刻。各所からの報告を総合したゲルマニアの上層部には、予想以上に脆弱な敵地上戦力と、やる気のない散発的な襲撃に終始するアルビオン部隊に肩すかしを受けたような雰囲気が漂っていた。

さすがに、規律が崩れた相手を吹き飛ばすために従軍しているとは、当初は想定されていなかったのだ。ここまでとは、というのが、正直な感想である。

「飢えた平民と傭兵崩れ。それに、トリステイン貴族です。弱卒なのも妥当と言えば妥当なのですが・・・。」

「敵を過大評価しすぎでは?小競り合いとはいえ、統率が乱れに乱れた敵部隊は、戦力として実質的にはさほどの脅威でもない。」

「まして、アルビオン系までこの様子では、トリスタニアを放棄するのは、無用なのでは?」

慎重論が押され、やや修正を求める意見が主流となるのは、戦場の勢いである。なにより、ゲルマニア軍にしてみれば、押されているというよりも、自分達が自発的に下がっているという実感なのだ。別に、下がる必要もないならば、後退しなくともよいのではないだろうか?と考えるのも、当然である。

確かに、無駄な消耗は避けるべきだろう。

だが、無駄に敵に勝ちを譲ることもない。

思い上がった連中の傲慢を見るよりも、絶望に付き落とした方が、よほどこちらの精神衛生上望ましいのではないだろうか?

そんな意見に対して、ヴィンドボナは当初の予定通り引き込み、消耗させることを提案してはいるものの、あくまでも現場の裁量に任せるというスタンスだ。まあ、当然と言えば、当然であり、臨機応変の判断が求められる最前線にまで口を挟むほどに、ゲルマニアの軍部は現場離れしていない。

「一応、放棄許可は出ていますが、裁量は我々に任されているのでしょう?」

「ええ、最低限の配慮を求めてはいますが、戦勝を優先してよいとのことです。」

そして、内務担当で派遣されたはずのラムド伯が、上申すれば、放棄くらいはすんなりとまではいかずとも、適切に承認され、現場の判断を尊重するという程度には柔軟な対応が執り行われる。

まあ、むしろ、下手に拘束し、後ほど責任を取るよりは、という責任逃れの精神が無いわけでもないだろうが。

ともあれ、そのようなことが背景にあるため、現場で、トリスタニアを放棄するかどうかは自由裁量とされている。故に、別段固守しようとも思わないにしても、むざむざとこちらから防衛線を後退させることもないのではないか?というのが、共通した疑問として提起され、議論されているのだ。

「いや、いっそ包囲せん滅を試みる良い機会では?」

しかし、ゲルマニア軍人、というよりもゲルマニア人はちまちまとしたことよりも、ともすれば豪快なことの方が趣向としては気性に適う。奔放とまではいかないが、豪快な位の作戦の方が、彼らにしてみれば、望ましいのだ。

それに、軍人ならば、誰しも敵軍のせん滅にあこがれずにはいられない。それは、世界を問わず、というところだろう。アレクサンダー大王以来、ハンニバル・スキピオと地中海の英傑らが敵軍の包囲せん滅を見せつけて以来、おおよそ陸軍と名のつくものは、包囲せん滅を教条主義のごとく追い求めている。海軍でもネルソン提督が艦隊保全主義を打破し、対馬沖でバルチック艦隊が撃滅されていることからしても、普遍的な習性といってよいはずだ。

「包囲せん滅?」

だから、提案に対する反応は、決して否定的ではなく、むしろ続きを促すかのような疑問符すら付いていた。ある種の期待。言い換えれば、素晴らしい思いつきではないかと、誰しも一瞬なりとも考えてしまっているのだ。

なにより、ゲルマニアという国家は、基本的にトリステインが嫌いだ。

お互い様といえば、そこまでだが、歴史と伝統をむやみやたらに振りかざす国家というイメージがあり、新興のゲルマニアとしては、常々不快に思っているのだ。叩き潰してやりたいと願っているとしても、不思議でもないだろう。

「トリスタニアで出血させるのではなく、そこを墓場にしてやるのです。」

「ほう、具体的には?」

「引き込むのまでは同じですが、全軍を下げるのではありません。」

そして、描き出されるのは、トリスタニア近隣こそ部隊を後退させるものの、全体としては、むしろ敵軍を引きこむという大まかな概略である。引き込み、叩きのめすというのであれば、多少の後退も、むしろ、彼らとて許容するし、さも敵わずに後退する演技もしてのけるくらいの気持ちである。

「ふむ、なるほど、戦線の一部を下げて、トリスタニアに辛うじて連中が届いたと錯覚させるのですな。」

連中の主要な攻略目標の一つであるだろうトリスタニアを奪還したと錯覚し、そこにある財物に眼を奪われれば、こちらから追い込まずとも、我も我もとトリスタニアに集まってくるに違いない。

本来であれば、そこで、連中が内輪もめを楽しんでいるのを尊重し、本国からの来援を待って対峙する予定であった。だが、この程度であるならば、のんびりと内輪もめをしている間に、包囲し、ゆっくりと料理するもよし。一気呵成に攻め滅ぼすもよしである。

連中の運命を我が手に握るというのは、悪くない気分に違いない。

「悪くないですな。上手くすれば、我も我もとトリスタニアに集った輩をことごとく閉じ込められる。」

考えるまでもなく、数が多く統制がとれない軍隊を都市に入れれば、たちまち統制は崩壊するだろう。娯楽に飢えている平民の兵士は、酔いつぶれて使い物にならない程度ならば、まだマシな程度に分類できるほどの大騒ぎをするのが目に見える。

古来より、規律を保ったまま攻略した都市に居座るのは難しいのだ。

まして、プライドの高いトリステイン貴族らである。さぞかし、おもしろいことになるだろう。ひょっとすれば、戦争以前の問題になるやもしれない程に、簡単に終わりかねない。例えば、宮廷序列をめぐってどうでもよいような争いを延々と繰り広げてくれるかもしれないし、或いは昔の諍いを思い出して、杖を突きつけ合うかもしれない。

いずれにせよ、自滅が期待できる。

「トリステイン貴族をトリスタニアで撃ち滅ぼすのも悪くないですな。」

そして、何よりも皮肉が効いていて面白い。

そう言わんばかりの笑みが全体に漫然とではあるが、漂い始める。

あの自惚れの塊のような連中を料理する事を考えると、趣向として実に面白みがあるとさえ言える。なにより、ゲルマニア貴族として嫌いなものが、減るのは大歓迎であるだろう。痛い目にあわせてやれるのも、好みに合う。

「いや、趣向としても策としても面白い。一つ、上伸してみますか。」

「其れが良い。我らの連名でかけ合ってみましょう。このまま、ずるずると後退するのは如何にも面白くない。」

作戦とは言え、トリステイン貴族相手に背を見せるのは、気乗りしない。まあ、作戦である以上、納得してはいる。だが、より面白い手があるのだ。無用な後退をするよりは、という気分が纏まる。

「では、一部戦線を引き下げて、包囲せん滅ということで。」

「いや、単純にすぎる。ここは、こちらの反攻を隠蔽するためにも陽動と偽情報が必要でしょう。」

しかし、良くも悪くも慎重意見が出ないわけではない。勢いだけでともすれば、語られがちな作戦論に、やや現実的な意見が介入し、辛うじて許容可能な水準といった内容のそれを洗練させ、実用的な水準へと引き上げていく。

ただ、惜しいことに、慎重論も基本的な枠組みとしては消極姿勢に対する疑念を根本としているのだが。

「具体的には?」

「当初計画を流用します。」

まずもって、ゲルマニア軍は当初の計画を偽情報として活用することを検討し始める。

ある意味本物の機密なのだ。この情報を入手した敵は、さぞかし欣喜するだろう。裏をかいたと思わせることも、十分可能なはずだ。いや、間違いなく思いこむだろう。

「まず、我々がタルブまで後退するという情報を流しましょう。」

艦隊の整備、空輸の拠点。それらを考えれば、ゲルマニア軍が劣勢となった際にタルブにて防衛線を構築するのは理にかなっている。当然、ゲルマニアの当初計画でもそのことを想定してはいた。

だが、実際は、敵軍のあっけなさと、本国艦隊の再編難航と補給作業によって、来援が遅延することを把握している。故に、すでに計画にはある程度の修正を必要とする状態になっており、その状況を上手く活用することを彼らは思いついていた。

「そして、北部に展開している本国艦隊の来援を希っていると思わせるわけですな。」

「なるほど、本国艦隊が手間取っている間は、亀のように守りを固めると思わせるか。」

そう、本国からの来援が遅れたことに怯えて、早めに守備を固めていると偽装するのだ。こうすることによって、敵の警戒心が曲がりなりにも存在していたとしても、都合のよい話を自分で見つけて納得してくれることだろう。

簡単に想定するだけでも、いくつも思いつく。

艦隊が遅れているから。

戦力が劣っているから。

作戦通りだから。

まあ、この何れでも尤もらしく考えられるのだ。敵もさほどこちらの作戦を疑うことなく、踊ってくれることが期待できよう。或いは、トリステイン貴族のことだ。ゲルマニアでは想像もつかないような珍妙な理屈を思いつくかもしれない。

「で、包囲するための部隊はどう取り繕いますか?」

「一部の主戦派が、反発して、突出したという態を装えば、上手く後を任せるやもしれませんな。」

こちらが、纏まっていないという情報を流しつつ、命令にしぶしぶ従っている部隊と、抵抗している部隊という偽装にかかってくれれば、包囲されかけていることを認識できないだろう。そうなれば、戦術的に重要な位置に占位している部隊のことを、さほど警戒しないことが期待できる。

要するに、自分達が追い込まれるまで、そのことに気が付けずに良い夢に浸って、懐かしの都にのこのこと入っていくに違いない。

「では、つまるところ油断させて、袋のねずみにするというわけか。」

言葉を選ばずに言えば、ネズミ捕りにかかるようなものだ。

餌のチーズが少々でかいとはいえ、ネズミのような連中が、まさしくネズミ捕りに引っ掛かるのかという比喩に、これはよいとばかりに、肩をすくめながらも賛意が示される。

「ですが、いらぬ動揺を招きかねませんか?」

最後に確認、というわけでもないが、片付けておくべき問題が提起される。純粋な戦闘とは分野違いではあるものの、ただ単純に決闘というわけではないために、この手のことも配慮せざるを得ないために喚起された問題である。

すなわち、ゲルマニアは占領行政を考えねばならぬ立場にあり、少なからずの配慮を行うべきであると、見なされているのだ。政治的な駆け引きを好む、好まぬに関係なく、ある程度は付き合わねばならない。

「投降した連中のことか」

「いえ、大公国を含めてでありますが。」

動向が露骨に怪しいリッシュモン。

これは、露骨過ぎて、逆に裏切らないのではないかとすら言えるだろう。警戒されているところで、尻尾を見せるほど青い狸でもないはずなのだ。つまり、今回は逆に忠義顔で従軍してくることも考えられる。

むしろ、クルデンホルフ大公国から来援する龍騎士母艦が、撤退のどさくさに本国に逃げ帰るということくらいは行いかねないために、油断できない。

曰く、撤退時に大きな損害を被って。或いは、子女が負傷されて、等々。

対外的に名分さえ立てば、いつ何時こちらから逃れようとしかねないくらいに警戒しておく必要がある。もちろん、相手が政治的に愚かでないという前提からすれば、問題が起こることは考えにくい。考えにくいのは、間違いないのだが、だが、そもそも問題が山積しているのが現状なのだ。最悪を想定しておくことは、無駄に終われば、そのときに、無駄になったことを喜ぶべきだろう。

「いっそ動向を見極める良い機会と割り切るべきだろうな。」

「さすがに、専権では?」

権限で言えば、やや微妙なレベルの問題であるのは間違いない。名目とはいえ、友好国であり、独立した大公国からの援軍をどうこう、というのは、ゲルマニアの封臣が携われるかと言えば、やや怪しい。

まあ、選帝侯らは平然と当然の権利とばかりにやるので、中央集権が悲願のヴィンドボナと常にこれが原因で緊張関係にあるわけであるのだが。さすがに、大半の諸候らにしてみれば、この問題にはあまり関わりたいと言える類のものは無い。

もちろん、関わりたくないといえば、関わらずに済むというものは、そう多くもないのが、世の常というものである。

「致し方ありますまい。隣で杖を並べるのは我らなのですから。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

おはようございます。

こんな拙作でも、読んでくださる方がいるので続けられております。

ぼちぼち原作キャラも勢ぞろいするかと思います。

でも、原作の形は爆破解体されたように、残ってないかもしれません。
取りあえず、ガリアとロマリアが面白いように暗躍する予定です。
原作キャラで一番優遇されるのはワルド。
おそらく次点がキュルケで、見方によってはアンアンです。
取りあえず、ウェールズが苦労する予定です。
まあ、原作でも苦労人だった気がします。
亡国で最後まで抵抗して・・・と比較するとなれば、原作よりは楽かもしれません。

取りあえず、トリステイン方面で戦争があればキュルケは実家の関係上従軍せざるを得ないでしょう。

北部は、ものの見事に弾薬を消費して勝利しました。
夜間砲撃戦でろくすっぽ当たらない砲弾では、撃って撃って撃ちまくってすっからかんになってしまうということです。

キスカのケ号作戦時に砲弾を明後日の方向に撃って弾切れになってしまった某艦隊みたいなものでしょうか?

まあ、エコーではなく、一応敵はいましたが。

取りあえず、艦隊の整備補給に手間取るゲルマニアに合掌。



[15007] 第八十五話 彼女たちの始まり6
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/05/14 20:34
幸せになるためには、何が必要だろうか?

トリステインにおいては、矜持を保つための資金である。
なにしろ、過剰なメイジ人口と、爵位故に、彼らは見栄を競わねばならず、その内情は豊かな平民よりも苦しい事例などざらにあるのだ。
平民には生きづらい国だった。

アルビオンにおいては、実に単純である。
普通にしていればよい。
良くも悪くも浮遊大陸は、平穏なのだ。

ゲルマニアは、挑戦という意味では、お勧めしよう。
とにかく、平民でも貴族になれるのだ。
平民が幸せになろうと思えば、ここに運を試すということも一つだろう。

ガリアは、まあ、個人的にはお勧めしない。
だが、破滅願望があれば悪くないと思うと言っておこう。
策謀に興味があったり、黒幕になりたいという場合も悪くない。

ロマリアは、あれだね。
光輝が眩しくて、眩しくて、御坊様以外は、存在が許されないようにすら思う。

なんにしても、だ。

諸君には、申し訳ないと思う。

なにしろ、われらクルデンホルフ 大公国が、一番幸せなのだから。

『無名人のお国自慢』 年代記より抜粋。



空中装甲騎士団(ルフト・パンツァー・リッター)。

近年、艦隊派と龍騎士派に二分される空海軍関係者の中で一つの解答として導き出され、ハルケギニア屈指の実力を誇るとされる龍騎士隊である。

元々は、クルデンホルフ大公国の大公家親衛隊として編成された竜騎士団である。トリステインへの配慮という政治的な要因から、数こそ従来は抑えられていたものの、現在は急激に拡張されている。おそらく、大公国の国力からして少ない人口で艦隊を運用するよりは少数の人員を投じることで済む龍騎士隊が最適と判断されたのではないか、というのが、一般的な軍関係者の判断である。

最大の特徴は、その名の通り重厚な甲冑を着用することだろう。ハルケギニア最強を誇るアルビオン竜騎士団とハルケギニア最強の竜騎士団の地位を争えるのは、その強靭な戦闘継続能力と、費用を惜しまずに配備されている高品質の防具故だろう。

甲冑の重量故に、多少航続距離こそ短いものの、品種改良が惜しまずに行われてきたこともあり、大公国の風竜はその重量をものともしない加速性能を誇り、速度・空中旋回能力共に、実に高水準にある。

まあ、とどのつまり。

ゲルマニア軍部にとって、小癪なことに、使い勝手がよく、かつ戦力としてみれば無視し得ない連中なのである。だから、誰もかれもがしぶしぶと、苦虫をガリア産ワインで飲まされたような顔をしながらも、受け入れに同意せざるを得ない。

信用という点では、リッシュモン卿並みに信頼できると、ブラックな会話が兵卒の間からでさえ漂ってくるものの、この方面における艦隊戦力が不足しているゲルマニアにしてみれば、しぶしぶながらも、その有効性に期待せざるを得ない類の連中であるといえよう。

『だから、大公国は好かないのだ。』

全ての、感情が凝縮されたこの一言が、ゲルマニア軍上層部の素直な心情だろう。

だが、大人になれば、自分の好悪で物事を処理することができることは稀だろう。嫌な相手でも、笑顔でにこやかに会話することができるのが、外交官の最低条件だというが、もっと突き詰めて言えば、成人ならば誰にでも求められるといってもよいほどだ。

信じられないかもしれないが、アルブレヒト三世ですら、笑顔でおもてなしを政治的にはやってのけていることを思えば、ゲルマニア人はしかめっ面を心の中では浮かべながらも、見事な笑顔を作る技術に長けているとも言われる。

まあ、ゲルマニアにしてみれば、周りが胡散臭い国家ばかりだからだと反論したいところなのだが、なかなか世間という物は、ゲルマニアの言葉を素直には信じてくれないものである。残念ながら、世間というやつはそんなものだ。

「よくぞ、いらっしゃってくださいました。名高い空中装甲騎士団と杖を並べて戦える事を誇りに思います。」

「いやいや、こちらこそ!わざわざのお出迎え、感謝の極み。友邦のお役にたてることほど、貴族として、軍人として杖の名誉なことはございません。」

百年の友と、再開した。

そう言わんばかりに、微笑みを浮かべ、感激を露わに、ゲルマニアと大公国の担当者が美麗字句を雨霰とあたりかまわず、交わし、お互いの正義と勇気と、素晴らしい真情を誉めたたえ合う。

「おお、まさしく真の貴族の矜持を見た清々しい思いであります。万里を駆けて来援してくださるとは、両国間の絆をしみじみと思わざるを得ません。」

「ゲルマニアとの友誼を思えば、我々の労など取るに足らないものでありましょう。」

つい先刻、大公国の軍勢がいつ尻尾を巻くのかわかったものではないと盛大に不満をぶちまけていたゲルマニア側担当者であるが、彼は感極まったとばかりに、感嘆の声を連発し、その誠意を示さんとする。

「素晴らしい!真に信ずるに足る友人ほど、頼りになるものはありません!」

「おお、友と呼んでくださるとは。」

「なんの!我ら志を同じくし、正義と名誉を重んじる!これに過ぎたる友情の理由などありますまい!」

この援軍が来たからには、もう何も恐れるものは無い。

そう言わんばかりに、盛り上がるゲルマニアと、我らに敵などありますまいと返す大公国。まあ、はっきりといっておけば、実に和やかかつ和気藹藹と会話が弾み、両国の不滅の友情と、同じく両国の不滅の正義が確認される。

ちなみに、ゲルマニアの定義によれば、ほろんだものを再度滅ぼすことは不可能である。一方の大公国であるが、敬虔なブリミル教の信徒であり、永遠の正義と不滅の信仰を誇っており、経済的に台頭しつつある敬虔な一派であると自負してやまない。

「何と、感動的!!一席設けました!ぜひ、歓迎の宴にご参加くだされ!」

大量に用意したガリア産のワインで、黒い臓を腐らせればよいのだが、如何せん水が合うかもしれないことだけが懸念材料である、と内心で思いつつ、余ったタルブやアルビオン産のものを艦隊へ賄う手配をそれとなく記憶に留める。

とにかく、軍事行動というものには式典がつきものだ。

出征式から始まり、とにかくなにかと宴会や其れに伴う行事が多い。当然ではあるが、あまり直接の戦闘には役立たない。そして、この手を司る式部官は大量の儀仗兵をそろえるわけにもいかないために、見栄えの良い部隊を流用するのが常であった。まあ、今回は威圧するためにも、前線帰りの部隊を充てるべきだろう。

「おお、身に余る光栄です。喜んで、参加させていただきますぞ。」

「いやいや、我らこそ、このような客人を迎えられること、これに過ぎたる事はありません。」

ガリアからの客人をもてなすに匹敵する栄光であること、この上ない。

まあ、客人の方もそのことは、よくよく理解しているからこその、会話である。感動した!とばかりに涙と友誼の礼賛を行っていた空中装甲騎士団員は、足取り軽やかに彼らが母艦としているフネに戻ると、周囲に監視の目が無いことを確認したうえで、かぶっていた笑顔の仮面をゴミ箱に放り込む。

「どうだ?」

「お互い様だ。」

腹の探り合い。さほども、お互いを信頼はしていないものの、戦力と利害の一致からは共に戦えないこともないなという程度の相互認識。状況はまあ端的に言うとお互いに想定していた事態の範疇に留まっていると言えよう。

大公国にしてみれば、ここでゲルマニアに恩を売っておきたいところである。なにしろ、曲がりなりにも軍事的に見た場合、ゲルマニアかガリアかにつかねば将来が危うい。軍事的には援助を受けつつも、独立は維持するとなると、かなり難しい舵取りが元より求めらる。

そして、トリステインと大公国の国力差よりも、ゲルマニアと大公国の国力差はさらに甚だしい。加えて、ゲルマニアはトリステイン程には鼻薬が効きにくいのが実態だ。純粋に外交上の恩義を売っておかねば、あの国の上がこちらを踏みつぶす決断をしても、不可思議ではない。

故に、派遣される部隊とは、そのような政治的機微を弁え、かつ戦力としてみた場合適切な行動が取りうる精鋭という実に貴重な部隊がわざわざ選抜されている。この派遣部隊において、政治的な機微を理解できないのは、せいぜい名目上の部隊長くらいだろう。

「やれやれ、われらの御姫様は?」

そう、ベアトリス殿下だ。唯一の弱味、或いは想定外の事態は、政治的必要性から大公国の後継者とみなされている人的な貢献、まあ口性もなく言えば一種の人質が必要となったことだろう。

まあ、元をたどれば、教育の失敗にさかのぼるのだろうが。

「とてもではないが、前に出したくない。」

この言葉に象徴されるように、彼女は良くも悪くも、お子様である。まあ、子供なのだから、と言ってしまえば其れまででだが彼女に政治的な裏の裏まで配慮して交渉を求めるのは不可能。故に、下手に彼女に交渉をやられると、碌でもない事態になりかねない。

ゲルマニアにしてみれば、それを突かないわけがないだろう。弱点を知っていて放置するほどゲルマニアは善良でもないし、怠慢でもない。本当に、まったく碌でもない国家ばかりで、ほとほと大公国としては嫌にならざるを得ないところだ。

やっと、傲慢なトリステインから解放されたかと思えば、陰険なガリアと、悪辣なゲルマニアに囲まれるなど、少しも事態は愉快とは程遠い。

「どんな約束をさせられるかわかったものではないからな。」

下手に損害を引き受ける役割を、名誉の先陣などとおだてられて引き受ける程度ならましだろう。最悪、今後も両国の友好関係を勘案して、盟友になりましょうぞ、と言われて条約も読まずに調印されたらそれこそ、おおごとだ。きっと、碌でもないことになると言わざるを得ない。そうなれば、派遣部隊の面々は、どこにも顔向けできないようなみじめな外交上の大失敗になるだろう。

次期党首候補から外すという選択肢は、現状では難しいのだ。政治的に見た場合、大公国の正統な後継者となりえるのは、ベアトリス殿下が筆頭。しかし、婚姻政策の関係上、仮にではあるものの継承権を主張される対象としてアルビオン・トリステインもあり得るのだ。

まだ、ベアトリス殿下が後継者である間はよいだろう。だが、仮にベアトリス殿下が外されれば、土地を失ったトリステインが、大公国の財と力に眼をつけないわけがない。アルビオンも、権利は有している以上、なにがしかの請求をされないという保証はない。

だからこそ、なんとしても、ここは乗り切らねばならないのだ。

「騎士団長は?」

「道化役を演じるのにお疲れだ。いい加減、交代しろとさ。」

そう、だからこそ、わざわざ装甲空中騎士団の騎士団長がベアトリスのご機嫌とりに徹しているのだ。必要とあれば、道化を演じ、あるいは無能を装ってでも、彼はベアトリスの護衛兼監視の役目をひたすら外征中は行うことになっている。

まあ、傑物と評判の高い人物だけに、さすがに耐えかねるところもあり、交代を欲しているのも事実だ。まあ、誰だってお子様のご機嫌取りに徹するために龍騎士の中でも、精鋭と名高い空中装甲騎士団に志願しているわけではない。

当然のことながら、彼らは理由を見つけて、交代をはっきりと断るのが常である。

「ああ、そうだ。ゲルマニアとの懇親を深めねばならないのだった。」

渉外担当者が、外部との交渉に徹するのは、まあ職務上真っ当な理由だろう。先方から招待された宴を断るなどというのは、失礼極まる上に、外交交渉上ありえない行為だ。当然、招かれた以上は、何はさておき、参加せねばならないに違いない。

そうなれば、彼個人の意向に関係なく、職責を全うせざるを得ないのは職務上の道理だ。

飲みたくもないワインを痛飲し、食べたくもない新鮮なサラダと重厚なステーキをゲルマニア人と共に会食するのは、甚だ苦痛であろうとも仕事なのだから仕方ない。

「おや、貴殿も多忙か。」

「おや、卿もか?」

「なんとも、不幸なことに、本国からの物資搬入作業を監督しなければならないのだ。」

そして、補給兼経理担当者が、物資の調達に万全を期すのはもはや当然だ。戦争を始める際に、素人は戦略を語り、玄人は補給を語るというではないか。まして、友好国への援軍とはいえ、祖国を離れての出征である。補給は万一を想定して、念入りに備えておかねばならないだろう。

当然、担当者は、息を抜く間もなく各種作業に忙殺されていて不思議ではない。当然、搬入されてくる物資をそのまま鵜呑みに受け入れるのではなく、厳密な検査を必要とするのは当然だ。

腐った食糧で従軍させるわけにはいかないだろう。鮮度や品質を含めて、いろいろと調べるべき事項は多数ある。

「やれやれ、騎士団長に申し訳ないですな。」

「まったくですな。」

心より騎士団長に詫びつつも、丁寧に騎士団長に厄介きわまる仕事は丸投げしたままに、彼らは次代を担うはずの姫殿下について、共に頭を抱えて悩むことになる。

情報と金融で突出した大公国だ。指導者が無能なはずがない。鋭敏な指導者で無ければ競争に負けるなり、利権争いに巻き込まれるなりで、没落を辿ったのは確実だろう。だが、現に、大公国は繁栄を謳歌できている以上、為政者の能力に問題はないと言える。

「しかし、本当に一体どうして、姫殿下は、ああなったのやら。」

「恐れ多いが、甘やかしすぎたのでは?」

親ばかだろうか?という彼らの疑問は、不敬ではあるものの、ある種的を得ているのかもしれない。良くも悪くもベアトリスは政治と無縁に育てられ、見るものが見れば政治から遠ざけられているのははっきりとわかる。

だから、少しばかりプライドが高く、裕福さを誇るという苦労知らずな性格に育ってしまったのかもしれない。

「取り巻きが悪いからでは?」

「ああ、其れもあり得るな。」

ベアトリス殿下のご学友という名の取り巻きを思い出し、彼らの気分は一様に重くなる。大公国の次代を担うべき指導者層が、ああ言った美しく着飾る程度にしか関心の無いような面々ばかりでは、将来を悲観したくもなるというものだ。

まして、祖国は難しい立場にある。そんな時に、傲慢さで敵を祖国のうちばかりか外にまで作りかねない人物が後継者筆頭候補の取り巻きというのは、実によろしくないこと甚だしい。君側の奸がいつでき上るとも、わからないのだ。

「いったい、何をお考えなのやら。」

「案外、優秀な婿殿に政治は任せるおつもりでは?」

「ああ、ありえますな。」

まあ、親が甘い以上、考えていることも分からないでもない。要するに、子供をこういった裏の事情に気を悩ませ、胃を疲れさせることは親の望むところではないのだろう。できれば、庇護しておきたいというのが本音に違いない。

そして、その庇護を与える親がいなくなるころまでには、信頼できる婿を見つけ出して、祖国と娘を任せたいと考えているのが実態だろう。なまじ娘に政治的な役割を期待していないならば、下手に政治に関わらせない方がよいという判断も、まあ悪くはないのだ。

トリステイン王室の様に国王が崩御し、明確な主催者がない王宮が迷走するような事態に比べれば、まだ大公国の状況はまともだ。次代の婿を見つけるまでの期間を乗り切ることも難しくはない。

「まあ、婿殿がまともなら、次代も問題ありますまい。」

まあ、つまるところ。婿殿として無理難題を任されるベアトリス殿下の夫が四苦八苦して政治を担い、軍事に関しては自分達空中装甲騎士団が協力していくというのがあるべき次の姿なのだろう。

「やれやれ、大公国への忠義は何処にあるのやら。」

「さてさて、口より行動で示して来たつもりですよ。」




口よりも行動で、忠義を示す。後世より、この言葉を文字通り全身で体現したと賞賛されてやまないジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが、この時期に何をしていたかということは歴史家どころかハルケギニアがすべからく注目してやまないことではあるが、ほとんどの記録は沈黙している。

なんなれば、彼は記録に残せないような秘密の行動をしてるからだ。警戒厳重なロマリアの情報網を可能な限り身を潜めながら、マザリーニ枢機卿派の支援があって初めてようやくながらも、潜伏に成功していた。

まあ、陽動を兼ねて、フーケが暗躍しているおかげで、辛うじて滑り込めた、というのが現実である。ワルドにしてみれば、ロマリアの暗部は相当に深いと聞き及んではいても、まさかこれほどまでとは、と肝を冷やさざるをえないところだ。それだけに、そのようなロマリアで生え抜きのマザリーニ枢機卿に期待するところは、マザリーニ枢機卿が祖国で宰相の位にあった時以上となっている。

「・・・では、聖堂騎士団の動きは対エルフの訓練と?」

「間違いないだろうな。」

あまりにもおかしな聖堂騎士と修道僧の動きを訝しんでいたが、マザリーニは耳にするや否や即断する。それは、聖堂騎士団による対エルフ訓練の一環だ、と。ロマリアの宗教庁は常々対エルフを念頭に置いている。

マザリーニにですら把握できないような暗部がロマリアには6000年の時を経て、恐ろしく濃縮され、渦巻いている。極端な表現をするならば、今回の事例は氷山の一角であり、それもまだまともな部類だ。下手をすれば、異端そのものの手段であっても、エルフという異端を討つためならば、と肯定しかねないほど過激な一派の存在も、うすうすではあるが噂される。枢機卿ほどの立場になれば、それが単なる噂に過ぎないとは、断言できないことをよく知っているのだ。

「そのようなことが、許されているのですか。」

「公的には、一度も許されておらんよ。だが、誰にも止められないのだ。」

命令系統は歴代教皇達ですら把握しきれない程絡み合っている。前任者の秘密裏に設立した組織を次代の教皇が把握し後任に引き継ぐことは、必ずしも容易に為せることではない。場合によっては、独自の財源と、独自の修道会を偽装として与えられた部隊が、誰の命令で動いているかもわからずに何代にもわたって活動し、何かの折に存在が発覚する事もあるのだ。

教皇の教書で権限が与えられているとすれば、それは止めることなど叶わない。辛うじて、今の教皇ならば止めることも可能だろうが、そもそも存在するかどうかが疑わしい部隊をどうやって止めろというのだ。

「ロマリアの暗部は、深い。深すぎるほどだ。もはや、狂気の歴史とさえ言ってしまって構わないだろう。」

「・・・6000年の狂気。」

「その通りだよ、子爵。私も思うところはあるが、この身ではどうにもできない。」

マザリーニ自身、何も調べなかったわけではない。思えば、不思議なことが多い。ロマリアの聖職者の中でも、特に信仰に厚く、聖地奪還を欲する少数の熱烈な聖職者はどこかで、消息を絶つことが多い。それも、自然な形で気がつけばいなくなっている。

彼らの大半は、ロマリア外での活動に従事していることになっている。巡回司祭として、各地の村々をめぐり、あるいは修行のために各地の始祖ブリミル由来の地で研鑽を積んでいるということになっている。そして、その成果報告もきちんと納められていた。だから、熱烈な信仰者が権力争いに憂いて外に信仰を求めていると考えれば、納得できなくもない。

事実、ロマリア内部でさえそのような考え方が主流だ。だが、マザリーニは一つの不思議な点に気がついている。比較的まとも、と称される聖職者の多くはロマリア内部で飼殺しにされているのだ。なまじ外に出して手をつけられなくなってはよろしくない、というのもあることはあるのだろう。

自分のトリステイン赴任は、ほとんど例外的な事態だ。

「猊下のお力でも無理なのですか?」

「無駄だよ子爵。」

例外的、それを可能としたのは次期教皇の地位という非常に権力に絡みついた問題が存在したからこそである。そうそう考えられる状況ではない。

だが、それを例外とすれば、まともと一般に形容されるような聖職者の多くはロマリア内部で飼殺しにされ、完全に無力化されるかごく例外的にゲルマニアに引き抜かれた事例を別とすれば、いまだにロマリア内部に留めおかれている。実際、権力を失った自分も同様に処理されていることを考えれば、既存の秩序にとって望ましくない影響を及ぼしかねない聖職者はロマリアに集中しておかれているのだ。

ロマリア外に赴任するのは、俗物か、平凡な聖職者が一般的。ごくごく例外的に熱心なものが派遣される場合もあるが、この熱心な連中は何れもやがて中央に帰還している。そう、そこも疑問だ。うとまれて、或いは権力争いに愛想を尽かしたはずの連中が、ロマリア中央に帰還し、場合によっては教理の重要な解釈を担っている。

何かがおかしい、と思えばそれは暗部に携わる人間だろうということは容易に想像がつく。そして、それはロマリア内部で暗躍する何者かが組織的に活動しているということの証拠なのだ。枢機卿の一角にすら悟られないように、人員を動かし得る一派がいるということは暗部が持つ深さを物語ってやまない。

「それよりも、子爵。君の方こそ大丈夫なのかね?」

「はっ?」

「異端査問され処刑された子供を埋葬したのだろう?」

さすがに、事態に批判的な人間が、調査してきてくれたからこそ、大まかな事態は把握できている。同情した現地の人間が、名目上は犠牲になった司祭らを埋葬するという名目で現地入りし、犠牲になった少女を埋葬しようとしたところ、すでに埋葬されていたという。
異端認定された挙句に、聖堂騎士によって殺された人間のことなど、狂信者は気にしないだろうが、一応そのことは報告しないように手はずを整えてある。

「・・・そこまで、ご存知でしたか。」

「揉み消しておいたが、どこまでやれたかわからん。過信しないことだ。」

善き行いである。だがあまりにも、無謀だ。もしも、誰かが他にこのことを感知し、だれが埋葬したかを探れば、子爵は身の破滅を避けられないやもしれなかったのだ。善意からの行為で、彼の様な人物を失うのはあまりにも惜しい。

何より、ロマリア内部の暗闘が、彼に害を為さないという保証はこれからもないのだ。その時に、このような過去が掘り返されないとは断言できない。狂信者ならば、墓を掘り返し、証拠を見つけて騒ぎ立てることも辞さないだろう。

「ともかく、この件に関しては子爵、君はこれ以上関わるべきではないだろう。」

彼には、個人的にも公的にもマザリーニとして、かなり世話になっている。個人的には、彼の婚約者がアンリエッタ王女らを逃がす囮としてゲルマニア艦隊の眼を引きつけるという役割を担ったばかりだ。公的には、彼の部隊が王女らを救出し、アルビオンまで送り届けた挙句、ゲルマニア北部で武威を示し、トリステインの名誉を保つ努力をしてくれている。

一人の信頼できる近衛という認識以上に、彼はトリステイン王家にとってなくてはならない忠義の士であるとマザリーニは信じている。今でこそ、ゲルマニアの追手から逃れる途上の出来事でロマリアにまで足を運んでいるものの、彼をトリステインは必要としているのだ。

「それよりも、君の婚約者の方が厄介な問題に巻き込まれているが、大丈夫なのかね?」

「どういうことでしょうか。」

まさか、ゲルマニアがまた無理難題を言いだしたのではないかと思い、やや緊張した面持ちで訊ねるワルドに、マザリーニは落ち着くように促しながら、追加で説明を行う。

「知らないのかね。なんでも、アルビオン・トリステイン王室の婚姻手続きで巫女をやるらしい。」

巫女、というのは要するに結婚に際して祝辞を読み上げるような存在だ。格式において少なくとも対等であるということを演出したいトリステインにとってみれば、名門にして筆頭のヴァリエール公爵家にして姫殿下の遊び相手を務めたルイズに代表として行わせるということを望んでもおかしくない。

まあ、姫様がお友達を選んだだけではないか、という気がマザリーニにはしてならないのだが、それでも周りの意見をよく聞いた上での決断だろうと思う。そう悪い選択ではないのだ。公爵家も、曖昧な立場に安住できない以上、ある程度はこちらに配慮してくれることが期待できるし、最悪の場合公爵家がルイズを放逐し、ゲルマニアに付く決断をしたとしても、トリステイン王室の血は薄まったりとはいえども保たれる。

まあ、公爵殿には苦労してもらうことになるのは変わりないが、どちら付かずを保とうとする蝙蝠ともなれば、その覚悟もあおりだろう。むしろ、問題なのは政治のことなどもよくわからないでいるに違いない少女が政争に巻き込まれてしまっていることの方だ。

マザリーニにしれみれば、曲がりなりにも聖職者としていろいろと考えざるを得ない。だから、それとなくワルドに事態を漏らしているのだろう、と自分の行動振り返りマザリーニとしては、苦笑したくなる。

「ルイズが?」

「アルビオンとトリステインを担う次代の御二方の結婚に際して是が非でも、とな。」

結婚式で巫女を務めたとなれば、間違いなく彼女の旗幟は鮮明とならざるを得ないだろう。当然、公爵家も決断を迫られるのは言うまでもないことだ。

「・・・別段、反論はしませんが、他の方法でもよいのでは?」

だが、ワルドの言うように、それはやや迂遠な方法だ。何もそのようなことをせずとも、一片の文章で義務について勧告するなり、敵を増やさない方法ならばいくらでもある。

それこそ、結婚式に招待されれば、公爵家としても応じざるを得ないだろうし、そこで忠誠心を確認したと称する事もできるだろう。要するに、やりようはいくらでもある中で、わざわざそのような方法を取る必要が何処にあるのだろうか、という疑問がある。

「ふむ、どうやら、現在の情勢を君は把握できていないようだ。」

だが、逆にマザリーニにしてみれば、ここしばらく情報を収集し検討していただけにこういった経緯に至る原因をよくよく理解できている。姫殿下は、おそらくこれを機に東トリステインにおける色分けをはっきりとなさりたいのだろう。

レコンキスタなる連中の本音は正直に言っても、よくわからない。誰かが援助しているのは間違いないだろうし、アルビオンの行動にも不審な点は多い。だが、ゲルマニアに打撃を与えるのも紛れもない事実だ。姫殿下が復讐を欲するならば、これに乗じない筈もない。そうなれば、東トリステイン情勢は、一刻の猶予もないのだ。

「ええ、お恥ずかしながら、世事に疎くなっておりまして。」

「なに、ただ知って何もできないよりはましであろう。」

そして、誠に不本意なことにマザリーニは籠の中の鳥だ。鳥の骨と称される自分が、誠に皮肉なことに籠の中で朽ちていく。本当に笑い話にもならないような喩が、自分の運命を暗喩しているように思えてならないのだ。

まだ自分を慕ってくれる者もいないわけではないが、権力を失い、ロマリアに庇護されるという名で軟禁されている自分にできることは、ただ事態の推移を外部から見届けるだけになってしまっている。

「猊下は、それほどまでに?」

「我がことながら、全く身動きが取れん。」

外出しようものなら、善意からという名目で聖堂騎士が護衛に同伴してくるだろう。あからさまな監視の目がそこらじゅうに存在する中で、マザリーニができることと言えば、公式の行事に枢機卿として出席することくらいだ。

それとて、招待される頻度が徐々に減少していることを思えば、先行きはよくないとしか言えないだろう。

「・・・やはり、トリステインでの事態が尾を引いておりますか。」

「いや、むしろロマリア内部の問題である。」

「はっ?」

確かに、トリステインから脱出する囮を務め、挙句ゲルマニアに捕虜にされてしまったことは致命的であった。ロマリア内部の問題をよく理解しているのだろう。ゲルマニアは至極当然という態で、この身をロマリアに丁重に送り届けた。

おかげで権力も味方もほとんど乏しい状態でロマリアという餓狼の巣に放り込まれた結果、進退すらままならない状況に落ち込んでいる。なるほど、確かにトリステインでの事態が尾を引いていると言えば、間違いはない。

だが、より根本的にはロマリア内部の問題なのだ。

「単純な話だよ。厄介者には、外で力をつけられるよりも、飼殺しにした方が良いと考えているのだろう。」

マザリーニがトリステインという外に出たことは、都合の悪いと考える連中が少なくないのだろう。無事を喜び、安堵したという態で、帰国と同時に修道院に押し込まれたことを考えれば、ここから出るのは至難の技だ。

もちろん、時勢の変化が望めないわけではないし、待つことの重要さも政治家としてはよくよく理解している。

「庇護ではないと感じておりましたが・・・。」

「態の良い軟禁というところ。まあ、坊主が修道院にいるのは当然ではあるがね。」

一介の聖職者として、聖務に身を奉げるのも、一つの在り方だろう。少なくとも、時期が来るまでは、ここで耐えるしかないのだ。

「・・・なんなりと、お役にたてることはございませんか。」

「君に頼むまでのことでもない。どうとでもなろう。」

好意を謝しつつも、ワルドの申し出をマザリーニは明確に断る。仮にも、トリステインで宰相とまで呼ばれた政治力は鈍ってはいない。自分の身くらいは、自身でなんとかなると、信じているのだ。

なにより、子爵を巻き込むわけにはいかない。

自分は、トリステイン王室にもう長くは仕えられないだろう。まだまだ、気力で劣るつもりはないが、すでに年齢で見れば十分以上に棺桶に足を突っ込んでいてもおかしくない年齢だ。健康に不安があるわけではないが、何があってもおかしくないとされる年齢である以上、先が見えつつあるのは間違いない。

だが、彼は、ワルド子爵はまだ若い。これからの王室を守護し、支えるという点において彼こそが次代の杖たりえるのだ。トリステイン王室を守護する次代の杖をここで朽ちさせるわけには断じていかない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

本作は、必ずしも、原作の流れに忠実ではありません。
忠実ではありませんが、ありえた可能性は排除していないのです。

例えば、アンリエッタ王女が結婚する時に
『トリステイン王族の結婚式に立ち会う巫女』としてルイズさんが選ばれるのはもはや確定的といってよいでしょう。

あとは、もう言わずともよいでしょう。

或いは、ベアトリスさんが派遣される時にお飾りにされておつきが苦労するのはデフォルトのはず。


ワルドへの優遇は、仕様です。
始祖の使い魔とも互角に渡り合える上に、ある意味物語の核心に近いかれがヒーローになって何がいけないのでしょうか、いや、いけない筈がありません。


タバサの暗躍は、つまるところガリアが暗躍しているということになります。案外、番外編でやるかもしれませんが、あの無能王が反逆の可能性がある手ゴマをお遊びの場で本当に重要なところに派遣するのが今一つ想像できません。

いや、それすら楽しむ可能性があるのですけどね?

では、次回予告を。

『燃え上がれトリスタニア!
恐怖!不死軍団の突撃!
コクラン卿、趣味に走る!』

の三本立てをあんまり期待せずにお待ちください。
※次回内容は、事前の通告なく変更される場合があります。



[15007] 第八十六話 彼女たちの始まり7
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/05/27 20:39
世界最強の軍隊とは、何だろうか?

部隊が全員メイジで構成された部隊?
なるほど、さぞかし強力な魔法攻撃が期待できる。
だが、盾が乏しいのは問題だろう。
おまけに白兵戦に持ち込まれて対応できるとも限らない。

高い錬度を持ち合わせた艦隊?
なるほど、機動力は優れている。
メイジの魔法ほどではないにしても、大砲の威力は無視できない。
なにより、艦載龍騎士隊はハルケギニア屈指の実力を誇るだろう。

亜人どもの軍隊?
なるほど、平民では歯が立たないし、メイジでも手こずる。
そんな連中が軍隊を組めば、なるほど厄介だ。
連中の欠点は統制が取れないことだから、欠点を取り除けば恐ろしいのは間違いない。

忌々しいエルフの軍隊?
まあ、連中は忌々しい上に強敵なのはまちがいない。
おまけに、ハルケギニアの主要国が倒せていないのも事実だ。
先住魔法の厄介さは、特筆に値する。
そんな軍隊が厄介なのは掛け値なしの事実だろう。

だが、ごく単純に考えてほしい。
エルフでさえ、物量で損害を恐れずに挑めば倒せない相手ではない。
メイジとて油断せずに、メイジ殺しが襲いかかれば倒せないこともない。

つまり、何事にも絶対なんぞ存在しない
最強の軍隊とは、質と量を兼ねそろえていればよいのだ。
そして、死を恐れなければ完璧だろう。

少なくとも、兵隊にとっては、死を恐れない敵ほど恐ろしい敵も無いのだから。



「は?」

敵をわざと誘引し、市街地にて包囲せん滅。

文字にすれば其れだけだが、とにもかくにも、ゲルマニア軍の方針としてはまずもってトリスタニアに蜂起した連中を封じ込めてぶちのめすのが目的である。当然のことながら、トリスタニアにて包囲する以上、食糧の補給をたち、小規模な襲撃を散発的に行う程度の戦闘は予見してきた。だが、大規模な戦闘は一斉攻撃、或いは総攻撃までご無沙汰とみなされていたところだ。

だが、前線の斥候からの報告は、その前提を覆す。

獲物がどの程度トリスタニアに入ったか?本来はそれを確認するための龍騎士による偵察であった。だがその結果は予想外の報告が緊急に上げられる有様だ。信じ切れず、念には念を入れて、複数方向から、複数の部隊で確認したほどである。それほどまでに、報告された内容は想定外であった。

ゲルマニアに付きつけられたのは、予想の180度真逆の報告である。

曰く、『トリスタニア炎上』

「功を焦った部隊でもあったのか?」

最初は、不手際を惜しむ程度の認識であった。

どこかの小部隊が戦功を焦って、突出し、奇襲でもかけたのかと。

だが、事態はその程度では到底おさまらないということを、否応なく現実に付きつけてやまない。なにしろ、トリスタニア全域が、盛大に燃えているのだ。当然のことであるが、一部隊が独断専行で燃やせるような規模ではない。

何より決定的であったのは、恐ろしいまでに統率のとれた部隊がトリスタニア外周部に展開しているという事であった。偵察中の龍騎士ですら、接近を躊躇するような重厚な陣容だ。そこで、ゲルマニア軍を近づけまいとする鋼の陣形が構築され、あまつさえトリスタニアからの脱出すら捕捉しているとなれば、事態は明確だ。

「まさか、連中、自分達の都を焼き払ったというのか!?」

信じられん。

そう言わんばかりに叫んだ士官達も、続報で最悪の予想が的中したことをほぼ確信する。いや、確信せざるを得ないのだ。盛大に炎上しているトリスタニアでは、接収時以来あちこちに潜伏させている連絡要員から悲鳴のような報告を最後に、連絡が途絶しているという。

将校らの緊張と焦燥を繁栄していらいらと落ち着きのない空気が充満し始める司令部。

こまごまとした用事を急に思い出し、上手く逃げだせた者を除いた従卒らが非常に居心地悪げに立ちつくす空間を一変させたのは外から飛び込んできた竜の嘶きであった。短く予め定められていた符号を鳴らす声から察するに、急報を告げる伝令である。

司令部へ直接飛び込んでくる伝令。しかも、わざわざ貴重な龍騎士でもって運ばねばならない情報ともなれば現状、最も求められているに違いない情報か、少なくともそれに類する重大な情報だろう。

「前線から、緊急です。」

「言われずともわかる!続けろ!」

「何事があった?」

それだけに、彼らは何が起きているかを知りたいと欲した。それこそ、砂漠で渇きに苦しむものが、水を渇望するかのごとく。それだけに、前線からの報告に対して、彼らは何があったかを知るための手掛かりを求めていた。

「・・・トリスタニアを脱出せんとする民間人の一団を発見。」

そして、報告はまさしく異常事態が進行しているということだけが確実にわかる代物であった。それだけに、飛び込んできた情報を理解した将校らは等しく疑問を抱き、困惑せざるを得ない。

通常、戦争に際して避難民は珍しくもないものだ。まあ、避難できずに襲撃される例も珍しくないのだが。

傭兵の略奪など組織的に行われればまだましな方で、統制の取れなくなった部隊がてんでバラバラに略奪を始め、放火・強姦・殺人などありとあらゆる暴虐を働くのも、不幸ながら珍しい話ではない。酷い例になると、傭兵の給金を惜しんだ雇用者が、略奪許可で給金の一部を賄おうとする例すらあるのだ。

だから、不幸にして戦場になった地域に居住している住民が避難するというのは、ごく当然のこととなる。しかし、逃げない方が良い時もある。それは、今回の様な旧支配者の帰還だ。

少し、単純化された場合を考えてみよう。

例えば、盗賊に占拠された村落を奪還する際に、領主は一つの決断を迫られる。それは、盗賊に村人たちが協力していたかどうかの判断だ。あまり長らく盗賊と村人が生活を共にしていると、盗賊行為が村の経済活動の一環に組み込まれ、盗賊の拠点となってしまう場合がある。生活の糧を得る手段として、外部への犯罪行為が生活の一部となる場合があるということだ。

領主にしてみれば、盗賊と村人の区別はこの時点で放棄せざるを得ないようなものだ。そうなっていれば、村人もろとも、盗賊を討伐する必要が出てくるだろう。その際に、村人が取りうる行動は、盗賊と共闘するか、共に脱走するかだ。言い換えれば、村人が盗賊に味方しないのであれば、素直に奪還を歓迎したほうがよほど安全なのである。

「トリスタニアの住民がゲルマニアに忠誠を誓っているとは、ついぞ知りませんでしたな。」

極言すれば、ゲルマニアの支配に積極的な抵抗こそしなかったものの、トリスタニアはさすがにトリステイン王国の王都だけあって旧主を懐かしむ感情が強烈であった。もちろん、熱狂的な王党派というやつは、それほど多くは無いにしても、トリステイン王国の王都として発展していただけに、王都で亡くなることによる経済的な影響はかなり大きい。

王家の消費は、少なくない住民の生活に直結していたし、物流も少なからず影響を受ける。なにより、ムーダのような大規模な運送船団はトリスタニアではなく、タルブなどの別の地点を拠点とする。まあ、帝政ゲルマニア統治下では経済的にも様々な利権や既得権益が否定されるなど住民の忠誠心はお世辞にも期待できる状況ではなかった。ゲルマニアにしてみれば、トリスタニアなど、武装蜂起が起きなければそれでよいとしていたくらいである。

だが、報告は明らかにゲルマニアにとってみれば、混乱せざるを得ないような整合性を欠くものであった。なにしろ、トリスタニアから脱出しようとする住民がいるということ自体、おかしな話だ。何しろトリステイン王国寄りだと見られていたトリスタニアが、まるでゲルマニアの統治を懐かしむような行動を取るとは考えにくいにも関わらずだ。

「叛徒はこれを殲滅せんと欲する模様。」

避難民が、攻撃されているというのも、事態をややこしくしている。それは、ゲルマニア系の住民なのだろうか?率直に言ってトリスタニアに移住するような奇特なゲルマニア人は決して多くは無いし、戦火が近づいている時点で引き上げているのが常識だ。

となれば、攻撃されている避難民とやらはトリステイン王国を恋懐かしむ連中に違いないのだが、何故か攻撃されていることになる。略奪に明け暮れるはずの叛徒が、わざわざトリスタニアに火を付けた挙句、宝の山を放り出して避難民狩りに励むなど、ありえるのだろうか?

「連中、正気か?」

連中のおつむが悪い程度では、もはや驚かないつもりであったとしてもだ。どこをどうしたら、そのような愚行に邁進するような結論に至るのか、さっぱり理解しかねる。ひょっとすると、理解できないのは自分だけなのかと、真剣に悩みたいほどに不可思議なのだ。

正気か、と思わず呟きたくなるところであり、もはや理解を諦め、そういうものだと投げやりに呟きたくなるほどに事態は奇怪だろう。

「それで、前線の部隊は?」

同時に、これらの事態にどのように対応するかを検討しなくてはならない。当初の方針では、偽装後退により敵主力をトリスタニアに誘引。補給を途絶させしめたのちに、包囲殲滅する予定であった。当然、後退した中央部を除き、右翼と左翼の部隊は前線にて作戦行動中だ。

これらとの連絡を維持するのも、そう容易ではない。なにしろ、其れなりの距離があるために連絡の即時性には乏しく、情報の精度にも疑問が付きまとう。加えて、大規模作戦特有の情報錯綜も珍しくもない。まあ、とはいうものの、かなりの努力がはらわれた結果として辛うじて龍騎士とメイジの伝令によって、両翼との連絡は曲がりなりにも維持されている。

情勢の変化を踏まえて、爾後策を検討するに際して、意見具申程度であればまだ連絡しえる範囲で検討する余地とて十分だ。

「右翼は即時突入を主張。左翼は作戦継続か、中止かの決断を求めています。」

「中止しろ。この情勢下で、突入すれば丸焼けだ。なにより、統制が取れない。」

混乱している情勢下で、むやみに敵に突入したところで、犠牲が払われるだけだろう。まして、突入すべきトリスタニアは現在盛大に炎上中である。部隊を進めたところでむざむざと貴重な戦力が、丸焼きになるだけのことだ。単純に考えても、即時後退し戦線の整理が必要だろう。

まして、トリスタニアの炎上が敵叛徒の行為によるものだとすればだ。

異常極まる情勢下で、当初方針を貫徹するのはあまりにもリスクが大きい。状況の変化を踏まえるならば、包囲せん滅に拘泥せずに、持久防御戦略にもどるのが本来であれば最良の方針だ。

「しかし、まさか、トリスタニアが屠殺されるのを見殺しになさるおつもりか。」

まあ、右翼指揮官とてその程度はよくよく理解している。本来であれば、素直に後退し、遅延防御に努めつつ、各隊を掌握し、戦線の再編成に取り組む方がよほど効率的であるだろう。それを理解できない程に無能ではないし、つまらない見栄で前線に拘泥していれば、いまごろ国境の小競り合いで果てていたくらいだろう。

だが、無能で無いということは、想像力を致命的に欠如させていないということでもある。当然、ここでトリスタニアを放置すればどういったことが惹き起こされるかについて全く想像ができないというのはありえない話だ。

「元より、戦略ではそのつもりであったのでは?」

無論、人道主義的観点からの主張ではないのだろう。トリスタニアにて包囲せん滅するという時点で、トリスタニアの住民が巻き添えを喰らうことなど、ゲルマニアにしてみれば織り込み済みの損害でしかない。いや、損害と認識するかどうかすら怪しいところかもしれないだろう。

さすがに、自国領内でもあれば事態も異なるのだろうが、ゲルマニア軍にとってみれば別段祖国ではない。それに、駐屯軍でもいれば愛着の一つも湧くのだろうが、彼らの大半が展開しているのはせいぜいタルブまでだ。程度で言えば、兵士たちにとってもタルブくらいは防衛戦の対象だろう。

だが、トリスタニアは、せいぜい征服したという認識くらいである。兵たちも戦利品として惜しむことはあっても、父祖の地、あるいは親しみを覚える土地という認識はかけらも存在しない。当然身命を賭して防衛に勤しむなど、考えもしないに違いない。

で、あるならば。

本来は、いかに荒廃しようとも、それほど気に病むこともないのだ。

「・・・さすがに、これは看過し得る水準ではないと思うのでありますが。」

「同意できなくはないがね。異常すぎる。情報が欲しい。」

だが、さすがにトリスタニア全てを焼き討ちし、あまつさえ住民もろとも屠殺されるのを歓迎するかと言われれば、さすがにそれをよしとするほどでもない。

別段、トリスタニアに親しみを覚える理由は多くもないが、同時に、トリスタニアを地上から消滅させたいと願うほどに、トリスタニアに恨みがあるわけでもないのだ。せいぜい、うっとおしいトリステイン王国の王都、という認識程度でしかない以上、純粋に虐殺を歓迎できるかといえば、あまり歓迎できないな、とくらいは考える。

「龍騎士を出しますか?」

状況を把握するためにも、部隊を派遣する必要はどの道あるのだ。

トリスタニアから逃れてくる避難民ならばある程度の情報も有しているだろう。もちろん、詳細な情勢を把握しているとも思えないだろうが、何が起きているのか、敵軍の構成はどうなっているのかなど、得るところも無いとは言えない。その点からすれば、偵察を主任務の一つとする龍騎士の派遣は、現状の司令部が取りえる方策としては検討の余地を有する。

「動かせる部隊は?」

「龍騎士隊が2つ。それと、軽コルベットです。」

そして、圧迫されているとはいえ、ゲルマニアのフネも、龍騎士も少しばかりは存在する。つまり、全く何もできないわけではない。多少の情報収集と避難民援護は可能だ。

特に艦隊の眼である軽コルベットはこの手の偵察任務には最適だろう。ある程度の龍騎士を搭載する事も想定済みのため前線から伝令を確実に飛ばすことも期待できる。まあ、実戦において軽コルベットが『敵艦見ゆ』の伝令をよこす時は、龍騎士だけが無事離脱できるなどということもざらにあるため偵察行動も慎重さが要求されるのだが。

同時に、これらは現在のところにおいては本当に貴重な戦力であるとも言える。フネや龍騎士は補充の見込みは当分無いのだ。ゲルマニア艦隊主力は聞くところによれば盛大に砲撃戦を展開し、艦隊司令部曰く、財務官僚に対して慙愧の念に堪えないほどに武器弾薬を射耗したという。

代わりにというわけではないが、大公国派遣組の空中装甲騎士とやらとその母艦もあるにはあるが、紐付きにしないで単独行動を行わせるなど言語道断もいいところだ。そんなことを認めた日には、良くて更迭。悪ければ、問題が起きた責任を引き受ける程度に収まるのであれば幸せだろう。

「敵艦隊の動向が不明な以上、空中戦力を摩耗させるわけにはいかない」

「同様に、大公国の部隊は政治的信頼性が皆無だ。故に、これも使えないと見るべきです。」

慎重論は、当然のことながら冷静な現実判断に依って立つものだ。

最初に思いつきで部隊の派遣、ということを念頭に議論を行おうにもメイジとて無から有はなかなか生み出せるものではない。錬金とて、物質を変化させるためのベースとなる素材を必要とする。つまるところ、戦術が如何に巧みであったり、戦略が精緻を極めたところで、手駒となる部隊が乏しいのならば、うてる手は限定されざるを得ない。

究極的には、維持できる限りにおいて大兵力こそが最適解である。この理由も最も単純ではあるものの、兵が多い方がやれることが多いからと単純だ。

「現地の部隊を使うべきでしょう。」

やりくりに苦労するのは、何も下級将校だけではないのだ。貧乏少尉、やりくり中尉、やっとこ大尉はまあ、自身の経済的欠乏だけ悩めばよいだろう。だが、上級の司令部ともなれば手持ち戦力のやりくりに苦労しなくてはならない。

指揮官が部下を限界まで酷使するのは、ごくごく単純に、他に選択肢が無いからである。生来のサディストが兵隊をこき使うというよりは、単純に経済的合理性故に兵隊を酷使するのだといえば、システムの責任だろう。そして、ゲルマニアという制度は、限界まで突き詰めてゆけば、現地の部隊に限界まで働かせることを特に躊躇するものでもなかった。

「現地で接敵している部隊は?」

「辺境伯軍が主体の歩兵大隊が。」

わざわざ司令部直轄の部隊を出さずとも、現地に部隊は存在するのである。

それは、もちろん後退中ではあるし、大部分は構築した後方の拠点へ順調に収容されているところだ。だが、何事にも順序があるように、進軍一つとっても、最前衛と最後尾が存在し、当然のことながら敵の急襲に備えた殿軍は、其れなりに扱き使える。

「接触を命じますか?」

当然、指揮官は其れなりに信頼が置ける人間を置いている。

それは、能力的にも、政治的にも信頼が置けるという意味で、信頼ができる人物のことだ。

なにしろ、最後尾の殿軍である。これが無能であっては大きな被害を被りかねないし、なまじ有能であったとして政治的に信頼できなければいつ送り狼に化けるかわからない。使い潰すことを前提とした遅延防御部隊とは全く性質が異なる。そうした手段を取るべき状況でもない以上、最後尾集団は常に精鋭が担う。

で、あるから確かに接触させるという意味では最適な人物である

「接触させるべきです。状況を把握するためには、大隊規模の威力偵察が望ましい。」

「なにより、避難民を追撃するとなれば、さすがに一部の暴走とは考えにくい。」

「各個撃破される愚を犯すべきではないでしょう。」

なにより、敵戦力を把握するという意味合いでは、大隊規模の威力偵察は十分すぎるだけの成果を上げられる。どうにも、統制がとれているのか、とれていないのか疑わしい叛徒の戦力であったとしても、歩兵大隊を突き崩すのは、例え統制が取れたとしてもそう容易でも無い。

以上の理由により、威力偵察を兼ねた接触は一つの選択肢ではありえた。

だが、それは一つの選択肢であって、唯一の選択肢ではない。

「いや、包囲網を崩すことになりかねない。殿軍をむやみに動かすのは賛成しかねる」

「付け加えれば、情報収集なら小規模な部隊で十分だ。」

現状では、敵を包囲下に置いているという状況が存在している。情勢が混乱しているためにやや把握できていない部分があるとしても、戦術的には優位にある地位を放棄して、みすみすこちらの陣形を崩す必要があるかどうか。

手堅く包囲を維持すべきであり、大隊規模での戦力まで予定を変更してまで緊急に動かすべきではないとの主張もまた一つの選択肢として存在する。状況は、確かに混乱要素を含んではいる。含んではいるものの、混乱要素を過大評価し、みすみす戦術的錯誤を犯すことによって、大規模な連鎖的問題発生を惹き起こしかねないという懸念もまた的を射たものなのだ。

「しかし、少数部隊では、細分化された情報が得られるだけだ!」

「混乱している状況では、大隊とてさほど効果があるとは思えません!」

議論は、当然のことながら白熱せざるを得ない。決断に要する時間は、さほどの余裕も与えられておらず、かつ妥協の余地は限りなく乏しい以上、どちらかを選ばねばならないのだ。大規模威力偵察か、少数の分遣隊による情報収集か。

凝縮した議論を解きほぐすのは、結局責任者の決断一つだ。

つまりは、辺境伯の性格によると称して差し支えない。

まあ、要するにだ。

「議論に時間を浪費する余地はない。ただちに、威力偵察を手配せよ!」

誰に責任があったというわけでもないのだ。誰もが最善を尽くし、常識的な対応ながらも事態の把握に努めていたのは間違いない。混乱している情勢下において、当初方針に拘泥することなく、大胆なアプローチを試みることは、事態の打開策としては検討の価値がある。

なにより、はっきりしない情勢を明確にするという点において、選択肢がさほどもないのだ。だから、教育され、政治的にも信頼のおける部隊を派遣するという選択肢は、結果的に見てみれば、悪くはなかった。怒涛の奔流を前に、小勢では一息に粉砕されてしまっただろうから、情報を持ちかえるという意味では、威力偵察は正解だろう。

ただ、それがために大きな犠牲を払うことになったとしても、だ。

記録は語る。
ゲルマニア所属、辺境伯軍歩兵大隊、軍団規模オーク鬼ト接触。甚大ナ損害ヲ被ル。
同日、トリスタニア陥落。ゲルマニア第一防衛線ハ崩壊セリ。
ゲルマニア軍主力部隊ハ左右両翼ニテ中央ヲ粉砕セリシオーク鬼軍団ヲ辛ウジテ回避スル。


殿軍を命じられたゲルマニアのある部隊は、また貧乏くじかと文句を言いつつも、敵のふがいなさ故に、さほど大した苦労もしなくて済むのではないかと期待していた。まあ、気が抜けていたのだろう。無論、気が緩んだことを悟った下士官らが引き締めを図ったが、実のところ、下士官どころか、将校らまで当然のごとく、敵戦力をさほどの物とも見積もっていなかった。

とはいえ、事態は楽観的な予想を常に裏切るものである。トリスタニア方面への威力偵察発令時には、きな臭いものが戦慣れした将兵には感じられていた。当然の措置として、大隊長は部隊を臨戦態勢に置き、考えうる限りの警戒を行いつつ、速やかに任務を遂行するべく、大隊を進軍させ、そして、分厚い壁にぶつかる事になる。



「オーク鬼80以上!突っ込んできます!」

オーク鬼はまあ、強い獣だ。軍隊の相手じゃない?偉い学者様がおっしゃっているらしい。つまり、強いだけで、せいぜい戦士が5人もいれば事足りて、軍隊の相手ではないと?

冗談じゃない!

言い換えれば、オーク鬼の軍団が出てきた瞬間に、5倍の軍隊が必要ということになるではないか!

「糞ったれ!なんで、オーク鬼が統率されていやがる!?」

「ごちゃごちゃ言うな!手を動かせ。」

当初、前衛集団の斥候が、少数のオーク鬼と遭遇した時点では、戦乱によって討伐が行き届いていないだけかと見なされていた。数は多くなかった上に、部隊を見た瞬間に逃走したからだ。歩兵大隊の相手としてみれば、オーク鬼は獲物だということもあり、邪魔をするならば、排除するという程度の認識しかなかったが、これは高くつくことになる。

斥候どころか、指揮官までの誰もかれもが、オーク鬼のことを、せいぜい群れを組む程度の敵だと見なしていたのは、其れまでの常識があらばこそ。これが、トリステイン由来の装束を身に纏ったり、傭兵臭い連中がこちらを視認するなり逃亡したとなれば、敵斥候と見なし、警戒くらいは深めただろう。だが、オーク鬼ということが、判断を誤らせた。

それは、せいぜい害獣であって、軍隊の敵ではないと。

まあ、確かに、個体としては、さほどの脅威でもないだろう。だが、矢の通じない皮膚に、素早く、かつ強力な個体。これが、完全に統制されて襲ってくるとなると、まさしく現在進行形で大惨事となる。

「槍衾を崩すな!弓兵、狙わんでいい、とにかく撃て!」

「軽装歩兵は、適宜石でも投げやりでも良い。とにかく、奴らを足止めしろ!」

「銃兵、マテ!マテと言っている!!まだだ!まだ撃つな!」

ひきつけるなり、追い込むなりして、罠にはめることもできない。オーク鬼の群れを確認し次第構築した落とし穴に始まる伝統的な罠は悉く回避された。本来であれば、怯むはずもメイジによる魔法攻撃にも怯えず、それどころか的を分散させて、突撃してくるなど、誰が想像しようか。

「フレイム・ボール!」

「今だ!銃兵、構え!」

鳴り響く銃撃音と、其れをかき消すようなオーク鬼の絶叫。

メイジの魔法攻撃に連携したマスケット銃の一斉射撃は有効だ。

しかし、本来であれば、十分すぎる対オーク鬼戦術であるが、今回ばかりは有効ではあってもじり貧でしかない。なにしろ、想定しているのは、せいぜい纏まった群れ程度であるって歩兵大隊が組織的抗戦を迫られる数と練度のオーク鬼ではない。

「右からさらにオーク鬼の一群接近!?」

「なんだあれは!鎧のまねごとでも始めたのか!?」

正面から突っ込むだけが能のオーク鬼に側面挟撃をかけられたということも驚きだが、なにより驚くべきはオーク鬼の身につけている鉄の塊だ。まるで、オーク鬼のためにあつらえられたと言わんばかりに各所に鎧の残骸モドキを身にまとい頑強さを底上げしている。

あれでは、槍兵とて近づかれかねないだろう。非常に厄介な上に、鎧をまとった歩兵と異なり全く速度が落ちているようには見えない。当然、そんなものに横合いから殴りかかられれば、壊滅的な被害を被る。

「中隊長殿!」

「なんだね。ああ、良い知らせなら、言わないでいいぞ?」

「第二小隊が喰われています。」

冷静な声で報告する軍曹はすでに、狂ったような応戦で疲れ果てた顔をしながらもマスケット銃兵を指揮し手際よく接近してくるオーク鬼に対して一斉射撃を浴びせている。人間相手と異なり、亜人相手ともなれば、マスケット銃の命中率も上がるものだ。図体がでかく、かつ敵愾心がわく相手だ。狙いも十分に精密。威力も、魔法はともかく矢に比べればそれなりの打撃は与えられる。

「支援可能か!?」

「無理です中隊長殿!この混戦では誤射が多すぎる。」

とはいえ、オーク鬼と盛大にきり結び、懸命に抵抗している混戦状態の味方を支援できるかと言えば、それは全く別の次元の要求でしかない。

要求する中隊長とてその程度の判断はできている。とはいえ、無い物ねだりかもしれないが、処理の限界に近いオーク鬼を前に思わず奇跡を祈らねばやってられないのもまた事実。騎士大隊や魔法衛士隊と異なり、ここにいるのはあくまでも歩兵大隊なのだ。もちろん、完全にメイジが欠乏しているわけではないし、普通に存在するとしても、絶対数はそれらに比べれば当然劣る。

「ええい、続け!ブレイドでオーク鬼にメイジの恐怖を教育してやるぞ!」

「中隊長殿に続け!」

とはいえ、見捨てるわけにもいかない。このまま側面を喰い破られれば、辛うじて支えている正面の奮戦も空しくオーク鬼の餌だ。なにより、兵士が怯んだままではまともに戦闘になるどころか、混乱を拡大しかねない。

まさか味方ごと砲兵で吹き飛ばすわけにもいかない以上、残された選択肢はメイジが不得手とする接近戦で対応するしかないのだ。魔法衛士ならば、随分と楽にオーク鬼も処理できるだろうが、さすがに一般のメイジではやや荷が重い。

どのみち、やらねばならないので、不満一つ出せず、各員は突撃するしかないのだが。

「ジャックが喰われた!」

「放置しておけ!そいつはすでに死んでいる。」

「ああ、ジャン・ルイ小隊長が!!!」

最悪だ。辛うじて、統率を回復しようと小隊軍曹が叫び声を枯らす勢いで兵隊を蹴り飛ばし、配置に付けている傍で、ブレイドで奮闘していた第二小隊の小隊長の頭にオーク鬼のこん棒が直撃した。あの陥没から見るに、一撃で尊い戦友が尊い犠牲者に化けてしまったと判断せざるを得ない。

始祖も残酷なことをなさるものだ。

「軍曹、支援する!少しばらけろ!」

とはいえ、ジャン・ルイが時間を稼ぎ、ついでに距離を稼いでくれたおかげで多少魔法を放てるだけの空間ができている。混乱した部隊からオーク鬼を引き離そうとした彼の意志は無駄にはならない。

「下がれ!中隊長殿の魔法が来るぞ!焼かれたくなければ、とっとと道を開けろ!」

「砲兵、合わせろ!」

同時に、友軍誤射の危険性が無くなった瞬間から、砲兵の仕事が再開される。弾種は動き回る亜人相手を考慮し、ブドウ弾。通常であれば、かすっただけでオーク鬼が命を惜しんで後退する代物だ。

まあ、今回はいつも通りという言葉が全く役に立たないのだが。

糞ったれ。エルフでも湧いているのじゃないだろうか。今日は、本格的に碌でもない。生き残れれば、糞坊主を殴り飛ばしたい気分だ。

「ええい、ブドウ弾の効果が薄い。」

人間相手ならば、かすっただけでも十分に致命傷。

さすがのオーク鬼もかすっただけで、手足程度であれば吹き飛ぶが、全く怯みが無い。それどころか、淡々と進撃してくる姿には、いっそ恐怖すら覚えるほどだ。一応、感情が全くないわけではないらしく、時折奇妙な動作を見せないこともないが、それにしたところで、オーク鬼に対する見方が一日で一変するような衝撃である。

「畜生、ブドウ弾くらって突っ込んでこられるとは、今日はやけに狂ってやがる。」

「糞ったれの亜人どもめ。散会して突撃してくるなんて、そんな頭脳はいったいどこで拾いやがった?」

「無駄口叩く暇があったら、さっさと装填しろ!!」

ブドウ弾が効かないとはいえ、それはいつもと比べればという話であって、有効な攻撃手段であることに変わりはない。そう簡単には傷つけられないオーク鬼相手なのだ。砲兵にはつるべ打ちに撃ち込ませるしかない。

「増援だ!メイジ達が来てくれたぞ!助かった。」

「馬鹿野郎!後ろを見ろ!そこに、オーク鬼が!?」

「ああ、畜生!」

気の進まないことに、救援で気が緩んだ兵が、オーク鬼の剛腕によって盛大に吹き飛ばされる。それに動揺した兵士が数人辛うじてオーク鬼のこん棒をすれすれのところで回避するが、とてもではないが、長く持ちこたえられそうにもない。

「槍兵、一個分隊つづけ!」

「はっ、槍兵続け!詠唱の時間を稼ぐぞ。」

槍で距離を取り、そこをメイジと投射武器で駆逐する。この基本戦術に持ち込めずに乱戦を続ければ、崩壊しかねない。

忌々しいが、何としても、引きはがす必要がある。

「むちゃくちゃだ。生き残ったら給金を盛大にもらわないと割に合わん。」

「全くだよ。これが終われば、引退させてもらいたいものだ。」

兵の愚痴に指揮官すら全くだ、と内心では同意しつつも、戦場を見渡し、盛大に舌打ちしながら給料不相応に働く。

「少尉!もう一個分隊よこせ!」

側面の圧力が増大しつつあるため、このままでは、側面が持ちこたえられそうにない。一応拮抗状態にある正面から一個分隊を抽出し、側面支援に回すことを決断する。

当然、正面担当の小隊長は泡を吹きながら、反論し、公然と抗弁してくるが、何としても飲ませるしかない。

「これ以上引き抜かれたら、槍衾が維持できません!」

至極もっともな言い分だ。

「抜けた部分は軽装歩兵で対応しろ。側面がこの近距離での混戦では、まともに支援もできん!」

だが、側面が崩されるわけにはいかんのだ。

やりくりできる範囲は、ここにしかない以上、彼には苦労してもらう。部下に最大限苦労を要求するのは、上官の特権だ。まあ、自分の上官から酷使される義務も持つのだが。

「糞ったれ!出します。出しますが、今度、小隊全員に奢っていただきますよ!!?」

「生き帰れれば、小隊どころか、中隊全員に奢ってやる!」

「聞いたなぁ!?貴様らぁ!辺境伯軍の意地を見せろォ!」

ああ、これは生きて帰れれば、部下の飲み代で破産するな、と楽観的な未来を予想。その時は、生きて帰ることができるのだから、部下の飲み代くらいは払ってやる気分だろう。

一番現実的な未来は、全滅した中隊の生き残りで晩餐会だ。或いは、開こうにも、自分が戦死者になっている可能性低くはない。

悲観的に考えれば、飲み会の約束を覚えているものは、皆別次元の存在になっていることもありかねん。

「畜生、畜生、やってやる、やってやるぞ!」

幸いというべきか。死地に追い込まれたがゆえに大隊は辛うじて、奮戦している。

何事もよいことを探してみるものだ。全滅寸前とはいえ、崩壊しないのは、逃げ場がないと悟れたからだ。とはいえ、こんな戦い方が長々と続けられるわけもない。

「よし、直撃だ!」

弾が乏しくなってきたのだろう。時折、普通の焼玉が砲撃に混ざり、それが直撃したと思しきオーク鬼が吹き飛ばされオーク鬼達の後ろに隠れるが、のっそりと起き上ったかのような動きを見せる。

「おいおい、今のは直撃だぞ?さすがに、それはないだろう。」

「いや、確かにあのオーク鬼は死んださ。だが、見ろ!」

「仲間を盾に!?ああ、まったく何たることだ!この眼で見ても、信じられん。」

横たわったオーク鬼の死体を、オーク鬼が担ぎ、盾のようにして、進撃してくる。大凡、想定外どころか、予想の斜め上もよいところだ。こんなオーク鬼の相手など、記録にある限り、絶対にこれが初めてだろう。もしも、酒場でこのことを語られたとしても、自分で経験しない限り、絶対に信じられないに決まっている。

「怯むな!オーク鬼なぞ大した敵でもないのだぞ!」

「何処がです!?こうも大量の軍隊どころか化け物じみたオーク鬼なんて、無理難題もいいところだ!」

全くだ。こんな連中がオーク鬼だというならば、これまで討伐したオーク鬼はいったいどれだけ不抜けたオーク鬼だったというのだろうか。どちらにしても、驚くしかないオーク鬼生態の多様性だ。ヴィンドボナのアカデミーに寄稿すべきかもしれない。

いや、そもそも本当に自分達が戦っているのは、オーク鬼なのだろうか?

「中隊長殿、大隊長が負傷されました。ただちに、指揮を引き継げと。」

埒もない考えは、すさまじい現実によって急速に引き戻される。

「大隊長が!?」

「ほぼ昏睡されています!」

「無理を言うな!第二中隊長に引き継がせろ!」

こっちは第三中隊だ。面倒事は、えらい順番に処理することになっているはずだろう。それに、大隊長は貴重なトライアングルだ。これが戦えなくなるともなれば、歩兵主体の大隊は貴重なメイジ要員を失うことになる。

なんたることだ!

「ハインツ中隊長殿は、すでにヴァルハラです!!」

「ああ、畜生、残存戦力は?」

「大隊の半数は喰われました!詳細は不明です。大隊長殿は撤退命令を出されています」

天を仰ぎたいとはまさにこのことだ。大隊の戦力は半減。上級将校は自分以外、リタイア。つまり、大隊のメイジはほとんど、自分が最高位ということになる。杖が妙に重く感じられて仕方ない。おまけに、敵は、オーク鬼らしからぬ統制と強靭な戦意を見せつけてくる。撤退に異論はないとしても、これはあんまりだ。

後始末だけ押し付けられた気分とは、きっとこのことに違いない。

「それだけ知れば、十分すぎる。撤退だ!とっとと撤退するぞ!」

もちろん、誰だって撤退できるなら、素直に逃亡しているだろう。

兵が奮闘しているのも、逃げ場がないくらいに包囲されているからこそだ。まあ、一番手薄な後方を突破して、とにかく後退するほかにないだろう。運がよければ、派遣した龍騎士の伝令が増援を引き出しているかもしれないし、だめでも本隊に近づけば支援が期待できる。

「で、素敵なダンスのお誘いを断られたオーク鬼達のお相手は誰が務めるのですか、中隊長殿。」

「もちろん、貴様らだ。死ね。ここで死んでくれ。嫌なら、生還してくれても構わん。」

正面、かつ信頼できる部隊を殿に残す以上、自分の部隊しかない。そして、残存している小隊の中で一番まともな連中が貧乏くじを引くことになる。どのみち、中途半端な部隊を選出すれば、もう一度殿軍を設定する羽目になるのだから、一度で済ませたほうがよい。

「オーク鬼の増援です。さらに、50以上のオーク鬼がこちらに!」

「むちゃくちゃだ。あんな奴らを相手にしろと!?」

よく、兵士に死ねと命じるし、上官から死ねと命令される事はある。だが、それは、極端に言ってしまえば、死ぬかもしれないという程度である。今回の其れは、あるいは、生き残れるかもしれないという程度の確率だ。

誰だってそんな命令を歓迎できるほど戦争を愛してはいない。愛しているやつらがいるならば、今すぐに、一切の躊躇なく、即座に交代してやる。

「わかっちゃいるが、じゃあ黙って喰われたいかこの野郎!」

「そんな、訳が、ないでしょう!」

「じゃあ、黙ってさっさとオーク鬼を殺せ。」

「やってます、すでに十分以上にやっていますよ。」

すでに時間間隔が曖昧になるほど、オーク鬼と殺し合っているのだ。まあ、討伐の報奨金で言えば、下手な貴族の一年分以上の報奨金が出されても不思議ではない規模を討伐している。

「それならば、報奨金は期待してくれて構わんぞ!」

「墓場で使い道を考えるのは、御免蒙りたいものですが。」

「なら、生き残れ!一応、最後尾の脱出までは、退路を確保する!」

自分の部隊だ。できることならば見殺しにはしたくない。殿軍において、磨り潰すことは本意であるはずがないのだ。

だが、全体の生存を考えると、できる限界がある。

「確約してください!」

「すまんが、無理だ!なるべくとしか言えん!」

「糞ったれ!!」

「手際良くやれば或いは、何とかなるやもしれん。」

一応退却のルートはできる限り確保するつもりではあり、確保できれば、維持し続けるつもりだ。とはいえ、これほどの数の差を相手にすれば、一本の退路を確保する事さえ、相当な圧力に直面せざるを得ないだろう。

「やるだけやりますよ!」

「すまんな。」

「では。」

「よし、分隊、退路を確保するぞ!」

とにかく、包囲網の弱いところを破るためにも、メイジの力を存分に必要としている。全く、精神力が果てしなく底をつきそうだ。かといって、ぐずぐずしていれば後ろが文字通りに全滅していしまう。

責任重大ここに極まれりというところだ。

「槍衾が突破された!乱戦だ。総員、剣を取れ!杖を握れ!何としても、生きて帰るぞ!」

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あとがき

前回予告いたしました趣味ですが、後日になる予定です。
オーク鬼は個体戦闘力が戦士5人です!
つまり、オーク鬼の軍隊は、同数の軍隊の5倍近い戦力が期待できるのです!

状況は以下の通り。
Kさん:オーク鬼の跳躍跋扈する恐怖のトリステイン戦線従軍中
Tさん:労働基準法真っ青な非合法活動に従事中
Rさん:アルビオン大陸から、結婚式で詠みあげる小道具一式が搬送されているようです。
Bさん:魑魅魍魎が笑顔を浮かべる外交の結果、従軍中。
Mさん:どうやら、ロマリアで許しがたい犯罪行為を働き、敬虔な聖職者を歎かせているようです。



[15007] 第八十七話 彼女たちの始まり8
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/06/03 21:59
幸か不幸か、彼女は有能だった。

運良くか、運悪くかは不明だが、彼女はコクラン卿の副官となり、ついでにヴィンドボナの意向を体現する査察官でもあった。

偶然か、必然か、彼女は大量の仕事を押し付けられていた。

それを処理できる程度には有能であり、それを任される程度にコクラン卿より信頼され、それによってヴィンドボナから嫌疑をかけらない程度には政治的中立性を有していた。

だから、彼女は他の誰もがうらやむような栄達ではなく、たった一日の休暇を欲してやまないという悟りの境地に至ったのである。

各国列伝 ゲルマニア章、人物伝、ミス・カラム




当時、私は重コルベット『ライネ』の熟練水兵として従軍していた。

そして、あの日、私達は北部で補給中だったと記憶している。なにしろ幸いにして、蜂起したアルビオン亡命貴族らをゲルマニア艦隊は粉砕。色々と上は悩んでいたようだが、私達水兵は、勝利を素直に喜んでいた。少なくない恩賜金を手に、北部の新名産として名高い果実酒を飲み漁り、憲兵とじゃれあう日々となんら変わりない一日だったと思う。

まず午前中に艦隊司令長官のコクラン卿が、狩猟のために外出し、行政官のミス・カラムが激怒されて補給担当者の胃袋が全滅寸前になったと聞く。昼食は、新鮮な野菜と豚肉が出される。まあ、アルビオンのお貴族さまから分捕った戦利品が腐ってしまう前にという艦隊司令部の心遣いらしかったが、実にすばらしい。

半舷上陸のために、ごそごそと準備し、いざ外出。

支給されたマスケット銃は悪くはないが、良くもないので、武器屋でも巡ってみるかと思っていたところ、砲兵の連中から面白いことを耳にする。なんでも、コクラン卿が変わった銃を鍛冶師達に開発させており、その出来栄えと言えば素晴らしいほどだと。

まあ、駄目でもともと。取りあえず、私用の消耗品を買うついでにその開発された素晴らしい銃とやらを拝みに行こうと思ったのが、転機だった。海の物とも山の物ともわからない銃の開発はともかく難航。おまけに、艦隊の消耗した大砲の製造やら修理やらで工房は修羅場である。そんなところに、興味半分で訪れようものなら捕まって、扱き使われるのが落ちだ。

おまけに、艦隊で補修なり修繕の経験があったことが祟った。何でも、艦隊が射耗した兵器の代替を必要としているがために、人手不足状態の工房へ属だとその場で決定されてしまう。当然ながら、助手として火の管理を行い、薪を入手し、ついでに雑用を任されるという具合だ。

本来、艦隊が寄港中はある種の時間的ゆとりがある。それは、こまごまとした所用はあるにしても、フネというのは停泊している時にこそ、余裕があるものなのだ。せっかく上陸するのだから、羽を伸ばそうと思いきや、好奇心に身を任せたばかりにこのような次第になってしまいほとほと私は後悔した。

ダンドナルドは、北部随一の発展速度を誇る大規模な艦隊寄港地でもあり、歓楽街やアルコールの品質が実にすばらしい。そして、懐には先ほどの戦闘で得たばかりの恩賞金が大量に眠っている。本来であれば、戦友たちと盛大に騒ぎ、命の洗濯を行うところなのだ。それが、迂闊にも余計な仕事を拾ってくるとは!

初年兵ですらやらないようなへまをやらかしたとしか、言いようがない。しかも、工房は不眠不休体制で稼働しているときた。まあ、それは当然で、さきほど我々が盛大に浪費した武器弾薬を補充せねばならないのだから当然ではある。当然ではあるのだが、自分の手で作るのを手伝わされるとなると、景気よくぶっ放してしまったことが実に悔やまれてならないでいたものだ。

だが、幸いにも、というべきか。役得が皆無だったわけではない。一応、新品のカトラスに、最高品質の火打石を使った銃を入手することができた。さすがに、工房で直接受け取ると、普段使っているやつよりも、良いやつが入手できる。まあ、ダンドナルド軍廠は比較的中抜きや不正が少ないのか、劇的な差はないようだが。実際、様々な軍廠を見ているが、ダンドナルドはかなりまともな方だと思う。

ああ、そうそう。一応、見学しようと思っていたコクラン卿の銃とやらも見られた。まあ、試射に立ちあうハズだったのだが、コクラン卿が飛んできたミス・カラムに引っ張って行かれたためか延期になったので結局どういうものかは、よくわからなかったが。

名もなきゲルマニア従軍兵士記録集 ある水兵の回想より



まただ。

長い執務室までの廊下の静寂を破る足音。それが礼儀作法を無視し足音を高らかに響かせながら、急速に迫ってくる。

この足音を聞いて、良かった知らせがもたらされたことがない。

「ミス・カラム!伝令です!」

「伝令?用件は。」

扉をあけるなり、慌て顔を見せる当直士官にももう慣れた。次の言葉も大凡予想がつく。大方、緊急を要する連絡で、すごく面倒で、しかも気が抜けない知らせにきまっている。そうでないならば、今すぐに始祖に自身の予想が外れたことに対する感謝の念をささげてよいくらいだ。

「ヴィンドボナより至急報!コクラン卿に御取次ください!!」

ああ、やっぱりか、と素直に思う。もう手なれたものだ。即座に居合わせた従卒を使って上司の所在を確認。今回は、執務室からさほども遠くない工房でおもちゃをいじくりまわしていたらしい。

即座に、執務室へ丁重にご案内し、ヴィンドボナからの伝令がもたらした知らせを丸投げする。

「なに、至急来援せよ?」

「はっ、ヴィンドボナ経由でタルブ方面より至急と。」

こんな時、ヴィンドボナからの連絡に眼を通す権限が与えられていることが恨めしい。知らなければ、機密保持だの、慮ってだの理由をつけてここから逃げ出せるはずなのに。昔は、中央で活躍することこそ貴族の誉れと思っていたが、父が中央から逃げ出した理由がよくわかる。

とにかく、政治という物は魑魅魍魎だ。近づきたくないし、ましてや、巻き込まれたいとも思わない。なにより、いい加減に休日が欲しいところだ。

「定期の公用便でか?」

来援要請ならば、定期の公用便がムーダの寄港に合わせて常に送られてきている。それに連動する形で、こちらも艦隊の整備を行っているだけに、定期の公用便で送られてきたならば、ごくごく普通の連絡だろう。

戦局は確かに難しいが、しかし可及的速やかな来援を必要とするほどではなかったのだから。

「いえ、緊急用の龍騎士を使った模様です。」

「・・・タルブからヴィンドボナ経由でダンドナルドまで?」

「はい。そのようです。」

だが、タルブから、ヴィンドボナまでわざわざ龍騎士を使い、さらに帝都がそれを龍騎士で中継するとなれば、重要度、或いは緊迫度も別物になる。

緊急の連絡網を使うにふさわしいという判断が為されたということは、言いかえればそれだけ面倒な事態が起きているということなのだ。

「ミス・カラム」

「なんでありましょうか?」

ああ、私には、嫌な予感しかしない。

「貴女も知ってのように艦隊は全力で整備中だ。それでもなお、動かせと?」

「・・・ヴィンドボナ経由ということは、少なくとも上が通したということです。」

こんな時、自分の立場が恨めしく思えてくる。閣下から命じられたことはコクラン卿の補佐と査察という名のメッセンジャーだ。どちらにも、報告し、あるいは要請を事細かに伝える義務がある。

成功すれば、私にもなにがしかの恩賞が将来はあるのだろう。それは、実力主義というか、仕事が人材よりも多いゲルマニアなのだから、確実に間違いない。だが、しくじれば一族没落。杖を片手に前線に立つ方がよほど気も楽だし、ストレスも発散できるだろう。

「早期の戦線復帰を望むということか。しかし、妙だな。」

ああ、上司にとっての嫌な情報を差し出すことほど、宮仕えでやりたくないことはない。

「連中、トリステインの間抜けなら我らだけで十分と豪語していたはずだが。」

「こちらを。」

「戦闘詳報?・・・オーク鬼だと。」

信じがたいことに、旧トリステイン王国領土内にて、オーク鬼が軍団規模で蜂起。統制を保ったまま、各地でゲルマニア軍に襲いかかるという報告が寄せられたのがつい先刻。信じがたいことに、亜人が隊列を為して、進軍してくるのだ。

辺境開拓に携わったことのあるものならば、ばらばらの亜人ですら厄介なことをよく理解している。ましてや、それが統制され、進軍してくるともなれば、下手をすればエルフの軍隊並みに厄介だとすぐに理解できる。

「はっ、すでに尋常ではない損害を出しているとのことですが。」

「あのような連中は、森ごと焼くべきだな。まともに相手にするのは馬鹿馬鹿しすぎる。」

「確かに、火は有効でありましたね。」

思えば、新領の初期に、亜人を大量に森事焼き払ったことが名案だったように思えてくる。木材は貴重な収入源であるし、なにより普通は権利の問題で誰も思いつかないが、まあ今となれば、結果的には良策だったとすら思えてならない。

「ああ。いや、だがそれは開拓地域に限った話か。なるほど、平地で相手にするには嫌な相手ということか。」

「加えて、叛徒の動向があまりにも不明瞭です。増援が渇望されるのは当然かと。」

今回の戦争は、私の眼から見てすら異常だ。

一体、何が起きて、何が起ころうとしているのだろうか?

「ヴィンドボナの見解は?」

「混乱しているようです。」

伝令の龍騎士すら、ヴィンドボナも良く事態が理解できていないようだと言っていた。相当に混乱しているのだろう。下手をすれば、事態はこちらからの伝令が届くころにはさらに、事態が一変しかねないだけに、難しい。

いや、正確に言うならば、難しい判断するのは上の仕事だ。ただ、問題なのは、決断するのは上の仕事でも、決定された無理難題に対応できるように手配りしなくてはならないこと。万事が万事手ぬかりの無いように手配するのは、過酷な仕事量になる。

「だろうな。すまないが、気の利いたものを派遣し、ヴィンドボナの商会に接触させてみろ。」

「はっ。」

また仕事が増えるのか、と心中では嘆息し、表面にはもはや動揺一つ示さなくなったことを成長と思うべきか、それとも疲れてきたと評するべきか悩みながらも、手はずを考えている自分に気がつく。

さしあたり、次回の定期航路に乗せればよいだろう。早めに人選を行っておくべきか。情報集ということを考えれば、多少頭が回り信頼できる人間に限るが、そんな人間は限られているのだ。

ああ、頭が痛い。

「しかし、トリスタニアが焼かれるとは。こんなことなら、歴史的価値があるものは回収しておくべきだった。」

「全くです。」

「次からは、保護するためにも回収を指示するとしよう。」

「わかりました。」

どこかずれた上司の感覚に、まあ、そういう考え方もありかと、受け止める。確かに、焼いてしまうのならば、ゲルマニアが回収し、ヴィンドボナに展示して戦利品を誇示したほうがいくばくか有益だろう。

「それにしても、連中、亜人を艦隊で砲撃しろとでも言うのか?」

「そのおつもりだったのでは?」

どうやら、本題に戻るらしい。それにしても、随分と気乗りしない様子。艦隊で亜人への砲撃ともなれば、前回森ごと亜人を焼くときにもやっているはずだが。

そういえば、あの時はまだ手配することが乏しくて、今にして思えば、随分と楽だった。杖を手に、焼き払いたいと思う衝動に駆られる事も今に比べれば、随分少なかったのだから。

「軍団規模の亜人相手にまた砲撃戦を繰り広げろと?」

「っ、なるほど。また、すぐにこうなるわけですね。」

ああ、なるほど。確かに、挑発や、誘導ではなく砲撃で決着をつけるとなれば、すさまじい規模で弾薬を消耗する。それこそ、今のように一度の砲撃戦で搭載している弾薬を全て使い果たすほどに。

そうなれば、艦隊はまともな戦力とは程遠い単なるフネの集団にすぎない。そして、砲弾や火薬はそう簡単に補給できる類のものでもない。

「そういうことだ。現在の兵站ではあまりにも負担が重いぞ。」

「タルブには工廠がありますが。」

整備計画通りだとすれば、そろそろ稼働していてもおかしくない。情勢の緊迫を鑑みれば、最低限の機能は発揮しているはずなのだが。

はて?

「言いたくはないが、あそこの供給能力は戦隊規模が限界だ。主力艦隊は一時的な収容程度しか想定されていない。」

「・・では、戦隊規模の先行派遣を。」

仕方がないが、ヴィンドボナの意向は即座の増援だ。戦隊規模だけでも派遣してもらう方が、前線としてもありがたいだろう。

「其れは構わない。だが、承知のように整備が完了しているのは、コルベットを中心とする快速の部隊だ。」

「先行派遣部隊としてみた場合、最適では?」

一見、増援が到着するのが速いに越したことは無いように思えるものだが。コルベットならば、少数とはいえ陸戦部隊と龍騎士隊を搭載する余力があるし、なにより足が長いために補給で手間取る心配が少ない。

このような情勢下において、速やかな増援という観点を勘案すれば、コルベットの先行派遣は適っているとすら思えるのだが、何故上司が躊躇というか、忌避感を示しているのだろうか?

「微妙だ。アルビオン系の戦隊は重戦列艦を含む一線級の部隊だと聞く。支援を考えれば最低限フリゲートは出したい。」

いや、確かに仰る通りです、とは思う。実際、重戦列艦を含む部隊相手にコルベットでは逃げるだけでも困難だろう。重戦列艦にはある程度の護衛が同伴するのが当然で、一定以上の龍騎士を乗せているのは簡単に予想できる。

コルベットの龍騎士が、片道伝令と酷評され、コルベットだけ沈むと歎かれるほどなのを思えば、速度で劣らず、戦力として龍騎士には対抗できる程度のフリゲートを部隊に含めたいのも、まあ理解できる。

「無茶を仰らないでください。一番状況のよいルートヴィカでさえ、あと1週間は必要です。」

だが、それだけ使い勝手のよいフネが、つい先日あった激戦の後で万全の状態あるほうがどうかしている。始祖の恩寵がひとえに恵まれていたのか、運が良かったのかは定かではないにしても、一番状態の良好な『ルートヴィカ』でさえ、通常の規定ならば一週間程度の整備が必要だ。

「状況は?」

「風石の積み込みは完了しましたが、弾と火薬が不足しております。」

幸か不幸か以前風石の備蓄が、トリステイン軍のメイジに吹き飛ばされ深刻な風席不足に陥ったため、北部では風石の備蓄を積極的に推進している。並行して、分散配置し、固定化を念入りに行った倉庫も建築しているために万全の体制と言えるが、悲しいまでに費用がかかるとも言う。

・・・実家では絶対真似できない規模で資金が投じられており、それを書類一枚で動かせるのを見るのは、少しばかり複雑な気分となるものだ。

まあ、それはともかく、弾薬の不足は実際深刻だ。

「他の備品を廻せないか?」

ああ、集中配備命令が。

もちろん、私だってそれくらいは検討しないわけではないのです。

「検討はしましたが、弾薬、特にフネの砲弾不足はそもそも絶対量の問題です。」

まだ、銃用の弾丸は調達できるし、工廠の在庫と新規製造分と合わせれば、一応の形にはなる。メイジも精神力が回復すれば戦力化できるだろう。だが、さすがに、砲弾は鋳造するにしても時間がかかる上に、大砲の修繕と合わせて工房の作業量は限界だ。

「例の新型なら余っているはずだ。」

「本気ですか?あれは、射程が短すぎます!」

短射程かつ破壊力重視。とにかく、撃ちあうことを前提とした大砲。

そういう売り込みで、工廠が開発した砲が実は北部の倉庫には眠っている。もちろん、何処の国も採用したことの無い新型だ。

まあ結局艦政本部の了承を得られず、お蔵入りとなった代物であり、所謂不良在庫だともっぱら認識していたのだが。

「だが、艦隊戦は現状近接戦だ。殴り合うならば、強いに越したことはない。」

「其れはそうですが。」

「なにより、対地支援と見た場合、亜人どもには有効だろう。」

まあ、確かにあれは破壊力だけはある。下手なメイジの魔法攻撃並みだろう。通常の大砲よりも射程が短く、メイジの平均的な射程よりも長いというあたりに、中途半端さを感じざるを得ないのだが。

「では、全砲門を換装されるおつもりですか?」

「いや、10門だけだ。残りは、艦隊からかき集めて、今日中に出撃態勢に持ち込め。」

さすがに、全砲門換装とは至らず安堵しかけるものの、冷静に聞けば、今日中にルートヴィカの破損砲10門を撤去し代わりに重量砲を同数搭載する作業を行わねばならない。

「むちゃくちゃです。」

「だが、やってもらおう。」

上司の特権を一つだけ廃止することができるのであれば、私は部下に無茶を命じる権限が欲しい。そうでもなければ、私も部下に無理を命じることもないのだろうし。



公式には、ゲルマニア・トリステイン(実質アルビオン)の境界線は明瞭に引かれていることになっている。もちろん、封建的契約上、契約していない貴族の領地が何処に帰属するかという実に厄介な問題が存在するのだが。特に旧トリステイン王国貴族の動向にゲルマニアが頭を悩ませる中の筆頭であるヴァリエール公爵家なぞ、まるで半独立国の様相すら見せている。

なにしろ、公職から退いた隠遁生活で、後継者問題を抱えているにも関わらず、弱体とはいえ、往時のトリステイン王政府に公然たる影響力と拒否権を有していたのだ。当然、情報に敏感であるし、警戒も怠ることはない。しかも、軍事的に潰すとなると面倒な相手。

なにしろ、軍事力で言えば強力なメイジにそこそこの規模と練度の兵隊を備えている。ゲルマニアとの国境紛争で小競り合いを散々経験し、ある程度以上の実戦経験もある上に、規模も大きく、かつ政治的に厄介な存在なのだ。ゲルマニアにしてみれば、中央集権の一環として取り込み、取り潰したいが、そう簡単に潰せる相手でもない。

まあ、かといって現当主はトリステイン王国のむちゃくちゃにつきあったり、滅びかけた祖国に殉じるという滅びの美学には一線を引いているので、どうにも扱いに困る存在なのだ。もちろん、こういった家が生き残るためには、多くの苦労が人知れず払われているものである。

例えば、ゲルマニアが捕虜にした娘を無条件で解放してよこすという親愛のメッセージに見せかけた分断工作を仕掛けてきた時など、相当苦労した。絶対に利己的に見られるような行動を慎みつつ、親ゲルマニアと断じられたり、取引したと見られたりしないように、慎重にも慎重を期した上で、なんとかしのぎきっている。


「何、トリスタニアが炎上はゲルマニアではない?」

「はっ、詳細は定かではありませんが・・・。」

そうして、一族郎党を束ねて導いてきた公爵はトリスタニアにおいていた密偵から情報を得るところとなっていた。彼にしてみれば、リッシュモンも気に入らないが、かといって蜂起した連中に賛同する気にもなれない。

ゲルマニアと全面戦争に突撃して凄惨な戦争を戦い抜くよりも、アンリエッタ王女殿下の王位継承と同時に、ある程度の領地でもってトリステインをアンリエッタ王女殿下の第二王子あたりにでも継承させる方が彼に言わせれば、よほど現実的だ。

それに加えて、トリスタニアの炎上。

まだ、詳細は聞こえてこないが、どうもゲルマニアが焼いたという風聞が飛び交っているが、実態がつかめないでいるところにゲルマニアの蛮行を糾弾する書状が送られて、味方せよと迫れているところなのだ。この知らせを深く考えると、やはり碌でもないことしか思いつかない。

「いや、よくぞ知らせてくれた。他に解っていることは?」

「ゲルマニアはだいぶ後退しているようです。タルブで来援を待つとも。」

「それは、驚きだな。それほど、ゲルマニアが押されていると?」

正直に言えば、ゲルマニア軍の実力は、通常のトリステイン軍よりも上だろうというのが、どちらの軍隊にも通じている公爵の見解である。メイジ戦力こそ、トリステインに分があるものの、それは比率の問題である。

トリステインの100人に10人がメイジであったとしよう。ゲルマニアがこの半分の5人の比率だとしても、1万人対2万人ならばメイジの数は互角なのだ。極端な質的優位でもない限り、ゲルマニアは手強い相手であると見なして構わないだろうと彼は考えている。

そのゲルマニアがかなり苦戦しているという知らせは、彼にとってはかなり驚きに値するものだ。それについて考え、さらに問いかけようとした時、思いもかけない乱入者によってそれは中断された。

「トリスタニアからの使いですって!?戦局は?なにが、どうなっているの!?」

誰か召使にでも、来客中と聞きつけたのだろう。わざわざ人払いをそれとなく命じたのが災いして、誰にも制止されなかったと思しきルイズが、扉を跳ね開け、飛び込んでくるなり、トリスタニアにおいていた密偵に飛びかかるようにして質問を浴びせかける。

辛うじて、男はルイズを抑えつつ、こちらに助けを求めるように答えるべきですか?と眼で効いてくる。

「いえ、そのまだ、はっきりとしたことは。」

「ルイズ、」

その眼で訊ねてくる男に絶対に応えるなと、否定の意味を込めて強く頭を振る。そして、公爵は愛する娘に穏やかに注意を促すべく声をかけるが、質問の答えを欲してやまない彼女の耳には全く届いていなかった。

「あの野蛮な連中がどうなっているの!?」

野蛮な連中、まあ、ゲルマニアのことだろう。

ゲルマニアに拿捕されて以来、彼女のゲルマニア嫌いはいよいよ酷くなっている。公爵自身ゲルマニアに対して思うところが無いわけではないが、彼女のそれはやや行き過ぎているように思えるほどだ。

まあ、それについては、囮にしてくれたアンリエッタや鳥の骨にもいろいろと言いたいことがあるのだが。

「はっきりとしたことは、何とも。」

何とかしてくれ!と眼で訴えてくる男の要請に応じて、なんどかルイズに呼び掛ける物の、彼女自身がどんどんヒートアップし、もはや激昂に近いほどだ。

「トリスタニアを焼いた連中と聞くわ。何をするかわからないもの。備えておかなくては。教えてちょうだい!」

「まだ、そうときまったわけではありません。」

確かに、世間ではゲルマニアが焼いたのではないかとも噂されるものの、それはまだ噂に過ぎない。貴族、それも大貴族の令嬢がそうそう信ずべきでもないのだが、ゲルマニア憎しに染まった彼女は、さもありなんとあっさり信じ込んでしまっている。

公爵にとっては、これもまた頭痛の種だ。一体どこで教育を誤ったのだろうかと、本当に頭を抱えたくなる。かといって、カリーヌに相談しようものなら、また事態がややこしくなりかねない。

「いいえ、そうにきまっているわ!逃げ出すだけじゃなくて、火をつけていくなんて貴族の誇りもないゲルマニアの仕業よ!」

だが、これ以上は見過ごせない。正直に言えば、ルイズには政治的な事柄も含めて、教育しなおしておく必要があるとすら思えるが、今は、ともかく何が起きているかを慎重に検討しなくてはならない。

言い換えれば、子供のわがままに付き合っている余裕はないのだ。

「ルイズ!下がっていなさい!」

遂に、耐えかねて一喝する公爵。だが、彼の愛娘は、それに憤懣ただならぬという表情で、喰らいついてくる。

「嫌よ!ゲルマニアがトリステインに土足で上がり込んでいるのに、お父様こそどうして!?」

「子供は黙っていなさい!」

「いいえ、黙りません!お父様、今日こそ伺わせてください。何故、公爵家がゲルマニアの支配に甘んじておられるのですか!?」

支配に甘んじる?

そうならないように、こうしているというのに、彼の気持ちは全く理解されていない。彼の娘は何れも聡明だが、悲しいことにルイズは戦争に参加させられて以来眼を曇らせている。聞くところによれば、ゲルマニア軍人に現実離れした説教を行って、嘲笑われたことが原因らしいが、それにしても、ルイズは変わってしまった。

確かに、ヴァリエール公爵家は、ゲルマニアに隣接し、常に軍務についてきた。当然、ゲルマニアに対して含むところがあるのは言うまでもないが、多分に宣伝の要素で批判する主張も含まれている。だが、ルイズは、純粋にも全てを信じ込んでいた。

もちろん、彼にしたところで、いずれは誤解を解くつもりであったし、そもそもそう言った類のことは成長するにつれて現実的な考え方をするに至るだろうとは思っていた。ただ、不幸にも、彼女は思いこみ通りの傲慢不遜の成り上がり者であるゲルマニアというイメージを固定化してしまったのだ。

優秀なのだが、彼女はかたくななのだ。一度思いこんだことを解きほぐすのは極めて気が重い。

「何を馬鹿なことを!」

「では、王家のために杖を掲げてください!」

娘は、貴族精神を額面通りに信じ込んでしまっている教条主義者だといったところで公爵にしてみれば、現実離れした高貴な精神は、現実の前に容易に押しつぶされるのが眼に見えている。

なにより、ゲルマニアに服従しないように様々な努力を払ってなお、娘はいつもゲルマニアに対する挙兵を求めて止まない。アンリエッタ王女に友情を感じるはよい。人として、友人を大切にするのもいいだろう。

だが、それは私人としてであって公人として貴族が果たすべき役割の一線を越えてはならないのだ。

「ルイズ!!」

「っ、失礼します!」

そう言い残すなり、部屋を飛び出すルイズ。

後を追うべきか、いや、すべきではないな、と考えながら、彼は力なく椅子に座りこむ。全く、何もかも事態は悪い方向に動いているように思えてならないな、と彼は肩を落としつつ、すまなかったと言うように話の続きを促すことにした。



さて、タルブにて抗戦する見込みと評されたゲルマニア軍であるが、撤退という物は、片方がやりたいと思ったところで、そう簡単にできるものでもない。なにしろ、軍隊が出す損害の大半は、敗走時や、撤退の際に被るものだ。

当然、お互いにそのことはよく理解しているし、ゲルマニアにしても、最善を尽くして、施せる措置は施してある。特に、オーク鬼の進撃速度を勘案し、複数の撤退支援部隊を念入りに配置していることは特筆に値するだろう。

まあ、配置された彼らにしてみれば、たまったものではないのだが。命令とはいえ、渋々やっていては、餌食になってしまう。当然、真剣にことに望むしかない。そのために、ゲルマニア軍撤退支援部隊というのは、単純に言えば、突っ込んでくるオーク鬼を、全軍総出で歓迎するための存在になっていた。

「オーク鬼急速接近中!」

使い魔を使用し、警戒に当たっていたメイジ達がお客様の存在を感知し、ただちに歓迎担当者らにお客様の来訪を伝達する。最初の頃は盛大に不手際を露呈し、混乱に陥っていたゲルマニアであるが、さすがにこう何度も続くと、対応もだいぶ手慣れたものとなる。

「友軍の龍騎士を呼びつけろ!今すぐにだ!」

この局面において、龍騎士は花形どころか、大人気で各戦線からお呼びがかかっている。なにしろ、すぐ来る。戦力不足の部隊にとってはすさまじく重要なことであるが、連中はすぐに来援に駆けつけられるのだ。

故に、オーク鬼に接触した部隊は、まず何よりも先に龍騎士を呼びつけるようになっている。

「すでに、伝令が向かっています。」

「確認させろ!」

念入りに事態の推移を見守りつつ、歓迎の責任者である部隊長は、諦めと希望を交えた質問を使い魔と感覚を共有してオーク鬼を監視しているメイジに問いかけた。

「落とし穴は?」

駄目でもともと。まあ、全部回避されるわけではないので、労力の割に効果が薄いとはいえ、多少の効果はいまでもあるのだが、これまでほどにはオーク鬼に効かなくなった罠だ。

「駄目です。やはり、ほとんど迂回されています。」

「肉類を仕掛けた罠もか?」

驚くべきことに、従来までは費用のことを考えなければ、最もオーク鬼に有効であった肉類を餌とした罠でさえ、オーク鬼が回避している。本能の塊のような連中であるにも関わらず、餌に見向きもせずに、こちらに突進してくるとは!

まさに悪夢としか言いようがない。

「はい、見向きもしません。正直、ここまで統率のとれたオーク鬼など存在するのでしょうか?」

「なにがしかの、マジックアイテムの介在を疑うべきなのかもな。」

ちょっと考えれば、魔法の存在が浮かぶが、並大抵の魔法ではないだろう。其れはもちろん、心を操る魔法の薬とて無いわけではないが、禁止されているし、調べれば分からないこともない。だが、メイジならば、或いは可能かもしれないだろう。

とはいえ、ここまで行くと相当歴史ものの秘宝を連中が持ち出して来た可能性は無きにしも非ずだ。何故、今なのか、という疑問はあるにしても、ともかく尋常ではない脅威だというのは間違いない。

「案外、『高貴なることそれ以外に何物も価値の無いこと』がご自慢な連中秘蔵の秘宝やもしれん。」

メイジは血統を重んじるが、それにしても歴史的伝統だの、由緒だのをひたすら唱えるだけの無能はさすがに、辟易せざるを得ないという正直な呟きに対して、近づいてきた女性が同意の意を示すかの如く微笑みながら近づいてくる。

赤毛ということは、ツェルプストー家の赤毛だろうか?だとすれば、彼女はあの辺境伯に連なる女性ということだろうか?

「あら、面白いお話ですわね。」

「貴女は?ああ、いやその赤髪をみれば、お家は想像できるが。」

ゲルマニアの欠点は、貴族間の暗闘が激しい一方で、これと言った社交界がばらばらなことか。まあ、有力者の名前くらいは伝わってくるし、ヴィンドボナの魔法学校を中心にいくつかの共通の社交場は存在する物の、やはり成立過程が都市国家由来なために、地元に留まる傾向が強い。

そのため、部隊長にしても、赤毛=辺境伯に連なるもののか、位は連想できる物の、さすがに全てツェルプストー家の構成員を知悉しているわけでもなかった。

「あら、ご存じなくて?キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーですわ。」

「宮中でもあるまい。単刀直入に聞くが、そちらの部隊は?」

まあ、あのツェルプストーだ。メイジとしての実力は期待していいだろう。あの狂ったオーク鬼との交戦を考えれば、増援として彼女が来てくれたことは歓迎できる。奴らは、焼き殺しでもしない限り、めったに止まらないのだ。

「援軍、と言いたいところですが、部隊としては小勢。おまけに、弾薬はかなり消耗し、実質槍兵が少々、というところですわ。」

まあ、何処の部隊も装備が充実しているというわけではない。なにより、後衛集団の損耗はかなり深刻だ。一応、兵員こそ辛うじて充足している状況ではあるものの、大砲などの重装備は大部分が放棄されている。

幸い、彼の部隊先に後退した部隊によっては放棄されていた大砲を再装備することができた。ただ、一応手持ちの弾丸と合わせて、使えないこともないが、やはり砲弾のサイズが合わずに運用には苦労している。ブドウ弾に期待するしかないだろう。

「オーク鬼との交戦経験は?ああ、もちろん“あの”オーク鬼とだが。」

「右翼主力にて後退時少々。常識が通用しないことも、先刻承知。ほとんどの損耗もその時に。」

そして、増援部隊はあのインパクトある連中との衝撃的な出会いに混乱する心配も少ない。実際に戦闘を経験している事と、消耗していることを考えれば、槍衾の第二列として予備戦力にしておくべきだろう。

穴が開けられた時に、其れを防ぐことができる部隊があるのはありがたい。なにより、その部隊が、穴が開けられることの意味を真に経験し、理解している部隊であれば、彼らには信頼が置ける。

「結構。ならば、すまないが第二列で槍衾を形成してくれ。」

これまでの戦闘から察するに、十中八九彼らを投入することになるだろう。

従来までは、槍兵をとにかく広範囲に展開させ、槍衾で亜人一匹たりとも近づけさせないことが最善とされていたが、一撃で抜かれるのだ。方針を急遽転換し、密集気味に槍衾を形成してはいるが、やはり並みの戦士ではオーク鬼の突撃に粉砕されてしまう。

「メイジはどうしますの?」

「貴女は?」

聞いてくるからには、腕に自信があるのだろう。これは、最低でもラインは期待してよいのだろうか?

「これでもトライアングルでしてよ?」

「結構、主力として期待させてもらう。」

うむ、悪くない。彼女の年齢でトライアングルともなれば、予想以上の実力だ。これは嬉しい誤算と言える。

「大隊長!斥候がオーク鬼を目視!」

「数は!?」

メイジの使い魔を通じた偵察以来、数は120程度と予想されていた。まあ、歓迎する側としては、来客の人数を把握していなくては手ぬかりもよいところだろう。そういうわけで、彼としては極めて数を重視せざるを得ないのだ。

「事前情報通りです。約120かと。」

単純換算では戦士5人に相当するオーク鬼だ。600相当の歩兵がいれば倒せるのではないかと素人は考えるだろう。だが、実際に軍隊のように統率のとれたオーク鬼がいたとすれば、到底600では足りない。

なにしろ、5人がかりで、ようやく何人かやられて倒せるような亜人なのだ。

そんなのが、軍隊のように突撃してきた時に、はたしてきちんと一体に5人がかりで襲いかかることが期待できるだろうか?いや、そもそも、仮に倒せたとして、何人生き残っていることだろうか。

これは極めて深刻な問題であり、ゲルマニアにしてみれば、損害の回復にかなりの時間を必要とすることを覚悟せざるを得ない状況だ。傭兵にしても、人間相手ならばともかく、亜人相手となると勝手が違うだろうし、なにより踏みとどまって戦うよりも逃げ出しかねない。

まあ、徴募兵も同じような傾向があるが、まだ訓練された兵士はまともだ。まあ、その訓練された兵士が消耗して、補充の見通しが立っていないのでこのように悩んでいるのだが。

「・・・随分と、多いのですね。」

「まったくだ。迎撃用意!土系統が使えるメイジは用意を急げ!」

そこで、一つの解答として彼らが試行錯誤の末に思いついたのが、ゴーレムの運用である。

ゴーレムの材料はそこらの土や岩であり、補充には全く不足がない。加えて、ゴーレムは壊されようとも、別段魔力が残っていれば何度でも再生できる。もちろん、人間の兵士のように細かな動きは難しいかもしれないが、ただ突撃を喰い止めたり、ぶつけるだけならば、ゴーレムはかなり頑丈だ。

そして、ゴーレムは様々なオプションを搭載する事も可能である。

「野戦で攻城級のゴーレム?」

まず、攻城戦で使用するような中身が特性の巨大なゴーレムを複数生み出す。そのことに疑問を抱いたのだろう。隣で、見ていたキュルケが不思議そうな声を上げる。

まあ、確かに一見すれば無駄だろう。小さなゴーレムをより複数生み出し、盾にした方がよほど守りは固いのだ。だが、このゴーレム達は盾というよりも、秘密兵器に近い。

「よし、突っ込ませろ!」

命令に応じるようにゴーレムらが盛大に足音を響かせながら、オーク鬼に向けて突撃してゆく。全く驚くべきことに、オーク鬼は怯むどころか、散会して突撃を回避しようというはっきりとした戦術行動をとっている。

何度眼にしても、あまり信じがたいが、連中が戦術を使用しているのだ。

一度巨大ゴーレムに火薬を満載して突っ込ませた時は、散会されたおかげでさほどの戦果も上げられなかったが、今回はその反省を活かして、更に狡猾ともいえる罠を組み込んでおいた。

「一体何を?」

「歓迎のために、軽いもてなしですよ。まあ、ご覧ください。」

そう言った眼前で、オーク鬼らの直前に至ったゴーレムらが突然全身を崩壊させ、あたり一面に泥を撒き散らす。それも、単なる泥ではなく、粘性の高い粘土に近いようなものをである。言ってしまえば、この作戦ゴーレムの内側に詰め込み、それをオーク鬼の進路にぶちまけるというものだ。もちろん、わざわざぶちまけるのだ。粘土は油をたっぷり染み込ませており、それはよく燃えるだろう。

「ひょっとして泥と油を?」

「ああ、その通り。これで、少しは動きが鈍るはずだ。」

もちろん、直接ダメージを与えるには至らないだろう。だが、奴らの進路が泥まみれになった以上、迂回するにせよ、突破するにせよ、連中でも足止めにはなる。こうすれば、こちらの犠牲が出ない遠距離から一方的にオーク鬼どもを攻撃することが可能になる。

なにより、槍衾を形成する兵士の損耗もより少ないだろう。

「今だ!よし、上手くいった!連中、泥まみれだぞ!」

「動きが鈍っているぞ!好機だ!よく狙え!」

好機に乗じて、作戦通り弓兵が景気よく攻撃を開始する。弓兵は威力不足を補うために火矢を採用し、仮にハズしたところで、燃えやすい粘土に延焼する事を期待し、特に連射を促しているところだ。

「砲兵、良く狙え!」

「銃兵、撃ち方始め!」

景気よくと言いたいが、銃兵は二射目の装填に時間がかかるため、やや時間がかかる。砲兵はもっと深刻な問題として、遺棄されていたものと手持ちの砲弾の大半が一致しないために弾薬がほとんど不足している状況である。まあ、ブドウ弾は使用できるとのことなので、こちらはもう少し近接してからだろう。

「弾込め急げ!二射目用意!」

「槍兵、前へ!」

この時間的余裕を活用しないのは、もったいないにもほどがあるだろう。何より、兵にこれで倒せるという油断を持たせるよりも、いつ敵に対峙しなくてはならないのかと緊張感を持たせた方が安全だ。

「第二列を形成するわよ!続きなさい!」

呼応する形で援軍が展開。

しかし、眼前では盛大に燃えているとはいえ、オーク鬼は未だ大部分が健在だ。焼ける地面をものともせずに進軍してくる様は、まるでゴーレムのごとき無生物感すら感じられて、不気味の一言に尽きる。

「燃えているが、糞ったれ。連中完全には倒れんか。」

しかも、厄介なことに倒した先頭のオーク鬼の死体を盾に、残ったオーク鬼が前進してくる。いくら可燃性の粘土をぶちまけたといっても、すべからく焼きつくせるわけでもない以上、かなりの撃ち漏らしを覚悟せざるを得ないだろう。

「ええい、連中ばらけていて砲弾が当たらん。」

「次弾以降はブドウ弾だ!装填急げ!」

達の悪いことに、連中は分散進撃を常用してくる。

なにしろ、それでも逃亡どころか突撃を躊躇すらしないのだから、いくらでも活用できるのだろう。あんな軍隊があれば、どこだって征服できる気がしてならない。なにしろ、砲弾にせよ魔法攻撃にせよ、ほんの一部を吹き飛ばすのが限界なのだ。

「あの連中は、狂っているとしか思えん。損害をものともせずに突っ込んできやがる。」

誰かが呟くが、全くの同感だ。戦争は狂ったものだと教わってきたが、まるでこれまでの戦争が勝機であったかのように錯覚するほど、今回経験している一連の戦闘は異常極まる。本当に、意味がわからない。

「杖構え!」

「畜生、なんであんな連中と戦う羽目になったのやら。」

号令をかけるものの、部隊の反応が鈍い。参ったことに、ベテランのメイジほど厄介さを理解している上に、疲労から悲観に走ってしまう。

目の前には、もう魔法攻撃の射程に入ったオーク鬼らが今にも盾としていた仲間であるはずのオーク鬼の死体を放り投げて、突撃に移らんとするところだ。

大きな損害を覚悟せざるを得ない、と思った時だ。

盛大に一部が業火につつまれて、一瞬のうちに燃え尽きる。

「あら、いいことじゃなくて?ゲルマニア女の炎は何でも燃やせることを、証明してご覧にいれますわ。」

振り返れば、誇らしげに杖を掲げる何とも、魅力的な乙女。まったく、出来すぎだが、こういった時に部隊の士気を鼓舞してくれるならば、何だって女神のように見えることだろう。

「ほお、良いことをいう。確かに、オーク鬼とて燃やせば倒せる。」

わざわざ、演出をしてくれたのだ。これに乗らない手はない。

「おほめにあずかり光栄ですわ。」

「なに、いい女がいるのだ。ここで見せなくてはゲルマニア男児が廃るというものだな。」

本当に、彼女は最高だ。

役者としても大成するのではないかと本気で思うが、まずは戦乙女として天性の才能があると断言できる。次代の辺境伯は安泰だろう。これほどの女傑がいるのだ。曲がり間違っても、敵対はしたくないなとも思う。

まあ、ここは最大限活用させてもらう。

「中隊、聞いたなぁ!?ゲルマニアは男がいないと言われたいか!?言われたくなければ、覚悟を決めろぉ!」

調子のよい連中が、杖を掲げて呼応し、モノ申さんとばかりに盛大に魔法を詠唱し始める。それを煽りつつ、適度に目標を指示し、部隊を統制。我々は少なくとも、対抗はできている。これで龍騎士隊が間に合えば、撃退も可能だろう。

「・・・すまないな。」

「貸し一つですわよ?」

「ああ、生きて帰れれば、返すとしよう。」

少なくとも、できる限りの礼はするつもりだ。

軍功も推薦し、上申して恩賞が出るように計らうつもりだ。シュヴァリエ級は確定だろうが、個人的にはその上も申請しておくつもりだ。まあ、生きて帰れればの話だが。

最悪、簡易申請を書き記したものを最後の戦闘報告に残してもよいかもしれない。

「お互いにですわね。」

まったく気構えまで、この若さで覚悟している人物と出会うとは。

これが男だったら娘をやるところなのだが。

いや、あるいは、息子がいればぜひとも嫁にと希望するところなのだが。

まったく惜しい。さすがに、後を継がせるための娘にふさわしい人物かと思ったのだが、彼女は娘と同性だ。娘のよい友人にはなっても、夫とはなりえない。まったく、娘ももう少し落ち着いてくれれば、ましなのだが。

いや、今は無意味なことを考えるべきではない。

「何、援軍まで巻き添えにはせんよ。」

龍騎士が間に合わないなら、彼女らに最低限の書類を託して、戦場から離脱させるつもりだ。これほどの才幹をむざむざと、このような戦闘で失うつもりは全くない。

「あら、つれません事。」

ああ、まったく辺境伯が羨ましい。

次代がこんなにも将来有望とは。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

Bさんとは、ベアトリスさんですね。
タバサさんは、極めて真っ当なお仕事中です。

作者は複雑怪奇な欧州情勢は、意外と面白いのではないかと信じています。及ばずながら、再現できるように努める次第です。

※ロマリア・聖職者ポストの話。
ロマリア高位聖職者は権限たっぷり+役得たっぷり。
そして、悲しいことにこのポスト、数は限られているのです。
何たる悲劇。
ああ、上昇志向の強いロマリアの敬虔な方々は神に祈ります。
どうか、私が××さんのような職に付けますようにと。
そして、神妙に信仰心から寄進を施すとアラ不思議。
信仰が厚ければ、昇進できます!
残念ながら、信心が乏しかったり、行動が不足していると、悲しいことに災いが及ぶでしょう。

とか、考えてみたらどうでしょうか。

たまーにロマリアで政争モノ考えて、なんじゃこれと思ったりします。
教皇様の独り勝ちに至るルートが思いつかずにどうやってあんな中を勝ち抜いたのか本当に不思議です(-_-;)



[15007] 断章9 レコンキスタ運動時代の考察-ヴァルネーグノートより。
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/06/04 01:53
官房学、政治論ヴァルネーグノートより抜粋

権力構造と封建的契約に見られるゲルマニア戦役時の諸構造(レコンキスタ運動時代に関する考察)

所謂ゲルマニア戦役は、第一次トリステイン・ゲルマニア戦争と第二次トリステイン・ゲルマニア戦争からなる。

最も、この呼び方は通称に過ぎない。厳密には、第一次トリステイン膺懲戦役と第二次トリステイン膺懲戦役というのが、正式な名称である。(交戦国間のうち、トリステイン王国が何れも敗戦したため。ただし、外交上の儀礼から、各国は基本的には前述のトリステイン・ゲルマニア戦争と一般には呼称される。)

特徴的なのは、第二次戦役の複雑さと、そこに至る過程があまりにも奇妙なことである。

状況を整理しよう。

第一次トリステイン膺懲戦役において、ゲルマニアは手堅い勝利を収めた。これは、両国間の国力差を繁栄した単純なものであり、特に不思議なことはない。開戦の原因は、両国の偶発的な国境衝突が発展し、なし崩し的に本格的な武力衝突に至ったと考えられている。

背景としては元々、当時ゲルマニアで進行していた匪賊討伐作戦により、多くの空賊・山賊らがゲルマニアから脱出し、隣国トリステインに逃げ込んでいたことがあげられる。特に、国境を無視して越境しゲルマニア領を犯す匪賊に対するゲルマニア当局の意思は強固であり、越境し侵入してくる匪賊は断固討伐するという意思を有していたことが事態を悪化させた。

根本の原因は、ゲルマニアよりの匪賊流入をゲルマニアの挑発と見なしたトリステイン青年貴族らが、匪賊討伐中に気がつかずに国境線を越えて、警戒中のゲルマニア軍を匪賊の一党と誤って攻撃を加えたことであるが、ゲルマニア軍の反撃もまた躊躇が無かったために戦争に発展。

興味深いのは、両国の戦争に対する意識である。

ゲルマニア側は、はっきりと言って乗り気とは程遠い状態であった。もちろん、帝政ゲルマニアが平和を愛するとか、侵略を嫌うということはなく、彼らは立派な自己利益の追求者である。だが、それ故に、赤字必須と見なした(事実、この問題で最終的にゲルマニアは極めて高額の軍事費と多大な資金を無意味な整備・復興費用に投じることとなる。その額は、アルブレヒト三世をして、涙させるほどに至った。)。

ゲルマニアにしてみれば、純粋に赤字の戦争であるものの、開戦に至った以上全力で交戦すると同時に、この機会にヴィンドボナにとって邪魔となるような貴族らを上手くすりつぶすことを期待した傾向がある。最も、この計画は前提としてトリステイン貴族の一掃を必要としており、後述する有名なリッシュモン事件によって根本から変更を余儀なくされている。

一方のトリステインは完全に、初動が遅れている。辛うじて、傭兵を主力とした部隊を曲がりなりにも形成したのは特筆に値し、財務関係者の努力はもはや伝説にふさわしいというのが、事情を知るものの一致した見解である。なにしろ、当時のトリステイン王政府の財政状況から、曲がりなりにも、ゲルマニア攻勢を遅延するだけの部隊を編成する費用と、その維持に必要な戦費を捻出したのだ。もはや、錬金術師の名にふさわしいと評するほかにない。

この分野は、官房学を学ぶものにとって不可欠の領域と見なされており、今日でも多くの研究がなされているが、近年、戦費調達ばかりか、貴族の合理的な削減方法として中央官僚らが注目していることはあまり知られていない。

ゲルマニアが厄介な貴族をすりつぶそうとしたのと同様の期待から、トリステインもこれ幸いと彼らのいうところの『愛国心溢れる貴族』を大量に磨り潰すことに成功している。結果的に、ゲルマニアの圧力に屈服し、講和にも失敗したがために今日に至るまでこの方面では評価されていないものの、上手くいけば戦後のトリステイン王政府はかなり裁量の余地が広がりえるだけに、一部の中央集権論者からは周りがほんの少しまともであれば、当時のトリステイン王国は信じられない成功を収め得られたのではないか、とすら論じられている。

なにしろ、戦費調達は容赦なく貴族らからも行われており、反抗的な貴族らの一部財産徴収と、扱いの厄介な貴族に名誉の戦死を与えることができれば、随分とトリステイン王政府は風通しがよくなりえた。アルビオンのように、多くの混乱と反発を招いたモード大公粛清に比較して、極めてスマートであり、ガリアのそれと比較することが可能だろう。

だが、結局トリステイン・ゲルマニア両国にとって不幸なことに、(そう、ゲルマニアにとっても、極めて不本意なことに)結局戦争を終結させるための和平努力は失敗。

ゲルマニアは、二正面作戦を展開し得る軍事的優位を保持しており、その軍事機構を活用することで、トリスタニアを襲撃。同時に、以後ゲルマニアの西方政策にとって基幹拠点となるタルブに仮設の空軍基地を設けるに至っている。重要なこととして、この時、ゲルマニアはリッシュモン事件に対して関与していないというのが、今日では通説である。

トリステインでは広く、リッシュモン卿が造反したと見なされているものの、この事件の本質は、珍しくリッシュモン卿の宗教心と保身性向から、卿が失敗したというのが現実らしい。というのも、リッシュモン卿は、ゲルマニアが歓迎すると見なして、トリステインに混乱をもたらしてしまい、結果的に自らの首を絞めかねなかったからである。

特に、王族の拘束に失敗したことは、大きな政治的失点であった。曲がりなりにも、信仰を同じくする者同士が戦うのが見るに忍びないなどと称したリッシュモン卿であるが、結局のところは叛乱であり、正統性を確保するためには、なんとしても現政権を打ち倒す必要があった。

ところが、拘束に失敗し、捜索中に急遽反転してきたワルド卿指揮下のトリステイン魔法衛士隊によって王族が救出され、あまつさえアルビオン方面への亡命を許すに至っている。これを阻止線と辛うじてゲルマニア軍が追撃を敢行したものの、戦果は望ましくない。陽動によってマザリーニ枢機卿の身柄を拘束するにとどまるばかりか、艦隊司令長官がなんらかの出来事によって負傷さえしている。

この時期のアルビオン王政府の情勢と貴族らの動向については、アルビオン動乱史の大家フルガー卿の『あの時代』を参照されたい。ともかく、アルビオンに亡命したアンリエッタ王女は、のちのち、ゲルマニアにとっては頭痛の種として大きく存在し続けることとなる。

最も、当然のことであるが、政治の化け狸、伏魔殿の魑魅魍魎と評されるリッシュモン卿だけのことはあり、見事にこの難局を生き抜いたのは、もはや一つの列伝に至るといってもよい。事実、外交や立身といった観点から官房学はリッシュモン卿の行動を分析する一分野が存在するほどであり、この稀代とも言える政治の魔物は、官僚にとって倣うべき対象ではあるが、真似すれば身の破滅と認識されるほどである。

かくして、ゲルマニアにとってみれば、完全に不本意な形でトリスタニアが陥落し、そのままアルビオンに押し付ける形で、問題の収束が両国によってはかられた。

この間に、もはや伝説的となっているワルド子爵の北部作戦が展開され、トリステイン魔法衛士隊の意地を見せつけた。ゲルマニア北部において風石貯蔵庫が吹き飛ばされるに至り、ゲルマニア軍は物量にものを言わせた掃討戦に出る物の、結局ワルド子爵は脱出に成功し、長い潜伏に移っている。また、集積した風石を吹き飛ばされた結果として、ゲルマニア艦隊は、常に相当量の風石を分散備蓄するようになり、かなりの金額をこの問題の対処に割かれている。

さて、長い交渉と腹の探り合いの末に諸々の条約が結ばれるに至った。ここで、ようやくゲルマニアにしてみれば、損ばかり多く、浪費もよいところの戦争が終結したとヴィンドボナ首脳陣が安堵のため息をついていたところに、ガリアよりの悪い知らせが飛び込むことで、ゲルマニア首脳陣の短い春は容易に吹き飛ぶ。

両用艦隊にて叛乱が勃発。

このガリア内部の事象は、正統な王権という概念から、トリステイン王政府を打倒したゲルマニアに対する憤怒となり、救トリスタニアという理念のもとにガリア艦隊とゲルマニア艦隊が交戦するに至った。

結果は、ゲルマニアの勝利に終わったものの、この事件を契機に表面上両国関係は急速に接近する事となった。ただ、あくまでも政治的な理由によるガリアからの接近であり、ゲルマニア首脳陣にとっては碌でもない思いで苦々しいことこの上なかったというのが、近年公開された資料から明らかになっている。

同時に、この戦闘以来、フネと龍騎士の価値が再認識され、各国が艦隊と龍騎士の育成に本腰を入れて臨むようになったことが軍事的には特筆に値する。元来、国土防衛の観点から極めて優秀な艦隊を有していたアルビオンに匹敵する艦隊整備をガリア・ゲルマニアが敢行し、大公国に代表される資金に余力のある中小国は龍騎士隊の整備に全力を注いだことは、各国軍事戦略の方向性を物語ると言えよう。

さて、ゲルマニアにとって、この会戦は実に不幸な結果をもたらしている。艦隊を重視するべきであるとの発想は正しい。そして、ガリアが主要な仮想敵国であるというのも概ね正解であるだろう。なにしろ、両用艦隊はガリアから来たのだから。

故に、高度な迎撃警戒網の整備と防衛拠点構築のために多額の費用を対ガリア方面にゲルマニアは投じることとなり、一定の防衛力向上は実現したが、結果的に差し迫った軍事的脅威の乏しいと見なされたトリステイン方面の防衛整備は遅延し、辛うじてタルブに空軍の軍廠を整備し、空海軍の拠点を整備し得たのみであった。ただ、この事実は後にゲルマニア艦隊にとって少なからぬ利益をもたらしている。

また、ゲルマニアが艦隊戦力の運用改善と、質的向上を図ったことも長期的にみれば間違いではない。事実、ゲルマニア艦隊の質的向上は目覚ましく、アルビオン艦隊にすら比肩しうると見なされたほどである。ただ、完全に時期が悪すぎた。艦隊行動に際して、全艦隊共通規範を導入しようとするコクラン卿ら、艦隊関係者の意図は実に明瞭かつ妥当であると今日でも評価されている。しかし、時期が悪かった。

当時、ゲルマニアは中央集権の過程で、選帝侯らとヴィンドボナは対立関係にあったことに留意する必要がある。ゲルマニア中央にとってみれば、対外的示威行動どころか、内部の選帝侯らに対する圧力の意味すら含め艦隊演習を大々的に行いたいと考え、最も中央の意向が及ぶコクラン卿の管轄する北部にて演習を企画した。もちろん、差し迫った戦略的脅威が乏しいと判断してのことである。

だが、結果的にゲルマニアの情勢判断は大幅に狂うことになる。

まず、今日では、レコンキスタ運動として知られるトリステイン王国とブリミル教の熱心さゆえに道を誤った(政治的配慮の表現である。ゲルマニア当局など、狂信者と評する時はよほど抑制した表現ですらある。)信徒らが中心となりゲルマニアに対して挑むこととなる。

並行して、当時不穏な情勢であった北部アルビオン人らが蜂起。無論、ゲルマニア全艦隊の前に、あっけなく粉砕された。ただ、粉砕される事となったものの、ゲルマニア艦隊は盛大に対地砲撃を行った影響で弾薬が決定的に不足する。もともと、大規模演習に伴い、備蓄をかなり使用していたところに、実戦による射耗も加わり、艦隊の損害はともかく、物資の欠乏は深刻極まる水準にまで低迷する事となった。原因の一つには、今日では考えられないことに、大砲の規格がばらばらのために、砲弾が微妙に各艦によって異なっていた事と、大砲の取り扱いが難しくすぐに破損したことにある。

この時を契機に、艦隊整備計画に際して、砲弾と大砲の規格化が本格的に図られるのは、ゲルマニアがこの教訓から学んだことを示している。しかし、当時のゲルマニア艦隊は本格的な砲弾不足に直面し、フリゲートの砲弾を辛うじて一隻分かき集めることができる程度であり、其れすら十分でなかったと今日では明らかになっている。

こういった情勢下において、これまでは、アルビオン亡命中のトリステイン王族の動向があまり注目されておらず、研究されていなかった。特に、トリステイン王党派の研究こそ、一部の官房学では其れなりに行われていたものの、全体としては低調であり、研究の本格化は、近年機密資料の一部が流出したことによってであるのを思えば、あまり進んでいないのが現状だ。

ただ、この分野はフルガー卿による一部の先行研究があり、これの信頼性は、かなり確度が高いと思われる。其れによれば、アルビオン亡命中のトリステイン王党派と王族は、当初アルビオン王太子と王女の結婚による安定を指向していたものの、アンリエッタ王女個人の意志によってトリステイン奪還の方向性が決定されたというものである。

フルガー卿はその未発表原稿において、アンリエッタ王女の資質を極めて高く評価する一方で、政治的教育を受け、その資質が開花するのがあまりにも遅すぎたと評している。当時は、政治的にあまりにも差しさわりがあると見なされたために、発表が控えられた其れによれば、トリステイン王政府は、そもそもアンリエッタ王女を誕生時には後継者と見なしていなかった。そのため、王族としては礼儀作法を最低限教育されたばかりで、本格的な政治教育は施されていないとフルガー卿は分析している。

公式の通説では、アンリエッタ王女こそが後継者であるとトリステイン王政府が主張している。ただ、学会では、それは基本的にはアルビオン亡命中に王政府の正統な後継者の権威づけのために必要に迫られたものというのが通説だ。それはせいぜい建前であって、彼女は血を残すことを主に期待されたが、政治的役割を期待されるのは諸論あるにしてもリッシュモン事件以降であるというのが、非公式の通説となっている。

さて、このアンリエッタ王女であるが、才幹は有った。事実、同時代のゲルマニア政府の記録によれば、ペチコートの悪魔と呼称され、本格的に忌み嫌われていたことからも、少なくともゲルマニアにとって忌み嫌うだけの才能があったことを物語る。

彼女がその才幹を初めて示したのは、レコンキスタ蜂起に際して、である。

動乱前の不穏な情勢を察知したウェールズ王太子は、婚約者としてアンリエッタ王女を政治から守ろうとした。(歴史家の評価は、一致して彼は善良であったと見なす。)ただ、彼女はこれを謝絶し、本格的に介入することを決意する。

とはいえ、彼女は後にレコンキスタ運動と称する面々の活動に期待したのではない。彼女の内心は、祖国の危機に知らぬふりを決め込んだ挙句、厚顔無恥にも自己利益のため行動する(少なくとも、彼女はそうであると信じていた。そして、それは少なからぬ真実を含んでいた。)連中を憎悪し抜いていた。

故に、彼女は、実に巧妙な手段を講じる。

それは、アルビオンとトリステインの両王政府が名目上とはいえ対等にあったことに端を発した問題の解決策に偽装した恐るべき政治的手腕であった。アンリエッタ王女は、トリステイン王女として、アルビオンより相談されていたある案件に対して、解答を行った。

それは、トリステイン(実質的には当時の西トリステイン=実質的アルビオン勢力下を対象とするものの、トリステイン全貴族が適用対象)の貴族らに対してアルビオンとトリステインの両王国に対する封建的契約を認めるという解答である。これにより、トリステイン・アルビオンの融合を一体化させる、と。

むろん、これは表向きであり、より重要なのは、その条約の一文に、両国に対する契約を望まないもの、つまり現トリステイン封臣の中で封建契約更新に対して同意しないものは、仕官自由となし、自由貴族足る事を許すとした規定である。

一見すると、強制的にアルビオン王国に編入しないことで、貴族らの去就を自由に任せたように見えるが、重要なことはこれまで国家に帰属させられてきた貴族らに対して、拘束を解いたことだと、フルガー卿は主張する。卿によれば、これによって自己利益の最大化を図る貴族らが、大義名分を持って独自の行動を行う背景を形成したということが最も重要だ。

つまり、国家という枷にて、枢機卿や、数多くの愛国者らによって、トリステインはその封建貴族らを抑え込んできた。それは、言いかえれば、暴力装置を統制下におくことで国家の安定を図ったとも言える。そして、曲がりなりにも抑え込まれてきたが、全く使えなかったそれらを解放すべく彼女は、統制のための安全装置をぶち壊し、統制されない暴力をゲルマニアにぶつけると共に、彼女の憎悪した貴族とゲルマニアの共倒れを狙ったというものだ。

なにしろ、ゲルマニアなど成り上がりと見なしているトリステイン貴族だ。自己の利益になる軍事行動が取れると見なせば、嬉々として軍を挙げかねない。事実、トリステイン貴族らは、かなりの頻度でゲルマニアとの国境紛争をトリステイン王政府時代から惹き起こしており、暴発は容易に予見できた。

ここで、トリステイン・アルビオン両政府によって統制をうけず、かつ爵位はトリステイン時代のそれを正式に保証された独立貴族らの行動はアンリエッタ王女の予想通りであった。まず、ゲルマニアによって経済的に困窮していた貴族らと流民との利害が一致し、彼らは火種と化す。そこに。ゲルマニアへ自由に殴りかかってよろしいと実質的に促され、アルビオン王室もそれを追認する言動を見せたために、事態は加速度的に進展する事となった。

単に、封建的契約の見直しに言及しただけだと一般には見られる彼女の行動は、その実、嫌い抜いていた両者をぶつけるための手法であり、まんまと踊らされたレコンキスタ運動によって、ゲルマニアは泥沼の戦いに引きずり込まれる事となっている。

軍事的に見た場合、なぜレコンキスタがトリステイン王政府時代に比較して、遥かに奮戦できたかは、別の専門家らがより詳細な研究を行っているため、要件だけを述べるとしよう。

まず、トリステイン王政府は、その構造上複雑な派閥対立と、貴族らの叛乱に警戒するため、全力で持って外征を行える状態になかった。これに対して、レコンキスタ運動は、文字通り、先の戦争では従軍しなかった諸候らが参加したために、規模が膨れ上がったことで大きく変質した。

もともと、メイジの比率が他国に比較して高いトリステインの場合、それはゲルマニアにとっても其れなり以上の脅威となりえた。

二点目が、後先を考えずに、無謀な攻勢を行えるだけの兵隊、つまり流民母体の兵士を大量に抱え込んでいたことがある。この時代に行われた経済政策は、ゲルマニアにとってトリステイン領土が負担であり、この土地を発展させることに対して、無関心であったことを示している。わずかに、タルブが、整備された程度であり、ゲルマニアはよく言ってこの方面の復興に予算を割く余裕が乏しかった。率直に言ってしまえば、無関心だった。

言い回しは慎重だが、トリステインなど、どうなろうとさほどゲルマニアにとってみれば、問題でもないようだったというのが、本質である。そのため、本来ならば、耕作し、働いていたであろう多くのトリステイン平民まで、レコンキスタ運動に参加するに至っている。
まあこれは、アンリエッタ王女にとっても誤算であり、彼女の憎む貴族どころか、国家の民まで荒廃にまきこむこととなったことは、彼女にとって痛恨の事態となったようだ。

三点目が、亜人の活用である。
今だ、多くが謎に包まれているものの、この戦闘において、オーク鬼をレコンキスタ運動側が運用したとの記述がゲルマニア側に見られる。多くの疑問が提唱されているものの、ともかく亜人によって、ゲルマニア軍は甚大な損耗を被ることになったと従軍者が口をそろえていることは、記録に値するだろう。

いずれにせよ、この戦争は、以後の歴史に甚大な影響を与えた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

最近、若干説明不足だったり、誤解される表記があるために、情勢を整理してみました。

後世の官房学メモという形式で描写したので、それとなく後世の評価を交えたのですが、まあ、ものの見方としては面白いのではないでしょうか?

アンアン・テレジア化のための布石とご一笑ください。

勢いで書き上げたので、まあ、あれですが(-_-;)



[15007] 第八十八話 宣戦布告なき大戦1
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/06/19 12:17
ロマリア連合皇国の政争は一言で表すならば、『凄惨』に尽きる。

まず地位に汲々としていると、後任を狙う狼に襲われる。かといって、潔く地位から退くと、大抵の場合旧悪が暴かれるか、ねつ造される。そうなれば、待っているのは財産没収に粛清という流れ。故に、平和裏に引退するのも一苦労だ。

故に、ロマリア高位枢機卿ともなれば、まともな善人が昇り詰められる段階ではない。むしろ、まともな善人は巡礼程度に留め基本的にはロマリアに近づかない方がよいだろう。そちらのほうが、まだ人生は平和に楽しく過ごせることを保証する。

さて、マザリーニは善人だが、同時に卓越した政治家であった。

だから、彼はロマリアにおいて異端であると同時に、極めて難しい立場に立たざるを得ない。基本的に、政争では善人ほど立ち位置が危ないのだ。中途半端であり、稀に使い道があると見なされた場合でも碌でもない用途しかないのだから。

故に、卓越した政治家が善人であることは、本人にとっていばらの道を意味する。



ロマリアの暗部は、歴代教皇をしてなお嘆息させた。

曰く、『手がつけられない』と。

過激かつ純粋な一派は、聖地奪還と秩序維持のためには如何なる犠牲をも惜しまない。それは、ロマリアが蓄積している聖地への狂おしいまでの衝動だ。6000年の長きにわたって蓄積されたその衝動は、もはや人の身によって阻止することは不可能に等しい。長い歴史の中で、幾度となく改革の試みと改善の動きはあった。だが、純粋かつ狂信的な集団は文字通り手段を選ばずに、自らの使命を果たさんとするのだ。

彼らは、手段が目的化することはない。純粋かつ敬虔に、目的に忠実である。

問題は、目的のためにはいかなる犠牲をもすら、繰り返すが、如何なる犠牲をもすら惜しまないのだ。その中には、信仰を誤った高位聖職者も含まれているのだから。そして、彼らは個人で見た場合限りなく善良であった。

ロマリア連合皇国にあってなお、彼らは清貧を重んじた。故に、会合の開かれる一室を見渡したところで貧相な机と椅子があるのみだ。机の上には、わずかに古びた水差しの他には、各国の地図が置かれているだけ。

ロマリアの貧困層向けの学び舎と何ら変わりない空間に、彼らは集まっていた。

「・・・予定が狂いましたな。」

苦々しげに発言した年長の枢機卿に、幾人かが嘆息交じりに頷いて同意を示す。彼らにしてみれば、あまりにも望ましくない事態が加速度的に繰り広げられている。

本来であれば、緊密に対応を練るべく集まる必要がある。だが、彼らは人目を避けて集まらねばならない身であった。秘匿してでも、為さねばならないことがあるのだ。目的のために、短慮に走るわけにもいかない。

だが、それだけに彼らも焦燥に駆られざるを得ないのだ。

「レコンキスタなる連中、誰が糸を?」

誰ともなしに囁かれている組織名。

公式にゲルマニアもアルビオンも、トリステインですら確認していない。にもかかわらず、蜂起した一団はレコンキスタと呼称され、呼称しているという風聞が誰ともなしに飛び交っている。

「何のために?其れを考えれば、おのずとわかりましょう。」

そのことを考慮すれば、なにがしかの策謀が動くことは感知できる。ロマリアの手は決して短くはない。なにより、各国に張り巡らされた聖職者の網目は即効性こそ乏しくとも、必要な情報を収集するには十分に機能する。

「ガリア、理由としてゲルマニアに第二戦線を強いることによる戦力分散。」

「アルビオン、理由としてゲルマニア・トリステイン地域に対する自己影響力増大。」

一つはガリア、もう一つはアルビオンだ。

単純に考えてみれば、ガリアはゲルマニアの戦力を分散させることを欲するだろう。ガリアにしてみれば曲がりなりにも、友好国と謳ってはいる。謳ってはいるが、平民レベルではともかく、指導層ともなれば対ゲルマニアは絶対に念頭に置いているはずだ。

机の上で握手しつつ、机の下では足を蹴り飛ばしていなければ、それこそむしろ異常だ。

同じ理屈が、アルビオンにも適用できる。

アルビオンはガリアよりは、まだ友好的だ。そして、ゲルマニアに敵対する動機も乏しい。だが、それは積極的に敵対する意志が乏しいという話であって、機会があれば其れに乗じる程度のことは当然ありえる。

「どちらも、ある程度は正しいだろう。だが、我々が問題とすべきはガリアだ。」

当然、ガリアがきっかけだろうとも、アルビオンがそれに乗じる可能性は決して低くない。逆に言えば、ガリアこそが根源にある。つまり、アルビオンはどこかで一線を画しているが、ガリアは根本的な介入を望んでいるのだろう。

「アルビオンはどうされるおつもりですか?」

「アルビオンより、トリステインを分かつのは可能だ。だが、ゲルマニアを本格的にトリステイン方面に貼り付けようとするガリアの意向は望ましくない。」

なにより、アルビオンはゲルマニアの影響圏拡大に比べれば処理が容易なのだ。

政治的背景を勘案すれば、トリステインを分離独立させることも、決して困難ではない。現実的には、アンリエッタ王女の第二子が理想的だろう。それを思えば、長期的にゲルマニアの影響がトリステイン方面に注がれることになるガリアの方策の方がよほど問題だ。

加えて、バランスの問題はこちらにも関係する。ガリアとゲルマニアが対峙することで、ロマリアに対するガリアの圧力が減衰するのだ。逆に、ゲルマニアがガリアに対する圧力を下げれば、ガリアはこちらに多くの圧力をかけることが可能となる。その事情も勘案すれば、ゲルマニアが手を防がれる事は断じて望ましくない。
 
「しかり。では、如何にこれを抑え込むべきか?」

その基本認識が、あってこそ彼らは頭を抱えていた。

だが、狂信者というものは決して視野が全てにおいて狭められるわけではない。むしろ、目的合理性の観点から、ありとあらゆる犠牲を厭わず、目的のためには何でも行うという恐るべき柔軟性を持ちえるのだ。

6000年の衝動に包まれてなお、彼らは狡猾さと、柔軟性を持ち合わせていた。

「いや、視点を変えるべきだ。」

「視点を?」

6000年の秩序を維持するという使命感。
6000年の悲願である聖地奪還。
目的のためには、全てが許されてきた。
聖地という目的は、至上命題である。
ロマリア存在意義の全てであるといってもよかった。

使えるモノは人だろうと物だろうと、なんであろうと活用してきた。
エルフの知識だろうと、場違いな工芸品だろうと何であれだ。

彼らは禁忌をもすら記録して残した。
外部ならば異端とされるそれらは、ロマリアにおいては許された。
無論、存在は秘匿されねばならない。
本来は許されざるモノなのである。
歴史の中で漏れた瞬間には粛清の刃と杖が幾度となく動いた。

だからこそ、彼らは如何なる手段であろうとも厭わない。
いや、躊躇こそを彼らは忌避した。
それは、唾棄すべき敗北への道なのだ。

「ゲルマニアが鎮圧に全力を注ぐのはまずい。何故か?」

ならば、問答は簡単に思考を転換すれば解決し得る。

「盤石の統治機構と、既成事実の強化が図られてしまい介入できなくなるからだ。」

トリステイン回復は、秩序のための不可欠なプロセス。

危惧しているのは、ゲルマニアがこの方面に対する支配を強化し、なおかつ永続的に領有権を確保する事。特に、ゲルマニアはトリステイン王室を分離独立させる意思も、動機も欠落している。そのためにトリステイン回復を考えれば、ゲルマニアがこの地域に注力するのは実に望ましくないだろう。

「だが、逆に考えれば鎮圧できねば話は違う。」

とはいえだ。

ゲルマニアがトリステイン方面に注力したところで、そこから排除されてしまえば全く話は異なってくる。統治を放棄することになれば、当然ゲルマニアの防衛線はトリステイン戦役前に戻るだろう。

結果的には秩序にとって望ましい結末が見込める。

「仮にだ。レコンキスタが旧トリステイン領を確保し、ゲルマニアに認めさせたとしよう。」

ゲルマニアの首脳陣は、赤字ばかり出るトリステイン問題に頭を抱えている。場合によっては、ある程度の経済的な代償確保と問題の丸投げができるならばトリステインなど関わりたくもないと考えていてもおかしくはない。

善意の第三者としてロマリアは、そこに介入し得るだろう。

「間違いなくレコンキスタの内実は、それを維持できるとは思えない。」

なにより、漏れ聞こえてくる実態はレコンキスタが寄せ集めと評するのもおこがましいほど衝動的な集団だということだ。ゲルマニアはこれに苦戦しているというが、実態は亜人に手を焼いているに過ぎない。

ゲルマニアがこの方面の放棄を決定したところで、レコンキスタに未来は無い。そして、ロマリアはその延命に協力する気はさらさらないのだ。

「で、あるならばだ。」

「介入するのはレコンキスタの方が容易。」

操るならば、介入の余地の多い方が事後の処理は楽だろう。その観点から提言されるのは、レコンキスタの暴走を促し、最終的に自壊させるという方針だ。賢明な国家主体であるゲルマニアへの介入は、深刻な反発を招きかねない。

無論、間接的であれゲルマニアは喜ばないだろうが直接に比べれば幾分まし。

「待っていただきたい!卿は、レコンキスタに梃入れせよと!?」

「一つの選択肢としていかがだろうか。」

「断固として反対だ!言いたくはないが、ガリアの手先に堕ちるのが眼に見えている。」

当然のことながら、それはガリアの政策に一定の支援を意味する。なんなれば、レコンキスタの火付け役として疑わしいのはガリアだ。少なくとも、レコンキスタより利益を得ている以上、(ありえないことではあるが)潔白であったとしてもガリアの支援をするに等しい決定である。

ロマリアにしてみれば、ガリアは忌々しい北方の壁であり近年ただならぬ圧力や領土問題が介在する相手だ。さらに、『無能王』というメイジ至上主義に陥っていない人間にしてみれば、ガリアのジョゼフは恐るべき相手である。賢明な政策担当者にしてみれば、絶対に踊らされたくない相手だろう。

「無能王の意向など誰にもわからん。案外、当の本人ですら、わかっていないかもしれん。」

だが、重要なのは彼らの至上命題をいかにして達成するか。

その観点からすれば、彼らはいくらでも柔軟な政策を採用しえた。

「だとしても、レコンキスタへ直接の梃入れはまずい。」

「まずいとは?」

「あまりにも、不明確だ。いや、不自然と言い換えてもよい。」

同時に、バランサーが必ず存在し議論をより稠密に整える習性をも持ち合わせる。なにしろ、彼らの使命として秩序の維持を6000年の長きにわたって背負ってくることができたのは極めて慎重であったからだ。

狂信者というのは、実に厄介だ。そして、単なる狂信者ではなく目的のために如何なる手段をも躊躇せず、柔軟な狂信者によってのみ6000年の長きにわたる成果が為されてきた。言い換えれば、彼らの時間軸は極めて長く、結果を急がない。最終的な勝利のためには、不断の、そして長きにわたる戦いがあるということをも彼らは知っている。

「・・・確かに。」

故に、レコンキスタを支援するという大規模な方針転換の提言に対して、より現実的な習性と保険が即座に提言される。

「亜人一つとっても、少々おかしい。」

報告されている亜人の軍団。

ゲルマニア軍から漏れ出てくる情報と、現地の報告を総合すれば異常さが際立つ。亜人の生態研究はロマリアでも盛んであるが、その積み上げられた記録にはこのような動向はほぼ記載されていないといえる。

「虚無の可能性は?」

彼らにしてみれば、始祖の恩寵である虚無の存在が頭をよぎっても不可思議でもないだろう。少なくとも、彼らは虚無が過去の伝説ではなく実在するということを知悉しているのだ。

当然、検討するに際してはそのような可能性を排除するほどかたくなではない。

「ありえん。」

だが、担当者らはその可能性を検討したうえでなおこれを否定する。一生のほぼ全てを虚無の研究に捧げている彼らだ。その言葉には、一片の躊躇すら見られない。

「ヴィンダールヴの可能性を考慮しない理由は?」

「いかにヴィンダールヴといえども、まず規模が不自然だ。なにより、不審すぎる。」

ヴィンダールヴの能力は、個体が対象とみられている。

無論、複数を使役する可能性も排除できないが、その使役は人馬一体というごくごく自然なものと見なされている。強制的に使役する可能性も考えられないではないが、しかし亜人を大規模な軍隊のように運用し、あまつさえ恐怖や本能を完璧に抑え込むことを可能とするだろうか。

彼らの結論は、ありえないということになる。希望的観測ではなく、現実的な予想として、それはありえない、と。

「伝承によれば、確かにヴィンダールヴの能力が考えられなくもない。」

「違うというならば、むしろミョズニトニルンを疑うのが自然。」

「いや、排除すべきではないだろうが魔法とは限定すべきでない。」

そして、魔法という点から考えてみた場合、いくつかの可能性があるのは間違いない。当然、ミョズニトルニンが検討の対象としてあげられる。だが、それとてやはりほとんど否定されている。

「何故でありますか?」

「ミョズニトニルンの関与は、疑ってしかるべきかもしれない。だが、直接の原因は先住魔法の可能性が極めて高い。」

魔法の秘宝をミョズニトニルンが作り上げる可能性は、ゼロではないだろう。少なくとも、ロマリアの経験では魔法の能力を過小評価する危険性は常々叩きこまれている。だから、関与は疑うに足るかもしれない。

だが、彼らは文献の調査や過去の記録と比較しむしろ先住魔法の可能性に注目した。

そして、先住魔法という一言は、最悪の敵である『エルフ』を連想させる言葉だ。

「先住魔法?あれにエルフどもが関与していると!?」

「ガリアではないのか?」

「いや、またれよ。ガリアとエルフが手を組んだのか!?」

「落ち着かれよ。加えて、先住魔法とて直ちにエルフとは限らない。」

「だが、これほど大規模な先住魔法となると、過去に例がない!」

「納得のいく説明を頂けるのでしょうな。」

居並ぶ列席者にしてみれば、忌むべき敵の存在が指摘されたに等しい。その発言によって一瞬のうちに会場が喧騒に包まれ、居並ぶ聖職者達が動揺もあらわに説明を求める。

なにしろ、エルフが関与しているということは、砂漠からの越境を許したに等しい。よしんば、そうでないにしても、先住魔法がこれほど大規模な影響を及ぼしたということになると、既存の秩序に対する重大な脅威だ。

ガリアが関与していると思しき事件だ。そこに、先住魔法の介在する余地があるということは、実に恐るべき可能性すらも、脳裏をかすめかねない。

「さて、ここからは憶測にすぎないのだがね。」

そして、虚無の研究を行っている聖職者たちもこれ以上は断言できないという。なにしろ、先住魔法は全く別系統の魔法。加えて、ロマリアの諜報担当者が貪欲極まりなく情報を収集しているとはいえ、体系的な学問として把握するには至っていない。

つまり、虚無に比較してみれば先住魔法は相当の知見を有するという程度に過ぎないのだ。当然、確信を持って結論を断言できる水準ではない。導き出された結論とは、あくまでも蓋然性の高い可能性に過ぎないというのが実態である。

「結構。猊下程の方が立てる憶測ともなれば、大いに関心を抱かざるを得ません。」

だが、蓋然性が高いということは、検討に値するということでもある。少なくとも、分析を怠るのはあまりにも、危険だ。細心の注意を払ってしかるべきというもの。

「ふむ、諸君はガリアとトリステイン国境に湖があることを知っているかな?」

「ああ、水の精霊で名高いという忌々しいラグドリアン湖ですな。」

「先住魔法が堂々と残っていることそのものが論外。埋めてしまえれば、どれほどよいことか。」

苦々しい表情を並べる列席者。

彼らにしてみれば、あまり望ましくない湖のことを思い起こす。中でも幾人かは不機嫌さを隠そうとしない。エルフに対する防壁の内側に、異端が堂々と存在しているのだ。これが愉快と言えるわけがない。

「脱線したが、良いかな?続けよう。」

だが、それはやがて冷静さを回復する。

物事の順序を弁えないおろかものは、狂信者の粛清対象でしかないのだ。機密を守る。いついかなる時も、自らの使命に忠実である。この2点を貫けないものは、ロマリアの熾烈極まる聖職者間政争で容易に使命を露呈させかねない。

そのような、愚行を避けるためには、事の理非を弁えないものは粛清されるしかないのだ。

故に、彼らは実に容易に落ち着きを取り戻す。

「そのラグドリアン湖の水位が近頃急激に上昇しているらしい。」

「水位の上昇?失礼ながら、雨季が長引いたということでは?」

「ありえない水準でだ。すでにいくつかの村が湖に沈んだとの知らせが入っている。」

水位が自然に上昇したにしてはありえない。なにしろ、歴史上最も長く降り続いた雨季の記録を上回っているのだ。伝承によれば、その時はいくつかの村が沈みかけたとされるが、今回はそれらが全て沈んでいるどころか、高台にある村にまで届かんとしている。

「捕捉しよう。忌々しいことに、修道院のいくつかが飲み込まれたとの知らせも入っている。」

先住魔法の塊のような連中を放置するわけにはいかない。当然、監視や警戒のための拠点として修道院が複数設置されている。とはいえ、相手は強大。故に修道院は距離を取り、離れたところに建築されてきた。

ロマリアの中央が配慮して、距離を取って建築した修道院すら飲み込まれているのだ。暗黙の境界線をも越えている。明確な協定違反と言えよう。

「結構。あの水の精霊なる異端が活発に活動していることは把握しました。それで、それがさきほどの憶測とどのように、関連されるのでありましょうか?」

「古い文献を漁ったところ、興味深い記録がある。」

取りだされた過去の記録。

異端を研究しているとある部署がまとめあげたそれは、秘宝の種類と能力をまとめあげたものだ。来るべき聖戦に備えて、敵情を調べ上げたそれは過去の聖戦時にも秘密裏に活用され、今なお絶えず修正の努力がはらわれている。始祖の敵を破るために、如何なる努力も惜しむわけにはいかない。

「なんでも、あの水の精霊はアンドバリの指輪なる秘宝を持つらしい。」

文献は、語る。それは、許されざる禁忌であると。

「なにぶん、文献が古い上に伝承も曖昧だが興味深いのは秘宝の性質だ。」

それは、生命の理を犯すと。

「生命を操り、あるいは支配するらしい。」

そして、該当する秘宝と性質は実に明快な答えをもたらす。

「・・・っ、それは!?」

「水系統のメイジに尋ねたところ、水系統は心を操れる禁忌がいくつもあるという。」

一般に知られているもので、惚れ薬の類が代表的か。元々、禁忌と指定されているものゆえに、体系的な理解は一般的ではない。世間で知られている種類など限られたものだ。

とはいえ、実際には心を壊したり、操ったりする薬のレパートリーは極めて豊富だ。ロマリアの暗部は、狂気の歴史と同義であり、6000年にわたる禁忌の蓄積は恐るべき記録を無尽蔵に積み上げてきた。ロマリアで、この分野に専従しているメイジならばおぞましいまでに知悉してやまない。

「先住魔法の秘宝ならば、あるいは可能ではないのかな?そう、考えたのだ。」

「これは、まさに驚くべき偶然の一致というにはやや過ぎた結果だ。」

元々、水系統の魔法薬にはいくつか禁忌がある。普通ならば、思いつきもしないだろうが彼らにしてみれば、その禁忌は存在しないに等しい制約だ。実際に使用したこととて、幾多の機会にわたっている。その効果は、十分に知悉しているほどだ。その経験から、心を操るという禁忌の観点からの分析も実に速やかに行われた。

「随分と、物騒な憶測でありますな。」

「だが、無視しできませんぞ。事実であれば、レコンキスタなる連中は異端では有りませんか!」

ガリア、そして、異端。

これほどの裏があるとすれば、レコンキスタへの支援及び介入は到底許容し得ない結果を招きかねない。最悪の場合、長期的なトリステインの復興が遅延しようともゲルマニアの支援を検討しなければならない程だ。

「関与すれば、ロマリア自体、いやブリミル教そのものに泥が塗られかねません!」

名誉の欠落を恐れるのではない。

異端と戦う全ての善き信徒の団結を揺るがす脅威が確かにあるのだ。ましてや、聖職者の腐敗は年々深刻になっていく。長期的に見た場合、このままではブリミル教への信頼が自壊しかねないという危機感すら彼らにはあるのだ。そんなときに、異端に与するという醜態は断じて許容できない事態を生みかねない。

「では、どうせよと?事態を放置すれば、6000年の秩序が崩壊するに任されるのだぞ。」

しかし、それは結果的にどちらにしても秩序の崩壊を促す。

異端を跳躍跋扈させることは望ましくない。しかし、同時に始祖由来でないゲルマニアの拡張もまた、秩序の維持という点からみれば理想とは程遠いのだ。放置は許されるものではない。

「左様。そもそもゲルマニアを長らく放置していたのは、我らの咎。」

「だが、だからといって、異端と秩序への脅威のどちらかに与せよと?それこそありえない議論だ。」

故に、彼らは第三の道を検討せざるを得ない。レコンキスタでも、ゲルマニアでもない、別の道だ。当然、教義からして正しい範疇にあることが要請される。

前提は、目的のために許容される範疇の議論。

「理から外れた者同士が潰し合う。実に結構なことだとは思わないかね?」

まず、現状のレコンキスタとゲルマニアの抗争そのものは、悪いものではないという認識。なにしろ、敵同士で争っているに等しいのだ。砂漠あたりでやっているならば、高みの見物を決め込んでもよいほどの事態である。

ただ、まずいことに彼らはエルフと対峙し、聖地奪還をなすべきブリミル教徒の領域にて争っているのだ。これは許容しがたい事態として受け止めるほかにない。

「確かに、異端同士が潰し合うのは上々。なれども、秩序を乱すのは許容しがたい。」

つまり、認識として異端同士の潰し合いを歓迎する一方で、秩序への脅威でもあるというのが共通した認識となる。

「故に介入せよと?それこそ論外。」

「第一名分がない。馬鹿どもが金に釣られたおかげで、教書はもう使えん。」

「手段も乏しい。聖堂騎士を異端の傍に置いた瞬間、異端を裁き始めてこちらの意図通りには動かない。」

だが、それに介入する手段が乏しい。

先のトリステイン・ゲルマニアの戦争において(恐らく)ガリアの働きかけかなにかで、一部の腐敗した連中が金に釣られた。おかげで、宗教的な権威を活用して表向きロマリアの宗教勢力として介入するのは得策ではない。

なにより、単純にみれば明確な異端である亜人がレコンキスタ側にいる以上、下手な戦力ではゲルマニアの味方になりかねない。特に、そういう観点から見た場合、大半の聖堂騎士など最悪だ。最悪、暴走してゲルマニアの狗となりかねない。

「いや、手ゴマならある。それも特上の奴がだ。」

だが、ロマリアは物持ちがよいのだ。いつか役に立つ時があるに違いないと、手札を温存しておくだけの余裕があり、それを有効に活用できる。

「我らの手元に、そのようなものがありましたか?」

「ああ、用途が定まらずに飼殺しにしてあったが、極めて有用なカードがある。」

「もったいぶらないで頂きたいものだ。言葉を飾ることに意味はない。」

そして、ここに集った面々は各所に散らばって活動しているのだ。当然、ロマリアの持つ多くの政治的資源について幅広いリストを共有しているに等しい。

「失礼。では端的に申し上げよう。」

故に、彼らは思いついた。

『いるではないか、愛国者が。』と。この事態を、最も憂慮し、かつロマリアの希望を完全に叶える人材ではないか、と。

「マザリーニ枢機卿。彼ならば、愛するトリステイン王国のことを気にかけて当然。」

ロマリアの枢機卿でありながら、実質的にトリステイン王国宰相として活躍していた有力者。そして、珍しく腐敗していない一方で暗部に関わりの乏しい善良な人材でもある。なれば、彼はこの情勢下において最適な介入の道具になるだろう。

「・・・確かに不自然ではありませんが、高位聖職者が異端に与するのはどうかと思いますが。」

「個人の資格で、彼が何処に赴こうとロマリア連合皇国に責は無い。」

重要なのは、マザリーニ枢機卿としてではなくトリステイン王国宰相マザリーニとして行動する余地が彼にはあるということ。つまり、彼ならばロマリアと政治的に距離を取りつつ介入する権利がある。

自国の問題に対して、一国の宰相がどのように行動しようともロマリアが誹謗中傷を受ける理由は存在しない。事実上機能不全に陥っているトリステイン王政府人事は、幸いにもマザリーニを解任していないのだ。

というよりも、手をつけられていないというべきかもしれないが、ともかく人事上は彼に権利があるということが重要になる。

「なにより、おぞましい腐敗した輩の責任問題に発展させられる。」

加えて、信仰という言葉を汚したリッシュモンの様な輩に飛び火することや、ロマリア内部の粛清にも活用する機会があるだろう。悪いことは何一つない上に条件は、全て満たされる。もちろん、掻き乱す目的でマザリーニ枢機卿を派遣することは事態を悪化させることもあるだろう。

だが、それがどうしたのだ。ロマリアにしてみれば、結果的には異端が摩耗し正統に傷がつかないのであればそれもまた許される。加えて、善良なブリミル教の聖職者という個人像が活躍することで期待される宣伝効果を思えば、それがどうしたとすら言い放てるだろう。そもそも、善き目的のためなれば、全てが許されるのだ。

「いた仕方ないですな。」

「左様、ロマリアの光輝を汚す輩を排除する好機でもある。」

マザリーニ枢機卿の役割は、シンプルだ。『道化』を演じてもらう。彼には好きに行動してもらって構わない。なにしろ、ロマリアの暗部は秩序の脅威である両者に損害が与えられれば事足りる。明確な戦略の方向性は『異端の摩耗』及び『介入の機会を増やす』ということの二点。

なるほど、ガリアは局面を支配しているのだろう。だから横合いから揺さぶり、主導権をもぎ取る機会を伺うことで時を待つ。

「彼の御仁は、その意味においてはよい信徒です。生贄にするのは、気が進みませんが。」

「元より覚悟の上でしょう。」

そして、個人としてみた場合、枢機卿は自らを盤面の駒として自覚できるだけの人材である。無論、駒と理解したうえでもなお祖国のために貢献しようとするのだろうが、そこは計算の範疇でしかない。トリステインの復興という目的を枢機卿が持っている以上、秩序にとってマイナス要素は考えにくいのだ。

故に、いっそ自由に活動してくれても構わないとすら考えている。繰り返すが、局面の打破が叶うならば、それでいいのだ。どのみち、介入費用は大した物ではないし失うものはせいぜいマザリーニ枢機卿という手札一枚。

ここで活用しないロストを考慮すれば、まさに最良の手札と言える。

「しかし、上手くとも限りません。保険が欲しい。」

同時に、彼らは慎重でもあった。

これは、良い手であると理解しているがそれに全てを賭けることの愚かさもまた共有している。長期的に考える能力こそが求められる。短期の戦術的失敗とて戦略が誤っていなければ挽回可能と彼らは知悉してきた。

「その時は、その時で手は打てます。なにより、ブリミル教徒の問題に我々が手をこまねいているよりはましかと。」

マザリーニ枢機卿が局面の動揺と転換に失敗したところで手はある。失敗という事実でさえも、逆に言えば布石となるのだ。

「動機づけはいかがされますか?」

「トリスタニア炎上の報告は来ている。これを活用しよう。」

許しがたいことに、始祖が定めたもうた王国の首都が異端によって燃やされたのだ。トリスタニアの炎上に関連し、ブリミル教徒の救済を掲げれば限定的でも介入することは不可能ではない。

特に、善良なマザリーニ枢機卿が行動した後ならば、ロマリアの意図も偽装が容易だろう。突然ロマリアが躍り出ては不信感を持たれるだろうが、ワンテンポおけばいくばくかはましになる。

「そこまでするならばいっそ、ゲルマニア寄りで介入した方がよいのでは?」

同時に、介入のベクトルを微調整することも提言される。

ポイントは、ロマリアの中立性を際立たせつつ、ゲルマニアの権益を削ぐこと。味方面で介入し、最終的な利益をもぎ取るという手法にかけてロマリアの右にでる集団はなかなかいないだろう。

「トリスタニアを焼いた異端を告発?少々、ゲルマニアに有利過ぎはしませんか。」

「いやちがう。トリステイン対ゲルマニアという構造で、トリステインが圧迫されないことが理想。」

ゲルマニア単独で、トリステイン残党モドキを破ったとなると、もはやこの地域における覇権はゲルマニアの手中に入るも同然。しかし、トリステイン側のマザリーニ枢機卿が個人で介入したとしよう。彼とて状況を勘案すれば、絶対にレコンキスタに与するほど短慮ではない。

「ああ、なるほど。ゲルマニアの勝利ではなく、トリステイン・ゲルマニアの勝利とすることで影響を削ぐと。」

故に、ゲルマニア側にやや近い形のトリステイン王国勢力が出現することになる。ゲルマニアにしてみれば、表面上はありがたい味方だろう。どれだけ忌避しようとも戦後処理において、かなり配慮せざるを得ない。

トリステイン問題に対するアルビオンの蠢動も抑え込めるうえに、善意の第三者として介入するロマリアの権益もやや期待ができる話だ。どう転んでも全く損のない話になる。最低でも、一般の信徒からの信仰が回復できることが期待できる以上、長期的な教会の権威回復にもつながり悪い手ではない。

「面白いが、そうなるとアンリエッタ王女の動向が微妙だ。」

ただ、そうなると、トリステイン側とするためにはアンリエッタ王女という個人の資質が非常に微妙な色彩を帯びてこざるを得ない。報告によれば、ゲルマニア憎しで染まっているという。

・・・はたして、内実は真逆とはいえ名目上ゲルマニアの味方となることを許容し得るだろうか?

「無理もないが『ゲルマニア憎し』で固まっている。加えて、面従腹背が常のトリステイン貴族をゲルマニアに撫で切りにさせたいらしい。」

先の戦争時に我関せずを決め込んだ諸候軍。いまさら、王家への忠義やら名誉などを連中が叫んだところでアンリエッタ王女は一顧だにしないだろう。今回のレコンキスタ騒動は、憎んでも憎み足りないゲルマニアと、忌々しい不忠の輩が勝手に殺し合っていると喜んでいるとすら思われる。

「傑物ですな。」

無論、統治者としてみた場合、優秀な資質を有しているだろう。秩序の体現者であるロマリアにとってみても、トリステイン次代の指導者が無能で無いということは歓迎に値する。

「だが、時期が悪い。」

ただ、今は少しばかり、アンリエッタ王女の動向が支障とならざるを得ない。

見せかけだけの融和策が求められるのだ。断じて、非妥協的な徹底抗戦の決意ではない。

「いかがすべきか。」

「だれぞ、使いをやって接触させられないか?ゲルマニアに味方する態で権益を保持せよ。」

彼女に、資質はあるのだ。

「難しいかと。なにより、アルビオン貴族派の動向が不明瞭であります故。」

ただ、まだ雛に過ぎない上に、アルビオンの動向もきな臭い。

貴族派の動向に至っては、入り乱れすぎてロマリアですら、把握が追いつかない程。加えて、ガリアの手は長い。アルビオン各地で、ロマリア密偵とガリア密偵の人知れぬ戦いが激化している。そして、望ましくないことにロマリアはやや劣勢。この情勢下では、誰も口にはしないが上手く目的を達成し得るとは思えない。

「さしあたり、レコンキスタの調査とマザリーニ枢機卿の投入可能性を検討、と言ったところだろう。」

故に、結論は所定の方針を確認する事となる。

すなわち、異端との関連性が濃厚に疑われるレコンキスタの調査及びマザリーニ枢機卿を介した介入可能性の検討。

「あと、早急にアルビオンの諜報部門に梃入れだ。人員を廻すようにしよう。」

そして、その次の策のために必要な要素であるアンリエッタ王女とアルビオン動向把握のために、アルビオン方面の諜報強化だ。

「うむ、秩序を回復するためにも早急に取り組むとしよう。」

「諸卿の奮起に期待する。」


言ってしまえば、来るべきものがきた。そういうことなのだろう。クルデンホルフ大公国軍人らは、よく自分達のおかれた立場を理解していた。

「は?今何と申された。」

意味がわからないという表情を作りながら、彼らは覚悟を決めていた。

この手の追求が来るのも、時間の問題であったのだ。まだしも、相手側が敵としてこちらを認識していないだけ、まともだろうと。

「タルブにて防衛線を再構築するためにも、時間が必要だ。そのための協力を願いたい、と。」

「我らに時間稼ぎを願うと?」

要請は、しごく単純なものだ。

少しばかりの遅延戦闘。

ただ、問題なのはゲルマニア地上軍がすでに辺境伯旗下の歩兵大隊どころか、騎士大隊すら投入してなお苦戦しているという実態だ。対空迎撃の能力に乏しい亜人相手にもかかわらず、投入された龍騎士隊の損耗が、無視し得ない水準であるという。これら事実は、もはや驚くしかない脅威だ。

そんな連中を相手取って、遅延戦闘を行えというのは、踏み絵に等しい。

いや、踏み絵なのだろう。

「ありていに言ってしまえば。しかし、死守ではなくあくまでも遅延戦闘です。」

「簡単に言ってくださる。」

唯一の救いは、遅延戦闘という名分。向こうも、速い話がこちらに死ねというわけではなく、純粋な支援を今は要請しているに過ぎない。だから、向こうが知りたいのは、こちらが向こうのために死ねる覚悟があるかどうか。

「はっきり言えば、貴軍の信頼性を示していただきたいのです。」

はっきり言うものだ、と居並ぶ全員が思わざるを得ない。名目上は、援軍なのだから誠意を見せろと要請されるのは覚悟の上だ。しかし、ここまで単刀直入にきりこまれるのは相手側の強硬さを思い知らされる思いである。

「我らクルデンホルフ大公国を試されるか?」

「これまでの戦闘を思い起こしていただきたいのですが、貴軍の効果的な援護は一度もありませんでした。」

戦力温存策に走ったのは、本国からの訓令があれば、である。大公国は、元々小国なのだ。部隊の質こそ、大国に比肩し、精鋭と謳われるだけのものを揃えている。だが、その補充は極めて困難なのだ。

故に、この精鋭は宝玉に等しい貴重な宝なのだ。断じて、容易に消耗し、砕け散らせるわけにはいかない。本来は、さしたる本格的な戦闘もないだろうと見込まれたからこそ、政治的な恩義を売り、ベアトリス殿下の功績となることを考慮して派遣された部隊である。

「上層部は、戦闘回避が貴国の方針なのか真剣に危惧しています。個人的な助言としては、旗幟を鮮明にしていただいた方がよろしいかと。」

戦闘回避、消耗回避、政治的恩義を売るための派兵。

言ってしまえば、そう言った思惑からの派兵であって、戦闘は考慮されていない。いや、考慮されていないわけではないが、それは見せ球としての戦闘であって、重大な損耗を前提とした戦闘行動は想定の範囲外と言わざるを得ないのだ。

「踏み絵、というわけですかな?」

「言葉ではどうとでも言えますが、貴軍は援軍だったはず。我らと轡を並べ共に杖を掲げていること行動で示していただきたいのです。」

ゲルマニア司令部も余裕がない。ここまで、事態が悪化するとは彼らも考えていなかったようだ。故に、我々が戦力となるか、それとも最悪脅威となるかを見極めたいと考え始めるのも時間の問題であったのだろう。

本国の訓令は戦闘を極力回避せよ、という命令のままだが現場の裁量で変更が許される旨も付記されている。

「それは、警告とみてよいのか。」

「最後はあくまでも、私の個人的な忠告です。ですが、ヴィンドボナやダンドナルドは空中戦力の信頼性に事の他過敏らしい。」

本来であれば、なお戦闘を回避すべきなのだろう。

だが、ヴィンドボナに猜疑された大公国の命運が明るいとも思えない。加えて、ダンドナルドより増援の空中戦力が派遣されてくるということは、それまでに我々の旗幟を鮮明にしなければ、最悪敵と見なされかねないだろう。

「なるほど、卿の個人的な忠告には感謝を。」

「いえ、いろいろと申し訳ない。」

その謝罪は、さすがに彼個人の真情だろう。故に、こちらも誠意で持って示すほかにない。

「いや、こちらこそお手を煩わせた。案じられるな。我らの働きで示して御覧に入れよう。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

本作は、公爵家の胃腸環境安定のために全力を尽くす方針です。
ベアトリスは頑張って、生き抜いてください。
乏しい文章力は、微増させて頑張っていく所存です。
うん、読みにくい文章ですみません。(´Д`|||)
なんとか、改善したく思います。

そんな感じで、ジョゼフさんも大笑いの安心と信頼のトリステイン物語をお送りする予定です。

ちょっとばかり、ロマリアのチャーミングな物語が続くと思いますが、ご容赦ください。

次回更新は某ゲームメーカーの新作が24にでるので、それまでに、それまでには・・・。



[15007] 第八十九話 宣戦布告なき大戦2
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/07/02 23:53
ゲルマニア軍使が退室した軍営で、大公国の面々は頭を抱えていた。
相手方の要求は実に単純明快。要するに、旗幟を示せ。
旗幟を鮮明にしたくば、ゲルマニアの部隊同様に、働いて見せよ。
言ってしまえば、それだけだ。難しい話ではない。
問題は、ゲルマニアと同規模の損害を被った場合だ。
確かに、クルデンホルフ大公国は豊かな国である。
トリステインの貴族どころか、各国に金を貸せるほどに。
とは言え、規模で言えば小国でしかない。
何代にもわたって品種改良された龍と、その乗り手。
これを一度失うと、補充するのは並大抵の苦労ではない。

確かに、その費用ならば十分に賄えるだろう。
だが、訓練された人員の補充は金では不可能。
まして、何より重要な信頼のおける譜代はあまりにも少ない。
故に、大公国の軍事ドクトリンは損耗抑制ドクトリンとなる。
そうせざるを得ない。大公国は、人員を大国のように浪費できないのだ。
極言すればだからこその、少数精鋭。
龍騎士隊では有数の練度を誇る空中装甲騎士団。
それは、大公国の抱える矛盾の象徴的な存在だ。

「参りましたな。前提条件が異なりすぎている。」

派遣される当時の前提では、損害はそれほど想定されていない。
だからこそ、最精鋭の空中装甲騎士団が派遣されたのだ。
中途半端な戦力を出しても消耗するだけだろう。
それよりは、重装の騎士団をだすことで、無用な犠牲を避けよう、と。
付け加えるならば、増援として政治的に大きな意味を持たせることをも考慮されていた。

ベアトリス殿下の従軍。
政治的にみれば、大公国が旗幟を示したに等しい。
これで、ゲルマニアへ如何に味方しているかを理屈で示す。
同時に、派遣された精鋭部隊はベアトリス殿下の護衛とできる。
つまり、実戦にはせいぜい象徴的な参加に留まるという見込み。
その全てが、全面的かつ本格的な戦闘行動によって覆されてしまっている。

「恩を売る程度の心構えが、気がつけば全面戦闘だ。」

部隊の覚悟としては、元より覚悟していたこと。
ここに至っては戦闘行動への積極参加もやむなし、と考えればよい。
だが、本国の希望にそぐわないというのもまた事実。
当然、問題はどの程度まで奮戦するかに収斂される。
言い換えれば、どの程度の損害までは許容できるかということだ。
部隊の損耗を恐れる本国は、最小限に留めることを切望している。
派遣軍にしてみれば、損害を出さずに戦果をあげろと言われるに等しい。
ある意味、悪夢以外の何物でもない事態だ。
しかし、こんな状況に陥っても、なお甘受せねばならない。

「いかがします?このままでは、蝙蝠呼ばわりどころでは済みませんぞ。」

下手に手を抜いた戦闘をすれば、間違いなくゲルマニアの猜疑心を刺激する。
ここは乗り切れても、また次があるだろう。踏み絵で躊躇は危険だ。
より大きな犠牲を払うよりはここで旗幟を鮮明にするほかにない。
そうでなければ、納得が得られない。信頼されぬのだ。
だが、だからといって玉砕は到底許容できかねる。
なにより、精鋭の戦力はあまりにも貴重。大公国には、替えが無いのだ。
むざむざと使い潰せるものではない。
多少なりとも戦功を稼ぎつつ、損害を抑える。
どうしても、矛盾する二つの要素を同時に満たさねばならないのだ。

だが、それはあまりにも難しい。

それを理解した居並ぶ軍人たちの顔色は、最悪だ。
まるで、初陣の恐怖におびえる新兵並みに青ざめたものとならざるを得ない。
広げられた戦局を書きこむ地図を見詰める眼差し。
それらは、ことごとく懸命に活路を模索している。
机の上におかれた水差しとワインには、眼もくれずに全員が思考に没入。
だれもが、頭を振りしぼり、思案に暮れてやまないでいた。

「我々の派遣された目的を履き違えてはならない。」

そう、元々大公国の生存をより強固なものとするための増援だ。
間違っても、大公国を危うい立場におく為のそれではない。
つまり、間違ってもゲルマニアの猜疑心をこちらに向けては駄目。
彼の国の信頼を損なうのは得策とは言えぬ。

「ゲルマニアに政治的な恩を売る。そのための派兵だったのでは?」

だから、ゲルマニアが周辺国の動向を勘ぐっている時の派兵。
真っ先に部隊の派遣を申し出した。もちろん、建前上は友誼によって。
だが、実際には大公国なりの思惑あってのこと。
情勢を考えた結果として旗幟を鮮明にしたつもりなのだ。
言い換えれば、これで手打ちにしたかった。
『旗を揃えるので、杖は勘弁してくれ。』というのが、本音と言って良い。
そのためにわざわざ、ベアトリス殿下の派遣まで行ったのだ。
本来であれば政治的配慮が、存分になされていたと言える。

だが、事態は当初の想定を大幅に覆された。
よりにもよってゲルマニアが苦戦しているのだ。
そして、悪いことは重なる。ゲルマニアの猜疑心を刺激するには十分なくらいに。
これまでに、一連の戦闘で大公国軍は戦闘を経ていないのだ。
つまるところ、損害皆無で戦果も皆無ということになる。
通常であれば、それでも良いのだろう。
だが、彼らは援軍であり、踏み込んで言えばゲルマニアの援護義務があった。
もちろん、援護といっても任意のものである。
敵対しなければそれで良いと当初は見なされていたほどなのだ。
余裕がゲルマニアあれば、それで良かった。
問題は、ゲルマニアに全く余裕がなくなり、猜疑心が肥大化していることにある。

「その通り。我々は、基本的に援軍として派遣されている。」

だが、本質的には援軍である以上、戦果を上げねばならないのも道理。
本来は、配慮された見せ場が用意されるはずだった。
ゲルマニアに余裕があれば、そのような見せ場も用意されただろう。
大公国の見込みは、ゲルマニアが後退を強いられる時点で崩壊した。
もはや、事態は名目上の援軍としてあることを最早許容しないだろう。
文字通りの援軍となるか、信頼を損なうかの二択しかない。
大公国にしてみれば、実に望ましくないことではある。
だが損耗を許容するほかにない。そして、最低限に留めねばならないのだ。

軍事的な方針は、損耗抑制。

それは、大公国の戦略故にそうなっている。
まず前提として大公国の軍はどこの国家にも全面戦争では勝てない。
だが、戦術面で見た場合は別だ。
大公国軍は極めて優れた部隊を抱え、激烈な抵抗を計画する。
つまりは、ハリネズミだ。誰だってハリネズミを殴りたくはない。
盛大に振りおろされた拳。なるほど、ハリネズミを叩き潰すことはできる。
だが、ハリネズミを叩き潰したならば、拳とて激しく傷つかざるを得ないだろう。
それは、大国にしてみれば、損でしかない。
だから、ハリネズミが無害である限り、手出しされない。
こうして、周辺諸国に損得計算の上で大公国を許容させるという方針である。
その身を守るハリとして、軍があるのだ。
針の抜けたネズミなど、猫に駆られるのが眼に見えてしまう。

「いまや、覚悟を決めて文字通りゲルマニアと轡を並べ、杖を掲げるほかにありますまい。」

老騎士の呟き。

長くを生きてきた者達は、事態をよく理解している。
彼らは、もはやのっぴきならない事態に陥っていることを悟り、覚悟した。
溜息と諦観を込めて呟かれた言葉。
そこには、もはや選択肢がないことを悟った人間特有の潔さすら込められている。

「そうである以上、武人として恥じることのないように我らの力を示す。そういうものだ。」

先ほどの老騎士に応え、覚悟のほどを示すように杖剣が掲げられる。
その杖剣の主は騎士団長であった。
躊躇を切り捨てる様に、忸怩たる思いを振り払い、彼もまた決断する。
もはや、後は無い。旗幟を鮮明にするべき時が来てしまった。
故に杖を取るしかないのだと。

「ですが、消耗を避けるようにとの命令が。そもそも、我々は案山子として派遣されたはずだ。」

だが、泡を喰ったように中堅の参謀が制止にかかる。
元々、彼は政治的な意図をよく解するという意味において選抜された身。
軍務についても、龍騎士母艦で補給や兵站といった事象を扱ってきた。
それだけに本国の事情もよく理解している。故に、彼は躊躇する。
周囲を大国に囲まれた祖国だ。しかも、金を持っている。
ここの部隊が消えた瞬間に、祖国の受ける脅威はどうなるか。
即座に、計り知れない規模に膨れ上がるだろう。
そうなれば、祖国の独立はもはや望めない。
ましてや、この派兵はそもそも見せ球でしかない筈だった。

「きらびやかな精兵に、ベアトリス殿下という玉。政治的な効果だけを考えれば、これ以上の要求は本国と検討すべきです。」

泥がつくことなど想定されていない玉なのだ。
ゲルマニアの意図は理解するが、かといって潔くここで彼らが討ち死など許容できない。
ましてや、ゲルマニア側の言い分は大国の傲慢さすら含んでいるのだ。
旗幟を鮮明にしなければ、踏みにじると。横暴と言えば、あまりに横暴。
そのような要請という名の踏み絵に応じられるか?
加えて、大公国が軽んじられるのも危険な兆候である。

故に、彼は反発せざるを得ない。

「時間が間に合わないのは、わかったうえでの発言か?」

騎士団長の鋭い眼光にたじろぎつつも、彼は頷く。
他にどうせよというのか、と言わんばかりに。

「我々は、消耗を前提としているわけではないのです。無論、本国に留守部隊はありましょう。」

主力の派遣をさけつつも、恩を売るために最大限効果的な派兵。
だから、本国に留守部隊は確かに存在する。
故に、ここで大公国派遣部隊が損耗しようとも、全滅ではない。
つまり、極端なことを言えば短期的には許容できるかもしれない。
だが、長期的には?
精鋭中の精鋭を失えば、質的優位は崩壊せざるを得ない。
補充には時間がかかる上に、質を量で補うことも難しい。
そうなれば、質的優位故に手出しを他国が自重していた状況が崩壊するのだ。
望ましくはないだろう。大公国は数で戦争ができる国家ではない。規模が違う。
なにより、本国の部隊は比較的補充が容易な傭兵を主軸とした歩兵だ。
無論、メイジも少なからずいるが質的には劣らざるを得ない。
質と数で劣れば、戦争では先が見える。

「ですが、メイジを最も多く抱える龍騎士隊の損害は、最も回避せざるを得ないのも御存じでしょう!」

まして、艦隊戦力で劣る大公国に龍騎士隊は欠かせない。
制空権を確保するためには、どうしても龍騎士隊が必要なのだ。
そのための、そのためだけの空中装甲騎士団である。
むざむざと、これを失えば、残った戦力とて一方的に空から叩かれる。
それは、断じて避けねばならないのだ。これは、至上命題に等しい。
なにしろ空からの支援を欠いた地上部隊など、今日では脆弱極まる。
戦訓を勘案すれば、絶対にだ。

「どうされるおつもりですか?無論、我ら空中装甲騎士団、臆することなどありえませんが。」

だが、先ほどの老騎士たちはすでに諦観している。
命を安く扱うつもりはないが、損害はすでに考慮の外部だ。
なるほど、後のことを心配する必要もあるだろう。
しかし、目の前の問題を解決してから悩む他にないのだ。
せいぜい、損害が出ないように各自が留意。これが限界だろう。
奮戦こそがこの局面における唯一の道だ。彼らは、そう悟っている。

「逸るな。我らは大公国の貴重な戦力なのだ。確かにむざむざと討ち死にが許される身ではない。」

手を掲げ、其れを制する騎士団長。決意をしたとは言え、彼は指揮官。
彼とて部隊を率いる責任は重々理解している。
少なくとも戦力の浪費は避けねばならないと。損害を最小限度に留めねば、と。
しかし、彼は一方で損害を許容せざるを得ないこともよく理解している。
もとより、彼は杖を大公国に捧げる人物なのだ。
不本意とはいえ、大公国が命運をゲルマニアとすごすと決めたならばそれに従う。
単純に、損害を抑えたいというのは軍政の問題。つまりは、軍人の分野。
故に、損害を抑えながらも国家の方針には従わざるを得ない。

「どちらにせよ、このままではゲルマニアに政治的な恩を売るどころか、抗議を受けかねぬ。動くしかなければ、いかにするか。」

だから矛盾する二つの命題を迫られた時彼に裁量権が与えられているのだ。

「今は、まだ遅延戦闘で指揮権もこちらが任意に行動することを容認しています。」

そして、部下もまたよくそのジレンマを理解する。
そのために、彼らは損害を抑えつつもゲルマニアの意図に適う案を練る。
前提となるのは、ゲルマニアは別段大公国に死ねとは言わないことだ。
つまるところ、効果的な援護を望んでいるという事。
だからこそ、遅延戦闘において指揮権は残っている。

「条件の悪化を見る前に行動すべきではないでしょうか。」

故に、条件が悪化する前に行動すべきだ。
裁量の余地があるのであれば、大公国にとって一番ましな選択ができる。

「・・・可能な限り消耗を避けつつオーク鬼を討つと?」

だが、そのましな選択肢とて無理難題に等しい。
オーク鬼をメイジが相手にするのは、そう難しくはない。
或いは、少数の精鋭で一方的に群れを倒すことも可能かもしれない程である。
だが、オーク鬼の軍隊を相手にするとなれば、全く話が違う。
現在進行形で各部隊が苦戦しているのを見れば、如何に無茶かよくわかるというもの。

「空中からの支援に徹しているゲルマニア軍龍騎士隊にはさしたる被害は出ていません。」

希望となるのはゲルマニア軍龍騎士隊の損耗率。
幸か不幸か、彼らは酷使されていながらも損害はさほどでもない。
まあ、オーク鬼が戦線の突破を優先し、空中から損害に無頓着だからなのだが。
そして、その意味するところは損害を無視できるだけの物量である。

「幸い、派遣戦力には空中部隊のみ。支援に徹すればよろしいかと。」

故に、ゲルマニア軍を援護するという目的は案外用意に見えなくもない。
実際に空から一方的に攻撃するだけならば、そこまで難しくもないだろう。
当然ではあるが、そこまで簡単であればなにもここまで彼らが悩む必要もない。

「支援は、まあ良い。だが、問題は空での戦いだ。」

だが、実際には対地戦闘だけでなく対空戦闘も当然考慮する必要がある。
確かにオーク鬼は空を飛ばない。故に、龍騎士にとってはまだましな相手だ。
まあ、稀に何かの間違いで例外的に飛ぶのがいたとしても問題ではない。
しかしながら、敵はオーク鬼だけではないのだ。

ごくまれに散見される程度とはいえ、アルビオンから『造反』したという戦隊がいる。
当然ながら、アルビオンの空海軍ご自慢である戦列艦を含む部隊だ。
航続距離の短い空中装甲騎士団では、逃げるのも一苦労だろう。
なにしろ、空中装甲騎士団は本土迎撃戦を想定して編成されている。
最大の任務は、侵攻してくる敵艦隊の迎撃なのだ。
足の短さを補うために、龍騎士母艦を活用し、遠征にも対応してはいる。
だが、逆に言えば龍騎士母艦が落とされたら帰るに帰れない。

「左様。実際の問題は、アルビオン系の戦隊だ。」

そして、龍騎士母艦は撃たれ弱い。フリゲートでも出てくれば致命的なほどである。
元々、装甲空中騎士団を運ぶためのフネに近いのだ。
一応軍用のフネではあるが、せいぜい武装コルベット程度の戦闘力。
アルビオンの快速から逃れられるか?正直怪しいだろう。

「・・・ベアトリス殿下の乗られた龍騎士母艦が落とされたら事だぞ。」

そして、誠に厄介なことにこのフネはベアトリス殿下の御座艦である。
落とされるわけには、断じていかないフネなのだ。
前線に運ぶこと自体、できれば避けねばならぬほどに問題は山積している。

「わかっている。其れは何としても避けたい。」

「いっそ、ゲルマニアの増援と呼応しますか?」

フリゲートを含む戦隊なれば、龍騎士隊の力量を存分に発揮し得るだろう。
なにより、ゲルマニアの増援と共闘するというのは、政治的に悪くない。
杖を共にという点でも、増援部隊という性質からもだ。

「確かに増援戦隊と合流すれば、一応の戦力になりますが指揮権は?」

ただ、問題は指揮権。
別の組織と、別の軍隊と、別個の指揮権など許される話ではない。
統一されない指揮権ならば、ないのと同じなのだ。
そして、大公国派遣部隊の指揮官はベアトリス殿下。
名目上とはいえ、ゲルマニア諸候の下には入りにくい。

「ベアトリス殿下の部隊から、分遣という形式を踏む。」

故にベアトリス指揮下の部隊から支隊を出す、という方式になる。
それならば、ベアトリス殿下よりも下級の指揮官というのは自明。
だから、ベアトリス殿下と戦隊指揮官の階級問題は回避できる。
だが、逆に言えばベアトリス殿下の護衛を減らすということでもある。

「信ずるほかにあるまい。我らもゲルマニアも争う理由はない。」


ああ、人の世はままならないものだ。

栄達を極めた公爵様。

最大諸侯にして、筆頭諸候。

王家の血を引く高貴な一族の長にして、名誉にも栄光にも不足の無いお方。

しかし、彼のお方は常に苦労なされる。

ああ、無情。

あるいは、皇帝閣下。

ご本人は、恐れ多くも評するならば、とにかく御有能。

部下の方々を見渡しても、軍事に、内政に、外交に、全て人を得ておられる。

強大な国家の主にして、並ぶものなき栄光を有される覇者。

しかして、常に彼の御仁は誰かに妨害される。

ああ、不毛な事態。

無能どもに付き合わされるとは、何たる不毛。


意味するところは明瞭。

始祖は、何人に対しても才に見合った苦労を欲するのである。

「ふざけるな!いくら卿といえども、限度がある!」

常日頃、冷静さを崩さないことを自慢にしているブリテン貴族。
その矜持故に、極力平常心を保とうという努力もむなしく、コクラン卿は叫んでいた。
手にした命令書に書かれているのは、対トリステイン戦への従軍命令。
それも、単なる従軍ではない。
面倒極まるトリステイン戦線の指揮命令。
極言すれば、赤字確定の骨を折れというに等しい。

「コクラン卿、そこをまげてお願いしたい。」

「ラムド卿のお言葉といえども、承服しかねる。」

従軍命令ならば、まだ艦隊を率いて従軍する事も考えられた。
だが、艦隊を対ガリアに残し、単身でトリステイン方面へというのは承服できない。
自分の育て上げた艦隊を残し、提督が不慣れな地上戦をやらされるのだ。
不快感や筋違いといった感情は全く故なしという物ではない。

「地上戦など、筋違いもよいところ。ハルデンベルグ卿が適任のはずだ。」

まして、新参の指揮官。権威よりも実力で黙らせるほかにない。
それが管轄の違う軍の指揮権を用意に掌握し、戦力発揮させるのは至難の業だ。
ロバートには空海軍ならばともかく陸の実績など何もない。
そして、軍というのは、本質的に身内以外の口出しを嫌う。
それが、上官として赴任したからといって変わるかと言えば別だ。全く別なのだ。
なにより、これまで指揮をとっていた辺境伯の面子を考慮すれば厳しい。

「そもそもいったい、何故私に話が来ることに?」

「落とし所を探すため、と。卿なら理解できるはず。」

だが、ラムド伯とて退くわけにはいかない。
彼の様な外務を司る面々にしてみれば、現地に安心できる人物が必要。
そして、ある程度政治を理解しつつも軍務を知悉していることが条件である。
言うまでもなく、ヴィンドボナが信用できることも不可欠。

そんな人間が選抜される仕事である。
絶対に無理難題を処理させられる仕事なのは、言を待たない。
ましてや、軍人でありながら政治家に近いことが求められるのだ。
艦隊を愛する提督から、艦隊を取り上げて政治を与える?

交渉事が仕事とはいえ、これほど気分が乗らない仕事もないだろう。
ラムド伯は緊張を誤魔化すために、紅茶を流し込むと一気にまくしたてる。

「有体に言えば、ヴィンドボナの意向を理解できる人物が必要なのだ。」

「卿も理解されよう。卿が赴かれよ。」

眉を顰めつつ、ロバートは手に取った書類をつき返す。
そして、丁寧ながらも、断固たる拒絶の言葉。
彼の表情は、雄弁に碌でもないことを押し付ける友人への不満を物語る。

「私は、法衣貴族故に軍務には疎い。」

もちろん、その表情が読めないわけではない。
だが、ここでたじろぐ程ラムド伯とて素人ではない。
厄介事を持ちかけ、はいそうですかと下がれるならばそもそも持ちかけない。

「卿ならば軍務にも精通しているではないか。」

ヴィンドボナにしてみれば、中央の意向を解する事が不可欠。
其れと同じくらいに、軍事について知悉していることも求められている。
コクラン卿ならば、と中央の連中が判断したのはそういう背景からだ。
ラムド伯自身、悪い人選ではないと思う。
だからこそ、説得にも力がこもる。

「私は、艦隊が専門だ。陸戦など、そこらの中隊長の方がまだましかもしれん。」

だが、ロバートにしてみれば陸戦の指揮など論外だ。
海兵隊の指揮程度ならばまだ類似した仕事かもしれない。
だが、陸の戦闘など全く別物の種類になる。
陸戦ならば、専門家に任せるべきだ、と彼は信じていた。

「辺境伯らは陸戦をよく解する。彼らが補佐すれば、問題はない。」

「なら、卿が補佐をうけるか、彼らに任せればよい。」

「それは、できぬ。」

無論、専門家に任せるべきというのはラムド伯にしたところで理解している。
だからこそ軍事については、現地部隊に一任してきた。

「交渉をするにしても、勝たねばならないのだ。卿なら解するだろう。」

ヴィンドボナが求めているのは、軍人による勝利。
極端に言えば、軍事力を侮られるわけにはいかないという事情がある。
亜人との戦闘で、ゲルマニア軍が敗北し交渉を求めたと解釈される人事はできない。
ラムド伯以下、外交を専門とする人間は誤って解釈されかねないのだ。
軍事的勝利を基盤とした交渉。
ゲルマニアにしてみれば、後始末のためにも勝利が不可欠。
そして、内外にその意思を示すためには軍人の派遣しかない。

「ならば、なおさらハルデンベルグ卿が適任だ。」

そして、その事情を踏まえた上でロバ―トはハルデンベルグ卿を推薦する。
ゲルマニア軍部の重鎮であると同時に、諸候としても有数の力量を持つ人物だ。
このような難局で難しい指揮を執るならば、権威は絶対に欠かせない。

なればこそ、とロバートは思う。

自分は、新参者として慎重であらねばならないのだと自制しているのだ。

軍という既存秩序を何より重視する組織で、新参者が我がもの顔で振舞えるわけがない。
なるほど、ハルデンベルグ卿はロバートという個人を認めているだろう。
だから、個人的に見た場合ロバートの派遣も歓迎してくれる。
本質的には武人であるのだから、武勇を賞賛すらすることあるかもしれない。
だが、個人の承認が組織の中において絶対を意味するかと言えば、全く違う。

「いささか、口にするのも恥ずかしいが私は新参者に過ぎない。」

心外だ、とばかりに口を挟もうとするラムド伯を制止。
ロバートは、淡々と言葉を紡ぐ。
彼とて、思うところはあるが現実を直視する程度には現実的なのだ。

「新参者を指揮官として仰げるほど、ゲルマニアは統制が効くとは思えない。」

そして、ゲルマニアは中央の意向というものが絶対的ではない。
確かに命令すれば艦隊は動くだろう。それは、艦隊がロバートを認めているからだ。
だが、陸軍にしてみればロバートは艦隊の提督という程度。
軍全体に重きをなすかと言えば、彼は所詮新参の新興貴族としかみられていない。

「だから、ハルデンベルグ卿を推薦する。あの方ならば、軍に睨みも効くだろう。」

「睨みが効き過ぎるのだ。あの方は武人だが、同時に諸候でもあるのだぞ。」

ハルデンベルク侯爵はゲルマニア軍ににらみの効く重鎮。
それは、ラムド伯とて十分に理解している。それくらいヴィンドボナでは常識だろう。
だが、同時に中央集権派からしてみれば微妙な存在でもあるのだ、と思わざるを得ない。
武人として潔いとはいえ、彼は諸候だ。それも、軍系貴族の強力な一派である。

「選帝侯らに比べれば、まだましだが個人としては強力に過ぎる。」

「・・・だから、排除すると?ノブレス・オブリージュを解する方だが。」

一気に怪訝な表情から、反対だという顔に一変したロバート。
其れに対して、ラムド伯は誤解だとばかりに強く頭を振る。
彼とて、ハルデンベルク侯爵個人に含むところは無いのだ。
それでも、中央官僚以外の強力な軍権保持という事態は受入られない。
コクラン卿は強大な権限を持つ独立貴族に類似しているが本質は、官僚である。
彼の権限は中央の裏付けによるものであり、血縁でも地縁でもないのだ。

「排除するとまではいかない。だが、バランスを取らねばならないのだ。」

だが、ハルデンベルク侯爵は歴代のゲルマニア帝室に匹敵する歴史を誇ってきた貴族の中の貴族。
確かにヴィンドボナよりであったとしても、本質的には権限の縮小を望まないだろう。
そういう意味で、中央集権に対して穏健とはいえ反対派に属する。
そして、そのような人物に無理難題であるトリステイン問題で影響力を拡大されるのは困るのだ。
少なくとも、ゲルマニア中央集権派は。

「・・・なるほど、積極的に軍権を私に任せたのはそういうことか。」

その意図を理解したロバートは呟かざるを得ない。
確かに、厚遇されていたのは間違いない。封建世界と考えれば新参者であるにもかかわらず、だ。
結局のところその意図は明瞭である。あからさまだと言っても良い。
血縁・地縁が綺麗であり有能な軍人の確保と中央集権への助力。
どこまで考えていたのかは知らないが、アルブレヒト三世はなかなか策士だ。

「だが、それでも難しい。こういっては悪いが、私は陸戦など素人に等しいぞ。」

狩り程度の認識ならば、獲物を追いかける要領で亜人討伐もできる。
だが、遺憾ながらトリステイン方面の亜人は軍隊とみるほかにない。
そうなれば、ロバートの手には余る。補佐を受けても、無能を補える程度だ。
最初から専門の陸戦について知悉した軍人を置いた方がよほどまともだろう。

「一応、案は無いこともない。」

だが、ラムド伯にしてみれば相手の態度がわずかなりとも変化すれば十分。
ヴィンドボナとて問題の厄介さを理解しており、本格的な介入の意思すらある。
そして、その検討段階で制度上の課題も検討されているのだ。

「コクラン卿、卿の任務である北部開発、これは一段落したと聞くが。」

「ああ、初期の目標は達した。」

報告書を見れば、確かにダンドナルド近隣の発展は目覚ましい。
実際のところ、制度上の設計はほぼ完了したといってよい。
新領の大半は、ヴィンドボナ派遣代官との引き継ぎも始まっている。

「ならば、トリステイン方面の総督職はどうか?」

「総督?いや、待たれよ。それは、どういうことか。」

コクラン卿は興味を持ったのだろうか?
まあ、どちらにしても悪い兆候とも思えない。
そう判断したラムド伯は続ける。

「卿が指揮権を委託すればよい。実質的には政治と財政が卿の職務だ。」

「・・・つまり、私はツェルプストー辺境伯を指揮下におくと?」

意味するところは、同格の辺境伯を職制上の部下にするという事。
同時に、実質的な軍の指揮権には干渉しないことで、現状を維持できる。
言い換えれば、現場の混乱は必要最小限に留まるだろう。

「そうなる。そして、複雑な彼の地を統制することが望まれているのだ。」

名目上は戦闘の指揮だが、実際はトリステイン問題解決のために派遣されるのだ。
問題とは、厄介なリッシュモンら旧トリステイン貴族や匪賊対策も含む。
究極的には問題が起こらないように、予防策を構築するのが目的になるだろう。

「卿は、いや、ヴィンドボナは私にそれをやれと?」

それほどの人事だ。
皇帝の意向がストレートに反映されていないほうがおかしい。
なにより、これほどの内示がされるということは、すでに根回しがあっただろう。

「そうだ。ヴィンドボナは卿に期待している。」

軍事的な勝利の演出。
政治的ごたごたの処理。
外交上の問題防止。
これらを、個人に処理させようというのだ。

「卿には率直に言うが、気乗りしない。厄介事でしかないではないか。」

故に、そう簡単に拒否できる人事命令ではないがロバートにしれみれば歓迎できない。
私的なことを言えば、ようやくキツネ狩りが楽しめそうなのだ。
それは、もはや英国貴族の生きがいに等しいにもかかわらず、取り上げると?
そして、公的に見た場合複雑怪奇な問題を処理することになるのだ。

我慢強い性格だとしても、うんざりするような仕事が相場だろう。

「心よりご同情申し上げる。だが、申し訳ないが行ってもらいたい。」

「・・・あいわかった。しかし、やる以上は私に任せてもらいたい。」

「元よりそのつもり。期待さしてもらいたいですな。トリステイン総督?」

万感の思いがこもったコクラン卿の溜息。
ラムド伯はその肩を叩き、持参したワインを差し出す
交渉がひと段落したという安堵と、若干の申し訳なさと共に。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

①読みにくいというご指摘により、改善を試みました。
 あんまり、変わっていないですが(-_-;)
②ロバート:北部で隠居など許されません。
⇒厄介事最前線に放り込みました。
③大公国の憂鬱
⇒いつの時代も小国は苦労します。
悲哀というか、頑張れ。超頑張れ。
名前も覚えてもらえないくらいマイナーな国じゃないと示すのだ。
(クルデンホルフ大公国と入力するのが面倒なので略してますが。)
④更新の遅延
⇒ごめんなさい。



[15007] 第九〇話 宣戦布告なき大戦3
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/07/06 20:24
戦争というやつは、ある意味で究極の実力主義だ。
運を含めて、全てが問われる。
平時ならば無能が威張ることも許されるが、戦場でそれは禁忌。
戦場において攻撃が前からだけとは限らない。

だが、逆に言えば運に恵まれた優秀な指揮官は信頼される。
その指揮官を信頼した兵士というやつらは、行けと言われれば地獄にすら進軍するのだ。
信じられないかもしれないが、全くの事実である。
少なくとも、私はこの目で見たのだ。

あの地獄の様な戦場で。



「・・・品が無い上にしつこいわね。」

タルブ前方に構築された防衛線。
キュルケがいる戦場は、そんなごくありふれた最前線の一角である。
特徴的なことと言えば、全軍で最も突出した前衛であることくらいか。

城壁、といってよいほど頑丈に組み上げられた防壁。
さすがに、土系統のメイジが総出で構築した要塞だ。頑丈なのは間違いない。
だが攻城用のゴーレムの突撃にすら耐えうる防壁があるにもかかわらず、そこに立つ兵士たちの表情は引き締められている。

その最突出部で前衛の任務は単純だ。簡易構築とはいえ、土メイジが作り上げた要塞で遅延防御に努めるだけ。
つまり、要塞にこもって奔流の様な亜人の突撃にただ耐えること。それだけである。
物陰から攻撃するだけとみるか、突出部で奮戦すると見るかは、個人の裁量だろう。

防壁の上で杖を掲げ、敵を近づけなければそれでよい。まるで、簡単な仕事のように聞こえることだろう。
なにより、亜人らと接近戦を回避できるために兵士の損耗を抑えられるというのだ。理想的な防御方法に思えるだろう。
だが、一度配属されてみれば現実が理解できる。

視界を埋め尽くさんばかりに展開している雲霞の如き亜人の大軍。
それらに対峙するという事に慣れ切ったキュルケですら、やはり改めて厄介さを痛感する。
杖を握りしめた掌は、汗ばみ持ち主の緊張を如実に物語っていた。

「弓兵!とにかく撃ちまくれ!」

壁の上から、一方的に射撃するのは有利だ。魔法も良く狙えるのだから、効率も悪くはない。
弓と魔法の攻撃で戦果は上々である。だが、数の差は大きい。絶対的ですらある。
だから、弓が持てる兵士は悉く弓兵となっている。それでも、ようやくましな程度。
弓は速射できるが、威力が軽い。加えて人間ならば致命打になるとしても、亜人には微妙。そして、相手はオーク鬼主体。

「銃兵、構え!防壁を乗り越えようとする連中を狙え!」

だから、何重にも構築された防壁を乗り越えようとしてくるところを銃で狙う。
俊敏なオーク鬼とて壁を乗り越える動作の俊敏さには限界がある。
マスケット銃など狙って命中するものではないが、相手の数が多ければ、どこかには当たるものだ。

「南だ!土系統が使えるメイジは南に防壁を造れ!ゴーレムの展開を忘れるな!」

そして、土系統の練金でゴーレムや防壁を大量に構築。
これは、槍兵の損耗に耐えかねたために発案された防御方式であった。
なんとか、壁とゴーレムで時間を稼ぐ間に魔法と遠距離武器によって仕留めるいう戦い方。

「っ、壁が抜かれたぞ!誰でもいい、あれを止めろ!」

だが、それでもオーク鬼らは数の暴力によって直接防壁を突破しようとしてくる。
幾重にも張り巡らされた防壁に頼った防戦とはいえ、防壁そのものが破壊されては持ちこたえられない。

突破してくるオーク鬼を含めて対処する必要がある。

ちょうど最も突破された一角に近いメイジであったキュルケは、即座に杖を構える。
彼女が使える魔法で有効な阻止能力がある呪文を検討。
一番の理想は防壁の穴を封鎖する事だが、土系統のメイジに任せるべきだろう。
ならば、一時的にオーク鬼の突破を阻止できればよい。
そう判断したキュルケの行動は素早い。

ファイヤー・ウォールを突破された部分に展開。
いくら死を恐れない亜人でも、燃えながら前進するのが不可能なのは、幾度かの戦闘で確認済み。
なにより、不燃物しかない防壁付近で燃えるのはオーク鬼くらいだ。遠慮なくやれる。

「練金だ!今のうちに防壁を造り直せ!」

飛び交う怒号と、幾人かの足音。
短くも的確な詠唱によって、即座に防壁が産み出され、固定化がかけられる。
この戦場で最も酷使されている土系統のメイジらが何とか間に合ったらしい。

「あら、助かりましたわ。」

キュルケは素直に謝礼を述べる。如何に彼女といえども、延々炎の壁を出し続けるわけにもいかない。
そんなことをすれば、すぐに魔法が使えなくなっていたことだろう。
わざわざ駆けてきてくれた事を思えば、本当に助かったという思いである。

「いや、すまない。まさか、固定化をかけた防壁が壊されるとは思いもしなかった。」

だが、メイジたち全体にしてみればむしろ固定化のかかった防壁が抜かれた事の方が重要な意味を持つ。
攻城用ゴーレムの突撃を受けたならばともかく、オーク鬼の集団にも突破されるのだ。
これでは幾重にも構築している防壁であっても、まったく安心できない。

「本当に無粋な連中ね。ドアから訪問する程度の知恵もないのかしら。」

まだメイジの疲労が限定的であるため迎撃も容易だが、これ以上はいけないとキュルケですら思う。
情熱的なアプローチならば歓迎だが、陰湿なしつこい疲労を狙った波状攻撃は望むところではない。
現実的な視点からすれば、メイジとしての力量が抜きんでているキュルケ自身が疲れを覚え始めたのだ。
今は、辛うじて軽口を叩ける。持ちこたえることは可能だが、それにしても限界も見え始めている。

「ああ、なるほどドアを造り損ねた我々の失態か。」

「ええ、本当よね。全員トリステインの水を飲んだからからかしら?」

苦笑が広がるのを感じながら、部隊に動揺が無いことに一先ず安堵する。
年齢こそ下の方であってもキュルケは血に伴う義務がある。それは、辺境伯として境界を守護してきた先祖代々の誇りだ。
対トリステインの小競り合いも少なからず経験している辺境貴族らも同じ境遇にある。
そんな面々がだ。旧トリステイン王国の土地を守るために、戦争をしているのだ。

「間違いないな。ドアを造り忘れたのはそれが原因に違いない。」

戦場の一角であっても、笑いたくなるというものだ。
自分達が散々笑い話にしていたトリステイン貴族らと同じように追い詰められているかと思えば、嫌な笑いだが。
それでも、戦場で呑まれるよりは笑い飛ばした方が強いと皆知っている。

「はっはっ。これでは、トリステイン貴族が間抜けなのは彼らのせいではないのかもしれませんな。」

「おお、大発見だ。アカデミーに報告する事にしよう。お手柄ですな、ミス・ツェルプストー。」

おどけながらも、彼らの杖は魔法を吐き出し、防壁を突破しようとするオーク鬼に降り注ぐ。
辛うじて、弓兵と銃兵の射撃を潜り抜けてきた亜人の強靭な耐久力といえどもさすがに魔法攻撃まで受けてはたまらないだろう。
退却時に大砲の多くを喪失したのは痛かったが、現状はなんとか持ちこたえられている。

「あら、光栄ですわ。」

杖を構えながらキュルケは微笑を浮かべてしまう。ふと、想像してしまったのだ。
高慢ちきなトリステイン貴族と違って融通のきくゲルマニア貴族だ。
きっと冗談8割、トリステインへの侮蔑2割で本当に報告書の隅っこに備考として書き入れることくらいはするかもしれない。

「ふむ、では『ドアの造り忘れに見るトリステイン健忘症』と命名しますか。」

「私達はゲルマニア人でしてよ。そんな恥ずかしい名前を残すくらいならば、ドアをつけませんこと?」

だが、さすがにそれは無いだろう。それくらいならば、瀟洒なドアを洒落で作った方が笑い話になる。
そうすれば、オーク鬼らも紳士的に訪問するかもしれない。まあ、無理だろうが。
人間ならば、ドアを開けて入ってくるようになるだろう。しかし連中には無駄な期待でしかないだろう。

そこまで考えたときに何かが彼女の頭に引っ掛かった。
本当にそうなのか?
もちろん、そうだ。亜人にドアを開けて紳士的に入ってくるという発想は無い。

「うん?・・・どうされた。」

考え込んでいたのが表情に出ていたらしい。
キュルケが浮かべた難しい表情を誤解した周囲のメイジと兵士が警戒をやや強めて戦場を睨んでいた。

「いえ、なにかが気になっているの。」

すこしばかり、少しばかり思考を変えてみればいい。
男たちがアプローチを仕掛けてくるとき、それを彼女は誘導して逸らすことがあった。
例えば、ドアに軽い仕掛けを施すこともある。
その、ドアだ、ドアがなにかを意味するのだ、とキュルケは思う。

「違う、そうじゃないわ。いえ、ひょっとして逆に考えれば?」

ドアから少し離れて、そう、誘導するところだ。
オーク鬼らがドアをくぐらないにしても、彼らが通りたいと思うところを造ればそこがドアに相当する。
そして、ドアが分かっていればそこに攻撃を集中すればよい話。
意図的に、誘導するために、調整?

「そう、それよ。それだわ!」



「そう、それだ。今すぐに、資料一式を寄こせ。」

重戦列艦ヴァイセンブルク提督執務室。そこは、本来であれば壮麗な空間であるべきであった。
一財産どころか、それ自体で家が建つほど高価な家具。軍用のフネでありながら、快適性をも追求した室内。
だが、今となってはそれらは惜しげもなく放り出され、その空間に資料が積み上げられている。
執務室を占める主の性格を露骨に表わす質実剛健な執務机で、報告書の山にペンが入れられていた。

「しかし、考えましたなコクラン提督。まさか、移動手段として旗艦を重戦列艦にされるとは。」

つくづく感心したと言わんばかりの幕僚らは、上司の抜け目ない対応に心底敬意を示していた。
確かに、ゲルマニアの艦隊内規で提督は移動に際して旗艦を使用できる。
当然ながら、指揮下の艦隊であればどのフネを旗艦にしようとそれは提督の裁量権だ。

「本来であれば、フリゲートの方が移動手段としては優れるハズですが。」

急ぎの外交使節として行くならば、手持ちのフリゲートを使用すべきなのだろう。
だが、別に戦列艦を使用してはならないという法もまたない。
上は、できる限り艦隊を対ガリア警戒用に配備するらしいが、それを思えば無理をしてもフリゲートを派遣した意味があった。

重戦列艦に多少の護衛をつけたところで、それは慣行の範疇。
規則違反ではない。さすがに、フリゲートを複数付けることこそ敵わないにしても、相手は戦隊規模だという。
そうであるならば、フリゲート2、戦列艦1は決して小さくない数字だ。

「しかし、ヴィンドボナからうるさく言われませんか?」

「なに、総督としての格式を思い出したまでだ。それより、情勢の報告は?」

危惧を笑い飛ばすと、一同の雰囲気が一変する。
碌でもない仕事、碌でもない任地。
行きたくもない戦場に行くのは軍人の仕事だが、総督の仕事ではない。
逆に言えば、関わりたくな政治に関わらされるのが、総督の仕事である。
どちらからも解放される楽な仕事はなかなか見つからない。

「こちらに。ですが、整理されたものではありませんでした。」

「戦線の崩壊で混乱した中だ。無理は言わないが、事実誤認の可能性はどの程度ある?」

戦地での交戦記録と報告書。
信賞必罰ということもあるが、なにより従軍貴族らが私的に寄こしてくるモノの精査も幕僚の仕事である。
まあ、査読に際しては、私的な報告書は文頭から疑ってかかってしまった方が効率がよいとの評判だが。

「あからさまに矛盾する物は除くつもりでしたが、駄目です。混乱というよりも混沌でした。」

だが、疑うにしても基準があればこそである。
まったく未知の事態に対しては下手に予断を降すことにもなりかねず、優秀ぞろいであっても判断に苦吟してしまう。
結局、意見の集約と整理もままならないでいるところに、上司が提出を求めれば報告書の束を出すしかない。

「初期作戦から変更、命令の伝達までは組織的に機能しています。」

一応、作戦初期のそれは有効に機能していた。
それ以前の政治的・外交的な配慮を記載した資料も質で見た場合有用だろう。
だが、混乱時点での状況が今一つ分からない。

「ですが、戦線全域で亜人による攻勢を受けたところから、司令部の資料も怪しくなっています。」

短期間で唐突に崩壊する戦線をなんとか、引き繋ぎながら全軍の後退戦闘。
追撃してくる敵兵の遅延戦闘指揮と、殿軍抽出及び連絡線維持。
並行して司令部事態の速やかな後退と機密処理。
言葉にすれば、たったそれだけだが、たったそれだけをしながら記録を詳細に残せる軍など存在しない。

「前線の指揮拠点は?」

「現在、タルブ軍廠とのこと。」

ロバートにとっても聞き覚えのある地名だ。
以前、トリスタニアを艦隊で襲撃する作戦を立案した際に、中継拠点として使った記憶がある。
思えば、辺境伯らとのそれ以来の関係だ。
それはタルブ地域も同じような関係だろう。関係事態はさほども悪くないと思われる。

「資料を。確か、兵站拠点としても整備されていたはずだが。」

中継地点としての性質から、物資の集積拠点とされていたはずだ。
実際、軍が交代しても物資は勝手に後退できない以上、かなりの備蓄が残されたと見れる。

「はい、西方の軍事物資の集積拠点として整備されています。ほとんどあの方面唯一の軍廠になりますね。」

実際、ゲルマニアは西方方面の軍事拠点整備に重点を置いていなかった。
要衝ということで一応タルブに拠点を整備しておいたのは本当に幸運である。
そうでなければ、ゲルマニア領内を拠点とし、策原地から離れた地域で戦闘をする羽目になっていただろう。
現状ではタルブが陥落しない限り補給の懸念は短期的にはあまり心配しなくて済む。

「では、物資に困窮する心配は無用か?」

「いえ、敗走時に重装備を投棄しているため砲が不足していると。」

だが把握している限りにおいて、物資の不足は表面化していないが重装備の補充は厄介とされていた。
まず、大砲。砲弾自体は備蓄があったとしても大砲そのものはあまり余裕がない。
同時に、馬や亀も不足している。特に、亀の不足は深刻らしい。
皮肉なことに、砲を後退時に破棄しているために亀の不足が深刻な問題にはならないですんだ。
これは、もはや嗤うほかにないだろう。

加えてまずいのが、負傷兵の存在である。白兵戦が多すぎたために、治療が追いついてけないでいる。
もちろん軍の治療だ。それも、メイジを中心とした軍である。冷酷ではあるが別段、兵士を大切してのそれではない。
兵士など戦えれば問題ないという程度の認識だが、さすがに盾が全滅しそうになれば考え直すという程度。
それでも、これほど全面的に押し込まれると無視できないのも事実なのだ。
後退時には、部隊の生存を優先し、攻城兵器の類から鎧などまで大半は捨てたらしい。
当然、重たい鎧など最優先で放棄されており逆にオーク鬼が装備する始末だとも言う。
相手が攻城兵器を運用しないだけまだましというべきだろうか。

「弾丸はあるのだな?ならば、取りあえずは問題ない。」

だが、取りあえずは問題はない。
重装備の鎧と言ったところで、砲弾ならば用意に粉砕できる。
メイジによる魔法攻撃も大いに期待できるところだ。本来であれば、砲亀兵を使いたいが、拠点防衛であればなくともまあよい。

「それと、先行派遣した戦隊から大公国軍について問い合わせが。」

まあ、なんとかならないこともない軍事情勢であるか、とロバートが気を緩めかけた時のことだ。
寝耳に水と言わざるを得ないような報告に思わず天を仰ぎたくなる。
主よ、これはなにかの試練でありましょうか、と。

「大公国軍?聞いていないぞ。」

ラムド伯から、そのような部隊の存在は示唆されていない。
もちろん、引き受けるまでは機密だの、守秘義務なぞがあるのだろう。
その意味においては、ラムド伯の悪意ではな。
だが、職責に忠実であったに過ぎないのだろうと、思えるかと言えば全くの別だが。

「政治的配慮から、派遣された部隊であり高度な統治上の配慮を貴官には要請する、とヴィンドボナより但し書きが。」

「・・・思った以上に面倒が多そうだ。指揮権は?」

「はっ、その総督の職権によれば大公国に“要請”できると規定されております。」

“要請”の一言を耳にした瞬間、いならぶ面々は表情をひきつらせる。
どのように、処理せよと?
踏み絵をしつつ、対外的には協力的に見せかけながら、命令ではなく要請?
無理難題も限界に近い。よくここまで無理が言えると言っても良い。
まだ、ヴィンドボナの政争に参加する方が楽かもしれない程だ。

「いっそ、指揮権を寄こせと要請しますか?」

「できれば苦労しない。仕方ない、それは一先ず置いておこう。他の政治情勢は?」

ないものねだりは、時間の無駄だ。
馬鹿なことをと首を振り、場の主題を変更する。
ともかく、情勢が把握したい。

「旧トリステイン貴族でゲルマニア管轄領域下にある連中の動向報告が。」

「叛乱軍が、レコンキスタ、と自称したそうです。すでに、相当の文章が出回っているものかと。」

「後者は現物の入手を。で、連中の動向は?」

そして、一番肝心ともいえる旧トリステイン貴族らの動向。
極論してしまえば、土地に根付いた貴族を引きはがすきっかけにも、さらに根付かせるきっかけにもなるのだ。
油断も隙もあるものではないが、確認は怠れないだろう。

「中立です。」

「ふむ、連中が中立か。間違いないのか。」

そして、一番最悪な事態が中立。
どちらに転ぶかも不明な中立ほど面倒な事態もない。
まして、好意的な中立ならばともかく、叛徒に共感を隠さない連中だ。
どこまで中立が信用できるかすら微妙な状況であれば、頭を抱えたくなる。

在りし日のパーマストン閣下は、よくぞこんな連中を相手に渡り合えたものだと心底感心したくなる。

「はい、名目だけとはいえ、中立です。」

誰ひとりとして信用はしないが、中立は中立だ。
少なくともこちらに対して、正面から攻撃を仕掛けてくる可能性はやや少ない。
戦場に横合いから参入されないように警戒する必要はあるが、撃破しなくてよい分いく分楽とも言える。

「ならば、上手くそのまま中立を維持させたいものだ。これ以上は、御免だからな。」

「しかし、ヴィンドボナはトリステイン貴族問題の解決を希望する、と。」

解決とはなにか。
それは、何を意味するのか。
問題を解きほぐすことである。その意味するところは何か?
単純に考えれば、さっさと処理することにある。
神よ、どうして貴方は私にかくまでも面倒事をお命じになられるか。

「それと、アルビオンよりの知らせなのです。ヴァリエール公爵家と王党派に接触あり、と。」

よりにも寄って、中立を謳う諸侯の中で最大の貴族がアルビオンに亡命した王党派と接触している?
はっきり言って、アルビオンがこれを許したということ自体が問題だ。
本来であれば、アルビオンの介入を意味するに等しい行為。連中が譲るべきだ。
それをしないということはそれ相応の意味があると見ざるを得ない。

「都合の悪いことに耳をふさぐ愚か者にはなりたくない。続けてくれ。」

ともかく、聞いて判断しなくてはならない。
口が二つではなく、耳が二つあるのは人の話を聞く為に神が授けたもうたのだから。

「その、トリステインの風習なのですが。」

「うん?興味深いな。続けてくれ。」

文化、風習に対する関心。万学に対する敬意と関心は、ロバートの私的な趣味である。
だからこそ、彼にしてみれば政治的道具として風習を使うことには関心が強い。
インドにせよ、副王制度は実に有効であるし、アフリカのそれも興味深かった。
機会があれば、ハルケギニア社会の総論を書きたいところである。
それ故に、幾分気分もまともになるというものであった。

「王女の結婚式には、巫女としてトリステイン貴族子女が選ばれるというものが。」

「ああ、王室典範のそれか。で、それだけなのか?」

「ええ、式典への参加。公爵本人は出向かないかと思われますが。」

つまり、伝統の一つに過ぎない。接触と言っても、微妙なレベルのそれだ。
明確な敵対行為と評するには、あまりにも限定的であるし、味方とも解釈しにくい。
故に、非常にデリケートな対応が求められる問題として見るべきだろう。

「微妙だな。まさかとは思うが、ヴィンドボナはそれを理由に介入を求めていないか?」

だが、介入する理由としては十分すぎる。
少なくとも、公式には帰属不明瞭であるからこそ、中立が許されているのだ。
王家の結婚式にトリステイン貴族として参加するならば、口実としては十分。
ヴィンドボナの外務関係者はアルビオンと交渉していることだろう。

なにより、アルブレヒト3世はトリステイン貴族を根こそぎ無力化したいはずだ。
よほど状況が悪化しない限りはなにがしかの対応を望むはず。

「・・・求めてくるかと思われますが。」

「・・・いうだけの連中は簡単で良いですな。」

室内に広がる苦笑。
確かに、いつの時代も後ろから命令するだけの連中は気楽である。
だからこそ、伝統的に指揮官先頭の精神が尊ばれるのだ。

「さてな。それ以上は、品位を欠くので止めておくべきだろうが、聞かなかったことにしよう。」







「ゲルマニア軍に援軍?」

それは、好意的な驚きを含む疑問であった。彼らは、よく知っているのだ。なにしろ、我がことのように見ている。
ヴィンドボナはガリアに警戒心をひと時たりとも緩める意志などないのだ。
今のゲルマニア軍部が、思いきった戦力を捻出するには少々決断まで時間が必要だとヴィンドボナの商人ならば誰で知っていた。
それだけに、今回の増派という知らせは彼らをしてゲルマニア軍部の努力に驚かされる思いを抱かせうるのだ。

「はっ、どうやらダンドナルドが思い切って派遣したようです。」

報告書によれば、戦列艦を中心とした増援の部隊がダンドナルドの軍廠を出立。
この報告が書かれた時に出立していることを思えば、すでに前線に赴いていても不思議ではない。
意味するところは、戦場の天秤に少し変化があるということ。

「驚いたな。まだ、そんな余力があったのか。」

大規模演習後、壮大な砲撃戦を行った艦隊だ。
フリゲートを中心とした快速の部隊を派遣し、さらに一隻とはいえ戦列艦まで出すとなると戦意も旺盛だろう。
言い換えれば、武器弾薬を根こそぎ消費したにもかかわらず、まだ武器弾薬に余力があったということになる。
だとすればゲルマニア北部の艦隊拠点化は、想像以上なのかもしれない。
或いは、タルブの集積物資はそれほどまでに、ということになる。

「だが、さすがに限界とみるが。」

とはいえ、さすがにゲルマニアにとってみれば予想外の事態なのだ。
備えてあるといっても、限界はあるだろう。何よりも、ゲルマニアは対ガリア戦を念頭に置いていた。
西方での動乱など、ゲルマニアにしてみれば予期されていない代物となる。
物資の集積とてたかが知れているはずだ。

「はい。ダンドナルドに駐在している者らの報告では、砲弾は何処の倉庫にも欠乏していると。」

「ふむ、つまり当面は戦力が小出しになるということですかな?」

艦隊を温存したいヴィンドボナの意向もある。
こういってしまってはあれだが、アルビオン系の離反した戦隊相手に全艦隊を向けるのは確かに無駄だ。
だからと言ってフネを送らないわけにもいかないというバランスが配慮された結果だろう。

「はっきりといたしません。」

「さて、困りましたな。」

「戦費調達にはどう対応するべきか・・・。」

そして、彼らが頭を悩ませている問題もそのバランスにある。
従軍した貴族らが、戦果によって返却の原資となる資金を得られるならば、貸す方がよいだろう。
だが、ゲルマニアが苦戦し恩賞どころでなくなれば貸し倒れすら覚悟する必要がある。
また、勝利したとしても誰が褒賞の対処となるのかで意味合いが全く変わってしまう。

端的に言えば、勝ち馬に乗りたいのだ。

「閣下の周辺が、この戦いをどう見ているか。そこが知りたいですが、どなたか伝手をお持ちでは?」

勝ち馬に乗るためには、最低限ヴィンドボナの主が何を考えているかを知る必要がある。
それも、表向きのものではなく本音でだ。

「抜け駆けは避けていただきたいものですな。」

まあ、アルブレヒト三世がその地位に至るまでに数多くの政敵を葬り去ってきたことは有名である。
そんな人物が容易に自らの意図を悟られる真似をするとも思えない以上、この会話は抜け駆けの牽制程度。

「ああ、抜け駆けと言えば先遣隊に従軍商人を付ける件はどうなりました?」

「拒絶された、そう聞いておりますが?」

「む?しかし、そうなると自前の商人を乗せたことになりますぞ!」

重要な話題は、それとなく斬りだすべきである。
少なくとも、重要な話題であると声高々に主張するのは間抜けか、嘘つきが嘘をついている場合と信じられいた。
そのような習慣を持つ彼らにとって、本題はここからになる。

「どういうことですかな?」

「どなたも、ヴィンドボナまでの食糧や、風石を納入しておらぬ。間違いありませんかな?」

ダンドナルドからヴィンドボナを経由して、2度も増援として部隊が移動している。
艦隊主力こそ依然としてダンドナルドで集中整備にあるというが、それにしても戦隊程度は移動した。
だが、従来と異なり従軍商人を連れもせず、補給も商人達に声がかかっていない。

「無論。」

「言わずもがな。」

「よろしいだろうか。前提として、我々は協力し合う意思を持っているつもりだ。」

よもや、抜け駆けでもあったのではないのか。
その意味を込めての確認になるが、同業者の居並ぶ場での虚偽は高くつくことになる。
故に、一先ず全員が足並みをそろえているという前提が成立。
もちろん善意よりも利益を信奉する商会の主達であるので、利益があるならば同業者をも売るだろう。
だが、いかんせんそれほどの利益があるかどうかは不明瞭だ。
そう判断したからこそ、彼らは連絡会を設けて利益事項を議論するのだ。

「結構。そうであるならばだ、我々が恐れていた事態が起きつつあるのやもしれん。」

「もったいぶらないで頂きたい。どういうことを?」

幾人かは既に状況を把握し、またある者は驚きを内心で浮かべている。
一部の商会は北部利権と称される開発がらみでいくつもの権益を有しているが、ヴィンドボナの商会全てではないのだ。
故に、本来ならば北部が重要な問題とされること自体が異常なのだ。

「物を運ぶ、物を売る。それが、従軍商人の仕事だ。言い換えれば、本質的には我々商会の仕事そのものとも言える。」

だが、嗅覚が効くからこそ生き残れたと知っている男たちだ。
油断よりは慎重を笑われる方が、まだましというもの。
そうでなくとも、おのずとやるべきことをやっておくだけの話である。

「物を運ぶのは、出資比率に応じてムーダと護送船団が早荷を出しているのは、問題が無い。そこまでならばだ。」

ヴィンドボナが国営の物流網整備に乗り出すのは、まだ許容できた。
制度設計の段階で、かなりこちらに配慮した形跡もある上に利益も共有できた。
遠隔地交易は大きな利益をもたらす上に、物流の安全も高まるとあれば反対もしにくい。
そういう背景から、一応ムーダに関しては共存できそうである。

「だが我々に断りなく、自前で兵糧を調達しているとなれば、ことは違う。」

「いや、どこの諸候軍も自前で調達すること自体は珍しくない筈だ。」

だが、自前の調達とは何を意味するのだろうか、ということがある。
軍はどの商会にとっても基本的に大きな納入先である。もちろん、ある程度の違いはあるが。
確かに、今回話題に上っているのは、あくまでも穀物の調達だ。
何処の諸候であろうとも、慣行として自前の領地で取れたものを消費する。
まあ、買うよりも自前で持っている物を使う方が安いのだから、これは当然だろう。
それを思えば、軍が穀物は不足分だけ調達するのは別段不思議ではない。

「・・・貴殿は穀物商故気がつくのが遅れたのでしょうな。」

だが、これは別段不思議ではないという話ではない。
確かに、穀物程度であれば自前の領地で生産したものの調達もありえただろう。
規模で見た場合、穀物商は基本的に都市と農村が取引先であり軍はおまけ程度なのだ。
故に、穀物を扱う商会への影響は限定的にとどまる。

「どういうことですかな?」

「軍は、自らの自己調達にこだわっているようだ。軍工廠、軍設備、軍関係建設。何れも、軍が自前でやり始めた。」

だが、もともと軍への依存度が高い分野は深刻な影響を被らざるを得ない。
軍が自前で物資を調達するようになってしまえば、買う必要などないのだ。

「身も蓋もなく言えば、我々の助けを必要とする場面が、急激に減少している。」

「もちろん、従来通りの取引を続ける部分もある。だが、全体としては、軍向けの取引は我らの手からは離れた。」

いまだ、動きは全面的に行われているわけではない。
艦隊の整備と並行して、常備軍の微妙な改善が図られているとも見えなくもないレベルだ。
それでも、事態は着実に変化していると多くは感じている。

「なにより、我々と競合しかねん。」

しかも、軍がこれまで商会が独占的に買い叩くことができた市場に参入するようになる。
そうなれば、職人の賃金は上昇するし仕入れ値は上がって、利益は減らざるを得ない。
下手をすれば、軍が余剰物資を放出し価格まで下げる羽目になりかねないだろう。
そうなれば、商会の利潤は激減する。立ち行かなくなるところも出てくるだろう。

「ならば、ならば、何故それを放置された!?」

商人達にとって、環境が悪くなりかねない。
それを、未然に防止し利益を保持するための連絡会ではないのか。
一部からは、そういった声も上がるが全体としてはすでに諦めている。

「代替利権が示された。加えて、蹴れば干される恐れがあるからだ。」

「軍の、いや中央のメッセージは明確だったのだ。」

「いくばくかの軍利権を放棄せねば、北部、いや中央関連の開発にはからませないとな。」

故に、彼らは変化を前提として対応策を検討している。
言い換えれば、生き残りを模索することを選択した。それが、一番現実的なのだと。
そうしなければ、別の機会を伺う小規模商人らが競争を仕掛けてくると感じているのだ。

「代替利権の方が大きい。蹴ることは不可能だと思うが。」

北部開発の利権は、関わった全ての商会に驚くべき利益をもたらした。
一言で言えば、『儲かる』。難しい辺境開拓と、リスクの高い商売が一変したのだ。
大規模な辺境開拓はすさまじい可能性を秘めている。そして、その生みだす富は魅力的過ぎた。

「だから、変化を受け入れよと?」

「いや、対応が知りたいだけだ。本質は、戦費調達だよ。」

北部辺境開拓は将来性が極めて高いという有望な案件である。そして、それは中央の管轄下。
言い換えれば、中央は将来性があり、担保となる利権も有しているということだ。
中央にならば戦費の調達に応じても貸し倒れる可能性は少ない。
まあ、その分諸候に融資できる金額が減ってしまうのだが。

「ふむ、まあ閣下の意向に逆らうわけにもいきますまい。」

「ならば、どの程度応じられますかな?」

さしあたり本格的に融資するとなれば、額を決めねばならない。
先のゲルマニアの戦費はほぼ諸候が費やした費用であり、辛うじて恩賞で相殺されたという。
だが、今回は防衛戦であり持ち出しになる。当然、財布の紐は固くならざるをえない。
安定的に返済が見込めるのは中央だけということだ。
踏み倒されない程度に額面を抑えつつ、先方がある程度満足できる額。

「最低でも、我々の合計で1000万エキューは出すべきでしょうな。」

「1000万!?随分とまた、高額な額ですぞ!」

居並ぶ商会の頭割にしたところで、各商会の予算をごっそりもぎ取って行きかねない額だ。
正気とは思えない額と言っても良い。一国の戦時予算に融通するのだ。
踏み倒される事もあり得る。下手をすれば吹き飛びかねないのだ。

「担保を要求するのは当然のこと。北部の全面的な徴税権と免税権を担保として要求します。」

「あとは、土地ですね。辺境開拓権も要求しましょう。」

だが、ゲルマニアの力関係は微妙であるのだ。
確かにアルブレヒト3世は皇帝である。だが、有力な選帝侯という潜在的な対抗勢力もいるのである。
ヴィンドボナの商人達の支持を失った皇帝は、厳しい立場に置かれるだろう。
いや、支持されないどころか経済的な敵対関係になってしまえば、最悪終わりかねない。

「では、分担金で行かれますか?」

故に、商会の主達もバランサーとしての役割を選帝侯らに期待できる。
返してもらえず、担保も渡されなければ即座に鞍替えすればよい。
ヴィンドボナの商会と政府とは経済的愛情によって結ばれている。
それは、酷く移ろうものでもあるのだ。

「希望する人数で頭割でしょうな。あとは、諸候に貸し付けるのも自由にしましょう。」

「まあ、妥当ですな。では、そういたすとしましょう。」

権益の期待できるところへの融資。
あとは、各商会の個人判断にゆだね、馬鹿を見るのは自己責任。
ゲルマニアの商人達は実にたくましい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとがき

珍しく頑張って間を空けずに更新できたと思う次第。
文章は多少読みやすいように間隔を変えてみた所存。
或いは、現実的に戦費調達や経営で頭脳を悩ませ候。

そんな感じの描写です。

あと、ななしさんから金貨についてご指摘があったので。

『64話まで楽しく読ませて頂きました
細かい所で申し訳ありませんが、読ませて頂くうちに、ひっかかった部分があります
ゲルマニアが、トリスタンの戦後賠償金として要求した金貨2500万枚と言うのは高すぎではないでしょうか
中世~近代にかけての金貨でしたら、重さにして約200トンにもなります
例えば、戦時中であったイギリスの9年戦争中(1694~)の国家収入を見ていると、年額400万ポンド前後のうち軍事費が80%、また、年平均300万ポンドの債権を発行しています
これらを合わせても、年額620万ポンドとなります
620万ポンド≒金貨620万枚≒金貨50トンです』


ええと、はい2500万エキューです。講和時にはもっと吹っかけますが、最終的にトリステイン払ってません。
(ゲルマニアが領地を分捕ることで、相殺したとお考えください。)
※まあ、赤字ですが。

金持ち貴族の総資産が2千万エキューであることを考えると、賠償金としてはまあ無難なラインかと思ったのです(・_・;)。

でまあ、エキュー払いとはいえ、金貨と言っても別にポンドではありません。(そもそも、英国のポンドは物理的に重いですし。ユナイト金貨で20シリング=1ポンド 軽い時で9.90g)
そうなってくると、エキュー金貨の計算ですがこれはもう純粋におフランスの流用でどうでしょうか?と考えていました。
ちょうど、フランスにエキュー金貨なるものが歴史上存在しますし。
(正直、ポンドとかドゥカートとか有名どころ一つとっても計算が面倒なので)フランスのエキュ金貨(1266~1646年発行)を基準に計算しようと思います。
まあ、変動が大きいのですが、一エキューあたり3.496gぐらいと仮定します。
すると、2500万エキューで86.7トンくらいです。
グラムが大きいフィリップ6世の時でだいたい4.53gの計算で113.25トン。
一応、払えないこともないと思います。
まあ、元々賠償金には色々と吹っかけたり政治的な意味合いがあったりするので、額だけで議論するのもどうかと思います。ドイツの第1次大戦の賠償金とか計算するだけで恐怖の額になりますし。

まあ、ここまでくると雑学ですが(-_-;)



[15007] 第九一話 宣戦布告なき大戦4
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/10/17 23:41
帳簿が複数存在するのは一般的ではない。
理屈だけ考えれば、帳簿は一つで良いのだ。
だが、たまに耳にする程度には少なくもない話である。

・・・ようするにその程度の需要はあるということだ。

例えば、自分達の収入を過少申告する商人なぞ可愛い部類。
酷い例になれば、存在のかけらもない兵隊たちに給金を払い続ける馬鹿げた事態すらある。
まあ、査察が機能していれば見抜ける範疇だ。見抜けないとあれば、深刻な汚職を懸念するべきだろう。

まあ、裏帳簿が存在することくらいは悲しいかな。
どこの時代であろうとも良くあることなのだ。
査察制度や会計技術の発展を持ってしても完璧には見抜ききれない。
それに、技術が進歩すればするほど誤魔化す手段も洗練化されていくものである。

だが、もっと酷い例がある。

誰にも実態が分からない時だ。
隠蔽されている真実があるのではなく、誰も理解していない。
真実、誰ひとりとして事態を把握できない状況。
知っている人間などおらず、事後策の検討を行うべき相手すら不明瞭。
いや、交渉する相手すら不明というのはどうだろう。

「・・・つまり、ゲルマニア軍の実情は誰も知らないと?」

重戦列艦ヴァイセンブルク提督執務室。
部下を追い出し、一人きりになったロバートは頭を抱えていた。
そうでもしなければ、部下の前で盛大に肩を落として溜息をつく姿を見られていたことだろう。
いや、そうでなくとも気分を切り替えなければ全てを投げ出したくなるところ。
絶望的な報告を受け取ることには耐えられる。
だが、絶望的な報告かどうかすら不明な情勢となれば!

山積みにされていた報告書は部下が精読中であるが、どれほど進んだことか。
タルブ特産品のワインすら苦々しく思えてくるほど、事態は望ましくない。
いっそ、我を失うほど浴びるように飲めればどれほど楽だろう。

「損害が各部隊事にばらばら?その程度の混乱はまだいい。」

今、どこに、どの部隊がいるのか?
最低限必要な戦力分布や戦力の配置すら混乱しきっているとは。
報告された地点に味方がいないどころか、要塞があるはずの地点すら誤記だらけ。
補給を要請されて送りだす頃には、すでに部隊が移動しているというのはざらにあるらしい。

らしい、というのがより頭が沸き立つほどの問題だ。
この種のトラブルは怒り狂った現地指揮官や補給部隊から散々上に挙げられている。
だが、正確に把握できていない。
事態を理解した時の衝撃は、思わず手にしていた羽ペンが滑り落ちた程。

それすら混乱しきっている司令部では把握できていないのだ。
指揮官にとってみれば、まさに悪夢というほかにない。
加えて指揮系統の再編。辺境伯のより上位に指揮権を持った司令部が移ってきた。
もちろん、自分達の事なので色々と思わざるを得ないが。

ともかく、指揮系統の混乱も加わって戦場の霧は絶賛拡大中である。
戦争論についてとやかく言う気はないが、戦場の霧に対して言いたいことは山ほどある。

だが、これすらも頭痛の一要因でしかない。
より深刻で、かつ急を要する問題が山積しているのだ。
冷静沈着さを売りにしているブリテン人とてお茶を飲まねばやっていられない程に。

「ともかく、貴族問題だ。ヴィンドボナめ、私を殺す気か?」

トリステインは貴族関係が複雑だった。
いや、旧トリステイン王国はというべきだろう。
今形式上存在するのは、トリステイン王家であり王国ではない。
そして、現状最大の問題は旧トリステイン王国貴族籍に入っていた連中の権利関係だ。

アンリエッタ王女が自由貴族を認めた。
この結果、ゲルマニアはゲルマニア帰属しない貴族をその領内に大量に抱え込むことになりかねない。
封建的な契約上、それが許される余地がある。というか、権利として認められかねない。
それが許されたらどうなるかなぞ、想像もしたくないだろう。

当然、ヴィンドボナの面々は”解決”を希望している。
叛乱に加わらせて討伐するか、せめて忠誠を誓わせて欲しいというのが彼らの希望だ。
そのどちらかを選ばせることで問題を未然に防止したい、と彼らが考えるのは自然だろう。
それは、まあ理解できるし当然だ。
統治理論としてみた場合、管理できない貴族勢力など頭痛の種なのは子供にもわかる。
中央集権を促進したいアルブレヒト3世はことさらだろう。

「・・・だが、考えてみよう。トリステイン貴族らは自立を望むか?」

そして、そこで難しいのがトリステイン系貴族らの心情である。
彼らが、自立の道を望めば話は早い。
叛乱を煽って鎮圧。或いは、英領インドの様に藩王国制度もどきを形成すればよい。
だが、自立を望まず、さりとて屈服も拒絶する輩は頭が痛いことこの上ないのだ。
アフガンやエジプトで散々手を焼かされている連中の二の舞になりかねん。

しかし、慎重にやれば穏便な統治も可能だろう。
確かに、ヴァリエール家を筆頭に、貴族としては大きな領土を持つ連中は少なくない。
しかし母体であるトリステイン王国そのものの規模は小さい。いや、小さかった。
小国の中において相対的に多数を占める程度の領地ならば、傀儡国家にするには手ごろな面積とも言えよう。
まして、連中は大公国の様に突出した経済基盤を有するわけでもない
モンモランシー家なども、悪くはないだろう。
ともかく、連中は傀儡として保護国化するならば適切な規模だ。

しかし、帰属が明確でない封建的契約の隙間をついたような立場におくのは断じてまずい。
義務を伴わない特権の容認は、ゲルマニアの政策上許容できないのだ。
踏み込んで言えば、選帝侯らと皇帝の主導権闘争が繰り広げられているゲルマニアで新たな特権の承認は政治的に許容できる限界を超えている。それを許容するくらいならば、アルブレヒト三世は選帝侯の撫で切りを決意するに違いない程だ。

「・・・いっそ撫で切りにしてしまうか?」

ゲルマニア勢力圏下のトリステイン貴族らは、烏合の衆だ。
政治的に影響力を有するリッシュモン卿の一派を例外とすれば、ほとんどばらばらに等しい。
そして、血の気の多い若い貴族ら(多くは各家の後継者)がレコンキスタに飛びこんでいるという情報もある。
文字通り血の粛清を行うわけにはいかないだろうが、政治的に取り潰すには十分な理由だ。
一族の連座という形式を取れば、法的に処理できることも大きい。
なにより、赤字の戦費補填に充てることも可能だ。

だが、考えるにそもそも損害を限定的に留めるのがゲルマニア政府の意向である。
赤字を出してまで、トリステインの荒れ果てた土地に拘泥する必要性は何処にもない。
少なくとも、ゲルマニアには。
加えて、荒廃した土地の復興費用など財布をひっくり返してもでてこない状況。
民間資本も期待できる状況にはない。
費用対効果が果てしなく望めない地域に投じるよりも、ゲルマニア資本は未開拓地域へ流れていくことだろう。
結局、この地域の回復による税収増も期待するだけ無駄だ。

そうである以上、赤字回収のためにさらに軍事費用を出すのは無意味に近い。
後世の歴史家に笑われないためには、軍事的必然性ではなく本質的な目的を希求するべきだろう。

貴族政策は、急ぐべき課題である。
だが、少なくとも総督としての職務はこの地域に投じる費用の最小化が最優先。
で、ある以上は行動原則として大鉈を振るうよりも安定の指向が望ましい。

「どちらにせよ、まずオーク鬼を吹き飛ばしてからか。まったく、何故オーク鬼が出てくる?」

だが、諸問題を解決するためには安定が不可欠だ。
少なくとも、戦時中にいろいろと問題を積み上げていく意思はさすがにない。
山積している問題をさらに増やしたいとおもうほど勤労意欲があるわけでもないし、義務もない。

「整理しよう。目的はなんだ?」

ペンを取ってそもそもの戦略目的を再確認するべく思いつくことを走り書きでメモする。

一、ゲルマニアの目的は土地にあらず。
一、ゲルマニアの目的は早期終戦。
一、可能な限りの出費抑制

・・・これでは、東インド会社の経営と同じではないか。

考えてみれば、東インド会社の赤字破綻に至る過程をゲルマニアは歩んでいるに近い。
系列で言うならば、フランスの其れか?どちらにせよ、領域支配に引き摺られて泥沼化している。
領地は維持費がかかるということを理解せずに拡大すれば、どんなに優良な通商企業とて破綻するのだ。
国家とてそれは同じ。
商業権益程度に留めるべきところで行うべきなのだ。

「いっそ、従属国。それこそ藩王国でも造って面倒事は押し付けたほうが安くつくか?」

資源があるわけでもない。市場規模はそこそこ。金融市場としては未熟。
直接統治のメリットは率直に言って乏しい。
人口や土地もゲルマニアにしてみればさほどの魅力もないだろう。
面積の割に人口が多いことは多いのだが、正直統治困難性に比較して割に合うとも思えない。
得られる利益と言えば、旧トリステイン王国征服という政治的な威光くらいだ。
もちろん無視できるものではないが、それで他の全てを無視できるとも思えない。
政治的栄光に拘泥して国家を過つ例に加えられるのは御免蒙る。

公には口にされていないものの、アルビオンに土地を押し付けたのはある意味で正解だった。
アルビオンがこちらに問題を押し付けてきていること把握している。
だが、アルビオン管轄域内の諸問題はアルビオンが負担している以上ゲルマニアにとっては随分と楽ができた。
そういう意味ではお互い様だ。
いっそ、これを好機に都合の悪い中小貴族をトリステインに栄転させてやるべきかもしれない。
帝政ロシアが反抗する貴族らをグルジアやチェチェン送りにしたというが。
其れを模倣すべきかもしれない。

「やれやれ、ヴィンドボナに意見してみるべきか。」

愚痴を一つ呟き、羽ペンにインクを浸す。
公用便を使ったところで、ヴィンドボナとの連絡が往復するまでには数日かかることだろう。
トリステイン王国に籍を置いていた各貴族ら。
取り潰すなり、活用するなりの判断はヴィンドボナに送ってしまおう。
連中の処遇を巡ってしばらくは中央集権派と選帝侯らの分権派が争うことで時間も稼げるかもしれん。
まあ、最悪政争の具としてアルブレヒト三世が苦労することになるかもしれないが。

・・・まあ、苦労とは分かち合うものだ。

しかし、どちらにしてもしばらくはオーク鬼を焼き払う術でも考えなければならない。
まったく。
陸軍など、私にとっては専門外も良いところだというのに。
やはり現場上がりの信頼できる将校か、補佐官が欲しい。
実態も把握できないのでは戦争もできるわけがないだろう。
せめて、実戦経験のあるメイジが欲しい。

「誰か!誰かあるか!」




「あら、珍しい。」

タルブ前方防衛線。
そのありふれた要塞の一角で当直に立っていたキュルケは予期せぬ空からの来客を迎えていた。
単騎の龍騎士。定期便が来るのは、まだ数日後のはず。
おそらくは、急ぎの伝令用だろう。
はっきり言ってしまえば、時々訪れる輜重隊以外にはオーク鬼しか訪れない前線の砦にわざわざである。

物珍しいことこの上ない来客だ。
キュルケ自身、好奇心が強いという事もあるが気がつけば眼で龍騎士を追っている。
まあ、どのみち予定にない来客は彼女ならずとも興味を抱かざるを得ない対象だった。
(というよりも、オーク鬼か土壁だらけの焼け野原しか視界に移らないのだ。何であれ、新しい何かは興味の対象足りえる。)

当直についている他の兵士たちも空に浮かぶ龍騎士の姿を視認し、騒ぎ始めている。
見張りがやってくる龍騎士を見つけるのは当然のこと。
これが群れのような野生の生物であれば亜人の例もあるので警戒するだろう。
しかし、単騎で人が騎乗しているとあれば緊張よりも興味が先立っていた。

「本当だ!珍しいですね。タルブからの伝令でしょうか?」

眼の良い弓兵らは龍騎士が振っている手旗信号の符牒から其れが味方であることを確認し弓を下す。
それにつられる形でキュルケも一応は構えていた杖を下ろした。
少なくとも、敵意がない相手に杖を向けるよりは少しでも精神を休めておかねば体が持たない。
まったく、亜人がタフなことは知っていたが昼夜を問わず攻城戦を行える程とは!
休める時に休まねば、亜人の餌にされかねないとあれば無駄な体力は使いたくもない。

その程度の認識で、彼女は取りあえずやってくる龍騎士への判断を保留する。
できれば宿直室の椅子で力を抜く程度でもよい。
ともかく、時間があるならば休んでおきたい気分だったからだ。

「伝令?ああ、いつものとは少し恰好が違いますね?」

「・・・いやあれは、艦載龍騎士ですよ。艦隊の所属に違いない。」

だが、見張り要員らの会話は心が休息に傾きつつあったキュルケの好奇心を刺激する。

・・・艦載龍騎士?
艦隊はアルビオン優勢でゲルマニアにはほとんどいないはず。
はて?

そこまで聞くと好奇心がむくむくと頭を出してくる。
基本的にキュルケは退屈が嫌いで、面白そうなことには関心が強い。
ここしばらくはしつこいオーク鬼に追い回されてうんざりしているところでもある。
気分転換も休憩に入ることだろう。

「面白そうね。何事かしら。」

故に、彼女は少しばかり予定を変更することにした。
有体に言えば、引き継ぎを行うと龍騎士が飛んできたと思しき幕舎へと向かう。
もちろん、見物を考えたのはキュルケだけではない。
暇を持て余した兵卒らが何事かと覗きこもうとし、衛兵に追い散らされていた。

「失礼するわね。」

しかし、キュルケはこれでも貴族令嬢である。
さらにいえば、高位のメイジでもある。
司令部に出頭する権限ならば、ここにいる他の指揮官らに比較しても上から数えた方が早いくらいだ。
当然、衛兵らの態度も兵卒らに対するものと打って変わって懇切丁寧なものとなる。

「・・・失礼ながらミス・ツェルプストー。現在、タルブよりの特使がいらしておられます。」

“どうか、ここにてお待ちいただきたい。”

衛兵らは言外に制止を込めてキュルケの前に立つが、力づくでの排除は行うそぶりも見せない。
そんな権限が彼らに与えられているわけではないし、なにより彼らとて相手の身分はよく理解している。
同じぐらいに、キュルケは理性を持ち合わせた貴族として相手の立場を察する。
人を使うという事を嫌というほど戦場で学んでいるのだ。
彼らが難しい立場にあるという事を見抜いた上で、妥協するかと思える程度には気配りもできた。

「あら、なら御挨拶したいわ。伝えてくださる?」

無理に押し通りはしない。
だが、自分が来ていることを中へ伝えさせよう。
もしも関わることが許されるならば、入ればよい。
断られるならば、断られた時に考える。

どちらにしても、取りあえずはこの場で道理を捻じ曲げるつもりもなかった。

だが、要するにキュルケという貴族を知っている人間からしてみれば断りにくい申し出でもある。
辺境伯令嬢の御挨拶を謝絶できるほどの高位貴族が伝令として派遣されでもしない限り、恐ろしく断りにくい。
都合が悪いという事で、断ろうにも口実も何もないだろう。
そういうわけでキュルケの同席はあっさり承認される。

キュルケにとっては幸い、というべきだろう。
儀礼的な口上に終始していたらしく、使者はようやく本題を口にし始める。
曰く、『コクラン卿』なる中央貴族が出張ってきた。
曰く、『総督』とやらがトリステイン方面を管轄する。
曰く、『現場を知りたい』。

それらを聞いたキュルケは、ごくごく真っ当な思考の末に状況が動いたことを理解する。
要するに、ヴィンドボナの宮廷は事態をようやく重視して動き始めたということだ。
皇帝の懐刀とも囁かれる中央貴族が派遣されているという事は、なにがしかの動きもあるのだろう。

援軍や補給の面でも楽になればよいと思うところではある。
どのみち、混乱している軍は何もかもがボロボロなのだ。
混乱を収拾して事態に対応できるならば、この際辺境伯家としては歓迎しても良いほど。

まあそれでも、と思う。

「失礼ながら、コクラン卿が現場を知りたいのであればご覧になるべきでは?」

さんざん報告書は紙で上がっているはず。
にも関わらず、状況を把握できない程に上が混乱しているならば見るのが一番早い。
なにより、現場を知るには一番正確だろう。

だから、とキュルケは続ける。

「ご案内いたします。ぜひ、一度足をお運びいただきたいものですわ。」

見に来ればよいではないか。
案内してやる。
不敵なばかりに笑みを浮かべつつ、キュルケは思う。
見渡す限りの、オーク鬼と体面すればいい。

それが、現場の全てなのだ。



質実剛健ながらも、品位と格式を感じさせる執務室。
部屋の主の性格を表してか、落ち着きのある部屋。

「・・・いやはや。我がヴァリエール公爵家も侮られたものだ。」

その部屋の主はそう呟くと、届けられた書状を力の限り握りつぶす。
トリステイン王家からの書状を意味する御名御璽の入った書状。
破り捨てなかったのは、公爵にとって最大の自制だった。
いや、トリステイン王室へ懐古の情がなければ破り捨てていたことだろう。

つい先刻。
軟禁してあったはずのルイズが姿を消したという報告が飛びこんできた時、公爵の頭をよぎったのは彼女の純粋さであった。
“しまった”、と叫ぶべきか“やられた”、と叫ぶべきか。

ルイズが利用される可能性を心配すればこそ、苦渋の選択をしたのだ。
純粋すぎる彼女は、これからの政争においてあまりにも無防備。
いや、言い換えれば世間知らずや視野狭窄というべきかもしれない。
彼は父親として娘たちを愛していたが、愛していたからこそその欠点にも悩んでいる。
カトレアはまだ良かった。
彼女の病は手の施しようもなく、父として身が捩れるほど歯がゆい限り。
だが、カトレア自身は素晴らしい娘であるのは何よりの慰めだった。
エレオノールは、まあ・・・。
少なくとも、問題は多いが取りあえず現状では急いでも仕方がない。
婚約者と上手くいくようになれば、何とかなることだろう。
この前、バーガンディ伯爵にあった時相当愚痴をこぼされたが。

だが、ルイズがこの情勢下でなにを行うかは想像するだけで恐ろしかった。
王家への忠義、貴族らしさという言葉に彼女は幻惑されている。
やむをえず軟禁状態においてメイドを付けておいたが、危惧したとおり彼女はたびたび脱走を試み公爵の胃をキリキリと痛めていた。
たびたびの脱走未遂のたびに、水の秘薬を手にする羽目に。

なにより頭が痛いのは、ルイズ自身がなぜそうなるのかを理解していないということだ。
今やエスターシュ大公の時代とは異なるというのに。
大公はまあ、極端なことを言えば政治的に有能すぎた。
だが、その有能さゆえにトリステインは繁栄し宮廷闘争を行う余力もありえたのだ。
そのような状況下ならば、王家への忠義は王家に近い貴族として支持できたし必要でもあった。
だが、この状況下では家の存続を考えるとそれほど旗幟を鮮明にできるものだろうか。
そのことを、彼女に対して理を尽くして説いた。

わかってほしいと思う。
納得せずとも、理解してほしいとも願った。
だが、ルイズにしてみればそれは許されざる“不正”でしかないらしい。

「・・・もっと、真摯に説くべきだった。」

後悔してももはや、手遅れだ。
ルイズがどこかへ出奔するにしても、領内からでるにはまだしばしの猶予があるやもしれん。
なんとしても、身柄を確保しなくては。
歎きつつも思考を切り替えて、ラ・ヴァリエール公爵は事態の収拾方法を模索していた。

まさか、脱走を大々的に告示する訳にもいかない。
信頼できる手勢に命じて、密かに捜させねばならないだろう。
ルイズ一人ならば、目立つという事もあり手引きした者も考えねば。

これらの算段を取りあえず考え抜ける頭脳は非凡なものだった。
もしも、ルイズが単独で行動していれば間違いなく再度連れ戻されていたことだろう。
だが、事態の発覚まであまりにも時間がたちすぎていた。

行動を起こそうと、人を呼びにやろうとしたその時。
呼び鈴に手を伸ばす前に、執務室の扉が叩かれ招かれざる来客の来訪が告げられる。

「こんな時にか?無礼だが、後にしてもらいたい。」

当然、無礼とは承知だが断ろうとする公爵。
それを遮ったのは差し出された一通の書状だった。
差出人と便箋を見た時、ラ・ヴァリエール公爵は思わず硬直。

トリステイン王家の印璽で封が刻印された書状。
届け主は、アルビオンからだと言い手紙を渡すなりさっさと立ち去ったという。

悩んでいた公爵に届けられたアルビオンよりの便り。
使用人らを人払いし、ディティクト・マジックを使用。
手紙自体は、ただの手紙。
とはいえ、ほとんど災厄の予感に慄きながらも封を切る。

そして、文面に眼を走らせた瞬間彼は理解した。

「・・・いやはや。我がヴァリエール公爵家も侮られたものだ。」

そこに記載されていること。
アンリエッタ王女の名前で結婚式にルイズを巫女として招待したという通告。
いや、正確にはルイズ自身の添え書き付きで事後承諾に等しい形によって通告されたというべきだろう。

破りかけた書状をゆっくりと執務机の上において再度血走った眼で一読する。
書体は間違いなく、アンリエッタ王女とルイズの直筆。
封蝋も見間違えようのない代物。
なにより、ディティクト・マジックはそれがアンリエッタ王女の印であることを告げている。

これは、紛れもなく本物。
そして、内容が内容である。

ルイズが事後承諾で巫女を務める旨の通知。

アンリエッタ王女に至っては、ほとんど無邪気なまでにこのことに触れていない。
そして、わざわざ公爵に結婚式の旨を告げると共にルイズの参加へ謝辞まで述べている。
巫女としての一方的な選抜と告知。拒絶どころか、問われることもなくだ。
意図しているところは、明白。

「・・・ふざけおって!いくら王家といえども、限度がある!」

思わず、声を荒げて事の成り行きを頭で試算する。
伝統的な家長の承諾も抜きにして、一方的に通告される形での婚姻にルイズが参加する。
家長としては、見過ごせるはずもない出来事だ。
余人は、当然ルイズの行動を公爵が承認したものと見なすだろう。

王家の婚姻という政治的行事に、積極的に参加するというのは其れだけで旗幟を鮮明にするに等しい行為。
王家にしてみれば、ヴァリエール公爵家への踏み絵のつもりだろうか。

どうするか?

咄嗟に公爵は思考を働かせる。
彼とて、王家に忠義を人並み以上に尽くすことは吝かではない。
だが、それとて限度というものがある。
彼は自分の家と家族を守り抜いた上で、なお余力があれば国を思う。

これでは、本末転倒にも程があるのだ。

まさか、周囲をゲルマニアに囲まれた状況でトリステイン王家に心中する訳にはいかない。
彼には家を預かる義務があり、一族郎党が背後に控えている。
そして、ルイズの行動は明らかに公爵家の人間としては許容される限度を超えていた。
アンリエッタ王女の書状はいう。
『王家に近き藩屏として、公爵家の忠義に感謝する。』と。
彼女は、間違いなく血族としてこのヴァリエール公爵家を逃がすつもりがない。

故に、大々的にルイズの行動を賛美するだろう。
巫女という婚姻の仲人から飛躍して、家の行動というところにまで昇華させて。

それを逃れるための術は、簡単だ。
家とルイズを切り離すために、ルイズを家から追放すると同時に処分すればよい。
そうすれば、一門とは何ら関係のない人間の行動として家の関与は否定できる。
もちろん疑われるだろう。
どちらにも、よしみを通じておこうとする蝙蝠じみた行いだと。
或いは、人から軽蔑されるかもしれない。
ゲルマニアとて、言い分を信じるはずもないだろう。
信じたふりくらいは儀礼的に行うかもしれないが、両天秤にかけているくらいは疑われるに違いない。

それでも、ルイズを家から追いやれば一応理屈の上だけでも家の責任は逃れることができる。

だが、それを選び得るだろうか。
彼は、ラ・ヴァリエール公爵は父親なのだ。
娘達と王家ならば、彼は娘達を選べるほどに。
良い父親というべきだろう。
少なくとも、子供を政略結婚の道具と見なす貴族すら珍しくない貴族階級では異色の存在である。
同時にだからこそ、だからこそ彼は苦悩していた。
『私の小さなルイズ』を、娘を切り捨てる選択を考慮することすら彼には苦痛である。
感情が思わずざわめき、不快なものが腹からこみあげてくるほどに。

もちろん、公爵とて政治を知らないわけではない。
家を守るべきだという貴族としての義務感も、古い権門に生まれた身だ。
よくよく理解してはいる。
一族郎党を率いる身の責任とて、嫌というほど理解しているのだ。
水の秘薬を飲みほし、無理やり痛む胃を抑え込みつつ頭を懸命に働かせる。

どうすべきか。
家を率いる身からすれば、答えは明白。
娘を思う父としても、家族を連れてアルビオンに走るという選択肢はない。
なるほど、王家の藩屏としてアンリエッタ王女は相応の扱いを考えてくれることはくれるだろう。

だが、彼女はこちらの血をことのほか活用される気に違いない。
当然ながら、彼女にとってルイズという存在が友であろうとも家は道具にされてしまう。
いや、すでに道具として使われているのだ。

ルイズを危険な眼に晒している時点で、もはや公爵にとってみれば忍耐の限界である。
マザリーニという老獪な枢機卿も厄介ではあった。
だが、ルイズをどうなるとほとんど理解しながら連れ去った王女にはほとほと愛想が尽きている。
なにより、自分に自分の娘を切り捨てるような選択肢を選ばせようとしている。

いや、家の主として選び得ない選択肢だというのは最初からわかっているに違いない。
そうであるならば、これはほとんどあてつけにも等しい行為。
明白な悪意を持ってのメッセージだ。

「・・・っ、あの王女め!!!」

ルイズが大切ならば、王家に殉じよ。
できないのであれば、大切なお友達を王家にちょうだい?

アンリエッタお、いやあのアンリエッタの意図は明白だ。
家の温存を考えている多くのトリステイン貴族に対する悪意の発露。
どうしようもないほどの破局に至るまで手をこまねいた揚句に、長年仕えてきたヴァリエール家に対するこの仕打ち。

限界だった。

握りしめた拳が、苛立たし気に執務机に振り下ろされる。

低いながらも、良く響く音。

よく理解した。
よく理解できた。
よく理解してしまった。

娘が生まれた時、跡継ぎが生まれないことを歎く周りを黙らせた記憶。
小さなルイズを、他の娘達と一緒に幸せにしようと誓った記憶。
彼女が生まれてからの記憶が、ほとんど奔流となって頭をよぎる。

それを、切り捨てよと?



あとがき
随分とお久しぶりでございます(;・∀・)
たぶん、忘れられていることかと思いますが・・・。

ちょくちょくとまでは行きませんが
まったりと更新していければと思います。

すごく不定期な更新で恐縮ですがご愛顧いただければ何よりです。



[15007] 第九二話 宣戦布告なき大戦5
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2011/11/21 00:18
戦争をするために必要なものが三つある。
それは、金と金と金だ。

それに付け加えるとしたら、それも金だ。
敢えて長期的活用源を加えるとしても、財源という言葉に終始する。

戦争ほど金がかかる国家の営みも少ない。
かの太陽王ですら、戦争を愛しすぎたことを後悔したほどなのだ。
大体において、傭兵以外に戦争というやつは儲かる事業ではない。
なればこそ、効果的に軍資金を確保できたヴァレンシュタインが皇帝軍の総指揮官に上り詰められる。

議会が予算を承認しなくては、世界に冠たる大英帝国のロイヤルネイビーすら行動に事欠く。
例外は国家が軍を保持するのではなく、軍が国家を保持するプロイセン程度だろう。
どちらにしても、財源がなければ戦争ができないというのは明瞭だが。

そんな世知辛い現実とは裏腹に、戦場では財務担当者がのたうちまわる勢いでかき集められた資金が浪費される。
平時であれば、一年間かけて消費する弾薬を一会戦で消耗するなどざら。
当然、戦争とはよっぽど戦力差があるか得るべき利益でもないかぎり大赤字となる。
加えて大半の場合見込みは外れるのだ。
忌々しいことだが、名誉なきボーア戦争のように。

この事実は、古今東西を問わず不変の原則だ。

いや、世界を問わずというべきかもしれない。

ハルケギニアにおいても、軍事行動とは要するに金食い虫を動かすことに他ならない。
魔法の存在によって、単独で歩兵をなぎ倒せる驚くべきメイジがいても本質は同じ。
当然、戦争の赤字分を取り戻すために従軍する諸候は金づるとして捕虜になる。
十把一絡げとしてまとめて売りさばかれる平民もだ。
数が多いだけに、多少の金額にはなるだろう。
その装備や持ち合わせている小銭もかき集めれば、まあ戦いの損失を幾分かは埋められる。

一番、考えうる限り最悪なのは、泥沼の消耗戦を双方が行ったあげくに何ら得るところがない停戦だろう。
恩賞の捻出一つとっても、指導者にとってみれば頭の痛い戦後処理になる。
なにしろ、支出ばかり多いにもかかわらず部下に払う物を払わねばならないのだ。

だが、ゲルマニア軍が現在直面している状況はそれすらまだマシと思える状況であった。

旧トリステイン領。
ゲルマニアの利益とは程遠い地を防衛。
しかも、交戦相手は亜人。
オーク鬼相手に、どうやって身代金を請求せよというのか。
装備を売ろうにも、大半はこん棒や薄汚れた布程度しか得る物がない。
通常の討伐ならば、討伐を依頼した貴族からの懸賞金もあるだろう。
だが、ほとんど無尽蔵に沸いてくるオーク鬼に掛った懸賞金はびた一文ない。

叩けど叩けど、赤字。
しかも、収まる見込みは一切ない。

「・・・人員と物資の浪費だ。一刻を争う。」

ロバートは実に不愉快極まる現実に直面していることを率直に認める。
金が無くなっていくのだ。
それも、耐えがたいほど急激に。
金勘定に汲々としたいわけではないが、まともな財務感覚は状況が望ましくないと叫んで久しい。

はたから見れば、ゲルマニア軍は健闘している。
防衛線を確保して押し寄せてくるオーク鬼を撃退し続けているのだ。
その軍功は讃えられてしかるべき正当なもの。

問題は、それをどうやって賞するか。
過小なそれでは、当然不満がたまるだろう。
大凡、戦後処理に失敗して傾いたという事例は歴史に事欠かない。
かといって、相応に自腹をきればそれだけ中央が弱ることになる。

・・・あのアルブレヒト三世が素直に出すとも思えない。

想像するだけ無駄だろうと思うだけで、手にした羽ペンが鉛のように重く感じられてしまう。

「恩賞の捻出。最低限、トリステイン系から絞れるだけ絞るとしても・・・。」

トリステイン系貴族の蓄積した資本。
嗤うべきか泣くべきか困るところだが、トリスタニアで押収した資料によると不明らしい。
過去に財務次卿が捻出した資金から察するに、あることはあるのだろう。
少なくとも、戦費調達ができたという事はある程度ソレが市場には流れているはずなのだ。
調達先のトリステイン系の商会がいくらかは持っているに違いない。

だが、調査して押収する費用と割に合うだろうか?
ただでさえまともな資料の乏しい旧トリステイン王国領の調査費用を出すべきか?
そもそも、民間資本にどうやって手を付けろというのか。

考えれば、考えるほど問題が湧き出てくる状況だ。
意思堅固なブリテン人とて頭を抱えたくなるような難題。
そんなロバートだ。
従卒のノックにこれ幸いと意識を切り替えた。

「失礼いたします。伝令が復命いたしました。」

扉を開けた従卒が差し出してくるのは、概要をまとめた走り書き。
伝令を取りまとめる士官の表情から察するに、まずまずの結果だろう。
こちらに顔をしっかりと向けている上に、浮かんでいる感情は職業的義務感だ。
悪くない。

「御苦労。情勢は?」

下士官や下級士官の表情から察するに依頼したことは達成されたのだろう。
彼らには、情勢を報告する事が任務だと命じてある。
都合の悪い知らせを報告して咎められることはないが、報告しなければ咎めることも徹底した。
部下の表所を読む海軍士官にとって必須の能力も、今回はそれほど必要ない。

「御用命通り、各地の砦と防衛線を確認いたしました。」

粗雑ながらも、地図に書き込まれているのは防衛拠点の所在。
土メイジらが即席で組みあげた城塞だというが、まったく工兵隊が馬鹿馬鹿しくなるような築城速度だ。
壁で高度を取れれば、火器を持たないオーク鬼程度には十分抗戦が可能。

しかし現地指揮官の判断で、各個に防衛陣地を構築している現状は望ましくない。
各個撃破されかねない以上、いくつかを連携させるように指揮系統を整備するべきだろう。
問題があるとすれば、ゲルマニア軍の指揮系統事態それほど洗練されていないということぐらい。
泣きたくなることだが、そもそも各部隊がてんでバラバラに編成されている。
諸民族寄せ集めと酷評された一次大戦時のオーストリア軍よりも酷い状況だろう。

まあ、周辺国も似たような水準。
付け加えるならば、ロバート自身はやはりメイジで無いという事で軍制に口を出しにくい。
おまけに本人はメイジの研究という科学からの好奇心を優先しがちだ。
軍地上部隊が抱える組織上の課題を知るにつれてロバートは、ほとほと自分が海軍士官であることに感謝したいほどだった。

「現在、各部隊からの要望をまとめております。やはり全体的に、補給が必要とのこと。」

きっと英国陸軍士官が陸軍として立て直せと言われれば、絶望しかないだろうと思うからである。
まあ、自分の仕事は取りあえず有能な軍人らを働きやすいようにしてやる事。
そう割り切っているだけに、前線からの意見をロバートは欲してもいる。
言い換えれば、丸投げできる相手が欲しかった。
(さすがに、その相手が見つからないのがロバートの悩みでもあるのだが。)

現状では自分で情勢を把握して対応しなくてはならない。
そのために自分で聞きとって、口頭による追加報告を受けている。
それを羽ペンで地図に書き込みながら、可能な限りながらも状況を理解せねばならない。
ロバートにとっては、すでに十分難題だ。

食糧は十二分にある。
なにしろ、軍の兵站拠点だ。
この方面にいるゲルマニア軍を養う程度ならば一年は事足りるだろう。

問題は、消耗する各種弾薬だ。

やはり、砲弾と火薬が足りない。
まだ、マスケット用の鉛玉は余裕があるが火薬の欠乏は深刻だ。
現地で簡単に補充できるものでもないだけに頭が痛い問題である。
大砲のものを流用できるが、あまりしたくはない。

そして、大砲用の砲弾。
後退時に備蓄弾薬を遺棄したのが高くついている。
おかげで何をするにも制約が付きまとうのだ。

もちろんタルブの備蓄と鋳造用のインゴットを潰せばいくらかは補充できる。
しかし、そうなれば艦隊用の補給物資が欠乏してしまいかねない。
特に、砲弾鋳造用のインゴットを転用すると艦隊補給拠点としての機能が損なわれる。
そうなれば、何のためのタルブ集積地かという根本に突き当たってしまう。

だが、弓矢で頑強なオーク鬼を仕留めろというのは酷な話だ。
歩兵や軽装のメイジと異なり、亜人の強健さを考えれば一二本の矢で仕留められるとも思えない。
兵卒に期待できる義務の限界を超えているだろう。
辺境部での経験から察するに、単独のオークならばともかく群れとなれば槍や弓では相手にならない。

「いずれにせよ、作業を急がせるほかにないな。わかった、ご苦労。」

部下を労い退室を許す。
情報を彼らに整理させる必要がある以上、無駄に彼らの時間を拘束する事もない。
ティーを無駄に冷ますのは愚かなことだ。

「ああ、その。」

「・・・まだ何か?」

だが、どうも、見落としていたらしい。
疲労からのミスだろうか?
部下が申告すべきか迷っている案件があったとは。

決済を再開しようとしていた書類をわきにやり、話を聞く姿勢をつくる。
相手の顔を見て、少なくとも関心があることを体で表現。
古典的だが、少なくとも相手に対する誠意として欠くことはできない。

「現場からですが、一件御報告すべきか迷う言葉が。」

「構わない。耳をふさぐよりは、聞くべきだろう。」

知らずに破滅するよりは、知ってのたうちまわるほうが結果的には楽である。
予防は治療に勝るとは言い得たものだ。
同時に、少なくとも異なる意見を聞くことのメリットは海軍士官の知悉するところ。
だからこそ、異なる出身の人間を積極的に組織に組み込むのだ。

鷹揚に続きを促し、それを受けて部下も躊躇を振り切る。
それにしても、よくよく悩んだのだろう。
まあ、判断力を評価するには良い事例かもしれない。

「・・・一言一句そのまま読み上げさせていただきます。」

そして、読み上げられるのは実に痛快とも小癪とも言える内容だ。
若手の士官が言ったのだとすれば、喝采を叫ぶべき痛快さ。
御婦人からの警句となれば、神妙に賜るべきもの。

『失礼ながら、コクラン卿が現場を知りたいのであればご覧になるべきでは?』

だが、現場に立つ女性の戦士からお誘いとなると我ながら戸惑わざるを得ないものだ。
ダンスのお誘いならばいざしらず、戦地へのお招きを御婦人から賜るとは!

戦時とはいえ、はたはや困惑せざるを得ない。

『ご案内いたします。ぜひ、一度足をお運びいただきたいものですわ。』

締りだけ聞けば、丁重なお誘いだ。
だが、曲がりなりにも軍人が軍人に送る言葉としてはどうなのだろう。

「・・・面白い。ゲルマニアのご婦人がたは随分とまた。」

なんだろうか、と言葉に詰まる。
自分で口にしておいてなんだが、少々評価に困る存在だ。
カラム嬢といい、このミス・ツェルプストーといい、ゲルマニアの女性は随分と好戦的らしい。
まあ、メイジという社会について研究する好奇心が刺激されるとも言えるのだが。
まったく嘆かわしいことにこれほど興味深いテーマについて誰も研究していないのだ。
王立アカデミーとやらは何をしているのだろうか。
まったく、王立協会ならばゴールドメダルが授与される見研究の処女地が山の様にあるのに!

「いかがなされますか?」

知的好奇心に思わず傾いた心を呼び戻したのは、伺うような部下の声だった。
考え込んでいたことを誤解されねばよいのだが。
そう思いながら、ロバートは少し考え込む素振りを崩して頷くことにした。

「ご招待を受けよう。どの道前線は見ておかねば。」

必要とあれば、前線視察も行うべきだろう。
もちろん現場を見て理解できるのが全てというつもりはない。
指揮官というのは、対局を見据える司令塔なのだから。
軽挙妄動すべきでないというのは、当然の思考だろう。

それでも、海軍で指揮官先頭の精神が謳われているのは其れ相応の理由があるからに他ならない。
行って、見て、掌握することにも意味がある。

そこまで理屈で考えるまでもないことだ。
それに、上手くすれば軍制面の助言者を発見することも期待できなくもない。
願望が入り混じった判断かもしれないが、悪くはない提案に聞こえた。

故に、彼は決断する。

即決したロバートはすぐに手はずを整える用に命じた。

「出港準備だ。手ぶらで行くよりはフネでも持参しよう。」

「はっ、直ちに。」

順調な手配。
まずまずの状況。

経験則上、物事が上手く行き始めている調子だ。
それをロバートは実に満足げに頷くことで実感する。
現場の意見を聞けば、状況の改善に役立つだろうと。

・・・おかげで、油断してしまった。



船旅というものは、あまり良い思い出がない。
フネのメインデッキから下界を眺めおろしていた少女は、忌々しい過去の記憶を頭から追いやる。
品位のかけらもないゲルマニアの士官を吹き飛ばしたことは後悔していない。
自分の失敗魔法で、マザリーニ枢機卿まで巻き添えにしてしまったことは少々気がかりだったが間違ったことはしていないのだ。
意図が正しかったにも関わらず、不手際で失敗してしまっただけである。
貴族の名誉を保つために行った名誉ある行為。
それが、失敗によってマザリーニ枢機卿を巻き添えにした批判ならばまだ甘んじただろう。

にもかかわらずだ、と少女は憤慨する。
無礼で野蛮なゲルマニア人はまったく意味のわからない批判を喚き立てる始末。
そしてゲルマニアに拘束され、あまつさえ捕虜とされた。
杖も持っていない平民上がりに侮辱され挙句に囚われるのは屈辱でしかない。
今でも、そのことを思い出すだけで屈辱と恥辱で体が震えてくる。

「・・・考えてもしょうがないわ。お父様もきっと理解してくださるはず。」

そして現在進行形にて、気に病んでいるのは家出のことだ。
貴族としてのあり方を重んじるべきトリステイン名家らの醜態は耐えがたいほど。
いや、名誉の問題ですらあるだろう。
こんなときこそ、ヴァリエール公爵家が率先して模範を示すべきというのに。

「そうよ、私は間違っていないわ。」

姫様の結婚式。
アルビオン王家のウェールズ様と姫様の中を素直に祝福できない人たちがいると聞いて本当に悲しかった。
貴族にとって、王家とは何か。
忠誠の杖をささげたと常々口にしていたのは一体何だったのかとルイズは問い詰めたいほどだった。

「王家の祝事も慶賀しないなんて、信じられない。」

姫様が、あのアンリエッタ姫様が結婚なさるのだ。
お相手はトリステインともご縁の深いアルビオンのウェールズ王太子殿下。
臣下にしてみれば、こぞってお祝いに駆けつけこそすれども躊躇する理由はない。

まして、最愛のお友達と呼んでくださる姫殿下から名誉ある巫女を依頼されて断るなど!
お父様はどうかされてしまったのではないだろうか?
本当の貴族というものの名誉を一門が、貴族が忘れてしまっていると笑われかねない事態。
だから、だから、とルイズは心で繰り返す。

『私は、間違っていない』と。

自分の心で繰り返すのだ。

『私は、正しいのだ』と。



ゲルマニア軍所属軽コルベット、エムデン

ごく標準的な軽コルベットながらも優秀な見張り要員と練度の高い船員らから司令部からは重宝されているフネだった。
彼らに期待されている任務の性質は、要するに哨戒と偵察。
砲もメイジも龍騎士も搭載数が貧弱な軽コルベットでありながらも、眼としての役割からコクラン卿は増派を強く求めている類のフネでもあった。

最も、当のコクラン卿自身エムデンを重宝しながらも持ち込まれる凶報には基本的に歎くのが常なのだが。

「なんだあれは!?」

ともかく、エムデンの優秀な見張り要員はその評判にたがわぬ視力と注意力によって地上に起きている異変をきっちりと補足した。
多少距離があるものの、鍛えられた彼の眼は地上の状況をきっちりと走査しきっちりと異常に気づけたのだ。

「どうした?」

「見ろ!囲まれているのは、出発したばかりの輜重隊に見えるのだが。」

眼下の光景は、訓練されていない人間の視力では林の様な何かと小さな点と見えるに過ぎないだろう。
だが、彼らはソレが人の群衆であり同時に小さな点の群れが補給用の馬車だということに気がつけた。
優秀な水兵というものは、メイジに劣らない極めて貴重な眼だ。
だからこそ、組織で戦うという前提を抜きにしても見張りの地位は平民であろうとも相対的に高い。
ゲルマニアは元より平民の比率が高い軍組織であるが、中でもフネに乗り込む練達の水兵ともなればやはり相応の立場が用意されるのもそこにある。

「・・・本当だ。おい、だれか艦長に伝えろ!」

そして、呼び出された艦長が事態の深刻さを理解し地上で取り囲まれていた輜重部隊の救出を決断するのにそれほど時間はかからなかった。
少ないながらも、伝令用に搭載している龍騎士隊を展開させると共に威嚇のためにフネを近づける。
まあ、軍隊でも何でもないタダの民衆の群れだったので散らすのはさほどの難事でもなかったらしい。

強面の龍騎士隊が降下する素振りを見せただけで、馬車を取り囲んでいた連中はあっさりと散っていった。
一先ずは、これで安全が確保できたと判断したエムデンの艦長は事情を聴く為に責任者をフネに招く。
無事を祝う艦長が、これでも飲み給えとホットワインを差し出し、若い貴族が感謝して飲み干す救助に感謝。
そんな儀礼的やり取りの後に、若い輜重隊指揮官は深刻極まりない状況をエムデンの艦長に打ち明けた。

ほとんど、それは輜重関係者にとっては周知の事実。
しかし、コクラン卿指揮下で来援したばかりの将校や一般の貴族らにとってみればほとんど寝耳に水状態の最悪の知らせに近いものだった。

「は?糧食が欠乏寸前だと!?」

一瞬、何を言っているのかわからないとばかりにエムデンの艦長は吠える。
タルブ集積地という兵站の要衝。
わざわざゲルマニア艦隊用の基地が用意されているのだ。
彼らの脳裏には、射耗する砲弾備蓄量や火薬備蓄量ならばともかく食糧の心配は浮かんだこともなかった。

そんなものは、たっぷりやまずみにされていると誰もが考えていたのだ。
なにしろ彼らは、実際に倉庫に積み込まれた大量の穀物を日々眼にしている。
あれで欠乏寸前と言われれば、誰だろうと疑問を覚えることだろう。

「厳密には、兵らの分はあるのですが・・・その。」

「なんだというのかね?」

当然、若い輜重部隊の貴族にしてもその事実を否定するつもりは全くなかった。
ただ彼は、職責上物資を運ぶ行為に従事する途中でたびたび避難民の眼に晒される立場にあったという事に過ぎない。
メイジとしての力量よりも、単純に采配能力を買われた彼は逃げ出してくる平民らが着の身着のままということを察した。
そして、囲まれるに至って彼らが深刻な食糧難にあるという事を否応なく実感したということだ。

まあ、調達の難しさを知るために薄々は察していたという事もあって原因はあっさり彼には理解できた。
要するに、眼がアルビオンやら大公国やらガリアやらに向き過ぎていたお偉いさんが見ない足元の火種に気がついたということである。

「避難民の食糧が足りません。」

「なに?避難民?」

「御意。どうにも、穀物が入手できていないようで暴動寸前かと。」

まだ、逃げている途中はそんなことも気にならなかったらしい。
おかげで最初のころ、ゲルマニア軍当局はタルブ周辺に逃げてきた避難民に特に注意を払っていなかった。
指揮系統の再編によってコクラン卿が赴任するにあたっても、そのことは特に配慮されずじまい。

だが、ごくわずかな蓄えを食い潰し始めた避難民の焦燥感。
それは確実に高まる一方なのだ。

「だからと言って、何故我々に?食糧なら商人なり、農家なりに交渉するべきことだろう。」

「・・・トリスタニアから大量に我が軍が買い付けた分の放出が要求されているのですが。」

そして、問題はゲルマニアが作戦の一環とはいえトリスタニアで大量の穀物を買い求めたと誰もが知っている点にあった。
軍の意図は明確だろう。トリスタニアで大量の金が落ちているという知らせをレコンキスタなる金の亡者どもに流す。
そのために、ほとんど意図的に噂を流布する形で金に糸目を付けずに買い込んだ。

近隣の農家からまで、供出されたと思しき大量の穀物。
ゲルマニアにしてみれば、これで旧王都に侵入してきた馬鹿どもを兵糧攻めしつつ撃滅する予定だった。
ところが、どうも侵入してきた馬鹿どもは、馬鹿は馬鹿でも亜人の群れ。
当初計画も糞もなくなって、ゲルマニア軍は不本意な戦線後退を強いられる始末。

元々、余剰穀物が重税や荒廃によって乏しい旧トリステイン領内の農家は売る分などほとんどない。
加えて、亜人の大侵攻によってそもそも彼ら自身も避難民となってしまう状況だ。
深刻な食糧問題が勃発するのは、ほとんど時間の問題に過ぎないように彼らには思えてしまう。

そんな時に。
誰かが囁いた。
あんなに買い占めたゲルマニアなら、余っているはずだ、と。
誰かが囁くのだ。
あんなに余っているハズならば、少しくらいは分けてもらえるのではないだろうか、と。

「馬鹿なことをいう!そもそも、あれは撤退時に処分したはずだろう。」

「連中、そんなことは夢にも想像していないかと。」

だが、そもそもすぐ食べるわけでもない重たい食糧なんぞ撤退時に亜人誘導の囮にするか焼却処分されている。
囮として役立たないとわかった瞬間に、ほとんどの部隊は重たい輜重は処分して離脱を優先。
まあ、タルブという兵站拠点があればこその技だった。
要するに、ゲルマニアは飢えないとわかっているからこそ重いモノを放り出して撤退できたのだ。

しかし、そんなことはそもそもゲルマニア軍しかしらない。
なにしろ、買いあさるところは見られていても焼却処分しているところを見ている避難民は多くないのだ。
(いや、そもそも逃げることに懸命なので気がつくとも思われない。)

「金は渡しているはずだ。そこらの農民と交渉させれば良いではないか。」

「艦長、連中はトリスタニアの貧民が過半です。持ち出せた財産は・・・。」

大半のゲルマニア軍人は軍紀が厳しいと歎くものの割合タルブ駐屯地そのものは気に入られている。
なにしろ、上手いワインがゲルマニア人の感覚では安価で楽しめるのだ。
料理も独自のものだが、その辺に寛容なゲルマニアの舌からすれば上々のものである。
そして、それを受け入れるタルブ村はゲルマニア人相手の商売に精を出していた。
なにしろ、相手は割合とはいえ規律正しい上に統治上の必要性から税を軽減してくれたのだ。
それほど悪感情が無い上に、支払いは確実とくれば拒む理由はない。

商魂たくましく、兵隊相手の商売が出てくるのは当然の帰結だろう。
そうして、タルブ近隣の物価はゲルマニア並みとなっていた。

言い換えれば、安いというゲルマニア兵の感覚は給与を払われるゲルマニア人の感覚。
そもそも貧しい貧民が何逃げ出して来た時の財産程度では、すぐに足りなくなる。

「なるほど、囲んでいるのはそのような連中か。」

当たり前のことだが、才覚のある連中は新しい仕事や商売を見つけられるだろう。
だが、そんな連中はごくごく限られている。
当然のこととして、食い詰める人間が出てくるのは時間の問題だった。

「食料は供出できるか?」

取りあえず、面倒事を避けるためにも飴玉をばら撒けないのか?

「一度二度はともかく、冬越えの分は無理です!ただでさえ、撤退時に放棄しているのですよ。」

そんな艦長の疑問に対する輜重責任者の解答は、ごくごく単純だ。
数回ならばともかく、くり返していてはすぐに足りなくなる。
そもそも、軍人よりも避難民の方が圧倒的に多いのだ。
タルブ駐屯地に余裕があるとしても、それは軍人と従来のタルブ在住民に限った話。

誰だって、想定した人員の十数倍の食糧需要に応じろと言われて応じられるはずもなかった。
いや、それこそ都市でも新たに造れと言われる方がまだ楽だろう。
逃げ出して来た避難民の胃袋という問題は、恐るべき問題を提起する。

そのことを理解した艦長は丁重に若い貴族へ謝辞を述べて返すと同時に参謀らに諮った。

「・・・暴動が起きた場合鎮圧できると思うか?」

少数ならば、フネの大砲なり龍騎士なりで散らすこともできるだろう。
だが、大規模な暴発となれば。

「オーク鬼と遊びながら暴徒と遊ぶのは、厳しいかと。」

それこそ、厳しいどころではない。
理解できたメイジらは、どうしろというのかとばかりに頭を抱え始めた。
オーク鬼を抑え込むには、平民にせよメイジにせよ数がいる。
一方で、暴発されれば鎮圧のために手を割かねばならない。

「・・・頭が痛くなるな。よろしい、急ぎ対応する。」

考えただけでも、怖気の走る悪夢だった。
急ぎ対応する必要がある。
誰もが、その考えに同意した。

「総督にお知らせしなくては。急ぎ、指示を仰げ。」

そして、職務に忠実に上司へ急報することになる。



その日、いったい何杯ティーで動揺を誤魔化すために飲むことになるか。
不幸な少し未来の事を知らないロバートに最初の悪い知らせがもたらされたのは昼食直後だった。
視察に赴く直前に、会合を持つべく開かれた食事会。
そこで、食後の会話を楽しんでいるところに凶報の第一陣が飛び込む。

「コクラン卿、至急報です!アルビオン方面より、至急報であります!」

「・・・信じられん。見たまえ。」

伝令から届けられた知らせ。
曰く、アンリエッタ王女とウェールズ王太子の結婚式告示。
そして、そのトリステイン側出席者に“巫女”なるものとしてヴァリエール家の子女が列席する?

ラ・ヴァリエール家は、中立と見られていたのだが。
旗幟を鮮明にしたとでもいうのだろうか?
間違いなく、悪い兆候だった。
婚姻といいつつも、旗幟鮮明の機会だと誰もがわかる。

これに対して、面倒事が飛び込んできたと考えつつも、ロバートの対応はまず常識的なものだった。

「届けられているとは思うが、ヴィンドボナへ中継だ。並行して事実確認。」

念のためにヴィンドボナへの中継を指示。
並行して、部下らに事実確認を命じる。

「視察は取りやめにいたしますか?」

「いや、続けよう。」

「よろしいのですか?」

そして、対応を協議していた部下らからの中止提言を拒否。
この状況だ。
視察取りやめはやむなしではないのかと、疑念を表す部下が多いことを確認すると少しばかり口を挟む。

「艦隊をまとめて動かせる状態に置きたい。むしろ、全艦で行くぞ。」

最悪の場合、艦隊による強襲すらありえるのだ。
そのためには、部隊を手元に置いておいた方が好都合。
そして、総督視察に部隊が付き従うというのはカモフラージュとしても良さ気に思える。

「了解いたしました。直ちに、手配いたします。」

「よし。ただし、平静を装え。何事もないようにだ。」

その意を汲んだ部下らに対して、ロバートは満足しつつも追加で指示を出す。
目立つな、事態を隠匿して大きく悟られるな。
緊急事態の勃発というよりも、何事もないという印象を与えることを彼は望んだのだ。

「お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「タルブは、諸候に見られていると思え。軽挙すればそれだけでいらぬ波紋を立てる。」

要するに、政治だ。
そもそもロバートが総督なる地位に任じられたのも、もとをたどればその政治故にである。
面倒だとは思うが、ロバートはその要素を考慮することもヴィンドボナに期待されているのだ。
そして、期待に応えられる程度に彼は有能だった。

「それと大公国には悟られるな。前線への援軍と伝えよ。」

「彼らも勘づきませんか?」

「こちらの意図を隠し通せ。介入される可能性を減らしたい。」

面倒な事態を惹き起こさないための処置。
手配される対応策。
少なくなくとも、第一報に対するロバートの処理は適格と評することが可能な対応だった。
それこそ、彼を総督に任命したヴィンドボナも満足できる程に。

だが、次の悪い知らせは。

少なくとも、ヴィンドボナどころかアルブレヒト三世にとっても予想外の事態を招く事となる。

「コクラン卿!緊急事態であります!」

「何?先の伝令ならば既に受け取ったが?」

アルビオンからの悪い知らせに追加で何かあったのか?
それとも、別ルートから少し遅れて飛び込んできた同様の連絡だろうか?

そんな疑問を抱えた彼らに対する答えは非情だった。

「いえ、別の問題が発生しました!こちらが、詳細になります。」

「・・・・・・つまり、避難民が暴発寸前というのかね?」

差し出されたのは、軽コルベットエムデン艦長からの緊急報告。
それによれば、彼はつい先ほど暴発寸前の避難民から輜重隊を救出したらしい。
同時に、その原因を調査した結果と現状の報告を緊急に寄こしている。

そう、暴動の危険性だ。

「はい、連中は我々が買い占めた食料を保持していると主張している模様です。」

「馬鹿なことをいう。そんな重量物を抱えて撤退できるものか。」

「撤退時に放棄と言われて、納得できるものではないのでありましょう。」

参謀らが少しばかり、ざわめくものの結局のところ彼らの動揺は単純な事実によるところ。

   オーク鬼を叩き潰し、レコンキスタを叩き潰し、動向が信用できない旧トリステイン貴族を叩き潰し。
   さらに、飢えた避難民を叩き潰せと言われれば誰でも現有戦力に不安を抱く。
   というか、絶対的にゲルマニア軍は不足することになるだろう! 

それを解決するための方策は、単純だ。
飢えているならば、食料を最低限度放出すれば良い。
だが。
考えがそこに至った時に、誰もが困惑せざるを得ない。

「まさかとは思うが、我々が避難民を養えというのではないだろうな諸君。」

ロバートが口にしたように、避難民を養うというのは誰にとっても論外に思えてならないことだった。
元々、採算性最悪と酷評されるトリステイン戦役以来出費がかさむことは概ね忌避されている。
ヴィンドボナの意向を考えるまでもなく、ペイした分がペイバックされるとは思えにくい状況。

そんなところに、徴税の見込みがないような連中をひたすら養えといわれたところでゲルマニア貴族らの思考はフリーズするだけだ。
いくばくかは、それよりも現実的なロバートであったとしても、費用を考えるだけでその方策が現実的でないと理解できる。
(だからこそ、ゲルマニア軍は食糧問題という面倒事は当初レコンキスタに押し付けるつもりだった。)

「第一、そんな金穀がどこにあるのか?私は知らんのだぞ。」

なにより。
なにより、現実的に横たわっている問題は数の問題でもある。
買い求めようにも、いくら金銭があっても足りるとは思えない。
備蓄食料は豊富であるし、昼食もバリエーション豊富な良いモノを兵は楽しめている。
だが、それは人数の限られたゲルマニア軍を食べさせるには豊富という程度。

・・・飢えた胃袋全てを満たそうと思えば即刻倉庫は空となるだろう。
そんな量の金穀は手品師でもない限り、捻りだすことは不可能にみえる。

「ヴィンドボナに要請しては?」

「届くころには、暴動だよ君。」

そして、不足分を補うためにヴィンドボナに支援を依頼したところで。
せいぜい、雀の涙程度が一度に送られる限度だ。
ムーダによる輸送は、フネの船倉を満載したところで避難民の絶対数を満たすには至らないだろう。
そして、その運航のための風石は艦隊の行動を制約しかねない。
いや、逆に艦隊への風石配分がムーダの運航を制約することも考えられた。

纏めて運ぼうにも、届くころにはそれこそ手遅れだろう。

そして、口にこそ出さないものの。
ロバートはあのアルブレヒト三世がそのような巨額な支出を許容するかという疑念もあるのだ。
ただでさえ、意味のない出費と嫌がっているヴィンドボナ。
そんなところに、この支出要請?
受け入れられるというのは、ほとんど希望的観測だろう。

「・・・取りあえず、ティーをくれたまえ。」

故に、一先ず彼はお茶を欲した。
そう、お茶だ。


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あとがき

お久しぶりです。
こちらも、投げ出すことなく更新し続けたいと思います。
完結させたいなぁ・・・。

>ななし様
難しいですけど、意識して行きたいと思います。

取りあえず、微妙速度で微速更新を予定しています。



[15007] 第九三話 宣戦布告なき大戦6
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:dc3eb175
Date: 2013/10/14 17:15
植民地戦争とは、採算性が取れることを前提に戦われる。
当たり前だが、人ひとり住んでおらず、貴金属の埋蔵も期待できないような土地のために戦争するという発想はイギリスにはない。
そして、ボーアで散々たる代価を支払って以来、英国では戦争の『採算性』ということを意識せざるを得なかった。

その意味において、第一次、第二次大戦と言うのはロバートからしても最悪の大失敗だ。
このハルケギニアに流れ着いた時点で、ロバートは植民地の放棄という発想までは知らない。
それでも、コスト、という発想が頭の中に居座るのだ。

彼は他のゲルマニア高級官吏同様に心底下らない理由により開戦に至ったトリステイン戦役には辟易としている。
そして、同時にコストという発想からすれば辟易以上に心底憂慮せざるを得なかった。

なにしろ、トリステインの旧支配構造は依然として土地を所有しているのだ。
つまるところ、これは、トリステインと言う慢性的な火種を抱え込むだけ抱え込んだあげく、赤字を垂れ流すに等しい。
これだけでさえ、頭が痛くなるような政治上の措置だ。

当然、皇帝アルブレヒト3世が、これ以上の出費を望まないのは少しでも世事にたけて居れば容易く想像できる。
権力基盤の強化が進むとはいえ、国費を垂れ流せば相対的に中央集権が歪むのは自明のことだろう。

だからこそ、だからこそ、誰もが気乗りせずに嫌々トリステインで戦争しているのだ。
言い換えるならば、トリステインという採算性が疑わしい地方の戦争は誰だってさっさと終わらせたい。

本音でいうならば、亜人にトリステイン人が何人教われようとも、本来は公の場で涙すれば済む話にすぎないはず。
無論、個人としては心が痛むが、邪悪な組織人としてみれば自分たちの陣営の利益が最優先となるのは当たり前だ。
ゲルマニアの南方防衛の確立と対ガリアの観点からタルブのような要衝を確保し、後は関わり合いになりたくない程である。

だというのにだ。

苛立たしげに、重戦列艦ヴァイセンブルク提督執務室に座り込んだトリステイン方面総督、ロバート・コクラン卿。
彼はカップを手に取り一服しつつ呻き声を漏らす。

トリスタニアの難民問題。

…モンゴル帝国が攻城戦に際して『防衛側の農民』を活用した故事を今更ながらに思いだす羽目になったものだ。

戦史の教官が、さらりと触れた程度の話だがそれでもくっきりと覚えている。

元来が遊牧民族であるモンゴル軍は、攻城兵器を持たず城塞都市を攻略することが不得手だったという。
実際、騎馬民族は野戦では強くとも攻城戦では意外に手間取るというのは珍しくない。
もともと、騎兵と攻城戦と言うのは相性が良くない物だ。

が、彼らは発想を逆転させた。

モンゴル軍は、攻城戦に際してまず城塞都市の周辺の村々から襲い始めたのだ。
それも、その際、なるべく村人を『殺さない』ように気を付けながら。
そうして村を焼かれた人々が、安全な都市へと逃げ込むのを待って、悠々と包囲したという。

そう、周囲の穀倉地帯を抑え、人口が膨らんだ都市が餓えるまで悠々と。

兵士の数は防衛の強固さだが、無数の腹を抱えた防衛戦など…指揮官ならばぞっとしない悪夢である。


まだ、幸いにしてタルブは防衛線が健在なために包囲されたわけではない。
だが、包囲されていないにもかかわらず慢性的な食糧不足と急激な情勢の不穏化と来ていた。
挙句、本来ならば解決しなければならない政治的なごたごたも急速に悪化しつつある。

大公国の動向もさることながら、トリステイン王家の血を引くヴァリエール家の動向も無視できないのだ。
机の中から取り出したウィスキーボトルに手を伸ばし、一口呷らねばやって入れなかった。
タルブで特産と言う事もありアルコールだけには不足していないのが幸いだろう。

尤も、タルブ近隣はブドウ畑ばかりで大量の人口を養える耕作地がないという事を思い出して頭がさらに痛むのだが。

これでまだあのジャガイモ共の様にビールを醸造しているのであれば穀物の目途もつかないこともなくはなかった。
だが、ブドウとくればとてもではないが穀物とは言えないうえに主食として補う訳にもいかないだろう。

だからこそ、責任者としてのロバートはどこからか、王都一つ分の腹を満たす食糧をひねり出さねばならない。
無論、短期的にはタルブ駐屯地の山積みにされている備蓄を切り崩せば情勢を穏やかにさせられる。
が、長期的に見た場合は緩やかな自殺。

自分は海軍士官であって、始めから減ることは有っても増えることのない人数分の兵站が専門なのだがと叫びたい程だ。
長期公海に際して艦船に積み込む物資の管理は何時も繊細かつ丁寧に行わせていたが…前提が違いすぎる。

「…つまり、養うのは、そもそも、無理だ。」

結論としては、とてもではないがトリスタニア住民を喰わせることなどできないというもの。
そもそも、本来ならばトリステイン中に蔓延する反ゲルマニア感情とトリステイン王家への幻想を打ち砕く予定だったのだ。
トリスタニアで所謂アルビオンからの不愉快な仲間たちと大いに争ってくれる予定だったのだが。

…亜人が、何故?

いや、これは重要だが専門家に調べさせるしかない。
今、自分が考えるべきは兵站の処理と…大公国、従軍諸侯との関係だ。

が、その思考は結局のところ難題に対する明瞭な答えを出し得ないうちに煩雑な艦隊業務に遮られてしまう。

「コクラン卿、フネの針路について艦長がお伺いしたいと。」

「…変更はなしだ。とにかく、前線視察を何事もないかのように執り行え。」

政治的に見た場合、予定されている視察を急遽新任の総督が取りやめることは頗る問題がある。
既に、胃が痛くなるほど厄介ごとが噴出しているところに食糧問題が沸いて出たとしても、だ。

「はっ。」

「それと、エムデンの艦長に私からと言ってラムを送ってくれ。クルーにもだ。」

「かしこまりました。」

嫌な知らせを持ってきたエムデンだが、しかし、貴重な情報をもたらしてくれたことに変わりはない。
気乗りしないニュースを知らせてくれるフネほど、海軍では本来珍重すべきものなのだ。
ロバートが士官学校から一貫して言われたのは、現実を直視する必要性である。

幾ら、理論で取り繕ったところでクイーン・メリーの爆沈が全てだった。

…だからこそ、彼らは嫌な知らせを大したことがないかのように平然と受け取る習慣を身に着けることで、現実を直視する訓練を受けている。

嫌になるほど碌でもない知らせを受け取ってなおロバートは其れがどうしたという装いを保てるのだ。








「あら?…随分と、大勢でいらしたのね。」

キュルケの眼が間違っていなければ…そして、彼女は自分の眼を信じているのだが、彼女が目にしているのは重戦列艦を含んだ艦隊だ。
間違っても、優美なコルベット程度の視察にやってくるフネとは違うらしい。

「視察、というより一戦構える覚悟かしら。…意外と、情熱的。」

ちょっと燃えてくるじゃない。

そうふわりと風に煽られた火種のような笑みを浮かべつつ、キュルケは面白くなってきた予感を感じ取っていた。
杖を手に、足早に臨時の船着き場へと足を運んだ彼女の頭を占めるのは言わずもがな、好奇心だ。

マントを翻らせ、足取り早く駆ける彼女が気にかけているのは一声投げただけで本当に前まで出てくる新総督その人。
これで、連れてきたフネが全て自分の護衛と言う訳もないだろう。

ヴィンドボナの風評までは知らないが…少なくともキュルケの知る限りわざわざあの閣下が送ってよこした人物である。
仮にも軍人であるし、父からも悪い風評は聞いていない人間なのだ。

尤も、風評と言うなら…と思い返してキュルケは思わずクスリと笑みを漏らしてしまう。

一番初めにコクラン卿の名前を聞いたのは、こともあろうにルイズに吹き飛ばされた提督が居る、と聞いた時なのだ。

あの時は、我ながら大いに呆れたものである。
とまれ、それ以上の推測を控えた。
とりあえず実物を見てみよう、というのがキュルケの気持ちだ。

船着き場にたどり着いたキュルケは手早くマントを整えて燻る好奇心を隠そうともせずにフネを待ち望む。
ツェルプストーの本分は炎。なれども、燃え尽きるのではなく燃え上がる火なのだ。そうして彼女は好奇心の炎を竈で保つ。

なにより待たされるのは好きではないのだが、待つのは嫌いではないのだ。

やがて甲板の上の喧騒が直接耳に届くほどにフネがゆっくりと高度を下げて船着き場へとゆっくりと向かい始める中。
彼女はじっくりとフネを狩猟者のように丹念な眼差しでもって眺めながら、素直に感心していた。

空軍の専門家ではないにせよ、キュルケも杖を手にとってオーク鬼を蹴散らしている軍属だ。
専門外のことにせよ、動きが機敏であるか、統制が整っているかということ程度は察しえる。
ゲルマニアの空軍が著しく質・量ともに増強されていると聞いていたとはしても、この目で見るとやはり壮観だった。

なにより驚くのは、かのアルビオンにも勝るとも劣らない兵卒らの機敏さ。
そして、船着き場へと接近してきたフネが接舷の準備を始めているさなかに甲板の上で動きがあった。
フネを係留するのだろうと考えていた地上の人々の予想。

だが、キュルケを含めたその人々の予想とは裏腹に突如として竜騎士の一群がフネから降下を開始。
唖然とする出迎えを前に、降り立った竜騎士らは幾人かの指揮官らを地面におろし儀仗兵の様に杖を捧げていた。

否。

儀仗兵の様に、ではなく、本当に彼らは儀仗兵役を務めているのだ。

咄嗟に杖を捧げる姿勢でフネから降り立ってきた面々を迎えたとき、キュルケは内心で自分の好奇心が燃え上がることを嫌でも意識してしまう。

つかつかと進み出てくる男性。
被っている帽子と、ぶら下げている勲章を見るまでもなく、あれがロバート・コクラン総督だとキュルケは確信していた。

「ようこそ、最前線へ。ご招待に応じて頂き、言葉もありませんわ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーですわ。」

なればこそ、意表を突かれたままで黙り込んでいるのは彼女の性ではなかった。
一歩足を前に踏み出し、典雅でありながら同時にどこか型に嵌りかねるのびのびとした一礼。
良くも悪くも、奔放なツェルプストーの女とは、型に嵌らないものだ。

さらに言うならば、行動をもって良しとする。

「始めまして、ミス・ツェルプストー。ロバート・コクラン、トリステイン総督を拝命しております。熱烈なご招待に感謝を」

「応じて頂けるとは思ってもいませんでしたの」

だからこそ、礼儀知らずだと。伝統を云々という古びた輩とは今一つキュルケは肌が合わない。
父が嫌がらせなのかそれとも政略の一環なのかで自分を萎びた老公爵に嫁がせようとした時杖を取ったのもだからだ。
活力こそが、炎を燃え上がらせるもの。

「炎を不得手と為されていないと宜しいのですが。」

此処まで、誘いの一声で足を運んでくれた総督に対してキュルケは意外と若いわねと見直す思いだった。
老練な政治家が任じられてくるものとばかり思い込んでいたが、どうも、軍人肌の匂いがする。

「船乗りにとって火は厄介なものではある。ですが、私は一度吹き飛ばされてもこの通りだ。存外、大したこともありませんよ。」

「あら、それはトリステインの微風でしてよ?あの子ならば、事故のようなものでしょうし。」

オマケに、フネ乗りとしても意外と有能そうだと彼女の嗅覚は嗅ぎ付けてしまう。
お貴族というのは、縁起にこだわるあまりフネに火のメイジ乗せることを嫌がるとも聞くが。
吹き飛ばされたことを笑い飛ばせるのであれば、それがやせ我慢であろうとも…悪くはない。

が、キュルケの一言は想わぬところでコクラン卿の関心を引いたらしい。

「…ミス・ツェルプストー。貴女は、ヴァリエール家の末娘のことをご存知であられるのか。」

僅かに黙考し、キュルケの方へ質問の声を投げかけてくる姿は其れまでの社交儀礼をかなぐり捨てた実務の姿。
呆れ果てたことに、こんな良いツェルプストーの女を前にして、彼はどうやら、ヴァリエール家にご執心らしい。

「ええ、存じておりましてよ。私、一時期トリステインの魔法学校で学んでおりましたもの。」

「失礼。後程お伺いしたい。」









貴族同士のつながり、というのは国境を超えるものだ。
ある意味では、ノブレス同士の方が国を越えて普遍化しえるという事だろう。

平民でも他国のフネの乗組員の方が、自分の国の陸軍軍人よりも話が合うというのは珍しい話ではない。
よく悪くも、人間というのは近くの同種の方が話は合うのだ。

その意味において、近くにいた人間の知見と言うのは何物にも代えがたい生きた情報である。

「率直にお伺いしたいのだがその気性はどうか。」

だからだろうか。
提督執務室にわざわざ呼び出され、キュルケは艦隊の首脳陣から質問を山ほど浴びせられていた。
コクラン卿や旗艦艦長、副官などに囲まれ問われるのは全て『ヴァリエール家』がらみ。

「ルイズの気性?」

「その通り。できれば、極力事細かにお伺いしたい。」

ルイズの性格?
そういわれたところで、キュルケの頭に浮かぶのは『お子様』というものだ。

「そうですわね…その、難しいのですけど少し、子供なのですけど。」

「子供?…失礼、ミス・ツェルプストー。彼女がまだ成人していないことは知っているが。」

「あら、おかしなお方ですわね。…心のありようですわ。」

頑張り屋で、貴族としては珍しく真面目な一面があるものの、本質はかなり脆い一面があった。
あれほど努力していながらも、彼女は…魔法が使えない。

その一事が、ルイズのコンプレックス以上の何かを作ってしまっていたともいえる。

「心、ということについて聞きたいが。」

「彼女は、その、何と言えばよいのか。そう、良くも悪くも、貴族たらんと。」

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、貴族では?」

貴族とは何か、という定義の議論をしたいわけでもないだろうに。
存外、枠組みで物事を見られてしまう方なのだろうか。
口さがない宮中雀の言うところの『平民』上りと聞いたことがあるが…しかし、それにしては変に貴族的な発言だった。

貴族であることを自明であると考えるところ。
ある意味では、下手な貴族よりもよほど貴族的な思考に近い。

「コクラン卿、ゲルマニアと違いトリステインで貴族であるという事は、何よりもメイジであるという事ですわ。」

「彼女はメイジだろう。私は、実際枢機卿とご一緒に彼女に焼かれているが。」

笑い飛ばすように言ってのけるコクラン卿だが、彼はどうも勘違いしている。
ルイズは、魔法を成功させたことがないのだ。
だから、可哀想にもいつも彼女は嗤われていた。

「ああ、魔法が失敗したのですね。」

「失敗?いや、続けてくれ。」

「ですから、彼女は魔法がマトモにつかえませんの。貴族なのに、と言われ続ければ嫌でも意識しますわ。」

だからだろうか、人一倍、メイジとは、貴族とはどうあるべき、という紋切り型の考えに陥りがちだった。
悪い性格ではなかったが、誇りが高く…悪く言えば誇りの高さに自ら傷ついていたのだ。

「なるほど、言わんとするところは理解できた。…うん、興味深いな。」

「質問を宜しくて?」

そんなことを、聞くためにわざわざ自分が呼ばれたわけではないのだろう。

あまり淑女としての礼儀にかなった問いかけではないとしても。
自分ばかり、問われ続けていたのだ。
少しばかり、一体、彼らが何を知りたいのかと彼女は訪ねていた。

「構わないが。」

「ご質問の意図を。」

「結構。我々は、ヴァリエール家の動向に頭を悩ませている。即ち、彼らが亡命した王家に殉じるか、どうか、と言う点にだ。」

結局は、そこか、とキュルケとしても薄々は想像していたところだ。
最前線でオーク鬼を蹴り返す合間でさえ囁かれているのは、アルビオンとヴァリエール家の動向だった。
トリステイン王家とその関係する勢力というのは余りにも動向が不明瞭だから無理もない。

だが、少なくとも国境で長年対峙してきたヴァリエール家についてならばキュルケは確信が持てていた。

ヴァリエール家が王家に殉じるだろうか?という質問に対するキュルケの答えは単純だ。
最初から、そうと聞いてくれればルイズのことをあまり触れ回る必要もなかったほどである。

「ありえませんわ。」

「何故断言を?」

疑問を浮かべて訊ね返してくるコクラン卿の真顔が、少しだけキュルケには可笑しい。
…変わった人物だ、とキュルケの中でコクラン卿は今や認知されている。

平民出身と思しき人物ながら、貴族としての振る舞いを平然となしている。
というか、知らなければメイジでないとは夢にも思わないだろう。
でありながら、貴族としてみれば当たり前の家と国家の関係を失念している。

貴族の大半は、自分の利害に次いで国家の利害を追い求める存在なのだ。

「ツェルプストーの一門が、何年対峙してきたと思われますか?あの家は、良くも悪くもお家大事。身内が一番で、王家とはそれほども。」

「…血縁関係まであるようだが」

「こんなことを口にするのは憚られますが、ゲルマニア諸侯がこの状況で殉じると?」

本当に不思議な会話だった。
キュルケにしてみれば、どうして、そこまで忠誠心とやらをコクラン卿が評価するのか理解しがたい。
否、それは理解できるはずもないのだ。

『神よ、国王を護り賜え。』

王家と祖国に対する忠実な藩屏としてのノブレス・オブリージュを叩き込まれた英国の海軍軍人の思考など、この世界ではロバートただ一人の思考だ。

だが、だからこそ。

キュルケは、その無邪気なまでの忠誠心への盲信と、政治的なゲルマニア貴族への懐疑心を両立させているコクラン卿の人格に興味を覚える。

「尤もだ。なるほど、結局はそこに行きつくわけだな。だとすれば…妥協は成り立ちうると考えられるわけだ。」

「妥協?」

「そう、妥協だ。いや、私はどうやら恵まれているらしい。ミス・ツェルプストー、賢明な示唆に感謝を。」




あとがき
ちょっと久しぶりに更新。
勘が今一つなので、後でぼちぼち弄るかもしれません。
いじらないかもしれませんが。

とまれ、お待たせしました。マジ、すみませんでした。

追伸
呟き始めました。
@sonzaix



[15007] 第九四話 宣戦布告なき大戦7
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:bbe81540
Date: 2013/10/17 01:32
トリステイン王家というのは、あまりにも、中途半端だった、と歴史書は物語る。

彼らは、無能とするには有能過ぎた。
今日物語られる限りにおいて、トリステインの歴代王家の人物と言うのは君主として平均的な水準を誇る。
かの英雄王、フィリップ三世とその大公であるエスターシュの改革は一時とはいえトリステインにかつての栄華を取り戻したほどだ。
そして、その係累であるヴァリエール公爵家もまた同様に政治・軍事の双方において才幹を発揮している。
ゲルマニアが忌み嫌ったペチコートの一つ、かのアンリエッタについては言うまでもないだろう。
政治・軍事の素人と侮ったゲルマニアが、かの実利的な帝政ゲルマニア官吏をして『あの糞ペチコート』と罵ったほどである。

はっきりと言えば、弱体な王権と強すぎる貴族たちの上にあってなお、トリステイン王家は存続し続けられる程度には有能だったのだ。

が、同時に。トリステイン王家というのは、つくづく間が悪い血統でもあった。
おそらく、これほどまでに運に恵まれない血統と言うのも歴史上珍しいだろう。

まずもって、トリステインの再興を成し遂げたであろうフィリップ三世、エスターシュ大公の組み合わせは破たんした。
議論の余地はあるにせよ、トリステイン王家にとってはおそらく国勢を挽回する最後の大きなチャンスを逸したと言えるだろう。
王朝の中身は変わろうとも、それは本質的にトリステインと名乗れた最後の機会だったとする識者もいる。

が、多くの識者によれば最悪だったのはその後のトリステイン王家の混迷だ。
個々の判断を見れば、一概には悪いとも言い切れないのは事実である。
アルビオンとの政略結婚は、政治的にみて決して誤りではない。
が、アルビオンは頼むべき後ろ盾とするにはあまりにも内部に爆弾を抱えてしまっていた。
加えて、アルビオン王族を王配ではなく、国王とすることによる国内問題は実に微妙とならざるを得ない。

結果、トリステインがアンリエッタ王女即以前に大混乱に陥っていたことはある種の政治力学からすれば必然だろう。

本来ならば、そこで、ゲルマニアがトリステインと言う国家を渋々解体し、気乗りせずに統治してそのうちに取り込んだはずなのだ。
しかし、歴史の気まぐれか、アンリエッタ王女は、アンリエッタ女王としてゲルマニアの前に立ちふさがった。

これを歴史への悪あがきとみるか、祖国愛と見るかは微妙な議論である。
それでもはっきりしているのは彼女個人の覚醒は最悪のタイミングであったという点で衆目は一致する。
もう少しでも、トリステインが傾く前であればそれはゲルマニアとの戦争を招かなかっただろう。
もう少しでも遅ければ、クルデンホルフ大公国のような特殊な地位をゲルマニアから確保することである種の地位を築けたことだろう。

つまるところ、彼女は屈服するには早すぎて、しかし祖国を守るにはあまりにも遅すぎるタイミングで覚醒したのだ。
これに一番翻弄されたのは、おそらくある意味近しい血族であり、藩屏でもあったヴァリエール公爵家だろう。

つまり、かくまでも、歴史とは偶然の織り成すものであり、同時に残酷なことを為す。

…トリステイン史 第17巻 "トリステイン戦役"



前線視察というのはほとんど弥縫策の一環だった。
しかし世の中、何が幸いするのか分からないものだ。

「家系図を始めとする資料を漁れ。ありとあらゆる手段で探れ。リッシュモン卿にも、『極秘裏に』協力を要請しろ。」

旗艦の執務室で、指示を出すロバートは久々に一つ問題を解決できる見通しを得られたことで僅かながらも肩が軽くなっていた。
当分は引き出しの中に仕舞い込んであるボトルに手を伸ばすこともないだろう。

「コクラン卿、あのリッシュモン卿を通じて探されるおつもりですか!?」

思わず、聞き返してくる部下の言葉。
それに対しても、今ばかりはわずかな余裕をもって鷹揚に応じられるほどだ。

「そうだ。あのリッシュモン卿だからこそ、意味がある。」

「は?」

「我々から、話がしたいと呼びかけるわけにもいかんだろう。」

ゲルマニアから、交渉を持ちかければヴァリエール家は返事をすることだろう。
イエスでも、ノーでも、交渉自体によって得られる情報は大きい。
が、それでは相手の立ち位置を見極めるには微妙な問題が残ってしまう。

それはすなわち、ゲルマニアに聞かれたので答えた、という態度の問題だ。

「つまり、踏み絵だ。相手の能力、意図、誠意に対するな。」

だから、交渉したいと行動で示す。
後は、ヴァリエール家がそれを察知してどう行動するかにかかっている。
秘密裏に、トリステイン総督がヴァリエール家の家系図や系統を調べ始めたという事実。
そして、隠しておくようで隠しておかないという態度。
メッセンジャーとしてみれば、リッシュモン卿は最適なのだ。

誰もが、あの御仁であれば秘密を漏らしても不思議ではないと感じられる立ち位置。
それでいて、表向きは篤実な政治家をしているのだから『トリステイン情勢に疎い』新任総督が協力を頼んで不思議でない人物。
正しく、自然に不自然なメッセージを送れる人物だ。

あの狸であれば、そもそも自分の意図を始めから察して言われずとも漏らすと信頼できる。

それ故に、このメッセージを受け取ったヴァリエール家から接触してくるかどうかだ。
表向き、ゲルマニアがしているのは単なる調査。
そこに込められた意味合いがどのようなものであれ、ヴァリエール家が動くかどうかは完全にその家次第。

無視されるようならば、それこそ交渉の価値もない。
最低限、情勢を把握した合理的な交渉相手でなければ話にならないのだ。

「期待しているが、最悪を想定しなければならん。暴徒の鎮圧計画を立案しておけ。こちらは、本当に極秘で、だ。」

が、同時に。

問題の解決が見込めるとしながらも、ロバートとしては職務上最悪の事態に備えることも怠れなかった。

「コクラン卿。申し上げておきますが、前線にオーク鬼の群れを抱えた状況ではタルブ駐屯の部隊では鎮圧には十分な兵力がありません。」

「承知している。だが、難民の多くは殆ど武装もしていない平民だ。艦隊と竜騎士で支援するものとするがどうか。」

前線で臨時築城した防衛陣地で防衛しているのはたった今、視察している通りである。
それらを前提に計画を立案するならば、タルブ駐留中の兵力でも比較的余裕のある部隊を鎮圧には回すことになるだろう。
フネの海兵と竜騎士は、数は小規模でも実戦経験豊富な精鋭だ。
少なくとも、暴徒を鎮圧するには有用ではないか、と単純にロバートとしては考えていた。

もっとも、彼の場合は植民地勤務よりも本国艦隊勤務が長く、暴徒鎮圧もせいぜいが群衆のデモ対策を念頭に置いての発言なのだが。

「…竜騎士の支援は兎も角、艦隊の砲弾がとても足りません。」

「タルブ備蓄分は?」

「主として対艦戦闘を想定しての砲弾備蓄は行われておりました。ブドウ弾の備蓄は、艦艇攻撃分相応しかありません。」

故に、砲弾でもって暴徒を鎮圧する規模の制圧戦闘となると些か不得手だと自覚せざるを得なかった。
むしろ、貴族らが蜂起したような事例を想定し、ゲリラ鎮圧を想定する方が適切だろう。
そう気が付いたとき、それでは、ボーアではないかと彼は心中で呟いていた。

あの、ボーア。

「鎖弾と陸兵が使うキャニスター弾は?」

「キャニスター弾は、前線で目下加速度的に備蓄が溶けております。鎖弾はブドウ弾と同様です。」

「結構。…代用品として使えそうなものは?マスケット銃弾、釘、鉄片、何でもいいが。」

火力が絶対に不可欠な環境で、しかし火力が欠乏していては話にならない。

「砲身寿命は?」

「選べるものか。この際無視してかまわない。」

「ですが、対地砲撃をフネから行うと相当拡散し効力は左程も…。」

「オーク鬼を相手に試射しよう。結果は今週中には報告が上がることを期待する。」

…出来ることならば、鎮圧戦などというふざけた結末に終わらないことを切実に祈りたいものだ。





政治的に見た場合トリステイン系であった大公国だが、名目上は独立国家だ。
無論、力学的にはどう言いつくろうとも属国であるのだが。
しかし、この属国という身分ながらもクルデンホルフ大公国はその政治的な枠組みを良く活用して久しい。

当然のことながら、彼らにとってトリステイン王家とはあくまでも含むところがある一つの交渉相手に過ぎなかった。
だからこそ、彼らはゲルマニアと轡を並べ、あまつさえ王家の子女まで送り込むことで名目上の踏み絵に応じている。
名目上、彼らはゲルマニアの友邦だ。

…それ故に、彼らはゲルマニアが行おうとしていることに気が付く。
トリステインとの関係同様に、彼らは中にいるのだから。

「諸君、一つ聞きたい。ヴァリエール家の動向について、予想されるべき事態について述べよ。」

急遽、龍騎士母艦の会議室に集められた大公国の面々に告げられた政治情勢に対する諮問。
彼らは、まだ、コクラン卿が何をどう、決断したかまでは知りえない。
だが、政治的動物の常として、政治的動物がどのような決断を下すかという予想は決して不可能ではないのだ。

彼らは、コクラン卿がヴァリエール家を知悉していないことについてどの程度迷うかを判じられていないだけだった。
だからこそ、常に相対的に弱い力を補うために情報力と分析力に磨きをかけてきた大公国の面々にとって問いかけの意味は自明だ。

「…それは、つまり帝政ゲルマニアの動向を予期せよ、というご命令でしょうか。」

ゲルマニアが、ヴァリエール家と妥協するか、どうか。
言い換えれば、トリステイン王家とも縁戚であった『トリステイン王家由来の大貴族』をトリステイン統治に活用するか、と言う点だ。

「その通り。帝政ゲルマニアの置かれた環境を考慮すれば、可能性は常に考慮されねばならない。」

「質問です。ヴィンドボナと前線の距離を考慮すれば、大半が独断専行になるでしょう。コクラン卿は一度更迭されている人物ですが。」

戦略はどれほど合理的であろうとも、合理性だけで物事は進まない。
殊更、政治ともなればそれは誰が、どう、振る舞うかの世界でもある。
そして、ゲルマニア政界におけるロバート・コクラン卿の立ち位置は新興の法衣貴族が領主に転じたものだ。
一代限りで台頭してきた貴族の立ち位置を考えるのは、些か難しいが過去には更迭された事例もあった。

このような背景を持つ貴族が、果たして再び更迭されるような危険性の高い交渉に臨めるだろうか?
また、かなり繊細な問題とならざるを得ない交渉をヴィンドボナが容認し、コクラン卿を引き続き信任するだろうか?

「良い疑問だが、どうも更迭そのものが疑わしい。」

だが、既にゲルマニア内部に伝手をした大公国は気になる知らせを受け取っていた。
まだ大半が未確認にとどまる情報なのだが、しかし、分析能力があれば嫌でも分かる。

「その根拠をお伺いしても?」

「ヴィンドボナ中央の息がかかった商会がコクラン卿との伝手を一度も切っていない。」

ロバート・コクラン卿は、一代で成り上がった貴族。
にもかかわらず、彼が失脚した時に中央の息がかかった商会から見放されなかった。
どころか、支援まで受けている可能性がささやかれるのだ。

「干されなかった、と。」

商売に強い人間らならば、意味するところは明確に理解できた。
彼は、そもそも、失脚していない。

失脚を装った水面下での工作。
それは、珍しい話でもないだろう。

「ロマリアでの秘密工作の疑いが強い。現在、調査中だがアルブレヒト三世の信任を前提に議論する。」

だからこそ、断言されたとき。
彼らの多くは嫌な現実を知らされた実務担当者の表情で苦々しいものを無理やり飲み込んでいた。
国力で劣る大公国にとって、現実は何時も苦々しい。

それでいて、大公国という存在のために彼らは常にその苦々しい現実を嚥下してきたのだ。
胃が荒れるような日々でさえも、彼らはそれを甘受している。必要とあれば、これからもそうするだろう。

「…では、政治的な交渉を行う土壌は整っているでしょう。」

故に。

吐き出された言葉は、弱国で強国から一定の権利を勝ち取ってきた小国ならではの冷徹な判断だ。

「問題は、どの程度の地位を認めるか、だ。」

「トリステインの中の一つの貴族、というのはありえませんか?」

「第一に、大きすぎる。次に、そもそも、彼らは名目上ゲルマニアが領有する土地の貴族だ。」

呟かれる言葉の大半は、嫌な現実を、渋々認めるという色合い。
だが、そこにあるのは少なくとも現実を現実として受け止めるリアリズムだ。

「この場合、どなたも、トリステインの貴族として認めるとしてヴァリエールを取り込めるとは考えないでしょう。」

既に、大半の貴族は旗幟を鮮明にしてしまっている。
問題なのは、自由に主を持たないはずのトリステイン貴族が二派に分かれたことだ。
即ち、ゲルマニアと戦うか、ゲルマニアと共に戦うか。

現状、政治的な動向としては公爵家息女が巫女として王女の結婚式に参加するヴァリエール家は微妙に王家寄りだった。
が、現実問題として大領とはいえゲルマニア国境付近に位置するヴァリエール家の地理的状況が存在する。
結局、誰もがヴァリエール家の動向を予期しかねているのだ。

だから、マトモな当局者ならば、多少妥協してでも取り込めるならば良しとする可能性があった。

「問題は単純です。我々と同格か、それより上か下か、という一点です。」

これらの情勢を前提に大公国としてみれば、当たり前ではあるが自国の国益を考えるだけである。
ゲルマニアが疲弊しようと、ヴァリエール家がどちらにつこうと、基本的には問題ない。
問題なのは、大公国の特殊な地位に対する余波なのだ。

…ゲルマニアが、仮に、ヴァリエール家を旧トリステイン領に対する『特権的権利』や『指導的権利』を認めたとすれば。
最悪の場合、『旧トリステイン属領』に対する『指導権』を入手しかねない。

無論、あくまでも状況としては最悪を考えての仮定。

だが、ゲルマニアが比較的政治的動物として振る舞うことを知っていても大公国は不安が拭えない。
彼らは、属国に落ちたことがあり、同時に政治的動物としてゲルマニアが強すぎる大公国を望まないということも察しえるのだ。

故に、陪臣の陪臣という立場に大公国を落し込み、ヴァリエール家とクルデンホルフを相互に龍虎相打たせる可能性は常に危惧せねばならなかった。
そうでなくとも、同格とされるだけでも大公国は重大な問題に直面する。

「トリステインにおける格式を考慮すれば、我々は…微妙な立ち位置に立たざるを得ません。」

王家の下で、名目上独立していた大公国とその臣下であるヴァリエール家は微妙な関係だった。
なにしろ、ヴァリエール家は名門中の名門であり、しかも王家に連なっている。
他方、大公国も似たような背景があるが名目上は独立していた。

では、名目上の独立国として勢力圏が被るヴァリエール家がゲルマニアの属国を形成すれば?

「トリステイン王家に返り忠は?」

「論外です。使い潰されるだけだ。」

当然のことながら、この状況下、トリステイン王家に忠誠を誓ったところで改善は望めない。
なにしろ、そうなれば目下の敵であるゲルマニアと敵に付くであろうヴァリエール家との先鋒だ。
空中装甲騎士団が奮戦虚しく数にすり潰されて壊滅して終わりだろう。

「…とにかく、情報を集める。それと、本国と連絡を密にせよ。」

知らねばならないのだ。

大公国の未来を支えるためには、遠くまで見渡せる目と、遠くのことが聞こえてくる耳がなければならないのだから。

「それで、コクラン卿は?」

「オーク鬼と一戦するそうですが。」


「それでは掩護しなければ名。龍騎士の一個中隊を派遣する。情報を集めさせる。」

「はっ。」



あとがき

微妙に短め。
遺憾なことである。

…(・_・;)なんか、もの凄くお待ちいただいていた模様。

ぼちぼち更新していきますが気長に御寛恕頂けると助かります。

呟いてる方も、どうぞよろしくお願いします。(@sonzaix)



[15007] 第九十五話 言葉のチカラ1
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:bbe81540
Date: 2013/12/12 07:14
「さて、何からお話しましょうか」

飲み干したティーカップ。
それをカチャリ、と澄んだ音を立てながらソーサーに戻した精悍な表情の男。
"客人をもてなすための客間で、お茶を一杯頂いた。あとの世間話"
そんな軽い口調で、雑談でも交わすかのようななんでもないような一言。

呟くその姿勢にあるのはある種の余裕だ。

「せっかくのご来訪だ。そう、焦ることもありますまい」

それゆえに、歓迎のホスト役を務める壮年の貴族はやんわりと時間は幾らでもあるのだからといなしてみせる。
ゆっくりとお茶でも頂きながら、陽光の穏やかな冬の景色をごらんあれとばかりに視線を外に向けてみせる何気ないしぐさ。
すべてにおいて、洗練された挙動は生まれながらの高貴な青い血のみに許されたある種の余裕をこちらも漂わす。

「見事な景色だ。実に、壮観ですな」

「いやはや、面映い。コクラン卿のように壮麗な大自然をご覧になられた方にはつまらないものでしょう」

「ご謙遜を。ヴァリエール公爵閣下がこの光景には心を奪われるのも道理と感服する思いです」

ラ・ヴァリエール公爵領の冬景色を愛でる客人と、謙遜してみせる館の主。
その二人の間で交わされる会話はどこまでも穏やかで、どこまでも平凡なまでの字句通りの言葉。

忌々しい男だ、と内心お互いに心底忌々しい思いをかみ締めつつ。
彼らは穏やかな時間をゆっくりと気に入らない相手と共に笑顔で過ごしていた。



事の発端は、分かりやすくいえば交渉の必要性をどちらも理解しているということだ。
どちらも、現状において相手が自分の望むものを有しているという事実を理解している。

ゲルマニア側の代表として、トリステイン問題の根本解決をなんとしてでも成し遂げよと派遣されたロバートの立場はシンプルだ。
迫りくる狂信者の一派とそれに同調してみせたアルビオン分子の問題で頭が痛いところに沸いてきたオーク鬼と関連する諸問題。

ロマリアの狂った坊主共が、何か戯言をわめいただけで、それに乗せられてゲルマニア討つべしとアルビオンから艦隊が丸ごとひとつ脱走して攻めてくる事態。
理性的な人間にはつらい時代だ。

それだけでも頭が破裂しそうなのに、糞忌々しいトリステイン王室残党諸々をトリスタニアで枯死させようと思えば何故かオーク鬼が押寄せてくる始末。
トリスタニアが焼かれるのは人事でも、トリスタニアから逃げ出した難民と押寄せるオーク鬼を前にタルブ駐屯地が大混乱寸前とくればもうお手上げだ。
紅茶で一服し、だからそれがどうしたと笑い飛ばそうにも笑い飛ばしにくい現実が待ち構えている。
はっきりいって、ブランデーを抱えてそのまま寝床に戻って夢が醒めるのを待ちたいとはこのことだろう。

だから、ロバートとしてはこの難問を解決するために二つの問題をなんとか解決する必要がある。
ひとつは、トリステインにおける明確な負担の分担相手だ。
間違っても大公国など信用できないし、そもそも相手にそれ相応の負担を飲む理由が無いので端から却下。

必要なのは、難民を押し付けられて、トリステイン貴族間のごたごたを処理できる権威があり、なおかつゲルマニアと利害をある程度共有する代理統治人だ。
分割して統治せよの原則からいえば、ゲルマニアの手先となる明確な統治の道具なしに、ゲルマニアが直接泥沼に手を突っ込めばボーアの二の舞ということになる。
しかも、ボーアと違いトリステインにはダイヤも金山も、それこそ引くべき鉄道線さえもないのだ。

だから、可能ならば、それこそ難民を引き受けてもらい、なおかつ貴族連中を全部『処理させる』代理人がゲルマニアは欲しい。
そして旧トリステイン貴族の中でも王家に連なり今尚とどまる最大の貴族であるヴァリエール公爵家というのは自ずと正統性の問題を克服しやすい。
必要であれば、それこそアンリエッタ王女よりも正統性の高い『摂政』なり『大公』なりに任じて『自治』の名目で委託しても良いほどだ。

が、たった一つだけそのためには問題がある。

ゲルマニアが頭を下げて受託してもらう、と言うわけには行かないのだ。
ゲルマニアは、少なくとも勝利者であり、勝利者の寛容さを見せ付けるという最低限度の舞台装置なしにはなにも進められない。
間違っても、自分達からこの話題を切り出すわけにはいかない難しさがそこにある。


だから、一度だけでいいのだ。『頭を下げてくれ』










他方、ヴァリエール公爵にしてみれば最初の問題はより単純だ。

無責任な王家が放り出していった祖国。
それ束ねぼろぼろに戦火で崩れてゆくところから救うというある意味貴族の義務がはじめに問題となる。
忠実に果たすべき責務を果たす意志に揺らぎはない。
必要とあれば、彼はなりあがりと人々がさげすんでやまないゲルマニアと協調することさえも吝かではないのだ。

だがそれは、二つの問題を彼に同時に引き起こしかねない。

まず、第一の問題はその立ち居地だ。
彼は現在、最も有力な傍系王族であり王家にとっては微妙な存在と化している。
ここで彼がその血筋を正統性に立つとなれば当然のこととしてそれは『王家』からしてみれば反逆に等しい。

このとき、父親として彼は心底嘆くのだ。
何故、ルイズが、あの愛する娘は、あのアンリエッタ王女の手に囲われてしまったのだ、と。
ああ、もっとしっかりと監視をつけておくべきだった。
悔やんでも悔やみきれない思いで、彼はそのことを今でも後悔している。

仮に、ゲルマニアにつくとなれば当然のこととしてルイズはトリステイン王室に味方した以上家から追い出すという形を取らざるを得ないだろう。
二度と、愛する家族が一同にそろうことはなくなるのだ。
…愛している娘が、家族の下に、ルイズが二度と戻ってこられないという親としての葛藤。

踏み絵を迫られる、という不愉快な予測可能な現実は彼にとって極めて苦々しい未来図だ。

だが、それさえも事と次第によっては吹き飛んでしまうような問題が彼の家にはあった。

『妻の血筋。』

ことが露見した場合、文字通りゲルマニアとトリステイン王室がなりふり構わずに公爵家に杖を向けるにたる問題だ。
ゲルマニアは文字通り、戴冠と事によれば『禅譲』ないし『婚姻』を叫ぶことだろう。
杖にかけても、それを強硬措置で断固として為すにたる理由だ。
王家が、手段を選ばずに家を亡き者にしようとするのもまた同様の理由だろう。

マリアンヌ大后殿下こそトリステインの正嫡だが…よりにもよって王配ではなく王としてアルビオンの王族を受け入れてしまったのだ。
先王陛下が暗君であったと難じる訳ではないが、血という事実だけで見ればアンリエッタ王女殿下は…決して『唯一無二』の選択肢というわけではなくなってしまう。
トリステイン王室の庶子が始祖とはいえ『公爵級』の血筋をひく自分。
口にできぬ血筋の妻。

ことによれば、ことによれば…それだけで事足りえてしまう条件が整ってしまうのだ。
だからこそ、彼は決断しかねた。
家族を愛するが故に、彼は家族を守ろうとどちらにも足を向けられないのだ。

郷土に対する愛着は、愛する祖国を救うべきだと彼に訴えている。
貴族としての怜悧な判断力は、ゲルマニアとの現実的な歩み寄り以外にはジリ貧だということを見抜いている。
父親としては、愛する末娘のことに心をかき乱されてしまっている。
家の主としては家族全体に待ち構えるやも知れぬ破局に思わず凍り付いてしまう。

その彼にとって、唯一許容可能なのが『委託された』という形で『旧トリステイン領』の一部を『代行統治』するという形式だ。
もっと言い換えれば、ゲルマニアにもトリステインにもどちらにも道理を通せる唯一の方策。
彼が、たまたま貴族としてゲルマニアに頼まれたが故に『王家の帰還まで土地を一時的に管理する』という苦しい理屈。

一言、一言ゲルマニアが頭を下げて彼に委託するとこぼしてくれればすべてが上手く行く。
そうしてさえくれれば、幾らでも彼は現実的に可能な範囲でゲルマニアの負担を軽減することを喜んでやるだろう。
厳しい立ち居地でこうもりのようなものとさげすまれようとも、やり遂げてみせる。

一度だけでよい。一言、『頭を下げてくれればよいのだ。』



そして、お互いにある程度相手の腹が読めるがゆえに彼らは内心でよりいっそう苛立たしくなるのだ。
ロバートにして見れば、よほど高く自分を売りつけようとしやがって、と。
この点、ロバートが察しえるのは公爵の問題の片方でしかないだけに苛立ちはより深刻だ。
貴族ならば、割り切れるだろうと見ているロバートにとって優柔不断の姿勢で売りつけられていることは実に深刻なストレスの原因である。
他方ヴァリエール公爵にしてみれば、いい加減苦しいのだろうから意地を張るのも限度があるだろうという苛立ちだ。
彼もまたゲルマニアに数多の障害が起きていることは知っている。
だからこそ、ゲルマニアが妥協してくれることを願い、願いが叶わぬことに深刻にいらだつのだ。

いい加減、お前ら妥協しろよ、という突っ込みは外交の世界においては禁句である。



「おや、これはいけない。すぐにお代わりを用意させましょう」

「かたじけません。いや、ご好意に甘えてしまいゆるゆると過ごしてしまいます」

そして、表面上だけ和やかな会話が流れていく中で進むのは時間だ。
内実は、進む時間と一切比例せずに出発点から一歩も前進を見せていない。
ただ、心中の苛立ちとのどに詰まる不快感を押し流すための紅茶だけが時間と比例して消えていた。

ホストとして、遺憾だと嘆かんばかりに家人を呼びやるヴァリエール公爵。
そして、客人としてなんら思い煩うことなく快適にやれることに礼を述べてみせるロバート総督。

「なんのなんの。隣からたずねてくださるご客人をもてなすことを惜しむ隣人ではありませんぞ」

「公爵閣下にそうおっしゃっていただくとは光栄ですな。よき隣人に恵まれた私は幸運です」

「なんの、よき隣人達に囲まれているのですからな。お互い様でしょう」

快闊さを装ってやり交わされる言葉は、単なるよき友誼を言祝ぐようであり如何様にも言いつくろえる言葉の複雑さがにじみ出る記号にも等しい。

ヴァリエール公爵がホストとして紡ぐ言葉。
隣と言う言葉。隣人と言う表現。
そこに含まれるのは、多様な意味だ。
公爵にとって、隣人とは隣国と同義である。
隣国からの客人という表現を、しかしオブラートに包めば隣からの客人だ。
隣人と自らを定義しつつも、その定義はいかようにでも言いつくろえる余地を残してある。

他方、ロバートが感激したとばかりに礼を述べる口上は『ゲルマニアの一貴族の自分』とそのよき隣人である『公爵』という構造を意識してのものだ。
言い換えるならば、敬意こそ払うもののそれは『同じく国』の年配である公爵に対する敬意だ。
『私』という個人の隣人としての公爵というのは、国の隣人としてではなく、内側での交際を強調する文脈になる。

即座に、明朗に笑いながら応じる公爵はだからこそ『よき隣人達』という文脈を強調する形で応じるのだ。
それは、ヴァリエール公爵領の立ち居地が『ゲルマニア内部』だろうと『ゲルマニアと外の国』だろうと矛盾しない形での言葉。
同時に自分の先の言葉を否定しないことにより、意は間接的ながらも明瞭に示したと主張できる言葉のつなぎだ。

どちらも、相手の言葉をとがめるに足るものではない。
それを突こうとすれば、片方は『強いてそれを求めた』という形にならざるを得ないのだ。
破局は避けたく、しかし、相手に頭を下げさせねばならないという微妙な均衡。

言質を与えぬように、慎重に、細心に。
それでいて、表情筋は穏やかな微笑を。

完璧かつ芸術的な時間と知性を無駄遣いする典型例とはこのことだろう。

だが、そこにあるのは真剣な国益と家の未来をかけた男達の交渉だ。
当人達にあるのは、おだやかで優雅な挙措の裏にある真剣かつ妥協の余地の無い利益追求者としての決意と覚悟。
この点ではどちらも、誰からも後ろ指を指されることが無いほどに糞まじめである。

当たり前だが、有能で手ごわい交渉相手ほどろくでもない交渉相手というものはなかなか存在しない。
ある意味、リッシュモン卿のように分かりやすい根性で交渉が比較的早期に妥結できる人間相手の方がよほど会話しやすいともいえるだろう。
だからこそ彼らはリッシュモンが糞ろくでもない人間で信頼のかけらも置けないと知りながらも、『信頼できない』という彼の属性を信頼して交渉に望めるのだ。

それだけに、ロバートは完全に焦燥感にかられてしまう。
現状、彼の手持ち札は『脅迫』と『公爵の愛国心』と『公爵の理性』だ。
いずれにしても、相手に強要できる札ではあるが…断られた場合ゲルマニアの面子がかかってきてしまう。

ゲルマニア総督の『公式な要求…服従せよ』を拒否された場合、オーク鬼の次にヴァリエール公爵領膺懲戦である。
びた銭一文どころか、完全な大赤字で散々な損害を出せば、幾らロバートを高く評価しているヴィンドボナとて手のひらを返すことだろう。
かといって『公式な要請…協力してくれ』では、何のための遠征か分からなくなり政治的にゲルマニアが許容できるリスクをぶち抜くことおびただしい。

では、どうするか。

答えは簡単だ。

相手の真の腹は交渉の落としどころに関する自分の考えを打診するにありと推察した。
私は最早交渉は早期に妥結すべき時機であり歩み寄ろうと咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。
私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである。


とはいえ、両者ともに理性を持ち実務経験も持ち合わせたタイプであるだけにこの交渉方法の不毛さもすぐさまに理解した。
当たり前と言えば当たり前で、どちらも交渉を進めるインセンティブだけは豊富に持ち合わせているのだ。
相手の足をすくうことだけではなく、どうやって交渉をもう少し進展させることができるだろうかという点についても考えていた。
まあ、微々たる割合ながら意識を割き検討を始めた程度だが。

とはいえ、この手の問題の根本的な落としどころは実に難しい。
相手の腹ということもさることながら、根本的に誰かが損をするという形でしか交渉がまとまらないと言う点にある。
どちらにしても、自分の願望と相手の願望を競わせてどこかで妥協しなければいけないとしても。
50:50では双方の面子が立てられないのだ。
せめて、51:49でどちらかがその望むところを手に入れなくては交渉がまとめられない。

交渉のテーブルをたてば、その瞬間は簡単だがその後の心配もしなければならないだろう。
だからこそ、両者はとりあえず交渉のテーブルで笑顔の裏で懸命に考える。

誰か、何とか、してくれないのか、と。


まず、皇帝を此処に呼び出せれば一番簡単だなと思いつつもロバートはそんなことができるものかと笑い飛ばす。
皇帝が、一貴族の家に行幸?それが、数ヶ月前まで隣国の貴族でキーパーソン?
自分が頭を下げる方が、まだしも政治的爆発は規模が抑えられるに違いない。

「おお、そういえばツェルプストー家のご令嬢のことをご存知ですか?」

「幾分、縁のある家といえば縁のある家ですので耳には。オーク鬼を相手にご活躍のようですな」

では、誰かゲルマニア貴族?
たとえば、考え付くのはツェルプストー辺境伯のようにヴァリエール公爵家との縁が深い貴族だ。
だが、縁が深いといっても…怨恨がらみというか痴情がらみの縁もある仲介者というのはちと不適切だった。
かといってヴィンドボナの商会や官僚連中を連れてきたところでロバートと同じか下位の人間が一人お茶会に参加するだけに近い。

「いやはや、見事なメイジですよ。なかなかに有望で、ヴィンドボナでも中々の評判です」

「おや、それは知らなかった。どうにも、ヴィンドボナに知己が余り居ないもので」

「どうも古くからの親交を優先されていたのですな。とはいえ、新しい知己とも縁は深められるものですぞ」

「ごもっともだ。さて、もう一杯いかがですかな」

「これは閣下、頂いてもよろしいでしょうか」

切り出すべきなのだが、さてどう切り出したものか。
隣人、いや、国の名前で語るかと咄嗟に思案してロバートはそこに言葉をつなぐ。

「いや、しかしヴァリエール家ともなれば諸国に名の通った家では」

「いやはや、通り一遍ですよ。お恥ずかしい」

となれば、トリステインか国外の人物だが…これまた実に難しい。
アルビオンにこれ以上かき乱されたくないという点では、間違ってもアルビオンの介入を許すわけにもいかない。
というか、アルビオンが艦隊ひとつ脱走された時点でガリアと同類と見なして警戒を怠るわけにもいかないのだ。
ガリア?論外の一言に尽きるだろう。
ロマリアに介入させると言う手がないではないが…気乗りしないこと甚だしい。

少なくとも、ガリア・アルビオン・ロマリアでお互いに交渉の仲介役に使えそうなのは余り居ない、ということか。
この点では、公爵と総督の見解は比較的容易に一致する。
無論、何事でもないかのような世間話を装っての微妙なやり取りの末にという不毛さで、だが。

「いやはや、となればせっかくです。我々の共通の知人をあげてみましょう」

「おや、コクラン卿、卿の知己で私が存じ上げている方がおられたのですか?」

「たしかに私は新顔ですからな、限られては降りますが。ああ、かつてのときはあのワルド卿の見事な腕前に敵ながら天晴れと感服したものですよ」

軽いジャブ。
かつての、との一言にどれ程重みがあるのだろうか。

「おお、彼か、確かに見所のある若者でした。いやはや、メイジの力量もさることながらあれほどの誠意ある若者は随分とみておりません」

さらりと受け流してみせる公爵も、そこからどこに触るべきでないかというのは理解している。
ある種の連係プレイであり、同時に相手の出方を探る不毛な探索戦。

「含まれますなぁ、となればどなたかご信頼できるかたをご紹介いただきたいものだ。ぜひお近づきになりたいものですからね」

「難しいですなぁ。時と共に人とは、変わるものですから」

「若輩者には過ぎた含蓄あるお言葉です。いやはや、面目ありません」

「面映いことを申し上げましたな、これは」

「いえ、始祖に感謝を捧げなくては」

「素晴らしい心構えですな。…私も、習うといたしましょう」

政治的に無害な宗教への敬虔さを装う姿勢も両者にとってはひとつの方便。
だからこそ、そこでふと彼らはある実用上の理由についてやはり嫌でも宗教に注目せざるを得なくなる。
やはり、ブリミル教徒の融和という名目は酷く使えるのだ、な、と。
リッシュモン卿も、だからこそ、あの微妙な情勢で泳ぎきっているのだろう。

その点では、やはりロマリアのある種の宗教的権威をそれとなく使うべきかも知れないかと両者がそれとなく考え始めたときのことだ。
ふと、ほぼ時を同じくして両者の頭に一人の老人が浮かぶ。

枢機卿、マザリーニ猊下。
ロマリアに籍を置きながらも、同時にトリステインにゆかりがあり…そしてこの場合において仲介者としてある意味最適な立ち居地の老人。

気がつけば、だ。

両者はそれとなくお茶の話題に混ぜて鳥の骨の話をしている自分に気がつくことになる。

そうだ、奴ならば、と。


あとがき
こんな時間に更新とは徹夜明けか?ゼン?
そうとも、寝付けなかったのさ、ジョニー。
じゃあ、今からご機嫌に朝食かい?そうとも、朝のすがすがしい空気を吸ってお出かけさ。

というわけで、更新しました。
コメント返ししてる余裕はちょっとありませんので、夜にでも。

今回は、ちょっと趣向を変えて書いてみました。
普段は、ぽんぽんテンポよく進めるのですがひとつのシーンを掘り下げて書いてみる実験的な何か。

まあ、坂本さん居ない薩長同盟的サムシング状態なだけですが、現状。

マザリーニ!はやくしろ!間に合わなくなっても知らんぞー!!?



[15007] 第九十六話 言葉のチカラ2
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:bbe81540
Date: 2013/12/17 22:00
ブリミル教の教義についてロバートが理解していることは、『ある種の宗教的な権威』という事実のみだ。
というか、ロバートにとってそれ以上のことは理解できなかった。
なにしろブリミル教徒の経典ひとつとってもまともに統合されていないのだ。

始祖の祈祷書なる偉業と教えを記したとされる書物は、一応のところ存在する。
存在するのだが…ロバートの見るところ微妙な差異が多すぎるために教義としては酷くあいまいだと認識せざるをえないほどだ。
おかげでこっけいな内容を堂々と本物だと強弁する輩もあとを絶たないらしい。

だから、というべきだろうか。
トリステイン王室が古いだけで内容は白紙であると広く伝えられる秘蔵の『始祖の祈祷書』を有していると耳にしたときは思わず笑ってしまったものだった。
おおかた、昔のトリステイン王室にはウィットにとんだ皮肉屋が居たのだろう。
白紙の祈祷書よりも新しい祈祷書など、どう考えても偽書も良いところだ。
始祖の祈祷書など存在しないというある意味この上ない痛烈な皮肉に違いない。

つまるところ、『本物など存在しない』という警句でも昔はついていたのだろうとロバートとしては興味深く考えている。

ともかく、そんな経緯があるだけに系統的な教義と言う点では最大公約数的な要素が強く割合に教義の中では柔軟性があるとロバートは認識した。
そして、政治的人間としてのロバートは敬虔なブリミル教徒のフリをする程度のことは造作もない。
だから比較的、ロマリアとの関係も悪くはないし…狂った連中に聖戦モドキを仕掛けられても公的にはなんら差しさわりなし。

ならば、そのロマリア経由で善良なブリミル教徒の受難を救ってもらうべきだろうとロバートは決断する。
よきブリミル教徒として、信仰を同じくする同胞が直面した試練が忍びなくと強弁すればゲルマニアの顔もある程度は立てられる。

「さて、公爵閣下。閣下のご厚意であまりにも我が家のごとく感じてしまい気がつけばこのように長く過ごしてしまいました」

「なんの。遠路より来る客人をもてなすは我が家の伝統ですぞ。気になされますな」

ラムド伯経由でもたらされたヴィンドボナからの権限によれば、ロバートは総督として『全権』を委託されている。
実際のところ、白紙委任という形に近く現場で最善と思われる裁量を取れうる措置らしい。
とはいえ、さすがに幾つか譲れない基本的なラインは事前にヴィンドボナで念押しされている。

…占領地の放棄は、名目上は認められず、最大限譲歩しても『ゲルマニアの宗主権と領有権を認める』自治政策。
ロバートにしてみれば、なんのことはない。
祖国の藩王国制度。
ある意味では使い古されたそのシステムを、トリステインに導入してインド大反乱のような政治的カオスを断固として粉砕せよということだ。

だが、インド大反乱の鎮圧には大英帝国の宝冠を死守すると言う国益の必然性がそれを欲したという事情がある。
旧トリステイン王国領土の鎮圧に、費用は一切掛けられないという条件の違いがロバートをいまだに悩ませるのだ。

当初の予定では、軍事的に速戦で早期終結を図りその後に藩王国制度モドキの分割統治を予定していた。
が、気がつけばインド大反乱ならぬオーク大反乱に宗教狂いが加わった状態での移行という悪夢だ。

ゆっくりと紅茶をロバートが飲み干している間にも、最前線ではオーク鬼とゲルマニア諸軍が消耗戦を繰り広げている。
ツェルプストー辺境伯のご令嬢が杖を振るいながら前線を見に来いと後ろで会議をしている連中にお誘いの手紙を出すわけだ。
…いや、ミス・カラムもそうだしゲルマニアの女性が概して強烈な個性を発揮するだけからかもしれないが。

とまれ、ロバートは穏やかな冬の景色を遠望しつつヴィンドボナから与えられた権限と条件を再度脳裏で確認する。
宗教を名目としての救済。
ある種の奇策だが…与えられた権限の範囲内で、かつ、最低限度の条件は満たしうるだろう。

「いえ、私も帝政ゲルマニアより公職を預かる身です。時には、公務を優先せざるを得ません」

「貴族たるものの義務を果たされるのですな」

「しかり。ですが、これは義務であると同時によきブリミル教徒としての同胞への愛でもあります」

宗教というのは、かき乱すには最高の要素だ。
バルフォア卿、サイクス卿、マクマホン卿の英知に習うは今。
三協定の英知に学ぶのだ。

ゲルマニア支配という現実。
ブリミル教徒の救済という名目。
トリステイン『藩王国』という負担軽減策。

この三つを、同時に成し遂げるのは決して不可能ではない。

「なるほど、いや、ご立派な志ですな」

「ええ、博愛の観点から"オーク鬼"の災厄によって家を追われた"ブリミル教徒"の救済についてヴァリエール公爵閣下とご相談できればと」

ブリミル教徒の救済は、その理念からしてトリステイン・アルビオン・ガリアの各王室から一番批判されえないカードだ。
唯一の難題であるロマリアの介入も、こちらがある程度先制する事で事態は制御できる。
なにしろ、目下未開拓地に大量の聖職ポストを生み出していえるゲルマニアは彼らにとっての牝牛なのだ。
自分のものにしようと考える人間は居ても、賢明な人間は『牝牛』を絞め殺して利益を失いたくないと考えることだろう。

「失礼ながら、私は自領より外には干渉し得ない立場ですぞ?トリスタニアでの救済をお考えであれば…それこそ、ロマリア宗教庁とも」

「その通りです。ですが、恥ずかしいのですが私はこの地で活動されていた高名なロマリアの聖職者を存じ上げていないのです」

帝政ゲルマニアが公式にロマリア宗教庁へ救済を依頼すれば、それはゲルマニア当局に事態を制御する能力がないという批判を招く。
その点、総督であるロバートが現地での施策の一環として救済活動を『自発的に申し出てくれた』ロマリア聖職者と共同で行えば問題は回避可能。
なにより重要なのは、ロマリア宗教庁を経由せずに現地の聖職者を活用すると言う点だ。

形式的なものに過ぎないがゲルマニアという国家主導ではなくロバート・コクランという現地の総督と、現地のロマリアに縁ある聖職者の慈善事業という形式が取りえる。
そして、この点において名目上とはいえ仲介する役割をヴァリエール家が引き受けるかどうかが決定的な点だ。

ゲルマニアの当局者である総督。
その総督の諮問に応じるという意味は、小さな一言であろうとも旗幟を示すには十分すぎる。
一方で、名目上は『ブリミル教徒』同士の救済に関する相談だ。

歩み寄る第一歩としては、おそらくこれ以上に探しようのない完璧な名目だろう。

「…つまり、コクラン卿はどなたか心当たりがある方をご紹介いただきたい、ということですかな?」

「この地では新参ですので、できましたらばヴァリエール公爵家のご縁をお借りできればと思いまして」

「ううむ、難しいですな。こう申し上げることをご理解いただきたいのですが」

『難しい?』何故、ここで…迷いがでてくるのだろうか?

それは、最も予想しなかった公爵の一言だった。
有能な貴族の思考というのは本来『家』を生き延びさせるという一点を決して疎かにしないもの。
だからこそ、最もヴァリエール家が存続の手段を欠かない様に配慮したつもりだった。

名目上は、宗教の道徳。
内実は、どちらにもある程度顔が立つように配慮。
そして実務に際してはこれまでのトリステインで実績を残しているマザリーニ枢機卿を想定。

ロマリアに事実上隠棲している枢機卿だが、呆けたという話は耳にしていない。
というか、日々ロマリアの新ゲルマニア派に監視させているとヴィンドボナでは耳にしている。
彼に何か変事が起きていればラムド伯から急報が入るはずだが、数日前の定時連絡では何も告げられていない。
なにより老練なアルブレヒト3世が、そのような重大情報を見過ごすとも思えないが…何か新事態が起きたのだろうか?
だがそこまで考えてロバートはその線は少ないな、と否定する。

仮に、そうであるならば迷いではなく穏当なお悔やみの言葉でも目の前の公爵は吐くだろう。
それは、情報の手が長いことを示す上で格好の機会だ。
つまり問題はマザリーニ枢機卿ではなくヴァリエール家内部の都合。

…まさか、マザリーニ枢機卿を吹き飛ばした例の末娘の件で枢機卿と手打ちできていない…ということだろうか?

そこまで想定したとき、ロバートは咄嗟に圧力をかけること決断していた。

「ああ、もちろん公爵閣下のご心配は理解しておるつもりであります。ですが、どうかご理解いただきたいのです」

この家は、何かがあるのだろうか?
確かに…後継者の問題を抱えてはいるがそれはゲルマニアにとって介入の余地があるだけだ。
貴族の家が、実子に適切な後継者がないというだけでこれほど躊躇するとも思えない。

「餓えた人々に糧を与えうる善き導き手を欠いては、恐るべき悲劇を我々は目撃することになりかねないのですから」

「いや、お言葉ごもっとも。よろしい、私の旧知のマザリーニ枢機卿をご紹介いたしましょう」

自分の懇願とも脅迫とも取れる一言を引き出したかったのだろうか?
だが、何かが不自然だ。
この家は、何か、変な要素がある。

…いや、そう。

これが、外交交渉というならば実務者協議だろう。
だが、客人の歓迎と言うことならば本来『家』でやるべきものだ。
社交と考えれば、家族という枠組みがでないのは違和感があった。

アカデミーで公職を有し、なおかつ婚約者がアルビオンに亡命したが故に謹慎しているであろう長女が出てこないのは分かる。
臥せているという次女を引き出すつもりは、誰にない。トリステイン王室に着き従って出奔した末娘は出てくるはずもないだろう。

…何故、ご夫妻でお出ましではないのか?

確かに、社交に熱心な一族とは耳にしないが…健康状態を害しているともまた耳にしないのだ。

「お申し出に感謝を。ながらく、お時間を頂戴してしまって申し訳ありません」

苦労して、ゲルマニア宮廷でも恥をかかない程度に現地化させた礼法どおりに一礼。
典雅な儀礼というのは、誰でもなれるまで酷く億劫なものだ。
だが、だからこそ学べば学ぶほど一つ一つの動作に意味を持たせることもまた可能である。

深々と、それこそ通例よりも少し深くロバートが下げた頭。
その一礼に込める意味は、深い敬意の表明としての儀礼以上の歩み寄る意志の示唆。
迂遠なようで、そこにあるのは今後とも誼を通じていこうと言明するも同然のメッセージだ。

「いやいや、よいご縁でした。敬虔なブリミル教徒への手向けを惜しむほど無粋ではありませぬからな。一筆認めておきましょう」

そして、表面上の仲介を快諾してみせるヴァリエール公爵も朗らかに笑うことで暗黙裡の同意を示してみせる。
爵位上の上級者として返礼するのではなく、善きブリミル教徒としての返礼と言う形で差し出すのは手だ。
その手を硬く握り締める両者は、少なくとも政治的には上手くやっていけるだろうというある程度の実感。

少なくとも、お互いに話ができる相手だと見極めることができたという意思表明。

「感謝を。…では、お暇する前に皆様にご挨拶を。長らく、家の主をお借りしてしまったご婦人方にはお詫び申し上げねば」

だからこそ、少しばかり関係を公的な義務ではなく親密な個人としてのそれという形でロバートは一歩だけ踏み込んでみる。
ご夫妻に対する訪問客として払うべき敬意の申し出。
それは、ごくごく社交には当然払うべきと見なされる家への敬意としての表敬だ。

「ああ、折角のご丁寧な申し出ですが…妻は少々臥せっておりまして。いや、まことに、本当に申し訳ない」

「なんと、いや、失礼いたしました。確かに、ミス・カトレアもご病気がちとか。存じぬこととはいえ、ご無礼をご容赦ください」

謝絶の裏にあるのは、うかがい知れない感情。強いて表現するならばなんだろうか?

困惑?

安堵?

畏怖?

わけが分からない感情が込められた一言に、さすがにロバートは一瞬だけ言葉を紡ぎ損ねかねる。
咄嗟に、ご心労も積もり積もっておられるのでしょうと慰める風を装うもののロバートにしては珍しく困っていた。

「ご存じなかったのは無理もないこと。つい、数日前でして」

「では、またいずれ快癒いたされた折にはご挨拶とお詫びに参らねばなりませんな」

「ああ、では、ぜひ折々の機会にでも」

ロバートは、ただ知らないのだ。
恐妻家のヴァリエール公爵が、なんとか妻を宥めているということを。
彼は、ただ、知らないのだ。

カリーヌ夫人が、末娘の件でぐちぐち周囲から言われることで爆発寸前だということを。
そして、爆発の被害がいつも彼女の夫に向かっているという事実を。
だからこそ、ゲルマニアの使節にどのような暴威が向かうか分からないと公爵が懸命に身を挺していることを。








身なりのよい端正な表情のメイジというのは、ロマリアにあっても比較的優遇される。
厳密に言うならば、優遇されると言うよりも敬意をもって会話してもらえるだけともいうが。

「失礼。マザリーニ枢機卿に告解をお願いしたいのですが」

マザリーニ枢機卿の『隠遁』している教会。
そこに詰めるロマリア宗教庁の人間は胡散臭げに訪問者を見やるも、物腰の穏やかな貴族然とした彼の容貌で少し態度を和らげる。
なれたことだが、此れが光輝あふれるロマリアだ。

なるほど、新教徒が出てくるわけだと誰でも理解できることだろう。
いや、案外、理解できない人間も多いのかもしれないが。

「失礼ですが、お約束は?」

「昨晩、使いの者にお時間を伺わせておりました、ジャン・ド・フランシスと申します。」

彼、ジャン・ド・フランシスと名乗るメイジはゆっくりと一礼しつつよろしくと杖をしまい差し出す手。
微笑みと共に、握り返してくる相手に幾らか握らせると分かりやすく相手の態度が変わっていた。

「ミスタ・フランシスですね、少々お待ちいただけますか」

ドと杖。そして、何よりエキュー金貨が光の国で一番ものをいうという現実。
嫌になるが、これがどうしようもない世の中というものだとジャン・ド・フランシスは学んでいる。
その点では理に通じたマチルダに世話になったものだ、と内心で彼は苦笑しないでもない。

没落して故国から逃げ出すという点では先輩と称するだけあって、確かに彼女は自分よりもよほど世慣れた部分があると男は認めていた。
程なくして、訳知り顔で恩着せがましく通行を許可された彼は大げさに礼を述べつつ教会の中へ足を踏み入れる。

「マザリーニ枢機卿、ジャン・ド・フランシスです」

「ジャン・ド・フランシス…?」

「おや、いかがされましたか、猊下」

待ち人が来たる。
にも関わらず、彼を呼び出したはずのマザリーニ枢機卿はいぶかしげな表情で彼を見つめ返していた。
凝視されるのが面映い年頃でもないのだが、些か苦笑せざるをえないのも事実ではある。
なにしろ、自分でも、随分と印象が変わったと認めるには吝かでない。

「マジックアイテムかね?」

訝しげに問いかけられたとき、それでもふと気がつけば愉快気に彼は笑ってしまっていた。
そう。最初は彼も、マジックアイテムでも使ったのかと本気でたずねて笑われたものなのだ。
マチルダのあの笑いを堪えられずに涙までこぼした大爆笑ぶりを思い出すし、あんまりだと思ったが案外無理もないのだろう。

「ああ、いや、失礼いたしました。髭を剃って髪型を変えただけですぞ」

若造と侮られないために口元と顎に蓄えていた豊な髭をばっさりと。
そして、長髪が私と被って微妙ねの一言でばっさりと切られた。
おかげで、彼の外見は威厳を蓄えようと勤めた魔法衛士隊時代の面影が完全に消えうせていたのだ。

正直に言って、当人でさえ困惑するほどの変わりようである。

「…随分と印象が変わるものだな」

「ええ、ミス・マチルダのおかげです。猊下程の方でさえ見間違えるとあれば、たいていは誤魔化せるかと」

だが、おかげで自分を見覚えていたはずである外に居る門番にも初見の人間として通された。
できれば、秘密裏に話したいと相談された彼としてはなかなか上手く化けた物だと自画自賛したいところである。
実際、上手く印象を変えている。

「それで、猊下。私に何かご用命との事ですが」

「ああ、そうだな、君は…」

「ああ、ジャンとでもフランシスとでもお呼びください」

偽名と人から罵られる不安はない。
なにしろ、彼は、確かにジャン・ド・フランシスでもあるのだ。
身を偽るということは、貴族としての名を汚すことかもしれない。
だが、彼は特に偽っていない。

ただ、誰もが勘違いするだけなのだ。

「ミスタ・ジャン。君に頼みたいのは、護衛と情報収集なのだ」

「猊下のご命令とあらば。トリステインですか?」

「ああ、その通り。聞いての通り、オーク鬼と策動で相当に荒れているとのことだ。実情を知らねば」

だが、次の瞬間には鋭敏な表情を浮かべつつも彼は顔を顰めてマザリーニ枢機卿に警告する。

「ですが、猊下。猊下の身柄を秘密裏に移すとなると、相当の抵抗を排除せねばなりませんが」

それは、戦争で学んだ彼の義務だった。
無理なことは、幾らメイジの誇りと杖があろうとも不可能と言上する義務。
誇り高き貴族であれども、だからこそ彼は誇りと共に自らの信ずるところを口にせざるを得ない。

「言葉が足りなかったな。その点は、問題がない」

「伺っても宜しいでしょうか?」

だが、それは意外にも問題が解決していたらしい。

「かまわんよ。何しろ、君の力を借りるのもこれが大きな理由だからな。」

「…ほう、ゲルマニアの総督によるブリミル教徒救済!」

手渡された羊皮紙に押されたのは見覚えのあるヴァリエール家の紋章。
そして、書き記された内容はゲルマニアのロバート・コクラン総督からマザリーニ枢機卿への相談事の案内だ。
曰く、『ブリミル教徒』を亜人の被害から救済することについてトリステインの情勢に詳しい枢機卿のお力を借りたい、と。

そして、ゲルマニア・ロマリア間の書簡の往復が行われつつありマザリーニ枢機卿さえかまわなければぜひともご好意を期待させていただけないかというもの。

つまるところ、『隠遁』から『復帰』することに異議は申し立てられないということになる。
トリステインの地へ戻るのも、時間の問題と言うことになるのだろう。
その意志が、あれば、という但し書きがつくにしてもマザリーニ枢機卿がどれほどあの国を憂いているか彼は知っている。
だから、彼は杖を捧げたのだ。少なくとも、後悔はしていない。

「そういう次第だ。すまないが、先に現地の情勢を知りたい」

「では、タルブへ向かおうかと思います。ちょうど、現地の情報が集まっていることかと」

それに、ゲルマニアが整備した港湾施設とフネの通商網からタルブへのフネを探すのは容易だ。
ロマリアからガリアを経由し、ゲルマニアへと向かえば時間はかかるがさしたる手間もなくたどり着けるだろう。
ゲルマニアに自分の顔を見知っている人間が居るとも思えない以上、タルブで情勢を探るのが一番早そうだった。

「ぜひそうしてもらいたい。それと、可能であれば私の返書をラ・ヴァリエール公爵家に届けて欲しいのだが」

「旧領のことも気がかりであります。足を運ぶ折にでも」

形だけとはいえ、婚約者の実家だ。
使者としては、なるほど、自分は最適だろう。

「よろしい。それと、できれば…無理な注文だとは思うのだがゲルマニア側の腹を探り情勢を見極めて欲しいのだ」

「そちらについても、微力を尽くします。ですが…アンリエッタ王女の動向はいかがされるのですか?」

だが、与えられる依頼を聞いていた彼はひとつだけ尋ねなければならなかった。
彼が杖を捧げて忠誠を誓った祖国はいまや分断され、占領されてしまっている。
その王家にしても、杖を捧げるべき玉座は未だ正式に継承されたわけではないのだ。

だからこそ、アルビオンに他ならぬ彼と魔法衛士で逃したアンリエッタ王女について彼は尋ねる。
王女殿下は、どのようなご意向であらせられるのですか、と。

「・・・姫様のお考えが、私には分からない」

だが、予想とは裏腹に彼が得たのは無力さをにじませる呟きだった。

「猊下?」

「私は、姫様のお考えが分からないのだ。あのようなお方ではなかった筈なのだが…」

そこにあるのは、言葉の無力さをかみ締めるような悔悟。
親代わりともいえるほど、身近に観てきたはずの人間が変わっていくことへの苦悩。

そう、マザリーニ枢機卿には理解ができないのだ。

何故、姫様は、と。


あとがき
ジャン・ド・フランシス、一体、何者なんだ(; ・`ω・´)!?

いえ、原作キャラですしお名前が出たこともあるんですよ?本当ですよ?

ただ、あなた、お髭剃ってさっぱりしたら誰かわから…ZAPZAPZAP


とりあえず、微速更新。ついでに、そろそろゼロ魔板に移動するか、100話ぐらいで新しく分けるかとかいろいろと検討中。

いえ、未定なことばっかりですが(;・∀・)

最近は、twitterで遊んでたりもしますので更新が遅れたらばご容赦を。



[15007] おしらせ
Name: カルロ・ゼン◆ae1c9415 ID:ed47b356
Date: 2013/10/14 13:21
1/31
このSSは現在改訂作業中です。
改訂が完了次第ゼロ魔版へ移行する予定です。

前半の一部を既に改訂しておりますが、今後も皆さまから
ご指摘を頂き、改善していきたいと考えています。

原作キャラは可能な限り、原作に忠実に再現するつもりですが
作品の流れの関係上必ずしもうまく再現できないことがあることを
ご了承ください。(作者の原作知識が怪しいので誤解している場合があります。)


今のところ原作の時期まで進めていくつもりです。
書けるところまで書いていくつもりです。

英国に関しては、多少の偏見とネタが混入しております。

作者は、火縄銃等の物品が大好きですが、詳しいと豪語できるほどの知識量ではないので作中にやや誤解があるかもしれません。ご存知の方がなにか、お気づきになればご指摘いただければ幸いです。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

7/25
明らかに、原作と違う流れになってますorz
最近の研究ベクトルは冷戦行ってみようというところです・・・。

7/29
綺麗なワルドで行こうと思いました。
原作的には悲惨な彼も、おそらくちょっと立場と時期が違えば英雄足りえると思うのです。

8/4
ついに、綺麗なワルド計画発動。勢いでやったのは否定できない事実であります。
ロバートが、失敗魔法を喰らい、まあ一時退場という以上、彼に活躍してもらうべきだろうかと真剣に検討中。



2013/10/14
更新再開しました。
あと、呟いてます。
@sonzaix


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