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[14989] [習作]胡蝶の現世(旧題・島の星の物語 オリジナル異世界 現実からの転生もの)
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:caf3e69f
Date: 2010/09/25 11:57
 注意

 ・この物語は転生物です
 
 ・オリジナル異世界で見た目ファンタジーっぽいですが、おそらくグロ表現が多数出てきますし、剣と魔法の世界では断じてありません
 




                  更新履歴
 
 


 ・九月二十五日 誤字修正

 ・九月二十四日 第十一話後編投稿

 ・八月二十九日 第十一話前編投稿

 ・八月二日 第十話投稿

 ・七月二十三日 第九話投稿

 ・七月八日 第八話投稿

 ・六月十一日 第七話投稿

 ・五月二十四日 第六話投稿 全投稿分を、見やすく修正(出来たと思うので、なにか意見がありましたら是非)

 ・五月十六日 第五話投稿

 ・四月十八日 第四話投稿 その他、誤字訂正

 ・四月七日 第三話誤字訂正

 ・四月六日 第三話投稿   題名を「胡蝶の現世」に改題 
 
 ・三月二十一日 第二話投稿

 ・二月二十八日 第一章開始 第一話投稿

 ・一月三十日 幕間その1投稿
 
 ・一月二十八日 第四話投稿 序章完 

 ・一月十七日 第三話投稿
 
 ・2010年 一月二日 第二話投稿

 ・十二月二十二日 プロローグ投稿



[14989] プロローグ
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:caf3e69f
Date: 2010/05/24 22:56
                                                秋津皇国沖 内地島より西方へ100浬の洋上 帝国暦640年 三月十一日。












 冬。十月から十二月にかけて大いに荒れるこの多島地域の洋上も、秋津で桜――ああ違う。五弁花が散って久しいともなればもう収まっている。

 それに風も穏やかだ。用事がいつも冬の間で、死にそうになりながら何度も往復した身からすれば、それはとても新鮮な発見を呼び起こす。

 あっちにラクダの瘤みたいに突き出ている島があれば、緑に覆われた島もある。ああ、あの島なんか観光地にすれば儲からないかな。『秋津に眠る自然の宝庫!』見たいなキャッチコピーで。うん、少しありきたりすぎるかな。
 


 「少しは金儲けとは違うことでも考えたら如何だ?」
 


 後ろ――というより上から声がかかった。柔らかな、そして凛とした声だ。僕の悪友達の中でこんな声をしているのはただ一人。なんだが。声、上からってことは見張り台からってことか?
 


 「……なんだ、意外そうな顔をして」
 


 居たよ、やっぱり。ああ、あそこってちょっとした揺れで弾き飛ばされそうになるんだよね。落ちたら下は甲板。全身を強く打って即死亡。……なんだか思い出したくも無いものが頭をよぎったような。

 頭を強く振って、過酷だったはじめての航海実習を頭の外に追いやる。何事かと目を見開いている彼女に、僕は呆れながら大声で叫んだ。
 


 「そんなところで何をしておいでですか、皇女殿下! 早く降りてください!」
 


 リージョナによる人族帝国皇女、マフィータ・ダン・リージョナリアは僕の声が聞こえるや否やとてもいやそうな顔をした。
 


 「またえらく他人行儀だな。命令だ、普段どおりにしろ」
 


 普段どおりと言われても。僕は周りを見渡した。見れば、硬直しきった本来の当直だったらしい兵や、卒倒しかけている御付の女官などがいる。流石に公の場でそれは拙いでしょうよ。

 困惑した僕の顔を見て、マフィータはけらけらと笑った。いつも思うけど、ころころと表情が変わるよな、この姫様。
 


 「兵が困っているよ」
 


 人に笑われるのは余り言い気分じゃないな。おそらくそんな感情たっぷりに僕は言った。

 マフィータは、ようやく硬直していた兵に気付いたらしい。肩を竦めて、甲板という少なくとも見張り台の上よりは安定した木版の上へ降り立つためにロープに手を……。

 ………。

 掛けないって言うのは、一体どういったおつもりでしょうか、皇女殿下。

 マフィータは、ひょいと転落防止の壁を飛び越えると、一気に甲板へ落ちてくる。

 甲板上の誰もが悲鳴を上げた。最悪の事態だった。皇女殿下、見張り台の上から落ちる!帝都日報の号外の大見出しが目に浮かぶ。まず間違いなくこの船に乗っていたものたちは左遷だろう。

 が、僕は自分でも意外なほど冷静にそれを見ていた。というかなれた。そもそもマフィータはリージョナ族の血を色濃く残しているから死にはしないだろうし、第一彼女には優秀な武官が付いている。

 傍から見れば大層暢気に僕が状況を判断し終わったそのとき、劈くような音がした。約三十年前までは時々聞くことはあった音だ。つまり、空中からの高速接近音。

 金色のそれは、帝国皇女殿下を手荒く掴むとその速度を急激に落した。羽ばたくような音は無い。まぁ、当然だな。なんたって。
 


 「……無茶が過ぎます、殿下」
 


 金色のそれは、声ならぬ声――テレパシーのような通話手段を発した。最初の頃は、直接頭に響く感覚の所為で会話のたびに気分が悪くなっていたが、もう既に十年を越えた付き合いである。なれた。
 

 「無茶も何も、リージョナ族の身体能力を舐められては困る。そこらの獣人族とは訳が違うのだ」
 

 と、尻尾をひょいと動かして応じるマフィータ。ちなみに、頭には俗に言う猫耳がついている。無論、紛い物ではなく遺伝によって継承された種族としての特徴だ。
 

 「と言って前回大怪我をお負いになられたのをお忘れか?」

 「あの件は私の失敗ではない。あれの操船ミスだ」
 

 確かに、あの時丁度降りるタイミングで船が揺れたのは事実だけどさ。あの時は海が時化てたのが原因だよ? 第一、あれ呼ばわりは無いだろう。
 

 「お前も落ち着け、チャールズ」


 金色の――龍族。応龍の系譜に属するらしい彼は、龍族らしい特殊能力で心を読み取る――なんてできるはず無いよな。
 

 「顔に出ているぞ」


 マジですか。あれ、おっかしいなぁ。

 そんな僕を見て、マフィータは更に笑う。つられて兵達も笑い出す。僕がジト目で睨むと、兵達はバツが悪くなって顔を逸らした。一人、マフィータだけが笑いを更に大きくした。

 と、そんな異様な空間と化した甲板――上甲板へ髭を蓄えた中年男性が外見からは想像できない速さでマフィータに寄って来た。
 

 「提督、龍族空軍哨戒船より発光信号です。敵艦隊を捕捉したとのこと」

 「場所は」
 

 けらけらと笑っていた表情を瞬時に引き締め、マフィータは中年男に尋ねた。
 

 「艦隊より九時の方向。金門諸島の連合王国側です」
 

 マフィータは頷いた。その美しい唇から、命令を発する。
 

 「全軍へ手旗信号。全艦熱水機関使用。帆を畳め。黒石については心配無用。クレイリア商会が後で全額負担してくれるぞ」
 

 失笑が漏れたが、すぐに復唱が飛び交う。熟練した下士官兵が藁々とマストに取り付く。

 同時に、船の後部で轟々と音が響き始める。熱水機関の炉に火が点ったのだ。

 おそらく世界初めてになるだろう熱水機関船艦隊の、これまた実戦初使用となる艦隊旗艦のスクリュー船は、微風・向かい風という状況下で帆船ならば考えられないほどの速力たたき出し始めた。

 さて、どうなるかな。暢気にも僕はそんなことを考え始めた。旋条銃・熱水機関・外輪船にスクリュー船。僕が「持ってきた」知識は全部投入してみたけれども。果たして勝てるだろうか。

 うん。分かっている。大丈夫だ。マフィータ、あの勝気な女性はおそらく当代きっての軍事指揮官だ。軽く二十年来になる腐れ縁でそれは分かっている。

 それに、僕は彼女と違って軍人ではないんだ。今更何を考えたって無駄さ。

 そう。僕は軍人ではないんだ。根っからの商人のつもりだったのに。それが、何でこんなところにいるんだろう。












――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――












 リージョナによる人族帝国に住む一介の商人、チャールズ・クレイリアはあるひとつだけ、他人とは大きく違う生い立ちを持っていた。

 別に、頭が取り立てていいとか魔法が使えるとかそういうわけではない。

 ただ、前世の記憶を持っているだけだ。

 チャールズ・クレイリア。いや、前世風の記述で言えば、日本国という国家に住む歴史が好きな中規模商船の三級海技士であった倉井卓也が、<同盟>軍側の旗艦に座上している理由を語るには、まずもって時間の超越をお許し願いたい。二十八年前、即ち帝国暦612年の春、帝都<リージョナ・ポリス>のデニム街三番通りの一軒家で、チャールズ・クレイリアなる人間が誕生したその瞬間まで。



[14989] 第一話 
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:caf3e69f
Date: 2010/05/24 22:59
                                          帝国暦612年 三月三日 リージョナによる人族帝国帝都<リージョナ・ポリス> デニム街(島)三番通り 












 リージョナによる人族帝国、通称人族帝国の帝都は、その国家戦略――海の覇者たろうと言う所以から、この様な場所へ都を置いていた。

 このような、とはどの様なと言えば、巨大な環礁である。

 俗に<我らの海>と呼称される地域一帯では最大の環礁にして良港である<リージョナ環礁>は、ファルキウスが人族からは想像もできぬほど長いときをかけて形成した巨大環礁だった。

 周辺には大小あわせて二十にも上る島々が存在しており、それらを総称して帝都<リージョナ・ポリス>と呼称する。

 人族帝国人以外からは面倒くさがられて単に<ポリス>と呼ばれるその都市を構成する島々は、一島一島違った特徴がある。

 例えば、環礁の北側にある<リージョナリア島>は獣人族の一種であり、この国の支配階層であるリージョナ族誕生の地であり、であるからこそ全帝国人の精神の故郷であった。帝宮と官庁街以外は自然保護区として緑豊かな島だ。

 一方、環礁中央部にポツリと存在する<マニエストロ島>は、専ら愛称である<港島>の名で呼ばれていた。

 入り組んだ島の外周はすべて船着場と化し、帝国標準帆船がひっきりなしにやってくる。それらの船が持ち込んだ物産は環礁内移動用の小船(と言っても結構な大きさにはなるが)に乗せ換えられ、周辺に散らばるように存在する大手商会の倉庫へ納まっていく。反対に、それまで倉庫に入っていた物品、全帝国から集められた豊富なそれが逆の手順で積み込まれ、出港していく。

 港島は、更に港湾管理局や帝国海軍を初めとする海洋系施設が豊富であった。だからこそ港島などという愛称が付いたのだが、商業を生業とするものたちの社会的地位は、こと<ポリス>においてはこの港島からの距離で計られた。

 例えば<リージョナリア島>はもちろんとして、距離的に<リージョナリア島>と同じ<ミネア島>は帝国財界でももっとも成功した富豪たちの住まう土地だった。





 その視点から言えば、<デニム島>は中途半端な島といえた。

 距離こそそこそこだが、交通の便が悪い。この島は、環礁内では例外的に港の立地が悪いのだ。こと三番通りなど、港から正反対の方向にある。

 その三番通りを、一人の男がひぃひぃ喘ぎながら走っていた。少し地面から出ていた石畳の石に足を引っ掛け、盛大に転びそうになるが何とか踏ん張る。持ち直した彼は、息を吐くまもなく再び駆け出した。

 痩身で、お世辞にも健康的とはいえない体つきの男は、全身にべっとりと汗をかきつつも尚も走った。道行く人々が何だあれはと首を傾げるが、気にしない。

 男は駆けながらも悪態を吐いた。くそっ。せめて帝都にも連合王国ばりの馬車システムがあれば。

 ただ、男の気持ちも分からないでもないが連合王国の馬車システムはこの世界においては異常な代物だった。本土が世界最大の大陸だからこそ誕生したのだとも言える。第一、男のような中小企業の社長でも、こんな小島――走り続ければ男のようにはなるくらいの大きさの島では採算が取れないことくらいは理解している。

 だが、彼は悪態を吐き続けた。無理も無い。彼は道理ではなく感情で体を突き動かしていたのだ。

 よろけるようにしてとある家の扉に掛かっている輪を掴み、どんどんと鳴らした。一向に出てこない。再び鳴らす。
 

 「誰ですか? こんな時間に」
 

 ようやく扉を開けて出てきたのは、厳しい家計を遣り繰りして最近新しく雇った女中であった。齢十五にも満たないはずの彼女は、赤い頬が印象的な顔を驚愕に染めた。
 

 「旦那様!? どうなされたんです、お仕事で暫くは帰れないと」

 「なんとか……はぁ、はぁ、…済ましてきたんだ! 家内は何処だ!?」

 「お、奥様ならあちらに……」
 

 息も絶え絶えに問うた男の剣幕に、若い女中は辛うじてそう答えた。刹那、男が邪魔するものはすべて吹き飛ばさんとばかりに突進を始めた。
 

 「い、いけません!」
 

 若い女中は主人のよれよれになっていたスーツを懸命に掴む。男はなんだと振り向いた。
 

 「奥様はその、御産を終えられまして、今お休み中なんです」
 

 まさに鬼の形相。秋津文化に詳しい友から聞いた鬼とやらは本当にこれよりも怖いのかと思いつつ、女中は涙目になりながら何とか説明した。

 すると、急に男の体から力が抜けていく。つい先ほどまで忘れていた疲れというものが急激に男の脳に感知され、男はどっと床に腰を着いた。
 

 「……無事、なのか」

 「はい。産婆さまの見立てでは、母子共に健康とのことです。元気な男の子でしたよ」
 

 男はようやく完全なる安堵の中へと落ち着いた。その奥底では出産に立ち会えなかったという自分に対しての怒りも合ったが、気にはしない。それに、ぎりぎりの経営を続ける男の商会は、一つの商談の不成立が即破滅へと繋がりかねない。

 男は手で顔を覆った。女中は気付いていないが、そこには満面の笑みを浮かべる男が存在している。結婚十年目にして始めての子供、しかも跡取り息子なのだ。無理も無いだろう。
 

 「旦那様」
 

 若い女中とも彼の細君でもない女性の声が耳朶を打った。彼が商会を軌道に乗せた当初からこの家に仕えている家政婦だった。
 

 「落ち着かれたのでしたら、お子様とお会いになられますか?」
 

 男――キング・クレイリアが否という訳は、この世界中を探しても見当たらないだろう。

 














 サイド:???

 





 夢を、見たんだ。

 見ず知らずの男が歓喜に満ちた目で僕を見つめ、挙句高い高いしようとして後ろの女性二人から必死に止められている夢を。

 どうして夢だと分かるんだって?

 そりゃあ、僕、倉井卓也は三級海技士って言う、色々端折って説明すれば船を操船する資格を持っているほかには、ただ歴史が好きな二十歳を超えた成年男性だからだ。

 流石に二十歳を超えてまでそんな風に甘やかされる趣味はないし、第一甘やかしてくれる人間もいないだろう。

 だから、夢に違いなかった夢のはずだったんだ。

 




 「ほら、あなたが五月蝿いから起きちゃったわよ」

 「なんだ。お前だってはしゃいでたじゃないか」
 

 ………。
 

 「ほ~ら、起こしちゃってごめんね~。またねんねしようね~」

 「………はぁ」

 「ため息なんか吐いてどうかしたのか?」

 「なんでもないわよ」
 

 ………。
 

 「ところで、この子の名前だけど」

 「ああ、もちろん考えてある。チャールズ、としようと思っているんだが」

 「チャールズ。ラグナラ公家の嫡子殿下の名前ね?」

 「ああ。商魂逞しいお人だからな。あやかれない物かと思ったんだが。……ダメか?」 

 「チャールズ……ええ、いい名前ね。いいわ、貴方の考えた名前で」
 







 日本人と言えば、対外的には無宗教で通っている。

 とはいえ、正月に神社行って死者の供養は寺でしてクリスマスにはお祝いして云々と言う独特の宗教観は持っているし、それは僕だって同じことだ。


 だから。



 仏様でも神様でもキリスト様でもアラー様でも誰でもいいから。





 誰かこの状況を説明してくれぇ!?



[14989] 第二話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:a3a6038c
Date: 2010/05/24 23:02
                                                         帝国暦615年 五月十日 帝都<リージョナ・ポリス> 自宅












 前世。つまりは、今自分が生きている人生の前の人生の記憶。

 もしくは、高野五十六率いる紺碧会が後世世界への反面教師として活用している……すいません、なんでもないです。

 ともかく、似非オカルト番組とかで良く聞くだけであって、古くからの友人と程度の低い馬鹿騒ぎをするときに位しか話題にも上らない、そんな言葉だった。言葉だったんだけどなぁ。

 僕は、目線を真正面から目の前の本に落した。子供部屋のような、いや、実際子供部屋だからこそ子供っぽい模様に覆われた壁を見続けるのは僕の感性的に無理だった。

 だが、本も大体変わらない。

 第一、字が面倒くさい。周囲の人たちの話を聞けば、帝国公用語とか言うらしいその文字は完全なアルファベットそのもので、言語としては英語というよりローマ字表記の日本語に近い。近いのだが、それで表音されるのは英語でも日本語でも聴いたことの無い単語ばかりだった。

 何々、ベルメンツはルクセーナでヒューラをルローヌに含み、ついでに顔を洗いました。日本語訳すれば馬は泉で水を口に含んでと言う意味になる。

 一々単語を覚えると言う行為は、かなりの苦痛だった。だが、それだけなら別に良い。頭がつかえるだけまだ良い。

 一番の問題。それは、この本の字の面積がかなり少ないと言うことだ。それも、この本が漫画だからじゃない。絵本なんだよ、これ。

 



 日本と言う土地で最後に覚えているのは、トラックのエンジン音と悲鳴だけだった。

 順風満帆、とは絶対に言わないけど、まだ人生駆け出したばかりと言う感じしかしていなかった僕にとっては早すぎる死のはずだった。

 僕、倉井卓也は二十七歳の三級海技士だった。その点で言えば極普通の男性とは言えないのかも知れないけど、特徴と言えばそれだけの、ただ海と歴史が好きな男だった。それが、ごらんの有様だよ。

 ネット上に数多ある小説達。その中で、俗に憑依転生なんていうものがあるが、まさか自分がそうなるなんて夢にも思ってなかった。そして、僕がそれを受け止めるのには時間がかかった。当然だ。いきなりそんな状況に追い込まれればそうなって当たり前だと、冷静になった今では考察できる。だけど、初めは違った。

 結局、混乱冷め止まぬ頃が赤ん坊に転生した当初と言うのは僥倖だったのかも知れない。

 怖くなって泣き喚いてもおしめの交換か、或いは腹でも減ったのだろうと思われるだけで済んだ。現状に適応できず、ぼうっと考えていれば赤ん坊特有の生理現象、即ち睡魔が襲ってきて僕を夢の世界――本当の夢の世界へ旅立たせてくれた。

 一年も強制的にそういったケアを受ければ、もはや前世、日本での僕と言うものとの踏ん切りは流石についた。
 
 



 それで。おとなしく過ごしつつ僕なりにこの世界を色々調べてみたんだけど、どうやら地球とは全く異なる世界に来てしまったらしい。

 まず、この世界に地球で言う大陸は存在しない。これは、「大きな陸」とか言う絵本で書かれていたことから分かったことだ。絵本の主人公が住んでいた小島の畑に市場の親父から貰った豆を植えると、天の大きな大陸に辿り着くと言う地球で言えばジャックと豆の木みたいな話だ。

 ここで問題なのは、主人公が住んでいた島は小島だし、主人公が牛(というかこの世界で牛に酷似した生命体)を売りに行った市場も、船で二時間くらい掛かる比較的大きな島だったからだ。そして、天の大陸はとても広大であると言う描写がなされている。

 両親――そう、この世界で僕の両親と言うことになる父キング・クレイリアと母メアリ・クレイリアにそれとなく尋ねたこともある。この絵本みたいな大きな陸地って本当にあるの?
 

 「きっと……多分どこか遠くにはあるのかも知れないな」
 

 父は優しい笑顔でそう言った。僕が三歳児なら、夢を持って育っていただろう。だが、生憎僕は精神年齢でもう27にはなる。父の表情と感情から全てを読み取ることが出来た。つまり、少なくとも父達は島以上の陸地を知らない。

 これは衝撃だった。何故なら、この世界の技術進歩からそれは少なくとも世界の半分近くにおいての常識と考えて一向に構わなかったからだ。

 この世界には、既にガレオン船が存在している。
 
 




 俗に帆船と呼ばれる船は、余り知られてはいないが実に多くの種類が存在している。

 そもそも帆船の勃興期は何時かと言えば、地球においてのエジプト文明で使われていたという記述もあるが、僕としてはローマ帝国時代を推したい。

 当時の帆船は、大半が商船だった。と言えば多くの人は驚くかもしれない。では、当時の軍艦は一体何を使っていたんだ?

 答えは簡単、櫂船即ちガレー船である。もちろんこちらも進歩を続けていたから一概に括ることはできないが、少なくとも大航海時代まで戦闘艦は専らガレー船が使われていた。 理由は、ガレーが人の手で漕ぐ船だということ。と言えばむしろ旧時代的だと言われるかもしれないが、実はかつての帆船はその技術的限界から操船に難があり、あまり小回りが利かなかったのだ。これでは軍艦としては採用できない。

 と、そのまま欧州は所謂中世的停滞に突入し、そして大航海時代の初期に現れたのがキャラック船だ。

 キャラック船は、それまで帆船が、いやすべての船が困難だった外洋航海を可能にし、更に荷物の積載量も多かった、大航海時代初期における殊勲船だった。そして、その発展形として誕生するのが更に積載量を増したガレオン船だ。

 





 つまり、ガレオンまで登場していると言うことはこの世界の技術レベルは少なくともコロンブスの新大陸発見段階より50年ほど進んでいるってことだ。

 幸運、そう言っていいのかは疑問だけど父は中小、いや零細と言っていい商会の会長だった。そこで所有している船を見させてもらったことは一度だけじゃない。

 そして、父に船着場――港島に連れて行かれるたび、父所有の中規模ガレオンや大商人のガレオン船船団、果てはどうやら最新鋭らしい海軍の戦列艦まで見ることができた。

 つまり、何が言いたいのかといえば、地球基準で言えばこの段階で発見されていない大陸はもうオーストラリアくらいしかないのだ。

 従って、この世界は数多くの島々によって構成されている、と言うのが僕の考えで、多分それは当っているんだと思う。

 まぁ、あとわかったことと言えば、この世界には人間以外の知的生命体がいるらしいと言うことも分かった。

 まず、今僕が住んでいる国――リージョナによる人族帝国の支配階層、リージョナ族からしてそうだ。外見は猫耳があって尻尾があって……うん、まぁ、ネットで良く見かける猫耳っ子って奴だ。もちろん、男性も居るけれども。

 と言うか、リージョナによる人族帝国と言われると、どこぞの人類帝国を思い出してしまうのは僕だけだろうか。

 ともかく、そんな世界なのだけれど、そんな生命体がいるにもかかわらずこの世界で魔法の存在だけは確認できなかった。

 つまり、僕が今いる世界を要約すれば、大航海時代後期に入りかけの技術力を持った似非ファンタジー世界、ってことになる。

 






 とりあえず、僕の感性には全く合わない絵本を本棚に戻し、僕は窓から外を見た。デニム街三番通りは、デニム港の正反対に位置する通りで、港から港島や別の島にある職場に出勤するにはとても労力を要する立地だ。そんな家に生まれてしまったことを若干後悔もしている。だが。

 窓の外を見て、死ぬ前の僕からすれば半分以下になってしまった身長を必死に伸ばし、僕はそれを開け放った。

 外は、見渡す限りの青と、行きかう船に満ちていた。さわやかな風がそれまで密閉されていた僕の部屋にも入り込み、潮気をたっぷりともたらしてくれる。デニム街三番通りは、港が建設不能なほど傾斜のきつい、つまり切り立った崖のような地点にあった。もちろん、通りに面していない窓を開ければそこには海と島と船しかない。

 その新鮮な浜の香りを、僕は胸一杯に吸い込んだ。同時に、思いを新たにする。

 僕が自室のこの窓からこの風景を見た瞬間、ある野望、と言うには些か小さすぎる夢を抱いた。

 この海を、あの帆船に乗って縦横無尽に駆け巡ってやる。

 





 この時、この夢を抱かなければ。僕の人生は大きく変わっていたと思う。

 いい方向なのか悪い方向なのかは分からない。ただ、それだけは分かる。

 この後、帝国公用語を覚えてしまった僕は、この世界のことをもっと良く知るために父所蔵の本に手を出し、次から次へと記憶を開始した。

 必死だった僕は気付いていなかった。当時五歳の子供が、計四百ページは下らない分厚い「帝国史」や、専門用語たっぷりの「世界海図」を読むと言う異常さを。

 つまるところ、周辺の僕に対する認識が「神童」とか言う、僕自身としては余りに酷すぎて笑えない冗談のようになっていることに。




 



[14989] 第三話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:a3a6038c
Date: 2010/05/24 23:05
                                                         帝国暦617年 <ポリス> デニム街三番通り クレイリア宅

 





 元来、キング・クレイリアなる男は騒々しい場所が好きだった。

 子供の頃は、家で本を読むより悪童と悪戯をして回ったり、雑踏の中を少し背伸びして歩き回ったりするのが彼の憩いであったし、年を経てからは人と話すと言う愉しさにも惹かれるようになっていた。

 或いは、彼が自ら商会を立ち上げたのもその所為かもしれない。

 絶えず人との接触を保ち続けたい。そんなささやかな願望が、彼が零細企業の経営をするというある意味相当な苦行に耐える事の出来る理由なのかもしれない。

 そのキングの自宅、しかも客間に客人が上がりこんでいるにもかかわらず、その場は沈黙と重苦しさに支配されていた。ほんの五年前に雇い、今では仕事にもなれた女中の入れた品の良い香りを醸し出していた飲み物――ミニアム島産茶葉を使った茶は熱を失っていた。

 と、その茶器をキングは手で掴み、お世辞にもおいしいとは到底言えなくなっている香りの飛んだそれを口の中に流し込んだ。手は震えていた。彼としても香りの飛んだ茶など飲みたくも無かったが、緊張で乾ききった喉を潤すためにはたとえ泥水でも厭わず飲んでいただろう。

 軽く咳払いをして内心の狼狽を隠しつつ、キングはどもりながら眼前の恰幅の良い紳士に聞いた。
 

 「……チャ、チャールズをあのアルマーダギーの、しかも特別学級に入れるですって?」 

 「左様です」
 

 紳士は、既に飲み干してしまった茶器を手でもてあそびつつ答えた。「クレイリアさん。率直に言わせていただきますと、あの子は天才です」


 「天才」
 

 キングはうわ言の様に言った。
 

 「た、確かにチャールズは年の割には頭も切れますが……その、取り立てて言うほどでも」

 「若干五歳にしてクリエイム著の<帝国史>を読む子供を取り立てて言う必要がないと貴方は仰るのですか?」
 

 クリエイムが帝国暦580年ころに出版した<帝国史>は、それまでの帝国賛美の風潮から一転して客観的な史料批判に基づいた記述をしており、賛否両論あるが少なくとも歴史家たちの間では人族帝国歴代の歴史書の中でも随一との評価を受けている本だった。

 きちんとした教育を受けた大人でさえも理解に長い時間が掛かると言うその本を、自分の息子が読破したことを誰よりも良く知っているキングはたじろいだ。
 

 「……クレイリアさん。お願いします。彼の学費その他をあなた方が負担する必要は一切ありません。帝国奨学制に従い御国が学費を支払います。どうか、あの子を特別学級へ入れてはくれませんか?」
 

 紳士――帝国立セント・アルマーダギー学園園長・マリウス・バースラーは諭すように言った。

 





 マリウス・バースラーはリージョナ・ポリスより南東に1000浬(シーベルツ)離れたメイジン諸島の出身だった。

 当時、帝国暦562年はまだメイジン共和国と言う民主制国家だったそこの首都・ミーニールで、共和国一の豪商の次男として生まれた彼は、次男坊という独特の責任感の希薄さの元勉学にだけ打ち込むような子供だった。と言うか父は彼に息子としての何者も望まなかった。彼の真なる家族は兄と母だけと言っても良かった。どうせ兄が仕事をつぐんだ。なら俺はやりたいようにやるさ。これが彼の持論だった。

 転機が訪れたのは、珍しく蒸し暑い日が続いた年の夏だった。領土紛争で共和国海軍が人族帝国海軍に惨敗し、メイジン共和国はミーニールを封鎖され全面降伏、帝国メイジン伯領と改称することになったのだ。

 マリウスは当時まだ十五歳で、若者らしい愚直な愛国心に燃えていたが現実は彼に辛かった。豪商であるが故に機会主義者であった彼の父は、ここぞとばかりに彼を帝都の大学校へ通わせることを決定した。表向きは息子の経歴に箔をつけるため、本音は上手く帝国との間にパイプを作り上げさせるために。

 長年次男坊としての期待しか受けてこなかった彼は、父の思うところを即座に理解したが、新たに赴任してきた伯爵に懇願した結果認められた留学である。断れば、伯爵の顔に泥を塗ったと言う結果が残り、おそらく父の会社は潰れるだろう。そしてそれは、父はともかくとして彼に対していつもやさしく接してくれた母と、決して尊大にならず、できる限り弟のことを考えて行動してくれた兄に対しては許容できかねる行動だった。彼の進むことの出来た数多の道は、いつの間にか目の前のものを残してすべて消え去っていた。





 マリウスにとり不承不承の帝都留学だったが、結果からすれば彼にとってそれは大いなる機会と化した。

 彼が留学した帝国最大の学校、帝国立セント・アルマーダギー学園は初代皇帝が建設を命じた学園であり、であるからこそ帝国最古にして最高の学園と称されていた。

 そこで学んだ日々は、彼にとり至福としか言いようが無かった。

 そもそも、メイジン諸島は世界海図的には辺境に存在しているためいくら周辺では発展していた土地とはいえ情報の入りは遅かった。

 だが、ここは列強中最大の国家の首都であり、全世界で最良の港でもあった。帝国が意図せず、或いは意図して集めに掛かった最先端の知識などが簡単に手に入る。

 初めは圧倒的な情報量に飲み込まれるだけだった彼は、天性と言っていい才能により短期間でそれを吸収し、18歳の頃に飛び級で大学部を卒業するに至る。

 ただ、莫大な勉強の最中彼は自分が研究に適していないことを痛感した。彼は無から有を生み出す研究者よりは、有を持ってそれを広めることに全知全霊をかけることの出来る人間であった。更に言えば、管理されて金銭を受け取るより、管理して金銭を支払うほうが性にも合っていた。皮肉なことに、父の遺伝子を多く受け継いだのはどう考えてもマリウスらしかった。

 彼が卓越した管理能力と知識、そして何よりも熱意で学園に職員として乗り込んだのは帝国暦587年のことであった。無論、目指したのは学園組織の長であり、帝国暦605年にはその野望も成就することになる。

 




 その彼がチャールズ・クレイリアなる人間と出会ったのは――いや出会えたのはなぜか。突き詰めていけばその理由は半ば偶然であり、半ば必然であった。

 チャールズ・クレイリアはその知的欲求を満たさんが為に港島にある帝都で一番大きな(と言っても、地球の大手チェーンの書店ほどの大きさにも満たないのだが)書店にキングに連れられるたびに寄っており、齢55になって尚も知的好奇心盛んなマリウスもその書店によく通っていた。もっとも、チャールズが港島に来るのは父の送迎のときだけであり、それもその迎えのときにしか書店には寄らなかったから、それまでマリウスはチャールズと会う機会が全く無かったのであった。

 裏を返せば、時間さえ合致すればいつでも接触の機会はあった。そして、その初めての出会いはマリウスにとって衝撃極まりないものだった。

 その日、たまたま仕事が早く終わった彼はその書店をぶらぶらと散策しつつ、ふと気になった本を手に取るという行為を楽しんでいた。

 技術系の本が無造作に並べてあるスペースを抜けた彼の目に入ったのは複雑極まりない世界史について簡潔に纏められているらしい本だった。

 無意識のうちに手を伸ばす。が、若干届かない。マリウスは眉を顰めた。ふん、こんなところに邪魔なものを置きおって。お陰で本が取れんわい……。

 障害物? マリウスの脳裏に疑問がよぎった。こんなところに何が?

 純粋なる知的好奇心の下突き動かされた彼の目線は、網膜上に分厚い歴史書を読む少年の像を結んだ瞬間硬直した。

 自分の半分も背が無い少年が、自分自身よりも厚い本を読んでいると言う俄かには許容しかねる現実を一瞬受け入れられなかった彼だが、すぐに落ち着きを取り戻す。そうだな、子供心に格好をつけているのだろう。大方、ご両親がこんな本を読んでいるのをしょっちゅう見てでもいたのだろう。少し背伸びをしたくなる。まさに、子供心だ。

 そうは思いながらも、マリウスはふとこの子供に興味が湧いた。彼はことプライベートに関する限り自身の好奇心に反逆すると言うことを知らない人間であったから、その興味は即座に行動に置き換わった。
 

 「面白いかい? それは」
 

 子供は一瞬びくっと体を震わせたが、マリウスの方を振り向くと平静に戻った。学園の仕事をしている間に子供の頃からは比べ物にならなくなった体の丸みだが、お陰でマリウスは威厳があるというより親しみやすい人間のように他人からは見られていた。

 子供――チャールズ・クレイリアは、マリウスが思っていたよりも遥かにはっきりとした口調で、そしてこちらもマリウスが思いもよらない内容を喋った。
 

 「う~ん、面白いと言えば面白いですけど、僕はそんなに好きじゃないです」
 

 ほぅ、こいつは。まるで本の内容を理解しているかのような口ぶりじゃないか。
 俄然興味の湧いたマリウスは、更に訊いた。
 

 「好きじゃない、か。どんなところが気に入らなかったんだい?」
 

 クレイリアは少し悩んでから、言った。
 

 「少し史料が偏っているところです。特に、五十年戦争の辺りは帝国側の記録しか参考にしていませんし」
 

 マリウスは目を丸くした。この少年が手に取っている本をマリウスも読んだ事があり、全く同じ感想を抱いたからだった。と言うことは何か? この少年は、この本を完全に読めているだけに関わらず内容も吟味し、その上で批評までやってのけたと言うのか?

 いや、違う。さっきも考えたが、おそらくは父親辺りの受け売りだろう。マリウスはそう精神に平静を取り戻そうとした。
 

 「その分、クリエイムさんの帝国史は面白かったです。文章が難解なのは玉に瑕でしたけど、史料の厳選と考察はすばらしかったです」
 

 が、矢継ぎ早に繰り出されるチャールズの批評は、的を得ていた。と言うか、もうたとえ父親の受け売りだとしても凄まじすぎた。

 




 その後二十分ほど。マリウスはチャールズと会話を続けた。もう、マリウスに驚くようなことは無かった。若干批判的に過ぎる面があるものの、チャールズの考察は理にかなっていたのだ。と言うか、彼自身が帝国出身でないからこそ行える帝国批判を、周辺がそうでない、つまり帝国賛美史しか教われないし、例え批判的な人物がいたとしてもそれまでの知識とつき合わせて混乱するしかないはずの子供が平然とそれを行っていることは充分に異常だったが、それについて考察することをマリウスは放棄していた。ただ、脳裏に一つの言葉が浮かんだだけである。

 天才。天から授けられし才覚。

 人は、努力すれば何でも良くこなす事が出来る。これは真理だ。

 だが、努力をいくらしようと及ばないものがある。それが天才だ。

 彼らは、たとえ過程に努力をしようとも、その一技能について余人が及ばぬ才覚を発揮する。そう。まさに天に愛されているとしか言えないほどに。
 

 「で、メイジン海軍との戦いも……あ、すいません。つい長話してしまいました」

 「ん……ああ、いや、構わないよ」
 

 恥ずかしそうな、と言うよりも顔を若干蒼ざめさせつつそう謝ったチャールズに、マリウスはいいよと手で示しながら言った。
 

 「実に有意義な会話をさせてもらったよ」

 「はは、ははは……」
 

 乾いた笑い声が響く。少し疑問に思ったマリウスだが、無視した。彼の脳内では既にある結論が導き出されていたのだ。
 

 「ところで、君のご両……」

 「おい、チャールズ! そこで何をしているんだ?」

 
 マルクスがその結論に従って口を開いた丁度そのとき、中年男性の声がした。目の前の少年――チャールズと言うらしい彼の呼び方から、父親か或いはそれに類する立場の人間だと判断できた。
 

 「全く。本を読むのもいいが少し時間も考えてだな……ん? どちら様で?」
 

 若干息を切らしながらもそう叱った彼は、ふとマリウスに気が付く。チャールズの父親は顔を蒼くした。
 

 「まさか、倅が何か粗相を」

 「いや、そういったことは全くございません。むしろ、とても良く出来たお子さんだと思いますよ。ところで」
 

 父親が出てきたのは予想外だったが、マリウスは構わなかった。むしろ、呼ぶ手間が省けた。そう思っていた。
 

 「私はこういうものなのですが」
 

 懐から、証明書を取り出し、チャールズの父親に渡す。一目見た彼は、顔を引き攣らせた。
 

 「セ、セント・アルマーダギーの学園長……」

 「貴方のお子さんのことで、少し話しがあります。お宅に上がらせていただいてもよろしいですかな?」

 






 サイド:チャールズ

 神童、天才、エトセトラ、エトセトラ……。

 正直、僕の知的好奇心は、我慢して制御していたものの五歳児の基準を大きく超えてしまっていたらしい。

 いつしか、僕の周りの大人たちは僕の名前をそんな代名詞で呼び始めた。

 くだらない。正直に、そう思った。

 何せ、こっちと言えば私立中学に「お受験」した挙句落ちた身だ。それに、やれ神童だのやれ天才だの。何度馬鹿じゃないのかと思ったことやら。

 だが。これは、今目の前の状況は紛れも無いチャンスだと思っていた。

 セント・アルマーダギー学園。リージョナによる人族帝国初代皇帝・ペテロギウス1世が建設を命じ、後に伝説上の守護聖人・聖アルマーダギーの名にちなんでセント・アルマーダギーと呼ばれるようになった大学園。

 地球と比較し、科学技術の発展を考慮に入れれば東大如きは足元にも及ばず、ハーバードとオックスフォードとケンブリッジを合わせたくらいの格式高い学園。

 それに、僕が入れるんだ。この、ただ少し科学技術の進んだ世界の記憶を持ち合わせていただけの僕が。

 下手にそこら辺の書店で滅茶苦茶分厚い本を読んでたときは、不味いことをしたかなと後悔していたけれども、蓋を開けてみればこの状況。

 誰もいない場所ならば、喝采を挙げていたかもしれない。
 





 「クレイリアさん」

 「……あ、いや、その……。そうだ、寮だ。アルマーダギーは全寮制でしたよね。やはり、まだ六歳の子を家から離すというのはどうにも」
 

 父は、なぜか額に汗を掻きながら言った。先ほどから一言も発していない母は、僕の目から見ても異常だった。一体どうしたんだろうか。
 

 「確かにご心配は分かりますが、我々の誇りにかけまして、お子さんを危険な目には絶対にあわせません」

 「そういう問題ではなくて、ですね、その」
 

 本当に、何かがおかしい。零細とはいえ、一つの商会の長である父だ。こんなしどろもどろに、こと交渉関係でなることはありえないのに。

 埒が明かないとばかりにため息を漏らしたバースラーさんは、ふと僕の方を見た。顔に、若干の期待が表れる。
 

 「……チャールズ君、君はどうだい? 帝国一の学校で勉強したいとは思わないかい?」 
 

 なるほど、親ではなく当人の意思を確認と言うわけか。五歳児にそれを尋ねるのもどうかとは思うけど。

 僕は両親を見た。二人とも、縋る様な目で僕を見ていた。理由は分からない。だけど。だけど一つだけはっきりしていることはある。僕がその学校に通う機会を逃したくは無いという意思を持っていると言うことだ。
 

 「僕は……通いたいです、セント・アルマーダギーに」
 

 バースラーさんのほうをしっかりと向いて、はっきりと言った。バースラーさんが喜色満面になるのと対称的に、視界の端のほうで見えた両親の顔がほろ苦いものだったことは無視した。と言うより、気づけなかった。
 
 







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――










 両親とは、死ぬまで子供に尽くす奴隷であると誰かが言った。或いは、誰も言うまでも無い事実なのかもしれない。少なくとも、クレイリア家の両親はそうであった。

 彼らが内心の何事かを押し殺して子供の意見を出来る限り尊重する決断をするに有した時間は極僅かだった。

 同時に、チャールズ・クレイリアにとってまだ数多あったはずの道は、一挙に数を減らすことにもなった。このときの彼は、それをむしろ夢への前進として捉え、喜んだ。このときの彼は。















 後書き

 どうも。本当なら二話で後書き書こうと思っててすっかり忘れていた作者です。
 と言うわけで今回は「チャールズ君、天才に間違われる」の巻でした。
 ちなみに前もっていっておきますと、作中でバースラー氏が語っていた天才の定義について異論はあると思いますが、少なくとも感想欄に書かれても反論したりするつもりはありませんのであしからず。
 と言うわけでレス返し行ってみよー(棒


 >>ふいご氏

 ご期待ありがとうございます。ただ、だらだら話を続ける作者の性格上、立身出世まで相当な時間がかかります、早速学園ルートのフラグを建設しちゃいましたし。
 まぁ、「紳士トリストラム・シャンディ生活と意見」程にはならない予定です。……佐藤大輔フラグは否定しません。あと、ネコミミは二話くらい待ってくだされ。

 >>ヒーヌ氏、雲八氏

 な、なぜ作者のネックがわかったか貴様らぁぁぁ!
 ……と冗談はさて置き、こと材木・食料・工業関係や鉱物云々はきちんとでっち上げが出来ているのでご安心ください。さて、作者が意図的に何かを抜かしたのは気づきましたね?
 ……真水どーしよ。とりあえず設定はできましたが、でっち上げから苦しい言い訳にランクダウンです。

 そんなこんなで、投げ出すことなく続けていきたいと思っていますのでこれからもよろしくお願いします。



[14989] 第四話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:a3a6038c
Date: 2010/05/24 23:07
                                                  帝国暦616年 皇紀1296年 三月三日 秋津皇国沖西に1000浬 魚門諸島

 







 魚門諸島は、畏れ多くも海皇(かいのう)陛下の御威光を受ける国家に属している割にはあまり発展していなかった。

 まぁ、流石に本土――彼らの言う内地から1000浬も離れれば無理も無いことかもしれなかった。大体、この諸島はここを含めた周辺一帯でやっと一つの選挙区を構築できる程度の人間しかいないのだから、臣民院や皇議院で利権を獲得してくれるような政治屋もいなかった。

 主要産業は漁業であり、巨大な港は無い。この付近に多い火山島であるから、適地は探せばいくらでもあるのだが、誰もその必要性を感じ得なかったのだ。交易ルートからは外れていたし、仮に中継港としての道を探ろうにも周辺で一番大きな島を使ったほうが色々と便利なのだから仕方がない。

 魚門諸島が文字通り漁業を生業とする港町の複合体になってしまったのにはそういった必然があった。

 しかしながら、住民達はその必然を受け入れていた。と言うか、別に変える必要性を見出せなかった。これまで魚門諸島は、唯一誇れる豊富な水産資源を活用して、豊かとは言えないまでも不満に思わない程度の生活は営んでこれたのだ。ならば、どうして変える必要があろうか。

 







 一人の老人が、管煙草を吹かしながら空を見上げていた。つい二三年前までなら彼と生涯を添い遂げる誓いを交わした女性も傍にいたのだが、一年と半年ほど前に死去していた。医者の判断によれば、老衰らしいかった。

 雲がまた流れて行った。老人はそれをぼうっと見ている。それが、もう生きる意味を半分以上失った彼の余生の過ごし方だった。

 以前は、もう少し活力に富んでいたんだがなぁ。とは親族の言だった。老人は、若かりし頃この諸島の住民としては異常なほど血気盛んであり、身一つで皇都大安京に乗り込んだほどの男だった。

 彼が目指していたのは、山師だった。つまりは鉱脈探しである。

 海に満ち溢れたこの世界で、鉱石は酷く貴重な品物だった。金剛石や金・銀・銅は装飾品としてだけではなく、通貨としての機能も果たしていた(もっとも、金剛石に限ってはその勝手の悪さ、つまり加工のし難さが仇となって使われることはあまりなくなったが)。連合王国で開発された紙が通貨として広く使われるようになって、鉱物を通貨にしている国は減少の一途を辿っていたがそれでもその希少性・貴重性が損なわれたわけではない。

 老人の口が小さく開き、中から紫煙が溢れて来た。今まで雲を見ていた視界が煙に覆われるが老人は気にしなかった。いや、気付かなかった。

 思えば、老人のもっとも大きな失敗は鉱石発見の困難さを考慮に入れていなかった事だった。研究を積み、修行を重ね、いざ独り立ちしても、依頼はほとんど無かった。無理も無い。もはや、鉱脈探しは賭博性の高い商売と言う枠を大きく超えすぎていた。つまるところ賭博と大差なくなっていたのだ。それも、当る確立が零と小数点以下何個も零が続くくらいのそれに。

 失意のうちに若かりし頃の彼が諸島に戻ってきたのは島を出てから六年ほど経った頃だった。それに対する周囲の反応は、彼の予想通りだった。つまり、誰も気に留めなかったのである。

 大人たちは、話を聞くなり、ああやはりなと自らの仕事へ戻って行った。彼らは同世代の失意の帰島を見たことがあるか、悪くすれば経験した者達に満ち溢れていた。

 唯一の例外は子供達だったが、その反応の仕方は彼を酷く落胆せしむに充分な威力を持っていた。彼らは無邪気な好奇心で失敗の理由を訊き、最後にこう言った。やっぱり、島から出てもろくなことは無いなぁ……。

 老人が血気盛んな若者になった理由は、子供の頃に自分達を期待させておいては結局何事もなしえずに戻ってきた彼の先達たちに対する反抗心だった。結局またダメかよ。まぁ、俺が大きくなったら、その日こそは。

 全てに打ちひしがれた彼が今まで生きて来れた原因は、一年半前に死去した伴侶のお陰だった。実家が隣通しであり、昔から彼の夢を聴いていた彼女は、彼を励まし続け……というわけだ。

 であるからこそ、この老人に再び気力を呼び戻すのは神や海皇陛下でも不可能だろう。これが島民の一致した見解であり、彼の耳に入れば自身すら肯定したであろう。途方も無い無気力は、彼にとって忌むべきものではあったが、だからと言って抜け出す方法を知っているわけでもなかった。

 




 「爺ちゃん! 爺ちゃん!」
 

 主人に似たのか、こちらも無気力に門を開け放ち、来るものこばまずの姿勢を見せている家の塀を、甲高い声と共に子供達が越えて来た。近所の悪餓鬼どもだった。
 

 「なんじゃい、騒々しい」
 

 口で言うほど嫌がっていない様子で、老人はその悪ガキどものほうを向いた。悪ガキ二人のうち、ある漁船の船長の息子で、この小さな町で餓鬼大将として君臨している、若干丸っこい少年は興奮を隠さずに言った。
 

 「あんな、爺ちゃん。裏山で……」

 「こりゃ。裏山は危険じゃから入るなと何時も言っちょるじゃろ」

 「あ、ご、ごめん。でも、すごいんだよ。ほら、これが……」
 

 老人の静かな叱責に、一瞬震えた丸っこい少年だったが、すぐに息苦しさも忘れ、興奮しきった口調で言うなり、懐からごつごつし――妙に光り輝く石を取り出した。

 老人は皇都の商人から買った老眼用の眼鏡を掛け、少年が差し出したものを手に取り――絶句した。

 そこにあったのは、金剛石の原石だった。
 

 「お、おい。お前、この石をどこで!」

 「裏山、だよ、御爺ちゃん」

 
 腕白小僧と言った印象の強い、丸っこい少年と対照的に、細く色も白いもう一人少年は、何とか腕白小僧に付いて来た為に呼吸困難に陥りかけている口を最大限稼働させて答えた。
 

 「御爺ちゃん、とこの、あの山。その、奥の、ほうに」

 「これだけじゃなかったんだぜ」
 

 丸っこい少年が得たとばかりに後を継いだ。
 

 「こんな大きい奴はもう無かったけど、他にも似たような石ころが一杯あってさ……爺ちゃん?」
 

 不意に、そう腕白小僧が問いかけたのは、細身の少年が唖然として老人を見ているのと同じ疑問を抱いたからだった。

 老人は、嗤っていた。

 狂ったように、涙を流しつつ嗤っていた。手には金剛石の原石があった。

 もはや皮肉とも思えない状況だった。彼が何も無い島と決めつけ、一人出て行ったあの大海原。あの島々には存在しなかったそれが、失意と共に暮らしていたこの島にあったのだ! 彼の全てが。彼の夢が。彼の希望が。すべて。

 老人の嗤いは、気味悪がった子供達が近所の大人の下に駆けて行って尚も続いた。老人は、もう嗤うしかなかったのだ。すべては遅すぎたのだから。



 




 序章 完



 






 第一章 「成果とその対価」へ




 















 あとがき

 どうも。最近某都市開発シュミレーションゲームと、軍事博物館ものフリーゲームにはまってしまった作者です。
 と言うわけで、物語の導入が終わり、いよいよ本編へ。
 ただし、次回から始まる学園編が、作者の試算で結構な量になりそうだと言うことがわかって焦っているのは禁則事項です。
 いやぁ、やはり途中で降ってきた「学園モノをねじ込め」と言う電波は無視した方が良かったかな。……そんなこんなでレス返しです。

 >>t氏 ジョミニ氏
 
 ご期待ありがとうございます。

 >>アントン氏
 
 いえ、ワット式はまだですが、コークス炉やニューコメン式蒸気機関は実用化の目処が立つか実験段階に移行しています。後は、まぁずっと内政チートのターンが続くわけです。

 そんなこんなで、拙い小説ですがこれからもよろしくお願いします。



[14989] 幕間その1 「古代史」
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:a3a6038c
Date: 2010/04/18 21:17
 幕間1 古代史 ( 「よくわかる世界史(フランソワ出版 リニア・ダン・フレーベル著 帝国暦734年初版発行)」より抜粋)

 



 
 ――この世界に誕生した最古の文明は、いずれも次の条件が当てはまる土地に誕生しました。
 
 1、農業に十分な広さの土地
 2、大河のほとりにある土地
 
 この二つの条件に当てはまった四つの地域で、それぞれ文明が発生することとなります。

 

 
 1 古代ンバリア文明

 
 
 現在知られている古代四文明のうち、最も早く成立したのがンバリア大陸のンバリア文明だと言われています。これは同時に、獣族が建てた初めての文明的国家でもありました。
 古代ンバリア文明は、ノモラト山脈から流れ出るゴロニア川の畔に誕生し、他の文明と同じく年に一二回発生する大氾濫を利用した麦の栽培で発展していきます。これは、知的生命体の誕生から数万年続いたと考えられている狩猟生活からのある区切りとしても知られています。大氾濫を利用するようになった彼らは、一定の地域に定住し、集落を作り始めます。これを、ムラと呼びます。
 古代ンバリア文明では、ムラは比較的早期に国へと発展を遂げることになりますが、その対立は比較的緩やかなものでした。ゴロニア川は、莫大な食料産出量を住民たちにもたらしていたからです。
 かくして、ンバリア文明は最初の黄金期を迎えます。メニギウス朝ンバリア王国の誕生です。
 メニギウス朝は、王が絶対神ルークラーを祭祀する、政教一致の王朝でした。
 彼らは、帝国紀元前1500年頃に金字塔と呼ばれる建築物を作りますが、これは高さが60ベルツ程もある超巨大建造物で、当時のメニギウス朝が強固な中央集権体制で統べられていた事の証明として良く知られています。
 しかしながら、メニギウス朝にも衰退の季節がやってきます。紀元前1300年頃に起こったと言われる世界規模の寒冷化です。
 これは、後述する通り他の文明や知的生命体の暮らしに多大な影響を与えましたが、とりわけンバリアには過剰とも言える変化が押し寄せます。
 第一に、寒冷化による農作物不足で、それまで神の代理人とされてきた王権が揺らぎ始めます。此処で言う絶対神ルークラーは農業神でしたから、その理由は御分かりいただけるでしょう。王は、神の言葉が聞こえないと言う烙印を押されてしまったのです。
 混乱はまだ続きます。王朝への不信と、更なる搾取・弾圧で半ば内乱状態となった状態で、同じく食糧不足で周辺の島々から逃れてきた異種族が大挙襲来したのです。
 本来ならンバリア王は毅然とした対策をとらなければならなかったのですが、そもそも威信が消滅し、そのような権力を王は既に失って久しかったのです。
 紀元前1250年から200年ころ、現地民によって虐げられていたガイウス族が、もともと持っていた侵略性を発揮して王都へ侵攻。これに対処する筈の軍隊も動けず、かくしてメニギウス朝ンバリア王国は王の処刑を持って滅亡することになります。
 さて、ンバリアを制圧したガイウス族は、新たに旧王都でガイウス王国の成立を宣言し、付近一帯を勢力圏におきますが、それも長くは続きませんでした。ガイウス族もまた、周辺の島々から食糧難で逃れてきた少数民族だったからです。彼らは、絶対的な人的資源不足に悩まされていました。
 そんな彼らがンバリア王国を制圧出来た理由は、王国が混乱していたことに加え、彼らが戦車と呼ばれる高機動兵器とそれを利用した戦術を持っていたからだったのですが、その戦車が旧王国の人間によって模倣されてしまいます。
 旧王朝の復興を目指す一派がたちまち武装蜂起し、王都は再び戦場と化します。
 ガイウス王国滅亡は、成立からたった数年から十数年の間に起きたと言われていますが、現在の発掘ではどうしてそれほど早くガイウス王国が滅亡したのかと言う事を示唆してくれる発掘物は未だ見つかっていませんから、滅亡原因はそのくらいであるとしか書けません。
 ただ、憶測で物事を述べることができるならば、ガイウス族が王として君臨できる理由が無かった、と考えることが出来ます。メニギウス朝が君臨出来たのは、治水の管理によって民衆の食料が確保出来たからなのですから。
 その旧王朝派が、一旦はメニギウス朝を再興したものの、すぐに住民反乱により形骸化してしまいますから、おそらくはこのような原因だろうと言うのが考古学者たちの憶測であり、推察です。
 紀元前1100年頃、各地のムラでの争いをようやく静めたのはダホカ・イル・トラニデウスと呼ばれる一人の男で、この男の一族が中心となって、獣族二度目の安定王朝にして長期王朝となったトラニデウス朝ンバリア王国が起こります。これをもって、ンバリアでは古代文明の時代が終了したと言っていいでしょう。

 



 2 ベリニアクス山麓文明

 


 龍族の居住域で、現在も龍族評議会連邦の首都地域となっているベリニアクス山。最古にして今なお一部が継承されている龍族文明、ベリニアクス山麓文明はその麓で誕生しました。
 これは、一見前述した古代文明発祥の土地とは違うように見受けられるかもしれませんが、龍族の主食であるパムロン草と言う穀物は清らかな水と寒冷地と言う、二つの条件が無いと生息出来ない為、龍族基準での大河、農作適地と言う条件は全て満たしています。
 その龍族は、自らが文字通り「浮かべる」と言う、他の知的生命体にはない極めて特殊な能力を持っています。
 どうして龍族が浮けるかは、物理学や生物学の本を読んでもらうとして、その浮遊出来ると言う条件上、龍族は極めて個が独立した文明を築きあげます。
 それは、龍族が龍族評議会連邦を築くまで国家を作らなかったと言う点からも御分かりいただけると思います。それに、評議会連邦でさえ、人族の植民による聖地汚染が成立における一番の原因なのですから、もしこの世界の知的生命体が龍族だけならば今この世界に国家などと言う概念は存在していなかったでしょう。
 さて、その成立した文明圏ですが、ベリニアクス山を有するべリニア島を中心とした比較的狭い範囲内にしか広まりませんでした。
 その気になれば、世界一周すら可能な龍族の浮遊・飛行能力があるのになぜ文明圏、即ち龍族の居住域が広がらなかったのかといえば、それは龍族の信仰する宗教に大きく起因するといえます。
 龍族は、霊峰ベリニアクス山の山体を信仰する、言わば一神教的偶像・自然信仰の者たちです。ベリニアクス山はこの世の理で、自分たちに幸福や不幸と言ったありとあらゆる事象をもたらす存在だと言う考えです。これは、一神教と言うよりは人族帝国のマキ信仰に似たものですが、自然の万物にマキが宿ると言うリージョナ族とは違い、龍族にとってのマキはベリニアクス山にしか宿りません。
 ベリニアクス山信仰についての詳しい解説は、後の「人族植民と龍族の反応」の欄で述べますが、簡単にまとめますと、龍族はベリニアクス山の懐で生活することこそ、霊峰が自分たちにより幸福なる生活をさせてくれると言う考えで生活していました。つまり、秋津皇国などに出て行った龍族は極めて少数派、悪い言い方をすれば異端者だったのです。
 結局、この信仰により、龍族はべリニア島や、ベリニアクス山の見える周辺諸島から外の地域には出ようとしなくなりました。このため、これ以降人族の大挙流入に至るまで龍族の文明的膨張は起こらないことになります。






 3 古代秋津文明

 


 一昔前は古代内地島文明と呼ばれていた秋津文明ですが、近年の研究によって、周辺諸島地域においても同時期の文明発祥の後が見受けられたので、この名で呼ばれるようになりました。
 秋津文明は、古代霊峰文明と同様に稲作を行う文明でした。その為、秋津文明も古代霊峰文明と同じく強固な集団を作り上げていくこととなります。
 ただ、内地島を中心とする秋津諸島は霊峰大陸ほど土地が広くなく、大規模な都市国家の出現には至りませんでした。よって、この集団のことも古代ンバリア文明と同様ムラと呼称します。
 ただし、このムラは成立当初から絶え間のない抗争の只中におかれることになります。この抗争の時代の中で、秋津文明は古代霊峰文明に継ぐ先進性を持つに至ります。
 例えば、他のムラを圧倒するための戦術・効率的な稲作・農作・牧畜の方法。どれも、古代霊峰文明と同時期に確立されていきます。
 ところが、ここから秋津文明と古代霊峰文明との間には大きな違いが生まれていきます。古代霊峰文明で騎乗技術や戦車技術が次々に発展するのとは対照的に、秋津文明では周辺諸島との交易・戦争の為船が活躍することになります。
 秋津では比較的早期に櫂船が実用化され、陸兵が高機動で島々を行き来することが可能となりました。更に、沿岸航海のみならば交易用に初期型の帆船まで実用が始まっていたと言う文献も存在しています。
 そんな秋津文明でしたが、文明の中心が内地島であったにも関わらず、初めて内地に国家を打ち立てたのは現在<支配島>と呼ばれる島の一族でした。
 支配島と言うのは、秋津皇国成立後に嘗ての支配者たちに畏怖を込めて呼ぶようになった名前で、彼ら自身は「安藤島」と読んでいました。つまり、安藤家の島と言うことです。
 安藤一族の暮らしていた安藤島は、内地島より若干北へ行ったところにあり、秋津諸島の中心部にある火山島でした。深く入り組んだ港は簡単に重要な軍事港と化し、紀元前1300年頃には秋津諸島周辺の制海権は安藤一族の国が握っていたとも言われています。
 かくして秋津文明で極めて重要な海を制した安藤一族は、本格的な内地島進出に成功し、稲作に裏打ちされた豊富な人口を手に入れます。これは、前述のンバリアを襲った寒冷化によって内地島の諸種族が農業的に打撃を受けたのに対して、安藤一族の国が当時は漁業中心の食料生産を行っていた事も成功の要因の一つと数え上げてもいいでしょう。
 以後、彼らの国は積極的な海外進出を強める一方、内地島の社会基盤整備にも尽力し、少なくとも内地島においては独自かつ高度な文化が発展したと言われています。
 結局、秋津史上初めてにして最後の征服王朝となった安藤一族の国は、以後紀元前680年まで続きますが、この文明が成し遂げた最大の偉業は、古代にして後の世界の基準となる複数諸島による帝国の姿が見え隠れしていたと言うことでしょう。
 後々の秋津文明の膨張と、秋津皇国の世界帝国化は何れも安藤一族の国の膨張傾向のお陰でしょう。
 ちなみに、安藤一族の国の正式名称は、秋津皇国成立の段階でそれらを収めた歴史資料館が炎上したため、後世には伝わっていません。

 




 4、古代霊峰大陸文明

 


 古代霊峰文明も、先述した通り半ばまで古代秋津文明と似通った歴史を歩んでいました。
 が、この文明が発生した霊峰大陸は、世界最大級の陸地であり、その集落は類を見ないほどの大きさを持つようになります。この巨大な集落のことを都市と呼びますが、霊峰文明の都市は規模が巨大だったため、それ一つで単一国家となる場合が多数ありました。これを都市国家と呼びます。
 さて、ここでこの都市国家の定義を少し掘り下げてみたいと思います。まず、都市国家の再前提となる都市に関してですが、こと霊峰文明の場合、
 
 1、数千人ないし一万人以上の人口
 2、四方に城壁を持つこと
 
 が、都市の定義と言えます。また、1の人口に関しては、数百人規模の集落でも城壁で囲まれていたために都市であると結論づけられたものもある為そこまで厳密に考えなくてもいい場合もあります。そもそも人口の概念は、一万人を大きく超える人口を有しながらも最後まで城壁を持たなかった都市の存在から発生したものですので、結局のところそこそこの人口があり、城壁を持つものなら何でも都市と定義付けられているのが現状です。
 さて、では都市国家の定義に移りますが、都市国家の場合、都市と比べて若干定義が複雑になる場合があります。というのも、規模的な面でどこからが都市国家で、どこからが領域国家なのかと言う判別がしづらいからです。一例を挙げますと、例えば古代に大発展したガダロム王国は、中心となったガダロム市(人口二万人ほどと推定)の他に、その周辺に存在した小集落や、果ては周辺の都市をも勢力下に置いていました。
 一般に、多数の都市で構成されれば都市国家ではなく領域国家と見なされても良いように思えるかもしれませんが、このガダロム王国の場合、ガダロム市が他の市を従属的状態に置くことで勢力を拡大していた為、広義な意味で都市国家と定義されています。
 そうして、多数の都市国家で分断されて行った霊峰大陸ですが、その文明圏で他の文明では見られない特殊な文化が発達して行くことになります。馬の飼育・及びその移動手段への利用です。
 ンバリア・ベリニアクス山麓・秋津各文明では、種族的原因・地政的原因によって結局大規模な陸上移動技術の開発がありませんでした。ところが、霊峰大陸は堅牢な山脈や急流によって細かく分断されているとは言え、それでも世界最大級の平野や盆地を多数有しています。必然的に、この平地地域を有効利用するため、陸上の高機動部隊や移動手段を手に入れる必要が生じました。
 古代霊峰の人々が目をつけたのは馬でした。馬の機動性は他の動物に比べて極めて有効でしたし、飼育技術も確立してしまえばそこまで難しい生き物でもありません。
 かくして始まった霊峰でも馬利用は、形が違いますがンバリアでその後多用されるようになった戦車と構想・利用法がほぼ同じものが出来上がります。
 また、同時期に始まった騎乗技術は、少なくとも平地において他に類を見ない戦術の形成へとつながっていきました。
 そんな霊峰文明でしたが、紀元前1300年頃、他の文明と同じく世界規模の寒冷化によって情勢が一変します。
 それまでの都市国家間同盟の時代が終わり、領域国家の形成が始まったのです。
 それぞれムータファ王国・高王国・弁王国と呼ばれる三大王国によって霊峰文明は分割され、同時に都市国家の時代が終焉へと向かいました。これ以降、長きにわたり続く三大王国による戦乱の時代を、「原初三王国時代」と呼び習わすことになります。

 






 以上の四文明を駆け足で見てきましたが、紀元前800年から700年頃にかけては上記の四文明以外にも多数の文明が出現するに至るようになります。有名なところでは、イノリア王国領ハーベント島で発生したハーベント文明や、コモラド島で発生したコモラド文明などです。最も、これらの文明は、イノリア王国領の物を除き大抵が後に膨張を始める秋津文明やンバリア文明によって吸収されてしまうことになります。
 ちなみに、この時期のリージョナ族ですが、極めて原始的な狩猟民族から一歩飛躍することはまだ出来ていない時期でした。あまつさえ、リージョナ族以外の文明が近隣で発生さえしています。では、次にこれらの文明の特色を――(後略)。








 あとがき

 どうも、作者です。なんか、むしゃくしゃして幕間を書いてみました。以上、この異世界のでっちあげ古代史です。細かいところは多めに見てね。
 まぁ、でっちあげどころか書き上げにかかった時間が二日くらいって言うのがもうね。構想と言うか、だいたいの流れはもともと考えてあったとは言え突貫工事と言われても否定できないからなぁ。そんなわけでレス返しです。


 >>なーな氏・たけのこの里氏

 読んでいただいてありがとうございます。そしてすいませんでした。
 実のところ、四話の文字数の少なさはわかってはいたのですが、ついつい自分に負けて妥協してしまったところがありました。
 一応、この後投稿する予定の話は四話よりは長くなっている筈です。と言うか、作者の精神衛生上実は四話くらい先まで書き上がっていたりしまして、確実に長くなっていることは確かなのですが……。如何せん、それでもまだ少ない。
 とにかく、長い時間がかかりそうですがそこら辺はこれから矯正していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 と言うわけで、みなさんご指摘ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。



[14989] 第一章 第一話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:a3a6038c
Date: 2010/05/24 23:11
                                                              第一章 「成果と対価」


















「天に二つの 日は照らず」  ――ハワイ大海戦 軍歌

「父母を敬い、これを親しみ、その心に従うべし」  ――日々の教え 福沢諭吉著






 










                                                帝国暦618年 一月十日 帝国立セント・アルマーダギー学園初等部

 




 この世界の暦は、地球と良く似ていた。

 具体的には、一年は360日の12ヶ月。つまり一ヶ月30日。時間は、こちらも二十四時間で地球と一緒。

 であるからこそ、僕はこの世界に転生してから未だに若干迷うところがある。月と季節の関係だ。

 この世界、前述したとおり地球に酷似した暦のくせして、若干月と季節の配置が違うんだ。例えば、日本ならば成人の日のはずである今日、僕が。
 

 「――でありますから、えー、皆さんも伝統ある当校と帝国の栄えある一員となったことを自覚し、これからの、えー、学校生活に――」


 入学式をやっていたりとかだ。

 思わず出そうになったあくびを噛み殺した。流石に入学式早々に粗相をするのはまずい。特別学級は一番前のほうの列なんだから、たとえ後ろ盾にバースラーさん――いやマリウスさんがいるのだとしても体面的に少々拙い。と言うか、あの人の性格的にそんな馬鹿な事やったらむしろ説教地獄を味わされる事になるから尚更か。

 この世界は、新年の到達が春の到来と同じだ。一月は地球、こと日本で言えば三月と同じくらいの気候で、もう一月もすれば本格的に暖かくなってくるはずだった。

 但し、じゃあ何で日本で言う三月に入学式をするのかと訊かれれば「さぁ?」と答える以外に無い。この世界では一年度と一年が同じように扱われている所為だろうけど、ここら辺は考え方の違いみたいだから地球と比べようが無いのかもしれない。大体、地球ですらアメリカの入学式は九月ごろの筈なんだから。

 とはいえ、いきなりそんな状況に放り込まれれば混乱もする。今だって時々、「本格的に寒くなり始める月は?」と尋ねられて11月と答え、赤っ恥をかく事もある(ちなみに、気候的な問題でこの国の本格的な寒さの訪れは九月ごろだ)。

 と言うわけで。両親と新年祝い兼入学のための暫しの別れを済まして(ハンカチ持った?なにか忘れ物は?と言うやりとりを三日三晩繰り広げてたのはいい思い出にして置こう)から十日と経たずに入学式と言うのは結構辛い。想像以上に新年祭って言うのは疲れるんだ。ちなみに、新年祭って言うのは新年の幸運を願ってドンチャン騒ぎする、日本の新年近辺の風習をもうちょっと厳かでなくしたような雰囲気に近い祭り、平たく言えば忘年会とか新年会とかそういう類だ。


 「――――新入生起立!」


 多分学園の生活指導担当の教師なんだと思う。それが、右手を筒のようにして大声で叫んだ。もちろん、マイクも拡声器も無いんだから仕方がない。

 僕も、なるべく他の同級生――にこれからなる連中に合わせて起立する。うん、何と言うか、流石は特別学級。六歳には思えないね。

 結局マリウスさんの勧めで受験したこの特別学級枠に見事合格――と言ってもやったことはと言えば簡単な足し算、引き算、掛け算とあと読み書きだけだったから合格して無いとへこんでたけど――した僕は、今このセント・アルマーダギー学園初等部特別学級の一員となった。この時の僕の胸は期待に満ち溢れていた。この学園でこの世界についてきっちり学んで、地球での記憶を応用してこの海を我が物のように扱ってやる!まぁ、所謂異世界転生物オリ主を夢見てたって言うのが一番的確な表現だったかな。

 




セント・アルマーダギー学園は、リージョナ環礁内の<アルマーダギー>島を丸々使って建てられている学園で、だからこそかなりの敷地面積がある。

 なんでそんなに広い面積が必要かといえば、この学園は初等部から高等部、更には学園院――地球で言えば大学と大学院が混ざったような教育施設に、各種研究機関が併設されているからだ。

 と言うわけで、そんな広大な学園だけれども、それは高等部以上の人たちの話。

 人族帝国は義務教育制を採用していないから、普通初等部中等部に子供を入学させる者は少ない。大抵は、生まれ育った土地で初等ないし中等教育を受けてから、高等部に入学って言うのが一般形式だ。つまり、広大な敷地面積に比べて、初等・中等部の校舎はかなり狭い。まぁ、それにしたって大きかったけど。

 つまり、この学園の初等部に通う生徒とって言うのは将来高等部・学園院を卒業させたい金持ちの親達が入れさせた、少なくとも家柄はいいことが確かな子供たちなのだ。

 ただ、何事にも例外はあったりする。例えば、僕が入った特別学級。これは、帝国全土から集められた支配階級・リージョナ族の中でもとりわけ高貴な身分のものとか、種族を問わず秀でた才能を持つものとかを集めている。

 と言うことは、特別学級に入るって事必然的に変人に極めて近い天才とか、或いは貴族の坊ちゃんやらお嬢様やらとご一緒するって事で。つまりは面倒ごとに巻き込まれる可能性がかなり高くなるってことでもあって。


 「それで、お前はなぜこの学校に入ったのだ?」


 明らかな上から目線であった。しかも、クラスの連中は全員遠くを取り巻いていた。何でだかは知らないし、知りたくもない。ただ、問題がひとつだけあるとすると上から目線で話しかけられているのが僕だと言うことかな。

 クラス発表(特別学級は一つだけだけど、他の初等部一年を合わせると三クラス程にはなる)の後、良くある一番初めの学級会を終え、大半が寮に戻ろうとする中、隣の席に座っていた少女、いや幼女がいきなり僕に対して突っかかってきた。事実だけ述べようとするとそうなる。

 容姿は、まぁほとんど人間と変わらない子だ。顔も、多分この頃の子供にしては「可愛い」と言うより「美人」に分類されるのだと思う。あと、猫耳と尻尾。

 ……さらりと言ってみたけど、猫耳と尻尾。もちろん、可愛い装飾品じゃあない。実物――というか、本物と言うべきか。とりあえず、遺伝的な特徴ではあると思う。

 目の前のこの子のこの容姿から判別できること。つまり、どう見てもこの子はこの国の支配階級・リージョナ族の一員です。本当にありがとうございました。

 ………。

 




 この、島が無数にある世界は、一つ一つの島に固有の文化が多数ある。例えば、人族、つまり地球で言う人間は比較的数は多いものの、文化的にはばらばらだし、肌の色もばらばら。と言うのが隣り合う島同士でも発生するくらいの状況だ。

 と同時に、この世界で誕生した種族の内、獣人族と呼ばれる種族は、肌の色こそ変わず殆んどが白か、あって黄色なものの、代わりに色々な種族が存在する。

 例えば、犬に似たボロワカ族。兎に似たアーベルヌ族にリスに似たエル・シャード族エトセトラエトセトラ……。つまり、人間における肌の色や身体的特徴の違いが、獣人族では耳やら尻尾やらに出てくるって事だ。

 その中でも、リージョナによる人族帝国は、リージョナ環礁のリージョナリア島で誕生したリージョナ族主体の国家だった。少なくとも、歴史家たちはそう主張している。

 話を戻して何を言いたいのかと言えば、猫耳っ子=お偉いさんと言う恒等式が成立すると言うことが言いたかったわけ。だから、この状況の猫耳っ子のところに、目の前の女の子を代入してやれば、この子が一体どんな身分なのかって言うのはすぐに判る訳で。


 「どうなのだ?」


 済ました顔でそう訊いてくる目の前の女の子に僕はどう回答すればいいんだろうか。

 僕は必死に頭を回転させる。取り入って腰巾着になる――って言うのは僕の趣味には合わない。うん。楽そうだけどそれは厭だな。

 ってことは、ぺこぺこしたように話しかけるって言うのは論外。頭の外に追いやろう。じゃあ、どう対応するよ。

 僕は少女の顔をちらと一瞬だけ見た。冷めたような目だったけど、さっきの怜悧でそれでいて綺麗な発音から瞬時に考察した。

 つまりは、かなりの上級貴族ってことかもしれない。発音が上手いって事はそれだけ話すのに、それも家族のじゃれあいではなくきちんとした会話に慣れているってことだ。大方家庭教師辺りがずっと付いていたんだろう。ちなみに、この世界ではまだ幼稚園・保育園の類は存在していないから端から考慮には入れない。

 そして冷めたような目。つまり、僕に対する軽蔑なのか? でも、恨みを買うような覚えもない。

 と言うことは自身の優越を信じきっているってことか?


 「え、ええっと、君は何で?」


 僕は探りを入れてみた。すると。


 「……私が聞いているのだ。まずお前が答えるのが先だろう」


 これが彼女の返答だった。

 嫌な話だけど、僕の考察は大当たりだったらしい。どこかの貴族の令嬢か何かなんだろう。

 ただ。ただ、少しカチンと来た。何と言うか、高圧的な物腰に。

 多分、理由なんてものは無い感情だったんだとは思う。あえて理由をつけるとするなら、日本でそんな経験をすることなく過ごすって言う、いまから考えればものすごく幸運な生活を送れて居たからかな。ともかく、若干頭に血が上ってしまった。

 だけど、後に僕はどうしてあの時「下手に貴族に目をつけられると困る」って言う思考を行えなかったのか悔やんでみたりすることになる。

 ともかく。


 「へぇ、どうして? なんで僕が先に答えなきゃいけないのかな」


 僕はやってしまった。

 少女は明らかに動揺していた。猫耳がひくついている。多分、今までこんな風に返されたことなんか無かったんだろう。


 「そ、それは、こうきな者は先に訪ねることができると言う……」

 「ああ、そうでしたか。ごめんなさい、自己紹介も無かったからそうとは思わなくて」 


 悪びれず言ってみる。内心でやっちまったかとか思ってはいるけど、もう後には引けない。

 少女は、僕の言葉を理解するやいなや顔を真赤にして言った。


 「じ、自己紹介がまだとは何だ! そもそも、この耳を見ればどのような立場のものか判るだろ「ああ、同級生ですね」う……へ?」


 目を白黒させる少女に、反論する間を与えぬまま僕は続けた。


 「学ぼうとする意志を持って入学した同志ですよね。少なくとも初代皇帝陛下は学園を建てるときにそう仰ったそうですよ? なら、身分の高い低いもないんじゃないですか?」


 何故だかは分からない――いや、まず間違いなく僕が少女を言い負かしたからだろう。教室の温度が軽く十度は下がったような気がした。ついさっきまでぽつりぽつりと漏れていた話し声が消え去っている。

 少女は噛み付くような目で僕を見た。その瞳には若干涙が……涙?

 ここでようやく、僕は先ほどから感じていた何かをやってしまった感に説明を付ける事が出来た。


 一、確かに貴族の令嬢だとは言え、まだ六歳の女の子。

 一、勝気な彼女を思いっきり言い負かした。

 一、意地悪されたと感じた幼女の末路、よもや分からぬわけある無いな?


 ……わかりませんでした、サー。

 やべ、僕もしかして泣かせた!? 確実に泣かせたよな!? うわ、まだ入学初日だぜ? って言うか思い出した。僕この子が貴族の家柄だって考察してたよね?

 嫌がらせとかされたら……。

 やばいよね。潰れるよね、父さんの商会。


 「………」


 無言のままの少女。おそらく急激に蒼くなった顔をそれでも少女から逸らさない。ここで謝ってももう無駄なんだ。ええい、毒を喰らわば皿までだ!

 と、僕が悲壮な覚悟――正しく自業自得だったけど――を固めていると。

 だだだっと少女は涙を隠すようにして、扉の近くで固まっていた哀れなクラスメイトを押しのけ、走り去って行った。

 ………。

 さて、帰るか。


 「おい、おまえ」


 内心冷や汗たらたらで、鞄を引っつかんで自室に行こうとした刹那。後ろから話しかけられ、思わず体がびくっと反応する。


 「え、ええっと、君は?」

 「ヘルムート・ダン・レンスキー。さっき俺はさっき自己しょーかいしただろ?」


 ああ、レンスキー君か。さっきの学級会で同じ部屋に割り振られたって自己紹介された。


 「しっかし、おまえ勇気あるよなぁ」


 こちらは少女とはうって変わって親しげで、少し乱雑な口調。平たく言えばごくごく普通の六歳児の口調だ。


 「勇気って……さっきの女の子?」

 「っ! ば、ばか! 気安くそう呼ぶな、後でどうなるかわかんねーぞ?」


 顔を一気に蒼くして、目の前の少年が言った。


 「……そんな大貴族の子供だったの?」

 「………おまえ、まさかあのお方のこと知らねぇのか?」


 御方って言うのもまた。豪い尊敬表現だな。


 「うん。僕は誰だかわからなかったけど」

 「……おまえ、ほんとにこのクラスの生徒なのか?」


 信じられないと言わんばかりの表情で少年は言った。それは言いすぎだろう、とこの時の僕は思った。


 「……あのお方は貴族じゃねぇよ」

 「? じゃあ一体」


 貴族じゃないのに高貴な身分? と僕は思わず聞き返したのだけど。


 「帝族」


 レンスキー君の一言で凍りついた。……帝族?


 「帝国第四皇女殿下、マフィータ・ダン・リージョナリアさまだよ」


 ほぉ、帝国第四皇女殿下ねぇ。




 ………。




 ………………。





 ………………………。






 やっちまったああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
















後書き

 主人公、早速面倒事を起こすの巻。
 どうも、作者です。ようやくネコミミの登場ですが、まだあまり目立ってませんね。
 一応無難に纏めようと思って書き上げてみたんですか、如何ですかねぇ。若干無理があるって言われても仕方ないようなところもあったり……。と言うか、むしろ反論する主人公の方が子どもっぽいか?
 まぁ、それはそれとして。実はこの話、最初のプロットでは始めっから喧嘩って言うふうにはなってなかったんですよね。
 主人公がマフィータ皇女の事を知らないって言うのは共通なんですが、それで気軽に名前で呼んでしまい、それが縁で興味を持たれて……。
 はい、どうしてボツになったかお分かりいただけましたね。このままじゃインスパイアどころか丸パクリになると言う事実に愕然として、学園最初の段階でのプロット大幅に考え直す羽目になったのはいい思い出です。
 それでは以下レス返しです。

 >>ヒーヌ氏

 この世界の島々の閉鎖性ですが、他の地域はさておき列強が存在する地域では大半が強引に政治・経済ブロックに取り込まれるか、悪くすれば文化の押し付けなども起こっている時代が主人公の体感で言えば結構前にあったので、差し当たって問題になるほどの状況には至っていません。

 >>磁器氏

 ありがとうございます、ありがとうございます(大事なことなので(ry

 >>TOY氏

 うーん、どうなんでしょうか。
 確かに、現実生活が忙しくなってきているので一回あたりの文量を増すと投稿間隔がかなりあいてしまうんですよね。
 ただ、だからと言って文量少なめで良いやとか思うと、スキル<怠け癖>が発動してみるみる内に文量が雀の涙位になると言う未来が頭の中に浮かぶので、なるべく多めを心がけていくつもりではあるんですが。

 最後に、今回は前回とかなり時間があいてしまって申し訳ありませんでした。
 多分、今後は投稿間隔がもっと不規則かつ長期化するとは思うんですが、投げ出すつもりだけはありませんので、今後もよろしくお願いします。



[14989] 第一章 第二話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/05/24 23:14
                                                        同年 同月 翌日 セント・アルマーダギー学園 初等部寮

 




 






 学園の朝は早い。

 まず、起床は朝六時半。三十分程度で身支度その他を整えつつ、食堂で食事。

 朝食が終わったならば即座に鞄と教科用図書類を持って教室へ。

 と言うわけで。
 

 「……おーい、レンスキー君やーい。起きてくれよー」
 

 僕の学園生活二日目は、隣で寝ているルームメイトを起こすところから始まった。ちなみに現在時刻はご丁寧にも各部屋に一基ずつ備え付けられている柱時計によれば午前七時まであと十分。もう少しで食堂が開く時間だ。
 

 「……うーん、あと五時間……」
 

 テンプレどおりなのか、どこか間違っているのか判断しかねる拒絶の声と共に、レンスキーは僕の手を振り払ってまどろみの中に落ち込もうとしていた。

 と言うか、まぁこいつは論外だとしても、六歳児に六時起きって言うのは結構な苦行なような気がするんだけども。そこらへん、やっぱり異世界なのかと言うべきか、そもそも時代的に相違があるのか。
 

 「早く起きないと置いてくよ?」

 「うん……、って、あれ、いま何時だ?」

 「六時五十五分」
 

 時計を再び確認してから答えた。なんやかんやで五分は経過していたらしい。

 途端に顔を蒼ざめたレンスキー君を尻目に、僕はドアに手を掛け。
 

 「それじゃ、義務は果たした」

 「お、おい、ちょっとまってくれ! 見捨てないで!」
 

 もちろん耳を貸すわけがない。無慈悲に扉を閉め、廊下に出る。

 さて、早く食堂に並んでおかないと。昨日の夕食時の混乱で、早めに確保しておかないと不人気なメニューを食べさせられる羽目になるって言うのは分かっているんだから。

 おいてくなぁー! と言う幻聴を無視して、僕は食堂へと歩いて行った。
 
 





 「うう、Cランチかよ……」
 

 記憶は大人でも体は子供。この体の何処に吸収されたのかと自分自身ですら分からないくらいの量を食べた僕は、目の前でしくしく泣きながらCランチ――今日の残り物を食べているレンスキー相手にお茶を飲んでいた。もちろん紅茶だ。ちなみに、Cランチは僕がこの世界で生きてきた中でも、一二を争うぐらい美味しくなかった料理――塩を振りかけただけの、環礁特産海藻のサラダだ。濃口の味付けが好まれるリージョナ・ポリスでは珍しい薄味は、僕だけでなく父さんや、恐らく帝都の人間の大部分が苦手だ。ちなみに母さんは結構な好物らしいから、評価が両極端に分かれているようだけど。
 

 「まぁ、食べれるだけましでしょ」
 

 僕は横目で食堂の隅を見やった。そこには、六時起床と言う難事に耐える事の出来なかったものたちが、その失敗の大きさについて学習中だった。平たく言えば朝食抜きって奴だ。

 と言うか、ここの学園は色々と凄い。あの中には結構大き目の貴族の子弟もちらほらといるらしいのにばっさりだ。まぁ、権門意識丸出しの子供に成長するよりは遥かにましだろうけど、朝食抜きって日本じゃ「体罰だ!」って言われても仕方ないくらいのものなんだけどな。
 

 「そういう問題、じゃ、ねぇ……」
 

 涙目で言い返そうとしたレンスキー君だが、朝食抜き組みから鋭い視線で射抜かれ、語尾にかけて段々と声が小さくなり最後には沈黙してしまった。ただ黙々とCランチ頬張り続けている。

 ひたすらにナイフとフォークと茶器の音しかしない静寂を打ち破ったのは、何とかして持ち直したらしいレンスキー君の一言だった。
 

 「……ところで、おまえ皇女殿下の事どうするつもりなんだ?」

 「ぶっ!」

 「わ、きたねっ!」
 

 思わず紅茶を噴出してしまった僕は、きたねぇなとかいいながらもナプキンを差し出してくれたレンスキー君からそれを受け取る。なんだかんだでこういう心配りは出来るのだから、やっぱりここは只者の集まる学級じゃないんだなぁ。
 

 「……おまえと皇女殿下、席となり同士だろ? 顔を合わせねぇってわけにもいかないんだから、早めになんとかしとかないとやばいだろ」
 

 レンスキー君の言うことももっともだったが、僕はこころの中で思いっきり現実逃避していた。何で男女別学じゃないんだ! 僕は皇女殿下と顔つき合わせなきゃなんなくなるじゃん! 気まずいから、それすごく気まずいから!

 この世界、と言うかこの国は、さっき言ったみたいに男女別学なんて制度は存在しない。

 挙句、ある程度の上流階級に行ってもレディーファーストやら男尊女卑やらが全く存在しないらしい。

 この麗しい男女完全平等は、多分種としてのリージョナ族が根本的に一般的な人族と異なった性に対する認識があったからか、一般人族に比べて遥かに少ない人数で国家を回すための男女に違いがあるとか考えられなくなったから実現したんだろう。第一次世界大戦中、戦後の欧米における男女関係の変化が、もっと昔からもっと急速かつ急激に進んだようなものかもしれない。お陰さまで、僕はこうして男女共学の学園で一人憂鬱になる羽目になってるんだけど。

 ちなみに、完全な男女平等は素晴らしいって思っているそこの人。実際のところ、地球では男女の優劣のおかげか女性はそこまでしなくて済んだ重労働とか兵役とかもこの国では当たり前のようにさせられたから、この国が女性の天国とも言えないよ。男女不平等? 多分これが真の平等なんだろうと思うよ。個人的に地球の価値観で考えると理解しかねる状況だけど。
 

 「おーい、クレイリア。どうどう」
 

 なにやらレンスキー君から不本意な宥め声が聞こえてきた気がしないでもないが、とりあえず気持ちを落ち着かせる。落ち着け、落ち着くんだ、僕。
 

 「まぁ、がんばれよ。ひと事だからてきとーに応援してるぜ。じゃ、おれはもう教室に行くから」
 

 ……やっぱり妙に六歳児に似合わない話しぶりだよな、こいつら。で、落ち着いて今後の展開について考えるとだな……、ん? 教室?

 時計を見てみる。時計は午前七時五十分を指していた。硬直する。

 さて、食堂から自室まで戻り、どうせ時間はあるだろうと余裕をぶっこいて放置してあった教科書類を鞄に詰め込み、学園初等部の三階に存在する教室まで、八時五分までに行くには……。

 見れば、もはや食堂には誰も居らず、辛うじて様子を見ることのできる厨房では、コック達が何やら僕に言いたそうな顔をしている。

 引きつった顔に冷や汗が一筋流れた。屋内のはずなのに、乾いた風が吹いたような錯覚もした。深呼吸を一つ。よし、落ち着け、僕。各なる上は。
 

 「やっべぇ! 遅刻する!」
 

 どう考えても落ち着けていな情けない悲鳴をあげつつ、僕は全力で部屋への階段へと駆けた。

 
 





 ばたん、と大きな音と共に教室後ろ側の扉を開ける。最後ではなく、最初の陽の光が入り込む教室に疾風のごとく突入する。

 太宰治の名作が頭をよぎるけど、走ってきた理由は友を助けるとか言う崇高なものじゃ無いのが残念だ。もちろん、教室の中に竹馬の友は居ない。

 おおっとどよめくクラスメイト達の視線を浴びながら僕は自分の席に鞄を置き、椅子にへたり込んだ。時間は――、やった、ぎりぎりセーフ……。
 

 「よかったな、初日から遅刻しないですんで」
 

 ぎくりと右隣を見れば。帝国第四皇女殿下がにまにまと笑っていらっしゃいました。どうやら、暴君だけはきちんと存在したようで。
 

 「は、ははは、ありがとーございます、皇女殿下」

 「昨日はあれだけ言ってくれた口から、そんな敬称を聞けるとはめずらしいな」 
 

 ぎくぎくぎくっ!安堵の表情を浮かべたまま、顔の筋組織が硬直するのが感じ取れた。と、とりあえず何とかして取る繕わないと。
 

 「い、いやぁ~、昨日はまさか帝族の方だとは思わなくて「それがどうかしたのか? 我々は勉強のため集まった『どうし』とやらなのだろう?」………」
 

 やべ、完全にやっちまったかも知んね。これは、本気でまずいよな。と言うか、今六歳児にしてやられたよな、僕。揚げ足とられたよね?

 ………。

 段々と自分の顔が蒼くなって行くのを自覚しながら何も言わずに皇女を見つめていると、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた彼女は急に真顔になった。ん?一体どうしたんだ?僕、何かまたマズイことやっちゃいました?
 

 「……その、まぁなんだ。私も昨日の態度はまずかった。すまない」
 

 そう言って、彼女は頭を下げた。

 うん、正直意固地になって拒絶しにかかると思ってた。なんか、やっぱり帝族って一般人とは感覚その他が違うんだね。僕が小学一年の時にそんなのが出来た友人は確か居なかったし、そもそも僕自体出来なかったよ。そんな、頭を下げて、きっちりお辞儀して謝ってくれるなんて。
 

 ………。
 

 ……、ああ、頭を下げて謝ってくださる。勿体無きことです、殿下。ところで。帝族が一般人に頭を下げるって言うのは、かなり見栄えが悪いんですけどねぇ。

 遠巻きに見てる連中、ひそひそなにか言ってないでこの状況から救出してくれよ、頼むから。
 

 「それで、だな」
 

 一人だけ馬鹿みたいに焦っている僕を尻目に、皇女殿下はあっさりこう言いやがった。
 

 「わびもかねて、おまえに私の名前を呼ぶことを許す。マフィータと呼ぶが良いぞ」
 


 ………いやいやいやいやいやちょっと待て!
 

 「ちょ、それは流石に皇「ギロリ」……マフィータ」

 「よろしい」
 

 何やら一瞬、例える対象が思い浮かばないほど冷酷な目をしたような気がしないでもなかったけど、脳みそはその感覚を丁重に無視する事を決定した。

 思わず開いた口から乾いた笑い声が出てしまったけど、正直外聞なんか気にしている暇がなかった。とりあえず、この奇妙な硬直状態はHRを始めに先生が教室に入ってくるまで続くことになる。ちなみに、今の時刻は八時十二分。都合の悪いときに限って、先生ってやつは遅れてくるんだから学校ってのは大嫌いなんだ!

 





 「……しっかしおまえもさいなんだったな」
 

 時は夕食。今晩のメニュー、ヒラメに似た魚の蒸焼きをフォークで解体しながらレンスキー君は言った。
 

 「皇女殿下にファーストネームを許されるなんて、貴族でもそうはいないぜ」


 笑いながら蒸魚を口に運んだレンスキー君。むっときたから、魚の付けあわせにフォークを伸ばした。
 

 「あ、なにすんだよ」

 「こちとら、皇女殿下にファーストネーム許されてる珍しい人間だって言ったじゃないか。やんごとなき身分の者としての権利ってことで」

 「……きのう皇女殿下に言い放ったこと、もっぺん聞かせてやりたいよ」
 

 呆れたように言うレンスキー君。六歳児に呆れられる精神年齢三十近くの男性って言うのも変な絵だけどもう気にしない。慣れたし。そんなことを考えていると。
 

 「ところで、クレイリア」

 「ん?」

 「わざわざ君付けじゃなくて構わねぇよ。レンスキーで良い。それに、『やんごとないみぶん』とやらなんだろう?」
 

 とレンスキー君が言ってきた。思わず凝視してしまう。
 

 「まぁ、別に良いけど。どうしたんだ? いきなり」

 「……正直に言うけどな、おまえ。学級はおろか学年でももう注目の的だぜ?」
 

 ああなるほど、僕が注目の的だからか。……って、ちょっと待て。
 

 「……は?」

 「いやだから注目の的」
 

 怪訝な顔して聞き返すと、レンスキー君は小麦みたいな穀物を練って焼いた、つ
まりパンみたいな食物を手で千切りながら説明してくれた。
 

 「……おまえさ、皇女殿下呼び捨てにするやつがめずらしいって言ったんだから気付けよな。いいな、帝族の、皇帝陛下かそのご家族以外で帝族を呼び捨てにする立場にお前はなっちまったんだぞ? そんなの、よほど親しい大貴族でも居ないんだ。それが、おまえはどうだ?」

 「……呼び捨てだね」

 「わかっただろ? 注目の的になる理由」
 

 がっくりと、改めて自分のしでかしたことの拙さを痛感した。きっとあれは魔がさしていたんだ。そうに違いないんだ。
 

 「おかげで、学園中にものすごい勢いでおまえについてのあることないことが広まってるんだぞ? 学園長先生に見こまれたやつだ、とか。昔いなくなった大貴族のまつえーだ、とか。まぁ、どうせウソの話なんだろうけどな」
 

 ……確かにあることないことだな。と言うか、むしろ「あること」がこんなに素早く知りわたられるっていうのはかなりの恐怖だな、こりゃ。

 っと、ちょっと待て。もしかして、名前を呼ばせたのってこう持ってこさせるためだったりしたのか?もしかして、凄まじく面倒くさいことに巻き込まれたんじゃないの?僕。
 

 「……忠告ありがとう」
 

 後悔うずめく頭の混乱を無理やり抑えて、僕は何とか感謝の言葉を伝える。
 

 「お礼はあしたのAランチかくほで」

 「……わかったよ、レンスキー」
 

 よっしゃぁ、と声には出さずとも丸わかりなリアクションをし、嬉々として魚の蒸し焼きの解体作業に戻っていった。
 
 











 かくして、僕の入学早々の騒ぎは一段落した。

 この後も暫くは皇女殿下――ああ、マフィータと云々と言う噂は流れるだろうけど、人の噂も七十五日ってやつだ。どうせ、そのうちその手の話もなくなるだろうし。

 そんな訳で、僕が学園生活へ溶け込もうとしていたこの頃、既にこの世界の国際社会は流動を開始していた。

 無線をはじめとする長距離通信手段が伝令以外存在しないこの世界で、僕がそのことを知るのは大分後のことだったけれども、春が非常にゆっくりと過ぎ始めたんだ。それこそ十年単位で夏に向かって。もちろん、「夏」と言う名詞の前に「戦争の」という修飾語がひっついたそれに。






















 







 後書き

 主人公、何やら面倒な事態に巻き込まれるの巻き。
 と言うか、学園編を進めていると主人公と普通に会話できるやつがチラホラと。……主人公が子供なのか、集まってる連中が常人じゃないのか。
 また、最後でちらっと触れましたが次回辺りから日常の合間に政治だの戦争だの言う茶番劇が挿入されます。尤も、頻度はそんなに高くならない予定ですが。
 では、レス返しです。

 


 >>アントン氏

 電撃的な皇女との和解は、ちょっと急かしすぎましたかね?尤も、ここでグダグダ長引かせても結果は同じになってしまうんですが。
 腕のいい職人たちは……後々出てきますね。……それまで続けれるかな(ぼそっ

 >>無虚氏

 わざわざ図入りの説明、ありがとうございます。
 まぁ、環礁以外は普通に井戸水やら日本的な急流やらあるので、水についてはそこまで思いつめなくてもなんとかなるかな。
 ……帝都どうしよう。

 >>oimo氏・マチ氏

 幕間ですが、今後本編の伏線になったりすることは断じて無いと宣言します。ですから、読んでられんと思った方は飛ばしてもらってオールオッケーです。
 ただ、幕間で説明してるしと本編で詳しい説明をすっとばすことがあり得るので、そこんところはご了承ください。
 ちなみに、海洋生物ですが……一応、出ます。まぁ、そこまで航海の驚異になりそうな(突如として大蛸が船沈めたりとか)は無いのであしからず。え、それ異世界っぽい海洋生物と違う? 気にしたら負けですよ。

 


 では、次回は少し毛色が変わって、序章最後のあの諸島が舞台になります。ではノシ。



[14989] 第一章 第三話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/05/24 23:19
                                           帝国暦同年 皇紀1298年 秋津皇国 金門(旧魚門)諸島沖 一月二十六日 浜松屋所有帆船<ぽりす丸>

 











 浜松屋は、秋津皇国皇都<大安京>に本社を置く鉱石商だった。創業は皇紀1174年、皇国で立憲革命が起こる十年前で、その革命では革命側に付いて多額の資金援助を行ったことでも知られている。

 創業主の浜松九兵衛は、皇都近郊の地主の長男として生まれた。彼は先祖達がみなそうであった様に、地主として家を維持することだけを期待されて育っていくのだが、彼が十歳のとき、これは珍しいと言って滅多に散在しない父親が母親に送ったとある宝石が彼の目を釘付けにした。金剛石である。

 その日から、九兵衛少年の将来は変わった。彼は子供らしい純粋さで、自分も商人に、それも鉱石を扱う商人になればそれらに埋もれて暮らせるのだと考え、すぐさま実行に移ろうとしたが頓挫した。息子の様子に異常を感じた父親に詰問され、大目玉を喰らったのだ。父親にとって、自身の人生とは先祖伝来の土地を守ることであり、であるならば息子も当然であると考えていたのである。

 これを境に、九兵衛は表面的には鉱石商人云々などと言う、父親に言わせれば戯れ言を吐かなくなったし、金剛石を良く見てみたり、或いはそれについて書かれた書物を盗み見たりもしなくなった。父親は息子の道が正しい道へと戻ったことに安堵と満足を覚え――急死した。流行り病で、誰にも予期できぬ死だった。彼が九兵衛を正しい道に戻したと信じた日から五年後、九兵衛十五歳のときだった。

 父親の葬式が終わり、正式に九兵衛が跡取りとなったのはその六日後であり、この日を持って地主としての浜松家は終わりを迎えることとなる。

 跡取りとなってすぐ、九兵衛は誰にも相談せずに自宅を除く全ての土地と父親がちまちまと買い集めていた骨董品類、更には家宝と称して蔵に置かれていた九兵衛の言う「がらくた」をすべて売却した。もちろん母親は大反対したが、人族帝国と違って男性優位の国家だった秋津では、跡取りとなった瞬間母親よりも九兵衛のほうが優位に立つことになる。九兵衛の行動は、何の問題も無かった。

 茫然自失した彼の母親に、九兵衛は歓喜をあらわにした表情で楽しげに言った。大丈夫。俺に任せればこの家をもっとでかく出来る。あんたの息子を少しは信用してくれ。母親の心中が穏やかでないことだけは確かだったが、上記の理由から彼女はただただ頷くしかなかった。

 さて、こうして籠の中の鳥から自由に空を羽ばたく鳥へと昇華した彼だったが、だからと言って安穏とできるわけではなかった。籠が無い代わり、そこら中に天敵や猟師が居るからだ。

 当時の秋津皇国は商業的に閉鎖されていた。どういうことかといえば、門と呼ばれた同業者集団が鉄よりも硬い結束で都市の商業的利権を握っていのだ。門に加盟している者たちはそれ以外の同業者を集団で阻害し、自分達は価格の安定などを図ることで経営を安定化させていた。

 この門による独占状態の中、九兵衛は賭けに出た。自らを門の加護を受けない立場に置き、海外鉱山と秘密裏に契約を結んだのだ(当時、門による不文律の取り決めによれば、国有鉱山を優先的に取引先とすることで当時の皇国上層部からの保護を受けられるようにしていた)。

 海外、主に人族帝国や龍族評議会連邦の各鉱山会社・鉱山経営を行っている貴族達は零細と言って全く差し支えない浜松屋からの要請に首を傾げたが、彼らの伝えた内容や人族帝国・龍族評議会連邦政府が関係各機関へ極秘に流した情報を受け取って納得した。浜松屋――と言うより皇国の一部商人たちが、あろうことか皇国内で立憲革命を目論んでいたのだ。

 




 後世、特に皇紀1300年代において、秋津皇国を大きく変えた立憲革命についての論文は、秋津皇国かそうでないかの立場から綺麗に二分された。

 前者は、立憲革命が当時の公家・武家による連合政府に対する民衆の反感から起こった、自由と平等を求めた市民革命であると主張した。

 一方、後者の見解は全く異なっていた。彼らは、この市民革命の本質は時の資本家達の動きにあったと断定していた。そして、それには前者とは違い確たる証拠があった。

 確かに、当時の民衆ががちがちに硬直した皇国政府を嫌っていたと言うのは疑いのない事実ではあった。あったのだが、だからと言って政府に叛旗を翻そうと言う思想には至っていなかった。これは、文化として存在していたさまざまな慣習が原因であったから、必ずしも秋津国民が権力に対して従順だったことを表しているわけではないが、であるからこそなおさらその傾向は顕著だった。前者側の主張の根幹となっている、革命直前期の暴動件数の増加も、長期的な政府打倒より短期的に自分達の食い扶持を確保するための、言わば政府に対しての労働争議と言う面の方が大きかった。

 では、後者側の確たる証拠とは一体何か。それは、革命に参加した主要人物の経歴・職種を見れば一目瞭然だ。全員が何かしらの会社を持っていたのだから。

 例えば、当時皇国の造船屋の中で、門に所属せず一人気勢を吐いていた四十物吉之助。例えば、家畜問屋であまりに傍若無人な行いをしたため門を追い出された合川又兵衛。例えば、こちらは門を構えているものの、今までの慣例を無視した運営で他の業種から嫌われていた兵器鍛冶屋の岩代文左衛門。革命の思想に賛同した軍人・地方豪族を除いた民間出身者は、大抵当時の慣習なり制度なりから嫌われ、或いはそれを憎んでいた新進気鋭の資本家ばかりだったのである。

 そう。この立憲革命の本質は、既存の閉塞した環境を開放することによりさらなる経済の拡大を図り、国を富ませ――可能な限り自分達の懐を肥えさせる。そのようなものだったのだ。

 




 浜松屋からの、というより自分達の国の情報機関が掴んだ裏付け情報を手にした鉱山の所有者達は、浜松屋の行動を納得すると同時に喜んで契約することを確約した。当時の秋津皇国は鎖国をしているわけではなかったが、前述の特異な体制によって商人たちの開拓地にはどうしても不足していた。新たな貿易先、それも巨大とまでは行かないがそこそこの国土を持つ国家の誕生とは、上昇志向を持つ彼らにとってはそれほど魅力的だったのだ。 この成功を受けて、革命側は浜松屋を介した武器の密貿易を開始し、秋津政府上層部(当時の名称で言えば、花町府)の監視が及ばぬところで一気に勢力を拡大させ、時期を待った。

 結論から言えば、彼らが待ち望んだ時期とやらは比較的早くやってきた。皇紀1183年、後に東方海嶺と呼ばれる海嶺上に存在したラクート火山の大噴火による気候変動で、世界的な冷害が発生したのである。

 翌84年、冷害による飢饉の発生によって爆発した皇国花町府への不満は、革命側の積極的な活動によって一つの濁流と化し、同年三月六日の獄野大牢襲撃に始まる立憲革命が始まることとなる。

 詳しい革命の様子は割愛し話を戻すが、ともかく一連の革命によってそれまで実権を握っていた花町府は崩壊。新たに海皇を名目元首とし、議会から選出された宰相を実質的な国の代表とする民主政体の新政府が誕生することとなり、それまで幅を利かせていた門も政府の保護が消滅したため事実上消滅し(結局、同業者集団が生き残りを模索する形での吸収合併が多数あったため、「○○門」という名称だけは長く残ることとなる)、ここに皇国史上久しぶりの開かれた商業が始まることになる。そして、これこそが浜松屋の狙っていたことだった。

 浜松屋は、同業者中で唯一新政府の側につき、尚且つ武器輸入の際に果たした役割も大きかったため、だからこそ受けられた多額の援助と事前に交わしていた海外鉱山との協定に従い、即座に貿易を開始。海外の良質な鉱石の輸入や、旧政府所有の鉱山を破格の値段で購入できたために行えた鉱石の輸出で利益を出しつつ、社の成長速度を早めて行った。

 国と協力しつつ、遂には宝石関係の鉱石資源にまで手を出した九兵衛は、満足のままこの世を去った。享年56、皇紀1212年の春のことだった。

 九兵衛の死後、会社は更に発展を遂げていた。国外からの鉄輸入や、国内に眠る各種鉱物の輸出。やっていることはほとんど変わっていなかったが、規模だけは創業時の何十倍にも膨れ上がっていた。また、1253年に制定された「遺産分与法」の影響の下断行された社の合資会社化の影響もあり、その速度はますます増していた。

 その膨れ上がった資本力を投じて、浜松屋が皇紀1297年ころ行った事業の中に「金門諸島における金剛石鉱山開発」というものがあった。

 




 かつて、と言っても一年ほど前のことであったが、魚門諸島と呼ばれていた秋津皇国最辺境の地が急に脚光を浴びるようになったのは、名称変更の原因と同一のある事件が発端だった。魚門諸島魚門島(現・金門諸島金門島)で、金剛石が出たのだ。

 既に単なる鉱石屋ではなく、鉱山経営なども行っていた浜松屋はこの話に食いつき、お抱えの調査団を即座に送り込んだのだが、状況は彼らの想像をも超越していた。綺麗に集落を避けた中央の火山一帯に金剛石が埋まっていることを発見したからだ。

 挙句、他の島からも続々と金剛石発見の報が入ったのだから、浜松屋の行動は決まっていた。即刻社を挙げた魚門島鉱山開発が開始されることになる。

 当初はその内地からの距離と、周辺住民の反発という大きな不安から正式に稼動するまでに四五年は掛かるんじゃないかという下馬評が出回っていたこの鉱山開発だったが、蓋を開けてみれば積極的な住民の協力によって、正に辺境と言う二文字が相応しかった当地は大発展を遂げていた。

 例えば、金門島唯一の町だった井伊町は鉱山労働者の寝泊りする町として日々拡大の一途を辿っていたし、井伊町にあった漁港も、元々港に適した地形だったこともあって金剛石輸送船停泊用の大規模な港にその姿を大きく変えていた。

 その港湾設備により船倉一杯に金剛石の原石を詰め込んだ浜松屋船籍<ぽりす丸>は、金門諸島から東に四浬ほど行った地点を航行していた。幸運なことに風は完全な追い風で、積荷の所為で重くどっぷりと沈み込んだ船体をそれなりの速度で内地に向けて運んでいたのだが、波が荒れていた。と言ってもそこまで珍しい話でもない。この海域は年がら年中荒れることで有名であり、だからこそ船乗り達はこの海域を航海するのを嫌がっていた。

 もしこの海域で嵐にでもあえば、それこそひとたまりもない。それが嫌悪される所以であったが、その観点から見ればこの日はまだついていた方だった。少なくとも、空模様だけは雲ひとつない晴天と言ってよかった。

 そんな海域を航海していた浜松屋船籍<ぽりす丸>は、前方から来た波によって持ち上げられ――豪快に水しぶきを上げた。舳先に落ちてきた水がかかる。

 それを見ていた一人の船乗りが、唐突に近くに置いてあった樽を引っつかみ、蒼いを通り越して蒼白な顔面を向けた――そこまで見て、不意に後甲板に居た男は顔を背けた。部下が戻している場面を見るというのは船長の責務の外にあるということを思い出したからだった。

 普通船乗りは船酔いなどしないと思われているが、残念ながら現実は異なっていた。大体、船乗りが人気の職業である理由はとにかく他の職業よりは給料が良いし飯も美味いし……というようなものだったから、後先考えずに就職するものも多かった。その為、流石に航海する度に吐き通しなどと言う者は少なかったが、少し海が荒れただけで顔面を蒼白にする程度の者はどんな船にも少なからず存在してしまう。

 男――<ぽりす丸>船長は、幸運にも船に対してその様な弱点が無い人間だった。彼は目の前で起こっている地獄絵図がとりあえず自分に降りかかってこないことを神に感謝した後、後甲板後部の扉へと手を掛けた。

 船内の通路を少し行くと、一つだけ他と違う豪華さ――と言っても、そこまで派手なものでもないが――を持つ扉が見える。船長室の扉だ。船長は、その扉を開けた。
 

 「あ、お疲れ様です」
 

 それまで羽織っていた外套を衣紋掛けに掛けていると、妙に軽い声が彼の耳に入った。振り向いた彼は、苦笑しつつ言った。
 

 「お疲れ様はお前だろう。海図との睨めっこには飽きたのか?」

 「ここを抜けないことには。第一、ここの敵は風と波ですからね。水夫長の面目躍如と言ったところで」
 

 長期航海用の安物の茶を飲みつつ、<ぽりす丸>の航海長は楽しげに応じた。

 確かに、操船を部下の熟練した者に任せてしまえば、船上の仕事は帆を張るくらいしかない。そうなれば、事前に航海の計画を練って、海図に線を引いて……が生業の航海長に出る幕は無かった。

 船長が連合王国製の長椅子に腰を下ろすと、机を挟んで向かい側に航海長も座った。
 

 「……しかし、地獄絵図だったでしょう?」
 

 湯飲みの中に残っていたらしい最後の茶を一気に飲み干した航海長は、相変わらずの口調で訊いた。
 

 「航路がこうなってからは分かりきっていたことだ」
 

 船長はため息をついた。正直、あまり触れたくない話題だった。
 

 「上に文句を言いたくなるよ、全く」

 「給料が減りますよ?」

 「だから、文句は未だ頭の中を出ず、さ。ふん、経費の多少の増加くらいで新航路を無理やり作り出しやがって。無駄なことせず、従来の航路を使えばよかったんだ」

 「全面的に同意しますが、まぁ、無理な話でしょうね。小型船は使えませんが、本船くらいの大きさならこの程度の波で沈没はありえませんし、座礁しそうな危険域からも離れてますし」

 




 船長と航海長の会話は、<ぽりす丸>が何故この嫌われ者の海域を通過しなければならないかを如実に表していた。

 確かに、この海域に好んで足を踏み入れる船は、小は漁船から大は大型商船まで存在しなかったし、漁船程度なら簡単に転覆沈没するほどの波が高頻度で発生することは事実であった。であるからこそ、金門諸島は人族連合王国との交易路から外れていたのである。そして、この為にそれほど深刻ではないが、無視することが出来るほど小さくも無い問題が発生することになる。金門諸島―内地間の航路問題だ。

 この海域は、金門諸島と内地の間に横たわるようにして存在しており、よってこの海域を避けるような交易路が制定されたのは前述の通りだが、そうすると金門諸島―内地間の連絡は付近一帯の中継港で、かつ内地との航路が一番短い津島の港を使わざるを得なかった。津島―金門諸島間は生活物資運搬用の航路が出来ていたからそれをそっくりそのまま代用すればよかったし、津島まで至ってしまえば後は既存の交易路を利用するだけだ。当初は何も問題ないように思われた。

 しかし、実際にその交易路を使用したところ、ある問題が浮上した。航海にかかる日数の増大である。

 そもそも、津島―内地間の移動にかかる日数が約八日。津島―金門諸島間の移動で約四日。ところが、この海域を直接通った場合、金門諸島―内地間の移動は六日ですむのだ。 この不可解な現象は、金門諸島が余りに交易路から離れていたことが一番の原因であった。金門諸島から津島や、その他の主要中継港に向かうとどうしても一旦内地から離れてしまうことになるのだ。

 こうなると、当初無難に津島経由路で……と考えていた浜松屋上層部も考え方が変わる。金門諸島―内地間の移動日数を計測したのが浜松屋が保有している秋津標準船(実質は、帝国標準帆船の不完全な模倣を試行錯誤で改良したもの)だったと言うのも彼らの変心を大いに援護した。

 当然泡を食って反対したのは浜松屋所属の船乗りだったが、実際のところ座礁の恐れがある環礁などからは離れており、大型船なら苦もなくとは行かないまでも事故無く運行するならある程度可能と言う現実が彼らの反論を封じ込めた。出せると確信を持っていえる利益を踏みにじったとなれば、合資会社の性だ。確実に出資者から難癖をつけられ、路頭に迷いかねない。

 かくして、新航路が開拓されたわけだったが、上層部と出資者たちの目論見どおり今のところ難破や座礁と行った重大事故は発生していなかった。もっとも、船乗り達はご覧の有様だったけれども。

 




 また一つ波を乗り越え、老朽船とは言えないまでも新造船とは口が裂けてもいえない建造年数を持つ<ぽりす丸>は、危なげない動きで左舷側に頭を振った。

 同時に、熟練した水夫達によって帆が動かされ、もっとも風を孕ませる位置へと調節される。

 <ぽりす丸>は名前の通り人族帝国帝都<リージョナ・ポリス>との定期航路を維持するために建造された船だった。この航路に新造船やら何やらが更に加わり、結果として金門諸島との航路に従事するようになったのはついこの間のことだったが、<ポリス>との長期航海になれた彼らにとってこの程度は赤子の手を捻るようだった。

 その様子を、船長は満足げな様子で見つめていた。航海長が提出した予定航海計画と照らし合わせれば、確かに計画に有能と言って何ら問題ない航海長が海の荒れ具合を考慮に入れていたとはいえ順調そのものと言っていい経過だったからだ。

 その予定と見張りの報告双方が、目の前の島は白羽島であることを肯定していた。白羽島は岩と雀の涙程度に生えた木で構成された島と言うより岩の塊で、白い羽をした渡り鳥が渡りの途中に集団で羽を休めている様から名が付いた島だった。また、船乗りの視点に立てば、この海域で唯一警戒すべき障害物であるとも言える。

 もっとも、その警戒すべき障害物は先の取舵一杯――右へ三十度の回頭によって完全によけることに成功している。この時、<ぽりす丸>乗組員の誰もがこの航海に暗雲たる思いで臨んでいなかったことは確かだった。この時までは。

 事態が急変したのは、白羽島北側を<ぽりす丸>右舷側に臨みつつ急速に通過しようとした正にその時だった。
 

 「島影より船影! 数一つ!」

 「船影?」

 
 見張り員の張り上げた声に、船長は思わず聞き返した。白羽島は先述したとおり無人島であり、この近辺で唯一の危険区域であるから付近住民の漁船と言う可能性は低いし、そもそもこんな荒れた海には誰も出てこないはずである。
 

 「大きさ……結構でかいです、漁船じゃありません! 艦舷に大砲を確認!」

 「大砲だと!」

 
 慌てて遠見筒を覗き込んだ船長は、呻いた。おそらく軽快汎用艦(フリゲート)級、それも比較的大型の部類に属するそれが彼の網膜に焼きついた。

 軍旗はどこだ。船長は必死にそれを探した。だが、彼の目に五弁の御紋が映ることは無かった。まず間違いなく、秋津に敵対的な武装船だった。
 

 「船長」
 

 一足早く落ち着きを取り戻した航海長は、船長に進言した。
 

 「このまま突っ切りましょう。風もほぼ追い風ですし、下手に進路を変更しても重いこの船では」

 「……わかった」
 

 この男には珍しく、矢継ぎ早に船長にまくし立てた航海長だったが、それだけ焦っていたのだろう。残念なことに、船長にそれを把握するほどの心の余裕は無かったが。
 

 「帆を目一杯広げろ! とにかく奴から逃げ切る! 操舵、俺に代われ」
 

 ともかく命じられることはそれだけだった。船の細かい取り回しで<ぽりす丸>が軽快汎用艦級に敵うはずが無いし、そもそも速力ですら負けている。唯一の勝機は、敵武装船が小型であるが故に波に揉まれて沈むことくらいのものだった。

 ともかく離れてしまえばこっちのものだ、船長は縋る様に舵輪を握り締めて思った。奴はこの船の拿捕を目指して行動するはずだ。となれば、よほどの場合を除いてこの船を沈めようとすることも無いだろう。一番の脅威は白兵戦に持ち込まれたときだが……、そうならないように急ぐほか無い。

 船が出来るだけ追い風を受けれるよう進路を微調整した船長は、忌まわしい敵船の方向を向いた。
 

 「相手船、撃ってきやがった!」
 

 見張り員が叫び、遅れて水柱が立つ。その腕前はお世辞にも上手いとは言えそうにもないもののようにも思えたが、距離500間超なら普通程度と言ってよかった。

 脅しだな。風の変化に対応して微調整を更に続けつつ船長は断定した。つまり、自分達は狙われていると思わせることで戦意を削ごうってわけか。
 

 「浮き足立つな。あたりゃせん」
 

 むしろ自分に言い聞かせつつ、船長は周囲を確認した。今まで間近にあった島影が急速に離れていくのがはっきりと見て取れた。

 敵船が、先ほど撃った艦首追撃砲ではなく、右舷に並べた大砲を撃ったのは次の瞬間だった。

 先ほどと比べて長射程で放たれることを想定されたその砲は、<ぽりす丸>には一発も当てることは出来なかったが、それでも先ほどとは違い、彼女の周囲に砲弾を撒き散らした。おそらく鎖弾だろうと船長はあたりを付け、それは事実だった。

 敵軽快汎用艦は、<ぽりす丸>艦尾側を通り抜けた直後右方向への回頭に移る。今度は左舷を<ぽりす丸>に向けて再び砲を放つか――あわよくば衝角を突き刺して白兵戦にもちこもうと言うことを隠そうともしない運動だった。

 何よりも腹立たしいのは、船長はこちらも面舵を取りつつ思った。こうやって回避する以外に自分達は何もできないと言うことだ。獲物めがけて手を尽くす狼と、逃げ惑う哀れな子羊。<リージョナ・ポリス>との定期航海のときは対海賊用に、お飾り程度だったが砲も備えていたのだから噛み付くぐらいは出来たが、今はそれすらも出来ない。

 船長の面舵と言う判断は、絶対的劣勢を覆すほどの力はもちろんなかった物の、短期的には成功したといってよかった。

 艦尾を狙う進路についていた敵は、その意図を断念し同航砲戦に移るしか手がなくなったからだ。但し、<ぽりす丸>が危地を脱したわけでもない。

 瞬く間に<ぽりす丸>の右舷に船をぴたりと付けて来た敵は、船長が取舵を目一杯取る前に<ぽりす丸>に戸板のような渡しをかけ、白兵部隊を一気に展開させた。<ぽりす丸>がすべての抵抗を諦めたのは、それから数分と経たぬ時のことだった。


 











 人族連合王国、父なる大地<霊峰大陸>に栄えた七つの王国が連合して構成されているこの国は、元々海事に対してそこまで熱心な国家ではなかった。

 理由は数多あるが、大別して二つに分けられる。一つは、彼らの本拠地<霊峰大陸>が堅牢な山々と急流によって別け隔てられているものの、規模としては世界最大の陸地であり、であるからこそ七つの国家が存在したためである。

 列国間の競争は、この世界において稀な陸上技術の発展を齎したが、それとは反対に海上技術はこの大陸上の国家以外の全てに劣っていたのだ。

 そして、二つ目の理由が、その七カ国のうちもっとも海事に精通していた国家が、二百年前の戦争、「七王国統一戦争」で現在の主流各国に対して最後まで抵抗していたためであった。現在七カ国の長として君臨する慧王国は、その面子の問題からその国家の技術を一切用いない海上技術開発を行わせていたのだ。

 こうした理由で人族連合王国は、本国の規模に比べて遥かに小さい規模の海外進出しか遂げていなかったのだが、四十年前、連合王国最大の港・海園市で一隻の大型帆船が就役したことにより拡張の時代を迎えていた。

 その広がり行く祖国の誇り、連合王国海軍東方艦隊所属の巡防艦<華・六>の甲板上で、<華・六>艦長・楊羽王国騎士大尉は、自分の船に運ばれてくる金剛石と、その間間に紛れている金色の物体を、『任務』の為に仕方なく着込んだ薄汚れた服を気にしながら、冷めた目で見つめていた。

 楊は、元々好き好んで船乗りになった人間ではなかった。「王国騎士」の称号が示すように、彼の家は代々軍人、それも騎兵将校を輩出してきた由緒ある家柄だった。その家系で育った彼も、当然の如く父や祖父と同じ騎兵将校を目指し幼少期を過ごした。もちろん、その頃の彼には軍の騎兵枠が減らされるなどと言う将来を予測する能力などは存在しない。

 そんな彼が、貴族にはお世辞にも似つかわしいとは言えない姿に身を包んで、秋津皇国領海に存在していたのは、ひとえに国家という存在の張り巡らせた罠にかかってしまったからだ。

 連合王国が陸軍偏重から海軍偏重へ軍備整備の方針を変更したのは、四十年前の大型帆船、「王双式航洋型」と呼ばれる帆船の就役からだった。

 前述した通りこれの就役で始まった連合王国の拡張は、その交易路を防衛するための大規模海軍拡張を必要とし、必然的にそのしわ寄せが存在意義が本国や植民地の拠点守備くらいに減少した陸上部隊に押し寄せる結果となった。

 情勢の変化に最後まで抵抗しようとした陸軍だったが、政府首脳部・貴族・王族そして国民世論のすべてがその抵抗の意図をくじいたことにより、結局従わざるを得なくなる。これが、十二年前の話である。

 その陸軍が更に貧乏くじを引く部隊を選別した結果、最終的に大規模な軍縮が断行されるに至ったのは、連合王国唯一の兵科、騎兵であった。

 そもそも連合王国で騎兵が発達したのは街が発達した平野部での戦闘を決定づけるための機動力が必要とされたためで、以前から堅牢な山地を抜ける際にはむしろ邪魔者として扱われる傾向が大きかったし、それに加えて統一戦争からこの方大規模内乱の発生すらなく、本国ですらもう銃兵と砲兵だけでことが足りるのではないかと言う意見が主流を占めていたのだが、これから陸上部隊に求められる作戦行動がそこら辺の小島への上陸などと言う有様では騎兵の使いようがなかったのだ。

 かくして連合王国において騎兵と言う特異な兵科が徹底的に減らされる目に遭っていたのだが、これだけならばまだ楊にも騎兵将校となれる機会が残っていた。その一握りの希望が脆くも崩れ去った原因は、皮肉なことに騎兵の見せる威容と言う、少年時代の彼が憧れたそれが原因だった。

 騎兵が連合王国で愛用されたもうひとつの理由。それは、見栄えがいいと言うことだった。他の島に比べ遥かに広大な土地で育つ霊峰馬は、馬格もよく、それに過剰宝飾された王侯貴族が乗れば民に対してこれ以上ない広報となるのだ。自分たちの国の将軍は、国王はこんなに強いのだと。

 そして、長年の騎兵のこう言った運用により、当の王侯貴族たちの間にも軍指揮は騎乗して行うべし、と言う伝統が出来上がってしまったのだ。

 そこに振ってわいたのが、騎兵の大規模縮小である。

 各王国王族や大貴族たちが、我先に見栄えのいい兵科、つまり騎兵に群がった。もちろん適正による審査もされたが、僅差では王族や大貴族と言った身分が尊重され、気づけば騎兵将校は彼らで埋まっていたのだ。

 楊は、悪くない成績で軍士官学校へ入学したのだが、こう言った事情により騎兵将校への道を失ってしまったのだった。

 失意のどん底にあった彼だが、現実は冷酷に彼に対して軍人貴族たる義務の遂行を要求した。

 彼に示されたのは、三つの道だった。銃兵部隊の指揮官となりたいか、砲兵部隊の指揮官となりたいか、それとも――海軍で、艦艇指揮官となるか?

 彼に、泥にまみれて進軍したり、戦場の後方からただ弾を放つという趣味はなかった。

 こうして海軍へと進路を決定した楊だったが、だからと言って船に乗るのも趣味ではなく、ただ他よりましだったから来たまでと言う楊は不真面目とまでは行かずとも、そこまで身を入れず士官学校を王国暦213年に卒業した。席次は六十三人中四十一番。とてもではないが、出世街道に乗れる成績ではなかった。

 そんな彼が若干二十八歳にして大尉と言う階級になり、挙句一つ船を任されているのは、彼が自分の思っている以上に闘争的な性格だったからだった。

 彼が二十一歳の時、獣族蛮域との航路上に存在する海賊の根城を潰す戦闘において彼の乗艦が被弾。運が悪いことに艦長戦死、その他の士官が全員死傷と言う自体に陥ったことがあった。

 その中で、一人士官として生き残った彼は、その状況下で追撃に出てきた海賊側の船を一隻拿捕すると言う大戦果を挙げた。無論、この戦果には艦隊を組んでいた他の艦や、司令の指揮が秀逸だったと言う点ももちろん含まれているものの、だからと言って彼の勇気と能力の証明にならないと主張するものはいなかった。彼は、接舷すると同時に真っ先に敵船に切り込み、これだけはなんとか血筋を受け継いだ鋭剣捌きで数人を斬り殺してすらいた。

 上層部は、これを格好の宣伝材料とした。陸軍の血筋に生まれたが、海軍に転向した不運なものながら、王国のため、国王陛下のため、そしてなにより国民のために尽力した勇者を讃えよ! 国民諸君よ、彼のような勇者たれ!

 彼自身は余りいい思いをしてはいなかったし、宣伝内容も怪しいものだと思っていたが、艦隊司令や彼の指揮した兵たちは彼を何故か絶賛していた。兵たちはあまり艦長と馬が合わず、兵たちにも尊大な態度で接さなかった気の弱そうな新品少尉が示した勇姿をしっかりと記憶していたし、艦隊司令は艦隊司令で海軍軍人たるもの率先突撃すべしが信条のような男だったから尚更だった。

 結局、本人の意向やらなにやらが全く蚊帳の外におかれたまま事態は推移していき、あれよあれよと言う間に彼は大尉の階級章を付けて新造の<華>級巡防艦の艦橋に立っている自分を発見した。何もかもが彼の予想を超えていた。彼にできたのは、ただ階級に合わせて自身を演じることだけだった。

 




 「艦長」
 

 搬入も粗方終わり、艦内に戻ろうとしたとき、横から声がかかった。副長の董苑中尉だった。こちらも、楊と同じく所々が破れた衣服――と言うか、衣服だったものを纏っている。
 

 「搬入した物資の中に、上が所望のものありましたよ」
 

 どうやら報告に来たらしかった彼は、今まで楊が見下ろしていた箇所を自身も見つめながら続けた。そこでは、この『任務』のためだけに集められた多種多様な人種が、本職の軍人たちに見守られながら金剛石で満杯の箱を運ぶと言う作業を繰り返している。その誰も彼もがとても軍隊や、国家の一機関に属しているものとは到底思えないような服装をしている点を除けば、まさに満足すべき作業状況だった。
 

 「とりあえず金剛石とは選別して保管させました。それと、拿捕した船の乗組員は手筈通りに」
 

 この場合の手筈とは、当面生きられる分の水と食料を渡した後、橈艇に乗せて流すと言う事を指す。「穴の開いた海」でなら船ごと返すのだが、今回は周囲に島が多い。漕げば有人島には容易く辿りつけるはずだった。
 

 「しかし、良く溜め込んでましたね、あんな量」


 董は嘆息を漏らした。「あれはまぁ少量でしたけど、金剛石は原石がゴロゴロと。少しくらい懐に収めても」

 「止めておけ。私は有能な部下を国家反逆罪で捕まえたくはない」

 「お褒めいただき光栄至極」
 

 今時大貴族でもするものが少ないくらいの優雅な動作で礼をした彼は、口元に若干の笑みを浮かべて言った。
 

 「……気に入りませんか?」

 「……士官学校入学時の国家への宣誓の中で、海賊の真似事について誓った覚えはない事だけは確かだな」
 

 王国騎士、つまりは貴族階級の中でも最も低い部類に入る家柄の楊だったが、そうであるからこそ貴族将校としての矜持は過分に持っている。その矜持は、海賊じみた行動をしている自分を必ずしも肯定してはいなかった。

 しかしながら、彼は軍人なのであって、であるからには命令には絶対服従でなければならなかった。そして、彼がこのようなところでこうしているのは、彼の上官から伝えられた命令によってだった。つまりは、『任務』――金門諸島から出港する輸送船を襲撃し、積荷を奪い取れと言う行為を行え、と。
 

 「まぁ、宣誓の内容は「汝国家の望むべきことをせよ」ですから」

 「あの時は気が楽で良かったよ。少なくとも、海賊行為が国家に報いるべき道だとは思っても見なかった」
 

 とは言え、楊にも海賊の真似事――私掠行為・通商破壊が齎す利益はわかっていた。

 自らの懐を痛めず、敵の懐から奪う行為がどれほど利の良いものかはもはや説明すら不要だ。あえて説明しようと例えれば、精一杯働いて少なくない給金をもらう会社勤めと、その給金袋を横から掠め取るスリを想像すればいい。倫理とか道徳とかを加味しなければ、どちらが楽かは言うまでもない。

 自分のしていた会話がへたをすると国家を貶める行為にほかならないと気づいた楊は、ひらひらと手を振りながらこの話はもう止めと示した。夢敗れた後、ただ国家に忠誠を誓う自分と言う幻想の許軍人稼業を続けている楊にとってそれは自身の存在意義の消失と等量だった。

 <華・六>に配置されてから既に一年超、この何処か屈折した上官と過ごしてきた董は、報告は以上ですと言って立ち去ろうとした。
 

 「ああ、待て。最後に一つ確認させてくれ」

 「は? なんでしょうか」

 「例のものの保管、誰に任せた?」
 

 上官の顔に真なる心配以外の何者も見いだすことができなかった董は、ああ、と漏らしてから答えた。
 

 「陳主計官に。あいつはまぁ、生真面目な男ですから」

 「うん。ならいい。持ち場に戻ってくれ」

 「はっ」
 

 あいつ、俺よりよっぽど士官らしいじゃないか。楊は一人思案した。そういえば、実戦経験があると言っていたっけ。確かに若者を自立した人間に押し上げるには重過ぎる経験だな。

 そこまで思考して苦笑した。おいおい、俺はいつの間に年寄りぶった事を言えるくらい偉くなったんだ?全く、成功ってやつは、この程度のことでも人を舞い上がらせてくれる。それとも、この程度で舞い上がってしまう俺がおかしいのか?

 まぁ、いいさ。と、楊は苦笑を自嘲の笑みに変えつつ思った。ともかく、後は慈しみ、こき使うべき部下どもを纏めて、本港へ戻るだけ、だ。まず、それだけに集中することとしよう。

 それにしても、陳主計官なら確かに大丈夫だろうが、果たして他の船員は我慢できるか?「例のあれ」。金剛石の原石とは価値が違う。なにせ純粋な金なのだから。



[14989] 第一章 第四話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/05/24 23:22
                                                 帝国暦同年 二月六日 セント・アルマーダギー学園初等部

 





 二月。入学式や新任の教師・教授の赴任が、卒業式やら離任式やら年越しやらが過ぎても休むまもなく続いたせいで火事場のように忙しかったこの学園も、やっと落ち着きを取り戻し始める時期らしい。かなりのベテランらしい特別学級の担任は別だったけど、他の先生達は一月中は見てるこっちが心配になるほど疲労していたのが、二月に入って急に生気を取り戻してきているみたいだから多分そうなんだろう。

 そんなこんなで、僕が人生二度目の小学校生活――正確には違うけど――を初めてから、既に一ヶ月近くが過ぎ去ろうとしていた。

 その過ぎ去りつつある一ヶ月だけど、実はほとんど変わったことは無かった。あったといえば、学級会で歴史係を拝命したと言うくらいかな。ちなみに、歴史係は読んで字の如く歴史教科の課題集めやら先生の手伝いやらをする係のことだ。でも、本当に変わったことはそのくらいで。まぁ、そんなにぽんぽん厄介ごとに巻き込まれたくは無いけど、日々の授業内容が文字の読み書きとごく初歩の計算問題(と言っても、地球の日本では小二か小三レベルの問題も含まれてるからやっぱり粒ぞろいなんだろう)、唯一面白いのが歴史だけって有様だから、何もないって言うのも物足りない感はある。

 
 「……クレイリア、おいクレイリア」

 
 ところで、この世界の技術状況について追加でわかったことだけど、地球と比較してかなり歪な状況らしい。例えば船舶技術と陸上技術との差が激しすぎる。船舶はガレオンや戦列艦やらあるのに、少なくとも帝国では馬車はおろか、帝族でも馬に乗る者は殆んどいないし、陸戦技術にいたっては論外だ。火薬兵器は海戦の都合から発達してるみたいだけど、蒸気機関が未発達だからライフル銃の大量生産には至っていない。尤も、その有効性はだいぶ前に試されてて、艦隊旗艦とかは採算度外視で旋条銃や旋条大砲が搭載されてるのも中にはあるらしい。


 「クレイリア。チャールズ・クレイリア!」


 ああ、後他に判明したことといえば「馬鹿者!」痛っ!


 「……つぅ~」

 「阿呆。もっと真面目に授業を聞かんか」


 ちなみに只今絶賛国語(帝「国」公用「語」)の授業中。僕のことをセント・アルマーダギー謹製の「よくわかる国語(帝国暦618年版)」の角で叩いたのは国語科担当の教師だった。
 体罰? 関係ない、関係ない。学園初等部の生徒は、日々の生活態度に至るまでが勉強だから。だいたい、寝坊で朝食抜きの学校だぞ。廊下に立たせたり、宿題忘れてきた奴殴ったりなんて当たり前だ。まぁ、特別学級にそんな奴は殆んどいないけどね。


 「……それにしたっていきなり叩くことも無いですよ」

 「……次の問題は、お前が答える番だ」


 その唯一の例外たる僕。もちろん授業態度が悪いだけで提出物は出してるけど、お陰さまですっかり目をつけられちゃったような気がしてならない。

 とりあえず、黒板――日本のそれと違い、板に真っ黒な塗料が塗られただけの文字通りの黒板を眺めると、今僕が答えるべきことが書いてあった。何、次の単語の読み方?


 「えーと、スーイです」

 
 表記suui。帝国公用語ではローマ字と違い母音が重なったときはその音を伸ばすから、「スウイ」ではなく「スーイ」が正しい。ちなみに、名詞で和訳すると『牛』になる。

 
 「……正解だ」


 すんなりと答えた僕に、若干うめき声を漏らした先生はもともと不機嫌な顔を更に歪めて言うと、他の大多数に向き直って授業を再開した。今日の授業は「a,i,u,e,oが重なったときの読み方」で、多分僕がボケッとしてた時に解説してたからこその反応だろう。

 再開された授業内容は、僕がこの世界の知識を得るために何年も前に習得したものばかりだった。聞く必要は……無いな。目を落としていた生徒用「よくわかる国語」のページをパラパラと捲った。うん、教科書の内容も取るに足らないものばっかだな。

 おそらく初等部一年生が全国語授業過程の四半分を用いて消化すべき説明文は、「働く船」とか「皇帝陛下の一日」とかそんな類ばっかだし、文学作品に至っては絵本に毛が生えた程度の代物。御話にならない。

 と言うわけで、僕はこの世界に関する思考にどっぷりと浸かる事に決めた。

 そう、教科書。この世界、島ばかりだから紙はかなり貴重に思えるかもしれない。いや、実際貴重品だ。でも、少なくとも現代日本と比べて目も当てられないほど酷い価格なのかって言えばそうとも言えない。

 第一に、まだまだ一般家庭での紙資源利用率が低いこと。ティッシュ・トイレットペーパーが無いって言うはかなり紙資源に大きな影響を与えるみたいだ。ちなみに、最初は不便だったけどなれたらどうでも構わなくなった。便利な生活なんて、所詮その程度なのかもしれない。

 第二に、この世界では世界的に森林保全が進んでるってことだ。

 蒸気機関が発明されればどうなるかはわからないけれども、少なくともこの世界の知的生命体が文明を持って以降、リアルイースター島が幾つも出現したらしい。お陰さまで、各国政府は躍起になってある程度の森林維持や植林活動に当たっている。

 もっとも、材木それ自体は植民地からまとまった量が送られてくるからそこまで深刻な状況でもない。だから、それに第一の原因が加わって現状になっているわけだけど。あと、植民地って言えば、材木だけじゃなく一部穀物系の食料もその辺から送られてくる。ああ、そういえば植民地には――。

 と、僕が特に意味もなく現状を考察していると、学園の時計塔が鐘を打って、眠気をさそうだけの授業が終了したことを知らせてくれた。


 「それでは、今日の授業はここまで」

 「きりーつ、れい、ありがとうございました!」


 ここだけは初等部一年生。大声が教室に響いた。






 「……お前はよくあれで答えられるよな」


 現在みんな大好き昼食の時間。この世界にはまだ給食って言う概念はない。けど、そこは最高学府。寮には隣接して食堂なんてものが存在していたりする。そして、昼休みにはほぼすべての生徒が食堂に集まって修羅場と化していた。そんな地獄で、僕が天国のような状況――僕の座っている机の周りがガラ空き――にいることができるのは、この御方のおかげだったりする。


 「予習復習をきちんとやっておけばどうにでもなるよ」

 「いや、確かにそうだが、わたしが言っているのは反応のことだ。あのぼけっとしたじょうたいからよくもまぁすぐに答えられる」


 僕の向かい側に座った少女、マフィータ・ダン・リージョナリアは手にした帝国茶器、要するにティーカップで秋津皇国領坂東産の茶葉を使った紅茶――に似た飲み物を啜りつつ、心底不思議そうに訊ねてきた。


 「呆けっとしてるって言うのは酷いな。ただ話を聞き流していただけだよ」

 「それをぼけっとしていると言うのだ」

 「……ご尤も」


 誤魔化そうとしたら失敗した。流石は一国の皇女、色々と鋭い。


 「で、どうなのだ? なにか秘訣でもあるのか?」

 「あ、あはは。まぁ、直感と想像力で何とか」

 「……何とかできるものなら、帝国はさぞ強国になれるな。勉強せずともちょっかんではってんできる」


 ジト目で睨んでくる皇女殿下に笑って誤魔化しを続けつつ、僕は内心でため息を吐いた。なんだか、苛められっ子と仲がいいと思われて孤立していく可哀想な小学生のような気持ちになる。いや、苛められる訳がないし、実際初等部生徒だけど。

 マフィータ・ダン・リージョナリアは、年の割に理知的で、帝族たるものこれを見習うべしと言うのを生きながら体現しているような存在だった。

 性格は若干ひねくれているものの、その他は良し。容姿もよし。高校あたりなら、学年のマドンナ……いや、これはもう死語か? ともかく、かなりモテること請け合いの少女だった。普通ならば。

 だけど、彼女は帝族で、帝位継承権を持つ者だった。当然、周囲の好奇心も集めるけど、好き好んで近づく奴が多いかと聞かれたら「NO」と答えざるを得ない。下手に粗相でもしたら――って奴だ。つまり、僕が色々あの時乱心していたって言うのがありありと判る結果だ。普通の奴は、逆らったら大変な事になる事くらい理解できる。

 自虐は置いといて、ともかくマフィータは文字通り「特別な存在」だった。唯一の例外は教師連中だが、あれは多分長年特別学級勤めの猛者たちばかり。帝族・貴族相手に怒鳴りつけたり、下手をしたら手をあげたこともあるかもしれない奴らとその他多数を比べるのも酷と言うものだ。 

 つまり、マフィータは孤立していた。例外は、さっきも述べた通り教師陣と僕くらい。

 まぁ、帝族って言うものは大抵そんなものだと言われればそれまでだけど、平成日本の常識を持つものとしてはこれってまずい状況なんじゃとか思っていたりする。だからと言って今のところどうこうするって言うわけではないけど。


 「おい! クレイリアいるか?」


 と、そんなことを考えていると、扉を思いっきり開け放つ音とともに聞き慣れた声が聞こえた。親愛なるルームメイト、ヘルムート・ダン・レンスキーだ。


 「おーい、レンスキー。なにかあったのか」

 「あ、そっちか。あのな、良い知らせがあるんだけどな、ってでで殿下!?」


 あ、気づいた。


 「構わんヘルムート。チャールズに用があるのだろう?」

 「え、は、はい。そうです殿下」


 カチンコチンに固まりながら、漫画なら機械じみた擬態語が付きそうな動作でレンスキーは僕の方に寄ると、いきなり椅子から僕のことを引っペがした。


 「のわぁ!」


 思わず声を上げるが、思っても見ない行動にとっさに体は動いてくれず、同年代にしては小柄な方に成長してしまった僕の体は腕白そのものと言っていいレンスキーにどんどん引きづられていく。

 結局、レンスキーが荒い息を吐きながら引きずる手から力を抜いたのは、僕が――と言うよりマフィータが座っている席から少し離れたところに存在する権力的に安心安らぎ空間(僕命名)の外縁部に到達してからのことだった。


 「……おい、どうしたんだよ」

 「え、あ、す、すまん。つい体が勝手に」


 帝族恐ろしや。纏うオーラが水にとっての油らしいです。


 「……って、そんな事より大変なんだよ」

 「大変って?」


 僕の問い掛けに、レンスキーは間髪入れず口を開いた。どうやら、誰かに話したくて仕方が無かったらしい。


 「れきしのホーメルせんせい、胃がおかしくなったとか何とかで入院するらしい」

 「あのホーメル先生が?」


 ここで説明しておくと、あのホーメル先生とは身長190cmを超すと言う、地球でも日本では珍しいほどの巨体を誇る歴史科教師だった。一年生から歴史の授業をすると言うのは一見おかしく思えるけど、国の栄光の歴史を覚えて愛国の念を云々ってやつなんだろう。まぁ、四五回くらい受けた授業は帝国成立以前の半ば神話じみた伝承とかだったし、そこまで難しい物でもない。

 話を戻すと、ホーメル先生の特徴はあの武骨な顔立ち、ガッチリと体に付いた筋肉。どうしてあの先生は体育教師じゃ無いんだろうと言う話は特別学級でも時々出てくるし、正確に統計をとったことはもちろん無いけど、「セント・アルマーダギーで一番病気しなさそうな教員は?」と言う問があったなら十中八九、殆んどの生徒が「ホーメル先生」を推すだろう。

 そのホーメル先生が入院である。

 大方、ストレスでも溜まってたんじゃないのとレンスキーに返そうとして、そういえばストレスなんて単語知らないよなと思い出した僕は、一つ気になった事を尋ねた。


 「で、後任の先生は?」

 「わかんねぇ。何でもはらがいたいって叫びながらどこかの医者に行ったのが今日の朝らしくてさ。職員室もてんやわんやだった。で、少なくとも今日は午後のれきしが休みで、自分の部屋に戻ってたいきしてろだと」


 ホーメル先生云々に関してはわからないけれど、少なくとも授業がなくなったと言うことに関してだけはとても嬉しそうにレンスキーは言った。そういえば、初めての歴史の授業の後どうして覚えることがあんなにあんだよ!と寮で唸ってたなそういえば。……苦手な授業がなくなれば誰でもそうなるか、うん。


 「……それはそうとクレイリア」

 「ん? どうかした?」


 等と一人で頷いていると、ようやく落ち着いたらしいレンスキーが呆れたように言った。


 「おまえ、よく皇女でんかとふつーに会話できるよな」

 「普通に会話って言われてもね」


 僕の場合、始めがあんなんだったからね。だいたい、変に敬語でも使おうものならむしろ怒鳴りつけられてそれでおしまい、さ。


 「だとしてもなぁ」


 それでも、レンスキーは腑に落ちないらしかった。


 「それにしたって、身分がどうこうとか気後れするだろうに」


 僕は、そのことについてレンスキーに説明しようとして止めた。地球から来たから人間皆平等が染み付いてるんだなんて言えるわけが無かった。


 「まぁ、今のところ何も問題ないんだし大丈夫だよ。それより、助かった。下手したら、誰もいない教室でぽつんと寂しい時間を過ごすとこだったよ」

 「だな。よし、お礼は――」

 「夕食の時、だろ?」

 「さっすが、気が利くなクレイリア」


 気が利くと言うより、事ある毎にやれあのおかずを寄越せだとかあの定食確保しといてくれだとか言ってたから言動が読めただけさ、と言う余計な一言を言うつもりは、僕には毛頭なかった。






 「……あいつとの密談は済んだのか?」


 上機嫌で去って行ったレンスキーを見送った後、そういえばマフィータとの食事の最中にレンスキーに連れ去られていた事を思い出した僕は、慌ててリアルATフィールド展開中のその席に戻ってきたのだが、僕を迎えたのは想像通り若干不機嫌そうな顔をした帝国皇女殿下だった。


 「あ、あはは。密談とかじゃなくてね」

 「ホーメル先生がふくつうを訴えて午後の授業が無くなった、と言う話だろう?」

 「知ってたの?」


 何時ものように、笑って誤魔化そうとしたら図星を突かれた。あれ、僕もレンスキーから聞いて初めて知ったのに。


 「あいつの声は大きいからな」


 ……さいですか。

 ただの事実を述べられて些かげんなりした僕は、席について今日の昼食、焼いたアンプ――地球で言うパンにタブリア、つまりバターを塗った物を頬張った。先程まではまだ熱を保っていたそれは、冷めて美味しさが飛んでしまっている。それでも、これを残せば夕食まで空腹に喘ぐことになるから仕方なく全てを腹に収めることにした。それを見て意地悪げに微笑していた皇女殿下について、やっぱり機嫌損ねちゃったかと僕は心の中でまた一つため息をついた。これで今日何度目かは生憎ながら数えてなかったけど。













 翌日。

 朝のHR、僕が通っていた(もちろん地球で)小学校の表記に従うと「朝の会」となる何時もの日程の時、ようやく正式に担任からホーメル先生の無期限休職が伝えられた。ちなみに、哀しいかなホーメル先生を惜しむ奴は少なかった。入学して一ヶ月程度って事もあるんだろうけど、本人に見せたら泣くな、こりゃ。


 「それで、昨日無くなった歴史の授業なんだが、今週のダロゴの日に延期になった」


 ダロゴの日、って言うのは曜日のことで、金曜日に当たる。ちなみに今日はウェタラの日、水曜日だ。


 「代わりの先生って誰になるんですか?」


 後ろの方で声が上がった。それに応じ、教室のあちこちから同意の声が漏れる。


 「わかった、わかった。今言うから静かに」


 ばんばんと教卓を叩いて場を静めた特別学級担任のクリューゲル先生は、左中指で頭を掻いた。面倒事に直面した時の、先生の癖だ。


 「え~、後任として皆の歴史を見てくださる先生は――」


 齢五十弱。信長的一生観で言えば人生の終りが近いクリューゲル先生は、一旦言葉を区切り、何事か思案した後、告げた。


 「獣族辺境域、ノメリア自治区から教育科留学の為に来ているキダバ・グナンゼウ先生だ。いい先生だから、きちんと言う事を聞くように」


 教室内のざわめきが復活した。決して好意的であるとは言えないそれだった。まぁ、確かにざわめくのも分からないでも無いけれど。


 「……新しい歴史教師は獣族、ね」


 何やらようやく、ネコミミ軍団以外のファンタジー要素に辿りつけたような気がして、思わずそう呟いた。

 もちろん誰の反応も期待していない呟きだったけど、すぐ隣の皇女殿下には届いていたらしい。


 「……獣族、か。おい、お前は獣族に誰か知り合いは居たりするのか?」

 「ううん、残念ながら獣族には知り合いが居なくて。どんな先生なのかと思っただけだよ」 


 事実だった。いくら商会の長とは言っても、僕の父もそこまで経営を拡大していたわけじゃない。と言うか、帝国内の短・中距離定期航路と秋津皇国との航路を維持するだけでも四苦八苦の零細企業が、植民領との航路やらツテやら持っているはずがない。

 僕の回答に満足したのか、はたまた会話を続ける価値すら無い話題だと判断したのか。おそらく後者だとは思うけど、どちらにせよマフィータはそれっきりで会話を止めた。

 その後も暫く好奇と不満の私語とで満ちていた教室だっけれども、その後すぐに一時限目の教科担任が入ってきたことでその正負入り交じった空気は即刻収束へと向かった。入ってきた教科担任の顔を見た僕も僕で、新しい歴史教師についてどうこう考えるのを止めた。会ったことも無い人間、いや知的生命体に関して思考を巡らせても仕方がない。まぁ、どんな物なのか楽しみなことだけは確かだ。

 ともかく、机の中から教科書引っ張り出し、形だけでもと思って開いて置く。僕の思考はすぐに、この暇な国語の時間をどう過ごすのかと言う努力へと傾いていった。














                                                            あとがき

 




 学園の日常編。
 どうも、学園編に詰め込むべき物が加速度的に増え続けていて焦りまくりの作者です。いや、始めの頃の、ほんの前座程度でいいやと言う短絡的な考えを抹殺したい。
 とは言え、ここであまりに切りすぎるとスカスカになる可能性も高いとか言う。ほんと、小学生の頃から計画立てると言う行為が苦手なまま放置してきたツケが回ってきたような気がチラホラとしてきます。
 まぁ、愚痴というか懺悔はここまでにして、レス返しです。

 

 >>田中ぷー太郎氏、ふいご氏

 誤字の指摘本当にありがたいです。
 一応、推敲その他はきちんとしているつもりなんですが、やはりまだツメが甘いですね。
 今後も、もし誤字脱字を見つけたらコメント欄での指摘をお願いします。

 

 >>みかん氏

 読み返してみると、ご指摘の通りですね。確かに、設定説明の比率が高すぎたかなと反省しています。
 ただ、作者が基本設定厨なので、無意識の内に比率は高いままになりそうですし、少なくとも第一章は説明がかなりのウエイトを占める予定だったりします。
 前者は論外としても、後者に関しては如何ともしがたいので、もうしばらくは設定多めな話が続くと思います。そこら辺は、申し訳ありませんが仕様になりそうです。

 




 それでは、次回は最後にちらっと出てきた獣族と言う単語と、新任教師が大きなキーワードになる回です。……獣族辺境領とか言う単語がネタバレになってるような気がしますが、そんな事は無かったんだぜ!



[14989] 第一章 第五話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/05/16 02:12
                                                  二月八日 セント・アルマーダギー初等部一年特別学級













 おおよそ一ヶ月間、この学級で過ごして。生まれとか育ち方とかって言うものは、ここまで人間形成に影響を及ぼすのかと若干驚いている。

 僕のもう薄れ始めた記憶の中。転生前後を合わせるともう二十年以上も前になる、小学校一年生の時。進学したてで、友達も少ない始めの頃は例外として、年度も後半になるに従って友人も増え始め、授業間の休憩時間は友達と馬鹿騒ぎしてたのを覚えている。よくもまぁ、無駄に元気だったのと呆れることの多い自分の子供時代の行動、その一端って奴だ。

 転生して、人生二度目と言うおそらく前例に無い小学校生活を送る羽目になって、僕が想像していたのはそんな学級であり、子供たちだった。小学校一年生なんだから、はっちゃけているんだろうと。

 ところが、現実と言うのは時として想像の斜め上を地で行くことになる。

 よくよく考えてみれば、特別学級は余程の天才か、高貴な出でないと入れないような所だった。簡単に言えば、狭き門って奴になるんだろう。

 今の今まで気に止めたことも無かってけど、そういえば中産階級以上なら公立学校に通えるとはいえ、この時代に読み書きと掛け算辺りまでの計算問題、あと簡易な歴史・教養問題を六歳に共用するって言うのは余りにも酷だ。

 入学してから暫く感じていた、妙に静かすぎると言う疑問が霧が晴れるように解決したのは、ついこの間のこと。

 日本の常識で言えば、へたをすると小学校高学年くらい精神年齢+昔から躾られてきた者たちしか集まってきていないのだから、騒ぎあいも何も起こるはずが無かった。授業時間の合間に騒ぐことすら無いのだから、学級崩壊?なにそれ美味しいの?ってレベルだ。日本の教師に見せたら、泣いて喜びそうな情景かも知れない。

 さて、そんなこんなで躾の人格形成における重要性を再認識して、こうあるべきだとすっかり思い込んでいた初等部像を木っ端微塵に吹き飛ばされちゃった僕だったけど、今日の特別学級はどこかが違った。

 まず、何時もなら滅多に見られない、授業時間が近づいてきているのに続く私語。

 次に、これも、滅多に見られない、授業直前の立ち歩き。


 「なぁ、クレイリア」

 「新しい歴史の先生についてのことなら、もう五度目だぞ」


 ……ちなみに、その滅多に見られない行動を僕はどちらも現在進行形でしていたりする。相手は妙に興奮しているレンスキー。やはり、なるべくマフィータの近くに行くのは避けたいらしく、僕はレンスキーの席まで出張って話していた。


 「良いじゃねぇか。お前だって興味あるだろ?」

 「まぁ、否定はしないけど……」


 そんな事言うなよ、とばかりにレンスキーがこちらにずいと顔を向けてくる。

 反論しつつ若干後ろに下がった僕は、はぁとため息をついた。最近、なんだか無性にため息ばかりつきたくなってくるのはどうしてなんだろう。

 それはともかく、レンスキーやクラスメイト――あと不本意ながら僕もだけど――が変な興奮状態にあるのも、まぁ仕方が無いといえば仕方が無い事だとは思う。

 僕は、その元凶が入ってくるであろう、教室の教壇側の扉を睨みつけた。まぁ、だからと言って何かが起こるわけではなかった。時間的には、ここに向かってきているはずなんだけど。

 この教室中を包んでいる妙な雰囲気。その元凶は、言うまでもなく次の時間の授業を行うことになっている、獣族の新任教師だ。もし、彼がリージョナ族その他の獣人族か、或いはただの人族だったならばこんな事にはなっていなかったのに。





 獣族辺境域。一般的には、差別感情を込めて獣族蛮域と呼ばれる地域一帯。

 人族帝国やその他列強各国を仮に地球で言うヨーロッパだと仮定すると、獣族辺境域はアフリカやアジア・南アメリカのような物だ。

 この世界を構成する知的生命体は、大きく四つ(学者によっては三つと主張する者もいるみたいだけど)。人間・獣人族・龍族、そして獣族だ(件の学者によれば、人間も獣人族に含まれるらしい)。

 うち、列強と呼ばれている国の大半は人間か獣人族が立てた国で、唯一龍族評議会連邦だけが龍族単一種族で構成される列強国家と言うことになっている。

 つまり何が言いたいのかと言えば、獣族が打ち立てた強国は現在一つも生き残っていないってことだ。どこかの本では、古代四文明のうち一つは獣族辺境域最大の陸地・ンバリア大陸のゴロニア川流域に誕生したとか書いてあったけど、運命のいたずらは四大文明の内、獣族にだけ苦難を強いたかったらしい。

 ともかく、獣人族・人間が獣族辺境域を「発見」した時からこの方、獣族は完全に被支配種族としての地位を確立してしまった。

 現在、獣族辺境域はリージョナによる人族帝国と人族連合王国によって二分されている。そのうち、新しい先生の出身地だというノメリア自治区は、獣族の中でも猫科肉食獣系の種族が多数居る区域で、であるからこそ人族帝国内で比較的早期に自治区となることの出来た区だった。まぁ、植民地にはかわりないけれども、少なくとも皇帝直轄領とか貴族領になっている他の地域や、人族王国の「文明国化政策」の所為で血生臭い独立闘争の舞台とかしている同胞の土地よりは遥かにましな区域だ。このことは、地域の教育者育成のため、本土への留学が認められていると言う点からも解る。帝国を始めとする諸国は、獣族には愚民化政策を持って当たるべしと言うある種の強迫観念にも似た政策で統治に臨んでいたのだから。





 言うまでもなく、一昨日の好意の欠片も無いざわめきや、今の変な空気は、全てそれに起因している。もっと要約してしまえば、偏見ってやつだ。本当に、地球のつい最近以前の白人・有色人種関係に近い。

 その植民地人――いや、植民地獣か?――が、支配者側の人間を教育すると言う。

 僕なんかは、質の悪い皮肉位にしか感じなくても、他の連中、特に気位だけ高い奴にとっては、我慢しかねるような事態だ。尤も、そんな奴は少なくとも特別学級には居ないはずだけど。

 なんて事を考えていると、廊下から足音が聞こえてきた。コツン、コツンと、足音はどんどん大きくなっていく。まず間違いなく、件の教師だった。

 僕は、何も言わず自分の席へと戻った。一拍おいて、他のクラスメイト達も立っていたものは自分の席へと戻っていく。

 僕が机の中から歴史の教科書――これもまたセント・アルマーダギー謹製の「帝国の歴史」だった――を取り出したのと、扉が無機質な音を立てて開いたのとは、ほぼ同時だった。

 扉から入ってきたのは、身長二メートル、こっちの単位で言えば125ヌーメは優に超えているであろう巨体だった。

 日本人と比べれば平均身長が高いこの国の人々のために作られた、僕からしてみれば無駄なほど高いその入口をくぐるようにして入ってきた……とりあえず彼は、教卓の上に授業道具を置き、僕たちと向き合う。

 ただ、その容姿は・・・・何と言うか、異様の一言に尽きた。

 まず、ここの教職員が好んで着る制式の洋服をがっちり着込み、ネクタイもきちんと締められて居る。立っている時の姿勢も凛々しい。前述の通りの身長のせいで、半ば威圧感と化してもいるけど。

 と、こういえば身長以外はどこにでも居そうな新人教員なのだが。如何せん、この人?は獣族だった。

 なんて言えば良いんだろう。ええと、なんだ? 二足歩行しているチーター?

 ……何を言っているのかさっぱりかも知れないけど、実際こう文字にして表現しようとするとこうなる。うん。本当に、ただあの地球のチーターを二足歩行にして服を着せただけの姿なんだ。これ以上、形容のしようもないし、そもそもそれ以外の形容の必要性も感じられなかった。

 そんな僕の内心の驚愕を他所に、一瞬だけ僕たちを見回した彼は、口を開いた


 「あ~、担任の先生から話があったと思うが、私が歴史のホーメル先生の代わりとしてこの学級の歴史教科担任になった、キダバ・グナンゼウだ。よろしく」


 服装から受ける印象とは打って変わって、随分と軽い口調でそう自己紹介したスーツを着込んで二足で立っているチーターは、自分が言うべきことはこれで終わりとばかりに、出席を取り始めた。


 「アメリア・フローレンス・ダン・ウィーバル」

 「……はい」

 「ん? なんだ元気が無いぞ。ほれ、もっと大きな声で」


 本学級出席番号一番にして、身長もクラスで一番小さい所為で出席順・身長順の整列双方ともで先頭に立たなきゃいけないウィーバルさんは、付け加えれば席も最前列だった。要は、貧乏くじを引きやすいのだ。


 「はい」

 「ほれほれ。もっと大きな声で、だ」

 「はい!」


 最後はやけっぱちである。

 ちなみに、ウィーバルさん、普段はそこまで声が小さいとかは無い。むしろ、特別学級では珍しくお転婆なところがある人だった。


 「ようやく元気が出てきたな。よろしい。次、ウィリアム・ホーキンス!」

 「は、はい」

 「……若干声が小さいが、まぁいいか。よし次――」


 何と言うか。
 普通なら絶対に気づくような険悪な雰囲気を、それがどうしたと言わんばかりに無視している。いや、もしかしたら気づいていないのかも知れない。どっちにしろ、簡単には判断しかねる人物――もう、人物でいいや――みたいだ。

 そんなこんなで何とか出席も採り終わる。最後は皆やけくそな大声を出していた。


 「うし、じゃー授業始めるぞー」


 先生は、そう言うと、教師用の教科書を開いた。
 
 
 
 

 結局、反感その他はいろいろとあったけど、特に何も問題らしいことは起こらないまま授業は終わり、チャイム(もちろん、電子音なんかじゃなくて学園の時計塔の上にある鐘がなる)が鳴ってから三十秒と経たない内にグナンゼウ先生は教室から出て行った。途端に、教室内には授業前と同質のざわめきが舞い戻ってきた。にしても、何と言うか……。


 「いやぁ、何と言うか、かなり軽い先生だったな」


 とは、レンスキーの評であり、ついでに僕も同意見だった。


 「も少し、厳しい奴かと思ってたぜ」

 「まぁ、確かに外見はかなり厳つかったけど」


 身長2メートルの二足歩行猛獣が、授業中の見回りで隣に立った時の威圧感は、何と言うか、アフリカあたりのシマウマの気持ちが解ったような気がした。人間としての本能からくる警告というか、生物として絶対に忘却できないらしい野性から来る危機感と言うか。


 「服装がしっかりしていた点を除けば、だいたい想像通りだったし」

 「想像通り? お前、獣族の知り合い居たっけ?」

 「いやほら、図鑑とかで」


 そこまで口に出して気がついた。そういえば、この世界はまだ子供向け動物図鑑なんてものはないし、そもそも専門の物でも挿絵がついているものなんて存在しないことを。


 「……へぇ、そんな図鑑があんのか」


 案の定、レンスキーは目を爛々と輝かせてこっちを見つめてきた。未だ、こいつが何かに対して突出した才能を持っているとは到底信じられずに居るのだが、少なくとも好奇心一般については人並み以上だった。


 「え、ああ、うん。た、ただ、もうだいぶ前に捨てちゃったと思うけど」


 とりあえず適当なことを言って誤魔化す。すると、レンスキーは怪訝そうに僕を見つめてきたけど、なんだつまんないなと不満げな顔でボヤいて話題を変えた。危ない危ない

 うまく誤魔化せたことに内心で安堵を抱きつつ、とりあえず歴史の授業道具を机の中にしまい始めた僕は、ある重大な、と言うのは言い過ぎかも知れないけど、とにかく関係ないと言い切ることは絶対に出来ないことを一つ忘れていた。

 前歴史科担当・ホーメル先生は持ち前の生真面目さと勤勉さで、宿題の配布やらなんやらを全部自分でやってしまう嫌いがあった。……だからこそ、倒れちゃったのかも知れないけど、ともかく、その性格のおかげで僕はたいして面倒事を押し付けられた事とかは無かった。

 つまり、何を忘れていたのかといえば……そういえば、僕って歴史係だったような……。






 「……そういえば、押し付けられてたっけ……」

 「ごしゅーしょーさま」


 その日の昼休み。何時ものようにマフィータと食事していると、何時ぞやの時と同様にレンスキーに引きずられた僕は、文句を言う前にレンスキーの言葉を聞いてその毒気を抜かれた。曰く、課題出すから、昼休み中に受け取りにこい。


 「要件だけは伝えたからな」


 何時もの如く、妙にマフィータを気にしつつも、レンスキーはそれだけ言ってじゃあと去って行った。何ともまぁ、忙しい奴である。

 呼び止めて一緒に飯でも食おうと誘おうとしたが、ふと思い直して食堂の時計を見る。時刻は、ほぼ午後一時だった。昼休みは十二時半からたっぷりと一時間ほどあり、だからこそ一々寮の食堂まで戻っても来れるのだが、職員室まで課題を受け取りに行き、更に同級生の応援を借りるとしても全員にそれを配るとすると……まずいな、あんまりゆっくりとはしていられないみたいだ。

 とりあえず急いで昼飯を腹の中に収めるべく、僕がさっきまで昼食(ちなみに、今日のメニューは、何時ものように出てくるアンプと、この辺でよく取れるらしい魚を使ったスープだった)を食べていた席へと戻ろうとすると、その真向かいで不機嫌そうな顔をしている帝国皇女殿下がいらっしゃった……って、何かデジャブを感じるんだが。


 「……この前に続いて、今度はなんの密談をしていたんだ?」

 「いや、密談とかじゃなくてさ。ほら、僕って歴史係でしょ?」

 「同意を求められても私は知らないが」


 不機嫌な表情のまま、マフィータはそうバッサリと切り捨てた。……もう少し愛想って物は無いんだろうか。これも帝族がゆえなのか? それとも、単に性格なんだろうか。いくら考えても分からない事だけど。


 「……ともかく、それで課題を配るのを手伝えってことらしくて」


 説明しつつ、時間短縮のために僕はアンプを口に放り込み、新鮮な魚介のお陰で、下手をすればかなり食に恵まれていた日本よりも美味しさは上なんじゃないかと朧気な記憶を辿ってみたくなるようなスープで胃の腑へ流し込んだ。うん、前回ほど離れていなかったせいか、多少は冷たくなっているけどそこまでじゃないな。結構な早食いではあったけど、別にむせ返ったりはしない。伊達に高校時代、睡眠と夜更かしと言う互いに他の何事にも代えられない楽しみを追求するために、ギリギリの朝食生活を送っていたわけじゃ無いのだ。……威張れる話では無かったけど。

 そんな僕の早食いを見てか、マフィータは呆れたように耳をひくつかせたが、すぐに何事も無かったかのようにごちそうさま――直接的に日本語訳すると、「神々が生きる糧を与えてくれたもうたことを感謝す」と言うふうになるのだけど、意訳してみた――と言って、食べ終わった食器が綺麗に置かれている盆を返しに立ち上がった。どんな身分の物でも特別扱いしない。それが、セント・アルマーダギーの特徴だった。






 初等部職員室は、初等部そのものの規模の小ささもあって、巨大学園と言って何ら差し支えないセント・アルマーダギーを支える教職員用施設としては例外的な小ささだった。例にあげようとすると、僕が通っていた小学校――全校児童、百八十名くらい――の職員室の大きさ位だ。うん、我ながら解りづらい例えだこと。

 ともかく、何もかも規格外と言って良いほどの学園組織の中でのこの小ささは、学園内での初等部の立ち位置を明瞭に表しているのかも知れなかったけど、そんな事今はどうでも良い。問題は――。


 「どこだよ、グナンゼウ先生の席」


 その例外的な小ささの職員室なのに、グナンゼウ先生の席がなかなか見つからないって事だった。

 とりあえず、座席の早見表を見る。入院・無期限療養が余りにも急だったせいで、未だに「Hoomeru」と言う字が二重線で消されたに過ぎないそれを見ても、どこに居るのかさっぱりだった。

 だいたい、生徒を呼んでおいて職員室に居ないってのおかしいだろう。と言うか、グナンゼウ先生だけじゃない。今ここに居るのは、初等部統括の職員――事務仕事しかこなしてないから先生じゃないらしい――他、他学年の主任と呼ばれる立場の先生ばかりで、と言うことはつまりお年を召されたかたが殆んどなわけで、もっと言えばその所為で殆んどが変な威厳を放っていて「グナンゼウ先生の席はどこですか」なんて聞ける雰囲気じゃ断じて無い。

 今日数回目になる時刻確認のため、職員室の柱時計を見た。現在時刻、一時十三分。……まぁ、二十分まで待って来なかったら教室に戻ろう。

 そう思って、職員室の外にでようとした時だった。

 スラリとしていて、にもかかわらず変な威圧を与える、教員用制服をきっちり着込んだ獣族教師・キダバ・グナンゼウは大きな欠伸をしながら職員室に向かってきていた。

 手――と言うべきか前足と言うべきか。とにかく、チーターやらライオンやらにありそうなあの肉球と爪の付いた脚ではなく、人間に限りなく近いと思われるそれを使って口を隠してはいるが、正直言って隠れきっていない。それどころか、大きな口から牙がチラチラと見えて、寧ろ威圧感を増長している感が強かった。

 長い脚で職員室の入り口まで迫ってきた先生は、怪訝そうな顔をしてこっちも見つめてきた。どうやら、見つかったらしい。


 「君は……?」

 「一年特別学級の歴史係です」


 そう応えると、グナンゼウ先生は更に顔を顰めた。……無理矢理にでも形容しようとすると、人が『必死に何かを思い出す表情』と聞いて即座に思い浮かべるような表情だった。

 無言かつとても息苦しい時間が十数秒続いた後、グナンゼウ先生が「ああ」と小さく声を漏らし、そう言えば、課題の件で呼んでたなとトボけた……いや本気で忘れている口調で言う。

 素で忘れていらっしゃったらしい、この教師は。


 「ああ、ちょっと机まで来い。今渡すから」


 頭をポリポリ掻きながら、グナンゼウ先生はこれだけは印象通り素早い動きで自分の机があるらしい場所へ歩いていった。

 慌てて付いて行く。すると、グナンゼウ先生は職員室中央の教職員用机が置かれた場所ではなく、部屋の端の方へ歩いていき、壁際の職員室で使う雑用品を入れた棚の片隅に置いてあった椅子を引いた。道理で気づかないわけだ。

 何と言うか……傍目から見ても除け者にされてるのが丸わかりだな、これは。

 明らかにどっか行けと言わんばかりのところへ置かれていた机だったが、グナンゼウ先生は少なくとも表面上はそんな事お構いなしに椅子に座った。ここまで露骨な嫌がらせに表面上何も対応しないのは、余程の大人物だからか、それとも諦めからか。ひょっとすると、生徒の前だからって言う見栄もあるのかも知れない。

 机の上は、混沌と表現して過分なかった。本気でごちゃごちゃだ。いったい、普段この人はどうやって雑務をこなしているのか解らなくなるほどだ。無造作に置かれた書類やら何やらで、もはや机の表面は見ることすら出来ない。


 「おお、これだこれ」


 暫くかなりごちゃごちゃしている机の上を漁り続けた先生は、束になった本をとりだした。うわ、結構分厚い。


 「ああ、本来なら来年からやり始める用なんだがな」


 僕の様子に、にやりと口を歪めて先生は説明した。……その顔が獲物を目の前にして喜ぶ肉食獣に似ている、と言うかそのものなのはもうくどいから言わないことにする。と言うかなれた。


 「まぁ、私には私の授業計画と言うのがあるのだから、忘れずにやって置くように。解ったな、ええと……名前、なんだっけ?」

 「クレイリアです。チャールズ・クレイリア」


 名前を教えつつ僕はこの獣族教師に付いてひとつだけ解った。かなり大雑把な挙句、忘れっぽいらしい。


 「ああそうだった。クレイリアだったな。んじゃ、後はよろしく。午後の授業始まるから、急いだ方が良いぞ」


 見れば、時計の針はあと五分で昼休み明け五時間目の授業が始まることを示していた。


 「それから、今後もちょくちょく呼ぶ可能性があるから、よろしくな」


 僕は先生にお辞儀をして、教室へと足を向け……ようとして、はたと気付く。あれ、もしかして僕は、このうず高く積まれた冊子を全部運ばにゃいけないんだろうか。

 確かに、技術力のためか、はたまた単に年齢のせいか、問題冊子は僕から見ればかなり薄かったけど、特別学級の生徒数は三十二人を数える。つまり、用意された冊子は合計三十二冊。

 もう一度時計を見た。目を擦る。更にもう一度見る。どこからどのように見ても、時計は授業開始五分前を指していた。

 あれ、ひょっとするとこれって授業に間に合わないんじゃ……。

 顔がひくつくのが自覚出来た。慌てて、先生の姿を探すが何処にも居ない。特別学級の歴史担当とは言え、初等部の他の学級でも授業をしなければならないのだから、一目散にそこへ向かったんだろう。

 と言うか、先生はこの量の冊子を初等部一年の生徒がどうにか出来ると考えたのか? そこまで疑問がふくらんだところで、あるひとつの答えが閃いた。つまり、体良く押し付けられたってことか。何だ、なら納得……。


 「できるわけあるか!!」


 どうするんだよ、これ。まず間違いなく授業に間に合わない、どころかそもそもこの場から持ち上げられるかさえ定かじゃないぞ? 

 しかしながら、神様は僕に少しくらいは優しかったらしい。


 「……何してんだ? おまえ」


 見知った声がする。藁にもすがる思いで振り向けば、そこには親愛なる同居人がこっちを見て突ったっていた。


 「レンスキー!」


 正に渡りに船だった。一歩でたっと駆け寄り、手を握ってブンブンと振り回す。レンスキーは目を白黒させながら「お、おう」と若干引き気味に応じる。

 今こそチャンス!


 「いや、前々から思っていたんだけどさ、君ってやっぱり優しいよな」

 「な、何だよ、いきなり」

 「いやいや、謙遜するなって。それに、力持ちで他人の世話も焼ける。やっぱり君は良いやつだ!」

 「……ま、まぁ。やっぱり俺ってやさしいか? そうだよな、そう思ってくれるか」


 いや、少しくらいは謙遜しようよ。こっちとしては、ことが上手く運ぶからいいけどさ。


 「うんうん。心からそう思うよ。……ところでレンスキー」

 「………ん?」

 「そんなに優しいんだから、やっぱり困ってる人は見捨てられないよな?」

 「もちろん!」


 ジリジリとレンスキーと位置を入れ替わりつつあるのだが、レンスキーは全く気付いた風もなく。うん、いい笑顔だ。


 「じゃあ、今現在ここで困ってる僕のことも助けてくれるよね」

 「もちろん!………へ?」

 「じゃあそれは頼んだ!」

 「……ちょ、おま!? 待てクレイリア!!」


 ようやく状況に気付いたレンスキーだが、時既に遅しだ。僕は、この程度なら辛うじて持てる十冊の冊子を持って、一目散に教室へ駆け出した。


 「置いてくなぁー!!」


 レンスキーの叫びをBGMに。





 「……ひどい目にあった………」

 「あはは、ごめんごめん」

 「ごめんですむか!」


 結局。

 あの後、猛ダッシュで教室に駆け込んだ僕とレンスキーは何とか授業に間に合うことに成功した。本当に間一髪だったのだ。特にレンスキーが。

 
 「つーか、係なんだから一人でなんとかしろよな」


 と言うわけで、授業終了の予鈴が鳴ると同時に、僕は追加でレンスキーからのお叱りも受ける羽目になってしまったのだ。


 「しょうがないじゃんか。あの量を僕一人で運ぶのは無理だよ。僕は君と違ってひ弱なんだ」

 「……ひよわなわりに、けっこうなはやさで教室まで走ってったよな?」


レンスキーがジト目で睨んできたが、丁重に無視する。とりあえず、帰りのHRと言って先生が来る前には冊子の配布を終わらせておきたかったのだ。

 前列から順に、冊子を確認したクラスメイト達が不満の視線で僕を見据える。流石はお坊ちゃんお嬢ちゃん方と言うべきか、声は上がらない。……一瞬だけ、高校時代のクラスよりも遥かにまともに思えた。

 最後の一列の一番前の机に、ぼんと最後の一纏まりを置く。既に冊子はクラス全体に行き渡り、気づけばほぼ全員が僕に視線を向けていた。

 
 「ああ、これ、とりあえずやり方は次の授業の時に指示するから、忘れずに持ってこいってさ」


 その視線の持つ意味を、敢えて冊子の説明と曲解した僕は、それだけ言うとさっさと席に戻った。あのままだと、いくらこのクラスと言えども愚痴の一つ二つは浴びせられたかも知れないんだ。別に良いだろう。

 僕の想像通りだったのか、はたまた想像以上に勉強熱心だからだろうか。ともかく、親愛なるクラスメイト諸氏は数人がため息を付くくらいで、冊子の存在を認めてくれたようだった。

 ドスッと席に座り込む。なんだか、今日一日で並の一週間分くらい疲れたような気がしないでもない。まぁ、これで今日はもう面倒事とはおさらばだから別にいいけど……。


 「こういうとき、私は『ごくろうさま』とでも声をかけてやるべきなのか?」


 気づけば、僕もため息をついた数人の内に加わっていた。そういえば貴方も居ましたね、マフィータ。


 「それとも、『よくやった』か?」

 「どちらかと言えばごくろうさま、で。別に、冊子を配っただけだし」

 机の中から、勉強道具をひっつかんでは鞄に入れる作業を繰り返しつつ応じる。何時ものように、茶化していっているんだろうと思った、が。


 「そうか」


 返ってきたのはやけに神妙な一言だった。思わず手を止めてしまう。マフィータは、自らの鞄を閉めてから動きの止まっている僕に気付いたようだった。慌てたように続ける。


 「……いや、同年の者とあまり話をしたことがなくてな。どうすればいいのか、すこし解らなかっただけだ」


 マフィータは、曲がりなりにも帝国皇女。高貴なるお方。そこの一市民、頭が高い、控えよろう! ……最後は何かちがうような気がするけど、概ねこんな感じだ。それこそ、この説明をするのも、そろそろくどいと言われるかもしれない回数だ。

 でも、その所為で確実に寂しい思いはしてきているのだろう。宮中はもちろんとして、学園に来てからも誰かと話しているって言う場面を見たことが無い。


 「……ごめん」


 なんだかいたたまれない気持ちになって、咄嗟にそんな言葉が音波となって口から出た。もう少し何か良いフォローの仕方とかがあるのかも知れなかったけど、哀しいかなその音波は辺りに満ちている空気を伝って確実にマフィータの鼓膜に届いてしまったようである。

 ほんの一瞬だけ疑問符を浮かべたマフィータだったが、すぐに呆れたように言った。


 「なんで、お前があやまるひつようがあるのだ?」

 「い、いやぁ、なんとなく」

 「………本当に、変わっているな」


 会話は、ここ二ヶ月だけの付き合いで、生徒たちの間からは「時間にルーズ」との定評を受けるようになった担任の先生が、六分遅れで教室に悪びれもせず入ってきたことで打ち切られた。

 先生の話を聞きつつ、最後にマフィータが言った台詞が頭を渦巻く。

 変わっている。彼女はそう言った。いったい、どういう意味なんだろうか。

 やっぱり、この歳の子供にしてはおかしな思考を持っているってことだろうか。それとも、別の何かか?

 だが、考えてもその真意がわかるはずもなく。

 結局、すぐに今日の夕食のメニューは美味しそうなのが出ないかな、と言う思考にとって変わられることで今日の学校が締めくくられたのだから、ぼくの頭は羨ましいくらいに平和そのものだったのだろう。












 あとがき


 どうも、作者です。更新遅くなってすいません。リアルでテスト期間とか言う物が始まってしまいまして。今後はもう少し早く更新できると思います……テストの点数次第ですが。

 ところで、殆んどの方が気付いたとは思いますが、前回投稿後に今の状態では文章が読み辛いと言うコメントがありました。それで、色々試した(と言っても、取り敢えず行と行の間を空けるくらいのことしかしてませんが)結果、こんな形が一番しっくり来るのかな、となったので、今回はこんな形で投稿させて頂きました。

 もし、以前の方が良かったと言う意見があれば戻しますし、逆にこれで良ければ全部の文章をこんな形に直そうとも思っていますので、コメントに意見のほう、よろしくお願いします。

 それでは、コメント返し行ってみよー。




 >>マチ氏

 と言うわけで、このような形になったのですが……どうでしょうか?


 >>はるぱ〜氏

 読んでいただけてありがとうございます。

 いろいろと拙い文章ですが、今後ともよろしくお願いします。


 >>腰痛の人氏、pope氏、炯氏

 全くもってご指摘の通りでした。説明文の方は、これから徐々にそこまでくどくないように挟んでいきたいと思っています。

 文量の方は……以前と比較すれば一応確実に伸びて来てはいるのですが、まだ不足気味ですかね。今後も精進したいと思います。


 >>お餅氏

 主人公の日常ですが、次話でそんな話を投稿できると思います。


 今後の課題はやはり文量と、あと更新速度ですかね。なるべくどちらとも満足行けるようにしたいと思います。ではでは。



[14989] 第一章 第六話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/05/24 23:29
                                                四月三日 セント・アルマーダギー学園 初等部一年特別学級













 「……暑い……」


 帝国暦618年の四月は、そんな一言で要約できるほどのインパクトを持っていた。何と言うか、本当に、暑い。

 四月といえば、日本では桜が満開を迎え、花見に精を出している時期だけれど、もちろんこの異世界ではそんな事はない。と言うか、こっちに来てから桜に類する植物を見たことすら無い。

 この妙にずれた暦で四月は、日本でいう七月のような気候を持った月だった。但し、日本の七月と似ているのはあくまで本格的な夏の訪れが来る月だと言うことだけで、ここの夏はスコールでびしょ濡れになったと思えば、照りつけるような暑さで活動する気を消失させられるような気候だ。

 それにしても、今年の暑さは酷すぎた。まぁ、百歩譲ってスコールだのなんだのは六年間の生活で慣れたから別にいいだろう。もういつものことってレベルだ。

 だけど、にしたってなんだよこの尋常じゃない暑さは! もう、暑いってか熱いって段階だぞ!?

 机にベッタリと張り付いたまま、僕は何とか首を動かして辺りを伺ってみる。授業間の五分間だけの休憩、所謂五分休憩の時間は、最近漸く完全に打ち解けてきたクラスメイト達にとっては、何時もなら節度ある私語に満ちたものであるはずだった。

 ところが、教室の様子は想像からは遥かに離れたところを行っていた。恐らく、どんなに微量でもいいから冷たさを求めて壁やら机に張り付いている連中で埋まっている。まさに、死屍累々と言う言葉が相応しい惨状だった。とてもあの中に上級の貴族が複数人紛れ込んでいるとは思えない。親や教師に見つかれば、まず叱責ものの状況だ。まぁ、こんな惨状でも何時ものようにマフィータを中心とした某アルファベット一番と二十番で構成さ
れる防御フィールドが機能しているのはある意味感心するけど。

 ちなみに、その件のお姫様はと言えば、そこはプライドとか色々な問題があるらしく、流石に屍の仲間入りはしていなかった。ついでに述べておくと、この教室で数少ない生者の内の一人は、無駄に元気なレンスキーだったりする。


 「……暑い……」


 なんだか先ほどと全く変わらない台詞のような気がするが、気にしたら負けだ。と言うか、本当に暑いと言う単語が辛うじて口から出てくるか、そうじゃなければしゃべろうなんて気力はまず湧いてこない。それほど酷い暑さだった、挙句、さっきスコールが降ったせいで蒸し暑いったらありゃしない。

 ところでこの蒸し暑さ、実は帝都の気候だけが問題じゃない。今までの暑さなら、今まで五回ここでの夏を迎えてるんだから慣れてるはずだ。

 じゃあ、何がいけないのかといえば、初等部が立ってる立地だ。この決して豪華でもない代わりに住みづらくも無い石造りの学び舎は、事も有ろうに学園が存在している<アルマーダギー>島の中央部に位置しているのだ。

 ついでに付け加えておくと、周辺にある寮や、初等部などより遥かに面積をとる大学部とそれにくっつく各種研究機関が周りを囲んでいたりもする。つまり、早い話が風通しがかなり悪いのだ。

 今思い返せば、<デニム>島のあの家のあの部屋は、この世界の中産階級としては勿体無いくらいの快適な物件だったみたいだ。あの注ぎ込む爽やかな陽の光、潮気をたっぷりと含んだ夏の浜風。

 ………。すんません。現実逃避でした。


 「……暑い……」


 とにかく途方もなく暑かった。「世界海図」の情報をそっくりそのまま信じていいのならば、辛うじて熱帯と呼ばれる気候帯からは外れているはずの帝都だったが、それでも少なくとも亜熱帯くらいの気候であるはずのここの夏、しかも前述したとおりのお陰さまで実感気温が倍増している今年の夏は、つい六年前までクーラーだのなんだのと言う文明の利器に慣れて生活して来た身にとってはきつすぎる。

 暑い、と呟くこととこんな感じで現実逃避することでこの現状を乗り切ろうと思っていたけど、早速リタイアしたくなってきた。本格的に暑くなってからまだ一週間も経って無いんだぞ?

 そこまで、もちろん心のなかで喚いた後、僕は脱力した。前髪から額を伝って汗が落ちてくる。慌てて目を閉じるが、一瞬の差で間に合わない。

 だが、暑さでだるすぎて目を拭う気力も出な……。

 ………。

 黙って、目を拭った。地味に目に滲みたのだ。別に我慢しようと思えば間違いなく我慢できる痛みなのだが、両手が自由なら一も二もなく拭う程度の痛みというのは、なかなかにいらつく。

 そのいらつきに身を委ねて、後頭部の髪を手でワシャワシャとやる――やった瞬間後悔した。そこにも例外なくびっしりとかいていた汗が、手にベッタリと付いたのだ。

 ここまで来ると、もはやいらつきだの何だのって感情は何処かに消え去ってしまった。と言うか、そんな感情あった方が人生をどんどん駄目にしていくような気がする。

 暑さで頭がおかしくなったのか、だんだん思考が人生論の構築にまで発展してきた僕の頭を醒ましたのは、ふと浮かび上がったなんということも無い好奇心だった。

 気怠さを隠そうともせずに横を向けば、きつい蒸し暑さにも関わらず未だマフィータがきちんと背筋を伸ばしたまま存在していた。

 本当に、殊勝というか何と言うか。いや、ただの意地っ張りなのか?前世――こう呼ぶのは未だに慣れない――ではもちろん王族だとか貴族だとかの知り合いなんぞ居なかったんだし、そこら辺は全くもってわからないけど。


 「……何をジロジロ見ている?」


 と、新たな現実逃避の思考は、マフィータの怪訝そうな声と視線で途切れることになった。見つめていたのがばれたらしい。


 「ああ、いやね。暑くないのかなとちょっと深刻な疑問が」


 流石に帝族相手に伸びたままというのも格好がつかないから、渋々起き上がって答える。一瞬、今まで机と接触していた部位に空気が流れ込んで少しは涼しくなったと錯覚出来たが、直ぐに暑さに取って代わられた。


 「確かに暑いが、人のいる前でだらしない事をするなと父上と母上に昔から言われているからな。仮にも帝族なのだからと」


 マフィータはそう言うと周囲を見渡した。反射的に、学級の四分の三近い人間が体を起こす。さもありなん、優秀と認められれば誰でも入ることができるとは言え、結局比率的には貴族の系譜に連なる物がかなりの数に上ってしまう。具体的には、このクラスだと半分がダンの称号持ち、つまり貴族だ。それも比較的大きな。

 それが、仮にも帝国皇帝の椅子に着く可能性のある少女の前で粗相は出来ないのだろう。と言うか、帝族云々を無しにしても、もしだれているのが教師から親に伝わりでもすれば、なんて恐怖心の方が強いのかも知れない。

 そんな訳で起き上がったのが四分の三だ。そう、四分の三。では、残りの四分の一はどうしているのかといえば、そんな事関係ないとばかりに机にへばりつき続けている。

 ……あの中には確か、貴族も居たはずなんだけどなぁ。あれは、よほどの大物なのか、それともただの馬鹿なのか。ここに居るってことは後者じゃないはずなんだけど。

 そういえば、貴族といえば、あそこでむしろマフィータが辺りを絶対零度の視線で持って見回してから冷や汗が増えたように思えるレンスキーは、どうして猫耳が無いんだろうかね。男には猫耳が無いわけじゃなく、他の貴族の中には男で猫耳って言う今はいいけど中年のおっさんになったらどう反応していいか分からないのもいるし。


 「だいたい、そこまできつすぎる暑さでも無いだろう。帝都育ちなら、別にだれる必要もないと思うぞ」


 何時の間にかかなり脱線していた思考を呼び戻したのは、皇女殿下の「私には理解できない」的口調で発せられたその言葉だった。


 「いや、マフィータ?」

 「なんだ」

 「その、汗ダラダラ掻いてそれは説得力とかが全くないんですが……」


 確かに、マフィータは平気そうな表情と態度でずっと座っていた。但し、全身には隠せるものではない汗を掻いているけど。


 「………そんな事はない」

 「いやいやいやいや」


 理解した。さっきは殊勝とか言ったけど、これ絶対強がりだ。

 長い間に秘められていたらしい何かを、しかし確実に実感した僕は、人知れず心のなかで頷いた、つもりだった。


 「なに?」

 「……………………いえ」


 ――どうでもいいことだけど、考えが行動に出るって言うのは損なんだと改めて痛感しました。と言うか、何やらデジャブを感じるんだけど。

 マフィータのこの空気中に存在するどの物質よりも重い視線を途切れさせたのは、涼しげな顔で教室に入ってきたグナンゼウ先生だった。入ってきた瞬間予鈴が鳴る。

 どうして、あんなに涼し気なんだろうか。マフィータから視線を教卓へと移しながら少し疑問に思った。体毛のため、僕たちよりよほど暑いだろうに。そこまで考えて、気付いた。何だ、獣族辺境域は帝都とは違って完全に熱帯地域じゃないか。暑さに慣れていて当然だ。


 「きりつ、れい」


 今日の日直の号令で、僕にとっては昔懐かしかった、しかし今となってはすっかり日常に組み込まれた動作を行う。但し、暑さの為全員に何時もの切れがない。唯一、マフィータだけが帝位継承権保持者としての意地かいつも通り、この歳にしては不釣合なくらいの礼をしていたけど。

 他の先生だったら叱責物な行動だったけど、幸いにしてグナンゼウ先生はそういった所に厳しくない。一見凶暴そうな肉食獣にしか見えない口元に苦笑いを浮かべただけで、授業に入った。


 「んじゃ、今日は教科書の22ページ、『古代リージョナ族の暮らし方』からだ。――んじゃリッペポット、読んでくれ」

 「はい」


 指名されて立ったのは、クルツ・ベーリング・ダン・リッペポット――帝国でも名高い八公爵家の内の一つ、リッペポット家の次男だった。

 何処で覚えたのか、この歳にして恐ろしく気障な仕草で起立した彼は、呆れたような視線で見つめるグナンゼウ先生に気付いた様子もなく、教科書を読み始めた。それと同時に、僕も手元に視線を落として文字を追い始める。


 「『ていこくれきよりもずっと前、リージョナ族のせんぞの人たちは、森で狩りをしたり、海で魚をとったりしてせいかつしていました。かつての<リージョナリア>島は、今よりももっと大きく動物がたくさんいた森と、今もかわらないきれいで生き物にあふれる海を持っていましたから、畑でやさいやいもなどを育てたりはしていませんでした』……」


 大学部史学科の研究家達が、幾分かの報酬上乗せと引き換えに毎年最新の研究結果を考証した上で完成する歴史教科書を、初等部向けに編集したそれの文字の羅列を見て暑さを紛らわしながら、僕はちらちらと視線をリッペポット君に向けた。

 堂々と声を張り上げ、まるで冒険活劇を朗読しているかの口調で教科書を読み進めて行く彼は、日本人一般が「お坊ちゃん」だの「貴族の子供」だのと言う単語で想像する像のまさしく平均の姿だった。

 他の同級生や、時として学園の職員にさえも尊大な態度で接することが多い彼だったが、仕方が無いといえば仕方が無い事ではあった。何せ、彼の家はあのリッペポット公爵家。並の貴族とは訳が違うのだ。

 帝国の貴族制は、原則として貴族の国政関与を禁止している。まぁ、有用な人材の登用って観点から跡継ぎ以外は官僚として中央官庁で働けるけど、その場合生家との関係は消滅するから、貴族として国政に参加することはやっぱり不可能だ。

 その厳格な貴族制の中で、唯一帝位継承と言う、帝政国家にとって最重要な問題に口を挟めるのが、リッペポット公爵家もその名を連ねる八選帝公爵家だった。

 詳しい制度の説明は後に譲るけど、ともかく、八公爵家は帝国貴族制の頂点の存在で、必然的に他の諸侯より重要で――富んだ土地を任されることが多い。

 幾ら、法で警備戦力以外の兵力の所持が禁じられているとは言え、その地位は絶対的に高い。

 そんな環境が完全に人格に影響されてしまったらしいリッペポット君は、長ったらしく歴史の教科書を読み終えると、どうだと言わんばかりの顔つきになった。何と言うか、一仕事終えての達成感に似たものが顔に出ている。


 「あ~、音読ご苦労様。座っていいぞ」


 努めてリッペポット君の態度やら何やらを無視するように、先生はそう言って着席を促した。

 リッペポット君が最後まで存在な態度を崩さずに座るのを見届けた先生は、教卓から教師用の教科書を手にとると、チョークで『帝国成立より前のリージョナ族の暮らし』と少し大きめな文字で書いた。


 「え~、リッペポットが読んでくれたところに書いてあった通り、大昔のリージョナ族は主に狩りをしたり、漁をしたりして食べ物を確保していた。これは、教科書の通り、昔の<リージョナリア>島には動物や魚がたくさんいたからだったが、もう一つ大きな理由としてそこら中に木が生えていた<リージョナリア>島では、農業をするのがかなり面倒くさかったと言う事もある。で、それがよく分かる遺跡って言うのが、今も帝国がきちんと保管している『貝塚』って物だ。これは、昔のリージョナ族のゴミ捨て場だったって言われていて……」


 正直、僕にとっては四五歳の頃に読んだ無名学者の文化史の劣化復習で、殆んど聞くべき内容も無い話が長々と続く。それでも自然と聞き耳を立ててしまうのはやっぱり歴史が好きだからだろう。これが惚れた弱みってやつなのか? と一瞬なんだかよく分からない思考が頭を巡った。

 馬鹿な事を考えていたと自覚すると、途端に暑さが蘇ってきた。これは、意地でも授業に集中しないと暑さで気が狂うかも知れない。


 「――と言うわけで、『貝塚』なんて呼ばれている。で、今リージョナ族は船を操るのがとてつもなく上手いなんて言われているが、大昔のリージョナ族が船に乗り始めたのもこの頃だって言われてるな。これは、『丸木舟』と呼ばれるもので、簡単に言うとでかい木を切り倒して、その中を刳り抜いた船だ。この小さい船でようやく沖に出始めたリージョナ族は……」

 「せんせい」


 僕が身体中の感覚器官から感覚神経を通して大脳に送られてくる『暑い』と言う感覚を必死に無視している間にも、先生は流れるように授業を続けていたのだが、唐突にそれが遮られる。

 クラスのほぼ全員が声のした方を向くと、大人しそうな少年が控えめに手を挙げていた。名前は忘れたけど、確か彼も八公爵家の一つであるフルマーニ公爵家の子供だったはずだ。隣が皇女殿下と言うこともあってついついスルーしてきたけど、特別学級はかなり身分の高い連中が存在している。

 クラス中の視線を一身に浴びる形となったフルマーニ君は、おずおずと言う表現がよく似合う仕草で質問した。


 「あの、せんせいはその時はじめてリージョナ族がふねで海に出たっておっしゃいましたけど、ぼくはむかし、リージョナ族はとおい海から船によってやって来たって教わったんですけど」


 彼は、同じ八公爵家のリッペポット君と違って、尊大さとか威厳とかを全く感じることの出来ない口調で質問した。若干六歳の子供が『昔教わった』等と言うのはものすごく違和感があるけど、貴族なら三四歳の頃から家庭教師が付くなんて言うのは当たり前だから別に気にするまででもない。


 「ん、ああ」


 興が乗ってきたところを中断させられた所為か、一瞬だけ不機嫌そうな表情が出たグナンゼウ先生だったが、すぐに押し隠す。


 「それは、建国神話だな。確か、『四海の彼方より、偉大なるマキたちのお導きに従って、我らの先祖は、見窄らしい小舟を勇気と希望で満たして島に至ったのです』だったか」

 「はい」


 『建国神話』と呼ばれる人族帝国の建国譚の一節をすらすらと暗唱してのけた歴史教師と、適当にではなくそれが正しいと認識した上で肯定する生徒。初等部一年生と言われて想像する何かをぶち壊すようなやり取りだった。

 その指摘に、一部生徒の間では、特別学級どころか全ての初等部であってはならないはずの私語が生じる。殆んど、日頃からグナンゼウ先生を好いていない奴らだった。おそらく、彼らの不満を拡声器か何かで拾えば、「そうだ、訂正しろ蛮族!」とでもなるんだろうか。

 しかし、自分にとって面倒くさいことは、それが授業内容以外なら全てスルーするのがこの先生だった。と言うわけで今回も例に漏れず、外界の情報を全てシャットアウトして考えを纏めていたのか、ほんの数秒黙った先生は、いきなり口元に微笑を浮かべると質問に答えた。


 「昔はそう言われていたんだが、最近大学のえらーい先生方の間で考え方が変わってな。いろんな遺跡の壁画――壁にかかれた絵に船みたいな物が出てくるのもその頃だからな」

 「でも、『建国神話』だと……」

 「あれはあくまでも神話だ。歴史じゃない。だいたい、あれが書かれたのは帝国建国からだいぶ経った後だから、正確かどうかは判らんしな」


 先生の言うとおりだった。『建国神話』は編纂目的がリージョナ族支配の正当化で、彼らは神の化身云々の文章で綴られた物だ。叙事詩と違って、散文調なのも特徴だ。まぁ、あまりにくどい部分を除けば、読み物としては結構面白い。

 でも、神話はやはり神話だった。


 「ともかく」


 先生は、両手をパンパンと叩いて、説明を聞いてなおも食って掛かる気満々に見えるフルマーニ君を制した。


 「歴史は神話とは違う。つーワケで、試験の答えで私が教えた以外の答えを書くんじゃないぞ。間違いだと認定するからな」


 途端、今度はとうとう不満の声が上がった。当然と言えば当然だ。自分たちが蔑視している連中から、自分たちが子供の頃から慣れ親しんできた物語を否定されれば、誰だってそんな状態になる。


 「ほれ、五月蝿いぞ。ことテストに関しては、私が規則だ。だから、私に従え。いいな?」


 先生は大真面目な顔で言った。まぁ、正論ではあるけど何と言うか理不尽な言い方だったが、それでも渋々と言った様子で不満の声は消え去る。

 先生は、満足げに頷いた。

 「うし、それじゃあ、次のところを――」





 「あー、生き返る……」


 黙々と、僕と同じメニューを食べ続けるマフィータを目前に、思わず僕はそう呟いていた。同時に、窓際の纏められたカーテンが若干ながら、確かに動いた。風が吹き込んだのだ。

 さっきの歴史の授業は四時間目だったから、それさえ終われば皆楽しい昼休み。と言うわけで、暑い暑いと死にそうな目にあっていた僕たちは、ようやく清涼な食堂へとたどり着くことが出来たのだった。

 まぁ、食堂も食堂で、涼しいなんて口が裂けても言えないような暑さだけど、それでも初等部校舎よりは遥かにましだ。

 おまけに、今日は更に素晴らしい救済が僕たちを待ち受けていた。今、僕とマフィータが必死になってかっ込んでいる物、冷やしたスープだった。

 そこ、なんだそんな物かなんて思うんじゃない。こっちの世界じゃ、井戸から組み上げたり、雨水蓄えたりした水ばかりだから冷たいと言うより温いんだ。それに比べて、この冷たいスープはここでは最高級品の内の一つに数えられる氷を使って冷やされてるから、この感動はもう筆舌に尽くし難い。

 そんな訳で。僕はそれをありがたーく、ちびちびとスプーンで掬っては口に運んでと繰り返す。うーん、冷たい。

 冷たさと言う、実は何よりも得ることが難しい物の重要性について改めて確認していると、目の前でカチャンと言う金属と陶器の触れ合う音がした。マフィータが、無造作にスプーンを皿の上へと置いたのだ。おーい、確か帝国のテーブルマナーでは食器で音を出すのはタブーなんじゃなかったっけ?

 そのまま無言で立ち上がり、マフィータは食堂の厨房側へと歩いていった。その先には、職員たちが向かい側に立っている棚があり、食事を摂るときはそこから各種ランチをもらってくるのだが、どうしてマフィータはそんなところに行こうとしているんだろう。食器を片付けるにしたって、そもそもまだ食べ終わってないようだし。第一、食器を片付ける棚は真向かいだ。

 ほんの一瞬だけ悩み、ああ、と気付いた。恐る恐る声をかけてみる。


 「……あの、マフィータ?」
 
 「何だ?」

 「それ、お代わりは出来ないと思うよ?」


 冷やしスープ(正式名称? ナニソレ美味しいの?)は、今日の目玉メニューだ。特別に全てのランチにくっついてくる代わりに、数は限られている。具体的に言うと、一人一杯。

 僕とマフィータの間に、寒風が吹き抜けたような気がした。これが本当の寒風だったら涼しくて良かったのに、と思う。残念なことに、その風は火照った身体を冷やすどころか、むしろ冷や汗を出させやがったけど。

 しばしの無言。そして、マフィータは若干頬を赤らめて席につき、一心不乱に食べかけのアンプに齧り付いた。図星だったらしい。

 何ともいたたまれなかったが、がっついて一気に全部飲んじゃったから引き起こされた事態。自業自得ってやつだ。気を取り直して僕はスープを再び掬った。うー、ちべたい。

 感動的な冷気との対面に、今日何度目かの感謝を捧げたところで、ふと前方からこちらもかなり冷たい視線が照射されていることに気付いた。犯人は……。


 「あげないよ」

 「………」


 言わずもがなマフィータだった。


 「お前、もう少し帝族にたいして敬意をはらうべきじゃないのか?」


 もはや、帝族の意地とかどうでも良くなったらしい。初めて見るかも知れない子供っぽさで、屁理屈をこねてきた。

 さて、僕はどう行動すべきだろう。日本でなら、是非もなく全部あげていたはずだ。それだけは間違いない。

 ただ、ここは異世界だった。この至高の一品を、誰であろうと明け渡す気にはなれない。


 「学園は皆平等、って言わなかったっけ?」

 「勉強の時はな。今は食事だ。だから、そのパスサ(訳:スープ)を」

 「じゃあ、敬意を払わさせてもらうよ。ああ、帝族ともあろうお方が、こんな下賎の物の残り物に手を付けようだなんて! ならば、この私奴が殿下のお目を惑わす憎きパスサをば平らげ、以て安寧を差し上げましょうぞ!」

 「……お前なんか嫌いだ」


 こんな時だけ頭が回る。回りくどく少女の希望を絶ち切ってやった僕は、満足げにスープを飲んだ。大人気ない? テラ外道? 五月蝿い。なんなら、その言葉を夏の沖縄辺りで冷えた水もアイスも何もとらずに一ヶ月暮らした後にほざいてみやがれ。

 なんだか一瞬キャラが変わったような気がしたが、ともかく、今の僕にこの清涼剤を手放す余裕なんか存在しない。

 さて、最後にぼそっとつぶやいた後、絶望したのかマフィータは思いっきり机に突っ伏していた。……大人気なくないったら無いんだ。心が痛むと言う点については全然同意するけど。

 と、いきなりマフィータ顔を上げた。何やら思いつめた表情を浮かべている。


 「…マ、マフィータ?」

 「……すまん、クレイリア」


 言うなり、マフィータは僕のスープに掴みかかった。


 「ちょっ! おまっ!」

 「離せ! 後生だ! 私にそれを食べさせろ!」

 「んな無茶苦茶な!」


 傍から見れば、一方が帝族などと考えるような奴は、即刻アホの子として認定されそうな勢いで僕とマフィータの死闘(笑)は続く。食堂のおばちゃんから、


 「アンタ達! 静かになさい! それでも学園の生徒ですか!?」


 と叱責されてスープを取り上げられるまで。


 「……恨むよ?」

 「自業自得だ」


 帝国皇女は、全てが済んだ後澄ました顔でそう仰った。





 「……暑い……」

 「………自業自得だと思うぞ?」


 つい一時間ほど前に聞いた覚えのある台詞だった。それを言うなら僕の発言もだけど、本気で暑いんだから仕方がない。時刻は現在午後二時過ぎ。照りつける陽の光はいよいよもってギラつき、お陰さまで再び暑さが舞い戻ってきた。


 「と言うか、ひじょうしきなだけか」


 妙に納得した表情でレンスキーが頷く。既に、帰りのHRが終了して大半の生徒が帰り支度を整え、寮に戻りつつあった。

 先程とは違い、今回は僕ばかりが暑かった。他の連中は、皆楽しく冷やしスープを楽しんでいたのに、僕とマフィータは最後の最後で喧嘩したために無駄に暑くなってしまい、おまけに僕は半分程度しかスープを飲んでいない。

 お陰さまで、清涼感に溢れているレンスキーに比べて、僕は暑さを隠すことさえできていなかった。ひたすらに暑い。


 「……非常識とは何だ、非常識とは」

 「帝族にけんか売っといて、そういうたいどが取れるって言うのはすごいことなのかな?」


 流石に非常識という単語にはムッとしたから、気力を振り絞って抗議すれば、自分の首を締めるだけに終わってしまう。本気で疑問に思っているようにしか見えないレンスキーを見て更にげんなりした。


 「まぁ、何とかしようと思わずあきらめた方がいいぜ?」

 「……私の暑さもしょちなしか」


 ちなみに、マフィータも暑すぎる所為か、冷やしスープが恋しいからか、午前までの誇りある態度を忘れたかのようにだらけた状態で机に突っ伏していた。更に補足すると、その為、レンスキーはマフィータの存在が頭から抜け落ちていたらしく、無警戒なまま今までにないくらいマフィータに接近していた。

 自然、レンスキーの行動は次のようなものになった。一瞬、万引きがバレた小心者の中学生のように身体を跳ねさせ、油を差し忘れた機械のような擬音が最も相応しい動きで声のした方――つまりマフィータの居る方へ首を回した。そして、


 「で、でででで殿下!!?」


 素っ頓狂な叫び声をあげた。うーん、デジャブ。入学してから四ヶ月ほど経った筈だが、やはり独特の雰囲気を検知してしまうらしい。平等主義の賜物か、単に鈍感なだけか、僕には全く分からない雰囲気だ。できるなら、前者であって欲しいけど。

 そんなレンスキーの様子に、突っ伏した状態から顔だけあげるという帝族にあるまじき格好をしたマフィータは、拗ねたような表情を浮かべた。


 「何だ、化物でも出たような声を出して」

 「いいいいえ、めめ、めっそうもございません!!」


 動揺の色を隠せないどころか、筆を使って自ら嬉々として辺りを塗りたくっているような口調でレンスキーは慌てた。見れば、冷や汗が首筋に浮かんでいる。そんな様子を見て、マフィータは諦めたようにため息をついた。


 「……部屋に帰る」

 「え、ああ。また明日」

 「ど、どうちゅうお気を付けください! 殿下!」


 教室を出て行く足取りは重く、その背中には暗いオーラが纏わり付く。少なくとも、楽しくなさげなことは確かだ。

 僕は、隣で必死になってお辞儀する元凶に訊いた。


 「……お前はどうしてそうかたっ苦しく接するかな」

 「ちょっと待て! おれがおかしいんじゃない。おまえがおかしいんだ! だいぶ前にも言っただろ? ふつう、帝族とそんなきがるに話すやつなんかいないって」

 「……レンスキー、慣れればべつにどうって事ないぞ?」

 「だ・か・ら! その感覚がおかしいっていってんだよ!」


 実際、慣れとは恐ろしいもので。始めは酷くギクシャクした会話しか続かなかった僕とマフィータは、既に普通の友人くらいの立ち位置に落ち着いている。まぁ、普通の友人が僕しか居ないから特別扱いされているように見えてしまうんだけれども。

 ちなみに、僻み・憎悪その他の面倒事は今のところ何も起こっていない。よくよく考えてみれば、そんな事で僕に難癖つけてくれば、即刻マフィータに泣きつかれるとでも思われているのかも知れない。だけど、正直実害さえ無ければ別に影でどう思われていようがどうでも良かった。

 もし、そんな事があれば、嫌でも身分の差云々を悟ることになっていたのかも知れないけど、もちろん現実はそうはなっていない。学園の先生方も、流石に初等部一年生の内くらいは友達づきあいにそこまで身分がどうのこうのと言う指導はしないらしい。この先どうなるかは全くわからないけれど。


 「第一、みがまえずに話せって言うのがムリだろ!」

 「無理なんかじゃないよ。とりあえず、相手は帝族ってのを忘れて話てみれば?」

 「………それができりゃ苦労しないよ」


 さっきの一件で余程緊張したのか、疲れきった表情でレンスキーは鞄へ授業道具を詰め込み始めた。


 「案外簡単だと思うし、大体そのくらいの考えじゃなきゃマフィータと友達になんてなれっこないよ?」

 「……べつに。帝族と友人になりたいとも思ってねぇし」

 
 嘘だ。何と言うか、態度の節々から「実はおれ、殿下とお友達(小一の言うお友達だから、野暮ったいことは考えないように)になりたいんです」的オーラがにじみ出てるし。

 しかし、それを追求するのはそれこそ野暮な話だ。

 僕が押し黙ったのに満足したのか、無言のままレンスキーは寮へと歩き出した。

 それを慌てて追いかけながら考える。それにしても、マフィータのあの挙動って、やっぱり殆んどのクラスメイトから避けられてるのを気にしてるんだろうか?

 これが、日本なら何とかしようとも思えるんだけど、相手は帝族、しかも皇女だ。もしかして、そんな事毛ほどにも思ってないのかも知れないし。その辺、やっぱり身分だの何だのって言うのには慣れないし、慣れようとも思わない。

 小学生ってこんなに気苦労が溜まるもんだったっけ?

 僕の切実な思いは、誰にも届くことなく、暑さに制圧された廊下へと溶けていった。














 あとがき


 と言うわけで日常回でした。

 予定では、あと一話ほど日常回を投稿した後、ようやく本編が進んで良く予定です。……ほんと、長かった。まぁ、長くした元凶が何を言うんだという話ですが。

 それとですが、見やすさも考慮に入れて、今回の投稿で今までの投稿分も全てこの形に修正しておきました。これでいくらか見やすくなったと思います。

 では、今後もこの拙い小説を、よろしくお願いします。ではノシ。 




  



[14989] 第一章 第七話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/06/11 22:53
                                                                  セント・アルマーダギー学園












 




 お偉いさんの執務室とか、自室とか。ともかく、権力のある人専用の何かって言うものを平凡な一市民が想像すると、大抵の場合脳裏には城と見紛うが如き空間が広がることだろう。

 そして実際のところ、例え想像ほど豪華ではなくとも十分「そうだ」と感想を漏らすことのできる場合が多い。

 その一般例から考えると、今僕が感じているのも通例に違いなかった。少なくとも、あの初等部の立地よりは遥かに良い。風は頻繁に室内に吹きこむし、挙句その風は爽やかな潮の香りを多分に含んでさえいる。まさに、天国と地獄だった。

 えらく久しぶりに感じる潮の香りを若干堪能した僕だったけど、すぐに気を目の前の人物――この部屋の主に向けた。


 「失礼します。お茶が入りました」

 「うむ」


 その瞬間、部屋の脇に設けられた、廊下に繋がる扉よりも一回りは小さい扉がノックされ、そこからお茶を持った若い女性が現れた。

 手馴れた手つきでカップを置いた彼女と目が合った。こちらに気付いた彼女は、一瞬だけ男なら誰でも魅力を感じるだろう笑みを浮かべる。

 思わず目で追ってしまうのは、男の性だと信じたかった。慌てて気を取り直せたのは、脇の扉が閉まる音と、部屋の主が茶を啜る音のお陰だった。

 どうやら直前まで書類仕事に精を出していたらしい彼は、アイスティーに似た異世界の飲み物で喉を潤すと、ようやく口を開いた。


 「どうだい?学園の生活は」

 「楽しいです。とても」


 僕の当たり障りの無い答えに、部屋の主――セント・アルマーダギー学園学園長、つまりマリウスさんは更に笑みを大きくした。


 「そうか。それは良かった。てっきり、こんな授業はつまらないとでも言うのかと思っていたよ」


 そう言って、再び茶を口に運ぶ。僕は呆れた。完璧に図星を指されたのだ。

 正直言って、殆んどの授業が暇だった。どのくらい暇かといえば、50分ほど丸々使って「4÷2の解き方は?」に始まる授業を受け続ける自分を想像してもらえば簡単だと思う。まぁ例外として、小難しく思考が纏まってしまったこの世界の歴史認識に対して新鮮な切り口を与えてくれる歴史科と、それとは別教科として、やけに詳しく社会の制度を教える社会科はまだ楽しめたけど。

 しばらく呆けたように佇んでいると、マリウスさんはイジメ甲斐のある奴を見つけた子供のような目をした。


 「やはり、そうかな?」

 「い、いえ。本当に楽しいですから」

 「子供が遠慮をするものではないよ」


 しどろもどろに成りかけつつ、誤魔化すような答えをけちらされた。


 「さぁ、正直なところは?」


 寸前とは打って変わり、今度は悪戯を優しく追求する好々爺のような口調でそう促してきた。仕方なく、呟くように話した。


 「……暇なときもありました。少しでしたけど」

 「よろしい」


 マリウスさんはうんうんと頷いた。


 「実を言うと、今の授業で満足だと言われると困っていたんだよ」

 「困る…、ですか?」


 「私が直接『学園に入学させてくれ』と話し合いにかけたんだ。むしろそのくらいふてぶてしくなくてはな」

 「はぁ」


 そんな間抜けな声をあげることしか出来なかった。子供相手に良くこんな会話ができると呆れるべきか。いや、既に子供として見られてないのか?

 僕の様子を見て、マリウスさんはとうとう声をあげて笑い始めた。


 「……すまん、すまん」


 腹を抱える、とまでの大笑いでは無かったけれど、十二分に笑われたような気がした。悪い気だけはしなかった。


 「……そういえば、君はこの長期休暇中、どうするつもりなのだい?」


 笑いすぎたことにバツの悪さでも感じたのか、ただ単純に突然思い出したからなのか。マリウスさんは笑いをようやく収め、尋ねてきた。


 「えと、とりあえず二三日は寮で過ごしてから、後はずっと家に帰ろうかと」


 家。その単語を口にだすことがかなり久しぶりに感じられた。頭で少し計算してみる。……約四ヶ月ぶりだった。

 四ヶ月ぶり。つまり寮生活が始まってから四ヶ月の経過。もっと言えば、入学してから四ヶ月。少しくどすぎたから結論を述べれば、一学期が終わったと言うことだ。楽しい楽しい夏休みの始まり、だ。

 ちなみに、僕がマリウスさんの部屋――学園長室に呼ばれたのは、異世界だろうが国立だろうが、こればっかりは日本の地方学校と変わらない、長ったらしいだけで役に立つことなどない教師の長話を気力で乗り切った直後だった。早い話が、もう既に夏休みなのだ。


 「そうか。それじゃ、なるべく早く帰ってご両親を喜ばせてあげなさい」


 優しく微笑んだまま、マリウスさんは続ける。まぁ、言われなくても分かりきったことだったし、素直に頷いた。


 「何なら、少しくらい甘えてもいいと思うぞ?」


 含み笑いをしながら言った最後のそれは、余計なお世話とも思ったけれども。






 初等部寮は、やはり立地が最悪らしい。なまじ今まで最高に程近い地点に居ただけ、尚更そう感じる。まぁ、少なくとも教室よりは遥かに過ごしやすいのが一番の救いだ。

 学園長室から戻った僕は、部屋に入ると、真っ先にベット目がけてダイブした。最高級品な訳ないから、ふかふかの感触が身体を包むような感覚はもちろん存在しない。けど、まぁ解放感だけは味わえる。

 ああ、このなんとも言えない感覚が幸せだ。

 学校が終わり、家に帰ったあの瞬間。何か業のような物から解放された感覚。成人して酒を嗜むようになるまでは、最上の楽しみだったのかも知れない。まして、長期休暇のそれともなればひとしおだ。と、悦に浸っていると。


 「うるせぇ……」


 同居人から苦情が出た。

 そういえば、何故かレンスキーはぐったりとベットに倒れ込んでいた。そよ風程度の風では涼めないのか、教科書を団扇のようにして必死に仰いでいる。教科書を団扇にするなんてのは本来なら叱責ものの行為だけど、教師に見つからなければいいって言うのは生徒たちの暗黙の了解だった。自尊心の高いやつは言われなくてもそんな事はしないが。


 「……どうしたの?君なら『こんな暑さが何だ』って勢いで遊びにでも行ってるのかと思ってたのに」


 別に、今日が特別暑いって訳でも無かった。普段はしゃいでるっていうのに、どうして今日に限って?疑問はすぐに解決した。


 「………はしゃぎすぎた」


 その一言だけで十分だった。解放感を味わうのもいいけど、羽目は外しすぎないようにしないと、と教訓に労りの視線を送りつつ思った。


 「ところで、おまえはどうするんだ? 休み」


 レンスキーは俯せになって寝ていた身体を、ゴロンと回転させてこっちを向いた。


 「とりあえず、家に帰るつもりだよ」

 「……おまえでも、とうちゃんかあちゃんが恋しい時はあるんだな」

 「どういう意味?」

 「いや、べつに」


 レンスキーはにやついた。妙に癪に障る。


 「そういう君はどうなんだ? やっぱり家に?」

 「おれはずっと寮にいるよ」


 殆んど条件反射で尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。てっきり、僕と一緒で真っ先に家に帰るとでも思っていた。


 「それこそ意外だな。……ああ、家といえば」

 「なんだよ」

 「いや、そういえば、君の生まれ故郷とか今まで聞いたこと無かったじゃないか」


 そうなると、俄然興味が湧く。と言うわけで、単刀直入に訊いてみる。

 レンスキーは頭を掻いた。


 「……いや、あれ? 話したことなかったっけか?」

 「うん、全然」

 「……かおが近い」


 気付くと、レンスキーのベッドにかなり近づいていた。慌てて離れる。まさか、某有名ライトノベルの主人公の台詞をネタ以外で言われるなんて思っても見なかった。弁明すると、僕にそっちの気は無いぞ?


 「ったく、なんでそんなにきょーみしんしんなんだ?」

 「親友の事をもっと知りたいんだ。当たり前のことだろ?」

 「シンユウ、ねぇ」

 「……夕食のおかず」

 「<リージョナ・ポリス>のクラフト島だ」


 即答だった。何とも、食事に弱い奴である。

 ただ、レンスキーの即答に妙に引っかかるキーワードを見つける。思わず、オウム返しに訊いていた。

 
 「クラフト島?」


 クラフト島は、<ポリス>の中でも、単純労働者や貧乏な商人が居を構える島のことだった。下町と言う表現が最も似合う街かもしれない。

 しかし、そこに貴族が居ると言うのはどうにも解せなかった。大抵、領地に封じられていない貴族は幾ら貧乏でも少なくともデニム島以上の立地では生活できる。そう言った貧乏貴族は、殆どが軍職に就くからある程度の収入は見込めるのだ。

 僕の疑問が届いたのかは分からないが、レンスキーは何処か遠い目をしながら続けた。


 「キレーじゃ無い島だけど、けっこう楽しいとこでさ。なんなら、いつかあそびに行ったらいいぜ」


 どうも、穿り返すと何か後味の悪い話に突入しそうだった。そもそも、クラフト島出身の貴族という段階で何かあるに決まっている。


 「そ、それじゃあ、今度行ってみようかな」


 若干どもりつつ相槌を打つと、レンスキーは笑った。


 「へんな気を使うなよ。いいって、おれは気にしてないし」

 「……ごめん」

 「だから、あやまるなっての」


 こんな反応があるのも日常茶飯事らしく、簡単に気づかれていたようだった。と言うか、そう信じたかった。


 「さて、それじゃあおれは行くかな」

 「行くって何処へ?」


 僕の問に、レンスキーは共通の友人を二三挙げた。


 「……はしゃぎ過ぎたとか言ってなかったっけ?」

 「休んでたからもー大丈夫だよ。じゃ、夕食の件忘れるなよ!」


 そう言って、レンスキーは部屋から出ると、その勢いとは裏腹に、先生からの叱責を避けるためにゆっくりと歩いて行った。

 少し軽率すぎたかな。机の上に無造作に置いていたファンタジー小説――図書館で見つけた、最近唯一の娯楽――に手を伸ばしながら思った。

 良く考えてみれば、興味本位で訊いていいものでは無かったのかも。だいたい、ダンの称号を持っているのにリージョナ族の遺伝的特徴が表れていないだけでもう少し慎重になる理由は満たせただろうに。本人が気にしていない――と言うか、少なくとも表面上はそうなのはかなりラッキーだったのだろう。

 しおりを挟んでいたページから本の世界に入り浸る。そこでは、異端として集落を追放された龍族の青年と、迫害されて育った人族の少女が運命的な邂逅を遂げているところだった。

 今が辛くとも、将来の幸福が約束されているのと、今が幸福でも、先が見えないと言うのはどっちがより不幸なんだろうか。ふと、そんな事が頭に浮かんだ。尤もその思考は、今日の夕食のメニューはどれをレンスキーに明け渡すかとメニューに優先順位を付ける作業にすぐに押しやられたけれど。












 桟橋近辺は、今まさに帰省しようと言う学生や教師・学園職員たちで溢れかえっていた。

 どうやら、帰省のピークにちょうど合ってしまったらしい。人ごみにまみれながら僕はため息をついた。正直、舐めていた。

 よくよく考えてみれば、家族が遠くにいる職員・教員たちは別として、学園は帝国内外から学生を集めるマンモス校だ。挙句の果てにその大半が寮生活なのだからこういった時にはたまらない。

 そんな訳で、夏期休暇三日目の学園港は、混沌の支配下にあった。少しでもマシなのは、学園に通う連中の大半が貴族か、或いは面子を大事にする金持ちばかりだから、そこどけやれどけと言った怒号の類が無いことだろう。もちろん、中にはそんなの関係ないとばかりに割り込んでくる奴もいるけど、大多数がそんな感じだから冷たい視線の集中砲火を浴びてすごすごと退散していくのがオチだ。

 ただ、割り込みなどはないけどそもそも人による圧力が凄すぎる。あっという間に人の川が何本も誕生しては、各々別の方向へと流れていくから質が悪い。下手すると、迷子になる可能性もある。

 これで転生前の、日本人の平均身長より若干高いくらいの体格があればまだ何とかなったのかも知れないけど、生憎と今の僕は学園初等部の平均身長・体重よりも若干小さい体格だった。これじゃあ、抗うなんてもっての外だ。

 と、目の前で分水嶺でもあるかのように人が別れていく。良く目を凝らし、人々の間から覗き見ると、そこにはうち捨てられたリヤカーがあった。たんまりと貨物を載せているところを見るに、貨物船から荷物を取り出したはいいけれど人の波に押し込まれ、挙句運搬担当者がリヤカーから引っペがされたようだった。

 と、そんな事を悠長に考えてる場合じゃ無かった。これ、下手に間違った方向に進むと、正しい方向に戻るのにかなり苦労しないか?

 苦労してその先を見ると、また別の人の流れが動いていた。何処を目指す流れかは知らないけど、まず間違いなく見当違いの方向へ流されそうだった。

 右か、左か。唐突に、転生直前までやっていた成人向けノベルゲームの選択肢みたいなのが頭に浮かぶ。右か、左か。

 よし、左だ。左にしよう。決断した後の行動が早いのは僕の長所だ。とりあえず、この人の波を掻き分けて左方向へ進めるように……。

 ………。

 そもそも、それが不可能だから流されていると言う現状に気付くまで、さして時間はかからなかった。

 もーいいや。どーにでもなれ。運を天に任せるって、こういう事を言うんだね。もしかすると、「処置無し」って言葉が一番合うんだろうか。

 脱力しきり、半分開いた口から乾いた笑いが漏れつつも、とりあえず足だけは上下させる。すると、人の川に押し流された僕の身体は、結局普通に歩くのと同じくらいスムーズに進行し。

 見事、右側へと避けていった。

 あーあ、これはもしかすると船に乗り遅れるフラグ? またあの地獄に舞い戻り? 僕はつい数十分前までの自室での様子を思い出してゾッとした。

 暑い+暇=この上ない苦しみ。大昔はよく体感していた状況だったけど、文明の利器「クーラー」の導入のおかげで地球では少なくとも快適さだけは味わえるようになって、ついぞ感じたことの無かった感覚。それが、あの時は再来していた。

 僕とレンスキーは、もうベッドの上から身動ぎすらしていなかった。かと言って寝ても居ない。暑くて寝るどころじゃ無いんだ。

 じゃあ、やらなけりゃならないことをする? 「1÷1」から始まるあの超簡単な宿題なら二日で終りましたがなにか? 本でも読むか? そもそも、初等部一年生が図書館からその道の専門書を持ち出せば怪しまれるのは目にみえているから、それも出来ない。ちなみに、この前借りてきたファンタジーは都合五度ほど読んだ。今なら、あの小説を使った長文読解で百点満点を取る自信があるよ。

 ただひたすらに暑いだけ時間が過ぎ去るのを待つだけ。レンスキーに話しかけても、会話は長続きしなかった。僕は今日戻るけど、レンスキーは夏休み中ずっと寮生活。それで、僻んでいるらしかったのだ。

 まぁ、最後にはきっちりと「早く寮に戻って来いよ」と言う泣き言を言ってきた辺り、可愛げがあるけど。

 ともかく、もうあんな地獄に戻るのだけは御免だった。

 だけど、だからと言ってどうすることも出来ない。縋るような気持ちで、先の方を見ると。

 幸運なことに、右に避ける方が正解だったらしい。

 確か僕の乗るべき船が出る桟橋の方向へ流れは変わり、何とか出航時間までにたどり着けそうだ。僕は、安堵の息をついた。が、


 「わっ!」


 その瞬間、何かにぶつかった。

 何だよ、と現状を確認してみると、僕の眼前に出現した障害物は、今の今まで僕の目の前を歩いていた人間らしかった。そして、彼の前にも当惑したかのように歩みを止めた人間がいて、その前にも……。

 早い話、人の流れが何かにせき止められたのごとく、突然止まったようだった。

 いったいどうしたんだろう。


 「おい、君。何があったんだい?」


 僕と同じ焦燥にかられたらしい。恐らく貴族であろうリージョナ族の青年が、近くに居た職員に尋ねるのが聞こえた。耳を済まして会話を拾う。


 「はぁ、何でも、宮廷警察が出張ってきたらしくて。何処もかしこも、流れが寸断されてるらしいです」

 「宮廷警察!? 謀反があったのか?」

 「滅多なことを言わんでください。お迎えですよ、お迎え。ほら、今年の初等部一年に、皇女殿下がご入学なされたでしょう? それでらしいですよ」

 「……それでか。いいなぁ、お金持ちは! 大方、リージョナリア島へも警察船で向かうのだろう。俺のような貧乏貴族には出来ないよ」


 青年は、はぁっと嘆息した。職員が慰めるのが聞こえる。まぁまぁ、貴族なんですから、それでも平民のあたしらよりは遥かにいい暮らしができるんでしょう?云々。

 ともかく、職員の言うことが本当だとしたら、これはマフィータの「お迎え」の所為らしい。

 急に前のほうが騒がしくなってきた。通るって誰が? 誰かが尋ねる声がした。それに応じる声もする。殿下だよ、殿下。皇女殿下の御一行!

 ざわめきは更に大きくなり――次の瞬間には収束に向かっていった。仮にも皇女の通過だ。大名行列のように、道行く人は行列を避けて深く土下座をして、なんてことをする必要はないが、あの悪名高い宮廷警察も居るのだから警戒して当然だった。

 人が蠢いていた桟橋周辺の広場に、一筋の空間が生まれ、そこを数人、いや十数人が通って行く。

 気付くと、人の流れにもみくちゃにされた挙句、僕は最前列の辺りまで前進していた。

 今までが今までだったから、いつもならその凄まじい解放感に感謝しても仕切れないくらいなんでけど、今回ばかりはちょっと事情が違った。

 ちょうど、目の前を宮廷警察の「紳士」諸君がVIPを護衛するような形で歩いている。その隙間から、マフィータの姿が伺い知れた。何処かムスっとしている。

 と、目が合った。するとマフィータは、ふっと儚げに笑う。

 どうしたんだ? いったい。

 疑問が僕の頭の中で大きくなる前に、マフィータの表情から全ての感情が消え失せていた。そのまま、大小あわせて四五隻程度が停泊している桟橋の方へ歩いていった。宮廷警察は、帝族を守るためなら何でもすると言う定評通り、船団組んで御召船を護衛するつもりらしい。

 マフィータとその御一行が船に乗り込むのが確認されてからようやく、堰は壊されたようだった。





 結局、あの混乱のお陰で僕は駆け込み乗車ならぬ駆け込み乗船を行って、船の乗客担当から叱られるハメになった。

 持ち出して楽しめるものがあるんなら、部屋であそこまで暇暇と呻くことも無い。と言うわけで、船に揺られている間延々と続くであろうこの時間を使って、僕はマフィータに呪詛の言葉を吐き続けていた。もちろん、心のなかでだけど。

 僕が乗った船は、環礁内の島間旅客輸送に置いて最も一般的な、ローラン型櫂船だった。小型から中型に属するこの船は、基本的には乗組員の操る櫂によって航海する櫂船だけど、風がある時には上部に存在する二本のマストに張られた帆の補助を受ける船だ。まぁ、ローラン型は環礁内最大手の旅客輸送会社の創始者が考案したこともあって、基本的に環礁の外に出ることは稀だけど。

 ちなみに今は、殆ど無風状態と言うこともあって専ら乗組員の汗によって船は動いていた。ここ――舷側の転落防止用手摺から真下を覗くと、多数のオールが蠢いていた。

 と言うわけで、甲板上は帆走時ほど人はいない。見張りと掃除している甲板員くらいならいるけど、それだけだ。

 甲板は、お世辞にも居心地がいいなどとは言えなかった。直射日光は酷いし、影も殆どない。あってマストの影くらいだ。

 だけど、かと言って甲板以外に居場所はなかった。少なくとも微風くらいは感じられるのだ。これが、旅客が詰め込まれている船室に行くと、蒸し風呂状態だ。

 挙句の果てに、喋れる友人が居ないのである。別に、友達が居ないわけじゃない。デニム島は中流階級が多く住む島で、だから初等部から学園に通わせるなんて人は全く居ないのだ。

 仕方がないし、船内は暑いから少なくとも景色の変化と僅かな風を感じに、僕はこうして甲板に居ると言う訳だ。

 既に出航から一時間が経ちもう、アルマーダギー島は視界から外れていた。

 ボケーと環礁内を見ると、実に様々な船がひしめき合っていた。例えば、短距離輸送用の香辛料を満載したガレー船やら、この船と同じく旅客を輸送しているのだろうローラン型まで多種多様な船達だ。少し遠くには、新造らしい戦列艦が見える。片舷七十門を超える巨艦だ。……運用できるのかと言う甚だしい疑問が残りそうな船だけど、同型艦が見あたらないことを考えると実験艦なのかも知れない。

 不意に、視界に一隻の船が入ってきた。喫水線下に船腹を沈めている。まず間違いなく、何処かで何かを満載して、一儲けのために入港してくる帝国標準帆船だろう。

 風がない所為でかなりスピードが落ちていたが、熟練した水夫たちの手で帆は微風を掴み、最低限の速度での航行を保持している。

 こっちでも甲板の人の動きが徐々に多くなっていた。どうやら、帆走最低限の風は出たと言う判断らしい。わらわらと水夫たちがマストによじ登って行った。ただ、ローラン型のマストはそんなに大きいわけじゃ無いから、かなり見劣りするけど。

 そんな作業をしているうちに、その標準船はローラン型を追い越し行き。そして、今まで標準船の影に隠れて見えなかった場所には、一つの島が存在していた。名称を、デニム島って言う島だ。

 船は、ゆっくりと進路を変えて、デニム島の船着場へと向かっていく。

 デニム島は何度も言うように中流階級の多く住む島だ。従って、程々の生活必需品は輸送されなきゃいけないし、かと言ってそれほど大きな港湾施設も必要ない。

 その為、どうしても環礁内の他の島と比べると、デニム島船着場は中途半端な大きさだった。今止まっているのは、超短距離輸送用の小舟が二三艘に、小型ガレーが一隻。これだけだった。

 ローラン型櫂船は、そんな船着場の中でも比較的大きめな船舶用の岸壁に接近する。水夫長が、大声でもやいを陸へ投げるように指示した。

 慣れた手つきで陸へと投げかけられたもやいは、これまた熟練の地上職員達が素早く拾い上げ、瞬く間にボラードに巻き付けられて行く。ほんの数分で、船の固定が完了した。

 僕は、荷物を肩にかけ、人が集まり始めた場所に向かった。

 ちょうど到着したところで、乗降用の足場が岸壁との間に架かった。船員がどき、気怠げな様子で船客達が、珊瑚に似た生命体によって形成された大地へと降りたって行く。

 呆けている間に出遅れてしまったらしく、結局僕が下船したのは全ての客の中で最後から数えた方が早い順番だった。

 久しぶり、と言っても四ヶ月程度の別離だったから、そんなに感慨が湧くわけでもないけれど、ともかくこの世界での僕の故郷は、父さんに連れられて<港島>に言っていた頃と全く変わっていなかった。

 それにしても日差しがきつい。思わず太陽を右手で覆った。と、その時、視界の隅に、懐かしい人影が見えた。

 不思議と笑みが溢れる。僕は、その二組の人影に向かって、なるべく疲労とかそんな気分を感じさせないように笑いかけた。


 「ただいま、父さん、母さん」





 「学園は……どんな感じなんだ?友達は出来たのか?」


 父さんが、少しぎこちない口調でそう尋ねてきたのは、商会が儲かったらしく良く目を凝らせば調度品が増えているリビングに着いてからだった。


 「うん、結構たくさん出来たよ。学園生活も思ってたより楽しいし」


 何と言うか、会話がこそばゆかった。たかだか四ヶ月離れていたくらいでこうまでなるかなぁ。前世だと、六歳の頃に親元からこんなに長く離れるなんてことは無かったから、比較も何もできないか。

 僕の回答に、父さんは微笑んだ。


 「そうか。うん、友人が増えるのは何よりだ」


 なんと無く父さんの口調がぎこちない。そんな気がする。そして、会話が続かない。

 四十に限りなく近づいている中年と、まだ子供にしか見えない六歳児が無言状態で茶をすすり合うと言う、第三者がいれば逃げ出したくなるような(実際、一人ばかり増えていた実家のメイド達は、最年長のメイド長が唯一隣室に控える形で全員退散していた)空気を変えてくれたのは、ため息をつきながら父子の様子を見ていた母さんだった。


 「さぁ、久しぶりにお母さん、腕によりをかけて料理しちゃおうかしら」


 本来、普段の料理はメイド達に任せっきりの母さんだけど、父さんと結婚するまではごくごく普通の――つまり、貧しい庶民階級の娘だったらしいから少なくとも並以上の腕前は持っている。

 正直、お高くとまった感の強い学園の料理にも飽きが出てきた頃だから素晴らしく嬉しかった。なんか、ようやく心休まってきたような気がしてくる。

 けど。


 「……なぁ、お前」

 「なんです?」

 「その、料理は随分と久しぶりなようだが、大丈夫なのか?」


 ………。自重してください、父さん。

 何とかして朗らかな一般家庭の雰囲気に戻ってきたはずだったのに、いつの間にか居間に寒波が到来していた。初夏なのに、薄ら寒い。冷や汗まで出てきた。

 現代地球の二百年後位の異常気象がそっくり転移してきたかに思えた室内だった。と、その時。


 「失礼いたします」


 若いとは言えない、年齢を重ねたからこそ出せる威厳が程よく含まれた声がして、扉が開いた。代えの茶を持ったメイド長だった。

 無言でテーブルの上に茶を置く。一瞬だけ、父さんと目があったような気がした。刹那、父さんの体が震え上がる。……睨まれたらしい。

 普通、雇ってるメイドからそんな態度取られたら、一部の特殊な喫茶店の客でも無い限り激昂してもおかしくないだろう。異世界だから文化が違う、ってことも今の事に関しては全く説得力が無い。むしろ想像以上に怒り狂った挙句、そのメイドに解雇を通知するだろうし。

 ただ、父さんとメイド長の関係は二つほど一般の雇い主―労働者の関係から大きく外れたところがあった。一つは、父さんが貧乏商会の長と言うこともあって、あまり尊大な態度を取らない――と言うか取れない点。もう一つは、両方共あまり豊かでない家庭で生まれ育ったためか、よくあるドラマ何かとは違って、母さんとメイド長が凄まじく仲がいい(でいて、公では分をわきまえた行動を取れるんだからこの二人はすごいと思う)点。

 この二項の和は何かって言えば、こと母さんを不快にさせそうなことがあれば、メイド長は父さんに対して母さんの友人としての態度を過分に含んだ接し方をするってことだ。


 「では奥様。お台所の準備は済ましておきますので」

 「……ありがと、マリー」


 嵐が過ぎ去った後には、上機嫌な母さんと、何か――理由は知らないし、知りたくも無い――沈んじゃった父さん、そして、どんな反応をしていいか判断に困る僕だけが残された。

 ちなみに、この日の夕食はとても美味しかったことだけは追記しておこうと思う。






 パジャマに身を包み、自室に戻ると、こちらも四ヶ月前から全く変わらない光景がそこに在った。

 整理整頓に気を付けて収納していた数々の本。学園のものに比べれば質は落ちるけど、長年慣れ親しんだベッド。その他、父さんが買ってくれたけど殆んど遊んだ例のない木馬のおもちゃだとか、父さんの商会の主要取引先の秋津皇国で買ったとか言う竹の玩具に、唯一これだけは童心に戻って遊べた帆船の模型。

 むしろ、出掛けよりは遥かに綺麗になっていた。恐らく、メイドたちが掃除してくれているんだろう。

 僕は、ゆっくりと窓に歩み寄った。カーテンを開き、窓を開ける。

 眼下には、夜も灯台の灯を明かり代わりに、環礁内の水道を行き交う標準帆船が大量に見えた。流石に昼ほど混み合ってるわけでもなかったけど、だからと言って決して少ないとは言えない数だ。

 夜の涼しい風が、磯の香りを纏って吹き込む。

 生まれて、この部屋を宛てがわれた時から変わらない情景だ。

 いつかはこの海全てを。

 大昔に想った夢は、まだまだ達成できるかどうかさえもわからなかった。

 でも。

 とにかく、この世界で何かがしたかった。転生なんて言う、普通に考えれば頭がおかしいと思われるような目にあってるんだ。選民思想じゃないけど、こんな目に合うってことは、なにか理由があるに違いない。

 なら。

 なら、地球の知識を応用して、やれるだけやってる見るだけだ。

 開け放たれた窓から、再び潮風が舞い込む。潮気と共に僕の心身を冷ましていくそれは、決意を固めた頃と全く変わっていないように思えた。





























                                                                    あとがき

 どうも、クーラー付きの学び舎にいるのに六月後半まで稼働させないと担任に断言され、謀らずも盆地の蒸し暑い気候の中主人公と同じように汗だくになっている作者です。ああ、なんか安易に文明の利器を頼るようになってしまった。小学生の、無邪気に走り回ってたあの頃が懐かしい……。

 そんな事はさておき、日常編其之二でした。山なしオチなし。……こんなことしてるから、話が続かないんだよと何度いったら。

 まぁ、一応『日常編』とか称してグダグダやるのは今回以降は全くやらないか、やったとしてもほとんど無い、と思いたいです。予定はしてます。的中確率? 夏休みの宿題の予定とやらの遂行率が全部あわせてゼロに等しい点からお察し下さい。

 ともかく、コメント返しです。


 >>kiera氏

 主人公と周囲の人間との感覚のズレは、相当大きくなってきています。

 もちろん、わかっているのに徹底的に周囲に合わせようとしない主人公の責任もかなり大きいですが。



 と言うわけで、次回は再び舞台が飛んで、天恵があった反面、いろいろと面倒を背負い込み始めたあの国の様子です。ではでは。



[14989] 第一章 第八話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/09/25 11:56
                                                             六月十二日 秋津皇国 皇都・大安京











 増える海賊被害

 昨年、大規模な鉱脈が発見された金門諸島だが、ここ数カ月の間に海賊被害が目立ってきている。
 事が初めて露見したのは、今年の二月上旬、浜松屋船籍の<ぽりす丸>乗組員が救命艇にやつれた姿を乗せて兎耳島に流れ着いた時のことであった。
 彼らの証言によれば、金門で積荷を積んだ後、白羽島近辺で海賊に襲われ、積荷と船を奪われたとのこと。
 これを皮切りとして、その後海賊被害が金門―内地間の航路で多発。既に総額一千二百万両相当の被害が出ている。
 この件に関して、金門に鉱山を抱える浜松屋と、合資会社・秋津船運は連名で政府に「金門諸島周辺ニテ多発セル海賊行為ノ取締ニ関スル嘆願文」を提出し、事態の一刻も早い収拾を望んだ。
 これに対して政府は、昨日の官房長官会見で「皇国ガ経済力、コレ即チ海運力デアリ、此度ノ海賊行為ハ皇国ノ海運・海上覇権能力ニ対スル重大ナ挑戦ト受ケ止メル。政府ハ近日中ニコレヲ打倒セシメルベク、軍乃至海上警察ヘ出動ヲ発令セン」と発表した。
 尚、このため、現在金門―内地間の航路は完全に閉鎖され、金門諸島方面には津島経由の航路でしか移動できなくなっている。
                
                                                                                                                    ――秋津日日新聞・六月十日付朝刊の、三面より   






 自由政友会・千葉議員 「政府は先日、金門諸島で多発する海賊行為に関して、これを排除する旨を発表したが、具体的にどのような情報を得ているのか」
 皇民社・井ノ川運航相 「金門諸島に出現した海賊は、少なくとも海防艦級以上の船舶で以て海賊行為を行っているとの目撃証言を得ている。又、海賊の根拠地について詳しい情報は解っていないが、出現箇所或いは目撃証言から白羽島を中心とした二十浬以内のどこかであると推測されている」
 千葉 「今運航相は『少なくとも海防艦級以上の船舶で以て海賊行為を行っている』と仰ったが、この海賊行為は軍艦と同等の戦力で行われていると言うことか。と言うことはつまり、私掠船戦術が行われていると言うことなのか」
 運航相 「そもそも一般的な海賊は、嘗ての傭兵崩れであり、大半が旧式ながら嘗ての軍艦を用いている。その上で、海防艦級と比較した。又、この海賊行為が私掠船戦術かであるが、現状では判断できかねる。ただ、目撃証言を絶対視するならば、海賊は多種多様な種族・人種から構成されていたとの証言もあり、であるならばこれが可能なのは人族帝国かイノリア王国だけであり、距離的要因からこの可能性は少ないものと考える」

                                                                                             ――臣民院議事録より、野党・自由政友会千葉議員より政府への海賊問題に関する答弁


 


























 秋津皇国皇都・大安京。

 かつて、秋津皇国がその名の通り海皇を絶対的頂点として国政を行っていた時代から1000年も経過すれば、普通はその分政治的中心も移ろうものだ。
 
 しかしながら、多分に権威主義的傾向を持つ秋津人達にとって、伝統と格式に彩られた皇都をみすみす打ち捨てるなどと言う事は承知できかねた。驚くべきことに、それは臣民だけでなく、為政者もそうであった。彼らは、皇都に居を構え政を司ることによって、自らの権威的箔付けを行っていたのだから当然と言えば当然だ。

 尤も、だからと言って大安京内での政治的中心も皇城であり続けたのか、と問われれば否定せざるをえない。海皇に絶対的忠誠を誓っていた時代ならともかく、それ以後の時代の為政者にとって、海皇はよく言って象徴元首、悪く言えば自らを飾り立てる装飾品の類なのだから。

 結果的に、皇城と呼ばれる決して小さくもなければ、かと言って壮大と呼ぶには疑問符の付く建造物が政治中枢であった時代は、長い皇国史に置いて五分の一から六分の一でしか無い。あとの時代は、例えば花町府のように、皇城には近いがただそれだけと言う立地に中枢は置かれ続けてきた。

 その観点から見れば、現状の政府は後世の歴史家たちに質の良い冗句を提供しているようなものだった。

 現在の秋津皇国は立憲君主制を採る民主国家ではあったが、長年にわたって培われてきた皇室への崇拝――上記のように、権勢を握るために為政者達は皇室への崇拝を必要としていた――はある種特異な制度を皇国に強要していた。

 その制度の名を、御前会議と呼ぶ。読んで字のごとく、畏れ多くも海皇陛下の御前で、国家の方針その他を決定する制度である。

 もちろん、海皇は原則的に政府決定に対して「はい」以外の回答はできないようになっているから、意味があるのか甚だ疑問な制度ではあったが、ともかく臣民向けに「海皇陛下の勅令だぞ」と宣言すれば、よほどの失政以外ならたいした問題もなく受け入れるのが秋津人である。ある意味、現政府もまた、古来よりの伝統に習っていると言うべきだろう。

 この日、六月十二日に執り行われていた定例の御前会議は、主に豊作によってむしろ値崩れが進んだせいで困窮している皇国東部の農民たちへの救済案の承認が行われているはずだった。あくまで、表向きには。


 「――以上で、『通信院』よりの報告を終わらさせていただきます」


 誰もが、不機嫌さを隠そうともしていなかった。宰相以下、この場に居た閣僚から、今上海皇までが、だ。

 その中で、一人平常心――と言うか、ただ無表情を突き通している、他の面々より遥かに若い男は、室内をぐるりと見渡すと、事務的な口調で尋ねた。


 「どなたか、質問のある方はいらっしゃいませんか?」

 「……質問というか、一ついいかな? 陣内君」


 陣内君、と呼ばれた無表情な男よりは十年ほど年を喰っている、細身の男が尋ね返した。とは言え、彼より年が若いものは陣内君――陣内光一と、簾の奥で顔を顰めている今上海皇昭仁しか存在しない。


 「はい、宰相閣下」

 「それは事実か?」


 一瞬、陣内の顔に何かが浮かんだが、即座に消え失せる。彼は頷いた。


 「はい、閣下。通信院一部、及び二部の収集した情報を統合的に比較・検証したものですので――」

 「いや、それはいい。ともかく、事実なのだな?」

 「はい。紛れもなく」


 断言してから、これでガセだったら首が飛ぶなと陣内は確信していた。が、かと言ってそうしないで逃れられそうにも無かった。この男は、信じたくないものには最大限の努力を以て真偽を確かめたがる癖があるらしかった。であるのならば、自分がそれに付き合う理由はこれっぽっちも無い。それが、例え秋津皇国宰相であろうとも。

 秋津皇国宰相・西原祐治は、思い切りよった眉間の皺を、右手でほぐした。


 「……つまり、我が国国内にはこれだけの害虫が巣食っている、と?」

 「端的に表現すれば、閣下の言うとおりです」


 明らかに苦悩と苛立を感じる声から、丁重に感情だけを排除して意味を受け取った陣内は、手に持っていた資料を素早く捲り、望むべきページを見つけると同時に続けた。


 「二部――内務省通信院第二部のまとめによりますと、連合王国の金銭的買収に応じた高級官僚は少なくとも数名、悪くすれば二桁に上ります。具体的に例を挙げますと、大蔵次官、運航次官、国土開発次官、気象庁次長等とその取り巻きです。また、新潟座から皇国の各種情報が流れているのも確認され、新潟座と癒着していると思われる官僚、議員も目下調査中です。その他にも、新興の統合企業である――」

 「どうして! 今まで気付けなかったんだ!」


 陣内の言葉を遮ったのは、運航大臣だった。


 「これは、内務省の怠慢ですぞ! これだけの反逆を、今まで見過ごしてきたとは!」

 「お言葉だがな、井ノ川くん。連中が接触してきたのは、金門で金が出た直後からなのだ。まぁ、その情報が流れたのは新潟座からだから、私に責任が無いとまでは言わんがね」
 

 運航大臣の詰問に、内務大臣は憮然として答えた。


 「ついでに、怠慢といえば君のところも同じだろう。次官の統制もできなんだか」

 「……それこそ、あなた方の通信院がもっとしっかりしていて、且つ工作員を確保できればこんな事にはなっていない。統制と口を酸っぱく言っておきながら、その酸の所為で組織を弱体化させるのでは世話が無いのでは?」

 「止めんか、二人とも! 陛下の御前であるぞ!」


 延々と続くかに思われた言い合いだったが、内大臣の一喝で押し黙った。こういうのは、御前会議のいい点なんだが、と陣内は心のなかで思った。もちろん、表情にはおくびにも出さない。伊達に、新人時代から外地で『通信戦』の第一人者として活躍はしていない。


 「よい。自由な意見を交わさずして何が御前『会議』か」


 簾の奥から、威厳と親しみの双方を感じさせる声が届いた。皇室1300年の賜物と言う奴だ。尤も、陣内にはどちらかと言えば1000年に渡る服従の時代の賜物のように思えたけれども。


 「それより宰相。問題は、此度の事態に関して我が皇国が如何なる対応を示すか。そこに終止するのではないか?」

 「……仰る通りでございます、陛下」


 西原は、一瞬動揺したようにも見えた。

 この日。前述の議案で集った現政権の面々と今上海皇は、会議終了直前に内務大臣の手招きで神聖なる御前会議場に入ってきた『通信院』の役人による説明で、心胆を寒からしめていた。

 彼らの説明を纏めると、こうなる。

 一つ、秋津皇国の官僚に、連合王国特務機関(つまるところ諜報機関)による買収に応じ、最高機密を流した者がいる。

 一つ、これや浜松屋の商売敵による情報によって、連合王国は皇国の金門における鉱物資源情報の統制――早い話が、金の産出を確認していたのにそれをひた隠しにしていたと言う事実を確認。

 一つ、よって、隠密裡に増強されるはずだった海軍戦力が殆んど存在しない状況下で、連合王国は揺さぶりをかける意味合いも兼ねて私掠船を送り込んで来た……。それも、御丁寧に乗組員を無国籍化し、あたかも自分は関係ありませんよと主張しつつ。

 皇城付の給仕が、珈琲の代えを持って議場に入ってきた。彼らはこの話題に入ってから珈琲に一口も手をつけておらず、開明政策と称して大量に輸入され、上流階級で流行中の帝国茶器にはまだなみなみと黒い液体が入っていたが、既に香りは飛んでいる。飲めたものでは無いと判断されたのだろう。

 瞬く間に、芳しい香りが議場に満ちた。それが良い頃あいだと思ったのか、それとも単に香りで気付けられただけか。ともかく、西原は口を開いた。


 「全く陛下の仰る通りだ、諸君。故に我々は、これに対処しなければならない。軍令長官!」


 えらく芝居がかった口調で、西原は軍事の専門家を呼んだ。名目上は農家の救済策の審議でも、御前会議の構成員は必ず出席しなければならないのだ。


 「……我々が行える行動は、二つ挙げることが出来ます、閣下」


 確実に自分にお鉢が回ってくるだろうと考えていた彼は、言葉を選びながら答えた。


 「一つは、海警――海上警察の、武装警備隊に出動を要請することです。尤も、これは私の管轄外ですが」

 「待て、大川大将。君は、軍相手に警察権力で対抗できるとでも思っているのか?」


 内務大臣が怪訝そうな声を上げる。軍令長官は、大仰に腕を広げた。


 「普通なら無理ですが、今回は事情が事情ですので。相手は確実に単艦、多くても二隻です。それに海賊行為のために強力な武装も積んでいません。結局決め手は白兵戦ですから、むしろ海上白兵戦は御得意の海警に任せた方が得策と言うこともあります。第一、まだ相手が軍隊と決まったわけではありませんし」


 実際のところ、内務大臣の疑問はかなり的を得ていた。但し、残念なことにこの段階でそれを証明できるものは何もない。

 内務大臣が押し黙るのを確認して、軍令長官は更に続けた。


 「そして二つ目は、軍を動員して討伐に当たることです。私としては、これを推したいのですが。ともかく、最大限の戦力を投入して一挙に殲滅。根なしの海賊ならともかく、支援者のはっきりしている私掠ならこれが常道でしょう」

 「ふむ……」


 西原は、頷いた。


 「……宜しい! その案でかかる事態に対処するとしよう。それで軍令長官。我々はどの部隊を動かすべきなのだね?」

 「やはり、距離から考えますと、金門の新鎮守府へ前進する予定だった新編の第六艦隊が適任だと考えますが」


 金門で金剛石、そして浜松屋の追加調査で金が確認された直後、皇国はこれの防衛を図ろうとしていた。

 なにぶん、金は重要すぎた。金本位制を各国が敷いてはいたが、大多数の国がその本位になるべき金正貨用の金すら不足していたのだ。例外は、植民地に金山を多数抱える人族帝国と連合王国くらいのもので、統一のお陰で未開発金山が多数発見されたイノリア王国も加えれば、少なくとも若干の余裕がある国家は消滅する。皇国は、国内金山が他国に比べて多いとは言え、だからと言って満足できる量でも無かった。

 ところが、ここに来て天からの恵みが降り注いだ。金門での金産出だ。

 連合王国との国境付近と言うのが問題だったが、概ねの政府関係者は喝采を挙げた。これで正貨準備高が増えるぞ、と。

 そして、喝采を挙げたものよりは冷静だった者たちは、即座に行動を開始した。金門の防衛と、それによる正貨準備高の拡大を確実にするために。

 国軍が、ない袖を振るった新造艦や他の艦隊から戦力を抽出してまで新たに艦隊を編成した理由はそれであり、その新艦隊である第六艦隊は、同様に整備されつつあった新基地<金門鎮守府>へ前進し、国防の最前線に立つ予定だった。

 しかし、西原は何故か首を振った。


 「……いや、駄目だ。軍令長官」

 「何故ですか?」

 「我々は、臣民に意気込みを見せなければならないのだ。それだけは、相手が私掠船だろうが、海賊だろうが関係はない」

 「はぁ。……しかし、そうしますと……」

 「第一艦隊だ。第一艦隊を回させろ」


 軍令長官は眉を吊り上げた。


 「閣下、第一艦隊は本土防衛用です。これを離れさせるわけには……」

 「戦時中ならばな。だが、幾ら私掠が横行しておろうと今は平時だ。それに、言っただろう。我々は『意気込みを示』さなければならないと。ならば、もてる最強の戦力で望むべきだ。第一貴官も言ったではないか。最大限の戦力を投入すべきと」


 西原は、それでどうだと言わんばかりに言った。


 「……ご命令とあらば、そういたします」

 「結構。……では陛下。臣等は此度の事態、御国が防人達に命じ、以て皇国が御稜威を内外に知らしめたくあります」


 西原は議場を見回し、全員意義が無さそうなのを確認してから、彼らの(名目上の)主に尋ねた。

 主は、ここ百年全く変わらない会議の締め言葉で応じた。


 「諸君等に任せる」











 種類に関わらず。御前会議も終了し、彼が直属の上司から仰せつかった有り難い任務を見事遂行した陣内は、大安京中央にある皇城を、近衛兵の敬礼に見送られながら思った。会議って物は疲れるのに、まして御前会議に何て送り込みやがって。

 陣内が『通信院』に入ったのは、十七の時だった。と言っても、それは彼が取り立てて有能だったと国が認めたからではない。皇立孤児救済院院生の進路選択として、当然のようにずらりと並んだ国立機関の中から、さして深く考えず『通信院』を選んだからだ。

 学業、性格。そしてなにより忠誠を人事担当者に判断された結果、彼が院始まって以来の年齢で入院したと広報に載ることになったのも、彼自身の能力はもちろんあったが、それよりは『通信院』には誰も入りたがらないと言う理由の方が大きかった。

 そういうこともあり、彼が『通信院』の先輩たちからみっちりと「仕込まれ」、一応皇国通信員としての最低限の体裁を整えられた後送り込まれたのも、選良の巣窟である後方部門ではなく外地通信任務――もっと想像しやすい言葉で言い換えれば、対外諜報任務だった。

 そこであっちでこき使われそっちで死にかけ、を繰り返した「叩き上げ」としては、会議だの何だの為に選良が居るのだろうと思わざるを得なかった。具体的に言えば、外地時代に半ば越権行為よろしく口を挟んで目出度く何処か遠くの小島に『栄転』したあの馬鹿とか。まぁ、それは冗談だとしても、せめて一部か二部どちらかの部長級の人間がやって然るべき仕事だろうに。

 皇城から四、五分ほど歩けば、そこは一般市民にも開放されている区画だった。その一角に広がる広場には、椅子に車輪がついたような物が、人と一緒にたむろっている。地味に今のところ世界では五指に入る内地島で、連合王国の馬車制度を、馬という家畜を飼い慣らした経験が無いために放棄し泣く泣く発明された人力車だった。

 とりあえず、どれかを捕まえて院に戻るか。陣内が懐から財布を取り出した時だった。


 「陣内! こっちだ」


 毎日聴く声がした。振り向けば、見知った人物が二人乗り人力車の一方を空けて座っている。陣内は応じた。


 「班長。どうしてここに?」

 「何、可愛い部下が大仕事を終えたんだ。迎えに来んほど、俺は不義理じゃ無いぞ?」


 陣内は胡散臭そうな顔をする。班長、と呼びかけられた人物――『通信院』第一部三班班長・斎藤弘は破顔した。


 「まァ、そんな顔せずに取り敢えず乗れ。こっちもヤボ用が済んでな。ちょうど帰り道だったんだ」

 「……貴方が無償で何かしてくれる時、大抵はついでに面倒事を押し付けられるのですが」


 実際、彼が御前会議に出るようにと伝えられたのは、おぅ仕事も終わりだ付き合えと彼に連れ出された通信員御用達の高級酒屋でだった。程よく酔いがまわり、気が大きくなって帝国から輸入したと言う高級果実酒を――もちろん斎藤の奢りで――頼んだ直後だったのだからたまらない。

 そんな陣内を見て、斎藤は不機嫌そうに言った。


 「お前な、俺はそう打算とか利益とかで動くような奴ではないし、人を動かす奴でもない。純粋な善意が俺をそんな行動に――例えば、部下の移動経費を削減してやろうとさせているのだ」


 しかし陣内の疑惑は晴れない。と言うか、この人が善意とか言い出すとろくなことになったことが無い。長い付き合い――何せ、実を言うと初めての上司もこの男だった――での経験がそう彼に告げる。

 とうとう斎藤はしびれを切らした。


 「……最近は、お前の趣味とやらで懐が寒いんだろう? 何でも、今回のはかなりの散財だったらしいじゃないか」


 陣内は苦笑した。何処が、打算とか利益とかで人を動かさないだよ。きっちり動かそうとしてるじゃないか。……動く自分も自分だが。

 実際の話、斎藤の言うとおりだった。普段は、あまり高望みしない連中ばかりで助かっていた趣味だが、今年はやけに高いものを要求してきやがったのが一人いて、最近の彼の食事は貧乏大学生と同程度までに落ち込んでいた。ちなみに、次の給料日まであと十日ほどある。

 仕方が無いので、陣内は人力車に腰を掛けた。斎藤が車夫に命じた。中央まで。あいよ、と車夫は気の抜けた返事を寄越した。

 
 「どうだ? 我らが『御国』とやらの老害どもは」


 斎藤の言葉に、陣内は苦笑を深めた。


 「身も蓋もありませんね」

 「臭い物には蓋を、と誰もが言うが、俺に言わせりゃ蓋などつけるから、仕舞いにゃ誰にも害が分からなくなるのさ」


 斎藤は平然と言ってのけた。それもそのはずで、この人力車の車夫は斎藤の部下、つまり陣内の同僚――と言っても、顔を合わせる程度で話すことは滅多に無い――でもあるのだ。国内はおろか、国外の紳士達にも聞かれることはまず無い。陣内は、一頻り苦笑した後首肯した。


 「まぁ、愛国の精神だけは溢れていたと思いますが」

 「当たり前だ。皇民社からそれを取ったら何が残る?」


 皇民社は最近、新しく党首に西原を据えてから急速に党勢を獲得した政党だった。西原の謳い文句はこうだ。もっと強い皇国を! もっと偉大な皇国を!

 前政権が某中小国との外交交渉で手酷い失策――具体的には、国力比10:1くらいの国に通商交渉で押し切られた――をして支持率を急落させて以来、自国の対外政策に強い不信を抱き始めた臣民は、これを熱狂的に支持した。今までの反動という奴で、民主国家ではよくある光景といって良いだろう。

 そんな訳で、前年の臣民院撰で八年ぶりに過半数を獲得した皇民社は、今までその不信をぶり返させることなく国政を続けてきた。内政も、新規市場の獲得で国内を好況で沸かせ、まずまずの印象を与え付けている。もちろん、各種の問題がそこに並存するが、そのどれもが小さな問題か、今のところ表面化していないか、或いは若干規模が大きくても他の成功が覆いとなって、政権の負い目にはなっていない。傍から見れば、これ以上に無い名宰相の誕生と言えただろう。だが。


 「……宰相閣下は、我が国の現有戦力をきちんと理解しておられるのか甚だ不安です」


 陣内は、呟くように言った。

 皇国は、新編で無理やりでっち上げた感が否めないとは言え、六個艦隊を有している。これは、数字の上では大きな戦力とは言えるだろう。

 だが、質が問題だった。そもそも、皇国は立憲革命からこの方大規模軍拡を経験していない。それどころか、軍事の整備すら等閑にされ続けて来ていたのだ。

 そもそも立憲革命の本質は、皇国の資本家達による利益追求の結果であると言うことは以前説明したとおりであったが、その所為で初期の皇国政府はある一つの見解に達していた。

 つまり、「まず経済の立て直し。全てはそれから」と言う言葉に集約される見解だ。

 これは、もっともな話だった。何故前体制が崩壊したのかといえば、それは軍事費の高騰による財政崩壊の影響が最も強い。社会福祉の提供ができなくなっただの、国内治安の悪化など、臣民が感じていた不満も突き詰めれば全てがこの点に終止する。

 よって、皇国政府が何をしたかといえば、市場として採算の取れないだろう植民地――当時は、不良債権だなんだと持て囃された――を切り捨て、防衛用の戦力縮小を図ることだった。

 もちろん、国粋主義者からは反発を招いたこの方針だったが、政府は断固としてこれに当たった。大体、この状況で未来永劫固定しようと考えてはいなかった。今は確かに本土防衛用の戦力さえあれば、他は別に必要ない。だが、経済が復活し、産業が活性化して国力が増しさえすれば、すぐにでも軍事力を整備し、かつての栄光とまでは行かなくとも臣民の食い扶持は確保するつもりだった。

 だが、問題は予想以上に産業振興に時間がかかったと言うことだ。

 そもそも、帝国や連合王国が革命に力を貸したのは、時が経つにつれて閉鎖されて行く秋津市場の確保の為、ただそれだけだった。ならば、どうして秋津に強力な企業が根付くのを応援しようか、と。

 政府を始めとした関係各機関の戦慄は、ここでは述べることの出来ないほどだったと言われているが、ともかく戦慄しているだけでは生き残れない。それが国際社会とか言うものだった。

 俗に「秋津の奇跡」と呼ばれる経済発展は、行政・議会・民間企業の三位一体で断行され、その強い危機の中でも秋津皇国に経済植民地になり得ないだけの基礎体力をつけることに成功していた。ここに、革命後の悲願は達成されたかに見えた。

 さて、それじゃあおなざりになり続けていた軍備を立てなおそう。そんな声が、現実主義的な政府や国民にささやかれた頃、三位一体の立役者だった企業・議会と、政府の屋台骨たる官僚はすっかり変質していた。簡単に言うと、癒着だ。

 そもそも、彼らが気づかない間に秋津皇国は一国だけで十分に発展しきった国家になっていた。ある意味、植民地も持たないでここまで発展を遂げられたのは本当に奇跡だろう。

 だが、その発展はその三者にうまい汁を吸わせすぎていた。企業は、官僚や議員に資金提供することで利権を確保し、官僚は企業や議員に取り込むことで権勢を獲得し、議員は企業や官僚に便宜をはかることで豊富な選挙用資金を手に入れた。あるものが皮肉って言うには、「皇国の成長は、三位一体で経済が発展した後、三位一体によって利権の成長へと移行した」と言う状況だ。

 そして、軍備が圧迫された。理由? 金がかかるからに決まっている。軍事費なんて生産性の欠片もない物に費やす暇があったら、もっと経済発展に金を回せ。そうすれば、臣民は喜び、国は富み……ついでに我々の懐も暖まる。まさに言うこと無しだ。

 その行き着いた先が、先の自由政友会の腐敗であり、その党首の失政に対する罵倒であった。経済が発展し、国が富み行くのなら癒着も許す。だが、それも出来ないんならどこかへ行ってしまえ。これが、臣民の審判だった。

 こうして誕生した皇民社政権だったが、前述の事以外にひとつだけ大きな問題があった。

 それは、軍事力と言う要因を無視した外交交渉だ。

 確かに、自由政友会の政治は疑問符しか付かないような物が多くなっていたが、外交だけは特定の姿勢を貫き通していた。つまり、極力話し合いで、決裂しそうになったら妥協して。

 この時の皇国の軍事力についておさらいしてみる。六個艦隊が存在しているとは先に述べたが、その内情は滅茶苦茶だった。

 まず、第一艦隊、第二艦隊は第六艦隊の新編の前には何とか定数を満たす状態ではあった。が、装備は老朽化しきっていた。主力以外では、一世代、下手すると二世代前の装備がまかり通っている。

 その他の三個艦隊はもっとひどかった。実質的に警備艦隊と変わらない、と漏らしたのは軍事顧問として招かれた旧帝国軍人だったが、その言葉も頷ける。と言うか、戦列艦を一隻すら持ち合わせていない艦隊が国防に置いてその他の艦隊と同列におかれていたのだ。

 そこから、更に一個艦隊作るために戦力を抽出したのだから、結果は言わずもがなである。

 先程の軍事顧問の言を借りれば、「練度で装備を補える世界で唯一の軍隊」と言う痛烈な皮肉で形容できるこの軍隊で、皇国は今、前政権までとは180度かわった強気の外交を行っていた。

 確かに大規模な装備更新も漸く始まり、皇国は健全な体制を取り戻しつつある。が、実際に取り戻せるのは少なくとも一二年は先なのだ。


 「典型的な綱渡り外交ですからね。今まで強気で出ていたのは周辺の中小国。それらと同じ感覚で列強と渡り合おうなんてすれば……」


 陣内は口ごもった。別に、熱狂的愛国者と言うわけではないが、この国には守られるべき人々がいる。そう考えている辺り彼もまた一般的な臣民像を保ってはいた。馬鹿な失敗で危険に晒す訳にはいかないと、彼は今日まで死ぬ気で生き延びてきたのだ。

 陣内は、ふと任務を命じられた時から抱いていた疑問をぶつけてみることにした。


 「……それで思い出しましたが。班長?」

 「何だ」

 「良かったのですか? うちが提示したのは『私掠に連合王国の関与の疑いアリ』って情報だけで」


 国立通信院。対面やら何やらを全て無視して呼称すれば皇国唯一にして世界最大級の諜報機関である彼らは、持ち前の諜報能力を結集してこの情報を獲得したのだが、実は彼らは他にもある情報を掴むことに成功していた。

 それは、他の情報と共に極秘扱いされ、『裏付けが取れた』高級官僚の買収問題と私掠船の連合王国関与の情報だけが今回の御前会議に提出された。

 それが陣内にとっては不満だった。何せその情報は、最近になって本院に目出度く栄転――嫌味や皮肉抜きで――した陣内が担当した仕事だったからだ。部下に指示を出し、あの手この手で情報をかき集め、後方の部下と分析する。その結果は彼の頭髪に白いものを混じらすような代物だったが、少なくともいい報告書には仕立て上げたとの自負もある。裏付けもきちんと取ったつもりだった。

 なのに、いざ説明と無理やり気持ちを奮い立たせていたところに、斎藤からあの情報は説明せんでいいと言う命令だ。

 あの、ぶっきら坊な癖して部下には甘いところもある斎藤が、お前のはここがこうだから駄目なんだ!と間違いを指摘せずにそのまま去っていくのが思い出される。明らかに妙だった。

 斎藤は、顔から皮肉の色やら何やらを全て消した。陣内は捲し立てるように続ける。


 「だいいち、自分のような人間に説明させるのも納得できかねます。これほどのことなら、少なくとも班長か、でなければもっと上の人間がすることでしょう」

 「……三班きっての潜入員はお前だぜ? 何処に問題があるんだよ」


 三班とは、対連合王国諜報任務を主とする班である。陣内は通信員となった後、殆んどその大半を三班で過ごすと言う経歴の持ち主だから、確かに斎藤の言わんとするところも分からないでも無い。だが。


 「だからと言って、三十にも満たない小役人が御前会議に出席するなんて話は聞いたこともありません」

 「時代が変わったのさ」


 一言言って、斎藤は黙った。陣内が真剣な目で見ていた。どうにも、情が湧きすぎたかな、と斎藤は思った。


 「……お前が言いたいのは、例の――ゲ号報告書第三章だろう?」


 陣内は頷いた。

 ゲ号報告書は、三班が連合王国諜報の報告書として、官僚の買収問題のお陰でご一緒となった二部の二班と合同で提出されたものだ。そして、その第三章に裏付けが取れなかった情報はあった。

 要約すれば、それはこんな情報だった。――連合王国に、侵攻の動きあり。目標不明なれど、その他の動きから我が国領域の可能性高し。

 どう考えても、最優先で報告すべき事項の筈だった。


 「……お前がさっき説明したはずだ。報告出来ない理由は」


 斎藤は、諦めたように言ったが、陣内には混乱しか齎さなかった。理由は説明した? 俺が? 御前会議の時に?

 なんのことか全く意味がわからない。いやまて、と陣内は混乱を無理やり鎮めた。良く考えてみろ。あの班長があの態度で言ったからには、からかいでも何でもなく事実が含まれてると言うことだ。

 と言うことは、俺が御前会議の時に政府のお偉方に説明した報告の中に、答えがある。これは確実だと言うことだ。

 しかし、そこから考えが進まない。陣内は、もう一度頭の中を整理してみた。

 確かに、班長は嘘を言ってはいない。だが、何処かに何か違和感が――。そこまで考えて、気付いた。単純明確とか言う、この人は本当に諜報員として前線に出てた人なのかと疑うまでの性格が斎藤の特徴だった。それが、言葉を遠回りな言い方。

 ここでは言えない? どうして? 車夫は先程も言ったように通信院の人間だ。何ら問題はない。じゃあ、道には? 見える範囲には誰も居なかった。それなのに。いや、何処で聞き耳を立てられているかは分からないな。例え一国の首都でも、敵の諜報員が居ないわけじゃない。ましてや、対立機関の間諜にバレたら不味い類の話――。

 待て。待て待て。

 対立機関の間諜にバレたら不味い。さっき俺がやった説明は何だった? 私掠船には連合王国が関与している? 違う。そっちじゃあない。

 高級官僚が買収された?

 うちの、通信院は、かつて花町府時代に秋津探題と呼ばれていた頃から、国内外の叛乱騒ぎに(そう、国「内」外の)かなり関わっていたとされる。その気になれば、自分たちの利益のために現体制の打破くらいやりかねない、優秀だが手に負えない番犬だった。

 その彼らが革命側に寝返って、今の通信院の前身になるとき。新政府が付けた条件は、今まで独立した人事体系だった探題に、少なくとも院長以下数名は国の育成した官僚を据えると言うことだった。つまり、今の通信院院長は官僚なのだ。


 「紳士諸君はな」


 斎藤が、小声で言った。『紳士』とは、連合王国の隠語だ。


 「どうやら、安物の遊女じゃあお気に召さなかったらしい。何でも、特に花魁あたりが好みらしくてな。それに、持てる有り金の殆どをつぎ込んだらしい」


 まさか、と縋る思いで陣内は斎藤を見た。この人は、『通信院院長も連合王国に買収されている』と言いたいのか? そこの圧力で侵攻の兆しと言う報告が届けられないと。


 「……ちなみに、私が説明を任された理由は?」


 陣内は、恐る恐る尋ねた。


 「いや、確かお前、清掃業は経験してなかったはずだろう? 経歴に箔を付けてやりたいだけだ。それも、安全な自宅でな。何、俺がお前に奢るとき、大抵厄介ごとを押し付けるんだろう? いつものことだ」


 確かに、面倒事には違いなかった。自分が蜥蜴の尻尾切りをさせられた後を任されるとは。

 人力車は、一路通信院へと向かう。陣内には、慣れ親しんだはずのそこが安物の幻想文学に出てくる悪の大魔王の城に思えてならなかった。



























 あとがき








 どうも、作者です。更新遅れて本当にすみません!

 いや、已むに已まれぬ事情とかあったんですよ? 毎年この季節ともなると、いろいろな行事が……。

 
 ……嘘です、ごめんなさい。遊び呆けていたらいつの間にかこうなってました。

 と、ともかく、少なくとも今後はこれ以上遅れるようなことだけはしないようにしますので。うん、多分今回が特殊なパターンだったんだ。そう信じよう!

 では、コメント返しです。




 >>糸巻き蜥蜴氏


 内容が薄くて申し訳ありません。 ただ、それに関しては今回辺りから少しずつ改善できはじめると思います。恐らく、或いは、きっと、必ず。





 そんなわけで、きな臭くなる世界情勢をお送りしました。次回は、なるべく素早い更新を目指したいと思います。ではでは。 

 


 



[14989] 第一章 第九話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/07/23 23:52
                                                     六月十七日 セント・アルマーダギー学園


















 月日が経つのは早い。誰もが一度は言った経験があるんじゃないだろうか。

 具体的に言えば、夏休みの最終日とか、冬休みの最終日とか、春休みの最終日とか。

 その観点から眺めると、今回の僕の夏休みは、終始平穏なものだった。

 すっきり爽やか気分爽快とは、今の僕の状況を言うんだろうな、と始業式も終わり、新学期初めてのHRに意気込んで臨んでいるのが丸わかりな担任の先生のお言葉を受け流しつつ、僕は妙に清々しい気持ちで居た。

 今まで、宿題に追われたことの無い長期休暇の最終日なんてものは無かった。つまり、翌日の朝は目に隈をつくって呆けっと教師の話を聞くのが僕のスタンスだったって訳だ。

 それが、まぁ余りに娯楽の少ない長期休暇のお陰でこれ以上なくサラッと終わらせられたんだから、素晴らしいことこの上ない。その対価として支払った暇な時間は余りにも無駄だったようにも思えるけど、まぁ久しぶりに父さんと母さんとダラダラ過ごせたんだ。別に良いだろう。

 先生の話は、遂に夏休みの過ごし方が今後の行く末を決める云々から、二学期はいろんな行事がどうたらこうたらと言う実質的な話に移りつつあった。やけに、頭にすんなり入る。これも宿題をさっさと終わした成果なのだろうか。

 ならばと思って聞き耳を立ててみる。学園祭は七月の二十日だ、と先生が丁度言った。


 「今から時間がほとんどい無いように感じるかもしれんが、お前らは初等部一年生だし、出し物をやる奴も居ないだろうから、全く問題はない。また、学年に関係なくその日だけは全学園が休暇になる。まぁ、学園の人間なら基本的に出し物は全部無料だし、一年で唯一ハメを外しても怒られん日だ。楽しめ」


 尤も、大分と先の話だが、と先生はニヤリと笑ってそう締めた。

 そういえば、そんな行事もあったな、と今更ながらに思い出した。何でも、フランソワ二世戦争が終わって、建国以後一段落ついた頃から毎年やってる、伝統と格式高い行事らしい。

 と言うか、そんな以前から学園祭やってるとか、どんな歴史辿ってんだよと思ったそこのあなた。その考えは全くもって正しい。と言うか、開校記念祭と称して、学園成立の三年後に国家予算投じてお祭り騒ぎをやらかしたとか言う記録すら残っているんだから、そう思わない方がおかしい。

 まぁ、民俗研究家達にいわせれば、世界でも稀有なお祭り好き国民の帝国人らしいとでも笑いながら言うんだろう。そういえば、初代皇帝が「国が豊かになったら、毎年のように学園祭を」とか言い残したなんて話もあるらしい。流石にそれはありえないけど、それだけ騒ぐのが好きな国民性だという示唆でも含んでるんだろう。

 先生が起立を促した。結構久しぶりに感じる声が聞こえる。きりーつ、れい、ありがとーございました!

 途端、教室に私語が現れた。随所で、久しぶりね、だの、やっぱり家が一番だよな、だのと言う言葉が交わされる。若干興奮気味に問いただす声と、それに劣らない口調で夏休みの体験を語る奴。まさに、子供の空間だ。野暮な大人は、長年の教師生活でこういった時に静かにしろと口を酸っぱくしていう愚を悟っているらしく何も言ってこない。

 さて、じゃあ僕もこの興奮を誰かと分かち合うべきか。と急に思い浮かんだ。レンスキーに……は、一昨日帰ってから暇を持て余していたレンスキーから根掘り葉掘り聞かれて、そもそも話題に上がるようなことはもう残ってなかったな。

 ならば、そんな話題を交わせる人間は一人しかいない。僕は、右隣を向いた。


 「マフィータは、どうだったの? 長期休暇」

 「……いきなりだな」


 マフィータは面食らったような反応をした。


 「いきなりって……。別に、興味を持ったから話しかけただけだよ」

 「……そういうものか」

 「そういうものだよ。で……どうだったの?」


 日本の夏休み明けにも必ずある、夏休みどうだったという話を今更している自分に少し苦笑を隠さなきゃいけなかったけど、僕はこの猫耳少女にずいと顔を近づけて反応を待った。親しい人間が夏休みに何をしているのかって興味もあったけど、それと同じくらい帝族とやらの夏休みも気になった。

 良く考えてみたら、僕はこの国の有名な避暑地とかをあまり知らない。もしかしたら、帝族御用達の観光地とかあるのかも。世界一周旅行とか言う、この技術レベルだとマゼランのそれよりかなりマシという程度の物は観光というより苦行なのだから、どんな事をしているのか、すごく気になる。

 帝族が通うようなとこなんだから、さぞかし良いところなんだろうな、と僕は架空の観光地を夢見た。さんさんと振りかかる太陽光、美しい海、豊かな自然――。

 うん、是非とものちのち観光業に手を出したときの為に、話を訊いておこう! ……取らぬ狸の皮算用なんて言葉は、この時点での僕の辞書からはすっかり抜け落ちていた。


 「……久しぶりにな」

 「え?」


 そんな事を考えていると、マフィータが口を開いた。お陰で、間抜けな反応をしてしまう。マフィータは途端にムスッとした表情に変わった。本当に、よく表情の変わる子だ。


 「お前がきいてきたんだろう? 休みはどうだったかと」

 「え、ああ、うん。そうそう」

 「……本当に聞きたいのか? そのたいどは」

 「聞きたいよ、うん、どんなすごい話が来るのか考えてたら、少し周りの音が聞こえなくなっちゃっただけで」


 へそを曲げられても困るから、必死に誤魔化す。


 「……どこまでほんとうなのやら」


 呆れたように言う彼女だった。まぁ、と言って続きを促すと、マフィータは再び口を開いた。何だかんだで、話してみたくはなっていたらしい。


 「本当に久しぶりに、母上や父上、それにエレーヌ姉さま達に会えた。まぁ、クラウス兄さまは獣族辺境域のしょくみんちかんたいに行っていて会えなかったけどな」

 「……エレーヌ姉さま? クラウス兄さま?」


 聞き慣れない単語に、思わずオウム返しで尋ね返してしまった。父上が当代の皇帝で、母上とやらがその妃というのはすぐにわかったが、いきなりそんな固有名詞で話されても困る。


 「おいおい、仮にも第一皇女と第一皇子の名前くらいわかって……って、お前はきぞくでは無かったのだったな」


 ああ、と納得したようにマフィータは手を打った。


 「……そうか、マフィータが言うって事は、帝族の一員か……」

 「それ以外に誰かいると?」

 「……いえ」

 「……エレーヌ姉さまは、母上が言うには今いちばんつぎの皇帝陛下にふさわしいひとなんだそうだ。むかしは、いつもいっしょに遊んでくれていた。クラウス兄さまは、しかんがっこうをいちばんで卒業したらしくてな。それで、今回は戻ってこれなかったらしい」


 そこまで聞いてやっと思い出せた。要は、エレーヌ・ダン・リージョナリアとクラウス・ダン・リージョナリアのことか。そのクラウス兄さまとやらの経歴は詳しくは知らないけど、エレーヌ殿下のほうは、帝都の経済政策を任されたときに官僚に頼らず独力でかなり効果の出る政策を纏めたって聞いたことがある。その功績もあって、非公式ながらに八公家はもう次期皇帝彼女でいいんじゃない?と言う統一見解に達しているとも。

 実際、そうと見込んだ八公家やら現皇帝がいろんな事業を押し付けたら、満点とはいかなくても全てを及第点以上でクリアしたとか言う逸材で、商業への造詣も深いから、帝都の商人は、ラグナラ公チャールズの次に慕っているとか言う噂だ。


 「へぇ……。でも、第一皇女殿下も忙しいんじゃないの? よく会えたね」

 「……文字通り、あっただけだったからな」


 なるほど、そらそうだ。


 「それに父上もおしごとがいそがしい。結局、長くいたのは母上とだけだった」

 「ああ、皇妃さまと……」


 僕がそう確認する。けど、予想に反してマフィータは頭を振った。


 「いや、母上は妃ではない。そくしつだ」


 マフィータは、さらりと言った。

 まずった。完全に軽率だった。下手すると、何かコンプレックスみたいなのを抱えてたかも知れないのに。

 そんな僕の内心の動揺を見抜かれたらしい。マフィータは、苦笑した。


 「……別に、気にするひつようはない。リージョナ族にはよくあることだ」


 その口調からは無理しているとか、そんな感情は見いだせない。つまり、本当に何も思ってないわけか。


 「まぁ、私のきゅうかはそんなぐあいだ。特にリージョナリア島から出るようじもなかったしな。……さて、クレイリア。今度はお前の話を聞かせてもらうぞ?」


 気にしてないなら、謝ったらむしろ機嫌を損ねるだろうし、とどう話を変えるか悩んでいると、マフィータの方からそう尋ねてきた。一瞬だけ気遣われたのかと思ったけど、ランランと目を輝かせるマフィータを見て思いすごしだと気付いた。これは、本気で聞きたがってる目だ。なんというか、かなり期待されているのが感じ取れた。

 もちろん、そこまで凄い冒険譚なんて経験しているはずもない。幼児にまで戻ったというだけで混乱していたのに、そんなところでまで異世界なんて感じたくもないのだ。

 けど、だからって僕のことを話さなければ、この皇女様は怒るのだろう。気に入られるかは判らないけど、とりあえず話すだけ話してみよう。

 僕は、姿勢を正した。つられて、マフィータも姿勢を正す。その様子を見て苦笑しながら、僕は自身の経験を語りだした。


 「うん。僕の方は、デニム島に船で戻って――」





 「……と、そんな具合さ」

 「……つまらん」


 期待に応えようとした結果は、この一言で全てが水の泡と帰した。


 「つ、つまらんってね……」

 「本当につまらないのだからしょうがないだろう」


 あんまりだから文句を言おうとしたけど、再びそう断言される。


 「もう少し、ぼうけんとかゆめに満ちあふれた休みは過ごせんのか? 海に出たら大きな海竜にそうぐうし、命からがら逃げ延びてきたとか、みかいの島できょだいな生き物に食べられそうになったりとか」

 「いやいや、小説じゃあるまいし」


 余りに夢見がちな、いや夢想的な休みだ。命が幾つあっても足りやしない。ちなみに、海竜ってのは蛇みたいな巨大生物で、頭についてる角で、悪くすると小舟程度なら一瞬で沈めてしまう。漁師の話によると、「鯨肉よりは美味い」そうだ。地味に、農業に十分な土地のない島では食料供給源として重宝されていたりする。


 「ふつう、商人の息子と言えば休みをおしんで海に出て、こうえきのついでにぼうけんするのがあたりまえだろう!」


 あんまりな、本当にあんまりな言い草だった。思わずやり返しちゃったのは悪くないはずだ。


 「だから何なんだよその範囲が凄まじく狭い当たり前は!」

 「うるさい! こっちは休みの間じゅうリージョナリア島から動けんのだ! その大切な友のためにぼうけんの一つや二つ経験してこい!」

 「大切な友とやらだったらそんな命令するもんか!」

 「じゃあ皇女めいれいだ!」

 「皇女命令はよろしいが、二人とも」


 突然、横槍が入った。こういう時、もう四、五ヶ月間も結構親しく友人付き合いなんかしてると、無駄に息があってしまったりする。この時も、


 「五月蝿い!!」


 と、二人して声の主に怒鳴っていた。そして、冷静になった頭で声の主とやらが一体どんな人物か認識して……顔面を蒼白にした。


 「……ほぅ。まだまだ休暇気分が抜け切れておりませんな、皇女殿下、それからクレイリア」


 心なしか、顔が引くついた。ちらっと横を見てみると、マフィータがじりじりと、しかし確実に後退している。

 そのまま時計に目を移した。うん、授業開始時間は、余裕で過ぎているなぁ……。


 「廊下に立っていなさい!!」

 「は、はいぃ!」


 よりによってこういう事に一番小煩い国語科担当教師だった。こうして、僕とマフィータは一年どころか学園で一番初めに廊下に立たされた生徒として、学園の記録――そんな物付けているとは思えないけど――を大幅に塗り替えることに成功する。


 「……そもそも、お前がきちんとぼうけんしていればこんなことには」

 「そんなに冒険が好きなら自分で経験すればいいじゃないか」

 「二人とも、黙れ」

 「………………はい」


 教室の中から、最大限抑えた笑い声が複数漏れた。マフィータなんかは屈辱的そうな顔をしてるけど、何と言うかまぁ、我がことながら仕方が無いとしか思えなかった。まぁ、自業自得だしね。はぁ……。

 そしてもちろん、僕たちは廊下に立っていたので、ふたりで言い争いをしている段階から、後ろで僕たち――主に僕を恨めしそうに見ていた連中が居たことなど、わかるはずが無い。





















 「いや、すまんなクレイリア」


 職員室で僕を出迎えたのは、学園唯一と言っていい巨体と、明らかに肉食系の顔立ち、常人には及びつかない身体能力の持ち主――つまり、グナンゼウ先生だった。


 「職員会議が長引いてしまった。うん、すまん」


 いえいえ気にしてませんよ、と言う笑顔を顔に張り付けつつも、僕の内心は若干いらついていた。現在の時刻は午後四時。夏休みの宿題回収という大命を仰せつかった僕は、宿題を出すのを渋る一部生徒(主にレンスキーとか、それからレンスキーとか、あとレンスキーとか)から悪徳金融業者のそれの如く宿題を取り立て、『午後三時』と指定された時間に職員室へと進入した。したのだが、職員室はもぬけの殻。唯一残っていた職員のおばさんに訊けば「ああ、今先生方は職員会議中よ」との事だった。

 それでも、三十分後には終わるらしいと聞いて、一旦教室に戻る。そして、今度こそと意気込んで職員室に向かうと。


 「なんだか、会議が長引いちゃってるみたいでねぇ。悪いけど、いつ終わるのかは分からないわ」


 申し訳なさそうにしながら、言われた。

 仕方がないからその場で待つことにした。いつ終わるのか分からないんだから仕方がない。

 と言うわけで、更に三十分程度待ち、漸くぞろぞろと職員室に戻り始めた教師陣の、そのまた最後尾に居たグナンゼウ先生を見つけて今に至ったと言う次第だ。


 「待たせるつもりは無かったんだがな、いや本当に」


 絶対に嘘だと言う確信を持ちつつも、僕は先生に宿題を渡した。まぁ、量はそれほどでもない。所詮は初等部一年生だし。


 「……なぁ、機嫌直してくれよぉ。職員会議忘れてたのは悪かったからさぁ」


 遂に、先生は頭を下げて謝り始めた。小一に頭を下げる大人と言うだけでもおかしいのに、この大人は獣族と来ている。最早、不気味と言っていいレベルだ。


 「分かりましたよ……。と言うか、怒ってませんから」

 「ホントか!」


 目を輝かせて手を取ってきた。訂正する。不気味と言って良いレベルじゃなくて、不気味だ。


 「いやぁ、こうやって先生として教壇に立つのは初めてでな。おまけに、お前みたいな子供も初めてだったから」


 もしかして、妙に子供らしからぬ行動とかがだろうか、と冷たい汗が背中を流れた。なるべく抑えているつもりだけど、流石に成人男性の思考を捨て去ることも出来ず、結果として中途半端な行動をしてしまってるのは一応解ってはいるのだけど。

 しかし、そんな僕の焦りは一瞬で氷解した。


 「全く、人族の子供と触れ合ったことがないってのは思っても見ない弱点だった。大学部に十にも満たない子供なんか居ないしな」


 グナンゼウ先生は、うんうんと頷いた。ああ、そういうことね……。


 「んじゃ、次回は問題集の二十枚目から三十枚目まで。きちんと集めといてくれよ!」


 先生はそう言って、職員室へと戻っていった。相変わらず、マイペースと言うか。

 一頻り獣族教師の生態を再確認したところで、僕は寮に帰ることにした。正直、職員室って言うのは落ち着かない。中の人はいい歳こいた大人だけど、この辺はどうにもならないらしいかった。

 と言うわけで、寮に戻ろうと職員室を出て、すぐにある階段へと向かった時だった。


 「おい、きみ」


 いきなり呼び止められた。聞き覚えのある声だった。

 恐る恐る振り返ってみると……そこにいたのは、友人らしいふたりの少年を側に従えた、クルツ・ベーリング・ダン・リッペポット君だった。心なしか声音がいじめっ子のそれである。


 「ちょっと、いま時間あるだろう? ついて来い」


 有無を言わさない口調で続ける。それと同時に、小一にしてはガタイが良すぎる友人――と言うよりは子分と言った方が適切か。そもそも、小一では絶対にない――が僕の両脇に素早く入り込んだ。再確認しておくと、転生してから本ばっかり読んでたお陰で、僕の身体は平均的な同年代の子供より少し小さい。


 「ん? どうしたんだい? さ、はやく行こうじゃないか」


 確認を求めるようなその言葉は、少なくとも僕にとっては無言の脅迫と同じ意味合いしか持ち合わせていなかった。












 「さて、クレイリア」


 僕が連れてこられたのは、学園の初等部用運動場の奥の方にある、植えられた木々で過ごしやすい木陰がかなりある場所だった。付け加えるなら、職員室や寮と言った教師が見て回るところからはだいぶ離れている。早い話、学園ドラマなんかでの体育館裏の立ち位置に非常に近い。

 そんな場所で、木に凭れ掛かるように子分ふたりに肩を掴まれたまま立たされているって言うのは、何と言うか死亡フラグにしか思えなかった。

 僕は、素早く思考を巡らせる。なんでこんな事になってるんだ?

 正直言って、リッペポット君にこんな事をされる謂れは無かった。と言うか、ロクに話したことさえ無い。僕から見ればただの同級生だったし、向こうから見てもそうである筈だった。

 駄目だ。全く理由が思い浮かばない。

 もしかしたら、ただボコられて終わるとか言う最悪の可能性――正直、殴りかかられたらこの体格じゃ太刀打ちできない――を思い浮かべて蒼くなる。うわ、小学生にビビるってとか思わないでも無いけど、んな思考ができるのは自分が圧倒的優位にあるからだって事を再認識させられる。

 しかし、リッペポット君は僕の顔が蒼くなったのを見て、今までとは全く違う、真剣な表情を浮かべた。その目に被虐の喜びとかは存在しない。彼は続けた。


 「ああ、そんなに怖がらないでくれたまえよ。きみがわたしの言うことさえ聞いてくれるのなら、なぐったりはしない」


 すると、顎で子分たちに何事かを指示する。途端に、肩に加わっていた圧力が消滅した。子分二人の手が僕から離れて行く。

 それを確認したリッペポット君は、少しばかり小さく、囁くように言った。


 「……きみは、わがうるわしの皇女殿下とかなりしたしいみたいじゃないか」


 リッペポット君は、『皇女殿下』を力強く発音して言った。


 「だから、もうわかっていると思うが……、おかわいそうなことに、皇女殿下にはあまりご友人がいないごようすなのだ」

 「……うん、それはわかるけど……」


 その点については僕も幾度か考えたことがあるから、素直に同意する。でも、それと僕がこんな状態なのは、どんな繋がりがあるんだろうか。


 「さて、話はかわるが、皇女殿下はかんがえてみることもひつようないくらいにこうきなごみぶんだ。これも、わかるな?」


 リッペポット君は捲し立てるように続けた。


 「ひるがえって見てみれば、きみは帝都しゅっしんとは言っても、下町の出。とてもじゃないがつり合わないだろう?」

 「……それで、僕にもうマフィータと親しく喋るのはよせって?」


 憮然として聞き返した。同時に怒りもこみ上げてくる。子分の存在なんて忘れかけていた。つまり、高慢なだけの貴族のどら息子が出張ってきただけじゃないか。

 感情の制御が出来ず、顔に出ていたらしい。慌てるようにして子分ふたりがリッペポット君との間に入り込み、すぐにでも掴みかかれる位置へ移動する。

 だけど、リッペポット君は二人にどくように言った。子分ふたりは顔を見合わせたけど、すぐに先程までの位置に戻る。


 「いや、すまない。まぁ、きみが言ったことはわたしがお願いしたいことではあるが、すこし理由がちがう」

 「――理由が違うって?」


 幾分闘気を抑えて訊く。すると、彼は心得たとばかりに話しだした。


 「かんがえても見たまえ。今までの帝族のかたがたは、学園におられたときどんなじょうたいだったか。いつもわたしのようにこうきな貴族や、徳のあるとうたわれたひとといっしょであったそうだ」


 そこまで話した後、急に声を張り上げた。


 「だが、第四皇女殿下はどうだ!? あろうことか、こんなみぶんの低いものと付き合って、更になまえを呼ぶことまでおゆるしになっている」

 「だったら?」

 「……おや、これはおどろいた。皇女殿下のいちばん近くにいるきみがこんなうわさを知らないなんて」

 「うわさ?」


 何の話だ? リッペポット君は、ため息をついた。


 「……『第四皇女殿下は、帝族史上屈指の変人』といううわさだ」


 思わず、はぁ!?と怒鳴りかけた。何処のどいつだ、そんな馬鹿馬鹿しい噂を流してる奴は! そこまで考えて、唐突にだいぶ前、それこそあった当日かその二三日後にレンスキーから聞いた事を思い出した。





 『……おまえさ、皇女殿下呼び捨てにするやつがめずらしいって言ったんだから気付けよな。いいな、帝族の、皇帝陛下かそのご家族以外で帝族を呼び捨てにする立場にお前はなっちまったんだぞ? そんなの、よほど親しい大貴族でも居ないんだ。それが、おまえはどうだ?』





 そうだ、確かそんな事を言っていた。確かに、『よほど親しい大貴族』ですら許されない事を堂々とされている。

 前例にないことだ。『前例至上主義だ? 馬鹿め』って日本人時代なら思ってただろう。でも、ここは常識以前に世界が、そして進んでいる文明の度合いが違いすぎる。とてもじゃないけど、そんな事は言えない。

 つまり、こんな馬鹿げた、本当に馬鹿げた噂が広く蔓延ってしまうのも、当然予想しなければならなかったはずだったのに。


 「うんうん、きみの気持ちもわかる。そんなふけいなことを言うやからに怒りが込み上げてくるなんて、きみもりっぱな帝国臣民だ」


 リッペポット君は的はずれなことを言った。


 「だが、このうわさのもつちからも分からないのだろう?」

 「力って?」


 もう、会話の主導権は完全に握られっぱなしだった。


 「やっぱり分からないか。うん、教えてあげよう。いいか? このうわさで、ほんらいならごがくゆうとして共にあるべきものたちが、殿下をさけているのだ。『変人皇女には関わるな、後でどんな面倒に巻き込まれても知らないぞ?』ってね」


 彼は、話しながら天を仰いだ。


 「かわいそうな殿下! これでは、できる友人も出来ないはずだよ。じっさい、わたしもついこないだまではそう思っていた。だが、わたしは気付いたのだ。ただきみと言う存在が親しくいるせいで、皆が殿下をさけているということに!」


 愕然とした。まさか、それが理由だったなんて。

 今まで、原因究明と称して暇な時間に何度か考えたけど、はっきりとした理由は分からなかった。だけど、これで納得出来た。要するに、その噂と言う最大の要因を知らなかったからだ。そして、そうなのであれば、対応は簡単だ。つまり。


 「……元凶の僕がマフィータに近づかなければ、そんな噂もすぐ消えるってこと?」

 「しつれいなのをわかって言うと、そうなってしまうね」


 リッペポット君は、「だが」と胸を叩きながら前置きして続けた。


 「もしそうすれば、わたしもうわさに巻き込まれないからね。すぐにでも皇女殿下の御心を安んじたてまつろうじゃないか。何、そうすれば、そのようなうわさなんかすぐに忘れ去られるさ。そして、殿下はわたしの友人を始めとしたたくさんの人々に慕われ、好かれ、そして楽しく学園せいかつをおくったあとにそつぎょうなさることだろう」


 そういった後、リッペポット君は黙った。もちろん、僕の返答を待つために。

 どうする? 一体どうするべきなんだ? 自問しかけて、薄く笑った。何を考えてるんだ。マフィータが潜在的に友人を求めている。そんな事、分かりきっていた筈なのに。

 それに、もう僕はその問に対しての答えを出しているじゃないか。


 「……マフィータ、いや皇女殿下のこと、よろしく頼むよ」


 思っていたより、遥かに落ち着いた声で僕はそう言った。


 「解ってくれてありがたい。きみも、あんなうわささえなければいい奴だというのに」


 彼は、気障ったらしく笑った。


 「皇女殿下のことは任せたまえ。きみがすうこうなぎせいをはらってくれたんだ。ぜったいに、たくさんの友人を作れるようにしてみせるよ」












 学園の人の流れは、大抵毎日同じだ。

 例えば、朝のHR前には寮生がそこら中を動き回っているし、昼休みはてんでバラバラな動き方だけど、授業が終了すれば殆んどの奴が一目散に寮へと戻る。

 そして、陽が傾き始めたこの時間。時刻は午後六時頃は、全ての人間の動きが一致する。人間の三大欲求の内の一つを満たすために。


 「Bランチお願いします」

 「あいよ」


 有り体に言えば、いつもどおりの込み具合だった。取り敢えず、早く座る場所を確保しよう。

 手馴れた手つきで素早く準備されたそれを受け取り、スープを零さないようにしながら席を探す。食堂が開いてからまだ十分も経っていないのに、配膳棚近辺の席はあらかた人で埋まっていた。

 仕方が無いので、奥の方に視線を向けた時だった。


 「クレイリア!」


 マフィータだった。何やら楽しげに手すら振っている。


 「席ならあいているぞ。ここの辺りが」


 言った通り、何時ものようにマフィータの周囲はスッカスカだった。まぁ、と言ってもマフィータを中心に三四人分の空席が輪を描いたみたいにあるだけだったけど。

 だけど、その空白地帯を見てむしろ僕の決心は硬くなった。変な噂で友達できないんなら、やっぱりここはそっと距離を置くべきだろう。本当の小一ならともかく、こちとら三十近いんだ。そのくらいの分別はついてしかるべきだ。

 素早く辺りを見回す。確か、何時もあの辺にレンスキーがいたはず……。

 と、案の定何かこだわりがあるのか、何時もと同じ空席帯から二席ほど離れたところに座っているレンスキーをすぐに見つけられた。他に人は……居ないな。


 「ごめん、今日はレンスキーと食べるよ」


 言いながら、突然の指名にギョッとするレンスキーの方へ歩み寄っていく。


 「え? ……あ、ああ。わかった」


 一瞬普段のイメージとは全く似つかない声を漏らしたのが気になったけど、とにかく了承は得た。


 「あの、皇女殿下。もしよろしければ、わたしといっしょに食事でもいかがでしょうか?」


 後ろから、格好を付けた声が聞こえてきた。リッペポット君だった。どうやら合わせて行動してくれたらしい。

 これで、少しずつでも友人関係が出来上がってくれよ。切に思う。何だかんだでマフィータは根はいい奴なのだ。これで良いはずだ。

 何か思考に親父っぽいものが混ざっていた気もするけど気にしない。そのまま、レンスキーの横の席に座った。


 「……なぁ、クレイリア」

 「何だい?」

 「何か、悪いものでもくったのか?」


 開口一番がそれですか、レンスキー君や。


 「いや、何でそうなるんだよ」

 「……あの帝族とか貴族とかかんけいねぇっていきおいだったおまえが、殿下のさそいを断るなんて、そう思うしかねぇだろ」


 レンスキーは真に心配してくれていたのかも知れない。でも、僕の脳みそは言葉の中からわざわざ刺のある言葉だけを選別し、曲解して処理していた。

 やっぱり、凝り固まった思考の立ち向かうみたいな事をしたのがそもそもの間違いだったんだ。適度に流されることも大事。何でもかんでも批判するのは容易いことだけど、じゃあ今までと正反対の事をしてみたって結局は大差ない。正直言って、前世で経験すべきだったことを今経験したような気がすごくした。


 「まぁ、……色々あってね」


 変な噂が立ってるらしいから、と正直に言おうかとも思ったけど、こいつに言ったって意味のないことだ。それよりだったら、援護でもしておくのが妥当かな。


 「……レンスキー、少なくともマフィータは帝族って事を考えなきゃ凄く付き合いやすいよ」

 「だーかーら、帝族ってことを考えないのがむずかしいんだって。って言うか、いきなりなんなんだよ」

 「いや、ちょっとお節介をね」

 「おせっかい?」


 レンスキーは首をかしげた。







































 あとがき



 どうも、作者です。連日の酷暑で、盆地住民としてはほんとに死にそうです。……パソコンが。


 最近、熱のせいなのかそれとも接続機器がいかれたのか、ネットへの接続が遅いの何の。……とりあえず、他のアプリケーションまで変にならないように、祈るばかりです。


 そして、今回の話ですが、ようやく、ようやく学園編でメインの一つに分類していたイベントに辿りつけました! うん、日常編なんて冒険しなければ、もう少し早く辿りつけていたかもというのは禁句です。


 ともかく、作者のモチベーションも上がり調子。夏休みの宿題という存在を加味しなければ、すぐにでも続きを上げられそうです。……宿題………。


 では、コメント返しです。




 >>ハロ氏


 「帝国暦~~年」などという表記がない場合、それは最も最近出てきた「帝国暦~~年」と同じ年だと判断していただければありがたいです。年が変わった場合は、きちんと何暦何年と明記するつもりですので。説明不足ですみませんでした。



 >>you氏


 厳しいご意見、本当にありがとうございます。どうも、やはり判断基準が作者一人だけだとすぐに妥協してしまうようです。

 なのですが、秋津皇国の話はまた少し後に出てくると思います。話が飛び過ぎと言われた直後からこれで本当に申し訳ありませんが、なんというかあそこまで引っ張ってしまった手前、どうしてもそこだけは書いておかないと気が済まなくなってしまっていまして……。作者の勝手ですみませんが、なるべく後々に全部つなげられるように努力します。内容の方は、なんとか濃くなってはいると思うのですが……。



 最後に、結局また更新遅れてすみませんでした。挙句、これを上げる直前に前回更新分をすっかり表記し忘れているのにも気づき、軽く自己嫌悪に陥ってます。こんな小説ですが、今後も見捨てないで見てやってください。ではでは。



[14989] 第一章 第十話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad
Date: 2010/08/02 13:54
                                                            七月一日 セント・アルマーダギー学園 




















 少女は、幸福だった。


 少女は、幸福だった。


 いつも、周りには『安心』があった。


 宮殿の中で遊ぶときは、いつも傍に女中が控えていた。


 リージョナリア島の、楽園としか言えないような自然の中に居るときは、殆んどいつも自分に付きっきりの老執事が居てくれた。


 父親は忙しいらしかったが、よく仕事の合間に暇ができれば少女のもとにやってきて、話し相手をしてくれた。


 少女の異母兄弟達も、いつもは勉強勉強と言って厳しそうな大人に付き添われながら真っ白な紙に、少女には何が面白いのだかさっぱりわからないような記号(彼女はそれを何かの暗号だと思っていた)を書き連ねていたが、暇さえできれば少女と共に遊んでくれていた。


 そして、何よりも。


 悲しいとき、嬉しいとき、怒ったとき……。


 少女が何らかの感情を爆発させたとき、傍には優しい、本当に優しい母親が居てくれた。理由はわからなかったが、それだけで何故か気分が落ち着く。それが何よりも嬉しかった。


 少女は満たされていた。


 少女の周りにはいつも誰かが居てくれた。


 少女は安心だった。


 少女は、幸福だった。




























 夏期休暇も終わって、新学期が始まったとはいえ、未だに暑い帝都<リージョナ・ポリス>。

 お陰で、初等部校舎での授業は茹だるような暑さでやらされる羽目になっているけど、少し場所を移せば結構快適な場所もセント・アルマーダギー島にはある。

 具体例を挙げれば、それは今僕がいる海辺の小奇麗な広場とかだ。

 初等部・中等部の生徒には殆んど無縁のこの場所だけど、涼しいし景色もいいから、高等部以上の生徒や教職員は、休憩時間にこの場所でたむろっていることが多い。

 ちなみに、教職員は学舎内禁煙の所為でここに来て一服吸うのがジャスティスと化しているらしいけど、それじゃあ高等部の方々は何やっているのかといえば……学園でも一番小奇麗な場所なんだから、当然デートスポットと言う訳だ。

 実際、この時間――昼休みにも、二三組ほどそれらしい生徒が居たりする。まぁ、青春の一情景って奴だ。結局青春時代にその手の話が一つも無かった僕にとっては、羨ましい限りだったけど。

 さて、そんな好立地。そして朝に呼び出しをくらった僕。本来なら、胸をときめかせて然るべき状況なんだけれども。


 「……相手が男じゃねぇ」

 「………? なんか言ったか?」


 僕を呼び出したのは可愛い女の子でも美人のお姉さんでもなく、ルームメイトのガキンチョでした。

 まぁ、美人のお姉さんが呼び出した本人だったらそれはそれで一般的でない嗜好の持ち主と断定できるから素直に喜べないし、可愛い女の子なら、ごくごく一般的な年齢が好みの僕としてはそれはそれでキツイ。全く不便な状態だった。

 人はそんな仮定を取らぬ狸のなんとやら、とか言うんだろうけど。ともかく、レンスキーに今日の昼休みにあそこの広場に来てくれ、とやけに真剣な表情で告げられたのが朝のHR前。隣でリッペポット君とマフィータが話しているのを横目で見ながらだった。


 「……それで、話って言うのは?」


 用事があるからって、昼休みが延長されるわけでもない。食事摂って移動してだから、残り時間もあと僅かだった。

 僕に促されるように、レンスキーは今日一日全く崩す気配が感じられない真剣で、どこか張り詰めたような表情のまま口を開いた。


 「……おまえ、なんか悪いもんでも食ったのか?」

 「………………は?」


 いきなり、何の脈絡もなく出てきたのがその言葉である。たっぷり十秒は固まった。

 何かの冗談なのか? と思って軽口で以て返そうかとも思ったけど、思いとどまる。レンスキーの目はそれほどまでに真剣そのものだった。付き合いができてから一年も経ってないけど、ルームメイトだ。その位は解る。


 「……特に食べた記憶はないけど……何で?」

 「いや、だっておまえ最近おかしいじゃんかよ」

 「おかしいって、何がだよ」


 レンスキーはそう断定したけど、僕にはさっぱりだった。レンスキーにおかしいと言われるような行動をした覚えは無い。


 「決まってるだろ。皇女殿下のとのことだよ」


 レンスキーは、苛立ちを押さえつけているかのような口調で言った。

 ……結局、あの後僕とマフィータは教室での授業の合間くらいにしか会話を交わしていなかった。いや、その僅かな時間も、僕の方からレンスキーのとこへ行っていたりするから、実際はもっと少ない。


 「前まではみぶんとか気になんかしてなかったのによ。ほんと、おまえどうしたんだ?」


 レンスキーは心底心配しているようだった。

 こりゃ、誤魔化しは効かないなと即断する。確かにレンスキーは正直で、ついでに言えばかなり純真ではだった。つまり、人の言う事に騙されやすくもあるってことだ。

 ただ、本気で自身が真剣に考えてることをはぐらかされた時は、どこにそんな能力が兼ね備わっているのかかなり敏感にそれを察知して、きちんと説明するまで動かない。子供ながらの頑固さだった。第一、そもそもレンスキーに誤魔化す必要性が無い。

 とにかく、納得してもらうには本当のことを話すしか無いみたいだった。


 「……いや、それがさ。リッペポット君から、マフィータに人が寄り付かなくなったのは、貴族でも何でも無い奴に平然と名前を許したりするのが奇行みたいに思われてるからだって話を聞いてね。それでだよ」

 「リッペポット君、ってもしかしなくてもリッペポット公爵家のあのリッペポット様だよな」


 レンスキーが呆れたように尋ね返してきた。


 「うん、その通りだけど」

 「……よく、あの人から君付けでよぶのゆるしてもらえたよな、おまえ」


 言われてみれば、そうだった。いや、と言うかそもそも自然に言ってたから許可もらったことすら無い。あっちから何も言ってこないってことは許されてるって解釈でいいんだろうけど。

 まぁ、多分マフィータの事で彼もいっぱいいっぱいだったんだろう、と適当に結論づけたところで、レンスキーは「それはともかく」と話を戻した。


 「そんな噂があったのか……」


 言うなり、レンスキーは腕を組んで何やら考えるポーズを取った。


 「そんな噂があったのかって、帝族から名前呼ぶのを許される奴なんて殆んどいないって散々脅かしてきたのは君じゃないか」

 「……ああ、そんなことも言ったな、そういや」


 繰り返すけど、レンスキーは根が正直。本気で忘れていたらしい。


 「けど、んな噂……」


 レンスキーが口を開きかけたところで、後ろからガサっと音がした。

 ふと気が引かれて振り向いたけど、何も無い。……と思ったところで木に留まっている鳥が見えた。どうやら、あれの音だったらしい。


 「……げっ、もうこんな時間じゃねぇか」


 同じ音を聞いたらしく、気付けば僕と同じ方を向いていたレンスキーがそんな声を挙げる。よく見てみると、木の葉に隠れるようにして時計が見れた。時刻は一時十五分。急がないと五時間目に間に合わない、と言う程ではないけど、もうそろそろ教室に戻らないと廊下に立たされる羽目になる。


 「じゃあ話も済んだし、叱られる前に戻ろうか」


 僕がそう誘うと、レンスキーはバツが悪そうに口を開いた。


 「……わざわざ呼び出しちまってごめんな」

 「いいよ、気にしなくても」


 こいつのことだから、本気で悪いものでも食べてこうなったとでも思ってたんだろう。別に目くじらたてることでもない。むしろ、ここまで僅かな変化で心配されたことなんか(親を除き)無かったから嬉しくさえある。

 ただ、最後に茶化そうとしてしまうのは、精神が身体に引きずられて幼くなってしまったのか、それとも単に僕が子どもっぽいだけなのか判断がつかないけど。


 「それより。マフィータの周りに人が集まれば、君ももっと気楽に近づけるんじゃないの?」

 「ぶっ!!」


 いきなりむせるレンスキー。ぜぇはぁと息を整えてから、大声で怒鳴りつけてきた。


 「ば、バカ! おれはべつに皇女殿下とお友達になりたいとか、そんなこと考えてもねぇぞ!」


 テンプレ乙。そう言いたくなるのは仕方ないでしょ、と空に語りかけつつ、僕は背後の雑音を無視して初等部へと歩き出す。

 不意に、環礁外側から涼しく、生気を蘇らせる風が吹いてきた。決して弱くはないその風は、辺りの木々に生い茂る葉を揺らし――付近で整えられた美しさを醸し出す小低木に、ガサガサと再び音を立てさせたようだった。














 「で、おまえはどうすんだよ、クレイリア」


 この時期、つまり出会ってから七ヶ月、実際に過ごして四ヶ月ともなると、全く新しい環境でもそれなりの人間関係は構築できる。

 それは、始めの頃は「俺たち勉強以外に興味ありませんから」と言うスタンスを崩していなかった特別学級にも当てはまるようだった。

 先生が帰りのHRの後教室から出て行けば、即座に男子・女子の仲良しグループが構成されている現状なんか、その最たるものだろう。

 特に、これは実家が遠いお陰で夏期休暇中に帰省しそこねた残留組の間で顕著だった。僕の周辺ではレンスキーしかいなかったとは言え、特別学級や一般初等部を見回せばそんなのはかなりいる。


 「どうすんだよって?」

 「決まってるだろう? がくえんさいだよ、がくえんさい」


 と言うことは、レンスキーもそれ相応に交友関係を広げていると言うわけで。今、僕の目の前で焦れたように捲し立てる茶髪のちびっ子もその縁で知り合った奴だった。


 「せっかくのお祭りだよ? 楽しまなきゃだめだろ。な、レンスキー」


 ちびっ子――もとい、オリバー・リウが、平均以下の筈の僕よりも小さい体を最大限に使ってする主張に、レンスキーはその通りとばかりに頷いた。


 「まったくだぜ。ただでさえも、ここに来てからひまでひまで。べんきょういがいになんかやる事はねぇのか、って感じだよな」

 「そうそう、そのとーり!」


 確か、僕たちが特別学級にいるのはその勉強をするためだったような気がしたけど。

 だけど、それを目の前でシンパシーを高め合う二人に言っても聞き入れられるなんて事は、毛ほども考えられなかった。


 「……で、クレイリア。もちろん、おまえも俺たちといっしょにがくえんさいめぐりするよな?」


 バン、と机が音を立てた。リウ君は、まっすぐな瞳で僕を射ぬいてくる。まず間違いなく、否定の言葉はこいつの耳には入らないだろう。


 「……解ったよ。いいよ、付き合う」


 両手を挙げて降参のポーズでそう言うやいなや、リウ君はやったぁ!と歓声を挙げて僕の両手を鷲掴み、ブンブンと振った。


 「よかった、よかった! 今まで四五人をさそって見たんだけど、だれもいいへんじじゃなくてさ」


 だろうね、とリウ君には悪いけどそう思ってしまう。学園祭は、お祭り騒ぎもあるけど、休養の面も大きい。無駄にはしゃぎすぎるのを好まないのも大勢いるだろう。


 「でもまぁともかく。これで、がくえんさいは楽しめるな、リウ」

 「ああ、おまえが言ってくれたとおりだよ、レンスキー。クレイリアはゴリ押しすればたいてい流されてくれるって」

 「ちょっと待て君ら」


 何やら聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたので、慌てて静止する。


 「……僕が、何だって?」

 「………いやぁ、空が高いなぁ、レンスキー」

 「………全くだぜ、リウ」


 全力でスルーされる。こうまで白々しいと、もはや追求する気も起きなくなってくるな。

 僕ってやっぱり流されやすく思われてるのかな、何て思いつつ、思い切り背もたれによりかかった。ため息をつきつつ、そのまま首を後ろに倒すと……。


 「あれ。君は?」

 「あ、あはは」


 流石にこの格好で話すにはまずすぎる人物がそこに居た。しょうがないので、姿勢を正して振り向く。僕の動きにつられてその人物の方を見たレンスキーとリウ君が固まった。


 「ご、ごめんね。立ち聞きする気は無かったんだけど」


 その人物――ルイ・ナオーリス・ダン・フルマーニ君、フルマーニ公爵家の嫡男は、さも申し訳なさそうな表情と口調で謝ってきた。


 「いや、別にあやま………」

 「フ、フルマーニ様! おあやまりになられるだなんてとんでもない!」


 ああ、やっぱりこういう反応を返しちゃうんだよね、この二人は。文字通り血相を変えて恐縮し切るレンスキーと、それほどでは無いにせよ頭を下げているリウ君が見えた。

 空気が、痛かった。もうこの学園に入ってから通算何度目か数える気力も湧かなかった。ほんとに、何でこんなに疲れなきゃならないんだろうか。

 何とも言えない沈黙が続いた後、不意にフルマーニ君の表情が、苦笑から落胆のそれに変った。それを見て、僕は何故だかマフィータの顔を思い出す。似たようなことが前にあったと、記憶が伝えてくる。


 「……立ち聞きって、学園祭のこと?」


 気がつくと、僕はそんな事を言っていた。フルマーニ君の目が丸くなり、喜びの色が瞳に灯った。


 「う、うん。ぼくも学園祭ってどんなものなんだろうって気になっていて。父上から少しは聞いてたんだけど。でも、ぼくにいっしょに遊んでくれるようなひとはいないからさ」


 淋しげに言うその目には、どことなく哀愁みたいなものが映っていた。その目には、どこかで見覚えがある。マフィータが淋しげにしていた時によく見る目だった。


 「それで、あなた達ががくえんさいがどうのこうのって話しているのを聞いてしまって」


 それは、明らかな諦めだった。誰にも相手にされることのないという、悲しい諦め。僕は素早く考えた。どういうわけか、彼はみんなから避けられているらしい。そして、それは僕とは関係性がないことだ。僕と関係性がない、つまりマフィータの事と違って、僕が何をやっても、こと彼に対しては問題がないというわけで。つまり。

 レンスキーが、はっと何かに気付いたようだった。盛んに目線でこちらに合図を送ってくる。けれども、僕にそれに従う気なんて、一欠片もなかった。

 気づけば、ほとんど無意識のうちに僕は言っていた。


 「良かったら、さ」

 「え?」

 「一緒に学園祭を巡ってみない?」


 レンスキーがこいつやっちまったと言わんばかりに頭を抱えた。リウ君が、事態を理解すると同時に蒼くなった。

 これだけ見ると、甚だまずい選択をしてしまったようにも思えるけど、後悔は微塵もなかった。何故か? 決まってる。目の前で、フルマーニ君が隠しきれるものではなくなった歓喜をあらわにしているからだ。


 「……いいの?」

 「良いのも何も、誘ったのはこっちだよ」


 信じられないと言う口調で訊いてきたフルマーニ君に、ダメ押しで付け加えた。いよいよ、顔面から歓喜以外の何者も消え失せる。レンスキーは乾いた笑い声をあげ始めたけど、それすら耳に届いてない状況らしかった。


 「あ、ありがとう。そんな風にさそってくれたのは、あなたが初めてだ。みんな、公爵のこどもだと言ってえんりょするのか、あんまり話しかけてきてくれなくって」


 感極まったようにお礼を言ってくるフルマーニ君であった。本当に、高貴な身分だから親しくしちゃいけないとかって悪癖だなと苦笑する。

 ん? 今なにか、妙に重要なことを考えたような気が……。


 「……クレイリアさん?」


 一瞬逸れた思考を、目の前の人物に向けた。


 「ああ、うん、ごめん。あ、あと、別にさん付けじゃなくていいよ。クレイリアで」

 「……解った。本当にありがとう、クレイリア。僕のことも、ルイでいいよ。じゃあ、またこんど、くわしい事を決めよう」


 ルイは、いい笑顔を残して去って行った。

 僕は爽快だった。やっぱり、良いことをした後って言うのは気分がいいモノだ。そう思って、僕はレンスキーとリウ君の方に振り返って。


 「――そうだったよ、すっかりわすれてたぜ! こいつのわるいくせ!」


 頭を抱えて悶えているレンスキーと、茫然自失しているリウ君を確認した。


 「おまえってやつは! クレイリア! まためんどうなことばっかもちこみやがって!」


 レンスキーが、ルイが近くにいないのを確認してから怒鳴り散らした。むっとして言い返す。


 「面倒とは何だよ。学園祭でお祭り騒ぎする人数が足りないから誘ってあげたんじゃないか」

 「それとこれとは話がべつだよ!」


 突っ込んで、レンスキーははぁとため息を付いた。


 「……ため息付くと、幸せが逃げるよ?」

 「……もうにげてくしあわせも残ってねぇよ」


 疲れたように言う小学一年生。相変わらずシュールな画である。ちなみに、リウ君は、


 「フルマーニ様といっしょ、ごいっしょ、あはははは……」


 まだフリーズしていた。


 「だから、いっそそういう偏見なくしてみろって。世界変わるから」

 「……おまえがおかしいだけだよ……」


 力なく呟いたレンスキーだったけど、次の瞬間、心なしか気力が感じ取れてきた。


 「ああ、もーいいさ。おまえとともだちになったのがそもそものはじまりだ。どーせここで逃げてもまたこんな事が起こるんだ」

 「レ、レンスキー?」


 ぶつぶつぶつぶつと呟いた後、レンスキーは顔をあげた。何事かを決意した色が現れている。


 「公爵? どんとこいだ。ふっきれてやる!」


 レンスキーはやけっぱちと言う表現が最も相応しい声量でそう宣言した。


 「おお、よく言ったレンスキー!」

 「ちょ、おまっ! 何いってんだよ!」


 賞賛する僕と正反対に、リウ君は顔をひくつかせ、泣きそうな顔でレンスキーにすがりついた。


 「むりだって! おれ、ああいう人たちのキゲンそこねたから帝国で生きてけなくなるなんていやだよ!?」

 「だいじょうぶだ、リウ。クレイリアを見てたからわかる。あの手の方々は、むしろクレイリア並のガサツなあつかい方でもあんまもんくは言ってこねぇ」


 ガシッとリウ君の肩を掴んでそう諭すレンスキー。本気でやけになったらしい。


 「ああ、なんでこんな事になったんだろ……」

 「リウ君、ただ友人が一人増えただけだって思えばいいじゃないか」


 宥めた瞬間、ジト目で睨まれる。やばい、本気で怒らせちゃったか?

 しかし幸運なことに、杞憂だったらしい。リウ君は気怠げにこっちを向いた。


 「……リウかオリバーで良いよ。フルマーニ様よびすてで、おれにくんなんかつけたらそれこそふけいざいでたいほだよ」


 ミッションコンプリート、教化完了、と頭の何処かで声がした。


 「……あーあ、次は皇女でんかとでもいっしょにまわることになるのかなぁ」


 もう心底どうでもいいや、と言う口調で、リウは独り言ちた。僕とレンスキーは顔を見合わせ――苦笑する。


 「だいじょうぶだ。さすがにクレイリアもそこまでひじょーしきじゃねぇよ。な?」

 「非常識って何だよ、非常識って」

 「そのままのいみさ」

 「……そのことば、本当だな、クレイリア、レンスキー」

 「もちろん」


 尚もしつこく「本当に皇女でんかは呼ばないんだな!?」と問う詰問をレンスキーと二人して受け流しつつ、僕の思考は別のところへ行っていた。

 さっきから、会話の節々に感じる違和感はいったい何なのだろう?

 答えは、一向に出る気配がなかった。























 帝国皇女・マフィータ・ダン・リージョナリアは、現状に対して複雑な感情を抱いていた。

 事の起こりは、先月の下旬。もっと具体的に言えば始業式の直後から、彼女に近づく人間が徐々に増え始めたことだった。

 前々から鼻持ちならないと思っていたリッペポット公爵家の次男がその筆頭だった。第一声こそそれまでの延長線上としての嫌悪をそそられたが、話てみれば何だかんだと言って、かなり楽しく話すことが出来ていた。つまり、彼女はそれほどまでに友人という存在を欲していたのだ。

 それを皮切りとして、彼女は自身の交友関係というものが急速に広がっているのを実感していた。

 男女関係なく、いつしか自分の周りには人が集まるようになっていた。と言っても、精々が三、四人程度だが、それでも彼女は満足だった。

 思えば、今までが今までだったのだ。大昔ならともかく、ここ最近、彼女は自分以外の大勢と友達づきあいをするなんてことは殆んど無かった。いや、友達づきあいと限定するならば、それこそ二三人と少しの時間遊んでみるなんてことすら無い。

 それが、ここへ来ての急速な環境の変化である。

 正直、戸惑いが無かったといえば大嘘になる。だが、それでも彼女は楽しんでいた。楽しもうと努力し、そう思い込んでいた。

 かくして、彼女は学園生活を彼女なりに楽しく過ごそうと思っていたが、それが完全に成功しているとは言い難い。むしろ、楽しんでいなければ思い出してしまう心配――恐怖が、存在していた。

 あの日、始業式の当日まで、彼女が一番親しく付き合っていたと自負していた、チャールズ・クレイリア、あの少し変った平民の事である。

 幾ら面積が広いと言っても、リージョナリア島と言う小島の、更に宮廷と言うよく言って華麗な空間、悪く言えば薄汚い監獄に囚われていた彼女にとって、同世代の人間がそこら中に存在する環境は、下手をすると異世界に迷い込んだ位の衝撃を受けるものだった。その中で、普段よりも遥かに気が昂ってしまったのは必然とも言えるかも知れない。

 明らかに若干の好奇と大多数の警戒によって支配された視線を感じつつ、そのやり場の無い気持ちを偶然隣にいた平民の少年にぶつけてしまう。これも、彼女のこれまでを考えれば致し方ない事だろう。

 だが、問題はその人物が彼女の、いや大多数の帝国人の常識では測れない思考回路を持ち合わせていたことだった。

 自分は、いったい何をしていたのだろうか。屈辱と共に、あそこまで高圧的な態度をとってしまった自分への憤りもまた同様に彼女は感じていた。そして、彼――クレイリアに興味を抱いた。

 そこから彼女にとって初めての友人付き合いが生まれ――割と問題もなく、今に至ったわけだが、そのクレイリアの様子がおかしかった。

 急に、食事を一緒に取らなくなった。急に、レンスキーや他の友人らしき人間のところへと喋りに行った。急に、全くではないが、あまり話さなくなった。

 彼女にとって、それは大きすぎる恐怖だった。なぜなら、彼女は友人と言えるものを今まで作ったことがない――否、作れなかったのだ。であるならば、当然友人関係の崩壊などと言う状況に陥るはずがない。

 しかし、彼女の頭の中には、友人関係などよりよほど強固だと信じていた絆が薄れて行く記憶が強く残っていた。本来ならば、別の他者との交わりで十分回復可能なはずのそれは、その別の他者とやらが一向に現れないことでより深く彼女を痛めつけていた。

 であるからだろうか。彼女が現状で楽しいと思い込むようになったのは。


 「ささ、皇女殿下。今日のこんだてもおいしそうですよ」

 「そうですよ、殿下。なにになさいますか」


 だから。今も彼女はこうして、リッペポットとその「友人」とともに食事を摂ろうとしていた。

 違う、と彼女は思った。

 私はマフィータだ。マフィータ・ダン・リージョナリアだ。皇女じゃない。殿下じゃない。それは私の名前なんかじゃない。

 しかし、普通の子供ならこんな風に声を張り上げて主張するかも知れない事を、彼女は帝族としての矜持から言うことが出来なかった。我を殺せ。それが、教えなのだ。

 でも、それでもクレイリアなら。

 彼女は、チラとクレイリアを見た。彼女の頭痛の種は、彼女になど気付かずレンスキーや、名前もよく覚えていない同級生と談笑していた。

 混ぜて欲しい。そう思ったが、心の奥底へと沈める。例の、帝族の矜持と言うものもあったが、それ以上に、どうせ自分が入った所でクレイリア以外が逃げるように去っていくだろうと言う思いが強かった。そして悲しいことに、それは悲観主義のたまものではなく、経験則だった。

 彼女は諦めて、『友人』達に付いて行くことにした。少なくとも、彼らは逃げるようなことだけはしなかった。それだけで、及第点以上だったのだ。……少なくとも、あと少しの間は。



























 あとがき



 なんとか、前回よりは遥かに素早いペースで書く事に成功しました! 流石長期休暇は格が違った。


 お話の方は、起承転結で言う承あたりでしょうか。きちんと転結と繋げられるかが大きな問題ですが……、ここまで来たら、一気呵成に書き上げちゃいたいと思います。


 それでは、コメント返しです。




 >>ヒーヌ氏


 ご期待いただき、ありがとうございます。

 楽しみいただけるような今後を書きたいと思いますので、是非よろしくお願いします。


 >>k;;hlh氏


 ベタはベタなりに、きちんとした話に出来上がると思いますので、お楽しみに。

 主人公もカッコよく……カッコよ……あれ、あれってカッコいいのだろうか……? ともかくお楽しみに!


 >>Tea氏


 うーん、やっぱり少しくどい所もありましたか……。ベタですしね。次からはなるべくクドさ抑えめで書き上げては見ます。

 ちなみに、バカ貴族君の方ですが、どうしても自分がでしゃばらなきゃならない時も、ありますよね?



 次回、事態は急激に加速し、一挙に結辺りまで突入します。新キャラの方も、ちょくちょくと事態に首を突っ込み始め――。このままのペースでなら、8月の中旬初め辺りには次話上げれそうですが、そこでペースが持たないのが作者クオリティ……。ともかく、八月中には切りの良いとこまで投稿したいと思っていますので、期待しないで待ってて下さい。ではでは。




[14989] 第一章 第十一話前編
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:07c34d7d
Date: 2010/08/29 00:28
 七月十五日 セント・アルマーダギー学園












 少女は、孤独だった。


 少女は、孤独だった。


 いつしか、周りから『安心』が消え去っていた。


 宮殿の中で遊ぶとき、いつも傍に控えてきた女中の向ける表情は、いつしか子供に対するそれと言うよりは、目上の者に対するそれに変容していた。


 リージョナリア島の、楽園としか言えないような自然の中に居るとき、殆んどいつも自分に付きっきりだった老執事は、自分が成長するにつれて、少女と言う個人ではなく、帝国第四皇女としての自分しか見なくなっていた。


 父親は変わらず忙しいらしかったが、空いた時間は彼女よりも更に幼い妹や弟へと向けられ、少女と一緒にいる時間は激減した。


 少女の異母兄弟達も、あるものはより専門的な学校へ向かい、あるものは国政に携わり始め、少女と一緒にいるどころか、そもそもいつリージョナリア島にいれるかさえわからなくなってしまった。


 そして、何よりも。


 悲しいとき、嬉しいとき、怒ったとき……。


 少女が何らかの感情を爆発させたとき、傍に母は居なかった。侍従曰く、あなた様は帝族のご一員であらせられるのですから、何卒、お早く独り立ちなされませ、との事だった。


 もちろん、少女には母と満足に会えないことと独り立ちとか言う訳の分からぬ単語がどうして結びつくかなどは判らなかった。ただ単に、母とはもうろくに会えなくなってしまったと言うことだけを理解し、無理やり受け入れた。


 少女の心は、隙間が目立ち始めた。


 少女の周りからは、いつしか誰もが消え去っていった。


 少女は不安だった。


 少女は、孤独だった。




























 「――! 解った! おまえもどうせ私と居るのがめんどうくさかったんだろう! そうだろうな、私は皇女だものな! もういい、もういい! 二度と私の前にすがたを見せるなっ!!」


 私語やら何やらが混ざった雑音がピタリと止んだ。そして、驚異的なまでのシンクロニシティである一点に視線が向かう。僕が呆然と見つめているその先に、だ。

 視線の先には、顔を真赤にして、目に若干涙をたたえている少女が居た。名前を、マフィータ・ダン・リージョナリアと言う。

 マフィータは、キッと僕を睨みつけると、立ち振る舞いも何も無しに、ただ何かの激情に駆られるようにここ――食堂唯一の出入り口から出て行った。バタン、とただでさえも大きな音が、静まり返った食堂に反響した。


 「お、皇女殿下! お待ちを!」


 たっぷり十数秒は硬直していたリッペポット君以下、その友人たちが全食堂で一番早く立ち直った部類にはいるのだろう。慌ててマフィータのあとを追う。

 そんな状況を、僕は自嘲と後悔と、そして自己正当で見つめていた。


 「お、おい、クレイリア……」


 文字通り顔を真っ青にして、レンスキーが真剣に言った。


 「いいのかよ、あれで……。さすがに、やりすぎなんじゃねぇか?」

 「良いんだ」

 「だ、だがよ……」

 「良いんだ、レンスキー。良いんだよ、あれで」


 レンスキーにと言うより、自分に言い聞かせるために僕はこの現状を肯定した。

 そう、良いんだ。これで良いんだ。良いはずなんだ。泥は全部僕が被る。そうすれば、別に一向にかまわないはずなんだ。

 けれども、僕のその言葉は、念じるほど心には響かなかった。何事かの幕が、今、静かに上がった。
































 「やっぱり、こうとうぶだって」

 「いや、だいがくぶだよ!」

 「こうとうぶだ!」

 「だいがくぶだ!」


 食堂。食事をとるはずのこの場所で、場所に似合わぬ激論が展開されていた。もちろん注目を浴びないわけがなく、食堂中の好奇の視線と、職員の叱責の目線が乱れ飛ぶ。

 非常によろしく無かった。主に、精神衛生上において。


 「おい、二人とも、少しは静かにしろよ」

 「クレイリア、だがこいつが……」

 「おれが何だよ? 悪いのはおまえじゃねぇか」

 「何だとぅ!?」

 「何を!?」

 「……少しは周りを見てよ、二人とも」


 怒鳴りつけたくなる激情を押さえ込み、二人にそう促した。二人――レンスキーとリウは、しかめっ面のまま辺りを見回し、慌てて縮こまった。注意しようとしていたらしく、近づいてきていた厨房勤務のおばちゃんと目があったらしかった。


 「あ、あはは、すみません」

 「……もう少し、静かにお願いしますよ」


 おばちゃんが、この場にいるもう一人の人物――フルマーニ公爵家の嫡男・ルイ・ナオーリス・ダン・フルマーニの愛想笑いで退散するのを見届けて、レンスキーとリウは大きくため息を吐いた。


 「……はぁー、あせったぜ」

 「ったく、お前があんな風に騒ぐから」

 「何「二人とも、いい加減に学習しような?」……はい」


 学習?ナニソレ美味しいの?と言わんばかりに無限ループを試みる馬鹿ニ名を黙らせ、僕は茶を一口含んだ。ようやく落ち着けたよ、全く。


 「ごめんな、ルイ。バカ二人が迷惑かけちゃって」

 「いや、気にしてませんから」


 苦笑しつつ、普段と変わらぬ丁寧さでルイは言った。と言うか、この会話の部分だけ抜き取ると、正直どっちが公爵家の嫡男だか全く分からないほどだ。

 その様子に、僕がバカ二人と称した親友二人組は、慌てて弁明した。


 「い、いえフルマーニ様。おれたちはフルマーニ様に楽しんでいただこうとがくえんさいで行くばしょを話しあっていただけでして、別にフルマーニ様にごめいわくおかけしようとしたとかそんな事は……」

 「だから、気にしてませんって。あと、様付けはやめて下さいって言ったでしょう?」


 必死の弁解だったようだけど、リウの言ったそれはむしろ墓穴を掘ったようだった。


 「い、いや、さすがにそれは……」

 「出来ますって。ほら、クレイリアみたいに」


 一瞬、三組の視線が僕に向けられるのを感じたけど、それはすぐに消え去る。こいつら、ほんとはかなり仲がいいんじゃと疑うくらいの同調率で、


 「……いや、こいつは別格ですって」

 「……そこまでじょうしき捨てたくはありません」

 「……ごめん、ちょっと無茶言った」


 フルボッコである。


 「ちょっと待て。その言い方は酷いだろう?」

 「だって、なぁ」

 「だよなぁ」

 「ですよねぇ」


 睨みつけると、全員明後日の方向を向いた。


 「そもそも、公爵とか帝族の方々によびすてで話しかけるってだんかいでじょうしきの外だって、おまえもわかってるだろう?」

 「……それはそうだけどさ、もう少しオブラートに包んでと言うか……」

 「オブラアト?」


 横文字厳禁、である。疑問符が頭の上に浮かぶ三人を咳払いで誤魔化してから、僕は続けた。


 「と、ともかく。言い方ってものがあるだろう? 言い方ってものが」


 僕の必死の主張は、けれども、


 「……無いだろう」

 「無いね」

 「無いですね」


 頭から否定された。……後で覚えとけよ?

 まぁ、でも確かに言い返す言葉も無かった。連合王国だの秋津皇国だのと言った立憲君主国家と違い、絶対王政国家としては多分に進歩的な面があるものの、悪く言ってしまえばそれまでな人族帝国では、そこまで酷くは無いにせよやっぱり身分は絶対だ。それをぶち壊そうとしているのだから、保守派に見られたら命はないかも知れない。


 「……その話は今はもう良いとして」


 ルイが物を脇によける動作をしながら言った。


 「……どうしますか? ぐたいてきにどこを回るか」

 「もちろん、だいがくぶです! フルマーニ様!」

 「おい、リウ! 抜け駆けは……痛てっ!」


 どうにも、こいつは懲りるとか学習するとか言う文字が辞書に載ってないらしい。止む終えないから、拳でその言葉と意味を書き込んだ。ついでに、さっきの恨みも込めておく。

 さっきからレンスキーとリウが口を開く度に怒鳴り合っている理由は、学園祭はどこを巡るかって言う意見が真っ二つに――主にレンスキーとリウの間で――分かれてしまったからだ。

 セント・アルマーダギー学園は、一つの島を丸々使うくらいには広大だった。初等部や中等部の大きさからは考えづらいけど、高等部と大学部を合わせればかなりのデカさになる。

 そんな中を、全部回るなんてできるわけがない。これが、僕たち四人が一番初めに同意したことだった。このまますんなり決まっていたら、今はもう学園祭の事なんか考える必要はなかったかも知れない。

 問題は、大学部を中心に回るか、高等部を中心に回るかだった。

 レンスキーは、高等部の何やら食事系の出店が立ち並ぶ箇所を主張し、リウは大学部の最新の研究発表だとかを展示するスペースを主張した。

 両方行けばいいじゃないか、と思うかも知れないけど、その場合の問題はこいつらの性格だった。まず間違いなく、始めに行った場所が自分の行きたい場所の場合、難癖つけて動こうとしないのは目に見えてる。だったら、むしろ行く場所を一箇所に決める方が遥かに良かった。


 「……ルイ、君はどこに行きたいの?」


 このままじゃ埒があきそうにないから、仕方なく第三者の意見を求めてみる。いっそ、何処だろうとルイの言った場所に無理やり決めよう、とも決意した。この議論、実は昨日丸一日がこれで潰れたから二日目なのだ。いい加減飽きてきた。

 ルイは、しばらくうーんと考え込んだ。思わず、レンスキーやリウとともに唾を飲む。さぁ、結局何処に決めるんだ?

 ただ、この時の問題点といえば、ルイが貴族に似合わないほどのバカ丁寧さを持っていて、ついでに、


 「二人の好きなほうでいいすよ?」


 とても空気が読める、と言うことだ。


 「だいがくぶ!」

 「こうとうぶ!」

 「だから静かにしろと言うに!」


 得たとばかりに再び意見のぶつけ合いを開始した二人を、強引に引き離した。


 「だ、だってよぉ、フルマーニ様がそれで良いって仰ったんだから、ぜひともこうとうぶにだな……」

 「いやいや、ぜひともだいがくぶのまちがいだろ?レンスキー」

 「いいかげん、少しはあきらめろよ」

 「それはこっちのセリフだ」


 本当に埒があかなかった。下手すると、いやまずまちがいなく、このままだと決まらないまま文化祭初日に突入する。

 しょうがないから、僕はこういう時の伝家の宝刀を取り出すことにした。


 「解った、解った。二人とも、それじゃあジャンケンで決めよう」

 「ジャンケン?」


 二人が顔を見合わせた。……そういえばジャンケンも無かったな、この世界。


 「あー、例えば一つのものがあって、それを取り合うときにどっちのモノか決めるゲー……遊びだよ」

 「へぇー、そんなんがあるのか」


 よし、食付きは上々。


 「まず、『最初はグー』の掛け声で、こう握りこぶしを作ってだ。それで、『ジャンケンポン!』の合図で、こう(口で説明するのは面倒だったから、グーチョキパーとそれぞれ作って見せた)言うふうに手を出すんだ」

 「……それで、どうやって決めるんだよ」

 「この三つの形に強い弱いがあるんだ。例えば、グーはパーに負けるけど、チョキには勝つ。ってことはチョキはグーに負けつけど、パーには勝てる。それで、パーはチョキには負けるけど、グーには勝つ」

 「ほー」


 リウが感心したような声を出した。


 「なかなか良くできてんだな……良し、それじゃあレンスキー! 『ジャンケン』でしょうぶだ!」

 「おう、望むところだ!」


 再び五月蝿くなるけど、これでならすんなり決まりそうな気がするから黙っておく。代わりに、ルイに確認を取った。


 「ってことでいいよね、ルイ?」

 「………え、ああうん。いいよ」


 ルイはなにか考え事をしていたらしく、真剣な表情をしていた。いきなり話しかけられてどもっている。


 「……? どうかした?」

 「何でも無いよ。何でも。それより、『ジャンケン』をやるんだったら審判は引き受けるよ」


 今度は、僕が混乱する番だった。


 「し、審判?」

 「うん、こういうのを審判するのも、貴族の務めだから」


 いったいどんな務めなのだろうか? それとも、単に『ジャンケン』に興味があっただけなのか?

 何にせよ、腕をまくってさあやれとばかりに二人を見つめてるから意見も言えず。異様な――と言うより奇妙な緊張感の中。


 「さーいしょーはグー!」


 ルイの掛け声で。


 「ジャーンケーンポン!」


 勝負の幕は切って落とされた。さぁ、二人の出した手は……。

 レンスキー:グー。リウ:グー。


 「……クレイリア。こういう場合は?」


 凄まじく真剣な口調でレンスキーが呟くように、だが鋭い口調で尋ねてきた。


 「……あいこでしょ、って言う号令でやり直し」

 「あーいこーでしょっ!」


 よく分からない気勢に気圧されながらそう説明すると、間髪入れずにルイが言った。ノリノリだな、君ら。

 さて、その結果は…、今度はパーであいこだった。


 「あーいこーで……」


 また、グーであいこ。


 「あーいこー……」


 今度はチョキで……。


 「あーい……」


 またしても……。




 ………。

 ………………。

 ………………………。




 「……ねぇ」

 「な、何だ? クレイリア」

 「僕はさ。さっさと決めようと思ってジャンケンを持ち出したわけだ」

 「……しかたねぇだろ、あいこじゃ決まらねぇんだから」

 「にしても! 二十回連続であいこ出すって君たち何か打合せしてやってるのか!?」


 僕の心からの叫びに、レンスキーとリウは心外だと言いたげな表情を作る。

 確かに、こいつらがわざわざ謀ってこんな事をする理由も必要も無い。けど、あのあと二十回連続であいこしか無いって言うのはさすがに予想してなかった。ほんとに仲いいな、おい。


 「……しょうがないよ、こればっかりは。………しきり直し、行くよ?」


 あのテンションは結局十回しか持たなかったルイは、疲れきった顔で告げた。

 そのルイとは対照的に、自分たちの問題だからか、レンスキーとリウは依然として元気が有り余っているらしかった。

 再び、真剣な表情になって。


 「さーいしょーは……」


 ルイの掛け声とともに……。


 「パー!」

 「あ」

 「え?」


 何の前触れもなく、リウがルイの『グー』と言う声に被せて『パー』と言いながらパーを出した。もちろん、そんな行動をレンスキーが見抜けるはずもなく、ぽかんとした顔のまま固まってる。


 「はい、リウの勝ち」


 ルイが、ようやく役が来たとばかりに宣言した。


 「ちょ、え? ええ!?」

 「よっし、それじゃあがくえんさいはだいがくぶということで」

 「異議なーし」

 「うん、それでいいよ」


 ようやく決まったよ。僕は長く息を吐きながら思った。正直どうでもいい話には違いなかったけど、いざ終わってみれば心地よい達成感が僕の中を満たして行く。これは、レンスキー以外の他の二人も同意見らしい。


 「お、おい! 今のは、今のは反則だろう!」

 「何を言う。ジャンケンって言うのはグーはパーに負けるって言ったじゃないか。それが考えつかなかった段階で君の負けだよ、レンスキー」

 「フ、フルマーニ様ぁ」

 「うん、僕もクレイリアと同意見」



 外野の二人がそう判断したらしょうがない。レンスキーは、がっくりと項垂れた。……いじりがいのある性格である。

 何にせよ、長かった不毛な議論もやっと実りある結論に落ち着いた。僕は、心底安堵しながら茶を口に含み……。




 「クレイリア! 何処だ!」




 危うく、それを吹き出しそうになった。間一髪、むせるだけで済む。隣では、レンスキーとリウが固まり、ルイが困ったような顔を見せた。

 声の主は、誰あろうマフィータその人だった。


 「マ、マフィータ?」


 僕の声に気付いたらしく、マフィータは僕に視線を向けると、一瞬だけ顔を顰めた後、すぐもとに戻って一目散にこっちへ来た。


 「ど、どうしたの?」

 「お前、今は時間があいてるだろう? 少しつきあえ」


 口を挟む間もなく、マフィータは早口で言い切ると僕の腕を掴んだ。慌ててもう一度尋ねる。


 「ちょ、マフィータ? いったいどうしたんだってば」

 「いいから、来い」


 有無を言わせないって言うのはこういう事か、と僕は心の何処かで納得した。それほどまでにマフィータの表情は切羽詰った感があった。


 「だから! いきなりなんだって言うんだよ」


 少し強引に手を振り払った。僕の腕から離れたそれを、マフィータはじっと見つめる。


 「付き合うのはいいけど、理由も訊かず無理やりって言うのは駄目だろう? ……何があったの?」


 言い聞かせるように、重ね重ね説明を促す。すると、出入口からまた声が聞こえた。


 「皇女殿下! どこに居られるのですか!?」


 リッペポット君の声だ。マフィータを見ると、彼女は出入口から顔を外らせた。僕は、一呼吸して、リッペポット君を呼んだ。


 「リッペポット君、こっちだ!」


 僕の姿と、隣のマフィータを認めたらしいリッペポット君は、飛ぶようにこちらへ駆けてきた。


 「殿下、とつぜんいなくなられてはびっくりするではありませんか」


 リッペポット君は、散々走り回った所為か乱れた呼吸を努めて落ち着かせながら、心底安堵したように言った。


 「しかしまぁ、どの道食事をとらねばならぬのですから、つごうがいいです。ささ、向こうの席へ……」


 だけれど。

 マフィータは、首を振った。


 「で、殿下?」


 素っ頓狂な顔をするリッペポット君なんか歯牙にもかけないように、マフィータは宣言した。


 「よい。今日は、クレイリアと食べる。お前らは、自分たちで食べてくれ」


 唖然として、僕はたっぷり数秒固まってしまった。マフィータが、ここまで――おふざけでは決して無い――我侭を言うのなんて、初めてだった。

 どうしたものかとリッペポット君を見ると、しきりに首を横に振っていた。確かに、これじゃあこうまでして変な噂を払底しようとしてきた努力が水の泡だ。下唇を噛みながら、僕は決断した。


 「……マフィータ、その……」


 マフィータと口に出した瞬間、リッペポット君のジェスチャーが更に激しくなる。公の前では名前を呼ぶな、ってことか。

 僕は、瞬時に理解して――墓穴を掘った、らしかった。


 「『皇女殿下』、リッペポット君があんまりじゃないですか。ほら、一緒に食事をとってあげてくだ――」


 次の瞬間から、話は冒頭へと戻る。


































 「……レンスキー、クレイリアは?」

 「先に戻ってるってよ」


 リウの問い掛けに、レンスキーはやけでも起こしたように身を椅子へと投げ出した。


 「あいつ、頭良さそうで――実際に良いけどよ、やっぱバカだ」


 レンスキーのつぶやきに、嵐がさっても私語と憶測と根も葉もない噂が飛び交う食堂に未だ残っていたリウとフルマーニは、肯定の頷きを返した。


 「ぼくのせいで友だちが出来ないからぼくはあまり関わらないようにする、か。バカだぜ。友だちが出来ないんだったら、あいつが友だちでいてやればいいのに」

 「……おれたちが言えることでも無いけどね」

 「そりゃ、そうだけどよ」


 思いっきり悪態を付くレンスキーを諌めるようにリウは言った。いや、或いは自分自身に対する、自責の言葉かもしれなかった。実は、レンスキー、クレイリアから理由を聞いた後、急にマフィータとの付き合いが悪くなったことに興味を抱いたらしい二人から詰め寄られて、あっさり落城していた。


 「けっきょく、殿下おこらせちまって。あんなん、はじめて見たぜ」

 「……そもそも、そんなようすを見せるまで追い込んじゃったのはおれた……」

 「だぁー! わかってるよ、おれたちがなんか言えるほどえらくねぇって事くらいはよ!」


 うだうだうだうだと! レンスキーは髪をクシャクシャと掻いた。


 「……クレイリアだけたったんだよね、殿下が親しくお話になられるのって」


 フルマーニが呟くように言った。


 「……つまり、皇女殿下のことほんとに気にかけてたのは、クレイリアだけってことか」

 「あいつも、くろうしてたんだろうな……。おれたちにはわからねぇけど」


 思えば、現金な話だった。目に見えて殿下の機嫌が悪くならなければ現状でいいと思っていたのに、クレイリアやら何やら、ともかく自分に近しい人間が関わってくると途端に大問題になってしまう。

 もちろん、三人にそんな心理考証ができるはずも無いが、漠然とそのようなバツの悪さが突くように心を責め立てていた。


 「……でも、もっと解らないのは、さっきレンスキーから聞いたあの『うわさ』ってやつだよ」


 フルマーニの言葉に、レンスキーとリウはうんうんと頷いた。


 「ですよね。少なくともおれたちは、そんなうわさ聞いたことがないですもん」

 「だったら、言ってやればよかったじゃないか」


 リウの冷静な突っ込みに、レンスキーはそっぽを向いた。


 「しょ、しょうがねぇじゃねぇか。おれだって、言おう言おうとは思ってたんだ」

 「じっさいは?」

 「……口に出そうとすると、きまってじゃまがはいって言えなかった。ほんとに、マキのいたずらとしか思えねぇぐあいにどっかで物音がしたり、よびとめられたり。それに、あそこまで自信満々に言われると、ただ俺だけが聞いてねぇだけなのかなって思っちまって、それで……」


 リウは天を仰いだ。が、レンスキーだけを責めれるような問題ではないことを思い出して、誤魔化すように茶に手を伸ばした。


 「……ありもしねぇうわさを、何でクレイリアが信じたのか、か」


 レンスキーが顎を手で撫でる、推理小説の名探偵がよくやる格好をした。が、どう見ても腕白小僧のレンスキーがそれをやるとかなり不恰好だ。


 「リッペポット様から聞いたとか言ってたけどな」

 「……じゃあ、やっぱりリッペポット君がなにか聞きまちがいでもして、それを伝えちゃったってことかな」


 やっぱり、高位の貴族を君付けで呼べるのはこの位の身分になってからだよな、とレンスキーはうんうん頷きながらフルマーニの意見に同意して――何やら考え込んでいるリウを認識した。


 「……? どうしたんだ?」

 「……リッペポット様と言えばさ、それこそヘンな話があるんだよ」

 「ヘンな話、ですか?」


 フルマーニにうんと頷いて、リウは続けた。


 「……なんでも、いちがっきのあいだ、皇女殿下とお近づきにとか言っていたやつが、リッペポット様によびだされて――あんまり人の居ないところに連れてかれるってことがかなりあったとか言う話です、フルマーニ様」

 「……なぁ、あからさまに怪しくねぇか?」


 ゆっくりとリウの言ったことを咀嚼し、理解したレンスキーは、呆れたように呟いた。


 「だから、ヘンな話って言ったじゃないか。でも、このことをうわさされてるやつに聞いたら、逃げてきやがったんだ」

 「……リッペポット君に何か言われた。って考えるのがだとうですね」

 「けどよ……あ、いえ、ですけど」


 ぶっきら坊に言ってから、慌てて敬語に言い直しながらレンスキー茶を飲み、咳払いをして体勢を立て直してから尋ねた。


 「それだったらなんで、リッペポット様はそんなことしたんですか? 公爵さまのごしそくなんですから、わざわざそんな事をするりゆうなんて」


 もっともな疑問だった。リウもフルマーニも黙りこくってしまう。

 その沈黙の環にレンスキーも加わり――少したってから、その環は唐突に崩れた。以外にも、フルマーニによって。


 「……考えていても、こればっかりはなんにもなりませんね……。リウ、レンスキー」

 「は、はい。なんでしょうか」


 何の前触れもなく呼ばれた所為か、リウが声を上擦らせてしまったが、フルマーニはそんな事を気にすることもなく、きっぱりと言い切った。


 「調べましょう、この事について」


 思わず、リウとレンスキーはフルマーニの顔をまじまじと見つめてしまう。この大貴族の長男の瞳には、はっきりと決断の炎が灯っていた。


 「それは……ありがたいですけど、けど、良いんですか? こんなことにそんな協力していただいて」

 「こんなこと、じゃないよ」


 フルマーニは頭を振った。


 「皇女殿下と……そしてなによりクレイリアが困ってるんだ。恩もあるのに助けなきゃ、むしろ貴族じゃないよ」

 「おん……? 皇女殿下はともかく、クレイリア何かしましたっけ?」


 リウが解せないと言いたげに尋ねた。フルマーニは、ポツリと、しかし決して弱くはない声で言った。


 「……クレイリアは、僕のことを、生まれて初めてただのルイ・ナオーリスとしてあつかってくれたんだ。なんでもするよ」


 リウとレンスキーは顔を見合わせたが、すぐに駆け出すことになる。フルマーニが、一分一秒もおしいとばかりに早歩きで歩き始めたからだ。

 フルマーニのすぐ後ろにつきながら、レンスキーは思った。ただのルイ・ナオーリス。貴族でもなんでもねぇ、ただのルイ・ナオーリス、か。

 やっぱ、あいつはバカだ。レンスキーは前にもまして頭の中でそう決めつけた。自分がしたことで、なんかよくわかんねぇけどありがとうって思ってるやつがいるのに、それに気付きもしねぇで。やっぱ、バカだ。

 レンスキーは、むしろ自分自身がその心の声を苦々しく聞いているのに最後まで気付かなかった。食堂の扉が、ギィと音を立てて閉まった。そして、それを確認したように、黒い影が彼らを追って行った……。      


































 翌日












 気分が、重い。空気も、重い。ついでに、周囲の目が痛い。


 「きりーつ、れい、さようなら」


 日直の挨拶を号令に、まず先生が気持ち早足に教室を立ち去り、ついで同級生たちも我先にと荷物を纏めはじめた。

 尤も、彼らの緊張は即座に解きほぐされた。


 「………」


 無言のまま、マフィータが出て行ってしまったからだ。……途端に広がる私語。

 その中で、僕は一人押し黙ったままだった。

 静かに自問する。あれで本当によかったんだろうか、と。

 明らかに、マフィータのあの怒り様は僕のせいだ。じゃあ何が原因かと聞かれれば、確実にマフィータの事を避けてたあの態度に行き着くんだろう。

 確かに、怒って当然の仕打ちだった。少なくとも、僕がそんな事をされたらマフィータほど耐え切れる自身はこれっぽっちも無い。でも。

 頭を振って後悔の念とか、ともかくそういったものたちを頭の外に追い出す。あれでよかったんだ。僕が彼女を避けていたのは、そうすることで変人皇女なんて言う噂を掻き消すためだ。だったら、あそこで怒って関係が断たれるって言うのはむしろ僥倖ってやつだ。どの道、僕の目的は達成したに等しい。

 はぁ、と深く息を吐いた。だというのに、気分が全く晴れない。まぁ、あんなことしておいて逆に気分爽快だったら自分の性格ってのに絶望でもすべきなんだろうけど。

 煙草でも吸いたくなる、と呟きかけて苦笑した。いや、転生前は確かに二十歳越えてたから法律的には問題なかったけど、そもそも吸えなかったからなぁ。格好なんてつけるものじゃなかった。

 視界の端に、リッペポット君の姿が見えた。どうやら、自分も急いで授業道具をしまってマフィータを追いかけるつもりらしかった。

 きちんとやってくれてるだろうか。と切実に思う。結局、あの後もマフィータの周りに目立って人が増えたなんてことは確認できなかった。まだ噂が尾を引いてるらしい。

 でもまぁ、そんな状況も昨日までだろう。

 取り敢えず、今日はもう寮に戻ろう。鞄に手を掛けた。


 「おーい、レンスキー……って、あれ?」


 ルームメイトを呼ぶが、何処にも居ない。更にぐるりと教室を見わたせば、レンスキーはおろかルイもリウも居なかった。

 おっかしいな、あいつら、ルイは別としてそんなに素早く帰る方じゃないのに。

 訝しみながら出口に向かおうとすると、床になにか落ちているのが見えた。ピンク色の、恐らくシルクか何かの布だった。条件反射的に拾う。マフィータのハンカチだった。やけに、じっとりとして重い。

 どうしようかな、これ。今更「はい忘れ物だよ」なんて慣れ慣れしいにもほどがあるし。やっぱり、リッペポット君辺りにでも頼もうか……。そんなふうに考えていると、後ろから呼び止められた。


 「よー、クレイリア」


 妙に馴れ馴れしい声だった。クラスメイトの一人で、一年生から早々に周囲から煙たがれ、そしてそれに気づきもしないある意味長生きしそうな奴だった。そんなに言葉を交わすような仲ではないけど、だからと言って居ても無視するような奴でもない。要するに、顔見知りと知人の中間的存在のやつだ。それが、いったいどうしたのだろうか。ハンカチを丁寧にポケットにしまいつつ、尋ねる。


 「ああ、一体どうしたの?」

 「とぼけんなって」


 はて。いきなり彼から「惚けんな」と言われる理由がわからないのだが。

 取り敢えず、彼の頭の中で何事かが自己完結して、それをそっくりそのまま僕に伝えらからこんな状況になっているのだと理解した時だった。


 「おまえも、リッペポット様からよびだされたんだろ?」


 彼は仲間を見つけたような顔で言った。

 いや、確かに呼び出されはしたけど、それだいぶ前の話だし。そもそも、どうして今そういうふうに断定されるのかが判らなかった。


 「え、えと、いきなりなんで?」

 「だから、とぼけんなって」


 先ほどと同じセリフが繰り返される。何だ何だ、一体?


 「ああ、リッペポット様のことならきにすんなって。もうどっかいったみたいだし、ここにいるだれかがチクるなんてこともないんだし」


 全く意味がわからない。強いていうなら、リッペポット君が関わっているらしくて、更にクラスメイトにとっても同情されるような出来事があったと思われてるってことだけか。……漠然としすぎてるな。

 そんな風に考え込みながら聞いていたからだったからだろうか。お陰で、次の言葉がストンと、頭の中におちてきた。曰く、




 「ほら、かくさずいっちゃえよ。おまえもリッペポット様から『皇女殿下ともう話すな』って脅されたんだろ?」




 ………。




 ………………。




 は?


 「は?」




 内心が口から漏れたけど、どうでもいい。心底どうでもいい。ただ、聞き捨てならない言葉があった。今、こいつは一体なんて言った?

 彼は、ありゃ、と言った。


 「おっかしーな。てっきり、おれたちみたいにそうおどかされたから口きかなくなったとばっかり……のわ!?」




 体が勝手に動いた。何事かと咄嗟に身を竦めていた肩に手を乗せる。手に、勝手に力が入った。




 「……誰が、誰に、なんて脅されたって?」


 いきなり僕が怖い顔して、挙句極至近距離で睨むものだから彼に明らかな怯えの色が滲んだ。だけど、僕にそれに対してどうこう対処するなんて余裕は無かった。


 「だ、だから、おれたちこのがっきゅうのみんなが、リッペポット様とその家臣のからだの大きなひとから、ぜ、ぜったいに皇女殿下にちかよるなって……!」

 「……本当かい?」

 「ほ、ほんとだよ! ここにいるのはみんなおどかされたんだから! な、な!?」


 みんなを見ると、毅然として頷いた者が半数、顔を背けた者が半数だった。だけど、むしろ顔を背けた者の態度から、彼の話の正しさが解った。

 手から力を抜いた。いや、抜けた。哀れな僕のクラスメイトは、床へへたり込むと、怯えきって後ろに下がった。


 「ど、どーしたんだよ、クレイリア」

 「……ああ、ごめん。教えてくれてありがとう。ほんとにありがとう」


 気付くと、手のひらが痛い。握りこぶしを作っていたせいで、爪が皮膚に食い込んだらしい。


 「ク、クレイリア?」


 心配してくれたのだろうか。そんな声がかかる。けど、僕にそれに応対する余裕なんてものは、存在していなかった。

 一体、どういう事だ?

 リッペポット君が、皇女殿下、マフィータと話さないようにと脅した? みんなを? どうして? 疑問だけがふつふつと留まることを知らないように湧き続ける。

 脅すってことは、力づくでもそれを成し得たかった、って言うことだ。リッペポット君が力づくでも成し得たかった事、この場合は、マフィータと他のみんなの接点を強圧的でも何でもいいから途切れさせたかった、ということか。でも、一体どうして……。

 そこまで考えて、はたと気付いた。

 リッペポット君が、強圧的にでも何でも、ともかくマフィータと他者を会わせないということは、つまり僕との約束を違えることで、それを意図的にやっていたということは……。


 「……ゴメン、最後にもう一つ。皇女殿下は変人だから近づくな、なんて噂、聞いたことある?」


 まだ、信じたくはなかった。何を信じたくないのかは判らない。裏切られたことになのか、それとも気づけなかったことになのか。ただ、信じたくなかった。だから、藁にすがるような思いで訊ねた。

 しかし、その問いにも、現実という奴は、




 「う、うわさ? 聞いたことないよ、なぁみんな? そもそも、近づきたく思ってても、どうせおどされてて近づけないんだし……」




 やけに無情に答えてきた。


 数秒、いや数十秒、もしかすると数分くらい経ったのかも知れない。時間の経過が分からなくなる。教室内は、残暑の暑さに蒸され、いつもよりは気温が高いようだった。

 だけど、僕にそれを感じ取る余裕なんてものはない。

 いつしか、森林地帯付近の湧き水のごとく溢れて止まなかった疑問はどこかへ飛んでいき、代わって怒りが席巻していた。

 何で、リッペポット君はそんな嘘を吐いた!? 思わず、誰かれ構わず当り散らしたくなるのを、必死で抑える。今ここに居るクラスメイトにそんなことを聞いたって、解るはずがないのだ。

 なら。

 ならば、どうするか。

 訊こう、と僕はやけに冷静に思った。会ったら会ったで怒鳴りつけたい気持ちを抑えられるかは分かんないけど、ともかく僕は年長者だった。なら、冷静にならなきゃならない。

 僕は、帰り支度が整ったカバンを手に持った。ともかく、リッペポットくんに会わなければ話は始まらない。


 「……いろいろありがとね」


 未だ目の前で呆然とする彼にひと声かけ、そこら中に存在する机をかき分けるように教室の出口へと向かう。

 逸る気持ちは、どうにも抑えられないらしい。途中、何度か椅子と机を倒しそうになりながらも、頭の中は自問自答が繰り返されていた。訊いて、もし答えなかったらどうする?はぐらかされたら?

 結論が出ないまま、いつしか机の密度が低い場所へと躍り出た。いよいよ、駆け足気味に教室を出ようとしたその時である。





 「おお、クレイリア! すまない、皇女殿下を見失ってしまってねぇ、君、どこにいるか知らないかい?」





 これ以上無いくらいタイミングだった。僕の視界に、リッペポット君が駆け込んできたのは。教室内全員の目が彼に突き刺さった。


 「ん? どうしたんだい?」


 リッペポットくんは一瞬キョトンとしたが、すぐに僕の方へ向かってきた。


 「なぁ、クレイリア。どうしたんだ? いったいぜんたい」


 沸き上がってくるこの感情は、果たして怒りなのか、それともまた別の何かなのか、それは僕にも判らなかった。心拍数が上がったような気がする。

 リッペポット君の表情からは、あくまでただのクラスメイトという印象しか受けることができない。だけど、その裏で、何を考えているのか。僕は、それを糾弾する言葉を……。

 ………。

 ……面と向かって初めて、僕は自分がリッペポット君に言うべき言葉を考えていなかったことに気付いた。駄目だ、駄目だ。焦りすぎている。

 訊きたいことは山ほどあった。どうしてあんなことを仕組んだ、自分がマフィータに取り入るため? クラスの他の奴から頭一つ抜きでた位置にいることを示すため? 感情の濁流を、必死に抑えようともがく。

 気分を無理やり落ち着かせた。妙にぎこちない呼吸になったけど、気にはしない。


 「……クレイリア?」


 リッペポット君が訝しげな声をあげた。

 意を決した。努めて、冷静に。きちんと問いただそう。感情的になるべきじゃないんだ。僕は、この連中の中では、一番人生経験を積んでいる。


 「……ねぇ、リッペポット君」


 自分でも、思っても見ないほど冷静な声が出た。


 「何だい?」

 「君は、さ。言ったよね? 僕がマフィータと親しくするのを止めたら、『皇女は変人』なんて噂もすぐに消え去って、そうしたら君が旗を振って友人を集めてくれるって」

 「ん、ああ、そうだが」


 ギョッとしてリッペポット君を見つめる目が増えたような気がする。僕は続けた。


 「じゃあさ……こんな話があるのは知ってる?」

 「こんな話?」


 「うん。あるところに大貴族の子どもがいてさ。その子が、その国の皇女殿下の学友達にこう脅すって話。皇女殿下に近寄るなって」



 話すうちに、リッペポット君の顔が真っ青になった。

 一瞬、これで決まりかな、と険しい表情をしながらも、僕は思った。けど、やっぱり彼も貴族だった。

 リッペポットくんは、蒼白だった顔を一気に顔を真赤にさせると、普段の彼からは想像もできないような大声で辺りに怒鳴り散らした。


 「どこのバカかね! そんな根も葉もないはなしを言ったのは! 君らは、私をけなした! それすなわち、八公爵家が一つ、リッペポット家の名を、ひいては帝国を、陛下の名をおとしめたのだぞ!? かくごはできてるのだろうな!?」


 ひぃ、と、小さく、だからこそ現実感と恐怖感に溢れる悲鳴が上がった。

 リッペポット君は僕に向き直って言った。


 「クレイリア、君も、そんな話がウソだと言うことくらい気付いてくれたまえ。根も葉もない話ということくらいわかるだろう?」

 「……根も葉もない話? みんな、そうだって言ってるのに?」

 「確かにそのようだね。……だが、しょうこはあるのかい? 私がそんな事をしようとしていたなんてそれを。それこそ、わたしは八公爵家の人間。あくいあるうわさにさらされたことだって多い。言い返させてもらうが、君こそただのうわさに踊らされるだけだぞ?」


 白々しい。思いっきりそう吐きかけてやりたかった。けど、そう言われてしまえば確かに客観的な証拠は、同級生の行動以外何も無い。それどころか、実際に目の前にリッペポット君がいるのなら、さっきの証言を撤回する者も確実に現れるだろう。これじゃあ、本当のことを訊くどころか、今この場でその話を断定するなんてことは無理だ。

 だが、かと言って「ああ本当だごめんね」と言う気は起きない。当たり前だ。先程までのクラスメイトの口は、そして目は、それが事実だと言っていたのだ。

 苦々しく下唇を噛む。どうすりゃ、それを証明できる? 証明できなきゃ、結局貴族だなんだかんだ言われてこの場は有耶無耶になってしまう。

 冷静になれ、なんて自分では思ってたけど、そんなの勇み足だったってことか? 感情的になって、そんな単純なことも忘れてしまっていたのか? 地団駄でも歯軋りでも、それが許される状況なら何だってしただろう、そんな無力感がする。

 神なんてものが居るんなら、救世主か何かをお願いしたいところだった。信仰なんて、おみくじの内容が当たった時くらいしか持ち合わせないという意味で完全な日本人だった僕が、そんな事を思うのは筋違いかもしれなかった。けど、思わずそう祈ってしまう。

 現実逃避だとはわかっている。でも、今この場ではそれ以外に出来ることもない。かと言って、引き下がれば現状はもっと悪くなる。二進も三進もいかなかった。こんな時、天才なんて馬鹿馬鹿しい評価を受けた脳髄が煩わしい。こんな、こんな状況を打開する考えも思いつかないなんて。

 そしてまた、僕の脳みそは、さっきの願いが叶うなんて、微塵にも考えつかなかった。




 「根も葉もねぇのはあなたの方ですぜ、リッペポット様」




 見知った、どころの話じゃない。多分、友人の中では一番親しい声がした。

 侠客のような口調を発しながら廊下から現れたのは、レンスキーだった。心なしか、息が上がっている。

 どうして、レンスキーがここに……? それに、根も葉もないのは貴方の方? 一体どういう……。


 「レンスキー? 何で……」


 僕の疑問は、反射的に声帯を震わせていた。しかし、その答えは、これまた僕の想像の範疇を越えたところから返ってくる。


 「調べてたんだよ、おれたち。おまえから聞いた『うわさ』なんて、聞いたことも無かったから」


 レンスキーの後ろから現れたのは、リウだった。何やら、縄のような物を手にしている。


 「それで、いろいろと人に訊いて回ったり。だが、もっと時間がかかるって思ってたら」


 ぐい、とリウが縄を引くと――ぐるぐると縄で巻かれた、上級生らしい人が苦々しげに表情を歪めながら出てきた。僕が、一度だけ見たことのある人間で、この事態に関わりもある人間だった。彼は――。


 「お、おまえ!」


 リッペポット君が悲鳴じみた声を挙げた。彼は、何時ぞやのリッペポット君の『友人』だったのだ。


 「こんなのが突っかかってきてさ」

 「返りうちにして、とっちめたら、すぐにリッペポット様におれたちのちょうさをジャマするように言われたってはくじょうしやがって。ついでに、今までコソコソとおれたちにつきまとって、おまえにうわさなんてねぇことを知らせねぇようにしてたのも、リッペポット様の差し金だってもな!」

 「で、でたらめだ!」


 リッペポット君が叫んだ。


 「おま、お前ら! たかだか下級貴族と平民のくせして、この私にたてつくのか!? 不敬罪だ! クレイリア、こんな卑しい身分のヤツらの話なんかしんじるなよ、大貴族の私の方が、はるかに信じられるだろう!?」


 殆んど半狂乱だった。もう、自分が犯人ですと暴露しているようなものである。論理をさておいて、身分ですべてを解決しようというところから、それがありありと分かった。

 そして、その最後の抵抗も。


 

 「……じゃあ、リッペポット君より身分の高い僕の話なら、もっと信じてくれるよね? クレイリア」


 

 無表情でリッペポットを睨みつけながら言う、ルイの言葉に粉砕された。


 「ルイ、なんで」


 どうして、ルイがこの場にいる? 急転直下の事態で混乱する頭に、最後の一撃が撃ち込まれたような気がしてくる。少なくとも、ルイが僕を助けるような理由はないし、レンスキーかリウ辺りがルイにお願いできるはずもない。

 そんな僕に答えたのは、レンスキーだった。


 「……じつは、このこと調べようって呼びかけてくださったのは、フルマーニ様だからだよ」

 「……え? でも、なんでルイが」


 痛快活劇の終わり際でも見ているような心地で呟くと、レンスキーは鼻で笑った。


 「だーかーら! おまえはバカなんだっての」

 「な!?」

 「自分が周りにどういう風に思われてるのかくらい、気付けよ、少しは」


 いきなりのバカ呼ばわりの後に、そんなことを言われる。どういう意味だよ、と重ねて口に出すが、レンスキーは無言のまま前のほうを顎で示した。


 「フルマーニ……様。いったいどういう……」


 リッペポット君は公爵家の次男。対してルイは嫡男。身分は、殆ど変わらないとはいえルイの方が若干上だ。

 ルイは、御老公と呼びたくなるような強い語気で、止めを差した。


 「なんなら、皇女殿下にこの事伝えた方がいい? 僕たちなんかよりもっと身分高いし。きっと君もなっとくすると思うけど」


 一瞬だけ、教室は静まり返る。やがて、リッペポット君は項垂れて、万策尽来たように身体から力を抜くと、近くの椅子によろけるように座り込んだ。苦々しくしながらも、疲れたように笑みを浮かべている。

 僕は、そのすぐ前に立った。顔を上げたリッペポットくんの視線と、僕のそれとが交錯する。

 理由を訊く。ただそれだけしか頭になかった。とにかく、何でリッペポット君がこんなことをしたのか、知りたかった。嫌がらせにしては質が悪すぎるし、一体何を考えてこんなことをしようと思い至ったのか。


 「なんで」

 「……こんなことをしたかって? クレイリア」


 理由を聞こうと声を掛けると、リッペポット君は吐き捨てるように応えた。その口調からは、さっきまでの気障ったらしさとかは感じることが出来ない。彼は再び顔を伏せると、今度は憎悪をむき出しにした顔で、小さく呟いた。


 「………が…る」

 「え?」


 声が小さく、聞き取れなかったからもう一度言うように促すと、リッペポットくんは顔を上げ……僕は息を呑んだ。

 そこには、憎悪以外のどんな感情も見いだせなかった。


 「お前に何が解る!」


 思わず、一歩下がってしまった。冷たい汗が背中を伝ったのは、リッペポットくんの威勢がいいとか、そんな小さな原因じゃ決してなかった。

 彼の表情からは、どんな時――先程でさえも最後まで失われていなかった貴族らしさって奴が、完全に消滅していた。

 おかしい、そう思った。確かに、僕は彼がマフィータに取り入るか、それかクラスの他の者達より優位に立ちたいと思っていると考えていた。そして、僕は――正確には僕の頼るべき友人たちは、それを打ち砕いた。

 だけど。

 だったら、何で彼は僕に対してだけ憎悪を爆発させるんだ? いや、そもそも何で僕は脅さなかった? 何で嘘を吐いたんだ?

 思考が混沌とし始める僕を他所に、リッペポットくんは捲し立てるように続けた。


 「……おまえはわかってない、わかってないんだ。おまえは、皇女殿下と親しかった。親しかったんだぞ? 名前をよんで良いほどに親しかったんだぞ? ぶれいをはたらいても、何も無かったかのように許されるくらい親しかったんだぞ? それがどれほどのめいよか、わからないよなぁ、わかるはずも無いだろうなぁ」


 教室内の空気は一層冷たくなった。そして、僕の思考も停まった。

 リッペポット君は、いよいよ狂ったような笑みを顔に張り付かせる。


 「馬鹿馬鹿しいにもほどがある! わたしが、この八公爵家の一つ、リッペポット家のわたしが! それでもぜったいに受けることのできないめいよを、おまえは! おまえは!」


 どん、と床を殴る音が聞こえた。


 「しかも、それをおまえはあたりまえみたいに受け取っていた! くやしかった! うらやましかった! にくたらしかった!」


 ぜぇ、はぁと荒い呼吸音が響く。リッペポット君は、泣きながら笑っていた。


 「だから! だから、わたしはわたしに向けられてとうぜんのめいよをもらおうとしただけだ! 他の卑しい身分の者たちではなく、わたしがめいよを受けるために! そのために、おどしもした、ウソもついた! だが、わたしは悪くない! こんな、こんなやつではなく、あのめいよは、わたしのような者のためにあるのだ! だから、わたしはあるべきようにしたかっただけなのだ!」


 ……そういう事だったのか。僕の頭の冷静な部分が、冷酷に納得した。つまり、リッペポット君にあったのは、貴族としての栄達でも、力関係がどうこうという計算でも何でもなかったのだ。



 リッペポット君は、単に、自分の常識によれば信じがたい現状が耐えきれなかっただけなのだ。



 脅しという行為も、嘘も、ただ単にそこにあったから使ってしまっただけだったのだ。



 確かに、愚かな選択だったのかも知れない。浅はかな考えなのかも知れない。けど、考えてみて欲しい。いくら大貴族の息子で、いくら地位や身分が高くても、リッペポット君はまだ六歳の、少年ということもはばかられるような子供なのだ。

 何かのトリガーが引かれて、なし崩し的に暴走が始まる。この位の歳なら、まだまだ多い現象に、たまたま近くに地位と身分があった。だから使ってしまった。あたかも、子どもが喧嘩の際、その辺りに落ちていた積み木を投げつけてしまうように。何ということはない、子供の喧嘩が、周囲の要因によって歪んでしまっただけだったのだ。

 そして、リッペポット君に最後の一押しをしてしまったのは……。


 「リッペポット君」


 ルイが、思い切り醒めた口調でリッペポット君を見つめた。普段はあれだけ温和な彼だ。それがここまで怒っていると言うことは、相当のことなんだろう。

 とてもありがたかった。年上ぶっていたのは、もしかしたら僕の方かも知れない。転生の知識とか、そんなもの微塵も関係ない事柄に対して、僕がどんなに杜撰に扱ってきたのかがありありと分かる現状だった。

 だから。だからこそ。


 「……いいんだ、ルイ」

 「クレイリア、でも」


 ルイを抑えた。確かに噂は無かったけど、結局、この世界の価値観からしてみれば、僕が異端なのだ。だから、リッペポット君もここまで追い詰められた。そして僕は、それを解ることのできるだけの精神年齢を持ちながら、解ることが出来なかった。いや、解ろうとしなかった。

 方策なら、いくらでもあったはずだ。それこそ、幾らでも。例えば、マフィータと関わるにせよ、そうしたらそうしたでもっと他の連中とも関わっておけば、こんなことにはならなかったのかも知れない。

 なるほどリッペポット君の行動は、幼児的な感情に貴族的精神が混ざりこんだ、手に負えない物だったのかも知れない。でも、そこまで追い込んだのは、僕だ。

 いや、そんな事を考え出したらキリがなかった。もっとクラスのみんなと満遍なく仲良くなっていれば、そんな噂が無いことくらい素直に聞き出せていたかも知れない。それどころか、リッペポット君がみんなを脅し始めた段階で、そのことすら知ることが出来ていたかも知れない。

 噂も、何も関係ない。単に、僕の無能さがこれを招いた。リッペポット君のせいじゃ無い。これは、僕の責任なのだ。


 「いい子ぶるつもりか?」


 リッペポット君の問に、無言で首を振った。僕が追い込んだ少年は、尚も何か言いたそうにしていたけど、レンスキーとリウに一睨みされて口ごもった。ルイは、若干不承不承と言った表情をしながらも、まとめ役としての役割は忘れてはいないようだった。


 「……ともかく、クレイリア。『うわさ』がどうのって話は、これで解決だよ。ごかいだったんだよ。だから、皇女殿下と仲直りを――」







 物事。

 森羅万象が織り成すそれは、時として人知の及ばない状況を創り上げてしまうこともある。

 ……格好つけて言ったが、つまり想像できない状況なんて、いつでも起こるってことだ。

 ルイの言葉がいきなり途切れた。そして、徐々に冷え切っていた空気がピシッと音をたてて固まった。誰しもが凍りつく。

 嫌な予感がした。これまでの人生で一番嫌な予感がした。僕もルイの視線を辿り、そして固まった。視線の先には……。








































 「お、皇女殿下………」































 リッペポット君が、顔面を蒼白どころか土色にして、泣きそうな声で言った。

 誰あろう、マフィータ・ダン・リージョナリアが、呆然として、そこに立っていた。

 終劇には、まだ早いらしい。



























 あとがき





 『なんとか、前回よりは遥かに素早いペースで書く事に成功しました!』



 ………。



 『ここまで来たら、一気呵成に書き上げちゃいたいと思います』



 ………。



 『八月中には切りの良いとこまで投稿したいと思っていますので、期待しないで待ってて下さい』



 ………。




 来年受験だ!遊ぼうぜ!

       ↓

 積んでたゲームに、動画もたんまりと、あと読書もしよう

       ↓

 つ『宿題』

       ↓

 あー、やっぱ宿題は貯めるとダルいな。……え、小説を、八月中に、キリのいいところまであげる……だと……? ←今ここ



 ………。


 ……どうしてこうなった。


 どうも、迫り来る圧倒的物量に対処したものの、圧倒的な飽和攻撃によって疲弊した作者です。より一般的な言葉で言えば、夏休み最後のあれを性懲りも無くやらかした作者です。いや、期日までには出せましたが。


 そんなわけで、八月中にキリいいところまであげる、と抜かしておきながら、前後編です。全然キリよくないです。本当に申し訳ありません。一応、書き上げるのに苦労したというのもありますが、七割は上記の理由です。HOI3とCiv4と銀英伝4EXに徒党を組んで攻め込まれると、理性によって維持される戦線は容易に崩壊するという戦訓を得ました。


 じゃあその経験を次回に活かして? そろそろ本格的な勉強シーズンSA! まだ第一章すら終りが見えないけどね! ……はぁ。


 ともかく、コメント返しです。




 >>華氏



 気分を害すなんてとんでもない! むしろ、この作品の問題点を再確認できて本当に感謝してます。

 なまじ、時系列を絶対視しすぎて、世界観というか視野を飛ばしすぎてしまいました。

 ただ、第十一話で問題を一通り整理させてから入れる世界情勢関連を外伝にというのは、今のところは考えていません。というのも、作者は『外伝』と題打った話は見ないという傾向がありまして、そうすると後々地味に重要になってくる世界情勢関連を読み飛ばされると、いきなり知っている前提で話を進めてしまうだろうからです。

 尤も、本編と同等扱いと言っても、そこで纏めてあげた後は第一章中にその話は出てきませんので、それなら本編のぶつ切り感は抑えられるかなと考えています。




 あるふ氏



 これは、本当に申し訳ありません。

 作者の環境だと、ちょうど中央に配置されるようになっているのですが、うっかり他の人の環境を考えるのを忘れていました。

 今回はそんな手直しをしない形で投稿しましたが、そっちの方がいいですかね? そうであれば、前の改行が見辛かった時と同じように処置を施したいと思います。





 そんなわけで、キリのいいところまであげれずに本当に申し訳ありませんでした。


 次回こそは、と使うとまた裏切りそうなので期間は指定しませんが、なるべく早く更新したいと思っています。


 どんなに更新が遅れても、放置だけはないようにしますので、どうぞ見捨てないでやっていただければ嬉しいです。



[14989] 第一章 第十一話後編 
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:07c34d7d
Date: 2010/09/24 22:30
 セント・アルマーダギー学園 七月十六日

































 少女は、寂しかった。


 少女は、寂しかった。


 少女が心許せる存在は、いつの間にかほとんど居なくなっていた。


 それに、唯一肩肘をはらずに接することのできる母とは、いよいよもって会える機会が激減していた。


 少女は、寂しかったのだ。


 だから、少女はそれを紛らわそうとした。


 リージョナリア島、あの宮殿の、広々とした庭を駆け巡り、帝族伝来の書斎に入っては、本をあきるほど読んだ。


 だが、少女は寂しいままだった。一人で辺りを駆け巡っても、何も面白いことはない。本など一人で読むもので、寂しさなど紛れるはずも無い。挙句、ただ不快な現実を忘れるために、種類にこだわらず本を読みあさったものだから、皇女殿下は秀才、等と言う話が広まって、むしろ前より人の接し方が変わってしまった。


 だだ。


 ただひとつだけ、良いことがあったとするならば、それは世の中というものに一つだけ、素晴らしい制度があることを知ったことだろう。


 友達、と呼ばれるものだ。


 少女は、狂喜した。主従でもなく、家族でもなく、それでいて身近に接することができるなんて、なんて素晴らしいことだろう! 少女の夢は広がった。折しも、宮廷の役人たちは少女をセント・アルマーダギー学園なる学び舎にいれる算段をしていた。


 人は、特別学級がどうのこうのと少女を褒めたが、少女にしてみればそんな事どうでも良かった。ただ、この寂しさだけまぎれれば、友達などと言うものが、図書館にあった帝族に伝わるあの詩の如くできるのであれば、どうでも良かった。


 少女の胸は、期待で満ちていた。


 そしてそれは、脆くも崩れ去った。会うもの誰もの対応が、宮廷にいた時と変わるなどということはまず無いと、初日で気付いてしまった。


 少女は、寂しかった。だから、クレイリアなる、一介の商人の息子に冷たく当たった。


 もちろん、彼が他人とは全く異なる価値観を持ち合わせていることなど気づかずに。


 少女は、寂しかったのだ。そう、“寂しかった”。そして今再び、過去形が現在進行形へと移りつつあった。





































































 蛇に睨まれた蛙、とはまさにこの事を言うんだろう。

 余りに急展開だった。もっと穏便に済むんじゃないかと思っていた。つまり、希望的観測はそれを信じすぎれば、覆ったときの混乱は半端なものではないと言うことか。背筋に一筋、冷たい汗が流れた。

 沈黙の原因となっている、マフィータ・ダン・リージョナリアは、叱責も、悲嘆も何もなく、ただ教室にあと一歩踏み出せば入ることの出来る位置に立っているだけだ。

 ルイが口を開こうと試みたようだったけど、すぐに押し黙る。威圧、じゃあ無い。まず間違いなく、日常生活ではお目にかかれないような雰囲気がマフィータにはあった。


 「……リッペポット……」

 「はい、殿下……」

 「今言っていたのは、本当のことなのか」


 ああ、もしかしたらこの雰囲気はこう表現するのが一番かもしれない。――絶望。

 リッペポット君は、マフィータの問に固まったが、恐る恐るマフィータの顔を見て、とても誤魔化せるような状況でないことを理解すると、震えるように頷いた。

 刹那、マフィータの身体から力が抜けた。床にへたり込む。

 発作的に駆け寄ろうとした。が、それは。


 「来るな!」


 マフィータの叫び声でおし止められた。


 マフィータの顔は伏せられていた。けど、小刻みに震えている耳を見ると、泣いているようだ。

 僕は、堪らず声をかけた。


 「マフィータ、その……」


 後先は考えず、取り敢えずの声がけだった。謝るにせよ、弁明するにせよ、糸口は必要だ。しかし、マフィータは僕の声を聞くや否や、伏せていた顔を上げると、涙が浮かんだその顔を憎悪の色に染め上げて叫んだ。


 「おまえが、私の名を呼ぶなぁ!!」

 「!!」


 記憶にないほど感情を撃発させたその剣幕に、僕はたじろいてしまった。マフィータが続ける。


 「どうせ、どうせお前もリッペポットと同じなのだろう!? どうせ、お前も皆と同じなのだろう!? どうせお前も!! ただ、高貴な者とか言うふれこみだけで、私に近づこうとしただけなのだろう!!」

 「ち、違う! 僕は……」

 「五月蝿い!!」


 マフィータの声に、その場に居た者全てが震え上がるのがすぐにわかる。弁明しようとした僕も、気圧されたまま黙ってしまった。

 数秒だけ、息遣いしか聞こえない静かな時間が流れた後、不意にマフィータは儚げに笑った。


 「……でもな、でも、それでも良かったのだ。お前だけは、たとえそうであっても、私を名前でよんでくれた。私にも、『ともだち』などと言うユメを見させてくれた」


 今にも消えてしまいそうな声で続く独白に、僕は何も言えなかった。口を開こうとしても、無理やり押さえつけられているかのように開いてくれない。


 「だが、けっきょくは。けっきょくはお前も、私をうらぎるなんて思っても見なかった。少しでも考えれば、そんな考えでちかよってくるようなやつは、すぐにでも冷たくなることくらい、わかってたのにな。わかってたのに」


 ぴと、と水滴の音が、教室に響いた。


 「しょせん、ただのユメだったのだ。おともだち、なんてものは。私にとっては本の中にしか無い、ただのユメ。いっそ、あんな本、あんな言葉知らなければよかった。知らなければ期待して――うらぎられることなど、無かったのに」





 隣に居た。






 「……どうだ? 高貴な者とやらの、こんな姿を見て。どう思う?」






 なんか突っかかってきた。論破した。







 「笑うなら、笑え。そして、もう私に声などかけるな。もう、わかったのだ。期待などしない。私は、しっぱいを生かせると良くほめられるのだ」






 そしたら名前を呼べと言われて、いつの間にか親しくなっていた。ただそれだけだった。それだけだと思っていた。











 『自分が周りにどういう風に思われてるのかくらい、気付けよ、少しは』













 知らなかった。知ろうともしていなかった。僕が、ただ名前を呼んでいた。それだけのことを、相手がどれだけ重要なことと受け取っているか、なんて。










 『だーかーら! おまえはバカなんだっての』









 さっきから、薄々感づいてはいたけど、いよいよもって確信した。僕は『莫迦』だ。極めて度し難い『莫迦』だ。知識だけ多めに持って、自分は年長者だ、だからこれで絶対にに正しいんだなどと奢り高ぶり、最後の最後で自分の思慮の足りなさを突きつけられる。これを、『莫迦』とか『傲慢』以外にどんな言い方があるのだろう。

 ……考えて、思い至るにつれて、吐き気がしてきた。過去に戻って自分を殺したい、と言うセリフの深刻さが、生まれて初めて実体験として理解出来た。

 結論。










 こんな状況に皆を陥れたのは、紛う事無きこの僕だ。













 価値観の全く違う場所で、日本と同じように行動して、知らず知らずに墓穴を掘って、それに喜び勇んで飛び込んだのが今の僕の状況だった。

 そして、何よりも腹立たしいのは、その反吐が出るほど馬鹿馬鹿しいこの状況の中で、被害を被っているのが僕では無いってことだ。

 僕の人間関係の調整がとれてなかったせいで、ここ最近北へ南へと走り回っていただろう、ルイ・リウ・レンスキー達。無闇に価値観を無視したせいで、文字通り崖っぷちまで追い詰めてから突き落とす結果になったリッペポット君。そして、期待させ、持ち上げた挙句裏切ると言う、多分外道な行為で一番を取れることをしてしまい、半ば人間不信にまで追い込んでしまったマフィータ。

 少なくとも、これだけの友人に、僕は迷惑をかけた。

 なら、僕はどうすればいいんだ? いったい、どうすればいいんだ?

 『失敗をよく生かせる』、か。

 ふと、マフィータが力のない笑みを浮かべた表情とともに、その言葉が思い出された。

 僕の『失敗』。もう一度振り返ってみる。普通に考えれば、変な価値観をばらまいた挙句、それをろくにフォローもせず居たってことだ。

 じゃあ、やっぱり僕は皆と離れた方が、それなりに秩序にあふれた生活を送ることができるのかも知れなかった。僕としても、それなら大して面倒なことも無い。全てが解決する。

 そして。

 その結果、マフィータの人間不信は決定的になるだろう。何とも素晴らしい未来予想図と言う奴だ。

 ………。

 どう考えても、それは出来なかった。そんな事は出来なかった。張本人が逃げ去るなんてことは許せない。だいたい、僕はマフィータのことを気に入っていたのだ、何だかんだと言って。じゃなきゃ、間違いと知らなくても、あんな行動はとらなかった。

 つまり、腹をくくるしか無いってことだ。内心では自嘲と決意が混ざり合った奇っ怪な笑みが見れることだろう。そんな感情で僕は思った。徹底的に、この世界の価値観に向き合って見せる。こっちに合わせるのが不可能なんだったら、こうするのは自明の理じゃないか。











 ようやく、本当にようやく意を決した僕は、マフィータに向かって一歩踏み出した。今までのツケを、清算するために。


 「マフィータ」

 「……よぶなと、よぶなと言ったであろうが!」


 いきなりの行動に動揺しながらも、マフィータは声を張り上げて制止しようとする。けど、僕はもう一歩踏みでた。


 「っ!」


 反射的に、彼女の体が後ろへと下がる。顔には、恐怖が張り付いていた。


 「く、来るな! どうせ、また裏切るのだろう!? だったら、もう来るな! 近寄るな!」


 近づくたびに胸が痛む。これが、自分の犯した過ちの行き着いた先なのだと自覚すればするほど、自身を苛む感情はいよいよ許容量を超えそうになる。

 だけど、視線を逸らすことは許されない。何故なら、僕のこんなちっぽけな痛みなど、マフィータが今受けている痛みなどと比べれば、限りなくゼロに近いものなのだから。


 「……僕は、裏切らないよ」

 「うそだ!」


 マフィータは、そう怒鳴ると小動物のように小さく縮こまって首を振った。


 「うそだ! うそだうそだ! 裏切らない? もう裏切ったではないか! そんなうそを……!」

 「……確かに、僕はマフィータを避けた。謝っても許してもらえないくらい、僕は君を傷つけた。ごめん」

 「ごめんと、謝ってすむと思っているのか?」

 「思ってないよ。そんなわけない」


 マフィータの顔が、挑戦的なそれに変わった。怒気と嫌悪を受けるのは嫌だけど、それでも怯えの方に感情が向くよりは遥かに良かった。

 僕は、なるべく優しく話し続けた。


 「……でも、だけど僕には他の、そうすればマフィータの気の済む事は考えつかなかったんだ。だから、約束する。僕は、君を絶対に裏切らない」


 馬鹿げた話だった。一度信頼を損ねたから、今度は絶対に損ねない。そんな事を言われて、信じ、再び信頼してくれる人などいるだろうか。


 「……どうして、そう言い切れる」


 案の定、マフィータは表情も感情も変えずに睨みつけてきた。「お前も、私が皇女だから……帝族だから、よってきたのだろう?」


 まずは、そこからか。


 「違う。そんなこと無い」

 「……うそをつけ。どうせ、そうに決まっているのだ」

 「違う!」


 突然の大声に、マフィータが震えた。驚かせたらしい。

 でも、一番驚いているのは僕だった。この大声を出したのが僕だと気づくまで、たっぷり数秒かかったのだ。そして、心の奥底で押し殺した笑い声を上げる。やっぱり、僕は『莫迦』だ。肝心なところで、感情の制御すら出来やしない。


 「……始めは、入学したての頃は、僕は君のことは苦手だったんだ」


 気を落ち着かせて、ありのままの本心を続ける。マフィータの顔に、影が差した。


 「いきなり突っかかってこられて、言い返したら泣かれて、仲直りできたと思ったら名前で呼べって。あの時は、マフィータの言うように、確かに面倒くさかったりもしたよ」

 「………」

 「でもさ、それで話してみたら、マフィータは皇女とか何とかの前に、普通の子だったよ。そりゃ、言葉遣いとかは帝族の物だったけど、ほとんど他の子と変わらなかった。だから、僕はマフィータと友達になった」


 マフィータは、何も言わない。


 「……君を避けた件は、一生許してもらえなくてもいい。嫌いで、近づいて欲しくもないんなら二度と近づかない。けど、それだけは信じて欲しい。僕は、君が皇女殿下だから近づいたわけでも、帝族だから近づいたわけでもないんだ」


 言うべきことは言い尽くした。これで駄目なら、言ったとおり消え去るのが一番なのだろう。

 教室が、今日何度目かの静寂に包まれた。誰も、何も言わない。下手すると、息することさえはばかられるような静寂だった。

 ごくり、と唾を飲む。マフィータは、どんな反応をするのか。そればかりが気になる。

 マフィータの沈黙が続くかと……思われた。






 「皇女だから近づいたんじゃない? ほんきで言っているのか? 君は」






 横槍を入れてきたのは、小刻みに震えながら力ない笑みを浮かべているリッペポット君だった。どうやら、僕とマフィータとの言い合いを見ている間に、ようやく思考が回復したらしい。


 「そんなこと、できるはずがない。どうせ、お前のような平民には大きすぎるめいよがそばにあったから、目がくらんだだけだろう? よくも、ひらきなおれるのだな!」

 「おい!」


 慌ててレンスキーがリッペポット君を制したものの、もう彼は止まらなかった。余りに自分の創り上げてきたもの全てが壊されて、自暴自棄になっているようだった。


 「ええ? どうなんだ? クレイリア、どうせ、おまえはしょせん平民なんだよ。皇女と平民? いまさらどころか、はじめから成立なんかしないだよ、そんな身分さで『ともだち』なんか。わかったか?」


 へへへ、と、リッペポットくんは力なく笑った。













 それが、カチンときた。







 どうしようもなく、カチンときた。







 高圧的な物言いが原因ではない。






 その決め付けが、気に食わなかった。

















 「どうだ、言いかえして……」

 「身分の差で『友達』になんかなれない?」


 自分でも思っても見ないほど、暗く低い声が出た。リッペポット君が一瞬硬直する。が、すぐに気を取り直して続けた。


 「そ、そうさ。あたりまえだろう? 帝族と平民のあいだの身分のちがいを少しでも考えれば、『ともだち』になどなれるワケがない」

 「なれるよ」


 リッペポット君が、再び笑った。


 「なれる? 馬鹿を言うなよ。帝族と平民だぞ?」

 「じゃあ、どうして帝族と平民が友だちづきあいできないの?」

 「それは、じょうしきてきに考えればすぐにわかるだろう」

 「帝族と平民が友だちづきあい出来ない常識って?」

 「それは……」


 リッペポット君がそこまで言って、黙ってしまう。僕は、畳み掛けた。


 「そもそも、何で身分の違いだ何だかんだってそう決めつけるんだい? 帝族と友達付き合いしてはいけないって、誰が決めた? 平民は帝族に差出た口を聞いちゃいけないって、何処が決めた?」

 「そ、それは……、けいいだよ! そんけいの気持ちでせっすれば、帝族と平民がなれなれしくしては……」

 「じゃあ、何で帝族に敬意を払わなくちゃいけないの?」


 リッペポット君が、いや教室の全員が一人の例外なく固まった。

 それだけのインパクトのある事を、やらかしてしまったのだ、僕は。けど、覚悟していたからか、後悔の念は驚くほどない。だいいち、毒を喰らってしまったのだ。皿どころか、今回の場合テーブルまで食さないといけない。後悔なんかしている暇は存在しない。

 というか、この理由も後付だった。何せ、この時の僕は理性なんて必要としていなかったから。必要なのは、ただ、感情だけだ。


 「少なくとも、この学園は、特別学級は身分の違いなんてない。ただ、勉強するやる気があって、ここで学んでいるのなら、それは誰でも一生徒だ。なら、何でわざわざ一々身分の話を持ち出すんだ? ただ、学問を学ぶ『同志』なんだったら、帝族も貴族も平民も関係ないよ」

 「だ、だが、それはお前のかってだろう! 皇女殿下はしつれいだと思っていらっしゃるに……」

 「マフィータ・ダン・リージョナリアの、さっきの話を聞いてた? 君の言う『失礼』とやらを、むしろ望んでいただろう?」


 マフィータ・ダン・リージョナリア。そう力を込めて言うと、マフィータの耳が微かに動いた。


 「………わ、わたしは帝族のみなさまのほとんどが思われていることを言ったのだ! お、皇女殿下だけではなく、陛下やほかの方々の意見を……!」





 ああ、これだよ。結局、これだ。

 自分の考え方の根幹が崩れたとき、大抵人は一般論へと話を転換してしまう。

 別に、それ自体が絶対悪じゃあない。それが正解の時だってかなりある。けど。

 今、僕は、一般なんかどうでもいいのに。ものすごく局地的な話をしているっていうのに。

 だと、言うのに。









 「陛下? 他の方々? ……それがどうしたっ!」









 気が昂ぶっているのが自覚できる。マフィータと会った時の二の舞になるかもなと僕の冷静な部分が呟いた。




 いや




 そんな事はないさ。






 「僕は、マフィータの、マフィータ・ダン・リージョナリアについて話してるんだ! マフィータが嫌がっていた? 迷惑そうだった? なら君の言うとおりだ。帝族と平民は友だちになんか慣れない。でも、そうじゃないんなら? どうして不可能だって言える!」


 なんて言ったって、あの時とは違う。価値観が違うなら、そんな違い壊せばいいじゃないか。その覚悟は出来た。

 気に入らなければ壊せばいい。幼稚だけど、幼稚な意見ゆえに、真理だ。


 「帝族と平民、いや、どんな身分とどんな身分であっても、どちらも友達でいたいって思えば、不可能なんてあるもんか!」


 心からの、叫び。みんなが呆然として僕を見た。

 僕の、『僕自身』の、懇親の叫びだった。





 ――だけど。






 「……そんな事が、できるわけないだろう。なぁ、お前ら! 平民が、帝族とまともにつきあえるか!? この中に、お前以外にそんなやつはいるのか!?」


 喚くような声に、反論するものは一人としていない。

 やっぱり、だめなのか? 知らず知らずに握っていた手に、爪が食い込む。僕は、中途半端に壊すことしかできないのか? 結局、マフィータに対してなにもできないのか?







 その時だった。








 「俺がいますよ、リッペポット様」

 「な!?」

 「レ、レンスキー?」


 レンスキーが、すっと手をあげた。


 「は、はは、下級貴族が、おもしろくもないじょうだんを……」


 力なく笑うリッペポットくんを無視して、レンスキーは言った。


 「たしかに、おれは帝族のみなさんがたと『ともだち』になろうなんておもってなかった。それがあたりまえだって思ってたよ。けどな、このクレイリアってバカとともだちになって、判ったんだ」


 声が出ない。全員が、レンスキーの一挙手一投足に注目する。


 「このバカと、クレイリアと話すときの皇女殿下は、ただの人族だった。帝族も、なにもかんけいねぇ、どこにでも居るおんなの子だった」

 「き、きさま! 皇女殿下に向かって、ぶ、ぶぶぶ、無礼だぞ!」


 声を上げ、リッペポット君は最後の力を振り絞ったように叫んだ。だが、レンスキーは全く動じない。むしろ、リッペポットくんを睨みつけた。


 「その、『ぶれい』とか、よくわかんねぇ物のせいで、おれたちはただとおまきに殿下を見てるだけだった。しってるだけだった。だから、殿下のこともよくわかんねぇままだった。けど」


 レンスキーは、僕の方を見た。


 「こいつはバカだ。そんなじょうしきとか言うやつ、ぜんぶむししやがった! そんで、それなのに、このバカは殿下をたのしそうにさせてた。おれもとおまきに見てるだけだったけど、それでもわかった。こいつのせっしかたが、こいつのキョリが、一番のせいかいだって」


 誰も、何も言わない。レンスキーは、マフィータに向かった。ビクン、とマフィータの耳がはねる。言った。


 「皇女殿下、これまでの…その、いっぱいやらかしてしまった『ぶれい』をおゆるしください。そんで……」


 レンスキーは、反応を見るような言い方で、訊ねた。


 「その、『マフィータ』、おれも、ともだちになって良い……か?」


 マフィータの目が、見開かれた。リッペポットくんが喚く。


 「お、お前ら、わかっているのか? あいては帝族なんだぞ? この国で一番身分の高い方々なんだぞ?」

 「だから、きいているんですよ。マフィータに」


 レンスキーは断言して、再びマフィータを見た。マフィータは、ゆっくりと口を開いた。


 「……レンスキー、その、何だ、もしさっきのわたしを見て哀れだと思っているのなら、それは…」

 「……はぁ。これでもさ、おれ、いつかお近づきになろうなろうとだいぶ前から思ってたんだぜ?」

 「それじゃあ、帝族だから……」

 「うたがわないでくれよ。それに、そうなんだったら、もっと前からいろいろとこうどうしてるし。クレイリアとなかよくしてるマフィータみてたら、な」


 マフィータは、それでも疑いの目を向けていた。レンスキーは、再びはぁ、とため息をついた。


 「……クレイリアはバカだバカだと思ってたが、マフィータもバカだよな、そういえば」

 「な、なぁ!?」


 一気に顔を赤くしたマフィータ。視界の隅では、リッペポット君がルイに押さえつけられていた。


 「何を理由に……!」

 「だーかーら! もしおれがマフィータが帝族だからってりゆうで近づくつもりなら、何でこんなひじょーしきの固まりとつるむんだよ!」


 僕を指さして言う。


 「だいたい、クレイリアをそうだって決めつけたのもバカだ」

 「そ、それは! こいつが、わたしをさけ始めて!」

 「それは、クレイリアが悪い。でも、クレイリアがもしほんとうにそうなら」


 レンスキーは一呼吸おいて、僕に対しての最大の援護射撃をした。



















 「どうして初めてあったとき、マフィータにケンカうったんだ?」



















 マフィータがはっと息を呑んだ。レンスキーはそういうことと頷く。


 「ふつー、皇女殿下にとりいろうってやつは、ウラで何かしてるかもしれないけど、ちょくせつ帝族にケンカ売ったりはしねぇよ」


 優しく、諭すようにレンスキーは言う。

 マフィータは、目を閉じて、一度深呼吸をする。心なしか、顔に笑みが浮かんだような気がした。


 そして、意地悪っぽく笑うと、レンスキーに言った。


 「……ところでレンスキー。いつ、わたしがお前にわたしの名を呼んでいいと許した?」

 「うげ……」


 思わず声を上げるレンスキー。それを見て、マフィータは笑みを更に大きくした。

 見ようによっては、臣下の揚げ足をとって虐める領主その物であるが、僕はそのマフィータの姿を見て心底ほっとした。



 完全に、マフィータは以前の調子を取り戻していたからだ。



 見るも無残なくらいに動揺するレンスキーに、マフィータは笑いかけた。


 「レンスキー」


 「は、はいっ! さ、さきほどはごぶれいを……」







































 「……マフィータだ」















































 意図は、通じたらしい。

 レンスキーは、言葉に込められた意味を理解すると、こちらも楽しげな笑顔を見せた。


 「――ああ。よろしく、マフィータ」


 これで、万事解決なのかな、と僕は思った。ちらっと辺りを見回すと、この光景に困惑を覚えている者は多いものの、嫌悪を覚えているものは殆んどいない。そう、殆ど。



 ――たった一人、リッペポット君を除いて。



 「リッペポット君……」

 「みとめん」


 立ち上がろうとする。ルイがそれを押さえつけたけど、僕の目配せに気付いてすぐにリッペポットくんを放した。


 「わたしはみとめん。帝族と平民がともだち? みとめられるか」

 「いいよ、認めなくても。けどこれだけは約束してくれ」


 リッペポット君は、弱々しい足取りで、廊下へと進んでいく。自然、彼の進路に道ができる。


 「君が、帝族と平民との関係にどんな意見を持っていても別にいいんだ。ただ、それをその関係で良いと心の底から思っている人間同士に振りかざすことだけは、やめてほしい」


 リッペポット君は、終始無言だった。マフィータが、鋭くリッペポット君を呼んだ。


 「リッペポット」


 リッペポットくんの足が止まった。


 「……殿下」

 「……お前は、私にむごすぎる仕打ちをしたな」

 「……申し訳……」


 リッペポットくんの表情からは、もう感情を読み取ることすらできなかった。その心の奥底で蠢いているのは、――僕への、憎悪なんだろうか。

 そのリッペポットくんへ、マフィータは淡々と言った。


 「だから、私もお前にむごい仕打ちを与える」

 「………」


 一体、何をさせるつもりだろう。みんなが息を飲むのが、はっきりと分かった。

 その中心で、マフィータは。


 「……みとめろ」


 これまた淡々と言った。


 「………殿下?」

 「クレイリアが言ったことを、みとめろ。お前がみとめたくないことをみとめろ。それが、ばつだ」


 リッペポット君は、一瞬呆けたようにマフィータを見つめ、憤怒でか羞恥でか顔を赤くし、そして廊下を向いた。もはや、臣下の礼すら無い。マフィータが、咎めようとした時だった。


 「……たしかに、むごいしうちです。殿下」

 「………」


 短く、そう言った。そのまま、再び歩き出す。そして――去り際、こう言った。






 「むごいものは、見たくありませんので、私の周りで、どうぞご勝手に」







 最後まで、貴族らしい物言いだった。


 「……さて」


 教室を去っていったリッペポット君を一瞥してから、マフィータは自分自身の気持ちを切り替えるかのように一息を入れた。


 「クレイリア」


 鋭い一声。若干六歳の発する声なのに、どうしてこうもまぁ、緊張感の漂う声が出せるかな、と一頻り現実逃避して、僕はマフィータに再び向き合った。かけられるのは叱責の言葉だろうか。それとも、拒絶か。

 尤も、そんな僕の心配は、ことごとく外れることになる。それどころか、彼女は話しかけさえしなかった。ただただ、




 パン……





 と甲高い音と共に、僕の左頬に痛みが走ったのみである。要するにビンタを張られた。

 一般的に部活の監督あたりから放たれるビンタよりは遥かに弱く、一般的な六歳児の本気にも程遠いだろうけど、しかし僕には不意打ちもあって凄まじい衝撃に感じた。僕の発育の良くない身体は、一瞬大きくよろけた。

 だが、不思議と理不尽という感覚はない。当たり前だ。彼女には、そうするだけの権利がある。僕には、そうされるだけの理由がある。

 体勢を立てなおして、僕はマフィータとみたび向き合った。マフィータは、無表情のまま、声にだけ怒りを込めた。


 「……これは、バツだ。わたしを不安にさせた」

 「うん……」

 「何日も、何週間もくるしませおって……」


 マフィータは再び手を上げる。そして……。


 「だから、叩くだけではすまさない」


 すっとその手を下ろす。


 「お前は、今から一つだけなんでもわたしの言うことを聞け」


 鋭い口調のまま、マフィータは息を大きく吸って、はっきりと言った。

















 「これからお前は、わたしの『ともだち』だ! なにがあっても、いっしょうだぞ、いっしょう!」
















 教室内で、誰かが小さく吹き出した。笑いが、徐々に大きくなる。僕は、その笑い声の主が自分であることに気付くまで、たっぷり十秒以上を費やした。


 「な、なぜ笑う!」


 マフィータが真っ赤になって怒鳴った。それが、どうしようもなく面白く、そして安心できた。


 「だって、僕はもともとそのつもりだったんだよ? わざわざ命令されなくたって」

 「……じぶんのやったことたなに上げおって」


 拗ねたようなマフィータ。あ、まずい。涙まで出てきた。

 その余裕綽々な態度が物凄く、お気に召さなかったらしい。マフィータは、プンスカと……年相応に怒鳴り続けた。


 「いっしょうだからな! わかっているのか!? いっしょうだぞ! 破ったら……」

 「破ったら?」


 鸚鵡返しで訊く。するとマフィータは、満面の笑みで。



 「そうしたら、こんどは約束を破ったバツだ。いっしょうわたしのドレイにしてやる」



 どうやら、僕を手放すつもりは無いらしい。僕は苦笑した。いや、嬉し笑いも入っているな。












 「仰せのままに、『マフィータ』」













 時に、七月。地球の、日本の気候でいえば、九月の頭くらい。



 陽は、学園の真上で、真夏かと疑わせるくらいに光り輝いていた。


















































 お偉いさんの執務室とか、自室とか。ともかく、権力のある人専用の何かって言うものを平凡な一市民が想像すると、大抵の場合脳裏には城と見紛うが如き空間が広がることだろう。

 そして実際のところ、例え想像ほど豪華ではなくとも十分「そうだ」と感想を漏らすことのできる場合が多い。

 その一般例から考えると――。そこまで考えて、このたびセント・アルマーダギー学園とか言う帝国の最高学府で唯一の獣族教師という栄誉を賜ったキダバ・グナンゼウは、あくびを噛み殺した。正直、こんな事でも考えていなければつまらなくて仕方がなかった。グナンゼウが好きなのはかつての偉人が住んでいた部屋であって、当代の事務屋が住んでいる部屋ではない。


 「うおっほん!」


 わざとらしい咳払いが響いた。グナンゼウは、居眠りを指摘された学生のように背筋を伸ばした。咳払いの主は初等部の部長であり、小言と嫌味と、それから獣族への差別発言が趣味と専らの評判である痩せた男だった。ちなみに、髪の毛は大変残念な事になっており、獣族への嫌味は人族のような髪を持っていないせいだ、などという噂が真しやかに囁かれている。

 幸いにして、その咳払いは自分に対するそれでは無かったようである。小言を聞き流しながら仕事をするという、邪神ルトゥポーの所業ですら生ぬるいと感じられる悪夢を体験しなくても良いという安堵に、グナンゼウは安心した。彼は、すでにそれを三回ほどやらされている。


 「学園長! 学園の威信を守るためですぞ! どうか、ご決断を!」


 初等部長の言葉に、セント・アルマーダギー学園の学園長たるマリウス・バースラーは、駄々をこねる子供に言うように、諭した。


 「却下だ。君、この学園の方針は、生徒の自主自立だよ?」

 「しかし学園長、今回の件は、自主自立で済ますことのできる範囲ではないでしょう! 確かに本校は生徒の自主自立、独立独歩の気風をなにより尊重しています。ですが、それと同等、いえそれ以上に、本校は礼儀作法と言うものに重きを置いておったはず! これも示せなんだでは、帝国内外に顔向け出来ませんぞ!?」


 学園長は、温厚そのものの表情を、努めて厳しく変えた。


 「初等部長。どうやら、わたしと君との間では、礼儀作法というものに見解の相違があるらしいな。そこのところを、突き詰めて話しあおうではないか」

 「見解の相違?」

 「ああ、見解の相違だ」


 学園長は、備え付けの椅子から立ち上がった。


 「君がどう思っているのかは別として、だ。本校の言う礼儀作法とは、年上のものを尊べという精神が第一だ。自主自立、独立独歩と言っても、これが守れないような輩は厳重に注意し、罰を与える。あるいは、公共の場で粗相を働くような者にも、だ。だが」


 執務机をぐるっと回り、丁度畏まる教師陣の目の前へ、執務机を背にするような格好でやって来た学園長は、肥えた身体の体重を机にかけつつ言った。


 「それ以外は原則自由! それが、本校の自主自立の精神というものだ。社会を生き抜く上での最低限の規則さえ守りきれればそれでよし。開校以来変わらぬ理念だよ」

 「今回は、その社会を生きていく上での最低限の規則が守れるかの瀬戸際ですぞ!」


 初等部長が、声を張り上げた。学園長は首を振る。


 「瀬戸際も何も、君からや他の教師、何よりもかの学級の担任教師からの報告書にすべて目を通したが、わたしには差し当たってそのような危機を覚える内容は見つけられなかったが」

 「ですが! 事も有ろうに平民の小倅が第四皇女殿下を呼び捨てにし始め、あまつさえ特別学級にはそれに同調する生徒が増えて居るのですぞ!」


 まぁ、初等部長の言うことも尤もかな、とグナンゼウはぼけぇと窓の外の空を見ながら思い、そして心のなかで薄く笑った。あの、妙に子供離れした性格を持つ歴史係の少年は、大人を困惑させるのが趣味なのかとも思う。事の発端は、あの日の朝、特別学級担任が血相を変えて職員室に飛び込んできたあの時だ。










 「お、皇女殿下に、学級のほとんどがタメ、タメ口を!」




 担任教師は職員室にかけ込むやいなや開口一番にそう言った。グナンゼウは、その声に目を落としていた新聞――帝都競泳大会の結果を一面で報じていた、中流階級向けの『紳士・淑女の知識庫』紙――に危うく茶をぶちまけかけた。

 人族ってのは、悪質な冗句の類が大好きなのか? 朝の至福の一杯から、いつでも自分に仇なす存在となった安物の茶を一気に飲み干して、グナンゼウは苦々しげに思った。彼の常識は、どうも権威主義に縛られがちな人族は絶対にそんな事出来やしないと主張している。まぁ、こればっかりは人族も獣族も関係ないがな。


 「君、冗談も程々にし給え!」


 こちらは、グナンゼウのように幸運は掴めなかったらしい。首元に巻いた装飾布を茶で濡らした初等部長が雷を落とした。可哀想に、とグナンゼウは思った。これで、彼は今日の賃金不払い残業が確実となった。

 しかし、担任は泡を食って捲し立てる。


 「冗談じゃありません! むしろ、何か質の悪い冗談の方がまだましです! 本当に、生徒が、お、皇女殿下を呼び捨てに!!」


 元来、こと仕事に関しては真面目という評価しか下しようのない担任教師である。それが、ここまで真剣に言うということは……。


 「……本当なのか?」


 部長の問いかけに、担任が頷いたことによって、混乱は職員室にも波及した。

 それでも、即座に全員を落ち着かせることができたというのは、部長はコネと袖の下でその地位に上がってきたわけで無いということを証明できる成果だった。彼は前代未聞の事態にどう行動していいかわからず困惑する教師たちに、取り敢えず事実関係の確認として、今日一日特別学級に、時間の開いている教員はなるべく気づかれないように貼り付け、と命じた。

 結果、グナンゼウがこいつらが本気を出せば中小国くらいなら運営できるのではないかと本気で疑ったほどの事務処理能力で『時間』とやらを捻出した教師陣の、献身的な調査によってすぐに大体の状況を初等部教員は掴むことができた。これが、学園長室での直談判から二日前の放課後である。


 「つまり、何か?」


 会議室の一番いい椅子にどっかりと座り込んだ初等部長は、手拭きで額を拭きながら疲れたように言った。


 「連中は、いきなり皇女殿下と仲良くなって、挙句殿下自身から名前を呼ばせるという最高の栄誉を賜れたと、諸君らはそう言いたいわけか?」


 初等部長は、報告書を机に放り投げた。「信じられるか! このような与太話!」


 「ですが、事実なのです」


 第一学年主任が、こちらはずれた眼鏡を直しながら弁明した。ちなみに、この場には第一から第六までの初等部学年主任と、第一学年で特別学級を受け持つすべての教師が集められている。当然、キダバ・グナンゼウもそこに居た。


 「少なくとも、休み時間に殿下と積極的に話し合っていた者は、呼び捨てか、敬称をつけても『さん』か『ちゃん』程度です。ひとりだけ、思わずなのか帝族へ対する敬意の表れなのかは分かりませんが、ともかく様ときちんと敬称を付けたものもいましたが」

 「後者であることを願うがね」


 初等部長は、特別学級担任を睨みつけた。思わず、彼の体が縮こまる。第一学年主任が咳払いをした。


 「……それでさえ、殿下に止められているのが確認されました。なんでも、『わたしが友達で良いと言うたのだから、様を付けるのは侮辱と受け取るぞ』と仰られたそうで……」


 第一学年主任が、一旦場が静まるのを待ってから言った言葉に、一同は唸った。全くもって、殿下がいきなりどうしてそんな事を言い始めたのか、見当もつかない。


 「それで……原因は?」

 「……は? 原因といいますと?」

 「そうなった原因に決まっておるだろうが!」


 部長の怒鳴り声に、皆一様に首を竦ませた。


 「皇女殿下がいきなりこのようなことを仰り始めたのには、何か理由があるに違いなかろう! もともとそういう気質で居らっしゃったのだとしても、それが表に出始めた原因は必ずあるはず! きちんと、調査したのだろうな!?」


 原因ってな、部長。グナンゼウは、叱責を素直に受け入れる殊勝な教師を演じつつ思った。それじゃあ、特別学級内に原因となった生徒がいると?

 ありえないだろうよ。グナンゼウは断じた。確かに、あそこに集められたのは選りすぐりの天才・秀才共だ。正直、俺が子供の頃はあんなに利口じゃ無かった。そこは全面的に同意する。

 だが、それは学問だけだ。人間関係については、よっぽどな奴じゃ無いと天才的思考なんて物は出てこない。良く考えてみろ。天才たちは、よく常識を打ち破るとか言うがな、それを一般生活でもやってみろ。

 例えば、そうだ。ある日、新入社員が商会長、店長誰でもいい。さして面識もないそいつらに「よぉ、これから飲みに行かないか?」なんて言ってみろ。……もしやったら、確かに天才だろうな。ただ、馬鹿でもある。普通、大目玉くらっておしまいだ。

 だいたい、平民階級から掬い取られた三分の二から四分の一の者たち以外は、大抵が貴族の出自である。社交だのという名目でその手の宴会に出席したことも一度や二度ではきかないだろう。むしろ、そこいらの子供よりかはよほど身分云々について頭が凝り固まっているはずである。

 そんな奴しか居ない特別学級に、皇女を名前で呼び捨てにする勇者は……。そこまで考えて、グナンゼウは顔をひきつらせた。あれ、もしかして、一人居る?

 だが……、いや、あり得る。あいつなら、やらかしてしまってもおかしくはない。

 思わず、特別学級の国語担当教諭に目をやった。地味に、グナンゼウと彼は仲がいい。というか、グナンゼウが一方的に気に入られていただけだが。

 彼は、似たようなことを考えていたのであろう。グナンゼウと同様に顔をひきつらせながら、恐る恐るといった様子で訊ねた。


 「主任、まさかとは思いますが、もしや、生徒の中心に居たのはチャールズ・クレイリアとかいう生徒では……」


 主任は、飛び上がらんばかりに驚いた。


 「な、何故それを!?」

 「……いえ、私が知る限り、あの学級でそういうことができそうなのはその子ただ一人でしたので」

 「そういうことは早く言い給え!」


 部長がいきなり割り込んだ。ワナワナと肩を震わせる。


 「君! 早速そのクレイリアとか言う小僧を一般学級に移せ! それが元凶なら、そうすればこの騒ぎもじきに収まる!」

 「それは不可能です」


 主任が断言した。部長は、ダンと机を叩いた。


 「なぜだ! 今までだって、特別学級の他の生徒に悪影響が出そうな者はそうして来ただろう! 理由は確か……そうだ、学力不足の一点張りで! 親に難癖をつけられても、慰謝料を払えば事足りてきた」

 「事情が違うのです、部長」


 第一学年主任は、尚も首を横に振った。


 「事情が違う?」

 「今までそのような措置にしてきた生徒は、例外なく学業成績の方も下から数えたほうが早い生徒ばかりでした。ところが、クレイリアはそれが不可能です」

 「なぜ不可能なのだ!?」

 「クレイリアは、入学試験を満点で受かりました。算数だけ、国語だけではなく、入学試験問題すべてを、文字通り全問正解しているのです」


 グナンゼウは絶句した。入学試験の内容や結果は、学園上層部しか知らないのは周知の事実だが、それが初めて明かされたということになる。おそらく、既に尋ねていたか、あまりの結果に担当官が口でも滑らせていたのだろう。

 だが、そんな事はどうでもいい。問題は、全問正解ということだ。

 初等部入学試験は、もちろん一般学級の低学年中に解けるような問題が大半を占めていた。ただし、例外として一教科四五問、初等部終了程度の学力がないと解けない問題が含まれているのだ。

 無論、これは生徒の頭の回転や、どの程度の能力を持ち合わせているのかを判断するための措置である。前述したとおり、その内容は一般は無論のこと教師にも知られることはほぼ無いが、伝統的に語り継がれている噂によればその通りらしい。それを、全問正解したって言うのか。


 「し、しかしそれは非公開の情報だ。もみ消せばバレもすまい。選定担当官の責任にすれば……」


 まだ抗弁する部長に、主任は止めをさした。


 「部長、残念ながら、彼の担当官は――」


 誰かが、ゴクリと唾を呑んだ。


 「学園長です」


 グナンゼウの髭が、ピクピクと痙攣する。どういう後ろ盾を持ってるんだ、こいつは。ただの平民階級出身者だろう?

 部長は、力なく言った。


 「……なんという茶番だ。これでは、畏れ多くも殿下に非礼を働く馬鹿一人をどうにかすることも出来ぬではないか」

 「非礼、なんでしょうかね」


 グナンゼウはボソッと言った。そのつもりだった。が、部長の耳は、艦隊の一隻ずつに配置すれば大声だけで連絡が取れるのではないかと思われるほど、音波を吸収するのに適しているらしい。


 「……キダバ・グナンゼウ君。非礼ではない、と言ったかね?」


 グナンゼウは慌てて釈明した。


 「い、いえ。ただですね、その、畏れ多くも皇女殿下が寛大な御心で名を呼ぶのをお許しになられているのですから、それは非礼に値するのかと疑問に思いまして」

 「……ふん、獣族が。人族様の常識は到底理解できんか」


 部長の言葉を皮切りに、軽蔑の笑いが会議室に満ちた。やれ、これだから獣族はだの、そういえばクレイリアは歴史係として奴と関わっていたが今回の件その所為ではだの、誹謗中傷だらけである。

 ただし、グナンゼウに全く気にする風は無かった。辺りを見回して、さも不思議そうに言った。


 「……ところで部長」

 「なんだ」

 「いったいどうするので?」


 全員がグナンゼウを見る。グナンゼウは続けた。


 「いや、てっきり私はここは皇女殿下が呼び捨てにされている事態を解決するための場だと思っておったのですが……あ、違いました? 申し訳ありません、なにぶん獣族の脳みそですので」


 バツが悪そうに、室内の全員が一斉にそっぽを向いた。部長が咳払いした。顔が赤い。


 「う、うむ。主任――ああ、第一学年のな、君は取り敢えず報告書を上に提出できるよう纏めてくれ給え。受け取り次第、学園長に提出する」

 「もし、却下されれば?」


 グナンゼウの問いに、彼をギロリと睨みつけながら部長は答えた。


 「諦めはせん。そうしたら、直談判に行く。ああ、グナンゼウ君」


 部長は、睨みつけたままニヤリと笑うという高等技術を駆使した。


 「君は、クレイリアとか言う生徒について詳しいだろう?君にも、クレイリアの担当として話を述べてもらおう。直談判の際には君にも付いてきてもらうからその時は是非宜しく」

 
 結局、学園長は報告書に目を通した上で部長の進言を却下。かくして直談判と相成り、グナンゼウは暇を持て余しつつ平行線を続ける学園長と部長を見る羽目になったのだ。













 「報告書で読ませてもらったがね、部長」


 学園長は、若干いらついていたらしい。普段は温厚なはずの学園長は、若干語気を荒らげた。


 「なんでも、皇女殿下は自ら名を呼ばせることをお許しになられたとか。従わないなどという方が、よほど帝族の方々より与えられた名誉を無下にする事と私は思うがね。むしろ、君の言うとおり我々が高圧的にそれを妨害する方が、よっぽど社会の規則に反しているように思えるのだが」

 「それは……」


 痛いところを突かれたらしく、一瞬返答に窮した部長だったが、すぐさま別の切り口を見つけた。


 「……そうです。まさにそのとおり、皇女殿下はそう仰いました。それは、素晴らしい名誉の賜与でございましょう。ですが!」


 言っている間に少しばかり熱くなりすぎたと感じたらしい。一拍だけ息をおいて、部長は続けた。


 「帝族の方々も仮にも人族ともあれば、間違いを犯さぬことこそ無理な話。そして、帝族の方々がもし間違いを犯したのであれば、それを即座に指摘し、以て帝国を安寧に導くのが臣下の務めでもございましょう」

 「……何が言いたいのだね?」

 「名誉の賜与そのものが、間違いではなかったのか。そう申し上げたいのです、私めは。そもそも帝族の方々が御名を賜うのは、帝国に功あるものか、親しい者たちのみ。それを逸脱する行為であれば、間違いと考えて何ら問題は」

 「無いな、確かに」


 学園長は、手拭きで額を拭いた。残暑のまだ厳しい季節である。


 「だが、部長。君は一つ、大きな思い違いをしている」


 机に置かれていた茶を飲んだ。しばらく前に入れられたものだろう、完全に温くなっていたらしい。学園長は思わず顔を顰め、そのまま茶器を手で弄んだ。


 「君、学園は確かに社会生活の規則も学ばせるのが義務だ。だが、それは各家の信条まで入り込むことだけは無い。これが、教職員に無礼を働いたのであれば、我々は例え相手が帝族の系譜に連なるお方でも容赦はせん。だが、御名を賜る者を選ぶ基準は、帝族の、現帝陛下の一存である。どうして臣下たる学園が、畏れ多くも皇帝陛下の信条に干渉できようか」


 上手いな、とグナンゼウは思った。見事に、部長の追求を躱した。うん、上出来だ。これで、少なくとも学園側からあの特別学級にはびこる自由と平等の精神を弾圧することは不可能になる。そう、完全に連中の勝利だ。だが。


 「……では学園長。せめて、このような事が起こったということだけは、宮廷にご報告するのが上策かと思いますが?」

 「そのとおりだ。早速、私の名で宮廷に――アレハンドロ二世陛下に奏上文が渡るよう、手配しておこう」


 部長は、恐らく彼自身の信条から出てくる特別学級の現状への嫌悪を解消するためにことを宮廷の問題にしようと試みたが、学園長はその報告を現皇帝・アレハンドロ二世に提出することで矛先を上手く逸らしたようだった。何か、接点でもあるのだろうか? とグナンゼウはなおも思考を巡らせる。確かにアレハンドロ二世は開明君主として内外に知られているが、自分の娘の粗相――グナンゼウは、今回の件は帝族にとって粗相されたに等しいと断定していた――を笑って赦すほどとは思えない。ひょっとして知り合いなのだろうか。いや、それはいい。

 問題は、どうして学園長がクレイリアをここまで庇うか、だ。初期の反論も、どうにかしてクレイリアから話題をそらそうとしていたという点も気になる。自分が直接学園に誘ったから、経歴に汚点を残したくない? そうであったとしても、むしろ庇ったほうが汚点は染みでは済まされない大きさになるような気がする。なら、何故なのだろうか。


 「それでは私はこれで」

 「ああ、今日は報告をありがとう、初等部長」


 見れば、部長は憤悶に顔を赤くして、連れて来ていた職員、早い話が部長の側近を従えて出て行った。バタン、と扉が閉まる。

 ………。

 グナンゼウは、考え事に熱が入りすぎてしまった。集中すると、周りが見えなくなるというのが子供の頃からの評判である。

 つまり、グナンゼウは学園長室に一人取り残されてしまったのだ。

 これは、気まずいなぁ。

 取り敢えず、そそくさと退室しようとする。もともと、来るのでさえ乗り気ではないのだから、用が済んだらさっさと退室するのはあたりまえである。戸の取っ手に手がかかり、彼はそれを回して……。


 「ああ、君。確か……グナンゼウ君だったね? まぁ、掛けたまえ」


 外に出ようとした瞬間、彼にとっては文字通り雲の上の人間が、彼を呼び止めていた。

 さて、どうしたものか。

 たっぷり十秒は固まってから、ようやくグナンゼウはそれだけ考えた。もちろん、一教員が学園長に呼び止められる理由もなければ、彼がこの場に残らなければならない理由もない。全く意味が分からない。

 困惑で固まっているグナンゼウをよそに、学園長は秘書を呼んだ。茶を二杯、水出しの、茶葉は秋津皇国の作東産の物を使ってあるものだ、と指示する。グナンゼウの記憶が確かならば、作東産の緑茶は確か最高級に属するものだった。

 グナンゼウは、大人しく降伏することにした。来賓用の長椅子に座る。彼のような貧乏人には、逆立ちしても味わえないような上等な物だった。


 「さて、君は確か歴史教諭だったね」

 「……ええ、まぁ。そうですが」


 本当に素早く二杯の水出し緑茶が机に置かれた。学園長は、それを美味そうに飲む。グナンゼウもつられて飲んでみた。……冷たい。氷を使って冷やしているな、と直感した。味は……残念ながら、グナンゼウは自分の舌に自信がないが、ともかく美味いということだけは解る。


 「どうなのだい? クレイリア――今日の議題に上がった問題児は?」


 学園長は、微笑を浮かべた。グナンゼウは、あーいや、そのですねと少し濁らせて、言うべきことを纏めてから堂々と言った。


 「ええ、はい。好奇心に優れて、向上心に溢れ、とてもとても優秀な――」

 「質問に付け加えよう。忌憚ない意見を頼むよ」


 グナンゼウは唸った。社交辞令的なことは聞きたくないらしい。

 檻に捕えられた獣族教師には、学園長の真意が全く分からなくなった。いったい、何を期待してるんだろうか。

 そのまま再び十数秒。学園長が口を開いた。焦れたらしい。


 「ああ、グナンゼウ君。流石に、あれの異常性には気づいているだろう?」


 ああ、そういうこと。グナンゼウは納得した。


 「……少なくとも、私が小学生の頃、あそこまで突飛な思考が回る者は居りませんでしたよ」

 「奇遇だな。――私もだ。無論、自身も含めて」


 学園長は、破顔した。「初等部長の言い草など聞いていると、誰もそれに気づいていないように思えてならなくてね。余りに気になったものだから、丁度君という存在もいたことだし、渡りに船とばかりに聞かせてもらったんだよ」


 「いえ、気づいているのはもう一人ほど。国語科の担当もですな」

 「国語科? 何か、あれと接点でもあったかな?」

 「怒鳴り怒鳴られの関係です」


 学園長は、ますます笑いを大きくした。


 「そいつは結構! 大変元気があってよろしい! まぁ、その国語科の教師君には悪いがね」

 「それで、学園長。一つお聞きしたいのですが」


 この際だ、とグナンゼウは思った。直接、学園長に聞いてみても問題はあるまい。彼は疑問を残すことを潔しとしない性格だった。


 「何だい? 出来る限り答えられればいいのだが」

 「学園長がクレイリアを庇われたのは、どうしてですか?」

 「……どうしてだと思う?」

 「少なくとも、自分の栄達を目指そうとしているわけでないことだけは。……あいつは癖がありすぎます。私が言えた義理でもありませんがね」


 学園長は、一飲みで残っていた緑茶を飲み干すと、ゆっくりと声帯を震わせた。


 「……クレイリアは、面白い子供だ。いや、或いは子供ですら無いのかもしれない。そういう雰囲気がある」


 グナンゼウは、頷いた。


 「なぁ、グナンゼウ君。そんな子どもが、そうやすやすと生まれてくると思うか? 私はそうは思わない。あれは、十年に、いや百年に、もしかすれば千年に一人生まれるか生まれないかの大天才なのではないか。そう思えてならんのだ。ならば、それ相応の舞台というものもある」

 「……つまり、学園長は監督たらんと?」

 「面白いたとえだが、少し違う。私はそんなに上等なものではない。化粧係だ。あの天賦の才を、より引き立てるためのな」


 根っからの教育人だ。グナンゼウは断じた。それも、教育する義務感と同等に、教育することを楽しんですら居るようにも見えた。


 「チャールズ・クレイリアが、将来なにになりたいのか。何になれるのか。そんなもの、私は知らない。だが、一つだけ確かなのは、あれが例え政治家になろうと、学者になろうと、商人になろうと、思考の柔軟性はきっと面白い成果を生むと思うのだ。私は、それがどのようなものか見たくて仕方がない」


 学園長は、満足そうに一礼した。「ご清聴、どうもありがとう」


 「……なるほど、ようやく納得できましたよ。あなたが入れ込むわけです」

 「……何かもう一つ、聞きたいことがあるのではないかな?」

 「なぜ私は呼び止められたので?」


 学園長は笑った。


 「その様子では、気づいているね」

 「……クレイリアの特異性に気付いた人間に、あれの才能を潰さないよう徹底させる」

 「ご明察」


 学園長は、真剣な顔に戻った。


 「さて、グナンゼウ君。私のお願いは、果たして聞き入れてもらえるのだろうか」


 グナンゼウは、未だ半分以上残っていた緑茶に手を伸ばすと、全て飲み干した。風通しがいいとは言え、少しばかり暑い為に掻いた汗を手の甲で拭う。表情を消して、答えた。


 「少なくとも、こちらから好き好んで潰そうとはしませんよ。幾らあの才能とは言え、たかだか十歳にも満たない子供相手に嫉妬するほど成長していないつもりではないですよ」


 学園長は、顔を顰めた。


 「……なにやら、含みを感じる言い方だが」

 「私は、私が正しいと信じる歴史を教えるまでですよ。それ以外のことは、何も考えませんので」


 学園長の目が細められた。


 「……君は、いったいどんな信念を持って教職に当たろうとしているのかね?」

 「言ったとおりです。自らが正しいと信じる歴史を誠心誠意を込めて教える。それ以上も以下もないです」


 厳しい表情のままの学園長に、グナンゼウは自嘲の笑みを浮かべた。


 「……貴方のように、尊敬に値する教育人には不快かもしれませんが、私がこの職を目指したのは成り行きという奴でして。本当なら、研究職志望だったんですよ。自治区大学の」


 こと人族帝国で、自治区といえば、ノメリア自治区を指し示す。他に自治区など無いからだ。

 学園長は、記憶の奥底を捲った。そこには、珍しい獣族の歴史教師についてのリストがあった。ああ、なるほど……。


 「……わかった。済まないことを訊いたかな?」

 「いえ、過ぎたことですので」


 グナンゼウは獣族らしい軽快な動きで立ち上がると、一礼して扉へと手をかけた。学園長は、その後姿に声を投げかけた。


 「グナンゼウ君、一つ忠告だ」


 グナンゼウが振り向いた。学園長は、努めて厳しさを醸し出しながら、宣告した。


 「舐めて掛かると、必ずと言っていいほど面倒が起こる。それだけは心に止めておきなさい」


 獣族教師は再び礼をすると、廊下へ向かって歩き出した。

 なお、人族帝国皇帝・アレハンドロ二世は、後日送られてきた親愛なる学園長からの奏上文に目を通すと、側近の目もはばからずに大笑いした後、第四皇女の件について「学園に一任する」と直筆で手紙を一通したためた。



























 七月二十日










 やっぱり、祭りをやるんなら天気がよくなきゃ。

 未だに夏の暑さを置き土産にしている代わりに、今日学園祭を行うこの日は快晴だった。雲ひとつ無いとは言えなかったが、むしろアクセントになって良い。

 辺りには、人・人・人……。学園職員・教員・生徒・大学部の生徒でもスカウトしに来たのか、やけに似合わない礼服を着た連中で溢れていた。

 僕は、少し笑った。誰も、この人の海の中に、自分たちが敬うべきと教育されてきた人間が二人ほど混ざり込んでいることに気づかない。なんというか、子供の頃、つまらないイタズラを成功させた時の感覚に似ている。特に、意味など殆ど無いって言う点において。


 「おい! クレイリア! おそいぞ!」


 ふと、前方から聞き慣れた少女の声がした。僕は、慌てて叫び返した。叫びでもしないと、雑音でかき消されてしまう。


 「ごめん、マフィータ! ちょっと人の流れが……うわぁ!」


 言っているそばから、人の奔流に飲み込まれる。と、僕の細い腕がガシッと掴まれた。強引に引っ張られ、目標の方向へと抜ける。


 「ったく、だからはなれるなって言ったのによ」


 レンスキーが、ため息をついた。小一に助けられる羽目になる自分に落ち込むが、どう仕様も無いと諦めた。もっと外に出て運動しておけば、と中高年のおっさんみたいな後悔はなんどもしてるけど。

 それを向こう側で微笑ましく(?)見つめていたのはルイとリウだった。尤もリウとは、「皇女殿下は誘わないってやくそくを破ったんだからな? オゴリだ、オゴリ」との楽しい仰せの後、実際に何本か出店で売っていた魚の塩焼きを奢らされているから、そっちの期待があるんじゃ無いかと勘ぐったけど。

 そう。あの後、僕はマフィータも学園祭を一緒に回ろうよと声を掛けた。散々嫌味を言われ、「私は大学部と高等部どちらもいきたい」と事前計画を全てぶち壊されるというアクシデントこそあったけど、まぁお陰で今のところ楽しい学園祭日和って奴になっている。

 ただいま現在は、取り敢えず小腹は満たしたから、大至急で大学部の研究展示発表の会場へと向かっている所だ。


 「よし、それじゃあ、さっさとぜんぶ回っちゃおうか!」


 ルイが楽しそうに大学部に向け、人ごみをかき分けずんずんと進んでいく。ここだけは大貴族というべき不遜さの為、ルイの後ろには道ができる。僕たちは、これ幸いとばかりにその安全スペースを歩いていった。


 「うん、出店とやらも、なかなかおいしいものが多かったな。特に、名前はわすれたがあの大衆魚がおいしかった」


 マフィータは、満足そうに独りごちた。祭りが物珍しいのか、爛々と輝かせた目を忙しなく周囲に遣っている。

 ……何か、またせびられそうだった。さして多くはない僕のお小遣い――約150ルーレ。感覚的には、日本円で千円ほど。自由に使えるお小遣い(他は生活必需品とかで使えない)を全部引っ掴んできた――は、もうすっからかんに限りなく近づいていた。ちなみに、さっきの大衆魚とやらの塩焼きは、僕が奢らされてる。……あれ? これってパシリ?

 いや、何事も気の持ちようだ。多分。そう信じこむことにして、僕は財布の中の残り金額を再び確かめようとポッケに手を入れた。別に、なんども見たからってどこからかお金が沸いて出るようなことはないけど。

 ところが、財布がない。おかしい、確かに右ポケットに入れておいたはずだけど……。慌てて、左のポケットにも手を伸ばす。安堵した。そこには、財布らしい膨らみがあった。さっき取り出したときに、逆のポケットに突っ込んでしまっていたらしい。

 慌てていたのが取り越し苦労で、少しばかり決まりの悪くなった僕は、乱暴に手をポケットに入れた。と、何やら財布とは違う感触がする。何だ、こりゃ。

 どうやら布らしい、手触りの良いそれを、僕は無意識のうちに摘み、取り出した。ピンク色の布だ。上質なシルクか何かで出来て……。

 ………。


 「……おい、クレイリア。それは、私の手拭きのように見えるのだが?」


 前方から、悪魔の声がした。

 不味い! そういえば、あの時拾ったマフィータのハンカチ、返すのをすっかり忘れてた!

 見れば、マフィータは顔に薄く笑いを貼りつけていた。慌てて弁解する。


 「い、いや、あの日に偶然落ちてたのを見つけてさ、すっかり返しそびれちゃってたみたいで……」

 「ふぅん……」


 これは、確実に、僕をいじる気しか無い。僕は、思わず顔をひくつかせた。しかし、救いの手と言う奴は、割とすぐに手を差し伸べてくれるらしい。


 「マフィータ? クレイリア? なにしてるんだ?」


 遠くから、レンスキーが呼んだ。気づけば、再び距離が離れていた。

 マフィータは、ジト目で僕を一睨みしたあと、何食わぬ顔で前へと進む。なんとか助かったのか?


 「……マフィータ、忘れ物」

 「……帝族の物をうばうと、げんばつなのだが」


 等ということを、嫌味ったらしく言うつもりだったらしい。もちろん、謝辞はない。忘れていた自分が悪いとは言え、若干不満もある。

 その思いは、顔に出てしまったらしい。マフィータは苦笑して、小さく呟いた。


 「……ありがとう、でいいのだな? ともだちだと」

 「ありがとう、でいいんだよ。……マフィータなら、そのまま引っ掴んで行ってもそれはそれでらしいけど」

 「私がれいぎしらずみたいな言い方だな」

 「友達としての冗談だよ」


 唸るマフィータを置いて僕は、焦れたように再び声をあげ始めた仲良し三人組へと歩を進める。マフィータも、暫く唸り続けたあと僕に続いた。空は、快晴。陽光は、誰をも隔て無く照らす。

 つい先日までは、思っても見ない日だった。みんな楽しく。幻想だからこそ、実現困難だと思われたそれは、やけに簡単に自分の目の前に舞い降りていた。終始楽しげな一日。終始楽しい一日。

 弁明すると、こんな楽しい日は、楽しまなきゃならない。そんな思いから、僕は僕たちに関する情報を意図的にシャットアウトしていた。これは、この時までの状況から考えて当たり前だった。そう、信じたい。

 当然、僕は気にもとめていなかった。辺りで囁かれる、とある噂のことを。

















































































 おい、聞いたか。


 ああ、聞いたぜ、俺も。


 おい、聞いたって何の話だよ。


 お前、知らねぇのか? 戦争だよ。秋津と連合王国がやらかしやがった。


 ……本当か?


 ああ、何でも秋津が先におっぱじめたらしいぞ。


 馬鹿言うな、おっぱじめやがったのは連合王国が先だ。俺の親父、秋津がお得意様なんだよ。


 聞いた話だと、帝国も動くらしいぞ。


 戦争か?


 解らん。とにかく、帝都報知じゃ、大安京でうちの国の大使が動いたとか何とか――。














































































 あとがき



 どうも、作者です。


 全く切れのよくないところで話が終わって、もう一ヶ月になります。更新遅れてほんとにすいませんでした。……まぁ、作者は内心、下手すると10月にもつれ込むんじゃないかと戦々恐々としていたので、安堵の気持ちで胸をなでおろしていたりするんですが。


 11月には修学旅行、その前に模試と定期試験三昧と、正直このままだと更新遅すぎて忘れ去られてた、なんて状況になりかねませんでしたので。え? もうなってる?


 更新遅れの言い訳はまぁどうでも良いとして、物語は漸く、本当に漸くここまで辿り着くことができました!


 正直、急場で構築した学園編とでも言うべき第一章の中で、この一連の話だけは最初期にプロットに練りこまれてました。というか、学園編なんかやらなくても、この話だけは入れてました。


 途中、やら日常編だなどと変な色気出してなければ、夏休み前に投稿が終わっていたかも知れませんが、今となってはいい思い出、ということにしておいてください。


 さて、そしてこれからはクレイリアの海洋冒険ライフが……え、まだなの? まだ続くの? 第一章。


 ………。


 というわけで、コメント返しです。




 >>ヒーヌ氏、REN氏、立夏氏


 更新遅れて本当に申し訳ありません。ご期待通りの出来だといいのですが。



 >>名水氏


 主人公の回りくどさ。やはり、どこか年長者ぶっているからなのでしょう。多分。



 >>sg氏

 
 リッペポットとは、こんな感じの決着を迎えました。

 
 結局、リッペポット君は頭が悪いわけでもないのです。仮にも帝国八公爵家の一員ですから。念のため。


 あえて例を挙げると、頭がよくそれなりに損得勘定の出来るランズベルク伯アルフレッドみたいなのですね。



 >>このよのさん氏



 ま、マジですか……。


 実は作者、最高で十五回連続あいこくらいなら二三回経験があるので、だったら二十回くらいなる人も居るだろうとたかをくくっていたのですが……まさか34億分の一とは。


 ああ、そんなことに運使ってないでおとなしく宝くじでも買っておけば良かったw 



 >>たけのこの里氏



 正直、どんなに進歩的な貴族の家に生まれても、俺様えらいんだぞ思想を十にも満たないうちから捨てるのは難しいのではないかと、作者はそんな風に思っていますので。


 ちなみに作者、腐れ縁とか幼なじみとか大好物です。具体的にはドラクエ5で迷わずビアンカを嫁に選ぶ程度に。



 >>なんか氏



 やっぱりヘタレてますよねー。


 もうちょっと格好良く書きたいんですが、どうも物語の主人公に作者の思考(主にヘタレなとこ)が入りすぎてる点は、今後の課題です。下手すると、メアリー・スー化しそうだしなぁ。


 今回からは、もっとこうビシバシ決断できる主人公を!







 そんなわけで、主人公周りの人間関係が一挙に解決し、反対に教師陣の間に何事か起こりそうな様相を呈してきた学園模様。


 次回は、一挙に戦争へとなだれ込んだ秋津皇国の話を、それが終われば、約二年後、初等部三年生となった主人公たちの、新たな面倒事をお送りする予定です。


 それではまた次回。更新は……10月中には、何とかしたいです。(ああ、ヴィクトリア2買いたい。トロピコ3も買いたい。Civ5ももちろんやりた……ゲフンゲフン)


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