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[14323] 【習作】ネギま×ルビー(Fateクロス、千雨主人公)
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/01/09 09:03
「はじめまして、お嬢さん」

 突然の声に顔を上げると、虚空に浮かぶ女性がわたしに向かって微笑んだ。
 彼女は大仰な仕草でわたしに向かって頭を下げる。
 王を前に臣下がするように頭をたれる。
 だがその仕草に女王が凡夫を装うような違和感が付きまとう

「わたしの名前はカレイドルビー。もちろん異名で、実際は日本人。でもまあルビーで通しているからそう呼んでくれるとうれしいわ。座右の銘は、いかなるときも優雅たれ」

 よろしくね、と彼女は続け、
 わたしは声も上げられずにそれを見る。


 プロローグ 運命との会合


「どうしたの、そんな顔して。お口を閉じたら。かわいい顔が台無しよ。――――あらあら、そんなに驚いて。怖い? 恐ろしい? それとも本当は嬉しかったりするのかしら。未知との遭遇にロマンを感じられる人なのかな、あなたって。それともやっぱりそんな事実は知りたくはないと思うタイプなのかしら。
 青い錠剤と赤い錠剤、真実を知りたいならば青を飲め、すべてを忘れて日常に戻りたいなら赤を飲めといわれれば、わたしはきっと赤の錠剤を飲むでしょう。……なーんてね」
 彼女は笑顔を崩さない。

「それはきっととても賢い。でもすでに青の錠剤を呑んでから、赤を飲む世界を夢想するのはすでに賢しさとは異なるわ。それは並行する世界の出来事、それは隣り合う世界の事象。隣接するけど重ならない。接近しているけど気づけない、そういう世界。
 うふふふふ、数多の世界の集合がスパゲッティだというのなら、ひとつの世界は一本のパスタで、並行する世界は別のパスタとなるでしょう。まあ、それならばわたしはスパゲッティソースとなるのだけれど」
 彼女の笑顔は崩れない。

「知らないことも想像できる、範疇外でも幻想できる。それが人の怖さ、人間の恐ろしさ。ああ、わたしばっかりしゃべっているわ。ねえお嬢さん。そろそろ、お返事をしてくれないかしら?」
 彼女はわたしから視線をはずさない。

「この世界には魔法がある。この世界には嘘がある。宝石から生まれ、今あなたの前で宙に浮かぶわたしに対し、まさかまだ奇術だとは言わないでしょう? この状況を、この現実をまさか夢だとは言えないでしょう? わたしは魔法使いのカレイドルビー。宝石の魔術師であり、宝玉の魔法使いであり、永遠に“あの子”のために戦うと決めた優雅と無敵を心情とする世界の奴隷」
 絶句するわたしは喋れない。

「お嬢さん、あなたを巻き込んだのは謝るわ。あなたには罪はない。わたしの都合でわたしはあなたを巻き込んだ。謝罪するし、対価を払う。だけど依代となったあなたは絶対に逃がさない。だからせめて仲良くしたい。ねえ、お嬢さん、そろそろお名前を教えてくれないかしら」
 笑顔を崩さず、視線をはずさず、絶句しているわたしを前に、彼女はさらに言葉を紡ぐ。

「目的はただひとつ。願い事はひとつだけ。わたしはすべてをかえりみないと決めている。だから謝罪はするけど、依代となったあなたを放すことはない。あきらめなさいお嬢さん。観念しなさいお嬢ちゃん。わたしとあなたはもう一心同体なのだから。さあ、始まりの挨拶は自己紹介から始めましょう」


 わたしの名前はカレイドルビー。世界に喧嘩を売る宝玉の使い手、宝石の担い手。五色の魔術師、虹の魔剣を振るう魔法使い。妹のために座に上がり、間桐桜の写し身を救うために世界を渡り続ける宝石剣の担い手よ。


 ねえ、可愛らしいお嬢さん――――


 彼女はしゃべる。

 すでに日も落ち、半分にかけた月が昇る夜の道。
 人気のない公園で、わたしはただそれをみる。
 宝石から浮かぶ人影、闇に浮かぶ白い肌。
 透き通る肉体と、頭に直接響く声。


 ――――わたしにあなたのお名前を教えてはくれないかしら。


 あまりの恐ろしさに、がたがたと震えるわたしを前に、夜空に浮かぶ半月を背にしたまま彼女はそう問いかけた。



   ◆◆◆



 まだ日も高い週末のお昼すぎ、わたしはコスプレ用の衣装を作るための素材を買いに、電車に乗って遠出をしていた。

 わたしの名前は長谷川千雨。奇人変人の集まる中学校の一クラスに在籍する身として、自分だけはマトモだと信じているが、それを改めて聞かれれば、やはり自分もあいつらと同類なのかもと思ってしまう、そんな微妙なポジションに位置する女子中学生である。

 自分を変なやつだと思ってはいないが、たまにそれでも……と思うことはある。
 こんな風にコスプレ用の衣装をつくるための生地を買う瞬間なんかはとくにそうだ、と自嘲気味のため息を吐いた。
 基本的に通販でコスプレ衣装を用立てするわたしも、たまにする裁縫用の生地や装飾用の小物はこうして店に出向いて購入する。

 クラスメイトにあって詮索されるのも馬鹿らしい。さっさと用事を済ませてしまおうと、品定めを終えた商品を持ってレジへ向かった。
 品物を並べると、定員がわたしに微笑んだ。営業スマイルながらに年季の入った笑顔だ。

「えー、八点で合計4830円になります」

 無言で札と小銭をわたし、おつりを受け取る。笑顔を向けられたからといって笑顔を返す義理はない。無表情で無言のままだ。
 袋を受け取る。この店はなかなか品揃えもいいこともあって、自分は常連といっても差し支えはない。顔を覚えられているのだろう。営業スマイルのあとに、本当の笑顔といつもありがとうございます、という言葉をかけられた。
 さすがにこれは無視できず、軽く頭を下げ、店を出る。

 ふむ、と軽く紙袋を持ち上げた。厚手の生地であるため、割と重い。
 この布地でこれからわたしが何を作るかを知ったらさっきの女性も変な目を向けるのだろうかと思い、まあ当然向けられるだろうな、と一人うなずく。これは現在放送中の人気アニメに登場する魔法少女のコスチュームになるのだから。

 客観的に見れば、ただ隠しているだけで実際は十二分におかしな趣味を持つわたしも、ずいぶんと幼稚で可笑しな行為を行う愛すべきわがクラスメイトの同類だろう。
 やってられんと首を振りながら、しかしそれでもといつものように自分自身を慰める。

 ばれていないなら、それはないのと同様だ。
 隠し通せれば、それはやっていないと同様だ。
 知られてはいけないものに知られない限り、それは悪いことではない。たとえ、知られれば問題が起こる事柄だろうともだ。

 ばれない限りは問題ないさ、とわたしは思う。
 だからわたしはいつものように、こそこそと人目を気にしながら帰り道を進んでいく。

 だが所詮中学生の隠形だ。わたしは気配を感じるどころか気配というパラメータの存在を信じていない。
 遠めに見かけりゃ逃げることも出来ようが、運が悪けりゃ、曲がり角でたまたまクラスメイトに出会うこともある。

   ◆

 不幸中の幸いか。いや、この人物ならば、不幸にも届くまい。

「長谷川さんも買い物ですか?」

 何の因果か、そう問いかける宮崎のどかと話しながら、わたしは帰り道を歩いていた。
 宮崎と組んでいるほか二名、いや三名がいたら、ここまでのんきに会話を交わしはしなかっただろう。
 わたしの手には隠しようもないほどにでかい紙袋が握られている。誤魔化す自信は当然あるが、わざわざその実践を行いたいとは思わない。
 ああ、と宮崎に生返事をして、反対にそのもっとも肝心なことを問いかける。

「ほかのやつらはいないのか?」

 首を傾げられた。セットで認識されている意識は無いのだろうか。

「綾瀬と近衛と、ついでに早乙女だよ。あいつが来るといろいろ騒がしそうだから、逃げとこうかとおもってな」

 ここで遠慮することもあるまい。それに、この考えは嘘でも誇張でもない。変に遠慮するのは性にあわないのだ。
 それに宮崎もその評価をたいして悪口だとも思わないのか、苦笑しただけで悪意を見せることは無かった。

「ああ、ハルナは今日は修羅場だとかでこれません。今日はゆえとだけ待ち合わせしてるんです。夕方から大古本市があるそうで」

 その理由があまりに彼女たちらしかったので少し笑った。綾瀬とも寮から同行しているというわけではなさそうだ。どっちに用事があったのかは知らないが幸いだ。

「長谷川さんも少し見ていかれますか?」
「いや、いいよ。本にはあんまり興味が無くてね」

 そう断る。宮崎もさすがにこれは社交辞令のつもりだろう。ここでわたしが頷いても嫌な顔をすることはいだろうが、こんな無愛想なただのクラスメイトが同行することに喜びを見出すこともあるまい。
 当然一度断れば、しつこく誘われつづけることは無かった。そのまま無駄話をしながら、少し歩く。
 ひとつの交差点まで差し掛かって、宮崎とわたしの進む先が分かれた。

「長谷川さんは駅ですか? だとしたらここでお別れですね」

 帰り道だということを見て取っての宮崎の一言。
 ああ、と頷いて、口を開こうとしたときに、駅のほうを向いていたわたしの目におかしなものが映った。
 一瞬の光。刹那の輝き。ビル街に阻まれ、いまだ駅自体も視認できないというのに、駅前の大公園に光が見えた。

 いや、見えたはずが無い。見えたような気がしただけだ。視認もできない遠い場所に対しての、天恵を受けたようなそのイメージ。
 一度も足を運んだことのない公園の白黒画。
 あまりに馬鹿らしくて笑いたいのに、あまりにはっきりしていて笑えない。
 駅前の公園のさらにその奥。立ち入り禁止の看板に守られた芝生の中にある樹の根元に落ちたその光。入り口から右回りに十七本目の外縁樹の根元。おいおい、そんなの何でわかるんだ。
 なのに、その場所になにかある。そんなイメージがわたしの頭に叩き込まれた。

「……どうしたんですか?」
 いきなり黙ったわたしに不審を感じたのか、宮崎がそう問いかけてきた。
「ああ、なんでもないよ。うん、少し用があるけど、一応駅の方向だから、ここでお別れだな。じゃあまた学校で」

 疑問を払拭し、まずは日常を繕った。宮崎に向かって軽く手を上げる。とくに疑問も持たなかったのか、宮崎はそれでは、と頭を下げて、綾瀬との待ち合わせ場所であろう方向に歩いていった。
 そして、わたしはまだ歩き始めることはない。
 ふむ、と軽く腕を組み、じっくりと考える。

 つまらんことだが、わたしは霊感とか幽霊とか言う概念が嫌いである。認める認めない以前の問題として、そういう事柄の有無を口論することさえ馬鹿らしい。魔法や吸血鬼まで行けばそれはすでに論議の対象ではなく、子供の戯言だ。

 ネッシーは悪戯、幽霊は空想、UFOは見間違い。第六感とは五感の応用、直感は脳による無意識下の計算結果に決まってる。
 幽霊がもしいるなら、もう少し幽霊側からアプローチをするべきだろう。魔法や吸血鬼がもし実在して、それでいてこんな風に世界が 常識のもと回っているというのなら、すでにこの世界はその吸血鬼どもに征服されてでもいるはずだ。ここが仮想世界で、わたしは本当は機械のベッドで意識だけの存在であるとでもいわれたほうがまだ信憑性がある。

 だから、わたしは今のイメージは、ただの眩暈に少しばかり自分で想像できるような情景が組み合わさっただけのものとしか映らない。
 驚いたのは、自分にそんなメルヘンチックな部分があったということだけだ。
 脳への天啓、未知との遭遇。
 ふん、まるで魔法少女の冒険譚のプロローグ。題名をつけるなら「運命との会合」か?
 くだらないくだらないくだらないと鼻を鳴らし、わたしは軽く目をつむる。

 さて、これからどうするか。


   ◆


 探すことにした。

 まあ、わたしがいましていることを説明するにはこの一言で十分だろう。
 べつに草の根を分けて、駅前公園中を探すわけではない。頭に浮かんだ光景の場所に足を運んで周りを見渡そうかと思っただけだ。少し探して、何も無いなら無いでそれは今日のHPの日記のネタにでもすることにしよう。人気ページの管理人は日々ネタ探しをしておかないといけないのだ。
 さて、ちなみにわたしはこのとき、たいしたものが見つかるとは思っていなかった……どころか、何かがあるとすら思っていなかった。

 だって、予感は、空想で妄想で幻覚だ。記憶を道具に幻視するなんてのは、夢を見るのと同じ科学的な出来事だけど、もしそこに何かがあったらこれは予言かなにかに分類されることになるだろう。
 いや、まあそれにだって科学的な説明をつけることはできるだろうが、それは無意識とか人間の限界とかその辺がぎりぎりだ。
 つまりわたしは、むしろそこになにもないことに期待した。

 だから、わたしはわたしが感じたまさにその場所。入り口から右回りに十七本目の外縁樹の根元に光り輝く宝石のペンダントを見つけたときにはさすがにびびった。
 立ち入り禁止の柵を越えた芝生の奥、誰からも目が届かない場所である。さすがにここに落し物ということはありえないだろう。

 驚きとともに駆け寄れば、そこにはかなり年代もののペンダントが落ちていた。赤い宝石がくっついている。赤といえばルビーだろうか?
 装飾品にはそれなりに詳しいが、宝石自体には詳しくない。ありきたりなイミテーションかとかんぐるが、その周りの装飾はそれなりに凝っていた。

 これはネタとしても一級だが、厄介ごととしてもそれなりだ。
 まあここまでのものはさすがに交番に持っていかなくてはならない。犯罪関係のにおいがするが、見なかったことにするにはその輝きは生々しすぎた。犯罪者が隠すなら、土をかぶせるでも、もう少し工夫をしただろう。

 素人目だが、たとえレプリカだとしても装飾といい、輝きといい無価値だとは思えない。
 そうして、わたしは、いろいろと考えをめぐらしながらも、まずはそのペンダントを拾おうと手をのばし――――


 ――――そして、気がつけば夕暮れだった。


「……はっ?」
 掛け値なしに、疑問のみで構成される声が漏れた。
 意味がわからない。
 瞬きした瞬間に、周りが暗くなっていた。

 手には宝石のついたペンダント。そしてわたしは樹に寄りかかって座っている。
 背中には樹の感触。尻の下には土の感触。
 おいおい、一秒前までわたしはペンダントを拾おうと体を屈めたところだったはずだろう。なんだこれ?
 腰が痛い。背中が冷たい。この体勢で数時間止まっていたとでもいう気なのだろうか? わたしはそんな持病を持った覚えはない。

 現状を理解することを脳が拒否して、しかし長谷川千雨の冷静な部分が情報を集めろと訴える。
 人気は無い。夕方の薄暗い公園。ここは立ち入り禁止の芝の中。駅前だけあって、一歩二歩外に歩けば他人を視認できるだろうし、わたし自身が、すでに街の喧騒を捕らえている。だが、それが完全に別世界の出来事のように認識させられる。
 大声を上げるか? もし何もなかったら恥をかくだけだろうが、今はそれを踏まえても他人の姿を見て日常の安心感にまみれたかった。

 だけどそれは無理だった。

 声を上げようとしてはじめて気づく。わたしは金縛りにあったように声を発することができなかった。
 体を動かそうとしてはじめて気づく。わたしは金縛りにあったように体を動かすことができなかった。
 思考をめぐらせようとしてはじめて気づく。そう、わたしの持つペンダント。その宝石が光ってる。

 光を反射するわけでもなく、光源を内部に秘めているかのように石の結晶が輝くその神秘。
 その光がわたしの動きを縛ってる。

 わたしは、非科学的なことは信じない。
 それなのに、わたしはなぜか震えてる。
 幽霊なんているはず無い。心霊現象なんてあるはず無い。
 魔法なんて存在しない。

 だから、そう。



 ――――はじめまして、お嬢さん



 こんな声は幻聴に決まってる。




[14323] 第一話 ルビーが千雨に説明をする話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/11/28 00:20

「あはは、まあそんなに怒らないでよ千雨」
「呼び捨てにするな」
「なによ。マスターとでも呼んでほしいの? それともご主人さま? 千雨さまってのも有りっちゃ有りよね」
「ねえよ」
「ごめんごめん。許してよ。別の世界でのヨリシロって言うのはわたしの存在すべてがかかってるから、どうしても失敗できなかったのよ。最初にびびらさせておけば、あとが楽じゃない」

 わたしは思う。

 ――――ふざけるな。


   第一話 ルビーが千雨に説明をする話



 駅のベンチで座りながら、自称魔法使いの話を聞いた。わたしは現実を理解するのが嫌いなだけで、理解力は高いのだ。現実逃避は無駄な行いだとわかっている。
 まあ、それでもわたしが発狂もせずに、話を聞こうなんて思ったのは、この魔法使いの性格によるところが大きい。
 彼女はあれだけ大げさなはったりをかましながらも、わたしと話していくうちに、その仮面を脱ぎ捨てていた。

「じゃあ、この世界には魔法とか幽霊とか吸血鬼が存在して、それは隠蔽されている。あんたはその一員で、結局わたしに取り付くってことか」
 一番重要なところだけをまとめてみた。
 そんな世迷いごとに躊躇なく頷く相手に、こちらのほうがひるんでしまった。

「わたしが意識を飛ばしてた理由は?」
「……あれはただ単に、あなたが魔力に当てられただけよ。ぶっ倒れちゃったから介抱してあげたんだから、感謝してほしいわ」
「じゃあやっぱり、てめえの所為ってことじゃないか」
「まあそうだけどね。まあ、起きて何より。詳しいことはちょっと長くなるから、後で話すわ」
 あとがあるのか、とつぶやいた。この女と関わるのは決定事項らしい。

 頷く彼女の姿を憂鬱に眺めながらも、あまり大げさに嘆くことはできない。
 公園のベンチに座っているわたしはさすがにまったく人目につかないわけにはいかないからだ。
 わたしは彼女に文句を口にしようとして、口をつぐむ。人が通りかかった。仕事帰りのサラリーマンだろう。駅へのショートカットに公園に入っただけのようでわたしの目の前を歩いていく。

 ベンチに座る女子中学生などには当然目もくれない。
 この女はどうやらほかの人間には見えないらしい。
 さすがにこのサラリーマンが周りに無関心でも、女子中学生だけでなくその横で宙に浮かぶ半透明の人影が見えているならもう少し違ったリアクションを返すだろう。

 わたしが人目を気にする以上、人気がある限り、向こうだけがしゃべりかけられるというわけだ。
 ふん、音ってのは大気の振動じゃなかったのか? 質量を持たない幽霊が声を出すな。小学校の理科からやり直してほしいものだ。
 まあ種の見当はついている。ライトノベルの一つでも読めば魔法使いの百人に百人は使っているテレパシーというやつだろう。思っただけで相手に伝わるような魔法かなにかか、と考えて、そんなことを当たり前のように考え始めた自分に愕然とする。

 少したって、人気がなくなったことを確認してから再度口を開いた。
「で、あんたはわたしに取り付いてなにがしたいんだ? 願いをかなえてくれるっていうんなら、あんたの自由を望んでやるからわたしから離れてほしいんだが」
「残念ながらそんないいものじゃないわ。わたしは願いがあるけど、それは自前でかなえるからね。あなたはアラジンの役をお願いしたいのよ。わたしが願いをかなえている間ね。もちろんあなたの願い事があるならある程度は善処するわ」
「…………具体的には?」
「わたしからの願いとしては、そのペンダントを肌身離さず持っててくれること。かなえられる願いとしては、金銭的なものから魔法的なことまで幅広く。あと、魔力はもらうけどべつに死ぬってわけじゃない。あとはパスをつなげてもらえると助かるわね。わたしもあんまり人の生気を吸い取るような真似はしたくないし」
 手を上げて、言葉をさえぎる。

「……わけわかんない単語で会話するな。煙に巻こうとしてんならわたしがこの宝石を捨ててそれで終わりだ」
 いきなり粉くさくなった幽霊もどきの魔法使いをにらみつける。

「オッケーオッケー、ごめんなさい。ごまかすつもりなんてないわ。ちゃんと説明するって」
 わたしの本気を嗅ぎ取ったのか、あわてたように手を振った。
 まあ、わたしの言葉もハッタリではない。宝石を捨ててここから逃げるというのは十分に考慮に値するアイディアなのだ。それで本当に逃げ切れるのかとか、すでに名前を教えてしまっていることとかを考慮して、ある程度状況がつかめるまで会話をしているに過ぎない。

「ランプの精にはご主人様が必要なのよ。ご主人様から魔力をもらわないとわたしは生存できないの。どうしてもっていうならそこらへんを歩いている人から魔力を吸い取るってこともできるけどね」
「……まあいい。それで?」
「んーとね。そこらへんの人から魔力をすうってのはなかなか難しくてね。吸血鬼っぽく、血を絞ってそれを飲む、なんて手もあるけど、乱暴でしょう? 効率はいいけど、ごまかすのが面倒くさいし吸われたほうも失血死、かるくても神経衰弱で参っちゃうでしょうね。わたしも一日に一人二人を昏倒させないといけないし、それってちょっとひどいでしょ。でもあなたとわたしはもうある程度パスが……魔力のつながりみたいなものが出来ているから、そこから供給してもらえるのよ。こっちは効率がものすごく良いからわたしがただ存在するだけならあなたは吸われていることも気づかない程度の消耗で済むってわけ」

「……存在するだけならってのは何なんだよ」
「わたしが魔法を使ったりしたら、消費も激しくなるわ。でもあなたに支障が出るような非常事態なんてのは早々起こらないわよ」
 魔法をつかったりしたら、か。そういう台詞がいちいち引っかかってしまう。

「その非常事態ってのは何なんだよ? ……いや、そもそも、お前の目的を聞いてない」
「うーんそれはさすがに今はいえないわ。あなたの事情も知らないし。嘘を言って誤魔化さないだけわたしの誠意を感じてほしい……ってのは都合がよすぎるかしら?」
 そちらから干渉したのだ、当然都合がよすぎるというべきだろう。
 だが、その言葉は掛け値なしに申し訳なさにあふれていたので、即答で文句をいうのも気が引けた。
 わたしが沈黙して、二人して少し黙る。

「正直なところ簡単に離れるのは無理だし、わたしもあなたにそこまで迷惑をかける気はないわ。悪いけど、ある程度はあきらめてほしいのだけど」
「無理だな」
 即答する。
 わたしの当たり前の返事になぜかルビーが頬を引きつらせた。

「魔法が使えるようになりたいっていうんなら教えるわ。お金がほしいっていうんなら都合する。怪我をすれば治すし、かなえられる望みなら無制限でかなえてあげるわよ。あなた根は善人そうだし」
 あきらめる気がなさそうな声に眉をしかめる。

「……素直に言おうか?」
「んっ? なにをよ」
「うそ臭すぎる。わたしはあんたがどんなにきっちりと論理的に理由を述べても完全には信用できないし、ここで問答して完全に論破されようが納得できない。簡単に言やあ、どうやったってわたしは私が騙されてるって可能性を捨てきれないってことだが……はっきり言えばすぐにどっかに行ってほしい」
 混乱しすぎて言葉を飾ることも出来ないわたしの口から本音が漏れた。

 それを聞くと、魔法使いはなぜか愉快そうに笑った。その笑いすら、わたしをはめるための仕草に見えてしまうのだから、わたしの性悪も大概だ。

「ええ、そのほうが良いでしょう。最も賢い対応だわ。まあ、背後霊がついたようなものだと思ってある程度はあきらめて。一応あなたの正気と、わたしが幻覚じゃないのを証明してあげるわ。あとはそういうのが少しばかり関わったと思ってわたしからはアプローチをしないってところで妥協してもらうとしましょう。本当にだめなら宝石を捨てて頂戴な」
 そういうと、魔法使いは半透明だった体に色をつけ、地面にひょいと降り立つと、足元から石ころを拾い上げて、わたしに向かって放り投げた。

 反射的に石ころを受け取りながら、その動作に頬を引きつらせた。
 洒落になっていない。あまりに単純で、だからこそわたしの一縷の望みであった幻覚という想像を打ち破るその仕草。
 そうして、わたしに現実を見せつけると、魔法使いはすぐに体を幽霊の状態に戻した。やつがいうところの霊体化というやつだろう。

 わたしがさすがに黙って、女もわたしが冷静になるまで待つ気なのかしゃべらない。
 そのまま数分が過ぎて、わたしはいまだ言葉を発せず、体を透明に戻した女に声をかけようと口を開こうとして、そのまま口を閉じることを繰り返していた。

「――あれ、長谷川さんですか?」

 そんなとき、横合いから声がかかった。
 魔法使いをにらんでいた顔を向けると、自分の感覚ではついさっき見たばかりの顔があった。
「…………んっ、宮崎か」
 冷静を装うのに数秒の沈黙が必要だった。
 そこにいたのは宮崎のどかだった。

 どうやら件の古本市の帰りらしい。大きな紙袋をひとつ抱えていた。
 宮崎はわたしが今までにらみつけていた方向に少しだけ、視線を送った。
 何も見えなかったのだろうが、とくに気にもならなかったのか、それに触れることもなく宮崎は言葉を続ける。
「長谷川さんも、まだいらっしゃったんですね。用事は終わったんですか?」
「終わったとも終わってないともいえるな。まあ休んでたようなもんだよ」

 どのみちこの魔法使いが口を挟むことはあるまい。軽そうだが頭の回転はずいぶんとよさそうだった。
 宮崎が来たのはいい機会だろう。
 正直なところ、ここでこの魔法使いとここで別れられるとは思っていない。
 宝石を捨てるという選択は考えすらしなかった。姿が消せて本物の魔法使いで人間を衰弱させると当たり前のように口にする女を野に放すのも怖かったが、そんな女と関わっておいて、そいつに完全にコンタクトできなくなることこそが怖かったのだ。
 かくれんぼでは暗闇の中で目を瞑るよりも見晴らしのいいところで鬼を視認したいと思う、そんな心境を百倍に濃くすれば今の気持ちに近づけるだろう。

 わたしは手の陰に隠していた宝石をこっそりとポケットにしまいながら宮崎に話しかける。
「わたしは帰ろうかと思っていたところだよ。宮崎も帰りか?」
「はい。もうずいぶん暗くなってしまいましたし」
 確かにすでに日が完全に沈んでいる。駅前ならまだしも麻帆良の女子寮まではそれなりに肝試しの体をなしていることだろう。
「んっ? 綾瀬はどうしたんだ?」
 一人きりでいる宮崎を見て、ふと気づいたことを口にする。
「ああ、それがゆえはハルナにつかまって、出かけに手伝いをしていたらしいです」
 詳しく聞けば、出かけギリギリまでと言うことで早乙女の手伝いをしていた綾瀬が、まあ予想通りに出かけぎりぎりになってもめどの立たない同人作家に泣きつかれたらしい。
 この三人が各個人間でも仲のいいグループだったからこその悲劇であるといえよう。融通が利きすぎるのも考え物だ。
 とくになにを示し合わせたわけでもなく宮崎の横に並んで歩く。

「じゃあ一人か。わたしは買い物は一人のほうがいいと思うタイプだが、宮崎はどうだったんだ? 目的の本は買えたわけか」
「はい、ゆえから狙っていた本のことは聞いてましたから」
 そういって軽く紙袋を持ち上げる。綾瀬夕映の代わりに買ったということだろう。
 狙っていた本。古本市を節約の場ではなく、探索の場として捉えていることがわかる台詞だ。綾瀬らしい。

 切符を買って電車を待ちながら話を聞くと、中身はなんと文学書などではなく、海外児童文学書だった。しかも原書らしく英語である。
 学校では隣の席だが、初めて知った。
 バカブラックと呼ばれるあいつがそんなもの、読めるのか?
「ゆえは学校の授業が嫌いなんだそうです。頭はすごく良いんですよ」
 ふむ、頷く。自画自賛だが、わたしもそれなりに頭の出来は悪くはないが、成績のほうは芳しくない。
 知識と知能は違うものだ。

 しかし、たとえ賢くとも英語を読めるか読めないかは純粋に成績と直結する問題だと思ったが、まあ興味のあることにしか力を注がない輩ということだろう。
 頭と成績は同ベクトルではないのだ。
 それを知っているわたしは、その言葉にとくに驚くこともなかった。

 しかし、哲学者のラテン語で書いてある原書本を読んでたのを見たことがあります、と続く宮崎の言葉には、さすがに引いた。
 ラテン語など、使われる文字すらあやふやだ。アルファベットではなかったと思うが、どうだったか。
「ラテン語ねえ。哲学書よりは、錬金術か古代の魔術書ってイメージだな」
 この軽口が思わず漏れたのは横に浮かぶ幽霊の影響だろう。

「あはは、わたしもそのようなものです。ゆえもちょっとわかるだけっていってました。それに、そこまでいくとゆえよりこのかさんのほうがいろいろと詳しいですね」
「ああ、近衛か。あいつはそういうの好きそうだな」
 確かオカルト研究部のはずだ。節操なくそういう類のコレクターとして収集をしているという話を聞いたことがあった。

「はい。長谷川さんもそういうものが好きなんですか?」
 わたしの食いつきがよかったからだろう。宮崎がそう聞いた。
 だがわたしはもともと魔法や幽霊といったものは嫌いなのだ。
 つい先ほどから興味を持たざるを得なくなったに過ぎない。
「ああ、あんまり好きでもなかったんだが、いまはそうでもないな。悪魔祓いと退魔法について詳しく学びたいところだ」
 キョトンとした宮崎の顔に苦笑を返す。
「いや、悪霊に取り付かれていてね。どうにかしたいと思ってるんだよ」
 いつもならこんな軽口はたたかなかっただろう。横に浮かんでいる魔法使いからむっとした表情を向けられた。

 だが、これは会話としては最低の部類だろう。
 わたしだけ納得して、宮崎はわたしの言葉に眉根を寄せて黙ってしまった。独りよがりを通り越して、自己満足だけの軽口だ。
 わたしは空気を払うように、手を振った。
「悪い悪い。私事だよ。オカルトっぽい出来事に巻き込まれてね。あんまりそういうのは信じていなかったはずなんだが、趣旨換えするかと思ってたところなんだ」
 そのときの自分は冷静なつもりでもさすがにいろいろとパニクっていたんだろう。
 いつもなら、こんなやぶへびな会話はしないはずのわたしは、そんな言葉を口にしていた。
 そのあとは、わざわざそんなわけのわからないネタを話の種にすることもなく、電車が目的地につくまでの間、わたしたちは話を続けた。

 そんな感じで、宮崎とわたしはお互いにらしくもなく饒舌に会話を続けた。秘密が多いため大して会話を盛り上げられないわたしに対して、本読みの性か、無口な割りに引き出しの多い宮崎は会話を飽きることがなかった。
 学友の意外な一面というよりは、引きこもり気味のわたしが学友のよさを再認した、とかそういう部類だろう。
 会話が苦手かと思ったがそうでもないんだな、と口にすれば、わたしとの会話は話しやすいと返事をされた。なるほど、こいつは善人だとわたしは笑う。

 そんな会話を続けている間、魔法使いはというと、わたしのそばに浮かびずっと黙ったままだった。
 わたしが宮崎と笑っているときも、難しい顔をしているときも、相談事に悩んだときも、軽口に軽く怒ってみたときも、何一つ口にすることはなく、わたしの横で微笑ましいものでも見るかのように薄い笑いを浮かべていた。

 いや、一度だけ女はしゃべった。
 そう、ただ一度、ただ一言。
 わたしに向かい、返事を期待していないような声色で、思いもかけずに声が出てしまったかのように問いかけられたその一言。
 麻帆良の学園都市に入る瞬間に、わたしに話しかけたその言葉。


 ――――ねえ千雨。ここにあるのは何の学校なの? 魔法? 神術? まさか普通の学校だったりしないわよね?


 寮につくまでの長い道のり。彼女がしゃべったのは、結局そんなつまらない質問だけだった。


   ◆◆◆


 寮に帰ってからまずはじめに行うべきことは決まっている。こういうときほとんど一人部屋としての扱いを受けているのは幸運だった。
「おい、出てこいよ」
「出てこいって言い方はないんじゃなくて? ずっと後ろについていたし、あなたには見えてたでしょ?」
 反応が即座に返る。
 うっすらとした体に色が灯る。同時に色づいた体は質量を持ったかのように現実味を増し、そのまま地面に降り立った。
 カーペットが沈む音に顔をしかめる。

「質量保存の法則って言葉を知ってるか? 魔法だからってなんでもありかよ」
「あらあら。物理学の壁は魔法なんかよりもよっぽど強固よ。物理は法則で魔術は技術。だから文字通り語るべき次元が違う。幽霊は情報体だから質量はないし、いまわたしが質量を持っているように見えるのだって、実際は下向きの力場が働いているだけ。大丈夫大丈夫、魔法使いと関わったからって常識が丸々破壊されるわけじゃないわよ。物理学が間違ってるわけじゃなくて、秘密の技術が存在するとでも思っておきなさい」

 そういって魔法使いはわたしに笑う。
 到底納得できるものではなかったが、一応うなずいた。

「で、聞きたいことというか、説明はしてくれるんだろ? わたしは、まずお前の言い分から聞きたいんだが」
 女はククク、とおかしそうに笑った。
「いやはや、ほんとに千雨はいいマスターだわ。よくもまあこんな状況でそこまで理性的に振舞えるものね」
「ふん、悪いがこういうのには慣れててね。周りがみんな異常を異常とおもわねえってのは、なかなかつらいんだ。まあこの様じゃあ、うちのクラスメートにも魔法使いがいそうだなこりゃ」
 せいぜい五分五分の希望的観測から出た言葉だったが、その言葉に魔法使いは頷いた。

「ああやっぱり。この学校には魔術師がいるのね」
「……やっぱり?」
「ええ、この街はちょっととんでもないわよ。キロ単位で張られてる大結界で街全体が覆われてるし、強度も索敵性能も半端じゃないわね。魔力の流れも普通じゃ考えられないほど動いているし、極めつけはあの馬鹿でかい木よ。ここは霊脈としても一級品だし、あれは確実にこの霊脈の中心ね。わたしじゃなきゃあここまですんなりとは進入できなかったでしょうね」

 自画自賛の戯言は無視するとして、こいつの言っているのは世界樹のことだろう。わからない単語はあったが、いいたいことは伝わった。
 顔をしかめてしまうのをとめられない。

「やっぱ、魔法使いってのはたくさんいて、この街はそういうわけわからないやつに支配されてるってことかよ」
 最悪だ。知らないままというのも気分が悪いが、ここまで大事だとため息も出ようというものだ。
 隠れ住めよ、うっとおしい。引きこもって大なべでトカゲでも煮込んでいればいいものを……。

「で、あんたはこの学園都市をその悪の手先の支配から解き放ってくれるってことか?」
「学園都市?」
「ここだよ。あんたは街だと思ってるみたいだが、一応学校だ。小学校から大学までぶち抜きのな」
 さすがに驚いたのか、目を丸くした。
「へえぇ、面白いわねえ。で、魔術師用の学校もあるの?」

 こいつはバカなのだろうか?

 あるわけないだろ、と吐き捨てる。
「お前、わたしに初めてあったときに、わたしが魔法を知らないって知ってたじゃないか」
「ごめんごめん冗談よ。でもまあ、そうよね。こういう感じで文明が発達した世界が百個あったら、そのうち九十では魔法は秘匿されてるものだし」
「……どういう意味だ?」
「そのままよ。魔法を技術体系の一つして捕らえている世界もあるってこと。魔術は共有できないけど、知識や技術は共有化するほうが得な場合もあるしね」
 だとすると、九十は意外と少ないのか? 九十九個は秘匿しとけよそんなもん。

「んっ? いや、それよりさっきからあんたが言ってる世界ってのはどういう意味だ? 統計取るってどういうことだよ。惑星を旅する宇宙人とかじゃあないよな、まさか」
 返答は肩をすくめる仕草だった。
 当然じゃない、と頷かれる。

「平行世界よ。ここであってここでない。日本があるけど、この日本は存在せずに、貴女がいるかもしれないけれど、それは貴女ではない貴女。多重世界でも可能性世界でも良いけどね。わたしはそれを移動できる世界でただ一人の例外なのよ。これはわたしの大師父だって出来ないんだから」
 ものすっごい尊敬していいのよ、と微笑まれた。

「あんたのすごさはどうでも良いが……じゃあこの世界にも魔法使いがたくさんいるのか。あんたの言う魔法使いのご主人様とやらにはわたしみたいな一般人にもなれるんだよな。そうすると相当の人数がこういう事情に関わってるってことか?」
 わたしの言葉にルビーはキョトンとした顔を返した。一瞬空けてああ、と頷く。

「いや、ご主人様が必要なのはわたしだけよ。普通の魔法使いにはそういうのはいらないわ。自前の魔力をもってるからね。わたしはもう死んじゃってるからさ」
 それなりに驚くべき台詞をあはは、と笑いながら口にする。こいつはやはり幽霊らしい。
「ああ、そうだ。一応、両腕の袖をめくってみてくれないかしら」
「そで?」
 とつぶやいて、たいしたことでもないかと素直にめくる。

「……なにもないわね。やっぱり聖杯戦争ではなく、ただ世界にちりばめた宝石の移動媒体だけじゃあ、そう都合よくはいかないか。召喚方法は同じシステムでも、令呪を期待するのは都合がよすぎね」
 それをちらりと見て、ルビーは訳の分からないことをぺらぺらしゃべった。独り言だったのだろう、後半はよく聞こえなかった。
 なんなんだ、と首をかしげる。
「いやいや、もし“刺青”でもあったら付き合い方を変えなくちゃいけないと思ってね」
 まさかそのままの意味ではあるまい。思わせぶりな台詞ばかり吐くのはやめてほしいものだ。

 その後、いくつかの問答を繰り返したが、決定的にうそだということもできず、逆に本気にするにはぶっ飛びすぎたその話に、わたしは会話の方向を変えることにした。

 ポケットに入っていた宝石を取り出し、ルビーに見せる。
「まあ、この世界の魔法とかはいいよ。どっちにしろ、わたしにとっては魔法使いの間に大差はない。正直一気に全部言われてもパンクしちまうしな。まず今やるべきことが聞きたいね。この宝石をもっとけば良いって話だったよな。このままわたしに取り付きつづけてくのか、あんた?」
「それはわからないわね。まあ秘密ということで……ああ、でも、わたしはわたしの目的があるから、今日中には出て行くわよ」
 そう笑う。
 意外だ。こういうのは一生涯レベルで取り付くものだと思っていた。

「そりゃ何よりだ」
「でもまあ、わたしはあなたに召喚されたという形をとっているから、またちょくちょく戻ってくるかもね。そのときは邪険にしないでね」
 続くその言葉にわたしは顔を引きつらせた。ああ、やっぱりそうなるのか。

「まあ、わたしがこれを持ってる以上しょうがないんだろうが……まあ誰にも見られないようにしてくれよ」
 宝石をもてあそびながら問いかける。装飾はきれいだが宝石自体はかなり小さい。指輪でもいけるだろうが、小さめの赤い宝石が金細工にはめ込まれて、その上にネックレス用の鎖がついている。
「これってルビーなのか?」
「ううん。ガーネットよ」
 あっさりと首を振られた。
 すこし驚く。
「ルビーを名乗っといてガーネットかよ」
「ええ。まっ、それはわたしの象徴なのよ。結構質もいいのよそれ。でもこれだけじゃあ……えーっとここの物価でも十万円はいかないし、装飾を全部ひっくるめても十万を少し超えるくらいだと思うわ」

 それでも十分大金だが、やはり宝石というのは高級の代名詞だ。
 たいそうなあおり文句で現れた魔女が己の象徴と言い切ったわりには安っぽい。
 そんなものか、という表情を読み取られたのだろう、その女はふくれっ面をしてジト目を向けた。
「あらら、一応由緒正しいものなんだけどね。わたしが死に際にあの男を倒すのに使ったものだし……」
 倒す? と首をかしげた。こいつの癖なのか、どうも会話が読み取りづらい。自分の中だけで完結してしまっているようだ。思考に出力がついていってない。
 わたしの不理解をよそに、ぶつぶつと呟きを続ける。
「マキリの虫っていってね。わたしの妹の仇なのよ。わたしだって世界を移動できるとはいえ生まれた世界とこうして世界を旅する理由があるわけだしね」
 さすがに、その内容とルビーの真剣そうな顔にたたずまいを直した。

「そんなにかしこまらなくてもいいわよ。結局わたしは妹をそいつに殺されて、わたしはそいつを殺し返した。だけどどうしても妹のことをあきらめられなかったわたしは、こうして世界を渡りながら、別の世界の妹を助けているの。いったでしょ、契約に縛られた世界の奴隷だって。わたしはこうして世界をわたり続けることが決定しているのよ」
 その言葉は段々とトーンを落とし、最後のほうは自分自身に語りかける呟きのようだった。
 その顔は先ほどまでの明るい顔の面影は無い。
「妹さんの敵討ちってことか?」
「ちょっと違うわ。別に仇を討ちたいわけじゃない。殺すことが目的というわけじゃないわ。あの子が幸せならそれでいいもの。わざわざ仇の並列存在を殺したいわけじゃない」
「…………」
「どうでもいい話。そこそこの宝石でも使い方しだいって言う話だしね。まあそんなわけでわたしはそいつをいつも身につけてたのよ。そんな昔話よりも今の話でしょ」

 ぱんっと手を打ち鳴らし、場違いに明るい声を上げる。
 わけがわからないが、聞くことはできなかった。ああ、そうかい。と気のないふりをした言葉だけを返して、宝石をしまった。
 彼女はよどんだ空気を拭い去るように饒舌にしゃべりだす。
 まったく、今夜はそう簡単に眠れなそうだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――

 はじめの投稿なのでそこそこ話がまとまるところまで投稿しました。
 すこし長めに後書きを書きます。

 ネギまとFateのクロスといえば百人中99人が想像するようにネギまがメインでFateからの介入もの
 Fateからの介入ものといえば百人中2,3人しか想像しないであろうカレイドルビーの召喚もの。

 カレイドルビーのキャラ設定は3年前の私の処女作「召喚 カレイドルビー」に順じているんですが、まあ読まなくても問題ないと思います。

 読んだことない人が多数だと思いますので、今回のもあわせて簡単に説明します。桜のために頑張ってるルビーさんが色々な平行世界に行ってるけど、今回はネギま!という作品です(ってこれだと前作が誤解されそうですが、前作はFate本編の再構築ものです)。
 作者はラストは断固ハッピーエンド派ですが、黒い話もそれはそれでいけます。クロスなんて書いてますが、原作設定は出来るだけ厳守したい派です。
 男女のカップリングも百合もある程度ならいけます。やおいはよくわかりません。この作品で恋愛要素はすこし出ると思います。

 そして最も重要な点なのですが、私はいままで作品は投稿したら完結させるのが一番重要だと思っていました。というか今でも思っているんですが、正直今回のは完結させられるかわからないです。プロット的には区切りを修学旅行、ラストを学園祭に設定していて、最悪でも修学旅行までは書きたいんですけど、正直ここまで長編になるだろう話だとすこし自信がないです。
 なのでチラシの裏に投稿させていただきました。かなり久しぶりにSS書くので練習というかリハビリ的な要素もあり、扱いは習作です。
 一人でも読みたいとおっしゃってくれる方がいればできる限り続けます。
 それではよろしくお願いします。




[14323] 幕話1
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/05 00:05
 潜入アクションゲームがあるじゃない?
 あれって一度発見されても、隠れて十秒くらい立つとアラームが消えるわけだけど、実際は一度見つかれば、一度しかれた警戒態勢がそう簡単に解除されるわけがないわよね。
 どういうことかって?
 つまり、現実は一度でも見つかったらそれが終焉って言うことよ。


   幕話1


「――――と、いうわけで、わたしはその世界の臓硯に言ってやったわけよ。時間もないしさよならねっ、ってね。あいつの悔しそうな顔ったらなかったわ、まあ顔は見えなかったけどさ」

 思い出話を語りながら、ルビーは笑った。
 声は大気を振るわせず、壁をたたく腕には質量が存在しない。
 大げさな動作と大きな声の割りに、長谷川千雨の部屋は傍目には存外に静かだった。
 一通りしゃべり終わって満足したのか、ルビーは一旦言葉をとめる。
 ルビーはつい先ほどからマスターとなった少女の姿をみた。
 そこにはベッドに寄りかかったまま眠る少女の姿があった。

「んー、千雨? ……寝ちゃったか」

 彼女はベッドに寄りかかったまま眠っていた。かわいらしい顔で眉根を寄せて、むぅむぅとうなっている。きっと意地の悪い魔法使いにお菓子の家から手招きされる夢でも見ているのだろう。
 ルビーは千雨を担ぎ上げてベッドに寝かせた。
 母性が目覚めたわけでもあるまいに、毛布をかける仕草はまるで子供を気遣う新米の母親のようにも見えた。
 かつての妹が見れば、その似合わぬ仕草に笑うだろう。
 毛布をかけ終わって千雨の姿を眺めるルビーの目には、深い優しさが宿っていた。

 そうしてさらに半刻ほどルビーは千雨の傍にたたずんでいた。
「でもまあ、名残惜しいけどずっとこうしているわけにもいかないか」
 ルビーはそうつぶやくと、千雨の机からメモ帳とペンを拝借してすらすらとペンを走らせる。
 彼女は長谷川千雨と話をした。彼女は眠ってしまったが、それでも伝えるべきことを忘れるほどルビーはおろかではない。
 彼女はここから出て行くと千雨にいった。
 その言葉をたがえる気はない。
 まだこの世界のことは知らないが、千雨は命を狙われているわけではない。
 聖杯戦争を行っていた世界とは何もかもが違うのだ。

「じゃあね、千雨」

 だから、彼女は小さな紙切れだけを残して、長谷川千雨の部屋から立ち去った。
 そんな紙切れ。小さな紙片。

【千雨へ。
 約束どおり出て行くわ。わたしの目的のために世界を知りにいってくる。
 戻ってくるのは数日後になるでしょう。
 あなたはわたしと契約した。
 無理やりだけど契約は契約。小さくとも繋がりは繋がり。
 そして、この街にはあなたがうすうす感づいていたように、神秘に関わる生き物が多くいる。
 気づかれないように。危ないことはしないように。危険なことに巻き込まれないように。
 わたしはもう行っちゃうけれど、草葉の陰からあなたの安全を祈っているわ。
 それじゃあまたね。

 貴女のカレイドルビーより】

「無責任すぎるだろ、このやろう!」
 そんな叫びとともに翌日千雨に破り捨てられるまで、その走り書きはベッドサイドに白の彩りを添えていた。


   ◆


 学園都市内の大きな建物。屋上のふちに腰掛けて、ルビーはその街並みを眺めていた。
 風が強い。霊体化したまま足をぷらぷらと流している。
 その視線の先には夜の街中をかける人影があった。

 いまもルビーの視線の先で、さきほどまで空を駆けていた青年がコンビニでたむろしている少年たちに声をかけている。。
 視線をずらせば、箒に乗った少女がいた。
 さらに魔術で視線を遠くに飛ばせば、町外れの森の上に、空を飛ぶ男がいた。その横には空を飛ぶ女がいる。
 悪者を探すため、この街の平和を正すため。街を巡回する人がいた。
 ルビーのことはばれてはいない。
 つまりこれはこの街の日常ということだ。

 まるで正義の味方ねえ、とルビーは霊体化したままつぶやいた。
 見回りとして教師が学園都市の中を徘徊し、街のはずれに侵入者があれば、戦闘に特化したものがそれを迎撃。
 街の中を動くものは基本的に警護を担当しているのだろう。
 たまに起こる騒動に備えている。

 ちなみにその騒動というのは、大学棟でのロボットの暴走やら、都市内での魔法の暴走。
 簡単に言えば、発生の瞬間を予想できなくとも、起こること事態は予想できる出来事だ。
 つまりこの街は完全に調律されているということ。
 調律を行う人間がいるということ。

 それはつまり、一度でも不安を想定されれば、それが解消されるまで原因を調査され続けるということだ。

 ルビーは足をぶらつかせながら、ため息を吐いた。
 なんとまあ理路整然とした街じゃあないか。
 完全な統制の元、混沌としているようで、完全な管理下に置かれた都市。
 怪しいものを怪しいものとして定義するまで逃がさないそのシステム。

 この街で悪事をたくらむのは大変だろう。
 念話のネットワークと、近代技術の無線機が混在して連絡をとり続ける。
 その下地になるのは、さまざまな場所で動く自動制御の監視の目。
 ある程度怪しまれたままでこの学園内の一システムとしてもぐりこむか、完全に隠れたまま忍び続けるか。
 どの道相当な腕が必要だろう。
 この街はありえないほどに魔法と魔術の空気に浸りながら、その中身はルビーの知る魔術の都とはかけ離れている。

 ――あー、なんかめちゃめちゃ千雨に迷惑かけそう……

 憂鬱そうにルビーが苦笑する。
 一度ルビーのことがばれれば、この学園はその原因を誰かに定めるまで追究の手を休めまい。
 誰かとはもちろんルビーのことではない。千雨のことだ。

 ――ばれたら千雨、絶対怒るわよねえ。

 怒るも何も千雨に選択権が与えられるとすれば、それは千雨が捕らえられ、ルビーの情報を無理やり引き出された後になるに違いない。
 潔癖症の魔法都市。
 一度目が命取りになるであろう、綱渡りを強制させるそのルール。
 ばれないようにしなければならない。気づかれないようにしなければならない。そしてなおかつカレイドルビーは止まれない。

 ――わたし以上の使い手はいまのところ一人もいないけど。

 誰が隠れているかわかったものではない。
 本来は一人もいないのが前提なのだ。
 一人でもいれば、色々と予定が狂ってしまう。
 アドバンテージがなくなるからだ。
 だが、いるかもしれないという考えの下、ルビーは気を緩めるつもりはなかった。

 彼女は千雨の前ではおちゃらけていたものの、その実、絶対的な意志の強さを持っている。
 何しろかつての英霊だ。
 不屈の英雄。彼女にあきらめるという言葉はない。
 気を緩めたような仕草をしながらも、先ほどから索敵は緩めてはいないし、霊体化しながらも隠遁の魔術は切らせていない。

 千雨のところに出戻るわけにも行かないだろう。
 さっさと一段落をつけなければ、物語が進まない。
 だってこのルビーには、目的がある。
 目的があって体があって、そしてまず何よりも、その目的とは聖杯戦争に代表される期限付きのルールではないのだから。

 ――どんなに遅くても一週間ね。早けりゃ明日にもすべてが終わる。

 すべてをこっそり、秘密裏に。
 ばれる必要がなく、自分は今千雨以外に姿を見せていないという絶対的なアドバンテージも持っている。
 誰かと戦う必要だってないし、誰かを傷つける予定もない。
 ルビーには目的がある。
 それは平行世界の間桐桜を助けることだ。
 彼女は傷ついてもいないし、誰かに命を狙われているわけでもない。

 ――さて、それじゃ

 そういってルビーは飛んだ。
 彼女だってバカじゃない。
 夜風を浴びるためにビルの上にたたずむような年じゃない。そういうのは卒業した。
 先ほどから人の流れを調べ、あるポイントで一瞬空隙が出来ることを確認していたのだ。

 警備員は基本的に複数人で行動することが決められているようだが、この学園は広すぎる。
 そして、学園を守るために動いている人間は無線機や念話の存在を過信しすぎる傾向があった。
 ゆえに一人で動くものがいる。巡回範囲的に十分程度の空白が出来る巡回員が出来る。
 中から攻められることを想定してないが故の、失敗だ。
 だがルビーにとっては好都合。
 コンマ数秒で助けを求められる念話だって、いきなり意識を駆られれば使えない。

 ルビーは霊体化したまま、一人で街を巡回していた一人の生徒に襲い掛かった。


   ◆


 力よりも努力よりも友情よりも才能よりも技術よりも魔力よりも魔術よりもなによりも、
 何かを成し遂げる際に必要なものは情報であるとカレイドルビーは考える。

 ましてや、新しい世界にきたばっかりとなっては当然だ。

 そしてルビーは桜のためならほかすべてを割り切るほどの激情家。
 手段を選ぶつもりは毛頭ない。

 村に入って騒ぎを起こさず、町に入って問題を起こさず、街に住んで騒ぎを起こさず、国に住んで事件を避ける、その術を得るその手法。
 その村に住むならば、その常識を村民に聞くとよい。
 その町についての知識を得たいならその町人に尋ねるべきだ。
 その街ならば住民に、そして国なら国民に。
 それならば、世界を知るにはその世界に住むものから聞けばよいことになるだろう。

 ゆえに、彼女のとる行動は決まっている。


「――――と、いうわけで。あなたが裏と呼ぶ世界の事情について一通り教えてくれるかしらお嬢ちゃん」


 こそこそちまちまと情報を集める気など欠片もない。
 その言葉にルビーに意識をのっとられた少女が言葉を返す。魔力を宿すシスター風の制服姿、そんな彼女に向かって平然とつむがれるその言葉。
 麻帆良の敷地内で、麻帆良の魔法使い相手にこのような真似をする非常識さを問えるものはここにはいない。

 ルビーは無傷。彼女は確実に勝てる相手を見定めた後、さらに霊体化したまま背後から襲いかかっているのだ。
 負けようはずがない。
 意識を奪われた彼女が正気を持っていれば突っ込んだだろう相手の非常識な行いとその技量は誰に知られることはなく、彼女もそれを指摘することもせずに口を開く。

「――――一般的に裏の技術とは、気を扱うものと魔法を扱うものの俗称です。この学園でも、気を使う人物も含め、魔法使いはひとまとめに魔法関係者と呼称されます。この中でもさらに魔法世界からこの世界に来ているものと、この世界で生まれ裏の技術を学んだものの二通りが存在します。わたしも以前は魔法世界に住んでいました。この学園都市で私以外の魔法関係者は、魔法使いである教師のほかに、魔法を知っており協力をすることを前提に入学した生徒、教師に事情を話され学園に協力している生徒、学園とは無関係に存在する魔法関係者、一般人ながらある程度の情報を知ることが許されている生徒などがいます。わたしはそのうち入学前から魔法を知っていた生徒として学園の魔法関係の雑務を手伝っています。現在は警備のための巡回中でした。この学園内の主だった魔法関係者は、麻帆良学園の学園長兼関東魔法協会の理事である近衛近右衛門学園長。麻帆良学園教員兼広域指導員である高畑先生、同じく麻帆良学園教員の瀬流彦先生、二ノ宮先生、ガンドルフィーニ先生、弐集院先生、明石先生、葛葉先生、神多羅木先生、シスター・シャークティ――――」

「名前はそこまででいいわ。魔法世界っていうのについてをお願い」

「――――その世界は、魔法世界(ムンドゥス・マギクス)もしくは、魔法界(マギアニタース)と呼称されます。一世紀前までは魔法世界人にとってこちらの世界は伝説かお伽話だと思われていたそうですが、現在は交流システムが確立されています。こちらの世界においては魔法世界の存在は秘匿されていますが、魔法世界においてはこちらの世界についての秘匿は行われていません。ですが魔法世界はその世界の特性上こちらの世界のことを知らない住民も多くいます。また魔法世界の一般人が魔法学校に通っているわけではなく、こちらの世界と同程度の能力の人間も多く存在します。魔法世界の総面積は地球の約3分の1程度、人口は6~7億人ですが、魔法使い……これは気や体術使いを含めた“一般外の人間”のことですが、このような人物はすべて合わせても一億人以下と推定されています。ただ魔法世界は獣人など厳密には人でないものも多く、その判断しだいで上下しますが、それでも一億人を超えることはないでしょう。魔法世界は都市国家制をとっており、国家に属さない辺境や、国によっては奴隷制度なども残っています。通常技術については国家ごとに大きな開きがあり、この世界で言うところの中世レベルから、こちらの世界で用いられる現在の科学を超越した魔法技術までが幅広く日常レベルで存在します。技術交流もないわけではありませんが、こちらの世界と比較すると非常に緩やかです。また、こちらの世界は魔法世界からは旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)と呼称され、現在は世界に十一箇所あるゲートで結ばれており――――」


   ◆


「――――さま、お姉さまっ!」
 自分を呼ぶ声に高音・D・グッドマンは目を覚ました。
 目を開ければ自分をゆすっている佐倉愛衣の姿があった。
「愛衣? どうしたのです……ここは?」
 きょろきょろとあたりを見渡す。学園内だ。休息用のベンチに横たわっていたようだった。
 頭をはっきりとさせていけば、自分は見回りの最中だったことを思い出す。
 そうだ、確か見回りの最中にすこし疲れて……

「ああ、ごめんなさい。すこし休もうと思っていたのですけど、眠っていたようね」

 ほかにとくに言うべきことはない。だってほんの少しの休憩。わずかな休息。
 別段報告すべきことが起こったわけじゃない……

 そう考えて、高音は見回りを再開した。
 その日はとくに異常なし。


 それから数日後に起こった魔法世界へのゲート襲来事件について、彼女はこうコメントする。

「ええ、あそこは、わたしも使用するゲートだったので驚きました。――――ええ、はい。それにこっそりと教えますけど、私は転送担当の方と知己でして、あのゲートのことなら開く時間から警備スケジュールまで結構知ってるんですよ、私。まあ、だれにもいえませんけどね。麻帆良も大概問題が多いところですが、やはり麻帆良と関係ないところでも事件は起こっているものですね」

 死者ゼロ人。ゲート半壊。重軽傷者多数。
 魔法の国との移動をつかさどる大施設。そこに起こった前代未聞の密航事件とそれが露見した後に起こった犯人の逃走。
 魔法世界を騒がせた大ニュース。麻帆良にまで話が流れたその事件があったわけだが――

 ――まあ世の中の事情とは知ってみればたいていがこのようなものである。




[14323] 第2話 夢を見る話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/05 00:10

 ルビーとは、それなりの関係を築けたのだろうか。
 結果としては、悪くもよくもなっていない。
 もちろん仲良くなったというわけではない。
 不干渉という意味である。


   第2話 夢を見る話


 ルビーが現れてから早数日。
 宣言どおり、あの女は大筋を説明した次の日の朝にはわたしの目の前から消えていた。
 朝起きれば、わたしはいつもどおりの布団の中で、昨日一晩妹への愛を語り続けてわたしの夜更かしの原因となった自称魔法使いの姿はどこにも見えなかった。
「……」
 もちろん、わたしがそれに驚くことはない。ルビーは妹を助けるために平行世界を旅していて、この世界でも今までの世界と同様にこの世界の妹を助けるために動いているはずだ。重複存在を助けるという行為にどれほどの意味があるのかはわからないが、その決意だけは本物のようだ。
 昨日の話が本当ならば、彼女は今頃、世界を回ってその妹さんとやらを影から助けるため奔走しているのだろう。

 正義の味方。そんな陳腐なイメージか。
 まあ、わたしとルビーとの関係はそのようなものである。
 わたしは、世界の悪と戦うためにマスコットキャラを肩に乗せてほうきに乗る必要はなかったし、悪の手先に命を狙われる生活を送るようなこともなかった。
 あの日の出来事としては、ルビーなどより宮崎とそこそこ仲良くなったことのほうが日常に大きく変化をもたらしたといえる。
 まあ、少しばかり休日に遭遇して、話が盛り上がったからといって、それでその次の日から親友になるわけがない。
 だが、わたしとしては変人だらけのあのクラスにおいて、おおっぴらな側の変人である早乙女と、隠れてはいるものの考え方は普通とはいえない系の変人である綾瀬との友人である宮崎は、実は非常にまともな考え方を宿していることを知れたのがでかい。
 簡単に言えば、わたしもクラスメイトというくくりで偏見を持っていたということだろう。

 わたしと宮崎は、大して関係が変わることもなく、目が合えば軽く会釈をして、帰り道に偶然あえば会話を交わしながら一緒に帰る、それくらいの仲に落ち着いた。
 だが、それでも、クラスメイトとほとんど交流を持たない長谷川千雨にとってはそれなりの大事だったのだ。
 まあ、つまり魔法使いとの遭遇は、わたしに魔法という世界観を植え付けただけで、日常そのものには本当にたいした影響を及ぼさなかったのだ。

 さて、そのまま日常が続いた、と続けばいいのだが、そう上手くもいかなかった。
 わたしはこの学園に潜む魔法使いを探そうともせずに、いつもどおりに学校に行き、そのまま帰宅してはネットアイドルとしてホームページを更新するという作業を繰り返していた。

 つまりわたしは舐めていたのだろう。魔法の意味を。魔法使いという存在を。
 ただ魔法が使えるだけで、とくにそれ以外は普通の人間だろうと、そう考えていたのだ。
 普通の人間に特殊な技能。特殊な人間がいるだけだと。
 銃を持っていようが、大金を持っていようが、日本刀を持っていようが、わたしのクラスメイトが一般人と根本的なところがほとんど変わらないのと同様に、魔法使いだって、その実は同じに違いない、と。
 しかし、ルビーとあってわずか一週間で、わたしは魔法使いに関わることの意味を知らされた。
 魔法使いを傍目に見るのとはまた別な、魔法に“関わる”ということの真実を。

 そう、その日、何事もなかったかのように床につき、わたしは一応の約束に従って宝石のネックレスを手に巻いていた。
 今思い返しても、それが起こった瞬間、わたしは寝ていたはずだ。
 しかし、その出来事は確信を持って記憶している。
 始まりは、手に持つ宝石の輝きとそこから吸い取られるわたしの“魔力”だった。

 ルビーは、最初の日に言っていた。わたしの役目は魔力を吸うことであり、それを使って彼女の“目的”を果たすことである、と
 わたしはとくにそれについて意識することもなく、
 とくにそれにより、わたしが何か被害をこうむることもなかったのだ。

 その日も別段直接的な被害を受けたわけではない。
 ただ夢を見ただけである。
 ただ夢を見て、それで終わり。
 ただの夢、頭の中だけの自作劇。
 そんな意識の中だけの情景で、
 わたしは

 ――――ルビーの心の中にある地獄の風景を追記させられる羽目になったのだ。


   ◆


 ――わたしはただ夢を見る。

 殺さなくてはいけなかった。
 だから殺した。

 ――わたしはルビーの夢を見る。

 殺したくはなかった。
 だけど殺した。

 ――わたしはルビーの過去を見る。

 殺すつもりなんてなかった。
 でも、殺した。

 ――わたしはルビーの罪を見る。

 わたしは百の人間を血に沈め、千の人間を地獄に落とし、万の人間を犠牲にし、
 だけどわたしがそれを悔いることはない。


 ――そうして無限の死を経験し、わたしは最後にすべての始まりの夢を見る。


 泥にまみれたその世界。
 闇にまみれて、血にまみれて、死にまみれたその世界。
 長谷川千雨は夢を見る。
 そんな地獄の夢を見る。

 わたしはそこに立っていた。
 目の前には、ついにたどり着いた敵がいる。
 わたしがずっと悲願としていた倒すべき敵がいる。
 倒せる手段がある、倒すべき意思がある。
 だが、わたしの心はズタズタだった。
 だって、わたしが倒すべきだと願ったのは、ただひとつの理由があったためである。
 だって、わたしが“そいつ”を倒すために世界中を回ったのは、絶対に譲れない理由があったためである。
 そう、わたしが願った理由があって、
 わたしはそのためにこの目の前に立つ男を殺そうと駆けずったのに

 ――――なあ、遠坂の娘子よ

 その口でわたしにしゃべりかけるな、魔術師よ。

 ――――お前は何のために、ここにいる。

 その口で、わたしの理由に干渉するな、蟲使い。

 ――――なあ、遠坂凛よ、遠坂の跡継ぎよ

 貴様はいったいなにをしているのだ、マキリの蟲よ

 ――――遠坂の家名も捨てて、遠坂の誇りも捨てて、その果てに願ったものがこんなものか、遠坂の最後の名乗り手よ

 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ、その手を離せ虫けらよ。

 ――――なあ、遠坂凛よ、お主はそんなにこれが大事かのう?

 その手で、桜に触れるな“マキリ臓硯”

 腐った体、爛れた体。溶けた体、朽ちた体。
 一つの死体に、千の蟲。
 なあ、これはいったいどういうことだ?
 なんだあれはなんだこれはなんだそれはなんなのだ。
 なぜ、なんで。

 なぜ、桜が死んでいる?

 その死体を前にしてルビーは嘆く。
 体中から血を流しながら、
 目から血を流しながら、
 口から血反吐を吐きながら、
 呪いと魔術をつむぎながら、ルビーは叫ぶ。
 妹に謝りながら、ルビーが嘆く。
 妹の遺体を目の前に、己の無力さに歯噛みする。

 彼女はただ、自分の無力に涙する。
 彼女はただ、自分のおろかさに懺悔する。
 ただその悔いを晴らすため、ただ目の前に立つ仇を殺すため、彼女は手に宝石を掲げ持つ決意を持ったその情景。

 無数の蟲に囲まれて、長谷川千雨の内側で、カレイドルビーが泣いていた。


   ◆


「――――最悪の目覚めだ」
 朝日を浴びて、ベッドの中で目を覚ます。寝汗がひどい。
 起き抜けに感じたのは、たとえようもないほどの吐き気と寝汗でびっしょりとぬれた寝巻きの感触だった。
 夢だということを納得させるために、体に穴が開いていないことを確かめなければならなかった。
 夢だということを確かめるために、腕がまだついていることを確かめなければいけなかった。
 わたしは、自分が長谷川千雨であることを思い出すためだけに意識を費やして、やっとベッドから起きたときには、数時間とたって、すでに昼を過ぎたあとだった。
 幸い今日は休日か。そんな些細な記憶を思い出すだけで汗をかき、顔を洗いに洗面所に歩くだけで体中から悲鳴が上がる。

 ふらつきながら、ベッドに戻る。
「筋肉痛か? てかありゃなんだよ、おい」
 返事を期待せずに声を出す。冷静さを自覚させるためだ。
 だが、それには予想に反して返事が戻った。
「フィードバックよ。魔力が枯渇して、貴女に肉体に影響が出たの。筋肉痛というか魔力のオーヴァーフローで筋繊維が断線したんだと思うわ」

 あわてて声がしたほうを向いた。
「ルビーかよ。帰ってきてたのか」
「ええ、まあね。参ってるみたいじゃない」
「人生で最悪の目覚めだったよ」
「たかだが十数年の人生でなにいってるのよ。筋肉痛くらいでしょ」
 ため息を吐かれた。まだガキであることは否定しないが、それでも、あまりに無責任な言葉に少し腹が立つ。
 しかし、同時にあきれたようにいうそいつの声色で、あの夢にこの女が関知していないことを悟った。
 死の情景、暗い世界、赤い世界、黒い世界、終わりの世界。
 あれは否意図的か。

 ため息を吐いた。
 だとすると文句をいうのも気が引ける。
 遠慮というわけではなく、あれはこの女にとっての存在意義そのものだったはずだ。それを勝手に覗かれたと聞けばさすがにこの女も笑ってはいられないだろう。

「うるさいな。てめえの所為じゃねえか。なんかあったのか? すげえだるいし、これがあんたの言ってた魔力を吸われたってやつかよ」
「ええ。一応目的のためにまい進してきたってところね。まあ、達成できたかどうかは微妙なところだけど」
 どういうことか、と首をかしげた。あれだけの思いをさせられておいて、成果がないといわれれば、さすがに悲しい。

「この世界は違いすぎるのよねえ。ずれすぎてて、わたしの目的に会わないのよ。平行世界というか別世界過ぎるわ。あの子の因子を持ってる女の子はいるけど、別段平和に暮らしているし、マキリどころか遠坂がなく、魔法使いがあふれる世界に聖杯戦争どころか魔術がない」
「……目的って、桜さんを助けるってやつだよな」
 少し躊躇したが、口を挟んだ。ルビーが目を丸くする。
「え、ええ。そうよ。わたし、桜の名前を行ったかしら?」
「やっぱりな。悪いがあんたの過去っぽい夢を見たんだよ。あんたがぼろぼろで、まわりもひでー有様だった。はっきりいって一生もんのトラウマだぜ」
 軽く舌打ちをして、昨日の夢の話をした。

 思い当たる節でもあるのか、ルビーはすぐに話を了解した。
「あー、夢か。貴女をそこまで引っ張るくらいやばかったみたいね。ああ、さっき言ってた今日の目覚めが悪いってそういう意味か」
 ぺちりと頭をたたいた。
「それはごめん。昨日はちょっと大変でね。制御が外れちゃったみたい。あなたの魔力を吸い取ったくらいですむと思ったけど、共感しちゃったか」
「傷ついたってどういう意味だ?」
「わたしの魔力がなくなったから、足りない分をあなたから吸い取って治癒に当てたのよ。魔力を吸い取るということは間のつながりを強化するということだから、夢……というか、意識が逆流しちゃったんだと思うわ。ちなみに、あなたの魂が傷ついたらわたしから魔力を流せば治癒できるわよ。あんまりやりすぎると、あなたが人間から遠くなっちゃうから使わないほうがいいでしょうけど、わたしくらい技量があって、わたしを材料として使うくらいの気持ちでいれば、肉体が残ってればある程度死んでても蘇生させられるはず。この辺は聖杯戦争みたいな従者がほとんど霊的に同格に位置づけられる契約の利点ね」
 こいつは、慰めたいのか、怖がらせたいのかはっきりしてほしい。
 まあわたしが、突然半漁人に変身することもなさそうだし、早晩に死ぬ予定もないので、流すことにした。

「で、大変ってのは? 何かあったのか?」
「この世界を調べるために旅をして、その結果目的を失って厄介ごとを背負い込んだって感じよ」
 はあ、と息を吐きならがルビーがいう。
 だがその動作とは裏腹に落ち込んだような印象はない。むしろ浮かれているのを誤魔化しているようにすら感じた。
 目的を失ったという言葉を吐くわりに、その口調に悲壮感は感じられない。
「目的ってのは桜さんのことか?」
 こいつの口にした、世界を調べるという言葉に首をかしげながら問いかける。
「ええ」
 ルビーがこくりと頷き、にやりと笑う。
「でも、桜の件に関しては解決してるわ」
 その口から漏れたのは、なかなかに意外な一言だった。
 派手な登場と、昨日のトラウマで、こいつは大魔王と一戦やらかすような旅をしているのかと思っていた。
 たかが数日で解決されては、敵も立場がないだろうに。
 表情を読み取られたのか、ルビーは説明を続けた。

「千雨、わたしが平行世界を旅してるって話は昨日したわよね?」
「ああ、旅というか召喚されながら移動してるんだろ。旅行と移動は別もんだって力説してたじゃなねえか」
「ああ、覚えてたんだ。まあ正確に言えばそうね。わたしの魔法は平行世界の移動ではなく、基盤の管理と運営よ。管理って言ってもメンテナンスじゃあなくてコントロールのほうだけどね。これもすごいリスクを背負ってやってるんだけど、その一番の問題っていうのが目的地を選べないことなのよ」
「それも聞いたな。わたしじゃなくてもよかったんだろ。召喚者はあんたに縁のある宝石を拾って一定以上の魔力を持っていれば誰でもいいとか……」
 ふと浮かんだ疑問に言葉が止まった。
「……? どうしたのよ、急に黙って」
 渋面をしたわたしにルビーが声をかける。

「魔力を持ってるとか言う台詞が自然に出ちまったことに絶望してただけだ」
 軽口の態を装って誤魔化した。だが一応これも完全な本心である。
 長谷川千雨は魔法なんて現象を信じたくはなかったし、有ったことを知った後も関わりたいとは思っていなかった。
 関わらなくてはいけないといわれても、一般人の立場からこのルビーに関わっていたかったのだ。
 たかが数日でこの騒ぎ。

 そして、わたしはといえば、それに感化されたのかルビーに対して魔法なんて言葉を軽口に乗せるようになっていた。
 純朴な女子中学生には影響力が強すぎる。
 いい面でも、悪い面でも、である。

 正直なところ、昨日の夢で発狂していないのも、わたしが日常からの乖離をあまりに自然に受け入れ始めていることも、こいつの所為だ。こいつの“おかげ”といってもいい。
 わたしもかなりの順応性があるとルビーが力説していたが、それはこいつが余り深刻なことを言い出さないことが大きい。
 魔力だのを、まだ遊びというか、大人の秘密を探る子供の気分で聞けていたからだ。

 話術というか、影響力というか、ルビーは上にたつものとしての風格があった。あまりこいつにカリスマという言葉を用いたくはないが、まさしくそれだ。スキル:カリスマB+。
 わたしがあまりに簡単に魔法なんてものに対して理解を示した理由の第一はそれである。
 それが覆ったのが、今日の朝だが、それでも初対面からのルビーの影響が、まだわたしの精神を守っていた。

 正直なところ、ルビーにあっておらず、またあの夢の中で自分がルビーの過去を追体験しているだけであることを早々に自覚していなかったら、あの夜を境に心が潰れるか発狂していた自信がある。
 これは、ルビーにはいえないが、あの瞬間過去のルビー自身は気がおかしくなっていた。
 それを自覚し、さらに客観視できたからこそ、わたしはあのような地獄の世界を脳に流し込まれても、こうして平静を保っていられる。
 言い方は気に食わないが他者の発狂の様を、自身の安定剤としたのだ。

 しかし、ルビーはというとその辺の意識はないらしい。
 わたしがあの夢を見て、平常心を保っているのは、わたしのスキルによるところが大きいと評価しているようだ。
 だから、わたしの軽口にルビーは肩をすくめただけだった。

「往生際が悪いわねえ。魔法使いに関わっといて」
「日常会話でポロリと出ちまったら困るだろ。いまだに宮崎に魔法使いに取り付かれてるなんてしゃべっちまったことに後悔してるんだ」
「ああ、そういえば、あった日に言っていたわねえ。大丈夫じゃない? 信じてない……というかあれで信じたらご同類でしょ」
「あんたの同業には目をつけられたくないし、宮崎が軽口でもその話題を出したらあんたのことが漏れるかもしれないだろ。というか、桜さんの件が解決したって言ったが、もう出てくってことかよ」
「あらあら、嫌われたものだわ」
「当たり前だ。で、どうなんだ」
 肩をすくめた女に問いかけた。はっきりいって一番の重要事だ。
「桜本人はいないけど、桜の因子を持った人間はいるわ。この世界にもね」
「ああ、そういってたな」
 ルビーはそういったわたしに、にこりと微笑む。

「でもあまりに外れている。この世界は違いすぎるのよねえ。ずれすぎてて、わたしの目的に直結しない」
「あっ?」
「桜は悲しんではいなかった」
「……いいことじゃないか」
「ええそうね。その子はずいぶん幸せそうよ。わたしの仇であるはずの蟲の使い手はそもそも虫など使わずに天寿を全うし、そいつと関わっていない彼女の家には魔術に関わるものはなにもない」
 才能はあるみたいだけど、本人は気づいてないみたい、と微笑んだ。
 真剣に語るその目に違和感を覚える。

 だがルビーはそんなわたしに頓着することなく言葉を続ける。
「この世界は魔術がない。魔法と呼ばれる神秘の体系において、遠坂の系譜も間桐の系譜も存在せず、その子はただの一般的な人間として生きていた」
「……じゃあ解決じゃないか」
 その言葉にルビーが笑う。
「違うわ」
「はっ?」
「わたしの願いは桜の救済。桜の仇討ち。桜の幸せを実行することであって、確認することではないのだから」

 その言葉の意味が一瞬取れなかった。

「バカかよお前」

 内容を了解した瞬間に声が漏れた。
「でも、わたしの目的にはそぐわないことに変わりはない」
「んな禅問答しても意味ないだろ、それじゃあ――――」
 まるでそれでは、

「まるでそれでは、わたしが、桜の不幸を望んでいるようだっていいたいの?」

 考えを読まれた。
 そう、彼女の言を受け取るならば、それは一度桜さんが不幸にならなくてはいけないだろうということだ。
 目を丸くするわたしをルビーはわらう。
「正義の味方が働くには悪がいる。必要悪ではなく純粋悪。外道に属する悪がいる。正義の味方はその存在のために悪を望み、桜の救い手はその矜持のためにほかならぬ桜の不幸を望む。バカらしい? ええ、分かっているわ、これは本当にバカらしいことなのよ。でもわたしは何もしないということは“出来ないの”」
 その目をのぞき、わたしは言葉を失った。
 それは狂信の目、それは狂気の目、それは理性を残しながら理性を捨てた悪魔の瞳。
 あまりに唐突な変化に不意をつかれ、わたしの体がその瞳に飲み込まれる。

「ねえ、千雨、あなたはわかっているかしら、わたしは何もしないのは許されない。必要ないなら未来のために行動するし、いまは要らなくても、未来に必要になるかもしれないなら命をかける。そのためにはあらゆるものを犠牲にしてね」

 あらゆるものとはルビー自身のことではない。それは他人のことだろう。桜さん以外のすべての人物、すべての生き物、世界のすべて。
 世界すら桜さんとはつりあわないと告げるその狂気。
 ああ、わたしはなんてバカなのか。
 あの夢の中で、わたしは確かにあいつの姿をみたはずなのに。
 あいつが狂っていた、その姿を目に焼き付けていたはずなのに。
 わたしは、あの情景を恐怖したはずなのに、

「ねえ、千雨。人の夢を覗き見て、それでわたしを理解したとでも言うつもり」

 あの夢で見たカレイドルビーは狂信の瞳を宿して嗤ってた。
 殺してやると嗤ってた。
 滅ぼしてやると叫んでた。
 妹の亡骸を胸に抱き、その呪詛をつむぐその姿に、わたしは恐怖したはずなのに、
 わたしはそれを忘れていた。
 カタカタを震え始める体をかき抱くわたしに向かい、ルビーは言った。

「ねえ、千雨。わたしの望みについて、あなたはいったいどれくらい理解しているつもりなの?」

 ぺろりと、彼女がわたしの頬をつたう涙のしずくをなめ上げる。


   ◆


 ルビーはわたしを前に等々と言葉をつむぐ。

 ねえ、千雨。わたしはあなたに説明したわ。
 わたしの技術は移動であって、旅行でない。時間移動も世界移動も“旅行”には至らない受動的な行いよ。それは戻れないということ。それは影響を与えるということ。それは取り返しがつかないということ。
 わたしの移動は、世界に依存するものであって、わたしが行うものではない。
 それは目的地が定まらないということ、それは戻れないということ、それはわたしがただ現象に依存しているだけだということ。

 千雨、わたしのこれは技術じゃないの。“現象”なのよ。
 わたしは桜が死んで、その仇となった男を恨んだ。
 そして、死に際にその男を殺すことだけを願って“わたしはわたしの身を世界に売った”
 わたしはこの身を英霊という名前の掃除屋におとしめて、その対価としてこうして世界を旅する技術を身につけた。
 意味がわかる? わたしはね、この身を空に上げた対価として“桜を救わないといけないの”
 桜を救うために生きたわたしには、桜を救わないという選択は許されない。
 意味がわかる? 長谷川千雨
 あなたは言った、わたしの夢を見たと。
 あなたは言った、わたしの過去の夢を見たと。
 あなたは言った、あなたはわたしがすべてを投げ打つその瞬間の姿を見たと。

 わたしは、あの瞬間から桜を救うための存在となった。
 ゆえにわたしは桜を救わないと生きられない。
 桜を救う願いが、桜を救わなくてはいけない呪いとなってわたしを縛る。

 桜を助けなくてはいけないけれど、この世界の桜は平穏無事に暮らす一般人。
 間桐臓硯を殺さなくてはいけないけれど、わたしの仇は善良な一人の好々爺として数代前に死んで墓の中。

 困るのよねえ、聖杯戦争の真っ只中に呼ばれたほうがよほど楽……なーんていってしまったら、きっと罰を当てられてしまうだろうけど、それでもそう考えずにはいられない。
 見守ってあげてはいるのだけれど、それではらちが明かないし、それでは寿命が尽きるまでわたしが離れる事が出来ないでしょう?
 魔法少女のルビーちゃんはね、アニメの魔女っ子と違って、あらゆる人間に不公平。
 だけど、桜にだけは公平でなくてはいけないの。
 この世界の桜の幸せを願って臨終まで立ち会えば、それはほかの桜の幸せの定義と乖離する。
 魔法は厳密、魔術は厳格。線引きは絶対の規範となってわたしを縛る。
 だからわたしは困っているの。救う必要のない桜のために、わたしはいったい何をすればいいのかってね。


 ――――だからわたしは考えた。


 彼女に力をつけてあげようと。
 彼女に今後困ることのない状況をととのえてあげようと。
 とっても無知な彼女のために、この世界について教えておいてあげようと。

 さすがに不幸は望まない。だけど未来に備えて不幸を撥ね退ける力を与えるくらいならば、きっと桜の邪魔にはならないでしょう?

 わたしはそのために力がほしい。わたしはそのための力がほしい。
 今後、危ない目に巻き込まれるかもしれない彼女のために力がほしい。
 今後、危険な目にあうかも知れない彼女のために保険がほしい。
 わたしは桜に捧げるための力がほしい。

 戦いはわたし一人で出来るけど、この世界での桜の救済にはきっとこの儀式が必要よ。
 わたしが何を言いたいのかが、聡明なあなたにはきっとわかっているでしょう?
 ねえ千雨。
 これは正式な申し出よ。

 ――我が御霊を汝の下に、我が命運は汝とともに。
 ――――我が誓いの戒めに従い、この身を汝に預けましょう。
 ――――――我が契約は汝の魂と結ばれる。刻印はその腕に刻まれる。契約は世界に記される。

 わたしの心がとらわれる。
 カリスマとは突き詰めれば強制力に連なる呪いである。
 催眠術にでもかかったかのように、手が伸びる。
 わたしはやつの差し出した手に魅入られて――――


 ――――さあ、わたしの手を取りなさい。これより、あなたがわたしのマスターとなるのです。


   ◆


 パシリ、とやつの手を撮った瞬間に、そのつかんだ手から紫電が走る。
 同時に二の腕に痛みが走った。
 その瞬間冷や水をぶっ掛けられたように、目が覚めた。
 いまわたしは何を言った? こいつはいったい何を口にした?
 冷静さを自覚する。
 平静を保つことにかけては自信があった。
 こいつだって言っていた。わたしには“そういう魔術を跳ね除ける先天技能”が備わってると。
 だから、わたしは誤解した。
 だから、わたしは慢心してた。
 バカらしい。そんなことを言われたくらいで、自分はあらゆる誘惑を撥ね退けられるとでも思っていたのか?

 ただほかの人間より、おかしさに対して冷静さを保てただけだ。
 クラスメイトの奇怪さに気づいていただけで、わたしはただの人間だ。
 多人数用、十把ひとからげの汎用魔法にほんの少しばかり耐性を持ってる人間ごときが、一対一の魔法に太刀打ちできるわけがない。
 魔法使いがほんの少し本気になれば、それでもうわたしは抵抗できない。
 後悔の念が頭を占める。
 わたしはあわてて、ルビーの手を振り払った。

 強張った体から力を抜いて、わたしはことさら平静を装って口を開いた。
「だからってどうすんだよ。桜さんを不幸に落としてから救うってわけじゃないんだろ、バカらしい。力を与えるだかなんだか知らないけど、桜さんに魔法の力でなんかするのはあんたの都合だ。それにわたしを巻き込むな。逆切れすんなよ、魔法使い」
 その言葉に、ルビーがキョトンと目を丸くした。

「わたしに愚痴ってどうするんだってことだ。巻き込まないんだろ。いま、わたしに何をする気だったんだ、お前?」
 へえ、とルビーがつぶやいた。
「驚いた、あなたホントに才能あるわよ。先天的な技能だけじゃなくてね」
「おべっかのつもりか? さっさと答えろ」

 ルビーが肩をすくめた。
「マスターになってほしかったのよ」
 割とあっさりと答えるルビー。
 その飄々とした表情に違和感を覚えた。
「まて、わたしは宝石をとった時点で自動的にマスターになったんだろ」
 いやな予感を胸に感じながら、問いかける。

「なったわ。魔力を貰うだけならそれでまったく問題ない。パスを通すだけだから手順も楽だし、手間もない。でもね、一緒に戦うとなったら、それじゃあぜんぜん足りないでしょう」
 最高に不吉な台詞だ。
「どういう意味だ? 戦うってなんだよ」
「マスターの名の意味は二種類ある。上に祭り上げられるものと、下を従えるもの。じっくり説得していく気だったけど、この街を含めてこの世界はやばすぎる。魔術の大義名分がずれているから秘匿が秘匿の意味を成していない。だから早急に契約を済ませておく必要があったの」
 街ではなく学園都市だ。心の中だけで突っ込む。

「魔法都市といったところね? 千雨はわたしと関わっちゃった以上、ある程度力を持ってほしかったのよ。でもいまから魔術を覚えても付け焼刃にもならないし、手っ取り早く済ませたかったの」
 いやな予感が高まっていく。
 そう答えるルビーの表情はあまりに普通の笑顔だ。
 だが、それで安心できるというわけではない。
 こいつは笑いながら嘘をつき、微笑み混じりに狂気を語る魔女である。

「いったでしょ。いうことを聞かせるにはハッタリからって。わたしの願いはそんな難しい縛りじゃないわ。わたしは桜を幸せにするのが目的だもの。幸せな子をもっと幸せにするくらい簡単なのよ。別段手が無いわけじゃないわ」
 さっきの脅かしを全部ひっくり返すような言葉だ。舐めてるのかこいつは。
「だったら、さっきのはなんだったんだよ」
「初めの日にいったじゃない。びびらせておけば、後々が楽だってね」
 飄々と語られるその言葉に目をむいた。
 つまり、こいつの狙いってのは。

「桜を助けに来て、別件を背負い込んだ。異能は異能を呼び寄せる。一歩目までが長くとも一歩目を踏み出せばそこから二歩目まではとても短い。千雨。あなたはわたしと知り合った時点ですでに一歩も二歩も踏み出している。いまさっきの契約は海老で鯨を釣ったくらいに手ごたえばっちりだったわよ。千雨、袖をめくって御覧なさい」
 それは初日にも言われた言葉だ。
 その言葉に従って袖をめくり、数日前には、いや数分前には存在していなかったソレに絶句する。
「刺青?」

 そこには“くすんだ色をした”三画で描かれる文様が刻まれていた。

 先ほどの現象を思い返す。腕を差し出す魔法使いと、その腕を取ったこのわたし。走る紫電に、二の腕に走った痺れる痛み。
 なんてこったい。同じような手ではめられたってことなのか。

「令呪よ。わたしの力を増幅させる文様魔術の最奥秘。“あの場”でもないのにこれを出現させるのは割りと大変なのよ。普通の魔法使いじゃあ、解析に百年、再現にもう百年、実現する場を整えるにさらに百年ってもんよ。召喚されたときに刻まれてくれていたら話は早かったんだけど、そうも行かなかったみたいだからね。こっそりと準備してたのよ。どれくらいこれがすごいことか説明してあげましょうか?」
 自慢げに語る魔法使いを呆然とした目を向ける。
「……ふ」
「ふ?」

「ふっざけんなあぁあぁぁぁ」

 思い切り殴りかかったわたしを一体誰が責められようか。

   ◆

 赤子の手をひねるように取り押さえられたあと、話を聞くように説得された。
 わたしはといえば、この洒落になっていない状況に胃がキリキリと痛むのを感じていた。
 ピアスだって正直遠慮したいってのに、刺青だ。
 親に貰った大事な体。女性としてそれなりに大切にしてきたというのに、二の腕に馬鹿でかい模様を刻まれた。
 魔法使いが現れたときよりも、ある意味ではへこまされた。

 ため息よりも涙が漏れそうだ。
 未練がましく、腕をさすっていると、さすがに自重したのか、トーンを落としてルビーがしゃべる。
「ごめんねえ。それは消えないわ。わたしが消えたら消えるけど、まあまずそんなことはないでしょうね」
 予想通りの返答に、もう半泣きだ。
 しかもこいつはとくにそれを問題視している雰囲気がない。おかしいだろ。
「それは令呪って呼ばれる不可能を一時的に可能にする簡易発動型の魔術式よ。あなたが願えば発動するわ」
「……どういうことだ?」
 本題に入ったようなので、落ち込むのを一時保留して問いかける。

「その模様に意識を集中してわたしに対して何かを願うのよ。一画一回。三回までならわたしに命令できるってわけ。ランプの精そのままね、尊敬すべき我が先祖のことながら捻りがないわあ」
「……何?」

 おちゃらけた口調とは裏腹な内容にたたずまいを直した。
 どういうことだ?
 こいつはいま命令権と口にした。
 それでは、こいつの言い分と矛盾している。

「きちんと教えろ。令呪っていうのはなんなんだ? わたしの魔力とかと関係するのか」
「なにいってるの? しないわよ。令呪はその文様のみで完結する。あなたがわたしに対して願うことで発動する絶対的な命令権。本当は聖杯戦争って呼ばれる戦いで使われる技術でね。再現するのはものすごい大変なんだけど、その分使い道は広いし、効果は抜群よ。わたしに対して願うことで令呪の力でわたしの力を増幅できるのよ。攻撃を死ぬ気で放てと願えば力は三倍、あなたが危ないときにわたしを呼べばわたしがどこにいても一瞬というわけよ。反対にわたしにあれをするなとか、これをしろとかも命令出来るわ。どんな内容だろうとね。もともとは反逆防止用って触れ込みだし」
 絶句した。
 別段物言いに驚いたわけではない、この女が語るその効果に驚いたのである。
「?」
 ルビーが驚きを隠せないでいるわたしに不思議そうな顔を見せる。

「お前それはさすがに間抜けすぎだろ」

 首をかしげたルビーにいう。
 自覚がないのか、この女。
「それじゃ、あんたに悪い願いでもかなえられるってことか? どっかいけとか、わたしに対して何もするなとかさ」
 侮蔑気味の言葉をつむぐ。
 いきなり切れられるか、脅されるか、とも思ったが、ルビーはどちらも選ばなかった。
 軽く微笑んだだけだ。
「あー、まあそれはあるかもねえ。いきなり死ねとか命じられなかっただけ、あなたの冷静さには感謝するけど、それはあなたがピンチのときにわたしを呼ぶためにも使えるからあんまり無駄遣いをしないほうがいいわよ」

「わたしが使わないだろうとかおもってるのか?」
 その返事は肩をすくめる動作だった。
「千雨。わたしが桜を探していたっての話はしたわよね?」
「ああ」
「桜は見つかって、その子は幸せに暮らしていた。でもね、その子はあまりに普通だった。平行世界とはいえ、わたしの系譜だけあって魔術的な素質はあったけど、魔術師として育てられたわけではないから性格はぜんぜん魔術師向きではなかった」
「それで?」
「でもわたしが来た。わたしが来なければ彼女は魔法とは関わらなかったかもしれない。関わったかもしれない。でもわたしが来た時点で関わることは決定よ。だってわたしから干渉したのだものね」
 疫病神みたいなものね、とルビーが笑った。

「あんたがよく口にする聖杯戦争とか言うのに巻き込まれている桜さんだったら助けになるのに……ってことか」
「ええそうね。聖杯戦争において桜に呼び出されていれば、わたしは彼女を救うことにとくに苦労はしなかったでしょう。内容の困難は別にして、その行動には迷いはないわ」
 いいたいことがわかってきた。
 自分を疫病神と呼称したのはそういう意図か。

「だったらわたしは不幸すぎねえか? 巻き込まれてこの様かよ」
「えーっとね。……うーん、それはごめんなさい。ほんとうはわたしが魔術をじきじきに教えてあげるって言うのが十分な対価のはずだったんだけど、千雨魔術を覚えたがらないんだもの、わたしはこの世界はあんまり知らないけど本当に珍しいタイプよね、絶対。悪魔も神様も魔法使いも、超人願望を持たない人間とは交渉しにくい。できるかぎり便宜ははかるから許してくれないかしら」
 ルビーはさすがに適当な台詞は吐かずに、わたしに対して謝罪した。
「あー、しかし、刺青かよ。正直幽霊以上に困るよなあ、これ」

 さすがにしつこいとも思ったが、あきらめきれずに服の上から文様が刻まれているであろう個所をなで上げた。
「でも、これはあなたのためよ。あなたが危ないことに巻き込まれたときを考えると、絶対に令呪は必要だわ。これがあればわたしが遠出していても、すぐに戻ってこれるし、あなたが助けを求めたときにすぐにわかる。念話じゃどうしても限界があるし、今まで魔術に触れたこと無いあなたが戦闘用の魔術を覚えるのはわりと難しいだろうしね」
「まあ、命あってのものだねだしな」
「そうそう。あって困るものでもないでしょ」
 刺青彫られて困るものでもない、とはお笑いだが、悪気はないようだし訴えても聞きはしまい。

「しかし、交通事故で即死とかだと意味無いよな。この世界は強盗殺人や通り魔に襲われるよりも交通事故のほうがはるかに多いんだぜ、おえらい魔法使いさまは知らないかもしれないがな」
 ルビーはその言葉に肩をすくめた。
「まあ、いいじゃない。吸血鬼や悪魔の類に襲われてから後悔するよりさ」
 明るい口調で軽口をたたくルビー。先ほどから、ご機嫌だ。
 失敗すると思っていたと言っていたし、その言葉通りこの刺青を刻む儀式が成功したことがうれしいのだろう。

「消えないんだよな、これ」
 腕をさすった。
「まあまあ、ホントにすごいんだから。わたしも一回で成功するとは思わなかったけど、すごい技術なのよ。簡便さと効果がここまで高レベルで融合している技術はそう無いんだから」
「失敗前提だったのかよ……まあ嫌がらせでやったわけじゃないんだろうが、もう少し場所を考えてほしかったよ。水着どころか半袖も着れないじゃねえか」
 ぎりぎり七分袖で隠れるか? もし手の甲にでも描かれていたらわたしはきっと暴動を起こしていたことだろう。

「わたしがいなくなるときには消えるけど、基本は消えないからねえ。使えば魔力光は消えるけど、痕が残るなら意味ないだろうし……」
「魔力光?」
「光ってるでしょ。一画使えば、一画ずつ光を失ってただの模様へと劣化するのよ」


 …………えっ?


 刺青が刻まれている二の腕に視線を落とす。先ほどの情景を思い返した。
 ものすごい嫌な予感が浮かんだ。
 ちらりとめくる。
 その部分は当たり前のようにくすんだ灰色だった。
 袖を戻して深呼吸。
 ニヤニヤ笑っているルビーはこちらを見ていない。虚空に視線を飛ばして、饒舌に演説中だ。
 さて再度目を落とす。
 やはり灰色。魔力光なんて見えはしない。
 一拍の空白。

「光ってなんかいないんだが」

 そんな言葉を口にする。
 その言葉に、ピシリと音を立てて空気が凍る。
 わたしはそんなルビーの顔を見ながらため息を吐いた。

 ああ、やっぱりこんなオチか。こいつ実力以前に抜けすぎだ。

「――――はっ?」
「だから、別に光ってなんていないぞ、この刺青」
「えっ……ちょっ、ま。嘘でしょ!?」

 わたしの返事にルビーが飛び上がった。
 さっき見てなかったのかこいつは?
 改めて袖を乱暴にめくり上げ、そこにある色を失った三画の模様をみせる。
 それを見てルビーは呆然と絶句した。
「ちょっとまってよ、まじ? わたし何かミスしたの?」
 それはわたしがききたい。

 わたしを煙に巻くハッタリではなかろう。本気で狼狽していた。
「おいおい、じゃあまさか」
 わたしは刺青刻まれただけかよ、と呟いた。
 そんな言葉も耳に入らないかのようにルビーはふらふらとよろけながらベッドに座る。
 さっきの自慢話が哀れすぎる。

「ま、まあ失敗したならしょうがないだろ。あんただって難しいとか言ってたわけだし」
 なんでわたしが慰めてるんだ?
「……あー、これで心配事が全部消えたと思ってたのに」
 ルビーは本気でへこんでいた。
 だが、それの役はわたしのものだろう。
 結局それでは、わたしは役にも立たない刺青彫られただけではないか。
「うわー、成功したと思ってただけに落ち込むわね、これは。ごめんね千雨。やり直す準備しておくから……」
 いつものわたしだったら、やり直す準備という言葉に突っ込んだだろうが、そんな気力はわかなかった。
 ただ刺青彫られただけでは悲しすぎる。せめてこれが役立つ刺青に変わってくれることを祈りながら、へこたれているルビーにたいして力なく微笑を返す。

「まあ、期待しないで待ってるよ」

 そんな言葉とともに、はあ、とわたしたちは同時に深く深くため息を吐いたのだった。
 あれ、なんか涙出てきた……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 本当は幕話が第2話になる予定だったのですが、分けました。幕話はなんとなく3人称で書きます。
 本編は一応一人称で書くことにします。
 令呪についてはさすがに失敗しますが、戦争やってるわけでもないし、ライバルもいないので、ルビーは結構好き勝手にやります。




[14323] 幕話2
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/12 00:07

幕話2


 長谷川千雨の朝は遅い。
 寝起きが悪いわけではない。純粋に目覚ましのなる時間がこの学園の標準的な生徒と比べて30分ほど後ろにセットされているということだ。
 夜、HPの更新や掲示板の返信、時たま行われるチャットなどで夜更かしすることが多いためである。
 それでも自炊を推奨する寮暮らし。美容のためにも朝食をしっかりとる千雨はほぼ一人部屋ということもあって起きるのが遅いというほどではない。
 小心者の性分か、ルビーがいればある程度の見栄を張って早起きもしていたが、だんだんバカらしくなって今ではとくに隠しもしない。むしろルビーを目覚まし代わりにでも使おうかと彼女は真剣に考えていた。

 目覚ましの音でもぞもぞとベッドが動き、長谷川千雨が起き上がった。
 目覚ましを止めて、伸びをする。
 洗面所に行って顔を洗って、メガネをかけて、いつもどおりの身支度を済ませ、彼女はダイニングで改めてため息を吐く。
 気持ちのいいはずの朝に見合わないその動作。
「どうしてこうなったんだろうな」
「なにが?」
 と首をかしげるルビーの姿。
 その前に、ばっちりとそろった朝食一式を見て、千雨は感嘆とあきらめの混じったため息を吐いたのだった。
「まあ、助かってはいるんだけどなあ」
 なじみすぎだろ、この女。

   ◆

(今日はついているんだな)
(まあいつもどおり途中までね。ちょっと空きが出来たというか、いまは作戦会議中、見たいな?)
(まあ、わたしを巻き込まないなら何でもいいけどさ)

 学校へ向かいながら、ルビーと千雨が会話をしていた。
 実際にしゃべっているわけではない。念話である。
 ラインを通したとか、パスをつなげたとかその辺の内容に関しては千雨はほとんど理解していない。
 いままで口を開かなくてはルビーに対して言葉を伝えられなかった千雨が、人気のあるところで好き勝手しゃべるために、この技術だけは必要だと、ルビーに習ったのである。

 だが、それでお終い。
 彼女はそれ以外に、炎の出し方も、風の操り方も、ガラスの再生も、傷の修復も習おうとは言い出さなかった。
 長谷川千雨には決定的に魔術に対する興味がかけていたためだ。
 ルビーとしては、教えを請われれば十分に教える気もあったのだが、千雨からはとんとアプローチがない。
 だから千雨は、たまにこうして引っ付いてくるルビーと会話をするくらいで、魔法自体にはあまり関わることはないのだった。
 とはいっても――――

(千雨ー、そういえば、ほんとに魔術を覚えないの?)
(うるさいな。そろそろ人も増えてくぞ。口閉じてろよ)
(どうせ聞こえないって。千雨の分までわたしが迷彩かけてるし。それに本気で気をつけなきゃいけないのは数名だけよ)

 嫌そうに千雨の顔がゆがんだ。あらためて、自分を取り巻く環境に思いをはせたためだ。
 初めて千雨の元に来てから、ルビーはまず行ったことは身辺調査である。
 聖杯戦争のような情報システムが確立していない召喚の場合は、自分の立ち位置を知ることから始めなければ、利用されて終わってしまう。
 千雨の周辺は言うに及ばず、同じクラスから麻帆良学園全体に続き、最後はこの世界全体での魔法というシステムについてを調査した。
 その結果のほとんどに、千雨は興味がなかったが、最低限ということで、同じクラスの注意すべき人物の一覧は貰っていた。
 魔法使いであることが確実なもの、おそらく関わっているもの、通常の人間とは言いがたいもの。として渡されたリストにクラスメイトが半分近く載っているのを見て立ちくらみを起こしたのは千雨の記憶にも新しいことだった。
 リストだけで、そいつらがどの程度の存在なのかは分からなかったが、箒も無しに空を飛ぶ魔法使いの口から注意しろといわれるような存在だ。まともではあるまい。

 初日には、麻帆良学園に張られる認識阻害の結界が魔法使いの事を隠すために存在するということにビビッていたが、それは完全に蚊帳の外として考えていた。
 もちろん幼少より世俗と自分自身の認識にズレがあることに迷惑をこうむってきた身である。それが麻帆良学園と世界樹による結界だと聞いたときは、長谷川千雨には、むしろ安心に近い納得があった。
 だが、それでもさすがにその魔法使いというのは警察署長とか、学園長とかそのレベルの人間たちによる独裁的なものだと思っていたのだ。
 魔法に関わった人間というのは、やはりそれなりに怪しげな雰囲気を持っているべきだという偏見があった。
 まさか魔法に関わる人間が自分のクラスにいるとは、と驚いたものである。
 ロボがいるのだ。当然考えるべき結果だったが、こうして改めて告げられると尚更だった。
 しかも、麻帆良四天王だのとよばれるものたちはまだしも、リストには春日美春などのどちらかといえば自分と同じ常識人だと思っていたやつまではいっている。

(でも、それを言うなら千雨もでしょ。あなただってほかの人から見れば、すでに魔法に関わっている人間よ。)
(くそっ、自覚させんなよ)
 ルビーが肩をすくめた。
 千雨からすれば、自分からははっきりと姿を視認できるルビーが、空に浮かびながら自分に話しかけているだけで戦々恐々なのだ。

(せめて、教師までだよなあ……高畑先生はなんとなく納得も出来るが、うちのクラスだけでもこんだけいるっておかしすぎる)
(まあ千雨のクラスは普通じゃないわ。異能の数が多すぎる。2年生のクラスが十を超すほどにあってあなたのクラスだけが異質に異質。わたしが来る前からあなたの特異性も感づかれていたのかもね。でもわたしの隠行はそれなりなのよ。それも含めて正直なところ、そろそろ信用してもらいたいものだけどね)

 あきれたようにルビーが言う。
 千雨としても自分は魔法については大家であるというルビーの言葉を信じたいのだが、やはり一般人として暮らしてきた性か、まさか、もしも、といったことを考えてしまうのだ。
 たまたま自分の横に浮かんでいる人物が視認できる輩が偶然通りかかっただけで、自分の日常はその後永遠に失われるだろう。正直勘弁してほしい。

 だが、これに関してはルビーのほうが正しいのだ。

 おちゃらけた調子と自分の力をそれほど誇示しないルビーの性格によって、どうにも千雨は信じ切れていないが、彼女は魔術の天才と呼ばれた少女が無限の研鑽を積んだその終焉。カレイドルビーを名乗る宝石剣の使い手である。
 現在は千雨を依代としているため魔力の出力そのものに難があるが、そもそもルビーの強みとはその技術であって力ではない。
 宝石剣をもちいた一時的なブーストや生前行っていた天性の魔力量から繰り出される魔術よりも、宝石剣の奥義にたどり着けるその根源的な才能と技術こそがルビーを最強足らしめる要因である。
 ゆえに、まさに技術に依存する結界や迷彩について千雨が心配することは何もないのだ。
 山を吹き飛ばす力と人払いを行う力は別のベクトルである。

「あっ、長谷川さん、おはようございます」
「んっ、おはよう、宮崎」

 教室に入り、たまたま入り口のところにいた宮崎と挨拶を交わすと、千雨は自分の席に直行した。
 カバンを置いて、ふうと一息をついたところで、横から声をかけられる。

「おはようございます。長谷川さん」
「ああ、おはよう」
 相手は綾瀬夕映である。
 手にはいつもながらに、得体の知れない飲み物が握られている。ラベルには大きく乳酸菌と書かれていた。

「やっ、おはよう」
 そしてこっちは早乙女ハルナだ。夕映と話していたままに、夕映の隣に座った千雨に抱きついてきた。
「おい、早乙女、抱きつくな」
「いいじゃーん。ちょっと聞いてよ、昨日のことなんだけどさあ」
「うるさいぞ、さっさと離れろ」

 ぐいぐいと押しのけるががっちりとホールドされて動かない。
 苦笑しながらも綾瀬夕映がとめる気配はない。
 たわいもない会話だが、それが意外と心地よいと感じてしまうのだから長谷川千雨も世話はない。
 正直宮崎のどかつながりでもなくば、千雨が彼女らとここまで親しく口をきくことはなかっただろう。
 それを分かっているので、内心ネットアイドルのことがばれはしないかとビクビクしながらも、千雨はとくに邪険にはしていなかった。

 クラスメイトについて、初日こそ物珍しそうにしていたものの、無愛想なクラスメイトに友達が出来た程度のことで改めて大きく騒ぐことはない。内心は別にしてもそこらへんの空気は読めるらしい。
 千雨が図書館組と呼称されるグループと親しくなったのだなあ、と認識しただけである。

 ちなみにルビーは教室内まではついてこない。校舎どころか中等部前の駅が精々である。
 理由は純粋にばれる危険を冒さないためだ。このあたりも含めてルビーは自分自身の技術に自信を持っていても過信しない。
 ばれない自信はあるが、そんな彼女でも数名が、とくにエヴァンジェリンと名乗る人外はさすがに警戒している。
 だが、それを千雨に告げることはない。
 心配させることでその動揺を逆に悟られても困るからだが、そこまでの警戒が必要なほどに、エヴァンジェリンはやばすぎた。
 ルビーとしては、千雨に目をつけられたくはなかった。
 自分自身が隠れられても千雨が確固として存在している以上、千雨の反応から反射的にルビーの存在を悟られる可能性は十分にある。

 そのため、ルビーは教室自体には入ったことはないし、千雨に過剰な注意をうながすこともしていない。
 よって教室で千雨が図書館組と戯れていたころ、ルビーは学園内を散策していた。

 場所はもちろん。

(さて、今日も攻めますか)

 学園内の魔境、現代のダンジョンである図書館島である。

   ◆

 霊体化して、空をすべる。
 地下にどこまでも伸びる階下式のダンジョンを降りていく。
 本棚を飛び越え、隙間をくぐり、階段を下りて、穴から落ちる。
 たいていの扉はすり抜けられるが、たまに封印がかけられたものがある。目的としては扉を開けさせないためのものだろうが、それが霊体化したルビーの侵入をも阻んでいるのだ。無理やり通っても良いが、自分の存在を宣伝する気はない。

 二時間ほど奮闘して、割合大きめの魔法関係の本棚に狙いを絞った。
 ここで、今日は粘ってみるかと、ルビーは実体化する。
 本を読むためには実体化する必要があるからだ。
 同時に遮音、人払い、認識阻害、偏光屈折による視覚誤認と、必要な結界をすべて張った。
 このあたりの手際は並みの魔術師に太刀打ちできるものではない。
 彼女にとってこれは道を歩くのと同様、息をするのと同レベル、片手間で行う絶技である。
 一瞬にして場を整えると、ルビーはとくにそれに満足することもなくさらに強固な隠蔽用の結界を張り、やっと本を読み始めた。

 それからさらに数時間がたち、無音のまま紙をめくっていたルビーが顔を上げた。
 あらためて時間を確かめれば夕刻か。はっきり言ってこの図書館での隠遁時間としては常軌を逸するレベルである。
 だが、それでも不満なのか、不服そうにルビーは本を戻した。
 意識を本からはずし、耳を済ませるかのように、魔力の流れを感じ取る。
 そのまま数秒して、ルビーは体を消した。
 何一つ強行を考えずに、逃げを打ったわけだ。
 実体化をコントロールできるのは魔力体の強みであるが、千雨にでも見られればヘタレとでも言われたかもしれない。
 それほどに清々しいまでのあきらめの良さである。

 そしてその二分と数秒後、結界をすべて破って、一人の男がつい先ほどまでルビーのいた場所に現れた。
 七不思議公認の謎の司書、図書館島の秘密の守り手、アルビレオ・イマである。
「ふむ、逃げられましたか」
 知り合いが見れば驚くだろう。その顔には微笑とともにかすかながらの焦りが見て取れた。
 彼が焦る姿というのは天然記念物ものなのだ。

 その場に立ち止まると、床に手を這わせる。
「結界の基盤はここですか。ああ、これはすごい……魔法体系が根底から私の知るものと異なっていますね。構成を読み取るのは無理ですか……」
 次は本棚に目を走らせる。
「しかし、読んでいた本は初級の魔法学に“向こう”の歴史書。しかしこれは初等部の勉強用ですが……もう少し秘匿レベルの高いものを読むべきでしょうに、これは何か意味があるのでしょうかね」
 どのような技術なのか、先ほどまでルビーが読んでいた本を言い当てる。まさか、すべての本を覚えているわけではあるまいが、アルビレオは司書としても無能ではなかった。

 先ほどまでルビーが読んでいた本を取り出すと、ぱらぱらとめくる。
 中身と表紙を確かめたのだ。
 こちらの世界で言うならば、中学生レベルの魔術教本と、実質合憲の小学生には好かれないタイプの年表主体の歴史書である。
 中学生のいたずらよろしく表紙と中身が異なっているということもない。

 アルビレオはフードに隠されたあごに手を当てて、ふむ、と息を漏らした。
「まあ、いいでしょう。逃げるなら見つけるまで。秘匿するなら暴くまで。しゃべらないならしゃべらせるまでですからね」
 その瞬間、ルビーと同様にその姿は掻き消えた。

   ◆

「ばれたか」
 逃げ始めて二分と二十秒。いきなり警戒が厳しくなった。
 引き際と見て、上を目指しているが、道がない。
 思ったよりも手間取った。
 ばれるかばれないかは、最初の一歩目までが重要だ。
 一度ばれれば、警戒網をしかれるし、それが千雨に届かないとも限らない。
 潜入するからには絶対的な隠密性を求めるべきだった。
 軽い口調で悔やむような台詞をはきながらも、実際には忸怩たる思いを隠せていない。
 だが、それでも、ここでつかまるというようなことは論外だ。
 ゼロと1には無限の差があるが、1と2にだって差がないわけではない。
 ばれた以上、ここから逃げ帰ることだけを考える。

「行きはよいよい帰りは怖い。天神様の細道は、ってね」
 つぶやきながら、先ほどまで開いていたはずの扉の前で立ち止まる。
 そこはやはり結界によって閉じられていた。
 あたりを見渡せば、大きく囲むように魔力壁が張ってある。位置を特定できないからドーム上にまるまる一帯を結界で囲ったのだろう。
「あらー、まずいわ。完全にばれてる。しかもお構い無しって感じね」
 ルビーはそうつぶやくと、解析をスタート。
 彩り鮮やかな魔力の流れがルビーと結界の周りを行き来する。

「うーん、隠蔽は無理かあ、手荒なことはごめんなんだけど……」
 そんな気弱な台詞をつぶやきながらもその手並みは怪盗のそれである。ものの数秒で結界を破り、そのまま防壁を突破した。
 だがこの場所の結界が破られたことでこちらの位置もばれるはずだ。
 逃走とは、戦闘以上の思考戦である。
 逃げ手を読み、追い手の思考を読み、逃走経路を確保するために思考をめぐらす。

 しかし、さすがに場所が悪すぎた。
 ここは学園の七不思議。稀代の魔窟、図書館島の地下である。

 それからさらに数分がたち、ルビーはまだ地下のど真ん中で逃走をやめて振り向いた。
 後ろに気配を感じたためだ。
 追いつかれた。自分も並ではない自信があるが相手も同じレベルらしい。
 ちっと舌打ちをして、実体化。顔をさらすことになるが、ルビーは異世界人の強みとして、自分の顔の情報に意味はないことを知っていた。
 相手が霊体化した自分に干渉できる以上、実体化しておかなくては初手で勝負を決められる恐れがある。
 霊体というのは隠密性は高いが戦闘能力は皆無なのだ。

「お兄さん、あまり人を引き止めるものじゃないわ。それに、わたし荒事は嫌いなのよ。もちろん苦手ってわけじゃないけどね」
「ふむ、女性ですか。そう簡単に姿を出すとは意外ですね」
 ルビーの軽口に反応して、目の前の空間からにじみ出るように、アルビレオ・イマが姿を現した。
 大き目のフードをかぶっているが、彼も顔を隠しているわけではない。つまり、目が見える。
 ルビーは視線をたどって暗示を叩き込もうとした。

 本来の魔術戦では暴挙に近いが、ここは異世界。魔術の基本が通じる可能性を考えたのだ。
 相手がルビーの知る魔術師なら戦闘中の精神操作など、よほど腕に差があるか、致命的なレベルで隙を突かないかぎり効くはずないが、相手が“ここでいうところの魔法使い”ならば話は別だ。
 どんな達人も未知の技術には弱いものだ。

 実際に以前の女学生には通じていた。
 だが、ルビーの思惑は外れた。視線の魔術がはじかれるどころではなく、暗示効果が通り抜けた。
 防がれるならまだしも、素通りは不可解すぎる。

「…………効かない? いや違うか」
 舌打ちを一つ。ルビーは相手が幻術体であることに気がついた。
 この存在はこの場に実体を持っていない。ルビーを追跡するためなのか、違う理由なのか、遠隔にて動かされているだけだ。
 テレビごしでは暗示は効かない。電話の向こうに催眠術はかけられない。分体ごしでは精神操作も何もない。
 そのくせ、こいつはルビーと同様に物理的な影響力も宿している。ルビーはこの世界の出鱈目っぷりに文句を言いつつ、結構やばい自分の状況に気がついた。

 暗示が聞かないのはルビーにとっては痛手である。ルビーが生きた世界では魔術師は基本的に記憶を操作することと認識を操ることで厄介ごとを乗り切るのが普通であった。
 魔法という力があるかわりに、魔術というシステムが確立されていないこの世界ではこういう小手先の魔術の効果はかなり高いのだが、相手が幻影ではそれもできない。
「ちっ、その体は幻術体なのね。趣味が悪い」
 暗示をキャンセルして、別の魔術を組み上げながら、ルビーが口を開く。

「おや、すごい。わかりますか? 確かにこの体は幻術で編まれています。わたしはいつもはこの図書館の深部で勤務しているもので」
「はっ、お客の邪魔をするのが勤務とは笑わせるわね」
 言いながらも、ルビーは魔術を編むのをとめない。足元に破砕陣、空間に転移陣、そして周りには逃走用の威嚇術。
 それに気づいているだろうに、図書館の司書は動きをみせない。

「ここは広いわりに働き手は少なくて……警備員の真似事ですよ」
「警備員に追い回されるのもねえ。わたし本読んでただけよ? 盗むつもりも暴れるつもりもないんだけど」

 返事としてアルビレオは肩をすくめた。
 ルビーもさすがに説得力がないことは自覚している。

「やっぱ駄目?」
「駄目ですね。一応魔法関係の図書の観覧には許可をとっていただかなくては」
「そういうの知らなかったのよ。わたしはちょっと世事に疎くていろいろと勉強中なの。こっそり忍び込んだのだって、戸籍も身分の証明も出来ない人間に見せてくれるとは思わなかったからで、悪意があったわけじゃないわよ」
 その割にはずいぶんと手練のようですがね、とアルビレオが視線を走らせる。
「いえ、やはり駄目ですね。最低限の身の証は立てていただくとしましょう」
 そういうと、アルビレオは一枚のカードを取り出した。それと同時にルビーも構える。
 さすがに笑いながら戯言を応酬するのは終わりのようだ。

「Fixierung, EileSalve――――!」(狙え、一斉射撃!)

 アルビレオ・イマの動作と同時にルビーの指から光が走る。
 簡易版にしてその実相手に悪病を宿らせるというたちの悪い呪いである。相手が魔力体であるならその存在をかき消すくらいの威力はある。
 ドイツ語の詠唱にアルビレオがやはりと唸る。通常魔術は統一言語に連なる言葉、東洋なら梵字が、西洋なら一般的にラテン語が用いられる。例外もあるにはあるが、経験豊富なアルビレオも魔具の開放ですらないドイツ語の魔法詠唱は聞いたことがなかった。
 この女が魔法の一般常識から外れているのは真実だ。

「ふむ、ではわたしも」
 ポッ、とアルビレオの指先に光が灯る。その瞬間、重力場が一転した。
 防壁と結界術。自身と同じ幻術体であるルビーをただ倒せば捕まえられるとはアルビレオは思っていない。
 それなりの仕掛けを打たなくては逃げられるだろうと考えていた。
 実際のところはルビーは霊体であり、幻術体とは異なり体がそのまま本体でもあるので、このルビーを倒せばそのまま存在の死につながるのだが、そこまではアルビレオもさすがにわからなかった。
 捕獲しようとしただけである。
 だが、相手はルビー。魔術においては右に出るもののいない天才だ。
 交戦の気配を感じた瞬間にすべての術式を起動。
 床が揺れ、大気が揺れ、壁が揺れ、世界が揺れる。

 混乱に乗じて逃げようとするが、ルビーが一歩目を踏み出した瞬間にはアルビレオがその眼前で手を振るっていた。
 その体の回りにカードが浮いている。

「んなっ!? 冗談でしょっ!」
「体術は苦手ですか?」
「そういうレベルじゃないでしょうがっ」

 避ける避けないというレベルではない。速すぎる。
 まともに一撃を食らったが、体にまとった防壁がなんとかガード。
 正直なところルビーには攻撃が視認できていない。いきなり相手が消えて、唐突に自分の防壁がひび割れた。
 続く連撃。ルビーの防壁が悲鳴を上げる。バーサーカーの一撃にも耐えうる物理力対処用の防壁が、けん制レベルの攻撃による純粋な圧力で崩壊しかけている。
 避けようと後ろに飛んで、壁を蹴る。

「少々手荒に行きますよ」
「っぁっ!?」

 だが、上に飛んだ瞬間にさらに上にアルビレオの姿があった。
 そのまま地面に蹴りつけられる。フェミニストという言葉に喧嘩を売るような一撃だった。
 防壁はもったが、衝撃がルビーを貫いた。

「かはっ!? ……っ! このっ!」
「むっ!?」

 爆音が図書館島に響き渡る。
 体術では話にならないことを悟って、地べたにたたきつけられた瞬間に、無差別に霊撃を放って牽制したのだ。

 アルビレオが距離をとる。
 ルビーもあわてて立ち上がるが、その顔は苦りきっていた。

「おやおや、ここは図書館ですよ。あまり本に傷をつけないでください」
「うっさいっ!」

 ルビーは舌打ちをひとつした。
 自分の腕に自信はあったが、この相手は大概すぎる。
 戦闘はするべきではなかった。
 一度ばれた以上、ここでこいつの記憶を奪うという手が最善だったのだが、甘すぎた。
 記憶を奪うどころではなく、そもそも戦いになっていなかった。

 苦戦善戦以前に意味が分からない。
 かつてのセイバーやバーサーカーだろうとある程度戦える技量はあると自負していたが、この世界の手練というのは戦闘に限って言えば打ち抜けている。ルビーでは単純火力戦に持ち込みでもしない限り相手にならない。
 しかも見たところ相手は手を抜いているようだ。
 力を秘匿しつつ勝てるような相手でもない。
 ここでばれてしまったのは最悪の一歩手前だが、それでも戦闘を始めてしまった以上、最低でも逃げ帰る必要がある。

 ルビーは全身に力をこめた。
 ルビーには戦いの才能はない。魔法の才能を戦いに流用して凌いでいただけだ。
 手は少ない。

「――――Acht……!」(八番!)

 だが無いというわけではない。
 思い切ればそこから行動までの速さは宝石魔術師の特権だ。宝石を発動させ、体の回りに無色の魔力を爆発させた。
 さすがに早い。アルビレオも介入できなかった。これは実体としての宝石ではない。場所が場所なら宝具として分類されるであろう、霊体であるルビーに依存して存在する固有魔具である。
 空間ごと吹き飛ばすような一撃をいきなりはなったルビーにさすがのアルビレオも表情を変える。

 ルビーが無拍で爆撃級の一撃を起こせると知ってアルビレオが距離をとる。
 ルビーもルビーで相手の瞬間移動じみた移動と、隙を見せれば一撃でしとめられる予感に動きを止めた。
 お互いがけん制しあい一瞬戦場が停滞する。

「いまの“気”ってやつでしょ? 凄いわあ。やっぱり本だけじゃ駄目ね。百聞は一見にしかずってことかしら」
「それはそれは、しかしあなたの魔法は読み取れませんね。ずいぶんと特殊なようです。初級魔術教本を読み込んでいたのもそのあたりに理由が?」
「んー、誤魔化さなくてもいいから言うけど、答えはイエスよ。わたしは“魔法”に関しちゃ初級以下なの。常識がないから情報集めてたのよ。……本当にあなたたちに迷惑をかける気はなかったのよ。むしろわたしは逃げる側だし」
 ここまで下手打つとは思わなかったけどね、とルビーは続けた。

 アルビレオはその言葉を聴いて思考をめぐらす。
 咸卦法を知らないことはありえるが、気を見たことがないのは裏の人間にはありえない。そもそもいまの瞬動は魔法ですらない基礎の基礎だ。
 知る知らない以前の問題として戦闘の大前提。知らなければまず裏の舞台にすら上がれまい。
 こちら側の人間の言葉とは思えない、とアルビレオが内心首をかしげる。

「そのようなことのためにここに忍び込んだのですか」
 実際ルビーが忍び込んだのは今日が初めてというわけではない。だがそれをわざわざ口にするほどルビーも愚かではなかった。
「だって、ここが一番いきやすいんだもの。入られるのがイヤなら入り口から閉じときなさい。開放してるんだから図書館で本を読まれて文句を言うな」
 べーっ、とルビーが舌を出した。

「でもまあ迷惑かけちゃったわね。後々問題なりそうだから一応言い訳だけしておくけど、秘密を探るためじゃなく、迷惑にならないように隠れてたんだからね。この図書館にはいろいろ隠し事ありそうだけど、そっちには興味もなかったし、魔法について調べるにはここが一番楽そうだったし」
「この図書館島を一番楽そうとは、驚きの言葉ですね」
 なかなか優秀な陰行だったでしょ、と笑うルビーにアルビレオが眉根を寄せる。自分自身が性悪だと素直に人を信じられないものだ。
 相手が信じていないことなどお構い無しにルビーがさらに宝石を取り出した。
「まっ、潮時ね。ここにはもう来ないことにするわ」
 むっ、とアルビレオもカードを取り出し、そして――――


   ◆


「――――んっ? いまなんか揺れなかったか?」
「なにいってるの千雨ちゃん?」
「いや、揺れただろ、絶対。宮崎たちは感じなかったか?」
「えっ、いえ。わたしも分かりませんでしたけど、ゆえは?」
「いえ……わたしも……地震ですか、長谷川さん?」
「ウチはちょっと揺れた気がしたわあ。なんか下のほうから……」
「ああ、だよな。わたしもすげえ揺れたような気がしたんだが」
 図書館組にたまたま付き合っていた千雨は首を傾げる。

 結局二度目の揺れは起こらずに、千雨はこの理由を寮に帰ったあと、ルビーから聞くことになる。

「いやー、図書館島に忍び込んだら、変なやつと殺しあっちゃったわー。千雨も上にいたでしょ? もう行かないほうがいいわよ。あそこって意外とあぶないのねえー」
「はあぁっ!?」





[14323] 第3話 誕生日を祝ってもらう話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/12 00:12

 第3話 誕生日を祝ってもらう話


 令呪の焼付けとそれが失敗に終わったと知ってから数日。
 知らぬ間にわたしの部屋に描かれていた魔方陣やら、どこで調達したのかわからない宝石の詰まった宝石箱やらに突っ込みをいれながらも、一応はなにごともなく日常が過ぎていた。
 先日の図書館島の事件についても、一応は逃げ出せたということなので、わたしからはとくに何も言う必要はない。巻き込まれないように天に祈るだけだ。
 千雨からできることは何もない。一度ばれたらおしまいだと口を酸っぱくさせていたルビー自身の間抜けっぷりに文句を言うだけだ。

 だが令呪もどきの刺青は刻まれたままだし、ルビーもこの色を失った令呪を本当に機能する令呪に変えるために奔走しているようだ。今のところ成果はないがこのままということはあるまい。
 ルビーはいやに頑張っているが、張り切るというより焦ったようなその表情に文句も言えない。
 大浴場をこっそり使わなくてはいけなくなった身としては、まあ頑張り続けてほしいものだが、図書館島の件といい空回りしている感が否めない。

 そんなある日の日曜日。
 ごそごそと衣装棚をあさっていると、実体化したルビーから声をかけられた。
「何してるの千雨? コスプレ?」
 ずいぶんなご挨拶だ。

 ちなみにコスプレのことはばれている。
 いきなり窓から部屋に飛び込んでくるような相手では隠せない。
 刺青のことといい、こいつが来てから心労がたまるばっかりである。
 これで趣味までを封印する羽目になってはわたしが心労で倒れてしまう。ネットアイドルのことははばれるものとして打ち明けていた。
 苦渋の決断だったが、ルビーも自分が変人という自覚は持っているようで別段引いたりもしなかった。

「ちげえよ。これから、宮崎と出かけるんでな」
 万年みつあみで伊達メガネをかけるような身の上だが、休日に友人と出かける際に、服を選ぶくらいにはまだ女を捨てていない。
「へえ、最近仲がいいわね。でもいいの? 今日はネットで何かイベントがあるんでしょ? えーっと、チャットだっけ? それに参加するとかなんとかいってたじゃない。いや、友人を優先するは結構なことだけど」
「あいかわらずパソコンは苦手なんだな。魔法使いってのはみんなそうなのか? まあ、今日のはあいつの好意だしな。断るわけにも行かないさ」
「好意?」
 キョトンとしたルビーの顔。まあ知らなくも無理はない。
 わたしは服を選びながら顔を向けずに理由を言った。

「――――ああ、今日はわたしの誕生日なんでね」

   ◆

 そんな出来事のつい前日。
「長谷川さん、明日は誕生日ですよね」
 中学二年もそろそろ終わろうかという二月一日の土曜日に、宮崎からそんな電話を受け取った。
「ああ、そうだな。覚えててくれたのか」
 はい、と答える宮崎の言葉に微笑んだ。純粋に嬉しかったからだ。
 正直今のクラスで一番仲がいいのはこいつである。
 隣の席にいる綾瀬ともその繋がりでそれなりに会話するようになった。
 早乙女だけはわたしが嫌煙気味なために、良好とはいえないが、まあ険悪というわけでもない。
 人の繋がりを実感するべきか、このおとなし目のクラスメイトの意外な交友関係の広さに感心するべきか。
 いや、どちらかといえば、わたしの交友関係の狭さにため息を漏らすべきか。

「ですから、明日都合がよければ一緒に出かけませんか? お祝いもかねて」
「ああ、そいつは嬉しいね」
 是非も無い。なるほど、あまり友人を作らずにいた身だが、やはりこういうのは純粋に嬉しいものだ。
 こいつが友人となったのは本当に幸運だろう。
 正直ルビーに出会った日の一番の幸運じゃないか?
 その後、わたしたちは、待ち合わせ場所や時間などを決めたあと、無駄話に少しばかり花を咲かせてから電話を切った。
 それがつい昨日のことである。

   ◆

 それを説明するとルビーは怒ったように口を開いた。
「ちょっと、千雨って今日が誕生日だったの?」
「あ、ああ。そうだけど」
 くう、となぜか悔しそうにうなった。
「そういうことは言っておいてよね」
 何が不満なんだこの女は。
「別段言うこともないだろ。なんだ、祝ってくれるつもりなのか?」
 ずいぶんと殊勝なことだ、と笑いながら言うと、ルビーは当たり前でしょと胸を張った。
 正直驚く。こいつはいいやつなのかどうなのかがよくわからなかった。
 誕生日はプレゼントよりも呪いをかける一要素、くらいに思っていそうなくせに。

「あんたは桜さんのことを第一に優先してんだろ。そんな暇あるならそっちをやるほうがいいんじゃないか?」
「……いや、でもあなたにはいろいろ世話になってるわけだしさあ……そんなに邪険にすることはないじゃない」
 なぜか傷ついたようにルビーが言った。
 世話になんてなってないだろう、と思ったが、口にはださない。

「今年はしょうがないにしても、来年の誕生日には絶対にすごいプレゼントを贈ってあげるから覚悟しておきなさい」
 なぜそんな攻撃口調なのかよりも、来年もいる気でいることのほうに驚いた。
 こいついつまで居座る気だよ。
 しかもルビーは来年もいることが決定事項のごとく、何も違和感を感じてはいないようである。
 こいつの目的意識というのはどうなっているのか。
 ふくれっつらをしているルビーを見ながら、わたしはそんなことを考えた。

   ◆

 さて、ルビーを適当にあしらったあと、わたしは予定通り宮崎との待ち合わせ場所に向かっていた。
 ルビーはついてくる気はないようで姿を消した。まあ、わたしの誕生日プレゼントを探しに言ったわけではあるまい。ああ入ったが、やつの一番の優先事項は桜さんのことであるはずだ。
 いつものように、何かしら桜さんのために暗躍しているのだろう。

 宮崎との待ち合わせ場所についたときに、すでに宮崎はそこにいた。
 ルビーとであった公園のベンチに座っている。横には少し大きめのディバックが置いてあった。
 下世話な想像をはたかせれば誕生日プレゼントだろうか。
 時間としては十五分前なのに、ずいぶんと律儀な性格だ。
 ちなみにほか三人の姿はない。
 そもそもこの提案が突然なのだ。
 やつらにも予定があるということだったので、わたしが無理に都合をつけることはないと、遠慮したのだ。
 あいつらが迷惑というわけではないが、基本的にわたしは騒がしいのを好まない。
 それに、つい前日から親しくなった友人の友人だ。わざわざ予定をキャンセルするほどではないだろうに、わたしから断らなければ、彼女たちは無理にでも都合をあわせそうだった。
 何かとうっとうしいクラスメイトではあるが、こういうところだけは素直に尊敬できる。

「早いですね、長谷川さん」
 笑い声がまぶしくてたまらない。ほんとにこいつは性格がいいなあと思いつつ、軽く返事代わりに手をあげた。
「わたしよりも早く来ておいてその台詞はないだろ」
 その台詞に宮崎は少し笑った。ジョークのつもりでもなかったが、まあいいか。
 わたしと宮崎はいつものように、軽い会話を交わしながら、歩き始めた。

 その後はとくに騒ぐことも無く、店を冷やかし、適当な店でお茶をすることになった。
 それなりに雰囲気のある喫茶店でお茶を頼んで、二人そろって伸びをする。
「わりと疲れたな」
「そうですね」
 ニコニコと笑いながら宮崎が言う。目は長めの前髪で隠れているが、その口調に疲れは見えない。
 実はわたしはこいつよりも体力がないのだろうか。
 頼んだアイスティーで口を湿らせていると、宮崎はディバックをテーブルの上まで持ち上げた。

「そういえば、長谷川さん。あらためて誕生日おめでとうございます。これ誕生日プレゼントです」
「ああ、実は期待してたんだ。ありがとな。宮崎の誕生日は五月だったよな。まあ適当に期待しておいてくれ」
 中から取り出されたのは紙袋だった。
 ふむ、と首をかしげながら中身を改める。

「……これは、本か?」
「はい、わたしが厳選した悪魔祓いに関する本と.無人島に持っていきたい本のベストスリーです」
 プレゼントに本を選ぶとはなかなか勇者である。そしてそれとは別に、わたしが以前に言った言葉をばっちり覚えている宮崎に驚いた。

「へえ、悪魔祓いってのは前にわたしが言ったからか?」
「はい、オカルトな出来事に巻き込まれたとか言っていたのが気になってたんです」
「はー、そりゃあ気を使わせちまったなあ……わたしの巻き込まれたってのはたいした内容でもないんだが」
 実際はたいした内容だったわけだが、ここで暴露も出来ない。
「そうなんですか? 幽霊に取り付かれたとか、言ってませんでしたっけ」
 そこまではいっていないはずだ。……たぶん。
 たしか、オカルトに巻き込まれたという話、そして悪魔祓いに興味を持ったとか何とかだったか。
 なるほど。かなり的を射ている。
 さすがに魔法について話せるものではないが、かといって誤魔化すのも仁義に反する。

 そういえば、と思い出す。
 ルビーの言葉だ。この学園都市全体に張られている魔法の結界とやらには、魔法や幽霊や妖怪や悪魔や吸血鬼やその他もろもろのおとぎ話どもに対して、違和感を感じさせない呪いがくっついているらしい。
 そのため、あの学園にいる人間は、ルビーにして魔法使いが多すぎると証された学園内においても、魔法の存在に気づかずにすごせている。

 ちなみにわたしが幼少より、人から嘘つき呼ばわりされて、みなが平然とする出来事にいちいち胃を痛くしていたのはこの結界の所為らしい。
 しかし、ここは麻帆良学園から遠く離れている。結界とやらもここまでは作用しないだろう。ここで迂闊に魔法について話せば宮崎がそのまま魔法について納得しまうかもしれない。
 一度納得すれば、さすがに学園に戻っても魔法についての真否について疑問も持つだろう。
 それは避けたかった。
 だがその反面、宮崎に秘密を共有してもらいたいという願望も否定できない。

「あーっとな。幽霊っぽいやつに取り付かれたってのはマジなんだよな。われながらそんなもん信じてなかったんだが、あの日は自分でも、なんつーか、安心を得るためって言うかさ。手当たりしだい除霊だかを試してみたいって気分だったんだよ」
 少し悩んだが、結局言葉を選びながら少しだけばらすことにした。

「もう大丈夫なんですか?」
 とくに変な目を向けるわけでもなく、この質問が出来るって言うんだから流石だ。一ヶ月前のわたしだったら、生返事と翌日から距離をとるような対応だけで済ませただろう。
「一応、自分の中でまとまりはついたな。だが、こいつはありがたく貰っとくよ。一度起こったからには二度目が起こらないとも限らないしな」
 そういって、宮崎の持ってきた本を軽く持ち上げて見せた。
「そういってもらえると木乃香さんたちも喜ぶと思います」
「近衛? ああ、もしかしてこれって近衛が選んだのか?」
 だが、それに宮崎は首を振った。
「はい。ただ、選んだのはわたしも一緒です。宮崎のどかのベストスリーですから。夕映や木乃香さんたちと一緒に選んだんですよ。今日は用事もあるってことでみんなはこれませんでしたけど、長谷川さんにおめでとうって伝えてほしいって言っていました」
「ああ、ありがと」
 宮崎は少し笑ったようだ。本当に性格で損をするやつである。
「木乃香さんは凄い真剣に選んでくれました。今日も来れればよかったんですけど」
「まあ、あいつならわたしも歓迎できるけどな」
 正直なところ、いまだに早乙女への苦手意識が抜けないわたしが言った。遠慮してもらった面もある早乙女や綾瀬たちと違い、近衛は純粋にはずせない用事があったらしい。

「木乃香さんはオカルト研究会ですし、興味があるなら長谷川さんもお話されてみるといいと思います」
「検討するよ。だけどどちらかといえば、もともとわたしは、オカルトに深入りしないために魔法だのを調べていたんだがな」
 肩をすくめた。
「魔法、ですか?」
 ああ、口が滑った。わたしはバカか。

 軽く舌打ちをひとつする。だがここから誤魔化すわけにもいくまい。
「あー、まあな。魔法だよ。あまりにバカらしいからだまってたけどな、ほかのやつには黙っといてくれると嬉しい。ああ、だけど宮崎がなんか困ったことがあったらいってくれ。魔法についちゃあわたしはこの間から一家言持ちだからな。力になるよ」

 このあたりが返事としては妥当だろう。
 宮崎は目を白黒とさせながらも、それ以上聞こうとはしなかった。
 この辺が宮崎の助かるところである。他の三人だったらこうは行くまい。
 わたしとしても、これ以上話を続けるのもなんなので、椅子から立ち上がった。
 そろそろいい時間である。
「そろそろ出ようぜ。わたしに付き合ってもらっちまったが、宮崎も寄りたい店があるんだろう?」
 ちなみに伝票は割り勘にしてもらった。お互い裕福でもない学生の身だ。そういうところはこだわるのである。

   ◆

 帰り道は夕暮れを少し過ぎていた。空には半月から少し膨らみ始めた月がある。
「わりと遅くなっちまったな」
「そ、そうですね……」
 明るくもないが暗くもない。
 だが、宮崎の口調は完全にこの暗闇におびえていた。

「まあ大丈夫だろ。お化けだって出るのは新月の晩だろうし」
「ふふふ、だったら狼男と吸血鬼なら満月の晩ですね」
 恐怖を紛らわせるためにとたたいた軽口に、宮崎が乗ってきた。
「じゃあ満ち欠けしてりゃあ人間か。変質者は正直吸血鬼よりも厄介そうだけどな」
「そういう人は麻帆良学園には入って来れないと思いますから」
 だろうな、と頷き、無言で歩く。

 この学園の治安はかなりいい。広域指導員をはじめとして、そのようなシステムに関しては充実しているのだ。学園都市という警備しやすいシステムもあるが、深読みすれば、ルビーが称する魔法学園としての一面なのだろう。
 まあだからといって、宮崎のように、変質者よりも幽霊を怖がるのはやりすぎだとは思うが、その辺は個人差なのだろう。
 結局宮崎は女子寮に着くまで緊張を完全にとくことはなかった。

   ◆

 部屋に入り、部屋着に着替える。
「おかえり。遅いお帰りね」
 すでに帰ってきていたルビーが話しかけてきた。
「お前はわたしの母親かよ」
「あらあら、ご挨拶ね。友人との親交を祝福してるってのに」
 着替えながら生返事を返すと、意外に食いついてきた。

 着替えが終わって振り向くと、ぽいと何かを投げられた。
 反射的に受け止める。それは短剣風のアクセサリだった。
 チェーンがのびているが、全長は三十センチちかくある。さすがに首からは下げられまい。装飾品にしては大げさすぎた。
 驚きながら持ち上げて、なんとなく鞘を引く。すらりとごてごてと装飾が付いた鞘が特に抵抗もなく外れて、白刃が顔を見せた。
 アクセサリどころかマジモンの短剣だった。
 あまりにあまりなものに返す言葉を失った。

「……なんだこれ?」
「誕生日プレゼントよ。都合してきたわ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだが」
 本気の顔で首を傾げられた。

「護身用よ。それくらい持ってないとまずいでしょ」
「もってたほうがまずいに決まってるだろ。銃刀法違反だ……てか本気で常識ないのか」
「しっけいね。それくらい知ってるわよ。だからそれもカバンに入る大きさでしょ。あと、心配なら隠蔽くらいはしといてあげる。周りからはナイフじゃなくて鞘が固定された装飾品に見えるようにね」
 そういう問題ではないが「ほんとは火を噴いたりするのがよかったんだけどねえ」などと呟くルビーに文句を言う気力もおきない。

「じゃあ、ただのナイフってことか?」
「もう少し高尚よ。荒事苦手そうだし、あなたは魔力運用についてはなんにも覚えようとしないんだもん。銀加工なのよ。細工もしてあって性能はミスリルにちかいわ。意思を伝えやすいから幽霊とかそういうのにもある程度有効よ。これはあなたとは無関係の部分でのナイフの付属効果だから、変なのに目をつけられる心配もないし、普通のナイフとしても十分使えるわ。気休め用のプレゼントね」

 装飾もかっこいいでしょ? とルビーが微笑んだ。
 か弱い女子中学生に何を持たせる気だ。
 刃渡りは十二センチといったところ。肉厚はかなりある。
 銃刀法違反のラインはどれくらいだったか? うろ覚えだが、六、七センチといったところではなかったか。十センチ越えは論外だろう。
 そもそもナイフという形状が非日常的過ぎる。装飾品といったが、ペーパーナイフとしてはごつすぎるし、わたしだったらこれをポケットに入れている人間と付き合いたいとは思わない。

「やり方によっては普通のナイフが通らないような化け物とも渡り合えるわよ。吸血鬼とかね」
 これでナイフの有効性を宣伝しているつもりなのだから、困ってしまう。
「女子中学生にナイフで化け物と切りあえってのか、おい」
「まあだから気休めよ。正直本気で人外に襲われるようなことになったら何を持ってても千雨じゃ太刀打ちできないでしょうし令呪に関して本当にどうにかしないとまずいわねえ」
 ルビーが言う。
 じゃあ意味がないだろと思ったが、わたしがナイフを携帯する羽目になるのはこの女の中では決定事項のようだ。
 純粋にプレゼントのつもりなのだろう。センスは皆無だが、好意は好意だ。わたしはやつの忠告に従って、ナイフをカバンにぶち込んだ。もう一生出すことはないだろう。

「それにしても、令呪かあ……」
 呟いて腕をさすった。刺青はいまだに腕に刻まれている。袖の奥なので、いまはまだどうにかなっているが、健康診断などについてはまだどうするかを考え中だ。ちなみに体育の授業では隠れながら着替えて、授業自体ではそのものは長袖のジャージを着用している。
「正直なところ、今となっては令呪が使えるようにすることよりも隠す方法を調べてほしいよ」
「緊張感がないわねえ」
「吸血鬼に襲われる心配よりも、身体測定で村八分にされるほうがよっぽど現実的で深刻なんだよ。ちなみにナイフで悪魔を撃退するより、警察に捕まる心配のほうが重要だ」
「命がなきゃなんにもならないのよ。といいたいところだけど、交通事故にビビッて外出できなくなるような真似も困るしねえ。次は、そっちも考えて調べて見ましょうか」
「どうするんだよ? というかそもそも何を調べてるんだ?」
 興味もなかったので聞いていなかったが、このナイフを見る限り、骨董品屋巡りでもしているということだろうか。
 だが、軽口のつもりの言葉の返答は、ルビーからとんでもない発言として返ってきた。

「魔法の国に侵入して、令呪を成功させるための祭具を探してくるのよ。今はその準備中」

 軽く語られるにはぶっ飛びすぎである。
「……魔法の、国?」
「いってなかったっけ? この世界には魔法の国があるのよ。この間図書館島で調べてたのはその辺の内容だし。えーっとね、世界がいまこうしてあるわけだけど、もうひとつ同じような世界が位相をずらして存在して、何本かの橋でつながってる、みたいな」
 初めて聞いた。
 愕然としたわたしに対して、ルビーはキョトンとした顔を向けた。

「んなのがあるのか?」
「ええ。一大国家どころじゃないわよ。魔法の国というより魔法世界といったほうがいいかもね。惑星レベルの隠された世界。はっきり言ってこっちの世界をまるごと侵略できるんじゃない? 一回進入したけど、航空力学だけじゃあ太刀打ちできないような飛空挺が空を飛んでたわ。聞いた話だと武道大会が開かれるような国の中で人外が格闘主体で切磋琢磨を繰り返し、魔法やら気やらが隠されていない世界って感じみたい。あとすごい物騒ね。わたしはいきなり半殺しにされたもの」
 その辺はよく知ってるでしょ。とルビーは笑った。

 魔法使いがこの世界に住んでいるどころのレベルではない。隠れ住むのは魔法使い自身の保身のためではなく、劣等人種への温情か?
 はっ、マグル保護法が実在するとは笑えない。
 ちなみにわたしはあのベストセラーがあまり好きではなかった。ファンだという宮崎と話をあわせるのに苦労したものだ。

 絶句しているわたしにたいして、ルビーは言葉を続ける。
「千雨。あなたに夢が逆流しちゃった日のことを覚えてる? わたしがボロボロになったからあなたの魔力を貰った日のことだけど」
「……覚えてるよ」

 今でも夢に見てうなされているくらいだ。それを告げてはいないが、早々忘れられるものではない。

「そう。あの日のこといってなかったけど、わたしその魔法の世界に侵入してたのよ。少しだけ入っていきなりばれて……で逃げるときにちょっとトラブったの。入るのも特殊だったけど帰るのがまた大変でね。奥の手を二つくらい使って無理やりこっちに帰ってきたんだけど、それでもあのとおりぼろぼろよ。この世界においても魔法技術に関してはわたしはトップレベルだと自信を持っていえるけど、それでも勝手がいろいろと違ったから流石にへましちゃってね」
「まさかつけられてわたしが巻き込まれるなんてことはないよな?」
「んー、安心していいわよ。まあ騒ぎ自体は珍しくもないみたいで追手はかかってないみたい。そこはちゃんと調べたわ。この世界はかなりぶっ飛んでるけど、わたしだって凄さでは負けてないもの。わたしこれでも超一流なのよ」

 普段のルビーを知っているだけに、素直に信じることは出来ないが、わたしの心の平穏のために頷いておく。
 ただね、とルビーは言葉を続けた。

「でもまあ、世界が変われば基盤も変わるし、人が違えば常識もまた違う。そして、種族が変わるなら、そのレベルもまた変わる。犬が住む村の中、切磋琢磨して最強の座を得て、とある犬が王となる。そして四苦八苦の末に空を滑空する術を得て空に浮く。だけど、ある日川を一つ越えてみれば、そこは翼の生えたトラの住む町だった」
 ニヤリ、とルビーが自嘲気味の笑みを浮かべた。
「参るわね。こういう経験は何度かしてるけど、この世界は桁外れだわ。世界最高峰ってんなら、わたしのいた世界の常識でも対抗できるけど、アベレージは比較にならない。学生の剣士がセイバークラス、十歳の魔法使いはキャスタークラス、使う魔術は魔法並みってね」
 ルビーが肩をすくめた。

「……」
「どうしたの?」
 しかめっ面をしているわたしにルビーが言った。

「頭がパンクしそうなだけだ。魔法世界かよ。知らないままよりはいいが、この世界って実はもう魔法使いに征服されてるのか」
「そこまではいわないけどさ」
「で、あんたはあんたでそこに潜入するってのか? いやに令呪にこだわるけど、そんなことしてまでやる必要ないんじゃないか? 魔法の国とやらに潜入なんて、聞くからに物騒だ。リスクにリターンがあってないだろ。わたしには正直令呪のメリットってのが分からないよ」
 なぜかわたしの質問にルビーは黙った。だが、その顔はあきらめる気はないと告げている。

「……で、潜入するってのはどういうことだよ」
「まんまよ。わたしはパスポートは持ってないからね。こっちの世界で魔具を集めるよりも、向こうの世界のほうがはるかに簡単に手に入る。身分を隠すことが前提だから質よりもそもそも手に入れることが大変なのよ」
「桜さんの件に関係あるってことか?」
「……まあそうね。あなたの令呪を正式に機能させるためにも道具は必要だし……」
「はあ」
 深くため息をつく。ルビーに引く気はない。
「ごめんね、千雨。いろいろと迷惑かけちゃって。何かわたしに要望は?」
 そんなものひとつしかあるまいさ。
「せめて、事情を全部話しておいてくれよ、魔法使い。ごまかしなしで本音をな」

 わたしは魔法に関わりたくなかったはずなんだがなあ、本当に……


   ◆


「じゃあ、行ってくるねえ」
 次の日に、さっそくルビーはここを留守にすると言い出した。
 昨日の会話がきっかけになったのだろう。

「図書館島でミスしたっていうのは言ったでしょう? あれから少し警戒が厳しくなって、情報集めができなくなってるのよ。ほとぼりを冷ます必要があるわ。外に出るときにすこし騒ぎを起こして、わたしが外の人間だって思ってくれれば、それだけでも収穫といえるし」
「お前、本当に気にするなあ、それ」
「まあね。魔術師は秘匿にかけちゃあリスよりも臆病なのよ」
「で、そのついでに魔法の国で情報を集めてくるってことか?」
「少し違うわ。もうある程度情報をつかんだから、実践編。魔法世界に再挑戦して、出来れば令呪に関するものを取りにいってくるのよ。ここ数週間で前に魔法の国に行ったときの傷もいえたし、図書館島の失敗はいい区切りだったかも」
「こだわるなあ、令呪に。それよりも早く誤魔化す方法を調べてくれよ」
「幻術じゃ魔法使いにばれちゃうだろうし、一般人にも魔法使いにもばれないようにって言うのは難しくてねえ」

 包帯を巻くのが一番いいと思うわよ、という自称魔法使いにあるまじき言葉を発する。

「おまえなあ、包帯は十分異質なんだよ。腕に包帯巻いたクラスメイトをうちの連中がほうっておくと思うか? 刺青刻んどいてその言い草はねえだろ。魔法使いなんだろ。パパッとどうにかできないのか?」
「なにいってるのよ。根源以外の魔術やこの世界の魔法っていうのは、究極的に言えば科学技術の代用品よ。ある程度のレベルに至らない限り魔術師はコンビニを利用する一般人よりも格下なんだから」
 誇りだけは高いのばっかりだからきっと本人は認めないでしょうけどね、とルビーは笑う。


 そんな会話がつい昨日。
 ルビーは宣言どおりに、気をつけてなんて定型どおりの言葉を残して、魔法の国とやらに出かけていった。
 現れた翌日から遠出していた女だ。数日期間をあけて遠出することは良くあったが、今回は数週間から数ヶ月レベルということだったので、子供に留守番を頼む母親のごとき小言をわたしに残して旅立った。
 現れてから心労ばかり積み重ねてきたが、いなくなればいなくなるで騒がしい女である。
 彼女はこの街に残るわたしを心配していた。しかし、ついていくのは立場的にも内容的にも不可能だし、意味がない。
 彼女はわたしをこの街に残して旅立った。

 わたしからすれば杞憂すぎる。この街で数年を過ごし、ルビーに会うまでは魔法どころか変質者のひとつにも遭遇しなかった身の上だ。
 わたしの心配より、魔法の世界に忍び込もうという自分自身の心配をするべきだろうとわたしは笑った。
 それを受けても、やはり少しだけ心配そうな顔をしてルビーは旅立つ。

 ルビーの言葉と、わたしの言葉。どちらが正しかったのかとか、どちらの印象に従うべきだったのかなんて、終わってから言っても詮無きことだ。
 だが、しかし。さすがに無限の時を歩んだというだけあって、


 ――――わたしはほんの数日で、わたしの身を心配するルビーの言葉こそが完全に正しかったことを知るのであるが。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 幕話というかだんだん本編の続きみたいになってますが、幕話と本編の3を更新しました。

 ばれたら終わりですが、ばれなきゃ話が進みません。
 次回でさらに場面が動きます。
 この先も一話ごとに幕話と本編を更新していこうかと思っています。たぶんですけど。
 あと実は次話はもう書きおわってるんですが、一時的に加速してすぐに減速してもなんなので、定期更新というスタイルでいきたいと思います。なので、次回更新は一週間後を予定しています。




[14323] 幕話3
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/19 00:20
 曇りの深夜。そこに多くの人影があつまっていた。
 そこは魔法の国へゲートである。
 重要度は世界最高だが、場所としては一般的な魔法使いが使用することもある“公共施設”。
 だがその使用頻度はかなり低い。
 それにくわえて、その警備に関しては魔法にかかわりない人間ですらも偶然で入れてしまうかもしれないといわれるほどにぬるぬるだ。渡航人数と実際の渡航者を出立前でなく到着後に調べるところなどがまさにそれ。
 柵で覆って、コンクリートの壁の囲いとかぎ付きのドアをつける。それだけでこの大層な魔法結界以上の効果が出せる。魔法を過信しすぎる前の世界からの間抜けの共通項。隠蔽に気を使いすぎて警備に穴がありすぎる、とルビーなら評するだろう。

 大きな光柱がゲートから天にのびる。
 それが魔法世界と繋がって、大規模な転移が終了した。
 管理員が現れ不法入国者のチェックを始めようとするその瞬間、渡航者の中から一人の女性が飛び出した。
 転移陣の陰に隠れていたその人物。
 わざわざばれるまで待つことはない。
 それは一人の侵入者。

 そう、誰あろうカレイドルビーが現れた。


   幕話3


「いやっっはぁあぁあああああぁっっ!!」

 先手必勝。
 ルビーは叫びながら、魔法の国のゲートを飛び越えた。

 即座に対応してくる警備員から逃げ回る。
 右に銃弾、左に光弾。目の前には剣を振りかぶった甲冑姿。
 ナイフは避けて、光弾を甲冑に向かって反射する。
 続いてガンドを八連発。警備員の昏倒を確認してさらに走る。

 詠唱無しで重力制御。上に飛んで光彩で姿を隠し、気流を流して体を飛ばす。
 この世界の魔法使いは当たり前のように空を飛ぶ。
 ルビーは己のいた世界ではトップクラスの魔術師だった。いまこうして英霊となってその腕は人外の領域にまで昇華されているが、それでも空を飛ぶとなったらかなりの制限がかかる。
 少なくとも今ルビーを追っている旧世界と魔法世界をつなぐゲートの警備員のごとく空を走り抜けるというのは不可能だ。
 空を飛ぶには箒が必要、空を翔るなら呪文を少々。
 だがそれでも、勝てないというわけではない。
 すべての技術が同じベクトルを向いているわけではないのだ。
 霊体化はまだしない。ここで手をさらしては怪しまれて終わってしまう。

 この魔法のゲートというやつは意外と規律がしっかりしている。
 開くのはせいぜい月に三回。ルビーは今日開くのを知っていたからこそ、千雨に別れを告げてきたのだ。
 ここで失敗すれば出戻りとなるだろう。
 千雨にどうも力がないと思われているような気がするルビーとしてはここで戻る羽目になったら面目がたたなすぎる。
 ゆえに準備は万全だった。

 情報収集時に、鎖国した日本か冷戦時に相手国へ侵入するほどの困難が伴う、と情報を収集させてもらった少女は言っていたが、つまり“その程度”の困難さということだ。
 生身で月に行けといわれるわけでもない。死後の世界を探ってくるわけでもない。
 それはつまりどういうことか。
 それは実現する方法が当たり前のように存在するということだ。困難なだけで不可能ではない。
 ならば、それはルビーにとって困難にすら値しない。
 そんなものに不可能に延々と挑戦する魔術師の末裔を挫くことは不可能だ。

 そんなことを考えながら、デコイを一体生み出して、ゲートの外へ。そのまま逃走させて魔力体を霧散させる。
 前回ルビーは強行後に突破を目論見て応援を無尽蔵に呼ばれて多勢に無勢で叩きのめされた。
 向こうはお優しい気質でまずルビーの昏倒を狙ったらしいのだが、この世界の魔法弾、一般的に使用される攻撃術である魔法の矢は精神体であるルビーにはかなり効く。というかぶっちゃけ死にかけたのはまだ記憶に新しい。あの時は千雨に迷惑をかけてしまった。
 だが、実際その性質を知ってしまえば、さすがはルビー、相手の油断もあいまってこの程度は可能である。
 もちろん相手の油断は、内部にある監視システムや管理機関を信頼しているからこそなのだろうが、それを突破できる腕があるのなら、結果は明白。
 デコイを追った人影は、街にまぎれてきえていく。きっと侵入者は走って逃げたという扱いになるだろう。

「前の失敗はやっぱりちょっと先走ったせいよね。やっぱわたしは優秀じゃない」

 前回の失敗をうっかりだとは認めない。
 そうして、二度目にしてついに魔法世界に侵入をはたしたルビーは呟いた。


   ◆


 さてそれから数日後。
 ルビーは魔法道具店の棚の前で物品を品定めしながらため息を吐いていた。

 魔法世界は意外に魔法の道具が出回っていない。
 いや、出回ってはいるがレベルが低い。遺跡の発掘品やシングルマテリアルなどの一品ものが多い反面、流通品はかなりレベルが低い。
 そしてレベルが高いものは異常なほどの高級品か、すでに誰かの持ち物だ。しかも売られていれば売られているで身分証明が求められたりする。
 中間が存在しない。レアアイテムの高級品と、安物の流通品。
 それでもやはりある程度は出回っている品物を探し買い集めているが、満足できるほどではない。
 魔術道具とはたいていそのようなものであるが、魔法世界という呼称に期待していただけに残念だった。
 密入国者の癖に盗難はしないという変に潔癖症の気があるルビーである。

 品定めしていたナイフを棚に戻す。
 これなら自分で加工して千雨に渡したナイフのほうがレベルが高い。
 ため息を一つ。
 そのまま店を出ると、寝床に戻る。
 治安の悪い地域を通り、宿の道を実体化したまま歩いていく。変質者の一人でも出れば、返り討ちにして路銭を稼ぐのだが、今日は特に何事もなく宿に着いた。
 べつに盗人の懐を探るわけではなく、この地区は報奨金制が敷かれているためだ。
 賭け試合などが多いこの世界で、ルビーほど腕が立てば意外に金儲けの手段に困ることはないのだが、遠坂の宿命か、宝石を主体とした魔道具を買い集めれば金は減る。
 身分照明も出来ないとあって、ルビーの寝床はそこそこの宿ではあるが、高級とは言いがたい。
 遠坂の人間としては不本意だが、千雨の身には変えられない。無駄遣いは避けるべきだった。
 さすがに野宿をするほどではないが、ルビーは千雨にたいしては妥協しない。
 ちなみに、ルビーが千雨に誕生日プレゼントとして渡したあのナイフであるが、あれも当然ただのナイフではない。

 言うまでもなく当然だが、千雨に語った護身用というのは嘘である。

 当たり前だ。素人がナイフを持って戦うというのは逆に相手に殺される口実を与えるだけで逆効果である。ルビーがそんな無駄をするはずがない。
 ルビーがナイフを与えたのには、当然きちんと理由があるのだ。
 千雨にいうと捨てられそうなので黙っているが、あれは監視用の発信機なのである。

 かつて遠坂凛の父、遠坂時臣は電子機器というものを嫌っていた。電話やFAXを信用できない道具として考えていたのだ。
 そして、その娘の凛も電子機器は苦手であった。
 それは英霊となっても同様だったが、
「今回はこっちのほうが役に立つわね」
 そういって、ルビーは長谷川千雨のナイフと対になるナイフを取り出した。

 ナイフに内蔵された水晶の共振を利用した伝達技術。これは一つの水晶の二つに分け、その共振を利用するため、発信や受信といった伝達のための手順が必要ない。
 魔力の波動や、電子の波を出さずに伝達を行う、初歩にしながら遠坂の技術の結晶となる奥義である。
 発信されるものが何もないために、誰かにそれを読み取られることも気づかれることもない。

 対となるナイフを持ち、紙に触れさせる。
 ボッ、と軽い音が立ち燃え上がり白い紙に黒く焦げ跡からなる文字が刻まれた。

「今日も千雨の魔力には異常なし。でも体調はかなり悪いわね。病気かしら……、でも食生活はそこそこね。最近は夜更かしと夜中に起きるのが多い……これが体調不良の原因か。体調は最悪、風邪でも引いているのかも。よく倒れないものだわ。それでも肌がある程度整ってるのはやっぱりあのちう関連でお肌に気をつけてるからね、きっと」
 ルビー以外の魔力の残滓もないため、誰かに接触された可能性もほぼゼロ。
 その他、興奮状態や生理パラメータを見たあとルビーは一つ頷いた。
 もう一つのナイフを持つ千雨に日常から逸脱したレベルでは異常はないらしい。
 死に際の怪我ならば緊急で分かるようになっているが、それでもルビーはこうして毎日千雨の様子を探っている。

 風邪や少々の怪我には対応しない。死病ならまだしも風邪に魔術使うのは違和感を感じ取られる。千雨もそういう行いをよしとはしないだろう。
 彼女は魔術を嫌っている。
 千雨はそこそこ順調に生活しているらしいのがわかれば十分だ。

 きっとわたしがいなくなったことだし、ネットアイドルとやらを満喫していることだろ。
 あの趣味はなかなかに意表をつかれた。

 そんなことを考えながらルビーが部屋の隅に視線を飛ばす。
 そこには大きな袋に入った魔術道具が置いてあった。今回の旅の成果である。
 いいものがないと愚痴っていたわりに、ルビーは目的をほぼ滞りなく果たしていた。
 優秀さも分かろうというものだ。
 袋の中身は令呪を正式に発動させるための魔力媒体が九割を占めている。残りの一割はお土産の服だ。
 魔法世界では、まさにコスプレ用といった衣装が日用品として売られていたので、いくつかを購入しておいたのだ。
 きっと喜んでくれることだろ。

 だが、帰りが大変だ。持ち帰らなくてはいけない。
 進入時は手ぶらだったが、帰り道は荷物が多い。荷物自体の隠蔽も必要だし、手もかさばる。
 着の身着のまま自分ひとりで帰るなら何とかなるが“お土産”付きとなるとそうは行かない。
 ルビーが進入にはやすやすと成功しながらもこうして長い時間をここで過ごしているのにも、その辺に原因がある。
 いっそ、ここで令呪の契約をすませてしまうのがいいだろうか、とさえ思った。

 すでに千雨に令呪の回路自体は刻まれている。
 かつて契約殺しを所持した魔女が、その短剣をマスターではなくサーヴァントに突き立てたことで分かるように、令呪はマスターに刻まれるものの、実際はサーヴァントに依存する文様だ。
 発動と補助はマスターの魔力に頼っているが、それも絶対的な能力の基盤になるものではない。一般人でも令呪さえ刻まれればそれを発動できるのがその証拠。
 ゆえに、文様が千雨の腕に刻まれている以上、道具さえそろっていれば、いまこの瞬間にサーヴァントであるルビーの手によって、千雨の令呪に光を灯すことだって――――

「――――って、あほらし。安牌もっているのに、わざわざ冒険する必要ないわよねー」

 そういって、ルビーはベッドの上に転がった





[14323] 第4話 襲われる話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/19 00:21


 第4話 襲われる話


 わたしの誕生日から一週間後。
 一週間前と同様に、わたしは宮崎のどかと一緒に夜の道を女子中等部寮に向かって歩いていた。
 だが道は、駅前からの道ではなく、図書館島からの帰り道だ。
 基本的に、女子中等部の図書館を使用していたが、地元だけあって知らないということはない。それに加えて、宮崎と付き合うようになりちょくちょくと図書館島に行くようになった。
 宮崎たちと図書館島にはじめていったときは、内容をよく知らなかった探検部とやらの活動の一端を見せてもらった。そりゃ探検のし甲斐もあるだろう。
 あの日にたまたまルビーも進入していたというのにも驚きだったが、あの図書館ならば魔法の本があるという言葉にも頷ける。
 図書館島の深層は探検部を同行しないと迷ってしまうといううわさは本当だった。
 図書館というよりアスレチックジムめいた場所で、半日奮闘した結果をバックに入れて、わたしはそう考えた。

 宮崎と親しくなってから、わたしの周りは本当に騒がしくなっていた。
 図書館探索部に入りませんかとも聞かれたがそれについては丁重に遠慮した。そもそもわたしは成果だけがほしいのだ。探索そのものに興味はない。
 わたしが回り道をするのは、そこに山があるからだ。
 家は借りてすみ、本は買って読むという格言も、いまのところ実行する気はない。
 魔法の本に少しずつ興味を持たざるをえなくなっているが、それでも本格的に見たいものではない。あくまで宮崎たちのおまけである。

 暗くなった道を、女子寮に向かって歩いていく。寮の手前、桜どおりの桜並木。
 怖くない怖くない、とリズミカルにつぶやいている宮崎に苦笑しつつ、足を進める。
 心の中で唱えているつもりだろうが口に出ている。小声だろうと静かな夜道である。丸聞こえだった。

「大丈夫か、宮崎?」
「ひぅっ! う、す、すこし怖いです。やっぱり」
「だろうな。お前からもらった悪魔祓いでも試してやろうか」
 笑いながら答える。宮崎にもらった本はありがたく読ませてもらっていた。

「あっ、千雨さん。あの本はどうでしたか?」
「聖水の作り方と、サバトについてはわたしはもう学校一に詳しくなったよ」
 誕生日のもらった中世の魔女とその魔術に関わる本。
 内容は結構マトモだった。マトモというのは本当に魔術が使えるようになるという意味ではない。オブラートに包まれていないということだ。
 人が死ぬことも、人を呪い殺すことも、実際にあった話。それについての科学的な考察に、心理学から見た呪詛の効果。
 さらには、魔女が箒に乗る際に、箒に麻薬を塗りつけて全裸でやるのは、別の意味で飛ぶためだ、とか、そういう大人の内容まで。

 普段の宮崎からするとすこし意外だが、本をよく読む人間は、意外とそういう知識を平然と受け止める。
 ネットに毒された自分では邪推してしまいそうだが、こいつはわたしが本気で悩んでいたのを知っていたからこそ、ああいう冗談抜きの本を選んだのだろう。
 魔法少女のおまじないでは、心の安定ははかれない。

 さらにその本の内容はルビーの話と通じるところがあってかなり感心もした。
 結構真面目に魔術の理解に役立つ気もする。ルビーも割りと感心していたから無駄でないことは間違いないだろう。

 だが同時に、この世界の魔法とは相容れない。
 こちらの世界の魔法は清濁合わせて魔法世界で育ったものだ。つまり、何も知らない人間から見た場合、どちらかというとファンタジーに近い。それに対して、ルビーの魔術は過去の錬金術などの隠れた学問から発生している。
 ルビーの言葉だが、未来の探求と過去の探求の差らしい。ルビーの言葉は聞き流したので、よく分かっていないが、結論として宮崎の選択はわたしに渡すプレゼントとしては、ばっちりだったわけだ。
 さすがに、生気の取り込み、性行為について詳しく描写されたページはどうかと思ったが、宮崎も全部読んだわけではないのかもしれない。
 性行為が魔術の根底を担う一角だというのは、ルビーも認めるほどに当たり前の常識だが、あの本はやりすぎだ。エロ本かと思った。

 とまあ、そんなことを話してみると、宮崎はあわあわとあわてながらも、自分も読んでいたことを白状した。本格的な魔術の指南書は大体があれくらいのエログロらしい。
 結構こいつは大胆なところがあるなあ、とこっそり笑う。
 そんなことを考えながら、気を紛らわせるような会話を続ける。


 ――――と、何の前触れもなく、ぞわりと背筋に怖気が走った。


 足が止まる。
 宮崎は何も感じていないのだろう。突然足を止めたわたしに訝しげな視線をよこす。
 わたしは宮崎を無視して後ろを向いた。暗闇に視線を走らせる。

「あの、長谷川さん。なにが……」
 同行者がいきなり背後を気にし出せばそりゃびびるだろう。
「いや……ちょっと」
 だが答えにくい。わたし自身も明確な答えがあるわけではないのだ。

 ふと思い出すルビーの言葉。
 この世界には嘘がある。魔法があって悪魔がいて吸血鬼が血をすって……
 ゾワリと、再度寒気が走る。

 横を見れば、ぽかんとした顔の宮崎がいる。
 こわばった顔を見られたか。作り笑いは得意なはずだがうまくいかない。
 バックの中には短剣が入っている。なるほど、わたしが振るうっての言う想像には正直なえるが、心の安定剤としてはそれなりの意味がある。

「宮崎、わたしちょっと用を思い出した」
「へっ?」
 我ながらべた過ぎるだろうと思ったが、オーソドックスなのは一番使い勝手がいいからだ。
「……あの、長谷川さん」
「ってわけだから、先帰ってくれ、わるいな」
 どんな訳だよ、と宮崎以外なら突っ込んだだろう。
 待っていようかという宮崎を断り、ちらちらと振り返りながら足を進める宮崎の後姿を見送った。

 宮崎の姿が見えなくなったことを確認して、再度周りを見渡した。
 ふむ、とあごに手を当てて再考する。
 いまの予感は勘違いだろうか? だが初めの日にルビーとあったのもこのような予感からだった。
 非科学的でも体験談なら現実だ。維持を張って拘りを捨て切れなかった末に悪魔に殺されたんじゃあバカバカしすぎる。直感は信頼すべきだとして、後ろの道に視線を飛ばし、耳を済ませる。
 今日は満月。道のかなたまで視線が飛ぶが、人っ子一人いなかった。
 360度ぐるりを見渡したが、またぞろペンダントが落ちているということもない。
 とくになんということもなかったか。
「やっぱ勘違いかね……」
 きょろきょろと周りを見渡しても、とくに何が見えるということもないが――――

「出席番号25番 長谷川千雨 勘はいいがいささかぬるいな」

 ――――なるほど、わたしの勘も捨てたものではないらしい。
 はじかれるように視線を上げる。
 来た道でも行く道でも道の横でもなくわたしの真上。
 夜空に黒いマントを翻らせて、一人の変態が街路樹そばの電灯の上にたっていた。

   ◆

 どう考えても厄介ごとだ。舌打ちを一つして逃げるために後ろを向こうとしてその変態と視線が合った。
 赤い瞳。ただ目があったそれだけで、

「――――あっ?」

 ガクンと、体の動きが止まった。
 その人影と瞳をあわせた瞬間に意識がぶれる。
 覚えがあった。それは宝石を拾った日。そしてルビーに令呪を刻まれた日のこと。
 これは魔法か?
 意識を保て、と叱咤する。

 一瞬の立ちくらみから目を覚ますと、すでに黒影がわたしの目の前でわたしの首筋に手を添えていた。
 瞬間移動? んなわけない。わたしが意識を飛ばしただけだ。

「さて、血を――――」
「っ!? はなせっ、変態!」

 反射的に突き飛ばして距離をとる。

「むっ!? ……ほう、意識が……」
「てめえ、何しようとしやがったっ!」

 口調を荒げながら問いかける。
 だが実際これは自分を鼓舞しようとしただけだ。
 頭を振って思考をはっきりさせる。
 やばい、いまのはかなりやばかった。
 洒落になっていない、ルビーと同類かこいつは。

「なに、悪いが、少しだけその血を分けてもらうつもりでな」
「っ」

 直球過ぎるその声に後ずさる。
 冗談じみた言葉が余計に恐怖をあおってくる。
 こいつは吸血鬼か、と目を凝らす。
 顔に見覚えがあった。フードをかぶっているが隠す気もないようだ。
 ルビーに貰ったクラスメイトの一覧を思い出す。
 名簿にはルビーの手書きの文字。

 エヴァンジェリン・マクダウェル。あんまりかかわらないように。令呪のあとはぜったいに見られないように気をつけること。

 ルビー、疑って悪かった。あんたは正しかったみたいだぜ。
 だけど、こいつが吸血鬼だってことを忠告しておいてくれてもバチは当たらなかったんじゃあないか?

「お前、エヴァンジェリンか?」
「ほうっ、冷静だな」

 冷静なはずがない。だが、長谷川千雨の思考が恐怖に塗りつぶされることはない。
 わたしはルビーの夢で知っている。

 吸血鬼という存在を。
 吸血鬼という化け物を。
 血を吸う鬼という生き物を。

「何で、あんたがこんなとこにいるんだ? いまの……血をすうとか言うのもジョークかなんかか?」
 そんなはずがあるはずない。
 だが、わたしはそう問わずにはいられなかった。
 その言葉にエヴァンジェリンはおかしそうに笑った。
「残念だが、大マジさ」
 一歩後ずさった。言葉は軽いがその口調は本気のそれだ。
 最悪の予想通りかよ、くそったれ。

「時間がない。“あいつ”が来るまでにある程度力を蓄えねばならないからな……。赴任も近い。すでに半月をきった以上、次の満月か、せいぜいその次までが限界だろう。そいつが晴れるとも限らんし、なかなか面白そうではあるが貴様ごときに手間取っている暇もない――――」
 視線を虚空に飛ばしてエヴァンジェリンがしゃべる。
 わたしに向かってしゃべっているわけではない。声は小声で後半はほとんど聞こえなかった。
 だが、それをわたしが聞いていいはずがない。

 改めて、エヴァンジェリンがこちらを向いた。
 顔をさらして、目的についてつぶやいて、それを聞いたわたしを前に何一つ焦ることはない。
 それはつまり、絶対にわたしから情報がもれるはずがないと確信しているということだ。

 なぜ? そんなの決まってる。

 ルビーのバカめ。超弩級の危険人物がまさにわたしのクラスメイトにいるじゃあないか。
 ザリ、ともう一歩後ずさったわたしに向かってエヴァンジェリンが大きく笑う。

「おいおい、貴様が宮崎を逃がしたのはどうしてだ? いやな予感がしたからだろう? それに免じてあいつは逃がしてやったんだ。わたしの暗示を一度はじいたくらいで調子に乗るな、お前は残念だが逃がさんよ」

 知るかバカ。一人で勝手にほざいてろ。
 本気で自分を害する存在の恐ろしさ。
 戦えるはずがない。わたしは短剣のことなど完全に忘れて一目散に逃げ出した。

   ◆

 ハアハアと息がうるさい。
 足がもつれそうになりながら必死で走る。くそ、無様すぎる。
 後ろから聞こえてくるのは足音ではなく飛翔音。
 空まで飛べるのか吸血鬼。
 無駄口をたたいている暇はない。
 足を止めれば本当に殺される。


【――――動くな】


 ガクン、と一瞬体が止まりそうになる。
 強制的な他者の肉体への介入術。
 だが。ルビー曰く、長谷川千雨は防呪にたける。
 長谷川千雨は防魔にたける。長谷川千雨は己自身を保つことにたけている。
 だから、この程度の暗示くらい――――

「くっっあぁああっ!」

 無理やり体を動かした。
 今の魔法は獲物をしとめる一拍前の呼吸に他ならない。
 死ぬ気で足を動かして横っ飛び。
 ぎりぎりでわたしの体を光弾がかすり、その代償に道の横に転がった。
 光弾に触れた右腕が動かなくなった。
 麻痺かどうかはわからなくとも、体に当たったらどうなるかは明白だ。
 まだ意識は失っていない。
 律儀に抱えていたカバンが吹き飛び、中身が飛び出る。
 わたしも同様に転がって、全身が傷だらけだった。

 すぐに立ち上がろうとして、体が動かせないことに気づいた。
 先ほどの光弾から麻痺が広がったわけではない。
 動かそうと思えば体は動く。純粋な疲労だった。たかだが数秒の全力疾走で情けない。
 ゼヒゼヒというかすれた呼吸音がすでに耳障りなほどだ、息が詰まるどころかそれを通り越して吐き気がする。

「ほう、催眠をレジストしたか。先ほどのはまぐれではない。貴様本当に面白い特性をもっているな」
「…………」

 一撃避けたところで意味はない。
 わたしには攻め手がない。

「……ふむ。ずいぶんと趣味がいいナイフじゃないか」
 と、当の吸血鬼からそんな言葉が漏れた。
 その視線をたどれば、地面にぶちまけられた荷物の中に、異彩を放つものがある。
 ルビーに渡されたナイフだった。
 装飾も凝っているし、飾り細工だと思われたのだろ。ペーパーナイフを想像できても、さすがに中身がまじものだというところまではわからないはずだ。
 エヴァンジェリンの口調は本気でそのナイフを趣味のいいアイテムとして考えているようだった。
 嫌味ではなく、エヴァンジェリンはマジでこのナイフを上物と評価している。
 だがそれは装飾品としてだ。まちがっても武器としての評価ではあるまい。

 それを利用など出来るのか?
 見られて警戒された時点で長谷川千雨にとってのナイフはもう武器にはなりえない。わたしは不意打ちが精一杯なのだから。
 まだこのナイフを謙譲して命乞いをしたほうがましだろう。
 だが、

「ほう、まだやる気か。力の差が分からんわけでもあるまい」

 這いずりながらぶちまけられたバックに近づく。それをとめるわけでもなくエヴァンジェリンはおもしろそうな口調で言った。
 最初に会ったときは問答無用で口を封じさせる気があった。
 だがいまエヴァンジェリンにそのような気配はない。
 やつは明らかに楽しんでいた。

「余裕じゃねえか、エヴァンジェリン」
「んっ? ああ、お前がどこまであがくか見たくなってな。余興だよ。暗示がきかないとなってはどの道お前に対しては穏便に済ますわけにも行くまい。ああ、一応いっておくが声を上げても意味がないぞ」

 人払いの結界ってか? そんな簡単に人を操れるってんなら魔法使いが幅を効かせるのも無理はない。普通の人間が格下に見えるのも当然だろう。
 バックから零れ落ちた本を横にどける。表紙がアスファルトで削れていた。これはもう直るまい。図書館島の本だぞこれは。
 生きて帰れたら謝ろう。
 そうしてわたしはやっとのことでナイフを拾う。
 わたしは体を横たえたまま、ナイフを片手に体を起こした。

「そんなちっぽけなナイフであがく気か。嫌いじゃないぞ、そういう馬鹿は」
「はっ、ぜんぜん嬉しくねえよ。くそっ、借りたばっかなのに本がボロボロじゃねえか」

 右腕はまだ動かない。左腕だけでナイフを構える。
 そもそも、わたしにはこれくらいしかすがるものがない。
 ちっぽけだろうとこれはナイフだ。カッターナイフでも彫刻刀でも人は殺せる。重要なのは振るい手の意思である。
 それをわかっているからこそ、エヴァンジェリンはバカにしような声を上げながらもわたしの行為により、その声色にほんの一つまみの真剣さを混ぜていた。

 立ち上がるので精一杯。足ががくがくと震えて動かない。
 傷でも魔法でもなんでもない。
 先ほどまでの徒競走で疲れただけだ。
 苦笑してしまった。
 もう少し運動をしておけばよかったか。そうすればあと二、三十秒は長く生き残れたかもしれないし、うちのクラスの春日くらいの足があれば、万が一で人気のあるところまでたどり着けたかもしれない。

 いや違うか、と首を振る。
 そういえば春日は超常現象組だった。ルビーのリストに名前があった。あいつも吸血鬼だ、なんてオチは勘弁してほしいものだが。

「ほう、余裕があるな」
 わたしの笑みを誤解してエヴァンジェリンが言った。
「ねえよ。自分の運動不足が身にしみてな。春日の足がうらやましいと思ってただけだ」
「それだけいえれば、上出来さ」
 ナイフをかき抱きながら、言葉を返す。
 カタカタを体が震える。
 怖い、恐ろしい、泣きそうだ。

「さて、お前はなかなか面白そうだが、少ない満月の晩の時間をまるまる浪費するに値するほどじゃない。そろそろ血を吸わせてもらうぞ」
「……やなこった、んなもんくそくらえだ吸血鬼」

 敵意を見せる。
 手にはナイフ。頭にはルビーから貰った吸血鬼という生き物のあり方を携えて、わたしはエヴァンジェリンをにらみつけた。

「ほう、本性を出したな」
「……てめえほどじゃないよ」
「ふふん、たしかに。でどうする? 長谷川千雨。この吸血鬼の頂点。真祖の身にそのちっぽけな玩具で歯向かってみるか?」

 エヴァンジェリンの笑み。トラが己には向かうネズミを見ればこのような表情を浮かべるだろう。
 評価をしてやる、認めてやる。そんな絶対的な上からの評価。
 それは完全な見下しだ。
 わたしはナイフを構えたまま、体の具合を確認する。疲労を誤魔化し何とか足も動くようになっている。
 だが、右手は動かずナイフを持った手の震えは止まらない。吸血鬼への恐怖に加え、刃物に対する根源的な恐怖で使用者である私自身がビビッている。
 己を鼓舞して無理やり笑う。

「ああ、抵抗させてもらうよ。殺せりゃ殺すさ。あんたの同類になるのはごめんだからな」
「いい返事だ。だが同類というのは間違いだな。わたしは誇り高き真祖だぞ」
「あっ?」
「同類になどなるものか、吸血鬼の被害者が“同じ吸血鬼”になるのは御伽噺の中だけさ」
「はっ、んなこと知ってるよ。てめえの下僕ってなら、なおさらだ。んなもん死んでもごめんだね、吸血鬼。いくら吸血鬼でも人間と同じように、首にナイフでも突き立てられりゃあ死ぬだろう」

 死者になりゾンビになってグールになる。リビングデットを経由してやっと最下級の死徒になる。たしかそんな話だったかな?
 ポテンシャルがぶちぬけてりゃあいきなり吸血鬼にも成れるらしいが、どのみち日の光で灰になるような存在になっちまうことに変わりない。

 その言葉にエヴァンジェリンは何が嬉しいのか大きく笑った。
「ふふふふふ。本当にすばらしいぞ長谷川。見誤っていた。面白い、ならば、存分に――――」
 その殺気に空気が凍る。


「――――その細腕で、抵抗してみるといい」


 ただやつの目を見るだけで背筋が凍る。
 やつにとっては遊びだろうが、わたしにとっては洒落ではすまない。
 そうしてその言葉とともに、吸血鬼はわたしに向かって飛び掛った。

 反射的にナイフをかざす。
 まだ鞘からはぬかない。ここで油断されていることだけが生命線なのだ。それにルビーの言葉が正しいならば鞘の宝玉には悪魔祓いの力があるはずだった。
 目測もなにもあったものではない。タイミングだけをはかり歯を食いしばってナイフをかざす。
 力のかぎりエヴァンジェリンに突き出した。

「っ!」

 だが一応渾身の力をこめた一撃は、やつにとっては止まって見えるとでも言いたげだった。エヴァンジェリンにかけらも焦ることなく対応される。
 当たり前のようにかわされて腕を取られる。
 決死の覚悟もエヴァンジェリンには届かない。

「中身はどうあれ“人の形”をしているわたしに向かって、ナイフを躊躇なく突き出せるとは、素人にしてはやるじゃあないか。自暴自棄というわけでもなさそうだ」

 やつはそんな戯言を口にしながら、わたしのことをぶん投げる。ナイフが吹き飛び、続いてわたしの体が宙を舞った。
 まるで魔法だが、それでいて魔法のような不自然さは感じない。あまりに合理的な軌道を描いてわたしの体が宙を舞う。体術なのだろうか? だとしても度がすぎている。
 通路のアスファルトではなく街路樹側の土の上に転がされた。足から斜めに倒れこむ。
 完全な手加減だった。アスファルトに転がされていたら動けなくなっていた。頭から落とされれば死んでいた。

 痛みをこらえ、すぐ近くに落ちていた鞘に包まれるナイフを見つけると、あわてて拾い上げる。
 拾い上げてから、周りを見渡せばその醜態をおもしろそうに眺めているエヴァンジェリンの姿があった。
 完全に遊ばれている。

 立ち上がろうとして体が動かないことに気づいた。先ほどの衝撃に加え足をひねったらしい。
 なんだそりゃ。人間ってのはこんなにもろいもんなのか。
 断続的に響く痛みで、まなじりに涙がたまる。
 さらに胸元に広がる痛みを認識した瞬間に、なぜかゲホゲホとせきがではじめて、自分の意思で止まらない。

 あまりのあっけなさに笑ってしまう。
 戦いどころか、抵抗にすらなっていない。
 始まってすぐどころか始まるまでもなくわたしの負けで状況は完結していた。

「まあそうだろうな。気概と腕は別物だ。意志の強さと実力が比例するならこの世の誰も苦労はせんさ」
 呆然としたわたしにエヴァンジェリンが言う。だがその言葉は蔑みが混じったものではなく、彼女の心情をつぶやくように淡々としたものだった。
「ゲホ…………ゴホッ、くそ。魔法だけじゃなかったのか……反則すぎだろ」
「当然だ。わたしは意外に何でも出来る」
 嘘ではないのだろう。忌々しいが、こいつはマジで化け物だ。

「ちなみにナイフごときじゃ百度刺されてもわたしは死なんぞ。首を切られても首を飛ばされても同じだな。知らないのか? 吸血鬼は灰になっても死なないんだ。そのナイフはなにやら特殊な加工がしてあるようだが、それでもわたしを相手取るにはまだまだ甘い。骨董品か? お前の趣味にはあわなそうだが」
「人は首を切られりゃ死ぬけどな」
「吸血鬼は人ではない」
「……そうだな。でも、人なら死ぬ…………」
「なにをいってる? 錯乱したわけでもなさそうだが……まあいい。で、どうする、まだやるか?」
 やつの口ぶりはわたしの足掻きを本気で楽しんでいるように感じた。
「饒舌じゃねえか……吸血鬼。舌でも噛んで死んでろよ」

 そんなわたしをあざ笑うように、エヴァンジェリンがこちらに向かって歩み寄る。
 ゆっくりと、堂々と、敗者に向かって歩み寄る強者の歩み。

「躊躇なく獲物を突き出し、それでいて冷静さを失ってはいないな」
「うっせえよ…………げほ」
 惨めったらしく街路樹まで這いずって体を預けて背を預ける。
 再度ナイフを構えた。まだ何とか左腕は動く。

「この状況でも諦めないのだな、長谷川千雨」
「当たり前だ」
 一歩一歩歩み寄りながらエヴァンジェリンが問いかける。

「力の差はさすがに認識しているだろうが、絶望しているようには見えないな」
「そう見えるかい」
 一歩一歩歩み寄りながらエヴァンジェリンが問いかける。

「これからどうなるかが分かっていないわけでもないようだが、恐怖しているようにも見えないな」
「そりゃさすがにいいすぎだ」
 一歩一歩歩み寄りながらエヴァンジェリンが問いかける。

 わたしが自分の人生に悲観した笑みを浮かべ、エヴァンジェリンがそれを笑う。
「……お前は自分の異常っぷりが理解できていないようだ」
「吸血鬼にだけはいわれたくないな」
「暗示耐性か、この街でその特性はなかなかにきつかっただろう」
「…………うるせえよ」

 にやりと笑いかけられる。
 ルビーの言っていたことだ。長谷川千雨がこの街で孤立した原因の一つ。それは街の持つ不自然さを隠す結界とそれをはじく長谷川千雨の能力との齟齬であると。
 だが、知ってはいてもその言葉に顔をしかめるのはとめられなかった。

「ほう、貴様自分自身でも気づいているのか」
「……まあな、べつにいいだろ」
「本当に貴様はおもしろいな、評価しよう」
「はん、どうせ血を吸うくせによく言うぜ」
「当然だ。それとこれとは別だからな。だが、誇りに思うといい。お前からは贄としてではなく長谷川千雨として血を吸ってやろう」

 それで喜ぶやつはイカレているぜ、吸血鬼。
 わたしの構えるナイフなど気にも留めず、エヴァンジェリンは足を進める。
 当たり前か。やつとわたしの腕は比較にならない。
 おもちゃのナイフじゃ脅しにならない。
 長谷川千雨じゃ話にならない。

 その光景を見ながらも、わたしが諦めなかった理由はただひとつ。
 恐怖に涙を浮かべながらも、わたしが絶望しなかった理由はただひとつ。


 ――――きっとそれは、腹をくくっちまっていたからに違いない。


 怖くとも、恐ろしくとも、そんなものは自己を失う恐怖に比べればなんと言うことはない。
 ルビーの夢を除き見ただけの、地獄を知った気でいた知ったかぶりの甘ちゃんだって、あいつに最後まで刃向かうことくらいは可能だろう。
 抵抗したわたしを敵と評価したなエヴァンジェリン。
 引きこもりでパソコンオタクのトーシロが吸血鬼に刃向かう姿をおもしろいと評したな。
 いいだろう、いいじゃないか、おもしろい。

 だったら、意地でも最後まで抵抗してやろうじゃないか吸血鬼。


   ◆


 わたしはかつて夢を見た。
 ルビーの夢はただの夢。
 追体験、ルビーの記憶。
 わたしはその夢を見て恐怖に泣いた。
 その夢に呑まれて、そのおぞましさに恐怖した。

 だが、ルビーはそれを一時のことだと大きく気にはしなかった。
 映画で人が死ぬものを見たことがある。不幸な人物をテーマにした小説を読んだことがある。
 最高レベルの病原菌で閉鎖空間に死が満ちる、そんな恐ろしい映画を見たことがある。
 隕石が落ちてきて人類が滅亡するような、そんな終焉の映画を見たことがある。
 人が殺しあう映画、人が殺される映画、殺人、拷問、自殺、病死、強姦、滅亡。

 そんなものは、お話の世界では“ありきたり”

 映画に恐怖を感じることがある。
 漫画に怖がることがある。
 小説におびえることがある。

 だけど、それで人生が変わるという人物は少ないだろう。
 作り物だから? 映画は所詮演技だから?
 馬鹿馬鹿しい。
 ニュースで紛争地帯の光景を見たとして、新聞で地雷の犠牲者の話を読んだところで、わたしたちはそれを魂には刻むまい。

 それと同じだ。それは結局他人事だからにほかならない

 影響を与えることはあっても、人格を改変することはない。
 わたしだって、数日で平静を取り戻せた。平静を繕えた。
 追体験だけで、実際に経験したわけではないからだ。
 ルビーの夢だ。ルビーの記憶だ。
 だから、ルビーもわたしが当日に死ぬほどの消沈をしたとして、それを気には留めなかった。
 ルビーは言った。それが心に傷を負わせても、日常をあと数ヶ月過ごせばきっとその恐怖はただの記憶へと腐敗する。
 恐ろしくはあるけれど、そんなものお化け屋敷の域を出ないだなんて――――


 ――――そんなことを考えているから、お前はうっかりものだなんていわれるのだカレイドルビー。


 優秀だ優秀だというわりに、お前はどこか抜けている。
 あれは違う。あれは別だ。
 だが、体験していようがいまいが、あの夢と映画や小説とは決定的な違いがある。
 リアリティ? なるほど、実際に自分の身に起こったように感じる夢は、映画とは別物だろう。
 体験の仕方? なるほど、魔法使いの夢の中。それが与える影響は別格だろう。
 だが違う。
 それは、あまりに単純で、きっと魔法使いとして生きてきたであろうルビーには思いもよらない内容だ。
 魔法なんて信じずに生きてきた長谷川千雨だからこそあの体験は永久に心に刻まれる。
 怪談話の主人公に自分を当てはめることはないだろう、戦争悲話の被害者に自分を想像することはないだろう。だがあの夢の中、わたしは桜さんの中にいた。

 そう、つまり決定的な違いとは、ただ単純に


“それが実際にこの身にありえる出来事である”という確信だ。


 人が死ぬ場面を見ても自分が死ぬ場面を想像できないように、人の認識はあいまいだ。
 だけど、わたしは、吸血鬼を知っている。
 わたしは人の命を拘束する悪魔の存在を知っている。
 わたしは人の心を束縛する悪魔の在り方を知っている。
 ブラム・ストーカーを熟読する読者より知っている。
 ワラキア公爵の逸話を研究する歴史家よりも知っている。
 きっとこの世界に多くいるはずの、哀れな犠牲者と同じくらい知っている。

 血を吸われれば、どうなるか。
 それを良く知っている。
 重要なのはただ一点。

 このままでは長谷川千雨がどうなるか、それをわたしは知っているというそれだけだ。

 人は餓死で飢える子供がいると知ってなお、私財を投げ打って施しをあたえはしない。
 だが一度でも飢えで苦しんだことがある身なら、きっと募金箱を見かければ施しを与える機会を逃しはしない。そんな単純でありきたりな問答だ。
 知っているとは別物の、本当の意味での認識の仕方。理解しているとはそういうことだ。

 はるか遠く、別の世界に蟲に犯された娘がいた。
 蟲に体を操られ、屈服し、従属し、その体をもてあそばれた娘がいた。

 長谷川千雨はその姿を見た。
 長谷川千雨はその光景を体験し、その光景を体験し、その光景を追体験して死に掛けた。
 あの日の夢で、地獄を見たといった言葉に嘘はなく、半日の時を自分の死について考えることでベッドの中で震えていたのは現実だ。

 いまだにわたしはあの情景にうなされる。
 いまだに夜に悪夢にうなされて目が覚める。
 いまだに唐突に起こるフラッシュバックで吐き気を起こす。

 わたしは確信しているのだ。
 先ほどエヴァンジェリン自身がいっていた。やつに血を吸われてもやつと同じにはならないだろうと。
 そりゃそうだ。
 奴隷を作るシステムで主人と同格になれるはずがない。
 今この瞬間に、エヴァンジェリン・マクダウェルに血を吸われれば、わたしはきっと死人となって街を徘徊するのだろう。
 宮崎や早乙女や綾瀬や近衛や、クラスメイトを餌だとしか認識しなくなり、エヴァンジェリンのために、他人に襲い掛かりもするだろう。
 わたしはそれを知っている。
 だからこそわたしに手は“たったの一つ”しか存在しない。

 わたしの先ほどのその決意。
 それを聞いていなかったのか吸血鬼。
 馬鹿でぬるい女子中学生が軽口で言ったとでも思ったか。
 もう一度言ってやろう吸血鬼。
 わたしはな、


 お前の傀儡になるなんて、そんなことになるくらいなら――――


   ◆


 わたしは笑う。恐怖から笑みを浮かべ、絶望からの逃避として笑みを浮かべ、自分の運命を呪いながら笑みを浮かべてエヴァンジェリンを迎え撃つ。

「なあ、エヴァンジェリン。お前聞いていなかったのか?」
「命乞いか? わたしは悪い魔法使いだぞ。おとなしく――――」

 ちげえよ、間抜け。
 いまこの瞬間に“命乞い”だけはありえない。
 わたしはさっき言っただろう。

 ナイフを取り鞘を外す。
 厳重に包装してあった鞘はわたしの腕の一振りで吹き飛んだ。
 ルビーの施した鞘の魔術。片腕しか動かない身の上では助かった。

 出てくる白刃に満月が反射する。
 こちらに襲い掛かるエヴァンジェリンがその刃先に目を丸くした。
 厚い刃に鋭い切っ先、それはペーパーナイフやおもちゃではありえない。鈍く月光を反射するその短剣。
 装飾品とでも思っていたのだろう。骨董品と思っただろう。
 だが鞘から表れるのは完全に凶器として研ぎ澄まされた白刃だ。
 刃が月を反射するほどに手入れがなされ、そこに遊びは一切ない。
 これはわたしじゃなきゃ鞘が抜けないルビー特性の特製品。わたし以外には本物に見えない偽装付きの短剣だ。

「っ! キサマッ!」

 その白刃を見てあいつの動きが早くなる。
 手が振るわれ銀線が空を舞う。
 だが、それが視認できた。
 ナイフに導かれるように手が動き、銀線を小さな金属音とともにはじき返した。

 世界がゆっくりと流れている。いやに世界がはっきり見える。
 先ほどまで認識できなかったエヴァンジェリンの動きが視認できる。
 走馬灯か、死に際のブーストか。ナイフを抜いた瞬間から頭が冴える、体が動く。
 エヴァンジェリンと目が合った。やつが焦った顔をする。
 今頃気づいたのかこの間抜け。
 それともわたしがそんなこと出来ないヘタレとでも思っていたか。
「やめんかっ、馬鹿者!」
 大きな叫び。だが遅い。お前は一般人を舐めすぎだ。
「思い出したか吸血鬼。わたしはあんたに血を吸われるなんて」
 わたしはそんなこと、


 ――――そんなこと“死んでも”お断りだと言ったのだ。


 ナイフをエヴァンジェリンに突き立てるなんて道は不可能だ。
 それは運動能力の差だ。それは決意でどうにかなるものじゃない。エヴァンジェリンこそが言っていた。
 決意で力は埋まらない。
 だがそれでも、あいつがこちらに飛ぶその隙に、自分のノドを掻っ切っちまうくらいの時間はあるさ。
 吸血鬼は百度刺されても死にはしまいが、この身はまだ人間だ。なら死ねるうちに死んでやる。
 この世で最も簡単で、もっとも卑怯で救いのないその逃避。
 わたしはなにがあっても自殺はしない人種だと思っていたが、こうなるとはね。運命とはわからない。

 エヴァンジェリンが驚愕した顔を向けてくる。
 はっ、ざまあみろ。
 わたしの命はわたしのものだ。お前になんか使わせてたまるかよ。

 わたしは最後にもう一つ笑いを送り、自分のノドを掻っ切った。


   ◆


 血が吹き出る。装飾だけは古びたナイフだが切れ味はルビーの保障つき。
 ほとんど抵抗なくノドを通り抜ける感触に鳥肌が立った。

「――――ギッ、あぁあ……あ?」

 喉から血が噴出すよりも口から血が逆流することに驚いた。
 ノドから漏れる血が口の端からあふれ出す。嘔吐とは違い、まるでポンプで押し出されているかのように鮮血があふれ出す。
 だがまだ意識がある。喉を切っても、即死はしないものなのか。
 片腕だからセオリーどおりにナイフを突き立てられないのがあだになった。
 やっぱり漫画の知識は当てにならない。

 そして生き残っちまったら、わたしはきっと人形か?
 血を吸われて傀儡となって、ゾンビとなって恥をさらすことになるのだろうか。
 そんなのごめんだ。
 そう考えて、二撃目を無理やりノドに突きたてようとして、そのナイフを握る手ごとエヴァンジェリンにつかまれる。
 力が強い。ナイフが落ちる。
 血が落ちて、力が抜ける。
 ばたりと音がした。わたしは倒れたのか? 仰向けなったらしいことに、わたしの前にエヴァンジェリンの顔とその後ろに満月が見えることで気がついた。

 わたしの耳はもう聞こえなくなっていた。

 エヴァンジェリンが何か言ってる。聞こえない。……くそ、痛い。
 首はむずがゆさ程度しか感じないのに、倒れこんだときにぶつけたらしい肘に疼痛が走るのが笑えてくる。
 体は仰向けに倒れ、空が見える。痛い。音はもう聞こえない。寒い。まだ意識がはっきりしてる。人間は思ったより長持ちする。

 わたしの目はもう見えなくなった。

 ……しっかしさ。ルビーはもう少し 頑張ってほしかったぜ。
 ホントにやってられないな。
 助けるなんていっといて 結局さ わたしは死んじまう みたいだぜ
 お前が来たのは結局運がよかったのかな どうなんだろう。

 わたしの体は動かない。

 ……暗い。……寒い。……そしてさびしい。死の気配。
 ああ。前が真っ暗だ。
 ……ああルビー 首を こうして……掻っ切るまではさ お前がさ 助けに 飛び込んできてくれる ご都合主義を……考えてなくも なかったんだが……
 ふふ そりゃ都合がよすぎたか

 わたしはもう凍えるような寒さしか感じない。

 寒い 暗い 暗い 暗い
 暗いなあ
 ああ さすがにそう都合よくは いか……ないか ……ルビー おまえが 令呪を 重要だ って言ってた……意味が 分かったよ。

 ……………………ああ だるい だんだん 頭が 重たく……なった それになんだか手が熱い……


 わたしはもう寒さすら感じない。


 ――――約束破りの魔法使いめ 願いをかなえるって言ってただろう ……さっさと 助けに あらわれやがれ……





[14323] 幕話4
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2009/12/19 00:23
「宮崎、わたしちょっと用を思い出した」
「……あの、長谷川さん?」
 長谷川さんは突然そんなことを言い出した。
 どう考えても、何か問題があってわたしを遠ざけようとしているとしか思えない。
「ってわけだから、先帰ってくれ、わるいな」
 言葉をさえぎられる。
 すこし悩んだが、わたしは言葉どおり先に帰ることにした。


   幕話4


 暗い夜道を一人で歩く。
 いつもは怖いはずなのに、それよりも長谷川さんのことが気になった。
 以前はこんなに話すようになるなんてまったく思わなかった。
 あまり人と話さず、いつも一人でいたクラスメイト。
 それでいて彼女は実は非常に面倒見のいいタイプであったりする。
 わたしは長谷川さんと仲良くなるまで気づかなかった。
 そういうことを見るのに長けているパルや夕映も意外だといっていた。

 部屋に戻る。同部屋のハルナがすでに帰ってきていた。早乙女ハルナ、通称パル。わたしの同居人で友人だ。
 彼女は手に漫画を持っている。確か先日発売したばかりの新刊だ。後で見せてもらおう。

「おかえりー。遅かったねえ」
「ただいま、ハルナ。ご飯は?」
「まだよー。のどかはもう食べてきちゃった? まだなら食堂行こうか」
「まだ食べてないよ。作ろうか?」
「いいよいいよ。のどかも帰ってきたばっかりじゃん。面倒でしょ。それにデザートに新作が出たらしいしねー」
「もう、ハルナったら」

 コートを脱ぎながら答えた。
 パルはまだ漫画を読みながらお茶請けらしいお煎餅をかじっている。
 夕食前にそんなことをしているから毎回身体測定で泣くことになるのに気づいていないのだろうか。
 わたしやゆえにあたるのでやめてほしかったりする。わたしたちからすればパルを羨ましく思うことはあっても羨ましがられることなんてないと思う。
 じーっと見ている視線に気づいたのか、パルはお煎餅を一つわたしに差し出した。
「いる?」
「ううん、平気。太るよ、ハルナ」
 ぐう、とうなった振りをするが、パルがこりないのは承知している。
 もっとも、そろそろ夕食の時間なのだ。お腹もすくだろう。
 もしかしてわたしを待っていてくれたのだろうか。
 だとしたら、間食にわたしが文句をつけるのは筋違いかもしれない。

「おーし。じゃあいこっかあ」
「あっ、ちょっとまって。先に長谷川さんにメールしておきたいから……」
「んっ? メールって」
「うん、今日長谷川さんと図書館島にいったんだけどね」

 帰り際に、長谷川さんと別れたことを告げた。
 それを聞くとパルはむむむっとうなって食べていたお煎餅と読みかけの漫画を横にどける。

「ふーん、なんか怪しいねえ」
「あやしい?」
「あったり前でしょ。日の暮れた帰り道。二人で歩いて一人が引き返したらそれはもうホラー映画の範疇じゃない」
「そういうこといっちゃだめだよ。ほんとに何かあったら……」
「あはは。千雨ちゃんにますます嫌われちゃうねえ」
「パルー」
 意地の悪い台詞にちょっとだけ涙が出た。
「冗談だって」
 豪快に笑い飛ばして立ち上がる。

 わたしもあわててメールを打って、夕食に向かうことにした。


   ◆


 ご飯を食べて帰ってきた。あれから一時間もたっていない。
 だがメールの返事はまだなかった。

 別段おかしなことでもないが、パルにそれを告げるとすこしだけ怪訝そうな顔をした。
「へえ、意外に千雨ちゃんはこういうの律儀だったと思ったけどねえ。途中で分かれたってんなら、のどかがメール送るのに気づかないってこともないだろうし」
「どうしたの?」
「うーんまさかねえ。いや偶然だとは思うけど、あーのどか、もしかして千雨ちゃんと別れたのって桜通りだったりする?」
「? なんでわかるの、ハルナ」
 確かに彼女と別れたのはちょうど桜通りの中だった。街灯が少なく、街路樹が生い茂って夜はなかなか雰囲気のある場所だが、とくに場所を念押しされるような場所ではないはずだ。
 うーむ、とパルは難しい顔をした。

「あそこって吸血鬼騒ぎがあったのよ。半年くらい前からね。犠牲者も少ないうえに、一ヶ月のうち数日だけ。それにべつだん大怪我ってわけでもないからまだぜんぜん噂になってないけど」
「ふえぇ、それほんと?」
「ホントよ。吸血鬼っていうのはさすがにうそ臭いけど、なんかあるのはほんとみたい。今日は満月だし、噂でも満月の日が危ないらしいわよ。もう一回メール打ってみたら? 返事がなかったら探しにいこっかあ。千雨ちゃんの部屋にいってみる? いなかったら外ね」
 パルはあっけらかんとそういった。
 外は真っ暗でまだ肌寒い。寮の目の前とはいえ、桜通りまで出て捜すとなるとそれなりに大変だろうに、それをおくびにもださない。
 思わず笑いがこぼれた。やっぱりパルはパルだった。長谷川さんも頬を膨らませながらもパルを本当に嫌っていないのはこういう理由からだろう。

「なに、えへえへ笑ってるのよ、のどか。んー、ちょっとお姉さんに言ってみー」
「な、なんでもないよぅ」
 頭をぐりぐりと回される。
「まあ、心配のし過ぎだって。いくらなんでもそんなことにはなってないと思うよ」

 その言葉に勇気づけられてわたしは、二度目のメールを打った。
 本当に、心配のしすぎなだけならいいんだけれど。

 そんな心配をしていたが、二度目のメールにはすぐに返事が来た。
 長谷川さんの部屋まで行こうとしていたわたしとパルはその返事を見て笑いあう。
 杞憂というほどではなかった。アクシデントはあったようだ。だけどそれをすでに笑い話に出来る状態になっている長谷川さんに微笑んだのだ。
 自分で魔法の大家だなんて笑えるくらいあって、やっぱり長谷川さんはすごい人である。
 わたしたちの前には、

『悪い。私用で駅前まで戻ってた。言うとつき合わせちまいそうだからな。そしたら、駅前で変質者に遭遇しちまってちょっとごたごたがあったんだ。さすがに驚いた。夜に出歩くもんじゃない。もう少しいろいろとかかるから、携帯は取れそうにないけど、宮崎も気をつけろよ。心配かけたな』

 そんな長谷川さんからのメールがあった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 幕話と4話、さらにもう一個幕話です。
 主人公死す。ちなみに主人公はルビーじゃなくて千雨です。

 幕話の4を入れた理由はこの話を次回に持ってくとぐだぐだになりすぎるからです。なので、来週は一話だけです。
 というかべつに二話ずつ更新することを心がけているわけじゃなく、2話更新できているのは幕話が短いためです。適当な長さになれば幕話も分けて一話ずつになるかと思います。
 あと次回の更新は一週間後になります。
 それでは。




[14323] 第5話 生き返る話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:35
 きっとこれは運が悪かっただけのこと。
 実際この件だって、本当にわたしが何も知らなければ穏便に済んだはずなのだ。
 わたしがもう少しヘタレだったり、もう少しルビーが真剣にあの“夢”を心配したり、ほんの少し帰り道を急いでいればやり過ごせた。
 ただすべての状況が悪いほうにかみ合って、わたしがその引き金を引いただけ。
 ルビーがあれほど令呪にこだわった理由を実感しつつ、わたしは自分の所業の間抜けさを怒るルビーの前で、正座をしながら思ったものだ。


   第5話 生き返る話


「…………っ!」
「……………………」
「…………。…………」
「!…………!?」

 薄ぼんやりとした意識がクリアになる。
 漏れ聞こえる会話にひきづられ、深海から浮上するようにわたしは意識を取り戻した。
 誰かが言い合っているらしい。頭がぼんやりとしてはっきりと聞き取れなかった。

「お……超。……起き……かっ!」
「エヴ……ジェ……さん。失血死寸……った……? 今日中……きるかも怪し……ノネ」
「まったく。この……の所為で満月……が丸々潰れてしまったでは……か」
「マス……。学園に秘匿できただけでも僥倖……思います」
「……、まさか死にはしないだろうな」
「イヤ、もう大丈夫のはずネ」

 声が聞こえる。会話が聞こえる。
 頭がハッキリとしてきた。
 わたしはベッドの上に寝かされている。
 お約束としては飛び起きるものだろうが、そこまでバカではない。
 意識さえ戻れば、わたしは先ほどまでのことを完全に覚えている。
 忘れられるようなものでもない。

 目を覚ましたけど、目は開かない。
 寝たふりを続け、耳だけを澄ます。
 体のダルさも尋常ではなかった。
 指一本動かすのもつらいが、眠気はない。
 最悪の気分だけが継続している。

 頭にはタオルが乗っている。服は脱がされている。だが裸ではない。体を縛り付けないタイプの薄手の服だ。
 布団ではなく何か毛布らしきものがかけられていた。
 声はエヴァンジェリンと超だろうか。ルビーからのリストには確か超も超常組として書かれていたはずだ。葉加瀬はリストに載っていなかったはずだがルビーのミスだろうか。割と信頼していたいだけに“そういうこと”もあるという事実には肝が冷える。
 しかし吸血鬼とぐるはやりすぎだろう。

 緊張でつばがたまるが、誰に見られているかも分からない。
 狸寝入りのコツはつばを飲み込まないことだ。
 うっすらと薄目を明けようとして、頭に乗っていたタオルが取り除かれるのを感じ、あわてて寝たふりを続ける。
 水につけるような音、タオルを絞る音、そしてまた乗せられる。
 怪我の治療かと思ったが、わたしの感じているこのダルさは発熱のためか。
 あれだけ寒さを感じたのに、困ったものだ。
 見られている可能性もあるが、たえられない。こっそりと薄目をあける。
 慎重に慎重にと周りを見渡せば、わたしの寝るベッドの横に、四葉五月の姿が見えた。
 わたしのタオルを取り替えたのはこいつのようだ。

 気分が悪いの相変わらずだが、頭ははっきりしている。
 四葉に悟られないように、視線を動かさずに周りを見る。
 工学系の研究室じみた光景だった。ごちゃごちゃとした部屋に機械と工具が散乱している。
 乱雑においてある機械はまだしも、普通こういうところにビーカーやらは置いてあるものなのか? もともと何するものだったのかは分からないが、怪しげな道具が散乱している。
 整理という単語とは無縁そうだ。

 声はエヴァンジェリンと超。あとは葉加瀬に絡繰か? 声を発していない四葉がいることを考えると、あと数人くらいいてもいいかもしれないが、うちのクラスメイトばかりのようだ。
 内容はわたしの容態か。もう命に別状はないとか、そんな内容。
 どういうことだろうか。
 さらに寝た振りを続ける。話を聞いていると、他の三人がエヴァンジェリンを責めているような内容だった。
 わたしを傷つけたことを怒っている? 状況がつかめない。

 混乱しているわたしをよそに、彼女らの会話は白熱しているようだったが、それを電話の電子音が切り裂いた。
 反射的に反応しそうになり、あわてて自制する。
 わたしの携帯電話の音だった。

 舌打ちをしてエヴァンジェリンが何の躊躇もなく電話を取った。
 パカリと開くとモニターを一瞥した。
「また宮崎のどかからのメールだな。おい、超」
 そういって、エヴァンジェリンは超にわたしの携帯電話を放り投げた。

 おいおいおいおい、ちょっとまて。
 いまこいつらなにをしてる?
 わたしの頭は混乱のきわみだった。
 そして超はそれを当たり前のように受け取って、
「うーむ。あまり騙すのは控えたいガ……」
「疑われるわけにもいかんだろう、さっさとしろ」
 超がひとつうなずくと、メールを勝手に打っていく。
 わたしの携帯で、わたしの振りをして、わたしの友人への文字を打つ。

 安全策など頭から吹き飛んだ。
 狸寝入りをやめて、ベッドのそばにいた四葉の手を取り、ひきずり倒す。
 驚いたように四葉が目を丸くしたが、そんなことにカマってはいられない。
 わたしは人を拘束するような体術も使えないし、ナイフなどの道具は見当たらない。
 考えなしすぎたことに舌打ちしながら、四葉の首をとって、その頭をベッドに押し付ける。

「手前ら、勝手に人のメールを……」

 と、啖呵をきろうとしていきなり目の前が揺れた。
 立ちくらみかよ、と愚痴る間もない。
 四葉を押さえる手に力が入らず、逃げられる。
 ふらつく体を抑えるので精一杯だった。
 だが、そんなわたしに超たちは明るい声を上げた。

「イヤー、目を覚ましたカ。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思てたヨ」
「長谷川さん。事情は説明しますので、眼を覚ましたなら一旦身体データを取らせていただいてよろしいですか? かなり危険な状態だったので後遺症の確認を……」
「……長谷川さん。このたびのマスターの件はまことに申し訳ありませんでした」
 さらには、今の今までわたしに襲われていた四葉までもが、あまり動かないほうが、などと気遣ってくる始末である。

「……どういうことだ?」

「ん? イヤ、エヴァンジェリンさんに襲われたって聞いたヨ。吸血鬼だと見破っていきなり自殺を選べるなんて千雨は決断力ありすぎネ。本当に悪いことしたよ。説明するからまずは落ち着いてほしいネ。エヴァンジェリンさんももうあんなことしないと約束したからネ」
「ええ。エヴァンジェリンさんが長谷川さんをつれて研究室に飛び込んでいらしたんです。その時点である程度処置はされてましたけど、ほんっとうに危なかったみたいでした。治療中もどたどたしてましたし、気にされていたようです。悪気はなかったと思いますけど」
「申し訳ありませんでした長谷川さん。マスターに代わって謝罪をさせていただきます。マスターも長谷川さんを傷つけるつもりはなかったのです……マスターには悪ふざけの気がありまして……」

 呆然と視線を送る。
 つまりこれは、そういうことか?
「おい茶々丸。謝る必要はないぞ。こいつが腑抜けだっただけではないか。軽くびびらせたくらいでいきなり自害などしおって。もう少し命を大事にしろ、ガキめが」
 ほら、そう考えれば、こいつのこの言葉もかわいげが見えてくるじゃあないか。
 もしかして、

 ――――わたしはなにか、盛大にボケをかましちまってたりするのだろうか?


   ◆


 まずは最優先事項として、携帯を取り戻した。
 宮崎からメールが来ていたぞ、というエヴァンジェリンの言葉に「聞いていたよ」と声を返して携帯を開く。
 宮崎からこちらの身を心配するメールが届いていた。
 遍歴を見て頭痛が止まらない。
 計三通。はじめのメールは分かれたあとから数十分後。用が終わったかどうかの確認が。
 次のメールはさらにその数十分後で、心配したのか一通目の確認だ。
 そして、さきほどきた三通目の前に、なぜかわたしの携帯から返信が行われている。
 その返信文に目をむいた。
 一通目のメールに対する返事が送れた謝罪と、適当な言い訳。
 わたしが書くならこう書くだろうという文が並んでいる。
 だが内容は嘘八百だ。

 わたしはなぜか、落し物を拾いに帰った駅前で変質者に襲われて、警察に事情聴取を受けたことになっていた。
 ちらりと視線を向ければ、憮然とした顔を崩さないエヴァンジェリンと目が合った。
 こいつが打ったわけではあるまい。ルビー然りと魔法なんてものに関わる古風な魔女は機械音痴が定説だ。
 それにエヴァンジェリンなら、自分を変質者と書くようなまねはしないだろう。
 そんなことを考えているわたしを、ものすごい不満そうな顔をしているエヴァンジェリンがにらんでいた。
「ふーん」
「……なんだ?」
「いや、別に」

 だが、あってるじゃないか、変質者。


   ◆◆◆


「じゃあ、殺す気はなかったってことか」
「ああ、血を……魔力を頂こうとしただけだ。殺すどころか怪我のひとつも残す気はなかったんだよ。この学園でけが人を出すとわたしの立場がまずくなるからな」
「思いっきり襲い掛かっといてよく言うぜ」
「はっ、ピーピーと足掻いてたヒヨッコが調子に乗るじゃあないか」
「マントを翻して街頭にたたずむような演出しといてよく言うよな」
「まあまあ、二人とも仲良くするネ。長谷川さんも事情を聞いておいたほうがいいヨ」

 さすがにここで仲良くは出来ない。ふんと、鼻を鳴らし超たちから事情を聞く。
 基本的に情報交換。いや交換ではないか。
 エヴァンジェリンとこいつらの事を聞いただけだ。
 曰く、吸血鬼だっただの、血を吸われても死ぬことはなかったことだの、
 こいつらはある程度魔法に関わっているだのそんな内容だ。

 最も超たちが超常現象に関わっているという情報はルビーから聞いていた。絡繰など聞くまでもない。
 こいつらのことはいいとして、逆にわたしが魔法にかかわっていることを知られているのかどうかのほうが問題だ。
 こちらの言葉は断定せずに、返事はあいまいに。胡散臭い政治家のような会話を続けて、情報をもらっていく。
 だが、こいつらは特にわたしのことに言及することもなく、エヴァンジェリンのことを話し続けた。

 話を聞きながら、冷や汗がとまらない。
 調子に乗って自殺なんてしちまったが、ありゃわたしの浅はかなヒロイン願望かなんかからくる自己陶酔からなる行為だったのだろうか?
 事情を聞いた今となっては、わたしの行為はバカ丸出しだ。
 もし死んでりゃピエロじゃねえか。

 一息ついて、葉加瀬たちに目を向ける。
 脳波を取るなどと抜かして、怪しげで馬鹿でかいヘルメットをかぶせようとする葉加瀬に、わたしの行為にしみじみと感想を述べてくる超。
 エヴァンジェリンは人にバカバカと連呼するし、四葉は安堵した笑みを浮かべる以外はいつもと変わらない。すまなそうな顔をしているのは絡繰だけだ。
 わたしは一応死に掛けたんだがな。なんでロボットが一番人情味にあふれてるんだ?

 脳が追いついていかない。
 ぼーっと話を聞いたあと、わたしは言った。

「今日は帰るよ」

 まあそれくらいしか言うことはないだろう。


   ◆


 事情を聞いたからといってわたしも同じように自分の事情を話す義理はない。
 わざわざわたしから話すことなんてなにもない。
 というよりそもそもの問題として、わたしには超たちから説明なんてされようが、それを本当だと思うスキルがないのだ。
 まずは頭を冷やすことが肝要であり、今は百言費やす説明よりも、その言葉をつぶやく五分の沈黙のほうが価値がある。

 ごちゃごちゃと今後のことについてやら、今回のことについてやら、これまでのことについてやらをエヴァンジェリンを筆頭に語ってくれたが、わたしは生返事だけを返してその場をやり過ごして寮に帰った。
 悪の巣窟とは言わないが、長居したい場所ではない。
 わたしは説明よりも休息を欲して、そこを離れた。
 疲れたし,説明を受けるより休みたいと、そう訴えた。

 ――――もちろん演技である。

 ルビーが始めてきた日のように、わたしは謎を流せない。
 知らないほうがよいことがあることは理解できても、それに触れればそれを意識せずにはいられない。
 知らないままというのは不安であり、それをよしとするのは長谷川千雨の信条に反する。
 本来なら何を置いてもわたしは説明を求めただろうし、自分の安全を保障するために食い下がったはずだ。
 わたしがあの場からたいした説明も求めずに逃げ帰ったのは、やつらが本当にわたしをどうにかするつもりがなさそうだったことと、

「今日は焦ったわー。千雨いきなり死んでるんだもの」

 いつの間にかわたしの横に浮いているこの女がいたからだ。


 寮の部屋に戻りベッドに飛び込むように寝転んだ。
 発熱を訴える体を休め、ルビー印の怪しげな薬を飲む。
 いきなり効きだして、気分が晴れやかになるところがまた怪しいが、恩赦に預かれる分には文句も言うまい。
 これで明日いきなり体調が戻って超たちに怪しまれるかもしれないが、そこらへんは演技でもしておこう。そんなことをぼんやりと考えながら、ため息を吐く。
 今日は本当に疲れた。

 正直さっさと寝たかったがそうも行くまい。
 気を取り直して、ベッドのそばに浮かぶルビーにさっそく詰問を開始する。
 こいつ相手に聞くほうがエヴァンジェリンたち相手に立ち回るより気が楽というものだ。

「あなたって他人をほっとけないタイプみたいねえ。損をするけど好かれる性格」
「うるさいよ」
「文句くらい言わせてよ。今日は寿命が三千年は縮んだわ」
「何年生きる気だよ、お前は」
「そりゃわたしの目的が達成されるまでよ」
 闊達に笑う。どうでもいいが、大声は出さないでほしいものだ。ここは一応寮の中だぞ。
「大丈夫よ。わたし霊体化してるし……というよりわたしはもういままでのようには“実体化”できないわ」
「はぁ?」
 意味が分からない。
 だが、たしかにこいつは実体化とやらをせずに、霊体のままだった。
 ルビーは肩をすくめた。
「千雨。あなた自分が何をしたかが、いまいち分かってないみたいなのよねえ」
 まあ、それに反論はしないが文句を言われる筋合いもない。

「あのね、千雨。あなた死んでいたのよ。わかる? 死にそうになったわけじゃなく、死んでいたの。たぶん気づいているのはエヴァンジェリンとか言うババアだけでしょうけど、あなたは蘇生しているの」

 …………ホウ、そりゃ驚きだ。


   ◆


 少しばかり前のこと。
 わたしは一晩だけ夢を見て、死にかけるほどに衰弱した。
 理由はルビーの怪我を、長谷川千雨の魔力を使って回復したためだと説明された。
 ホースの水が圧の低いほうに流れるように、こっちからそっちでそっちからこっちと簡単に。
 だから今回は、ルビーの体から魔力が抜けて、わたしに流れた。
「どころの話じゃないわ」
 と、ルビーはわたしの解釈をぶった切った。
「あなたの今の魂の半分はわたしから流れた材料よ」
 しかめっ面がとまらない。魂ってなんだよ、おい。

 すこしうなってベッドから体を起こすと、カバンからナイフを取り出した。
 血は付いていなかった。
 没収はされなかったようだ。エヴァンジェリンたちに取られているか、わたしが首を掻っ切ったまま道端に放置されているかも知れないと思っていたが、そこまで馬鹿ではないらしい。
 そういえば桜通りのあの場所にまみれているであろうわたしの血はどうなったのだろう。エヴァンジェリンが拭いてくれたとは考えにくいが、そのままだったら明日にはパトカーと非常線、来週にはわたしの元へ刑事さんが尋ねてきてもおかしくあるまい。
「あのねえ。自分が何したか覚えてないの?」
 同じようなことを考えていたらしいルビーから怒りを含んだ声が返った。

 むっ、と詰まってしまった。
 ナイフを取り上げる。軽く手のひらに押し当ててみた。
 かなり強く押し付けなければ切れないことはわかる。
 横に引けば切れるだろう。適当に押し付けながらなら皮一枚ですむかもしれない。刃物とはそういうもので、人間の皮膚は意外と強い。
 だがこれを横に引くことは出来そうもない。
 ブルリと震えた。あの時首を走った感触を思い出し、鳥肌が立った。

「うわっ、めちゃめちゃこええ」

 ナイフから手を離す。
 自傷行為というのはなかなか根性がいる。
 よくもまあ自殺の真似事なんか出来たものだ。

「当たり前でしょ。ほんとに信じられないわ」
 ルビーがいった。
「悪かったよ。だけどマジでビビッてたんだ。いきなり吸血鬼に会えばそれくらいパニくるだろ普通」
「だからって自殺するのは少数よ。受け入れてあいつにかまれてたほうがまだ問題は少なかったわ」
「エヴァンジェリンもそんなこといってたな」
「ええ、魔力が封じられてるらしいわね。本気で殺しあってもよかったんだけど、治せるって言うから見逃したのよ」
 さて、こいつのこの会話癖は何とかさせるべきだろう。
 唐突に爆弾を投げ込むのはやめてほしいものだ。
「……お前エヴァンジェリンとやりあったのか?」
 さっそく問い詰めるが、ルビーはかけらも悪びれずにしらっとした顔を向けてきた。

「ええ。千雨があのままなら絶対に殺してたでしょうけど、まだ死んでなかったし、先に千雨を優先したから、殺しあってすらいないわ」
「……いろいろ突っ込みいれたいが、お前のことがばれたってことじゃねえか。しかも吸血鬼に。仲間っつーか、超たちもいたし、おいおいどうすんだよわたしは」
「あー、いや平気よ。あいつとはお互いに黙ってるように契約したし。ほんっとうに不本意だけど、同類同士である程度仲良くやりましょうってね」
 それを聞いてわたしがそりゃよかったとでもいうと思っているのか、こいつは。

「じゃあそれはいいよ。いや全然よくないけどどうしようもなさそうだし。それよりもっと早くは来れなかったのか? わたしはあんたが来てからトラウマをおいまくってるんだが」
 首筋をなでながら言った。超のところでもすでに確認していたが、傷は残っていないようだ。地味ながらも心の底から安堵した一瞬だった。首筋に刀傷が残るってのは乙女心的な観点から見て二の腕の刺青とためを張る。
「早くもなにもあれがぎりぎりよ。千雨がわたしを呼んでやっとこれたんだもの。わたしは魔法の国の中にいたのよ。もちろん帰還用の手段は構築してあったけど、あのタイミングじゃあ令呪で呼ばれないかぎり間に合うはずがない」

 どういうことだ、と首をかしげた。呼んだ覚えはない。
 いつの間にか現れているのが当たり前のようなやつだったから気にしていなかった。
 魔法に関わりすぎて、魔法が万能と思い込んでいた。
 魔法だろうと何でもかんでも望みがかなうというわけじゃないということか。

「呼んだ覚えはないんだけどな」
「なにいってるのよ。令呪が消えてるでしょ」
 小学生に計算間違えを教える教師のごとく、当たり前の口調でルビーが言った。
 だがわたしの認識ではこいつに刻まれた令呪とやらは色の消えた三角の刺青であって”消える”も何もない。そのような言い方をするならすべて消えていたというべきだ。
 その言葉にあわてて袖をめくると、そこには光を灯した二画の刺青と、光を消した一画が刻まれていた。

「……」
「魔法の国から遠隔で刻んだのよ。あなたが死に掛けてたからね。呼んでくれて助かったわ。令呪があっても持ったまま死んだら意味ないもの。墓に財産はもち込めず、令呪は死ねば露となるってね」
 ため息を吐きながら袖を戻す。
 なるほどね、これが令呪か。
 魔法の国なんていう遠方から、死に際に適当に願っただけでルビーを呼べる隠しだま。

「一つ消えてるな。いつからついたんだ」
「千雨が死に掛けているときよ。魔法の国で千雨に術を施した。いや、千雨に術を施させたというべきかもね」
「よくわからんが、まあなんにせよ目的がかなったってことか。役にも立ったし無駄じゃあなかったというべきかねえ」
 令呪を見ながらベッドに倒れこむ。

「しっかし、ウチのクラスメイトは本当に変なのばっかりじゃねえか。変人コンビどもはまだしも四葉だけは信じていたんだがなあ」
「あの子はたまたまって感じみたいよ。居合わせたから同席したんじゃないの? いい子みたいね」
 それはなによりだが、この際あまり意味はない。
 ごろごろとだれながらうなだれた。
 だが一応命の危険は去ったらしいし、これから対策をわざわざ考える必要はないだろう。わたしはこのときそう考えた。
 正直なところエヴァンジェリンたちから干渉してきさえしなければ、いままでと変わらないはずだろう。
 秘密を持った場合、それが一人目にばれたときがすべての終わりだというのは散々言われていたことだが、いまさら悲観もできない。正直あそこまでやっておきながら、いまこうしてわたしが死ななかっただけでも、十二分に自分の幸運に感謝している。

「まあいいか。一件落着ってとこだよな」
「いえ、まだよ」
 そろそろ寝ようかと思い始めたわたしに向かってルビーが言った。

「なにがだ? 話ならまた今度聞きたいんだが」
「駄目よ、だってこれはお話じゃなくてお説教だもの」
「はぁっ?」
「あのね、千雨」
 油断していなかったといえば嘘になる。

 こいつは先ほどまでとまったく変わらない笑顔のまま、わたしに近づいていた。
 その、いつもとまったく変わらない笑顔に、なぜかわたしの体に鳥肌が立つ。
 びくりと後ずさるわたしに向かいルビーはその手を振り上げて、

「――――あなた、もうちょっと自分を大切にしなさいよ!!!!!」

 ガツンと、拳骨が落ちたようなイメージを打ち付けられて、わたしの目が火花を散らす。


   ◆◆◆


 翌朝、わたしは重度の酔っ払いのごとく眠気と疲れで千鳥足でふらつきながら学校へ向かっていた。
「…………ねみい」
 学校を休もうとかとどれほど考えたか分からない。
 散々わたしをしかりつけた挙句、幽霊は眠らないなどと言い放ち、わたしのこのざまは事項自得だと無理やり学校へ送り出したルビーがいなければ仮病を使ってでも休んだだろう。
 これで交通事故を起こしたらどうする気だ。学校で授業を受ける気にすらならない。
 不自然な行動を慎めという割りに、あいつはこういうよくわからないところで不自然を許容するのだ。うっかりというかこれはただ単に物事に対して重視する点の違いだろう。
 交通事故よりも悪魔に襲われることのほうが頻繁に起こるとでも考えているような気がする。馬鹿じゃなかろうか。

 ふらふらとしながらも学校につく。
 教室に入るが、あいも変わらず騒がしい。
 肉まんを売り歩く中華まん屋に、竹刀袋を手放さない不良娘とその類友の忍者もどき。残りの武道派二人は雑談中だ。パパラッチは早乙女たちと一緒にいるし、綾瀬と宮崎はなにやら宮崎主体で会話に花を咲かせている。内容は桜通りの吸血鬼。なんともタイムリーなことだろう。いやこれは昨日のわたしが原因か。
 わたしが入ってきたことに気づいて早乙女と朝倉がよってくる。昨日の変質者についての話だ。
 早乙女経由で漏れたのだろう。こいつは口が軽すぎる。適当に会話をしながら視線を揺らす。
 さわがしい、いつもの光景。

 明石がいて、朝倉がいて、綾瀬がいて、和泉がいて、大河内がいて、柿崎がいて、神楽坂がいて、春日がいて、絡繰がいて、釘宮がいて、古がいて、近衛がいて、早乙女がいて、桜咲がいて、佐々木がいて、椎名がいて、龍宮がいて、超がいて、長瀬がいて、那波がいて、鳴滝姉妹がいて、葉加瀬がいて、吸血鬼がいて、宮崎がいて、村上がいて、雪広がいて、四葉がいて、ザジがいて、そして、最後につまらなそうな顔をしてペン回しに興じる体の透けた幽霊が、


 ――――幽霊?


 いつもの喧騒に混じった教室の一角。いやに静かなその場所で、一人の少女が頬杖を付きながらペン回しに興じていた。
 背後が透ける半透明の体で半透明のペンを持ち、ため息なんぞをついているその存在。誰にも気づかれないままそこにいる少女が今日のわたしには見えている。

「…………」

 見なかったことにして自分の席に進む。
 昨日のことを聞こうとする早乙女と朝倉を無視して席に着く。ちらりと後ろに目が泳ぎ、金髪の幼児体型の吸血鬼と目が合った。
 にやりと笑いかけられた。
 ああ、眠いしだるいし怪しげなのがクラスにいるし、幻覚を見るのも頷ける。今日は早々に保健室にでも逃げ込もう。


   ◆


 保健室で十分な仮眠を取ったあと、わたしが教室へ戻ったのはお昼すぎ。
 さらに無難に午後の授業をやり過ごし、今は放課後になっていた。
 放課後のことでざわざわと騒いでいる生徒の中。いつものように即座に帰ることもなく本を読んでいる振りをして時間をつぶす。帰り際のクラスメイトに挨拶をかけられるが、わたしはもともとサークルに入っていないただ一人の生徒というだけあって、帰宅を共にするような仲のものはいない。生返事だけをして人気がなくなるのを待った。

 全員がいなくなり、わたしは一人で教室のいすに座っている。
 いや、一人というのは間違いか。
 ぽけーっとした顔の幽霊がちらちらとわたしのことをうかがっていた。
 誰もいなくなったことを再度確認してから、フェイクで読んでいる振りをしていた文庫本を閉じた。

「……もういいか」
 つぶやいて立ち上がる。
 ルビーが前に言っていた。魔法に関わるものの法則をいっていた。

 ルビー曰く一歩目を踏み出せば、そこから二歩目まではとても短く、関係者となったものは、魔法に関わる魔物を招く。
 そして、わたしはすでに“関係者”。
 異能は異能を呼び寄せる。

 なるほど。ここ数週間でここまでいろいろなことが起こるのはそういうことかもしれないな。
 信心深くもなかったが、魔法を見て魔法を信じないほど狭量じゃないし、現実に示されて現実を信じないほど間抜けじゃない。
 そしてきっと、

「おい、幽霊。あんたいったいなにもんだい?」

 こんな台詞をわたしと一緒に教室に残っている幽霊に向かって口にするようになっちまったのは、わたしの内面の変化を表しているということだろう。

   ◆

 幽霊に気づいた後の授業中、わたしは授業そっちのけでその幽霊を観察していた。お昼まで保健室で頭を冷やしていたこともあり、今日の授業は何一つまともに受けていない。成績はいいほうではないが、さすがにこんな状態を無視して平静を装い続けたいとは思わない。
 やつの席が前のほうと言うのが都合がよかった。幽霊はまったくわたしに気づかずに授業を受けていた。
 いや、授業を受けているというのは間違いか。やつはペン回しをしながら頬杖を付き、退屈そうにしていた。
 出席のときに手を上げて、反応がないことに気落ちして、授業で挙手を求められたときに手を上げて、当然別の人間が名を呼ばれることに悲しそうな顔をする。
 そんな仕草を何度も何度も繰り返して、そんな仕草が何度も何度も無駄になっていることを身にしみているかのような態度をしていた。

 だから、わたしもこんなことをしちまったのだろう。
 傍観者で諦観者。
 幼少時に見えないものを見て、見てはいけないものを指摘して村八分を食らった狼少女。
 早々にそんな状況に見切りをつけちまったわたしはそれを悔しいとは感じても、悲しいとは感じなかったが、それでもそれを悲しがる人間の気持ちは分かる。さびしがり続ける人間の気持ちは想像できる。
 あいつが幽霊だというのなら、その魂をここに呪縛しているのはなんなのか。さびしそうに席に座り授業に混じりたそうに手を上げて、クラスメイトになりたくて、その気持ちのあまり出席時に誰にも聞こえない返事をするその少女。

 ルビーを待つべきだったかもしれない。話を通しておくべきだったかもしれない。
 幽霊が授業終わりにどこぞへ消えたらそうしただろう。授業が終わって仲間の幽霊が現れたらそうしただろう。この誰にも気づかれずに存在する幽霊が悪霊のような気配を少しでも見せていたらそうしただろう。
 だがこの幽霊はたった一人で席に座り続けた。授業が終わり、みなが教室から出て行くときも、ただ渇望の視線を投げかけただけで彼女は動こうとはしなかった。
 悲しそうな目をそのままに、一人でずっと座っていた。

 わたしが帰ってルビーを呼び出し、そして早くとも明日になってからあいつと話す。それでもきっと十分だろう。かわいそうな幽霊少女への対応としては十分だろう。
 だがそのときのわたしにはきっと打算が混じる。ルビーと話してしまえばきっと策を練るだろう。必ず思考をめぐらすだろう。
 それは好意に対してよどみになる。
 知らないことが必要になる。そういうことは確実にありえるのだ。

「聞こえなかったか、あんたに言ったんだが」

 わたしは打算で動くし欲深い。
 だが、そんな薄情者のわたしにだって、ここでこいつを放っておくべきではないことくらいは分かる。
 そんなことをしちまえば、わたしは私を許せない。
 大丈夫、最悪の事態には令呪があるさと気楽に考え、わたしはこっそりと左腕を押さえながら、驚きに目を丸くする幽霊に話しかけた。

「えっ!? あ、あの、長谷川さん、わたしが見えるんですか!?」

 わたしの言葉に幽霊は驚いたような声を上げた。
 わたしの名前も知っているようだ。やはりわたしがみえるようになる前からいたらしい。
 目を丸くして立ち上がる。いや立ち上がるという表現は間違いか。彼女は宙に浮いている。

「ああ、たぶん昨日からな。あんたなにもんだよ。話くらいなら聞いてやるぞ。……一応言っとくがもし、取りつくってんならわたしにも考えがあるから――――」
「あのっ、長谷川さん」
「な、なんだよ」

「――――わたしと友達になってくださいっ!」

 なんだって?


   ◆


「じゃあ、相坂は自縛霊ってやつかよ。六十年もよく耐えられたな。どうにかならなかったのか。この世界には幽霊以外にも魔法使いがうじゃうじゃいるらしいぞ」
「はい、わたしは学校の外には出れませんし、霊媒師や魔法使いの皆さんにもわたしが見える人はいないみたいです。わたしは存在感がありませんから」
 存在してるかも曖昧だしな、とはさすがに言わなかった。

「……長谷川さんは見えているんですよね。すごいです、誰にも見えなかったのに。あの、魔法使いなんですよね?」
「いや、わたしは魔法使いじゃないんだがな」
 頬をかきながらそういった。
「先ほどから言っているルビーさんという方ですか?」
「ああ。やつが言うところによるとあいつの力が昨日からわたしに同化してるらしい。相坂が見えたのもそのせいだろうな」
「うー、でもすごい嬉しいです」
 相坂はくるくると宙を回った。喜びのダンスのつもりだろう。数十年ぶりというのなら納得か。
 よく耐えられたものだ。わたしなら発狂する気がする。

「まあクラスメイトだ。生気を吸うとかじゃないなら十分さ。よろしくな」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 嬉しそうに相坂が笑った。六十年ぶりの友人ということだ、わたしのような変人相手でも嬉しいのだろう。
 ああ、ちなみにわたしは友達の申し出を断ったりはしなかった。
 さすがにこの展開に加えてこいつの事情を聞いた後で、いいえとは答えられない。

 出席番号一番の相坂さよ。
 話を聞いてみると、彼女はなんと幽霊らしい。
 事故で死んで自縛霊となってこの教室に住み着いて、だがその存在感のなさから誰にも気づかれずにここに一人ぼっちで座っていた幽霊少女。
 ルビーとはまた異なる幽霊の典型か。

 ある程度自己紹介も終わり、わたしは相坂と雑談を続けていた。
「長谷川さんは魔法が使えるんですね」
 こいつの興味は魔法らしい。
 幽霊というのは魔法と同じく普通ではない特殊に分類されるが、やはり受動的な部分が多いようだ。自分から動く行為にあこがれているのだろう。自分にも使えないのかどうかという興味がその目から漏れていた。

 ルビーを紹介するべきだろうが、ルビーはこの教室までは同行しない。
 それに桜さんのこと以外には意外と無頓着なあいつは、わざわざ一幽霊である相坂のために骨を折るようなことはしないだろう。
 寮までいけるなら連れて行くべきだろうが、こいつは寮までは出向けないらしいし、ルビーが渋るなら説得が面倒そうだ。最悪令呪があるが、これはルビーにとっては非常に重要アイテムらしいので、適当に使おうとすると怒られる。

「わたしは使えるわけじゃないな。習ってないし。全部準備を整えてもらえれば出来るらしいけど……まあいまはルビーと混じって使えるようになったってところか。相坂が見えたのもそれが原因だと思う。魔力回路とかいったかな? ちょっとよく覚えてないが」
「でも、大丈夫なんですか? その……エヴァンジェリンさんがまた襲ってきたりとか」
「かといって付け焼刃で魔法を習ったってあいつにはかなわないと思う。最強とか吹いてたしな、あのちびっ子は。まあ、大丈夫なんじゃないか? 殺す気なら昨日殺されてるよ。命をわざわざ助けておいてもう一回ってこともないだろ。ルビーとも話がついたとか言ってたしさ」

 ルビーが言うには、令呪で呼ばれてまず目に入ったのが、首から血を流すわたしとわたしに馬乗りになり手にわたしから奪ったナイフを持ったエヴァンジェリンだったそうだ。

 エヴァンジェリンはわたしを一応治そうとしていたらしいので、いきなりルビーとエヴァンジェリンの殺し合いが始まるということはなかったが、エヴァンジェリンは治癒魔術とやらが壊滅的にへぼだったらしく、ルビーはわたしの怪我を一時不問にしてわたしの治癒に手を貸したそうだ。
 そこでまた一悶着二悶着あった末、協力関係を築いたということだ。

 そんなことをつらつらと相坂に語っていると、聞き覚えのある声が割り込んだ。

「すこし違うな。あいつとは停戦しただけだ。敵対すればまた殺りあうさ。あいつとも、もちろんお前ともな」

 突然の声に驚いて席から立ち上がる。ガタリと音がして椅子が倒れた。
 相坂には悪いが、幽霊と話している場面を見られるなんてのは学校生活では致命傷だ。
 ドアの開閉音はもちろん廊下の気配にもかなり気をつかっていたのに気づかなかった。

 だが今回はそう心配するまでもない相手だった。
「そうびびるな、小心者め」
 そういって笑ったのは当のエヴァンジェリンである。
 後ろには絡繰を従えていた。

「あんたかよ。なんのようだ」
「なに、貴様がおもしろい真似をしているようなのでな。すこし聞かせてもらっていただけだ」
 顔をしかめる。盗み聞きされていたのか。
 絡繰は無言でエヴァンジェリンの背後に控えている。
 ほかの人影は見えなかった。

「ほかのやつらはいないのか?」
「ああ。そもそもあのルビーのことは超たちには話していない」
 ほうと声が漏れた。それはおもわぬ僥倖だ。
「そりゃなによりだ。黙っててくれたのか?」
「黙るもなにもわたしと超たちは利害が一致しているから組んでいるに過ぎない。あの場では貴様の治療で立て込んでいたし、それが終わった後にわざわざ話すことでもない。わたしの正式な従者はあの場にいた中では茶々丸だけだ」
 その言葉に絡繰が軽く会釈をした。学校で黙認されている光景が一番不思議だったロボ子は、実は吸血鬼の手下らしい。朝倉あたりにリークしてもきっと信じてはくれないだろう。

「だからってあんたがただで黙ってるってのもな」
「ふん、なかなか鋭いな」
 追求するとエヴァンジェリンはとくに黙秘するそぶりも見せずに言った。
「たしかにあの女との契約が噛んでいる。おまえのことを黙っているようにとな。やつは貴様の守護者を気取っていたが、わたしとしても学園内でわたしが原因の人死にを出すのは少々まずい。やつの戯言に乗って貴様を治療したというわけだ」
「あー、迷惑かけたよ」
 よくわからんまま頭をかくと、ぎろりとにらまれた。

「あのとき持っていた魔法薬がありったけなくなった。回復用のものなど持ち歩いていなかったしな。あの短剣には変な呪いも引っ付いていたようだし、貴様とあの女にはどれだけ文句を言っても飽きたらん。本来ならお前はまだしもあいつは殺していたが、あいつの技術は役に立つ。協定を結んだというわけだ」
「そういうのはルビーと直接やれよ。あのことは悪かったけど、弁償しようにも魔法やら薬やらはわたしじゃわかんないぞ」
「だがマスターはお前なのだろう」
「そういうことになってるだけだよ。あいつは勝手に飛び回って好き勝手やってるぞ。正直あいつが何をしてるのかなんてなにも知らないしな」
 自嘲気味にそういった。

「それを威張ってどうする……といいたいところだが、なんだ、お前聞いていないのか」
 エヴァンジェリンが肩をすくめた。
「聞いていないって……なにをだよ」
「長谷川千雨、お前がルビーと呼ぶ女のことだ」
 身構えたわたしにエヴァンジェリンがあきれたような顔をする。さすがに絡繰と本式な従者契約を結んでいるというだけあってわたしとルビーのような関係はおかしいと感じるのだろうか?
 だがエヴァンジェリンの語る内容はわたしの想像とは違っていた。

「同化といったが、お前は自分の体の主権を握っている。つまりあの女の力を継承したに等しいのだぞ。魔法使いには垂涎のしろものだ。魔法を覚えようとは思わんのか」
「思わんね、魔法なんて真っ平だ」
「ふむ、それはそれでおもしろいが、貴様を襲ったものとして忠告しよう。最低限の力は身につけておくべきだぞ、長谷川千雨。たとえわたしと敵対しないとしてもお前が思うほどこの世界はぬるくない」
 一拍やつが黙り、にやりと底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「それに、あの女はもうお前を助けることは出来んのだから」

 目を丸くするわたしにエヴァンジェリンは言葉を続ける。
 短い言葉、簡易な説明。

 ルビーがわたしに力をわたした所為で、実体化すら出来ないほどに存在基盤が弱っているという内容を。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 基本的に戦闘シーンは嫌いなので飛びました。
 千雨はべつだん直死の魔眼に目覚めたりはしません。
 そしてようやく、まともに魔法的に千雨に絡む3-A生徒が登場。ルビーはエヴァンジェリンと組むので、これからの話には相坂さよのほうが絡んでくるかと思います。
 そろそろこういう説明的な部分はへらしていきたいのですが、まあ気ままに進めていきたいと思います。
 それでは。



[14323] 幕話5
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:29
「おい、出てこいよ。ルビー」
 長谷川千雨がそういうと、当の本人である千雨の体が薄く光る。それがだんだんと強まって、一分もせずにその光に呼び寄せられるかのようにカレイドルビーが姿を見せる。

「はあい、呼ばれて飛び出てこんばんは。なにか御用、ご主人さま?」

 ふざけた台詞とともに姿をあらわす幽霊もどき。
 カレイドルビーが休眠状態から復帰して、長谷川千雨の体の中から現れた。


   幕話5


 そうして夕刻を大きくすぎた夜の学校の一部屋で、二人の幽霊と一人の人間が顔を突き合わせていた。
 エヴァンジェリンと教室で別れたあと、別れ際に言われた言葉を確かめるためにルビーを呼んだ。
 いま相坂さよがいるのは、長谷川千雨の隠れた性分からだろう。あそこで彼女を放っておくという選択肢は千雨には存在しない。
 実は姉御肌なのだ、とルビーなら茶化しただろう。

「まさか教室で千雨がわたしを呼ぶとは思わなかったわ。そっちのお嬢さんに関係あるの?」
 さすがにばれる。出てきたルビーはまず相坂さよのことを聞いてきた。
 千雨は今日あった出来事と、先ほどエヴァンジェリンにいわれた言葉を説明した。

「うーん、じゃあ千雨がばらしちゃったのか。思ったとおり、一回ばれ始めると連鎖するわねえ」
「ご、ごめんなさい」
「ちっ。やめろよ、ルビー」
 さよが怯む。初対面の彼女にとってルビーは得体の知れない魔法使いという印象だ。
 さよがおびえるのを見て、千雨がルビーを睨んだ。

「わかってるわよ。別にもうしょうがないし。でも千雨、あなたからばらしたんなら、あなたも責任を持つのよ」
「だからこうして相坂をつれてきたんだろ」
 わかっていると千雨が肩をすくめる。相坂さよに自分から干渉した以上、相坂が魔法の騒動に巻き込まれることに関しては、自分が責任を持つ気でいた。
 たとえそれが自分の立場をばらすことになろうとも、この先ずっと相坂を無視し続けるよりははるかにましだ。

「そう。わかってるならいいけど。……もうここの安全は確認し終わったし、たぶん大丈夫だろうから、そろそろこの学園にあなたのことをばらしてもいいころでしょうし……というよりこうなってくると、もうばれてるって可能性もあるわよね」
 肩をすくめながら言うルビー。
 悲観的な言葉だが一理ある。エヴァンジェリンのようなとんでも女がいた以上、この教室が常に監視カメラで見張られていたっておかしくはない。

「それ以前の問題として、ばらしちまうってのはありなのか?」
「そりゃあね。もともと“わたし”という存在だけが問題なのよ。わたしはあまりに異質な存在だから、知恵を探求する魔術師にばれるのはまずかった。だから秘密裏に動いていたわけなんだけど」
「だけど?」
 言葉をとめたルビーに千雨が問う。

「エヴァンジェリンを含め、この学園は秘密に対して寛容すぎるほどに寛容だった。捜査がぬるいというわけじゃなく、秘密を持つものへの対応が、という意味でね。たぶん千雨のことも、魔法生徒とやらの登録をしない限りは、事情がある一生徒として位置づけられるだけでしょう。監視すらされない可能性が高いは。それくらいこの学園は混沌としている。最低限令呪を待つつもりだったけど、千雨、学園にばらしておくというのは、すでに妥当すぎるほど妥当な選択肢の一つになっているのよ」
「…………そういうことなら学園にこっちからばらす気はない。気づいてないならそれでいいし、向こうが気づいてない振りをしてるなら、それに乗るだけだ」
 状況は刻一刻と変わっている。千雨の秘匿に、ルビーの持つ情報量、そしてコネ。エヴァンジェリンというツテを手に入れた以上、すでに秘匿は最善ではない。
 だがその言葉に千雨は首を振った。
 予想はしていた台詞だった。ここで説得する気もないルビーは特に反論もせず、そう、とだけ言って頷いた。


 それに千雨にはそれ以上に話すべきことがある。
 そうして、千雨は相坂さよのことを説明した後、早々にエヴァンジェリンの言葉を問いただした。
 彼女が力を失っているという内容である。
「んっ、そうね。エヴァンジェリンから聞いたの?」
 しかし、それにあっさり肯定する姿に逆に千雨が戸惑う。

「弱ってるって言ってたけど、そこまで深刻なのかよ……。じゃあ、ルビー。お前いまは実体化とか言うのができないのか?」
「無理やりなら実体化くらいはできるけど、力を振るえないのよ。出力不足みたいなもの。わたしは魔力をつかって実世界に干渉してるから、そこが壊れちゃってるいまは正真正銘の幽霊か一般人みたいなものよ。あなたと一緒ね、相坂さん」
「あ……でも、わたしは自縛霊で……」
 相坂さよのことは知っていたのか、ルビーは千雨と一緒に教室の中にいる幽霊に対してあまり詮索めいたことを口にしない。

「わたしも千雨に括られてるようなものよ、あなたは土地でわたしは人。いまだって千雨の力を使って空中に肉体を投射しているだけしね」
「なんだよそれは……」
 げんなりとした顔で千雨がつぶやいた。
 ルビーはそんな千雨をいつものように笑って誤魔化す。
「あはは、ごめんごめん。もうわたしは千雨に吸収されているようなものだからさ。千雨を通してじゃないと力を振るえないのよ」
「どういうことだ?」

「あなたが死んだときに吸収されたから。いったでしょ?」
「言われて理解できることとできないことがあるんだよ。なんだ吸収って。お前はここにいるじゃないか」
「あの、それに。長谷川さんが死んでいるって……」
 相坂が口を挟む。さすがに幽霊だけあって死んでいるという言葉は聴き捨てるわけには行かないのだろう。

「ああ、相坂。つまりだな、あーっ、わたしがエヴァンジェリンに襲われたとき、とち狂って自殺しかけたって話はしたよな? 死に掛けたときにルビーが自分の体を使ってわたしを治したんだと。粘土じゃねえんだからそんなことできるのかいまだに眉唾だけどな」
「そんなことできるんですか」
 千雨が相坂さよに説明した。

 千雨の言葉にルビーが苦笑する。
「うーん、すこし違うのよねえ。自殺じゃなくて死んでるの。言ったでしょ千雨、死に掛けと死は魔法と魔術くらい別物よ。エヴァンジェリンが行ったのはあなたの治療で、わたしが行ったのはあなたの蘇生。まあ、あなたの粘土って言う発言は実はかなり的を射てるんだけど。わたしの魂であなたの魂の欠損を埋めた……みたいな」
 千雨と相坂が顔をしかめる。とくに相坂さよにとって魂とはいまの自分自身そのもの、魂だけの存在である。その彼女にとって魂が粘土と同列に扱われるのはさすがに衝撃が強かった。材料とか粘土とかいわれれば気も悪くするだろう。

「ちなみにこれからは、令呪もわたしじゃなくて、千雨が恩恵を受けることになるわね。どっち道今のわたしが令呪を使われてもぜんぜん力が出せないから、ちょうどいいんだけど」
「……ちょうどよくないだろ。それって意味あるのか?」
 千雨が最高にいやそうな顔をした。今の千雨が出力10倍の奥義を使ってもたかが知れてる。
 十倍された一の力が、所詮100には勝てないのだ。
「ばっかねえ。3つの願いを自分ために使えるってのは、ランプの精時代から至高のものなのよ。あなたあの名作を見てないの?」
「見てるよ。うるさいなあ。そういうことじゃなくて、実用面の話だろうが。それに幽霊とか粘土とかよくここでいえるな。ちょっとは相坂に気を使えよ」
 先ほどから無言になっていたさよを見て千雨が言った。

「ああ相坂さんはあんまり気にしないほうがいいわよ。わたしはちょっと特殊だからね。わたしは、というよりもわたしと千雨の関係がちょっと特殊なのよ。べつにあなたを使って人を生き返らせることは出来ないし、わたしと千雨だってこの間みたいなことは奇跡中の奇跡よ。死者蘇生は魔法じゃないけど魔法レベルの事象だもの。あなたはもうほんとにどれだけのことをしたのか自覚しなさい」
 ぴんっ、とルビーが千雨をつつく。千雨がおでこを押さえて後ずさった。ルビーの言葉を信じればこの行為もすべては千雨の力を流用して行っているはずだ。千雨にとっては納得いかない。

「あの、魔術と魔法っていうのはどういうことでしょうか? 生き返るのは魔法っていうのは……」
 相坂さよが口を挟む。
「ああそうだよ。だったら相坂も生き返れるんじゃないのか? いや、そもそも生き返るってのは魔法使いに取っちゃあ当たり前だったりするのかよ」
 千雨がうんざりしたような顔で言った。
 さすがにそこまで行けば、魔法使い以外の人間はいい面の皮だ。
 だがルビーはその問いには首を振った。

「うーんすこし説明が難しいわね。ちょっと言い方が悪かったかな。わたしの言葉とあのエヴァンジェリンとかいうのの言葉は別だから……」
「別?」
「別ですか……?」
 千雨と相坂が同時に首をかしげる。

「魔法と魔術、魔術と奇術。わたしは魔法使いでこの学園は魔法学園。だけど、わたしからすれば魔法使いはこの学園にはわたし一人って言うことよ。えーっとね、この学園では秘匿されている技術をまとめて魔法と定義しているの。千雨には説明したわよね。相坂さんは知ってた?」
「えっ! い、いえ……そんな風に考えたことはありませんでした」
 突然の問いに相坂さよが首を振る。彼女も魔法の存在は知っていた。だが魔法は魔法だ。呪文を唱えて杖を振る。そこに定義を当てはめようとしたことはない。

「そう。まあ魔法以外にも“気”をつかう拳闘とか剣術とかいろいろあるみたいだけど、これもまあ魔法の一種よね。魔法生徒って定義されてるくらいだし。あなたのクラスの桜咲刹那だっけ。あの子はそれよ。この学園で言うところの“気”をつかえるはず。この学園で言う魔法の定義はこのような“科学外の技術”の総称よ」
「は、はあぁ」
「そっ。でね、わたしの定義はすこし違うのよ。わたしにとってこの学園で魔法とか気とか言われるものはすべて魔術と定義されるの。これはただ名称が違うだけと思ってくれればいいわ」
「うーん、まあOKだ。一応分かるよ」
「わたしもなんとか……」
 千雨と相坂が頷く。それにルビーは満足そうに言葉を続ける。

「この世界は魔法外と魔法で世界が分かれている。でもわたしの世界は普通と魔術と魔法の三段階に分かれているの」
「この学園の区別をさらに詳しく分けてるってことでしょうか?」
「んー、この世界の定義についてそこまで精通しているわけじゃないからなんともいえないけど、わたしのいう魔法の定義としては“その魔法以外では再現できないこと”が挙げられるわね。実際はまあ根源にたどり着いた技術の総称だからちょっと違うんだけど、まあいまは分かりやすく説明するわ。オンリーワンの技術、独占された技法、そんなところね」
 ややこしくなってきたと千雨は腰をすえる。この女の説明はなかなかに分かりにくいのだ。

「魔法を唱えて杖の先に火を灯すのがここで言うところ魔法使い一年生。割れた花瓶を元に戻せば二年生。箒で飛べば三年生。だけど火をつけるのはライターを使えばいい。割れたガラスを直すなら新しいガラスを買えばいい、わたしはそういう技術を魔術と呼ぶの。エヴァンジェリンが光を飛ばして千雨の体を麻痺させたらしいけど、それくらいいっぱしの拳闘家なら力だけで再現できるし、薬を使えば千雨だって出来るでしょ。コンクリートを壊す一撃だって削岩機をつかえば子供だってできるわね。科学とは別の定義だけど再現は可能な技術、それがわたしにとっての魔術でここでは魔法とよばれるものよ。魔術においては空に飛行機が飛んでいるから研究されず、ここではそこに利便性を見いだすから研究される」
「はあー。なんかすごいですね」
「いや、すごくないだろ。ちょっと待て相坂」
 ルビーの言葉に渋顔をしていた千雨が口を挟んだ。

「ん、なによ千雨」
「それ言ってることがおかしいぞ。再現もなにもそれじゃ再現になってないだろ。なんでライターの火と魔法の火が同列なんだよ。ガスがないのにライターが燃え続けたらそりゃあやっぱり科学を超越してるし、言葉が発火を起こしたらそれはどうしたってオカルトだ。火ってのはどう理屈をこねくり回そうが分子運動のはずだろ。声を発して火がおこるならこの世は炎であふれちまうよ。それにガラスを直すのとガラスを取り替えるのは全然別だし、人間が道具を使わずにコンクリ壊すのはそれはつまりは再現不可能ってことじゃねえか」
 千雨が口調を荒げた。はっきり言って千雨にとって今のルビーの発言はまたお茶を濁す発言の一種だと感じられたのだ。
 それもしょうがないだろう。千雨にとっての常識とルビーにとっての常識は別物だ。

 ライターの火と魔法の火。なるほど、千雨の言にも一理ある。
 小学校で理科を習えば明白だ。着火と発火は別物だろう。
 だが魔術の定義にとってはそれは同義として扱われる。“燃え続ける火”という事象の定義と、発火には分子運動の加速が必要でその種火を持続させるには分子運動の暴走を続けさせるための燃料がいるという科学の定義、それが異なるから説明も難しい。

 だがルビーも馬鹿ではない。彼女も魔術師として生きながらこの長谷川千雨が住む世界と同レベルの科学文明において一般高校生の中を秀才で通した人間だ。
 いまのは自分の説明の不備であったことにすぐに気づいた。

「あー、ごめんごめん。混乱させたわ。魔術は過程ではなく結果で論ずる科学だからね。火が出ればそれは理由を問わないし、割れた窓ガラスが十分後にはまっていればそこに方法は絡まない。うーん魔法の定義から説明するべきだったかもね」
 あまりに常識ハズレな魔術の概念に、現代女子中学生としての常識しか持っていない長谷川千雨と相坂さよは絶句する。なるほど、魔術師とやらが異端と呼ばれるわけである。

 だがルビーはそんな二人には頓着せずに説明を続けた。
「魔法……これはわたしの定義で言うところのものだけど、こっちは誰にも再現できない技術のこと。独占された魔術を魔法と呼ぶって考えてくれれば分かりやすいんじゃない? この世界に炎という概念が存在していないなら着火は魔法と呼ばれるけれど、ガスコンロがたいていの家屋に配備されているならそれは魔術に分類される、そういう概念。世界でただ一人だけが再現できる技術を魔法と呼ぶの。相坂さんは千雨から聞いているかもしれないけれど、わたしはその中でも並行世界の干渉に関する魔法を操るわ」
 ルビーはそういって肩をすくめた。自分の説明の荒さに自分自身であきれたのだ。

 実際のところルビーのこの説明は少し違う。ルビーの言うところの魔法とは根源に到達する概念であり技そのものではない。独占された基盤も、唯一の使い手とし君臨できる魔法としての結果もその副産物に過ぎない。
 だがルビーとしてもそこまで説明する気はなかった。話がややこしくなるだけである。知り過ぎないほうがよいことというのは確かにあるのだ。
 それからさらに少しばかりルビーが説明を行うと、千雨たちは一応の納得を見せた。
 もともと相坂さよも、千雨からルビーがこことは違う世界から来たことを聞いていたし、千雨は以前からルビーがこの世界の常識についてうんうんとうなっていたのを知っていたのだ。いまさらルビーが言葉の齟齬について説明することに不思議はない。

「じゃあ、ルビーさんは本当の魔法使いなんですね。平行世界の移動ですかあ。たしかにそれは科学だろうと再現できなさそうです」
「正確には移動は魔法ではないけどね。魔法は魂の運用や時間旅行、無の否定……いろいろあるけど第二魔法はその中で平行世界の基盤管理だもの。移動はわたしのオリジナル、移動自体は魔術のうちよ。誰でも出来て誰にも出来ない。今はないけど宝石剣って言う道具を使う裏技の魔術ってところ」
 肩をすくめてルビーが言った。平行世界移動とは魔法を越える大魔術。矛盾のようで合理性にのっとったルビーの秘儀だ。これを説明しようとするなら一晩では足りないだろう。ルビーもとくに詳しく説明しようとはしなかった。

「魂の運用に時間旅行ねえ……。さっき言ってた死者蘇生は違うのか。てか無の否定ってバーチャルペアのことだよな。この間雑誌で読んだよ」
 基本的に魔法にはたいして興味のなかった千雨は、相坂さよとルビーの問答を聞いているだけだったが、ふと思いついたのか口を挟んだ。適当な軽口である。
 ちなみにバーチャルペアとはなにも存在しない空間からも発生する物質と反物質の相対存在のことである。ネットサーフィン好きの天才ハッカー兼、アイドル系サイトの管理人はネタ探しのために生半可に雑学に通じている。

「無の否定ってのは物がないっていう意味じゃなくて、概念がないってことよ。魂の運用も死者というより生きている人間の魂やそれが死後に集まる場所のことね。まあ魂は死後は拡散しちゃうからそれも違うんだけどさ」
 ぜんぜん分からなかったので、なるほどと頷きながら千雨が肩をすくめた。
 これ以上話を詳しく聞いてもきっと得るものはないだろうと判断したわけだ。

   ◆

 そうして暗い教室の中、数十分の時間がたった。
 魔法についての講義と、これからの指針を決め終わった後、会話の種はエヴァンジェリンのことに移っていた。
 ここで会話の主導権を握ったのは相坂さよである。
 数十年と会話に植えていた少女は人としゃべることが楽しくて仕方がないようだ。しかもそれが魔法使いと吸血鬼のこととなれば、興奮せずにはいられまい。
 今日はじめて千雨に話しかけられたことと、エヴァンジェリンに言葉をかけられたことを話すと、ルビーはしたり顔でうなずいた。

「ああ、そりゃエヴァンジェリンには相坂さんが見えるんでしょうね。あいつはわたしも見えてたし」
「はい。今日も分かれるときに良かったなって言ってもらいました。たぶん長谷川さんとお友達になれたことに関してだと思うんですけど、でもそれって前からわたしのことが見えてたってことですよね……エヴァンジェリンさんはやっぱりわたしと友達になるのは嫌だったんでしょうか」
 その言葉とともに相坂は落ち込んだように顔を伏せる。エヴァンジェリンの言葉を悲観的に捕らえて、自分を卑下しているのだろう。

「落ち込まないほうがいいわね。あいつってあなたと同じようなものなのよ、定期的に忘れられる吸血鬼。あの子ってば中学十五年生なんだもの」
「ふえっ?」
「はぁっ!?」
 黙って聞いていた千雨がさすがに聞き捨てならない台詞に声を上げた。

「学校にくくられているらしいわ。自縛じゃなく他縛だけどね。500才を超える吸血鬼で、15年前からこの学園内に封印されているんだって。千雨もあいつの暗示をレジストしたらしいけど、たぶんあいつの封印がなきゃ無理だったとおもうわよ。魔術はわたし並、戦闘技術だとたぶんぶっちぎりでわたし以上ね」
「……んなトンでもないやつだったのかあいつは」
「そんなトンでもないやつを封印一つで放し飼いにするこの学園も相当とんでもないけどね」
「封印か。そういやそんなこといってたな」
 ため息まじりのルビーの言葉に千雨が頷く。

「ここって本当におおらかよねえ。この学園の、いや、魔法使いの善性も信じざるを得ないって感じ。偉大で人のために生きる魔法使いのお爺さまってね」
「そうか? 吸血鬼が大手をふって満月の夜に生き血を吸ってる時点でこの魔法学校とやらの自衛も眉唾だ、それより良くそんなことまで知ってるな」
 千雨の問いにルビーは軽く肩をすくめた。

「エヴァンジェリンと情報交換したからね。千雨が死んじゃったときに。まあ当然全部を語られたわけじゃないけど、わたしにだって目や耳がないわけじゃないし、ある程度は調べられるわ。で、あいつにかかっている封印には他者に中学三年生を繰り返す少女に違和感をもたれないようにする呪いが付加されているから友達を作りづらいのよ。暗示をかけてる相手だし、心情的な面もあるだろうけどやっぱり数百年生きると人間考え方が変わるものよ、そう簡単に友達付き合いは出来ないんでしょ」
 ルビーは意外にもエヴァンジェリンを擁護する台詞を言ったあとに、相坂に向かって微笑んだ。
「だから相坂さんもあんまり気にしないほうがいいわよ。べつにあなたがどうこう言う問題じゃないし、エヴァンジェリンが性悪なだけだから」
「は、はあ……ありがとうございます」
 ぺこりと相坂さよがひかえめに頭を下げた。なかなかに頷きにくい台詞だったためだろう。


   ◆


「で、相坂を生き返らせるってのはどうなんだ? これもやっぱり魔法なのか」
「へえ、気にしてたんだ」
「長谷川さん……」
 千雨が何気なく続けた言葉にルビーがおもしろそうな声を上げ、相坂さよは嬉しそうに千雨の名を呼んだ。
「い、いや……相坂も聞きたがってたみたいだしさ。成仏してないならどうとでもなりそうだったし……それに今こうして相坂がいる以上は死んでないようなもんだろうし」
 かあっ、と顔を赤くして千雨が言う。

「うーん、相坂さんには残念だけど、幽霊に肉体を持たせるのはかなり難しいわよ。半端な人形じゃあ魂が肉体だとおもってくれないし、生身の人間じゃあ拒否反応が起こる。相坂さんが肉体を作るには、世界レベルの人形術師を捕まえるか相坂さんがあと百年は修行する必要があるでしょうしね。わら人形ってのは藁を束ねればそれでできるってものでもないのよ。そもそもわたしも千雨に吸収されて実体化がきつくなったって悩んでるんだから、これで相坂さんが簡単に肉体を持てるようならいい面の皮よ。幽霊が現界して物質に影響を与えるのは難しいの」
 ルビーはそういって肩をすくめた。

「でもまあ困難とは不可能ではないということ。できなくはないけど、相当大変よこれって」
 ちなみに相坂さよはポルターガイストを起こして実世界に干渉することが可能なのだが、さすがにそこまではルビーも知らなかった。
「ああ、そういえばルビーも魔法が使えなくなったんだっけ……あんまり平然としてたから忘れるところだったよ」
 ため息混じりに千雨が言った。

「あのねえ、最重要事項よ。わすれないでほしいわ」
「いやだって、ルビーにはなんか手があるんだろ?」
 あまりにあっさりと述べられた千雨の言葉に、むしろルビーと相坂さよが目を丸くした。
「そうなんですか、ルビーさん?」
「えっ、いや……なんで? 千雨」
「なんでもなにも、お前は桜さんのことがあるじゃないか。それが出来なくなったってんならそんな悠長にはしていないだろ」

 平行世界のことは聞いていても、桜に対するルビーの執着については詳しく説明されていない相坂が首を傾げる。
 しかし千雨にとってこれは当たり前すぎるほど当たり前のことだった。
 もともと千雨はルビーが来た当初からそのことを言われてきたのだ。

 カレイドルビーは桜のために召喚されて、桜のために行動していたはずである。
 それが一時的なマスターであるはずの長谷川千雨に干渉して、その結果この世界でなにも出来なくなるような状態に陥るはずがない、とそう考えていたのだった。
 だから、

「いや、もうわたしは元には戻らないわよ。永遠に」

 そんな馬鹿げた台詞には、さすがに返す言葉が出なかった。


   ◆


「バカかてめえっ!!」
 桜のことを含めて語り終わった後、千雨は相坂さよやルビーが見ていることも忘れて大声で怒鳴っていた。
 相坂さよが飛び跳ねて、これを予想していたルビーはこっそりと防音の結界を張っていた。

「しょうがないでしょ。あそこで千雨を見捨てるわけにも行かないじゃない」
「そりゃ感謝するが、てめえの目的はどうなんだよ」
 思わず口調の荒くなった千雨が愚痴をもらすように言った。
 ルビーの力が自由に振るえなくなったと聞いたときに、長谷川千雨がもっとも先に考えたことだった。。

 桜さんを助けにきておいて、マスターであるという理由だけでわたしなんかを助けて、なにも出来なくなったなんて意味がない。
 もともと桜さんを助けるというルビーの目的をあの夢を通して知った千雨が、その真摯さとルビーの執念に納得したからこそ、乙女の二の腕に刺青が刻まれることまで許容したのだ。
 ルビーは令呪とは桜を助けるための道具であるといったが、これでは話が始まらない。そう考えて長谷川千雨は大きく怒鳴る。

 そして、長谷川千雨が怒鳴った理由はもう一つ。彼女は魔法は知らないがバカではない。魔術は知らないが愚かではない。
 そう、彼女が怒ったのはこの能天気な背後霊が、きっとこの長谷川千雨の苦労も考えず、


「――――まあ、大丈夫よ。千雨はわたしのポテンシャルを受け継いだはずだから、千雨がわたしの代わりに魔法を使えばいいんだものね。命のお礼と考えれば安いものでしょ?」


 なんて台詞を当たり前のように言うであろうと予想できてしまったからにほかならない。


   ◆


「んで、出来ちまうんだもんなあ……」
 あきれたように千雨が言った。現実を信じたくない気持ちがその瞳から見えている。

 千雨はじりじりと黒ずんでいく紙切れをつまんでいた。
 火種はなし。千雨はルビーの言うとおり手を動かし、ただ呪文を唱えて紙を指先でなぞるだけでそれを発火させていた。

「千雨の体に干渉して力を使わせているのよ。どう、簡単でしょ」
「簡単ちゃあ簡単だがな」
「うわーすごいです。魔法をじっくり見たのは初めてですけど……」
 いやいやといった口調の千雨と、興奮する相坂。
 そんな二人にルビーは苦笑いを隠せない。まだまだこれは初歩というのもおこがましいのだが、やはり魔術師として育っていない以上この程度が千雨が千雨として振るえる力の限界である。

 だがそれでも彼女はとくに困るということもない。だってこれはわたしの目的そのままだ。
 うっかりもののカレイドルビー。強情っぱりのカレイドルビー。素敵で無敵な魔法少女のカレイドルビー。
 彼女は足掻く。桜のためにいま何が出来るだろうかを考えて、桜のために自分に何が出来るだろうかを考えて。
 桜のためという呪いの元、彼女はこの世界でもどの世界でもあきらめるということはない。
 千雨が死んだのは予想外。
 だけど、それでも、

 ――――この結果は幸運かもね。

 ルビーはその光景を見ながら微笑んだ。




[14323] 第6話 ネギ先生が赴任してきた日の話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:33
 驚きの出来事だって、何度も起きれば慣れるものだ。
 なし崩し的にとはいえ、ルビーに魔法を習い始め、幽霊の相坂のためにとエヴァンジェリン邸に週一で通っているこの身である。まだ一ヶ月と経っていないが、それでもいろいろと常識が麻痺してきた長谷川千雨は、少々のことでは驚かないようになっていた。
 そう。たとえ、

「今日からこの学校でまほ……英語を教えることになりましたネギ・スプリングフィールドです。三学期の間だけですけどよろしくお願いします」

 明らかに年下の少年が、中学校の教師として挨拶していたとしても、である。


   第6話 ネギ先生が赴任してきた日の話


 わあーと叫ぶクラスメイトを尻目にわたしは頭を抱えた。
 ありえないだろ、労働基準法に真っ向から喧嘩売ってるじゃねえか。
 しかもなんだ“まほ”ってのは。どういう言い間違いだよ。魔法とでもいいたかったのかこのやろう。というかその言い間違いもどうなんだ? 今まで魔法を教えていたんでもない限りそんないい間違いはしないだろ。なめてんのか。

「……マジなんですか?」
「ええ、マジなんですよ」

 そんな子供先生を送ってきたしずな先生に問いかければ、そんな答えが返ってくる。
 しかもなぜに当日に本人から告知されなきゃいけないんだ。連絡入れろよ、委員長。

 エイプリルフールにはまだ早い。
 いやはや、人生はイベントであふれている。
 ああ、神さま助けてくれ。

 わたしが天に祈っていると、いつものように騒ぎが広がる。
 かわいいだの、すごいだの。お前らもっと聞くことがほかにあるだろう。
 耳を澄ませて情報を得てみればその先生は十歳らしい。ああ童顔の線も消えちまった。まあ分かっていたけどさ。
 ウェールズ育ちで日本語も得意らしいが、それだけじゃあ教師は出来まい。
 しずな先生が教師の資格を持っているというけれど、そんなもの到底信じられなかった。しずな先生も魔法とやらでたぶらかされているんじゃないだろうな、と嘆息する。

 そんな中、ざわめきが一瞬とじて、先生の周りに空白が出来た。
 今日は誰かと視線を向ければ、神楽坂が子供先生の胸倉をつかんでいた。
 あのオッドアイでにらまれるのはなかなかにびびるんだ。ネギ先生も何事かと驚いているようだった。
 そんな先生にむかって神楽坂が口を開く。

「ねえ、あんた。さっき黒板消しになにかしなかった? なにかおかしくない?」

 黒板消し? と首をかしげる。
 ああ、と思い返せば鳴滝たちが仕掛けたいたずらに引っかかっていたのだったか。
 よく見ていなかったが、何かあったのだろうか。

 だが、それを神楽坂が追求する前に、われらが委員長である雪広あやかと神楽坂のいつものやり取りが始まってしまったため、それを知ることは出来なかった。

   ◆

 そして、神楽坂と委員長のやり取りが終わった後、当たり前のように授業が始まった。
 赴任は今日じゃなかったのだろうか。いきなり授業はとっぴすぎるだろうとは思うのだが、補佐役らしく授業が始まっても教室の中にいるしずな先生からも反論の声はない。教育実習生ということだし、そういうものなのだろうか。

「あの、えーと……まず128ページの」

 授業を始めようとする子供先生の背中を見る。
 ものすごい違和感だった。
 那波や長瀬が前に出て並んだとして、中学教師とその生徒だと分かってくれる人間はいるのだろうか。
 だがちらりと視線を走らせても、この教室内にはそれをたいしておかしいとおもってるやつはいないのだ。
 幽霊の相坂然り、吸血鬼のエヴァンジェリン然り、やつらならべつに非日常に目を瞑っていられるのもいいだろう。しかしこの教室の半数は普通の生徒で、彼女たちは魔法とやらで不自然さを感じていないに過ぎない。
 いやはや、こんな日常を幼少から過ごしてたんだ、わたしが荒んじまったのもわからんでもないだろう?

「と、届かない……」
「センセ、この踏み台を」

 べたな言葉を発する先生に委員長がどこから取り出したのかも分からない踏み台を差し出す。
 委員長のやつ、じつは子供先生が来るって知ってたのか? そういやオックスフォード大学を出ているだのなんだの委員長自身がいってたな。情報を得ていたということか。
 しかし踏み台を用意しておくとはずいぶん周到なことだ。その気配りをクラスメートにも分けてくれ。

 そんなことを考えつつ教科書を開いた。
 確か128ページといっていた。

 しかし授業はまだ始まらない。
 ようやく黒板に手が届くようになった先生が文字を書こうとした瞬間に神楽坂の席から消しゴムの破片が飛んだからだ。
 目の前の席だ。消しゴムをちぎるところから丸見えだった。だが何が気に食わないのか神楽坂は消しゴムが先生の後頭部に直撃したことに首をかしげ、今度は二撃目を用意する。隠す気もないように二撃目からはゴムひもをつかって消しゴムを飛ばしていく。
 ……おいバカレッド。授業が分からんからといって妨害していい理由はないんだぞ。

 そんな神楽坂の蛮行を雪広が告げ口し、少々性格に難はあるものの、ウチのクラスをまとめているというだけで、疑いようもないほどに優秀な委員長である彼女に向かって筆箱が飛んでいく。
 そうして雪広と神楽坂が取っ組み合いを始めて、それを呆然と眺めているうちに教室にチャイムが鳴り響く。

「あ、終わっちゃった……」

 物悲しげにつぶやくが、そりゃこっちの台詞だ子供先生。
 いくらなんでも悲しすぎる。
 進みが遅いどころかなにもしていない。
 突っ込むのもめんどくさくなったわたしが128ページを開いた教科書となにも書かれていないノートの上に突っ伏した。

 隣の席の綾瀬が声をかけてくる。
「どうしたんですか、長谷川さん。なにかおかしなことでもあったのですか?」
 逆に聞きたい、何かおかしくないところがあったのか?
 真実を知ってから逆に流すのが大変なのさ。
 ふふふふふ、胃に穴が開きそうだ。
 確かお前は不思議なことが好きだったよな、綾瀬夕映。
 なにもかもぶちまけてやろうか、本当に?


   ◆


 さてその数時間後、わたしはひとりの同級生とともに屋上に上がっていた。
「黒板消しが浮かんだんです」
 歓迎会の準備とやらで騒がしい教室から抜け出して、屋上で相坂に子供先生のことを愚痴ってみると、相坂からそんな言葉が返された。

「黒板消しってあの双子のいたずらのか?」
「はい、扉を開けたときに落っこちてくるやつですけど」
「それがどうかしたのか?」
 正直クラスメイトに黒板消しごときのいたずらを自重してほしいともおもわない。鳴滝姉妹の悪戯などというのは日常の代表みたいなものだ。

「いえ、それがですね。落ちてきた黒板消しがネギ先生にぶつかる直前に空中で止まったんです。神楽坂さんがおっしゃっていたのもそれが原因だとおもいます」
「……おいおい、まじかよ。やっぱ魔法か、それ?」
 おそらくそうだと相坂が頷いた。
 ネギ・スプリングフィールドは魔法使いである。
 授業中に起こった神楽坂と先生との騒動を思い出す。あれはこれが原因か。
 さらに相坂が言うには神楽坂も何か魔法に関わる体質を持っているらしく、魔法そのものに対しておかしいと感じられるのだそうだ。
 ルビーのメモには神楽坂の名前が載っていなかったし、立場的にはわたしと同様なのだろう。
 そして以前のわたしと同様に、本人は魔法そのものの存在は知らないらしい。だからネギ先生を問い詰めた。
 とすると、わたしと違って日常を楽しんでいられるのは、やつの性格ということか。
 そしてほかの魔法組はネギ先生の魔法には見てみぬ振りをしたということになる。

「なるほどな。十歳児が教育実習生なんていうからおかしいとおもったよ。やっぱり魔法使いか」
 話を聞き終わってわたしは唸った。
 まず間違いなくネギ先生は魔法使いなのだろう。しかしウチのクラスメイトには魔法使いがそれなりの数いるはずだが、神楽坂は今まで気づいたことはなかったようだ。今回いきなりばれそうになったのは神楽坂が鋭いのではなくネギ先生が抜けているのだろう。
 見た目と第一印象どおりだ。あれを気に入っているクラスメイトの気が知れない。

 はあ、とため息をつくと、相坂を見る。こいつは能天気そうな顔でほえほえと微笑んでいる。気楽なもんだ。
「どうしたんですか、千雨さん」
「どうもしないけどな。相坂はなんともおもわないのか? わたしらは魔法使い用の一施設に無断で使用されてるんだぜ」
 こいつはわたしのため息の意味を了解したのだろう。あはは、と笑った。
「千雨さんがいいたいこともわかりますけど、魔法使いさんだってそれは分かっていると思いますよ。授業もきちんとやってくれますよ、きっと」
「今日の授業を見る限り望み薄だとおもうけどな」
 あのざまでは間違っても有能ではあるまい。
 高畑先生も教師としては優秀とは言いがたかったが、あの子供先生はそれ以上だ。この学校が魔法学園ということを差し引いて考えれば、天才少年という肩書きより怪しげなコネでも使ったと考えたほうが納得がいく。
 いやそもそも高畑先生も魔法組か。
 何かと問題の多いが麻帆良学園だが、厄介者は全員魔法使いなのかもしれない。

「高畑先生は優秀だとおもいますけど……」
「だったらウチのクラスが万年ドベの説明がつかないな」
 わたしのつぶやきに律儀に反応した相坂の言葉に肩をすくめる。指導員としての優秀と教師としての優秀は別物だ。
 人格者が優秀な教師とは限らない。そもそも月一隔週と出張するような先生は担任に任命されていいものじゃない。

 とまあ、そんな会話で日常を愚痴ったあと、わたしは相坂とは屋上で分かれて寮へ向かう駅までの道を歩いていた。
 相坂はネギ先生の歓迎会とやらに出るらしいが、わたしは遠慮した。
 相坂を見れるものがいない以上、相坂はわたしに出席してほしかったらしいが、どの道人前でしゃべるわけにも行くまい。
 行く気がないものに、義理で行くほどわたしは人がよくない。

 ちなみにわたしは帰宅部である。放課後に遊ぶような友達もいないし、道草をする趣味もない。だから基本的にうちのクラスの連中とは下校のタイミングがずれている。それでなくとも今日はわたしを除くほかの連中は先生の歓迎会とやらで教室に集まっているはずだ。
 だから、たまたま帰り道で宮崎の後姿を見かけたときはそれなりに驚いた。あいつの性格からして歓迎会とやらに出席しないとは考えづらかったからだ。
 彼女は両手で十数冊の本を抱えてよろよろと歩いていた。
 かなり重そうだし、その足取りがずいぶんと危なそうだとおもいながら、すこしその後姿をボウッと眺めた。
 まあ手伝うべきだろう。そのまま教室に向かうとなればたいして参加したくもない歓迎会とやらに巻き込まれるかもしれないから途中まで。
 まあ途中までで十分だ。重いといってもたかが本。よろよろしてても落として割れるようなものじゃない。傷はつくかもしれないが、それは宮崎の責任だ。

 まあこの先にある“石階段”は危なそうだし、そこくらいはもってやったほうがいいかもな。

「おい、宮崎」
 そんなことを考えながら後ろから声をかける。
 宮崎は石段をゆっくりと降りようとしていたところだった。
 だが、それは結果として最悪のタイミングだった。
 あと一秒早くても、あと一秒遅くてもこんな羽目にはならなかっただろう。
 あろうことか宮崎はよろよろとよたつきながら振り返り、そのまま手に積んでいた本が傾いて、

「あっ、千雨さ――――」

 そんな返事を口にしながら、ばらける本に引っ張られその体は無意識に傾いていく。


 ――――――――えっ? というわたしと宮崎の呟きが重なって、


 そのまま宮崎は石段から落下した。

 呆然とした宮崎の顔が石段の影に消えていく。
 おいおいおいおい、ちょっとまてっ! 何でここは手すりがないんだっ!
 わたしは、一瞬の硬直の後、宮崎の落ちた階段まで駆け寄った。ふちに手をかけ下を覗き込む。ここは十数メートルの高さがあったはずだ。くそ、欠陥建築じゃねえか。
 ルビーに習っていたにわかの魔法など何の役にも立たなかった。わたしは硬直することかしか出来なかったし、今だって何か有効な手が思いついているわけじゃない。

 くそっ、冷静になれ長谷川千雨。わたしはそういうことに長けてるはずだ。

 下はアスファルトだ。首から行けば即死は間違いない。だが足からなら骨折程度で済むかもしれない。横から肺腑を叩かれようがすでに死んでるとは限らない。
 傷ですんでいればルビーを呼ぶ。あいつなら治すの手を貸せるはずだ。
 魔法秘匿などを考えられるような状況じゃない。いまのは完全にわたしの責任だ。

「おいっ! 宮崎大丈夫かっ!」

 わたしは下を覗き込み、状況を確認しようとしてそう叫ぶ。
「っ!?」
 そして目に映った光景に絶句した。その情景がさすがに信じられなかったからだ。
 落ちたはずの宮崎は空中で停止して、そこに新米教師で魔法使いのネギ先生が駆け寄って、そのまま宮崎を抱きとめたのだ。

 とっさに反応できない。魔法使いということは知っていたが、このタイミングで現れるか普通?
 ヒーローなみだ。そんな軽口も出るほどに、宮崎が生きていることに心のそこから安堵し、同時に衝撃で動きが止まった。
 すぐに気がつく。
 ネギ先生がどのような立場かは知らないが、見続けていてはまずいだろう。ばれたらまたぞろ厄介なことになりそうだ。
 いまのは確実に魔法だった。相坂の言ったとおりだ。
 宮崎さえ無事だというならまあ問題はない。学園内で魔法を使ってまで宮崎を助けたということは記憶を消すなどはしても殺すということはないだろう、とわたしは顔を引っ込めた。声をだしちまったが、先生からの視線はなかった。むこうもテンパっていたのだろう。おそらく気づいていない。
 わたしはふうと安堵のため息をついて、こっそりとその場を抜け出した。

 すまん、宮崎。


   ◆


 部屋に戻るが、ルビーはいない。どこぞに遊びに行っているわけではなく、休眠状態でわたしの中に待機しているためだ。
 ルビーは焦った様子を見せないが、症状は意外に深刻だ。
 彼女は最近ではわたしに魔術を教えるときやエヴァンジェリン邸に出向いたときくらいしか、その姿を現さない。
 彼女が出現できるのは数日おきに数時間だけなのだ。

 まあわたしだって、部屋に一人で過ごしてきた身だ。
 常に傍らに人がいるよりも一人きりのほうが気が楽だが、ルビーの夢に共有してしまった身としては桜さんのことについてとくに干渉できないでいる身にやきもきする。

 そう、ルビーはわたしを助けてその力をほとんど振るえなくなったというのに、まったく焦る気配を見せなかった。

 もうすでに準備はある程度整っているから焦る必要はない、というのがルビーの言だが、それでも初日から数日間の彼女のあまりに行動的な姿を見ていたために、どうしても違和感が残る。
 まさか夜な夜な眠るわたしの体を操って出かけているんじゃないだろうかとも疑うが、それにしては筋肉痛どころか疲れのようなものもない。
 うーん、といつものように唸ってから、まあいいかとパソコンに向き直る。
 まっ、わたしが悩んでどうなるものでもないだろう。


   ◆


 ちなみに、余談ではあるがルビーは魔法世界に言ったときに、コスプレ用に使えそうな衣装を見繕ってくれたらしい。
 令呪で呼ばれたためにそれをわたしが拝む機会はついぞ与えられなかった。
 わたしは自前の衣装を身にまとい、いくつかの写真をアップして、その反応にニヤついたあと、改めてそんなことを考えていた。

 ずいぶんと惜しいことをしたような気もするが、コスプレとはあくまで想像。マジモンの魔法少女のコスチュームを引っ張り出して、万が一この魔法学園の人間にそれがばれたときにことを考えれば、衣装が手に入らなかったこともそれほど気にする必要はないのかもしれない。
 それにインスピレーションのきっかけにはなっても、実際にコスプレ用の衣装に使えるかどうかも分からない。ルビーは魔法世界の騎士団の装備はなかなか可愛らしかったとのんきに評価を下していたが、ネットアイドルの頭を張っているちうさまとしては、まだまだ甘いといわざるを得ない。
 中秋では名月よりも雨月が勝る、というやつだ。想像して作られた魔法少女の衣装のほうが本物の魔法少女よりもそれっぽいなんてのは当たり前だ。
 ナースのコスプレに本物のナース服を持ち出せば引かれるだけである。

 ゆえに、今回の件もわたしはまあそれほど惜しいとはおもっていない。……いやちょっと嘘ついた。
 ルビーにはそういったものの、インスピレーションというものもあるし見れるものなら見たかった。
 そんなことを考えながら、服を部屋着に直して、そろそろ夕食の支度でもしようかとしたときに、わたしの部屋にチャイムが鳴った。

 女子寮はかなり近代化がなされている。不審者ということはないだろうが、当然いきなりドアを開けるようなことはしない。
 いつぞやのようにドアの前に吸血鬼が立っているなんてこともありえる。
 最近はとみに秘密が増えた身の上だ、厄介ごとだったときに居留守を使うことも考えインターホンから返事をするよりも前に、まず来客を確認した。

「ネギ先生に……神楽坂?」

 かなり予想外だった。
 時計を見れば、すでに放課後からは数時間が経過した時刻である。さすがに歓迎会のお誘いということはないだろう。
 と、特大の心当たりに思い至る。今日の昼の出来事だ。
 見ていたのがばれたのだろうか?
 それがまず第一だ。
 おそらく見られてはいなかったはずだが、相手は魔法使い。どのような手段で知ったのか分からない。
 失敗した。無理やりルビーを起こしてでも相談しておくべきだったか?
 わたしも魔法とやらに関わっていることを告げれば手荒なことはされないだろうが、知られるのは避けたかった。
 魔法使いの冷徹さ。それをルビーと共有し、ルビーの教えを受け初めて実感した身としては他の魔法使いに関わりたいとは思わない。

 魔法使いは閉鎖して生きるべきなのだ。
 宮崎相手ならばわたしでも記憶を消せるが、魔法使い相手ではまだまだ未熟なわたしでは失敗する可能性もある。そしてこういうことは一度失敗すれば取り返しが効かない。
 しかし向こうからコンタクトしてきて居留守はまずいだろう。
 もし内容が今日の昼の出来事だったら、向こうにもある程度の確信があると見て間違いない。
 ただ神楽坂が同行しているのだけがよく分からない。ネギに巻き込まれたということだろうか。記憶処置がされた様子もないし、むしろネギの保護者のようにすら見える。

 ある程度心の中身を整えて、ドアを開ける。
 二人は、軽くこの時間に訪問したことを謝罪したのち、話がしたいと切り出した。

「……どうぞ」

 奥へ招くと、先生と神楽坂が入ってくる。先生は緊張気味、神楽坂は好奇心と若干の罪悪感が混じったような表情だ。目が合うと申し訳なさのこもった目配せとともに軽く頭を下げてきた。
 神楽坂から頭を下げられる覚えがないわたしとしては反応できない。
 適当に部屋の中に座らせえ、お茶を出す。
 ちう関連のものについては、いつ踏み込まれても大丈夫なようにある程度の偽装は出来ている。
 いきなりクローゼットをあさられでもしない限り大丈夫だろう。

「それでなんのようですか、先生」
「はいっ、あの。今日のことを……長谷川さんが見ていたって聞いて……」
「……」

 目的語を抜きすぎだ。
 ここでうかつに、あのことですか、などと反応して言質を取られるのも罵迦らしい。
 言っている意味に気づかない振りをして先生に視線を固定する。
 だが次に口を挟んだのは神楽坂だった。

「あーごめん長谷川。今日本屋ちゃんがあの階段から落っこちたときに長谷川上にいたでしょ。すぐに引っ込んじゃったけど。わたしも見ててさ、こいつを問い詰めたらいろいろととんでもないことをしゃべってくれちゃったんだけど、そのときあんたも見てたことをばらしちゃって」
 ああ、さっき目配せはそういうことか。
 お茶を飲む。つまりどういうことだ、説明にきたとでも言うつもりか?
「……宮崎を助けてくださったのがやっぱり先生だということは分かりました。本当にありがとうございます。怪我はなかったみたいですし、わたしは大丈夫そうだと思って帰ってしまったんですけど、見られてたんですね。御礼とご挨拶をするべきでした、申し訳ありません」
「いえ……当然のことですから」
 照れたように先生が言った。
 そんなお見合いのような雰囲気が続きそうだったが、神楽坂が口を挟む。
「んでね、長谷川。どっから見てたの? えっとさ、こいつがマホ――いや、えーっと。ほらっ、走ってきたところから見てたとか、杖を振り回してたところから見てたとか、呪文を聞いてたとか……」
「…………」

 こいつワザとやってねえか?

 これからさき秘密を持つことになってもこいつとだけは共有しないようにしよう。
 こいつにばれればそのままクラス中に広まっちまうだろう。
 尻すぼみに縮こまる神楽坂の声を聞きながら思考を回転させる。天然という範疇を越えている気がする。

「先生が宮崎を受け止めていたのを見ました。ずいぶん運動神経がいいんですね。あいつが落ちたのはわたしが声をかけた所為でしたので、もし大事になってたらこうしてもいられなかったと思います。あと言い訳のようですが、あの階段は手すりをつけるべきですね。そうすればあんなことは起こらなかったでしょう。先生のほうから学園長に言っておいてくれませんか。わたしが言うよりも影響力ありそうですし」
 助け舟のつもりで口を挟む。われながらずいぶんと饒舌なことだ。
 だが神楽坂の言葉を聞く限りこいつらはわたしも魔法に関わっているとは気づいていない。
 このままだとなし崩し的に相手のほうからばらしちまいそうだ。
 言葉裏に魔法を見ていないように装った。
 先生と神楽坂があからさまにほっとしたような顔をする。

「そっ、そうですか。よかったー。マホ、いや、あの。じゃあ見てはいなかったんですね」
「……助けるところは見ましたけど?」
 頭痛を抑えつつ、適当に返事をした。

 こいつらがわたしが目撃したのかどうかを調べに来たのならこれで用は済んだことになるだろう。
 会話を続けるとなんの弾みでばらしてしまうか分からない。
 当然わたしがばらすわけではない。
 ここで四苦八苦とごまかしに苦労するのはこいつらの役目だろ。
 何でこんな苦労をわたしがしなくちゃいけないのかとため息を吐きそうになってあわてて抑制する。

「あー、じゃあ長谷川。今日は帰るわ。えーっとね、本屋ちゃんは怪我ないって伝えにきたのよ」
「はい、そうです。宮崎さんは大丈夫でしたので安心してください」
 ああ、及第点だ。はじめっからそうしてくれ。

「そうですか。わたしもそれを聞けて安心しました」
 帰ってください。とまでは口にしなかったが、意を汲み取ったのか、二人は立ち上がった。
 玄関まで送ろうとわたしもそれに追従する。

「それじゃあ、先生、神楽坂。また明日」
「はい、それでは失礼します」
「じゃあね、長谷川」

 そんな別れの言葉とともに玄関を閉める。
 そのまま部屋に戻らず、なんとなく玄関の戸口で立ち止まっていた。
 薄い玄関だ。別に防音もされていない。
 だから当然のごとく、外から神楽坂の声が聞こえてきた。

「いやー、長谷川にまでばれてなくてよかったわね」
「はい。長谷川さん、魔法を使ってるところは見てなかったんですねー」

 丸聞こえだった。

 玄関の扉をぶったたこうと腕を振り上げ、それをかろうじて止めた。
 よろよろと部屋の中に戻りながら、わたしの口から引きつったような笑いが漏れた。
 …………出てって引っ叩いてやろうか、あのバカどもめ。
 あー、もう金輪際関わりたくないぜ、本当に。


   ◆


「あはははははははははははははははははははははは」

 馬鹿笑いをあげるルビーを横目にわたしはベッドにうつ伏せになっていた。
 ルビーはわたしにしか聞こえない声を上げ、わたしにしか見えない腕を振り上げて、わたしにしか感じられない振動を立てて壁をたたく。
「いやー、よく誤魔化せたわねえ千雨」
「IQが40切ってなきゃ余裕だよ。最後にあれが全部ブラフだって言われたほうがまだましだった」

 さらにルビーが馬鹿笑い。
 ネギ先生と神楽坂が帰り、夕食を作ってさらにその後。
 やっとのことで起きてきたルビーに放課後のことを話した結果がこれである。

「いやー、おもしろい子ねえ、その子供先生とやらは」
「まったくおもしろくねえよ。何で先生の自爆でわたしが巻き込まれなきゃならないんだ。魔法ってのは秘匿されるとか散々お前に脅かされといてありゃないぜ。いまだに信じられん。そもそも神楽坂にばれてたじゃねえか」
「この世界の魔法使いとやらは甘々っぽいからねえ。魔法は人のためにあるなんてうたってるわけだし」
 つい最近も聞いた台詞だ。この世界の魔法とルビーの魔術。一般人を渦中に巻き込まないために秘匿される魔法と、己の技術だから秘匿される魔術の違い。

「ありゃあ間違っても目撃者は殺せ、とはいかなそうだったな。いくらあんたが甘いっていっても魔法使いってのはもう少し冷徹なもんだと持っていたよ」
「千雨は最初に会ったのがエヴァンジェリンだからねえ。まああいつは人を殺せる生き物だけど、それでも人を殺せるというだけで、わたしたちの世界とはまったく異なる考え方をしているんだけどね」
 人を殺すという台詞にうんざりする。聞きたくもなかったが、こういう話になるとルビーは饒舌なのだ。説明好きというか分析好きというか、わたしに魔法使いの心得を教え込もうとしているように感じる。なんの意図だよ、一体全体。

「エヴァンジェリンも千雨にばれて襲い掛かってきたけど、それは自分のことがばれるのがまずかっただけで魔法がばれるような目にあってもあいつは無視するでしょう。逆にこの学校の魔法先生とやらは魔法ばれそうになったら対処はするけどそれに対して強行的な手段はとらないでしょう。それはなぜだと思う、千雨?」
「なぜだと思うって……魔法がばれるのが困るからだろ。であんたの世界は野蛮人ばかりでこっちの世界は甘ちゃんばかりだから」
「違うわ。わたしの世界では魔術が科学より弱かったからよ」

 また変なことを言い出した。
 わたしは適当に聞き流すことにしてベッドに横たわったまま耳を傾ける。

「わたしの世界では魔術とは科学とは真逆のベクトル。秘密の技術で人の恐れを利用する。引きこもってトカゲを鍋で煮る技術。だから鍋の中身がただの煮物だとばれればその力を失って、魔法の薬がただの水銀だと分析されれば、その信仰は破綻する。魔術とは多くの人に知られれば、それだけ力が分散された。それゆえに魔法とはたった一人の技術はその基盤を独占できるという意味で特別だった。魔術が大海に流れれば、それはきっと力を失い科学の前に屈することになると、すべてのものが知っていた。だから魔術師はその力の秘匿に必死になった」

「ゆえに敵同士でもこのときだけは共闘し、憎き相手を前にしてもこの大原則だけは貫いた。そしてその挙句に科学の力に追い越され、魔術師は一般人とは別の種類を持つ生き物として定義された。一般人とは別のベクトルを向く人の種類。決して人の上にたつことはない、人とは違う場所に立つ人のあり方。魔術師は己の技術を誇っても、その技術の種類ゆえに科学の力を手にした一般人を単純に下に見ることはできなかった。もちろん選民思考はあったし、あらゆる人間に門戸を開く科学を応用する魔術使いも存在したけど、魔術師の最終目的である“場”への到達を目指す限り魔術師はその弱さから一般人に隠れ住むことが前提だった。
 過去より積み重ねられた技術を自分のためだけに使用し、秘匿するものを利用する魔術使いは軽蔑された。それは歴史よりも思想よりも自己の欲望だけを優先させる行為だから。科学と魔術を融合させる行為は、優れているように見えて未来の魔術基盤を破壊し、過去の魔術論理を消す呪い。ゆえに魔術と科学は相容れないものであり、それを利用する魔術使いは軽蔑を通り越して憎まれ、そして命を狙われた」
 そんな長台詞を口にしてルビーは笑う。

「だけどこの世界は科学と魔法が同ベクトルを向いている。科学と魔法が融合し、魔法とは技術の種類であるから人に知られても磨耗はしない。ゆえに、この世界では純粋にプラスアルファの効果を与えられる魔法使いが一般人の上を行く」
 そこまでいってルビーは指をピンと立てて得意げな顔をする。
「これはわたしも予想外だった。その力、その振るい手が悪意の方向を向いていなければ、おそらくこの学園はその未知を許容する。正義は己の正義以外を排斥する概念だけど、マギステル・マギは排除ではなく許容のために力を振るう立ち位置のようだから。だから千雨。あなたは嫌がったけど、魔術の概念に関しては、ばらすことを本格的に考えるのは問題ないの」
「よくわからん。つまり、なにがいいたいんだ」

「ええ、つまり何が言いたいのかというと」


「たぶんこの世界ではある程度ばらしておいたほうが安全よ。学園にばらすのがいやだというのなら、まずはそのお人よしそうだって言うネギ先生たちにでも、あなたのことをばらしてみたらどうかしら」


 ……ほう、なるほど。この長話にはそういう落ちがつくわけか。
 もちろん、そうそう了承なんてできないけどさ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 幕話は説明だけ、本編は先生が来て例のイベント起こして終わりました。
 日常編のはずなんですが、自分でもびっくりするくらい微妙な回になりました。なんなんでしょうかこれは。
 ただ、原作に沿うこんな感じの話はどうしてもまだ続きます。というかかなり続くと思います。一応習作うたってるので、いろいろと試行錯誤してみますが、どうなることやら。

 あと、千雨もルビーもべつに犯罪者ではないので、安全を確認した以上、これから先魔法使いであることを魔法使いに隠す必要はありません。わざわざばれるまで待つのもあほらしいわけで……だんだんばらさない方向からどうやってばらすかにシフトしはじめました。魔法ばれのエキスパートも赴任してきましたしね。
 次回も一週間後、あと次の幕話は書かないかもです。



[14323] 第7話 ネギ先生赴任二日目の話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/01/09 09:00
 ルビーを毎日呼び出すにはわたしの実力は足りないらしい。
 数日分の宿題を出すと、ルビーはいつものように休眠状態に入った。
 わたしの体から少しずつ漏れる魔力をためるため、わたしの体の中で寝ているらしい。
 水道からぽちゃぽちゃとたれる水をコップに貯めるかのごとく地道な解決法だ。
 彼女にいつも助けてもらえるわけではない、自分のトラブルは自分で回避し、自分の望みは自分でかなえることになる。そんな当たり前の話である。

 だが、とわたし長谷川千雨は独白する。
 まだあのネギ先生が来てから二日なのだ。
 ルビーでさえ大騒動が起こるまでにはある程度の月日があった。
 この先生はトラブルメーカーとしてぶち抜けすぎている、とわたしはそんなことを考えて、そんなことを考えながら、

 ――――わたしは、自分の部屋に呼びつけたネギ先生の前でため息を吐くのだった。

 というわけで今回はこんな状況に陥る原因となった、子供先生赴任二日目の出来事を語ろうと思う。


   第7話 ネギ先生赴任二日目の話


 その日の日直は宮崎だった。先生に記憶を消されたのだろう。自分が石階段から落下して、死のふちギリギリにあった出来事については忘れているようだ。さすがに覚えていれば、こうも平静を装うことはできないはずだ。まさかたまたま記憶が飛んだということもあるまい。
 ぼうっとして1限目の始まりを待ちながら考える。
 ネギ先生が扉を開け、上から落ちてきた黒板消しを、先生の後ろについていた委員長が受け止めた。
 鳴滝が舌打ちをし、先生が入ってきたのを見た宮崎が起立を促す。

「おはよーございます!」

 教室に生徒の声が響く。
 先生が挨拶を返して、授業が始まった。
「じゃあ、一時間目をはじめます。テキストの76ページを開いてください」
 ふむ、今日はまともな授業を期待しようと、教科書を開く。

 英語の授業が始まる。
 英文の朗読もなかなかに堂にいったものだ。
 いや、もともとが英国人。日本語の扱いをほめるべきか。
 魔法の力なのか、実力なのかは知らないが、さすがにただの十歳児というわけではないようだ。

「――――今のところ、誰かに訳してもらおうかなあ。えーと」

 などと考えていたら、いつの間にか先生の朗読が終わっていた。
 今のところもなにも何一つ聞いていなかった。周りの皆が目をそらすの見ながら、わたしも目を合わせないように教科書に視線を落とす。

「じゃあ、アスナさん」
「なっ……何でわたしに当てるのよっ!?」

 生贄は神楽坂に落ち着いたようだ。委員長にでも振ってやれば万事うまく解決したであろうに、先生もまだまだ甘い。
 神楽坂は案の定叫び声をあげた。
 まあ、わたしもいまのはきっと知り合いだから当てたのだろうなあ、と感じていたので理不尽さに怒るも分からないでもない。

「えっ……だって」
「フツーは日付とか出席番号で当てるでしょ!」
「でもアスナさんア行じゃないですか……」
「アスナは名前じゃん!」
 もっともな突っ込みだ。

「あと感謝の意味もこめて……」
「なんの感謝よっ!?」

「要するに、わからないんですわね。アスナさん」
「なっ!?」
 委員長が口を挟み、顔を赤くした神楽坂が叫んだ。
 漫才やってんのかこいつらは。

「では委員長のわたくしが代わりに……」
 それに反発したのか、神楽坂は自力でやる気になったようだ。むっ、っとした顔をして教科書を開いた。
 委員長に任せたほうが授業的にはいいのだろうが、まあそれは神楽坂のプライド的にも無理だろう。

 神楽坂がたどたどしい訳をつむぐ。
 わたしもあまり出来るほうではないので、べつだんバカにもできないが、ネギ先生が神楽坂を英語が駄目だと評したのをきっかけに、また騒ぎが広がっていく。
 うーんこういうのを収めるのはさすがに高畑先生が得意だったのだが、その辺はまだ子供先生には荷が重いようだ。教師としては失格だぞ、いまのは。

「アスナは英語だけじゃなくて数学もダメですけど」
「国語も……」
「理科も社会もネ」
「要するにバカなんですわ」

 柿崎が先生の発言を受けて口火を切り、綾瀬が煽って、超が続いて、委員長が閉めた。
 そのテンポのいい会話を聞いて、クラスメイトが笑い声を上げている。
 相手が神楽坂じゃなく、ここが2-Aじゃなかったら完全に虐めだ
 あと一応突っ込んどくが、バカレンジャーは笑うな。

「いいのは保健体育ぐらいで」
 オホホ、なんていうエセくさい笑い声とともに委員長がさらに煽った。
 顔を赤くした神楽坂は昨日と同じように委員長に食って掛かるかと思ったが、自分の出来を知っているのか先生に詰め寄った。
 先生の対応もすばらしいものだったとはいえなかったからな。
 まあ、魔法先生などといっても普通の学校で授業をすればこんなものか。

 などと考えていたわたしは甘かった。

 あまりに、非常にとんでもなく。砂糖よりも餡子よりも蜂蜜よりも干し柿よりもはるかに甘くことをみた。
 初日に神楽坂に魔法ばらし、二日目にしてこうしてわたしから呆れられている魔法使いの先生を甘く見た。

 だってさあ。

「――――ハッ、ハッ……ハクション!!」

 さすがに、突風とともにいきなり神楽坂の制服をぶっ飛ばすなんて展開を思いつくはずないだろう?


   ◆


 そんなこんなで授業はまたもやほぼ潰れ、そのまま同じようなのりで残りの授業も進められていった。
 正直なところ、万年ビケのうちのクラスの状況が、さらに悪化したようにしか見えない。
 こんな冒険はもっと成績のいいクラスに持っていくべきじゃないのか?
 ウチのクラスにばっかりイベントが起こりすぎな気がする。
 お昼になり先生が出て行くと、いつもどおり騒がしくなった。

 いつの間にか新しい制服を調達したらしい神楽坂は不機嫌そうな顔で頬杖をついたまま動かない。
 目を瞑ったまま、ときたまぴくぴくと頬を痙攣させているところを見ると、おそらく想像の中でネギ先生をギタギタにでもしているのだろう。

 そんな姿を横目で見ながら、購買で買ったパンを食べる。
「アスナさん、アスナさーん」
「また来たわね、ネギ坊主……」
 そんなおり、突然くだんのネギ先生が教室に飛び込んできた。
 ネギ先生はそのまま神楽坂に近づくと手に持っていたものをみせた。
 こっそりと横目で伺えば、コルク栓のはめられた試験管だった。
 中で怪しげな液体がゆれている。

 二言三言言葉を交わし、神楽坂は教室を出て行く。
 完全にネギ先生を拒絶しての行動だったが、空気が読めないのか先生はそのまま神楽坂の名前を連呼しながら追いすがる。
 そのまま神楽坂は教室から出ようとしたが、先生の押しに負けたのか、教室の入り口をすこしすぎたところで立ち止まった。

「本当なんです! 騙されたと思ってちょっとだけでも」
「じゃああんたが飲みなさいよっ!」

 いきなり神楽坂が振り向くと先生に試験管の中身を飲み干させた。
 なかなか過激なやつだ。
 それで気が済んだのか、神楽坂が教室の中に戻ってきた。
 先生も追いかけながらやはりなにごとかを神楽坂と話している。
 不機嫌そうな神楽坂には悪いが、仲がよさそうに見えた。

 と、ちくりとポケットにしまったルビーの宝石が熱くなったような気がした。
 気のせいかと思ったが、ルビーがらみで気のせいだと思って放置しておくとたいていのことが厄介ごとに繋がる。
 ネックレスを教室で取り出して他の生徒に絡まれるのも困る。ポケットに手を突っ込んでみれば、やはりネックレスはかなりの熱を発していた。

 さて、ちなみにルビーは最近は起きている時間より寝ている時間のほうが圧倒的に多い上、わたしが死にかけでもしない限り勝手に出てくることはない。
 わたしが無理やり呼び出せば出てくるのだが、そこまでするべきだろうかという疑問でわたしは熱くなった宝石を持て余した。
 死にかけでもしない限りでてこなくなった女を、宝石がすこし熱くなったからといって呼び出すべきなのだろうか?
 だが問題が起こってからではまずいが、この部屋にはそのルビーと渡り合ったエヴァンジェリンがいるのだ。あいつが騒がないというのならあいつこそが防波堤になりそうなものだ。
 そんなことを考えていると、わたしの楽観をあざ笑うかのようにさっそく問題が起こり始めた。

「ネギ君ってよく見ると……なんかすごいかわえーなー」

 近衛がネギ先生を誘惑していた。
 なんだこれ。
 続いて柿崎を皮切りにクラスメイトが先生を誘惑していく。

 プルプルと震えながら、嵐を横目にやり過ごす。
 なんだなんだなんなんだ?
 わたしは柿崎たちに服を剥かれようとしている先生を見ながら息をはいた。
 体が震える、心が震える。
 押さえられない激情を、震える体を押し隠す。

「…………」

 おいおい、先生。それはちょっとやりすぎだろう。
 誰にも聞こえないようにつぶやいた。
 ストレスで胃に穴が開きそうだ。
 バキリと、わたしの持っていたシャープペンシルが手の中で砕け、その破片がわたしの手のひらを切り裂いた。


   ◆


 それからまた日が代わり、先生が赴任してはや五日。
 わたしはいつものように屋上に上がって、数少ない友人と昼休みの雑談に興じていた。
「……なんか千雨さん昨日から不機嫌ですね」
「わかるか、相坂?」
 相坂さよとしゃべっているところを見られるのはさすがに厄介なので、屋上の端に隠れてながら弁当を食べる。
 誰かに見られたら誤解されること必至なので、声のトーンは落とすべきなのだが、感情の抑制が聞かなくなっている今日この頃。
 不機嫌な返事は思いのほか怒気で荒くなった。

「わからないはずがないというか……」
 そういって弁当箱の横を指差した。折れた箸が転がっている。先ほど衝動的にぶち折ってしまったものだ。
 最近どうもストレスがたまっている。
「なんつーか、先生がな……。わたしの思い違いかもしれんから黙っているが、いろいろと思うところがあってさ」
「ああ、すごいですね。先日は神楽坂さんと一緒にお風呂に入っていたとか」
「……水着が爆発したらしいな。末恐ろしいよ。退治したほうが世のためなんじゃねえのか、あのガキ」
 相坂は基本的に寮までは出向けない。学内限定の自縛霊だ。
 だがその隠密性と時間を持て余しているという境遇から噂話の収集には事欠かない。そして女子中学生なんていうものは基本的にいつでもお喋りをしているものだ。

「ルビーも最近寝てばっかりだしな。先生のこともあるし、ちょっと相談したい」
「そうですね。わたしもルビーさんに最近はお会いしていません」
 基本的に寮でしか現れないルビーと、原則的に学校にしか現れない相坂だが、ルビーとはわたしの依頼で相坂の実体化について相談に乗ってもらっているため交流自体はそこそこある。
 ルビーなら相坂を外にも連れ出せるのだが、そのルビー自体が最近は出てこないのだ。
 ずいぶんと学校外にいくのを楽しみにしている相坂のためにも、次にルビーが出てきたときはそのことを相談しようとも考えているのだが、毎晩から隔日となり、いまでは週一程度まで出現間隔の落ちたルビーにはわたしも会い難いのだ。

「あいつだんだん調子悪くなってるな。やっぱりわたしの怪我を治したのが原因だと思う……お前の前でいやな言い方だが、いきなり出て来なくなってもおかしくないような感覚があるよ」
「あ、そうですか……」
「そう沈んだ顔するなって。そうはいってもあの女が早々くたばるとは思えないし、いなくなるならなるで一言あるさ。それにそろそろ出てくるとおもうよ。今度出てきたら相坂にも教えるからさ、またどっか遊びに行こうぜ」
「えへへ。ありがとうございます、千雨さん」

 こいつとの会話は本当に癒される。ささくれ立った心が癒すためとわたしはそのまま休み時間の終わりまで雑談を続けた。
 チャイムが鳴り響き、さて、と弁当をしまい教室に戻ろうかと立ち上がった。
 たしか次の授業はこの屋上でバレーのはずだ。
 帰り際。屋上に向かっていく高等部の連中とすれ違ったのが気になったが、わたしはそれについて得に考える余裕もなかった。

   ◆

「で、なんだ。この状況は?」
 授業で屋上に行くと、そこには高等部の連中が陣取っていた。
 ダブルブッキングらしいが、神楽坂が荒々しく言いあいをはじめたところを見ると何かしらの因縁があるのだろう。

「ネギ先生がいらっしゃいますね」
 横を浮かぶ相坂がそういった。
 周りにクラスメイトがいるので返事は出来なかった。その代わり軽く視線を向けてあごを引く。
 出来るだけ無視はしたくなかったからだ。
 その感情を読み取ったのか相坂が笑い返してきた。

 先生はじたばたと高等部の女学生の腕の中で暴れながら、自分が体育教師の代わりに来たことを告げていた。
 ごちゃごちゃと言い争いが始まり、わたしはこっそりとその場を離れた。
 屋上のすみで息を吐き、遠目で傍観の姿勢を取った。

 右横に相坂が浮いている。そして左にはいつの間にかエヴァンジェリンが薄笑いを浮かべながら座っていた。
 皆が最低限体操服かジャージを着ているというのに、こいつだけは堂々と制服姿である。
 嫌そうに顔をゆがめると、エヴァンジェリンのほうから話しかけてきた。
「ずいぶんとそいつと仲がよくなったようだな、相坂さよ」
「は、はいっ!?」
 軽いけん制の台詞に、相坂が律儀に驚いた。

「ああ、おかげさまでな」
「なに、そんなに感謝せんでもいいぞ」
 わたしの言葉にエヴァンジェリンがえらそうに言った。
「はっ、はい。ありがとうございます」
「いや、待て相坂。おかしいだろそれは」
 殺されかけたわたしは感謝の念などビタイチ抱いていないのだが、相坂はわたしとこうしてしゃべっている現状をそれはそれは大切にしているらしく、それつながりでエヴァンジェリンにも恩を感じているらしい。

「魔法の修行は順調なようだな」
「んっ? あ、ああまあ一応な」
 わたしが苦虫を噛み潰したような顔をしていたためだろう。
 エヴァンジェリンが話題をかえてきた。
「それは結構なことだ。まあせいぜい学んでおけ。魔法と異なりやつのいう魔術は世代で積み重ねるものだ。お前が学ばねばやつの力が無駄になる」
「へえ、お前らしくないな」
「ふん、忠告だよ。やつにはある程度借りもある」
 エヴァンジェリンがいった。荒い口調とは裏腹に怒りの感情がこもっているようには見えない。
 以前は殺しあうだのといっていたくせに、いつの間にかずいぶんと仲がよくなっているようだ。

「それで、あいつは次はいつ起きる?」
「んー、たぶんそろそろ出てくるとおもうぞ。早けりゃ今日かな。あいつがわたしに出した魔法の課題がもう残ってないし」
「そうか。ならいい」
 軽く頷くと、それで満足したのかエヴァンジェリンは手をひらひらと上げながら去っていった。

「あれが聞きたかったのか、あいつ」
「エヴァンジェリンさん、ルビーさんとよく話していますもんね」
「この間出てきたときもずっと話してたしな。性悪同士ウマが合うんだろう」
 返事はせずに相坂が笑った。

 さて、エヴァンジェリンとそんな会話をしているといつのまにか今日の授業は高等部とのドッチボールということに落ち着いたようだった。

「ほらっ、長谷川もきなさいよ!」
「わたしはちょっと体調が悪いから休むよ。バレーならまだしもドッチボールじゃ人数いてもあんまり意味ないだろ。わたしは運動神経も悪いし」
「あんたねえ……」

 適当に言い訳するとグチグチといいながらも神楽坂も納得してくれ、そのままサボりは認められた。
 わたし以外にもサボりがいやに多かったからに違いない。
 エヴァンジェリンと絡繰、ピエロとチア組。
 チアはまだいいとして、竜宮に桜咲、長瀬といった麻帆良四天王までもがだらけた姿で見学組だ。あいつらを一人入れたほうがわたしを100人いれるよりよほどいいだろう。
 だが神楽坂も彼女たちを説得できる自信はないのか無視したようだ。古菲だけで充分だと思っているのだろうか? 神楽坂らしくない気もするがどうでもいい。

 きゃーきゅー言いながらドッチボールを楽しむクラスメイトを見ながら、ぼんやりとそれを見ていた。
 ドッチボール部だろうが、トライアングルアタックだろうが、大人気なかろうがどうでもいい。常識的な平和な光景だ。
 ついでにウチのクラスが負けて先生が貰われたほうが嬉しいのだが、さすがにそれは向こうが神楽坂を煽っただけだろう。ウチのクラスメイトも学校側もそんなことを許すはずがない。
 そんなことを考えながら、わたしはぼうっとそれを見て――――


 そんな惰性は先生の放った一撃が高等部生の服を粉みじんにするまでのつかの間のものだった。


 同じようにサボっていたエヴァンジェリンからせしめたお茶の缶が、わたしの手の中でぐしゃりと潰れた。
 そんなわたしの姿を横目で見ておかしそうに笑うエヴァンジェリンにも、横でおろおろと心配そうな声をかけてくる相坂にも反応せず、わたしはお茶を拭くと保健室に行くことにした。

 午後はサボろう。わたしはそろそろ限界のようだから。

   ◆

 数時間後。わたしは疲れた体で寮のベッドに座っていた。
 だが眠るわけにもいかない。予想通り、ルビーはその夜に姿を現していたためだ。
 わたしの寮室で、いつものようにぷかぷかと宙に浮いている。
 課題だといわれた魔法の品々、わたしが直したガラス盤や、固くなったおんぼろランプ、それに火のついた後のあるロウソクなどを定めるルビーと、わたしは雑談を交わしていた。

「じゃあ、やっぱりあれは先生のほれ薬だったのか……」
「でしょうねえ。千雨に持たせてる宝石からレジストがかかったって言ってたし」
「でも、わたしは絶対呑まされてはいないぞ。というか先生が飲んでた。そのあと周りのやつらがおかしくなってたけど」
「へー、へんな魔術ねえ。ネギ先生か。ちょっと聞いた名ね。わたしのほうでも調べてみるけど、まあ大方服用者の魅力を上げるような作用でもあったんじゃない? ああでも千雨が反応したってことは周りの人間の精神を書き換えているのかもね。アスナちゃんに飲ませようとして逆に自分で飲むなんてお間抜けだけど」
 皮肉気にルビーが笑う。

 だがわたしはその笑いに反応できなかった。それを聞いた瞬間から吹き出ている感情を抑制するので精一杯だったからだ。
「……んなことできるのか?」
「んなことって?」
「精神を書き換えるとかだよ、魔法ってのはそういうこともできるのか?」
「そういうこともなにも魔術はそっちが専門よ。あなたにだって記憶を書き換える魔術を教えたでしょう」
「教わったけど、記憶と感情は別物だろ」
「記憶をいじれば印象も代わる、印象が変われば心のもち方もまた変わる。好きとか嫌いとかの感情と、昨日の夕ご飯になにを食べたかの記憶は、あなたが思っているほど異なったものじゃあないわ。精神というのはそんなに強固なものじゃあないのよ」
「記憶を……そうか。まあそういわれればそうだよな…………くそっ、なんかわたしの感覚も麻痺してるよ」
「初めて会ったのがエヴァンジェリンだから勘違いしてるみたいだけど、魔法はともかく、あなたに教えている魔術は精神や現象に依存する学問なのよ。火を出したり人を操ったりね。モノを生み出したり空を飛んだりするほうが例外よ」
「だからって先生がやったことはおかしいだろ。今日といい昨日といい、うかつすぎる」
「そうかもしれないけど、じゃあ千雨はどうしたいの?」
「っ……」
 誰に向けたものでもない苛立ちで言葉が詰まった。
 そんな魔術を行使する先生にも、それと気づかず漠然とルビーからそんな魔術を習うことを許容していた自分にもだ。

「気に食わないというのはいいでしょう。わからなくもないわ。でも知らないよりは知っていたほうがいい。嫌いだからと学ばないのは愚か者のすることよ」
 わたしの逡巡を嗅ぎ取ったのか、ルビーが肩をすくめた。
「……ちっ、ふざけてるな、ほんと。今回ほどそう思ったことはないよ。人を好きになるとかならないとか、そんなのまでオモチャにされちゃあたまんないぜ」
 ルビーの宝石がなかったらわたしはあいつの前にかしずいて愛を語ってたとでもいうのだろうか?
 鳥肌が立つほどの嫌悪感だった。べつだん先生に悪意は持っていなかったし、あれがわざとだとも思っていないが、それでも嫌なものは嫌だった。
 わたしはあまりの言葉に吐き気すら覚えていた。魔法使いから優越感を持って見下されているだけならまだしも、そこまでオモチャにされていいのか?
 魔法使い以外の人間の立場がなさすぎる。

「でも社会だってなんだって、相手の思考操作くらいはするわ。かっこいい服を着てメイクをするのと代わらないでしょ。相手に飲ませなかったのだって、そのネギくんに分別があったんじゃないの?」
「……言い分はわかる。たぶんそうなんだろうな」
「魔術においてレベルの違いは意味がない。すべては“ある”か“ない”で語られるものよ」
「ああ、そう習ったけどさ」
 平然としているルビーを見るに、これはおかしくない行為なのか? そんなはずない。

「まあそれが魔法使いだものね。子供のときから魔法使いだと自分の力に自覚を持てず、大人になって魔法を学べば自分の力を過信する。まあ、圧倒的に“その他”を凌駕できる力だからねえ。それは分別をもった大人が教育すべきことなのだろうけど。あの先生も修行中らしいしね」
「修行中?」
「魔法学園の卒業試験らしいわよ。エヴァンジェリンから聞いたんだけど、この学校で先生を務める課題がでてるんだろう、だって」
 感情のメータが振り切れて反応も出来ない。
 オモチャの次は実習用の小道具ってか? 思わず悪態が漏れそうになってそれを止めた。
 さっきから先生に対する好感度がマイナス行進しっぱなしだ。

 じゃあ、あの先生が未熟なのは必然だってか? んなの許せるはずがない。

 だがルビーはそれを見破ったのか、わたしに言った。
「間違っていると思うならあなたが正せばいいでしょう。怒りなさい、殴りなさい。そして抱きしめて頭をなでてあげなさい。相手は子供なのでしょう。教育とはそういうもの、薫陶をさずけるとはそういうことよ」
 はっ、だがな。教師はあのガキで、わたしは習う側なんだぜ魔法使いのカレイドルビー。

 ため息を一つついて心を落ち着けてみれば、なぜか笑いが漏れてきた。
 まあそうもいってられないか。
 吹っ切れすぎて、どうにもおかしくなっちまったらしい。
 そんなわたしの姿を見て、ルビーが声をかけてきた。

「なーんか千雨、めちゃめちゃ怒ってない?」
「ちょっとな」
「へ、へえぇ……」

 嘘だ。怒っているという言葉が嘘なのではない、ちょっとという言葉が嘘なのだ。
 ルビーもそれが分かっているのだろう。追求はしてこなかった。
 わたしのはらわたは煮えくり返っていた。
 もう“たとえ一晩だろうと”我慢が出来ないほどに怒っていた。
 試験中だというネギ先生は誰からも助言を受けないことになでもなっているのか? 待てば誰かが仕事ができない新人にベテランが言うように、したり顔でアドバイスのひとつでもするのだろうか?
 そんなのちょっと許せない。

「お前はこのあと予定あるのか?」
「えっ、えーっと……エヴァンジェリンのところに行こうと思ってるけど」

 ベッドから起き上がってルビーに聞く。
 なぜかおびえた様にルビーが言った。
 ご機嫌伺いしているわけじゃねえんだからいちいちわたしの顔色を見ながらしゃべらなくてもいいだろうに。

「まあそりゃそうだろうけど」
「うん、あといつもの続きがあるから、あなたにも同行してほしいんだけど……」
「そっちのほうはキャンセルだ」
 断る。わたしはそれより優先すべき行為がある。
 むしろルビーにはわたしに同席してもらったほうがいいかもしれないのだが、まあいいとつぶやいた。
 ルビーがこうして現界しているだけで御の字と見るべきだろう。

「じゃああと教室よって相坂にも会いにいってやってくれ」
 表向きだけは冷静さを装ってそういった。
「わかったわ。さよちゃんのところに寄ればいいのね」
「ああ、あいつは奇特にもお前にあこがれてるみたいだし」
「そりゃ光栄ね。わたしから見ればあなたにこそあこがれているようだけど。……まったく。そろそろエヴァンジェリンのとこで、人形が出来るはずなのにね」
「へえ、そりゃいいニュースだ」
「まあ千雨の頼みだしね。じゃあ行ってくるけど……ちなみに、千雨はなんの予定があるの? さよちゃんもあなたが来ると喜ぶんじゃない?」
 ルビーが言った。断られることを予想している物言いだ。
 当然わたしはそれには頷けない。
 なぜなら、わたしは

「いや、遠慮しておくよ。わたしはちょっとばかりやることがあるからさ」

 やる必要ないことを、ワザワザやろうと思っているからだ。





[14323] 幕話6
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/01/09 09:02
 ボクははれてメルディアナ魔法学校を卒業することになった。
 お姉ちゃんもアーニャもおめでとうといってくれた。
 七年かかる授業課程も、頑張って五年で卒業できた。
 アーニャは六年で卒業した。メルディアナ魔法学校は飛び級制度に関してとても融通が利く。
 お姉ちゃんにはボクもアーニャもすごく優秀なことをしたのだとほめてもらった。

 だけど、まだまだ終わりじゃない。
 マギステル・マギになるために、ボクは頑張り続けないといけないのだ。
 この学校でも卒業後に、修行を行うことが義務付けられている。
 卒業証書とともに渡される紙に書かれた修行の内容。
 アーニャの紙にはロンドンで占い師をすることとかかれていた。
 魔法に関わらない世界は子供に厳しい。占い師なんて大丈夫だろうか、と思ったが、アーニャなら大丈夫そうなので、心配するのはすぐにやめた。
 だけどアーニャはボクのことをまだまだ子供だと思っているので、しきりにボクの修行の心配をしていた。

 ボクの受け取った紙は日本で教師として修行するようにと書かれていたからだ。


   幕話6


 赴任が決まってまず行ったことは日本語の勉強だった。
 言葉が通じなくては先生は出来ない。
 三週間みっちり頑張った結果、自分でも満足できるほどに日本語を操れるようになった。
 周りの皆は魔法を使ったほうがいいのではといっていたけど、ボクがこうしてしゃべれるようになったことを伝えると、驚いていたようだった。

 学校には赴任当日に着いた。
 ここにはボクの知り合いのタカミチがいるらしい。彼は父さんと知り合いの魔法使いで、非常に強い。ボクがマギステル・マギになる上で、教えをこうべき人である。
 電車に乗って麻帆良学園の中央駅というところに向かった。
 ここに迎えの人が来ているはずである。

 ああ、とっても楽しみだ。

   ◆

 ボクの父さんの知り合いのお父さんだという学園長さんはボクがきた経緯を聞いてはいないらしかった。
 ボクが修行できたことを伝えるとひげをなでながら、それは大変だったのう、と微笑んだ。とてもいい人そうだった。
 アスナさんとは大違いである。
 そりゃあ服を吹き飛ばしてしまったのは悪かったとおもってるけど、あんなに怒るのは意地悪だ。

 ボクはそのまま教室に行った。まず授業を行ってみようということになったのだ。
 補佐にはしずな先生という人がつくらしい。
 タカミチが言うには、普通はもっと手順をふむらしいけど、ボクが担当する2-Aは特別らしい。
 タカミチはあまり驚いてはいけないよ、とボクに言った。
 ボクはそのときはよくわからなかったけど、教室に入ってすぐにわかった。
 上から黒板消しが降ってきたのだ。
 ボクは日本で修行することを告げられてから日本の勉強をたくさん行ったので、これが日本で有名なイタズラであることにすぐに気づいた。
 反射的に魔法で受け止めてしまったけど、すぐにわざとその黒板消しを受け止めた。
 きっと誰にも気づかれなかっただろうけど、すこし動揺したまま教室に入り二段構えのトラップに引っかかってしまった。
 ボクはまだまだ未熟だった。

 授業中にアスナさんが消しゴムを投げてきた。ひどい人である。
 でも話を聞くと、これは意地悪ではなくボクが魔法を使ったを見ていたかららしい。
 驚いた。アスナさんもそのことを教室の真ん中で叫ぶので、取り繕うのに必至になってしまった。

 あのときはアスナさんを止めてくれて、ありがとうございます、雪広さん。

   ◆

 帰り道、ボクはとても高いところから落ちそうになった宮崎さんを助けるために魔法を使った。
 魔法を使ったことに後悔はしていない。使わなくてはきっと宮崎さんは大怪我をしてしまっていただろうからだ。
 だけどそれをアスナさんに見られてしまった。
 アスナさんはどうやら最初からボクが魔法使いではないかと思っていたみたいで、ボクは問い詰められて本当のことを話してしまった。

 ボクは、オコジョにされてしまうのだろうか。

   ◆

 アスナさんはいい人だった。
 魔法のことを黙っていると約束してくれた。
 クラスメイトの皆さんはボクの歓迎会を開いてくれた。
 みんなとてもいい人だった。
 ボクはとても嬉しかったので、アスナさんに言われたように、タカミチの心を読んだりと、アスナさんのお手伝いをしようとした。
 実はアスナさんはタカミチのことが好きらしいのだ。

 結局それは失敗してしまったけれど、それからいろいろあってアスナさんは結局ボクを励ましてくれた。
 魔法はばれてしまったけれど、ばれてしまった先がアスナさんだったのはきっと幸運だったのだろう。
 歓迎会が終わると、アスナさんは実は宮崎さんが落ちたときにもう一人2-Aのクラスメイトがいたということを教えてくれた。
 すぐに隠れてしまったらしくて、ボクは気づかなかったけれど、アスナさんは見ていたらしいのだ。
 ボクの歓迎会にも出席してはくれていなくて、ボクは夕方になってその人の部屋を訪ねることにした。
 お願いしてアスナさんについてきてもらった。部屋はアスナさんと同じ女子寮の一室だった。

 その人は長谷川千雨さんといった。
 部屋は一人部屋みたいで中には長谷川さんしかいなかった。
 ボクは誤魔化さずに宮崎さんのときのことを聞いてみた。
 すると長谷川さんはべつだん普通の態度で魔法のことを見てはいないようだった。

 よかったとアスナさんに言うと、アスナさんも同意してくれた。
 朝倉や早乙女だったらこうは行かなかったでしょうねえ、と彼女は言った。
 名簿を思い返せば、カメラを持っている人と、のどかさんといつも一緒にいる人だと思い出す。

 ああ、そういえば長谷川さんはどうなのだろう。
 長谷川さんは無口な人だ。
 アスナさんに聞いてみると、長谷川さんはあまり人付き合いがよくないらしい。
 そういえば、アスナさんたちが開いてくれたボクの歓迎会にも長谷川さんは来てくれてはいなかった。

 なかよくなれるだろうか? ボクはすこし不安になった。

   ◆

 アスナさんはいい人だ。だけど怖い人でもある。
 ほれ薬を作ってくれと昨日言われたので、本当に作るかどうかをたずねてみた。
 少々面倒な手順が必要だし、このかさんにばれないように作るのは大変だが、四ヶ月くらいあれば出来ると思ったからだ。
 だけどアスナさんは自力で頑張るとボクに言った。
 昨日ボクに対して魔法に頼るなといったからだという。

 えらいなあ、と感心した。
 ボクも魔法にあまり頼り過ぎないようにしよう。
 ボクも先生として頑張ろう。

 そのすぐあとの授業中にアスナさんの髪の毛が鼻をくすぐった。
 ボクはくしゃみをするときに魔力が漏れてしまうのだ。
 制御が甘いからだとよく言われる。
 その所為でアスナさんの服を吹き飛ばしてしまった。

 アスナさんにとてもとても怒られた。

   ◆

 授業中ずっとにらまれた。
 そのあと何度か話しかけようとしたけれど、アスナさんはボクの言葉に返事をしてはくれなかった。
 このままではアスナさんはボクのことを許してくれないみたいだったので、ボクはアスナさんのためにほれ薬を作ってあげることにした。
 運がよかった。お姉ちゃんがこっそりとボクのかばんに魔法の元七色丸薬セットを入れておいてくれたおかげである。

 大人用はパワーが違う。四ヶ月を四分に短縮して、ほれ薬を作るとボクはさっそくアスナさんのところに行くことにした。
 だけどアスナさんはボクが前に失敗したことを根に持って、ボクの薬を信用してはくれなかった。
 薬は結局ボクが飲む羽目になって、ずいぶんとひどい目にあった。
 それをアスナさんに言うと、彼女はぷりぷりと怒りながら、じゃあわたしが飲んでても同じような目にあったってことじゃない、といった。
 もっともだとおもった。

 これからは気をつけよう。

   ◆

 その夜、アスナさんにボクのお風呂嫌いがばれてしまった。アスナさんはお風呂好きのようで、ボクをお風呂場まで連れて行き髪をわしゃわしゃと洗ってくれた。
 洗ってもらっている最中に、実はアスナさんは苦学生だということを知った。
 いい人でえらい人で怖い人で、やっぱりえらい人であることをしった。

 アスナさんが苦学生だと知って泣いてしまったボクを、アスナさんは慰めてくれた。
 すると、そこに2-Aの人たちが入ってきた。この寮の大浴場はクラスごとの時間制らしい。

 アスナさんと一緒にあわてて隠れた。
 お風呂に入ってきた人たちはボクのことについて話を始めた。
 2-Aの人はスタイルのいい人が多い。彼女たちの話ではボクの寝泊りさせてもらっている部屋がアスナさんの部屋から一番胸が大きい人の部屋にかわってしまうらしい。
 アスナさんの部屋から移りたくなかったボクは、アスナさんが一番胸が大きくなればよいと考えたので、風邪の精霊に干渉して、水着姿だったアスナさんの胸を膨らませた。
 タオルを巻いた姿じゃなく、水着を着てくれていてよかった。
 魔法を唱えると、アスナさんの胸が膨らんだ。
 結局、やりすぎてしまって後でアスナさんに怒られた。

 うう、御免なさいアスナさん。

   ◆

 中学校では教科ごとに担当をする先生が決まっている。
 ボクは2-Aの担任で、教科は英語を担当している、だけど出張や急病などの理由によってはほかの教科の授業を担当することもある。
 ボクは2-Aの担当なので、その日体育の先生が2-Aの授業を欠席することになったため、その役目がボクに回ってきたことは当たり前だったのだろう。
 体育の先生からは今日の2-Aの授業予定は屋上でバレーをやるということを聞いていたので、ボクは一足早く屋上に向かった。

 屋上にはすでに生徒がいた。でも2-Aの生徒ではなく、高等部の2-Dの人たちだった。
 彼女たちはボクを捕まえると、そのあとすぐに屋上に現れたアスナさんたちに戦いを挑んできた。
 屋上の使用権をかけたドッチボールらしい。
 彼女たちはドッチボール部らしく自信満々だ。
 相手は11人。こっちは倍の人数でやってもいいことになった。
 倍といってもやることになったのは20人で、残りの人は見学と応援になった。
 なのでボクも参加することになった。これで21人。あと一人はいれ倍の人数だったけど、まあ21人もいれば十分だろう。

 彼女たちは強かった。だけど2-Aのみんなが力を合わせて、勝ったのは僕たちだった。
 最後にすこし失敗してしまったけど、解決できた。
 だけどアスナさんにはやっぱり怒られてしまった。

 タカミチのようになるためには、もっと頑張らないといけないな。

   ◆

 夜になった。
 アスナさんはもう眠っている。
 ボクも眠ろうかとベッドにもぐりこむと、インターホンがなった。
 明日は休日なので、夜更かしする人も多いようだが、アスナさんは新聞配達のアルバイトをしているので、基本的に夜更かしはしないようだ。
 夜もずいぶん遅い時刻だ。アスナさんもこのかさんももう寝ている。
 誰だろうとドアを開ける。
 そこにいたのはボクの生徒の長谷川さんだった。
 彼女は言った。


「先生。お時間いただけますか?」


 ボクはその言葉に頷いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 6話と7話の間に幕話がないのはもともと6と7があわせて一話だったからです。話数を稼ぎました。
 Fate的に見るまでもなく、初期の先生の行為はちょっとだめすぎるので、アンチネギに傾く千雨。特に媚薬関係はまじめに考えれば突っ込みどころがいくらでもあるんですよね。じゃんけんアンサラーのごとく本来は突っ込んじゃいけない部分なんですが、ここでは突っ込みます。でもネギ先生はヒロインなので、べつにいじめて終わりはしません。
 正直自分もさっさと次の話に行きたい感じです。




[14323] 第8話 ネギ先生を部屋に呼ぶ話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/01/16 23:16

 わたしは言った。
「先生。あなたは魔法使いですね」
 はっ? と先生がいつも以上に間の抜けた顔をする。

 わたしはもう一度言った。
「先生、あなたは魔法使いですね」
 先生は黙った。

 わたしは三度は言わなかった。
 先生がわたしの言ったことを理解したからだ。


   第8話 ネギ先生を部屋に呼ぶ話


 魔法使いだとばれたくなかった。
 魔法使いに関わるものだとすら言いたくなかった。
 ばれるわけにはいかなかった。ルビーがばらすべきだといったところで、わたしはバラす気など毛頭なかった。
 当たり前だ。ばらすほうが安全だといわれても、ネギ先生のあのざまを見れば、ばらすことで確実に巻き込まれるのは目に見えていたからだ。

 誤魔化し続ける自信はあった。
 間抜けに口を滑らせるとか、反射的に魔法を使ってしまうとか、そんなことあるはずない。わたしはそんな間抜けじゃない。
 そんな決意の結末が、こうして自ら口を開く羽目になるとはざまあない。

 先生を神楽坂の部屋に呼びにいったあと、場所をわたしの部屋に移動してもらった。
 神楽坂たちが眠っていたのは幸運だった。なるべくなら一対一で話したかったからだ。神楽坂が早めに就寝するということは知っていたが、ネギだけがおきていたのは完全に運だろう。
 寮室とはいえ……いや、女子寮の寮室だからこそだろうが、これが初めて部屋に呼ぶ男性である。在学中はそんなことがあるはずないと思っていたが、まさかこうなるとは、と自嘲する。
 座布団をわたし、わたしはベッドに腰掛けた。
 先生はちぢこまったままだ。
 おそらくわたしが魔法使いなのか、一般人の目撃者なのかをはかりかねているのだろう。
 事情を話すべきか、誤魔化すべきかをはかっているのだろう。
 記憶を消すべきか、一応話を聞くべきかを考えているのだろう。
 きっとそんな当たり前のことを考えているはずだ。

「宮崎を助けていただいたときに、あなたが宮崎を宙に浮かせたのを見ていたんです。神楽坂と一緒に来たときは魔法使いになんて関わりたくありませんでしたから誤魔化しましたけど、もう少し用心深くしたほうがよかったですね」
「あ……」
 先生がウルウルと目を涙でにじませた。
 泣くなよ、と思ったがネギ先生はそのまま涙目でわたしにすがり付いてきた。

「お願いします長谷川さん。誰にも言わないでくださいーっ」
 小動物系だなあ、こいつは。
 正直なところ、これをいきなりやられれば哀れさで見逃したかもしれない。
 だが、いまさらわたしはそれに心を揺るがされることはなかった。
 わたしをベッドの上に押し倒した先生を冷静に押しのけて、口を開く。

「ばれてはいけないというのは何でですか? 見る限り神楽坂にはもうばれてますよね」
「は、はい。でもばれてしまったときにアスナさんはぼくがマギステル・マギを目指していることを言ったら、黙っててくれるって」
「マギステル・マギ? なんです、それ」
 ルビーからも聞いていない言葉だ。

「あ、はい。マギステル・マギというのは人の役に立つとっても偉大な魔法使いのことです。ぼくはとても尊敬している人がいて、その人みたいになりたいんです」
 目を輝かせてそういった。
 わたしに問い詰められていることを忘れたかのように、饒舌にマギステル・マギと、そのあこがれの人のすばらしさを語る先生に、わたしのほうこそが戸惑った。

「先生、ちょっと……」
 手を上げて話をさえぎると、先生はあわてたように言葉を止めた。
 上目づかいでわたしの返答を待っている。
 おそらくわたしが誰かにしゃべってしまうか、神楽坂のように黙ってくれるかとかんがえているのだろう。
 ひどく先生との間に温度差を感じた。

 はあ、とわたしはため息を一つ吐く。
 びくりと先生が反応した。
 なんか、この先生はどうしようもない勘違いをしているようだ。

「ばれるとやっぱりまずいんですか?」
「は、はい。ぼくは修行中なので、試験には失敗してしまいますし。それに魔法のことをばらしてしまうとオコジョにされてしまうんです」
「……オコジョ?」
 また変な単語が出てきた。
 詳しく話を聞くと、魔法使いであることが一般人にばれた場合、その罪に応じた期間オコジョに変身させられてしまうらしい。
 こっちで言うところの牢獄か保護観察ということなのだろうか?
 よく分からないが、罰する際にそんなとんでも現象を引き起こすというのはなかなかすごい。

「そのわりには魔法を控えようという感じではありませんね。初日の宮崎で神楽坂にばれて、二日目は薬を飲んでいたでしょう? ……ほれ薬か何かですか。それにドッチボールをはじめとして神楽坂たちがずいぶんと楽しい目にあっていましたよ」
「えっ……はい。気をつけてはいるんですけど」
 嘘つけ。

「それに……先生は神楽坂の記憶を消したりはしなかったんですね」
「記憶ですか」
「魔法使いなんだから出来るんでしょう?」
 こちらの魔法に記憶消去がないなら、この世界はもう少し危険なものになっているはずだ。

「で、出来ます……でもアスナさんの記憶を消そうとしたら失敗してしまって……」
「ああ、やっぱり試してはいたんですね」
「はい、記憶じゃなくてパンツを消してしまって……」
「……………………そうですか」
 わざとだったらぶん殴っているところだが、沈んだ顔を見る限りどうやらマジらしい。こいつはわたしに真剣な話をさせてくれる気がないのだろうか。
「先生、それで?」
「それで?」
 無言でいる先生に続きを促す。だが先生はなにを言われたのかわからないようで、首をかしげた。

「記憶を消すのに失敗したんでしょう。それはいいとして、そのあとどうしたんですか?」
「……えっと、アスナさんとお話して、それで事情を話して……」
「話したんですね? 魔法について」
「えっ、は、はい」
 口調が荒くなった。
 予想通りだった。想像通りの答えをされて、わたしは一瞬言葉を失った。
 想像通りであったからこそ、そんな答えが返ってきたことに続く言葉を一瞬失った。

「……先生、あなたは結局何が出来るんですか? 空を飛べますか? 火を出せますか? 割れたガラスを直せますか? 人を傷つけることが出来ますか?」
「えっ……その」
 思考を切り替えて質問をする。
 先生もわたしの雰囲気がいつもと違うことに気づき始めたのだろう。驚いたようにわたしの顔に視線を固定している。
「宮崎を浮かせられるんなら、空を飛べたりもするんですか? ほれ薬を作ってましたが、ほかの薬を作ったりもできるのですか?」
「は、はい。杖があれば飛べます。それに薬も時間があれば……」
「じゃあ、充分じゃないですか」
「……充分?」
「普通の人間をどうとでもできるということです。いやそう言う問題でもありませんね、そもそもあなたには腕が二本ついている。魔法を使えば神楽坂だろうが無理やりでも拘束できるでしょう? 魔法が失敗しようが、ほれ薬を作れるならそれなりの思考操作薬だって作れるでしょう。ねえ先生。一度失敗したくらいで、なぜあなたは神楽坂に事情を話したのです? なぜなにもしなかったのですか?」
「……なにを言ってるんですか、長谷川さん」
 わたしの口調にコナくさいものを感じ取ったのか、硬質な声色が返ってきた。

「先生、あなたは立派な魔法使いを目指しているといいました。魔法ってのはばれたらまずいのでしょう。魔法はばらしてはいけないのでしょう。一度失敗すれば二度目を試せばいい。呪文が利かなかったなら薬を使えばいい。そしてあなたがどうしても記憶を消せないというのなら、その次に行うべきは事情を話すのではなく」
 一拍黙った。わたし自身も口にするのに勇気がいったからだ。
 だが黙っているわけには行かない。わたしはこの問いをこの世界の魔法使いに投げかけるために、わざわざ深夜に男を連れ込んだりしてるのだ。


「――――あなたは神楽坂を殺してでも秘密を守るべきだったのではないですか?」


 さすが魔法の国からやってきた天才少年というべきか。予想通り、その言葉に恐ろしいほどの眼光が帰ってきた。
 その雷光がともる瞳を見つめ返す。
「怒ってますか?」
「当たり前ですっ! なんでそんなことを言うんですかっ。訂正してください」
 ほんの少しの安堵感。だがここで、訂正する気はない。

「わたしの意見は変わりません。記憶を消せないし、人に言えないというのなら、先生は神楽坂を、そしてわたしを殺すべきでした。魔法とはそういうもの魔法使いであるとはそういうこと、魔法使いの責任とはそういうもののはずでしょう」
 宮崎を助けた人間に対して言うにはバカげた煽りだったが、十分に効果があった。
 思ったとおりガキが反論する。

「そんなことありません。マギステル・マギは――――」
「じゃあ誰かに言うべきでしょう。オコジョになろうが、投獄されようが言うべきです。あなたの言うマギステル・マギとはただの称号なんですか? 名さえあれば、実が伴わなくともそれで良いと?」
「そんなはずありませんっ!」

「だけどあなたの行動はそう言ってはいないようです。神楽坂にばれてあいつが秘密を守るといったらそれで円満に解決するのですか? 魔法がばれるという罪は、人にばらしたときに発生するはずでしょう。“神楽坂が黙るから”もなにもありません。神楽坂にばれた時点であなたは罪を償わなくてはいけないはずです」
「でもばれてしまったあとに、アスナさんにはきちんと説明しました。アスナさんはぼくを手伝うっていってくれて、黙っていてくれると約束してくれたんですっ」
「それは問題ではありません。得体の知れない魔法使いに詰め寄られて、そいつに対して世界中にばらしてやるなんて恫喝できるやつのほうが少数です」
「どうしてそういうことをいうんですか、長谷川さん。ぼくはアスナさんときちんと話をして、その上でちゃんと謝って……」
 ぶつぶつという先生。
 やはり子供だ。わたし以上に。

「先生。わたしはよく知りませんが、あなたは修行でこの学園にきたといいました。では学園にはあなたの上司がいるのでしょう? いや、学園にいなくとも修行の後始末をするべき人がいるはずです。知られたくない人に知られたのなら、その人に頼めば記憶を消すことが出来たはずです。それを選択しなかったのはあなたがばれることを恐れたからではないのですか?」
「……だから言ったじゃないですかっ、ぼくはアスナさん本人と話し合ったんです!」
「そう。先生は話し合っただけでしょう。先生は神楽坂にばれたあとに“魔法使い”として行動はしていない」
「……言ってる意味がわかりません。ぼくはきちんとアスナさんと話し合って、責任を取るといいました」
 強情を張る先生だが、わたしとしては納得できない。
 ルビーに習ったわたしの常識と、先生の常識がかみ合わないのを感じる。

 お互いに言っている意味はわかるのだ。
 先生はばれた代償として神楽坂と交渉し、そして彼女から黙秘の言質を勝ち取った。そこで魂にギアスの一つでもかければ対応としては十分だろう。
 だが、違う。わたしが最も間違っていると感じる部分。それは神楽坂に対して受動でいることのただ一点。

「逆です先生。どうも勘違いしているみたいですけど、わたしは神楽坂にばらしたあなたを怒っているわけじゃないんです。魔法使いがどんなやつらだろうと、ばれることはあるでしょう。ばらしたり、ばれた後に仲間に引き込むこともありえるでしょう」
「……だったら問題ないんじゃ…………」
「でも、先生は神楽坂に選択させただけでしょう。あいつにばれたから、あいつに説明して、あいつに決めさせただけです。でもですね先生、言いたいことわかりますか。神楽坂にばれて神楽坂に聞いて神楽坂が決めて神楽坂が許してあげるといったとしても、結局、あいつは魔法使いではないんですよ?」
「えっ?」
 意味がわからないという顔をした先生が疑問符を口にする。
 わたしはそのぽかんとした顔を見て、はあと深く深くため息をついた。
 先生を睨みつけ、胸倉をつかみ、顔を突き合わせる。


「――――まだわかんねえのか。わたしが怒っているのは、あいつを巻き込んだままでいることなんだよ。巻き込んで、薬を盛って、騒動起こしておいて、ぼけっと笑ってんじゃねえぞっ、このくそがき!」


 ルビーに巻き込まれ、魔法の世界にかかわった長谷川千雨。そんなわたしだからこそわかるこいつの矛盾。
 ここまでぶっちゃけたのだ、年下のガキ相手に敬語も要るまい。

「説明しようとして説明するならいいだろうさ。ばれた後に魔法という秘密を隠すのを嫌って事情を説明したってんならそれはいい。だけど先生の行為は、ばれた挙句の足掻きだろう? 記憶を消そうとして失敗して、魔法の騒動に巻き込んだあげく状況に流されて、それで丸く収まったからってそれに甘えてるだけじゃあねえか!」

 かぶっていた猫を取っ払いぎろりとにらみつけた。
 秘密を守るのは絶対というのなら、それを徹底すべきなのだ。
 そりゃ、さきほど煽ったものの、実際にここで先生が神楽坂を殺そうとしていたなどとほざけば、わたしはこいつを許せなかった。

 先生は魔法使いにしてはいい人だ。それは認めざるを得ないだろう。
 しかし。しかしだ。
 先生は自分の行為に責任をもてていない。すべてがたまたま丸く収まったというだけだ。
 先生の対応はわたしの考えとはずれすぎた。
 先生はぽかんとした顔を見せたままだ。

「魔法が秘匿されているのはなんでだ? それはそれが厄介ごとだからで、それが厄介ごとを呼ぶからだ。先生、あんたに神楽坂を巻き込んでそれでよしと決める権利はないはずだ。そりゃ神楽坂は事情を知って協力するといっただろうさ。記憶を消すことを拒んだはずだ。だけどな先生、それは当たり前のことなんだよ。百人いて百人、千人いて千人。たとえ百万人に聞いたって秘密の世界の事情を聞かされて、厄介ごとがあるからといってそれを忘れることを願ったりはしねえんだ」

 わたしがルビーから事情を聞くことを願ったように、人は無知を歓迎しない。
 すべてを忘れて眠る道を示されて、その道を選べるような賢者なんてのはそういない。
 人は赤いキャンディーを選べない。

「べつだん“まだ”ひどい目にあったわけでもないやつが魔法なんてものを聞かされて、その記憶を消して忘れさせてくれなんていうと思うか? 魔法使いはご自分の高慢がたたって気づいていないようだが、あんたらは“魔法使いより上の存在”に同じように忘れることを迫られてそれに素直に頷けるのか?」

 そんなことありえるはずがない。自分が管理するものと当たり前に捉える生き物の醜悪さ、汚れたくないとすることでさらに汚れるその心。それをわたしは知っている。

「神楽坂が先生のことを黙ってくれたのはあいつの性根が善人だからだろうけど、神楽坂が記憶を消すのを良しとしなかったのは、その行為がただ単純に受け入れられない行為だったからだ。だからこそ“そういう行為”は魔法使い側が無理やりやらなくちゃいけないはずだ。無理やり監禁しようが、あんたがやろうとしたように問答無用で記憶を消そうが、心を力ずくで縛ろうが……最後の手段で殺そうがな」
「っ!? そんなはずありません。魔法使いだからってなにをしてもいいわけじゃないですっ」

「あほか。逆だろ魔法使い。お前の方針は知らないが、てめえは一度神楽坂の記憶を消そうとしたと自分で言ったんだぞ。一度その行為に手を染めた以上、なにをしてでもいいから責任を果たさなきゃいけないんじゃないのか? お前の行為は行き当たりばったりすぎんだよ。力を持っている以上責任を果たすのは持つ側だ。自覚しろよ。魔法使いとそれ以外は平等じゃないんだろ。“知られたら駄目”なんてルールを作っといてキレイごと抜かすな」
「で、でもそれは……」
「ほれ薬をつかったよな。あれは魔法使いにとっては笑い話ですむのかい? 修行中の魔法使いが片手間に作って遊びで飲ませて、ほんのひと時、一回分の話のネタで終わるのかい? だがな、お前らにとっちゃあそれで済むかもしれねえけど、普通の人間にとっては毒よりも百倍やばいよ。誰が好き好んで心を操られたいと思う? 人を好きになるとか嫌いになるとか、そういうのをたかが試験管一本分の薬でどうにかされたらたまらない。悪気があろうとなかろうと、相手がイケメンで優等生で善人だろうと、両想いで告白前の中学生だろうと、それは魔法使い以外の人間にとっては無理やり豚に愛をささやくようにさせられるのと何一つ変わんねえんだ。わかるか先生? 魔法ってのはきれいごとで済ますにゃあぶち抜けすぎてんだよ。技術としてな」
 黙った先生にここ数日の鬱憤を晴らすように言い募る。

「バレなければいいとしているなら、それを割り切れ。ばらしたら巻き込む腹積もりなら、せめてその結果を考えろ。中途半端な対応ばっかり続けるのが一番たちが悪いんだ。ばれないようにして、ばれたら話せばいいだなんて最低だ。
 人間の心をもてあそぶならそれに責任を持て。悪いことだと割り切った吸血鬼のほうが、遊び半分でやられるよりはるかにましだ。あんたが罪を受ける覚悟で神楽坂を巻き込んだことを大人の魔法使いに言っておけば、最悪神楽坂が巻き込まれたままでいることは防げたはずだ。あんたはただ自分がオコジョになりたくないからって、そういう世界に神楽坂を巻き込んだままでいるんだぞ」
「ボ、ボクはそんなことは……で、でもぼくはちゃんと魔法学校に通って勉強をして……それで……長谷川さんは魔法使いじゃないのに……」
 泣きそうな声を上げて、稚拙な弁明を口にする。自分自身でも納得できていないのだろう。言葉はだんだんと尻すぼみになり、わたしにも先生自身にも聞こえないほどの音量となった。
 ちっ、と舌打ちをして黙る。このまま泣かせたら話が進まない。

 先生は泣きそうな目をしたまま何かを言おうと口を開き、すぐに閉じる。
 わたしはその雰囲気を感じ取り、ギリと歯を鳴らした。
 ある言葉を口にするのをためらったのだ。
 先生に対して、先生が魔法使いであることを知っていると告げたのは、しょうがないとあきらめていたことだった。
 だが“この言葉”は出来れば黙っていようかとも考えていた。

 だが、
 だが、ここまで話したのだ。
 いわないでいれば、それはわたし自身が自分の言葉に責任をもてなくなる。
 あーくそやってられねえ、やっぱり絡むんじゃなかったか?
 だがこのまま先生を無視し続ければ、先生かわたしに手痛いツケが回っていたことは想像に硬くない。
 衝動でばらすなんて馬鹿げているが、わたしは今回はその衝動に任せることにした。
 わたしは観念して口を開く。

「先生、わたしはもぐりの魔法使いなんだ」

 言った瞬間からもう言うべきじゃなかったのでは、と後悔が襲うがもう遅い。
 気を落ち着けて言葉をただす。
 ばらさないばらさない言っておきながら感情に流されてこの様だ。ネギのことを責められるものじゃないし、あとでルビーにどれほど説教をされることやらわからない。
 わたしはベッドサイドにおいてあってロウソクを手に取った。ルビーから渡されている魔術練習用の小道具だった。
 先生はまだわたしの言葉の意味がわかっていないのか無言のままだ。
 わたしは先生に見えるようにロウソクをかかげ、己の魔術回路に対する文言を口にする。
 当然日本語。特別性をもたせるために、ドイツ語を用いることを勧められたが、わたしはかっこつけで外国語を使えるほど賢くない。ドイツ語の意味を取れるようになるだけで数年がかかってしまうだろう。
 魔法はどうだかしらないが、魔術は自分に対して唱える呪文だ。最低限意味さえ通じりゃそれでいい。
 アメリカの魔術師が英語で呪文を唱えるように、ドイツ系に系譜を持つ魔術師がドイツ語の魔術を唱えるように、わたしは日本語で火を灯す。

【――――灯れ】

 ただ一言、日本語でワンワード。
 ボッ、とわたしの手から火の粉が上がり、ロウソクに火がついた。
 先ほどの言葉に目を丸くしていた先生が驚きの声を上げ、愕然とした顔を向けてくる。

「わたしは魔法についてはほとんど知らない。だけど、その心得だけはずいぶんと学ばされていてね。魔法そのものよりも重要だからだってな。黙っているつもりだったし、本当は先生にも言うつもりはなかったけど言っておく。わたしの言葉を“真剣に受け止めてもらいたいからな”」
「し、真剣……ですか?」
「あんたがこれ以上ふざけた真似するならわたしがあんたにして何かしらするってことだよ。わたしは一応クラスメイトとしてあの連中とずっと一緒にいたんだ。先生とあいつらならあいつらを選ぶよ。殺しはしたくないけどさ」
「……」
 ふん、と鼻を鳴らした。先生はその言葉を無言で聞く。

「魔法使いとして生きるなら、それなりの決意を持つべきだ。わたしはもぐりであんたら魔法使いについてはまったくといっていいほど知らない。先生のことを知ったのだって、先生が黒板消しを浮けとめたってのをきいたからだ。だけどここ数日で先生の行った行為はどれもこれも最低だってことはわかる。ばれなければいいというものではないだろう? 肩書きじゃなく、本心からその偉大な魔法使いとやらになりたいんだろう。
 だったら、まずあんたは自分のやったことを上司でも監督役でも同類の大人に告白するべきだ。オコジョになるなんていう罰がどれほどのものかは、わたしにはまったくわからない。だけど、それが魔法使いの法で決まっているというのなら、最低限それに従わなくちゃあ、すでに犯罪者と一緒だぜ。犯罪を被害者の妥協から隠蔽し続けているようなものなんだぞ」
 そう、わたしが言いたかったただ一点。


 この先生が神楽坂から許しを得ただけで“罪を許された気になっている”ということだ。


 そんなはずがない。
 被害の罪は受け手の許しによって罷免されるが、行為に対する罰は被害者の有無とは関係無しに発生する。

「こうしてシステムが出来上がっている以上、責任はあんたが取らなくちゃいけないんだよ。あんたら魔法使いがわたしら一般人の法律を無視できるって言うんなら最低限魔法使いどもが自分で決めたルールくらいは受け入れろ。十歳からでも罪を負わされるのが、魔法使いという化け物に対してのせめてもの枷だというなら、たとえ日本の法律で定められていなくても罰を受けろ。オコジョだとか言ってたが、それが人に魔法をばらしたときの罰として設定されているなら、あんたはそれに従うべきだ」
「そ、そんな……」
 オコジョごときなら安いものだろう。ルビーの世界とやらならそのような場合掛け値なしで殺されるはずだ。

 わたしの言葉に先生は一応わたしが言いたいことを感じ取ったようだ。
 先生は途中からうつむいてしまい、その姿のまま、肩を震わせている。
 ぽたぽたと涙のあとがフローリングに落ちているのが見えた。
 泣くなよ、ガキが。

「――――話はそれだけです。お時間取らせてすいませんでした」

 そういって立ち上がる。さっさと帰れという合図だった。
 十歳児をここまで苛めていたのだ。
 文句をつけるだけのはずが、言葉が止まらなくなり、その言動にいまさらながらわたし自身も吐き気がするほどの自己嫌悪を感じていた。
 知ったかぶりのトーシロがどこまでえらそうなことを言っているのか。

 だが、わたしはネギ先生に罪を償わせたかったのだ。
 こいつのやった行為、こいつの立場。わたしはこいつがこのまま罪を受けずにいることが耐えがたかった。
 その結果の行動がこれではざまあない。
 社交性のなさにあきれ果てるが、わたしは昔からこうなのだ。狼少女と馬鹿にされて、そのまま妥協を選ばずに、ネットの世界に逃避した引きこもり。自分の頭の悪さに泣けてくる。

 本来わたしの代わりに誰かがこいつに言うべきだろう。半人前以前のわたしがこうして先生に説教じみたことをするのは偽善がすぎる。わたしはここ数日の先生の行為に対する苛立ちを解消するため、ただ鬱憤を晴らしただけなのだ。そしてそれが半ば自覚できるから手に負えない。
 だがここで一言でも先生に謝っちまえば、わたしは偽善者ですらなくなり、ただ鬱憤を晴らしただけの屑で終わる。
 意地で無言を貫いた。

 先生はふらふらと立ち上がると、震える声でありがとうございました、という言葉を発した。
 ここでこんな台詞が言えるところはやっぱり子供だ。そしてとてもすばらしいと思う。
 もちろんわたしにはそんなことはいわず、どういたしまして、とだけ言葉を返して先生を玄関まで送る。

 玄関まで来ると先生は立ち止まった。
 ドアの先に視線を固定し、声を振るわせて言葉をつむぐ。


「――――長谷川さん。ぼくはマギステル・マギになる資格はないのでしょうか?」


 それはわたしにはわからない。
 こいつの生きる目的だったよりどころ。それを破壊されていったいどんな気持ちなのか。
 だが順当に考えれば、先生は教育実習生の立場を解任させられたて、魔法の学校だか魔法の国とやらに送り返されることになるだろう。
 マギステル・マギとやらが名誉称号のようなものならもう望みはあるまい。
 即日拘束されるのか、自首なら数日の余裕があるのか、2-Aの面子のことを考えると、お別れのパーティーくらい行わないとまたぞろ騒ぎ出しそうだ。

「わたしに聞いてもわかりません。わたしはただのもぐりの魔法使いの見習いですから」
「そうですか……ああ、長谷川さんも魔法使いだったんですよね」
「マギステル・マギもオコジョの刑も知りませんでしたけどね」
「でも、責任については知ってました。ぼくは、ぼくはメルディアナ魔法学園というところを卒業して、この学校に卒業後の修行というかたちできたんです。卒業後の課題がこの学校で先生をやることだって言われて……」
 ルビーの言ったとおりか。2-Aはこいつの試金石に使われたということだろう。

「でもぜんぜんわかっていませんでした。ぼくはマギステル・マギになりたくて、お父さんみたいになりたくて……それだけを考えて頑張ってきて…………だから……」
 声が振るえがひどくなり、言葉が言葉の意味をなさなくなった。
 絶望で潰れそうな声だった。何もかも希望を失ったような声だった。
 わたしは話を終えたつもりだった。これ以上言ってしまっては、わたしは私の領分を越えてしまうと感じていた。
 だがわたしは反射的に、そのままふらふらと玄関から出ようとするネギを呼び止める。
 さすがに放ってはおけなかった。

「どんな人間だってそのマギステル・マギを目指してはいけないということはないでしょう」

 先生が振り向いた。
 自分の甘さに舌打ちしそうになり、それをこらえる。この台詞はわたしのようなもぐりの半人前がいうべきことではない。わたしはマギステル・マギがなんなのかすら知らないのだ。
 ルビーの言を信じるならば先生の周りに魔法使いがいないはずがないのに、こんな役回りを自分がやっていることに疑問を感じる。

 わたしはただの傍観者。思いのたけを吐き出して、魔法使いというシステムに文句を言うことが出来ないから、先生に八つ当たりしただけだ。
 先生は玄関の先で泣きそうな目をこちらに向けているままだ。
 それにどうしようもなく心がうずいて、気がつけばわたしは口を開いていた。

「わたしはあなたたちが嫌いです」

 びくりと先生が震える。
 素直に慰めることが出来ない性分だとしても、これはさすがにやりすぎたと自覚するが、止められない。

「わたしはあなたたちの考え方が嫌いです。あなたの行いも、話に聞く魔法使いの行いも、立派だとは思いません。わたしは魔法使いとは無縁に過ごしてきました。だからこそ、魔法使いという常識を当たり前のように受け入れている“貴方たち”のことは無条件で好きになれません。だからきっとわたしはあなたたちの言うマギステル・マギだろうと尊敬は出来ません。秘密裏に人を助けることを善とするあなたたちの思考が許せません。わたしみたいなのにいきなり罰を受けろといわれて、正直に受けに行こうとしている先生は、周りの魔法使いから立派だといわれるかもしれません。だけどそれは立派ではなく、当たり前のことです。だから今、わたしはあなたを立派だともえらいともいいません」

 サディストの変態かわたしは。
 いちいち台詞にびくつくネギ先生。
 こういうときに素直に慰めが言えないわたしの性格に嫌気がさす。だがおためごかしの嘘は言いたくなかった。
 だけど、と呟きわたしははあ、と息を吐く。
 天井を仰ぎ見て、手で顔を覆った。自分自身にあきれ果てたためだ。

「でも、先生。最初に言った言葉は訂正するよ。あんたを最低といったのは悪かった。ありゃあ言いすぎだったよ」

 えっ、とつぶやき先生が顔を上げた。
「先生。失敗しないで生きると歪になるとかさ、これもよい経験だとかさ、そういうありがちなのは言わないよ。だけどわたしは、魔法使いの長谷川千雨も、普通の人間として生きてきた長谷川千雨もいまこうして泣いているあんたを見て、ざまあみろとは思わない。だから……そうだな、なにいっても素直にゃ受け取れないだろうけど、まあこれで人生が終わりってことはない。あんたはわたしと同じでまだガキだ。にっちもさっちも行かなくなったらわたしが力になってやるよ。さっきの台詞じゃないけれど、先生がどうなろうと、部外者の分際で先生をこうして煽った以上、相談くらいはのってやる。だからさ……。うん、まあなんだ。……そう、泣くなよ」
 肩をすくめた。
 こんな言葉はなにを言っても罰を受けないものからの散漫になる。
 聞いてもムカつくだけだろう。

「……ありがとうございます、千雨さん」
 だからこの返事にはさすがに言葉に詰まった。
 お人よしにもほどがある。先生はなぜかわたしに感謝の言葉を投げかける。
「お礼を言われる筋合いはありません。わたしはあなたに文句を言ってここ数日の鬱憤を晴らしただけですから」
「……」
 だが先生はぺこりと無言でもう一度頭を下げた。
 さすがに、ここまでされた感謝の念を意固地に受け取らないような真似をするほどガキではない。とくになにも言わず、その礼を受け入れる。
 そして二人ですこし黙り、先に口を開いたのは先生だった。
 涙声で、鼻水をたらして、みっともない顔をして、それでも気丈にあろうとするその姿。
 すこしだけわたしの心を動かしたことにはまったく気づかず、先生は口を開く。

「あ、あの。ぼ、ぼくがオコジョになって……罰を受けて、それが終わってどうなるかは分かりませんけど、そうしたらまた話を聞いてもらえますか?」
 ボロボロと涙を流しながら先生が言った。
 ただの泣き言、負け犬の縋り声、いまこの瞬間にわたししか縋るものがいないから衝動的にいったに決まっているその言葉。

 相談に乗るとわたしは言った。魔法使いの世界でオコジョとやらがどれほどの罰かは分からないが、わたしはわたしの考えにだけ従うと決めている。だからこいつの話を聞くといった以上、こいつがどうなろうとその決定は変わらない。

 きっとネギは教師の役目をとかれることになるのだろう。
 きっとこの半人前の魔法先生とは、これでもうお別れだろう。
 どの程度の罪になるかなんてまったく分からないが、すぐに帰ってこれるようなものでもあるまい。そもそもこいつは日本がホームというわけではないのだ。もう一度日本に帰ってこれるかも怪しいだろう。
 わたしが卒業する前に戻ってくることが出来るかどうかも怪しいだろう。
 もう一度会えるかどうかも怪しいだろう。

 安請け合いは出来ない。
 適当な返事は出来ない。
 だけど、わたしはこいつの望む言葉がなんなのかがわかってしまう。
 思い返すはルビーの言葉。

 ――――間違っていると思うならあなたが正せばいいでしょう。怒りなさい、殴りなさい。そして、

 責任だとか、なんだとか、そんなことは関係なくわたしの口が勝手に開き、


「――――――ええ、頭をなでて抱きしめてあげますよ」


 気づいたらわたしはそんな言葉をいっていた。




[14323] 幕話7
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/01/16 23:18
 頭をなでて抱きしめてあげますよ、と千雨さんはうっすらとした笑みを浮かべながら、ぼくにそういってくれた。
 とても怒っていたのに、ぼくに対して失望していたのに、彼女は最後にはそういってぼくを送り出してくれた。
 玄関から出て、すでに日も変わった深夜の廊下。人っ子一人いない場所で、ぼくは涙をぬぐった。

 千雨さんにこれ以上失望されないように、ぼくは学園長室に向かった。
 足取りは重かった。逃げたかった。だけど、千雨さんの言葉がぼくを縛る。
 ばれることの償いはオコジョの刑。アスナさんを巻き込んだのはぼくの責任。
 それは罰せられなくてはいけないことだという彼女の言葉。

 それは、あまりにもっともだった。


   幕話7


 夜の寮。ぼくはアスナさんたちを起こさないようにこっそりと、学校へ向かった。
 泣きはらしていたし、時間をおいてアスナさんに今回のことがばれるのは、余計に巻き込んでいるような気がしたからだった。
 ぼくはほんの数日だけ住まわせてもらったアスナさんと木乃香さんの部屋を出る。

 もう戻ってくることはないだろう。
 もう戻ってくることは出来ないだろう。
 もう帰ってくることはないだろう。
 もう帰ってくることは出来ないだろう。

 アーニャにはなんといわれるだろうか。
 お姉ちゃんにはなんといわれるだろうか。
 それを考えると心臓が痛くなる。逃げたくなる、泣きたくなる。
 でも逃げてしまえば、その痛みはもっともっとひどくなる。

 ぼくは痛みを振り払うように、ほうきに乗って夜の街を学校に向かって全力で疾走する。

 学園はまだ所々の校舎に明かりが灯っていたけど、中等部に入るとほとんどの部屋の電気が消えていた。
 目を凝らせば、そこは宿直室と学園長室だった。
 誰もいないなんていう結末は否定され、ぼくの未来がそこにある。
 ぼくは宿直を免除してもらっているので、宿直室には入ったことはないが、一応ばれないように足を進める。
 隠遁の魔法は使わなかった。
 誰にも合わずに目的の扉の前までついた。
 息を一つはいて、体を落ち着ける。
 もう後戻りは出来ない場所だ。

 こんこん、とノックの音が廊下に響く。
 数日前にアスナさんを伴って入った部屋。
 入り口には大きく麻帆良学園の学園長室とある。

「失礼します。ネギ・スプリングフィールドです」

 入室を許可する学園長の言葉を聞いて、ぼくは自分の罪を告白するために扉を開く。


   ◆


 魔法使いであることの罪とはなんだろう。今まで真剣に考えたことのなかったことを考える。
 千雨さんはいった。
 アスナさんを巻き込み、そのまま惰性とアスナさんの温情で生きる罪についてを語られた。
 納得は出来ない。でも理解は出来た。

 正直なところを言おう。ぼくはいまだにそれがどれほどの罪なのかわからない。

 メルディアナ魔法学校卒業生、ネギ・スプリングフィールドとして考える。
 ばらしたことは罪だが、アスナさんが知ったことは罪ではないとぼくは習った。
 だが千雨さんは違った。
 もぐりの魔法使いであるとぼくに告白した彼女は言った。
 ばらしたことではなく、アスナさんが知ったままでいることが許されない、と。

 ぼくはアスナさんに魔法使いであることを知られてしまった。
 千雨さんはアスナさんがそれを知ったままでいることをとてもとても重視していた。
 でも、魔法使いが誰かにその存在を知られることは別段おかしいことではないのだ。

 そのために広域に魔法結界が張られている。そのために魔法使いはまず隠蔽や人払いの魔法を習う。ばれたときにどうするかを習い、気づかれたときになにをするかを教えられる。
 だから、本来は魔法使いであることを知った人がいた場合、それを黙っていてくれるならば許されるというのは道理に適ったことのはずなのだ。

 だけど、千雨さんはそうは考えていなかった。
 彼女は言った。魔法使いという力について、魔法という力について。
 彼女は自分でも意識していなかっただろう。
 彼女は自分が魔法使いであることをぼくに言った後、会話の中で言ったのだ。


 ――――魔法使いという化け物、と


 そんな、生まれたときから魔法使いに囲まれていたぼくの価値観を覆す一言を。
 人に正しいことを言われてもそんなことをいきなり真に受けて心が変わるようなことはない。
 人間の心とはそんな単純ではないし、人の信念とはそんなにすぐに変わるものではない。
 一晩二晩の問答や、一言二言の門言では人間は変わらない。
 心に残る言葉も、心に突き刺さるような文言もそれが心を動かし続けることはありえない。

 だけど知識と行動は別なのだ。

 魔法薬を作り、騒動を起こし、魔力を暴走させて、騒動を起こし、迷惑をかけた。
 それは事実。
 ぼくがアスナさんを巻き込み、そのまま惰性でアスナさんを巻き込み続けている。
 それも事実。
 だから罰を受けなくてはいけないという道理もきっと事実だ。

 ぼくは千雨さんの言葉を正しいと思った。千雨さんに言い負かされてぼくの愚かさを知った。
 でもぼくの心はまだマギステル・マギという言葉にとらわれていた。
 千雨さんの言葉に納得し、罰を受けに行くと決めた。
 だけど、それでもただあの問答だけをしたならば、ぼくはぼくの未熟を悟っただけで終わっただろう。
 ぼくはやっぱりマギステル・マギを無条件で尊いものと考えていただろう。

 それが壊れた。
 千雨さんの言葉で壊れた。
 千雨さんの言葉で壊された。

 彼女は何一つ甘い言葉を言わなかった。
 僕ら魔法使いを嫌いだといい、僕ら魔法使いを化け物と呼称した。
 薫陶を授けるようなことは一切吐かなかった。
 すべては彼女の印象からつむがれる言葉で、すべては彼女の主観から語られる言葉だった。
 だが、だからこそ、それはぼくの信念と心に残るものだった。

 魔法使いを化け物と呼ぶ彼女と話し、ぼくは自分の持つ辞書の中、魔法使いについての項目に言葉を足した。
 魔法使いはなにをしてもいい、なんて断言する彼女に言われ、ぼくはそのような考えが存在することを強く刻んだ。

 それはほかの誰かに言われた言葉なら、無視してしまうようなことだった。
 それはほかの状況で言われたなら、きっと聞き流してしまうような言葉だった。

 だけど、千雨さんはそれを言いながら泣いていた。
 怒りで震え、憤りで泣いて、誰にも話す気はなかったといいながら、人付き合いが苦手そうだとアスナさんに評された彼女は言った。
 ぼくに対して話してくれた。
 ぼくには正解がわからない。
 ぼくの答えはぼくが決めるべきことだが、ぼくの立場はぼくが決めてはいけないことだ。
 ぼくは未熟で、千雨さんもやっぱり未熟で、だからぼくにやるべき道を示しただけで、その行為を終えていた。

 ぼくを怒り、ぼくの行動を怒り、ぼくの考えに怒った後、彼女はただぼくの行動だけをうながした。

 だからその終着について、ぼくは学園長にゆだねよう。
 扉をノックし、ぼくは部屋に足を踏み入れる。
 責任を取れと彼女は言った。
 それは正しい言葉だとぼくは思った。
 だからぼくはそれを受け、こうして彼女のやさしさを無駄にしないためにここにいる。
 間違ったことをするわけじゃない。ただ責任を取るだけだ。
 それでぼくがどうなるのか。それはぼくがマギステル・マギになる道を閉ざすものかもしれない。
 だけど、もうぼくは知ってしまった。
 予防に腐心するのは善行だが、行為の隠遁に奔走すればそれは悪行。事態が自然と収まるまで身を潜めれば、それは怠惰と避責の罪となる。

 このままではどの道千雨さんに認めてもらえることはないだろう。
 大丈夫。罪があるなら罰を受けよう。報復ではなく償いのための罰ならば、それを受けてもう一度千雨さんに謝ろう。
 終わったら話を聞いてもらいたい。抱きしめてもらいたい。頭をなでてもらいたい。そして、認めてもらいたい。

 千雨さんはぼくに約束してくれた。
 ぼくがこれから起こることに対する悲しみと恐怖に震えながらも、笑顔を浮かべていられるはきっとそんな単純な理由からなのだ。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 記憶の代わりにパンツを消す相手とまじめにFate的会話をするとこうなる。
 ただ、Fateの基準で説教しても、ここのフィールドはネギまなわけで、ネギくんの主張もおかしいわけじゃありません。説教とネギくんの反省がずれているのも意図的です。
 あと原作のゆるさや、コメディ的なところもネギまの良さなので、この話ではFateクロスだからって登場人物がまじめになったり、学園のシステムが変わったりしません。あくまでベースはネギま。ただ突っ込みがはいるのでこうなります。
 あとネギ君はVIP中のVIPなので、ここからさきネギくん放浪編になったりもしません。今回はぶっちゃけると、未来にフラグを立てるだけの話です。
 一応習作なので、勉強のため幕話はなるべく三人称で書くつもりなんですが、今回は妥協。というか今回も妥協。展開的なものもありますが三人称はやっぱり苦手です。




[14323] 第9話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:37
 夜の帳が落ちて早数時間。
 わたしはまだ眠れずにいた。
 何も不思議なことはない。明日は休日だし、わたしはいつもはもっと夜更かしをしている。
 ネットアイドルとしてチャットルームにいたり、いろいろと内職をこなしたり。
 だが今日はなにもせず、ベッドに横になりながらマンジリもせずただ思考のみを働かせていた。

 そう、わたしが考えるのは一人の少年、魔法先生のネギスプリングフィールドのことだった。
 ネギ先生にえらそうな説教をたれて数時間。
 なにをすることもなく、わたしはただぼうっと天井を見つめている。
 自分の言葉を思い返し、その薄っぺらさに苦笑して、その結末を自問する。
 先生は罰を受けにいった。
 それは先生の所為だが、わたしが引き金を引いたことだった。
 まあ、いつかはどの道こうなったはずだろう。
 わたしが行ったのはそれを早めたに過ぎない。
 だからその所為で先生が先生を辞めることになるとか、オコジョにされるとかを気に病んでいるわけではない。
 わたしがいま最も悩んでいること。
 それは、

「…………ネギ先生、ねえ……」

 こうして名前をつぶやいた瞬間に起こる、ホンのわずかな頬の熱だったりするわけだ。


   第9話


「いや、惚れてるわけじゃないけどさ」
 誰に対しての言い訳なのか。
 熱を持った頬に手を当てて、わたしはつぶやく。

 抱きしめて頭をなでてあげますよ。

 あの台詞はねえよなあ。恥ずかしすぎる。どれだけえらそうなことを言ったのか。
 ルビーのあほめ。お前がわたしにへんなことを言うからそれを真に受けて雰囲気に流されてしまった。
 ネギは今頃学園長室か?
 あいつはいきなり強制送還でもされるのだろうか。
 そうしたらこっちの教職はどうするんだ。教育実習といっても消えて誰も騒がないわけではないだろう。あいつは無駄に人気もあった。
 ルビーやエヴァンジェリンがいうには、あいつはどこぞの魔法学校の卒業生。首席らしいが、魔法の学校というのはさすがにこちら側と違い生徒が少ないらしく、卒業生は全五人。
 その中で主席というのがどれほどすごいのかは微妙なところだが、飛び級もしたらしいし、あいつの話している日本語も魔法ではなく自前の脳みそらしい。
 魔法についてはまだわからないが、頭のほうは天才に違いない。

 まさかこの世界に魔法学校が建っているわけではあるまい。
 もしかしたらこちらの世界に隠れて存在しているのかもしれないが、まあ順当に考えれば魔法の国からやってきたのだろう。
 魔法の国からやってきた、ちょっとチャームな男の子といったところか。

 不思議な力で町中に~ 夢と笑いを振りまくの~♪

 懐かしいアニメのテーマソングを思い出しながら、あのガキの所業を思い返す。
 ため息をついた。正直笑えない。
 まあ笑いは振りまいていたか。
 悪気はなかったのだろう。

 悪意がないから、神楽坂も許したに違いない。
 あいつはあれでなかなかに頑固者だ。それに子供嫌いを公言している。
 しかも最初はなかなかに険悪そうだった。
 その神楽坂に初日で気に入られて、あれだけのことをしながらもいまだ本気で嫌われていないのは、いきなり魔法をばらして一足飛びで本音を語る仲になったこともあるだろうが、あの子供先生の気質が影響しているはずだ。

 神楽坂明日菜。
 中学生の身にして、バイトで学費を稼ぐ苦学生。
 奨学金とはいかないところはあいつらしいが、わたしはあいつをものすごく尊敬しているのだ。
 変人を通り越して、いっそたいしたやつと評されるようなクラスメイトが多い中、わたしは正直神楽坂明日菜ほどたいしたやつはいないと思っている。
 大学生ですら親のすねをかじっているこのご時勢で、中学生が朝の3時だか4時おきで新聞配達だ。想像だにできない。
 わたしなら、せいぜい出世払いで妥協したことだろう。

「ちうのページがあるから早起きも出来ないしな」
 なんとはなしにつぶやく。
 ライフワークとなりつつあるネットアイドルとしての活動もやはり活動範囲は夜である。
 平日深夜、とはさすがに行かないが、うちのクラス連中のアベレージをとっても早寝の部類には入らないはずだ。
 本当は今日みたいな休日前はチャットに張り付くんだが、今日はそれすらせずにすでに日も変わった深夜である。
 時計の針は十二時をすぎて早くも短針の傾きが大きくなり始めていた。

 わたしはふうと息を吐き、そろそろ寝ようかと考えた。
 ここでわたしが悩んでいても意味はない。
 祈りとは祈った人間にしか意味がない術式だ。それがルビーに習った魔法の道理。
 ここでわたしがあいつの心配をすることは、あいつに対して意味はない。
 それでもここで一時間以上もぼうっとしていたのは、やはりわたしの間抜けが原因か。
 わたしは寝巻きに着替えると、寝支度を整える。

 と、そこへ玄関のインターホンが鳴らされた。

 さすがに常識をわきまえた時間を越えている。
 知り合いではないだろう。
 だが、なぜかわたしはそれを疑問に思わなかった。
 反射的にもしかしてという考えが浮かび、わたしは不審がることもなく玄関に向かっていた。
 本来、この場で出てくるキャラは、ネギ先生かもしくはネギ先生から告白を聞いた学園長からの使いだろう。
 ネギ先生には秘密だと伝えていたが、魔法使いだということを学園長にばらされれば、まず確実にわたしには話し合いの機会が与えられたはずだからだ。

 だがわたしはなぜか直感していた。
 学園長の使いというなら、まあわたしのようなもぐりの魔法使いの存在をしったって、日を改めるくらいのことはしただろう。
 だけど、そんな論理的な思考とは無関係に、わたしはそのインターホンがネギ・スプリングフィールドによって鳴らされたことを幻視した。
 ルビーに知られれば怒られただろう。
 こんな深夜の尋ね人に対して、チェーンもかけず、来客の確認もせずに玄関を開けたことを怒られたに違いない。
 だがわたしはそんな思考をめぐらすことも忘れ玄関の扉を開けた。

 そして玄関を開けた瞬間に、飛び込んできた人影に押し倒される。
 さすがの強引さに、すわわたしを捕らえるための魔法使いとやらなのかと、いまさらながりに考えをめぐらすも、それは当然のことながらネギ・スプリングフィールドその人だった。
 子供の体躯でわたしを玄関に押し倒し、その目からは涙を流す、そんな存在。
 こいつは抱きついたままわたしに向かって口を開く。

「千雨さん。ボク、ボク……」
「お、おちつけよ先生。どうしたんだ。学園長のところにいったんだろう? どうなったんだ」
「ボクは……」
 涙を流しながら、こいつはいう。
 そう、


「――――許してもらえることになりましたっ!」


 そんなわたしの想像を覆す一言を。


   ◆


「で、これか…………書類整理に中庭掃除。中庭って範囲が書いてないじゃねえか、いい加減すぎだろ……。あとは図書館の手伝いと業務補助。これも教育実習生にやらせることじゃねえな、あのじじい適当に考えてねえか? それと雑務がちょいちょい……。随分多いな。ん……ああ、期間が……そりゃそうか、なるほどね」
「ぜんぜん平気ですっ!」
 ぺらぺらと紙をめくりながら感想を述べる。先生は笑顔のままだ。というか抱きついたままだった。
 約束が約束なので、ほうっておいているが少し恥ずかしい。まあガキ相手にそんな意識することもないと言い聞かせながら、先生が学園長からもらったという書類を読む。
 結果としては簡単なのだ。わたしは先生から最初にオコジョになるという罪を聞いたが、罰がそれ一種類ではないのは当たり前すぎるほどに当たり前。
 あらゆる罰がオコジョへの変身とその期間で決まるほど単純なはずがない。
 さすがに無罪放免はありえないが、話を聞けば、許すというのはオコジョの刑とやらを許されたという意味で、ネギに罰として与えられたのは、魔法とはなんら関係のない時間外労働だけだった。

 わたしは玄関で抱きつかれたまま、詳しく先生の話を聞いた。
 やはり先生はわたしとの話のあとに、学園長室に向かっていたらしい。
 そして、そこで学園長と話した。
 神楽坂明日菜の前で魔法を使い、それ力を知られてしまったことを。
 そして、先日から何度も騒動を起こしていることを告白した。

 その結果、学園長たちはネギ・スプリングフィールドに対して、オコジョの罰を与えなかった。

 先生は罪を告白し、それを正式に許された。
 魔法使いの学校で、オコジョではなく労働を持って赦免を行うという、魔法使いを束ねる学園長直々の許しを得た。
 それを当たり前と考えるべきか、異常事態ととるべきか。
 わたしはそんな判断もできないという自分の無知をいまさらながらに自覚した。

「神楽坂はどうするんです?」

 そんな思わずもれた問いかけの答えは、記憶は消さずこのまま魔法にかかわらせる、という学園側の決定だった。
 学園町の思惑など、わたしに計れるものでもないが、わたしと先生の問答はなんだったのかとさすがにあきれる。
 いや、違うか。深刻に捕らえすぎていただけということだろう。
 夜遊びすると鬼が来ると脅される子供が本気で鬼の対策を考えるように行動し、そして大人に諭された。
 わたしがネギに、いやネギ先生にイラついたのは事実だが、それを他人に訴える権利はない。予想外だろうと、そのベクトルが先生の益となる方向ならそれを祝福すべきなのだ。
 許されたのならそれを喜び、この世界の方針が異なるなら許容する。
 だって、わたしもルビーのことを秘匿して、ルビーに至ってはルールそのものを犯している。
 わたしに裁く権利はなく、だから八つ当たりだけですべてを終えた気になった。
 そしてこれがその結果。
 ククク、と笑い声が聞こえてくる。わたしの口から漏れる声。
 わたしの胸で泣いていた先生が顔を上げる。
 わたしの腕の中から先生に覗き込まれながら、わたしは笑う。

 なるほどなるほど、こうくるかい。

 やっぱりこの学園は予想の斜め上を進んでくれる。
 なるほど、とわたしは笑い、なるほど、とわたしは頷く。
 ルビーの言葉。異なる世界を旅する渡り人。
 世界が異なること、基盤が異なること、常識が異なること、その意味を。

 先生に微笑みかける。

 先生はなにを勘違いしたのか、顔を赤くしてうつむいた。
 いったい、いままでの会話はなんだったのか。わたしの決意はなんだったのか。
 わたしのしたことに、はたして意味はあったのか。
 いや、意味はあったか。じゃなきゃ先生はここにはいまい。

 わたしは笑いながら考える。
 いったいなにを笑っているのか、いったいなにを考えているのか。
 この結末は何なのか。
 子供先生は、学園長をはじめとする“大人の魔法使い”に許された。
 わたしがそれにどう思おうと意味はない。
 わたしがそれをどう感じようと意味はない。
 わたしはすべてを先生にゆだねて、その結果がこれだった。
 だから、だからつまりこれがどうなるのかというならば、


 ――――それならば“何一つ問題ない”ということになるだろう。


 わたしにできることは何もない。
 神楽坂に同情もしなければ、先生にもうこれ以上干渉もしない。
 わたしはもぐりの魔法使いだ。
 魔法使いの法など知らなかった。
 だからゆだねた。大人の魔法使いがネギ先生を裁くようにと。

 ならその大人がネギ先生を許したのなら、わたしがどうこういうことはない。
 ないどころか不可能というべきか。
 この世界の魔法のルールと、わたしがルビーから習った魔法のルールは別物だ。
 裏にどんな思惑があろうが、先生がどのような立場だろうがだ。
 コネで罷免されようが、恫喝によって無罪を勝ち取ろうが、それが法として執行されるのなら、それにわたしが文句を言うことはできないのだ。

 だから怒ることはない。だから理不尽と思うことも許されない。
 わたしが考えた筋の通し方を先生が馬鹿正直に実行し、そしてすべてを許された。
 納得するべきだ。
 納得しないといけないことだ。
 だけどまあ、


 ――――すこしばかりため息が出ちまうのも、しょうがないと思ってくれるよな、ネギ先生。


   ◆


 さて結局、この話には泣きつかれた先生がそのまま眠ってしまったというオチがつく。
 わたしがどう感じようが、そんなものは先生には関係ない。
 先生は純粋に喜んで、心労と疲れを一気に自覚して、わたしに抱きついたまま眠ってしまった。
 冬も過ぎ去ろうかという二月の終わり。
 月明かりだけが差し込む部屋の中。
 ベッドの中で、わたしはネギ先生を抱きしめ、頭をなでながら己の境遇に引きつるような笑いを抑えることができなかった。

 ――――帰ってきたら、話を聞いてくれますか。

 そんなあんたの言葉に対してわたしは確かに頷いた。
 たしかにいったよ。
 泣くあんたに対して、わたしはそんなことを口にした。
 本気だった。マジだった。
 あんたが帰ってきたときに、抱きしめてやってもいいと思っていたよ。

 ――――――ええ。抱きしめて頭をなでてあげますよ。

 たしかにそう口にした。
 わたしもそこそこ年を重ね、あんたがいい男になって帰ってきたら、キスの一つでもしてやってもよかっただろう。
 それが数年後だったらな。

 それなのに別れからまだ数十分。
 当然わたしが成人することもなく、高校にすら上がらずに中学生のままである。
 まだまだ乙女のはずなのに、こうしている状況はどうなのだろう。
 そういえば神楽坂はどうしてるのか。あいつは二人部屋だったはずだが、こいつをどこに寝かせているのだろう。
 あいつだってまさか一緒のベッドで寝ていたりはしないだろう。
 こいつはすやすやと眠りこけ、同じベッドの中でわたしは心労で眠れない。
 かわいい顔して寝てくれちまって……
 まあ、約束しちまっていたことだけど。
 このちうさまがこの様とは、
 まったくどうにも似合わんよなあ……



   ◆◆◆



 朝になった。
 日が昇ったという意味だ。
 先生が起きたという意味ではない。
 先生はいまだわたしの腕の中で、すやすやと涙のあとをそのままに眠っていた。
 早起きというレベルではなく、浅い眠りの所為か、わたしはまだ六時前の時刻に目を覚ましていた。。
 昨日の夜、夜更かしをして、睡眠時間は三時間ほどしかとっていない。
 旅行先で早起きをする心境か、わたしはなぜか日の出とともに目を覚ましている。

 昨日の夜は、先生と一緒にベッドに入ったあとわたしは恥ずかしながら照れてしまいなかなか眠りにつけなかった。
 ベッドから抜けて枕だけもって別の場所へ行こうと、何度かベッドから抜け出そうとはしたものの、先生はわたしの服をつかんで放さなかった。
 つまり、わたしは正直なところ、先生と同じベッドというだけではずかしくて眠れなかったのだ。
 完全に寝不足だった。
 どこの乙女だよ、と強がることも出来ない。
 いや。だってこれって当たり前のはずだ。わたしはまだ中学生なのだから。

「こいつはこいつでまあ、幸せそうな顔をしてくれちゃって……」

 腕の中で寝る少年のほっぺたに触れた。
 委員長ではないが、少しばかり癖になる肌触りだった。
 むにとほっぺたをつまむが起きる気配はない。
 そのままムニムニと柔らかい肌触りを楽しみながら、さてどうしたもんかと考える。

 このまますべてを放棄してもう一度寝たいところだが、正直なところ先生を早めに起こして部屋から追い出さないとまずいだろう。
 先生と同じ部屋の神楽坂たちもそうだが、委員長が怖い。そのほか早乙女を筆頭としたウチのクラスの生徒に見られれば次の日には確実に全員に話が伝わってしまうだろう。
 先生に口止めをするの必須だし、誰にも見られずにこいつを帰すのも必須である。
 一晩泊めて一緒のベッドで朝を向かえたなどとばれたら委員長あたりに何をされるかわからない。最悪の場合は神楽坂をいけにえにすれば矛先はそらせるか。
 ムニムニとした感触を感じながら、思考にふけるが、正直考えているだけではらちがあかない。
 そろそろ起きるかと先生のほうに顔を向ける。

「…………」

 そこにはわたしに頬をもまれて顔を赤くしている先生の姿があった。

「……起きてたのか?」
「…………」

 こくりと頷くネギ先生に、驚きのあまり手を放すことも忘れて呆然とするわたし。
 ムニムニと手が動かすと不意を疲れたのか、先生が形容しがたい声を上げ、わたしはその艶っぽさに反射的に赤くなる。
 変態かよ、と自問する。わたしもこいつもだ。
 二人して顔を赤くして、バカみたいに見つめあるわたしと先生。

 ああ、神さま。勘弁してくれ。


   ◆


 顔を赤くしてベッドの中で見詰め合ってたら、いたらいつのまにか七時を回っていた。
 いつもかけている目覚まし時計が鳴り響くのを合図に硬直が解けた。先生をベッドから蹴り飛ばして、着替えさせる。
 わたしも最低限の身だしなみを整え、着替えをすませる。

「先生、準備できたか?」
「は、はい」
「今日は休日だからべつに急がなくても大丈夫だ。ただわたしの部屋から出るのを見られるといろいろ厄介だからな。さっさと出てけ。あとわたしのことは誰にも言うなよ」
「えっ? なんでですか」
 本気で不思議そうな顔をする先生。
「あのなあ、わたしは自分が魔法使いだってことを知られるのも、男を部屋に泊めたことがクラスメイトばれるのもごめんなんだよ」
「は、はあ」

「……先生は昨晩学園長のところへいったんだよな。もしかしてわたしが魔法使いだってことも話したのか?」
「えっ、いえ。話してません。聞かれませんでしたし、千雨さんからもなるべくいうなと……」
 あぶねえ、と胸をなでおろす。
「話すな」
「え、でも」
「でももなにもなくて、聞かれても黙っててほしいんだよ」
「学園長なら許してくれると思いますよ。それに千雨さんはボクに言ってくれました。黙っているのはよくないって」
「意味がちげえんだよ、このっ」
「い、いひゃいです……ひさめはん……」
 むにとほっぺたを引っ張った。

「わたしはあんたと違って魔法使いとして勉強したわけでもないし、そんな変人集団の一味になるのも真っ平だ。先生が泣くから話したけど、わたしはもともとそのことは黙っているつもりだったんだよ」
「あっ……」
「赤くなんなっ!」
 つられてわたしまでわたしまで赤くなってしまった。
「学園長たちは魔法使いなんてのを全部管理したいんだろうけど、それを強制するのは傲慢だってのはわかってるはずだ。先生が黙ってても怒られることはないだろ」
「でも、千雨さんはそれでいいんですか? ずっと秘密にしていくなんて……」
 どうやらこのガキは生意気にもわたしを心配してくれているらしい。

「平気ですよ。わたしだって秘密を共有するやつがいないわけじゃないですし、そもそもわたしは何かをたくらんでいるというわけじゃなくて、巻き込んでほしくないだけですから」
「そ、そうですか」
 何かを考え込むように先生が黙った。その真剣な顔は正直なところ空回りしてとんでもないことをしでかす前兆、といった印象しかない。
 この場合も例に漏れず、先生は顔を上げると、いきなりわたしの手を握り締めた。

「千雨さんっ!」

 突然迫られた。顔を突き出せばキスできそうな位置に真剣な顔をしたネギがいる。
 昨晩から赤面してばっかりだ。
「な、なんですか?」
 かろうじて、声をだす。その声ははずかしいほどに震えていた。
「何か困ったことがあったら僕もお手伝いします。魔法のことをボクは千雨さんから教えてもらえました。だから千雨さん、誰に相談できなかったとしても、ボクには遠慮せずになんでも言ってくださいね!」
 生意気言うなこのガキめ、と啖呵を切って返事するべきだったのだろうが思考が回らなかった。
 こいつはわたしに言われた懸念がなくなり、ずいぶんと世界に好意的になっている。やさしさを振りまきたい心持なのだろう。
 眼前の先生の瞳にたいして、コクコクとバカみたいに頷くと、先生は満足したのかやっと顔を離した。
 ツラがいいやつはこういうところで得である。

 わたしは、もう今後先生とかかわりたくないのだが、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
 こいつの中で私がどんなカテゴライズをされたのか、聞くのが不安でたまらない。
 ニコニコと先生は笑っている。わたしは恥ずかしさで赤く染まった顔を隠すように手で覆い、先生に言った。
 最悪でもこれだけは言っておかなくてはいけないので、わたしはいう。
 改めて言うまでもないほど当たり前の念押しだ。

「先生。だれにも言わないでくださいね」
「はい。わかりました」
 先生は頷いた。
 わかってくれたようだった。

「あ、でもアスナさんには話してもいいですよね」

 わかってなかった。いいわけねえだろ。


   ◆


「――――わかりました。千雨さんのことはアスナさんにも秘密にします」
「ああ。わたしは本当にあまり魔法なんてのに関わりたくはないんだ。神楽坂の件についても学園長が許したって言うから先生を責めるのはやめるけど、あいつに対する責任は先生にある。あいつとは本気で話し合ったほうがいいぞ」
「はい」

 説得にさらに時間を費やす羽目になった。
 あともう少し時間がかかれば、きっと先生のほっぺたが2,3センチ伸びてしまったことだろう。
 しかしそろそろ時間がまずい。
「じゃあ、先生そろそろ行かないとまずいだろ。ここまで話していきなりばれるのはごめんだ」
「あ、そういえば」
 先生がつぶやく。
 いやな予感がする。わたしはいやいや先生に何があったのかを問いただす。

「ボク、アスナさんに手紙を……、もうきっとお別れになるだろうって書いた手紙を置いてたんでした」
 どうやら、こいつもそこそこに反省していたようだ。
 だが、そういうことは早く言え。
「だったらさっさと戻って手紙を隠せっ、このアホ!」
「は、はい」
 玄関から廊下を覗き、誰もいないことを確認したあと、先生を部屋からたたき出す。
 わたしはふらふらとベッドに戻る。
 眠たくてたまらない。二度寝しよう。
 ベッドに飛び込もうとして、先客がいることに気がついた。

「……最近の中学生は進んでるのねえ」

 あー、まあそうなるよなあ。
 くそっ、あほかわたしは。忘れてた。
 わたしは窓の外から様子を伺っていたらしいルビーの姿に深くため息を吐いた。
「……いつから見てた?」
「エヴァンジェリンのところから帰ってきたら、二人で抱き合って寝てたからさ。邪魔しちゃ悪いと思って隠れてたのよ」

 なぜか笑顔で答えるルビー。
 勘弁してくれ。
 わたしはこの過保護の気がある同居人が、根掘り葉掘りと追求してくるかと身構えた。
 しかしルビーはとくに追求してくることもなく、娘の成長を見守る母親のような微笑と、妹の成長に戸惑う姉のようなまなざしを向けている。
 こっちは逆に身構えてしまうような優しげな目だ。
 その挙句に彼女は言う。

「でもちゃんと避妊はしなさいね」

 こいつ発想がおかしくないか?
 こういうときはきっとぶん殴っても罰は当たらないはずだよな。





[14323] 第10話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:37
 Trrrrrr
「はい、もしもし」
 Trrrrrr
「……はい、もしもし」
 Trrrrrr
「…………はい、もしもし」


   第10話


 携帯電話が鳴った。
「はい、先生。どうしたんです?」
「ああ、千雨さん。実は今日で、課題が終わったんです」
「そうなのか。そりゃお疲れさん」
「ありがとうございます」
「一ヶ月近くのお勤めも、これでようやくってところか。じゃあ、これで円満に解決なのか?」
「いえ、それを学園長に報告に行ったら、新しく課題が出たんです」
「あ? なんだ、それ。おかしくないか?」
「いえ、この間の件ではなくてですね……実はボク、4月から麻帆良で本教員として採用してもらえることになるかも知れないんですけど、そのための課題らしいんです」
「はー、課題か。でも先生はべつに先生になりに来たわけじゃないんじゃないのか? あの雑用だって、三学期で先生とお別れだからあんなに短期間に詰め込まれてたんだろ」
「そ、そんな寂しいこといわないでください、千雨さん」
「んな声だすなよ。三学期だけよろしくって初日に言ったのは先生じゃん。あと一週間でお別れなんじゃないのか?」
「そ、そんなっ!」
「だからなんでお前が驚いてんだよ」
「でっ、でも、もともとボクは学校の先生をやるようにという卒業試験中なので、学園長先生から合格が出るまでは先生を続けないといけないんですっ。だからそんな簡単にお別れなんて言わないでくださいっ!」
「わかったわかった。もう言わないよ、落ち着けって」
「は、はい」
「で、先生がその課題に合格すれば正教員になるってことか?」
「はい、そうですっ。そうしたら千雨さんとも……あっ、いえ、皆さんともまだ一緒にいられますね!」
「元気いっぱいなのは結構だけどさ、戻るときどうするんだ、それ。教育実習生ならまだしも、正規の教員じゃあばれないように出て行けねえだろ。一生教師をするわけでもあるまいし」
「えっと、それはたぶん学園長先生が何とかしてくれるんだと思いますけど。皆さんの卒業と同時にボクも……とか」
「卒業試験なんだろ? どんだけいるきだよ。相変わらず適当だなあ」
「そうでしょうか」
「うーん、まあいいや。で課題ってなにするんだ? ドラゴンの鱗でもとってこいってか」
「いえ、2-Aが今度の期末試験で最下位を脱出できたら、合格ということで……」
「なんだそれ」


 携帯電話が鳴った。
「ああ先生。どうしたんだ」
「はい、実は先日の課題の件で」
「ああ、今日もなんかやってたな。だけどな先生、いくらあんたが男だからって教え子に野球拳はないだろ」
「ち、ちがいますよっ。あれはあの、ああいうモノだって知らなくて……」
「ジョーダンだよジョーダン。さすがにそんなやつじゃないってことは知ってるさ。でもほんとにどうするんだ。言っちゃあ悪いがウチのクラスはわりと成績悪いぜ。今日の授業見る限り先生も事情をばらす気はないんだろ?」
「はい。ボクの課題でみんなを強制するわけには……」
「逆だと思うがなあ、むしろ委員長なんかは率先して協力してくれると思うぞ。そのまま挑んで失敗したらアホみたいじゃねえか」
「でも、そういうのはボクの力ではないので……駄目だったらそれはボクが未熟ということでしょうし……」
「まじめだなあ。それに変なとこでいさぎいいし。じゃあどんな手を考えてんだよ、まさかノープランで文句だけ言ってるわけじゃないよな」
「はい。いろいろと考えています。三日間だけ頭がよくなる禁断の魔法というのもあるんですが」
「おいおい、それをかける気かよ。いいのかそんな手で」
「ただその魔法は副作用で一ヶ月ほど頭がパーになってしまうんです」
「……」
「でもアスナさんに怒られてしまって」
「ああ、そりゃよかった。わたしがはったおしに行く手間が省けたよ」
「えっ? なんですか千雨さん」
「なんでもない。それで?」
「あ、はい。それで、やっぱりボクはまだまだ魔法に頼りすぎだったのかなあと……」
「まあ当たり前だな」
「はい、アスナさんも勉強してくれたみたいですし、ボクは改めて自分がまだまだだと思い知りました。なので今回の課題は魔法を封印することにしてですね……」
「封印?」
「はい、来週の月曜日まで魔法を封印したんです。エヘヘ」
「……で、試験対策は?」
「えっ?」


 携帯電話が鳴った。
「……」
「……」
「……」
「……あ、あの千雨さんですか?」
「まあわたしの携帯電話ですからね」
「さっきはすいませんでした」
「べつにいいです。それで何か考えましたか?」
「うっ……いえ、まだです。一応明日の授業計画をしっかりと……」
「試験は月曜日だぞ。頑張るにしても一日だけじゃああんまり変わらないと思うけど」
「でも言われたのは昨日なので……」
「あーそうだったな。学園長もなに考えてるんだか」
「でも、学園長のことですから何か考えがあるんだと思います」
「あのじいさんはそういうところは割りとノリで適当に遊ぶタイプだと思うけど、まあそういうことなら委員長たちにばらすことも考えたほうがいい……と、思いますよ。本気で時間がありませんし、ウチのクラスはわりとダントツで最下位ですから」
「は、はい。頑張ってみます。ありがとうございました」
「はいはい。どういたしまして。相談だけならいくらでものると約束しましたからね」


 携帯電話が鳴った。
「なんだよ……こんな時間に。はい、もしもし」
「あ、千雨さん。ボクです、ネギです」
「あー。はいはい。それでどうしたんです?」
「試験対策についてなんですが、実はこれから図書館島に行くことになりました。頭を良くする本を探しに行くんです」
「……はっ?」
「実は図書館島の奥には頭のよくなる魔法の本があるらしくて、アスナさんたちがそれを探しにいくみたいなんです。ボクもそれについていくことになりました」
「はあ……」
「バカレンジャーの皆さんと一緒です。これで5人の頭がよくなればきっと最下位からは脱出できますね」
「はあ……」
「あっ、それじゃあそろそろ出かけます」
「はあ……あの、明日は学校ありますけど」
「大丈夫です。明日の学校までには帰ってこれる予定ですから」
「はあ…………まあ頑張れ」
「はいっ!」


   ◆


「つーわけで、お約束どおり行方不明か」

 鳴らない電話を持ち上げる。
 来週の月曜日に期末試験を控えた三月中旬の金曜日。
 ここのところ日毎になっていた携帯電話は昨日の夜中から沈黙を保ったままだ。
 わたしは友達から頻繁に電話がかかってくるような人間ではないし、ここ最近は先生との専用電話みたいなものだったのだが。

 教室の中では、図書館探検部の早乙女と宮崎が先生とバカレンジャーが行方不明になったと騒いでいる。
 当然わたしは理由を知っている。図書館島に魔法の本を探しに行ってそのままなにごとかのトラブルに巻き込まれたのだろう。
 ちらりと視線を走らせる。
 ルビーから要注意人物であるといわれている魔法関係者を観察する。
 すると、そこにはたいして驚いてもいないような面々の顔があった。
 ネギ先生を狙っているらしいエヴァンジェリンあたりは、本気で行方不明ということならもう少しアクションを起こすだろう。やはりこれは茶番劇の一環か。

「何ですって!? 2-Aが最下位脱出しないとネギ先生学クビに~!?」
 突然上がった叫び声に視線を向ける。
 委員長が椎名に詰め寄っていた。
 ふむ、どうやらばれたらしい。
 ネギ先生からはばらしていなかったようだが、まあこれで委員長たちも野球拳などと言わず本気で勉強をするかもしれない。

「とにかくみなさん! テストまでちゃんと勉強して最下位脱出ですわよ。そのへんの普段まじめにやってない方々も!」
「ゲッ……」
 委員長に指差された。
 とばっちりかよ。
 まあおおむね予想通りだが、わたしが勉強を頑張るくらいはべつにいい。
 それよりも、と鳴らない電話を思い出す。

「みんなー大変だよーネギ先生とバカレンジャーが行方不明にっ!」

 つまりこういう展開だ。
 教室に飛び込んできた宮崎と早乙女の姿を見ながらわたしはさてどうしたものかと考えた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 フラグをこつこつためるのではなく、全力で一本釣りする千雨の話と、その後の展開でした。
 正直前回の話はそこまで重い話ではなかったはずなんです。雰囲気に流されました。
 あと第10話は本来幕話のつもりだったので短め。展開が進むので一応本編にしました。
 ネギの労働は描写しても詰まんないので全カット。いきなり一ヶ月近く時間を飛ばしたのは、正直先に進みたいからです。
 あと千雨は別にネギの仲間になったわけではないので、図書館島などの参加型のイベントにはかかわりません。あくまでスタイルは関係ない一般人です。なのでもう撫でたり抱きしめたりはしません。でも相談にだけはのります。
 次回も一週間後に更新したいと思います。それでは。



[14323] 第11話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/02/07 01:02
   第11話


 先生たちが図書館島で行方不明になったその放課後。
 すでに夜の帳もおり、人気のなくなった教室でわたしは隣に浮かぶ人影に話しかけた。

「そういや相坂は図書館島くらいまでならいけないのか? 人形に憑依させるとか言う話もあるわけだし、あの試作品でも使って、一時的な遠出なら出来るんじゃないのか」
「むずかしいです。人形は千雨さんたちのおかげで出来そうですけど、もともと人形が出来上がっても勝手に出歩かずに許可を取るようにって言われてますし……」
「許可って誰のだ?」
「ルビーさんのです。エヴァンジェリンさんはべつにかまわないなんていってたんでけど、ルビーさんは魔法使いのルールっていうんですか? そういうのにすごく厳しいんです。わたしが人形で勝手に動くと皆さんに迷惑がかかるそうですので。動くのはすべてが終わったあととか何とか」
「うーんまあそれはルビーが正しいかな」
「でも別にそんなにあせらなくても、大丈夫だって分かってますから。外に出るのはたしかに楽しそうですけど、人形のまま外に出て、それで迷惑をかけるのもいやですし」
「それもまあ一理あるな」

 ほんの少しだけ残念そうに相坂が言った。
 あながち間違ってもいない言葉だが、これはこいつの60年にわたる悲願のはずだ。
 もっと執着してもいいだろうに、相坂はそこまで落ち込んではいないようだ。
 まああと少し待てば解決する話だし、あせる気もないのだろうがおおらかである。
 口調にも残念そうな響きはあったが、悲壮さは欠片もない。
 そういうと相坂は当たり前のように言った。

「はい、わたしは長谷川さんとお友達になれましたから」

 そしてこの笑顔である。
 こいつはもっと自分の利益に貪欲になるべきだ。
 いつも思うが、こいつは友達を得たことを重要視しすぎている。
 わたしは一人目というだけで、2-Aの連中ならば正体を明かせばいくらでも友達になってくれるはずだ。
「わたしはこうして千雨さんといられるだけで十分ですよ」
「あー、そりゃどうも」
 相坂がにっこりと微笑んだ。
 このままいけば、わたしはこいつと結婚しそうだ。
 フラグたちすぎだろ。
 相坂の素直な好意はわたしのようなひねくれ者には効果抜群らしく、ろくに皮肉もいえないままに頷いた。
 顔を赤くして黙っていると相坂はそっと手を握ってきた。
 ルビーが同化してから得た恩恵の一つ。霊体との接触であるが、これを知ってからというもの相坂がやけにスキンシップをはかってくる。
 相坂はえへへ、と笑う。その笑顔に毒気を抜かれて、わたしもとくに拒まずに手を握り返した。
 そりゃあ数十年と人肌に触れなかったのだからわからんでもないが、素直に恥ずかしい。
 というよりシチュエーションが誤解されそうだ。

 そもそもこいつは60才じゃないのか?
 幽霊というのはそういうものなのか。すれていない。
 大人びているようなところもあるし、ところどころにガキっぽい。まあエヴァンジェリンも年寄りくさい趣味はあったが、ババくさいということもなかったし、寿命ではない年のとり方をするとこうなるのかもしれない。
 そういえばルビーも数百年レベルで生きているはずだが、その性格は欠片も落ち着いてはいないようだ。
 人とは違う時間軸を有している。

 しかし、とわたしは改めて自分の状況を眺めてみる。
 夕暮れの教室で二人きり、手を握り合って頬を染めるとか、どこのラブコメだ。
 ぶんぶんと頭を振って思考を切り替える。このままでは雰囲気に流されて相坂にキスの一つでもしちまいそうだった。
「どうしたんですか、長谷川さん」
「どうもしてない。ちょっと自分の頭がネットに毒されていることを自覚しただけだ」
 意味がわからなかったのだろう。相坂が首をかしげた。だがわたしはわざわざ自分の変態っぷりを口にすることはない。
「なんでもないよ。それよりもわたしは今回のテストくらいは勉強でもしたほうがいいかもなあ」
 委員長の熱意から見ても、適当に済ませてテストに挑めば怒られそうだ。

「先生は見つかるんでしょうか。行方不明だというのに、あんまり長谷川さんは心配していないみたいですね」
「まあな、たぶんこれって先生……ネギ先生じゃなくて魔法使いのほかの先生のことだけど、そういう人たちは事情を知ってるんだと思う」
「えっ? それってどういうことでしょうか」
「相坂は自分が幽霊なのに、あんまりそういうところに頭が回らないみたいだな。学園で先生と生徒が行方不明だぜ。この学校中がうちのクラスメイトみたいにお人よしのはずがない。騒ぎが起こる起こらない以前の問題で、これは騒ぎが起こらなきゃおかしいんだ。騒ぎが起こってないってことは誰かが火消しに回ってるってことだろ」
「ああ、なるほど」

 おそらく先生は図書館島の中なのだろう。そこで捕らえられているのか、適当に妥協して勉強しているのかはわからないが、危害を加えられているということはあるまい。
 前にルビーが司書と戦って殺されかけたなど言っていたが、ネギ先生が言うにはここの魔法使いは人の味方を自称しているらしい。ルビーのような不審人物はまだしも実習生のネギ先生や生徒であるバカレンジャーたちが危害を加えられるとは思わなかった。
 ルビーはいろいろと魔法使いのあり方に文句を言っていたし、ネギ先生も人助けを強調していたが、この学園においてはそういうものよりも単純に隠蔽と火消しについての割合が大きいように感じる。
 まあ一般人を魔法使いで囲って学園都市として経営しているのだ。問題が起こらないほうがおかしいのだろう。
 ネギにはいろいろとえらそうなことを言ってしまったが、学園側の対応を見るに、魔法による魔法外への干渉はかなり強い。
 いまこうして先生以外の人間が図書館島に魔法の本をとりに向かおうとしているなどという現状がまさにそれだ。学園側から見れば、先生が同行しているのはむしろプラスなのだろう。

「だから先生についてはたぶん心配ないな。勉強できずに拘束されてるのかもしれないけど、近衛が関わってるくらいだし、学園長あたりが悪乗りして、図書館島で個人レッスンを受けてるのかもしれないぜ」
 わたしの言葉に相坂があはは、と笑った。
「だとしたらちょうどいいですね。日曜日ですし」
「わたしは日曜が丸まる勉強づけはごめんだがな」

 よいしょと立ち上がり、窓際から自分の席まで移動した。
 カバンの中にはある程度の勉強道具が入っている。
 少しばかり勉強して委員長とネギ先生への義理を果たしたあとは、いつもどおりの週末だ。
 しかし、そんなわたしを相坂がさびしそうな目で見つめている。
 相坂は途中まではついてこれるが、寮まではついてこれない。こいつの居場所は教室だ。
 帰ろうとしていた動きが止まる。
「…………ああ、もう」
 ああわたしってこんなに甘いキャラだったか。
 今日は先生のこともあって長話をしてしまったが、相坂と放課後に別れるのは日常なのだ。一度甘さを見せれば、それを日常とする羽目になる。
 わたしは今日くらいは特別だと言い訳をしながら、持ち上げたカバンを乱暴に机に置くと、中から筆記用具を取り出した。
 相坂が目を丸くした。

「……えっ?」
「相坂は勉強得意だろ。散々通ってるんだしさ。帰って勉強するよりも効率がよさそうだ。教えてくれよ、わたしはどうも成績が悪くてね」
「あっ!? は、はいっ!」

 満面の笑顔を見せた相坂に、飛びつくように抱きつかれた。
 はあ、わたしってアホだなあ。


   ◆◆◆


「暗くなってきましたね」
「というより真っ暗だな、学園祭前でもないのに、この時間か。この様じゃあ、ばれたら不審人物確定か」
「魔法で明るく出来ないんですか?」
「出来なくもないが、やりたくない」

 夕暮れがすぎて日が隠れ、完全に教室が暗くなると、さすがに勉強は出来なくなった。
 さすがにこの時期は日が落ちるのが早い。校庭からも運動部の声は消えている。
 暗い教室で相坂とささやきあう。
 魔法使いというのは常識が狂う。魔法で非常に融通が利くから、歯止めをきかせにくいのだ。
 簡単に言えば、自制しにくい。
 明かりをつければ人が来る。人払いの結界とやらは真っ先にルビーから習った魔術の一つだが、それを相坂のためとはいえ、このようなシチュエーションで使うのはわたしの信条に反する。

「宿直の先生も来るだろうし、わたしもさすがに帰ろうかと思うんだが」
「あっ、はい。そうですね」
 そういうさびしそうな声を上げないでほしいんだがな。
 わたしの実力では相坂を外に連れ出すことはまだ出来ない。
 相坂をいま製作中の人形とやらに取り付かせるのがベストなのだが、まだもう少しかかるはずだ。

「人形が出来たらわたしの部屋に来てくれよ。歓迎する」
「あ、はい」
 だからこの程度の言葉を送るのが妥当だろう。
 ルビーがいたときに、相坂と一緒に外を回るくらいはしたが、寮の部屋に招いたことはない。
 嬉しそうに相坂が微笑んだ。わたしはこれくらいのことしか出来ない。
 次にルビーが来たときにはもう少し頑張ることにしよう。
 わたしはカバンに荷物をつめながらそんなことを考えて、


「そのときはネットアイドルというのも見せてくださいね」


 そんなことを考えていたから、この相坂の言葉は不意打ちだった。
 カバンにしまおうとしていた筆記用具が手を滑って床に落ちる。
 バシャンという派手な音を立てペンをはじめとする筆箱の中身が広がった。

「どうしたんですか?」
「いや、どうしたというか……それ誰に聞いたんだ?」
 つかみ掛かるようにして相坂に詰め寄った。
 なぜか顔を赤くしながら相坂が口を開く。
「えーっとですね。この間エヴァンジェリンさんとルビーさんとお話したときに、ルビーさんが話してくれました」
「……」
 言葉を失ってしまった。あのアホはなにを話してるんだ。
 雑談中のつまみのつもりだったのだろうが、これだからアナクロなやつらは困る。
 ネットアイドルの身元ばれがどれほどの問題か知らないのか。
「でもルビーさんはすごいほめてましたよ。エヴァンジェリンさんに向かって、千雨の可愛さを教えてあげるわー、とか叫んで……あっ、いえ、ごめんなさい。えーっと、長谷川さんがすごいかわいいってことを一晩中……」
「いや、別に千雨でいいけど……えっ、マジ? ほんとかよ、おい……」

 エヴァンジェリンにまでばれているという状況に頭を抱えた。深刻すぎる。
 というよりあいつはそんなキャラだったのか。おかしいだろ。わたしの前じゃあシリアス系の魔女っぽいことばっか言ってたくせに。
 それにエヴァンジェリンには魔法なんかより百倍やばい弱みを抱えられた気がする。
 やばいちょっと涙出てきた。

「それっていつだ? わたしがいなかったってことは作業中だったってことだよな。つい最近のことか?」
「いえ、結構前ですよ。魔法世界とやらの服装の話から始まってコスプレでしたっけ? それの話を……」
「……結構前から、ねえ」
 深刻すぎる。つんでるじゃねえか。
 だが結構前からばれていたとは意外だった。エヴァンジェリン一家とはそれなりに会話をするが、あいつらはおくびにもだしていない。善意で黙っていたということはないだろうからワザとだろう。
 それでなにも言われていなかったのは一応は大丈夫なのか?
 胃がキリキリと痛んだ。まあエヴァンジェリンの性格から言って面白半分に脅迫することはあっても、面白半分に人にばらしたりはしまい。
 ルビーと違ってわたしがそれを知られたくないと思っていることにも気づいているはずだ。というかルビーだって気づいていただろ、絶対。何してくれてんだ、あのやろう。
 エヴァンジェリンのことだ。きっとどこぞの場面で脅迫の材料にでもつかう気だろう。
 安心は出来ないが、現状で深刻になる必要はないが、なんともやるせない気分だ。

「いえ、ルビーさんもエヴァンジェリンさんにはあまり話さないようにといってましたけど」
「結局言ってるんなら意味ねーだろ」
 この深刻性は当事者以外には笑い話なのだろう。
 当事者としては笑えない。
 わたしは心に深い傷を負いながらも、相坂に文句を言うわけにもいかずに、乾いた笑いだけを示して、教室をあとにする羽目になった。


   ◆


 天気もよい月曜日の朝。
 月曜の朝になっても先生とその他の六名はあらわれなかった。

 結局金曜日の夜以降、先生からの電話はなかった。
 あの先生のことだ、土曜、日曜に帰ってこれたのなら連絡の一つでも入れるだろう。
 楽観的に見て、真夜中に帰還してわたしに気をつかったという可能性もあるが、

「ま、妥当にまだ行方不明中ってところだろうけど」
 そうつぶやいたわたしの声に言葉が返った。
 隣に浮かぶ相坂の声だ。こいつは最近ここが定位置になっている。
「でも千雨さんが言ってたみたいに、この学校の魔法使いの人たちが先生のことを知っているなら、帰る手助けをしてくれるはずじゃあないんですか?」
「……いや」

 すこし違う、と首を振った。
 先生や近衛たちが怪我をしていたら手助けをするだろう。
 だが、全員が健康体で、とくに助ける必要がなければ助けはそうそう送られない気がする。
 確証はない。これまでの経験からみた、わたしの想像である。
 だがまあ先生が自分で解決できない場合、魔法使いが助けに行くのは確実だ。そこまで非道でもあるまい。

 わたしはざわめくクラスメイトを横目に、こっそりと相坂としゃべっていた。
 もっとも人気があるので、基本的には相坂がしゃべっているだけだ。
「魔法の本どころじゃなくなってますね」
「見つかったからこうなったんじゃないのか?」
 心配そうな顔をした相坂の言葉にそう答える。
 えっ、と驚いた顔をして相坂が飛び上がった。比ゆではなく、わたしの上まで飛んだ相坂が肩口に降り立つ。

「図書館島はおかしなところだが、べつに厄介ごとを闇から闇へって感じじゃない。ただ隠してるだけだ。探検部があるくらいだしな。それに綾瀬だってバカレンジャーなんていわれてるけど、成績悪いだけでバカじゃない。無駄骨だったら帰ってくるだろうし、本が見つかりそうにでもならない限り暴走はしないだろ」
 綾瀬ゆえならば確実に退路を考えているはずだ。腐っても探検部である。地図もなく進んで帰ってこれなくなるようなバカはしまい。帰ってこれないならば、それは常識ハズレの事態に巻き込まれたからだ。

「――もう予鈴が鳴ってしまいましたわよ! あのバカレンジャーはまだ来ませんの!?」
「来ないですー、もー駄目かもー」

 試験が始まるのか担当教師が現れる。
 さすがに無理か。先生はこれで退校となるのだろうか。
 状況としては教育実習を円満に解決してさよならということになるのだろう。以前の展開よりはよほど良いが、少しさびしいと感じた自分に少し驚く。
 金曜の電話を聞く限り、ネギ先生もバカレンジャーに無理やり連れて行かれたはずだ。
 これで魔法教師としては――――

「ああ、そうか」
「? どうしたんですか、千雨さん」
「肝心なこと思い出した。先生は帰ってこれるかもな」

 そういえば先生は言っていた。月曜日の朝まで魔法を封印していると。
 魔法の万能性はわたしも見せ付けられている。図書館島がいくら魔境でも、一般人である探索部が活動できるレベルである以上、魔法使いが帰ってこれないわけはないのだ。
 ネギ先生が帰ってこないのは、あいつが自分の魔法を封印していたのが原因か。恥ずかしながら完全に忘れていた。
 それを説明すると相坂も顔色を明るくした。

「でしたら、ネギ先生が辞めてしまうということもなさそうですね」
「いや、それとこれとは話が別だろ。もともとウチはドンケツなんだぜ。先生とバカどもが帰ってきてやっとスタート地点なんだよ」

 相坂は忘れているようだが、そもそもやつらの目的は頭を良くすることだ。
 帰ってくるのは最低条件であって、勉強してなきゃ意味がない。
 帰ってこれても勉強していなかったら順当に最下位となるだろう。

「みなさん! 今回は一人15点増しでよろしく!」
「ムリだってー」
「あれ? よく見たら図書館探検部の3人もいないよ」
「わーもーダメやー」

 そんなことを話していると、委員長が開き直ったのか、あほなことを言い出した。
 15点上げろねえ。そもそも当日朝にそんなことをいわれてもな。
 それで点が上がるなら苦労はしない。世界中の予備校が潰れるだろう。

「さすがに15点は難しいですよね、千雨さんでも」
「上方向に15点あいてないようなのもそろってるけどな」

 委員長ならネギ先生からじきじきに頼まれればやれてしまいそうではあるが、あいつの場合は上に十五点もあいていない。
 委員長や葉加瀬に超、いまはいない近衛や宮崎は平均90点以上を維持している。はっきり言ってあの二人が来なければビケを脱出するのは確実に不可能だ。

「千雨さんは今回がんばりましたからきっと大丈夫ですよ」
「ああ、まあそれにわたしの場合は、やろうと思えば十五点くらい絶対あげられるわな」

 まあ、わたしはのり代が上に15点以上ある。
 上げようと思えば、簡単に点は上げられる。
 ぶっちゃけたところ、満点を取ればいいだけだ。
 そういって肩をすくめた。

「えっえー!? どうしてですか? どうやってですか!? まさか今までのテストではわざと手をぬいていたとかですか!? 魔法使いとして目立つわけには行かなかったとか! かっこいい!」
 それはどこの主人公だ。
 なぜか、ものすごく驚く相坂にわたしはあきれる。
「……んなわけねえだろ。エヴァンジェリンじゃあるまいし、わざと悪い点取るほど余裕はねえよ」
 魔法使いにあれだけ関わっといて、何でこいつが驚いてんだ。
 ちなみにエヴァンジェリンの話はわたしの想像だ。だがあれだけ大口を叩いておいて、本気で中学生の試験に平均点しか取れないということはなかろう。
 そんなことを考えながら、ふと思いついたが、今回のテストであいつは本気を出すのだろうか? ネギを狙っているということだし、あいつが帰ってしまうのはエヴァンジェリンも望んではいないはずだ。

 と、思考を戻し、考えにふけって顔を上げると、わたしの周りをひょろひょろと飛び回りながら、相坂がまだ驚いていた。
 うーん、なんで思い当たらないものかと口を開く。
「お前がわたしに答えを教えてくれりゃあいいじゃん」
 誰にも見えない教師役。
 勉強を教えてもらったが、こいつはテストを何度も受けているだけあって要領をつかんでいる。
 いや、そもそも相坂がわからなかろうが、最悪の場合は葉加瀬や超の答案をカンニングすればいいのだ。
 善悪抜きにすれば一番簡単である。
 これくらい一番最初に思いつくだろ、と思いながら口にすると、なぜか相坂は非常に怒った。善人である。

「それはカンニングですよ!」
「いやいや、だからべつにそれを前から頼みはしなかっただろ。非常時というかいきなり平均15点あげろなんていわれて、その解決策って言ったらこんなのとか魔法の本くらいしかないだろ」
「魔法の本は勉強法ですが、わたしが教えたらカンニングですっ、そういうのはいけないと思います!」
「わかってるって、やる気はないよ」

 悪事を行わないのは善人だが、悪事を想定できない魔術師はただの無能だ。わたしは言い訳を口にしながら、怒る相坂にむかい肩をすくめる。
 ちなみに魔法の本についてはわたしも相坂もべつだん悪いものだとは思っていない。
 アメリカでは短期記憶を長期記憶にシフトさせる薬品……つまるところドラえもんの暗記パンのようなものだが、そのようなものも開発が行われているらしい。
 それと同様に魔法の本というのが実際にあったとしても、先生の言い分からすると、知識を与えるか、脳を活性化させるような代物のはずだ。
 テスト中に誰にも見られずに念話をするほうがよほど悪事だろう。
 徹夜でノートと格闘するのも、頭に電極差し込むのも、徒党を組んで魔法の本のためにダンジョンを攻略するのも結果を見れば同じベクトルに位置する行為である。
 そりゃあ勉強してる横で、かばんから飲み薬を取り出して満点取れるような展開なら不快感も味わうだろうが、それはわたしにはどうしようもない。それに今回はネギもバカレンジャーのお供で苦労していることだろうし、腹がたつどころか同情すらわいているくらいだ。
 今回はバカレンジャーたちの発案ということだが、学園側も魔法に関わっていない生徒の介入にはやはりおおらかなのだ。
 わたしは初めての印象が最悪だったから、悪印象ばかり持っていたが、やはりマギステル・マギとかいう建前はきちんと働いているのだろう。ルビーの世界に比べれば万倍は健全である。
 まあつまり、わたしにとって魔法の本は特殊ではあるが違法ではない。同様に魔術や催眠、薬などで知識を叩き込むのもずるくはあるが、まあ合法なのだろう。いや、薬品はだめなのだったか?
 そんなことを相坂とわたしがいいあっていると、窓側から声が上がる。

「あっ、見て!」

 声の主は村上だった。
 窓にべったりと張り付く村上の言葉に皆が外を見る。
 ふむ、とあごに手を当てた。
 これはやはり――――

「バカレンジャーたちが来たー!!」

 まあ、そういうことだろう。
 はてさて、これでスタートライン。結末はいったいどうなるか。
 わたしは最低限の義理を果たすため、相坂と分かれてテスト用紙に向かい合うことにした。



   ◆◆◆



 とまあそんな騒動の決着はというと、

「フォフォフォ、みんなにも一応紹介しておこう。新年度から正式に本校の英語科教員となるネギ・スプリングフィールド先生じゃ」

 このようなことになったわけだ。
 滞りなくどころか学年一位という奇跡を成し遂げた期末試験の後、春休みに入る直前の三学期終了式で、学園長はそういってネギ・スプリングフィールドをわたしたちに改めて紹介した。
 これから楽しい春休みというその朝礼の席で、学園長とネギ先生が全校生徒を前に朝礼台の上に立っている。
 事前にネギから話はあったし、おそらくそうなるのではないかなと思っていた。
 教員になると聞いていた。おそらく英語科教員になるだろうと思っていた。
 でも、

「ネギ先生には4月から「3-A」を担任してもらう予定じゃ」

 まあやっぱりこうなるか、と息を吐く。
 絶対仕組まれているよなあ、これ。
 顔を上げれば、うれしそうに笑う先生の姿がみえる。
 ハア、とため息を吐くわたしに相坂が心配そうな顔を向けてくるが、さすがにこんな人に囲まれた場所ではわたしは返事を口に出来ない。
 まあ、いやってわけじゃないけどさ。
 なんなんだろうなあ、いったい全体。このどうしようもない精神的な疲れはさ。

「…………クッ」

 小さな小さな笑い声。エヴァンジェリン・マクダウェルが笑っているのを視界から外しながら、わたしは誰にも気づかれないように息を吐く。
 地に魔法使いがはびこって、この世はすべてコトだらけ。
 いまはただ、わたしが巻き込まれないことだけを祈りたい。






[14323] 幕話8
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:35
   幕話8


「というわけで2-Aの皆さん。3年になってからもよろしくお願いします!」
 教壇の上。先生はわたしたちの前で笑顔のままそういった。
 クラスメイトは気楽にはしゃぐ。

「みてーっ、学年トップのトロフィー」
「おおー、みんなネギ先生のおかげだねっ」
「ネギ先生がいれば中間テストもトップ確実だー」

 まあバカレンジャーがこの成績を維持できれば希望はある。もともと底辺がそろって平均を下げていたのだ。この間のようなトップを維持するはさすがに無理でも最下位ってことはないだろう。

「万年びりの2-Aがネギ先生を中心に固い結束でまとまったのが期末の勝因。クラス委員長としても鼻が高いですわ」
 うれしそうに雪広が言う。
 デフォルトで後ろに大輪のバラを背負っているようなやつだが、ネギ先生が絡むと暴走しがちであるため、こういうときはいやな予感しかしない。
 右ひざを突いてネギ先生の手をとる雪広に、ミニスカでやるなと突っ込みたいが、ギリギリと歯を食いしばって我慢する。
 ここ最近は忙しかったから麻痺していたが、こういうクラスメイトの暴走はやはりなれない。

「はいっ、先生。ちょっと意見が」
「はい、鳴滝さん」
「先生は10歳なのに先生だなんてやっぱり普通じゃないと思います」

 おっ! やるじゃないか。双子のツリ目。
 なかなかの指摘である。クラスメイトもざわめいた。
 これで正常に戻ってほしいがまあ無理だろう。

「それで史伽と考えたんですけど、今日これから全員で学年トップおめでとうパーティーやりませんか?」
「おーそりゃいいねえー」
「やろうやろう、じゃあ暇な人は寮の芝生に集合!」

 ほらな。
 最近のわたしは強いんだ。いままでのわたしだった机に突っ伏して心の中で突っ込みを入れていただろうが、いまとなっちゃあこれくらいどうってことはない。
 予想通りすぎて泣けてくるだけだ。

「わあ、パーティーですって千雨さん。楽しそうですね」
「……楽しくねえよ。わたしはこの非常識なクラスメイトの事情を知ってある程度納得するようにはなったが、関わりたいとは思わない」
 声をかけてきた相坂に小声で返事をする。
 わたしは前から関わりを避けていたのだ。事情を知ったからといっていきなり社交的になれるはずもない。
 わたしはバックを持って立ち上がった。

「あっ千雨さん」
 ちっ、見つかった。
「なんですか、先生」
「あ、あの……えっと」
 ぎろりとにらみつける。
 先生は言葉に詰まった。
「わたしはちょっと体調が悪いので帰ります」
 ごちゃごちゃ言わずにそれだけを言い捨てて、逃げ出した。
 先生が背後で何か言っているが、まあ無視だ。
 あいつはクラスメイトと仲良くやればいい。変な縁が出来ちまったが、もともとあいつはわたしが関わりたくない筆頭の人種、魔法使いそのものなのだ。
 いまだに電話やなにやらでしゃべるくらいになつかれちゃいるが、それとこれとは話は別だ。
 基本的にわたしは先生ともクラスメイトたちとも一線を越えて仲良くなる気はない。

「千雨さん。でないんですか?」
 先生から逃げ出していると、横から声がかけられた。
 わたしの声をかけた綾瀬がいつもどおりのポケっとした顔のまま横に並んでいる。
「まあな。性に合わない。出ても雰囲気悪くするだけだろ……ああ、自虐的な意味じゃなくな」
「わかってますよ」
 肩をすくめて返事をすると、綾瀬がかすかに微笑みながら返事をした。
 こいつはわたしのことを割りとわかっている。
 べつに友達がほしい根暗な娘が、友達の輪に入る勇気が足りなくて……と言う訳でもない。
 そのような展開を改善することにかけて2-Aの右に出るものはない。ウチのクラスで交流の少ない人間は全員自分から交流を避けているものだけだ。
 筆頭はエヴァンジェリンとわたしである。

「つーわけで帰る」
「そうですか、それではまた明日」
「ああ、また明日」

 軽く手を上げて振り返らずに、わたしはその場を後にした。


   ◆


「あっ、千雨さん」

 教室で別れたはずの先生が寮の前に立っていた。
 なんで、寮の前で先生が待ち伏せてんだよ。

「何か用ですか?」
「あ、あの、さっき体調が悪いって言ってたので」
 そういうと先生はどこからともなくどくろマークのついたビンを取り出した。
 ギャグでやってんのかこいつは。

「これおじいちゃんから貰ったよく効く腹痛薬です。お一ついかがですか?」
「結構です。それよりもどうやってここにきたんですか? 学校からの電車には乗ってませんでしたよね」
「あ、はい。飛んできたんです」
 そういって軽く背中の杖を揺らす先生の頬をムニリとつまんだ。
「真昼間から飛んでんじゃねえよ、このアホ」
「い、痛いです千雨さん」
「だったら反省しろ、はったおすぞ。べつにそれは飛ぶ必要ないだろう? 電車に乗り過ごしたなら次を待て。ダイヤどおりに来る電車に間に合わないならそれは自分が悪いんだ。魔法で自分の失敗を補填するな。それだから魔法使いが嫌われるんだよ」

 以前に説教した内容だが、やはり先生は魔法が当たり前の世界の出身ということもあって、認識がまだまだ甘い。というより学園の許しを得たことがかなり心理的にプラスに働いているようで、余計にアクティブになっているような気さえする。
 まあ学園の対応を見る限り、わたしが過剰に反応しすぎだったわけだし、こいつにしたってわたしの説教なんかが、学園長たちの言葉に勝るなんて考えているはずがない。
「あっ……ごめんなさい」
 だが、ネギはわたしの言葉にシュンとうなだれた。
 意外と素直だ。
 それに嫌いという台詞にいやに反応する。
 涙目になった先生にさすがに罪悪感が沸いた。
 ポリポリと頭を書きながら言葉を続ける。

「イヤ……別に先生方がそういう方針ならわたしが言うべきことじゃないかもしれません。かかわらないって言っといて文句だけ言うのもなんなんですが、まあ、治したほうがいいってわたしが思うだけです。別段マギステル・マギになれないとかって話じゃありませんよ。わたしが勝手にそう思うだけですから。学園側が先生を許している以上、わたしみたいなのが何かを言う資格はありませんし。でも、魔法を使わなくてもよい場面で魔法を使っていたら、またばれますよ。それに魔法使いじゃない人間はいい気はしないでしょう、そういうのには」
「いえ、これからは気をつけます。マギステル・マギになれたとしても、千雨さんに嫌われるのは嫌ですから」
「…………そうですか」
 なんなんだこいつは。一発ぶん殴っておいたほうがいいんじゃないか?。
 にっこりと笑う先生にわたしの中の得体の知れない感情が揺さぶられる。
 こいつの一番恐ろしいところはこういうところだ。わざとだったら対処しようがあるが、天然では手に負えない。宮崎や相坂を髣髴とさせる。
 ちなみに相坂は学校である。あいつは寮の付近までは出張れない。

「あの、パーティーにこないんですか」
「ええ。わたしはあんまりなじめないので帰ります。ついてこないでください」

 変人集団と思っていたクラスメイトは魔法使いを含んだ正真正銘の人外軍団だったことを知って、わたしは今までよりさらにクラスメイトとの交流が少なくなった。
 このような行事は今までもたいてい欠席していたが、今はそれに拍車をかけている
 部屋に向かうわたしに当たり前のように先生がついてくる。
 この先生は人の言うことをよく聞く割に、変なところで思い込みが激しく頑固だ。今回もわたしをパーティーに出席させようとしているのだろう。

「ボクは千雨さんにも出てほしいのですが」
「わたしがこういうのに出ない生徒だってコトはウチの連中は全員知ってますから」
「い、いえ。その……」
「なんですか?」
「いえ……その、ボクが千雨さんに出てほしいんですけど」
「…………顔を赤らめないでください。告白前の小学生ですかあなたは」
「こ、告白だなんてっ」

 先生がさらに顔を赤くした。こんなところを委員長に見られたらどうなることかわからない。
 なにやらわからないが、相当になつかれてしまったようだ。
 べつだん悪い気もしないが、歓迎される事態というわけでもない。

「い、いえ、そういうわけでは。あっそうだ、宮崎さんや綾瀬さんも来ますけど」
「あいつらはわたしのことをよく知っているので、わたしが行かないのを気遣ったりはしません。むしろいったほうが驚かれるでしょうね」
「そんなことありません。友達と一緒にいないほうがいいだなんて!」

 ありえない話を聞かされたように先生が驚く。
 いつの間にかわたしたちは寮の部屋の前まで来ていた。
 このままだと部屋の中までついてきそうなので、振り向いて釘をさしておくことにした。

「先生。正直魔法使いに混じりたいとは思わないんです。わたしは自分がたとえなんであれ、やっぱり魔法使いとは無縁で暮らしたい。だからパーティーにも行きません」
「っ!?」

 ショックを受けたような顔をする先生を尻目に、玄関を閉めた。
 そのまま部屋に戻りカバンを投げ出し、制服を脱ぐ。
 プルプルと震えていた体を抱きしめる。

「うわあああーっ! やっと開放されたわー」

 今日はルビーもいないし、ホームページの更新でもするとしよう。

「ほんとにもうなんなんだ。ふつーの学園生活はこうじゃないだろ。ったくなんだってんだよ、みんなして! もっとふつーにだべって、教師に文句言ってテストの話やらドラマの話をしていろよ! 魔法だの忍者だのロボだのは小学校で卒業しとけっての。ったく、あーっ、もう!」

 パソコンを立ち上げて、伊達メガネを取り外す。
 カメラと簡易スタジオで背景を固めて準備完了。
 さあ、これからはわたしの時間だ、
 服を着替えて、化粧を調え、くるりと回って、ハイ、ポーズ。
 鏡で確認して、にっこり笑う。パシャリパシャリとシャッターきって、撮った写真を取り込んで。
 編集して加工して、あっという間にそこそこの顔が美少女へ。
 うん今日もばっちりだ。パソコンの画面にはばっちり衣装を決めた美少女がうつってる。
 よし今日もいっちょうネットでわたしを待ってるみんなにサービスするか!


「オッケー、今日もちうは華麗だぴょ―ん」


 ここ数日できなかった命の洗濯を始めよう。


   ◆


 アイスワールド>でも気持ちは分かるよなー。ちうたん美人だしー
 ちうファンHIRO>そうだねー。ネットアイドルの中では一番綺麗だよー
 ちう>えー? そんなことないよぉー。

 カタカタをキーボードで返信する。打ち込んだ文字にニヤついてしまう。うむうむ、やっぱりわたしはすばらしい。まあトップは当たり前だ。
 そして当然トップの座に慢心したりもしないのである。

「でもありがとみんなー、今日はお礼にニューコスチュームお披露目するよー」

 大き目の帽子とセットのキャラコスをしながらくるりと回り、手で帽子を押さえる振りをして、帽子の裏に隠れた遠隔のボタンで私自身の写真を撮る。タイマーは手間がかかりすぎる上、ポイントが絞りにくいためだ。この辺のこだわりもわたしをトップアイドルとして君臨させる一要素だろう。
 セーラー服からゴスロリ、魔女っ子からバニーまで。
 古目のものから最新物までアニメキャラもばっちりカバー。次は最近のお気に入りは魔女っ子戦隊モノの敵役。

 そう、これこそがルビーをドン引きさせ、エヴァンジェリンに弱みとして握られながらも抜け出せない長谷川千雨の秘密の一つ。
 麻薬のようにわたしを至福のときへと導く隠し趣味。
 ネットアイドルちうである。

 ああ、なんて気持ちいいのか。
 これであと数日はあのクラスメイトにかかわりながらも頑張れそうだ。
 アップしたデータの反応を見ながら、カタカタとランキングをチェック。
 二位に二倍ちかい差をつけてちうが独走だ。

「よし、来た来たー。ぶっちぎりのトップ!」
 ルビーと関わろうが、吸血鬼と関わろうが、子供先生と関わろうが、いずれはNET界のNo.1カリスマとなってやるという野望は消えていない。
 まあこのままならいつか、すべての男たちがわたしの前にひざまずくだろう、と半ば本気で考えながらふふふと笑う。

 フォトショップでお肌を修正。
 ネットにアップして、反応を確かめながら次の衣装を考える。
 チャットにはこまめに顔をだして、わたしの美貌に驚嘆する男どもをコントロール。
 笑みが止まらない。いやーやめられないよな、やっぱりさ。
 ルビーには超人願望なんてないといわれたが、それは自己顕示欲のなさに起因するものでなく、確固たるちうとしての誇りがあるからだ。あいつは正しい。崇拝される立場はなかなかにいいものなのだ。
 今だけは、魔術師としての思考を切り離し、そんな俗っぽいことを考える。
「まあ、表の世界では目立たず騒がず危険を冒さず、リスクの少ないネットの世界でトップを取るってのが一番だよな。魔法なんて真っ平だぜ、本当に――――」


「うわー、きれいですね。これ千雨さんですか?」


 キーボードを打っていた手がぴたりと止まった。
 おいおいおいおいちょっとまて。おかしいだろ。
 なんだよいったい今の声は。
 いやわかってるんだよ。心の奥底では。
 でもさあ、こういうのってやっぱりあるだろ。信じたくないとか夢だと思いたいとか。
 現実逃避ってやつだよな。
 わたしは意外と現実から目をそらすことが多かったりするんだが、最近ではルビーが現れたときも吸血鬼に襲われたときも平静を装えた。
 魔法使いに吸血鬼もなかなかのもんだとほめてくれったけ。
 だけどさ、さすがに今回ばかりはちょっと無理。

 ギギギと後ろを振り向けば、バカ面さらしてきょとんした顔の先生が立っていて
「あ、スミマセン。やっぱり千雨さんにも来てもらいたくて……ドアが開いてたので……」
 そんな間抜けなことを言っている。
 うっすらと赤くそまった顔はわたしのコスプレ写真が移った画面から外れている。というかむしろ、わたしの体から外されていた。

 ちらちらと向けられる視線をたどれば露出した太ももがあった。
 バニーガールのレオタードってさ、水着と同じ程度の露出度だけど、こういうところだとやばいよな。いや水着だろうと、部屋でやったらただの変態的なプレイにゃかわりない。
 わたしはこんな退廃的なプレイを楽しむような嗜好はないし、この先もやる気はない。
 画面越しとはまた違う羞恥心でわたしも顔が赤くなる。

「あ、あの。千雨さんは魔法使いとは関わりたくないっていいましたけど、あのクラスにいる魔法使いは千雨さんとぼくだけで……だから、ボクは千雨さんが来たくないなんていわれると……あの」
 ゴチャゴチャうるさい。
 まあこの先行うことは唯一つ。
 テンパって言い訳をしだす先生を横目に、わたしは大きく息を吸い込んで、


 部屋中に響き渡る叫び声を上げたのだった。


   ◆


「――――いいか、くそがき。ドアが開いてたからって勝手に入ったら犯罪なんだよ。わたしはあんたの事情を少しばかり知ってるからいいが、これを事情に明るくない生徒にやったらぶん殴られてもおかしくないんだからな」
「うう、ごめんなさい、千雨さん」
 正座したネギに説教をする。
 服はいまだにバニーガールの格好だ。つまるところレオタードである。
 冷静になるまえに説教を始め、着替えるタイミングを逃してしまった。
 というより頭が沸騰していて、そんな当たり前のことを思いつかなかったのだ。
 お綺麗ですね、などと当たり前のことをほざくネギ先生のほっぺたを存分に伸ばしてやった後、わたしは部屋の中で先生相手に道徳の授業を行っていた。

 先生のほっぺたには真っ赤なもみじが咲いている。
 当然の刑罰だろう。
 乙女の部屋に無断で侵入して柔肌をのぞいたのだ。本来なら包丁で刺しても許されるはずだ。
 理不尽に怒って、口答えしたらほっぺたをグニグニともてあそんで、反論しようとしたら服をつまんでため息をはいて、先生の言葉をけん制する。
 正直数ヶ月前に勝るとも劣らないくらいに白熱してしまった。
 そんな手を使いながらいじめたおしたあと先生を解放する。

 すでに三十分近い。さすがに寒くなってきたので止めたが、本来なら夜までこのバカを説教しても良かったところだ。
 先生はふらふらとしながらも、わたしの説教に対してかけらも反発心を抱いていないようだった。
 ごめんなさい、といい頭を下げる姿にはマジで反省の色しかない。
 素直すぎないか、こいつ? 詐欺やら悪い女やらにだまされないか心配だ。

「まあ、これからは気をつけてくださいね。神楽坂と同居してるんでしょう。あいつに同じことしたらしゃれになりませんよ、きっと」
 さすがに罪悪感が沸いてきた。そろそろ着替えもしたいし、わたしは許してやるかという気になり、偉そうに先生に言った。以前と違ってわたしと先生だけの催しだ。わたしからの許しですべてが完結するそういう議論。
 わたしはネギに忠告をしながら立ち上がる。

「はい、わかります」
「わかりますって……まさか、着替えを覗いたことでもあるんですか?」
 さすがにドン引きだ。
「いえ、教室で服を吹き飛ばしてしまったときや、前に間違ってベッドに入ってしまったらすごく怒られましたから。あとはお風呂で胸の大きくなる魔法をつかったら失敗してしまったときもですけど」
「あー……。そういや相坂が……。まあ、それは怒るだろ」
「いえ、たまたま……」
「そんなたまたまなんて起こる訳ないと思うけど。いやまあ、別に神楽坂がいいならいいんだけどさ」
 話を続けたくもない。
 最後の最後でとんでもない話を聞いたような気もするが、触らぬ神に、ということでさっさと送り出そうと先生を促した。

「そういえば先生は、なんの用だったんです?」
「えっ?」
 口調を改めて、問いかけると、首をかしげる先生。
「いや、だからなんでわたしの部屋に来たんですか? 何か用があったのでは?」
「えっ、あ。そうでしたっ!」
 突然大声を上げる先生。
「ボクは千雨さんを呼びにきたんです」
「よぶ?」
「はい。2―Aがテストで学年一位を取ったお祝いパーティーにやっぱり千雨さんも出てほしくて!」
 さっきわたしが断った問答はなんだったんだ。
 それは小さな親切で大きなお世話の典型だ。しかしわたしはそれよりももっと気にかかることがあり、文句を言う前に先生を問いただす。

「……先生、もちろんうちのクラスメイトには断ってきたんですよね」
「えっ?」
「だから、わたしを呼びにいくから席をはずすとか何とか、誰かに言ってからきたんですよね」
「いってませんけど?」
 きょとんとした顔を返されても困るんだ。わたしは頭痛を抑えながら、先生をたたき出そうと肩をつかんだ。
 時計を見る。かなり時間がすぎている。これは結構やばいんじゃないか?

「あのですね。それじゃああいつらが先生を探してるに決まってるでしょう。わたしはいいので、先生はすぐに戻ってください。先生が主役みたいなものなんですからいなくなったらパーティーも何もないでしょうから」
「えっ、でも千雨さんも」
 肩をぐいぐいと押して玄関に向かわせるが、先生はいまだにわたしを気にかけているのか、玄関先から動こうとしない。
 わたしをどうしても連れて行きたいようだ。
 ああ、もう根負けだ。レオタードのままいくわけにゃあ行かんが、着替えていくべきだろうかとため息を吐いた。
 先生に先に行っていてくださいといおうとして、わたしは直前で動きを止める。
 玄関の外から聞きなれた声が聞こえてきたからだ。
 つまり、

「もうどこ行ったのよあいつはー」
「いま先生の声じゃなかったー?」
「ああ、長谷川の部屋にいるんじゃないのか?」
「千雨ちゃんの部屋? なんで?」

 愛すべき我がクラスメイトが先生を探しにきたらしい。
 ぼけた先生がパーティーのことを忘れて寮に帰ってしまったとでも思ったのだろう。こいつは連絡手段を持ち歩かない。
 それに気づいて玄関向こうに声を上げようとする先生の口を間一髪でふさぐ。
 もごもごとうごめく先生を胸元に抱き寄せた。

 冷や汗がたれる。
 これはやばい。というか先生はもう少し空気を読んでほしい。
 ここで先生に玄関を開けられたら、いま外にいる連中が見るのは玄関先で先生と一緒にいるレオタード姿の長谷川千雨だ。恥辱で軽く死ねる自信がある。

「……んあぅ!?」

 と、なれない感触で微くんビクンと体が震えた。
 もごもごと先生が胸元で動いている。
 レオタード一枚で胸元に先生の頭。どんなサービスなのか。
 自分の上げた奇声で顔が真っ赤になったのを自覚した。だがここで放せば先生が声を上げてしまうだろう。
 羞恥心に耐えながら、黙ってろ、という意味と力をこめてギュっと抱きしめる。
「…………んっ、ちょっと先生。あんま動くなよ……ちょ……あっ、いやっ……ひぁ」

 ああ、黙らせるのに抱きしめたのは間違いだった。
 後々思えば息が出来なくて苦しがっていたのだとわかるが、このときはそんな考えは浮かばなかった。
 もぞもぞと動く先生が色々とやばい部分をこすっている。
 密着した胸元に先生の息がかかる。その熱さに腰が砕けそうになる。
 顔が際限なく熱くなるのを感じる。
 やばい思考がぐるぐると頭の中を回っている。変態かわたしは。
 玄関先からは依然声が聞こえてくる。
 外にはかなり人数がいるようだ。かなりやばい。
 これでは出て行くわけにも行くまい。

「ねえねえ、チャイム鳴らしてみようよ」
「そうね。長谷川さんに先生のことを聞いてみましょうか」
「千雨ちゃんに電話すればよかったね」
「だね、ちょい無駄足だったかも」
「千雨ちゃんはいつもいないからねー」
「ここまで来ちゃったし、部屋にいるならいいじゃん。ついでに先生のことしらないか聞いてみようよ」
「そうですわね。もしかしたらネギ先生が千雨さんのことをお誘いに来ているのかもしれませんし。ああ、それどころか千雨さんと一緒に部屋の中に、なんてことも……」

 まさか委員長までいるのか。邪推ともいえない台詞がやばすぎる。
 押しかけられてもこっちは対応できないんだよ。
 先生に声を上げられても終わりだ。
 外からの言葉通りにチャイムが鳴るが、返事は出来ない。
 ピンポーンとやけに響く音に冷や汗をかく。
 格好が格好である。先生を奥に追いやって玄関先で対処するには時間が足りない。八方塞がりだ。
 口をふさいだまま。ズリズリと部屋の中に撤退する。

「…………っ!? っ」
「んっ、くあ……あっ!? ちょ、ちょっと先生っ! てめえ、あばれんなよ、おい。少し黙ってろ。ばれるとわたしがとばっちりを……って、うわっ!?」

 先生を引きずりながら、後ろ向きに進む。反射的に強く抱きしめられた先生が身じろぎをし、それに気をとられたわたしは、そこにあった衣装に足をとられてすっころんだ。
 ドタンと、割と大き目の音がする。
 血の気が引いた。
 わたしの想像どおり、外の連中もその音を聞きつけて――――

「なになに、いまの音」
「いやー、怪しい感じだねえ。密会がばれて浮気相手と逃げ出そうとしたら転んじゃったときみたいな音だよ」
「どんな音ですか、それは」
「パル、駄目だって勝手に開けようとしちゃ……」

「浮気ですって! もしやネギ先生がっ! はっ、まさか居留守!?」
「いいんちょ、さすがにそれはないでしょ。だって千雨ちゃんだよー」
「いやー、そんなことはないね。実は結構ラブ臭がしてるような気がしてるんだよね! 甘酸っぱい感じで!」
「まあハルナの世迷言はともかく、千雨さんは意外と先生と仲がよかったはずですが」
「うん、そうだね。この間も外で一緒に掃除をしてたみたい」
「あーそうね。ネギは結構部屋では長谷川の話をしてるかな」
「ちょっと! それ本当ですの、アスナさん!」
「んっ、玄関のカギあいてるじゃない。ちょっと千雨ちゃん、いないのー?」

 ガチャリとノブが回り扉が開く。
 カギは開いている。そりゃそうだ。
 先生がカギが閉まってなかったとわたしの部屋に入り込み、わたしは先生を見つけてずっと説教をしていたのだから。
 つまり玄関のカギは開けっ放しだったということで、

 わたしは無我の境地でそのときを受け入れた。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 玄関を開けた神楽坂たちと目が合った。後ろからはクラスメイトが勢ぞろい。
 わたしはレオタード姿に簡易な上着を一枚きりで先生を胸元に抱きかかえ、先生を上に抱えて地面に横になっている。
 先ほどからのセクハラで上着がはだけ、わたしは羞恥でまなじりに涙まで浮かべている
 雪広と朝倉の目が怖い。
 あの早乙女まで驚いた表情を隠せてもいないってんだから深刻さもわかろうというものだ。
 ああ、無我の境地ってのはこういうことか。
 わたしは一斉にあがる叫び声を聞きながら、ネギ先生と神楽坂の騒動を思い返していた。

 ほんとに悪いな、神楽坂。お前の話を笑って聞いていたけどさ、これは当事者になったら笑えない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ストーリーが進む本編と必須イベントの幕話でした。なんだかんだいっても絶対に常識人ではない千雨女史の必須イベント。ここの千雨はどう考えてもネギ先生に手を引かれてついていくようなキャラではないので、余計被害を食いました。
 前の話と合わせて先生が出張り気味ですが、次回から数話はほとんど先生は出なくなります。
 あと、ストックを作っていく作業に投稿が追いついてきているので、来週の投稿はいままでの文章量は確約できません。一話分ならたぶんいけますけど、今後どうするか迷い気味です。投稿はするつもりです。
 それでは来週、またよろしくおねがいします。




[14323] 第12話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/02/07 01:06


 長谷川千雨は、その日友人と喫茶店でお茶を飲んでいた。
 パッとしない私服姿の千雨と、その前にはギリギリ可笑しくない程度に少女趣味な服を着た同年代の少女が座っている。
 千雨は呆れ顔で傍らの少女を眺め続けていた。
 その少女の前のテーブルには十枚に届こうかという皿がつみあがっている。
 さらに数分あきれたようにその光景を眺めてから、千雨が口を開いた。

「しっかしよく食うな」
「おいしいですから」
「まあ、そりゃその表情を見ればわかるけどな」
「おいしいですから」
「だからって食いすぎだろ」
「おいしいですから」
「…………存分に食べてくれ。食事は逃げないからな」

「はいっ!」

 あまりにいい笑顔で即答する彼女に千雨は軽く笑うと、手元のストレートティーで口元を湿らせた。
 千雨はまだこの一杯しか頼んでいない。
 彼女の食べっぷりを見るだけでおなかが一杯だったためだ。

 彼女の記念だから今日は奢るといってあるものの、なかなかの値段になりそうだと千雨は思う。
 エヴァンジェリンから金はもらっているから、べつだん構わないが、周りの視線が少々痛い。
 まあ“食事”は幾十年ぶりだということだ。甘味が味わえるのはうれしいのだろう。
 それがケーキを10皿ということにつながるのは、まだまだ体を得て一日とたっていない身の宿命か。

 いうまでもないが、千雨の前で喜色満面に食事を楽しむ女の子。

 名を相坂さよといい、つい先日まで幽霊として活動していた長谷川千雨の同級生である。


   第12話


 人形が食事を取るというのは、実際には現代科学をはるかに超越した技術である。
 現代技術どころか、その実、未来技術まで取り入れられている絡繰茶々丸でさえ食事の振りすら不可能だ。その体に食事の真似事をする機能を組み込むことは出来ても、それを食事として利用するのは夢の夢。
 そもそも絡繰茶々丸は人ではない。人の形をしているだけで、中身は人ではないのだ。魂の有無は別にしてもその動作は人とは遠い。
 それは人型のロボットであり、人ではない。
 彼女は魂を持ったロボットで、基本は科学。

 また魔法ならば人が出来るのかといえば、それも否。
 食事も何も、その本質は藁人形と大差ない。人形では胃と腸どころか口から続く穴がない。
 もう少し高度に製作すれば、魔法で人の真似はさせられる。
 つまり茶々丸の姉のチャチャゼロだ。
 彼女は魂を持った人形で、基本は魔法。茶々丸と異なり、食事は取れる。
 だがやはり、胃も腸も介さないその機構は根底から人とは異なる。

 ルビーの提案により相坂さよに体を与えると聞き、エヴァンジェリンが最初に想定した相坂さよの依代も純粋な人形だった。魂をこめる核とそれを覆うヒトのカタチ。
 だがルビーの考えは違った。彼女の世界の人形とはまさにヒトの代わりである。
 食事などいうに及ばず、見た目には人と変わりない。食事も取れるし、トイレも行く。
 本来ならば外部からの霊体に頼らずとも自我を持ち、究極的に自分で自分を人間と思い込ませることすら可能な、そういう存在。
 人形にしか出来ない動作すら否定して、人を模したヒトガタだ。

 人には備わっていない超音波式のソナーや赤外線センサをはじめとする魔法認識による六感を超える索敵系に、ジャイロ効果による絶対的な安定性、電気仕掛けでぶれることのない精密性と間接部に球体間接を取り入れることによる柔軟性。そういうものを有利として取り込む茶々丸やチャチャゼロは人とは異なることを明確に示しているのに対し、ルビーの指示のもと作られたこの肉体は、不都合ささえ人の代わりとして愚直に取りいれている。
 ただ人の代わりを求め猛進した魔術の奥義。

 体を割れば歯車が見えるらしいが、どこまで本当なのかと千雨は疑ってすらいる。
 相坂さよの体は傍目には完全に人と区別がつかない。

 ルビーの言葉を借りると、人形師として活躍する世界のルビーを千雨が憑依し、ルビーの指揮下の元、人形を形作ってそれに相坂の魂を固定した……ということだが、自分で手伝ったくせに千雨はその辺のことは完全にはわかっていない。
 ただとんでもないことをしたらしいということだけだ。
 本来ならば人形師の可能性を持つ千雨自身を呼び寄せるべきらしいのだが、千雨のスキル不足と、なるべく早く完成させたいという千雨の要望の結果だった。
 しかしこうして相坂さよが食事を楽しんでいるという現状がある以上、ルビーが実体化する夜ごとに、エヴァンジェリンの家に入り浸った甲斐はあった。千雨に不満はかけらもない。

 もっとも相坂さよにとってはその辺はわからないままでよい。
 魔術の受け手として問題なのは結果だけだ。
 いまこうして体があるなら不満なんて何もない。
 特に彼女は食事が取れるということに非常に喜んだ。
 食いしん坊だったというわけではあるまいが、食事とは三大欲求のひとつである。久々に食べたケーキに夢中になるのもわかろうというものだ。
 結局相坂さよは十一皿のケーキを平らげたのち、ケーキだけでお腹いっぱいになってはもったいないです、との言葉を残して食事を中断した。
 味覚に問題はないようだが、こいつの体となった人形の満腹中枢が破損していないことを祈る。

「よく食うなあ。次はどうするよ? ははっ、ラーメンでも食べに行くか?」
「いいですね、それっ!」
「…………いや、うん。相坂がいいならいいんだけどさ」
「どうしたんですか、千雨さん」
「太るんじゃないか? いいのか、花も恥らう乙女が」
「ふふふ、わたしは少しくらい太っても平気ですよ」
「そりゃ早乙女あたりに聞かせてやりたい言葉だが……」
「太れる、というのはおいしさを感じるのと同じで生きている証ですからね!」
「そいつは重畳」

 怪我や病気をしても同じようなことをいいそうだった。
 間違いじゃあないだろう。
 健康のありがたみは病気の後にかみ締めるもの。
 食べ物のおいしさは久々のご馳走で味わうもの。
 それなら生の喜びはきっと死のあとに味わえるということか?

 そこまで思考を進めて、ふふふ、と千雨はこっそり笑い、首を振る。
 彼女は相坂さよの復活を死者蘇生とはとらえていない。
 ルビーがなんといおうが、エヴァンジェリンがどう考えようが、千雨は自分で考える頭があった。
 千雨のイメージでは相坂さよは今も昔も“死んでいない”。

 過去、死とは肉体の死を指した。肉体が死ねば脳も死に、そして魂が天に昇る。
 今は脳死と死の境が論争される。脳死とは戻らない脳の傷。
 しかし、脳死の後に意識が戻る実例が報告されれば、脳死は死ではなくなるだろう。

 それならば肉体を失ったのちの幽霊という概念と、その後の復活が立証されるならば、肉体の消滅すら死ではないということになる。

 記憶が脳ではなく魂に刻まれて、それが肉体を失っても形を保てるというのなら、それは可逆の怪我であって死ではない。肉体を失っただけで死んでない。
 だから結論も簡単だ。

 こうして肉体を持った以上、相坂さよは“死んでいなかった”。

 そうなるのが道理だろう。
 だがそこまで考えて長谷川千雨は思考をとめる。
 ここから思考をつなげていけば、きっとそれはこの社会で叫ばれる常識と根源的に対立することになるだろう。
 千雨は考えるべきでないことを考えずにいられる能力があった。
 ルビーやエヴァンジェリンが持ち得ない特性である。
 いま相坂がいて、ここでケーキを食べている。それで十分。

 千雨は頭を切り替えて、生の楽しみを謳歌する相坂さよと一緒に今日を楽しむことにする。

    ◆

 数時間がたち、大体満足したのか、相坂さよは長谷川千雨と麻帆良学園に向かっていた。
 お昼をかなりすぎたところだ。
 結局今日街へ出かけたのは食べ歩きツアーで終わってしまった。

「服とか雑貨を買いにいったんだがなあ」
「細かいのは購買で買えますから。わたしは今の流行はよくわかりませんし」
「相坂はそういうのチェックしてないのか?」
「幽霊のときは時間はありましたけど、お昼は学校にいましたし、街までは出られませんでしたから。コンビニにいっても本や雑誌は人の肩越しでもないと読めませんでしたし、皆さん着ているものは基本的に制服です」
「ああ、なるほど」

 雑談をしながら歩いていると、寮のほうから喧騒が聞こえてきた。多数の人物がいる麻帆良中等部の女子寮だが、騒ぎはたいていが3-Aが原因である。
 千雨は半ばうんざりしながら、どうしたものかと思案した。
 彼女としても“まだ”相坂さよと一緒の姿を見られたくはない。


 適当に人を避けながら部屋に戻る。
 その後、まってろと一言言い捨てて、千雨が部屋の外に出た。何があったのかを調べにいくのだろう。
 いつもの千雨ならこのような喧騒は部屋にこもって無視するだろうが、今日は少し事情がある。千雨は喧騒に巻き込まれると困るのだ。

 部屋から出て行った千雨を見送り、さよはベッドに寝転んだ。ご飯を食べて外を歩いて疲れたままベッドを前にすると眠くなるのだ。久しぶりの現象である。

 部屋の外はまだ騒がしい。ネギ先生とかパートナーとか言う声が漏れ聞こえてくる。
 またネギ先生が騒動を起こしているのだろうか?
 千雨についていきたかったが、さよは自重した。なるべく顔を見せないようにといわれている。

 こういうときは幽霊のほうが便利だったとも思うが、幽霊に戻りたいとは思わない。
 ぜったいに戻れないと思っていた体にもどった。
 幽霊のままでよかった。誰かがわたしを見てくれればそれで十分だった。
 話してくれるならそれ以上はないと思っていた。友達になってくれるなんて幸福はありえないと思っていた。
 だけど千雨さんが現れた。
 彼女が話してくれて、友達になってくれて、そして今こうしてわたしを人に戻してくれた。

 ごろりと寝返りをうった。千雨さんが部屋の外に状況を調べに行く際に、わたしに部屋のものをあまりいじらないようにといわれた。
 きっと“ちう”関連のことだろう。長谷川千雨の秘密のひとつ。ネットアイドルの長谷川千雨。
 ふふふと、ベッドの上を転がった。自分の幸せが信じられない。
 枕を胸に抱いて匂いをかいだ。いい匂いだった。
 ネットアイドルの長谷川千雨。
 その言葉は納得だ。彼女は相坂さよにとってアイドルでヒーローだから。
 まどろみの中、彼女はそう考える。
 そうして、相坂さよはいつの間にか眠っていた。


   ◆◆◆


「ふむ、戸籍は以前の相坂くんのものを変えることにすべきか……名前は変えたくないじゃろうし」
「ベースがあるからある程度は楽だっただろうが。文句を言うな」
「なにをいっとるんじゃ。戸籍はゼロから作るほうが楽なんじゃよ。当たり前じゃろうが」
「それは完全に白紙からの場合だろう。あいつの名は貴様が学園名簿に残したままだろうが。自業自得だ」

 ちょうどそのころ、学園長室でエヴァンジェリンと学園長が話していた。
 それを離れて高畑が見守っている。
 部屋にはその三人しかいない。実質的にこの学園で最も影響力を持つ三人である。

「それにしてもエヴァがこんなことをするとはね」
「これは純然たる契約に基づいた行動だ。わたしは戸籍と根回しが終わればもうあいつに用はない」
「そうなのかい? でも、相坂くんがなれるまではエヴァがサポートをしてやってくれないかな」
「……まあ、やってもかまわんが、世話ということなら長谷川千雨に任せるべきだな」

「えっ……長谷川くんかい?」
「あいつは相坂が見えていたからな。今回相坂さよにヒトガタを与えたのも千雨の頼みによるものだ」
「ああ、やはりそうじゃったか。それに相坂くんのヒトガタのう……。もう報告にあがっとるが、ありゃ洒落になっとらんじゃろ、まるっきり人と変わらんが、何なんじゃあれ?」
「新技術だ」
「新技術というか、革命的過ぎる気がするんじゃが……」
「そうだね。ちょっと詳しく聞いておきたいんだけど」
「あとでさわりくらいは話してやる。そういうわけでタカミチ、今後相坂さよの世話は千雨に任せておけ。相坂さよもなついている」
「い、いや、いきなりそんなことを言われても、難しいとおもうけど」
「当日入りであのガキを近衛の部屋に入れたくせに何を言っている」
「いや待つんじゃ、タカミチくんにエヴァンジェリンよ。その話はあとで長谷川くんも交えて行うべきじゃろう。それに長谷川くんのことじゃが……」
「ふむ、そうだな。……どうするべきか」

 面白いことを思いついたとエヴァンジェリンが意地悪く笑う。
 彼女は悪人ではないが性悪だ。
 長谷川千雨がネットアイドルであることをひたかくしにしていることも、魔法について秘匿していることも知っている。


「エヴァンジェリン。相坂の体の件だけど」
「ああ、新学期までには出来上がるな。ルビーの技術とやらは面白い。だがチャチャゼロや茶々丸に施しているのとは毛色が違いすぎて参考にすることも出来ないのが難点か。“妹”を作ることになったら試してみたいものだが……」
「いや、それは勝手にやってほしいんだけどさ。相坂の体を作ったあとのことについてだけど――――」


 数日前に千雨はエヴァンジェリンのところに出向き、一対一で場を設け、そんな会話を交わしていた。
 そこで千雨はいくつかのことをエヴァンジェリンに伝えている。
 そのとき、止むを得なければ、長谷川千雨が魔法にかかわっていることを学園長たち相手に正式に認めてもよい、ということになっていたのだが、

「なあに、あいつは認識障害への耐性をもつ、ちょっとした事故で相坂を視認できるようになったただの小物だ。詳しくは長谷川千雨に聞くといい。ちょうどいいから呼んだらどうだ?」

 エヴァンジェリンは、まったく表情を揺るがせずに言い切って、学園長とタカミチが少し驚く。


   ◆◆◆


「おい、おきろ相坂」
「う、ん……あっ、千雨さん。おはようございます」
「おはやくねえし、朝でもねえよ。夕方5時だ」
「うー、すいません。こうして眠るのも久しぶりなので……」
「食欲の次は睡眠欲かよ、まあいいけどさ。三大欲求だっけか」

 反射的に言葉を続けようとして千雨が口を閉じた。さすがに品がなさ過ぎる。
 だが、続く言葉は聞くまでもなくあまりに明白である。
 カア、と相坂の顔が赤く染まった。嫌そうではないのが、また深刻である。一人でやるならまだしも、対象が自分に向かったり、むやみと適当な男に走らないことを祈るだけだ。

「赤くなんなよ。わたしまで照れるだろ」
「す、すいません」

 こんなのばっかりだ、と千雨がつぶやく。最近の彼女はイベントが盛りだくさんである。
「あ、それで外の騒ぎはなんだったんですか?」
 さよが千雨に聞いた。外の騒ぎは収まっているようだった。
 千雨は呆れ顔を隠そうともせずに答える。
「なんか先生は結婚相手を探しにこの学校に来た某国の王子だ……みたいな話がひろまったらしい」
「はあ、なんというか……すごいですね」
「相変わらずすぎて言う言葉が出ないよ」
「ああ、この間はすごかったらしいですね。皆さんしゃべってましたよ」

 千雨が顔を引きつらせる。この間先生に押し倒された件は表面上は沈静化したが、やはり尾を引いている。クラスメイトも自分もネギも。
 ネギはやはりガキなのだ。いくら天才でもいくら魔法使いでも、自分よりもさらに子供の未熟者。そして引くことを知らない直情型の善人だ。
 純真で悪意なく騒ぎを起こすネギは、ひねくれ者である千雨の天敵だ。
 千雨は最近の記憶を忘れようと頭を振った。あの騒動の記憶を覚え続けるなんてのは不毛すぎる。

「ん、まあそれはいいんだ」
 話を切り替えるように、それでだな、と千雨が言葉を続ける。
 さよが首をかしげた。なんの用かと疑問に思ったからだ。
 だが、それは間違いである。もともと千雨は今日このために相坂さよを連れ出したのだ。

 今日この日に間に合うようにルビーをせかし、
 今日この日で間に合わせるようにエヴァンジェリンに懇願し、
 今日この日に間に合わせるように、相坂さよのヒトガタを作りあげ、
 そうして、新学期の始まりまでに、相坂さよを“相坂さよ”に戻すと決めていた。

 千雨は相坂さよのことを知り、ルビーに人形のことを聞かされた。
 だからその先の思考は当然一つ。
 相坂さよににヒトガタを、とただそれだけ。

 もちろん相坂さよも了解済みだ。
 ルビーと千雨がヒトガタを作りはじめたときに、さよはきちんと説明を受けていた。
 これに入ればもう霊体には戻れない。
 それは当然だ。千雨が霊体になれないように、さよが霊から人になるのなら、もうその後は霊には戻れない。
 以前それを聞いたとき、その問いに相坂さよは頷いた。

 だけど、相坂さよが聞いておらず、長谷川千雨が懸念することが一つあった。
 無駄に心労をかけるつもりもないからと、千雨はそれをいわなかったが、考えれば誰にでもわかること。
 相坂さよは人になった。“魔法使い”になったわけでない。
 相坂さよは人になった。“吸血鬼”になったわけじゃない。
 人に気づかれない相坂さよは、人に気づかれる相坂さよになったのだ。

 つまり、彼女には戸籍がいる。家がいる。金がいる。
 学校に行かなくてはいけないし、衣食住が必要だ。
 それに魔法使いたちに根回しもいるだろう。
 彼女は霊から人になり、そして百を超える厄介ごとを生み出した。
 相坂さよはその厄介をさをあまり理解できていない。
 だからこっそりとすべての準備を終わらせた。
 エヴァンジェリンに根回しを頼み、できる限りのことをした。
 借りが出来るが、そんなものは相坂さよとは比べられない。
 それらすべてを終わらせたときこそが、初めて相坂さよを霊から人に戻す作業の終結である。
 そう。だから――――

「どうしたんですか、千雨さん」
「なに、どっから説明したもんかとな。大団円で終わったことを喜んでたところだよ」

 その苦労も今日でおしまい。
 学園長室で千雨が受け取った、そのアイテム。
 千雨は相坂さよの顔写真が張られた学生証を手渡しながら微笑んだ。


   ◆


 ルビーやエヴァンジェリンにいくら甘い甘いといわれても、麻帆良学園の魔法使いは優秀ぞろい。
 エヴァンジェリンが話を通して数時間後には、大体の話が整っていた。
 学園長室でエヴァンジェリンが大嘘をつき、千雨が呼ばれ、冷や汗を隠しながら千雨が会談を行った。

 絶対にばれているような気もするが、見逃してくれたのか、千雨に対して魔法の追求はほとんどなかった。
 この学園はいくら怪しいものがいても、決定的に動きを見せるまでは監視で済ませる。ルビーがかなりの騒ぎを起こしているにもかかわらず、このような対応をされるのは、やはり懐の深さからだろう。
 この学園にこういうところがあるのは、ネギの話を聞いたときから千雨も感じていたことだが、実際に体験すればやはり驚く。ルビーがいまだに信じきれずにいるのも分かるというものだ。

 もっとも、詰問や牽制すらせずに放置されたのは、さすがにエヴァンジェリンの下についたことが大きいのだろう。千雨はこんなところでも着々とエヴァンジェリンに借りを作っている。


 そうして学園長室での話し合いが終わり、千雨が寮の自室に戻った後、相坂さよとまったりとした時間を過ごしていると、携帯電話にエヴァンジェリンから連絡があった。

「千雨か。相坂さよの部屋だがな、今日はお前の部屋に泊めてやれ。いきなり貸し部屋に放り込まれるのもなんだろう。ああ、寮室もそのままお前の相部屋でもいいらしいぞ」
「はあっ!? 相部屋ってなんだ? 相坂の部屋を新しく用意してくれるんじゃないのか?」
「相坂さよの体はぎりぎりまで秘匿していたからな。許可とか戸籍は当日でどうにかなるが、部屋まで手を回すのはめんどくさいんだよ。お前の部屋でべつにかまわんだろ」
「かまうにきまってんだろっ!? そういうのはさっき言えよっ!」
「お前が反対しそうだったからな。別にいいだろ」
「いいわけねえだろっ! てか今日だって宿直室とかあるじゃんっ!?」
「わたしはここでぜんぜんかまいませんっ」
 携帯電話に怒鳴る千雨の横から相坂が顔を出す。

「こっそり顔よせてきいてんじゃねえっ! いきなり一人増えてなんとかなるような部屋の使い方してねえんだよ、わたしは!」
「うっ……そうですよね」
「うぐっ」
 儚げに相坂が微笑んだ。千雨がそのあざとい表情に詰まる。

「……わたしは今まで夜はずっとひとりでしたから、きっと千雨さんと一緒なら楽しいだろうなって思ったんですけど……でも、大丈夫です。駄目なら、わたしは宿直室でひとりで夜を越すのも平気ですから……」
「ず、ずるくないか、それ?」
「ずっとお部屋をお借りするのは無理でも、一晩くらいは一緒に夜を過ごして見たかったんですけど……」
「い、いや。泣くなよ相坂。てかその表現もおかしいだろ、絶対。おい。わ、わかったよ、一晩くらいならいいし、わたしもいやじゃないからさ、ほら、泣くなって。って! ……うひゃっまてっ、抱きつくなっ! やっぱウソ泣きか、テメエっ!」
「ふむ、問題なさそうだな」
「あるに決まって――――」

 プツン。と電話が切れた。
 呆然と携帯を眺める千雨。
 ここで切るか、普通? 躊躇なく切りやがって。
 それくらい学園長たちだってわかってんだろ。代案くらい出なかったのか?

 すぐにでもかけなおしたいが、腰には相坂が抱きついたままだ。こいつの説得をしてからか?
 自分の境遇に千雨がなきそうになっていると、さらに玄関からインターホンの音が聞こえてくる。
 千客万来だ。ヒキコ気味のパソコンオタクにゃ少し辛い。

「あーもう、なんなんだよ。相坂っ! くそっ、一晩くらいでも、この部屋をよく見ろよ。一緒に抱き合って寝る気かっ! って頷くなドアホ! くそっ、エヴァンジェリンめ、後で話をとおしに行くからなっ! ほら離れろ、相坂っ。誰か来たからっ」
 腰元にすがりつく相坂を引っぺがすと、玄関に向かう。
 一応インターホンは押すものの、返事がなければ、そのまま入ってくるバイタリティのあふれる教師や、その生徒に覚えがある身としては、無視も出来ない。この場面を見られれば、以前の二の舞だ。
 ムキュウと声を上げる相坂さよはベッドの上に転がった。

「はいはい、誰ですか」
「あっ、千雨さん。あの、相坂さんの制服を持ってきたんですけど。なんか新学期からクラスに加わるそうで、詳しい話は千雨さんに聞くようにってタカミチが……」
 ドアを開ければ、そこにはネギが立っていた。
 タイミングが狡猾過ぎる。完全に仕組まれている気がする。
 エヴァンジェリンへの文句は後回しにするしかあるまい。
 千雨はいったんエヴァンジェリンへの怒りを抑えると冷静に対処することにした。

「ったく、いま忙しいんですけど、まあ入ってください」
 先生を部屋に招きいれる。
 先生を適当に奥に案内して、対応を相坂に任せる。
 厄介な客だが、用件が真っ当である以上、お茶の一つは出すべきだろう。

 お茶を用意してからテーブルに戻る。
 相坂とネギはお互いをちらちらを見ながら無言だった。千雨の登場にほっと一息をつく。

「あー、っと。先生は相坂のことどのくらい聞いてますか?」
 ここでまた先生と騒動を起こすと、厄介そうなのでさっさと本題を切り出すことにした。
「いえ、ほとんど聞いてません。少し事情があるから、ウチの生徒のエヴァンジェリンさんですか? あの人と千雨さんがチューターになるって」
 む、と千雨がうなる。

 少し驚いた。先生はエヴァンジェリンのことすら知らないらしい。
 ルビーがいうにはかなりの化け物らしいし、その変人ぷりは身を持って体験している。
 相坂の体を作りにエヴァンジェリンの部屋に入り浸ることで、だんだんと慣れてきたが、千雨は未だにルビーの過去と同じレベルでエヴァンジェリンの悪夢に悩んでいるし、あいつは魔法世界ではとんでもなく有名人だとルビーも言っていた。魔法使いである先生が気づいてすらいないのは、予想外だ。
 少し悩むが、先生の顔に嘘はない。あいつは自分の本性も、その影響力も先生に隠しているようだと、千雨は納得した。
 エヴァンジェリンは悪党である。そういう胡散臭い点もあるだろう。

 ちなみに、相坂の件を学園側に認めさせるのに関して、千雨はエヴァンジェリンに全てを任せている。
 苦手意識やトラウマに行動が影響されない点は、ルビーやエヴァンジェリンが高く評価する点だが、千雨自身に自覚はない。
 そもそも千雨は自分が学園を相手に立ち回れるとは思っていないし、秘密裏に動くルビーは交渉以前の問題だ。千雨がすべてをエヴァンジェリンに任せたのは必然ともいえる。

「相坂はわたしの友人なんです。わたしが魔法使いだということも知っていますし」
「そうなんですか!?」
「ええ。ついでにさっき学園長ともその話をしてきました。一応魔法に関わったこともばれたので、先生の相談にも乗ってやるようにと。まあ、わたしが魔法使いだってことは黙ったままなので、先生も言わないで下さいね」
「え、あっ、はい。学園長とですか」
「ええ。エヴァンジェリンも交えて、相坂を復学させる話とわたしが魔法生徒とか言うのになるかどうか、見たいな話をしてきたんです」

「ああ、じゃあこの部屋にお住まいに?」
 相坂が千雨の部屋にいるこの現状を見て、ネギが言う。
 だが、千雨は薄く笑って否定した。こいつの素直さもエヴァンジェリンとは別のベクトルで厄介である。
「そりゃ無理でしょう。今日はまあ泊めることになるでしょうけど、あとは……まあ学園長たちに考えてもらいます。というか神楽坂のところだって一人分ベッドを増やしたりはしてないでしょう? 住む人間が増えるのは友達が増えるのとはわけが違うんです。先生ならまだしも、同じベッドでずっと寝るわけにもいかないでしょうし」

 パソコンに衣装ケースに雑多な小物。住むだけでも難しそうだし、一人分のベッドはもちろん一人が暮らしていくための荷物はどうやっても加えられまい。
 ちなみに千雨はすでにネギが神楽坂のベッドに同伴していることを知っている。初めて聞いた時は、驚きとともに、いつもの先生の常識のなさとあいまって、ある種の納得を得てしまった。
 こいつの将来が心配だ。

「ずっと同じベッドでもいいんですけど」
「相坂。ちょっと黙ってるようにな」
 イランことを言う相坂の頭をスパンとはたく。

「ボクならまだしもなんて……」
「意味が違うよ先生。ちょっと黙ってろ。な?」
 スパンと先生の頭をはたく。

「ネギ先生。千雨さんと一緒のベッドになんて不潔ですっ!」
「ええーっ。ぼくですか!?」
「お前らちょっと黙るようにな」
 スパンとスパンと二人の頭をたたく。

「先生は神楽坂さんと同じベッドで寝ているそうじゃないですか。千雨さんと同じベッドで寝るのはわたしです! 先生は千雨さんのこと好きなんですかっ」
「えっ、あっ、はい。その、もちろんですけど」
 少しだけ赤くなりながらも平然と答えるネギと、なぜか悔しそうな相坂の頭をはたく。
 ああ、なんか胃薬がほしくなってきた。


   ◆


「じゃあ、幽霊だったんですか」
「はい。それでですね。千雨さんだけはわたしを見ることが出来て……」
「へえ、すごいんですね、千雨さん」
「いまの説明で納得する先生ほどじゃねえよ。……エヴァンジェリンも見れたわけだし」
「えっ。エヴァンジェリンさんですか?」
「ええ、あいつはですね。えーっと……」
 一瞬黙る。いうべきかどうか迷ったのだ。
 どうも先生はうちのクラスが人外魔境だということは知らないようだし。

「エヴァンジェリンさんは吸血鬼だそうですよ」
 横から相坂が口を出す。
 千雨はすこしばかり眉根を寄せたが、まあいいかと言葉を続ける。
 本当にしゃべってはだめなことなら、あの吸血鬼から釘の一つでも刺されたはずだろう。
「まあそうですね。わたしは先生が知らないことのほうが驚きですけど」
「でも、吸血鬼さんですけど、エヴァンジェリンさんはいい人ですよ」
「そ、そうなんですか……? はあ、吸血鬼……」

 あまり驚いていないことに千雨が不振がる。
 それを問うと、ネギは常に持ち歩いているクラス名簿を持ち出した。
 千雨はもちろん相坂さよもエヴァンジェリン・マクダウェルも載っている。
「タカミチからもらったんですけど、エヴァンジェリンさんのところに」
 そういってネギが指差すエヴァンジェリンの写真の下には、高畑の文字で「困ったことがあったら、相談しなさい」の文字がある。
 ふむ、と千雨がうなる。
 先生もエヴァンジェリンのことを魔法関係者であると予想していたということだろうか。

 実際にエヴァンジェリンが相坂さよの学籍を回復させるのに交渉した相手は学園長と高畑先生の二人だ。
 どうも学園とあの吸血鬼、そしてこのお気楽教師の関係が分からない、と千雨が首をひねる。
 だが、それを口にすると、また面倒なことに巻き込まれそうなので、千雨としては適当にあしらうだけだ。

「エヴァンジェリンとはまあ少しだけ付き合いがありますね。魔法使いで吸血鬼です。まあお世辞でいっても良いやつじゃあありませんけど」
 相坂さよと真逆の評価をする千雨である。ネギ先生が困った顔をした。
「そ、そうなんですか」
「まあ、お気になさらずに」
 そんなネギの反応にまったく頓着せずに千雨はニコリと微笑むと、

「――――先生に用があるならば。向こうからアプローチがあるでしょう」

 そんな言葉を確信とともに口にした。




[14323] 第13話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/02/07 01:15


   第13話


「先生。わたしが魔法使いだってことと、相坂が幽霊だったってことは誰にも秘密にしてくださいね」
「はい、わかりました」
「それじゃああした学校で」
「はい。千雨さんと相坂さんも、また明日」
 そんな昨夜の別れから早翌日。

「今日からこのクラスに加わる相坂さよさんです」
 わりとオーソドックスな言葉とともに、先生が相坂を紹介する。
 情報を得られていなかったためか、朝倉が悔しそうな顔をしている。
 他の生徒もこの突然な紹介に興味があるのか、相坂に注目していた。

 そもそも相坂の名前はクラス名簿には記載されていたのだ。名前はあるけど登校しない文字通りの幽霊少女。
 転校生という扱いではなく復学となった彼女について、興味がわかないはずもない。

「よ、よろしくおねがいします」
 ぺこりと頭を下げる。
 緊張して硬くなるその仕草が、みなの好印象を誘ったのだろう。矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
 いままでどうしていたのか。家はどこなのか。年はいくつなのか、などなど。

「どこから来たの?」
「休学をしていたようなものですから。麻帆良にいましたよ。ずっと」
「へー年は?」
「……皆さんと同じ……かな?」
「好きな食べ物は?」
「アイスとケーキとラーメンと肉まんと、あとはいろいろです」
 危なっかしい質問もあったが、何とかやりすごす様を見てこっそりと安堵の息を漏らした。
 一つ一つ丁寧に答える相坂はわたしの目から見てもこのクラスになじめそうだった。
「どこに住んでるの?」
「あ、はい」

 そんななか、ありきたりな一つの質問に相坂は一拍の間をあけた。
 昨日、散々もめた末、最終的に決まったその結果。

 相坂はわたしの部屋にくっついていたかったようだが、さすがにそれは無理である。
 部屋はすでに満員だ。
 それにコスプレ衣装にパソコン器具が散乱する部屋は、整理はされて入るものの、決して片付いているとは認識されない。無理やり詰めるのも、昨日今日では不可能である。
 交渉時の気苦労を思い出し、こっそりとわたしはため息をつく。

 だから相坂は最終的に“彼女”の家に住むことになった。
 部屋に空きがあって、部屋をいきなり用意できるような生活をしていて、そしてなにより長い幽霊暮らしで生活感のない相坂さよの事情に明るい、そんな人物。

 そんなのはあいつしかいなかった。
 つまり、

「わたしはエヴァンジェリンさんの所にご厄介になっているんです」

 そういって笑う相坂に、事情を知らないものだけが驚かなかった。
 ピクリと龍宮と桜咲が反応し、反応を隠せず視線を一瞬動かす葉加瀬。まったく普通に驚いているような顔を見せる超はもしかしたらすでに知っていたのかもしれない。
 解答を知っているからこそだ。いつものわたしだったらぜったいに気づくまい。横目でそれを見ながら、わたしも私で気づかない振りをする。

 エヴァンジェリン・マクダウェルも相坂さよのことはまだしもわたしのことは話さない。いつものようにコナくさい笑顔で適当にあしらうはずだ。
 そういう契約だった。
 エヴァンジェリンの性根は信じられないが、エヴァンジェリンとの契約は信用できる。それが長谷川千雨としての考えだ。

 あいつが霊体としてこのクラスに在籍していたことなど、ほとんどの人間が知らなかったわけで、そんなことをわざわざ説明する必要はないのだ。
 だから、まあ。
「宜しくお願いします」
 そういってクラスメイトに向かって笑う相坂に、わたしはニコリ笑みが浮かぶのだった。

 しかし、最後の爆弾を投げかけるのが、このクラスのお約束。
 朝倉がじゃあさ、と口を開いて
「相坂さんは恋人とかはいないの?」
 ネギ先生のときも口にした、いつも必ず聞いている文句を口にする。

 カア、と相坂の顔が赤くなる。
「いえ、そんな人は……」
「おやおやー、その反応は心当たりでも?」
「ラブ臭がするねえ、好きな人がいるって感じ?」
「いえ……そういう人じゃあありませんので……」
「えっ、なになに。どんな人?」

 いやがおうでも想像を掻き立てられる返答だ。
 その反応に早乙女と朝倉が食いついた。
 わたしもおもわず顔を上げた。少しばかりおどろいたからだ。
 相坂は、人の色恋はまだしも、あいつ自身は異性どころか人間に縁のない生活を送っていたはずだ。
 だれだれ、とクラスメイトが大きく騒ぎ、エヘヘと笑いながら相坂が口を開く。

「千雨さんです」

 ゴンと音をたてて机に突っ伏したわたしに視線が注がれるのを感じた。
 テレはあるものの、背徳感がまったくないのが恐ろしかった。六十年間幽霊でいた弊害が変なところで現れている。

 質問をした朝倉まで固まっている。
 エヴァンジェリンはこらえきれずに笑い声を発している。
 その笑いが響く中、他の誰も声を発しないので、仕方なくわたしは顔を上げた。

「友達というか、憧れというか。わたしは世界で一番千雨さんを尊敬しているので」
「相坂、それはすごく誤解を招くと思うぞ」

 自分の席から突っ込んだ。

「ち、千雨さん。お知り合いなのですか」
 横から綾瀬が聞いた。さすがに動揺している。
「ああ、まあ知り合いだな。……いや、早乙女。そんな面白そうな顔しても違うからな。わたしは相坂とちょっと知り合いなんだよ。それだけだからな」
「はいっ。千雨さんはわたしの命を――――」
「相坂ストップ」
 うれしそうに相坂が追従する。
 しかしわたしのほうは、魔法使い連中から隠そうともせずに注がれる視線で冷や汗が止まらない。
 相坂は舞い上がっているのか、実はこういう性格だったのか。変なテンションになっている。
 人としゃべるのになれていないとか、そういうレベルではなく迂闊すぎる。
 このまま魔法のことを口走られたらわたしの人生が終わってしまう。

「まず相坂。お前はさっさと誤解を解け」
「えっ?」
「いやいや、なんで驚いてんだよ」
「千雨ちゃん、命ってなにー?」
「鳴滝。お前はそんなところで目聡さを発揮してんじゃねえよ!」
「あ、あのですね。わたしが復学できたのは千雨さんのおかげでして……」
「えーっ、なにそれ!」

 いらないことだけきちんと答える相坂の言葉に、クラスメイトが盛り上がる。
 魔法組から要らん視線が飛んでくるのを無視する。
 わたしは矢継ぎ早に聞こえる質問に適当な言葉を返しながら、相坂を思いっきりにらみつけた。
 相坂が復学することでそれなりの騒動は想定していた。
 だけど初日にこの騒ぎ。
 ようやく気づいた。
 悪意なしに騒動を呼び込むこの娘の性質は、ネギにつながるものがある。

   ◆

 放課後になり、クラスメイトの尋問と、学校案内という名目で連れ去られる相坂の助けを求める視線を当たり前のようにスルーしたわたしは部屋で一人の客人を迎えていた。
 ちなみに当然といえば当然だが、わたしも同行を求められたのだが……、軽ーく相坂のほっぺたをつねりながら、優しい優しい言葉で相坂の失言を問い詰めるわたしの姿を見て、全員が引き下がった。
 素晴らしく物分りのいいクラスメイトである。

「しかし、あいつらはホントに、話題があるとそっちに全員行くんだよなあ」
 わたしは一人ごちる。
 まあ、もちろん全員が相坂さよと愉快な仲間たちのグループに同行したわけではないが、基本時に一つの騒ぎが起こっていると、参加する側も見物する側も別の騒ぎを起こそうとはしないのだ。
 騒ぎが多いわりに、流れが一貫している。
 つまりその隙をつくと、

「朝倉なんかにはばれちまうかと思ったけどな」
「あはは、朝倉さんは率先して相坂さんを案内していましたよ」

 こうして、ネギ先生をこっそり部屋に呼べたりするわけだ。

「そりゃなによりだよ。記事……にはさすがにしないだろうけど、情報を集めときたいんだろ。まあ、相坂の話がばれるといろいろまずい。神楽坂なら最悪説明できるだろうけど、朝倉じゃ先生はオコジョ確定だな」
 うう、とネギ先生がうなった。
 その顔を見てわたしは笑う。
「あの、千雨さん。それで今日はなんで」
「あー。相坂があんなに間抜けだとは思わなかったからな。もう少し口裏を合わせておきたかったんだよ。それと、相坂がいないときに先生に言っておきたいことがあったからな」
「えっ、でもいいんですか?」

 ネギ先生が言いづらそうに口にする。
 まあそうだろう。こうしてわたしが先生と対面している間にも、相坂はクラスメイトに連れ去られている。
 色々と相坂の事情を聞きたがったクラスメイトにである。
 軽い質問だけであれだけぼろを出していた相坂だ。
 だんだんとわかってきたことだが彼女には、魔法使いの常識がない。
 ネギ先生とルビーの間ですら共通していた「魔法使いは己の存在を秘匿する」という内容を軽く見る。
 誰のサポートもなければ、明日にでもうちのクラスメイトに魔法使いのすべてが暴露されることだろう。

「いやクラスの連中に対して口裏を合わせとくわけじゃないよ。それにもう相坂がついさっきにほとんど白状してたしさ。わたしが命を救って、この学校に復学できるように手を回した、だっけか。エヴァンジェリンから助け舟が来るとは思わなかったけど」
「は、はあ」

 エヴァンジェリンがわたしの手助けとしてつい先ほどクラスメイトに説明した内容は嘘が80%くらいを占めているが、それでもあいつの口のうまさに助けられた。自分を多才と評するだけあって、変なところで芸達者だ。
 だから、もう大まかにばらした以上、あとは口を滑らせないように、誰かがサポートにつけばそれで十分。さすがに相坂だってわかっているだろう。
 いま先生を呼んだのだって、相坂の件ではなく別の要件である。

「それに相坂たちには絡繰がついていっただろう? だからわたしは抜けても問題ない。エヴァンジェリンが絡繰を同行させたのは、フォローさせるためだろうし。最悪のことまではバラさないだろ」

 もし相坂がばらし、魔法がうちのクラスにばれることになったとしたら、記憶処理だろうが、ネギ先生のときのように説明することになろうが、それはエヴァンジェリンの責任になるはずだ。
 エヴァンジェリンがそれを分かっていないはずがない。
 正直なところ、この世界の魔法は危険性についてはルビーのいっていた世界ほどではない。
 以前神楽坂に魔法をばらした先生が許されたのは本当に予想外だったわけだが、それならそれで魔法に秘匿については認識を改める必要がある。
 吸血鬼に襲われるわけでもないし、もしクラスに説明するというのなら、それはそれでありなのだろう。先生に説教した手前それを進めようとは思わないが、ばらしてよいならばらしておきたほうが、後々楽だ。どのみちこの先生が担任ではいつまでも隠しとおせまい。
 ネギ先生が魔法使いである以上、すでに知る権利はあるだろう。

「絡繰さんですか?」
 そんなことを考えていると、先生から疑問の声が上がった。
「あーっとだな。エヴァンジェリンの相方というか、まあ絡繰はエヴァンジェリンの仲間なんだよ。魔法使いの従者だっけ。先生ほんとに知らないんだな、うちのクラスのこと」
「か、絡繰さんもですかっ!?」
 そういえばネギ先生は知らなかったのか。どこまで言っていいものか。

 学園長と相談したときに、エヴァンジェリンは相坂さよに体を与えたのはエヴァンジェリン自身である、と説明した。
 わたしは相坂が見れるようになったあと、相坂の相談に乗って “たまたま”知り合っていた魔法使いのエヴァンジェリンに相談した、ということになっている。
 エヴァンジェリンは気まぐれで相坂を身内にいれ、体を与えたと説明した。
 長谷川千雨の立ち位置は、魔法使いを知る一般生徒と言う立場に落ち着いた。

「でも、千雨さんはボクと同じ魔法使いですよね。あの……パートナーとかはいらっしゃるんですか?」
「パートナー? いや、いないな。わたしは先生たちとは少し違って魔術師なんだよ。だから先生が言うような魔法使いってのとは少し違うんだ。パートナーってのも概念は分かるが、魔力そのもののシステムから違うと思うぞ」
「そうなんですか?」
 ネギが驚いたような顔をする。こいつにとっては魔法とはほぼ一種類のベクトルを向く技術なのだろう。
 だがルビーが言うには、魔法使いの言う魔力は、魔術師の魔術回路では応用できない完全に別の技術だ。

「ああ。わたしが先生たちのことをよく知らないっていっただろう? あれはそういう意味だしな」
「そうなんですか……あの、それってどういうのなんでしょうか?」
「興味があるのか? 見せるのはまだしも、わたしが理論を勝手に教えていいのか分からないんだけど……ああ、参考書みたいなのなら貸せるけど、それでいいか? あんまり魔法の役にはたたないと思うけど」
「い、いえ。貸してほしいです。そ、その、前に千雨さんがぼくたち魔法使いのことが嫌いだって言っていましたし……」
「わたしとしては、それよりも先生の普段の態度を改めてほしいですけどね」
「あ。す、すいませんでした、この間は……」
「反省してるなら、べつにいいけどさ」
 尻すぼみにネギの声が小さくなる。
 なんか勘違いしているような気がしたが、まあいいかと本棚に唯一存在する魔術関係の本を取り出してネギに渡した。

 しかし、ネギは本当に無知である。知識がないというよりワザと与えられていないようだ。
 わざわざ2-Aに入れておきながら、エヴァンジェリンや絡繰のことをネギ先生がきいていないのは少し意外だし、相坂さよのことも知らなかった。
 相坂の事情は人間関係に影響がでそうだからまあ黙っていることはあるかもしれないが、エヴァンジェリンは実際に人を襲っているのだ。
 幸運と悪運でわたしは何とか切り抜けたわけだが、桜通りの吸血鬼の噂は未だに広まっている。
 そういうことに関わらせないのなら、魔法の国からわざわざこの学校にこさせた意味がないような気がするのだ。

 ちなみにわたしは個人の善意は信じられても、組織の善意は欠片も信じないタイプなので、卒業試験でここにネギ先生が送り込まれたのには、絶対に裏があると考えている。
 最初はネギ先生の卒業試験というのは“魔法使い以外”をバカにする輩が、人生経験をつませるためにネギ先生を送り込んだ、そういう馬鹿げた行事かとも考えていたのだが、いまならわかる。おそらくそれはない。

 エヴァンジェリンのような例外がいるものの、魔法使いはマギステル・マギ、偉大な魔法使いの区分として人の助けになることをあげているらしい。実際はどうだか知らないが、それを体現しようとするネギ先生をみる限り、お題目としてはきちんと機能している。
 そのようなマギステル・マギを育てる学校が、遊びで魔法使いを送り込むことはあるまい。
 そして送られてきた先は、ネギ先生の父親に呪いをかけられた吸血鬼のいる学校だ。
 ネギ先生の幼馴染とやらは占い師を命じられたらしいし、卒業試験でわざわざ日本まできて学校の教師というのは珍しいどころではない。
 つまり意図があると見るべきで、何もないと考える方がおかしい。
 生贄ではないと思うが、エヴァンジェリンもネギ先生には色々と思うところがあるようだ。たまにネギ先生をみてにやりと笑う吸血鬼は、物語でいうならまごうことなき悪役だった。

 だが、それを学園長をはじめとする大人の魔法使いはネギ先生に告げていない。
 いい方面でも悪い方面で考えても、これは確実になにかある。
 最大限好意的に見て、エヴァンジェリンとネギを自然の成り行きで接触させるため。普通に考えればネギかエヴァンジェリンのどちらかが、もう片方の生贄だ。
 わたしはそれを聞いた。わたしはそれを知ってしまった。
 そんな言葉をきかされて、エヴァンジェリンに関わって死に掛けたトラウマを持つ半人前の魔術師のやることは決まっている。

 だからこそ、先生を呼び出したのだ。
 わたしは先生に顔を突きつける。

「先生。エヴァンジェリンのことですが」
「はい。なんですか。エヴァンジェリンさんがなにか?」
「まだなにかわかりません。でもなにかしてくるでしょう」
 ポカンとした顔を返される。
 エヴァンジェリン・マクダウェルは先生の父親に呪われた。実際には呪いではないらしいが、エヴァンジェリンは内心はともかくそう振舞っている。
 つまり、エヴァンジェリンはネギ先生を狙う可能性があるということだ。
 わたしは悪の魔法使いというわけじゃない。
 吸血鬼の味方をするなんて真っ平だし、大事に巻き込まれるのもごめんこうむる。
 だけど、わたしは正義の味方じゃないし、マギステル・マギを目指してもいない。
 先生に嘘もつくし、友人をだましもする。
 そして、わたしはエヴァンジェリンとは敵対できない。
 あいつがたとえ、お人よしだということを頭で理解していても、この体は死の恐怖を覚えている。

「先生、わたしが今日言っておきたいのはですね――――」

 だから今日先生を呼び出した。
 口裏を合わせるため、釘を刺しておくため。
 そして、

「――――わたしは、エヴァンジェリンに先生が襲われても、先生側につくことは出来ません」

 先生に、この言葉を言うためだ。


   ◆


 ネギ先生はわたしの言葉に、特にピンとくることはなかったらしい。
 煙に巻かれた顔をしながら、不思議そうな顔をしながら、腑に落ちないような顔をしながら、最終的にわたしの言葉にうなずいた。
 まあ良い。もともとわたしがこのような釘を刺しておくべきだと感じたのも、最近のエヴァンジェリンの動向を見て、なんとなくいやな予感を感じたからだ。

 正直なところ、これは先生を見捨てるようなものだが、相手がエヴァンジェリンなわけだし最悪なことにはならないだろう。
 あいつも殺す気はないはずだ。
 あいつ自身もわたしとの一件でこりただろうし。わたしが持つトラウマは、私自身だけの問題である。
 これは、なし崩しに巻き込まれないための布石に過ぎない。

 その後、少しばかり雑談をしていると、先生のポケットから携帯電話の着信音が響いた。
 いままでこいつが携帯電話を持っていなかったことは、電話で連絡を取りあっていたわたしはもちろん知っている。
 絡繰を従えているくせに、携帯を使えない吸血鬼や、万の世界を旅しながら、パソコンに苦手意識を持つ幽霊を筆頭に、魔法使いは機械に疎い。

「んっ、携帯もったのか?」
「はい、先日千雨さんにご迷惑をかけてしまったあとに、いいんちょさんから頂いたんです」
「……ちなみに、電話はものだけじゃなく電話料金がかかりますから、そのへんも含めて委員長にお礼でも言っておくといいと思いますよ」

 知らないはずがないと思ったが、一応口にする。
 さすがに盗聴器なんてものは仕掛けられていないだろうが、通信ログくらいは監視されていそうだ。
 だがまあ歓迎すべき事柄だろう。
 この間の騒動だって、ネギが携帯電話をはじめとする通信機器を持っていれば起こらなかったのだ。
 なんとなくいやな予感を感じながら、無理やりそう思い込む。

 ネギが携帯電話を四苦八苦しながら操作して電話に出た。相手は委員長のようだ。
 その姿を見ながら、一応おかしなことを言わないようにこっそりと釘を刺そうとすると、いいタイミングでわたしの携帯からもメールの着信音が響いた。
 ネギをちらりと見てから携帯に向かう。宮崎からのメールだった。

 先生は委員長からの電話で、わたしは宮崎からのメール。これは相手との友好の差ではなく、付き合い方の問題だろう。
 メールの本文には「これから相坂の歓迎会で相坂さよも会いたがっているからこれるならきてください」とある。
 宮崎らしいお誘いだ。
 先生のほうにも、大きな反応がない所を見ると、相坂は長谷川千雨の秘密を守り通したのだろう。相坂が自主的に守ったはずはないので、あとで絡繰には感謝のひとつもしておくべきか。
 相坂もそのトラブルメーカーっぷりを発揮することはなかったようだし、今回は一応出ておこう。
 そう返信を打とうとして、何の気なしに、恐らく同じ内容を電話で話しているネギ先生の会話を漏れ聞いて――――

「あっ、はい。いいんちょさん。ちょうどよかった。今は千雨さんのお部屋にいるので千雨さんにも声をかけてみま」

 後半は電話の向こうからの叫び声でさえぎられ、ネギ先生の言葉が止まる。
 当惑するネギ先生の顔を見ながらわたしは大きく大きく息をはく。
 直情型のお人よし。こいつは善意だけで動いて、その上でコトを起こすから困りものだ。そして当のわたしがこいつを決定的に怒れない。
 だから以前の問答がギリギリだった。よく先生を知らなかったからこそ罵倒できた、非難できた。だけど改めて考えてしまえば、こいつはまだガキなのだ。
 未熟で、馬鹿で、デリカシーがない。でもこいつはまだ十歳で、悪意を持つわけじゃない。
 以前ルビーに言われた長谷川千雨の長所で短所。理屈が合えば、人殺しを許容できるほどの合理性。理屈の上で理解できてしまうから、わたしはこいつを憎めない。

 わたしは携帯電話の向こうで叫ぶ委員長に戸惑うネギを見る。本気で困っているその姿。
 わたしがメールに返事を打つ必要はなさそうだ。
 なるほど。相坂が騒ぎを起こさないときは、こっちのトラブルメーカーが頑張ってくれるというわけか。
 ここ最近は本当に騒ぎにゃあ困らない。
 まぶたに裏に映るルビーが大きく笑う。その笑顔にわたしは苦笑いをかえしながら、携帯電話を取り上げて電源を切ると、あわてるネギ先生のほっぺたを力いっぱい引っ張った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 相坂さんに体がつく話でした。簡単に言えば、臙条巴。恐山とかにも行ってません。ルビーさんが万能すぎるお話。
 前回ネギ先生が出なくなるとかいいましたが、ウソでした。プロット的には出なくても、ネギくんはやっぱり出ますね。
 あとあくまで相坂さんから千雨さんへの感情は友情です。カンストしてるだけです。百合ったりはしません。たぶん。
 次回更新は一応一週間後を予定しています。おそらく桜通りの吸血鬼編に入ります。




[14323] 第14話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/02/14 04:01

「今日はバスケットボール部と茶道部にお邪魔させていただいたんですよ」
「バスケ部はいいが、茶道部ってエヴァンジェリンのところだよな、たしか。とことん似合わねえと思ってたんだが、あいつ、ほんとに活動してたのか」
「そんなことありませんよ。よくわかりませんけど、すごいお上手でした」

 日常に埋もれる電話越しの一会話。
 相坂さよが長谷川千雨になついたのは、インプリンティングによるところが大きいというのが、当の千雨の分析である。
 千雨は相坂さよからの電話を受け取りながら、そんなことを考えた。



   第14話


 相坂はエヴァンジェリン邸にいるわけだが、電話は毎日来るし、数日と間を空けず千雨のところに遊びにくる。
 社交性もあるし、3-Aのお気楽なクラスメイトとも仲良くやっているようだ。
 正直なところ、千雨やエヴァンジェリンよりもはるかになじんでいる。

 相坂さよの住居がエヴァンジェリン邸になったのはまあ必然といってよいだろう。
 千雨の部屋に入りたがった相坂を断ることになったのは、これは同居人としての好悪や魔法生徒としての特殊性などによるものではなく、純然とした寮の広さの問題だった。
 当たり前といえば当たり前の理由で、相坂さよと長谷川千雨の同居は却下されてしまったのである。
 まあそこまでは寮の都合であるが、相坂さよがエヴァンジェリン邸に厄介になった理由に関しては、魔法生徒としての特殊性からだった。

 千雨は学園長室に呼ばれたとき、表向きは偶然エヴァンジェリンの事情に巻き込まれ、その後もたいした説明も受けずに誤魔化されている一般生徒として扱われたために、相坂さよについて改めて説明を受けられたわけではない。
 幽霊であったことと、エヴァンジェリンがどうにかした結果、人になったということだけだ。内容だけ見ればかなりの大事なのだが、これは麻帆良学園特有の認識操作とやらに加え、エヴァンジェリンの記憶干渉により千雨はその内容を誰にも話す気にならず、またたいした内容だとも思っていない……ということになっている。

 つまるところ、相坂さよの一件は見かけ上このような形に終着していた。


   ◆


 帰りのホームルームが終わり、クラスメイトが思い思いに教室を出て行く。千雨も同様にかばんを持つと寮に帰るかと足を進めた。
 基本的に寮までの道など一通りだ。
 だが3-Aをはじめ、この学校の生徒は自主性が高いのか、クラブやサークル活動が活発である。
 3-Aの人間も、千雨以外の全ての生徒が何かしらのクラブに所属しているし、新たに転入したということで帰宅部として扱われている相坂も彼女自身の活発な性格とあいまって、皆から少なからず勧誘の言葉をかけられている。
 また、クラブがない場合でも、学園都市という性質上、帰り道により道どころがいくらでもあるこの学園で、何もせずに寮に直帰するような生徒はまれだ。
 まあつまり長谷川千雨のことである。

 さよは女子バスケットボール部へ出向くようで、明石たちと一緒に教室を出て行く。千雨は誘われたが、社交辞令だということを理解しているのでそれを丁重に断った。
 キャイキャイと騒ぎながら、教室を出て行く後姿を見る。特別うらやましいと思うことはない。千雨は自分がああは成れないことを理解している。

 彼女たちと自分は楽しいと思う基準がずれているのだろう。過去に狼少女としてのトラウマも影響しているかもしれないが、どうでもいい。
 問題は相坂さよはどちらかといえば長谷川千雨よりは、他の3-Aの生徒に近いということだ。

 さよから言わせれば、愚かというほかないが、その辺の事情も含めて千雨は、結構本気で相坂さよが長谷川千雨に懐くのは刷り込みというか釣り橋効果というか、その辺の要素が大きいと考えているわけだ。
 しかし、相坂さよは、そんなことは欠片も思っていないため、いまだに大抵の夜には千雨に電話をかけてくる。
 千雨も千雨でそれを疎ましいと思うほど、人として腐っていない。毎晩それなりに話は弾んでいた。

 バスケットボール部でそれなりに動いたが、空を飛んでいたときの癖で、無謀にゴールへジャンプして転んだ話や、帰り道に新作を出したクレープ屋にいって全メニュー制覇してしまったことなどを笑いながら聞く。
 さすがにまだ、相坂さよは入る部活は決めていないようだ。
 しかし運動部も視野に入れているというのは千雨にとって正直意外だった。入るとしても文化部だと思ったのだが、意外と活動的らしい。
 それに相坂さよとしては試しもせずに入らないと決めるのはもったいないと考えているのだろう。

「そういや、そっちはどうなんだ。エヴァンジェリンと絡繰じゃ、気まずくないか?」
「いえ、とてもよくしてもらってます。それに千雨さん、チャチャゼロさんもですよ」
「いや、まあそうなんだけどさ。……あいつはどうも苦手なんだよな」
「会いたがってましたよ、千雨さんに」
「だからだよ。ただでさえ、わたしはエヴァンジェリンの家にはあんまり寄り付きたくないってのに」

 チャチャゼロの名前に顔を引きつらせつつ、千雨がぼやいた。
 彼女のエヴァンジェリンたちへの苦手意識は消えていない。吸血鬼というだけでも困り者なのに、彼女はそれに加えて性悪だ。
 抱えて加えてコスプレ趣味を知られている今となっては同席など真っ平である。
 相坂の件が終着した以上、二度と近寄りたくない。

「んっ……あ、エヴァンジェリンさんが帰ってきたみたいです」
 雑談の中、かすかに玄関のベルが響いたのを相坂さよの耳が捉えた。
 今日は用事があるとかで、日が完全に沈んでからエヴァンジェリンと茶々丸は外出していたのだ。
 いってらっしゃいと二人を送ったときにきれいな満月を見たのを相坂さよは覚えていた。

「エヴァンジェリンのやつ、外に出てたのか」
「…………」
「どうしたんだ?」
 返事がないことに千雨が訝しがる。

「あっ、はい。……あの、エヴァンジェリンさんが帰ってきたんですけど」
「ああ聞いてたけど」
「いえ、いま玄関に……その、下着姿で……」


   ◆


「と言う電話をついさっきまで相坂としてたんだけどさ」
「は、はあ……」
「心当たりありそうだな、その顔見ると」

 平日真夜中。こっそりと部屋を抜けてきたというネギ・スプリングフィールドが千雨の部屋を訪ねていた。

「それボクがやったんです。ボクの風花・武装解除でエヴァンジェリンさんの服が吹き飛んでしまって……」
「はあ……それはまた……なんというか……すごいプレイだな」
 千雨がジト目でネギをにらむ。こいつはいちいち騒動に女のサービスショットを盛り込まないと気がすまないのだろうか。

「ち、ちがいますよっ! エヴァンジェリンさんは吸血鬼で、呪われてて。それでその呪いを解くためにボクの血が必要だと言って……」
「冗談だよ冗談。それに忠告しただろ、あいつは吸血鬼で先生を狙ってるってさ」
 やっぱりそんなことかと、千雨があきれたように息を吐く。

「それは聞きましたけど……でも、でも……」
 恐怖がぶり返したのか、ネギが言葉を詰まらせた。
 千雨もさすがに気の毒になったのでからかうのをやめる。
 自分は自殺を決行したくらいなのだ。逆の立場だったらとてもじゃないが笑えない。

「それでどうなったんだ。先生がここにいるんだからやっぱり大事にゃならなかったんだろ」
「全然そんなことありませんっ!」
 お気楽な口調の千雨に涙目のままネギが叫んだ。
 真夜中の女子寮に響く少年の大声にあわてて千雨がネギの口をふさぐ。ムゴムゴとうなるネギを胸元に抱いて、千雨はこの感情的な少年をどうしてやるかとため息を吐いた。
 泣きながらすがりつくネギを抱きしめながら、まったく懲りていないらしいエヴァンジェリンのことを思い返す。
 どういう経緯でトラブったのかは分からないが、ネギがこうして恐怖に泣いている以上、千雨としては同情するしかない。

「エヴァンジェリンは性悪だから脅されたんだろうけどさ、たぶん大丈夫だって」
「で、でもボクは血を吸われそうになって、アスナさんが助けてくれなかったらきっとあのまま血を吸われていたと思います」
「エヴァンジェリンは血を吸ったところで相手を殺しちまうってわけでもないみたいだけどなあ……」
 あのバカ、わたしの件で懲りてないのか。同じ轍を踏んでいる、と千雨があきれた。
 ポリポリと頬をかく。

 もっともネギはそれではすまない。
 ルビーの世界の吸血鬼とは死徒を生む。吸われたものは死に、ゾンビとなって生まれ変わる。それが常識。しかし真祖の定義すら違うこの世界においては吸血鬼に血を吸われる行為は、吸血鬼側で制御が利く。
 だがそれだってやはり秘匿されるべき内容で、ネギが知っているとは限らない。おびえるのは当たり前だ。
 死に際で対峙したからこそ、エヴァンジェリンがその辺の分別に対する完全な制御を操れる生き物だということを理解しているが、それは千雨だけなのだ。

「……あの、千雨さん」
 抱きしめられたまま胸元から顔を出したネギが戸惑いながら口を開く。
「なんだよ」
「その……たとえばですけど、千雨さんはパートナーを選ぶとして、十歳の年下の男の子なんてイヤですか?」
 一瞬躊躇した後、勇気を振り絞るかのようにネギが言った。
 あまりにわかりやすい台詞に千雨はため息を吐く。
 先生が神楽坂の目を盗んで夜中に自分の部屋を尋ねた理由はこれだったか。

「それ前も騒いでたな。先生、言っただろ、わたしは今回のことに関しちゃあ先生の味方もエヴァンジェリンの味方もしないぞ」
「う。そ……そうですか」
 ネギ自身もその言葉を覚えていたのだろう。千雨のあきれたような否定に頷いた。だが、その瞳はあきらめ切れていないと告げている。
 千雨としても、こうしておびえているネギの力になってやりたくもあるが、さすがに無理だ。

「先生はエヴァンジェリンに襲われたんだよな? 呪いを解くために」
「はい。ボクの血を使って呪いを解くとか……」
 ルビー経由で聞いている話だった。
 うーん、とうなる。これで本当にネギの命がおびやかされているとか、吸血鬼としてエヴァンジェリンと面識がなかったなら彼女は手を貸しただろう。
 だが、千雨は知っている。
 エヴァンジェリンは殺すまい。
 だからネギを自分が助ける必要もない。
 何よりも、いまだわたしはエヴァンジェリン・マクダウェルに恐怖している。相手がどの程度本気か分からない現状では、とてもじゃないが、直接的な敵対行為はしたくなかった。

「パートナーといってもわたしは腕もないしなあ。エヴァンジェリン相手じゃ、何の役にも立たないと思うけど」
「そ、そうですか……。千雨さんがパートナーになってくれればすごく心強いんですけど」
「そういってくれるのはうれしいけどな」
 ちらりと千雨がうなだれるネギを見た。

「神楽坂は誘ってないんだな、その口調だと。あいつは魔法について知ってるだろ」
「は、はい。でもアスナさんはもともと魔法に関わっていたわけではありません。それなのにボクの事情に巻き込んでしまうのは……」
「わたしはいいってことかよ、それ」
「い、いえ。そういうわけじゃあ……」
「冗談だよ。ただ漠然としているよりよっぽどいいとおもうぜ。たまたま魔法を知ったやつが吸血鬼に立ち向かうってのもきついだろうし」
 千雨がいった。その姿勢は感心できる。
 ルビーから神楽坂は魔法に無関係ではないということは聞いていたが、神楽坂自身はそれを知らないはずだし、わざわざ巻き込む必要もない。

「そ、そうですか」
 テレテレとネギが頭をかいた。
 先ほどまで泣いていたくせに現金なやつだ。
「でもまあ、あいつは姉御肌だし、善人だから事情を知れば助けてくれそうだけどな」
「あ、はい。今日も助けてもらいました」
「さっきも言ってたけど、エヴァンジェリンのことだよな」
「はい、エヴァンジェリンさんに血を吸われそうになったときにアスナさんが……」
「ああ、下着に剥かれたから逃げたわけじゃないのか、あのちびっ子は」
「下着のまま血を吸われそうになりました。そこにアスナさんが来てくれて、エヴァンジェリンさんにとび蹴りを……」
 その絵柄はさぞかし神楽坂明日菜を驚かせたことだろう。
 夜の街中で下着姿の同級生が、同居人の少年の首筋に顔を寄せていたわけだ。
 そりゃびびる。

「神楽坂は?」
「アスナさんにはお話しました。でも、その……アスナさんが眠ってからここに……」
 長谷川千雨にパートナーのことを話しに来たわけか。
 改めて、状況の複雑さにため息を吐く千雨にネギが潤んだ瞳を向ける。

「…………」
「…………」
「はあー。まあエヴァンジェリンが本気で襲ってくるようなら考えとくよ。だからそんな目を向けるな」
「本当ですかっ!?」
「大声出すなっ! んな期待するなよ。考えるだけだからな」

 意志は固いほうだと思ってたんだがなあ、とぼやきながら、千雨は懲りずに大声を出すネギの頭を抱え込む。
 少し考えた末、最悪に備えることにして、そのままごそごそと机の引き出しをあさった。
「ほら、これも持っとけ。でもあんまり当てにはするなよ。手伝うって言っても、手は出さないぞ。交渉の間くらいには立ってやるけど、パートナーとやらはあきらめろ」
「うっ、やっぱりパートナーにはなってくれないんですよね」
「やっぱりちょっとな」
 胸元からもごもごと顔を出し、声を上げるネギに千雨は言う
「というかなんで先生にパートナーなんだ? 学園長とか高畑先生のパートナーに先生がなればいいだろうに」
「え、えっと……でもこれはボクの問題で……」
 ネギが言葉に詰まる。

「先生は自分の力で何とかしたいってことか? まあわからんでもないから、主役願望だと悪態をついたりはしないけど、それは責任感とは少し違うぜ。意地を張りすぎるなよ」
「は、はい」
「まあ大丈夫だよ。……ただし先生。うちのクラスメイトは善人ぞろいだ。適当な気持ちで巻き込むなよ。神楽坂の二の舞はごめんだぞ」
 本当に分かっているのかねえ、と思いながら千雨はぐりぐりとネギの頭をなでた。風呂嫌いのくせに、髪質はいいらしく、さらさらとした髪が千雨の手でかきまわされる。

 その感触にネギは微笑んだ。
 エヴァンジェリンに襲われて、何とか逃げたものの心配で泣きそうだった。恐ろしくて眠れなかった。
 だけど、こうして相談を聞いて貰って、頭をなでてもらっている。それだけで不安が晴れた。
 自分自身の単純さと、この心強い魔法使いの女の子の心強さに勇気付けられている。

 そんなネギの微笑みにまったく気づかず、千雨がネギの頭を撫でながら口を開く。
 もう夜もずいぶんふけてきた。

「明日も学校だ。今日はもうねむっとけ」

 はい。とネギ・スプリングフィールドはうなずいた。


   ◆


 そうして翌日、寝不足のまま学校に向かうネギの姿があった。
 ふらふらとよろけるネギに一緒に走る明日菜が「大丈夫?」と声をかけた。

「はい。大丈夫です。眠いだけですから」
「よろけてんじゃない。昨日のことで寝れなかったの?」
「いえ、そういうわけではありません」
「そうなの? じゃあ、エヴァちゃんのことはどうすんのよ?」
 明日菜からすればエヴァンジェリンがおとなしく引き下がるとは思えない。

「えっ、あの。考えてません。でもまずは詳しい話を聞いてみないと……エヴァンジェリンさんもなにか事情があるみたいでしたし」
「本気? 血を吸われそうになってたのに」
「でもエヴァンジェリンさんはボクの生徒ですから」
 明日菜が昨晩のおびえ具合を知っているだけに、ずいぶんと立ち直っているネギに感心した。
 とはいうものの、ネギは教室につくなり、まず生徒の顔を見渡した。
 エヴァンジェリンの顔がないことにこっそりと安堵するネギに、やはり子供かと明日菜は笑った。
 さらに首を回して、とある一点を見てネギがほっと息をつく。
 綾瀬夕映の横の席。そこでいつものように千雨が退屈そうな顔をして頬づえをついていた。

 へえ、と明日菜がにやついた。ここ最近の長谷川千雨とネギスプリングフィールドのごたごたについて知らない3-Aの生徒はいない。
 明日菜は自分自身がネギの騒動に巻き込まれているだけに、千雨とネギの件も彼女が巻き込まれていただけなのかもと思っていたが、そういうものだけでもないかもしれない。
 ということはネギは千雨に元気付けてでもらったのだろうか。
 なにせ昨日の様子から考えれば、今日は仮病を使ってもおかしくないほどにおびえていたのだ。

(ませたガキだしねえ)

 ちらりと明日菜がネギを見た。
 事前に千雨と連絡を取っていたということは考えにくい。エヴァンジェリンに関して、昨日の夜にネギから長谷川千雨にアプローチをかけたのだろう。
 神楽坂明日菜は成績は悪いが頭の回転は悪くない。千雨から相談にのりに来たということはないだろうから、ネギから千雨の部屋に出向いたということか?
 教師と生徒ということや年齢も問題といえば問題ではあるが、自分自身も高畑に恋慕している身だ。これは少し興味深い。
 突然ニヤニヤ笑いはじめた明日菜をみて、ネギが首をかしげた。

 だが明日菜も自分自身もどれほどネギに頼りにされているかの自覚がない。きっと逆の立場でもネギはアスナの姿を見て、安心の吐息を漏らしただろう。
 そういう意味では明日菜のにやつきはそのまま自分自身に返ってくるのだが、当然そんなことに神楽坂明日菜は気付いていない。
 突然生暖かい視線を向けるようになった明日菜に首をかしげながら、ネギはいつものようにHRをはじめるのだった。


   ◆


 授業中、ネギはずいぶんと上の空だった。
 明日菜は心当たりがあるが、他の生徒はさすがに騒ぐ。
 授業前の感じからして昨日のことをそこまで引きずっているようには見えなかったが、やはり平常心を保ち続けるとはいかないようだ。

 ぼうっとして授業に加え、教卓にあごを乗せ、はあ、とため息をつくにいたって、騒ぎ好きのクラスメイトが案の定ざわめきだす。

「な、何かネギ先生の様子が可笑しいよ?」
「う、うん。ボーっとした目でわたしたちを見て」
「あんなため息ばかり……」

「ちょっと、これってもしかしてこないだの」
「あー、あのパートナー探してるってゆー」
「ネギ先生王子説事件!?」
「じゃあ、まだ探してるの?」
「えーうそー」
 ざわざわと騒ぎがだんだんと大きくなるが、ネギはまったく気づいていない

「セ、センセー。読み終わりました」
「えっ!? は、はい。ご苦労様です。和泉さん」
 亜子の言葉に、あわててそう返事をした。

「せんせー、どうしたの?」
「えっ、はい。風香さん。あの……」
「なになにー?」
 相談を始めそうな気配にむしろ乗り気になる鳴滝。3-Aらしいといえばらしいのだろう。

「えーと。あの、和泉さん。つかぬことをお伺いしますが……やっぱり、やっぱり皆さんくらいの年の方がパートナーを選ぶとして、10歳の年下の男の子なんてのはいやなんでしょうか?」
「なっ!?」
「ええええー!」

 明日菜も正直なところこれほどまでに直球で言うとは思わなかった。
 隠す気ゼロだ。こいつはなにを考えているのだろうか。
 当然クラス中も大きく騒ぐ。

「そ、そんなセンセ。なんの急に……ウ、ウチ困ります。まだ中3になったばっかやし……で、でもいまは特にそのそういう特定の男子はいないって言うか」
 あわあわと亜子が返事をする。
 はあ、とネギはその言葉にうなずいた。

「はい、ネギ先生っ!」
 そのままぼうっとしているネギに、雪広あやかが手を上げた。
「は、はい。いいんちょさん」
「わたしは超OKですわ!!」
「あはは。まあこのクラスは能天気なのが多いからねえ」
 そんな委員長を押しのけて、朝倉和美が3-Aの恋人事情を説明する。
 そんな話を聞きながら、ネギは「じゃあ」と口を開き、


「その――――断られちゃった場合は、ボクのなにが悪かったんでしょうか」


 あまりにでかい爆弾を放り投げた。



   ◆



 さて、ここまで続いて、なぜいまだに千雨からのリアクションがないのだろうか。
 当然浮かぶべき疑問だがその答えは簡単だ。
 彼女がクラスにいなかったのである。さすがにネギも千雨の前でこんな問答をするほど大胆な男ではない。

 長谷川千雨はまさに自分のことでネギが教室内で大騒動を起こしていることなど露知らず、仮病を使って授業を抜け出して、屋上に上がっていた。
 運がいいといえばいいのだろう。
 いくら無口キャラを装っていても千雨は突っ込み体質で、その感情は表情にすぐにでる。ただでさえ最近は宮崎たち図書館組と仲がよくなり、相坂という相棒が付いた身の上である。
 隠し切ることは出来なかっただろう。

 千雨は非日常を嫌うものの、日常に自分を合わせて自分の行動を縛るようなことはない。
 エヴァンジェリンがその精神の安定性に感心したように、ルビーが彼女の特異性をその自分自身の基盤を持つことに見たように、長谷川千雨は不満を感じても、それに流されることはない。
 日常を愛すると自称するわりに、彼女は行きたくない催しは残りのクラスメイトが全員集まろうが断るし、やる事があるなら仮病くらいじゃ躊躇はしない。

「はあ、やっぱここにいたか」
 と千雨は屋上でぼけっとした顔を見つけるとため息を吐いた。
 絡繰茶々丸を従えて、エヴァンジェリンが惰眠をむさぼっている。

「エヴァンジェリン、ちょっといいか」
「ん、千雨か。なんだ」
 そう答えながらエヴァンジェリンが視線をまわりに走らせた。ルビーの存在を探したのだろう。
 だが彼女は休眠中である。

「ネギ先生のことなんだが、昨日あんたに襲われたって相談された」
「ああ、やはりお前の所に泣きついたのか」
「本気で泣いてたぞ。殺されると思ってたみたいだし」
「殺す気だったからな」

 すっ、と千雨が目を細める。それは嘘だ。
 エヴァンジェリンはそんな簡単に人を殺す生き物ではないというのもあるが、一番の理由としてはもしエヴァンジェリンがネギを殺す気ならいまネギは確実に生きていないはずだからだ。
 だがその言葉とともに一瞬もれるくらい気配に、反射的に千雨の肌があわ立った。自分の小心に内心舌打ちしながら、千雨はできるだけ平静を装う。

「はっ、女々しいことだ。お前もずいぶんと気を揉むな。仲がいいじゃあないか」
「べつに仲がいいわけじゃない」
「自覚がないのか? あのガキ、昨日はお前の名前を叫んでいたぞ。頼りにされているな。まるで保護者か恋人だ」

 口を閉じた千雨に向かって軽口をたたいて、エヴァンジェリンが腰を上げる。
 真剣にすべてを話す気はもちろんないが、ただのガキを扱うように煙に巻くような真似もしない。
 あの満月の夜。長谷川千雨を殺した時に言った言葉に嘘はない。
 千雨を一個の人格と認め血を吸った。それはそいつを同格と認めるということだ。
 もちろん対等という意味ではないのだが、それなりにエヴァンジェリンは千雨を認めているのだ。

「どうした。なにか聞きたい事があるんじゃないのか……」
 返事がないことをいぶかしんでエヴァンジェリンがいう。
 エヴァンジェリンが千雨の顔を見る。
 そこにはなぜか薄く赤に染まった顔をもてあます長谷川千雨の顔があった。

 仲がいいのかと言われただけだ。軽口にもほどがある。
 だが、昨日の件に触発されて、早速こうしてエヴァンジェリンに会いに来ている現状を客観視できる千雨としては、それを指摘されるとどうにも弱い。
 意識しすぎだとは分かっているが、自分は意外と純情なのだ。
 自分でもなぜ赤くなってしまったのかが分からないかのように、頬に手をあて、その熱さに驚いているその顔はさすがに年相応の可愛らしさを備えていたが、それはエヴァンジェリンにとっては格好のネタである。

「ほう……」
「な、なんだよっ!」
「いやいや、お前もあのガキにほれてるのか?」

 んなわけない。
 だがエヴァンジェリンの言葉にさらに千雨の顔が赤くなる。
 くっくっくっとエヴァンジェリンが笑う。もう彼女に千雨とまじめに会話する気はなくなっていた。いきなり同格から格下に評価が変わってしまった。
 彼女は吸血鬼で魔法使いで、そして気まぐれで性悪だ。

「お前はそういうのには慣れているほうだと思っていたがな。それでもほんとに魔術師か? ネットアイドルなんてのまでやってるくせに随分とかわいらしいじゃないか。ああいや、そういえば清純派アイドルを気取っているのだったか。ずいぶんと評判はいいようだが、少し猫をかぶりすぎだろ、あれは」

 そのネタを出されると無条件で千雨は弱い。
 ざっ、と千雨があとずさり、

「おいおい、どうした逃げるなよ。お前が話にきたんだろう。なんだ、ホームページ? ああ、残念ながら、お前の言うとおりわたしは機械には疎い。だが茶々丸が毎日チェックしているんだよ。んっ、いやいや、わたしの指示じゃないぞ。茶々丸が個人的に気に入ったそうだ。はっはっは、茶々丸に飛び掛ってどうする気だ。茶々丸に勝てると思ってるのか。あのときの冷徹さはどうしたんだ」

 茶々丸に取り押さえられた千雨がもがき、

「しかし、あのガキのどこが良いんだ? うちのクラスの連中も能天気なのばかりだが、あのガキに本気で惚れそうのもいるようだ……。まあいい。あいつはわたしの獲物だが、お前はわたしのものだからな。安心しろ、ライバルが多いと不安だろう。わたしが手伝ってやるよ。これでも人生経験は豊富だからな」

 エヴァンジェリンの台詞に千雨が騒ぎ、

「あっ? お前がわたしのものってのがどういうことか、だと。んなもの、お前の血を吸った瞬間からに決まってるだろ。ルビーに邪魔されたが、それよりも前にわたしはお前を認め、お前の名前をわたしの魂に刻んだのだ。つまりお前をわたしのものとして決めたということだろうが」

 羞恥で千雨の目に涙がたまり、

「はっはっは。遠慮しなくてもいいぞ。どの道お前がどういおうが、わたしが手伝うといった以上その決定は絶対だ。で、お前はどっちにつくんだ? わたしにつくならあの坊やの血を吸ったあとにお前にやろう。あっちにつくなら手加減せんがな」

 そして――――

「確か前にいってあったな。敵に回るなら容赦はしないと。まあ、悩んでおくといい。ああ、だが体を重ねるのはやめておけ。あいつが童貞でなくなるとわたしが血を吸うときに色々と面倒だ。おいおい、暴れるな。――んっ、どういう意味かって? どういう意味も何も“そういう意味”に決まってるだろ、バカか貴様は。お前が処女なのも、あいつが童貞なのも血を吸おうとしたときに確認済みだ。あっ? べつに裸に剥いたわけじゃない。変態か貴様は。わたしは魂の色を見ればそれくらい判断できるんだよ、真祖の鬼をなめてるのか。吸血鬼の伝説くらい知っておけ。まっ、今のお前はルビーと混ざってるから、厳密には純粋な魂というわけではないが、それでもさすがにそれくらいはわかるさ。いやはや、それにしても、飽きないな、お前ってやつは――――」

 ――――その後、ただのガキを扱うように千雨はエヴァンジェリンに遊ばれた。


   ◆


 エヴァンジェリンに弄られるのと、教室に残って騒動に巻き込まれるのは、千雨にとってはどっこいどっこいだっただろうが、教室で起こった騒動のほうはなんとか鎮静化し、ようやく放課後。
 だが、パートナー騒動から始まった2-Aの生徒の悪乗りは収まらず、大半の生徒たちは教室から姿を消し、大浴場に集合していた。

 そして、そんなことは露知らず、明日菜が学校の廊下を走っている。
「ネギーっ。ちょっとネギ、どこ行っちゃったのよ……」
 帰り道にいきなり誘拐されたネギを探しているのだ。
 走り回る明日菜は、途中の渡り廊下でエヴァンジェリンとあった。
 屋上で散々千雨を弄り回している最中に、麻帆良への侵入者を感知して、その調査に向かう途中である。

「ほう、神楽坂明日菜か」
 エヴァンジェリンがいう。後ろに立つ茶々丸がぺこりと頭を下げ、さらにその後ろでふらふらと歩く千雨が今のうちに逃げようかと辺りを見回す。

「あんた達! ネギをどこへやったのよ」
「安心しろ、神楽坂明日菜。少なくとも次の満月まではわたしたちが坊やを襲ったりすることはないからな」
「えっ……どういうこと?」
「今のわたしでは満月を過ぎると魔力ががた落ちになる」

 ほら、と牙がなくなった歯を見せる。
 歯並びのいいきれいな歯が並んでいるが、血を吸えるようには見えない。
 ちなみにそのころネギは安心どころか、30人を超える水着姿の女子中学生によって大浴場ですっぱに剥かれ、股間のものが立つのかたたないのかと議論をされながら遊ばれるという、一生もののトラウマを負わされていたのだが、そんなことはさすがのエヴァンジェリンも知りようがない。

「次の満月が近づくまでわたしもただの人間。坊やをさらっても血は吸えないというわけさ。それまでに坊やがパートナーを見つけられれば勝負はわからんが……まあ魔法と戦闘の知識にたけた助言者・賢者でも現れない限り無理だろうな」
「な、なんですって……」
「それよりお前。やけにあの坊やのことを気にかけるじゃないか」

 ニヤニヤと笑いながらエヴァンジェリンが言う。
 無言でたたずむ茶々丸の手にはこっそり逃げようとした千雨の襟首が握られていた。
 千雨が茶々丸をにらみ、その視線を申し訳なさそうな顔をしながら茶々丸が受け止めている。
 彼女は主の命令には逆らえないのだ。

「いやいや、強力なライバルの出現だな、千雨」
「はっ?」
「いや、こっちの話さ、神楽坂明日菜。……わたしからひとつサービスしてやろう。わたしに対する対策はこいつに相談するといい。参考にはなるだろう」
「な、なによ。千雨ちゃん? なんで?」

「てめえ、あんだけ言っといて、いきなりわたしを売るか? 普通……」
「んっ? なんだ、本当に“手を貸して”ほしかったのか? そりゃ悪かったな」
「ち、ちげえよっ」

 いきなり漫才を始める二人に明日菜が首をかしげる。
 よくわからないが、千雨が仲間になってくれるらしいということは理解した。

「とにかく、ネギに手を出したら許さないからね。あんたたち」
「フフ、まあいいがな。仕事があるので失礼するよ」
「仕事……?」

 それにこたえる気はないようで、エヴァンジェリンがだるそうに立ち去る。茶々丸が一礼をしてそれを追った。
 エヴァンジェリンの姿が消えると、なんとなく、千雨と明日菜が見つめあう。

「あーもしかして千雨ちゃんってネギが魔法使いだって知ってるのね……だから昨日の夜ネギが相談しにいったんだ」
 明日菜の頭の回転は悪くない。
 いやな予感に冷や汗をかく千雨を見て、ものの数秒で正解にたどり着いていた。
 しかも昨日の夜にネギを部屋に入れたことまで勘付かれているらしい。
 エヴァンジェリンに散々からかわれたこともあって、千雨の顔が赤く染まった。

「知ってるちゃあ、知ってるけど……でも手伝わないぞ」
「なんでよっ! いいじゃない、別に!」

 緊張感のない台詞だった。ネギが聞いたら泣き出すだろう。一応これは生死をかけた騒動のはずなのだ。
 むっとした千雨が言い返そうとした瞬間、大浴場のほうから、悲鳴が響いた。
 言い争いを止めて顔を合わせる。
 騒動の耐えない麻帆良学園だが、今の声には聴き覚えがあった。
 3-Aの連中か、とため息を吐く千雨と、大浴場に向かって駆け出す明日菜。
 あっという間に遠ざかっていく明日菜を見ながら、やれやれと千雨も後を追いかけることにした。
 もちろん、徒歩で。

「コラーっ! あんた達も真っ裸で何やってるのよ! ネギまで連れ込んで!」
「いや、明日菜さんこれは誤解ですっ」
「元気づける会なんだよーっ!」
 ギャーギャーと騒ぎが聞こえる。

 だが、とろとろと歩く千雨が大浴場に着いたときには、イベントはほぼ終わっていた。
 千雨は入り口からその光景を覗く。
 胸元をはだけさせた明日菜が風呂桶を片手に、裸でネギを囲む女生徒に怒鳴っている。
 入り口から顔を覗かせる千雨と風呂場の中で裸の女性とに囲まれて、これまた裸で涙を浮かべるネギと目が合った。
 助けを求めようとしたのかネギが口を開き、

「…………帰ろ」

 千雨は入り口から顔を引き、何も見なかったことにした。


   ◆


「相坂は行かなかったのか?」
「はい、今日は高等部のオカルト研究部にお邪魔してました。入るとすれば木乃香さんのところなんですけど、高等部に……いえ、いま高等部の方が3-Aだったころにわたしの特集を組んだときの記事があって……」
「へえ……」
 なんとも返答しにくいことだと、千雨は言葉を濁す。
 自分が記事になればそれが幽霊時代のものでも気になるのだろうか。

 部屋に戻った千雨がそんな雑談交じりの会話を相坂さよと交わしている。
 今日は電話ではなく、実際に相坂さよが尋ねてきていた。
 と、ピンポンとチャイムがなった。
 いったん話を中断し、千雨が玄関に向かおうと立ち上がり、

「ちょっと千雨ちゃん。なに勝手に帰ってんのよっ!」
「いまさらかよ。何時間たってると思ってんだ」

 バン、とドアが蹴破られるように開けられた。
 懲りずにカギを閉め忘れていた千雨も千雨だが、勝手にあけるのはダメだろうと、千雨が玄関先でため息を吐く。
 開いた扉の先にはネギと明日菜がそろっていた。

「あのあと、すごい大変だったんだからっ」
「なんだよ、いいだろ別に。なにが悲しくて先生の乱交パーティーに参加しなくちゃいけないんだ」
「そ、そんなことしてませんっ!」
 千雨はネットに毒されているだけあって、こういうときの口はかなり汚い。
 意外とウブな明日菜がその会話を聞いて赤面した。
 だが先ほどの光景はそういう風に取られても仕方がない。
 ネギはネギで、先ほどの恐怖と、千雨への誤解で涙目になった。

「おや、この人が件の姉さんですかい」
「……んっ?」
 千雨が第三者の言葉に辺りを見回す。
 玄関には明日菜にネギ、そしてネギの肩に乗った小動物がいるだけだ。
 いやな予感を感じて、千雨が小動物に視線を走らせた。
 その視線に気づいたのか、小動物はにやりと笑うと、ネギの肩の上で立ち上がり、どこから取り出したのか、タバコをくわえて火をつけた。

「どうも姉さん。兄貴と姉さんからお話を伺いましたぜ。なんでも兄貴に手を貸してくれるそうで。おれっちは兄貴の所でこれからご厄介になることになりましたアルベール・カモミールともうします。……っていきなり頭を抱えてどうしたんです?」
「……小動物がしゃべるのはメルヘンじゃあ定番だが、実際はぐろいだけだな。ぬいぐるみに生まれ変わってでなおしてこい」
 歯に衣着せぬどころか、真っ黒の気配をまといながらの台詞に、カモどころか明日菜とネギまでびびった。

「なに言ってるんですか、千雨さん。すごいかわいいじゃないですか」
「当たり前のように会話に参加してくるなよ、相坂。ますますわけわかんなくなるだろうが」
「いいじゃないですか。あ、よろしくお願いします、カモミールさん。わたしは相坂さよっていいます」
「こりゃどうもご丁寧に。相坂の姉さんも兄貴に手を貸してくれるんですかい」
 カモが聞くが、明日菜とネギは千雨以外がいることに気づいていなかったのか、そこにあったのは驚きの表情だった。
 千雨の部屋にいたのが相坂さよだったからよかったものの、もし魔法に関係ないものだったら、一大事である。こういうところでネギはまだまだ未熟だった。

「相坂さんは、こいつがしゃべっても驚かないの?」
 相坂の事情を知らない明日菜が聞く。
「あ、あの相坂さんはその……」
「あっはい。魔法についてですか? えーっと、はい。千雨さんから聞いてますよ」
 千雨の方を向きながらさよが答える。エヴァンジェリンについて詳しく説明するのは禁じられているため、その口調はあいまいだ。
 だがその言葉で十分納得できたのか、明日菜の顔に安堵の色が広がる。

 その後、カモからここに来た経緯と、先ほどまで明日菜と話していたというパートナーの話を聞くと、千雨は露骨に顔をゆがめた。
 エヴァンジェリンがネギを狙っていることはいい。それは聞いていたことだ。
 問題はカモだ。露骨に不審そうな千雨の視線の先でこの小動物は明日菜とネギをあおっている。
 相坂さよが興味を持ち出しているのが、千雨にしてみれば最悪の展開である。

「あのエヴァンジェリンってのはマジでやばいっすよ、兄貴。ここは皆さんにパートナーになっていただいてっすねえ」
「パートナーってなによ?」
「魔法が使えるようになるんですか?」
「いやに決まってんだろ」
 カモの言葉に三者三様の答えを返す。

 パートナーについては先日ネギから言われたばかりだ。ずいぶんタイミングがいいことだ。
 いや、魔法使いが戦いをどうにかしようとしたらパートナーという考えにいたるのが一般的なのだろうか。
 たしかに魔法使いがサンドバックをたたく姿というのは想像しがたい。筋肉だるまのキャラは魔法使いとはあわないものだ。

「千雨さんはいやなんですか? わたしちょっと興味があるんですけど……」
「エヴァンジェリンたちに何されるかわかったもんじゃないぞ」
 肩をすくめる。むぅとさよが唸った。さすがにエヴァンジェリンたちに敵対してまでパートナーとやらになりたくはない。

 悲しそうな顔をネギがしたが、千雨はそしらぬ顔である。相坂もごめんなさいと口にした。パートナーにはならないだろう。
 その後、ある程度会話をしたが、結局は千雨に追い出されるようにネギと明日菜は自室へ帰ることになった。

   ◆

「エヴァンジェリンさんが千雨さんを?」
 帰り道、ネギが明日菜に向かって言った。
 明日菜がうなずく。
「うん。エヴァちゃんが千雨ちゃんにアドバイスしてもらえって。なんかエヴァちゃんと仲よさそうだったかも」
 明日菜が肩をすくめる。彼女はエヴァンジェリンと千雨が口でいがみ合いながらも、その言葉に本気のとげがないことを感じ取っていた。
 明日菜以外の人間ならば、明日菜と委員長の関係のようだったと答えただろう。

「あの姉さんがたは、あんまり魔力がないっすけどね」
「そうなの?」
「ええ。兄貴は千雨の姉さんは魔法使いって言ってましたけど、本当ですかい?」
「うん」
 うなずきながらも、ネギが思い出せる千雨の魔法は燭台に火をつける光景だけだ。自分自身でももぐりの半人前だといっていたし、魔力がないというのはありえない話ではない。
 実際は千雨の魔術はこの世界で言うところの魔力タンクを必要としないためなので、ネギの認識にも誤解がある。

「まあ、パクティオーは才能よりも相性ですぜ。長谷川の姉さんはあんまり協力的でもなかったッスけど」
「そんなことないよ」
 ネギが間髪いれずに答えた。
 明日菜とカモがネギの断定に驚いたような顔をする。
 だがネギに言葉を撤回する気はない。ネギは千雨が協力的でないなら、それはそれでなにか意味があるはずだと考えている。

「そ、そうッスか? いくら兄貴と姉さんの仲がいいっていっても、あの姉さんはエヴァンジェリンって吸血鬼ともつながりがあるらしいじゃないッスか。もしかしたらおれっちらと敵対するかもしれないッスよ。あんまり肩入れしても――――」
「カモくん」
 すっ、と真剣な表情をしたネギがカモミールの言葉をさえぎった。その瞳は百言費やすよりも明確に、ネギの真情を語っている。
 そんな、いつものネギらしくない表情に、カモと明日菜が顔を合わせ、それに気づかずにネギがすたすたと歩いていく。

   ◆

 そして、そんなネギたちと同様に、彼らが帰ったあとの千雨の部屋で、相坂さよと長谷川千雨も同様にエヴァンジェリンについてのことを話していた。
 ネギの言葉は間違ってはいないわけだ。さすがに何も見なかったことにして見捨てられるほど、千雨もさよも悪辣ではない。
 千雨も交渉の間くらいには立ってやるといった以上、それくらいはやるべきだと感じていた。

「エヴァンジェリンさんたち、そんなことしてたんですね」
「まあな。ネギの……先生の血が必要だってことだし、エヴァンジェリンのやつもめちゃめちゃやる気だった。先生たちはなんかまだ真剣みが足りなそうだったけどさ」
 千雨が肩をすくめた。
「でもエヴァンジェリンに血を吸われても吸血鬼にはならない……はずだ。これまでの犠牲者の話と矛盾するし。なんかルビーの話でわたしも少し混乱してるけど、たぶん間違ってはいない。それにエヴァンジェリンはルビーと共同で、血を吸うことについては、何か折半案を出していたはずだ。……でも、先生から輸血パックで回収ってのじゃダメなんだろうな。魔力はまだしも、構成が壊れちまう……ネギの血に拘ってたし……いや、そもそもエヴァンジェリンとルビーだってそこまで明確な解除の手があるわけじゃないって話だったか……」
 千雨がぶつぶつとつぶやく。
 半分も理解できないさよは聞いているだけだ。

「でもエヴァンジェリンさんは、本当にネギ先生を殺しちゃうしかないって言うことならあきらめると思いますけど」
「ありえないとも言いがたいが……それでも可能性はある。忘れたのか相坂。あいつは人を殺せるぜ。わたし然りな」
「それは事故です。殺人とは別でしょう」
「つまりそれは事故なら殺せるって意味だ。殺人ってのは手段じゃなくて結果だぜ。……まあ、あいつもあきらめ切れないんだろ。15年って言ってたし」

 それを言うなら相坂さよは60年なわけだが、最強の吸血鬼としては屈辱なのだろう。
 どうにも面倒くさそうなことになりそうだと、千雨はため息を吐いた。
 彼女はあれだけぐだぐだと言い訳を並べておきながら、次の選択肢に見捨てるというものはない。

 やはりネギの見立ては正しかったわけである。
 魔術師としては甘すぎる。だから騒動に巻き込まれるのだ。いまも昔も、この先も。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 カモミールが出てくる話。まき絵は普通に身体測定を受けました。というかカモの固有能力が厄介すぎるんですが、あれってラブコメだと無敵の能力ですよね。信頼愛情、友情を区分してグラフ化できるとか常時発動の簡易版イドの絵日記ですよ、あれ。
 幕話をなくしてしまったので、二話投稿の形式をやめました。前回とかも分けた意味がほとんどなかったですし、気にする人もいないでしょう。ページ数的には足したくらいにはなっているはずです。
 次回も更新は一週間後の予定です。せめて一区切りつくまでは定期更新は守りたいです。




[14323] 第15話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:32
 わたしの部屋に、最近頓に見なくなっていたルビーが現れていた。
 エヴァンジェリン邸に出入りするのはゴメンだったが、ルビーが出てきたら連絡を入れるように言われていたこともあって、エヴァンジェリンに電話をかける。
 その結果、相坂のヒトガタが出来上がったということで、エヴァンジェリン邸に作業をしに行く必要がなくなったルビーに会いに、わたしの部屋にエヴァンジェリンと絡繰が足を運んできた。



   第15話


「さっそく相談されたぞ。ネギ先生から」

 絡繰の入れた紅茶を飲みながらルビーと魔術論理や呪縛解除の技術について熱論していたルビーとエヴァンジェリンがわたしの言葉に視線を向けた。
 今はなにやら錠剤を片手に談義していたようだ。ルビーの手に赤と青の二色の丸薬が見える。それはかつてルビーに問われた質問を思い出させるシロモノだ。思考操作薬か何かだろうか、と考えて、どうでもいいと首を振る。
 二人が問答を中断して、こちらに顔を向けるのを確認し、ネギがたずねてきたことを話す。
 ルビーには話を伝えていたが、先日のことを含めてエヴァンジェリンにも説明した。
 カモと名乗るオコジョのことと、パートナーを探すネギのこと。そしてネギを殺そうとしたエヴァンジェリンについての話だ。

「ああ、あの侵入者か。なるほど、そういうことか」
「オコジョ妖精ねえ……。念話じゃなくて声を出すのよね。会ってみたいわ、どうやってしゃべってるのかしら」
「捕らえればいい。あれの建前は不法侵入者だからな、学園側が見てみぬ振りをしている以上貴様がどうしようが誰もおおっぴらには行動できないだろう。お前や千雨と同じだな。まあそうはいっても捕まえるのなら秘密裏に行うことだ」
 薄ら笑いを浮かべながらエヴァンジェリンが言った。

「で千雨。お前はどうすることにしたんだ。あの坊やをわたしに勝たせる策でも練ってみたか?」
「いや、先生の頼みは断ったし……」
 ポリポリと頬をかく。
 煽られて神楽坂にまで事情を知られてしまったが、それは先生と協力することとイコールではない。
 見捨てる気はないが、向こうに加わる気もないのだ。

「あんっ? そうなのか」
「ああ。だってあんた殺しはしないだろ。内輪もめみたいなものにわたしが関わっても意味ないだろ」
「なめるなよ、長谷川千雨。わたしは不死の吸血鬼。人の敵、真祖だぞ」
「でもなあ。結局先生を襲ったときも殺さなかったわけだし、今だって殺してないじゃん。そもそもこの学校にくくられている以上、強行も出来ないんだろ」
「逆だバカモノ。封印さえ解ければ誰が好き好んでこの学園にいるものか。封印が解けた時点でわたしを止められるものなどここにはおらん」
「そうでもないわよ」
 ルビーが割り込んできた。その表情はいつもどおり飄々としている。
「ほうルビー。やる気か貴様」
「千雨がやるならね。こうは言ってもほんとにネギくんを殺そうとするなら千雨も邪魔するだろうし」

 そういってルビーはわたしに目を向けた。
 こういうところでルビーは絶対に決定をぼかさない。はっきりと交渉に決着をつけることを是とする。過去の経験からだそうだが、勝手に決められるこっちとしてはたまったものではない。
 こいつはあまりにわたしを蔑ろにしすぎである。強制的にわたしも巻き込まれている気がしてならない。
 相坂がそんなわたしの心情に気づいたのか、こちらに向かって微笑んだ。慰めのつもりだろうか。それともわたしも仲間である、というサインだろうか。
 自惚れかも知れないがたぶん後者だ。

「でも、まあそうだな。ほんとに先生を殺すって言うなら、わたしは邪魔するぞ」
 相坂とルビーの視線に負けてしぶしぶとうなずく。
 その言葉には予想通りにエヴァンジェリンからの冷笑が送られた。こいつはいまだにわたしがビビッていることを知っている。

「でも……本当に殺すのか? それがやっぱり信じられない。先生はほんとに抜けてるぜ。屋上にでも呼び出してナイフの一本でも使えばぜったいに殺せると思う。あんたが吸血鬼と知られてるいまでさえ、満月の夜を選んで、話し合いたいとでもいえば、のこのことついてくるだろうってレベルだ。わたしとしてはあんたがいまこうして殺していないってことが、すでにネギ先生は殺されないんだなって思っちまうんだが」
「はっ、貴様の薫陶がきいてるじゃあないか、ルビー。いいぞ千雨。良い思考だ。お前は本当に面白い人生を歩んでいるな」
「うるせえよ」
 ふん、とエヴァンジェリンが小ばかにしたように鼻を鳴らした。

「だがな千雨。ルビーはもうお前の尻拭いはできないんだぞ。次にお前があのような行為をすれば、そのツケはお前か、その周りのものが払わされる。坊やを助けに来て坊やに救われる羽目になりかねんぞ。お前自体は気に入っているが、わたしの行為に茶々を入れ、そのあげく死にかけるようなら、わたしはお前を助けない」
「…………わかってるよ」
「分かっている気になっているだけだと思うがな。まあそのときになって後悔はしないようにすることだ」
 エヴァンジェリンが茶でのどを潤すと、皮肉気に笑った。

「あの、エヴァンジェリンさんは本当に?」
 暗くなった雰囲気を拭い去ろうとするかのように相坂が言った。
「坊やを襲うの決定だ。血を吸い、わたしの封印をとくためにな」
「だろうな」
 肩をすくめて同意する。
 相坂が眉根をひそめた。
 だが、とエヴァンジェリンが言葉を続ける。

「だが、殺すのかといえば。…………そうだな、それはやはり難しい……千雨、お前の言葉は正しいよ。殺意すらない女子供は殺りづらい。さすがにあそこまで甘ちゃんだとな……」

 ため息を吐くように、ポツリとエヴァンジェリンがつぶやいた。
 長い生の中で成熟したその心情。わたしごときでは計れるものではない、万の感情が入り乱った声色だった。
 ちらりと、横目でルビーの姿を確認する。
 いつもおちゃらけているが、この場ではいまのエヴァンジェリンを理解できるのはこいつだけだろう。

 わたしは悟られないように息を吐いた。そうして、ネギとエヴァンジェリン、そして自分とルビーのことを考える。
 ネギとは色々とあったが、自分の命を懸けて助けるような間柄ではない。先生の命と自分の命なら自分の命を選ぶ。自分の人生は自分のものだ。
 だけど先生は宮崎を救ってくれた。神楽坂にみられ、わたしにみられ、そんな危険を内包した行為を宮崎のために、条件反射で実行した。
 ほれ薬の騒動を神楽坂のためにと、なにも考えずに実行し、それを責められて自分の人生を放棄しかけた。
 だが最後にはあいつはそれをすべて許容した。あいつはそれを納得した。わたしはそれをすごいと思った。尊敬した。
 だから、自分の命をかけない位置からサポートするくらいには長谷川千雨はあの少年に惚れている。
 そう、わたしはネギのバカみたいな子供っぽさを、あまりに純粋なその精神を尊いものだと思っているのだ。
 誰もが持っていて、ほとんどの人間がその大切さに気づく前になくしてしまう、そんなものの大切さ。

 まあだけど、とわたしは思う。
 そんな決意はただの言葉であることもまた事実。
 いまの相手は心情論では立ち向かえない吸血鬼。殺気とともにナイフでも当てられれば、わたしの決意はすぐに覆っちまうに決まっている。
 自分が安全な場所で唱える決死の決意ほど薄っぺらいものはない。
 あの時は意地をはれたが、わたしの体はまだエヴァンジェリンに殺されたことを覚えている。
 だからこうしていまだに完全にネギ側に立つこともできず、コウモリを気取っているのだ。
 そんなことを考えていると、エヴァンジェリンはわたしの思考を読み取ったのか、口を開いた。

「千雨。あの日のお前の行動にわたしは関心はしたが、それはお前が誇りを重視したことにであって、命をかけたことにではない。お前はもう分かっているな? 命なんてのがどれほど安いチップなのかを。自分の命を捨て値で賭けるなんてのが、一番簡単な選択なのだ。お前は、まだまだ生き死にを知らないあの坊やの同類で、そしてすべてはガキの足掻きだ」

 命を懸けてとか、自分の命を引き換えにだとか、エヴァンジェリンはそういうエゴを嫌っている。死の非情さとともに、生の苦しさを知る魔女の言葉。
 だが、その言葉自体には不思議なほどの優しさがあった。
 幾百年の年月を生きた、不死の生き物。
 経験に裏打ちされた生死の概念。
 殺さないとか、殺しにくいなどといってもエヴァンジェリンはやはり人を殺せる生き物なのだ。
 言葉を返さないわたしにエヴァンジェリンが肩をすくめる。

「そうか。まあいいさ。そうは言ってもお前はどうせ聞かないだろうしな。その時はできる限り手加減はしてやるよ。ルビーに尻拭いばかりさせるのもなんだろう」
 へたれとでも言われると思ったが、エヴァンジェリンは口を開かないわたしには何も言わなかった。
 エヴァンジェリンは緊張したわたしと相坂をちらりと見てから口を開く。

「お前のことを神楽坂明日菜に押し付けたのは、ただのひやかしではない」
「……」
 昼のことだろう。こいつはなんといっていたのだったか。
 たしか神楽坂に向かって、パートナーがいなければネギが勝てないとか、助言者がいなければ勝ち目はないとか、そんな言葉を言っていた。
 だがそれは可笑しいのだ。
 煽っているだけならまだしも、最後にわたしを押し付けまでした。これでは助言だ。弱者に対する哀れみのつもりか?
 しかし、それにしては自分と同格だとしているルビーを有するわたしを、ネギにつけようとした理由がつかない。
 いまわたしはやる気になっていないが、本気でエヴァンジェリンをネギから排しようとすれば、ルビーとともに全力を持って先手をとっていただろう。

 エヴァンジェリンが狡猾さを持ってネギを襲わなかったのは、その高潔さゆえだったのかもしれないが、長谷川千雨がエヴァンジェリンに対して先手を打たないのは、わたしの心情の問題ゆえだ。
 少なくともエヴァンジェリンの益にはならないだろう。
 まるで自分を追い詰めるようなその行為。


「邪魔をしたいならするといい。わたしもその方が気が楽だ」


 達観したようにエヴァンジェリンが言った。なぜか悲しみが混じったその声色。
「あんた、ホントにぬるいわねえ。それでも大量殺人犯なの?」
「これでも大量殺人犯さ。お前と同じな。殺すなら殺す。殺す必要がないなら殺さない」
 ルビーが言ってエヴァンジェリンが答える。

「殺せないの間違いじゃないの? ネギくん然り、さ」
 わたしと相坂はそのやり取りに口を挟めない。
 ルビーに向かってエヴァンジェリンが口元をゆがめた。
 この二人は意外に仲がいい。

「わけがわかんねえよ」
 ネギを殺す算段について笑顔で会話する二人に向かってポツリとつぶやく。
「邪魔して欲しいのよ、この吸血鬼はね。邪魔されて、死に物狂いで襲い掛かってくれば殺せるものね。明日菜ちゃんがキスでパートナーになるのを断ったみたいに、あの子たちには全く真剣さがないわ。殺されると口にはしているものの、殺されると思っていない。そんなのを殺せば、自分の矜持に傷がつく」
 エヴァンジェリンは反論しない。

「でしょう? 子供女は殺さない悪夢の象徴、闇の福音、禍音の使徒を名乗るお嬢さん」
「…………」
 ちっとエヴァンジェリンが舌打ちをした。
「言葉遊びにこだわるところがガキなのよねえ。殺したくないなら殺さなきゃいいのに」
 その言葉をきくと、エヴァンジェリンがフンと鼻を鳴らし、立ち上がった。

「不快だ。帰る」

 わたしと相坂が驚くが、ルビーは欠片も動揺を見せずに「じゃあね」と手を振った。
 後ろ手にひらひらと手を振って、エヴァンジェリンが去る。
 その後姿を追う絡繰が、わたしたちに一礼を残して消えていく。
 表情をかえずに微笑むルビーはあまりにもいつも通り。

 500歳の吸血鬼に年齢不詳の魔法使い。
 わたしなんかが推し量るには重すぎる関係の二人だが、それでも未熟ながらに感じるものくらいはある。
 きっとエヴァンジェリンはさらに不快になるだろうが、ルビーと彼女はまるで姉妹のようだった。
 もちろん、どちらが姉かは言わないが。


   ◆


「相坂。お前は今日泊まってけ」
「っ! はいっ、もちろんです!」
「いや、そんなテンションあげるなよ。ただでさえ変なうわさが立ってるってのに……」
 不機嫌そうだったエヴァンジェリンが去ったあと、相坂を泊まらせることにした。
 連れ帰らなかったということはエヴァンジェリンも織り込み済みだろう。
 追い出して、気まずい思いをさせてもなんである。

 そのあと、わたしはルビーと今後のことについて相談することにした。
 ルビーは明日にはまた休眠状態に戻ることになる。
 エヴァンジェリンと敵対するにしてもしないにしても、ルビーの意見をきいておきたかった。

「さっきも言ったけど、殺しにくいんでしょ。子供はさ。」
「悪の魔法使いを名乗ってるけど、やっぱそういうことなのか」
 相坂はあまりききたくもない話題なのか、口を挟まない。

「千雨も気づいてるみたいね」
「気づくも気づかないもないな。別にあいつ隠してないだろ。あのガキを本気で殺そうとしてないってことをさ」
「そうね。隠していない。隠す必要がない。甘さを見せているけど、所々で締めればいいと考えているのかもしれないけど」
「そうすると、先生の件では容赦をしないってことか? 無抵抗の子供は殺さないらしいし、むしろ手伝わないほうが安全かもな」
「半端に手を貸すのが最も悪い。そういう意味では千雨がネギくんと明日菜ちゃんの誘いを断ったのは正解ね」
「やっぱそうなるよな」
「まっ、そうはいっても千雨も甘い。ネギくんに合鍵渡してるでしょ?」
 唐突な言葉に、一瞬詰まった。

「なんで知ってんだよ……」
「そうなんですかっ!?」
「驚くなよ相坂。お前も持ってるだろうが。あのガキがマジでやばくなったらかくまってやることにしてるんだよ。カギを渡したなんてばれたら洒落にならんから、誰にも秘密にしてるけどな」
 しかたなしに口を開く。
 エヴァンジェリンがネギを襲った最初の日のことだ。
 ネギが本当にやばいときは助けてやろうと決めていた。安全圏にいようとしていながらの、自分のことながら、心情と背反するその行為。
 やはりルビーにはばれていたようだ。

「でも、あいつからわたしに死ぬ気で頼られない限りわたしは何もしない。わたしから行動を始めるとたぶん収拾がつかなくなるし……」
「ええ。恐らくそうしたら千雨とエヴァンジェリンの戦いという形になる。やるならエヴァンジェリンを殺す気じゃないと逆効果ね。あーでも、封印が解けるくらいはっちゃけてくれるなら、千雨とわたし相手でも手加減してくれるかもしれないけど」
 少しルビーが考え込んだ。

「でもまああの子がネギくんを殺すのは難しいけど、エヴァンジェリンは確実に“殺せる生き物”。いまの甘さが奇跡であって、そこを見誤れば明日菜ちゃんはまだしもネギくんや千雨は死ぬわ。だから、むしろ素人の明日菜ちゃんが手伝うからこそ、ネギくんに関しては安全になるともいえるわね。恐らくあいつはどんなに最悪でもネギくん以外は殺さないつもりよ」
 ありえないわけではない。

「あの……エヴァンジェリンさんを殺すって……」
 相坂が口を挟んだ。わたしは言葉をとめる。言うべきではなかったか。
 わたしにとってはありえる可能性でも、相坂にとっては考えられない仮定なのだろう。

「ふう、まあ先生とエヴァンジェリンしだいだ。ルビー、どうするんだ? お前最近本当に出てこないし」
「調子が悪くてね」
「エヴァンジェリンさん、大丈夫でしょうか。なんか不安です」
「お人よしだな相坂。あいつは思いつめてあほな行動するような玉じゃないよ」
「そうですか……じゃあ、本当に大丈夫なんでしょうか。先生のどたばたは好きですけど、人が死んだりするのはいやです」
「わたしもいやだな。騒ぎもごめんだけどさ。でもエヴァンジェリンはすぐ熱くなるように見えるけど、理性的って面じゃあわたしたちとは比較にならないぜ。わたしはあいつが思いつめてなにか起こすよりも」
「よりも?」

「――――問題ということに関するなら、先に騒ぎを起こすのは先生たちのような気がするけどな」



   ◆◆◆



「先生からのラブレターだあっ!?」
「い、いえ。ラブレターかどうかは分かりませんけど。下駄箱の中に……」
 赤い顔のまま宮崎が手紙を見せる。
 予想ドンピシャ。
 翌日の帰り道、玄関先でテンパっている宮崎に声をかけるととんでもないことを相談された。

 曰く、ネギ先生からの手紙が宮崎の下駄箱に入っていたらしい。
 どういうことか。
 日本文化をどうも勘違いしている節のあるあのガキが何かやらかしたということか?
 手紙を見せてもらうと、そこにはネギの名前とパートナーになってほしいという一文があった。

「……」
「あの、千雨さん?」
「んっ? いや、なんだな……この手紙はあのガキからか……」
「はあ……?」

 宮崎が意図がつかめないといった声を出す。
 わたしはどう説明すればいいのか絶賛混乱中だ。
 こりゃ文面だけ見れば、どう考えても魔法使いのパートナーとしてのお誘いだ。
 懲りてないのかと怒るよりも、これが本当にネギからの手紙なのかを疑問に感じる。
 あれだけ釘をさしておいて魔法と無関係の宮崎にお誘いをかけるほど馬鹿ではあるまい。

 まず確実にこれはネギからではない。

「そうすると……」
「あの……」
「ああ悪い。ちょっと考え込んじまった。えーっとこれからそこへ行くんだろ? 早乙女たちに見つからないようにな」

 片手を挙げる。宮崎もソワソワとしているし、わたしがここで引き止めることもあるまい。
 表だってついていくなど論外だ。理由を説明できない。
 ネギ先生は本当は魔法使いで、自分を付けねらっている吸血鬼に対抗するためにパートナーを探しているから、その手紙のパートナーってのは恋人的な意味じゃない……などと馬鹿正直に説明すれば、わたしの正気を疑われるだろう。

 また、偽物かもしれないから行くなと説得するにはわたしは事情をしらなすぎる。説得できない。
 こういう悪質な悪戯をするやつはクラスにはいないから、たとえネギ先生からの手紙でなくとも、これにはなにかしらの意図があるはずなのだ。
 これを回避して次の騒動を呼び寄せるならば、ここでその元をとめるべきだ。
 宮崎をえさにして真相を釣るような真似だが、後手に回るよりはましのはずだろう。

 立ち去る宮崎が校舎裏に消えるまで見送るふりをし、彼女の視界から消えるのを待ち、早速追いかける。
 校舎裏につくと、まだ首謀者は来ていないようだった。
 いつでも行動を移せるように魔力回路にアクセスしておく。

 誰が何を企んでいようがここで何かをしでかすはずだ。ここが学園内である以上、それほど悪意のあるものだとは思いたくないが、以前宮崎が石段から落ちて死に掛けていることをわたしは忘れてはいない。
 わたしは校舎裏の雑木林から少し離れたクチナシの低木の陰に隠れて宮崎の姿をうかがう。
 ソワソワしている宮崎には悪いが、ここでネギから愛の告白が起こる可能性はほぼゼロと見ていい。
 覗き続けるのも、こうして宮崎をおとりにしているのもかなりの罪悪感だった。

 宮崎の様子を伺い続けるのも悪いような気がして視線をゆらす。
 空に視線を移すと、何を考えているのか、ネギが空からやってきた。
 肩にオコジョを乗せて、自分は杖にまたがっている。
 本物のネギが現れたことにも驚いたが、それ以上にあいつが丸見えであることにびびった。不可視の魔法くらいないのだろうか。これでばれないってんだから、この学園の認識操作は有能すぎる。

 とっさに木の陰に隠れた。
 わたしに気付かずに校舎の影におり立ったネギは宮崎の所へ走りよる。
 随分とあせっている。どうやら宮崎が何事かトラブルに巻き込まれていると思っているようだ。
 ラブレターどころか、何一つ事情を知らないらしい。

「宮崎さん! 大丈夫ですか!?」
「あ……先生」
「あ、あの不良のから揚げはどこです!?」
「から揚げ……定食ですか?」

 天然ボケがそろうと手に負えない。
 ひとしきり意味のわからない言葉をやり取りすると、顔を赤く染めた宮崎がネギに向かう。

「あ、あの。それでネギ先生。わ、わたしなんかがパートナーで、いいんでしょうか?」
「へ……?」

 頬を染める宮崎の顔と、間抜けズラをさらすガキを見るに、肩でガッツポーズなどをしている小動物が原因か。
 随分悪質だ。宮崎をこうして囮に使っている自分が言えたものではないが、乙女心を何だと思っているのか。
 わたしは隠れたまま話を聞き続ける。
 ここで飛び出せば説明が厄介すぎる。
 しかし事情をある程度つかんだ以上、このままほうっておくのは宮崎にわるい。
 どうしたものか。
 まとめて全員の意識を奪っちまうのが一番いいのだろうが、そこまでの決心がつかない。
 わたしは苦々しい気分を隠しながらも、その光景をデバガメし続けた。
 葛藤するわたしとは裏腹に事態はどんどんと進み、先生がオコジョの口車に乗せられそうになっている。
 オコジョにキスを煽られるネギ。目を瞑る宮崎。
 そして、

「――――っ! あ、あの、宮崎さん。すいませんやっぱりボク――――」

 結局この騒動は、わたしが手を出すまでもなく、キスをしようとしていた先生が直前で宮崎をさえぎったところで止まった。
「えっ?」
 光り輝く地面とそこに走る魔方陣。
 先生に押しのけられた宮崎が目を開きそれを見て、驚いたような顔をする。
 だが、魔力にさらされ慣れていないこともあってか、そこから発生する力場に耐え切れず宮崎はその意識を失った。

「コラー、この馬鹿オコジョっ!」
 同時にわたしの隠れていた場所とは別の場所から神楽坂が飛び出すと、先生を煽っていた小動物を張り飛ばす。
 神楽坂はわたしのことには気付いていないようだ。

「あんたねえ、子供をたぶらかして何しようとしてたのよ。ほら、お姉さんからの手紙見たわよーっ」
「うっ……」
「お姉さんに頼まれてきたなんて嘘じゃない! ホントは悪いことして逃げてきたんでしょあんたはーっ!」
 神楽坂の手には手紙が……エアメールらしきものが握られている。
 お姉さんというのはネギの姉のことだろうか? たしか名前はネカネだったか。
 前にわたしの部屋に遊びに来たネギが、茶飲み話に話していた。話半分できいても理想の体現みたいな出来た姉らしい。

「しかも何これ、下着泥棒二千枚ってかいてあったわ」
「カ、カモくん。どーゆーことなの!?」
「あ、兄貴。これにはわけが、おれっちは無実の罪で」
「無実の罪?」
「じ、実はおれっちには病弱な妹がいまして……」

 オコジョが説明を開始する。
 わたしは隠れたまま、それを聞いた。
 妹のために下着を盗み、その挙句ネギを頼って脱獄したとか何とか。

「……というわけで、尊敬するネギの兄貴をだまして利用しようなんて、俺も地に落ちたもんさ……」

 それは無実じゃねえ。
 というか結局なんで宮崎を狙ったか説明してねえじゃねえか。
 かっこいいことを言っているが、罪状はやはり下着ドロだ。
 だがその後、オコジョがネギの使い魔として手柄を立てたかっただの何だのという話を聞くと、お人よしの気があるネギは結局使い魔として雇うことを契約した。
 言葉には意味がこもる。言質をとられた以上ネギはあの小動物に関する責任を負うことになるだろう。
 あきれた顔をして神楽坂が一人と一匹を眺めているが、同感だ。お人よしすぎる。
 だが内容としてみれば、あのバカな小動物の手綱を取る人物は必要だ。結果的には最善か。
 その後、それを証明するようにネギは宮崎を屋内に運ぼうとしながら、オコジョに向かって話しかけた。

「でもカモくん。もうぼくの生徒を巻き込むのは辞めてね。のどかさんにぼくの振りをして手紙を出すなんて……」
「いや、すまねッス。兄貴。よかれと思ったんすが」
「でも、そういうのは良くないよ」

 意外と頑固にネギが言った。神楽坂が少しばかり驚いたようにネギを見ている。
 そして、ネギは宮崎を下駄箱まで連れて行くと、そこで改めて魔法を唱え、記憶を奪った。
 当たり前のように、宮崎のどかから先ほどの記憶を奪い取る。
 意外な気もしたが、これが当然なのだ。初歩というより義務のレベルで覚えさせられるその技術。神楽坂相手に失敗したとはいえ、こうして落ち着いて呪文を唱え、寝ている宮崎にそれをかけられないはずがない。

 そうして、その後、彼らは宮崎が目を覚まし、さきほどのことをよく覚えていないらしいことをこっそりと確認して帰っていった。
 そんな宮崎とネギたちの姿をわたしは隠れたまま見守った。

 目を覚ました宮崎は、しょぼんとした顔で周りをきょろきょろと見渡している。
 ネギ先生に断られたことを覚えているのかもしれないようだ。記憶を奪ったのではなく、宮崎は先ほどの件を夢だとでも思っている。
 記憶を飛ばすよりはいいということなのかもしれない。
 偽のラブレターの記憶を残しておくこともあるまいとも思ったが、それが先生の方針なのだろう。なら、わたしにいうことは何もない。

 そして、宮崎とネギたちが立ち去るまでまって、ようやくわたしは姿を出して、寮へ向かった。
 もちろん、帰宅するためである。

   ◆

 部屋に戻っても誰もいない。
 数ヶ月前まではそれがデフォルトだったのに、ルビーに相坂と最近はお客が多い。
 なんとかHPの更新は保っているが、この忙しい中ではだんだんきつくなってきている。
 衣装を自作する時間や新しいネタを吟味する時間は魔術の練習に奪われている。

 ネトアの衣装に関しては相坂や、意外なことに絡繰などがいやにのり気で手伝おうかと声をかけてきたりもしたのだが、正直身内ばれしているだけでもギリギリなのだ。
 ここで運営に関わられたりすればわたしは羞恥で動きが取れなくなってしまうだろう。
 ベッドの傍らにおいてあったランプを手に取る。

【――――硬化】

 自分自身に言い聞かせる言霊と、魔力で描く発動回路。
 思惑通りに銅製のランプが強化される。これだけで生半可なことではへこみすらしくなるのだ。
 工事現場にでも売り込みに行きたいが、持続時間は意外と短い。
 ため息をひとつ吐くと、今度は火をともそうとして呪文を唱え――――見事に失敗した。
 力場がおかしな方向に作用して、強化したばかりのランプがぐしゃりとつぶれた。

 最近はこの程度の魔術には失敗しなくなっていのだが、情けない。
 ランプを放り出すとベッドに転がった。

「あー、まじでどうしたもんかねえ」

 あのオコジョにエヴァンジェリンと、ネギに降りかかっている問題は多い。
 今日の一件を変にデバガメして、いらない心労を抱えてしまった。
 そして同時に、ネギの技術も垣間見た。
 わたしは保護者気取りでネギをガキだと評したが、あいつは公に教師と認められている存在で、生徒として教育を受けるわたしよりも、年齢以外あらゆる面で社会的には上の人物なのだ。
 自分が保護者気取りで振舞っていたとはさすがに思わないが、手を出す必要があるとは感じていた。
 手伝わないといいながら、頼られていると思っていた。
 だが、それはやはり必然ではない。
 それを今日ようやく気づいた。

 正直なところ、わたしが関わらなくてもこの件は落着するに決まってるのだ。
 当たり前のそんな話。
 エヴァンジェリンの思惑についてもそうだが、この学園も、そしてネギ・スプリングフィールドもそこまで間抜けぞろいのはずがない。

 わたしが関わることで“本来の流れ”より悪くなるのなら、わたしは関わるべきでない。
 善意を持った人間が関わることが、必ずとも流れをよいほうに動かすとは限らない。
 わたしは記憶を掘り起こす。
 そう、かつての図書館島の出来事だ。
 先生は変に暴走した生徒についていった。それは監視なのか善意なのかは分からないが、結局大きな問題も起こさずに帰ってきた。
 あそこは以前ルビーが問題を起こした場所だ。わたしはルビーにあまり近寄らないほうが良いといわれていた。
 おそらくわたしが行けば、いらない問題を起こしただろう。それはわたしの参加がおそらく悪影響を与えたということだ。
 あの時はそれが分かっていた。
 だが、いまは?
 この戦いにわたしが参加して、ネギのためになるなんて、そんなことは分からない。無駄になるかもしれない、より悪くなるかもしれない。そういうバランス。

 並行する正解、平行する思考、平衡した結末。
 ヘイコウセカイをつかさどる魔女とその弟子の未熟者。
 わたしの思考はおかしいか? おかしいのだろう。
 舌打ちをひとつ。
 こんなことを真剣に考えるほど馬鹿なことはない。

「まあいいや」
 わたしはベッドから起き上がる。
 今日はもう魔術の練習はおしまいだ。
 こういう陰鬱した時に行う気分転換などひとつだけ。
 つまり、


「――――オッケー、今日もちうはばっちりよーっ」


 それはそれ、これはこれ。
 ホームページの更新でも行おう。


   ◆


「というわけでですね。昨日ネギ先生と明日菜さんと一緒に茶々丸さんのあとをつけてたんですけど、結局ばれてしまってですね、前哨戦を。ああ、ネギ先生すごかったんですよ、なんか空を杖に乗ってビュンビュン飛んで……」
「まだ関わってたのか」
 わたしは自分の中である程度整理をつけて数日後、わたしの部屋に遊びに来た相坂は昨日行ったネギの尾行についてを身振り手振りを交えて解説していた。
 どうやら神楽坂に誘われたらしい。
 驚いたが、同時に納得もした。面と向かって頼まれれば相坂は見捨てられまい。
 エヴァンジェリンも相坂はさすがに傷つけないだろうし、ちょうどいい抑止力になるかもしれない。

「はい。ネギ先生は千雨さんにも来てほしかったみたいですよ。昨日も何度か……」
「それは断っちまったからな」
 手を上げてさえぎった。この先この出来事に関わっていくにしても関わらないにしても、わたしが表立ってネギ先生の側に立つことはない。たとえ相坂の頼みだろうとだ。

「そ、そうですか」
「それで? 絡繰が人気者で、野良猫にえさをあげてるってのはきいたけど」
「あ、はい。それで茶々丸さんが川で流れてる猫を助けたり、野良猫に餌をあげてるのを見てネギ先生が茶々丸さんをやっつけるのはやっぱりダメかもって。あっ、そういえば、茶々丸さんがロボットだってことネギ先生も明日菜さんも気づいていなかったみたいですね。昨日それを話したら驚いてました」
「まあそうなんだろうな。クラスのやつも気づいていないというか、言われれば答えられるが自分からは気づけないみたいな状態になってんだろ」
 認識誤認系にはいまだに拒否感があるが、ある程度の納得はしている。
 だが、積極的に話したくもないので、相坂の話をさえぎった。

「わたしはそれよりも先生の魔法に興味があるな。エヴァンジェリンは氷の塊を飛ばしてたけど」
「先生は光の塊を飛ばしてました。光の矢っていうみたいです。一回茶々丸さんにあたりそうにもなったんですけど、ネギ先生がそれを戻してしまって、それで戻ってきた光で先生が吹き飛んでしまったんです」
「光ねえ……戻ってきたってことは光線じゃあなかったんだな」
 どちらにしろ撃った後に戻せたということは弾速はわたしのガンドより遅いのだろう。
 光である意味がない気がする。誘導性を重視しているということだろうか。
 どちらにしろ、本気のエヴァンジェリンたちに正面から通じるようなものではない。

 だが戻った魔法が先生を殺さなかったということはやっぱり予想通りだ。
 前哨戦という概念もそうだし、こうしていま相坂が笑い話として話しているこの現状。
 散々確認した話だが、絡繰たちが本気なら先生は死んでいたはずだし、先生が本気ならそのときに絡繰は動けなくなっていたはずだ。
 先生は甘い。そしてその甘さが良い方向に作用している。

「それでですね。結局その戦いは茶々丸さんの負けということになってですね、逃げちゃったんですけど」
 逃げたもなにも、こいつはエヴァンジェリン邸で会っているはずだ。情報は駄々漏れだろう。
「もともと先生だって殺す気はなかっただろ。気絶させて説得するか、そもそも魔法を打った後のことすらノープランだったりするかもな」
「ありえるかもしれませんけど……」
「まあエヴァンジェリンには話は通ってるだろうな」
「はい。それでネギ先生と明日菜さんの希望でおでこにキスをして、契約を。わたしもカモさんに進められたんですけど」
「契約しなかったんだな?」
「はい。千雨さんたちに言われてましたから。それに一応わたしはエヴァンジェリンさんの家に住んでるわけで……」
 相坂がいう。

「絡繰じゃなくていきなり相坂を狙われなかっただけラッキーだな」
「うっ、ひどいです」
 泣きまねをする相坂に肩をすくめる
 まあ仲間だとは思われていないのだろう。
「絡繰も狙わない。相坂も狙わない。交渉もしないとなるとなあ」
「どうするんでしょうか、ネギ先生」
「まあ決まってるっちゃあ決まってるが……」
「えっ!? どうするんですか」
「そりゃあ、誰かに助けを求めるか、もしくは現実逃避でもして――――」

 答えをいおうとすると、来客があった。
 蹴破られるように開けられるドア。
 わたしもそろそろカギを閉め忘れる癖をなくさないといけないか。
 来客は神楽坂。はいってくるなり彼女は叫ぶ。

「千雨ちゃんいる!? ネギが家出しちゃったんだけどっ!」

 だからなんでわたしに言うんだ。

   ◆

 無理やり連れ出されて、捜索を手伝わされた。
 学園裏の森に向かっている。アホみたいに広い。そしてバカバカしいほどに無謀だ。
 つい数分前にネギにかかわらないと断言しておいてこのざまだ。わたしの決意がいかにしょぼいものかわかる。

 襲われて絶体絶命のネギがとるであろう道などほとんどない。つまり頼れる人間に助けを求めるか、逃げるかだ。
 正直学園長に泣きつく可能性が高いと思っていたから予想通りとまでは行かないが、神楽坂のところから離れようとする展開については予想できなくもなかった。

「靴は履いてないんだよな。携帯は?」
「窓からとんでっちゃったから。携帯も忘れていったみたい」
 がりがりと頭をかいた。それはもう探せないということじゃないか?
「じゃあ地面に降りてはいないかもな。ずっと飛んでるんなら手が出せないぞ」
「魔法で探せないの? 千雨ちゃんも魔法使いなんでしょ」
「難しいな」
「そうなんですか? 千雨さんなら出来るんじゃ……」
「そうっすよ姉御。ここは出し惜しみはなしにしてくだせえ。先にエヴァンジェリンに兄貴が見つけられたらやばいっすよっ」
「わたしは飛べねえんだよ」
 そういわれりゃあそうだなあ、と思いながら答える。

 偵察用の使い魔を飛ばすくらいなら何とかなるが、それを学園にばれないように、という一文がつけばわたしでは荷が重い。
 鳥を飛ばそうが、蟲を飛ばそうが、学園結界とやらにひっかっかてしまうだろう。。
 ただでさえ以前ルビーの所為で監視が厳しくなっていたのだ。半分以上ばれているような立場であるが、正式に口実を与えることは避けたかった。
 わたしは魔法使いに巻き込まれた一生徒というスタンスを崩す気はない。

「てかあと少し探したら帰っていいだろ。靴はいてないってことは飛びっぱなしだろうし、飛ぶときって見えなくなる結界とか張ってるんだろ? いや、もし張ってなかったとしても、わたしらじゃあ限界がある。それに魔法使いが遭難ってこたあないだろ」
「で、でもエヴァちゃんが……」
「そうっすよ。あいつらに先に見つかったら」
「あいつらが探しているようなら、わたしらが出し抜くのは不可能だ。神楽坂、魔法は万能みたいに思ってるみたいだが、万能同士には優劣がある。エヴァンジェリンと絡繰がいる向こうには太刀打ちできない。発信機のひとつくらい仕込まれててもおかしくないし、向こうが本気だってんなら、いまさらどうしようもねえ」

「でも、ほっとけないでしょ」
「そうですね。もう少し探しましょう、千雨さん」
 ガサガサと藪を掻き分けて神楽坂が進んでいく。
 うわー、とつぶやきながらも楽しげな相坂がそれに続き、のろのろと最後尾にわたしがついていく。
 こいつらまとめて善人過ぎる。しかも、神楽坂はあれほどいろいろな目にあっても見捨てていないというのだから、ネギがどれほどのやつなのかも分かろうというものだ。

「千雨の姉さん」
「ん、なんだよ。いつの間にきやがった」
 気づくとオコジョ妖精と名乗る小動物が肩に乗っていた。

「いやー、実はパートナーのことなんですが。おれっちが兄貴のところへ来る前に兄貴が一度断られたとかで……」
「まあな。でも神楽坂が契約したんだろ。もうあいつも無関係じゃいられないだろうし」
「ありゃ不完全契約ですし、あれもまとまるまでずいぶん渋ったんですぜ。結局キスも中途半端なままでしたし。どうも兄貴はまだ千雨の姉御のことを慕ってるようで」
「……」
「いやーどうっすか姉御? ここは懐の深さを見せる意味でもぶちゅっとムギュ」
 後半の台詞はわたしがオコジョを握りつぶしたことで途絶えた。

 深呼吸をひとつ。
 大丈夫大丈夫。わたしはまだ冷静だ。
 オコジョを放す。赤くなってはいない。魔術を習いはじめて、自己コントロールについては十分に鍛錬した。

「人の唇を適当にやる気はねえよ。そもそもわたしはネギ先生の頼みは断ったしな。先生も魔法のことで相談にのったからわたしをいまだに頼りにしてるみたいだけど、わたしは実際見習いもいいところだ」
「なにいってるんすかっ! そんなわけないっすよ」
 なぜかいきなり調子付いたカモミールが叫ぶ。
 いまの会話のどこに攻勢を嗅ぎ取ったんだ?
 その答えは小動物の口から語られるとんでもない内容だった。

「おれっちみたいなオコジョ妖精には人の好意がわかっちまう特技がありまして」

「……なんだと?」
 ぞわっと鳥肌が立った。思わず立ち止まる。
 カモミールは肩にのったまま、耳元で言葉を続ける。
 硬直したわたしは顔を向けられない。
 その表情が予想できた。絶対にこの性悪はにやけ面を浮かべている。

「イヤー、兄貴は姉御にべたぼれですぜ。この間ののどか嬢ちゃんの件はホントにすいませんっした! いやー、まさか兄貴があそこまで一途だとは思わず。あの嬢ちゃんも相性がよかったものですからついつい。それに姉御。姉御が見習いなんてのは全然平気っすよ。魔法使いのパートナーなんてのは、相性が第一っすから。嬢ちゃんもいい感じだったんすけど、千雨の姉さんならばっちりもばっちりっすよ」
「……その、人の好意を測るとか言うのはマジなんだよな」
「あったりまえじゃないっすかあ。兄貴がべたぼれなのも、姉御が兄貴を憎からず思ってることもばっちりっグエエエェェッ!?」
 これがこの小動物が調子付いてる原因か。

「いいか。このまま握りつぶされたくなかったら、そのことは神楽坂たちには絶対に言うなよ。ネギにあのオコジョはいつの間にか消えていたって伝えてもいいんだからな」
「い、いやだなー、姉御。脅かしっこはなしにしましょうや。顔を真っ赤にしていっても説得力が――――うそっす。ジョークっす。姉さんやめてください。あんこが出ちまいやすって。つぶれちまいますよ、いやほんとっ! ギャンッ!?」
 グニャリと握って手を離す。
 猫を抱いたことがある人間なら想像がつくだろうが、こういう動物の体は柔らかい。本気で握れば確実に中身が飛び出ていただろう。軽く握ったくらいで済ませたわたしの冷静に感謝してほしい。

 地面を悶絶しながら転がる小動物を視界の端に、わたしは頭に手を当てる。
 魔術の基礎。思考制御。自己分析。
 平常心を保つように言い聞かせるが、頬のほてりが収まらない。
 ああ、やばい。これを自覚するとどれだけ厄介かを知っていたから黙ってたのに、あのオコジョ。
 頭にネギの姿を思い浮かべ、冷静にそれをみる。
 大丈夫。あいつはたいしたやつだと思っているが、今わたしはあいつとキスしたいとは思わない。

 抱き合ったことはあるし、だきごこちがいいとも思ったが、それを日常に組み込むことを望んだりはしていない。
 最近の騒動でクラスのやつらにからかわれたりもしているが、あれは誤解だ。
 からかいが増えたし、朝倉が頻繁に話しかけてくるようにもなったが、それも瑣末な変化の一部。

 吊り橋効果、英雄思想、ヒロイン願望、ストックホルム症候群。いやこの場合はリマ症候群が正しいか。
 大丈夫大丈夫、大丈夫。
 長谷川千雨は冷静さを保つことには長けている。

「ですが姉さん。おれっちの鑑定だと、相性バッチリですぜ。変に意地を張らない方がいいとおもうっすけど――――」

 呪いのガンドをぶっ放す。
 病魔を送る呪いが、カモミールをかすり森の中へきえていく。カモミールはわたしの本気を見て取ったのか器用に手を上げて降参のポーズを行った。

「余裕じゃねえか、小動物」
「なんで姉御はそんなに嫌がるんですかい。兄貴がいい男だってのは百も承知でしょう」
「まあ将来性はありそうだけどな……ガキすぎだろ」
「姉さんだって似たようなもんじゃないっすか」
「この年齢で数年の差はでかいんだよ」
「数年後なら大丈夫で今はダメってのは理屈に合いませんぜ。姉御は“そういうの”にも詳しいんでしょう?」

 カモミールが攻め方をかえてくる。まあ冷静に見ればネギが悪くない男だというのは明白なのだ。
 悪くないどころか手をつけとくのに悪い人材ではない。
 魔法使いの間じゃあ誰もが知ってる有名人で将来有望。顔もいいし、この世界でだって十歳で教師になった前代未聞の天才少年。
 何よりとんでもなく素直で誠実だ。
 だが、だからこそ問題なのだ。
 あいつに適当に手を出せば、それは一生尾を引くだろう。パートナーなどになったら別れるにしても続くにしても、簡単に済むはずがない。
 適当に関われる人間じゃないのだ。

「てかオコジョ。お前はなんでそんなにわたしとあいつをくっつけようとするんだ。宮崎やわたしをくっつけてもそこまで先生にメリットないだろ。お前も先生のこと考えるなら、もう少し考えたほうがいいんじゃないか。あいつ一回女と付き合ったらそれを一生引きずるタイプだぞ」
 簡単に言えば、パートナーを神聖視している。
 発想だけならおかしくもない。宮崎や委員長をはじめとするうちのクラスメイトの一部も似たような発想を持っている気がする。
 同様にネギも一回相手にのめりこむとドロドロになりそうな気がするのだ。
 パートナーというのは重要だといっていたし、こだわりすぎだ。

「えっ? いや、別に無理やりくっつけようなんてしてませんよ。えっと……そ、それはですね。そのー、いやー姉さん。どうしたもんっすかねえ」
「お前なんか嘘つこうとしてないか?」

 しどろもどろになるカモミールの機先を制する。
 びくりと震えるオコジョの隙を突いて再度捕まえた。
 尻尾を握って吊り下げる。

「わたしは優しいから正直に言うべきだと先に忠告しておいてやる」
「いやー姉さん。おれっち尻尾の付け根はそんなに強いほうじゃなくてですね、この体勢って意外とつらいんすけど……」
「で? なんでわたしとあいつをくっつけようとしたんだ? 嘘ついたら容赦しないからな」
「そりゃもちろん、兄貴のためを思って」
「えい」
「いてぇっ!?!! すいやせん姉さん。うそっす! いや違った、嘘じゃないんすが、つい出来心で! 説明するッス!」
「じゃあもう一度だけチャンスをやろう」
 にっこりと微笑むと、なぜかオコジョが青ざめた。

「イ、イヤー、ほんとに兄貴が困ってるのを見てらんないのも、妹の話も、兄貴と姉さんの相性がいいのもマジなんすよ……ただちょっと人々に愛とつながりを与えるオコジョ妖精としての役割を果たすとですね……あーっ、と上から謝礼が出るんすよ」
「謝礼?」
「イヤっほんのちょっと! たいしたもんでもないんですが! オコジョ協会からほんの5万オコジョドルほどっす! それにッスねっ! 別段金のためというわけじゃないんス! 兄貴のためにっ! のどか嬢ちゃんなら丸め込めそうだとか思ったわけじゃなくっ! ついつい出来心で! 許してくだせえっ!」
 後半に本音が漏れている。だがわたしはそれを聞いて、思わずうなずいてしまった。
「…………ああ、なるほど」
「へっ!?」
「てか妖精ってのはそんなに組織立ってんのか。ちょっと意外だな」

 何が後ろめたいのか、謝礼が出るという話をごまかそうとするカモミールだが、むしろそれなら納得だ。
 妖精という名称にだまされたが、花の蜜を吸って生きてるわけではないということか。人間社会並みに成熟してるらしい。
 どうも強引だと思った。
 相性云々は無視するとしても、妹の話というのが本当なら悪いことを考えているというわけでもあるまい。
 つまりこいつはネギの敵にはならないということだ。

「おっ? 姉御、怒ったりはしないんですか?」
「なんでだよ。そっちのほうがよっぽどわかりやすいよ」
 わたしはため息をひとつはいた。
 説得するにしても交渉しやすい。

「まあ話したからにはもうあんまりだな……」
「イヤー話がわかりますねえ姉御。そうっすね。姉御がパートナーになれればかなりいいと思ったんすけどねえ。こんなにも話がわかる方だったとは驚きっすよ。先に相談しとけばよかったっす。こんな美人で知恵も回るなんて兄貴が惚れるのもわかりますよー。いやー、やっぱり、ネトアでトップを張ってるだけのことは――――」


【重圧・突風】


「へっ!? ――――って、ぅああぁぁあぁぁぁっ!?」

 交渉はできなかった。どうしてこいつが知ってんだ。
 半分につぶれながら上向きに吹き飛ぶ小動物を視界の端に、わたしは頬に手を当てる。
 騒いでいるが、飛ばしただけだ。死にはしまい。火でもつければよかった。
 赤みの引かない頬を押さえながら、あのオコジョの厄介さを考えた。
 なんでかしらないが、ネギにずいぶんと信頼されているようだし、抜けているようでかなり鋭い。裏があろうがなかろが、人の恋慕を計る能力は厄介ごとを生むだろうし、性格のほうもあいつは朝倉や早乙女の同類だ。
 吹き飛んだまま、針葉樹の枝葉に突っ込み、そのまま消えていく姿を見て、ほんとにここで葬ったほうがいいのではないかと思う。
 ため息を吐きながら耳を済ませた。


「千雨ちゃーん」
「どこですかー」
「もう、あいつまで行方不明になってどうすんのよ。ネギを探しにいけないじゃないー!」
「あはは、明日菜さん、千雨さんが迷子になるはずが――――」

「うぎゃあ、いてえ、やばいっス! しっぽが枝にっ!? 姐さんっ、兄貴っ! 誰か助けてくだせえっ!?」

「ってちょっとなにやってんのよ!?」
「カモさんっ!? どうしたんですかっ!」
「姉さんがたっ! た、たすけてくだせえっ!」
「なんでいきなり宙吊りになってんのよ。くっ、結構高い……ってきゃあ、暴れんじゃないわよ。ほらほらっ!」
「い、いてえッス。引っ張らないで、ちぎれるっ! 千切れるッス!」
「イタッ! ちょっと、なにすんのよっ!」
「うぎゃあ、姉さん待ってくだせえ、下に引っ張らないでっ! 釣り針引っ掛けたわけじゃないんすよっ!?」
「みりゃあわかるわよっ! くっ、この、もー、めんどくさいわねえ、このぉ…………えいっ!」

「――――ぎゃぁあぁぁあああぁあああ!」


 いつまでもついてこないわたしを探しにきたらしい神楽坂と相坂の声を聞きながら、わたしはそこで立ったまま、ぼうっとオコジョの言葉を考える。
 カモミールと名乗る小動物の言葉がよみがえる。
 ネギが自分を好いているとか、わたしがネギを、とかそういう話。

 くそっ、わたしがいったいなにをした。


   ◆


「……いるし」

 寮の扉を開け、自室に戻ると、わたしの部屋の中でネギがひざを抱えて座っていた。
 入れ違いだったらしい。
 逃げるか、誰かに助けを求めるか。
 なるほど。逃げたというわけじゃあなかったか。
 意外と頑張っている。わたしとは大違いだ。

 ネギはわたしに気づくと、半泣きになった顔を隠そうともせずに切り出した。
「あの……千雨さんに相談に乗ってもらいたくて」
 そういえば前に相談に乗ると約束した覚えがある。
「ああそうだったな。合鍵使ったのか?」
「いえ、窓が開いてました」
 なんだそりゃ、と息を吐いた。

「さっきまで神楽坂につき合わされてお前を探してたんだぜ。相坂とわたしと神楽坂でな。あいつらは一晩中探しそうな剣幕だったぞ。まあけが人が出て戻ってきたが……さっさと連絡入れときな」
 携帯を投げ渡す。
 ネギはそれを受け取ったものの、使おうとはしなかった。
 まあわかっていたことだ。ここで簡単に帰れるようなら来はしまい。

「わかったわかった。で、なんだ、相談って?」
「うっ……」
「泣くなよ、ほら」
 軽く抱きしめて頭を撫でる。
 さらさらとした髪が指の間を抜けていく。
 毒されてるなあ、わたし。

 そのままネギが落ち着くまで待つ。
 ぽつぽつと話し始めるのを聞いていくと、どうもネギはやっとこさエヴァンジェリンが危ない輩だということに気づき、それに神楽坂たちを巻き込んでいることを後悔し始めたらしい。
 だがすでに吸血鬼と対峙していることを考えれば遅すぎるし、まだエヴァンジェリンとやりあっていないことを考えると後悔するには早すぎる。
 これで先生が色々とふんぎって致死性のわなでも仕掛ければエヴァンジェリンは嬉々として本気の反撃をするだろう。

(しっかしあのオコジョは本当になあ……)

 エヴァンジェリンが賞金首だと言うのは知っていたが、それを神楽坂もいる前で話しちまうとはうかつすぎる。
 いや、神楽坂だけではない、ネギにだってもう少し考えて伝えるべきだっただろう。
 胆力を求めすぎだ。

「じゃあ先生はどうしたいんだ? 神楽坂を巻き込んだのを悪いと思ったところで、いまさら全部忘れてくださいってのはひどすぎないか?」
「はい。でもエヴァンジェリンさんの件は魔法の件とは別で、完全にボクの事情です。だからエヴァンジェリンさんとの件だけはアスナさんを巻き込まない方がいいかと思ったんです」
「あいつは反対するだろうけどなあ」
「? なんでですか」
「あのなあ……」

 当たり前のように聞き返すネギのほっぺたをつねり上げる。
 こういうところがネギのゆがんだところなのだ。
 自己陶酔とは別の形の自己を特別とみなす思考形態。
 自分の状況が特殊すぎて、相手を自分の立場に置き換えたり、自分が相手の立場に立った場合を考えられない。
 人間としての大きな欠点。天才少年の弱点だ。
 わたしはため息を一つ吐いた。

「先生。わたしの命が狙われたっていったら信じるか?」
「えっ?」
 適当な軽口。
 真に受けたのか、先生はずいぶんと驚いたような声を上げると、そんなものがいるのかとわたしに詰め寄った。

「たとえばだよ。たとえば。わたしの体を素材の一つにして魔道を探求する化け物が、わたしを狙っているっていったら信じるかい? 吸血鬼が自分の餌を取る感覚で人を殺すように、魔法の材料集めに人を殺し、人をいたぶることでそいつの精神を操ろうとする存在がわたしを殺そうとしたといったら信じるかい?」
「そ、それはたとえば。なんですよね」
「まあね」
 ごくりとネギがツバをのむ。

 嘘ではない。それはわたしの身に直接起こったことではない。
 思い出すのはあの光景。間桐桜が味わった地獄の記憶。

「そいつにわたしが狙われてさ、ネギ先生がわたしを一旦助けてくれたとして、でもその相手が強大で、そのあとに、先生に向かって関係ないから見捨ててくれて結構です、とかわたしがいったらさ。先生はどうするんだ?」
「えっ?」
 ずるい質問だ。こんな風に聞かれて首を横に振るやつがいるはずない。

「まあこんなことを自分で言ってりゃ世話ないけどさ、先生はわたしを見捨てたりはしないだろ?」
「は、はい。もちろん、千雨さんを見捨てるなんて絶対にできません!」
 ネギが思ったとおりの言葉を吐いた。
「だったら、そのときのわたしとお前の関係を、そっくりいまのお前と神楽坂に置き換えりゃいい」
 はあ、と先生がうなずく。

「関係有る無しじゃなく、先生が狙われていることが神楽坂にばれた時点で、もう関係ないなんてのは戯言だ。相手が離れたがってて言い出せないとかならまだしも、神楽坂はそういうのははっきり言うぜ。お前のせいだとか、巻き込むなとか。あいつならその上できっと協力してくれるだろうけど、そういう悪態すらついてないなら、神楽坂は先生の事情に巻き込まれたことを絶対に後悔してないよ」
 神楽坂明日菜は掛け値なしの善人だ。そして誇り高く高潔である。口調は悪いが、行動に悪意はない。見習いたいくらいだ。

 ネギは納得できているのかいないのか、わたしの言葉に口を挟まない。
「だからさ、わたしを助けてくれるだろう先生と、神楽坂がいまこうして先生を助けようとしているのはきっとおんなじことなんだよ。そういうところをもうちょっと考えな」
 おでこをピンとはじいた。ネギはぽかんとした顔のままだ。
 長い台詞をまくしたてたので、お茶を飲んでのどを潤す。
「あの……でも……アスナさんはタカミチの事が好きだったはずですけど」
 なにいってんだ、こいつ?
「あっ? よくわからんが、まあわたしがいいたいのはだな。あいつもお前を心配してるってことだ。借りはあとで返せばいい。神楽坂に頼るかはべつにして、話だけはしておきな。ここまで巻き込んで相談も出来ないようじゃあ、男が廃るぜ」
 よく分かっていないらしいネギにすこし笑う。
 わたしの言葉にネギは思案顔のままこくりとうなずいた。

   ◆

「そういえば、千雨さんはエヴァンジェリンさんと仲がいいんですか?」
 そのまま二人そろって黙っていると、ネギがふと思い出したように口を開いた。
「相坂のとき言わなかったか? あいつの体を作るときに協力したってだけだよ」
「でも、さよさんは千雨さんはエヴァンジェリンさんと戦ったことがあるはずだって言ってましたけど」

 むっ、とうなる。絡繰を一緒に尾行したことといい、意外と交流を深めているようだ。相坂から話だけは聞いているらしい。
 しかし相坂も勘違いしたまま伝えたようだが、わたしのあれは戦いではない。ただのバカが一人で暴走しただけだ。
 なんとなく想像がついた。もしかしたら、ネギがここまでおびえているのは、相坂からエヴァンジェリンとわたしのことを聞いたからだろうか?

 たしかに、あの時わたしは死に掛けた。
 エヴァンジェリンに殺されかけたとも取れるし、エヴァンジェリン自身も相坂の前でそのようなことを口にした。
 あの出来事があったからこそ相坂との縁ができたし、恐怖こそ残っているものの、あの行為自体に後悔はない。
 しかし、その辺を知らずにわたしが一度死んだという内容だけを聞けば、そりゃあネギだって不安にもなるだろう。
 そう思いながらわたしは口を開いた。

「相坂からどこまで聞いたか知らないけど、わたしが死に掛けたってのは自業自得だぞ。エヴァンジェリンから本気で殺しにかかるようなことはないよ。だからいってるだろ。先生もそう心配しなくたっていいと思うって」


「――――なんですか。それ」


「えっ?」
 予想外に硬質な声が返ってきた。
 驚いてネギを見る。
 先ほどまで、半泣きで話を聞いていたはずのネギがわたしを見つめていた。ミスった。こいつは知らなかったのか。
 真情の変化というより、弱さを強さが上回るそんな切り替え。
 以前聞いたことがある鉄の声。以前に見たことがある雷光を伴う瞳の光。
 忘れていた。いつものへたれた姿にだまされているが、こいつは引かないところは引かないやつだ。

「あの、死に掛けたというのは?」
「あ、ああ。なんだ、いや、前にほら。桜通りの吸血鬼って言ってな。あいつ、人から魔力をちょろまかしてたらしいんだよ。別に怪我人も出てないから見逃されてたみたいだし、最後の犠牲者がわたしでな。ルビーって言う……わたしの師匠みたいなやつと協力して、いまはもうそういうのはやらないで済むようになったらしいけど。別にたいしたことじゃ……」
「教えてください」
「い、いや、ほんとにたいしたことないって。もう丸く収まってるんだ。あれは不意打ちだったから騒ぎになりそうだったから、あいつだってたぶん反省くらいはしてるだろうしさ」
「……」
 誤魔化そうとしてみたが、無言でネギが続きを促す。
 素直な顔はいつものネギだが、押しが強い。
 引く気はないのだろう。

 ぐっ、と詰まった。
 なんかいやな雰囲気だ。こういうところは経験ではなく人格の差が出る。
 天才で英雄の息子という重しにも耐えているこいつは、そういう意味じゃわたしなんかよりはるかに上だ。
 それになにより、わたしはこういう雰囲気には弱いのだ。

 プレッシャーに負けて口を開く。
「ああ、なんつーかな。吸血鬼に襲われて。なんだ、一応わたしも魔術師だし歯向かってみてさ、その挙句…………自滅しちまったんだよ」
 思い出したくもない。平静を装った。
 過去の情景を思い出しながら、無意識のうちに首筋をなでている自分の手に気づく。
 何度も何度も確かめた。傷は残っていないはずだ。
 それなのに、ネギからはそこに血を噴出したあの日の傷が見えるかのように硬質な視線を向けられた。

「そ、そういや、先生。あいつが行動を起こすのは停電日らしいぜ。交渉するにしてもその日までに決心する必要があるかもな。あと、本気で戦おうってのは考えないほうがいいと思うぞ。あいつ強いらしいし。それに、なんだ。先生もいやだろ。あいつと戦うのはさ。うん、それに――――」
 耐え切れず、言い訳のような言葉をまくし立てた。
 ネギは思案顔のままだ。エヴァンジェリンとの交渉について考えているのだろうか。
 いったい全体なんなんだ、この雰囲気は。

 その後、耐え切れなくなったわたしがネギに無理やり神楽坂に連絡を取らせ、部屋まで帰らせた。
 ネギはわたしに一礼をして去っていく。意外と素直に帰っていくネギに少し驚き、それを見送りながら息を吐く。
 手で額をぬぐえば、なにやらぐっしょりと冷や汗をかいていた。

 神楽坂は女子中学生で、ネギはまだ小学生の年齢だ。
 友達が一緒に下校してくれなかったと一晩を不眠で明かし、一言相手の言葉を聞き逃して無視したことを放課後まで気に病んで、周りが邪険にするからと遊び感覚のまま嘘つき少女を皆でいじめる、そういう年代のはずだろう。
 わたしだってまっとうに成長しているとはいいがたいが、ネギはいくらなんでもおかしすぎる。人に頼らない固定観念と、責任を重く見すぎる偏執的なマギステル・マギへの強迫観念。

 わたしがネギに決定的に溝を感じる理由はそこらへんに原因がある。
 うちのクラスメイトたちは、あいつがガキであると子ども扱いをしてかわいがっているが、それはまったく逆なのだ。
 正直なところわたしにしてみれば、ネギは子供っぽいどころか、大人びすぎている。

 あいつとのきっかけとなった騒動をはじめとして、あいつは魔法使いであり、教師は副業。二足のわらじを履いている。
 生前のルビー然り、日常に隠れ潜む魔法使いに求められるのは魔法使い外での優秀さだ。
 英語のワークに、数学のプリント、漢字の書き取り。そんな宿題をわたしが溜め込んでいるように、やつだって普通の人間が必要とする仕事をこなした上で、魔法使いとして動いている。
 うちのクラスメートを知っている身としては軽く受け止めちまいそうだが、これは実際ちょいとばかり異常すぎるほどの優秀さだ。

 ルビーや桜さんの記憶は例外として、わたしはこの世界における他の一般的な魔法使いの子供を知らないが、あれがアベレージだとしたらわたしは生まれ変わったとしても絶対に魔法の国に生まれたいとは思わない。

 あれで誰かに依存する姿を見せてくれれば可愛げもあるが、神楽坂などに頼る姿はあっても、本当にお互いを尊重し合うような仲のものがいない。反発を抱ける相手がいない。本来は親がなるべき人格のよりどころ。友人でも恋人でも、あいつにはすべてをゆだねられる存在がいないのだ。
 前にあいつに話を聞いたが、姉や先生、幼馴染はどうも違う。ネギは姉や幼馴染は結局のところネギが守るべきものだと考えている節があるし、先生とはつきつめれば教育係。悪い言い方だが、どれほどネギの言う校長先生とやらが善人でも、ネギがその人物にすべてを預けられるほどの信頼を置くことはないだろう。
 本来は親がなるべき当たり前の役どころ。偶像化されたナギという概念。理想の具現。目標の可視化、強制されるハードル。
 しかし、それを行うべきはずのあいつの親は、名声とわずかな手がかりだけを残してネギの前から消えている。
 あいつが歪になるのもわかる。

「だけどさ……わたしがそれを矯正するってのもね」

 一人つぶやく。
 わたしにはネギに固執する義理がない。
 わたしがネギにこだわる必要はない。
 だから、わたしがネギを助ける理由。


 ――――――――そう、そんなものだってないはずなのだ。



―――――――――――――――――――――――――――


 ネギくんが決心して、千雨さんがぐだぐだ現実逃避しつづける話。そりゃ義理くらいじゃ関わらないよ、怖いもん。逆にネギくんは自分のことはへたれるけど、人のことなら頑張れます。
 次回くらいでエヴァ編決着の予定。
 あと忍者の人ごめんなさい。楓姉さんとはあわずにおわりました。変化がないようでいろいろ変わったつもりですが、ここら辺から本格的に変わっていきます。あと前回伏線っぽくネギ先生に渡していたのは合鍵でした。もう少し引っ張るつもりでしたが、あんまり意味がなかったです。意味もなく伏線立てるくせはどうにかするべきかも。
 ただ、のどかのラブレターイベントに関しては原作と同じような対応をしたと思ってます。さすがに魔法のひとつも使ってなければあれを夢だと思わないでしょう。
 次回も一週間後に更新できたらいいですね。




[14323] 第16話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/07 01:29
 ネギが千雨に助けを求めて数日たった。
 その間にエヴァンジェリンと千雨の間になにがあったのかというと、なにもなく。
 その間に、ネギ・スプリングフィールドと千雨の間に何かがあったのかというと、なにもなく。
 何ひとつコトが起こらないまま、ただネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンとの戦いの幕開けだけが近づいていた。
 誰がどう考えようと誰がどう行動しようと、その戦いがおくれることはなく、逆に早まることもない。

 結局、千雨は神楽坂明日菜とネギがどのような会話をしたのかすら知らないまま一斉停電日の夕刻を迎えていた。



   第16話


 千雨は寮の部屋の中にいた。相坂さよもネギもいない。
 パソコンの電気を落として、携帯用のスタンドに本を数冊。眠れば終わる夜の停電だが、寝てすべてが手遅れになるのだけはごめんだった。

「千雨、貴方が不安に思っていることに答えましょう」

 突然の声。机に付属するスタンドが、まだコンセントからの電気を光に変えているのをぼうっと眺めていた千雨はたいした驚きも見せずに振り返る。
 この日がすべての分岐点だということをルビーは知っているはずだ。

「ルビーか。でてきたばっかで分かるのかよ?」
「耳と目がないからといって情報が収集できないわけじゃない。起こった事象を理解するのに時間は要らない。把握してるわ。あの子の事も、あなたの事も」
「……へえ」
 ボウ、としたまま返事をする。
 そんな千雨にルビーが鋭い視線を向けた。


「ネギくんは誰も頼っていないわよ」


 いきなり切り込まれた。
 千雨は無言。
「この部屋のログによれば、あの日ネギくんはあなたにどうすればいいかを聞きに来た。あなたは助けるとも断るとも言わず、神楽坂明日菜を頼らせることだけを彼に告げた」
「……んなものとってたのか」
 あきれたような千雨の言葉を無視して、ルビーが言葉を続ける。
「ネギくんは明日菜ちゃんにもさよちゃんにも学園にも、もちろんあなたにも助けてくれとは言わずに今日を迎えた。明日菜ちゃんの助けは断ったままよ。事情は聞いているみたいだから助けには向かうでしょうけど、本当にパートナーとして動けるかは五分五分ね。抑止力として動けても、それは勝算にはつながらないでしょう」

「戦うことは決定なのか?」
「本気も何も、ネギくんは果たし状を突きつけたようね。今日、この日を指定してね」
「本気かよ。なんか勘違いしてるんじゃないか、あいつ」
 千雨が頭を抱えた。
 だってこれは折半案を導き出せば、それでいいはずの闘いなのだ。ネギがエヴァンジェリンを倒したとして、彼に得られるものはなにもないのだから。
 そんな千雨の声に、今日はじめてルビーが頬を緩めた。
 かすかな微笑。それは誰に向けられたものなのか。

「生徒を思う先生の気持ちってやつじゃないかしら」
「エヴァンジェリンの事情を知ってそんなことを思ってるようなら、あの先生のおめでたさも筋金入りだな。ありえねえだろ」
「じゃ、矜持ってやつでしょ」
「それもねえな。許せないことがあるとかならまだしも、エヴァンジェリンと、ネギにそんな確執ないだろうし」
 口にしながらも千雨が思案顔なのは、自分自身も解をもとめられていないからだ。
 本当に、なぜネギはエヴァンジェリンに挑みかかったのだ?
 かなり本気の疑問だった。

「結構色々やったつもりなんだけどなあ」
 ネギの相談に乗り、エヴァンジェリンに対話をしにいき、神楽坂明日菜に魔法使いであることがばらされ、そしてネギにアドバイスをした。
 ただ自分が関わらないという前提を入れただけで、千雨の行為はほとんど効果を挙げていない気がする。

「アプローチが間違ってるのよ。ネギくんが大人びているのは彼の生まれが原因だもの。ゆがんで無理やり成長した心はいまさら生兵法じゃ戻らない。ドカンと転機を与えれば一気に代わるでしょうけど、ゆっくり変えるのは相当難しいわよ」
 何か考えがあるのだろう。いつものように嫌な笑みを浮かべながらルビーが言う。
 千雨が返事をしようとして、その刹那、さきほどまで光を放っていた照明の灯が消えたのを見て、言葉をとめる。
 コンセントから電気の供給がなくなったのだ。
 携帯電話に目をやれば、時間はちょうど八時を指していた。ネギからの着信履歴が残っている携帯電話。
 電話は停電中でもつながるし、もちろん携帯電話だってつながらないはずがない。だがそれは停電前も、停電が始まった今も沈黙を守ったままだ。
 そして千雨自身も電話をしようとは思わなかった。
 千雨はじりじりとすぎる時間に耐え、ルビーはそんな千雨を眺めている。

 ――――――!

 変化の予兆。数分もせずにそれがきた。
 びくりと千雨が体を震わせる。
 ルビーとともに窓の外に視線は走らせた。

「千雨。もちろん感じたわよね?」
「ああ。いまのって」
「もちろん、エヴァンジェリンの封印が解けたのでしょう」
 寮の一室にいてすらわかる。
 千雨は息を呑んだ。エヴァンジェリンは隠す気がないのか? これでは事が終わったあとに学園にごまかしを口にすることも出来まい。
 圧倒的な魔力の波動。それが停電から少し遅れて学園内に生まれていた。

 本気で今日すべてを終わらせる気なのだろうか。だとすればネギはどうなるのか。
 死ぬのか? 最悪の場合はそうなると考えるべきだろう。
 よほどの自信があるのだろうか。
 この魔力はまるで誘蛾灯だ。いったい誰を誘っているつもりなのか。
 舌打ちをひとつすると、千雨は無言で立ち上がった。
 もしかしたらと出かける準備はしていたが、まさか停電直後に動くことになるとは思わなかった。

「どちらにいくの、お嬢様?」
「……あのガキのところだよ。ついてこい」
「正直反対したいところだけど、わたしはすでにあなたの添え物。千雨の判断には逆らわないわ。でも千雨」
「ああ、無理するなって言うんだろ。言われなくてもわかっているよ。……見るだけだ。ただ見るだけで、遠目に眺めて、たとえ傷つこうが、死にはしないって言うんなら、この騒動はそれで終わりだ」
 言い聞かせるような千雨の言葉。

「それは重畳」
 ため息交じりに返されるルビーの言葉。
 それに千雨は言い返せない。
 そしてそんな会話の一瞬後。部屋の中から千雨とルビーの気配が消え去った。

 ルビーは実際のところを知っている。
 この学園の有力者たちはある程度今回の騒動を把握している。エヴァンジェリンがこの学園で特別な立場であることもあり、細かい事態は把握していないが、見回り組は手を出さないことを伝達されている。
 当たり前である。ナギの息子、英雄の忘れ形見、マギステル・マギ候補の天才少年。
 結局のところ、エヴァンジェリンの甘さを知っている学園側が、ネギの成長のために、と黙認しているに過ぎない。
 死ぬことはない、と半ば以上の確信を持っているのだ。
 半端に関わって情報を得た千雨よりも、情報をほとんど得ずに楽観している神楽坂明日菜や、正確な事情を説明されている魔法関係者のほうが今回の件に危機感を感じていない。
 何事も半端はよくないといっていた千雨であるが、彼女はこういうところで貧乏くじを引くタイプなのだ。


   ◆◆◆


 八時になった。
 消えていく学園都市の明かりにネギ・スプリングフィールドが顔を上げる。
 その背に数多の魔法具を背負い、その手に杖を握り、そしてその瞳に雷光をともらせて、彼は一人麻帆良の街並みを眺めている。
 大きく息を吐き、そしてその顔を持ち上げて、そして彼は体に緊張を走らせる。
 武具の確認、策の確認、そして何より自分自身の決意を確認して、彼は今日やるべきことを考える。

 自分はおびえた。
 自分は彼女に恐怖した。
 いや、いまだって恐怖している。
 だけど、それは“ボクだけ”ではないのだ。

 やるべきことができた。
 やらなくてはいけないことができた。
 いまの自分にはそのための決意がある。
 だから自分は迷わない。

 背後から、航空機系の噴射音が聞こえた。
 数日前に聞いたことのあるその音に彼は振り向く。

「こんばんは。茶々丸さん」

 目の前に現れるエヴァンジェリン・マクダウェルのミニステル・マギ、絡繰茶々丸の姿に向かい、彼は平静を保ってそう言った。
 そんな当たり前の挨拶と、一人たたずむネギの姿に、絡繰茶々丸は当たり前のように頭を下げる。

「ネギ先生。お一人ですか」
「はい」
「マスターより伝言です。我がマスター、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさまがあなたの挑戦を受け入れる、と」

 先日エヴァンジェリンにたたきつけた果たし状。
 風邪で弱っていたエヴァンジェリンは、ネギを笑いながらも、その決闘を受け入れた。
 すべての分岐点である今日この日に起こる戦いを了承させたのだ。
 遥か彼方から漏れでるプレッシャーに震えそうな心を静め、ネギ・スプリングフィールドがその手に持つ杖をぎゅっと握り締めた。

 そして、今日のメインイベントが始まった。



   ◆◆◆



 ネギとエヴァンジェリンの戦い。それは意外なことに拮抗していた。
 ネギが引きながら戦い、エヴァンジェリンが追いながら戦闘を行うその図式。
 ネギのマスケット銃から魔法弾がばら撒かれ、十を超える杖から術式が起動する。
 めくらましの単純火力戦だ。道具の種類に意味はない。武装のうち、強力な順に銃と魔法弾をばら撒いている。
 エヴァンジェリンの魔法と相殺したそれを見る間もなく、続く攻撃に対してネギが結界用の媒体を投げつける。
 満載した武装を惜しげもなく使用し、ネギ・スプリングフィールドは夜空を駆ける。
 それを追う絡繰茶々丸とエヴァンジェリンは余裕気だ。
 ネギの奮闘に頬を緩める。

「本当に良くやるものだな、あのぼーや」
「マスター。残り時間にご注意を」
「分かっているさ。あいつの心意気くらいはくんでやらんとかわいそうだからな。だが、そろそろ決着をつけてやろう」

 エヴァンジェリンが笑って言う。
 いまの彼女ならネギがどれほど武装しようが、決めようと思えば初手で決まった。
 だがネギだって、この日この瞬間を待つことに意味はなかった。わざわざ停電をまって勝負を挑むことなどせず、風邪で休んでいたというエヴァンジェリンの不意をつけばそれでよかった。
 そんな手を使わず、決闘という形でこの場を迎えた以上、エヴァンジェリンにはネギに対して、手加減をする義務がある。

 そんな古式ゆかしい礼節を保った決闘が続いていく。
 戦いが続き、学園都市の境目、麻帆良大橋まで飛ぶネギを追いかけて、エヴァンジェリンが大地に降り立った。
「ふん、なるほどな。この橋は学園都市の端だ。わたしは呪いによって外には出られん。ピンチになれば学園外に逃げればいい、か?」
 せこい作戦じゃないか、とエヴァンジェリンが嘲笑する。

 その視線の先には、エヴァンジェリンの追い討ちで地面に叩きつけられたネギがいる。
 下は舗装路で彼は半そで。痛々しい擦り傷から血がにじむ。
 学園の端。結界の境目。そんな場所でネギ・スプリングフィールドが倒れこむ。
 それはエヴァンジェリンからの逃避を願ってだろうか。

 そんなはずがない。
 本当に時間切れを狙って勝ちたいなら、ネギは学園外に逃げればいい。
 電力復旧後に戻ってきて、それを勝ちとする戦い方だってあったのだ。逃げるネギを外に逃げ出さないようエヴァンジェリンが囲い込む、そういう戦い。
 だが、ネギはそれを選ばず、こうしてエヴァンジェリンの前に立ち向かった。
 そんな男が、逃げを想定しているはずがない。

 エヴァンジェリンにはネギがどのような策を練ろうと、後出しでそれを打ち破れる自信がある。
 だからこそ、その絶対的な余裕を笑みを持って一歩一歩ネギに近づき、そしてその歩みを止められたことに驚いた。

 輝く術式。光を放つ魔方陣。同時に二人かけられたのは僥倖か、それともネギの作戦か。
 エヴァンジェリンと茶々丸の体を捕縛結界の縄が絡めとる。
「やっ、やりましたっ!」
 ネギが会心の笑みを浮かべた。
 場所を誘導し、ここまで耐え、そして絶好のタイミングでの結界の発動。
 全てが上手く行った結果があらわれた。

「……ほお、やるなあ、ぼうや」

 エヴァンジェリンが驚きと賞賛の声を上げる。
 その術式の強固さは本物だ。油断もあったが、油断だけではここまでうまくは行かないだろう。
 やはり天才というべきか。

 だが、ネギが続けてはなった降伏を促す言葉に返ってきたのはエヴァンジェリンの高笑いだった。
「な、なにがおかしいんですか。この結界にハマった以上、これでボクの勝ちですっ。ボクの言うことを聞いてもいますよっ!」
「ああ、そうだな。本来はここでわたしの負けだろう」
 ネギの言葉にエヴァンジェリンが返す。
 まだ笑いがおさまらないのか、口元には笑みが見えた。
 ネギが不敵さを消さないエヴァンジェリンをいぶかしがるが、本来は力を取り戻したエヴァンジェリンにこの言葉を吐かせただけでもとんでもない成果なのだ。

「おい、ぼーや。お前はこれで勝ちといったが、お前の言う勝ちの基準とはいったいなんだ?」
「えっ?」
 突然、結界に絡み取られたままのエヴァンジェリンが問いかける。

「これは決闘なのだろう。果たし状も受け取った。では勝敗は誰が決める? 当然我々自身のはずだ。つまり勝ちの基準が必要だろう」
「勝ちの、基準?」
「そうだ。わたしはお前の血を吸って、そしてこの身から呪いを追い出すことが目的だ。つまりこのエヴァンジェリン・マクダウェルにとって勝ちとはお前から血を吸う瞬間になるだろう」
 そんな言葉を口にしながら、エヴァンジェリンが後ろ手で茶々丸に合図を送る。結界破壊の甲高い機動音が響きはじめる。
 ネギは突然の問いかけに気を取られ気付かない。

「さて。それではお前にとって勝ちとは何だ。わたしを倒すことならば、この結界にはめた時点で追撃を行うべきだ。わたしを殺すことなら、この停電前に爆弾を仕掛けるくらいはするべきだ。この停電を逃げ切ることだというのなら、お前は学園の外で引きこもるべきだった」
 もちろん、果たし状を出しておいてそんな間抜けなマネも出来ないだろうがな、とエヴァンジェリンが笑いかける。
 そんな言葉を吐くエヴァンジェリンに、竦みそうな足を叱咤してネギが立つ。

「ボ、ボクは……。ボクはエヴァンジェリンさんに言うことを聞いてもらうために戦っています!」
 精一杯の強がり。そんなネギの言葉を聞いた瞬間にエヴァンジェリンが大きく笑う。
 魔力の波動。圧倒的な存在場。
 悪のカリスマ、死の具現。
 闇の福音、エヴァンジェリン・マクダウェルが大きく笑う。
 彼女の高笑いが夜空に響く。

 言うことを聞かせるとはどういう意味か。
 それにいったいどういう意味があるのか。
 あまりに単純で、予想外の言葉だった。
 だからこそ、それはエヴァンジェリン・マクダウェルに敵対する理由としては上等だ。
 笑いを抑えられないままに彼女はいう。
「いいな、それはとてもとてもおもしろい。わたしに言うことを聞かせるか。だがな。それはきっと――――」
 ギロリと、笑い顔の吸血鬼から赤色の魔眼で睨まれる。


「――――わたしを殺すことよりも、よほど難しいかもしれないぞ?」


 茶々丸の結界破りが、エヴァンジェリンを呪縛から解き放つ。
 駆けつけた神楽坂明日菜とカモミール、そしてその姿を遠目で見続ける千雨の肌までがあわだった。
 勝ちを信じたネギの思いも、助けに現れたアスナの決意も、兄貴分を信じるカモミールの考えも粉砕するそのカリスマ。
 忘れてはいけない。
 いくらいつもの彼女がちょいと抜け目の少女に見えていても、目の前の存在は御伽噺に語られるほどの怪物なのだ。



   ◆◆◆



 エヴァンジェリンが油断を取り払った以上、素人が勝つのは土台無理な話だ。
 破壊された拘束の術式、砕けたアスファルトと、倒れた人影。
 ネギが、己の杖を手に抱きながら、自分の認識の甘さをかみ締める。
 周りには、途中から助けに来た神楽坂明日菜とカモミール・アルベールの姿がある。
 だがその救援もむなしく、その後の戦いは一方的に完結した。

 茶々丸に神楽坂の動きが封じられ、ネギがかき集めた骨董品の戦闘用具は打ち砕かれた。
 吹き飛ばされた衝撃でぼろぼろのカモミールが辺りを見回すが、決定的な逆転劇を演出できそうな要素はない。
「まずいぜ。せっかくアスナの姉さんを説得したってのに」
 やはり、千雨も巻き込むべきだったとカモが悔やむ。
 高笑いを響かせるエヴァンジェリンへの奇襲。なんとか一矢報いて時間を稼いだそれは、ただ相手の余裕から時間をめぐまれただけだった。

 強い。エヴァンジェリン・マクダウェルは強かった。
 油断あり気でただ強い。手加減してなお強い。
 彼女がネギたちを相手に一蹴してしまわない程度に手を抜いた戦いから、少しハードルをあげただけで戦いと呼べるものは終了した。

 一度拘束した際に悠長に交渉などしなければ、あと少しネギたちに運が味方すれば、あと少しネギと明日菜の連携が取れていれば、もう少しエヴァンジェリンが手加減をし続ければ、そうすれば結果は変わったかもしれない。
 だがネギはまず対話を申し出てしまった。
 ネギは、自分の武装は用意したが、結局明日菜にも千雨にも助けを求めずにここまで来てしまった。
 そしてカモミールから説得された明日菜は、ネギの力を誤解したままこうして戦場に立ってしまった。
 そして、ネギ・スプリングフィールドは“覚悟”を持ってしまった。
 その結果がこのざまだ。

「このわたし相手に部分判定で勝ち星二つか。やるじゃないか、坊や。本気で感心したよ」
 だが、エヴァンジェリンは掛け値なしの称賛をはいた。
 ネギは骨董品で武装し、罠を仕掛け、そしてエヴァンジェリンとの戦いを待った。
 停電前に奇襲することもなく、停電後に正式に戦いを挑みかかった。
 一度は結界に捕らえさえして、途中で明日菜も加わった幸運もあり、これ以上ないほどに善戦した。
 たとえどんなことをしようと、このエヴァンジェリン相手にこの成果はすばらしいものだということをエヴァンジェリン自身は知っている。

 だが、それもこれで終わりだ。
 称賛とは勝者が敗者に与えるもの。
 敗残者を前にエヴァンジェリンは悠然とたたずんでいる。
 ネギはぼろぼろ、明日菜とカモはとらわれて、厄介な力を持つ明日菜にいたってはすでに意識を奪われている。
 だが、エヴァンジェリンに見下ろされるネギの瞳はいまだに光を放っていた。

「まだやる気か、坊や」
 半ば本気でエヴァンジェリンが感嘆している。
 甘いだけのガキだと思っていた。ただの秀才だと思っていた。ナギの息子というだけで、才能だけはあっても、まだまだ心はガキだと思っていた。
 しかし、こいつの魂は英雄と呼ばれる色が息吹いている。そういうものが生まれでようとしている鼓動を感じる。
 本当に“ここで絶ってしまうのは”惜しいほどだ。

「素質というより、千雨の薫陶だな。流石といってやるべきか」
 エヴァンジェリンがつぶやいた。
 千雨の名前を聞いた瞬間、ギリとネギが歯を鳴らす。
 それを見てエヴァンジェリンが少し笑う。

「やはりお前の怒りはそこからか、律儀なことだ。あいつとわたしの確執でも聞いたのか?」
「あなたが、千雨さんを傷つけたと聞きました」
 ネギが呟くように答える。
「なんだ。あれはあいつが自棄になって自殺しただけだぞ」
 エヴァンジェリンが肩をすくめる。

「自殺……。やっぱりそういうことでしたか」
「なに、もう傷は残っていないさ」
 にやりと、エヴァンジェリンが笑った。
 だがその口は続きの言葉をしまっている。
 千雨に傷は残らなかった、それは真実。
 傷一つ残さず治療され、後腐れなく蘇生され、だからこそ相坂の件があったとはいえ、一度確執を持ったエヴァンジェリンと千雨の交流が続いている。
 しかし、だからこそ、ネギ・スプリングフィールドは怒っているのだ。

「違います。千雨さんは傷ついていました。それなのに、あなたは彼女に謝ってすらいない」
「なんだ、あいつはそんなことまで愚痴ったのか?」
「千雨さんはそんなことをいいません」
 ネギの即答。エヴァンジェリンの言葉に首を振る。
 千雨がそんなことを自分に吐くなんてありえない
 そんなことするはずない。それを自分は知っている。

 彼女は結構愚痴っぽい。よく人の行為に文句を言うし、自分の考えに否定的。
 だけど、決定的な弱音だけは見せてくれない。
 そういう信念をもっている。

 弱みを、苦しみを、悩みを抱えたまま日常を過ごせる強さがある。
 そんなことにネギ・スプリングフィールドは先日やっと気付いたのだ。
 彼女の首のトラウマと、エヴァンジェリン・マクダウェルに関する苦手意識。そしてなにより長谷川千雨の自殺の話
 それは、意地っ張りの彼女から、ただ話をしていて気づいただけだ。
 彼女は自分の弱さをひけらかさない。

「千雨さんは強い人だと思っていました。頼れる人だと思ってました。だけど、彼女はいまだに立ち直れてはいませんでした。あの人は強がっているだけでした」
「はっ、随分なことだ」
 わかりきっていたことだ、とエヴァンジェリンが鼻で笑う。
 だがネギは言葉をとめない。

「千雨さんはすごい人です。誇り高くて、優しくて。そして、かたくなだけど、とても素直な人なんです。そんなあの人があの時は口調を濁して饒舌で、そして早口で誤魔化して……。もうエヴァンジェリンさんと仲直りしたなんて、全てが解決したなんて、まったく傷ついていないなんて、そんなことあるはずない」
「心が、とても言うつもりか? 随分と陳腐な言葉だ」
「そんな陳腐なことで千雨さんは苦しんでます。だからここでボクが引くわけには行きません。ボクはあなたと闘って、そして千雨さんに謝らせます」
 あまりにぬるいその言葉。
 だがエヴァンジェリンは笑わなかった。

 ネギとエヴァンジェリンの視線が交わる。
 ネギの瞳の色に、エヴァンジェリンが懐かしそうな顔をする。
 誇りが灯ったその瞳。

「なるほどな。お前の“勝ち”はそこだったか」

 エヴァンジェリンが感心したように息を吐く。
 ネギがこの真祖の身に本気で挑みかかった理由を理解する。

「だがそれでも、この戦いはお前の負けさ。千雨と同じようにな」
「ボクはまだ負けていません」
「ああ、まだ“血を吸っていない”からな。だがその様でどうする気だ?」

 可笑しそうにエヴァンジェリンが言った。
 ネギが言葉に詰まる。
 悔しそうな顔をするが、それは事実だ。
 決意はあるが、実力が追いついていない。
 千雨のように現実を見据えすぎなのも問題だが、意地を張りすぎるネギだって十分に問題だ。
 それでいて性根の張り方はそっくりなのだから救えない。
 行為に比べて実力が半端なのだ。
 だからこうなる。
 せっかく“生き残れそう”だったのに、とエヴァンジェリンがあきれた。

 そう。本来エヴァンジェリンには殺す気はなかったのだ。
 千雨に語った言葉は嘘ではない。
 血を吸って、封印が解けるかを確かめる。
 そして、もし封印が解けそうにないなら、きっとそこであきらめた。

 彼女は女子供は殺さない。
 彼女は“覚悟のない”ものは殺さない。

 だが今は違う。
 ここまでお膳立てが整って、その上で見逃せば、自分はこれから悪を名乗る資格さえ失うだろう。
 血を吸い、封印をとく。
 死に掛けようが、封印が解けるまで血を吸おう。
 その後、まだ生きていれば見逃そう。

 だがなにもせず見逃すことはできない。
 血を吸わないという選択を選べば、自分の意志力の腐敗が決定的となってしまう。

「生き残れるよう祈っておけ。神かわたしか、千雨にでもな」

 その言葉にどういう意味があったのか。
 結界に拘束されるネギの首筋にエヴァンジェリンが顔を近づける。
 ネギがもがくが意味はない。
 もしここでこいつが本当に死ねば、学園は一体どうするのだろう、とエヴァンジェリンは彼女らしくもないことを考える。
 停電の迷彩も思いのほかうまくいっている。ネギが闘いながら大きく場所をかえたこともあり、監視しているというスタンスを見せたくないと考える学園の人間はこの状況を正しく認識してすらいないだろう。
 エヴァンジェリンが首筋によった口を開く。

 一瞬の間を空け、牙を突きたてようとして、エヴァンジェリンはこちらに近づいてくる覚えのある魔力を感じとった。
 視認出来ない速度で跳ぶ呪いの魔弾。
 風と同化した呪いがその場にいたもの全員に降りかかる。
 だが直前でエヴァンジェリンが手を一振りする。さすがに全盛期の吸血鬼。それだけで、ネギとエヴァンジェリンに向かっていた呪いは吹き飛んだ。
 完全に牽制用だったのだろう。遠目にみてネギはすでに血を吸われる寸前だった。狙いをつける暇もない。だから当たっても死にはしないレベルでの広範囲式の一撃を放ったのだ。
 牽制のために薄められた病魔の呪い。
 吸血鬼にはそよ風に等しいようなその一撃。だがそれでも、エヴァンジェリンに誰が来たかを教えるには十分だ。
 ネギから離れたエヴァンジェリンを見て取って、第二派を撃とうとしていた魔力を抑え、彼女はエヴァンジェリンたちの前に降り立った。

「先生。あんまり恥ずかしい台詞を叫んでんじゃねえよ」

 ポツリと一言。その言葉にネギではなくエヴァンジェリンが言葉を返す。

「喜べ、坊や。お前の血を吸うのはお預けだ。お前の願いどおりあいつも吹っ切れたみたいだぞ」

 喜べと口にする吸血鬼。
 だが、彼女が現れたことを信じられないような顔をしてみているネギよりもだれよりも、ネギを殺そうとしたところを中断させられたエヴァンジェリンこそが一番喜んでいるように見えたのは気のせいか。
 そんな笑顔を隠せないエヴァンジェリンが言葉を続ける。

「よくもまあ、この場でわたしの前に立てたものだ」
「……まあ、先生が頑張ってるしな。わたしだけ逃げられねえよ」
「そりゃいいな。愛の力ってか?」
 バカ言ってんじゃねえよ、と千雨がため息まじりに口にする。
 エヴァンジェリンがおかしそうに笑った。
「それにしては遅いお着きだったみたいだがな」
 その言葉に千雨が罰の悪そうな顔をする。
 当たり前だ。
 明日菜やカモが倒れふし、ネギはぼろぼろで血を吸われる寸前だったのだから。
 だけど今、彼女はこの場にこうして戦場に立っている。

 ――――先生、わたしは助けないぞ

 そんなことを繰り返した少女は、自分のことをわかっていた。
 長谷川千雨がネギ・スプリングフィールドに対して怒ったことがあった。だが、あれはネギのためを思った行為ではない。
 あれは彼女の怒りの吐露であり、ネギのためのものではなかった。彼女は彼女のために行動し、そしてネギがその行動に感謝した。
 それだけのことだ。それだけのことのはずなのだ。

 だが、だからこそ、彼女はこの問題を傍観できるはずだと言い聞かせなければならなかった。
 そう繰り返しておかないと、自分はきっと流されて、最後にはネギに手を貸すことになるだろうと。先生を助けるため骨を折る羽目になるだろうと予想していたのだ。
 それは完全に正しかった。
 うっかりもののカレイドルビーの依代が、そんなに賢いはずがない。
 そのツケが、この結果。
 エヴァンジェリンが言ったように、ネギがうすうす気づいていたように、長谷川千雨はバカモノなのだ。

 そんな彼女が、ネギ・スプリングフィールドのあんな言葉を盗み聞きして、そのまま諦観できるはずがない。
 遠目でこの状況を確認してしまった以上、もう彼女に逃げ道はないのだ。
「では、千雨。改めてお前に問いかけよう。お前がここに立つその意味を」
 ギロリとその魔眼に睨まれる。
 千雨はそんなエヴァンジェリンの言葉にあまりビビッていない自分自身に驚いた。意外と自分も単純らしい。
 呆れ顔のルビーを従えて、エヴァンジェリンの前に立つ彼女は真っ赤な顔をしたまましぶしぶと口を開く。

「そうだな。…………なんかマジっぽいからさ。あたしも加わるよ、先生側だ」

 そんな、あまりに今更の一言を。


   ◆


 呪いを被せられたのか、結界で縛られているのか、ネギ・スプリングフィールドは動かない。
 しかたなしに千雨はガンドを撃ちながら牽制し、場所をかえようとする。
 さきほどの風邪を引く程度で済むような温いものではない、完全に攻撃用の一撃だ。
 ガンドとは呪い、呪詛である。
 ボールを投げて相手に当てるのとはわけが違う。呪いとは呪いを行った時点で完結しているものだ。
 つまり本来はタイムラグや攻撃としての軌跡は関係ない。
 本来は避けるのではなく呪詛返しという形でしか受け切れるものではない。
 拳銃を避けるのは出来ても、指差されるのを回避するのは生半可な行為ではないからだ。

 ルビーからならった千雨の呪詛は、ある程度指向性を持ったものだが、やはりその速さは普通の人間がどうにかできるものではない。
 長谷川千雨は呪いが得意。エヴァンジェリンなら闇の魔法向きと評するだろう。

 呪いであるから物理的な対処は難しく、そして威力はルビーも文句の付けようがないレベル、手加減すら難しい致死性だ。
 戦闘のセンスは欠片もないが、その圧倒的な唯一つの技術だけで、本来ならば千雨は負けない。
 だが、その魔弾の軌跡は視線と千雨の意識に依存するため、速度と技術だけがない。いや、ないわけではない。
 銃弾クラスの速さに十分に計算された弾道だが、それがただ届かない。
 単純に相手が悪すぎるのだ。
 たとえエヴァンジェリンが魔力を封じられていても危ないというのに、今回の相手は万全なのだ。
 全盛期のエヴァンジェリンは、ただでさえ千雨の一撃を正面から受け止められる存在な上、戦闘経験値に差がありすぎる。

「ほう、お前の得手もフィンの呪いか。とんでもない威力じゃないか」
「――ああ、くそっ、一発くらい食らっとけよなっ!」
「そうだな、食らってやってもいいが全部力まかせで弾いてしまったら、お前もうやることがなくなるだろう? お前の希望を完全に絶ってしまうこともないだろうしな」

 千雨がげんなりとした顔をする。
 意味がないと思いつつ一応力を抑えてみたりもしていたのだが、遠慮はいらないらしい。
 千雨はこの後の及んでいまだに最強の吸血鬼を名乗る少女の言葉を話半分できいていたことに気づいた。
 世界最強とは、世界で最も強いということだ。
 吹かしでなく、本当にそうなのだとしたら、遠慮するほうが馬鹿らしい。

 後ろのポケットにはルビーが調達し、千雨が加工したいくつかの宝石のアクセサリーが入っているが、使用する気にはとてもなれなかった。
 たいして魔力もこもっていないし、そもそも効かないと分かっている攻撃に安くはない宝石を試し打ちはしたくない。
 唯一エヴァンジェリン相手でも使えそうなルビーを呼び出した赤い宝石もあるが、こっちは使えばルビーが消えてしまうとあっては、ここで使用できるはずもない。
 値段にびびっているといってもいい。
 千雨はこんな状況でも対価を冷静に演算していた。アンティークを惜しげもなく放出したネギとは随分な違いだ。
 変なところで千雨は未だに冷静である。

 しかし千雨の考えとは裏腹に、エヴァンジェリンは千雨の技量に本気で感心していた。
 ルビーはまだしも千雨がこれほどやるとは思っていなかったからだ。
 流石といってやるべきか。
 単発でうたれる呪いを千雨の指の動きから避け、呪詛を封じることで無効化し、反対に氷柱を雨霰と飛ばしていく。

「なかなかやるな。だがやはりまだまだだ」
「こっ、このやろ……手加減くらいしろよなっ!」
「バカモノ。約束どおり精一杯手加減してやってるだろうが」

 それが本当だとわかっているから千雨の文句も続かない。
 千雨にかすった氷柱が地面を削る。
 千雨の服が凍った。
 これが体に当たればどうなるか。想像もしたくない。

 エヴァンジェリンが10ずつ飛ばす氷柱を20に増やし、30に届かせて、40を過ぎるころには千雨はガンドを撃つ暇もなく避けるだけだ。
 空を飛ぶエヴァンジェリンに対し、重力をある程度操れても空を飛べない千雨の体術では限界がある。
 地面を駆け回りながら避けていく。エヴァンジェリンの一撃がアスファルトを削ったのを見たあとに、あれをわざわざ防壁で防ぎたいとは思わない。

 ルビーのサポートをもらいながら、思考を高速に走らせて動きを読み取り、十手先まで予定を立てて後はその通り動くだけ。
 それを三手ごとに更新して、誤差修正。それをひたすら繰り返す。
 直感や修練を持たない素人用の戦闘技術。
 心得もないままにルビーの技術をそのまま流してもらっているだけだ。平行世界からの技能流用。
 だが、それもまだまだ甘い。動きに隙がありすぎる。

 千雨が撃つ魔弾は一発たりとも当たらない。
 本来千雨が本気で撃つガンドは人にとっては致死性だ。
 エヴァンジェリンだからこそ軽口をたたいていられるが、その呪いは威力だけを見るならルビーですら再現不可能な病魔を携える腐食の呪い。死の呪い。

 相手が封印が解除された今のエヴァンジェリンだからこそ、千雨も遠慮なく撃っているに過ぎない。
 それでもその様な攻撃を受けつつ、早く数が多いといってもお返しに放たれるの千雨でも避けられるレベルの魔法のみ。
 ニヤニヤと楽しそうに笑うエヴァンジェリンが放つのは、決定的なものではない。
 いたぶっているのとは違う。恐らく楽しんでいるのか。
 いや、それも違うか、と千雨は氷柱を避けながら、分割した二番目の思考で考える。

 エヴァンジェリンはやはり殺したくないのだ。

 ルビーが甘いという気持ちも分かる。
 事故で殺すか弾みで殺すか、殺してしまえばそれを受け入れる器量がある。
 殺さなくてはいけないとか、こちらを殺しにきた存在とか、殺さなくては礼を逸するものをきちんと殺し返すだけの度量もある。

 それなのに、生かしてもよいものにたいしては臆病と言ってすらいい。
 彼女は心のどこかで、このまま時間切れとなってこのチャンスを棒に振ることすら望んでいる。

 氷の刃が地面を削り、病魔の呪いが空に消える。
 そんな攻防を繰り返し、先に千雨が焦れてきた。
 もともと戦いなど未経験の素人なのだ。追体験で半強制的に学習し、理論を得ただけに過ぎない。
 戦闘を行う力を得ても、戦闘を行い続ける心がない。
 的を打ち据える力があっても、相手に当てるまでの駆け引きが出来ない。
 純粋に戦闘状態に耐え続けるだけの心の強さがない。

 攻め手が見えないから千雨は動きが取れない。
 だが、それはつまり。つまり、隙さえあるならば、

「千雨さんっ!」

 千雨がその声ににやりと笑う。
 いつのまにか拘束を破ったネギが杖を持ち、24を数える光の矢を撃ち放つ。
 だが、それでもエヴァンジェリンには届かない。
 ネギの放った光の矢を片手で撃墜し、余裕綽々にもう片方の手を千雨の放った呪いの魔弾に掲げるエヴァンジェリン。
 ネギの光弾、千雨の魔弾、そしてエヴァンジェリンの氷柱が夜空をかける。
 三人の思考が絡まって、その拮抗が無限に回転する戦闘図。
 互い違いの魔法の乱舞が夜の空に百を越える線を引く。
 とめられない戦い、止まらない戦闘。
 ネギが動き、そしてエヴァンジェリンが動き、そして千雨が動くその図式、
 絡繰茶々丸がその光景に息を吐き、戦う三人の顔に笑みが浮かぶ、そんな戦い。
 あまりに美しく、だからこそそれは誰かが止まれば、すべてが崩れる脆さを内包し、


 ――――そして、その瞬間が訪れる。


 千雨が力を引きずり出して撃った、時間差を付けて飛ぶ二条の魔弾。
 光の矢を止められて、必死にあがない杖を掲げるネギが放つ雷雨の矢。
 それを余裕綽々に見ているエヴァンジェリンの氷の嵐。

 そしてその間を裂く、従者の悲鳴。

 どこまでこの学園は彼女たちを呪っているのか、ネギたちとエヴァンジェリンとのつばぜり合いのさなかに絡繰茶々丸より叫びがあがる。
「っ!? まずい! 予定よりも7分27秒も復旧が早い! マスター、学園結界が復活しますっ!」
 その叫びが起こった瞬間、ネギは動きを止め、千雨は自分の打ち出した魔弾の軌跡を思い起こし、エヴァンジェリンは回避に魔力を注ごうと動き出し――――

「きゃんっ!?」

 可愛らしい悲鳴が響く。それは最悪に近いタイミングだった。
 結界が力を出すエヴァンジェリンの体を打ち据えて、さらにその魔力が封印される。
 拮抗を保っていた光の矢がエヴァンジェリンの矮躯を貫き、動きを止めた体に千雨の呪詛が突き刺さる。
 ネギの雷、雷光を伴う大突風。エヴァンジェリンの氷の魔法と拮抗していたそれは威力を落としながらも、鉄を削るほどの一撃だ。エヴァンジェリンのまとっていた魔道衣が千切れ飛ぶ。武装解除とは明確に異なる死の要素を内包する一撃である。

 カハッと、その一撃に空気を吐き出すエヴァンジェリン。だが、まだ終わらない。
 さらに続くのは2射が連なる病魔の呪い。まず一撃目に病魔の汚染。
 ネギの一撃をまともにくらいながらもエヴァンジェリンが朦朧とした腕を振り上げて、受けてはいけない一撃を片腕を犠牲に受け止める。
 ギリギリで臓腑に当たるのは防いだ。
 白い肌が黒く染まりその病の素を撒き散らす。
 頭や心臓に当たれば死んでいた。

 衝撃でバランスを崩し、羽をむしられた吸血鬼が空中から落下する。
 その背に続く第二撃。一撃目に付き添う死病の呪い。
 ネギの魔法と千雨の一撃で意識を半ば以上に奪われたエヴァンジェリンに避けるすべは存在しない。
 エヴァンジェリン・マクダウェルが本来の力を取り戻せていたからこそ、牽制として撃っていた呪いの魔弾。
 それは今や彼女の命を奪う力を持つ一撃へと変わっている。

 誰一人間に合わない。
 神楽坂明日菜のもとにいた絡繰茶々丸が主の下へ飛ぶが、彼女の思考はそれが間に合わないことを知っている。
 魔法の矢の制御に力を注いでいたネギ・スプリングフィールドでは力が足りない。
 絡繰に捉えられ、動きを封じられたカモと明日菜たちは今は意識すら刈り取られている。

 彼らはみんな間に合わない。
 彼らはみんな届かない。
 そんな皆の視線の先で、意識を失ったエヴァンジェリンが落下する。

 この戦いのさなか、一部の人間はちゃんと気づいていた。エヴァンジェリンが気づいていたように、ネギが理解していたように、長谷川千雨だって知っていた。
 これがどれほど遊びを混ぜようと、道場試合などとは一線を画した殺し合いであることを。
 だからこれはありえるはずの光景だった。

 思考を停止させることはない。彼女の頭はいまこの場にいる誰よりも高速で回っている。
 間に合わないなら、そのことを理解してその先を考える。
 視線の先に、第2の魔弾に打たれようとするエヴァンジェリン。
 放った矢の軌道はたとえ英雄でも変えられない。
 止めを刺されるまであと一拍、あと一瞬、あとコンマ数秒のその命。
 空を鳥のように飛ぶことも出来ず、地を獣の速さでかけることも出来ない千雨では間に合わない。
 地を駆けようが空を飛ぼうが間に合わない。
 もはや“一声出すくらい”の間しかない。


 ――――それは不可能を一時的に可能にする簡易発動型の魔術式よ。


 間に合わない。
 不可能だ。
 だがまてよ。
 人の反射すら挟めない微細な間隙を持って、千雨は思考をまわし解を得る。
 分割され、高速に処理される千雨の脳内で思い出されるひとつの会話。


 ――――あなたが願えば発動するわ


 たしか、自分に刻まれた文様に、疑問符を浮かべて問いかける千雨にたいしルビーがいった
 これまで一度だけ使われて、千雨の命をエヴァンジェリンから救ったそんな技が存在した。
 思い出せ、それは

「やめなさいっ!」

 闇夜に響く大きな声。
 だがそれは間に合わなかった。
 千雨が思い切りがよすぎるなんて、あのときに身にしみて知ったはずなのに。
 あの日から、ルビーは千雨の行動には干渉したが、それで人の根底が変わるわけがない。
 ルビーは自分の無力さをかみ締めながらそれを見る。


 ――――ちなみにこれからは、令呪もわたしじゃなくて、千雨が恩恵を受けることに、


 そんなルビーの言葉に対して、長谷川千雨は意味がないと笑ったけれど、この世に意味のないことなんて何もない。
 なるほど、ルビー。お前はいつも正しいな。


「――――跳べ!」


 千雨の口から漏れるただ一言。
 その言葉が千雨に空を駆けさせる。
 令呪が発動し千雨の体が吹き飛ぶように空を駆け、エヴァンジェリンの向かって跳んでいく。

 そうして学園結界が復活したその瞬間から数瞬後。
 ルビーの、ネギの、茶々丸の、すべてのものの視線の先。
 エヴァンジェリンを蹴り飛ばし、代わりに黒い光弾に撃たれる長谷川千雨の姿があった。

   ◆

 令呪はルビーに力を与える紋様だ。
 本来は千雨に力を与えることなど出来ないはずだ。
 だが、ルビーは知っている。自分に力がなくなり、その力は長谷川千雨に受け継がれた。

 ランプの精が、己の力を欲した魔法使いに呪いごと力を渡したかのように、千雨はルビーの力とその特性を受け継いだ。

 令呪という呪いもまた千雨の体に受け継がれる。
 己が己を律する力の紋様。
 令呪がルビーを制するもののままだったら、きっと千雨は躊躇した。
 そしてきっと間に合わずに終わっただろう。
 かつてエヴァンジェリンが断じたように、自分のチップこそが最も安い。
 彼女がその文様に力をこめたその瞬間、瞬きの速さで長谷川千雨がエヴァンジェリンの前に跳んでいく。

 結果、エヴァンジェリンを力の限り蹴り飛ばした千雨に死病の呪いが突き刺さる。
 人を呪わば穴二つ。
 だが自分を呪えば、そりゃあ被害者は一人ですむな、と千雨は笑う。
 こんなときに笑えるのは千雨の成長とみるべきか。
 ルビーならばそれは汚染と評しただろう、そんな自虐の笑みが千雨に浮かぶ。

 肩口に受けた呪いが体に回り、即座に千雨を汚染する。
 肺が傷ついたのか綺麗な赤色の血が口から吹き出た。
 あたったのは右肩なのにこの様だ。頭で受けていないことを喜ぶべきか、避けられなかったことを嘆くべきか。
 一瞬遅ければ自分ではなくエヴァンジェリンが受けていた。一瞬早ければ、自分もエヴァンジェリンも避けられた。
 許容範囲の中の最悪か。いや、これで自分が死んだらそういうわけにもいかないだろう。

 フィンの一撃は病魔の呪いだ。
 打ち手も担い手も関係なく、本来の力どおりに呪いが千雨を蝕んでいく。
 レジストなどできようはずがない。千雨は出力系だけが暴走した特化型の魔術師なのだ。

 もともと空を飛べない千雨の体がエヴァンジェリンとともに落ちていく。
 エヴァンジェリンも一撃目の呪いが弾けない。
 エヴァンジェリン・マクダウェルは風邪を引く。花粉症で寝込む悪夢の使徒。
 もともと吸血鬼は病魔に弱い。エヴァンジェリンは克服したが、それでも封印内でそれを十全に振るえるかといったらそれは嘘だ。
 落下するエヴァンジェリンを茶々丸が抱きとめる。

「マスターっ!」
「騒ぐな。起きている。千雨もなかなかやる。結構厄介だな……力がでん」
「マ、マスター。学園結界が復活しました。撤退を提言します」
「ああ、だろうな。お前が気づかなかったということは、もともとそういうものだったということだ。気にするな。責任はあとで取らせてやる」
「し、しかし」
「大丈夫だ。戻るぞ。……別荘に行く」
 言葉とは裏腹に弱弱しい声でエヴァンジェリンが言った。
 その顔色は紙のようだ。
 茶々丸も動揺を隠せていない。

「千雨さんは?」
「手は出さん。そういう約束だからな。あいつのことはルビーに任せておけ」
 不死であるから、もともと回復は苦手なのだ。この場でルビーにアドバイスも出来ないし、人のことに気を回せるほど余裕はない。
 病魔は感染前ならはじけるが、ここまで汚染された以上、別荘で本来の力を取り戻しても回復には時間がかかる。
 あそこをかたくなに嫌っていたルビーも止むを得ないとなれば入るだろうが、どのみちそこでこの体の回復を待ってる間に長谷川千雨は死ぬだろう。
 先にエヴァンジェリンが別荘にはいって、時間差を作っても半刻以上の時差が生じる。
 自分ですらここまで損傷しているのだ。いくら呪術に耐性があってもただの中学生では十分と持つはずがない。ルビーが承諾しないだろう。

 いや、そういう問題ですらない、とエヴァンジェリンは首を振る。
 この状況に陥った以上、忌々しくあるが手は貸せないのだ。
 エヴァンジェリンは口にした。千雨が千雨を傷つければ、それを彼女は助けないと。
 人の言葉は裏切れても、自分の言葉は裏切れない。
 これは忠告を無視して千雨が選んだ道なのだ。

 エヴァンジェリンは口に血を滴らせながら考える。
 神には祈らないが、ルビーと千雨と、そしてネギの器量に祈ってやろう。
 すべてはあいつらの裁量に任される。
 それがたとえ、どのような結末をみせることになろうとも、千雨はそれを許容させられることになるだろう。

 引き金を引いたのはあの大バカモノ自身なのだから。


   ◆


 空を駆け、、口から血反吐を撒き散らす千雨をネギがぎりぎりで受け止める。
 胸にかき抱く千雨の体温がどんどんと下がっていくことにネギは顔を青くした。
 決心はしていたはずだった。
 だがそれはこのような場合の決心ではないのだ。

「千雨さんっ!」
「……先生。悪いけど、お、おろして……もらっていいか。ル……ルビーのところに……」
 千雨が告げる。
 その言葉に呼び出されるようにルビーが現界した。

「そのままでいいわ。ネギくん、わたしはルビー。千雨の師匠よ。悪いけどここは仕切らせてもらうわ」

 ルビーを具現化したことで千雨が息がさらに乱れる。この程度の魔力行使にすら負担を感じているのだ。
 具象化することでこれ以上千雨に負担をかけたくなかったが、ここでネギに頼らなければ千雨は死ぬ。
 この娘は自殺願望でもあるのだろうか。ルビーはかつての弟子を一瞬思い返した。

「…………悪い、ルビー。同じような……マネを……」
「そんな謝罪はわたしやネギくんを不快にさせるだけよ。やめなさい」

 珍しく、ルビーが千雨に対してきつい声を出す。
 千雨はその言葉に弱々しく笑い返した。
 あまりにもっともで、返す言葉が出なかったのだ。
 だってそうだ。
 エヴァンジェリンとの戦いのときとはまるで別。
 この行為がルビーの怒りを引き出すことを、私は知っていなくてはいけなかった。

 ネギに文句を言う資格などない、ただ衝動のみで行動している未熟者。
 そんな人間のその結末がこの結果。
 こうして長谷川千雨は死に掛けて、自己満足だけを残してその尻拭いをルビーに任せ、ネギを傷つけてしまっている。

 意識が黒く染まっていく。
 以前に感じた死の気配。
 そうだった。
 あいつが笑っているからあまり気にしていなかったけど、あの時はルビーの存在でわたしの暴走を補填したのだったっけ。

 じゃあ、今度はどうなるのか。
 今回の失敗はいったい誰がツケをはらうことになるのだろうか。
 エヴァンジェリンの言葉がよみがえる。
 わたしの失敗、わたしの未熟さ、それを誰が払うことになるのかと、千雨はそんなことを考える。

 泣きながら、わたしの手を握るネギの姿がかすれた視界に大写し。
 エヴァンジェリンに立ち向かったネギの姿を思い出す。
 二度目の死に際だというのに、千雨の頭に浮かぶのは、目の前で泣く子供先生のことだった。
 ネギ・スプリングフィールドが恥ずかしげもなく叫んでいた言葉を思い出す。
 こいつが頑張ったのは、誰のためでもなく、わたしのためだったらしいのだ。

 笑ってしまう。あれだけビビッた挙句の決心の種が、こんな間抜けをさらすような一人の生徒のためだなんて、本当にこいつは面白いやつである。
 しょうがないから認めよう。もういまさら隠す意味もない。
 こいつは本当にいい男だ。
 そんなことを素直に思う。

 ネギの姿が視界から消えていく。わたしの視界が暗くなる。
 黒く染まっていく視界に埋もれながら、わたしは思う。
 こんなことをしておいて、いまさら虫のいい願いだけれど、

 このツケを、こいつに払わせるような結末だけは避けたいなんて、そんなこと。



   ◆



 弱いからこそよいことがある。
 無知だからこそ有利なことがある。
 無垢だからこそ強いことがある。
 この学園都市はホントにそうだ。
 半端に力がある千雨が最も割を食っている。

 ルビーは千雨を抱きしめながら泣くネギに事情を説明しながら思考する。
 どうするか?
 千雨のためならなんだってする。
 そのためにはあらゆるものを犠牲にしよう。
 だが、手がない。
 以前の手はもう使えない。この身はすでに抜け殻だ。
 いま自分の力を与えても、この病魔は払えない。

 本来なら令呪でルビーに治癒を施させればいい。
 だが、その効果はいまは千雨に譲渡されている。
 千雨に千雨の治癒を任せるか?
 不可能だ。千雨には癒しの魔術が使えない。令呪は1を10に出来ても0を1には出来ないのだ。
 無理やり令呪を使って体を活性化させるのも恐らく無理だ。負担で千雨が持たないだろう。
 ルビーが本来の力を振るい、宝石を全て使えば、このレベルの呪詛だろうと除去できる。千雨への力の譲渡をおろそかにしていたつもりはなかったが、楽観視のつけが出た。

 千雨の魂の基盤として埋め込んだ宝石剣を活性化させれば、無限の魔力で病魔の呪詛が追い出せないか?
 いや、ダメだ。同様の理由で、いまの千雨では制御する力が足りない。それに未熟な制御で剣を操れば筋繊維の断裂どころか、内側から破裂するだろう。
 消えかけているルビーでは、宝石を使っても足りないだろうし、千雨の魔力は千雨への反動なしでは使えない。

 令呪で活性化させて、宝石剣の制御をさせる?
 それも無理。千雨側の修練がまだ足りないし、千雨側に余裕がない。無理やり起こしても千雨に行動を起こさせるのはほぼ不可能だ。
 令呪とは劇薬なのだ。英霊だからこそある程度耐えているが、人の体には負荷が強すぎる。
 長く補助を与え続けなければいけない場面とは相性が悪い。
 わたしが千雨の体から一旦剣を取り出して使うのも無理。体から剣をぬけば病魔に関わらずそれだけで千雨は死ぬ。
 いや、そもそも令呪を使わせるには千雨の意識が戻らなければいけないのだ。

 ルビーは自分の思考が無駄に空回っているのを自覚する。

 問題は純粋に魔力が足りないというただ一点なのに、それに対して打つ手がない。
 手がないとルビーは首を振る。
 だがあきらめるわけにはいかない。
 ネギに説明を行いながら、何かないかと考えつづける。

「千雨さんが……あの、ボクに何か出来ることはありませんかっ。なんでも、なんでもしますからっ!」
 ルビーから状況を聞いていたネギが泣きそうな声を出す。
 単純に考えれば、それは良い提案だ。
 この少年の魔力は強い。だが、それを使えない。

 仮契約の術式か? それも無理。
 この世界の魔法もエヴァンジェリンの協力もあって知識を得ているが、魔法と魔術はやはりべつもの。
 ネギの魔力を千雨かルビーに送れれば手はあるが、それはパクティオーカードとやらを通して受け取っても意味はないのだ。
 魔力のない千雨が魔術回路で魔術を扱うように、ネギの魔力を魔法力という形で受け取っても使えない。似て非なる力の源泉。
 変換用の術式など組んではいない。ルビー自身は契約できず、アーティファクトにすべてを賭けるなんて論外だ。
 だから、どうやったって――――

 と、ルビーがその瞬間に表情を消した。
 悲しみからでも絶望からでも、治療の手段が見つからないからでもない。


 あまりにも明白な手が浮かんだからだ。


 ルビーはすべての表情を隠して思考する。
 仮契約の術式では取り出せない。人の魔力を使えない。
 だが行き詰ったというわけじゃない。
 始めて千雨にあった日にも言ったその言葉。己の特性、ルビーの立場。いまこの瞬間に立ち会うことになったその原因。

 ――――んーとね。そこらへんの人から魔力をすうってのはなかなか難しくてね。吸血鬼っぽく、血を絞ってそれを飲む、なんて手もあるけど、乱暴でしょう?

 そういって笑ったのは誰だったのか。
 そうつまり、この身、この体は血から魔力を取り出せる。
 エヴァンジェリンが行おうとした手と同様だ。それを模倣すればいいだけだ。
 簡単だ。この少年から血を抜き取って魔力を奪う。その魔力を使ってルビー自身が千雨を治癒すれば、それですべては解決だ。

 ――――効率はいいけど、ごまかすのが面倒くさいし吸われたほうも失血死、かるくても神経衰弱で参っちゃうでしょうね。

 なあ、ルビー。なあ、わたし。なあ、後悔ばかりの英霊よ。それのどこが問題なのだ?
 問題は何もない。とまどうことはなにもない。
 いま世界はルビーと千雨とそれ以外で区切られているのだ。
 弱りきったこの体。この体で力を振るうには、いったいどれだけこの少年の血を吸えばいいのかは分からない。
 だが、エヴァンジェリンが狙ったこの少年。魔力に満ちたこの血をすべて吸えば、それができないはずがない。
 ルビーは感情をすべて殺して、問いかける。

「ネギくん。あなたに頼みがあるわ」

 感情のこもらないその微笑。
 千雨をつれて付いて来いと、ルビーはネギを先導して空を飛ぶ。
 ネギは無言でそれに付き従った。気絶するカモも、意識を失っているアスナも連れて行くことは禁じられ、ただ一人で魔女の後ろをついていく。
 学園結界が戻った以上、ここにはこれから人が来る。処置はそいつらがやるだろう。
 ここでネギを殺せば、問題になるだろう。そう“ここで”殺すのは少しまずい。
 問題はただそれだけだ。
 ルビーはそう考えて、郊外の森に向かって飛んでいく。


   ◆


 かつてルビーの力が健在だったころ、彼女はこの学園について調べつくした。
 図書館島をはじめとするいくつかの施設はさすがに無理だったが、郊外の森やその森に点在する山小屋は隅々までチェックしてある。

「千雨を寝かせて」
「は、はい。ルビーさん」

 無駄に広い麻帆良の森、そこにあるログハウスに設置された緊急避難用のベッドに千雨を寝かせる。
 千雨の意識はすでにない。
 そうして、千雨を横たえるネギの後ろで、ルビーの姿がかすれていく。
 おぼろげな姿、希薄な気配。千雨を受け止めることすら出来ないかつての英霊。
 だがそれでも出来ることはある。
 ルビーは無音でネギの後ろに回りこんだ。

「あ、あの。ボクは何をすれば……」

 音はない。
 そういいながら振り返るネギの後ろにはすでに誰もいない。
 ネギは部屋の中を見渡すが、千雨と自分以外の姿を目視することは出来なかった。
 少年が戸惑うようにあたりを見渡す。

「……ルビーさん?」

 返事はない。
 ルビーは霊体となった姿でネギの傍らに立つ。彼は自分が今まさに殺されようとしていることに気づいていない。
 先ほどとここに来る途中にネギは、ルビーから千雨との関係を聞いている。
 ルビーは千雨を助けようとしていると。
 ネギはそれを疑っていなかった。
 ネギは魔力障壁を張っていない。
 ルビーのことを欠片も疑わず、純粋にルビーが千雨を癒すための方法を提案するのを待っている。
 それに嘘はない。だが、ルビーの願いは千雨に向かっており、自分自身がそこにどうかかわるかを言っていないだけだ。

 たとえ出力系が破損したルビーだろうと、生身の子供を貫くことくらいはできるだろう。
 血を出してもこの場なら気づかれない。争う音も血の臭いも、視線すらさえぎる檻の中。
 たとえルビーが魔力を行使しようが、その魔力は外には漏れない。

 殺して、魔力を奪って、それを千雨のために使用する。
 そう考えるルビーはネギの傍らに佇むままだ。
 きょろきょろとあたりを見渡し続けるネギの傍らで、ルビーはほんのわずかに戸惑っている自分の心に驚いた。

(大丈夫。殺す。殺せる。わたしはこの子を殺せるはずだ)

 ルビーは自分で自分に言い聞かせる。
 手を突き出せば、彼は一撃で死ぬだろう。
 彼は殺気を感じ取れていない。
 ルビーは霊体化したまま手を振り上げた。
 この状態のルビーを視認出来るのは基本的に千雨だけだ。
 このログハウスには結界が張ってあるし、周辺には誰もいないことは、ここについた瞬間から監視し続けている。
 無理やり突破するならまだしも、ルビーに気づかれずにここに入るのはあのアルビレオと名乗った男のレベルですら不可能だろう。
 邪魔はぜったいに入らない。

(一瞬だけ具現化して、心臓を貫く)

 千雨は怒るだろうか?
 きっと怒るだろう。
 他の生徒は怒るだろか?
 いや、彼の生徒にはばらさない。
 エヴァンジェリンは怒るだろうか?
 エヴァンジェリンには隠せまい。
 だが始まりはあの女。
 死ねば、すべて隠蔽して行方不明として処理しよう。
 千雨を優先すると決めた以上、最悪の最悪としてならばエヴァンジェリンに罪をすべて押し付けたっていいのだ。

 エヴァンジェリンが怒ったら少し厄介だが、その場合は、こちらから先にエヴァンジェリンに対して動くことになるだろう。
 だが、別にかまわない。だってこれはエヴァンジェリンが最初に提案したことだ。

 ――――血を奪って魔力を吸う。

 人を殺す力と、その死体からの魔力吸収。
 かつてルビーが憎んだ男の技術。
 エヴァンジェリンが夢想し、千雨が嫌った悪の技法。
 それをここで選択しなければならない皮肉にルビーは嗤う。
 だけど、もう手がないのだ。

 自分の失敗をこの少年とあの吸血鬼に押し付けるのは気が引けるが、それは躊躇の理由になっても行為の撤廃にはつながらない。
 直情型のカレイドルビー。決心するまでの鈍さはあるが、決心してしまえば、その決意が鈍ることも途切れることもありえない。

 そうして、ついに、


 無防備に、いまだあたりを見渡すネギの心臓に、ルビーがその腕を突き出して――――



   ◆◆◆



「そういえばさ、停電日の夜に、外ですごい音がしたよね」
 いつものようにざわめく、3-Aの朝の教室。
 宮崎のどかがそんな言葉を口にする。

「ふーん。ホント? わたしずっと起きてたけど、そんなの聞こえなかったなあ」
「わたしも知らないです」
 話題がなくなって、会話が終了した瞬間に振られたその言葉に、机にぐだっとつぶれていた早乙女ハルナと紙パックをすする綾瀬夕映が答えた。
 離れた席で、ピクリと神楽坂明日菜が反応したが、それにのどかたちは気づかない。

 早乙女ハルナはさきほどから机に突っ伏したままだ。
「でも停電日かあ。そう言えば、その日からよね……。うーん」
 ぶつぶつと独り言をつぶやくハルナを、停電日の翌日からこのような言葉を繰り返す彼女になれている残り二人は当たり前のように無視した。

「そういえば、夕映。宿題やった?」
「ハルナ、やってないのですか?」
「だって量が多いじゃん。まさか夕映がもう終わってるの?」
「失礼な。でもまあ、わたしはのどかに手伝ってもらいましたから」
「えー。ネギくんの宿題だからって張り切ってるなあ、のどか。わたしも呼んでよー」
「でもパル、昨日は放課後に職員室に押しかけにいっちゃったよね。帰ってくるのも遅かったし、あれ何しにいったの?」
「んー? まあいろいろとねー」

 思い思いの会話をしている教室。
 カラカラと教室の扉が開く。
 姿を覗かせたのは、病を癒したエヴァンジェリンと、エヴァンジェリンに付き添う茶々丸だった。

「あっ、エヴァちゃん。ずーっと休みだったじゃない。やっぱり風邪?」
「そうだ」
 目ざとくエヴァンジェリンを見つけたまき絵の言葉に一言で答えるエヴァンジェリン。
 その言葉に嘘はない。週の初めは本気で風邪を引いていたし、それを翌日の満月に無理やり治したものの、その後はその後で千雨の放った病魔に苦しんでいた。
 エヴァンジェリンは答えながら視線を教室中に走らせた。誰かを探すようなそんな仕草。

「へえ、流行ってるのかなあ。なんか風邪で休んでる人が多いよね。アスナが休んだのは驚いたけど」
「わたしも驚いたわよ。バイトも休む羽目になったし…………一晩外に放置されたからね」
 もれ聞こえる会話に明日菜が突っ込む。後半のつぶやきはまき絵の耳にはとどかなかった。
 バカレンジャーの名に恥じず、まき絵も明日菜もこれまで風邪で休んだことはない。
 先日、明日菜が休んだときはかなり騒ぎになったのだ。

「アスナがカモくんと朝方帰ってくるんやもん。おどろいたわぁ。ちなみにカモくんはまだ獣医さんのところやねえ」
 いつもの口調で木乃香がいうと、エヴァンジェリンが鼻で笑った。
「そうか。お前らは風邪を引かないと思ったがな」
「ちょっと、どういう意味よっ!」
「そういう意味だ。大声を出すな。頭に響く」

 風邪と花粉症を併発して学校を休んでいたエヴァだ。
 ずる休みも多いようだが、本当に病気になることもあるだろうと、3-Aの生徒たちはエヴァンジェリンの返答に満足して、またクラス内で騒ぎ出す。

 エヴァンジェリンはそれに頓着せず、再度教室を見渡した。
 やはり長谷川千雨はいなかった。風邪で休んでいて情報が足りない。あいつがいれば話が早かったのだが、やはりネギか神楽坂明日菜にでも聞くしかないのだろうかと、エヴァンジェリンは考える。
 ルビーの教えが聞いているようで、情報統制についてはしっかりしてるらしい千雨のことだ、風邪とでも言ってあるのだろう。
 さよもたいしたことは伝えられていなかったし、誰に聞いてもたいした答えが返ってこないであろうことは明白である。
 どの道すぐ聞くわけにはいかないようだ。
 そうして、エヴァンジェリンはあたりを見渡し、最後にもう一度教壇に眼をやったあと、その視線をはずそうとして、


「――――――――――――はっ?」


 あまりの驚きでその視線を教壇に立つ人物に止めていた。
 エヴァンジェリンの口から驚きの声がもれている。
 教卓の前に立つその姿。
 3-Aの教師が立つ場所にいるその人物。
 それの姿を見たエヴァンジェリンがいつもの平静とした姿を保てない。

 これはいったいどういうことか。
 あまりに予想外の光景だった。
 ちょっとばかり想像できなかった光景だった。
 タカミチが予備教師として復帰しているくらいだったら彼女は欠片も驚かない。
 ネギがいつもどおり立っているだけなら、あの日の夜のふがいなさと、そこそこの頑張りを思い出しながら無視の一つでもしただろう。
 たとえルビーが立っていたって、この吸血鬼がここまで驚くことはなかっただろう。

 物事というのは、深刻ならば深刻なほど冷静さを保つのが重要で、この吸血鬼が驚きをあからさまにするなんて状況は珍しいなどというレベルではない。
 そんなエヴァンジェリンがあまりの驚愕に声を抑えることも出来ず、教卓に立つその人物を見つめ続ける。

 冷静沈着を是とする吸血鬼。
 そんな百戦錬磨の吸血鬼が動揺を隠せない。
 そりゃそうだ。
 だって、いま目の前にいるこいつは、この魂の持ち主は、

「……おまえは」

 と、動揺を隠せないまま搾り出すようにエヴァンジェリンが口を開き、



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 千雨は自殺しすぎだといわざるを得ない。エヴァ遭遇戦のときもルビーはこんな心境でした。千雨再々自滅編。エヴァ編は終わったといっていいものか。顛末については次回。即バレしてそうな気もしますが、適度な伏線というのがいまだによく分かりません。スルーしてください。
 ラストについても名前を出してから終わりにするかを本当に悩みました。というか最初はもう少し進んで終わる予定でした。結構長くなったし、余計に展開ばれてたたかれそうなので、次まで引っ張ります。一応オリキャラではありません。こんなこと言っておいてばればれだったら恥ずかしいのであんまり深く考えないでください。
 ただこの先の展開は絶対に受け入れられない人が出てくると思います。次がいまから怖いです。
 あと、だからっていうわけじゃありませんが、いい区切りにもなったので、次回で定期更新はいったんストップしたいと考えてます。
 でも次回の更新は来週の予定です。
 それでは。




[14323] 第17話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/29 02:05
「お前は――――」
 エヴァンジェリンの呆然としたその言葉。

「――――はい? どうかしたんですか、エヴァンジェリンさん」

 それに、当たり前のようにネギ・スプリングフィールドが言葉を返す。



   第17話


 驚愕したままのエヴァンジェリンと、主が何に驚いているのかわかっていない茶々丸の前に、ぽかんとした顔のネギ・スプリングフィールドが立っている。
 教師の立つ場所に立つ教師の姿。当たり前すぎるほどに当たり前のその光景。
 なにも驚くことはない。
 事実、茶々丸は己のマスターが何に驚いたのか分からず、思案顔だ。
 教室に入り“一度”その中を見渡して、再度教卓に目をやって、動きを止めたエヴァンジェリン。
 一度目は見逃したが、二度見ればさすがに気づく。

「……いや、なんでもない」
「は、はあ」
 なんでもないわけがないだろうが、ネギは追求しなかった。
 きょろきょろともう一度周りを見渡したあと、エヴァンジェリンは再度ネギに問いかけた。

「千雨は休みだな?」
「は、はい……風邪だそうです。お部屋に。その、停電の日から……」
「なるほど“停電の日”からか。なるほどな」

 エヴァンジェリンが頬をゆがめる。笑いをこらえているようにも見えた。
 エヴァンジェリンは停電の日は早々に別荘にこもっていたのだ。
 あの後どうなったかは知らなかった。

 事実としてあるのは、千雨の撃った魔弾に自分が殺されかけ、治癒に数日かけたこと。
 知っているのは、千雨が自分をかばって呪詛を浴びて、ネギとルビーが千雨と一緒に消えたこと。
 その情報といま目の前に立つネギを見れば、何があったかを推測するのは簡単だった。
 あまりに予想外だから戸惑ったが、まあ“ありえない話”ではない。
 エヴァンジェリンはこぼれ出るにやつきを抑えられない。
 こんな面白い話は久方ぶりだ。

「マスター。千雨さんは?」
「知らん。だが問題ないだろう」
「問題ない、……ですか」
「ああ。まったく完全に何一つ問題ない。怪我ひとつないだろうよ。風邪で休んでいるというのも仮病だろうな」
「えっ!?」
 その断定にさすがにネギも驚く。

「なんだ、坊や。お前も知らなかったのか?」
「マスター。それは一体どういうことでしょうか」
「疑問は晴れた。坊やのことも千雨のこともな。あの日なにがあったのか、もはやそれについての疑問はない」
 ネギと茶々丸が意味がわからないという顔をする。
 だがエヴァンジェリンはネギの疑問に答える気はないようだった。

「情報と能力の差だよ。茶々丸やお前ではわからんだろうな。いや、わたししかわからんというべきか」
 クックックッとエヴァンジェリンが笑う。
 吸血鬼にふさわしく意地悪さと狡猾さを含んだ笑みだった。
「ヒントをやろう。わたしは血を嗜好品程度にしかたしなまないとはいえ真祖の鬼、吸血鬼なわけだが――――」
「マ、マスター!?」

 当たり前のように吸血鬼という言葉を使用したエヴァンジェリンに茶々丸があわてて辺りに目を走らせる。
 麻帆良の中とはいえ、さすがに迂闊すぎると感じたためだ。
 だがエヴァンジェリンの返答は肩をすくめただけだった。
 茶々丸が周りを見渡す。
 確かに3-Aの人間の耳には届いていないようだった。
 茶々丸の魔法系のセンサーでもいま防音などの結界が張られているようには感じない。魔法ではない技術だということか?
 エヴァンジェリンは力を封じられていてさえ、時々こうして茶々丸の予想よりも芸達者なところを見せるのだが、今回はさすがに驚いた。
 だが、茶々丸の驚きにはたいした反応を返さず、エヴァンジェリンは言葉を続ける。

「続けるぞ。そして、吸血鬼の伝承はいくつかあるが、眉唾物も多い中ある程度正しいものも伝わっている。鏡に映らないというのは相手の視線に直接投影する場合、蝙蝠になるのは変化だが、犬になるのは一般的には使い魔だ。吸血鬼は呼ばれなければ部屋に入れないというのは子供の躾用の戯言だな。吸血鬼に限らずあらゆる呪術は相手に受け入れられれば効果が増大する。受諾の有無は吸血鬼に限定する必要のないすべての呪術の真髄だ。ニンニクは、まああんなもん誰だって苦手だろうし、まあそんな瑣末なことはどうでもよい」
 はあ、とうなずくネギと、何を話し始めるのかと首をかしげる絡繰茶々丸にかまわず、エヴァンジェリンは話を続ける。

「さて、それでは本題だ。もっとも有名な吸血鬼の逸話とはなんだ? 答えてみろ」
「……血を吸って仲間を増やすことでしょうか」
「正解というには少し言葉が足りないが、まああながち関係なくもない」
「えっ……?」
「どうした坊や。よくわからないといった顔だな。まあすべてを教える義理はない。よく考えてみることだ」

 そういって、エヴァンジェリンは身を翻した。

「あ、あの。エヴァンジェリンさん」
「今日は帰る。体調がまだ芳しくなくてな」
 先ほど教室に入ったときよりも百倍ははしゃいだ口調でぬけぬけとそう口にする。
 こぼれ出る笑みが隠しきれていなかった。
 絶対に嘘だということがネギですらわかった。

「そ、そんな。待ってください。授業に……」
「なぜわたしがお前の願いを聞かねばならん。安心しろ。明日はちゃんと来てやるよ。今日はもっと大事な用事があるからな」

 そういって、一瞥も残さずエヴァンジェリンは教室を出ていった。


   ◆◆◆


「千雨、いるかっ!」
 ばたんと寮の一室が空けられる。
 インターホンどころか、カギを開ける音すらさせずに進入したエヴァンジェリンたちを迎えたのは、のそのそと奥から這い出る千雨だった。
 ドヨンと湿気った空気をまといながら、毛布に包まる千雨が口を開く。

「うるせえな。体調悪いんだから黙ってろよ」
「ああ、風邪は本当だったのか。おい茶々丸。茶を入れてやれ」
「……いや、帰れよ」
「了解しました。たしか先日購入したシーヨックのダージリンをあそこの棚に……」
「……いや、了解するなよ。あとわたしの部屋にお前らが使うものをそろえすぎだ。ちょっとは持って帰れ」
 げんなりとした千雨が言った。
 当たり前のようにエヴァンジェリンは千雨の言葉を無視すると、毛布に隠れたまま半分だけのぞく彼女の顔を覗き込む。
 風邪気味という言葉に嘘はないのだろう。隙間から除き見える体は寝巻きのままだった。

「ふむ」
「……な、なんだよ。じろじろ見て」
「いやいや、思ったとおりだな」

 エヴァンジェリンはそのまま千雨を舐めるように見ると、ニマニマと笑った。
 千雨も何を言っているのかわからない。
 だが彼女はこういう展開には鼻がきく。
 一瞬体を震わせた。いやな予感がしたからだ。
「……なんでそんなに上機嫌なんだ?」
 おそるおそる千雨がきく。

「なんだなんだ。言わなくてもわかってるだろう。お前は坊やよりもこういうことには詳しいはずだ」
「……」
「まあ安心しろ。なにがあったかは理解している。わたしは吸血鬼だからな」
「……なんだ、それ?」
「お前も吸血鬼のことがよくわかっていないな。吸血鬼は人の魂を確認できるんだよ。下らん大道芸だが、今回はいい具合だったな。前に言わなかったか? わたしに“これ”が出来なければ血を吸うときに困るだろうが」
「…………っ! ――――じゃ、じゃあ」
 真っ赤になった千雨が言葉を切る。
 なんとなくエヴァンジェリンの笑みの意味が理解できた。
 今起こっている現実を信じたくない。千雨は泣きそうになった。
「察しがいいな。そういうやつは嫌いじゃないぞ。まあ、つまりそういうことだ」
 そんな千雨に向かってエヴァンジェリンがにやりと笑い、

「それでは説明しろ、長谷川千雨。あの日、何があったかを」

 そんな言葉を口にする。



   ◆◆◆



 ――――ぱしり、とネギの体を貫こうとしたルビーの腕が受け止められる。

 ネギには見えない。霊体化したルビーが見えるのは千雨だけ。
 誰もいない。この山荘にいるのは千雨とルビーとネギだけだ。
 誰もこれない。この場に干渉できるのは彼らだけ。
 そうして、ネギを貫くべく放たれたルビーの腕が、誰かに止められたというのなら、その答えは明白すぎるほどに明白だ。

 その結果起こった現象の解答は単純で、一体誰がルビーを止められるのかと問うならば、

「ルビー、お前もちょっと短絡すぎだな……わたしのこと言えないんじゃないか?」

 その答えは長谷川千雨ということになるだろう。


   ◆


 深夜の山荘。
 ハアハアと荒い息を吐きながら、千雨はルビーの腕を握り締める。
 こいつがなにをやろうとしていたのかなど考えるまでもない。
 なにせ、ゆっくり寝ていたはずなのに、その思考が頭に流れ込んできたほどだ。たたき起こされてしまった。
 ルビーは少し物騒過ぎる。

「千雨っ! 意識が戻ったの!? 大丈夫?」
「千雨さんっ!」
「グッ、ハッ……まあちょっと体調が悪いな」
 大丈夫なはずがない。
 血を吐きながら千雨がいった。
「なにいってんのよ。いったでしょうが。あなたの一撃はあなたを殺せる。このままじゃ死ぬわよ、千雨」
 ルビーが叫ぶ。
 もともと千雨を生かすために、それしか道がないと思ったからネギを殺そうとしたのだ。
 意識が戻っても病魔が晴れたわけではない。

「ガハッ!? ゴホ、ゴハッ!」
「千雨さん! うごかないでください!」
 答えようとした千雨が血を吐く。
 ネギがあわてて体を支えた。
 そのままサポートをスタート。ネギだって簡易な治癒ならば扱える。
 接触する手から心臓を通して、千雨の体に魔力を送る。
 だが、ネギは力の限り魔力を送っているのに、それは千雨の体に入った瞬間に霧散する。
 破れた袋に空気を送るほどの気休めだ。だが、破れた袋だって膨らまないわけではない。
 かすかに千雨の顔に血の気が戻り、ヒューヒューとかすれていた息がわずかに整う。

「サンキュ、先生。ルビー。三つ目の令呪で何とかならないのか?」
「無理よ。わたしならまだしもあなたに作用する令呪は即効性すぎる。重病者に劇薬投与するようなものだわ。ゆるめに活力を願うくらいじゃ治らないし、最後の令呪がなくなれば、わたしがその後のサポートを行えない……」
 令呪? と千雨の胸に手を当てながら首をかしげるネギ。
 ネギにも案があるわけじゃない。彼には千雨の撃った魔術を正確に理解することすら出来ていないのだ。
 ルビーの言に従ってついてきたに過ぎない。

「あの、学園長に相談するべきだと思います」
「……それも無理よ」
「なんでですか」
「無理だからよ。それにどの道、いまからじゃあ間に合わないわ」
 魔力を送りながらネギが問う。しかしその問いにルビーが首を振った。

 学園への連絡と、援助の嘆願。
 わずかな可能性としてそれはありえた。
 本当に切羽詰っていたら、完全に何一つ手がなければルビーもそれを選択しただろう。
 だがルビーにはまだ自分だけで何とかできるという驕りがあった。
 ネギを殺し、そして千雨を治す。他のものなど無理やりどうにかすればいい。

 だってそうだろう? 学園長だろうと、なんだろうと、彼らは魔法使いなのだ。
 至高の魔術師であるルビーですら戦慄する千雨の呪詛を彼らは本当に治せるのか?
 治せるかどうかさえ不確定で、もし治せなかったら、ネギを殺すことで力を奪うチャンスなど、その場で完全になくなってしまう。

 ネギを殺す道は確実性があったのだ。
 将来どんなことになろうとも、ネギの力をルビーが吸い取る道には確実な点がひとつあった。
 それは千雨を治癒できるということだ。
 それに力を吸ってネギが死なないかもしれない。
 ネギが死なないというわずかな可能性と、千雨が治るという確実な結果。それを両立する案をそうそう簡単に破棄などできるはずがない。

 学園にすがり、もしそれが失敗したら、その後千雨を治す手が見つかるか?
 魔法で? アーティファクトで? ルビーも知らない特殊な力で?
 馬鹿らしい。願いとは己の手でかなえるものだ。
 それが本当に出来るのかなんてわからない。
 助けを求めて、それが適うかなんてわからない。
 自分の望みに他人の力量を当てにするほど間の抜けたことはない。

 人に頼って選択を狭められるわけには行かないのだ。
 千雨は夜明けまで持たないことは確実だ。
 学園に服従したとして、ルビーの身の証をたて、ルビーに魔力を提供させるなんてことが出来るのか?
 ルビーにはそれが不可能だとわかっていた。彼らは関東魔法協会の人間だ。個ではなく群なのだ。
 交渉抜きでは動きは取れまい。そして千雨の体は長くはもたない。
 千雨を救うためにネギを殺すというこの思考。
 それは、ネギを殺すわけにはいかないからときっと最終的には千雨よりネギの命を優先するであろう学園側の思考と何が違う?
 ルビーはそう考える。

 今こうして千雨にばれたが、それでもうネギを殺せないというわけではない。
 事情を話したっていいのだ。千雨を助けるためにお前の血を使わせてくれと。
 ネギは必ず了承する。
 その上で事故死してもそれはルビーの罪であって、千雨が責められることはない。
 まるっきりエヴァンジェリンの焼き直し。
 だけど、それしか手がないのだ。

「……まいったな。死にたくないんだけど……」

 千雨がぽつりと言った。
 ネギをどう殺すかという思考に流れていたルビーがはっとして千雨を見る。
 そこには弱々しく泣く少女の姿があった。
 哀れなほど死に怯える少女の姿。

 エヴァンジェリンが言っていた。衝動的に命をかけた千雨の行為に意味はないと。
 衝動的に行い、加速度的に死が迫ったからこそ耐えられた死の恐怖。それが今はひたひたと迫ってくる。
 口調だけは強がっているが、所詮素人だ。やせ我慢にも限界がある。
 千雨が胸に当てられるネギの手をすがるように握っていた。

 半ばあきらめの混じった口調に、ルビーが唇をかみ締める。
 強さの象徴のはずであった千雨の姿に、ネギがやはりとまなじりを湿らせる。
 分かりきっていたことだ。
 当たり前なのだ。
 千雨は急造の魔術師で、そして強制的に生死の概念を学んだだけの中学生。
 ネギに説教をしたって、吸血鬼と対峙したって、それはやっぱり状況に流された末の行動で、彼女にはそれに対して腰をすえて耐えるだけの精神力は当然ない。
 歯を食いしばって、恐怖に泣き叫ばないだけで十分に驚嘆に値する精神力だが、その震えは隠せていない。

 まずいとルビーが思考する。だんだんと千雨が己の生に絶望し始めていた。それは死を受け入れ始めているということだ。
 順応性が高すぎる。
 しかしそれでいて、この娘は自分の生を他者に欲したりはしないのだ。
 千雨が目を覚ましたのは千雨の治療の障害になるとルビーはここでやっと気がついた。
 説得せずにネギを殺せば、この娘がどう行動するかは明白だ。
 彼女の目の前でネギの命を奪い千雨を生かせば、彼女は絶対に許さない。
 ルビーを許さないならばどうでもいい。だが彼女は彼女自身を許さない。
 それがその後の生を拒絶することにつながるならば、強行すらできない。
 ルビーは自分の考えの甘さを呪う。
 抜けているなんてレベルじゃない。たった一つの手が千雨自身の手で封じられたも同然だ。

「な、何か。方法はないんですかっ」
「……ネギくん、ちょっと」
「ルビー。……それは、だめだ」

 先ほどまで弱音を吐こうかとしていたはずの千雨がルビーを制する。
 口調は弱々しく、それでいてその決心だけは譲れないと意思だけが強調される誇りの言葉。
 ルビーが詰まった。
 たとえ弱々しく見えても、この娘は一度自らの命を、己の誇りと天秤にかけた存在だ。
 ネギは説得できても、助けられるべき千雨を説得できない。

「でもそれ以外手がないわ」
「百戦錬磨の魔法使いなんだろ……なんかないのかよ」

 無いからいっているのだ。ルビーだってネギを殺したいわけじゃない。だけど、他に道がない。
 苦渋の選択の末なのだ。
 最善を選ぶのと、最善しか選べないのは別物だ。
 だがそんな言葉で千雨を説得できるはずがない。

 ルビーは言葉に詰まる。
 桜のために千の世界を渡り、万の戦いを経験した。その記憶を洗い出す。
 だが治癒が必要になったことはあっても、ルビー自身がここまで消耗していることはなかった。
 手はないか?
 なにか、そう。こういう場面に。

 一瞬の情景。過去の記憶。思い出の残滓。

 ルビーは、かつて遠坂凛という名の少女だった。
 百戦錬磨でも、魔法使いでもない少女だった。
 彼女が一度このようなピンチを経験していた。
 そうだそうだ。そういえば――――


 ――――磨耗する万の経験の中、たしか、こんな状況が、


「手っ、手ってなんですか? なにか方法があるんですか!?」
「先生。あんたがきくと人身御供に志願しそうだしな。いえないよ……」
 血を流しながら千雨が言った。

「千雨さんっ! ボクに出来ることなら何でもしますっ、だからそんなことを言わないで下さい」
「バカだな……。意地張ってかっこつけてんだよ。もうちょっとかっこつけさせろ」
「ボクは、なんにもできないんですか? そんなの、そんなのいやです……」
「そうかい? わたしは、いまここに先生がいるだけで、すごい助けられてるけどな……」
 かすかに千雨が微笑んだ。

「千雨さんっ! ボクはあなたを助けると、あの日に約束したんですっ!」
 強くつむがれる言葉に千雨が怯む。その言葉には先ほどまでまだ形を成していなかった信念があった。

「なんでもするのね」

「っ、ルビー! やめろ。先生を傷つけるのは無しだ」
「えっ?」
 口を挟むルビーを反射的に千雨が制する。

「わたしにはルビーの意識が流れるんだよ。わたしかルビーが傷を負うとな。だからわかる。お前さっき先生の血を奪おうとしただろう? そういうのは無しだ。もともとエヴァンジェリンを止めにきといてそのざまじゃあ無様すぎる。わたしが生き残っても先生が死ぬってんなら、ぐッ!? ――――ゴホッ。ガホッ」
「千雨さんっ、血がでてますっ! あまり喋らないでっ! でもそれしか手がないんなら」
「ゴホ、ゴホッ。……だから先生が死ぬってか? だから言いたくなかったんだ。1引く1じゃ意味がねえだろ」
 千雨が半死半生の体で断言する。彼女はエヴァンジェリンを否定した以上、ここでネギの施しは受けられない。そういう信念。
 だがネギはそれにうなずけない。
 だって、逆だ。最初にエヴァンジェリンを救おうとして、死に掛けているのは千雨のほうなのだから。

 長谷川千雨は大ばか者だ。
 ネギを怒った口で、まったく矛盾する行為に身を投じ、そしてこうして倒れている。
 ネギのサポートを受けていながらも、顔色は真っ青だ。
 手の先は冷たく、一つ咳き込むごとに口元から流れる血はぬぐいきれずに胸元を汚している。
 そんな光景をネギ・スプリングフィールドは見せ付けられる。

 ネギはもう気づいているのだ。
 だからもう間違えない。
 自分を助けると千雨は言った。
 自分は子供で、助けられてばかりの存在で、その無力さに涙した。

 でも千雨だってまだ子供。
 千雨だって強がってばかりの意地っ張り。
 そんな当たり前の解答を、彼はもう知っている。
 彼女が自分を助けるといったように、千雨を助けると自分も言った。

 そう、だから。
 そんな長谷川千雨は、きっとネギ・スプリングフィールドの――――


   ◆


 ネギの魔力が体からあふれ、その体に風が舞う。
 くしゃみの拍子に魔力をもらしていた未熟者。
 そんな彼が、自分の絶対的な意思の元、己に宿る血筋から、天を揺るがす魔力を搾り出す。
 破れた風船が、爆発的な魔力で活力を取り戻す。
 わずかに千雨の頬に赤みが戻った。

 考え込んでいたルビーはそれを見る。
 ネギの魔力は強大だ。その魔力をここまで使えるならば千雨を癒せると考えた。
 でもそれには血で吸うしか方法が無いと考えた。
 だってネギは未熟で、その身に宿る魔力を引き出せていなかった。
 だから外から引き出すには直接奪うしかなかったのだ。
 魔法の契約に束縛されない、魔術回路を満たす純魔力。
 だけど、それは魔術にそった契約ならば問題なく、いまこうして千雨を抱きしめる少年がいる。
 その身には魔力が満ちて、そのものの心には相手に対して存在を捧げられるだけの愛がある。

 ああ、とルビーが千雨をかきだく英雄の姿に息を吐く。

 英霊として磨耗した記憶の中、閃光が走るように思い返されるかつての光景。
 思い返すのは遠坂凛としての過去の記憶。そういえば魔力の切れた少女を癒すために、色々と奮闘したことがあったじゃないか。
 それはサーヴァントとして戦った少女と、魔術使いとして生きた少年だった。
 そうだそうだ、そうだった。そういえばそんなことが、こんなシチュエーションが、似たような出来事があったじゃないか。
 忘れていた忘れていた忘れていた。こんな単純な解決法を忘れてた。

 完全無欠な解答がいまこうして目の前に。

 なんて、愚か。
 千雨の意識が戻っていないから自分が強行するしかないと考えた。
 だが、いま千雨に意識が戻っていて、こうしてネギがいるのなら、そこには最善の道がある。

「いい手があるわ。誰も人死にを出さなくてすむ」

「本当か?」
「本当ですかっ!?」

 千雨とネギの顔に光がともる。
 千雨だって死にたくない。本当は泣き叫んでも助かりたい。
 生き残れるならたいていのことは許容できる。

 ただそこに、ネギを殺すという選択肢がなかっただけだ。
 方法があるとルビーは言う。それならばその方法を試したい。
 苦しくとも、つらくとも、生きていられるなら、許容する。
 ネギにだけは迷惑をかけたくないと望んだけれど、それ以外の方法ならば、

 そう、たとえどんな方法だって、生き残れるというのなら――――

「ネギくん。何でもするといったわね?」
「はい。何でもいってください」

 ルビーが再度念をおす。
 早く言えと千雨は思い、何でもするとネギは言う。
 何でも言えといわれたからルビーは言った。

「じゃあネギくん。いまから千雨を抱きなさい」

 そんな解答を口にした。


   ◆◆◆


「千雨。パスの通し方はもちろん覚えているわよね。まあ失敗するとマズいからわたしも混ざってあげるけど」
「……」
「…………」
 魔術の基礎だ。ルビーから教わっていないはずがないが、千雨は今思考が止まっている。
 返事はなかった。

「なに固まってるの? ああ、ネギくんには意味がわからなかったかしら? セックスしろってことなんだけど」
「……」
「…………」
 それくらい意味はわかる。ただ意味がわからなかっただけだ。
 矛盾したことを思ってネギと千雨が沈黙する。というか直球すぎである。

「抱き合って寝てたくらいなんだから、べつに問題ないでしょ。ああ、安心して。まだっていうなら無理やり通してあげるから」
「……」
「…………」
 あれは誤解だ。
 返事を待たずにルビーの服が虚空に消えた。

 ルビーは魔力体だ。つまり服も魔力から出来ている。その思念に沿って一瞬にして服が消え、裸体をさらす。
 その姿は窓から差し込む満月の光によって照らされる。人として極限まで磨かれたその肢体。
 その姿のままベッドに横たわる千雨の横に体を添える。
 するりと撫でるように手が動き、千雨の上着を剥ぎ取った。
 千雨に魔力を送っていたネギは心臓部、つまり胸元に当てていた手をあわててどける。
 それによって反射的に苦痛の声を発した千雨の姿に、再度魔力を送ろうとするが、そこはすでに素肌の胸だ。
 しかしこのままほうっておくわけには行かないわけで、ネギは赤い顔のまま手を胸に当てた。

 ムニュというあまりに直接的な感触とその行為にネギがさらに赤くなった。
 背中から心臓に魔力を送れよ、と突っ込んでくれるはずの千雨は、なにが起こっているのかいまだ脳が理解していない。なすがままだ。

 なんだなんだ、これは一体どういうことだ?
 千雨は自分の下の服まで脱がせていくルビーの腕を止めることも出来ない。
 続けてルビーがメガネを奪い取る。
 長谷川千雨が自分を隠すそういうアイテム。本当は必要のない度の無いメガネ。

 ああ、わたしはなんで視力がいいのか。
 メガネがなくても周りの景色が良く見える。
 自分の姿が見えてしまうのが、こんなに恥ずかしいなんて知らなかった。
 ああ、いまのわたしってばハダカだよ……。

「ほら、ネギくん。君もはやく服くらい脱ぎなさいよ。時間がないってわかってんの? あんたは男の子でしょうが。千雨とわたしに恥かかせる気?」
「バ、バカか。ルビー、てめえ」
「バカはあなたよ、千雨。一時の羞恥で命を捨てる気?」

 ぐっ、と詰まる。千雨は聡明だ。どんな言葉にもある程度の理解を示してしまう。
 なんでも言えと言ったのは自分だがこれは予想外すぎる。
 というか暴走していたルビーにそんなこといわれる筋合いはない。
 すでにこれを良策中の良策と信じて疑っていないルビーはすでに千雨の反対には聞く耳をもっていない。彼女は決断した後はそれをためらわない直情型の女なのだ。
 いまも昔も。いい意味でも、そしてもちろん悪い意味でも。

「せ、先生」
「あ、は、はっ、はいっ!」
 千雨がネギに助けを求めるような声を上げる。
 パニックに陥っていたネギが答えた。

「い、いや、お前もなんか言えよっ!」
「あ、あの……」

 ネギの言葉が一瞬止まる。
 ネギは顔を赤くしているものの、その思考を鈍らせてはいない。
 このままでは千雨がどうなるかを知っている。

 一度目を瞑りネギは大きく息を吐く。
 エヴァンジェリンに立ち向かう決心をしたときに自覚した長谷川千雨に対するその思い。
 そういうものを心に留めて彼は言う。

「千雨さん」

 その真剣な瞳に、千雨は戸惑う。真っ白だった顔に朱が混じる。
 たまに見せるこのような仕草があるからネギを邪険に扱い続けることが出来なかった。

 そんな千雨の顔を見て、ネギは思う。前から何度も見たこの表情。
 悪態をつかれ、見捨てるといわれ、それでもずっと千雨を頼り、千雨とコンタクトを取り続けたその理由。

 ネギが真剣な顔を千雨に向ける。
 ルビーは驚いた顔をしてそのまま黙った。
 魔力が多いただの子供だと思っていたが、この子はとんでもないほどに掘り出し物だ。
 千雨と一緒に寝ていたことは誤解だと聞いていた。
 ただ手のかかる少年で、ただの事故からかかわりの出来た知り合いで、
 ほんの少し仲が良く、ほんの少し親密で、

 そんな、なんでもない関係なのだと千雨はずっと言っていた。

 でも、そんなのはやっぱり嘘だった。
 だってほら、


「――――ボクは千雨さんのことが好きです」


 男の子にこんな台詞を言わせておいて、事故も誤解もないだろう?

「バ、バカをいってんじゃねえ……」
「へえ、いい男じゃない」
 直球なルビーの台詞に千雨の顔がさらに赤くそまる。
 ちうは言われ慣れているが、千雨はそんなこといわれたことがない。
 わたしはキレイどころのクラスメートに囲まれた、十人前の凡人なのだ。

「千雨さんはボクのことが嫌いですか? こんなことをされるのはいやですか?」

 ネギは無言で千雨を見つめ続ける。
 うすうすと勘付いてはいたのだ。千雨だってバカじゃない。

 だけどそれに気づかない振りをして、
 ずっとそれだけは避けていて、本気にならないと決めていて、
 だけどもう、この場で、この瞬間、こんな風に迫られて、
 もう、そんな意地を張り続けられるはずなくて。

 だから、ネギの瞳に見つめられ、嫌いですかなんてそんな問い。
 千雨の答えは決まってる。


「っ、そ…………そんなこと……ない。……かも」


 それだけいって千雨はカア、と赤く染まって口を閉じた。
 もう頬どころか顔中が真っ赤だった。
 心臓が破裂しそうなほど高鳴っている千雨は、もう一度血を吐いてもいいから自分の緊張を如実に表す胸元から、ネギに手を離してほしくなった。
 ドクドクとなる心臓の音があまりにうるさくて、もう先生の声しか聞こえない。

 震える手を動かして、顔を隠そうとするが、千雨の体はもうほとんど動かない。
 涙目になった顔がネギとルビーの前にさらされている。病ではなく羞恥で死にそうだった。
 ろくに抵抗も出来ない千雨は裸のまま、その姿をネギとルビーの前にさらしている。
 ネギの視線が体を走る。
 肩から黒く染まる病魔の痕と二の腕に走る令呪の光。
 ネットアイドルとして普段からレオタードや水着姿までさらしているだけあって、手入れもばっちり出来てしまっているところに千雨は安堵し、そしてそんな安堵を覚えてしまうということが、耐えられないほどに恥ずかしい。

「綺麗です」

 さすが紳士の国の出身というべきか。千雨の言葉にすぐ赤くなっていたくせに、おかしなところでは照れることのないネギが平然と言う。
 火がついたように赤くなっている千雨はもう何も言葉が出ない。
 こんな言葉で真っ白だった体に生気を取り戻せるのだから人間というのは単純だ。
 スイ、と千雨のまなじりから涙をぬぐい、ネギが顔を寄せた。
 時間だってたいしてあるわけじゃないのだ。

「キスをしてもいいですか?」

 そんな先生の言葉をいつものように年上ぶりながら偉そうにあしらって、鼻で笑って対応できればどれだけ楽か。
 千雨はだんだん状況を飲み込めてきたものの冷静とは程遠い。

「あ、あ……い、いや、その……」

 攻めてる間は強気でも、攻められていると基本へたれの千雨はこんなもんだ。
 テンパリすぎて、文句の一つも出てこない。
 そして、ネギの真剣な顔と、その目から視線をはずせないのは、きっといかれちまったからに違いない。

「千雨さん」
「ひぅっ!?」

 ネギにおとがいをつかまれて、首をツイと上げられる。
 反射的に千雨はかわいらしい悲鳴を上げて縮こまる。
 そんな反応をあげてしまったことに千雨は戸惑う。
 ネギの顔が迫ってくる。

「あ、あの……ちょ、ちょっと……、ちょっとまって」

 彼女に限らず、思春期の女の子はこういうシチュエーションによわいのだ。
 頬に添えられたネギの手が、千雨の口元から流れる血をふき取った。
 羞恥に染まる千雨の表情。
 ネギはその美しさに微笑んで、

「待ちません」

 ネギは千雨にキスをした。
 横たわる千雨にかぶさるようにネギが唇をふさぎ、舌でその口をこじ開ける。

「あっ…………ん」

 千雨の体から力がぬける。
 ファーストキスのお相手は、年下で魔法使いの少年だった。



   ◆◆◆



「つまりだな。吸血鬼にかまれてその後きちんとした吸血鬼になるには条件がいるんだ。実際はそこまで絶対的な基準でもないんだが、まあよく言われるやつだな、童貞と処女であることが重要だ。ちなみに、吸血鬼にとっての処女や童貞というのは女同士や男同士でも破られるものだから、吸血鬼の判断とお前らの判断とは差が出ることもある。ちなみに一番問題になるのは妊娠しているかどうかの差なんだが、妊婦が吸血鬼に血を吸われる悲惨さはお前も想像できるだろう?」
「……」

「以前も言ったが、そういうわけで吸血鬼にそのへんを判断できる能力があるのは当たり前なんだ。処女や童貞、そのほか妊娠の有無なんかは感覚的に理解できるんだよ。でなかったら誰が餌かもわからない。魂というか人の存在場というか、まあ名称はいろいろあるが、人が交わればその魂に架け橋が結ばれる。一色で染められた精神を重視する巫女が処女を保つことが多いのもこの辺が理由だな。神なんてやからは狭量だから浮気を許さんわけだ。相手の魂に干渉する吸血行為も、相手が他人の魂と繋がりを持っていると染めにくい。そういう相手に未熟な吸血鬼が干渉するとどっちつかずのまま制御が外れてゾンビ化してしまうわけだな」
「……」

「まっ、わたしだって常に見ているわけじゃないが、匂いをかげば違和感を感じられるし、二度見て気づかないなんてこともない。気にするな千雨、ばれたのは必然だよ、必然。坊やで気づかなくともお前を見れば気づいていたさ。それに安心していいぞ。わたしは神などと呼ばれる口だけのやからと違って心が広いからシモベの浮気くらい許してやる」
「……」

「それにしてもまさか本当にお前と坊やがくっつくとはな。いやはや、正直かなり驚いているよ。今度正式に祝福でもさずけてやろうか? しょぼい神社で神に誓うよりよっぽどの加護を約束してやるぞ。――ん? おいおい茶々丸、紅茶が全部こぼれているぞ。お前にしては珍しいな、動揺したか?」
「っ!? も、申し訳ありません、マスター」

 目隠ししたまま二階から目薬をさせるほどの空間把握能力と精密動作性能を誇る茶々丸がお茶をフローリングの上に注いでいた。
 あわててティーポットを上げる姿を見てエヴァンジェリンが愉快そうに笑った。

「で、では、マスター。朝の件は?」
「坊やが童貞じゃなくなっていたからな。ちなみにいまこうして毛布をかぶってる女も、もう処女じゃないぞ」
 びくり、とエヴァンジェリンが話を始めてから毛布にこもりつづけていた千雨が震えた。

「まあ生き残れたのは僥倖だな。坊やの器量に救われたということか。ルビーも助言者気取っておいて肝心なところが抜けていたようだし、貴様も貴様でまったく懲りていないようだったからな」
 この吸血鬼だけには言われたくない台詞だったが、やぶへびもゴメンなので千雨は無視した。
「しかしあの坊やも人気者だな。これから大変なんじゃないのか、千雨」
「……」
「宮崎のどかに雪広あやか、あとは次点で佐々木まき絵といったところか。神楽坂明日菜や近衛木乃香も気に入っていたようだし、あいつらもそこまで自覚があるわけじゃないだろうが、早めにツバをつけておけてよかったなあ、おい」
 ぽんぽん、と毛布の上から体を叩かれた。

「……あんたも先生を殺したくなかったみたいだしな」
 さすがにうざったくなってきたのか、丸まった毛布が返事をした。

「っ! ほ、ほう。いうじゃあないか」
「なにいってんだよ、手をぬいた末、わたしが来るのを待ってたらしいじゃねえか」
「ば、馬鹿もの! わたしが坊やを見逃したのは、あいつの血を吸わずとも、お前とルビーがわたしの呪いを解くことを期待しているからだ。別にあいつに情を感じたわけではない!」
「ああそう」
「おいっ! 真面目に聞かんか!」
「これ以上ないほど真剣に聞いてるよ。ジョークだよ、ジョーク。笑っとけ。あんたが惚れてるのは先生じゃなく、先生の親父さんだもんな」
「き、きさまっ。そんなこと誰からっ!」
「ルビーが前に嬉々として話してくれたぞ」
「くっ、あの女狐めっ! だれからそんなことをっ」
「知らない」
 まったく覇気のない千雨の声が答える。

「なあ、もういいだろ。早く帰ってくれよ……というかもう一生来なくていいぞ」
「ちっ、まあいい。面白い話も聞けたし、今日はもう勘弁してやろう。…………ちなみに千雨――――」
「なんだよ」


「――――あっちの相性はどうだったんだ?」


 最低のジョークをすばらしい笑顔で飛ばされた。
 この吸血鬼は腐っている。

「なにいいやがるっ、このボケ!」
 千雨はシモネタを飛ばすエヴァンジェリンに枕を投げつけた。
 ボフンと、エヴァンジェリンの手前で枕は茶々丸に受け止められる。

「はっはっは。ではお望みどおり帰ってやろう。しかしあのガキはまだ十だろう? よく出来たな」
「うるさい」
「ああ、年齢詐称薬か? だが、あれは基本的に幻術だぞ。そりゃわたしやルビーが使えばどうとでもなるだろうが……」
「黙れ」
「分かった分かった、そう怒るな。ではまたな。それとあまりがっつくなよ。避妊具一つ買うのも手間だろうし、いくら裏技使っても、体が出来てないうちにやりすぎるのはよくないからな」
「二度とくるな」
「学園にはばれないようにな。いや、もう遅いか。まあ、ばれたときはわたしを頼っていいぞ。面白そうだし」
「ありえないから安心しろ」

「すいません千雨さん。床は拭いておきました。あとこの枕はこちらにおいておきますね。紅茶はご自由にお使いください。あの……それでは、その……お大事に」
 エヴァンジェリンが高笑いを響かせながら玄関から消え、茶々丸が千雨に枕を返すと、申し訳なさそうな顔のまま一礼を残して去っていく。
 二人が出て行くのを見送ると、千雨はもう一度毛布をかぶって不貞寝した。

 人はこれを現実逃避という。


   ◆


 そうしてのその数時間後。千雨の部屋にはエヴァンジェリンと茶々丸の代わりにネギとルビーがいた。
 ものすごく不機嫌そうな千雨はベッドの上でむくれており、緊張気味のネギはルビーと千雨との会話を戦々恐々と聞いている。

 ちなみにルビーは少々無理をおして千雨の事後観察のため、ネギは千雨のお見舞いだ。
 千雨とネギのパスが通り、千雨とルビーの体に魔力が流れたことで病は癒されたが、病魔というのは予想以上に後に引くもの。
 体調はほぼ良くなっているが、ルビーが学校を休ませたのだ。
 ネギは朝のエヴァンジェリンとの一件で触発されたのか、千雨にお見舞いに来たところをルビーにつかまっていた。

「いいじゃない。すこし早かったけど、いつかは経験することでしょう。それに避妊は大丈夫よ。魔術は性行為に綿密に関係するからそこらへんの対策は万全なの。あのときはわたしがほどこしたけど、千雨も当然使えるわよ。これも基礎だからね」
 あけすけな言葉に二人して顔を赤くする。
 こいつには慎み深さという言葉は無いのだろうか。

「あの……じゃあ、千雨さんは経験が?」
「なんでだよ! ねえよ! 初めてだったに決まってんだろ! お前以外の男となんざ手をつないだこともねえっての! しっ、知ってるだろうが、お前はっ!」
「あ。そういえば、そうでしたね。……でも普通初めての女性は痛がるものだって――――」
「ぶちのめすぞてめえ! てめえこそなんであんなに詳しかったんだよ!」
「えっ、あの。千雨さんの魔術を勉強するときに、借りた本からですけど……」
 自業自得だった。

「ぐっ!? ……で、でも、それだけじゃすまねえだろ! テレながら恐ろしいこといってんじゃねえ、このマセガキ!」
「す、すいません」
 素直に返事をするネギ。

「……千雨があんなに悦んでたのは魔力の伝達があったからだと思うわよ。あれって充実感って意味で快楽に密接だし。あっ、あとパスをつなげる行為って言うのは、相手の意識が把握しやすいから、そっちのテクニックの面でも……」
「だまれっ! 死ねっ! 色ボケっ! 変態っ!」
 気を利かせたつもりなのか、沈黙する二人に向かってルビーがいらないことを言う。
 直後、半透明体のルビーの体をすり抜けて、千雨の投げた枕が壁に当たった。今日は投げられてばかりの枕がぼとりと地面に落ちる。
 ちなみにまだ夕暮れ時だ。猥談を始めるには早すぎる時間帯である。

「でも魔術においては、そっちの腕も重要よ。それにネギくん若いし、貴方たち一山超えてからもずっとやってたじゃない。千雨なんて朝にはもーグズグズだったし。それにほら、わたしもほらっ、こうして気を利かせて――――いや、うん。ゴメン。そんなに怒らないでよ」
「……」
 涙目の千雨から本気の殺意を感じ始めたのでルビーが言葉をとめた。

「だから、ジョークだってば」
「だったら笑えることをいってくれ」
「笑えるじゃない。若人をからかう年長者からのお言葉よ」
 ぬけぬけと口にするルビーに言葉も出ない。

「まあ、エヴァンジェリンの言葉じゃないけど、どうにかなってよかったわよ。大丈夫だろうから放っておいたのに、千雨ったらまた死に掛けちゃうんだもん」
「死ななかったからいいってもんじゃねえだろ。お前が先生を殺そうとしたってことには変わりないだろうが」
「ち、千雨さん、ボクはあんまり気にしていませんから……」
 千雨の剣呑な口調にネギがあわてて声をかけた。ルビーは肩をすくめただけだ。

 その後、きわどくはあるものの、あの時と比べればバカらしくなるほど平和に会話を続けている最中、ルビーがふと思い出したように口を開いた。

「ときに千雨にネギくん。このことってどうするの? エヴァンジェリンに知られたのはまあしょうがないとして、学校に通達するようなものでもないでしょうし」
「当たり前だろ。ばれたら先生が辞めさせられちまうよ」
「そ、そうなんですか!?」
 ネギが驚く。

「そりゃそうだろ。お前だって分かってんじゃないのか?」
「そ、そういえば、たしかに、お姉ちゃんも生徒と教師が恋人同士になるのはいけないことだって言ってましたけど……」
 いまさら気づいたように言うネギ。本気で考えていなかったようだ。
 千雨としてはジト目を向けるしかない。

「わかったんなら――――」
「はい、任せてください。お姉ちゃんならちゃんと説明すれば分かってもらえると思いますからっ」
 わかってないらしいネギから、なぜか笑顔を向けられた。
 きりきりと胃が痛む。隠す努力をしろといっているのだ。

「べつに大丈夫なんじゃないの? もともとネギくん、他の女の子と同居してたくらいなんだしさ。おおらかなんじゃない?」
 あっけらかんとルビーが言った。
「むしろ、わたしが言ってるのは、明日菜ちゃんと木乃香ちゃんには事情を話して、ネギくんをこっちに移したほうがいいんじゃないかってことなんだけど。千雨だって、恋人が他の女と同じ部屋に過ごしているのは嫌なんじゃない?」
「お前ほんとにアホだな。なんでそうなるんだよ」
「えっ……」
「だからなんでお前はそこで寂しそうなリアクションとってんだっ!」
 一緒に心労で苦しんでくれるはずのネギの反応に千雨が憤る。

「でもさよちゃんにも黙っておくと怒るんじゃない? ばれたら怒られることは、どうやって隠すかじゃなく、どうやってばらすかを考えたほうが建設的よ」
「またそれかよ。お前ほんとに楽観的だな」
「そう? これは結構真面目な考察なんだけど」
 あっけらかんとルビーが言う。考えたくもなかった。
「相坂はいいやつだが、秘密は共有したくない」
 こういうところはかなりドライな千雨が言い切る。

「もう魔法を知られてるじゃない。それにエヴァンジェリンが話しちゃうかもよ」
「あの、なんでさよさんにまで秘密なんですか?」
「…………」
 二人の言葉を聴いて、わたしおかしくないよな? 間違ってないよな。と自問する千雨。
 頭を抱えて、ベッドに倒れこんだ。
 もう怒鳴る元気もなくなっている。

「まあエヴァンジェリンを抜けば、あとは危なくはないだろうから、そこらへんは千雨が考えるとして、ほかに問題がないなら今日はもう消えるわね。連日でてるから疲れちゃったし」
 好き放題に二人をからかって満足したのか、ルビーがよろよろになった千雨を前にそんな言葉を口にした。
 そんなルビーに千雨がジト目を向けた。ネギや相坂以上に、こいつが現れたことによる問題が多い気がする。
 しかもほかの二人と違ってその問題も深刻だ。実は一番疫病神なんじゃないのか、こいつは?

「問題がないって……お前人の話聞いてなかったのか」
「もちろん聞いた上で言ってるわよ。二人をからかうのは楽しいけど、こうして出ていられる時間が有り余ってるわけじゃないし」
「あっ? わたしとネギのパスがつながったから魔力は足りてるんじゃないのか?」
「魔力は問題ないけど、もともとわたしがこうなってるのは、わたしが存在を維持する基盤を失ったことが原因だからね。令呪があるからなんとかなってるけど、二画目もなくなっちゃったしさ。潤滑な魔力は力の行使には役立っても存在の維持にはそれほど影響がないのよ」
「基盤?」
「どうでもいいことよ。千雨は気にする必要なし」

 千雨は首をかしげ、ネギは黙った。
 そんな二人にルビーが微笑む。

 娘に理解を示す母の顔。
 妹の幸福を願う姉の顔。
 若人の幸せを願う先人の表情で、ルビーは二人に言葉を送る。


「――――それじゃ、二人ともよい夜を。あとはゆっくりと二人の時間を楽しみなさい」


 まだ日も沈んでいない、とそんな文句を言う間もなく、ルビーは手を振りながら姿を消した。
 最後の台詞にびくりと二人が反応して、反応してしまったことを後悔しながら二人そろって平静を装う。

 ルビーは戻った。千雨の中で休眠状態にはいったのだ。
 これについては確実だ。千雨にはルビーの休眠を感じ取れる。だからデバガメということはない。
 だが、それは同時にいまは二人きりということをこれ以上ないほど明確に千雨に示している。
 残るのは無言になった千雨とネギ。
 ルビーの所為で、ネギに帰れというタイミングを失ってしまった。
 ベッドにそろって座っている二人は無言のままちらりとお互いをうかがった。

 二人とも無言でいる中、千雨が、はっと何かに気づく。
 ずりっ、とベッドに座りながらネギからすこしだけ遠ざかった。

「あの、千雨さん?」
「い、いや、別に……」
「……」
「いや……あの。そのさ、体調悪かったし、昨日お風呂にはいってなかったから」

 悲しそうな顔をしたネギに負けて、恥ずかしそうに千雨が答えた。
 カア、と赤くなり千雨が顔を伏せる。
 無意識のうちに握り締めたシーツにシワがよった。

「それがどうかしたんですか?」
「…………い、いや。……シャワーとかも浴びてないし……その、あ、汗がさ……」
「汗?」
「だ、だからさ……その、ちょっと臭いかなって……」

 この男は乙女に何を言わせるのか。
 千雨は蚊の鳴くような声でつぶやく。
 しどろもどろになったその言葉にネギが顔を上げて微笑んだ。
 ちらりと上目遣いでネギをうかがっていた千雨が、結構余裕があるその仕草にうろたえる。
 平然とネギが千雨の傍にもう一度寄り添った。

「ぜんぜんそんなことはありませんよ。千雨さんのいい匂いです」
「そ、それもどうかと思うけど……あ、あの? その……」
「そばにいっちゃダメですか?」
「ダ、ダメってことはないけど……」

 突っ込みもままならない。
 二人で無言のまま隣り合う。
 肩が触れ合わんばかりの距離だ。

「……あ」
「……っ!?」

 ちらりとお互いがお互いをうかがって視線が合った。
 ネギが声を上げ、千雨が過剰に反応する。
 そらすことも出来ず、二人きりになった千雨とネギが見つめあう。

「…………あの」
「な、なんだよ」
「ち……」
「ち?」
「……千雨。って呼んでもいいですか?」
「あ、ああ。べつに、いいけど……」

 千雨の言葉を聞き、安堵したようにネギが息を吐いた。
 ネギの手が千雨の手に重ねられた。
 千雨はもじもじとあたりを見渡す。
 やばい。これはすごくやばい。
 だんだん逃げ道をふさがれているような感覚だ。
 自分は心臓が破裂しそうなほど緊張しているのに、なぜこのガキは平然とこんなことを口に出来るのか。
 あと少しベクトルがずれれば、千雨はなりふり構わず、この雰囲気を壊そうとしただろう。
 だが、その前にネギが口を開いた。この少年は空気を読まないようで、こういうタイミングははずさない。

「よかったです。あのときはそんなこと聞く暇がありませんでしたから」
「……そ、そうか」
「はい、そうです」

 そりゃあ、言う暇などあるはずない。
 あの日彼らはパートナーになり、だけどそれを実感する暇も与えられなかった。
 翌日、実感もわかないままに、二人は朝を迎えてそのままわかれた。

 一眠りしたあと、われに返って混乱のあまりいままで千雨はずっと引きこもり、ネギは夜中放置された明日菜とカモのフォローで奔走し、いまこうしてやっと二人きりになるまで会えなかった。
 そんな彼女が二人っきりのこの場で会話の主導権など握れるはずがない。
 ネギはうろたえる千雨といつもの千雨のギャップに微笑んで、千雨は落ち着くネギの姿を見て、いつもとのギャップで顔が真っ赤だ。


「……じゃあ。その、…………千雨」


 ネギが思い切ったように口にする。
 いつも聞いているはずのその声に改めて名を呼ばれ、千雨の背筋にゾクリとした感覚がはしった。
 ネギは名を呼んだまま言葉をとめて、千雨の顔を覗き込む。

「あっ、あの。……本当に、その、ボクが千雨の恋人になっても……」
「…………あのなあ、そんなことをいちいちきいてんじゃねえよ」
「じゃ、じゃあ……」

 千雨があまりにいまさらなネギの言葉をさえぎった。
 千雨は自分の顔の赤さを隠すように、隣に座るネギの肩口に顔をうずめる。
 こいつは強気なのか弱気なのかわからない。

 メガネもはずし、髪もまとめていない、いつもと印象の異なるその姿。
 まとめていない千雨の髪がふわりと揺れて、ネギの頬をくすぐった。
 千雨はそのまま耳元で、大きく大きく息を吸い、そのくせ世界のただ一人にしか届かないくらいの小さな小さな声で呟いた。

「好きだよ、先生」

 ネギがその答えに息を吐き、千雨の背に手を回す。
 そのままぎゅっと抱きしめられた。
 万感の想いが詰まったその抱擁。


「――――はい。ボクも」


 その言葉とともに千雨はゆっくりとベッドの上に押し倒された。
 ちょっとだけ驚いた千雨が、自分の上に覆いかぶさる少年の顔を見る。

 体の芯が火照るような感覚の中、冷静さを保とうと、千雨はこの現状を再確認。
 静まる部屋に、男と二人。
 ベッドの上で、相手はつい先日愛を囁きあったばかりの男の子。
 あのさ、勢いに任せちまったが、これって、いろいろとまずいんじゃ、

「い、いや。その……………………するの?」

 呟くようなそんな声。
 見詰め合ったまま、身じろぎも出来ないそんな瞬間。
 ついさっきと同様に、沈黙に耐え切れない千雨が墓穴を掘るような台詞を口にして、
 ネギはその言葉にいつものように微笑んだ。


「――――目を瞑ってくれますか?」


 千雨は黙る。ネギも黙る。
 それ以上何も言うことはない。
 彼は目を瞑った千雨にキスをして、その体をゆっくりと――――




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 というわけで正解はぼーやじゃないネギくんでした。
 板変えろよ、と突っ込まれるぎりぎりのラインのお話。
 無駄に長いし、内容もぐだぐだだしどうなんだって感じですが、思っていたよりはマイルドな展開でおさまった気がしないでもないです。ちなみに前話の本来のラストはエヴァが千雨の部屋にきて、説明を求めるシーンまで入る予定でした。
 あと今後も呼び方は基本的に「千雨さん」です。千雨からは基本的に「先生」呼び。こっちはまあ千雨的必然でです。
 ちなみに仮契約はしてません。ああ本契約ってことですねとか思った人は腹を切ってください。キス=パクティオーと考える必要はない、みたいな意味です。
 次は修学旅行編ですが、そっちに入る前に幕話が入ります。カモや明日菜や千雨たちの周りですね。たぶん3話くらいです。次の更新は最短で来週、最長でも3週後くらいを目安でお願いします。
 それでは。






[14323] 幕話9
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/03/29 02:06
 さて、そんな経緯を経て、千雨とネギがお付き合いを始めたわけだが――――


「あの、千雨さん千雨さん」
「なんですか、先生」
「今日、千雨さんの部屋に行ってもいいですか」
「……えっ……と、でも、まだルビーは出てこれないから魔術とかは見せれませんけど」
「あの。理由がなかったら行ってはいけませんか?」
「あ、いやゴメン。もちろん、いいけど……あの、先生の仕事とかは」
「ええ大丈夫です。もちろん全部終わってますから」
「そ、そう。さすがに優秀ですね。その、えーと…………じゃあ、神楽坂たちには?」
「はい。千雨さんはいままでも魔法のことで相談に乗ってもらってましたし、カモくんはまだ病院です。今日もお見舞いに行ったんですけど、まだちょっとかかるかもって」
「あ、ああ。そうですか……あの、でも、あんまり……」
「はい、わかってますよ」


「おいしいですね、この紅茶」
「まあエヴァンジェリンの御用達ですから」
「エヘヘ」
「? どうしたんです、先生」
「いえ、うれしかっただけです」
「……なにが?」
「こうしていることが、です。もちろん」
「…………そ、そう。それはよかったな……」


「あの……」
「いや、でもさ」
「……」
「うっ、でも……エヴァンジェリンにも言われたし、やっぱりその、あんまりそういうことばっかりやるのは……ほら……わたしたちも……まだ……あの」
「……は、はい。そうですか……」
「……」
「…………」
「……」


「…………」
「……」
「…………」
「……」
「………………だから、その……ちょっとだけですよ」


 ――――付き合うまでの経緯が経緯。それはあまり健全なお付き合いとはいっていないようだった。



   幕話9


「こ、こっ、このっ……こっ、この……この……クソガキ……」
「あっ、起きたの? その……大丈夫、千雨?」
「……て、て……てめ、てめ……て、てめえ……て……が」
「あっ。その、すこしやりすぎちゃって……」
「……み、み、みっ、み、……っ……み…………を」
「水が飲みたいの? 持ってこようか?」
 息も絶え絶えとした千雨がこくこくとうなずく。

 ネギがあわててコップに水をくんでくる。
 千雨はベッドの上でそれを受け取ると、水を飲んで一息ついた。
 じろりとネギをにらんで、続いて大きくため息をつく。
 ネギは千雨の様子に安心したように微笑んでいた。
 その笑みで文句の一つもいえなくなっているのだから、自分のバカ差加減も大概である。
 ここ数日、ものすごい勢いで堕落している気がする。きっと気のせいではあるまい。

 千雨はコップをベッドの横に置く。
 ネギはいつの間にかまったく自然にベッドの上で並んで座っていた。
 千雨としては自分をこんなにしておいて、ホワホワ笑ってるバカを引っぱたいてやりたいが、腕にも腰にも力が入らない。
 というか動けそうにない。報いはあとで受けさせよう。

 窓から差し込む光が二人を照らす。
 ネギも千雨もまだ生まれたときの姿のままだった。
 もうそろそろ昼になる時間なのだ。しかも女子寮で生徒と教師。
 どう考えても不健康かつ背徳的すぎる。
 それなりに冷静さを取り戻してきた千雨が恥ずかしくなって毛布をかき抱く。
 うー、とうなった。

 自分は自制のきく人間だと思っていたのに、ここまでボケるとはしゃれにならない。
 そしてなおのこと救えないのは、自分がそれを半ば以上自覚していることだ。
 というかあれでは自分から誘ったようなものではないか。
 いろいろと思い出してしまったのか、無駄に暴走した千雨が、カア、と顔を赤くして毛布に顔をうずめた。
 あれか、これはやっぱりわたしが悪いのか?
 こいつは一応十歳児で、曲がりなりにも自分はこいつに説教をかます立場なのだ。監督不行き届きというのなら、これはいったい誰の責になるのだろうか。
 ぐう、と一人で勝手に悩んで勝手にうなる千雨に、ネギが不思議そうな視線を向けた。
 千雨はそんな視線にも気づかず、一人で思考を回して、一人で悶絶している。

 千雨は自分の駄目さ加減に絶望しながら、のろのろと起き上がる。
 こうし続けるわけにもいくまい。
 この辺の問題に関しては今度ルビーに相談でもしよう。
 ちょっとばかり真剣に先人の意見がほしかった。
 ルビーにきいてためになるのかはかなり怪しいが、事情を知っていて相談できそうなやつなどほかにはいない。

 ネギが大丈夫ですかと声をかけてくるのに生返事をしながら、何度目になるか分からない反省をする。
 もうそろそろ修学旅行だし、そもそもこの状況はおかしすぎるわけだ。
 初めてが初めてだっただけに流されているが、そろそろどうにかする必要があるだろう。
 毛布に丸まりながらうなだれている千雨にネギが心配そうな顔を向けている。

「すいませんでした、千雨さん……」
「お互い様で最悪だよな。堕落しすぎだ」
「う……そうですよね、やっぱり……」

 反省したのか、口調を改めてネギがうなだれた。
 千雨としては責任をおっかぶせて説教するわけにも行かないので、どうにも言葉のかけようがない。
 なんでこの年でこんなことに頭を悩ませなくてはいけないのだろうか。

「シャレにならないことになる前にどうにかしないとな……」
「はあ……そうですか」
「当たり前だろ。先生もちょっとやりすぎなんだよ」
「やりすぎですか?」
 ギロリと睨みつけるとなぜか平然とした顔で返された。

「いや、なんでわかってねえんだよ。あのなあ、ああいうのは……その、いやじゃないんだけど……あんまりハメをはずしすぎるのはだな……」
「はあ」
「わかってんのか、本当に?」
 嘘くさいなあと思いながら、言葉を投げる。
 ネギがニッコリと笑って顔を上げた。

「はい。次はもっと優しくしますね」
「おかしいよな、その台詞」

 やっぱビタイチ反省してないんじゃないかこいつ?
 なんでわたしだけが気を揉んでいるんだ。
 やはり自分のことを棚上げしてでも説教しておこう、と千雨がネギに向き直る。

「? どうしたんですか、千雨さん」
「いや、あのな、先生。わたしが言えた台詞じゃないけど、日本では……というかそもそもお前は教師でわたしは生徒であってだなあ――――」

 ため息を吐きながら、このどうにもいまだにこの状況の危険さがわかっていないらしい先生にいろいろと言ってやろうと千雨は大きく息を吐き、
 そして、そんなタイミングをちょうど見計らったかのように

 ピンポーン

 とずいぶんと聞きなれた音が部屋の中に響いてきた。


   ◆


 アホみたいに怠惰に流されていたツケがでた。
 せめてあと一日、いや一時間でいいから待ってほしかった。

「あのー、千雨さんいますかー。お昼ご一緒しませんかー?」

 来客は相坂さよだった。
 ドアの向こう側から声がする。
 さすがにこんなシーンを見られるのはまずすぎる。
 本気でわかっていないのかどうなのかネギはいまだに自覚がないが、千雨はわかるわからないのレベルではなく、玄関の向こうに朝倉和美や雪広あやかがいたら、退学に免職。そのまま屋上から飛び降りてもおかしくない問題だと考えている。

 ノブが回されて、トントンとノックされる。
 今のさよはドアをすり抜けられないことだけが救いだ。

 千雨は起き上がろうとして、上半身を持ち上げ、そのままへたり込んだ。
 腰に力が入らない。
 横でオロオロしているエロガッパの所為だ。
 ちらりとベッドの横にある携帯電話を見れば、2件の不在着信がある。
 時間からしてついさっきだった。
 眠っていた、というより半ば意識を飛ばしていて気づかなかったのだろう。

「ああ、そういえばさっき鳴ってました」
「いえよっ!」

 小声で怒鳴るという器用な真似をする千雨に、ネギが申し訳なさそうな顔を返した。。

「どうしましょう、千雨さん。少し恥ずかしいですけど、さよさんなら事情を説明して外でちょっと待っててもらいますか?」
「…………いや、あの。いや……マジでいってんのか?」
 胡乱気な視線を向けながら、千雨が答えた。
 大物を通り越してこの先生はどこかおかしくなっているのではなかろうかと、一週回って心配してしまう。

「どうしたんですか?」
「なんでもない。惚れ直したよ」
「えっ、そんな」
 ネギが赤くなった。だが頭を引っ叩いて矯正している暇は無い。

「皮肉だ、あほたれ。居留守を使うぞ」
「居留守ですか?」
「ああ」

 ガチャガチャとなるノブを見ながら千雨が言う。
 今日はカギがかかっていたことに千雨がほっと息を吐く。
 いつまでも懲りない千雨だが、今日はネギがカギをかけていたのだ。
 だが、千雨も頭が回っていない。
 千雨はネギとさよに渡しているものがあるはずだ。

「うー。じゃあ、中で待たせてもらおうっと。えーっと、合鍵を……どこにしまったっけ……」

 そんな台詞に千雨の顔を引きつった。
 いや、まあ普段の相坂と自分だったら当たり前の行為なわけだが、いまはちょっとまずすぎる。

「えっ、あの。千雨さん。さすがに入ってもらうのは……やっぱり説明していまは遠慮してもらいましょう」
「だからそれは世間知らずってレベルじゃねえだろっ!」
 ネギの言葉に千雨が再度怒鳴った。もちろん小声で。
 なんでこの年で昼ドラそのままな展開を体験しなくてはいけないのだ。

 千雨にはネギの思考が読めていない。
 つまるところ、簡単にいえば、ネギは千雨と付き合っているのは二人で愛の言葉を交わしたからだと真面目に思っている。
 千雨だって似たようなものだが、そこからの考えに決定的な違いがあった。
 ネギは一度恋人になった以上、その前提の上でこうしているのは、人としてはまったくおかしくないと考えているわけだ。
 教師や生徒に関する倫理観も一応持ってはいるものの、いまこうして、このような状況になった以上、それを秘匿するべきではないと捉えている。
 さすがに恥ずかしいという感情はあるが、そこに背徳感といったものはない。ある意味突き抜けている倫理観だ。
 千雨が以前に言ったネギへの言葉。秘密にしていることがあり、それを誇りとしたいなら、それを釈明した上での許しを得る、そういう概念を基にしたネギの根幹。
 だから当たり前のようにこういう台詞を吐いたりするのだが、元凶の千雨もさすがに応じられない。千雨は煽りはするが、基本はヘタレだ。
 常識をよりどころに形成されてきた人格はそう簡単には裏切れない。

 だって、どう好意的に解釈しても、生徒と教師はまずすぎる。この場所にネギがいるのがすでにぎりぎりなのだ。
 変に生徒と同居させたりするから感覚が麻痺するんだ、と千雨は学園長を脳内で呪った。
 だが、情操教育の薄いネギがこうなってしまったのは、半ば以上ルビーと千雨の所為である。わりと自業自得だ。
 だからこそ、実際のところ、まだまだ人生経験の足らないネギにそういうことを教えるのは千雨の役目なのだが、いまのテンパった千雨は自分の非を棚上げして自分以外を呪っている。

「あ、あった。えーっと……」

 ガチャリと鍵穴にカギを差し込まれる音がする。
 うなっていた千雨がさすがにあせって体を上げる。

「っ!? 『閉じろ』! 『施錠の4番』!」

 反射的に千雨がベッドの上から閉錠の魔術をほどこした。
 ルビー仕込みの施錠の魔術。
 十歩離れた距離からのツーワードからなるその魔術。ルビーの実家じゃあるまいし、無駄に怪しまれるだけだと一度も使ったことがなかったが、ぶっつけ本番で役立った。
 ガチャリ、と音がして合鍵によってドアのカギが開くと同時に、扉に魔術のカンヌキがかけられる。
 ルビーが見ればなかなかの技だと評価しただろう。
 相坂さよが再度ノブを回すが、当然扉は開かない。

「……あれ?」

 ガチャガチャと音が鳴る。
 千雨はゼハゼハと息を吐く。ギリギリすぎるタイミングだった。
 そんな千雨にネギが声をかける。

「あ、あの千雨さん」
「なんだよ。本気で自覚ないのか? あとでじっくりとその辺を……」
「いや、そうじゃなくてですね」
「ああっ? なんだよ」

 間に合ったことに千雨が安堵のため息を漏らし――――

「あのー、いまのって千雨さんの声ですよねー。いらっしゃるんですかー」

 ――――ヒクリと千雨の頬がつる。

 距離が離れた場所ならば、そこまで届く呪文がいる。
 自己暗示に等しい呪文でも、十歩先の扉に魔術をかけたいのなら、十歩先まで届く程度の声がいるのが一般的だ。
 例外もあるにはあるが、それが基本。
 そして寮の扉は安物ではないが、別段防音性に特化してるわけじゃない。
 つまり、


「そんな大声出したら聞こえちゃうと思いますけど」
「…………」


 そんな当たり前のことだった。


   ◆


「そ、その今日はちょっと都合が悪いんだが……」
「なんでですか? いま起きたとことかなら、わたしは気にしませんけど」
「わたしは気にするけど……いや、そもそも来客中で、ちょっとなんだ……人に見られるとまずいんだよっ、ほら。あのさ」
 玄関のドア越しに会話する。
 いいわけめいた言葉を口にするが、それも当然。
 毛布だけを羽織った姿で玄関の前に佇む千雨の姿は見せられまい。
 部屋の中でまってろと言いつけたネギは、はらはらとした表情をしながらちゃっかり服を着替え終わっている。千雨はあとでネギを引っぱたこうと決意した。

「来客ですか? 誰ですか?」
「~っ!」
 いえるはずない。千雨は迂闊に来客だなどといってしまった自分を呪った。
 さよのほうも、持ち前のお気楽さと、幽霊出身の常識のなさで、いまいち事態を把握しないまま、千雨に声をかけている。
 だがどうにも強行はよろしくないということだけは感じ取れる。

「あの、千雨さん? 都合が悪いようでしたら、わたしは……」
「い、いや。ゴメン。あのだな。…………その、来客ってのは」
 さよが空気を読んだのか出直そうかと声をかけ、罪悪感から千雨は一瞬返答に詰まった。
 相坂には黙っておくと決めているものの、やはり実際にこういう立場に立てば千雨は弱い。
 根が善人の千雨にとって騙すというのは、決心していても実行には戸惑いがでる。
 というより、ここで誤魔化してももはやどうにもならない気がしてならない。
 いっそ相坂だったのは幸運だと割り切って、本当に話してしまうかと、無我の境地に達しようとしたその瞬間、

「おい、何をしている。相坂さよ」
「あっ、エヴァンジェリンさんに茶々丸さん」

 おわった。

「相坂さんもこちらでしたか」
「はい。あの、エヴァンジェリンさんたちも?」
「ああ、ルビーの共振の魔術を利用したとか言う宝石についてちょっとな……、どうした、千雨はいないのか?」
「いえ。その、来客中とかで……」
「その手に持ってる鍵は何だ?」
「あっ、でも千雨さんが魔法で閉めちゃってて」
「…………ほう」

 いやなアクセントの相槌だった。
 部屋の奥にいるネギにはエヴァンジェリンの声までは聞こえていないようだ。いつもどおりポケッとした顔で、放心しかけた千雨のことを見守っている。
 千雨が思考を飛ばしていると、外からエヴァンジェリンたちの声がする。

「あけろ、茶々丸」
「えっ!? いや、ですがマスター」
「かまわん。あのバカにはいい薬だろ」
「は、はあ。わかりました。あの、すいません。千雨さん」

 もう言葉を発する元気もなくした千雨としては、むしろ茶々丸の気遣いがありがたい。
 玄関からは封印結界の解除に特化したエヴァンジェリンの自慢の従者、絡繰茶々丸の解封システムの動作音が響きはじめる。
 ルビーの協力で解呪だけは無駄に特化している絡繰茶々丸の最新システムである。
 玄関先でそんなものを発動させるな、と千雨は思った。
 誰か通りかかってこのちびっ子をしょっ引いてくれないだろうか。くれないだろうな。ああ見えて抜けているエヴァンジェリンだが、その分従者の絡繰茶々丸はそういうところに気が回る。周りの探知くらいは当然しているだろう。

「あの、いいんですか? エヴァンジェリンさん。そんな、勝手に……」
「あっ? ああ、まあ予想はつくからな。あのバカ、過剰にびびってるようだが……まあいいんじゃないか? お前ならかまわんだろう。長谷川千雨の親友を名乗るならな」

 勝手に決めるな。いや親友という言葉に突っ込んだわけじゃない。相坂さよに秘密を知らせることに突っ込んだのだ。
 というか、エヴァンジェリンは微妙に、そして決定的に勘違いしていると思う。

 へたり込んだ千雨に、さすがに心配になったのか、ネギがどうしたのかと声をかける。
 しかし千雨にはそれに答える元気はない。
 ちゃくちゃくと堀が埋められていくのを感じるだけだ。

「は、はあ……あの、でもちょっと、千雨さん嫌がっていたような。あの、茶々丸さん」
「マスターの命は絶対ですので………………もうしわけありません。あの、開きます」

 さよの不安げな声に、茶々丸がこたえる。
 その言葉は果たして本当にエヴァンジェリンに告げられたものだったのか。わざわざ開く瞬間にそう告げる。
 エヴァンジェリンと相坂さよと絡繰茶々丸の視線が長谷川千雨の部屋の扉に向けられる。
 そして、


 ――――――――パリン、と扉の封印が破られて、



   ◆◆◆



「先生。どうぞ」
 千雨がネギに声をかけ、テーブルに皿を並べる。
「わあ、おいしそうですね」
 そうですか? と千雨が笑う。
 午睡の時間。千雨の部屋の中、ネギの前に並べられたのは、クッキーなど彩り鮮やかなお茶請けだった。

「千雨さんは料理も得意なんですか?」
「いや、得意ってわけじゃない。どっちかっていうと苦手かな。クッキーとかは、その……」
「ああ、ちう関係ですか?」
 臆面もなくネギが口にする。
 千雨はその言葉にすこしだけ頬を染めてうなずいた。

「そういえばウェイトレスの姿をしているときに、お盆とクッキーを持ってましたね」
「そこまで見てるのか」
「はい」
 頷きながらネギがクッキーをかじる。
 無言でさくさくと食べるネギの表情を見て、千雨は微笑んだ。
 なごむ姿だ。

「まあ、小道具だから見てくれだけなんだ。まずいとは思わないが、近衛には勝てないよ」
「でもとても美味しいです」
「そりゃどうも」
 千雨が肩をすくめた。
 まあ自分でも下手だとは思っていない。一人住まいをしていると、ある程度の料理は出来るようになるものだ。
 そもそも料理なんてのはレシピどおり作っていればまずくなるはずがない。おいしく作るのが難しいだけで、平均点を取れないのは腕の問題ではない。
 超や四葉、近衛などと一緒に住んでいれば必要ないだろうが、当番制だったりすればそこそこの腕にはなるわけだ。
 ある程度の材料に、ある程度の完成品だし、木乃香や超などには比べるべくもないが、さすがにまずいとは思っていない。

「先生、ほっぺたに……」
「えっ?」
「ほらっ、ここに」
 千雨はナプキンを手に取ると、ネギの頬をぬぐった。
 手で取って食べるような選択は千雨にはない。
 しかし、その仕草はやはり優しさとかわいらしさに溢れていた。
 頬をぬぐわれたネギが顔を赤くする。

「そういうところはまだ子供だな」
「……もう、そんなことありません」
 プイッとネギが膨れる。
 それに千雨がすこし微笑んだ。
 いつもの硬さと剣呑さがまったくないやさしい笑みだ。いつもは見せてくれないほんのわずかに一瞬だけ長谷川千雨が覗かせるそういう笑顔。
 その笑顔は、千雨自身が評価する凡人並みの顔どころか、改めてネギが一瞬見ほれるほどに純粋で美しいものである。

 そう、まるで現実逃避をし終わったばかりのような、悟りを開いた笑みだった。
 厄介ごとを乗り越えて、面白半分のお説教から一週回って哀れみを抱きはじめた吸血鬼が、ごまかしごまかし友人を一時的に連れ去ってくれたあとのような、そんな微笑。

 あとでエヴァンジェリンには感謝の言葉でも送るべきだろうか? いや、相坂をごまかしたのはエヴァンジェリンだが、元凶もあいつだ。やはり感謝の念を持つ必要は無い。千雨は笑顔を維持しながら意外と暗いことを考えた。
 千雨は微笑みながら悪巧みも出来るのだ。

 お昼をすぎた午睡の時間。
 そんなこんなで一騒動を終えた千雨とネギは二人っきりで、手作りクッキーの乗ったテーブルを囲んでいた。

「先生のところは近衛がいるからな。料理好きの同居人ってのは素直にうらやましいよ」
「そうですね。とても料理がお上手です。四葉さんたちのサークルには入ってないみたいですけど」
「ああ、料理研究会だったか。あいつらも大概うまいよな。まああそこは超包子に直結してるところもあるし、近衛の趣味には会わないのかもな」
 料理上手と料理好きは綿密に関係することが多いものの別物だ。前者はアビリティだが、料理好きはキャラクターである。
 クッキーを自分で食べるためでなく小道具と言い切る千雨にとっては料理を作ってくれる同居人がいれば自分も精進しようなどとはせず、すべて任せていただろう。
 だがこうして先生に手料理を振舞う機会があったことを考えれば、ある程度の料理を覚えていたのは無駄ではなかった。

「まあ、料理を作ってくれるやつがいるってのは幸福だよ。先生も近衛に恩返しでもしとくんだな。食費とかじゃ受けとらなそうだけど。ああ、もちろん神楽坂にもな」
「あっ、そうですね。ああ、そういえばもうすぐアスナさんの誕生日です」
「そうだっけか」
 さすがに神楽坂の誕生日は覚えていない。というより千雨は同じクラスメイトで誕生日を把握しているもののほうがすくない。

「そういえば、先生は料理は?」
 男でこの年齢では出来るほうがおかしいが、このガキほど見た目にだまされてはいけないやつはいない。
 千雨の想像通り、ネギはその言葉にうなずいた。
「あっ、ボクこの学園にくるまでおじさんの家の離れを借りて一人暮らしをしてましたから。お姉ちゃんやアーニャに料理を作ってもらったりもしましたけど、作り方だけはそのとき覚えたんです。今度作ってさしあげますね」
 そう言って新しいクッキーを手に取った。

 ネギが一人暮らしをしていたというのははじめて聞いた。別段いじめられているようではなかったので千雨は流したが、普通の十歳児にやらせるようなことでもない。
 千雨は魔法使いはこういうものなのかと、頭の中で考えているが、これは魔法使いとしても特殊である。
 ネギは自分の特殊さを認識せず、千雨は魔法使いの性質をネギを規準に学んでいる。
「まっ、期待して待ってるよ」
 だから大して驚くこともせず、新しいクッキーをかじりながら千雨は言った。


   ◆


「エヴァンジェリンさんが言うには京都に父さんが一時期住んでいた家があるそうなんです」
「へえ、よく知ってるなあいつ。ああ、だから今度の修学旅行は京都なのか?」
「あれはたまたまです。いいんちょさんがボクのために京都にしてくれたっていってましたけど」
「ああ、そういやいってたな。渡りに船ってことか」
 二人っきりでお茶を飲む。話題はエヴァンジェリンとネギのことだ。

「いえ、京都に決まったのは、またべつに理由があるみたいでした。あの、学園長からの要務があって……」
「またかよ。先生も大概忙しいな」
「でも手紙を届けるだけだそうですから」
 ふーんとうなずいてお茶でのどを潤した。
 よくわからないが、魔法使い間にもいろいろとあるのだろう。魔法の国然りと、麻帆良だけで完結しているというわけではないわけだ。

 というか、それはつまり、またもや先生側の都合で修学旅行先を決められたということなのだろうか?
 委員長然り、別段不満を持っているものがいるわけではなさそうだからいいものの、千雨としては眉をしかめるしかない。
 だが同時に文句も言えない。
 別段危ないわけでもないなら、千雨が干渉することではないし、どのみち千雨がどうこうできる問題ではあるまい。

「そういえば、エヴァンジェリンさんはボクが父さんが生きていることを教えたらずいぶん驚いてました」
「あいつ知らなかったのか?」
「そうらしいです。千雨さんは知ってたんですね」
「ルビーに教えられてたな。あいつがどこで知ったのかは知らないけど。行方不明が常識なのかと思ってた。エヴァンジェリンもほれてる男のことだってのに調べてなかったのか」
「ぜんぜん知らないみたいでした。それに父さんが生きているって話はあんまり信じてもらえるようなものでもありません。千雨さんが知っていたことのほうが驚きです」
 ネギはすこしつらそうに言った。

 考えてみればまだ幼かった彼が父に助けられ、そして杖を託された出来事をずっと秘密にし続けられるはずがない。
 そもそも実際に杖を受け取っているのだ。
 周りの皆に話をして、だけどそれは疑問視し続けられた。ネギはどれほど否定されようとナギの生存を疑うことはなかったが、周りが半信半疑のままであるというのはさすがにつらかった。
 エヴァンジェリンがあそこまで明け透けにネギの話を信じてくれたのは、ネギにとっては久方ぶりの経験だった。

「ああ、だからエヴァンジェリンのやつ機嫌がよかったのか」
「そうですか?」
「乙女チックににやついてただろ。てかそれ教えればあの騒ぎって起こらなかったんじゃないか?」
「えっ?」
「だって、エヴァンジェリンが先生を狙ったのはもう封印が解けないと思ったからだろ? ナギさんが生きてるって言うならそんなこと考えるはずがねえじゃん」
 千雨が憂鬱そうに言った。
 たしか、封印のかけ手であるナギが帰ってこないと思っていたからこそネギの血を狙ったのだ。ナギが生きているならその息子を殺してまで封印をとこうなどと思うはずがない。

「そしたらあれってすげえ無駄骨じゃねえか」
 うわーと千雨が声を上げる。
 魔弾の受け損だ。
 エヴァンジェリンとの初戦といい、戦いそのものより情報やその場の判断の重要性がわかる。
 回避可能な戦いをわざわざ戦っては、たとえ戦いを制したところですでに一敗しているようなものだ。

 その姿を見てネギがうー、と目を潤ませた。両手を胸元に掻き抱いて行うその姿は、さすがに委員長から一目ぼれされるだけのことはある。簡単に言えばショタ受けしすぎる姿だ。
 ネギにとってはあれは千雨とパートナーになる大きな分岐点だった。無駄といわれれば怒るのは当然である。

「でも千雨さんにパートナーにもなっていただけました」
「まあわたしもエヴァンジェリンに意趣返しできたけどさあ」
 千雨がうなる。どうにも納得しがたい。
 それにパートナーになったといってもネギの基準から言うところのパートナーになったわけではない。

「それに魔術師としてパスは結んだけど、本来の魔法使いのパートナーってのはなんか儀式がいるんだろ。このあいだ宮崎にやろうとしてたみたいなやつが。それに神楽坂とは先にパートナーになってたらしいしさ」
「知ってたんですかっ!?」
 そういや言ってなかったな、と千雨が頬を掻く。
 明日菜のことはまだしも、宮崎のことを知られているとは、ネギは微塵も考えていなかった。
 だが、千雨は宮崎のどかの件は隠れて見ていたし、エヴァンジェリンの戦いに横槍入れた千雨が明日菜のことを知らないはずがない。
 だがネギにとってはそこを千雨にふれられるのは罪悪感を刺激されるようだ。
 申し訳なさそうな顔をした。

「わるいな。宮崎のはこっそり覗いてたんだ。知ってたよ。先生がばっちりキスしようとしてたところもな」
「あ、あれはまだしてませんでしたっ!」
 千雨が笑った。ネギの反応は予想通りすぎる。

「じゃあ神楽坂はどうなるんだよ」
「あ、あれは千雨さんがパートナーになってくれないって言うから……それにしたというか奪われたというか。あっ、それにアスナさんもあれはカウントしないって言ってました!」
「……くくく」
「千雨さんっ!」
 必死になるネギの姿に千雨が噴出す。このガキは乙女チックすぎだ。
 ぷくーとネギが脹れた。

「そんなに怒るなよ。それで結局魔法のパートナーってのはなんだったんだ?」
「魔術とあんまり変わらない気もしますけど……この、パクティオーカードというのがもらえるんです。えっと……これです」
 ネギが一枚のカードを取り出す。
 神楽坂の絵が描いてあった。大剣を片手にたたずむ制服姿のパートナー。名前はローマ字。後は属性その他の情報だろう。
 受け取ると、千雨は面白そうにそれを眺めた。

「魔術と変わらないねえ……そんなことないと思うけどな。それってなんか固有の特殊能力を持ったアイテムを使えるようになるんだろ?」
「えっ?」
 驚いたような声をネギが上げた。
 千雨はあきれた。
 知らなかったのか、こいつ?

「アーティファクトとか言うのを具現化できるって聞いてるぞ。あとは念話とか、相手の召喚とかが可能だって」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。ルビーが言ってた。嘘ってことはないだろうから、これも神楽坂が使えば何かを具現化できるはずだ。結構多様性に富んでて、機能もかなりすごいらしいな。ルビーは相手を召喚させる擬似的な空間転移のほうに興奮してたけど……」
 まだまだ魔術師見習いの千雨としては、空間移動の謎を解き明かすよりもお手軽にアーティファクトとやらに驚いていたい。
 現実的に考えれば物理的なアイテムが貰えるというのは常識外れに破格である。
 ネギはいまいちわかっていないが、魔術と変わらないどころではない。物質固有化と術的干渉能力を持つアイテムの具現ではまるで宝具だ。

 適当に契約結びまくったらどうなるんだろう、と千雨はこっそり思った。
 まあ、その場合はネギがずいぶんと活躍しなければいけないだろうが、魔術師として考えれば、それだけのことだ。
 契約方法はキスらしい。もちろん魔術と同様に別の手もあるようだが、たかがキス一つでそんなトンでも契約が完遂するとは魔術よりよほど単純だ。
 こういうところでも魔法は魔術を凌駕している。

「あの、千雨さん……」
「あーっ、わたしともってか?」
「は、はい」
 ちょうどパクティオーカードの話をしていたからだろう。いい機会だとネギが話を切り出した。
 千雨の言葉にネギがうなずく。

「うーん。いや、やめとく」
 千雨としてもここでネギとパクティオーを行うという選択肢は十分ありえるが、その提案に首を振った。
「えっ……なんでですか?」
「契約についてわたしが無知すぎるからだ」
「は、はあ」
「それに、実際に契約をするときにあのオコジョの手を借りなきゃいけないってのも気に入らないな」

 千雨が肩をすくめた。
 言い訳のようだが、これは真理だ。
 いまの千雨は魔術師である。力を貪欲に求める魔法使いとは異なり、魔術師はひとつの道を探求する職であり、わざわざ他流派の契約を結ぶことには意味がない。魔術とは己の流派の不都合をも利用する。効率を重視することが近道とは限らないのだ。
 まだ未熟ないまの千雨が魔法を力として取り込めば、それは魔術の力を劣化させるだろう。
 魔法使いと魔術師間で満足に魔力の伝達もできないような契約を結ぶ気はない。
 固有の道具にテレポート、そして相手の生死の確認とできることはいろいろあるが、いまとなっては、本当に必要だという状況にでもならない限り結ぶことはないだろう。

 そんな千雨の強引な論法にネギがあきれた顔をする。
 しかしネギもべつだん仮契約にこだわったりはしなかった。
 だって自分と千雨はいまさら絆を結びなおす必要もないからだ。
 エヴァンジェリンももう襲ってこないだろうし、あせることはないだろう。

 だが興味自体はあるのか、千雨は明日菜とネギのパクティオーカードを手に取った。
 それをもてあそびながら、ぼうっと千雨がネギを見る。
 その視線はネギの唇あたりをさまよっていた。
 血色のよい赤い唇。自分はその感触を知っている。

「神楽坂ともしたんだよな、キス」
「ええっ!?」
 ぼっ、とネギが赤くなった。
 口に出す瞬間まで別段他意はなかったのに、そんな反応をされると逆に困る。浮気の証拠というわけでもあるまいに。
「え……でも、その」
「いや、別にいいんだけどさ」

 魔術師として、恋人が契約に連なるキスをしようが他者と体を重ねようが、文句を言う資格は……たぶんない。
 むしろキスくらいで済むなら、歓迎すべき温さな気がする。
 千雨も最近自分の中の常識が信じられない。
 怒るべきところなの怒れないことと、怒らなくてもいいところで怒ってしまうのは同一のベクトルに位置する常識の崩壊だ。
 千雨だってべつにほかの誰かとキスする気など毛頭ないが、それをネギに強要できる立場ではない。

「ち、違います! あれは仮契約ですっ、キスとは違うものなんですっ!」

 そんなことを考えていたらネギが叫んだ。
 どんな理屈だ。

「いや、別に怒ってるわけじゃないよ。……べつにいいんじゃないか? 宮崎や神楽坂の件はしょうがなかったと思うぞ。それにわたしも魔術師だ。必要に駆られる契約なら文句を言う筋合いもないだろうし」
 ぼけっとして千雨が言った。

「うっ……そ、そうなんでしょうか」
「まあ、そりゃそうだろ」
「で、でも。ボクは千雨さんにほかの人とキスをしてほしくはありません」
「うえっ!?」

 動揺で手からカードが落ちた。
 うかつにも動揺したためだ。
 忘れていた。
 こいつはキスと仮契約は別物だといったさきから、ぬけぬけとこういうことを言うやつなのだ。
 一回天罰が下るべきだろう。

「い、いや。その……ありがと……」
「いえ……」

 なんだこのやり取りは。
 ネギはその反応に満足したのかエヘヘと笑い、照れた二人がそろってカアと赤くなる。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 熱くなる二人の頬とは対象に、紅茶はだんだんと冷めていく。
 そんないつもの一幕だった。



   ◆◆◆



「さて、じゃあはじめるぞ、先生、相坂」
「はい、わかりました」
「お願いします、千雨さん」

 千雨に向かいネギたちが姿勢を正した。
 すでに日も落ちた千雨の部屋。その場には、エヴァンジェリンに連れ去られていた相坂さよが戻ってきている。
 千雨は二人の前で、ルビー印の古びたランプを手に取った。

「正直、ルビーがいないのにやっても意味ないと思うんだけど……えーっとまず【強化】を」
 そういいながらランプを固め、

「次に【着火】を」
 ランプに火をつけ、

「でもって【動け】と」
 躁炎の魔術を持って、ランプの炎を躍らせて、

「あとは【割れろ】と【直れ】と【火よ 消えよ】って感じか」
 ランプが割れて火が飛び出し、それを制御しながら、ランプを直す。直したランプに炎を戻してそれを消す。

 黙々とワンワードの魔術を続けるその姿。
 流れるような技だった。
 毎日延々と繰り返している作業なだけのことはあるが、それにしても瞠目すべきレベルの力だ。
 千雨は比べるべきものがルビーしかいないので自覚していないが、速度だけに限らず、ルビーの世界でも最速・最高レベルである。
 技術ではなく、能力を受け継いだとはいえ異能すぎる。
 ルビーの力をそのまま取り込んだことがどれほど強い影響を与えているかを証明するような行為だ。

「と、まあこんな感じだな。最近ルビーもほめてくれる程度にはなったけど……」
「キャー、すごいです千雨さん。さすがですっ。すてきっ!」
「す、すごいですね。魔力発動体もないのに……」

 相坂から黄色い声援が、ネギからは感嘆の声が上がる。
 千雨はすこし照れながら答えた。
「発動体か。あったほうがいいってのは聞くけど……そうだな、魔術では必須じゃない」
 正確には魔術回路がネギの言うところの杖や指輪などの魔法発動体に、杖は増幅器になるのだろうが、そこらへんは千雨もよくわかっていない。今度ルビーに聞いてみようと思いながら千雨はランプを机に置いた。
 まあこの場で重要なのは、千雨に杖は必要ないということだ。

 ネギはしげしげと見つめながらランプを手に取る。
 始動キーを使わない制御系の魔法。
 格闘に属する魔法ならまだしも、炎の操作や物質の修復を一言で行うのはかなりのレベルだ。
 また、発動体を使用しない魔法などは、そもそも人外であるエヴァンジェリンでもない限り普通は使えない。
 改めて、先日知った魔術のすごさを確認する。

「で、だ。これを教えてほしいって話だけど」
「はいっ」
「わたしもですっ」
 ネギと相坂がそろって声を上げた。
 千雨はぽりぽりと頬をかく。
 かつては考えもしなかった光景だ。
 あの超常嫌いの長谷川千雨が、魔法先生と元幽霊相手に魔術の講義を始めようとしている。
 この世界の運命とやらに苦笑いをしながら、千雨はいった。

「んー、まあ適当にはじめるか」

   ◆

「千雨ちゃん、いるー?」
 インターホンがなって、明日菜の声が玄関から響いた。
 ガチャリとドアが開いて、千雨が顔を出す。その顔はつかれきっていた。

「あっ、千雨ちゃん。ネギ来てない?」
「んーっ。ああ、神楽坂か。先生なら来てるよ」
「そろそろ夕食にしようと思ってるんだけど、木乃香がネギはどうするかって」
「ああ、そうか。じゃあもう帰したほうがいいな」
 きょろきょろと明日菜の背後をうかがってから千雨が答えた。
 入るように促す。
 お邪魔します、という声とともに明日菜が千雨に続く。
 部屋の奥では異様な雰囲気をまとったネギとさよがランプ片手に座り込んでいる。

「えっと、なにやってんの?」
「あっ、アスナさん。実は千雨さんに魔術を習っていたんです」
「わたしもですっ!」
 明日菜がきたことに驚きながらネギとさよが答える。
 さよは元気な返事をするものの視線はランプに固定されたままだ。どれほど熱心なのかが伺える。
 そもそもさよが魔術を習いたいという話は以前から提案していたのだ。
 ルビーはほとんど出てこれないうえに、千雨に教えるほどの技量と熱意がなく、さらにはネギとエヴァンジェリンの問題などといろいろな要素が重なって延期していたに過ぎない。
 今回ネギも魔術が見たいといったから、いい機会だと見せてはいるが、本来千雨は魔術の運用はまだしも、理解については人に教えを授けるほどではない。

「教えるっていうか見せてただけだけどな。本当は教えるほど達者じゃないし、見せるだけってのもどうかと思ってたんだけど」
 言い訳のように千雨が口にした。自分をまだまだ未熟だと感じている千雨にとって、人に魔術の講義を開くというのをはっきり口にするのはなかなか恥ずかしい。身の程知らずだ。
 明日菜はふーんと頷いた。
 千雨の魔術を彼女は目にしていない。停電の日は茶々丸に捉えられて気絶していた。
 あとからネギから話を聞いただけだ。
 たしか相手を病気にさせる魔法を使うとか言っていたか。

「このランプは?」
「これに火をつける練習をしていました。魔法の応用で出来ないかなと思って」
「よくわかんないけど、あんた空飛んだりビームを撃ったり出来るじゃない。火くらいつけられないの?」
「始動キーや杖がないとやっぱり難しいです。いろいろと考えるところがありました」
 そういってネギはランプを置いた。
 顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。千雨は腕組みをしたままその光景を見ていた。
 しょぼい魔術だったが無駄にはならなかったらしい。
 こいつはかなり理論派だ。魔術と相性がいいのだろう。

「ふーん、よくわからないけど、あんたも頑張ってるってことね」
 感心したように明日菜が言った。
「でも夕食前には帰ってきなさいよ。木乃香が困ってたわよ」
「あっ、もうそんな時間ですか。すいません」
 ネギの熱心さを知っている明日菜がため息混じりにいった。
 ネギが頭を下げる。

「千雨さん。わたしたちも夕食にしますか?」
「だな。まあこのくらいでいいだろ。今度ルビーに見せておくよ」
 さよとネギのいじっていたランプを手に取ると千雨は答えた。
 ひび割れたガラスに、燻れた火種。かすかな魔術の痕跡が残る古ランプ。
 かつての千雨も似たようなものだった。

 このランプは魔力の通りやすい細工がしてあるからこうしてある程度の成果も見れるが、それでも所詮このレベル。
 失敗しようが成功しようが、非常に地味だ。相坂はまだしも空を自由に飛べる魔法使いが、よくもまあこんなことをやる気になる。
 千雨もルビーの意思を継いでいるという状況がなければ、こんな魔術よりも箒で空を飛んでみたかった。修復や炎の制御はうまくなったが、空はいまだに飛べない千雨は思う。
 最近だんだんと魔法に関わるのに慣れている今の千雨だからこその思考だ。昔なら空に憧れようと箒で空を飛んでみたいなどとは絶対に考えなかっただろう。

「そういや相坂はエヴァンジェリンには弟子入りしないのか? 一緒に住んでるのに」
「わたしは魔法使いじゃなくて、魔術師になりますっ! 人形師としてルビーさんと千雨さんの後を継ぐという野望がありますからっ!」
 無駄に燃えながらさよが答えた。
 ちなみにルビーも千雨も本業は人形師ではない。

「魔術はまだしも人形はエヴァンジェリンな気もするけどな」
 絡繰茶々丸を従えるあのちびっ子は大層な二つ名のうちの一つに人形遣いを冠するものを持っていたはずだ。そして現在は魔術についても知識を得ている。
 あきれたように千雨が言ったが、相坂は意に返さない。
 しかし千雨も相坂さよがルビーと自分にこれ以上ないほどの恩を感じているのを知っているだけにそれほど突っ込みもしない。
 自惚れまじりかもしれないが、自分とルビーに習いたいのだろう。

「魔術師?」
「ああ、神楽坂には説明してなかったか。そうだな、中華と洋食みたいなもんだと思ってくれ。わたしが使うのは先生の魔法とはちょっと違うんだ。魔法じゃなくて魔術っていってな」
「へー。いろいろあんのねえ」
「まあな」
 二人して軽く笑いあう。苦労人同士なにかわかりあうものがあったのだろう。
 それじゃあ、と玄関に向かおうとする明日菜に、ふと思い出したことがあった千雨が口を開き、
「そういや、神楽坂、おまえ魔法のカードをもらったんだろ。今度ちょっとアーティファクトってやつを見せてくれないか。えーっとたしか――――」


「――――パクティオーカードっす!」


「えっ」とネギと千雨とさよと明日菜が、四人そろって声を上げ、
「おれっちのサポートによって生まれた魔法使いの必殺アイテム。汎用万能のミラクルアイテムっすよっ、姐さんがたっ!」
 玄関先から飛び出るカモミールがそう叫ぶ。

「ちょっと、勝手に入らないのっ!」
 オコジョはぴょんぴょんと跳ねながら明日菜の肩に飛び乗った。
 ついに表れたその生き物の姿に、ヒクリと千雨が頬を引きつらせた。

 人の好嫌を計るトラブルメーカー。
 エヴァンジェリンとの騒動の後、動物病院に連れていかれ、そこで治療を受けていたオコジョ妖精のカモミール。一体いつの間に出てきたのか。
 今までの平穏を思い出して、千雨は深く息を吐く。
 平和はなくなってありがたみを感じるものだなんて、そんな陳腐な格言を理解した。
 早速オコジョからちらちらとニヤケ面を向けられる千雨は胃がきりきりと痛むのを感じていた。


   ◆◆◆


「そういうわけで、ひどいんすよ、兄貴―。あの医者ったら嫌がるオレっちにぶすぶすと注射をっすねえ」
「でもカモくんすごい熱だったしね。しょうがないよ。それに治ってよかったね」
「よくばれなかったな」
「ありゃ、絶対にただの風邪じゃないっすよっ。兄貴たちがやりあったときに、いきなり変な魔法撃たれて、気づいたら病院だったんすよっ! わけわかんねえっス! あの吸血鬼がなにかしたにきまってまさあっ!」
「ああ、そりゃ確実にあいつの仕業だな。ひどいやつだ。今度文句でもいいに行くといいぞ」
「…………ま、まあそれは別にいいとしてさ、なんで出て来てんのよあんた。誰も引き取りにいってないのに……」
 明日菜の言葉にカモミールが胸を張る。

「風邪さえ治っちまえばこっちのもんすよ。俺っちの技術でちょいちょいっとすねえ」
「脱走してきたってことかよ……」
「カモさん、そんなことも出来るんですかあ。すごいですね」
「それリアクション間違ってないか?」
 絶対に動物病院のほうで一騒動起こっていると感じているのは千雨だけだ。
 この後こっそりとフォローしに行くべきだろうか?
 くそっ、もう数日は余裕があると思ってた。あと一年くらい寝ていればよかったものを。

 だが予想外にも、カモは帰ろうとする明日菜を呼び止めるでもなく、ネギの肩に飛び乗った。
 もともと明日菜はネギを呼びにきたのだ。
 部屋では近衛木乃香が待っている。そうそう長居もしていられない。
 すこしざわついたものの、すぐに彼らは帰ることになった。

「じゃあ、そろそろ失礼しますね」
「そうね。ほら、あんたも来なさい。もう勝手に出てきて……」
「わかってますって姐さん」

 去っていく二人と一匹の姿に千雨がつかれきって手を振った。
 正直なところ関わりたくはないが、そうもいくまい。
 はやめに手を打っておかないとこのオコジョは致命的な騒ぎを起こす気がする。
 と、そんなことを長谷川千雨は考える。


 だが、うっかりもののカレイドルビーの現マスター。そいつはちょっと甘すぎる。


 はやめに、なんて考えはたいていいつも遅すぎるのだ。
 大概にしてこういうことはどれほど早く動いても手遅れだ。
 そもそもこのオコジョ妖精は簡単に言っているが、彼のもつ人の恋心や情感を数値化できる能力など馬鹿げているにもほどがある力である。
 父親と母親を前にして、どちらが好きかと問われる少年が、饅頭を二つに割ってどちらがうまいかと返す話は落語では定番だが、この小動物はそれを数値化して表せる。そう考えると、並みの魔法の百倍は恐ろしい。

 そしてそんなにも恐ろしい存在を、いくら日常がごたごたしていたからといって思考放棄して放っておいた千雨がその報いを受けないわけがない。
 吸血鬼と渡り合い、魔法使いの力を受け継いだ千雨でさえも恐ろしいと評価するオコジョ妖精のカモミール。
 そいつが帰り際ににやりと笑う。

 件の騒動からずっと舞台から離れていた災厄レベルのトラブルメーカー。騒動作りの主役級。
 そいつがこの場ですごすごと帰るわけがない。
 扉が閉まり、千雨とさよがきびすを返そうとしたその瞬間。
「いやー、それにしても」
 あまりに薄い玄関の扉の向こうから、カモミール・アルベールの声がする。
 カモはあろうことか、

「姉さんと兄貴がこんなに早くくっつくたあ、このオレっちも予想できやせんでしたぜ」

 ぬけぬけとネギと明日菜の前でそんなことを口にした。
 動きの止まった千雨は、扉の向こうで騒ぎはじめる明日菜とネギの声を聞く。
 どうやら千雨ではなくネギに向かって言ったらしいが、タイミングが狡猾すぎる。
 扉のこちらで言わなかったのは計算か。
 このタイミングではこぶしを振り下ろす先がない。

 扉の向こうで驚きの声を上げる神楽坂と、照れた声を出しながら平然と言葉を返すネギの声。
 やっぱりこのドアは薄すぎる。
 目を丸くする相坂を横目に見ながら、千雨はどう言い訳するべきかを考えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 二人のパワーバランス的な話と、結局二人はどうなったのかと、周りの人はどうしているのか的な幕話にして、千雨さんが現状と内情の差に苦労する話。千雨さんが主導権を取り戻すのはもう少し先。内容はエヴァのフォローを無視して、カモが明日菜とさよにばらす話でした。
 ネギと千雨がかなりだめな子みたいになってるのは次回フォローされる予定。本当にフォローされるかは不明。
 日常編の書きづらさに驚きました。長さも内容も予定の1.5倍くらいとちょっと暴走気味です。
 あと、あんまり次回の更新日をえらそうに言うのは控えたいとおもいます。なので目安として、次回は来週か再来週だと考えておいてください。それでは。




[14323] 幕話10
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/04/19 01:23
「やっほーいい天気」
「んーホント」

 絶好の買い物日和の原宿の街の中、背を伸ばしながら椎名桜子が言った。
 隣を歩く柿崎美砂が同意する。
 柿崎美砂、釘宮円、椎名桜子。通称チアリーダーズの三人は今日、修学旅行できるための服を見繕うために原宿まで出向いていた。

 ショートの黒髪を揺らしている円はズボン姿だ。このまま男装する流れだと、彼女は学ランを着せられることになるだろう。
 長い髪をざっくりと降ろし、帽子をかぶっているのは柿崎美砂。数少ない3-Aの彼氏もちである。千雨が最も苦手とする現代女子だ。流行に敏感な彼女はチェックのズボンと黒タイツ。長い髪はミニのスカートを超えて膝の辺りでゆれている。
 そしてその二人に続いて、髪を二つにまとめている桜子が続いている。スカートに黒のソックス。耳にはこの年にしては珍しくピアスがはまっていた。

「ほにゃらば早速カラオケ行くよーっ」
「よーっし、歌っちゃうよぉー」
「コラコラ」
 いい天気だといったすぐ後の桜子の台詞に釘宮円が突っ込みを入れる。
 三人ともカラオケ好きだが、今日は目的つきだ。
 このまま9時間耐久でカラオケをしてそのまま帰るというコースに入るわけには行かない。

 といっても、基本的に麻帆良から遠出が出来ない三人はこういう機会を逃す気はない。服だけ買って終われるはずがない。
 麻帆良は一大都市レベルの広さと内部施設を持つ上、趣味人たちによる個人を超越したレベルの露天も許可制で認められている。
 ある程度のものならすべてが麻帆良の中でそろうのだ。
 だから出不精の面々、たとえば長谷川千雨もほとんど麻帆良の外には出ない。
 外に出るのは、麻帆良にないものをわざわざ手に入れようとする場合であるが、それもこのご時勢とあっては通販で事足りる。手で実際に触らなくてはわからない趣味用の布などを買いにでるときくらいのものだ。
 チアリーダーズの3名は少ないとは言うもののほかの生徒と比べれば結構な割合で麻帆良の外に出ているのだが、年単位で麻帆良から出ていないものも多くいる。

 だが、こういう機会は何度目だろうと楽しいものだ。
 さっそく桜子と美砂が円の説教を流し聞きしながらクレープ屋に向かってふらふらと歩いていた。

「ゴーヤクレープ一丁!」
「あ、わたしもー」
「お、ゴーヤ行くのかい? 苦いよー」
「話聞けーっ! そこの馬鹿二人っ!」

 罵りながらも円もクレープを注文した。
 突っ込みのようで、釘宮円もこの3人組では別段舵取りをする役柄ではない。
 三人でわいわいと騒ぐ。
 クレープ店の店長としてはこのような女の子の集団は珍しくもない。熟練の手さばきでクレープをつくると、ゴーヤクレープを美砂たち三人に手渡した。
 実験作として作られた苦味成分をまったくカットしていない常識はずれの苦いクレープである。
 うあっ!? と苦味におどろく円に、ほかの二人が笑いながら、自分の分を口にする。
 クレープを片手にぺちゃくちゃとしゃべりながら三人が原宿の町を散策する。

「あーん楽しいーっ。わたしたち普段麻帆良の外に出ないからねー」
 にやつきながら桜子が言った。
 最近は麻帆良のほうでも色々と騒動が起こって面白いのだが、こうして買い物をするのはまた別だ。
 そうして人通りの多い道を三人が歩いていくと、

「――んっ?」

 と柿崎美砂が声を上げる。
「どしたの柿崎?」
 そう円が聞いて、ゴーヤクレープを片手にふらふらと露天の商品にちょっかいをかけていた桜子も目を向ける。
 そんな三人の視線の先に、

「うわー、人が多いですね。千雨さん」
「だなあ。正直、麻帆良の中でもよかったかもな」
「いいじゃないですか。それに、麻帆良の外に行こうって最初に言ったのは千雨さんですよ」
「まっ、そうだけどさ」

 二人で朗らかに話しながら、街を散策する長谷川千雨と、われらが3-Aの担任教師の姿があった。


      幕話10



「ネギ。ありゃどうだ? 神楽坂にぴったりだろ」
「鉄アレイですか?」
「バカかてめえは。その横だよ。サプリメントだ。あいつ結構ジャンクフード好きだし、節約家だからちょうどいいだろ」
「でも木乃香さんはそういうのも考えてご飯を作ってくれてますよ」
「いいじゃんべつに。あって困るもんでもないし、形が残るものより無難だろ」
「誕生日プレゼントですよ。逆じゃないですか? ほら、服とかアクセサリーとか」
「わたしはそんなのもらっても逆に困っちまうけどなあ……。ああ、アクセサリーならちょっと考えがあるけど……」

 気の乗らない口調で千雨が言った。
 千雨はネットアイドルとして活躍する過程で、ネット間にさまざまな交流を持っているが、こうして誕生日プレゼントをわざわざ選ぶというのはめったにない。
 ネギが一緒に買いに行こうという提案を簡単に了解してみたものの、こうして改めてネギと一緒に街に繰り出してみると、恥ずかしくてさっさと終わらせたくなってしまった。
 これはデートなのだろうか? と千雨が悩む。ちらりとネギを見てため息を吐いた。
 きょろきょろとあたりを見渡しながら、置物や、衣類。アクセサリーなどを手にとっては見せに来るネギの単純さをうらやましく思ったのだ。

 今のところネギと自分が付き合っているということをしっているのは、エヴァンジェリン、茶々丸、神楽坂、カモミール、そしてあの日にいきなり明日菜にばらされたという近衛木乃香の計六人だ。超たちには話が流れていないと信じたい。
 正直この中だと近衛が一番怖い。

 ルビーに散々言われていたことだ。
 秘密とは一人目にばれるまでであり、僅かでもほころびが出ればそこから全てが破綻する。
 ルビーの件に関しては、早々にルビー自身が図書館島で騒ぎを起こしていたが、それにしたって誰かに尻尾を捕まれるということはなかった。あれはルビーのミスであり、千雨が疑われたわけではない。
 だが、今は違う。

 そもそも魔法使いや女子中学生などというのは他人の秘密に狭量なのだ。あやしいと一度疑われれば、一応の決着を見せるまで行動を続けるし、現代日本政治でもあるまいし、なあなあのままいつの間にか忘れられるということはない。
 だから本来はエヴァンジェリンにばれた時点でおしまいなのだ。あいつも大概嘘つきなので、どうにかなるかと思っていたが、次にカモミールがきた。
 カモミールについて楽観したがゆえに、千雨はいきなりばれたわけだ。
 そしてすでに6人に広まり、いまこうしてどうにでもなれと先生と二人っきりでデートなどを楽しんでいる。
 ばれはじめれば、周りの環境と同時に自分の中でたがが外れる。吹っ切れるといえば聞こえがいいが、ようするにやけくそだ。潔癖主義者はたいてい途中で失敗する。

 だから千雨としては、すでに半分諦めているようなところがあった。ばれるならばれちまえと思っている。
 ばれるまではグズグズと未練がましくするくせに、千雨はこういうところでは思い切りがいい。忍耐がきかないとも、隠し続けるだけの根性がないとも言える。
 神楽坂も予想にもれず、近衛に当たり前のようにばらしたわけだし、そろそろ広まってしまうだろう。女子中学生のいう「絶対に秘密にしておく」ほどうそ臭いものはない。
 あいつの場合はうかつに口を滑らせるというよりいらないおせっかいが原因の場合が多いが、それでもあやしい。

 千雨はちらりと横を歩く男に視線を向ける。
 どう見ても子供である。
 こんな子供が恋人になっちまったというのだから、世の中は驚くことでいっぱいだ。
 まあこの先生はクラスメートに人気もあったし、千雨自身が手を出さずとも、このようなイベントには困らなかったかもしれないが、それでも自分にこのようなことが起こるとは想像だにしていなかった。

 実際のところ、将来ならばネギのハーレムだろうと作れたかもしれないが、今の生徒からの認識としてはまだまだ子供先生だというのが大多数だ。
 かわいらしいと思っても、それを本気にするやつはあまりいない。
 精々が委員長くらいのものだ。
 委員長の雪広あやかだって、実際はなくした弟の影を見ている面が強いらしいし、暴走しがちなだけで、本気でネギに告白などはしないだろう。……最近はそうともいえなくなってきているが、たぶん本当だ。

 他の生徒などは冗談半分。ネギから告白でもすればすこしは真剣に考えただろうが、ネギが誰かと付き合い始めたと聞いてそれを残念に思っても、本気で嫉妬するほどのものが居たりはすまい。
 近衛もそこそこネギのことを気に入っていたと思ったが、やはりまだ弟的な見方が強かったようだ。
 彼女はネギと千雨が付き合い始めたという話を、ニヤニヤと笑っていた明日菜から無理やり聞きだしたあと、興奮を隠せないまま千雨の部屋に直行しようとしたほどの恋愛話好きの猛者である。
 ネギに恋人が出来たことをすこし残念だとは感じても、クラスメイトと同居人の恋愛話のほうが興味をそそるのだろう。
 千雨とネギのことを知って、ニコニコと千雨のところを訪ねてきたあの少女から力になる、と励まされたとき、不覚にも涙が出てしまった。
 もちろん感謝の意味などビタイチ含んではいない涙だ。
 人の色恋に手を貸すことに喜びを見出しているという、最も悪意がなくて最も厄介なパターンである。
 実際に彼女らにばれたときはとても大変だったのだ。

 そう、あの時はもう本当に――――


「千雨ちゃん千雨ちゃん! 昨日あのあと、ネギとあのオコジョから聞いたんだけど、ネギと千雨ちゃん付き合ってるんだって!?」
「……神楽坂。あのさ、どういう風に聞いたかわからないけど…………」
「わかってるわかってる。大丈夫だって。誰にも言わないわよ。うふふふふふ」
「……にやけないでほしいんだが」
「ゴメンゴメン。いやー、ネギのたわごとじゃなくて、やっぱりほんとなんだ。ふーん、へぇー、ほぉー。はぁー」
「……あの、神楽坂?」
「いや、うん。ゴメンゴメン。ちょっと感心しちゃって。でもまさかネギと千雨ちゃんがねえ」
「……あのさ、ほんとに」
「大丈夫だって、任せておいてよ」
「……」
「うふふふふ。いやーでもまさかねー。千雨ちゃんとネギがねえ……」
「…………」
「あっ、手伝えることがあったら、なんでも言ってね。協力するから」
「………………」
「あっ、そうだ。でも昨日ネギに話きいてたら、木乃香にはばれちゃったんだった。ゴメンゴメン。あの子意外と鋭くてさー。でもまあ木乃香なら大丈夫よ、きっと」
「……………………」
「いや、その。……いや待って、違うのよ……」
「…………………………」
「あの、いやまあ、うん。違わないんだけど…………あの、でもね。悪気はなかったのよ。ごめんね。ホント」


「千雨ちゃん千雨ちゃん。千雨ちゃん。アスナとネギくんから聞いたで。ネギくんとお付きあいし始めたんやって?」
「……近衛。頼むからさ」
「任しときー。秘密にしとくわ。ウチは意外と口かたいんよ。うふふ」
「……ああ、頼むよ。…………そうだ、お茶とか入れようか? ほら、お茶菓子も食べてくれ。結構高級品らしいぞ。あ、あとお前オカルト系のもの好きだったよな。このランプとかどうだ? 気に入るんじゃないか?」
「もー千雨ちゃん、いややわあ。そんなん気を使わんといて」
「……遠慮せず、ぜひ持ってってくれ。ついでにこのペンダントとかどうだ。もって祈りゃあ願いが叶う霊験あらたかな本物だぞ」
「いやーん、なんやの、それ? すごいなあ、でも、そんな高そうなんもらえへんって」
「……手作りみたいなもんだからたいして金はかかってないんだよ。遠慮せず、なんでももってっていいぞ」
「そうなん? うれしいわあ。ありがとなあ、千雨ちゃん」
「……まったく何一つビタイチ欠片も気にしなくていい。じゃあ、そういうことでもう今日はさ……」
「そういや、ネギくんから聞いたけど、最初はネギくんから告白したってホントなん?」
「…………いや、いまいろいろ渡したよな、わたし? 受け取ったよな、近衛? 気にしなくていいって言われてほんとに気にしないようにな薄情なやつじゃないよな、お前?」
「わかっとるよ、ちょっとだけやって。なあなあ千雨ちゃん、こっそりと、どういう状況だったんか教えてくれへん? 実は昨日ずーっと問い詰めたんやけど、なんかネギくん歯切れが悪うてなあ」
「…………もう一晩くらいあいつを問い詰めてもいいからさ」
「困るネギくんもかわいかったんやけど、千雨ちゃんにも迷惑がかかるいうてなあ」
「…………まあアイツは意外と頑固だからな」
「もー、惚気んでもええって。ネギくんかわええもんなあ。ああ、そうや。ウチなら何でも相談に乗るから、なにかあったら相談してなぁ。ばっちり応援したるから」
「…………ああ、そう」
「もう、本気やで、うち。」
「……その言葉だけありがたく受け取るよ……でもさ、ホントに……」
「あっ、そうや。おじいちゃんにネギくんの部屋代わるようにウチから話そか? 千雨ちゃんも同じ部屋のほうがいいんやない?」
「…………」
「んっ? どうしたん、千雨ちゃん。なんか泣きそうやで?」


「千雨さんっ! 一体どういうことですかっ!」
「――いやー、あのな」
「ネギ先生とお付き合いだなんてっ!」
「――いや、そのな」
「ホントですかっ、ホントなんですねっ!? 本気なんですねっ!」
「――うん、それはな」
「はっ!? まさか、今日ネギ先生が千雨さんの部屋にいたときっ!」
「――だから、あのな」
「エヴァンジェリンさんが最初は入れって言ったのに、いきなり入るなって叫んでっ! そのあとも、千雨さんが魔術の練習中で不幸な事故でただの偶然だったって言っていたあの話は! いつもの騒動に巻き込まれただけだって言ってましたけど、本当はあのときすでに千雨さんはっ!?」
「――いや、お前一人だけテンション間違ってるからな」
「じゃあ手をつないじゃったりしてるんですか! キスはもうしちゃったんですかっ! 先生ってば千雨さんにギュッてしてもらったりしてるんですかっ!」
「――あの、だからな」
「ずるいです、酷いです。うらやましいですっ! あの、今まで勇気がなくていえませんでしたけど、わたしだって千雨さんともっと仲良く――――」


「――――いいか、入るなよっ! 茶々丸もだ! ちょっと外でまってろ!」
「…………」
「ほら、さっさとおきろ千雨! ったく、まさかほんとにこんな状況だとはなあ。普通思わんだろ? 軽くからかってやろうと思ってただけなんだって。いや、あのな……」
「…………ぐすっ…………」
「っ!? な、泣くなっ、ほら、服を着ろ、な? さよにばれるのも困るだろ? ほら、服着せてやるから。手を上げろ、ちゃんと立てって。……うるさい! 苛めてなどおらんわっ! グダグダいっとらんで、貴様はそっちをなんとかしろっ!」
「…………う……うぅ……」
「い、いや、ちがうっ! 坊やに言ったんだ。お前を怒ったわけじゃないぞっ。本当に悪かった! すまん、千雨! まさかホントにそーゆー行為をまだ続けてるとは思ってなくてな。いや、お前もその…………なかなかやるんだな……」
「………………うぅ」
「い、いや、違うぞ! 脅してるわけじゃない! ほら、泣き止め! 大丈夫だ! わたしはお前の味方だぞ。安心しろ。まずは服を着ような、外が騒がしいから。ほらっ、人が集まってくるとまずいだろ」
「……………………うん」
「そうそう。服を着て、上着もな。よしよし、えらいぞ。…………あと、あー、そのな。その、なんだ。一応、においも消したほうがいいぞ。これは善意で言ってるんだが、ちょっとな、結構……このままだと、普通の人間にも分かるというかな……かなりまずいと思うんだが」
「…………ぐすっ」
「な、泣くなっ、バカモノ! わたしのほうが泣きたいわっ!」


   ◆


「…………」
「どうしたんですか千雨さん」
 早速つかれきって早めのお昼にするかと入ったカフェテリアで、スパゲッティの皿を前に、ぼうっとしていた千雨にネギが問いかけた。
 千雨といえば、さきほどまでネギと付き合い始めたことで起こった騒動を思い出して食欲がなくなっていた。
 あのときは素で泣いてしまった。
 まさかエヴァンジェリンが助けに回ってくれるとは思ってなかったが、あそこまで気を使われると逆にへこむ。意外すぎる一面だった。
 ちなみにネギが命を賭けてまで得ようとしたエヴァンジェリンから千雨に向けた初謝罪である。ぜんぜん嬉しくない。

 隠し通せると信じきっていたわけではないが、ここまであっさりとばれなくてもいいではないか。
 明日菜と木乃香はどちらかというとネギに焦点を絞っているようだが、エヴァンジェリンや茶々丸、そして何より相坂さよは完全に千雨側だ。特にさよが最近いろいろと真剣に考え込んでいるのは千雨としても気になっている。
 どうしたものかと悩んではいるものの、相坂さよが千雨になついているのを、それほど深刻にとらえていない千雨としては行動が起こしにくいのだ。
 あとあと千雨はその付けを払うことになるだろう。最近の千雨は少しばかり抜けすぎだ。

 本当はこうして神楽坂の誕生日プレゼントを外に買いに来るのも遠慮すべきだったのかもしれないが、だんだんと諦めの境地に入ってしまい、ネギの誘いを断りきれなかった。
 かろうじて残った理性により麻帆良の中で二人っきりの買い物姿を見られる危険性を感じ取ってこうして原宿まで出てきたが、昔の千雨だったら、いくらネギの頼みだろうが、相坂さよや近衛木乃香に同行を誘うか、ネギにアドバイスをするだけで、二人っきりの買い物に了承はしなかっただろう。
 誰かに見られたら取り返しが付かないのはわかってるはずなのだ。

 それなのに、いまこうしているのだから、世話はない。
 このガキは自分の心労がバカらしくなるほどに単純だ。
 気を利かせたのかサービスなのか、注文もしていないのに大きめのグラスに二つのストローを刺して持ってきたウェイトレスの後姿に半ば本気の殺気を飛ばしながら、残すのももったいないとスパゲッティに手を伸ばす。
 テーブルの上のでかいグラスは見なかったことにしたい。
 というか曲がりなりにも店なのだから、誰かが頼まなければ持ってくるはずがないんじゃないか。誰の仕業だこのジュース。
 考えるのも面倒になって、千雨は無心で食事を続ける。

 ああ、本当に、誰にも見られていませんように。


   ◆


「ちょっとちょっと、これってデートじゃないのっ!?」

 当然だが、誰かに見られていた。
 千雨的基準で、最悪から数えたほうがはやいチアリーダーズの面々である。ちなみにトップは早乙女で、次位が朝倉だ。
 このあたりの順位にかんして、千雨は色々と思うところがあるらしい。

「で、でもネギくん十歳だし……ちょっと姉弟感覚で買い物にきただけじゃ」
「それでわざわざ原宿まで出てくる?」
「ネギくんはただの十歳じゃないよー」
 順に釘宮円、柿崎美砂、椎名桜子だ。
 ひそひそと話す姿はどう見ても目立っているが、千雨とネギには気づかれていない。

「わわわ、たた、大変かもーっ」
「誰かに知られたらまずいよこれ」
「生徒に手を出すなんて、ネギくんクビだよクビー」

 キャーキャーと騒ぐ。どうしてこれでばれないのか不思議である。
 初デートで意識をまわりに向けていないネギはまだしも、千雨が半分意識を飛ばしかけている現状がなければ、まずバレていただろう。
 だが話している内容は真っ当だ。誤解じゃないというところが救えない。

「いや、まって落ち着いて! この場合、手を出したのはネギくんというよりたぶん長谷川なんじゃ?」
「おーっ、なるほど」
「たしかにそれっぽい感じよね。大体長谷川とネギくんって言ったら現時点で3-Aで噂の二人と評判じゃない。こうしてみてもちょっと信じられないけど、レオタードで抱き合ってたり、ネギくんが執着していたりと噂は耐えないわけだし」
「木乃香と明日菜も二人は仲がいいっていってたよねー」
 円がノリノリで追従した。

「と、とにかく当局に連絡しなくちゃ」
「当局って? 職員室!?」
「バカ、んなとこ連絡したら即クビ&退学でしょうが!」
 桜子の台詞に円が突っ込みを入れる。
 そんな三人組の電話の先は、

「はーい。ん、なに? 柿崎? なによー、せっかくの休日なのにー」

 もちろん3-Aのお世話番。神楽坂明日菜の携帯だった。
 新聞配達のため、平日の朝がダントツに早い明日菜は休日は昼前まで寝ているのが常だ。
 パジャマ姿のままベッドの上で携帯を手に取っている。横では置いていかれたカモがムニャムニャとうなっていた。

「休日の昼間っから寝てんじゃないわよ。大変! とにかく大変なのよっ、これ見て!」
「んっ、写真メール?」
 You got a mailの合成音とともに画像メールを受信した。
 明日菜が携帯の画面に目をやると、そこには二人でテーブルを囲む千雨とネギの姿があった。
 テーブルの中央にストローが二本刺さったジュースが乗っている。

「…………うわぁ、これはまた」
 千雨ちゃんも大概うかつねえ、と明日菜は頬をかいた。いきなりばれてるらしい。

「どう!? これって秘密のデートじゃない?」
「この二人どうなってんのよ! 明日菜なら何か知ってんじゃないの!?」
「アスナー、ネギくんとられちゃったねー」

 ああ、コリャもうだめだ。
 明日菜はあっさりと千雨を見捨てることにした。
 たぶん明日にはクラス中に広まるだろう。
「知らないわよ。まあ、べつにいいんじゃないの? デバガメして怒られても知らないわよ」
 一応いさめる努力くらいはすることにした。たぶん無駄だろうけど、千雨への言い訳ようだ。
 そのまま、ポイッと携帯を投げて、二度寝に入る。
 携帯からは柿崎美砂たちの声が聞こえてくるが、明日菜は無視した。

「も、もしもし、もしもし。アスナー!?」
「あっ、二人が動き始めた! 後をつけなきゃ」
「あんもー。信じれないのかなー、明日菜」

 これ以上ないほどに信じている。
 だが三人にはそんなことを知る由もない。

   ◆

 昼食を食べ終わり、散策を続けながら歩いている中、千雨が口を開く。
「そういや近衛はどうしたんだ。あいつが神楽坂の誕生日をスルーするってことはないだろ。もう用意し終わってるのか?」
「いえ、今日買う予定だそうですけど」
「そうなのか。じゃあ一緒にくりゃあよかったじゃねえか」
 明日菜の誕生日プレゼントなのだ。用意しないはずはないと思っていたが、それなら一緒に見繕いたかった。幾分気もまぎれただろう。
 社交性のなさから千雨が木乃香を誘うことはなかったが、同行を申し出れば二つ返事で了解していただろう。

「いえ、相談したんですけど木乃香さんが自分はいいから、千雨さんを誘っていくようにと」
「ああそう……相談したのか」
 一発で納得した。
 むしろ同行しないのは幸いだったかもしれない。
 近衛の笑顔を思い出しながら、引きつった笑いを漏らす千雨にネギが頬を赤めて言葉を続ける。

「いえ、でもボクも……その……一緒にいれて嬉しいというか……その、こうしていられて嬉しいです」
「そ、そりゃどうも」

 なんでこういうときは年相応に照れるかね。
 そのくせ言うべきことは言うのだから、口下手な千雨としては黙るしかない。
 なんとか、ぶっきらぼうな返事を搾り出す。
 だが千雨も頬の赤さを隠せていない。

 千雨は改めて横に並ぶ男を見る。
 顔を赤くしながらも幸せそうにニコニコと笑いながら歩くその姿。
 くっ、と悔しそうにうなる千雨が足を速め、その横をとことことネギがついていく。
 千雨はもう店など見ていないし、ネギも早足の千雨についていくだけだ。
 いったいこの二人は、何のためにこんなところまで足を運んでいるのだろうか。

   ◆

 そんなバカらしいほどにピンク色のオーラを振りまいている二人がようやく、店を物色し始める。
 二人とも黙ったまま歩き、ネギが声をかけようとしてやはり思い直したのか口を閉じる。
 千雨は黙ったままである。
 そんなことを繰り返し、ネギが決心したように千雨に向かって声を上げた。

「あの、千雨さん」
「なんだよ。トイレならさっきの店でも借りれるぞ」
「違いますよっ!」

 顔を赤くしているネギが叫んだ。
 千雨が肩をすくめる。
 そのまま少し黙ったものの、一度決心したあとの意志は固いネギは、もじもじとしたままもはっきりと言った。

「あの、手をつなぎませんか?」

 ぴたりと千雨の歩調が乱れ、動揺を見せてしまったことを悔やむように、平静を装ってまた歩き始めた。
 ネギはそんな千雨の横につき従う。
 表面上は普段の顔で千雨が横を歩くネギに問いかけた。

「……それは誰の入れ知恵だ?」
「木乃香さんですけど」
「やっぱり近衛か」

 やはり一番危ないのは近衛である、と千雨が思った。
 ネギは単純に幸せそうだ。心のそこから見習いたい。
 ぐっ、と一瞬どうするかを迷ったものの、断るのも意識しているようで恥ずかしい。

 千雨は視線を向けずに手を握る。
 そしてそのまま道を先導するように、ネギの手を引っ張った。
 わわわ、とネギがあわてながらついてくる。
 少し汗ばんだ温かな手の感触に千雨の顔も赤くなった。自爆だ。

 だが、それがなぜか心地よく、思わず千雨の顔に笑みが浮かぶ。
 皮肉気な、それでいて楽しそうなそんな微笑み。
 あわてるネギの手を引きながら千雨は歩く。
 手の先のいるその存在を実感しながら、その手を握る。

「ほら、いくぞ」
「は、はいっ」
 千雨はそっぽを向きながら、頬を赤らめるネギの手を引いていく。
 ネギはその手に引っ張られて千雨の横に並んで歩く。

 姉と弟? 友人同士? 教師と生徒?
 いやいや、その姿はどう見ても、


「おいおいおいーっ ひゃーん、いいフンイキーっ」
「完全に出来てるよ、あの二人―」
「禁断すぎるーっ!」


 どう見ても初々しい恋人同士にしか見えないわけだ。


   ◆


 先ほどの電話から一時間もせずに、再度明日菜の携帯がなった。
 明日菜は寮の休憩室でジャンクフードを朝ごはん代わりにつまんでいた。
 肩にはネギにおいていかれたカモミールが乗っている。
 明日菜はすでに先ほどのことは意識の外だ。
 彼女はどうしようもないことに関しては意外と薄情なのだ。

「はーい。……なんだ、また柿崎? 何の用よ」
「すごいーっ、すごいよアスナ! あの二人今にも駆け落ちでもしちゃいそうな雰囲気だよー」
「あー、そうなの? まあネギはまだしも千雨ちゃんはちょっと意外よね」
「もう、すごい初々しくてさー。手をつないで歩いてるんだけどさー、カップルボケって言うの? 幸せボケって言うの? もーなんなのあのオーラはっ!? ネギくんもだけど、特に長谷川の印象変わりまくりよーっ!」
「……ああ、そう」

 自分もそうだったので、なんとも言えない明日菜。
 ある程度はごまかしてやったほうがいいのかしらん、と思いつつ、ポテトをくわえる。
 そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。

「あら、どうかしましたの? 明日菜さん」
「えっ!? い、いやなんでもないのよ、いいんちょ。ホントに」

 不味すぎる。さすがの明日菜もここで委員長にばれる展開となっては千雨に同情せざるをえない。
 しかし、そううまくはいかないもの。明日菜に証拠を見せるつもりなのか、メールの着信音がなり、明日菜は反射的に携帯を覗き込んでしまった。
 後ろから委員長が覗いているのだ、画面はばっちり二人に見える。

 画面には手をつなぎながら歩くネギと千雨の姿があった。二人ともまんざらでもなさそうに幸せそうに微笑んでいるが、これを委員長に見られているとなると、この笑顔がいっそ哀れでもある。
 明日菜は今日はじめて、わりと本気で千雨に同情した。
 当然委員長が沸騰する。

「なんですのこれはーっ!? 悪戯メールにもほどがありますわーっ」
「知らないっ。わたしは知らないってばー。柿崎に聞きなさいよーっ」
「ちょっと、どういうことですの、柿崎さんっ!」
「げっ、いいんちょ!?」
 明日菜に繋がっているはずの携帯から聞こえる声に、美砂と円、桜子の三人が頭を抱えた。このタイミングで一番ばれてはいけない人間にばれてしまったことに気づいたのだ。

「桜子さん、釘宮さん、柿崎さんっ、3-Aクラス委員長として命じますっ! 先生と生徒の不純異性交遊は絶対厳禁っ!! 断固阻止ですわっ!」
「で、でも、長谷川だよー? あいつはウトそうだしさあ、ここで邪魔しちゃったらあいつ一生独り身かもー」
「そうだよそうだよ。かわいそうだよー。応援してあげようよ、いいんちょー」
「どっちにしても、ここで邪魔するのはどうかと思うな」
 失礼すぎる。
 あながち間違いでもなさそうなのがまた面倒くさい。
 そして、普段の千雨の社交性のなさを気にしていた委員長にとっては、かなり心に来る台詞だった。
 最近は図書館組などとも仲がよくなったり、相坂さよなどが現れたりと賑やかになっているが、以前は学校行事の班分けも、彼女が千雨と同じ班になることが多かったのだ。

「で、ですが、不純異性交遊ではありませんのっ!」
「なにいってんのよ。うちのクラスだって彼氏持ちはいるじゃーん」
 自分自身も彼氏持ちなので、柿崎美砂が突っ込んだ。
 さっきまで大スキャンダルだとはしゃいでいたわりに、自分より興奮しているあやかの登場でその口調はいつものそれだ。

 ちなみに3-Aに限れば彼氏を持たない人物は朝倉式判断法で恐らく5分の4以上と推定されている。
 彼氏持ちが5分の1というわけではないらしいが、ナチュラルボーンキレイカワイイやからがそろっているにしては結構少ない、というのが千雨の見解である。

「で、ですが。ネギ先生はいまだ子供っ! 必要以上の交友は我々が適切に管理すべきです」
「えーっ」
 どの口が言ってるんだ、このショタコン。とはさすがに言えないので、柿崎は黙った。
「どの口が言ってるのよ、このショタコン」
 代わりに明日菜が当たり前のように突っ込みを入れた。勇者すぎる。

「失礼なっ! これは3-Aの委員長としての義務ですっ!」
「嘘くさいわねえ」
「そうだよー、応援するのがわたしたちの役目なのにー」
「いいですわね、釘宮さん、柿崎さん、桜子さん」
 明日菜にあやかって文句を言う美砂だが、地獄のそこから響くような声で釘を刺された。
 勇者ではないチアリーダーズの面々では反抗できない。
 ちなみに煽るだけ煽った明日菜はすでにどうやって逃げようかを考え始めていた。

「もう、仕方ないなあ」
「じゃあ、正体がばれないように」
「しょうがないねー」
 あそこまでいわれては仕方がない。ばれなければ千雨の応援をしたのだが、ここは委員長に従おう。
 三人はササッと変装を済ませて、委員長の手伝いをすることにした。
 それじゃ、と三人がポーズを決める。

「チアリーダーの名にかけて! いいんちょの私利私欲を応援よっ!」

 千雨が聞いたら泣いただろう。
 だが、幸運といっていいものか。
 そんな三人に待ったをかけるように、話しかけるものたちが――――


   ◆


「さあわたしたちもすぐに現場に向かいますわよ!」
「えーっ? わたしもー?」
 ハッスルしだした雪広あやかに手を引かれる。
 明日菜にとってはこのまま委員長を連れて行くと、千雨にものすごい恨みを買われそうなのでいきたくない。
 悪気はなかったらしいが、風邪を引かされて一晩寝込んだことを忘れてはいない。
 彼女はネギよりもまっとうな魔女なのだ。

「ですが姐さん。ここで兄貴たちを見捨てたら、あとで千雨の姉御になにされるか分かりませんぜ」
「千雨ちゃんこういうのは敏感そうなのにね」
「姉御も女だったってことっすねえ」

 グフフ、とカモミールが笑った。あやかに手を引かれている明日菜は肩に乗っているカモミールの顔を見る暇はなかったが、さぞ千雨が見たら怒り出すような顔をしていることだろう。
 ますます行きたくない。
 このオコジョは懲りていないのだろうか。いや、気づいていないだけか。
 そのまま二人は電車に駆け込んだ。美砂たちから大まかな場所は聞いてあるが、ここは麻帆良で向こうは東京だ。すぐにはつかない。

「たとえ千雨さんといえども、ネギ先生に手を出すなんて、許せませんわ」
 委員長は、以前に千雨がネギと抱き合っていたことを忘れてはいない。
 委員長にとっては、以前からうわさのあったネギと千雨が本当に付き合っているのかも、と言う考えが捨てきれない。
 実際のところ、あのときは本当にただの誤解だったわけだが、今は違う。運命的なタイミングだった。

「明日菜さん、ネギ先生は本当に千雨さんとお付き合いしてるわけじゃないんでしょうね」
「えっ!? いやー、どうなのかしらねえー。アハハハハ」
 こういう場面でも、誤魔化しはするが嘘はつけない明日菜は適当に答えながら笑って誤魔化した。付き合っていることを知っている以上、付き合ってないとはいえないのだ。損な性格である。

「なにか知ってますわねっ!? 教えなさいっ!」
「いや、知っているというかさあ、あのね、いいんちょ。落ち着いて」
「落ち着いてますわ!」
「ほらほら、周りの迷惑になるでしょ」
「…………その態度。明日菜さん本当になにか知ってますわね?」

 半眼で睨まれる。完全にあたりをつけられたらしい。
 明日菜は冷や汗を隠せない。
 付き合いが長い悪友同士。誤魔化しなど通じようはずもない。
 どうしたものかと明日菜は頭を掻くが、ここは電車の中で原宿まではまだ遠い。
 二人は魔法使いではないので、到着まではかなりかかる。

 時間はたっぷり、逃げ場なし。

 迫る委員長の顔を見ながら、明日菜は早くも諦め始めていた。
 まあ、しょうがないわよね。

   ◆

 さて、そろそろ破滅の序曲が聞こえてきそうな千雨とネギは、明日菜が自分たちのことを委員長にあっさりと売ったことも知らず、当の明日菜のためのプレゼントを決めていた。
 特に何も起こることなく店をめぐったが、そこまで明日菜の好みを知らないとあって、時間がかかってしまった。
 誕生日プレゼントを見繕い、ようやくといった風情で千雨が大きくのびをしたときには、そろそろ日が沈み始めていた。
 平和に終わって結構なことだが、さすがに疲れた。インドア派には少しつらい。

「で、次はどうする?」
「そうですね。買い物も終わりましたし、東京も見れました」
 ニコニコと笑いながらネギが言った。麻帆良も十分に大都市であるが、こうして外に出れるのはまた別だ。
「そりゃよかったな。帰る前に少し休むか? 結構疲れただろ」

 二人は人気が少なくなった夕暮れの街中をあるいている。
 ネギと千雨はジュースを買うと並んでベンチに座った。
 そのまますこし会話を楽しむ。千雨はいつもどおり言葉少なに、ネギは今日一日はしゃぎ続けて少し疲れたようにうつらうつらと会話を続ける。
 そして、ふっと出来た会話の間隙に、ネギはふらりと頭を揺らした。千雨が久しぶりに見た子供っぽい仕草に笑い、そのまま倒れるネギの頭を受けとめる。
 そのまま膝枕をしたのは、雰囲気に流されたからだろう。それくらい久しぶりにゆっくりとした瞬間だった。

 千雨はウトウトとしているネギの頭を撫でながら息を吐く。どっから見てもガキだった。
 だけど、こいつは魔法使いで、先生で、有名人を親に持つマギステル・マギ候補の逸材とやらで、そしてわたしの恋人だ。
 秘密にしている。ほとんど秘密になっていないけど、こいつと恋人になったことは秘密なのだ。
 そういう綱渡りのような秘密の関係。
 それがこの二人の関係なのだ。

 だけどネギは恋人というよりもパートナーという考えを重視しているのだろう。彼はそれを話すことをためらわない。
 いや、恋人だって同じことだ。恋人だろうがパートナーだろうが、今のネギはそういう区分にこだわっていない。
 純粋な好意と、そして喜び。

 だからネギは、意外にあからさまと人に話してしまおうとするところがある。
 その根底にあるものは、つまり自慢だ。


 簡単に言えば、ネギ・スプリングフィールドは長谷川千雨のことを自慢したくてたまらない。


 うれしいのだ。
 本当に、いまこの女性と一緒に立っていられることの幸福を、心のそこから感じている。
 同じ立場の存在なんて居なかった。友達だといえる存在なんて数えるほどで、本当に心許せる存在なんて幼馴染と姉くらい。
 親を求めて池に落ち、力を求めて夜の図書館に忍び込み、マギステル・マギを求めてただがむしゃらに生きてきた。
 いびつに生きて、歪んだ道だと咎められ、それでもただ猛進した。
 元来の性格と周囲の助けもあって表面上は明るく振舞っていたが、内面には悲しみを堆積させていたのだ。

 そんな中、ネギの前に一人の少女が現れて、そして紆余曲折の末、ネギはパートナーを手に入れた。
 自分と対等で、自分と素で話せて、自分が上でも相手が上でもなく、そして素直にすべてを共有できるほどの信頼を抱け、そして何者にも変えられない愛情を向け合えるそういう相手。
 そういう相手が、いまこうして自分の横に。

 ネギはそういう初めての存在がうれしくてたまらない。

 そういうところを長谷川千雨はわかっていない。
 彼がどれほどの喜びを感じているかがわかっていない。
 彼がどれほどの感謝を捧げているかをわかっていない。
 本当に、本当に本当に、ネギは千雨が本当に大好きで、そこらへんの真剣さをこのニブチンはまるっきりわかっちゃいないのだ。

 彼女はただ常識に縛られて、ばれるのはまずいと考えて、それをネギに注意した。
 だからネギは黙ってる。

 だがネギは違う。
 千雨がばらすなといったからネギは隠しているだけだ。
 本当はネギは喋ってしまいたくてたまらない。

 彼は自分だけが知る幸せじゃあ満足できない。
 皆に聞いてもらいたい。皆に知ってもらいたい。皆に祝福してもらいたい。
 彼にはそんな己の欲望に忠実なところがあって、

 そして、ネギ・スプリングフィールドは、そうした願いをたいていかなえてきた意外に頑固でわがままで、そしてちょっとばかり世界に愛されている少年なのだ。

 だからほら、あの祝福すべき二人から少し視線をずらせば、街路樹の陰で騒ぐチアがいて、向こうから走ってくる委員長がいて、あきれたような顔をしてその姿を見送る明日菜がいる。
 今日の朝からずっと隠れていた木乃香とさよは騒ぐ美砂たちを引きとめながらもそろそろ限界らしいと、出てくる準備までしてるのに、千雨ときたらまったく気づかずにネギの頬をつつきながら微笑んでいる。
 まったく甘いったらない。
 周りから名を呼ばれ、ビクリと震えた千雨が動きを止める。

 ネギはそんな喧騒を夢見心地で聞きながら微笑んだ。
 きっといい夢を見ているのだろう。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 なんで秘密にする必要があるの、とか素で聞いちゃう子と、テレテレ恥ずかしがっている子の組み合わせ。ようやく初デート編。順番おかしいですね。
 まさか! から なーんだ・・・につなげられるのは誤解が根底にあるからこそであって、そりゃマジならこうなります。当然ですがばれます。
 同じような話が続きましたがただラブってるだけの話は今回で終わり。次回は最近はぶられている相坂さんがでてくるかもです。



[14323] 幕話11
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/05/04 01:18

「うっ……、うぅ。ぐすっ……それではネギ先生。また明日、学校でお会いしましょう」
「は、はい。あの、大丈夫ですか。いいんちょさん?」
 ハンカチを目元に当てながらあやかが言った。
 ネギが心配そうな声を上げる。

「ほら、本気で泣いてんじゃないわよ。あんたは」
「泣いてなどおりませんわっ!」
「ほらほらー。ネギくんも困ってんじゃん、いいんちょー」
 明日菜の言葉にあやかが怒る。
 そんな二人をなだめながら、円があやかに声をかけた。

「もう少しお待ちなさい。釘宮さん。……コホン。それではネギ先生。千雨さんは少々誤解されやすいところもありますが、とてもよい方ですから……。どうか彼女をよろしくお願いいたしますね」
「は、はい。わかっています」
 うるうると眦を潤ませるあやかが言う。
 それにネギがうなずいた。

「アスナは知ってたの、やっぱり?」
「う、うーん。……じつはね。最初はもっと軽いのかと思ってたんだけど、ネギがかなりマジみたいでさ。あんまり茶化すのもどうかと思ってたんだけど」
 かなり本気で泣き始めたあやかを横目に、円の言葉に明日菜が答える。
 二人の視線の先では、ネギは泣くあやかを不器用に慰めていた。
 まるで娘を嫁に出す父親のようだった。
 いろいろと間違っているような気がしてならない。

 そんなネギたちの横で、千雨の周りにはほかの者たちが集まっていた。
「……相坂、大丈夫か?」
「千雨さん、今日はすいませんでした」
「ゴメンなあ千雨ちゃん。こっそり覗いてもうて」
「あの……違うんです。ごめんなさい。木乃香さんについてきてほしいって頼んだのはわたしなんです……だから……」
「ええって、さよちゃん。ちょい悪ふざけしてたんはうちのほうやし……」
 木乃香が申し訳なさそうに言った。

「いや、べつにかまわないよ。わたしもちょっとアホだったし。……それに正直近衛たちがいて助かった。わたしだけだったらちょっと大変だっただろうし……」
「まっ、いいんちょもあそこまでマジだったとはねー」
「逆じゃない? わたしはネギくんのほうにびびっちゃったけどね。ホントはもっとそーゆーことを千雨ちゃんと話してみたかったけど、流石に今は無理かなー」
 ポリポリと頬をかきながら美砂が言葉を続ける。

 全員が合流してから、こうしてベンチの周りで話しているが、たいしたことは話していない。ほとんどが雪広あやかとそれに答えるネギだけだ。
 千雨たちはその周りで成り行きを見守っていた。さすがにいろいろとぶっちゃけた話が出来るような雰囲気でもない。
 美砂も美砂で最初はチアの面々と悪乗りしていたが、こうしてわりと真剣な話になった以上、無駄に騒ぐこともなくそれならそれと受け入れている。
 自分は彼氏持ちであることを隠しているわけではないが、そりゃあ千雨の立場におかれればこうなるだろう、ということを把握しているのだ。

 そんな中、話がついたのかよろよろと芝居がかったいつもの仕草であやかが千雨にもとに来る。
 うっ、と気おされた千雨が後ずさった。

「千雨さん。たとえ先生が納得していたとしても、それをただ見守るだけなんて、わたしは耐えられませんわっ。先生と千雨さんのことは、今後もきちんと見極めさせていただきますからねっ!」
「あっ、ああ……そりゃありがと」
 びしっ、と指を突きつけてくるあやかに千雨が答える。
「なんですの、それは。お礼を言われることではありませんわ」
 不満を言われると思っていたのだろう。頬を膨らませて、ふいっとあやかがそっぽを向いた。

「もー、素直じゃないんだからいいんちょは」
「そうだ、じゃあこれからカラオケでも行こうよ。おごってあげるからさ」
「そうそう。ここはパーッとね」
 チアリーダーズがあやかを取り囲む。

「アスナたちはどうするー?」
 円が気を利かせたのか、問いかける。
「えーっと。どうしよっか、木乃香?」
「そうやねえ。これ以上邪魔するのもなんやし、うちとアスナはこっちいこか。それと……さよちゃんはどうするん?」
「あっ、わたしは……えっと………………」
 木乃香の言葉にさよがゆっくりと首をかしげた。

「……相坂。お前はわたしに付き合え」
 さよの反応を見た千雨が反射的に声をかける。
 いいのか、という木乃香の視線に千雨があごを引いて無言で答える。
 ほかのものもそれに口を挟んだりはしなかった。

「うん。それじゃさよちゃんは千雨ちゃんに任すわ。よろしくなあ」
「じゃあ、明日学校でねー」
「まっ、事情を聞いた以上、わたしらも協力するからね」
「ほらっ、いいんちょ。いこうよー」
「それでは名残惜しいですが、ネギ先生に千雨さん、今日のところは……」
「はいはい。わかったから、さっさと行くわよ。それじゃ、また明日ね」
 ひらひらと手を振りながら、明日菜があやかを引きずっていく。

 さよと千雨とネギ。三人が残り、三人とも少し黙った。
 沈黙を千雨が切りさく。
「じゃ、帰るか。こっからどっかいける雰囲気でもないしな。先生。神楽坂のアクセは加工しておく。明日、先生から神楽坂に渡してくれ」
「は、はい」
「ほら、相坂。お前もきな」
 駅に向かって歩き出し、うつむいたままのさよの手を千雨がとった。
 千雨がその手を引っ張ると、さよは無言でついていく。

 電車に揺られ、小一時間。ほとんど無言の三人が、言葉少なに会話を交わし、ほとんど何もないままに麻帆良学園の寮につく。
 そのまま千雨が先導するように歩き、千雨の部屋の前でたちどまる。

「相坂。ちょっと先に入っててくれるか」
 ちらりとさよが千雨を見て、その後、部屋に入っていく。
 寮の一室。長谷川千雨の部屋の前で、少しだけ千雨とネギが二人きりになった。

「それじゃ、先生。今日はごたごたしちまったが、また明日な。…………相坂はわたしに話があるみたいだから」
「はい。それではまた明日」
 ちらりと部屋に入ったさよのほうに視線を飛ばし、千雨が言った。
 それだけ言って千雨は部屋に入ろうときびすを返す。
 この場にネギがいても意味はない。
 さよの様子に気を揉んでここまでついてきてしまったものの、それをネギは知っている。

「…………千雨さん」
 ネギが部屋に入ろうとした千雨に声をかける。
 千雨が振り返った。
 ちらりと後ろを向いた千雨を見つめるのは、ネギの真剣な瞳だった。

「……あの、相坂さんのことですけど……」
 まったくさすがというべきか。ネギは言うべき言葉を間違えなかった。
 ふっ、千雨が笑う。こくりとうなずき、後ろ手を振りながら千雨は部屋に入っていった。

 雪広あやかにばれたそのデート。
 神楽坂明日菜が驚くその逢引。
 釘宮円が苦笑したその逢瀬。
 椎名桜子が心配するそんな関係。
 柿崎美砂が驚愕したそういう二人。
 そして、近衛木乃香と相坂さよが見続けた二人の事情。
 今日一日のそういう話。

 ネギにもわかった。千雨にもわかった。
 木乃香たちも気づいていた。

 今日一日のそんな出来事に立ち会ってそれを見て、この話の結末に一番動揺していたのは委員長でも千雨でもなく――――


 ――――きっと今日一日ほとんど口を利かなかった、相坂さよであるのだ、と。



   幕話11


 部屋に入った千雨が相坂さよに向かって座布団を渡す。
 じっと部屋の中で考え込むようにうつむくさよが、それを受け取る。
 だが彼女はそれに座ろうとしなかった。

 ポリポリと頬をかく千雨が促して、やっとのことで腰を落とす。
 まるで、本当に“人形”になってしまったかのようなその動作。

「で、相坂。話って何なんだ?」
 千雨はその姿に少しばかり真剣な顔をして今日一日いやに口数の少なかった相坂さよに問いかけた。
 帰り道、戸惑いながら話をしたいと申し出た相坂さよ。
 それを聞いて、二人きりの話し合いを望んでいたことがわからないはずが無い。

 さよは座布団に座り、それでもまだ無言のままだ。
 テーブルの前で、無言でうつむいている。
 さすがに茶化せる雰囲気ではない。

 千雨はお茶を入れよう、と口にして台所へ向かった。
 茶々丸が置いていった紅茶の葉を適当に入れる。
 ルビーか茶々丸任せでたいして腕はないけれど、それでも紅茶の入れ方を知らないというわけじゃない。
 添えものを用意するのも面倒なので、ストレートのダージリン。
 だが、やはり疲れとあせりで、どう考えても濃すぎるお茶が出来上がった。
 舌打ちを一つしながらも、作り直すのもバカらしいと、そのままそれをティーカップに注いだ。
 気心の知れた相坂相手なら、これくらいは許されるだろう。話を聞くのが先決だ。
 ちょっと失敗したと口にしながら、相坂にもカップを渡す。

「うぇ、ニガ……」

 一口だけ口をつけて、そのままティーカップを置いた。
 口の中に苦味が残る。
 さよは手をつけない。いまだに黙ったままだ。
 千雨はさすがに困った顔をしながら、もう一度さよに問いかけようとしたが、その直前にさよが口を開いた。

「ばれちゃいましたね……先生と千雨さんのこと」
「ん、あ、ああ。そうだな」

 げんなりとした口調で千雨が答える。
 そんな千雨にさよは“悲しみ”の混じった苦笑を向けた。
 雪広あやかと、麻帆良チアリーダーズの柿崎美砂、椎名桜子、釘宮円。神楽坂明日菜と近衛木乃香、そして目の前にいる相坂さよ。
 エヴァンジェリンと茶々丸、当事者の千雨を入れれば、実にクラスメイトの三分の1である。

 相坂さよは知っている。長谷川千雨の素直じゃないところを知っている。
 だから、嫌がってはいても、決定的にこの状況を、あの出来事を、ネギ・スプリングフィールドに対して悪意を持っていないことが分かってしまう。

 初めて二人のことを知ったとき驚いた。
 それでもまだそれがどれほどのことなのかがわからなかった。
 だから、さよは今日一日、先生のあとを千雨の後を、デートを楽しむ二人の後を追いかけた。どうしても知りたかったから、どうしても確認したかったから。
 だから悪いことだと知りつつも、彼女は二人のデートを覗きみた。

「………………あの、千雨さん」
「ああ、なんだ」

 何を言うべきかなんて、明白すぎるほど明白で、告げるべき言葉など、心の中でなんど練習したかわからない。
 それなのに、この言葉を出すのに相坂さよは勇気を振り絞らなくてはいけなかった。
 びくびくと震えながら、おどおどとおびえながら、改めて相坂さよが口を開き。


「わたしとパクティオーをしてください」


 そんなことを千雨に告げる。


   ◆


「…………なんでだ?」
「駄目ですか」
 相坂さよの言葉と、その真摯な口調に千雨は怯んだ。

「ダメというか、わたしらは魔術師だぞ。やっぱりまずいんじゃないのか? んな契約」

 だって、いま仮契約することに意味はない。
 相坂さよは、長谷川千雨がそうであるのと同様に魔術師で、そして魔法は学んでいない。
 ここで仮契約をしても、それは相坂さよの目的とは合致しないだろう。
 おぼろげに“その意味”を理解しつつも千雨はこれは言うべきことだと首を振る。

「そうですか……そうですよね……わたしは魔術師を目指しているんですから」
 だがその答えにさよが悲しそうな視線を返す。

「っ! ちょ、おい、相坂!?」
 千雨が驚いて声を上げる。
 当たり前だ。
 千雨が断ってそして相坂さよが形だけの笑顔で納得したその瞬間に、その頬に涙がつたる。
 ぽろぽろと相坂さよの瞳から涙がこぼれる。
 大粒の涙がポロポロと止め処なく流れていく。

 駄目だった。耐えようとした相坂さよの一瞬の努力は何の意味もなかった。
 微笑む顔をそのままに、涙はまったく止まらない。
 当然返されるべき当然の返事を千雨から受け取って、その予想通りの言葉を受けただけで相坂さよは泣いていた。

「ご、ごめんなさい……わたし、泣く気なんてなくて。あっ、なっ、なんで。……ご、ごめんなさい……ごめんなさい、泣くつもりなんてなくて」

 ごめんなさいごめんなさいといい続け、それがだんだん言葉にならなくなっていく。
 千雨はおろおろとしつづける。

 さよがどうにも自分とネギのことで思い悩んでいることは気づいていた。
 さよの様子がおかしいことは知っていた。
 だけど、こんなあからさまな動揺を見せるとは千雨はかけらも思っていなかった。

 彼女はどうにもわかっていない。なぜこんなことになっているのかも、相坂さよの言葉の意味も、なぜ彼女が泣いているのかもわかっていない。
 さよの目の前に置かれた紅茶から、一度も手を付けられていないままに湯気がだんだんと消えていく。
 さよは千雨に迷惑をかけたくないからと涙をとめようとするけれど、そんなことも出来ないままに、子供のように泣きじゃくる。
 長谷川千雨の目の前で、魂の篭ったヒトガタが涙を流す。

 不器用ながらにさよを慰める千雨の目の前で、長谷川千雨に造られた体に篭る一人の少女が泣いていた。



   ◆◆◆



 ――――相坂さよは幽霊だった。


 相坂さよは死人だった。
 相坂さよは人と関われない少女だった。
 彼女はすべてをあきらめていた少女だった。

 たとえ千雨が彼女の死を“死”と判断していなくても、彼女にとっての日常は、生きながらに死んだモノクロの世界だったのだ。

 物を食べることも、ベッドで眠ることも、人と話すこともなく日々を過ごし、毎日のように泣いていた。
 涙の流れないその慟哭。誰にも気づかれないその悲観。終わりのないその苦痛
 死後の生活。生者に関われない死の世界。
 そんな日々を過ごしていた。そんな日々を過ごさざるをえなかった。

 相坂さよは、そういう毎日を過ごしていた少女だった。

 だけどいま、彼女はまどろみの中で朝日を浴びて、ベッドの中で目覚まし時計に起こされる。
 絡繰茶々丸、チャチャゼロ、そしてエヴァンジェリン・マクダウェルと挨拶を交わし、朝ごはんを食べて学校に行く。
 登校ラッシュの人ごみに揉まれて、肩をぶつければ謝って、困った人がいたら手を差し伸べて、困っていたら当たり前のように誰かが声をかけてきてくれるのだ。

 感謝の言葉を言われ、感謝の言葉を言って、そんな毎日を日常として過ごしている。

 はじめから最後まで、幽霊のままならきっとまだ耐えられた。
 幽霊として自分を見える人がいて、それくらいの幸せに妥協できたままなら耐えられた。
 きっとこの日常を、本当に実感できずにいたままなら耐えれた。
 こうして“理解”せずにいたままなら耐えられた。

 だって、相坂さよのはじめの願いは、人としゃべれれば十分だった。
 そんな些細なことだけが、相坂さよの全てだった。
 人形の体を持って、限られた事情を知る人とだけしゃべれるだけでも十分であるはずだった。

 でも相坂さよは知ってしまった。
 理解してしまった。
 生の喜びを感じてしまった。
 またこうしていられる幸せを思い出してしまった。

 大食いなのかと長谷川千雨は笑ったけれど、数十年ぶりのケーキの甘味に自分がどれほど感動したか、数十年ぶりのベッドの柔らかさがいったいどれほどの至福だったのか、それはきっと自分にしかわからない。

 こんな風に学校に通って友達と話して、たわいもないおしゃべりをするだけで、わたしは時々泣き出したくなるほどに幸せなのだ。
 放課後に部活動を見学にいって、友達から相坂さよだと紹介されるだけで、どれほど幸せだと感じているのかを、きっと誰もわかっていない。
 歩いていて、急いでいるさなかに目の前にティッシュを渡されようが、チラシを十、二十と配られようが、後ろからぶつかられたあげくにたとえ邪魔だと罵られたって、それがいったいどれほどの悲しみを生むだろう。

 相坂さよは、そんなことにほんのわずかだって悲しいだなんて感じない。

 すべての人に声をかける熱心なビラ配りだろうと、自分だけは無視された。
 不良だろうと、すり抜けられて無視された。
 ほかに幽霊なんて存在せずに、喋った言葉に返事が来ない、そういう生活。
 それに比べて、今のわたしはいったいどれほど幸福なのか。

 そこらへんのことを、鋭いようで意外に抜けてる長谷川千雨は分かっていない。
 ぜんぜんちっともほんの少しも、相坂さよがどれほどの幸福を感じ、どれほどの感謝を彼女に捧げているかを分かっていない。
 始まりのあの日、復学一日目の自己紹介で、相坂さよは言ったじゃないか。


 ――――わたしは、千雨さんを世界で一番尊敬しているので。


 そんな台詞を言われておいて、千雨はさよの気持ちが分かっていない。
 60年間誰にも気づかれずに、独りっきりの孤独を体験した幽霊少女。

 60年だ。七百ヶ月で、二万日。十二支十干、干支が一回りするほどのその時間。
 それだけの時間を彼女は一人で耐え続けた。
 死に際のことさえ忘れ、人として生きた常識すら磨耗して、二万を超える日月を碌に会話もできずに過ごしていた。
 休日だろうと放課後だろうと、彼女は一人で泣き続け、この世界に存在し続け、ただひたすらに待ち続けた。
 たった一人、教室の片隅で、誰か友達になってください、なんて、そんなつまらない願いをつぶやき続けた。

 10年たてば、孤独を悲しむ感情すら麻痺していた。
 誰でも良かった。
 罵られようが、悪霊と呼ばれようが、人と関わってみたかった。

 20年たてば、もう期待することの悲しみさえ感じなくなっていた。
 しゃべってくれるだけでも存外の幸福だと考えた。
 もうそのころには、人としての年のとり方など忘れていた。

 30年で死に際を忘れ、40年で生きることを忘れた。
 50年目には人として生きた15年の記憶のほとんどが霞の中に消えていき、60年たって自分の望みさえ磨耗した。

 生前から数えて70と幾年。
 もう普通の人間の一生分の時間この世界に存在し、最後まで残った執念の中、友達がほしいだなんて、そんなささやかな望みだけを燃やし続けて、彼女は麻帆良学園中等部の端席にしがみついた。

 ――――麻帆良学園中等部3-Aの教室にはいわく付きの席がある。座れば寒気がするその席は通常座らずの席なんて呼ばれてて……

 過去に学校新聞の記事にもなったその話。
 相坂さよが高等部まで出向いて見に行ったその話。
 相坂さよの奮闘が、簡潔にまとめられた数多の記事に埋もれる怪談話。

 ふん、笑いたければ笑えばいい。
 ひと時の時間つぶしに使われたってかまわない。
 あなたたちはいいだろう。そういって小さな会談の一つとして笑っていればそれで良い。忘れられるよりははるかにましだ。
 怖がって、キャーキャー叫びながらその席に物見遊山を決め込んでもかまわない。
 でもその席を奪うことだけは許さない。
 相坂さよにとって、そんな小さな出来事が絶対に譲れない一線だった。

 誰にも見られずとも、自分の姿を見れる人を探すために外にでるときがあろうとも、自分の居場所はそこだった。
 たとえ誰だろうと、そこだけは譲れなかった。
 人が来れば、その子をどかしてまで意地を張った。
 たった一つのよりどころにしがみつき、ただひたすらに耐え続けた。

 そんな意地を張り続けて我慢し続けて、そんな行為が日常だった。
 そう、そんな救われない日常だった。
 ほんの少し前までは。


 そんな救いの無い日常の中、相坂さよの目の前に一人の少女が現れた。


 彼女は幽霊を見る事が出来た。
 彼女は幽霊に触ることが出来た。

 そんな彼女が相坂さよに声をかけた。
 放課後の教室で、さよの姿に戸惑いながら、声をかけた。
 戸惑いながらも、その行為自体は当たり前のように、平然と。

 ――――なあ、幽霊。あんたいったいなにもんだい?

 そんなバカみたいな台詞をわたしがどれほどの驚愕を持って聞いたのか、きっと千雨さんにはわからない。
 平然とこちらを見つめるその姿。二年間だけ一方的に一緒にいた同級生に、どれほどの驚きを覚えたか、きっと千雨さんには分からない。
 当たり前のように話を聞いて、当たり前のようにわたしに触れて、当たり前のように友達になってやるといわれたときに、わたしがこっそりと、それでいてどれほどの安堵と感謝をしたか、きっと彼女は永遠に分からない。

 師匠である存在から秘密にしろと言われていたのに、彼女はその日のうちに声をかけ、幽霊少女と友達になってくれた。
 死を経て、幽霊を見れるようになったその少女。
 彼女は人の温度を忘れた少女の手を握ってくれた。
 彼女は温かさを感じないその体を抱きしめてくれたのだ。

 60年。自分の死因すら忘れている中に現れたその存在。
 友達になってくれといきなり言われ、それを了解した挙句、彼女はお師匠様を説得し、彼女の体を作ってくれた。
 苦手だと言っていた吸血鬼の知り合いのところに出向き、お師匠様からまだ早いと言われていた技術を用い、彼女は友達の幽霊のために頑張った。
 それを彼女は見ていたのだ。相坂さよは見続けたのだ。
 未熟な魔術の行使は肉体を傷つけて、それでも彼女はそんなそぶりも見せずに幽霊少女と遊んでくれた。
 それを彼女は知っている。

 お師匠様と共に大きく頑張り、一人の時に小さく頑張り、少しずつ、少しずつ、でも決して諦めずに頑張った。
 ルビーが現れれば人形を作り、それ以外の時を修行に当てた。
 それを相坂さよは知っている。

 かつてネギが断じたように、千雨は弱音を吐くものの、決定的なところでは無言を貫く。
 だけど相坂さよは彼女が頑張ったことを知っている。
 彼女はそれを口にせず、さよはそれを問いただせずにいたままで、だけどそれはれっきとした事実なのだ。

 千雨はなんでもないと笑ったけれど、それは簡単なことじゃあ有り得ない。

 当たり前なのだ。とんでもないほどに高度な技術だとルビーははじめに言っていた。
 さよ側に100年の修行が必要で、世界レベルの人形遣いが必要だと、最初の日に言われていた。
 さよは百年どころか、修行などなにもしていない。
 でもいま自分はこうしている。

 世界レベルの人形師が必要だといわれ、それを当たり前のように自分が代行すると申し出た千雨が全ての責と労をおったのだ。
 そしてわずかに数ヶ月。
 たとえルビーの力を受け継いだといっても、これはさすがに早すぎる。
 その現象の回答を、相坂さよは知っている。

 その差を埋めるために、千雨は工房にこもり、ヒトガタの部品に眉根をひそめ、それをひたすらにくみ上げた。
 魔術を習うと承諾してルビーに頼り、苦手としていたエヴァンジェリンに頭を下げて、魔術の行使で体を痛め、授業をサボり、それでも何一つそんなそぶりを見せなかった。
 それを相坂さよは知っている。

 過去に千雨は言っていた。
 人形遣いのルビーを憑依させ、彼女がさよの体を組んだと。
 魔術を習った長谷川千雨が、その体をくみ上げたと。

 だけど千雨が魔術を習うなんて、それだけで本来はおかしい出来事のはずなのだ。
 魔術を習う気がない少女は、エヴァンジェリンに魔術を習うように促されたが、それで彼女が習うなんてありえない。
 たしかにエヴァンジェリン・マクダウェルは、千雨にいった。
 ルビーが千雨を助ける力を失ったと。
 だから、魔術を学んでおけと。

 そんな言葉を口にした。
 だけど、千雨がそんな言葉で魔術を習うなんてありえるか?

 ルビーに出会い、そして間桐桜の夢を見ながらも、彼女は自衛の手段に魔法を求めようとはしなかった。
 彼女はいまさら努力をしても、ほとんど意味が無いことを知っていた。
 エヴァンジェリンに相対し、魔術師として生きた少女の夢をのぞき見て、そんな行為をしたところでたいした意味が無いと考えていたはずなのだ。
 だってあのときの彼女には、やっぱり最初の日にルビーから魔術の教えを断ったときのように、今後も魔術に関わる気はなかったのだから。
 そんな彼女がいきなり魔術を求めたその理由。
 強制でも惰性でもなんでもなく、真摯に取り組んだその原因。
 それが戦うための力であるはずがない。

 エヴァンジェリンと相対し、千雨が死んだその翌日。
 相坂さよとであったまさにその日に、ルビーは思った。
 長谷川千雨が魔術を習おうとする姿を見てルビーが思った。
 その結果を幸運だと評価した。

 それはなにに対してか。
 千雨が生き返ったことか?
 いや違う。
 ルビーの力を受け継いだことか?
 当然違う。
 あれは相坂さよと出会ったことに対してなのだ。

 だって、長谷川千雨は、相坂さよと出会わなければ、きっと魔術を真剣に習おうなんてしなかっただろうから。

 魔術を習う気がないといったそばから、彼女は魔術を習いはじめ、乗り気でないそれにどれほどの力を注いだか、彼女がどれほど努力してその技術を行ったか、その理由を相坂さよは知っている。
 そうだ。魔術が嫌いといい続け、そしてルビーの力を継承してさえ魔術を嫌った長谷川千雨。
 彼女が魔術を習うきっかけはエヴァンジェリンでもルビーでも、もちろん自分自身でもなく、相坂さよの為だった。
 それを相坂さよは知っている。

 あのとき、長谷川千雨がなにをしたかをしっている。
 ただ相坂さよの体のためにルビーをせかし、
 ただ相坂さよの体のためにエヴァンジェリンに懇願し、

 ただ相坂さよという友達のためだけに、あれだけ躊躇していた魔道に手を染めて、相坂さよのヒトガタを作りあげたその行為を知っている。

 そんな光景をずっとずっと見せられて、そんな行為の果てに、自分はこうして幸せを甘受して、なのに長谷川千雨は何一つそれを相坂さよに貸しとして見せなかった。
 彼女は恩を着せるどころか、恩があることを口にせず、エヴァンジェリンとのいざこざに関しても、結局さよは彼女は頼られずに全ては終わった。

 挙句の果てに、千雨はさよが千雨に懐くのを、すりこみだなんだと口にする始末だ。

 さよは思う。
 そんな千雨のことを考えて、そんな千雨に思いを募らせながら彼女は思う。
 心の底から考える。
 本当に、わたしは千雨さんのことは大好きで、本当にすごい人だと知っていますが、ちょっとだけ言わせてほしいことがある。
 千雨さん、あなたはちょっとおバカさんなんじゃないかと思います。

 そんなの、あまりにひどすぎる。
 そんなの、ちょっと信じられないくらいにずるすぎる。
 あまりにひどいことである。
 あまりにひどくて、あまりにずるくて、あまりにも、


 ――――あまりにも、罪作りすぎる女性じゃないか、と相坂さよは思うのだ。


 ずっと悲しんでいたことを、突然あらわれて解決してくれたそう言うヒーロー。
 英雄だなんて生ぬるい。友達だなんて光栄すぎる。
 声を聞くだけでうれしくて、手をつなぐだけでうれしくて、お話できればそれだけで一日が幸せだった。

 さよは頼ってほしかった。さよは千雨のために何かできることをしたかった。
 恩を返すとかそういう感情を超越して、千雨との間になにかを感じていたかった。
 彼女と別れてしまうことなんて、絶対に、それこそ“死んでも”ゴメンだったのだ。

 それが漠然とした不安から、ネギと千雨の一件で顕現した。
 初めて知ったその瞬間はまだその現実に耐えられた。
 一日たって冷静になってみれば、その現実にいやな予感がし始めて、
 二日も立てば疑心暗鬼で動けなかった。
 長谷川千雨とネギ・スプリングフィールドの交際を、最初のわたしは祝福していたはずなのに、なぜこんなにわがままな子になってしまったのだろう。

 千雨はネギと笑っていた。
 千雨のことは好きだ。でもべつにネギ先生のことだって嫌いじゃない。
 だからはじめ二人が笑いあう光景に、むしろさよは喜んでいたのだ。
 人の幸せを自分の幸せとして取り込める、そういう基質。
 それが相坂さよだった。

 それなのに。それなのに、それが相坂さよの考えだったはずなのに。


 ――――ずるいです、酷いです。うらやましいですっ! あの、今まで勇気がなくていえませんでしたけど、わたしだって千雨さんともっと仲良く――――


 ネギと千雨の関係を知ったとき、さよは言った。
 笑いあう二人が、絶対的な繋がりを持ったのだと知ったその瞬間。
 きっかけがなく、ただこのまま幸福が続くことを信じて押し殺していたことを口にした。
 自分は千雨が幸せな姿を見るのが好きだった。だからそれは喜ぶべきことのはずだった。
 だけど、実際に見てしまえば、そんなことなんていえなくなった。

 置いてきぼりにされたような、そんな悲しみ。
 それはまるで、相坂さよが一人死の世界に取り残されたときのようなそんな恐怖を伴って、


 ――――相坂さよは“また”独りぼっちになるのだろうか、と恐怖した。


 そんなはずがないと考えつつも、その恐怖が払えずに、
 そんなことあるわけないと信じていながら、さよは考えずにはいられない。

 だからさよはほしかった。絶対的な絆がほしかった。
 これから先、ネギの姿を見ても、千雨の姿を見ても、たとえ、長谷川千雨の姿を“見れなくても”安心できる絆がほしかった。
 パクティオーをして、そこから産まれるカードを心のよりどころにしたかった。
 本当に、ただそれだけの望みだったのだ。


   ◆◆◆


 千雨は泣く相坂さよの頭をなでながら話を聞いた。
 苦いだけの紅茶を口に運び、その苦味と、自分の迂闊さに頬をゆがめる。
 考えたつもりでいた。
 想像したつもりでいた。
 相坂さよの悲しみを、相坂さよの苦しみを。

 だけど、かつて千雨が断じたように、理解するとはそういうことではないのだ。
 当事者以外には分からない。相坂さよにしか分からない。そういう苦しみを長谷川千雨はいまやっと知ることができた。
 理解できるだなんてとてもいえない、その悲しみ。
 慰めなんてとても口に出来ない、そういう孤独。
 60年間つづいた、そんな絶望。

「千雨さん、わたしは前にいいました。好きとか嫌いとかじゃなく、わたしは世界で一番千雨さんを尊敬していると」
「…………」

 当たり前だ。そんな言葉を聞き流していたというのだから、千雨も自分自身にあきれはてる。
 ただのジョークとでも思ったか? 軽口の一種とでもとらえていたか?
 たとえ学園結界の影響があったとしても、そんな台詞を戯言で口にはしまい。
 それは友情を超え、愛情を超え、もはや信仰とさえいえるものだ。

「わたしも手をつなぎたかったんです。さよと呼ばれたかったんです。キスをして、仮契約をしたかったんです。やっぱりそんなのいやですか? こんなのやっぱり気持ち悪いでしょうか? どんなことでも受け入れます。これ以外もうわがままなんていいません。お願いします、千雨さんに迷惑はかけません。わたしはネギ先生のことが嫌いというわけじゃないんです。でも千雨さんと離れるのだけはいやなんです」
 数十年の幽霊生活。

 生理現象どころじゃなく、男女差どころじゃなく、交友問題どころじゃなく、人に関わるあらゆる問題から離れていたその少女。
 そんな少女の前に、一人の英雄があまりに突然現れて、全ての孤独が取り払われた。

 エヴァンジェリンやネギに話を聞いた。
 神楽坂明日菜にパクティオーのことをきいていた。
 ルビーから仮契約のことを聞いていた。
 相坂さよは知っていた。その上で彼女は不思議がっている。
 ねえ、アスナさん。ねえ、先生。ねえ、千雨さん。

 パクティオーが魔術の妨げになるのは分かるけど、なぜキスを戸惑わなくてはいけないの?

 同性愛とかそう言う概念。友情と愛情のそう言う区別。
 なぜ皆がキス程度で、ここまで潔癖な考えをするのかが、相坂さよには割と本気でわからない。
 だってパクティオーをするということは、相手を信愛しているということだ。
 そんな行為を恥ずかしがるなんて、そんなの意味が通らない。

 千雨自身なんども実感していたことだ。
 相坂さよは、幽霊でいつづけて、人の暮らしとは異なる暮らしをし続けた。だから年齢も性も倫理観がちょいとずれているのだと。
 アメリカ暮らしが長ければ、家族にキスくらい当たり前のようにするだろう。

 べつに体を重ねろといっているわけじゃない。
 握手をして、抱き合って、別れ際にキスをする。
 さよにとって、女同士でのキスだって、実際はその程度の感覚なのだ。
 常識に縛られているから、千雨はその程度すら考えられない。
 自分自身が魔術師としてキスなど戸惑うものではないといっておいて、それを相手も考えることを想定しない。
 千雨とネギが付き合っているのだって同様なのに、さよには律儀に背徳感を当てはめていれば世話はない。

 相坂さよは長谷川千雨を好いている。
 その彼女がルビーと出会い、そして魔術と魔法と、そして仮契約について聞きかじった。

「エヴァンジェリンさんのとき、おかしいなって思って、そうしたら本当に千雨さんが先生とお付き合いしていて、千雨さんがよろこぶことは嬉しいです。でも、わたしは千雨さんが必要なのに……」
 さよが泣く。

「幽霊でいたときは、手をつなぐだけで幸福でした。この体を頂いて、抱きしめていただいたときはそれ以上に幸福でした。本当に、本当に、これ以上ないほどに」
 さよが泣く。

「手をつなぎたいです、おしゃべりをしたいです、キスをしたいです。嫌われるのだけはいやでした。…………でも、こうしてわがままを言うわたしがいやだというなら、もうわがままも言いません。もしわたしが嫌いだというのなら、わたしは千雨さんに近づきません。でも……。だから――――」
 泣きながらさよが口を開き、


 ――――せめて、わたしの前から居なくならないでください。


 そんな願いを口にする。
 そんなつまらない願いから、さよは仮契約を申し出た。
 黙ってさよの独白を聞いていた千雨が口を開く。

「だから仮契約をしたかったってか?」
「は、はい……」

 千雨の言葉にさよがうなずく。
 そんな願いに対し、長谷川千雨が出来ることなど決まってる。
 当たり前すぎるほどに当たり前。
 そんな問いに返せる答えなど、たった一つしかありえない。


「――――あのなあ、相坂、それってちょっとおかしくないか?」


 あきれたように千雨は否定の言葉を吐く。
 決まりきったその返答。当たり前のようなその言葉。
 千雨は当然のように相坂さよの言葉を否定した。
 あまりにはっきりとしたその断定にびくりとさよが震えた。

「魔術師として勉強している今、わたしもお前もそんなことするのはマイナスだ。エヴァンジェリンが言ってただろ。魔法に頼れば魔術師の足かせになる。そもそもな、そんなのなんの意味もないんじゃないか?」

 無駄だといわれた。
 そんなわけないのに。
 わたしはどれほど長谷川千雨という名の彼女との絆を必要としているかを、彼女は分かっていないのだろうか。
 きっと絆が出来るはずなのにとさよは泣く。
 カチカチと歯を鳴らし、恐怖で震えるその体。

「あ……あの……でも、カードがほしくて……だから仮契約をすれば……」

 必要ないと断じられ、もう碌に声も出せないさよが震える声を絞り出す。

 千雨がそんなさよを見る。
 泣いて震えて、おびえている小さな体。
 どうにも“勘違い”しているらしいその矮躯。
 こいつは本当にあほだ。しんじられない。
 そう。どれくらいアホなのかといえば、きっとわたしと同じくらいだろう。

「あのな、相坂…………」

 あきれたようなその声にさよの心が凍る。
 なにを言われるのかと、どう思われてしまうのかと、そんな恐怖で体がこわばる。
 だけど、千雨はあまりに軽く震えるさよの手をとって、

「――――お前が言い出したことなんだから、文句は言うなよ」

 さよの手がぎゅっと握られた。
 反射的に顔を上げるさよの目の前、眼前に迫る千雨がいて、腕をとられたさよはベッドの上に押し倒される。
 ベッドの上に横たわる相坂さよ。
 その長い髪が白いシーツの上に大きく大きく広がった。
 そうして、その手をさよの頭の上で固定して、千雨はその体に覆いかぶさり、


「――――――っ!?」


 そうしてそのまま長谷川千雨は、ベッドの上で、驚愕に目を見開いたままに横たわる相坂さよにキスをした。


   ◆


 魔法の儀式、仮契約。魔術と異なり、口づけという行為によって、世界に登録されたアイテムを引き出す契約の儀式。
 魔術の契約。魔法と異なりキスという行為そのものではなく、体液を交換するという儀式によって行われるパスの開通。魔術のシステム。

 そのどちらでもなく、千雨はさよにキスをした。
 親愛の詰まったその口付け。
 思考の止まるさよがそれを呆然と受け入れる。

 口を離して、千雨が口元をぬぐう。
 合意も何もあったもんじゃない。
 一歩間違えれば……いや、そのまま直球で犯罪か。
 おでこかほっぺたで妥協しておけばよかったが、パクティオーにこだわっていたこのアホたれにはこっちのほうがいいだろう。

 ぼうっとするさよは呆然としたままだ。
 いやに扇情的に赤い唇。
 もちろんカードは出ない。あの小動物も居ないし、魔術のパスが通ることもない魔法的にも魔術的にもはなんの意味もない行為だ。
 だが、こうして相坂さよは泣きやんだ。
 本当に意味がないわけじゃない。

 いや、そもそも逆なのだ。
 意味がないまま行われる行為だからこそ意味がある。

 呆然としたまま動かないさよの口元をぬぐって、千雨はだまりこむ。
 ぽかんとしたまま動かない相坂さよの目に、顔を真っ赤にしたままの長谷川千雨の姿が映っている。

 千雨は無言。声がでない。
 そりゃそうだ。いったいこの場でなにを言えというのだろうか。
 彼女は自分からこんなことしたことない。
 だが、ここでさよを突き放せないということは分かる。いや、突き放すとか突き放さないとか、そういう問題ですらない。
 ただどうにも誤解している自分と同じくらいアホたれの、元幽霊に真実を教えればそれでいい。

 だから千雨はキスをしたのだ。
 流されるタイプのヘタレである千雨のぎりぎりがこれだった。
 自分は相坂さよの体を知っている。隅々までその感触からさわり心地までを知っている。
 でも改めてキスをして、そのやわらかさに頬が真っ赤で、その行為で首筋までが赤色で、それを自分からしてしまったということに、唇を奪った少女に目もまともに向けられない。
 なんだこれ、わたしはどれだけ変態なんだ。

 なにが起こったのかわからずに相坂さよが目を丸くして、千雨は照れて口ごもる。
 無言が続き、耐え切れなくなった千雨が口を開く。

「仮契約をする必要はない」

 そんな言葉を、いまだに顔を赤くして千雨がいった。
 いったい誰の影響か。なにを言えばいいかわからずに、どうでもいいことを一番最初に口にするその姿。
 それをさよがぽかんとした顔のまま見つめている。

「わたしもばかだけど、お前も相当に大馬鹿だな。わたしにとってお前が特別じゃないとか、そんなわけあるか。絆がないとかカードがほしいだとか、アホらしすぎる。わたしはお前のスリーサイズどころか、ほくろの数まで把握しているんだぞ。忘れてんのか? おまえ自身のその体はお前のもので、そして同時にわたしの“もの”だ。わたしがおまえの前から居なくなるもなにもねえだろ」
「…………」
 早口で先ほど衝動的に行った行為に言い訳を捲くし立てる。

「お前はカードがほしいのか? それとも仮契約がしたかったのか? 違うだろ」


 ――――相坂さよは長谷川千雨との間に繋がりを感じていたかっただけのはずなのだ。


 いまこの場でパクティオーをしてどうなるというのだろうか。
 仮契約の果て、カードを手に入れ、それで終わりか?
 それで全てが解決なのか?
 その挙句、相坂さよは、カードだけをよりどころに、長谷川千雨が自分のそばから離れても大丈夫だと、自分を誤魔化し続けるのか?

 ふざけんな。
 そんなの長谷川千雨が許容できるはずがない。

 かつての日。
 エヴァンジェリン邸の空き部屋で千雨は相坂さよの体を作った。
 ルビーの指示で、エヴァンジェリンの協力で、習いたくも無い魔術を身に着け、知りたくも無かった知識を頭に刻み、人の部品をくみ上げて、全裸どころか、素材の段階から人の体を創造した。
 足を、腕を、指を、眼球を、髪を、爪の先にまで気を配り、それをつくった。
 肝心なところは千雨の体を操ったルビーが行ったものの、ルビーはもう消えかけで、当然それ以外の部分には千雨の力が入っている。

 人の部品と、その組み上げ。
 なんど弱音を吐こうとしたか覚えていない。
 それを誰にも気づかせず、一人胸のうちに秘め、彼女は相坂さよのヒトガタのために頑張った。

 動きを止めたまま相坂さよが千雨の言葉を聞き続ける。

「べつにパクティオーなんてする必要ないだろ。つーかなあ、どいつもこいつもカードのためとか、パスを通すためとか、適当すぎだ。キスだぞ、キス。お前の唇こうして奪っておいてなんだけど、もうちょっと大切にしろ。ファーストキスだろうが。というかだな、相坂。お前もあんだけ恥ずかしいこといっておいて、カードのためにわたしとキスしたんじゃ本末転倒だ」

 かつてネギ・スプリングフィールドにキスを当然の行為だと答えたように、こうして冷静になれば、その行為は千雨にとって陰を落とす類のものではない。
 それでもさすがに相坂さよの言葉にはうなずけなかった。
 納得し遭えば魔術のキスもいいだろう。理解しあえばパクティオーもありえるだろう。
 だが、逃避からキスを迫るようじゃ救われない。
 最後の思い出にキスをせがむなんて、そんな展開を長谷川千雨は許せない。

「あのな、相坂。わたしはお前のこと好きだよ。流石にキスしたがるのはどうかと思ったけど……まあ、それでも……なんだ……お前がホントに望むならキスくらい全然できるよ」

 赤くなりながらも、当たり前のように千雨が断じた。
 その言葉をさよは呆然と聞いている。

「だからさ、相坂。お前ももう変なことをいうなよ。お前ちょっと気にしすぎだぞ。先生の件を秘密にしたのはまあわたしが悪かったけどさ」
「……」
 さよは言葉も返せない。
 なにを言っているのかはわかるのに、なにが起こっているかもわかるのに、さよはこの出来事が信じられずに動きが止まる。

「初めの日に言ったはずだ。その体を作る時にだって言っただろう。わたしがお前の責任取るってさ。エヴァンジェリンがあいつの立場からお前を助けられなかったのと同様に、わたしだって適当にお前に約束したわけじゃない。わがままだろうが愚痴だろうがなんでもきくさ。それに怒ることがあっても、わたしがお前から離れることはない。だから」
 呆然としたさよの頬に手をあてて眦から涙をぬぐい、先ほどまで泣いていた少女に千雨は言う。


「――――だから、おまえはもう少しは溜め込まないで発散しな。わたしはお前のわがままくらいならなんでもきくよ」


 かつて、エヴァンジェリンが相坂さよの霊体に声をかけなかったのは吸血鬼としての矜持からだが、同様に千雨が相坂さよに声をかけたのも長谷川千雨の根底を担う信念からだ。
 だから、なにが起ころうと、それを裏切ることだけはありえない。

「…………じゃあ、これからもお話してくれますか? ずっと一緒に居てくれますか?」
 呆然としたさよが口を開く。
 なにが起こっているのかも把握できないままに、さよはただ最初に思ったそんな願いを口にして、


「――――ああ、いいよ。ずっと一緒にいる。当たり前だろ」


 平然と、当たり前のように、長谷川千雨がそんな言葉を口にする。
 かつて友達になるとさよに答えたときのように、さよが最も求める言葉を口にする。

 あらためて相坂さよは考える。
 この無自覚に自分の不安を取り除く少女を前に考える。
 本当に、この人は、罪作りなんてものじゃない。
 ヒーローでアイドルで、そして魔女であることはしってたけれど、この人はホントのところ、悪魔の類ではなかろうか。

 もうどうしたって、この先わたしはこの人から離れられなくなっていく。
 恋人が居るくせに。
 愛し合う人がいるくせに。
 同性で、友達で、わたしの体の創造主で、そんな彼女がわたしにこんなことを口にする。

 ひどい人だ、
 ずるいひとだ。

 本当に、


 ――――この人は、ちょっとずるすぎる。


 ほろりと、ようやく泣き止んでいたはずの相坂さよの目から涙が落ちる。
 ほろほろと流れるそれに千雨がビビる。

「う、ううぅ……」
「えっ!? おい。相坂。な、泣くなよ」

 おろおろと千雨がうろたえる。彼女は正直対人スキルが足りてない。
 やっぱりキスはまずかっただろうかと、何かまずいことをいっちまったのかと、見当違いにあわてている。

 ふるふるとさよが首を振った。相坂さよは嬉しくて泣いている。
 自分がどれほどの幸福を感じていたかを千雨が気づいていなかったように、自分がどれほどの恐怖を感じていたかをわかっていない。
 本当に本当に怖かったのだ。

 そんな恐怖を彼女は、初めてさよに声をかけた日のように、当たり前に打ち砕く。
 さよは泣く。
 恐怖でも、絶望でもなく、うれしさをこらえきれずに涙を流す。

「千雨さんっ!」
「へっ!? おい、ちょっ!?」

 飛び掛るようにさよが千雨の体に抱きついた。
 ワンワンと泣くさよの姿。
 困りきった顔の千雨が、おずおずと手で髪の毛を梳いてやる。
 なんでこいつは泣いているのか、そんな問いの解答を、おぼろげに感じ取って千雨は頭をなで続ける。

 長くキレイな髪である。
 わたしはその一本一本のくせまで知っている。
 自分より10センチ以上小さいその体。
 すっぽりと胸元に入るその体。
 体の作成時点で身長は149センチ、スリーサイズは上から77、56、79。そういうところを知っている。
 だけど心の中なんて知りようもなく、こいつがここまで思いつめていたなんて考えてもいなかった。

 抱きつかれたまま千雨があきれたように天井を見上げた。
 目を瞑り、おずおずと背中に手を回し、頭をなでるその仕草。
 言葉なんてかけられるはずがない。
 いまこの場で、自分が彼女にしてやれることなんて、こいつが満足するまで抱きしめてやるくらいしかないのだから。


   ◆◆◆


 ベッドの上で、ようやく眠った相坂の頭をひざに乗せ、長谷川千雨は息を吐く。
 涙ながらに千雨に抱きついたまま、その不安を吐露したあと、さよと千雨はすこしだけ話をしたが、すぐに相坂さよはしゃべりつかれて眠っていた。
 どれほどの心労を溜め込んでいたのかと千雨があきれる。

 涙のあとに手を添えて、ほっぺたに手を伸ばす。
 自分はその柔らかを知っていた。だってこいつの体は爪の先まで自分がつくったものなのだ。
 あのガキに負けず劣らずやわらかいそれを人差し指でぷにぷにとつついた。
 その感触にむずむずと体を震わせたさよが、千雨のひざに乗っていた頭をごろりとまわして、千雨の体に抱きついた。
 腰に手を回して、腹にがっちりと抱きつく少女の姿に千雨は笑う。

「ガキか、こいつは」

 そんな言葉とは裏腹に、さよをなでる手には優しさが満ちていた。
 絶対に放すまいとする、親に抱きつく赤子のようなそんな仕草。

 生後70年というべきか、それとも十二歳とでも言うべきか、はたまた生後数ヶ月と評するのが正解か。
 そんなことすら分からない。
 だけどその心のあり方は子供のまま停止して、そしてその感情のあり方は生まれて間もない子供のままであることだけははっきりしてる。
 そんな少女の可愛い姿。
 さらりとした髪の毛が千雨の手の中で梳かれていく。
 千雨はそんな彼女を眺めながら、後ろに流れる髪を束ねてやった。

 泣いて喚いて、感情を発露させたその少女。
 未熟な肉体にひきづられているということはない。
 それなら魂の定着も無かったはずだ。
 だからこれはさよの本心だったのだ。
 魂を外気にさらし続け、心の衝動に忠実なそういう少女。

 修学旅行中に爆発することが無かっただけ僥倖か。こうして涙のあとを残しながらも微笑みながら眠るさよをベッドに寝かせ、その横でこうして微笑んでいられるのなら結末としては最善だろう。

 明日は学校で、チアや委員長たちとの楽しい授業。
 明後日から始まるのは、四泊五日の長めの旅行。
 その後に続く、夢いっぱいの学校生活。
 だけどそんな日常に浸るのは、担任教師と恋人の、衝動で友人にキスをするくらいいかれちまった魔術師見習いの中学生。

 これから先の日常が平穏のうちに済んでくれればいいのだけれど、そんな儚い期待を持って、彼女は祈る。
 これから先の生活が、平静として進むようにと神への祈り。
 魔法使いがいるのだから、神様だってきっとどこかにいるだろう。
 まあもっとも、

 それは苦笑と共に行われる、かなうだなんて欠片も思っていない、そういう祈りだったけど。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ガチンコ浮気編。さよは友情度がカンストしてるだけです。でもカンストしていると言うのはこういうこと。こいつらキスはするくせに仮契約しないなあ、という話でした。
 次回は本編18話になるはずだったんですが、次回も幕話にするかと悩み中です。というよりこの話も幕話じゃない気もします。というか前回も前々回も話が進む以上本編に分類されるべき話でした。でもまあどうでもいいことなのであまり気にせず進めていきたいと思います。




[14323] 第18話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/08/02 00:22

 相坂さよに泣きつかれた次の朝。
 目覚ましが鳴るよりも早く、少し遠くから聞こえる騒がしい声に千雨が目覚める。
 千雨は昨日から自分の胸元にあったはずの感触が無いことに気がついた。
 相坂さよ。彼女が一緒にいたはずだったのだけど、と思考をめぐらす。
 もう少し寝ていたかったが、上半身を起こしベッドの上でのびをして、千雨は寝ぼけ眼このままきょろきょろとあたりを見渡した。
 しかしさよの姿は見当たらない。昨日同じベッドについたはずの相坂さよの姿が消えていた。
 さよを寝かしつけたあと、明日菜の誕生日プレゼントを加工して、ふらふらになりながらベッドにもぐりこんだときは、そこにいたはずなのだ。

「――――んっ?」

 と、きょろきょろとあたりを見渡していた千雨がうなる。
 ルビーが現れたから数日だけ起こっていたその現象。部屋の中に、朝食の匂いが漂っていた。
 鼻腔をくすぐるその香り。いまはもう安易に実体化できないルビーではありえない。
 彼女が実体化を軽々しく出来なくなってから、また自炊を始めた千雨は、当然朝食の香りで目覚めるということはない。
 あーもしかして、と千雨が寝ぼけた顔で視線を飛ばすと、その気配を感じたのか、はたまたそれをルビーにでも教えられたのか、ルビーとおしゃべりをしながら相坂さよが台所から姿をあらわす。

「あっ、千雨さん!」

 ベッドの上で起き上がる千雨の姿を見て、さよが嬉しそうな声をあげた。
 昨日千雨がくくったままに髪が後ろにまとめられ、腕まくりをした制服の上からエプロンを付けたその姿。
 そんな彼女が手を腕の前で組み、ぴょんと跳ねる。後ろにまとめられた長めのポニーが同じように飛び跳ねた。
 そして、千雨に声をかけたさよは駆け寄る勢いそのままにベッドの上の千雨の体に飛びついた。
 ばふっ、とベッドの上で上半身を上げていた千雨が、エプロンをつけたまま抱きつく体を受け止める。

 そんなさよと千雨の姿を、久々に朝方に見るルビーが微笑と共に見守っていた。
 どうやらルビーの指示の元、朝食を作ってくれていたらしい。
 朝ご飯に手間隙かけるタイプでもない千雨にとっては助かることだ。
 まあきっと、わざわざルビーが実体化してまで手を貸したのは、もちろん千雨の朝食のためなんかではなく、

「おはようございます。千雨さん」

 エヘヘと笑いながら千雨に抱きつき、その感触にくぅと嬉しそうに声を漏らすその少女のためだろう。
 抱きつく彼女の後頭部を寝ぼけ眼で見下ろしながら、千雨はその小さな背中に手を回す。
 あからさまな感情の発露と、その行為。
 それを見て、長谷川千雨は安堵したように、息を吐き、

「ああ、おはよ。……さよ」

 ハイ、という大きな返事をする相坂さよの体を抱きしめながら微笑んだ。



 第18話


「ああ、逃げてえ……」
 学校へ向かう道すがら、千雨がぼやいた。
「なに言ってるんですか、千雨さん。早く行きますよっ!」
 さよのことは解決したといっていいが、昨日の騒動を忘れてよいはずもない。
 いよいよ学校へ行くという段になって、さっそく怖気好きはじめた千雨をさよが引っ張る。

「はあー……。わかったわかった。ひっぱんなよ、相坂。逃げ続けるわけにもいかねえしなあ」
「逃げる必要なんでないです。問題になったらわたしも木乃香さんたちもちゃんと千雨さんの味方になりますからね。あとちゃんとさよって呼んでください」
「あー、悪い悪い。まあ相坂ってのになれちゃってるしな。それにクラスのやつらに変な方向で勘ぐられそうだ」
「変な方向?」
「お前の所業のせいで変な噂が立ってただろうが、忘れてんのか?」

 ネギにさよにと、千雨は意外と3-Aの中で注目されてるのだ。
 地味な日陰少女だったころが懐かしい。
 視線に敏感な身としては忘れられるはずもなかったが、さよはたいして気に止めていなかったようだ。
 何のことやらいまいちわからないかのように、首をかしげていた。

「そうですか。でも朝みたいに二人っきりのときは愛をこめてちゃんとさよって呼んでくださいね」
「お前冗談でもその台詞を学校で口にしたらひっぱたくからな」
 冗談交じりだろうと、そんな台詞を聞かれたらシャレにならない。
 以前からこんな傾向があったが、一晩でタガが外れたのかものすごい勢いでさよが壊れている気がする。
 名で呼んでほしいと泣き喚くさよを見ただけに昨日は譲歩したが、千雨は不変を好むのだ。
 さよの積極性に顔を引きつらせながらのろのろと学校へ向かっていく。

 ちなみにさよの作ったルビー直伝の朝食は十分においしかった。
 幽霊時分には料理などしていなかったが、エヴァンジェリン邸で茶々丸と一緒に家事手伝いを行い、着々と技術を磨いていたらしい。
 正直なところ、熱心さがある分千雨よりもすでにうまい。
 大して食材をそろえていないのに、よくもまああそこまで正統にうまいものが作れるものだ。
 なにが楽しいのか、ニコニコと笑うさよを横目に見る。

(まあこいつはわりと大食いだし料理にも力を注いでるのかね)

 最高の調味料はもちろん空腹で、落語的に見るなら塩である、などとこの期に及んで素で考えている千雨は、さよ特性の朝ごはんを思い返しながら、ぼけっとそんなことを考える。
 千雨としてはとても休みたかったのだが、さよとルビーがいる以上、そういうわけにも行かない。
 朝は早かったものの、昨日の夜更かしと心労で疲れている千雨が教室に着いたときはすでにぎりぎりの時間だった。
 寝不足でボケた頭を揺らす千雨の手をさよが引っ張っている。
 恐る恐ると扉を開け、教室の中をこっそりと見渡した。
 HRまではまだ時間があるものの、他の生徒は集まっているようだ。

 すでに来ていた木乃香が、千雨にくっつくさよの姿に安心したような顔をした。軽く木乃香が手を振ると、さよも木乃香の元へいく。ずいぶんと仲がいいようだ。
 そんなさよを、離れた席からなぜかものすごく複雑そうな目をしたエヴァンジェリンが見ていた。

 まあ、心労を取り払ったらしいさよと違い、まだまだ安心できないのはむしろ自分のほうである。
 教室内にはほとんどの生徒が集まっている。
 千雨はこっそりと視線を走らせたが、危惧していたような視線はない。
 ひそかに安堵していると、木乃香たちから挨拶の言葉を投げかけられる。

 おはようございます、と委員長。
 昨日は大変だったわねえ。と明日菜から声をかけられて、
 カラオケ楽しかったで、とさよと千雨に、木乃香から言葉が投げかけられる。

 千雨は引きつった笑いを返しながら、それに答える。
 そうして、適当に千雨は明日菜たちとの会話を切り上げて自分の席に進むと、今度はチアたちから視線が飛んだ。

 大丈夫大丈夫、もらしてないよ。と美砂からアイコンタクトが送られて、
 安心しなって。と円が口だけを動かして、
 まかせときなよ。と言いたいかのように桜子がサムズアップしていた。

 千雨は頬を引きつらせながらも、約束を守っているらしい三人の姿を見て安堵する。
 昨日はこの三人にばれたことにかなり絶望していたのだが、結構まともだ。
 千雨は心の中で、偏見を持っていたチアリーダーズに謝罪しながら、ようやく自分の席へ向かう。

「…………どうかされたんですか?」
「綾瀬か、いや、べつになんでもないが、何でだ?」
「いえ、明日菜さんや木乃香さん……それに柿崎さんたちとなにかあったんですか?」

 当たり前だがばっちり見られていた。

「今日神楽坂の誕生日だってことで、それで昨日プレゼントを買いに出かけてて……そんでちょっと……たまたま運悪く……いや偶然、街中であっただけだけど……」
「ああ、そうだったのですか」
 綾瀬が納得したようにいった。
 だが、その横で先ほどまで綾瀬と雑談をしていた早乙女ハルナが口を挟んだ。

「今日はアスナの誕生日だもんねー。チアと木乃香たちがいたんだ」
「ああ」
「でも誕生日プレゼント買いにいったんでしょ? アスナもいたの? ……あっ、もしかしてネギくんもいた?」
 ピクリと千雨が反応する。
 何でここで一足飛びにネギの名前が出るのかがわからなかったからだ。
 理屈に縛られる魔術師には理解できないそのジャンプ。
 隠す意味を根こそぎ奪う、理論を飛び越えて答えを得る直観型の早乙女ハルナ。情報屋の朝倉よりも、百戦錬磨の吸血鬼よりも魔術師にとっては困り者。
 こいつはこれだから困るのだ。

「いたけど」
 戦々恐々としつつ千雨が言葉少なに答える。
「へー。ほかには誰がいたの?」
「チアと近衛と神楽坂以外だと、わたしに相坂、あとはいいんちょ」
「ふーん。チアたちといいんちょにさよちゃんかあ」
 冷や汗をかきながら淡々と千雨が答えた。

「なんでそんなこと知りたがるんだ?」
 いやな予感を感じながら言う。ハルナはその問いに得意げに鼻を動かした。
「いやー、この間の停電の日から、ラブ臭がね。絶対にネギくんが初々しいラブなイベントをこなしてるような気がするんだけど、どうも相手が絞れないんだよね。職員室に突撃して聞いたりもしたんだけど意外とガードが固くて」
 肩をすくめられた。
 んな得体の知れないパラメータで行動するな。つーか勘よすぎだろこいつ。
 千雨の背中はすでにぐっしょりとぬれている。

「それ、この間も言ってましたね。のどかはどう思うですか?」
「うーん、こういうの、パルは間違えないから……」
 さびしそうにのどかが答える。
 そこに残念そうな感情はあっても、本気の悲哀がないのは冷や汗を流しながら会話を聞いている千雨にとってはほんの少しの救いだった。結構気にしていたのだ。

「明日菜たちとチアたちはちょっとね。いいんちょもいたって言うけど、いいんちょなら絶対分かると思うんだよねー」
「わたしもそう思うです」
 ズズズ、と怪しげな飲み物を飲んでいた綾瀬夕映が頷いた。
 たしかにいいんちょがネギ先生と付き合うことになれば、その日のうちに挙式の一つでも上げるだろう。
 明日菜たちは同室だからうわさはあるが、そんな気配はない。美砂は彼氏持ちだし、円と桜子は怪しいところもあるが先生に対して興味本位の域を出ていない。
 と、ハルナはここまで考えて、いまさらながらのことに気がついた。

「そういや、千雨ちゃんもいたんだ。さよちゃん繋がり?」

 最近仲がいいように見えるものの、千雨が明日菜の誕生日プレゼントを皆でそろって買出しに行くとは思えない。用意するにしても彼女なら一人で出かけるだろう。
 別段悪口や勘繰りではなく、純粋な疑問だ。偶然街中であったのだろうかと思いながら、ハルナが聞く。
 同様のことを思ったのか、のどかと夕映も千雨を見る。
 だが、そこには彼女らの予想を裏切り、言葉を発せないほどにあせっている数ヶ月前から付き合いのある秘密の多い友人の姿があった。
 冷や汗を流して言葉に詰まっている。
 冷静さを保つ魔術師が聞いてあきれるほどの未熟っぷりだ。

 そんなあからさまな動揺が気づかれないはずがない。
 そして相手は少ないピースから一足飛びで結論を導き出すタイプの早乙女ハルナ。思考探索型の魔術師にとっての天敵だ。

「あっ。……えっ……と……もしかして」
 ハルナが目を丸くした。
 残りの二人はハルナの思考についていけていないのか、突然のハルナの動揺に驚いている。
 彼女は興奮しやすいように見えて心の中ではいつも冷静さを保つタイプの人間だ。彼女が本気で驚く姿は珍しい。

 そんな彼女らをこっそりと静観していたチアたちと木乃香が手に汗握った。
 ガンバレガンバレ! チ・サ・メ!
 お前ら反省しろ。

 そしてそれなりに罪悪感を持っている明日菜とあやかはさすがに手のひとつも貸してやりたいと思っているものの、助けようがない。
 普段と違う木乃香の様子に眉根を寄せながらこっそりと話を聞いていた刹那はいきなりの展開に目を丸くしている。
 意外と不良な彼女は机の上に乗せていた足を下ろして騒動に備えた。
 木乃香のところから離れ、今は茶々丸と話していた相坂さよはというと、茶々丸の不思議そうな視線を受けながら、早乙女ハルナと長谷川千雨のどちらの味方をするべきか悩んでいる。

 他のまったく気づいていなかった生徒たちまで、なんとなく黙って聞き耳をたて始め、自然と騒動の中心にいる千雨に視線を送る。
 思考の伝播。百匹目の猿現象。ハルナの思考は明確で、3-Aの絆は深かった。
 数瞬の停滞を経て、思い当たったかのように綾瀬夕映と宮崎のどかがその瞳を丸くして、周りの生徒もただなんとなくと、その真相にたどり着く。

 以前からうわさのあったその少女。
 部屋に二人でいたのが始まりで、パートナーとやらの関係でネギが執着したとの噂が流れ、ちょくちょくと二人っきりの場面を目撃されるその二人。

「あー。千雨ちゃん。もしかして」

 そんな中、はじめに冷静さを取り戻したのはもちろんハルナ。
 ものすごく申し訳なさそうな顔をした彼女が、黙りこくる千雨の耳に口を寄せる。
 小さな小さなそのささやき。

 ね、千雨ちゃん。もしかして、


 ――――わたしさ、すごくまずいことを聞いちゃった?


 ざわざわと言葉が広がり、それが収まり声が消え、そんな薄氷のごとき静寂の中、千雨は自分のことを思い出す。
 人に嫌われ、狼少女と罵られ、そしてその挙句“人の視線”を恐れてネットの世界に逃避した。
 メガネをかけてネットに逃げて、最近といわず、彼女はずっと人の視線が苦手だった。
 ネギに巻き込まれ、人に注目することもあったが、その性格は変わらない。千雨はネギが来てから起こってきたイベントでは毎回わりと真剣にビビッていたのだ。

 凍るような静寂の中、こくりと千雨が頷いた。
 どういうことかとざわめきが広がり、一瞬の無音を経て3-Aが絶叫に彩られるまであと十秒。
 質問攻めまであと一分。
 そして学園長室にネギと千雨が呼び出されるまであと半日。

 平穏を願う魔法少女の長谷川千雨。
 彼女が過ごす、修学旅行前日は、こうして幕を開けたのだった。


   ◆◆◆


 予想通り騒ぎになって、放課後、予想通りに千雨とネギは学園長室に呼び出された。
 からかい半分だったが、今では結構本気で応援している友人思いのクラスメイトは二人を半分同情の目で見送ることになった。
 特に千雨が精根尽き果てていたのにすこし罪悪感を感じる。
 彼女はこれまでこの3-Aですら孤立気味だったはずなのだ。

 ちなみに当たり前というべきか。3-Aでこんな出来事が起こった以上、散々騒いで今日一日ほとんど授業にならなかった。
 なにせ担任教師と生徒である。ネギが担任を外れるかもしれないなどという当然の話が騒ぐ生徒から出始めて、それを聞いておいて笑ってばかりもいられない。

 明日からの修学旅行がどうなるかにいたっては、千雨は想像もしたくない。
 騒ぎすぎて中止にならないだろうかと、クラスの皆はあれでも遠慮したほうだったらしいのだが、千雨にとってはどっちもどっちだ。
 もうこの隠し事についてはあきらめ始めていたはずだが、それでもため息を隠し切れずに、千雨は学園長室の扉をノックした。
 その後、千雨は千雨で学園長室でネギと一緒に奮闘するわけだが、同時刻におけるクラスメイトの様子は押して知るべし。


 まあクラスメイトの認識と、その騒動を簡単にまとめるならば、

「大丈夫かなあ、長谷川。ほんとに退学になっちゃったりして」
「うわー、そしたら完全にあたしらのせいじゃん」
「だよねー。ネギくんもいなくなっちゃうのかなあ」
「ああっ、わたくしの責任ですわっ。千雨さんにネギ先生。なんとお詫びをすればよいかっ!」
「べつに平気じゃない?」
「アスナさんっ! なぜそんなに冷静なんですのっ!」

「だよねー。気楽過ぎない? うちはかなりやばいと思うけど」
「そーそー。最初にいんちょにばらしたのも明日菜だって話じゃん。ほんとにネギ先生が辞めちゃったらどうすんのー?」
「わたしがばらしたわけじゃないっての……うーん。でもネギもマジだったみたいだし……」
「そしたらうちがおじいちゃんに直談判したるわあ。うち、あの二人を応援しとるからね」
「でも長谷川とネギくんかあ。わたしまだ信じられないんだけど」

「ネギ先生ちょっとかっこよかったのになあ、ねーお姉ちゃん」
「もーネギ先生ってば手が早いんだからー。楓ねえもそうおもうでしょ?」
「……さすがに予想外すぎてなんともかんとも。真名はどう思うでござるか?」
「中学で退学はないだろう。先生のほうは大丈夫だろうし、修学旅行も問題ないと思うけどな。べつにいいんじゃないか? 自由恋愛だろ」
「ひゃー、クールだねえ、たつみーは。ネギくんだよ? いいのかねえ」
「わたしもそうおもうな。転校くらいはあってもおかしくないんじゃないか? 学園長が許さないと思うが」
「へっ? なんで学園長が出てくるの? 木乃香関係?」
「い、いや……別にそういうわけでは……」

「わたしもいいとおもうわよ。性別年齢問わず恋愛は自由だものね」
「……ちづ姉。さすがにそれはどうかとおもうな」

「やっぱり、間違っていなかったってことかあ、かー、もったいねー」
「や、やめようよぅ、パル。そんなこといってると怒られるよ」
「そうですね、ハルナは少し反省するべきだと思います。呼び出しがかかったということは、何か処分があるのかもしれませんし、もしかしたら明日からの修学旅行に影響があるかもしれません」
「それはちょっと困るねえ。ここでちうちゃんが来れなくなったりしたら、いいんちょたちも気にしそうだし」
「まー、ほんとにミスったわ。千雨ちゃんにも悪いことしちゃったし。………………くー。こっそり旅行中にでも問い詰めてから、からかえばよかったー」
「パル~っ!」

「くっくっくっ……、いや、退屈せんな。しかし本当にこうも早くばれるとは。あいつ知恵者ぶってるが、結構バカなんじゃないか?」
「笑ってないで、もしものときは助けてあげてくださいね、エヴァンジェリンさんっ!」
「わかったわかった。今日にでもあのバカに説教の一つでもしてやるさ」

「えーっと……茶々丸は知ってたの?」
「はい。先日の停電日にマスターとネギ先生が交戦してからだと伺っております」
「交戦? エヴァンジェリンとネギ坊主が戦ったアルか?」
「いやいや、どちらかというとエヴァンジェリンさんと長谷川が戦ったという意味ヨ。彼女はなかなかの女傑だからネ」

 そんなクラスの様子を見ながら、いつものように無表情のザジ・レイニーディと、ほわほわとした笑顔を崩していなかった四葉五月の姿がある。
 善人ぞろいの3-Aのいつもの騒ぎ。

 とまあ、クラスメイトからの評価は大体こんな具合に落ち着いた。

 学園長室に入り、クラスメイトのことを考えながら、千雨は思う。
 一日中、好奇の視線にさらされながらも、きっとあの程度の詰問で済んだのは、明日が修学旅行だからに違いない。
 ああ、いったいどうしたものか。

 逃げるわけには…………いかないよなあ、やっぱり。



   ◆◆◆



「ああ、だからそんなに疲れてるのね、千雨」
「まあな」
 寮の一室で、千雨から事情を聞いたルビーは笑いながら言った。

「でも修学旅行にはいけることになったんでしょ。よかったじゃない。魔法関係にだけ甘いのかとも思ったけど、そうでもないみたいね」
「まさにその魔法関係の延長って考えられてるのかもしれないけどな。さすがに今日始めて知ったことはないだろうし」
 ベッドの上に倒れこんでいた千雨が答える。

「まさかこんなに早くばれるとは向こうも思ってなかったでしょうねえ」
「お前の言ってことが分かったよ。ばれることが予想できるなら、ばらすタイミングを考えるべきだった」
 ばれ方としちゃあ最悪だ、と千雨が肩をすくめた。

「成長しないわねえ、千雨は」
「返す言葉もねえよ」
 千雨が手を上げる。これでも反省しているのだ。

「まあ街にデートに繰り出したくらいなんだから、あなたも結局ばれることについては納得してたんでしょ」
「……どうかな。でもそうなのかもしれない。わたしは水面下でずっと気を揉んでいるってのは苦手だし……」
「普通は苦手よそんなもの。誰だって成長していく過程で経験をつめば耐えられるってだけ。あなたもまだまだ未熟ってことね」
「そりゃ分かっているけどさ」
 魔術師だということが公にばれるよりはましなのだろうが、良かったとはとてもいえない。
 ネギやさよには散々偉そうなことを言ってきたが、こういうことは人事だからえらそうに言えるのであって、自分の身に起こるとたいしたことはできないものだ。
 自分の無様さを改めて自覚する。反省できない自覚に意味などないのはわかっているが、さすがに最近はひどすぎだ。

「ところで、当のネギくんはいないの?」
「まだ学園長室じゃないのか? いろいろあるだろうし。それにべつにばれたからって一緒にいる必要ないだろ」
「ふーん。そういう意味だけでもなかったんだけど……」
 学園長室に呼ばれた以上、千雨の“魔術”について何かしら言葉あるかも、と思っていたルビーとしては肩透かしだ。
 そんなことを口にしながら、ルビーがネギや相坂が先日魔術を施したランプを手に取る。
 燃えた形跡のあるそれを眺めると、ルビーが微笑んだ。

「やっぱネギくんのは魔術って感じじゃないわね。こっちで言うところの“魔力”を使ってるわ。まあ当たり前だけど。……さよちゃんはその点さすがね。魔術回路が動いている。千雨製の体だけのことはあるわ」
「そうなのか?」
 ネギのランプは火種が燃えつき、相坂さよのランプはうっすらと黒ずんでいるだけだ。だがルビーにはルビーの見方があるのか、相坂のほうを上等と評価した。

 ちなみにさよの体が特別製というのは、魔術回路の有無のことだ。
 体に組み込まれた魔術回路に加え、もともと霊体だっただけあり霊体接触用の加工、さらに暗示対抗までオートで備える特別性だ。彼女は魔術に特化している。
 凝り性のルビー監督の下、さよを憑依させるためにと千雨が魔術的に加工をした英知の結晶。

「坊やのは、あくまで魔法を魔術の原理で発動させただけだからだな。それもそれで中々評しがたいのだが、本来は似て非なる技術の両立は難しい。傍系ならまだしもな。お前らが“回路”と呼ぶシステムのこともあるし、さよのものは魔術だが、坊やのものはやはり魔法だ」

 そんなルビーと千雨の会話に割り込むような声がした。
 ルビーと千雨がそちらを向く。
 当然のことながら、その発言主はエヴァンジェリン・マクダウェルその人で、

「えへへ。そういってもらえるとうれしいです」
「さよさん……あの、紅茶がこぼれていますけど……」

 その横には、ルビーのほめ言葉に頬を緩める相坂さよと、紅茶の入れ方をさよに指導している絡繰茶々丸の姿があった。


   ◆


「まあ、だれもかれも“あなた”のようにはいかないわよね」
「わたしは異なるなら異なるなりに対処できるからな。だが、わたしの“魔術”もやはりお前らのシステムとは異なる。魔力で魔術を発動させるのは、魔法とも魔術とも別物だ」
 百戦錬磨を自称する吸血鬼がこたえた。
 千雨は無言。というか意味がわからなかった。
 同じく自分の上達をほめられるのは喜んでも、そのカテゴリには興味のないさよが千雨に紅茶を手渡す。

「千雨さん。紅茶入れました。飲んでください」
「あ、ああ。ありがと」
 ずずいとよってくる相坂に礼を言って千雨が受け取る。
 さよの笑顔がいまの千雨にはまぶしすぎた。

「えへへ。おいしいですか?」
「ああ、おいしいよ。ありがとな、さよ」
 ニコニコと笑うさよにうなずきながら、感謝の言葉を返す。
 幸せそうにさよが微笑んだ。
 自分の心情を正直に出すようになった彼女は、子供っぽい扱いにむしろ素直な喜びを見せるようになっていた。
 ますます幼児退行している気がする。

「で、エヴァンジェリンはなんか用があるのか?」
 ごろごろと千雨に擦り寄るさよの髪に指を通しながら千雨が問う。長く美しいさよの髪が千雨の指と絡まっていた。
 そんな、少女をはべらせる千雨の姿にエヴァンジェリンが微妙な視線を向けている。
 いつもは常識人を装うくせに、このバカはこの状況に違和感を感じていないのだろうか? 実に将来が心配だ。
 その横では茶々丸がむしろ感心している。
 さすが千雨さんですね、とそんな認識。

「まあ、お前のバカさ加減についてちょっとな」
 あきれ顔で千雨を見ていたエヴァンジェリンが口を開く。
 あからさまな罵倒に千雨が怯む。心当たりがありすぎるためだ。
 そんな千雨を、事情を知っている様子のルビーがニヤニヤと眺めていた。
 一周回って笑いも枯れ果てたエヴァンジェリンの表情はむしろ疲れきっていた。
 わたしは悪の魔法使いなんだぞ、本当は。

「千雨。お前もうすこしいろいろと考えて行動したほうがいいんじゃないか? 少し無節操すぎると思うぞ」
「…………あー、まあな」
 ネギとのことだろう。
 この件に関してはエヴァンジェリンに迷惑かけっぱなしということもあって、平伏しつづけるしかない。

「いや、もちろんそれもあるんだが……」
 だが意外なことにエヴァンジェリンは千雨の返答に首を振った。
「んっ? 違うのか。じゃあ、なんのことだ?」
 ぱっと思いつく心当たりがない。
 エヴァンジェリンは少し口ごもる。
 このまま説教されるのだろうかと身構えていた千雨が眉根を寄せた。
 正直こいつには何もかも知られているだけあって、ぶっちゃけてしまえば、ルビーと並んで一番気兼ねしない相手だと思っていたのだ。

「その、だな。でははっきりと言わせてもらうが」
 エヴァンジェリンが前置きとばかりに言葉を濁す。
 気を落ち着けようと、さよの入れてくれたお茶を千雨が口元に運び、


「――――昨日の今日でさよにまで“手を出す”ってのは、さすがに“そっち”に旺盛な魔術師としてもどうなんだ?」


 耐え切れなくなったのか、ルビーが腹を抱えて笑い出し、さよが真っ赤になってうつむいて、以前見たような展開に茶々丸が頬に手を当て驚いて、当の千雨はその言葉に口に含んだお茶を噴出した。


   ◆


「だから、んなことしてねえっ!」
 顔を真っ赤に染めた千雨が怒鳴った。
 意外と気の回るルビーが防音の結界を張ったことに、エヴァンジェリンだけが気づいている。

「なるほどな。さよが……」
 そんな千雨の叫びに納得した顔でエヴァンジェリンがうなずいた。

「だからそういってるだろうが」
「だがなあ……さすがにこう連日だと忠告の一つでも送りたくなるんだよ。無断外泊の末、今日の朝にはいきなり生娘でなくなっているさよがお前と同伴だ。心臓が止まるかと思った」
 朝のクラスでは馬鹿笑いしていたくせに、神妙を装ってそういった。実に性悪である。
 うぐっ、と千雨が後ずさり、相坂さよの頬が染まる。

「いまのさよはわたしの保護下にあるわけだからな。いきなり外泊するようなら、手を出したバカに文句の一つも言いたくなるさ」
 そういや昨晩はめんどくさがってエヴァンジェリンへ連絡をしていなかった。
 だが、悪党を自称する吸血鬼の癖に、心配性の母親のごとき台詞を吐かないでほしい。

「っ! だからわたしはキスしかしてねえっ!」
 エヴァンジェリンの言葉に再度千雨が叫んだ。
 その台詞もどうだろうと茶々丸が首をかしげ、さよが頬を染めたままだ。

「キス程度で“こう”なるから問題なのだ。いいか千雨。以前に言ったな。吸血鬼は人の魂を視認して、処女や童貞の判断がお前らとは異なると。女同士でも男同士でも破られる魂の繋がりだ。オモチャを使って膜を破っても意味はないように、キスだけでも繋がりが生まれることはある」
 一拍エヴァンジェリンが間を置いた。
 エヴァンジェリン・マクダウェルは言っていた。
 魂が視認できると、処女と童貞の区別がつくと、そして“その基準が普通の人間とは異なる”と。

「だがなそれは裏を返すなら、口付け程度で、魂の繋がりを得られるほどの関係であるということだ」

 だから、こうして放課後になり、エヴァンジェリンが千雨の部屋にきているわけだ。
 ぐっ、と千雨がうなる。さすがにそこは否定できない。

「わたしにとっては10のガキと耽溺にふけるよりも魂の交わりをもつことのほうが重要なのだ。離婚すればそれで終わりである結婚などより重視されるのが魂の架け橋だぞ。わたしに知らんところで、バカが自分の魂を安売りするならべつに良い。だがお前はわたしの下につき、相坂さよをわたしはすでに身内として認めているのだ。坊やと恋人だと言い切ったくせに、さよにまであまり変なことを教え込むんじゃないっ!」
 冷徹で、人の生き死を一段高いところから語れるはずの吸血鬼。
 かつて相坂さよの霊体に目を瞑り、さよの復活を関係ないと言い切ったその存在。
 そんな存在が口にする台詞とは思えない。
 千雨は半泣きで平伏しながら考える。
 身内に甘くて、意外に一途な吸血鬼。こいつは意外と子煩悩にでもなりそうだ。


   ◆


 お茶を噴出してから、精根尽き果ているような弁明の甲斐あって、ようやくエヴァンジェリンが問い詰めるような気配を和らげた。

「だがなあ、明日から修学旅行だぞ。お前本当に大丈夫か? 修学旅行にいく許しが出たところで、責任はわたしが負うんだぞ」
「うっ……それは悪かったけど……」
「ったく。いいか。あのガキの手綱はお前が握らなくてはいけないんだ。こんなにわかりやすく堕落し始めてどうする」
「……ご、ごめん」
「だから忠告しただろうが。その年でそんなのにはまるとだなあ」
「い、いや、本当に身にしみてるから……」
「駄目だ。ちょっと文句を言ってやらんと気がすまん」

 勘弁してくれと千雨が呻いた。
 魔法関係ではルビーが硬くエヴァンジェリンがゆるいのだが、いまこの場ではニヤニヤと笑って傍観しているルビーよりもエヴァンジェリンが百倍怖い。
 まあエヴァンジェリンが正しいことはわかっているが、いまこの場にいないネギが恨めしい。

 そんな二人の横では、茶々丸とさよが朗らかに談笑していた。
 一触即発の千雨たちとはえらい違いである。

「というわけで、わたしは千雨さんに慰めてもらったわけです」
「そうなのですか。はあ、それはその……すごいですね」
「はい、すごかったです」
 はふう、とさよが息を吐いた。
 艶っぽすぎる。この娘も自分と負けず劣らずおかしくなっているのではなかろうかと、会話を漏れ聞いていた千雨から恐ろしいほど鋭い視線がとんだ。
 しかし千雨はいまだに説教中だ。
 余所見をするなとエヴァンジェリンが怒り、情けない声を上げて千雨が謝る。
 そんな二人を思いっきり無視して、茶々丸とさよは朗らかに会話を続けていた。。

「そうですか。日曜日に千雨さんが」
「はい。木乃香さんと一緒にこっそりと。もうあの時はすっごく不安でついて行っちゃったんです」
「木乃香さんたちも……」
 ネギとデートしていたという話に興味があるのか、茶々丸が言葉を続ける。さよが頷いた。
 隣り合って座っているこの二人は実はかなり仲がよい。エヴァンジェリン邸で雑務を行う茶々丸と、居候という身分を自覚しているさよは何かと助け合うことが多いからだ。

「はい。もともと木乃香さんがネギ先生にいろいろとお話をして、それでお出かけしたそうですから。あっ、あといいんちょさんと美砂さんもですね」
「ええ。今日の朝にお話になっていましたね」
「そうですね。あの日はそのあと――――」
 こうしてエヴァンジェリンに怒られる原因が出来たわけだ。
 今朝のことと合わさって千雨が胃をおさえる。
 そんな姿にまだまだ許す気のないらしいエヴァンジェリンからじろりとした視線が飛んだ。
 この部屋は温度差が激しすぎる。

「――――いいか、千雨。お前も色ボケして流されているみたいだが、いくらあのガキが特別扱いされているといってもだなあ――――」
「ご、ごめんなさい……」
 ニコニコと喋る横の二人とは裏腹に、千雨はもう完全に涙ぐんでいた。


   ◆


「と、もうこんな時間か。しょうがない。まだ言い足りないが、この辺で勘弁してやろう」
「…………」
「おい、千雨。返事はどうした」
「……あ、ありがとうございました」
 うむ、とエヴァンジェリンがえらそうに頷いた。

「それでルビー、貴様はどうするんだ? 千雨にくっついてるのだからやはり向こうに行くのか?」
「まあ遠出に耐えられる体じゃなくなっちゃしねー」
 ルビーが肩をすくめる。

「なに、エヴァったら寂しいの?」
「わたしとここまで対等に会話できるものなどすくないからな」
 意外なことにエヴァンジェリンは明確な否定の言葉ははかなかった。
 へえとルビーがうなり、少しの罪悪感をさよが見せ、気の毒そうな顔を茶々丸がして、千雨は旅行先までエヴァンジェリンがついてことないことにこっそりと安堵した。

「まー、わたしの後は千雨が継ぐし、今後は千雨と喋ってちょうだいな」
「こいつか?」
 鼻で笑いながらエヴァンジェリンが言った。
 ふらふらとしている千雨をみる。
 甲斐甲斐しくさよが介抱しているその姿は、以前対等と認めたやったものとは思えないほどへたれている。

「大丈夫ですか、千雨さん。魔術で治しましょうか?」
「あんまり、魔術に頼るのはやめときたいけど…………でも、ちょっと頼む」
 つかれきった声で千雨が言った。
「お任せください! えーっと」
 頼ってもらったことに喜ぶさよが嬉しそうに千雨の額に手を当てる。
 覚醒と精神力の回復を担う魔術である。
 十四ワードの詠唱を経て、千雨の体に活力が戻った。

 さよには単音で魔術を発動させられるほどの腕はない。
 体や魔術回路はルビーと千雨のお手製なので、千雨やルビーの宝石なら起動キーのみで発動させられるが、通常の魔術にはやはり十ワード以上の詠唱が必要だ。
 とは言ってもたかが十ワード。そして媒介の薬品等を用いずに生理システムに干渉できる魔術を発動させられるだけでも十分な成果であるのだが、格上を通り越して、いかさまやずるっこのレベルである千雨を間近で見ているだけに、さよとしてはまだまだ精進の必要性を感じている。

「はあ、で、どうなったんだ? あの爺のところにいったのだろう」
 修学旅行にいけるようになったことしか聞いていなかったエヴァンジェリンが改めて問いかけた。
「あ、ああ……」
 唐突な切り替えにまだふらふらとしていた千雨が口ごもる。
 学園長室に呼び出され、まあ色々と話をされた。

 やはりというか、なぜかというか。いや当たり前というべきか。当然のように責任はネギが取る事になったようで、自分は退出を命じられ、ネギを生贄にとして置いてきた。
 だがそれも放課後のことだ。
 まさか未だに学園長室にいるのだろうか。

「わたしは節度を持ってとか……まあそういうことを注意されただけだけど……」
 ほう、とエヴァンジェリンがつぶやいた。あごに手を当てて考え込む。
「お前が下の立場になったか。まあ妥当というべきかもしれんが……」
「ほら、やっぱりばれてよかったじゃない」
 その横でふわふわと浮いていたルビーが口をはさむ。
 千雨がジト目を向けた。

「まあルビーの戯言はともかく、あそこまで大々的なばれ方をしなければ内々で手を打っただろうしな。しかし流石に修学旅行は半々か六分で、お前になにかしらの制限がかけられるかと思ったが……」
「へっへー。そうしたらエヴァもさびしくなかったのにね」
「ちっ、ルビー。貴様がさっさとこの呪いを解除する術式を完成させないからだぞ」
「何だ、やっぱりいきたがってるんじゃない」
 ふんと、エヴァンジェリンがそっぽを向いた。
 千雨とさよも驚いたような視線を向ける。
 仲がいいことは知っていたが、かなり意外だ。
 というか旅行に行きたがるエヴァンジェリンというのが意外すぎた。

「エヴァンジェリンさんはやっぱりいけないんですか? あの、わたしが幽霊だった時みたいに一時的にどうにかするとかも……」
「難しいのよね、正直。エヴァンジェリンの呪いってのはかなり厄介でさ。魔法の解呪は良くわからないけど、魔術的に見た場合、ネギ君のお父さんのあれは呪いというより構成自体は祝福に近いのよ。悪意なく発動させられる拘束のシステム。呪いを利用しているだけで悪意がない。呪いは明確に異物だから解除できるけど、力を与える術式は受け手が納得しちゃうからキャンセルしにくい」
「……祝福ですか?」
 さよが首をかしげた。

「そっ。呪いは弾くべきものだけど、祝福ははじくという選択肢から存在しないからね。ゲームをやったって、毒消しはあってもパラメータ上昇を解除する魔法がないことを疑問に思ったりはしないでしょ? どれほど強力な、それこそ世界最高峰の解呪の魔術だろうと“解呪”という概念では祝福は消えないの。当たり前だけどね」
 俗っぽいたとえを出してルビーが得意げに語る。
 ウムウムとうなずいているエヴァンジェリンにも意味は通じている。こいつは意外とゲーム好きだ。

「まっ、ナギさんもさすがに世界最高だなんていわれてないわ。わざとなら策士すぎるけど、評判聞く限りそんな人でもないみたいだし。それにやっぱり、エヴァンジェリンが呪いのかけ手であるナギさんをいまだに恨めていないのも原因よね。エヴァ側に本気の憎しみがあるなら、千雨の魔力を使って魔術式を組めば解除できるかもしれないわよ。まったくエヴァったら一途なんだから、もうっ」
 パシパシとわざわざ実体化して肩を叩いてくるルビーに、エヴァンジェリンが死ぬほど鬱陶しそうな視線を向けた。
「ルビー、しゃべりすぎだ」
「もー、照れなくていいのに」
 ケタケタとルビーが笑う。
 エヴァンジェリンは迷惑そうな顔をしたままだ。

 逆に千雨は納得したように考え込んだ。
 ルビーやエヴァンジェリンが本気で取り組んで解除できない呪いというのにはわりと疑問があったのだ。
 ネギの血を吸って呪いをとこうとしたのも、呪いという概念からの解呪を狙ったわけではなく、ネギの血からナギの魔法への親和性を取り出すためか。

「まあ、でもそれだけじゃないわ。魔法としてだって、ちょっと分けわかんないくらい強力だもの。効果を単純にしてる分、違法な解除に対して厳しくなってるから呪いをつかさどってる精霊に対して干渉しようがないのよ」
 そんな千雨の考えを読み取ったのか、ルビーが笑った。

 そんな姿を見ながら千雨はこっそりと息をついた。
 やはり先生の父親の封印とはかなりとんでもないものらしい。
 まあ世界最強を自負する吸血鬼が、惚れているとはいうもののむざむざ十五年もとらえられているのだ。
 複雑な封印は時間がかかるだけだが、強大な封印は理論だけでは難しい。千桁のパスコードよりも溶接した鉄の手錠の方が大変ということだろう。
 順当に考えればさすがに実際は開封コードも存在するのだろうが、ルビーもエヴァンジェリンも見つけていないわけだし、そんな封印を片手までかけてしまうネギの父親とやらがやはり天才と褒め称えられるのも良くわかる。

 天才の父親。天の血統。ネギが才能を持っていたからいいようなものの、普通だった重圧に押しつぶされてしまうだろう。
 魔術と異なり継承されない魔法理論。才能だけが継承されたその息子。
 そして、その才能を引き出すためのその■■。
 考え込んでいた千雨が頭を振った。思考がブレていたことを自覚する。

「あの馬鹿が五年かそこらで解けるように区切を打っておけばよかったのだ」
「あなたが本気で説こうとしてもある程度の時間は解けないようにかけてたんでしょ。あなたは解く気もなかったみたいだけど」
「解く気はあった」
「少なくとも最初のうちは待ってたんじゃないの? ナギさんをさ」
 ルビーが肩をすくめる。エヴァンジェリンが不機嫌そうに黙った。
 だがそれは肯定と同義だ。

「それに時間で区切るとあの異空間で解消されちゃうじゃない。ナギさんもあれのことは知ってたんでしょ?」
「……“あっち”のことか」
「ええ。あんなことが出来るんだから、時限式の呪術なんて意味ないでしょ」
「流束から時間量を測るのではなく、太陽と月の動きから区切りを打てばいいだけの話だ。力はあるくせにナギが変なところで抜けているから……」
 ぶつぶつとエヴァンジェリンがナギに向かって文句をいった。いつものことなのかルビーはニヤニヤと笑っている。

「エヴァンジェリンさんの別荘とかいうのですかあ。たしか時間が長くなるんですよね」
「はい。マスターの構築された術式により、外面上、時間軸が24倍まで伸ばされています」
 さよの言葉に茶々丸が答える。
 千雨もものだけは知っている。エヴァンジェリン邸の秘密の施設。エヴァンジェリン・リゾートのことだろう。

「はいったことないですけど、やっぱりすごいですよねえ。これって千雨さん的には魔法にはならないんでしょうか?」
「わたしに聞くなよ。どうなんだルビー? 魔術的には節約術とか生活の知恵と同一視されちまったりするのか」
 鼻で笑いながら千雨が問う。
「そうねえ、あの空間はたぶん時間を延ばすのではなく、一時間かけて一日を作り出しているんでしょう。時間差付けて入っても問題ないってことは常時発動式ってことだろうし、一分を二十四分にするのとはまったく別物だと思うわ。基本が一日区切りなのも、最低でも一日出れなくなるのもそれが理由なんじゃない? 時間干渉というより時間の創造だと推測してるけど……まーどっちにしても魔法並みではあるけど、魔法じゃないわね。」
 ルビーがあっさりと答えた。
 かつて因果律に干渉する宝具があり、因果を逆行させる伝菌保持者が居たように、魔術においても時間干渉は至高の技術であるが絶対的なものではない。

「おい、人の別荘のカラクリを適当に答えるな」
「ゴメンゴメン。まっ、実際の術式はさすがにわからないわ。それでもさすがに別格だってことはわかるのよ。世界に干渉するどころか、異界を作ってるでしょう、あれ。外時間の流れから外れている。千雨とさよちゃんもあそこには入らないほうがいいわ。とくに千雨はね」
 エヴァンジェリンが怒るが、大して気にした様子も見せずにルビーが言葉を続ける。
 だがその内容は何度もいわれていることだ。
 さよの体を作っていたときでさえ、ルビーはあの別荘には立ち入らせようとはしなかった。
 今となっては別荘どころか、エヴァンジェリンの家にすら近づく気はない千雨がうなずく。

「で、千雨。修学旅行はいいとしてそれ以外のところはどうだったの? 魔法についての注意とかうけた? わたしのこととかばれたようなら、出向いていってもいいけど」
「ばれてるかもしれない。でも、わたしに文句を言うより、エヴァンジェリンの監督だからどうとか言われたけど」
 千雨はつい数時間前のことを思い返しながら答えた。

 学園長は長谷川千雨にほとんど罰を与えなかった。
 まあ公式にみれば責任を取るべきは教師であるネギの方で、魔法使いとして見れば元凶はエヴァンジェリンであるので、納得すべきかも知れない。
 ネギもネギで千雨が責任を負う必要は全くないと考えていたようなので、千雨はさっさと退出を命じられてしまったのだ。
 かなり覚悟をしていった千雨としては拍子抜けするしかない。
 頼ってばかりで、どうにも申し訳ないし、ネギがなにかペナルティーをもらっていたら手助けでもしてやろう、と考えていた。

「でも良かったです。千雨さんが来れないなんて、そんなことになったらわたしもどうすればいいかわかりませんでしたから」
 さよが微笑みながら言った。今日教室で、千雨が修学旅行にいけることになったと聞いたとき、一番喜んでいたのは彼女である。
 まあその場合はこの少女はひどい葛藤に苦しむ羽目になっただろう。
 千雨としては非常にコメントがしにくい。

「はいはい。サンキュ、相坂」
 ごまかし混じりにひょいとお茶請けをさよの口に突っ込んだ。
 人に戻って数ヶ月。いまだに子供っぽいところを見せるさよがもぐもぐとそれを食べる。
 幸福そうに微笑むさよを見ながら、千雨はどうしたものかと肩をすくめる。

 そんな雰囲気の中、5人が会話をしていると、インターホンが来客を継げた。
 すでに夕刻と呼ばれる時間もすぎている。
 明日から修学旅行で、さらに今日のところはと見逃されている千雨のところをたずねるものなど、エヴァンジェリンたちのほかには当然その人物しかいなかった。

「こんばんは、千雨さん」
「ああ、先生。ずいぶんおそかったな」

 玄関の前にたたずむその人物。
 扉を開けた千雨の前に、ネギ・スプリングフィールドが立っていた。


   ◆


「はあ、親書ですか」
「はい。それを届けるように、と」
 でも、とネギが言葉を続ける。
「わたしは手伝わないように。ですか。学園長も良くわかんないことしますね」
 話を聞いた千雨もうなずいた。エヴァンジェリンが居るから、というわけでもないのだが、形だけは丁寧な口調である。
 どうも対応が読めない。いや、読めすぎるがゆえに不安になるのだ。放任主義のレベルを超えている。
 だけどあくどさを感じられないからまた困る。以前のエヴァンジェリンではないが、表立って悪ぶってくれていた方が対応は楽なのだ。
 正義の味方を自任する気はないが、悪の組織は悪でいてくれなければ動きにくい。

「なるほどな。お前が修学旅行行きを許可されたのはそれが原因か」
「逆じゃないか? 関わらないようにって言われてるんだぞ、わたし」
「違う。関わるのは“何か”あったときだ。坊や以外の裏の人間は原則干渉を禁じられているが、平穏に終わらない場合生徒なら出張りやすいだろ」
 そういう台詞は言ってほしくなかった。
 噂がタタリを引き寄せる、というのはルビーから聞いた御伽噺の一つだが、不吉な軽口はやはり叩くべきではないのだ。
 千雨はうんざりといった顔をする。エヴァンジェリンとの一件のようなイベントは、人生に一回でも十分すぎる。

「でも、これを関西呪術教会の長さんに届けるといわれただけですから。きっと問題なんておこりませんよ」
 ネギが千雨を安心させるように笑った。感謝の言葉を返しながら千雨も笑い返す。
 残念ながらネギの受け取った親書とやらは見せてはもらえなかったが、ネギの真剣さを見るに、かなり重要なもののようだ。
 ネギも張り切っている。

「どうもあんまり向こうとは仲がよくないみたいっすね。東の魔法使いが介入すると問題になるとか」
「ふーん。で、ネギくんは正式に関東魔法教会に組みしてないからってことかしら」
「そ、そうっすね。でもこれは重大な役目ッスよっ!」
 流石兄貴ッス、などとほざくカモミールに千雨が胡散臭げな視線を向けている。
 当のカモは初対面となるルビーの姿にビビッていた。ルビーもルビーで以前から興味が合ったらしい喋るオコジョをぶしつけに観察している。
 千雨としてはこの二人の口数が減って結構なことだ。

「でも親書を送ってどうにかなるものなんですか? それなら前からやればよかったじゃないですか。わざわざ修学旅行にあわせなくても……」
「なんでも正式に通達できないから修学旅行がいい機会だったとかで……」
 さよの言葉にネギが困ったように答えた。学生の旅行を建前かカモフラージュに利用したということか?
「またそれかよ。先生の卒業試験じゃないけど、やな感じだな」
 不機嫌そうに千雨が言った。

「それに親書一通でどうにかなるのか? 親書を送ることも出来ないってのに、その長さんとやらに親書渡したって変わらないだろ」
「意味はある。公式に認められるか否かが重要なのだ。表立って調整をすれば抗議があがるが、いったんルールを通して決まってしまえば納得せざるを得なくなる。西と東の確執なんぞにこだわる輩は儀礼と伝統を重んじるから、逆にそっちに筋を通せば文句を言わんし、組織としての対策も立てられる。トップ会談に跳び越し合意というやつだな。やられるとむかつく手だが、やる分には有効だ」
 千雨の問いかけるような視線に対してエヴァンジェリンが答えた。

「ふーん。気に入らないけど、じゃあホントに届けるだけなのか。エヴァンジェリンのときみたいなのは勘弁してほしかったし、まあ安心かな」
「まー、あんなのそうそう起こらないわよ。普通はね」
「お前なあ、そういう振りはいらねえんだよ」
 早々起こるといっているようなものだ。何か裏がありそうである。

「まあ命の危険はおこらんだろう。あいつもそこまで抜けてはいないし、そこまで行けば西と東の問題ではなくなるからな」
「あー西の長さんか。まあそうなるのかしらね」
 どうやら知り合いのようなエヴァンジェリンの台詞に、ルビーが納得顔で頷いた。
 有名人なのだろうかと千雨が首をかしげるが、ルビーもエヴァンジェリンも説明する気はないようだった。

「まあいいんじゃないか。エヴァンジェリンみたいなのが襲い掛かってきたとかならまだしも、修学旅行にごちゃごちゃしたのを持ち込まれるのはたまらないからな」
「ほう、いうようになったじゃないか」
 フン、と千雨が鼻を鳴らす。
 殺されたことに関しては、未だに文句はあるものの、しこりとしては残っていない。
 ネギがニコニコとしてそれをみていた。

「まあな。それにさよもいやだろ。お前めちゃめちゃ楽しみにしてたし、そんなわけわかんないので潰れるのはさ」
 当たり前のように千雨が言葉を続ける。
 こういったところが、相坂さよの心をくすぐり続けているということの自覚はないのだろうか。

「~~っ! ありがとうございます、千雨さんっ!」
 感激したらしい相坂さよがむぎゅっと抱きついてきた。
 スキンシップというか抱きつき癖というか、ネギも似たようなところがあるが、時と場所を考えないと非常にまずい事態に陥るネギと違って、さよならばまあ問題あるまい。
 千雨は自分の胸に顔をうずめるさよの髪を梳いてやる。
 昨晩の泣き顔を覚えている身としては黙って受け入れる以外にない。

 そんなさよの姿に苦笑しながら顔を上げると、ものすごい複雑な視線を飛ばすエヴァンジェリンの目があった。
「な、なんだよ」
「いや、お前が懲りない奴だということが良く分かった」
「えっと……いえ、千雨さんらしいと思います」
 ネギが曖昧に微笑みながら言った。

「おい千雨。こうなったのはしょうがないと割り切ってやるが、修学旅行先では問題を起こすなよ。わたしが面倒なことになるんだからな」
 分かってる、と千雨が頷く。責任とはその人物に対して背負うもので、その場の行動に関するものではない。
 相坂さよに責任を取るといった身だ。
 同行できなかろうが、千雨の行為はエヴァンジェリンの責となることを千雨はきちんと知っている。
 そもそも千雨は周りの問題に巻き込まれていただけで、自分からことを起こしたことはあまりないのだ。
 それを聞きながら、千雨に抱きつくさよがその胸に顔をうずめる。
 千雨が苦笑しながら、背中をぽんぽんと叩き、微笑んだ。

「ったく。おい、ぼーや。お前のほうはどうだったんだ。爺からなにかしら言われたんだろ?」
「はあ、一応……その、注意を……」
 ネギが口ごもった。
 それを見て千雨が少しだけ眉根を寄せる。やはりいろいろといわれていたようだ。
 だがネギはそれを口に出そうとはしなかった。
 千雨がぽりぽりをほおを掻きながら、感謝の言葉を投げる。
 その言葉だけで十分すぎると、ネギが微笑んだ。

 エヴァンジェリンはそれを見ながら呆れ顔だ。
 この三人だけでは、非常に不安だ。
 だが、だからこそ、エヴァンジェリンは手を打った。
 彼女がちらりと横を見る。三人をほほえましそうに見つめるその女性。
 エヴァンジェリンに付き従って修学旅行を欠席しようとしていた、エヴァンジェリンに仕えているにしてはマトモすぎるほどにマトモなその少女。
 エヴァンジェリンがそんな彼女に向かって口にする。

「ったく、ルビーも役にたたなそうだしな。茶々丸、こいつらを良くみておけよ」

「はい、マスター」
 幸せそうに千雨に抱きつくさよにむかってうっすらとした美しい笑顔を向けながら、絡繰茶々丸がそれに答える。
 気難し家のエヴァンジェリンから信頼を寄せられて、千雨たちのことを任すと告げられるその少女。

 自分を信用していなさそうなエヴァンジェリンの言葉に千雨が苦笑いをするが、まあその言葉には文句を言うわけにもいかないだろう。
 正直エヴァンジェリンが同行した所で、笑ってばかりでホントに本気で危なくなるまで手をかさなそうなところもあるし、今回の修学旅行にはエヴァンジェリンなどより彼女のほうがよほど頼りになるだろう。

 3-A修学旅行第六班。
 班長は絡繰茶々丸。
 班員は桜咲刹那、ザジ・レイニーディ、相坂さよ、そしてもちろんさよに誘われた長谷川千雨の計五人。

 これまでずっと修学旅行を見送り続けて、涙を呑んでいた相坂さよは千雨に抱きつきながらほほえんだ。
 エヴァンジェリンが出席できないのは残念だけど、それでも不謹慎ながら笑みをおさえる事が出来なかった。
 明日から始まる修学旅行。
 麻帆良の外で、観光名所。一緒に行くのは友人たちとそして何より長谷川千雨。
 それが楽しみでたまらない。

 まあしかし、
 楽しそうに、嬉しそうに、向こうでなにが起こるのかと、期待に胸を膨らませる相坂さよに抱きつかれるその少女、

 彼女が抱きつく長谷川千雨はもう少し複雑そうな顔をしていたけれど……




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 本来は前話とくっつくはずの解説回。
 朝起きると昨晩同衾していた女子中学生が、制服エプロンで朝食を作ってくれている千雨さんの話。ネギをハブって新婚夫婦のごとき朝を迎えてますね。なんだこいつら。







[14323] 第19話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/06/21 00:31
「ではわたしは今日はそろそろ部屋に戻るぞ。時間がもったいない。おい、ルビー。ついてこい」
「もーしょうがないわねえ」
 さて、千雨の部屋での話も一区切りつき、そろそろいい時分になると、エヴァンジェリンが会話を切り上げてそういった。
 明日の修学旅行を控えた千雨たちに気を使ったということはないだろう。
 エヴァンジェリンの言葉に茶々丸も立ち上がる。
 ルビーも文句を言いながらもついていくようだ。

「あっ、それじゃボクもアスナさんのところに戻りますね」
 ネギも言葉を続ける。
 同時にさよの視線が、千雨とエヴァンジェリンの顔を往復した。

「えっと……じゃあわたしは千雨さんの部屋で……」
「むっ? ……まあわたしたちは今日徹夜するから、それでもいいが……おい、千雨。適当な性根のままさよに手を出すなよ」
「だすわけねえだろ」
 というか許可する前に家主にことわれ。
 千雨は最近の自分の立場に首をかしげながら、お休みと言葉を交わしてエヴァンジェリンたちを見送ることとなった。



 第19話


「んじゃまあ。明日も早いし今日は寝るか」
 と千雨は部屋の中に目を向けて、部屋の中に残る相坂さよに向かってそういった。
 パジャマ姿のさよがこくりとうなずく。
 なぜか胸元に枕を抱いていた。
 千雨が非常に複雑な表情でそれを見る。

「…………お前はこっちな」
 そういいながら千雨は布団を指差した。さよが頻繁に止まりに来るようになって用意したさよ用の布団である。
 ショックを受けたようにさよが後ずさる。だがネットアイドルなんてあこぎな趣味を持っているとそういうあざとい表情には騙されなくなるのだ。
 すごくわざとらしかったので、千雨はリアクションをとる義務を放棄した。

「うー、昨日は一緒に寝てくれたじゃないですか……」
 反応しない千雨にさよが唇を尖らせる。
「あれはお前が抱きついたまま寝ちまっただけだ」
「最初の日みたいに寝ませんか、千雨さん」
「あれは布団がなかったからだ」
「う、そうですか……」
「ああ」
 一刀両断しつづける。
 罪悪感を無視するのがポイントである。
 一度流されると癖になる。躾は初めが肝心なのだ。今日へたれたらきっとこの先ずっと相坂さよに勝てなくなってしまうだろう。
 わたしはそんなバカじゃない。

「なんでそんなに一緒に寝たがるんだよ。ガキかお前は」
「あのですねえ、千雨さんに抱きついてるとなんかこう、くうぅ、って感じで幸せになるんですよ。わかりませんか千雨さんは?」
「ああ、そう」
 こいつはすげえなあ、と息を吐く。
 適当に会話を続けながら寝間着の準備。
 好かれるのは嬉しいが、ここまで行くとどう対応していいのか分からない。
 変な性癖に目覚めてないだろうな、と千雨が冷や汗を流した。

「だけど駄目だぞ。エヴァンジェリンに釘刺されたばっかりだし、ばれたらなに言われるかわかったもんじゃない」
「…………」
 枕を抱いて潤んだ瞳を向けられた。
 こいつはこれを素でやっているのだ。
 恐ろしすぎる逸材である。

「……また今度一緒に寝てやるから我慢しろ」
 さっそくいいわけめいた台詞をはいて、千雨がへたれた。
 ぎりぎりの譲歩、というよりはただ根性がないだけだろう。
 それだけ口にすると、千雨はさよの視線を振り切ってベッドに入る。
 流石に今日は心労がたまっている。千雨もさっさと寝たかった。

 チェッと舌打ちして、しぶしぶとさよも用意された布団に入った。
 千雨がそれを聞いて頬を引きつらせる。
 なんて危険なやつだろう。危なく牽制球に釣られるところだった。

 そのまま電気を消して、二人とも黙る。
 お互いの息遣いだけが、暗い部屋の中で聞こえてくる。
 暗闇の中、すこしたってさよが小さな声をあげた。

「あの……もうねむっちゃいましたか」
「……起きてるけど、なんだ?」
 もぞもぞとさよが動く。
 さよにベッドを譲ることもなく、遠慮なくベッドの上で寝ていた千雨が答えた。
 その表情は眠そうだ。

「……いえ。別になんでもないんですけど……明日の旅行は楽しみですね」
「あのな、幽霊のときどうだったかは知らないけど、その体は疲れを自覚するんだから、そろそろ寝ないとマジで明日がつらくなるぞ」
「……うっ、すいません。でも楽しみで楽しみで……」
 千雨から声が返ってきたことにうれしそうな顔をしていたさよが、その言葉に申し訳なさそうな声を出す。
「眠れないってか?」
 暗闇の中、小さな声で問いかける。
 さよが、ハイとうなずいた。
 そんなさよの言葉を聞きながらも、特に返事をすることも無くわたしは口を閉じる。
 というかいい加減眠い。

 千雨は小学生の時分だろうと、遠足や旅行を前に眠れないという気分を体験したことがないが、さよの気持ちはわからないでもない。
 しかし、それを千雨が解消する方法など何もない。
 子守唄でうたってやるか? それとも寝付けない子供をあやすように抱きしめてやるってか?
 はっ。あほらしい。わたしはそんなにアホじゃない。ここでそんな泥沼におちいるほどバカじゃない。
 そろそろ新米を脱却しようとしている魔術師の長谷川千雨をなめてるのか。
 さよを無視して目を瞑る。

 そしてさらに数分たって、さよが口を開く。
「あのあの……千雨さん。もう眠っちゃいましたか? 明日はいつごろ行きます? 始発でいきますか?」
「……あのな、さよ。わたしは結構眠いんだが」
 さすがに千雨が怒った。
 彼女は怒るところは怒るのだ。そして面倒見のいい女ではあるが別に優しくもない。
 そもそも始発で行ってどうするのだ。着いたところで誰もいまい。

「ご、ごめんなさい」
 千雨の荒々しい口調に、さよが恐縮して縮こまった。
「じゃあ、寝ろ。さっさと」
「は、はい」

 そのまま二人とも黙るが、もぞもぞと動き続けるさよの気配に千雨の意識も引きづられる。
 千雨はその気配を感じながらも、ようやく眠れると意識を沈め、ウトウトと――――


「……あの、千雨さんっ! わたしやっぱりちょっと眠れそうにないので、外をすこし走ってきますっ!」


 ――――目が覚めた。

 一周して変な方向に思考がそれたらしいさよが布団から出て立ち上がっていた。
 半分以上眠っていた千雨がその叫びに青筋を浮かべながら顔を上げる。

「おい、さよ。ちょっとまて」
 千雨がさよを呼び止めた。
 寝ぼけ眼のまま千雨がその姿をとらえる。
「は、はいっ!?」
 パジャマ姿のまま玄関に向かおうとしているさよが振りかえる。
 そんなさよに眠気でまぶたを半分閉じている千雨が微笑んだ。
 美しく、済んだ、単一のベクトル成分を持つ笑みだ。
 なぜかさよの肌があわ立った。
 そのまま口調は一切荒げずに、よろよろと上半身をベッドの上にあげ、千雨はさよに手招きをした。

「こっち来ていいぞ。眠るまで抱きしめてやろう」
「ふぇえっ! いいんですかっ!?」
「ああ、いいよ。だからさっさと来い」
 千雨が寝ぼけ眼のまま言った。

「あ、あの、それでは」
 ベッドの横で三つ指突きそうなほど恐縮したさよがおずおずと布団に入る。
 からかう言葉は大胆なのに、相手に本気でこられるといきなりヘタレる様はまさに千雨の弟子だった。
 千雨は寝ぼけ眼のままそれを見る。
「よしよし、それじゃ――――」

 そんなさよの言葉を聞きながら、千雨がさよの頭に手を回し、


【――――眠れ】


 睡眠導入というより気絶の技法。
 若干の攻撃色すら混じった魔術を発動させた。
 約束どおり眠るまで抱きしめて、このあとこいつは布団の上に転がしておくことにしよう。

 まあ妥当だよな、その辺が。


   ◆


「で、ルビー。お前はどう考えている」
「んー。なにを?」
「わたしの呪い、お前の存在、そして此度の親書の件」
 寮からの帰り道を歩きながらエヴァンジェリンがルビーに向かって問いかけた。

「呪いはこのままのペースならあと五年。わたしはこのままならあと半月、そして最後の解答は」
「解答は?」
 ルビーが肩をすくめる。
 わかってるくせに、とつぶやいた。

「きっとあなたと同じものでしょう」

「やはりそう感じるか」
「あのクラスで修学旅行よ? 親書なんてのに関わらず何も起こらないはずがない」
 なるほど、とエヴァンジェリンがうなずく。
 自分とは違う視点からだが、結論はたしかに同一だ。だが問題はその騒動のベクトルである。

「さよちゃんの言じゃないけど、このタイミングで親書って言うのは、絶対になにかある。もちろん本来の意味じゃないほうでね」
「爺がたくらんでいるということはないだろうが、偶然というのもタイミングがな……」
「でも嫌がらせじゃすまないレベルで何かあるわよ。たぶん学園長さんも規模の問題で黙認してるんだと思うけど、それでもちょっと危ないかも。魔術みたいに未来視とかはないの? 魔法にはさ」
「一応ある。未来視というより予言や占いだがな。しかし、お前の言う未来視というのは魔術でなく、超能力ではないのか?」
「インチキだけど一応魔術にもあるわよ。千雨が使ってたのもその一種だし。ほら、あなたと戦ったときに」
 むっ、とエヴァンジェリンが難しい顔をした。
 千雨との戦闘を思い返す。
 反応できない速度の攻撃を避け、相手がよける方向に向かって魔術を放つその技法。先読みを極めた分割思考。

「あれも魔術に入るのか。お前らの分類は本当に節操がないな。魔力を使ってないだろ」
「剣術家を魔法生徒と呼ぶあなたたちほどじゃないわ。魔術は現実の技術で置き換えできることが定義だもの。それに千雨のは使ってないわけじゃないんだけどね。一応あれは魔術師の技術よ。穴倉に住む思考の錬金術師による未来予報。予想を極めれば予知になるって感じ」
「普通それは技術と呼ばれるのだ。だがまあ……なるほど、そういうことなら、お前の“未来視”とやらも信頼性があるか。何か情報をつかんでいるのか?」
「修学旅行先の変更に伴って動きがあったみたいよ。西の組織ではなく、個人のレベルで動いているやつがいるわ」
 いったいどうやって情報を得ているのか。動きも取れない半幽霊の癖に、ルビーは当たり前のように頷いた。

「親書関係ではないのか?」
「それにしちゃあ大げさだと思うのよね。西どころか日本に関係ないやつも動いていたわよ。雇われたってことになってるみたいだけど、どこまで本当だか。エヴァンジェリンだってわかってるでしょ。いくら仲が悪いからって、親書の妨害なんて組織に属していて起こすはずがないわ」
「お前は魔法使いの短絡を良くわかってないな。起こってもおかしくないんだよ。だから警戒されている」
 むう、とルビーが膨れる。

「あなたたちってほんとにおおらか過ぎない? 一応学校行事でしょ。それに千雨やさよちゃんも行くのに」
「はっ、そんなもんは麻帆良にきてあのクラスにいるあいつらが悪いのさ。死にはしないよ。爺たちもプライドだけは達者だから最低ラインは守るだろう」
「最低ラインだけを守ればいいと思ってるようなら、わたしもさすがに怒っちゃうけどねー」
「その筆頭がなにを言う。千雨は起こらないほうがいいなどといっていたが、わたしの下僕にそんなしょぼい信念は許さん」
「千雨は身内だもの。他の子がかわいそうじゃない」
 ルビーが肩をすくめた。
 しかしその台詞にエヴァンジェリンが眉根を寄せる。
 いまでこそ根回しにと、こうして自分に干渉もしているが、こいつの千雨以外への無関心っぷりを自分やさよは知っているのだ。

「あれだけ千雨以外を適当に考えていたくせに、よくもまあそんな偽善者めいた台詞がはけるな」
「優先順位を明確にしてただけよ。手が空けばそれを他者のために使ってもいいわ」
 嘘ではあるまい。だが完全に本当でもない。
 きっとこの台詞は最後だからこそだろう。
 だんだんと病状を悪化させている思念体。現界した英霊体。ルール違反のサーヴァント。
 それを読み取ってエヴァンジェリンが少し黙った。

「……まあどのみちなにも出来ないだろ。放置しておけばあいつらのことだから上手くやる。やれなかったら所詮それまでということだ」
「もともと放置する気満々だったくせに」
「そりゃそうだろ。魔法使いとして成長したかったらトラブルに巻き込まれるのが一番いいんだ」
 うわー、とルビーがさすがに無責任すぎる発言にあきれ返った。
 この吸血鬼は厄介ごとを放置しておく癖がある。いや、癖とは少し違うか。この女は度量が広すぎるのだ。

 世界征服を狙う悪の組織とそれを阻止する正義の味方だけでこの世が構成されているはずが無いことはわかるが、それにしたって、自分とそれ以外で世界を分けすぎである。
 いや、それどころかたとえ子供アニメの悪の組織だろうと、世界征服の“先”が見えているのなら、エヴァンジェリンはそれを肯定しさえするだろう。

 すべてを肯定した上で、破却する。故に悪。
 相手の悪を理解しその上で蹂躙するエヴァンジェリン・マクダウェルとしての“悪”のあり方。別種の正義。
 悪だなんだと自称する吸血鬼。なるほど、たしかに純正義とは反するそのあり方は、一端の悪ではあるだろう。
 だが、ルビーは素直にそうは思っていない。
 純粋悪の珍しさをカレイドルビーは知っている。世界征服をたくらむ悪の組織なんていうのは天然記念物なんてものじゃないのだ。

 魔法使いたちとは異なる思考、別方向からの分類観。
 魔術師であるルビーから見れば、エヴァンジェリン・マクダウェルは悪ではない。
 純粋悪とは別の、混沌に属する正義の概念。ステータスは混沌・善。

 そんなルビーの思考に頓着せず、まあいいとエヴァンジェリンが首を振る。
 ちょうどエヴァンジェリン邸に到着していた。
 茶々丸がドアを開け、エヴァンジェリンがえらそうにルビーを招きいれる。

 千雨の部屋からの帰り道。
 魔法使いとその従者、そしてその友人の魔術師によるそんなありきたりな帰り道。
 そんな彼女らの雑談だった。


   ◆


 さて、エヴァンジェリンとルビーがそんな会話をしていたその時分。
 夜もふけた寮の一室で、千雨はさよを抱きしめながら魔術を唱え、

「……えっと……その、ごめんなさい……」
「…………そうか。お前はそういう体だったもんな……忘れてたよ」

 その魔術が当たり前のようにレジストされていた。
 いくら千雨が眠気交じりだからって耐性強すぎである。
 さよは千雨と違って、防御に特化した特別性だ。
 自分で作ったくせに忘れていた。
 ルビーのマスターの名に恥じない抜けっぷりである。
 そんなだから、こうして千雨は頬をひきつらせながら、放り出すことも出来ずに胸の中の少女と顔をあわせるはめになる。

 千雨の胸元でもぞもぞとさよが動く。
 いい加減眠くなってきた千雨が頭を振った。
 もうどうとでもなれと、抱き枕代わりにさよを力いっぱい抱きしめて目を瞑る。

 おずおずとさよも手を回してきた。
 適当に願ってみたら、それがかなってしまって戸惑うような、そんな逡巡。
 断られることを前提に言葉をかけたらそれが受け入れられたようなそんな驚き。
 いたずらっ子のいたずらは、怒ってもらうことが前提で、受け入れられると困ってしまう。そんな小さな子供のようなさよの姿。
 そんなさよを抱きしめる間抜けで甘くてヘタレ気味で、そしてそろそろ魔術師失格の長谷川千雨が息を吐く。

 悪いネギ。まあこれくらいなら浮気にはならないさ。
 別にいいだろ、大丈夫。と適当に考えながら千雨はいった。

「寝る」
「ハイ、おやすみなさい。千雨さん」


   ◆


 千雨とさよがようやく寝ようかとしていたころ。
 エヴァンジェリン邸は明かりを煌々と灯したままで、その中では魔女と吸血鬼が会話をしていた。

「――――マスター、こちらは?」
「これは千雨製だな。前に作ったのは口止めに持ってかれたとかほざいていたが、もう作り直していたか。よく血が持つな」
「吸血鬼がよく言うわ。千雨の血はもう吸っちゃだめだからね」
「あいつの血には興味はない。処女でもなくなったしな」
 軽く答えて、エヴァンジェリンが千雨が魔力を込めた宝石を光にすかす。
 魔術的に加工がしてあった。魔法とは異なるその概念。
 魔法の術式なら封印されていてもある程度は読み取れるが、魔術はいまだに難しい。精霊などの要素に干渉するのではなく、世界というシステムを用いる魔術は魔法使いには読み取りにくいのだ。
 たとえ全盛期のエヴァでも知識がなければ見逃していただろう。

「純魔力を込めた宝石か。…………ふむ、暗示耐性に即席結界。なかなかだな。魔法にも効果も有りそうだし、これもやはり魔法使いでは気づけまい。……おいルビー。前に言っていた固有結界というのはやはり千雨たちは出来ないのか?」
「固有結界かあ。まー千雨は無理よね。わたしの同系だし。それにそもそもこの世界の魔術師なんてのはあの子達だけなわけで、師匠も固有結界の方面には疎いわたしだけ。さよちゃんだって可能性はあるとはいえ、どんだけ頑張っても卒業までかかっちゃうでしょうね」
「まあそうだろうな。魔術は学問だ。修行やがむしゃらな努力ではどうにもならんだろう。世界に干渉するというのは興味があったのだが」
 ちっ、とエヴァンジェリンが舌打ちをしながらいった。
 一年分、二週間ほど別荘に放り込めば時間だけは何とかなるかもしれないが、了承は絶対に得られないだろう。

「あなたの別荘が学園外にならないってことは、登校地獄は大丈夫でしょ。同じ理由で学園結界はキャンセルできるかもね」
「だが、世界を作り変えているのだろう? 学園外として定義されるのではないか?」
「固有結界は異界みたいなものだけど、書き換えているだけよ。別の場所というわけじゃないわ」
「世界を書き換える技法か。やはり現物を見ないとなんともな……」
「うーん、でも魔法世界がそんな感じじゃなかった? あれも似たようなものでしょ」
「なに? おい、それはいったい――――」

 さて、エヴァンジェリン邸にお邪魔しているルビーとエヴァンジェリンはいつものように、魔術や解呪、学園結界などについての談義をしていた。
 もっともルビーの知る魔術や、エヴァンジェリンの知る魔法については話せることについては、ほとんどが考察済みだ。
 一級の魔術師と最高レベルの魔法使い。二人はすでに新しい技術を模索する段階に入っている。
 だが、それ故にその議論は真剣だ。二人とも冗句を交えながらも、今だけはその思考から遊びを抜いている。

「そういえばチャチャゼロは修学旅行に行かないの?」
 茶々丸の入れた紅茶を飲みながら、一休みに入った際にルビーが聞いた。
「俺ガイッテドースンダヨ」
 呆れ顔でチャチャゼロが答える。
「観光すればいいじゃないの。可愛い妹と一緒に。向こうにいってる間の魔力供給くらいなら千雨が手伝ってくれるわよ」
「ケケケ、俺ガ観光カヨ、ゾットシネーナ」
 チャチャゼロが笑う。

「千雨モさよヲ作ッテルトキハ面白カッタンダケドナー」
「あなたちょっかいかけてたものね」
「アイツハ御主人ト同類ダカラナ。さよヲ作ッテル間ハピリピリシテテ面白カッタケド、最近ヨリツカネーシ、ツマンネーンダヨナー」
 最近の御主人の甘さと千雨のへたれっぷりをつまらなく感じているチャチャゼロがケケケと笑う。
 魔力供給がないために動けないその体が、カタカタと震えた。

「あのときの千雨は、かなり本気で魔力を引き出してたからね。記憶が混線してたんでしょう」
 ルビーが笑った。
 ちなみに千雨はチャチャゼロと舌戦で勝ったことがない。意地っ張りですぐ挑発に乗るくせに抜けている彼女は、ある意味チャチャゼロをエヴァンジェリン以上に苦手としているのだ。

「さよの護衛ならば千雨と茶々丸で十分だろう。お前も行くという話だし、よほどのことが起ころうが問題ない」
 むしろチャチャゼロがいたほうが、千雨が心労を負うことだろう。そんなことを考えながらエヴァンジェリンが答える。
 ネギの護衛や、親書の配達に関しては興味ゼロの台詞だった。

 だがルビーとしては、チャチャゼロが来ることで起こるだろう千雨の心労は、問題とはとらえていない。千雨が困る方面の問題などというのは、命や魂の問題に比べれば些事である。チャチャゼロのような、容赦のないアドバイザーは貴重なのだ。
 伊達にナイフや令呪をプレゼントに選んでいない。千雨から誤解されるわけだ。

「俺ヲソンナコトニ使ウ気カヨ」
 さすがにチャチャゼロが呆れ顔を見せた。自分を助言者として使うなどといいだすのは、大概おかしい自分の主人くらいのものだと思っていた。

「だって、京都だしねえ。何かの拍子で本気の対立が起こったらさすがにね。千雨の将来にも影響しそうじゃない」
「んなもんはどうとでもなるだろ。わたしが雇ってやってもいいぞ。それよりさよのことだ。本当に大丈夫なんだろうな」
 エヴァンジェリンの真面目な言葉を繰り返す。ほえーとルビーが声を上げた。
 チャチャゼロと茶々丸もさすがに過保護すぎる発言にあきれている。

「オイオイ、御主人。ズイブン気ヲ揉ムジャネーカ。ソンナニ気ニ入ッテンノカ、アノガキノコトヲヨー」
「いったんわたしのものとした以上、それに手を出されるのがむかつくだけだ」
 さすがにチャチャゼロが突っ込みを入れる。
 ふんとエヴァンジェリンが鼻を鳴らした。

「さよちゃんかあ。まあ、さよちゃんも千雨も最近テンパってるしね」
 ルビーがニヤニヤ笑いながらも、ほんの一つまみのまじめさを持って答えた。
 彼女はエヴァンジェリンが言いたいことがわかっている。相坂さよが諍いに巻き込まれるとか、騒動に巻き込まれることを恐れているわけではない。彼女はそういう方面の試練は歓迎するタイプだ。
 その反面というべきか、契約関係にはかなり潔癖。千雨がさよと契約を結んだことに起こったのもそれが理由だし、いまこうして気を揉んでいるのも同様だ。
 そう、つまり。


 簡単に言えば、エヴァンジェリン・マクダウェルは長谷川千雨が相坂さよに“手”を出したことを、いまだに怒っているわけである。


「まあどちらにしても、危ない方面はわたしと千雨が頑張るから、茶々丸ちゃんもあの二人をよろしくね」
 ルビーがまとめるように茶々丸に向かって口にする。
 常に現界できるわけではないルビーは日常では役立たず。
 最近おきている時間が長くなっているのだって、線香花火の最後のともし火のようなものだ。
 そんなルビーの言葉に茶々丸が首をかしげる。
 今の会話から、その結論に至る過程がわからなかったためだ。

「? あの……わたしも二人をお守りすればよろしいのでしょうか」

「違うわ」
「違うぞ」

 主人とその友人が同時に否定の言葉を返してきた。
 眼を丸くして、茶々丸が二人を見る。
 それでは今までの問答はなんだったのか。
 だがルビーもエヴァンジェリンも冗談を言っているような気配ではなかった。

「親書のトラブルはべつにいい。さよにもいい経験だろう。放っておけ。そうではなく、あいつらが旅行中に“おかしな”まねをしないように見張っておくようにしろ。一、ニ発は本気で殴ってもいいぞ」
 片頬を上げて皮肉気に笑いながらも、エヴァンジェリン・マクダウェルが、真剣な口調で断言した。

「茶々丸ちゃんに殴られたら、素のままの千雨じゃ死んじゃうわよ。あっ、適当に同行してくれればいいからね。二人っきりにして、雰囲気に流されなければ大丈夫でしょうから」
 チャチャゼロが必要になる自体やルビーが力を振るう機会というのは、ルビーが心配している命の危険。
 たいして今こうして口にするのは、相坂さよと長谷川千雨の私的で日常の問題だ。
「し、しかし。それでしたら……」
 いままさに二人っきりで置いてきているわけだ。さすがに茶々丸があせる。

「逆だ。今日の置いてきたのはワザとだよ。今日いきなり手を出すようなら、さよの側につく」
 あっさりとエヴァンジェリンが言い切った。
 さすがに茶々丸も目をむいた。
 ケケケとこんな状況でも楽しそうに笑える自分の姉に感心する。
 先ほどとは逆に苦笑いをしながらも困った顔をしているルビーも、その言葉に口を挟むことはなかった。

「あれだけ説教したその晩に千雨がさよに手を出すようなら、もうなにしても無駄だろ。それくらいさよが本気ならさよを手伝ってやってもいい。そのかわり、千雨はさよのものにする。あいつはわたしの下僕なのだ。ぼーや一人に持ってかれるのももともと業腹だったし、流されるようなマネをするのでないなら構わないからな」
「もー、信用ないわね。大丈夫だって。さよちゃんは暴走してるようで理知的よ。ただの悪戯みたいなものじゃない」
「それ以上に千雨が抜けているから意味がない。だから流されてるんだろうが。いたずらだろうと、わたしは契約関係には妥協はしないぞ」
 意思が伴えば許すが、それを適当な覚悟で行うことは許さない。エヴァンジェリン・マクダウェルの本質が見える回答だった。

 茶々丸は淡々と語られる二人の会話を聞くだけだ。
 結局茶々丸も、自分がとめればいいのか、それとも本気ならば傍観するべきなのかすら読み取れていない。ちょっとこの二人はおおらかすぎるのではなかろうか。
 そんな三人を見ながらチャチャゼロが久しぶりに見る自分の御主人の悪の吸血鬼っぷりに笑っていた。ルビーの分類と真っ向から対立する悪の分類。正道を無視する覇道の概念。

「ふん、まあいいさ。あのバカのことは明日の朝だ。ルビー、先ほどの話を続けるぞ」
「はいはい。じゃ、茶々丸ちゃん。次は結界弾を見せてくれる? この宝石に向かって撃ってみて」
 ひょいとルビーが宝石を見せる。
 考え込んでいた茶々丸があわててそれを受け止めた。
 そうして、いつものようにルビーとエヴァンジェリンが議論を始め、千雨とさよのことはもう話題には上がらない。

 だけど、まあ、ちょいといやな予感を感じながらルビーが思う。

 長谷川千雨と相坂さよ。
 エヴァンジェリンはさよが自覚を持って本気になれば、許容するとすらいっているわけだが、千雨とネギはそれを許容できるのだろうか。
 自分の依代が評価されるのは嬉しいが、パンクしないか心配だ。
 自業自得といってしまうにはかわいそう。
 まっ、さすがに昨日の今日でエヴァンジェリンがいうようなマネをするはずないとは思うけど。

 さよは好意を示すという行動そのものに意味を見ているので、いろいろと冗談交じりで本心の言葉を口にするが、それ自体を心から欲したりはしていない。
 欲するまでもないからだ。
 過程こそが重要だと考えている。だから千雨からバカなことを言い出さない限り、いきなり襲い掛かるどころか、さよは千雨と本気で抱き合うことすら出来ないだろう。
 そして千雨は自分を常識人だと思い込んでいるので、さよの言葉に流されることもない。

 しかし、エヴァンジェリンの推測は逆であり、そして一端の真実もついている。
 千雨は意外に生真面目で、ジョークを軽く流せない性格なのだ。
 好きな相手にちょっかいを出す子供のごときさよの牽制球に翻弄されて、そして厄介ごとをわざわざ自分から背負い込む。

 まあ明日いきなりエヴァンジェリンに怒られるようなことはないだろう。
 ルビーは二人を思い返して考える。

 まあ大丈夫大丈夫。さよと千雨を信じよう。


   ◆


 さてそのころ、さよはルビーの予想を裏切って、ある意味予想通りに千雨と同じ布団にくるまれていたわけだ。
 どちらかといえばさよが原因だが、監督責任的に千雨もアウトだろう。

 トクントクンとゆったりとしたリズムを刻む千雨の心音を聞きながら、さよは驚くほど落ち着いている自分に驚いていた。
 さよとしてもやりすぎだったかなあ、とは思うものの、千雨が全然怒ってくれないので歯止めが利かない。

(ネギ先生かあ……)

 目を瞑り、その心音に集中しながら考える。
 目の前で眠る千雨から、すうすうと寝息が聞こえる。
 さすがにもう眠ってしまったようだ。

 水気のあるその唇。整ったその顔つき。アイドルとしてトップを張っているその体。
 さよは思う。
 千雨さんはネギ先生をとてもとても評価している。
 教師であるということ、強い信念があるということ、その矜持、その性根、その基質。そういうところをすごいものだと考えている。
 口には絶対にしないけど。
 ネギ先生に知られずに、ネギ先生を評価する千雨さん。
 彼女はきっと自分とネギ先生がつりあわないとさえ思っている。

 ただの女子中学生だと自分を評価するその少女。
 そういう姿を自分はなんども目にしてきた。
 だけどわたしから見れば、千雨さんだって全然負けているとは思わない。
 千雨さんだって十二分にすごい人なのだ。

 全国にいる多くのネットアイドルでトップを張っているくせに、彼女は自己評価が低すぎる。
 わたしが千雨さんを大好きだということを、すりこみだなんて思い込んでいたくらいである。
 まったくわたしはどちらにうらやましがればいいのだろうか。

 さよはそんな千雨の姿を見ながら、ぼうっとエヴァンジェリンの言葉を思い出していた。
 千雨さんに向けたお説教。わたしの処女性が失われたというそんな話。
 処女を捧げたというのは、人型の身の上だし相手が千雨だ。まあ問題ない。
 問題なのはそのときの言葉である。

 ――――昨日の今日でさよにまで手を出すってのは、

 そんなエヴァンジェリン・マクダウェルからの言葉があった。
 さよにまで、だ。
 さすがに誤解も何もない。必然自分の前にネギ先生がいるのだろう。
 というか文脈からして、わたしと違いキス以上のことまでしているらしい。
 そのときは軽口で誤魔化して気づかない振りをしたが、実はものすごく驚いた。

 長く女子中学生の中で話だけを聞いているだけに、耳年増であることは自覚している。
 だから“そういう”女子中学生だってまったくいないというわけではなかった。
 もっともさすがに相手が十歳の魔法先生というのは初耳だけど、千雨さんとネギ先生はきっとそういうことなのだろう。
 恋人同士だし当たり前というべきなのか、常識に疎いといわれている身の上ですら非常に悩む。

 さよは少し考え込むと、薄目を開ける。
 寝息を立てている千雨の姿。
 ちょっとやそっとでは起きないだろう。たぶん。

「もしもーし……寝てますか? 寝てますよねー?」
 悩みながら、さよは眠る千雨に小さな小さな声をかけ、

「……ちょっと失礼しますよー」

 千雨が眠っていることを確認しつつモニュリ、と胸を揉んでみた。
 そのまま二、三度手を動かしてから、ふむ、と頷く。
 危なすぎる光景だが、さよは真面目だ。
 一応言い訳するなら、自分の心情の動きを確認したのだ。

 非常に良い感触であるとは思うが、まあ欲情はしない。
 自己を俯瞰する魔術の技……というほどのものでもない、半分はただのノリである。
 眠る千雨にキスをするよりはいいだろう。

 自分がいまだにネギに嫉妬しているようなこともない。
 ネギはネギで自分は自分。相坂さよはちゃんと自分の位置を自覚する。
 そのまま少し感触を楽しんでから、さよは一人で納得した。

 つい先日から反省ゼロのその行為。
 さすがにその確かめ方は危ないが、さよは千雨に関しては真剣なのだ。妥協はしない。
 いくら千雨がさよの行動に理解を見せるといっても、ばれれば頭に拳骨程度ではすまないだろう。
 それくらいわかっているだろうに、さよはそのままモニュモニュと手を動かす。
 さよもまずいかなあと考えながらも、手を止めない。悪乗りしすぎだ。

 千雨は委員長や千鶴の姿を見て時たま悔しがっているが、ちうとして活躍している千雨のプロポーションは贔屓目抜きでアイドル並みだ。
 スリーサイズは上から82、57、78。バストサイズはCカップ。
 そのくせ人の体型にうらやましがるなど、圧倒的多数の一般中学生をバカにしているのだろうか、この人は。
 比べる対象がおかしいだけで、千雨のプロポーションは十分すぎる。

「…………んっ……あ」
「っ!?」

 考え込みながらなんとなく止めるタイミングがつかめなかったので、そのまま本格的に揉み続けていたら、千雨の口からなんとも言えない声が漏れた。
 あわててさよが手を離す。
 さすがにばれたら怒られる。それに“誤解”されてしまいそうだ。

 わたしは千雨さんが好きだし、こうして一緒に寝たいと思うが、さすがに本気で体を重ねることはないだろう。
 千雨も了解しないだろうし、自分もそこまでする気はない。
 十分今の関係に満足している。

 おかしな方向に夢でも見ているのか、頬を赤らめる千雨の寝顔を見ながら、さよはふうと冷や汗をぬぐった。
 危なかった。次やるときは、きちんと事前に了解を取ろう。
 寝ている人を襲うのはいけないことなのだ。
 もっとも、いきなりおっぱいをもませてください、などと交渉しては恐ろしいことになるのは明白なので気をつけなくてはいけないが、まあその辺は適当に機会をうかがうことにする。
 素でそんなことを考えながら、さよはようやく眠ることにした。
 はだけた布団を直し、目を瞑る。

 それにしても自分は今後どうなるのだろうと考える。
 中学が終わって、高校に行って大学か就職。正直自分は千雨がいればなんでもいいが、千雨に迷惑はかけたくない。
 千雨は魔法使いの道に関わりはしても、それ一本ではすすまなそうだし、自分は魔法使いの道に進んでみたい。
 千雨が魔法使いの道に進むことになるなら、気兼ねなくついていけるのだが、なかなかそれも難しそうだ。
 そもそもこの世界は魔術師一本で職を得るようなものではないのだから。

 うーん、とうなりながら、さよはまあいいかと思考を切り上げた。
 千雨はずっと一緒にいるといってくれた。ならべつに心配することもない。
 なるようになるだろう。
 明日も修学旅行も、その先も。きっと全てが決定されるそのときも。

 そうしてほどなく、すうすうという寝息がさよからも聞こえてくる。
 先ほどまでの興奮が嘘のようにあっさりとさよが眠りにつく。
 同じベッドで眠るその姿。
 千雨が上着をはだけさせて顔を赤くしている。
 そしてさよがそんな千雨の姿をほったらかしで、抱きついたまま眠っている。
 仲のよいただの友人などという言を鼻で笑う、そんな二人。

 よって、朝方に部屋を訪ねたエヴァンジェリンは二人を見て、あきれたように息を吐くことになる。
 彼女は意思と覚悟さえ伴えば、あらゆる現象に頷ける。そしてそれを自らの価値で判断するわけだが、今回の相手は相坂さよだ。
 身内に甘い吸血鬼。いま身内であることも含め、一度見捨てていた以上彼女はさよにはどうにも甘い。
 だからこういう羽目になる。
 本当にさよのものにしてやろうかなどと、半ば本気でエヴァンジェリンがつぶやいた。

 いつも自覚もなしに人に決定的な種を植え付けるその少女。
 自覚がないとは覚悟がないと同じこと。だから彼女は自分の植え付けた種の大きさに、それが育ってから驚くことになり、こうしてそんな情景にため息を吐く吸血鬼に怒られることとなる。
 決めるときは決めるくせにどうも師匠に似て抜けている。

 そんな修学旅行前日の、長谷川千雨と相坂さよの一幕だった。



―――――――――――――――――――――――――――――


 なんとまあ話が進まない回なのか。さよがおっぱい揉んで終わりました。内容はエヴァンジェリンの考え方というか立場についてお話しする回。必要は必要ですが一話とるべきではなかったかも。あとネギはいったいいつ出てくるのか。
 それと相坂さんは理性的な魔術師を目指しているので壊れたりしません。真面目に常識から外れているだけです。なんども言いますが、友情度がカンストしてるだけです。
 長さは一応予定通りの量なのですが、やっぱり自分でも短く感じてしまいますね。ちょっと展開もおそすぎますし、ちょっと真面目になって次回は来週に更新できるようがんばってみたいと思います。



[14323] 第20話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/06/28 00:58
 さて、千雨が抱き合うさよと共にエヴァンジェリンから説教を受けるという、いつもどおりの騒動を伴った朝がすぎ、ようやく開放された千雨は駅前集合ということで、さよと茶々丸と連れ立って東京駅に集まっていた。
 朝方から説教などされて気力もないが、団体行動を乱すわけにも行かない。

 そんな千雨とは対照的に、さすがにさよは体を得て初めての長期旅行ということで気合十分だった。
 眠れないと騒いでいたはずのさよはそんな気配をかけらも見せず、睡眠不足とその他もろもろの出来事でふらふらの千雨を引っ張っている。
 茶々丸も同様に旅行は初めてのはずだが、彼女は旅行よりもエヴァンジェリンのことを気にし続けている。
 エヴァンジェリンが主人らしいが、外見的にも性格的にも茶々丸のほうが姉か保護者のように見えた。
 エヴァンジェリンの従者というには、この少女は上玉すぎる。朝もエヴァンジェリンに説教されて涙目だった千雨のフォローをしたのは茶々丸である。
 説教を受けている千雨をケラケラと笑ってみていたルビーとぜひ立場を変わってほしい。
 ちなみにルビーは大霊脈である世界樹の影響圏外である麻帆良大結界の外にでた時点で休眠中だ。さよは寂しがっていたが、千雨としてはこのまま旅行中は静かにしていてほしい。

「エヴァンジェリンさんにお土産をたくさん買っていきましょうね」
「はい。マスターも喜ぶと思います」
 さよの言葉に茶々丸が微笑む。やはりこの二人は仲がいい。
 すでにホームでは大勢の生徒と、当然のことながら引率として早めに集まっていたらしい先生がホームで騒いでいる。

 千雨たちに気づいたのか、ネギがよってきた。
「おはようございます、皆さん。千雨さんは眠そうですね、大丈夫ですか?」
「んー。まあ電車で寝るよ。先生は元気だな……」
 もちろんです、とはしゃぐ先生の前で、朝方に説教を食らっていた千雨がふらふらとゆれていた。
 あたりを見渡せば、3-Aでは自分たちが最後のようだ。
 3年全体で見ても駅に着いたのは遅めらしい。きっとエヴァンジェリンの所為だろう。

「ふぁあー、くそっ、すげえねみい……」
「千雨ちゃん、ねむそーだねえ」
 笑いながらハルナが言った。

「てめえはいつも元気いっぱいだな」
「まあね。やっぱ修学旅行だし、楽しまないと」
 千雨はそのテンションに顔を引きつらせながらあたりを見渡す。ぜひ自分とは関係ないところで楽しんでほしい。
 話を聞くと始発できたらしい。千雨からすれば狂気の沙汰だ。

「おはようございます、千雨さん」
「おはよ。宮崎」
 新しく加わった千雨に気づいたのどかが声をかけた。
 ふらふらとゆれながら千雨が手を上げる。

 自分の班の面々はと周りを見渡すと、すでにさよと茶々丸が刹那とザジと集まっていた。
 実はすでに千雨よりも友人が多いさよである。班員同士の仲がよくて結構なことだ。
 その横では超と四葉は普通に肉まんを売っている。ものすごく法律に抵触しているような気がするが、千雨は超たちがエヴァンジェリンの事情に通じるような輩であることを知っている。
 心配する必要はないだろう。

 そんなことを考えている千雨の横では宮崎と綾瀬、そして和泉が枕を片手に談笑している。
 枕が替わると眠れないらしいが、駅のホームで枕を抱いている姿は流石に目立つ。
 宮崎は引っ込み思案だと自分を認識しているらしいが、かなり嘘だと千雨は思う。こいつは意外と大胆だ。
 まあ枕を抱きしめるくらいはいいだろう。ネギ然りさよ然り、人を抱き枕にするよりは全然ましだ。

 そういえば、ネギはいまだに神楽坂に抱きついて寝ているのだろうかと、千雨は首をかしげた。相手がネギなだけに、ありえそうでもありえなさそうでもある。
 ネギが聞いたら顔を真っ赤にして否定しただろうが、千雨は勝手に納得して勝手に結論付けるので、その思考は外には漏れない。
 ルビーの指導で改善されているが、日常においては彼女の積極性はまだまだ低い。千雨と付き合っていく上で苦労する千雨の欠点である。

 千雨はそのままうつらうつらと他人の会話を漏れ聞きながら電車を待つ。
 騒ぐクラスメイトの元気を分けてほしかった。
 そうしてさらに少し待つと、しずなとネギにより生徒に集合がかけられ、千雨も第6班の面々に合流する。
 大して仲のいいやつなんていなかった身である。どのグループだろうと今までは意識することはなかった。
 最近仲よくなった図書館組と神楽坂のグループに入れてもらうという道もあったかもしれないが、彼女らはすでに人数一杯なところもあるし、ぽっと出の自分が和を乱すこともない。
 それに下手に図書館組に混じって質問攻めというのもぞっとしない。
 さよの誘いはむしろ幸いだったのかもしれないわけだ。

 ちらりと視線を向ければ、そわそわとした視線を委員長をはじめとする数人から向けられている。話しかけるタイミングを計るようなそんな間合い。
 逆に、ザジに刹那にと六班の面々は特に質問する気配もないわけで、千雨はこっそり安堵した。やはりこの班には入れたのはよい選択だったらしい。
 委員長やチアや近衛、早乙女や朝倉と一緒の班では、ホテルの夜が怖すぎる。
 今日の夜はさっさと寝てしまおう。
 そんなことを考えながら、千雨は半開きの目でふらふらゆれる。
 判ごとに整列して、電車が来るまでの数分の待ち時間を、千雨はそんなことを考えながらうつらうつらと過ごすことになった。



   第20話


 新幹線が動きはじめ、風景が後ろに流れていく。
 魔法を超越した科学の力。
 時速300キロでおこなわれる大移動。
 だがそんな感慨をいだくのは、半人前の魔術師だけのようで、他の皆は当然新幹線ごときにいまさら驚きもせず騒いでいる。

 カードゲームに興じるもの、お菓子を食べて雑談するもの、寝ているもの。
 相坂はわたしの横で、楽しそうに絡繰茶々丸と談笑していた。
 こいつが修学旅行を楽しみにしていたなんてのは知らなかったはずも無いが、わたし抜きでも順当に学生生活を満喫しているようだ。

 旅行における移動中の楽しさというのは理解しているつもりだが、わたしはさっそく寝に入っていた。
 適度に暖房が効き、かすかに揺れるゆったりとした空間だ。ぶっちゃけた話耐えられそうも無い。

 横で楽しそうにしている相坂さよの声を聞きながら、眠りに落ちる。
 朝の目覚めがいきなりエヴァンジェリンの怒鳴り声だったので、目覚めもさわやかというわけではなかった。
 昨晩は眠る間際にごたごたしだだけで、別に眠る時間はそれほど短かったというわけでもないのだが、どうにも眠い。
 そうして、うつらうつらとしていたそんな折、カエルとか何とか騒ぎが聞こえた気もしたが、残念ながらわたしの意識はその騒動の前に沈んでいた。


   ◆◆◆


「カエル108匹回収し終わったアルよ」
 古菲がカエルの詰まったゴミ袋かかえたまま報告する。
 新幹線内にもう他のカエルの気配は無い。
 現象数である108の符からなるカエルである。これはこのあとこっそりと符に戻されて回収されることになるだろう。

「し、しずな先生が失神してるーっ!?」
「保険委員は介抱をっ! いいんちょさんは至急点呼をお願いしますっ!」
「保険委員も失神してるわよっ」
 ネギが指示を出し、目を回す和泉亜子を抱えながら明日菜が怒鳴った。
 肩に乗ったカモが関西呪術協会の仕業だとささやき、流石にそれについては異論は無いネギがうなずく。

 そのまま、胸元に入っていた手紙が式神のツバメに奪われて、そのままさらに一騒動が起こるわけだが、残念ながら、そこに千雨の出番はなかった。
 ずっと眠っていたためだ。

「亜子さんと先生はそちらに寝かせて差し上げなさい」
 あやかが指示を出しながら、気絶した亜子を介抱する。
 各班の班長に点呼を取るように指示を出しながら、てきぱきと動く姿は、さすがに3-Aで委員長だった。その有能さが垣間見える。

 当然六班の面々も点呼を取る。
 茶々丸がカエルに驚いて転んでいたさよに手を貸した。
「さよさん、お怪我は?」
「あっ、ハイ、大丈夫みたいです。ザジさんは?」
「……大丈夫」
 こくりとザジが首を傾けた。
 これで三人。
 だが千雨は眠りっぱなしで桜咲刹那はいなかった。
 ずいぶんと問題の多い班だ。

 茶々丸に刹那と千雨のことを聞かされ、委員長が呆れ顔をさらす。
 特に見当たらないという刹那は問題だ。
 指示を仰ごうにも、しずな先生は気絶して、ネギ先生はいきなり現れた鳥を追って消えてしまった。
 しょうがないと、自分が音頭をとることにし、フリフリと頭を振って気を取り直す。
 別段ネギと千雨が付き合ったからといって、ネギへの愛が消えるわけではない。打算もあるが、そういうところでは、あやかはしっかりとした信念を持っている。
 だからネギのためにと、あやかはいつもより少し張り切って指示を出し始めた。
 ここから改めてこのクラスをまとめなおせるのだから、やはり雪広あやかは優秀である。

   ◆

 そして、ようやくカエル騒動も一段落着いた車両の中で、すかー、と寝息を立てる千雨の周りに人が集まった。
 カードゲームをしていたものや、おしゃべりをしていたもの。行きの列車はざわめいていたし、彼女らだって千雨のことだけしかネタがないわけじゃない。
 当然それぞれが旅行の過程を楽しんでいたが、そういうイベントが中断されてしまったことで出来た空白に、本当にただなんとなく、最近一番の話題の種に注目が集まったのだ。
 千雨にとっては不幸としか言いようがない。
 起きていればカエルの主に恨みごとの一つでもいっただろうが、彼女はいまだ夢の中だ。

「うわー、千雨ちゃんってば普通に寝てるよ。図太いなあ、意外と」
「意外でも何でもありませんわ。彼女のマイペースさはしっていましたもの」
 いままでの学校行事では、たいてい同じ班で、千雨の手綱を取らされていたあやかがため息を吐いた。
 放っておく分には最も楽だが、彼女を3-Aから浮かないようにさせるのはかなり大変なのだ。
 あやかの責任感がもう少し足りなければ楽だったのだろうが、お気楽に張っちゃけるように見えても彼女は意外に苦労人なのだ。
 いくら3-Aとはいえ、かつての千雨が曲がりなりにもクラスメイトとして皆に溶け込めていたのは、雪広あやかの功績である。

「ふーん。そういえばいいんちょはデートについていったんでしょー? 千雨ちゃんとネギ先生ってどんな感じだったの?」
「えっ? ま、まあそれはですね、なんといいますか……」
 いい機会だと風香がきいた。
 席に戻ろうとしていた周りの視線も固定される。しかしあやかとしてはあの日に声をかけた際に、本気でへこんでいた千雨を見ているだけにどうにも言いにくい。
 それに自分は最後の最後に合流しただけだ。
 デートの内容は美砂に聞いただけで、当の二人からは聞き出してすらいない。

「まーまー。いいんちょ。いいじゃんいいじゃん。もう認めてんでしょ? ネギくんのことさー」
 言葉を詰まらせるあやかに美砂が口を挟んだ。
 彼女は3-Aで数少ない現在進行形の彼氏持ちとあって、千雨にたいしてもっともフランクな印象を持っている。簡単に言えば遠慮がない。

「柿崎。あんた千雨ちゃんに怒られるわよ」
「もういまさらじゃん。だいじょぶだいじょぶ。こいつも許してくれるって」
「なになに、やっぱなんかいいネタもってんの?」
 明日菜がいさめるが、早速和美が食いついていた。

「とーぜん。ほらっ、これ!」
 昨日は千雨が怖かったので自重したが、今のこの空気で出さないわけにはいかないわよね、と美砂は携帯をとり出した。
 先日の写真をみなに見せつける。
 デートの終わり、ネギを膝枕する千雨の姿。
 仏頂面がデフォルトのクラスメイトからこぼれる小さな微笑。
 さすがに本気を出せば、ネットで一番とうたわれるその少女。笑顔どころか、つい先日までクラスメイトと喋る姿すら希少だったクラスメイトのそんな写真に皆が驚く。
 地味目のクラスメイトだと思っていたが、これは掘り出し物すぎる。
 キャーと一気にクラスメイトが盛り上がった。

 さよは冷や汗を書きながら、すやすやと眠っている千雨を横目で見る。穏やかな顔だ。このまま起こさないでおいてあげるべきだろうか。
 ネギ先生は鳥を追いかけたまま帰ってこないし、刹那は席から消えたままだ。茶々丸にいたってはむしろ興味深そうに美砂たちのほうを向いているし、無表情ながらザジも美砂のほうに視線を向けていた。

「ふわー。ちょっとあんたらも見てみなって。千雨ちゃんってこうしてお洒落してると美人だねー。なんでいつもはあんなかっこしてんだろ。意味あるのかね。何か秘密の顔があるとか」
「ハルナ……さすがにそれは失礼すぎると思うのです」
「やっぱりほんとだったんだねー」
 のどかが感心したように言った。

「んっ、のどか。どうしたの? 略奪愛はあんまり賛成できないなあ。それにこれ見ると難しそうだよー」
「ちがうよー。それにわたしは知ってたし」
 いたって当たり前のようにのどかが答えた。
「そうなのですか、のどか?」
「あっ、うん。たぶんそうなんじゃないかなって。あのね、前に――――」
 のどかがかつてのことを思い返しながら口を開く。

「わかっとらんなあ、みんなは。千雨ちゃんよりもネギくんに注目するべきやって。もー、最近はアスナとウチなんかのろけ話ばっかりきいとるんやで」
「……あれはこのかが無理やり聞き出してるだけでしょーが」
 あきれたように明日菜が言ったが、そんな台詞は誰も聞いていない。

「へー、ネギ君がねえ。まー長谷川は惚気たりはしなそうよね」
「そっかー。そりゃそうだよねー。昨日の二人を見る限り、ネギ君ラブラブっぽかったし。うらやましーなー」
 裕奈の言葉にまき絵が頷く。
 昨日は騒ぎが大きすぎたし、まだ修学旅行がどうなるかわからなかったりと問題が多かった。
 それに何よりにこやかにクラスメイトと立ち回る千雨が意外に怖かったので大して話も出来なかったが、それでも感じ取れることはあった。

「そうそう。まきえの言うとおりだよ。いいなー、千雨ちゃん。ボクもラブラブな恋人がほしいよー」
「お、お姉ちゃん。あんまり大きな声出すとおきちゃうですよぅー」
 キャーキャーと双子が騒ぐ。
 千雨の横に座るさよは戦々恐々だ。

「千雨ちゃんからコクったのかなあ」
「あっ、それ気になるー。長谷川全然話さなかったしねー」
「そーそー。昨日とか驚いちゃったよー、結構ノリいいみたいだったしさー。こいつも怒鳴ったりするんだねー」
 さよが不思議そうな顔をするが、いままでの千雨の印象は物静かな文学系少女なのだ。
 ルビーから言わせれば猫かぶりすぎである。

「へー、じつは手が早いとか?」
「それがちゃうんよ。告白したのはネギくんかららしいでー」
 秘密にしておくといっていたわりにあっさりと木乃香がばらした。
 木乃香的にはこの辺の内容を話すのは問題にはならないらしい。
「マジ? はー、ネギくんがねえ」
 うらやましー、とノリのいいクラスメイトが続いて騒ぎ、その大声に千雨がもぞもぞと動く。
 さよは冷や汗を流しっぱなしだ。
 ムニャムニャと平和そうに眠っているその顔をクラスメイトたちにじっくりと見られているとなっては、かわいそうすぎる薄氷の平穏である。

「じゃー、前のパートーナーの話はやっぱり千雨ちゃんだったんだねー」
「ああ、断られたとか言ってたやつね。なるほど、あのころからかあ」
「なになに、じゃあ千雨ちゃん王女さまってこと?」
「ネギ王子かー。このかはなんかきいてないの?」
「そうやね、パートーナーってのはネギくんもちょい話してたと思うわ。なんかいろいろとがんばっとるらしいで。話してくれんかったけど、あれやね、釣り合うようにはりきっとるゆうか、千雨ちゃんにふさわしくなろうとしてみたいな感じやね。アスナになんか相談してたしな」
 へーと驚きの声をあげるクラスメイトを前に、くうぅ、と木乃香が一拍ためた。
「もー、なんなんやろなあ。ええなー、ああいうんて。ネギくんもすっごいカワかっこよかったでー。あっ、でもネギくんのことは千雨ちゃんには内緒な」
 突っ込み役は皆無である。

「へー、いうねー。やるじゃんネギ君。アスナはなにいわれたの?」
「あのガキが気にしてるってだけよ。たいしたこと話してないって。千雨ちゃんに嫌われたくないってことでしょ」
 亜子の問いに口ごもりながら明日菜が答えた。
 魔法の修行を頑張っているとはさすがにいえない。

「一途すぎでしょー。どうやって落としたのよ長谷川は」
「確かにそれは気になるーっ!」
「でもちょっと子供っぽくない? 男はもっと余裕持たなきゃ」
「しょーがないでしょー。十歳だよー」
「……ゆーなは尽くしたがるタイプだからね。ファザコンだし」
 なぜみんなネギのことに疑問を抱いていないのだろうと、冷や汗を流しながら話を聞いていたアキラがつぶやく。
「そーそー。そーゆー、美少年が一生懸命かっこつけたがるところがいいんじゃん」
 ゆーなはロマンがわかってないな、と美砂が笑った。

「結婚しちゃいそうだよねー」
「さすがにそれはないでしょ」
「ネギくん一途っぽいしさ、絶対あるって」
 桜子が力説するが、さすがにその言葉に頷くのは少数だ。修学旅行カップルの結婚率ではないが、さすがになあ、といった表情をする。
 ちなみに麻帆良恋愛研究会の調べでは修学旅行での告白成功率は87%を超えている。その後のデータが望まれるところである。
 逆に木乃香などはそんな疑問系のクラスメイトに対して、わかっとらんなあと頭を振ったりしているのだが、まあ反応は人それぞれ。
 もちろんこの場にいるもの以外だって、話を聞いていないわけじゃない。
 彼女たちの声はとても大きい。

「ふむ、結婚カ。それは実に興味深い話題だが……オヤ、ハカセ。どうしたネ。そんなに真剣に画面を見つめて。何か面白いことでも?」
 桜子たちが騒ぐ声を聞きながら、面白そうに自体を見守っていた超がなにやらノートパソコンの画面とにらめっこしている葉加瀬に目をやった。
「…………えっ。いや、超さん。……えっと、茶々丸の記憶データで……。いや、茶々丸、このデータって……その、ほんと?」
「…………いえ、あの…………」
「ホホウ、どれどれ……」
 超もパソコンの画面を覗き込む。
 音声情報の文字データ。
 情報を保存する脳みそ代わりのデータバンクはバックアップいらずのテラ単位。保存データは数年単位。
 そして絡繰茶々丸はエヴァンジェリンの従者だが、創造主には逆らえない。
 まあそんな当たり前のことをこれ以上かたる必要もないだろう。

「でもさー、まだネギ君ってこのかとアスナのところに泊まってるんでしょ? いいの、応援するって言ったのに」
「いやいや、隠してたんでしょ。そんな事したら即バレじゃん。てかさすがに駄目でしょー」
「まー、記事にゃあ出来なかっただろうねー、それは」
 あはは、と円と和美が笑う。
「でも千雨ちゃんのところには良く遊びにいっとるで」
「えーっ、なにお泊まり!?」
 きゃいきゃいと騒ぎが広まる。

「…………」
 やばそうですよ、千雨さん。と心の中でさよがつぶやく。
 さすがに一足飛びで連想することはないようだが、真実を知っている少数の一人としてさよは口も挟めない。
 茶々丸は天才組に拉致されてしまったし、先生はいまだ帰ってこない。ザジにフォローは期待できそうにないし、刹那もいい加減戻ってきてほしいところだ。

「皆さん、もう少し落ち着きなさいな。亜子さんやしずな先生がお休みになっているのに……」
 役に立たないさよの横から意外なフォローがきた。
 しずなの具合を見ていたあやかが、さすがに騒ぐクラスメイトをいさめ始める。
 さすがです、とさよが感心した。
 あとで千雨はお礼の一つでもするべきだろう。あやかがここまで千雨の味方をしてくれるとはさよですら考えていなかったことだ。

 そんな騒ぎなど知らずと寝ている千雨の周囲で、千雨とネギの馴れ初めを推測する様は、さすがに女子中学生と言うべきか。
 さよは傍観の姿勢を崩さない。
 知らないほうが幸せだろうと、起こさないでおいたが、ここは無理やり起こしてでも止めてもらったほうがいいだろうか。
 正直自分ではこの騒ぎを止められる気がしない。

 ちらりと横目で皆を見る。
 いいタイミングでばっちりと和美たちと目が合って、彼女から不吉な笑みが送られた。
 そりゃ、もうこの恋はもはやじっくり育てるもなにもないけれど、さすがに記事にしたら千雨さんも怒ってしまうと思います。
 しかしそんなさよの無言の慟哭を聞いてくれるものなどいるはずない。

 ああ、わたしもこの騒動に参加する羽目になりそうだ。
 もちろん、千雨をかばう気はあるけれど、しゃべり相手のいなかった60年。
 おしゃべりは大好きだったりする相坂さよ。
 それにむしろ会話に加わっていたほうが、千雨のフォローが出来そうだ。
 うん、きっとそうだろう。

 と、いうわけで。

 さよは話しても問題なさそうなネタを思い出しつつ、みなの会話に加わりながら、今のうちに千雨への言い訳を考えておくことにした。


   ◆


「カエルねえ」
 そうなんですよ、となぜか目を泳がせながら事情を話すさよに生返事を返しながら、わたしは寝ててよかったなあと自分の英断に感心した。
 なにやら騒ぎが起こったらしい。思い返せば夢うつつにクラスメイトが騒いでいた気がする。
 ずいぶん盛り上がっていたようだが、あれはカエルが暴れたことだったのか。

 話を聞くと、宴もたけなわと盛り上がる電車内で、いきなりカエルの群れが発生したらしい。
 旅行は移動中が華であるというものだが、蛙の混じった食料品に口を付けてまで堪能したいとは思わない。
 まあ本気で蛙が生まれたということはないだろうから、またぞろ、先生か関西呪術協会とやらが何かしらやらかしたのだろう。
 実に迷惑だが、やはり嫌がらせ程度ということか。
 さよが自分を起こさなかったということは深刻なことはなかったのだろうし、ネギによる騒動になれたクラスメイトにとってはたいした問題でもなかったに違いない。
 むしろ自分に飛び火しない分、適当な騒ぎは歓迎したいくらいなのだ。
 そんなことを考えながら、名前だけが先行して売れている清水の舞台からの景色を楽しむ。

「…………」

 しかし、どうにも周りから視線が飛んでいる気がしてならない。
 やはり、昨日先生の一件がばれたことが尾を引いているのだろうか。それにしては今朝の駅のホームよりも視線があからさまになっている気がする。
 ちらりと茶々丸とさよに目をやると、なぜかその視線をそらされた。目をそらさないザジに対しては一応微笑んでから目をそらす。
 いやな予感がするが、気のせいだろう。気のせいに違いない。気のせいであってほしい。あとであの二人に問いただそう。

 清水寺について薀蓄を語る綾瀬を横目で見ながら、わたしは辺りを見回した。
 天気もいいし、景色もいい。
 シャッターを押してくれと委員長に頼んでいる釘宮の声を聞きながら、わたしも携帯で何枚か写真をとっておく。ちうのページで使うためだ。
 そんな風に、漠然とした不安を感じながらも、一応はわたしも京都観光を楽しんでいた。

「そうそう。ここから先に進むと恋占いで女性に大人気の地主神社があるです」
 そんな中、仏閣マニアとして清水寺を堪能していた綾瀬が声を上げた。
 それに佐々木をはじめとするクラスメイトが反応する。
 リアクションに気をよくしたのか、さらに綾瀬が石段を指差し、健康・学業・縁結びをつかさどる音羽の滝を紹介するころには、なぜかかなりの人数が盛り上がったまま、そちらの駆け出した。
 時おりもれ聞こえるわたしの名前が恐ろしすぎる。

 団体行動ということで、全員が移動し、わたしも少し離れて歩き始めた。
 自然を楽しむ趣味がないわたしとしては、何枚かちう用に写真を撮れば、もう神社や森林は霊脈としての意味くらいしかない。
 今日と独特の風景に感心しながら歩くネギとクラスメイトを視界の脇でとらえながら、一歩遅れてついていく。

「ちうちゃん。なにたそがれてんの?」
「……朝倉か。お前あっちに混じらなくていいのか? なんか騒いでるぞ」
「あー、恋占いの石とか恋愛成就の滝があるらしいね。わたしは石や滝自体には興味ないからなー」
 それを楽しむクラスメイトのほうに興味があるらしい朝倉が悪の笑みを浮かべた。
 ものすごく関わらないでほしい。あたりを見わたすが、助けてくれそうなやつがいなかった。
 ちょいと遠くで茶々丸とさよとザジがそろって景色を楽しんでいるさまを見ながら、しょうがなく朝倉に付き合うことにした。

「あっ、そういえばネギ先生から告ったんだって?」
「……誰が言ってたんだ?」
「だれでもいいじゃん。電車で話してたよ。いやー、うちのクラスって面白いやつがそろってるわりに平和じゃない? こういう血沸き肉踊る大スクープってのは貴重だからさー。ほんと、よく停学食らわなかったね」
 頬を引きつらせる。というかこいつはうちのクラスメイトの変態性を理解していたのか。
 それを許容した上で楽しんでいるのだとしたら、底知れなすぎる。

「まー応援するってやつが大半みたいだよ。よかったねー、うちのクラスはお人よしばっかりで」
「まあ、お前みたいなのもいるけどな」
 つい先日の騒動を経ておいて猫かぶりもなにもない。
 いまさら取り繕う必要も何もないので辛口の言葉を返すが、なぜかそれに朝倉が楽しそうに笑った。

「いや、いいね、その性格。マジで意外だったわ」
「うるせえな。いいだろ別に」
「悪いって言ってるんじゃないって」
 くっくっくと肩を震わせ、眦に浮かんだ涙をこすりながら、朝倉が言う。

「なんでいっつも黙ってたのよ。デートのときもこっそりとおしゃれしてたみたいだし、あれって一朝一夕でファッション雑誌見たって感じじゃなかったよ。慣れてるでしょ? そのわりにそういう服で見かけたことないし……それにそのメガネだって伊達じゃん」
「……」
「正直、もったいなくない? 昨日もうちのクラスを本気で嫌がってるって感じでもなかったしさ」
「意外とおせっかいだな、朝倉」
「あはは、違う違う。わたしが個人的に仲良くなっときたかったんだって」

 胡散臭いと思いながら朝倉を見るが、こいつにしては珍しく真面目な表情だった。
 目が合うとにこりと笑いを返された。
 思わず後ずさるわたしに、朝倉が顔を寄せる。

 おちゃらけながらも友人思いのパパラッチ。
 クラスメイトに関わりたくないと思っていたわたしでも、そんなクラスメイトの姿を知らないということはない。
 その行動に突っ込みを入れ、その性質にため息を吐きながらも数年の時間を共にした。
 だからわたしは知っている。
 こいつがいいやつだということを知っている。だからこそ厄介であることを知っている。
 そいつの口から漏れる、わたしと仲良くしたいなんてそんな言葉。
 警戒せずにはいられない。

「……どういう意味だ?」
 思わず出るそんな問い。
 わたしと仲良くなりたいなどと口にするその女。
 だって、そんなことありえない。わたしが目新しさとスキャンダルから注目されるようになったって、わたしの本質は変わらない。
 わたしと友達になりたがる奇特なやつなんて、さよくらいのものだった。
 だってのに――――

「先生のこと抜きでいいからさ。あんたとは友達になっときたいな」

 この女は軽々しくそういうことを口にする。
 ルビーからもエヴァンジェリンからも茶々丸からも、さよやネギからだってそんな台詞をこんなにあっさりと言われたことはない。
 そんな台詞は女子中学生だと考えれば、当たり前の言葉のはずなのに、当たり前じゃないやつらばかりだから忘れてた。
 あまりに簡単に赤くなる自分の顔が恨めしい。
 覚悟を持ったあいつらとは別物の、そんな言葉をあまりにあっさりと切り札とするそういう少女。
 ああ、こいつは友達が多そうだしな、とわたしは頭の片隅で考える。
 悪意がないから厄介で、善意のベクトルが違うから困り者。

 伊達にわたしは友達ゼロ人で過ごしてはいなかったのだ。
 大人びたその少女の言葉に、思わず目をそらしてしまう。

「駄目?」
 首を傾げて笑う朝倉に、目を合わせることも出来ずに戸惑った。
 なんだこいつ。キャラちげえだろ。

「い、いや……べつにいいけど……それくらい」
 こういう時の口下手がいやになる。
 赤くなった顔を隠すようにうつむいて、平静を装いきれずに戸惑って、そんな無様をさらしている。

 自分の笑顔の力をきちんと認識している女の笑顔。
 ネット限定のわたしと違って、こいつは効果的に人をたぶらかす方法を知っている。
 この年で悪女すぎる女である。

 それをきちんと理解していながら、わたしも顔の赤みが止められないのだから、たまらない。
 さすがに不意打ちすぎた所為だ。
 顔の赤みは引かず、わたしはそれ以上言葉が出ない。
 うつむくわたしの耳に、くくく、と朝倉の笑い声が聞こえた。

「いやー、やっぱいいキャラしてるわ」
「うるさいぞ」
「まあまあ。でも友達ってのは嘘じゃないよ。いやさー、電車で話聞いてね、あんたと友達になっとかないともったいないと思ってたんだわ」
「く……やっぱそういう意味かよ。性悪すぎだろ」
「怒んなって、ちうちうー」
「くっつくな! てか、その呼び方はやめろ、テメエ!」

 赤い顔のままうつむいて、軽口を応酬させながら道を歩く。
 まあパパラッチと噂されようが、こいつは話すことと話すべきでないことを判断するタイプである。
 もちろん、安心できるというわけではない。
 朝倉は人の秘密に対して、自分が知ってそのあとに黙っておくかどうかを考えるタイプだ。
 問題があるといえばあるし、黙っておくといっても自分自身は知ろうとするから、弱みを握られる可能性も十分にある。
 しかし、ここまで大々的にばれたい上、わたしは特に引け目を感じる部分はないし、必要以上に恐れて無駄に勘ぐられたまま関わりつづけられても困る。
 むしろこの程度の関係のほうが安全ともいえるだろう、とわたしは自分を誤魔化した。

「あっ、そういえばさ」
「なんだ?」

 魔法のことなど、ばれると困るところもあるが、そこらへんも含めてさすがに不味いところはばれているはずがないと、わたしは――――

「ちうちゃん、ネギ先生と寝たって本当?」

 ――――わたしはいったいどうすればいいのだろうか。


   ◆


「千雨さんっ! なんか向こうで誰かが落とし穴に落っこちたそうです。茶々丸さんが見に行ってますけど、カエルが詰まってるとかで、たぶん朝の――――って、あれどうしたんですか、朝倉さん?」
「えっ!? い、いや。なんつーのかな。さよちゃん。いや、ほら、軽口って言うか揺さぶりって言うかさ。ぶっちゃけここまで自爆されるとわたしも困っちゃうんだけど…………わかる?」
「はっ? い、いえ、ちょっとよくわかりません……」
「うん、まあそうだろうね。いや悪気はなかったのよ、あのさ。まあ、なんというか、いやさすがに……わたしも結構図太いほうだとは思ってたんだけど……。あっ、落とし穴ってなに? なんかあったの?」

「え、あの……恋占いの石っていうのをやってたら落とし穴に落っこちてしまった人がいるみたいで……」
「へー、そう。落とし穴か。よくわからないけど、それは大変そうじゃん。怪我人とかいないの? うん。じゃあ見にいこっか」
「えっ? 怪我人はいないそうですけど、あ、あの、でも千雨さんは」
「いやー、なんかちうちゃんは一人になりたいみたいだよ。いや、うん。ちなみに何の他意もない独り言だけど、わたしは結構口は堅いから安心してね。あはは。よしっ、こっち来なってさよちゃん」
「えっ、あの。でもなんか新幹線のときと同じ蛙みたいで、一応千雨さんにも知らせておかないと」
「へー、なんで? カエルマニアなの? 意外ねー。あっ、カエルといえば今日の新幹線で長瀬がさー」
「えっ!? あの……、その……」

「大丈夫ですか! まき絵さんっ!」
「あらー、痛そー? まき絵、大丈夫?」
「うー、いきなり落とし穴だよ。足すりむいちゃった」
「平気でしょー。結構深かったみたいだけど、かえるのオモチャが詰まってたし。擦り傷って言うか、皮がちょっとすれただけじゃん」
「そうそう。亜子ちんがバンソーコー貼れるくらいだしねー」
「でも亜子ちょっと気分悪そうだよー、大丈夫?」
「そうだね。…………亜子、大丈夫? 血?」
「ありがと、アキラ。血は平気、でもカエルが……やっぱり……」
「そう。飲み物でも買ってくる?」
「うー、ありがとー。アキラ」

「危ないねー、なんで落とし穴なんてあったのよ、って。おー、あっちのあれはまさか音羽の滝?」
「縁結びの滝ですね」
「よーしみんな、ボクに続けー!」
「ちょっと、わたしを置いてかないでよー!?」
「あの、皆さん。団体行動を――――」

「――――ってわけ。麻帆良四天王も苦手なものくらいあるわけよ。くーちゃんは超りんたちの発明品が苦手とか言ってたかなあ」
「あ、あのその。朝倉さん。それで何か話があるとか……」
「あっ、そうだ。ごめんごめん。さよちゃんってちうちゃんの友達なんだよね」
「えっ!? は、はい」
「じゃあ、わたしとも友達になろうよ。いやー、改めて言うとやっぱ照れる台詞だね、コリャ」
「――っ!? ほ、本当ですかっ! ありがとうございます!」
「へっ? い、いや。なんでそんなに食いつきいいの、さよちゃん」

「……へーそういうこと。もー、ちうちゃんといい、さよちゃんといい、素直だなあ。小学生……とは流石にいえないけどさー。あっ、でもネギくんはまだ本当は小学生だっけ。ちうちゃんも大概ぶっとんでるよなー」
「はい? あっ、そ、そういえば、わたし何か話してませんでしたっけ? なにか用事があったような気が……」
「んっ。あー四天王にもちうちゃんにも弱みがあるとか、そんな話じゃなかった?」
「え? あの、それは違うような」
「まあまあいいじゃん。そういえば、さよちゃんはさ――――」


   ◆


「死にたい」

 軽々しく日常で死という言葉を使うべきではない。
 そんな当たり前の心得すら放棄して、わたしはのろのろと足を進めていた。
 先ほど、去っていったさよと朝倉のことは考えたくもない。

 そうしてとぼとぼと歩いていると、なにやら騒がしい声が聞こえてくる。
 気持ちを切り替えて、とはさすがに行かないが、それでも何とか足を動かして石段をあがると、音羽の滝がある。
 柄杓で受け止めた水を飲むと、恋がかなうというベタベタなご利益をうたっている音羽の滝の前にクラスメイトがそろっていた。
 三条の滝が流れるが、全員左の滝に、恋愛成就の滝の水に群がっている。
 キャーキャーと叫びながら滝の水を飲む姿をボウと眺めた。
 理解できない。

「むっ……うまい!?」
「ぷっはぁーっ、なにこれー。おいしー」
「いっぱいのめばいっぱい効くかもー」
「わたしも千雨ちゃんみたいに彼氏ほしーし」
「うらやましいよねー」

 訂正しよう。理解できるが、納得できない。
 巻き込まれそうなので、距離をとってため息を吐いた。

「どうされたんですの? そんな顔をされて」
 いつの間にか横に立っていた委員長から声をかけられる。
「疲れただけだよ。……いいんちょは行かないのか、あれ」
「ええ。相手もいないのに言っても意味はありませんもの」
 うそ臭い。
 例え先生のお気持ちが決まっていても、と先日の騒動の時にいっていたくせに。

「違いますわ。先生のお気持ちが決まっているから、行かないのです」
 なんとまあ高潔だ。
 さすがといっておくべきだろう。

「だけど、ちょっと意外だよな」
「意外と思われるほうが意外ですわ」
「いつもの騒ぎの自覚はないのかよ、委員長」
「恥じるところはありませんから」
 断言された。

 クククと思わず笑いが漏れる。
 少しだけ沈んだ気分が晴れていた。
 落ち込んだ気分を払拭するために伸びをすると、そんなわたしの姿に委員長が微笑んだ。
 そんな委員長の姿に思わず苦笑する。
 狙っていたらしい。一枚も二枚も上手のようだ。

「昨日はありがとな。みんなを抑えてくれて。ほんとに助かったよ」
「別にかまいませんわ。少々責任も感じておりましたし」
「ありゃわたしの所為だろ」
「どちらかというならネギ先生が原因でしょう。聞きましたわよ、お二人のこと」
「ああ、朝倉も言ってたな。近衛からか?」
「いいえ、みんなと一緒に今日の電車で。さよさんから」

「――――へーそう。ちなみにさよはいまどこにいる?」

   ◆

 というわけで、わたしは音羽の滝からすこしはなれた路地裏に相坂さよを連れ込んでいた。
 電車の騒動に、先ほどからやけに突き刺さる視線、
 そして、縁結びの滝のほうからときおり聞こえるクラスメイトの騒ぎ声。
 そう言うものを思いだし、そう言う喧騒を聞きながら、いやに静かな一画で、わたしとさよが向かいある。
 無言で連れ出し、向き合って、なんとなくわたしのいいたいことを察したのか、さよがこわごわとわたしの顔をうかがっていた。
 わたしは安心させるように、目の前でこちらを伺う涙目のさよに笑いかけた。

「で、どういうことだ。さよ」
「えっ!? い、いえ、その……なんのことですか?」
「心当たりないのか?」
「えっと……あっ! あのですね、昨日の夜のことは別にやましい気持ちがあったわけではなく、あれはただネギ先生の気持ちを知りたいなあと思っただけで、別段そういう意図ではないんですっ!」
 なんだそれは。
「……昨日の夜のことは、別にもう怒ってないぞ」
「へっ? あっ、違いましたか」

 さよが安堵したような顔をする。
 確かに、寝ようとしていたところを邪魔されはしたが、そんなことをいちいち根に持ったりはしない。
 今日の朝も寝相の悪かったらしいさよの所為で少し服が乱れていて、エヴァンジェリンに怒られたりもしたが、それも別にさよの所為ではあるまい。
 わたしが聞きたいのは電車でこいつが他のクラスメイトに語ったことだ。

「ああ、それより電車でなにはなしたんだ?」
「あっ、それはですね。千雨さんが先生とよくお話してるとか、千雨さんがおやつを作ったりとか、そういうことだけですよ」
「ふーん。まあそうだよな。さすがに……まあ、それくらいなら……」
「はい。皆さんもすごく協力的で、千雨さんがデートしたり、手をつないでたり、チューしたりしてるという話を聞いたら、今度是非……………………あの千雨さん。怒ってますか?」
「怒ってないよ」
「……本当ですか?」
「本当だから続きを話せ」
「本当に本当ですか?」
「もちろん」
「そ、そうですか。えっとそれでですね。先生がよく千雨さんのお部屋に行って――――」

 そうしてほっ、と息を吐いて再度話し始めるさよに、わたしはにっこりと微笑んだ。
 もちろん嘘に決まってる。



―――――――――――――――――――――――――――――――


 クラス全体で千雨をいじる話。30人ってやっぱり多すぎですね。まあこのレベルで人がでてくるのはしばらくお預け。あと次回からネギくんもマトモに出るようになると思います。
 最近の話のぐだぐだっぷりがひどすぎるので、もうちょっと定期を守ります。次回も来週の予定。



[14323] 第21話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/08/02 00:26
「なんで寝てんだ、こいつら?」
 涙目のさよを引き連れて、クラスメイトに合流しようとしたわたしの目の前に、クラスメイトが倒れている。
 音羽の滝の目の前。クラスメイトの三分の一ほどがスースーと寝息を立てていた。
 すわ、関西呪術協会とやらの暴走かと思いきや、眠っているだけのようで数少ない理性を保ったクラスメイトが眠りこけるバカどもの頬を叩いている。

「お酒のにおいがしますけど……あっ、茶々丸さん、皆さんどうしたんですか?」
「あっ、さよさんに千雨さん。どうやら皆さん酔いつぶれているようです」
 さよの問いに絡繰が答える。

「…………甘酒かなんかか?」
「いえ、あちらに」
 そんなわけないだろうなあ、と思いつつ問いかけると当然のごとく否定された。
 絡繰の指差す先を見ると、滝上に酒樽がくっついている。
 音羽の滝に流れ込んでいた。寝ているやつらは、あれを飲んだのだろう。
 わかり安すぎるそれにさすがに顔が引きつる。
 というか魔法でもなんでもなかった。

 そのままどうしたものかと、早乙女の頬を叩いている神楽坂を見ていると、巡回中らしい先生方がやってくる。
 鬼の新田に瀬流彦先生。
 誤魔化す神楽坂と先生の姿にちらりと視線を送り、しょうがないとわたしも皆を手伝うことにした。



   第21話


 ホテルにようやくたどり着く。
 半分以上眠っていた輩はそのまま部屋で寝ているが、もちろん残りの人間はお約束どおりに騒いでいた。
 わいわいとした騒ぎがホテルに響く。実に迷惑をかけそうだった。

「あー、疲れた。くそ、蛙に続いて酒樽かよ。てかあいつらもおかしいって気づいてただろ絶対。そのくせ、ばかすか呑みやがって」
「どうしましょう。酔いをさましてあげるべきでしょうか」
 全員を運び終わり、ホテル内をさよと歩く。
 さよが案の定人のいい台詞を吐いた。

「うーん、どうだろうな」
 正直魔法使いに巻き込まれたわけだから、覚醒させるべきかもしれない。
 だが、わたしはさよの言葉に首を振った。
「でもやめとこうぜ。半分自業自得だし、ほっときゃいいじゃんべつに」
「なんでですかっ、治してあげましょうよ、千雨さん!」
「だって、それは魔法使いだって宣伝して回るようなものだぞ。相手だって、そう言う意味でやったのかもしれない。いぶり出しのためにな」
 たかが酔い覚ましで厄介ごとを背負い込む必要はない。魔術師なら放置すべきだ。
 だがさよは納得できないのかふくれたままだ。

「でも、関西の人たちもひどいですよ。ただの中学生のみなさんも巻き込むなんて……」
 さよが怒ったように言った。
 ただの中学生という言葉には少し言いたいところもあるが、言っていることはわからないでもない。

「魔法使いさんは普通の人を巻き込んだらいけないはずなのに、やりすぎです」
「ひどいっちゃあひどいけど、効果的だよな」
「そうですか?」
「ぎりぎり遊びですむ範囲で一般人に手を出して、んでもって“たかが”カエルと酒でこの様だ」
 肩をすくめる。酒にカエルにといろいろあったが、最終的には今日の騒動は怪我人ゼロだ。
 いや擦り傷を負ったのが一人いたが、それでも所詮その程度。

「妨害としちゃばっちりじゃないか。落とし穴のそこがむき出しの土ならけが人が出てただろうし、つぶれりゃ紙に戻るカエルはむしろ嫌がらせというより向こうの気遣いだろ。酒の代わりに毒を入れたら全面戦争だろうし、親書云々の話じゃねえ」
「はあ、毒ですか……それはそうかもしれませんけど」
 むう、とさよが膨れる。

「でもって、このまま適当に煽っておいて、隙を見て親書を盗めばいいってことだろ。エヴァンジェリンの言っていたとおりほんとに温いけど、予想の範疇だ。明日……は奈良の観光か。じゃあ明後日にでも先生が親書とやらを届けちまえば、もう問題も起こらないさ」
「うー。でもこうして油断させておいて、一気に悪の目的を達しようとしているのかもしれません」
 また変なことを言い出すさよに肩をすくめる。
「なんだよ、悪の目的って。親書を奪うってだけだろ。被害が出るにしても先生までさ。手を貸してもいいけど、手を貸すほどなのかは疑問だね」
 もともとわたしは手出し無用の立ち位置なのだ。
 たかがこの程度の話で介入するわけには行くまい。

「でも眠っちゃった皆さんは起こして差し上げるべきだと思います!」
「明日には目が覚めてるだろ。静かでいいことだ。どうせ騒がしくなるだろうし、一晩くらい静かな夜もいいだろ」
「なに言ってるんですか! 修学旅行の一晩と言うのは、学校生活の一ヶ月に相当するんですよ!」
 なぜか怒られた。
 というかその理論はなんなんだ。根拠を示せ。

「でも正直面倒だしなあ……」
「マギステル・マギを目指す先生とつきあっておいてなに言ってるんですか。ほらほらっ」
 背中を押される。
 できれば眠っていてほしかったのだが、騒ぐさよを振り切ってまで放置はできまい。
 はあ、とため息を吐いた。
 もうばればれとはいえ、魔術師であることを示したくはなかった。
 出来れば遠慮したいが、中々難しい天秤だ。たかが自分の保身がベットなのだし、さよに言葉にも一理ある。

 先生と違って、わたしは魔術という技術だけを与えられた半人前だ。明確な線引きしかない身では文句も言えない。
 ライン引きが重要なのだ。どこまでなら許し、どこからなら介入するか。それを間違えれば、自分はエゴにとらわれる。長谷川千雨は選択者になるべきではなかったのだ。
 傍観者としての立場を明確にしていたからこそ、自分はいままで長谷川千雨らしさを保っていられた。
 それが今ではこの様だ。
 昔の自分に今のざまを見られたら鼻で笑われることだろう。

「わかったよ。じゃあ行くかあ……」
「それでこそ千雨さんですっ!」
「なんだそりゃ……」
 笑うさよを引きつれて部屋を回るために歩き出す。
 そもそも酔って寝ているといったってそれは一部だ。半分以上はおきている。
 酔っていたやつらだって、よほど深酒をしていない限り眠り続けているということはない。精々今日の就寝が早くなるくらいのものだろう。
 だから放っておいてもかまわないとは思うのだが、やはりこういうときのさよには逆らえない。
 ああ、面倒くさいと思いながら、わたしはクラスメイトの部屋を回ることにした。

   ◆

 遅延式の目覚めの魔術に、ネギから聞いた魔法を魔術で再現した眠気を晴らす覚醒術。
 酒気払いは気休め程度。部屋を回りながら寝ているやつらに魔術をかけていく。

「すぐ起こしてあげないんですか」
「混乱しそうだしな」
 そう尋ねてきたさよに答えながら廊下を歩く。
 ネギをけしかければよかったが、あいつは教師なのでいろいろと忙しいだろう。
 あいつが魔法使いなのは確実に西の一味にばれてるし、生贄としてはちょうど良かったのだろうが、しょうがない。
 そんなことを考えながらあるいていると、先生と神楽坂がいた。
 ホテルの片隅の休息コーナーで、カモを交えた二人と一匹が顔を突き合わせている。

「おや、千雨の姐さん方じゃねえっすか。これから風呂っすか」
 こちらに気づいたカモミールが早速話しかけてくる。
「違うよ。うちの班は一番最後だ。あんたらは入ってたのか?」
「あー、うちももうすぐね。それより聞いたっ、千雨ちゃん! なんか今日のカエルとか、みんなが酔っ払っちゃったのってこいつの所為らしいのよっ!」
 神楽坂が怒鳴った。どうやらその話をしていたらしい。
 さすがに神楽坂も気づいていたのか。

「知ってる。神楽坂も聞いたのか?」
「うん。また魔法の厄介ごとね。あっ、それでね、わたしもネギを手伝おうかとおもってるんだけど……」
 少し恐縮したように神楽坂がいった。
 断られることを恐れているのだろうが、エヴァンジェリンのときと違って、今は純粋に助かる申し出だ。

「そりゃ助かるな」
「あっ、ホント?」
「ああ、もともと酔っ払いを運んだりしてもらったし、わたしもあんまり手を出すなって言われてるから、神楽坂が手伝ってくれるのは助かるよ」
「そうなの? 良かった」
 ほっ、と神楽坂が微笑んだ。
 わざわざ巻き込まれた挙句この台詞をはけるのだから善人すぎる。

「でも、手を出すなって言うのは? 千雨ちゃんも魔法使いなんでしょ」
「だかららしいぜ。なんか魔法使いは折り合い悪いから手を出せないんだと。で外国人で確執のない先生が特使役ってことだな」
「ふーん。手紙を届けるだけなのに、こんなことするの。やっぱ魔法使いってのは変なのばっかりね」
 神楽坂以外は全員魔法使いなわけだが、神楽坂は自分の言葉に気がついていないようだった。

「姉さんがたはなにしてたんですかい?」
「ああ、クラスのやつらの酔い覚ましをしてた。さよが可哀相だってうるさかったからな。あとすこししたら起きると思う」
「あっ、そうなの? そりゃ良かったわ。このまま寝てたら明日悔しがりそうだったしね」
 やはり善人の神楽坂が笑った。

「あっ、ありがとうございます。千雨さん、さよさん。そんなことまで……」
「発案はさよですよ。それに、手を出すなといわれても、サポートくらいならいいでしょうしね」
 チョコチョコとよってきたネギが頭を下げる。
 その仕草にわたしも微笑んだ。感謝されるのは悪い気はしない。

「本当はお酒とかも未然に防げればよかったんですけど……」
「まっ、しょうがないだろ。落ち込むなよ、先生が頑張ってるのは知ってるさ」
「エヘヘ。ありがとうございます」
 なんとなくネギの髪を手で透かす。
 その感触に微笑んでいると、落ち込んでいたネギも笑顔を見せた。
 少しだけ二人で笑いあう。

「…………千雨さん。人前ですよ」
「ウフフ。いやー千雨ちゃん。やっぱ仲いいのねー」
「グフフ。いやさすが姉さん」

 外野から声が上がった。
 うぜえ。
 というかただ笑いあっただけで、なんでそんなに言われなきゃならないんだ。
 過剰に反応したネギが顔を赤くしてうつむいた。
 わたしは笑っていた頬を引き締め、にやつくアホどもに向き直る。

「そうだ、千雨の姉さんもクラスの桜咲刹那ってやつのことなにかしらねえっすか?」
 話の区切りにカモミールが口を開く。
 桜咲刹那。もちろん同じ班員なわけで知らないはずがない。
 そういって首をかしげると、なにやら物騒な話を聞かされた。
 桜咲のスパイ疑惑だとかそんな話。

「スパイ? 桜咲がか?」
「い、いえ。まだ決まったわけじゃないんですけど、今日の新幹線で……」
 くわしく聞くと、ネギが親書関係で接触を受けたようだ。
 親書を奪われた騒動に絡んでいたらしい。
 ツバメにいったん親書を奪われ、その後、忠告と共に親書を返された。
 取り返したのか、桜咲が一度奪ってから返したのかはわからないが、結局返してくれたということはスパイどころかむしろ先生のサポートではないのだろうか?
 首をかしげる。

「まあ、名前は知ってるな。あんまり話したことないけど、でたらめに強いらしい……魔法生徒で剣術家だとさ」
「や、やっぱり魔法使いなんですか? それと剣術ですか? あっ、あの名簿にたしか……」
「ああさっきのやつ。えーっと、神鳴流だっけ?」
 いつも名簿を持ちあるいている先生から、名簿を借りる。そこには確かに京都神鳴流の文字がある。一応秘匿される流派だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
 所属クラブは剣道部。いつも持っている長物のカモフラージュのためだろうか?
 ルビーから聞いた話では、とんでもなく腕は立つらしいが、性格その他はたいして鋭いほうではないので隠し事がばれることに関してはそれほど心配しなくても良い猪タイプ……というわりと酷めの評価だったはずだ。

「ああ、やつは間違いなく、関西呪術協会の刺客っすよっ!」
「うーん、そうかなー?」
 ヒートアップするカモミールとだんだん冷静になっていく神楽坂。だがわたしも神楽坂に賛成だ。
 さすがにカモミールのそれは短絡すぎる。

「刹那さんも魔法生徒なんですね……」
「ああ……そうだな、ちょっと部屋に戻って話してみようか?」
「えっ? いいんですか、千雨さん」
「もともと同じ班だしな。むしろこんな状態でほうっておく方が怖いよ」
 さよとは仲がよかったはずだし、それにたぶん本当にスパイと言うことはあるまい。なにしろ3-Aの生徒である。

「あら、ネギ先生。教員は早めにお風呂済ませてくださいな」
「ひゃいっ!?」
 そんなことを話していると、しずな先生から声をかけられた。
 しずな先生の足音に気づいていなかったらしいネギがおかしな声を上げ、神楽坂があわてて取り繕うように返事をする。
 わたしとさよもそれに続き、しずな先生が去っていく姿を見送った。

「じゃあ、五班もそろそろお風呂だし、続きは夜の自由時間に聞くよ。OK?」
「は、はい」
 姉御肌を発揮して、神楽坂がまとめた。
 ネギにあわせてわたしとさよ、そしてカモミールが頷く。

「じゃあ、わたしたちはそれまでに桜咲に話を聞いておくよ」
「ホント、じゃあお願いね」
「ああ。それじゃさよ、お前も来てくれるか。わたし桜咲とあんまり仲良くないし」
「あっ、はい。もちろんです」
 そして神楽坂たちといったん別れ、頷くさよを引き連れて部屋に向かう。
 風呂の準備をするためにと神楽坂も部屋に戻った。先生も同様だ。
 そうして、わたしたちはそれから数分もせずに部屋につき、

 部屋で休む絡繰茶々丸とザジ・レイニーディに、桜咲刹那がすでに風呂に向かったという話を聞くことになる。


   ◆


 まあ風呂の順番などというのはわりと適当に決められているものなので、クラス全体の時間帯さえ守っていれば、個人で自由に入っても問題はないのだが、さすがに困った。
 別に神楽坂とニアミスしそうだとかそういう意味ではない。
 あいつなら桜咲に先に会ったとしてもうまくやれるだろう。
 問題はわたしが追いかけられないということである。

「なんでですか? ついでにわたしたちもいっしょにお風呂に入りましょうよ」
「わたしは令呪があるから、公衆浴場は使えないんだよ」
 問いかけるさよにひょいと腕を掲げて見せる。
 修学旅行中はずっと部屋風呂か、こっそりと時間外に風呂を借りようかと思っていたくらいなのだ。

「ああ、そういえば。でももう幻術でもいいんじゃないですか?」
「かも知れないけど、しなくて済むならしないほうがいいだろ」
 温泉を楽しめないのは少し残念だが、逆に言えば、魔術を使って得られるものはたかがそれだけだ。
 わたしはズルができるが、こういう傷を隠せないやつもいるわけで、魔法なんぞを使ってお手軽に解決するのは3-Aの人間としてはどうにも躊躇いがでる。
 ちなみに最近とみに使っているのは夜の雑音封じの結界や人の肉体のパラメータを書き換えるゴニョゴニョとした魔術・魔法であるわけで、冷静に考えると日常に魔術を持ち込まないというわたしの信念などというのは、非常に適当なもののわけだが、そんなことをさよに言う必要はない。というか言えるわけがない。

「さよは風呂に入ってこいよ。ついでに桜咲がいたら話を聞いてくれ」
「桜咲さんには令呪を見られても問題ないんじゃないですか?」
「わざわざ見せることもないだろ。他のやつが入ってたら手間だしな」
 身体測定のときは結局包帯で誤魔化したが、また同じ手を使ったらさすがに突っ込まれるだろう。
 そんなことを話しながら廊下を歩く。
 と、そんなことを話していたその瞬間、


「――――ひゃあああぁ!」


 いきなり更衣室から叫び声が聞こえてきた。
 タイミングがよすぎるというべきか。話にあがっていた近衛の悲鳴と桜咲の叫び。
 さよと顔を見合わせてて、あわてて走る。
 そうして更衣室にたどり着き、扉を開ける。
 目の前に広がっていたのは、さすがに予想できない光景だった。

「な、なななっ!? わたしは先生の味方だといったでしょう。邪魔をしないでください!」
「えっ? 別に、そんな……」
「ま、まって二人とも。このかがおサルにさらわれるよー!」
「ひゃぁー、なんやの、これー?」

 何事が起こったのかと、あせったわたしの目に、あまりにわかりやすい台詞をはく四人の姿が映った。
 小猿に担がれる近衛と、素っ裸の桜咲に馬乗りにされるネギの姿に、さすがに思考をとめてしまった。
 その隙をついて猿が近衛を担いだまま逃げていく。
 今までの酒樽やカエルと違って、そこには明確な意思があった。
 嫌がらせというより誘拐だ。

 さすがにここまでくれば見逃せない。
 思考を切り替え、わたしも魔術回路にアクセスする。この場にいる者たちなら、あとでなんとでも説明できるだろう。
 しかし、そんなわたしやさよよりも早く、桜咲が近衛を追った。
 かすむほどの速さで跳ぶ桜咲が近衛を担ぐサルを追いかけ、そのサルどもを吹き飛ばす。
 申し訳程度のタオルさえ身につけず、素っ裸のまま刀を片手に走り出す。近衛を追おうとしていたわたしも、あまりの後姿に思わず赤面してしまう。
 そんなたわけたことを考えるわたしとは裏腹に、桜咲は近衛に追いつくと唯一手放していなかった刀を一閃させた。

 神鳴流奥義・百烈桜華斬

 剣戟一発で、無数の紙型を吹き飛ばすのはさすがにルビーから評価される剣術使い。あれが気を使う剣技ということだろうか?
 一振りの動きに百の剣閃。
 無数の猿がきり飛ばされて紙に戻る。
 近衛の名を呼びながら、ネギと神楽坂が追いついたときには、すでに全てが終わっていた。
 いやはや、なんともすごいやつだ。

「せ、せっちゃん?」
「あっ、お嬢さま……」
 近衛が顔を赤くして、自分を抱きかかえる桜咲を見ていた。
 近衛の驚いたような顔に喜色がともる。
 一枚絵のようなそんな光景。なかなか絵になる二人だが、そろそろ二人ともタオルくらいは身に着けろ。
 あとネギは普通に見てんじゃねえ。

「な、なんかよーわからんけど、助けてくれたん? あ、ありがとうな。せっちゃん……」
「あ……いや……」
 言いにくい言葉でもないだろうに、近衛がつかえつかえに感謝の言葉を口にした。
 桜咲は露天風呂の外、雑木林のほうをにらみつけていた視線を近衛に戻す。近衛と同様、ぎこちなく言葉を返すそんな姿。
 下手人がいるのかとわたしも意識を向けてみるが、さすがに仕込みの一つもなければ、人の気配は探れない。
 がさがさという音と鳥の鳴き声。判断はつかなかった。

「――――ッ! も、申し訳ありません。失礼ッ!」
「せ、せっちゃんっ!?」
 そのまま近衛と桜咲は素っ裸で抱き合ったまま黙っていたが、顔を真っ赤に染めた桜咲が近衛を手放した。
 ハダカの姿そのままに駆け逃げる。

 そのまま、桜咲は更衣室に戻ってくると、浴衣を羽織った。
 顔は真っ赤で、目が泳いでいる。
 つい十秒前まで、冷徹に刀を振るっていた人物とはとてもじゃないが重ならない。
 なるほど、ルビーに腕は立つが御しやすいと評されるわけだ。

 出て行く間際に、ようやっとわたしに気づいたのか、あせった顔で一礼を送られる。そのまま走って去っていってしまった。
 強いけど抜けている。
 ルビーの評価通りすぎるその姿を見送りながら、やはり桜咲は味方だったのかと、後ろで同じように驚いているさよとうなずきあった。
 風呂場の中では桜咲の背中を悲しげに眺めていた近衛にネギと神楽坂が駆け寄っていた。
 事情はあいつらから聞くとしよう。


   ◆


「――――で、中一のころせっちゃんもこっちに来て再会できたんやけど、せっちゃん昔みたく話してくれへんよーになってて……」

 その後、近衛からどうやら桜咲が近衛の友人だったらしいことを聞かされた。
 神楽坂にすら話していなかったという昔の話。それを語りながら近衛木乃香の瞳には涙が浮かんでいた。
 話している間に今までのことを思い出していたのだろう。
 一人きりだったという京都の屋敷での生活。
 初めての友達だという桜咲との出会い。
 一緒に遊んで、一緒に笑って、そして桜咲に守ってもらったという子供時代。

 まなじりに涙をためながら喋る近衛の姿を見れば、それがどれほど大切なものだったかは明白だ。
 きっと近衛にとっては何よりも大事なもので、だからこそ安易に動けなかった。
 話を聞けば、近衛がおぼれかけて、それを悔やんだ桜咲が剣の修行に打ち込んだ。
 そしてそのまま疎遠になって、挙句いまはほとんど話せなくなっているとのことだ。

 しかしまあ、桜咲もさすがにそいつは不器用すぎる。
 近衛は自覚がないようだったが、桜咲も嫌ってはいまい。
 あの様ではバレバレすぎる。
 近衛がちょいとばかし不憫だった。

「なんかウチ悪いことしたんかなあ……」
「それは木乃香さんは悪くないと思います!」
 落ち込んでいる近衛の姿にさよが興奮気味に怒鳴った。

「えへへ、ありがとなさよちゃん。でも、うちはなんで避けられてるんかもわかっとらへんし……嫌がっとるせっちゃんに迷惑かけとるのは本当や……」
 落ち込む近衛の姿に、なんとなく桜咲の事情が想像できる身としては罪悪感が沸く。

「そんなはずありません。ねっ、千雨さん!」
「わたしにふってもなんにも出来ねえよ。桜咲と喋ったことすらろくにねえんだぞ」
「……いや、ええんよ。愚痴聞いてくれてありがとな。あとさよちゃん。うちのために怒ってくれたんは嬉しいけど、せっちゃんに文句言ったりはせんといてな」
「なっ、なんでですかっ!」
 部屋に帰ったら桜咲を問い詰めようとでも思っていたらしいさよがどもった。

「せっちゃんは悪くあらへん」
「でも話はするべきですっ! このかさんも言ってくれたじゃないですか。わたしに千雨さんとお話をしろって!」
 さよがわたしにパクティオーを申し出た日のことだろう。
 その言葉に近衛が弱々しく微笑んだ。

 近衛木乃香は人のことには親身になれる。
 人の苦しみを取り除き、その頑張りを応援できる、そういう人の上に立てるカリスマ性とでも言うべきものを持っている。

 だがその性根は意外に臆病なのだろう。こいつはこれ以上桜咲に嫌われることにおびえていた。
 あまりに大切だから動けない。
 あまりに渇望しているからこそ、安易に求める失敗を恐れている。
 だから、全てが自分の所為だと考える。
 そんな見覚えのある悪循環。
 そうして誰も口が聞けなくなった中、近衛が心情を搾り出すように口を開く。

「――――でもウチ、これ以上嫌われたくあらへんし」

 そんな断定。
 近衛の泣きそうな表情の前では言葉が出せない。
 その言葉に篭った深い心情に、さすがに声がかけられなかった。

「木乃香さん……」

 さよが口を結ぶ。桜咲に怒りを感じているようだ。
 さよも気づいただろう。いまの近衛は以前のさよに近い。
 だからこうして放っておかれている近衛にシンパシーを感じている。

 近衛は中一の一学期からだといっていた。たぶんそのときから騙し騙しに、ごまかしごまかし耐えてきたその感情。
 その感情が、ずっと誤魔化していた感情が、もう限界だとあふれている。
 近衛はずっと耐えていた。
 しかし、いまの近衛はそういう感情を自覚していた。
 その原因は、きっとさよとわたしにある。

 さよと一緒にわたしとネギを追いかけて、そのときのさよの様を見た。
 いまの近衛はそのときのさよに影響されている。
 平たく言えば彼女は、自分がやっぱり桜咲をあきらめてなどいないのだという、当たり前の心情を“自覚”していた。

 近衛木乃香は言っていた。
 再開した日に桜咲に声をかけ、そして素っ気無くあしらわれたといっていた。
 振られてしまったといっていた。
 そして彼女は、これ以上嫌われたくないからと自分から近づけなかった、と言っていた。

 一年以上の時間を、一度無碍に断られたときから、絶え続けた。
 だって、二度ことわられれば、その断崖が決定的になってしまうだろうから。
 いまの近衛は、そのとき自分自身にした言い訳を自覚した。
 桜咲と疎遠になって、それに耐えなくてはいけないなんて、それに納得するべきなんて、そんな理不尽。
 それに耐えるべきだとした己の覚悟。それはただの言い訳だったと自覚した。

 また仲良くなりたかった。
 また笑い遭えるようになりたかった。
 そういうものを自覚した。

 わたしから疎遠になるとおびえていたさよの姿に自分を投影した。
 自己を俯瞰しながら、そんなさよを応援した。
 そしてその翌日にわたしと笑うさよの姿に微笑みながら、きっとこいつはさよとわたしに“嫉妬”した。
 そんな静寂。そういう沈黙。
 なにもいえない哀れな少女と、涙ぐむそんな彼女を取り巻く昏い沈黙。

 桜咲の事情は知らないからなんともいえないが、さすがに適当な慰めを口に出来るものではない。
 わたしもさよもネギも黙り。
 しかし、

「桜咲さんはこのかのこと嫌ってなんかいないわよ。お風呂場ですっごい必死そうにしてたしさ、なんか事情があるんだって、安心しなよ」

 あっけらかんと、神楽坂がその静寂を断ち切った。
 あまりにあっさりと断言する神楽坂の姿に思わず笑みが浮かんでしまう。
 いいね、こいつは。惚れそうだ。
 事情を知っているただの小ざかしい魔術師よりも、こういうときはホントの友人のほうがはるかに強いということだ。

 まっ、そりゃそうだ。
 さよがわたしを誤解していたのと同様に、桜咲のあのざまをわたしたちは見ているのだから。
 近衛がどう思おうが関係ない。
 桜咲刹那が近衛を大切に思っていることは明白なのだ。
 考えすぎて、伝えるべき当たり前の言葉に気づけなかった。

 ならば、わたしたちは桜咲のアホを問い詰めてやればそれでよい。
 近衛と桜咲が会話できる場を作ってやるだけで十分だろう。
 こんな近衛に、あそこまで近衛を心配していた桜咲。
 あんな様をさらす桜咲が、こうして涙を浮かべる近衛ともう一度友人になれないなんて、そんなことあるはずないのだ。

 そんな二人が泣いたまま終わるなんて、この3-Aでは許されない。
 そのときになって、近衛に問い詰められて涙目の一つでもさらして反省でもすればいいのだ。
 だから、近衛を慰める神楽坂の姿を見ながら、わたしはこれからどうしたものかと考えることにした。


   ◆


 その後、若干落ち着きを取り戻したものの、落ち込んだ様を隠しながら部屋に戻ると言い出した近衛を見送った。
「このかさん、さびしそうでしたね」
「うん……、普段のこのかなら、絶対あんな顔しないもん」
 神楽坂とネギになんとなく合流したまま、ホテル内の廊下を歩く。
 二人は浴衣姿、わたしとさよは制服のままだ。
 どのみち、しおりで決められた風呂の使用時間には風呂に入れないわたしはいいが、さよもつき合わせてしまっている。

「やっぱり桜咲さんは絶対にこのかさんのことを大切に思ってますよね」
「…………お前ほど単純じゃないだろうけどな」
「わたし木乃香さんにいろいろとお世話になっているので、桜咲さんの件は応援したいです」
 こいつは友情関係の話には厳しいのだ。
 そしていまは近衛木乃香の友人で、彼女が泣いている原因を桜咲に見ている。
 ほうっておくと桜咲の元へ特攻しそうである。

「そうだ、それより桜咲さんは結局どうなってるのよ? さっきなんか凄かったけど」
「ふうむ……、どうやら敵じゃねえみたいだが、やっぱり本人に直接聞いたほうがよさそうッスね、こりゃ」
「まあそうだろうな。さっきは近衛がいるから逃げちまったけど、あのサル見る限り魔法関係なんだろ。近衛がいなきゃあいつも話くらいはするだろうさ。なんで近衛を避けてるのか然りな」
 ポリポリと頭をかいた。部屋に戻っているのだろうか?

「魔法くらい説明するべきですっ! 木乃香さんがかわいそうです!」
 さよがヒートアップしている。いつもながらの魔法の秘匿に関しての甘い認識に頬が引きつるが、近衛なら、生まれなどを考えるに魔法を教えるという道は十分にありえる。
「ま、わたしたちが勝手に教えるわけにも行かないさ。でも桜咲のほうは先生から話をしてやりゃ、近衛とも話をさせられるだろ。頼むぜ、先生」
 ぽんと横を歩くネギの背中を叩いた。
 まあこいつなら上手くやるだろう。

「はい。あっ、でも、桜咲さんはどこにいらっしゃるんでしょう?」
「あー、そろそろ就寝時間だな。一応部屋に行ってみるか?」
「そうですね。えっと千雨さんと同じ班の方は茶々丸さんとザジさんでしたか」
「あの二人ならまあ大丈夫だろ」

 適当に会話をしながらホテルの廊下を歩く。
 結構騒がしかった。
 当然のことながら、愛すべきクラスメイトが騒いでいるようだ。
 今まで静かだったから忘れていたが、そろそろわたしのかけた覚醒の魔術が効きだすころである。
 就寝時間に目がさめるのは皮肉としか言いようがないが、まあどのみち就寝時間に素直に寝ようなどと考えているものは一人もいまい。
 各部屋に引きこもってわたしの知らないところで修学旅行の一夜を堪能してほしい。

 そんなことを考えながら歩くと、案の定酔っ払っていた輩が部屋から出てきていた。
「はいはい、皆さん。そろそろ就寝時間ですよー。自分の班部屋に戻ってくださーい」
 ネギが言うべきことは言うべきだと声をかける。
 まあ妥当な言葉だ。
 だが、さすがに納得できないのだろう。いままで寝ていたと思しき明石たちが騒ぎ出す。

「えー、わたしさっき目が覚めたところだよー」
「温泉に入ってないしねー」
「それは寝てた皆さんの責任ですわよ。……はー、しょうがありませんわね。先生、申し訳ありませんが、さすがにお風呂を抜くというのも可哀相ですし、わたしが責任持って皆さんを連れて行きますから、あと少しだけお目こぼしいただいてもよろしいですか?」
 ギャーギャーと騒ぎ出す皆を委員長がいさめた。
 酔っ払っていなかった委員長はすでに湯浴みを済ませているはずだが、人のいいことだ。
 もっともそれを言えば、風呂に入りにきて、すぐさまUターンする羽目になったのに、文句の一つも言っていないさよや神楽坂も同様である。

「ふむふむ。やはりうちのクラスはこうでなくては」
「その評価もどうかと思うけどな」
 いつの間にか横にいた長瀬に答える。
「たしかに、ネギ先生には迷惑をかけるでござるが、静かに初日の夜を過ごすようなみなではなかろう?」
 いつもの飄々とした態度を崩さない長瀬に笑った。

 ルビーの情報では、桜咲と同様、まあこいつもとんでもなく腕が立つらしい。
 向かい合って戦う限り、わたしやネギどころかルビーでも相手にならないレベルだということだ。
 精神面のほうも桜咲より目端が利くので気をつけるべし、との文字があった。教室でニンニン言っている様を見ているだけにどうも納得しがたいが、まあ本当なのだろう。

   ◆

 その後、6班の部屋にも顔を出したが、桜咲は戻っていなかった。
 事情を説明すると、同行すると言い出したさよと、さよに引きつられる形でこれまたついてきた絡繰を伴って、ホテルの中を散策する。
 一応就寝時間だが、まあ先生と一緒だし、そこまで咎められることもないだろう。
 そうして適当にホテル内を歩き回っていると、玄関でぺたぺたと入り口の壁にお札を貼っている桜咲の姿があった。

「いたいた、桜咲さん」
「なにやってるんですか、刹那さん」
 神楽坂とネギが声をかける。その口調からは先ほどまでのスパイ疑惑は消えているようだ。

「これは式神返しの結界です」
 札を貼り終えた桜咲が、息を一つはいて答える。
「へー、凄いですね。自動式の結界ですかあ」
「入り口が明確に設定されている建物には結界が張りやすいのです。その反面、建物の【室内】と定義されていない屋上やベランダなどには効きませんし、内側から扉が開くとそのまま進入を許してしまいますが」
 さよの言葉に絡繰が答える。
 桜咲を探しに言った際に、さよと一緒にくっついてきたのだが、ぺちゃくちゃと後ろでさよと喋っていたさまを見るに、これからの交渉には大して役立ちそうにはない。
 エヴァンジェリンの肝いりで同行しているくせに、なぜこいつはさよとばかりしゃべっているのだろう。
 もっとわたしがトラブルから離れられるように働いてほしい。

「えと、刹那さんも日本の魔法を使えるんですか?」
「ええ、剣術の補助程度ですが」
「なるほど、ちょっとした魔法剣士ってところか」
 先生と桜咲の会話を聞いてオコジョがまとめる。
 苦笑いをしている神楽坂を見るに、オコジョに驚いていない桜咲の姿にうちのクラスメイトへの認識を新たにしているのだろう。

「あ……神楽坂さんや長谷川さんには話しても?」
「あはは、もう思いっきり巻き込まれてるからねー」
「というかいまさら過ぎじゃないか?」
 こいつも知らなかったのか。
 エヴァンジェリンとの件はそれなりに大事だと思っていたが、学校的にはそうでもなかったのかもしれない。

「ではやはり相坂さんも……あの、エヴァンジェリンさんの?」
「いえ、わたしは千雨さんの弟子ですから」
 薄い胸を張るさよ。絡繰は桜咲に目礼を送っただけだ。
 それに頷く桜咲の姿を見るに、さすがに二人のことは知っていのだろう。まあ住処が住処だ。当たり前といえば当たり前である。

「長谷川さんもやはり魔法使いでしたか……」
「見習いだし、正確には魔法使いじゃないけどな。わたしとしては桜咲が知らなかったほうが驚きだけど」
 まあ、興味がなかったのだろう。
 同じクラスメイトといえど、自分に関係しなければ放置するスタイルっぽい。

 その後話を聞くと、どうやら桜咲はどうにもふがいないネギをサポートするために動いていたらしい。
 それをネギとオコジョが誤解して一悶着。まあわかりやすい流れだ。

「――――というわけで、わたしはお嬢さまに対してボディーガードの役を」
「じゃ、じゃあ刹那さんはやっぱり敵じゃないんですね!」
「ええ、もちろんです。たとえ相手が同門であろうと、わたしはいわば西を抜け東に走った裏切り者。でも、わたしの望みはこのかお嬢さまをお守りすることですから仕方ありません」
「だから、お風呂場であのおサルを……」
「はい。わたしは……わたしはお嬢さまを守れれば満足なんです」
 桜咲が小さく微笑んだ。

「いやでも、あんたがこのかのことを嫌ってなくてよかったよ!」
 ばしりと神楽坂が桜咲の背を叩いた。
 こいつ本当に善人だ。感動する。

「うー、でもわたしは、それならなおのこと木乃香さんとお話しするべきだと思います。可哀相ですよ」
「相坂さん。……ですが、このかお嬢さまは西と東の対立どころか魔法のことすら伝えられておりません。わたしが勝手に事情を話すわけにはいきませんから」
「でも木乃香さんに冷たくするのは……」
「まーまー、さよちゃん。いまのところは、桜咲さんがこのかを嫌ってないってことがわかれば十分だって」
 わたしと絡繰はテンションについていけていない。無言のままだ。
 まあ、神楽坂の言葉も間違ってはいないだろう。近衛が狙われていたのは緊急を要する。近衛には悪いが、変に干渉してこじれるのもまずい。

 重くなった雰囲気を吹き飛ばすようにネギが立ち上がった。
「よし! じゃあ決まりですね。3-A防衛隊結成ですよっ! 関西呪術協会からクラスのみんなを守りましょう!」
「えーなにその名前」
 名前よりもそのテンションに突っ込め。

「へえ、見回りとかしますか、千雨さん」
「近衛を狙うってんなら、むしろ守りやすいよな。誘拐されても場所わかるし。というかなんで近衛なんだ?」
 ポリポリと頬をかいた。

「どういうことでしょうか?」
 桜咲が首をかしげる。
「無差別だった昼と違って、さっきの風呂場の件は近衛を狙ってよな? 桜咲、お前も近衛が狙われること自体はおかしいと思ってなかったみたいだし。理由あんだろ。協力するってんなら話しとけよ」
 ボディーガードといっていたが、つまりそれは近衛に守られる理由があると言うことだ。
 近衛は学園長の孫であるわけだし、魔法に関わっているいないに関わらず、重要人物なのだろう。

「あっ、えっと……」
「木乃香さんは関西呪術協会の長である近衛詠春さまの一人娘です。おそらくその関係ではないかと」
 一瞬口ごもった桜咲のかわりに絡繰が答えた。

「呪術協会の?」
「一人娘? え、なにそれ、ホント、桜咲さん?」
 一瞬黙った桜咲が観念したように首肯する。

「はい。確かにそのとおりです。以前より関西呪術協会の中にこのかお嬢さまを東の麻帆良学園へやってしまったことをこころよく思わない輩がいて……」
「ふえー、木乃香さんってそんなに凄いひとだったんですかあ」
「はい。故にわたしが陰ながらお守りを。しかしわたしも学園長も甘かったといわざるを得ません。まさか修学旅行中にこのような暴挙に及ぶとは……」
「そうか? 麻帆良に忍び込んで誘拐するよりよっぽどありえるだろ」
「それはそうかもしれませんが……」
 桜咲が悔やむような顔をした。

「誘拐してどうする気なんだ? そうなると今度は親書がどうこういう問題じゃなくなるよな」
「はい。おそらくやつらはこのかお嬢さまの力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのではないかと……」
 あまりの内容に神楽坂とネギ、そしてさよが絶句する。
 わたしはそれを黙って聞いていた絡繰に目をやった。

「絡繰は知ってたのか?」
 じろりと睨みつけた。
「じ、じつはそれらしきことは先日マスターとルビーさまから……実際に事が起こるまで口にするなと」
 恐縮して絡繰が縮こまった。

「やっぱそうか。あのちびっ子め。楽観しすぎだ」
「じゃあどうしましょうか、千雨さん。やっぱりこのかさんのところに行きますか?」
 ネギが問いかけてきた。
 まあ近衛を保護しなくてはいけないというのは間違ってはいない。
 しかし順当に考えれば、まずそれ以前にやることがある。
 そう考えながら口を開いた。

「いや、桜咲が結界は張ったんだろ。近衛よりもまずは先生に言っておくべきじゃないか」
「ふえっ?」
 ネギが驚いたような顔をする。

「いや、ネギのことじゃなくて、瀬流彦先生だよ。もしもの備えなんだろ?」
 そう告げると、なぜか全員から驚いたような顔を返された。
 知らなかったのか、こいつら。
「いや、ネギも知らなかったのか?」
「えっ、は、はい。あの、瀬流彦先生がですか? 本当に?」
「ああ。魔法使いだと。ルビーが言うには結界使いで、守りに専念すればかなりのものとか何とか。昼の騒動を見る限り、手は出さないつもりっぽいけど、近衛が狙われたんなら、話だけはしておくべきだろ。手伝わないってんでも、あとあと問題になるかもしれないし」

 ギリなのか本当の親子なのかは知らないが、関東魔法協会の学園長と関西呪術協会の近衛の父親。
 その二人の手紙のやり取りに乗じて近衛木乃香が狙われるとなれば、これをネギの責任としてしまうのはさすがに可哀相だろう。
 そこまで話が大きくなれば現場判断というわけにも行かないはずだ。
 それに、近衛が狙われたことでネギが責任を負われることはなくとも、報告をしなかったことを咎められえることは考えられる。

「は、はあ。それはもっともかもしれません」
「それに桜咲がいってるのが本当なら、これは学園長側の失態だろうしな。先生たちだって近衛よりメンツを優先することはないだろ」
 もちろんです、と頷くネギに微笑み。どうするかと神楽坂に問いかけた。

「う、うん。わたしもそういうことなら……」
「じゃ、いこうぜ。そろそろ時間も時間だし、新田がいないといいんだけどな」
 そういって、わたしたちはぞろぞろと連れ立って歩き出した。


   ◆


「というわけで、瀬流彦先生に話を通しにきたんですけど……」
「う、うん。いやー、まいったな。長谷川君、ボクのこと知ってたんだね」
「……ええ。一応魔法生徒とか言うのにもなりましたし、エヴァンジェリンから聞いていましたから」
「か、彼女からかい?」
 思いっきり嘘だが、信じてくれそうなので頷いておく。
 ちなみにその証拠になりそうな絡繰は同行に難色を示したため部屋に戻り、さよはそれについていった。
 話を通すだけだし、先に部屋に戻っていることだろう。
 さよは風呂に入っているかもしれない。そういえば絡繰は風呂に入るのだろうかと、横道にそれた思考で首をかしげた。

「そうか、じゃあ一応ここにいるみんなにはおしえておくけど、実はボクは生徒のみんなの護衛なんだ。もしもの場合ってことでね。ばれないようにっていわれていたんだけど……」
「いまさらじゃないですか? 魔法先生がついていなくても、生徒側には向こうから干渉してるんですよ。近衛が誘拐されかかったうえ、桜咲が相手の式神をぶった切って追い返してます。魔法使いってのだって、発動体と魔力をたどられればバレバレでしょう。いくら隠蔽しようとしたって、気づかれていないならまだしも疑われた状態で隠し続けるのは限度があります」
「く、くわしいね、長谷川君……魔法使いではないって聞いてたんだけど」
 瀬流彦先生はタハハと笑った。
 そして、一瞬だけいつもの気弱そうな先生としての顔を潜めて、真剣な目を向ける。
 さすがにこうして隠れた護衛として同行しているだけのことはある。風格はさすがにネギやわたしと比べるべくもないものだ。

「じつは、木乃香ちゃんが狙われることに関しては学園長からもその可能性はありえるといわれてたんだ」
「……」
 声を上げようとするネギと神楽坂を後ろ手で制する。

「でも、瀬流彦先生は手を出さないと?」
「うん。ボクは手を出さない。ボクの役目は生徒全員の護衛だ。木乃香ちゃんのことは……そうだね。もし本当にさらわれたのなら、もちろん学園側でも対応する。でもボクはそれにはやはり参加しないだろう。ボクや学園が動けるのは“浚われてから”だけだ。ボクも守るべきは君たち3-Aを含めた3年生全体で、特定の一人じゃない。申し訳ないけど、ここを違えてしまったら、学園の根底が崩れてしまうからね」
「で、では、お嬢さまの件は」
「うん。だから、さっき言っていた件は、正式に君たちに依頼したい。こちらから行動することは極力自重するように言われてるから、あまりたいしたことはできないけどボクも見回りの強化くらいはする。あと学園長への連絡はボクのほうからしておくよ。さすがに誘拐が実行されかかったとなると対策も練られるだろう。それで今日のところは護衛を君たちに任せることになっちゃうけど、それでもいいかな?」
「ハイ。お任せください」
 文句のないらしい桜咲が頷く。

「学園長に連絡取ったらどうなると思いますか?」
「長谷川君……。そうだね、たぶんそれでも護衛を送ったりはしないと思う。関西呪術協会に木乃香ちゃんとネギくんがつければ、今回の件は終わりも同然だろうし、護衛を送るというの今回の件を根底から否定してしまう行為だからね」
 瀬流彦先生がぶっちゃけた。
 ネギへの信頼なのかは知らないが、随分なことだ。

「はあ、ずいぶんといい加減ですね」
「け、結構きついね、長谷川君……。もともと今回の件は本当に情報規制が厳しくてね。手は出せないし情報を集めるわけにも行かない。だからこそネギくんたちに頼んだんだよ」
「それ3-Aに全部任せるつもりだったって言ってるようなものですよ」
「ははは、まあ君たちのクラスは特殊だからね。最悪の事態にはならないと考えていたんだろう」
 ため息を吐いた。桜咲がこっそりと護衛することも、どのみちこうしてわたしが絡むことも学園長は予想していたということだろう。
 タヌキすぎる爺さんだ。

「先生たちはどうなんだよ、それでいいのか?」
「あっ、ボクはそういうことでしたら」
「うん。このかをわたしたちで守ればいいんでしょ。わかりやすいしいいじゃない」
 こちらもこちらで特に文句はなさそうだ。
 桜咲に不満などあろうはずもないし、部屋に戻っているさよと絡繰も近衛を守るという話なら文句は言わないだろう。
 後で伝えておくことにする。

「そうか、本当に助かるよ。木乃香ちゃんはいまはどこに?」
「えっと千雨さん、わかりますか」
「んっ? あっと…………まだ部屋だな。寝てはいない」
 一拍の間を置いて、ネギの問いに答える。
 目を瞑って、魔力を送信。pingを飛ばしてリターンをはかるかのごとき、一般的な魔術の技能。
 パラメータを確認するルビーの魔術。ちなみにルビーから誕生日プレゼントとしてもらった短剣は今回の旅行にも持参している。

「長谷川さん。お嬢さまの場所がわかるのですか?」
「あー、まあ場所と状態くらいはわかる。ちょっと酔っ払ってるけど、まあ大丈夫だろ。さっき部屋に行ったときは綾瀬と一緒に滝の水で晩酌するとかって言ってたから、さっさと寝ちまうんじゃないか?」
 答えながら、滝の水をくんでおいたという水筒を当たり前のようにとりだしていた綾瀬の姿を思い出した。

「えっ……と。ば、晩酌かい……さすがにそれはボクの前では言わないでほしかったかなあ……あはは」
「あっ、いえ。その滝の水ですし、アハハハ」
 ちょっと千雨ちゃんなにいってんのよ、と神楽坂に背中を叩かれた。
 だが事実だ。そして、昼間のざまを無視した以上、瀬流彦先生に文句を言われる筋合いもない。

「ま、まあ今回は見逃すけど、ほどほどにね」
「それはウチのクラスメイトのほうに言ってください」
 わたしがあいつらを御するのは荷が重過ぎる。
 そんなマネができるのは委員長くらいだ。

「その、瀬流彦先生は親書のことは?」
「あっ、ネギ君……。うん、聞いてたよ。ゴメンね。昼間の件も含めて、君にばかり苦労させちゃうけど」
「い、いえ」
 瀬流彦先生が頭を下げた。

 その後、雑談交じりに方針を決めていく。
 近衛のこと、明日のこと、関西呪術協会とやらのこと、そしてもちろんわたしたち自身のこと。
 たいして緊張感もないそんな対話。

 だが、そんなほのぼのとすらしていた時間が、突然切り取られた。

「…………ッ!」

 最初の気づいたのは桜咲。
 皆が会話している中、がたりと音を立てて桜咲が立ち上がり、視線を上に向けた。
 二階にある皆の部屋。
 その視線の先にはなにがあるのか。
 もちろん近衛木乃香の部屋に決まっている。

 ホテルの入り口に張った式神返し。
 警報装置付きの結界とはいえ、それは絶対的なものではなく、中から開けられれば警報装置としてすら働かない。
 つまり、桜咲の驚きと、その理由。
 反射的にわたしも近衛木乃香の場所を確認しなおす。

「――――――ちっ、まずった」

「長谷川さん!」
「ああ」
 やはりと桜咲がわたしを見る。それにわたしが頷いた。
 えっ、と他のみながわたしのほうに目をやるのを横目にわたしは答える。

「近衛が誘拐された。いまあっちの方向に800メートルってところだ」

 そして、その言葉が終わるよりも早く、桜咲がホテルの外へ飛び出した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ネギくんが呼び込んだわけじゃないですが、誘拐されます。その辺については次回。完全に忘れられている令呪ですが、一応まだ残っています。描写ゼロでしたが前回は結局包帯で誤魔化しました。
 あと刹那さんは忠誠心がカンストしてます。学園長はお見合いさせるのが趣味らしいですが、たぶん木乃香がお見合い相手と結婚することになっても刹那は素直に祝福できます。見返りを求めない感じ。ぎゃくにさよや千雨は等価交換が原則の魔術師なので、見返りを求めないほうがおかしいと考えるタイプです。




[14323] 第22話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/08/02 00:19
「千雨ちゃんっ、木乃香は!?」
「――向こうだ、駅の中ッ!」
「っ!? 人払いの呪符が貼ってありますっ! やはり計画的ですっ。――――いましたっ!」
「電車に乗って逃げる気みたいですっ! 皆さん急いでくださいっ!」

 近衛を追い始めてほんの数分。
 ある程度の方角をわたしがつかみ、そちらに向かって走り続ける。
 電車乗り場を通り過ぎ、わたしたちは、ようやくぽんぽんと空を飛ぶキグルミを着た女に追いついた。

 追うのは、もっとも先に走り始めた桜咲と、近衛のソナー役のわたし。そして、神楽坂とネギの計四人。ネギの肩にはカモミールが乗っている。
 さよと絡繰はまだ部屋のはずだ。声をかける暇がなかった。
 相手の手に近衛が抱かれている以上、いまは一秒が惜しい。
 ここまで本格的な敵対行動が起こった以上、できれば神楽坂は残らせるべきだったかもしれないが、今こうして横を駆けるこいつが、そんな案に納得するはずがない。

 瀬流彦先生はついてきていない。
 万一陽動として3-Aが狙われる可能性を考え、彼は約束どおりホテルに残った。皆の護衛役だ。
 出際にいつもの困り顔に悔やむような色を混ぜた表情で頼むといわれた。
 期待には答えなければならないだろう。
 近衛がここで修学旅行からいなくなるなどという道を許せるはずもない。

 神楽坂を巻き込ませないことや、せめて瀬流彦先生に絡繰への伝言を頼むべきだったかもしれないなど、悔いも残るがもう遅い。
 今ここにいるのは直情型のやつばかり。わたしも突然の騒動に気が動転していた。
 突然すぎる事態に、わたしも対応が甘いことを自覚する。
 ただがむしゃらに追いかける。
 せめて追いつかねば面目がたたなすぎる。

 そんな修学旅行一日目。
 夜の京都で起こる近衛木乃香の誘拐劇。
 それはどうにも芳しくない展開を迎えていた。



 第22話


 電車に乗り込む誘拐犯を視認して、あわててわたしたちも閉まっていく扉に滑り込む。
 単純なスピードではわたしが一番が遅いようだ。
 ネギが押さえた扉に、ぎりぎりで飛び込んだ。
 重力軽減を使い、さらに風をまとってギリギリ神楽坂と同レベルといったところか。
 というかこいつらちょっと速すぎる。

 キグルミを着た女の姿。
 その肩には近衛が乗っており、周りには数十の小猿の式神をはべらせていた。
 一度追いついた以上もう見失うことはないが、向こうの準備も万端だった。
 逃走ルートには結界が、通る道には罠がある。
 人払いの結界を抜け、電車に乗り、その中でおこなわれる攻防で水まみれ。
 浴衣の桜咲たちと違ってわたしは制服なのだ。明日どうするのかと憤りながら、近衛の誘拐犯を追いつめる。

「はっはっは……ぐぇ……きつ……」
「大丈夫ですか千雨さん」
 先生に言葉を返すヒマすらない。軽く手を振って、誘拐犯を追いかける。

「ん、なんか止まったわよ、あいつ。千雨ちゃんもうちょっと頑張ってっ!」
「くっそ……お前らと違って、わたしは普通の人間だから疲れるんだよ……」
 神楽坂の言葉に頷いて、魔力を流した体をなけなしの体力で動かし続ける。
 まったく何で神楽坂まで普通に走ってるのだろうか。
 基本性能の差が顕著に出ていた。

 そんな中、わたしがが脱落する前に、なんとか接敵。
 駅のエントランスを抜けた大階段。
 そこで誘拐犯が立ち止まる。
 視界の開けた場所での追撃を嫌ったのか、迎え撃つ気らしい。
 妥当な判断だ。近衛を担いでいては魔法使いからは逃げられない。

 大階段を挟んで向かい合う。
 たいして息すら切らせていないクラスメイトに囲まれて、わたしはゼエゼエと息を落ち着ける。さすがにきつい。
 ウエイトを落として、追い風を吹かせようが、体を動かすこと自体が長谷川千雨に取っては重労働なのだ。ここまで全力疾走をしたのはあの夜以来かもしれない。

「フフ。よーここまで追ってこれましたな」
「ハァーハァー。…………うるせえ、おばはん。さっさと近衛を放せ」
「オバッ!? く、このクソガキ!」
 戦闘中の会話で主導権をとられるわけにも行かない。
 軽口を返すと、いつの間にかキグルミを脱いでいた女が激昂した。
 意外に沸点が低い。気が合いそうだ。

 同時に再度近衛木乃香が本物であることを確かめる。
 走査した魔力のリターンを受け取り、その結果に少し驚きながらも、それが顔に出ないように抑制した。
 あそこにいるのは間違いなく近衛本人だ。今のところはその情報だけで十分だろう。
 いつの間にか偽物と戯れる羽目に陥るような最悪は避けられたようだ。

 相手も止まった以上、ここから始まるのは攻防だ。
 逃げ続けて本拠地を探られるわけにも行かないだろうし、相手もそれくらいの準備はしてあったようだ。
 こちらも桜咲やネギが警戒を強める。わたしと神楽坂もそれにならった。

 ガンドは近衛がいるから難しい。
 暗示を叩き込んでさっさと終わらせてしまおうかと、魔力回路に充填スタート。
 視線を繋ごうと意識を伸ばすが、距離が遠い上に視線が合わない。
 魔術による暗示効果は、対魔法使い戦ではかなりの鬼札なのだが、やはりどれほど強力な手札も効果的に切るには経験がいる。
 機会をうかがっていたわたしが動くより前に、呪符使いに動かれた。

「ま、あんたらみたいなんと遊んでるヒマあらへん。足止めさせてもらいますぇ」
 お札さんお札さん、と気の抜ける言霊を飛ばし、そいつが札を投げつける。

【符術、京都大文字焼き】

 お気楽な名前とは裏腹に、開封ワード一つで広がる炎が肌を打つ。さすがに近衛を誘拐しようなどとたくらむ輩だ。
 電車を一瞬で水浸しにした召喚術といい、腕そのものは悪くない。

 魔術と異なる魔法の炎。大炎陣がわたしとそいつをさえぎり、わたしたちの歩みを止める。
 斜めに走る火柱が左右に別れ、わたしたちを囲んでいた。
 魔術では炎というのは制御は難しいが発現そのものは簡易だったりするのだが、魔法ではその逆だ。しかしそれを加味してもこれはレベルが高い。
 正味な話、見た目だけならエヴァンジェリンとネギの闘いで見た魔法よりも凄そうに見えた。

 だが、魔法使いにとっては魔法の炎と、現実の炎は別物である。ここら辺が魔術と大きく違うところなのだが、つまりそれは炎の大きさと威力が別物だということだ。
 呪符使いは自信があったらしいが、それを一撃でネギが吹き飛ばし、その隙を縫って、桜咲と神楽坂が動く。
 自信があったらしい大文字の符を消されたことに、目を丸くする女が驚きの叫びを上げ、横に近衛を担ぐ小ザルを従えたまま足を止めた。
 それは隙だ。一瞬の空白にわたし以外の三人が割り込んだ。
 近衛の元に走りよりながら、ネギがパクティオーカードで神楽坂に力を送り、アーティファクトを出現させた。
 ハリセンの形をした摂理の鍵を模すアーティファクト・ハマノツルギ。
 魔力をまとった神楽坂とネギが横に並ぶ。
 いいコンビだ。さすがにエヴァンジェリンに一太刀浴びせていない。

 さすがにハリセンには気が削がれるのか桜咲がその格好に戸惑った声を上げている。
 しかしあれはルビーお墨付きのアイテムである。
 神楽坂の身体能力とあわせれば、たいていの魔物は相手にならないといわれているそれを片手に神楽坂が走る。

 しかしまあ、改めて見ると、こいつらは本当にとんでもない。
 わたしは魔法を放つどころか、息を整えるのが精一杯。ぶっちゃけ足が棒になり掛けだ。
 はあはあと息を吐きながら、後方支援と言い訳して、機会をうかがう。

 くっ、と一声。迫る神楽坂の姿にあせる女が気を取り直したように護衛の使い魔を呼び出した。
 善鬼と護鬼。式神なのだろう。
 桜咲と神楽坂の一閃を、式神使いの女が出現させた二匹のキグルミが受け止める。
 だがこちらは四人でそっちは合わせて一人と二匹。
 二人が止めて、その隙にネギが迫る。
 サポートとして、なんとか息を整えながら、後方からネギの光の矢に追従してわたしもガンドを放とうと手を掲げた。
 わたしの根源。虚数の海。真っ黒なそれにアクセスして、病魔の矢を引き出そうとわたしの魔術回路に光がともる。

 戦いなど一撃が本気で入ればそれで終わりだ。
 単純に腕の数の差で、こちらの勝ちが決まるだろう。
 そうして、あまりにあっさりと戦いが終わるかとすら感じたその瞬間――――

「後ろを失礼。神鳴流です~。おはつに~」

 ――――わたしの耳にそんな声が聞こえてきた。

   ◆

「ちょいと失礼しますえ~」
「っ!?」
 反射的に後ろを振り向くと、ゴスロリのメガネっ娘がすでに二刀を振るっていた。
 暗示の魔術式をキャンセルして、とっさに防壁を張る。
 いったい何の意味があるものかと、思いっきり吹き飛ばされるが、二つに切断されなかっただけ上等だ。
 ごろごろと転がりながら距離をとった。

「千雨さんっ!」
 近衛の誘拐犯に迫っていたネギがわたしのザマに動きを止める。
 心配してくれるのは嬉しいが、衝撃に胸を詰まらせて返事も出来ない。
 気とやらが使えないわたしは接近戦はからっきしなのだ。
 斬撃を衝撃に変換して、刀の一撃を緩和したが、死ななかっただけだ。
 一撃で体にガタが来ている。
 だが弱音を吐いてばかりもいられない。

【――――燃えろ!】

 ケチる場面ではない。
 わたしを通り越してネギたちに向かおうとする女に宝石を投げつけた。

「っと!? ――――ん~、ちょい危ないですわあ。む~、ほいっと!」
 燃え上がる炎が一瞬女の肌を焼くが、刀でそのまま切り開かれる。
 小さな火傷。
 ただそれだけを与えて宝石一つ分の一撃が回避された。
 気のガードに、炎という現象を絶つその剣技。
 なるほど、桜咲の同門か。こいつも大概おかしすぎる。

 わたしはそのまま階段の上を転がった。
 意地で顔は守るが、体が傷つく。スカートのすそがまくれるのも気に出来ないほど派手に転がり、血がにじむ。
 くそ、ちうの部屋で足を出すのは、この先数週間お休みだ。
 戦闘が行えそうなのは、全員近衛の方に向かっていたし、これはわたしたちの失態だろう。殺されなかったのは純粋に相手の手加減だ。
 声をかけられなかったら死んでいた。しかもどう考えても手加減されたようだ。

「そちらの坊ちゃんもせっかちなのはいけませんわ~」
「えっ! くっ!?」
 神鳴流斬空剣。そんな言葉と共に残撃が空を舞う。
 近衛とわたしの間で足を止めていたネギがそれを避けて大きく移動した。

「千雨ちゃん、だいじょうぶ!?」
「神鳴流! 同門ですっ、相手はわたしが!」
 人形と立ちあっていた神楽坂たちからも声がした。
 その隙を突いて、桜咲と神楽坂がサルの人形に押し戻された。腕をぶん回す攻撃をかわして二人が階段の下まで戻る。
 桜咲はそのまま刀を持った女とわたしたちの間にたつ。その背中が今の状況の悪さを物語っていた。

「まさか神鳴流剣士が護衛についていたとは……まずいです。油断しないでください」
「千雨さんっ! 怪我はっ!?」
「グッ……ゲホ……だ、大丈夫、擦り傷だけだ。手加減されたみたいだしな。ネギ、治癒はいい。いまは近衛を優先しろ」
「は、はい」
 ネギが頷いた。
 状況はかなりまずい。

「あら~、意外に脆い。お姉さん、大丈夫ですか~?」
「大丈夫じゃねえよ。一般人になにしやがる」
「一般人はあんな鬼気を発したりはしませんえ~。それに西洋風でも東洋風でもない感触でしたなあ。ちょっと面白い方やわあ」
 笑みが怖い女だ。
 こいつの前でぶっ倒れてはいられない。あわてて立ち上がる。
 ずきりと足に痛みが走った。捻ったらしい。
 つまり次距離をとられると逃げられる可能性があるということだ。
 思わず歯噛みしてしまった。どんだけ足手まといなんだ、わたしは。

「千雨ちゃん、大丈夫?」
 横に桜咲と神楽坂が並んだ。
 心配する声に返事をするが、この状況は少しまずい。
 追いついた瞬間のタイミングをつぶしてしまったのは正直痛い。

「ふふん、ざまあないなあ、がきんちょども。ほな、わたしはこれで。殺しはせんから、遊んでな。たのみますえ、月詠はん」
「はいな~」
 やはりだ。時間稼ぎと足止め狙い。
 そんな輩を前に睨みあいもなにもない。
 きぐるみ女がここで足を止めたのは、こいつと合流するためだったのだろう。
 ここで時間を取られれば、それはそのままわたしたちから近衛までの距離になる。

 正直なところ逆転の手がないわけでもないのだが、タイミングがつかめない。
 ミスればそれで何事もなかったように終わるだろう。
 アイツも頑張っている以上、ここでわたしが適当にぶち壊すわけにも行かない。
 わたしは逃げようとする女を睨みながら、無言でタイミングをはかりつづける。

「お嬢さまっ!」
 ここで逃がせば終わりだということを感じ取ったのだろう。桜咲が駆け出した。
 爆発的な速度でかける桜坂を月詠と呼ばれた女が迎え撃つ。
 三閃四撃と刀が交わる。桜咲がメガネっ娘と戦うのを横目に、残り二匹のぬいぐるみがわたしと神楽坂で、先生が近衛の奪還となった。
 先生とわたしのポジションは交代してもよさそうだが、わたしは人を傷つける以外では無能なのだ。

 桜咲が先陣となり、全員が同時に走る。
 足止めをする気なのだろう。のんきそうな声を上げながら、二刀使いが桜咲の野太刀と切り結んだ。
 さすがに強いが、桜咲もとんでもない。残光しか視認できないそんな戦い。
 桜咲がいなければこいつに全員やられていただろう。
 相性の問題もあるが、それでもこの二人は頭一つ抜けている。
 やはり絡繰がいないのが悔やまれる。瀬流彦先生からエヴァンジェリンの従者に応援が頼まれることはないだろうし、期待するのは楽観すぎる。
 さよとキスしたときにパスを結んでおけばよかった。

 だが、不幸中の幸いというべきか。キグルミ女はわたしたちでも対処できる。
 桜咲たちを横目にわたしと神楽坂、そしてネギが走る。
 足が痛いが弱音を吐いてはいられない。

 迎え撃つのは二匹のきぐるみ。女の言葉を受けるのならば、猿鬼と熊鬼。
 横に並ぶネギが呪文を唱える。武装解除には距離がある。光の矢だろう。
 近衛に当たれば洒落にならないうえ、飛ばしたらそれっきりのわたしと違い、誘導性のある先生の技術はこの様な場に向いている。

 そして、ネギが動くと同時に神楽坂がハリセンを振りかぶる。
 ネギの言霊により神楽坂の手に召喚されたアーティファクト。
 見た目の滑稽さとは裏腹に凶悪な性能を秘めるそれは、油断を誘うという意味ではハリセンなどという形こそがピッタリだ。
 えい、などと気の抜けた声をとともに振るわれるスパンときれいな音を立てたその一撃。
 その一閃で、自信満々に誘拐犯が繰り出したぬいぐるみが消し飛んだ。

 大ダメージもなにもない。強制的な式神返し。
 紙ふぶきとなった鬼が虚空に舞った。
 戦いとすら呼べないそれに、正直なところわたしまで驚いた。
 相性がよいとは聞いていたが、限度がある。

「なんだ、弱いじゃないこいつら」
「な、なんやてっ!? どういうことや!」

 さすがに呪符使いが驚いたような声を隠せずに後ずさる。
 そりゃ知らなかったらそう思うだろう。
 ルビーお墨付きの反魔法。天下無敵の魔素殺しの魔剣である。
 いやはや、なるべく神楽坂は巻き込まないようにと思っていたが、有能すぎる。
 わたしよりよほど活躍しているようだ。

 同時にわたしも熊鬼とやらに襲い掛かる。ここでへたれていては、神楽坂に面目が立たないだろう。
 卓越した技術を振るう桜咲のように切り結ぶことも、神楽坂のようにシステムに介入してぶちのめすことも出来ないわたしの役目は時間稼ぎ。
 相手が人形ではわたしは基本無能である。だって人形相手に暗示も病魔もない。
 一撃を受けて無理やりガード。そして反撃にとガンド撃ち。衝撃は通ったが、当たり前のようにたいして効いていないようだ。
 神楽坂や桜咲がとんでもなさすぎるだけで、このヌイグルミは意外に強い。
 拳を受けて踏みとどまって、蹴り飛ばされて吹き跳んで。そんな攻防をもう一往復。
 数秒の攻防を行っていると、札に戻った一体目を尻目にこちらに向かった神楽坂がわたしの目の前のぬいぐるみを消し飛ばした。

 だが、それでもちょいと遅かった。
 わたしたちがぬいぐるみに足止めされ、桜咲が月詠と名乗る二刀使いとじゃれている。
 近衛に向かっていたネギがあわてたような声を出し、打ち出していた光の矢を呼び戻していた。
 そして当の式神使いが、近衛を抱えたまま光の矢を逸らしたネギに驚いていた。

 わたしとは神楽坂と共にそちらを見る。
 近衛を前に出して、笑っている式神使い。
 ネギの放った式神使いを狙った光の矢。それを近衛を盾にすることで防いだのだ。
 舌打ちをこらえられない。
 近衛を盾にしたのは条件反射。あいつも狙ったわけではないようだ。
 しかし、女は近衛ごと打ち抜くのを避けたネギの行為をあざ笑った。

「は、ははーん。なるほど、読めましたえ。甘ちゃんやな。人質が多少怪我するくらい気にせず打ち抜けばえーのに」
「なんですってっ!?」
「それで命拾いしといて大口叩くなよ、オバハン」
 その言葉は道理だが、誘拐犯に言われる筋合いはない。
 神楽坂が怒りの声を上げ、桜咲が月詠と切り結びながら、ビキリと空気を凍らせるほどの戦気をつのらせる。

「ホーホホホホホ。まったくこの娘は役に立ちますなぁ! この調子でこの後も利用させてもらうわ」
「このかをどーするつもりなのよ!」
 神楽坂が叫ぶ。こちらを煽る言葉だとはわかるが、さすがにわたしもむかついた。

 女が挑発するように近衛を肩に抱える。
 そうして大きな人形を呼び出して、その尻尾につかまった。
 高速思考を走らせるまでもなく予想できる。
 あの尻尾につかまったまま飛んで逃げる気なのだろう。

「まずは、呪薬と呪符でも使て、口をきけんよにして、上手いことうちらの言うこと聞く操り人形にでもするのがえーな」
 捨て台詞。それは嘘だ。
 そんな手で呪術協会とやらを牛耳れるようなら、わたしは近衛の父親とやらを指さして笑ってやる。
 そのような手で騙されるあほがいるわけない。
 そう、どう考えても挑発だったのだが、神楽坂たちには効果覿面だった。
 ネギと神楽坂、そしてもちろん桜咲が冷静さを失って怒りの声を上げていた。

「ボクの生徒になにをする気ですかっ!」
 ネギの武装解除。人質を気にせず打てるそれは、この場では最善だがネギは移動法がない。
 風も矢も、この距離では遠すぎる。
 遠距離の武装解除ではさすがに格闘専門でなくとも食らわない。
 即座に無数のぬいぐるみが盾に入り、その体と引き換えに霧散する。
 近衛にまとわりついた大半が消えるが、それでも盾になったぬいぐるみの代わりにと、近衛を肩に担ぐ女までは届かない。

「このかになにする気よーッ!」
「お嬢さまぁあああ!」
 二体目のぬいぐるみを消し飛ばした神楽坂も走るが、ちょいと遅い。
 神楽坂のセンスはとんでもないが、それでも数十メートルの距離を一足飛びではわたれない。
 同時にわたしの横にいたはずの桜咲が掻き消えるような速さで跳ぶがそれでも足りない。
 間に合わない。

 わたしも同様。
 わたしもまだ動かない。令呪で跳ぼうが制御が利かない。
 わたしの跳躍は移動であって、踏み込みではない。敵の前に飛び込めば、そのまま撃墜されて終わるだろう。
 暗示は対面して視線を合わせでもしないと使えないし、ガンドはネギ同様の理由で却下だ。
 武装解除ならまだしも、ガンド撃ちや魔法の矢は近衛に当ればシャレにならない。
 唯一可能なのは瞬動だとか言う技術を持つ桜咲だが、あいつの前には月詠と呼ばれたメガネの二刀使いが立ちふさがっていた。
 相手の思惑通りといったところだろう。用意周到すぎる。

 近衛の護衛である桜咲のことが知られていたということだろう。
 桜咲は双刀使いに完全に抑えられている。
 ほえほえと笑うゴスロリのメガネっ娘。
 不満そうな顔をした彼女は、このような場ではなく真剣勝負がしたいのだろう。だが足止めの任を受けておいて、それに私情を挟むほど能無しではないようで、その対応は完璧だ。桜咲は動けない。

 戦闘狂という桜咲の評価にも一理ある。
 そもそも正直なところ、あの女と接近戦をマトモにできるのは桜咲だけなのだ。
 あいつがいるのを不幸と見るべきか、桜咲がいるのを幸運と見るべきかすらわからない。

 だがそれは桜咲にとっては関係ない。あいつにとっては自分の足を狙われようが、たとえ命を狙われようが、きっとどちらでもかわらない。
 だって、そんなのは近衛木乃香を救えないことには違いがないからだ。
 こうして月詠と切り結んでいる桜咲に焦りが見える。憔悴が感じ取れる。このまま近衛が奪われるくらいなら、自分がどうなろともかまわないという裂ぱくの気合が見える。
 近衛木乃香。3-Aの基質を体現するかのようなお人よし。友人思いで幼馴染のことに悩んでるそんな少女。
 知り合いの恋話に盛り上がり、そのあげくそんな“知り合い”の元を興奮と共に訪れたそういう乙女。


 ――――千雨ちゃん千雨ちゃん。千雨ちゃん。アスナとネギくんから聞いたで。ネギくんと――――


「ウチの勝ちやな。ほななーケツの青いクソガキども。おしーりペンペーン」
 そんな中、高笑いを響かせる呪符使いが、わたしたちをあざ笑う。
 もう少し、とわたしは呟く。わたしはまだ動かない。

 呪符使いの高笑い。
 そう、なすすべも無いように見えるであろうわたしたちを笑っている。きっともうわたしたちには手がないように思ってる。
 わたしは動けず、神楽坂とネギは動きを止められ、桜咲は戦闘狂と遊んである。
 肩に担ぐその少女。魔法の世界に関わらず、何一つそういうことを知らされず。
 だけど彼女は占い研究部の部長で、オカルト好きなそういう少女。

 秘匿され監視下にありながら、一般人としてそういう道具を集める趣味をもったオカルトマニア。彼女はそんなちょっと不思議なアイテム集めが好きだった。
 魔法使いでないものが、己の知識のみで集める偽りありきの収集物。
 だけど彼女は魔法を知らず、本物の魔法使いから見れば哀れだと評されるかもしれないそんな趣味を持っていた。
 友人にも知り合いにもクラスメイトにも知れ渡る、そんな趣味を持っていた。


 ――――いやーん、なんやの、それ? すごいなあ


 戦況を把握して、それでもわたしは動かない。
 近衛木乃香は桜咲刹那と風呂場で会って、会話した。
 久しぶりに少しだけ話せそうになって、やはりいつものとおり避けられて、それを彼女は悲しんだ。

 なあ、呪符使い。
 近衛を襲おうとしたお前は最初にホテルの外に分類される露天風呂を狙っていたな。
 そいつが失敗して、さて次はどうやって近衛を狙うかを、お前はそれなりに悩んだんじゃないのかい?
 そのあと、式神返しの張られたホテルに忍び込む機会を探ったろ?
 なあ、そうなんだろう呪符使い。それは意外に苦労したんじゃないのかい?
 桜咲刹那の結界を破るのは、それなりに作戦が必要だったんじゃないのかい?
 あんた、一体どうやって入り込んだ。いったいどうやって近衛木乃香にたどり着いた?

 玄関先で誰かが出るのを伺ったのか?
 桜咲の符をかいくぐったり、外から近衛を呼び出したりしたのかい?
 いいや違うね。なあ、近衛木乃香を狙った呪符使い。
 お前が近衛をさらえたのは、単純に標的であるアイツが外に出たからなんじゃないのかい?
 そうたとえば、

 たとえば、オカルト好きの標的が、願いを叶えるなんて眉唾の、そんなオカルトアイテムを手に持って、建物の外側であるベランダなんかに出ていたからじゃあないのかい?


 ――――遠慮せず、ぜひ持ってってくれ。ついでにこのペンダントとかどうだ。もって祈りゃあ願いが叶う――――


「木乃香さんっ!」
 なんでアイツがそんなところに?
 それはアイツがきっと祈っていたからだ。
 なにに祈った?
 そんなの友人があいつに渡した“祈れば願いが叶う霊験あらたかなアクセサリー”に決まってる。
 お前が近衛をさらえたその理由。
 それは、風呂場で幼馴染との距離に涙して、きっとそんなものに縋らないとやってられなかった近衛が、晩酌して酔っ払ったその挙句、

 ベランダに出て、一抹の望みを持って、そのペンダントに祈っていたからじゃないのかい?


 ――――ほう、賄賂にとられたといっていたが、作り直したのか。催眠耐性に簡易結界……魔法使いには気づかれまい


「このかっ!」
 近衛木乃香が、このまま担がれなすすべもなく奪われる。
 そんな敗北がありえるとでも、ネギ・スプリングフィールドと神楽坂、桜咲、そしてこの長谷川千雨がそろったこの場でそんな企みがうまくいくとでも思ってるのか、呪符使い。
 近衛木乃香が眠りつづけ、長谷川千雨がただ負けて、ネギ・スプリングフィールドの心が折れて、神楽坂明日菜があきらめる。
 そして桜咲刹那が近衛木乃香の救出に挫折する。

 おいおい、オバハン。正気かよ。皮算用にもほどがある。


 ――――居場所とそして近衛の状態くらいなら、わかるんだ。


「このちゃんっ!」
 なあ呪符使いの誘拐魔。お前そんなことがありえると、もしかして本気で思っていたのかい?
 それはちょっとばかり近衛木乃香と、その友人たちをなめすぎだ。
 そんな結末あるはずない。
 なんで一旦逃げ切っていたお前にわたしたちが追いついたと思ってる?
 べつに見回りしている先生に会ったわけでもないだろう?
 不思議に思わないのか、呪符使い。わたしたちがお前に追いつき、そしてこうして逃げられようとしている今は、そんなこと考える必要なんてないってか?
 だけどそれはちょっと甘いと思うぜ、サル女。

 取り巻きの小ザルが術者から離れ、わたしたちに向かってくるその瞬間。
 呪符使いが、あとは逃げるだけだと、わたしたちから完全に意識をはずすその間隙。
 そして“彼女”がただ一手繰り出せば、それだけで拘束から抜け出せるような、そんな状況。

 そんなことにまるっきり気づかないまま、逃走用のぬいぐるみに飛び乗ろうとする呪符使い。その姿を見ながら、わたしは叫ぶ。

「近衛――――」

 手はあった。
 ただタイミングがつかめなかった。
 そして、いまがそのタイミングだということは明白で、
 たとえ足をくじき動けずとも、声を発するのに支障などあるはずない。


「――――いまだっ!」


 その叫びとともに、四十歩先の近衛の持ったペンダントに魔力を送る。
 近衛が手に巻いていたアクセサリーが大きく光り、簡易結界が発動される。
 はっ? と間抜けな声を上げる女の肩で、近衛木乃香の体に光がともる。

 いままでわたしに近衛の位置を教え続けたその道具。GPSとはいかないが、わたしの魔力に反応してある程度の位置をつかみ取れるそう言うアイテム。
 そう、その魔道具には催眠耐性が施され、担い手か作成者の手によって結界を生み出す特別性。
 だからわたしは知っている。

 担がれて光をまとうその少女、
 いまこの瞬間、きっと浚われて幾ばくもしないそんな時から近衛木乃香は、
 浚われて、ぐったりと担がれて、ずっと目を瞑ったままに身じろぎ一つしなかったその少女が、
 いまこの瞬間に呪符使いにぐったりとしたまま担がれているその少女が、


 ――――すでに目を覚ましていた、ということを。


   ◆


 寝たふりをしていた彼女が、完全に油断していた女の肩で身をよじる。

「やあっ!」

 笑ってしまうような甘い叫び。
 だが、それで十分だった。
 そんな叫び声と共に、肩に抱えられていた近衛が呪符使いを蹴っ飛ばし、その拘束から抜け出した。
 わたしが笑い、そして桜咲が駆け出した。
 驚愕の顔のまま蹴っ飛ばされる呪符使いの間抜けな姿。

 自動制御の小ザルが近衛に群がるが、光る防壁にはじかれる。
 魔術の技術は魔法使いには発動まで気付かれることはない。
 そんな小さな、そして絶対的な優位性。
 月詠とやらにわたしの炎が切り裂かれたが、出した炎は切り裂けても発動した防壁はそうそう簡単には破れない。

 どれだけ力の差があろうとも、油断すればそんなものに意味はない。
 呪符使いには肉弾戦の力はなく、そして近衛はああ見えて運動神経自体は悪くない。なにしろ神楽坂明日菜の友人だ。
 そう。近衛木乃香は起きていた。
 タイミングを計っていた。
 得体の知れない連中にとらわれながらも、その瞬間を待ち続けた。

 空を駆け、水を生み出し、炎を呼ぶそういう化け物に連れ去られ、自分の友人をバカにされながらも、それでも取り乱したりはしなかった。
 きっと挫けそうになる恐怖に耐えながら、追いかける幼馴染と友人たちの声を聞き続けた。
 幼馴染を信頼し、友人を信頼し、担任教師を信頼し、そしてまあきっとクラスメイトのわたしのこともほんのちょっとは信じてくれていたはずだ。
 だから耐えた。恐怖に耐えて、無言を通した。
 恐怖に震えながらも、寝たふりをして待ち続けた。
 だってあいつは誘拐犯に浚われながらも、それを追いかけている友人の声が聞こえていた。
 だからアイツは崩れなかった。声が聞こえていたから、あいつは絶望なんてしなかった。

 そして待った。
 近衛をずっと抱え続けていた無数のサルから開放され、未知の力を使うとはいえ、ただ肩に担がれただけのそんな状態。
 間抜けな誘拐犯が、追っ手のガキをあなどって、完全に油断するさまを見せるその瞬間。
 拘束がなくなるその間隙。誘拐犯から抜け出して、そのまま逃げを打てるそんな理想的なタイミング。
 それを彼女とわたしは待っていた。

「なっ、なんやてっ!? 眠らせておいたはずやっ!」

 動揺するより行動しろ、この間抜け。
 あわてて近衛を追いかけようとするその足元に濃度を薄めたガンドを飛ばす。
 人形には効かないが人間には十分なそれが、呪符使いの足にかする。
 わたしの一撃で足が止まり、たたらをふむ女の横を近衛が駆ける。

「せっちゃんっ!」

 拘束を抜け出した近衛が刹那の名を叫びながら、大階段から身を投げる。
 大胆なその行動にちょいと驚く。
 いったいどれほど桜咲に信頼を寄せているのか。
 そしてその信頼を受ける桜咲。
 あいつがその期待に答えられないはずがない。

 近衛が大階段から身を躍らせた瞬間、桜咲が近衛の名を叫びながら、立ちふさがったメガネの双刀使いを吹き飛ばした。
 あれだけ近衛を気にしていただけのことはある。
 近衛が動いた瞬間に、驚きながらもやるべきことを失わず、最も早く駆け出した護衛役。
 痛快なその光景に思わず笑う。いつも思うが魔法使いという輩はメンタルに左右されすぎだ。

 激情のままに月詠を吹き飛ばした桜咲がそのまま近衛を受け止める。
 同時に近衛が意識を取り戻したことに動揺したままの呪符使いに、ネギと神楽坂が駆け寄っていた。
 近衛を助けようとする桜咲を信じ、あいつらは自分のやることを見失わなかった。
 ネギの一撃が呪符使いの服と武装を吹き飛ばし、神楽坂のハリセンがメガネ女の頭を引っぱたく。
 服が吹き飛ぶ様には同情するが、自業自得だ。

「くっ、なんでガキがこんなに強いんや!」

 素っ裸のまま凄む女をネギと神楽坂が取り囲む。
 ギロリと睨む二人にハダカのまま仁王立ちする女が悔しげに歯を鳴らした。

 そのまま捕らえられればよかったのだが、引き際はわきまえているらしく、そのまま女は逃げをうった。
 チイ、と舌打ちして、先ほど生み出したサルのキグルミに抱きつくと、そのまま飛び去る。
 逃走の用意だけはしていたのだろう。
 わたしたちも近衛がいる以上、再度追いかけなおすわけにもいかない。

 おぼえてなはれー、と叫ぶ女が京都の夜空へ消えていく。
 月詠もいつの間にか消えていた。負けを認めたということか。
 桜咲のほうも抱きつく近衛の姿におろおろとしているばっかりで、先ほどの双刀使いのことは意識にないようだ。

「いやはや、逃げられたな。あいつを捕まえれば、芋づる式に全部解決しそうだったんだけど、そんなにバカでもないのか」
 一段落着いたようなので、わたしもよろよろと歩きながら神楽坂たちに近づいた。
「あっ、千雨ちゃん大丈夫?」
 くじいた足をかばいながら歩くわたしに、神楽坂から心配そうな声がかかった。
 こいつらに怪我はない。どうやらわたしが唯一の怪我人のようだ。
 なんとも不甲斐ない。

「いえ、千雨さんがいなければ、そもそも追いかけることも出来なかったでしょう。そういえばなぜ、お嬢さまの場所が?」
「やっぱ魔法なの?」
「まあな。だけど、いくらわたしだって、念じただけじゃクラスメイトの場所はわからない。手品にゃあ仕込みがないとな」

 桜咲と神楽坂の問いに肩をすくめた。
 ポカンとした顔に少し笑う。
 桜咲に抱かれながら近衛がこちらを見ていた。
 その顔には笑顔が浮かんでいる。

「修学旅行に持ってくるほど気にいってたのか、近衛」
「もちろんや。せっかくもらった霊験あらたかな一品やからね」

 笑って近衛が浴衣のたもとから一つのペンダントを取り出した。
 まだ残光が残っていたが、それもだんだんと消えていく。篭った魔力を燃料に簡易防壁をはる長谷川千雨の特性だ。
 いつだったか、近衛が部屋に押しかけてきたときに、わたしはそんなものを渡していた。
 わたしが近衛を追いかけられたのも、近衛が意識を保っていたのも、そのペンダントがあるからだ。
 発信機はついていないが、魔力を当てれば、自作の魔道器の位置くらいは感じ取れる。

「うち、途中で目が覚めたんよ。眠ってもうて、ずっと夢みてるみたいやったけど、これがすごい熱うなってな」
 桜咲の腕の中に納まったまま、近衛はひょいとペンダントを掲げて見せた。
 視線が集まるが、わたしは肩をすくめて返事とした。

「前に千雨ちゃんからもらったんよ。千雨ちゃんお手製の願いをかなえる霊験あらたかな一品やってな」
 そのペンダントを胸に抱く。
 魔術がかかっているものの、願いが叶うなんて嘘っぱちとともに渡されたそういうアイテム。
 だが、近衛はにっこりと笑って見せた。

「千雨ちゃんのいうとおりやったね」
「近衛……」
 そう、あの時はただの軽口だった。
 それでもそれを近衛は大切そうにその小さな手に包み、泣きそうなほどの深い深い息を吐き、

「――――持って祈ったその晩に、ほんまに願いが叶ってもうた」

 さすがに効果がありすぎやと彼女は笑う。
 万の感情、無限の心情。
 近衛の願い、近衛の望み。
 それがいったいなんだったのか、それをわたしは知っている。
 ネギだって神楽坂だって知っている。
 きっと気づいていなかったのは、おろおろと胸に抱きしめる近衛の姿にうろたえ続ける半人前の剣術家くらいのものだろう。

「……そりゃよかったよ。お前に取られた甲斐があった」
「ふふふ、あんときはごめんなあ」
「いいさ、気にすんなよ。近衛にゃジュースをおごってもらった借りもある」
「もー根に持たんといてや、千雨ちゃん。あんときも悪乗りしてもうてゴメンなあ」
 肩をすくめて返事とした。

「それは千雨さんが?」
「まあな」
「うん。もらったんよ。千雨ちゃんから……ちょっと強引に、やったけど」
 ネギの問いに近衛が笑いながら答えた。

「ちょっとどころじゃなかったけど、まあ役に立ってよかったよ」
「うん。でも、すごい怖かったわ。電車ん中がいきなり水びたしになるし、お札を投げて声をかけたら火柱上がるんやで。全部夢やったって言われたほうがまだ納得できるわ」
「……お嬢さま」
「ふふ、せっちゃんが追いかけて来てくれへんかったらきっとウチ、泣いてもうたかもしれへんね」
 近衛が大きく息を吐いた。
 一瞬の静寂を経て、決心したかのように近衛はその言葉を口にする。


「――――魔法かあ、怖いもんなんやね」


「……っ」
 桜咲が悔やんだような顔をする。
 それを知られないようにするために、彼女は麻帆良に来てからもわざわざ近衛から離れていたはずなのだ。

「せっちゃん。これが理由やったんやね」
 近衛の問い。それに一瞬黙って、桜咲が観念するように口を開いた。
「……はい。この世界には魔法使いがおり、今この京都にはお嬢さまのことを狙っている輩がいます。わたしはそれを妨害するために、陰ながらお守りする役を……」
 懺悔するかのような桜咲の声。
 近衛木乃香は魔法にかかわらせずにすごさせる。それがルール。
 本人に魔法を知らせず、魔法の世界からその身を守る。ルビーからも超一級と評される魔力を持つ近衛を守り続けた桜咲。

 ネギよりもエヴァンジェリンよりも、そしてきっとナギ・スプリングフィールドよりも強大な魔力を持ったその少女。
 だからこそ、近衛の親や、学園長は彼女を魔法に関わらせずに、そして護衛だけをつけていた。
 それを崩しちまったのは、わたしが適当な気持ちで渡した小さなペンダントだったわけだ。
 悔やむような顔をする桜咲に向かって、近衛が口を開く。
 大きく大きくため息をはいたあと、どうにも分かっていないらしい幼馴染に憤る。

「あんなあ、せっちゃんっ! なんで言うてくれへんかったんっ!」

 近衛らしからぬ大声だった。
 涙目のままの近衛の叫びに、桜咲がビクリと震えて縮こまる。
 桜咲にすがりつき、涙目のまま抱きついて、友情を燃料に怒るその少女。
 桜咲の戸惑った顔が救いを求めるようにさまよっていた。
 気持ちはわかる。覚えがあった。あれはやられる側からはどうしようもないものなのだ。
 まっ、わたしとさよのとき然り、これは100%桜咲が悪いということで結論付けりゃあそれでいい。

 わかっていたことだった。
 だって、近衛と桜咲の対立なんて、二人から話を聞いた時点でたいした問題ではないとわかっていた。
 近衛と桜咲が会話できる場を作ってやるだけで十分だとしっていた。
 近衛が大切でたまらない桜咲に、桜咲が大切でたまらない近衛木乃香。
 近衛を大切に思いすぎて隠れ続けた桜咲に、桜咲を大切に思いすぎて動けなかった近衛木乃香。
 だから、これは二人にきっかけを与えるだけで解決間違いなしの、わたしたちの助けなど何一つ不要なあまりに簡単な問題なのだ。

 わたしはその姿を見てきびすを返す。
 どうも長くなりそうだ。
 くい、とあごで合図すれば、神楽坂たちが意図を汲み取ってついてきた。

「千雨さん?」
「どうするの、千雨ちゃん」
「どうしたんすか、姉さん」
 二人と一匹の問いにわたしは笑う。その答えは簡単だ。
 いまからわたしたちがやらなくてはいけないことなど唯一つ。
 水浸しの電車に、燃えカスと消耗符だらけの大階段。刀傷の残った壁に床。

「後始末でもしてようぜ。終わるころにゃあ、あの二人のことは解決してるさ」

 後ろで騒ぐ近衛の声と、おろおろと平伏し続ける桜咲。二人の声を聞きながら、わたしたちは笑いあう。
 近衛木乃香に桜咲。あの二人には何もする必要はないだろう。
 だから、わたしたちがやるべきことは掃除くらいしか残ってはいないのだ。




[14323] 幕話12
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/08/16 00:38
「千雨ちゃんはほんまに魔法使いやったんやねえ」

 桜咲と隣り合って夜道を歩く近衛が笑っていった。
 わたしは魔法使いではなく魔術師であるなどと無粋なことは言わず、その言葉を笑って受け止めた。
 近衛の手には、いまだにわたしが渡したペンダントが握られている。

「お風呂のあと、ちょっと寂しうなってな。せっちゃんと仲直りできるようにって祈ってたんや」
 予想通りだ。やはりそういうことだったか。
 桜咲はなんともいえない表情のまま、赤い顔をうつむかせている。
 近衛に手を引っ張られながらついていく姿は、ほんとに護衛なのだろうかと疑ってしまうほどに情けなかった。
 とてもヘタレくさい。

「魔法かあ、ネギくんとアスナまで秘密にしとるんやもんなあ、ひどいわあ、ほんま」
 ふふふと笑う。
 笑うその眦に光が見える。近衛木乃香は泣いていた。
 だがそれは悲しみではない。
 彼女の表情は嬉しさが隠せていなかった。

「せっちゃんも魔法使いやったんやね。それにお爺ちゃんや父様もかあ。もしかしてせっちゃんはずっと前から知っとったん?」
「うっ……そ、その、申し訳ありませんでした、お嬢さま」
 さすがにこの場で逃げることも出来まい。桜咲が素直に頭を下げた。

 ちなみにもう黙っていることも出来ないと、魔法については話してしまっている。
 本来なら意識を失わせて記憶を奪うべきなのだろうが、近衛は生まれを考えても、今しがた巻き込まれた事件を鑑みても、今は知っておくべきだ。
 そもそも神楽坂や桜咲の前で近衛の記憶を奪う選択肢など採用されるはずもない。

「なんで秘密やったん?」
「その……わたしと親しくして、魔法のことをばらしてしまうわけにはいかなかったですし……」
「じゃあ、もうばれたんやし、気にせんでもええいうことやねっ」
 桜咲と手をとって、胸元に手を寄せて近衛が跳ねた。
 桜咲はおろおろとしたまま、近衛とわたしに目をやっている。

「わ、わたしはお嬢さまをお守りできればそれだけで幸せ……いや、それもひっそりと陰から、その、あの……」
「よかったわあ。ウチ、せっちゃんがウチのこと嫌ってる思ってたから、ほんまに寂しくて……」
「ありえませんっ! わ、わたしは、そ、その……」
 桜咲の弁解をまったく無視して近衛が喋っている。
 桜咲は翻弄されっぱなしだった。
 ものすごいデジャブだ。
 関わらないほうがよさそうなので一歩引いて後ろをあるく。
 同じように後ろからその様を見守っていた神楽坂と並んだ。

「アイツって本性はあんななのか。ファンキーだな、意外と」
「もー、それはちょっと言いすぎでしょ。でもまあ、あんなこのかは久しぶりに見たかも」
 苦笑いを返された。
 そこの淀んだものがないのは、近衛が微笑んでいることが原因だろう。
 ニコニコと笑いながら桜咲にまとわりつく近衛はこの上なく幸せそうだ。

「あの、千雨さん、怪我のほうは?」
 ネギが心配そうな顔を向けてきた。
「あっ、そういえば千雨ちゃんだいじょうぶなん? なんか切られてへんかった?」
「くじいただけだからな。ネギに治してもらったよ」
 前の一件以来修練を積んでいるらしく、ネギの治癒はそれなりのものだ。すでに痛みは消えている。
 月詠とかいうイカレタ女に襲われた件は結構危なかったが、そんなことを愚痴ると近衛も気にしてしまいそうなので、軽く手を上げて、心配ないといっておく。
 実際にいきなり浚われた近衛に比べればあの程度あってないようなものだ。

「そうなん、よかったわあ。千雨ちゃんが切りかかられたとき、すごいおどろいたんよ。声を上げそうやったわ」
「そりゃ危なかった。まあわたしはこれでも魔法使いだからな」
 あそこで近衛が起きていることに気づかれれば、即座に対策がとられていただろう。
 しかし笑う近衛とは対照的にネギは悲しげに押し黙っていた。
 こいつはこいつでたかが擦り傷に落ち込みすぎだ。
 心配されるのはまあ嬉しいのだが、それを口に出すのも恥ずかしい。
 ちらりとネギに目配せだけ送っておく。

「それにしても、なんで教えてくれへんかったんかなあ」
「魔法はキレイなものではありません。できれば知らないままでとお考えだったのだと思います。」
「でもその所為でせっちゃんは話しかけてもくれへんかったんやろ。父様もお爺ちゃんもちょっと許せへんわ」
「い、いえ。その、わたしの場合はそれだけが理由ではありません。お嬢さまとわたしでは身分の差が……」
「もー、そんなん気にせず前みたいにこのちゃんって呼んでほしいんやけど」
「そうそう、いいじゃん。身分の差とかさー。同じクラスメイトでしょーに」
「し、しかし……」
 煮え切らない桜咲が口ごもる。

「もー、お堅いなあ。やっぱ魔法使いってそういうの厳しいの? ロミオとジュリエットみたいな?」
「しらないけど、そのたとえは違うと思うぞ」
 絶対に身分差という字面だけで喋っているのであろう神楽坂の言葉に突っ込む。
 そして桜咲は顔を赤くするな。こいつも意外におかしいやつだ。
 さよに悪影響を受けさせないようにしよう。

「ネギくんが学校の先生やっとるのも、魔法に関係しとるん?」
「は、はい。ボクは卒業試験で麻帆良に来ていて――――」
 ネギが説明する。
 一度話した以上、ここで誤魔化す意味がない。
 たとえ、記憶消去を行うとしても、学園長の判断の後だろう。

「――――それでアスナさんたちに手伝ってもらっていたんです」
「はー、だからかあ。ウチもネギくんみたいな可愛い子が先生になっとるのは不思議だったんよ」
 ネギが話し終えると、近衛がふむふむと頷いた。

「で、今回はうちの父様の件かあ。ネギくんに迷惑かけとるなあ」
「い、いえ。仕事ですから。それにこのかさんとは友達です。助けるのは当たり前ですよ」
「もー、ええ子やなあ」
 近衛がネギににこりと笑いかけてから、神楽坂に向かって口を開いた。
「でも、アスナまで秘密にしとるなんてひどいわあ。ネギくんと千雨ちゃんはわからんでもないんやけど、アスナはいつから魔法使いやったん?」
「ちがうちがう。わたしは別に魔法使いじゃないわよ。わたしは巻き込まれただけ。ばれたらいけないんだってさ」
 神楽坂が手を振って否定した。
 それは正しい。ルビーから、訳ありだということは聞いているが、それを記憶していない以上、こいつは巻き込まれる必要はなかったのだ。

「そうなん? なんかハリセンをピカーっと出してへんかった? 体も光っとったし」
「そりゃパクティオーカードの力ッスね。姉さんのアーティファクトっすよ」
「それに魔力で身体能力の強化もしましたから」
 カモミールとネギが疑問に答えた。

「アーティファクトって、アスナが使ってたハリセンのことやっけ?」
 近衛が説明を受けるまでは一応オコジョの振りをしていたカモミールの言葉に近衛が首をかしげた。
 近衛はカモの事情は聞いているものの、やはりものめずらしそうな顔を隠せていない。
 そんな近衛の視線に気取った格好でタバコをくわえ、カモは言葉を続ける。

「そうっす。ネギの兄貴と姉御は仮契約を行ってるっすから、兄貴側から潜在能力の発現や、魔力のサポート、あとはアーティファクトを渡すことが出来るんすよ。もちろん姉御が取り出すことも出来るッス。カードを持ってアデアットって唱えるだけっすよ」
 そういってカモミールが一枚のカードを取り出した。
 ネギの持つマスター用のカードと対を成す、神楽坂アスナとの従者用仮契約カードだろう。
 剣を持つ神楽坂の絵と、属性その他の情報が記されている。

「いやーん、なにこれ! ええなあ、なんなんこれっ!」
 魔法の現象よりもアイテムのほうがテンションがあがるさまは、やはり占い研の部長である。
 カードをカモから受け取ると、近衛が相好を緩ませた。
「パクティオーカードといってっすね、マスター側の兄貴から従者側の姉御に力を送れるんすよ。潜在能力……まあ身体能力のアップと、アーティファクトを具現化させられるわけっす」
「へー。ああ、それがアスナのハリセンなん?」
「あはは、まあわたしもはじめに見たときはなめてんのかと思ったけどねー。千雨ちゃんが言うにはなんか結構すごいんだってさ。えーっとなんだっけ」
「魔法に干渉する能力だ。結構揺れ幅もあるけど、さっきの人形みたいなのは一撃で消せる。正確には消したんじゃなくて繋がりを絶ってるんだけどな」

 へえ、という顔をする近衛。
 神楽坂が近衛の視線に負けて、カードを手に取りアデアットと言葉を発した。
 その声と共に神楽坂の手にハリセンが現れる。
 神楽坂が術式を理解しているということはないだろうから、音声認識のはずだ。
 キスだけで結ばれる契約然り、術者や契約者側の魔法技術に関わらず発動できるそれはさすがに魔法である。

「はーっ! ええなあ、千雨ちゃんは? 千雨ちゃんももってるんやろ?」
「あっわたしはだな……」
 当たり前のように近衛がわたしに話を振ってきた。
 だがわたしはパクティオーカードは持っていないのだ。
 答え方を間違えると厄介ごとに発展しそうなので、一瞬口ごもる。
 だが、その隙を突いて、カモミールが口を挟んだ。

「いやー、姉御は兄貴とは仮契約をしてないんすよー」
「へっ? そうなん?」
「うっ……それはだな」
「いや、ほんとこのか姉さんからも言ってやってくださいよー。普通仮契約はパートナー候補がやるもんなのに、兄貴とパートナーになっておいて仮契約の一つもしてないなんて、ホントもったいないったらないっすよ。ぶちゅっと一発するだけなのに――――っと!」
 いらないことを言うカモミールを握り締めようと手を伸ばすが、かわされた。
 オコジョが器用にわたしの肩に上ってくる。
 口止めしようとするが、もう遅い。

「んー、いまのどういうことなん、カモくん」
「えっ? いや、そのまんまの意味ッスけど、どうしたんすか、このか姉さん?」
 少しだけ近衛が黙った。

「……ちなみに仮契約ってどうやってするん?」
「ああ、おれっちが描いた魔方陣の中でキスするだけッスよ。あっ、もしかして、千雨の姉御ー、まだ兄貴と接吻の一つもしてないんすか? もー照れちゃって姉御らしくないっすねー」
 コノコノ、とわたしの肩に降りてきたカモミールがわたしを肘でつついた。
 カモミールを握りつぶしてでもやりたいところなのだが、わたしも神楽坂も動けない。
 横でものすごい目を向けてくる近衛の所為だ。
 このオコジョは思慮が足りなすぎる。

「……ふーん、アスナ?」
「い、いや、このか。ちょっと待ってっ!」
 ちらりと向けられる視線に神楽坂があせったような声を出す。
 あせる神楽坂を尻目に、今度は近衛がわたしのほうに目を向けた。
 わたしは頭の中で近衛と神楽坂の力関係を修正する。おっとり系の天然娘かと思っていたが、こいつはやばい。

「どういうことなん? ネギくんのパートナーって千雨ちゃんやないん?」
「あ、ああ。まあそうだけど……」
 かろうじてそう答える。
「千雨ちゃんとネギくんはそのパクティオーいうのはしてへんの? キスってどういうことなん? アスナとはパクティオーいうのをしてるんよね?」
「そ、そうッスね。いまんとこ兄貴と仮契約しているのはアスナ姉さんだけッス!」
「ちょっ!? このバカガモ!」
 オコジョが最高にいらないことを口にする。
 グニャリとカモミールが神楽坂に浚われた。

「……どういうことなん、アスナ? 説明してほしいわ。千雨ちゃんがパートナーやないん?」
 神楽坂とわたしを見る近衛に引きつった笑いを返す。
 絶対に誤解されているのだろう。

「ま、まあそうだな。わたしはネギと仮契約ってのはしてない」
「なんでなん? 恋人同士なんやろ?」
 適当に答えてみると、予想外に食いつかれた。
 とても怖い。
 神楽坂に目を向けると、当事者の一人の癖に目をそらされた。
 近衛と手をつないでいる桜咲も視線をはずしている。薄情なやつらだ。
 しょうがないので、オホンと一つ咳払いして、近衛に向き合う。

「……わたしは魔術師なんだよ。でネギは魔法使いだ。住み分けがある」
「魔術師? 魔法使いとはちがうん?」
「そうなのですか? 魔術師?」
 そっぽ向いていた桜咲も不思議そうな顔でこちらをむいた。
 まあ珍しいのだろう。世界で二人、いや三人きりのレアジョブだ。

「魔法を使うの魔法使いで、魔術を使うのが魔術師だ」
「いや、なによそのてきとーな説明」
 神楽坂があきれた顔をした。
「いいだろべつに。でだな、近衛。わたしは魔術師だからその仮契約ってのはやれないんだ。……あと、神楽坂がパートナーになったのはわたしとネギが付き合う前からだし、仕方なく……というよりネギのために神楽坂が善意でしたことだ。べつに今も近衛が思っているようなことはないぞ」
「そ、そうなのよ。前にエヴァちゃんとネギが喧嘩してね……」

 近衛がとても不満そうだったので言い訳を述べる。神楽坂もそれに乗っかってきた。
 このままエヴァンジェリンに全ての罪を引っかぶってもらおう。
 というか神楽坂にはエヴァンジェリンとの騒動は喧嘩だと認識されていたらしい。
 眉根を寄せる近衛の横で、エヴァンジェリンと戦ったネギの話を桜咲も興味深そうに聞いていた。
 というかなんで、ネギの仮契約の件でわたしが言い訳しなくちゃいけないんだ。

「はあ、エヴァちゃんも魔法使いなんか……」
「まあそういうことだ。で、ありゃネギがエヴァンジェリンに立ち向かったときの話で、もともとわたしは関わる気はなかったからな。純粋に神楽坂がネギを助けようとした末の行動だ。感謝こそあれ、わたしが怒ることじゃないよ」

「でも、カモくんはパートナーっていうてへんかった?」
「そ、それはっすね。魔法使いの従者ってのは基本的にパートナーって呼ばれることがおおいんすよ。いやー、おれっちもちょっと口が滑っちまったッス! 木乃香姉さんにやってほしいのは、ただの仮契約ッスよ」
「んー……じゃあ前にネギくんが言うとったパートナーってのはなんやったん?」
「あ、本来魔法使いのパートナーというのは、古い御伽噺から来ていて、世界を救う一人の魔法使いとそれを守り続けた戦士のお話に習っているんです。そのため、今でも社会にでて活躍する魔法使いと、それをサポートする相棒である『魔法使いの従者』をパートナーと呼んでいるんです。ボクはエヴァンジェリンさんと闘ったときに、アスナさんと従者の契約を行っているので……」
「じゃあ、べつに浮気って言うわけやないん?」
「当たり前だろ……」

 千雨があきれたような顔を見せた。
 だって今の問答はたかがキスだ。
 日本では貞操観念に縛られるかもしれないが、挨拶代わりにキスをしたっていいだろう。母親が乳飲み子にキスをして、それがいったいなんの不徳になるというのか。
 世界基準の魔術に日本の規律で文句を言う必要はない。

「ずいぶんあっさりしてるわねえ、千雨ちゃん」
「そりゃあな……。そもそも、キスで浮気になるのがおかしいんだよ。行為と意思は別物だろ。エヴァンジェリンの件に色恋は関与してないじゃねえか。無理やりレイプされればネギはわたしを嫌いになるのか? ネギが他の女を抱いたらわたしはネギを嫌いにならなきゃいけないのか? そういうもんじゃないだろう。…………わたしはネギがわたしを好きだといってくれればそれで十分だけどなあ」

 わたしは無意識のうちに以前に行ったさよとの会話を、そして“彼女”のことを思い出しながら、自然とため息混じりのつぶやきがもれるのを自覚した。
 キスは行為だ。繋がりではない。
 以前さよにキスをしたいと迫られて、戸惑ったことがあった。だが、さよの言葉を聞けば、わたしは当たり前のようにキスが出来た。なぜならそれはネギへの愛が消えるわけでも、さよへの好意がなくなるわけでもないと知っていたからだ。

 心の繋がりこそが重要でなくてはいけないのだ。
 だって行為に固執すれば、それは“彼女”の否定となる。
 突き詰めれば恋人がレイプされれば、恋人を嫌わなくてはいけないということになってしまう。
 極論まで進めば、それは体の清廉と、心の廉潔を同一のものとしてみるということだ。

 そんなことを“あの人”を知るわたしが許容できるはずがない。
 そんな報われない概念をわたしが許容できるはずがない。
 遠い世界の魔術師であったその少女。彼女の愛が非難されるべきものであるなんて、そんなことあるはずない。
 長谷川千雨はファーストキスとか処女信仰という概念を夢見る同級生をもちろん知っているが、それに固執することは出来ないのだ。
 だって、それは“間桐桜”が衛宮士郎へいだいた愛の否定となる。
 そんなことを考えながら歩いていたが、ふと顔を上げると、近衛たちの姿が視界から消えていた。
 そういえば、近衛たちから返事もなかった、と後ろを向く。

「…………?」

 さきほどまで横にいたはずの近衛たちの姿を探す。
 なぜか顔を真っ赤にしたネギと一緒に、目を丸くしてわたしの数歩後ろに立ち止まっていた。
 なにをやっているのだろうか。

「……どうかしたのか?」
「ふえっ!? ハ、ハイ、いえ、その、なんでもありません…………ハイ」
 なぜか真っ赤になったままのネギ頷いた。
 桜咲と神楽坂もこちらに目を向けたまま無言だ。なんだ、いったい?

「ほー……ふふふ。いや、なんでもないんよ。そういうことなら納得や。アスナが手助けして、千雨ちゃんが……うふふ。いやーん、もー千雨ちゃんったら、ウチまで照れてまうわあ」
 もじもじと近衛がもだえたまま、ちょろちょろと寄ってきた。
 こいつもこいつで深読みしすぎである。
 だが神楽坂とわたしたちの事情は一応納得してくれたようだ。
 よくわからんが解決したと思っておこう。

「このかってば最近いつもあんな感じなのよね」
「そうなのですか。お嬢さまが……」
「そーそー。もー寮の部屋にいるときは特にねー。ネギも律儀に付き合ってるし。もー呆れる気も起きないわよ。でもまー似たもの同士って言うか千雨ちゃんも結構言うみたいだけどさ。うふふ。……あっ、そういえば刹那さん、明日はどうするの? 班別行動だけど、このか……というか、ウチの班と一緒のほうがいいの、やっぱり?」
「あっ……その件ですが……」
 ちゃっかりと逃げ出した神楽坂と桜咲が背後でほのぼのとした会話を交わしていた。
 ものすごく不満だ。わたしも混ざりたいが、近衛から視線がびしびしと飛んできている。
 ため息を一つ吐く。観念することにして近衛に向き直った。
 視線が合って、彼女からにっこりとした笑顔を向けられる。

 しょうがないとため息一つ。
 わたしはまだまだ魔法使いとやらへの興味が尽きないらしい近衛木乃香につきあうことにした。


   ◆


 さてそれからさらに十分ほどたった帰り道。
 皆で徒歩のままホテルへ向かう。
 行きに電車が使われただけあって、まだ帰りの道程は半分といったところだ。
 誰一人気にしていないようだが、すでに就寝時間を一時間ほどすぎている。
 雑談は弾むが、このまま行けば旅館に着くのはそれなりに遅くなりそうである。

「千雨ちゃんに悪いし、ウチは契約できへんけど、やっぱりそのカードはええなあ。うらやましいわー」
 一段落した話を蒸し返すように、近衛が言った。
 その手は神楽坂から奪い取ったパクティオーカードをいまだにいじっている。

「えー、いいじゃないっすか。このか姉さんもパクティオーしましょうよ。姉御もそんなに狭量じゃないっすよ」
 適当に煽っているカモミールに殺気を込めた視線を飛ばす。
 ちょろちょろと隠れるように近衛の肩で身を縮めた。

「そ、そうだよ、カモくん。さすがにそれは駄目だよ……」
「えー、いいじゃないっすかあ」
「まあべつに近衛がパクティオーするのはいいと思うけど……」
 殺気を込めた視線をオコジョからはずし、ため息を吐きながら答える。
「いいわけあらへんっ!」
「千雨さんっ!」
 なぜか近衛とネギが怒った。
 なんでわたしが怒鳴られなきゃいけないんだ。

「いやいや、お前らもちょっと冷静になれって。誘拐されかかってんだぞ。そもそもキスがどうこういう問題じゃねえし、さっきもいったがわたしは近衛たちがいいならキスぐらいで浮気だとは思わないよ」
 そもそもこの問答で躊躇するのは本来近衛の役目のはずだ
「もーラブラブなのはわかるけど、千雨ちゃんは主張が足りんわ。もっと言葉にせなあかんよ。」
「早乙女みたいなこと言い出すんじゃねえよ。わざわざ言う必要ないだろ。それにそもそも、近衛がパクティオーをするなら、桜咲じゃないのか?」
「はいっ!? は、長谷川さん、い、いったいなにを……」
「んっ? どういうことなん?」
「ボディーガードなんだから、契約するなら近衛はマスター側だろ。才能あるらしいし。それに桜咲を従者にすれば、ピンチになったら呼べるじゃん。まあ、ネギだか瀬流彦先生だかと組んで、近衛が従者側になれば、誘拐されても連れ戻せるだろうから、誘拐に対応するならどっちでもよさそうだけど」

「し、しかし千雨さん、仮契約といっても、学園長の許可なしにそのようなことは……」
「拘るな。仮契約ってそんな厳しいのか? もっとゆるいもんかと思ってたけど」
 何しろオコジョが単独でちょろちょろと暗躍するような契約なのだ。
 間違っても一生物ではあるまい。

「そうっすね、木乃香姉さんは誘拐されそうになっちまったわけッスよ。こうして後手に回っている以上、仮契約はしておいたほうがいいんじゃないッスか?」
 このオコジョの言葉は素直に信じられるものではないし、わたしも前にオコジョのほざいていた一契約につき、五万オコジョドルの報酬だとかいう話を忘れているわけではない。
 思わずジト目を向けてしまったが、発言自体にはわたしも同感だ。

「それに千雨の姉御も、出来ないわけじゃないんスよね? 兄貴とパクティオーしましょうよー。肉弾戦もできますし、しといたほうが絶対いいっすよ」
「うーん」
 拘るなあ、こいつは。
 ほんとに契約したほうがいいのだろうか、と考えてしまった。
 さすがに近衛が浚われかけておいて矜持にこだわるわけにも行かないかもしれない。
 だが、わたしと近衛が仮契約するならまだしも、わたしとネギが仮契約しても近衛の誘拐の対策にはならないと思うのだ。

「それに念話や召喚はやっぱ必須ッスよ」
「念話はわたしとネギでパスが繋がってるからできる。それに召喚って片道なんだろ。ああ、仮契約は召喚だけじゃなく念話も片道だったりするのか?」
「ま、まあそうっすね。姉さんから言葉を送るときは、姉さんの持ってる従者用のカードを使わないとだめッスけど」
「片道の通信機が二台って感じか。カードを頭に当てなきゃいけないってことだし、意外に面倒だな」
 戦闘中にはとてもじゃないが使えないだろう。不良品すぎる。

「まあ召喚前に一声かけるくらいの意味で……」
「でも送り返せはしないんだろ。ほんとに戦闘専用って感じだ。いまいち使いどころがわからん」
「そ、そうかもしれやせんが、今日だって、兄貴と姐さんがパクティオーしてれば、兄貴たちが先行して、そのあと千雨の姐さんを呼び出すことだって出来たんすから」
「足が遅くて悪かったな」
 こっちはあれでも全速だったのだ。

「いやいや、責めてるわけじゃないっすよー。ただ木乃香姉さんを守らなきゃいけねえってのに、いまだに接吻の一つ程度のことを渋るのは千雨姉さんにしちゃあちょっとどうかと思っただけッスよー」
「……」
 思わず黙ってしまった。
 ものすごく騙されている気がする。ルビーの意見が聞きたかった。

「……まーやるとしても、やっぱり近衛だろ。わたしのことは今はいいじゃん。近衛が契約しておけば誘拐に関しては心配なくなるだろうし」
「し、しかしそれは……」
 やはりそう簡単に納得できないのか桜咲が渋った。まあ仮契約をしてしまえば、近衛は今後完全に魔法の世界に関わることになるだろう。

「どうせ戻ったら学園長に連絡入れることになるだろうし、どうしてもっていうなら、学園長の説得は近衛がしてくれるさ」
「うん、そうやね。ウチも魔法を使ってみたいわ」
 ニコニコと笑いながら近衛が答えた。
 わたしが仮契約をしていないことは棚上げしてくれたようだ。
 よくわからんが、先ほどから機嫌がいい。そのまま忘れていてほしいところだ。

「近衛は立場的にも能力的にももう関わらないのは難しいだろうしな。まっ、この辺は帰ってから瀬流彦先生を交えて話してくれよ。わたしたちだけで話すことじゃない」
「そうですね……長谷川さんのおっしゃるとおりかもしれません」
 桜咲が頷く。学園長にも連絡は行っているだろうし、ここでわたしたちが決めるともめそうだ。
 責任は押し付けるためにある。
 いまさら数十分の時間を惜しむ必要はない。

 暗い夜の京の街。
 神楽坂とわたしとネギ、そしてニコニコと笑う近衛に、近衛と手をつなぎながら所在なさげな顔をしている桜咲。
 なにを思いついたのか、ニヤニヤと笑っているカモミール。
 そんな五人と一匹の帰り道。
 皆が笑い、雑談を交えながらのそんなありきたりな光景だった。
 今はこの光景を守れたことに喜ぼう。



―――――――――――――――――――――――――――――――――


 木乃香に魔法バレ。次回はホテル編です。たぶん幕話。はぶられたさよの話。
 今回は刹那とこのかの話でした。
 久々の二話更新。というか一話を分割しただけ。
 戦闘と説明だけだったのでたいした話でもないです。ちなみにペンダントは幕話の10より。




[14323] 幕話13
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/08/16 00:37
 近衛木乃香の誘拐からすでに一時間と少し。
 ようやく、ホテルが見えるあたりまでたどり着いた千雨たちは、やれやれと疲れのこもったため息を吐いた。



   幕話


「じゃあ、ネギ先生。瀬流彦先生と話しておいてください。わたしはさよのところいって、明日のことを伝えておきますので」
「はい、わかりました」
 ホテルの手前で千雨がいった。
 頷く先生に手をひらひらと振り返しながら、自動ドアをくぐる。
 刹那の張った式神返しの結界に、千雨がいまさらながらにこっそりと感心していた。
 いまだに正常に機能しているようだ。

 そしてホテルのロビーに足を踏み入れ、一歩目で千雨はその足を止めていた。
 彼女の目の前に、なぜかロビーに正座しているクラスメイトが目に入る。

「あー千雨ちゃんっ!」
「……なにやってんだ、明石」
「それはこっちの台詞だよー、どこ行ってたの!?」
 ぷんぷんと怒っている明石に賛同して、鳴滝その他の面々が声を上げる。
 全員3-Aの生徒だった。ぱっと見でクラスの4分の1程度。

「……えーっと、いいんちょ?」
「ええ、実は先生のところへお邪魔した早乙女さんたちが、その……」
「ネギくんと千雨ちゃんがいなくなってたからさー、千雨ちゃんとネギくん探して、質問攻めにしてあそぼうってことになってね、なんていうの、ほらまあ、先生捜索大作戦みたいな?」
「……正座は?」
 引きつりながら千雨が言葉を続ける。

「なんか、見回りが厳しくてね。各班からメンバー持ち寄って、探索してたら、新田に見つかっちゃったんだよ。朝まで正座とかいわれてさー、信じらんないよね」
「……お前らのほうが信じられねえよ」
「もーそんなに怒らないでよ」
 一周回って怒る気力さえ失うというものだ。
「まあ頑張ってくれ」
 あきれながらため息を一つ吐いた。

「ちょと、千雨ちゃんっ。ネギ先生とデートしてたくせに裏切る気ッ!?」
「いやー、あはは、ちうちゃんゴメンねー。デートしてたの?」
「友人同行させてデートするほどボケてねえよ」
 朝倉和美に誤解されたままだとまずそうなので、千雨はくいとあごでネギたちを示して見せた。
 千雨の後ろから、明日菜たちが顔を出す。
「へっ?」
 裕奈たちが驚いたような声を上げた。

「うわー、なにやってんのあんたら?」
「ひゃーみんな大変そうやなあ。なにがあったん?」
 明日菜と木乃香が正座するいつもどおりのクラスメイトに苦笑を浮かべながら声をかける。
「それはこっちの台詞ですわっ! 道理で見かけないと思いましたっ! アスナさんたちまで、なにしていらっしゃったのです!」
「えっ!? えーっと」
「京都は近衛の実家があるんだよ。それですこし、あーまあいろいろとあって、連絡を取りに行っていたみたいな感じだ。先生は学園長から近衛の父親宛に手紙を預かってて、桜咲は近衛の幼馴染だから、同行してもらった。……わたしと神楽坂は、その付き添い……みたいな?」
 嘘が苦手な明日菜が口ごもった横で、かわりに千雨が言い訳を述べる。
 親書という単語は出さなかったが、ぎりぎりまで本当のことを千雨は話した。
 嘘をつきたくなかったわけではなく、嘘だとばれない様にである。千雨の性根は意外とうそつきだ。

「へー、なにそれ! 木乃香の実家? こっちにあるの?」
「桜咲さんって木乃香の幼馴染だったのー?」
「へえ、木乃香さん、本当なんですの?」
 自分の台詞ながらうそ臭いと感じていた千雨だったが、すんなりと受け入れられたようで、正座しているクラスメイトから驚きの声をあがる。

「うん、まあちょい違うけど、そんな感じやね。お爺ちゃんから、父様宛てにネギくんが手紙あずかっとるらしいんよ」
「手紙ってなんで? このかのお父さんってなにしてる人なの?」
「んー、こっちのほうの大きな組合の会長さんみたいな感じらしいなあ。手紙はその関係らしいわ」
 さすがに近衛の台詞を疑うことはないのか、皆がその言葉に頷いた。
 口裏を合わせておいた甲斐があったというものだ。ここまで大々的に聞かれることは予想していなかったが、いい機会だったのだろう。

「木乃香の実家かー、おっきいの、やっぱり?」
「お邪魔するっていつ行くのー?」
「なにそれー。ボクも行きたいー」
「てか夜にいくことないじゃん、わたしたちすごいとばっちりだよー」
「とばっちりもなにも、自業自得だろ。わたしらは瀬流彦先生にちゃんと許可を取ってるんだよ。そこで朝まで反省してろ。わたしらはさっさと退散させてもらうぞ」
 手をひらひらと振って千雨が逃げ出した。
 猫は一応かぶっているが、いまは遠慮する意味はない。
 後ろからは文句が聞こえてくるが千雨は無視した。

「あの、千雨さん、いいんですか?」
「せいぜいあと2,30分だよ。平気だろ」
 千雨を追いかけながらネギが問いかけた。
 千雨があきれたように答える。
 本当に朝まで正座させることはないだろう。あと数十分もして、皆が反省しているとわかれば、新田も開放するはずだ。
 つまりここに長くいると自分たちまで巻き込まれる。
 早々に見捨てて退散するのが最善なのだ。

   ◆

 さて、その後、木乃香の件やパクティオー関係、それに明日以降の行動などを瀬流彦と話すため、ネギたちは教員用の部屋に向かったが、千雨はネギたちに瀬流彦との交渉を任せ班室に戻ってきていた。
 千雨も千雨で茶々丸やさよに話を通しておかなくてはいけない。
 数時間前のザマを見る限り、茶々丸は瀬流彦先生との相談ごとには同席しないだろう。
 玄関で正座をしていた中にはさよも茶々丸もザジもいなかった。
 もちろん部屋にいるのだろう。
 そう考えながらガチャリと千雨が扉を開けて、部屋の中に足を踏み入れ――――

「――――というわけで、それはチョット苦めのダージリンの味でした。生前のことはほとんど覚えていませんが……ふふふ、やっぱりこういうのはロマンですから。まあなかなかにそれらしいものだったと思います」
「はあ、なるほど」
「……続きは?」

 室内では、さよと茶々丸とザジが盛り上がっていた。
 こくこくと頷いている茶々丸と、続きを促すザジ・レイニーディ。
 この二人はこんなに社交的だったのだろうか?
 とても珍しい光景に千雨が止まった。

「あっ、千雨さん。ずいぶん遅かったですね。刹那さんたちはどうしたんですか?」
「おかえりですか、千雨さん。……同行せず申し訳ありませんでした」
「おかえり、千雨」

 ドアが開く音に視線を向けた三人が会話を中断して、千雨に向かって声を上げる。
 どうやらさよは今の今まで、千雨たちが瀬流彦先生と話をしていたと思っていたようだ。
 茶々丸は茶々丸で実は木乃香のことに気づいていたのだろうかと首を傾げてしまうような台詞だ。

「全員部屋にいたのか。絡繰とザジはわからないでもないけど、さよも騒いでなかったのな」
「騒ぐってなんですか? ああ、そういえば外がなんか騒がしかったみたいですけど」
「先生を探して騒いでたらしいぞ。その挙句新田に見つかって、今はロビーで反省させられてる」
「ああ、この部屋にも千雨さんを探して美砂さんたちがいらっしゃいましたよ。居ないって答えたらすぐに出て行ってしまいましたけど」
「玄関で正座してたよ。それでだな、さよ。実はさっきまでさ――――」
 どうやら、本格的に話し込んでいたらしいさよに、ため息をひとつ吐いて、千雨は木乃香の誘拐劇の顛末を説明することにした。

 近衛木乃香が誘拐されかけ、それがさよが知る前に、全て解決してしまったなんていうことを。


   ◆


「なんで呼んでくれなかったんですかっ!」
「いや、本当に悪い」
 ぺこぺこと千雨が頭を下げる。

「一声かけてくれてもいいじゃないですかっ!」
「いや、ホントわざとじゃなくてな」
「もう、気づいたら全部終わってるなんて、エヴァンジェリンさんのとき同じですよ。すぐ上ですよ。ほんの数分ですよ。というか声かけてくださいよ。電話でもいいじゃないですか。また帰ってきて部屋で話をきくだなんて!」
 もっともすぎるのでなんともいえない。

「なんでも埋め合わせはするから」
「当たり前ですっ! もう、ほんとにあのときにパスを結んでおいてもらえばよかったです。千雨さんからキスしてくれるから満足しちゃいましたけど……」
「あ、あのな、さよ。そういうのはあんまり大声で言うことじゃないからな。誤解されると困るだろ……」
「わたしは困りません!」

 ぷくーと膨れるさよの暴言に千雨が引きつる。
 ビクビクとしながら残りの班員二人を見る千雨は、その二人がまったく驚いていないことに、逆に顔を引きつらせていた。
 ちなみに今いるのはザジと茶々丸だけなので、さよも遠慮なく魔法について口にしている。

「あの日に、わたしの体を千雨さんの物だって言ったのは、千雨さんじゃないですかっ!」
「ありゃ、お前の体に責任を持つって意味だからな……。それとほんとに声が大きいからさ。ちょっと落ち着いてくれ。いやマジで……」
「落ち着いてます!」
「いや、そんな自信満々で言われても困るんだけど、たぶんお前は落ち着いてないぞ。ほら、お茶入れたから……」

 ヘコヘコと頭を下げながら、千雨がお茶を差し出した。
 さよが礼を言いながら受け取り、一気にあおる。
 そんな二人を、すごい会話をしているなあ、と平然とした顔で眺めていた茶々丸が、ザジにクイと袖を引かれた。
 首をかしげるザジに茶々丸がああ、と頷いて口を開く。

「あれはですね、さよさんの魂をヒトガタに入れたときに千雨さんが言ったそうです。一生面倒を見るとか何とか」
「まて絡繰。あのな、ザジ。アレはもともと人間を作る技術だったし、さよの魂を入れて不具合が起こる可能性を考えていたからだ。体がわたしの作ったものって意味だし、別におかしな意味じゃないぞ」
 茶々丸がザジにおかしなことを吹き込んでいるのに気づいた千雨が口を挟んだ。
 放っておくとなにを吹聴されるか分からない。

「そうなのですか。人間を作るというのは? それはわたしも初耳なのですが」
「子供を生んだりするのと一緒だ。同一人物を作るのは自然に反する奥義だが、人を作るのは魔術どころか当たり前の人の業だからな」
「ハア、子供ですか? さよさんが? 千雨さんの?」
「……いや、なんか間違ったこと考えてないか、絡繰」
 茶々丸が興味深そうに言葉を繋げる。
 千雨としてはさっさと会話を打ち切りたいのだが、さよやザジまで続きを促す視線を向けていた。

「ちっ、あのな、さよの体を生前と完全に同じものにするのは不可能だったんだ。責任云々の話は、最善は尽くしたが何があるかわからんから、その責任を取るって意味だぞ。さよに何か起こったらその責任がわたしのものって意味であって、さよの体をわたしのものとして扱うってことじゃない」
「そんなの気にしなくてもいいんですけど。……ちなみに子供ってわたしも生めるんですか?」
「説明してなかったか? さよの体は子供を生むことは出来ない。本当に最高峰の人形遣いだったら出来たのかもしれないけど、わたしの腕の問題でな…………悪い」
 少しだけ口にしづらそうに千雨が言った。
 さよの体はやはり人ではない。話に聞くルビーの世界の人形師の頂点とやらは、本当の意味で“人”を作製できたらしいが、千雨が作ったのはあくまで“器”だ。

「かまいませんよ」
「……でもだな」
「大丈夫です。生き返らせてもらっただけで十分すぎるんですから」

 さよは特に気にした様子も見せずにそういった。
 まだ実感がわいていないのか、それとも本当に達観した上で言っているのか。
 千雨としては、いつか好きな男でも出来たら、きっと達観してもいられなくなるだろうと推測しているが、まあその辺はさよ次第だ。
 千雨は意外とその辺にはこだわりがあるのだが、別にさよから話題にしない限り口には出さない。
 ただ、千雨はいまもある程度の修練を積んでいるし、この件に関してはもしさよが望めば無条件で力になってやろうと思っている。
 そんな千雨を見ながらさよが微笑む。

「それに、千雨さんとの間にはもともと子供は授かれませんし。先生と千雨さんのお子さんが出来たら、その子を抱かせてくれればわたしはそれで十分ですよ」
「ほら、お茶の御代わりいれたからさ、それ飲んでいつものさよに戻ってくれ」
 聞かなかったことにして千雨がお茶を差し出した。

「はいはい。もー、千雨さんは照れ屋なんですから」
「……あのさ、いくらなんでも中学生の会話じゃないよな」
「まあ60年前でもちょっと聞きませんでしたね」
「源氏物語までさかのぼらないと無理だろ、んなもん……」
「それは遡ればありえたってことですけど、まあ気をつけたほうがいいでしょうね」

 変なところだけ魔術師の思考を受け継いでいるさよに引きつりながら千雨が口をつぐむ。
 千雨としては流すしかない会話だ。
 魔術師のわけわからなさを考えればありでも、この世界の魔法では流石に素直には論じられない話題である。
 というわけで、千雨は一口お茶をすすり、話を先ほどの近衛の件に戻すことにした。


   ◆


「じゃあ、いま瀬流彦先生と皆さんがお話をしてるんですね?」
「まあな。さすがに誘拐されかけたわけだし、学園長に連絡してるんだろ」
「そうなんですか……はあ、また仲間はずれにされた気分です」
「まっ、そうはいってもな。わたしも足手まといになっちまったよ。神楽坂はそこそこいけてたが、桜咲にはほんとに助けられた。本業はやっぱりすごい」

 肩を落とすさよに千雨が笑う。
 正直なところ戦力的に見れば、さよが参加してもたいして役には立たなかっただろう。
 魔術回路が存在するとはいえ、彼女の技術はまだまだ未熟。リラクゼーションミュージックとライター代わりが精々なのだ。
 といっても、厄介ごとの話は聞いていたわけで、一応さよにだって道具はある。

「わたしもちゃんとこれを持ち歩いているんですよ」

 千雨の視線を受けて、さよは懐から宝石を取り出した。
 ルビーが調達し千雨が加工した、魔力のこもる宝石である。
 分類は千雨が木乃香に渡したものにちかいが、これはそれとは比べ物にならない魔力がこもっている。
 本当の意味で、握って願えば願いが叶う祈祷型の魔法具だ。
 千雨の魔術と当然のことながら相性のいいさよには特に扱いやすい。

 これを使えば、さよにもルビー級の魔術使えるのだ。上手く使えば、それなりに戦闘に介入することはできただろう。
 簡易型の令呪のようなものである。
 数もちょうど三つだった。

「それは、万が一のために渡したんであって、騒動を期待されても困るんだけどな」
「うー……」
 さよが膨れる。
 そういわれると文句を言いにくいのだ。
 頼られたいとは感じていたし、巻き込まれたいとも思っていた。だけどさすがに足手まといになることが確定しているのに、首を突っ込むほどバカではない。
 そんな二人を無言で茶々丸とザジが眺めている。

「ま、まあ、じゃあ、パスは結んどくか? 回路同士のパスならさよにも有益だろうし、たしかに念話は出来たほうがいいだろ」
 膨れているさよに恐る恐る千雨が切り出した。
「う……そ、それは魅力的ですけど、いいんですか?」
「まあ、一応魔術だしな。ほら、お前を置いてった埋め合わせもするって言ったし」
 機嫌が直りそうな気配を感じて、千雨が畳み掛ける。
 さよとパスを結ぶことに関しては特に躊躇する理由もないのだ。

「埋め合わせですか」
 しかし、千雨の言葉にさよは即答しなかった。
 喜ぶかと思われたさよが意外に渋る。
 千雨はさよへの言い訳でテンパっていて気づいていないが、茶々丸とザジが不思議そうな顔をした。
 彼女たちはつい先ほどまでさよから千雨との話を聞いていたのだ。

「さよ?」
「う……ザジさん。いえ、いやなわけではないんです。パスですか……パスを結ぶのはべつにいいんですけど……キスを埋め合わせでするというのは……。千雨さんもあんまりよくないんじゃありませんか? 埋め合わせでキスするのもバカらしいですし、そうそう女同士でキスばっかりしているのはあんまり健全じゃありません」
「いや、埋め合わせでキスするって言ってるわけじゃないんだけど……」
 なるほどと、ザジと茶々丸が頷き、千雨が引きつった顔をした。
 なんでこの娘は一応魔術師の癖にパス=キスと考えているのだろう。
 先ほどまでの近衛たちもそうだが、俗ボケしすぎだろ。

「べつにキスを無理やりしたいわけでもありませんし、わたしは一度で十分ですよ。というわけで、契約はキスじゃなくて、きちんと儀式で結びましょう」
「あ、ああ。やっぱりパスは結ぶのか」
 笑顔のままさよがぽんと手を叩く。
 いままでの問答はなんだったんだよ、と千雨がため息を吐いた。
 突っ込み役がいないのが悔やまれるところだ。

「というわけで、埋め合わせは別のものにしてほしいです」
「そ、そうか。意外とちゃっかりしてんのな。まあお前がいいなら、それでいいけど。じゃあ他に何かあるのか? わたしにできることならなんでもいいぞ。宝石でもなんでも。修行にでも付き合おうか?」
 さよが結構理性的だったので、調子に乗った千雨が気前のいいことを口にする。
 そんな千雨の言葉を聞いてさよがすこし黙った。

「うーん、そうですね。以前なら発動用の宝石がほしかったところですけど、この旅行に行くときにもう頂いてますし、今度こういうことがあったらきちんと呼んでくだされば、それで十分だと………………あ、いや。そういえば……」
 何か思いついたらしくさよが言葉を濁す。

「なにかあるのか?」
「えっ!? そ、その。いいです。やっぱり。あんまりこういう風に言うべきことでもないので」
「あのなあ、今遠慮する意味あることなのか? さっきの話みたいなのじゃなきゃ、言っておけよ。わたしにできることならなんでもいいぞ」
 あわてたように手を横に振るさよに千雨が呆れ顔で言った。
 千雨としては、また変な方向に暴走していないのなら十分だと、先を促した。
 キスしたがっているわけでもなさそうなので、一応は安心して千雨が問いかける。
 どのみち千雨の中では、この誘拐事件はもう半分以上学園側に任せる気でいるのだ。次もなにも、さよを呼ぶ機会があるとは考えていなかった。
 さよが仲間はずれにされたことに寂しがったというのなら、それを埋め合わせる対価はいまのうちに払っておきたい。
 借りを後々に残すのは趣味ではない。

「うー、でもわたしの我が侭でそんな……」
「キスは自重しておいて、その台詞はどうなんだ? べつにいいって」
「それはまあ……さすがにキスを強要したらそれはもう犯罪ですから」
「それがわかってりゃあ十分だろ。手間の一つや二つかまわないよ」
「うー、本当ですか?」
「本当だって」

 今日の昼に同じような問答をした挙句、頬をいやというほどつねられたさよがおびえていた。
 そんなさよに千雨がにこりと笑顔を向ける。
 こいつはちょっとおびえすぎである。

「その、でも……」
「遠慮すんなって。今回はわたしが悪かったんだ。怒ったりしないよ」
 笑顔の千雨にさよの顔が赤くなった。
 いつもこれで騙されるのだ。なんて女たらしな人だろう。
 俯きながらさよが唸る。

「じゃあ、あの……ちょっと言いづらいんですけど」
「ああ、なんでもいっていいぞ」

 どうにも躊躇するさよに千雨が息を吐きながら頷いた。
 大胆なときはぶっとぶくせに、こいつは変なところで臆病すぎる。
 以前の言葉を忘れているようだ。千雨はさよと一緒にいるし、こいつのわがままを許容する。
 正直なところ、千雨はここでさよにキスをしたいといわれたって、文句の一つを口にするくらいで了解したはずなのだ。

 以前の言葉に嘘はない。パスを結びたかっていたさよに共感したのは本当だ。
 千雨はさよを許容する。
 千雨は相坂さよからはなれない。
 長谷川千雨は、さよの好意と依存に責任を持つと誓っている。
 それは一度契約として結ばれた事柄だ。

 だから千雨は、どうにも渋るさよに笑いながら続きを促す。
 言葉を濁すさよに、言ってしまえと言葉を向ける。
 我が侭を溜め込む癖のある少女に、遠慮するなと笑いかける。
 なにが原因なのか、口を濁し続けるさよ。

 そんなさよに、これまで同じような状況で墓穴を掘り続けている千雨が、遠慮するなと水を向ける。

 そう、これまで同じような状況で、さよ相手に同じような醜態をさらし続けた長谷川千雨。
 どうにもまったく反省の色のないその少女。
 意外と抜けてる魔術師見習いのその少女。
 そんな彼女の言葉に相坂さよが顔を上げる。

 じゃあ、と相坂が口を開き、千雨を見た。
 にっこりと千雨が微笑み返す。

 なんでも言えと千雨が言う。
 なんでも言えといわれたから、さよは一応言ってみようかと口を開く。

 長谷川千雨は相坂さよの願いを許容する。
 逃げるなんてあるはずない。
 相坂さよの願いに、千雨が無条件で背を向けるなんてことはありえない。
 新しい宝石だろうが、特訓だろうが、たとえどんな無理難題だろうと自分が叶えられることなら責任を持つと決めている。
 だから、どんな望みや悩みだろうと、さよから述べられるなら、千雨は決して逃げずに向き合うと――――

「じゃあおっぱいを揉ませてください」

 千雨はさっさと逃げることにした。

   ◆

「あっ、逃げたっ! ザジさん、茶々丸さんっ!」
 すかさずさよの指示が飛ぶ。
 逃げる千雨が二歩と歩かずに、ザジ・レイニーディと絡繰茶々丸が動いていた。
 かすむような動きでザジの手が動き、飛んだ枕が千雨の足を絡めとる。

「うぎゃっ!? て、テメエ、ピエロ! いつのまにさよとつるんでやがったっ!」
 たたらをふんだ千雨の動きが一瞬止まる。
 足を取られた隙に、今度は茶々丸に捕えられた。

「あの、申し訳ありません、千雨さん」
「ロボ子もかよ! って、おまえらふざけんなよ。いや、ちょっとっ! っ! ……!? ぐえっ! テメエら、あとで覚えていやがれっ!」
 暴れる千雨の体がふわりと浮いた。目を丸くしたまま千雨が布団の上に転がされる。
 こんなところですごさを見せ付けるな、と千雨が騒いだ。
 力をこめられているわけでもないようなのに、茶々丸に手を添えられただけの体が動かない。
 こいつらの体術も大概常軌を逸している。
 木乃香救出の際には働かなかったくせに、こんなときにだけ人外っぷりを発揮されてはたまったものではない。

「言えっていうから言ったんじゃないですかっ! 逃げないでくださいっ!」
「予想できねえだろ! なんでそうなるんだよ! 無理やりは駄目だってお前が言ったんだろうがっ!」
「だからことわったんじゃないですかっ! というか、なんでわたしが怒られてるんですかっ!」
「いや、待てって! だからってお前が怒るのもおかしいだろっ!」
 予想できるはずがない。
 茶々丸からバトンタッチしたさよに馬乗りにされた千雨がばたばたと暴れていた。

「だから一応遠慮してたんじゃないですか! でもいったからには責任をとってもらいますよ!」
「ちょ、ちょっと待てって!?」
 叫ぶさよに千雨が引きつる。
 ムウとうなるさよと千雨が見詰め合う。

「もう、さっさと観念してください!」
「キスは遠慮してたじゃんっ!?」
「キスは繋がりを確認するものですが、おっぱいを揉むのはわたしが楽しむためだからいいんですっ!」
「おまっ!?」
 すごいことぶっちゃけたぞ、この娘。
 ものすごい悟りを開いているらしいさよの姿に千雨があせる。
 助けを求めるようにおろおろと視線を揺らしていた。

「ぐっ!? い、いや、でも、そういうのをいたずらには、ほら、まずいだろ!」
「…………くっ!」
 赤くなりながら、もじもじと千雨がさよをとめる。
 さすがにそんな千雨の姿にさよが悔しそうな声を出して動きを止めた。
 さよからすれば黙るに決まっている。軽い軽い茶目っ気にそこまで本気で照れられたら、こちらはどう対応すればいいというのか。
 ここから強行できるものがいたら、その人物は警察に行くべきだ。
 感触を楽しんで、千雨が恥ずかしがる姿を見れれば自分は十分なのだから、素直に胸の一つくらい揉ませてくれればいいものを。
 あんだけ人を誘ったくせに、いざ攻めてみればこうして本気で照れてくるのだから、性質が悪い。
 くそう。問答無用で、無理やり揉んでやろうか、こんにゃろう。

「? あ、あの、さよ?」
 すわ、ここからまたおかしな展開が起こるのかと、千雨が身構えているが、さよは特になにも言うわけでもなく黙ったままだ。
 千雨もさよの雰囲気に口を挟めない。
 そのまま少し黙って、まずさよが動いた。

「くっ。……もーっ! あのですね、千雨さん! 千雨さんも大概迂闊なんです!」
「あ? ああ。それはなんというか……」
「本当に千雨さんは安請け合いをしすぎですよ! 人を誑かしてばっかりなんですから! そんなことばっかりやってると地獄いきですよ! あんまりよくありません、もう少し自覚を持ってください!」
「えっ……あっ、と……ごめんなさい……」

 なんでわたしが怒られているんだろう。
 大きなため息と、騒動を払拭するそんな気配。
 千雨があまりに意外なそれに目を丸くする。
 なんかしらんが助かったらしい。
 あまりにあっさりとさよが矛を収めていた。

「千雨さんはちょっと安請け合いをしすぎです」
 さよが千雨の体を抑えていた手を放した。
 ぽかんとする千雨の前で、当たり前のようにさよが肩をすくめる。

「はあ、まあそうですよね。いえ、わたしもわかっていたんです。ちょっと千雨さんをからかってみただけですよ」
「さ、さよ?」
「ごめんなさい、千雨さん。おっぱいを揉むのはちょっと興味があっただけで、さすがに嫌がってる千雨さんに無理やりはしませんよ」

 なんなんだこのシュールな会話は。わたしはどう返事をすればいいのだろうか。
 そんな千雨の前で、エヘヘとさよが笑う。
 その言葉に嘘はないのだろう。別段悲しみを隠しているというわけでもない。千雨にだってそれはわかる。
 だがその話の運び方が問題だ。
 さよの姿に千雨が逆に引きつる。
 千雨は無理やりなら反発できるが、相手に引かれるとどうしても世話を焼いてしまうタイプの人間なのだ。
 最近まではルビーとエヴァンジェリンくらいしか気づいていなかった千雨の長所で弱点である。

 高速で演算式を回せば、胸を揉ませるのだって、貞操観念が邪魔をしただけで、別段本当に無理難題というわけでもない。
 考えにくいがさよにとっては胸を揉むことに何か深い意味があったのかもしれないし、何か事情があったのかもしれない。
 魔法を覚えたいとか聖杯を手に入れたいとかそういうことを頼まれるよりはよほど楽だ。
 千雨がうなる。
 いつもながらなんとまあ非道なやつだ。

「ぐっ……い、いや。別に、お前がいやだって言ってるわけじゃ……じゃあ……ちょっとだけなら……」

 きらりとさよの瞳が光り、ザジと茶々丸からあきれたような気配がもれる。
 茶々丸が旅行前日に己の主人とその友人から言われた言葉を思い出した。
 さよと千雨の目付けになれ、と。
 ですがマスター、わたしがいても正直あんまり抑止力にはならないようですよ。
 千雨はさよの行動に文句を言っていたようだが、これは自業自得ではないだろうか?
 なるほど、さよから地獄行きだといわれるわけだ。

「ほんとですかっ! じゃあ上を脱いでください!」
「直かよっ!」

 墓穴を掘ったことに気づいた千雨が再度逃げようとして、さよと布団の上でもみあいはじめる。
 よくある修学旅行の一コマのように見えなくもない。
 それを見ながらザジと茶々丸は先ほどまで交わしていたさよとの会話を思い出す。

 さよは千雨に弱く、千雨もさよに弱い。そして千雨はさよに強く、さよも千雨に強い。
 なるほど、これがこの二人の関係らしい。
 ザジと茶々丸がお互いに視線を合わせ、笑い合う。その非常に珍しい光景を残念ながら千雨が目にすることは出来なかった。
 だってそんな余裕がなかったからだ。
 この後、この騒動は、瀬流彦との話し合いの顛末を伝えに来た木乃香たちが部屋を訪れるまで続けられたわけだが

 その辺の話は割愛しよう。千雨のためにも。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 悪いのは8:2くらいでたぶん千雨。
 さよはあやかに対する千鶴さん的な無敵ポジを限定的に発揮できます。
 ちなみに、このあと血を使った儀式によりさよと千雨がパスを結ぶ伏線的に一番重要な場面と、ネギたちが学園長との相談結果を話しに来るストーリー的に一番重要なシーンはカットしました。




[14323] 第23話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/10/31 23:57
 近衛木乃香誘拐事件がネギたちによって解決し、木乃香が魔法ついて知識を得たそのあとは、瀬流彦を交えながらの話し合いとなった。
 千雨は部屋に戻り、そこで一悶着あったようだが、瀬流彦とネギたちの交渉は特に問題なく進んだといえる。
 結果、近衛木乃香の護衛はこのまま刹那が務めることとなり、それは学園長じきじきの依頼という扱いなった。
 また、魔法がばれた件に関しても、さすがの学園長も木乃香に全てを忘れろとは言わず、今後近衛木乃香は魔法に関わることとなる。
 ああ、ちなみに瀬流彦はそのまま三年生全体の護衛と対して立場は変わらなかった。
 そして、その他いくつかの重要な決定もなされたわけだが、長谷川千雨に関係する内容としてはそれくらいだ。
 修学旅行一日目にして、はやくも残りの旅行の展望を予想させる内容だったと評されるべきだろう。



   第23話


 修学旅行二日目、お昼前の奈良公園。
 鹿が闊歩し、時期が時期であるため修学旅行生の姿が多いその場に、麻帆良学園中等部第五班である神楽坂明日菜、宮崎のどか、綾瀬夕映、早乙女ハルナ、そしてもちろん近衛木乃香。そして彼女らに同行する長谷川千雨、絡繰茶々丸、ザジレイニーディ、相坂さよ、そして桜咲刹那の姿があった。
 班別観光日ということで、5班と6班が一緒に奈良公園を回っている。
 昨日の木乃香誘拐未遂に関してしゃべっている明日菜たち、純粋に観光する面々、魔法についていまだに興味を隠しきれていない木乃香など、班別行動の中でさらに小さなグループを作って会話を楽しんでいた。


「茶々丸さんも手伝ってくれるなら心強いわねー。そうそう、昨日もすごかったのよ。正直ビームを飛ばすよりも、千雨ちゃんの魔法のほうが魔法っぽいわね。割れたガラスとか階段直してたけど、なんだったのあれ? 千雨ちゃんはネギより駄目みたいなこと言ってたけど、空飛ぶよりよっぽどすごくない?」
「千雨さんの魔術は現象に干渉します。ガラスや金属は干渉しやすいそうですね。壊れてすぐのガラスなどの姿を取り戻させる技術は、魔術としては基礎だそうです」
「茶々丸さんは千雨さんの魔術にくわしいんですか?」
「機能として実装しているわけではありませんが、マスターと千雨さんの師であるかたとのお話に同席させていただいておりますので」
「へー。千雨ちゃんの先生? だれそれ」
「ルビー様とおっしゃる方です」
「ボクもなんどかお会いしたことがあります。あまりお話したことはありませんけど、すごい魔術師さんだそうですね。なんでもエヴァンジェリンさんと同じくらいだとか」
「ふーん、エヴァちゃんといっしょくらいか。それってどれくらいすごいの?」

「そういや、さよちゃん、昨日はなにしてたん?」
「ふふふ、あれはたいしたことじゃありませんよ」
「そうなん? 千雨ちゃんぶっ倒れてへんかった?」
「ああ、それはしょうがありません。千雨さんは反応はいいくせに、意外と体力ないですから。ネギ先生にばっかり独占されるのもずるいですし、約束を守ってもらっただけです」
「? まあええけど、うちらが帰ったあとも、何かしてたんやろ」
「……」
「もーザジさん、そんなこといわないでください! 恥ずかしいじゃないですか!」
「へえ、やっぱり魔術かあ。千雨ちゃんあんまり話してくれへんかったから、聞きたいとおもっとったんよ」
「……」
「まあそんな感じです」
「へえ、さよちゃんと千雨ちゃんはやっぱり仲がええんやねえ」
「命の恩人ですしね」
「……」
「へー、そうなん? さよちゃんが。はー、それはすごいなあ。それでどうなったん?」
「ええ、千雨さんとパスを結んでもらいました。えーっと、電話線みたいなものかな? 木乃香さんたちの話を聞いたあとにですね。契約自体はすぐ終わりますから。仮契約とはちょっと違うんですけど」
「じゃあせっちゃんの班の人はみんななんやね」
「……」
「そうですね。わたしもザジさんのことは千雨さんから聞きました。でも、わたしたちのクラスには、ほかにも結構いるみたいです。相手が黙ってるなら話すことではないって言って千雨さんはあんまり話してくれませんけど」
「ああ、やっぱりかあ。実はウチも昨日教えてもらったんよ。お爺ちゃんからも許してもらったしな。ウフフ、これでお仲間やね。これからもよろしゅうな」
「エヘヘ、ありがとうございます。わたしは友達いませんでしたから嬉しいです」
「……」
「もー二人とも照れるわあ。そんなんいわんといてって。もちろん、前から友達や思っとったって!」

「おやおや、なんでネギくんが一緒なのかにゃあ?」
「くっつくなっ! あのな、早乙女、邪推すんな。わたしじゃなくて先生は近衛についてきてるんだよ。昨日話してただろ。学園長の手伝いだ」
「でもそれでは千雨さんたちも同行している理由にはならないと思うのです」
「それは桜咲が近衛に付き合ってるんだよ。そんでわたしら六班は桜咲に付き添ってんだ」
「あー、朝騒いでたね。昨日も言ってたけど、桜咲さんと木乃香って幼馴染なんだっけ。なんで秘密だったの?」
「そういうのはわたしじゃなくてあいつらに聞け。近衛に聞けば、喜んで説明してくれるぞ」
「ネギ先生が手紙を届けるというのは?」
「今日は奈良だろ? 班別行動といっても一応うちらについてくるらしい。明日にでも行くんじゃないか」
「じゃあやっぱり今日は千雨ちゃんについてきてるんじゃない?」
「わたしもそうおもうのです」
「んなもんネギの勝手だろ。わたしに言うな」


「わーっ、ほんとに鹿が道にいるー」
「はしゃぐな。ほら、これ鹿センベイだとよ」
「うわーありがとうございます、千雨さん。あっ、あっちにいる鹿は大きいですねー」
「ほらほら、騒ぐなよ。ちょっと待てって」

「あはは、ネギくんはしゃいどるなあ」
「ガキねー、アイツ」
「もー、そういうこといっちゃあかんよ、アスナ」
「でも一応あいつらがまた襲ってくるかもしれないんでしょ」
「おそらく今日は大丈夫だと思いますが……。念のため各班には式神を放っておきました。なにかあればわかります。それに狙いはおそらく……」
「ウフフ、狙われとるのはウチやからね。せっちゃん、アスナ、もしものときはお願いな」
「はい、このかお嬢さま。お任せください。しかし、このかお嬢さまの身はわたしが必ずお守りいたします。アスナさんはお嬢さまと修学旅行を楽しんでください」
「もー、なんでそういうこというんかなあ、せっちゃんは。みんないるんやから大丈夫やって。せっちゃんも一緒に楽しもうやー」
「ひゃあっ!? お、お嬢さまっ!」

「なんでシカがザジのところに集まってんだ?」
「あっ、千雨さんにネギ先生。すごいんですよ。ザジさんが声をかけたら公園中のシカが集まってきてですね」
「さよ。それは感心するより突っ込みを入れるべきじゃないか?」
「……」
「あっ、ザジさんの合図でシカがジャンプしてますっ!」
「先生、驚く前にあいつをとめてこい」
「……」
「うわー、すごいですね。サーカスみたいです」
「流石ザジさん、すごいですねー」
「あのな、二人とも。拍手してないで……」
「……」
「あっ、おひねりが跳んでますよ。千雨さん」
「かっこいいですねー」
「…………ああ、そうだな。お前らもいくらか投げてきたらどうだ?」


「おー、ここが大仏殿かー。いやー、やっぱり立派だねえ。夕映吉、解説お願いー」
「東大寺金堂、正式には金光明四天王護国之寺金堂(こんこうみょうしてんのうごこくのてらこんどう)です。金光明四天王護国之寺はつまるところ国分寺のことですが、全国にある国分寺の中でも東大寺は総国分寺と呼ばれます。ここにはもちろん奈良の大仏が収められていますね。ちなみに大仏殿は二度の焼失を経ながらもそのつど再興され、現在も世界最大の木造建築物として、」

「へー。おっ、あれがその大仏か、やっぱでっかいなー、あれにもなんかネタあるの?」
「……奈良の大仏。正式には盧舎那仏挫像(るしゃなぶつざぞう)です。世界遺産にもなっているですね。作られたきっかけは智識寺の大仏に感激した聖武天皇の発案という説が一般的なのですが、それ以外にも当時の天皇家で起こっていた争いに連なる安積王や長屋王の怨霊の怨念を静めるために、」

「へー。おっ、あそこ人が多いなー。なにあれ?」
「…………奈良の大仏に向かって右、鬼門である北東に立っている柱に穴があけてあるのです。大仏様の鼻の穴と同じ大きさで、通ると無病息災のご利益があるといわれています。ちなみにこれは大仏の体のそれぞれの部位に、」

「へー。柱はパンフに載ってたかな。頭がよくなるご利益もあるらしいねー」
「………………ハルナは二、三十回くぐっておくべきだと思うのですよ」
「もー、怒んなって夕映ー。あ、でも夕映なら余裕そうだよね。胸がつっかえる心配もないし」
「ハルナではお尻がつっかえてしまうでしょうね」

「うわー、ハルナさんたち、なにをしていらっしゃるんでしょうか」
「早乙女が柱の穴に詰まって、綾瀬がそれを笑ってるように見えるな」
「身も蓋もないこというわね、千雨ちゃん」
「あれは大仏殿の柱の穴です。くぐるとご利益があるそうですので、早乙女さんが挑戦したのではないでしょうか? 光学観測値ですが縦が30センチ、横が37センチ。……さよさんならくぐれますね」
「うーん、髪まとめてませんから、ちょっと勇気がありませんね」
「ああ、早乙女が涙目になってるのは、それが理由か」
「アレはなにをしてらっしゃるんでしょう」
「綾瀬が後ろに回ってケツを蹴っ飛ばそうとしているように見えるな」
「…………柱に引っかかった髪をはずしてあげてるんじゃないでしょうか?」


「なあなあ、ザジさん。魔法についてなんやけど」
「……」
「あーん、あんまり話さんほうがええなんて、なんでそんなこというん?」
「……」
「へー、千雨ちゃんとせっちゃんに迷惑がかかるん? うーん、わかったわ。秘密にしといたほうがええってのはきいとるし」
「……」
「あっ!? ちょーまってー。もうちょっとお話しようやー」

「…………あの、桜咲さん。なにしていらっしゃるんですか?」
「あっ!? 宮崎さん……。いえ、その……」
「? ああ、このかさんですか。ザジさんと仲がいいんですね」
「ええ。そのようです」
「なにを話してるんでしょうね。ちょっと遠いから聞こえにくいかも。……えーっと、ほう? いや、まほ――――」
「あ、あの。宮崎さん! あまりこうやって人の話を聞くのは!」
「あっ、それはそうですね。ごめんなさい。そういえば桜咲さんはこのかさんと一緒に回らないんですか?」
「えっ!? いや、その……。わたしは陰ながら、いや……あの、宮崎さん、なぜそんなことを?」
「このかさんが朝にお話してくれましたよ。幼馴染でとても仲がよかったって。桜咲さんって少し怖い方だと思ってましたけど、そんなことないんですねー」
「えっ? い、いえ、そんな……」

「あー、痛かった。お尻がもぎ取れるかと思ったよ」
「それは惜しかったのです。無理やり引っこ抜けばよかったと後悔せざるを得ません」
「おいおいゆえゆえー、まだ怒ってんのー?」
「ふふん、まあそろそろ許してあげましょう。ちなみにスカートではやらないほうが良かったと思うのですよ。情けをかけてあげたわたしに感謝しても罰は当たらないでしょうね」

「…………えーっと……」
「ん? おや、先生。どうしたですか、きょろきょろとあたりを見渡して」
「あっ、ハルナさんに夕映さんですか、いえ、別にたいしたことでは」
「あーもしかして千雨ちゃん捜してんの? さっき外に歩いていったよ」
「い、いえ。あのそういうわけでは、ボクはその、怪しい人がいないかと……」
「なにいってんのよー。照れなくていいって」
「い、いえ、その本当にそういうわけでは……」
「もー、よしっ! じゃあわたしが相談に載ってあげる」
「えっ!? い、いえ、じゃあと言われても……」
「なになに、ネギくんと千雨ちゃんのことならウチも入れてー」
「どこから現れたのですか、このかさん……」



   ◆◆◆



 東大寺を抜けて、少し開けた場所にでる。
 茶屋を見かけた千雨が、騒がしいクラスメイトから離れ、一息つこうかと足を向けた。

 宮崎や綾瀬、早乙女はいつもどおり楽しんでいるようだ。
 昨日から魔法を知ってはしゃぎ続ける近衛も、アレはアレで楽しそうだ。強く出れない桜咲が胃を痛くしているようだが、まあ問題あるまい。
 神楽坂も律儀に昨日のサル女を気にしているようだが、桜咲が手を打っているらしい。一応自分自身も捜索を行っているものの、索敵にはあまり才能のない千雨はここまで広範囲かつ雑多な場所では無力なので助かっている。
 さよは言うに及ばず楽しんでいるし、ザジもアレはアレで楽しそうである。
 そんなことを考えながら、千雨の視線が公園の中をぐるりと回る。
 大勢の修学旅行生が闊歩するそんな中。
 麻帆良中等部の第5班に第6班。
 そしてあいつはいったいどこにいるのかと、千雨がきょろきょろとあたりを見渡して、

「ネギ先生はあちらですよ」

 千雨がその声に振り向くと、その視線の先には宮崎のどかが立っていた。
「ハルナたちと一緒にあっちのほうに行ってしまったみたいです」
 そういいながら、のどかがジュースの缶を手渡した。
 千雨が礼を言いながら受け取る。

「……えっと。なんで……」
「先生を探していたのでは?」
「ん…………ん、まあ、そう」
 うく、と千雨が一拍黙ったが、相手がのどかでは千雨は弱い。
 虚勢を張ることもなく頷いた。

「……なあ、わたしってそんなにわかりやすいか?」
「意外と」
「……そうか」

 言葉に詰まる千雨にのどかが笑う。
 クールな女を装って、自覚もないままにネギを視線で追っていれば世話はない。
 のどかの笑い顔に、千雨が顔を赤くした。
 千雨はのどかから貰ったジュースをちびちびと飲みながら、顔の赤みが引くのを待つ。

 のどかから追撃が来ることもない。
 二人ともベンチに座りながら、黙ったままだ。
 修学旅行時期の大仏殿。喧騒はやまないものの、二人の間にあるのは静寂だ。
 耳を澄ませば、遠くからネギたちの声が聞こえてくる。なるほど、のどかの言うとおりハルナたちと一緒にいるようだ。

「……あいつらは元気だな」
「お疲れですね、千雨さんは」
「ここ数日、心労が絶えないよ。……自業自得だけど」
「ふふ、皆さん、ネギ先生と千雨さんのことに興味があるみたいです」
「……お前もだったりするのか?」
「エヘヘ、実は」
 当たり前のようにのどかが頷いた。
 否定してくれると思っていた千雨が言葉を詰まらせる。
 そんな千雨に向かって、のどかが言葉を続けた。

「ハルナはきっと停電日からだって言ってましたけど」
「……アイツも大概おかしいやつだな」
 なぜそこで正答するのだ。
 早乙女ハルナのいつもの笑顔を思い出す。
 直感派は苦手なのだ。

「でも、先生はもっと前からですよね」
「先生との騒動の話か? それに関しちゃ神楽坂も似たようなもんだったと思ったけど」
 レオタード姿で抱きついていたりと、一時はかなり騒動になったのだ。
 だが、その手のイベントに関しては、神楽坂だって負けてはいない。
 まあ神楽坂は自分から風呂場に連れ込んだりしたらしいが、惚れ薬の一件や、服を消し飛ばされたネタなどに関してはネギが悪いということになるだろう。
 だが、のどかは小さく微笑んだまま首を振った。

「違います。先生が千雨さんを好きになったときのことですよ。それは停電日よりもずっと前からです」
「よくそんなこと断言できるな」
「見てましたから。ずっと」
 そんな千雨の戸惑い交じりの言葉にのどかが答える。
 返事を返せない千雨に向かい、宮崎のどかが言葉を続ける。

「ラブレターをもらった夢を見たんです」

 そんな言葉を口にする。
 千雨の脳内で閃光が走るように思い出されるその光景。
 長谷川千雨が除き見たその風景。
 いつだったか、カモミールが来て早々に起こした一つの騒動。偽物のラブレターとそれに騙された女子生徒にその教師。
 そう、あの出来事は、今この場で千雨と話す宮崎のどかに身に起こった出来事だった。

「先生にキスをしようとして断られるような、そんな夢でした。そう、夢です。わたしはもっと前から先生のことが好きでした。でも、そんな中で夢を見て、それがきっかけでわたしは先生をちゃんと見るようになって……そして、それでわかっちゃったんです」
「……わかったって、なにを?」
 答えのわかった千雨の問い。


「――――もう、先生には好きな人がいるんだなあって」


 その問いに、宮崎のどかが当たり前のようにそう答えた。


   ◆


 ネギには好きな人がいた。
 ネギが好意を寄せる人がいた。
 でも、最初のそれはきっとまだまだ幼い、広くて浅いものだった。

 だってネギはネカネ・スプリングフィールドが好きだったし、アンナ・ユーリエヴナ・ココロウァのことも好きだった。
 神楽坂アスナに好意を感じていたし、それは近衛木乃香にだっておんなじだった。
 でもそれは恋ではなく、愛ではなく、そしてネギはその違いにはまったく気づいていなかった。
 さよに問われて、千雨を好きだと口にした。しかし、そこに照れは雑じっていても“そのままの意味”は伴っていなかった。
 千雨をパートナーに誘ったとき、自分の本心が吸血鬼に対するところから来ているのか、それともまた別のところにあるのかすら分かってはいなかった。

 あわてもので、押しに弱いネギ・スプリングフィールドが、告白するのどかに断りの文句を口にするほどに決心をしたのはいつなのか。
 自分自身の持つ、本当の心の位置を自覚したのはいつなのか。
 それはきっと、あの日、あのときの、あの瞬間。

 仕掛けがどうとはいえ、きちんと相手の恋心を伝えられ、そうしてその回答をキスという形で迫られた。
 エヴァンジェリンに襲われて、不安になっている現状で、それに流されそうになりながらもネギはそれを結局途中で止めた。
 そう。ネギの意思で止めたのだ。
 流されて事態をやり過ごし、それを千雨に咎められていたネギが自分で決めたその決断。
 そのわずかな時間に起こった心の変化。自問自答のその結果。
 宮崎のどかは夢だと思いながらも、そのネギの変化に対面し、その夢を彼の本質を読み取る鍵とした。

「……宮崎は、その……」
「はい。先生のことが好きですよ。もちろん」

 のどかは好きでしたとは言わなかった。
 千雨が口をつぐむ。

「大丈夫です。そういう意味ではないですから。わたしは先生のことを好きになりました。はじめてあったときからです。みんなが言うように子供っぽくて可愛いくて、でも、時々わたしたちより年上なんじゃないかなって思うくらい大人びてて、わたし達にはない目標を持っていて、それを目指していつも前を向いていて……ふふふ。そんな姿を遠くから眺めているだけで勇気をもらえました。わたしはそんな先生を好きになりました」

 宮崎のどかのそんな独白。
 千雨は無言でその言葉を聞いている。
 返事はいらない。独り言のように語られるその言葉。

「わたしは夢を見て、わたしの好きという感情ではなく、先生の好きを気にかけるようになって、そして先生には本当に好きな人がいるんだってことに気づきました」

 相手はわからずとも、のどかにはそれが理解できた。
 きっとネギですら最初は曖昧なままだった、そんな小さな恋心。

「お前は、その……今も?」
「ええ、もちろんです」
 おずおずと切り出される千雨の言葉に、当たり前のように宮崎のどかが頷いた。

「一度好きになったらその好意は消えません。好きという感情は一度生まれればもう減ったりはしないんですよ。好きでなくなったというのなら、それはきっと、別の感情に埋もれてしまうということです。それは無くなるということではありません」
 千雨は口を挟めない。
 あまりに当たり前のように語られるその言葉に、千雨は言葉を返せない。
 そんな、沈黙したままの千雨に向かって、恥ずかしそうに、ほんの少しの悲しみを混ぜた表情でのどかが言った。

「だから、わたしはまだ先生のことが好きなままで、それを誰かに言っておきたかったんです。初恋ですから。…………千雨さんとネギ先生が分かり合っている姿を見て、胸がもやもやして、でもわたしは千雨さんの友達で。……千雨さんのことは好きです。でも、やっぱりそれは悲しくて、祝福すべきだと考えていましたけど、割り切るべきだと考えていましたけど、でもこんなの割り切れるものじゃありません」

 のどかが言葉を詰まらせ、一瞬決心したように息を呑むと、その瞳を千雨に向けた。
 いつもと違う髪を上げているその姿。
 そんなのどかの瞳が千雨を貫く。まっすぐに見つめられる。
 やはり思う。こいつが引っ込み思案で、消極的だなんて評価しているクラスメイトやわたしの目玉は節穴すぎる。
 長谷川千雨は、宮崎のどかの精神を、その強さと高潔さを、本当の本気に尊敬した。

「わたしは先生が好きです。……でも、千雨さんと先生が別れてほしいとは絶対に思いません。だから千雨さんからちゃんと聞いておきたかったんです」
「……なんでも答えるよ」
 まっすぐな瞳で見据えられる。
 心のそこを見透かすようなその光。相手の深遠を覗くような夜湖の黒。
 まるで心を読まれるような視線に千雨の動きが縫いとめられる。

「千雨さんは先生のこと好きなんですよね」

 その問いかけ。
 その言葉には、宮崎のどかはどう答えてほしいのか。

 そんな当たり前に答えるべき質問に、なぜか千雨は言葉に詰まった。
 長谷川千雨はその言葉を、あの日以外に口にしてはいなかった。
 それは照れからだったが、それでもこうして問われて、改めて言えるようなものではなかったはずだった。
 千雨はクラスメイトにからかわれ、近衛木乃香に引っ付かれ、相坂さよに問い詰められて、それでもずっと冗談めいた言葉で逃げていた。
 そういう言葉を人前で口にすることを避けていた。人前どころか、ネギ・スプリングフィールドにすらあの日以来、そんな台詞は言ってはいない。
 だが、千雨は周りにのどかしかいないことを確かめてから、ゆっくりと口を開く。


「ああ…………好きだよ。本気でさ」


 その言葉にのどかが微笑む。
 自分の初恋を奪った相手だ。
 そんな人が彼女でよかったと思えるのなら、それは幸福なのかはわからなくても、きっと不幸ではないだろう。
 ネギが千雨から簡単に心変わりするような人物なら、自分は戸惑い、むしろ悲しみさえするだろう。
 だから、ネギが千雨を好きでいて、千雨がネギを好きならば、宮崎のどかの想いがこれから叶うことは、きっとない。
 相手が幸せならばあきらめられるだなんて、そんな適当な恋ではなかった。
 でも、相手を祝福すら出来ないなら、それはきっと宮崎のどかの恋ではない。
 宮崎のどかは、単純な自分自身の嫉妬心にすら罪悪感をいだくほど純粋で、自分の恋心を諦めさせないままにしまっておけるほどに高潔だった。そんな彼女に見つめられる千雨は真っ赤なままだ。

 宮崎のどかの前に立つその少女。恋敵のままだったら宣戦布告したってよかっただろう。
 でももうネギの心は決まっている。千雨の心だっておんなじだ。
 だからそれを確かめたかった。
 こうして自分の心情を告白し、千雨の内情の告白を聞きたかった。
 先を促すのどかの無言に、千雨がゆっくりと口を開く。

「…………宮崎」
「はい、なんですか?」
「…………いまから……ちょっと、のろけるぞ」

 その宣言に、くすりと笑い「どうぞ」とのどかが頷いた。
 スウ、と千雨が息を吸う。
 赤くなったまま、改めて自分の心情を口にする。

「わたしはネギが好きだ。あいつの顔がいいと思ったし、頭がいいところだってすごいと思う。運動神経だって悪くない。でも、いまのわたしはアイツのバカみたいに素直なところに、まっすぐなところに惚れてるんだ」

 千雨は真っ赤な顔のまま言葉を続ける。
 誰にも言っていなかった感情を口にする。

「わたしは意外と独占欲は強くてな。アイツが赤くなるから今もなんとか自惚れていられるが、実は結構本気なんだ。好きだっていってもらえると本気で嬉しいし、触ってもらえるのも嬉しい。甘えるのも、甘えてもらうのも嬉しいよ。あいつの声が好きだし、ちっこいところも好きだ。頭がいいのに抜けてるところも大好きだ」
 ずっと秘密にしていたその感情。一度口にしたそれが止まらない。

「年齢に差があって、アイツが教師でわたしが生徒で、アイツがイギリス生まれの有名人で、わたしは英語すらまともに喋れないただの凡人。それにわたしらはまだガキだ。
 アイツにいつまで好きでいてもらえるかなんてわからない。ずっと一緒にいられるかなんてわからない。あいつと一緒に歩んでいきたいって思ってるけど、いつかアイツもわたしみたいなのに構ってなんていられなくなることはわかってる。でも――――」

 いったいこれは誰から誰への相談であったのか。
 誰にも言うことのなかったその不安。
 木乃香にも、さよにも、ルビーにも、そしてネギにも漏らしたことのない、引きこもりのパソコンオタク、現実の自分に自信がなかったそういう少女の小さな言葉。

「でもさ――――わたしはあいつを知っている。あいつがどれだけ頑張ってるのかも、あいつがどれだけ自分の願いに心血を注いだのかを知っている。あいつがどれだけその願いに真剣なのかを知っている」
 自分に自信がもてない長谷川千雨は、ネギの有能さを見るたびに、あいつの子供っぽさを見るたびに、それに小さな不安を感じていた。
 だってあまりに真摯なその行動が、千雨にはあまりにも脆く見えるのだ。

「ネギがどれほどの重圧に耐えていたのかを知っている。ネギがどれほどの重荷を背負い続けているのかを知っている。わたしみたいな凡人が理解できるなんてとても言えるもんじゃないけれど、わたしはアイツが調子よく笑うその裏で、どれほどひたむきに頑張ってきたかを知っている」
 千雨はネギからの好意に気づいているが、自分がネギの好意に値するとは思っていない。
 千雨はそういう愚痴をもらさない。もらせない。
 さよが聞けば笑っただろう。ネギが聞いたら怒っただろう。
 千雨はネギに好きだといってもらうたびに、それがいつまで続くのかを不安に思っていたのだ、と。

「アイツのバカみたいに真っ直ぐなところを知っている。どれだけ間違った望みを持っているかを知っている。歪んでしまった理想を掲げていることを知っている。でもさ、だからこそ、わたしはあいつと一緒にいる意味があるんだって思うんだ。
 わたしがいることで、いつかあいつがわたしがいて良かったと、それが間違いなんかじゃなかったんだと思えるように、最後にはあいつもわたしも笑えるように手伝えるなら、それだけで報われる。そう思うよ。ふふ、アイツにはとてもいえないけどな」
 そんな言葉を始めて千雨は口にする。
 長谷川千雨が誰にも言わずに心に決めていた小さな決意。
 遠坂凛の夢を見て、間桐桜の夢を見て、衛宮士郎の夢を見たそんな少女の小さな誓い。

「だからさ、われながらバカすぎるけど、わたしはアイツを好きになって、あいつの歪んだまでにまっすぐなところを知って、あいつのために何かしてやりたい思ってる。あいつの努力が認められないなんて、そんなの許せないって思ってる。あいつががんばる姿を支えてやりたいって思ってる。…………ホントだぜ?」

 恋は盲目、あばたもえくぼ。
 魔術師の皮肉屋で、冷静さを失わないと評判の長谷川千雨は、最近ずっと開店休業中なのだ。
 捲くし立てて、千雨はのどかの顔を見る。
 自分とネギのことに関しての、自分の信念。

「わたしはすこしくらいはあいつに頼られていると思ってる。あいつはわたしを好きだといってくれている。うん。だからさ――――」

 好きという感情はなくならない。
 ネギとこれからどうなろうとも、自分はネギに力を貸そう。
 わたしはネギが好きだから。いまこうして想ってるから。
 どこが好きとか、どこが嫌いとか、そんなことは関係ない。
 好きだといったそのときに、千雨はあいつの歪んだところもまとめて面倒を見ると決めたのだ。
 だから、もちろん、


「――――あいつがわたしを好きでいてくれる限り、あいつは誰にも渡せない」


 宮崎のどかは友達だけど、それでも先生は譲れない。

 いくら先生のことが好きだろうと、先生が自分から離れるまでは先生は譲れない。
 いくら友人だろうと、自分はわりと狭量なのだ。
 パートナーなら笑ってられる。ただ仲がいいなら納得できる。
 だってそれでも、ネギの好きという感情は自分自身に向いている。
 魔術師として、ネギが仮契約しようが平気だとは答えたけれど、それは確固たる心の繋がりがあるからだ。
 自分は人と恋を共有できない性質なのだ。

 言うべきことを言った後、千雨は真っ赤な顔のまま俯いて、のどかから貰ったジュースの缶を握り締めながら、その歯を力の限りかみ締めていた。
 こんな言葉をのどかにぶつける自分はいったい何様なのだろう。
 だがのどかは口にした言葉を悔やむ千雨に首を振る。

「いえ、適当に答えられるよりよっぽどいいです。わたしから千雨さんの本心が聞きたがったのですから」
「でも。……だって……」
「気にされるほうがおかしいです。それに……」
「……それに?」
「お二人なら、そんな心配ないと思いますけど」

 彼女はいっぺんの悲しみも読み取らせずに、たったいま恋人をのろけたばかり千雨の前で笑みを浮かべる。
 宮崎のどかは笑ったまま微笑みを崩さない。
 だってのどかは千雨の本心が聞きたかった。
 自分の本音が知りたかった。
 千雨の本心に対する、自分の本音。それを自覚したかった。

 罪悪感と羞恥でつぶれそうな大人びた同級生。
 そんな千雨を見ながら、のどかは一つため息を吐いて、どうにも自分とその恋人のことがわかっていないらしい彼女をじっと見つめる。

 初恋だと告白した友人の前で、さんざんその彼氏を好きだと口にするその少女。
 気難しげだけど単純で、
 複雑そうでわかりやすい。
 その無神経ともいえる素直さが、千雨が3-Aの皆から呆れられながらも祝福された理由だろう。
 だってそれは、あの真っ直ぐだけどちょっととぼけた先生とあまりにもお似合いだ。

「フフ、わたしは一応初恋を告白したばっかりだったんですけどね」
「い、いや……それは……」
 流石に千雨がうろたえた。
 そりゃそうだ。今の千雨はビンタの一つを受けてもおかしくない。
 しかしのどかは怒ったそぶりをまったく見せないままに口を開く。

「冗談ですよ。そういうこと、先生にもおっしゃったりするんですか?」
「……いわない。いえない。お前だから口にしたけど、こんなこと二度と絶対誰にもいわない」
「きっと先生は喜んでくれると思いますよ?」
「で、でも…………そんなの……や、やっぱり…………」
「やっぱり?」

 千雨が顔を伏せたまま、周りの喧騒にかき消されるほど小さな声でつぶやいた。


「…………は………………恥ずかしい、……から」


 目の前でおろおろとしたまま視線を揺らす長谷川千雨。
 のどかはちょっと唖然として、千雨を見つめてしまった。
 あまりに予想外の言葉だったからだ。
 初対面ではとっつきにくく、友達になってからはしっかり物の皮肉屋で、でも今の彼女は恋愛初心者の気弱な少女。
 俯く千雨が、ぎゅっとその手を握り締め、肩ひじを張ってそんなことをつぶやいた。
 なんなんだろう、この人は。
 いつもクールに決めているくせに、この人ちょっと乙女すぎるのではなかろうか。
 これほど初対面からイメージがころころと変わる人も珍しい。

「なんだか、パルやこのかさんの気持ちが分かります」

 宮崎のどかは呆れてしまう。
 クラスメイトの前でネギとの関係をばらされて、それを赤い顔のまま肯定した長谷川千雨。
 彼女は真っ赤になりながらも、誤魔化しながらも、それでもあのとき嘘をついたりはしなかった。
 恥ずかしがりながらも、嘘をついたりはしなかった。口では嫌がりながらも、木乃香やハルナを邪険にしようとはしなかった。

 のどかにはそれが分かってしまう。千雨の本心、千雨の本質。
 口が悪くとも、彼女がクラスメイトを大切にしていることは明白で、素直じゃない彼女があまりに正直ものなことは明白なのだ。
 その姿にのどかが怒りをぶつけるなんてありえない。嫉妬するなんてあるはずない。

 のどかは人の本音を受け止められる。人の闇を抱える資格を与えられたその精神。
 のどかは人の本音を許容できる。真実に触れる強さを、その資格を持つその心。
 まったくなぜ、わたしが千雨さんにアドバイスをする羽目になっているのか。
 のどかは、目の前の自信を持っていないおバカさんに向かって微笑んだ。
 祝福の心を失わず、それでもやっぱり心に残る内心の小さな悲しみを一切出さずに宮崎のどかは笑って見せた。

「ふふふ、ありがとうございました。やっぱり千雨さんはいい人です」

 お前よりいいやつはそういない。千雨はそう心のうちでつぶやいた。
 千雨はもう反応を返せない。
 謝っても、感謝しても、それは千雨の言うべき言葉ではないからだ。

 そうして二人が黙っていると、遠くから早乙女ハルナたちが戻ってきた。
 それに気づいたのどかが手を振った。

「おーい、のどかー。もうオッケーだよー。そろそろ次行かないー?」
 遠くからベンチに隣り合って座っていた二人に向かう声がする。
 二人の沈黙を破るその呼びかけ。

「うん、いま行くよー」
 のどかがそう答えて、千雨も立つ。
 ニヤニヤと笑う木乃香にハルナ。そして呆れ顔の明日菜たちと一緒にいるネギの姿。
 そんなクラスメイトに微笑んで、のどかはどうにも歩みの遅い千雨をうながして歩き出す。

 さて、ネギから相談を持ちかけられて、その対応をハルナたちに任せていたが、その相談事は終わったようだ。
 渡りに船と、自分から千雨の足止めを志願したが、役目のほうも果たせたらしい。
 そう考えながらのどかは微笑む。

 そんなのどかの横を歩きながら、千雨はちらちらと横をうかがう。
 隣り合って、二人で歩きながら千雨は思う。
 非常識な3-A生徒。常識外れの麻帆良の地。
 騒ぎが好きで、常識はずれで、自分とはまったく合わないと決め付けていた30名の同級生。

 仲良くなることなどないと思っていた。
 笑いあうことなんてないと考えていた。
 いつの間に自分はこんなにも社交的になったのだろう。
 同級生など、騒ぎ好きのアホばかりと決め付けて、自分は接触を絶っていた。
 自分は今まで、どれほど同級生相手にうぬぼれていたのだろうか。

「あ、……あのさ、宮崎」
「はい?」
 屈託なく返事をしてくるのどかの姿。
 千雨は何とか声をかけようと思考をめぐらし、百の躊躇と千の逡巡を振り切って、思い切ったように口を開く。

「……………………ジュース、ありがと」

 飲み終わったジュースの缶を手の中で持て余しながら、千雨がなんとか言葉を搾り出す。
 のどかがおもわず吹き出した。
 こらえきれない笑い声とともに、まなじりに涙が浮かぶ。
 千雨が真っ赤な顔のまま悔しそうな顔をした。
 どういたしましてと、のどかが口にし、千雨がその言葉に仏頂面のまま頷いた。

「千雨さん」
「……なんだよ」
「千雨さんって――――――」

 照りつける日の光と喧騒の雰囲気を改めて感じながら、のどかは笑う。
 心淀を溜めていたとは思っていないが、こうして千雨と話して視野が広がったことを感じられる。
 今日の朝まで桜咲刹那を怖い人だと思っていたように、ずっと以前の自分は長谷川千雨をとっつきにくい人かと思っていた。
 だけど刹那は、朝ごはんの最中に木乃香と追いかけっこをはじめるほどに面白い人だった。
 千雨は、軽く突っつくだけでこんな反応をするくらいに素直でわかりやすい人だった。
 自分のやることをまっすぐ見据え、それを真剣に考えるその姿。

 人を導くことは出来るくせに、自分のこととなるとさっぱりで、
 頑張っているくせに、それを表に出さなくて、
 自分の信念に猛進し、他人に正されない限り間違いに気づかないほどに盲目的で、
 でも、やるべきことは間違えない。

 それは宮崎のどかが恋をした少年にとてもとても重なって、


「――――――なんだかすっごく先生にそっくりです」


 宮崎のどかの初恋はどうやら実ることはないらしい。
 わたしが割って入れることはないだろう。
 でも、宮崎のどかは、自分の初恋に後悔なんてしてないし、千雨はとてもよい友人だ。
 悲しいけれど、それを悪かったことだとは考えるのは、やっぱり間違いのようだった。

 真っ赤になった千雨が支離滅裂な言葉を発するのを聞きながら、宮崎のどかはこちらに手を振るハルナの横に立つネギの姿に、やはりいつものように少し頬を染めながら微笑んだ。




   ◆◆◆




 さて、奈良観光が終わり、そろそろ夕刻になるその時刻。
 旅館の一室。長谷川千雨の属する第6班の部屋の中、
 その部屋の中は、少しおかしな雰囲気となっていた。

「――――ッ!?」
「あ、あの……」
「――――――っ! っ!?」
「その……」
「――――――――っ!? !?!?? っ!!!!」
「ち、千雨さん……?」

 もちろん、ごろごろと部屋の中を転がっている千雨の所為だ。
 枕に押し付けた口からはくぐもったうめき声が漏れ続けている。
 ごろごろ、ゴロゴロ、と転がりながら、時おりもれ聞こえる奇声が彼女の胸中を物語っていた。

「あのー、千雨さん、大丈夫ですか?」
「はー、はー……。さ、さよか…………いや……ハア。ハア……。フー、ああ、だ、大丈夫だ」
「す、すごく問題ありそうですけど」
「ハア、ハア……大丈夫。……問題ない」

 そうだ。そのとおり。問題ない。
 大丈夫大丈夫。宮崎のどかはいいやつだ。
 友人との会話内容をもらすようなやつではない。
 あの聖女のごとき友人の姿を思い出し、千雨は何とか心を落ち着けようと深呼吸。
 あのあと、テンパった自分を怪しんだ早乙女が、宮崎に問いかけた時だって、あいつは誤魔化してくれたじゃないか。

「そ、そうですか。あの、わたしちょっと外を散歩してきますね」
「ああ……気をつけてな」

 さよが空気を読んで退出する。
 おそらくあと十分ほどして、千雨が落ち着いたころに帰ってくるだろう。
 彼女による千雨に関する目算は正確で、さよはこういうときは懸命だ。
 つまり千雨はまだまだ平静を取り戻せたとは言いがたい。

 さよの目測どおり、一瞬平静を取り戻した千雨が再度フラッシュバックするつい半日前の情景に再度悶絶していた。
 思い出したくもないのに、頭に浮かんでは消えていく。

 わたしはいったいなにを語った?
 わたしはいったいなに言った?
 好きだとか、初恋だとか、そんなのもっと軽いものだろう。
 女子中学生の軽い恋愛で済ませとけばいいものを。

 あの場にいたのは、わたしと宮崎だけだ。誰かにもれることもない。
 のどかがむやみに言いふらしたりしないことも承知している。
 絶対に大丈夫。
 だけど、それでも――――


 ――――わたしを好きでいてくれる限り、あいつは誰にも渡せない


「あぁっ!?!! アホかわたしはっ!! 何様だよっ!?!!」

 どんなラブストーリーを展開してんだよ! しかも宮崎の目の前でっ!
 ありゃなんだ!? プロポーズか? 小学生のガキをめぐってなにトチ狂ったこといってんだっ!
 わざわざ先生が好きだったと告白して、わたしとそれでも友達でいてくれると笑ってくれたあいつに対して、わたしはなにを言ったんだっ!
 独占欲丸出しの色ボケのバカじゃねえかっ!

 千雨の叫びに、同じ部屋で千雨の姿を見ていた茶々丸とザジがビクリと震えた。
 さよと違い、二人は以前部屋の中だ。千雨の意識からは外れているが、二人とも悶え狂う千雨を興味深そうに眺めている。

 さて、そんな周りの評価など露知らずと、ごろごろと転がりつづける千雨の口から、グゥウウウゥなんてうなり声が漏れている。
 歯を食いしばってもおさまらず、もだえる体を止めようにも止まらない。

 顔から火が出るほど恥ずかしい。
 冷静さを取り戻した瞬間から、千雨の頭はゆだりっぱなしだ。

 恥ずかしくて、のどかの顔もネギの顔も直視できずにホテルに逃げ帰り、そしてずっともだえ続けるその姿。
 ロビーに駆け込んだまま、ぶっ倒れて転がり始めそうだった千雨を部屋まで無理やり連れてきたさよに感謝するべきだろう。理性的とは程遠いその姿は、とてもじゃないがいつもの千雨からはほど遠い。
 あまりに不振なその少女に茶々丸が声をかけようとして、放っておくべきだとザジに止められるそんな仕草を三度ほど。
 だって、しょうがないだろう。
 いや、むしろ、相手がのどかだからこの程度ですんでいるともいえるのだ。
 こんなことがエヴァンジェリンやその他のクラスメイトにばれたら、……というか宮崎のどか以外に漏れたら自分は羞恥で死にかねない。

 あとでもう一度宮崎には口止めをしておこうと、千雨は転がりながら考えた。


   ◆


 転がり続ける千雨と、それを見る班員二名。
 そんな姿がさよが去ってからさらに五分ともう少し。
 いまだに千雨が悶え続けていると、ホテルの外を散策していたさよが帰ってきた。

「あー、やっぱりまだ恥ずかしがっているんですか?」
「あっ、さよさん、お帰りなさい。……ずいぶん汚れてますが?」
「実はもうすこしだってから帰ってくるつもりだったんですけど、ちょっといろいろありまして」

 そう答えながら、さよは部屋に入ってくる。
 座布団を受け取ると、礼を言いながらそれに座った。
 当たり前のように座るその場所はいまだに身悶えている千雨の横である。
 だが笑って答えるさよの体は傷だらけだった。
 服がほつれて、肘や膝からは血がにじんでいる。
 間違っても、花も恥らう女子中学生の姿ではない。

「…………その傷どうしたんだ?」
 さすがにそれを無視して寝てもいられないので、丸まった布団から顔を出して千雨が問いかけた。
「あ、実はですね。朝倉さんとホテルの外を歩いてたら、ネコが自動車にひかれそうになってまして」
「……はあ、それで?」
「飛び出してネコを引っ張ったらわたしまで惹かれそうになって、転んじゃったんです」

 あはは、とさよがわらった。
 いまこうして笑っていられるということは大事にはならなかったのだろうが、千雨としては素直に頷けるものではない。
 見捨てていたところで割り切ることは可能だっただろうが、流石に見捨てればよかったなどとはいえないので、仏頂面のままだ。

「……あのなあ相坂。一応気をつけろよ。いくらお前でも車に轢かれたら死ぬかもしれないんだからな」
「はい、朝倉さんにも言われました。危なかったって。一応身体強化の魔術は使いましたけど、わたしは魔術は未熟ですし、あんまり意味はありませんでしたけど」
「走ってる車に干渉するのはわたしでも難しいよ。それより、ほら傷を見せろ」
「あっ、はい」
 素直によってくるさよに手当てをするため、千雨はもぞもぞと布団から這い出てきた。

「うー、ズキズキしますけど、これも生きている証って感じです」
「痛がりながら喜ぶな。ヘンタイっぽいから」
 はあと千雨がため息を吐いた。
 さよは自己治癒能力も高いし痕は残らないだろうが、浅慮すぎだ。
 元幽霊だからなのだろうかと、首をかしげる。

「うーん、前にルビーさんから、大きな傷は痛みを感じさせないようになっているって言われてたんですけど」
「生き返らせたときの話か。体に魂を入れるときに痛みでショック死されると困るからな。お前の体はある程度以上になれば痛覚がカットされるんだ。ただ痛覚ってのは触覚の一角だから完全に失くすと動けなくなる。この辺はヒトガタの基本だな。絡繰だってそうなんじゃないのか?」
 当たり前のように千雨が話を振った。
 なぜか茶々丸が目を丸くするが、千雨はそれに気づかずさよの手当てを続ける。

「でも腕がもぎ取られるとか、足がちぎれるとかの場合だけだよ。あと、車に轢かれたり首がもげたら普通に死ぬぞ。気をつけろよな、もうちょっと」
「はい、ありがとうございます」
 ぺこりとさよが頭を下げる。
 本当にわかっているのかと、手当てを続ける。
 傷の確認とその洗浄だけをして、最後にぺしりと腕を叩いた。
 千雨は治癒の魔術は使えないし、さよも傷を和美に見られている以上、適当に治してしまうわけにもいかないだろう。

「はい終わり。たいした傷じゃあなかったな。ほっといても治るだろ。でも、この程度なら痛みとして認識されるぞ、たぶんお湯にもしみるだろうな」
「ああ、そういえば、そろそろわたしたちのお風呂の時間ですね」
「桜咲は帰ってきてないのか」
「まだネギ先生と一緒にこのかさんに捕まってると思います。今日もずっと魔法について質問してましたし。先に入りましょうよ、千雨さん」
「だからわたしは入れないんだよ。個人風呂のシャワーでいい」
 怪我したばっかりのはずのさよに呆れながら、千雨が令呪をかざす。

「もー、あとでこっそり先生と入るとかは駄目ですよ」
「っ……入るわけねえだろ」
 つい先ほどまでの痴態を思い出し、怒鳴り声を上げて反論しそうになるのをぎりぎりで抑える。
 流石に完全な邪推だ。たとえネギがいようが、誰が入ってくるかすら分からない旅館の風呂に特攻するほどいかれていない。
 たとえどんな目的があろうと、そんなまねをしたらもはや痴女だ。
 令呪以上にやばい想像をする女である。

「じゃあ、ザジさんと茶々丸さんはどうしますか?」
「いえ、わたしも……」
 茶々丸が首を振った。それではと、さよがザジのほうを向く。
 ザジが無言で頷いたのを見ると、さよがその手を引っ張った。

「じゃーザジさん、一緒に行きましょう!」
「……」
 ザジの手をとり、そのまま引きずるような勢いで引っ張っていく。
 いまだに修学旅行のテンションを失わずはしゃぐさよと、されるがままに引きずられるザジがドアの向こうに消えていった。

「行かなくていいのか、絡繰?」
「わたしは葉加瀬に呼ばれておりますので」
 そういいながら茶々丸も部屋をあとにした。
 まあ何かしら用があるのだろう。自分にはきっと関係のないことだ。
 そうして、ようやく人気も消えたので

 千雨は布団にもぐり、再度先ほどの痴態を忘れるための儀式を続けることにした。




   ◆◆◆




 そうして夕食も終わり、就寝時間が近づいていた。
 そんな時分に、ようやく平静を取り戻した千雨がホテルの屋上に上がっていた。
 千雨の横には久しぶりに姿を見るルビーの影がある。

「もう平気なの、千雨?」
「夕飯のときに普通に話しかけられて、逆に一人で気にしてるのがバカらしくなってな」
「いい子だもんねえ」
「ほどがあるよ。いいやつすぎて、わたしみたいなのにゃタマらんな」
 やはり宮崎のどかはすごいやつだ。
 あいつは敵に回さないようにしよう。
 千雨はそう心に硬く決心した。

「ふーん。で、千雨はなんでこんなところにでてきてるのよ」
「あー、なんかまたウチのクラスのやつが、わたしとネギを探してるんだとさ」
 どうやら昨日のリベンジらしい。
 鬼ごっこというよりかくれんぼ。ネギは外に見回りに行っているだろうし、生け贄は実質わたしだけだ。
 また新田先生が活躍するのを待つことにして逃げ出してきた。
 こういうときに魔術を出し惜しみする気はないので、屋上に通じる階段への人払いの結界は万全である。

「それに、昨日のサル女のことをお前に聞きたいと思ってたしな」
「またネギくんとさよちゃんが怒っちゃうわよ」
「ネギとはさっき少し話したよ。あいつも気にしてたらしいが、昼も攻めてくる気配はなかったらしい。わたしの索敵や桜咲の探査にもひっかからなかったみたいだ」
 そんなことを話しながら、千雨は空から降りてくる一羽の鳥を腕に止まらせた。
 琥珀の鳥。先日見せられた呪術の式神とはまったく系統の異なる、魔術の式神である

「人目があったからかも知れないけど、準備をしているのか、夜動くのか、それとも明日まで待ってるのか。そこを判断しておきたい。動くことになったら頼るとするさ」
「誘拐は一回失敗したら普通諦めるものだけどね」
「まあな。でもこの沈黙が増援を呼んでいるからだとしたら少しやばいし、警戒を抜けるほど軽い状況でもないよ」
 千雨の琥珀鳥は今日一日飛び回っていたが、彼女らの姿を見かけることはなかった。
 べつだん捜索に特化していないし、当たり前としては当たり前だ。
 ビデオカメラをつるしたバルーンを適当に街中に放つレベル。
 使い魔を使う千雨の索敵技術は場当たり的な要素が強い。
 子供のかくれんぼだろうと、見つけられないときは見つけられないのだ。

「このかちゃんのことが心配なの?」
「…………もちろんそれもあるけど」
 千雨が言葉を濁した。
「もしかして、わたしのこと?」
 ルビーの優しげな言葉に千雨がこくりと頷いた。

「ますます希薄になったよな」
「ここは世界樹のサポートも受けられないしねえ。……あっ、気にしないでいいわよ。千雨が修学旅行をサボったってたいして変わらなかっただろうし」
 ビクリと震える千雨に、気にするなとルビーはあわてたように付け加えた。
 たいして代わらない、とルビーは言う。
 その意味は、もう“なにをしたって”気休め程度の効果しかないという意味だ。
 それを二人とも知っている。

「……わたしはお前に魔術を教わった。お前に魔法について知らされて、お前にこっちの世界に引き込まれた。全部お前が原因で………………そんでもってお前のおかげだ」
「あらあら、殊勝なお言葉ね。千雨らしくもない」
「茶化すなよ。自覚してるんだ。さよのこともあるし後悔はしてない……でも、ネギたちを見るといつも思うよ。わたしは本当は魔法使いと合わないんだって。……わたしはたぶん自分の価値観で人を殺せる。でもネギはたぶん無理だ。さよはできちまうかもな。あいつはもう十分に魔術師だ。わたしを信じきってるみたいだし。悪い女に引っかかってるよ、ネギもさよもな」
「あなたはやりたいことをやりなさい。わたしは否定はしないわよ。文句は言うかもしれないけどね」
「そうかい……」

 千雨が魔術回路に力を通す。
 体の中の永久機関。
 無限に沸く純魔力。魔力放出による魔力風が体の奥から立ち上り、千雨の髪が轟々と揺れた。
 それに千雨が誰にも見せることのない悲しみの表情をみせる。

「なーに、沈んでんの。平気だって」
「ルビー」
「後悔するなら挑戦してから後悔するべきだけど、それと同じようにもう終わってしまったことに固執するのはよくないわ」
 千雨が黙った。

「千雨。今あなたがやるべきことは、ここで沈んでいることじゃない」
「わかってる。わたしもウチのクラスメイトを巻き込みたくない。……わたしは、結構あいつらのことが好きみたいだ」
 そんな言葉が千雨の口から漏れた。

 友達がいなかった長谷川千雨。
 クラスメイトと軽口を叩くことすらなく、ネットでストレスを発散していたそういう少女。
 だけど、いまはこうして人と繋がりを持っている。
 神楽坂は笑っていたが、近衛が誘拐されていれば、今もわらっていることは出来なかっただろう。
 わたしが負けていれば、さよは泣いただろう。死ねばクラスメイトは悲しんでくれるだろう。
 小さな繋がりから、わたしはクラスメイトと交流を持ち始め、今ではそれほどまでに大切な仲間もいる。
 30人のクラスメイトとそれなりに会話を交わすようにすらなっている。
 彼女たちのためならば、それなりに苦労をしてもよいと考えている。
 きっと、あのクラスにいる大半の変人組も似たようなことを考えている気がするのだ。あの街は、あの学園は、あのクラスは異能に対してあまりに甘い。まるで麻薬かなにかのように。

「わたしは日常が好きだった。魔法なんて真っ平だと思ってた」

 魔法が嫌いだった。わけのわからないものが嫌いだった。
 というよりも平穏が好きだったのだ。
 騒動はごめんだった。
 騒ぎが嫌いで、常識外れのクラスメイトのことを当たり前のように避けていた。
 人の繋がりを無視して、わたしはずっと一人で満足していた。
 わけのわからない麻帆良が嫌いだった。
 魔術が嫌いだった。魔法が嫌いだった。騒動が嫌いだった。
 でも、


「――――でも、お前がいなかったほうがよかったとは思わない」


 視線を地面に落としたまま言葉を搾り出す千雨の姿に、思わずルビーが噴き出した。
 この娘はこの台詞を言いたいがためにあんなに長々と言い訳を述べたのだろうか。
 真っ赤になった千雨にルビーが優しい声を出す。

「ククク、いや、ありがと千雨。わたしはあなたがそういってくれるのが何よりも嬉しいわ」
「……別に、お前を喜ばせるために言ったわけじゃない…………」
「照れるな照れるな。いやー、ネギくんは幸せものね」
「なんでネギが出てくんだよ……」

 恥ずかしそうに千雨が黙った。
 そうして無言になったあと、千雨は、手に止まらせた琥珀の鳥に目をやった。
 朝から今まで京の街を俯瞰していた監視役。
 それが千雨の視線を受けて形を変える。
 ジジジ、と羽音を響かす蟲が13匹。
 上空から俯瞰する視力はなくとも、その精密さは鳥より高い。
 ホテルに皆が戻った以上、俯瞰調査用の鳥を飛ばす意味はないためだ。
 クラスメイトが一箇所に集まった以上、必要なのは空から俯瞰する目ではなく、ホテル周りを飛ぶ索敵蟲である。

 簡単な自動式の指示を与えてから、千雨はその蟲をホテルの周辺に放つ。
 これで一応襲撃があったとしてもある程度は備えられるはずだろう。
 仮契約程度の準備一つで、瞬間移動の真似事が出来る魔法使い相手にどこまで通用するかわからないが、やらないよりはましである。

 千雨が蟲を放った腕前に、ぱちぱちと無音の拍手を鳴らす霊体に、手を上げて答えると千雨はさてどうしたものかと考えた。
 戻ってクラスメイトの騒動に巻き込まれるのもなんである。
 そうして千雨が考え込んで、そんな千雨をルビーが眺める。

 そんな二人の静寂を切り裂く音がした。

 ガチャリと屋上の扉が開く音に二人が振り向く。
 人払いの魔術をかけてあったのだ。
 魔法使いだろうと、おいそれとは入れないはずの、魔術の結界。
 絡繰かさよくらいしか入れないはずのそこに、

「ヤア、千雨。ちょっとイイかネ」

 そんな言葉を発しながら、いつものようにコナくさい笑みを浮かべる超鈴音が立っていた。


   ◆


 千雨が超の姿に片眉を上げる。
 魔術の結界を抜けてきたようだ。
 ますます自分の腕前に自信がなくなってしまう。
 エヴァンジェリンに襲われた夜以来、魔術関係の話はろくにしていなかった超鈴音。
 大天才、麻帆良の頭脳。茶々丸の製作者。どうやらこいつもそんじょそこらの魔法関係者とはレベルが違うらしい。
 エヴァンジェリンは超には事情を話していないといっていたが、当然自分の事情は知られていたようだ。

「……まあ、そりゃ知ってるよな。エヴァンジェリンから聞いてなくても、さよやネギがあんだけ騒いでれば」
「いやいや、わたしが千雨のことを知ったのは茶々丸からネ」
 沈黙を破って、千雨が自分のことを棚に上げたことを言った。
 笑いながら超が否定する。

「これでも製作者だからネ。茶々丸の見たものはある程度チェックできるんだヨ。定期メンテごとに報告も受けてるしネ」
「……マジかよ」
 ということは茶々丸と情報を共有しているということだ。
 自分の知られたくないことなど、茶々丸にはどれほど知られているかわからない。
 絡繰茶々丸は信用できるが、超鈴音は信用できない。

「ああ、安心していい。わたしもハカセも口は堅いからネ」
「葉加瀬も……そうか………………そうだよなあ、あいつもかあ……」
 会話を始めて一分でいい一撃を貰ってしまった。
 交渉どころではない。すでに千雨は半泣きである。
 なんなんだろう、この連日のイベントは。わたしを苛めるために行われているとしか思えない。

「エヴァンジェリンにはばれてるんだからいまさらネ」
「……くっそ。まあいい、割り切ることにする。それより超。それって絡繰のプライバシーはどうなってるんだ」
「さよさんと違て、茶々丸はガイノイドだしネ。彼女はすでに一個の人格を持ているが、成長はまだまだわたしたちの管轄ヨ」
「ふーん。まあ絡繰が納得してるならべつにいいけどさ」

 茶々丸にはいろいろときわどいところを聞かれているが、今まで黙っていたのだから、超たちだってばらす気はないだろう。
 ますます逆らえないクラスメイトが増えている気がするが、どうしようもない。

 ちなみに千雨はさよのデータを取ってはいない。
 だがこれはべつだん千雨の甘さというわけではなく、プラスアルファの力を搭載・更新し続けられる茶々丸と、作り終わってからの干渉は基本的に行われない魔術のヒトガタであるさよとの差である。

「で、なんの用なんだ?」
「ふむ。実は少し話がしたくてネ。ルビーさんと話せるかネ」
「ルビーとか?」

 ちょいと驚く。
 なるほど、色ボケしていたのはわたしのほうだったようだ。
 茶々丸から流れた“情報”というのはそっちのほうか。
 ボケた思考で恫喝でもされるのかと警戒したが、絡繰茶々丸と情報を共有するとはそういう意味らしい。
 エヴァンジェリンは超たちにルビーのことは喋っていないなどといっていたが、これではほとんど意味がない。
 べつだん本気で隠していたわけでもないが、ルビーのこともばれている。

「どうかネ?」
「ああ、まあな。ちょうどさっき起きたところだけど……まさか狙ったのか?」
「フフ。それはご想像にお任せするヨ。機会を待ていたのは本当ダガ、今のタイミングは偶然のようなものネ」
 超が言葉をとめた。
 にこりと笑う。見えないはずのルビーを見つめるかのようなその仕草。

「しかし、ここで話さなくては、きっとチャンスはなくなってしまうだろうからネ」
「へえ。流石ね、この子」

 スッ、と千雨の横でルビーが本気になった気配がする。
 今の今まで、空に陽炎として浮いていただけのルビーの姿。
 拍手しても音がならないのと同様に、彼女が声を出しても、それは千雨にしか聞こえなかった。
 ルビーの体に色が付き、重みが付き、存在としての意味を持つ。
 正確には千雨の中から、千雨の視覚に投影されていただけのルビーが、千雨に一言断ってその体を具象化させた。

「いけるのか」
「ええ、まあなんとか」

 ふわりと体重がないかのごとく屋上に降り立つルビーが千雨の言葉に頷いた。
 魔力体であるため、顔色が悪いということはないが、その体は透けている。
 だがそれでもその風格は英雄のそれである。
 いつも千雨相手に軽口を叩いている姿と一転して、その威風はマスターである千雨すらたじろがせた。

「超鈴音ちゃんだったわね」
「エエ。はじめましてダネ。ぜひあなたとお話してみたいと思ていたヨ」
「あらあら、お話くらいいつでもよかったのに」
「わたしもそう考えていたのだがネ。どうにも慎重になりすぎていたみたいヨ」

 にこりと二人とも微笑み会う。
 氷のようなルビーの微笑。
 ぞくりと走った寒気に千雨が思わずルビーを見る。
 千雨の視線を受けるルビーが、まったくいつもとかわらぬ口調で言った。

「それで、なにが聞きたいのかしら、異なる流れから来たお嬢さん?」

 どういう意味かと、千雨が首を傾げるその言葉。それに超が笑って見せた。
 本気の英霊を前に怯まないその姿。
 それは英雄の気質を持っているということだ。
 エヴァンジェリンに図書館島の覆面男。おそらく学園長とタカミチも。麻帆良の街には意外と多いその素質。

 特に、千雨のクラスはとんでもないのがそろっていた。
 力ならばルビー以上のものすらいた。
 魔法の才、武術の才、戦いの才。
 魔道の娘に、得体の知れない異能の娘。
 血の匂いを漂わせるものすらいる千雨が所属する中等部の一クラス。

 だがそれと比較しても、ルビーはその覚悟において他の追随を許さない存在だった。
 彼女は妹のためにと世界を天秤にかける生き物である。
 たとえどれほどの力を持つものがいようとも、その決意と信念の量ではルビーには叶わない。
 エヴァンジェリン・マクダウェルでさえ認めているルビーの決意。その意志力。

 だが目の前に立つ超鈴音。
 そのルビーがちょいと驚くほどの雷光を瞳に伴うその少女。
 超鈴音の瞳の色に、ルビーは甘さを一切抜いた視線を向ける。その笑みだけは蕩けるほどに甘いのに、彼女から感じる風は極寒のそれである。
 だが、それにまったく動じずに超鈴音は笑ったままだ。

 麻帆良にすむ一級品ぞろいの数多の使い手。
 だが、その中でもこの娘は特級だ。
 ただ一人、あのクラスの中でルビーに匹敵するほどの強固な意志を持つその少女。

 なんの用だと問いかける、ルビーの言葉。
 それに超が口を開く。


「――――それはもちろん、わたしの願いについてダヨ。流れの外から来たお姉サン」


 千雨は呆れるしかない。
 こいつどこまでわかってるんだ。
 超がとんでもないやつだということは知っていたが、本来の表情を隠していないルビーを前に一歩も引かないなんてのはエヴァンジェリンくらいかと思っていた。

 麻帆良の頭脳。麻帆良一の大天才。
 万能にしたって限度がある。
 にこりと、凍るような笑みを浮かべたルビーと超が見詰め合う。
 超鈴音はまったく動じていない。
 そうして少し黙ってルビーは言った。

「千雨、あなたは同席しないほうがいいわ」

 千雨が思わずルビーの顔を見る。
 だがそこにあるのは本気の横顔。
 自分が席をはずそうと、ルビーの身体維持がある以上、千雨はルビーに魔力を送り続けることになる。
 ゆえに、聞こうと思えば席をはずしたって、聞くことは出来るのだが、ルビーが“そういう意味”でいっているわけではないことは明白だ。
 別段ここに千雨がいるのが危ないからとかではなく、ただルビーはいま自分の目の前に立つ超鈴音を対等と認め、一対一の会話を望んでいるのである。
 流石にこれに文句の言葉は挟めない。

 千雨はルビーの言葉に一つ頷くと、後ろ手に手を振って、その場を退散することにした。



   ◆◆◆



 そんなルビーと超の会談が始まって数十分。
 屋上から降りてくる超の影に、踊り場に座っていた千雨が顔を上げた。
 千雨の横にはいつのまにか葉加瀬聡美の姿がある。

「終わったのか?」
「ああ、万事解決したヨ。おや、葉加瀬もきていたのかネ」
「はい。茶々丸のところに行くつもりでしたし、わたしも千雨さんのお話を聞きたいと思っていましたから」
 千雨が横で肩をすくめた。質問攻めというわけではないが、聡美は見た目どおりに好奇心旺盛だった。

「ホウ、何の話を?」
「さよさんの話を聞いてましたよー。魂の有無はかなり重要なテーマですから。千雨さん……というより魔術師さんからみると茶々丸はすでに魂を持つ存在らしいですけど」
「魂の創造は魔法じゃない。輪廻転生や魂の絶対量というのは否定された学問だ。子供を生んで、プラナリアを切断すればそれで出来る。脳なんてのはソフトウェアだろ。プログラムだって同じじゃないか? 電池と電球だろうと魂は生まれるだろうさ」
「フム。ダガ魂に干渉する魔法が履行されるかはかなり際どいところだと思うガネ」
「それはその契約法が間違ってんのさ。魂のあり方が一種類なわけじゃない。お前ら科学家の癖に魂のアナログ信仰でももってんのか」
「というより、複製化の問題ですね。創造はまだしも魂の設計は“魔法”の部類だと思っていました。茶々丸の思考ルーチンは完全に科学側ですから」
「ああ、コピーが出来るってか? その辺も同じだと思うがなあ。絡繰がもう一人出来るってのは駄目なのか? それはそれでそういうものだろ。在りえている以上否定する意味がない」
 聡美と超が目を丸くし、ルビーが千雨の言葉に噴き出した。
 さすが千雨だ。わかっていないようで、魔術師として必要なところだけはわかっている。

「己と完全に同一の人形を複製するというのは、人形師の頂点の、さらにもう一つ上に位置する技術の一つよ」
「ああ、やっぱり魔術にもあるのか」
「噂で聞いただけだけど、不老や不死ではなく復活に属する技術ね」
 ルビーがなるほどと頷く千雨の姿に微笑んだ。
 流石にさよの人形を数ヶ月で完成させただけのことはある。この娘は意外に人形師向きである。
 さて、そんなことを話しながら珍しい交友を暖めていると、ルビーが改めて口を開いた。

「じゃ、わたしは消えるわね」
「ん、そうか……超のほうはもういいんだよな」
「まあね」
「ああ、もう十分ヨ」

 ルビーと超が笑って答えた。その顔には、先ほどまでの剣呑さはない。千雨にはどうやらわりと気があっているようにも見えた。
 いきなり意気投合でもしたのだろうか。
 だが、その答えを千雨が得る前に、ルビーの姿が虚空に溶ける。
 流石に長く現界しすぎたようだ。霊体の状態に戻ったわけではなく、千雨の中で眠りに付いた。

「ふふふ、面白いかただたネ」
「……何の話をしてたのか、聞いていいか?」
「望みの話ヨ」
 超があっさりと答えるが、それはどうにも曖昧なものである。
 それ以上は聞くべきでもないだろう。千雨が聞くべきものなら、後でルビーが伝達するはずだ。
 千雨はそれ以上その件については聞くのをやめる。
 代わりに昨日の騒動を思い出し、不機嫌そうに超と葉加瀬に向かって口を開いた。

「そういや、近衛の件手伝えよ、お前らも。しれっと傍観者気取りやがって」
「いやー、わたしは正式には魔法生徒ではないからネ。千雨たちを信じているヨ。変に手を貸すとこじれてしまう」
「なにかあったんですか?」
 二人の台詞に千雨が息を吐いた。

「ハカセはまだ知らないのか? 誘拐事件だよ。近衛が魔法使いに浚われかけた」
「いやいや、誘拐未遂というべきだと思うヨ」
「お前が手伝えば、未遂にすらならなかったんじゃないのか?」
 不機嫌そうに千雨が言う。
 その横で、聡美が目を丸くしていた。本当に聞いていなかったようだ。

「ちなみにそれが原因で木乃香さんはもう魔法について知ってしまたというわけヨ」
「ふえー、そうなんですか。それはまた……いいんですか?」
「いいわけねえな。当然ごたごたがあったみたいだ」
「だがもう、千雨さんが解決してくれたと聞いてるヨ」
「誰から聞いてんだよ、うさんくせえなあ。……ちなみに解決したのはわたしじゃなくて、桜咲と先生たちだ。それに犯人は取り逃がした。また来るかもしれない」
 謙遜抜きで千雨が答える。役立ったという自負はあるが、それ以上のものではない。
 そもそも自分から動いたわけですらないのだ。

「もう一度来るとしたら、嫌がらせではなく目的があるとみるべきネ」
「どっちみち誘拐されなきゃいいだろ」
 桜咲刹那も陰ながらなどといわなくなった以上再度誘拐されるようなミスは犯すまい。

「いい答えヨ。さすがネ、ルビーさんも千雨さんも。だが、もしもの可能性は考えておいたほうがいい。それに相手に目的があるなら、それは誘拐されても挽回できるということだからネ」
 物騒なことを言う超だが、わからないでもない。
 殺人と違い誘拐は取り返しが効く場合が多いからだ。
 千雨は無言のまま肯定も反論もせずに、足を進めた。
 部屋に向かって階段を下りていく。
 そんな無言の背中に、返事をしない千雨に唇を尖らせたにっこりと悪い笑みを浮かべた。

「ちなみに、千雨」
「なんだよ」
「われわれは茶々丸のメンテナンスなども管理しているから、基本的に茶々丸に拒否権はないんだヨ。そのかわり守秘義務なんかはちゃんと心得ているから、茶々丸から情報が漏れてもあまり彼女を責めないであげてほしいネ」
「んなことはわかってるよ。もう割り切ったって言ったろ。なにがいいたいんだよ」

 突然の言葉に千雨が超にいぶかしげな視線を送った。
 魔術のことはこの際どうでもいいし、先生とのいろいろなことに関しても……まあ正直すでに結構な人数にばれている。
 脅そうという雰囲気ではないようだし、茶々丸に文句を言う気に関しては端から欠片もない。
 話半分に聞き流すのが正解だと思考して、千雨は超の言葉を背中に浴びながら歩みを戻す。

「ウム、それなんだがネ。茶々丸は常にある程度の警戒と索敵は怠らない、かなり優秀なガイノイドであるからして――――」

 超の横にいる葉加瀬がなぜかあせったような、恥ずかしげな、気まずいようなそんな表情をのぞかせていた。
 同じ天才でも葉加瀬聡美の表情は読みやすく、超の笑みはルビーと同類に読みにくい。
 にっこり笑う超の笑み。それはいつもどおりに胡散臭い。
 残念ながら、背を向ける千雨はその表情が見れなかった。

 後ろから聞こえる声に耳を傾けながら、千雨は階段下に自分を探すクラスメイトの気配を捉えた。
 まだ自分を探しているのだろう。
 屋上の人払いにより気づかれてはいないようなので、このまますこしやり過ごそうかと、千雨は次の一歩を引き戻し、

「たとえば数百メートル先の茶屋で行われる話し声だろうと、彼女には範囲内の音は基本的に聞こえているヨ。エヴァンジェリンにからかわれないよう、麻帆良に戻るまえに茶々丸に口止めしておくことをお勧めするネ」

 その言葉に、千雨は戻した足を踏み外し、階段から転がり落ちた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 のどかさん失恋編。千雨さんはごちゃごちゃしたことははっきりさせておきたいタイプ。ついでに興奮すると周りが見えなくなるタイプでもあるので、のどかさん以外だったら泥沼化して引っぱたかれていたことでしょう。
 あとのどかの精神力はかなり高純度でハイスペックです。覚りの能力は本来未来視と並んで術者の心が病む能力の筆頭ですしね。
 そして後半は超たちのお話。ちなみに茶々丸の思考ルーチンは科学研の自作らしいのですが、アイロボットの陽電子頭脳というよりはターミネーターやロボコップの思考チップのイメージ。たぶん橙子さんの最終奥義を素で再現可能。




[14323] 第24話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2010/12/05 00:30
 修学旅行3日目の朝。
 今日は私服行動が許可される完全自由行動日とあって、朝から生徒の皆は張り切っていた。

「ホラホラーッ、ぼさっとしてないで準備しなさいよっ!」
「あれーネギくんがいないよ?」
「千雨さんもいませんわね。まあ予想通りですけど」
「うわー、いいんちょ怖いなー。でも茶々丸さんたちも含めて全員いないよ。一緒に行動してるんじゃないの?」
「完全自由行動日だよー、わざわざ一緒にいるかなー?」
「でもなんかネギくんも用事があるとか言ってたじゃん」
「あー、木乃香の実家によるとかいうやつかあ」
「わたしらも行ってみたいよねー」

 ホテルの中。すでに自由行動は始まっているとあって、思い思いの行動予定を述べながら、ホテル内で騒ぐ麻帆良学園中等部女学生。
 その喧騒の隙間を縫って、ネギがホテルの裏口から抜け出していた。
 もちろん、自由行動日であるこのチャンスを逃さずに、親書を届けてしまうためである。


 第24話

 もっていれば敵を引き込み、引き込まれた敵が木乃香を狙うとあっては、さっさと届けてしまいたいアイテムだ。
 使用すれば争いをなくすものでも、使用前は争いを呼び込むというものは少なくない
 さっさと抜け出して、ホウキの一つでも使いたいところだが、木乃香の件もあり、徒歩で向かおうかと考えているネギは、丹市八木町から亀岡市にかけて流れる大堰川、その川にかかる大堰橋の端に向かっている。
 道案内と護衛をかねて、刹那と木乃香に同行をお願いしているのである。
 木乃香に関しては、また狙われる可能性もある。ほうっては置けないのだ。

「どうしたんスか、兄貴?」
「このかさんたちと待ち合わせしてるんだけど、どこにいるのかな」

 上手くホテルから抜け出し待ち合わせ場所にたどり着いたネギとカモミールがそんな言葉を交わしていた。
 完全自由行動日。生徒の自主性に任せているため、今日は大阪だろうと、京都内だろうと移動が許可されている。
 さっさと移動しないとほかの人物にあってしまうかもしれない。一応これは秘密の任務なのだ。
 もっとも、一昨日の段階で、木乃香の父親の元へ向かうことはクラスメイトにはばれているし、木乃香に魔法ばれしたことに関しては学園長から許しを貰っている。

「そういや昨日はどこ行ってたんすか?」
「ボクは見回りで外を回っていたけど、どうかしたの?」
「カー、せっかく俺っちが気を効かせて離れてたってのに、ちうの姐さんを誘わなかったんすか!?」
「う、うん……千雨さんに迷惑をかけるわけには……」
「なに言ってるんすかっ! 姐御はどう見ても奥手っぽいんすから、兄貴から誘わないといつまでたっても進展なんザしませんよ! 兄貴は男なんすから!」
「そ、そうなのかな?」
「当然ッス! 姐御が他のやつになびいちまってから悔やんでもおそいんすよっ!」
「ええっ!?」

 カモの言葉に心のそこから驚いたネギが叫び声を上げた。
 正直ネギは自分が千雨から離れて浮気するなんて光景は想像すらしたことがない。自然と同様のイメージを千雨にも持っていた。
 カモの言葉は想像の外すぎる内容だ。

「で、でもそんな人なんて」
「いくら野暮ったく見えたって、あの姐さんの本性はネトアの日本一なんすよ。ファンメールを日にどれだけ貰ってるかしらないんすか!」
「野暮ったくなんてないと思うけど……それに、それ本当? 知らなかった……というかなんでカモくんは知ってるの? それに、そういう人に千雨さんが……」
「おとといの夜のこと忘れたんすか! さよの姉さんもいるじゃないっすかっ! あの方はおれっちの見立てでは姐御にベタボレッスよ」
「で、でもさよさんは女性だけど」
「刹那の姉さんたちも同じようなもんじゃないっスかっ!」
「そ、そんな……」
 酷すぎる説得だったが、なぜかネギは頷いた。
 カモミールの言葉に突っ込む人間がいないのも問題だ。刹那がいればカモを締め上げてくれただろう。

 畳み掛けるカモの姿を不審に思うこともなくネギがうなる。
 いくら思考や知恵が大人顔負けといっても、そこにあるのは子供らしい独占欲だ。
 ネギは自分の信念と心情に関しては、わがままで直情的である。なんとか周りの助けもあって改善されているともいえるが、人間の本質とは中々に尾を引くものだ。
 のどか相手に、千雨が手を貸したいと願ったそのあり方。
 それにネギやカモは気づいていないし、千雨もそうそう世話を焼く気はない。まだまだ二人とも子供なのだ。
 ネギとカモミールの会話もたいした深刻さも含まないまま続いていた。

「駄目ッスよ、もっと押さないと。せっかく昨日は俺っちが……」
「どうしたの、カモくん?」
 ぶつぶつとつぶやき始めるカモにネギが不思議そうな顔を向けた。
 ちなみにカモとネギは昨日の夜に、屋上へ向かう階段から転げ落ちた千雨がクラスメイトにつかまって、そのまま一騒動が起きたことなどはもちろん知らない。

 大橋の袂で木乃香たちを待ちながら話し合う一人と一匹。
 二人そろって首をかしげていると、ネギの後ろから声がかかった。

「ネギ先生」
「えっ? あっ、はい」
 声にネギが振り向くと、そこには5版と6班の面々がそろっていた。
 木乃香と刹那、そして千雨、ぎりぎりでアスナの姿くらいしか予想してなかったネギがその大人数に流石に驚く。

 そもそも個別自由行動日になぜ班行動しているのだろうか、この人たちは。
 3-Aの皆が仲良しだということは知っていたが、それは班行動を示唆するものではないはずだ。

「えっと……あ、あの! 皆さん可愛いお洋服ですね」
 内心では驚きながらも、ネギが担任教師としての威厳を保ち、笑顔のまま対応した。
 そのままちょいちょいと明日菜たちを手招きする。

「なんで、皆さん一緒なんですかっ!? いくらなんでも多すぎますよっ!」
「ごめんごめん、パルに見つかっちゃたのよ」
「ウチの班員は全員関係者だからな。さよも近衛たちのところに行きたいっていうし。それにいきなり街中で襲ってくるほどバカじゃないだろ。早乙女たちとは途中でわかれりゃいい、大義名分もあるわけだし」
 すまなそうに明日菜が手を立て、千雨がまったく反省してない顔で事情を述べた。

 明日菜は騒動を予感してかスカートの内にズボンを合わせているが、刹那は制服のままだった。千雨がハイソックスとミニスカートの刹那の姿に首をかしげている。一昨日の風呂場の件といい、こいつは慎みがなさすぎる。
 流石に刹那以外の生徒は、お洒落に気を使う女子中学生だけあって、荷物が増えようが私服は用意していた。
 編み上げブーツを持参する夕映ほどではないが、千雨も今日は制服姿からジーンズを主体に動きやすい服装に着替えていた。

「えー……、あの、5班の皆さんは自由行動の予定はないんですか?」
 少しばかり困った顔でネギが5班の面々に問いかける。
 6版はまだしも、5班ののどかたちは完全に部外者である。
 千雨はむしろそれが襲ってこない原因になると考えているようだし、その根拠もあるようだが、心情的には不安は分からないでもない。

「わたしたちは特に予定はないですので」
「ネギくん、一緒に見てまわろーよ」
 ジュースを飲みながら夕映が、ニヤニヤと笑いながらハルナが答えた。
 どうしようと考えながら、ネギが助けを求めるような視線を発する。
 その視線をたどられてまたからかわれたりもするのだが、その視線の先にたたずむ千雨にも特にこれといった意見はないようだった。

「あの……ごめんなさい、千雨さん」
「宮崎か。べつにお前の所為じゃないけど、先生のは本当にデートとかそういうのじゃなくて、仕事なんだ。近衛や神楽坂に付き合ってもらっているのも、あいつらが許可されたからでな。終わったら早乙女に付き合ってもいいが、一段楽するまではマジで遠慮してもらっていいか?」
「はい、そういうことでしたら」
「ん、助かるよ」
「いえ。……ふふ、でもお邪魔する気はありませんから。安心してください」
「宮崎よ……わたしが悪かった。もう勘弁してくれ」

 頭に手を当てて千雨が言う。
 ふふふ、とのどかは嬉しそうに笑った。
 仲のよさそうな二人にニヤニヤと笑いながらハルナが寄ってくる。
 事情は聞いていないようだが、この女の勘のよさ相手に、千雨が楽観視することはない。
 ジト目を向ける千雨にハルナが笑った。

「やー千雨ちゃん。なにこっそりはなしてんのー?」
「先生の手紙の件だよ。早乙女。お前はわかってんだろ。これはマジで仕事なんだから邪魔するなよ」
「わかってるって。でも千雨ちゃんも拘るね。旦那の心配するのは分かるけど、束縛はしちゃ駄目だよ」
「触覚を引っこ抜かれたくなかったら黙ってろ」
 同じ内容なのに、のどかに対するよりも温度が低い。

「ま、でも途中まではいいでしょ。わたしらもともと自由行動日の予定は立ててなかったし」
 不機嫌な千雨の姿に苦笑しながらハルナが言う。
 木乃香たちが用事があるというのは聞いていた話なのだ。
 学園長からの手紙となれば、それは流石に嘘ではあるまい。邪魔して迷惑をかけるのもなんである。
 だが千雨はジト目を向けたままだ。ハルナの誤魔化し台詞はどうにも信用できない。
 のどか以外には強気を崩さない千雨だった。
 ヘタレの癖にプライドが高い女である。

「オッ、あっちにゲーセンあるじゃん。記念に京都のプリクラとろうよ」
「プリクラー?」
 キャイキャイと騒ぎながら皆で歩いている。
 そんななか、千雨の横を歩いていたハルナが大き目のゲームセンターを声を上げた。
 明日菜が不満そうな声を上げたが、意外にゲーム好きの夕映たちはまんざらでもなさそうに視線を向けている。

 屋外でやるゲームにはあまり興味がない千雨も、楽しげにしている茶々丸やザジの姿を見て口をつぐんだ。
 そんな彼女たちの後ろを歩きながら、ネギと千雨が並んで歩いている。
 ネギはどうしたものかと思案顔だが、ここで和を乱すようなマネはしないだろう。切り替えがはっきりしている。
 逆に刹那などは片時も木乃香から目を離さずに歩いていた。

「大丈夫なんでしょうか」
「まあ、今日は桜咲に絡繰もいるしな。それに切羽詰らないかぎり人気があるうちは襲ってこないだろ」
 ネギと千雨がこっそりと会話を交わす。
 彼女と茶々丸がいれば、当面の安全は確保できていると見てよいはずだ。
 流石にこのまま本山まで向かおうとすれば、どこかで仕掛けられそうであるので、その前にはなれる必要があるだろう。
 そんなことを話しながら千雨とネギもゲームセンターに入る。
 陰鬱な気持ちを引きずっていても仕方が無い。切り替えるべきだとして、千雨は物珍しそうにゲームセンターの中を見渡すネギの背中を押した。

「もーなんで、京都に来てまでゲーセンで遊ぶのよー」
「何のゲームをやってるんですか?」
「あ、ごめんね先生。上手くいくと関西限定のレアカードをゲットできるかもしれないんだよー」
 ハルナたちはゲーム筐体の前に座っていた。
 周りには夕映にのどか、そしてアスナの姿がある。
 千雨に背中を押されて、トトトと駆け寄ってきたネギに笑いながら説明するハルナは、すでにゲームを始めている。

「魔法使いのゲームですよ」
「ほら、わたしたちが新幹線でやってたカードゲームのゲーセン版なの」
「魔法使いですかあ……やってみようかなあ、ボク……」
「よっしゃあ、まってましたっ!」
「スタートセットをお貸しするですよ、先生」

 魔法使いと聞いて、興味深そうにするネギにハルナたちが盛り上がった。
 のどかがネギにカードを手渡す。引継ぎ方のゲーム筐体であるため、コインを入れてはいスタートというわけでもないのだ。
 それなりに本格的なゲーム仕様にネギが楽しそうな顔をしていた。
 そんな子供っぽい姿にため息を吐きながら、明日菜がゲームセンターの中を見渡した。
 他のメンバーもどうやらここで遊ぶことに決めたようだ。

「もーしょーがないわねー」
 遊びを始める姿を見て、明日菜が呆れたため息を吐く。
 自分はこういう切り替えが苦手なのだが、しょうがない。
 一つ頭をかいて、明日菜も少しばかり遊んでおくことにしてあたりを見渡す。
 まあ他の“本業”の皆を見る限り、そこまであせらなくてもいいのだろう。
 千雨や刹那だって、これだけのメンバーがそろっている中で、いきなり襲われることはないといっていたし、他のメンバーも今は楽しむことにしたようだ。


「ザジさん、あの人形とれますかっ!」
「……」
「おお、まさかそこまで自信満々な返事が聞けるとは! 意外に真剣な感じですね。得意なんですか?」
「……」
「キャー、すごいです! まさかの2個同時! 流石です。くれるんですか、ありがとうございます、ザジさんっ!」
「……」
「じゃあ次はわたしが何かいいものゲットしてザジさんにプレゼントしますね」
「ありがとう」
「おまかせです!」


「せっちゃんはゲームせえへんの?」
「わたしはこのようなゲームは経験が……」
「もったいないなあ、じゃあウチがせっちゃんにあいそうなゲームを……。んー、オーソドックスに格闘で剣士役は失敗フラグやね。レーシングゲームで対戦がええかなあ」
「わ、わたしはお嬢さまとご一緒できるならなんでも……」
「あかんで、もっと自分で主張せな……んっ? おーすごいなあ、茶々丸さん。三次元シューティングやね。いまんところノーミスみたいやわあ」
「ああ、木乃香さん。じつは、止めるタイミングがつかめなくて」
「な、なぜ茶々丸さんはこれをお一人で?」
「いえ、なんとなくです。この戦闘機のフォルムに引かれて、ふらふらと」
「そ、そうなのですか……」
「へー、どうなん、おもしろいん?」
「画像処理は中々ですが、敵機体の行動AIと弾丸の軌道計算に若干の粗があります。難易度的には、このままノーミスでクリアできるかと」
「ほ、ほんとにすごいですね。もうすでに前ハイスコアに三倍の差がついてますけど」
「このようなゲームは究極的にはパターンの推定・確立と軌道計算の速度で決まりますから」
「へー、よー分からんけど、計算しとるってこと? それやと超さんとかハカセちゃんとかもうまそうやね」
「いえ、これはどちらかといえば千雨さんでしょう」
「ん、そうなん?」
「彼女の演算能力はこの様な計算式に特化しておりますので」
「へー」


   ◆


 さて、楽しそうに遊んでいるクラスメイトを尻目に、明日菜と千雨がゲームセンターの中をうろついている。
 他のやつらも楽しそうではあるが、わざわざ京都にきてまでの楽しみ方ではないと思う。千雨はなぜか後ろをついてくる明日菜と一緒にぶらぶらと歩き回りながらそう考えた。
 さて、どうするか。自分はこのような人気のある場所でゲームを楽しめるたちではない。
 神楽坂もいきなり一人でゲームをするほどアホではあるまい。
 というより明日菜は、別の思考が頭を占めているようだ。
 やはり昨日のことが尾を引いているのだろう。

「千雨ちゃんはゲームやらないの?」
「やってもいいけど、わたしは外ではあんまりゲームはしないんだよな。ほんとにプリクラでも撮っとくか?」
「あー、わたしプリクラとかって苦手なんだよね」
「ああ、そうなのか。わたしもああいう写真はわざわざとったことがないなあ」
「ああいう写真?」
「ああいや、なんでもない。んで、どうする。やっぱやめるか?」
「えっ、うーん……どうしよっかな……」
「……いやじゃないなら一枚撮らないか? いっしょにさ」

 悩む明日菜に千雨が言った。
 意外そうに驚く明日菜に千雨が微笑む。この娘は気を張りすぎだ。
 そこでようやく千雨が気を使ったということに気がついた明日菜が照れながら頷いた。

 パズルゲーに、オチゲー、格闘にギャンブル、生育ゲームにシューティングといろいろあるが、たいていのゲームセンターで景品ゲームが入り口付近に並び、両替機は当然ながら店の奥。そしてプリクラは表の入り口と相場が決まっている。
 二人そろってゲームセンターの入り口まで足を運んだ。

「フーレムはこれでいいか? んー、ちょっとライトがまずいな。ラフ版とはいかないから角度を……ん、こんなもんだろ。神楽坂、お前ちょっとこっち来い。そこだとちょっと映りが悪いぞ」
「ういういー。って千雨ちゃん結構凝るわね」
「当然だ。写真はあとあとまで残るもんなんだぞ。妥協なんてもってのほかだ」
「へー、意外」
「うるさいぞ。おい、髪をもっと整えろよ。はねてるじゃねーか」

 写真嫌いの性か、意外に頓着しない明日菜に、筐体の上部についているライトをいじっていた千雨が頬を膨らませながら口を挟む。
 手はバックから櫛を取り出して明日菜に放り投げた。
 もちろん千雨が写真にはうるさいネットアイドルなどとは知らない明日菜は、意外な一面に面食らうだけだ。
 明日菜と千雨のツーショット。自分たちのことながら珍しいペアに顔を見合わせて少し笑う。
 その後、ゲームセンターの中に戻らず、プリクラの置いてある入り口で少し話す。
 プリクラの横においてあった自動販売機からスポーツドリンクを取り出しながら、明日菜が千雨に向かって口を開いた。

「全然こないわね。誘拐犯。やっぱり一回失敗したからなのかな?」
「だろうなあ。それに今は絡繰たちもいるし」
「そっかー。じゃあこのまま何にも無く終わるかもしれないわね」
「まーな。いけそうなら全員まとめて近衛の実家とやらに行ければ一番楽なんだけど……」
「けど?」
「もし巻き込まれるとまずいじゃん。人数的にも守りにくいし。たどり着けさえすれば安全そうだけどな。向こうもうちの生徒を利用しようとはしてないみたいなのが救いだけど、ちょっと怖い。ホント、昨日結局来なかったのは助かったよなあ」
 まあその遅延が相手方の準備期間だと考えると楽観視もしてられないのだが、それはそれだ。

「ふーん。刹那さんも準備を整えてるかもって言ってたわよね。わたしはなんかまだちょっと心配」
「結構心配性だな、神楽坂。お前がそんなんだと近衛が気にしちまうぞ。もっと肩の力抜いたほうがいい」
「しっかりしてるわねー。わたしはどうも苦手だわ。ちゃんと終わるまで息抜きできそうにないもん。……そういえば昨日の夜のアレはなんだったの? 朝倉と騒いでたみたいだけど」
「あー、あれはだな、非常に言いにくいんだがテンパっているところに奇襲を食らったというか、決してわたしが朝倉に負けたというわけじゃなく――――」

 ジュースを片手に雑談をする二人。
 そんななか、千雨の脳内にいきなり声が響いた。

 ――――後ろ

 そんな警告がただ一言。
 反射的に飲みかけの缶ジュースを放り投げ、振り向いた。

「どったの、千雨ちゃん?」
 突然の気配に振り向き、真剣な目をする千雨の姿に明日菜が戸惑った声を上げた。
 千雨に返事をする気配はない。
 手をポケットに突っ込んで、宝石を探り当て、戦闘用の思考型に切り替える。
 過剰反応過ぎる気もしたが、今の警告は本物だった。内に組み込まれる自動式の警告システム。勘をシステム化する防御機構。
 勘違いの笑い話ですむなら、歓迎したいほどだ。
 だが、それはないだろう。
 明日菜に返事をする余裕もないまま後ろを振り向いた千雨の視線の先、そこに一人の少年が立っている。

「……やあ、こんにちは」

 詰襟姿の銀髪をなびかせる少年。
 修学旅行生だろうか?
 いや、違う。
 魔力でサーチするがリターンがおかしい。
 マトモな反応ではない。目の前の少年からは普通の人間ではない反応があった。
 千雨はどうにか舌打ちをこらえる。やはり今日も休ませてくれるというわけにはいかないらしい。

 無言でこちらを見るその無表情な少年に気圧されそうになる心を叱咤して、ゆっくりと明日菜をかばうような位置に立つ。
 その千雨の行動で状況を察したのか、明日菜もいつでも行動に移れるように踵を上げた。

「……一昨日の夜に月詠さんに炎を放ったというのはあなたなのかな?」

 見詰め合うこと数秒で、突然少年が口を開く。
 あまりに直球な言葉に明日菜が声を上げようとして、それを千雨が後ろ手で制した。
 気を抜きすぎたらしいが、それだけが原因というわけでもない。
 こいつはいったいどれほどの使い手なのか。
 一応ネギとさよに念話を送ろうとするが、その前にその少年が手をあげた。

「争う気はないよ。ただの質問だ。一昨日の夜、炎を生み出す術を組んだのはあなたであっているかな?」
「わたしに用があるのか。復讐ってわけでもなさそうだけど、近衛が狙いのやからとは別口か?」
「ボクはフェイト・アーウェルンクス。一応別口というわけでもないのだけれど、いまは別件だよ」
 当たり前のようにフェイトと名乗った少年が頷いた。

「……引く気はなさそうだな」
「うん。それに今は本当に争うつもりはない、あなたもあまり攻撃的にならないでほしいな」
「……だったら、もう少し手段を選べよ」
「話をしたいのはあなただけだったからね。邪魔を入れたくなかったんだ」
 少年が淡々といった。
 索敵にだけは気を抜かず、千雨も言葉を返していく。

「だったらこいつを巻き込んでんじゃねえよ」
「ん? 無理やり引き剥がしても良かったんだけど、仲間なんだろう? 彼女も一昨日はいたと聞いているけど」
「チッ、あー、そういやそうだな。おい、神楽坂、気を抜くなよ。なんかお前もどっぷり巻き込まれてるっぽいぜ」

 背後に立つ明日菜に指を向ける千雨にフェイトが不思議そうな顔を返した。
 明日菜を分断しなかったのは、この場を整えたことを千雨に対する攻撃性だと誤解されないためらしい。
 既に彼女は戦闘要員として数えられているようだ。
 文句を飲み込んで、明日菜には巻き込まれてもらうことにした。

「平気よ。わたしもこっから無関係ってわけにもいかないでしょ」
 背後から聞こえる明日菜の言葉。
 その胆力に千雨が内心で微笑む。

「……で、結局お前は何のようなんだ? 謝罪ならわたしじゃなくて近衛たちのボスに言えよ」
「そういうわけでもないんだけどな。今回は本当に千草さんの目的とは関係ないんだ。ボクがあなたたちと完全に敵対する前に、長谷川千雨、あなたと個人的に話しておきたかったんだよ」
 そういって千雨に目を向けた。
 千雨が首をかしげる。
 心当たりがなかったためだ。

「話?」
「千雨ちゃんと?」
 ああ、と少年が頷いた。
 当たり前のように頷いた。
 そして、

「あなたの“魔法ではない術”についての情報が得たくてね」

 少年はそんな言葉を口にした。


   ◆


「あー負けたー」

 ゲームセンターの中。
 白熱した戦いを繰り広げていたネギたちから残念そうな声が響き渡った。
 画面内では、ネギの操る魔法使いキャラが対戦相手の操る格闘キャラに負けている。

「いやー、初めてにしてはよくやったよネギ先生ー」
「そやなあ、中々やるが、まっ、魔法使いとしてはまだまだやな。ネギ・スプリングフィールドくん」
 ニット帽をかぶった黒髪の少年がハハハ、と笑いながら言った。
 黒髪をニット帽に押し込んだその少年。活発そうな瞳が面白そうにネギの顔を覗き込んでいた。

「えっ、どうしてボクの名前を?」
「だって、ゲーム始めるとき名前入れてたやん」
 ネギが自分の名を呼ばれたことに驚きの声を上げる。
 笑いながら少年が答え、そのまま手を上げて背を向けた。

「あー、キミ勝ち逃げはずるいよー」
「はは、悪いな。ほなな」
 ハルナたちが不満そうな声を上げたが、そのままニット帽の少年が走り去る。
 名乗ることもないその後姿。
 そのまま少年は立ち去った。

 ネギはその後、木乃香と一緒に3D格闘ゲームを行う刹那と茶々丸、そしてさよと一緒にクレーンゲームに力を注いでいたザジたちに目を向ける。
 そうしてようやく、

「えーっと、千雨さんと明日菜さんはどこにいるんでしょうか?」

 そんな言葉を口にした。


   ◆


 さて、ネギたちがようやく千雨の不在に気づいたのと同時。走り去った少年、犬上小太郎が仲間たちに合流していた。
 メガネをかけた二人の女性。一人は着物姿の呪符使い、もう一人はゴスロリ姿の長物使い。当然のことながら、天ヶ崎千草と月詠の二人だった。
 二人に駆け寄る小太郎が、手を上げながら先ほどのことを報告する。

「おー千草姉ちゃん。やっぱりスプリングフィールドやったで」
「やはり、あのサウザンドマスターの息子やったか。それやったら相手にとって不足はないなぁ」
 千草が不敵な笑みを浮かべる。
 先日戦ったネギと呼ばれた子供たちのことだ。
 異様に高い戦闘能力と、正体のわからない技を使う仲間に、こちらの鬼札である月詠と同レベルの神鳴流。
 仮にも西の一人娘。適当な護衛ではないとは思っていたが、予想外に大きな獲物だったようだ。
 納得して頷く千草に向かって、小太郎が首をかしげる。
 敵の確かめにとここに出向いた自分たちに同行していた、ついさっきはいたはずの仲間の一人。

「んっ、アイツはどこいったんや?」
「ああ、新入りか?」

 どこで襲うかと考えていた千草がどうにも得体の知れない協力者を思い出しながら小太郎の問いに答える。
 アッシュブロンドの西洋魔法使い。一時的にやとっている仲間の一人。
 どうにも読みきれない人間性を持つその男。
 そんな少年の姿を思いだしながら、天ヶ崎千草は小太郎の問いに対して口を開く。

「アイツなら、なんでも用が出来たみたいやな」


   ◆


 フェイトの言葉を聞いた瞬間に、千雨が目の前の少年に繋がる視線をたどって暗示を飛ばす。
 暗示とは魔術のなかでも力でなくシステム的な技術を利用する。
 相手に魔術の知識がない以上、場さえ整えば絶対に成功するのだ。
 意志力で弾かれることはあっても、魔法の眠りとは異なるそれはあの月詠たちですら動きを止めさせることが可能なはずだった。
 それが素通りした。この男は実体ではない。

 無音の一戦。
 何が起こったのかわかっていない明日菜が首をかしげているが、千雨は軽く舌打ちをした。
 この世界の幻術体と魔術は相性が悪い。幻術体を極めれば分身であり、分身を極めればそれは己のストックにほかならない。
 そのくせ、体は魔力から成り立つものとなり、人の構造を利用する技術が効かなくなる。
 人の精神システムを利用する魔術が根こそぎ効かないのだ。

 以前ルビーが図書館島で戦ったという謎の司書とやらの話を思い出す。
 あのときルビーはどう対処したといっていたか。

「へえ、すごいな」

 千雨から“魔力”感じ取ったのか、フェイトが少し表情を変えた。
 さらにいまの千雨の一撃からある程度の情報まで読み取られたらしい。
 千雨の初手は完全に失敗だ。
 反射的にドジを踏んでしまった。

「お前、分体かなにかか……」
「やはりわかるようだね」
「話し合いにきたとか言っといてそれはどうなんだ?」
「ボクにも少し事情があってね。でも嘘はついていない。その力はどういうシステムなのかな? 誰だろうと使えるのかい? それを教えてほしいんだけど」
「弟子入りしたいなら頭を下げな」
「弟子になる気はないよ。情報だけでいい。魔法ではないようだけど……」
 どこが話し合いに来た態度なのかと千雨が黙った。
 まったく気を抜かないまま無言でたたずむ。

「ち、千雨ちゃん?」
「神楽坂、まだ動くな。かばえなくなる」
「でも戦わないとか言ってるけど……」
「わたしはそういうのは信じない。カードは出しといてくれ。わたし一人じゃちょっと厳しい。お前なら当たればたぶん勝てるから、わたしの合図で、わたしがディフェンス、お前がオフェンスだ」
「ん、うん、オッケー。分かったわ」
 千雨の背後から動こうとした明日菜を制する。
 背後で状況を理解した明日菜がカードを取り出す。

「信じてもらえないかな。さっきから言っているだろう。今は争う気はないよ」
 目の前で堂々と自分の対策を立てる二人を、フェイトが手を上げて制する。
 おそらくそれは本当だろう。
 いまこの場に罠はない。結界すら張られていないのが、戦う気がないという相手の言葉を肯定している。
 さらに数拍黙ってから千雨が口を開いた。
 やはりそうそう信じることは出来ないが、突っぱね続けても意味がない。

「……わたしのは魔術と呼ばれている。お前は魔法使いっぽいけど、気だの契約術だのほかにもいろいろあるじゃねーか。いまさらわたしみたいのに、なにを聞きたいんだよ」
 詰襟姿の少年が首をかしげる。千雨の言葉が予想外だったようだ。
 そう、自分がどれほど特殊なのかを、どれほど異端なのかを、どれほど“外れているか”を知らない千雨に驚くように首を傾げるその少年。
 目を丸くして驚いた表情のまま少年が口を開く。

「わかってないね。内腑のエネルギーを昇華させる気や魔素の運用である魔法と違い、あなたの技術は存在と現象に作用している。あなたが魔力と呼ぶ力を持って、確率や現象を操っている。それはあなたの行為が“現実”に属しているということだ」
「どういう意味だ? 分かりやすく言え」
 千雨が首をかしげた。魔術を運用している自分ですら意味がわからなかったからだ。
 だが、続いて述べられる男の言葉に流石に千雨の動きが止まる。

「ルビーと名のる女性のことを知っているかな?」

 未熟だ。動揺を隠せなかった。
 後ろに立つ明日菜も同様に目を丸くしている。
 彼女はその名が千雨の師を表すことをしっていた。。
 そんな二人の姿を確認してフェイトが言葉を続ける。

「知っているようだね。やっぱりあれはあなたと同じ技術なのか」
「あー、まあな。知ってる」

 いまさらシラは切れないだろう。すでに動揺を握られている。
 あのバカ、なんでこんなへんなやつに名を知られているのだと、千雨が心の中で愚痴った。
 そう、ルビーはかつて千雨に令呪を灯すため、魔法世界に行っていた。そこで路銀を稼ぐため、その腕っ節を利用した。
 その技術はそうそう気づかれるものではなかったが、それでも気づくものはいた。
 そして往々にして、そのようなことに気づくものは、気づけるだけの力を持っている。

「長谷川千雨。君や彼女の力は僕らの知る理から外れている。それは全てを狂わせる可能性を持つほどのものだ」
「……はっ、なれなれしいんだよ、クソガキ。教えを請うつもりならその態度をあらためな」
 虚勢を張った。
 相手を怯ませるものではなく、自分を鼓舞するためのものだ。

「ボクは見た目どおりの年齢というわけでもないけど」
「へえ……でも百年二百年生きてるって感じじゃねえだろ。お前が吸血鬼だの英霊だのの同類かなんかとは思えねえな。テメエを老獪奸智と評するには交渉がなってなすぎだ。もっと対人経験をつんどけよ」
 だが存在規模は桁違いに千雨より高い。千雨は先ほどからエヴァンジェリンに匹敵するプレッシャーを感じていた。
 千雨の罵声にはほとんど意味がない。
 まったく動じていないフェイトが言葉を続ける。

「あなたたちの技術はとても特殊だ。月詠さんの怪我は純粋な火傷だったし、千草さんに巣くった病毒は魔素を伴っていなかった」
「それがなんなんだよ」
「この旧世界が現実世界と称されるその理由、それは幻想ではないということ、それだけで完結しているということ、世界にあり方に反していないということだ」
「……」
「それは他の歪みを否定する。だけどあなたのそれは拒絶されなかった。おそらく僕らの“キー”にすら属さない力だろう」
 一人で納得して頷いているバカに千雨がイラついた視線を向ける。
 こいつはルビーの同類だ。
 人の話を聞いているようで聞いてない。

「本題をいえ、誘拐魔。それが何かお前に関係あるのか」
「あるかもしれない。ボクの目的にね。影響を与えるかもしれないから詳しく知っておきたかったんだ」
「お前の仲間になれってんなら断るぞ」
 ばっさりと千雨が言った。

「不和が決定している仲間を持つ気はないよ。一度決めたことをよほどでなくては覆す気はない。どれほど魅力的であろうとも、僕らの願いがこれまでを積み重ねてきたものである以上、目を眩ませて安易に道を変更させることは出来ない。ボクにはボクの考えがある。聞くのは情報としてだ」
「気が合うな。だったらわかってんだろ。わたしも同じだ。わたしの行動はわたしが決める。根底を担う信念に干渉なんてさせる気ない」

 すでに骨子の固まったものは、たとえどれほど重要そうに見えても別の要素を取り込むわけには行かないのは当然だ。
 ゆえにそんな展開を望むのならば、その後の話は決定しているといっていい。
 意地と意地のぶつかり合い。
 この世には話し合いでは決まらないことが確かにある。
 そんな千雨の言葉にフェイトが言葉を一瞬止める。
 そして恐ろしいほどの眼光が帰ってきた。揺らぐことのない氷石の瞳。


「ルビーと名乗る彼女が振るった力は“かの地”でさえ作用した」


「……なに言ってる?」
「一部は無効化されたものの、それでも彼女の術はそのほとんどが起動した。王都跡地をホウキに乗って飛んでいたという報告が、ボクらにどれほどの衝撃を与えたのかは筆舌にしがたいよ。千雨、あなたたちの力はあまりに異質だ。それは全てを根幹から揺るがすほどに。まさかこんなところで会えるとは思わなかったけど」
 その言葉に千雨は言葉を返さない。
 その真摯さは、近衛を誘拐したやつらとは別種のものだ。
 こいつの言った別件という言葉は嘘ではない。こいつは本当に誘拐とは別の用件でこちらの来たのだ。
 そしてそれは長谷川千雨に深く深く関わっている。

 失敗しても次があるなどという考えとは無縁の信念だけで構成されたその意識。
 己の中に絶対的な“唯一”を内包するものだけが持てるその瞳。
 複雑に見えて愛すべきほど単純で、歪んで見えてその実あまりに真っ直ぐで、小賢しく見えて驚くほどに無垢なその思考。
 同じ陣営なら仲良くなれたかもしれないが、異なる居場所に立つ今は、こいつとは絶対に馴れ合えまい。

「利用したいわけではない。だけど、あまりにも突然でね。それでもあなたの力を知らないままでは悪影響があるだろう。利用したいわけではない。知識を得ておきたいんだ」
 そうして、フェイトはふっ、と視線をそらした。

「邪魔が入るね。また来よう。話はまたそのときにでも」

 そういってフェイトがゆらりと消える。
 千雨は気を抜かず、フェイトの姿と同時に結界が消えたことを確認して、あたりを見渡した。
 同時にゲームセンターの中から、ネギをはじめとする面々が顔を出す。
 千雨とパスが繋がっているネギは、千雨に怪我がないことなどを確認している。
 そのため、特に危険があったとは考えていなかったのだが、ネギを迎えた千雨の顔がわずかに強張っていたことに心配そうな声を上げた。

「あの、千雨さん。どうしたんですか?」
「…………ああ、ネギか。ちょっとな。なんでもないよ」
「! は、はい。わかりました」

 ハルナたちもいる。説明はあとですると視線で訴えて、お茶を濁した。
 明日菜と千雨の真剣な表情にネギも頷く。

 千雨が息を吐いて力を抜く。
 一昨日の夜からほんの二日。
 ただの誘拐劇でもやっかいなのに、どうやら話はそれだけでおさまってくれそうもないらしい。
 やはり、今日はもう気を抜いていられないようだ。


   ◆


 千雨が別行動を提案し、明日菜がそれにうなずくと、もうほかの面々から反対意見は出なかった。
 千雨や明日菜に対する信用というよりは、前日までの行動も理由の一つだろう。

「じゃあ先生たちは、例の木乃香の実家かあ。さよちゃんたちは行かないんだよ。予定ないなら一緒に回らない?」
「あっ、はい。嬉しいです。ハルナさん」
 ぴょんと飛び上がってさよが喜んだ。

「よろしいのですか、さよさん?」
「はい。一応“こっち”にもいたほうがいいでしょうし、お邪魔になってしまいそうですから。茶々丸さんこそいいんですか?」
「はい。わたしはなるべくなら本山のほうへは立ち寄らないようにとマスターに仰せつかっておりますので」
 千雨からじきじきに頼まれればさよが文句を言うことはない。
 ハルナたちに付き添うことに特に文句があるような顔は見せなかった。
 もともと千雨と違ってさよは社交的だ。
 クラスメートの社交性に毎度助けられている千雨と違い、さよはどの班だろうが十分に自分から旅行を楽しめる3-Aらしい気質を持っている。

 その横で、茶々丸が同行しないという言葉に眉根を寄せた千雨が手招きをした。
 小声で尋ねる。

「絡繰、正直お前の腕っ節には結構期待してたんだが」
「マスターの指示なのです。もし二手に分かれた場合、わたしはさよさんに同行するようにと」
「あー、なるほど。それはそうか」

 さよに聞かれないようにこっそりと茶々丸がこたえた。
 千雨が頷く。
 先ほどのガキは気づいていなかったようだが、さよはルビーの技術を扱えるものの一人なのだ。
 エヴァンジェリンたちから見れば、木乃香以上に守るべき人間なのだろう。
 納得して頷く千雨に、いいづらそうに茶々丸が言葉を続けた。

「それに、近衛詠春さまに、わたしからマスターの情報が漏れるのは嫌だとかなんとか」
「……昔なじみらしいしな」
 まさかそっちがメインの理由ではないだろうな、あのイカサマ幼女。
 アイツのヘタレさはわたしの口から言いふらしておこう、と千雨が誓った。
 あの吸血鬼はもう少し真剣さを持つべきだ。
 さよのことを心配しているのは本当だろうが、尊敬する気が一気に失せてしまった。
 たまにものすごくガキっぽいやつだ。

 近衛木乃香は魔法にかかわったばかりだし、神楽坂明日菜だって別に荒事になれているわけじゃない。
 この場合、親書を届けに行くのは、ネギに木乃香の必須メンバーと、護衛として千雨、刹那、明日菜の三人。
 どう考えても戦力として乏しすぎる気がする。
 茶々丸には途中までは同行してもらいたかったが、さよのことを考えるとどうしても気が引ける。
 どのみちハルナ側にも護衛はいるだろうし、こちらだって襲われると確定しているわけじゃない。
 最後には千雨が頷いた。

 まったく無関係のクラスメイトは大丈夫だろうが、さよにはルビー繋がりで先ほどの男が接触する可能性もある。
 ゲームセンターでの会話からして、さよのことはばれていないようなので、同行させて関係性を強調するよりも秘匿すべきだと本山へは連れて行かないことにしたが、茶々丸がついてくれれば心強いことは確かだ。
 歩み去るさよたちの姿を見送って、さあいこうかと歩き出す。
 どうにも最近は回りに引っ張られて自分まで楽観的になっている。
 千雨はどうにも緊張感の抜けない面々の背中をため息交じりに追いかけた。


   ◆


 鳥居小道。
 本山とやらに向かう途中、朱色の鳥居が連なる小道を通っていた。

「へえ、いいところだな」
「そうね。なんか風情って言うの? 侘び寂って感じ?」

 皆を先導する刹那とその横に並ぶ木乃香が、地元の名所を喜んでいる千雨と明日菜の言葉に微笑んでいる。
 鳥の声に木漏れ日と心和む風景だが、刹那や千雨は微笑みながらも気配探知を怠っていない。
 歩き始めて数分も経たず、すっと刹那の手が木乃香の前に差し出された。
 足を止めた刹那にならって、そろって全員が歩みを止める。

「なんかあったのか?」

 一番後ろを歩いていた千雨が声をかけた。
 それに刹那があたりを見渡しながらこたえる。

「縦間封じの結界です。お嬢さま、わたしの後ろに」

 おどろいたように千雨も索敵。
 言われて見れば結界がある。
 随分とレベルの高い隠蔽だった。

「ホントだ、よく気づいたな。なんだこれ」
「分断策でしょう。符を使っているようですから、境界を踏み越えない限り、取り込まれることはありません。皆さんは動かないでください」
「えっ!? ほ、ほんとうですか!」
「はい。あそこの鳥居ですね。取り外してもよいですが、敵のようです」

 ネギが声を上げて、杖を構える。
 千雨や明日菜も瞳を真剣なものに変えた。
 木乃香はおろおろとあたりを見渡しているが、刹那の言葉に従い背後にかばわれる形をとる。
 そうして刹那が、連なる樹木の一本に向かって出て来いと声を張り上げた。

「あらーやっぱりばれてもうたか。二ヶ所に分けられれば楽やったんやけどなあ」
「まあええやん。タイマンもエエが、ごちゃごちゃ策練ってもおもろないしな」
「ウチは先輩と死合えれば、あとは構いませんな~」

 ぽんぽんと、木の陰から千草たちが現れた。
 呪符を構える千草の横に月詠が、そして先ほどの少年が、そしてその背後には式神と思われる大蜘蛛がいた。

「あっ、さっきの」
「よー、西洋魔術師」

 小太郎の姿にネギが声を上げる。
 それに小太郎が笑いながら手を上げた。

「悪いな。まあ、俺らも仕事やから、一勝負といこうや」
「……それで全部か? 一昨日逃げ帰っておいて増援はガキが一人増えただけかよ」
「ほう、いうやんか、お姉ちゃん」

 あざけるような口調の千雨に、小太郎が鋭い眼光を向けた。
 それに千雨が不敵に笑い返す。
 もう一人いたりしないのかという意味で聞いたのだが、そう簡単には口を滑らせてはくれないようだ。
 索敵に一つだけ思考を割いたまま、千雨が代表として口を開いた。

「ちなみに、お前らいちいち面と向かってから誘拐するのか」
「まあガキンチョ相手に後ろから襲い掛かって女を浚うってのは性に合わへんからな」
「ウチはそれでもええんやけどな、ま、西洋魔術師ら相手にはちょうどエエやろ」

 そんな言葉と共に、刀を、拳を、呪符を構える誘拐犯に千雨が笑った。
 対応する刹那や明日菜、守りの呪を紡ごうとしているネギには悪いが、まあここは相手のミスだとつけこませてもらうとしよう。

「いや、お前らさ――――」

 宝石も、呪文も必要ない。
 この世界の魔法と魔術は別の技術で、先ほどの少年には効かなかったが、それはこの瞬間でも無意味だということではない。
 魔術はシステム。暗示とは力でなく技である。
 関節を逆に曲げられないのと同様に、決まった手順で行われるそれは対応策を知らなければ防げない。
 臨機応変な技術が重要な肉弾戦と異なり、知られていないという有効性は精神戦では絶対なのだ。
 だから、千雨は微笑んで、


「――――さすがに、それは迂闊すぎると思うぞ」


 視線を合わせ、ただ一言【動くな】と。
 その瞬間、千雨の暗示がその三人の動きを縫いとめた。
 視線はすでに繋がっている。
 ガンドならまだしも、すでに届いている暗示が破られることはない。

 ただ一言それで相手の動きが止まる。
 決まりきったその結末。

 ほら、勝った。
 そうして千雨が走りよる。
 後は意識を奪って縛り上げればそれで終わりだ。
 手には混濁の呪詛をまとわせて、そのままその場にいる三人に肉薄する。

 それに対して、相手三人は動けない。
 ガキだと思っていたようだ。西洋魔術師を見下していたようだ。先輩剣士以外は大して気にもしていなかったようだった。
 そう。やはり侮っていたのだろう。

 だから足をすくわれる。
 慢心を穴として破られる。
 だから負ける。

 そう、
 いまこうして、魔術にとらわれた誘拐犯を見くびる長谷川千雨と同様に。


   ◆


「――――待ってほしいな」

 千雨が混濁泥を打ち込もうとしたその瞬間。
 そんな声が千雨に届く。
 戦いを争いまで発展させずに終了させようとした長谷川千雨を止めるそんな声。
 それに千雨が驚いて、それを理解するよりも早くそれが来る。

 地面から生えた石槍に千雨の体が吹き飛ばされた。
 地面より襲う一撃に千雨は反応できなかった。
 殺気など感じ取れない身の上だ。戦い始めれば先読みできるが不意打ちの力技にはめっぽう弱い。

 防御術などなにも張っていない。
 人がバットで殴られればそれだけで死ぬように、人を殺すのは力の強弱ではなくタイミングだ。
 ぎりぎりで衝撃は逃がしたが、気や魔法と違い魔術師の肉体は普通の人間と変わりない。
 千雨は舌に広がる血の味を自覚する。
 痛いし、きついが、死にはしない。だが意識を保つのも不可能だろう。急速に目の前が暗くなる。

 ルビーのうっかりが移ったようだ。
 つい先ほどまで、こいつのことも警戒していたはずなんだがな。
 勝てると考えて油断した。
 すぐそばから驚いたような声を聞き、遠くから自分の名を呼ぶ悲鳴を聞いて、

 それに返事をする間もなく、千雨はその意識を消失させた。



   ◆◆◆



 暗い世界。

 空を泥の天蓋に覆われた夜の世界。
 そこで■■が力を振るっている。
 自分はいったい誰なのか。ルビーの前身遠坂凛の視線であり、それ以外の人間の視線でそれをみる。

 彼女が手をふるって剣戟を放ち、それを受けて泥の巨人が消えていく。
 無限の供給と無尽蔵のタンク。
 視界がぶれる。
 意識がゆれる。
 そして現状を自覚する。

「こりゃ、夢か」

 千雨は自分が夢を見ていることを自覚した。
 意識が肉体を離れてどこかの空に浮いている。

「その通り」

 独り言に答えが返った。
 声に振り向けば、ルビーがいた。
 泥の巨人とそれを貫く白刃を背景に、千雨とルビーが向かい合う。

「アイツ、お前の知り合いらしいぜ」
「いやはや、まさか術からあたりをつけられるとはねえ。この世界って結構めちゃめちゃに何でもありだから油断してたわ」
「わたしにとばっちりが来るんじゃたまらないな」
「この世界は精霊術が畸形的に発達してるから根源基板を用いる魔術は知られていないのよ。ほんと、魔術師には盲点だったわ。魔法の無効化地帯ってのもねえ、そこが繋がっている場所なら魔術が発動しないはずがない。そもそも宝石魔術師になにをいわんやっての」
「わたしもくわしく聞かなかったしな」
 というより、魔法世界でのルビーの奮闘期など、聞きたくもなかったのだ。
 情報の重要度がわかってなかった。千雨はこいつが空を飛ぶときにホウキを使ったらしいということさえ知らなかった。
 敵を知り己を知ればというけれど、敵も己も知らないままでいたつけが出た。

「あのフェイトとか言うガキもやりすぎなんだよ。ったく、まさか死んでないよな?」
「それこそまさかよ。ものすごく手加減されてたしね。むしろあの子、千雨が血を吐いてめちゃめちゃ驚いてたわよ。だいじょぶだいじょぶ、起きなさい」
 千雨が首をかしげる。

「魔力や気は身体的な強化にかなりかかわるのよ。あれも千雨が真っ当に“魔法”を習っていれば、吹き飛ぶくらいですんだと思うわよ」
「嬉しくない」
「いやー、あなたほんとに波乱万丈ねえ。大丈夫だって。応急処置してくれたみたいだし。それより起きた後のことを考えるべきかもね」
 応急処置とはどういう意味かと問いかけようとして、その前にルビーが手を振った。
「ま、ネギくんたちも心配してるし」
 そろそろお前は帰りなさい、と。

 そんな言葉をかけられた。


   ◆


 ――――千雨!

 そんな叫びに目を開ける。
 腹部に疼痛。周りからはネギたちの声が聞こえてくる。

「はっはー。やるやんか。熱いやつは嫌いやないで!」
「くっ、このっ!」

 ネギ・スプリングフィールドと犬上小太郎の近距離戦。
 あせった顔でこちらに向かおうとするネギが、小太郎に思考を読まれていいようにあしらわれている。
 ネギの体には魔力による強化術がかけられているようだが、それでも獣化している小太郎には及ばない。
 腹に一撃を受けて動きが止まり、そこにさらにもう一撃が加わってネギが吹き飛ぶ。
 ザザザ、と音を立てて足を突き、ネギがそのままもう一度突き進む。
 一撃を浴びせるが、小太郎がそれに耐え、二撃目にはカウンターを決められる。
 再度ネギが吹き飛んだ。頭に血が上りすぎだ。

 その横では月詠の斬撃を受け止める刹那がいる。
 後ろに木乃香がいる現状に足を奪われて、こちらも防戦に回っていた。
 木乃香が動揺を隠せずに倒れた千雨に向かって声を上げている。

「千雨ちゃん!」
「くっ! お嬢さま、お下がりください!」
「で、でも千雨ちゃんが!」
「いや~、あのお姉さんはやっぱり一筋縄ではいかない方ですなあ。対策とってたつもりやったんですけど、まさか護身真言をすり抜けて意識を取られるとは思いませんでしたわあ」

 そしてその横で戦う三組目。
 神楽坂明日菜と千草が争っていた。

「どきなさいよ、サル女!」
「うっさいガキんちょ。あの小娘が心配ならさっさと負けをみとめんかい!」
「ふざけんじゃないわよ! このかを渡せるわけないでしょうが!」
「くっ、この! ちい、ウチとは相性悪すぎや! 新入り、お前も手伝わんかい!」

 無理やりに千雨に向かおうとする明日菜を、千草が式神と符だけを使って何とか止めていた。
 千草が愚痴るように相性が悪すぎる。
 炎の符は当たった瞬間に消し飛んで、式神は一太刀爪を振り、明日菜の足を一歩止めただけで消し飛ばされる。
 だがそれでも意識が倒れる千雨のほうに向いていた明日菜は千草を突破できてはいなかった。

 そんな中、ようやく起きた千雨に皆が声を上げる。
 かすれた声で皆を呼び、体を持ち上げようとしてへたり込む千雨を見て、安堵した顔を見せるが、それでも状況が変わったわけではない。

 千雨が体内時計をノックすれば、自分が意識を失ってからまだ三分とたってない。
 傷をスキャンすると、内臓に結構なダメージがあったようだ。口には血がしたった後がある。
 応急処置用の呪符が張られているが、これが傷を癒していたのだろう。
 自分を人質にしなかったことといい、どうやらまたもや敵に情けをかけられていたらしい。

 月詠が刹那と戦い、明日菜とネギが、小太郎と月詠と向き合って、近衛の姿がその戦いの向こう側に見えている。
 そしてそんな長谷川千雨のすぐ横に、、

「ああ、起きたんだ」

 自分を吹き飛ばした全ての元凶。
 フェイトと名のった男が立っていた。


   ◆


「悪かったね。かなり手加減したんだけど」

 なめてんのか、こいつは。
 無視して立ち上がるが、あまりの痛みに傷を抑えてうめき声を上げた。

「――――ッ!?」
「動かないほうがいいよ。骨にヒビが入っているから。千草さんに快癒と除痛の呪符を張ってもらったけど、効きが悪いのかな?」

 よろける千雨をフェイトが支える。
 意外に紳士だ。無意識に同じようなことをやっては女を落としていそうなやつである。
 意識をわき腹に向ければ、そこになにやら札が貼られている感触がある。
 胡散臭そうだったが、耐痛訓練などしていない身では意識がゆれてしまうような痛みは少々まずい。
 痛み止めとやらを突き抜けるほどの傷に真っ向から立ち向かうのはごめんこうむる。
 不満そうな顔をしながらも、札のことには触れずに千雨がフェイトに向かって口を開いた。

「やっぱテメエはあいつらの側かよ」
「ああ。いまはね」

 平然と頷かれる。だが、ここで千雨を害する気はないようだ。
 ゲーセンで聞いた話は本当なのだろう。
 自分に話を聞きたいとか言っていたか。
 だからこそ、こいつは介入していないのだろう。

 おそらく、こいつが本気になれば、戦いはこの場で終わる。
 余裕をかまされるが、それを仕方ないと思ってしまうほどの使い手だ。
 戦闘用に頭の演算式をまわすまでもなく、この場での最適解などただ一つ。
 ふう、と一つ息を吐いて、千雨は懐から宝石を一つ取り出した。

「おい、クソガキ。これをやる」

 ひょいと放り投げた宝石をフェイトが受け止めた。
 驚きの表情のまま、宝石に視線を向けている。

「こいつにわたしのいうところの“魔力”が詰まっている。こいつをやるから今はどっかいけ」
「……ボクは引いてもいいけど、千草さんたちは納得しないよ。一応同盟を組んでいる以上、彼女の邪魔は出来ないし、引くとしても一度までだ。たとえ君の技術と引き換えでもね」
「意外に義理堅いな」
「ボクは嘘はつかないし、約束は破らないんだ」
「嘘つけクソガキ。ちっ、じゃあお前が邪魔しなきゃいい。あの三人が負けたら、お前込みでここは引け。それならいいだろ」
「……この状況からかい? できるなら、それでもいいけど」

 フェイトが首をかしげた。
 ネギも明日菜も刹那もここから簡単に勝てるような状態ではない。
 だがそれを聞いて千雨が、自分の体を支えるフェイトから離れ、明日菜たちに目を向けた。
 息を大きく整えて、タイミングをはかる。
 そして、

「ネギ、左だ! 神楽坂は屈んで右に振りぬけ!」

 一気に叫んだ。
 反射的にネギと明日菜が反応する。
 千雨の声に驚く呪符使いたちとは対照的に、二人は千雨に全幅の信頼を置いていた。
 ネギと明日菜はその言葉を戸惑いなく実行した。
 空ぶった小太郎の一撃をくぐってネギが肉薄、明日菜は千雨の声を聞いて腰を落ち着いて撃墜体制。

「ネギ、後ろに回って右から来る! 神楽坂、左足を一歩進めて右上に振り払え!」

 さらに千雨の指示が飛ぶ。
 指示を大声で叫ぶことで、敵方が先読みしようと動くことさえ計算に入れた先の先を見るアトラス院の戦闘法。
 千雨の指示に混乱したままだった小太郎が行動を読まれたことに一瞬止まり、その隙をついて、ネギの一撃が小太郎を吹き飛ばす。

 ガードはしたが、雷撃系の一撃は筋肉を麻痺させる。小太郎が吹き飛んだまま膝を突いた。
 明日菜のほうはもっと簡単だ。彼女の一撃は障害などなにもなく式神を破壊する。その上、プログラムで動いている式神など、千雨から見れば的と変わりない。
 千雨の言葉に迷いをなくして動く明日菜の一撃。
 降りぬいた軌道のまま天ヶ崎千草の式神を吹き飛ばす。

「んでもって、こいつを食らっとけ!」

 そして千雨が魔弾を放つ。
 動きを止めた二人と、突然変わった状勢に驚く月詠の計三人。
 止血してもらった恩はあるが、ここで遠慮する気はない。
 避けてかすって受け止めて、それでも体から力が抜けたように三人がその表情を歪ませる。
 死にはしまいが、そうすぐには動けまい。

 三人が顔を青く染めて動きを止めた。
 それを見て千雨は横に立ったまま、感心しているフェイトに向き直った。

「ちなみに、ルビーはわたしの師匠にあたる。あいつはもう表に出ないし、この技術はわたしらの間だけのものだから、わたしのご機嫌はとっといたほうがいいと思うぞ」

 そういって、千雨は何一つ加工しない純魔力を叩きつけた。
 体の中の無限機関が回転する。大気から魔力を取り出し、平行した場所からそれを打つ第三技法。
 地面が揺れるほどの衝撃に、打ち込んだ千雨の体にまで痛みが走った。
 苦痛に顔を歪ませる。
 それを避けたフェイトが残り三人の場所に降り立った。

「ちょ、ちょい待ちいや、新入り! ここで逃げたら」
「彼女たちとは相性が悪いようです。対峙して戦わないほうがいいでしょう。それに今は劣勢だと思いますよ」
「ぐっ、やるやんか、西洋魔術師。しびれが取れん」
「いやー、やられましたわあ。なんやお姉さんはやりにくいですなあ」

 月詠に担がれた小太郎が笑う。
 月詠と千草はたいしてこたえてなさそうだが、それでも引くという決定に納得したのか、不満は口にしなかった。
 ズズズ、と水溜りが広がって、その場にいた人間を運び去る。

 水溜りに消えた四人を見て、千雨がようやく膝を突く。
 内腑に傷を負った状態で無理をしてしまった。こういうときに自分を治癒できない未熟に不満がつのる。

「千雨さん!」
 全員が千雨に駆け寄ってくる。
 千雨は片手をあげて返事とした。

「大丈夫なん、千雨ちゃんっ!」
「……ああ、まあ大丈夫かな……」
「あっ……ち、ちさめさん……」
 泣きそうな顔をするネギの頭をぽんと叩いた。

「平気だって。宮崎たちがいるときに教われなくて良かったよ」
「す、すいません」
「あやまんな。この状況は文句なくわたしらの勝ちだ。誰も欠けてないし、誰も殺してない。これくらいなら十分だろ」
「千雨さんっ! そのようなことを言うのはやめてください!」
「このくらいの傷なら、問題ないよ」
「っ! 千雨さん!」

 ネギが怒鳴る。
 見慣れないその怒り。いや、怒りというよりも悔しさに涙を滲ませたままネギが叫んだ。
 少し千雨が目を丸くする。
 そうしてすこし苛立ったように口を開いた。

「お前は何でもかんでも最善を求めすぎだ。いいか、この傷はわたしのものであって、テメエのものじゃねえ。お前が責任を感じるのはむしろ侮辱だ」
「まだわからないんですか! そんな話じゃありません!」
「いいだろ、べつに。わたしは――――」

 ネギの胸倉をつかんでいた千雨が驚いたように言葉をとめる。
 視線を降ろしたその先。自分のわき腹に張られていた呪符がペロリとはがれていた。
 天ヶ崎千草が作り、フェイトから渡された止血と快癒と痛み止めの万能癒符。それがはがれる。
 時限性か、術者認識か、それとも自分の防壁が弾いたのか。
 まあどちらにしろ変わりない。

 ジワリと加速度的に痛みが広がって、血が喉を這い上がる。
 フム、と千雨は頷いた。
 あの白頭、手加減したといってたくせに、全然加減が出来てない。
 意外に理知的に見えたが、やっぱりそのままボケたガキだ。世の中の常識がわかっていない。
 女の腹をなんだと思っていやがるんだ。今度あったらぶん殴る。
 腹の中で文句をつぶやき、千雨は口から血が滴るのを自覚して、

「――――悪い。ちょっと気絶する」

 そのまま意識を失った。



   ◆◆◆



 バチリと、意識が浮上した。
 目を開けて周りを見渡せば、枕元にネギがいる。
 でかい和室の中で、布団に寝かせられているようだ。
 服は浴衣。宝石がないのが気になったが、視線をめぐらせれば、先ほどまで来ていた服が一式、枕元においてあった。
 血を流したためか喉がひりつく。水が飲みたかったが、我慢してそばに座るネギに声をかけた。

「ああ、ネギか。ここは?」
「木乃香さんのご実家です。関西呪術協会の本山だそうで、千雨さんの治療をしてもらっていました」
 やはりたどり着けたらしいが、木乃香たちの姿はない。
 千雨が上半身を持ち上げた。
 ズキズキと痛むが、我慢は出来る。
 慌ててネギが水を渡し、千雨が礼を言って喉を潤した。

「先生が看病してくれてたのか」
「はい。骨折に加えて、熱もでていましたから」
「ん、もう大丈夫だよ。先生こそ殴られてただろ」
「ボクは障壁を張っていましたから……」
「ん、そうか。あいつらは?」
「木乃香さんたちは皆さんと夕食です。あと、呪符使いさんたちには逃げられてしまったままです。一応西の長さんたちも探してくれるそうですけど」
「ああ、報告はもう終わったのか。任務とやらのほうは成功だな」
「成功のはずありません。ボクは、いえ、ボクらみんながとても心配しました。それに彼らに逃げられて……一矢報いることすらできませんでした」
 悔しそうな顔をしたネギが言葉を詰まらせる。

「一矢報いるってどこの時代劇だよ。それに犬上とか言うやつには勝ってただろ」
「でも千雨さんに全てを任せるようなマネをしなければ、その怪我は避けれたはずでした」
「いいって。わたしたちの勝ちは近衛と親書を近衛の実家に届けることだろ? 目的は達してる。あの時お前にミスはなかったさ」
「……」
 ネギが一瞬黙り、ふう、と小さな息を吐く。
 終わりのない問答を繰り返すのに疲れたかのようなそんな吐息。

「千雨さんは一人よがりがすぎます」
「そりゃお前もだろ」

 そう断言する千雨にネギは反論せずに微笑んだ。
 その言葉が千雨の優しさから出ていると知っているから。
 以前の自分の失敗を認識しているからこそできる笑み。
 それは過ぎた優しさが傲慢に転じるそんな呪いである。

「あの、千雨さん、ボクは千雨さんの恋人ですね?」
「えっ!? あ、ああ、そうだけど」
 それは質問の振りをした断定だった。
 千雨が状況を理解できないままに頷いた。

「始めてお部屋にお邪魔したときからずっと、ボクは千雨さんに頼っています。でも、千雨さんもボクに頼ってください。ボクだけが千雨さんに寄りかかるのは、少しいやです」
 淡々とネギが喋った。
 千雨は戸惑っているだけだ。

「え、えっと……」
「ボクが千雨さんに怒られて、ボクは千雨さんに頼ってばかりでしたけど、今度はきっと千雨さんがボクに怒られる番ですね」

 当たり前のようにネギが告げる。
 突然の言葉に千雨が声を上げようとして、その言葉を止められる。
 上半身を上げていた千雨が、その頭をネギにギュッと抱きしめられたからだった。

 あまりに優しいその仕草に、千雨は反論も忘れて唖然とした。
 こんな扱いをこの少年から受けた記憶はちょっとない。
 恋人でも親でもなく、まるで兄が妹を抱くようなそんな抱擁。
 千雨は言葉に詰まってしまう。

「千雨さん。以前あなたは言いました。自分がピンチになったとき、ボクがあなたを助けるか、と」

 ずっと以前にそんな問答。
 自分を犠牲にする人格は、他者を犠牲にすることに反発する。
 そんな救えない独りよがりの英雄思想。
 千雨が知っていなくてはいけない、そういう考え。
 ルビーから説教されて、それでも治らない根源性の心の疵。

「もし逆の立場でボクたちが怪我をして、それに対して自分を悔やまなかったといえますか?」

 その言葉に流石に詰まる。
 自分を犠牲に自己満足だけを得るそういう行為。
 独りよがりな反省劇。
 以前にネギに問いかけたそんな問答。

「もしそれに頷けないのならば、あなたは自分の犠牲を笑ってすませてはいけません」

 長谷川千雨は、自分を犠牲にするその性質を改めよ、と。
 自分が耐えることで決着をつけるそのやり方は間違っていることを理解せよ、と。
 そんな当たり前のことを言ったことがあった。
 そしていま、そんな当たり前のことを言われている。

「千雨さんは一人じゃありません。自分の怪我が自分ひとりの責任だなんて、そんなのは間違いなのでしょう?」

 ネギ・スプリングフィールドは声を荒げたりはしなかった。
 だからこそその言葉は千雨に響く。
 千雨は頷く。
 なるほど、説いた子に教えられ、教えた男に教わった。
 以前に行ったそのやり取りがそのまま自分に返っている。
 きっとネギが千雨をかばえば、逆の問答を千雨が行っていただろう。
 この二人は自分に対して愚かであり、人に対して優秀だ。

 自分の犠牲で願いが成就して、それを良いことだとしたならば、いつか他人の犠牲で願いをかなえる道を許容する道を強要される。
 自分の犠牲は許されて、人の犠牲を許容できないというのなら、それはただの傲慢な独善だ。
 それは千雨がネギに対して怒ったことだ。
 だからいまこうしてネギも同じ間違いを犯す千雨を怒る。


「……そりゃそうだな。悪い、ネギ。今のはわたしが間違ってた」


 素直に千雨が頭を下げる。
 それにネギが微笑んだ。

「ありがとうございます、皆さんもとても心配していました」
「そうだな。目的は達しても、この怪我はそりゃダメだよな。……心配かけた」

 千雨の頭を抱きしめていたネギが離れる。
 ネギが覗き込むそこには、嬉しそうに笑う千雨の顔があった。
 手を口元に当てて、クククと笑っている少女の姿。
 こいつに偉そうに説教されるのは久しぶりだ。そういやこいつは教師だったか。

「ありがとな。ちょっと自惚れてたよ」
「木乃香さんには謝っておいたほうがいいですよ。あのあと、千雨さんが血を吐いてしまって、それを見てものすごく取り乱してました」
「そっか。うん、わかった」
 素直に千雨が頷いた。
 そうして、何かに気がついたように、言葉を止める。

「そういや、あのオコジョはいないのか。この旅行中ずっと一緒だったくせに」
「え、は、はい。木乃香さんたちと一緒にいると思います」
 ネギがあはは、と笑った。
 千雨も頷く。その情景が想像できた。
 質問攻めにでもされているのだろう。
 それはとっても都合がいい。

「それじゃ千雨さんのことを皆さんに知らせに行きましょう。あ、それに――――」
「あのさ、ネギ」

 何かを口にしようとしたネギをさえぎって、今度は逆に千雨がネギを抱きしめた。
 立ち上がろうとしたネギを止める幼い抱擁。
 千雨自身も驚くほどに自然なその行為。
 よくわからないままに自分の子供っぽさが暴走してるを自覚する。

「……ふえっ?」

 何が起こっているのかわからないように、ネギが戸惑った声を上げる。
 ぎゅうと千雨がネギの首に手を回し、その体を密着させる。
 一瞬後に、状況を認識して、抱きしめられたままネギがカアと顔を赤くした。

「あの、えっと、その? 大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
「あ、あの、ち、千雨さん?」

 あまりに無垢な千雨の言葉。
 戸惑ったネギの声。
 いつものすました表面がはがれて地が見えていた。
 そんなネギの声を聞いて、千雨はネギの肩にあごを乗せたまま耳を済ませる。
 聞こえるのはネギの声と自分の心音。
 感じるのは静謐な空気とネギのぬくもり。
 ルビーもいないし人気もない。

 いいたい事があるけれどお互いに口が開けない。
 そんな空白。
 無言のまま、千雨は恋人を抱きしめる手に力をこめる。

 そうして動きが止まったまま数十秒。
 千雨がテヘヘと笑いながら手を離す。
 そしてそのまま軽く軽く、当たり前のようにネギに顔を寄せた。
 軽いキス。
 あまりに不意打ちなその行為。
 ぽかんとしたネギの顔に、照れたように頬をかきながら千雨が笑う。

「先生。ホントはこんなのわたしのキャラじゃないんですけど……」

 そういって、千雨は言葉を止めて息を吸う。
 誰かがいると素直になれない。
 だからこの機会を逃したら、きっといえなくなるだろう。
 もじもじとしたまま、真っ赤になって、千雨は蚊が鳴くほどの声でいった。
 ルビーに師事し、のどかに勇気を分けてもらった自分がここで勇気を出せなくてどうするのか。

「ありがとうございました。先生に怒られるのは少し新鮮ですね。頼られるのも悪くないですけど、こういうのは、その、ちょっと……いや、結構嬉しかったです。…………って、はは、ほんとキャラじゃないかな、こんなのは……」

 へへへ、と笑う。
 どうしようもない感情がこぼれ出るそんな微笑。
 ネギの前に立つ、どうにも素直じゃない少女の、こらえようもない可愛らしさの小さな発露。

「近衛にはあとで謝って、そんでお礼を言うことにする。桜咲に神楽坂も……それで、その。ネギもな。お前たちに嫌われるのはいやだしさ」

 驚いた表情をしていたネギが、にっこりと微笑み返した。
 そうだ。この少年は空気を読まないようで、こういうときには間違えない。
 だから当たり前のように彼は言う。

「ボクは千雨さんのことを嫌いになったりしませんよ。」

 一瞬の沈黙。
 見詰め合ったままの千雨が、どうにもこらえ切れなくなってネギにもう一度抱きついた。
 いつか聞いたさよの言葉。抱きつくと、くうぅという気分になって、こらえ切れなくなるんです。そんな稚拙な言葉に笑ったけれど、あれは本当だったらしい。
 千雨はネギの体温を感じながらもその手を離さす力をこめる。
 二人とも無言の部屋の中。
 声など立てず、音を発するものもなにもない。

 誰も見ていない、恋人同士のそんな小さな一幕だった。


   ◆◆◆


「あー、千雨ちゃん。起きたんだー」

 ネギと千雨が二人で部屋を出て、板張りに障子壁の古風な廊下を少し歩くと、いきなり声をかけられた。
 のほほんといつもの表情で千雨に向かって笑うその女性はどう見ても早乙女ハルナその人である。
 予想外の人物に千雨が戸惑った声を上げた。

「…………早乙女?」
「いやー、聞いたよ。気分悪くなって倒れちゃったんだって? 大丈夫?」
「ん、……うん、まあ……」

 どういうことだと視線を向ける。
 ネギはちらりと目配せだけをよこして、ハルナのほうに向き直った。

「千雨さんは、えーっと、その、先ほど目を覚ましたんです。他の皆さんは? 夕食では?」
「あはは、さすがにもう食べ終わっちゃったよー。今はお風呂かな? 委員長が仕切ってるけど、めちゃめちゃでかいらしいし、木乃香のお父さんからもいつでもどうぞっていわれたから、みんなで入ってるよ。チアたちは到着がちょっと遅れたからまだ夕食食べてるかも。わたしはちょっと千雨ちゃんの様子を見にきたんだけど、大丈夫そうだね」
「……あ、ああ。まあな」
「そりゃよかった。じゃ、お邪魔もなんだし、わたしもお風呂入ってくるよ。千雨ちゃんのことも伝えておくから、ごゆっくりどうぞ~」

 ハルナが手に持っていたミネラルウォーターのペットボトルとタオルと洗面器、それらをまとめて千雨に向かって放り投げる。
 慌てたように千雨がネギから手を離し、飛んでくるそれを両手で掻き抱くように受け止めた。
 そんな千雨の姿にハルナが笑う。
 頬を膨らませながらも千雨が礼を言い、それにひらひらと手を振りながらハルナが背を向けて歩き去った。
 その背が見えなくなったところで、先ほど言い忘れていたことを思い出したようにネギが口を開く。

「すいませんでした千雨さん。説明していませんでしたね。木乃香さんが千雨さんの怪我を本当に気にされてまして、ここで西の長さんの話を聞いたあとに、一段楽するまで、本山にクラスのみんなを呼んで欲しいと、長さんにお願いしたんです。それに長さんも賛成されて……先ほど説明しておけばよかったです」
「呼ぶ?」
「はい。携帯で連絡を。今日の観光後はホテルじゃなく、こっちに集まってほしいと。主にスケジュール調整や許可を取るのに動いてくれたのはいいんちょさんと瀬流彦先生ですが」

 ネギは千雨につきしたがっていたためだろう。
 確かに、自分が本山で寝込んでしまった以上、他のみなが勝手に帰るというわけには行かなかったようだ。

「親書を届け終わったとはいえ、あの人たちはまだ捕まっていませんから」
「なるほどな。ここならまあ他のやつらも安心か」
 一応頷く。他のクラスの生徒がいるが、そちらを狙うほど外道ではないだろう。
 月詠は戦闘狂だし、小太郎は誇りを重視するタイプだ。
 千草だって、千雨に情けをかけていたことを思うにそこまで非道な手は打てないだろう。
 残るはフェイトだが、アイツもおそらく大丈夫だ。目的のためには手段を選ばないタイプのようだが、“手加減する余裕”があるうちは殺しはしまい。

 煌々と千雨の瞳が光る。
 自分が倒れてしまったことで、思わぬ迷惑をかけてしまっていたらしい。
 反省は先ほどしたつもりだったが、まだまだ反省が足りないようだ。

 さて、それでも、いまこうして親書自体は届け終わったわけだが、これで騒動が終わるのだろうか。
 執念深そうな呪符使いに、いまだに真意の見えない石使い。親書ではなく木乃香を狙っていた誘拐犯。
 千雨はそんな面々を思い出して苦笑する。
 これで終わるとは思えない。

 先ほどネギと約束した。後悔だけはないように、この修学旅行を良いものに。
 そして、その上でわたしたちもクラスメイトと楽しもう。
 いいだろう。今の自分は意外にやる気にあふれてる。
 千雨は言った。

「じゃ、ネギ。最後まで気を抜かずに頑張るか」
「はい、こちらこそ。千雨さん」





――――――――――――――――――――――――



 意志が固いのは重要ですが、意固地になりすぎるといやな子になってしまいますね。千雨やネギの欠点。それを補っていくというか、ただのバカップルというかそんな話。
 戦いはほぼ省略。毎度毎度千雨が気絶するのは防御力がないから。フェイトに殴られた場合、刹那は吹き飛びますが、千雨には穴が開きます。
 思考読まなくても動きを読めれば小太郎は対処できます。結界からは出れませんが、ちびじゃない刹那なら罠に嵌る前に気づけます。さよたちはシネマ村にいってます。委員長たちと普通に楽しんでました。
 あと生徒のみんなは全員本山入りしました。




[14323] 第25話
Name: SK◆eceee5e8 ID:89338c57
Date: 2011/02/13 23:09
 修学旅行3日目の夜。
 畳敷きの大広間に、大きな大きな長机。
 関西呪術協会総本山、その中に建つひときわ大きな屋敷の中、3-Aの生徒が騒いでいる。
 木乃香の父親である詠春から許可を貰ったとあって、全員に遠慮がない。
 わいわいと騒ぐ彼女達の姿を、ニコニコと見守りながら本山付きの巫女が働いていた。

 そんな宴会場から離れた別室にて詠春は今日起こった話を思い返しながら瞑想を続けていた。
 長谷川千雨という名の少女を呼びたいと願った娘の言葉。
 魔法使いを恐れた木乃香の言葉。
 それに頷いた決断は間違ってはいないだろう。
 娘が魔法について知ってしまったというのはすでに連絡を受けている。
 精々が嫌がらせだと考えていたのだが、やはり木乃香の力を利用する気らしい。

 詠春はばれてしまったのは必然、むしろ僥倖だと見ていた。
 義父から不甲斐ないと怒られたが、近衛詠春は優秀だ。下を纏め、彼自身も腕がたつ。
 このクラスには詠春からみても腕の立つ生徒がいるようだし、本山の結界がある以上ここはいま西で一番安全な場所なのだ。
 ここで駄目ならどこでだって駄目だろう。
 そう、もしもここにすら襲ってくるというのなら、それはもはや西と東の問題を超越したこととなる。
 暗い部屋。その中で人を待ちながら近衛詠春が一振りの刀を前に目を瞑っていた。

 そんな詠春の耳には遠く離れた宴会場から木乃香のクラスメイトが騒いでいる声が聞こえる。
 日は沈んでいるが、まだまだ本来の就寝時間にすらなっていない。
 ただでさえ夜更かししようとたくらんでいた我らが3-Aの面々がおとなしく眠っているはずがなかった。
 だが、その裏側ではまだ何一つ終わっていない。
 親書が関係しないというのなら、明日がある、明後日がある、麻帆良に帰ってからの日々がある。
 ただでさえ、修学旅行3日目はまだまだ長い夜を残しているのだから。



   第25話


 近衛詠春が気を利かせて、つまみやら飲み物などを用意している。
 ポテトチップスから、料理人の手が入る間食用の料理まで。
 自由行動日で少し遠出していたために、皆からは少し遅れて風呂に入っていたチアリーダーズが部屋の皆に合流したころには、大広間の雰囲気に圧倒されていた3-Aの面々はすでにいつもの調子を取り戻していた。
 合流したチアたちが、いつもどおりの面々に笑いながらその中に参加する。

「おっきいお風呂だったねー」
「ホントホント。夕飯もおいしかったし、木乃香さまさまだねー」
「すっごいよねー。木乃香のお父さん。なんかの会長さんだっけ。大きすぎでしょー、いいんちょ並だよね。巫女さんが出迎えてくれたときは何事かと思ったよー」

 からからと笑いながら喋っている。
 ホテルに戻らず本山に入った面々は寝巻き代わりに借り物の浴衣を身に着けていた。
 こんなサービスを受けていいのかという思いもあるが、まあ先生公認だ。本来の予定などに遠慮することなくくつろいでいる。
 他の面々も似たようなものである。

 料理を食べているもの、おしゃべりを楽しんでいるもの、それぞれが大広間で小さなコミュニティを形成して、各自がそれぞれ楽しんでいた。
 あやかなどはさすがに年頃の乙女として間食は避けていた。逆に、楓や古菲などは遠慮なく料理を平らげている。
 その横で千雨のところから戻ってきていたハルナが料理を前に葛藤していた。
 のどかの見立てではそろそろ陥落するだろう。

「いやー、おいしいでござるなあ。ジャンクフードも嫌いではないでござるが、こういう本格的なのはやはりなかなか」
「む、これも美味しいアルな」
「ほほう、では拙者も一口……」
「う、うーん。くっそー、どうしよっかなあ。楓さんさー、なんでそんなパカパカくってその体型なのよ」
「はっはっは。拙者は食べても太らない体質なのでござるよ」
「というかパルは楓さんやクーフェさんと違って運動しないからでしょう」
「今度拙者と一緒に山篭りでもするでござるか?」
「ぐぬぬ……くそー、どーしよっかなー。山登りとか絶対ゴメンだけど……まあ一口くらいなら」
「おっ、ハルナも食べるアルか」

 ひょいと古菲の箸が動き、ハルナの口へ未来の脂肪を押し込んだ。
 悔しそうにハルナがうなる。
 忌々しいことに非常に美味い。うん、もう一口だけ食べよう。
 そんな意志薄弱なハルナの横で、楓は変わらず箸を動かしている。

 ちなみに楓はなぜかチャイナ服を着ていた。観光中に連絡を受け、この本山に来る前に一度ホテルで荷物を回収してきたからである。もちろん服以外のものも持ってきているのだが、それに気づいているのは少数だ。
 そんな横で、ハルナを見捨てたのどかが夕映に話しかけていた。

「ね、ねえ夕映。これって……」
「ん、どうしたのですか、のどか」
「あのね、あそこのテーブルにおいてあったんだけど」
「ほう、これは……実に興味深いですね。丁度水筒の中身も乏しくなっていたのです。一杯頂きましょう」

 テーブルに軽くつまめるものと、多種多様の飲み物がある。
 そんな二人の横で、すでにその飲み物を口にしていた双子と美空のトラブルメーカーが騒ぎ始めていた。

「よーし、今日も騒ぐよー」
「いやー、ラッキーだよねー。こんなおおっぴらに騒げるとは思えなかったよー」
「えー、ばれると怒られる中で遊ぶのがいいんじゃん。ここまでおおっぴらなのはそれはそれで駄目だよー」
「お、お姉ちゃん。なんかふらふらするですぅ~」
「どうしたの、史伽ー。もう酔っ払っちゃったー?」
「あはは、いやー酔っ払ったとかは口に出さないほうがいいと思うよ。いいんちょに聞かれたらまずそうだし」

 顔を真っ赤にする史伽に美空が笑う。
 触れてはいけないことだ。きっと般若湯か何かだろう。
 3-Aのいたずら好き筆頭の三人組が赤ら顔で笑っていた。
 美空はそれなりに事情を知る魔法生徒であるため、この場についても多少の知識はあるが、いたずらをするのが好きなのであってトラブルに巻き込まれるのが好きなわけではない。
 さすがに関西呪術協会の総本山で暴れようとは思わなかった。目をつけられたくはない。
 どちらかというと双子の騒ぎを止めるように声をかけている美空の姿に回りの事情を知らない人間は不思議そうな顔をしていた。

 そんななか、美空がいうようにきっと文句を言うであろう3-Aの委員長、雪広あやかは6班の面々と話していた。
 内容は先ほどハルナが体調の回復を報告した長谷川千雨のことである。
 彼女も結構千雨を心配していたのだ。ハルナが言い出さなければあやかが千雨の様子を見に行ったことだろう。
 千雨とネギはまだ戻ってきていない。

「千雨さんは湯浴みかしら」
「まー、起きていきなり夕食はきついだろうしね」
「しかし気がつかれてよかったですわ。わたくしもシネマ村で連絡を受けたときから心配で心配で」
「わたしらがこっちきたときも、まだ木乃香は顔真っ青だったしね。なんか死にそうな顔をしてたし」
「そうそう。貧血で気絶しちゃっただけでしょ? 軽くもないけど、そこまで危なくもないと思ったけどね。重い子なんじゃないの?」
「いやいや、そしたらお風呂は遠慮するでしょー」

 あはは、と裕奈たちが笑った。
 たいして心配をしているように見えないが、彼女からしてみれば、木乃香やあやかはちょっと心配性すぎる。
 もう目が覚めているということだし、過剰反応がすぎるだろう。
 まあ、こうして自分たちが呼ばれたのも、気を失うほど体調を悪くした千雨が発端ということもあるので、ありがたくもあるのだが。
 そんなことを考えながら間食をつまんでいた。

「そーいえば、さよちゃん達は長谷川についてなかったんだよね」
「ええ、シネマ村でお会いしましたわ。こちらに向かっていたのは、先生と千雨さんと木乃香さん、それに桜咲さんだけだったようですわね」
「ちょっと意外だよね。さよちゃんっていつも千雨ちゃんにべったりなのに」
「そっかなあ、べったりって感じはないんじゃない? 仲はすごくいいみたいだけど」
「復学初日にさよさんがおっしゃっていた、命を助けてもらったという話ですわね」
「あー、言ってた言ってた。たしかにあのころはべったりだったよね。変な関係なんじゃないかって噂もあったし」
「……そんな噂あったの?」
「あったよー。アキラ知らなかったの? いまはなんか落ち着いてるね。はなれていても心は通じてる熟年夫婦みたいな感じに見えるよね」

 裕奈の言葉にわかるわかると頷いているクラスメイトにアキラが頬を引きつらせる。
 先生とのスキャンダルから最近の話題性ナンバーワンの長谷川千雨と、三年に上がると同時に現れた復学生。
 二人の親密度は単純な仲のよさからは外れていた。
 千雨はいまいち実感していなかったようだが。その社交性で初日から3-Aに溶け込んでいたさよは、新しくできた友人と数分の雑談をすれば、その中に必ず千雨の名をだすほどの娘だったのだ。
 ネギと千雨のデートがばれた日、さよを気にした木乃香の気持ちも推し量れるだろう。
 つい先日から始まった木乃香と刹那の中を応援しようとする勢力しかり、邪推好きの3-A生徒はいろいろと想像をめぐらせているのである。

 そんな裕奈たちの視線はこっそりとさよたちに向けられている。
 千雨が目を覚ましたという報告がハルナから届き、ようやく気を緩めてくつろいでいるが、つい先ほどまでは顔色が優れずに宴会の空気からも外れていたのだ。
 ほんのり頬を赤くした夕映とさよが杯をあおっていた。

「ほわ~、おいしいです」
「あの、夕映ちゃん、顔真っ赤だけど……」
「おいしいですねー、これ」
「さよちゃんまで……って、ちょ、ちょっと、木乃香、これって」
「あはは、らいじょーぶらいじょーぶ。お酒とちゃうよ~」
「それに木乃香さんのお父さんが出してくれたのだから、大丈夫なんじゃないですか?」

 真っ赤な顔をしたさよと夕映、そして木乃香の姿に首をかしげていた明日菜が、驚いたような声を上げる。
 さよは杯を傾けたままだ。
 自分の体はそこそこアルコールには耐性があるが、それを抜きにしても近衛詠春だって、ここでそこまであからさまなものは出さないだろう。
 なにせまだまだ修学旅行は中盤なのだ。
 そんなさよの横からひょいと手が伸びて、テーブルの上からお猪口を持ち上げる。
 褐色の長身姿。龍宮真名のものだった。半数以上が浴衣や寝巻きの仲、彼女だけは外着のままだ。
 彼女は自分自身に気を抜いて休息をとることは許しても、慢心して油断することは許さない。
 しかしそんな彼女の信条と、その懐にある小さな膨らみに気づくものは、離れた席で刺身を食べながら杯を傾ける楓だけだ。

「ふむ、これはなかなか高級品だな」
「ふえっ? あっ、龍宮さんわかるんですか?」
「わかるというほど詳しくもないが、ある程度はね。それにこれは相坂のいうとおり、近衛たちのための掃愁帚だ。玉箒には毒素がない。悪酔いはしないさ」
「龍宮さんまでいつの間に……。というかなにそれ?」
「こいつは長谷川を心配して落ち込んでいる近衛や相坂のために用意されたということさ。彼も人の子。ついでに不浄払いではないのは気を使ってくれているのかもしれないな」
「?」
「飲んでも害はないということだよ。初日の二の舞にはならないだろう」
「そうそう。おいしーで明日菜」
「千雨さんが来たら一緒に飲みましょうね」
「あのねえ、木乃香、いいの? あとで長さんのところにいくことになってたでしょ。それにさよちゃん。千雨ちゃんはこういうの怒りそうじゃない?」
「フフフ、まあそう怒るな神楽坂。飲ませてあげるといい。彼女たちも気を張っていたようだからね」

 薄く笑みを浮かべながら真名が唐茶をあおる。
 その顔は笑う木乃香をほほえましそうな視線を送っていた。
 さきほどハルナが千雨が目覚めたという報告を送ってくるまで随分と気を落としていたのだ。
 今の状況やこれまでの出来事から照らし合わせて、それに“想像”がつくだけに、真名としては木乃香には同情していた。
 やはり3-Aの面々に気落ちした顔は似合わない。
 そう。つい昨日の夜のように、やはり彼女らは騒いでいなくては駄目なのだ。
 部屋の端で、車座になって演壇を打っている朝倉和美をはじめとする面々のようにである。

「それでさー。昨日は千雨ちゃん、屋上で超りんたちと話してたんだって」
「へーネギくんと逢引してたわけじゃないんだ」
「というか超さんと仲良かったんだ千雨ちゃん」
「ハッハッハ、仲がいいどころか、実はお互いの心臓を握り合うほどの間柄ヨ。というわけで残念ながら千雨との話をここで言ってしまうわけには行かないネ。それに昨日の夜千雨と話をしていたのはどちらかといえば葉加瀬のほうヨ」
「ふーん。ハカセちゃんもいえないの?」
「えっ、いや、その。えーっと、そうですね。わたしもあまり話すわけにはいかないんですけど……ああそうですね、そういえば、行動心理学や相対性精神学についてをいろいろと……」
「えー、ネギくんの話をしてたんじゃないの?」
「うっ!? そ、そのですね。まあ、その話も聞いたといえば聞いたんですけど、喋るなと念を押されていて」
「エー、なにー。やっぱりネギくんの話をしてたの?」
「いやー、そのー。あはは。それは千雨さんに聞いてください。わたしが勝手に喋ってもまずいですから」
「あいつが話すわけじゃないじゃん。ちょっとだけ教えてよー。絶対秘密にするから!」
「いやー、あはは。絶対秘密にですか…………絶対嘘ですよね、それ」

 先日のホテルの出来事。夜に始まった千雨探しに、その結果屋上に通じる階段から転げ落ちてきた千雨を取り囲んだ大騒ぎ。
 その顛末は朝倉和美が主体となり、長谷川千雨が生け贄となったが、千雨が屋上にいた理由であったらしい葉加瀬と超に疑問が寄せられないはずがない。
 昨日は千雨をからかうので忙しかったが、いい機会だと葉加瀬が詰問されていた。
 こういうときの対応には抜群の性能を誇る超は、皆の質問を切り抜けて、すでにからかう立場のポジションを確保している。
 その超の横では、葉加瀬が脂汗を流している。
 正直なところ、ハカセだって交渉自体は苦手でない。むしろこういう闘いに関しては、素の千雨よりよっぽど上等だ。
 それなのに、この場でここまで彼女がうろたえているのは、昨日の夜のことが原因である。

 自分自身は科学の子。優先するのは恋愛よりも研究だ。そう公言している身であるが、中身は14歳の女の子。順列が違うだけで、そりゃやっぱり興味はある。
 ああ思い出して顔がまた赤くなる。和美や亜子や、その後ろでやはり微笑んでいる千鶴に夏美。さらにはその他の面々までこの紅潮を誤解して笑っている。
 違うのだ。昨日の夜には本当に色恋沙汰なんて話していない。いろいろと口止めされただけである。
 でも、だけど。長谷川千雨があれほどあけすけに愛を語って、それを非意図的に聞いてしまった茶々丸から報告されて、ああくそう。もう駄目だ。恥ずかしすぎる。

 宮崎のどかの告白と、それに連鎖された千雨の言葉。
 誰にも聞かれていないつもりだったから紡がれた千雨の本心。
 正直な話、昨日のネタについては思い出すだけで聡美は顔が火照る。なんだったのだろうか、あの乙女。

 でもそんなヤブヘビな言い訳も言えなくて、聡美はうろたえるばっかりだった。
 さすがに話すわけには行かないし、誤魔化すにも限度がある。あの、超さんに五月さん。笑ってないで助けてください、とそんな懇願。
 だがそんな聡美の助けは届かない。聡美は千雨が来るまで耐え忍ぼうと決意する。

「そういえば千雨ちゃん、まだこないのかな」
「ふふふ、だめよ夏美、そういうこといっちゃ」
「へ、なんで、ちづ姉?」
「わざわざネギ先生が一人で看病しているんだもの。お邪魔になっちゃうでしょう?」
「……前から思ってたけどさ、ちづ姉って意外とそういう話大好きだよね」

 さて、そんな生徒がにぎわう宴会場をかねる大広間。
 その障子ががらりと開いて、ネギ・スプリングフィールドが顔を出した。
 意外に早い帰りにハルナが驚く。

「もう帰ってきたの、ネギくん?」
「はい。お待たせしました。あ、あとハルナさん、先ほどはありがとうございました」
「いいよー、べつに。千雨ちゃんは?」
「先ほどまで長さんとお話をされてましたけど、いまはお風呂に入ってくるとおっしゃられて。汗が酷かったですし」
「おいおいー、一緒に入ってくればいいじゃん。あははー」
「いえ、千雨さんはお一人で入りたいそうですから。それに長さんから木乃香さんたちを呼んできて欲しいといわれてきたので」
「……あ、ああ、そうなの。結構素で返すわね。ハルナお姉さんもちょっとびっくりしちゃったわ……」


   ◆◆◆


「ふう、いい湯だ」

 千雨がつぶやく。本邸にある大浴場に一人きり。
 たった一人で風呂場に入っているというのに、千雨はやはりいつもどおりに伊達メガネはかけたままだった。
 誰もいないくせに律儀に面倒くさい女である。
 髪を一括りに後ろにまとめているが、かなり長い髪が一部湯船に浸っていた。

 ふう、と体を温めたところで半身を外気に晒し、半身浴の形をとる。
 すでに挨拶は済ませたものの、風呂上りにはもう一度近衛木乃香の父親に合いにいく必要があるが、それでも今日はつかれたこともあり、ゆっくりと風呂を楽しみたかった。
 近衛詠春もゆっくりするよう言ってくれたし、他のクラスメイトも宴会場のほうで楽しんでいるようだ。
 自分が行ってもいい宴会のネタになるだし、遠慮なくゆっくりしていきたい。

 湯船に浸っていた腕を持ち上げる。肘から流れた雫が指まで歩いて滴り落ちる。
 ぽちゃんぽちゃんと波紋を広げる水滴を見ながら千雨はフウと息を吐いた。
 昼の戦いで自分が気を失ってから、ここにたどり着くまでの間、誘拐犯は襲ってこなかったらしい。
 気絶した自分を背負って本山に向かうネギたち一行はさぞ襲いやすかっただろうに、どういうことか。
 自分の魔病がそれほど後を引いたのか。
 それとも何か別の目的があるのだろうか。

 そこまで考えて、全然ゆっくりと体休めができていないことを自覚する。
 明日菜やネギにはえらそうに切り替えろといったが、自分もちょっと真剣みが増せばこの様だ。
 ここはもうすでに本山なのだ。
 今日は出払っているそうだが、明日には護衛職の本業が帰ってくるそうだし、心配する必要はないだろう。

 大浴場に一人きり。そんなことをつらつらと考えながら、自分の体に視線を這わす。
 腹にある傷はすでに痣がうっすらと残るだけだ。
 流石に外傷を負ったまま風呂に入る気はない。それにもともと昼間に負ったのは内腑の傷だ。

 といっても、大怪我でもなければ魔術の治療に頼るわけでもないので、初日に負った膝小僧の擦り傷はまだ残っているし、擦り傷などもそこかしこに負っている。
 うまく隠していることもあって言及されていないが、このレベルの小傷まで魔術に頼るのは、魔術ではよくないどころか明確に忌避される行為である。
 正直、傷がついてもネギがそれを理由に自分を嫌うとは思っていない。そんなやつではないだろう。
 だが、べつに傷を残したいわけでもない。
 この程度で済んでいるのは助かった。

 何でもかんでも魔術を使えばよいというわけでもないのだ。
 使うべき場以外で使うことは、魔術の理と離反する。
 たいした意味もないのに念話で会話をすること、治る傷を無理やり癒すこと、意味もないのに魔術の纏力を張り巡らせること、そういう行為は日常への離反となる。
 この辺はさよにも徹底させていることだ。
 携帯電話を持っているのに、念話を使う必要はないように、魔術を使わなくてすむなら使わないほうがいい。
 千雨としては、さよは魔術よりも常識を身につけて欲しいというところもある。
 魔術も含めだんだんと矯正していきたいところである。

 そういえば、昨日もさよに不覚を晒してしまったことを思い出して、千雨が風呂につかりながら息を吐いた。
 あいつが本気でないことはわかっているが、ハルナのようなキャラに育っている気がして、恐ろしいところがある。
 千雨はああいうキャラは苦手なのだ。

 いや、嫌いなわけでもないのだけれど、と考えて千雨の顔が赤くなる。
 というより実際はむしろ逆だ。
 人に好意を示すのが苦手な千雨は、あのように積極的な人間に助けられる面が多い。
 と、そこまで考えて、昨日しこたまさよに胸をもまれたことを思い出した。
 嫌いではない。だとしても昨日のアレはやりすぎだ。

 思い出して千雨の顔が赤くなる。
 思い出すことで千雨の吐息が艶をまとって、思い出して千雨の血流が早くなる。
 そう、なんのことはない。
 あのときのさよにはよこしまな考えなんて本気で皆無だった。彼女は千雨に嘘を口にしない。
 さよが悪意なくそれを望み、無垢な心で「楽しみたいから」といったならそれはそのままの意味である。
 だからそう。本来はあの時、千雨が拒んだことこそが、千雨自身がさよ以上に、そちらの方面に溺れているとすらいえるのだ。

 と、そこまで考えて千雨は笑う。
 正直あのまま続けられていたら、自分のほうがやばかった気がする。自分はあそこまでタガが外れやすい人間だっただろうか。
 というかさよがいやに手馴れていた。恐ろしい女である。
 そんなことを考えながら、千雨は自分の体に視線を落とした。
 方から肩甲骨のくぼみに指を這わせ、そのまま指を胸元に。
 ムニュリと、自分で胸を揉んでみる。
 ン、と鼻にかかる吐息を漏らす。
 同年代にしてはそこそこで豊満である胸にネットアイドルとして自分でも気をつけているプロモーション。
 ネギやさよは褒めてくれるし、自分でもかなり自信はある。
 さよやネギに好き勝手にされているが、この体型を保つには結構苦労しているのだ。

 遠く外からは虫の歌声、露天風呂でないが、外が見渡せる構図になった大浴場。
 そこに一人でつかりながら、千雨は自分の顔から赤みが引かないのを自覚する。
 熱い湯につかってるからのぼせているに違いない、そう考えながら手を離して体育座り。
 そのまま自分の体に腕を回し、湯船の中に口元までを沈めて、ぶくぶくと息を吐く。
 ああ、自分は変態か。なにやら思考がそれてボケている。

 そういえばネギともここんとこ――――

 と、流石にそこで思考を止めて、真っ赤になった千雨が湯船に沈む。
 髪の毛が湯船に浸っていた。マナー違反だが、のぼせた千雨にはそんなところに気を回す余裕はない。

 そもそも、この状況でそんなことを考えるのは不謹慎すぎるだろう。
 というか14歳と10歳だ。最近も何もないだろう。
 いつぞやエヴァンジェリンから受けた説教は正直助かっている面もあるようだった。
 ネギのためにも、そしてもちろん千雨のためにもだ。

 そのままブクブクと数十秒。湯から跳ね出た千雨が大きく息を吐いて頭を振る。
 纏めていた髪が濡れてしまった。
 パン、と頬を張り、千雨は頭を振りながら風呂から上がる。

 もちろん、水を桶で一杯ほど頭からかぶっておくためだ。
 それくらいしておかないといけないだろう。
 今日からも気を抜かずに頑張ろうとネギに言っておいてこの様では無様すぎる。
 自分が気をはらなければいけないほど、ここの結界もゆるくはないだろうと思っていたが、流石に気を抜きすぎである。


   ◆


 水をかぶって落ち着いたあと、千雨は再度湯船に使って、今度は真剣にこれからのことなどを考えていた。
 といっても、戦闘や木乃香たちのことではない。
 その思考を占めていたのはルビーのことである。
 先日超となにを話したのかは知らないが、それでもその雰囲気は察せられる。
 最近の休眠の多さに、ルビーから直接つげられる数々の言葉、それらがパズルーのピースのように組み合っている。

 今日の白髪頭が驚いていたように、彼女はここではない世界から来た存在だ。
 つまり彼女には基盤がない。唯一この世界に存在するアンカーは自分なのである。
 さよと仲がよいし、エヴァンジェリンとも親密だ。だがアイツの本質を長谷川千雨が間違えることはない。
 つまり、簡単な話なのだ。終わりとエピローグとその前後。
 彼女が来たことには目的があり、カレイドルビーと名乗る遠坂凛の英霊体は世界との契約により、ただ消えることが許されない。
 そう、そこだけは間違えてはいけない。彼女は迷い人などでは決してない。
 目的を持つ旅人だ。
 そう、それはつまり。

 あいつは“きっかけ”を求めているというその事実を指し示す。

 と、そこまで。
 思考を切り上げ、千雨が目を開ける。変わらぬ湯船と窓から見える夜景色。
 そうして、流石にそろそろ上がるかと考えたその瞬間に千雨の動きが止まった。
 ピシと軋音が頭に響いたためだ。ルビー特性の警告術。

 昼に感じたものと同種であり、それは予断を許さないということである。
 千雨は即座に全ての思考を中途で切り上げると、ざばりと風呂の中で立ち上がる。
 なんだったのか、と千雨が気配を探るがリターンはない。そもそもそういうスキルは低いのだ
 すでに直感は過ぎ去った。だがそれが残したものが千雨に行動をうながしている。
 探れと動けと、思考せよ、と。

 自分は本山の結界を信用した。
 誘拐犯は本山に入れないからこそ、親書という依頼を達成させないことを目的にしたからこそ、道中を狙ったはずだ。
 だから、いまわたしは宝石の一つすら持っていない。
 素っ裸で風呂に使って伸びをして。何も身につけずに思考にふける。
 それはそう。
 いまの千雨はまるでもう全てが安心であるかのように、のんきに構えていたけれど。

 ――――本当に?

 関西呪術協会総本山。
 親書を渡した送り手は関東魔法協会からで、その内容は親交と関係強化。
 親書がわたった以上、もうやつらに手はないはずだ。
 だってそれでは前提が狂ってしまう。
 やつらが親書を渡した後にでも、行動できるというのなら、もっと他にやりようがあったはずではないか。

 ――――本当にそうなのか?

 そう。おかしい。
 目が覚めた長谷川千雨はネギ・スプリングフィールドに対し、今後も気を抜かないように言っていた。
 それはもちろん木乃香の“誘拐”がこの先も起こりえると考えたからである。
 最初は親書の強奪が狙いだと聞かされた。
 だが蓋を開けてみれば、やつらが親書を狙ったのなど、行きの電車での一件だけだ。
 その後やつらは何のために動いていた?

 ――――もしも、親書の妨害よりも誘拐が敵の目的の上位にあるのなら

 そう、はじめの晩、そのときすでにあいつらは親書よりも近衛木乃香を誘拐をもくろんでいた。今日の昼もおんなじだ。
 つまり、まだまだ近衛木乃香の身が安全というわけではない。
 桜咲刹那だって言っていた。近衛木乃香の魔力を利用したのではないか、と。
 その言葉通りに事が起こっている以上、少なくとも、学園に帰るまでは誘拐の危険性は付きまとう。
 学園に帰れば、それはいつもの日常だ。木乃香の安全は確保される。それは学園の絶対的な安全性のためだ。
 しかし、木乃香の安全はここ、西の本山でも保障されているはずなのだ。
 だから千雨は気を緩めるなといいながらも、今日何かが起こるとは考えていなかった。
 起こるのなら、明日か明後日。だって、ここに攻め込めるはずがない。
 大結界に近衛詠春の二人が常時存在するこの場所は、学園都市と同じく、手出しが出来ないはずのポイントなのだ。

 ――――もしも、あいつらの本当の目的が“嫌がらせ”などとは隔絶したものであるのなら

 はかったように腕利きが全員出払っているという総本山。
 結界の強さから絶対的な防衛力を持っているが、もしもそれを抜けられたなら、その先は3-A生徒に非戦闘員の群れである。
 そう、あの白髪の少年が、もしもこの大結界を突破できるとでも言うのなら。
 もしそれを許容する度量が相手の首謀者にあるのなら。
 関西と関東の二大組織を敵に回すほどの決意をあの首謀者が持つのなら。
 それになにより、

 ――――もしも、やつらが近衛木乃香を得ることで“後始末”を考えずにすむほどに、このパワーバランスを崩せるというのなら

 親書の狙いが当初嫌がらせ程度と予想されていたのは、本当に東西から問題視されれば下手人が罰せられるからに他ならない。
 だが、全てが終わったあとにいいわけすら必要ないほどの力を得られるならばその前提は崩れるだろう。
 交渉を絶対的強者の位置から行えるほどの力を得られるのならば、その前提は無駄である。
 いたずらや妨害程度なら黙認されるから、相手もその程度しか行わない。行えない。そのはずだ。
 その程度だから、とネギ・スプリングフィールドが任された。
 でも、蓋を開けてみれば、それは真っ赤な嘘だった。

 うっすらとあった不安が、脳内に響く警告で具現する。
 あるはずがないと思っていた。
 ありえないと考えていた。
 自分もネギも、近衛木乃香の父親も、まさかこの本山に、と思っていた。
 だが、しかし、この世に絶対なんて存在しない。

 千雨が顔が引きつった。
 今のわたしは素っ裸。
 宝石の一つも持っていない。
 おいおいおい。これはもしかしたらちょいとまずいんじゃないのかい?

 そうして、焦る千雨が手遅れになる前にと、風呂の外に向かいその足を踏み出して――――



   ◆◆◆



 巫女の詰め所。
 久しぶりの大勢集まった客人に対して料理を作り、それを運ぶ。
 かわいらしい女の子の集団だ。
 彼女らの顔には笑みがある。

 木乃香お嬢さまの帰宅に伴う大宴会
 東の地へ送られた愛すべきお嬢さま。彼女が近衛老のもとで友人に囲まれ、あれほど楽しげに笑っていたという事実が、本山で働く彼女達にも笑みをもたらしていた。
 報告は聞いていた。心配ないとも言われていた。
 しかしこうしてその笑顔をきちんと見られることが、彼女達にまで笑顔を広げている。

 友人方と楽しむその喧騒。時々あがるその嬌声。
 今日はお嬢さまが皆を呼んだと聞いている。
 われわれもここで一つ頑張って、ご学友の皆様にたいしてお嬢さまの株を上げておかなくてはならないだろう。
 そう笑いながら軽食や飲み物の用意をする巫女姿の女性達。
 そのな幸福であまれる、そう言う日常。
 喜びであふれるそういう空気。
 そして、

 そして、そんな談笑図を消し飛ばす“それ”が来たのは窓からだった。

 誰一人気づかなかった。
 煙が吹き込む。
 霧かと疑い、その人工的な動きと魔力を含む密度に戦慄する。
 戦慄して、対策もとれずそれで終わり。
 一人がまず犠牲になった。

 たまたま。本当にたまたま窓際に寄っていた一人の女性から犠牲となった。
 その煙を見て、驚愕に顔色を変え、皆のもとを振り向こうとしたそのままに石になった。
 ねじった腰に、口元に当てられる着物の小袖もそのままにその体が停止する。
 木乃香お嬢さまとその友人達の笑顔をほほえましく思い返していたはずの表情が苦悶に歪み、その表情が固着する。
 ゆらりと動く髪の一房までが完全に固定される。
 石の呪法。石化の呪い。
 生物から非生物への転身を強要されるそれに、周りの皆の理解が遅れる。

「――――――――えっ?」

 と、それを見た誰かが驚きの声を上げ、さらに一拍の時間が無駄になる。
 その隙をつかれ煙が進み、さらに三人が石化する。
 木乃香嬢のこと以外にも事件があるからと、腕利きが根こそぎ出払っている総本山。
 いま、この瞬間に、その煙に敏感に反応できたものはいなかった。

 窓の遠くに、入り口のそばにいた者たちもようやく気づく。
 ありえるはずのない敵襲と、この石化による攻撃というその事実。
 全てのものが理解して、しかし荒事の専門家でない彼女達にできることなど知れていた。
 ただ出口に向かい、逃げ惑う。

 扉を開けて、一人が外に出れるかとした、その瞬間。
 逃げなくては、と彼女がふすまに手をかけた、その瞬間
 お嬢さまを逃がさなくては、この存在のことを知らせなくては、と彼女が廊下に飛び出そうとふすまを開ける、その瞬間。
 お嬢さまに、ご学友に、なによりも近衛詠春さまに伝えなくてはとその喉を振るわせようと息を吸う、その瞬間に全てが終わる。

 ああ、わたしはなんとしても――――


「悪いけど、騒がれると困るんだ」


 ―――侵入者が現れた、ということを誰かに伝えなくてはいけないのに。

 そんな願いはかなわない。
 遅かった。気づくのが遅かった。逃げ出すのが遅かった。
 もう全てが遅かった。
 逃げ惑うものが石となり、長を呼ぼうとしたものが石になり、木乃香とその友人を逃がそうと走り出したものが部屋の外に向かって手を突き出したまま石になる。
 誰にも、なにも伝えることが出来ないままに全てのものが石化して、つい数瞬前まで嬌騒にあふれていた部屋はすでに沈黙に浸っている。

 そうして、虫の鳴き声と遠く大広間から騒ぎ声が漏れ聞こえる関西呪術協会本山大結界内部。
 大屋敷の一室で石像に囲まれたままフェイト・アーフェルンクスはつぶやいた。

「さて、まずは――――」

 すでに石化した巫女達には目もくれず、当たり前のようにつぶやいた。
 近衛木乃香の身柄を狙い、邪魔するものを排除する。
 何の気負いも見せず、何一つ不安を見せず、いつもと変わらず無表情に彼はその足を屋敷の奥へ向かって踏み出した。



   ◆◆◆



 ――――足を一歩踏み出して、そこでその気配に気づかされた。

 千雨が風呂場からでようとして、ただ一歩。
 その瞬間にいきなり来た。
 振り返る千雨の視線の先にたたずむ白髪の詰襟姿。

 なんでこいつがここにいる?

 その問いに答えるものは何もない。
 関西呪術協会の総本山。
 その風呂場に誰にも気づかれずにいるこの男。
 長谷川千雨が恐怖を覚えたその瞬間に、背後にそいつが現れた。
 銀髪に無表情。そしてぶち抜けたその戦闘力。

 思考をすべて戦闘用にシフトして、風呂場の中から飛び出した。
 手をついてその場に止まり、後ろを振り向く。
 口を開こうとして千雨はそれを閉じざるをえなくなった。
 交渉もなにもなく、千雨を追うフェイトが手から煙を放ったからだ。

 その眼光が何も語ることはないと告げている。
 その煙が、自分に何も語るなと告げている。
 魔法の力を含む人工煙。爆発するように広がって、千雨の身を狙って襲いかかる。
 毒だろうが、麻痺だろうが、石化だろうが、まともにくらえば千雨は終わりだ。
 煙が走る。流動性だが加色であるのが救いである。
 反色や不可視の術式、視認性の光速術ならここで終わっていた。
 一瞬の先読みと、自前の足による跳躍で稼いだ距離は10歩と少し。
 たとえ爆発的に広がる煙でも、ほんのわずかに猶予がある。
 稼いだ時間はなんとか三秒。

 強化の魔術に走って逃げるか? それは無理。瞬動を使うこの世界の人間に瞬発力で勝負は出来ない。
 転移術でここから跳ぶか? 当然不可能。そんなもの媒体なしでは三十秒あっても組みあがらない。
 ここは風呂場で自分は裸。宝石など持っていない。
 千雨が毒づく。だからここを狙ったのか、変態め。
 まずはこの煙を何とかしなければ、その場で積みだ。

 最初の一秒。千雨の腕から放たれる風をまとった攻勢魔術。
 突風が吹き荒れる。質量を持った風が煙に向かって飛んでいく。
 飛んでいく。
 飛んでいき、そしてその風が煙にぶつかり、それで終わった。
 煙を揺らさず、フェイトもとまらず、それは当たり前のように受けられる。
 煙を素通りし、そのままフェイトに向かった風が、ばしりと振り払われて、それで終わり。
 宝石によるブーストがない以上、精神・システム干渉に位置する魔術と違い、物理現象系はこの程度だ。
 気休めにもならなかった。

 歯噛みをした千雨が二秒目に無理やり後ろに飛んだ。半秒と時間を稼げない愚かな一手。
 だが戦うことは出来ない。
 一手目で気づかされた。こいつにはわたしでは勝つことどころか足止めすら出来ないだろう。
 宝石があればもう少し足掻けただろうが、素っ裸じゃ無理がある。
 止めることもできないならこれしかない。
 くそ、なぜわたしは宝石を持ち歩かなかったのか。本山の大結界という肩書きに油断した。

「テメエ、いきなりすぎるだろ! 昼間は――――」

 そう。昼間と同じだ。ここまで差が開いているのなら、そこで選ぶべきは交渉だ。
 千雨が叫ぶ。
 会話を期待して、この煙を止めてくれることを願って、相手の昼間の甘さにつけこんで。
 だがフェイトはまったく表情を揺るがさない。

 彼にとって千雨の技術は知っておくべきものであるが、それは知らなければいけないものではない。
 そう、べつに必須ではないのだ。
 宝石を受け取り、その技術と対面し、その使い手と会話した。その結果、彼女の技術は自分たちの目的とはあまりに方向性が異なることを理解した。
 自分達が道を変えない以上、千雨の技術は邪魔になっても利用は出来ない。
 彼女の技術は必要ない。
 そう、フェイト・アーフェルンクスはもうすでに理解した。

 つまり、べつに千雨の技術がなくとも“自分達の目的”は達することが出来るのだ。

 そんな当たり前のことに、あまりの異能に曇っていた目では気づかなかっただけのこと。
 知っておくべきだと感じた。あまりに重要だった。
 だがそれは計画への妨害に関してであって、利用ではないのだ。
 すでに行動が決まっているこの場で私情を挟むことはない。
 ゆえに、フェイトは無表情のまま千雨の言葉を断ち切った。


「うん。昼間引くことを提言したのはボクだからね。義理は果たしておかないと」


 ゆえに今は近衛木乃香の誘拐を優先すると彼は言う。
 交渉の余地のないその断言。
 あまりにあっけなく千雨の交渉はそこで終わった。いや、始まりすらしなかった。
 その言葉に千雨が止まり、最後の三秒目がそれで終わる。
 石化の呪法が千雨の元にたどり着く。

 宝石がないとここまで弱い。
 ルビーはわたしを評価した。その魔術を評価した。
 使い魔を放ち、病魔を撃ち、思考を高速化することさえ可能となった。
 人形を作り、さよを作り、宝石に魔力を加工した。
 ルビーは、今の長谷川千雨は宝石に頼らずとも無敵だといってくれたはずなのにこの様だ。
 だがそれが意味を成さない。戦闘に特化した“魔法使い”と魔術師の魔法戦。

 魔術師はここまで魔法使いに対して無力なのか。
 気づいていたはずだが、実感が遅かった。
 危機感を持っていたはずが、それはあまりにも温かった。
 自分の不甲斐なさに歯噛みする。

 体がだんだんと石になる。煙に触れた瞬間に足が石化し、瞬き一つで腰まで登る。
 千雨にできることなどいったいなにが残っているのか。

「君相手に後手に回ると厄介そうだ。きみはここで“止まっていて”もらうよ」

 そしてその言葉が終わるより早く首までが石になる。
 魔術の石化とはシステムが異なる魔法の力。
 あまりの無様さに歯噛みする。裸の女を襲いやがって、このガキめ。
 油断ならないやつだとは知っていた。強いやつだと気づいていた。
 だがこれほどまでとは思わなかった。
 考えろ考えろ。こいつはまずい。もう念話の一つで限界だ。

 こいつの言葉、こいつの行動。それはまだ近衛がさらわれていないことを意味するはずだ。
 まだ騒ぎにすらなっていないということだ。
 最速で回路を回し、念話を起動させて、繋がっているものたちにアクセスを。
 千雨は最後に一言だけ念話を送る。
 さよとネギに警告を投げつける。


 ――――さよ! ネギ! 近衛が狙われてる! 侵入者だ、昼間の銀髪が石化の呪煙を――――


 そんな言葉をパスを通してただ一言。
 たったそれだけ。
 長谷川千雨に出来たのはそれだけだった。
 動くことも出来ず、避けることも出来ず、防ぐことも出来ず、一言だけ。
 叫ぶだけで限界だった。
 千雨は悔やむ表情をそのままに石になる。
 そしてそれで終わりだった。

 石像と化した千雨が止まり、そしてフェイトの姿はそれよりも早く次の標的に向かって消えていた。
 そんなあまりにあっけない幕切れだった。



   ◆◆◆



 大広間・宴会場。

 騒ぐ3-Aの生徒の中、さよが突然立ち上がった。
 周りに座っていたハルナたちが驚いたような顔をする。
 そんな視線を受けながら、動揺を隠しきれていないさよが辺りを見渡す。

「あの、ネギ先生は……」
「なにいってるの? 木乃香たちと一緒に長さんのところに行ったじゃない」
「い、いえ。そうですよね。千雨さんは……」
「まだお風呂でしょ。終わったらこっち来るってネギくん言ってたし」

 千雨の元から帰ってきたネギは、すでに明日菜と木乃香、そして刹那と一緒に近衛詠春の元へ行っている。
 それは魔法関係であると知っている。だが、これはどういうことか?
 ネギの元へも今の言葉が飛んだのか?
 さよとネギにパスはつながっていない。
 パクティオーカードについても念話が使えるのは明日菜とネギの間だけ。
 念話が通るのはさよと千雨、千雨とネギ。
 ネギとさよの間にパスはない。

「……繋がらない」

 真っ青になったままさよがポツリとつぶやいた。
 焦ったさよが千雨へ言葉を飛ばしているが、それに返信が戻らない。
 自分は千雨の式である。だから千雨が生きてはいることはわかる。それは確実だ。
 念話からの言葉を素直に受け取れば千雨も石化されたのか? いや、まだわからない。
 魔術や魔法とは究極的に極めれば“なんでもあり”だ。
 生きていることと無事でいることはイコールでは繋がらない。

「どうしたのさよちゃん?」
「い、いえ。あの皆さんが遅いなと思って……」

 焦るが、それでも決定的に取り乱したりはしなかった。
 さよにはわかる。千雨はまだ死んではいないのだ。ならば彼女なら絶対にそのままリタイアなんてしないはず。
 だからここで自分がするのは取り乱すことではない。
 思考し、行動し、千雨のいない穴を埋めることである。でなくては自分が千雨に師事していることに価値がなくなる。
 さよはそんなことを許さない。
 千雨から送られた言葉はなんなのか。それはさよに行動しろといっていた。
 動揺をクラスメイトに覚られないように話をあわせる。

「でもさよちゃんの言うとおり木乃香たち遅いよね。やっぱりまだお父さんのところなのかな?」
「まー、久しぶりっぽいしね。里帰りとかもしてなかったんでしょ」
「でも、明日菜たちも一緒なんでしょ。身内の話とかするかなあ」
「まあここも複雑そうだしねー。巫女さんばっかりだしさ。木乃香のお母さんもいないみたいだし」
「そういえば、あの巫女さんたちもいないねー。なんかジュースとかもらってこよっかー」
「あっ、お姉ちゃん。わたしも行くです」

 鳴滝姉妹が立ち上がる。
 二人がとてとてと入り口に近づき、その瞬間。
 がたりと茶々丸をはじめとする数名が立ち上がった。
 同時にさよが二人に向かい声を出す。
 ただの直感。
 だが他の荒事になれた生徒と同様にさよの体は“いやな予感”を明確に感じ取れる。
 慌てたようにさよが鳴滝姉妹を引き止めた。

「まっ、待って下さい。この部屋から出ないでください!」
「さよっちどうしたの?」

 そう叫んでさよが二人に手を伸ばす。
 姉の後を遅れてついていこうとしていた史伽の襟をつかみ、あまりに真剣なさよの言葉に風香が止まり、振り返る。
 腕を引かれ、驚いたような顔でさよを見上げる史伽を横に、さよが思考をめぐらせる。

 そして、風香が立ち止まる。
 そう、入り口の前で立ち止まり、さよのほうを振り返る風香の背後。
 わずかに開いたその襖。

「――――離れてっ!」

 さよの叫びが響いたが、その言葉はもう遅い。
 入り口から白い煙が噴き出して、鳴滝風香が驚いた顔のままその煙に飲み込まれた。

 龍宮真名も、長瀬楓も、超鈴音も、そのほかの全てのものの上をいき、隙をさらって行われるその技術。
 この本山に完全に無音で潜入し、千雨を排し、詠春を倒し、そしていま、帰りがけの足止めにと放たれたそれに、彼女達ですら虚をつかれた。
 いくら彼女達が優秀でも、その両手に守るべき友人を抱え込めば、もう刀も銃も振るえまい?

 そんな手を縛られた状態で、銀髪の石使い、彼をあなどるべきではない。
 その力はいまなおこの場で“手加減”が出来るほどに他を超越するものであるのだから。


   ◆


 石化の毒は存在に作用する。無機物にすら作用するそんな呪い。人にかければ服も影響を受けるが、畳や空気までが石になるわけではない。
 つまりそれは選択性と指向性を有するということだ。
 拡散するわけでなく、這うように逃げるものを追うように部屋の中に流れ込む。

 非戦闘員を傷つけないための石化だが、別段非戦闘員だけを狙っているわけではない。
 その煙に楓や真名などが反応する。
 相手の技量と殺気がないその攻撃に初手を許してしまったが、それでも対処できないわけじゃない。
 だがまだ、その白煙の力の質がわからない。眠りの霧か、意思混濁の毒なのか。
 眠りならここは引くべきだ、麻痺毒ならば助けるべきだ。
 その煙が殺気を含まない以上毒ではない。
 それでももし害があるものだというのなら、この屋敷を半壊させてでも煙を根こそぎ吹き飛ばす必要があるだろう。

 すでに先手を取られているのだ。多数の実力者は反射的に動く愚を知っている。初手を選ぶ大切さ。
 だが、彼女らも別段呪術に特化しているわけではない。抱えて逃げるには人数が多すぎる。
 他の生徒はもちろん、さよや風香を見捨てる道は論外だ。
 無理やりにでも部屋ごと吹き飛ばすかと一瞬の思考。

 そしてそれよりも早く、千雨の警告を聞いてからずっと宝石を握り締めていたさよが動いていた。
 全ての覚悟は終わっている。
 戦うものとしての常識から反射的に動かずに一瞬の思考を行うほかのものたちと違い、さよの動きに、焦りによる空白はあっても策略から来る遅延はない。
 つまりそれは衝動に駆られるということ、反射的な決断を良しとしてしまうということ。友が傷つき、自分に何か手があるならば、そのカードを切らずにはいられない。
 切り札の温存なんてばかばかしい、必殺技は初手に打て、切り札ははじめの一手に使用しろ。
 奥の手をはじめから考えないその思考。それはきっと愚かと呼ばれるものだが、さよはその愚かさの強さを知っている。

 そしてそう、なによりも、
 さんざんさよが言われていたことがある。


 相坂さよは魔法の秘匿に関しての禁忌が薄い。


 茶々丸はまず解析を試みた、真名は敵の気配を探り、楓は煙の意思を読もうと試みた。超は腕を裾に滑り込ませ、葉加瀬は驚きのまま茶々丸に視線を向ける。その他の“対応できる”ものたちも、それぞれが次の一手を模索した。
 行動の道は多数にあっても思考の向きは一定だった。彼女達は3-Aの全ての人間を助ける道を模索していた。
 そして、達人ぞろいの生徒の中で、一番最初に動いたのはさよだった。

 なぜなら彼女は知っていた。
 千雨からの念話があった。
 この煙が“石化”だとさよはすでに聞いていた。
 ルビーからゴルゴンの話を聞いたことがあった。
 エヴァンジェリンから、鉄火場における迷いの危険性を聞いていた。
 そして彼女は闘いに関しては素人だった。

 殺気をまとっていない呪煙に対してどの反応を返すべきかを一瞬思考した他者とは対照的に、己の実力不足を知っている彼女は反射的に、そして持てる限りの全力で相対する。
 初手に渾身の切り札を選ぶその精神。
 だが、今回はさよの一手が正解だった。

 風香が煙に呑まれているのだ、ここで戸惑ってどうするのか。
 さよは煙の中に左腕を突っ込み、風香を引っ張る。
 煙に触れた瞬間から、執拗なほど対呪防壁が施されているはずの自分の腕が重くなるのを自覚する。
 石化は通常の身体汚染と異なり、防壁が強いほど外傷を与える術式だ。皮膚にヒビが、血に石晶が混じるのを自覚する。
 だが感触を失ってはいない。
 煙にまみれた風香の腕をつかみ、その感触がすでに固くなっていることに歯噛みした。
 そのまま引き出し、今度は逆の腕で宝石を投げる。

【――――二番石・小結界】

 術式が起動を始める。
 さよの力では不可能だ。だがこの宝玉の力を利用すればその防壁が破られるということはない。
 煙のなだれに対抗するように掲げられる紫黄玉。
 煙は晴れない。だが煙を結界が区切っていた。

 彼女は高速・分割の思考術を身につけていない。
 だけど彼女はこの煙がゴルゴンの呪いをまとっていると知っている。
 そうしてようやく、その背後。
 突然のさよの叫びに首をかしげていた他のクラスメイトの表情が凍りつく。

 もちろん、その理由は彼女達の視線の先。
 石化した風香と、ボロボロと破砕していく、灰色に染まったさよの左腕があったためである。


   ◆


「ぐっ……宝石を……治さないと……」

 驚愕しているものが7割、治癒術について思考をめぐらすものが約2割、その他が1割。
 だが、その視線は石化した風香とさよの二人を追っている。
 首をかしげたカタチのまま畳敷きの床に転がる鳴滝風香、その石像。

「お、お姉ちゃんっ!」

 史伽の絶叫。
 さよを押しのけ風香の体にすがりつく。
 理解できない現象を無理やり消化し、ようやく気づいた。
 この石像が姉であると。
 信じられない、理解できない。だが無視するにはそのこの現実はあからさますぎる。

「史伽さん、風香さんから……少し離れてもらっていいですか」
「で、でもおねえちゃんが、お姉ちゃんがっ!?」

 そんな史伽にさよが声をかける。
 さよが懐から二つ目の宝石を取り出した。
 黄金色のスファレライト。治癒効果を持たせた閃亜鉛のジンクブレンドである。
 さよ自身も左腕の感覚がほとんどない。耐魔法作用が煙に直に触れなかった部分への石化を防いでいるが、その分すでに石化してしまった左腕との乖離が酷いようだ。

「うぐ……あの、風香さんなら大丈夫です」
「な、なんでっ!? なにこれ! お、お姉ちゃんがっ! お姉ちゃんが!?」

 続く言葉が出てこない。史伽の狼狽はすでに恐慌の域に達している。
 そんな史伽を落ち着けるように、息を切らせながらも、さよが安心させるようにいう。
 取り乱した史伽の絶叫にさよが落ち着けるように笑顔を向けた。

「わたしが治します。これでも魔法使いの見習いですから」

 あまりに当たり前のようにそういった。
 ためらいなど欠片も見せず、言い淀みなどありようもない。
 秘匿を破ることへの罪悪感など欠片も見えない。
 本心から友人を助けたいと考える力強さを持つそんな笑顔である。

 はっ? と疑問符を投げかける鳴滝史伽。
 聞き違いかと視線を送る周りにたたずむクラスメイト。

 そんな皆の視線を受けながら、さよが腕を翻す。
 その手に持った千雨から“こういうときのため”に渡されていた宝石が金に輝く。
 光り輝く宝石を押し当てて、ただ一言【戻れ】と呟く。
 さよは未熟だ。だがその体は長谷川千雨の特製で、彼女の宝石の力を十全に引き出せる。
 そう、宝石があるかぎり、さよは限定的にルビーや千雨の力を行使できるのだから。

 つまりこの技術は自分を救い出した英雄の力と同等なのだ。
 それが風香を治せないはずがない。
 風香の石化を解けないなんてあるはずない。
 これまでずっと、あの人はこういうときに願いを裏切ったことはない。

「――――っ? 史伽? あれ、ボク……さっきまで……」

 さよの治癒術。
 傍目にはほんの一瞬の動作で鳴滝風香の石化は解けた。

「お、お姉ちゃんッ!」
「……史伽?」

 史伽が風香に抱きつき、涙を流す。風香は状況がつかめないようであたりを見渡していた。
 そんな姿を見ながらさよが息を吐く。
 石化は解けた。千雨の宝石の力もあるが、この石化術は開錠コードが設定されていた。解けることがすでに式に組み込まれた精霊利用術。
 追撃が来ていないこととあわせて考えれば、これはむしろ非戦闘員の無力化が目的かもしれない。
 つまり、わたし達の攻撃は敵の本来の狙いではない。
 千雨の言葉通り、狙いは木乃香だ。そう考えるとここで倒れてもいられないと、さよが顔を上げた。

「って、さよっち! その手どうしたの!」
「えっ? あ、この手ですか……石化は止まってますけど、やっぱりちょっといやな感じですね……痛みはないんですけど」

 風香が片腕が石化したさよの姿に悲鳴を上げる。
 あまりの事態に頭がついていっていなかったそのほかのクラスメイトも、風香の叫びにようやく視線をさよに向けた。
 彼女達は風香が石になった姿を、それを治したさよの力を見ているのだ。
 そうして、全てのものが自分の返答を待っていることを知り、さよがあまり心配をかけないようにとできるだけ平静を装うが、それはどう考えても失敗だ。
 強張った顔の千鶴がさよに向かって口を開いた。

「さよちゃん。なにが起こっているの?」
「あっ、千鶴さん。……あのですね、木乃香さんを誘拐しようとしている人がいるんです。その人たちが魔法使いで……それでこの煙もその人たちの仕業です。たぶんですけど」
「魔法…………そう、これは魔法なのね?」
「はい。本当です。信じてくれるんですね」
「当たり前です。じゃあさっきのは?」

 顔色を青ざめさせながらもまったく声を震わせずに断言した千鶴が頷く。
 強張った顔をしながらも、その思考は現実逃避などとは無縁のものだ。

「誘拐犯ですね、たぶん。本当はこのお屋敷は結界が……えっと、悪い魔法使いは入れないようになってるはずだったんですけど」
「……この場所が? それに誘拐って……」
「木乃香さんが誘拐犯に狙われているみたいです。魔法を使う誘拐犯に。この石化は足止めのようですね。さっきチラッと見えましたけど、なんかわたしが結界張ったらどっかいっちゃったみたいです。たぶんここはもう大丈夫でしょう。わたしはちょっと特殊なので、結構ひどいことになってますけど、この石煙に毒性はほとんどありません。たぶんわたしたちを石にして……えっと、終わるまで動きを止めておきたかったんでしょう」

 あまりにあっさりとさよが喋った。腹芸とは無縁のその性格は、ここで誤魔化すということを選択肢に含めていない。
 腕を掲げながら、安心するようにと呼びかけているが、そこにあるのがボロボロと壊れていく腕では説得力はない。

「木乃香さんが狙われているの?」
「はい。木乃香さんは初めの日の夜に襲われました。魔法については木乃香さんも浚われかけるまで知らなかったみたいですけど、そのとき事情を説明されたそうです」
「事情……ネギ先生たちはご存知なのね? そして、わたしたちを守るためにここに呼んだ」
「そうですね。本当は皆さんに危険が向かわないように、ってことだったんです。木乃香さんを責めたりしないでくださいね」
「……ええ、大丈夫よ。そんなことはいわないわ」

 さよの言葉に千鶴が頷く。
 ここ数日様子のおかしかった近衛木乃香のその周辺。
 それを思い返し、混乱する頭を必死に沈めて状況を理解しようと考える。
 その横で腰を抜かしかけ、千鶴にすがり付いていた夏美が戸惑ったような声を上げる。

「ちょ、ちょっとちづ姉、信じられるの? ま、魔法なんて」
「この状況で取り乱してはいられないでしょう。それにさよちゃんは嘘なんてついてないわ。……さよちゃん、あなたの腕は大丈夫なの?」
「だいじょうぶです。わたしはある程度以上の痛みは感じません」
「い、痛くないゆうても……へ、平気なん? ボ、ボロボロになって、ゆ、指とかも……」

 亜子がカチカチと歯を鳴らしながら言った。
 血を見ているが気絶していない。
 鼻血を見るだけで気絶する亜子がそれをこわばった顔のまま凝視していた。
 灰色の腕。砂の血液、石の爪。退魔防壁が過剰に働き、傷をつけないための石化術を進行させまいと、体の欠片を撒き散らす。
 ボロボロと、ばらばらと、皮膚の破片が、指の破片が、腕の欠片が、そしてその中より“歯車”が。
 きっと3-Aの生徒達も、石化していなければ、その光景に耐えられなかっただろう。
 石であるからこそ現実味がなく、生々しさが存在しない。老朽化した構造物が徐々に崩壊するがごときその欠損。
 石化したさよの腕が割れ、そこから歯車が転がり落ちた。
 人形の定義式、空を飛ぶのにホウキがいるように、人形の動力はゼンマイと歯車から得るものだと“決まっている”。
 人型は機械要素の常識がそのまま依代となるのだ。

「えーっと。あはは、大丈夫ですよ。実はわたしの体はヒトガタなんです。幽霊出身ですから」

 隠すことは出来ないだろう。
 砕ける手を持ち上げて、さよが言う。
 思考が真っ白になった生徒達を代表して、最初に冷静さを取り戻したのどかが聞いた。

「ゆ、幽霊ですか?」
「はい。復学するまで座らずの席にずーっとですね。それである日、魔法使いさんが現れてこの体をくれたんです。黙ってましたけど、もう隠せませんね」
「あの、さよさん、その魔法使いって言うのは」
「あっ、……と。ごめんなさい。それは一応わたしからは……」
「あ、いえ。たぶんわかります。あの、千雨さんですね?」

 のどかは顔を青ざめさせながらも、その口調には力があった。
 絶望を撥ね退けるその胆力。希望を理解するその意志力。
 ちょっとだけ苦笑してさよが頷く。

「ええ、やっぱりわかっちゃいますか? 千雨さんは抜けてますもんね」
「い、いえ。最初の日に世界で一番尊敬してるってさよさんおっしゃってましたし……それに千雨さんに命を助けられた、と」
「あっ、じゃあ、わたしからですか? そ、それはまずいです。千雨さんには言わないでください」

 途切れ途切れののどかの言葉に、場違いなほど明るくさよが笑った。
 そして、そのまま少しだけ笑い、口調を改めて真剣なものに戻す。

「ばれちゃいけなかったんですけどね」
「ね、ねえさよちゃん。じゃあ、今日ちうちゃんが怪我したってのは」
「はい。なんでも今日、木乃香さんが誘拐されそうになって、それでそのとき、木乃香さんを守ろうとして、千雨さんが誘拐犯に傷つけられた、と」

 それで全てのものが理解する。
 皆をこの山に集め、顔を真っ青にしたまま、千雨が倒れたと伝えていた近衛木乃香。
 千雨の身を案じ続けるネギをはじめとした数名のその真意。
 千雨が目覚めたと伝えに来たときの木乃香たちの安堵の表情とその意味を。

「で、でも木乃香を誘拐って……そ、そんなの……でも……だ、だれか……警察とか……」
「はい、夏美さんが思っているように、警察とは別にですが、そういう組織はあります。でも木乃香さんはあまりに重要な人物でした。彼女に適当に手を出せば、日本のパワーバランスが崩れてしまうほどにです。だからいろいろとあって……こんな状況になっちゃったわけですね。木乃香さんは、その魔法使いさんの中でも……」
「……さよさん。今の状況を教えていただけませんか? 千雨さんやネギ先生は? それに木乃香さんも。わたくしたちを襲ったこれが“ただの片手間”であったというのなら、他の皆さんはどうなのです? それにさよさんの腕もそのままではまずいでしょう。魔法使いなどの説明は結構です」

 さよの言葉をさえぎり、疑問を渦巻かせていた他の生徒達を代表して、委員長が断じた。
 彼女の思考は個人ではなく、全体に向いている。
 そう。この場にはまだ数名が足りていないのだ。
 安全を確保するだけでは委員長の責務は果たされない。
 あやかの言葉にさよが感謝の笑みを見せた。ここで最も重要なのは、冷静さだ。
 あやかや千鶴をはじめとする数名の意志力が、恐慌に陥りかけているクラスメイトを踏みとどませている。

「木乃香さんのお父さんは専門家のはずです。大結界を抜いてもネギ先生や刹那さんがいます。……千雨さんはたぶん石化されたのでしょう。狙い撃ちされたんだと思います。あの人は誘拐犯からも特別に見られていたらしいですから。でも、さっきの攻撃を見る限り、たぶん無力化されただけだと思います」
「さよさん。あなたの腕は?」
「これは他のことに比べればたいしたことは……」
「ないはずがありませんわ。答えて下さい」

 絶対に譲ることのないあやかの視線。
 それに負けてさよがいいづらそうに口を開く。

「わたしの腕も同じなんです。石化の魔法を受けて石になっただけですから」
「石なっただけなどと……。それは、やはり、その、ま、魔法? なのですか……」
「はい。この煙は石化しちゃうみたいですね。話に聞くゴルゴンの瞳ほどじゃないですけど、ちょっと厄介です」
「……治るのですね?」
「うーん、心配させちゃいますけど、この腕がそのまま治ることはありません。もう手遅れみたいです。人間の体だったら別だったんでしょうけど、やっぱり人型はヒトガタですから。一応有機物にカテゴリされてるんですけどね」

 気落ちせずにそんなことを平然と言うさよに、他のもの達の言葉が止まった。
 さよがその重苦しい雰囲気を感じ取り、言葉を続ける。

「えっと、ほんとに皆さんは大丈夫だと思いますよ。わたしの体は幽霊をつめる人形みたいなもので、魔法防御用に加工されているんです。それで、そのぶん齟齬が……えっと、スポンジよりもプラスチックのほうが冷凍庫では割れやすい、みたいな?」
「そ、そんな言い方は……。その、人形だなんて……」
「大丈夫です。自棄になってるわけじゃありません。むしろ逆ですよ」
「ぎゃ、逆?」

 さよが控えめの胸を張った。
 皆の視線を受けながらも、そこに怯んだものは何もない。
 むしろその笑顔からは自慢げな感情すら見て取れた。

「わたしはこの体に誇りを持っています。この体は千雨さんがわたしのために作ってくれたんです。わたしのために、わたしだけのためにですよ。だからわたしは、この体にどれだけのモノがこめられているかを知っています。人には人の人形には人形の誇りがあるんです。たとえ見知らぬ神様が降りてきて、この体を本当の人に取り替えようといわれても了解は出来ないように、この体にはわたしが何よりも大切に思う人との絆がある。だからわたしの体のことは気にしなくても大丈夫です。腕だって、千雨さんに何とかしてもらいますから」

 誇りを持つということは、たとえどう思われようとその信念を貫けるということだ。
 彼女は本当に自分の体に一切の負い目を持っていない。
 それは気落ちどころか暗い雰囲気を一蹴するほどに明るい声だった。

「……ね、ねえ、千雨ちゃんとか木乃香たちはほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫です」
「で、でも」
「大丈夫です。千雨さんたちはすごいんですよ。ネギ先生も明日菜さんも刹那さんも千雨さんも本当に本当にすごいんです。特に千雨さんは本当の本当に”魔法使い”になれる人なんです。ご自身でもわかってないみたいですけど、あの人が本気になったら、解決できない問題なんてあるはずないくらいに千雨さんはすごいんです。ちょっとお間抜けさんですから、いまは石になっているかもしれませんけど、この程度の石化なら千雨さんが間に合わないはずがない。だから今回も絶対に大丈夫にきまってます」

 さよが言う。なにが起こっているのかと、不安がるクラスメイトの心を照らすかのようなその断定。
 さよは一片も疑っていない。このまま木乃香がどうにかなるなんて、このまま千雨が止まったままだなんて、このままネギがリタイアするだなんて、そんなことを露ほどにも思っていない。

 ちらりとあやかが視線をめぐらし、さよの言葉に血の気を取り戻すクラスメイトの姿に、頬をかすかに緩ませた。
 あまりにいろいろと起こりすぎて、血の気を引かせていたクラスメイト。彼女達を元気付けるのはたとえ自分や先生だって無理だっただろう。
 そんなクラスメイト達が、さよの底抜けに明るい言葉と、不安を蹴散らし皆を勇気付けるそんな断定にかすかに血の気を取り戻している。

 なるほど、日ごろのさよの振る舞いも納得できるというものじゃあないか。
 幽霊だったという少女に、その少女からこれほどまでに慕われる魔法使いとやらの同級生。
 人の信頼。一片の曇りもないその感情。
 この状況で、それはここまで明るく人を照らし、ここまで心強いものなのか。
 いまこの状況で、それはどれほどまぶしく光るものなのか。

 あやかの笑みを千鶴が汲み取り、それがだんだんと3-Aの面々に伝播する。
 そう、彼女達は今の状況に不安がっていても、魔法使いとやらに恐怖しても、さよや千雨に恐怖はしてない。
 3-A生徒として過ごした同級生にほんのわずかだって不信感をいだいていない。
 さよが信じる千雨を信じ、絶対に大丈夫だと断言するさよの言葉を信じている。
 力がこもる、血の気の引いた顔に赤みが戻る、その顔には笑みがある。

 ああ、今この世の全てのものに自慢したい。全てのものに見せ付けたい。
 この誇りをこの絆を、そしてこの信頼を。
 そうだ、まさにそうなのだ。

 雪広あやかは改めて、このクラスが、このクラスメイトたちがどれほどすばらしいものなのかを自覚する。

 自分は、雪広あやかはこのクラスが、このクラスメイトがやっぱり本当に大好きだ。
 こぼれる笑みをそのままに、この状況下であっても冷静さを失わずにあやかが口を開いた。

「……さよさんが千雨さんと仲が良かったのもわかりますわね。ではネギ先生や明日菜さんたちも?」
「わたしは千雨さんとの間にパスが通っているんですが、ネギ先生のほうはちょっとわかりません。こんなことならほかに連絡手段を持っておけばよかったんですけど」
「千雨さんがたは携帯電話を置いたままのようですしね。まあ無理もありませんが、それでも、皆さんは誘拐犯が来るとわかっていたのでは?」
「もともと千雨さんや明日菜さんは木乃香さんの件を聞いていたわけではなかったそうです。たまたまそれに関わって手を貸した、と。ネギ先生も木乃香さんが狙われているということは知らなかったそうですし、ここに着いたことで油断した所為もあるのでしょう」
「明日菜さんもですの……あの方らしいですわね、それは」
「はい、本当に」

 その言葉に全員がかすかに笑う。
 神楽坂明日菜に長谷川千雨。なるほど、なるほど。本当に彼女達らしすぎる。
 そうして、ようやく落ち着きを取り戻したことを確認して、さよがあやかに手を伸ばした。

「それでですね、いいんちょさん。これを持っていていただけますか?」

 懐から取り出された手には光り輝くアメジストが握られていた。
 首をかしげるあやかにさよが右手を伸ばし、その手に宝石を握らせる。
 美しく、中に光源でも入っているかのように輝くそれは、すでに半稼動状態であることを示している。
 さよの持つ千雨の宝玉。その最後の一つである。

「……さよさん? これは?」
「お守りです。石化を治したり防いだり出来ますから。たぶん大丈夫だとは思うんですけど、もしまた何かあったときのために、それを持っていてください」
「もっていて、とは? さよさんのものでは?」
「わたしは千雨さんか木乃香さんたちと合流します。千雨さん相手ならパスから魔力を送れますから、会うことができればそれがなくても治せるでしょう」
「で、でもさよさんはどうするんですの?」
「あの力量を見る限り、わたしが正面からぶつかったらそんな宝石では気休めにもなりません。それは守りに使うべきでしょう」
「そ、それならその腕は? 治せるというのなら」
「わたしの腕はいま治してしまうと余計に危なそうですから。それにわたしは千雨さんと違って未熟なんです。千雨さんからもらったその宝石がないと力が振るえません。それが最後の一つですから、わたしの腕は後回しにします」
「そ、それは……」
「わたしはこれからここを出ます。ゆえに、皆さんは篭城を。あの、茶々丸さん、守りのほうをお願いしても?」

 腕を石にし、その上で彼女の口からは逃げの手は出なかった。
 その燃えるような瞳から見える宝石色の輝きは、まさに彼女が千雨の弟子であることを示している。
 いままで無言でさよの姿を凝視していた茶々丸が頷き、その頷きにおぼろげながら周りのクラスメイトがその関係を察する。
 数名が止めようと息を吸うが、魔法使い相手にそんな言葉を口にすることが正しいのかすらわからないままに、それは無音の吐息に代わる。
 この状況下で、魔法使いに助言できるのはそれに比類するものだけなのだ。

 そうしてさよが無理やり立ち上がろうと床を掻く。
 がりがりと畳をむしり、息を荒げてその体を持ち上げる。バランスが取りづらい。
 特に腕の石化が厄介だ。完全に停止しないだけましだが、過剰な対魔法加工がさよの行動をしばっている。
 だが、いま動けるものは少ない。最低でも千雨から頼まれた木乃香の身柄だけでも、とさよが足掻く。
 そうして、無理やり立ち上がろうとするさよの肩が、ぽん、と軽くたたかれた。
 一人きりで頑張るものを勇気付ける魔法なんて唯一つ。
 叩かれた肩にさよがその顔を上げ、その視線がその人物で固定される。

「ふむ。さよ殿。そう無理はするものではござらんよ」
「え?」
「木乃香殿のクラスメイトはなにもさよ殿と茶々丸殿だけではないであろう? 拙者もここは助太刀いたそう」
「あ、か、楓さん? それに――――」
「近衛のことは任せておけってことさ」

 そこにはいつものように読めない表情を浮かべた楓と真名が立っていた。
 そして彼女達からつむがれる言葉は、あまりに雄弁に彼女たちの立ち位置を語っている。
 自然と全員の視線が固定された。
 木乃香と一緒に席をはずす桜咲刹那と名を並べる、麻帆良学園都市の四天王。
 なるほど、元幽霊に、魔法使いがいるのだ。それなら忍者や仕事人がいたっておかしくあるまい。
 ただ普通に立っているだけでそれがわかる。この二人の本当の力というものが。

「わたしも奪還に回るとしよう。報酬は近衛詠春が払ってくれるだろうしね。ここまでコケにされて黙っているわけにもいくまいさ」
「さよ殿のおかげで何とかなったようでござるが、まかせっきりでは名が廃る。この不覚を拙者たちにも挽回させて欲しいでござるよ」
「ワタシもいくアル! さよや風香にあんなことして! 絶対に許せないアルよっ!」

 真名に続いて古菲も立ち上がった。
 そんな彼女たちを見ながら、さよは千雨の言葉を思い出した。
 ウチのクラスの魔法事情。
 さよ自身は絡繰茶々丸に桜咲刹那、それに時点でザジ・レイニーディ、とそれくらい。それくらいしか“実感”を持っていなかった。
 それは知りすぎるなといわれていたためだが、それでも真実の片鱗が得られないわけじゃない。
 彼女たちの肩書きのそれの意味。さよがその意味を改めて理解する。

 その力強さが力を戻し、その覇気が気力を戻す。
 ようやく調子を取り戻し始めていた3-Aの皆をよみがえらせる。
 木乃香も千雨も明日菜も刹那もネギも、誰一人欠けることなく、修学旅行を終えるというその未来。
 龍宮真名がふっ、と霞むような笑みを綻ばす。
 この麻帆良学園女子中等部3-Aが、いったいなにを悲観していたというのだろうか。


「うちのクラスは変わり者ぞろいなのさ。もう隠すもなにもないだろう。他のものたちにディフェンスと相坂の看病は任せよう。近衛たちのことはわたしたち三人に任せておきな。伊達に四天王なんて呼ばれてないよ」


 このクラスには悲観も失意も絶望も、そしてなにより諦めなんて、そんな言葉は似合わない。



――――――――――――――――――――



 本来はこの半分の量で後編まで入る予定だった修学旅行三日目夜の前編。
 この時点でフェイトさんは最強。余裕をかけてる状態。でも宴会場で深追いしなかったのはさよに気づいたから。



[14323] 第26話
Name: SK◆eceee5e8 ID:c2837d9a
Date: 2011/02/13 23:03

 真っ暗な意識の海。
 思考の大海。ゼロの空白。
 真っ暗な深層世界。

「なあ、ルビー」

 そこに千雨は漂いながら、虚空に向かって口を開く。
 本体がフェイトと名のる襲撃者に石化され、そのまま体とともに眠っていた意識が戻っている。
 だが体はまだ動かない。というよりも感触自体が実感できない。
 きっと本体はいまだ浴場で石像の真似事をしている最中だろう。
 そんななか、何もやることがない長谷川千雨の、やるべきことは決まっている。
 だから彼女は問いかける。寝ている彼女を起こすため。
 だって彼女はこういうときのための存在だ。
 だから、もちろん

「ん、なあに?」

 彼女から、返事が戻らぬはずがない。

「お前さ、あれ本気だったんだろ」
「……あれってなあに?」
「ずーっとまえのお前の言葉」
「……ずーっとまえのわたしの言葉?」

 千雨がたゆたう黒い海。その中で意識でつむがれるその伝達。
 真っ暗な世界の中で、ルビーの声だけが返ってくる。
 千雨の声にこたえるその声は、もちろん千雨の中で眠りについているはずの、カレイドルビーと名乗る英霊のものだった。
 ルビーの意思を内包しない、ルビーの無意識下の声が返ってくる。
 だけど千雨は頓着しない。
 だって、彼女はここがそういう場所だと知っている。
 その言葉がルビーの真実だけを語ることを、もう千雨は知っている。

「初めの日に言ってただろう。おまえの目的、おまえの願い。そしておまえがやらなきゃいけないその行為。桜さんを幸せにするのがお前の願いだって話だよ」
「……うん。そうね。まだ覚えてたんだ」

 声が戻る。
 ルビーから千雨への言葉が戻る。
 だんだんとルビーが目覚めている。
 休眠状態下に置かれ、石化した千雨とともに眠っていたルビーが目を覚ます。

「その願いのために、お前は世界に詐欺を仕掛けて喧嘩を売った。お前は幸せな人間をさらに幸せにしてそれで終わりか? んなわけねえ。桜さんの亡骸を抱きながら願った望みが、すでに終わっちまってるその人物の幸せだなんて、そんな曖昧なものであるはずない」
「……」

 ルビーが黙る。
 声は戻ってこなかった。

「初めの日に言ってたな。もう桜さんの系譜が見つかって、お前は幸せなその娘を見届けて、そしてわたしの力を借りてその娘に手助けできればそれでいい、と。でもそりゃ嘘だ。あんたは桜さんの幸せを願ったのか? あんたの願ったのは桜さんの救いのはずだ。不幸の救済と幸福の配達は別物だろう。誤魔化してたみたいだけどな」
「……」
「幸せなやつを幸せには出来ても、幸せなやつを救うことは出来ないって言ってたな。わたしはごまかされちまったけど、今ならわかる」
「……」
「なあ、ルビー。お前は人に最後の締めを譲るほど潔くはないんじゃないか? わたしはさ、お前にとっての“勝利”には、お前自身の納得こそが必要なんだと思うんだよな」

 千雨はもちろん気づいている。
 カレイドルビー。遠坂凛。
 彼女が軽口をたたきながらも実際には千雨に求めていたのは、千雨のためのことばかり。
 ルビーの目的のためと言い張った魔術のことも、結局は千雨自身のためだった。
 なら、なぜルビーはこんなことをし続けた? なぜ、長谷川千雨に助言と力を貸し続けたというのだろうか。

 間桐桜のことに気づけないままに、英霊として空に上がった遠坂凛。彼女の理解は、人からの伝達によっては得られない。
 凛自身が納得できる結末が必要で、彼女は自分が納得しない限りあらゆることを諦めない。
 そんな彼女が世界を渡り、そして間桐桜の依代から離れるはずがない。

 うすうす気づいていたその答え。
 それを千雨が口にする。

「なあ、ルビー。因子がどうとか言ってたな。桜さんの平行世界の存在は、桜さんとはまったく違う運命を歩んでいる。いや、それどころ、まったくの別人かもしれなくて、性格がまったく違うかもしれなくて、容姿が別物であるかもしれなくて、男であるかもしれなくて、ってな」
「……」

 千雨の独白。
 だがそれにルビーが耳を済ませていることに、長谷川千雨はもちろん気づいている。

「別の世界に自分を召喚するための召喚し、そいつが依代の宝石を拾えばだれでもいいだと? んなわけねえ。聖杯戦争という整った舞台ですらあんたは間桐桜の下にしか召喚されることが出来なかった。そのお前がまったく別の平行世界に宝石だけ送り込んで、それでおわり? 拾った相手に魔力があればそれだけで起動する? あほくさい。それじゃあ、その世界にもし桜さんの因子とやらがなかったらそれでもう終わりじゃないか」
「……」

 千雨がため息。
 ルビーは賢く、そして同様に長谷川千雨もそれがわからないほどに馬鹿じゃない。

「よくいうぜ。桜さんの魂に呼び寄せられる? そんな曖昧なものじゃない。あんたは桜さんとの“絆”によって自分から引き寄せられれている。だからこそ、あんたはその絆を持つ人物が、あの桜さんとはまったくの別人だろうと、力を貸そうとしてるんだ。じゃなきゃ、お前が力を振るうはずがない。魂の有無だけに縛られて、それを呪いのように履行させないために、お前はおまえ自身による選別権を握っている。知ってはいたと思ってたけど、お前はやっぱりとんでもないな」
「……」

 かつてルビーが言っていた。
 この世界に“桜本人はいないけど”と、そんな言葉を言っていた。

「だからこそ、お前はお前の基準で桜さんの系譜に手を貸してるはずなんだ。たとえその相手がお前以外には“別人に見える相手”だとしてもお前が桜さんの魂と宿していると感じていれば、それはお前にとって真実だから」
「……」
「そう、他人から見れば丸っきりの別人だ。そいつは魔術師じゃないかもしれなくて、魔法使いじゃないかもしれなくて、性格がまったく違うかもしれなくて、生まれも育ちも別物かもしれなくて、誰が見ても桜さんとは別人かもしれなくて――――」


「――――もしかしたらこの世界の間桐桜は、友達のいないパソコンオタクで、その挙句ネットアイドルなんて因果な趣味を持った根暗の女かもしれなくて……」


「……千雨、あなた」
 ようやく戻るルビーの言葉。
 ようやく目を覚ましたらしいルビーの声に、千雨がかすかに微笑んだ。

「あんたは桜さんの系譜にしか召喚されることができないんだろ? だったらこれは自明だろうさ。なにが偶然頼みだよ、嘘吐きめ。桜さんの因子に呼ばれるなら、桜さんの因子を探す必要なんてないんだ。なあルビー、巻き込まないためなのか、巻き込ませないためなのかは知らないが、これは“そういうこと”なんだろう?」
「……そう。やっぱり気づいてたの」
「当たり前だ。あんだけ分かりやすい誤魔化しで、いまだに気づいてなかったらただのバカだろ」

 千雨の言葉にルビーが微笑む。
 依代の言葉、カレイドルビーの召喚主のその言葉。
 そしてなにより、それは間桐桜の依代の言葉である。

「わたしはあなたに桜を見た」
「ふん、だったらそうなんだろう。わたしにゃわからんが、あんたの行為は間違いなんかじゃないってことをあんた自身は知ってるはずだ」

 千雨は笑う。
 本体が石になり、だけど自分の体はルビーの力に守られて、自分の魂はルビーの力で保護されて、自分の意識はこうしてルビーのもとに守護される。
 そりゃそうだ。守護者、守り手、サーヴァント。
 忘れちゃいけない。カレイドルビーはもともとそういうものなのだ。

 だけど長谷川千雨の元に降り立った彼女はサーヴァントであってサーヴァントではなかった。
 千雨とルビーは対等で、お互いに平等で、二人の関係は契約の下に結ばれた。
 ゆえに千雨は決めていた。ゆえに彼女は考えた。こいつに守られ、こいつに作った借りを必ずこいつが帰る前に返してやろうと考えた。
 この身を守り、力を授け、見守って、いまこうして自分を石化の呪いから解き放とうとしているルビーに対して、その対価を示してやろう。
 だってわたしは、ルビーによって桜さんと同格だと認められているのだ。
 そんな自分が無様を晒せば、それは間桐桜を侮辱することとなる。

 間桐桜の分身が、お前の力に感謝をささげ、その力を自身の幸せのために使ってやろう。
 存分に、力の限りお前の力を振るってやろう。
 お前が消えるその前に、お前の力が“わたし”のためにどれほど役立ったかを見せてやる。
 だから行こう。いますぐに。止まってなんていられない。

 なぜならば、この身はお前の妹と同じ誇りを宿しているはずなのだから。

 その宣誓にルビーが笑う。
 自分の存在意義と、それに答えてくれる千雨の言葉にルビーが笑う。
 ああ、そうだ。そうこなくちゃいけないわよね、長谷川千雨。
 もちろんだ。そうでなくちゃいけないだろう、カレイドルビー。
 二人の意識が交じり合う。

 さあ、それでは、はじめよう。
 うん、それじゃ、はじめましょう

 さて、それでは、


 ――――長谷川千雨の名において“最後の令呪”に命じよう。


 関西呪術協会総本山の大浴場。
 パリン、と殻が破れるように長谷川千雨の体を束縛していた石が割れ、全身に魔力の渦を纏わせる長谷川千雨が目を覚ます。



   第26話




 鬼に囲まれ剣を突きつけられ、震えながら泣きながらそれでも木乃香のことを考えて剣を振るう明日菜の姿。
 後ろと前と、そして横に立つものと。意識を割きながら状況に歯噛みするネギの姿。
 野太刀を振るい、闘気を走らせ、木乃香をさらった誘拐犯の一味を睨みつける刹那の姿。

 そんな彼女達の元へ向かう三人の人影がある。
 長瀬楓、龍宮真名、古菲の三名。
 本山から出て、裏庭をかけぬければ、すぐそこだ。
 木々を抜けた先にある大きな広場。
 そこではすでに戦渦が広がっていた。

 ネギたちの気配を感じ取り、まず遠距離用の技を持つ楓と真名が動いていた。
 ネギ・スプリングフィールドと犬上小太郎の間に大手裏剣が突き刺さる。
 神楽坂明日菜と向き合う鬼が振り上げる大剣を、龍宮真名の銃弾が打ち抜いた。

 不意打ちに近い強襲と、その技術。
 残像、多重影分身、陰陽加工鉄鋼弾。
 突然の増援に、明日菜たちが目を丸くし、なぜか刹那と対峙していた月詠がくすくすと笑っていた。
 彼女はこういうハプニングが大好きなのだ。

 瞬く間に、近衛木乃香を依代に召喚された鬼たちが消えていく。
 そうして十秒と立たないうちに、戦場で囲まれていたネギたちの周りに空白を作り出し、ハアハアと息を吐くネギや明日菜、刹那たちのそばに龍宮真名、長瀬楓、古菲の三人が降り立った。

「苦戦しているようでござるな、ネギ坊主」
「な、長瀬さん!?」
「ここは拙者に任せ、いくでござる。急がねば、千雨殿に申し開きがたたんであろう?」
「えっ!? あ、あの、千雨さんは?」
「これこれ、混乱するでない。さよ殿たちが向かっておるよ。大丈夫、彼女ならばきっと“すぐに駆けつける”。さよ殿のお墨付きでござる」

 その言葉にネギがようやくこの状況下で強張り続けていた表情を和らげた。
 突然襲われた総本山。
 千雨からの声が届いた数瞬後に、現れた石使い。
 不意をつかれた近衛詠春が身を挺して皆をかばい、そしてネギたちが逃げる隙をつくり、その挙句、今はこんな状況だ。

 今この瞬間にネギたちが動ける側にいるのは詠春のおかげだが、今まだ解決していないということは詠春も敗退したという意味だ。
 木乃香と一緒に一旦は逃げられたというのに、力量不足でたった一人に翻弄されて、目の前で木乃香を奪われた。
 その不甲斐なさにくわえ、千雨とパスが繋がらない状況がネギの精神を削りつづけていたのだ。
 千雨との言葉は繋がらないままで戦い続けた。
 きっとこのままではジリ貧だっただろう。

 千雨が立ち向かったということはわかっていた。そして敗れたのだろうことも理解した。
 でもネギには千雨から頼まれたことがあり、近衛詠春から頼まれたことがあり、明日菜と刹那とともに絶対に揺るがさない事柄を決めていた。
 それは木乃香を優先するということ。それはその他を優先しないということ。

 だって、近衛木乃香は自分達の目の前でさらわれたのだ。
 だけど負けたわけじゃない。
 それに助けを求めるといっても、いったい誰に?
 千雨が負けて、この本山が襲われて、そして主である近衛詠春が敗北した。
 近衛詠春こそが行っていた。今日の本山に人はなく、石使いが語る言葉によればすでにネギたち以外に敵はない。

 ならば、さらわれる間際に、ネギを信じ明日菜を信じ刹那を信じ、そしてその場にいない千雨を信じて、泣き言も弱音も吐かずにただ信頼の視線をよこした木乃香に対して、どう報いるのが正解だ?
 そんなもの、自分たちでどうにかする以外にありえない。
 いつか誰かが言っていた。

 自分の望みに他人の力量をあてにするほどばかばかしいことはない。

 だからこそネギたちは皆を信じて、近衛木乃香を追いかけた。
 茶々丸を信じ、さよに託し、その他のクラスメイトを信頼し、そしてもちろん長谷川千雨を当てにした。彼女たちに厄介ごとを押し付けて、彼女たちに起こる問題を彼女たち自身に任せると決めて、ネギたちは自分達がやるべきことを成し遂げようとここに来た。
 向こうにはさよたちがいる。ならば自分たちには、木乃香を放り出してまでやるべきことなんてなにもない。
 だから半ば以上、援軍など期待してはいなかった。
 だけどそれでも千雨を放置できるというわけじゃない。割り切れるはずがない。こうして千雨の無事を聞くことが出来たのは、ネギたちにとって僥倖だった。
 それならば、自分たちに課せられた責務は“ひとつ”だけ。
 近衛木乃香を追いかけて、無事に取り戻すだけである。


   ◆


 もちろん森を抜けた草原広場。そこでも戦いは繰り広げられている。
 ネギたちを逃がし、そのまま鬼の相手を買ってでた三人が、鬼を、句族を、二刀使いを相手取る。

「ひゃー、アレが魔法使いあるか。随分ごついアルね」
「アレは魔法使いに召喚された鬼だな。古、お前は人間大の弱そうなやつだけ相手をしてくれればいい」
「あ、バカにしてるアルね!」

 そんな会話を交わしながら、トンと踏み込み、古菲のコブシが鬼をうがち、二丁の拳銃を構える真名がその銃に込められた術式加工弾で周りの鬼を消し飛ばす。
 明日菜のように召喚解除として振るわれる技と異なり、古菲たちが振るうのは敵を殺すためのそれである。
 結果として召喚を強制解除しているだけで、行為自体は純粋な殺害技。
 相手が式だからその体は打ち倒されると同時に虚空にとける。
 だが、古菲たちの技法の底には敵を打ち倒すために練り上げられた歴史が見て取れた。

 当然なのだ。
 忍びとして修練を積んだ楓や、もともとそういう道を歩んでいる真名と同様に、古菲も師からその技術を学んだものの一人である。
 どうにも勘違いされているが、古菲は技術と精神を両立させて尊ぶ中国武術の最高峰の一端を“納め終わっている”存在だ。
 彼女の行う修練は新たな可能性の探索と究めた道の発展であり、現在の彼女の技術自体に、ほころびや欠けは存在しない。
 伊達や酔狂で、師から皆伝の証として双剣を預かっているわけではない。
 古菲の技と精神は皆伝位のそれである。

 だからこそわざわざ魔法を知らなかったものの中から古菲が同行し、だからこそ、他の魔法生徒を真名や楓は同行させなかった。
 だって、生半な術者では耐えられまい。
 戦える力を持っていることは問題ではない。戦える精神を持っていることが肝要なのだ。
 剣が降られ、矢が飛び交う合戦場。
 自身の実力に裏打ちされた信念から冷静さを保っている楓たちに、ただその意志力と意地だけでついていける明日菜やネギが異常なのだ。
 この場に立つことは、魔法が使えるだけでは許されない。

 だがそれでも、古菲たち三人にできるのはこの戦場の打破までだ。
 なぜなら彼女たちはそれをネギから任されているのだから。
 古菲が鬼を蹴散らし、刹那の代わりを務める真名が月詠と、そして楓はネギと入れ違いに小太郎と向かい合う。

「邪魔すんなや。俺は女を殴るんは趣味と違うんやで?」
 戦いを横から邪魔された形になった小太郎が不満そうな顔に楓に向けた。
「ふむ、年長者にはもっと敬意を払うものでござるよ。少年」
 いつものように手ごたえのない笑みを浮かべながら楓が答える。
 その横で、月詠と真名が戦いを始めたが、楓たちは身動ぎひとつしないままに自分の相手を見据えていた。

「ふ、コタローといったか。ネギ坊主をライバルと認めるとはなかなかいい目をしているが、いまは拙者のほうがネギ坊主よりも上手でござる。お主はここで、拙者の相手をしてもらうでござるよ」
 ゆらりと楓の体が揺れる。
 そこに付け入る隙はない。
 闘気をみなぎらせて大気を震わせていた小太郎が視線をようやく楓に固定する。
 この女の横を抜くのは不可能だろう。いまさらネギを追えないことを小太郎が理解した。
 そして同時にこの女の相手を自分がするのだということも。

「ちっ、勝負にチャチャいれおって」
「なに、いまネギ坊主は忙しい。戦いたいならまた次の機会をまつでござる」
 そんなものあるはずないと、小太郎が舌打ち一つ。
 だが反論はせずに、納得したのか観念したのか小太郎が構えを取った。

「……なあ、やる前にちょい聞いときたいんやけど、あのわけわからんお姉ちゃんは来てへんのか?」
 そのまま、ちらりと同じ戦場で鬼と戦う真名と古菲に視線を送り、一言楓に向かって問いかける。
 戦う前の最後の会話だ。ひとつうなずき楓が笑って答える。
「千雨殿のことか。フム、拙者の友人が言うには、足止めを食っているそうだが、気になるのでござるか?」
 きりきりと二人の間で弓弦が引き絞られる。
 一触即発のその空気をむしろ楽しむように小太郎までもがにやりと笑った。

「ネギがなんや気にしとったからな。なんやあのお姉ちゃんをやったんはこっちの新入りらしいし、それに俺もちょいと借りがある」
「さすが千雨殿。人気者でござるな。なにやら不覚を取ったそうでござるが、彼女の元へはさよ殿たちが向かっているゆえ……ふむ、というよりそろそろかもしれんでござるよ」
「あん?」
「いやなに、期待して待つといい。彼女のことだ、いきなり空から降ってきてもおかしくない御仁でござる」
「はっ、それは楽しみや!」
 天を指差した楓がにやりと笑って印を組み、それを見た笑いながら小太郎が地に術手をたたきつけ、


「――――!」


 次の瞬間、どこか遠くの空で光が上がり、楓の分体術が稼動して、小太郎の狗神が放たれた。


   ◆


 風を切りながら長谷川千雨が空を翔る。
 千雨が京の空を駆けていた。
 服は浴衣で髪は素のまま、メガネも無し。
 だがその体にみなぎる魔力はいささかの損ないもないほどだ。

 空を飛べないはずの長谷川千雨が、ルビーの力を操って空を跳ぶ。
 遠見で鬼の戦場を確認し、さよから聞いた状況と、ネギとのパスから響く言葉を咀嚼する。
 長谷川千雨は理解している。
 ネギとの念話に、森に漂う戦の気配。そして遠く、湖の前に広がる大術式。
 真名と古菲は近衛を媒体に生み出された鬼の相手。
 刹那は月詠と、楓は小太郎か。銀髪は必然ネギと明日菜。
 この状況を読み違えるわけにはいかないだろう。

 近衛はいまだに呪符使いの手の中だ。話を聞くに殺されることはないのが、ぎりぎりの生命線。
 近衛木乃香の魔力を用いて、鬼を生み出したというその技術。
 それが本領を発揮するその前に、

「…………――――!」

 ぴたりと空を走る千雨が足を止め、森の中の木の上にひょいと降り立つ。
 重力を無視したようなその動作。
 そのまま、ネギたちどころか、楓たちにも届かないほどの遠方で、一つの針葉樹の上に降り立った。
 千雨の視線の先、光り輝く巨人が生まれたからだ。

 魔力光を撒き散らす神の化身。リョウメンスクナの名を持つ大鬼神。

 ギリ、と千雨が歯噛みする。
 だって、それは間に合わなかったということだ。
 ネギに言葉を飛ばせば、向こうもかなりまずそうだ。
 あちらもあちらで忙しそうだが、近衛木乃香が生きているという情報をまず確認。
 混乱とあせりが見える言葉から、まずは状況を把握する。
 あれはいまの千雨の技ですら打ち倒せない。

 近衛木乃香を基盤とした召喚術。
 それによって生まれた大鬼神。その覇気が肌を焼く。
 その存在がただあるだけで、周囲一帯に張られている認識阻害をはじめとする結界が揺れていた。
 今の千雨はルビーの力を宿している。いままでと異なり、今の長谷川千雨はカレイドルビーそのものだ。
 魂が交じり合い、その挙句、今の千雨はその力を完全な形で借りている。
 今の千雨は無敵のはずだ。英霊の魂を一時的に借り受けて、英雄の力をその令呪を鍵にその身にまとう。

 だが、それでもその力は本当のルビーには及ばない。あの鬼神には届かない。
 それを理解して彼女はギリと歯を鳴らしながら、その戦気に自らの体を震わせる。
 いまの自分があれに届くか?
 本当にあの鬼神に倒せるか?
 今この場で自分は何をすべきか、と――――


 ――――と、そのリョウメンスクナに向かって光が走った。


 動きを止めていた千雨のものではありえないその雷撃。
 スクナのたつ湖のほとりの一角から放たれるそれが誰のものかを長谷川千雨は知っている。
 広大な森の少し大きな木の上で、長谷川千雨はただ一人でそれを見る。
 ネギの雷撃を伴う風の槍。
 覚えのあるその気配。ネギの必殺、渾身の大魔法。

 ネギの雷撃が巨人を撃ち、しかし当然のように、それは巨神にはじかれた。

 目を丸くして千雨がそれをみる。
 驚いたように、予想外なものを見たかのように、まるで寝ぼけていた頭がようやく覚めでもしたのかのように。
 改めて、自分の恋人の無謀さと、その強さを認識でもしたかのように、その光景を凝視する。
 そうして千雨はにやりと笑った。
 そんな千雨にパスの先からネギの声。

 効かなかったと、自分の最大の一撃が効果を上げずに受けられた、と。
 そして“何か次の手はあるか?”とのネギの問い。

 当然だと千雨は頷く。
 当たり前だと千雨は答える。
 そりゃそうだ。届かないからなんだというのか、敵が強いからどうしたというのだろうか。
 嘆く必要なんて何もない。あきらめる必要なんてありえない。
 立ち止まって動けなくなることが一番の問題だ。
 ネギに念話を送り、自分もその魔力を体の中から滲ませる。

 危ない危ない。
 ビビった末に戸惑って、機を逃していたんじゃ笑い話にもならないだろう。
 さすがに死の概念を内包する大鬼神。その迫力に押されてしまった。

 戸惑う必要なんてありえないことを見せ付けられた。
 ネギが雷撃を放ったように、やつは倒すべき敵であり、そして何より明白なことがある。
 わかりきったその真理。
 あれが近衛木乃香を使う生み出され、それがこうしてわたしたちを打ち倒そうとしているこの現状。
 そこから導き出されることはただひとつ。つまり、あれが誘拐犯の“目的”だったということだ。

 ならこれは劣勢とは呼ばないだろう。いま近衛木乃香は依代として生きていて、そして近衛を依代に生み出された鬼が眼前に。
 ならあいつを打ち倒せば、それがすべての終幕だ。
 そう考えれば、あの化け物だってかわいらしく思えてくるじゃあないか。
 近衛木乃香の代償だ。あれくらいでなきゃむしろ期待はずれって物だろう。

「はっ、上等」

 ようやく目を覚ました千雨の耳に届く小さな小さな笑い声。
 どこから漏れているのかと思えば、それは千雨の口から漏れている。
 近衛を生け贄にするならば、一足飛びに世界征服を願ったところで釣りが来る。
 だってのに、いまわたしたちがすべきなのはアイツを倒すことだけだ。
 ならたとえあの鬼神が強大だろうと、それを嘆くにゃあたらない。

 そうだ。ようやく目が覚めた。
 ネギ・スプリングフィールドの無鉄砲もたまには役に立つじゃあないか。
 さよが断言したように、かつてルビーが告げたように、この力を持って果たせない願いは存在しない。

 宝石の魔女の底力。宝玉の魔法使いの真骨頂。
 長谷川千雨が振るうにはまだ早いはずのそれが、いまこの瞬間だけは令呪の印の元に許される。

 さあ、そろそろやつらに目に物を見せてやる。
 それじゃあ、


 ――――わたしたちを見くびったあいつらを、見返してやることにしようじゃないか。



   ◆◆◆



 戦い場。鬼とクラスメイトが入り乱れて戦う、森を抜けた先にある小さな広間。
 遠く離れた場所で鬼神が生まれたのが、そこから見える。
 太古の神の封印が解かれ、リョウメンスクナがその巨体を見せ付けて、それでもこの場の戦いに乱れなんて存在しない。

 雑魚は根こそぎ蹴散らされ、統括官クラスの鬼が十数名残っているそこに、麻帆良四天王、古菲、龍宮真名、そして長瀬楓がたっている。
 彼女たちに油断はなく、遠くに光る巨体を見ながらも、自分たちの役目を認識してその力を振るっていた。

 それは他者を、仲間を信じているということだ。
 この状況下でまったく心を揺らさないほどに信じている。
 だから、もちろん、その瞬間に起こったことにも、彼女たちは驚かなかった。

 ――――!

 ギロリと鬼が上を向く、
 腕を固められていた小太郎と、小太郎を抑えていた楓が空を向く。
 刀と銃を向け合っていた月詠と真名が空を向く。
 鬼を討っていた古菲が空を向く。

 遠く離れた大鬼神、先ほど足元から放たれた雷撃をはじいていたそれに“もう一撃”が飛んできた。
 どこから? そんなもの見ればわかる。
 誰が? そんなことこの場にいる麻帆良の人間は当然のごとく気づいてる。
 そんなもの、あの相坂さよがあれほど信じた、彼女の師に決まってる。

「くっくっく。空から降ってくるどころではなかったか。さよ殿が信頼するのもわかるでござるな」
「さすが……というのもバカらしいな」
「すごいアルねえ」

 驚いたように、小太郎と月詠とそして鬼たちが目を向ける。
 鬼神を揺らめかせる大斬撃。

「はわ~。すごいですなあ、お姉さん方はあれ誰の仕業かご存知なんですかぁ~?」

 その言葉に麻帆良四天王の三人がにやりと笑う。
 その答えは明白すぎるほどに明白だ。
 さあ、そろそろ役者もそろったようだし、

 このはた迷惑な騒動の終幕に入ってもいい頃合だろう。


   ◆


 光斬撃がスクナを揺るがし、それが二度三度と繰り返される。
 遠く、暗い森の中。そこから放たれる光の連撃。
 技も何もないただ物量のみに支えられた魔力の光がスクナを揺るがす。
 倒せないからなんだというのか、それは効かないとは同義でない。
 その一撃は動きを止めて、その一撃が巨体を揺らし、ならばそこには意味がある。

 石化封じの宝玉を手に巻いたままフェイトと向き合うネギが、そのあまりにも力技な一撃に微笑んだ。
 石化を封じる己の力を振るいながら、ネギとともにフェイトに向き合っていた明日菜がその光に微笑んだ。
 遠く離れたその場所で、千雨が自分たちと一緒に戦っていることを理解して彼ら二人の体に力がともる。

 ネギと明日菜を目の前に、驚いたようにそれを見る石使いもそれを見る。
 フェイト・アーウェルンクスも、これが自分の石化術により止まっていたはずの“彼女”によるものであると理解して、感心したように息を吐く。
 知るべきだと考えた未知の術式、必要ないと切り捨てた敵側の秘譚神秘。
 だが、そんな彼の思惑を吹き飛ばすかごとく、こうして自分に見せ付けられる法則破りの無限鉱。
 調べて話して、あげく石化させればそれですむなんて、そんな簡単な相手ではなかったらしい。

 そうして当然ながら、ネギたちから離れたスクナの周り、そこにいた刹那と千草もそれを見る。
 効くはずのない斬撃が繰り返されて、それが回を増すごとに強くなる。
 効くはずのなかった斬撃が、回を増すごとに強くなる。

 スクナの肩に乗っていた呪符使いはその魔術をスクナの力で受け止める。
 最初の一撃は笑っていられた。
 次の二撃目が力を増したことに眉根を寄せた。
 続く三撃でその嘲笑が凍りつき、四度繰り返されればただひたすらに理力を上げ続けるその技に、もはや理解が及ばない。

 底なしなんてレベルじゃない。
 複雑な式なら納得できる。強固な術なら理解できる。だが、あれはいったい何なのか。
 無限の魔力が渦巻く森の奥。そこから繰り返される大斬撃。そんなものに理解も分析も何もない。

 光に打たれるリョウメンスクナ、その肩に乗ったまま近衛木乃香を胸に抱く、西の符術士が初めてうろたえるその姿。
 ありえない一撃。終わりの見えない底なしの魔力光。理解の及ばないその術理。
 それに思考をのっとられ、はるか彼方の森の先に視線を送る千草の姿。

 攻め手がないと止まっていた刹那が空を跳ぶ。
 天ヶ崎千草の隙をうかがい続けていた刹那の瞳に光が宿る。
 リョウメンスクナと向き合いながら、ただひたすらに己の守るべき人を抱える千草を伺っていた半鳥族。

 ありえざるものを見た千草の狼狽。
 つまるところそれは、リョウメンスクナを制御する生命線である“近衛木乃香”を胸に抱く、天ヶ崎千草の見せる明白な隙であるからだ。


   ◆


 スクナからも鬼たちからも離れた森の中。
 一本の木の上で長谷川千雨が手を振るい、その手から光が生まれ飛んでいく。
 己の中に宿る宝石剣。千雨に埋め込まれたそれが起動する。
 いつかあったその光景。

 いつかどこかの世界の中で、泥でできた巨躯を一刀の元切り裂いた遠坂凛の“光”があった。

 泥の巨人に囲まれた遠坂凛が放ったその一撃。
 遠い平行した世界の果てで、ルビーの前身が放った技がある。
 泥の巨人を打ち倒したその技は、宝石剣を利用した純魔力の放出だった。
 大気から魔力を取り出し、それを撃つその技術。それを次元をシフトさせて繰り返す。

 エヴァンジェリンとの初対面で負った傷を癒した隠し玉。第三魔法の鍵であるそれはルビーの半身で、そして千雨と融合した彼女の魂そのものだ。
 かつての凛の技を、研鑽されたルビーの技術で加工して、それをルビーが宿った千雨が振るう。
 外の世界から魔力を装填。十の世界から引っ張った魔力を放つ。
 それが大きな光となって京の夜景を二つに切り裂く。
 光り輝く神の化身がその一撃を受けて小さく揺れる。

 千雨はまったく表情を変えずにダメージ計算。
 与えたダメージとフィードバックを再推算。
 まだ弱い。再装填。今度は十五。
 腕の筋繊維が裂け始める。
 だが、それがなんなのだ。
 それで千雨やルビーが動きを止めるはずがない。

 旅館でわたしの元へ来た相坂さよは、腕が千切れていたではないか。
 後ろにクラスメイトを従えて、わたしの石化を治したあいつは、泣き言など言わなかった。
 あいつは、あいつらはわたしに近衛木乃香を助けてくれと頼み、わたしはそれに頷いた。
 ならば、わたしがあきらめるなんて選択はありえない。
 無駄なんてことはありえない。

 ゆえに千雨は自分にできることをするだけだ。
 鬼に向かって光剣を放ち続ける千雨の姿。
 三発十発二十発と繰り返されるその奥義。

 ――――と、そんな千雨に対してネギから念話。

 ほら、やっぱり無駄じゃない。次の選択が現れた。
 ネギの情報と助言を受けて、千雨はひたすら繰り返されるかと思われたそれをいったん止める。
 近衛木乃香と刹那の事情。
 荒げる息を整えて千雨が遠見を行えば、ネギの言葉通りに空を飛ぶ刹那の姿が見えた。
 なるほどと頷き、思考切り替え。
 大神の肩に術者がのっていて、ネギの言葉通りにその手元には近衛がいる。
 斬撃で揺らすのはここまでで、しかし、それで千雨に手がなくなるはずがない。

 まったくひるまず、先ほどまで繰り返していた大奥義の術式工程を全キャンセルして、術式を編みなおす。
 そう、この身は長谷川千雨であり、遠坂凛であり、そして間桐桜である。
 七色宝玉、無端光。三稜鏡の魔法使いの依代だ。
 無限の技を内包するルビーに手詰まりだけはありえない。
 攻撃が木乃香を傷つけるというのなら、足を止め、相手をつかんで止めるような術理を用いればそれでよいだけのこと。

 そう、確か。

 まさに先ほどの剣戟の記憶の中にそれがある。
 そうだ、いつか遠坂凛が光を放ったその光景。
 遠坂凛が光を打ったその背景。
 そう、その記憶、その記録、その中に、


 ――――いつか、遠坂凛の光の一撃を受けていた“巨人”がいたはずだ。


 それはいったい誰の技だったのか。
 遠坂凛の光の宝剣を受け止めた魔人を生み出したのは誰なのか。
 それは間桐桜にほかならない。

 ゆえに、その記録にはそれがある。
 無尽蔵の魔力庫を後ろに背負った間桐桜の技術があった。
 そして、今の千雨はルビーであって凛であって“桜”である。ならば、それが使えないはずがない。
 間桐桜の技を長谷川千雨が再現できないはずがない。

 千雨の体から無限の魔力があふれ出す。
 大気の魔力を吸い尽くし、体に装填。
 粘土をこねてそれを放出。次元をシフトしてそれを延々と繰り返す。

 相坂さよが言っていた。
 それを看病していたクラスメイトに言っていた。長谷川千雨に言っていた。当たり前のように言っていた。
 千雨は絶対に強いのだ、と。

 ああ、そうだ。相坂さよ。お前の言葉に嘘はない。
 わたしはお前の言葉を裏切らない。
 やつらに、長谷川千雨のすごさを見せてやる。お前が信じるお前の師で親友で、そしてずっと一緒にいると誓ったものの力を見せてやる。

 そう呟く千雨が針葉樹の上で術の起動。
 千雨の腕の先から生まれたそれが空を駆け、長谷川千雨の目の前で、長谷川千雨のその横で、長谷川千雨の視線の先で具現する。
 先ほどから光剣を放ち続けていたものの停滞と、その数瞬後に生まれるその力。

 あきれ果てる四天王の視線の先に、
 自慢げに胸をそらす明日菜の視線の先に、
 笑顔を見せるネギ・スプリングフィールドの視線の先に、
 そして“リョウメンスクナ”の目の前で、その巨人の光体が具現する。

 第三魔法の欠片を使った間桐桜の泥の巨人と第二魔法の真髄に踏み込んだ遠坂凛の光の剣戟。
 無限の魔力を平行世界から取り出すルビーの術式と、無尽の魔力を元に生み出される大人形。
 二種の“魔法”の片鱗が組み合わさった大魔術。

 リョウメンスクナを倒すには足りなくとも、その足止めなら十分で、そして何よりこちらの数は無制限。
 光泥の巨人がスクナをつかみ、はじかれて、吹き飛ばされて、打ち倒されるそばからその巨体が増えていき、その隙に桜咲刹那が木乃香を奪う。

 翼を羽ばたかせながら木乃香を抱く刹那の姿。
 強化した視力でそれを見ながら千雨が笑う。
 魔術回路を斬撃技に再シフト。
 筋繊維の断裂から始まり、内腑の裂傷。
 すでに口から血を滴らせていた千雨がネギから念話を受け取って頷いた。

 あと少しだけ持ちこたえてくれと、その言葉。

 いいだろう。あと少しだなんていわないで、あいつが倒れるまでだろうとやってやる。
 ネギと明日菜もあの銀髪相手に頑張っていたようだ。
 ここで自分が不甲斐ない真似をさらすわけには行かないだろう。

 残る巨人を操って、光の斬撃で動きを止めて、その対価に血反吐を吐いて、それをひたすら繰り返す。
 だんだん意識が薄くなる。
 燃料は回っている。筋繊維の切断なんて無視できる。
 だが、ルビーの置き土産が消えていく。
 令呪のサポートが薄れていく。
 歯を食いしばる。間に合うか?

 と、そこで、長谷川千雨の耳に言葉が届く。
 あきらめなければ絶対に、と歯を食いしばる千雨の横から声がする。


「――――頑張るじゃないか、半人前」


 長谷川千雨の横から声がして、ポンと肩をたたかれる。
 ようやく来たかと、頬を緩ませる千雨の横で、そんな当たり前のように告げられるその言葉。

「なるほどな、ネギのいってたのはてめーのことか」
「そういうことだ。ついでに、もうあと十秒ほど踏ん張れたなら、あとで一杯おごってやろう」

 そんな台詞とともに千雨のそばから気配が消える。
 目を向ければ、その姿はすでになく、視線を飛ばせば、すでに金髪を夜空になびかせるその背中がスクナの前で浮いている。

 それはもちろんエヴァンジェリン・マクダウェル以外にありえなく、そして彼女こそが最終幕の降ろし手だ。



   ◆◆◆



 そしてエヴァンジェリンの言葉通りに、ほんの十秒であれだけ千雨の一撃に耐えていたリョウメンスクナが打ち破られた。
 さすがに世界最強と呼ばれる女だ。
 最強を間借りしているだけの自分とはわけが違うらしい、と千雨が笑う。

 エヴァンジェリンが来て、それだけですべてが終わった。
 氷漬けになり砕け散る鬼の姿。
 木の上から降りて、地面に倒れたまま木々の隙間からそれを見る。
 戦いの気配が消える。
 鬼は四天王が大半を倒したようだし、あの鬼神はエヴァがやった。
 いいところを持っていかれてしまったようだ。

 ネギのほうもどうにかなったらしいと、千雨がネギからの声を聞く。
 銀髪もエヴァンジェリンにやられて退散したとネギから伝えられた。
 明日菜に渡した誕生日プレゼントが意外に役に立ったらしいが、詳しく聞くのは今度になるだろう。

 はあ、と千雨が息を吐く。
 ようやく一段落をつき、同時に千雨は自分の中から、魂の欠片が消えていくのを感じていた。
 魂とは意思である。無くなれば死ぬが、減じることは死ではない。
 意思とは他者からもらうこともできるし、自分で増やすこともできる魂の通貨である。
 しかし、千雨は顔をゆがめるのを止められなかったし、涙を止めることもできなかった。
 しっとりとして夜の森で、静かに涙を流さずに入られなかった。

 なんとまあ、気づかなかった。
 いつの間にか、あの女はここまで自分の中で大きな位置を占めていたらしい。
 だが千雨はそれに慟哭を返したりはしなかったし、その悲しみを苦しいとは類さなかった。

 なぜならば、これは“彼女”の望み通りであるはずだから。

 そうして、そのままほんの数分。
 ボウと森の中で仰向けに寝転がっていた千雨がピクリと動く。
 気配を感じて後ろを向いた。

 そこに立つ一人の男。銀髪の石使い。
 女が泣いている姿を勝手に見るとは紳士の風上にも置けないやつだ。
 千雨は無言のまま涙をぬぐって、ついで倒れたままその男に言葉を送る。

「やられたかえりか、誘拐犯?」

 こくりとフェイトが頷いた。
「ああ、ダークエヴァンジェル相手は分が悪い」
 千雨は特に戦闘を行う気配を見せない。
 それはフェイトも同様だった。

「ふーん、やっぱすげえな、あのちびっ子。で、お前はわたしに意趣返しでもする気かよ?」
 フェイトが首を振った。
 やっぱりか、と千雨が頷く。
 こいつらの行為に賛同なんてできるはずがないが、それでもその中に宿る信念が本物であることは明白だ。
 そいつが意趣返しなどするはずない。
 逆に千雨をこのまま誘拐、というのもさすがにない。
 影渡りの使い手であるエヴァンジェリンの圏内でそんなものが成功するはずがないだろう。さっきを見せれば、その瞬間にあの保護者役が現れるはずだ。

「さっきのはやっぱりあなたが?」
 数瞬黙ってからフェイトが口を開く。
 だがそれに千雨は首を振る。

「違うね、あれはルビーの技だ」

 断言したその言葉に嘘はない。人の言葉裏を読むのが上手いとはいえないフェイトでも、それはわかった。
「前に言っていたあなたの師だね。この街にいたのかな?」
「ふん。お前にゃ見えないだろうが、いまお前の目の前にいるんだぜ、あいつはな」
 そう呟いて、千雨がようやく立ち上がった。
 痛む体を騙し騙し体を上げると、きょとんとした顔のフェイトに向き直る。

「もう満足しただろ。どっかいけよ。近衛の件も、もうてめーらの負けだろうが」
 肩をすくめる千雨に、フェイトが頷いた。
「そうか。しょうがないね。ああ、あともうこの件でぼくらが手を出すことはないと思うよ」
 へえ、と千雨が片頬を上げた。あの符術士は捕まったのか。
 それはいい知らせである。
 この銀髪は逃げ道を確保しているようなのが癪といえば癪だが、千雨では捕まえるのは無理だろう。

「お前もネギとエヴァンジェリンにやられたみたいだしな」
 なので、意趣返しに嫌味を言ってみた。
 フェイトがむっとした顔をする。
 それを感じ取って千雨が笑った。
 改めて思うがこいつはやっぱりガキっぽかった。正反対なようで、やはりネギに似ているやつだ。
 挑発されたのに気づいたのだろう。フェイトが無表情を取り戻して転移陣を発動させる。

「それじゃ、今回はこれで終わりだね。ボクはもう引かせてもらおう」

 今回は、ってのはなんなんだ。
 無言でため息を吐く千雨の前で、誘拐が片手間の些事だったようなことを言って今度こそフェイトが消える。
 ここに来たのはやはり先ほどの技の確かめだったようだ。

 そうしてようやく消えたフェイトの影に千雨が、ふんと鼻を鳴らす。
 これで終わり、とは呆れるぜ、アホたれめ。
 まだまだ終わりのはずがない。

 億劫だがしょうがない。
 千雨はゆっくりと立ち上がり、遠くにある本山に目を向けた。
 そうしてやれやれと首を振る。
 そう、この騒動の終焉が、スクナなんてデカブツの退治だけで収まるはずがない。

 長谷川千雨にとっての“勝ち”の基準、それはこの騒動の後始末を含んでいる。
 そう、彼女にとっての終わりとは、すべてが日常へ戻るそのときなのだ。
 そう。すべてを元の日常に戻すその瞬間。
 つまり、それは

 いま本山にいるだろう彼女のクラスメイトが、こんな馬鹿げた力に関わっていなかった、そんな日常を取り戻すときである。



   ◆◆◆



 本山の一室。千雨はその一室から離れて廊下に出た。
 一人だった。
 スクナが消えてから、すでに数十分がたっている。
 エヴァンジェリンやネギが湖周りで後始末をしているであろうそのときに、千雨は一人で先に本山まで戻っていた。

 主だった魔法生徒には、席をはずしてくれと頼んでいる。
 だから千雨は、本山本邸の一室の、その入り口から出てすぐの縁側にたった一人で腰を下ろしていた。
 そして、背後の部屋には当然のごとく3-Aのクラスメイトが眠っている。

 月が出ている。
 それを見ながら千雨は一人で息を吐く。
 後ろの部屋ではクラスメイトが眠っている。
 一部の本業や、学校からの許可もちは起きている。
 別の部屋にいるはずだ。
 だがそれ以外のものは部屋で眠り、そして起きたときには今夜のことを忘れていることだろう。

 この部屋で布団に寝かされているのは、たったいま千雨に“記憶”を抜かれたものたちだから。

 全てが終わり、一段落がついた後、誰に相談することもなく、千雨は本山に戻り自分を出迎えたクラスメイトの意識を刈った。
 交渉はなかった。説明もなかった。躊躇も戸惑いもなく、それは出迎えた全員に対して行われ、自力でレジストした魔法生徒にその行為を問いかけられた。

 だが千雨はこの件に関しては彼女たちに文句を言わせなかった。
 自分で始末をつけると言い張り、こうして記憶を奪い去った。
 全てのものの干渉を断り、意識を奪った生徒を一室に集め、そこで全てを終わらせた。

 だがそれを止められるものは誰もいない。
 さよは千雨を起こしたショックで倒れていたし、ネギはまだエヴァや真名たちとともに泉の辺にいるはずだ。
 もちろんそれをネギとパスのつながっている千雨はわかっていた。
 ネギが気づいていないことも、さよが気づいていないことも、長谷川千雨は知っていた。
 そしてなによりもエヴァンジェリンが“気づいていながら”向こうでネギたちを止めてくれていることも、長谷川千雨は知っていた。

 だからこそ帰ってくる前にやったのだ。
 ネギが帰る前に、さよを起こさないように、そしてすべての魔法生徒に文句を言わせずに行った。
 春日を巻き込むわけにはいかないだろう。茶々丸に縋ってしまうわけにはいかないだろう。超たちに頼ることはできないだろう。
 ネギにさよに明日菜たち? はっ、それこそありえない。

 仲良くなっていた宮崎のどかも、自分の様を見ていたにもかかわらず笑顔で自分を出迎えてくれた早乙女ハルナも、強張った顔をしながらもクラスメイトである自分を気遣って笑顔を見せてくれた和泉亜子も、こんな状況下ですら自分に不振を伴う目を欠片も向けなかったクラスメイト達をみんなまとめて眠らせた。
 何も話さず、何も告げずに眠らせた。
 会話はなかった。交渉はしなかった。
 笑いかけられて、その笑顔に魔術を返した。
 だってそれが当たり前だ。

 千雨は先に本山に帰ってきて、そしてネギたちが帰ってくる前にそれを全て終わらせた。

 ネギにもさよにも、超たちのも渡せないその責務。
 あいつとは重りを分担しようといったけれど、やはりアイツにこういうことはしてほしくなかった。
 魔術師には当たり前でも、魔法使いにはつらいだろう。

 ネギからは傷を一人だけで負うなといわれた。
 ルビーからは苦労と溜め込むなと忠告された。
 さよには頼ってくれと泣かれてしまった。
 だが、それでもこの様なマネをさよやネギにさせるわけには行かないだろう。

 弟子と年下の恋人だ。
 師匠で年長の自分がやるべきことである。
 いや、違う。
 それに何よりも、問題なのは、きっとあの二人に相談すれば、


 ――――あいつらは、きっと全員に事情を説明する道を選ぼうとするだろう。


 それどころではない。もし千雨の予想が当たるなら、学園長や西の長ですらそれを“許す”可能性すらある。
 だからこそ、千雨は誰にも相談せずに、誰かに干渉される前に全ての処理をやり遂げた。
 明日菜から記憶を奪おうとしたときは覚悟が違う。
 のどかの記憶を誤魔化したときとはその背景が違いすぎる。
 ネギがネギを許しても、学園がネギを許しても、世界の皆がネギをゆるしてしまおうとも、自分はきっと覚悟を持たないままにばらすという行為は許せない。
 それは絶対に自分には相容れない。

 自分とネギの、小さな、それでいて絶対的な違いである。
 ネギはそれを知っている。わたしもそれを知っている。
 歩み寄ろうとしている。理解しようとしている。
 ネギが正しい面も確かにある。

 それは人の意思を裏切らないということ。
 魔法使いの傲慢さから離れられるということ。
 以前千雨がネギに説教をしたように、ネギが明日菜に記憶を奪う道を一度選び、その後話し合おうとしたように。

 ネギはきっと全員分の責任を抱え込もうとするだろう。
 だけどそれは純粋にネギの負担だ。ネギならできるかもしれない。
 だから千雨がやったのだ。
 魔法に関わらない全ての生徒を眠らせて、その記憶を奪い去った。

 ネギの考えは正しい。
 だが、千雨が正しい面も絶対にあるのだ。
 ネギが知れば、ネギは生徒と全員分の重みを背負っただろう。
 なぜならネギは自分自身の苦労よりも生徒のほうが大事だと思っているから。

 だが千雨は違う。
 千雨はそれではネギがつぶれてしまうと知っている。
 まだ生徒が知るだけならいいだろう。しかしそれがネギの責任となり、あの男にいまよりもさらに重たい肩書きが絡みつき、その挙句それを利用しようとするものが現れれば、ネギはきっとつぶれてしまう。
 選べない問いに、いつか答えなければいけないときが来る。
 あいつはきっとそれにたえられる。だが、それはいまではない。
 早すぎる決意は、いつかくるそのときに、この出来事は重みになってしまうだろう。
だからこそ、長谷川千雨はクラスメイトよりもネギを選ぶ、と決めたのだ。

 そんな回答。
 だからこれは自分が飲み込む。
 だってこれは罪ではない。
 ただ、やらなくてはいけなかっただけのこと。

 いつかアイツが消化できることもあるだろう。
 いつか話せる日があるかもしれない。
 だがいまは駄目だ。それはあいつに押し付けすぎだろう。
 わたしはそういう外交的な方面ではネギを助けることはできないのだから。

 千雨はネギを選択肢の前にすら立たせるべきてはないのだ、と考えた。

 だからその責任は千雨が取る。納得したことだ、理解していたことだ。だから問題なんて何もない。
 わたしはアイツがいつか耐えられる人間になることを知っている。でもあいつが今すでにどれほどのものを抱えさせられているかを知っている。
 気にするな。これは正しいことなんだ。
 気にするな、これは間違ってはいないんだ。
 気にするな、これは間違いではないはずだ。
 だからわたしは、気にしていない。

「そうだ。……わたしはそんなの全然気にしてない」

 呟きが思わずもれた。
 だってこれはしょうがない。
 ネギにもさよにも相談できず、“アイツ”にはもう相談できない。
 それにそもそも、慰めだろうと説法だろうと受け入れられないことが決まっている。

 だから勝手に全てを決めて、
 だから勝手に全てを終わらせて、
 だから何一つ、わたしは、長谷川千雨は、友人たちの記憶を奪ったことなんて全然気にする必要なくて、

 自分でそう決めたのだ。
 自分の責任は自分でとる。
 だけど、
 だけども、そんな千雨の独り言に言葉が返る。


「――――でも、それはきっと嘘ですわ」


 当たり前のようにつむがれたその言葉。
 驚愕に身を強張らせ、反射的に振り向く長谷川千雨の視線の先。
 振り向く千雨の目の前に、眠っているはずの雪広あやかが立っていた。


   ◆


 よいしょ、とババくさい声を上げながらあやかが千雨の横に座る。
 千雨はそれを呆然と見るだけだ。
 だって、それはありえない。
 千雨の魔術は全員に等しくかかり、魔法生徒たち以外のものを等しく眠らせ、その記憶を奪ったはずだ。
 皆が眠っていた。皆が記憶を失った。
 その中には雪広あやかの姿があったことを千雨は確認していたはずだ。
 唖然とあやかを見る千雨にくすりと笑い、あやかが懐に手を入れた。

「これ、お返しいたしますわ」

 そんな千雨にひょいとあやかが宝石を放り投げる。
 あやかがさよから受け取った守りの宝珠。
 薄く光る宝石が千雨の手に治まった。

「こ、これ……」
「さよさんからお預かりしていましたの。結局使うことはありませんでしたけど」

 違う。この宝玉はまさにこの瞬間に力を発していたに違いない。
 なるほどと千雨は頷いた。これが答えか。
 眠るクラスメイトの中で、ただ一人起きていた一般人のその理由。

 自分の魔術の手ごたえも明確に感じ取れていなかった上に、それを防いだのは弟子がもつ自分の宝珠。
 これではエヴァンジェリンに半人前呼ばわりされてもしかたない。
 この宝玉はすでに千雨の手を離れ、さよのものとして登録が済んでいた。千雨にはその発動がつかめない。
 さよにきちんと話を聞いておかなかったつけがいきなり出ていたらしい。
 これでもしも、あやかが黙って眠った振りをしていたならば、千雨はきっと気づけなかっただろう。
 そんななか、こうして対話をしに来た以上、千雨は対話の義務を負う。
 黙ったまま言葉を待つと、千雨の考えを理解したあやかが口を開いた。

「やはり魔法とやらのことは話してはいけないのですか?」

 無言でたたずみ、最初に口を開いたのは雪広あやか。
 彼女はいま起こっていることを正確に理解していた。
 さよとともに千雨の石化を治し、その後、簡単な説明を受けて千雨を送った。
 そして、帰ってきた千雨が手をかざし、そこで一旦自分の記憶が途切れている。
 これはつまりそういうことなのだろう。
 石になった風香を見た。それを癒した技を見た。
 石になっていた千雨を見た。それを癒す技を見た。

 当たり前だが、そのようなものがこれほど秘匿されるには種がなければおかしいのだ。
 たとえばそれを疑問に思わせないようにするような。
 たとえばそれを夢だと思わせてしまうような。

 いやいやもっと単純に、それを“忘れて”しまうような魔法が必要だ。

「委員長もわかるんじゃないか? 秘匿されるべき技術についてはさ」
「わからないでもありません。ですが、先生がたの技術は秘匿すべき、で済ませるには大きすぎます。その魔法とやらの一部を秘密にするならまだしも、魔法自体を秘密にしているなど……」

 ある程度納得も出来た、何とか理解することは可能だった。
 事情を推測することは不可能ではなかった。
 あれほど目立つ騒動がこの京の街で騒ぎになっていないのは“結界”とやらが張られていたらしいのだが、この場所はその結界の範疇外らしい。

「一部を秘密というのは、つまり秘密にすることがばれるということだ。延長の技術ならまだしも存在すら秘匿されている魔法にそれでもまだきつすぎる」
 あやかがその言葉に眉根を寄せる。
「ですが、それでは魔法を知らずに科学だけを使う方がいい面の皮ですわ。日夜勉学に励み、医術を学び、その横で杖を振って魔法を唱えて不治の病を治されるようでは、それはもはや冒涜です」
「そうなっちまうからこそ秘密なんだ。ここまで乖離が進んだ以上、なじませるのは難い。100を救うために10を捨てる話はそれほど珍しいものじゃないぜ」

 あやかが苦虫を噛み潰したような顔をする。かつての千雨と同種の苦悩。
 理解できないからではない。理解できてしまうからだ。
 いや、理解どころではない。そもそもいまの千雨の言葉は、穏やかな面しか説明していない。

「……分からないでもありませんが、未熟だといっていたさよさんの技術ですら、万単位の悲しむ人間を救えるほどに跳びぬけています」
「こっちの魔法使いさんはお人よしらしいから、救うための活動はしているらしいぞ」
「……秘密裏に?」
「そう。秘密裏に」

 それが免罪符になるはずない。だけどそれを否定することもまたできない。
 救うという面から考えているその言葉。
 100を守るために10を守らない。
 それは裏を返せば、100の犠牲を10に抑えるという意味であることを、生まれより君主論から物事を学んでいるあやかにはわかりすぎるほどわかってしまう。
 一人の犠牲も納得せずに、どれほどの犠牲を積み重ねても心をおらず、その信念に殉じられる英雄たち。
 ナギ・スプリングフィールドや、衛宮士郎。彼らたちとは明確に異なる遠坂凛や長谷川千雨の考え方。

 それはあやかが納得したように、上に立つものの考え方であって間違いではない。
 万人に一人の英雄を存在させるための土壌を作る王の思考。
 英雄とは決して相容れることはなく、それでいて英雄たちと最も親密なその摂理。
 それをこの場にいる二人は知っている。

 これほどの技術を公開すれば、それは世界規模の混乱となる。
 なじませるならまだしも、無理やり沈静化すればそれは魔法と“魔法以下”の絶対的な上下関係と、それによる支配すら生み出すだろう。
 あまりにも難しいそのバランスと、その調整・調律。そんなものの指揮をいったい誰が取れるというのか。
 絶対的な調律官を必須とし、そのものが野心をわずかにでも見せればそれはそのまま世界の上下関係が掌握される。
 とてもじゃないが、そんな本当の意味での神様頼みのようなマネは千雨はゴメンだ。

「分岐した技術が秘匿されるならまだしも、いきなり違う世界から技術が流れりゃ必然こうなる。そしてそれを力を使わずに何とかできる道はわたしにはとても考え付かん。外交問題とかもでもあるだろう。これが一番安定してる。メン・イン・ブラックって知らないか? たとえ世界平和に繋がろうとも、秘密を知るのは一握り。ベスト・オブ・ザ・ベスト・オブ・ザ・ベスト・オブ・ザ・ベストだけってな。ありゃなかなかな的を射てるよ」
「千雨さんはなんとも思いませんの? 魔法使いなのでしょう?」
 とがめるような視線を飛ばされたが、いきなり文句を言われることはない。

「それは逆だな。わたしはもっとたちが悪い。さよが言ってなかったか? 魔術と魔法は別物で、わたしはこの世界でも珍しい魔術師なんだ。だから魔法使い以上に秘匿に厳しい。たとえ世界を牛耳ってもその秘密を明かそうとはしないくらいに」
 千雨が断じる。

「わたくしを納得させてはいただけませんか?」

 雪広あやかが冷静にいった。
 雪広あやかは千雨に似ている。
 あやかには取り繕った言葉を言う必要がないとわかっていた。
 ゆえに、千雨はこくりと頷いた。

「魔術ってのは与えられない力だからだ。知識は与えられる。神が社にその体を分けてもその力が分かれることはないように、先生から二次関数を学んだからって、先生がそれを忘れたりはしないように。そして“魔法”もそうなんだろう。技術や知識、つまり精神のあり方だ。信仰なんかもそんな感じだな。だけど、わたしの魔術はちょいと違う」
「違う?」
 あやかの疑問符に千雨が頷く。
「ああ。ある魔術があり、世界で使える人間が百人いて、それが二百人になったらそいつらが引き出せる力は半分になる。それは共有する力だから。ゆえに根源。単一にして唯一がもとめられるそういう技法」
 あやかが言葉を止める。
 千雨の言いたいことが大体理解できたからだ。

「そしてその技術もただ教えて伝わるものじゃない。血統に依存して子孫に向かって送られる。一つの進化、一つの改善に一世代かけるんだ。わたしは例外で、あいつ自身も似たようなもんだからさよは勘違いしてるみたいだが、本来は十代続いて一人前になるってレベルだ。子供が二人生まれたらそのうち一人は本気で間引くようなやつばかり。そして不慮の事故でも起こればその技術は消失する。バックアップが取れないからな。イカレタやつらばっかりの、健全でいようなんて方が無理がある学問なんだよ」
「……でも千雨さんは納得されている」
「まさにそこだな。わたしは納得している。それを間違いだなんて考えることは許されない。だからわたしが魔法使いにも、文句なんざ言えっこない。人のためになんてのは嘘っぱちだ。わたしらは自分の受け継いだもののことだけを考える。だから――――」

 千雨は先ほどからあやかに視線を向けていない。
 当然あやかはそれに気づいていた。
 千雨の言葉を先んじてあやかが言う。


「――――だから、わたくしの記憶も消すのですか?」


 千雨の口が止まった。
 ばつの悪そうな顔をする。
 当然だ。魔法も何もないただの会話で千雨が雪広あやかを上回れるわけがない。
 即座に意識を奪うべきだったのだ。
 問答を仕掛けられたから乗ってしまった。

「ああ、悪いがこの話が終わったら記憶を奪わせて貰う。……なにがあろうがだ」
 決意を固めて口にする。
 なにを言われようが、どんな問答をしようが、どれほど罵られようが。
 当然だ。説得に応じてよい場といけない場がある。
 長谷川千雨の根幹で、ネギやさよより優先させたこの決意。
 それがそうそう破られるはずがない。

 だが、だからこそ。


「――――そうですか。まあしょうがないのでしょうね」


 あまりにあっさり頷くあやかの姿と、その回答に驚いた。
 うつむいていた千雨が反射的に顔を上げる。
 疑問符を渦巻かせる千雨に、あやかが笑った。
 微塵もしこりを残さないほどに洗練された人を支えるその微笑。
 雪広あやかはなきそうなほどうろたえる千雨に向かって微笑んだ。

「わかりましたから。千雨さんとネギ先生の事が。記憶はなくなってもこうしてわたくしが納得したという事実は変わらない。それで十分ですわ」
「じゅ、十分?」
 ぽかんとした千雨にあやかが言葉を続ける。
 当たり前のように、いつもどおりに、まるでいつもの委員長と変わらずに答えるその姿。

「ええ。ですから千雨さん。わたくしが忘れてしまう前に、ここで言っておきますわ」
「な、なにを?」
「記憶をなくしたら、わたくしはもう一度文句を言うかもしれませんが、今のわたくしは今夜、すべてを納得したということを。さよさんの言うとおりですわ。千雨さん、あなたはやはりとても素晴らしい方でした」
「い、いいのか?」
「なぜ千雨さんがそれを聞くのですか」

 あやかがくすくすと笑った。
 何一つ気負いも後悔もなく、自分の記憶を消してもよいと口にする。
 未練がないわけじゃない。記憶を消されたいわけじゃない。
 彼女のその笑み。それは許容から来るものだ。

「平気ですよ。だって千雨さんは覚えてくださっているのでしょうからね。お忘れですか。あの日、わたくしが言ったこと。わたしは貴方を見極めると」
 千雨はびびった。そして、例えようもない罪悪感で動きが止まる。
 唇をかみ締める。

「悪い、ホント」
「なぜ謝罪を? あなたが自分を正しいと思うなら、ここは謝ってはいけませんわ」
「ご、ごめん」
 反射的に再度謝罪の言葉を口にする千雨にあやかが笑う。

「また謝ってます」
「い、いや……」
 うろたえて言葉を捜す千雨にあやかがむしろ困ったような顔をした。
 この人は意外に几帳面らしい。
「ふふ、千雨さん。貴方は律儀なかたですね」
 フム、と頷く問題児を纏め上げる3-Aの委員長のいつもの姿。
 すこし考え込んでから、すこし表情を改めてあやかが口を開いた。

「これはネギ先生にも千雨さんにもさよさんにもできないことです。だからわたしが言いましょう。千雨さん、あなたはわたしたちのクラスメイトをなめすぎですわ」

 きっと、何も知らない人間しかいまの千雨には触れられなかった。
 だからそれが自分の役だ。
 自分の前で強がりを言い続ける千雨の前で、あやかは正確にそれを理解した。

「そう悔やむ必要はありません。あなたはわたしたちのためにやれる手をすべて打ってくださった。さよさんから聞いていますわ。それならこの結末だろうと、わたしはあなたを許します。彼女達もそうでしょう。記憶を奪ってもそこに悪意がないのなら、われわれは文句を言うことがあってもあなたに悪意をむけたりはしませんわ」
 唖然として千雨があやかを見る。
 同時に千雨の脳内で思い起こされるかつての光景。
 いつか千雨自身が断じたその言葉。


 百人いて百人、千人いて千人。たとえ百万人に聞いたって――――


 かつてルビーに出会い、裏の事情に巻き込まれた千雨がいた。
 かつてネギに出会い、裏の事情に巻き込まれたアスナがいた。
 かつて、千雨はネギに問いかけた。


 ――――秘密の世界の事情を聞かされて、厄介ごとがあるからといってそれを忘れることを願ったりはしねえんだ。


 いるはずないと、そう断じたものがいた。
 そんなことできるはずがないとどこかの誰かがいっていた。
 人は無知を選べない。そんなことが出来るのは、と。

 そんな言葉をどこかの魔法使い見習いが断言したはずだった。


   ◆


 ――――そうして、千雨は意識を失う雪広あやかを布団に寝かせ、その安らかな寝顔に目を向ける。

 千雨の顔は泣きそうだった。
 あまりの感謝で罪悪感で、そしてあまりの驚きで。
 麻帆良女子中等部、3-Aの委員長。
 ああ、と千雨は息を吐き、

「――――本当に、お前は賢者だったんだなあ」

 意識を失った雪広あやかに語りかけた。
 眠る彼女に目を向けて、きっと明日にはすべてを忘れている少女に目を向けて、
 尊敬と憧れと感心と、万の色をたたえた瞳を彼女に向けて、千雨はそのまま口を閉じる。

 それだけを呟いて、千雨はさよやネギやエヴァンジェリンたちが戻ってくるまでの長い時間を、その場で眠るあやかと一緒にたたずんだ。



――――――――



 ネギま世界の桜と懐の深い委員長さんの話。
 今回の問答ができるのはたぶん委員長だけ。知らないままでいる強さ的な何か。
 あとやっぱり戦闘シーンはなし。ちなみに最後の令呪は石化外しではなくルビーの助力に使ってます。
 ルビーについては次回。ネギとのからみも次回。あと次回で修学旅行編が終わるので赤松板に移らせていただきたいと思っています。




[14323] 第27話
Name: SK◆eceee5e8 ID:c2837d9a
Date: 2015/05/16 22:23
 リョウメンスクナがよみがえった夜が明け、朝日が昇る。
 その朝日をぼうっとした顔のまま眺めながら、関西呪術協会総本山、その屋敷の縁側で長谷川千雨が明け始める朝を感じていた。

 雪広あやかを眠らせて、記憶を奪い、その後ネギたちを待って話し合い。結局ほとんど眠れていない。
 だがそれでも、千雨はどちらかといえば軽いほうだったのだろう。こうして朝方にゆっくりできる時間ができたことがその証明。
 皆を眠らせ、委員長を眠らせ、ネギたちが帰ってきてからの一騒動、言ってしまえばそれだけだ。
 詠春やネギはもちろん、瀬流彦や本山の関係者たちはいまだに後始末に駆け回っているはずである。
 彼らは千雨とは異なり、人の責任を負う立場であり、そしてそれに見合うほどに有能だ。

 そしてもちろんのことながら、部外者の千雨はそれには関わってはいなかった。
 彼女は人がやるべきことには手を出さない。
 千雨は責任を取れる立場にない。どこまで行こうが、彼女は責任を取ってもらう被保護者なのだ。
 手伝えることと手伝うべきこと、そして手伝えないことは区別されるべきである。
 ただでさえ無断でクラスメイトの記憶を消している自分が手を貸せば、それはそのままネギたちの本来の仕事との軋轢を生むだろう。

「終わったようだな」

 律儀に不眠で夜を明かしながら、朝日を眺めていた千雨の背後から声がかかる。
 誰かなどすぐわかる。
 昨日の夜に現れたエヴァンジェリン・マクダウェル。麻帆良学園に封じられた吸血鬼。
 いま彼女がこうして京都の街にいる代償は、学園長が今現在も支払い続けているはずだ。

「誘拐はな。ネギたちはまだなんかいろいろ仕事してるみたいだけど、わたしは待ってただけだし」
 振り向かずに千雨が答える。
「坊やはお前の尻拭いをしてるからな。本来ならばこの件は近衛詠春や学園の仕事だ」
 そんな千雨の横に当然のことながら、声をかけたエヴァンジェリンが座った。
 その後ろには絡繰茶々丸と、相坂さよがつきしたがっている。

「ネギ先生はさきほどまで近衛詠春様とご一緒していました。そろそろ休息だとおっしゃっていましたので、こちらにいらっしゃるかと」
「お疲れ様です、千雨さん」
 そうして茶々丸がエヴァンジェリンの後ろにつき、さよが千雨の横に腰掛けた。

「ネギがねえ。やっぱりあいつが駆け回ってるのは、スクナとか言うのじゃなくて、わたしの件かあ」
「ふむ、やはり伝えていなかったか。お前やさよの昨日の件はさすがに学園側としても無視できんのだろう。お前の代わりに釈明に追われているはずだぞ」
 昨日の件と言うのが、攻撃術に関してなのか、それとも生徒に放った忘却術なのかはわからないが、どうやらネギはこっそりと自分のために立ち回ってくれていたらしい。
 昨日すこし話した限りではネギからはそんなそぶりは感じられなかったのだが、気を使われていたようだ。

 はあ、と千雨が自己嫌悪のため息を吐いた。
 千雨は魔法に関わりたくないからと逃げ続けているが、さよにネギに昨夜の件にと、ここまで勝手に振舞いながら、麻帆良学園内での魔法の事情に関わろうとしないのはもはや判断を通り越してただの逃げだ。
 なにしろ千雨は魔術の名やルビーについてを、いまだ正式に学園へ告げてさえいないのだ。
 ネギが気を使ってくれているのもあるが、自分から干渉しておいて相手の干渉から逃げつづけていては、以前ネギにした説教が丸まる自分に返ってくることだろう。隠すにしてもここまで借りを作ってしまったあとでは無様すぎる。
 あとでネギと話をしておかないとなあ、と内心で呟きながら千雨が口を開いた。

「じゃあ一応解決したのか」
「誘拐事件という点で見れば、すべて解決したと見ていいだろう。主犯はさきほど詠春に引き渡した」
「そりゃよかったけど、あの石使いはどうなったんだ?」
「あいつは逃げた。一応追っているらしいが、捕まえるのは無理だろうな。逃げ道を作られていたようだ」
「ふーん、お前でも無理だったのか」
 なんとなく千雨の口から漏れた言葉だったが、それにエヴァンジェリンがむっとした顔をした。
 この女はプライドに見合うだけの力があるが、それ相応になめられることを嫌っている。

「わたしは向かってくるやつは叩きのめすが、こそこそと隠れるやつを探すようなことはしないんだよ」
 へいへい、と生返事を返しながら千雨が肩をすくめた。
 嘘ではないのだろうが、この女がからめ手には弱いことを千雨はすでに知っている。
 まあ確かにあのスクナはエヴァンジェリン以外では対処できないものだっただろう。
 そのまま千雨は聞くことがなくなったのですこし黙り、エヴァンジェリンは尋ねるべきことを吟味するかのように同様にすこし黙ってから口を開く。

「で、あいつは消えたのか」

 何よりもエヴァンジェリンが聞くべきことで、なにを聞くまでもなくエヴァンジェリンも理解しているその事柄。
 そんな自明の問いかけを、ようやくエヴァンジェリンが口にする。
 さよと茶々丸がかすかに反応したが、千雨は問われるとわかっていた問いに律儀に驚くようなことはない。
 当然のようにうなずいた。

「ああ。あんま驚いてないのな」
「まだ生きているといわれれば驚いてもいいが、あいつのことは聞いていたからな」
「ルビーは死んだわけじゃないぞ」
 反射的に千雨が言い返す。だがエヴァンジェリンは頷かなかった。

「わかっているさ。あいつにとっては死ではない。事情を知る我々にとってもそうかもしれん。だが、この世界線から見ればあいつの帰還は死と変わらん。変にこだわって期待を持つな。とらわれるぞ」
 その断定にわずかに千雨がひるむ。
 ナギ・スプリングフィールドのことを思い出しているのか、エヴァンジェリンの言葉は淡々としたものだった。

 希望は持たなくては生きていけないものだが、すがってしまえば鎖になる。
 かつてどこかで行われていた聖杯戦争で、参加者が英霊の敗退を死と呼んだように、英霊の帰還は非可逆の現象だ。
 エヴァンジェリンはそれを理解している。

「死後の世界の有無に関わらず、帰還の伴わない離別が死と呼ばれるのだ。お前がさよを死んでいないと言い張ったようにな。相坂さよは消えなかったが、あいつは消えた。認識を改めろ。これはお前の言葉だぞ」
「……ちっ、まあな。覚えてたのか」

 肩をすくめるエヴァンジェリンに千雨がしぶしぶと同意する。
 この世界から消えた以上、追うものがいなければそれは死だ。そして、千雨は納得して別れたルビーを追いかけるほどに愚かではない。
 だが自分で言ったことながら、改めて断じられるとそれはそれで頷きにくい。

 エヴァンジェリンは黙った千雨に声をかけるでもなくそのままだ。
 千雨がさよの体を作ったときに自問したように、魔女は生死の境界に独自のものさしを持っている。
 そしてそれを押し付けることをしない代わりにその基準を譲らない。
 ルビーが再度この世界を訪問することはありえなく、千雨が世界を渡る力を持っていようと、千雨にはこの世界を離れてルビーを訪問する意思がない。
 つまりそれは再会の否定である。

「そろそろ消えることはあいつ自身も知っていた。最後に貴様に義理を果たせたのなら、あいつも満足だっただろう」
 もちろん貴様にとってもこれは“悪い”というものではなかったはずだ、とエヴァンジェリンは言葉を続けた。
 確かにその通りなのだろう。ルビーは納得して消えている。ならば悲しみはあっても、この結末を否定することは許されない。
 千雨の戸惑いの原因は、エヴァンジェリンと違って千雨が別れに慣れていないというだけだ。

「ではルビー様は……」
 エヴァンジェリンの言葉を聞いて、茶々丸が口を開く。
 それに千雨が頷いた。
「ああ“次”にいったんだと思う。座に戻ったのかもしれないけど、あいつの最終的な目的はシステムの構築だ。アイツの目的自体はもう半分終わっているところがあるからな……」
 呟く千雨の言葉に茶々丸とさよが首をかしげる。
 その二人にちらりと視線を送ると、エヴァンジェリンが薄く笑う。
 これ以上千雨が会話を続けたくないと思っていることを読み取ったのだろう。
 話題を変えるように口を開く。

「昨晩はぼーやたちに責められていたようだな」
「納得できたわけじゃないだろうけど、理解はしてくれたと思う。前にも似たようなことを話したし、ネギよりもむしろ近衛や神楽坂のほうがどうするべきか困ってたみたいだ」
 記憶を消したという話を伝えたときのことを思い返しながら千雨が言った。
 木乃香や明日菜はさよが魔法を説明した場に居合わせていない。
 帰還後に、魔法がばれたことと、記憶を消したことだけを聞かされれば、困惑して当然だろう。

「まあそうだろうな。ああそうだ。さよの腕はどうするのだ?」
「それは絶対に治す。でもやっぱり帰ってからだな。ここじゃさすがに無理だ。帰ったらまた工房を使わせてもらいたいんだけど、大丈夫か?」
「ああ、あのときのまま残してあるぞ。あの場所は契約に守られているからな。自由に使うといい。すでにルビーからお前にその権利が譲渡されている」
「そっか、助かるよ」
「えへへ、そのときはお願いしますね、千雨さん。」

 千雨が答え、さよが笑った。
 さよの腕。石化により機能を失った腕だが、もちろんそのまま放置する気はない。
 本当に純然たる事故による結果なら怪我を許容させる道もあったかもしれないが、この結果は魔法の事情だ。
 学園に帰ったあとはエヴァンジェリン邸の工房に通うことになるだろう。

「ですが、修学旅行中はどうするのでしょうか?」
「あっ、そういえばそうですよね。治るまではどうするんですか、千雨さん?」
 自分の腕のことながら、なぜか緊迫感のないままにさよが問いかける。
 そんなさよの横に立つ絡繰茶々丸のほうがむしろ心配そうな視線を向けていた。

「あいつらの記憶を消しちまったから腕は必要だけど、神経系に干渉すると後々余計に面倒だし、張りぼてくっつけて長袖と包帯で隠しておくのが一番いいとおもう」
 ひとつ頷いて千雨が答えた。
 魔法の要素が欠片も見えない回答だ。
 流石に令呪を包帯でごまかしただけのことはある。

「そうですか。あの、やっぱり気にされてますか? 記憶を消したことを」
 気遣うようなさよの言葉に千雨が笑う。
 どうやら自分のメンタルが危なそうなことはこいつらにとっては周知のことだったようだ。
 委員長といいこいつといい、なんとまあ仲間に恵まれていることだ。

「それ、ネギにも聞かれたな。大丈夫だよ。忘れはしないがシコリにのこすなんて無様はさすがにさらせない。いいんちょに怒られちまうだろうからな」
 千雨が肩をすくめた。
 その言葉に嘘はない。
 彼女は自分のした行為に対して痛みを感じることはあっても、悔やみをよどませているということはないのだ。

 しかしさよはその返答を聞いても難しい顔をしたままだった。
 だって相坂さよは、雪広あやかをはじめとしたクラスメイトに魔法をばらし、その説明をした当人なのだ。
 千雨がいると思われる大浴場に向かいながら千雨のことを話し、自分のことを話し、そしてほんのちょっとだけ魔法のことを口にした。
 千雨のすごさを語るさよに皆が微笑み、千雨を誇るさよに皆が関心を投げかけて、千雨を自慢するさよを皆が羨んだ短い思い出。
 みんなは忘れてしまったそのことを、さよが代わりに覚えている。

 記憶を消した当人よりも千雨を心配しているようなさよの姿に、改めて苦笑しながら千雨が庭に下りて伸びをする。
 ポキポキと骨がなった。知らず気を張っていたようだ。

 早朝の縁側で、昇る朝日を前にして魔女と吸血鬼が行う会談としては、どうにも殺伐としたものだ。
 そんな千雨を見ながらさよや茶々丸もそれぞれが今回の騒動の終焉を感じていた。

「…………んっ?」

 と、皆が黙っているそんな中、千雨が誰かの声を聞きつけて顔をあげた。
 耳を済ませれば、遠くからネギの騒ぐ声がする。
 いつものように誰かと騒いでいるようだが、こんな早朝からとは珍しい、と千雨が首をかしげる。

「ネギ先生と刹那さんのようです。掟がどうこうと……」
「おきて?」
 千雨の無言の疑問に茶々丸が答える。
 彼女の耳のよさは実証済みだ。聞き違いということはないだろう。
 だが、茶々丸の言葉の意味が取れなかったのか、千雨が首をかしげたままだ。

「ああ、刹那は鳥族のハーフだからだな。昨晩あいつが自前の翼で飛んでいただろう? ばれた場合は知ったものの前から立ち去らないとまずいらしいぞ」
 そんな千雨に、遠耳で騒ぎを聞き取ったのかそれともすでに知っていたのか、エヴァンジェリンが平然と補足した。
「はあ、そういや昨日飛んでたな。あの背中のって本物だったのか」

 戸惑うような千雨の視線にエヴァンジェリンが肩をすくめる。
 事情を何も把握していない千雨としては戸惑うだけだ。
 先ほどすべて解決したといっておいて、いきなり刹那が立ち去るなどといわれれば納得できるはずもない。

「そういうわけだ。あの翼は禁忌の象徴。鳥族の混じり物であるという証だからな」
「あん? いやいや、なんだそれ。鳥族も何も記憶は消しただろうが。桜咲のやつもしかして記憶を消したことを聞いてないのか」

 そもそも刹那が“混血”であることなどルビーからはるか以前に聞いている。
 混血が忌避されるのはわかるが、いきなり騒ぎ出すにはタイミングが不可解すぎる。
 昨晩の行為は帰ってきたネギたちにその場で千雨自身が説明済みだ。
 古菲や木乃香などの例外はあるが、彼女たちが記憶を残したのは近衛詠春をはじめとする上の立場のものの判断であり、刹那の責ではない。

「違う違う。刹那の場合は魔法使いにもばれたらまずいんだよ。お前も意外と詰めが甘いな。人格なんかと違って種族差ってのは結構でかいんだ。お前だってトラが街中を歩いていたらどれだけ安全を保障されてもいい顔はしまい。あいつが出て行くのは一族のルールであって魔法使いのルールではない。それくらい知っておけ。わたしの配下だろうが」
「だれが配下だ」
 あくび交じりにいう吸血鬼に向かって千雨が突っ込んだ。
 エヴァンジェリンも騒動の内容は聞こえているようだ。学園結界の束縛から逃れられている彼女は茶々丸以上の聴力を有しているということだろう。

「えっ、あの、それって刹那さんが転校しちゃうってことですか!?」
「騒ぎを聞く限り転校というより失踪の腹積もりかもしれんが、まあそんなところだろうな」
「何のんきなことを言ってるんですか、エヴァンジェリンさん!」
「さ、さよさん。落ち着いてください」

 いきなりヒートアップしたさよを茶々丸が宥めているが、エヴァンジェリンはたいした反応を返さない。
 エヴァンジェリンは遠くから聞こえるネギと刹那の声を聞くだけだ。
 つまりエヴァンジェリンにとっては、刹那の行動は許容範囲内なのだろう。
 エヴァンジェリンはそのような掟についての判断はかなり厳しい。
 一方で桜咲刹那が掟に反しようが、それが刹那の意思からの行動なら、それを許容するだろう。
 エヴァンジェリンが重視するのは自分で誓った契約だけだ。
 組織や土地にはびこる契約に関しての理解は示すが、それだけである。

「今回の件が解決したので、掟に従い立ち去ろうとした刹那さんをネギ先生がお止めになっているようです」
 黙るエヴァンジェリンの横で、茶々丸が口を開いた。
 今にも駆け出そうとするさよを止めながら、困ったような視線を千雨に向けている。助けを求めているらしい。

「近衛にも黙って立ち去ろうとしたってのか? お偉いさんらしいし詠春さんか学園長に一筆書いてもらえばいいだろ」
 さよと違い、いきなり駆け出そうとはしなかったが、さすがに千雨も呆れたように肩をすくめた。
 あれだけ活躍したのだ。それくらいは学園長だって断るまい。
 種族が違うといわれれば知らないままに反論できないし、掟といわれれば納得しないわけにも行かないが、それでもさすがに翌朝にいきなり決行しちまうのは急すぎる。

「刹那は不幸を許容するべきものだと考えているからな」
「だからってなあ、近衛にぶん殴られるぞ。あいつ」
 千雨が呆れる。
 刹那が失踪して木乃香がしょうがないと刹那をあきらめて話がまとまるとでも思っているのなら、木乃香に加えて明日菜やさよからもひっぱたかれることになるだろう。
 木乃香の意志がそれほど弱く、刹那の立ち回りがそこまで上手ならこのような事態は鼻から起こるはずがない。

「当たり前です! 早く連れ戻しに行きましょう!」
 あきれる千雨の横でようやく茶々丸から開放されたさよが頬を膨らませている。
 相坂さよは木乃香と仲がよいし、オキテや決まりに鈍感だ。刹那の行為は許せないのだろう。
 逆に千雨はどうするべきかを思案中だ。彼女はいつも考えすぎて初めの一歩に躊躇する。

「ふむ。それに思い至らないからアイツは面白いんだが。そうだな、さよがそこまで言うなら口ぞえのひとつでもしてやるか」
 千雨たちの表情を読みとったのか、エヴァンジェリンが立ち上がる。
 あの騒ぎの場へ行くようだ。
 エヴァンジェリンの言葉に千雨も後ろをついていく。
 まあ刹那としても幸運だろう。
 今回の騒ぎを終えた今も、魔法についての事情を記憶にとどめることになった近衛木乃香。
 刹那が勝手にいなくなったと知れば、どう考えても彼女は怒っただろうから。



   第27話



 エヴァンジェリン勢が騒動に参加し、その後十分もしないで、刹那の逃亡は未遂に終わることとなった。
 もともと交渉の才など欠片もない刹那だ。
 ただでさえネギの言葉に押されていたのに、弁の立つエヴァンジェリンや興奮して捲くし立ててくるさよをどうにかできるはずもない。
 あきれる千雨と、あくび交じりに刹那を翻弄するエヴァンジェリン、そして刹那をガミガミと叱るさよと、理詰めに刹那の行動を止めるネギによる取り成しの後、刹那はネギにつれられて近衛詠春のところへ行くことになった。
 ようやく仕事が終わったらしいネギには悪いが、千雨たちは簡単に事情を聞いたあと、刹那を任せて部屋に戻る。
 ここは呪術協会として機能する西の本山であるが、客人用の部屋数には事欠かない。
 修学旅行の班別に部屋を割り振られているのだ。

 その一室、第六班の部屋に戻ると、千雨は早速用事を済ませてしまうことにした。
 これからすこしすれば皆が起床となり、朝食を取ることになる。
 それまでに、片手の袖がぷらぷらと揺れているさよを何とかしなければならないだろう。

「じゃあ、さよ。準備はいいか?」
「はい、千雨さん」

 そう答えると、さよは肩口を浴衣をからはだけさせた。
 誰かに見られれば誤解を招きかねない仕草だが、その場には茶々丸とザジが雑談を交わしながら二人を見守っている。
 二人からしてみれば、いまさらこの程度の光景で驚くことはない。
 それにさすがに誤解はできまい。浴衣からあらわになるさよの左肩、千切れたそれが生々しい血の滴りをもって千雨の目の前にかざされているのだ。
 石化がとかれたことで、今のさよの腕は純粋に千切れた腕として存在している。
 石化を防御として使う術式があるように、見方によってはさよの腕は石化による止血が施されていたのだ。

「うーん、石化はもう大丈夫だな。やっぱあのガキ、事が終わったら石化呪は解除させる気だったみたいだ」
「そうですかあ、よかったです」
 うれしそうにさよが言ったが、千雨は渋い顔をしたままだ。
「じゃあ、止血処理してから義手を形だけ作る感じになるぞ。適当に治したり手を作っちまうと帰ってからもう一回切り取らないといけなくなるし」
「それはさすがに怖いですしね」

 ふう、と千雨が一つ息を吐く。
 石化解除と止血には呪術協会の術師に力を借りたが、ここから先は自分の仕事だ。
 なかなか大変そうだと思いながら千雨が自分の作った少女の体に目を走らせる。
「それじゃそろそろ始めるか」
 その言葉に、はい、とさよがうなずいた。


   ◆


 さて義手を作り始めてから小一時間。
 予想通りに朝食の時間には間に合わなかった。
 作業中に刹那は帰ってきたが、今はザジやエヴァンジェリンとともに朝食にむかっている。
 茶々丸はまだ残っていたが、これはエヴァの言いつけというよりさよを心配した茶々丸の行動だ。
 どの道彼女に食事は不要である。

 エヴァンジェリンは途中参加の第6班。千雨と同じ班に入ることになったと、説明されているはずだ。
 ちなみに班長は茶々丸のままである。
 茶々丸は複雑そうな顔をしていたが、エヴァンジェリンは特に気にしていないようだった。

「ご飯抜きですかあ」
「みんなと合流するのは最低限この手のごまかしを終えてからな。どのみち片手じゃ普通に食事は取れないだろ」
「じゃあそのときは千雨さんが食べさせてください」
「はいはい、今度やってやるよ」

 適当にあしらいながら千雨がさよの手をいじっている。
 もともとホテルと異なり呪術協会大本山での朝食だ。
 木乃香関係の私用だと適当に嘘をついているから追及されることもないし、あとで再度食事を取る機会を作ってもらうことだってできるだろう。

「その……でしたらいまのうちに片手で食べられるような軽食を用意してもらってきましょうか?」
「ん、そうだな。頼んでいいか?」
「うわー、ありがとうございます。茶々丸さん」

 あほな会話を続ける師弟に、茶々丸が言葉を挟む。
 もちろん、ようやくでた建設的な意見に、素直に千雨とさよはうなずいた。


   ◆


「おい、千雨。何をのろのろしている! 観光に行くぞ、観光に!」
 茶々丸を見送ったすこしあと、がらりと6班の扉が開あけはなたれて、朝食を終えたエヴァンジェリンが入ってきた。
 すでに食事を終えたようだ。
 エヴァンジェリンの背後には、千雨たちの食事を持った茶々丸がいる。
 急遽昨日の夜に合流したことになっているエヴァンジェリンも、今日の朝食はクラスメイトと一緒にとっていたらしい。

「千雨ちゃんいるー?」
「おはようございます、千雨さん」
 さらに茶々丸の背後からネギと明日菜、そして木乃香と刹那が入ってきた。
 そしてそのまま部屋の中を見て動きを止める。
 部屋の中では下着姿のさよが、千雨に抱きかかえられていたためだ。
 突然胸に抱えられて目を丸くするさよをかかえたまま、千雨が乱入者たちにあきれたような視線を向けていた。

「なにやってんの?」

 ポリポリと頬をかきながら明日菜が言った。
 ようやくフリーズから解除された千雨がさよから離れる。
 そうしてみると千雨の行動の理由は明白だ。
 抱きつく千雨の体で隠されていたそこには、肩から新しく伸びるさよの左腕があった。

「いきなり入ってくるなよ」
「おお、もう治ってるんやね。よかったわー」
「ずいぶん早いですね。学園に戻ってから治すと聞いていた気がするのですが」
 千雨が木乃香と刹那の問いに答えながら千雨が肩をすくめる。
「これは応急処置だよ。ダンボールを丸めてガムテープでくっつけた程度の代用品だ」
 言われてみればそれは完全に人工物じみた義手だった。茶々丸たちガイノイドの腕はおろか、市販の義手よりさらに三段は落ちる模造品である。
 神経どころか関節が存在しないそれがだらりと肩から力なく垂れ下がっていた。
 学園に帰った後、新しい腕をつなぐことになるはずだ。
 神経接続が行われる義手は、人形体であるさよにとっては腕の再生と同義である。

「バカをやってないで、さっさとさよに服を着せんか。もう終わっているのだろう」
「わかってるけど、いきなり入ってくるとはおもわねーだろ。あと、ネギ。てめーはじろじろ見てんじゃねえ」
「す、すいません。さよさん!」
 ドアを開けていきなり飛び込んできた光景に止まっていたネギがあわてて目をそむける。
 すでにある程度の処置は終わっていたらしく素っ裸というわけではないが、浴衣をはだけさせた女子中学生の下着姿だ。間違っても凝視してよい光景ではあるまい。

「いやー、ごめんね、さよちゃん。それに千雨ちゃんも」
「あはは、構いませんよ。それで皆さんはご一緒でどうされたんですか」
「あっ、それなんだけどね。エヴァちゃんが京都観光に行くっていっててさ。千雨ちゃんたちもどうかと思って」
「観光? エヴァンジェリンがか」
「何か文句あるのか、貴様」

 先ほどからイラついたように千雨をせかしていた幼女に視線を向ける。
 別に、と答えて千雨が肩をすくめた。
 見た目に似合わず、こいつは囲碁部に茶道部にと意外に東洋文化を愛している。

「で、みんなで行くってのか。」
「そのあとは近衛詠春がナギの書庫を案内するそうだな。お前はどうする?」
 その言葉に、ネギたちも千雨に目を向けた。
 だが、千雨はたいして悩むこともなく首を横に振った。

「さよのフォローをしないといけないからわたしはパスだ。ウチのグループについてくよ。それにあいつとちがってわたしは書庫に興味はないしな」
「さよさんのですか?」
 ネギが首をかしげた。

「きちんとしたのは麻帆良に帰ってから作るとして、形だけ用意しただけだから、吊っててもらうことになるからな」
「うーんやっぱり時間がかかるん?」
「治すのもそうだけど、治した後にリハビリじみたこともしなくちゃいけないだろ。今日は打ち身とでも言っておいてごまかすけど、肩からってのはかなりでかい。バランス取れないから歩くだけでもきついだろうし、わたしはさよについてってフォローに回ろうと思うんだよ」
 再度さよの手に視線が集まる。だらんと垂れ下がるそれに動く気配はない。

「結構地味ね。魔法でピカッと直すのかと思ってたわ」
「うちもやなあ。ガラスとか直したときは魔法ぽかったのに、さよちゃんの腕は駄目なん?」
「お前ら魔法使いになれすぎて感覚麻痺してないか? これでもさよの腕は人間の腕に比べたらはるかに簡単なほうだよ」
 千雨が呆れたように言った。

「じゃあ千雨ちゃんはザジさんたちとまわるん?」
「ザジもだけど、わたしらは宮崎たちに誘われてるからそっちとかな」
「ふーん、じゃあ千雨ちゃんはこれないのか。ちょっと残念ね」
「あー、うん。まあそうだな」
 明日菜の言葉に千雨が一瞬の逡巡を見せた。
 木乃香がそれを見て首をかしげる。

「なにかあるん、千雨ちゃん?」
「んー、さよのこと以外にも、記憶を消した分の誤差も一応見たほうがいいかなと思ってたんだ」
 すこし言いづらそうにしながらも、木乃香の問いにはっきりと千雨が答えた。
 その言葉にさよも頷く。
 千雨同様に彼女もナギの車庫についていくよりも、昨晩の記憶を失っているクラスメイトに同行したかった。

「そういえば、ほんとにみんな忘れてるみたいだったわね」
 明日菜が言いづらそうに口にした。
 聞いてはいたものの、やはり魔術師でもないものが見ればその光景に忌避感は免れまい。
 その横で木乃香も眉根を寄せているが、逆に刹那などは気をもめる木乃香に遠慮することはあっても、千雨の行動に疑問をはさむようなことはない。
 以前に自分の記憶を消そうとしたネギの姿、昨日説明を受けたときの千雨の視線、そういうものを思い返しながら明日菜や木乃香は文句を押し殺すだけだ。
 すこし気まずい雰囲気が流れるがそれが普通の反応である。

「あれって後で思い出したりはするの?」
 すこしだけ期待するかのように明日菜が言った。
「思い出すというより追体験させるようなもんだけど、戻すことはできる。でも自然には戻らない」
「じゃあ、いつか千雨ちゃんが戻すかもしれないってこと?」
 やはり思い出せるのならばそちらのほうが好ましい、と考えている明日菜らしい台詞だ。

「戻すわけないだろ。もうこんなことが起こらないようにするために記憶を奪ったんだぞ」
「でも気にしてたじゃない、千雨ちゃん」
「気にはしたけど、だからって戻すのに期待するのは違うだろ」
 結果ではなく行為の罪。
 それは以前にネギに対して千雨が責めた内容だ。言いだしっぺである自分が目を背けることなどできるはずがない。

「でも、わたしは覚えてるのに、みんな忘れてるなんて……」
 愚痴るような明日菜の台詞に千雨が霞のような笑みを浮かべた。
 やはり、ほんとにこいつは善人だった。
 実は最近の千雨は明日菜を一押しで気にいっていたりする。
「わたしも割り切ってなんていないさ。やることだけやって、それ以外のことを全部後回しにしただけだし」
「うーん、無責任すぎない、その言い方?」
 あわてたように明日菜が言う。
 だが、それは千雨の本心だ。撤回はできない。
 割り切るなんて、自分だって不可能なのだ。
 あやかの言葉に支えてもらい、魔術師としての使命感から何とか耐えているだけである。

 それでもやらなくてはいけないと思ったからやっただけだ。
 凡人は自分が正しいと思うことしかできないのだ。正しい行いを確信して進めるのは英雄だけ。
 もし間違っていると突きつけられたら、そのときに懺悔をし、それまでは責任だけを背負っていればそれでいい。
 ルビーの弟子として、千雨はやらずに後悔することだけはできないから。

 どちらが正しいかなんてわからない。
 やるしかないからやっただけ。
 選択権だけを抱え込んでたら、いつか動けなくなっちまう。
 後回しにして目を背け、それでも重荷は下ろさず抱え込む。


 ――――でかい悩みなら吹っ切るな。


 どこかの誰かの陳腐な台詞。
 胸に抱えて進めだなんて、そんなありきたりで、それでいてそれを聞いた誰かさんに決定的な変化を与えたそういう助言。
 それを本当の意味で本人から聞けるのは、きっとルビーくらいのものだろう。
 だけど千雨だけは、誰に言われないままにその言葉をその身に宿していても許される。

 適当に吹っ切るのは決断の放棄であり逃げである。
 自分の行いに即時の解答を求めないそういう思考。
 千雨の意志力。ネギが尊敬する、その強さ。

 結末まで知っている神様以外はどうすべきかもわからない道を歩むことのできる、小さな勇気。
 誰かが本当の魔法と呼称したその心を、ちゃんと魔法使い見習いの少女は持っている。
 そんな千雨の姿に、ああ、とさよとネギが息を吐く。

「あの、千雨さん」
「あ、なんだ? わりーが文句ならきかねーぞ。話は終わりだ。悩み相談に乗ってもらう気も、乗る気もねえんだからな」

 黙り込んだ千雨をじっと見つめていたネギが口を開き、それに千雨が突き放すような言葉を返す。
 話は終わりだと断言するその口調。
 悩みなど聞かないと言い放ちながら、人の言葉に耳を傾け、突き放すようなことを言いながら、その実、心の中では吹っ切れずに抱え続ける気質を持つ長谷川千雨。

「いえ、違います。そうではなくて……」
「んっ? なんかあるのか?」

 問答は終わりだと断言する千雨に、もちろんネギは質問など投げかけなかった。
 彼はどうしても言いたいことを言いたいと思っただけだ。
 彼はそういうところで躊躇はしない。
 だから言う。


「ボク、千雨さんのことを本当に尊敬します。だから、その……ボクもできるだけ努力していきたいと思いますね」


 千雨の姿を見て、そんな言葉を言いたかっただけなのだ。
 ネギは千雨のことがとても好きだ。
 だけど、その感情は好意だけでなく、そもそも一番はじめにネギが千雨に対して宿したのは尊敬の感情で、それはいまもほんの少しだって翳っていない。
 それをネギは改めて確認した。
 だけども、そんなネギとは対照的に、後ろに明日菜たちを控えたままにそんな台詞を口にされ、千雨は動きが取れなくなった。

「……………………」
「あ、あの、どうされたんですか?」

 千雨がうつむいて、手のひらで目を覆う。
 突然の千雨のリアクションに、あまりよくわかっていないらしいネギが戸惑ったような声をかけた。
 そして千雨は、そんな突然の決意表明に頬を止めようと歯を鳴らすだけだ。
 なぜいきなりそんな言葉が出てくるのだ。いつもながら脈絡がなさ過ぎるぞ、このガキめ。
 先ほどまでネギの言葉にウムウムと一人で頷いていたさよは、千雨の照れる姿に今度はフフフと微笑ましそうに笑っていた。

「……そういうのは口に出さずにしまっとけよな」
 どこから来たのかわからないむず痒さををこらえながら千雨が答えた。
 ネギの後ろから飛んでくる死ぬほど嬉しそうな木乃香の視線や、あきれ返ったエヴァンジェリンたちの視線が痛すぎる。

「あっ、はい。すいません、千雨さん。どうしても言いたくなってしまって……」
「いや……嫌だって言ってるわけじゃないけど……」
「ごめんなさい、千雨さん」
「……いや、まあ気にすんな」
「はい、ありがとうございます」

 そっけなく手を振る千雨に申し訳なさそうにネギが答えた。
 そんなネギの姿に、千雨が手で顔を覆ったままに息を吐く。
 いったいこの問答は何なんだ。
 千雨だって尊敬しているといわれて嬉しくないわけではないが、素直に笑ってネギの頭をなでてやるには木乃香たちの視線が怖すぎる。
 自分は人前では素直になれないのだ。

「まあ、お前も頑張ったらいいんじゃないか? 適当に」

 これがギリギリ。だからこれで本当に問答は終了だ。
 近衛木乃香が口を挟むより先に、さよがネギに同意しながらこちらに抱きついてくるよりも早く、千雨は話を打ち切るためだけに、本心ではないそんな言葉を口にする。
 さて、それではさっさと今日の予定でも決めて、動き出そう。
 修学旅行の残り時間だって無限にあるわけではないのだから。


   ◆


「それでお前らはナギさんの書庫とか言うのに行くんだろ」
「その前に観光だ。わたしは京都に来たばかりだからな」
「みんな元気よねー。お昼くらいまで休んでからにしない?」

 場を取り直すように千雨が口を開くと、それを感じ取ったのか、えらそうにエヴァンジェリンが言う。
 明日菜は明日菜で昨日の気づかれもあってそんなエヴァンジェリンに対して、ぐったりとした様子を隠せていない。
 浮かれているさまを隠そうともしていないエヴァンジェリンの言によれば、定番の観光名所をめぐる気らしい。
 その横で、すでに二日間の観光を終えているさよが申し訳なさそうに口を挟んだ。

「えっと、それでは、エヴァンジェリンさん」
「ああ、さよは宮崎のどかたちとだったな。わたしは初日の分から全部周るつもりだからな。わたしの観光にはこいつらをつき合わせよう」
 相も変わらずさよに甘いエヴァンジェリンの後ろで明日菜が文句を上げたが、そんなことにエヴァンジェリンが耳をかたむけるはずもない。

「マスター。わたしは……」
 茶々丸がそわそわと落ち着かなさ気にエヴァンジェリンに問いかける。
 それにエヴァンジェリンが苦笑いをしながら頷いた。
「ん、そうだな。まあいいだろ。お前もさよの世話をしてやれ。ナギの書庫にいくときに戻って来い」
 茶々丸が嬉しそうにうなずく。
 エヴァンジェリンは身内に甘い。さよにももちろん茶々丸にもだ。

 そうして、その後、茶々丸の運んだ朝食をとった千雨たちが、出かけの準備を整えるころ、だんだんと外も騒がしくなっている。
 修学旅行のスケジュール通りに他のクラスメイトも出かけようとしているようだ。
 さよと約束していたのどかたちも、千雨たちを誘いに部屋を訪ねてくる。

「それじゃそろそろわたしらも行くか?」
 部屋に来たのどかたちを迎えて千雨が言った。
「千雨さん。今日はどちらに?」
「んー、宮崎たちはなんか案あるのか? なければ土産店を回りたかったりするんだけど」
 すこし黙ってから千雨が答える。

「お土産ですか?」
「あー、そりゃそうだねえ。わたしも漫研と探索部に買ってかないとなー」
「ですね。木乃香さんもお部屋で休まれていたようですし、すこし相談して探索部は共同で買いましょうか。あと、わたしは児童文学研究会と哲学研究会のほうにも買っておかないといけませんし」
 千雨の言葉にのどかたちが頷いた。
 横で茶々丸たちも頷いている。お土産などに気を回しそうにない主人に代わって茶道部等にお土産を買う気だろう。
 社交性の高い彼女らは当然3-A以外にだって個人的な友人グループを有している。
 その横で、社交性は高くとも時間的な問題でまだまだ交友関係がクラスだけで限定されているさよが千雨にすがりついた。

「うー、でも千雨さん。わたしも千雨さんもサークル入っていませんよ? エヴァンジェリンさんとチャチャゼロさんもこちらにいらっしゃいましたし……」
「ん、まあそうなんだけど……」
 ポリポリと頬をかきながら千雨が言いよどむ。
 さよの生まれを考えると答えにくい言葉だったからだ。
 というかのどか達の前でさらっとチャチャゼロの名を出すのは控えてほしい。
 いつハルナあたりに聞きとがめられるかと千雨は戦々恐々だ。
 そんなさよにたいして、若干の申し訳なさを含めて千雨が言う。

「わたしはうちの家にちゃんとしたものを買っておこうかと思ってるんだよ。ちょっと思うところがあってさ」

 はあ、と息を吐くさよにはもう両親は存在しない。
 だが別段さよも気にするようなそぶりを見せず、人目のあるこの場で詳しく話す気もない千雨もそんなさよに対して感謝を返しながら微笑んだ。
 さて、それではようやく訪れた、気兼ねなく楽しめる最後の自由行動だ。
 明日菜たちには悪いが、楽しませてもらうとしよう。



   ◆◆◆



 そうして修学旅行の四日目が終わった最後の夜。

 最後の観光と土産物屋をぶらついた後、皆が西の本山ではなくホテルに戻り、当然その中には長谷川千雨の姿もある。
 すでに日も落ちかけていたのだが、途中で合流した委員長グループと千雨たちが騒ぎながらホテルに着いたときには、まだネギたちは戻ってはいないようだった。
 おそらくナギさんの以前住んでいたという別荘とやらで盛り上がっているのだろう。

 ようやく戻った日常の流れどおりに、千雨はホテルで羽を休めていた。
 さよたちは大浴場に行っているはずだ。
 実のところ千雨は温泉などの足が伸ばせる風呂が大好きだったりするのだが、いまは令呪があるためお預けだ。本山の大浴場で我慢するべきなのだろう。
 令呪を見られたくらいでクラスメイトの記憶が戻るようなことはないが、それでも見られてかまわないというわけではない。
 そうして、さよを茶々丸とザジに任せて、休憩所で休んでいた千雨の目に、いつのまにやらホテルに戻ってきていたらしいネギの姿が映る。
 ニコニコと微笑みながら歩くその姿は、聞くまでもなく今日の収穫を物語っていた。

「ん、ネギか。帰ってきたのか」
「あっ、千雨さん。はい。先ほど戻りました」
 軽く手を上げた千雨に、嬉しそうにネギが駆け寄ってきた。

「ふーん、そっか。なんか進展あったのか?」
「はい。西の長さんから父さんの昔の話を……」
「ああ、そういや昔チームを組んでたんだっけか。エヴァンジェリンがいってた手がかりってのは?」
「それについても長さんから、父さんがいなくなる前に調べていたという書類をいただきました。暗号化して書かれているそうなので麻帆良に帰ってから調べてみるつもりです」
 ニコニコとネギが答えた。進展があったことが嬉しいのだろう。
 千雨は知らないが、詠春から受け取った大きな巻物のことである。
 ネギはまだ中を見てはいないようだ。

「暗号か。そういうのはルビーが得意だったんだけどな」
 千雨はセキュリティ解析や電子方面では得意だが、流石に魔法使いが口にする暗号とやらを前に自信満々とは行かなかった。
「あ、千雨さん。ルビーさんのことは……」
「ん、あいつは満足していたと思うよ。そう気にしなくていい。……わたしが言っていい台詞かはわかんないけどな」
 苦笑しながら千雨が答えた。
 完全な実感を伴ってルビーを見送った自分と違い、ネギはやはり別れも言えずに消え去ってしまったルビーのことを簡単に吹っ切るとはいかないようだ。
 妹の救いを目標にしていた世界の旅人。
 彼女自身の目的は究極的には一つだけだが、それでも世界を渡る過程で彼女はその足跡を残している。

「まっ、ルビーは満足かもしれんが、エヴァンジェリンなんかは文句を言いそうだけどな。封印を解く手伝いとかしてたみたいだし」
「伺ってます。……千雨さんは封印については?」
「うん、わたしは聞いてないんだよ。ルビーはあんまりわたしにそういうことを話さなかったからな」

 さよのことネギのことエヴァンジェリンのこと、千雨以外の人のこと。
 さよのように千雨に頼まれた内容ももちろんあるが、エヴァンジェリンの封印やナギ・スプリングフィールドの捜索など、なんだかんだと口にしながら、そういうものにルビーは手を貸していた。
 ルビー自身はそれを千雨のためだといっていたが、彼女自身の善性から来ていることだって事実には違いない。
 だから千雨も、それをルビーから引き継ぐ必要があるわけだ。
 でなければ、今後彼女の弟子は名乗れまい。
 日常をかき回し、最後に責任の所在だけを千雨に任せっきりで出て行ったあの女。

 さよの体を作る技術はまだまだエヴァンジェリンの力を借りないと無理だろう。それにしたって千雨一人では維持や修復が精一杯。
 ネギの父親に関してなんて、千雨はほとんど知らないままだ。ルビーは独自に情報網を構築していたらしいが、それは千雨には伝えられずに彼女は消えた。
 エヴァンジェリンの封印も千雨はほとんど聞いていない。
 ルビーは自分の消失を知っていたからエヴァンジェリンに情報を残してあるだろうが、それを受け継ぐのは千雨の役目になるだろう。
 先日の超たちとの会話だって千雨はなにも知らないままで、あいつらの真意も不明のまま。
 それ以外に、ルビーが魔法世界で起こした騒動やら、あの白髪の誘拐魔やらと、彼女が弟子に残したものは様々で、千雨はその責任だけを押し付けられたようなものだ。

 だけど、それでも千雨に後悔なんて存在しない。
 いまの自分にはきちんと信念が残っている。やるべきことが決まっている。
 道を示してやることよりも、道を選択できる意思を宿させることを重視する、そういう指導。魔道の師匠は、弟子に知識だけを教えて勤まるものじゃない。
 遠坂凛は指導者としても優秀なのだ。
 だから千雨はルビーの消失を受けても、己を失うことはない。

「あのさ、ネギ」
「はい、なんでしょうか。千雨さん」
 ポツリと千雨が口にする。


「……わたしさ、やりたいことが出来たんだよな」


 脈絡なく唐突に呟かれるその言葉。
 それにネギは「はい」とだけ頷いた。
 ネギが千雨の次の言葉を待ち、千雨はそうして言葉を聞いてくれるネギに感謝しながら言葉を続ける。

「将来の夢って言うかな。そんな感じ。さよの腕を治したらまずはそれについてちょっと動いてみようと思う。お前がよければ、手伝ってくれると嬉しい」
「はい、もちろんです。なんでもいってください」
 当たり前のように答えてから、一体何を手伝えばいいのでしょうか、とネギが問う。
 その順番に、やっぱりこいつはお人よしだなあと千雨が笑った。

「うん、わたしは魔術師になってみようかなって」
 あっさりと、千雨がそんな言葉を口にした。
 ネギが首をかしげる。
「魔術師ですか? でも、千雨さんはもう……」
「いや、いままでみたいに適当じゃなくだよ。わたしはもともとルビーが帰ったら最低限だけ残して手を引くつもりだったんだ。でも、いまはこれから先もすこし本気で続けてみたいと思ってる」
 ルビーと同じように、遠坂凛や間桐桜と同じように。
 ルビーは消えたが、ルビーの残したものは消えていない。ならばそれを残したい。
 まったく、長谷川千雨の言葉とは思えない。千雨は自分がそんな言葉を口にする事実に苦笑した。
 すこし二人とも黙ってから、やはり千雨が口火を切った。

「別に根源を目指す気はないが、少なくともあいつがいたという証を残せるくらいにはなっときたい。あいつがわたしを生き残らせるために放り捨ててしまったこの“剣”を、わたしは無駄にはしたくない。あいつが聞いたら捕らわれるなって怒るかもしれないけど、でもこの思いはこだわりなんてものじゃないと思う……わかんないけどさ」
「いえ、ボクもそれはとてもいいことだと思います」
「……うん、そうか。そういってもらえるとうれしい。でもやっぱな。そういうもんだとわかっても、なかなか難しいものもある。決心というか、お前にも、いろいろと……いや、理解してもらえるかもわからなかったし……」
 タハハ、と笑いながら千雨が口調を濁す。
 そうして一拍黙ってから、雰囲気を変えるように千雨は言葉を続けた。

「そういや悪かったな。昨日の夜は相談もしないで」
「千雨さんがそうすべきだと思ったのは、間違っていないと思います。相談されれば、やっぱりボクは記憶を残すべきだといったでしょう」
 やはりネギは終わってしまったからといって妥協はしていなかった。

「そうだよな。やっぱりいまもそう思ってるか?」
「はい。以前に明日菜さんの記憶を消そうとしたボクが言っていいことかはわかりませんけど。……きっと皆さんは千雨さんと記憶を共有したいと思っていたはずです」
 迷わず頷くネギの断定に千雨も黙った。

「さよさんがおっしゃっていました。千雨さんを迎えに浴場に向かったときに、皆さんがどれほど楽しそうにさよさんの話を聞かれていたか。どれほど茶々丸さんの語る千雨さんの話に勇気付けられていたのかを」
「ああ、わたしも長瀬から聞いたな。美化150%って感じだったけど」
 今日の散策中に出会った楓たちのことを思い出しながら千雨が苦笑した。
「そんなことはありません。楓さんたちもおっしゃっていました。あのとき、クラスのみんなが怯えずにいられたのはさよさんと千雨さんのおかげだったと」

 あの夜に麻帆良四天王を送り出した後、千雨を助けに向かったのは茶々丸たちを護衛としたクラス全員。
 結局さよ一人を送り出すなんてことには納得せずに、皆が千雨を助けに向かった。
 千雨もそれは知っている。彼女はさよが自分の石化を癒したときに、その場にほかの皆がいるのを見ていたのだから。

 あの夜、千雨を探す道すがら、さよは千雨のことを話していた。
 千雨が魔術師だということ。千雨が魔法を使って自分を生き返らせたこと。ネギが魔法使いだったこと。千雨が自分を慰めてくれたこと。ずっと一緒にいるといったこと。そしてネギと千雨がほんとに恋人だということまで。
 はっきり言って、一部気を抜かずに防衛を考えていたもの以外は、さよの話に興味津々と、ほとんどいつもどおりといっていいほどだったのだ。
 いくらなんでも石化された風香と泣き叫んでいた史伽はもう少し真剣な雰囲気を残していても良かっただろうが、のろけ続けるさよに突っ込み続けていれば気もまぎれる。
 記憶を消すよりも前に、彼女たちに笑顔を取り戻させたその行為。
 このあたりのことについても、おそらく楓たちが見れば、さよや千雨の功績であると判断しただろうが、千雨にしてみれば自分の恥部をばらされただけだ。
 だからまあ、千雨としては記憶をとどめておいてほしく内面もあるが、それを別にしても記憶消去はやはり義務だ。

「だけど、そんな理由で記憶を消さないなんてのはできないだろ。それはあいつらじゃなくわたしの都合だ」
「はい。だから、それが正しいかなんてわかりません。ボクにも、でも千雨さんにもです。どちらが正しいかなんてきっと誰にもわかりません。でもボクは、ボクの言葉で素直に千雨さんが納得するよりも、それは千雨さんらしいと思います」
「ん、そっか……」

 こういう台詞をはっきりと口にできるのがこいつの強みだ。千雨には一生かかっても得られなそうなスキルである。
 そのままそわそわとした千雨が周りをきょろきょろと見渡した。
 誰もいない。ホテルの片隅。
 すこし黙ってから、千雨が口を開く。

「そ、そのだな。ネギ」
「はい」
「えっと。わたしは魔術師だし、お前は魔法使いだ。だからかもしれんが、結構お前とは意見が合わないこともあるし、お前がやることが納得できないこともある」
「はい。わかります」
 いままさに行っていた話だ。
 神妙にネギが頷いた。
 千雨の赤くなった顔とは裏腹に、真剣な話だと感じたからだ。

「うん。お前は結構抜けてるし、直情型だ。何か問題が起こったときに、人がまず考えるべき内容から片付ける。それは個人ではいいことだろうけど、組織からは嫌われる。魔法使いとどうかは知らんが、行動の価値を未来でなく現在で決めるその思考は魔術師からは忌避される」
 そして、一番の問題はその場その場で最適解を出し続ける思考を、本人が駄目なものと認識しようとしないことが、魔術師には許せない。
 魔術師は自己の視点を確立し、長谷川千雨はそれに加えて客観的な意識を得手とする。
 ゆえに、あばたはあばたで、えくぼはえくぼ。千雨に限って恋は盲目ということはありえない。
 彼女はネギ相手だろうと、不満ははっきりと口にする。
 だが、思考の評価と行動の評価は別物で、彼女はネギの考えに納得できなくとも、絶対的に評価している点が一つある。

 千雨はもちろんネギに不満を持っているし、ネギもきっと盲目的に自分を好きだといってくれているわけではないだろうと思っている。
 彼女は温情から慰めを口にするのは苦手なのだ。
 そう、彼女の本音を溜め込む悪癖の元となった人のあり方。自分の心のままに糾弾し、自分の心をごまかすしかない思考法。
 そしてそれは、もちろんのことながら彼女自身にも向いていた。

「だからさ、ネギ」
「はい」
 彼女は人の悪事をなあなあで済ませない代わりに、自分の罪悪感を放り捨てることができないのだ。
 そう、つまり。

「その……お前はわたしなんかよりもずっと頑張ってると思うぞ」

 だから、千雨は顔を赤らめ、ネギへの文句を口にして誤魔化しながらこんなことを口にするはめになる。
 ネギは一瞬何を言われたのかわからなかった。
 朝の雑談。どうでもいいような会話の応酬。
 千雨を尊敬するといったネギの言葉。
 それに対して、人の目を気にして手を振って、たいした返事をしないままに逃げをうった今日の朝。

「えっ、と? それは……?」
「だ、だから、朝のことだよ。お前は十分頑張ってるよ。ちゃんと知ってる。わたしがお前に納得できないのは考え方の所為で、お前の所為ってわけじゃない。あ、朝はえらそうに頑張れとかいっちゃったけど……、な、なんつーか……その……」

 黙ったままにしておけばよかったそれを、わざわざ千雨が口にする。
 昨晩、あやかに律儀と称されたように、千雨は意外に義理堅く、自分の罪悪感から逃げられない。
 この娘はそっけない返事をネギがそのまま受け取ってやしないかと、ほんとに千雨がネギの言葉を適当に受け取っていると思われてはいないかと、実はこっそり不安がっていたらしい。
 まったくもってアホらしい。そんなはずあるはずないのに、それに千雨だけが気づいていない。

「……えへへ。はい。ありがとうございます。千雨さん」

 そんな千雨ににっこりとネギが微笑み、その笑みに千雨が墓穴を掘ったことを悟って真っ赤に染まる。
 やっぱり性根は可愛らしい人らしい。
 そんな千雨の葛藤を、千雨をよく知るネギはやっぱり気づいてしまい、千雨も千雨で自分の言葉にどうしたらいいかを縛られて黙ったままだ。

 もじもじと戸惑っている目の前のかわいらしい少女の姿。抱きしめたいなあ、とネギはこっそり思っているが、千雨が暴走しがちなので、最近のネギはこういうときに配慮することを覚えている。
 意外に知っている人は少ないが、実は千雨は照れ屋で乙女で恥ずかしがり屋で純情なのだ。
 目の前で微笑む、純真ではあるものの、意外に押しの強い少年とは対照的に。


   ◆


「あっ、そういえば、千雨さん」
 赤くなったままの千雨を哀れんだわけでもないだろうが、沈黙を破ってネギが口を開いた。
「ん、なんだ?」
「いえ、さきほどおっしゃっていた、千雨さんが魔術師になるのにボクが手伝えることという話ですが」
「ああ、そりゃもちろん魔術の……あ、あーっと、り、理論とか、その……。いろいろだよ。いろいろ」
 おそらくここで素直に理論だと断言すればこの問答は終わっただろう。
 思考が早すぎるのも困り者だ。この女は以前から高速思考法を役に立たない方向ばかりに使用している。
 予想に反して歯切れを悪くする千雨にネギが首をかしげた。

「どうかされたんですか?」
「いや、たいしたことじゃないよ。べつに」
「嘘ですよね?」
 なぜか即答された。そんな自分はわかりやすいだろうか。
 千雨としてはうなるしかない。

「う、うん、まあ嘘だけど」
「あの、ボクが知らないほうがいいことなんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
 すこしの逡巡の末、こういうときに嘘がつけない千雨がうなるように答えた。
「教えていただけませんか?」
 いつの間にか気配を変質させたネギに千雨が後ずさった。
 なにやら勘違いしているのか、無駄に鋭い視線である。
 自分はこういうネギに弱いのだ。
 ますます顔が赤くなったことを自覚した。

「なんつーか、ほら魔術ってお前も勉強しただろ?」
「はい、しましたけど……」
「わ、わかんないかな?」
 千雨はちょっと涙目だった。
 もじもじとした彼女を詰問するネギの姿は、傍目には新手の羞恥プレイである。

「す、すいません。ちょっとわからないです。あの、詳しく教えてもらってもいいですか?」
「いや、別にいいんだ。わかんなくても……。全然どうでもいいことだし……。うん。じゃあ、この話はもう終わりにしたいんだけど……」
 視線を揺らしながら千雨が口にするが、ネギは勢いを緩めない。
 彼は千雨の内に淀みを溜め込む悪癖を知っている。
 彼女が黙ったときは、すこし無理やりにでも聞きだすべきなのだ。
 だからここで引くわけにはいかないと考えるのも道理だろう。

 そして、千雨も千雨で、彼女は自分の信念に忠実だ。記憶を奪ったことに懺悔はしても、後悔はしなかったように。
 だから、彼女は自分の言葉は裏切れない。彼女がネギにきちんと頼ると口にした以上、ここで逃げ出すことはできないのだ。
 ゆえに彼女はここで口を割らされる羽目になる。

「あの、ボクに関係することなんですか?」
「そ、そういうこと聞くのか……。か、関係はだな、…………もしかしたら……ある、かもしれない。…………い、いや他意は全然ないけど」
「あの、よくわかりません。でも、ボクに関係することなら教えてほしいです」
 涙目で後ずさったあげく壁際まで追い詰められた千雨はもう半分泣いていた。

「そ、そう……あの、別にたいしたことじゃないし、わからないなら、もうわからないでもいいんじゃないかな、とか思うんだけど」
「教えて欲しいです」
「だ、だから、その、魔術は系譜で力を溜めるから、わたしが魔術師になるってのは……」
「というのは?」
 間桐家があり遠坂家がアインツベルンの家名があることでもわかる魔術の常識、魔術師の大前提。
 魔術刻印の性質と魔術のあり方。

 かつて千雨が口にしたその言葉。
 そうたしか、知ったかぶりの魔術師見習いが、クラスメイトの委員長相手に話したその言葉。
 魔術とは、血統に依存して子孫に向かって送られる。
 それを口にした本人が、その意味をきちんと考えておかなかったのだ。
 ならば、これくらいのバチはあたってしかるべきというものだろう。
 そう、つまり。
 長谷川千雨が魔術師になると決意したということは


「――――いつか、わたしの子供に継がせていくかもって意味なんだけど……」


 自分の言葉の意味を良く考えないから、千雨はいつもいつも自爆して、今回もこんな台詞を涙目で言う羽目になるのである。
 さらっと流せたなら話は別かもしれないが、ここまで溜めてからいわれたら、そりゃあネギだって動きも止まる。流石にこれをネギの所為だというのはかわいそうだろう。
 千雨も千雨で口にした瞬間に、ぐるぐる回った思考から適当に口にしたその言葉が、どれほどやばいものだったのかをようやく自覚したらしく、あわてたように口調を荒げた。
 というよりこの女はいつもいつも言い方とタイミングが悪すぎなのだ。

「――――ま、まあ、そんなのどうでもいいよな。つーか、べつに根っからの魔術師になりたいわけじゃないから、魔術の名が残ればそれでいいわけだし、弟子ならさよだっているし! あー、うん、それにそもそもそれ以前にわたしは両親に話をしなきゃだし、うん、だからそういうのは気が早すぎたよ。いやつーか、気が早いとかじゃなくて、ちょっと変に気を回しすぎたって言うか全然気にしなくていいんだけどていうかこの話は忘れてくれ! それじゃおやすみ!」

 口にし始めた瞬間から加速度的に恥ずかしくなり、口調を荒げて捲くし立てると涙目のまま千雨がきびすを返す。
 逃亡を図ったのだが、それは残念ながら失敗した。
 その場には顔を真っ赤にして思考を停止したままに、反射的に千雨の手を握ったネギがいる。
 そう。以前からわかっていたことだ。
 この少年は空気を読まないようで、こういうタイミングははずさない。

「あ、あの千雨さんっ、待ってください!」
「っ!!? っ!!」

 変な具合にスイッチが入ったネギが口を開き、変な具合にスイッチの入ってしまった千雨がおろおろとうろたえる。
 カップルだのキスだので騒ぐクラスメイトに見せてやるべきだろう。
 暴走しがちなこの二人は、深読みしすぎかと笑っているクラスメイトのはるか斜め上を突っ走っている。

 そして、ネギはなにやら決意を秘めた瞳のままに息を吸い――――



   ◆◆◆



「――――あの、茶々丸さん。お茶がこぼれてますけど」

「っ!? あの、すいません。その……」
「またか。懲りんな茶々丸」
「も、申し訳ありません。マスター」
「どったの茶々丸さん。なんか心ここにあらずって感じだったけど、なにかあったの?」
「いえ、明日菜さん。その……あの。なんといいますでしょうか。とくになにがあったというわけでもないのですが……」

「どうしたのかね、さよちゃんたち? あっ、木乃香。これお土産ね。お金は夕映に渡しといて」
「了解やー。ごめんなあ、買い物たのんでもうて」
「全然かまいませんよー。木乃香さんは先生のお仕事をお手伝いされたって聞いてますし」
「そういえば、千雨さんはご一緒されなかったんですね。二日目は千雨さんも先生をお手伝いされたと聞いてましたけど」
「んーと、千雨ちゃんは別の用事があってなあ」
「んっ? 千雨ちゃんは普通にうちらと一緒だったじゃん」
「あっ!? あ、あーっと、そ、そうやったなあ」
「どーいうことよ木乃香。あやしいなー。なんか隠してるでしょ?」
「い、いややなあ、ハルナ。そんなんとちゃうよー」

「しかし、当の千雨さんもいらっしゃらないようですが、なにかあったのですか?」
「千雨さんはお風呂に行くときに分かれてそのままですねー。お部屋に戻られていると思ったんですけど、散歩とかしてるのかもしれません」
「ああ、そうなのですか。ネギ先生もいらっしゃらないので、またご一緒しているのかと思っていました」
「ああ、そういえばネギ先生はどうされたんですか?」
「あー、ネギのやつなら瀬流彦先生に話をしておくって言ってたわ。すぐこっちに来ると思ってたんだけど。ちょっと遅いわね。なにしてんのかしらあいつ」
「なんか千雨ちゃんと会ってる気がする! 勘だけど!」
「ひゃ、ハルナさん。いきなり叫ばないでください!」
「そ、それとパル。木乃香さんが苦しそうだよ? それにお布団の上で暴れるのは……」
「木乃香さんはただ単に自分も話を聞きたくてじたばたしてるだけだと思いますよ、のどか」
「そ、そんなことより、ハルナさん! お嬢さまの上から退いてください!」

「どうぞ、みなさま。お茶を入れなおしました」
「なかなかうまい茶だ。やはり嗜好品は現地で調達するに限るな」
「あ、ありがとうございます。茶々丸さん。あの、エヴァンジェリンさん。なんか向こうで騒いでますけど」
「ああ、あれか。放っておけ。そろそろ元凶も来るようだしな」
「マ、マスター。元凶という言い方は流石に……」
「あ、あの。それってどういう意味ですか? ザジさんはわかります?」
「わかる」


   ◆


 と、いうわけで、転がりこむような勢いで部屋に飛び込んできた千雨は、エヴァンジェリンをはじめとした一群の呆れた視線と、茶々丸をはじめとした数名の同情の視線、そして、木乃香やハルナといった面々からの好奇の視線をもって歓迎して迎えられることとなった。
 真っ赤な千雨にさよが疑問符を口にして、ザジは無言。
 千雨はしどろもどろになんでもないと口にして、さよがそのうそ臭い言葉に情けをかけて口を閉ざす。

 きっとルビーが見ればそんないつもどおりの光景に笑っただろう。
 さよたちと揉み合う千雨の姿に、茶々丸とザジが生暖かい視線を送っている。
 そんな中、何があったのかと空気を読まずに尋ねる刹那に、しどろもどろに弁解する長谷川千雨。
 そんな様を見て、大体のところを察する早乙女ハルナ。
 明日菜やのどかたちは空気を呼んで黙ったままだ。
 そんな姿を人形の振りをしながら黙るチャチャゼロが内心で大笑いしながら眺めている。

 そんな騒がしげな日常を感じながら、体に剣を埋め込まれ、心に魔術師の性を植えつけられて、一年前には想像もしていなかった友人に囲まれながらに千雨は思う。
 ついうっかりと「聞こえてしまいました」と口にした茶々丸に飛びかりながら、千雨は今はもう答えない体に埋められた宝石剣に向かって語りかける。

 それはもう独り言のようなものだけど。
 だけど、その言葉はきっとどこか遠くでまた別の桜さんのために頑張っているルビーに向かう呟きだ。
 ルビーが満足していたのは理解できても、この現状がルビーの願い通りだったのかはもう千雨にもわからない。

 でもわたしがお前に抱く感謝の心は本物だ。
 いつかの誰かのその言葉。

 ――――わたしは桜を幸せにするのが目的だもの。

 うん。なにやらずいぶんと騒がしくなっちまったが、わたしは楽しくやれそうだ。
 だからさ、本当にありがとう。
 ルビー。いろいろ困ったこともあったけど、それでもお前が来てくれてよかったよ。
 そう、


 わたしはいま、お前のおかげで幸せだ。





―――――――――――――――




 ごめんなさいでした。そして第一部完です。
 ルビーによるネギま世界の桜を幸せにする旅路はようやくここで終わり。彼女は次の桜の元でいつもどおりにやっていくことでしょう。
 あといい話っぽく締めた振りをしてますが、このあとこの部屋には千雨においてかれたネギが尋ねてきます。




[14323] 第28話
Name: SK◆eceee5e8 ID:9aa6d564
Date: 2015/05/16 22:24
 騒がしかった修学旅行が終わり、平穏を取り戻した3-Aの生徒たちと担任教師。
 5日間に渡る長い旅行の疲れをいやそうと、修学旅行翌日の日曜日を皆が休んでいるそんな中、麻帆良女子寮、神楽坂アスナと近衛木乃香が暮らす一室で、同居人であるネギが一枚の古地図と向き合っていた。
 カリカリとペンの音を響かせるネギは自分の机に向かい、近衛詠春から預かった古地図を前に奮闘している。

 そんな寮の一室で、新聞配達明けの二度寝から明日菜が目覚めたときにはすでにお昼を過ぎていた。
 寝ぼけ眼で部屋を見渡すが、もくもくと書類に向き合うネギのほかに姿はない。
 木乃香の姿がないのは、買い出しにでも出かけているからだろう。

「なにやってんのネギ。帰ってきてそうそう」
「あっ、おはようございます。明日菜さん」
 二段ベッドから、ネギの部屋と化しているロフトにひょいと飛び乗ると、明日菜はネギの手元を覗き込んだ。
「はい。実は、長さんからもらった手がかりを調べていたんです」
 ネギが答えながら、明日菜に見せるそれは、修学旅行先で近衛永春からナギ探索の資料として預かっていた書類である。
「へえ、で結局なんだったの?」
「驚いてください。実は学園の地図の束だったんです!」
 興奮冷めやらぬといった体のままネギが言った。

「麻帆良学園の地図?」
 明日菜が大きく広げた地図を覗き込んでみると、言葉通りそれは地図の束のようだ。
 単純な麻帆良の地形図をはじめ、図書館島の迷宮路面図から地下施設の縦割りの側面分解図までと、麻帆良の多種多様な地図が机の上に広げられた。ところどころにある注釈は、明日菜には読めない言語で記されている。

「へえ、なにそれ。何でそんなのが出てくるよの」
 京都旅行の収穫としてはさすがに予想外だったそれに、明日菜が驚いた声を上げた。
「父さんが最後に研究していたものらしいんですが、暗号をいま解読しようとしていたところです」
「妙に張り切ってるわね、あんた」
「あ……えへへ。修学旅行は悪い人や強い敵とかもいて大変でしたけど、それにその……あの……、はい、いろいろあってですね。あっ、それに父さんの家も見れて手がかりも見つけられましたから。ですから、僕すごくやる気が出てきちゃってて」
「はあ、そうなの」
 明日菜が溜息を吐きながらうなずいた。

「見ていてください明日菜さん。今回のことでいろいろとやることができました。先生の仕事もあるし大変ですけど、できる限りがんばっていきますから」
「は、はあ……。まあ頑張んなさい」
 あきれ交じりの応援だったが、はいと素直にうなずくネギににこりと微笑まれれば毒気も抜かれる。
 急なテンションについていけない明日菜が生返事をしながらそのバイタリティに感心していた。

 そんな会話のなか、ネギと明日菜の二人の耳がインターホンのなる音を捉えた。
 来客のようだが、もちろん修学旅行あけの翌日に明日菜とネギのいる部屋に現れる面々がただの訪問客のはずがない。
 千雨同様、あまり女子寮内部で部屋鍵を重要視していない明日菜の部屋に飛び込んできたのは、修学旅行明けのテンションをそのまま維持しているクラスメイトの面々だった。

「お邪魔いたします。ネギ先生。せっかくの日曜日、お茶などご一緒いたしませんか?」

 と、最初に部屋に顔を出したのは雪広あやかである。
 ファッションドレス系のツーピースで決めている彼女の後ろには、あやかに便乗して、面白い騒動を期待しているらしい朝倉和美の姿がある。
 当然それだけで終わるはずもなく、ふふふ、と優雅に笑いながら扉を開く雪広あやかと朝倉和美の後ろから、さらに騒がしい声が聞こえていた。

「ネギくーん、遊ばないー?」
「今日部活休みなんだよねー」
「こんにちは、ネギ先生」
 そういって現れたのは、裕奈をはじめとしたまき絵、亜子、アキラがそろい踏んだ運動部の面々だ。
 動きやすそうなスポーティーな外着を見につけ、ぞろぞろと部屋に入ってきた。

「ネギ先生ー!」
「遊ぶですー」
 こちらは鳴滝史香と風香の二人。
 二人ともに遊ぶ気満々で、師匠役の楓もいないというのに忍者装束に身を包んだままに部屋の中に飛び込んでくる。

 そのほか、美沙を筆頭にチアリーダーたち三人が顔を見せて一騒ぎ。
 狭くはないが雪広あやかの部屋などと比べればそれほど広いわけでもない部屋がそろそろ飽和を迎えようかとして、ようやく来客がひと段落。
 そんなクラスメイトの姿に明日菜が呆れたように息を吐くが、彼女たちもどうやらネギだけが目的でもないらしい。
 鳴滝姉妹に遅れて登場したチアリーダーズの面々は、別のお目当てを探していた。
 その筆頭らしい柿崎美沙が、明日菜のほうを見ながら口を開く。

「アスナ。長谷川来てないの、長谷川。あいつと話したかったのに部屋にいなかったんだけど」
 部屋を見渡す美沙が千雨の所在を明日菜とネギに問いかける。
 なるほど、と一部来客の意図を悟った明日菜があきれるが、自分も先ほど起きたばかりだ。
 千雨どころか、昼食の買い出しに出かけているだろう木乃香の所在すら曖昧である。
 こういう時のごまかし混じりの対応ではネギは役には立たないし、木乃香に早く帰ってきてこの面々を取りまとめるのを手伝ってほしい。

「こっちには来てないわよ。部屋にいなかったのよね、携帯は?」
 当てが外れたという顔の美沙に向かって明日菜が聞く。
「それが繋がんないのよ。電源切ってるみたい。居留守じゃなくマジで留守だったしネギくんのところにいるのかと思ったんだけど……」
「来てないと思うわよ。ネギ、あんた知ってる?」
「いえ、ぼくも麻帆良に帰ってきてからはまだお会いしていません」
 恐縮したようにネギが言った。
 ネギはほぼ徹夜でナギの残した地図と格闘していたのだ。残念ながら連絡すらしていない。
 だがそんな美砂たちの話を聞いて、そのほかの面々が盛り上がった。

「えー、ネギ先生。こんなところで本なんか読んでないで、会いに行きなよー」
「そうですよー。千雨ちゃんさびしがってるかもですよ、ネギ先生!」
「え、あ、あの……」
「旅行あけそうそうに何言ってんのよ、あんたらは」
 勝手に盛り上がっていく来客たちに向かって、明日菜が突っ込んだ。

「いやいや、明日菜。そうでもないんじゃない? 長谷川はこういうとき自分からは来なそうだしさっ。ネギくんが構わないで自然消滅しちゃったらどうすんのよ!」
 あきれたように言う明日菜に苦笑しながら、なぜか美沙が口をはさんだ。
 その軽口にまんまと引っかかったネギが驚いたような顔をする。
「えっ。そ、そうなんでしょうか」
 そういえばカモミールからも修学旅行中に似たような忠告をもらっていたことを思い出しながらネギが美沙に詰め寄った。

「だってあの子ってどう考えても受け身系じゃん。ネギくんくるまでだって、うちのクラスでいっつも静かだったし、ほんともったいないったらないよ! 今日はその辺も含めてすごい話してみたかったんだよねっ。もーそういう話、うちのクラスだと全然できないしさあ、ほんとネギくんほったらかしてどこ行ってんのよ、あいつ!」
 ぐっと握りこぶしに力をためながら美沙が力説した。どうやら相当期待をしていたらしい。
 ここに来る前に、すでに美沙が千雨の部屋を訪問済みであることからもわかるように、実は彼女とはものすごく話してみたかったのだ。
 修学旅行直前にばれてから、ようやく遊べそうな時間が取れたというのに、当の千雨がネギとも合わずに行方不明では肩すかしすぎる。
 千雨が聞いたら逃げ切れたことに喜んだだろう。どう考えても千雨としてはうれしい話にはならなそうだった。

「明日になりゃいやでも会えるじゃない」
「甘い! 甘いよ、明日菜! 学校であって満足してどうすんの! つーか教室でとかじゃなくて、あいつからは一対一でじっくり聞きたいんだって!」
「学校じゃあ千雨ちゃんは話してくれなそうですねー」
「そうだよねー。このままだと、疎遠になってネギ先生が捨てられちゃうかもっ」
 見え見えの合いの手を双子がいれた。
 びくりとネギが震える様を笑っているところは、まさにクラスのいたずら娘の名に恥じない姿である。
「まーまー。それにネギくんも心配なら会いに行けばいいじゃん。やっぱり学校で会うのとは休みに会うのは違うっしょ! だからねネギくん。長谷川相手には押せ押せで迫ったほうがいいよ、絶対! わたしたちもついてってあげるからさ!」
 美沙が笑いながら言った。
 ついてこなくていいです、とは返答せず、ネギは思案顔でうなったままだ。

「だから、その千雨ちゃんがどこにいるかわからないんでしょーが!」
 記憶を失っている面々とは逆に、千雨の事情に通じている明日菜はそんな心配もしていないが、詳しい説明もできないとあってはどうにも対処しにくい。
 ただでさえ記憶の件で負い目を感じているから、修学旅行の話題すら避けたいくらいなのだ。
 そして、そんな騒動を眺めていた和美がククク、と笑いながら皆を落ち着けるように声をかけた。

「たぶんね、千雨ちゃんはさよちゃんと一緒だと思うよ」
 騒動を笑いながら見ていた和美からようやくでたそんな助け舟に、騒いでいた者たちが首をかしげる。
「なんか知ってんの、朝倉?」
「さよちゃんと? なんで?」
「さよちゃんから聞いたんだよ。わたしここ来る前にさよちゃんに連絡入れたからさ。今日一緒に遊ばないかって。でまあ、そしたら今日は千雨ちゃんと大事な大事な用事があるって断られたのよ。あの子、友達は大事にするから、すっごい恐縮されてこっちのほうが困っちゃうくらいだったんだけど、まあそういうわけ」

 だから千雨はいまごろさよと一緒に大事な用とやらを済ませているのだろう、と朝倉和美が肩をすくめた。
 それを聞いた一同もなるほどと頷く。
 何かと仲のよいさよと千雨。千雨が部屋にいないならとネギの部屋に的を定めたわけだが、さよのところなら十分にあり得るだろう。

「はー、なるほど。長谷川はさよちゃんにとられちゃったかあ」
「残念そうだねー、美沙」
 かなり本気で悔しがっている美沙に、笑いながら円が言った。
「だって実際のところ、話題になってるくせに全然情報がないわけじゃん。あいつのことって広まってすぐに修学旅行だったし、旅行中もなんだかんだで話題には出るくせに長谷川本人とは話できなかったし! つーか実際あいつとネギくんのデートから、なにも聞けないままもう一週間たってんだよっ。ありえないでしょっ!」
「そういえば、修学旅行中も話聞けなかったねー。なんでだっけ?」
「結構チャンスもあった気がするけど、なんだかんだと長谷川には逃げられちゃったからね。せっかく木乃香のうちに泊めてもらってたのに、なんであの時に聞かなかったかねー」

 桜子や円が笑いながら美沙の言葉に追従した。
 自分も美沙も部屋が違うくらいで夜の特攻をあきらめたりはしないだろう。ただでさえ木乃香の実家とやらにお邪魔して、大部屋でまとまっていたのに、千雨としゃべったという記憶はない。
 横で明日菜が冷や汗を流していることを除けば日常の光景だ。

「そうですか。わたくしも千雨さんとネギ先生のお話を改めて伺っておきたいと思っていましたが、そういうことでしたらしょうがありませんわね。まあそれはそれで構いませんわ。今日しか機会がないというわけではありません」
 と、あやかが他の皆の会話にうなずいた。彼女のほうも追求をあきらめる気はないらしい。
 意外にあっさりと納得しているあやかの姿にチアリーダー座の面々が首を傾げる
「それでは先生、今日のところはわたくしとお茶でもいかがでしょうか。こちらに京都土産の生八つ橋を用意させていただきましたわ」
「京都にはぼくも行ったんですけど……」
 と呟きつつも、ネギが好意に与り、いったん暗号解読を中断して席に着く。

「ねーねー、和美。さよちゃんと千雨ちゃんの用事っていうのはなんだったの?」
「わたしも気になりますー」
「聞いてないなー。さよちゃんから話さなかったってことはプライベートな用事なんでしょ、たぶん」
 そんなあやかたちのそばでは、人の部屋で忍者装束のまま暴れていた鳴滝姉妹が一旦騒ぎを中断して和美と一緒に話している。
「えー、和美聞かなかったの?」
「なんでですかー?」
「まっ、話しにくそうだったしね。しつこく聞き出しても悪いじゃない」
 双子の言葉に和美が笑って答えた。
 それにたとえさよから詳細を聞いていたとしても、さよがそれを口止めしていたら和美がこの場でばらすことはなかっただろう。

 どうにも周りからは勘違いされているが、和美は秘匿するべき内容は最後までその片鱗すら漏らさない。
 話せると判断した内容を騒ぎを起こしてネタにする報道部エースとしてのあり方。
 推測ならばしゃべれるが、真実だと知ってしまえばしゃべれないこともある。千雨ならいやいやながらも、和美に対するその辺りの信用を認めてくれるに違いない。

 広める内容は高らかに、逆に秘密にすべき内容はそれを得たことすら自分の中に鍵をかけてしまっておく。
 そのあり方から、周りには手に入れたねたを手当たりしだいばら撒いているように受け取られているだけである。

 そんな形で段々といったん収まったはずの喧騒が戻っていく。
 ネギに和美に双子と運動部にチアリーダー。
 制御できそうなあやかも、ネギの前でお土産を広げながらいそいそとお茶の準備をしているところを見ると、今回は役に立たなそうだ。

「ただいまーって、うひゃー、何やこの人数はー!?」
 そんな中、朝の買い物からようやく帰ってきた木乃香が部屋の喧騒に目を丸くして、お茶の用意に来客用の座布団にと早速に部屋の中を駆け回る。

 そして、帰ってきた木乃香が昼食の準備を後回しに、律義に客人であるクラスメートにお茶を用意するに当たり、ようやくそれを眺めていた明日菜が動き出す。
 どたどたと暴れる双子とそれを笑いながら見ている運動部。
 その横でチアたちと話す報道部や、そんな喧噪を笑顔で聞き流してお茶をネギにふるまう悪友相手。遠慮はまったくいらないだろう。
 というわけで、この辺りで、明日菜は勝手に上り込んで我が物顔で騒いでいた彼女らをまとめてたたき出すことにした。



   第28話


 さて、そうして朝の騒動から一時間ほど経過した後のことである。
 静かになった寮室で木乃香の作ってくれた昼食を食べた後、ネギは川べりを歩いていた。
 その隣には、千雨の代わりにとお目付け役を買って出た明日菜と、ネギの用事という言葉に興味津々と付いてきた木乃香の姿がある。
 ネギが用があるからと話を切り出し、それに明日菜や木乃香が便乗したためだ。

「で、用事って何よ? あんたが朝言ってた、いろいろやることってやつ?」
 朝方のネギの唐突な決意表明を思い出しながら、明日菜が問いかけた。
 そういえばあれほど決意いっぱいといった体で断言された割に、突然の来客に邪魔されて、その内容を聞いていない。

「んっ? なんなんそれ、やっぱり千雨ちゃんとも関係あるん?」
「いえ、千雨さんとは直接関係があるわけではないのですが……」
「でも千雨ちゃんもなんやらの用事があって留守にしてたんやろ? その関係やないん?」
「……あのねえ、木乃香」
 誰も詳細を知らなかった千雨とさよとの用事とやらに関係するのかと、木乃香が聞いた。
 最近の木乃香のアブレッシブさにさらされている明日菜が疲れたような声を出す。
 何でもかんでも千雨に関係はしないだろう。
 ちなみにさきほど千雨を探しに来た面々との話に一番花を咲かせていたのは木乃香である。

「千雨さんとさよさんとの用事というのはぼくも聞いていません。ですが、たぶんさよさんの腕を治されているのだと思います」
「あーそうやね。そういえばそんなん言うてたなあ」
 先ほどまでは皆がいたので口に出さなかった推測を話すと、木乃香がなるほどといった態で頷いた。
「そういえばそうね。千雨ちゃんの部屋でやってるわけじゃないんだ。そりゃそうか。朝倉みたいなのに見られちゃうかもしれないもんね。そういえば千雨ちゃんもエヴァちゃんに工房がどうとかいってたっけ」
 一人で納得して頷いている明日菜が修学旅行での千雨の言葉を思い返しながら口を開くが、改めて口にするとどうにもイメージがわかない。

 木乃香や明日菜にとっては魔術師や魔法使いというのは杖を振って呪文を唱える存在であって、場所に依存するような作業を想像できないのだ。
 ネギにしても、工房という概念は魔法使いにもないものだ。ゆえにその頭に思い浮かぶのは、そのまま作業場や資料室などのような一般的なものくらいである。
 魔法使いの研究に必要なのは広い実験場と豊富な資料。それさえそろえばどこであろうとかまわない。
 極端な話、スクロールや事象投影機に依存するような仮想空間ですら研究は可能である。
 荷物さえあれば十分で、場所は利便性程度にしか依存しない概念だ。

 対して魔術師の口にする工房という言葉は神殿などの領域地。施設というより陣地に近い。
 ルビーが調えた場とは、外部との区切られた占有地、つまるところ要塞の面すら持つ空間のことだ。
 資料置き場などとは一線を画すその概念。偶然の成功率を底上げし、思いつきの頻度を誘発し、自然の流れを干渉域の外から整える。
 当然ながら他者の手によって整えられた場所などは当てはまらない。工房はその主だけのものである。
 ゆえに、構えだけはエヴァンジェリン邸の中にあるものの、契約が交わされ、ルビーの手が入った千雨の工房には、すでにエヴァンジェリンですら容易に侵入できるものではない。

「じゃあ、今日の予定は?」
「ええ、修学旅行のことを学園長に改めて報告にいくつもりです。エヴァンジェリンさんの修学旅行の手続きを取ってくださったのは学園長だそうですので。それと改めて楓さんたちに修学旅行のことを話して、そのあとは時間があるようなら図書館探検部のみなさんに、地図を見てもらいたいと思っています。でもまずは、エヴァンジェリンさんのところに弟子入りを申し込みに行こうかと……」
「エヴァちゃんに弟子入り?」
「なになに、ネギくんがエヴァちゃんの弟子になるん?」
 明日菜と木乃香が驚いたような声を上げる。
 それにネギが改まってうなずいた。

「はい。今回のことでぼく、力不足を実感しました」
「で、なに? エヴァちゃんに弟子入りするの? 本気? エヴァちゃんはまだあんたの血をあきらめてないのよ」
「ええ。ですが、エヴァンジェリンさんが悪い人でないのは明日菜さんも知っているでしょう?」
 そういう問題ではない。
 明日菜としては対価に生き血を要求されることになるに決まっているだろう、という意味だったのだが、ネギもネギで自分の生死にかかわらない程度の血なら、それを交渉材料にするくらいの意義ごみである。

「はー、でもなんでエヴァちゃんなん?」
「はい。エヴァンジェリンさんはぼくが知る限り、一番強い人です。いま、ぼくは力がほしいんです。大切なものを守るための力が。今度何かあった時にぼくが守れるように」
 ネギが木乃香の問いに答えた。
 すでに自分の中では検討し終った考えだったのだろう。

「はあ……でも、前に千雨ちゃんに魔法を習ってたじゃない。あれは?」
「んっ、そうなん? 千雨ちゃんには習えへんの?」
「あれはあくまで魔法への参考ですし、それに魔術は戦闘などに特化しているわけでもありません。それにその、ぼくは……」
 ネギが口ごもった。

「どうかしたん?」
「いえ、あのう、ぼくは、その……力をつけて、……そのう、千雨さんを守れるようになりたいんです。だから、千雨さんに習うのはあまり意味がないというか……」
 カア、と赤くなったネギがそれ以上の言葉を濁した。
 さすがのネギもこのようなセリフを、同居人でいつも世話になっている明日菜や木乃香に向かって口にするのは恥ずかしかったらしい。
 だがその言葉に得心したように木乃香がうなずく。

「ああ、ネギくんは男の子やもんねえ。でもそういうことなら納得や。エヴァちゃんを説得するんやね。うちも手伝うわあ」
「はー、まあいいんじゃないの?」
 木乃香がいきなりネギの味方になったことに嘆息している明日菜は、一応エヴァンジェリンの回答を聞いてから考えようと、盛り上がる木乃香を横目に足を進める。

「でもいいの? その口ぶりだと千雨ちゃんに話してないんでしょう、あんた」
「それはそうなんですが、これはぼくの修行のためなので、ぼくひとりで進めないと……だから千雨さんの了解を取る必要はないというか……」
 うっ、と一瞬言葉に詰まってから口を濁すネギに明日菜があきれているが、ネギも木乃香も足を止める様子はない。

「いややなあ、明日菜。それは千雨ちゃんには相談できへんわあ」
 そんなネギの様子に木乃香が笑い、どうにも子供らしくわかりやすいネギの考えに明日菜は内心頷いた。
 ネギは言った。近衛木乃香を守れなかった。神楽坂明日菜を守れなかった。長谷川千雨を守れなかった、と。
 それは確かに本心だろう。
 だが、同時にそれは、修学旅行での最後の戦いでの出来事についての意味も含んでいる。
 遠く離れた場所からスクナと呼ばれる巨人を揺るがした光の斬撃。
 はるか遠くのかなたから、スクナに抗う光の巨人を生み出した千雨の力。

 千雨を守れなかったことを気にしているのも本心だ。
 だが、その以前よりネギの行動について、誰かがひとつ口にしたことがある。

 ――――釣り合うようにはりきっとるゆうか、千雨ちゃんにふさわしくなろうとしてるみたいやなあ

 と、そんなこと。
 だから、つまりそういうことなのだろう。
 修学旅行中は非常事態ということもあって、自分もネギも千雨の魔法に素直に感心していたが、こうして旅行から帰還して時間をおいたことで、ネギはどうやら一丁前にも、自分が千雨よりも“弱かった”ことを気にし始めているらしい。
 子供っぽいといえば子供っぽいというか。何ともコメントしずらい感情に明日菜はむずむずとこそばゆいような感覚を覚える。
 守れるようにと口にするのはまだしも、千雨にふさわしいほどに強くなりたいと千雨に対して宣言するのは恥ずかしいのだろう。
 そして、その相談相手がエヴァンジェリンというわけだ。

 正しいのかはわからないが、同行しないという選択肢はないだろう。
 どの道早々に千雨にだってばれるはずだ。
 だけどもねえ、と決意も新たに歩みを進めるネギと、それに便乗してやる気をあふれさせる木乃香の背を見ながら、意外に冷静さを失っていない明日菜は内心でひとりごちる。

 エヴァンジェリン・マクダウェル。
 ひねくれもので偏屈で、世界最強を自称する吸血鬼。
 ネギが彼女に弟子入りを志願して、それがそのまま受け入れられて話がまとまる。

 …………そんなことってありえるか?


   ◆


「あんっ? わたしの弟子だと。あほか貴様は」

 と、言うわけで当然のことながら、弟子入りしたいというネギの言葉を、闇の福音エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは一蹴した。
「一応貴様と私はまだ敵なんだぞ。貴様の父サウザンドマスターには恨みもある。戦い方などタカミチにでも習えばよかろう」
「それを承知で今日は来ました。タカミチは海外行ったりして学園にいないし、何より京都での戦いをこの目で見て、魔法使いの戦い方を学ぶならエヴァンジェリンさんしかいないと!」
 エヴァンジェリンの冷気漂う言葉を意に介さずに、ずずいとネギが詰め寄った。

「ほう、つまり私のすごさに感動したと」
 はい、とうなずくネギにふふん、と得意げにエヴァが笑った。
 その変わり身に後ろで見ていた明日菜が突っ込みを入れた気な顔をしている。
 同席していたら遠慮なく突っこんでくれたであろう千雨は残念ながら工房の中にこもっている。

「ん、オホン。だがな、言っておくが、私が弟子なんて面倒なものは取るのは、よほどのときだけだ。わたしは貴様を教えるほど暇じゃないんだよ。お前もわたしじゃなくて千雨にでも習ってればいいだろ」
 明日菜からの冷たい視線に気づいたのか、エヴァンジェリンが一つ咳払いをしてから改めて断りの文句を吐いた。
 何故かふてくされたようにプイと顔をそむけている。

「いややわあ、エヴァちゃん。ネギくんは千雨ちゃんのために強くなろうとしてるやから、千雨ちゃんには習えへんて」
「あ、あの木乃香さん、あまり大きな声でそう言うことは……」
 早速ばらした木乃香にネギがあわてて口をはさんだ。
「あん、いっちょ前に照れてるのか貴様。はっ、身の程をわきまえていて結構なことだ」
 木乃香の言葉を顔を赤らめるネギをエヴァが笑う。

「ん、どういうことなん。エヴァちゃん」
 それに首をかしげる木乃香に、あきれたようにエヴァンジェリンが息を吐く。
「お前らだってあの日のことを覚えているならわかっているだろ。坊やが言うように現状こいつと千雨が本気で遣り合ったら格闘だろうが魔法戦だろうが百回やって百回千雨が勝つ。実力不足ってのはこいつの言う通りなのさ」
 先ほどの明日菜の思考を裏付けするその言葉。
 空を飛ぶネギの姿に光の矢を10と並べるその力。
 そういうものと同様に木乃香や明日菜は千雨がスクナを打ち据えた空を割る斬撃を、光の巨人を生み出した姿を、そしてエヴァンジェリンが打ち破った姿を見ているのだ。
 なるほど、色々と健闘してはいたが、あれと比較されれば、それはネギに分が悪そうだ。

「でも、せやから強くなりたいんやろ?」
「は、はい。でもこのまま千雨さんに追いつけないままではいられません。千雨さんの技術は特殊ですし、後ろを追いかけても、千雨さんに追いつくことはできませんから」
「はん、いい具合に突っ走ってて結構なことだな。あいつらに聞かせてやりたいよ」

 改めて考えれば、楓やクーフェ、龍宮真名と、今回の戦いに関与したものは少なくないが、その中でもわかりやすい強さという面では千雨とエヴァンジェリンが飛びぬけている。
 その千雨に追いつこうというのだから、エヴァンジェリンに弟子入りを申し込もうとしているネギの選択肢は、これ以上ないほどに的確だ。

 しかし、その一方で、弟子には力量よりも性根を求めるエヴァンジェリンとしては別の見方もある。
 実際のところ、先ほどのエヴァンジェリンのセリフには誤魔化しが多分に混ざっており、千雨とネギが戦って千雨が勝つという言葉は、力量ではなく戦いにおける“思考”のことなのだが、逆にエヴァンジェリン自身も、意外に目端の利くネギがそのこともある程度視野に入れていることには気づいていない。

「そういや、千雨ちゃんは来てへんの? 工房っていうところにおるんやろ」
「来ているぞ。工房はここの地下にあるから呼べば出てくるだろ。もっともあいつとさよは昨日から泊まり込みだから、今は寝ているかもしれんがな」
「ああ、やっぱりさよちゃんの腕を治してるのね。明日は授業だし。じゃあ、もう治ったの?」

 明日菜がそう口にすると、エヴァンジェリンから、さきほどネギに向けたのと同じようなジトッとした視線を返された。
 土台となる知識がなければ、目算を立てられない典型ではあるのだが、さすがに楽観しすぎだろう、というエヴァンジェリンの無言の瞳。
 それを読み取ったのか、木乃香が首をかしげた。

「もしかしてまだ治ってへんの?」
「治ったもなにも現状は設計図の段階だ。取り掛かってすらおらんはずだぞ。治るのは……まあそうだな、千雨とさよ次第の目算だがおそらく2週間程度といったところだろう」
 さらりとエヴァンジェリンが口にしたのは、千雨ですらいまだに曖昧なさよの腕の修復に関する見立てである。
 このあたりは純粋に経験値の差だ。いまこの瞬間に地下室にさよと一緒にこもっている千雨ではかなわない。

「そうなんですか?」
「千雨がまだ技術をモノにしきれていないのもあるがな。石化した腕のほうも損傷が激しいから破棄したらしいし、ゼロから腕を作るならそんなもんだろ」
 あくび混じりと言った体で、めんどくさそうにエヴァンジェリンが解説した。

「そこら辺に関しては、魔法と違って千雨の使う魔術ってのは手間と時間がかかるんだよ、魔法を使えばあの腕を治して繋げることもその場で義手を作ることもできただろうが、魔術じゃ無理だ」
「魔法なら出来るの?」
 エヴァンジェリンの言葉に明日菜が首を傾げる。

「秘密だなんだと言っても魔法は魔法間では技術が公になっているからな。単純に手間暇をかけやすいんだよ。医者が手術をするときに必要なのは、外科医の腕の善し悪しよりも、手術室や機材といったものだろう? 魔法や魔術だっておんなじなのさ、周りのサポートがなければ大したことはできないわけだ。たとえば、魔法世界の闘技場なんかに設置されている医療院は、金さえ出せば一日と待たずに義手ができるし、腕が切れたらその場で治せる。まあくっつけるのは時間が経つとやりにくくなるから、すこし例外だが、まあどちらにしろ一日以上はかからんだろう。バックがしっかりしているからな。こういう対応を個人で動く魔術師がするのは大変なんだ」
「じゃあ今回はその魔法で治せばいいんじゃないの? さよちゃんは学校もあるし、わざわざ時間をかけなくてもいいじゃない」
 明日菜が言った。

「その言葉こそが、千雨たちが頑なに魔法を学ばない理由なんだよ。代案に魔法を示され続ければ、いつか奴らの魔術はこの世界の魔法に駆逐されるだろう。あいつら以外のこの世のすべての“魔法使い”のようにな」
 ふんっ、とエヴァンジェリンが鼻で笑う。
 そのままエヴァンジェリンが視線をネギに移して口を開いた。

「ついでにいえば魔法使いが千雨に弟子入りしたとしたら、そこで習うのは技術ではなく物事に対する捉え方というべきものになるだろう。あいつは魔法は使わんし、貴様らは魔術を習えんからな。魔術は純度が重要になる。魔法を含めた強さを求めて魔術を習えば、得られるのはもう千雨の言う魔術ではないものだ。だからまあ、もしお前が力を求めるのなら、その教師役に魔法使いを選ぶというのは間違ってはいないわけだが……」

 一周回って話題が弟子入りの話に戻ってきたことを察してネギが真剣な顔を向ける。
 その眼を見ながら、どうしたものかとエヴァンジェリンが頬をかいた。
 決意や思考はともかく、こいつらはなかなか頑固そうだ。
 無碍に断って変にさよや千雨に介入されるのも馬鹿らしい。
 ここは意固地になって断るよりも、適当に難題を吹っかけながら上下関係込みであしらっておくのがベストだろうと、エヴァンジェリンは一つ頷いてから、ネギに向かって口を開く。

「まあお前の言い分も分からんでもないが、先ほど言ったように私は弟子なんぞ作る気はない。それでもまだ突っかかるようなら、それなりの決意を見せてもらってからだ。お前は忘れているようだが、私は悪い魔法使いだぞ。悪い魔法使いにモノを頼むときにはそれなりの対価が必要なんだ」

 そういってこのガキンチョに一つ世間の厳しさを教えてやるか、と考えていたエヴァンジェリンが、いい事を思いついたとばかりににやりと笑う。
 久々に見るエヴァンジェリンの悪の顔に、うっとネギと明日菜が気圧された。
 そして、そんな二人の前でエヴァンジェリンは、椅子に座りながら組んでいたそのすらりとした生足を持ち上げて――――


   ◆


 と、そんな出来事の少し前、エヴァンジェリン邸地下の一室で、千雨が浅い眠りから起き上がっていた。
 ぼさぼさの頭を適当にくくって汚れ着をまとうありさまは、ちうと同一人物には見られまい。
 エヴァンジェリンリゾートがしまわれる部屋とは別の、ルビーから管理権が譲渡された長谷川千雨の魔術工房。
 他人が入らない場所であるということもあって、気を抜いているようだ。

「…………なんか騒がしいな」
「あっ、おはようございます、千雨さん」
 むくりと工房の隅で起き上がった千雨に声がかかる。
 声の主はこの魔術工房への侵入を完全フリーパスで許可されている唯一の人物。相坂さよ。

「ああ、さよ。おはよう。なんかあったのか」
 魔具は多いくせに生活用品が足りていないその部屋の片隅。
 毛布だけをかぶったまま仮眠をとっていた千雨が寝ぼけ眼で横にいたさよに問いかける。
 朝倉和美が捜していた相坂さよ。現状は千雨の助手兼被験者兼患者として、ちぎれた左腕の修復中だ。

「お客さんがいらっしゃったみたいです。上からエヴァンジェリンさんたちの声が……。たぶん明日菜さんだと思いますけど」
 意外に耳がいいさよが答えた。
 眠る千雨を無理やり起こすことも、千雨を一人残して上へあがっていくこともせずに、喧騒を耳にしながらも千雨の横で彼女が起きるのをずっと待っていたらしい。

「ふーん。じゃあ、小休止がてら上に行くか」
 さよが自分を待っていたということを理解した千雨が水を向ける。
 ふらふらと立ち上がる千雨をあわててさよが体を支えた。
「だ、大丈夫ですか、千雨さん」
「あー、サンキュ。まあ、ひと段落はついたけど、ちょっと疲れた。夕飯はレバーでも買うことにするよ」
「それじゃあ今日の夕食は私が作ります」
「感謝したいところだけど、その腕じゃ作れないだろ。平気だよ」
「じゃあ私は手伝いに回りますから、茶々丸さんにお願いしましょう」
「んじゃ、わたしからも頼んでおくかな」
 そんな会話をしながら、千雨は簡単に身支度を整えると、さよと階段を上がっていく。
 そして、地下工房から上がってきた千雨たちの目の前に現れた光景は、

「アホかーっ!? 突然子供相手にどんな要求してるのよ!」

 ちょうどよく、そんなことを叫びながらエヴァンジェリンを蹴り飛ばす神楽坂明日菜の姿だった。


   ◆


 とび蹴りを食らってソファーから転がり落ちるエヴァンジェリン。
 実にしょうもない光景だが、相手が魔道と体術を極めた生粋の吸血鬼だということを考えれば、実際のところ笑い飛ばすのも難しい。
 あまりのインパクトに千雨とさよは目がいっていないが、後ろでは自分たちと同じようなに目を丸くしている木乃香とネギがいる。

「あああ、貴様! 神楽坂明日菜! 弱まっているとはいえ、真祖の魔法障壁を適当に無視するんじゃない!」
 よほど衝撃的だったのか、千雨やさよの姿にも気づかずにエヴァンジェリンが叫んだ。
 なにやらエヴァンジェリンと明日菜がもめているようだと早速千雨が傍観態勢に入ったが、そんな千雨とは対称的に、千雨とさよに気づいた茶々丸が二人のほうへ寄ってくる。
 事情説明でもしてくれる気なのだろう。

「エヴァちゃん、ネギがこんなに一生懸命頼んでいるのにちょっとひどいんじゃないの!」
「あほかっ、頭下げたくらいで物事が通るなら世の中誰も苦労はせんわ!」
「でも、冗談にしても悪質でしょ!」
「冗談のはずがあるかっ。まじに決まってるだろうが! これくらいできんでわたしの弟子になどなれるはずがあるかっ」
「なんでそんなこと言うのよっ!」
「うるさい! わたしはいま弟子を取りたくない気分なんだよ!」
 明日菜とエヴァンジェリンが罵り合う。
 明日菜の顔が紅潮している原因は、怒りだけというわけでもなさそうだった。

 自分の技に自信と誇りを持つものは、それに引き継ぐに値しないものを弟子には取らない。
 技法の伝承において、実際のところもっとも苦労するのは、師を探す弟子ではなく、弟子を篩い分ける師の側だ。
 エヴァンジェリンは自分が不死ということもあって、見どころがなければ弟子入りなど認めない。
 そしてネギは素材はいいが、中身が甘い。
 最近はそこにいくらかの渋みも加わってきたが、現状のところエヴァンジェリンがわざわざスカウトして教えたくなるような姿は見せていない。
 素材の良さは面白いが、それでもまだまだだ。

 もっともそうは言っても、因縁のある男の息子。
 志は重要だが、以前千雨に断言したように意志だけで物事が成れば苦労はしない。素質だって重要で、ネギはその面に関しては十分だ。
 交渉のタイミングと文句を少し考えれば、エヴァンジェリンも一応ならばと頷いたかもしれないが、どうにもタイミングが悪かった。

 機嫌が悪いらしくネギに冷たく当たっているエヴァンジェリンだって、その実、彼の才能を全く認めていないわけじゃないのだ。
 技術などのいまだ秘められた才能はもちろんだが、単純に見た魔力タンクの量などのわかりやすい指針にしても、ネギはエヴァンジェリン以上のものを持っている。
 認識に依存するようなものと違い、そのあたりは数字の問題。ごまかしのきかないものなのである。
 だから結局この騒動はちょっと虫の居所が悪かったエヴァンジェリンが悪乗りしたのが原因なわけだ。

「なにやってんだ、いったい」
「あっ、千雨ちゃん。おはようなあ。さよちゃんの腕を治してたんやって?」
「ああ。作り始めりゃ時間も取れるが、設計図だけはさっさと描いちまわないといけないからな。昨日から泊まってるけど、このままなら明日くらいには目処がつくはずだ」
「こっちにお泊りしてたやってね。今日も泊まるん? なんや今朝は美沙たちが探してたみたいやったけど」
「そういえば、今日の朝に和美さんから電話がありましたよ。千雨さんも含めてみんなで遊ばないかって」
 ポンと手を打ってさよが言う。

「……ますます帰りたくなくなるな、それ。それより近衛たちは何しに来たんだ?」
「あっ、うーんとなあ……」
「ネギ先生がマスターに弟子入りを志願しにいらっしゃいました。それをマスターが一旦断り、その……悪乗りをしまして、このような次第に……」
 事情を聞いてきた千雨に、正確に今起こっている事象と原因を理解している茶々丸が答えた。

「はー、弟子入りですかあ。エヴァンジェリンさんは人に教えるの得意だそうですし、ちょうどいいかもしれませんね」
「……それ絶対ウソだろ」
 横から聞こえるさよの言葉に思わず千雨が呟くが、運の良いことにエヴァンジェリンの耳には届かなかった。
「そんなことありません。エヴァンジェリンさんは世界で一番すごい魔法使いだそうですし、魔術だって、魔術師の先生にもなれるくらいだって、ルビーさんもおっしゃってました」
「そうなのか? ああ、そういやさよはルビーとエヴァンジェリンからもなんか習ってたんだっけか」
 いったいどちらがルビーの弟子だったのかわかったものではないセリフを千雨が吐く。

 修学旅行の前日にルビーがエヴァンジェリン邸を訪問したことでもわかるように、ルビーが暗躍する際に使用していたのは千雨の部屋ではなくエヴァンジェリン邸のほうだ。
 さよはエヴァンジェリン邸に居候しているとあって、ルビーとエヴァンジェリンの会話などをはじめとしたそういう方面の情報も多いのだろう。
 ちなみに千雨は意外とそういう方面でエヴァンジェリンと関わることが少なかったので、思い出せるのはさよの体を作った時に、ルビーと話し合っていた光景くらいだ。

「私は習ったというよりも、ルビーさんやエヴァンジェリンさんのお話を聞かせてもらっただけでした。それに私は千雨さんに弟子入りしてますから、他の人の弟子にはなれませんわけですし」
 びしっ、と手を挙げてさよが言った。
「あ、ああそう。そういえばそうだったな」
「忘れないでください!」
 さよの頬が膨れた。
 忘れていたわけではないが、さよのテンションに千雨は若干引き気味である。

「おい、騒ぐな。いまはこの坊やの話だろうが!」
 そんな二人を見ていたエヴァンジェリンが怒鳴った。
「悪かったよ。弟子入りだろ、話は聞いてたよ」
 エヴァンジェリンから話を振られた千雨が平然とそう頷く。

「あっ、千雨ちゃんは反対せえへんのやね。千雨ちゃんもネギくんになんや教えてたんやないん?」
「よろしいのですか?」
「わたしは別にネギに魔術を教えてたわけじゃない。何度か見せたってだけだ。それに、私が反対してどうこうって問題じゃないしな。受けるかどうかはエヴァンジェリン次第だけど、エヴァンジェリンは世界最強なんだろ? 普通の知識と違ってこういう秘匿される技術ってのは教え方よりも知識量が重要だからな。いいんじゃないか。エヴァンジェリンの教え方が下手かどうかはともかく、知識は確実にあるだろうし」
「わたしもそう思います!」
 と横からさよが続いた。もちろん、自分もエヴァンジェリンの教え方は下手そうだと思ってました、と同意しているわけではない。

「つーか、なんでいきなり弟子入りなんだ?」
「えっ、はい。修学旅行ではぼくの力が足りなかった所為で、皆さんが傷ついてしまいましたから……」
 流石のネギでもここで、あなたを守るためですと断言するのははばかられたのか、言葉を濁した。
 揺れるネギの視線や、後ろで二人のやり取りに手に汗握る木乃香の姿には気づかないままに千雨が首をかしげる。

「いいだろべつに。あんだけ騒動があって、なんにも問題がなかったらそっちのほうが気持ち悪いよ」
 千雨がネットアイドルとしての経験を思い出しながら返事をした。
「で、ですが、ぼくがもっとしっかりしていれば、……怪我だって……」
 言葉を選びながらしゃべるネギに千雨があきれたように息を吐く。
「そいつに必要なのは力じゃなくて経験だ。ってか、うちのやつらの石化はちゃんと解けたし、さよの怪我はべつにお前がどうにかできたもんじゃない。お前が気にするような怪我なんて誰もしてない………………。あーっ、……いや、ちょっとたんま」
 つらつらとしゃべりながら、いまさらながらに千雨が口を止めた。
 そのほか、周りの皆も千雨の言葉に従って無言で手のひらをこちらに向けている少女の言葉を待つ。

 そんな視線にさらされながら千雨が思い返していたのは、修学旅行の二日目だ。
 修学旅行の自由行動日に起こった戦闘と、木乃香が本山にクラスメイトを集める原因になった誰かさんの怪我と気絶。
 怪我を軽く扱うなという問答と、自分の怪我を軽視する千雨が起こられた夜の出来事。あのとき自分はネギと何を話していたのだっただろうか。

「……あー、なんだ、思い出した。なんつーか怪我ってあれか。もしかして、わたしの……あのときのことか」
 赤くなった千雨が頬を掻きながら口にする。
 自分でこんなセリフを口にさせられれば世話はない。
 本山入りした原因となった戦いとその結末。自分の負った怪我の話。
 そういえば千雨が木乃香をかばって怪我をして、本山一室で目覚めた後に、ネギと二人きりでお互いの力不足を反省し、自己の未熟を認識し、そして今後の努力を誓い合った。
 そんな誰にも秘密の一幕があったのだった。

 そういえばそんな会話を交わしていたなあ、と思い返す。
 なんというかごたごたがありすぎて、普通に忘れていた。
 かあ、と同じように赤くなってうなずいたネギともども次の言葉を出せないままに黙りこくった。
 そりゃそうだ。
 皆さんなどと口を濁しても、ネギが自分のふがいなさを痛感した最初の一手は、あのときの千雨の怪我である。

「……おい、別にやるなとは言わんから、そういうのは隠れてやれ。はっ倒すぞ」
 何やってんだこいつらといった顔のエヴァンジェリンがあきれた視線を向けながら言った。
 ぐっ、と詰まった千雨が一歩ひき、逆にその言葉に頭を切り替えたネギは改めて、エヴァンジェリンに向きなおった。

「は、はい、すいません、エヴァンジェリンさん。あの。ですから、エヴァンジェリンさん。改めてお願いします。あのスクナを倒した魔法もそうですが、そのあとの戦いも含めて、ぼくはエヴァンジェリンさんほど強い人を知りません!」
 ずずいと再度ネギが詰め寄った。
 実際ネギの頭の中ではナギが最上位に位置しているのだろうが、教えを乞える立場のものとしては現状やはりエヴァンジェリンがトップだろう。

 そんなネギをふんと鼻で笑ってから、まあいいとエヴァンジェリンが息を吐く。
 どの道問答ではこの男は引き下がるまい。
 こいつの決意を確かめるために非常に有効かつ簡便なさきほどの試験を行うことも、いまはもうできそうにない。
 断るにも引き受けるにも相応の理由が必要だろう。

「まっお前は口で断ったくらいでは引き下がらんだろうしな。試験くらいはしてやろう」
「本当ですか。ありがとうございます!」
 ネギが喜ぶが、つまりそれは試験とやらに落ちれば、もうチャンスはないということだ。
 そしてエヴァンジェリン・マクダウェルが適当な恩情試験などするはずがない。
 そこら辺の認識がどうも甘いらしいが、辛気臭く受け止めるよりはよほどいい。
 だからエヴァンジェリンは最終的にネギ・スプリングフィールドに対してこう言った。

「そうだな、では今度の土曜にもう一度ここに来い。そこで改めて弟子にとるかどうかのテストをしてやる。内容はあとで伝えよう。合格すれば弟子入りを許してやる。ダメならそこで終わりとする。それでいいな」

 無難で妥当で適切だろう。
 その言葉に、ネギがありがとうございます、と頭を下げる。
 さすがにその結論には明日菜も木乃香も文句を言わず、この日のエヴァンジェリン邸への訪問は、それで解散となったわけである。


   ◆


「さきほどはありがとうございました。木乃香さん、明日菜さん」
「べつにいいわよ。というかわたしなんにもしてないし」
「エヴァちゃんもオッケー出してくれたみたいでよかったなあ」
「まだテストがあるらしいですから、油断はできませんけど」
「なんか機嫌悪そうだったしね。意地悪なのとか出されそうな気がするわ、わたし」
「ネギくんなら大丈夫やって!」
「ありがとうございます。木乃香さん」

 と、ほのぼのとした会話を続けながら、エヴァンジェリン邸を後にしたネギたち三人が、今度は学園のカフェを目指して歩いていた。
 まだ作業を続けるといって残った千雨は、言葉通りにさよと再度工房にこもっているだろう。
 次の要件は楓や真名、古菲といった面々に会うためだ。
 天気も良い休日とあって、学園の休息用の広場にはそこそこの賑わいを見せている。
 適当に先ほどのことを話しながら歩いていた三人だったが、広場一角の屋外カフェに座っている三人を見つけると、一旦話を中断してそちらに向かう。

「やあ、ネギ先生。こんにちは」
「あっ、はい。龍宮さん、こんにちは。楓さんとクーフェさんも今回の件はありがとうございました」
「はっはっは。そう気にせんでも構わんでござるよ」
「事後の話し合いも依頼の内だ。修学旅行のことなら、君が気にすることはないよ、ネギ先生」
「ウチはむしろ話を聞きたいと思っていたアル!」

 ネギの話というのを理解しているらしい真名や楓と対照的に、武における“気”はまだしも、理論立てられた魔法と、それを行使する魔法使いという分類を知ったばかり古菲が笑いながら言った。
 古菲からすれば、師から受け継ぎその研磨を続けていた自分の技術に風穴を開けるがごときその概念。
 格闘家としていつ相対するかわからないそれの体現者であるネギとの会談は、むしろ願ってもないことである。

 修学旅行中のいざこざのあと、皆が眠り記憶を失った。
 自分はその際旅館から離れて鬼人と争っていたこともあり、千雨にはあわなかった。つまり記憶を奪われなかったということだが、その反面、説明を聞く機会も与えられてはいなかったのだ。

 あの時は、千雨やさよの安否や他のクラスメートの無事を聞くだけで満足してしまったが、一夜が明けて帰宅して、それでもその好奇心を封じ込めるかと言ったら、そんなはずがあるわけない。
 楓や真名には何度か尋ねてみたのだが、二人からはこのネギとの話し合い場を設ける前に、あまり話さないほうがいいと情報を与えられていなかったのだ。

「そういえば話ってなんなん? やっぱり皆が忘れたこと?」
「はい。その関係です。少しだけお話はさせていただいたのですが、ドタバタしていましたし、できれば一度きちんとお願いさせていただきたいと思いまして……」
「ああ、伺おう」
 三人を代表して、ネギの言葉にうなずいた真名に向かってネギが口を開く。

「改めて今回のことを口外しないでほしいことを伝えに来ました。龍宮さんは学園とそのような内容についてお話されたことがあるようですが、楓さんとクーフェさんは今回の件が初めてと伺っていますので……。それにあの、ばれるとオコジョなのでぼくのことも……」
「わかっているよネギ先生」
「うむ。しかと承ったでござる」
「わたしたち口堅いアルよ」
 真名に続き、古菲と楓も同意する。
 それにネギがほっとしたような顔をした。

「あー、そうなの? というかそんな風に頼むだけでいいんだ」
「どうかしたん、明日菜?」
 そんな四人の横で、ちょっと納得がいかないかのように明日菜がぼやいた。
 彼女は記憶を消されたクラスメートに対して、いまだにもやもやとしたものを消せていない。

「だって、千雨ちゃんがみんなに忘れさせちゃったのは、勝手にやっちゃったことなんでしょ? それだったらみんなにも黙っておくように頼めばよかったじゃない。そりゃハルナや朝倉なんかはちょっと危なそうだけど……」

 明日菜が呟く。明日菜だって、もしこれがネギが原因で魔法についてばれてしまった、ということならもう少し異なる反応をしただろう。
 しかしあの日の出来事は全部が全部誘拐犯のせいなのだ。
 だが、意外にも真名が明日菜の言葉に首を振った。

「わたしはもともと関係者みたいなものだからな。楓や古も関わったというより手を貸した側だから強行はしにくいのだろう。長谷川の決断の早さは私も感心するところだが、あの日のあいつの行動は別段間違っていないさ」
「さよ殿や千雨殿のおかげで皆も取り乱したりはしなかったようでござるが、あのような記憶を持ち続ける必要もないでござるよ」
 ニンニンと楓が追従した。

「だがまあ長谷川も随分と思い切りがいいよ。敵対はしたくないタイプだな。もともと素人なんだろう? なにもんだあいつは」
「うむ、千雨殿には随分と借りができた。聞けば、さよ殿が我々を守ってくれた一件も、千雨殿があの奇襲を読んで、防御の法をさよ殿に渡していたのが大きいと聞いているでござる」
 楓が言った。彼女はその内容をさよから聞き、その詳細について千雨と言葉を交わしている。
 千雨自身も楓に隠すことはないと、大まかな争いの流れについては伝えていた。

 明日菜は安易に頷くことも、衝動で否定することもできずにその言葉を聞くだけだ。
 明日菜だって、魔法関係者から千雨の行動が一様にそう評価されているのは知っているのだが、今日の朝方の委員長の姿などを見るたびに、どうにも違和感が残ってしまう。
 だからといって文句を言える立場でもないため、明日菜としてはどうするべきかと悩むだけ。
 そんな明日菜の姿を見てひとつ頷くと、楓は言葉を続けた。

「あのときのさよ殿はあまりに眩しすぎた。弟子をみれば師を知れる。あのままであったら皆が皆、魔法使いを目指していてもおかしくなかったでござる」

 影響力の問題なのだ、と成績は良くないが決してバカではない楓が言った。
 あれほど師を愛する弟子の存在をみて、その道のまぶしさにあこがれずにいられようか。
 自分や龍宮真名、そして古菲のような、すでに己の進む道が定まったものしか理解できないであろうあの日の出来事。
 千雨の名を口にし、弟子だと自分を説明するあの誇らしげな相坂さよの顔を見れば、きっと彼女らの“これから”に影響してしまっただろう。

 幼少に正義の弁護士に助けられて弁護士を目指すことは否定しないが、友達が弁護士に助けられたらクラス全員で弁護士を目指すような展開に良好な未来図は描けないはずだ。
 さすがに長谷川千雨が了承しまい。
 そしておそらく、それが起こった後からでは、記憶を消すこともできずに、ネギが修正に苦労することになっただろう。

「拙者たちはすでに道が定まっているが、これから自分の進む方向を決めようとしている皆があの姿をみれば影響を受けざるを得んでござる」
 千雨は明日菜に、必要のない記憶だから忘れさせたと説明したが、楓たちの意見は少し違う。あの記憶は“影響力”が強すぎるから、忘れさせるべきなのだ。
 魔法使いを目指すのだって悪いとはいわないが、魔法使いというのは、道の一つである。
 決して唯一無二にして人として至高の道、などといったつまらない宣伝文句で歌われるようなものではない。
 職業に貴賤なしとは言うけれど、隠しルートというより裏コマンドじみたそれに正確な評価を求めるのは、あのシチュエーションで中学生に求めるのはコクすぎるだろう。

「ふむ、なるほど、たしかにあの時のさよはとてもかっこよかったアル」
 と、古菲がうなずく。
 こいつはこいつで、あやかとは逆の思考からそれでいて同じ解答を導き出せそうだと、欠片も揺れていない古菲の在り方に真名が感嘆しつつ呆れている。
 この娘なら、拳法を捨ててこれからは魔法使いになりますなどとは地球が百度まわっても口にはすまい。

「ああ、そういえば、ネギ坊主。聞くのを忘れていたアルが、さよの腕はちゃんと治るアルか?」
 と古菲が口を開いて、ネギたちに問いかける。
「あっ、はい。実は先ほどまでさよさんと千雨さんに会っていたんですが、さよさんの腕の治療については今進めているところということでした。見通しがまだ立っていないので、この休みはそれをごまかすための処理を行うそうです」
 修学旅行あけの休みに千雨が徹夜までした原因がこれだ。修学旅行の振り替えを含んだ二日の休み。この期間を使ったお膳立て。
 この間に直すのは不可能でも、体育やら日常やらとばれる危険のある学校生活が再開する前に見た目や触感程度まではごまかせるようにしておかないといけない。

「千雨の技は鬼と戦っていた時にちらりと見ただけアルが、あれほどの腕があってもさよの件は難しいとは、やはりなかなかに奥が深いアルね」
 古菲がうーむ、とうなる。自分でできることがあれば手伝ってやりたいが、特に何も思いつかない。
 これは自分の頭が悪いからというわけでもなかろう。

「千雨ちゃんかあ……。すごかったわよね」
「実はウチはちゃんと見てへんからなあ。なんや明日菜の話では空を割るくらいのビームを出したり、父様の山より大きい巨人を出したりしたんやろ? すごいわあ、でも見せてほしい言うてもきっと見せてはもらえんのやろうなあ」
「どう考えてもあれは秘儀だろうからな。近衛たちも吹聴はしないほうがいいだろう。古や先生なんかの技術は既知のものの延長だが、あいつの技術はそもそもの分類を通り越して、基点から隠れたものだ」

 見せるどころかあの技法の存在だけでも情報としては千金のものとなるだろう。
 実のところあれを行ったものの正体は西の本山衆にすら漏れていないはずだ。
 あんな大技もちが実は防御面はからきしの戦闘素人だと知られれば厄介なことこの上ない。

 千雨の技の特異性。
 魔素の過剰摂取で魔法使いが魔素中毒に陥るように、一般的な魔法使いの魔法とは、個人の魔力タンクに依存して運用される魔素が起こす現象だ。
 しかし、千雨の技法はそのあたりの特色を完全に無視している。例外事項や秘匿措置ならまだしも、全く別の技能筋。
 それでいてそんな技能を有する本人は直接襲われて怪我を負ったり、意識を取られたり、はては石化させられたりと、どうにも危なっかしいのだ。
 エヴァンジェリンくらいの力量をもつか、はたまた以前の千雨くらいに神経質に秘匿していてくれれば話は別だが、今のうちに手を打っておかないと、騒動が起きた時に逃げられまい。
 彼女はエヴァンジェリンの分類でいうところの固定砲台タイプ、コテコテの基礎能力依存型である。

「千雨ちゃんのことは秘密にしたほうがええってこと?」
「技術もそうだし、それにあいつの行動も含めて、今の長谷川が話題に挙がってよいことは起こらないだろうね」
 木乃香の言葉に真名が頷く。

「行動も含めて、ですか?」
「記憶を消したことを間違いだとは言わないが、誰にも知らせずに独断したのはやっぱりなかなかに問題なのさ。あいつはあのとき学園の決定を待つよりも自分の考え優先したということだからね。人のことは言えないが、あいつはそれをおおやけに示してしまった。一応気を付けたほうがいい。彼女の行為は、あいつが君のために学園の選択をまるっきり無視できる意志と能力があることを示している」

 そんなことを真顔で言う真名に皆がビビるが、本人としては忠告混じりの優しさである。
 こういうことを日常で常に考えておかねば、信念をもったままでフリーの傭兵稼業をこなすなどというマネはできないのだ。
 楓ですら考慮していない、もし自分が長谷川千雨と本気で敵対したら、というようなことを唯一真面目に考えている女でもある。
 千雨が聞いたらあきれるついでに、その用意周到ぶりにビビっただろうが、残念ながら雑談交じりに始まったこの話がこれ以上語られることはなかったのは、千雨にとっても幸いだろう。

「それに長谷川はなんだかんだ言って分類として戦闘を学んだものじゃないからな。本職の人間ならば、あの力におそれを抱くことはあっても、あいつとの戦いを恐怖するものはいないだろう」
「ん、そうなの? でも千雨ちゃんってエヴァちゃんと戦ってたわよ。それに千雨ちゃんって拳法とか、そういうのもやってると思ってたんだけど……」
 と、皆が思い思い千雨の話しているさなか、明日菜が真名の言葉にそんな疑問を口にした。

「そうなん?」
「いや、実際に戦ってたわけじゃないけど、木乃香も見たじゃない。鳥居の道でほら、あの犬耳の男の子とか、蜘蛛のお化けとかのときに避けろとか殴れとかそういうの……。それにエヴァちゃんとの時も千雨ちゃん普通に戦ってくれてたはずだし……」
 修学旅行中に千雨が負傷した時も、彼女はなすすべなく負けたというわけではない。
 千雨は自分で戦うのは苦手そうなわりに、人の戦いに口出しできるというよくわからない姿を見せていたはずだ。

「千雨がアルか? 歩法や体つきを見るに格闘は学んでいないと思っていたアルが」
「エヴァちゃんの時言うのはうちも知らへんけど、せっちゃんたちと父様のところへ向かったときに千雨ちゃんがなんや戦ってる明日菜やネギくんに声かけてたなあ。右とか左とか」
「戦いに外からアドバイスをしたということでござるか?」
「はい」
 ネギがうなずく。

「うーむ、たしかに、それなら肉体を鍛えずとも読みを研磨すればできるかもしれんが、それは計算ではなく場数の領分でござる」
「ほう……読心か未来視ってところかも知れないけどね。どちらにしろ本当に芸達者だな、あいつは」
「犬耳の男というのは楓と遣り合っていた我流の拳闘家アルね。隙はあるが、一撃の強さを研磨したタイプアル。技術の連携よりも個々の単技を磨いているタイプならあるいは……いや、それでもあのレベルに介入できるとなると……」
 ふむ、と三者三様の意見を述べて考え込んだ。各々の千雨像を修正しているようだ。

 実際に犬上小太郎とやりあっている楓や、それに立ち会った古菲からしてみれば、それはなかなかにとんでもないことだ。
 彼の技能に基礎となっていたのは、我流の使い手特有の一撃必殺の心得。エヴァンジェリン・マクダウェルがいう攻撃の大砲化とはまたべつの、格闘における鉄則というべきものを犬上小太郎は宿していたはずである。
 千雨では一撃受ければそのまま敗北してしまうだろう。

 究極的なところをいきなり目指せば、そこに小手先の技術はいらなくなる。
 小手先から入り究極へ至ったエヴァンジェリンは近接戦闘もこなせるし、ルビーは遠距離戦と近接戦の区別をつけず、単純に対応技能として、その技術を重視した。
 だが、犬神小太郎の技術はそれとも違う。彼は我流の常として、単発連結の当てる技能よりも一撃の必殺性を重視している。

「まあ、先読みは力よりも感覚器がよくないといけないんだが、逆に目と耳がよければ運動が苦手だろうとどうにかなるだろう」
「でも千雨ちゃんはメガネかけてるわよ?」
「いえ、あれは伊達メガネですよ」
「あーそうなの?」
 はいと頷くネギに真名が笑いながら訂正を入れる。

「いや、目というのは、単純に視力ではなく、洞察と読みのことだよ。耳ってのはそのままずばり悟りってやつだ。まあ、あのレベルに口出しできるとなると、やはり長谷川の”秘密”にかかわるのだろうけどね」
「それに千雨殿は筋力がないだけで、運動が苦手というわけではござらんよ」
「そういえば格闘もできるってエヴァちゃんもさっき言ってたわね」
 明日菜が楓の言葉に頷いた。
 柔道だって体のばねが必要な一本背負いならまだしも出足払いに力はいらない。そこに必要なのは目のよさだ。
 エヴァンジェリンはそれを実現する計算式を千雨が宿していることを知っているし、逆に楓は千雨自身の中にある純粋な素質を見抜いている。

「クーフェさんならあの男の子や千雨さんに勝てますか?」
 ふと出た質問だったのだろう。会話のさなか、ネギがそんなことを問いかけた。
 その言葉にふむ、と古菲が深く考え込んでから口を開く。
「そうアルね。……たとえば、わたしは銃弾を腹で受け止めることはできないが、銃を持った人間相手に勝てないとは思わないアル。同じように、千雨たちのやったことを真似できるとは思わないが、それでも面と向かって攻撃を決められないとも思わないアル。先ほど真名も行っていたアルが、中国拳法でいうところの返しの技法や当てる技能というのは、どのような技術に対しても共通の、戦いの基礎にして根幹を司るものアルよ。少なくとも私はそう信じているし、間違いだと感じたこともないアル。……っと、こんなところで返事になるか、ネギ坊主?」
「……はい。十分です。ありがとうございます。クーフェさん」
 そう答えて、ネギがふむ、と考え込む。

 一人で納得するネギの姿に、一部はにやりと笑って感心し、一部は首をかしげて不思議がる。
 修学旅行中のとある人物を思い出しながら、そんなことを問いかけたネギの真意。
 だが、残念ながら、この場でネギがその内容について口にすることはなく、その心を推し量ることはできなかった。
 このとき、ネギ・スプリングフィールドが何を考えていたかをこの場にいる者たちが知るのは、また少し先のこと。

 というわけで、この場はここでお開きとなったわけだ。
 場面は次の場所へ移ることとなる。



   ◆◆◆



「そういえばウチまだお祖父ちゃんに魔法習いたい、言う話をしてないんよ」
「そうなのですか?」

 と、刹那が木乃香の言葉に首を傾げていた。
 麻帆良学園女子中等部の学園長室へ向かう途中の学内通路。もちろん周りにはネギと明日菜の姿がある。
 カフェに残るという三人を置いて、今度は学園長室へ足を運んでいるのだ。

 途中合流した刹那が混ざっているのは、修学旅行の騒動を覚えている木乃香が連絡を入れたためだ。
 文字通り飛んできたかのごとく連絡後一瞬で現れた彼女が、実は朝方に木乃香が買い物に出かけた時から話しかけようかどうしようかと迷いながら、ずっとストーカーまがいの護衛行為を陰ながら続けていたということが木乃香にばれれば、刹那もこんなのんきな会話はできなかっただろう。
 黙っていてくれたエヴァンジェリンや四天王の面々には頭が上がりそうにない刹那だった。

「うん。修学旅行中はうちが魔法を覚えておくんかいう話ばっかりしてたしなあ。なんや解決した後も、みんな大変そうやったし。せっちゃんもいろいろ掟いうんに忙しくしてたんやろ?」
「は、はい。い、忙しくしてました……」
 千雨あたりに聞かれれば大笑いされるようなセリフで冷や汗を流しながら刹那が答えた。
 実はあなたにも秘密で皆のもとから去ろうとしていました……などとは語れまい。
 沈黙の価値を知る刹那は先ほどから木乃香の言葉にうなずいてばかりだ。
 結局、そんな会話が皆が学園長室につくまで続いた。
 そうして、入室の許可を経て部屋に入ると、そこには腰に氷嚢を載せてうんうんとうなりながら体を休めていた学園長の姿がある。

「おお、よく来てくれたの、ネギくん」
「大丈夫ですか、学園長」
「何の。木乃香が無事だったんじゃ、このくらい。今回は本当によくやってくれたネギくん。それに刹那くんと明日菜くんもの」
 寝転がりながらだが、深々と礼を述べられた
 そうして、いくらか言葉を交わしてから、学園長が本題を口に出す。

「まず、刹那くんのことじゃが、これは心配いらん。所属などを明確に決めて一部に通達、それ以外は緘口令という形で問題は起こらないように取り計らっておいた。刹那くんはすでにその辺は聞いておるじゃろう?」
「は、はい。伺っております」
 刹那が改めて頭を下げた。

「そうなん、せっちゃん?」
 驚いたように木乃香が言った。
 刹那を呼んだのは自分なわけだが、刹那のほうで十分に話は進んでいたらしい。
 心配をかけないようにと黙っていたのだろう。横で目を丸くしているネギや明日菜も知らなかったようだ。
 若干の申し訳なさを浮かべた刹那が困ったように沈黙しているのをみて、近右衛門が続けて口を開いた。

「それと、長谷川君のことじゃが、こちらについては解決したというより、問題が起こらないようにうちの息子が取り計らった、という形になっておる」
「はい」
 ネギが真剣な顔で答えた。
 自分の話題に困ったような顔をしていた刹那も、話題が変わったこともあって、姿勢を正した。

「瀬流彦くんが同行したことについては長谷川君から聞いているらしいの。彼はエヴァンジェリンから長谷川君へ伝わったといっておったが……」
「あっ、それは……」
「なに構わんよ。エヴァンジェリンが責任者なんじゃから一概に間違っているわけでもない。それに、どの道いつかは紹介することになっておったことじゃ。この学園の魔法使いについてはの」
 ネギが困った顔をするが、よいよいと近右衛門が笑って見せた。

「で。じゃ」
 そして、そんな雑談をしてから改めて近右衛門が話を戻す。
「記憶を消したことについては問題ない。行いとしても、結果としても。長谷川くんが行ったということは広まっておらんが、たとえ広まったとしてもどうにか処理できるじゃろう。問題はスクナを止めた技のほうでな。こちらも今のところは広まってはおらんが、こっちは一度広まると後々まで問題を残しかねんところがある」
 今のところは、という言葉を強調して近右衛門が言った。
 内容は既に他の者達からもさんざん聞いた話と変わらないが、一点新しい内容が混ざっている。

「スクナを止めた技が問題になるというのは、それが“魔術”だからということでしょうか?」
 千雨が魔術師であるということは近右衛門には正確に通達されているわけではない。
 だがネギはそれを本当に知らないままでいるとは考えなかった。
 同様に近右衛門も、ネギの口にしたその言葉に一つ頷いただけで、驚きなどは当然見せない。

「あー、ネギくんの云うておるのが、彼女の“技術”についてなら少し違う。そちらについては今回瀬流彦君まで伝わっておるし、以前からタカミチ君なども知っておる。まあこちらについても秘匿は必要じゃが、広まることはないじゃろうし、別段すべてものものが一括りでとらえているわけではない」
 魔法無力化空間に魔法無効能力者があっても、突風と鎌鼬を剣技に組み込む者たちがそれを恐れることはないように、千雨の魔術もそこそこに特異性を持って入るが、さすがに唯一無二として世界中が注目するような問題になるわけではない。フェイトたちがルビーの技術に注目したのとは理由が違うのだ。
 どちらかといえば、麻帆良においては長谷川千雨はネギ・スプリングフィールドとの恋人関係のほうがよほど騒ぎになるだろう。
 それを考えれば別段魔術のことなど、近右衛門がそこまで大きく問題視する必要はないのである。

「じゃが、自分の腕にそこそこ自信を持っておる魔法使いは、相手の技術の種類よりも、その強さの優劣が気になるようなものばかりじゃからの。長谷川くんについては、どちらかといえばスクナと渡り合ったという事実のほうに目が行くんじゃよ。先ほど問題になる、といったのは種類ではなく力量の問題という意味じゃ。あれと渡り合えるものはそうおらんし、その上名も知られていないというのは更に少ない。ただ、それについては最後に幕を閉じたのはエヴァンジェリンじゃから、それがカモフラージュになっている面もあるがの」
「そうなんですか?」
「うむ。まあなんというか、とんでもない事態じゃったし緘口令にも限度がある。話は広まっておるが、……そうじゃな、ぶっちゃけてしまえば長谷川くんよりもエヴァンジェリンのほうが問題になっておるから、長谷川くんは大丈夫だろう、というのがわしの考えじゃ。エヴァンジェリンの方は、知ってのとおりそんなもんちいとも気にしておらんし、好都合といえば好都合なんじゃがな」
 実際、そのあたりのしわ寄せは全て自分が処理しているのだが、さすがにその辺りを悟らせるほど近右衛門も愚かではない。

「そ、そうなん? うち、あんまり良くわからへんけど、エヴァちゃんが千雨ちゃんを助けてくれたみないな意味でええん?」
「そんなところで間違いないの。エヴァンジェリンには感謝をしておくとよいじゃろう」
 結構間違いがある気もするが、近右衛門はさらりと頷いた。
 実をいえばそこそこ気になる報告も上がってはいるのだが、説明して孫娘を不安がらせることもない。

 麻帆良や呪術協会本山の一次関係者や上層クラスには、隠ぺいが意味をなさないほどのレベルでスクナ復活とともに知れ渡っているだろう。
 いくら話題性の面でエヴァンジェリン以下だといっても、千雨が空を割ったとも巨人を産んだとも聞いている近右衛門である。
 むしろ本来ならばここで、ネギあたりに千雨についての詳細を聞いておかなければならない立場なのだが、孫娘がいる場でそのようなことを口にしてしまうと誤解される恐れがある。
 別段つかまって洗脳されるわけでも呼び出されて詰問されるわけでもないのだが、魔法とのかかわりがどうにも荒事じみていただけに、千雨側にも偏見があるのだろう。

「そうなんか。そういえば千雨ちゃんとエヴァちゃんはなんや仲良さそうやったし……。代わり言うんが気になるけど、エヴァちゃんってなんか有名人やいうてたな……。うちもいろいろ注意事とか言われたけど…………でもその分エヴァちゃんが割りを食った言うんは、ウチも聞いてへんなあ」
 ぶつぶつと思考をまとめるように木乃香がつぶやく。
「いや、そもそも、エヴァちゃんがあのスクナとかいう大きいのをやっつけたのが、なんで問題になるん? エヴァちゃんは千雨ちゃんと違ってもともとすごく強い魔法使いやって知られてるんやろ?」
 と、木乃香から思わずといった疑問が漏れた。
 答え方を間違えると厄介になりそうな質問だ。
 誤解を招かないように話を納めなくてはと、百戦錬磨の東の長としての思考を慎重に働かせる。
 が、そんな学園長の思考のすき間を先取りして、答えが返った。
 当然ながら、そんな主の疑問に何も考えないまま反射的に答えたのは、彼女の親友兼護衛役だ。

「リョウメンスクナを倒したことではなく、エヴァンジェリンさんが麻帆良の外でその力を振るったことが問題になったのではないでしょうか? エヴァンジェリンさんはこの学園には幽閉という形で力を封じられているわけですから」

「……いや、刹那くん…………」
 横で聞いていた刹那から入った合いの手に近右衛門が息を吐いた。
 さすがにそれはぶっちゃけ過ぎだ。
「えっ? あっ! いや、その……」
 自分の発言に気づいたのか、刹那がいまさらながらに戸惑うがもう遅い。
 当然木乃香が反応する。

「……せっちゃん、それどういう意味?」
「あ、いえ。その……リョウメンスクナは伝説級の鬼神です。エヴァンジェリンさんが一撃で倒したのは例外中の例外で、同レベルの技を示してしまった千雨さんは種類というよりも能力の高低の問題で危険視を……あっ、いえ、危険というか注目度という点でその……麻帆良に幽閉されているエヴァンジェリンさんと同程度に重大に見られることも、その……ありえるかな、と……」

 魔法使いについて詳しくない木乃香が首を傾げていたところへのフォローのつもりなのだろうが、その内容が物騒すぎる。
 孫娘の幼馴染にして護衛役の将来が心配になるが、心配している暇もない。
 思った通り、それを聞いた木乃香から鋭い視線が向けられている。

「……なにそれ。危険視ってどういうことなん? 幽閉ってエヴァちゃんが? 千雨ちゃんもそうなるいう意味?」
「えっ? い、いえ、一概にそういうわけではありませんが……」
「…………一概に?」
「いえ、その、もしかしたら可能性として千雨さんも同じような処置が起こるかもしれないという意味で……そ、それにもしその場合でも記憶を消去されるくらいだと思いますが……」
「………………記憶を? 修学旅行の時みたいに?」
「は、はい。あっ、いえ、でも、あの、千雨さんは前から魔法に関与していますから、一晩だけのことと違い記憶消去すると色々と日常に問題が起こりますし、その分そのような処置は取られないかと……せいぜいが監視がつくくらいかと……いえ、もしもの話ですけれど」
「……………………へえ、監視」
「あ、あの、お嬢様! あくまでも、もしかしたらということで、実際にそのようなことはおそらく、その、起こらないんじゃないかな、と私は思うのですが……」
「…………………………ふーん」

 嘘をつけない上に誤魔化しも下手くそな刹那によって、なぜかどんどん悪化している。
 交渉ごとに向いている性格ではない。
 煌々とした光をたたえ始めた木乃香の瞳にさっそくビビりが入り始めた刹那を尻目に、祖父として近右衛門声をかけた。

「う、うむ。刹那くんの言うておる通り、長谷川くんをとらえるようなことは起こらんよ」
 ちなみに藪蛇という言葉を知っているので近右衛門はわざわざ口にはしないが、もちろんこれは、刹那の言うとおり可能性の話。
 千雨がその異能を持って規範に反する行動をしなければ、という仮定の上だ。
 正しいかどうかの問題で言えば刹那が正しい。

 超鈴音がその行動と影響力により、学園の魔法先生方から捕縛を示唆するイエローカードが通達されているように、たとえ学園の生徒でも学園の考慮しない行動や、不利益となりかねない行動を無秩序に繰り返す場合は強制的にとらえられる場合もある。

 だが、エヴァンジェリンや超鈴音が特別なだけで、普通はたかだか自分の技法を隠している生徒程度に封印措置や記憶処理などといった大掛かりなことは起こらない。
 真名が口にしたように、千雨は力を示しそれでいて学園の基準を、自身の行動決定の最上位には置いていないが、それでもせいぜい学園側からとしては注意と行動制限がつくくらいだ。
 じい、とそんな内面を見透かそうとするかのように木乃香が視線を逸らさずに近右衛門の言を聞く。
 それに感化されたのか、明日菜やネギまでがじっとこちらを見つめてきた。

「そうなん……。じゃあエヴァちゃんの話は?」
「あやつについては少し事情が複雑でな。幽閉という言い方は悪いかもしれんが嘘でもない。じゃが、エヴァンジェリンを麻帆良にとどめておるのはかなり例外的な措置じゃ。これについては、長谷川くんに当てはめるようなことはないと約束しよう」

 この地へとどめているのはナギの技だが、力を封じているのは麻帆良の措置だ。学園長としても、ナギに頼まれた身としても、その責任が自分にあることは認識している。
 千雨はともかくエヴァンジェリンのことについては何一つ安心できないような回答だが、それもその貫禄でむりやり消化させてしまう。
 先ほどまでのは、孫娘と祖父の微笑ましいやり取りで済むが、ここで木乃香を納得させられる程度の貫録がないようなら学園長はつとまらない。
 なんだかんだと情けないような姿を木乃香の前で見せているようでも、実力で東を納めている魔法学園の長である。

「なに、気にせんでも大丈夫じゃよ。エヴァンジェリンも長谷川くんも、彼女らが麻帆良の生徒である限り、なにがあろうと、最後の責任はわしがとる。そのためにわしがいるわけじゃしな」

 細かい説明は抜きにして、麻帆良学園学園長が太鼓判を押す。
 うーむとうなったが、木乃香も納得したのか矛を収めた。
 その横で、自分ではどうしようも無さそうな雰囲気が払拭されたことを悟って、刹那がこっそりと安堵の息を吐いていた。


   ◆


「はー、じゃあ前に明日菜が言ってたエヴァちゃんとネギくんの喧嘩言うのは、ネギくんのお父さん絡みやったんかあ……。そういえばエヴァちゃんが魔法使いやって聞いてから、それ以外のことはあんまり話してなかったなあ」
「で、なんかトラブったみたいねー。千雨ちゃんは、その呪いだかを解くのを協力してるんだってさ」
 木乃香の言葉に明日菜が頷く。

「ふーん。それで幽閉ゆうわけやね」
「は、はい」
 何故か冷や汗を書きながら刹那が答えた。
 忙しない彼らが、次に向かいたいところがあるからと、そうそうに学園長室から退出した後に、その道すがらそのようなことを話している。
 忙しい一日だが、今度の場所は図書館島へ向かう道の途中だ。

 そのまますこし歩き、麻帆良の表の面でも裏の面でも一大施設である図書館島に到着した。
 雑多な用事も今日の分はこれで最後になるだろう。
 ネギが図書館島の休息室に入ると、すでにそこには早乙女ハルナ、綾瀬夕映、宮崎のどかがそろっている。
 木乃香が加わり、3-Aの図書館探索部のメンバーがそろった形になった。

「ふむ、それでネギ先生。見せたいものとは何ですか?」
 少しばかりの雑談を経てから、綾瀬夕映が話を切り出した。
「あっ、夕映さん。実はですね、修学旅行中にぼくの父さんの関係でこのようなものを頂きまして。……これなんですが」
 ばさりと広げられた図書館島の地図を皆が覗き込む。
 明日菜が朝方に見たものだ。

「なるほど、これは興味深いですね」
「ネギのお父さんが調べたんだってさ」
「へー、すごーい」
 感心したように夕映たちがじっとそれを眺めていた。
 図書館島から繋がる地下通路が学園全体に張っている側面図だ。

「なるほど、確かにこれはすごいですね。これが事実なら図書館島以上の秘密がこの学園にはあることになります」
「すごーい、ネギ君。こんな地図大学部の人たちも持ってないよ」
「すごいねー」
 ハルナが感心したように言った。
 のどかもほかの皆と同様にその地図に驚きの声を上げている。
 そのすごさをある程度把握している探索部だからこそ、驚き以外の声が出ない。
 最深部らしき場所までが示された地下迷宮の断面分解図。自分も図書館島探索部に所属していなければ、この規模の地図をすんなりとは信じられなかっただろう。

「でも本当にすごいね。文字は読めないけど……これってネギ先生のお父さんが描いたんですか?」
「おそらくそうだと思います。何を調べていたのかを知りたいのですが、この地図をはじめとして、図書館島のものが一番多かったので」
「ふーん。まっ、でも了解したよ。図書館島のことならうちらに任せて。探索中にこの地図のことも調べてあげる!」
 そういって笑うハルナにネギも微笑み返す。
 ハルナの言からもわかるように、探求者の常として探索図や得られた情報をあまり簡単に外には出さない。
 新しくゼロから調べなおすよりも内部の協力者がほしかったネギが、当の探索部の木乃香に助力を頼んだ結果だった。

 自分には彼女たちには明かせない秘密がある。
 一応両者の事情に通じる木乃香が窓口だといっても、秘めたまま図書館島探索部としての協力だけをお願いするのは、外から見ればあまり気分の良いものでもないだろう。
 ネギにも若干の申し訳なさがあるけれど、それでもさよの腕が石となり、鳴滝風香が石化して、そんなざまを見て血の気を引かせたという話は聞いている。
 それはさよによって取り払われたらしいが、あの時余裕のなかった自分ではきっと無理だっただろう。

 いや、今だって千雨やさよほどに振る舞えるとは思えない。
 それはまだ責任を負えないということだ。
 話せる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。答えを出すまで時間がかかるその問題。最低限忘れずにいるだけだけど、それがいまのネギにできる精一杯だ。
 ネギは魔法をクラスメイトには話さない道を選ぶことになったのだから。
 そういうものを抱えながら進むこと。
 そういうものを自分は千雨から教わっているのだ。

 そして修学旅行あけ翌日の夕刻を迎えるまでを、予定を消化しきったネギたちは彼女たちとおしゃべり混じりの話し合いをして過ごすこととなった。
 夕日を浴びながらネギがひとつ息を吐く。

「ひとまず今日はこれくらいかな」
「お疲れさまだぜ、兄貴」

 魔法学園卒業資格を得るための最終試験。
 その過程がこうなるなんて、ここに来る前の自分は想像もできなかった。
 弟子入りから父親の暗号から千雨のことからと、まだまだ終わりの見えないこの道のり。
 その道を歩んでいく過程は、簡単な一本道とは行きそうにない。

 簡単に判断せずに、背負って歩く。
 そう、自分はまだ決意をしただけで歩み始めてすらいない若輩者だ。
 何を背負おうが、どれほどの道だろうが、自分でその道を決めた以上、歩みを止めてはいられない。

「……兄貴? どうしたんだ」
「ん、なんでもないよ」

 そう答えながらネギは少しだけ微笑んだ。
 まだまだやることはあるけれど、その歩みは焦らずに少しずつ。
 あの時、千雨に向かって言った言葉をこっそりと胸の内に浮き上がらせて、ネギはふと考える。

 さしあたって、まずは千雨とゆっくりと会う時間を取りたいな、とそんなこと。



――――――――――――――――――――



 全部カットしても問題ないくらい原作なぞった説明だけの話。
 リハビリ代わりで2章スタートになります。



[14323] 第29話
Name: SK◆eceee5e8 ID:9aa6d564
Date: 2015/05/16 22:24
「教えを乞うというのは、その教えのもととなる“技”の伝承、その歴史の紡ぎ手たる任を引き継ぐということだ」

 と、エヴァンジェリン・マクダウェルは、夕食を食べている客人たちの前でふとそんなことを口にした。
 その唐突さとは裏腹の重々しい口調に、夕食に招かれていた客人であるところの千雨は、シチューを食べていた手を止めてエヴァンジェリンに視線を向ける。
 場所はエヴァンジェリン邸だ。外の日はすでに沈んでいる。

「道を伝えるものは、自身の強さの他にその伝統を後につなげる義務を課せられる。たとえ門戸を開いて弟子入りを選別なく募集するような真似をしても、もし自分の下に百人の門弟を揃えても、継承の糸を紡ぐ弟子の選択は、最後は師の責任のもとに行われるのだから」
 エヴァンジェリン・マクダウェルは言葉をつづけた。世界の神秘を語るように深い闇色をたたえた声だ。
 月謝をとって週二回。そんな現代の価値観からは隔絶された師弟観。
 稀代の吸血鬼から語られるそれを聞くものは無条件で背筋を正す以外にあるまい。

「ネギの……、あの甘ちゃんの坊やが、そのあたりをきちんと認識しているかは知らんが、弟子入りとは師の道を継承するということになる。あいつはこれまでに本当の意味での師を持たず、そして力量も含めて未熟だから、まず最低限師弟の在り方から学ぶべきなのは当然で、つまりこの場合、やつがわたしに弟子入りをした場合、それは魔法使いとしての魂の骨子、その生誕をわたしに任せることとなる」
 通常の弟子だの流派だの門下だのとは別の継承や“唯一弟子”と、その師匠の在り方については、各々が各々の考えを持っているが、その根幹にあるのは技の継承。それは魔術でも魔法でも変わらない。
 誰に語られている言葉なのか、それを聞くのは長谷川千雨と相坂さよ。従者である絡繰茶々丸はエヴァンジェリンの横に控え、その姉はエヴァンジェリンの横の椅子に座っている。

「そのあり方から恩や義理で縛られて非難されることはあっても、師とは弟子のあらゆる行動に責任を持つことが義務付けられる。だからこそ、そんな道理に逆ネジを食わらせるならば、それ相応の覚悟がいる。弟子入りを志願するというのは、その流派に入門することとは別物の覚悟が必要なのだ」
 そんなエヴァンジェリンの独白はまだまだ続くらしいが、だんだん背筋を正して聞くのもつかれてきた千雨がちらりと茶々丸に目配せを送る。
 返ってきたのは困ったような従者の瞳。
 そろそろ千雨にもこの吸血鬼がなにを言いたいのか、この話のオチがわかってきた。

「自分に弟子としての価値があることを見せ、その光を以って師匠側に弟子入りを欲させる。入口と出口が逆なのだ。弟子として認め、その入門にうなずいた瞬間から、すでにその許容が強制される。裏切らないことを躾けると同時に裏切ろうがそれの責をもつことが求められる。あとあとに己が弟子としたものへ不満だけを述べるのならば、そいつはすでに自分の歩んでいる道に対して、昔と未来への責任を裏切っているのだから……」
 と、すでにこのあたりですでに聞く気が半分なくなった千雨は、意識がだんだんと湯気の消えていくビーフシチューに移っている。さっさと食事を再開したい。
 従者はそんな千雨の姿をはらはらと心配そうに見つめているが、自分の世界に入った吸血鬼はそんなもの見てはいない。
 その横で相坂さよは律義にエヴァンジェリンの言葉に耳を傾けている。

「つまりそれほどに本来の意味でいうところの“弟子”とは厳しいもので、師弟という関係はそれほどに重要なものなわけだが――――」
 と、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルはいったん言葉を止めた。
 シチューを眺めていた千雨とこちらを見つめていたさよに目を向ける。


「――――あのアホは、わたしに弟子入りを志願しといて、何をいきなり古菲にカンフーを習い始めたりしとるんだっ!」


 と、そんなことを大きく叫ぶ。
 ひゃん、とさよが椅子の上で飛び跳ねて、千雨がやっぱりこいつの言っているのはその件かと首肯して、茶々丸とチャチャゼロが主の怒りの原因を思い出す。
 それは先日ネギがエヴァンジェリンに弟子入りを志願しに来た日から、二日後の夜の出来事だった。



 第29話


「どんだけ一貫性のないやつなんだあいつは! さよを見習えさよを! さよなどわたしが教えてやろうといってやったのに断ったんだぞ!」
「……なんだそれ」
「あっ、その……実はそのようなことを……。以前ここで自主練習をしている時に、教えてくださるとおっしゃってもらったんです」
 その申し出は断ったらしい。
 というかあれだけなんだかんだと演説を打っておいて、自分はさよにアプローチをかけていたようだ。

「いいんだよ! わたしのはただの技術指南だろうがっ。ルビーもいなくなったし、ちょっとわたしからも手ほどきしてやろうってだけだ! 魔法ではなく、きちんと魔術を指南してやるといっただろ!」
「うっ、で、でもその、エヴァンジェリンさんの魔術も千雨さんと同じで、一応ルビーさんの系譜という形なので、千雨さんとは同格別種の位置づけになってしまいますから……」
「まっ、まあそれはそうだがな。でもまあ傍系の技なんだから、千雨が割りを食うだけだだし、べつにいいだろ、ちょっとくらい」
「全然よくねえよ。今までの話は何だったんだ……」

 他流派であろうとも、その教えを受ければ、それは確かに受け手の血肉となって伝承が行われる。
 それはそれで“あり”ではあるのだが、さすがにさっきのご高説を聞いていた身としては呆れるしかない。
 先程の長々とした話は、まるまる全部ただの鬱憤ばらしだったようだ。
 その横で、律儀に罪悪感から胸を抑えるさよが目を白黒させているが、これはさすがに言いがかりすぎる発言だ。

 ちなみにさよがエヴァンジェリンの申し出を断ったのは、魔術に関してエヴァンジェリンの技がルビーから継承したものだからだ。
 千雨がルビーの弟子だったりすればまたべつだが、ルビーから継承され、エヴァンジェリンが消化した技術はすでにエヴァンジェリンの魔術である。
 同様に千雨が使うものも、分類としては千雨の技法であり、エヴァンジェリンの技術と完全に同じではない。
 魔術師の師を複数持つことはさよの力にはなっても、千雨の教えに対する助けにはならないのだ。

「まあわたしもそんな器用じゃないから、他のものに手を出すなってさよには言ってあるしな」
「そ、そうですね。エヴァンジェリンさんがすごい人だというのは十分知っていますけど、わたしは魔法は習えませんし、魔術に関しては千雨さんから習うと決めてしまっていますから」
 むー、とエヴァンジェリンが膨れている。根に持っているらしい。どんだけさよを気に入ってるんだこいつ。

 一方で千雨のような抜け穴を使ったわけでもなく、そのままの意味で魔術を指南できるなどと口にできるエヴァンジェリンの性能は千雨から見てもとんでもないものがある。
 気に入っているからだの、千雨もいるからだの、そういう面を抜きにしてもエヴァンジェリンがそう口にした以上、本当に教えることが可能だということだ。
 能力を受け継いだ千雨と異なり、知識と情報を純粋に学び取ったエヴァンジェリンの自負と能力が見て取れる言葉だった。

 魔術師は、人の技術を自分の技術においそれと混ぜられない。魔術は回り道だろうがなんだろうが、最終的に目指すものをはっきりさせて進められるためだ。
 目的を持たない魔術師は存在しない。
 そこに近道のような技術を混ぜれば、目的とする根源が揺れてしまう。
 根源を目指していない千雨やさよはその限りでもないが、やはり魔法に手を出せば、いつかは魔術を使わずに魔法を使う羽目になってしまうだろう。

「でもネギは魔法使いだろ。両立できるようならつづけりゃいいし、ダメそうならやめりゃいいよ」
「あん? なめてるのか貴様は。なにを聞いていたんだ、魔法だの魔術だの関係なく、そんな信念で弟子入りなどさせるはずあるか。そんなことしてもどっちつかずになるだけだ」
「お前だっていろいろやってるじゃねえか。何でもできるとか豪語してたし。それにルビーだって、中国拳法習ってたわけだろ? そもそもお前が断りも許可もせず、試験をするとか言って引き伸ばしたのが原因なんだし、ネギもなんか色々と試してみたいんだろうよ」
 千雨がここにいないネギのために弁護をした。

「それとこれとは話が別なんだよ! ルビーや私は寿命に縛られていないってだけだ。自分自身に終端を持たないから継承の義務から外れている。生きつづけることがそのまま歴史を担っているから、自由に弟子をとろうが技を重ねて学ぼうが消化できるんだ!」
 エヴァンジェリンが断定するような口調で言う。
 その勢いに押されて反論を封じ込められた千雨がなんとなく頷いてしまった。
 時間に縛られないものは弟子を取る義務にもとらわれない、まあそれは道理だろう。

「それにルビーにいたっては完全に技術として学んでいるだけだ。あいつは自分が習ったという八極拳を便利な道具の一つとしてしか見てなかったんだぞ! 道も信念もくそもない。あいつの師も似たようなものだったらしいし、ただ技術を学ぶだけの弟子入りだと割り切るならまあそれはそれでいいんだ」
 武術をバッグにしまう折り畳み傘のごとく言ってのけるエヴァンジェリン。なるほど、これを古菲に聞かれれば、それは怒られることだろう。
 なるほどなあ、と千雨もだいたい言いたいことを理解する。

 たしかにネギは古菲から直々に中国拳法を習うわけで、その後、あなたから習った技術は予備なんですとは言えないし、ネギ本人も考えないだろう。
 エヴァンジェリンは、流派としての弟子入りと、技術取得としての弟子入りに明確な区分を持っているらしい。
 あまりそのあたりを真剣に考えたことのない千雨にはめんどくさいだけだが、それにかかわっているのがネギなので放置もできない。

「だがな、それはただの技術と割り切った場合だけだ! 古菲は皆伝位のはずだろう!? あいつもさらっと弟子入りを認めおって、何を考えてるんだ! というか、たとえ技術を学ぶための弟子入りだとしても普通片方に入門願い出しながら学ぼうとするか!? ありえんだろっ! 百歩譲っても入門は普通一つずつだろ!」
「……………まあ、お前の弟子入りはまだ決定してないし」
 自分でも言い訳になってないと思いながら千雨が口を挟む。
「だとしても、同時に学ぶのと、同時に学ぼうとするのは別もんだろうが! 通信教育だの駅前セミナーなどと間違えてるんじゃないのか!? 弟子入りだぞっ、弟子入り! それに試験をしてやるところまでは妥協してやっただろうが! せめて私の試験で失敗してから鞍替えするくらいなら可愛げがあるものを……」
 ぎりぎりと歯を鳴らしながらエヴァンジェリンが言った。相当ムカついているらしい。

「あー、なんつーかさ、あいつが古菲のやつに弟子入りしようとしたのって、修学旅行の件が関わってるんだよ」
 困った顔をしてフォロー代わりの言葉を吐きながら、千雨が頬をかく。
 エヴァンジェリンの言い分は分からないでもないが、さすがにネギがかわいそうになってきたからだ。

「あん? どういうことだ」
「いや、結構前に、ルビーが中国拳法だのを習ってたって話をしたことがあったんだけど、なんか修学旅行で石化の術を使う銀髪とやりあった時に、そいつもその中国拳法系の技を使ってたんだとさ。で、その対策込みでなんかやった方がいいと思ったらしい」
 ついでにいえば、そちらの技術については千雨がルビーからまったく引き継いでいないことも、ネギが決心した理由の一つなのだろうが、そちらについては千雨は全く気づいていない。

「あいつの……ああ、だから古菲なのか……」
「ネギの方も前から古菲の拳法には興味があったみたいだったけどな。まあわたしも、昨日の今日で弟子入りするとは思わなかったけど……」
 ちなみにネギはエヴァンジェリンが実は格闘も使えるということを正確に理解していない。
 そりゃあ中国拳法を隅から隅までマスターしているわけではないが、エヴァンジェリンは柔術から操糸術まで、近距離中距離遠距離すべてに対して一家言持ちである。
 考えこむようにエヴァンジェリンが黙った。

「……やっぱネギのことは断るのか?」
「ええっ、ダメですよ、そんなの!」
 ちらりとエヴァンジェリンがさよと千雨に視線を送った。

「……弟子入りの試験はしてやる。それは一度口に出したことだからな。古菲の件も業腹ではあるが“まだ”私に弟子入りをしていないあいつに文句をいうべきことでもない。理屈っぽいお前と同様あいつには中国拳法のほうがあっているかもしれんしな」
「へえ、意外に気前がいいのな」
「ふん。今ごろ気づいたか。だが、試験に関しては話が別だ。内容について遠慮はせんぞ」
 ふっふっふ、とエヴァンジェリンが笑った。怒りを弟子入りの試験にぶつけるつもりなのだろう。
 千雨はこれに関しては自分にはどうしようもないとわかっているので、一応成り行きを見守ったまま食事を続けた。あとでネギには情報のリークぐらいはしてやろう。

 そんな二人の姿に、さよが食事の手を止め、気もそぞろに不安げな顔を見せていた。
 ちなみに最近のエヴァンジェリン邸の食事はさよが片腕で取れるようなものでで統一されている。

「そういえば、その腕の見通しはどうなった」
 と、一旦怒りと話を中断して、千雨に問いかけた。
「来週あたりまでにはある程度治したいけど、まだ下書きの段階だな。状態を調べ終わったら設計図を引いて、予算を組んで、道具をそろえて、たぶん詳しく日程が組めるのはそのあとになると思う」
 割合あっさりと答えが返ってきた。
 自分の目算とそう違わない回答にエヴァンジェリンが頷く。

「まあそんなものだろうな。金で解決する部分はこっちでもってやるから、茶々丸に伝えておけ」
「あー、それは本当に助かる。というか正直頼む気でいたし……。遠慮無く世話になるよ。道具とかの見積りはだいたい終わってるからあとで一覧を作って渡す。それが揃ったら、今度の休みに一気に仕上げまで持っていく感じかな。慣らしが必要だけど、うまく行けば本格的なリハビリみたいなのは必要ないはずだ」
 気前のいい言葉を有りがたく受け取った。

 令呪にガンドと忘れられがちだが、千雨の基本となるものは宝石魔術。その宿命としてお金はどれだけあっても足りないような面がある。
 このあたりはネギに相談しても解決しないだろう。
 ときに金銭の貸し借りは色恋以上に面倒なのだ。
 というわけで、自分でも宝石の裸石くらいは入手できるようになっておかないといけないなどとこっそり思っていることなどは、むしろネギには秘密にさえしている千雨であった。
 というか、下手に話を漏らしてネギからいきなり宝石など送られようものなら、面倒ごとになるに決まっている。

 そんな懐事情を頭の片隅に、食後の紅茶を飲みながらちらりと視線をエヴァンジェリンに向ける。
 その視線の先には、ふっふっふといまだに悪の笑いを響かせながら、どういう試験でネギを苦しめてやろうかと考えているらしいその姿があった。


   ◆


「つーわけで、昨日の夜そんな話が挙がってたんだけどさ」
 千雨はそこまで語ってネギの前でお茶をすすった。
 場所は千雨の部屋。時間はすでに夕刻だ。

「そ、そうですか。エヴァンジェリンさんが……」
「どうするつもりだ? 今から古菲に断り入れてもエヴァンジェリンは試験を軽くしてくれたりはしないだろうけど」
「……いえ、僕はやっぱり格闘技については習っておきたいと思います」
 へえ、と千雨が内心唸った。

「エヴァンジェリンにじゃなく、古菲にか?」
「きっとエヴァンジェリンさんの弦糸術や体術も、ボクには及びもつかない高みにある技法なのでしょうが、それは古菲さんの技術も同様です。古菲さんへの弟子入りはボクなりに考えた結果ですから……それに一度決心して、すでに習い始めているんです。撤回はできません」
 もともとネギが古菲の技術に興味を持ったのは、彼女の技が修学旅行で見たフェイトの技法につながっているためだ。
 そいつが使ったという格闘技術。後塵を拝する技術というよりは、百戦無敗の心得だろう。
 撤回する気はないらしい。

「千雨さんは反対されますか?」
 少し黙ってからネギが聞いた。
 その言葉に千雨が笑う。
「言っただろ。エヴァンジェリンの言うこともわからないわけじゃないけど、技術の継承についちゃあ、わたしは師匠が師匠だからな。効率を重視することはあっても、信条については二の次だ」
 ここで反対したとしても先ほどの言葉を撤回はしないだろうが、千雨としては実際のところ別段文句をいう気はない。
 本来はネギが悩むようならエヴァンジェリンとの橋渡しでもしてやるべきかと思っていたくらいなのだ。
 それに、すでに習い始めた以上、エヴァンジェリンもネギが古菲の弟子を今更撤回するなどと言えば、それはそれで怒るだろう。
 やらないことと行動してから撤回することは別物だ。

「しかし中国拳法ねえ。ルビーがやってたのは師匠が使い手で習うのが手頃だったからとかいう理由だったっけか」
 本当のところは別にあったのかもしれないが、千雨が聞いているのはそれだけだ。
 改めて考えればなめた理由だ。遠坂凛。五大元素を操ったという天の才器。さすがすぎる。

「ボクはルビーさんの格闘技術については拝見したことはありませんね」
「才能一辺倒である程度使えるようにだけ学んでたらしいな。たぶん古菲のほうが上なんだろう。あいつ自身もそんなこと言ってたし。……わたしはあの銀髪については、どの程度のものかは知らないけどどうなんだ?」
「フェイトと名乗っていた少年ですね。正直なところ、彼や古菲さんの技術は二人ともに、今のボクでは比べることもできないほど高みにあります。でも、ボクは古菲さんの技術は彼に劣るようなものではないと考えていますから」
「まっ、この麻帆良で四天王を張ってるくらいだしな」
 千雨が笑った。

「彼とはまたどこかで会うことになるかもしれません。ボクは魔法については、少し理由があって危ないものも覚えているのですが、それを当てる技術については、ほとんど磨いてきませんでしたので……」
「ふーん、意外と考えてるのな」
「当たり前です!」
 深くは踏み込まず、軽口を返した千雨にネギが頬をふくらませた。

「冗談だよ。知ってるさ。うん、お前は頑張ってるもんな」
 千雨がポツリと呟いた。
 ふと漏れた千雨の言葉に、ネギが視線を向けるが、千雨は視線を手元の紅茶に向けたまま、その視線には気づかなかった。

 ネギの自分が進む道に対する行動力は折り紙つきだ。
 そして、そんなネギの頑張りを千雨は十分に知っている。
 修学旅行で言った言葉に嘘はない。
 彼は自分などよりも、よほど努力と決意を重ねているのだ。
 それは努力を積み重ねる胆力と同時に、努力を積み重ねるための自分の進むべき道筋を、ネギが明確に宿しているという意味である。

「…………あっ、それで中国拳法って何を習うんだ? もうなんか始めてるのか?」
「まだ本格的に習い始めたわけではありませんのでさわりの段階ですが、歩法や型など基本のようなものを習っています」
「ふーん、本格的になったら忙しくなりそうだな」
「忙しくても、僕も千雨さんも麻帆良にいるんですからいつでもこうして逢えますよ」
 話をそらすような千雨の言葉だったが、ネギは追求しないままに答えた。

「ま、まあそうだけど……」
 生返事をしながら千雨がお茶で喉を潤す。
 千雨も千雨でさよの件に“自分”の件にと、そこそこに忙しくなりそうなのだが、そちらはネギに頼るようなものでもない。ネギの負担にはならないだろう。
 それに自分の要件は修学旅行から始まった後始末や、自分を取り巻く状況の変化に対応するためのものにすぎない。

 未来を見据えているネギの行為を邪魔するのは気が引ける、そう考えて千雨は沈黙したままだ。
 実際には、ネギが教師として友人としてと、3-Aのメンバー相手に奔走し、旅行があけて父親のことや自分のことと問題ごとを抱え込んだのと同様に、千雨だってルビーがいなくなったことの影響で、個人的な道具の調達から修行法からといろいろと問題が噴出している。
 彼女は自分の努力に対する算定がどうにも甘い。

「千雨さん。千雨さんはなにか困ったことはありませんか? 僕に出来ることなら、何でも言ってくださいね」
 千雨が変に遠慮し始めたのを感じ取ったのか、ネギがそんな言葉を挟み込んだ。
「……ん、うん。わかった。まあ今のところは大丈夫だけど……唐突だな」
「でも、千雨さんはあんまりボクに頼ってくれませんし、一度ちゃんと言っておいたほうがいいと思ったんです」
 どうにも自分の苦労ごとは、自分で何とか出来ると考えている限り口に出さない意外と嘘つきの長谷川千雨。
 そんな彼女を気遣ったネギの言葉だ。

「そ、そうか?」
「はい。修学旅行中は忙しかったですし、あんまり千雨さんとゆっくりとお話しできませんでしたから」
「け、結構喋ってたと思うけど……」
「旅行中はたまの手すきにお話するでしたし…………なんというか、こういう普通のお話を二人きりでゆっくりとするような時間はほとんど取れませんでしたから」

 ネギが微笑む。
 ふわりとした、千雨に向かった愛情にあふれる笑みだ。
 たしかに、修学旅行中に木乃香の件もあり千雨とはほとんど一緒にいたが、ゆっくりとしたものだとは言いがたい。
 千雨の方もそんな言葉を改めて口にされて、ようやくネギの言葉の気遣いを理解した。
 たしかに付き合うだの何だの言っても、最初のインパクトが強すぎただけで、実際に二人が恋人同士として、じっくりと時間を重ねてきたのかといえば、そんなことはまったくない。

 しかし、なんでこいつはこういうことをさらりと言えるのだろうか。
 単純なただ二人きりの時間を共有することで育っていくそういうものに圧倒されて、千雨が少し押し黙った。
 だが、そういうぼんやりとした暖かなものを受け入れるには、長谷川千雨は経験値が足りなすぎる。
 どうして横の男は平然としているのだろうかと混乱しながら、ごまかすように千雨が口を開き、

「ま、まあそうだよな。うん。結構忙しかったもんな。こうして部屋で、二人っきりなのは――――」

 そして、そのまま言葉が停止する。
 自分で口に出して、自分でびっくりしていた。
 恥ずかしくなったのか、あー、っと視線を逸らして照れながら、


「――――あ、うん。そうだな。ほんと……ちょっと、ひさしぶり、かもな……」


 そのまま、カアとうつむいた。
 何故かいきなり千雨の顔が赤くなっている。
 この子はあほではなかろうか。

 なにを考えて暴走したのか、動悸を抑えて、続く言葉も発せないままに俯いている。
 いつまでたっても成長の見えない千雨と裏腹に、そろそろ千雨の上手に立ち始めたネギの姿。
 幾度目かになる繰り返しの光景だが、反省と改善の見えない千雨と違い、目の前の少年は優秀なのだ。

「…………千雨さんは、とっても可愛らしい人ですね」

 そんな恋人の姿を見ながら、手を取ることも、抱きしめることも、口付けることもないままに、お茶請けを一つ取り上げるほどの平静さをもって、ネギがさらりとそんな言葉を口にする。
 ビシリと千雨の動きが硬直した。
 ネギはそんな千雨の姿を微笑みながら眺めている。
 そんなネギと対照的に、千雨はショート寸前でグルグルと目を回すだけだ。

 飲み終わった紅茶のカップを置いて、ネギが改めて、千雨に視線を向けた。
 そして、ネギがにこりと笑い、そのまま硬直したままの千雨の手から紅茶がまだ残っているカップを、ひょいと取り上げて横に置く。
 なんで? そんなのきまってる。
 もちろん、カップを割れたら危ないからだ。

「抱きしめてもいいですか?」
「はい!?」

 限りなく、ひゃいに近い返事をして飛び上がる千雨を見ながら、改めてこの人はかわいいなあとネギは思う。
 さっそく体術家としての才能の片鱗を見せながら、ネギは体重を感じさせない歩法をみせてふわりと近づき、手をとった。
 そして、真っ赤なままの少女は、抵抗もできないままに抱きしめられてそのままに――――


   ◆


「――――おい、聞いているのか、千雨」
「えっ!? い、いや、聞いてなかった」

 ぼうっとしたままお茶を口に運んでいた千雨に、エヴァンジェリンから声が掛かる。
 学校帰りの喫茶店。
 茶々丸という家事も有能な従者を持ってはいるが、意外に安っぽいオープンカフェなどにも抵抗なく足を運ぶエヴァンジェリンである。
 時間はまだ夕刻前だ。

 千雨は帰り際にエヴァンジェリンに同行を申し渡されたわけだがその理由をまだ聞いていない。
 何か別の用事があるのかさよの姿はないが、エヴァンジェリンにつき従う絡繰茶々丸は主の後ろに立っている。

「ぼけっとするな。今日、ネギに弟子入りの課題を言い渡した」
「んっ、ああ。それで結局なにすることにしたんだ?」
 頭を切り替えた千雨が聞き返す。
「拳闘だ。奴が学び始めた中国拳法を使ってな。相手には茶々丸をあてる」
「はっ? 拳闘?」

 目を丸くした千雨が思わず視線を送ると、律儀にエヴァンジェリンの後ろに立ったまま控えていた茶々丸から目礼を返された。
 もちろん礼儀正しい従者である茶々丸は、たまたま同席していた佐々木まき絵に煽られて決めた試験内容であることなどは口にはしない。

 オープンテラスの一席で、エヴァンジェリンに並んだ椅子に座らされているチャチャゼロも、内心で笑いながら黙ったままだ。
 ここはまだ学内だし人気もある。それに黙っていたほうが面白そうだ。
 弟子入りなど本気で考えてもいなかったくせに、その相手が自分ではないものに気を取られてると苛つき出すのだ。
 この御主人は、変なところで肉体年齢に縛られた思考を克服できていない。

「えっと、技術試験ってことじゃないよな?」
「もちろん違う。古菲から学んだ武術を用いての純粋な格闘戦だ。道具は無し、魔法は……まあ自己強化くらいはありでもよいが、浮遊と飛び道具に関しては無しといったところだろう」
「魔法使いとしての弟子入り試験なんじゃないのか?」
「一度私とあいつはやりあっているんだぞ。あいつの魔法の実力は知っている。そもそも魔法を学びに来るための試験で魔法をテストしてどうするんだ」

 エヴァンジェリンが肩をすくめる。
 だからこそ普通は魔法のテストなのではなかろうかと千雨が首を傾げているが、エヴァンジェリンは全く気にした様子を見せずに言葉を続けた。

「古菲の弟子としてどの程度の技を学んだかを見れば、学ぶものとしての資質も見える。古菲への弟子入りについてはやつも取り下げる気はないのだろう?」
「ああ、撤回する気はないみたいだったぞ」
 協力するといった手前、ネギの弁護をしてやろうと思っていたのだが、なぜかエヴァンジェリンは、それでよいとばかりに頷いた。

「あれだけ厳しくするとか怒ってた割に結構甘いのな」
「そう思うなら、貴様もまだまだ未熟だということだ。勝利の基準とは何を見るかで決定する。わたしは強さを見たいわけではない。ぼーやの意外性を見たいんだ。単純に勝っても、単純に負けるようでも面白くない。同時に技術を学ぶなどというなめた真似すると宣言した以上、あいつがわたしの予想を覆すさまを期待してもバチは当たらんだろう」
「……なるほどな」
 試験官のくせに合格基準を定めていないらしい。採点方法としては最悪だ。

「ネギにはなんて言ってあるんだ?」
「ぼーやには茶々丸に一撃当てれば合格にすると言ってあるが、奴の技能からみて、一日二日古菲に習ったとしても茶々丸には及ぶまい。だが、だからこそ、勝つとすればわたしの予想を覆すはずだ。これはお前たちの思考だな? それに勝てないまでも、そこそこ食らいつくようなら面白い結果が見れるかもしれんしな」

 千雨がそれを聞いて、苦々しい顔をした。
 もちろん思い当たらないはずがない。
 百の時間で千の世界で万の場所で、そして無限の平行線をたどっても、必ず同じ結果を示すことは珍しいものではない。
 平行世界、鏡面世界、“可能性世界”における許容される“奇跡”の範囲。
 分岐があり得るか否かの演算思考。
 平行世界の数と種類の矛盾についてをルビーの弟子が理解できないはずがない。
 可能性を内包させる素質と、その可能性を引き寄せる器量を要求するそれは、たかだか弟子入り試験のハードルとしては高すぎるといっても間違いではないだろう。

「それで一撃当てたらか。……セオリー通り勝ったら合格ってのはしなかったんだな」
 エヴァンジェリンが頷く。
「一撃ならまだ“万が一”があり得るが、試合での勝利は絶対に不可能だ。勝利というのは意外に曖昧な基準だからな。基準ってのは甘ければ甘いほどひっくり返しにくいもんなんだ。一撃ってのはつまり一撃が勝敗を分ける実戦という意味合いが強いが、そもそも茶々丸に勝つのはそんな簡単なことじゃない。本当に勝利できればそれはそれで面白いとも言えるが、戦いならまだしも試合では、紛れも何もなく百回やって茶々丸が百回勝つ」
 エヴァンジェリンが断定した。
 意外性を許容できる条件とできない条件があるのだろう。
 殺し合いは始まるまでが本番で、極論毒でも使えばかすり傷が生死を分けるが、試合は準備よりも本番が重視される。

「どのみち一撃あてるなんて条件だろうが、一日二日じゃどうにもならんよ。失敗することが前提なのさ。合格基準なんてもっと低くてもいいくらいだ。どうせ変わらん。だからこそ、やつがなにを起こすかを見たいのだからな。ああ、そうだ。だからな千雨、お前は奴に手を貸すなよ。これ以上師が増えるのもそうだが、お前のような小賢しい思考をするタイプは今回の試験の“基準”を乱すからな」
 そういって、じろりとエヴァンジェリンに睨まれた。

 ネギも知っていることだが、自分の技法は錬金術師から派生する思考術。筋トレ以前の問題だ。
 速度もそうだが、計算用の蓄積された演算式が必要になる。
 ルビーからもらったものだが、それには当然のように対茶々丸用のものもあり、それを与えてしまえば、それはもうカンニングだろう。
 だがまあ、手を貸すなと露骨に云われた方が、変に両陣営に気を回さずにネギに接することができるわけで、ネギには悪いが、自分としては楽な面もある。

 千雨から作戦を与えられ、その上で勝利してもエヴァンジェリンは試験を合格とはしないように、この辺りは無知であることが流れを有利に進めるということなのだろう。
 テスト対策をとって高得点化だけを狙うような千雨のやり方をもって、ネギの地力を測るテストに横槍を入れれば、それはマイナス方面に作用する。

「手伝った上で絡繰に勝つってのはダメなんだよな」
「お前の技能を使うのは構わんが、お前から技能を継承するのはやめたほうがいいだろう」
 当たり前のようにエヴァンジェリンが答える。

「そもそも、あいつが自分で取り込むならまだしも、技法としてお前から継承すれば、それこそ本格的に軸がブレるぞ。お前と古菲で連立する気か? 魔法と拳闘ならまだしも、お前の格闘はカンフーともろに競合するだろ。私はまだしもお前や古菲はそこまで器用ではあるまい」
「うーん、やっぱそうか……」
 少し考えてから千雨が頷く。
 千雨としても文句の言い様がないからだ。


   ◆


 そして翌日。
 日も上がらぬ平日未明から、すでにネギはエヴァンジェリンのテストに向けて奔走していた。
 いつのまにか気力を充填したらしく、やる気に満ちあふれている。

「ネギ坊主。今日から私をくー老師と呼ぶがいいネ」

 と、学園の片隅で古菲の声が響き渡った。
 エヴァンジェリンに正式に弟子入りの試験を言い渡されて早速の対応として、早朝からネギが、エヴァンジェリンの試験に向けた稽古を始めている。
 まだ日も上がらぬ時刻であるが、試験はもう翌々日なのだ。早すぎるということはないだろう。

「ネギ坊主。達人相手に一本とることは二日間の修練では難しいアル。よって少々厳しい特訓になるが覚悟はあるアルか?」
「はいっ!」
 と元気よく返事をするネギの横に、一人の少女が立っている。
 それは千雨でも明日菜でもなく、麻帆良学園女子中等部3-Aに所属する新体操部の未来のエース、

「わ、なんか面白そー。私もやるよ。役に立つかも!」

 やる気に溢れる新体操部一部員、クラブ顧問からは未来を見据えて現状は評価据え置きの佐々木まき絵である。
 古菲がネギに中国拳法を教えると聞いて、興味半分に参加しに来たのだ。
 実はエヴァンジェリンに拳闘の試験内容を押し付けた張本人でもある。

 どのみちエヴァンジェリンの試験では身体強化の魔法くらいしか使えないため、中国拳法の修練ならばまき絵が参加しても問題無いということで、ネギともども古菲の朝練に参加している。
 そうして、ネギとまき絵の二人に対する体育会系風味の中国武術講座が始まったわけだが、逆さ吊りのまま丸木を避ける訓練から始まり、中武研名物とやらの木人形と続けていく。
 飛んでくる板切れに打ちのめされて、へばったところを叩き起こされ、もはやなんの特訓を行っているかもわからなくなってきた頃に、ようやく朝練は終了した。
 内容自体は古菲の悪乗り半分、基礎訓練半分といったところだろう。
 すでに上がりきった朝日に照らされて、ネギとまき絵がヘトヘトのまま地面に横たわっている。

「なんと、もうへばったあるか、情けない」

 古菲がやれやれとため息を吐く。
 まだ技の鍛錬にはとりかかってもいないのだ。
 へろへろのままネギとまき絵が返事をするが、さっそく続きを、とは行けそうにない。
 そんな三人に声がかかった。

「なにアホなことやってんのよ」

 その声に、古菲たちが振り向く。
 そこにいたのは桜咲刹那に神楽坂明日菜、そして近衛木乃香の三人だ。

「お、明日菜。配達は終わったアルか」
「うん、さっきね。わたしもちょっと刹那さんに教えてもらおうかと思って」
 答えながらはた目にはおもちゃのハリセンにしか見えないアーティファクトを振ってみせた。
 日課の二度寝を中止して、刹那に訓練を頼んだのだ。

「へー明日菜が? なんでー?」
 寝っ転がったままのまき絵が聞く。
「んー、ちょっと思うところがあってね。まっ、やって損はないでしょ」
 そんな明日菜の言葉にまき絵は首を傾げるが、刹那や古菲などはその動機の出処を感じ取っているために、特に文句は付けなかった。
 刹那が明日菜の鍛錬を手伝っているのも、そのあたりに理由がある。

「ふーん、明日菜がねえ……」
「まあいいでしょ。それ言ったら、まきちゃんだってなんで参加してるのよ?」
「あー、なんかネギ君頑張ってたからさー。わたしもなんか新体操の参考になるんじゃないかって思って」
 脳天気にまき絵が笑う。
 たしかに、彼女は中国拳法を使えるようになろうとは考えていない。
 殴られるのはもちろん、殴るのだって遠慮したいくらいだ。

 そうしてつつがなく朝練が終了したその日の放課後。
 さすがに少し本腰を入れることにした古菲が、半分のりで決めた朝の修行を謝罪して、ようやく本格的にネギに修行をつけ始める。
 なんとなく朝のノリを引きずって明日菜たちも同席しているが、別段一緒に中国拳法を学ぶ気はない。
 刹那と一緒に、朝と同じく剣術の鍛錬を始めていた。

「ニャハハ、朝はスマンかたアル。ここからはまじめにやるネ。ではさっそくネギ坊主。茶々丸に勝つ方法を考えるネ。こっち来るアル」
「はい」
「あっ、わたしもー」
 まき絵がふらふらとネギについてきた。

「ふむ、それでは……と、その前にネギ坊主。千雨はどうしたアルか?」
 素直についてくるネギに古菲が問いかける。
 今日の放課後も千雨はいつの間にか帰ってしまっていた。
 裏の事情を聞いているだけに、朝練はまだしも午後くらいは千雨も参加するものと考えていたのだ。

「あっ、実は今回の件は千雨さんの助力は禁止されているんです」
「助力って? くーちゃんみたいな? 千雨ちゃんも中国拳法をやってるの?」
「千雨さんの……先生のような方が中国拳法を嗜んでいたそうです。流派までは聞いていませんが。ただ、千雨さんの技術と言うのはまた少し別で、えーと……千雨さんから戦い方のアドバイスのようなものを受けるべきではないと言われているんです」
 まき絵の存在を考慮して少し濁した返事をした。

「ふむ、エヴァンジェリンがそう言ったアルか?」
「そのようです。昨日の夜に千雨さんから伝言を受け取りました。古菲さんに師事した以上、千雨さんから別途試験への対策を“技術”として受け取ってしまうべきではないと、」
 魔法を禁止したように、空を飛ばずにただ武術を使用する。千雨の技術も同様だ。
 これは古菲からの鍛錬を通して、ネギの弟子としての資質を見る試験なのだから。

「千雨の技術アルか……」
「はい。以前ボクも参考にさせていただいたことはあるのですが、くー老師に習いながら、千雨さんの技を勉強するのは、くー老師との間で師弟線が交錯するから、避けるようにと。あと、千雨さんからは、これまでにボクが身につけている千雨さんの技術の利用についても、今後は師であるくー老師に伺いを立てたほうが良いとも言われています」
「ああ、なるほど。……たしかに中国拳法の流派でもどっちつかずはいかんアルね。ただ、すでに持っている技術を封印して置く必要はないある。問題になるようならわたしから口を挟むが、もう学んでいるというのなら、そちらについてはあまり気にする必要はないアルよ」
 はい、とネギが頷いた。

「ふーん、流派とかはあんまりわかんないなあ。今やってるのは八極拳だっけ?」
 もともと中国拳法などは、公園でご年配の方々がたしなむ健康体操混じりの太極拳くらいしか知らないまき絵である。
 古菲が、むむ、と唸るが、自分と同じバカレンジャーのまき絵に百派を超える千々万変の中国武術の分類を講義するのは難しいだろう。

 そうしてその後、古菲はネギの指導をしながら、千雨の助力を禁止したというエヴァンジェリンについて考えている。
 古菲も古菲でエヴァンジェリンの助言とやらにこっそりと納得してもいるのだ。
 自分もいまだ修行中。
 別段ネギを生涯の弟子にしたわけではないし、そもそも弟子の育成についてを学んでいるわけでもない。自分の修練を参考に、技術を継承しているだけだ。
 自分もまだまだ精進の身。ちょうど魔法使いとやらと拳を交えてみたかったし、教えるだけでなく、ネギや千雨とはむしろ技を比べてみたいという気持ちも当然ある。
 エヴァンジェリンは師としてのあり方を重視していたが、魔法を知って、ネギの方から弟子入りを申し出られているものの、古菲はどちらかと言えばネギとは一緒に切磋琢磨するという面のほうが強い。

 彼女は以前から麻帆良四天王と呼ばれてはいたが、楓や刹那、真名たちのような、自分よりもさらに普通でない者達との差には気づいていた。
 だからこそ、彼女は修学旅行で魔法を知って、その技に感嘆するとともに、その技についての情報を欲していた。
 彼女は修学旅行で千雨の技を見て、その溝を埋める道を見出したのだ。

 思考から浮き上がり、目の前で自分の技を受け継ごうとしている弟子を見る。
 対茶々丸用にとカウンター技を中心に指導していたが、教えたものを教えた分だけ吸収している。すでに、ある程度のものになり始めたようだ。
 随分とまあ有望である。

 次の指示を与え、なぜか音頭を取っているまき絵が掛け声を上げて、威勢よくネギが返事をする。
 そんな二人をこらこらと明日菜が諫め、微笑みながら刹那がそんな同級生を眺めていた。
 そうしてその後、翌日の朝練に備え一旦解散となるまで、そんなかたちの訓練が続けられることとなった。



―――――


 繋ぎ回その二になります。
 次回は試験編。



[14323] 第30話
Name: SK◆eceee5e8 ID:9aa6d564
Date: 2015/05/16 22:16
「ではあとは運を天に任せ。残りの8時間は休息と復習に使うヨロシ」
「はいっ! 老師!」

 今日も朝からぶっ続けで行われた特訓後の土曜日十六時、古菲とネギの声が響き渡った。
 古菲の言葉にネギが礼を返す。
 詰め込める技術については詰め込み終わった。
 反復は十分したから、少し休んで復習を行うべきだろう。

 傍らにはネギの特訓に付き合っていたまき絵と、こちらもこちらで剣術の訓練をしていた刹那と明日菜の二人。
 そんな5人を、いつの間にか加わっていたさよと和美が木陰で涼みながら眺めている。

「いやー、張り切ってるね-。ネギくんは」
「はい。すごい頑張り屋さんですね」
 和美の言葉にさよが頷く。
「あとは夜まで休憩かあ。千雨ちゃん、結局来なかったね-」
「今日もまだ少し忙しいみたいです。最後のまとめで……えーっとこの間の用事がまだ終わっていないということでした。本当はわたしも付き合うつもりだったんですけど、千雨さんがこちらはいいからネギ先生の様子を見てくるようにって言われたんです」
「へー、千雨ちゃんがねえ。なるほど。なんか寂しいと思ったけど、なんだかんだいってもやっぱり心配してるんだねえ」
 にやにやと和美が笑った。
 そんな雑談の中、遠くから聞こえた声に和美が顔を上げる。

「おーい。ネギ君今夜なんか試合するんだってー?」
「差し入れに豪華特製夕ごはん弁当作ってきたわー」
 大河内アキラ、明石裕奈、和泉亜子の三人が大きな竹編みのバスケットを持って現れた。
「おー、こっちこっち」
 和美が手を降って、そんな三人を招き入れる。
 皆で彼女たちが持参してくれたお弁当を有りがたく囲むことになった。

「ほんで、その試合には勝てそーなん?」
 裕奈がネギにお弁当を振る舞いながら古菲に尋ねた。
「それがこのネギ坊主反則気味に飲み込みがいいアルよ。全くどーなっとるかねこのガキは」
「へぇーっ」
「でも、それくらいじゃないと10歳で先生なんてできないかも」
「そっかー。さすが天才少年。じゃ、楽勝だねー」
「そ、そう簡単には行かないとは思いますが…………」
 ネギが弁当を食べながら答えた。

「ふーん、でさあ、ネギくん。千雨ちゃんは来てないの?」
「今回の件で千雨さんからの助言は禁止されていて」
「えーっ! だめだよー、もっと一緒にいなきゃー!」
 不満そうな顔で裕奈が言った。
 この問答は何度目だろうかとネギが内心で首をひねる。
 どうも最近、自分と千雨があまり会っていないように思われているらしい。
 別段今回の古菲との特訓やエヴァンジェリンとの弟子入り試験に千雨が直接関わっていないだけで、会うことは会っているのだ。

「千雨ちゃんがアドバイスするの? 応援じゃなくて?」
 その横でアキラが首を傾げた。
「は、はい。ちょっと説明しにくいのですが、千雨さんは格闘技をするときの理論のようなものを習得されているので……」
「でも見学にくらい来ればいーじゃん。応援は別にいいんでしょ? ネギ君の一大決心なんだし、心配じゃないの千雨ちゃんは! これで茶々丸さんに負けちゃったらどーすんのよ」
 先ほど楽勝だと笑っていた裕奈が怒る。
 適当というよりはノリで発言しているだけなのだろうが、古菲がそんな裕奈の言葉に頷きを返した。

「そうアルねえ。たしかに茶々丸に勝つのはかなりの難事アルよ」
「ネギ先生が絶対合格するって信じてるのかなー?」
「いえ、そういうわけでもないと思います。あっ、でも今日出かけるときにも頑張るようにと言ってくださいましたし、心配してくださっているとは思うのですが……」
 若干照れながらネギが言った。
「へー、千雨ちゃんがねえ。なんか想像できないな-」
「仲が良くて結構なことアル」
「でもまあ、そういうことなら、千雨ちゃんのためにも頑張らないとね、ネギくん!」
「は、はい」
 ばしりと裕奈に背中を叩かれる。
 お茶を飲んでいたネギが咳き込みながら頷いた。
 ごめんごめんと、悪びれないままに裕奈が差し入れに持ってきていた濡れタオルでお茶を拭く。

「しっかし随分汗かいてるわねー、あんた」
 そんな様を見ていた明日菜が思いついたように、ネギに顔を寄せるとくんくんと鼻を鳴らす。
「明日菜。なにやってんの?」
「ん、あー、こいつ、風呂嫌いだからね。ちょっと気になって」
「そういえばネギくん汗だくだねー。わたしも夜になっちゃう前にシャワー浴びてきたいなあ」
 まき絵が上着の裾をつまみながら言った。

「そういや前にネギ君と一緒にお風呂入ってたよね、アスナー」
「ああ、そういえばそうでしたね」
 そんなまき絵の姿を見て思い出したのか、以前の騒動について話を振った祐奈にさよが頷く。
 ずっと以前にそんな話を千雨にリークしたのはさよである。もちろん覚えていた。

「あんときは、こいつが風呂に入ってなかったから仕方なくだっての」
「たしかおっぱいの大きい子がネギくんと付き合うって話だったよね。なんか有耶無耶になっちゃったけど!」
「付き合うんじゃなくて、部屋割りじゃなかった? でも千雨ちゃんじゃあ朝倉やいいんちょたちには勝てないねー」
「私はちうちゃんの邪魔をする気はないけど、いいんちょうはどうかねー。まだ諦めてないよね、きっと」
 けらけらと和美が笑う。

「うーん、私は千雨ちゃんよりちっちゃいからなあ。ていうか、ゆーなは最近いきなり大きくなってない?」
「あっ、わかるー? いやー、運動部としては困っちゃうよねえ、参ったなー」
 全く困ってなさそうに裕奈が言った。その横でまき絵が祐奈の胸を羨ましそうに眺めている。
 会話があっちこっちに跳ねまわるさまは歳相応といったところだろう。

「そういえばそんなことあったね」
 騒ぐ明日菜たちから離れて、年の割にはずいぶんと落ち着いているアキラが、以前の騒動を思い返しながら淡々と言った。
「わたしが復学する前の話ですね。千雨さんは立ち会わなかったそうですが」
 情報は千雨以上に知っているが、さよは参加したわけではない。
 幽霊時分に又聞きで情報を集めただけだ。
「そういえばいなかったかな。たしか刹那さんはいたよね?」
「ええ、まあ……」
 騒ぎに巻き込まれたくないらしく、刹那が困った顔をしながら答えた。
 鳴滝姉妹やエヴァンジェリンと一緒に風呂場の端っこで騒動を眺めているしかなかった身としては答えも鈍る。
 それにプロポーションの話題は若干苦手だ。いや、格闘を嗜む者にとっては胸などない方がいいに決まっている。
 目の前で騒ぐ同じ四天王の一員ならきっと同意してくれるだろう。
 残りの二名については考えないことにしたらしい刹那が一人で頷く。

「でも、明日菜はやっぱりネギくんにはなーんか甘いんだよねー。なんだかんだと世話焼いてるじゃん」
 この面々ではスタイルについてはダントツトップの和美が笑いながら言った。
「別にこんなガキを風呂に入れたってどうもないってだけよ。同じ部屋にお風呂に入ってない奴がいるほうがいやじゃない。それに、千雨ちゃんだってそんなことで怒る子じゃないでしょ」
 明日菜がさらりと答える。
 千雨とネギの二人が付き合っているという認識がかなり本気であると改めているものの、彼女は未だにネギの立ち位置を子どもとして捉えたままだ。

「そうかねー? 明日菜はちょっとネギくんを子供扱いしすぎなんだって! 先生だよ、先生!それにネギくんだってこうして頑張ってるんだから、子供扱いしちゃダメだよ。ねっ、ネギくん!」
「あっ、えっと……」
 がしっとネギの首に腕を回して和美が言った。
 ネギはいきなり話をふられて目を回すだけだ。

「ついでに明日菜はちうちゃんをまじめに見過ぎじゃない? ちうちゃんだって普通に嫉妬するかもよー?」
「ん、そう? 千雨ちゃんってそういうのしないイメージがあるけど……」
「いやいや、そもそもウチラはちうちゃんがネギくんと付き合うイメージだってなかったわけでしょ。偏見は捨てないとね」
 つい、と指を振りながら和美が言った。

「そうだよ、明日菜! そんなつんけんしてばっかじゃなくて、もっと仲良くなれるように手伝ってあげなよー。せっかくネギくんと一緒に住んでるんだからさ!」
「そういうのは木乃香がやってくれてんのよ!」
「でも前は一緒に寝てたんでしょ-? お風呂も一緒に入ってたし、実際どうなの! 三角関係とかしちゃったりさっ!」
 うりうりと肘で突かれた。

「わたしはガキには興味ないし、お風呂だってこいつが風呂嫌いで、同じ部屋に汗臭いのがいたら嫌だったからよ! つーかあんた今は入っているんでしょうねー? 昨日も今日もずいぶん汗かいてるけど!」
 劣勢を嗅ぎとって明日菜がネギに話題を振った。
 注目を押し付けたとも言える。
「は、はい。シャワーだけでしたけど」
「えー、アスナの時みたいに千雨ちゃんと一緒に入ればいいじゃーん。あっ、もしかして一緒に入っちゃったとかー?」
「い、いえ。千雨さんとは別々に入りましたが……」
「そっかー、そりゃそうだよねー」
「なーんだ、つまんないなー」
 ケラケラと笑うまき絵と祐奈に目を回しながらネギが答える。

「あんたらねえ……」
 煽るときだけはチームワーク抜群の同級生に明日菜が呆れとともに引きつった顔をしている。ネギに話を押し付けたのはやぶ蛇だったらしい。
 正直なところ明日菜としては、ネギに対して異性めいた感情よりも、非保護者的な見方のほうがどうしても強いので、別段ネギが未だに風呂を避け続けているようなら、自分で入れてやっても別段どうとも思わない。
 ただ周りがうるさいので自重しているだけだ。

 本当に風呂に入っていないようなら自分が風呂に叩き込んでいただろうが、今回はどうやら大丈夫そうだ。
 そんなことを考えながら、一人で安心している明日菜だが、そんな彼女とは裏腹にクラスメイトたちはネギを囲んだまま騒いでいる。

 未だに父親とお風呂に入っていると噂の裕奈も、クラスメイトに追従してケタケタと笑っていた。
 アキラが笑うべきか祐奈に突っ込むべきかを悩んでいる。
 それに適当に合いの手を入れながらまき絵も笑い、刹那や古菲もそんなよくある光景を呆れながらも微笑みつつ眺め、少し離れてなんとも言えない表情のままさよと和美が座っている。

 皆でほのぼのと鍛錬の疲れを癒やしながら、そんなありきたりな何の変哲もない会話を続ける光景だった。
 そうしてそんなのどかな雰囲気のまま、彼女たちはエヴァンジェリンの試験までを和気藹々と過ごすことになる。
 余計に疲れるような騒ぎが起こらなかったのは、きっと幸運だったに違いない。

 もちろん、誰が幸運だったのかを、わざわざ語る必要はないだろう。


   ◆


 夜になり日も落ちると、さすがにネギ達の真剣味も増してくる。
 途中で千雨が合流し、さらに大所帯となった彼女らの元、ちょうど日付の変わる夜の12時に、時計台の前の広間にエヴァンジェリンが現れた。
 お供に茶々丸、そして茶々丸の腕の中にはチャチャゼロが収まっている。

「オイ御主人。コレジャ試合ガ見エネーゾ。モットイイ位置ニ座ラセロヤ」
「役立たずのくせに口うるさいやつだ」
 椅子に放り投げたチャチャゼロから文句が飛んだ。
 ハラハラとそれを見ている茶々丸とはうらはらにエヴァンジェリンは面倒くさそうな顔をしたままだ。
 ついでに随分とギャラリーが多いさまをみて、エヴァンジェリンがネギに向かって呆れた視線を送った。

「おい、そいつらはどういうつもりだ」
「す、すいません。エヴァンジェリンさん……」
「いいじゃーん、見学させてよエヴァちゃん!」
「まあちょっと責任も感じてるし、応援したいんだよねー」
 まき絵が笑いながら言う。

「ったく、呆れたやつだ。テストの意味を勘違いしてるんじゃないだろうな……」
 渋い顔でエヴァンジェリンがつぶやく。
「しかし良いのですか、マスター」
「なにがだ?」
「この試験ですが、ネギ先生が私に一撃を与える確率は戦闘における不確定要素の変動誤差を割っています。ネギ先生が合格できなければマスターとしても不本意なのでは?」
 ネギは未だにその辺りをきちんとわかっていないが、今の茶々丸は古菲とだって五分で戦えるのだ。
 エヴァンジェリンが意外性を見たいといった言葉通り、順当にいけば順当にネギが負けるだろう。

「オイ勘違するなよ茶々丸。私はほんとに弟子などいらんのだ。それに一撃当てれば合格などとは破格の条件だろう。これでダメならぼーやが悪い。いいな、お前も手を抜いたりするなよ」
「……はい、了解しました」
 そこまで言われればこれ以上どうこういえる立場ではない。
 茶々丸は素直に頷いている。

 その横で、そんな茶々丸の姿を見てチャチャゼロがニヤリと笑う。
 今の問答。茶々丸は気づかなかったが、チャチャゼロは気づいた。
 つまり今の対話の本当のところは、もしネギが茶々丸に“手を抜かせられれば”それはそれで技術として評価するという意味だ。
 茶々丸にこっそりと賄賂を渡して勝ちを見せたって、もしそれを茶々丸に了解させられるのなら良しとする、なんでもありとはそういうことだ。
 エヴァンジェリンが意外性を見たいといった言葉に嘘はない。
 千雨や自分はまだしも、ネギやこの生真面目な妹はその辺りの考えは思いつかないのだろう。
 順当に戦いを出発点として思考しているはずだ。

「さて、それではさっさと始めるか」
「はい、よろしくおねがいします。茶々丸さん。エヴァンジェリンさん」
 ぺこりと、ネギの言葉に茶々丸が頭を下げる。
 そのスポーツマンシップに則った行為が気に食わないのか、ふんと鼻をひとつ鳴らしてエヴァンジェリンが口を開く。

「ルールはいいな? 不意打ちを企んでいるようでもなさそうだし、合図ではじめだ」

 その言葉に、ゆらりとネギが重心を変え、茶々丸が戦闘用に思考リソースを振り直す。
 古菲がじっと二人を見つめる。
 チャチャゼロがそんな全員を視界に入れつつ、興味なさげな素振りを擬態する千雨を眺めていた。
 そしてエヴァンジェリンはそんな全員を意識の端で捉えつつ息を吸い

 開始

 と、一言口にして、ようやくネギ・スプリングフィールドの試験が始まった。


   ◆


 さて、ここですこし格闘を始めた二人から焦点をずらし、ネギと茶々丸の戦いを眺める長谷川千雨について考えよう。

 長谷川千雨。魔術師見習い、ネットアイドル、現役女子中学生、と現状いろいろと肩書を背負っているが、それは彼女を取り巻く環境や、その才覚から生まれた立場であって、彼女の本質を象徴するものではない。
 ルビーが旅し、千雨が関わる無限に広がる平行世界。
 そこでは千雨はほんとうの意味で魔術師であったり、契約に依存した魔法使いだったり、電子の世界を駆けまわる電賊の少女だったりするが、それと同様に、外から窺える彼女のステータスは彼女の要素であって骨子ではない。
 それらは世界の変動に影響された個人の資質からの発現、彼女の可能性と呼ばれるものだ。
 その変化の原因は人間性であったり、才能であったり、環境であったりする。
 そして、今こうしている千雨の“それ”は平行世界からの旅人であるルビーであったということになる。

 対して個人の骨子とは、絶対的に決定される人の本質というべきものである。
 無限の世界が無限の可能性を内包しないことからわかるように、人の可能性は無数ではあるが無限ではない。
 以前に相坂さよの体を作る際に、人形師に特化した平行世界へリンクして、ルビーは千雨の体を操った。
 だが同様に、千雨がゼロからさよの肉体を創造する世界があるかといえば、そんなことはありえない。そういう概念。
 そういうところを、千雨もさよもきちんと認識し、その上でさよは千雨を慕い、千雨は自分の力を過信せずに自重する。

 そして、ありえない選択肢が多くあり、変化しようのない性質が点在する曖昧なもののなか、以前にエヴァンジェリンが千雨を評価した行為があった。
 吸血鬼に襲われて、それに逆らったその意地っ張りな反骨心。
 それはどういう意味なのかといえば、つまり、彼女は自分で自分の選択を選びとったということだ。

 人から与えられ、他人から与えられ、環境から与えられる、そういう選択からではなく、自分の行動を選びとる、そんな本質。
 選択肢を与えられ、それに対して好転を願ってただひたすらに待ち続ける道を選ぶことがある。
 それはべつだん悪いことではない。べつだんおかしなことでもない。
 だがあの時の長谷川千雨は死への逃亡を決断し、それをエヴァンジェリンは評価した。

 エヴァンジェリンが評価した点は簡単なことだ。
 生か死かを行動で示されたわけじゃなく、ただ逃げ続けたり抵抗し続けたり諦めて無気になったりせずに、自分の命に見切りをつけた。
 生を諦めるのと、死へと向かって行動するのは全く別で、あの時の彼女は、逃げ続けて奇跡が起こるかもしれないという考えを破却した。
 下世話な表現をするならば、命のチップがかかった場で、なけなしの矜持と誇りのもとに、損切りを決行してみせた。

 命乞いを続けて、エヴァンジェリンが矛を収めるという考えにとらわれなかった。
 これは意外に難しい。
 爆弾に括りつけられたわけじゃない。死病に侵されていたわけじゃない。
 損を許容し好転の可能性を破棄する。そういう行為を自分の責任で行うことができるのは、本当にまれな人間なのだ。

 遥か遠くに存在する魔法世界。
 そこであってそこでない、未来であって未来でない平行世界、今ではもはや千雨くらいしか実感できないある場所で、この長谷川千雨ではない別の千雨がとある出来事に巻き込まれた。
 長谷川千雨に安全弁をもたせ、暗く深い闇の修行に潜ったものがいた。
 闇の魔術の習得に、ネギ・スプリングフィールドが魔法のスクロールに潜るそんなお話。

 その結末は何だったのか。広義で見れば修行の完遂。しかし、千雨個人に焦点を絞るならば、彼女はその修業を失敗してでも次にかけるべきだと考えた末の“失敗の許容”である。
 彼女は待ち続けようとしながらも、最後には半衝動的に、手に持ったナイフをスクロールに振り下ろした。
 謝罪の言葉を口にしながらも、その場は諦めるべきだと考えた。

 結果として修行は間に合ったが、彼女はその時、修行で得られる力よりもその場の出来事を完結させることを優先した。
 たとえ衝動だとしても、いや、衝動的だからこそ、彼女はあの場で取れと言われていた責任を、希望的観測よりも優先できた。
 そういう考え。

 それはとても希少なものだ。その衝動を生み出せる基質や、その考えを行動に転化できる力は、千雨の持つ美点の一つに違いなく――――


 ――――その一方で、それは当然ながら美点だけで語られるものではありえない。


 だってそれは彼女が信じて待ち続けることができなかったということだ。
 信じていると言いながら、本当にすべてを委ねることができないということだ。
 後を託すと言いながら、その決断を完全に肯定することができないということだ。

 エヴァンジェリンに襲われた長谷川千雨は、自分が死徒になって取り返しがつかなくなるくらいなら、と本来死ぬ必要のない場所で、自分の犬死にを選択した。
 遥か遠く、別の世界の長谷川千雨は、成功の可能性が残っているその場所で、闇の魔法に対する資格を失う方がましなのだという衝動に身を任せた。

 彼女が決断をもう一歩踏みこませていたのなら、彼女はエヴァンジェリンの前で死体になっていただろう。
 彼女の決断がもう一瞬早ければ、ネギ・スプリングフィールドは闇の魔法の習得を諦めることになっただろう。
 その失態は、たまたま周りの者に助けられ、たまたま周りの人間の才覚に救われた。
 それは時に美点であり、そして時に欠点となる。

 彼女は、失敗にさえその価値を計算せずにはいられないから。
 彼女は、常に決断の利点と欠点を思考してしまうから。
 彼女は、自分の目の前にあるものから自分の視線を外すことができないから。

 平行世界の魔女の弟子は、この世に完全な成功も、完全な失敗も存在しないことをしっている。

 そして、今この場にいる長谷川千雨。
 ネギ・スプリングフィールドの試験を見る長谷川千雨も、同じようなことを考えた。
 ここは失敗を糧にしたっていいと考えた。
 それは自分の進む道を常に一本道で思考する英雄の卵や、一度のミスが永遠の封印を意味していた、かつて弱き生物として世界を歩いた吸血鬼にはない思考だ。

 だけど千雨はまだ未熟で半人前で、当たり前のことを当たり前に考えた。
 身体強化の魔法も切れて、痛みに顔を歪ませて、転んで投げ飛ばされて吹き飛んで、明確な勝ち目も見えないまま、ボロボロの体を引きずるネギの姿を見て考えた。
 勝ち目もなく無意味に足掻くくらいなら、


 ――――もうこの試験は諦めるべきなのだ、と


 具体性のない奇跡を信じるよりも、自分が介入して無理やり事態を好転させようとするよりも、ここからネギが頑張るだろうなんて楽観よりも優先し、そんな当たり前のことを、当たり前のように考えた。



   ◆



「う、あ、あれ。ぼ、ぼく? テストは?」

 そんなことを呟きながら意識を失っていたネギが目を開ける。
 自分が気絶していたことすらも理解しないままに、まずテストの結果を問いかけるその精神。
 強くはあるが、それは痛ましさを内包する身についた条件反射。
 ネギの後頭部にあるのはやわらかなヒザの感触だ。
 そして、顔を覗きこんでいるのは、安堵した表情の“佐々木まき絵”だった。
 ヒザをかしていたまき絵が、未だ血の滲むネギの顔に痛ましそうな視線を向けながら、ネギの問いかけに答える。

「――――大丈夫。ネギくんは合格だって」

 そんな言葉を口にする。
 まき絵の言葉に、若干の安堵をしながら、ネギが状況を知ろうと顔を上げた。
 きょろきょろと誰かを探すように視線を動かし、そして、その視線が固定される。
 誰を探していたかなど明白だ。
 そんなもの長谷川千雨に決まっている。

 だがそんなネギの姿を目端に入れながらも、千雨はそれに答えることはできなかった。
 なぜかネギたちとは離れ、千雨はエヴァンジェリンの横に立っていたためだ。
 いや、正確に言うならば、

「もういいだろ。放せよ、エヴァンジェリン」

 千雨の周りに鋼糸が巻き付き、その体をエヴァンジェリンの横に縫いつけられていたためだ。
 ニヤリと笑うエヴァンジェリン。
 ゆらりと空気がかすみ、千雨が支えを失ったかのように、二三歩とたたらを踏んで解放された。
 一つ舌打ちをして、千雨がエヴァンジェリンから離れてネギのところに歩み寄る。

 ネギもまき絵も和美もさよも亜子もアキラも明日菜も、それを不思議そうにみるだけだ。
 なぜネギのところに来てあげないのかと頬をふくらませていたまき絵は気づかない。
 なぜ、試験の最中からエヴァンジェリンのそばに移動したのかを疑問に思っていた明日菜も気づかない。
 アキラも亜子も祐奈も和美も当然気づかず、そして傍観者の中でただ一人、エヴァンジェリンがとった行為を認識できてはいた相坂さよも、エヴァンジェリンが長谷川千雨の影を縫い止めていたその理由はわからない。

 そしてエヴァンジェリンから解放された千雨は ネギに駆け寄るべきか、それともそこにとどまるべきかを思考して、結局どっちつかずにのろのろとネギに歩み寄って、結局みんなの輪の中に入ることなく、試験が合格したことについての祝いを述べる。
 それで堰が切られたのか、他の者達もネギの奮闘をたたえだし、騒ぐ皆にその違和は埋没し、そしてその場は終わってしまった。

 そう、だって別段そんな疑問は別に重要ではないからだ。
 いまは、ネギが試験に受かったことを喜ぶべきだ。
 受かりそうもなく、茶々丸に負けそうだったネギが逆転勝利を収めたことを喜ぶべきだ。
 そう、ボロボロだったネギの姿。


 それに我慢できず飛び出そうとした明日菜とそれをとめたまき絵の行動。


 それに驚いた茶々丸の隙を突いてのネギの一撃と、それをもって終了としたこの試験。
 それをまずは喜ぶべきだ。
 なぜ、あんなところで千雨がポツリと立ち止まっているのかはわからなくても、まずは応援していた身としてネギのことを喜ぼう。
 この試験の顛末を見ていたものたちは、そんなふうに考えた。


   ◆


 舞台裏がどうであろうと、結果としてネギ・スプリングフィールドはエヴァンジェリンの試験に合格した。
 ボロボロになって、その上で、ひたすらもがき続け、絡繰茶々丸が外野の騒動に気を取られた隙に一撃を与えた。
 それを許可証としてエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに認められた。
 ネギは合格し、そしてその横でそれを見学していた者たちがいて、喜ぶ者達の中、長谷川千雨は頬をポリポリとかきながらどうにも所在なさ気な顔をしたままだ。

 そう、千雨は試験の停止を議論しにエヴァンジェリンに歩み寄り、そこで影を縫いとめられて、すべてを傍観することを強要された。
 彼女は結局ネギの試験に横槍を入れず、そして、妨害にも好転にも関与せず、もちろん合格の切っ掛けにすらならなかった。

 合格のきっかけは、明日菜が飛び出そうとしてまき絵に止められたことだった。
 実際には千雨だって行動した。
 思考の揺れが行動の停滞を引き起こさないように訓練された魔術師見習い。
 千雨は、暴力が嫌いな大河内アキラが耐え切れなくなるより早く、明日菜が同居人のガキがぼろぼろになるのに耐えられなくなったその時よりも更に早く、エヴァンジェリンがガキの意地っぱりに呆れから制止を入れるよりもよほど早くに、エヴァンジェリンに対して口を挟もうと行動した。
 だが、それは衝動ではなく、理性によって制御された行動だった。

 衝動とは限界を超えて起こるものだが、洞察から導く行動は思考を経てからのものである。
 魔術師である彼女は衝動に突き動かされても、衝動から動くようなことはしなかった。
 単純に、冷静に、試験の進行を判断して、ネギのざまを見て、もう終わりだと考えて、なぜ止めないのかをエヴァンジェリンに問いただしに向かっていた。
 他の者達がネギと茶々丸の戦いに気を取られていた合間に、千雨はそんなことを行っていた。

 だって試験が始まり、ネギがカウンターの一撃をかわされて、三度の攻防を繰り返したあとは、ネギはただ絡繰茶々丸になぶられるだけになっていた。
 それを見た千雨はエヴァンジェリンにもうやめさせるべきだと進言し、エヴァンジェリンは、こちらからやめさせればそれはエヴァンジェリンたちの敗北であると回答して、千雨の動きを封じてしまった。
 そして、そんな問答を千雨とエヴァンジェリンが行っている横で、事態は動き、千雨をおいて終了してしまったわけだ。


   ◆


 目の前で騒ぐクラスメート。
 はあ、と千雨が息を吐く。
 千雨は、さっさとあきらめるべきだと考えた。
 だってもう無理だったのだ。頑張ってそれに結果がついてくるのは努力を評価するやつが裁定しているときだけだ。

 エヴァンジェリンが勝利か敗北かで線引きをしていた以上、あそこで意地を張っても意味はないはずだったのだ。
 どれだけ意地を張ろうとも、それはあきらめを嫌って敗北から逃げているだけで勝利に近づこうとしているわけじゃない。
 殺し合いならいいだろう。
 だが、ゼロか1かを判断する試験で怪我をして何になる。そんなの無駄だ。意味がない。

 だって、エヴァンジェリン・マクダウェルが努力賞を与えることはありえない。
 もう望みがなくなった以上、ここで意地を張ることに意味は無い。
 そりゃあ最初の一撃でさっさと諦めてそれで終わりとしたのなら、それは不甲斐ないと言われるだろう。
 エヴァンジェリンの心象を悪くすることだろう。

 でも、そんな動機を持ったままにあがいてみれば、やはりそれは不快な印象を受けずにはいられない。
 そんなくだらない思考を混ぜずに、自分の目的を諦めずに邁進できるネギの愚かな頑固さは、千雨の小賢しい聡明さよりもよほど良いものということか?
 それは自分の師匠だろうと解答できない問いだろう。

 だけどまあ、と再度のため息。
 いくらなんでもあいつらまとめて純粋すぎる。
 別段今までおかしいと思っていなかったはずなのに、相対価で言えば今の自分はクズすぎだ。

 いや、たとえそうだとしても、こんな煩悶など、ただの潔癖症とでも流せればよかったのだ。
 そして、結果としてネギが失敗でもしていれば、こうして試験が終わったあとに、千雨がここまで苦々しい顔をすることはなかっただろう。

 しかし、結果として、まき絵がネギを信じ続けたことで“奇跡”が起こった。

 ルビーの弟子が前提とする思考を、真っ向から否定するその結末。
 最悪を考慮して最善を選択肢から省くような、千雨の考え方を覆すこの結果。
 苦々しい顔をゆるめ、忸怩たる思いを飲み込んで、なんとまあなさけない、と千雨はまたひとつため息を吐く。
 さきほどからのぐるぐる回る自分の思考とその答え。
 どうやら自分は、この結果を導いた明日菜とまき絵に、身の程知らずにも“嫉妬”をしてしまったらしい。

 そんなことを考えてから、千雨は自分の思考にあらためて呆れ返った。
 さすがにちょいとばかり無様すぎたためである。


   ◆


「ふん、茶々丸の負けだな。ぼーや、約束通り稽古はつけてやる。いつでも小屋にきな」

 自己嫌悪と自分のアホさに自爆して凹んでいた千雨が、その評定を横目で見る。
 面白いものを見たといった顔をわずかに覗かせるエヴァンジェリン。
 以前に見たことがある顔だ。あれはいつだっただろうか。

「ああ、それとな、格闘に関しての都合は私のほうが合わせてやるから、そのカンフーの修行は続けておけ。どのみち体術は必要だしな」

 そんな言葉を聞いているのか、いないのか。喜びの声を上げるネギに群がるクラスメイト。
 ネギもそれに囲まれていた。
 ボロボロの体を休ませたいところだろうが、希望がかなって単純に喜んでいるのだろう。

 そして、すこし離れた場所にいる千雨には、かわりにエヴァンジェリンが近づいてきた。
 無言でいる長谷川千雨。
 彼女が考えているのは、自分の間抜けさだ。
 ネギを信じた佐々木まき絵。その優しさから奇跡を引き起こした神楽坂。
 ここまではっきりと示されるとは思わなかった。でも自分はダメなのだ。絶対的にだめならば足掻くよりも、さっさと事後策に思考が回る。回ってしまう。
 合理性とはそういうことだ。
 だけど人は数式では思考しない。
 未来は計算じゃ測れない。

 自分では絶対に導けなかったであろうこの結末。
 グルグルと思考を回しながら、だんだん本気で凹み始めた千雨に向かってエヴァンジェリンが口を開く。

「拗ねるなよ、みっともない」
「うるさいな。自覚してるよ」

 反射的に言い返して、千雨がネギをちらりと見る。
 クラスメイトと喜び合っているその姿。
 それに素直に混じれないあたり、自分の愚かさも底なしだ。

「ここで憎まれ口が返せるなら、まだ大丈夫か。まあ、お前のような思考が良い結果を生む場合だってあるだろう」
「慰めかよ、似合わねえな」
「そうだな。だが、へたれた女へのくだらん慰めではあるが、嘘でもないさ。坊やが合格したサービスだ。わたしから軽く教導をしてやろう」

 普通に沈んでいる千雨を慮ったのか、エヴァンジェリンが言葉を続ける。
 ルビーと同格の吸血鬼。
 必要ないと一蹴するにはこの女の肩書はごつすぎだ。
 無言でいる千雨に構わずエヴァンジェリンは言葉を続ける。

「以前の戦いで、坊やはお前の力で私に対して立ち向かったが、あれはお前だけの力で戦ったわけでもない。ネギ・スプリングフィールドはお前が思っているより優秀で、お前はお前が思っているより坊やに対して依存している」
「…………」
 ますます落ち込んでいく千雨に気遣ったのか、エヴァンジェリンがポリポリと頬を掻いた。

「まあ、これはお前だけの責任でもないだろうが、共依存は二人分の力を一人にまとめてしまうものであって、互いを高め合うものではない。あのガキは浮かれて気づいていないようだがな。だからお前に忠告しただろう。耽溺して溺れるとろくな事にならないと」
 ちらりと視線をワイワイと騒いでいる輩に向ける。
 千雨は以前の忠告を思い出していた。
 忠告なんてのは間に合わなくなってから実感するものではあるが、それにしたって適当に聞き流しすぎていたようだ。

「マギステル・マギを象徴する二人組の石像は背中合わせであって、お互いに抱き合っている姿では決してない。その理由をいう必要はもちろんあるまい?」
 そういってエヴァンジェリンがかすかに笑った。
「互いを窺えない背中合わせで相手を信じることこそが、本当のパートナーだというつまらん話だ。だがお前と坊やでは、そのつまらん話さえ、まだ先は長そうだな」
 そう。つまりただそういうことなのだ。
 お互いに好きあって、お互いに補いあった。だが、ネギは千雨を失うようなことがあれば、現実を受け止めきれないだろう。千雨はネギが離れれば、現状よりさらに深く魔術の闇に埋没して生きることになるだろう。
 それはそれで構わない。だが、それを理解していないのはやはり問題なのだ。
 千雨がへこむのは、単純に、ネギに対して自分の立ち位置を若干見失い気味だったためである。

 ぐうの音も出ないほどやり込められた千雨が、ネギたちから声をかけられ、その場を取り繕って合流する。
 ここまでへこんでいながら、表面上とはいえ取り繕うおうと行動できることこそが、ルビーが千雨に見た彼女の困りごとなのだが、これは治せるものでもないだろう。
 そんなクラスメイトを尻目に、もうできることはないだろうと帰ることにしたエヴァンジェリンが、輪に混ざる千雨の後ろ姿を見て嘆息した。

「……すこし危うい」

 そうつぶやく。
 どうしたら良いのわからないような顔のまま、ネギの周りに集まるクラスメイトに混じった千雨の姿。
 やり過ぎたとは思わんが、あの娘は頑固で意地を張るくせに危なっかしい。
 どうにも危なっかしく見える割に、要所の判断を間違えないネギがいるからこそ、気づかれないその特性。

 なるほど、と呆れながらエヴァンジェリンが、意識朦朧ではあるが微笑みながら治療を受けるネギを見る。
 自分の試験に合格した魔法使いの見習いであるその姿。
 やつは思ったよりも根性を見せ、そしてテストにはきちんと合格した。
 スパンと一撃を決めて合格するよりよほど好みであるし、最終的に合格をもぎ取っているのだから文句のつけようもないだろう。

「…………ふん、あいつらには一度確かめさせてやるべきだろうな、これは」
「マスター?」
「なんでもないよ。どのみち説教で治るものじゃないしな。さて、一体どうしたものか……」

 長谷川千雨とネギ・スプリングフィールド。
 探求者の末裔と、英雄を父に持つ青二才。
 見習い魔術師と偉大なる魔法使いの候補生。

 この二人。表面だけ見て判断していたが、メッキが剥がれて魂の地金が見えた時、それがいまだ未熟なのは千雨の方だ。



―――――


千雨自己嫌悪編。
原作の闇の修行編は完全にヒロインだったと思います。
次回は日常編になる予定です。




[14323] 第31話
Name: SK◆eceee5e8 ID:9aa6d564
Date: 2015/05/16 22:23
 女子寮のとある部屋の中。
 明かりを付けずに薄暗い中で、千雨の手が手入れの行き届いた白い肌の上を滑った。
 何かを確かめるようなその動きは、もちろん傷跡が残っていないことを確認するためのものだ。

 修学旅行での騒動を経た末に、そこには様々なものが残り、奪われていったが、これもそのうちの一つである。
 傷が残り、行動を縛り、彼女はそれが癒えるのを待っていた。
 長谷川千雨は傷を心配する者たちをだましだましに快癒を待って、ようやくそれが果たされた。

「…………治ったかな。もうちょっとかかるかと思ってたけど」

 千雨の呟きが部屋に響く。
 じっと傷跡があった場所を見つめている。
 千雨はもう一度傷が治りきっていることを、改めて確かめてから微笑んだ。

 それは修学旅行で起こった取るに足らない小さな問題。
 クラスメイトにばれないように絆創膏でだましだまし、ファンデーションで誤魔化し誤魔化し、怪我があることを隠し続けた、ドンパチの末に負った擦過傷。
 ネギのサポートもあってかもう傷は癒えている。

 当然ながら、それは修学旅行で大怪我を負った相坂さよのものではなく、
 当然ながら、女子中学生が、自分の負った怪我に無頓着なんてことは有り得なく、
 当然ながら、部屋の中には自分の肌を眺めながらの千雨が一人。

 そしてもちろん、それを千雨がこっそりと確かめている理由はただひとつ。
 誰にも見られないように暗く閉じこもった寮の部屋。
 誰にも見せないよう閉じこもり、それ以外の皆に見せつけるための設備の揃った千雨の私室。
 千雨は自分の怪我が治っていることを確認すると、

「うん。それじゃ――――」

 暗い部屋の中で立ち上がる。
 暗い部屋に、照明に、レフ板に、
 レオタード風のインナーに、ブラックのフリルがついた小さなシャツと頭の上に耳をつけ、厚い布地に装飾過多のスカートをくるりと巻けば、そこに立ってカメラに微笑むのはすでに千雨ではなく、ネットアイドルちうである。
 ふわりと身を翻す彼女に引っ張られたスカートが浮き上がり、
 そして


「オッハロー! みんな元気ー?(*・∀・*)」


 ニッコリと、クラスメイトやネギにさえそうそう見せない笑顔を作る。
 久しぶりの趣味のこと。日記の更新はしていたけれど、サイトの本分を忘れてしまえば、今まで培ってきた影響力も薄れてしまう。
 だから、千雨は自分を待っているファンのため、当然の責務を全うしようと衣装に身を包んだままに、くるりとカメラの前に振り返りながら笑顔を見せて、

「ちょっと最近新作が遅れちゃってゴッメンネー(>△<。) かわりに今日の新作は張り切っちゃったから みんなー 今日もよろし――――」

 その瞬間、バタンと部屋のドアが開かれて、


「おい、千雨。ネギとさよについて昨日のことでちょっと話があっいやわたしはちょっと用事が出来たからあと30分ほどしてまたくるからそれではな」


 次の瞬間、バタンと部屋のドアが閉じられた。

「――――くだぴょん…………」

 千雨は泣いた。



第31話



「――ありがとうございました」

 と、店員の声を背中に、買ったばかりの品をしまい込みながら長谷川千雨が店を出る。
 自分の事情が入っているものなので、かなりの店をはしごすることになったが、それなりに満足の行くものが買えた。

 先の悲劇的な事故からすでにもう数時間。
 なんとか立ち直ったらしい千雨が、さんさんと照りつける5月の太陽の中、一人で買い物にでかけている。

 もちろんこれは、いつものコスプレ関係のものではない。
 というより午前中の出来事を無視して、ネトア関係の趣味物を買いに走れるほど、長谷川千雨は豪胆ではない。
 これは趣味というより義務のもの。
 すでにバッグの中にしまわれている片手で隠れるほどの箱に入ったそれは、落としたら泣くに泣けない高級品。
 宝石の裸石なのだ。

 ルビーがいなくなったために、以前から考えてた裸石の入手を決行しているわけだが、別段ご禁制のものでもないので、普通に商店まわりをしただけだ。
 ただ、目利きの自信が安定していなかったのと、価格にビビって保留していただけである。
 ツテや経験がなかったので行くタイミングを逃していたが、部屋にこもっていると延々暗い思考を続けそうになっていたので、外に出てきた。
 衝動的な行動は、マイナスの精神状態からも発生するのだ。

 ちなみに今回購入した宝石は通常のストックではなく、それは、ルビーの秘儀を受け継ぐためのかなり大きな宝石である。
 単純な宝石のストックならまだそこそこに残っているが、これは千雨が自分を魔術師として保つための意志の象徴。
 ルビーがただひとつの宝石を媒体に、自らを旅させていたように、今はルビーの形見となった宝石と対をなすためのガーネット。
 でかくて値もはるわりに、指輪でもネックレスでもない裸石。
 ちなみに価格は6桁に届いている。

 原石で宝石を買おうとするなんてのは、だいたい鉱物コレクターか、加工先にコネのある人間くらいのものだろう。
 すくなくとも千雨のような年若い学生が買うものではない。
 店に入った時の場違い感もひどかったが、購入後の訝しげな視線はあまり体験したいものではなかった。
 三つ編みに制服で来るようなことはしていないし、身分証が必要なわけでもないが、自分は雪広のように気品やオーラでごまかしたり、長瀬や龍宮のように見た目で誤魔化すのも難しい。
 店の格にあった礼儀を重んじる丁寧な対応であったが、それでもその感情が漏れてくるほどに、一人で宝石を買物する姿には違和感があったようだ。
 自分のようなのが、いったいなんのために買うのかと勘ぐられたに違いない。

 だがまあ、その程度の視線など実害がないなら大して問題でもないだろう。
 だってつい数時間ほど前なんて―――

 と、またぞろ精神にダメージを負いそうになった千雨が、空に上った太陽の光を浴びつつ、精神の安定をはかりながら、頭を振って気持ちを切り替えた。
 時計を見ればすでに昼過ぎ。
 午前中に部屋に現れたエヴァンジェリンたちによって与えられた精神的なダメージもそろそろ癒えてきている。
 すでに正午を回っているし、そろそろどこかで昼食でもとるとしよう。

 天気のいい麻帆良から離れた郊外の街の中。
 そんなことを考えながら、千雨が店の外であたりを見回す。
 あまり立ち寄らない区画ということもあり、正確な地図が頭にあるわけではないので、適当に歩きながら食事処を探すことにした。

「さて、それじゃ適当にお昼でも――――」

 まずは駅前にでも行ってみるかと足を向け、そしてそのまま視線を動かした千雨が少しだけ目を見開く。
 そして、そのまま歩みを反転して逆方向に早足で戻り始めようとした。
 もちろん嫌な予感から逃げようとしたらしい千雨だが、残念ながら失敗だ。
 背中から声がかかり、強制的に足が止まる。

「やっ、ちうちゃん、奇遇だねえ」

 ぐぐ、と唸りながらこのまま走って逃げようかとも思いつつ、なんだかんだと人の干渉を無碍にできないお人好し。
 この辺りでも対人経験値の足りなさを悔やむところだが、そんな内面の葛藤に悩まされている千雨に軽々と追い付いたクラスメイトがそのまま千雨の肩を叩く。
 意外そうな顔を見せている朝倉和美。

「朝倉か」
「朝倉かっていい方はないでしょ。何してんの?」
「買い出しだよ。お前は用事あるんじゃないのか? わたしのことは放って置いていいぞ」
「あはは、そう邪険にしないでよ。まっ、わたしは一応報道部のエースだからね」
「取材かなんかか?」
「んーん。後輩に連絡取って聞き込みしたら、ちうちゃんらしき子がここの駅で降りたって情報をもらったからさ」
「意図的じゃねえか!」

 なにが奇遇だ、このやろう。
 報道部ははチンケな街中情報誌や食べ歩きマップよりよほど上等な情報を提供するとあって、その中でも自分自身で言うようにエースを張る朝倉和美の行動範囲は意外に広い。
 だがそれを踏まえても、和美が奇遇だと口にしたのは、おそらくこの場が関係している。
 ブティックや画廊が並ぶ高級区画。
 雪広あやかあたりならまただしも、千雨がいるのはなじまない。

「ちうちゃんは買い物? ……ちうちゃんが寄ってたのって、あのお店?」

 和美の視線の先にあるのは、千雨が出てきた宝石店。
 ビルの片隅に賃貸営業しているようなチンケな店ではない。アーケードの一角に店舗を構えるそこは、ウィンドウショッピングなどが気軽できるような店ではない。
 本当の目的でもなければ、足を踏み入れることすら憚られるだろう。
 だが、和美の言葉には半ば以上の確信があった。
 店のロゴが付いた買い物袋をぶら下げるほど抜けてはいないが、歩調を読まれたらしい。
 変なところで芸達者なやつだ。

「へー、なに? ネギくんとの婚約指輪でも買ってたの?」
「…………」

 にまりと和美が微笑みながら言った。
 こういうところで適当なアオリを入れるさまは、まさに3-Aのメンバーであるが、これで自分が本当に頷いたらこいつは一体どうする気なのだろうか。
 いや、もちろん婚約指輪などを買うつもりはないのであるが。
 と、そんな無駄な思考を回して口を閉じていた千雨に和美が目を丸くする。

「え、えっ? ウソ、ごめんっ。 もしかしてまじだったりするの? うわー、やばいコト聞いちゃったわ。秘密にするって約束するから――――」

 とまあ、からかいがド本命をヒットすると罪悪感を感じてくれる当たり善人ではあるのだろう。
 普通に動揺しているらしい。
 そのくせ、こいつは面白そうなネタには首を突っ込まずにはいられないのだ。
 こういうところは無難にこなしそうなやつだと思っていたが、意外なことに勝手に自爆している。

「んなわけねえだろ。勘ぐってんじゃねえよ。買ったのは本当に私用のもんだ」
「あっ、そ、そうだよねー。いや~びっくりしちゃったよ-」

 助け舟代わりに説明する。
 あははと、冷や汗を流しながら和美が笑った。

「でも、私物で宝石なんて買ってるの? やっぱ意外におしゃれにも気を使ってたり?」
「そもそもこれは装飾品じゃないよ」
「ふーん。…………まあ、それは置いておいてあげるけどさ。えっとね、ちうちゃん」
「なんだ?」

 千雨はネックレスもブレスレットも指輪もピアスも装飾品はつけていない。
 つけるのはコスプレをするときくらいである。
 聞きたそうな雰囲気ではあったが、話題を変えてくれるらしい。 
 追求のセリフは来なかった。
 千雨の表情を読んだのか、ここでじゃあなにを買ったのかと追撃をしてこない選択肢を選べるあたりがこいつの数少ない美徳だ。
 
「あのね、朝方さよちゃんにあったんだけどさ」
「…………ああそう」

 訂正しよう。
 あまり美徳には思えなくなってきた。
 代わりにあまり楽しくない話題を降ってきた和美に内心愚痴る。
 心に傷を追った朝の出来事が頭のなかに浮かび上がるが、なんとか平静を保ったまま返事ができた。

「今日ネギくんのところに結構たくさん集まっててさ。やっぱ昨日の件で結構怪我しちゃってたみたいだし。で、わたしはそこそこで帰っちゃったんだけど、途中でさよちゃんに会ってね。ネギくんところに行く途中だって。ちうちゃんはいなかったけど」
「…………まあな」
「ちうちゃん結局今日はネギくんのところにいってないよね? なんで来なかったのか聞いていい?」
「逆だ。人が集まってそうだから行かなかったんだよ。他のやつもいそうだしな。それに昨日のことは、あいつになに言っていいかわからん」

 説明ついでに、ぽろりと千雨の口から本音が漏れた。
 昨日の夜にネギの姿を見て、現実逃避気味に朝方から趣味に走っていた千雨であるが、若干反省しているらしい。 
 ついでにいえば千雨は雑多な人混みを苦手とする。知り合いだろうと、多数の人間が集まる場は基本的に遠慮したい。

「へえ、なんか倦怠期のカップルみたいなセリフだね」
「なんだそれ」
「いやー、なんか表情と雰囲気がさ。どう、悩み相談ならのろうか?」
「お前、自分の評判を聞いたことがないのか、報道部」
「へっ?」

 きょとんと和美が目を丸くした。
 そんなことを言われるとは思っていなかったようだ。
 和美はとくに気負いもせずにカラカラと笑った。

「あはは、報道部としてじゃなくて、友達としてだよ。修学旅行の時に言ったじゃん、友だちになろうってさ」
 はっ? と一瞬虚を疲れたように言葉に詰まり、千雨の顔が赤くなる。
 ムズムズとした感情が湧き上がり、千雨は思わずうつむいた。
 打算も何もない、言葉通りの友人同士で行うようなあっけらかんとした態度をサラリと出せる同級生。
 くそう、こいつずるくないか?

 修学旅行において魔法関係の記憶を奪ったけれど、それは修学旅行がまるまるなくなったわけではない。
 思い返せば修学旅行の初日に、長谷川千雨はそんなことを口にされた。
 ほかの皆だって、金閣寺を見物し、清水寺を観光し、大仏殿の柱の穴に挑戦し、それをちゃんと覚えている。
 しかも、こいつは修学旅行中にさよとも友人になったらしく、かなり頻繁に連絡を取り合っている。

「そういえば、今日もさよちゃんにはふられちゃってさあ。さよちゃんはネギくんのところからはすぐ帰っちゃったし、ここに来る前もさよちゃんに電話してみたけど、つながらなかったんだよね」
「知ってる。エヴァンジェリンのところに行ってるんだろ。あいつんちは地下室あるしな。電源切ってるんじゃなくて普通に電波が届かないってだけだと思うぞ」
「ああそうか。修業ってのに付き合ってるのはわかるけど、地下室でやるんだね。古ちゃんみたいに外でやるもんだと思ってたよ」

 和美が頷く。
 そして、ふと千雨に問いかけた。

「そういやちうちゃん詳しいね。ネギ先生のところには寄ってないっていってたのに」
「ああ、さよはエヴァンジェリンと一緒に今日の朝方、私の部屋に来ていたからな」



   ◆



「――――さて千雨。壮健そうで何よりだ。お前結構図太いな」

 きっかり30分後に再度千雨の部屋を尋ねたエヴァンジェリンは開口一番そんなことを口にした。
 なかったことにしてくれる気はないようだ。こいつはなんのために、時間を置いていたのだろうか。
 だが、エヴァンジェリンとしても、少々気になっていた千雨の様子見ついでに足を運んだ身としてあのざまでは肩すかしすぎる。
 泣きはらした目であらわれるほど可愛らしいやつだとは思っていないが、なぜフリルのついたスカート姿で出迎えられなくてはいけないのだ。
 ちなみに、エヴァンジェリンの隣には、いつものように茶々丸と相坂さよの二人がいた。というかさきほどの件もバッチリみられている。

「別にいいだろ。こいつらにはお前の性癖はバレてるわけだし」
「性癖とか言うなてめえ!」
「いえ、千雨さんっ、髪を下ろしたお姿も素敵です! 先ほどの格好もお似合いでしたよ!」
「あれは先日日記で予告していた新作の衣装ですね。わたしも楽しみにしておりました」

 飛びかかろうとした千雨を止めながら、フォロに-なっていないフォローをするさよと茶々丸にぎりぎりと歯を鳴らす。
 ちなみにここで一番の正答は、いうまでもなく褒め言葉ではなく無視である。
 よほど叩き出してやろうかとも思ったが、いろいろとした問題でそれはムリだろう。
 エヴァンジェリンへの怒りを抑えて、しぶしぶと招き入れる。

「ったく。はあ、まあいいや。入れよ。用があったんだろ。お茶でも入れるよ」
「あっ、千雨さん。ここはわたしが。今日は修学旅行土産のお茶請けを持参しております」
「…………うん。まあ、ありがと」

 お茶を入れにいって時間を稼ごうかと思ったが、茶々丸が申し出たために断念する。
 本来はエヴァンジェリンへのお土産だったものだろう。彼女が旅行の後半から合流したために、ストックがそこそこにあるらしい。
 洋風で揃えたエヴァンジェリン邸で振る舞われるのは主に紅茶だが、茶々丸のマスターであるエヴァンジェリンは茶道部に入っているため、日本茶にもなかなか詳しい。

 ちなみに千雨も定番のお茶請けを幾つか土産物として購入しているが、それらは別段配ったりも自分で食べたりもせず、実家の方へ送ってしまっている。
 その関係ですこし千雨からもさよたちには話があったのだが、気力値が下に振りきれている現状と、別段急いでいる話でもないということもあり、千雨はとくに自分から話を振ったりもせず沈黙したままだ。

 そして、茶々丸がお茶を振る舞う。
 お茶を飲んでゆっくりと人心地を付けるような雰囲気でもなかったが、一応刺々しい千雨の雰囲気は収まった。

「で、なんのようなんだよ。アポ無しで突撃してきやがって」
「坊やが正式に弟子入りしたからな。そのことでお前と話を詰めておこうかと考えた。お前は昨日は話せるような雰囲気じゃなかったしな」
 一応の冷静さを取り戻した千雨が話を振ると、あっさりと真面目な返答が戻ってきた。

「ネギの件か?」
「正確に言えばさよの件だ。坊やの修行の間はどうするかと思ってな。同席させてもいいが、わたしはちまちまと坊やに修行をさせる気はない。“あちら”を使う気だ」

 首を傾げる千雨にエヴァンジェリンが言った。
 ちなみに“あちら”というのはもちろん時間を歪めるエヴァンジェリンの秘蔵の施設。エヴァンジェリン・リゾートのことだろう。

「ああ、そういやそんなのあったな」
「うむ。場所見せと対価の取引をまとめるためにも、この後帰りにネギを連れ帰ろうかと思っている。今日は坊やだけでも良いが、修行中は茶々丸とチャチャゼロも連れて行くぞ」

 エヴァンジェリン邸に住むさよ以外のメンバーである。
 さよが一人になるのを気にしているようだ。
 あいも変わらずさよのことには過保護な吸血鬼に千雨がジト目を向けた。その気遣いをこちらに分けてほしい。
 さよがエヴァンジェリンと千雨の間で視線を揺らしている。

「ええっと…………どうしたほうがいいでしょうか?」
「さよはわたしの弟子だからな。入るのはやっぱりやめといたほうがいい気もするけど……。でもまあ、あそこに入るなってのも、ルビーのいない今となっては、ただのゲン担ぎみたいなもんだから……うーん。さよはどうしたい?」
「やっぱり一度みてみたい気もしますけど、そこまでこだわりがあるわけでもありません。それに千雨さんと一緒でなければ、わたしのほうは一日が伸びても修行ができませんから、むしろ中に入ったほうが時間が空いてしまいます。それに外から見れば一時間か二時間ですよね。外で待ってましょうか? それでも別に構いませんけど」

 宿題を持ち込んで勉強をする手もあるが、さよの言葉通り、そこまでしてスキルアップを図ろうとする意志は千雨やさよにはない。
 外で待つのだって、まる一日と言われたならもう少し悩んだだろうが、外面時間は一時間。精々が本を呼んで電話をして料理の一つでも作っていれば終わる時間だ。
 あっさりとさよが妥協案を口にする。

「それが妥当かねえ。一回くらい経験積むために入っておくのはいいかもしれないけど、入り浸るのはやっぱり辞めたほうがいいだろうな」
「まあ坊やの修行はそこそこ長く続けるつもりだから、入りたくなったら入ればいい。さよも、千雨もな。中に道具くらいなら用意しておいてやるよ」
「いつか頼むかもしれないけど、わたしのほうは当面その予定はないよ」

 千雨が答える。
 一度中を見るために入るくらいはありえても、中で魔術の儀式をするということはあるまい。
 そもそもこの程度の話し合いで心変わりをするのならば、さよの腕を治すのに使っていただろう。
 彼女の腕は魔法の治療もエヴァンジェリン・リゾートの使用も拒否した代償として、未だにつながってはいないのだ。
 千雨の思考をとらえたのか、エヴァンジェリンが話題を変えた。

「そういえば、さよの腕なのだがな」
「そろそろ治るよ。言ってなかったっけ?」
「いや、そちらではなくごまかしの方だ。怪我ということにしているが、お前魔術で認識をずらしているだろ」
「なにかまずいのか?」

 さよの腕は隠すように三角巾で吊っているが、転んでほどけたところに人形の腕が出てくればさすがにまずい。
 それでなくても接続もされていない人工物である腕は、硬さや動きの違和感から逃れられないのだ。
 保険の意味も込めた阻害の魔術は修学旅行中からかけ続けている。

「あれは注意をずらしているだけだからな。魔法の人よけに類似している面もあるし、そこそこ腕の立つ連中には気づかれる。さよはもともと立場が微妙だし、一度学園に顔見せをした方がいいという話が出ているぞ。実は今日はそれを伝えに来たってのもある」
「……だれから?」
「ジジイからだ」
「学園長? ……そんな話してるのか」

 自分のことがでかい話題になって学園内で議論されていることを改めて言われると、覚悟をしていてもそこそこビビる。
 もともと侵入者用の結界管理などを任されている上に、学園長とは個人的な知己であるエヴァンジェリンだ。意外に情報通らしい。
 自分のこと以外はからっきしの千雨とは偉い違いだ。今までそういう方面をルビーに任せっきりにしたつけが出始めた。

「お前らの話はあのタヌキ爺のほかだとタカミチと修学旅行についてきた幾名か、それくらいしか正確には伝わっていないからな。バレる前に情報を小出しして学園内に浸透させておきたいんだろう」
「そうなのか? いや、そう考えれば、わたしのことって意外に回っていないのか?」
「お前らどころか坊やのことでさえ、別段特別に通達されているというわけではない。女子中等部に直接関係しない輩には、教職組の魔法使いにさえ正式な形ではまわっていないだろう。この学園の魔法使いは、学園内では人助けとやらにしか魔法は使わんからな。侵入者もわたしが結界探知を兼任しているから大事にはならんし、不審者対策なんてのも基本は祭り事の時だけで、学園内の魔法使いの役割は、対敵索敵用の見回りというより、単純な巡回程度がおおいんだよ」

 身内事の情報交換と、任務遂行における情報連絡は別物だ。
 侵入者関係はあまり意識していなかったが、そういえばカモの時にはこいつが出張っていたのだったかと、千雨が以前のことを少し思い返した。
 同時にこの学園の体制についても若干の誤解があったらしい。

 学園内で誰かが困ったときに現れる魔法少女の魔法オヤジ。そういう噂の元を推測するに、対侵入者用の結界なんてものを管理するエヴァンジェリンのほうが特別なのだろう。
 魔法には関係しない鬼の新田先生あたりのほうが、単純な生徒事情に詳しいということは当然あり得る。

「だがまあ、ずっと無視するわけにもいかなくなったのだろう。お前は少し目立ちぎたしな。連絡が来ることを覚悟しておくことだ。顔見せ程度だとは思うが、お前には意外に厄介なコブが付いているからな」
「どちらかといえば、わたしがネギについたコブだって思われてんじゃないのか?」

 はあ、と陰鬱につぶやく千雨をエヴァンジェリンが意地悪く笑った。
 おそらくだが、千雨の問題をネギの面通しと同時に解消しようという案なのだろう。
 学園内の事情からみても学園外の事情からみても、自分がネギよりも優先されることは有り得ない。
 ネギは自分のようなぽっと出と違って学園に来た瞬間から注目されていたはずである。
 だがまあどちらにしろ、どう考えても平穏な結末では終わらなそうだと、千雨が頭を掻いた。
 変に話を広めないよう、言葉を選んで返答する。

「できればさよの腕が治ってゴタゴタが終わってからにしてほしいな。あんまり魔術のことで突っ込まれたくないし、変に干渉されて動きに制限をかけられるのは面倒そうだ」
「学園の魔法使いさんですかあ。結構うわさにはなっていますよね。魔法少女とか魔法おじさんとかが」

 さよはもぐもぐと団子を口に運びながら、千雨とエヴァンジェリンの話を興味深そうに聞いている。
 自分も魔術師ではあるし、バレるのはいけないというのも千雨から聞いているが、だからどう動けばいいのかと言われるといまいちピンとくるものがない。
 そんなさよの様子に毒気を抜かれたのか、まあいいかと、千雨も問題を棚上げすることにした。

「まあわかったよ。覚悟はしとく。ほかにはなにかあるか?」
「ん…………よし。そうだな、では、一つ」

 面倒な話は終わらせておこうと千雨が話を振った。
 ちなみにこういう時、彼女はたいてい墓穴を掘る。
 ルビーなら、そういう呪いの血統なのだと断言してくれるだろう。

 そしてそんな彼女の目の前にいるのは、長年の麻帆良ぐらしがこじれて大抵の暇つぶしに手を出し尽くした吸血鬼。
 部屋には趣味が講じたアンティークドールが飾ってあるし、新作のテレビゲームはだいたいチェックをしている。
 彼女は暇つぶしのネタを前に相手を慮って見逃すようなことはない。
 だから、今回も例に漏れずエヴァンジェリンがニヤリと笑った。

「さっきのお前の衣装だがな、わたしもお前の服をコーディネートしてやろう」

 こいつはいきなりなにを言ってるのだろうか。
 さっそく後悔しはじめた千雨とは裏腹に、何故かずっと期待していたらしい茶々丸がエヴァンジェリンの後ろで立ち上がる。
 なんてこったと千雨がため息を付いてもきっとバチは当たらないだろう。


   ◆


「さよちゃんはエヴァちゃんや茶々丸さんと仲いいもんねえ。食事の用意とかも茶々丸さんといっしょにやってるらしいね。茶々丸さんにはかなわないってさよちゃんはいってたけど、ちうちゃんは食べたことある? ちうちゃんもエヴァちゃんとは結構仲良さそうに喋ってるし、羨ましいよ。いやー、一度エヴァちゃんのところも行ってみたかったけど、どう見てもわたしはエヴァちゃんに歓迎されなくてねえ。まっ、そういうわけで今日は、ちうちゃんに会いに来たんだよ。ちなみに、このお店は前に名店紹介の特集組んだ時に報道部内で紹介してるおすすめ店ね。ここのお店のカツサンドは女子側にも男子にも評判いいんだよ」

 と、そんなセリフを一息で吐きながら、和美はパクリと厚手の衣に包まれたカツサンドを一口かじる。
 駅前のカフェテリアの一席で、千雨と和美が昼食を取っている。

「どったのちうちゃん? 冷めちゃうと美味しさ半減だよ?」
「ああ、いただくよ。せっかくのお前のお勧めだしな」

 和美のトークに圧倒されていた千雨が、手に持ったカツサンドをパクリとほおばる。
 衣はパリパリとして肉汁が滲み出る、和美の情報に違わない味だった。

「どう、美味しいでしょ?」
「うん、うまいよ。こういうのにお前さんの情報はハズレがないな」
「でしょー」
「カロリー高そうだけどな」
「わたしはスタイルは特に気にしなくても大丈夫な体質だからね。ちうちゃんこそ、サンドイッチ二切れじゃあ少ないんじゃないの?」
 いんちき臭いスタイルの中でも特別目立つ大きな胸を逸らしながら和美がいった。
 さよもわたしの胸などではなく、こいつの胸でも揉んでいればいいのだ。友だちになったらしいし、と逆恨みしつつ千雨が睨む。

「いいんだよ、少なめで。わたしは運動しないからそのぶん気をつけてるんだ」
「前にうちでも特集組んだことあるけど、ダイエットは制限しすぎると吹っ切れたときに暴走して食べ過ぎちゃうらしいよ」
「んなマヌケな真似するわけねえだろ。そもそもわたしは痩せるためじゃなく普段から気をつけてるから平気なんだよ」
「かっこいいセリフだねー。わたしはあんまり考えてないな。運動してないわけじゃないけど。それに脂肪なら胸にも尽くし」
 綾瀬夕映や宮崎のどか辺りから刺されそうなセリフだった。
 千雨としても納得いかないが、文句も言えない。
 千雨は黙ってかつサンドを口に運ぶ。

 和美もケラケラ笑ったまま残りのカツサンドをペロリと一息で食べきった。
 無駄に男らしい。
 そのままナプキンで口元を拭っていた和美が、早速切りだす。

「で、どうするの? 本当に悩みがあるなら言ってね。取材抜きで力になるから」
「…………お前こういうときは意外にいいやつだよな。いつもそうしてたほうがいいぞ絶対」
「そりゃどうも。ちうちゃんもいつもそうして素直な方が可愛いよ」
「女相手に口説いてどうする気だよ。ちなみにわたしの忠告は結構まじだからな」
 ため息混じりに千雨が言う。

「ただ今回の件は別に具体的にどうこうじゃないからあんまり話しても意味ないよ。まわりが騒いでたから、ちょっと引きずられたってだけだ」
「ちうちゃんは自分から騒ぐって感じじゃないしねえ。ああ、もしかしてその関係? ネギくんはこの間の古ちゃんの件とか、いろいろやってるみたいだけど、それにくらべて恋人の自分は……みたいな」
「うーん、それもないと思いたいけど」
 かなり素直に千雨が答える。

 それに別段そういう方面で嫉妬しているというわけではない。
 千雨の心の淀みは、ネギが成果を出しているためではなく、それに自分が関わっていないこと、いうなれば置いていかれているような寂しさからくるものだ。
 エヴァンジェリンの説教は的を射ている。
 魔法関係ということもあり、和美の申し出はありがたいのだが、事情が説明できないので、相談しにくいのだ。
 義理の関係で無下にもできないし、好意を無下にしているような、嫌な感覚である。
 と、そんな千雨の葛藤を汲み取ったのか、和美がお気楽な口調を保ったままに口を開いた。

「んもう、可愛いなあ、ちうちゃんは」
「……ふん、そんなの知ってるよ。今頃気づいたのか」
「そうそう。だってちうちゃん、教室じゃあツンツンしてばっかりじゃない」

 千雨の軽口に乗っかった和美が明るい声を出した。
 この辺りの社交性は報道部のエースとしてのものなのだろう。

「まあその可愛らしさに最初に気づいたのが、ネギくんだってのが悔しいけどね。二人して一目惚れでいきなり付き合ったってわけじゃないんでしょ? わたしらにバレる前からもそこそこ話はしてたみたいだし、そう考えたら今の状況なんて別に深刻に考える必要ないでしょ。ネギくんがあんな子だから古ちゃんのこと込みで今は騒ぎになってるけどさ」
「…………意外にガチで踏み込んできたな、朝倉」
「だってねえ。対応がわからないままに下手に干渉して破局ってんじゃあ、わたしらも後味が悪いじゃん。からかうのって意外に難しいのよ?」
 ニヤリと笑った。悪意と善意の意味を正しく認識している報道部としての笑みだ。

「最後のセリフがなければ感心してたよ」
「まあでもさ。細かいこと抜きにはたから見てても大丈夫だと思うよ。ネギくんとちうちゃんは。あんまり真剣に考え過ぎないほうがいいよ、きっと。ネギくんだって責任感は人一倍ありそうな子だしさ」
「責任感で付き合ってるわけじゃない」
 反射的に言い返すと、なぜか和美が首を傾げた。

「へっ? いや付き合ってる方じゃなくてさ。継続というか区切りというか、そのー、あれだよ。あれ」
「あれ?」
「えっ、いや、ほら、修学旅行のさ…………」
「修学旅行? なんかあったか?」

 修学旅行はいろいろありすぎて心当たりがパッと思い浮かばない。
 だが、最終日を含めて、こいつにこのような言い方をされることはないはずだ。
 こいつからは修学旅行中の魔法関係について記憶を奪い、そして、千雨は魔法関係込みでいろいろと溜め込みすぎた。
 その差異から千雨は心当たりが浮かばない。

「そのー。そのさ、ほらっ、えーと」
「なんだよ。らしくねえな。さっさと言え」

 その一方で、和美は、なぜ目の前の少女は“あの出来事”を忘れて自分にここまであけっぴろげに問いかけられるのかと言葉を濁す。
 どれだけ自分が、我慢しながら先ほどまで話していたか気づいていないのだろう。
 大きく踏み込んだら千雨がパンクしてしまいそうなので、軽口で流すつもりだったのに、なぜこんな自分から地雷原に走りこむ真似をするのだろうか。

「じゃあ言うけど、えーっと、そのさ」

 顔をほんのり赤らめて、いつもの活発な姿に似合わずに可愛らしい姿を見せる和美に千雨が首を傾げた。
 だって、そりゃそうだろう。
 責任もなにも、千雨とネギのことなんて、修学旅行の直前にバレてから、いままで話題にはなってもそこまで深刻に。
 と、ここで千雨の脳裏にフラッシュバック。

 ――――あっ、そういえばさ。ちうちゃん、ネギ先生と

 そういえば、修学旅行のあの時にこいつから。
 えっ? いやちょい待って。
 眼の前に座る朝倉和美。
 魔法関係の記憶は消したが、日常の雑談はそのままで、そして彼女と自分が交わした修学旅行の一会話。
 ああ、そうだ、そういえば

「……………そ、その…………エ、エッチなこととかもしちゃってるわけじゃない? ネギ先生とちうちゃんって」



   ◆



「ふははははは! どうだ。なかなかわたしの手腕も捨てたものではないだろう。こういうのも可愛らしいじゃないか!」

 千雨の部屋の中で、何故かテンションの上がっているエヴァンジェリンが高笑いを上げた。
 その前では、ゴスロリに着替えさせられた千雨と、なぜか同じように着替えさせられたさよと茶々丸がいる。
 特に羞恥心を感じているわけでもないらしいさよがその技巧の施された裁縫に感嘆したように服の裾をつまんでいた。

「どうでしょう。似合いますか?」
「お似合いですよ、さよさん、千雨さん」
「お前もな。なんか慣れすぎだろ」
 千雨が茶々丸にジト目を向けた。

「実はマスターはご自分の少女趣味を、たまにこのように発散されることが」
 言葉の途中でぐにりと頬をつねられた所為で、茶々丸の言葉の後半はフガフガと聞き取れなかった。
 頬をつねりながらもエヴァンジェリンは自分の作品を満足そうに眺めている。

 くるくると未だに鏡の前で回っているさよ然り、照れて恥ずかしがっている奴がいないのがせめてもの救いだ。
 当事者としては単純に恥ずかしがられるよりはマシだが、なぜこいつらはこんな簡単に順応しているのだろうか。

 そして千雨も千雨で一旦諦め混じりに受け入れてしまえば、どこからともなく取り出された質のいい衣装に内心唸っている。
 自分のネトア活動はコスプレが主体ではあるが、大概にして二次キャラが現実の衣装を着ないということは有り得ない。
 ゴスロリキャラだって星の数ほど存在するし、自分だって手を付けたこともある。

 だが、ゴシックファッションというのは一歩間違えると雑多になるし、あっさりさせると安っぽさが目立ってしまうしと、なかなかこの布地の重厚感を出すのは難しい。
 自分も手がけたことがあるからこそ、その出来栄えに負けて着せ替え人形にされる現状を受け入れてしまっている。

 以前、茶々丸からはちうの部屋の存在を知られた時に受けた衣装作成の申し出は、遠慮していたのだが、実はかなり本格的だったようだ。いや、あの時の決断が違っていたとはつゆほども思わないが、それでも一旦着てみてしまえば、これはかなりのレベルである。
 部屋に趣味物のアンティークドールを飾っていることといい、趣味には金を惜しまないらしい。羨ましいことだ。

「うーん、実は千雨さんのホームページを見てから、わたしもやってみたかったんです」
「そうだったのですか。おっしゃっていただければ、衣装は準備出来ましたが」
「いえ、千雨さんは私がいるとやってくれないんですよ」
「……当たり前だろ」

「この服すごいですねー。すごく軽いですし、肌触りもちょっと信じられないくらい細かいです。高いんじゃないですか? それにエヴァンジェリンさんもコスプレっていうのをしたりするんでしょうか」
「千雨さんのようなコスプレではありませんが、マスターは趣味の一環として、このような装飾も嗜んでおられます」
「……だったらあいつの家でやれよ」

「エヴァンジェリンさんがですかあ。そういえば大人の姿になったときはドレスを着てらっしゃいましたね」
「おや、ご存知でしたか?」
「……その話今ここでしなくてもいいんじゃないか?」

「ルビーさんから前に見せてもらったことがありますよ」
「そうですか。あのようなマスターが成人体をとられる時に身につける服は幻体ですので、マスターが以前から気に入ったものを収集されているそうです」
「……わたしの話聞いてるか?」

「そういえば千雨さんのHPでやってるのは、アニメのキャラクターとかをもとにしたのが多いですね。魔法少女とか」
「千雨さんはすでに魔法少女ですが、魔法を使われるときに変身はされませんから、その代わりかもしれませんね」
「……聞いてないな。別にいいけど」

 むっつりと千雨がつぶやいた。
 そんな横で、さよが着慣れない服にはしゃいでいる。
 以前は制服を24時間365日着用していた身の上だが、だからこそ、おしゃれごとには興味がある。

「いえ、聞いてますよ。そういえばさきほどのは、ちうの更新だったんですね」
「えっ、あー、そのだな…………。そ、そうだな。そんな感じかな」

 前言を撤回するので、やはり自分を無視してしゃべっていて欲しかった。
 ぐさりとえぐられたが何とか耐えて、返事をする。こいつはなぜエヴァンジェリンが時間を置いたのかを理解していなかったのだろうか。
 そういう質問は結構本気でしないでほしいのだが、さよはその辺の暗黙の了解という概念に疎い。
 せめて面白そうに眺めているエヴァンジェリンだけでも出て行って欲しいが、残念ながらその気配はない。

「そうなんですかー。実は茶々丸さんにお願いして日記はちゃんと読んでるんですけど、千雨さんの写真は久しぶりですよね。今日とったわたしの写真とかも是非載せて下さい!」
「ぐっ! ……そ、そのだな。ネットっていうのは身元がバレるのは問題だからな。あー、その。私一人ならまだしもさよは眼鏡とかもかけてないし、髪型もそのままだよな。そういうのはだな、あまり良くないというかなんというか」
「そういえば、ネギ先生のこととかも日記には全然お話されませんものね」
「そ、そうだな。まあうん、そうなんだよ」

 ぐさりぐさりと胸に突き刺さるネタを連撃された。
 さよには千雨の奥深くにある重要な部分を自分の言葉がグサグサずたずたと刺してまわっていることに気づいてもいないだろうが、千雨は自分の運命と後ろでケラケラ笑っているエヴァンジェリンを心のなかで呪っている。

 当然ネギのことなど書くはずないし、書けるはずもないのだが、そういう不文律を理解しないさよは首を傾げたままだ。
 正直千雨個人としては、最近のイベントは大きすぎて、最悪は一時閉鎖だろうと視野に入れているくらいなのだが、どのみち本当にやめるのか、などとなればやめられる気はさらさらない自分自身の正直なところがあけすけに見えるのだから、自分のことながら業が深い。

 こういうときにネットの人格と素の人格が乖離していると辛いのだ。
 悶えながら転がりまわりたいが、余計に恥をかくだけなので、むりやり取り繕って我慢する。
 どこぞの剣闘士上がりの筋肉系魔法使いなら、内心で転がりまわる千雨の心情を見通して、きっと闇の魔法向きだと評してくれたに違いない。

 千雨は平穏を愛する割に、思考に趣味に生業にと、触れられただけでダメージを受ける弱点が多すぎる。


   ◆


「も~勘弁してよ、ちうちゃん! 本当にからかうとかじゃないんだって! だからね、ちうちゃんが、そこまで進んでるわけだし、ネギくんだってそれはわかってるってことを言いたかっただけだよ!」
「じゃあ話を変えろよ! 今年の流行服とか高校の工学部が生徒会に査察を受けたゴシップとか世界樹広場の先に新しく出来たパスタの専門店とか色々話を振ってやっただろーが! 素直にそれにのればいいだろ!」

 二人の少女が、駅前に新しくオープンした美味しいカツサンドやクラブサンドを提供するとそこそこ噂になっている、隠れた名店の中で口論をしていた。

「んもー、それじゃあ、そういえばさ! その服似合ってるね!」
「ああ、ありがとな!」

 叩きつけるようにどうでもいい話を降ってきた。
 千雨が同様に力強くどうでもいい話に返答する。

「まっ、おしゃれって言うより、大人っぽく見せるって面が多そうだけどねっ。まあいつもの三つ編みが野暮ったすぎるってだけだけど。ていうかいつもの三つ編みはもうちょっとどうにかしたほうがいいんじゃないの?」
「うるさいな。いいんだよ、これはこれで。変装込みだ」
「変装って、誰に対してよ。それって、やっぱり宝石店なんてのによるつもりだったからなの? やっぱり中学の制服じゃあ、声かけられちゃいそうだもんねえ。長瀬とか龍宮さんならいけそうだけど。そういえばネギくんもいつもスーツだね。そういえばネギくんは修学旅行中も休日もスーツだったけどさ、ちうちゃんと会う時なんかは……」
「話が戻ってんじゃねえか! はったおすぞ!」
「うぐっ! だ、だって…………だってどうしても聞いてみたいんだもん!」

 握りこぶしを両頬に当てて可愛らしく言った。
 千雨が嫌そうな顔をする。

「なにがだもんだ。キャラが合ってねえんだよ!」
「いーじゃん! だって興味あるじゃん!」
「逆ギレすんな!」
「記事とかじゃないって! 約束通り誰にも喋ってないし、記事にもしないよ! 二人だけでそういう話をちょっとするだけでいいから!」
「ぜってー嫌だ!」
「そもそも最初に話を持ちだしたのはちうちゃんじゃん! わたしはマジで今日だって自重する気だったのに、あんなふうに話振ってくるから抑えられなくなっちゃったんでしょ! 諦めてよ!」
「だったらそのまま自重してろ! アホかてめえは!」
「ケチ!」
「ケチで結構、だれが話すか!」
「あの時、脅迫も言いふらしもしなかったでしょ! わたしもおどろいて黙っちゃってけど、まだゴタゴタしてたから遠慮してたけど、そろそろ騒ぎも落ち着いてきたし、改めて聞きたいんだって! ガールズトークだよ、ただの!」
「んな生々しいガールズトークがあってたまるか!」
「生々しくないガールズトークなんてあるはずないでしょ! うちのクラスに馴染んでひよってんじゃないの、ちうちゃん!」

 クラス外にも友人が多い和美が叫ぶ。
 当然千雨はクラス外など友人どころか知り合いすらいないが、ネットに引きこもっている身として、当然そのような遠慮のない女性関係についても理解はある。
 だが理解があるのと許容できるのは全く別だ。
 せっかく麻帆良の3-Aに所属しておいて、わざわざそんな茨の道を歩みたいとは思わない。

「誰が日和ってんだ、誰が! お前こそ3-Aに所属してるんなら、委員長とか四葉とかをもっと見習え!」
「うっ!? ま、まああの二人はそれぞれ両極端に器がでかいけど。いやっ、そもそもそんなのちうちゃんにだけは言われたくないってのっ!」
「わ、わたしは、最近は委員長とも話すようになったし! それに、あいつのことは見習おうとも思ってるからいいんだよ。うん…………」

 しどろもどろに千雨が言った。
 雪広あやか関係のことはどうにも強く出れないのだ。
 殊勝な千雨の態度に、和美も少しだけトーンを落とす。

「うっそくさいなあ。はあ…………そーいえばさ、最近仲いいよね、ちうちゃんといいんちょって。いつの間にいいんちょと仲良くなってんのよ」
「あん? それはだなあ。わたしも改めて雪広がこれまで世話を焼いてくれたことに感謝しているというか、普段の頑張りというか凄さに気づいたというか、そんな感じだ」
「さらにうそ臭いね、それ」
「べつにいいだろ!」
「嘘だって言ってるんじゃないよ。まあ、そりゃいいんちょはネギくん関係でどうしたってちうちゃんと絡むだろうし、いいっちゃいいんだけどさあ。どうも、わたしの思ってるよりも修学旅行で印象が変わってるんだよねえ。前日にいいんちょがちうちゃんのデートに遭遇したってのもあるんだろうけど、それにしてはちうちゃんからの対応も、修学旅行を境に変わってる気がするんだよ。別件で何かあったでしょ?」
 そんなもの話せるはずがない。
 千雨が言葉を濁す。

「ま、まあ、何もなかったとは言わないけどさ…………」
「それ以外だって、さよちゃんはいつのまにか怪我をして未だに腕を吊ってるし、楓さんたち四天王組からの付き合いもできてるよね? それに木乃香は理由も言わないまま実家にクラスメイト全員呼んで、旅行明けから刹那さんにべったり。あと最近は明日菜と刹那さんが朝方に剣術稽古。で、今回のネギくんの弟子入りだ。さよちゃんも明日菜も理由を教えてくれないしさあ。そのわりに修学旅行全体のイベントというと大して思い浮かばないから、取材をするなら個人個人を対象にするしかない。さすがにわたしもどこに焦点を絞っていいか、わかんなくてね」
「ま、まあそれぞれの事情だしな。あんまり詮索すんなよ」

 というかこいつは動きが早すぎである。
 恐ろしいやつだ。クラスメイト全体の空気とその動向を、図らずとも総合的に認識できているらしい。
 企みというより素質が偏っている。麻帆良の報道屋というアダ名は伊達ではない。

「そうそう、そういえば、さよちゃんの腕さ、あれほんとうに大丈夫なの? まだ吊ってるけど、全然動かないって結構まずくない? どこのお医者さんに見せてるの? 通院してないよね、あの子」
「あー、それはエヴァンジェリンが手配してるとかで、その…………あと一、二週間くらいには治る……らしい」
「治るってなんで? いまだって殆ど動かせないみたいなんだよ。なんで分かるの? 手術とか?」
 あまりツッコまないで欲しい内容だが。これに関しては完全に善意からなので、対応しにくい。
 時には悪辣非道な相手のほうが、話は進めやすかったりするのだ。

「朝方にだな、そんな話をしたんだよ。言っただろ。エヴァンジェリンとさよが来てたって。だから、その…………エヴァンジェリンが知ってるんじゃないか? わたしはよく知らないかな」
「…………ふーん、そうなんだ。でさ、それってさ、本当にちゃんとしたお医者さんなんだよね? ほんとのほんとに大丈夫なの? さよちゃんこのことあんまり話したくないらしくてさ、問い詰めるのもどうかと思って聞いてないんだよね。だけどちょっと心配でさ」
「そういう気遣いをわたしにもしろよ!」

 思わず千雨が突っ込んだ。
 魔術での違和は多少鋭い人間には気づかれる。
 といっても、あの腕が実は取り外しすら可能な本物の義手であることは、常識的な認識による判断も手伝って、まだ気づかれてはいないらしい。

「ちうちゃんはほら、結構図太いでしょ。だから遠慮無くね。相手を選んでるわけよ」
「選ばれた方はたまったもんじゃないだろ、それ」
「いやいや、気のおけない親友ってことでいいじゃない。ほら」
「…………まあ、いいけど」
「あっ、いいんだ。嬉しいね。そういや、昨日のこと聞いたらしくて、ネギくんのところにいいんちょも顔出してたよ。弟子入り試験で頑張ってたって話。ぜひ協力したかったとか言ってたわ。あれでいいんちょも結構喧嘩が強いしね」
「お前さっきネギのところからは、すぐ帰ったとか言わなかったか? なんでそんなに詳しいんだよ」
「だって耳に入ってきちゃうんだもん」
「そういうのをさらっというのが怖すぎるんだが」
「まあまあ、それでね、そのいいんちょのことだけどさ。ちうちゃんの意見はどうなのよ?」
「…………まあ、雪広なら他の奴らの手綱もとってくれるだろ」
「納得するんだ。うーん、仲が良くなったのもそうなんだけど、そういうところなんだよね。あやしいのは。いいんちょは普通だったのに、ちうちゃんだけなんか意識してる感じ。そんなイベント起こってないはずなのに、なんだかんだ言いながら、修学旅行前と後だと、いいんちょにすごい配慮するようになったよね。なーんかハブられてる感じ…………」

 ジロッとした目を向けられた千雨が縮こまる。
 そりゃあの夜を越えて、雪広あやかに暴言を吐けるわけがない。
 ちなみに、和美は責めるような視線を送りながらも、内心では千雨から親友という言葉に文句が返ってこなかったことをこっそりと本気で喜んでいる。

「でもまあ、いいんちょにもバレたってことじゃないだろうしね。ああ、そういえば、いいんちょがネギくんの師匠になりたがってたよ。雪広流柔術を継承する権利をかけて古ちゃんに勝負を挑む勢いだったみたい。今日のお昼に古ちゃんがネギくんのところに来た時にね。まあ、ネギくんがとりなして実現しなかったけど」
「あれって委員長のなんちゃって流派じゃないのか? そもそもさらに師匠を増やすのは無理だろ。エヴァンジェリンが許さない」
「おろろ。驚いてないね」

 千雨が朝方の出来事をもい返しながら相槌を返す。
 今日の朝方に自室を訪れた顔ぶれは、エヴァンジェリンに相坂さよに絡繰茶々丸、かててくわえてもう一人。

「古菲は朝方に私の部屋に来てんだよ。師匠云々の話も少しな。古菲はさよたちと一緒だっただろ。いいんちょのことは予想外だったけど、なんとなく想像つく」

「古ちゃんもちうちゃんの部屋に? ああ、あれってちうちゃんの部屋から直接来てたんだ。意外な組み合わせだね」
「さよとエヴァンジェリンが来てる時に、古菲は飛び入りで参加したって感じだ。昨日のことを聞きたいって私の部屋に直接な」
 朝方のことを思い返しながら千雨が言う。

「へー、そうなんだ。意外とアクティブ。ちうちゃんの話か。ちうちゃんが実は拳法ができるかもって、そういう話?」
「お前どんだけ情報溜めてんだよ。ったく、私はさわりだけな。少しネギにそんな話をしたことがあるってだけだ。そんときに、わたしも古菲に勝負を挑まれそうになった。…………面白い話じゃないぞ」
「それかなり面白い気もするけど、まあいいや。というかこんなの秘密でもなんでもないでしょ。周りの話を聞き流さなければ、それで仕入れられるレベルだよ。ちうちゃんのほうこそ、もうちょっとまわりに注意したほうがいいんじゃない? 秘密はそれを隠そうと常に動いてでもいない限りバレるもんだよ」
 ニヤリと笑いかけられた。

「変に沈静しようと手を出して、やぶ蛇食らうよりマシだろ」
「それも度が過ぎればただの思考放棄だと思うけどなあ。当人が黙ってても、まわりがしゃべるなら意味無いじゃん、それ。ちうちゃんのこともさ、ちうちゃんの周りの子ってあんまり周囲に気を使えるような子じゃないでしょう?」
「それだれのことだよ」
「いまちうちゃんが頭に思い描いた子のことかな。あとで後悔しても遅いんだよ、そういうことは」

 無垢と慢心と環境で、それぞれさよにエヴァにネギといったところだろう。心情的にも未来の希望的にも簡単に納得したくはない話だ。
 だが、未だネギだって致命的にバレているわけでもないのをみれば、隠し通すのだって不可能ではない。
 そう考えながら、お茶を飲む。

「だからかなり不思議だったんだよね。うちのクラスがその辺おおらかといってもさ、なんだかんだで未だに雰囲気すらバレてないみたいだし。それにネギくんとちうちゃんも意外に自重してないっぽいしさ。ああ、さよちゃんにはバレてるっぽいけど」

 お茶を吹いた。

「でさあ、その、エッチな事ってどこでしてるの? まさか部屋じゃないよね? も、もしかして、二人でそーういう場所に行ったりとか?」
「いきなり戻すなよ! いまいい感じで普通の会話になってただろ! なに考えてんだこの変態! しまいにゃ泣くぞ!」
「うっ……でも、しょうがないじゃん! ちうちゃんのことを話そうとすると、どうせさよちゃんかネギ先生が絡んでくるんだから! 自分の生活態度をうらめばいいでしょ! ここまでノリよく話したんだから、ついででちょっとだけ話してよ! 代わりに私の恥ずかしいコイバナとかも話してあげるから!」
「いるかそんなもん!」
「ちょっと! そんなもんっていい方はないでしょ! これでも私だってそこそこにドラマをだね――――」

 白熱した二人がテーブルを挟んで口論を続けていく。
 ここに至っても脅迫しようなどという気配が全くない和美や、そんな和美の考えを全く疑わない千雨は、きっと傍目に見るよりもずっとお互いに心を許しているのだろうが、

「――――あの、お客様。恐れ入りますが、他のお客様の御迷惑になりますので…………」

 やっぱりここは店の中なので、店員から当然のことを注意された。
 周りに目のいっていなかった二人がびっくりして振り向く。
 お昼を少し過ぎてもまだまだ客の多い駅前の喫茶店。

 ごめんなさいと二人揃って頭を下げるまで、ものの一分もかからなかった。


   ◆


「ふむ、それで千雨たちがドレスを着ていたアルか」

 ゴスロリ姿の千雨たちの前でそんな言葉をはいたのは古菲だった。
 千雨がさよたちにいじめられている中に現れた来客である。
 千雨としてはせめて着替えさせて欲しいが、客人が古菲だったこともあり、もう開き直ったのか、千雨はゴスロリのまま古菲の言葉に頷いた。

「だが、エヴァンジェリンも千雨に会いに来ていたとは好都合ある。実はネギ坊主の修業の件で二人に話があったアルよ」
「なんだ、お前もなんかあったのか?」
「授業配分の話だろ。坊やの修業には、わたしは特殊な場所を使うからな。夕刻から2,3時間アイツを貸せ。ほかは適当にお前の修練に当てて構わんぞ」
 偉そうにエヴァンジェリンがいった。自分が譲歩する気はないようだ。

「うーむ。魔法使いの修業アルか。興味もあるが、わたしもそれで構わんアルよ。もともとはエヴァンジェリンに弟子入りを志願したことが発端と聞いているアル」
 古菲が頷く。
 別段後回しにされていい気分でもないが、修学旅行の様子を思い返すにネギの本命は魔法の修業だ。
 自分の修業もエヴァンジェリンの入門試験がらみだったわけで理解はある。

「ふーん、それで古菲は修業の話にきたのか?」
「うむ、それと実は千雨にも話があったアル」
「話?」
 嫌な予感がバリバリだ。
 ぐっ、と興奮した古菲が顔を寄せてきた。

「実は千雨と一度立ち会ってみたいと思っているアル!」
「んなもんわたしがボコられて終わりだろーが!」
「いやいや、実は千雨は格闘もこなせると明日菜たちから聞いているアルよ」
 予想に外れず物騒なセリフが聞こえてくる。

「きゃー、素敵です千雨さん。応援しますね!」
「応援するより、訂正入れろドアホ!」
 千雨が叫んだ。
 ここで誤解されたまま変に買いかぶられて、古菲に本気で殴られたら死んでしまう。
 壁を一撃で砕ける古菲とは対照的に、千雨はりんごを握りつぶすこともできないし、50メートル全力で走ったら素でバテる。
 ちなみに体力はないものの、ネトアで一線級を張っている身として腹筋程度ならやっているが、それは当然だれかに殴られるためではない。

「はっはっは。そこまで言われて無理やり挑むのは礼を逸する。機会を待つことにするアルよ。だが立ち会いに関してはおいておくにしても、千雨はネギ坊主になにやら先読みの技術を指南をしていると聞いているアル。そちらについて聞くのは大丈夫アルか? 秘伝であるなら遠慮するが」
「んっ? いや、それは問題ないな。でも、あれはだな。なんというか方法を軽く教えてるだけだ。というかそれもわたしの師匠の技をそのまま伝えてるだけで、わたし自体はほんっとうに弱いぞ。まじで」
「だが千雨のような拳を学んでいないものに戦いの読みを学ばせるというのは、生半なものではないアル。寡聞にして千雨の師のことは知らないあるが、現に先日の茶々丸との試合で“ネギ坊主が使った技”を見た以上、軽く受け止めることはできないある」
 ぽかんと千雨がマヌケな顔を晒した。

「…………はっ? えっ!? そ、そうなのか? ネギが?」

「はい、先日の立会のときに先生の肩口に計算代行用の小妖精が……。千雨さんもお気づきかと思っておりましたが」
「なんだお前気づいていなかったのか?」
 あっさりと横の二人からも肯定の言葉が返ってきた。

「へー、そうだったんですか」
「…………あいつが」
 軽く驚くさよと、呆然とした千雨の呟きが重なる。

「なぜ千雨が驚いているアルか? 千雨が伝授したもののはずアル」
 古菲が首を傾げる。
「い、いや。そこまで本格的にはわたしも使ったことがないし…………。へえ、ネギが…………そうなのか…………」
 ネギの試験中に彼の肩口に隠れるように肩口に控えていた計算用の精霊。

 エヴァンジェリンは千雨の助言は禁止したが、千雨の技を禁止したわけではない。
 エヴァンジェリンは言った。
 千雨から教えを与えることを禁止する、と。

 ボケっとしていた千雨は気づいていなかった。
 エヴァンジェリンの言葉の本質がわかっていなかった。
 ただ古菲の技だけを学んで終わりにするか、そこに貪欲さを求めるか。
 千雨などは茶々丸との戦いと聞いたときには裏ワザ方面で思考を巡らせていたが、ずいぶんとまっとうな方法でもネギはネギで準備をしていたらしい。

「思考を外付けで代替制御したのか。普通にすげえな。そっか、わたしから…………いや、ここまでくるとあいつの自力か……」
「はえー。すごいですね-、ネギ先生」
「まあ適性の問題だろう。もともともルビーはあの技にはそこまで興味を持っていなかったようだし、ルビーは近接戦はからっきしだったからな」
 面白そうに話を聞いていたエヴァンジェリンが言った。

「そうなんですか? でももともとはルビーさんの技なんですよね?」
「別にあいつも戦いのために覚えたわけじゃないぞ。もともと千雨がそこそこやれるようにするために、どこぞの世界から引っ張ってきたというところじゃないか?」
 エヴァンジェリンの言葉に、千雨すらも若干の驚きを見せた。

「そもそもルビーは戦闘用の技能なんてものは殆ど持っておらん。付け焼刃に中国拳法もやってはいたが、あれもわたしどころか古菲や茶々丸の足元にすら及ばんものだったしな。もともと魔術師というのは、戦いなんてものに興味は持たないんだよ。奴はまぎれもなく天才だったが、五大要素を骨幹としていたことからもわかるように万能ではあるが特化ではなかった。どのようなものでもある程度は学べるが、必要のない技術を極めようと考えるのは時間の無駄だと切り捨てたのだろう」
 喋りながら、ちらりと視線を千雨に向けた。

「ああいうタイプは習えば才覚を見せるが、先が見えすぎて見切るのも早い。ゆえに、こういうものはむしろ才能がないほうが最終的には上に行ったりするのだ。まあ、ルビーに限って時間の制限による修練の放棄はないが、それでもそれは無駄を許容できるという意味ではないからな。まあ、才能がないなら才能がないものの技がある。それは剣術も魔術も体術も変わらないが、やつは無い才能を補うよりも才能があるならその才能を伸ばすべきだと考えた」

 淡々と言葉を続ける。
 ぶち抜けた天才であるがゆえに、自分が目指すものは頂点のみ。
 だが、とエヴァンジェリンが意地悪い笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「まっ、もちろん同じ時間を同じように学べば才覚があるものが上に行くのが素質というやつの残酷さだがな。お前やさよも格闘の才はなさそうだが、学んでみるか?」
「んな話の振り方されて学ぶ奴がいるはずねえだろ」
「わ、わたしも遠慮します」
 なにが言いたいんだという目を向ける千雨にエヴァンジェリンが笑った。

「なに、お前は自分の得手を磨くのはいいってことだよ」
「…………んなこと知ってる」
「うむ、だからわたしが確認してやったのさ。どうだ、ためになっただろう?」

 あっけらかんとエヴァンジェリンが話をまとめた。
 ぽかんとしたさよと古菲の視線を受けつつ、どうやら慰められたらしいと気づいた千雨が赤くなる。
 先日からこればっかりだ。
 しかし、気を落ち着けて改めて考えてみれば、自分でも意外なほどに、さきほど事実に動揺してしまっている。
 エヴァンジェリンに気を使われるほどの目に見えた動揺。自分からそんな感情を引き起こすほどのネギの才覚。

 ネギの才能は知っているし、あいつがルビーの技をすでに実戦に利用したという事実には単純に感心もした。
 当たり前のように称賛の念を感じることができた。
 しかし、同時に、それに対して千雨が動揺を見せてしまったのは、ネギが自分が伝えたはずの技を、自分の想像を飛び越えて身につけているという事実に、悔しさよりも寂しさに似たものを感じていたためだろう。



   ◆



「いやー、恥かいちゃったねー」
「恥かくならまだしも、聞かれてたらどうすんだよ。あー、もうあの店には二度と行けねえ……」
「大丈夫でしょ。騒いだからだって店員さんもいってたし、わたしらも、ほら、そのー……わたしらも直接的な表現を使ったわけじゃないしさ」
「結構使ってた気がするが」
「そ、そう? 結構遠慮してたんだけど、ほら、その非常に親密なね、夜のね、そういうのはさ、言い回しがね…………」
「その言い方が余計にいかがわしいんだが」
「ま、まあほら、それはなんというかね。しょうがない面もあるというか、さ、さすがにね」
「…………まあいいけど」
「そ、そうそう。いいじゃん。いやわたしはちうちゃんと違って実はそこまで経験ないから、ちょっと恥ずかしくて。あっ、そういえばさ、ちうちゃんは二回目とかは」
「ここでさっきの続きしようとしたら、わたしはここにお前を置いて一人で帰るからな」
「あっ、うそうそ! 冗談です! やめました! ここまで来て別れるのも何だし、寮まで一緒に帰ろうよ。仲良くさ。ほらほら、食後にゆっくりってわけにもいかなかったし、あそこの自販機でなんか飲もうか。おごるよ。なにかのむ?」
「……………………冷たい紅茶で」
「オッケー」


「じゃあ、遠慮した話題を出すけど、んー、そうだなあ。そういえばさ、四葉さんところがまた新商品出したらしいよ。あそこ安いし種類も多いしどれも美味しいしでいいんだけど、放課後遅くなると先生連中も寄ってくるから寄りにくいんだよね-。でも新田まで贔屓にしてるってのがすごいよねえ。そういえば、ネギくんは知ってるのかな。帰りに寄ってみようか?」
「よらない」
「まあ、ご飯食べちゃったしね。しょうがないか。ああ、そうそう。そういえば、パルたちがなんか面白いものを手に入れたらしいよ-。それでね、今日はなんかどっかに行ってるんだって。本屋たちと一緒に。そういえば本屋といえば、前からネギくん狙いだと思ってたんだけど、修学旅行中から雰囲気変わったよね。ちうちゃんと何かあったんでしょ? ネギくんの関係?」
「知らない」
「まあ教えてくれないよね。本屋も教えてくれなかったし。そういえばさ、柿崎とこの間いろいろ話したんだってね。やっぱりあいつも彼氏持ちだけあって興味あるらしいねえ。どうだった? やっぱネギくんの話とかしたの?」
「してない」
「それは多分嘘だよね。じゃあ聞かない。あー、そういえばさ、さよちゃんっていい子だよねえ。やっぱずっと休学してたからか、すっごい純だし。この間遊びに行ったんだけどさあ、面白いこと聞いちゃったよ。聞きたい?」
「聞きたくない」
「…………ちゃんと答えてよ-、ちうちゃんっ!」
「ひゃあああんっ!?!!? 」
「わあお。意外にいい反応」


「て、て、てめ、てめえ! てめえいきなり何しやがる! この変態! ひ、人の胸をいきなりもんでんじゃねえ!」
「おっ、やっとまともに返事してくれたねえ。まあまあ、うーん、実にお手頃な大きさだねえ。いやー、わたしはさあ、自慢じゃないけど結構あるから実はちょっと重たくてねえ。わたしもこれくらいの大きさが良かったよ。やっぱ肩こりがさあ」
「どうでもいいんだよ、んなことは! 放せ変態! 色魔!」
「いやあ、それはこっちのセリフでもあるというか、いきなりあんなエロい声を上げないでよ。うーん、形もいいし、これはネギくんも……」
「ッ……、んぁ……っ。ひゃんっ……。っ! だ、だから離れろ!」
「ほえっ? なにその素敵な反応。……ん? あっ! うわっ、やばい! なんか変な気分になってきた!」
「死ねっ!」


「――――イタタ。ちうちゃん、頭がすっごく痛いんだけど」
「そうか。手加減しすぎたかな」
「あれよりきつかったら頭が割れてる気がするわ」
「だから手加減しすぎたってことだろ……じゃあ私は帰るから」
「えっ!? ちょっと待ってって! 一緒に帰ろうよ!」
「いやだ。わたしは一人で帰る。ああ、そうだ。あと朝倉、お前もう明日からはわたしの半径20メートル以内には近づくなよ」
「それ教室はどうすんの? それにそんな胸元押さえたまま離れられると傷つくなあ」
「当たり前だろうが。警察を呼ばなかっただけありがたく思え」
「まあまあ、さよちゃんもやってたんでしょ?」
「………………」
「そんなまじめに驚愕した顔しなくてもいいよ」
「…………さよからか?」
「えー、なに? さよちゃんが怒られる流れ? 困るなあ、そういうのは。違うって。修学旅行の2日目でしょ? しかも木乃香と明日菜にも見られてたみたいだし、話聞いてりゃそれくらいわかるよ。だから言ったじゃん。バレたくなかったんなら口止めとかはした方がいいって」
「…………そうか。適当に聞いてたよ。お前の忠告はためになるな。肝に銘じることにする」
「そっか。よかったよ。あと、さっきはちょっとやりすぎちゃったわ。ちゃんとあやまるよ。ゴメンね、ちうちゃん」
「あ? ああ、素直に謝るんならいいんだよ。よし、じゃあ反省するなら許してやるから…………」
「うん。だから、ちうちゃんもわたしの胸を好きなだけ揉みしだいていいからね」
「…………」
「あれ? どったの、ちうちゃん、なんか目が座っちゃっててこわいなあ」



   ◆



「皆さん。今日はありがとうございました」

 と、ネギ・スプリングフィールドが頭を下げた。
 神楽坂明日菜と近衛木乃香の部屋の前。
 そんな騒動の中心人物。ネギ・スプリングフィールドが、彼女たちの師となったエヴァンジェリン・マクダウェルと古菲を後ろに、昨日の試験の傷を慮った面々に声をかける。

「うん、じゃーね、ネギくん」
「ネギくんも特訓がんばってね~」
「はい、ありがとうございます。まき絵さん。明石さんたちも今日はどうもありがとうございました」

 まき絵と一緒にネギの部屋を訪れた明石たち運動部の面々がそれに笑いながら答える。
 昨晩のネギの奮闘を思い出し、その上でネギを祝福していた。

「エヴァンジェリンさん。千雨さんに挨拶してから行きたいのですが」
「そうですね。そうしましょうか。エヴァンジェリンさん」
「千雨か、放っておいたほうがいい気もするが、部屋にいるか?」

 部屋から離れ、エヴァンジェリンの後ろに追いつきながらネギが言った。
 明日菜や木乃香も入っていない。
 部屋には魔法に関係しない面々が揃っていたこともあり、あの二人を許容すると、他の面々もなし崩し的についてきそうなので、今回は師匠である古菲のほかはエヴァンジェリン邸に住む者たちだけである。
 エヴァンジェリンが茶々丸に視線を送る。
 少しだけ黙ってから茶々丸が答えた。

「いえ、千雨さんは出かけられたようですね。部屋にはいらっしゃいません」
「そうなのですか?」
「はい。先ほど外出されました。…………いまは駅に向かわれているようですね」

 さらりと怖いことを茶々丸が言った。
 いくらなんでもここから千雨の部屋や、駅前の音は拾うことはできないだろうが、どうやってか位置情報を掴んでいるらしい。

「駅ですか。どうしたんでしょうか。千雨さん」
「気分転換代わりにでも街をうろつく気なんじゃないか? あいつらしくないようにも見えるがな」
「気分転換アルか?」
「そういえば特訓の時から千雨さんの様子が変ですねよ」
 古菲が反応する。
 さよがその言葉に頷いた。

「変というかなあ、あれはただの嫉妬だろ。説教が効きすぎたな。なかなか可愛いところがあるよ」
「嫉妬アルか?」
「千雨さんがでしょうか?」
 エヴァンジェリンがネギの部屋から連れだした面々に視線を送る。
 茶々丸にさよに古菲にネギ。なんとも繊細な感情とは無縁そうな面々である。

「千雨と坊やでは、どうにも立場が異なるからな。いっちょまえに意識し始めたというところだろう」
「意識ってネギ先生をですか?」
「坊やがルビーの技を使ったという話をしただろう。自分で身につけようと決意した矢先に、横で自分の技を上回れれば人は平静ではいられんさ」
「で、でもあれはもともと千雨さんのものですけど……」
「もともとあいつのものの技を、あいつに習わずお前が使った。理屈では納得できても、いろいろと溜まるものもあるんだろう。ルビーの件も消化できるほど時間がたっているわけでもないしな。色々起こりすぎてパンクしてるんじゃないか? 自分で整理がついてないだけだろ。放っておけばどうとでもなるよ」

「で、でしたら、今日は千雨さんも呼んだほうが良かったんじゃ…………。気分転換をお一人でしても…………」
「事情を知っている我々がなにをしたって気分は変わらん。放置しておけばいいんだよ。これで潰れるほどやわじゃあるまい。あいつはそういうのだけは神経質だから、気分転換と考えながらだと余計陰鬱になるぞ。それとな、さよ、お前もルビーの技の継承の一端を担っているんだ。千雨のことを心配するのもいいが、自分のことも心配しろ」
「わ、わたしですか?」
「師を失ったという意味では、さよもそうだろ。決断を間違えると同じように置いていかれるぞ。お前ら揃いも揃ってそういう方面が苦手そうだしな」

 まわりから疑問をもった視線が飛んだが、突き放すようにエヴァンジェリンが言った。

「あいつは自分でもわかっているよ。発散のしどころがないだけだ」
「この件は千雨さんがご自分で解決されるということでしょうか?」
「違う。だから言ってるだろ。これは解決というほど大したものでもないんだよ。それに誰かが手を貸すか、アイツが適当に紛らわせて終わりなんだ。あいつはこういうことの発散が下手くそだってだけだろう。趣味がアレだし、そもそもあいつは友達少なそうだしな」

 エヴァンジェリンにだけは言われたくないセリフだっただろうが、残念ながらこの場にそんなことを突っ込める人物はいなかった。
 しかしそのセリフに不満気なさよの顔をちらりと見ると、しょうがないとため息を吐いてエヴァンジェリンが言葉を続ける。
 ったく、なんで悪の吸血鬼であるこのわたしがこんなくだらん講義をしなくてはいけないんだ。

「つまりだなあ。例えば、さよ、ネギ。お前たちもそこそこに苦悶したことの一つや二つがあるだろう。そういう時はどうやって対応していた?」
「えっ? そうですね、わたしはやることがなくて、ペン回しの練習をしてみたりコンビニまで散歩に行ったりしてただけですし……」
「ボクはそういうときはたいてい図書館で本を読んでましたが…………」
「…………そ、そうか。いや、別にそれでも構わんが…………」
 エヴァンジェリンがドン引きしていた。こいつらどんだけ闇の魔術向きの性格をしているのだ。
 千雨を筆頭に暗すぎる奴らである。
 あるていど予想はしていたが、それを超える回答だった。しょうがないのでもう一人の師匠役に話を振る。

「……では、古菲。お前はどうだ?」
「わ、わたしアルか? わたしはそういうのはよくわからんアルよ。いろいろこんがらがった時は美味しいご飯を食べ歩いて良く寝れば、それでまた修業を続けられたし、さよやネギ坊主のようにあまり深くかんがえたりはしたことないアルが……」
「いや、それが正解なんだ。それでいいんだよ。それで。まあ一般的な対応といったところだろうな」

 あははと古菲が面目ないといったていで笑ったが、エヴァンジェリンが期待していたのはむしろそのような回答だ。
 横でなるほどといった顔で頷いているネギとさよと同様、千雨では思いつかないのだろう。
 悩んだときに、遊んで美味しいものを食べて、寝ておくのが一番いい。不眠不休で悩むのは誠意を伝える材料としては役に立つが、実利の方面では意味が無い。
 講義するのがアホらしくなるほど当たり前すぎる内容だが、わかっていないやつが意外におおいのだ。
 幽霊だったさよはまだしも、ネギは暗すぎるし、千雨はいびつすぎる。
 休むことができるのは才能である、と実は旧式から最新型までゲーム機を始めとした娯楽にはたいてい目を通しているエヴァンジェリンが偉そうに口にする。

「はあ、なるほど、そうやって発散すればよいのですか」
 未だに人生経験が3年に達していない茶々丸が横で頷いた。
「まあな。あいつは性根が暗いし、本来はルビーがそういう役目を担っていた。それがなくなったってのもあるんじゃないか? 今日だってなんだかんだでストレス発散をしてたわけだろ」
「く、暗いということはないと思いますけど」
「ネトアでストレスを発散しているような奴が暗くないはずがあるか。いいんだよ、それもひとつのやり方だ。あいつも自分で納得してることなんだから。自覚があるんだから問題ないだろ」
 かなり偏見にまみれたことをエヴァンジェリンが言ったが、残念ながらそれに反論できるほどの胆力を持ったものはいなかった。

「ネトアってなにアルか?」
「ん、あー、それは千雨に聞け。でだな、やつは一応の継承を済ませはしたが、その分決意が先行して浮いてしまっているんだ。ゴールだけを認識して、その困難さをだんだん意識している矢先に、ネギの一件だろ。奴がなんのために力を求めるかといえば、それがそもそも曖昧なんだ。現状はルビーの意思を継ぐという形になっているが、それも今後に別の指針ができなければ、やはりそれはそれでパンクするだろうな。人の意志を継ぐのは意外にキツイぞ」

 きわどい古菲の言葉を流しながら、エヴァンジェリンが軽い口調のままに、さらりと実感のこもった言葉を口にした。
 人の意志とその継承。千雨がルビーの意志を継ぎ、魔術師を目指すことは聞いているが、それがどれほどの苦労をかけるかを正確に予見できているのはエヴァンジェリンだけだ。
 千雨もさっそく苦労し始めたようだが、あんなものは序の口である。なにせ彼女はルビーの弟子なのだ。
 それでいて、長谷川千雨は意思が強い。意地っ張りとも頑固とも言えるが、彼女のような挫折ができない人間は、一旦背負い込むとそれを下ろせずに苦労する。
 ネギに似たような心配をかけていたようだが、エヴァンジェリンからすればどっちもどっちだ。
 ネギと千雨、どちらも意地っ張りで頑固者すぎるのである。

「マスターが最近千雨さんを気にかけていらっしゃルのは、それが理由ですか?」
「ルビーからの最後の願いだからな。それくらいはしてやってもいい。それに千雨だってそんなにつまらん女じゃないよ。すでにあり方がゆがんでるんだ。騒動からは逃げられん。あいつは未だに平穏無事な日常とやらを夢想しているようだが、どう考えても無理だろ、そんなもん。むしろ騒動の中で成長させりゃあいいんだよ。面倒くさい禅問答で精神を鍛えるなんてアホらしい。ダメそうなら、適当に様子を見てやればいい。潰れるようならそれまでだ」

 身も蓋もない事をエヴァンジェリンが言った。
 修学旅行前にも似たようなことを言っていたこと茶々丸が思い出している。
 一方、まだ納得はしていないさよやネギなどは話を続けたいようだが、エヴァンジェリンがそれを断ち切る。

「まっ、無駄話はおしまいだ。お前らだって暇ではあるまい。あいつも繊細なフリして意外と図太い。わかっているさ」

 エヴァンジェリンの言う通り、千雨の話はここまでだ。
 これからエヴァンジェリンリゾートに向かい、ネギの鍛錬の始まりである。
 千雨のことを手助けするならまだしも、ネギは明確に自分の修業に力を割かなくてはいけないし、さよは事情を知りすぎているがゆえに安易に慰めをかけられない。
 どのみち、ルビーにネギにと、彼女の事情を知ってしまっている身としては、彼女に無理やり踏み込めない。
 ネギとさよがエヴァンジェリンに続き、見学させてもらおうと古菲がさらにその後ろにくっついて、
 そして、最後に、茶々丸がちらりと後ろをうかがった。

「どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」

 主にそう返答し、そのまま茶々丸を引き連れて、全員が立ち去った。
 そして、エヴァンジェリンが一群を引き連れ立ち去ったその後、茶々丸が視線を送った先、お昼を前にすでに幾人かの女子生徒が集まる麻帆良女子寮の休息所。

「どったの朝倉?」
「んー、なんでもないよ。ネギくんたちが出てっちゃったみたいだねえ」
「ああそうなんだ。そういやいつのまにか静かになってるね。さっきいいんちょも帰ってたみたいだし。にしても、いいんちょもいい声してたわ」
「ありゃドアを開けっ放しだったほうが悪いだろうねえ」
「あの部屋の騒ぎは日常っぽいしね。あれでここの誰も興味を示さないってのがまたおもしろいよ」
「最近の話題は3-Aがかなり幅を利かせて独占してるからね。慣れちゃったんじゃないの?」
「それすっごくありそうだわ」

 そんなことを笑いながらしゃべる二人の生徒。
 お昼前の休息時間を日常会話に使っていた友人同士。
 そこに座る朝倉和美と柿崎美砂の姿があった。

 そして、そんな他愛もないおしゃべりに戻る間際に、和美はちらりと視線をもう一度そちらに向けた。
 昨晩のネギの立ち会いとその結果。そして、その結果を経て集まった友人たち。
 美沙と雑談を続けながら、平行して思考を回す。
 遠くはなれていてもたかだか廊下の先だ。
 全ては聞こえなくてもある程度は聞こえてしまうし、聞こえた言葉を朝倉和美は雑音として聞き逃さない。
 そう、たとえば、

「…………ちうちゃんが、ねえ」

 部屋から立ち去る者たちから漏れ聞こえた、その名前。



   ◆◆◆



 ――――そして、その後の和美と千雨の二人であるが、

「だからさ、そもそもネギがわりーんだよ。なんなんだあいつは。才能があるってのは知ってたけど、万能すぎんだよ。そのくせなんだかんだで苦労もしてるから責めにくいしで、付き合ってるとすごい困る」
「くくく、なんか結構溜まってるねえ、ちうちゃん」

 とまあ、いつのまにやら、随分と仲良くなっていた。

「でもさ、そこらへんもネギくんがちうちゃんを意識して頑張ってる分もあるかもよ?」
「あん? それもお前の情報網か?」
「さあ、どうだろうねえ」
「てめえ、わたしにさんざん話させておいて、誤魔化す気か」
「だって、ちうちゃんには秘密ねって言われてるんだもん」
「いや、バラしてから言うセリフじゃないだろ」
 千雨が突っ込む。
 和美としてはこんなものはどう考えてもバレると思っているので、秘密にこだわる気はない。というより情報ソースの木乃香からして、たいして秘密にこだわってはいなかったのだ。
 というわけで、笑いながら和美が会話を続ける。

「ふふふ、でね。これもホントはちうちゃんには秘密の情報なんだけど、ネギくんはちうちゃんに釣り合おうといろいろ頑張っているらしいよ」
「さらっと続けんな。あとそれは昨日の古菲とネギの試験で実感したよ。ったく、なにが釣り合うだっての。教師が言うセリフじゃねえだろうに」
「ちうちゃん。それ自爆してるからね。そもそも二人が教師と生徒なことが……」
「だから本当は秘密にしてたんだろうが!」
 言わずもがな過ぎたので、千雨が怒鳴った。

「なんでわたしに怒るのよ! 最初にバレたのってちうちゃんがデートしてたのを見られたからでしょ!」
「てめえがストレス発散に付き合うっていったんだろうが! おとなしく怒鳴られてろ!」
「理不尽すぎるよ、それ!」
 半分笑い混じりにそんな話をかわしながら、千雨と和美が麻帆良の駅前を歩いている。
 駅から女子寮に帰る途中の道。

 仲よさげに歩いている眼鏡の少女。長谷川千雨の顔に浮かぶのは、特に気おらないままに友人に愚痴を言う歳相応の少女のものだ。
 ごちゃごちゃを絡まれて、怒り疲れて、最後には、まあいいさと、千雨も根負けして気にしないことにして、いまこうしてしゃべっている。
 話してみればこいつは意外に秘密を大事にするし、わたしは自分で思っていたよりもオシには弱かったらしい。
 こいつは口止めだけして、そのまま変に配慮しないほうが仲良く出来る。
 こいつだってそうそう“友人”を売ったりはしないだろう。

「修学旅行が終わって、またぞろ構われだしたからな。まあ直接わたしのところに来る奴はお前や早乙女と、あとは柿崎くらいだったけど」
「彼氏談義をしようって言われたんだってね」
「ああ、聞いてたんだったな。柿崎もそのへんがなあ。アイツは彼氏持ちだけど、わたしと話せるようなもんじゃねえだろ。あいつもあいつでなんかネギを彼氏というより男として捉えてないみたいだし」
 千雨が頭を掻きながら言った。

「ああ、言ってた言ってた。ネギくんみたいな美少年と戯れるのは別腹らしいね」
「イケメンになるだろうネギを育てるだの、ガキだからこそいいだの、ありがちっちゃあ、ありがちなネタだったけどな」
「それを有りがちだなんて捉える当たり、ちうちゃんも業が深いねえ」
「それはお前もな。お互い様だろうが」
 ぎろりと睨んだ。

 ちなみに業の深さでみるならば、ハルナがその最たるものだ。
 彼女はあらゆるネタを内包する同人描きの現役だ。
 千雨とネギのネタを最も早く消化して、厄ネタから単純なからかいの種という考え方にシフトさせた一人である。
 未だに千雨とネギのネタを恋愛事として消化するべきなのか、スキャンダルとして黙秘しつつも身内で騒ぐべきなのか、はたまたただの仲間内の恋愛事と割り切って、笑いながら今後繰り広げられる自分の恋物語の参考にすればよいのだろうかと迷っている。

「3-Aの子たちは意外にそっち方面では疎い子が多いからね」
「だからわたしが助かってる面もあるんだけどな。なんだかんだと本気で聞き出してやろうってやつはいないしさ」
 その最有力候補が朝倉和美だったわけだが、それを棚に上げて千雨が言った。
「深刻そうだねえ。まあ、どっちにしろ、話を聞きたいってのはおおいんじゃないの? 参考にするってんならそれこそ柿崎に聞いたほうがいいだろうけどさ」
「それだよそれ。うちのクラスはそんなの興味ないような奴ばっかだっただろ。わたしとしては、あとすこし立てばもう沈静化すると思ってんだが、どう思う?」
 最近自分の見立てが信じられなくなってきている千雨が聞いた。

「まあ、興味あるなしにかかわらず、ネタにはされても、わざわざ話をしに来るようなのはなくなるだろうね。でも、それはちうちゃんがこのまま燃料を投下しなければの話だけど」
 ぐっ、と詰まった。燃料の種には事欠かない身だ。
 その表情を読んだのか、和美が笑う。

「ちうちゃんは意外に抜けてるからねえ」
「呪われてんだよ。先祖代々な。……はあ、散々がなったらおなかへった。おい、なんか食べてごうぜ」
「いいねー、あっ、クレープでも食べる?」
 和美が視線を送る。クレープ屋の屋台があった。
 千雨が頷く。

「チョコクリームとラズベリー。重ねたやつで」
 そのまま道端のクレープ屋で立ち止まると、千雨は表看板を一瞥して即座に注文した。
 彼女はこういうことにだけは、判断が早い。
「うーん、わたしはなににしようかなあ。ん、これはなに? おじさん」
「あー、ゴーヤクレープかい? 通好みで結構美味しいと思うんだけどね、リピーターがつかなくて新作のかぼちゃクレープと場所変えちまおうかと思ってたんだ。在庫も少ないし食べるならサービスしとくよ、どうだい? よっと、はい、そっちのお嬢ちゃんにはチョコとラズベリーね。お先にどうぞ」
「ゴーヤかあ。食べる気がムンムン湧いてくるなあ。どうしようかな。じゃあ話の種にでも食べておくべきかな」
「いやー、いいねえ。その好奇心旺盛なところ。よし、じゃあ、ゴーヤ行くならサービスで半額でいいよ。どうするんだい?」
「よしっ、決めた。わたしはそのゴーヤクレープでお願いね、おじさん」
「はいよ!」
「じゃあ、わたしはチョコレートストロベリークリーム。そっちの大きいサイズで」
「うっそ、もう食べ終わったの!?」
「いいだろ、べつに」

 クレープを受け取りながら千雨が答える。
 和美が呆れながらクレープにかぶりつく千雨を眺めた。
 一旦たがが外れると暴走しやすいのは、ネギのことを初めて問いただした時から気づいていたが、いつかこれがとんでもない問題になりそうである。
 そんなことを考えながら和美も和美で、ゴーヤクレープにかぶりつき、その常識はずれの味が報道部のネタに使えるかどうかを考えていた。
 
 そして、千雨が三つ目のクレープを食べおえ、和美がネタとしては小規模な上にすでに旬も逃しているクレープについては小ネタ扱いでストックする程度にとどめておくことを心のなかで決心した後、和美と千雨が仲良く女子寮までの道を歩いていた。

「ふう、ちょっとスッキリした」
「愚痴ならまた聞いてあげるよ」
「それより、それが起こらないですむように協力してくれ」
「あっはっは。オッケー、オッケー。起こる前なら協力するよ」
 真顔のまま深刻そうに言う千雨に笑いながら和美が頷く。
 ちなみにこれはスクープが起こったら、報道部として行動するということである。
 朝倉和美は人の頼み事に適当な誤魔化しはしないのだ。
 それを今日身に染みて実感した千雨もしぶしぶ頷く。

「それとだな、朝倉。改めて言うけど……」
「わかってるって。今日のことについては黙っておくよ。約束だしね」
「ん、……頼む」
 散々赤裸々にぶっちゃけたくせに、歯切れが悪い。
 いまさら照れ始めたのか。若干顔を赤らめて千雨が言った。

「んもう、かわいいなあ、ちうちゃんは!」
「抱きつくな!」
「いいじゃーん。ちうちゃんが仲良くしてくれると嬉しいんだよねー。普段冷たいからさー。さよちゃんの気持ちがわかるよ、ほんと!」
「冷たくされたくねえんなら、その態度を改めろよ!」
 恥ずかしがった千雨が無理やり和美を引き剥がす。
 ネギやさよと違って自分より大きい相手なので、非力な魔術師には少々つらい。
 無理やり引き剥がした後にふうと千雨が息を吐いた。

「ったく、ねぎとさよといい私の周りのやつはセクハラばかりを……」
 ぶつぶつと千雨がつぶやく。
「えー、ちうちゃんだって、さっきはわたしの胸を揉んだじゃない」
「その無駄にでかい胸をもう一回もまれたくなかったら黙ってろ」
「うん? ハマっちゃったの? いいよ、ちうちゃんなら、いくら揉んでも。はい、どうぞ」
 ぐいを胸を突き出された。
 変態である。
 そんな和美の姿に嫌そうな顔をした千雨が口を開こうとしたところ、

「――――あんたら、天下の往来でなんの話してんのよ」

 と、横槍がはいった。
「お、柿崎?」
「げっ、柿崎…………」
 教室で見知った顔だ。
 ジーンズにワイシャツとジャケットを合わせて、背中にはギターらしきものを背負っている。
 いまこの場では会いたくない人物としてかなり上位に入る女である。

「ちょっと千雨ちゃん。げってことはないでしょ、げってことは」
「いや、あまりにいいタイミングだったからな」
 どこからみられていたかが問題だ。
 全く悪くないはずの自分が免罪と誤解を受けかねない。
 と、嫌そうな顔をしながら千雨が自分本位のことを考えている。

「まあいいけど。ずいぶん仲いいね。千雨ちゃんネギくん捨てて女の子に走ったの?」
「残念だけどそれは無理そうだね。浮気相手として誘惑中かな。わたしらは普通のデートだよ。あんたは?」
「わたしはでこぴんロケット関係でね。これから駅前」
「…………突っ込みなしかよ」
 思わずつぶやいた千雨に美沙が笑った。
「うそうそ。ジョーダンだよ。二人で遊びに行ってたの?」
「まーね」
「こいつに巻き込まれただけだ、むりやりな」
 ぶすっとした顔で千雨が言うが、内容とは裏腹に意外にトゲのない口調に美沙が内心で驚いている。
 先程の言葉は半分軽口だったが、なにやら本当に仲がいい。

「へー意外な組み合わせだわ。千雨ちゃんのカッコも意外だけどさ。今日は髪の毛おろしてんのね」
 千雨と違ってまともな女子中学生である美沙が見逃さずに突っ込んだ。
 千雨が軽く髪の毛に手をあてる。
 いつもの三つ編みを解いて後ろに流しているくらいなのだが、どうやら意外に自分のいつもの格好はクラス内に浸透していたらしい。

「あーまあな。ちょっと用があったから……ネギ関係じゃないぞ」
 適当に答えながら、途中で誤解されないように、千雨が余計な一言を付け加えた。
 そういうのセリフをわざわざ言ってしまうあたり、フォローしきれるかが心配だ、と和美が内心思った。
 この子は自分をかなり賢いと考えているが、意外に抜けてる部分が多いのだ。

「すっごいセリフだねえそれ。じゃあなんでおしゃれしてんの?」
「だからいったじゃん。わたしとデートだったって。仲良く遊んでたんだよね」
 カラカラ笑いながら和美が言った。
「それも違えよ。別に休日にわたしがどんな格好しててもいいだろ」
 和美の軽口に一瞬便乗しようかとも思ったが、それはそれで変な流れになりそうなので、千雨が口を挟んだ。

「へえ、で、朝倉とねえ。勇気あるね、千雨ちゃん。いや、わたしも友達だとは思ってるけどさ。ネギくん関係とかもあるでしょうに」
「おまえもそれかよ。いいんだよ。こいつ相手に誤魔化すのは諦めた」
 頭を掻きながら千雨が言った。
「ひっどいなー。わたしは結構口は堅いんだって」
 そう口にする和美は特に傷ついた様子も見せていない。
 弁護も異議も口にせず、ふん、と千雨がそっぽを向いた。
 一度信用し始めた以上、改めて疑い直すのもアホらしい。もう遠慮はやめている。
 秘密抱え続ける根性がない、というよりは、適当にバレた人間と適切な距離を測り続けるのが苦手なのだろう。

「ふーん、いや、改めて意外だわ。ほんとに仲いいのね、二人って」
「いやあ、ちうちゃんの信頼が重いねえ。照れちゃうなあ」
「朝倉、うるさい」
「ふーん、じゃあ朝倉、ネギくんと千雨ちゃんのスクープは狙わないわけ?」
「スクープかあ。まー、噂が広まったらニュースにするかもしれないけどね。そもそも報道部は情報は集まるけど報道部からの噂は流れにくいんだよ。なんだかんだとサークルだからこその制約ってのもあるし、わたしだって麻帆良新聞を出してるけど、うちの中等部でもうわさの拡散で一番名前が売れてるのはハルナでしょ?」
「たしかに報道部のニュースは騒ぎの後ってのが多いわね」
 美沙が頷く。

「そういう認識されるのもそれはそれで悲しいんだけど、どうしてもね。一旦生徒側にソースとして知られたら、それが噂で流れちゃうし。ハルナとまで行かなくても、うちの中等部は部活が盛んだからクラスの外とも結構絡んでるし、中身をまとめて裏とって紙媒体で配るまでには時間がねー。だからなんだかんだいっても報道部のメインは、噂の裏付け調査だったり機関誌扱いの記事だったりするんだよ」
「あー、なるほど。そういやわたしらも文化祭のライブとかは報道部にお願いしてるね」
「必要とされるのは嬉しいんだけどねー」
 はあ、と和美が方をすくめて見せた。

「でもあんたはいつもスクープだの騒いでるじゃん」
「それはまあ、報道部にとっては世間を揺るがすスクープってのはロマンだからね。それにぶら下がりの報道だけじゃあ、サークルとして消えちゃうしさ。わたしがスクープを狙ってるのは、もっと望みが大きいの。巨悪を討ってみたり、世界的なスクープに関わったりとかね。ただのウワサやネタのために友達をなくすようなことをする気はないよ」
 麻帆良は趣味人がおおいので、各サークルが個別にサークル誌を出したりしている。報道部としてのアイデンティティを保つためにも、学園内のニュースを探す必要があるわけが、それはそれだ。
 外にはなかなか伝わりにくい、しがらみやら誇りやらがあるらしい。
 そこまで語ってから改めて和美が千雨と美砂に向かって笑ってみせた。

「まっ、そういうわけで、わたしがスクープを狙うってのは、わたしが好きでやってるからだしね。ネギくんやちうちゃんのことを報道部で秘密にするってのは相反しないわけ」

 それが言いたかったのだろう。
「ふーん、何でもかんでも秘密を知ろうって感じじゃないんだ」
「そういう面だって全くないとは言わないけどね。……って、なんでちうちゃん、そんな変な表情しているの?」
「いや、なんでもない」
 美沙が感心している横で、すでに理解していた千雨は万が一和美が、ネギや自分の本当にまずい秘密に触れても、それが守られることを願っている。
 だってこいつの言葉をそのまま受け取れば、世界のスクープは友情に優先されるという意味である。
 こいつにとっては友達へのサービスだろうが、魔術師には恐ろしすぎる宣言だ。

 と、立ち話がてらにそんなことを話してから、駅前のライブハウスへ向かうという美沙と別れ、そのまま寮の入り口で、千雨と和美が立ち止まった。
 基本インドア派の人間にはイベントがありすぎた。
 そんな千雨の心を汲みとったのか、和美が手を上げて一言だけ、

「じゃあね、ちうちゃん。また明日!」
「…………ん、じゃあな」

 と、千雨が律儀に返事をして、彼女のいやに長い一日がようやく終了した。



   ◆◆◆


 
 女子寮の一室。長谷川千雨は部屋にはいると着ていたジャケットを脱ぎ捨ててベッドの上に転がった。
「……………ホントつかれた」
 思わずひとりごとが溢れる。
 気晴らしにはなったが、その分体力の消耗が激しい。
 ルビーの残した仕事を消化しようかと考えて、軽い気分転換がてら外に出て、思わぬ人間に捕まってしまった。
 すでに夕刻に近い時間だ。

「あー」

 特に何か行動を起こす気力も起きず、意味のない声を発してゴロゴロと転がる。
 傍から見たらただのアホだ。

 今日は朝から昼からと疲れることばっかりである。
 そのままと怠惰な姿を晒していた千雨が、ちうの部屋に行くような気力は当然起きないし、このまま寝るには早すぎる。
 千雨がなんとはなしの気まぐれで、ベッドのそばにおいてあった紙の束を手にとった。

 学園の地図の束。図書館島を中心にしたそれは、3-Aの図書館島探索部の面々にネギがわたしたものと同じ、ナギ・スプリングフィールドの残した資料のコピー。
 のどかたちにも配ったはずだが、この資料で探索でもしているのだろうかと自問しながらそれを眺める。

「………………」

 以前にのどかに案内を受けて、図書館島内の開放区域に足を踏み入れたことはあるが、彼女たちが語ってくれる探索域とやらは全く知らない。
 休息用の公園水辺に緊急避難用のシールド付きの隔壁通路。いろいろと施設が整っているらしい。
 そして、そんなのどかたちの冒険憚と並んで、あそこはルビーですら侵入に手間取った場所であるはずだ。

「………………」

 宮崎のどかはあそこに足を踏み入れたことがある。早乙女ハルナや綾瀬夕映、近衛木乃香といった面々も同様だ。
 同様にルビーが本気で侵入して、追い返され、そのご侵入をあきらめているという事実もある。
 資料を探しに忍び込み、たしか得体のしれない管理人に追い回されたと言っていた。
 一般人の探索域と、至高の魔術師の挑戦場。それが混在する麻帆良が誇る大魔境。
 手に持った資料をボウと眺めつづけ、

「………………んっ?」

 ふと、その地図のある一点に焦点が合わさった。
 あまりにあっさりと書かれているので見逃しかけた。
 細かい図面に走り書きされる読めない文字、それに混じった読める文字。

「なんだ、これ? デンジャー? いや、それに…………」

 古ぼけた地図に、見知らぬ文字に日本語が混じっている。
 記号かと勘違いしかけるそれはアルファベットに日本のカタカナ。そして似顔絵。
 そこに書いてあるその文字は、


「――――『オレノテガカリ』?」


 ポリポリと千雨が頬を掻く。
 誰の似顔絵かはわからなくとも、この地図の出処を考えるとこの言葉は無視できまい。
 そのままそれを眺めつつ、千雨はどうしたものかと思考を回し、
 そして、その数十分後。

 昼前にはさよやエヴァンジェリンと話しあい、昼には朝倉和美と街中をまわり、午後はそのまま朝倉和美と遊びに出かけ、そしてようやくさきほどに、彼女のいやに長い一日がようやく終了したはずではあるが、

「なにやってんだろうなあ、わたしは。ほんと」

 終了したはずの一日を延長し、自問自答するように呟く長谷川千雨が、図書館島の前に立っていた。

 

――――


 日常編のようなそうじゃないような感じの話。




[14323] 第32話
Name: SK◆eceee5e8 ID:9aa6d564
Date: 2015/05/16 22:50
 ふわりと、一人の少女が重力を感じさせずに宙を舞う。
 主張の少ないシャツとズボンをまとい、髪を後ろにくくっている。大人びた印象を受けるが、よくよく観察すれば、彼女が意外に若いことに気づくだろう。

「よっ、と」

 そのまま気流を操り数メートルの高さからエントランスに、トンと小さな足音を立てて降り立った。
 場所は麻帆良の大魔境。そしてその少女は見習いながらも至高の師から技術を受け継ぐ魔術師だ。

 その場所は大図書館の地下深く。
 信じがたいことに本物の樹木に囲まれて蔦を這わせる手すりの前で、彼女は回りを見渡し、ひょいと木の影に隠れた扉に手を伸ばしてその入口をくぐり抜け、そのまま狭まった通路に迷いもせずに足を踏み入れる。

 彼女の手から放たれる魔術の灯火が薄暗い通路を照らしている。
 そのまま2,3の分かれ道を、ちらりと手元に視線をやっただけでくぐり抜け、一度も立ち止まることなく、通路を抜けでる。
 大きな広間に出たあとは、まわりに位置する仰々しい石版やら目の前に並ぶ扉の上にある意味ありげな文字や、かすかに残る人の足跡とといったヒントを全て無視して、手に持った地図のとおりに星座の飾りが彫り込まれた扉の一つ選択して奥へと進んだ。

 言うまでもないことであるが、地図があるということのアドバンテージというのは、探索において卓絶したものである。
 特に迷路なんてものの中では、一枚の紙きれがその存在意義や状況を根こそぎ覆しかねない。
 古来より戦時の地形図が機密とされ、迷宮の主がその経路を秘匿して、旅路の地図が旅人に高値でやりとりされたのは、それがそれだけの重要性を持つからだ。

 ましてここは星図盤が意味を持たず、風の音すら排斥される地下迷宮。
 それを証明するかのように、千雨は初めて足を踏み入れる図書館島の迷宮部を、地図を片手に信じがたい早さで攻略している。

 道が隠されているくせにさも当たり前のように本棚の横に存在する案内板を見れば、ここ一体が歴史書から料理画集に家庭の医療と、乱雑ながら無駄に分類されている本棚であることがわかっただろう。
 そうしたものに目を向けず、探索部が使ったものであろう人の痕跡などを彼女は順々に超えていた。
 探索に慣れていない身でこうして目的地までをひた走るなんてのは、本来はどうやっても不可能だっただろう。
 そう考えながら、少女は観光地めいた滝と手元の地図を照らしあわせ、その横にある休息スペースを見ながら、ようやく数分の一程度進んだという現状に息を吐き、

「……前の探検が夜通しかかったわけだ。ちょっと広すぎるだろ、これは……………」

 数多の罠と神秘に守られた図書館島の深層で、そろそろ入口をくぐり一時間も経とうかという頃に、長谷川千雨がそうつぶやく。



   第32話


「今日はありがとうございました、エヴァンジェリンさん」
「おもしろいところでしたねー」

 エヴァンジェリン邸の地下室から上がりながらネギとさよが言った。
 それを聞くエヴァンジェリンと茶々丸、そして茶々丸に抱かれるチャチャゼロが、そしてその後ろには古菲の姿もある。
 なんだかんだと魔術師としての拘りもあったが、今日は情報のみということでさよたちも異界を作る宝珠の中に同行していたらしい。

 ちなみに、彼女たちはエヴァンジェリンリゾートから出たばかりであるので、外面時間で一時間しかたっていないが、内部では観光で一回りどころか、一晩を通して食事と睡眠を、さらには古菲にいたっては修業場所の許可を巡ったエヴァンジェリンとの一悶着まで済ませている。
 修業時間の捻出に頭を悩ませなくても良いこの施設の使用についての騒動だったが、結果を言えば、残念ながら古菲の使用許可は得られていない。
 許可を願えば叶えられそうなさよについても、魔術師としてのこだわりのなさから一度足を踏み入れては見たものの、それを繰り返す可能性は少ないだろう。

「いかがでしたか?」
「修業する場所って聞いていましたので、ちょっと身構えてましたけど、すごく楽しいところでしたね。逆に疲れを取りに行った感じです」
「本来はあそこはマスターのリゾート施設ですので」
「魔法の修業は目立つからな。あそこがちょうどいいってだけだ」
 皆を今に先導しながら茶々丸が口を添える。

「魔法の修業には基本的に広い場所が重要なようアルね」
「間合いの問題もあるが、飛び道具が主体だからな。ただあそこは広いから修練にも使えるが、本来の使い方ではない。あまり使っていなかったが、今回の件にはあっているだろう。本当はルビーの研究がらみで使っていたんだ。あそこは色々と環境が揃えられるし、魔法環境的にわたしが本気を出せるってのもちょうどいい。もちろん時間の都合もな」
「雪とかも見れるんでしたっけ? 入ったところは南国風でしたね。でも、エヴァンジェリンさんは吸血鬼なんじゃないんですか。プールとかありましたけど」
「そうですね。エヴァンジェリンさんは陽の光も大丈夫みたいですし」
 さよの言葉にネギも頷く。
 水泳は心肺強化運動における代表的な手法だが、あれはそんな目的ではあるまい。完全にただの娯楽施設である。

 吸血鬼よりもキョンシーあたりに馴染みが深そうな古菲も、さすがに怪奇譚の大家中の大家である吸血鬼について、十字架とニンニクに並ぶ弱点についての逸話くらいは知っている。
 流水はまだしも日光を苦手とするってのは正直どれだけ強くあっても弱点としてはでかすぎるだろうとつねづね思っていたのだ。
 しかも学校に登校するとなっては、本来は夜間学校か通信教育の学校検定くらい選択肢はしかなかろう。
 お話の外にも吸血鬼がいると聞いて疑問に思っていたが、やはりそういうところは克服しているらしい。

「わたしは日光を克服している。ハイデイライトウォーカーというのは陽光に耐えられるという意味ではなく、日光に影響されないという肩書きだ。と言うかその定義を守っていたら私は風呂にも入れなくなるだろうが」
 もちろん夜間学校などに行くはずもないエヴァンジェリンがあっさりと答えた。そこに自慢げな雰囲気は一切ないままあたり、授業をサボって屋上で昼寝するだけのことはある。
 そもそも彼女はナギの呪いがなければ学校になど通っていないのだ。

「はあ、日光に流水にと、あれですね、ルビーさんからならった吸血鬼さんとぜんぜん違う感じですね」
「まあそうだな。だからあのときの千雨とトラブったわけだし。……おい、何だその目は。ありゃ千雨が間抜けだっただけだろうが」
 千雨とのトラブル、といった件を耳にして、なにか言いたげな視線を向けたネギにエヴァンジェリンが怒る。
「い、いえ。で、ですが、あれはエヴァンジェリンさんが千雨さんを襲ったのが原因なんですし…………」
「うるさいぞ! 仮にそうだとしても、話をややこしくさせたのはあいつだろうが!」
 言い返すネギにエヴァンジェリンが怒鳴る。
 先ほどまでさんざん殴られ吹き飛ばされ蹴り転がされてと、特訓と称していいようにいたぶられていたことを考えればいい度胸だ。

「ああ、確か明日菜や超がいっていた話アルね」
「そうだな。それにだな、そもそもそのお陰でお前の一件に千雨が絡むことになったんだろうが。あれがなければ、やつなら自分の力を隠し通していただろうしな。むしろ“そういう”ことについて、わたしに感謝してもよいくらいだ」
「えっ? で、でも、その……ボクは……」
「ほほう、言いよどんだな。自分の未熟っぷりでも自覚したか?」
 一瞬反論が遅れたネギに攻勢を嗅ぎとったらしく、ニヤリと意地悪くエヴァンジェリンが笑い、即座に畳み掛けてくる。
 うっ、とネギが気圧される。

「うー、それよりわたしは一回千雨さんに連絡しておきたいですね。一日ぶりですし、結局中に入ったからそのことをお伝えしないと」
 言い争いを微笑ましく見守っていたさよは我関せずといった佇まいのままひょうひょうとしている。
 エヴァンジェリンと千雨の初会合については、あの一件がなければ、ネギと同様に自分と千雨がこうして関わることもなかっただろうという背景もあり、どちらにも味方はしにくい。
 さよの言葉にエヴァンジェリンがネギをいじめるのを中断する。

「律儀で結構なことだが、あいつにとってはまた半日だぞ」
「入る前にゴタゴタしたが、中に入ってからは本当に一時間しか経っていないようアルね。正直なところ入るまで半信半疑といったところだったが、やはり魔法には驚かされるアル」
 古菲が頷いた。
「でも連絡は一応入れておきたいです」
 慣れているエヴァンジェリンと違い、体内時計の狂いを調整できていないさよは、どうにも違和感が拭えない。自分は生き返ってからは一日一回千雨の声を聞かないと体調を維持できないのだ。

「それにしても一日は結構長いですね。これはすごく間隔が狂っちゃいますよ。一週間こもって外と7時間ずれたら時差ボケしそうですし、週の途中に入ったら曜日とかが混乱しちゃいそうです」
 頭をふりふりとさよが頷く。
 これから先この場所に頻繁に足を運ぶことになるであろうネギとしては心に留めておきたい感想だ。

「千雨さんは入りませんし私はもう遠慮しておこうと思いますけど、先生はこれからどれくらい使うんですか?」
 結局中に入ってみたさよだが、現状のところ、元幽霊である彼女は朝方に眠気を振り払って朝方のベッドを出るのにも、時間に追われて放課後を楽しむのにも全く不満は持っていない。
 そういう欲求に翻弄されることすら楽しいもののだ。
 リゾート施設に足を運ばずとも、学園で友人と言葉をかわすだけで十二分に幸せである。

「えっと、中で話し合ったのですが、一応毎日授業が終わった後に数時間ずつ入ることになりました」
「毎日アルか? 随分と気前がいいな、エヴァンジェリン」
 古菲がエヴァンジェリンの方を向いてそう言う。
「対価はもらうさ」
 ぶっきらぼうにエヴァンジェリンが答えた。
「対価、ですか?」
 エヴァンジェリンも別段吝嗇家ではないが、千雨と同様、対価を伴わない施しは基本的に行わない。

「使用料だよ。お前らは気にしなくてもいいぞ」
「お金とかですか? リゾートってことですし」
「フム、だが毎日となると大変アル。あの施設なら師弟で割り引いても一泊10万から、いや、時間がかからないことを考えればもっととってもおかしくないと思うが……」
 よくわからないままにさよが頷く横で、古菲が生々しい意見を口にしている。
 超包子のバイトで金銭感覚は意外に浮世にのっとったものを構築している中国からの留学生、彼女は吝嗇家ではないが、同時に無駄金を振りまくタイプでもない。

「今更金なんて取るか。魔力だよ、魔力。特訓に使う魔力をこいつから譲渡させるってだけだ」
 そんな二人にエヴァンジェリンが呆れた声を上げる。
 そもそもあの施設を金で貸そうとしたら一泊百万とってもまったく足りないだろう。

「へっ?」

 と、そんなエヴァンジェリンの声を遮ってさよの素っ頓狂な声が響き渡る。
 古菲や茶々丸たちからの視線にも気づかず、びっくりとした顔でさよがエヴァンジェリンを見つめていた。

「あん? どうかしたのか?」
「えっ!? あ、あの、ま、魔力ですか? そ、その………………ど、どうやってでしょうか?」
 友人であり師匠である少女の為を思って、はっきりと問いただすか否かを悩む少女が、か細い声で問いかける。
 その瞬間さよの思考にようやく追いついたエヴァンジェリンが顔を赤くして怒鳴りつけた。

「っ! あほかっ、血を吸うに決まっているだろう! 吸血鬼だぞ、わたしは!」
「あっ! そ、そうですか。そうですよね。あはははは」
 さよのカラ笑いが悲しく響く。
 何を話していたのかをようやく理解したネギの頬がわずかに赤くなった。
 逆に首を傾げているのは、今の話が理解できなかった古菲である。

「なにアルか今のは? どういうことアル?」
「えっ……いえ、その……ボ、ボクの魔力をエヴァンジェリンさんにお渡しするときに、血を吸われるというか……」
「……魔力というのは個々に固有のパターンが有りますので、魔力そのものを伝達するのではなく、血などを媒介するものだそうです。魔法式の発散による無効化や反射の術式の実用化が不可能とされるのはそのような理由からですね。血や体液などを経由することで、術式ではなく、構成要素としての供与を可能にしているわけです。いえ、この説明に他意はありませんが」
「魔力ノ伝達方法ッテノハイロイロアンダヨ。御主人モアレデ意外ニソッチノ実戦ニ関シチャア初心ダカラナー」
 古菲の疑問に、まわり3名からフォローが入った。
 誤魔化しともいう。

 ちなみに、ここを使用させる場代と修練に対する対価として、ネギには血液を要請しているエヴァンジェリンであるが、これは呪いの解除ではなく単純に魔力供与のためである。
 血液から見た呪いの解除法にはある程度調査済みであるが、ネギから軽く血を吸う程度では解除できないという結論を得ている。
 血を吸うのは憂さ晴らし兼、完全に彼女の趣味だ。

「しかし吸血とはあまりゾッとしない話アル」
「でもエヴァンジェリンさんに血を吸われてもホントの吸血鬼にはならないそうですね」
「うーむ、だが注射器だろうと吸われるのだろうと血を抜かれるのは……、ああ、そういえば、ネギ坊主、血はやはり首から吸うアルか?」
「い、いえ、手からです。こう、ガブっと……」
 少々深夜ドラマの色がつきはじめそうな古菲の想像を押し止めるように、ひょいとネギの腕が上がる。
 そこそこに鍛えあげられているが、うっすらとした怪我のあとが見え隠れするものの、少年の域を出ていない。
 これが黒光りする筋肉に覆われるようになったなら、たとえ特訓の成果だとしても雪広あやかあたりは泣いて悲しむだろう。

「ほう、噛みちぎるわけではないようアルが……」
「んな原始人みたいな真似するわけあるか。牙を使うんだよ」
「むっ、そんなものが生えてたアルか?」
「今はない。魔力がないと擬態が働く。わたしが血を吸うのは満月の晩か、魔力を補填できるあの中だけだ」
 さすがに日常から牙をのぞかせていたら、いくら3-A相手でも気づかれるだろう。
 エヴァンジェリンの口元を覗き込みながら、ほほうと古菲が感心している。

 さて、そんな会話を横に聞きながら、千雨に連絡を取るための携帯電話を取り出していたさよが首を傾げた。

「んー、おかしいですね……」
 地下室から上がり、携帯電話の作動域に入ったことを確認していたのだが、千雨の携帯に繋がらない。
 耳元から流れるのは、相手が圏外か電源を切っているとのアナウンス。

「どうしたアルか?」
「千雨さんとつながりません。圏外みたいです。電源を切ってるのかもしれませんけど……。えーっと、ここに入る前にどうしてたんでしたっけ」
 自分はパスがつながっているわけでアクセスに困ることはないが、これで緊急連絡用のルートをつないだ挙句、ただ単に地下街でショッピングをしていた、などという落ちだったら、後でガッツリと怒られることは明白なので、それは控える。

「ちょうど外出されていたと記憶しています」
「世をはかなんで崖から飛び降りていないことを祈ってろ」
「縁起でもないことを言わないでください!」
「そもそも放置せよと言っていたのエヴァンジェリンだったはずアル」
「ふんっ、冗談だよ、こんなことで自傷してたらあいつはいくつ生命があっても足りないさ。なあ、坊や」
 いやらしくエヴァンジェリンが笑った。
 それに、むっとしたらしいネギが何かを言い返そうとして

 と、そこで。

 今のは一体どういうことかと首を傾げながら、先ほど同様意外な千雨の人気者っぷりに内心驚いている古菲も、携帯電話を片手にパスから位置を探ろうとしていたさよも、真帆ネットにアクセスをしようとしていた茶々丸も、今日の会話を千雨にチクったらどんな反応をするだろうと考えていたチャチャゼロも、そして言い争っていたネギとエヴァンジェリンも、皆の動きがまとめて止まる。

 地下室からでたエヴァンジェリン邸の一室で、窓からもれる夕暮れに近づく光を浴びながら、魔力の波動に引寄せされて、自分の持つパスから漏れる情報に従って、そして人が脈々と受け継ぐ第六感に従って、否応なしに全員が“それ”が起こった方角に視線を向ける。

 そう、もちろんその方角は――――



   ◆



 ヒョイ、と少女の手が伸びて、大きな器に盛られたチョコクッキーの包みを手にとった。

 ステンドグラスから夕日が差し込む大聖堂。
 色とりどりの光が大理石の床を荘厳な雰囲気に染め上げている。
 少女は片手にお茶うけの皿を運びながら、手に持ったお茶菓子をパクリと口の中に放り込む。

 少女の膝に抱えられた、彼女より幼い容姿と褐色の肌を持つ少女からジト目が向けられているが、それに全く頓着しない。
 ジト目を向けたままの少女はココネ。そして客人用のお茶菓子を一枚拝借したのは千雨のクラスメイトでもある春日美空だ。

「いいの? ミソラ」
「いいのいいの。これくらい。授業後のお勤めの合間の僅かな休息。これくらい神様も許してくれるよ。息抜きも必要だしね。ちゃんとお客が来たら対応するって!」

 モグモグと2枚目のクッキーを頬張りはじめた美空に、ジト目の少女が言葉をかける。 
 彼女はいつもこんな感じではあるので、美空はココネの警告を笑いながら聞き流した。
 大聖堂の一室で来客用のお茶請を取り出しているが、先ほどまできちんと掃除をしていたのだ。

「ココネも食べる? はいどーぞ」

 そんな言葉とともに、ココネの前にもビスケットが差し出された。
 半分が優しさで半分が共犯者づくりのための工作だろう。
 膝の上に抱えられたままココネがそれを食べようかと逡巡し、そして、ピタリとその動きを硬直させた。

「ミ、ミソラ」
「どったのココネ?」
「ウ、ウシロ」
「後ろ?」

 と、いつのまにか椅子に座ってすっかりくつろいだ様子の春日美空が問い返す。
 後ろ、と首を傾げ、そして振り向くと、三枚目を茶菓子の袋を開けていた美空にココネの動揺の理由が突きつけられた。

「お暇なら、わたくしの対応をして頂いてもよろしいかしら」

 と、そんな解答。
 小脇に抱えられたままのココネの足がブワリと浮かり、椅子を蹴り倒す勢いで美空が一瞬にして立ち上がった。 

 そこに立つのは、一人のシスター。
 魔法先生として麻帆良に勤務する教会の管理人、美空の指導役でもあるシスターシャークティである。
 いつもの修道女服姿のまま、常日頃教会を訪れる迷い子たちに向ける自愛に満ちた笑顔を浮かべている。
 笑顔を浮かべ微笑んで、そして当然その瞳は笑っていない。
 さらに美空に向けて掲げられた腕には、煌々とした明かりが灯っていた。

「あー、シスターシャークティ。そのー、お早いお帰りですね」

 美空が笑顔を返した。頬が引き継いっている上に揉み手をしそうなほど低姿勢であることを除けば歳相応に可愛らしい。
「ええ。あなたにも関係のある話でしたから早めにね。それで、あなたは何をしていたのかしら?」
「いやー、言いつけ通りに掃除をしてたんですよ、もちろん。……ええ、まあそれ以外にもきちんと役割を果たし身に対しての当然の報酬というか、ほんの少し神の前で自分の仕事の成果を見つめなおしていたというか、自主的な休息的なものを取ってたかもしれないっすね。……その時にほんの少し、神の宿へ招かれる客人のために用意された恵みを自分に対するご褒美として頂くようなこともあったかもしれないですね、はい、ほんと。…………ごめんなさい」

 えへへ、と笑う。教会に席を置きながらにして仏の境地に達したのか、悟りを開いたかのような笑みだった。
 そんな笑みと「あらそうなの」なんて微笑みとともに優しさにあふれるシスターの返答を聞きながら、美空とその小脇に抱えられたココネが覚悟を決める。

 もちろん、許してはもらえなかった。


   ◆


「アイタタタ。ちゃんと掃除は終わらせたじゃないですか、シスターシャークティ」
「そういう問題ではありません。いいですか、あなたも神に仕えるものとして常日頃の心がけをですね……」
 掃除したばかりの礼拝堂の床に正座させられていた美空が説教をされていた。
 完全にとばっちりで先ほど一緒に吹き飛ばされていたココネは、さすがに正座の説教は免除されているらしく、長椅子に座っている。
 妹分である彼女も、そこまで律儀に付き合う気はないらしい。
 その後、長々とした説教が終わっていから、改めてシスターシャークティが本来早々に話すはずだった内容を口にした。

「はあ……。では、本題に入りますが。招集がかかることになりましたよ。あなたの友人である長谷川千雨さんに。先に学園内部への通達とスケジュールをまとめてからになりますが」
「あー、やっぱり。修学旅行の件ですか? それってどんな感じになるんでしょうか」
 しびれた足をモミモミとマッサージしながら美空が聞く。

 シャークティが首を傾げた。
「どんな、とは?」
「あっ、いえ。話をすると言っても色々あるじゃないですか。どんな感じになるのかなあ、と。怒られるようだとですね、ほら、一応クラスメートですし」
「あなたが言うとさすがに実感の具合が違いますが、そのようなことはないでしょう。合わせてネギ先生への紹介も済ませるとのことですし……せいぜい面通しといったところでしょうね。彼女はどうやらほとんど独学のまま闇の福音と関わったそうですし、色々と我々に対する誤解もあるようですから。」
「あー、なるほど。エヴァちゃんにネギくんですかあ……」

 修学旅行の大騒動。帰ってきた千雨がいきなり居残り組のクラスメイトに魔法をぶっぱなしたことにもある程度驚きはしたものの、さよからある程度彼女の事情をバラされていた背景もあり、美空としては正直なところ、修学旅行全体で言えばエヴァンジェリンの正体のほうが驚いた。
 不死の魔法使いにして闇の福音、魔法界では子供の躾に名前を出される極悪人。
 シャークティは当たり前のように知っていたらしいが、同じクラスになったあたりで自分に教えてくれる程度の優しさはなかったのだろうか、この監督役は。
 シャークティに言わせると、実際に美空が魔法先生たちの仕事を手伝うようになってから通達する予定でいたらしいが、日頃のいたずらなどでクラス全体を騒がせていた身としては、これまでの行いをまとめて再確認せざるを得ない。

 そもそもこれまで魔法関係の業務にはほとんど関わっていなかった自分がこうしてこのような通達を受けることになったのは、図らずともクラスメイト全員に魔法組とそうでない組をばらされたあの夜が原因なわけだが、あの一件は正確に言えば、千雨の“魔法”に抵抗できなかったものを分けたに過ぎない。
 生徒の魔法業務とは全く無関係に千雨の認識と個々の能力で生徒の立場を二つに仕切られたかたちだ。

 茶々丸などの件で確実に関係者枠に入っているはずの葉加瀬がすっかり眠りこけていたあたり、別段区別しようとしたわけではないだろうが、美空程度の魔力で自動的にレジストできるような選別用の魔法を受けた身からすれば、是非自分も他の皆と一緒に眠っておきたかった。
 裏の世界の仕事人。冷酷非情・正確無比の傭兵職だったいう龍宮真名や、正直半分くらい気づいていたけど、バリバリ現役の忍者らしい長瀬楓などに、自分のことが明確にバレてしまったのは、不吉な予感しかしない。

「しかし千雨ちゃんはすごいですねえ。あのでっかいのは鬼神様だったそうですし、わたしじゃあ、近づくのもゴメンですよ」
「不甲斐なさを叱責したいところですが、それが無難でしょうね。あなたが加わって役に立ったとは思えません」
 笑うしかないばっさりとした返答だった。

「ネギくんもスクナじゃなくて実行犯のところに行ってたそうですね」
「さすがにリョウメンスクナには彼でも手がでないでしょう。闇の福音が最終的な処理を行ったと聞いています。瀬流彦先生が万が一のためにと同行されていたそうですが、あの規模の超越種は人では干渉できません。あれは本来呼ばれた時点で決着がつくものです」
 シャークティは千雨の力量についてを聞いていないが、その力を持ってリョウメンスクナに対して何かしらの行いをしたとは夢にも思っていない。
 だって、それはありえないことだ。
 足止めですら、この麻帆良学園内でも片手で足りる程度の人間しか不可能だろう。

 対して美空の方は石化した千雨を解呪するに当たり、散々にさよから千雨のことを聞いている。
 エヴァとのいざこざに始まり、幽霊から復活したと自称するクラスメートが「正確には魔法ではないんですけど~」などとあっさり口にしていた“魔術”という未知の力。
 さよの腕からこぼれた歯車は忘れようともそうそう忘れられない光景だったし、秘匿の重要性をあまり重視していないらしいさよは、石化の術に対して、千雨の“師匠”とやらはメデューサと戦ったことがあるなどという眉唾の話までを千雨の自慢に交えてペラペラと語ってくれた。

 さらにその後、千雨が外に飛び出していったことや、千雨が消えた方向から放たれた地平線を二つに区切るように白の光条、かてて加えてリョウメンスクナと面と向かって殴りあっていた大巨人をみて相坂さよが語った言葉を考慮するなら……といった思考を回す程度には自体を把握しているのだが、確証もないので口にはしない。
 起こったこと自体はきっと瀬流彦先生から話が流れているはずだろうし、というのは言い訳だ。

 もしかしたらすべてがエヴァンジェリンのしわざだと認識されているかもしれないが、訂正や助言などはせず自分は問われたことに答えるだけである。
 親友とまではいかなくとも、クラスメイトで、それはつまり友人だ。
 などと言ったことを内心で考えながら顔を上げると、何故かシスター・シャークティが自分の顔を覗きこんでいた。
 えへへ、と誤魔化すような笑いを返しながら、突っ込まれる前に機先を制して適当に話題を振ってみる。

「ネギくんたちは修学旅行の最初の方からなんかやりあってたみたいですからね」
「そうですね。…………そういえば、美空、あなたほんっとうに気づいていなかったのですね?」
 じろりとした目を向けながら、いまさらなことを言われた。
「それはまじでしらなかったっす! 修学旅行中にバラされるまで、全然気づいていませんでした。何回聞くんですかそれ!」
 日頃の行いのせいだろうと横で聞いていたココネが内心で突っ込む。

 こちらについてはウソでも誤魔化しでもないので即答した美空だが、反面シスターシャークティは「嘘ついてないでしょうね、この子」と内心を語るように胡散臭げな表情を崩していない。
 シワが残りますよ、なんて軽口を叩いてみたい気もするが、そのまま殺されかねないので、美空はだまったまま次の言葉を待っている。

「…………瀬流彦先生への対応や一般生徒へのフォローの話などを聞くに、長谷川さんはどうやらあなたと違って優秀だそうですからね。少々直情的なところもあったようですが……。相坂さよという闇の福音の従者が石化を解いたあとに、皆の記憶を消すまでの間姿を消していたと聞いています。そちらについてもあなたは知らないのですね?」
「ん、あー、そうですね、それとそもそもさよちゃんはエヴァちゃんのミニステル・マギじゃないみたいですよ?」
「? どういうことです。彼女の身柄を闇の福音に預けるという決定の通達は学園長名義ですよ。それに闇の福音と住居を共にしているはずです」
「あー、いえ。なるほど……」

 このレベルですら話が通っていないのか、と美空が内心で思考を回す。
 嘘を付いてまでフォローする気はないが、余計な先入観は与えないように誘導するくらいにはあの晩には世話になった。
 全部ぶちまけてしまいたくもあるが、エヴァンジェリンの保護下にあるのは間違いないであろう千雨と敵対もしたくないし、ばらしてしまうと最悪の場合スパイじみた真似をさせられる可能性もある。そんなことになったらこの程度の泣き言ではすまなくなるだろう。
 どの道わたしごときが話していい内容ならば、今度行われるという顔見せの場で語られるはずだ。

 藪蛇だったなあと内心で反省しながら、内心で美空がため息を吐いた。
 意外に口の軽かったさよの情報は、実はかなり重要だったらしく、修学旅行の件を報告しようとするとこういうことが起こる。
 さよが以前から名簿に名前の載っていた生徒であることや、そもそも幽霊騒ぎで中等部内ではそれなりに名を売っていることを、意外にもシスターシャークティを始めとする魔法先生方は知らないらしい。
 さよが復学したときの証言を普通に受け取れば、さよの回復に関与したのは千雨のはずだ。
 麻帆良学園女子中等部の3-Aにおいて、学園長を含む最上位の者たちとのコネをもつものは多いのだが、反面一般の魔法先生とつながっているものは意外と少ない。

「吐きなさい」
「いえ、そんなわたしがわざと黙ってたみたいじゃないですか。そうじゃなくてですね、うちのクラス内ではさよちゃんはエヴァちゃんじゃなくて、千雨ちゃんの方にべったりなんですよ。それに復学に関しても千雨ちゃんが何かしたって復学の時の自己紹介で言ってましたし」
 どこまで話したものか、と考えつつごまかしに走る。
 というより、まさかとは思うが、長谷川千雨が当のネギ・スプリングフィールドと付き合い始めたことすら、目の前で不審げに自分を見やるシスターは知らないのではなかろうか。

「彼女の復学は学園長名義ですよ? それはありえないでしょう」
「でも千雨ちゃんはエヴァちゃんとも仲がいいわけですし…………」
 さよが千雨の弟子であり、あの信奉具合を考えれば話半分といったところかもしれないが、もしさよの言葉が本当ならば彼女はかの闇の福音にすら劣らない“魔術”とやらを使うはずだ。
 うう、知らないままでいたかった。胃がチクチクし始めた。

「そもそも長谷川さんとはどの程度の使い手なのです?」
「知らないんですか? シスター・シャークティ」
「記憶操作等については伺いましたが、技術派閥すら報告されていません。あなたは知っているのですか?」
 わかりやすく墓穴をほった美空だった。

「あっと、いえ、私も詳しく知ってるわけじゃないですけど、なんか修学旅行でネギくんが襲われた時に手伝っていたらしいですね」
「スクナが顕現する前の話ですね。西の術師が親書を奪いに現れたと聞いています。ネギ先生はまだ技術はあっても実戦経験に乏しいそうですから、手を貸したのでしょう」
「はあ。…………ネギくんに手を貸した、ですか」
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。なんでもないっす」
 美空が誤魔化す。
 ごまかしたことに気づいたらしいシャークティが美空の悪巧みかと睨んでくるが、今回は悪巧みではなかった。
 彼女はシャークティの話を聞きながら、一つの確信を得ていたのだ。
 
(で、やっぱりネギくんと千雨ちゃんの関係については聞かれないんだもんねえ……)

 マジで知らないっぽいなあと内心で嘆息した。
 あのざまで隠し通せているということだろうか。
 と、そんなことを思考している姿は、本人の評判も相まって、非常に胡散臭く見えるらしい。

「美空?」
 しびれを切らしたシャークティが対話を諦め、自白させる方向にシフトしたらしい。
 探偵物の主役にはなれそうにないが、美空には効果抜群だ。
 誤魔化すように口調を濁す。

「えっ、いやー、そのネギくんのことですけど、魔法先生たちへの紹介を千雨ちゃんと合わせて行うんですね。なんでなんだろうなあと思っちゃって」
「それはわたしも少し不思議でしたが、長谷川さんはネギ先生のクラスメイトだそうですからね。良い機会だという意味だと思いますが」
「はあ、なるほど。いや、それにしても、千雨ちゃんのことですけど、ほんとどうなるんですかねえ」
「またですか。随分と気にするものですね。そんなに仲が良かったのですか?」
「そんなことはなかったはずなんですけどね。意外にあれで抜けているというか騒動を起こすタイプというか。ネギくんと、あー、いえ、ネギくんが来るまではそんなことなかったんですけども、やっぱり騒動となると――――」

 と、そんな美空のつぶやきに答えるかのように“それ”が来た。

 爆発的な“魔法”の波動。
 世界樹のゆりかごに包まれる麻帆良学園の中にいるからこそわかるその異常。
 内部の者へ祝福を与えるはずのその空間に、どう受け取っても戦闘用に編まれた敵意の魔法が柱を建てるかのように突き刺さっていた。
 いや、正確に言うならば、それは地から天へと伸びている。

 美空、シャークティ、そしてココネが三者三様に驚愕の声を漏らし、反射的に学園の地図からその場所を測量した。
 遠くその場所から伸びる光の柱。
 その方角と距離を推測してすぐに思い当たった。
 その麓は麻帆良の大施設の一つ“図書館島”。

 シャークティはすでに千雨どころではないと思考を切り替え、
 ココネは目を丸くしたままに、その力の規模に美空の服をギュッと握り、
 そして美空は、この何色にも染まらないただ大きさだけを持つ魔力の使い方を、以前にも見たことを思い出し、もしかして、などと想像をふくらませながら冷や汗を掻いていて、

 もちろんその原因は――――



  ◆



 ――――と、そんなことが起こる少し前。千雨は依然として地図を片手に図書館島の中を潜っていた。

 探索を進め、階層を下るごとに図書館利用者や探索部とやらの痕跡が減っていくが、いまだ時々ビバークの跡や、使われた形跡のある休息施設などが散見されるあたり、麻帆良の人間というのは改めてイカれている。
 ここは本当に図書館なのだろうか、と本棚の横を通りながら千雨は思った。

 さて、ちなみにこの時の千雨は、この結果は地図の力であり、やはり情報の力というのは反則だなあなどとのんきに考えていたので、あまり実感を持っていないが、本来熟練の探索部が日時をかけて突破する迷宮をこの速さで攻略していることには地図だけではなく、魔術師としての千雨の力も多分に影響している。
 フィート棒を使うこともなく気流を読んでわなを見破り、扉の鍵を呪文を唱えて開けていく。
 湖上にたって、壁を歩いて、地面から若干の距離を浮き上がるよう、重力の枷を緩めて空を駆ける。
 あるという話は聞いていたが、思っていた以上に罠や仕掛けが多いのだ。

 のどかの所属する探索部とやらは思っていたよりも本格的らしい。
 以前に忍び込んだルビーやネギたちの話を思い返せば、そういうこともあるだろうが、一昔前の千雨だったら、絶対に来ようとは思わなかった場所たろう。

 湖底に本棚が見えている目を疑うような光景を足元に湖を超えると、その側にある階段を登っていく。
 そして、登り切った踊り場につくと、ピタリと千雨の足が止められた。
 目の前にはあるのは単純な分かれ道。
 不自然なわけでもなく同じように舗装された道が二本伸びている。
 片手に地図を持っているのだ。本来はそのままその内の一つの道を渡ればよいのだが、他の分かれ道と異なり、そちらへ進もうとする足に心理的な圧力がかかっている。

 一旦目を閉じて、外部から強制される心の動きを修正する。
 改めて心理防壁をかけなおして再度目を開ければ、目に映るのは先ほどと同じであって同じでない空間だ。

 人払いの結界。
 魔法使いが仕掛けであろうそれが、この辺り一帯を守護している。
 たとえ進行方向を決めて、目的地を見据えて歩んでいてさえ、行動を躊躇させる心理効果を誘発するそんな術式。
 先程から探索を進めるにあたり、自分も人目避けについては気を使っていたが、これはそんなレベルではない。

 急にそちらに進みたくなくなる、などの印象操作。人の予感、第六感を逆向きに誘導する、人の無意識を逆手に取った払いの結界法。
 これまでの罠とは一線を画したものだ。
 おそらくここが、一般生徒とそれ以外の分水嶺ということなのだろう。

 この術式は肉体から相手の思考にアクセスしているようなので、おそらく幽体ならば効き目は薄く、同じような手口を操る魔術師にだって普通に解くことも魔力で洗い流すように力任せにキャンセルすることだってできるだろう。
 だが、まあ普通の生徒に解けないだろうことには変わりない。そんな益体もないことを考えながら、頭をひとつ振って、思考の防護壁を確認し、結界を逆探して構成を把握してから、一旦止めた歩みを再開する。

 あけっぴろげに見えて、要所要所はかなりきちんと管理されているようだ。
 中等部はもちろん大学からして探索をしても全貌が開かせないというのも納得できる。
 しかもこの手の妨害陣があるということは、一旦この場を抜けたものがそれを地図として残しても、継承したものが、その成果を簡単には受け取れないということだ。
 ネギが渡した地図に同級生の探索部が驚いていたが、ここはそういう自体すら想定しているのだろう。
 迷わせるのではなく区別する。そういう意味では、この術式は迷路というより篩である。

 しかしまあ、と千雨は踏むと落とし穴に直結するタイルをまたぎながらため息を吐いた。
 警報機関連がないくせに、アトラクションじみた罠をくぐり抜け、鍵がかかってないくせに、クローズタイプのパスコードで封印されている扉を開けて進んでいけば、古めかしい稀覯本の山である。
 探検部ができるのもわかる。

 ちなみに手元の地図は迷路を抜けるための地図であり、別に配架図というわけではないので、図書館島を本来の用途で探索する場合には、たいして役に立つことはない。
 千雨も特に本には目を向けておらず、たまたま目にとまる程度だ。精神医学のレシピ本が並んだ棚を乗り越えて、妖刀鬼剣忌刃物の書記集が並ぶ一連の本棚の横を抜け、実物入り宝石図鑑と銘打たれた案内板に若干の未練を残しながらひたすら進む。

 そしてようやく目的地の周辺にまでたどり着いた千雨の歩みが、その耳に異音を捉えてわずかに緩まる。

 ひたすらに、地図のとおりに進んでいた彼女は気づいていなかった。
 地図を持ち、一般生徒が道具だよりで超える罠を、浮遊や透視で看破してここは魔都である麻帆良の中で、さらに七不思議に分類される図書館島の最奥へと近づいている扉の前だということを、真剣に受け止めてはいなかった。
 だからそれに気づけなかった。

 魔法の結界を抜けた以上、ここはいままでの麻帆良探索部が通うような整備された迷宮とはまた別の迷宮だ。
 周りはいつのまにやらうっそうとした樹木に囲まれ、見通しの悪くなっていることを、千雨は弓矢が飛んでくる本棚で仕切られた迷路と同じように考えているが、もちろんそれは間違いなのだ。

 以前、ルビーがその警戒網に触れていて、その上で捕らわれかけた場所であるのだが、千雨はそこまで深刻に考えていない。
 なぜなら、彼女は当時と異なり、麻帆良や魔法使いのことの事情をだんだんと理解しているから。
 なぜなら、当時のルビーは、麻帆良に偏見を持っていた彼女の弟子をむやみに怖がらせないように、自分がであった謎の司書のことを詳しく説明しなかったから。
 なぜなら、彼女の記憶にルビーから聞いた図書館島の品評に並んで、以前にネギがテスト対策のために学生とともに潜ったなどというしょぼい理由が残っていたから。

 魔術の罠をかいくぐりながらも、彼女の慎重さは恐怖から生まれたものは存在しない。
 軽くこの記号の意味だけ確認して、その情報を恋人を喜ばせるために使ってやろうなんて、寝ぼけた考えをしていたから、

 だから当然、彼女はそんな麻帆良の甘さに浸りきった魔術師として、その思考のつけを払うことになる。

 手に持った地図に書かれたデンジャーという警告を半端に受け取り、その内容をその下に描かれた下手な似顔絵なんかに誤魔化され、これまでの同級生との雑談に認識を間違えて、その挙句、今そんな背景を持つ迷宮を進むのは、お師匠様の秘匿を明かされる前に強制的に独り立ちした魔術師見習い。

 そんな諸々の理由から、彼女はその地図に描かれる下手くそな絵について、いったいなにを表したものであることを意識せず、鬼が出るか蛇が出るか、と軽く考えたままこの場に出向き、その結果、こうして迷路を抜けたその先で、こちらを睨みつけるドラゴンと鉢合わせ、


 ――――あげく、感情のままにその体に宿る宝剣を暴走させることになったわけである。




――――


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