*前書き*
最近このArcadiaに通い始め、投降されている作品を読むうちに、はるか昔に作ったキャラクター達の事がふと思い出され、
いい機会とばかりにデータをサルベージして手直ししつつ投稿してみることにしました。
拙い作品ではありますが、ご覧になる方々のホンの暇つぶしにでもなれば幸いです。
それでは、御用とお急ぎでない方はしばしお付き合い下さい。
prologue
かつかつと不規則なリズムで、チョークが黒板を叩く硬い音が響く。そして、そのリズムに乗るように中年の男性の声が教室内を流れてゆく。
「――この流れによって、ようやく教皇のバビロン捕囚と呼ばれた状況は終わりを告げるわけだ。それに伴い、当時の教皇グレゴリウス十一世は、教皇庁の復権を知らしめる意図から、大々的に声明を発する事にしたわけだ。内容は、当時最も世界で興味がもたれていた事柄である、魔法の衰退に関して。『魔法は既に実用に耐えない技術であり、それに頼らぬ世の中を作るべきだ』という内容だな」
教室の窓際、後ろから三番目の席に座る早坂優太は、同じく教室内のとある一点に視線を奪われていた。それは本来ならば学生であるところの優太が当然注視しているべき黒板ではなく、彼の席から前に二つ、右に三つの席に座る、昨日まではクラスに存在しなかった一人の女生徒である。
「だがこの声明については、既に一三五六年、カール大帝の金印勅書の中で同じような方針が語られていたために、世界史的にはあまり重要視はされないな。ただ、声明の翌年、グレゴリウス十一世が逝去した事を発端に、この声明に異を唱える一派がもう一人の教皇を立て、いわゆる大シスマの時代に入るきっかけになった事は覚えておくといいだろう」
現在時刻は丁度正午を回ったところ。四時間目の授業もそろそろ佳境に入ろうかという時間帯である。いつもなら、空腹を抱え始めた生徒たちがそわそわとし始める頃合いなのだが、今日は教室の雰囲気そのものがピンと張り詰めており、しかし生徒たちが授業に集中しているかと言えばそういう訳でもなかった。
敢えてそちらへ視線を向けるものは少数だが、教室内の意識は、優太も先ほどから気にしているただ一人に対して向けられている。
その彼女はと言えば、周囲の関心に気が付いていないのか、それともそもそも関心を払っていないのか。彼女がこの教室でこの日とった言動からすれば後者の可能性のほうが高そうだったが、ともかく周囲からの視線や意識をその流れるような金髪で遮断し、宝石のような碧眼から中世ヨーロッパにおける魔法の衰退とその社会的な影響を語る世界史教師に親の敵でも見るような視線を向けたまま、身じろぎ一つしない。
優太はふと、その彼女から少し離れた席に座る、別の女生徒へと視線を向ける。亜麻色の髪と瞳の、優太にとってはここ十数年の間ほぼ毎日見てきた見慣れた横顔は、教室の一角から発せられる威圧的かつ不機嫌な雰囲気にも全く動じていないように見えた。
――まあ、今回のことの仕掛け人だろうし、当然といえば当然なのかなあ……。
今後の学校生活に微かな不安を覚えつつ、優太は一人密かにため息をついた。
発端はあるのどかな秋の日の放課後、優太がのんびりと下校しているときの事だった。隣にはいつものように、同じクラスの女子、ルル・レイセスがいる。英中のハーフで、出会ってから十三年間、ほぼ毎日一緒に過してきた、いわゆる幼馴染という間柄だった。
そんな二人が、今日の学校での出来事などについての話題に花を咲かせながら家路についていると、会話の途中でルルがふと立ち止まり、形の良い眉をひそめた。かと思うと、
「優太、ちょっとじっとしてなさい」
語気鋭く発したそんな言葉と同時に優太は襟首をつかまれ、進行方向とは反対側へと思い切り引っ張られた。ワイシャツの襟がしまり、一瞬息が詰まる。
ぐえ、とカエルが潰されたような声を漏らした後、一言抗議しようと自分の左手側を歩いていたはずのルルに向かって向き直ろうとした時には、彼女は行動に移っていた。
優太より二センチ背の高い後ろ姿が、背中の中ほどまで伸ばした亜麻色の髪を揺らして前方へと躍り出る。
そのまま制服のスカートを一瞬めくり上げると――優太は条件反射的に目を逸らした――太ももにくくり付けられていたホルダーから指揮棒のようなものを引き抜き、
「はっ!!」
短く叫び、すくい上げるようにそれを振るう。その瞬間、優太がルルの行動に疑問を挟む時間すらなく、それは起こった。
石と石をぶつけ合ったような硬い音が辺りに響き、ルルの眼前の空間が水面のように波紋を描く。二度、三度、四度繰り返されて、その現象はようやく収まった。
優太はといえば、ルルの背後で目の前の出来事に理解が追いつかずにただただ呆然としているのみだった。
優太の位置からはルルがどんな表情をしているのかは見えなかったが、やがてルルの正面、揺らめいていた風景が元に戻ったと同時に彼女が振り返る。優太の方をちらりと窺ったその横顔を見て、十三年の付き合いの経験からかなり機嫌が悪そうだと優太は判断した。
そんなことを気にしていられる自分の思考に優太は少し落ち着きを取り戻し、ともかくいきなり訳の分からない行動に出て、訳の分からない事態を引き起こした幼馴染に声をかける。
「ねえルル。今のってなんだったの?」
問われたルルは、すぐには答えず、先ほどの棒を胸の前に構えたまま、普段からややきつめの目つきをより険しくして油断なく辺りに視線を飛ばしていたが、やがて再び、ちらりと優太の方を窺う。わずかに眉尻を下げたその表情を見て、
――あ。なんかルル困ってるなあ。
そんなことを思い、再度同じ質問をするべきか否かを優太が心中で検討していると、
「さっきのはね、魔法よ。優太」
周囲への警戒は解かぬまま、ルルは優太の目をひたと見つめて言った。
「魔法?」
オウム返しに問う優太に、そう、魔法よ、とルルは頷く。
「え? でも、あれ? いや、確かにあんなの魔法でも使わないとムリっぽいような気はするけど、でも、えっと、ほら、魔法って確か……」
確か、世界史の教科書。おそらく明日辺りに授業に出る部分に魔法に関する記述があったような気がする。混乱しながらも記憶の糸をたどる優太の言葉をそうね、とルルが引き取る。
「大体六百年と少し前かしら。その頃に教皇庁とか神聖ローマ皇帝とかが魔法の廃棄を公式に宣言してるわね」
「でも、ルルはさっきのを魔法って言ったよね……?」
優太のその言葉に対する答えは、ルルから発せられたものではなかった。
「つまり、全世界的に魔法は衰退してそのまま廃れてしまいましたが、ごくごく少数の力ある魔法使いによって、細々とですが現代まで生き残ってきた、ということですわ」
いつの間にそこにいたのか、長い金髪と青い目の少女が優太と向かい合うルルの背後に立っていた。少女は、何処かルルに通じる印象のあるつり上がり気味の目を細め、唇の端をにい、と曲げる。実に攻撃的な笑顔だった。
「お久しぶりですね、大魔女さん? とは言ってもわたくしからすればほんの一週間ぶりというところですが。……まだこの国にいらっしゃるとは思いませんでしたわ」
明らかに日本人ではない外見ながら流暢に日本語を操る少女に向かって振り返り、不機嫌さを隠そうともせずににルルが対応する。
「できるならもう一生あなたとは顔を合わせたくはなかったんだけど、ね。ベアトリス・タルボット。封印を解いて二日と経たないのに襲撃してくるとは思わなかったわ。せっかちだこと。……それとも余裕がないのかしら?」
「はっ。馬鹿なことを。封印は解けました。わたくしが封印された場所に張り巡らせてあったトラップも突破して参りました。なかなか厄介でしたが、わたくしは無傷。以前のあなたの力量と、あの厳重さ、陰湿さからして、必殺を期した罠だったはずでしょうに、ね。そちらの手口も前回やりあった時に見せて頂きましたし、押し勝つ自信もあります。加えて先程の防御を見ると、随分と腕が落ちていらっしゃるご様子。――さて、余裕がないのは、貴女でしょうか、わたくしでしょうか?」
ベアトリスと呼ばれた少女の言葉に、ルルが息を呑むのが表情の見えない優太にも伝わってくる。
二人の会話の内容は優太には全く理解できないものだったが、それでも分かることはある。 突然現れたベアトリスなる少女は、どうにもルルとはかなり険悪な間柄であるらしい。そしてどうも、ルルのほうが不利な立場に立たされているような雰囲気である。
そこまで考えが及ぶと、その認識が優太を動かした。優太の行動に気づいたルルが制止しようとするのにも構わず、ルルを庇うように二人の間に割って入る。
「なんですか、あなたは?」
いかにも邪魔臭いといった風にベアトリスがその青い目で優太を睨め付ける。思いがけず迫力のあるその視線に一瞬気圧されそうになったが、こちらも視線に力を込めて見返す。
「そっちこそ誰ですか。いきなり出てきて魔法だとか魔女だとか。何だかルルにケンカ売ってるようなことも言うし」
ベアトリスは険しい眼差しの優太をしばし無遠慮に観察した後、優太の肩越しに、ルルに向かってにやりと笑う。
「これはまた随分勇ましい騎士様をお連れですこと。ファミリアの類にしては何も知らないようですし、さては大魔女様がその容姿で誘惑なさったのかしら? ……まあ確かに前回よりは年下ウケしそうな格好ですものね?」
先ほどと同じく内容自体はよく理解できなかったが、明らかに馬鹿にした台詞に少しムッとした優太が一言言い返してやろうとした時、ルルの手が肩に置かれ、
「いちいち余計な口数が多いわよ。無駄話がしたいだけならさっさと国に帰りなさい。そうでないなら相手をしてあげるから、やっぱりさっさとかかってきなさい」
言いながら、ルルは優太の肩に置いた手に力を込め、自分とベアトリスの間から優太をどけようとする。
「ちょっと、ルル、僕は……」
「優太。あなたはもういいから帰りなさい」
髪と同じ、亜麻色の瞳をベアトリスへと固定したまま、有無を言わさぬ口調でルルは告げた。優太が反論しようとしたが、その気配を察したのか、畳み掛けるようにルルがさらに言葉を重ねる。
「今日、何が起こったのかは後できちんと説明してあげる。絶対に、よ。だからこの場は帰りなさい。私は大丈夫だから」
そう言うルルの態度には、明らかな焦りが透けて見え、そしてその事に優太は少なからず驚いていた。
ルルは、常日頃から年に似合わぬ落ち着きと老成した雰囲気を纏う少女だった。そのルルが、これほど焦燥を露わにするところを優太は見たことが無かった。
「でもルル……」
「いいから!」
優太の言葉を最後まで聞かず、もはや強引に優太を押しのけてルルはベアトリスと対峙し、行動に移っていた。何事かを呟き、手に持っていた棒――彼女が魔法使いだというのなら、それは杖なのだろうか――を横薙ぎに振るう。
ルルの周囲、数箇所で風景が歪み、その歪みがベアトリスへ殺到する。が、彼女が豊かな金髪の中から引き抜いた、ルルのものとよく似た杖を振り下ろすと、その全ては消え去ってしまう。
「優太! 何をしてるの早く行きなさい!!」
歯噛みして叫ぶルル。だが、優太はどうしても逃げ出せない。状況についていけないというのも無論ある。が、それよりもルルを置いて逃げ出すと言う選択肢をとることができずにいたからだった。
そんな優太の状況を見て取り、ルルは自分自身が動くことで優太を遠ざけた。
が、ルルは、前方にベアトリス、後方に優太を置く位置にいた。優太から遠ざかろうとすることは、即ち――。
「いい度胸ですわ! こちらに突っ込んでくるとは!」
唇をはっきりと笑みの形にして、ベアトリスが手に持つ棒を振り上げる。
優太に背を向け、ルルはそのベアトリスに向かって一直線に駆けていく。
それが何もかもを無駄にする行為かもしれないと思いつつも、優太はルルの背中を追う。
そして、ベアトリスが杖を振り下ろし、
濡れた布を地面に叩きつけたような音が起き、
「ぐっ……!?」
くぐもった声を漏らして
ベアトリスが倒れこんだ。
「……え?」
たっぷり十秒ほど固まった後、優太はそんな声を挙げた。
頭の中は状況の変化についていけず真っ白だが、敢えてその心中を表すなら、
――さっきまでのピンチっぽい雰囲気はなんだったの!?
と、いったところか。いやに焦った様子で自分を遠ざけようとしたり、遮二無二突っ込んで行ったりと、どう考えても追い詰められているような素振りだったのに。まあ、ルルが無事であるのは優太にとって喜ばしいことではあったが。
そんな優太に向かい、先程までの険しさなぞどこ吹く風といった余裕を漂わせてルルが微笑む。
「さ、これでもう大丈夫よ。心配かけてごめんなさいね、優太?」
「え? あ、うん。なんだかよく分からないけど、無事で良かったよ、ルル」
まったくね、と笑顔で同意しながら、うつ伏せに倒れているベアトリスの襟を掴んで引きずりながら、優太の方へとルルがやってくる。
「……し、絞まる……」
かすかな声は、ルルに引きずられているベアトリスのものだった。
「あらしぶとい。気絶させる気だったのに」
「っていうかルル。襟を持って引きずるのはちょっと酷いかもと思うんだけど……」
それぞれにそんなことを言う優太とルルを、思うように動かないらしい体で何とか見上げるベアトリス。その目には強い怒りと疑問が見え隠れする。
「……な、なんで、いきなり、わた、くしの魔法、が、使え、ないよ、うに……?」
喋るのにも苦労するのか、切れ切れに言う。
「あなた、自分で言ったでしょう? 封印が解けたら厳重かつ陰湿に、必殺を期した罠が張ってあったって。まさにその通り。あの場に仕掛けた罠はここ数年かけて凝りに凝って仕掛けたものよ。一つ一つにも十二分に威力があり、なおかつ、破られた場合には完全に回路が破壊される前に自壊して、お互いの回路を繋ぎ合わせて対象の……つまりあなたの中に最後にして最大の罠を仕込むの」
「な、な……?」
ぱくぱくと口を開閉させながら、言葉にならない驚きの声を漏らすベアトリス。そんな彼女に対して、ルルは空いた手の人差し指をピンと立て、講義口調で語りかける。
「効果は魔力の封印。寸前まであなたが封印されてた場所での仕込みになるから、同系統の魔法に対して多少の支援効果も狙ったわね。で、仕込まれた罠は、鍵となる私の魔力を浴びた後、あなたが魔法を使うと発動するわけ。この条件を満たすために、あなたに攻撃魔法をしかけて防がせ、私に確実な止めの一撃を入れたいと思わせる状況を作った、と。ちなみに、封印がすぐに発動しなかったのは、確実に私の前におびき寄せるためね」
ベアトリスはルルの説明を呆然としながら聞いていた。自分が完全に嵌められていたらしいと知って、言葉もないらしい。
また、優太も同じく呆然としている。これは勿論ベアトリスとは事情が違う。そもそも優太はルルたちの言う魔法云々の話に全くついていけないし、理解も及ばないのだが、それでも今のルルの話から一つ分かったことがあった。
「つまり……さっきのルルの『私は大丈夫だから優太は逃げなさい』っていうのは……」
ぽつりと零す優太から、ついと明後日の方向へと目を逸らすルル。
「ええと、大丈夫なのは間違いなかったし、一応魔法のやり取りはこの場で起きるわけだし、巻き添えが心配だったの。嘘はついてないわよ?」
「でも、明らかに焦って見せてたのは、全部演技なんだよね……?」
なおも明後日の方向を向きつつ、人差し指で頬をかいたりなぞしていたルルだったが、やがてくるりと身を回し、優太の肩にやんわりと両手を――ルルの足元で何か硬いものが地面に落ちる音と、ごべっ!? と異様な声がした――置く。
「優太、怒ってるかしら?」
「……怒っては無いけど……。いや、ちょっと怒ってたかも。すごく心配したし。魔法とか何とか訳分からないし……」
それを聞いてルルは両手を優太の頬へ持っていき、ふわりと笑う。
「心配かけてごめんなさいね、それとありがとう」
「あー。うん」
つられるように優太も笑う。流石に照れ臭くなり、目線をルルの顔から逸らして下に向ける。
そこには金色が広がっていた。先程ルルの手から落とされたベアトリスの金髪が地面に広がっていたのである。耳を澄ませば、く、屈辱です、わ……と呻いているのが聞こえる。
「……ルル。この人はどうするの?」
ルルは一瞬考えるそぶりを見せ、
「このまま放って置くと色々面倒ごとになりそうな気もするし、とりあえず私の家まで持って帰りましょう。優太にも色々説明しないといけないし」
そう言ってため息とともに、ルルは再びベアトリスの襟首を掴んで運ぼうとしたので、それはあんまりじゃなかろうかと思った優太は自分がおぶっていくと提案した。
それを聞いたルルはあからさまに不機嫌そうな顔をしたが、とりあえず承諾した後、優太には聞こえないようにベアトリスの耳元で囁く。
「そういう訳で優太があなたを背負っていくけれど、二重の意味で、妙なことをしたら命がないと思いなさい」