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[13978] ヤンデルイズ(ルイズヤンデレ逆行?もの)【2スレ目にて完結】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/05/01 06:45
これはゼロの使い魔の二次創作です。
ルイズ×サイトものであり、ルイズヤンデレものであり、珍しい?ルイズ逆行もの?です。
ルイズはサイト命です。
苦手な方はご注意下さい。

※一部残酷だと思われる描写があります。

※一部魔法に独自解釈やオリジナルに近いと思われる描写があります。

※微エロ、R15抵触程度の表現があります。
万一、これはアウトだろ、と思われる描写がありましたら、お手数ですが感想欄にてご指摘頂ければ修正、場合によっては移行も考えます。



H22.5/7 チラシの裏より移動

H23.5/1 2スレ目にて完結



[13978] エピローグにしてプロローグ
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:00
エピローグにしてプロローグ


 晩年の頃、彼女は思いを諦めきれないでいた。

 寿命というには明らかに早いその晩年は、彼女の齢三十二歳の時に訪れた。

 それでも、『こうなる当時』の年齢になるまでと同じ時間生きたのだから、持ったほうだと彼女は思う。

 彼女はある時を境に食事を殆ど摂らなくなった。

 生きる事を諦めたかのように、人が生命活動を行うに必要なあらゆる行動を放棄していた。

 彼女がそれでもこの年齢に至れたのは偏に彼女が貴族だったからだ。

 彼女の家は公爵家だった。

 公爵家の娘ともなれば、たとえどんな状態になろうと無碍にすることなど許されない。

 彼女は三女だったが、だからといってそこらへんの貴族の家の長男よりも好待遇だった。

 一切の世話を任された侍従達によって、彼女は食事を食べさせらせ、着替えさせられ、ありとあらゆる方法で彼女は生かされた。

 彼女はそんな彼らを視界に入れることなく、ずっと虚空を見据え、本の虫にでもなったかのようにとある調べ物を続けた。

 彼女がそうなってから最初の一年はまだ彼女も気迫があった。

 しかし、二年、三年と経つにつれ彼女の気勢は削がれ、意思の抜けた作業をこなすだけの時間の昇華になっていた。

 それでも彼女は調べ物を止めなかった。

 家が裕福なのも幸いし、調べものをするための資金は潤沢だった。

 自分の願いを叶える為に近しいことならどんな些細な事でも調べた。

 最初はただ願いを叶えるという一点に絞った。

 願いを叶える万能の釜。

 七つ集めれば願いが叶う珠。

 果ては神などという曖昧な伝承を漁りもした。

 しかし得られた結果と成果は皆無だった。

 どれもこれも真実味が無く、作り話かと思わせるような文献ばかり。

 結局、彼女は望みのものを見つけられなかった。

 彼女は大きい天蓋付きシングルベッドで一人、横になりながら天蓋を見つめる。

 シングルベッドと言っても、小柄な人間なら二人は十分に寝られるほどにおおきなそれは、固定化という魔法でこの十数年朽ちることなく彼女の寝所としてあり続けた。

 彼女は思う。

 もう声を思い出すことさえ出来ない『彼』はかつて、このベッドで一緒に眠ったな、と。

 年と共に磨耗していく記憶は彼女の心を蝕み、その命を削る。

 彼女にとって、『彼』が自分の中から消えていくのは自分の体が朽ちるよりも耐えられないことだった。

 最初に記憶から彼の履いていた靴が無くなった時、彼の覚えている全てを形にしておかなかったことを後悔した。

 すぐにその他の衣服で似た物を揃えさせ、記憶の固定化を図ったかが、彼女のかつての魔法行使と同じく、それは意味をあまりなさなかった。

 記憶が、年月を重ねるごとに薄れていってしまう。

 肌の触感。

 仕草。

 表情。

 目や鼻の大きさ。

 肌の色。

 匂い。

 どれも形で残せぬものが色褪せ、磨耗していく。

 そしてとうとう『彼』の自分を呼ぶ声を思い出せなくなった時、彼女は声を殺して泣いた。

 それはくしくも、彼女がこうなって初めてみせた感情の表れだった。

 彼女がこうなって十余年。

 こうなる前、当時の彼女はもっと明るく活発で奔放だった。

 しかしそれも「戦争」という二文字の為にあっけなく壊される。

 彼女は元々はトリステイン魔法学院の首席で、しかし魔法成功確率ゼロパーセントで、魔法が使えないのに特別な魔法使いだった。

 気位が高いのは自認していたし、自分の力量を見誤る程馬鹿では無いつもりだった。

 ただ、浅はかだった。

 幼い頃からの友人で国の宝物でもある王女、アンリエッタ姫の頼みを受けられるのは自分だけだと思い、幾度と無くその身を危険に晒してきた。

 それは別に今でも恨んではいない。

 恨むべきは浅はかな自分自身。

 戦争というのは殺し合いだ。

 周りや『彼』がそれを諭そうともわかっていると言って聞かなかった。

 でも、わかっているつもりでわかっていなかった。

 姫の頼みなら例え死でさえ覚悟するつもりでいた。

 それが貴族だという矜持が当時の彼女には根強かった。

 そんな彼女は、幾度と無く自身の使い魔、『彼』と衝突した。

 普通、使い魔とは幻獣や動物の類だが、彼女は何故かそのどれでもない、動物界・脊索動物門・脊椎動物亜門・哺乳綱・サル目(霊長目)・真猿亜目・峡鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種、学名でいうホモ・サピエンス・サピエンスの雄だった。

 早い話が自分達と同じ人間の男、それも平民だったのだ。

 当初こそ衝突の多かった二人だが、時間と共に絆を深め、唯一無二の存在にまで互いはお互いを認め合った。

 だからこそ、彼女は彼を失い難く、彼の為にも命を投げ出す覚悟だった。

 結果、彼は彼女の為に命を投げ出した。

 戦時中、戦局の流れでこちらが撤退をやむなくされた時、国の宰相であり姫の側近である者からしんがり役を彼女は頼まれた。

 当然『彼』は止めた。

 しかし、当時の彼女は『彼』のそれを受け入れるほど聞き分けが良くなかった。

 結果、彼女は知らぬうちに眠らされ、撤退用の船に乗せられ、彼は彼女の代わりとなった。




「……サイト」




 高い透き通るようなソプラノの声。

 彼女が本当に久しぶりに発した声は、十余年経とうとも唯一変わることなく衰えを感じさせる事も無かった。

 だが、そんな彼女が声を発したのは一体何日ぶりだろう。

 もしかしたら月単位、いや年単位かもしれない。

 未だ彼女の記憶に色褪せずに残っているのは『彼』の名前のみ。

 平賀才人。

 サイトはそうして彼女の代わりに七万人もの兵隊に一人挑み、帰らぬ人となった。




「……好きよ、サイト」




 伝えたかった言葉。

 伝える事が終ぞ叶わなかった言葉。

 それを伝えたい相手は、今の彼女自身がかつての彼女自身を見て思う“くだらない矜持”の為に彼女の前に姿を二度と現せなくなった。

 その時から、彼女はもう一度彼に会いたいと方々手を尽くし、調べものをしてきたのだが、




「……結局言えなかったわね、私の想い、本当の気持ち。……ごめんなさい」




 彼女はそう言って一筋の涙を流し目を閉じる。

 願わくば彼女はもう一度彼に会いたかった。

 しかしどうやらその願いは彼女の残りの人生を全て費やしても叶うものではなかったようだ。

 彼女の胸の鼓動が数分おきに小さくなって、やがて止まる。

 口元から吸っては吐かれていた吐息は無くなり、完全に時が停止する。

 静まり返る室内。




 享年三十二歳。

 トリステイン王国公爵家ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、こうして大きな無念を抱え込んだまま、その短い生涯を終えた。
















***
















 暗い暗い場所。

 グラリグラリと揺れ動く懐かしい感覚。

 この場所には覚えがある、そう思って彼女は自身に被さっている布を振り払う。

 死の間際であったはずの自分にしては思いのほか強い力だった。

「……あれ?」

 布を取り払って疑問に思う。

 暗いと思っていたのは全身に被さっていたその布のせいで、どうやら今は昼間らしいがそんなことよりも。

 自室のベッドで横になっていたはずの自分は、中庭の池にある小船の上にいた。

 ここに来るのは本当に何年ぶりだろうかと思う。

 丸い大きな池の小船の上。

 昔から嫌なことがあればここに隠れて泣いていた。

 懐かしさに胸を打たれるのと同時、不思議な感覚に襲われる。

 妙に体が軽い。

 自分の体は衰弱しきっていたはずなのに。

 と、聞き覚えのある声が聞こえた。

「ルイズ、僕のルイズ。もうすぐ晩餐会の時間だよ」

 そこにいたのは若かりし日の初恋の人であり、裏切り者だった。

「また泣いていたのかい? 大丈夫、僕がお父上にとりなしてあげよう」

 そう声をかけてくるまだ少年の時の顔の裏切り者、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは彼女の幼い頃の記憶そのままに手を差し伸べてくる。

 何故ここにこの人がいるのか。

 自分がその手を取る事があると思っているのかと睨みつけ、手をはたくことでその手を振り払い、気付いた。

「ルイズ……?」

 まだ髭の生えていないワルドはルイズを訝しむが、ルイズはそんなワルドなど眼中に無かった。

 見つめているのはワルドの手をはたいた自分の手。

 小さいのだ。

 それはもう幼子のように小さいのだ。

 次いで自分の体を見て戦慄が奔った。

 体が縮んでしまっていた。

 いや、若返ったというべきか。

 待て、そんなことはありえないはずだ。

 そんなことが出来る薬か何かがあるのならもっと大題的に有名になっている筈である。

 ルイズとて女性であり、若返りに全く興味が無いわけではなかった。

 しかしこれはありえない事態。

 今わの際の夢か幻と思うほうが現実的だ。

 それにもし過去の幻覚を見るならサイトを見たかったと思う。



(……ん? 過去?)



 もし、もしも幻覚の類でなく他の可能性、目の前の若いワルドを見るに若返ったのではなく“戻った”のだとしたら。

 自分が長い年月をかけ捜し求めたもの、少々時期がアレだがそれが起きているのだとすれば。

「あの、ワルドさま?」

「何だいルイズ?」

 ワルドはしばし呆然としていたルイズを見て、眠っていたか何かで意識がはっきりしていないのだろうと決定付けた。

 そうでなければ自分の手をこの娘が振り払う筈が無いのだから。

「私、変じゃありませんこと?」

「変? 何を言ってるんだいルイズ、君はいつも通り可愛らしく、羽毛のように軽いよ」

 そう言ってワルドはルイズ抱き寄せようと手を伸ばすがルイズはそれから逃げた。

「ルイズ?」

「すいませんワルドさま、気分がすぐれないので部屋に戻ります」

 ルイズは逃げるようにしてその場からすぐに駆け出した。

 不思議そうにしていたワルドは、顔をしかめる。

 しかし、今のルイズには“そんなこと”どうでもいい。

 確かめなければならないことがある。

 礼儀など金繰り捨てて自室へと駆け出し、カレンダーを眺める。

 その暦は、間違いなく自分の今の容姿、六歳頃のそれであった。

 ここでルイズは瞬時に仮説を立てた。

 何故こうなったのかはわからない。

 だが今が仮に六歳の自分だとしよう。

 もし、若返ったのではなく“戻った”のだとしたら自分は今、およそ二十六年ほど前にいることになる。



「あは……」



 自分はまだ六歳。

 けどこのまま育てば十年後には十六歳。



「あはは……」



 その頃にはトリステイン魔法学院にいて、“使い魔”を召喚するはず。



「あははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!」



 その時、私はまた彼と会うことが出来る。

 やり直す事が出来る!!

 いつの間にか自分しかいない部屋で大声を出して笑う。

「サイト……やった、やったわ!! 私また貴方と会えるの、会えるのよ!!」

 その瞳は十余年ぶりに虚無以外のもの、“希望”を映し、彼女に活力を与える。



「あははははは!!!!! サイト、あと十年、十年待っててね、あはははははは!!!!!!!」



 狂喜乱舞し、狂ったように笑い続ける彼女は今、幸せという名の希望を十余年ぶりに見出だした。



[13978] 第一話【再逢】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:00
第一話【再逢】


 とうとうこの日が来た。

 この十年、本当に長かった。

 この日の為にいろいろ考え、準備もしてきた。

「五つの力を司るペンタゴン」

 学院に入ってからの一年は、この部屋に一人でいるだけで何百倍もの時間を感じた。

「我の定めに従いし」

 でもそれも今日で終わる。

「使い魔を召喚せよ」

 私は今日、二十六年ぶりに彼と再会できるのだ。




***




 少年、平賀才人は歩いていた。

 場所は秋葉原。

 サイトは普通のジーンズに青と白のパーカーを着て、脇には折りたたまれたノートパソコンを持っている。

 三日前の晩、というか朝(夜中の三時)に使用していたノートパソコンが急にフリーズしてしまい、電源がつかなくなった。

 もう大分古くなってきていたし予兆はあったのだが、まだ見たい動画が残っていたので無性に腹が立った。

 殆ど寝ずにバラしてみたがわからず、気付けば朝も十時を回っており、その日はやむなく電気屋に駆け込む事にした。

 そして今日、修理完了の旨を電話で受け、マイノートパソコンを受け取りに来たのだ。

「ふわぁぁ……」

 脇にノートパソコンを抱えたサイトは眠い目を擦り欠伸をする。

 昨日の晩は動画の代わりにビデオを久しぶりに長い間見ていて万年睡眠不足は現在も進行中だ。

 母親がパソコンの無い時くらい早寝しなさいと怒っていたが、日付変更前に寝たら若者として負けだと思ってる。

 しかし、実際めちゃくちゃ眠い。

 負けという舌の根も乾かぬうちに今日は久しぶりに早寝しようか、そう思ってまた大きな欠伸をし、反動で目を閉じ、また開いた時、景色は一変した。

「は……?」

 周りは電気街などではなくよくわからない何か。

 上も下も右も左もなく、暗いのか明るいのかもわからない。

 全ての常識が突如として消え去ってしまった。

 サイトは与り知らないことだったが、サイトがたまたま欠伸で目を閉じた時、目の前には奇妙な“鏡のようなもの”が現れサイトはそれに気付くことなく足を踏み入れていた。

「何だよここ? 一体どうしちまったんだ!?」

 突然の異変にサイトが取り乱した時、急に景色が“認識できる”ものとして変わった。




─────サイト─────




 名前も知らない誰かが、自分を呼ぶような声が聞こえた。




***




 ボムッ!!

 辺りには突如白煙が舞う。

「うわっ!?」

「げほっげほっ!! やっぱり失敗したなゼロのルイズ!!」

 たくさんいる魔法学院の生徒達は口々に一人の少女を罵る。

 だが、その少女はそんな彼女に向けられた罵詈雑言など耳にしていなかった。

(お願い……!!)

 煙の中央にムクリと黒い影が生まれる。

「おい、何かいないかあそこ」

 生徒の一人がそれに気付く。

「!!」

 ルイズはそれを聞くや否や弾けるように飛び出した。

 未だ晴れぬ白煙。

 誰かが風の魔法で煙を吹き飛ばしていくがそれよりも早く、ルイズは影本人の前に立っていた。

 そこには、色褪せて消えたはずの映像が、モノクロからカラー、立体へと像を結ぶように戻っていき、その目に懐かしい人を映し出した。

 彼女の小振りな胸に実に二十余年ぶりの感動が押し寄せる。

 いても経ってもいられずルイズはそこにいた少年を抱きしめた。

「へっ!? な、何だ!?」

 少年は急なことで驚くが、嗅いだことの無い、しかし女性のそれだとわかる匂いを感じて戸惑いながらも暴れるような真似はしなかった。

 そうして煙が晴れたとき、生徒達は目を丸くしている少年に抱きついている同級生ルイズを発見する。

「何だ? ルイズが平民に抱きついてるぞ?」

「ルイズってば魔法が使えないからってそこらへんの平民を捕まえてきたのかよ」

 口々に罵るような言葉を浴びせかけるが、彼女は動じない。

 ルイズはゆっくりと離れ、未だ戸惑っている少年、青と白のパーカーを着込んだ先ほどまで秋葉原にいた平賀才人を優しく見つめた。

 二十六年ぶりの再会。

 一方は恐らくそれを知らず、一方は恋焦がれ待ち続けた。

 そんな、まだ噛み合う前の歯車のような二人に、

「ミス・ヴァリエール、召喚はできたようだね、見たところ彼は平民のようだがこれは伝統ある儀式。コントラクト・サーヴァントを済ませなさい」

 頭の頭頂部が禿げ上がった先生、ジャン・コルベール先生がルイズに促した。

「はい、ミスタ・コルベール」

 それにルイズは意義を唱えることなく返し、サイトに近寄っていく。

 スペルを一通り唱え終わるとルイズは一言、

「ごめんね」

「えっ!? うむっ!?」

 そう言ってサイトの唇に自らのそれを押し当てた。

 サイトは驚き目を見開く。

 突如わけのわからないところに連れてこられ、目の前に長い桃色の髪の可愛い女の子がいるかと思ったら抱きしめられ、謝られ、キスされている。

 友人に言ったら「それ何てエロゲ?」とか聞かれそうだ。

 彼女は目を閉じてサイトにキスをしたままじっとしている。

 どことなく頬が赤い。

 自分も目を閉じた方がいいのかな、なんて場違い?な事を考えたサイトは次の瞬間驚愕する。

「んっ!?」

 舌だ。

 目の前の可愛い少女は口の中に舌を入れ絡めてきたのだ。

 気付けばいつの間にか頭はホールドされ逃げられない。

 離さないとばかりに強く、しかし優しい手つきで掴まれ濃厚なディープキス。

 平賀才人十七歳。

 ファーストキスは突然のディープキスであった。

 というかもう、なんていうか蕩けそうだ。

 口の中に入ってくる小さい舌は目の前の彼女を体現するように可愛らしくも拙い動きでサイトの口腔内を撫で回す。

 サイトは未だ感じたことの無いその感覚に背筋をゾクゾクさせながら出来心で自らも相手の舌を絡めるように舌を動かした。

 途端、彼女の目は見開いた。

 (やばっ!? 怒らせた!?)

 焦るサイトだが、次の瞬間目の前の彼女は目をトロンとさせて行為を続ける。

 ワケがわからないサイトだが、この感じたことの無い感触をまだ味わいたいと流れに身を任せようとして、

「っ!!」

 左手の甲に熱い痛みを感じて相手の舌を噛んでしまった。

「あ、ごめ、熱っ!!」

 唇を無理矢理離し、謝ろうとして左手の甲にハンダゴテでも押し付けられているかのような熱い痛みで唸りながら身を屈める。

 左手を見ればわけのわからない文字が浮かび上がっていった。

「ふむ、コントラクト・サーヴァントは無事終了ですな、しかしミス・ヴァリエール、契約するのにあそこまでの濃厚なキスはいらないのですぞ?」

「はい、知ってます」

「で、では何故あそこまで……」

「これから私の使い魔になる彼に親愛を示すのがそんなにおかしいですか?」

「む……これは失言でしたかな、まぁ人それぞれで確かにそこは言うべき点というほどでもありませんな、いやミス・ヴァリエール失礼しました」

「いえ、気にしてませんミスタ・コルベール」

 サイトから見て禿げ上がった頭の人と先ほどずっとキスしていた女の子がなにやら話しているうちに、サイトの痛みと熱さがようやく収まった。

「うん? あまり見たことの無いルーンだが……おっと!? もうこんな時間か。さて皆さん!! 今日の儀式は終了です!! 各自学院に戻ってください、今日は使い魔とできるだけ親睦を深めるように!!」

 そう禿げた頭の男、コルベールと呼ばれた人が言うと、彼を含めそこにいた人たちが浮きあがり次々と飛んでいく。

 その様をサイトはポカンとしながら見ていた。

 想像を超えるファンタジーを垣間見て脳に思考が追いついていないようだ。

「さて、行きましょうか」

 ルイズは目の前の少年に微笑み手を差し伸べる。

「あ、えっと、ごめん、君は?」

 サイトは戸惑いながら手をとる前に尋ねる。

 ルイズは若干寂しそうな顔をしてから、

「私はここ、トリステイン魔法学院二年、公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、宜しくね」

「あ、俺は平賀才人、宜しく」

「ええサイト、私はずっと貴方を待っていた」

 そう言ってルイズはとびきりの笑顔で微笑む。

 サイトは顔が赤くなった。

 先ほど、自分はこんな可愛い娘とキスをしていたのかと思うと恥ずかしくなる。

「貴方はまだ状況がわからないでしょうしとりあえず私の部屋に行きましょうか、そこでいろいろ説明するわ」

 そんなサイトの心情を知ってか知らずか、ルイズは場所の移動を促した。

 と、そこに、

「はぁ~いルイズ、あんたサモン・サーヴァントだけは自信があるって言ってたけどどんな使い魔を召喚したの?」

「キュルケ!!」

 炎のように真っ赤な長い髪をした少女と、寡黙な青い髪をした眼鏡の少女が“浮かびながら”近寄ってきた。

「って何よ、平民じゃない。散々自信あるって言っておいてコレ? 拍子抜けというか笑っちゃうというか」

「キュルケ、貴方はサイトの良さが全然わからないみたいね、まぁそのほうが私的には都合がいいけど」

 ルイズは慌ててサイトを自身の方に引っ張り腕を絡ませて取られないようにと過剰に反応する。

「あらまぁ、あの“ゼロのルイズ”が随分とその平民を買ってるのね」

「当然よ、私は最高の召喚をしたわ」

「ふぅん、まぁいいわ」

 キュルケはしばしサイトを見つめると、すぐに「行きましょタバサ」と言って学院の方へと飛んでいく。

 タバサと呼ばれた青髪の少女はコクリと頷くとキュルケの後を追うように学院へと飛んでいった。

 それを見届けてから、ようやく安心したようにルイズはサイトを離す。

「それじゃあ私達も行きましょうか」

 ルイズは先ほどキュルケとかいう女性に見せた鬼のような形相から一転、天使のような微笑でサイトに向き直る。

「あ、えと、ああ」

 その急すぎる変化に戸惑いながらサイトは桃色の髪の女の子についていった。



[13978] 第二話【初夜】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:01
第二話【初夜】


 部屋に戻ったルイズは、サイトにこの世界のあらましについて説明していく。

 魔法と魔法使い、メイジの存在する世界。

 貴族という階級制度。

 月は二つあること。

 使い魔は主と一生を共にすること。

 一度彼女は彼に説明した経験があったし、彼が何にどう驚いたのかもある程度は覚えていた。

 声や仕草、顔を忘れても出来事や知識としての経験は忘れない。

 十年間もあったのだ、彼が現れたときにどう説明するかなどある程度考えていた。

 もっとも、自分が逆行者らしいなどというのは未だに誰にも言ってはいないしこれから先も言う気は無い。

 そんな事は些末事でしかなく、大事なのはサイトと人生をやり直すことだとルイズは考えていた。

 それと同時にわかる未来というのもどうかしようと思っていた。

 未来を知るということは良い事ばかりではない。

 なまじそれにばかり頼るとろくでもないことになるのでは、という危惧もあった。

 だから、たとえ知っていたとしても、自分は全てのことを知らない振りで通す事に決めたのだ。

 そして実はこうしたのにはもう一つ理由があった。

 もし、この時間軸上で自分が大幅に今までと違うことをした時、サイトを召喚するということすら変わってしまうのではないか、そういう不安があった。

 だからルイズはその不穏因子の為に今日まで以前とあまり変わらぬ生活をしてきたのだ。

 その為周りからは屈辱的な“ゼロ”の称号を再び付けられたが、サイトと逢うためならば安い代償だと考えた。

 だがここからの未来は違う。

 たとえ変わろうと構わない。

 知らない未来になろうと、知ったことではない。

 “サイトが傍にいる”という条件さえクリアされているのであれば、ルイズは全く持って他の事に興味を見出せなかった。

 恐らく、アンリエッタ姫とサイトのどちらかを選ばなければならない時が来たら、ルイズは躊躇無く彼を選ぶだろう。

 彼女はそれだけの覚悟でこの十年を過ごしてきたのだ。

「へぇ、何か俺本当に異世界って所に来ちゃったんだ」

 サイトはルイズの説明に納得した。

 最初は疑っていたが、人が空を浮かんでいたことの説明や、夜になってから見た双月を見れば信じざるを得なくなっていた。

「で、使い魔ってのは具体的に何をすればいいんだ? 俺はその使い魔になっちゃったらしいけどたいしたことはできないぞ?」

「使い魔は普通、秘薬を探してきたり、主の交通の便の向上や特殊な利益を生むのと主を護るのが使命なんだけど……」

「ひ、秘薬? 何だそれ、悪いけど俺にはそんなのわからない。特殊な利益だって俺は何もできないし、護るって何か危ないこととかあるのか?」

「まぁ学院内にいれば“今は”安全よ、特殊な利益は大丈夫、サイトはきっちり特殊な利益を生んでるから」

「へっ?」

 サイトは素っ頓狂な声を上げる。

 身に覚えが無いし、何か変なことを期待されても困るというような顔だ。

「……サイトはね、私の傍にいてくれるだけでいいの」

 ルイズはそんなサイトの手を取って彼を見つめ真面目な顔で言う。

「貴方は知らないでしょうけど私は貴方をずっと待ってたの、だから私は貴方が傍にしてくれるならそれでいい」

「俺が、君の傍に?」

「ええ、そして私だけを見て欲しい」

 そんな彼女の真剣な眼差しは、現代日本とは別の明かり、ランプのメラメラ燃える炎によって時に暗く、時に明るく映る。

「よくわからないけど、俺は君「ルイズよ」……ルイズの傍にいればいいのか?」

「ええ、あとはそうね、貴族っていうのは本当にプライドの高い人たちで、まぁ私もそうなんだけど着替えやその他の雑務を使用人や使い魔にやらせるのよ」

「うへぇ、つまり俺がルイズの世話をするってことか」

「イヤ?」

「い、嫌じゃないけど、ほら、俺まだあんまりルイズのこと知らないし」

「まぁ、そうよね。ゆっくり行きましょう、まだ時間はあるもの。ああ、それと寝床と食事はきちんと私が用意するから安心して」

「あ、サンキュ」

 話は滞りなく済んでいく。

「じゃあ今日はもう遅いし寝ましょうか」

 ルイズはそう言うと制服を脱ぎだした。

「おわっ!?お前男のいる前で急に服脱ぐなよ!!」

「別に、サイトになら見られてもいいもの」

「はぁ?」

「なんでもない、そこの引き出しに寝巻きがあるの、取ってくれる?」

「これが世話の一環ってヤツか?」

「まぁ、そうなるわね」

「何か急に罪悪感が……」

「大丈夫、私がお願いしてるんだから」

 サイトは若干ぶつぶつ言いながら引き出しから寝巻きのフリフリワンピースを取り出すとスケスケの下着のルイズの方を見ないように渡した。

「ほらよ」

「サイト、着せて」

「じ、自分で着ろよ!!」

「お願い。貴族は平民がいる前で自分では服を着ないように躾けられてるの」

「……ったく、わかったよ」

 サイトはまさしく腫れ物でもあつかうかのようにルイズに頭から服を着せていく。

 時折、柔らかい、とか、華奢だ、などと呟きながらもサイトは必死にやった。

 必死にならないとおかしな感情が爆発しそうだった。

「……んっ」

 腕を通してやり軽く下に伸ばして着替え完了。

「ありがとう、じゃあ寝ましょうか」

 ルイズはベッドに腰掛ける。

「俺は何処で寝ればいいんだ?」

 サイトは疑問符を浮かべた。

 見たところこの部屋のベッドは大きな天蓋付きのベッドただ一つ。

 中心にはテーブルと椅子、壁に張り付くようにしてタンスとクローゼット。

 幾分隙間はあるが、余分なシーツが見当たらなければ“藁束”も無い。

 寝袋のようなものがあれば助かる、そうサイトは思っていた。

「何言ってるの? ここにベッドがあるじゃない」

「え? ここって……これのこと?」

 しかし返ってきた答えは予想の右斜め上。

 サイトは今ルイズが腰掛けているベッドを指差して念の為に尋ねるが、

「ええ、そうよ」

 即座に肯定される。

「じゃあルイズは何処で寝るんだよ」

「おかしなことを聞くのね、ここに決まってるじゃない」

「オレハドコデネルンダッケ?」

「だからここよ」

「ジャアルイズハ?」

 サイトは未だシンジラレナーイとばかりにおかしな聞き方でルイズに聞きなおすが返ってくる言葉は同じ。

「い、いいのかよ!?」

「ええ、私はサイトを信じてるもの、それに……」

 最後にゴニョゴニョと何か言ってルイズは、サイト一人分のスペースを空けながらベッドで横になる。

 サイトは戸惑いながら、しかしやっぱりベッドに入り込む。

 サイトだって年頃の男の子。

 女の子への興味は津々だった。

 ルイズはサイトがベッドに入ったことを確認すると指を鳴らす。

 途端点いた時と同じようにランプの火は唐突に消えた。

「今のは魔法じゃないんだっけ?」

 サイトが聞くと、

「ええ、あれはマジックアイテムよ。私は普通の魔法が使えないから」

 ルイズが答える。

 それはさっきと同じ質問と回答のようでいて違う。

 お互いの体が密着するまでに近く、鼓動すら感じられる距離。

「おやすみなさい、サイト」

「あ、ああ、おやすみルイズ」

 まだ少しぎこちない話し方のサイトは、何も気負って無いルイズを見て、

 (何だよ、俺のこと男として見て無いのか?)

 少し不満で、不安だった。

 初めてキスした相手とその日のうちに同衾。

 それもとびきりの美人。

 胸は無いけど。

 そんな彼女は無警戒に眠り始める。

 そんなことじゃ、心無い男に騙されるぞ、そう思うサイトだった。

 彼はルイズが小さく言ったゴニョゴニョを聞いていなかった。

 正確には聞こえていなかった。

 実は彼女は、決して無警戒なわけではないのだ。





─────サイトになら、“そういうこと”されても良いもの─────












あとがき

タイトル見て十八禁だと期待した人ごめんなさい。
多分僕に十八禁は書けないので、精々が十五禁抵触程度のエロがこれからも出てくると思ってください。



[13978] 第三話【食事】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:01
第三話【食事】


 彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは本当に久しぶりに熟睡できた。

 ここまで安眠できたのは実に二十六年ぶりではなかろうか。

 いつも眠るときに見る嫌な夢は見ることなく、かつてのように手を伸ばせば彼の少年がそこにいる。

 幸せというものはこういうものだと彼女は長い年月を経て理解した。

 未だ自身がまどろみにいる中、普段なら寂しさからシーツの中をまさぐって生まれる寂寥感が今日は一切来ない。

 そこには幻ではない質量を伴った自分の半身とも呼ぶべき存在が確かにいる。

 「……サイト」

 細く白い手を伸ばし、隣で眠る彼の体を撫でるようにしながら触れる。

 それは長年追い求めた真の感触であり、願いだった。

 この手触りの服は、ハルケギニアの技術では生み出せない。

 まどろみにいながらもそれを本能で理解出来たルイズは目を閉じ微笑を崩すことなくその掌に力を込める。




***




 平賀才人は混乱の極みにあった。

 急に見知らぬ土地に拉致され、もう帰れないと言われ、使い魔になれと言われる。

 それをどれもこれも可愛い女の子が優しく教えてくれたので怒るわけにはいかなかった。

 平賀才人十七歳、自称フェミニストであった。

 女の子への興味も年相応であるとの自覚はあったが、しかし今朝は刺激が強すぎる。

 この刺激に比べれば昨日突然この世界に呼ばれたことなど些細に思えるのではないかと思ってしまうほどに。

 まず、白く細い腕が自分の背中に回っている。

 それはまぁ、いい。

 次に細くしなやかな素足が自分の足を絡めるようにしてくっついている。

 ももの感触がジーンズ越しに感じられてつい……なんでもない。

 ああ、自分もジーンズ脱げばよかっ……なんでもない。

 極め付けが目を閉じた可愛い顔、長い桃色の髪をして薄紅色の頬をし、小さい唇から断続的に吹きかけられる吐息が自分の顔間近にあるということだ。

 抱き枕宜しく、がっちりホールドされてるサイトは満足に身動きも取れず、少女の吐息をその顔に一心に受ける。

 彼女は薄いピンクでスケスケのネグリジェ姿。

 ……何の拷問ですかコレ。

 そう思っていると、目の前の少女、ルイズがゆっくりとその長い睫毛の下の瞳を開いた。




***




「おはよう」

「お、おはよう」

 ルイズはサイトが返してくれた挨拶に身震いする。

 なんという幸せか。

 彼がこうやって話しかけてくれる事を一体この十数年何度夢想しただろう。

 その度に声質を思い出せなくて枕を涙で濡らしたのも、一度や二度ではない。

「……服、着せてくれる?」

 ルイズは起き上がり、サイトに着替えを頼む。

 サイトは何処かぎこちなくなりながら言われた場所から服を取り出してたどたどしい手つきで着替えを手伝い始めた。

「し、下着は自分でやってくれよ!!」

 サイトが顔を赤くしてショーツを投げてくる。

「お、お前、せめて前は隠すか何かしろよ!!」

 サイトは顔を赤くして明後日の方を見ながら前のボタンを留めていく。

「ありがとうサイト、悪いけど使い魔の仕事として下着を含めた洗濯をお願いね」

 サイトは慌てる。

 いくらなんでも女性の下着を洗うなんて。

「お前、せめてパンツは自分で洗うか他の奴に頼んでくれよ!!」

「昨日も言ったでしょ? 貴族は自分ではそういうことをしないように躾けられてるの」

「だったら他の奴に……」

 サイトがそう口にした時、ルイズが一瞬顔を沈ませた。

「イヤ」

「はぁ?」

「サイトがいるのに他の人に下着触らせたく無い」

「お、お前いくらなんでも会ったばかりの俺を信用しすぎだろ!! 昨日も思ったけどそんなんじゃすぐに騙されて痛い目見るぞ!!」

 サイトは怒ったようにルイズを睨みつける。

 ここでしっかり言っておかないとこいつはダメになる、そう良心が訴えてやまなかった。

 だが、ルイズはそれを見て涙を流した。

「えっええええ!?」

 慌てるサイト。

 やっぱり怒ったのが不味かったのか。

 どんな温室育ちか知らないがルイズは貴族だと言ってたし、まともに怒られたことなど無いのかもしれない。

 それは半分アタリで半分ハズレだった。

「私、サイトに怒られた、“怒って”もらえた」

 嬉しかった。

 自分を知らない彼が自分の身を案じて怒ってくれるのが。

 同時に悲しかった。

 サイト自身にサイトを信じすぎるなと言われたのが。

 今のルイズにとってもはや、信じるものはサイト以外にいなかった。

 始祖ブリミルとサイト、どちらを信じるのかと聞かれても彼女はサイトを選ぶだろう。

「いや、その、ごめん」

「ううん、でもサイト、これだけは覚えておいて。私は貴方以上に信じるものなんて無い。それは今も昔も、そしてこれからも」

「昔?」

「……なんでもないわ」

 サイトはルイズの言い方に少し疑問があったが、それでもそこまで自分を信じると言われると、それを無碍に出来るほど酷い奴では無い。

「わ、わかったよ、なら俺もその期待にできるだけ答える」

 ルイズはその答えに微笑みで返した。




***




 サイトは自身のお腹に腹をたてていた。

 彼女はとても綺麗な微笑をしてくれた。

 自分とわかりあおうと必死なんだと思った。

 その笑みを見て、彼女が騙されないように護ってやらなきゃ、などともおぼろげながら思うようになっていた。

 そんな朝のあの一時、



 ぐぅ~~~♪



 お腹が鳴ってしまったのだ。

 あの大事な局面でお腹が鳴るなど、いくらなんでもデリカシーが無いと自分を諫める。

 いくら昨日の昼以降何も食べていなかったとしても、自分のお腹に怒りを感じずにはいられなかった。

 ルイズは先ほどとはまた別の、“少女の笑み”を浮かべて、

「朝食に行きましょう」

 と言い、食堂へと案内してくれることになった。

 食堂に着くと、そこは予想を超える大きさだった。

 とんでもなく大きい長テーブルが三つ。

 何でもここ、アルヴィーズの食堂では学年ごとに座るテーブルが違うらしい。

 テーブルに乗っている料理も、朝食とは思えない程に豪勢だった。

「凄ぇ、今日はなんかの記念日?」

「いいえサイト、ここでの料理はいつもこんなものよ」

 ルイズの言葉にサイトは驚愕を隠せない。

 毎日こんな凄いもの食べてるなんて信じられなかった。

「まぁもっとも、その、今日は……ゴニョゴニョ」

 ルイズはまだ何か言おうとしてたが、サイトには聞き取れなかった。

「ん? 何か言った?」

「な、何でもないわ!! サイト、椅子を引いてもらえる?」

「そういうもんなのか?」

「ええ」

 サイトは納得して椅子を引いた。

 ルイズは着席する。

「おいルイズ、ここはアルヴィーズの食堂だぞ?使い魔、それも平民なんてつれてくんなよ」

 それを見ていたその場の生徒の一人が、蔑むようにルイズを罵る。

 が、ルイズはそれを聞き流し、

「サイト、ほら座りなさい」

 隣の席を促した。

 途端ザワリと周りがざわつく。

「おいルイズ、聞いてないのか? それとも魔法だけじゃなくて頭もゼロになったのか?」

「ここは由緒正しきアルヴィーズの食堂、そこに使い魔の平民を連れてくるだけじゃなく椅子に座らせる? 何考えてんだゼロのルイズ!!」

 サイトは周りの突然の物言いに驚き、座っていいものか迷う。

「黙りなさい、ここは私のサイトの席よ、許可は得ているわ、別に使い魔を絶対に中に入れてはいけない、席に座らせてはいけないなんて規律は無いわ」

 ルイズはギンッと物言いをつけてきた生徒達を睨んだ。

「全く、これだからゼロのルイズは」

「そうそう、常識までゼロだね」

 しかし生徒達は文句を言うのをやめない。

「あの、ルイズ? 俺、もしかしてここにいたらまずいのか?」

 お腹空いたなぁ、食べたいなぁという顔をしながらも、周りの異様な光景にサイトは少し尻込みした。

「大丈夫よ、昨日のうちに私が許可を貰ったから」

 だからほら、とルイズは席にサイトを座らせる。

 そこまで言われ、サイトも一度腹を括った。

「あ、まって」

 括って食べようとして、出鼻を挫かれた。

「え? 何? やっぱり食べるなとか言うなよ? もうお腹ペコペコで……」

「それは大丈夫、ただ食べる前には全員が始祖ブリミルに祈りを捧げる儀礼があるの」

 ルイズがそう言ってまもなく、全員で唱和するようにお祈りのような事を始めた。

 目を閉じてお祈りをするルイズはとても綺麗で。

 天使というのがいるのだとしたらこんな人かな、などとサイトは考えていた。

 唱和が終わってさぁいざ食べようかという時、

「あーっ!!」

 サイトに向かって一人の男の子が近寄ってきた。

「おいお前、何でそこに座ってるんだよ!?」

 少々小太りなその男の子は、金髪の前髪がくるっとカールしていて、額に汗を浮かべていた。

「そこは僕の席だぞ!!」

「え? そうなのか?」

 コレだけ広いのだ、空き椅子も何個かあるし、もしかしたら指定席なのかもしれない。

 でもルイズは何も言ってなかったし、どうなんだろうか。

「そうだそうだ、ここに平民の席は無い、言ってやれマリコルヌ!!」

 先ほど物言いをつけてきた周りの男の子達が、その少年の抗議に援護する。

 お腹がクゥクゥ鳴っているサイトだが、この情況を見てどうしたもんかと思う。

「言いがりはやめてマリコルヌ。ここは学年ごとに自由席の筈よ、オマケに今朝の唱和に遅刻までしてきてどの面下げて言ってるの?」

 ルイズはマリコルヌと呼ばれていた少年を睨みつける。

 それが少年、マリコルヌ・ド・グランドプレには面白く無かった。

 何も出来ない落ち零れ、人があまり寄り付かないゼロのルイズ。

 自分の容姿から全くモテた試しの無いマリコルヌはそんなルイズと自分にシンパシーのようなものを感じていた。

 それと同時に、彼女なら自分の伴侶たりえるのではないかとも思っていた。

 顔もとても整っていて好みだったし、家柄も公爵家と文句無しだった。

 だからこそ、入学当時にゼロと罵られた彼女に自分と付き合わないかと言ったのだ。

 ところが彼女は断わった。

 マリコルヌはプライドが傷ついた。

 ゼロのくせに、と。

 それ以降マリコルヌは度々ルイズに嫌がらせをするようになった。

 もっとも、今日はそんな事はあまり関係なく、たまたま食事の際の自分の席はそこだと決めていた場所にサイトが座っていただけのことだった。

 それに嫌がらせと言っても彼も貴族。

 マリコルヌとて自分や相手の顔に泥塗るというほどのことまでしないよう一線はきちんと引いていた。

 “だからこそ”今日までルイズはマリコルヌの行いを黙認してきていたのだ。

 だが、その一線、マリコルヌにとってはセーフラインで、ルイズにとってはアウトラインどころかデッドラインとも言えるその一線に彼は触れてしまった。

「あ、何か悪い。俺今日は外に出てるよ、悪いけどルイズ、後で何か食べさせてくれ」

「あ、サイト……!!」

 サイトはお腹ペコペコだったが、ここで騒ぎを起こすのもアレだと思い空っぽのお腹ごと席を後にする。

 場に残される桃色の髪の少女は、食事の手を止めマリコルヌを睨みつける。

「な、なんだよ? 言っとくけど今日は別にそんなんじゃないぞ!! 僕は今日はこの席だって決めてたんだから!!」

 そのあまりの迫力にマリコルヌは少し肝を冷やしたように怯える。

 だが、彼は怯えを感じるのが、“遅すぎた”



「また私から……サイトを奪うの?」



 今日、この時間軸では初めて、彼女は人に恐れられるような声を絞りだした。



[13978] 第四話【威嚇】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:02
第四話【威嚇】


 風上のマリコルヌ。

 風のドットメイジである彼が今までやってきた嫌がらせというのは本当に些細なものだった。

 わざとルイズと行く先を少しの間通せんぼしたり、授業時間中に彼女が魔法に失敗すると“ゼロ”と言い出したり。

 この程度のやりとりは、それこそ何のしがらみが無くてもやったりやられたりするものだ。

 それは周りとて理解していたし、教師連中とて子供の些細な喧嘩だと目を瞑るだろう。

 繰り返すが、今まで特段彼女を目の仇にしたわけでも、ましてや責められる程の嫌がらせを彼はしたことがない。

 今日のマリコルヌは普段と何ら変わらない、ましてや今日は悪意が無かった分たいしたことをしたつもりは無かった。

 ただ、“貴族”である自分が決めた席に“平民”が座っていた。

 それだけのことだ。

 当然、社会的ルールに則れば彼が取った行動は正しく、咎めるものそういないだろう。

 “普通”ならば。

 彼にとって不運だったのは相手が彼女であり、平民がその彼女の最も大切な人であったこと。

 そして何より彼女の怒りの琴線に触れた事に気付くのが遅れたことだ。



「また私から……サイトを奪うの?」



 周囲の温度が急激に下がったかのような錯覚。

 彼女は水系統の魔法を使えないはずではなかったのか。

 いや、それを言えば彼女は四系統全ての魔法行使を成功させた試しが無い。



「うぅ……? あ、あぁああ……?」



 言葉にならない。

 何も魔法など彼女は使っていない、否、使えない。

 それなのにマリコルヌにはスクウェアスペル級の魔法が自分の命を刈り取ろうとしているような錯覚を覚えた。

 彼女の瞳は何も映さず、光を通さず、暗く濃い闇色一色だ。

 その瞳は確かに、普段からの彼女の蔑称、“ゼロ”そのものだった。

 この瞳を見ていてはいけない。

 この瞳は何処も見ていない。

 これは生きている人がしていい瞳ではない。



「ねぇ、どうなの……?」



──────マリコルヌ。



 口を開かずに呼ばれた名前はとても平坦で。

 起伏も何も無い冷たい声は、同じ人間としての器官が発しているとは思えぬほどに恐ろしくて。

 目を逸らそうとしても、瞬きをしても、目を閉じても脳裏には“ゼロ”の瞳が彼を捉えていて。

 暗い暗イ暗い暗イ暗イ暗い。

 くラいクらいクライくらイ。

 くらいクラいくライクらい。

「うわぁぁぁぁぁぁあああっ!?」

 あまりのルイズの瞳の暗さにマリコルヌは気が動転した。

 あれは暗いなんてものじゃない。

 あれは……。




***




「お腹空いたなぁ」

 サイトは空腹に喘ぎながら食堂の入り口前で待っていた。

 流石に二十時間近く断食してるので、いい加減お腹はペコペコだった。

「サイト」

 と、まだ食事中だと思っていたルイズがサイトの肩を叩いた。

「ルイズ? もう食べ終わったのか?」

「ううん、でもサイトお腹空くだろうと思ってテーブルからサンドイッチをいくつか持ってきたの」

 ルイズは少し大きめのお皿にたくさんサンドイッチを乗せて持って来ていた。

「お、サンキュ!!」

 サイトはそんなルイズが持ってきたサンドイッチを受け取ろうとして、スカッ……スカッ?

「ル、ルイズ?」

 ルイズはまるでイタズラでもするかのようにサイトが伸ばした手からサンドイッチを遠ざける。

「もう、私だってまだあんまり食べて無いんだから……今日は二年生は使い魔との親睦を深めるために授業はお休みだし一緒に外で食べましょう」

 ルイズはそう言うと広場へと歩き出した。




***




「へぇ、この学院って広いんだなぁ」

 よく手入れされた芝が広がる広場。

 カフェテラスのように白い丸テーブルや椅子が各所に置いてある。

「ここは憩いの場のようなものよ」

 ルイズはそう言うとテーブルについてサンドイッチの皿を置いた。

「さ、食べましょう」

「待ってました!!」

 サイトは喜色満面でサンドイッチにかぶりつく。

「美味い!!」

 鶏肉とマスタードのサンド、卵サンド、ハムと野菜サンド、ジャムサンド、フルーツサンド……。

 たくさんの種類のサンドイッチがあった。

「いやぁこれも美味い、あ、こっちも美味い!!」

 サイトは笑顔でサンドイッチをどんどん頬張る。

 それはそれは美味しそうに頬張っていく。

 ルイズはそんなサイトをぼうっと眺めていた。

 サイトと違い、ルイズは先ほどからあまり食事は進んでいない。

 胸が一杯でこれ以上食べられない。

 笑いながら食事を続けるサイトを見ていると、それだけでお腹一杯になるのだ。

「~~~♪」

 美味しそうに食べるサイトは満面の笑顔。

 思えば、サイトの笑顔を最後に見たのは何時だったろうか。

 こうやって、彼の顔を注意深く眺めていたことがあっただろうか。

「……? どうしたルイズ?食べないのか?」

 サイトはもごもご食べながら、手が止まっているルイズを見て首を傾げた。

「え……? あ、もちろん食べるわよ、ってちょっとサイト」

 ルイズは手を伸ばす。

 その綺麗な細い指がサイトの頬に優しく触れる。

「ふぇ?」

「もう、子供じゃないんだから。ほっぺたに卵ついてたわよ」

 ルイズはそう微笑むと指先についた卵をペロリと舐めた。

「あ、ああ」

 サイトは慌てて服の袖で口周りをゴシゴシと拭く。

「あ、サイト、それじゃ服汚れちゃうじゃない」

 もう、バカねとルイズはスカートのポケットからハンカチを取り出した。

「ほら、今度汚れたらこれ使いなさい」

「だ、大丈夫だって!!」

 サイトは気恥ずかしさからか、照れを誤魔化すように再びたくさんサンドイッチを頬張りだした。

 そんなサイトを、ルイズは絶えず微笑んで見つめていた。

 段々サイトは見られていることに恥ずかしくなったのか、

「ル、ルイズ、手が止まってるぞ!! 早くしない俺が全部食べちゃうからな!!」

 ルイズにも食事を促す。

 ルイズはそんなサイトに微笑を返して久しぶりにパクリと一口手元の野菜サンドを口にし、

「痛っ?」

 口の中に痛みを感じた。

「ルイズ?」

 サイトもそんなルイズに気付き、ルイズを見つめる。

「えへへ……そういえば舌怪我してるんだった」

 ルイズは恥ずかしそうにペロリと赤い舌を出した。

 サイトに衝撃が奔る。

「あ、あの、それって、えっと……」

 昨日、有耶無耶で忘れていたが、彼女とキスした時に彼女の舌を噛んでしまったのではなかったか。

「うん、結構痛かった」

 ががーーん!!

 サイトに9998ダメージ!!

 女の子に怪我をさせるなんて!!

「僕は取り返しのつかないことをしてしまった……」

 昔アニメで見たような台詞を言いながらサイトは頭を下げる。

「ごめん!! わざとじゃないんだ!!」

「いいのよサイト、気にしていないし。それに結構嬉しかったし」

 サイトが顔を上げると、はにかんでいるルイズがいた。

 可愛らしく舌を出したまま、頬をピンクに染めて。

 ががーーん!!

 サイトの萌えゲージに9999ダメージ!!

 地味にさっきよりダメージが1多い。

 サイトはテーブルに突っ伏した。

「あれ? サイト……?」

 返事が無い、サイトは萌え死んでしまったようだ。




***




 食事を終えて、ようやく起き上がったサイトとルイズは会話を楽しんでいた。

 段々と他の二年生も使い魔との歓談に現れ始めたが二人は気にしていなかった。

 ルイズは、以前あまり聞かなかった故郷の話、どんなところなのか、どういったことをしていたのか。

 そんな自分の知らないサイトのことを聞いていた。

「それで俺が住んでるところでは車ってのがあって、馬とかはもう移動用にはほぼ使ってない」

「くるま?」

「ああ、馬よりもずっと速いんだぜ」

 ルイズは楽しかった。

 前聞けなかった話を聞けて、サイトのたくさんの表情を見れて。

 だからだろうか。

 気が緩んでいた。

「ミス・ヴァリエール!! ちょっといいですか?」

 近づいてくるのは緑の髪を後ろで纏めポニーテールにし、眼鏡をかけたグラマラスボディな女性、ミス・ロングビルだった。

「先ほどミスタ・ギトーが食堂の件で聞きたいことがあるから来るように、と」

「ミスタ・ギトーが?」

 そういえばあそこの管轄はあの面倒くさい先生だったかもしれない。

 ルイズは溜息を吐くと立ち上がった。

「ミスタ・ギトーの教員室で待っているので一人で来るように、だそうです」

「わかりました、ミス・ロングビル」

 ミス・ロングビルは軽く会釈するとその場を去っていく。

「サイト、ちょっと行って来るわ、すぐ戻ってくるから」

「ああ、俺はここで待ってるよ」

 ルイズは足早に教員室へと足を向けた。




***




「あの、貴族様?」

 メイドの一人が、いつまでたっても席を立とうとしない小太りな貴族に話しかけた。

 彼はその体型とは裏腹に全く食事に手をつけていなかった。

 周りはもう全員いなくなっていて、残っている食事中?の貴族は彼一人だ。

 彼は真っ青な顔で焦点の合わぬ目でどこかを見ていた。

「あの、貴族様?」

 恐る恐るメイドはもう一度声をかける。

 するとようやくその少年は気付いたのか、

「あ、ああ、片付けてくれていい」

 そう言って青い顔のまま席を立った。

 スタスタと歩くその姿はどこかぎこちなく、それが体調のせいなのか空腹のせいなのかはわからない。

 だが、このマリコルヌ・ド・グランドプレ、学院生活始まって以来の断食であった。












あとがき

恐らく一週間に一度、長くて二週に一度くらいのペースで更新をしていきたいと思っておりますので、宜しくお願いします。



[13978] 第五話【前哨】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:03
第五話【前哨】


「しっかし、使い魔っていろんなのがいるんだなぁ」

 サイトは一人でテーブルに付きながらキョロキョロする。

「あら? 貴方は確かルイズの使い魔じゃない?」

 と、そこに赤く長い髪のこれまたグラマラスなボディの女生徒がサイトに話しかけてきた。




***




「むっ」

 ルイズは歩きながら何か嫌な予感を感じた。

 すぐに戻らなければいけないような、そうでもないような。

 (急ごう)

 ルイズは早足をさらに早めギトーの元へと向かった。




***




「へ?」

 話しかけられたサイトは首を傾げる。

 確か昨日チラッとだけ見たことのある少女だ。

 あまりの胸のデカさになんだか見ているだけで申し訳なくなる。

「ルイズはどうしたの?」

「あ、えっとさっき誰かに呼ばれて……」

「ふぅん、何か食堂でやらかしたって聞いたからからかってやろうかと思ってたのに」

 そう赤い髪の少女は言うと、自分が連れている赤い大きなトカゲのようなものの頭を撫でた。

「な、何だソレ!? ポケ●ン? ポ●モンなのか!? ヒト●ゲなのか!?」

 尻尾に実際に燃える炎を灯したまま平然としているトカゲらしき動物。

 当然、サイトはこんなの見たことが無かった。

「あら、貴方サラマンダーを見るのは初めて?」

 どうやらこいつはサラマンダーというらしい。

「鎖とかで繋がなくていいのかよ!? 襲ってくるんじゃないのか!?」

「大丈夫、普通契約した使い魔は主に絶対忠実。勝手に逃げたり言う事をきかないなんて事は無いの。もちろん意思を無視するわけじゃないわよ」

 大きな火を尻尾に灯したトカゲを見て、サイトは納得した。

 こいつは穏やかだ。

 目もつぶらで意外に可愛いかもしれない。

「何かそう言われると可愛いかもな、コイツ」

「あら? 貴方話がわかるじゃない!! それに良く見るとなかなか良い男♪」

 赤髪の少女は嬉しそうにし、次いで少し熱っぽい視線を向けてきた。




***




 ビビッ!!

「むむっ!?」

 ルイズはまたよくわからない電波を受信した。

 なんだか胸が焦燥で掻き立てられるような不安。

 もう随分前に忘れてしまったような感情。

 なんだか無性に杖を振って爆発させたい気分だ。

 ルイズは早足から駆け足になって用事をさっさと終わらせることにした。




***




「ふぅ、何かここは使い魔だけじゃなくて人も変だな、綺麗だったし胸もデカい人だったけど」

 瞬間、サイトは急に悪寒が奔った。

 今、自分は言ってはイケナイことを言ったような、ここに一人でいて命拾いしたような。

 左右を見渡し、特に害になりそうなものが無いのを確認すると、サイトはホッと一息吐いて椅子に座った。

 先ほどの少女、キュルケと名乗った女の子は、サラマンダーを褒められたのが嬉しかったのか、上機嫌ですぐにこの場を後にした。

 その際、

「リザー●ンに進化したら見せてくれ」

 と頼むと不思議そうな顔をされたが、まぁ良しとしよう。

 ルイズはまだ戻ってこない。

 そんなに時間は経っていないのはわかっているが、ここで知っているのはルイズだけだし、彼女がいないと少し心細かった。

 こんなことなら、近くまでついて行っても良かったかもしれない。




***




 ルイズは駆け足を止めた。

「何か、胸がきゅんてする」

 これもまた、久しく味わっていなかった嬉しい感情。

 同時に気恥ずかしい感情でもある。

 ミスタ・ギトーの教員室まではもう少し。

 ルイズは何故だかニヤけてしまう表情を消せずに足を急がせた。




***




 あれ? 今なんか急に周囲温度が暖かくなった気がするけど気のせいか?

 まぁいいや。

 こういう時というのは、得てして待ってる時間が長く感じるものだ。

 サイトもその例に漏れず、なんだかもうずっと待ち続けているような錯覚を持ち始めた。

「遅いなぁ、いや、まだそんなに経ってないのかなぁ」

 と、急に、

「……やべ、トイレ行きたい」

 尿意を催してきた。

 サイトは立ち上がり、辺りを見回す。

 当然というか、トイレの看板らしきものは見当たらない。

 やむなくトイレを探そうと思い、サイトは立ち上がった。

 とりあえず学院内、そう思ったサイトは歩を進め、急に目の前に一つ目オバケが現れた。

「おわぁ!?」

 これまた見たことの無い生き物。

 恐らく誰かの使い魔なのだろう。

 ここがファンタジーな世界だと改めて実感するのと同時、サイトは驚きのあまり、二、三歩後退し、

「きゃあっ!?」

 誰かとぶつかった。

 振り返ればそこにはメイドが一人。

「あ、ごめん!!」

 メイドはケーキを運んでいたらしく皿を必死に護っていた。

「あ、いえ無事でしたから……あ!?」

 しかし安心したのも束の間、一緒に皿に乗っていたナイフが地面に落ちそうになって……それをサイトが掴んだ。

「ほい」

「あ、ありがとうございます」

 メイドはほっと安心したようにそれを受け取ろうと手を伸ばす。

 と、その時、偶然にもお互いの手が触れ合った。




***




「成る程、お前の使い魔の件は私も聞いている。しかしマリコルヌにも一理ある。今後は問題を起こさぬように……おいミス・ヴァリエール、聞いてい……ヒッ!?」

 ミスタ・ギトーともあろうスクウェアメイジが、声を上げて怯えた。

「……何か、急に許せない波動が……」

「お、おいミス・ヴァリエール?」

 ミスタ・ギトーは恐る恐るルイズに声をかけるが、

「連絡事項と確認は終わりですよねミスタ・ギトー。失礼します」

「お、おい……?」

 ガチャン。

 あっという間にいなくなるルイズ。

「何だったんだ今のは……あるいはマリコルヌもあの顔を見て……?」

 最初は気持ち悪いくらいニヤけているかと思えば鬼のような形相。

 久しぶりに恐いものを見た、そんな気分のギトーだった。




***




 サイトは慌ててナイフを持った手をそのまま引っ込めた。

「ご、ごめん」

「あ、いえこちらこそ」

 二人ともぎこちなく謝り合う。

「あの、もしかしてミス・ヴァリエールの召喚したという平民の方ですか?」

「え?ああそうだけど」

「わぁ、やっぱり。私はここで使用人をやらせてもらっているシエスタというものです」

「あ、俺は才人、平賀才人。サイトでいいよ」

「サイト、さん……変わった名前ですね」

 そう名前の交換をしていると、

「おーい、ケーキはまだかい?」

 少し離れたところから金髪の少年が声をかけてきた。

「あ、はい、ただいま!!」

 メイドのシエスタは、そのままナイフを受け取るのも忘れて呼ばれた方へと駆けて行く。

 サイトは持ったままのナイフを渡す為に追いかけた。

 ついでに、その金髪の少年にトイレの場所を聞こうかと思う。

 メイドに聞いた方がいいのかもしれないが、流石に女性には聞きづらい。

 相手が貴族だというなら少し失礼かもしれないが、まぁトイレを聞くくらい良いだろう、そうサイトは思っていた。

 まだサイトは、貴族と平民という差を正しく理解していなかった。

「シエスタ忘れ物!!」

 ナイフを持ちながらサイトは追いかける。

「へ……? あっ!?」

 シエスタは急ぎのあまり受け取るのを忘れていたサイトの持つナイフを見て焦りだす。

「おっちょこちょいなんだな、あ、すいません、男子トイレって何処でしょう?」

 サイトはナイフをテーブルに置こうとしながら金髪の少年に尋ねた。

 金髪の少年は、胸元が開いたヒラヒラした白いシャツを着て黒いマントを付け、膝にモグラらしきものを乗せていた。

「うん? 君は僕に聞いているのかい?」

 少し相手を鼻にかけるようなイントネーションで少年はモグラのような動物から顔を上げた。

「はい」

「君は確かルイズの使い魔だったね、ルイズは?」

「さっき誰かに呼ばれて何処かに行っちゃって」

「そうか、なら仕方ないな。本来、平民が貴族にそんなことを聞いてはいけないんだが、まぁいいだろう」

 そう金髪の少年が言うのと同時、

「何だギーシュ、そんな平民に物を教えてやるのか?」

 食堂で最初にサイトに物言いをつけてきた生徒が近寄ってきた。

「……また君かい、いい加減僕に絡んでくるのを止めて欲しいものだね、ヴィリエ」

「別にお前に絡んでるワケじゃないさギーシュ、こいつアルヴィーズの食堂で椅子に座ったんだ、僕にはそれが許せないだけさ。お前との決着はいづれつけてやる」

 そう言うとヴィリエと呼ばれた少年はサイトを見据え、

「というわけだ、ゼロのルイズの使い魔、平民は平民らしくその辺で用を済ますんだな」

 そう言い捨てる。

「やれやれ、君は相手がいくら平民といえどトイレの場所くらい教えてあげる寛大な心は無いのかい?」

 だが、そんなヴィリエにギーシュが茶々を入れる。

「なんだギーシュ、この風のラインメイジであるヴィリエ・ド・ロレーヌを馬鹿にしているのか? たかが土のドットメイジのくせに」

「君は何もわかっていないね、クラスだけがその者の実力を示す訳じゃ無いんだよ」

 段々険悪になっていく二人。

 サイトはナイフを置くタイミングを逃して固まったままだったが、気になったことがあった。

「なぁ」

「うるさいぞ平民、貴族の会話に入ってくるな、ゼロの使い魔は礼儀までゼロだな」

 ヴィリエはサイトを一言の元に切り捨てる。

 サイトはむっとしながら、

「その“ゼロ”って何だよ? ルイズのこと、だよな? 何でルイズが“ゼロ”なんだよ」

 そう尋ね、それを聞いたヴィリエは一瞬目を見開いて大笑いした。

「あはははは!!!! こいつは傑作だ、ゼロの意味? そんなの簡単さ、魔法の成功確率いっつもゼロパーセント!! だからゼロのルイズって呼ばれてるのさ!!」

 サイトはその態度にカチン、とくる。

「何だよその言い方」

「あははは!! 何だ? 平民が貴族に喧嘩売る気かい? そんなに痛めつけて欲しかったのか?」

「誰が誰を痛めつけるって?」

 サイトは売り言葉に買い言葉で言い返す。

「君もまた本当にゼロだな、笑わせてくれる。貴族の僕が平民の君に、に決まっているだろう?」

「ふん、何が貴族だ平民だ、バッカじゃねぇの!!」

 サイトは未だこの世界の根強い階級差別を知らない。

 しかし、それは彼らにとって侮辱であり、知らないでは済まされない。

「君、貴族に対する礼儀がなっていないな、痛めつけられたいか?」

「やれるもんならやってみろよ!!」

 サイトは威勢よく答え、

「よかろう、諸君、決闘だ!!」

 ヴィリエはニヤリと笑いながら高らかに宣言した。



[13978] 第六話【決闘】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:04
第六話【決闘】


「ヴェストリの広場へ来い、礼儀を叩き込んでやろう」

 そう言うとヴィリエは何処かへと歩き出した。

 恐らくヴェストリの広場と呼ばれる場所へと向かったのだろう。

「なぁ、ヴェストリの広場って何処?」

「サ、サイトさんっ!? 行く気なんですか?」

 シエスタの驚きにサイトは肯定を返す。

「無茶ですっ!! 平民では決して貴族に勝てないんです!! 今ならまだ謝れば許してもらえるかも……!!」

「そうだね、君では彼には勝てないと思うよ、彼は腐ってもメイジだ」

 ギーシュと呼ばれていた金髪の少年も頷く。

 が、サイトは収まらない。

「あそこまで言われて引き下がれるかよ!! やれ平民だ、やれゼロだって馬鹿にしやがって!! ルイズはあいつにいつもゼロって言われてるのか?」

「……ほう? 主の悪口が許せないのかい?」

 ギーシュは意外そうに尋ねる。

「主とか関係ねぇよ、こんな所に来ちゃってわけのわからない俺を面倒見てくれたのはルイズなんだ」

「君は彼女が呼び出したんだ、いわば彼女のせいでここに来たんだよ?」

「今はそんなのどうでもいいよ、女の子をそこまで責めるのは趣味じゃない」

「ふっ、気に入ったよルイズの使い魔君、名前は?」

「平賀才人だ」

「ヒラ・ガ・サイト?」

「ああ違う違う、ヒラガ・サイト。あ、いやここではサイト・ヒラガになるのか?」

「ファミリーネームはヒラガなんだね? ではサイト、この僕、ギーシュ・ド・グラモンがヴェストリの広場まで案内してあげよう」

 ギーシュは面白そうに立ち上がり、

「あ、ちょっと待って」

 出鼻を挫かれた。

「な、何だい、まさか今更恐くなったとか言わないよね」

「そんなわけあるか」

「じゃあ何だい?」

 ギーシュの不思議そうな顔にサイトは「あはは」と苦笑いして、

「……トイレ何処?」

 最初の質問を改めてした。




***




「よく逃げずに来たな平民」

 ヴィリエは上気分だった。

 学院に入ってからケチのつきっぱなしだったが、今日はそんなものとは無縁。

 日頃溜まったストレスを十分に解消できる場が出来上がっている。

 相手は平民、負けよう筈が無い。

「さぁ、何で戦うんだ?」

 サイトはヴィリエの正面に立って屈伸運動をしていた。

 彼は多少なら腕に自信はあるし、体力も割りとあるほうだと自負していた。

「ふっ、野蛮人め、そらっ!!」

 ヴィリエは胸元から杖を取り出すとヒュッヒュッと振る。

「何だ? ……ぐほぉっ!?」

 サイトは、急に何か硬いもので殴られたような衝撃を受け、後方へと吹き飛んだ。

「げほっげほっ!! 何だ今の……」

 むせ返るような息を整えながら立ち上がる。

「ふん、僕はメイジだ、こうやって魔法で戦うのさ。よもや異存あるまい? そらもう一発っ!! 『エア・ハンマー』!!」

 ヴィリエは、サイトの苦しそうな顔が気に入ったのか、杖をもう一振りし、先ほどと同じ魔法、エア・ハンマーを唱える。

「!!」

 サイトが飛んでくる不可視の風の鉄槌を感じた瞬間、

 ドシャァァァァ!!!

 彼の目の前には大きな土の壁が生まれた。

「!?」

 風の魔法、エア・ハンマーは土の壁に阻まれる。

 ヴィリエは驚き、怒りを露にした。

「何のつもりだギーシュ!! 決闘の邪魔をするなんてただじゃおかないぞ!!」

「君、本気で言ってるのかい? 彼はまだ決闘の開始の合図も受けていなければ、無手のままでもあると言うのに」

 ギーシュは呆れたように言う。

「そんなものこっちが魔法を使ったんだからもう始まった事にしてもいいだろ!!」

「君、決闘を馬鹿にしてないか?」

 ギーシュは目を細め、睨みつけるようにして低い声をだす。

「ふん、何で貴族の僕がそこまで平民に気を使ってやらなくちゃならないんだ」

 ヴィリエはふんと鼻を鳴らした。

「……話にならないな」

 呆れたようにギーシュは視線を逸らし、いつの間にか手に持っていたバラを振る。

 途端、サイトの前には剣が突き刺さっていた。

「これくらいは構わないだろう?ヴィリエ」

「まぁいいさ、そんなものあったってそいつに何が出来るとも思えない」

 サイトは胸を押さえながら立ち上がる。

「だそうだ、サイト、それを使うといい」

「サンキュ」

 サイトはその殆ど装飾もついてない剣を掴んだ。

 自分はどうやら貴族の使う魔法というのを少々見くびっていたらしい。

 そう思った途端、また横殴りのような風が吹く。

「ぐふっ!?」

 剣を手に持った瞬間だったからか、そのスピードに対応出来ず、サイトはまた吹き飛ばされる。

「剣を“持ってから”魔法が当たったんだ、文句は無いだろう?」

 ヴィリエは得意そうになる。

 それはつまり剣を持つ前に魔法を放っていた事に他ならない。

 サイトはイキナリのことで剣を手放してしまっていた。

「しかしこれじゃ一方的過ぎてつまらないな、少し遊ぼうか」

 ヴィリエはそう言うと、レビテーションをサイトにかけた。

「わっ!? 何だ!?」

 サイトの意思とは裏腹にサイトは宙に浮いていく。

「そうら」

 ヴィリエは愉快そうに杖を振ってサイトを宙で動かした。

「わわわ!? わわわ!?」

 サイトは慌てふためく。

「ふむ、思ったよりもつまらないや。やめよう」

 ヴィリエは飽きたのか、地上数m上に浮かんでいるサイトを“頭から”落とした。

「やべっ!?」

 サイトは焦る。

 思うように体が動かない。

 (動け動け動け!!)

 力を込めて、ギュッと手を握って力を入れた瞬間、何かが手に触れた。




***




 嫌な予感がする。

 胸が締め付けらるような思い。

 サイトを失ったと知った時に似た焦燥と絶望に近い暗い感情。

 ルイズは先ほどとは別の胸騒ぎがして、走り出した。




***




 ドサッ!!

「……ほぅ」

 ヴィリエは意外そうな顔をする。

 サイトはギリギリで自身の体制を変えて着地に成功した。

「少しはやるようだね、でも這いつくばってるほうが似合ってるよ、エア・ハンマー!!」

 もう一度ヴィリエはエア・ハンマーを唱え、

 ヴン!!

 サイトの腕の一振りで魔法がかき消された。

「何?」

 ヴィリエは意外そうな顔をする。

 サイトは手に何か持っていた。

「……ナイフ? そんなもので今の魔法をかき消したって言うのか? 馬鹿な!?」

 それはナイフ。

 ケーキを切り分けるための小さいもの。

 サイトはなし崩し的にそれを持ったままでいた。

 何故だろう。

 刃物を持っているととても体が軽くなる。

 決して自分は危ない奴じゃないはずなのだが。

 そう思ってからサイトはギーシュの用意してくれた剣を拾う。

 途端、“それ”が流れ込んでくる。

「これは……“青銅”で出来ているな、簡素な作りだけど、“構成”がしっかりしてて見た目よりずっと良い剣だ」

「……わかるのかい?」

 それを見ていたギーシュが意外そうに言う。

「なんでかわかんないけど、手に持ったらそんな気がしたんだ」

「余所見とは余裕だな平民!!」

 ヴィリエはエア・カッターを唱えた。

「!!」

 数枚の風の刃がサイトに襲い掛かる。

 しかしサイトは、剣に操られるように体が動き、刃を迎撃していく。

「くっ!!」

 足に軽くかすってしまったが、そのほとんどを迎撃に成功した。

「くそっ!! 汚いぞギーシュ!! 何だあの剣は!?」

 ヴィリエは悪態を吐く。

 風の魔法に追いつく平民なんて聞いたことが無い。

 あの剣には何か秘密があるはずなのだ。

 そう思うことでしかヴィリエは自分を納得させることが出来ず、サイトの左手の甲が薄っすらと光り輝いている事など気付いていなかった。

「僕は何もしていない、ただの青銅の剣を与えただけさ」

「嘘だ!!」

 ヴィリエはギーシュを睨み大声を上げる。

 その為、気付かなかった。

 サイトが接近していることに。

「余所見とは余裕だな貴族野郎!!」

 サイトは皮肉を込めて、先ほど言われたのと同じような台詞を言いながら力一杯ヴィリエを殴りつける。

「ぐわぁっ!?」

 サイトは彼の顔面をグーで殴っていた。

「お、お前よくも僕の……貴族の顔を殴りやが……!!」

 頬を抑え、痛みで涙目になりながらヴィリエはサイトを睨みつけようとして、言葉が出なかった。

 剣の切っ先が突きつけられている。

 動く事が……出来ない。

「俺の勝ちだ!!」

「ぐ……!!」

 ヴィリエは苦虫を噛み潰したような顔をして唸る。

「「「「「オオオォォオ!!」」」」」

 周りがざわついた。

 いつの間にか、周りにはそこそこのギャラリーが出来上がっていた。

 サイトはそんなヴィリエに満足するとギーシュの方に歩いていく。

「やるじゃないか、サイト」

「いや、アンタの剣のおかげだよ」

「それは本当にただの青銅の剣なんだけどな」

「ああ、それはわかる」

「しかしこっぴどくやられたな、服が泥だらけじゃないか。これじゃどっちが勝者かわかったもんじゃない」

「う、うるせい!!」

 ギーシュはそんなサイト見て笑い、笑われたサイトもまた笑い返す。

 笑い返して──────サイトは倒れた。

「っ!? サイト!?」

 背中に、酷い出来立ての裂傷を残して。



[13978] 第七話【矜持】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:05
第七話【矜持】


 心臓が止まるか思った。

 息を切らしながら辿り着いたカフェテラスにサイトの姿がなく────イヤ────嫌な予感がして周りに聞いてみれば────イヤ────ヴェストリの広場で決闘を────イヤ────していると聞き、




「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!」




 ヴェストリの広場に着いた私が見たものは、背中からおびただしい血を流して倒れているサイトだった。




***




 ギーシュは特別“平民”という人間に興味があるわけでも理解があるわけでも無かった。

 彼が今回サイトの力になったように見えたのは偏にサイトの“在り方”によるものだ。



『今はそんなのどうでもいいよ、女の子をそこまで責めるのは趣味じゃない』



 サイトは恨み言を言うでもなく、女の子を責めないと言った。

 それはギーシュにも納得できるものだったし、自分の考えと似通っているとも感じた。

 その為、サイトへ少し興味を抱いた、というような程度の感情で案内役をしてあげたのだ。

 また、彼は元帥という地位にいる厳格な父の四男として育てられた。

 甘やかされてきたというのは自他共に認めるものがあるが、その矜持はしっかりと根付いていた。

 曰く、貴族としての誇りの使い所と在り方である。

 戦闘意欲の無いものに剣を向けず、自分が敗れた時には素直に相手の勝利をただ祝福する。

 彼は根っからの貴族だった。

 だからヴィリエの相手を無視した決闘のやり方に水を差した。

 これに関しては別にサイトのことを思ってでは無い。

 自分の中の“貴族”としての部分が彼をそうさせた、それだけのことだ。

 だが、サイトがギーシュの剣を理解し誉めたことで、彼のそれはサイトに対する興味から好意へと変わる。

 今まで誉められた事など無いが、ギーシュは自分の二つ名と技術に誇りを持っていた。

 “青銅”を用いた土系統の魔法、練金。

 彼が得意とするその魔法の真髄を、サイトはあろうことか一見で見抜いた。



『これは……“青銅”で出来ているな、簡素な作りだけど、“構成”がしっかりしてて見た目よりずっと良い剣だ』



 サイトはそうこの剣を評価した。

 そしてそれは、ギーシュが自己評価していたものと同じだった。

 だから、やるじゃないか、と誉めてやったのだ。

『いや、アンタの剣のおかげだよ』

 サイトのこの言葉はくすぐったく、また気持ちの良いものだった。

『それは本当にただの青銅の剣なんだけどな』

 だから出る言葉は照れ隠し。

『ああ、それはわかる』

 それを肯定するあたり、彼は本当に剣を理解し、正直者なんだと知って嬉しくなった。

 見れば服は泥だらけだが、それがより一層サイトを勝者らしく見せていた。

 彼は笑い、自分も気持ちよく笑える。

 ああ、こいつは平民だが良い奴だ、そう思った時、サイトは既に倒れていた。




***




 (くそぉ、くそぉくそぉくそぉ!!)

 ヴィリエにとって、今回の決闘は屈辱の極みだった。

 (平民のくせに平民のくせに平民のくせに!!)

 魔法を掻き消された。



─────ふざけるな。



 頬を殴られた。



─────ふざけるな。



 剣を突きつけられ動けなかった。



─────ふざけるな!!



 見ればそいつは笑いながらギーシュと話している。

「やるじゃないか、サイト」

「いや、アンタの剣のおかげだよ」

「それは本当にただの青銅の剣なんだけどな」

「ああ、それはわかる」

 (ただの剣だと!? ふざけるな!! そんなことあるものか!!)

 ヴィリエの中にドス黒い感情が渦巻く。

 (あいつらはズルをしたんだ、二人がかりだったんだ)

 見れば平民の背中は無防備だ。

 口元が釣り上がる。

 ヴィリエは立ち上がると杖を振った。

 飛んでいくのは風の刃。

 次の瞬間、それは当然のごとく命中し、平民は倒れた。

 平民が倒れた。

 平民に勝った。

 自分が勝った。

 平民は倒れ、貴族の自分は立っている。

 そう、

「僕の勝ちだ!!」

 ヴィリエはそう高らかに叫び、



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!」



 少女─────ルイズの叫び声が上がった。




***




「あ、ああ、ああああああ、あああぁぁっぁぁぁぁあああああ!!!!!」

 ルイズは取り乱しながらサイトにかけよる。

「あ、ああああ、ああ、サイト、サイトサイトサイト!?サイト、いや、ダメ、目を開けて、ねぇサイト、お願い」

 サイトの背中の血は止まらない。

「やだ、嘘、どうして? 何で? やだ、こんなの、ねぇサイト、ダメ、ねぇ、起きて」

 サイトに伸ばした白い手には、真っ赤な……血。

「あ……? ああああ……? あああぁぁぁっぁぁぁっぁっぁっぁぁっぁあぁあああああああ!!!!!!!」

 声にならない、言葉にならない、“言い表せない”声をルイズは上げる。

 彼の為に何年待った?

 最初の数年はひたすら調べた。

 それを過ぎると絶望しながら調べ続けた。

 気付けば十六年経っていた。

 希望を見つけてからも、さらに十年待った。

 それがたった一晩で終わり?

 え? 終わり? 何が?

 凄い勢いでルイズの顔色が失われていき、




─────場が、凍った。




 彼女は魔法を使えない。

 だが確かに、周囲の人間は凍えを感じた。



「……ギーシュ」



 搾り出すように彼女は声を震わせる。

 言外に貴方がやったのかと尋ねる。

 彼女の記憶では、彼とサイトが決闘したのだ。

 そう、記憶があったのに、サイトとの再会に浮かれて、そのことを失念していた。

 ギュッと拳を作る。

 手に付いたサイトの血に混じって、自分の血が流れた。

「ははっ、ルイズ!! 何を勘違いしてるんだ?そいつをやったのは僕だ!!」

 と、そこに“真に矛先を向ける相手”が、自分から名乗り出た。

 ヴィリエ・ド・ロレーヌは最高にハイになっていた。

「まだ僕は降参もしてないっていうのに、勝手にもりあがりやがって馬鹿なや……」



 ドォォォォォン!!



 奴だ、とは言えなかった。

 辺りには白煙舞う爆発。

 否、“大爆発”



「……そう、ヴィリエ、貴方なのね」



 ルイズの瞳は何も映らず、何も通さず、そこはまさしく“ゼロ”だった。

 有無を言わさずルイズはもう一度杖を振る。

「うわぁぁっ!?」

 ヴィリエは爆風で吹き飛んだ。

 地面を擦るように数mは吹き飛び、服装はボロボロだった。

「うう、うぁ、痛い……痛い……」

 そんな痛そうにするヴィリエに、



「痛い? そう、痛いの、でもサイトはもっと痛かったのよ」



 ルイズは何も映さない“ゼロ”の瞳で再び杖を掲げる。

「うわぁ!? 止めろよ、これ以上やったら僕が大怪我するかもしれないじゃないか!! たいした魔法も使えないくせにそんなことして僕が死んだらどうするつもりだ!!」

 ヴィリエはそんなルイズに危機感を覚えて訴えるが、



「死んだら? 何を言ってるの?」



 彼女の言葉に、戦慄を覚えた。

 彼女の次の言葉が言われてもいないのに理解出来てしまった。



─────その為にやってるんじゃない。



 (ルイズは……ルイズはまさか僕を……!?)

 途端、恐怖に体が震える。

 と、ルイズが再び杖を振ろうとした瞬間、ルイズの杖を誰かが掴んだ。




***




「ルイズ」

 ギーシュはルイズの杖を掴んだ。

「何? 邪魔するの?」

 ルイズがそう言ってギーシュを見た目は何も映さない“ゼロ”で、ギーシュも流石に動揺した。

 が、今はそんな場合ではない。

「そんなことより早くサイトを連れて行った方がいい。危険な状態だけど、水の秘薬を使えばまだ“間に合うかも知れない”」

 その言葉を聞いた瞬間、ルイズの瞳が、暗い暗い闇のような“ゼロ”の瞳が、顔色とともに戻り始めた。

「……え?」

「早くしたほうがいい。モンモランシー!! 彼にレビテーションを!!」

 ギーシュの声で、モンモランシーと呼ばれた長い金の髪を縦にいくつもロールした少女がサイトを浮かばせた。

「急ぎましょう、私が連れて行ってあげる」

 モンモランシーはそう言うとルイズと一緒に歩き出した。

 二人の横を、浮いたサイトが気絶したまま後を追うように付いていく。

 ルイズは既にヴィリエなど眼中に無く、サイトの手を握りしめ、

「サイト、サイト、サイト」

 何度も壊れたオモチャのように名前を呼び続けた。




***




 そうして、場に取りに残されたのはギャラリーとヴィリエ、そしてギーシュだった。
 
 ホッとしたようなヴィリエに、

「何をホッとしているんだい? ヴィリエ」

 ギーシュが怒り心頭な面持ちで声をかけた。

「な、何だよ」

「君は決闘に負けた、だというのに後ろから攻撃とはどういうつもりだと聞いてるんだ」

「ま、負けてない!! 僕はまだ負けて無かったんだ!! 降参だなどと言わなかっただろう?」

 ギーシュは座り込んでいるヴィリエを侮蔑するような眼差しで見下ろし、

「最低だね、卑怯者」

 もはや彼を名前で呼ぶことすらしなかった。

「な、何だと!!」

 ヴィリエは怒り出すが、立ち上がる事が出来なかった。

 なぜなら、肩を強い力で押さえつけられていたから。

「そんな言い訳で決闘を汚したのか、全くもって許し難いよ」

 ヴィリエの肩には青銅できた鎧を着た女性を模した自動人形の手があった。

「最初に始まりの合図もせず、相手が戦える状態でないのに攻撃をしかける。君は貴族として恥ずかしくないのか?」

 ギーシュは許せなかった。

 貴族としての誇りを無視するかのようなヴィリエの横暴ぶりに腹をたてていた。

 ギーシュは薔薇を振る。

 ヴィリエの目の前にはもう一人青銅の自動人形。

「ワルキューレ」

 ギーシュの言葉と共にワルキューレは拳を作り、

「な、何する気だよ!? 止めろ!!」

 ヴィリエに向かって、それを振り下ろし、

「うわぁぁぁっ!?」

 ドゴォン!!

 それはヴィリエに当たることなく地面を抉りクレーターを作る。

「見くびるなよ、今の君に攻撃したら僕も君と同じになるじゃないか」

 それを見て、ヴィリエは怯えながらギーシュを見つめ、少し安堵したような顔をしたところでギーシュは、

「けど、また君が貴族の誇りを汚すようなことがあったらその限りじゃない、覚えておくといい」

 そう言い放つ。

 同時にワルキューレは消滅し、ヴィリエは自由になる。

 ギーシュはそれをつまらなさそうに見ると、もはや用は無いとばかりにその場を後にした。

 途端に湧くギーシュへの歓声。

 それを、ヴィリエは震え歯を噛みしめながら聞いていた。




***




 現在、まるで勇者のような扱いを受けているギーシュがもともと座っていたカフェテラスの席付近に少女がいた。

 既に人も少なくなっており、今日はもうじき誰もいなくなるだろう。

 そんな場所に、バスケットを片手にブラウンのマントを着けた少女が誰かを捜すようにしてそこにいた。

 ここに座っていたギーシュはもう随分前にヴェストリの広場へ向かい、今は既にヴェストリの広場にもいない。

 しかし彼女はそれを知らないのか、

「いないなぁ、ギーシュ様……」

 恋する乙女のような瞳の彼女、ケティ・ド・ラ・ロッタは、探し人を見つける事が出来なかった。

 運命と言う名の歯車は狂い始め、歴史と言う“決まっていた筈”の道程はそれを変えていく。

 だが、それを知る者はいなく、気付く者も今はまだ、誰もいない。



[13978] 第八話【冥土】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:05
第八話【冥土】


「ふむ……」

 長い白髭を垂らす老人が、感慨深げに息を漏らす。

「彼、勝ってしまいましたね、オールド・オスマン」

 それに答えるように頭頂部が禿げ上がった男性、ルイズの使い魔召喚に立ち会ったコルベールが声をかける。

 手元には分厚い本。

 古い古いその本は、とあるルーンが描かれたページを開いていた。

 描かれたルーンは、サイトの左手の甲に浮かんだものと同じだ。

 オスマンと呼ばれた老人はコルベールの声が聞こえているのかいないのか、目を閉じて黙り込む。

「彼は恐らくここに書かれている“伝説の使い魔ガンダールヴ”に間違いありません、これは世紀の大発見につながりますぞ!!」

 コルベールは興奮したように身を乗り出すが、

「……じゃが、それは同時に新たな戦争の火種になるやもしれん」

 オスマンという老人は難しい顔をして呟く。

「……戦争の火種、そう、かもしれませんね」

「うむ、私は彼らにそのような事に巻き込まれて欲しくはない」

「……では王宮には報告はしないということに?」

 コルベールは思う所があるのか、これ以上は何も言わずに今後の方針について進言する。

「うむ、王宮の“暇人共”の耳に入ってはコトじゃ。いらぬ戦禍にみすみす可愛い生徒をくれてやる義理はないわい」

「わかりました、ではこれは部外秘という扱いで」

「うむ、済まないが頼んだぞ、ミスタ・コルベール、おう、そうじゃった」

 オスマンは思い出したように、

「はい、何でしょう?」

「あの平民の使い魔、“タイト”と言ったかの」

「……“サイト”だそうですよ、オールド・オスマン」

 コルベールやや呆れ顔になりながら答える。

「おおそうじゃった、タイトなのは女の子の服だけで結構じゃ、さて、そのサイト君じゃが彼の治療の手助けを学院としても出してやってくれんか」

「!! そうですね、ミス・ヴァリエールが手配しているようですが、やっておきます」

「うむ、それも合わせて頼むよ、ミスタ」

 コルベールは「はい」と返事をすると一礼して部屋を後にする。

 扉には『学院長室』と書かれていた。

 一人残ったオスマン老人は再び目を瞑り、先を案じるかのような面持ちで、

「ふぅむ、これはまた良い色じゃ、白、か」

 トリステイン魔法学院学院長オスマンは、自分の視点ではない何処かを見ていた。




***




「サイト……サイト……」

 ルイズは祈るようにサイトの手を握っていた。

「ダメ……いなくならないで……もう二度と一人にさせないんだから……だから私を一人にしないで……」

 ルイズのベッドで眠るサイト。

 先程ようやく高位な水メイジによる治療と秘薬投与が終わったところだった。

 一時、血が足りないかもしれないと言われた時など、ルイズは自分の腕を切り落とそうかと考えた。

 医者に止められ、血液成分(血液型)が合わないと意味がないという説明を受け、やむなく諦めたが、止めなければ今頃彼女は片腕が無かっただろう。

「サイト……私が、私が傍にいなかったから……そうだ、私がサイトから離れたからサイトは……」

 ルイズは泣きながら手を握りしめて呟く。

「……そうだ、私がサイトから目を離したから姫様の使いでアルビオンへ行く時もワルドに酷い火傷を負わされたんだ」

 ルイズは思い出すように口を開く。

 未だサイトは時折苦しそうな声を上げては汗を流している。

「そうだ、私がしんがり役を受けて、サイトと離れようとしたから、サイトは私を気遣って一人残って……そうだ、私がサイトと離れたばかりにサイトは……」

 ルイズはサイトの苦しそうな声を耳にする度に手を強く握って泣きながら呟く。

「私が、傍にいなきゃ……サイトの目が覚めたら、私がサイトを護らなきゃ……」

 気付けばサイトは随分と汗を流している。

 ルイズは手元にあるタオルで彼の額を拭くと、テーブルにある水差しをサイトの口元に持って行く。

 サイトは痛みから来る熱にうなされているのか、先程から酷く汗を掻き、このままでは脱水症状になりかねない。

 だが、眠っているサイトは水差しを口元にやっても上手く水を飲んでくれない。

「……私が、サイトを助けなきゃ……」

 ルイズは水差しの水を口に含むと、ギシッとベッドを軋ませてサイトに口付けした。

「……んぅ……んっんん……」

 口移しでサイトはそれをどうにか体に取り込んでいく。

 それを確認したルイズはサイトの顔をじっと見つめ、

「……サイト」

 彼の名前を呼んでもう一度口付けした。

 彼の鼓動に合わせて息を吹き込み、彼の吐く吐息を吸い込む。

 それを数回繰り返した後、ルイズはゆっくり口付けを止め、

「……私が、護ってあげる」

 サイトの耳元で、べたついた唇のまま、赤い舌をぺろりと巻いてそう呟いた。




***




「ああ、そこのメイド」

「はい? なんでしょう?」

 急に呼び止められたメイド、シエスタは足を止めて振り返る。

 そこには最近人気がうなぎのぼりの時の人、胸が開いたような白いワイシャツにマント姿というギーシュ・ド・グラモンがいた。

「君は確かルイズとサイトの部屋に食事とかを運んでいるメイドだね?」

「あ、はい」

 シエスタは頷いた。

 最近はルイズの部屋に食事を運んでいき、洗濯物等を代わりにやっている。

「その……サイトの容態はどんな感じだったかわかるかい?」

 あれから既に二日経っていたが、ルイズは授業に顔を見せず、サイトの件も耳には入ってこない。

 ギーシュも落ち着かずにヤキモキしていた。

 シエスタはクスリと笑う。

 失礼な事だが、最近もてはやされているとは思えない立ち振る舞いの貴族だと感じてつい笑ってしまった。

「メイド?」

 ギーシュの訝しそうな顔に慌ててシエスタは我に返る。

「あ、はい、すいません。サイトさんですね?昨日は結構危険な状態だったらしいんですけど、持ち直したらしくて、あとは目覚めを待つばかりだそうです」

「そうか」

 ギーシュはほっとしたような顔になる。

 シエスタはそれを見て、

 (やっぱり、貴族といっても同じ人間なんだ)

 そう思えた。

 そしてそう考えられるようになったのは、未だ目覚めないサイトのおかげだと思えた。

 彼の貴族に臆すること無い姿を見たからこそ、ここ数日で彼女はそう思えるようになった。

「ミス・ヴァリエールは殆ど寝ないで看病しているみたいで、私が代わりますからと言っても聞いて頂けなくて。でもそのかいあってサイトさんはだいぶよくなってきているみたいです」

「そうか、ああ、そうだ、ルイズはどんな様子だい? 寝てない、と言ってたようだけど」

 サイトの無事を聞いて安心したギーシュは、ふと、あの時のルイズの変わりようが思い浮かび、尋ねた。

「ミス・ヴァリエールですか? 少しお疲れになってはいるようです。何せ二日も眠っていないんですからね。でもずっとサイトさんの手を握って声をかけているようでしたよ」

「わかった、ありがとう、もう行ってもいいよ」

「はい」

 シエスタは一礼して歩き出す。

 この時、シエスタはあえて言わなかった事がある。

 それはルイズのサイトにかける声の内容だった。

 まるで壊れたオルゴールの用に何度も繰り返し同じような言葉を言い続けるのは一種の異様な光景だった。

 だがシエスタはチラリ程度にサイトの寝顔を何度か見た時、サイトは凄く綺麗な顔をしていた。

 それは彼女が甲斐甲斐しくきちんと看護している証拠だろう。

 しかしそれを知るとどういうわけか胸が痛んだ。

 何故か、サイトから言われた言葉が思い出される。



『おっちょこちょいなんだな』



 途端、不思議な感覚にシエスタは襲われる。

 彼女のルイズとは比べるべくもない大きい胸の内に、小さな炎が灯りつつあった。




***




 ブラウンのマントを纏った少女が、両手でバスケットを持って歩いていた。

 首を左右に振りながら歩くその様は誰かを捜しているようで、そんな時に彼女の視界に白と黒の仕事着を着たメイドが入った。

「あ、そこのメイドさん」

「あ、はい、何でしょう?」

 話しかけれ、メイドは答える。

「先程こちらにギーシュ様がいませんでしたか?」

「ああ、ミスタ・グラモンですね、つい先程私にサイトさん、ミス・ヴァリエールの使い魔の容態をお聞きになった後、何処かへ行かれましたよ」

「彼はどちらの方へ?」

「ええっと……行き先はわかりませんが、向こうの方へ」

「そう、ありがとうございます」

 バスケットを持った少女はお礼を言い、言われた方へと足を向ける。

「いえ、では失礼します」

 それにメイド、先程までギーシュと話していたシエスタも頭を下げてその場を後にする。

「今日もいないなぁ、ギーシュ様……」

 トリステイン魔法学院一年生、ケティ・ド・ラ・ロッタは今日も探し人を探して学院内を彷徨っていた。

 彼女の思い人探す恋の迷路に、未だ出口は見えない。



[13978] 第九話【乙女】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:06
第九話【乙女】


 うろうろうろ。

 うろうろうろうろうろ。

 うろうろうろうろうろうろうろうろ。

「はぁ……」

 ギーシュは溜息を吐いた。

 先程メイドから無事な旨の話は聞いたが、それでも少し心配だ。

 そうして気付けばルイズの部屋の前で危ない人のようにギーシュは行ったり来たりを繰り返していた。

「はぁ……」

 いや、ように、ではなく既に完全に危ない人だ。

 こんな所で何度も溜息を吐いていてはせっかくの武勇伝もすぐに朽ち果ててしまいかねない。

 ギーシュはそれを危惧したわけではないが、しかしようやくと心を決め、腹に力を入れてドアをノックした。

 ……。

 …………。

 ………………。

「………………」

 返事がない、ただの屍のようだ。

「いや、屍では無いだろう!?」

 ギーシュは自身の考えにツッコミを入れた。

「いや、自分の考えにツッコミとかして僕はここに何をしにきたんだ」

 ギーシュは気を取り直してもう一度ノックする。

 ……。

 …………。

 ………………。

「………………」

 が、やはり返事はない。

「……ルイズがいると聞いてたが、席を外しているのかな」

 ギーシュはそう思い、ドアノブに手を回した。

 キィ……。

「……開いてるな」

 どうしようか。

 ギーシュは迷ったが、やはりサイトのことが気にかかり中に入る事にした。

「失礼するよ」

 一応そう声をかけて入室する。

 中には、眠っているサイトと、サイトの手を握り、祈るようなポーズで横に座っているルイズがいた。

 それはとても綺麗で、異様な光景だった。

 傾き始めた日差しがルイズの頬をオレンジに染め、その麗しい顔を優しさで包み込み祈るように一心になって手を握っている様はまるで天使のように美しい。

 だが、その一方で彼女の発する声は呪詛のように低い声だった。

「……サイト、私が傍にいるから」

 文面は問題ない。

 少し過剰な部分も感じられるが、しかしそれは使い魔を思えばこその事だろう。

 問題は声質。

 その声は、目の前の少年への慈しみと他者への怨念じみた拒絶を感じさせた。

「ル、イズ……?」

 戸惑いながらギーシュのかけた声は上ずり、少し怯えが混じっていた。

「……ギーシュ? 何か用? 今私は忙しいの」

 ルイズは、振り返らずサイトの顔を見つめたまま、しかし普段通りの声で返事をした。

 そこには先程の異様な空気は既に無く、いつもと変わらないルイズの雰囲気だった。

「あ、ああ、サイトの様子はどうかと思ってね、幸いヤマを超えたと聞いて安心したんだが一応様子を見に来たんだ」

「そう、見ての通りサイトはまだ眠ってるわ、でももうじき目覚めると思う」

「そうか、とにかく無事で良かった」

 決してルイズは振り向かないが、それでもいつも通りのルイズとして受け答えをしている。

「そう言えば、あの時サイトを連れて行くように言ったのはギーシュ、貴方だったわね、おかげでサイトの治療が間に合った、お礼を言うわ」

 だが、ここで珍事が発生する。

 ルイズはめったに人にお礼を言わない。

 いや、決して彼女との付き合いが長いワケではないので、何とも言えないが、彼女はそうそう頭を下げる人間では無いと思っていた。

「珍しいな、君が人に素直にお礼を言うなんて」

「……サイトが助かったのは貴方のおかげかもしれないもの、お礼くらい言うわ」

 ギーシュはそのルイズの言葉に軽い驚きを覚えた。

 お礼もそうだが、随分と召喚したばかりの使い魔に思い入れているようだ。

 だからだろうか。

 女性に対しては気の回し方が上手いと自負しているギーシュは、ここでもその才を発揮することにした。

 だがそれは、初めて自分の為意以外への気の回し方だった。

「ルイズ、君は殆ど寝てないそうだね」

「ええ」

「顔を洗っているかい?」

「いいえ、今はサイトを看ていたいから」

「なら行っておいでよ、僕がその間彼を看ていよう」

 ルイズはしばし黙り込み、しかしそれを断った。

「……遠慮しておくわ、私はサイトが目覚めるまでここにいる」

 それを聞いたギーシュは、ほう、と感嘆の息を漏らした。

 思い入れているとは思ったが、まさかここまでとは。

 もしかしたら彼女はその乙女心を彼に動かされているのかもしれない。

 身分違いとはいえ使い魔と主人の関係でもある二人だ。

 自分が口を出すことではないし、もしかしたら上手くいくかもしれない。

 だから、やっぱりギーシュは先の提案を取り下げない事にした。

「君のその言葉を聞いて、益々僕は君に顔を洗いに行ってもらいたくなったよ」

「くどいわよギーシュ、わかるでしょう? 今の私はサイトを看ていなくちゃならないの」

「だから僕が少しの間代わってあげると言ってるだろう?」

「他の人に任せたくないわ」

「やれやれ、僕は君とサイトの為に言ってるんだけど」

 その言葉にルイズはピクリと反応し、

「……どういう意味?」

 ようやくギーシュの方に振り向いた。

 その顔は、ギーシュの予想通り酷かった。

 随分と泣き腫らしたのだろう。

 目を真っ赤に腫らして隈を作り、疲れ果てたような顔をしていた。

「ほら、そんな顔をサイトに見せる気かい? もし僕が彼だったら驚き悲しむだろうね」

「……貴方とサイトを一緒にしないで」

 ルイズはギーシュを睨み付けるように言い放つ。

「確かに僕は貴族で彼は平民だ」

「そういう意味で言ってるんじゃ無いわよ」

「わかってるさ、でも彼はね、君を責めないと言ったんだ」

 少し気障ったらしく、しかし興味を引くようにギーシュは言う。

「どういう意味?」

 案の定、彼女は食いついてきた。

「彼はね、何も知らないままイキナリ召喚した君を責めないと言ったんだよ」

「………………」

「女の子を責めるのは趣味じゃないんだそうだ、僕と気が合うと思わないかい?」

 ルイズは押し黙る。

 ギーシュの“こういうこと”のみに働く勘が、後一押しだと告げていた。

「サイトはね、主人とかは関係なく、今世話になっている君がゼロと馬鹿にされた事に憤慨したようだったよ」

「!!」

 ルイズは飛び跳ねるようにサイトの顔を見つめた。

 サイトの顔は既に穏やかになっており、ただ眠っているようにしか見えない。

「君はそんなサイトに、いくら平民の使い魔とはいえ、隈を作って泣き腫らした顔を見せるのかい? 淑女とはもっとオシャレにも気を使うものだよ、そう例えば香水のモンモランシーのようにだね……」

 途中からギーシュは何かのスイッチが入ったのか、目的を半分忘れ美しい女性の在り方の巧弁を垂れ始めたがルイズはそんなものは聞いちゃいなかった。

 (……サイト)

 胸に込み上げるのはサイトの一挙手一投足。

 そして彼が今回決闘を受けたのは自分の為だという事実。

 彼女にとって大事なのはそこであり、

「というわけで、ケティのように常に美しく可愛らしい顔立ちを男性は好むのさ」

 ここだった。

 美しい顔立ちを男性は好む。

 いつの間にか説明している女性の名前が違うのはこの際置いておくとしよう。

 大事なのはその一点。

 ルイズの中でその言葉が変換される。

 美しく可愛らしい顔立ちを男性は好む = サイトは綺麗な自分を好む。

 ルイズは立ち上がった。

「……ギーシュ、少し顔を洗ってくるわ」

 ようやく語りたいことを語り終わったギーシュは、そのルイズの変わり身に勧めていた本人ながら驚いたが、頷くことで彼女を見送った。

「……早く顔を洗って来なきゃ」

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 花も恥じらう肉体年齢十七歳の彼女は、“歳不相応”に慌てて駆けだした。




***




 バン!!

 急に扉が開き桃色の髪の乙女が駆けだしていった。

 それにたまたまそこを通りかかった少女、ブラウンのマントを纏ってバスケットを両手で持っていたケティ・ド・ラ・ロッタはビクッと肩を奮わせ驚いた。

 しかし桃色の髪の少女はケティに見向きもせず、その小さな体躯とは裏腹に凄い速度で駆けだしていく。

 それをポカンと見ていたケティは、

 ギィィィ……バタン。

 扉の閉まる音で我に返り、

「……いないなぁ、ギーシュ様」

 そう呟いて、また何処かへと歩き出した。



[13978] 第十話【未遂】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:06
第十話【未遂】


「くそっ!!」

 ヴィリエ・ド・ロレーヌは荒れていた。

 “あの日”から自分は卑怯者、軟弱者扱い。

 逆にあのギーシュは英雄のような扱いだ。

「あんな女ったらしの何処がいいんだ!!」

 悪態をつきながらヴィリエの苛立はどんどん募る。

 最近では使用人達すら侮蔑の眼差しを向けて来ているように感じ、全ての笑いが自分を嘲笑しているかのような錯覚さえ起きる。

「くそっ!!」

 苛立ちまみれで地面を蹴る。

 芝がめくれ、土が空に跳ね、彼の服に付着する。

「わぁっ!? き、汚い!! ……くそっ、何で僕がこんな事をするハメになるんだ、僕はギーシュと違って風のメイジでラインなんだぞ!?」

 ヴィリエは全ての事に苛立ちながら土を払う。

 彼がいたのは先日の決闘の場、ヴェストリの広場だった。

 来たくは無かったが、禁止された決闘を行い、相手が平民とは言え他人の使い魔に酷い怪我を負わせた罰として、ミスタ・コルベールに広場の補修を命じられたのだ。

 確かに自分が放った風の魔法で芝やら地面が抉れたり、血が芝に付着していたりして景観が損なわれている。

 だが、その補修を何故自分が罰としてしなければならないのか。

 ヴィリエは抗議した。

 相手は平民であり、敗者なのだから彼がすべきだと。

 しかしミスタ・コルベールは普段とは一線を画す表情で、



『君は自分が何をしたのかわかってるのか』



 この先生からここまでの有無を言わせぬ怒りを受けたのは初めてだった。

 いつも温厚で優しい、つまりは人に怒ることが出来ないヘタレな先生だとヴィリエは彼を思いこんでいた。

 しかし実情、彼はコルベールに意見など出来ぬほど彼に怯えた。

 よくわからない絶対的なメイジとしての差が、確かにそこにはあった。

 ヴィリエは怯えから渋々それを受け、広場での補修に来ていたのだが、一人になると途端に怒りが込み上げてくる。

 “勝者”の自分が何故こんな扱いなのか、と。

 真に評価されるべきは平民に正しい“教育”を施し、実力を見せた自分だろう、と。

「くそっ!!」

 ヴィリエは土を乱暴に払いながら怒りを吐き出す。

 払った手を見ればそこは泥だらけだった。

「何で僕がこんな目に合わなきゃならないんだ……それもこれも、あの日、“アイツ”に負けてからだ」

 彼は、サイトのことでもギーシュのことでも無い、“アイツ”の事を思いだし、イライラをさらに膨らませる。

「くそっ!!」

 周りを見渡して目に入る血の後が彼をさらに怒らせる。

 もう一度掌を一瞥すると、後始末も早々にヴィリエは歩き出した。

「手が汚れていては集中もできやしない」

 そう自分に言い訳すると、ヴィリエは手洗い場に足を向けた。

 ここから水場まではそう遠くない。

 さっさと洗って少し休憩だ、そう思っていたヴィリエは、水場に見知った人間を見つけた。

 桃色の長い髪と小さな体躯。

 彼女は必死に顔を洗っていた。

 ヴィリエはその姿を見て、急激に苛立ちを覚えた。

 あの時、たいした魔法も使えない“こいつ”に吹き飛ばされ痛めた傷はたいした治療もしなかったせいか未だに痛んでいる。

 それを思いだし、あの時自分を本気……かどうかはわからないが殺そうとまでし、それに恐怖を覚えた自分と与えたルイズに腹を立てた。

 (僕がゼロのルイズに怯えた? 馬鹿な!!)

 冷静になった今、その事実が無性に苛立つ。

 だいたい、事の発端はこいつの“使い魔”なのだ。

 あの時は魔法を使いすぎて精神力が尽きかけていたからきっと混乱しただけで、今ならそんなことはない。

 だから、この理不尽をこいつにぶつけても問題無い。

 ヴィリエはそう考えを纏めると水場で顔を洗っていたルイズに、声をかけた。




「やぁルイズ、薄汚い平民はどうなったんだ?」




***




 ルイズは一心不乱に顔を洗っていた。

 ここ最近まともに洗っていなかった分も含めてそれはそれは念入りに洗っていた。

 目の隈は完全には落ちないだろうが、それでも綺麗に見られたい。

 その一心だった。

 彼女はその美しい桃色の髪をやや湿らせて、目をギュッと閉じたままバシャバシャと水を顔にかけていた。

 時折シャープな顎を伝って滴り落ちる滴が眩しい程に太陽の光に反射し、それはまさしく女神の水浴びのようだった。

 そんな彼女が手を止め、

「ふうっ」

 息を吐いて頭を振り、水を払った所で、




「やぁルイズ、薄汚い平民はどうなったんだ?」




 彼女の纏う空気が一気に凝縮された。

 ゆっくりと声の方に首を向けるルイズの顔は、先程とは別人のようだった。

 何処か明るさが感じられた表情は消え、能面のような顔つきでルイズは声の主、ヴィリエの方を見る。

 その変貌にややヴィリエはたじろぎながらも、所詮はゼロのルイズだと自分に言い聞かせ、

「こっちはお前の使い魔が流した血が汚くて困ってるんだ、広場の補修を言いつけられて良い迷惑だ」

「………………」

「なぁ、お前の使い魔もう治ったんならお前の使い魔にやらせろよ、僕は彼に勝ったんだしさ」

「………………」

 彼は自分が勝利者だと公言して憚らない。

 しかし、誰もが彼の勝利を認めておらず、それ故に周りから侮蔑の眼差しを受けている事に気付かない。

 さらに、何か言ってくると思っていたルイズが黙っていることにより、彼は段々エスカレートしていく。

「だいたい、何で僕が薄汚い平民のせいでこんな目に合わなきゃならないんだ? もうちょっと使い魔の教育をしっかりしろよ」

「………………」

「広場も薄汚い平民の汚い血で汚れて……ルイズ?」

 流石に、彼は彼女がおかしい事に気付き始めた。

 視線を下げ、ただ一字一句聞き逃すことの無いようにルイズは話を聞いていた。

 ヴィリエはそんなルイズを訝しみ、夢中になっていた話を一旦切るが、




「……言いたいことはそれだけ?」




─────ヴィリエ。




 それは死刑宣告に等しかった。




「貴方は“三度も”サイトを“薄汚い”と言ったわ」




 彼は思い違いをしていた。




「“二度も”サイトの尊い血を“汚い”と言ったわ」




 彼女は黙って聞いてたのでは無かった。




「そして、何よりサイトを“傷つけた”わ」




 ただ、あまりに“サイトを傷つけたヴィリエ”への怒りが強すぎて、黙っていただけだった。




「……そんな貴方にはサイトと同じ、いえそれ以上の痛みと苦しみを与えなくちゃ」




 彼女にとって、既にヴィリエとは、




「私から二度とサイトを奪えないように」




 学院の同級生ではなく、




「サイトがこれ以上傷つくことの無いように」




 知り合いの貴族でもなく、




「サイトの安全の為に」




 どうでもいい赤の他人でもなく、




「消えて、ヴィリエ」




 排除の対象だった。








***








 ルイズの瞳から光が消えて、何も映さない“ゼロ”になる。

 動きは酷く緩慢で、しかしそれが本当は自分の認識速度が遅くなっている……否、速くなりすぎている事に気付いて、それが何を意味するのかヴィリエは唐突に理解した。

 彼女の言った言葉。




『消えて、ヴィリエ』




 これは比喩でも暗喩でもなく、そのままの意味だった。

 彼女は、ヴィリエという人間をその言葉の意味そのままに“消す”つもりなのだ。

 どうやって、などはわからない。

 ただ、彼が“ゼロ”と馬鹿にした彼女が本当にそうすることが出来、また彼はそうされるということだけがわかった。

 だから、それはただの偶然であり、彼は事実上消えたも同然だった。




「ルイズ、いるかい!? 君の名前をサイトがうめき声で呼んでいるんだ!!」








***




 場に残っているのはヴィリエのみ。

 別に何処かを傷つけられたわけでも、何かをされたわけでもない。

 ただ、彼は動けなかった。

 怯えから思考は働かず、体が動かず、何も出来ない。

 あと少しで、彼はこの世界から“消える”所だった。

 たまたま、本当にたまたまギーシュが現れた。

 ヴィリエなどに気付くことなく、彼はルイズに現況の説明をした。

 事実はそれだけ。

 だが、その事実はルイズにとって全てだった。

 彼女の思考回路は複雑難解にして簡単だ。

 “貴族”か“平民”か。

 “動物”か“幻獣”か。

 “クックベリーパイ”か“他の食べ物”か。

 そして、“サイト”か“その他”か。

 それが全てだった。

 サイトが呼んでいる、それはルイズにとって全てに優先し、“ヴィリエを消す”などという事が“些事”になるだけの話。

 本当に偶然の産物で彼は“消えず”にここにいる。

 それを理解している彼は自分の存在を消そうとしたルイズに怯え、

「僕は……」

 同時に憤慨し、

「僕は……」

 嫉妬した。

「僕は……!!」




***




「サイト!!」

 大声でルイズが自室に入室すると、そこには脂汗を流して呻くサイトがいた。

「……イズ……ルイズ……めて……」

 ルイズは慌てて駆け寄り、サイトを抱きしめるようにして宥める。

「サイト、大丈夫、私はここにいるわ」

「……ルイズ……い……めん……して……」

「何? 何が言いたいのサイト!?」

 ルイズはサイトを抱きしめながら慌てふためく。

 そんな二人を、ギーシュは真剣に見つめていた。

 サイトの声は尋常ではない。

 “何かとても恐ろしいモノ”から逃れようとするかのような声でルイズの名前を呼んでいる。

 何か怖い夢でも見ているのだろうか。

 そう思わせるほど彼の怯えは異常で、強烈だった。

「サイト!!」

 ルイズは何度も彼を呼ぶがサイトは目覚めずうなされながらただ彼女の名前を呼ぶ。

「……ルイズ……たい……るし……ごめ……いや……マジ……って……」

 だが、何だかサイトの言葉が段々ハッキリしてきた。

 しかしそんなサイトを見ているルイズは冷静になれずにそんなことはわからない。

「サイト!!」

 故に、彼女は最終手段にして強攻策に出た。

「んっ!!」

「いっ!?」

 ギーシュは驚く。

 それは強引なキス、だった。

「んんっ」

 ルイズによる“口を開く”という行為を律するかのような強い強引なキス。

「んんっ……んーん……んんん……」

 するとどうだろう。

 サイトは安心したようにみるみるおとなしくなっていく。

 そうして落ち着いたサイトは、ゆっくりと目を開いた。




***




 ケティ・ド・ラ・ロッタは彷徨っていた。

「おかしいなぁ……いないなぁ、ギーシュ様……」

 探し人は以前見つからず、その影も形も見えない。

 彼女が途方に暮れていると、たまたま水場付近で何もせずに立ったまま動かない上級生を見つけた。

 マントを見るに探し人と同じ二年生。

 もしかしたら探し人を知っているかもしれないと思いケティは声をかけようとして、




「僕は……!!」




 その言葉を飲み込んだ。

 一人何もない所で声を上げる様は異様で、それでいて滑稽で。

 何処か危ない人にも見えるその行いは彼女が声をかけるのを躊躇わせるのに十分で。

 しかし、その彼の表情だけは何か真っ直ぐなものだけを見ているように凛々しくて。

 (あれ……? なんだろう私……あの人の顔をみてから何だか動悸が……)

 それは彼女に正体不明の高鳴りを与えた。




 この日、彼女は結局探し人を見つけられず、正体不明の高鳴りを胸に秘めたまま、一人自室に戻る事になる。



[13978] 第十一話【芳香】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:07
第十一話【芳香】


「……夢を、見ていたんだ」

 サイトは、ベッドから半身を起こすような体勢で語りだした。

 ようやく目覚めた彼は、どうして急にルイズを呼び、暴れたりしたのかを聞かれ、そう言ったのだ。

「……夢?」

「ああ、何か……怖い夢だった」

「そうだろうね、君のあの怯え方、尋常じゃなかったよ。一体何が出てきたんだい? ドラゴン? それともオーク鬼?」

 ギーシュはウンウンと頷きながら尋ねる。

「いやぁ、それが……ルイズなんだ」

「は?」

 ギーシュは間の抜けたような声をだし、

「ルイズが……あれは乗馬用の鞭、だったかな? それで俺を叩くんだ、この馬鹿犬!! って言いながら、何度も何度も……痛いわ恐いわで嫌な夢だった……」

「あ、あははは……サイト、君もしかしてそっちのケがあるのかい?」

「あるわけないだろ!!」

 サイトは大声で否定し、慌てて口元を抑える。

 それをギーシュは苦笑して見ながら、

「まぁ、そうだよね。でもそんなことはありえないと思うんだけど」

「ん……そうだよなぁ」

 二人はそう言ってから、今、

「すぅ……すぅ……」

 泣きながらサイトに抱きついて離れないで、いつの間にか眠ってしまったルイズを見つめた。

 サイトが大声をあげてすぐに口元を抑えたのもこの為だ。

 先ほどまでルイズは散々泣きながら喚いていた。



『バカ!! もう起きないかと思ったんだから!!』



 と言ってルイズは泣いて抱きつき、ポカポカと頭を軽く叩いてはサイトに甘えるように離れなかった。

 サイトは大げさだなぁと思ったが、自分が二日にわたって眠っていたことを聞き、随分と心配をかけたんだと理解した。

「……にしても、君は随分ルイズに気に入られているようだね」

「……そうなのか?」

「君は知らないだろうけど、ルイズは結構とっつきにくい娘だって言われてたんだ、性格はキツイし魔法は使えない、美人で博学だけど誰も寄せ付けない、みたいなイメージだったよ」

「俺はルイズの使い魔だし、そのせいじゃないのか?使い魔は主人の為にいろいろやるんだろ?なんか傍にいるだけで良いって言われた気がするし、使い魔ってそういうもんじゃないのか?」

「まぁ、間違いじゃないんだけどね……確かに僕だって“ヴェルダンデ”が怪我をしたら悲しむし看病もするさ」

 ギーシュはそう言い、納得した素振りを見せながらも、行き過ぎを感じてはいた。

 だがそれは、きっと相手が人間であるが故のことだと思い、その思考を隅に追いやり、

「“ヴェルダンデ”?」

 不思議そうなサイトの質問に答えることにした。

「ああ、僕の使い魔だよ、ほら、この前広場で僕が膝に乗せていただろう?」

 サイトは「う~ん」と唸り、ポンと手を叩いて思い出した。

「ああ、あのモグラか」

「モグラって……確かにそうだけど正確にはモグラよりも高位な存在なんだよヴェルダンデは。“ジャイアントモール”なんだから」

「ふぅん」

「いや、ふぅんって……君、絶対理解してないだろう?」

 ギーシュはサイトの気のない返事に呆れたように言う。

「だって俺は使い魔とか魔法とか無縁のところから来たんだぜ? そんなこと言われても知らないしリアクションの取り方もわからねぇよ」

「やれやれ……ヴェルダンデの良さがわからないなんて可哀想な男だね、まぁしょうがないんだろうけど……っと、もうこんな時間か、僕はそろそろ失礼するよ」

 ギーシュは時計を見て、すくっと立ち上がった。

「え? もう行くのか?」

「僕はもともと君の様子を少し見に来ただけさ、それにこれから女の子との約束もあるんだ」

「あーあーそうですかそうですか、とっとと行けこの色男」

 短い会話しか交わしていない二人だったが、決闘の際のこともあってか、既に遠慮のない物言いをするようになっていた。

 別にギーシュもそれを咎める事はしない。

 しないが、ヴェルダンデへの興味の対応にちょっぴりカチンとくるくらいの狭量ではあった。

「ああ、そうさせてもらうよ、それに君たちの邪魔をしちゃ悪い、それじゃあね」

「な!?」

 ギーシュはそう言って部屋を出て行く。

 サイトは慌てふためくが、そこには既にギーシュはいない。

 ルイズはすぅすぅ寝息を立てながら、しかし決してサイトの腕を放そうとせずにくっついている。

 途端に今の自分が恥ずかしくなってきた。

「……どうすんだよ、これ」

 ギーシュに言われたせいか急に意識してしまい、サイトは気が気じゃなくなってきた。

「くそう……ギーシュめ」

 ギーシュの思惑に気付き、またまんまと乗せられ意識してしまうサイトはそう呟くが、腕に抱きつくルイズは一向に目覚める気配が無い。

 泣き疲れたのだろう。

 二日間一睡もしないで看病していた疲れもあるのだろう。

 だが、一番はやはり“安心”だろう。

 目覚めたサイトがそこにいる、それが彼女の張りつめていた緊張の糸を断ち切ったのだ。

「二日も寝ないで看病していたっていうし、起こすのも可哀想だよなぁ」

 ルイズの穏やかな顔を見て、流石にサイトも起こすのは憚られた。

 だが、かといってこのままでは動くともままならない。

 今できることと言えば、ルイズを横にして自分も横になることくらいだ。

「あんまり眠くないんだけど、仕方ないか」

 サイトはそうぼやくと、ルイズを抱き上げ、

「って軽いなぁルイズ」

 ルイズの軽さに若干驚き、

「すぅ……すぅ……」

 小さな口元が開いては閉じるその様を眺めていた。

「……俺、そういやルイズとキス、したんだよなぁ」

 初めて会った時のことを思い出して、視線がルイズの小さな唇に釘付けになり、頬が熱くなる。

 定期的に開いては閉じるそのピンクの唇は、とても小さく神秘的で。

 柔らかかったなぁ、とか考えている思考を、慌てて頭を振ってリセットした。

「やめやめ!! こんなこと考えてたらどうにかなっちまう」

 ルイズをベッドに寝かせる。

 相変わらずサイトの腕は掴んだまま離さず、しかしすやすやと穏やかだ。

 その顔はまるでようやく安心できたというような、晴れ晴れとした表情だった。

「良い表情してんな、こいつ」

 そうサイトは笑うと自身も横になる。

 何故かルイズの表情を見ていたら眠れる気がしてきた。

「んん……サイト……」

 耳元で自身の名を囁かれ、横から流れてくる知らない、しかしいい匂いを感じながらサイトは再び目を閉じた。




***




 ムクリ。

 影が起きあがる。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 気付けば自身は眠っていたようで、ハッとしてすぐ、安心する。

 隣でサイトは眠っていた。

 起きあがった影、ルイズはそのサイトを潤んだ瞳で見つめ、心から安堵した。

 ようやく目覚めた彼。

 今はまた眠っているが、それも明日の朝になれば問題無いだろう。

 ありったけの秘薬を取り寄せた。

 幸い学院からの援助も出た。

 そのかいあってサイトはこうしてここにいる。

「……サイト」

 ルイズは小さく名前を呼ぶとベッドから一旦降りた。

 自分は未だマントを付け、シャツを着たままだ。

 マントを取り外し、シャツを脱いでスカートも脱ぐ。

 洗濯籠にそれらを放り込むと、自身のクローゼットから寝間着を取り出して着替えた。

 ずいぶんと透けている薄いピンクのネグリジェだが、これはお気に入りなのだ。

 着替えを終えたルイズは、テーブルに置いてあった杖を手に取り、部屋のランプに向かって振る。

 途端、明かりが失われた。

 部屋は、闇夜に浮かぶ双月からの光源のみによって照らされ、ルイズのその小柄な肢体を全ては映さない。

 すっと白い肌色が闇に流れる。

「……サイト」

 再びベッドに入って横になったルイズは、サイトの腕を引き、それを自身の頭を乗せることで固定する。

 ルイズはそのままサイトの体に抱きつくようにして微笑み、すぅっと鼻で息を吸う。

「……サイトの匂い」

 サイトの服越しから嗅ぐサイトの匂い。

 今度は鼻をサイトの胸にこすりつけるようにして吸い込む。

「……本物の、サイトの匂い」

 自然、ルイズの口端が緩む。

 何度この匂いを嗅ぎたいと願っただろう。

 何度この匂いを嗅ぎたいと泣いただろう。

 もしも匂いに固定化をかけられるなら、サイトの匂いをこのベッドに固定化させたいと思う。

「……サイト」

 口元の緩みが収まらない。

「……“私の”サイト……」

 もっとこの匂いを嗅いでいたい。

「……“私だけの”サイト……」

 この匂い嗅いでいるのが自分だけだと思うと胸が高鳴る。

 ずっと冷え切っていた心という歯車が、再び稼働を開始する。

 彼は眠っている。

 だからこれはフライングであり、無効。

 いずれ“その時”がくれば改めるつもりではいる。

 それでも彼女は、“生前果たせなかった願い”を今、口にした。




「……愛しているわ、サイト」



[13978] 第十二話【夢想】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:08
第十二話【夢想】


 例えばの話をしよう。

 そう、飽くまで例えばであり、そんなことは現実に起こりえない。

 しかしそれが起こりえたら、という程度の、本当に誰もが夢想するようなあり得ないことだ。

 尚、夢想するのは男子、という性別の限定をする。

 異論は認めない。

 何故かは内容を聞けばよくわかる。

 年齢?

 そんなものは関係ない。

 これは男子永遠の夢であり、人類の至宝である。

 そこまで回りくどい前置きをサイトは考え、嘆息した。

「はぁ……、いや、確かに“夢”であるんだが、ある意味、飽くまで“夢”であって欲しかった」

 自分が欲しいと思ったモノがあっさり、しかも大量に手には入ってしまった時、その人間は手に入れたモノの価値を以前ほど感じられないことがある。

 今のサイトは、まさにそれに似た境遇でいて、もっとも遠くにいる悩みを持っていた。

「……なんで下着なんだよ」

 今の現状を説明するなら、その一言に尽きる。

 昨日、制服のまま眠った筈のご主人様は、何故かスケスケなピンクのネグリジェを着て、昨日と寸分変わらない体勢でサイトに抱きついていた。

 おかしい。

 彼女は昨日制服のまま眠ったはずである。

 それが目を覚ましてあらビックリ。

 彼女はスケスケネグリジェという夢オチのようで現実の摩訶不思議アドベンチャーな出来事が起きていた。

 平賀才人十七歳。

 ボケるにはまだ少々、いや、かなり早いと自覚している。

 しかも、問題は彼女の服装だけに留まらない。

 彼女の体勢が、サイトを悩める性少年、もとい悩める青少年のそれへと変貌させている。

「……ヤバイ」

 それはもうヤバイのだ。

 “ムチムチ”の“スベスベ”の“テカテカ”の“フワフワ”なのだ。

 彼女の細いフトモモが動くたびに、鮮明にサイトのジーンズ越しにその温もりが伝わってくる。

 彼女のその細く白い腕に力が入るたびに、お餅みたいなしっとりとした肌が腕に感じられる。

 かつて、寝起きでここまで葛藤という名の戸惑いをした事があっただろうか。

 サイトは何度自身に渦巻く欲望に忠実になろうとしたか知れない。

 朝のたった数十分で、その迷いの反復は既に三桁に近かった。

 彼はもとより思春期まっただ中であり、それなりに女性に興味がある普通の少年だ。

 本来ならばいつ間違いを犯してもおかしくは無かった……のだが。



「……サイト……死んじゃ……ダメ……起きて……サイト……」



 彼女の彼を憂う寝言が、幾度と無く彼を押しとどめる。

 昨日のギーシュによると、彼女は自分を助けるために、小さな家が建つくらいのお金を支払ってまで秘薬という“薬”を取り寄せてくれたのだそうだ。

 そんな彼女に、いくらなんでも恩知らずではなかろうか。

 サイトとて、思春期まっさかりであると同時に、恩を感じられる程の常識人である。

 サイトは悩み、肌の感触に我を失いそうになり、しかしルイズの声で我に返るというサイクルをずっと繰り返し、精神を異常に摩耗させていた。



「ん……“私の”サイト……」



 その為、彼女の最後の寝言はきちんと聞き取れなかった。




***




 サイトが、実に煩悩と同じだけの数の葛藤回数を記録した時、ようやくとご主人様であるルイズは目を覚ました。

 もうすぐでサイトの自制心という名の理性も決壊寸前だった為、それはある意味で本当にギリギリだった。

 あるいは、初夜の際の彼女の言葉をサイトが聞いていればまた違った未来があったのかもしれないが、現にこうして一線を護ったという事実だけが、今のサイトの中にあった。

 もしそれを彼女、ルイズが知れば、立腹ないし目覚めた事を悔やむかもしれないが、そのルイズの考えをサイトが知ることもまた、今は無い。

 目を覚ましたルイズは、目を擦りながら、しかし懐かしい温かみに安心するように微笑みを浮かべ、起きあがった。

「おはようサイト、調子はどう?」

「あ、ああ、もう大丈夫だ。ギーシュに聞いたんだけど、ルイズが凄い高い薬をいくつも取り寄せて治療してくれたんだって?」

 ようやく体の自由を取り戻したサイトは、ベッドから降り、頭を掻きながらルイズに尋ねる。

「ええ、そうよ」

「その、ありがとう」

 ルイズの返事に、サイトはお礼を言った。

 別にギーシュを疑っていたわけではないが、本人から事実をきちんと聞いておき、お礼を言いたかったのだ。

 ルイズはそんなサイトを見て目を丸くし、次いでクスリと笑う。

「……サイト、何か勘違いしてない?」

「……へ?」

 サイトは首を傾げる。

「言ったでしょう?私はずっと貴方を待っていたの。私は貴方に傍にいてくれるだけで、私を見てくれるだけでいいの。だからそんな貴方を助けるのは当然の事よ」

 ルイズは微笑み、立ち上がってサイトに歩み寄り、

「それより、目が覚めて本当に良かった……」

 そう言ってサイトに抱きついた。

 まるでそこに本当にサイトがいる実感が欲しいかのように強く強く力を込める。

「ル、ルイズ……?」

 サイトが少し気まずそうに頬をかく。

 何せ彼女は殆ど下着なのだ。

 そんな姿のまま抱きつかれては残りの精神力“ゼロ”な自分ではたとえ般若心経を唱えようとも耐えられる自信が無い。

 (う……う……うぁ……? あーっ!! もう我慢できるかぁ!!)

 お礼を述べたことで、緊張の糸もなくなっていたのか、サイトは両手を振り上げ、勢いよく彼女を抱きしめようとした途端、ルイズはパッと離れる。

「え?」

 サイトは疑問符とともに抱きすくめようとした手が空振りし、それが虚しく空を抱き、

「いっけない!! 早く食堂に行かないと授業に遅刻しちゃう!! ……サイト?」

 そのヘンテコなポーズを見たルイズが首を傾げる。

「どうかした?」

「い、いや、なんでもない……」

 ギギギ………とサイトは回れ右をして悔し涙を隠した。




***




 サイトはドギマギしながらルイズの着替えを手伝い、二人で食堂に向かっていた。

「なぁ、俺食堂に入っても大丈夫なのか?」

 前回のことから、サイトは食堂に入るのを少し躊躇った。

 それにこの前大騒ぎを起こしたばかりなのだ。

 サイトとて面倒ごとを好き好んで起こしたくは無い。

「言ってあるし大丈夫だと思うけど、気になるの?」

「まぁ、ちょっとな」

 未だ貴族云々の階級差別がサイトにとってはよくわからない。

 もともとそんなものの無い世界から来たのだ。

 ルイズは少し考え、

「わかったわ、じゃあこの前みたいに一緒に外で食べましょう。私は朝の唱和が終わり次第食べ物を持って外に行くから」

 サイトの憂いを第一に考え、ルイズは食事を外で食べることにした。

 そのほうが二人きりにもなれて案外いいかもしれないと思ったのはルイズの内緒である。

「じゃあ、もうすぐ唱和だから終わるまで待っててね」

 ルイズはそう言うと、少しサイトを気にしながら食堂へと入って行った。

 サイトはそれを見送り、ふぁ、と一回欠伸する。

 なんだかまだ眠い。

 今朝異常に精神を消耗したせいだろうか。

 そう考えている時、

「あ、サイトさん!! お目覚めになったんですね!!」

 見知ったメイドの女の子が近寄ってきた。

 見知ったメイドの女の子は、前と同じ黒と白のメイド服に白いメイドキャップをつけて微笑みながらサイトに話しかける。

「もう大丈夫なんですか?」

「ああ、シエスタ、だっけ? もう大丈夫だよ」

 サイトは頭をかきながら答えた。

 結構な大口を叩いて、わりとあっさり大怪我を負ってしまった自分が少々情けないのだ。

 しかし、シエスタはそんなサイトを情けないと思うどころか尊敬していた。

「良かったですね、元気になられて。普通なら亡くなってもおかしくない出血でしたよ。本当に助かって良かったです」

 シエスタは明るく笑う。

 それは心からの声なのだろう。

「それにサイトさんって本当にお強いんですね、私感激しました!!」

 次いで目を輝かせるようにしてサイトを見つめる。

「いや、それほどでも」

 サイトもそんな目で見つめられ、褒められれば悪い気はしない。

 つい照れながら答える。

「私、今まで貴族が恐くて仕方が無かったんですけど、今はそれほどでもなくなりました。平民だって頑張ればやれるんだってことをサイトさんに教えてもらったからです!!」

「お、俺はそこまでたいしたことはしてないよ」

「いいえ、これは凄いことなんです!!」

 シエスタの余りの持ち上げっぷりに、サイトは段々照れを通り越して申し訳なくなってくる。

 自分はそんなに高尚な人間ではない。

 あの時もただ夢中で喧嘩をしたに過ぎないと思っていた。

 それで死にかけていては世話無いが、それはそれ、これはこれだ。

「いや、本当に俺は……」

 もう一度、自分の評価を少し下げてもらおうとシエスタに取り繕いの言葉をサイトはかけようとして、



「随分盛り上がってるのね……?」



 なんだか少し無表情のような、やや抑揚を失った声のルイズが戻って来た。




***




 コンコン。

 ドアがノックされる。

「入りたまえ」

 室内にいる男性が、ノックの主に入室を許可する。

「失礼します」

 そう頭を下げてその部屋に入ったのは、ヴィリエ・ド・ロレーヌ、その人だった。

 目はギラつき、一点のみを見据えている。

「どうかしたのか、ヴィリエ」

 一方、入室を許可した部屋の主、この学院の教諭でもあるミスタ・ギトーは意外な訪問者に首を傾げる。

「僕は風のラインメイジです」

「それは知っている」

「先生は風のスクウェアメイジだとお聞きしています」

「いかにも」

「……僕に、僕に稽古をつけてくださいませんか、最強の系統“風”を極めたいのです」

 そう言うヴィリエの表情は何処か暗く、嗤っていた。

「ほう、“風”が最強だと理解しているのか、君は“風”のメイジだものな。ふむ……よかろう、今後時間の空いた時にくるがいい、私も手が空いていればできることは指導してやろう」

 “風”を最強と持論するギトーはヴィリエのその言葉に気分を良くし、その為ヴィリエの一瞬垣間見せた暗い嗤いには気付かなかった。




***




 ブラウンのマントを纏った少女、ケティ・ド・ラ・ロッタは朝食に向かう為に歩いていた。

「……昨日はギーシュ様に結局会えなかったなぁ」

 言葉に出るのは思い人のことばかり。

 しかし脳裏に思い出されるのは昨日見た真剣な表情の名も知らぬ上級生だった。

 と、なんという偶然だろう。

 その上級生が目の前を歩いてくるではないか。

 ケティは驚き、声をかけようとして、なんと声をかけていいものか迷う。

 ケティがそう迷っているうちに、目の前の上級生はミスタ・ギトーの教員室へと姿を消した。

 慌ててケティは扉に近づき、しかし用も無いのに中に入るわけにもいかずに聞き耳を立てる。



『どうかしたのか、ヴィリエ』



 ミスタ・ギトーが彼の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 (ヴィリエ……それがあのお方の名前……)

 ケティがそう内心で反芻していると、



『……僕に、僕に稽古をつけてくださいませんか、最強の系統“風”を極めたいのです』



 そう、ミスタ・ギトーに師事をお願いする話が耳に入ってきた。

 ケティは驚き、しかし昨日の不可思議な胸の高鳴りを再び感じる。

 (ドキドキする……これは一体……)

 ヴィリエの声を聞くたびに何故か起きるこの不可思議な高鳴りを、ケティは理解できずに持て余していた。



[13978] 第十三話【当然】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:08
第十三話【当然】


 全く、油断も隙もあったものじゃない。

 サイトから目を離さないと決めたものの、食事を取りに行って唱和する時間ぐらいは大丈夫だと思っていた。

 なのに、“私の”サイトに“あのメイド”がもう“誘惑”してくるなんて。

 もう少し、気を引き締めなければならないのかもしれない。

 私はもう二度とサイトを失うわけにはいかない。

 誰かに奪われるわけにもいかない。

 だから、“私の”サイトを護るためなら、何だってしよう。




***




「あ、ルイズ、もう“お祈り”は終わったのか?」

 サイトはルイズが戻って来たことに気付き、自分ではよくわからない“お祈り”が終わったのだろうとアタリをつけた。

「ええ、この通り“私とサイトの二人だけ”で食べる食事も持ってきたわ」

 ルイズは、両手でたくさんの料理が乗った大皿を抱えていた。

 これは以前、と言ってももう数十年も前の話だが、サイトが美味しいと言ったものをチョイスしてきたものだ。

 ……中心にあるクックベリーパイは自分の趣味だが。

「あ、持つよ」

 サイトはルイズに歩み寄って皿を受け取る。

「ありがとうサイト、それで、随分盛り上がっていたのね……?」

 途端、急に疎外感を受けていたシエスタは背筋に悪寒を感じた。

 先ほどとは一変したように張り詰めたような空気が周りを漂う。

「ああ、何かこの前の決闘の事を凄い凄い言われてて……そんなに凄いことなのか?」

 サイトは特段気にしたふうもなく、ルイズの質問に答えた。

 この異様な空気を感じられないのか、はたまたサイトには“向けられていない”のか、全く動じていなかった。

 シエスタはそんなサイトを見て、自分の気のせいかと思い、気軽にサイトの事を口にする。

「だってサイトさん凄いじゃないですか、平民なのに貴族に勝ったんですから平民の憧れですよ」

 この世界では、平民……身分が低く魔法の使えない者を平民と呼び、人間の底辺として扱われる。

 それは絶対の理であり、貴族は偉く、平民は貴族ほど偉くはなれないのが真理だった。

 この世界に生まれたシエスタにとってこれは当然のことであり、覆されない普遍のものだ。

 ところが、何処から来たとも知れない同じ平民の少年が、平民でありながら貴族に勝ったのだ。

 相手の貴族は、最後に卑怯な真似をして、サイトに大怪我を負わせ自分の勝利を宣言して憚らないが、この学院の貴族・平民問わずに勝敗の行方は明らかだった。

 だからシエスタは尊敬と、ほんの少し自分の“まだ知らない感情”が混ざった瞳でサイトを見つめ、その視界を桃色の髪の少女の顔で覆われた。

「ミ、ミス・ヴァリエール……?」

 シエスタはたじろぎ、一歩後ずさる。

「凄い……? 馬鹿なこと言わないで!!」

 ルイズはシエスタを怒鳴り、睨みつけた。

 その目は怒りと怒りと怒りと、トドメに怒りを孕んでいた。

「おかげでサイトは死ぬほどの怪我を負ったのよ? 凄いですって!? 冗談じゃない!!」

「あ、私はそんなつもりじゃ……」

 シエスタは、サイトを必死に看病していたルイズを思い出して自分が浅慮だったことに気付き、謝ろうとするがルイズは聞き入れない。

「もう少しで、本当にもう少しでサイトは死ぬところだったのよ? よくもそんなことを言えたわね!?」

「ル、ルイズ、落ち着けって」

 サイトがルイズの肩を掴み宥めようとして、ルイズが「ふにゃっ!?」変な声をだした。

 途端、ルイズは破顔し、体がフニャフニャになる。

「い、いいこと? わ、私は“私の”サイトが傷つく事が許せない、サイトがい、いなくなるなんても、ももももってのほかよ!!」

 最後にふやけた口調でそう言うと、

「わかったわかった、ほら飯食いに行こう、な?」

 場を流そうとするサイトに背中を押されて蕩けたような笑みを浮かべながらされるがままに歩いていく。

「ごめんなシエスタ、俺は気にして無いからあんまり気にするなよ」

 最後にサイトは振り返ってシエスタにそう言うと、そのまま広場の方へとルイズと一緒に歩いていった。




***




 一人残されたシエスタは、しばらく呆然としていた。

 もちろん自分が浅はかだった事への反省もある。



『ごめんなシエスタ、俺は気にして無いからあんまり気にするなよ』



 サイトの言ってくれたこの言葉の嬉しさもある。

 そういえば、前にもおっちょこちょいと言われて嬉しくなったことがあった。

 だが、今呆然としている一番の理由は、ルイズにあった。

 最後、サイトが言葉をかけた時、偶然、本当に偶然シエスタはルイズと目があった。

 それを何と表現していいかわからない。

 ただ、サイトに押され、急に柔らかくなったと思っていた態度とは一変し、それこそ犯罪者でも見るような目つきだった。

 勘違いかもしれないし、考え過ぎかもしれない。

 だが、あの場では例えお礼であろうとサイトに声をかけていたら、あの目には別の感情が組み合わさったであろうことは想像がついた。

 それこそ、ドットスペルがラインスペルになるように。

 シエスタは理由のわからないそれに身震いしながら、一方でルイズに言われた自分の浅慮だった部分を反省していた。

 確かに、決して褒められたことでは無いのだ。

 たとえ勝っても死んでしまっては意味が無い。

 それを教えてくれたルイズにシエスタは感謝の念すら覚えてもいた。

 だからだろう。

 ルイズの事をそれほど恐がらず、嫌えなかった。

 同時に、これでもっとサイトを理解できる人間になれると思えた。

 彼女は、ルイズの言ったとある一言を正しい意味で捉えていなかったのだ。

 後に、これが彼女の命運を左右することになる。




***




「なぁ、あそこまで言わなくても良かったんじゃないか?」

 二人で前と同じテーブルについて食事を始めてすぐ、サイトがそう切り出した。

「何? さっきのメイドとのこと? あのメイドが気になるの?」

 ルイズはクックベリーパイを頬張りながら聞き返す。

「ああ、ちょっと言いすぎじゃないかなって。俺はほら、無事なんだし気にして無いし」

 そのサイトの言葉に、ルイズは視線を落として震えながら、

「……ダメよ」

 絞りだすように答えた。

「たとえサイトが気にしてなくともダメ。私はサイトがいなくなるのが耐えられない。もし、サイトがいなくなったら……」

 ルイズは小さく、震えるような声で呟くように話す。

 そんなルイズを見て、目が覚めた時のルイズの泣き顔をサイトは思い出した。

 (ルイズ、そういや泣いてたもんなぁ。会ったばかりとはいえ使い魔ってそんなに大事なものなのか?)

 そう思って、なんだかサイトは胸がムカムカした。

 (使い魔だから、か)

 サイトは、頭に浮かんだそれがどうしてもムカムカして、

「なぁ、なんでルイズはそこまで俺を心配してくれるんだ?」

 つい、尋ねていた。

「え?」

 ルイズは突然のサイトの質問に首を傾げる。

「俺がルイズの使い魔だからなのか?」

 いつになく真剣な表情でサイトはルイズに尋ねた。

 それにルイズはきょとん、として、

「そんなの決まってるじゃない」

 そう答えた。

 途端、サイトは落胆したように肩を落とし、

「使い魔とかは関係無い、私に必要なのは使い魔じゃなく、サイトだからよ。だからサイトが使い魔なのは偶々私達の出会いがそういうものだったということに過ぎないわ」

 跳ねるようにぱっと顔を上げた。

 ルイズは何当たり前のこと聞いてるの? という顔で首を傾げながらクックベリーパイを咥えている。

「そ、そっか。そっかそっか、使い魔だからじゃないのか。そっか、はは、ははははは、そっか!!」

 サイトは何か胸の痞えが取れたように安心して笑いだした。

「急にどうしたのよ?」

「いや、何でもないんだ。そうだな、お前の食べてるそれ美味そうだなって思っただけさ」

 サイトは屈託無く笑い、

「じゃあ食べる?」

 ルイズの口から離れたそれを自らの口元にもってこられ、

「……へ?」

 先ほどとはうって変わり戸惑いの表情を見せた。

「はい、あーん」

「あ、いや、ほら、まだ残ってる奴を……」

 サイトはそうしどろもどろになりながら大皿を見て驚いた。

 ルイズが食べていた名前も知らぬ“それ”はどうやら今ルイズが手に持つそれで最後のようだった。

 (結構一杯あったと思うんだけど……)

「気にしないで。最後だし、ほら食べちゃいなさいよ、私がこれをあげるなんてサイトくらいよ?」

 揺れ動く感情。

 確かに美味しそうで食べてみたいが、それは先ほど彼女の口で咥えられていたもので、歯型が少し残ってて、これはいわゆる“間接ちゅー”になるのではなかろうか。

 (落ち着け、落ち着くんだ俺、間接キスがなんだ、俺はルイズともう濃厚なディープキスまで済ませたじゃないか!!)

 そう思ってルイズを見ると、何故かその小さいピンクの唇に視線が集中してしまった。

 思い出される“舌”の感触。

「あ、あぅあぅあ……」

 落ち着こうとしたがダメだった無駄だった逆効果だった無理矢理口の中に入れられた。

 ん? 口の中に入れられた?

「んはっ!?」

 口の中には何か食べ物が入れられ、ふと見たルイズの手中には先ほど持っていた“それ”がない。

 その意味することを理解するのはそう難しくなく、



「どう? おいしいでしょ? 私の好物なんだから」



 はにかむルイズの桃色の髪が風でなびく。

 それは朝日に照らされ、綺麗な彼女の笑顔に輝きが加わる。

 それにドキリとしたサイトは、ルイズの綺麗さとさっきのが口の中にあるという事実で、“それ”の味なんて全然わからなかった。



[13978] 第十四話【微熱】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:09
第十四話【微熱】


 ルイズは学生だ。

 なので当然授業がある。

 サイトは今日そのルイズの授業を一緒に受けることになった。

「サイト」

 一緒に入った教室でルイズに呼ばれ、隣の席をぽんぽんと叩かれる。

 サイトは言われるがままその席に座り、周りを見渡した。

 教室は中学や高校の時と違って真四角の部屋ではなく、半円を描くような部屋だった。

 扇状に段階的に椅子と机を用意し、周りから中央を見るようにして教壇がある。

「……大学みたいだ」

「……だいがく?」

 サイトの漏らした言葉にルイズは首を傾げる。

 サイトとて高校生で、実際に大学の中になど入ったことはないが、テレビや漫画で見る限りこんな感じだろうと思った。

 一方で、黒板はどうやら見た目は殆ど変わらないようだった。

「あら? ルイズの使い魔よくなったのね」

 そこに、燃えるように赤い長髪をした少女が現れた。

「あ、前にヒト●ゲつれてた人だ」

 サイトは瞬時にそれが誰だか思い出せた。

 偏にその胸の大きさのためである。

 彼女は、一際大きな脂肪分をその胸に二つもぶら下げているのだ。

 サイトはこの世界に来てまだ日が浅いが、ここまで発育の良い女性は見たことが無く、また元の世界でもそうそうお目にかかれ無い。

「火トカゲって……間違っちゃいないけど、サラマンダーよ?」

 言われた少女は微妙にニュアンスを勘違いしながら呆れ、しかし瞬時に顔を微笑ませてサイトの腕に自慢の脂肪分、そうつまり胸を押し付けようとして……出来なかった。




「私の使い魔に何かようかしら?ミス・ツェルプストー?」




 そこには桃色の髪の悪鬼がいた。

 通常見えぬはずのオーラが体現されているのかのような錯覚が起こるほど、おどろおどろしい粘着質な空気が彼女を取り囲む。

 しかし相手はヴァリエール家と因縁の深いツェルプストー家の少女、キュルケ・アウグスタ・フレデレカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーである。

 代々ツェルプストー家はヴァリエール家の恋人を奪って来た歴史を持つ。

 その為か、キュルケはその程度では引きもしなかった。

「あぁ~ら? 何って挨拶よ、あ・い・さ・つ♪」

 キュルケはそうおちゃらけながら“微かな熱”がこもった瞳をサイトに向け、再び手を伸ばそうとして、その小麦色よりも少し黒めの褐色肌の手を『パァン!!』ルイズに弾かれた。




「触らないで」




 それは“お願い”や“忠告”ではなく“命令”だった。

 一瞬にして冷たい空気が場を纏う。

「な、何よ? 今日はいつになく短気ね?」

 しかしキュルケはあまり気にしてしなかった。

 彼女はルイズと最も衝突の多い女性だったのと同時に、彼女と接する機会が一番多くもあった。

 言い得て妙ではあるが、キュルケは同級生の中では最も彼女の事を理解出来る位置にいたのだ。

 そんな彼女は、自分に不文律を持っている。

 それは“必要以上に相手に関わらない”というもの。

 冷たく聞こえるが、それはどんな人間にも深く肩入れしない、というものではない。

 “微熱”という二つ名を持っている彼女は、その名の通り誰にでもうっすらと興味を持つ。

 ただそれが、異性に対して強めに表れるだけで、これは同性にも当てはまっていた。

 お互いが必要と認めた時、それは微熱から灼熱へと変貌を遂げる。

 逆に、そうでない時は燃え上がらない。

 最もキュルケは、男性が相手の場合大抵一時は灼熱近くにまで燃え上がるので勘違いされやすい。

 そんなキュルケは、言動とは裏腹にルイズのことを高く買っていた。

 時折、ルイズの瞳には何も映らない時がある。

 否、ただ一つを見ていると思わせる“ゼロ”の瞳。

 それは、自分がいつか得たいと思う、“永遠の灼熱”を思わせる瞳だった。

 暗く、何も映していないようなその瞳は、逆に一つのことしか見ていないとキュルケは理解したのだ。

 そしてそんな彼女、“永遠の灼熱”を瞳に宿しているルイズを羨ましく、また嫉ましくも思っていた。

 だから、キュルケの中でのルイズの評価は、微熱以上灼熱未満。

 近い位置では関わり合うが、彼女の深淵に触れようとして拒まれた時、深入りはしない。

 それが、永年不倶戴天の敵と言われた家系の少女への対応だった。

 キュルケのその何でも無いそぶりのおかげか、凍った空気が再び少しずつ動きだし、

「まぁいいわ、それじゃね、あ、サイト……だっけ? 私、この前の決闘で貴方に惚れたわ♪ 今晩でも私の部屋で愛を語らいませんこと?」

 キュルケの捨て台詞に、

「だ、だめよそんなの!! サイトは渡さないんだから!!」

 ルイズの慌てた声が響き渡って爆笑を誘い、必死にキュルケの視線からサイトを隠そうとするルイズを見て、いつの間にか教室の雰囲気はいつもの和やかなものになっていた。




***




『だ、だめよそんなの!! サイトは渡さないんだから!!』




 サイトは先ほど聞いたルイズのこの言葉を反芻していた。

 これははたして使い魔を渡さないというものなのだろうか。

 だが、彼女は使い魔としてではなく、ただ自分に傍に居てほしい、と言っている。

 ならば彼女は自分に好意があるのだろうか。

 ……会って数日の自分に?

 いくらなんでもムシが良すぎる。

 それなんてエロゲ? のレベルを大きく逸脱している。

 サイトは思考の袋小路、疑心暗鬼になりつつあった。

 好意は嬉しい、嬉しいが理由が思いつかない。

 理由の無い好意を……信じきれない。

 ふと気付けば、全身を紫のローブととんがり帽子で覆う、中年に差し掛かるであろう女性が入室してきていた。

「みなさんこんにちわ、このシュヴルーズ、こうやって春にみなさんの使い魔を見るのを毎年楽しみにしていますのよ」

 そう辺りに響く声を上げながら、シュヴルーズと名乗った女性は教壇に近づく。

 どうやら彼女が先生のようだった。

「あら? ミス・ヴァリエール? 随分と珍しい使い魔を召喚したのですね」

 その先生は、ルイズの隣に座っているサイトを見て、クスリと嘲笑する。

 前代未聞の人間の使い魔に多少含むところもあるのだろう。

 だがルイズは、

「ええ、私にとって最高の人です」

 臆面もなく自信満々にそう言ってのけた。

 サイトから見て、そう言うルイズの顔に虚偽は見られず、彼女の好意を少し疑っている自分が卑しく、またルイズが眩しく見えた。




***




 リベンジである。

 ルイズは瞳に嫉妬という名の炎を燃やしていた。

 話は今朝のメイド、シエスタの件にまで遡る。

 彼女は、一見冷静にあの場を済ませたかに見えて、実は腸が煮えくり返っていた。

 そのせいか、サイトに手を出したキュルケにまで当たる始末。

 最も、今朝の一件がなくとも、キュルケがサイトに手を出そうものなら片っ端からそれを弾き飛ばしていたが。

 ここで、彼女は未来からの知識で前もって用意していたものを使うことにした。

 過去、実際には未来にあたるが、あのメイド、シエスタに“出し抜かれた”一件。

 それを今度は自分が先に行う為に、学院に入学してすぐ、それを用意したのだ。

 これは、彼女が未来からの知識で用意した数少ないものの一つだった。

 時間は夜。

 場所は広場の隅。

 そうしてルイズに連れて来られたサイトはそこにあるものを見て、




「……えっと、マジ?」




 素っ頓狂な声をあげていた。



[13978] 第十五話【混浴】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:10
第十五話【混浴】



「マジよ」

 ルイズがサイトの間抜けな声にそれはもう大真面目に返事を返す。

 周りから中を隠すように薄い布のカーテンが木々に付けられ、程よい密室空間(天井は勿論無し)ができている一角。

 広場の隅にあるその中に招き入れられ入ると、そこには大きな鍋。

 嘘偽り無く大鍋。

 業務用だとは思うが、それにはスープなどではなく、何の変哲も無い湯が張ってある。

 下には薪が燃えており、時折パキッと音を鳴らすが、見たところ湯だってもおらず、湯加減は丁度良さそうだ、じゃなくて!!

「この世界では平民はほとんど湯の張ったお風呂には入れないの。こういう貴族の多い学院とかだと尚更ね。だから私が用意しておいたこのお風呂を一緒に使いましょう?」

 鍋?

 風呂?

 一緒に?

 サイトは、笑顔のルイズにそう言われ、ギギギ……と首を回して人が二人は余裕で入れるような鍋をまじまじと見つめ、

「……ちなみに平民が入れる風呂ってのは?」

「平民が入れるのはいわゆる蒸し風呂よ? 熱い石があってそこで汗を掻くの」

「それって風呂っていうよりサウナじゃん……」

 サイトはがっくりと肩を落とす。

 サイトとて地球は日本人の生まれだ。

 お風呂はやっぱりお湯の風呂が一番なのである。

「“さうな”……? サイトのところではそう言うの? まぁそれはいいわ。ほら、私も一緒に入って背中流してあげるから」

 ルイズはブラウスを外しながらサイトに促す。

「い、いや!? 何も一緒に入ることは無いんじゃないのか?」

 それを見たサイトはルイズの本気に焦り出した。

 平賀才人十七歳。

 いまだ本物の裸婦視経験は勿論無い。

「何言ってるの? サイトはまだ傷が完治じゃないんだから遠慮しないの。ほら、私が洗ってあげる」

「いや、流石に女の子には……せめて誰か別の……」

 ルイズの勧めに、サイトは昼間考えていたこともあってか、ある意味で一線を超えるこの状況を素直に喜べずにいた。

 だからつい出た言葉だったのだが……。

「……まさかサイト、今朝のメイドの方が良いなんて言うの……?」

 今にも死にそうな、泣き入りそうなか細い声でルイズが呟く。

「はっ!? いやそういう問題じゃなくて……」

「……私より、メイドが良いの……?」

 段々、ルイズの雰囲気が妖しくなってくる。

「い、いやそんなことないよ、わかった、ほら、一緒に入ろう、な?」

 サイトは何か鬼気迫る予感がして、なし崩し的に混浴を認めた。

 もっとも、このまま話していてシエスタまで連れてこられたら目も当てられない、という程度の予感でサイトは承諾したが、ルイズがシエスタを実際にどうしようとしたかは定かではない。

 さて、本来湯には体を洗ってから浸かるものだが、

「っくしゅん!!」

 洗ってもらうことに羞恥を感じたサイトが、ルイズのくしゃみを聞き、これ幸いと先に湯気漂う鍋湯の中に二人は身を投じた。

「あ~、いいなぁ」

 じぃんと体の芯から温まってくる。

 そういえば風呂に入るのは久しぶりだ。

「サイトのところではコレが普通なの?」

 そんなサイトに声をかけるルイズは、体にタオルを巻き、髪は紐で纏めていた。

 湯と湯気によって火照るその体は鮮やかなうす桃色を浮き上がらせ、彼女の“女”を思わせる。

 サイトはフヤケタ体とは別に硬直する自分がいることにも気付き、慌ててばしゃばしゃと顔を湯で洗う。

 ルイズはそんなサイトを微笑みながら見つめ、時折ぱしゃっとお湯を顔にかけて薄い桃色の頬に赤みを帯びさせる。

 艶やかなその様は、体のボディバランスとは無関係に美しい“大人の女性”を思わせた。

 サイトが、そんなルイズに見惚れていると、

「えい」

 ぷしゅっとお湯を顔にかけられた。

「うわっ!?」

 ポーっと呆けていたサイトは、お湯がかかって初めて気付き、

「熱っ!? ちょっ、タンマタンマ!!」

 慌てて顔を隠す。

「あははははは!!」

 それを見て、ルイズは本当に楽しそうに、“満足そうに”笑った。

「く、くそっ!!」

 サイトは羞恥から背を向ける。

 そうしてから、ルイズは気付かれないようにゆっくりサイトに近づき、サイトの背中に胸を押し当てるようにして抱きついた。

「ル、ルイズ?」

 それにサイトはドギマギする。

 彼女曰く、サイトが巨乳好きというのは理解している。

 なので、涙ぐましい努力というわけではないが、彼女は六歳の頃からほぼ毎日牛乳を飲み続けた。

 その結果、かつての十六歳の時よりも、彼女はバストを1mm増やす事に成功した。

 これは大変な進歩である。

 偉大な進化と言ってもいい。

 何? めちゃくちゃ涙ぐましい?

 そう思う奴は貧乳をやっていない。

「サイト……」

 何処か哀愁漂いながらも、満足そうなその艶声に、サイトは何も返せなかった。




***




「はい、背中出して」

 ルイズに言われ、サイトはタオルを腰に巻いてやむなく背を差し出す。

 と、ルイズが息を呑んだ。

 細くしなやかな指がサイトの肌をなぞる。

「傷、残ってるね」

「あ、ああ。でももう痛く無いし大丈夫だよ」

「……ごめんね」

 ルイズは、優しくサイトの背中をタオルで流し始めた。

「気にするなよ、俺の勝手でやったことなんだしさ」

「ううん、全部私のせい。私がサイトにもっとちゃんとついていれば、サイトに傷を負わせることも無かった」

 ルイズは優しくサイトの背中を撫でながら悔しそうに呟く。

「だからごめんね、もう、離れないから」




──────絶対に。




***




 サイトは、ルイズの何処までも献身的な態度に、自分のルイズに対する不信が腹立たしくなってきていた。

 背中を通して伝わる細い指の感触がそこはかとなく気持ちよく、暖かい。

 同時に羞恥と、安心を覚える。

 (俺は、もう少しルイズを信じてもいいのかも知れない)

 サイトは、いつの間にか黙ったルイズには気付かず、夜空を見上げながらそう思った。




***




「はぁ……んっ」

 鼻で息を吸う。

 すると入ってくる彼の匂い。

 ルイズは、入浴を二人揃って済ませると早々に部屋に戻り就寝することにした。

 明日は虚無の曜日。

 町まで一緒に外出したいから今日は早く寝ようと言うと、サイトはどういう心境の変化か、意外とすんなり受け入れた。

 サイトは寝つきがいい。

 “昔”もそうだったが、彼は割りとすぐに熟睡する。

 それが少し残念で、少しありがたかった。

「はぁ……すぅ……ふぅ……」

 ルイズはサイトに今日もベッドでの同衾を命じた。

 これにも、サイトは渋々ではあるが、初日ほどの抵抗は見せなかった。

 それがルイズの心を加速させる。

「はぁ……んっ、サイトの匂い」

 眠ったサイトに抱きつき、強く鼻で息を吸うと感じる彼の匂い。

 それが彼が確かにここにいると彼女に実感させ、胸に高鳴りを呼び寄せる。

「ふふ、サイトに混じって、私の匂いがする」

 さらに、今日の混浴は想像以上の付加価値を生み出した。

 彼から、彼の匂いに混じって少し、自分の香りがする。

 それはつまり、彼に自分を刻みつけ、彼が少し自分に染まって来たという証。

 それが、彼女の心という歯車の回転を大きく加速させる。

「ああ、サイトが私に染まっていく。私が、サイトに染まっていく」

 月明かりのみのこの部屋で、ルイズは熱い吐息を漏らす。

「……はぁ、サイト」

 夢の中にいる思い人は目を開かない。

 だが、彼女はそれでも満足だった。

「ああ、サイト」

 彼を呼ぶことに喜びを感じ、彼がここにいることに幸せを享受する。

 そんな彼女のプチ理想郷に、




 キィ…………。




 招かれざる客が静かに入室してきた。




 招かれざる客は、月明かりにおいてもその色がわかるほど、一色が際立っていた。

 燃えるような赤。

 頭は赤く、体は赤く、全身赤い。

 ついでに本当に燃えている。

 招かれざる客はキュルケの使い魔、サラマンダーのフレイムだった。

 彼は自身の主が興味を示した男性をこうして夜な夜な連れて帰ることを命じられることがある。

 キュルケの予想で、普段のルイズから見て今日あたり二人は喧嘩でもしてるんじゃないかと思い、フレイムに探らせ、可能であればサイトを連れてくる。

 それが今回の主人の頼みだった。

 キュルケとて、本気のルイズから奪う気は無いが、サイトには並々ならぬ興味がある。

 彼女の昼間の言動、それもまた本気ではあったのだ。

 しかし、惜しむらくはキュルケの予想が外れたこと。

 そして、




「フレイム……? 何しに来たの? まさか、サイトを奪いに来た、なんて言うんじゃないでしょうね」




 “本気”の彼女をフレイムはおろか、現代の誰も知らないことである。

 ベッドから、頭だけ上げるようにして、この暗闇の中でルイズはただ一点、燃える尻尾を持つ獣を睨み据えていた。

 その瞳には何も映さず……否、否定を許さず、肯定を許さないただ虚無のみが映っている。

 思わず、サラマンダーともあろうフレイムがたじろぐ。




「事の重大さがわかっていないようね、フレイム。貴方は“私”と“サイト”の“二人きり”の時間を“邪魔した”のよ、それは……」




────────万死に値するわ。




 途端、急にフレイムは悪寒を感じた。

 炎を吐き、炎を纏うその身が凍えを感じるほどに、空気が変わる。

 ゆらりと、桃色の髪が動く。

「知ってる? 最近の例では、使い魔を死ぬほど痛めつけても大した罰は受けないみたいなの」

 それは、自分の経験談。

 そしてその事実が彼女の怒りをさらに押し上げ、不幸にもフレイムの恐怖が増長する。

 フレイムは今までに感じたことの無い恐怖、“震え”を始めて体感した。

 突如、主が言っていた“可能であれば”という言葉を思い出し、後ずさる。

 不可能だ、これは。

 獣の脳を持ってして、その解答が出来るのに、そう時間はかからなかった。

 ついでに、本気で■を覚悟する。

 フレイムは、野生であったが故のその感覚、■を感じ、逃れられないと本能が告げ、




「ん……ルイズ……」




 たった一言の寝言によってそれを回避し、救われる。

「サイト?」

 先ほどの空気が突如緩和し、自分の存在など忘れられたかのように目の前の彼女は少年に抱きつく。

 フレイムはこの隙に逃げ出した。

 それは、大変賢く、最良の選択だった。

 後にフレイムは、使い魔達との会話で、彼女は乱暴者と言われるサラマンダーの自分をもってして乱暴者で、“恐ろしい”と語った。




「ああサイト、夢の中まで私を見てくれてるのね、うふふ、あははははは、私のサイトは私を見ている。うふふふふふ」




 彼女は、眠っている少年に抱きつきながら、小さい声で笑い続けていた。



[13978] 第十六話【外出】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:10
第十六話【外出】



 平賀才人は混乱の極みにあった。

 ……なんか、この世界に来てから毎朝こんなのばっかりだ。

 しかし今朝はこんなのばっかりなどとは言っていられない。

 刺激が強すぎる……否、刺激というレベルを突破しようとしている。

 まず、白く細い腕が自分の背中に回っている。

 それはまぁいい、経験済みだ。

 次に細くしなやかな素足が自分の足を絡めるようにしてくっついている。

 これは非常に高度な精神安定を必要とするが、なんとかかんとか耐えられるレベル。

 恐らく一度初めての朝に体験し、耐えきったという経験がそれを可能たらしめている。

 連日続けば自信は全くこれっぽっちも無くなるが。

 問題は……小さい唇から断続的に吹きかけられる吐息が自分の顔間近にあるということだ。

 前も確かそうだったが、これはマズイ。

 ヒッデョーニマヅイ。

 言葉がおかしくなるくらいマズイ。

 相手は寝ているのだ無防備なのだ可愛いのだ。

 薄桃色の唇が定期的に吐き出す吐息がくすぐったい。

 が、コレも経験済みだと侮っていた。

 そう、侮っていたのだ。

「ん……」

 彼女の寝相の悪さ?はとどまるということを知らない。

 サイトは思う。

 ルイズは恐らく、抱き枕が無いと寝れない体質か何かだったのだろうと。

 そうでなければ、そう思わなければ耐えられないしやっていられない。

「んん……」

 彼女はその……最早近いのではなく、“接触”しているのだ。

 彼女のその小さい鼻はサイトの胸に、肩にすり寄せられていく。

 いや、“吸い寄せられる”と言った方が正しいのかもしれない。

 彼女は時々寝返りを打つように顔を離す。

 しかし、何故かはわからないが、急に表情を強ばらせ、クンクンと鼻を鳴らしてサイトの体に再び鼻を押し当てるのだ。

 (寝てる間、ずっとこれをやっているのか……?)

 サイトは心境複雑になる。

 もし、ルイズが今のこれに慣れてしまって、以前使っていたと“思われる”抱き枕で満足出来なくなった時、常習化したこの添い寝は必須になってしまう。

 サイトはあまりそういうことは無いが、友人には枕が変わると寝られない、と言うような奴が何人かいた。

 ルイズも恐らくそのクチではなかろうか。

 ルイズがサイト無しで寝られなくなった時、自分が元の世界に帰られるか疑問に思う。

 帰りたいとは思うが、流石に彼女が寝られなくなるのもまた困る。

 段々彼女の鼻を押し当てる位置が上ってきたり下降したりするのに冷や汗を掻くのも困る。

 一応、世話にはなっているのだ。

 あまり薄情な真似はしたくない。

 昨夜は、お風呂での熱心な介護?にほだされて同衾を許してしまったが、今夜からは少し考えようか、そう考えをサイトは改めた。




 ……それが、更なる泥沼を生み出す事になるなどとは、この時は露程も思わなかった。




***




 最高だ。

 ルイズは目が覚めてからそう思う。

 朝目を覚ませばそこにサイトがいる。

 これ以上の幸せがあるだろうか。

「おはようサイト」

「おはよう」

 返事が返ってくる事に再び歓喜。

 いくらお金を払っても買えない価値がここにあった。

 公爵家という地位を用い、財をいくら注ぎ込もうとこれ以上のものは得られない。

「ん、お願い」

 ルイズは腕を伸ばす。

 しばしサイトはボケッとし、次いで慌てて、

「あ、着替えか」

 得心したようにベッドを降りた。

 それが彼女をまた喜ばせる。

 意思疎通が出来、かつ彼は自分が起きるまでベッドにいたと。

 真実は彼女が信じられないほどの力でサイトを掴まえていたからなのだが、それを彼女が知る日は今の所無い。

 ルイズは彼に触れられながら服に袖を通し、彼の黒い髪を見つめながらボタンを締めてもらう。

 彼女の長い桃色のふんわりとした髪を櫛梳いてももらう。

 そうして、今の彼女が着ている学生服はサイトが洗濯し、サイトが身なりを整え、サイトが着せた物一色となる。

 それが、さらにルイズの心の震えを強くする。

「ありがとう、それじゃあ昨日言ってあった通り町まで行きましょうか」

「ああ、それはいいんだけど、“虚無の曜日”ってなんなんだ?」

「“虚無の曜日”というのは週のお休みの日のことよ。この日にみんな遊びに行ったり買い物に行ったりするの」

「日曜日みたいなもんか」

「“にちようび”? よくわからないけど多分そうだと思うわ」

 そう簡単な説明が終わると、二人は馬を借りに行く。

「車じゃないのか?」

 というサイトの質問に、

「“くるま”? ああ、あの馬より速いという乗り物ね。ハルケギニアでの移動はもっぱら馬か竜、あとはグリフォンのような幻獣なの。サイトの言う“くるま”という生き物は聞いたことが無いわ」

 ルイズはそう応え、サイトが苦笑した。

「車は生き物じゃないんだ。魔法の力も使わずに速く移動できる機械の乗り物、かな」

 普通のハルケギニアの人間、もしくは以前のルイズならサイトの言葉を疑い、鼻で笑うような説明だが、このルイズはサイトのその言葉を素直に受け止めた。

 その理由の一つに、彼女は『ゼロ戦』を知っているというのがあげられる。

 実際に目にしているのだ。

 グリフォンや竜よりも速く、魔法でもない乗り物を。

「へぇ、サイトの世界は凄いわね」

 ルイズは楽しそうに微笑み、馬を“一頭だけ”借りた。

「一頭だけなのか?」

 不思議そうにするサイトに、

「だってサイト“まだ”乗れないでしょ?」

 ルイズの言葉に、サイトは頷いた。

 生まれてこのかた馬など乗った事が無い。

 イキナリ乗れと言われても、憧れはあるが、上手く行くかの自信は無い。

「乗り方は今度教えるから、今日は一緒に乗らないと」

 ルイズはそう微笑み先にサイトを馬に乗せる。

「わっ!? とっとと!?結構バランスが難しいな、これ」

「大丈夫、私が前に乗るから掴まって」

 ルイズはそう言うと、一瞬口端をつり上げ、しかしそれを慌てて隠して馬に跨り手綱を握る。

「おわっ!? ちょっ!?」

「掴まって」

「悪い!!」

 サイトは言われるがままにルイズに掴まり何か少し柔らかい物を……「あぁん」……あぁん?

 サイトは後ろから腰に手を回すように掴まった“つもり”だったのだが、今の変な嬌声は……。

「……えっと? 俺いまモシカシテ……」

「さて、行くわよサイト。しっかり掴まってるのよ」

 ルイズはサイトの質問には答えずに、馬の横腹を蹴る。

 途端に馬は動き出し、慌てたサイトはルイズをぎゅっと掴む。

 もちろん、さっきより手の位置は念の為に下の方。

 それにルイズは何を言うでもなく、馬を走らせる。




 ……未来を知っているという役得は、昨夜も含めて存外あるものだ、とルイズは内心で喜びながら。




***




 ルイズとサイトが出発してほどなく。

「モンモランシー、君は今日も薔薇のように美しいね」

「もう、ギーシュったら」

 気障ったらしい台詞を言う金髪の少年と長い金髪を縦にロールした細見の少女が馬小屋に近づく。

 少年は、胸は白く開いたヒラヒラ付きのワイシャツにマントを着けていた。

「今日は一緒に町まで行く約束だったねモンモランシー」

 その少年、今二年生では知らない者はいないと言うほどの有名人、ギーシュ・ド・グラモンは一緒にいる少女、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシに楽しそうに話しかける。

「そうね、最近の貴方は忙しそうだったものね」

 少し棘のある言い方でギーシュはモンモランシーに睨まれる。

「おお、許しておくれモンモランシー。君だって見ていたのだからわかるだろう?」

「ええ、あの場は確かにしょうがなかったし、カッコ良かったわ。でもそれを聞いた他の女の子達が次々とギーシュと食事したりしてるって聞いたけど?」

 ギロリと視線が一層厳しくなる。

「そ、そそそれは誤解だよモンモランシー!! 彼女たちとは何でも無いんだ、本当さ!! だからこうやって今日君と一緒に町まで行くんじゃないか」

「そうね、今日はトリスタニアのブルドンネ街だったかしら」

 二人はそう会話しながら馬を借りる。

「はい、グラモン様とモンモランシ様ですね、どうかお気を付けて」

 大きい麦わら帽子を被り、作業着のようなものを着た馬の世話役兼貸し出し役の男はそう言うと、二人に馬を貸し出し、見送った。

「しっかし、虚無の曜日は貴族が馬をよく借りにくるよなぁ」

 世話役の男は頭を掻きながら先程馬を借りた二人を名簿に記入する。

 馬の使用記録簿は念の為に世話役の男がつけるようになっていた。

「さっきはヴァリエール嬢が借りに来たし、今度はグラモン家の四男とモンモランシ嬢ときた。俺等平民に虚無の曜日は関係ねぇなぁ」

 無論、振替のようなもので休みがあったり、給料は高かったりするが、みんなが休んでいる時に働くというのは少々辛いものだ。

「今朝は早くに他にも女の子が馬を借りに来てたしなぁ、全く貴族ってのは羨ましいや」

 そう世話役の男はぼやく。

 名簿の一番最初には、




 ケティ・ド・ラ・ロッタ




 と書かれていた。



[13978] 第十七話【買物】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:11
第十七話【買物】


「サイト、これ似合う?」

 街に着いてすでに一時間。

 ルイズとサイトは洋服屋に顔を出していた。

 ルイズがいろんな洋服を着てはサイトに感想を求める。

「ああ、いいんじゃないか」

 サイトは当たり障りの無い返事を返しながらも、内心で本当にそう思う。

 ルイズが今着たのはピンクでひらひらの長いドレスだった。

 ヒラヒラは多いが派手というほどでも無く、むしろ小柄さが上手くその服の可愛さを強調している。

「ルイズは何を着ても似合うな」

 つい、調子に乗って本音を述べる。

 するとルイズは赤くなって喜び、次の服を試着しだすのだ。

 (まるで、デートみたいだ)

 そう思うサイトの頬も、少し緩む。

 なんだかんだと言っても可愛い女の子との買い物は、“デートまがい”といえど楽しい。

 だが、不思議な事にルイズはいくら褒められてもその服を買おうとはしなかった。

 それがサイトには気になった。

「なぁ、買わないのか?」

「え? えっと、うん……今日の目的は別にあるから」

 ルイズははにかみ、しかし申し訳なさそうにそう答える。

 先程などは、このトリスタニアで今一番流行っている服というのをえらく気に入っていたようだが、それも結局試着のみにとどめている。

 ルイズの性格からして、褒められた服は買っても良さそうなものなのだが。

 案外、財布の紐は硬いのかもしれない。

 サイトはそう思い、深く追求せずにルイズに着いて行く。

 二人は服屋を出て幅が狭い通りを歩く。

 ここはこのトリステイン王国一番の都市だということだが、何分通路幅が狭い。

 道行く人に何度もぶつかりながら前へと進む。

 歩き難いことこの上無いが、文句を言ったところでどうにもならない。

 と、そんなただでさえ狭い通路で路商を営むおじさんがいた。

 いかにも女の子が好みそうな小物がたくさん置いてある。

 こちらにもキーホルダーのようなものはあるらしい。

 他にも、首輪や指輪、ブレスレットなどが置いてあった。

 何人かの通行者は立ち止まって見ては歩き出し、何人かは買って行く。

 ルイズも商品が目に入って気になったのか、少し立ち止まって見始めた。

 少女が好みそうなものばっかりのせいか、ルイズも心持ち楽しそうに見回している。

 と、そんな彼女の視線が一箇所に固定された。

 品物はほとんどが一品物のようで、乱雑に置いてあるがどれも中々の品物であるのは見て取れる。

 その中でもルイズが今見てるのは腕輪……ブレスレットだろうか。

 いや、それとも腕輪の中に陳列してある二つの小さな指輪の方だろうか。

 でも見た感じ指輪は二つで一セットもののようなので、カップル用の品物だろう。

 そうなるとやはりブレスレットが濃厚か。

 金色の飾り気に欠けるブレスレット。

 しかし、それゆえスマートで飾らない可愛さを持っている。

 これは……ルイズに似合う、そんな気がした。

 しかし、ルイズはまたも何も買わずに歩き出す。

「いいのか?」

 俺が追いかけながら再びそう尋ねると、

「うん、だって今日の目的は武器屋でサイトに武器を買うことだから」

 そうルイズが今日の目的について話す。

「俺に武器?」

「そう。また前みたいなことになるのは嫌だし、できるだけ私が傍にいるつもりだけどそれでも24時間一緒にいられるかわからないもの。だからサイトの身を護る為の武器」

「武器、ねぇ……、でも俺まともに武器なんて使ったこと無いぞ?」

「大丈夫、一つ心当たりのあるいい武器があるから」

 ルイズはそう言ってサイトの半歩前を進む。

 と、サイトは話しに夢中になるあまり、ドンッ!! と勢い良く誰かにぶつかった。

「きゃっ!?」

「あ、すいません!!」

「いえ、大丈夫です」

 ぶつかった相手は少女だった。

 ブラウンのマントを纏い、マントと同じ色の長い髪をしている。

 彼女は、枝毛一本無いような手入れの行き届いた長い髪をしていて、本当のストレートヘアーとはこういうものなのか、と思う。

「わざとじゃないんだ、ごめん」

「いえ、それでは」

 少女は気にしたふうもなく頭を下げてその場を去る。

 サイトはそんな少女の背中をじっと見つめ、そういえば、あのマントと止め具がルイズのに似ているなぁと思ったところで、ぎゅっと手を掴まれた。

「サイト!!」

 ルイズはサイトが遅れている事に気付かず少し先まで行っていたようで、慌てて戻って来たようだった。

「あ、ごめん、さっき人とぶつかってさ」

「人とぶつかった!? 誰? どこのどいつよぶつかってきたのは!!」

「あ、いやお互いぶつかりあったんだって。ほら、ここ狭いだろ?」

 ルイズは、サイトの言葉を聞きつつ、周りに憎き仇敵でもいるかのようで目で視線を張り巡らせる。

「……怪我は?」

「俺も向こうも大丈夫」

「そう、良かったわ。でもサイト、気をつけて。ここは確かにトリステイン一大きな都市だけど、それゆえに決して治安が良いとは言い切れないの。スリや強盗だっているわ」

 それを聞いて、サイトはルイズが自分を心配し、回りを異常なほど観察しているのに得心がいった。

 自分はまた随分と心配をかけてしまったようだ。

「へぇ、そうなのか。でも大丈夫だから。ほら、さっさと行こうぜ」

 人ごみが多く、通路も狭いこんなところに長居はしたくない。

 サイトは勤めて明るく笑い、そう促した。

 ルイズはしばし迷い、すっとサイトの手を取る。

「念のため、手を繋ぎましょう」

 ルイズはそうしてから、ようやく歩き出す。

 サイトは心配性だなぁと思いつつ、

「そういやさっきぶつかった娘、ルイズと同じ学校の女子かな? 茶色いマントでルイズと同じ止め具つけてたんだけど」

 そう尋ねる。

「茶色? だったら多分一年生ね、まぁ学院の生徒がいてもおかしくはないわ。虚無の曜日ですもの。……それよりぶつかったのって女の子だったの?」

「え? ああそうだよ。結構可愛い娘だったなぁ」

 そうサイトが言った途端、ルイズが掴む手の握力が増した気がした。




***




「ああ、モンモランシー!! 君にはきっとこの服が良く似合うと思うよ!!」

 金髪の少年、ギーシュは紙袋を一つ持って香水のモンモランシーと狭い通路を歩く。

 先ほど、今一番の流行とかいう服をモンモランシーが試着し、ギーシュがそれを購入したのだ。

 なんでも、少し前に別の貴族が試着したものの買わなかったとかで一着だけ余っていたとか。

 なんという幸運だ、と思いギーシュはそれのお金を出してモンモランシーにプレゼントしたのだ。

 古来より、女性へのプレゼントというのは値段の大小に関わらず喜ばれるものだ。

 その例に漏れず、モンモランシーも満更では無いような表情をしていた。

 心なしか、長い縦巻きロールの金髪も喜びを示しているかのように見える。

 特にモンモランシーは、浪費は少ないがその“性格”と“研究”から決して資金が潤沢では無い為、節制したり、香水の販売を稼業としていたりしてこういった贅沢をすることは少ない。

 そのせいか、普段はあまり見せない素直な一面も見せていた。

「ありがとう、ギーシュ」

 言って腕を絡める。

 マントに隠れがちだが、彼女は意外とスタイルがいい。

 ギーシュはそのことに気付いていたが、いざ腕にその膨らみが当たると流石に少し動揺し、有頂天にもなる。

「何、いいさ。おや? あそこに路商が出ているね」

 ギーシュが気分を良くしていると、ただでさえ狭い道に幅を陣取るようにして路商が展開されていた。

「どれ、少し見てみよ……!?」

 ギーシュは路商に近づこうとして、何かに気付く。

「モ、モンモランシー? 今日はこの後食事でもどうかな?」

「? 構わないわよ?」

「そ、そうかい? それじゃほら、あそこのお店に入ることにしよう!!」

 言うが早いか、ギーシュはモンモランシーを連れて手近のレストランに入る。

 路商にはもともとの人ごみもあって、数多くの人がたむろしていた。




「おじさん、これください」




 そこで、買い物をするブラウンのマントの少女の姿があった。




***




「ここよ」

 ルイズに案内されて来た場所は些か表通りから外れた寂れた武器屋だった。

「へいらっしゃい」

 眼鏡をかけ、ちょび髭を生やした店主が出迎える。

「剣を買いに来たの。えっと……あった!! これを頂くわ」

 ルイズは一直線に剣がたくさん入っている壷を漁ったかと思うと、すぐに一振りの剣を選ぶ。

 まぁ俺の剣とは言っても俺に剣の知識は無いし、お金を出すのもルイズだから特に文句は無いけど……それ?

 それはえらく錆びた日本刀のような剣だった。

「へぇ、それで良いんですかい?」

「ええ、これが必要なの。新金貨百枚で良いかしら」

「!? も、もちろんでさぁ!!」

 店主は驚き喜び、手揉みしながらペコペコ頭を下げる。

 この世界のお金の価値はよく知らないが、それが相当な大金だというのは理解できた。

 と、急に思い出す。

 ルイズがここに来るまでにお金を全く使わなかったことを。

 そして、ギーシュから聞いた自分の怪我を治す為に高い秘薬とやらをたくさん取り寄せたという話を。

 (そういや、小さな家が建つくらいのお金、とかなんとか言ってたような気が……)

 途端、サイトは急に申し訳ない気持ちになる。

「ごめんねサイト、安物で。でもそれは本当にサイトの役に立つから」

 ルイズは両手で重そうに持っていた剣をサイトに手渡す。

 彼女は恐らく、少なくなったお金をはたいてサイトの為に今日の買物を企画したのだ。

 サイトはそれに気付き、剣を受け取ってから、

「ルイズ、俺、この剣大事にするよ、ありがとな」

 この世界に来て、本当に心の底からお礼を言った。

 今までも心からのお礼を言ってはいた。

 それでも、ルイズの自分に対する思いやりにいくらかの疑念があった。

 今もそれが無いわけじゃない。

 だが、今日のルイズの健気さは、それらを打ち消して余りあるものだとサイトは感じた。

 感謝してもしきれないとはまさにこのこと。

 サイトの、そんな真っ直ぐな言葉に、ルイズは胸がドキンと跳ねる。

 サイトからお礼を言われるたびに、やってよかったと心から思える。

 サイトの喜びが自分の喜び。

 胸が高鳴る。

 気持ちが加速する。

 そうして、ルイズがサイトの胸に飛びこもうとしたまさにその時、




『おでれーた!! おめぇ使い手か!?』




 ルイズにとっては聞き覚えのあるその声が、それを邪魔した。



[13978] 第十八話【交換】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:11
第十八話【交換】


「……何だ今の?」

 サイトは突如聞こえた謎の声に辺りを見回した。

 しかし、ここには店主のオヤヂとルイズ、そして自分しかいない。

 だというのに、

『こりゃおでれーた、使い手にまた出会えるとはよ!!』

 耳には第三者の声が聞こえる。

『おい? どうした? なんとか言えよ、コラ、無視すんな!!』

 手元でカチカチ音が鳴りながら、声は決して止まらない。

 ん? 手元でカチカチ音が鳴る?

 サイトは自分の手にあるルイズから渡された剣を見る。

『おう、やっとこっち見やがったか、おめぇさん使い手だな?』

「……剣が、喋った?」

 サイトは目を見開く。

 何せ、剣が喋ったのだ。




***




「インテリジェンスソードって言うの、そういうの」

「へぇ」

 店を出てからルイズは説明をしだす。

「きっとそいつはサイトの力になってくれるわ……というかならなかったら……折るわ」

『ま、まかせときな貴族の娘っ子!! 相棒は俺がいれば大丈夫だ!!』

 デルフリンガーと名乗ったその剣は、先程何故か怒り気味のルイズに、




────────折るわよ




 と言われてからやたらとルイズに従順になった。

 その程度でこの活きの良い剣が怯えるような気はしないのだが、

『なんだおめぇその“とんでもねぇ量”は!? 普通十年、いや百年溜めたってそんなにはならねぇぞ!?』

 とかなんとかデルフがサイトの理解出来ないことを言った後、ルイズが店の隅にデルフを持って行き、ボソボソと何か呟くと途端に大人しく従順になった。

 どうやら、ルイズはサイトにはわからない“何か”がとんでもなく莫大にあるらしい。

 あと何か吹き込まれた?らしい。

 とにかくそれでデルフリンガーは怯えるように大人しくなったものの、同時に歓喜もあるようだった。

『良い使い手と主人に当たったなぁ……アハハハ……』

 と、時々口? を開く。

 どこかおかしな剣だが、そこが面白く、まともな話相手がルイズしかいなかったサイトにとっては、男? のような喋り方をするデルフリンガーは特にありがたかったのであまり深くは気にしない事にした。

「さて、それじゃあ食事にでもしましょう」

 ルイズが促すようにして一つの食堂を指差す。

 太陽は丁度真上に昇っていた。

 ここがサイトの認識と大して変わらない星ならば、今は正午近く。

 気付けばお腹もペコペコだった。

「でも良いのか? 剣買うのに結構使っただろ?」

 サイトは、ルイズが自分の買い物もせずにただサイトの為だけの買い物をしたことに申し訳なさを感じていた。

 自分の治療のためにお金を使いすぎてしまったから、ルイズの自由なお金が無く、欲しかったであろう服やブレスレットが買えなかったに違いない。

 そんな少女からたかるように昼食まで奢ってもらってはたして良いものか。

「何? 気にしてるの? 大丈夫、昼食代くらいちゃんと取ってあるわよ」

 しかしルイズは飄々としていて、全く気にしていない。

 サイトは、そんなルイズにどうしていいかわからず、一度意識してしまった空腹が収まる気配も無いので、やむなくご馳走になることにした。




***




 ルイズが決めたレストランに入り、席まで案内されると、偶然にも隣のテーブルには知った顔がいた。

「あれ? サイトとルイズじゃないか」

 それは金髪の少年、“青銅”のギーシュと、

「あら本当、奇遇ね」

 金髪縦ロール少女、“香水”のモンモランシーだった。

「もうすっかりいいようだねサイト」

「ああ、おかげさまで」

 既に気の置けない仲のように話す二人。

「どうだい、これも何かの縁だ、相席にしないかい?」

 ギーシュのその提案で、サイトは喜んで、ルイズは渋々席に着いた。

「けど、君も随分と危ない状況からよく回復したものだよ」

「いや、実際全然意識無かったから実感無いんだよなぁ、気付いたらほとんど痛み無かったし」

「そうか、それは逆に良かったかもしれないね。熱も酷かったようだし、意識があったら大変だったと思うよ」

「そんなものかなぁ」

「そんなものさ、ああそうそう、最近学院ではだね……」

 食事が来るまでの間、ギーシュはずっとサイトと話をしていた。

 サイトも、この世界での初めての男友達というのもあって、楽しそうに話をしていた。

 よくある日常の一コマ。

 仲の良い男友達同士の他愛ない世間話。




 ……それを、快く思わない者がいるなど、この時“彼女”意外に誰が想像しただろう。




***




「あー食べた食べた、ルイズ、ご馳走様」

 食事を終えて、サイトはルイズにお礼を言う。

 食事が来てからは、流石にサイトもギーシュとの会話を止めた。

 ルイズはその期を逃さず、自身が何か食べては、

「サイト、これ美味しいわよ」

「サイト、それちょっと頂戴」

「サイト、そこのそれ取って」

「サイト、これどう思う?」

 等とタイミング良く話しかけ続けていた。

 まるで言葉の防壁を思わせる他者の介入を許さない会話。

「君たちはこれからどうするんだい?」

 しばらくしてからギーシュが食事が終わるのを見計らって切り出してきた。

 それは幾分入りづらい空気が緩和されてきた頃合いでもあった。

 その声に、ルイズがジロリとギーシュに視線を返すが、ギーシュはそんなルイズの頭の後ろの方で動くブラウンを見た。

 見覚えのあるブラウン。

 髪がブラウン。

 着ているマントもブラウン。

 ……嫌な予感がする。

「ど、どうだろう? ここは一度男性と女性陣に分かれて少し行動してみないかい?」

 ギーシュは何かやましいことでもあるのか、背中にびっしりと冷や汗を掻き、そんな提案をする。

「却下よ」

 だが、その提案はルイズにあっけなく却下される。

 ルイズとしては、これ以上サイトをギーシュに近づけたくないようだった。

 しかし、

「え? 俺は良いと思うけど」

 サイトが乗り気になってしまった。

 いや、どちらかというと、それを喜んですらいるようだった。

 ルイズの心境が複雑になる。

 相手は男性、それもこの前サイトを助けてくれた知人。

 だとしても、長く自分の目の届かない所にサイトを行かせたくなかった。

 また……知らないうちに帰らぬ人になるのではないかという恐怖。

 それがルイズの判断を迷わせる。

「あら? 良いんじゃない? 私もルイズと買い物ってしてみたかったの。ルイズ、結構センス良いのよね」

 しかし、ここでモンモランシーの賛同の声が上がる。

 これで立場は三対一。

 ルイズは明らかに不利だった。

「……わかったわサイト、一時間だけよ? あ、でもその前にちょっとデルフ貸して」

 ルイズは本当に搾り出すように渋々と認め、一時間という制約まで付けて、さらにデルフを少し借りた。

 ルイズは錆びた剣にその瑞々しい薄い桃色の唇を近づけ、ボソボソと呟く。

 ……自分からは動けぬハズの剣が、震えた気がした。




***




「……助かった、しかし何でこの広い街で二度も会いそうになるんだ……?」

「ん? 何か言ったか?」

「あ、いや別に何でもないさ」

 男二人になったサイトとギーシュは、狭い通りを肩を並べて歩いていた。

「それで、ギーシュの目的は? 何か買い物とかあるのか?」

「いや、特には無いさ」

「? おかしな奴だな、だったら何で俺と何処か行こうとしたんだ?」

「そ、それは……」

 ギーシュがたじろぎ、視線を彷徨わせ、

「まぁいいや」

 案外早くに矛を収めたサイトに内心ほっとしながらも、なら聞かないでくれたまえ、と思う。

「じゃあちょっと俺の用事に付き合ってくれよ」

「君の用事? 別に構わないが」

「助かった、何かルイズには頼みづらくてさ」

「僕なら頼みやすいというのかい? 心外だなそれは。まぁそれはいいさ、で、なんなんだい用事というのは?」

 聞かれたサイトは、自身のジーンズのポケットから財布を取り出すと、

「ここいらで“日本円”が使えるお店、もしくは換金所って無いのか?」

 そう尋ねた。

「ニホンエン? 何だいそれは? それに換金所って両替でもしてもらうのかい?」

「いや、俺この世界のお金持って無いんだ、だから俺の世界のお金と換金して、と思ったんだけど」

「ふむ、よく意味はわからないが、それなら一つ良いところ知っているから教えてあげよう」

 ギーシュは、サイトの言葉に得心こそいかないものの、サイトの意は汲み取り、足を向ける。

 狭い通りを歩いて数分。

 サイトが見覚えのある場所だと思いながら歩いていると、辿り着いたのはサイトがルイズと一緒に午前中に見た路商だった。

「ここ?」

 サイトが不思議そうに尋ねる。

「ああ、実はここのおじさんは質屋も兼ねてるんだ。ほら、ここにあるものは一品ものばかりだろう? この人に売りに来た物をこのおじさんが売っているのさ」

「へぇ」

 サイトは意外そうに頷く。

 リサイクルショップみたいなものだろうか。

 そんな人がいるのも驚きだが、それを貴族のギーシュが知っているのも驚きだ。

「詳しいんだな」

「まぁね、この人は我がグラモン家と少し馴染みなんだ」

「あ、坊ちゃん、いらっしゃい!!」

 向こうがこちらに気付いたようで、挨拶してくる。

「やぁ、調子はどうだい?」

「はい、おかげさまで何とかやっていけてます」

「そうか、それは何よりだ。今日はちょっと頼みたいことがあってね」

「はい、何でしょう?」

「彼の持ち物を買って貰いたいんだ」

 ギーシュがサイトを紹介する。

「これはまた変わったお召しものをされてる方ですね」

 おじさんは不思議そうに首を傾げる。

 この世界にはパーカーは無いらしい。

「あ、あの、交換でも良いんですけど、これってここではどれぐらいの価値ですか?」

 サイトは、少し気後れしながら財布から千円札を出した。

「何かの紙っきれですか? ……なんなんですこれ!?」

 最初、興味なさそうに受け取ったおじさんは、しかし千円札の手触り、精巧なその印刷物に目を引かれる。

「真ん中に何か書かれてる……これは……人?」

「あ、それは“透かし”と言って俺の国の偉人を特別な方法で印刷してるんです。俺の国、というか世界ではそうやって過去の偉人をお金、紙幣に印刷するならわしみたいなのがあって……」

「ほう、大変興味深い話だね。よし、気に入った。交換でもいいと言ったね? 何が欲しいんだい?」

「えっと……良かった、まだあった」

 サイトは一つのブレスレットを選ぶ。

 装飾は無く、しかしスマートさを感じさせる金のブレスレット。

 昼前に見た、“あの”ブレスレットだ。

「それでいいのかい?」

「はい、これで」

「よし、なら交換成立だ」

「ありがとうございます!!」

 サイトは頭を下げてお礼を言う。

「おじさん、それはただのブレスレットなのかい?」

「どうだろうねぇ、“ディテクトマジック”をかけても反応しないし、マジックアイテムという触れ込みで仕入れたものだけど、使い方もわからないし装飾も無い。正直言って私としても困っていたものだったんだ」

「そんなもので本当に良いのかいサイト?」

 ギーシュは少し呆れ、サイトに念押しの確認をする。

「ああ、これが良いんだ」

 サイトはそう頷き、

「そろそろ一時間経つしルイズ達と合流しようぜ」

 足早に集合場所へ向かう。

「まぁ君が良いなら良いさ、わかったよ」

 ギーシュはそう答えて、集合場所へと向かい出した。



[13978] 第十九話【二股】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:12
第十九話【二股】


「ねぇルイズ、どう思う?」

「うん、そうね」

「ねぇルイズ、これは?」

「うん、そうね」

「……ねぇルイズ、今日の天気は?」

「うん、そうね」

「…………ねぇルイズ、あれ、あそこにいるの貴方の使い魔じゃない?」

「うん、そうね……えっ!? ドコドコッ!?」

「………………」

 モンモランシーは溜息を吐く。

 今日のルイズは何を話しても上の空だし、使い魔の話をすればこれだ。

 ルイズはあちこちに眼を血走らせている。

「どこよ? サイトは何処っ!?」

「冗談だってば」

「へ……冗談……?」

「そうよルイズ。何度話しかけてもずっと「うん、そうね」しか言わないんだもの。折角“私たち”でしか入れない所に来てるのに」

 ルイズは冗談と言われ一気に脱力し、また落ち着かなくなる。

 どうにもモンモランシーの話は半分程度しか聞いていないようだった。

「もう、貴方がそんなんじゃ全然決まらないじゃない!!」

 モンモランシーは手に持つ“三角の絹地の何か”をくるくる回しながら膨れる。

「せっかく男共がいないんだから女の子の買い物しようと思ってたのに。そんなに彼が心配なの?」

「ええ、万が一、いえ億が一怪我でもして戻ってきたらあの“駄剣”を捻り潰すわ」

 ルイズは黒いオーラを漂わせてイライラしている。

 どうやら彼の話題はちゃんと聞いているらしい。

 ……全く、都合の良い耳だこと。

 これでは買い物にならないではないか。

「気にしすぎよ、ギーシュもいるんだし」

「わかってないわねモンモランシー。“だから”心配なのよ。あの二人、異常に仲良かったじゃない?」

「そうかしら? 男の子ってあれくらいなものじゃないの?」

 モンモランシーは別に男の友情などに詳しくは無いが、何となくあんな感じだろうとは思っていた。

 だが、ルイズは懸念するように言う。

「いいえ、“前”は違ったもの。ギーシュはもしかしたらとんでもないダークホース、危険人物かもしれないわ」

「ルイズ? 貴方何を言っているの?」

 モンモランシーはいまいちルイズの言っている事が呑み込めない。

 “前”だの“危険”だの“ダークホース”だのとわけがわからない。

「まぁいいわ。今日はもう買い物は諦めて貴方にその彼の話でも聞こうかしら?」

 モンモランシーは手に持つ真っ白なショーツを店の棚にしまう。

 そう、ここはランジェリーショップだった。

 男は入れない女だけの園。

 この機会に可愛いと思う下着をルイズといろいろ話し合いたかったモンモランシーとしては少々拍子抜けだが、まぁ仕方がない。

「モンモランシー、まさか貴方……!?」

 だがここで予想だにしない事態、ルイズが驚いた眼でモンモランシーを見つめ……否、睨み始める。

「貴方もサイトを狙う気?」

 そんなことは許さないとばかりに語気を強めながらルイズはモンモランシーを睨み付ける。

「そ、そんなわけ無いでしょう? 私にはほら、ギーシュがいるんだし」

 モンモランシーは慌てて手を振って弁解し、言ってから顔を赤らめて俯いた。

 つい、言ってしまったという感じだろうか。

「……本当に? 今思えばサイトをあの生きる価値無しのヴィリエに傷つけられた時に運んでくれたのは貴方だったのよね、確か」

 だがルイズは未だ疑いの眼差しを緩めない。

 かといってモンモランシーとしてもこれ以上恥ずかしい言葉を吐くのは憚られるのか、

「ほ、本当だってば!!」

 言葉数が少なくなる。

 恥ずかしさの余りルイズの言った言葉や自分の言葉数のことなど気にしていない。

 そうなると、益々ルイズの疑いは深くなり、

「……怪しい。本当に貴方と“ギーシュ”はサイトに興味が無いの?」

 追求の手が強くなってきた。

「ちょっ? そこで何でギーシュの名前が出てくるのよ!?」

 羞恥の余り、モンモランシーはギーシュの名を聞いただけで飛び上がる。

 最も、今の質問の意味をきちんと理解していたわけではない。

 そしてここにもう一人、たまたま居合わせた少女が“ギーシュ”という名前に反応した。



「えっ? ギーシュ様?」



 ブラウンのロングヘアーにブラウンのマント。

 トリスイテイン魔法学院一年、ケティ・ド・ラ・ロッタ、その人である。




***



 ギーシュとサイトが待ち合わせ場所に着くと、そこでは三人の女性が口論していた。

「だからギーシュは私と付き合ってるの!!」

 と長い金髪を縦にロールした美少女、モンモランシー。

「いいえ、ギーシュ様は私だけと仰って下さいました!!」

 と、愛らしい顔をしたブラウンのマントを纏う下級生、ケティ。

「アンタ達本当にサイトに興味無いんでしょうね!?」

 と、自身の使い魔を心から案ずる桃色の髪の小柄な美少女、公爵家が三女、ルイズ。

 若干一名、微妙に……いや結構ずれた話題をしているが、それは確かに口論だった。

「だから興味ないって言ってるでしょ!?」

「聞く限り私は昼間ぶつかっただけです!!」

「そんなこと言って、サイトとギーシュの仲が良すぎるのもあなた達のせいね!?」

 段々と話が混沌化していっている。

 元の話すら想像がつかない。

「何だアレ……? おい、ギーシュ?どうしたんだ。顔が青いぞ?」

「い、いやサイト、僕は急用で先に帰ったと言ってもらえないかな?」

 ギーシュは脂汗を滝のように流してそうサイトにお願いする……が。

「……サイトの匂いがする……あ、サイト!! ……とギーシュ」

 サイトがいることを匂い?で気付いたルイズが二人に声をかける。

「おう、間に合った、よな?」

「ん、遅いわ。あと五分しか無いじゃない。ダメよ、せめて三十分前には再会したかったわ」

 ルイズがサイトに抱きつくようにして飛び込み、サイトの無事を確認する。

「いや、それじゃ半分しか時間取れないし……」

 サイトは渇いた笑いをしながら頬を掻いた。

「で、大丈夫? 怪我は無い?」

「怪我? ああ、大丈夫だよ。心配しすぎだってルイズは。なぁデルフ」

『おぅよ!! 俺様がいる限り相棒には傷一つ負わせられねぇぜ!! ………………俺様の為にもな……はぁ、本当良かった、何にも起きなくて本当によかったぜ相棒……』

 どことなく哀愁漂うように言うデルフもまた大げさだなぁとサイトは思いながら、若干見知った顔を見て驚く。

「あれ? 君はもしかして昼前にぶつかった子?」

「あ、はい。ケティ・ド・ラ・ロッタと言います」

 言われた少女、ケティは相手が平民の使い魔であることを知りながらも、丁寧に挨拶する。

「俺は平賀才人、サイトって呼んでくれ」

「サイトはああいう子が可愛いって思うの? ねぇどうなの? 私より可愛いって思うの?」

 途端、ルイズは少し焦ったようにあの時のサイトの言葉を引っ張り出した。

「か、可愛い? ですか?」

 サイトがルイズにたじろぎ、ルイズは真剣にサイトを見つめ、言われたケティは照れる。

 そんな一件無茶苦茶なトークを繰り広げる中、足早にその場を去ろうとしたギーシュは、

「何処行くの、ギーシュ?」

 襟首を金髪の美少女に掴まれた。

「や、やぁモンモランシー!! 何をいってるんだい? HAHAHAHAHA……」

「ハハハハハ……じゃないわよ、いえHAHAHAHAHA、かしら? まぁそんなことはどうでもいいのよ。これはどういうこと?」

「こ、これ、とは?」

 ギーシュの手に持つ薔薇が震える。

「惚ける気? あのケティっていう下級生のことよ。ま・さ・か二股かけてたりしないわよね?」

「い、嫌だなぁモンモランシー!! そんなわけ無いじゃないか!!」

 ギーシュは冷や汗を掻きながらモンモランシーにそう取り繕うが、

「酷いですわギーシュ様!! 私だけっておっしゃってましたのに!!」

 モンモランシーとギーシュの会話に気付いたケティが入り込んでくる。

「ああ、これは違うんだケティ!! まずは誤解をだね」

「誤解? これが誤解だっていうのギーシュ?」

「モ、モンモランシー、落ち着いてくれ、お願いだからその薔薇のような唇を膨らませないでおくれ」

「その言い訳、前にも聞いたわね」

「ギーシュ様!!」

「ギーシュ!!」

 ギーシュは詰めよられ、脂汗を流しながら、弁解する。

「お、落ち着いてくれ二人とも。僕は崇高なる貴族として美しい女性に近づきこんなことに……本当にそんなつもりは無かったんだ!!」

「「そんなつもりってどっちのこと?」」

 二人は追求の手を弛めない。

「っ!! サ、サイト?君からも何か言って……何をやっているんだい君たち?」

 耐えられなくなったギーシュは、助けを求めてサイトに声をかけるが、彼の見たものは、

「ねぇどうなのサイト?」

「い、いや別に俺は一般論を言ったのであって」

「本当にそうなの?」

「あ、ああ」

「絶対ね?」

「あ、ああ絶対だ」

「絶対の絶対ね?」

「絶対の絶対だって」

「絶対の絶対の絶対……」

「絶対の絶対の絶対……」

 以下無限ループである。

 目ではサイトもギーシュに助けを求めている。

 ギーシュも助けて欲しいのはこちらだとアイコンタクト。

「ちょっと何処見てるのギーシュ!!」

「ギーシュ様最低!!」

 しかし痺れを切らした二人に掴みかかられ、ギーシュは、

 パァン!!

 パァン!!

 両頬に真っ赤な紅葉を作るハメになった。

「トホホ……」

 この張り手の跡がこの後中々消えず、ギーシュの“最初の”英雄伝説は夏休みを待たずして消えることとなる。




***




 トリステイン魔法学院ヴェストリの広場。

 今日は虚無の曜日だというのに熱心に魔法を教えて貰っている生徒がここにいた。

「良し、そうだ。私がサポートすればお前のクラス、精神力でも可能なハズだ」

 若くしてスクウェアの領域に達したメイジ、“疾風”のギトーが先日自らに教えを請いに来た生徒、ヴィリエ・ド・ロレーヌにそこで“特別授業”をしていた。

 ヴィリエは汗を流しながらスペルを“ギトーと同時に紡ぎ”自らの精神力を魔法へと変換させる。

「いいぞ、本来お前ではまだ手の届かない高みの魔法、それを今お前は行使しようとしている!!」

 ギトーがヴィリエを誉めながら魔法の成功を促すようにスペルを紡ぐ。

「“風”が最強……その所以の一つと言ってもいいこの魔法、お前はまだ“ライン”だが私が“ラインスペル”を使う事によってお前は“これ”を実際に扱うことが出来る……!!」

 辺りには風が散らばっては収束し、そこにある筈の風が無くなり、無い筈の所に風が生まれる。

「今は一人で使う事の出来ない魔法に触れるというのは良い経験になるだろう。いいかヴィリエ、これが……」




―――――――スクウェアスペルだ。




 辺りには風が吹いて、しかし風を感じない。

 そこかしこに“ある”のに“無い”

 魔法を完成させたヴィリエは、額に汗を流しながら口端をつり上げた。



[13978] 第二十話【契約】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:13
第二十話【契約】


「ル、ルイズ、あのさ」

 トリステイン魔法学院のルイズの部屋に戻ってきてから、サイトは緊張した面持ちでルイズに声をかけた。

「何?どうしたの?」

「そ、その、今日は本当にありがとうな」

「そんなに何度もお礼を言われる程のことじゃないわよ?」

 ルイズは微笑み、何でもないことのように軽く流す。

 しかしサイトの緊張した面持ちは変わらない。

「え、えと、そのルイズ」

「何?さっきから落ち着かないみたいだけど何かあった?」

 ルイズとしてもサイトの変調は気が気では無い。

 もしも万が一、いや億が一、いやいや兆が一サイトに何かあったのならば適切な対処をしなければならない。

 主にサイトが背負う剣に対して。

 もう二度と、彼を失うのはごめんなのだから。

 だが、そんなルイズの憂いも次の言葉で吹き飛んだ。

「その、良かったらこれもらってくれ。今日これを見てただろ?」

 そう言ってサイトが出したのは特に装飾も何も無い金色のブレスレット。

 確か今日、路商で販売していたものだ。

 正確にはルイズは、スペースの関係からかこのブレスレットの中に陳列してあった指輪を見ていたのだが、そんなことこの瞬間の彼女には一切合切関係が無い。

 サイトが自分にプレゼントを買いに行っていた。

 それだけが事実。

「その、ギーシュに手伝ってもらって俺の世界のお金と交換して来たんだ。少ないかもしれないけど今までと今日のお礼を込めて受け取ってくれよ」

「あ、あああ、あああ……ど、どうしよう?サ、サイトが私にププ、プレゼン、プレゼントを買ってきてくれるなんて……!!」

 ルイズは取り乱し、あたふたと部屋を行ったり来たりする。

 予想外の外。

 これっぽっちも思考の範疇には無かった。

 故に喜びも一入で。

「と、とりあえず、これ、貰っていいの?」

 ルイズは両手で震えながらサイトから金のブレスレットを受け取る。

 装飾は無く、見た限りでは安物のような気がしないでも無いが、だからと言って今のコレには一億エキューよりも価値がある。

 少なくともルイズにとってはそうだった。

「つけてみていい?」

「ああ」

 サイトはそこまで喜ばれるとは思っていなかったのか、少し驚きながら頷いた。

 ルイズはブレスレットをはめると、鏡を通して自分を見る。

 今自分はサイトのプレゼントを身に纏っている。




 ……こんな幸せがあるだろうか!!




「ありがとうサイト。一生大事にする……いえ、家宝にするわ」

「い、いや何もそこまでしなくとも……」

 サイトは少し大げさだなぁと笑いながら、しかし余りのルイズの喜び様に内心満足していた。

「女の子にプレゼントなんて初めてだったから緊張したよ」

 つい漏らしたサイトの言葉。

 それがルイズの喜びボルテージをさらに跳ね上げる。

 今までに女の子にプレゼントを渡したことが無い、ということは恐らく、今までに女性との恋愛経験が無いということだ。

 それはルイズの安堵出来る事柄の一つになる。

 これで今日もまた安眠が出来る。

 そう思ってルイズはベッドに座り、

「サイト、着替えをお願いしてもいい?」

 今日は少し早いが就寝することにした。

「……む」

 サイトはしばし悩み、しかしちゃんと着替えを手伝い出す。

 だが、着替えが終わってから、幸福絶頂中のルイズにとって信じられない事態が起きた。




「なぁルイズ、考えたんだけどさ、今日からは別々に寝よう」




 それはルイズに取って片腕をもがれるに等しい発言だった。

 たった今貰ったブレスレットを嬉々として化粧台に置いた手が止まる。

 もしかしたら聞き間違いかもしれない。

 いや、そうであって欲しい。

「……サイト、今、なんて……?」

「今日からは一緒に寝るのを止めようと思うんだ、あんまりお互いに良くないんじゃないかと思って」

 サイトは今朝思っていたことを口にすることにした。

「……どう、して」

 おかしい。

 そんなことあってはならない。

「やっぱり女の子がそう簡単に男と一緒に寝るのは問題あると思うんだ」

 ……納得がいかない。

 “そんなこと”知らない。

「……私と寝るのが嫌なの?」

「いやだからそうじゃなくて、俺はお前を心配してだな」

「嘘、だってサイト私にまだなにもしてないじゃない」

「う、嘘じゃないって!!俺はお前を気にして……」

「私は気にしない。むしろサイトと一緒じゃないとヤダ」

 取り付く島もない。

「け、けど……」

 しかしサイトはどうにも割り切れない。

 これは本当にルイズの為なのだ。

 ……半分は自分の理性を信じられないせいでもあるが。

 しかし、だからこその事前の策なのに。

「何よ、何も問題無いじゃない。どうして急にそんなこと言い出すのよ?本当は私が嫌いなの?」

「いや、だから別に嫌いじゃないって」

「じゃあいいじゃない、私が一緒に寝ようって言ってるんだから何もサイトには問題無いわ」

「あ~もうっ!!どうなっても知らないぞ!!」

 あまりのルイズのしつこさにサイトはとうとう折れた。

 人、それをやけくそと呼ぶ。

 しかし、やけくそというのは時と場合と相手を選ばなければならない。

「構わないわ、でもそうね、なら“契約”しましょう」

 何故ならルイズがそんな事を言い出してしまうからだ。

「契約?」

「ええ、私は何があってもサイトと一緒に眠りたい。だからその為の契約」

「何をどうするんだ?」

 サイトはルイズを見つめながら不思議そうにする。

「簡単よ、私は何があってもサイトと一緒に眠る、という約束をするだけ。もちろんそれはサイトに何をされても構わないということでもあるわ」

 ルイズは不敵に笑うとすっとサイト近づく。

「別に正式な“ギアス”をかけたりするわけじゃないわ。私“まだ”魔法使えないもの。だから厳密な口約束だと思って」

 サイトはごくりと唾を飲み込んで、

「それで?俺は何をするんだ?血判でも押すのか?」

「まさか」

 そんなサイトを傷つける契約なんて却下よ、とルイズは言いながらサイトの背負うデルフを外し、壁に立てかける。

「本当に簡単な契約にしようと思うの。サイトも経験したことのある奴よ」

「俺?」

 サイトはそう言われて思考を張り巡らせるが全く身に覚えが無い。

「なんだっけ?」

「すぐに思い出すわ」

 ルイズは笑うとぐっとサイトに近づき―――――――唇を塞いだ。

「んっ!?」

 まさか、と思った時にはサイトはルイズに抱きしめられて身動きが出来ない。

 サイトは一瞬何が起こったのか理解出来ずに目を丸くし、気付いた時には自身の唇に奔るルイズの柔らかい感触にとろけそうになる。

 ルイズは構わずサイトの口内に舌を入れ始めた。

 だが無理な体勢がたたってルイズが転びそうになる。

 それでもルイズはサイトの唇から離れる気が無いのか、夢中になって舌を絡めようとしていた。

 サイトは咄嗟にルイズを抱きしめ返してルイズの転倒を防ぐ。

 だが、ルイズは抱きしめ返された瞬間目をトロンとさせて全体重をサイトに預け始めた。

 サイトは咄嗟に支えられず背中から倒れ……バフッ。

 ベッドに二人で倒れ込む形になる。

 もしかしたらルイズはそれを見越してデルフを外したのかもしれない。

 だがそんな理性があったのかと疑いたくなるほど今のルイズはサイトと舌を絡める事に熱中していた。

 取り憑かれたようにサイトの舌を舌で撫でる。

 いつしかサイトもそれに呼応するようにやり返す。

 そうされることで益々ルイズは目を、唇を、舌をとろけさせる。




 ……そうしてたっぷり十分は経っただろうか。

 ようやくルイズが一度唇から離れた。

「サイト……思い出した?」

「あ、ああ、思い出した」

 それはここに来てイキナリのこと。

 “あれ”と同じ事をされたのだ。

 いや、あの時より激しかったけど。

「そう、良かった……でも」

「でも?」

 サイトのお腹に座るようにしているルイズは、暗い部屋で月光の光のみに照らされ、妖美ともとれる姿で、

「今日は舌を噛まなかったのね、私、少し噛まれたかったかも。もう舌の傷治っちゃったから」

 そんなことを言う。

 サイトは目の前がクラクラしだした。

 なんだか口の中に残る甘い何か。

 それをもう少し味わいたいような。

 サイトとて健常な高校生。

 そういうことに興味は津々、思春期まっさかりである。

 そんなクラクラしているサイトにルイズは、

「さっきのは契約だったけど、これは違うから」

 そう囁いて再び体を倒して唇を押しつけた。




***




「……ふふっ」

 ルイズが笑う。

 隣には腕枕をするようにして眠るサイト。

 あれからサイトはほどなくして眠ってしまった。

 ペロリと舌を出して自分の唇を嘗める。

 ……少しサイトの味がした。

「……もう一緒に寝ないなんて言っちゃダメなんだから」

 ルイズはそう囁きながらサイトに抱きついて笑う。

 しかし、ここで一瞬にして声色が変わった。




「ところでデルフ」




 ビクゥッ!!

 音も無しにそんな擬音が鳴ったような奇妙な感覚に囚われる。

『な、なんだ?貴族の娘っ子』

 起きていたのか、はたまた起こされたのか、デルフリンガーは何処か怯えながら応えた。

「……報告しなさい」

 ルイズはサイトと話してる時とは打って変わって淡々とした声で言う。

『ほ、報告って特にすることは……』

「無いの?本当に?誰か女が声をかけてきたとか、少し喧嘩したとか、ギーシュが馴れ馴れしかったとか」

『ああ、あの貴族の坊主か。あいつは中々に良い友達のようだぜ?貴族が平民にやる態度としては珍しいもんだ』

「そう……“やはり”ギーシュなのね……」

『お、おい?』

「他には?」

『と、特に何もねぇよ、言っただろ?何も無くて良かったって』

「そう」

 ルイズはそれを聞き終わると一度短く言葉を切った。

 デルフはそれに安堵し、




「じゃあOSHIOKIは一回分、武器屋で私がサイトに飛びつこうとしたのを邪魔した分ね」




 次いで絶望する。

『お、おい!?待て娘っ子!!』

「黙りなさい、サイトが起きたらどうするつもり?」

『ちょ、ちょちょちょ……っ――――――――!!!!!!!!!!』




 その晩、人無き声が泣き叫ぶ声が静かに木霊した。

 ルイズはその声を聞きながら思考を張り巡らせる。

 (ギーシュ、彼は危険だわ……)

 ルイズの部屋の夜が明けるのはまだ少し先のようだ。




***




「んっ」

 サイトはゆっくりと瞼を開いた。

 朝日が窓から入ってくる。

 今日も快晴のようだ。

 ルイズはまだ眠っていた。

 ルイズの小さい口から漏れる吐息がいやがおうにも昨晩の事を思い出させ、サイトに羞恥を思い出させる。

 サイトは静かにベッドから降りると、数回屈伸運動をしてデルフを手に取った。

『……お、おう相棒か……ってぇことは今は朝か?俺は生きて朝日を拝めるってことか?』

「何言ってんだお前?」

 サイトはそんなデルフを不思議そうにしながら背負う。

『俺にもいろいろあったんだよ、いろいろな。っと相棒、どっか行くのか?』

「ああ、ちょっとトイレ」

『嬢ちゃんに何も言わなくて良いのか?』

「まだ寝てるしすぐ戻ってくるから」

 サイトはそう言ってルイズを気遣い部屋を後にし、トイレを終えた所で、




「やぁ、ルイズの使い魔君、久しぶりだね、呼び出す手間が省けて良かったよ」




 見覚えのある少年に呼び止められた。



[13978] 第二十一話【千殺】
Name: YY◆90a32a80 ID:ec8f6a96
Date: 2011/03/03 19:13
第二十一話【千殺】


「……ん」

 ルイズは目覚めかけていた。

 既に朝なのは何となくわかるが、今はまだまどろみの中にいたい。

 こうやってサイトの腕の中にいて彼の温度を享受し匂いを嗅いでいたい。

 そう思いながら手を伸ばして…………跳ね起きた。

「……いない……!!」

 手を伸ばした先にサイトが居らず、温かみも匂いも感じられない朝。

 いつ以来だろう。

 絶望が体中を巡り、焦燥が彼女を支配する。

 今までの幸福が実は全て夢だったのではないかという程に心が折れそうになった時、化粧台にある金のブレスレットが視界に入った。

「あ……」

 アレがここにあるということは、少なくとも昨日までは夢では無いということになる。

 慌ててその金のブレスレットをはめて現実を実感し、蚊ほどの安心を得てから部屋を見渡すと、サイトの他にいなくなっている物が一つ。

「デルフもいない……」

 ……トイレにでも行ったのだろうか。

 そう現実的に現状を纏めベッドに座る。

 一秒。

 足が小刻みに揺れる。

 二秒。

 体中が小刻みに揺れる。

 三秒。

 限界だった。

「サイト分が足りない……!!」

 体中から求めてやまないサイト。

 サイトが傍にいるだけで得られるそれが、ほんの少し姿が見えないだけで気が狂いそうになる。

 何せ昨日“一時間も”離れていたのだ。

 それはもう一生分離れていたと言っても過言では無いというほどの時間だと彼女が思っていた時、



 コンコン。



 戸がノックされる。

「サイト!?」

 ルイズは喜び飛び跳ねるが、いつまで経ってもサイトは部屋に入ってこない。



 スッ。



 代わりに、戸の下の隙間から白い紙切れが一枚入って来る。

 ルイズは訝しがりながらそれを取って……凍りついた。




『君の使い魔君は預かった。無事に返して欲しくば今日の一時限目はサボってヴェストリの広場まで来い』




「な、何よこれ……!!」

 体が震える。

 サイトを失うかもしれないという死よりも圧倒的に恐い恐怖。

 そして、

「冗談じゃ、無い……」

 もはや存在すら許せないというほどの……怒り。

 宛名を見て、彼女の瞳は何も映さなくなった。




『ヴィリエ・ド・ロレーヌ』




「ヴィリエ……!!」

 ギリ!!と握り拳を作ることで紙がくしゃくしゃになる。

 ルイズはテーブルの杖を取ると他には何にも目をくれずに部屋を後にした。




***




「くそっ!! 離せ!!」

 サイトは暴れていた。

「うるさいな、平民のくせに」

 ドガッ!!

「ぐへっ!?」

 思い切り頬を殴られる。

「くそっ!! ずりぃぞ!! 離して正々堂々と戦いやがれ!!」

 だが尚もサイトは喚く。

 今朝トイレでサイトを捕らえた男、ヴィリエはウンザリしていた。

 何故平民というのはこう立場もわからずに五月蝿く喚くのか。

 だがそれも今の彼の滑稽さを見ることで多少、本当に多少だが溜飲は下がる。

 サイトは風の手錠のようなもので手を後ろ手に縛られていた。

 それを見ていると、まるで自分は無力ですと言っているようで、かつての決闘での屈辱的なことさえ忘れられる。

 だがヴィリエが求めているのはこんな“前座”ではない。

「フフフッ」

 思わず笑みが零れる。

 今から楽しみで楽しみでたまらない。

 おっと、ようやく来たようだ。

「ヴィリエ……サイトをはな……っ!?」

 ルイズは来た途端サイトの開放を要求しようとしてサイトの顔を見る。

 サイトの頬は少し赤く腫れていた。




──────空気が変わる。




 ゴクリとヴィリエは息を呑んだ。

 これに自分は打ち勝っている証明をしなければならない。

「サイト……その頬」

「わ、悪いルイズ、朝トイレに行ったら捕まっちまって」

「なに、その薄汚い平民が騒ぐから教育してやっただけさ。ちゃんと手加減はしてるよ、この広場がまた汚い血で汚れてはかなわないからね」

 ヴィリエは悪びれずに言う。

「………………」

 ルイズはもはや何も口を開かずにヴィリエを見つめていた。

 睨むとか、怒りとか、そんなものは何も映していない。

 例えるなら“虚無”

 その瞳には、何も映さないただ瞳孔が大きく開いた黒い塊のみがそこにある。




──────風が、止んだ。




「……覚悟はいい? ヴィリエ」

 それは質問ではなく、命令だった。

 覚悟が出来ているかどうかを問うものではなく、覚悟をしろとの命令。

 それにヴィリエは杖を持って答える。

「それは鏡に向かっていうべきなんじゃないのか?」

 唱えるのはエア・カッター。

 風の刃が真っ直ぐにルイズに向かって飛んで行き……爆発。

「っ!?」

 一瞬、ヴィリエには何が起こったのかわからない。

 もう一発エア・カッターを放つ。

 だが、ルイズにそれが命中する前に、爆発。

 爆煙から出てくるルイズは傷一つ負っていない。

 “失敗”の爆発魔法。

 唯一にして絶対のルイズの魔法。

 今まではただの失敗としか捕らえていなかったが、なるほど。

 自在に爆発を起こせるのなら確かに使いようはある。

 だが、悲しいかな。

「これにはついてこれまい!!」

 エア・カッターとエア・ハンマーを同時に唱える。

 殴りつけ、切り刻む。

 “ライン”だからこそ出来る上等戦術。

 どちらか一方を爆砕したところで手痛い損害を被る筈。

 そう思って唱えられたそれを、ルイズは表情も変えずに“二つの爆発”でもって迎撃した。

「……何だと?」

 今自分は二つの風系統魔法を同時に使用した。

 それをルイズは二つの爆発で迎撃した。

 それはつまり。

「そんな、まさか、ありえない!!」

 一つの魔法すら満足に行使できないルイズが二つを重ねる事などできるはずが無い。

 いや、出来てはならない!!

 あれはきっと一つの魔法が分岐しているに違いない。

 ギーシュのワルキューレが一度に何体も錬金できるように、恐らく一つの魔法で二つの爆発を起こしたんだ。

 そうでなければあいつが“ライン”である事になってしまう。

 そんなことはあってはならない。

 想定外のことにヴィリエは焦り始めた。

 こんなはずではなかった。

 あっという間に事を終わらせ、全力を出す前に愉悦に浸るはずだった。

 ところがどうだ?

 今ルイズはピンピンしているではないか。

 その歩みを止めようとしていないではないか。

 落ち零れのくせに落ち零れのくせに落ち零れのくせに!!

 そうヴィリエが歯噛みした時、ふと視界には未だに暴れ続ける平民、サイトの姿が映る。

 途端、天啓のように閃いた。




「動くなルイズ、それ以上近づくんじゃない」




 ヴィリエのやや上ずるような声。

 ルイズは全く気にしようとせず突き進む……ことはしなかった。

「………………」

 ルイズは言われた通りにそこで止まる。

「そうだ、ははっ!! いいぞ!! そこを動くなよ? いや、やっぱり動いても良いぞ?この薄汚い平民がどうなってもいいならな!!」

 ヴィリエはサイトに杖を向けていた。

 満足に動けぬサイトでは、それを回避することなど出来ないだろう。

「………………」

 ルイズは黙ったままサイトとヴィリエを見つめる。

 それは、もし万一サイトにこれ以上何かしたらその時は容赦しないという意思表示のようでもあった。

 それを読み取ったヴィリエは、

「安心しろよ、お前が言う事を聞けば何もしやしないさ、そうだな、まずはその場で土下座だ」

 楽しそうにヴィリエは笑いながら命令する。

 ルイズは何を言うでもなく、その場に膝を付いた。

 スカートの裾は草に触れて汚れ、露出している膝下は地べたに直接付く。

「ふははははっ!! いいぞ、そのままちゃんと頭も下げろ!!」

 調子に乗ったヴィリエは命令をエスカレートさせていく。
 
 ルイズは言われるがまま頭を下げた。

「良いぞ、良いぞ良いぞ!! 最初からそうしてりゃ良かったんだよ!!」

 ヴィリエは笑い、杖を振るう。

 途端飛んでいく風の刃。

「……っ」

 ルイズのマントが、スカートが切り開かれる。

 少し大きめにルイズの太ももが露出した。

 しかしルイズは微動だにしない。

「どうした? 恐くて声も出ないか? 全く僕を怒らせなきゃこんな事にはならなかったんだぞ?」

 ヴィリエはまた杖を振るって魔法を唱える。

「っ!!」

 強い風に殴られるようにルイズは吹き飛び、数m先に倒れる。

「ほらどうした? 土下座の体制が崩れているぞ!!」

 ルイズは起き上がりながら、大事なものなのか右手首のブレスレットを気にしている。

 今度はアレを狙ってやろう。

「そら!!」

 ルイズはまた転倒する。

「ははははは!!」

 彼は今最高潮だった。

 多少予定は変わったが、これで元の計画に大筋戻った。

 故に、たった一つ、失念していたことがある。

 それは彼にとって既に些細な事。

 いや、信じていなかった事と言ってもいい。




「……てめぇ、ふざけんなよ」




 自身が捕らえていた平民の使い魔。

 彼がギーシュの作った剣で自分の魔法を切ったことを。

『お? お? おおおおお? 来やがったのか相棒!? おおおおおお? そうだ、心を奮わせろ!! その分おめぇさんは強くなれる!!』

 キィンと音が鳴って背中の剣、デルフリンガーが抜けるのと同時に、サイトの手首を縛り付けていた風が消える。

『こんなチャチな魔法、吸収するまでもねぇんだが、まぁいいか!!』

 そんな、本人にとってはどうでも良く、しかしヴィリエにはとうてい看過できない事柄が起きる。

「ば、馬鹿な? 一体どうやった?」

「うるせぇ!!」

 サイトがデルフの柄を掴み、構える。

 途端。

『うおっ!? キタ───────!!!!』

 デルフの叫びと共に刀身錆びだらけだった剣が光り輝いていく。

「な、なんなんだよお前!!」

 ヴィリエは杖を振ってエア・カッターを放つ、が。

 それはサイトの構えた剣の前で霧のように消滅した。

『おめぇのちっぽけな魔法は全部喰っちまったぜ』

 デルフが現状を簡単そうに説明するが、ヴィリエにとってそれは死活問題だった。

 魔法が利かない?

 馬鹿な、そんなことがあってたまるものか!!

 いや、待てよ? 魔法が利くやつなら他にいるじゃないか!!
  
 ヴィリエはそう思ってルイズに振り返ろうとした時、

「ルイズは傷つけさせねぇ!!」

 サイトが飛び掛ってくる。

「う、うわぁ!?」

 ヴィリエはサイトに向かって杖をがむしゃらに振る。

 いくつか飛び出すエア・カッター。

 それを、

「喰らい尽くせ、デルフ!!」

 剣は全て吸収する。

 ヴィリエはあまりにがむしゃらだった為、足がもつれて転んでしまった。

「いたたた……」

 一瞬目を閉じ、次に開いた時、自分は杖を突きつけられていた。




「もう一度言うわヴィリエ、覚悟はいい?」




「ひぃっ!?」

 それは最後通告などという生易しいものではなく、ただの宣告だった。

 首に杖を突きつけられ、何ともわからないルーンが耳を通り、

「貴方は合計でサイトを“五回も”薄汚いと言い、サイトの血を“三回も”汚いと言った。あまつさえこのブレスレットめがけて魔法を放った」




────────千度殺しても気がすまないわ。




 声無き声と同時に、杖の先が爆発する。

「なっ!?」

 流石にサイトはそれに驚き、しかしそれよりももっと驚くべきことに、




 爆発を受けたヴィリエの体が消えてしまっていた。



[13978] 第二十二話【思惑】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:14
第二十二話【思惑】


 シーンと静まりかえる教室内。

 教師の板書の音のみが室内を支配するこの場で、

 ガタッ!!

 突如として張りつめたような空気を壊す音が生まれた。

「どうした、ヴィリエ?」

 板書をしていた教師、疾風のギトーは訝しみながら突然立ち上がった生徒、ヴィリエ・ド・ロレーヌを見やる。

「……いえ、なんでもありません」

 ヴィリエは一度頭を下げると、突然立ち上がった時とは対照的にゆっくりと着席した。

 それでおしまい。

 教室内の空気は元の張りつめた学ぶ為の空間に戻る。

 ただ、一人の生徒、立ち上がった少年の内心を除いては。

 (……馬鹿な、僕の“遍在”がやられたっていうのか?)

 遠くにある自身の魔法の結晶、決して一人での行使は不可能な風の高位魔法、それの消失を術者本人であるヴィリエは感じていた。

 “遍在”とは風のスクウェアスペル。

 自身の分身を作り出す、スクウェアに相応しい魔法だった。

 この魔法の凄い所は、作り出された遍在は魔法を使えるという点だ。

 スクウェアスペルは伊達では無い事の証明と言えよう。

 ヴィリエは、一人で行使不可能のその魔法を先日ギトーと共に唱え、行使に成功した。

 これは相手がスクウェアスペルだったから成功したようなもので、本来はそんな単純なものでは無い。

 が、偶然か実力か、とにもかくにも成功したその魔法を、意外にもヴィリエは一人での持続を可能としていた。

 彼もまた、確かに並では無いのだろう。

 そしてここまではある意味、彼の計算通りだった。

 ヴィリエは自身の席よりも左斜め前方を見る。

 そこには、蒼い髪をした小柄な少女が板書を写しもせずに眼鏡を通して本を読んでいた。

 羽根ペンを持つ手に力が入る。

 まるで折ろうとしているのではないかと言うほど強いその力は、先程の自身の遍在の消失に端を発していた。

 (くそっ!! これが上手くいった後、アイツに見せつける筈だったのに……!!)

 自身の計画の頓挫に歯がみする。

 本当なら、遍在がやっているのは“前座”の筈だったのだ。

 踏みにじられたプライドを倍にして返し、その上で“本来の目的”を遂げる筈だった。

 “だからわざわざ本当の自分”はこちらにいたのだ。

 “偽装工作”も含めて。

 ラインの自分が“遍在”を使えると普通思わないだろうし(実際一人では使えない)、魔法自体を知っている者もそんなに多くは無いだろう。

 そんな自分が授業に出ているというのは大きなアリバイに繋がる。

 相手は気に入らないと言っても公爵家の三女。

 公爵家ともなれば逆にここまでの恥の隠匿に奔る可能性もあるだろうし、念には念を考慮してのアリバイ工作だったのだ。

 これが上手く行けば後は“アイツ”だったのに。

 握りしめた羽根ペンが軋みを上げ、もう限界だろうという時、

「ヴィリエ、授業は終わっているよ?どうしたんだい?」

 ギーシュに声を掛けられる。

 ハッと我に返ったヴィリエは、相手が“あの”ギーシュだと気付くと一睨みし、

「なんでもないさ」

 立ち上がって教室を後にする。

「やれやれ、まだ根に持っているのかい? こちらが後腐れ無く話しかけているというのに」

 ギーシュはそんなヴィリエに呆れるような声を出しながら、しかし何か訝しむようにしてヴィリエの背中を見つめていた。

 蒼い少女は、とっくにいなくなっていた。




***




「遍在?」

「そう、“遍在”。“以前”見たことがあるからわかるわ」

 ルイズは少し戸惑っているようなサイトに説明を始めた。

「本来、あの魔法はスクウェアメイジでないと使えない高位な魔法なんだけど……でもヴィリエはラインなのは間違い無いし、一体どうやって……」

「?」

 サイトは魔法に関して詳しくない。

 スクウェアというものもまだいまいち理解していなかった。

 それでも、先ほどの少年が偽者、いわゆる影武者ないし影分身的な何かだったということはおぼろげながらに理解した。

 (そ、そうか、そうだよな。ルイズにはきっと相手が遍在であることがわかっていたんだ。だからあんな近距離で魔法を……でなけりゃルイズが“あんな事をする筈無い”だろうし)

 サイトは、冷静になって一瞬感じた一抹の不安を拭うと、ルイズの状態を見て……慌て始めた。

「ル、ルイズ!! それより怪我は無いのか!? さっき“なんとかカッター”とかいうので切られて無かったか!?」

 ルイズのスカートは裂けていた。

 太ももは露になり、見るも無残な姿だ。

 それに先ほど確か一度“なんとかハンマー”とやらで吹き飛ばされもしたはずだ。

 体験者だからわかるが、あれは結構痛い。

 ルイズは今地面にぺたりと尻餅を付いているが、それすらも実は立てないほど傷が酷いのではないかとサイトの不安を煽る。

「そんなことよりサイトは? ああ!? 手首に擦り傷があるじゃない!! 頬もまだ赤く腫れているし!!」

 だが、彼女は飽くまで自身よりもサイトの安否を優先した。

「馬鹿!! 俺よりもお前だろう!?」

 そんなサイトの怒声に、ルイズはあまり耳を傾けずサイトの手首を取る。

 恐らく、風の魔法で縛られている時に相当無茶したのだろう。

 幾分出血も見られる。

 ルイズは泣きそうになりながらその手首の傷を舐めようとし、

「お、おい!? そんなことしなくていいって!! というか俺よりルイズはどうなんだってば!?」

 慌ててサイトは手首を引っ込める。

「私は大丈夫、ヴィリエは私に傷をつけることだけはしなかったようだから」

 ルイズは残念そうに肩を落とすと、サイトが首を傾げるようなことを言う。

「? どういうことだ?」

 まさかあれだけやられて無傷だというのだろうか。

 確かによく見ると、スカートは酷く裂けているものの出血は見られない。

 体中泥だらけではあるが、それだけだ。

「恐らく、証拠を残さないためでしょうね」

 ヴィリエとてそこまで馬鹿ではない、いやむしろ計算高いのだろう。

 傷が無いということはやられた証拠が無い。

 あるのは本人と使い魔の証言のみ。

 使い魔は平民である事からその発言を低く見られるし、ルイズが親に告げ口して助けてもらおうとするほど自身のプライドが低くないことを理解していたのだろう。

 ルイズは一瞬にしてヴィリエの思惑を読み取り、また、思惑通りに進んだ事を肌で感じた。

 だがサイトにはそんな机上の理論など理解出来ないし、仮に出来たとしてもしたくは無いだろう。

 故に、

「証拠? まぁよくわかんないけど一度部屋に戻ろう」

 今はただルイズを気遣う。

「えっ? あ……」

 サイトはデルフリンガーを鞘ごと背中から外すと、ルイズを背負う。

「サ、サササ、サイト……!?」

 そんなサイトの積極的行動にルイズは顔を赤くし、

「そんな状態で歩いたらその……見えちゃうだろ!? 俺が部屋まで連れて行ってやるから」

「……うん」

 半ば無理矢理で背負って貰ったルイズは、しかしすぐにピトッと背に体重を預けサイトに擦り寄る。

 (サイト、暖かい)

 手に少し力を込めて首に回し、しっかりと抱きついたところで、サイトはルイズの椅子代わりにデルフの横腹をあてがい、デルフを後ろ手に持ちながらゆっくりと歩き出した。

 (サイトの匂い)

 ルイズはそんなサイトの気遣いに胸を打たれつつ、今朝嗅ぐ事の出来なかった“濃厚な”サイトの匂いを首筋から堪能し、微笑を浮かべる。

「……なぁ」

 そうしていると、サイトから声をかけられた。

「なぁに?」

「貴族って、みんなあんな感じなのか?」

「あんなって……ヴィリエのこと?」

「ああ」

「そうね、みんなってわけじゃないけど、貴族は大抵プライドが高いわ。だから気に入らない事は時に徹底して気の済むまで何かをやる事があるの」

「メイジって貴族、なんだよな?」

「いいえ、貴族はメイジだけど、メイジが貴族であるとは限らないわ。“αならばβである”ね」

「???」

「貴族で無くなったメイジもたくさんいるの。中には悪い事をする人だってね」

「ヴィリエって奴みたいに、か」

「ヴィリエは一応貴族よ?悪いからって貴族じゃないとは限らない。それにここは貴族の子が通う学院ですもの」

「貴族……メイジ……遍在……」

「サイト? どうかした?」

「いや、なんでもない。そうだ、遍在って風の“すくうぇあすぺる”だったっけ?」

「そうよ」

「風のメイジ……」

 サイトは話をするにつれどんどん表情が険しくなり、目を釣り上げていく。

「サイト?」

 ルイズは訝しげにサイトの後ろから見た横顔を見つめ、

「俺、風のメイジって、嫌いだ」

 そんなサイトの言葉を聞いた。

 それきりサイトは黙る。

 ルイズはいまいち要領を得なかったが、それでも自分以外の者を嫌いだと言ったサイトに対して多少の歓喜の念を覚えていていた。

 そう、ルイズでさえこの時からサイトに生まれたある一つの感情には気付かなかった。

 類稀なる平民の極端な狭い範囲でのメイジ嫌い。

 メイジが嫌いな平民は多くとも、ここまで限定されたメイジ嫌いはそういないだろう。




 風のメイジ、それも遍在を使用するメイジを、サイトはこの日から異常に嫌うようになっていた。



[13978] 第二十三話【補充】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:15
第二十三話【補充】


 ルイズがぴったりとくっつき、サイトは珍しく恥ずかしがる素振りも無く背負って歩く。

 そんなサイトにルイズは満足し、サイトのうなじに顔を埋め再び匂いを嗅いではふうっと息を吐く。

 その吐息を感じたサイトが、長いシルクのような桃色の髪が肌に触れるくすぐったさと相まって体を震わせ、それが面白くてルイズは益々笑みを強める。

 そんなことを繰り返しながら、ようやくとルイズの部屋の前まで二人が来た時、



「やぁ、こんな所で何をしているんだい?」



 笑顔一転、ルイズの眉間に皺が寄った。




***




「ヴィリエ? ああ、彼なら授業に出ていたよ」

 部屋の前で会ったのはギーシュだった。

 彼は授業が終わった後、顔を見せなかったルイズとサイトを心配して訪問に来たとのことだった。

 もっとも、

「へぇ、そう。まぁそんなことだろうとは思ったけど」

 心配されていたルイズはどこか素っ気ない。

 部屋にギーシュを招き入れてからというもの、ルイズは不機嫌になっていた。

「で、そのヴィリエがルイズのスカートを魔法で切り裂いたというのは本当なのかい?」

 しかしギーシュは全く気にしていない。

 もしかしたらそんなルイズの変化に気付いていないのかもしれない。

「ああ、そうなんだ」

 そしてもう一人気付いていないであろう人物、サイトがやや睨むような視線のルイズに変わって真摯な姿勢でギーシュと向き合う。

 ……また、ルイズの眉間に皺が寄る。

「そう、か。ヴィリエがそんなことを……おかしいとは思ったんだ。普段から授業を休もうとはしない勤勉なルイズが無断欠席なんて」

「ああ、本っ当に腹が立ったよアイツ。今度会ったらぶっ飛ばしてやる!!」

 サイトが意気込みながら強くデルフリンガーを握りしめる。

 そこにヴィリエがいたら、今にも飛びかかるような勢いだ。

「いや、止めておいたほうがいい」

 だが、ギーシュはそんなサイトの意気込みに水を差した。

「なんで!?」

 もちろんサイトは納得がいかない。

 先程から一切サイトに話しかけられないルイズはもっと納得がいかない。

「相手は貴族だ、残念だけどサイト、平民の君がヴィリエに何かしたら悪いのは君になってしまう」

「なんだよそれ!!」

「そういうものなのさ。運が悪いと君の主であるルイズにまで類が及ぶよ?」

「くそっ、じゃあどうしたら……」

 納得いかなげにサイトは歯がみする。

 自分が悪者になるのはまだいい。

 しかしルイズまで自分の行動で悪者にするわけにはいかない。

 サイトは無意識にそう考え、ままならない現状に苛立ち始める。

 サイトが未だ自分の方を見てくれないことにルイズも苛立ち始める。

「ここは、僕に任せてくれないか」

 だが、そんなサイトとルイズの葛藤を知ってか知らずか、ギーシュはそう提案した。

「貴族として、こんな現状を知ってしまった以上、放っておきたくはないし、何より彼にはちゃんと言い含めたんだ。“また君が貴族の誇りを汚すようなことがあったらその限りじゃない”とね」

 それは、ギーシュがヴェストリの広場でヴィリエに最後にかけた言葉。

 彼もまた、サイトとは同じで違う怒りを覚えていた。

 女性を傷つけようとするその行動自体も許せない、が、何より。

 “貴族”としての“矜持”無き行動を、黙認したくは無かった。

「それじゃあね、くれぐれも君は貴族相手に無理はしないでくれよ。君がいなくなったら学院が少しつまらなくなるからね」

 ギーシュはそう言うと、ルイズの部屋を退出した。

「あ……!!」

 未だ納得のいかないサイトは後を追おうとして……腕を掴まれる。

 未だ納得のいかないルイズが頬を膨らませてサイトを見つめていた。

「ル、ルイズ?」

「行っちゃ駄目よ」

「な、何だよ、ルイズも貴族には逆らうなって言うのか?」

 サイトが少し怒ったように言った言葉に、

「いいえ」

 ルイズはおかしな返答を即答した。

「へ?」

 さっきのギーシュの話もあったし、否定されるとは思っていなかった。

 いや、否定されたかったから、むしろ良いのだけれど。

「じゃ、じゃあなんなんだよ?」

「行っちゃ、やだ」

 ふるるっとルイズは震え、視線を落とす。

 しかし腕はがっしりと掴んだまま離さない。

 サイトは困惑しながらも、ルイズを見て閃く物があった。

「もしかして、お前やっぱり痛い所があるのか!?」

「……へ?」

 サイトには、ルイズが何かに耐えているような、そんな態度に見えた。

 それはそう、まるで痛みを耐えるかのようで。

 事実、ルイズは耐えてはいたのだ。

 サイトがこちらを見てくれないということに。

 今朝、サイト分を補充しなかったせいも相まって、サイト分の枯渇が深刻で、補充が必要だった。

 先程、サイトに背負ってもらっていなければこの限界はもっと速くに現れていただろう。

「何処だ? やっぱり怪我してたのか?痛い所は?」

「えっと、怪我はしてない、けど……でも痛い」

「はぁ?」

 サイトは意味がわからない。

 怪我は無い。

 これは広場での言動と一致する。

 でも痛い。

 何だろうこの矛盾は。

「……痛いの、辛いの」

 サイトの腕を掴む力が一層強くなる。

「わ、わかったからとりあえず手を離してくれ」

 こっちも流石にちょっと痛い。

「……何処にも行かない?」

「行かないって。あ、でも医者とか呼んだ方がい「必要無いわ」……そ、そうか」

 有無を言わさずにルイズに言葉を切られ、サイトは苦笑する。

 子供のように不安気なルイズが少し珍しかった。

「で、俺はどうすればいい? 何かやって欲しいことがあるんだろ?」

 そうでなければあんなに必死に外出を止められないだろうとサイトは思う。

「じゃあそこに座って」

 ルイズはようやく安心したように腕を離し、サイトをベッドに座らせる。

「?こうか?」

 サイトは言われたとおり天蓋付きの大きなベッドに腰掛ける。

 ルイズは素早く隣に座ると頭を傾けサイトに体重を預け始めた。

「お、おい? これに何の意味があるんだ? 何処か痛いんじゃ無かったのか?」

「……サイトには、傍にいてもらわないと」

 サイトの慌てた声に、ルイズはようやく普段の“大人びたような態度”で微笑んだ。

「と、とりあえず何処も痛くないなら授業行かないのか? 今日はまだあるんだろ?」

 そんな姿にサイトはドギマギして、何とかこの場を脱しようと思いついた打開策を打ち出し、

「そうね……サボるわ」

 バッサリと切られる。

 (本当に普段は授業を休まない勤勉なのか?)

 そう疑いたくなるほど実にあっさりしたルイズの返事に、サイトは困惑と共に心臓の鼓動を早める。

 ルイズは目を閉じて安心しきったように体を預けている。

 半身に生暖かく感じる女性特有の柔らかさと良い匂い。

 平賀才人十七歳。

 可愛い女の子に寄りかかられて平静を保って居られるほど、人生経験が豊富では無い。

 心臓の鼓動が早くなるにつれて、都合の良い妄想やよからぬ事も多少想像してしまい、慌ててそれを打ち消す。

 表情が緩んでは引き締める。

 何処か疲れたような顔になりながらもサイトはそれを続ける。

 だが当のルイズはそんなサイトのことは気にせず、じっくりとサイトが傍にいるという状況を堪能……もといサイト分補充を図るのだった。




***




 長いブラウンの髪の少女は、両手にノートを抱えながら歩いていた。

 髪と同じ色をしたマントが、彼女は学院中最も低学年の生徒だと教えてくれる。

「はぁ……」

 少女は重く軽い溜息を吐く。

 昨日は失恋とも呼べる出来事があったのだから無理も無い。

 無理も無い、のだが……。

「悲しいのに、そんなに悲しさを感じない。私はどうしてしまったのかしら」

 初めての恋と呼べる物であったと思う。

 彼の真摯的な言葉に踊らされていただけなのかもしれないが、それでも確かにそこにはときめきがあった。

 だというのに。

「もっと、ふさぎ込むかと思っていたのに」

 自分の性格は熟知している。

 決して暗い方では無いが、振られて……否、浮気が発覚して関係が崩れてもすぐに普段通りで居られるほど自身の精神が強いとは思っていない。

 ぎゅっとノートを握りしめる。

 思えば、今日は手作りお菓子のバスケットを持ち歩いていない。

 彼、ギーシュに口説かれた日から毎日作っては持ち歩いていたせいか、今日は体が軽い。

 その軽さが、自分の今の気持ちをわからなくして、悩ませる。

 少女、ケティ・ド・ラ・ロッタはそんなモヤモヤした状態のまま昨日からずっと過ごしていた。

 友人に相談しようかとも迷ったが、結局止めた。

 そんな話をしても友人達の話の肴になってしまうのは目に見えている。

 そうしてもう一度溜息を吐き、ふと気付くと先の通路を曲がる見覚えのある背中があった。

「……あれは」

 いつの日か垣間見た真面目な表情。

 何を考え、何を見ていたのかはわからない。

 それでも、今のこの燻るような理由のわからない気持ちをどうにかしたくて、つい急ぎ足で“あの人”の背中を追い……足を止めた。

 声が聞こえたのだ。

 それは聞き覚えのある声で。

 ケティは曲がり角を曲がらず、覗くようにして通路の先を見る。

 そこには、やはりというかケティの混迷最大の要因、

「ギーシュ、さま……?」

 金髪の美少年、ギーシュ・ド・グラモンが彼の人の前に立っていた。



[13978] 第二十四話【貴族】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:15
第二十四話【貴族】


 嫌な奴に会った。

 ヴィリエはこの時、この状況をその程度にしか考えなかった。

「やぁ、ヴィリエ」

 だから、この貼り付けたような笑みの相手に憤慨をぶつける。

「……ふん、気安く話しかけないでくれないか」

 さっきの授業後といい、どうしてこうもこいつは空気が読めないのだろうか。

「相変わらずだね、君は。まぁ数十分やそこらで人は変われないものだけど」

「そんなの当たり前だろう?」

 何が言いたいのだ、こいつは。

「当たり前、か。そういえば今まで講義を休まないのが当たり前だったルイズが今日は講義を休んだね。珍しいこともあるもんだ。今日は韻竜の涙でも降るかも知れないね」

 ルイズ?

 今一番聞きたくない名前だ。

「どうでもいいさ、そんなこと」

「へぇ、そうかい?」

 ……なんだ?

 やけに絡んでくるな。

 まさか次のギーシュの狙いがルイズなのか? それとも……今朝の件を嗅ぎ回ってるのか?

 自然、ヴィリエの口端に笑みが零れる。

「どうした? 随分とルイズの話に食いつくじゃないか」

「まぁ、サイトの主人、だからね」

 ギーシュは肩を竦めるようにして言う。

「サイト? ああ、あの平民か」

 ヴェストリの広場での決闘を思い出してヴィリエは煮え湯を飲んだような表情になる。

 全く、ルイズといい平民の使い魔といいもっと身の程を弁えろというのだ。

「ああ、貴族である君に勝ったあの平民さ」

「……なんだって? 僕は負けてないと言ったろう!?」

 どうしてこう、こいつは僕の苛立つことばかり言うんだ。

「いや、いい加減認めるべきだよ、君はサイトにもルイズにも負けているんだ」

「ふざけるな!!」

「ふざけてなんかいないさ、現に君は決闘で剣を持った彼に手も足も出なかったじゃないか」

「あれはお前が剣に何かしたからだろう!?」

「まだそんなことを言ってるのかい?」

 やれやれ、とギーシュは呆れたように手を振った。

「いい加減にしろ!! 僕はラインメイジの貴族だぞ? ゼロのルイズや平民なんかに負けるわけ無いだろう!!」

 ヴィリエは憤慨し、ギーシュを睨み付ける。

「話にならないな、全く」

 ギーシュの呆れ声にヴィリエは不愉快だとばかりに背を向け何処かに行こうとし、そんな彼の背に向かってギーシュが小さく言葉を漏らす。

「あ、そうそう、今朝何かあったのか、僕がルイズを尋ねたら彼女は随分とボロボロだったんだ。どうしてだろうね?」

「興味無いね、ゼロらしく何処かで転んだんじゃ無いのか? “裂けたスカート”のまま人目につくような無様はしないで欲しいところだね」

 ヴィリエはそう吐き捨て、これ以上話すことは無いとその場を離れようとして……肩を掴まれた。

「何をする? 離せ!!」

 ヴィリエは肩を無理矢理引っ張るがギーシュは離さない。

「今君はルイズのスカートについて言及したね? それはつまり、君はルイズのスカートが裂けているという事を知ってたということだ」

「っ!!」

 ヴィリエは息を呑む。

 つい、口が滑ってしまった。

「信じたくは無いが君は本当にルイズやサイトに手を出したんだね、それもまた卑怯な手を使って」

「お、お前には関係ない!!」

 ヴィリエは焦りから勢いをつけてギーシュから飛びのき杖を構える。

「む!?」

 ギーシュもそれに身構えようとして、



「止めて!!」



 一人の少女が乱入してきた。




***




 ケティ・ド・ラ・ロッタは我慢できなかった。

 ちゃんと声は聞こえていないが、どうもギーシュがヴィリエを責めるような物言いを感じる。

 昨日の事もあってか、あまりギーシュに良いものを感じなくなったケティは、以前から正体不明の感情を持つヴィリエに内心で味方していた。

 じっと隠れながら二人を見つめていると、二人は段々と険悪になっていき、とうとうヴィリエは怒ってギーシュに背を向けてしまった。

 しかしギーシュはそんなヴィリエに対し肩を掴む。

 ケティからはそういうふうに見えていた。

 怒ったヴィリエに対してギーシュがさらに茶々を入れようとしているのではないか。

 どうにもそれが許せなくて、ケティは飛び出した。

 飛び出してしまった。

「ケティ!?」

 驚くギーシュ。

 これで私はこの人を護れたと思い、一種の自己満足にも似た感情を抱きながら横目でヴィリエの方を見ると、そこには彼女の知らない顔を見せるヴィリエが杖を振っていた。




***




 ギーシュは考えるよりも先に腕が伸びた。

 クンッと力一杯腕を引いて相手を引き寄せる。

 マントの裂ける音と同時に左足に痛みを感じた。

 やはり、ラインなだけあってヴィリエの魔法は確かに強力だった。

「ヴィリエ……!!」

 踏ん張って転びそうになる体勢を立て直す。

 正直左足が痛いが、そうも言っていられない。

 腕の中には、何が起きたのかわからないというような表情の少女がいるのだから。

 背伸びをしてここは踏ん張る。

「君は今何をしたかわかっているのか……?」

 ギーシュは出来るだけ表情には出ないように、しかしその二枚目の顔には汗を大量に貼り付けてヴィリエを睨みつける。

「ふ、ふん、その女が急に出てくるのが悪いんじゃないか。それに元はといえばお前が僕の肩を掴むからだ」

 ヴィリエはそうギーシュに責任を擦り付けるような物言いをするが、流石に顔には覇気が無い。

 まさかこんなことになるとは思っていなかったのだ。

 おまけに今回はちゃんと貴族の証人がいるから言い逃れも出来ないかもしれない。

 使ったのは細かいたくさんの風の刃、エア・カッターの応用だった。

 状態を見る限り重傷では無さそうだが、それでもヴィリエは心を乱した。

「そうか」

 だが、ヴィリエの内心の焦りとは裏腹に、ギーシュは急に冷静になったかと思うと、低い声を絞り出した。

「君には言っておいたね、“また君が貴族の誇りを汚すようなことがあったらその限りじゃない”と」

 ギーシュが赤い薔薇を振ると、そこにはスッと人間の女性が甲冑を着たような青銅の騎士、ワルキューレが現れる。

 もう一振りすると同時に二体がヴィリエの背後に現れ、計三体のワルキューレにヴィリエは囲まれた。

「な、何だよっ!!」

 ヴィリエは杖を振ろうとして……腕をワルキューレに掴まれた。

 これでは杖が振れない。

「なっ!? 卑怯だぞ!! 離せ!! 魔法で勝負しろ!!」

「魔法で勝負、しているじゃないか」

 魔法で勝負、ということならこれはもう勝負がついている。

 ギーシュの魔法、“錬金”によって生み出されたワルキューレがヴィリエの魔法行使を阻止した。

 それで終わり。

 勝敗は明らかだった。

「ワルキューレ」

 ギーシュが声をかけるとワルキューレはヴィリエの腕を掴む力を強くし始める。

「う、うぁあああ……!!」

 あまりの痛みにヴィリエは杖を持っていられず、コトンと杖を落とした。

「本当なら、このままワルキューレに君を殴らせるところだけど」

 ギーシュは、チラリと怯えたままのケティを見て、ふぅと息を吐き、

「レディの目の前でこんなことをするのは僕の貴族としての矜持が許さないからね。今日はこれくらいにしておくよ」

 その声と同時にヴィリエの腕を掴んでいたワルキューレが消える。

 バタッとその場に座り込むヴィリエ。

 そんなヴィリエにギーシュは、

「けど、次何かあったら……その時は君の杖を折るよ」

 顔も向けずにそう投げかけ、ケティを連れてその場を後にした。

「……畜、生……っ!!」

 悔しそうなヴィリエの声だけが、その場に小さく響いた。




***




 どうして?

 ケティはそんな疑問で一杯だった。

 今回、明らかに自分はギーシュに護られた。

 あの人が理解できない。

 自分の事は遊びでは無かったのか。

 けど、あのたくましく優しい声からはとてもそんなものを感じることは出来なかった。

 ギーシュの真意が、本心が知りたい。

 ケティはそう思うようになっていた。

 本人に聞いてもはぐらかされてしまうだろうし、一緒にいたミス・モンモランシーでは駄目だと本能が訴える。

 では……と考えた時、一人心当たりのある人物に行き当たった。

 (そうだ、あの人なら……!!)

 街でギーシュと一緒にいた平民の男の子。

 確か上級生の使い魔。

 (あの人はギーシュ様と仲が良さそうだったから何か知っているかもしれない)

 ケティはそう思いつくと、これは名案だと思い、今度その時の平民にギーシュのことを尋ねる事を決意した。

 (そうだ、お礼にクッキーでも持っていけば印象もいいかな)

 そんなケティの今後の予定が、とある少女の逆鱗に触れるとは、この時は思わない。




***




「サイト……ふふふ」

 サイトとこうしてすでに一時間。

 サイトはいつの間にか眠ってしまっていた。

 ルイズはサイトを横に倒すと、自身の膝に頭を乗せてあげる。

 そのままサイトの頭を優しく撫でながら、

「やっぱり眠ったわね、可愛いわ、サイト」

 妖美な笑みを浮かべてサイトを見つめる。

 ルイズにはわかっていた。

 こうしていれば、いずれ緊張したサイトが眠ってしまうであろうことを。

 だが眠ったなら眠ったでサイトは離れずに傍にいるのだ。

 特に文句は無い。

 だからこそ、“眠ってもらった”のだ。

 サイトの腕を取り、サイトの手首に出来た赤い傷跡を眺めて……ペロリと舐める。

 すでに傷口はふさがっているのだろうがそれでも。

 ルイズにとってサイトが傷つくのは我慢のならないことだった。

 ルイズはサイトの頭を撫でる手の優しさはそのままに、しかしガラリと雰囲気の変わった声で、

「それで、デルフリンガー……?」

 壁に立てかけられている剣に話しかける。

 サイトに眠ってもらった理由のもう一つが、これだった。

『ま、待て娘っ子!! 落ち着け!!』

 カチカチと音を立てて慌てた声を出すデルフリンガー。

「問答は無用よ、あまりうるさくするとサイトが起きると前にも言ったでしょう?」

 だがルイズの静かな声が逆に威圧的にデルフを突き刺し、剣ながらにしてその研ぎ澄まされた鋭さにビクリと震える。

「だいたい、貴方は何をしてたの? ヴィリエには捕まるわ、サイトに傷を負わせるわ、ギリギリまで覚醒しないわ、これがどういうことかわかってるの? 貴方」

『い、いや俺ももう“随分と永いこと生きてる”から物忘れが……』

「……それが言い訳? それとも最後の言葉?」

 駄目だった無駄だった絶望だった。

 今のルイズには、サイトを護れなかったデルフを許容するほどの余裕は無い。

 じゃあ、今じゃなければあるのかと聞かれると、恐らくそんな時はいつまで経っても来ないのだが。

『ま、待て、待ってくれ!! “アレ”はもう勘弁してくれ!! 俺が悪かった!! もうちょっとちゃんとするから!!』

 こうなってはもはや無理だと悟ったデルフリンガーはがむしゃらになって懇願するが、



「O・SHI・O・KI・よ」



 無常にもその願いが聞き入れられる事は無い。

 優しいサイトの頭を撫でる手つきとは裏腹に、人を呪い殺せるのではないかというほどの声でルイズはデルフに死刑執行を告げる。



『か、勘弁してくれぇぇぇぇぇぇ!!』



 デルフのむせび泣くような声が、静かに部屋に木霊した。




***




 廊下で二人の男女の背を見る少女が一人。

 手に持っているお気に入りの香水にわざわざラッピングまでした袋を強く握り締める。

「……ギーシュ……ッ!!」

 縦に長い金髪ロールがしなやかに揺れた。



[13978] 第二十五話【髪梳】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:16
第二十五話【髪梳】


「うむ、用件は理解した」

 真っ白な長い髪を伸ばし、これまた長い白髭を生やした老魔法使いであるトリステイン魔法学院の学院長オスマンは、国の特使として来たメイジに返事を返した。

「御理解が早く助かりますよ、学院長」

「何を言うておる、理解を求めるのではなく言うことを聞かせに来たのじゃろう?」

「おや、まだその達者な口は健在、ですかな“ミスタ・オスマン”」

 オスマンの前にいる男は、目上であるオスマンに対し、まるで引くと言うことを知らない。

 余程自分の腕に自信があるのか身分の為か、男は自信たっぷりに胸を張ってオスマンがサインした書状を手に取る。

「まぁ、今日はこの伝令役と“学院の視察”のみですから気にしないでください、それでは」

 クルリと細く丸まった髭を生やし、赤いスーツに白く丸い襟巻きをした男は頭を一つ下げると軽い足取りでオスマンに背を向ける。

 バタンと扉が閉まり、学院長室にはオスマン一人……否、

「………………」

「おお、モートソグニル」

 白い鼠とオスマンの一人と一匹になる。

 オスマンは自身の使い魔である白鼠のモートソグニルの頭を優しく撫でると、袖からナッツを取り出し食べさせ、

「モット伯、か。また厄介事が増えなければいいのじゃが……」

 遠い目をしながら扉の先を見つめる。

 あのモット伯という男は、度々学院に王宮からの連絡を届けては“何かしら”をやっていく。

 ただでさえこれから“大きな案件”を持たなければならない時に、それは勘弁願いたい。

 尚、その願望はもう少ししたら戻ってくるモット伯によってあっけなく崩されることになるが、それを今のオスマンが知る由は無い。

 手元には、最近巷を賑わせている怪盗“土くれのフーケ”への警戒と、数日後に開催される今年の二年生が新たに呼び出した使い魔のお披露目品評会の日程の書類が散らばっていた。

 オスマンはそれらに目を落とし、重そうに息を吐く。

 魔法学院の学院長には多大な責務が付きまとう。

 なまじ優秀なメイジを教諭として集めているだけに、防備という点での安全性を買われて国の宝物をも預かり、各国有数の貴族が在学しているのだ。

 何か起きた時、問題を背負うのは学院長。

 オスマンとて齢を重ねていてもそれだけの重圧を軽々しく背負うことは難しい。

 しかし、事が国の命令であるならば、大抵の事は受け入れなければならないのも世の常である。

 今回の大きな案件、事は国そのものと言って良いほどに大きなことなのだ。

 オスマンは頭を抱え、

「今日は教師連中集めて会議じゃのう……はぁ……この年になると夜ははよう眠りたいわい」

 そう一人ごちた。

 普段ならのほほんと執務をこなすか、“遠見の魔法”で学院を見て回るかはたまた散歩か、重圧から逃れる為にするリフレッシュを今日はお客が来たために出来なかった。

 その為、それがオスマンの心労とストレスを増大させ、彼の鋭敏な感覚と冷静さを緩ませ、普段なら気付くであろう事にも気付かない。

 授業時間中の為、誰もいない筈の広場の方で魔法の行使があったことに。

 そして、いつもなら何かとうるさく言ってくる秘書が、姿を消していることに。

 それ故かの少年は公式に罰せられることなく、また、秘書の行動を知る者もいない。

 こうして、歯車がまた一つカチリと音無き音を立てて当て嵌る。




***




「んなこと言ったって……!!」

「お願い、私そうしてもらわないともう我慢できない!!」

 サイトは困っていた。

 非常に、かつこの上ない程困っていた。

 時間は数分前に遡る。




***




 目が覚めて最初に見たのは、うつらうつらと頭を上下させるルイズだった。

 それも真正面。

 どうやら自分は膝枕されていたらしい。

 恐らく、ルイズは眠った自分を気遣って膝枕してくれていたのだろうとアタリを付けながら体を起こすと、

「……っと」

 ルイズが横に倒れそうになり、それを慌てて受け止める。

「……スゥ……スゥ……」

 どうやらルイズも眠ってしまっていたようだ。

 ルイズの隣に座って、当初の体勢でルイズを支える。

 起こすのは可哀想だし、男が膝枕しても、との考えからだ。

 何故かこの時、ルイズ一人をベッドで横にさせるという考えは起きなかった。

 もしかしたら、こうやって無防備に眠っているルイズの体温を、もう少し感じていたかったからなのかもしれない。

 隣を見れば、小さい寝息を立てていい匂いを漂わせながら眠るルイズ。

 いつもの可愛らしい光り輝く瞳は閉じられ、頬は柔らかそうに薄く髪色に染まっている。

 長い桃色の髪が寝息の小さな振動ごとに細かく動き、その絹のように柔らかい髪質をサイトに感じさせる。

「柔らかい、なぁ」

 サイトはそう小さく漏らすと、何気なく、本当に何気なくルイズの髪を指で梳いた。

 サラリと指から零れるように流れる髪はしなやかで、美しいと感じさせる神々しさをも含んでいる。

「……すっげぇ」

 感心したようにサイトがもう一度指で髪を梳いた時、

「……ん……ぅん……?」

 ルイズが薄く瞼を開いた。

「あ、起こしちまった?」

「う……サイト? もう起きてたの?」

 慌てるサイトだが、ルイズは全く気にした様子も無く、むしろ目が覚めて彼の顔が至近距離にあった事に至福すら感じていた。

 (サイトが近い……ううん、もっと近くても良い……ん?)

 ルイズがぼんやりする思考でサイトとの距離を把握していると、髪に素晴らしい感触を感じた。

 ゾクゾクゾクッ!!

 ああ、今日は何という良い日なのだろうか!!

「サ、サイト……? え、髪……?」

「え? あ、ああ…わりぃ!!」

 サイトはルイズが目を覚ました事に気を取られ、手を動かすのを忘れていた。

 必然的にルイズの髪の中に取り残されたサイトの指は、ようやく機能を思い出したかのようにサラリと髪をすり抜け、引き抜かれる。

「!! あ、ダメ!!」

 だが、それにルイズは不満を漏らした。

「?」

 中に手を浮かせたままサイトは首を傾げる。

 恐らく不快だろうと指を引き抜いたはいいが、どうにもルイズは先ほどとは一転して不満顔……というより悲しげな顔だ。

「な、何だ……?」

「ちょっ……!? 何で抜くの? 今のもう一回やって!!」

 ルイズが半泣きになりながらサイトの胸ぐらを弱々しく掴んで懇願する。

「……はい?」

 サイトはルイズの勢いに気圧されながら焦り出す。

 近い、とにかく顔が近い、体も近い、っていうか全体が近い。

「ねぇ、ねぇってば、お願い!!」

「んなこと言ったって……!!」

「お願い、私そうしてもらわないともう我慢できない!!」

 かくして、サイトは何度目かの悩める少年へとなったのである。

 だがそうして問答を続けるうち、サイトは段々近づくルイズに鬼気迫る物を感じ始め、

「わ、わかった、わかったから!!」

 渋々と了承の言葉を出す。

「ホント!? やった!!」

 ルイズは一転して笑顔になると、じっと正面に座ったままニコニコしながら今か今かと待っている。

 心なしか、

 (は・や・く・♪・は・や・く・♪)

 といようなルイズの心の声が聞こえて来そうだ。

 普段、サイトから見て何処か“大人っぽく見える”ルイズだが、やはり年相応の女の子。

 サイトはやれやれと内心息づくと、何が楽しみなんだろうと不思議に思いながら、

「じゃああっち向いてくれ」

 自分の顔を見続けるルイズに自分の顔とは反対側、部屋の扉側を見るようにお願いする。

「……むぅ」

 その言葉に少しルイズは不満そうになる。

 髪は触ってもらいたいがサイトの顔も見ていたい。

 が、今回は新しい感覚を得る方に天秤が傾いた。

 ルイズはぱっと扉の方に回れ右してベッドに座り直す。

 サイトはそれに苦笑しながら、

「よっと」

 ルイズを文字通り『持ち上げる』と自身の膝へと座らせる。

 今までの経験から、これぐらいでは別に怒らないだろうと思ったのだ。

 それに真後ろの方からのほうがやりやすいし、恥ずかしくない。

「●×▲■!?」

 しかし当のルイズ本人と言えば、ビクビクビクッと体を震わせ、次いで脱力したように体が倒れかかる。

「お、おい?」

 サイトは心配そうに尋ねるが、如何せん位置が悪かった。

 ルイズが倒れそうだったから自分に引き寄せるようにして引っ張り、さらに声をかける。

 そのような事をすれば当然ルイズはサイトの声を至近距離、耳にいつもより近い所で聞くことになる。

「はふぅぅぅ……!!」

 ルイズは大きく息を吐いて、あまりに自身を駆けめぐる幸福感を外においやってしまった。

 そうしてしまってから、何てMOTTAINAIことをしたと後悔する間も無く、

 サラリ。

 その感触はやってきた。

「!!」

「こ、こんなんでいいのか?」

 転びそうになったルイズの体勢が戻ったと思ったサイトは、ルイズの望みそのままに指でその髪を梳いていた。

「あ、あ、い、いい……」

 ルイズはそう言うのがやっとだった。
 
 何年、サイトの感触を待っただろう?

 何十年、サイトの触感に恋い焦がれただろう?

 今、そのサイト本人の指が、文字通り髪の毛の先まで感じられるというこの充足感。

 今朝足りないと感じたサイト分も、この為の伏線だったと思えば釣りが来る。

 いや、実際問題余ったら余っただけ貯蓄するのでお釣りが出るなどという概念は無いのだが。

 そもそもサイト分はいくら貯蓄しようと、無くなる時は数秒で無くなってしまうのだ。

 そんなお釣りなんてMOTTAINAI。

 ……閑話休題。

 そうしてルイズは、またも幸せの絶頂にいた。

「ルイズの髪、柔らかくて気持ちいいよな」

 また、耳元で発せられるサイトの声がルイズにとってこの上ないメロディとなる。

 たとえ宮廷音楽家の最高のメロディだろうと、サイトの声には足下にも及ばない。

 いや、比べるだけでもおこがましい。

「きっと良いシャンプー使ってるんだろうなぁ」

「何言ってるの?同じ奴使ってるじゃない」

「え? あ、そういやそうか」

 サイトは自身の風呂状況を鑑み直し、ルイズの弁に納得する。

「さて、こんなもんで良いか?」

 サイトが手を止め、サラリと流れる髪から指を引き抜く。

「え……あ、もうちょっと」

「おいおい、もうだいぶ遅い時間だぞ? 飯食いに行こうぜ? よく考えたら俺朝飯も昼飯も食べて無いし」

「……そうね、わかったわ」

 ルイズはサイトのお腹事情を察して腰を上げる。

 本当はもっとしていてもらいたかった。

 ルイズにとってサイトは食事をするよりも大切な事なのだ。

 その証拠に彼女は“以前”、ほとんど食事を摂らなくなった実績がある。

 だが、それ以上に今彼女はサイトの頼みを優先したいのだ。

 (明日から、朝の髪の手入れはサイトに素手でやってもらおうかしら)

 だからそんな事を考えつつ、ルイズはサイト共に部屋を後に……、

「?」

 扉が少し開いている。

 もしかしたら閉め忘れていたのかもしれない。

 いや、確かに閉めた気はする。

「ルイズー?」

 サイトの自身を呼ぶ声にルイズはぱっとサイトの方に意識を向け直す。

「どうかしたのか?」

「ううん、何でも無い。さ、行こう」

 扉の事はまぁいいや、とルイズは思いながら二人で部屋を後にした。



[13978] 第二十六話【輪廻】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:17
第二十六話【輪廻】


 少女は、悩ましげな表情で歩いていた。

 (最近サイトさんに会っていない)

 その少女はメイドだった。

 少女はメイドの身でありながら、給仕以外の事を考える。

 それは特別糾弾されるような事では無く、むしろ普通の事と言っても良い。

 だが、その考えの奥にある気持ちが強くなりつつあるのには若干の問題を孕んでいた。

 (もっとサイトさんと親しくなりたい)

 ここ最近、会っても簡単な挨拶を交わす程度。

 それにいつも彼の傍には主である“彼女”がいる。

 どうにも彼女には、“先の一件”以来少し敵視されているような気がするので、“誤解”を解いておきたい。

 自分は“サイトと仲良くなりたいだけ”なのだから。

 トリステイン魔法学院所属メイド、シエスタはその黒い髪と瞳を揺らしてそう思っていた。

 だが、日々を重ねる事に彼女の思考は焦りを感じ始めていた。

 何せ、サイトと話す機会が無いのだ。

 このままではいつまで経ってもサイトとの距離を詰められない。

 焦躁は彼女の心を逸らせ、彼女に足を突き動かさせる。

 普段の彼女なら、そんなことは無かっただろう。

 だが、彼女にもわからない何かが早く仲良くなりたいと、この空いた時間に彼のいるであろう部屋へと足を急かす。

 そうして着いたルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢の部屋の前。

 彼の人は彼女の使い魔である以上、ここにいる筈だ。

 そう思って自分の内から沸き立つように出て来る要望に添って部屋をノックしようとした時、中から声が聞こえた。


『こ、こんなんでいいのか?』


 それは親しくなりたかった少年の声。

 シエスタは中の様子が気になって、いけない事だと知りつつも部屋の戸を小さく開けた。

 メイドをやるようになって、音を立てずに戸を開ける技術はだいぶ身に付いたのだ。

 中では、驚くべき事に少年が貴族である主人の髪を撫でていた。

 どういう状況なのかはわからない。


『ルイズの髪、柔らかくて気持ちいいよな』


 しかし、一つ彼女にとって重要な言葉があった。

 (サイトさんは髪が柔らかい女性が好み……?)

 シエスタに衝撃が奔る。

 シエスタとて女の子。

 髪の手入れには気を使っているし、自信は少々あるのだ。

 しかし比較相手が貴族となればそれはどうなるかわからない。

「こうしちゃいられない……!!」

 シエスタは駆けだした。

 サイトの使用シャンプーの話を聞くことなく、自身の髪の手入れの為に。

 それからルイズ達が部屋を出たのは、僅か数分後の事だった。




***




「おや、今の娘は……」

 学院長室で話を終え、“視察”がてら学院内を歩いていたモット伯は自身の横を通り過ぎる黒い髪のメイドに目を奪われた。

「ふむ……」

 密かな自慢の自身の髭をなぞり、息を小さく吐く。

「悪くない素材だ」

 そう呟くと、モット泊は気分を良くしてさらに歩を進め……目を見開いた。

 向こうから長い桃色の髪の少女が少年と歩いてくる。

 少女は服装からしてここの生徒、つまりはメイジであり貴族だろう。

 少女はモット伯になど目もくれず、少年と楽しそうに話しながら通り過ぎていく。

 未だ未発達ながらスラリとした細い足。

 未発達故の小柄さ。

 そして何よりあの愛らしさ。

「彼女が生徒、貴族で無ければ……残念だ、ああしかし……うぬぅ……」

 モット伯は、すれ違った少女の事が頭から離れない。

「ああ、なんと罪作りな娘なのだ、あの小さく細い足、小柄な体……そうだ、名前を調べねばなるまい、どこぞの弱小貴族であればあるいは……!!」

 モット伯は息を荒くして足早に学院長室へと戻り始める。

「そういえば先程少年と歩いていたな、よもやボーイフレンドということでもあるまいが……」

 自分の気に入った少女が他の男といるのが少々、いやかなり気に入らない。

 だいたい、服装からして平民のようだった。

「ふむぅ……!!」

 モット伯は、合わせてその少年のことも調べ、必要であれば何かしらの事をしようと決意した。

 鼻息を荒くする王宮からの使いであるモット伯、もとい幼女趣味オヤヂ、もといロリコンのこの行動が、後に彼の地位の失脚に繋がるとは、この時は思わない。




***




 コンコン。

 部屋をノックする女性が一人。

「………………」

 しかし反応は返って来ない。

「……あれ? いないのでしょうか」

 手には藁で編まれたバスケットを持ち、中々に良い匂いを漂わせている。

「思い立ったが吉日と来てみましたけれど、少々間が悪かったのかしら? 使い魔さんいらっしゃらないみたい」

 ブラウンのマントを付けた少女は、尋ね人がいなかった事に心持ち残念がりながら足を別な場所へと向ける。

「えっと、今の時間でしたら……食堂かしら?」

 バスケットを持った少女、ケティ・ド・ラ・ロッタは軽い足取りでアルヴィーズの食堂へと足を向けた。




***




 僕が一体何をしたというのだろうか。

「えっと、モンモランシー?」

「……何よ?」

 これだ。

 目の前に座っている癖に冷たい視線と怒ったような声色。

 ギーシュは冷や汗を垂らしていた。

 最初こそ、嫌われていたと思っていたモンモランシーがその長く美しい金砂の髪を揺らして近づいて来ることに喜びを感じたのだが。

「そ、その、食べないのかい?」

「ええ」

「えっと、僕に何か用があるのかい?」

「ええ」

「き、昨日の事をまだ怒っているのかい? あれなら勘違いだと何度も説明したじゃないか」

 そうだ、何度も説明して果ては土下座までして許しを請い、合わせて昨日買って上げた服がとても似合っていると言ったら、だいぶ機嫌は治っていた筈なのだ。

 その証拠に今日はお気に入りの香水を分けてくれるという話だったし……あ、でもまだもらってないな、そういえば。

「いいえ、昨日のことでは無いわ」

 だがモンモランシーは冷たい声色そのままにギーシュにも冷たい視線を送る。

「そ、そうなのかい? でも怒っているように見えるんだけど」

「そう見えるなら、何か心にやましい事でもあるんじゃないの、ギーシュ」

 駄目だ。

 何か話題を変えないと。

「そ、そうだ、昨日君が言ってくれた香水、楽しみにしていたんだけど」

「ああ、アレ? はい」

 モンモランシーはおざなりにゴトンとギーシュの前に包みを置いた。

 綺麗にラッピング……してあったのだろうが、どうにもぐしゃぐしゃになっている感は拭えない。

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして」

 おかしい。

 絶対何かおかしい。

「モンモランシー? 僕には君が怒っているように見えるんだけど」

「また? そんなに心に後ろめたいことでもあるの?」

「い、いやそんなものは無いよ」

「どうだか。今日だってあの一年生とイチャイチャしてたじゃない」

「ケティとかい? いや、僕はそんなことはしていないよ」

 ギーシュは突然のモンモランシーの言い分に首を傾げた。

 モンモランシーの言い分に全く心辺りは無い。

「ふぅん、じゃあさっき廊下で肩を抱きながら歩いていたのは何?」

「廊下で? ああ、あれかい? あれはヴィリエから護ったんだ」

「ヴィリエから護った?」

「うん、今朝授業にルイズとサイトが来なかっただろう?気になって部屋まで行ったらどうもヴィリエに仕組まれたらしんだ」

「ヴィリエは授業に居たわよ?」

「どうやったかは僕にもよくわからない。ただルイズによると本来スクウェアスペルである風のユビキタス、それを行使していたらしい」

「ヴィリエが? まっさか」

「まぁ真実はともかく、確かに二人はヴィリエにやられたらしくてね、僕はそれを確認しにヴィリエのところへ行ったんだ。話をしているうちに、本当にヴィリエがやったんだということがわかったよ」

「まぁ、貴方口だけは上手いものね」

「う……ま、まぁそんなわけでヴィリエは僕にバレたと思うが早いか魔法をぶつけようとしてきた。そこに偶然ケティが現れてしまったんだ」

「ふぅん、で後はやむなく護ってあげて、震える下級生を部屋まで送り届けたというわけね?」

「そうだよモンモランシー、流石に君は理解が早いね」

「ふ、ふん!! べ、別に気にしてたわけじゃないんだからいいんだけど」

 何処かモンモランシーの空気が柔らかくなった。

 どうやら勘違いから機嫌が悪かったようだとギーシュは気付き、ほっと一安心する。

「この香水、大事に使わせてもらうよ」

 ギーシュのその言葉に、モンモランシーは少し申し訳なさそうな声を出した。

「ご、ごめんなさいギーシュ、それ……」

 モンモランシーは見た目が少し悪くなっているのを気にしているのだろう。

 だがそこは気障のギーシュ。

 席を立って離れ際に、

「フフ、君の気持ちがしっかりと伝わってくるようだよ」

 一言で場を綺麗にまとめてその場を去る。

 あるいは、彼のこの土壇場の口の上手さが、彼のその性格を勘違いさせてしまうのかもしれない。

 今の彼は、素でこの台詞を言ったのだ。

 決して狙ったわけでは無い。

 しかしそんな台詞に限って、



「……ギーシュ」



 効果は抜群なのだった。




***




 ギーシュが食堂から出るのと入れ違うようにして、

「いないなぁ、使い魔さん」

 ケティは食堂を探していた。

 探し人はここだろうとアタリをつけたが見当たらない。

 そう辺りを見回していると、

 ドンッ!!

「きゃっ!?」

 背中に誰かがぶつかってきた。

「っと、ごめんなさい」

 それは……、

「……ミス・ロングビル?」

 いつもの長いグリーンの髪の毛を纏めずにいる学院長の秘書だった。

「あら? 貴方はたしかロッタ家の……っと、ごめんなさい、会議で時間が無いの。失礼するわ」

 ケティは首を傾げる。

 あんなに慌ててどうしたというのだろうか。

 食堂にもいなかったようだし、これから会議という事は殆ど食事も出来ないのではないだろうか。

 そこまで考えて、今は思考を切り替えた。

 考えるべき、探すべきは平民の使い魔さんなのだ。

「やっぱり、いないなぁ」

 辺りを見回して食堂には二人がいないことを確認すると、ケティはヨロヨロと食堂を後にして別の場所へと探しに向かう。

 が、学院内を探しているうちに消灯時間になってしまい、ケティは結局この日に話を聞くことが出来ないのだった。




***




 一人の女性が歩きながら虚空を見据えている。

 (あれは……開けられない)

 頭の中では緻密で綿密に。

 (なら……物理的にやるしかない)

 しかし予定行動は大胆に。

 (決行日は……)

 長いグリーンの髪を纏めながら歩く女性は、ふっと口端を吊り上げる。

「……フフフ、あの日が丁度良いね」

 一瞬、今までとは全く異なる“素”の声でそう言うと、慌てて口を押さえ、しかし歪んだ表情は隠し切れないまま、廊下の奥へと姿を消した。




 また一つ、歯車が回りだす。



[13978] 第二十七話【夢幻】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:17
第二十七話【夢幻】


 夢を見ている。

 それはかつての記憶かもしれないし、起こりえた歴史なのかもしれない。

 大きな池の小舟の上。

 そこで自分は泣いている。

 声を殺して泣き、隠れながらに見つけて欲しいと相反した気持ちの理解者を切に願う。



「やぁ、僕のルイ       」



 ぱちりと目が覚めた。

 いや、根性で無理矢理目を覚ました。

 不快な気分で酷く気持ち悪い。

 危なく名前を呼ばれる所だった。

 自分は“あの男”の物では無いのだ。

 自分は今ここにいる少年の為に存在する。

 そう思って彼の露出した首筋に鼻を近づける。

 スウッと彼の若干汗ばんだ匂いが鼻を通して体中に伝わる。

 これが、生の匂い。

 “固定化”によって保存された作り物のような薄っぺらい匂いではない。

 みるみる胸の裡の不快が消えていく。

 が、足りない。

 今朝は夢見が異常に悪かったせいか少々抑えが効かない。

 そうして、ルイズは自身の長い桃色の髪を一つかき上げると、少年、平賀才人の唇を奪った。




***




 夢を見ている。

 それは自分にとって覚えの無いものだし、心当たりも無い。

 だというのに妙な臨場感。

 リアリティが感じられるその夢に、サイトはいた。

 目の前には巨大な土塊。

 いや塊というよりは人型の……そう人形のようなもの。

 どうしてそんな所にいるのかなんてわからない。

 どうしてそんなことになっているのかなんてわからない。

 だってこれはただの夢なのだから。

 ただ一つ、耳につんざく少女の声だけが、妙に胸をザワザワさせた。

 何を言っているのか、よくわからない。

 何だか息苦しい。

 ああ、きっと自分はもう目覚めるんだ、そうなんとなく夢見心地のまま理解して、




「  が     と言うんじゃない、       者を貴族と言うのよ!!」




 途切れ途切れに、彼女の泣き叫ぶ声が聞こえた。




***




 瞼が開く。

 ああ、今日も目が覚めたんだと理解して違和感。

 夢の途中から少々感じていた息苦しさがまだ残っている。

 と、

「……ーーーー!? ーーーーー!! ーーーーー!!」

 正面にはこちらを覗き込むルイズ。

 だが言葉を発させてはもらえない。

 人間が言葉を音として作り出す器官、口は塞がれている。

 ああ、だから息苦しかったのかと気付いて、意外と自分に余裕がある事実に軽く驚く。

 きっと何度も経験したから耐性が出来たんだな、そんなことを冷静に思っているうちに花畑が見え来て……ってオイ!?

 余裕どころの話では無かった。

 むしろ酸素不足で脳が危険な事になっていたようだ。

「……ーーーー!? ーーーーー!! ーーーーー!!」

 もう一度声なき声を出しながら軽くルイズの背中を叩く。

 ルイズはようやくサイトの状態に気付いたのか、少し名残惜しそうにしながら唇を離した。

「……っはぁ、はぁ……あー、死ぬかと思った」

「えっ? そんなに? 嘘、どうしよう!?」

 サイトの少々おおげさ(でもないが)な感想にルイズは取り乱した。

 この世の終わりだと思わんばかりに青ざめ、涙さえ流しそうな……本当に流し始めた。

 こうなってはサイトとて慌ててしまう。

「!? い、いやごめん、もう大丈夫」

「本当!?」

「ホントホント」

 サイトは内心苦笑しながらもニッと笑う。

 それに安堵したのかルイズはふやけたようにベッド……ではなくサイトに倒れ込む。

「お、おい?」

「良かったぁ……」

 ルイズの心底安心したような声と、泣き顔から一転した笑顔を見ると、どうにも怒る気力が失せてしまう。

 だから代わりに理由を聞くことにした。

「なぁ、なんで今朝はこんなことしたんだ?」

「ごめんなさい、夢見が悪くて……それでサイトに助けて欲しくて」

 夢見が悪いとキスをするのかこの娘は、とは言わない。

 契約一つでキスする娘なのだこの娘は。

 それに助けて欲しいと可愛い女の子に言われてしまってはサイトもそうそう断れない。

 根は熱血なのだ。

 だがそれはおいといて、こんなのが毎朝続くと流石に身が持たない。

 何せ『夜も』あるのだから。

 あの晩以降、ルイズは毎晩おやすみのキス、もとい契約の更新を迫ってくるのだからサイトとしてはたまらない。

 そろそろ理性がマイナスゲージに突入してしまいそうなのだから。

 いや、実は昨夜は少し突入し……閑話休題。

 ルイズが眠っているのを良いことに危なく……閑話休題。

 サイトが何をしようとしたのかはさておき、サイトはルイズのしょぼくれた様な表情を直すために、ポンと頭に手を乗せ、

「恐い夢でも見たのか? だったら普通に起こしてくれな」

 小さい子をあやすように優しく微笑んだ。

「うん……あ、サイト」

「何だ?」

「……おはよう」

 ちなみに、サイトには鼻で息をするという考えは最後まで浮かんでこなかった。




***




 朝の騒動の後、サイトは何故かしばらく素手でルイズの髪を梳く事を命じられ、言われるがままに髪を梳いていた。

 実はサイトは、ルイズの髪に触るが結構好きになっていた。

 今まで女性の髪などそうそう触る機会など無かったのだが、予想もしえない触り心地の良さが少し気に入っていた。

 無論ルイズは、サイトに触られること、それ自体を気に入っていた。

 妙に利害がマッチした二人はそうして朝の身支度を終え、部屋を出ると外では何やら騒がしい。

「? 何かあるのか?」

「えっと、ああ、そうか。きっと姫様がいらしてるのね」

 意味のわからないサイトとは対照的にルイズは現状を理解しているようだった。

「気にしなくてもいいわ、行きましょう」

「え? 見に行かないのか?」

 ルイズの興味なさそうな言葉に、サイトは残念そうに言う。

 こちらの世界に来て目新しいものばかりなのだ。

 どんな不思議イベントなのか野次馬根性が疼いてならない。

「え? 姫様を見たいの?」

 少し、ほんの少し暗い声で、ルイズに聞かれると、

「おう!! 何か面白そうじゃん」

 サイトは無邪気に頷いた。

「そう、じゃあ行きましょうか、でも飽くまで見るだけよ。見る“だけ”」

 ルイズはそんなサイトにしょうがないわね、といった面持ちで、最後の方を強調しながら歩き出した。




***




 ルイズ達が部屋を辞して数分後。

「お菓子を用意してたら少し遅くなってしまいました、さて、朝ですしまだいるといいのですけど」

 若干くたびれているようなブラウンのマントを纏った少女が、ルイズの部屋をノックする。

 が、当然返事は無い。

「あら、また行き違いでしょうか。早くしないとギーシュ様が……」

 少女、ケティ・ド・ラ・ロッタは残念そうに俯く。

 昨日友人から聞いた食堂でのギーシュとモンモランシーの同席の件も気になるし、グズグズはしていられないのだ。

「はぁ、今日こそは会えると思ってましたのに」

 ケティは残念そうに息を吐くと、ポツポツと歩き出した。




***




 学院の門。

 そこに大きな白い馬車が入ってくる。

 行者をしている男、長い羽根帽子を被り、茶の手袋をはめ、二十代後半に差し掛かりとは思えぬ髭を生やした長髪の男性は、やや進むと馬車を止まらせる。

 馬車の前には眠そうな表情を必死に隠す教諭陣の姿。

 昨日は遅くまで、否、今朝まで会議は長引いていたのだ。

 オスマンが一人一歩前に出、次いで馬車の扉が開いた。

 教諭陣は皆跪く。

 馬車からは純白輝くドレス姿の美しい女性が降りて来た。

 ウェーブのかかった紫髪にほっそりとしながらもスタイルを強調させるかのようなボディバランス。

 頭には銀のティアラを付けている。

「うおぉ、すげぇ、あれ誰だ?」

「あれがこの国の王女、アンリエッタ王女よ」

「へぇ、あれが本物のお姫様かぁ」

 その容姿はまさしくボンッキュッボンッの典型であり、名実ともにお姫様と呼ぶに相応しかった。

 サイトは目を輝かせてそんな王女を食い入るように見つめている。

 チクリとルイズは胸が痛んだ。

 あまり、他の女性を見ないで欲しい。

 いや、あまり他の“何か”を見ないで欲しい。

 例えそれが、姫様であっても。

 と、そんなことを思っていると、ルイズは御者の男と目が合った。

「……!!」

 業者の男が小さく、小さく手を振っている。




 ……苛々した。




 今朝の夢といい、どうしてこうもあの男が出てくるのか。

 ああ、今にも耳に夢での言葉の続きが聞こえてきそうだ。

 苛々する。

 ハッキリ言って……、













































───────────消し去りたい。













































「ルイズ?」

 サイトの声に、内からわき出る黒い感情を抑え込む。

「ん、何?」

「いや、何かぼーっとしてるから」

「そう?」

「まぁ大丈夫ならいいんだけどさ」

 サイトの少し心配気な様子に、ルイズは心が洗われるような気分になる。

「姫様って綺麗だったなー」

 が、サイトの台詞にすぐに面白くなくなる。

「そう、ね」

「けど、何か普通の人には手の届かないって感じの人だなー」

「一国の姫君ですもの、トリステイン一美人かもしれないわ」

 ルイズは内心少しふて腐れながらも、本当に思っている事を言う。

 と、

「そっか? ルイズだってそこそこいけると思うぞ」

 おおーなんて言いながら、目の上に手を当てて遠くを見たままのサイトが何気なく零す。

「…………………………………………え?」

 ルイズは、サイトの言葉を理解するのに不覚にも数拍の間を要した。




『ルイズだってそこそこいけると思うぞ』




 姫様は綺麗 → トリステイン一 → ルイズだってそこそこいける = サイトは姫様よりも私が好み?

「フフ……」

 口端がいやがおうにも震える。

「ウフフフフフフフ……」

 ルイズは笑いを堪えきれずに体を震わせ……突如思い出したように青ざめた。

「……忘れてた」

 彼女は自分の迂闊さと歴史、引いてはこの学院の習わし自体を呪う。

 姫様が来ると言うことは、いや例え来なくとも時期的に言ってあるのは使い魔のお披露目品評会。

 そう使い魔のお披露目品評会なのだ。

 使い魔の。

 サイトの。

 大事なサイトの。

 大事なサイトをその他大勢に見せなければならないのだ。

 そうなるとこのお披露目会で、サイトに興味を持つ輩が出て来ないとも限らない。

 それは困る、というか許さない。

 しかしいやがおうにもお披露目会は来る。

 サイトを大勢に見せなければならない。

 それはイヤだ。

 堂々巡りだ。

 ルイズは、サイトを召喚して以来初めて、トリステイン魔法学院の行事を心底呪った。

 そんなルイズの心情を知ってか知らずか、桃色の髪を目端で捉えたアンリエッタ・ド・トリステイン姫は、にこやかに微笑んでいた。



[13978] 第二十八話【怪盗】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:19
第二十八話【怪盗】


 翌日、お披露目会はあっという間にサイト達の番まで来た。

「壇上に上る、挨拶する、帰ってくる、これだけでいいわよ」

「でもよ、本当にそれでいいのかよ?」

 サイトはまだこの世界について詳しくない。

 それがスタンダードなのかわからないが、周りはなにかしら芸らしきものをやっているのだ。

 ここは自分も何かすべきとも思う。

「いいのよ、サイトが目立っちゃったら困るもの」

「?」

 サイトは首を傾げ、つまんないなぁと少し残念そうにする。

 と、ふと思い出したように、

「でも昨夜来たあのお姫様も見てるんだろ?」

「ええ、けど構わないわ。姫様だってお披露目会自体よりも私に逢いに来て下さったようだし」

 昨夜、アンリエッタは史実通りルイズに会いに来た。

 短い会話しかしていないが、ルイズにはアンリエッタの苦悩が伝わってきていた。

 出来れば今度、相談に乗って欲しいことがあると言われ、快諾もした。

 相談に“乗るだけ”ならば構わないのだから。

 だが、それはそれ。

 これはこれである。

 姫様や国の為にサイトを犠牲にするようなことはあってはならない。

 ルイズにとっての天秤はサイトよりも重い物など存在しなかった。

 ルイズはサイトを諭すと壇上へと上り始める。

 サイトも黙って付いていく。

「私の使い魔、ヒラガサイトです」

 壇上に並んで立つと、ルイズはサイトを紹介する。

 サイトは頭を下げるが、

「ぎゃははははは!!!」

「なんだあれ!?」

「使い魔? あれが? さっすがゼロのルイズ~!!」

 予想どおりというか、史実通りにルイズは周りから嘲笑を買った。

「種族は人間、平民です」

 続くルイズの言葉にさらにギャラリーは笑い続ける。

 それを見たルイズは、怒りながらも安堵していた。

 サイトを笑う奴は許せない、しかしこの様子ではサイトに目を付ける奴はいないだろう。

 そうなるならば多少の嘲笑も聞き流そうと言う物だ。

 ルイズは自分を落ち着けると壇上から去ろうとして、

「行くぞ、デル公!!」

 自身の愛する使い魔が剣を抜いたのを見た。

「ちょっ!? サイト!?」

 ダメだ。

 今何らかの活躍をしてはマズイ。

「こんだけ馬鹿にされて黙ってられっか!!」

 だがサイトにも我慢の限界というものがあったらしい。

 正直それはすごく嬉しい。

 頭に“ルイズを”って付けてくれると天にも昇れるほど嬉しい。

 だが今はダメだ。

 今はダメなのだ。

 そう思ってサイトの腕を掴んだ時、



 パチ……パチ……パチ……。



 一人、たった一人でゆっくりと拍手をする人物がいた。

 この場の人間全ての視線がそこに向かう。

 そこは皇族専用席。

 拍手をしているのはトリステインの姫君、アンリエッタ・ド・トリステイン……の隣に座している馬車の御者をしていた男だった。



 パチ……パチ……パチ……。



 見た目よりも若いその男は、ゆっくり、しかし響くような拍手をし、それにつられたようにアンリエッタも微笑みながら拍手をしだした。

 それを見たルイズは猫が毛を逆立てるような眼差しで男を睨み、

「行くぞ、ルイズ」

 何故か怒り気味のサイトに腕を引かれて壇上から退場した。




***




「サイト?」

 サイトが怒っている。

 いや、不機嫌と言うべきか。

「ねぇ、どうかしたの?」

「いや……」

 二人で壇上を降りて裏へ回る。

 大きく迂回しなければ観覧席には戻れないのだ。

「………………」

 だが、今はそんなことよりも。

 黙ったまま不機嫌なサイトが気になって仕方が無い。

 ルイズがサイトの顔を覗き込みながらじっと見つめていると、

「なぁ……昨日ルイズって姫さんが来た時ボーっとしてたよな、それって……あいつが居たからか?」

 サイトがようやく口を開いた。

「あいつ……?」

 しかし、ルイズの問い返す言葉にサイトは、

「……いや、やっぱり何でもない」

 すぐに口を閉ざした。

 ルイズは疑問符を浮かべながらも、それがもしかすると先程拍手をした人物だったのではないかと思い当たり、

「……俺、なんかあいつ嫌いだ」

 サイトの言葉にときめく。

「……ヴィリエ、だっけ。あいつと同じ感じがする」

 ルイズはサイトの言葉に多少驚いた。

 確かに“あの男”はある意味でヴィリエと同じと言えなくも無い。

 いや、似ている、近いというべきか。

 しかし、それを今のサイトが知る由は無い筈だし、方法も無い。

 ふと、サイトの言葉が思い出される。



『俺、風のメイジって、嫌いだ』



 それはヴィリエに広場でやられた後のサイトの言葉。

 もしかするとサイトは、嫌悪する風属性のメイジを第六感的な何かで感じ取れるのかもしれなかった。

 だが、今はそれよりも。

 (ああ……今日はなんて良い日なの)

 ルイズには喜ぶべき事があった。

 サイトが『あいつ嫌い』と言ったのだ。

 サイトが自分以外の物を嫌ったのだ。

 それはつまり、サイトがルイズ以外の物に嫌悪を示しているということ。

 ルイズにとってそれは歓迎すべき事柄だった。

 何故なら、サイトが嫌悪を示す物が増えれば増えるだけサイトは自分を見てくれる時間が増えるからだ。

 だが、同時にルイズはサイトに嫌悪されるのを極端に恐れてもいた。

 その為ルイズは昨日も素直に姫を見に行きたいと言ったサイトに従ったのだ。

 だからそう言った意味でも、ルイズはサイトが自分以外の物を嫌う事を歓迎していた。

 ルイズは、そんな内心のままサイトの手を握り返そうとして……サイトに手を離される。

「!?」

 離された瞬間まるで崖に突き落とされたかのような錯覚が起きるほど慌てふためき……ようやく気付いた。

 目の前には大きな、それはそれは大きな土のゴーレムがいた。

 忘れていたワケでは無い。

 ちょっと失念していただけだ。

 サイトは、ルイズの手を離すが早いか一直線にゴーレムへと駆けだしていた。

「ギーシュ!!」

 ピクリ、とルイズの眉間に皺が寄る。

 ギーシュは転んだのかはたまたやられたのか、大きなゴーレムの足下に文字通り転がっていた。

 (またギーシュ……?)

 今のルイズにとっては、ギーシュの安全や状態よりも、サイトに手を離された現実という方が大きかった。

 意図的では無いにしても、散々サイトを奪われるような真似をされたという思い込みがあったのもそれを後押ししていたのかもしれない。

 ルイズの中でギーシュへの評価が邪魔者にまた一歩、天秤が傾く。

「おい大丈夫か!? 何だこれ!?」

「サイト!! 気をつけろ、こいつは賊だ!!」

 手を取り合いギーシュはサイトに引っ張り起こされる。

 それもまた面白くないが、そんなことよりも。

 今ゴーレムのその豪腕がお邪魔虫ギーシュ……はいいとしてサイトに振り下ろされようとしているのは到底見過ごせる事態ではない。

 ルイズは素早く杖を取り出すと魔法を唱える。

 狙うはその豪腕の付け根。

 爆破、破壊してしまえば本体から離れたその土塊は、魔法の効力から解き放たれただの無害な土塊となるはずだ。

 そう思って振った杖の先で……『ドォォン!!』……爆発したのはゴーレムの横にそびえ立つ塔のほうだった。

「っ!?」

 これにはルイズも驚きを隠せない。

 普段、サイト関連以外ではめったに表情を表に出さない彼女にしては珍しく、驚愕の色を濃く表している。

 確かにちゃんと狙った筈だった。

 練習もしていたし、狙いを外すなんてことは“かつてと違い”そうそうあることではない。

 なのに“外した”のだ。

 いや、ある意味では当たっている。

 それこそ“かつてと同じ”場所に。

 塔にはひび割れが出来、これを好機と見たのかゴーレムはサイト達に振り下ろそうとしたその豪腕を塔に向け直した。

 ゴーレムの拳を受けた塔の壁は砕かれ、一人のフードを被った女性らしき人物が塔内に侵入する。

 がそれも数瞬。

 すぐに戻って来た女性らしき人物は、高らかに笑い声を上げる。

「あははははっ!! 助かったよ坊や達!! 王宮の秘宝“破壊の杖”は頂いていくよ!!」

 ゴーレムは学院の塀をものともせず破壊し、そのまま巨体にそぐわぬスピードで遠くへと離れていく。

 周りには騒ぎを聞きつけ駆けつけた教諭陣が集まりだしていたが、ルイズはそんな周りには目もくれずに自身の杖を見つめていた。

 (確かに狙ったのに、勝手に狙いが逸れた?)

 それが何か気持ち悪く、彼女を焦らせる。

 見えない何か、それに縛られているような錯覚。

 まるで当たるのが当たり前だったかのような。

 そう考えてルイズは背筋に冷たい物が奔り、考えるのを止めた。

 これ以上は考えたくない、考えちゃいけない。

 そう思うことで思考を放棄し、サイトに駆け寄る。

 今は彼さえ無事ならそれでいいのだから。

 こうして、怪盗“土くれのフーケ”は魔法学院から“破壊の杖”を盗み出すことに見事成功した。



[13978] 第二十九話【馬車】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:20
第二十九話【馬車】


 道というには些か整備の行き届いていない道を、荷台付の馬車がゴトゴトと音を立てながら通る。

 荷台には少年少女数人が乗っていた。

 少女三人、少年二人。

 そして彼女らとは別に馬車の手綱を握る緑髪の女性がさらに一人。

「ミス・ロングビル、あとどれぐらいですか?」

「そうですね、あと三十分、というところでしょうか」

 聞かれた女性、トリステイン魔法学院でオスマンの秘書を務めるミス・ロングビルはそう答えた。

 彼らは土くれのフーケに盗まれた王宮の秘宝、破壊の杖を奪い返す為にフーケの目撃情報があったという場所へと向かっていた。

 そんな大事な任務をこのような少年少女でやることになったのには理由があった。

 時間は少し前へと遡る。




***




「僕に行かせてもらえませんか」

 学院長室に集まり、事の顛末を理解した上で、その場にいる少年、ギーシュ・ド・グラモンはまっさきに声を上げた。

 破壊の杖が持ち去られて一夜が明け、現場に居合わせた者達の話を聞き終わった後、捜索隊結成を学院長であるオスマンが決めた。

 だが、誰も名乗りを上げようとしない。

 そんな空気に苛立ったのかギーシュは一番に杖を掲げたのだ。

「僕がいながらみすみす王宮の秘宝を奪われたのです、僕が行きます」

 彼の行動は勇気ある行動だろう。

 中には世間知らずと罵る輩もいるだろうが保身に走るだけの輩と比べれば随分と良い。

 だからオスマンもそんなギーシュに微笑み、しかし首を横に振る。

「でも!! 僕は何も出来なかった!!」

「君はまだ学生、それもドットのメイジじゃ。誰もその事を責めたりはせんよ。それにその勇気は買うが一人では危険じゃ」

 そう彼を諭し、こんな少年よりも勇気の無い周りの人間に視線を巡らす。

 そうすることで誰かが誇りを胸に立ち上がるかとオスマンは期待した。

 ところがそこに予想外の人物が名乗り出て来てしまった。

「じゃあ俺も行くぜ!!」

 それはこの場にての発言力は無いに等しいと思われる平民の使い魔からだった。

「サッ、サイト!?」

 主人も少なからず驚いている。

「ギーシュが一人で危ないってんなら手伝うよ、俺も役に立てなかったし」

 ギーシュが一人孤立しているように見え、我慢できなかったのだろう。

 しかしこれには周りが文句を言い出した。

「平民に何が出来る」

「そうだ、相手はトライアングル並のメイジだ」

「足手まといは間違い無い」

 一斉に罵声を浴びせかける教諭陣。

 それが何よりもまずかった。

 決定打、と言う点では彼ら教諭陣のこの発言だったに違いない。

 自らの使い魔にかけられる罵声、それを良く思わない……否、怒り震えるようにサイトの主人は自身の杖を掲げたのだ。

 ザワリ、と皆が驚く。

「私がサイトと一緒に行くわ、文句は言わせない。足手まとい? 何もしようとしない人達がサイトをよく馬鹿に出来た物ね」

「しかし君は魔法がつかえ……ヒッ!?」

 教諭の一人が、本音を善意という言葉で隠して止めようとするもその形相に後ずさる。

「サイトを馬鹿にした事、後悔させてあげる」

 彼女のその低い言葉を最後に、捜索隊結成が決まり、目撃情報を持ってきたミス・ロングビルが引率を務める事となった。

 それを何処からか聞きつけた少女、キュルケは自身の友人の短く蒼い髪に眼鏡をかけ、古めかしい大きな杖を持つタバサを巻き込み、自らも付き合うと志願した。

 ある意味でこの行動は彼女の不文律に抵触する。

 他人に深くは関わらない。

 それが彼女の密かなモットーだったのだが、不思議な物だ。

 あれだけ衝突の絶えなかった相手がいざ危険な目に合うと知った時、自分に何かできる事は無いかと熱くなった。

 一瞬灯った微熱。

 この熱は普段のものとは違えど、気持ちの悪いものでは無い。

 それゆえ彼女は自身の矜持を曲げてでも力になろうと考えた。

 そしてこの行動が、今後彼女の不文律『深くは関わらない』を良くも悪くも少しずつ変えていく結果になる。




***




 かくして一行は目撃情報のある場所へと向かっていた。

 向かっていた、のだが荷台には緊張感という物が感じられなかった。

 パラリ。

 一人はサイレントをかけて音を遮断し読書に耽り、

「う、うぇぇぇ……」

 一人はしおれた薔薇を片手にしながら気持ち悪そうに地面とにらめっこしている。

 どうやら彼、ギーシュは酔ってしまったらしい。

 キュルケは、こんな状態で大丈夫かしら、と思う。

 これからあの土くれのフーケとやりあうのだ。

 普段からおちゃらけたように見せて、いや“魅せている”自分が言うのもなんだが、もっと凛としているべきではないだろうか。

 そんな事を考えながらこの二人とは違った意味で緊張感が無い残りの二人に目を向ける。

 三人から距離を取るようにして二人は並んで……否、これでもかというほど張り付いて座っていた。

 より性格に言うなら桃色の髪をした少女がその小さな体躯を隣の黒い髪の少年に貼り付けているのだ。

 黒い髪の少年は困ったような顔を浮かべながら、しかし無理矢理突き放すような事はしない。

 恐らく、彼でなくとも可愛い女性にそんなことをされれば無理矢理突き放すような男はいないだろう。

 可愛い、というのは時に一種の免罪符たりえるのだ。

 故にこの空気の一旦は桃色の髪の少女、彼女にあった。

「ちょっとルイズ、貴方いつまでそうしているつもり? 学院に居た時の先生達を睨んでたあのピリピリした感じは何処にいったのよ?」

 キュルケは呆れながら今もって少年、サイトにべったりと張り付いているルイズに声をかける。

 ルイズはニコニコしながらサイトの肩に擦り寄っていたが、キュルケの声に心底面倒くさそうな素振りを見せた。

「……何よキュルケ」

「何よ、じゃないわよ。もう少ししゃんとしたら? 遊びに来てるんじゃないのよ?」

 だがそんなキュルケの言葉も何処吹く風。

 ルイズはキュルケを一瞥すると、その意識をまたサイトに戻し微笑みを絶やさない。

 キュルケに向ける意識があったらサイトに向けていたい、そういうことだろう。

 別にこの事についてキュルケは意外だと思えど怒る程のことでは無い。

 だいたい、キュルケの注意は形だけの軽い物で、ルイズがそれを聞き入れなくともそれはそれで構わないと思っていたのだ。

 それにキュルケには預かり知らぬ事だが、ここでルイズが何か反応したというのは実は大きい。

 もしそれが他の人物だったなら無視されていてもおかしくはなかったのだから。

 キュルケはふぅんと息を漏らすと幸せそうなルイズを見つめる。

 嫌なことなど何一つ無い、至上の幸福。

 ルイズはそんな顔をしていた。

 ……いつか、自分もあんな顔を出来るのだろうか。

 その答えは“まだ”出そうには無かった。

 だから今は。

「それにぃ、貴方の使い魔も貧相な胸より私のように豊満なボディの方がいいんじゃない?」

 今までと同じく、彼女を存分にからかうことにしよう。




***




 史実を知っているルイズには本来、実際にフーケの目撃情報がある場所までいく必要は無かった。

 これから起きることも、フーケの所在・正体も知っているのだから。

 それがこうして馬車に乗っているのは理由があった。

 それはフーケを退治してサイトを馬鹿にした教諭陣達を黙らせる為、ではない。

 全くないと言えば嘘になるが、ルイズの真の目的は別にあった。

 だが、揺れる馬車でサイトにくっついていられるという予想外の目の前の人参に、ルイズは当初の目的を思考の彼方へと追いやり、サイトから感じられる全てを楽しむ事に勤しんでしまっていた。

 その為、ルイズの“予定とは少し違い”馬車は“史実通り”に進んでいく。




***




 ルイズにからかうような言葉をキュルケが向けると、

「……キュルケ」

 案の定、キッとルイズがキュルケ睨むが、ここで意外な人物が声を上げた。

「い、いやルイズはそこまで……」

 それは誰を隠そう、渦中のサイト本人だった。

「あら? 貴方はルイズのスタイルで満足してるの? というかルイズのスタイルを把握してるの?」

 ニヤニヤとキュルケはサイトを見つめ、

「まぁ把握はした、というか……させられたというか……」

「!?」

 予想外の反応が返って来る。

「へぇ? どうやって?」

 キュルケはゴクリと唾を飲み込み、目を輝かせる。

「あ、いや、その……」

 だがサイトは人前で話すのは恥ずかしいと思ったのか、あはは、と苦笑いして言葉を流す。

 誤魔化したつもりなのだろう。

 しかしそんな必死の抵抗も虚しく、

「毎晩一緒に寝てるもの、お風呂も一緒だし」

 ルイズが真相を暴露してしまった。

「な!?」

 キュルケは驚く。

 “あの”ルイズがそこまでするなんて。

 これはどういうことなのか、それは本当なのか、それをさらに問いただそうとキュルケはさらに口を開こうとし、視界に金髪が映る。

「それは、本当なのかい?」

 ギーシュだった。

 彼はげっそりとした気持ち悪そうな表情をしながら、サイトに血走った目を向ける。

「サイト、君は婚前の身でありながら床を共にし、さらには湯浴みまで女性と行っているというのか?」

「し、しょうがないだろ!! ルイズがそうしてくれって頼むんだから!!」

「しょうがない? しょうがないで君は世の男共が見果てぬ夢として望む女性との同衾や混浴を可能たらしめていると? 何てうらやま……じゃなかった、破廉恥なんだ!! あの日誓った友情は嘘だったのか!?」

 ギーシュは怒りに身を震わせるようにして、サイトを糾弾するかのような口調になる。

「は、破廉恥ってお前……そりゃ恥ずかしいけどさ、何か誓いなんてあったっけ?」

「あの日僕らは夕日に向かって誓いあったじゃないか!! お互い隠し事はしないでいようと!! それがこんな隠し事をされていたなんて!! ああ、僕らの友情は無かった!! そう、無かったんだ!!」

「し、知らねぇよそんな約束!! っていうかいくらなんでもそれぐらいで大げさだ!!」

 あまりの馬車酔いにハイになってしまったのか、ギーシュは大げさに身振り手振りを使いながら哀しみを演技する。

 これは手をつけられないなと思わせる程酷いギーシュを正気に戻したのは…………ルイズだった。

「……そう、ギーシュとサイトに友情は無かったのね、それはとてもとても良いことだわ、これでギーシュを心おきなく始末できるというものね」

 ウフフフ、と厭な笑いを浮かべながらルイズは杖をギーシュに向ける。





 ……ヒヤリとした。





「や、やだなぁルイズ、僕とサイトの間に友情が無いわけ無いじゃないか、なぁサイト?」

 生き物というのは生まれながらにして自分よりも強い、恐ろしい物には萎縮し逆らわないようにしようとする本能が存在する。

 危機回避能力と言ってもいいそれは、今ギーシュに全力で危険を訴え続けていた。

「え? あ、ああ、そうだな」

 そういった危機察知というのは自分に向けられているからわかるものであり、対象の外にいる者にはわかりにくい。

 対象の外にいるサイトはギーシュの突然の変わりよう、素に戻った態度に首を傾げながらも頷いて見せる。

 ギーシュは本当だと訴えるようにサイトと肩を組みあはは、と苦笑する。

 それが実は彼女の怒りのボルテージをさらに上げているとは露程も思わずに。

「……チッ」

 だからルイズの本気で残念そうで不機嫌な舌打ちが、サイトには不思議でならなかった。






 そんなやり取りをしているうちに、知らず馬車は目的の場所へとたどり着く。



[13978] 第三十話【殺意】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:21
第三十話【殺意】


 ルイズは今日ほど自身の失態を痛快に感じた事はない。

 本当はこうなる前に素早く決着を付けるはずだった。

 気付いた時には遅すぎたのだ。

 ルイズはサイトが横に居てくれる環境に酔いしいれていた。

 その為目的の場所に着いたことにも気づかず、サイトに引かれるままとてとてと歩いていた。

 なんて巧妙な罠。

 サイトに夢中になっている間に事が進んでいるなんて。

 ルイズがハッと自我を取り戻したのはサイトと二人で古ぼけた小屋に入る直前。

「ダメ!!」

 反射的にサイトを引っ張り、視線を張り巡らせる。

 が、何処を探しても“あの人物”がいない。

 それに気付いた時には遅く、突然地面から大きなゴーレムが精製される。

 ……なんたる失態。

 サイトに浮かれ、“計画”が若干狂ってしまった。

「ルイズ!!」

 キュルケが叫びながら杖をゴーレムに向ける。

 ルイズが狙われていると思い焦ったのだろう。

 普段よりも素早くルーンを紡ぎキュルケは杖を振るった。

「フレイム!!」

 微熱のキュルケ、その本文を発揮できる炎の属性を持つ彼女は、惜しむことなく精神力を魔法へと変換し、学友を助けようと試みるが杖より生まれる業火はゴーレムに命中したあと燃える事無く弾けた。

「嘘っ!?」

 如何せん相手・相性が共に悪い。

 土で精製された巨大なゴーレム。

 それは燃えにくく、また全てを覆い尽くすには圧倒的に精神力と技能が足りない。

 たとえ一流のメイジ、スクウェアクラスのメイジでも、“炎だけ”でこのゴーレムを相手にするのは骨が折れるだろう。

 タバサもシュヴァリエと言えど、有効な技が思いつかないのか、魔法を出しあぐねていた。

 対するゴーレムは、まずは近場の相手と見たのか、自身に有効な魔法を撃ってこないキュルケを無視し、ルイズとサイトを始末しようと襲って来た。

 「ルイズ!!」

 サイトはルイズを無理矢理抱えて跳んだ、いや飛んだ。

 それは跳躍と言うにはやや長い滑空。

 着地など考えない飛距離だけを目的としたそれはしかし、ゴーレムの拳を避ける事に成功する。

 一歩遅ければ、あるいは着地などを考え普通の跳び方をしていれば、二人はぺしゃんこの二次元世界に旅立っていたに違いない。

『抜けっ、相棒!!』

 サイトの背のデルフが、自から鞘を抜けだしてそう使い手であるサイトに告げる。

「こなくそっ!!」

 サイトはデルフを抜き取り、構え、飛び出した。




***




「くっ!! 一体ゴーレムは何をやっているんだい!?」

 遠目から自身の作り出したゴーレムを見つめ、舌打ちする眼鏡をかけた緑髪の女性が一人。

 その女性の視線の先ではトライアングルスペルで作られたゴーレムが、たった一人の少年を倒せずにいる。

 腕を振り回してはかわされ、切られ、再生して振り出しへ戻る。

 ずっとそんな戦いを続けていた。

 真に恐ろしきはその少年が“平民”であること。

 いくら金髪の少年の練金魔法、ワルキューレが数体援護していると言っても、平民が魔法に立ち向かえるなど聞いたことが無い。

「いや、やっぱり“あの件”が本当なのかもしれないね」

 女性は苛立たしげに唇を噛んだ。

「“ガンダールヴ”、まさかそんなものが実在するなんてね、生身でアタシのゴーレムと互角だなんてのを見たら信じざるを得ないじゃないか!!」

 視線の先ではゴーレムをと斬り合い、ゴーレムの攻撃をかわす少年の姿。

 明らかに物質質量はゴーレムの方が上なのに、その土塊を時に受け止め時に受け流すその様はまさに神業と言ってもいい。

「なんて規格外なんだい!! 今のアレをかわすとか一体あの子の体の構造はどうなってんだい!? ああもう!! さっさと“破壊の杖”の使い方を披露してくれれば良い物を!!」

 自らが作り出したゴーレムがいいようにあしらわれているようで我慢がならないのだろう。

 緑髪の女性、ルイズ達と一緒に来た筈のミス・ロングビルはイライラしながら戦況を見守る。

 と、ふと気付いたように口端に笑みを浮かべた。

「フッ、この“怪盗フーケ”には相応しいやり方じゃないけれど貴族の子供だし、まぁいいか」

 ミス・ロングビル、もといフーケの視線の先は先程とは打って変わり、ゴーレムと戦闘している少年ではなく、それを不安そうに見ている少年の主の少女に向けていた。




***




 ルイズは気が気では無かった。

 サイトが必死になって戦っている。

 先程横薙ぎに腕を振るわれ、サイトが中空を舞った時などヒヤリとしたものだ。

 だがサイトはそれにも冷静に対応していた。

 デルフで衝撃を抑え、数メートルは飛ばされたであろうにそのような様子は微塵も感じさせない着地。

 サイトはデルフの“使い方”を完全に把握していた。

 これは恐らく、先のヴィリエとの一件、それが幸をそうしているのだろう。

 彼自身の戦闘能力はいまだ低くとも、“ガンダールヴ”としての力は十分のようだ。

 サイトは自分の何倍もの大きな相手に引けを取らなかった。

 ルイズが不安で不安でたまらなくても今だ止めに入らないのは、そんなサイトがあまりにも真面目だったからだ。

 舞うように動き、必死に立ち上がり、デルフを振り抜く。

 そんな必死に動くサイトが格好良く、つい見とれてしまっていた。

 普段のルイズならこんなサイトへの危険は即座に塵と化すのも厭わないのだが、つい、サイトを見ていたくなる。

 あるいは、過去の“経験と記憶”が彼女の中で無意識に大丈夫と言っていたのかもしれない。

 故に、周囲への警戒を怠っていた。

 いや、全身全霊でサイトを見つめていたのだ。

 皆無だったと言っていい。

 それはある意味では慢心だったとも言えるかもしれない。

 過去、大丈夫だったのだから今回も大丈夫。

 そんなルイズにしかわからない根拠が、十年に一度あるかないか程に珍しく、彼女にサイトへの戦いを許可していた。




 だから、ゴーレムが迫っているのも無視してサイトが急に自分の方に駆け寄ってくるのを見た時は、不思議に感じた。




「ルイズ!!」




 サイトの叫び声。

 そこでようやく気付く。

 背後に何かの……いや、“無機物”の気配。

 ばっと振り返ればそこにはサイトが戦っているゴーレムを小さくしたような……人と同じくらいの大きさの土ゴーレム。

 そのさらに背後には案の定“あの女”がいた。

 サイトを倒せない自らのゴーレムに痺れを切らしたのだろう。



─────だがそんなことよりも。



 あんな大きなゴーレムを行使している上に別の魔法の行使。

 並のメイジでは無理だろうがしかし、あの女ならば不可能では無いだろう。



─────だがそんなことよりも。



 以前は破壊の杖が使われた後に出てきた筈だ。

 今回、この段階で出てきた辺り他にも何か考えがあるのかもしれない。



─────だがそんなことよりも!!



「サイ───────」

 目の前で起こっている現象が認められない。



「がふっ!!」



 小さな、と言っても人の身の丈はあるゴーレムの硬い土塊でできた拳がサイトにめり込む。

 私の目の前で。



「うっ……おえぇ……げほっ!!」



 苦しそうに咳き込み、地に膝を付くサイトがいる。



 ありえない。

 ありえないありえない。

 ありえないありえないありえない。

 ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない!!



「ああああああああああああああああああああああっ!!!」

 ルイズは喉が張り裂けんばかり、その声帯としての機能すらも壊しかねないような叫び声を上げた。




***




「ああああああああああああああああああああああっ!!!」

 叫び声に次いでルイズはフーケに杖を向け、次の瞬間には……爆発。

「っ!?」

 フーケは自身に魔法が向けられたものかと身構えたが、爆心地はルイズが立っ─────

「なっ!?」

 それ以上考えている暇は無かった。

 爆風に乗って文字通り飛んでくる桃色の少女。

 いや、今の彼女に少女と言う呼び方は相応しくない。

 その瞳は何も映さない深い漆黒一色で、自身の爆発によって生まれた自分の真っ赤な血を全身に纏い、“殺意”というものを隠そうとしない“鬼”だった。

 表情は先程あらんばかりの声を叫んだ人間と同一人物とは思えない程の無表情、“虚無”そのもの。

 だというのに、その様はまさに怒り狂った鬼神と呼ぶに相応しい。

 爆風に乗って近寄ってくる彼女に、鬼気迫るようなオーラ感じたフーケは早くこの場を離脱しようとし、

「逃がさない」

 足が爆発する。

 足がまだ付いているかどうかなど考える間も無く、フーケは地べたに手を付き────ボムッ!!────さらに爆発が起こって、フーケの体は文字通り粉微塵と化した。




***




 (冗談じゃない!!)

 深い茂みを走る女性……フーケ。

 彼女は生きていた。

 いや、正確に言うならあそこにいたフーケは『練金』によってそっくりな形を象った偽物だった。

 風のスクウェアスペルほどでは無いが、ただ見た目を欺くだけならば、それは“遍在”にも劣らぬほどの精巧さを誇っている。

 今頃、ほんどの人間はあの場に残った土塊に唖然としているだろう。

 (なんなんだいあの娘!!)

 フーケは近寄ってきたルイズの瞳、言動に身震いする。

 あまりの異常性。

 彼女を魔法を使えない“ゼロ”だなどと蔑称している奴等はとんだ節穴だ。

 今だってリアルに彼女の声が脳内にリピートされる。



「だから、逃がさないと言ったでしょうが」



「そう、そんな感じでリアルに……っ!?」

 フーケがリアルに感じた声。

 それは頭の中のリピート再生などでは決して無く。

 コツン、と頭に杖を突きつけられ、次の瞬間には───────爆発が起こった。



[13978] 第三十一話【陰謀】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:21
第三十一話【陰謀】
 

「ごくろうじゃったなミス・タバサ、ミス・ツェルプストー。報告に来ていないミスタ・グラモンにもそのように伝えてくれるかのう」

 トリステイン魔法学院、その一室の学院長室。

 彼女達は学院に戻ってきていた。

 ギーシュはゴーレムとの戦いで精神力を使いすぎて疲労が激しく、今は大事を取って休んでいる。

「しかしまさかミス・ロングビルがフーケだったとは……」

 オスマンは目を細め、何処か遠くを見ている。

 彼女はとてもそんなふうには見えなかった。

 勤勉でよく仕事もこなし、無駄遣いをするようなタイプにも見えない。

 それに彼女は給与の殆どを自分ではなく何処かへと送っているようだった。

 学院長付きの秘書としてそれ相応のお金を彼女は受け取っている。

 彼女へのセクハラに対する特別手当、というわけでは断じて、断じて無いが。

 それでも人一人が、いや二人でも貧しくは無い暮らしが送れるだけの給与は与えていた。

 オスマンは視線をずらし、目の前の机を見やる。

 目の前の机には“破壊の杖”と呼ばれる“未使用”の“秘宝”が置いてあった。

 キュルケたちが発見したものをそのまま持ち帰ったのだ。

「……ふむ、しかし君達が無事で良かった、引率者がフーケということは実質君達のみの力でどうにかしたということじゃからのう」

「はい。あの、それでルイズの容態はいかがなのですか?」

 今ばかりはその扇情的なボディに艶やかさを醸し出すことも無く、キュルケは真面目に尋ねた。

 ルイズは自分の爆発をその身に浴びる捨て身の戦法で戦い、体中に酷い傷を負ったのだ。

「うむ、ミス・ヴァリエールは自身の“失敗魔法”をその身に受けたんじゃったな」

「はい」

「姿を見た時はわしも少々驚いたが心配はいらん、“ヴァリエール家の三女”が大怪我をしたと言ったら“王宮”から選りすぐりの“水メイジ”が一人飛んできての、少々性格に難はあるが腕は確かじゃ」

 オスマンは微笑み、二人を元気付ける。

「しかし、ミス・ロングビル、いや土くれのフーケか。彼女を“取り逃がしてしまう”とはのう……うむ、王宮には今一度彼女の事を報告せねばなるまいて」

「あ……」

 オスマンの言葉に、キュルケは言葉が詰まる。

 が、タバサがコクンと小さく頷き、

「……かなり強力なメイジ」

 そう答えて、キュルケに小さくアイコンタクトする。

 それは彼女達にしかわからぬ程度の小さなもの。

 普段たいして表情を表さないタバサと多くの時間を共有してきたキュルケだからこそ気付けるものであり、オスマンは気付かない。

「そうじゃな、いや君達も本当にご苦労じゃった、ゆっくり休みなさい、おって王宮から何らかの恩賞がでるじゃろうて」

 そう言われ、二人は会釈して学院長室を退室する。

「………………」

「………………」

 二人の間には沈黙が生まれ、やがて歩き出す。

「……ねぇタバサ」

 しかし、沈黙に耐え切れなくなったキュルケが、タバサに声をかけた。

「……何」

「どうしてあんなことを言ったの?」

「……あんなこと?」

「フーケのことよ、逃げたって本当?私にはとてもそうだとは思えないわ」

 キュルケはダンッ!! と一際大きく足を踏み鳴らして止まる。

 彼女の脳裏にあるのは血まみれのルイズと……転がっている“人の残骸”のようなものだった。

 キュルケはあの時のことを思い出す。

 ルイズはもはや歩く事もままならないような状態でずっとうわ言のように、



『サイト……サイトのところに戻らなきゃ……サイト、サイトを助けなきゃ……サイト……』



 サイトの名前を呼び続けていた。

 それにルイズは目の焦点が合っておらず、しかし酷い怪我だというのに這ってでも何処かへ行こうとしている。

 そんなルイズを、タバサが魔法で眠らせ、レビテーションによって運んだ。

 その後、ルイズの状態が思いのほか芳しくないこともあって、タバサの案により、彼女の使い魔である青い風竜、シルフィードの背に乗って学院へと戻って来たのだ。

 キュルケはそんな状態のルイズを心配はしたが、それよりも脳裏に焼きついた“残骸”が気になった。

 あれは“人の体の一部”に見えてならなかった。

 そう思ってしまってから恐くなって目を背けた為に記憶が鮮明ではないが、それでも一度そう思うと思考が止まらない。

 血だらけのルイズ、あれは本当に自分の爆発での出血だけなのか。

 あの場にいたのがルイズだけなら、フーケはもしかすると……。

 思考が思考を呼び、考えが纏まらない。

 タバサは意外にもその残骸をよく見つめているようだった。

 だから聞いたのだ。

 本当にあれはフーケでは無かったのか、という意味で。

 だが、タバサはキュルケに一瞬視線を合わせると、ふいっとそのまま何も語らずに歩いて行ってしまった。

「ちょ、ちょっと!!」

 キュルケは慌ててタバサの後を追う。

「何よ? 教えてくれないの?」

 その赤く長い髪が左右に揺れながら駆け足になる。

「………………」

 しかしタバサは口を開かない。

「んもう、教えてくれたっていいじゃない!!」

 キュルケが半ば癇癪気味にムキになって隣を歩く。

「……キュルケは“あれ”を良く見た?」

 すると、ようやくタバサから答えが返ってきた。

「“あれ”って、“あれ”のこと?」

 ここで言う“あれ”とはすなわちキュルケの最も気になっている“残骸”のことだろう。

 コクンとタバサは視線を変えずに頷く。

「正直、恐くなってあんまり見ていないのよね……だから余計に気になるって言うか」

 ポリポリと頬を人差し指でかき、照れくさそうにキュルケは答えた。

「……そう」

 タバサはそれに短く返答し、

「……そのほうがいい、あれは人の足の形状をしていたから」

「っ!?」

 キュルケの足を止まらせる。

「それって……!!」

 キュルケは青ざめたように暗くなり、最悪の展開を予想して、



 ……ふるふる。



 頭一つ分は小さい青い髪の頭が左右に振られた。




***




 パカッパカッパカッ。

「どうどう」

 一人の少女が馬に乗っていた。

 先ほどまで走り通しだったのか、馬にはやや疲労の色が窺える。

「ごめんなさい、少し無茶をさせてしまいました」

 鬣をゆっくりと撫で、少女は周りを見渡す。

「この辺の筈なんですけど」

 周りは木々が生い茂り、獣道程度しかない道無き道。

 だが、遠くには木製の小さな小屋があるのがわかる。

「う~ん、あそこに人がいるようには思えないです……おかしいなぁ」

 トコトコと馬はゆっくり歩き、小屋に近づくが、やはりそこには誰も居ない。

 辺りは地面が不自然に隆起した跡があるだけだ。

「この辺に向かったって聞いたのですけど……いらっしゃいませんね、ギーシュ様……ミス・ヴァリエールの使い魔さんも一緒だとお聞きしましたのに」

 ブラウンのマントを羽織り、そのやや長いブラウンの髪を後頭部で小さく編みこむというオシャレをしたケティ・ド・ラ・ロッタはいつものバスケット片手に残念そうに呟く。

「もう帰られてしまったのかしら。折角差し入れと思って持って来ましたのに。お馬さん、お一ついかが?」

 ケティは馬に小さなクッキーを一つ頬張らせ、また鬣をさわさわと撫でた。

「仕方ありませんわね、また学院に戻って探しましょう。でも残念です、外でなら私もいろいろ聞きやすいかもと思って期待しましたのに」

 はぁ、とケティは詰まらなさそうに溜息を吐き、馬に跨って先ほど来た道を戻り始める。

 パカラッ、パカラッ、パカラッ……。

 段々と馬の足音が遠くなり、姿さえもその場からは点にしか見えぬほどに離れていく。

 と、

 ボゴリ。

 音がした。

 ケティは辺りを見回すばかりで地面は見ていなかった。

 人を探しに来たのだから地面はあまり気にしていなかったのだ。

 音がしたあたりには“何か”が転がっていている。

 ボゴリ、ボゴリ。

 また音がして、どんどん土の地面が膨れ上がって来ていている。

 ボゴリ、ボゴリ、ドパッ!!

 音と共に地面の隆起は激しくなり、

「かはっ!! げほっげほっ!! あ~苦しい!!」

 ボン、と人の首が地面から飛び出した。

「はぁ、はぁ、ふぅ~っ」

 驚いたことに、地面から首だけ出てきたのは緑髪の女性、

「全く、へんな娘が出てくるから余計に時間がかかっちまったじゃないか」

 フーケだった。

 なんと彼女は生きていた。

「にしても、あのヴァリエールの小娘は一体なんなんだい、思い出すだけでも身震いが止まらなくなりそうだよ、私にこの奥の手まで使わせるなんて」

 彼女は最後の瞬間、瞬時に足元の土を錬金して自分にそっくりな人形を作り、同時に自分はその土を使うことによって出来た“窪み”に入った。

 爆発が起き、爆煙で視界が利かないときに一部錬金を戻したり、周りの土をかき集めたりして地面に彼女は身を潜めたのだ。

 これに重要なのはタイミング。

 上手くいくかは文字通りの賭けだった。

 だが幸い、彼女の偽装は“見破られることなく”進み、フーケ捜索隊は破壊の杖を奪還して学院へと帰った。

 他にも学院関係者が一人来たのは計算外だったが、概ね問題ない。

 命あっての物種だ。

 そう思って地面から出ようとした彼女の顔にふっと影が差す。

「!?」

 一瞬、学院関係者か!?とフーケは焦るが、

「なかなかいい仕事をするじゃないか、“マチルダ・オブ・サウスゴータ”」

 どうも違うらしい。

「アンタ、なんでその名前を知っているんだい?」

 キッとフーケ、もといマチルダは相手を睨む。

 目の前には、見慣れぬ仮面をつけた……恐らく男が、珍しそうに“人間の足”を持ち上げマジマジと見ている。

 いや、正確にはそれは足ではなく、マチルダが作り出した“精巧な偽者”だが。

「いや失礼、思いを同じくする者同し、協力する気は無いかと君を探しに来たわけだが……クク」

 仮面の男は不気味に笑うと足をポイっとその変に投げ捨てた。

「予想以上の使い手だったようだ、どうだ?私に協力する気は無いか?近々“アルビオン”を崩壊させようって話があるんだ」

「!!」

 その言葉にマチルダは目を見開いた。

 アルビオン。

 マチルダにとってその名前、いやその国は忘れる事などできぬものだった。

「悪い話じゃないだろう? アルビオンに恨みがある君にとっては。どうだ? 君は私に協力する、私は君の復讐を手伝う、ギブアンドテイクという奴だ」

 断わられる事など考えていないのだろう。

 そんな自信たっぷりな物言いでマチルダは突然の申し出を受けた。

 無論、アルビオンへの報復のチャンスがあるならそれは構わない。

 だが、

「……どうでもいいけどいつまで上から見てるつもりだい?暇なら私を地面から出してくれないか」

「……プッ、ククク……これは失礼を、レディ」

 仮面の男はマチルダの不機嫌そうな言葉に、今度は不気味ではない本当の笑い声を零し、手を差し出した。




***




 トリスイテン魔法学院。

 その生徒寮の一室において。

「フフフフ、アハハハハハ!!」

 最高にHIGHな人がいた。

「美しい、まさにビューティホー!! ああ、しかも君が公爵家の娘とはね、これは運命だ!! 今、全ての運は私に向いている!!」

 ベッドには桃色の髪の乙女が眠っている。

「……ん、サイト……」

 小さく漏らす寝言は彼女の使い魔の名前。

「フフフフ、素晴らしい、完璧な造形だ!!」

 訂正、真性のロリコン親父こと、小さな髭と、赤と白が目立つ服に大きな白い襟巻きを着けた水メイジ、ジュール・ド・モット伯がいた。



[13978] 第三十二話【金的】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:22
第三十二話【金的】


 (落ち着け、落ち着くのだジュール!!)

 かれこれ数十分、ジュール・ド・モット伯はやや鼻腔を大きく開けながら桃色の髪の乙女の寝姿を堪能していた。

 傷は治療した。

 彼ほどの腕があれば、水の秘薬と掛け合わせ、重傷といえどあの程度の傷、治療するのはそう難しいことではなかった。

 ジュール・ド・モット伯はトライアングルクラスの水メイジ。

 その腕は確かに折り紙付だった。

「何と細い足なのだ……むふふふ!!」

 治療を終えた彼の視線は、眠っている彼女のやや短めのスカートより伸びる二本の白い足に向けられた。

 白い足には、足のつま先からふくらはぎ、膝という関節を越えて太ももの半ばまで履いている黒いニーソックスがあった。

 ぴっちりと細い足に張り付いているニーソックスは、彼女のその美しい足の構造を遺憾なく表現していた。

「まさに、理想的なライン……!!」

 モット伯はまた一つ感嘆の息を漏らし、その瞳に卑しい輝きを灯す。

 彼の視線は北上し、腰、くびれの辺りで一度止まる。

「ああ、素晴らしいまでに小柄ではないか……!! ぐふふふふふ……」

 むはっとまた一つ鼻腔を大きく広げ、その口から大きな息を吐き出す。

 その後、彼の視線は一気に北上して桃色の髪の乙女、ルイズの顔に向けられる。

 その唇は閉じられては小さく開き、薄く彼女の髪色に染まっている。

 頬は荒れている形跡など微塵も無く、閉じられた瞳を隠すようにしてその長い睫毛が黒光りする。

 顎はシャープに程よく尖り、体と相まって彼女をより一層細く見せていた。

「まさに真の美、これこそ最高の造形ッ……!!」

 モット伯は興奮しながら視線をやや南下させ、

 (そして、ああそしてッ!!)

 彼女の肩よりやや下、女性特有の膨らみがあり男性を引きつける要素も多分に含む双丘、そうつまり胸に向けられた。

 視姦、という言葉があるのならこういうことを言うのかもしれない。

 彼女のそこは、彼女も預かり知らぬ程に成長していた。

 モット伯はテーブルに置いてある書類をざっと見る。

 それは昨年、一年生の際に行われた身体測定、その結果であった。

 これは以前、彼が学院……オスマンに無理を言って入手した超極秘情報である。

 彼女自身の記憶では、彼女は“以前”よりも1mmの増量に成功したはずだった。

 毎日、朝に牛乳を飲んで、お昼に牛乳を飲んで、三時にクックベリーパイと一緒に牛乳を飲んで、夕食と一緒に牛乳を飲んで、夜寝る前に牛乳を飲んで自身を“マッサージ”してから眠るという涙ぐましい努力とは無縁の“飽くまで普通の生活”をしていた結果、

「随分と大きくなっているようだ……フフフフ」

 その書類に書かれているバストサイズ、それよりも彼女の胸は成長していた。

 モット伯は自身の観察眼に自信を持っている。

「2mm……いや3mm程は増えているな」

 モット伯にとってこれは歓迎すべきことだった。

 勘違いしている人間が多いが、彼は“オールラウンダー”である。

 別に小さいからと言ってそれが彼の嗜好とは……、



「しかし、肩も小さく、小さな膨らみ……たまらん……」



 それが彼の嗜好とは……、



「ああ、しかもこの顔、幼いながらに“女”を彷彿とさせるこの色気!! ああ、このミスマッチ!! 素晴らしィ!!」



 それが彼の嗜好とは……それが彼の嗜好である。

 さらにモット伯にとって、彼女が三女といえど公爵家の娘だというのも大きかった。

 これは成り上がるチャンスでもある。

 怪我をした女性を優しく介抱、そこから生まれるロマンス。

 モット伯の頭の中は妄想率100%だった。

 そうしてモット伯は何もかもが上手く行くと信じて疑わず、“当たり前”のように彼女の素肌、腕に触れた時、

「っ!!」

 ルイズが飛び起きた。




***




 寒い。

 いや、寒いんじゃない。

 足りない。

 何かが足りない。

 何が足りない?

 ああ、なんだかもうしばらく“補充”していないもののような気がする。

 足りない。

 全然足りない。

 枯渇している。

 渇き、餓えている。

 圧倒的に足りない。

 壊滅的に足りない。

 極限まで足りない。

 足りない。

 足リナい。

 足りなイ。

 タリナイタリナイタリナイ。

 タリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイタリナイ。

 瞬間、何かが触れて、タリナイ何かがマイナスの域にまで達してルイズは飛び起きた。

 場所は自分の部屋。

 目の前には見たことの無い……いや“以前”は見たことのある男、名前は……そんなことはどうでもいい。

「サイトは何処っ!?」

 ルイズの第一声はソレだった。

 部屋を見渡し、そこに彼の姿は何処にも見当たらない。

 ならば彼は今何処に?

「……サイト? ああ、あの平民の使い魔かね?」

 モット伯は突然起きたルイズに驚き、しかし最初に出てきた言葉が平民の使い魔といえど男の名前なことに苛立ちを覚える。

「そうよ、早くサイトを探さなきゃ」

 ルイズはベッドから立ち上がろうとして、

「まぁ待ちたまえ」

 モット伯に止められた。

「邪魔よ、私は今すぐにでもサイトに会いたいの、消えて」

 それは嘘でも誇張でもなく、ルイズの本心だった。

 だが、モット伯は我慢なら無い。

 何故なら彼女を治療したのは自分(事実100%)であり、彼の頭の中(妄想率100%)では彼と彼女は相思相愛(妄想率200%)なのだから。

「君はまだ怪我が治ったばかりだ。ゆっくりしたまえ、使い魔といえど所詮平民じゃないか、捨て置いていても問題はあるまい」

「……何が言いたいの?」

 だからなのかもしれないし、無知だったからなのかもしれない。




───────彼は禁句を口にした。




「いや、あんな君を護ることも出来ぬ使えない平民を気にする必要は無いのだよ、なんなら私が君の力になってあげよう。使い魔も……そうだな“もう一度別の物を召喚”してみるのはどうだね?」




 瞬間、ルイズの顔面が蒼白になったのに彼は気付かなかった。




「いやなに、使い魔は死んでしまったならもう一度召喚するのもありなのだよ? 君は非常に運がいい、私に目をかけられたのだ、ああ礼など気にするな、その傷も私が善意で治療したのだ。君程の美しい女性が怪我をしたままというのは忍びない」




 ルイズが震える手で杖を掴むが、モット伯は気にしない。




「それに君の言う役立たずは治療の邪魔だと言って“ちゃんと”この部屋からたたき出しておいたからね。あの平民と来たらこともあろうに私を信用しないのか中々離れようとせず苦労した『ドォォォン!!』が……?」

 爆発。

 モット伯はそれ以上口を開く事を許容されなかった。

 あるいは、今ルイズの中で圧倒的に枯渇している“何か”もその一因を担っているのかもしれない。

 だがこの世は表裏一体。

 そうやって枯渇すればするほど、溜まり増えるものもある。

 ルイズの部屋のテーブルは消し炭になっていた。

 モット伯は何が起きたのか理解できない。

 ここは彼女が自分に感謝し(妄想率300%)、泣いて抱きつき将来を約束するという場面(妄想率400%)のはずだ。

「貴方、私からサイトを遠ざけたの……?」




───────ゾクリ。




 頭の中が暴走しきっていたモット伯が冷水を浴びたようにさぁっと思考が冷える。

 その瞳は、既に光など宿していなかった。

 あるのは何処までも何処までも昏い闇。

 何も映さず、無制限に光を飲み込む“虚無”そのものだった。

 モット伯は“波濤”を二つ名に持つ優秀なメイジだ。

 水メイジだからと言って医療専門ではなく、それなりの戦闘もこなせる。




「私から、“また”サイトを奪うの……?」




 その彼が、




「そんなことが、許されると思っているの……?」




 為す術なく、




「……答えなさい、サイトは何処?」




 杖を胸に突きつけられた。

 今モット伯が理解できることは、先ほどテーブルを消し炭にした魔法をルイズがいつでも放てる状態だということだ。

 タラリ、と背中に汗が伝う。

 失言は即破滅に繋がるが、ことここに至ってもモット伯には貴族としての思考が根強いせいか何が失言なのかわかっていなかった。

「し、知らんよ、私は君の為を思って最善を尽くしただけなのだ、さぁ、その杖を置いて。ちゃんと優雅に話をしようじゃないか」

 ポン、とモット伯はルイズの小さい両肩に手を置き、

「っ!! サイト以外の人間が気安く私に触らないで!!」

 ルイズはモット伯お気に入りのその細い足を振り上げた。



「はぅ!?」



 モット伯は足を内股にしてその場に座り込む。

 モット伯の性別が危ぶまれた瞬間だった。

 ルイズは醜いものでも見るような目でモット伯を一瞥すると、そのまま駆け出していた。

 本当ならあの男にもっと鉄槌を下したい気持ちもあったが、それよりなにより今はサイトである。

 彼の無事をこの目で確認しない事には、他の余分な事などに意識を割けなかった。



[13978] 第三十三話【剥奪】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:23
第三十三話【剥奪】


「なぁデルフ」

『なんでぇ、相棒』

 サイトは中庭で、腹を抑えながら学院の壁に寄りかかって座っていた。

 手元にはシエスタが置いてくれた食事、パンが一つある。

「俺、居ないほうがいいのかな……」

『な、何を言い出すんでぇ急に!?』

 カチカチと音を鳴らしながら、デルフは突然のサイトの言葉に驚きを隠せなかった。

 第一、サイトがもしいなくなれば自分はルイズに何をされるかわかったものではない。

「あのモットって男が言ってただろ?役立たずって。そりゃ相手はファンタジーな化け物だったけどさ」

『ふぁんたじー?』

 デルフは聞きなれない言葉を聞いて不思議そうにするが、普段のサイトらしくなく、その疑問に答えることなく話を続ける。

「俺、召喚されてもう戻れないってルイズに言われた時、本当は結構途方にくれてたんだ。でもルイズは優しくてさ、使い魔は普通、秘薬を探してきたり、主の交通の便の向上や特殊な利益を生むのと主を護るのが使命、なんだろ?」

『ああ、まぁそうだわな』

「けどルイズは……」

 サイトはルイズと初めて会った時言われた事を思い出す。



『……サイトはね、私の傍にいてくれるだけでいいの』



『相棒……?』

 デルフは急に口を開かなくなったサイトを訝しむように声をかける。

「あ、いや何でもない。ただ、俺は本当にルイズに特別な利益を生んでるのかなって」

 サイトは少し寂しそうに空を見上げた。

 太陽は地球と同じく一つだけ。

 それを見れば、少し気が晴れる気がした。

『相棒は貴族の娘っ子の役に立ちてぇのか?』

 だから、そんな唐突なデルフの質問に、サイトは目を丸くして笑って答える。

「わかんね」

『………………』

「けどゴーレムがルイズを狙った時、不思議と体が勝手に動いたんだ。こうしなきゃ……いやこうしたいって」

 (相棒、おめぇそりゃ貴族の娘っ子に恋してんじゃねぇか……? こりゃおでれーた、平民の使い魔が貴族の主人に恋、か。娘っ子は喜びそうだなぁおい)

 デルフがそう思っていると、急にドカァン!! と爆発音が鳴った。

「何だ……?」

 サイトは重い腰を上げるようにしてゆっくりと立ち上がり、爆音のした方を見る。

 何となく、ルイズの部屋の方からだった気がした。




***



 ルイズは走り、手当たり次第にサイトの事を聞いていた。

 最初に会ったのは燃えるように赤い髪のグラマラスな少女、キュルケ。

「あら? ルイズじゃない、怪我はもういいの?え?サイトを見て無いかって?う~ん見てないわねぇ、あ、もしかしてダーリンはルイズより私に……」

 ドォォォォン!!

 キュルケが爆煙に包まれる。

 ルイズは駆け出した。

 次に会ったのは学院のメイド、シエスタ。

「あらミス・ヴァリエール、え? サイトさんですか? ご安心下さい!! 私が責任を持ってお食事……」

 ドォォォォン!!

 シエスタが爆煙に包まれる。

 ルイズさらに足を急がせ、出会ったのは金髪の少年、ギーシュ。

「おや、ルイズじゃないか、どうかし……」

 ドゴォォォォォォォォォン!!

 ギーシュが爆煙に包まれる。

 心なしかその威力が先の二件より強かったは言うまでも無い。

 ギーシュの挨拶さえ最後まで聞かない辺り、余裕の無さが窺える。

 原因は他にもありそうだが。

 そうして駆けること数分、

「!!」

 ルイズは中庭にいるサイトをようやくと視界に捉えた。

 が、サイトを見たルイズの顔に、いくばくかの緊張感が奔る。

 サイトを知るルイズだからこそ、その不自然さに気がついた。




***




 遠くから桃色の髪が走ってくるのが見えた。

 向こうもこちらを捉えたらしく、スピードをぐんと上げて近寄ってくる。

「いた!! サイ……!?」

 ルイズはサイトを見つけたことに喜び、飛びつこうとして、やめた。

 しかしスピードは落とさず、サイトに駆け寄る。

「あ、ルイズ……治ったのか」

 サイトが少しほっとしたような表情をするが、ルイズの顔は逆に緊張感が溢れている。

「サイト、なんでそんな傷だらけなの!?」

 そう、サイトは擦り傷が多かった。

 すぐにあの水メイジの言葉が思い出される。

 恐らく、サイトを無理矢理実力行使で追い出したのだろう。

 (あの男……っ!!)

 あの戦いでは、サイトはゴーレムにパンチをもらっただけの筈だし、他の可能性など皆無に等し……パンチ?

「サイト、お腹見せて!!」

「え? あ、ちょっと待っ……」

 ルイズは突然思い立ったようにサイトの静止も聞かずに無理矢理パーカー、さらにシャツをめくる。

「っ!!」

 そこは酷い痣になっていた。

 青黒く染まり、見るからに痛々しい。

 サイトが慌ててばっとシャツを下げる。

 だがルイズの目にはもう焼きついてしまった。

 “サイトが怪我をしている”という現状が。

「サイト!! 痛くない? いえ痛くない筈が無いわ!! 早く医務室に行きましょう!! ああもう、他の奴らは一体何をやっていたの!? サイトに誰も治療をしようとしないなんて!!」

 ルイズは憤慨し、サイトの手を引く。

 もともと、怪我はサイトが必死に回りに隠していた。

 ルイズがあんなに酷い状態なのに自分がこんな怪我で騒ぐわけにはいかない、という半ば男のプライドだ。

 だからキュルケやギーシュ、果てはタバサまでサイトのお腹の状況など気付かなかった。

 周りを責めるには当たらない。

 気付いたルイズが“異常”だったのだ。

 しばしルイズは手を引くように歩いていたが、ふと立ち止まるとサイトの顔を見つめ、やや考えて腕を組むようにして体を密着させた。

「お、おい……」

 サイトは予想外の事に若干驚くが、

「いいの、サイトは怪我人なんだから」

 いつものルイズ節が炸裂する。

 こういったことにサイトは口で勝てた試しが無い。

 だがいつも挑戦だけはする。

「じゃあ怪我人じゃなかったらこんなことはしないのか?」

「ううん、する」

 即答。

「おいおい」

 サイトは気恥ずかしくなって腕を外そうとするが、ルイズにぎゅっと強く引かれ、外させてもらえない。

「だって……足りないんだもん」

「足りない?」

 何が足りないというのだろう?

 意味がわからない。

「うん」

「何が?」

「サイト」

「はぁ?」

 自分が足りない、といわれてもサイトは首を傾げるだけである。

 そんな不思議そうなサイトにルイズは出来るだけ密着し、サイトの体温を感じることで微弱ながら足りない“何かの成分”を補充し始めた。

 二人はそのまま医務室へ直行、サイトの怪我はすぐに学院付きのヒーラーが治してくれた。

 ルイズはその後、ちょっと用事があると学院長室にサイトを連れて行き、二通の手紙を頼んだ。




***




 王都トリスタニア。

 その王宮であるここに、

「くっ、あの娘は一体なんだったのだ、よもや私よりもあの平民がいいと言うのか?」

 ジュール・ド・モット伯は戻って来ていた。

 治療を終え、ルイズにやられた後、自身に治癒を施して学院を後にした。

 正直、自分がトライアングルの水メイジでなければ、大事なところは使い物にならなくなっていた恐れもあった。

 それから数日。

「だが、あの娘は諦め切れん……!!」

 そんな目に合いながらもモット伯はルイズに目をつけたままだったのだが、

「ジュール・ド・モット伯……いや“モット”」

 急に不遜な言い回しで声をかけてくる者がいた。

 それは金砂の髪を肩まで伸ばし、左目にモノクルを付け、口にも髪色の髭を生やした妙齢の男性だった。

 その歳の頃はおよそ五十といったところだろう。

「っ!? これはこれはヴァリエール公爵、王宮でお会いできるとは珍しいですな」

 それは知る人ぞ知る、ルイズの父親だった。

「そんなことはどうでもいい、モット、貴様まだこの辺をうろついていたのか」

「はい? 随分な言い回しですな、いくら公爵といえどせめて爵位くらい最後に付けて呼んで頂けないものですかな?」

 モット伯、いや“モット”は少し苛立ちながら睨むようにしてヴァリエール公爵に言い返した。

「ふん、何を言っているモット。貴様は先日、王室より爵位を没収された」

「だから最後には爵位を付けて……何ですと? 今なんとおっしゃられたのか?」

 モットは目を丸くする。

「貴様、恐れ多くも私の娘に手を出してくれたそうだな?友人として扱ってくださっているアンリエッタ様も驚かれていた」

「なっ!?」

 聞いていない。

 何もかも聞いていない。

 自分の爵位の剥奪。

 ヴァリエール家三女と王女のつながり。

 そして、

「全く、我が娘にはすでに魔法衛士隊隊長という婚約者が居ると言うのに貴様のような男……いや、虫がつこうとは……!!」

 婚約者。

 そんな事実。

 実際は口約束程度のもので、完全なものでは無いため、どちらにせよモットにはそれを知る術は無かった。

「さぁ、既にここは貴様のような人間が来れる場所ではない!! 出て行くのだな、モット伯……おっと失礼、モットよ」

 半ばモットが茫然自失としている中、魔法衛士隊の面々がモットに気付き城の外へとモットを連行する。

 モットはあっという間に城から追い出され、ようやくそこでハッとなった。

「ま、待て、私は、私は王宮直属の……!!」

 王宮の扉に張り付こうとモットは手を伸ばし、

「醜いね“元”モット伯」

 誰かが後ろから声をかけてきた。

「き、貴様は……!! 貴様程度の爵位で気安く私を呼ぶな!!」

「何を言ってるんですか? 貴方は既に貴族姓を剥奪された身」

 言い方こそ酷いが、男はやや礼節を持った態度でモットに対応する。

「だ、黙れ!! これは何かの間違いだ!! だいたいなんで貴様がここに……ハッ!? よもやヴァリエール公爵の言っていたのは……!!」

「ふん、どうだろうね、それは私には預かり知らぬことだし、“どうでもいい”。だが“元”モット伯」

 モットの前にいる男は急に人が変わったように強気になり、

「今の事態に不満があるなら私と手を組まないか、そうすれば貴方が欲しがっている物、いや“者”を貴方に差し出してもいい」

「!! 貴様……」

 突然の事にモットは驚く。

 だが、彼の言っている事は瞬時に理解した。

 それはつまり……。

 モットはしばし考え、しかしすぐに結論を出す。

 どうせ今のままでは喚いたところで事態の好転などしはしない。

 ならばいっそ……、

「……いいだろう」

 その悪魔のような船に、身を委ねてみようではないか。



[13978] 第三十四話【反逆】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:23
第三十四話【反逆】


「君たちには“シュヴァリエ”の爵位が与えられることとなった」

 フーケの件から数日後、学院長室に呼び出された捜索隊の面々はオスマンから報奨の内容を告げられた。

「シュヴァリエ? 本当ですか学院長?」

 オスマンの頷きにキュルケは喜んだ。

 一貴族の娘が他国とは言え国の爵位を賜ったのだ、こんな誉れは早々に無い。

 貴族という生き物は何よりも誇りを尊重する。

 そういった意味で、それは確かに歓喜するに相応しい報奨だった。

 オスマンはキュルケ、ギーシュに王宮からの正式な通達文書を手渡していく。

 心なしか二人のマントが焦げているのはあえて言葉にしなかった。

 そうしてタバサの前までオスマンが来た時、オスマンはふと思い出したように補足した。

「おおそうじゃ、ミス・タバサは既にシュヴァリエの爵位を賜っておるゆえ精霊勲章の授与があるそうじゃ」

 タバサはその小さく青い頭をペコリと下げて書簡を受け取った。

 そして最後に、オスマンがルイズの前に立った時、

「あー……ミス・ヴァリエール、おめでとう、君もシュヴァリエの爵位を……」



「……今、なんと?」



 それは起こった。

「“私”がですか? オールド・オスマン、何かの間違いではありませんか?」

 桃色の髪の少女は、隣にいる黒い髪の少年の纏う服、『ぱーかー』の裾を掴み、その目には怒りを、纏う空気は怜悧な冷たさを持っていた。

 その言葉は間違いでなければ許さないというような、一種殺気にも似たオーラを彼女は放っている。

 その姿を見て、オスマンは小さく溜息を吐いた。

「間違いではない、ミス・ヴァリエール。君にはシュヴァリエ授与の書簡と、それとは別に姫からの個人的な手紙を預かっておる」

「……姫殿下から、ですか?」

「そうじゃ」

 桃色の髪の少女、ルイズは訝しむようにしてオスマンを見る。

 その瞳の光は“怒り”から“裏切られたというような落胆”に変わっていた。

 ルイズは肩を落としながらそれを受け取る。

「さて、今夜は君たちの此度の活躍を祝う意味も含めたフリッグの舞踏会じゃ、存分に着飾り楽しむがよい。主役は君たちじゃからな」




***




 ルイズは部屋に戻ってアンリエッタからだという手紙を読み始めた。

『親愛なるルイズ・フランソワーズ、貴方のお手紙は読ませて頂きました』

 ルイズは、目を覚ましてから二通の手紙を書いている。

 一通は父宛。

 “あの水メイジ”がサイトを追い出し、さらには擦り傷程度といえど怪我を負わせたのは明白であり、自分に対して手を出してきた旨の内容を綴っていた。

 同学年相手ならば自身や家の誇りから親に頼ることも少ないが、相手が大人、それも爵位を持つほどの身分ともなればその範疇からは大きく外れる。

 ルイズは、今回のモット伯が“自身に触れた”件について赤裸々に自分視点での屈辱を父宛に“相談”という形で送った。

 受け取ったヴァリエール公爵がそれを読み、娘に手を出した不届き者に憤慨し、王宮へと働きかけを始めたのだ。

 そしてもう一通はアンリエッタ宛に。

 父が公爵家、さらには幼少の頃からの友人という事も相まって通常なら難しい王女への直接の手紙も通された。

 無論、いくつかの査定、安全検査等を超えた事は言うまでも無い。

 ルイズはアンリエッタに今回のモット伯の件、そして報奨に関するお願いをしていた。

『まず無事で何よりです、ルイズ・フランソワーズ。貴方のモット伯からされたという仕打ち、お父上のヴァリエール公爵からもお話しがあり、周りの者とも話し合ってモット伯からは爵位の剥奪を行いました』

 ルイズは、ここで初めてモット伯が既に貴族で無くなった事を知るが、

 (……“そんなこと”はどうでもいいんです、姫様。それよりどうして……?)

 未だ文の内容に自身の知りたい内容は出てこない。

 つらつらとモット伯の爵位剥奪に係る経緯が書き連ねられているが、ルイズはそんことが知りたいのでは無い。

 と、

『さて、ルイズ・フランソワーズ。私は貴方を含め三人にシュヴァリエを授与しました。一人は既にシュヴァリエだったので精霊勲章という形で国に報いてくれた報奨としましたけど』

 ようやくルイズの知りたい本題に入るようだ。

『ルイズ・フランソワーズ、貴方は何故か“自分の功績”も“貴方の使い魔の功績”とし、“使い魔さんに全ての報奨を与えて欲しい”とお願いしてきましたね、今回で言えば貴方が貰うシュヴァリエの爵位ということになるのかしら』

 そう、ルイズは自身にふりかかる名誉、功績、それら全てをサイトの物とし、シュヴァリエをサイトに与えて欲しいという旨の手紙をアンリエッタに出していた。

『貴方は昔から変わってたけど、自分よりも使い魔に報奨を願うなんて優しいのね。いつも励ましてくれた私唯一の本当の親友のお願いだもの、ちゃんと聞き届けてあげたい、と思っていたんだけど』

 ルイズの眉間に皺が寄り始める。

『“宰相のマザリー二”に止められてしまったの、平民をシュヴァリエにするのはおやめ下さいって』

 (マザ、リーニ……!!)

 ぐしゃ!! と音がして紙に皺が寄る。

 マザリーニ。

 トリステインの宰相にして“鳥の骨”の異名を持つ男。

 この男によってルイズの計画は瓦解、いや“遅延”した。

 (このままじゃ“サイト貴族化計画”が……!!)

 サイト貴族化計画。

 ルイズはそんなプランを練っていた。

 サイトを貴族にして、自分との仲を誰もに認めさせる。

 身分の差がある以上、かならずそれが障害になる時が来る。

 いざというときは自分が貴族の身分などかなぐり捨ててサイトと共に行く覚悟はあるが、穏便に済むに越した事はない。

 “だから”ルイズはフーケの捜索という“危険”が絡む任務についたのだ。

 決して先生達に馬鹿にされたから、だけでの行動では無かった。

 何が起きるかはわかっているのだ、それでサイトに功を立てさせる。

 しかし、それがどれだけ甘い事だったかは今回痛いほど痛感した。

 全てが上手く行くとは……歴史と寸分変わらぬとは、限らない。

 サイトは怪我を負った。

 ルイズにとって怪我の度合いは関係無い。

 それが致命傷だろうとかすり傷だろうと同じ事。

 今回、そんな許せない事態が発生したにも関わらず、サイトはシュヴァリエになれなかった。

 それはつまり“再びなんらかの危険”を負う必要、可能性があることを示している。



 (覚えていなさいマザリーニ卿、貴方はしてはいけないことをしたわ……!!)



 ルイズの中に一つ、小さな、しかし決して弱くは無いドス黒い炎が静かに灯った。

 が、

「ルイズ? 着替えなくていいのか?」

 サイトに声をかけられたことによってルイズはその炎を胸の奥底へと仕舞い込む。

 我に返った、いやサイト脳に返ったルイズはサイトへと微笑みを返した。

「ええ、いいのよ。私は“フリッグの舞踏会”に出ないから」

「えっ? 出ねぇの?なんでだよ?」

 サイトはルイズの意外な発言に耳を疑った。

 よくわからないが、今回やるのはダンスパーティらしくて、ご馳走も一杯出て、主役はルイズ達だと聞いている。

 サイトも美味い物を食えると少し楽しみにしていたくらいだった。

「だって、出たってどうせ今まで私を馬鹿にしてた奴等が掌返したように近づいてくるのがオチよ、公爵家三女にしてシュヴァリエ、お近づきになっておけば後々の為になる、そんな汚い考え持った奴がうようよいる中に行く暇があったら私は……」

 ルイズは、トン、と軽やかにサイトに近づいて両端のスカートの裾を掴んで持ち上げ、頭を下げた。

「こうやって、サイトと二人で居る方がいいわ」

 頭を上げてサイトに微笑むルイズ。

 サイトは気恥ずかしくなって視線をズラし頭を掻く。

 ルイズは優しい笑みでそんなサイトの後ろ姿を見つめ……一転してサイトの背に背負われているデルフリンガーに厳しい視線を送った。

 (本当、なんでしょうね……?)

 デルフは『ビクッ』と刀身を振るわせながらも無言で素知らぬ風を貫き通していた。

 普段のルイズならとっくにデルフにOSHIOKIしていてもおかしくない。

 そんなルイズがデルフに手を出さないのには理由があった。

 話はサイトの怪我を治した日に遡る。




***




「デルフ、貴方は一体何をしてたのよ」

 ルイズは苛立ちながらデルフに詰め寄った。

 サイトの怪我は治ったが、心配したルイズが睡眠薬をもらい、先にサイトには眠って貰っていた。

 ……デルフのOSHIOKI姿を見られない為、ともとれる行動ではあるが。

『よぉよぉ娘っ子、今回のはおめぇさんにも非があるんじゃねぇのか?』

 だが、この日のデルフは珍しく言い訳どころか食ってかかってきた。

「それは認めるわデルフ、ええそうよ、私のせいでサイトは苦しんだのよッ!!」

 歯を噛みしめ、ルイズは悔しそうに唸る。

 その白く美しい指は握られ、震える程に握りしめられている。

 普段、サイトが起きないように気を使うルイズにしては、稀に見るサイト就寝中の大声。

 それほど、ルイズも悔しい思いをしていた。

「でもデルフ、百歩譲ってゴーレムの件を私一人の責任としても、“何でみすみす私からサイトを遠ざけた”の? それにあのモット伯って男、多分魔法でサイトを追い出したでしょう? でなきゃサイトがあんなに擦り傷を負っているわけが無いわ」

 ギンッ!! とルイズは自身の姉並に目をつり上げ、デルフに詰問する。

『え? あ、えーとそれはだな……相棒があの貴族に酷く打ちのめされててよ』

「打ちのめされた?」

 なんだそれは?

 何があったのだ?

 ……いや、そんなことより。

「貴方、それを黙って見ていたわけ? 何のために貴方をやむなくサイトの傍に置いてると思ってるの? 本当なら二人きりがいいところをやむなく、本っ当にやむなく置いてあげているのよ」

 ルイズの纏う空気が一瞬にして冷たい物へと変わる。

 チリッ!! と触れれば焼けるのではないかという程の真逆の錯覚を伴いながら。

「やっぱり、OSHIOKIが必要かしら……」

 ルイズがそう、無慈悲に告げた所で、

『ま、待て待て待て娘っ子!! いいのか? そんなことしちまってよ?』

「……どういう意味よ?」

 デルフが“らしくない”ことを言い出した。

 良くも悪くもこの剣は正直者である。

 嘘を吐いたり、戯れ言で言い逃れようとするタイプではない。

 それを知るルイズだからこそ、その物言いが少し気になった。

『俺様にまた“あれ”やろうってのか? それなら俺様にも考えがあるぜ? 今日の相棒が言ってた娘っ子への言葉、それを俺様は教えてやらねぇ』

 カチカチと音を鳴らしながら喋るデルフリンガーの言葉に、ルイズは動きを止めた。

 サイトが言ってた私への言葉?それって………………、




 ………………すごく気になる!!




 決断は速かった。




***




 かくして、ルイズはその話を聞こうとしたが、デルフはそう簡単には内容を話さなかった。

 何でも、今までOSHIOKIされた恨みかららしい。

 これからもうOSHIOKIしないのならば、教えてくれるとの約束だ。

 今はその確認期間中のようなものだった。

 ルイズは歯がみしながらも、しかしサイトが自分のことを何て言ってたのか知りたくてたまらない気持ちから、デルフへのOSHIOKIを自粛していた。

 ただ、一つだけ教えて貰ったことがある。

 (サイトは私に“感謝してる”か……うふふふふ、感謝してるのは私のほうなんだけど)

 ルイズは口端が緩み、抑えきれない歓喜が体中に巡り、サイトは、自身の背後で急に肩を振るわせ始めたルイズに首を傾げていた。



[13978] 第三十五話【春恋】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:24
第三十五話【春恋】


「おい、こっちもあのテーブルと同じ物をくれないか」

「あ、はい、ただいま」

 メイドが一人、今宵のダンスパーティ、フリッグの舞踏会場を奔走していた。

 貴族がテーブルの食事で無くなった物を注文し、メイドは厨房に追加分の食事を取りに戻る。

 都合すでに三回目。

 大きな会場で、不特定多数の貴族がたくさんの物を口にし、それらが無くなれば補充、汚れれば清掃。

 各メイドが幾人もそうやって動き回っており、そのメイドもそのうちの一人だった。

 舞踏まではまだ時間があり、今はディナートークタイム、と言ったところで一番忙しい時間帯。

 会場は広く、椅子やテーブルもあるが立食式での食事の為、会場の床はたちどころに汚れていく。

 だが、貴族という生き物は例えそれが自分たちのせいで汚れていこうとも、それを認めたがらず、あまつさえ汚い事に嫌悪の念を示すことも少なくない。

 だからメイド等の使用人は休む暇なく、貴族が汚していった場所をたちどころに清掃せねばならないのだ。

 絶対的な主従の差、それが貴族と平民、とりわけ使用人に対しては強いことがここでも窺える。

 だから、普通のメイドや使用人は例えもらえる給与が増えようと、余り貴族と長く関わる仕事をしたがらない。

 いつ機嫌を損ねられ、自分に不機嫌の飛び火が来るかわからないからだ。

 当然ながら、貴族の一言で解雇、などというのもザラにある。

 そんな中で、会場と厨房を行ったり来たりしている黒髪黒眼のメイド少女、シエスタは、自らメイド仲間に頼んで今日の会場の仕事を代わって貰った稀有な存在だった。

 メイド仲間は二つ返事ですぐに了承してくれた。

 むしろ喜ばれたと言ってもいい。

「あんなに感謝されたら、何だかちょっと罪悪感が残りそう……っと、また汚れが」

 テーブルに料理を運び終わった後、シエスタは新たな汚れを発見、清掃にかかる。

 せっせとそうやって仕事をこなしながらシエスタは会場を見渡していた。

「まだ来てない、かな」

 そう小さく零し、清掃を終える。

 ふぅ、と額にじんわり滲んだ汗を拭い、慌てて髪の毛の状態を確認する。

 幸い、会場には貴族が自身の身だしなみを整える為の鏡もいくつか設置されていた。

 それを遠目から覗き込み、自身の髪の毛が危惧したようなボサボサになっていないことに安堵する。

「今日はミス・ヴァリエールも主役のうちの一人だし、サイトさんも暇になる筈。そしたら一杯お話しできるかなぁ」

 フフ、と小さく笑ってシエスタは会場をまた見渡した。

 今日という日の為に奮発して購入した“髪用のせっけん”で洗われた髪が揺れ、いくつも天井からぶら下がっているシャンデリアの光を浴びて煌びやかな漆黒を彩る。

 だが、舞踏が始まる時間も段々と近づいているというのに何処にもサイトはおろかルイズの姿さえ確認出来ない。

 別に約束をしたわけではない。

 自分の中での理由も根拠も不明瞭。

 だが、それでもシエスタは今日はサイトがこの会場で一人になると頭から思いこんでいた。

 (準備に手間取っているのかなぁ?)

 その為シエスタは、そんなことを考えながら今か今かとその時を待ち続け、仕事に精を出していた。




***




「ムグムグ……」

 青い髪の少女、今日の主役のうちの一人のタバサは自身の着ているドレスが汚れるのも構わずに手と口を動かしていた。

「ムグムグ……」

 目の前の厚さ5cmほどの肉は一瞬にしてこのハルケギニアから姿を消し、

「ムグムグ……」

 その隣にあるハシバミと名付けられた辛味が強い事で有名な草を使用したサラダは綺麗サッパリ器が空になり、

「ムグムグ……」

 奥にある焼きたてのパンはそのパンくずだけを残してこの世を去り、

「ムグムグ……」

 新たに追加されたハシバミ草のサラダは既に一人の少女のお腹の中に収まっていた。

 小柄な彼女のどこにそれだけの料理が入るスペースがあるのかと問いたくなるほどその食べっぷりは豪快で、普段のおとなしめなイメージはこと食事の際には感じられず、肉食獣のそれのようにタバサは目の前の料理を蹂躙し続けていた。

「あらタバサ、またそんなに食べてるの? いい加減太るわよ?」

 そこに、タバサと同じく今日の主役の一人であるキュルケが近寄ってきた。

 タバサとは違い、腕を全て露出した肩からかけるノースリーブタイプの中でも一際きわどく、背中は半分以上が露出する真っ赤で扇情的なドレスをキュルケは着込んでいた。

 自身のボディスタイルに自信がなければ決して着ることは出来ないようなドレスである。

 それはもう既にドレスというより真っ赤な一枚の布と呼ぶほうが相応しい程に彼女のボディラインを周囲へと強調していた。

「ねぇ、ダーリン見なかった? まだルイズも来てないみたいだけど」

 キュルケは挨拶もそこそこにタバサに気になった話題を振る。

「……見てない」

「あら? 貴方が食事中に返事をするなんて珍しいわね、もしかしてタバサもダーリンの事が気になっているの?」

「……別にそんなことない」

「あらそう」

 キュルケは言葉では簡単に流すが、

 (興味ないことは結構無視が多いこの子が返事するってことは、無意識に意識してるってことかしら? ダーリンてばモテモテねぇ♪)

 内心ではタバサの心情を察し、クスクスと笑みを零す。

「……何?」

「いいえ、何でもないわ」

 タバサが訝しげにキュルケを見るが、キュルケは本音を漏らさない。

 キュルケはタバサの何処かじっと見つめてくる視線をあえて無視し、今日の主役仲間のうち、公式には唯一の男、今女性の輪の中心になっているギーシュの方に視線を向けた。




***




 きゃぁきゃぁといろんな声を出しながら女の人だかりができていた。

「……うう、中々中に入れません……」

 そんな中、今日は精一杯のおめかしをしたケティ・ド・ラ・ロッタは女性の壁によって前に進めないでいた。

 聞けばギーシュはシュヴァリエに叙されたと言う。

 このままではより一層距離が開きかねないと考えたケティは勇気を出していつものバスケット片手にギーシュに近寄ろうと試みていた。

 将を射んと欲すれば先ず馬から、とケティはこれまでギーシュと仲の良いサイトに話を聞こうと動いていたが、巡り合わせが悪いのか、はたまたサイトと会わせまいとする“誰かの意図”か、会う機会が無く、今のところ望む結果は得られていなかった。

 だがそうやって会えなければ会えないほど、自分の気持ちがわからない時間が長ければ長いほど、ケティの心には恋の感情が再燃していた。

 だから今日この日、彼女にしては珍しく大胆とも言える行動に出ようとしたのだが……結果は見ての通り。

「あぅっ」

 女性の壁によって弾き出されケティはギーシュに近づくことさえ敵わない。

「うう、どうしたらいいんでしょう……」

 ケティは半ば諦めかけながら一旦女性陣から距離をとろうとし、

「きゃっ!?」

 誰かにぶつかった。

「ん?」

 イキナリ後ろからぶつかって来られた少女に、少年は首を傾げる。

「あ、すみませんすみません」

 ケティは慌てて頭を下げ、慌てすぎてテーブルの料理の皿を服にひっかけ、その場に少しぶちまけてしまった。

「お、おいおい」

 少年は流石に少女が可哀想になって拾うのを手伝う。

 周りは混雑しているせいもあってか、たいしてその事を気にする者はいない。

 メイドも気付いて掃除の準備をしているようだし、大きな物だけテーブルにでものせておけばそれでいいだろう。

「あ、ありがとうございます……」

 少々しょぼくれたようにケティはお礼を述べた。

「いや、いいよ」

 少年はやや気落ちしている少女に、これ以上追い打ちをかける気にもならず、そのまま視線を戻そうとして……、

 ……クンクン。

「……アップルパイ?」

 自身の敏感な鼻が彼女のバスケットの中の物を察する。

「え……? わかるんですか?」

 ケティは驚いた。

 まさか香りだけで中身を当てる事ができるとは。

 見た目ふくよかな体をしている少年。

 頭はギーシュと同じ金砂の髪だが、オシャレか天然か前髪が額でくるりと丸まっていた。

「あの……もしよろしければ食べます?」

 どうせこのままではギーシュには食べてもらえない。

 そう考えたケティは、お礼も込めて目の前の“上級生”にアップルパイを譲ることにした。

「え……いいのかい?」

 上級生の少年は少々驚きながら片手に持っていたグラスをテーブルへと置いた。

「はい!!」

 ケティもまた、今日はもうダメだろうと思いが強いせいか、快くアップルパイを目の前の少年に差し出す。

「あ……」

 だが、少年はそんなケティを見て固まってしまった。

「……?」

 ケティは不思議がりながらもバスケットの中身を取り出す。

「どうぞ♪」

 ケティは、どうせ食べてもらえずに悪くなるくらいならこうやって誰かに食べてもらった方が良いと常々思っている。

 そのせいもあって彼女は笑顔だった。

「あ、ああ……」

 上級生の少年は半ばぎこちなくアップルパイを頬張り、



「う、美味い……!!」



 感動した。

 その体型から物語るように彼は食事が好きだった。

 彼は実家でもコックに特上のものを作らせるし、学院の食事も美味しいもの……主に料理長マルトーが手がけた物を好んでいた。

 逆に言えば、それだけ舌に自信があったのだ。

 その彼が、心の底から美味いと感じた。

 これは美味だと。

 不思議とそう感じた。

 特別な材料を使っていないのは理解出来る。

 彼は食べただけでおおよそのその食材、調理方法を看破出来るほどに食通を自負していた。

 その予想される工程は簡易であり、ここまで自身の舌を唸らせるものではない。

 だが、今彼はこのアップルパイをかつて無い程美味いと感じた。

 (何か、何か目に見えないスパイスが……?)

 そう思う少年を尻目に、会場にはいつしかメロディーが奏でられ始めていた。

 本日のメインイベント、舞踏会の開幕である。

 ハッと少年が気付くと、そこにはもう少女はいなかった。

 あるのは胸の中と口に残る僅かなアップルパイの残滓。

 (なんだろう……この気持ち……前にも少し感じた事があった気がする……)

 少年は胸に残るアップルパイの残滓に思いを馳せ……、

「っ!!」

 フラッシュバック。

 脳裏には先程の少女のとびきりの笑顔とアップルパイ。

 ビビビッ!! と自身に雷が落ちたかのように、唐突に少年は理解した。

 ここ最近、食堂での一件以来少しダーク気味だった彼は、久しぶりにその瞳に活力を戻らせる。

 (これは……そうだこれは……!!)

 耳に入ってくるクラシカルなイントロ。

 既にここに彼女がいないのがとても残念。

 なぜならそれは……、




(……これは恋だ!!)




 トリステイン魔法学院二年、風上のマリコルヌ。

 学院生活に入って二度目の春の兆しを垣間見た瞬間であり、恐怖というトラウマを克服した瞬間だった。



[13978] 第三十六話【舞踏】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:24
第三十六話【舞踏】


「何だか不思議な感じだな」

「そう? でも確かにそうかも」

 ルイズは微笑みながら辺りを見回した。

 周りには誰もいない。

 そこはしんと静まりかえった大きな部屋。

 大きなテーブルに椅子がいくつも付いていて、しかし座っているのはサイトとルイズの二人きり。

 テーブルには二人がいるところにだけ食事が乗っていた。

「もうここに入ることはねぇと思ってたけど」

 アルヴィーズの食堂。

 常ならば二人っきりになれることなど無いこの大きな食堂で、サイトとルイズは二人きりだった。

「何? マリコルヌのこと気にしてるの?大丈夫よ、今日はほら、みんな上だから」

 ルイズは微笑みながら上を指差す。

 耳を澄ませば上からは若干騒がしそうな声が響いてくる。

 元来騒ぐのが嫌いじゃないサイトは混ざりたいと思う一方、こうして静かに二人でいるのも悪くはないと感じていた。

 だからこそ、

「でも本当にいいのかルイズ?」

 もう一度尋ねる。

「大丈夫よ、料理長にも話をつけてあるし」

「いやそうじゃなくて……ほら“フロッグの武道会”、だっけ?」

 ルイズはきょとん、としてからクスリと笑い、

「それを言うなら“フリッグの舞踏会”よ、サイト。カエルが武道してどうするのよ、モンモランシーの使い魔でも優勝させる気?」

 楽しそうに笑う。

 事実ルイズは楽しかった。

 サイトと二人きり、正確には二人と“一振り”だがこうして誰にも邪魔されずにサイトと過ごす時間は至高の一時だった。

 彼女が本来、望んだのはこういった生活。

 それがようやくと形になった事に少なからず感動さえ覚える。

「なんか覚えづらいんだよな、フリッグの舞踏会、ね。よし今度は覚えたぞ」

 ウンウン、と自身に何度も頷くサイトの様を見てルイズはまたクスリ。

 楽しい。

 これが最も欲しかったモノ。

 サイトは笑われたことが恥ずかしかったのか、目の前の食事を勢いよく食べることで誤魔化す。

 その食べっぷりは豪快で、次から次へと手当たり次第に皿の上の食事に手を付けていく。

 さながら全種類制覇目指すといった勢いだ。

 そうして二人がようやく食事を終えた時、天井の方から小さめではあるがクラシカルな旋律が聞こえて来た。

「舞踏会、始まったみたいね」

 ルイズが小さく零し、立ち上がる。

 その姿を見て、サイトは……、

「なぁルイズ」

 声をかけていた。




***




「舞踏会が始まっているのにミス・ヴァリエールもサイトさんも見あたらない……」

 シエスタは会場中の踊っている男女を見て回るが、それらしき姿は見あたらない。

 だいたい、もし会場に入ってきているなら入り口の係の者が紹介の声を上げるはずなのだ。

 それを聞いていない以上、ルイズは間違いなく来ていない。

 とすると、ルイズがいない現状でサイトがいる可能性は薄い。

「せっかく髪もお手入れしてきたのに……サイトさん来ないのかなぁ」

 はぁ、と残念そうにシエスタは壁により掛かかる。

 舞踏会場は奏でられるメロディーに合わせて二つのシルエットが対になって動き回っていた。

 故に、シエスタのように一人で居る者は浮いてしまう。

 と言っても彼女は使用人。

 使用人は皆似たようなものなので誰も気には止めない。

 だが……ここにもう一人、貴族でありながら一人でいる少年がいた。

「……ふん」

 少年はつまらなさそうに周りを見渡す。

「……ゼロのルイズは来ないじゃないか。来たらさんざんなパーティにしてやろうかと思っていたのに」

 少年は本当につまらなさそうに胸元に隠してあった杖を指先で撫でる。

「おーいヴィリエ、お前は誰かと踊らないのか?」

 少年、ヴィリエ・ド・ロレーヌに同学年の男子が声をかけるが、

「気分じゃない」

 一言で断った。

「ああほんと、つまらない……なっと!!」

 ヴィリエは不機嫌そうにワイングラスを煽りバルコニーに出て、一人双月を見上げる。

 つまらないつまらないつまらない。

 納得いかない納得いかない納得いかない。

 (あいつが、シュヴァリエだって!?)

 詰まるところ、ヴィリエの不機嫌はそこに集約されていた。

 (マグレ……いやおこぼれに決まってる!! あんな奴がそんなたいそうなことなど出来るものか!! キュルケやギーシュ、それに“あいつ”がいたんだ、そのおかげさ!!)

 ヴィリエの言う“あいつ”とは無論サイトのこと……ではない。

 視線を少しずらせば、未だに一人で踊らず食事をしている青い髪の少女が一人。

 (クソッ!! 何がシュヴァリエだ、ゼロのくせに!!)

 周りには既にルイズを見直している奴、今からお近づきになろうとする奴など、様々なルイズ肯定派が生まれつつある。

 ヴィリエにとってはそれも不満の種だった。



 (覚えてろよ……ゼロのルイズ……!!)



 少年の瞳に、昏い焔が灯る。




***




 タバサは未だに食事を止めていなかった。

 しかし、時々は小休憩し、周りを見渡していた。

 (……やっぱり、まだ来てない……それとも来る気が無い……?)

 タバサは視線を彷徨わせ、桃色の髪の少女、ついでに黒い髪の平民を捜すが、見あたらない。

 (……聞きたいこと、あったのに)

 ふぅ、と一旦フォークを手放す。

 気にならない、というのは正確ではなかったかもしれない。

 そう先程の会話を思い出すと、彼女にしては珍しく、食欲が急激に削がれてしまった。

 (……あの腕は確かに偽物だった……でも彼女はそれが……自分が爆破させたものが“偽物”だとわかっていたの……?)

 眉が寄り、視線が少しきつくなる。

 (……もし、わかっていたならいい……でもそうじゃないなら彼女は危険……)

 タバサは思考を張り巡らせ、彼女の今までの行動、性格、成績を脳内に並べていく。

 だが、その情報量はあまりにも少ない。

 何故なら魔法がきちんと成功しない彼女のことはタバサもノーマークだったからだ。

 (……迂闊……やっぱり“まだ”思慮が足りてない。このままでは“あの男”に勝てない……)

 そう自身を思い諫める一方で、

 (……でも、“あの男”も油断はあるはず。そこを突けばあるいは……そう、例えばとても強い平民とか)

 ノーマークの少女の使い魔を脳裏に思い浮かべる。

 平民とは思えぬ動きと強さ。

 何より、主を身を呈しても護ろうとした心意気は凄い。

 (相打ち覚悟で挑めば彼ならあるいは……)

 そう思って思考を打ち消す。

 他人を犠牲にする思考は好きではないし何より“それ”は自分でやらなければ意味がない。

 無論使える者は使うし犠牲も必要なら払う。

 だが本来関わらなくても良い人間なら、それは極力避けたい。

 (……日々精進……)

 そうタバサは思考を纏め、食事を再開した。




***




「おいおい君たち、待ってくれないか、いくら美しい薔薇が多かろうと僕は一人しかいないんだよ?」

 ギーシュは言い寄ってくる女性一人一人に丁寧に接していた。

「今度は君かい? おや?君の瞳はとても美しいね、海に沈むアクアマリンのように透き通った碧だ」

 それはともすれば全員を口説いているかのようにも見える。

 だが、その誉め言葉はどれも単調で、平等だった。

 一人を特別視しているわけではなく、分け隔て無く接する。

 たくさん咲いている花に、これが一番綺麗だ、などと普通は順番をつけない。

 ギーシュは、まるで女性が花畑のお花一本一本であるかのように扱う。

 それに気を良くする者もいれば、特別視されないことにがっかりする女性もいた。

 だがそれでもギーシュの周りに女性は絶えなかった。

 女好きとしても若干名が通ってしまったギーシュは、女性陣にとって絶好の鴨だった。

 元帥の息子にしてシュヴァリエの叙位。

 女性が言い寄る材料は十分だった。

 ギーシュは女性達の思惑が見えていながらも、平等に接し続ける。

 一種、作業のようにも似たそれはしかし、ギーシュの曲げることは出来ない信念の一つだった。

 女性には優しく。

 それは生まれてから聞かされてきた貴族としての誇りの使い所と在り方として、教えられ、実践しているものの一つだ。

 ギーシュはそれで良いと思っているし、ギーシュに言い寄る女性陣も半ばそれを理解しつつあった。

 だが。

 ここに一人。

 それを理解しきっていない人物がいた。



「……ギーシュッ……!!」



 小さく怨嗟の篭もったような声で名前を呼んだのは長い金髪を縦にいくつもいくつもロールしている少女だった。

 スタイルも良く、今日は無理もしたのだろう。

 スカートがいつも以上に短く、その美しい肢体を遺憾なく表現していた。

 彼女は何度となく彼に口説かれ、彼に浮気され、彼に惹かれた。

「……お付き合いなんてしょせんは遊び……でも……ッ!!」

 少女、モンモランシーは納得がいかない。

 あの人数相手にまるで自分に言うかのような歯が浮く台詞を次々と言ってのける彼が。

 (貴方がそういうつもりなら……!!)

 モンモランシーは会場を出て行く。

 (わたしにも考えがあるわ……!!)

 香水のモンモランシー。

 彼女もまた、今日この日に胸中へ熱い焔を灯した。




***




「何?」

 ルイズはサイトに声をかけられ、もう何度目かわからない視線を合わせる。

「どうして……あの時フーケを追ったんだ?」

 今度のサイトは視線を外さず、真面目な表情だった。

「俺は使い魔だって聞いた。使い魔は主を護るもんだってことも。でも使い魔を護って主が酷い怪我をしたら本末転倒じゃないか」

「サイト……」

 ここ数日、彼がどことなく元気が無く、悩んでいることは気付いていた。

 だが、今サイトのその悩みが明らかになった。

 それは自分の行動。

 自分がサイトを悩ませていたのだと思うと胸が張り裂けそうになった。

 だから、彼女はかつてと同じように……答えを言うことにした。

「サイト、使い魔を見捨てるメイジはメイジじゃないわ。それに私は貴族よ」

「ああ」

「貴族という者は誇りを大事にする生き物なの」

「ああ」

「たとえ魔法が使えても、誇りがないならそいつは貴族じゃないわ」

「………………」



「“魔法”が“使える者を貴族”と言うんじゃない、“敵に背を向けない者”を貴族と言うのよ」



 それは……いつか見た夢。

 聞き取れなかった幾ばくかの言葉が、リアルに再現される。

 サイトは何故自分がその言葉を言うルイズを夢見たのか不思議だった。

 だが、今日はその疑問を胸にしまい込む。

 何故なら、その言葉を、心の何処かで待っていたような気がするから。

 だから今は……。

「ルイズ」

「なぁに?」

 ルイズは何でも答えてあげると優しく笑い、



「一緒に踊ってくれませんか、えっと……レディ……でいいのか?」



 頭を下げ手を伸ばしたサイトに絶句する。

 それはかつてとは逆の誘い。

 しかし耳に響く旋律は小さくともあの時と同じ物。

 ルイズは震えながらしかししっかりとそのサイトの手を取り、

「もちろん」

 一歩前へと踏み出した。

「ごめん、誘っといてなんだけど、俺踊れないんだ」

「いいの、私に合わせて」

 リズムよくテンポよく、観客は窓の外から見る双月だけのステージで。

 (サイトがダンスに誘ってくれた……サイトにダンスに誘われた!!)

 ルイズの喜びは絶頂を、超える。




(サイトに、サイトにサイトに!! うふふふふ、あはははははははははははははは!!!!!)




 動くステップは淀みなく、表情も互いに小さく微笑む程度。

 だが、




 (あははははは!!! やった、今日この日、フリッグに舞踏会の日にサイトと私踊ってる!! うふふふふふ!! あっはははははははははははははは!!!!!!)




 彼女の胸の裡の悦びだけは、誰にも見えない。



[13978] 第三十七話【退行】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:25
第三十七話【退行】


 朝。

 靄がかかったような思考が、急速にクリアになっていく。

 霧が晴れ、ぼやけていた視界もすぐにクリア。

 透き通るような朝の空気の中、視界には……サイトの寝顔があった。

「……フフッ」

 ルイズは小さく笑い、サイトの体により密着する。

 トクントクンと波打つ彼の胸の鼓動が僅かな振動となってルイズに伝わる。

 サイトの眠りはいつも深い。

 ちょっとやそっとでは目覚めない。

 だが、彼の体質なのか生活サイクルなのか、サイトはある一定時間を過ぎるとパッ目を覚ましてしまう。

 彼は寝付きと目覚めは良い方だった。

 逆にルイズの眠りはいつも浅い。

 浅く、長い。

 起きても意識が覚醒するまでにやや時間を必要とする。

 だからこんな朝は貴重だった。

 ルイズは早く起きていても、若干寝ぼけていることが多く、意識が覚醒しきる頃にはサイトはもうベッドにはいない。

 こうして、自分がしっかりと覚醒した状態で眠っているサイトの傍に居られることは、実はあまり多くないのだ。

 その為、今朝の彼女は上機嫌だった。

「サイト♪」

 小さく彼の名を呼ぶと、ルイズはサイトの耳元に近づいてその耳を、

「はむっ」

 口に含んだ。

「……? ……むにゃ……zzz……」

 サイトは一瞬表情を顰めるも、まだ目を覚まさない。

 気を良くしたルイズは、一旦含んでいた耳を離すと首に近づき、露出しているサイトのうなじを小さい舌で滑るように舐める。

 ザラザラとした感触と、確かに彼が平賀才人であるという実感を伴ってルイズの心をサイトの味で満たしていく。

 どんなスイーツよりも甘く、どんなスープよりも濃厚な……言葉で言い表す事の出来ないその味にルイズは満足し、モゾモゾと動いてサイトの上に覆い被さる。

「ん……うう……?」

 サイトは起きそうで起きない。

 ルイズは微笑みながらサイトの胸に肘をついて寝顔を覗く。

 もう、これだけでお腹一杯だった。

 サイトの決して同じ瞬間は無い表情をつぶさに網膜に焼き付けて行き、それに飽きることは永遠に無い。

「んん……う……あ……?」

 と、サイトの瞼がゆっくりと開き始めた。

「おはよ、サイト」

「ふわぁ……おはよルイズ……ってうお!?」



 ゴンッ☆



 サイトは目を覚ましてすぐ目の前、自分に覆い被さるようにしているルイズに驚き、混乱したまま咄嗟に起き上がろうとしてルイズと額をぶつけ合ってしまった。

「っ痛ててて……っと、ごめんルイズ」

 ルイズも突然のことで相当痛かったのか額を抑えてベッドの上で座り込んでいた。

 が、

「えへへ、サイトにまた傷つけられちゃった♪」

 額を抑えながらはにかんだように笑った。




***




「出来た……出来たわ!!」

 いくつかの香が混じった匂いがする一室。

 複数の瓶があちこちに転がり、そのどれもが空っぽだった。

「これをあとはゆっくりと熟成させないと……」

 目の下にはうっすらと隈さえ作って、ややしなびた金の髪を縦にロールした少女、モンモランシーは不敵に嗤った。

「でもまだ、効果を持続させるには弱いわ……せいぜいこれじゃ持って五日ね。こっちももう少し長く熟成させて期間を引き延ばさないと混ぜ合わせた時に効果を期待できない……」

 モンモランシーはコトンと小瓶を置き、未だ蒸留中のフラスコを眺める。

 と、ふと手近にあった鏡に目を奪われた。

「……酷い顔ね、ちょっと根を詰めすぎたかしら」

 自身の酷い顔の有様を見て、顔を洗いに行こうとモンモランシーは扉のノブに手をかけ……思い留まった。

 (どうしよう、あの小瓶ここに置いていっても大丈夫かしら? 万一ギーシュが尋ねてきてあの小瓶に気付いたら……いえそれよりもそれを使ってしまったら……!!)

 モンモランシーは「う~ん」と悩んだ挙句小瓶を手に取り部屋を出た。

 部屋には、フラスコに少しずつ溜まっていく液体だけが残されていた。




***




 サイトとルイズは着替えを済ませていつものカフェテラスで食事をしようと廊下を歩いていた。

 何気ない会話をしながらカフェテラスへと歩いていると、つん、と何かの匂いをサイトは感じた。

「ん……?」

 クンクンと鼻を鳴らして匂い嗅いでみる。

「サイト……? あ、何かの匂いが……」

 ルイズもその香りに気付き、周りに視線を巡らし、一人の少女の姿を捕らえた。

「モンモランシー? 成る程」

 ルイズは一人、納得したように頷いた。

「サイト、この匂いは多分あの娘よ。彼女は香水を作るのが得意なの。きっとその匂いだわ」

「へぇ、結構いい匂いだったから香水ならルイズがつけても似合うかもな」

 サイトがそう口を開いた瞬間、ルイズの行動は早かった。

 一瞬にしてその場から駆けだし、モンモランシーの肩を掴む。

「モンモランシー!!」

「えっ!? ちょっと何? ルイズ? いきなり何よ!?」

「その香水私にも分けて!! いえむしろ今使って!!」

「へっ!? ちょっ!? これはダメよ、ダメダメ!!」

 モンモランシーは焦り、手に持つ小瓶をルイズから遠ざけようとし、昏いルイズの瞳に一瞬怯んだ。

「ヒッ!?」

 瞬間ルイズの白く細い腕は伸び、

 シュッ、シュッ、シュッ。

 素早く奪った香水をルイズは自身に振りかける。

「あ、あああーーーーっ!?」

 モンモランシーは青い顔をして声を荒げた。

「な、何てコトしてるのよルイズ!! それが何だかわかっているの!?」

 ガクガクと肩を何度も揺らしながらモンモランシーは凄い剣幕で怒る。

「あうっ? ちょっ? あまり揺らさないでモンモランシー!! 香水でしょう? 無理矢理使ったのは悪かったわ、でもサイトが私に似合いそうだと言ってくれたんですもの。それに見たところまだ全然残っているじゃない」

 確かに量はさほど使っていないし、霧状にして吹きかけているのだから、そこまで減ってはいない。

 だが、

「そういう問題じゃないのよ!!」

 モンモランシーは青ざめたままルイズの肩未だにガクンガクンと振り、まともにルイズからの会話を許さない。

「お、おいおい、ちょっとルイズを離してやってくれ。これじゃまともに会話もできねぇよ」

 ようやくその場に着いたサイトが、ルイズとモンモランシーの間に入るようにして二人の距離を開け……、




────────ドクン────────




「あ……れ……?」




────────ドクン────────




 喧騒が遠くなり、ルイズの視界が一瞬ぼやける。

「───────!!」

「───? ───!!」

 モンモランシーやサイトが何を言っているのか理解出来ない。

 胸を押さえ、その場に蹲り、




────────ドクン────────




「ルイズ!?」

 ルイズの異変に気付いたサイトが彼女の肩に手を置いた時、パン、とその手を“ルイズ”に払われ、




「平民でしかも使い魔のくせに公爵家の娘に触れるなんて許されると思ってるの?」




 今までに、サイトが聞いたことの無いほど冷たく、棘がある声で“ルイズ”が“サイト”を見下した。

「えっ?」

 サイトは目を丸くして驚く。

 今までにルイズからそんなことを言われたことは無かった。

「ふん、全く使えないんだから。そんな常識くらい知ってなさいよね。この程度もわからないなんて犬の方がまだ使えるんじゃないかしら? 犬以下ね」

 だがルイズはサイトを汚いものでも見るかのように睨む。

 サイトにはわけがわからなかった。

 可愛く、いつも優しいルイズが急に豹変したように自分に攻撃的になった。

 いつだったか貴族と平民には身分の差があることは聞いたことがあったが、ルイズはいつもそんな差など無いように接してくれていたのに。

「いいこと? 罰として貴方は今日は朝食抜きよ、戻って部屋の掃除でもしてなさい!!」

 未だルイズの豹変振りについていけず、ポカンとしているサイトにルイズは苛立ちながら、

「わかったらさっさといく!!」

 弁慶の泣き所よろしく、サイトの脛に一発蹴りをいれてアルヴィーズの食堂へと向かっていった。

「~~~っ!!」

 突然の事にサイトは対応できず、痛みで脛を押さえてその場に沈む。

 モンモランシーは桃色の髪の少女の背中を黙って見送っていた。

 サイトはよっぽど脛が効いているのか、涙目になりながらいまだしゃがんでいる。

 視線をサイトに戻したモンモランシーはそのサイトの姿が余りに痛ましく可哀想に思え、

「今のことは忘れなさいな、二、三日もすればルイズは元に戻るわよ」

 状況の説明をしてやることにした。

「ルイズが私の香水勝手に使ったでしょ? あれは“単体”で使用するとそういう副作用のでる“未完成品”なの。だから使っちゃったルイズはああなったってわけ」

「じゃあ、今のルイズはその香水のせいでおかしくなってて、二、三日でそれが元に戻るってことか?」

 何処かすがるような目でサイトはモンモランシーを見つめながら必死に尋ねる。

 それが脛の痛みのためかルイズの豹変振りのせいかはわからないが、とにかくサイトは必死だった。

「ええ、あれはまだ調合途中なの。単体で使うと効力は弱いけど記憶や精神、“心”に変動を与えるのよ。今回の場合、“精神退行”しているようね」

「精神退行?」

「そう、簡単に言うと“数年から数十年前の自分に内面だけ戻る”ような効果よ。ルイズって学院始まった当初はあんな感じだったし退行したのは精々一年くらいじゃ……あれ?」

 モンモランシーは説明しながら首をかしげた。

 こういった精神退行は、薬に頼らずとも起こる事がある。

 心になんらかの負荷がかかりすぎると、自己防衛本能からか精神に異常を来たし、自分を護るために人格の分割や精神の退行などは稀に起こるのだ。

 その際、精神退行者は殆どの場合“記憶”も退行することが多い。

 ケースバイケースではあるが、大多数は自分が退行していることに気付かない。

 それは今の自分が“現代”の自分だと理解しているからだ。

 二十歳の人間が十年退行したとすると内面は十歳になる。

 このとき、自分は十歳であると認識し、またその十歳の時までの記憶しか持っていない。

 これを治療するにあたっては徐々に現代に近づくように記憶の催眠療法等を行うのだが……彼女はサイトが何者であるか知っているようだった。

 (たまたま、記憶は残ったまま退行しているのかしら? いえ、でもそれじゃあルイズが自分の使い魔にこんなに厳しいなんておかしいわよね、召喚当時からベタベタだったし。う~ん?)

 モンモランシーが急に悩みだしたことで、サイトは不安になる。

「お、おい!? ルイズ治らないのか?」

「あ、いえちゃんと治るわ。霧状にして使用したんだし、効果は薄いからさっきも言ったけど持って二、三日ね」

 サイトは少し安心したように表情を緩め、立ち上がる。

 もう脛も大丈夫のようだ。

「もういいの?」

「ああ」

 サイトが立ったことでモンモランシーも考える事をやめた。

「それじゃ私ももう行くわ、まだこれの調合とか残ってるし。あ~あ、でも必要最小限で作ったからまた少し作り足さないと」

 モンモランシーはぶつぶつ呟きながらその場から離れ、

 (さっきはきっと機嫌が悪かっただけだよな、精神が退行してるって言っても“ルイズはルイズ”なんだし二、三日なんだから大丈夫だろ。俺も頼まれた掃除でもしておこうっと)

 サイトもそれを見送ると考え事をしながらルイズの部屋へと掃除の為に歩き出した。

 二、三日で治る精神退行。

 それゆえにモンモランシーは深く考えず、サイトは“自分の知るルイズ像”から退行しても“ルイズはルイズ”と呑気に構えていた。

 だから気付かない、いや、どうあっても気付けない。

 彼女が一年、どころか数十年……およそ二十六年退行してしまっているという事に。



[13978] 第三十八話【矛盾】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:26
第三十八話【矛盾】


「あ~もうっ!!」

 ルイズはイライラしていた。

 何をやっていても気が紛れない。

 いや、集中できない。

 何かの禁断症状のように体中が渇き、飢えている。

 自分が自分で居るための“何か”が圧倒的に足りない。

 だが、その何かがわからない。

「何グズグズしてるのよ!? 掃除が終わったらさっさと洗濯してきなさい!!」

 わからないから八つ当たりとばかりに自身の使い魔に辛く当たる。

 だが、それは渇きを、飢えを、イライラを増幅させる効果しか生んではくれなかった。

 サイトが洗濯籠を持って慌てて部屋を出て行ってから数分、一向にイライラは収まらない。

 むしろイライラが募り、自分でもよくわからない精神状態に陥って頭が爆発しそうだった。

 まるで体が自分のものではないかのような錯覚さえ起き、苛立たしいことこの上ない。

 バフン、と天蓋の付いた大きなベッドに飛び込み頭をかきむしる。

 髪が傷み、折角整っていた桃色の長い髪がボサボサになる。

 と、ふと自分は今朝、どうやって寝癖を直したか思案して……何故か思い出せない。

 いやいや、いつも通り寝ぼけながら“自分で”やったはずだ、そうに違いない、うんそんな気がしてきた。

 そう自分に言い聞かせ、さらにイライラ。

「なんだってのよ、もう!!」

 悪態をついてベッドに拳を叩きつける。

 バフンとベッドは反発してその衝撃を吸収した。

 今朝、廊下で我に返ってからずっとこの調子だった。

 イライラが収まらず、かといって理由もわからない。

 ストレスが溜まる一方で、“何か”は急速に減っていく。

 減れば減るほどストレスは溜まり、ルイズの機嫌を悪くしていく。

 悪循環だった。

 原因がわからない以上、手の打ちようも無く苛立ちばかりが募り、もはや自分が今何をしたいのかさえわからない。

 落ち着くことが出来ず、心の中は荒れに荒れ……、

「……あれ?」

 それに気付いた。

 化粧台の鏡の前、そこに見覚えの無い物があった。

「随分と安っぽいわねぇ、こんなの持ってたかしら?」

 それは金のブレスレット。

 公爵家の娘としては、こんな安物そうな何の装飾も無いブレスレットを買う筈は無いのだが、ここにある以上これは自分のものだろう。

 それに、

「……なんだろう、なんか、これを見てると少し落ち着く」

 不思議と先程までのイライラが少し収まった気がした。

 何気なく手を伸ばし、それをはめてみる。

 腕にはすんなりと通り、覚えは無いがやはり自分のなのかしっくりとくる。

 加えて、先程よりもイライラが抑えられている気がした。

「……なんかようやく落ち着いたわ」

 ふぅ、と息を吐いて化粧台の前に座り、酷くボサボサになってしまった髪の毛を直しにかかる。

 鈍い金色が、鏡の中で薄く光っていた。




***




「……っと!!」

 パンッと洗濯物の水分を飛ばして皺を伸ばし、サイトは空を見上げる。

 天気は良い。

 日差しはさんさんと降り注ぎ、雲も少ない空には太陽が一つで、そこには平和という二文字しか見つからない。

 だが対極的にサイトの内心はどんより曇っていた。

「……なんか、ルイズが予想以上に厳しいんだけど」

 人が変わったわけでもあるまいし、数日で戻るのだからルイズはルイズと割り切っていたが、このルイズはサイトの知るルイズと違い過ぎた。

「犬、呼ばわりだもんなぁ……」

 犬と呼ばれ、「何だよその言い方」と返したら「犬なんだから人語を話さずワンと鳴きなさい」と来た。

 流石にムッと来て言い返そう物なら一が十になって帰って来、仕舞いには乗馬用の厚くて硬い鞭を振り回される始末。

「あれ、ホントにルイズなのかよ……」

 イテテ、と腕についた鞭傷の跡をさする。

 ルイズ曰く、主が認めない限り発言権どころか人権さえ認めないような口ぶりだ。

 同一人物なのか疑いたくなる程サイトは参っていた。

「……あれ? サイトさん!!」

 そんな疲れ果てたようなサイトに、快活に話しかけてくるメイドがいた。

「あ、シエスタ」

 メイドのシエスタ。

 サイトと同じ黒色の髪をボブカットにした黒眼の少女だった。

 服装はメイドらしく、白と黒のヒラヒラな服とヒラヒラの前掛けととどめにヒラヒラのスカートだった。

 慣れというのは恐ろしい。

 当初はコスプレか何かかと思わせる服装にもすっかりと慣れた。

「昨日は舞踏会にいらっしゃらなかったんですね」

「え? ああ、ルイズがいかないって言い出してさ」

 朗らかに笑いかけてくる少女の優しさに、サイトは先程まで一瞬荒みかけていた内心が恥ずかしくなってしまう。

 なんて自分は狭量な人間なのかと。

「どうかしました?」

 屈託の見えない笑顔に後ろめたさを感じたサイトは無理に明るく振る舞う事にした。

「いや、何でもないよ。ちょっと洗濯に悪戦苦闘していただけだし」

 ふぅ、と額の汗を拭い、一通り干し終わった洗濯物を一瞥し、

 グゥ♪

 お腹の音が鳴った。

「サイトさん? お腹空いてるんですか?」

「あ? いや実は今朝は飯食べられなくて」

 サイトは恥ずかしそうに頭をかきながらお腹を抑えアハハと笑う。

「? 珍しいですね、いつもならミス・ヴァリエールとかかさず摂られるのに。あら? そういえば今朝はお一人なんですね?」

 シエスタが“意外”そうにそう尋ねる。

 確かにこの世界に来てからここまでルイズと離れている事は珍しかった。

「え? あ、ああまぁ……ちょっとね」

 どう答えたものか迷い、サイトは乾いた笑いで場を誤魔化すが、何となく、シエスタは理解したようだった。

「サイトさんもいろいろ大変なんですね、貴族様っていうのもいろんな方がいますし」

 屈託無く笑うシエスタだが、どうにもそこにはルイズがサイトと喧嘩している、というようなニュアンスが含まれていた。

 貴族が急に気が変わって、平民に辛く当たるのはよくあること、というような。

 それは違う、と否定したいところではあったが、かといって否定したあと現状を上手く説明する方法も思い浮かばない。

 だいたい、まだこちらの“魔法”に関することは不慣れと言って差し支えないのだ。

 その為サイトは、特段肯定も否定もせずに愛想笑いで話を流した。

「そうだ!! サイトさんお腹空いているなら厨房にいらっしゃいませんか?」

 そんなサイトの内心など知らず、シエスタは空腹らしいサイトに提案をもちかけた。

 昨晩、会えると思っていて会えなかった分の思わぬ巡り合わせ。

 シエスタにとってみれば最近会って話すことが少なかった同じ平民の注目の的と仲良くなるチャンスだった。

 サイトもまだ洗濯以降のことは申しつけられていない上に空腹である。

「そうだな、うん、行くよ」

 断る理由は思いつかなかった。




***




「ただいま」

 シエスタと厨房で話しながら食事をもらい、料理長のマルトーやコック達と仲良くなったサイトは、“我らの剣”などと祀り上げられ、お礼とばかりにその日は晩まで厨房で手伝いをしていた。

 日もとっぷりと暮れた頃、ようやくとルイズの部屋へと戻って来ると、

「あんた何処に行ってたのよ!!」

 中には既に寝間着に分厚い鞭を持つご主人様が苛立たしげに仁王立ちしていた。

 目は釣り上がり、いかにも怒ってますと言わんばかりに鞭を定期的に掌で叩いている。

「あ、いや洗濯終わってからのこと聞いてなかったから……厨房でご飯もらってお礼にそのまま手伝いを……」

 サイトはあまりのルイズの形相にぎょっとなって、正直に話した。

「……厨房で食事を貰った? まるで私が食事を与えていないみたいじゃない!!」

「いや、今朝から何も貰ってないんだけど……」

 サイトの言い分にしばし時が止まる。

 そういえばそうだった、とルイズは顔をひくつかせた。

「……ま、まぁいいわ。それでお礼は言ったんでしょうね?」

「え? ああ、もちろん。言葉だけじゃなくて労働で返してきた」

「そう、ならいいわ」

 ルイズは納得したように鞭をポイッと投げるとベッドに腰掛ける。

「今度からはちゃんと何処で何をしているか言いなさい、貴方は私の使い魔よ。主には使い魔の事を把握しておく義務があるんだから」

 そう言って、今日はもう休むわとランプを消す。

 何だったんだ、とサイトは首を捻りつつ、昼間ほど機嫌が悪くなさそうなルイズにほっとしてベッドに入り、

「っ!? ちょっと何しようとしてんのよっ!?」

 叩き出された。

「……え?」

「え? じゃないわよこの馬鹿使い魔!! 何処の世界に主と同じベッドに入り込む使い魔がいるのよ!?」

 サイトは目を丸くする。

 彼女は本当にルイズなのかと何度目かの疑問が巡る。

 だいたい、一緒のベッドで寝るように命じたのは彼女なのだ。

「えっと、じゃあ俺は何処で寝ればいいんだ?」

「その辺の床で寝なさいよ!! 藁ぐらいなら持ってきてもいいから!!」

 床。

 寒いし冷たい。

「……マジか」

 がっくりと項垂れる。

 これから藁を調達しにいこうとしても、正直何処で貰えばいいかもわからないし、疲れていてもうあまり動きたくない。

 サイトはやむなくその場に寝ころんだ。

「さみぃ」

 寒さに震えつつ、丸くなるようにしてぎゅっと目を瞑る。

 そんなサイトをベッドでシーツを被ったルイズはのぞき見し、サイトが落ち着いたのを確認して深く潜り込んだ。

 (全く信じらんないわ!! 主のベッドに潜り込もうとするなんて!!)

 そう内心で苛立つ“フリ”をしながら、先程一瞬触れたサイトの肌から、信じられぬ程の幸福感を得られた事に疑問を感じる。

 早い話、納得がいかないのだ。

 あんな下等な平民、ましてや使い魔が自分に触れようとすることだけでもおこがましいのに、それを喜んでしまった自分が苛立たしい。

 矛盾に次ぐ矛盾が彼女の精神を苛み、苛立ちを助長させる。

 今は、手首にあるブレスレットだけが彼女の心のさざ波を少しだけ癒してくれた。




***




 次の日もルイズはサイトに厳しかった。

 サイトなどという“平民の使い魔ごとき”が傍にいると嬉しくなることが納得できない。

 そんなルイズにもわからない内心の矛盾が、必要以上にサイトに対して刺々しくなっていた。

 サイトも少しの辛抱だと自分に言い聞かせてきたが、それも限界は近かった。

 加えて今日もまたご飯を貰っていない。

 昨日厨房でマルトーと仲良くなっていなければご飯を食いっぱぐれる所だった。

「ミス・ヴァリエールも酷いですね、私たちもいろいろ貴族様には言われたりしますけど、食事抜きにまでは早々されませんよ」

 シエスタは疲れているサイトにいつも優しく微笑む。

 そんな笑顔を見る度、サイトは自分が軟弱者だと思い知らされた。

 彼女とて仕事で忙しい筈だし、貴族に嫌な思いをさせられてきたことも一度や二度ではあるまい。

 それなのにたった二日辛かっただけで根を上げる自分のなんと矮小なことか。

 そんな自己嫌悪気味のサイトの内心など知らず、シエスタは良ければ明日も来て下さいと元気に笑う。

 ありがたいのと同時に情けなくなってくるが、それもあと一日程度の我慢だとサイトは自分に言い聞かせ、夜まで厨房やシエスタの手伝いをすることで極力ルイズに関わらないようにした。

 それでも一日が終われば戻らなければならない。

 今日の仕事を終えたルイズは笑顔でシエスタに見送られ、厳しいルイズの待つ部屋に戻ると、そこには、



「あら? 使い魔さん?」



 見覚えのある紫髪の美しい女性と、その女性に跪く主人の姿があった。



[13978] 第三十九話【不快】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:27
第三十九話【不快】


「なぁ、結局俺にはよく意味がわからないんだけど」

「うるさいわね、アンタは黙って私についてきて護衛してればいいのよ、弾避けくらいにはなるでしょ」

 朝。

 いつもより早いまだ靄がかかった時間帯。

 普段ならベッドの上で微睡んでいるであろうこの時間に、馬に跨る影が三つあった。

 一つは未だに事情が呑み込めない人間の使い魔、ハルケギニアでは珍しい漆黒の髪に黒眼の少年、平賀才人。

 眠そうに欠伸をしつつ、意味もわからず馬に乗って不満げに主を見つめている。

 もう一つは彼を呼び出した張本人、主人であり、貴族であり、メイジである煌びやかな桃色の長い髪を揺らす小さな美少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 自身の使い魔が不服そうにしているのに苛立ち、しかし同時にそれがどうしようもなく自身のその小振りな胸を締め付け、彼女の心をかき乱す。

 結果、彼女はたいした説明も出来ないまま、サイトに八つ当たりじみた言葉しか返せないでいた。

 そして、



「……何だかルイズなんだけどルイズじゃなく見えるよ」



 二人のやり取りを見ていた最後の影、金髪の少年、ギーシュ・ド・グラモンは驚いたような声を出した。

「なによそれ、まだ昨日の事を言ってるの?」

 イライラしながらルイズはギーシュを睨み、内心溜息を吐く。

 どうしてこんな事になったのだろうか。

 話は昨晩にまで遡る。




***




 今日もまた使い魔が中々帰ってこない。

 居ると苛立つが居ないと不安になる。

 摩訶不思議な自分の内心を上手く把握出来ずに悶々とし、ルイズは自室の中を行ったり来たりしていた。

 と、

 コンコン。

「!!」

 ノックの音が聞こえ、ようやく使い魔が帰って来たか、と安堵し、慌てて首をぶんぶんと振る。

 (別に嬉しくなんか無いんだから!! 主人として何処に行ってたか把握していなかったら焦ってただけなんだから!!)

 自分で自分にそう言い訳をしながらいつも通り不機嫌さを装ってドアノブを回すが……そこには誰もいなかった。

 いや、そもそもノックの音はドアの方からしていなかった。

 無意識にサイトが帰って来たと思いドアに寄ってしまった自分に憤慨し、さらにはまだ帰っていないサイトにもっと憤慨しつつ、ルイズは音のした窓の方へとズンズン歩く。

 どうせ風で何か飛んできたのだろうと思い、シャッとカーテンを開けると、そこには暗い闇夜広がる空……ではなく彼女の良く知る女性が浮かんでいた。

「っ!?」

 短めの紫がかった髪、上から下までの真っ白な長いホワイトドレス。

 頭には銀に輝くティアラをし、肩から闇色のマントを羽織っているその人物は、この国で最も高貴な幼馴染みだった。

 アンリエッタ・ド・トリステイン。

 祖国であるこのトリステイン王国第一にして唯一の王女、その人である。

 ルイズは声にならない戸惑いから二、三歩後退してしまい、それを見て苦笑したアンリエッタは中空で杖をふるうとバン、と窓を開いた。

「ひ、姫様!?」

 ルイズはすぐさま跪き、頭を垂れる。

「ルイズ、ルイズ・フランソワーズ、そんなことをせずに顔を上げて。そんなことをされたら私も困ってしまうわ」

 昔はお互い、言葉上でこそあったが、そこまで身分の上下から来る礼節態度に差は無かった。

 月日の流れが知識を伴って二人の間に差を作ってしまったようで、アンリエッタには言い表しようの無い悲しさが生まれる。

「しかし姫様、私のような者が姫様に対し同じ御前を並べるなど……」

「今日は突然の訪問で来たこちらが悪いのです。それに私は貴方にお願いしたいことがあって来たのにお願いする側が頭を下げられては立つ瀬が無くなります」

「そんな!! 姫様のお願いとあらばなんなりとお申し付け下さい!! 私めに出来ることでしたらこのルイズ、ヴァリエールの名にかけてなんでも致します!!」

「ルイズ……ありがとう。でも話を最後まで聞いてからその答えを決めて欲しいの。これは……とても危険なお願いになります。断ってくれても私は貴方を責めないわ、ただお話しを聞いてくれるだけで私も心の重荷が降りるもの」

 アンリエッタは自分に一心の忠誠を示すルイズに嬉しさと、申し訳なさを覚えた。

 言葉通りこれから願いすることは大変危険であり、断られても仕方のないこと。

 もし断られたとしても、それでルイズを責めようとは思っていなかった。

「私、結婚するのです」

 決して嬉しそうではない笑みを浮かべ、アンリエッタは小さく吐露した。

「!? ……そう、ですか。おめでとうございます」

「ええ、ゲルマニアへ嫁ぐことにしました」

「ゲルマニア……!? あんな野蛮人の国に……失礼しました」

 口が過ぎたとルイズは慌てて言葉を濁す。

 いくら自分がそう思おうとこれは決まったことであり、アンリエッタの相手である以上その人はアンリエッタと“同格”として扱わなければならない。

「いいのですルイズ。私としても苦渋の決断でした。ですがこれでトリステインが護られるなら私は喜んでこの身を差し出しましょう。それが王族の務めというものです」

「姫殿下の愛国心溢れるお言葉に返せる言葉もございません」

 望まぬ結婚であることは言葉の端々から理解出来る。

 しかし、それを止めた方がいい、と言う事も、止めたい、と言うことも出来ないお互いは、次第に口数が減っていく。

 故に、自然と話は本題へと流れた。

「……それで、お願いというのは……」

「手紙を、回収して来て欲しいの」

 アンリエッタは寂しそうに笑うと、立ち上がって窓の外、夜闇を見つめた。

「姫様?」

「ルイズ、私は今回軍事協定を結ぶために結婚という形を取りましたが、その結婚が破談になる恐れがあるのです」

「それは……」

 喜ぶべきか否か。

 当然、望まぬ結婚が潰れるなら良いことかもしれないが、それで失う物が国単位となれば話は変わって来る。

「私が出した手紙、それが『アルビオンのウェールズ皇太子』の元にあります。もし万一その手紙が世に出回れば今回の結婚も、同盟も、無くなるでしょう」

「っ!? 一体その手紙とはどんな……いえ、なんでもありません。ご安心下さい姫様、私が必ずやその手紙を持って帰ってご覧に入れましょう」

「ルイズ・フランソワーズ……でも場所はアルビオンなのですよ? 知っているでしょう? 今あの国は内戦によって酷く疲弊し混乱しています」

「恐れながら姫様、私はもう姫様の願いを聞いてしまいました。ここで断ってはヴァリエールの名に傷が付いてしまいます。ましてや姫様は私の大事な……お友達ではありませんか」

「ルイズ、ああルイズフランソワーズ!!」

 アンリエッタはルイズの口から“友達”だと言って貰ったことに感極まり、涙を流した。

「ありがとう、ルイズ・フランソワーズ。“この間の貴方のお願い”にちゃんと応えられなかった私にそうまでしてくれるなんて」

「この間のお願い?」

 急に時間が止まる。

 ルイズには全く“覚えが無い”

 それは一体なんのことでしょうか、そう口を開こうとして、

 ギィ……。

「ただい、ま……?」

 サイトが帰ってきた。



「あら? 使い魔さん?」



 一応面識のあるアンリエッタは微笑むが、ルイズはそうではなかった。

 (聞かれた?)

 王族とのいわば密会ともとれる会話である。

 いくら自分の使い魔といえど盗み聞きのような真似をしていたのならば許されない。

 そう慌てたルイズはあろうことか勢いに身を任せ、渾身のドロップキックをサイトに放っていた。

「うわぁぁぁぁっ!?」

 跳ぶ、いや飛ぶサイト。

 見事にクリーンヒットしたサイトは更なる犠牲者にぶつかることでようやくその勢いを殺した。

「いたたた……な、なんだ一体? おや、サイトじゃないか」

 そう、その犠牲者こそ、ギーシュだったのである。




***




 その後、ギーシュは王女に驚き、すぐさま跪き、自分が元帥の息子であることを明かした。

 アンリエッタは数少ない信用できる人間の息子であることを知り、ルイズへの協力を願い出た。

 ルイズは嫌そうだったが、ギーシュは王女の頼みを聞けるのは身に余る幸せと頭を垂れ、二つ返事で依頼を引き受けたのだ。

 昨晩の流れを思い出し、ルイズは昨日渡された指輪をはめた指を見つめる。

 鮮やかな青色の宝石が付いた指輪は、ルイズの細く白い指でその存在を小さくアピールしている。

「ウェールズ王子、か。会った事は無いけど“プリンス・オブ・ウェールズ”としては有名な方ね」

 この指輪、“水のルビー”は王子と会うための身の上の証明用にと預かり、事が終われば路銀の足しに、と渡されたものだった。

 渡される時に言われた「もう、私が持っていても仕方の無いもの」という言葉が気にかかったが、結局そのことには触れなかった。

 会いに行く相手が王子とは予想以上だが、だからと言ってやることに変わりは無い。

 早く無事に任務を完遂させて姫様を安心させてあげたい。

 そう思う一心から出立を逸る気持ちが強いが、しかし。

「まだ、“護衛”の方は来ていないようだね」

 ギーシュが苛立っているルイズの内心を読んだかのように辺りを見回して零す。

 アンリエッタは念のため、一人護衛を付けると言っていた。

 時間はこの時間で間違いないはずなのだか、地平線には人っ子一人見あたらない。

「どうなってるのかしら? って、きゃっ!?」

 ルイズも不安に駆られ、まだ来ぬ人物に内心不満を持つのと同時、足下が急に盛り上がる。

「な、なんなのよ一体!?」

 ルイズをやすやすと土ごと持ち上げ地面から出てきたのは、一匹の大きな……、

「モグラ?」

「モグラじゃない!! ジャイアントモールだ!!」

 モグラ、もといジャイアントモールだった。

「前にも言ったろう? ヴェルダンデはそこらのモグラよりもずっと上位の存在なんだ、あまり一緒にしないでくれ」

 サイトに再びギーシュが熱く自身の使い魔、ヴェルダンデと呼ばれたジャイアントモールの事を語りだし始める中、当の本人はつぶらな瞳でじっとルイズを見つめていた。

「な、何?」

 ルイズは、ただじっと見られることによる意味のわからない恐怖を感じ、後ずさった瞬間、ヴェルダンデがルイズの“指”に飛び掛った。

「きゃあっ!?」

 馬なりになるようにルイズに覆いかぶさり、鼻をヒクヒクとルイズの“指”に押し当てる。

「あ、こらヴェルダンデ、何をしてるんだい!?」

 ギーシュもそれに気付いて自身の使い魔を諫めようと近づくが、それよりも早く、

 ビュウ!!

 と強い風が吹いた。

「!?!?!?」

 ヴェルダンデはわけもわからずに風によって数メートル吹き飛ばされる。

「ヴェルダンデ!!」

 ギーシュは慌ててヴェルダンデに駆け寄り、自身の使い魔の無事を確認する。

 幸い、かすり傷程度しか負っていないが、それでもギーシュとて穏便には済ませられない。

「誰だ!?」

 ギーシュもまた、“あの”ルイズ程でないにしろ、使い魔をとても大事にし、溺愛していた。

 ギーシュが睨みすえた先、中空にある雲に黒い影が浮かび、やがて影が濃くなる。

 バサリバサリと羽ばたきが聞こえ、雲から出てきたのは一人の男性を乗せた一羽のグリフォンだった。

 三人はその男性に見覚えがあった。

 ギーシュが驚いた顔で相手の顔を見つめる。

「貴方は……まさかあの魔法衛士隊の……!!」

 それは使い魔の品評会時、アンリエッタの護衛兼御者としても学院に来ていた帽子を被った男で、口周りに髭を生やしていながらもその若さから不潔感は感じられない。

 だが、ルイズとギーシュがその男を見て同様の驚きと感動に似た感情を瞳に宿している中、ただ一人、サイトだけは内から湧き出る不快感を感じ、



「……あいつ、風のメイジだ」



 男を睨むように棘のある視線で見つめていた。



[13978] 第四十話【惚薬】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:27
第四十話【惚薬】


「……出来た、出来たわ!!」

 朝日が丁度昇った頃、目の下に隈を作ったモンモランシーは喜びの声を上げた、

「調合も完璧。これで完成のはず。難しい薬だから消費期限が二日くらいだろうけど、二日以内にギーシュに飲ませればいいのよね、うん。簡単よ♪」

 自身がここ数日かけ、途中で邪魔が入って余計な手間暇をかけて作るのが遅れても諦めずに作成した、法律に抵触どころか触れていない所を探す方が難しい薬、人の心を変える薬の完成がとうとう完成した。

「この“惚れ薬”でギーシュはイチコロよ」

 つん、と鼻が曲がるほどのたくさんの薬品の匂いが混ざった一室で、モンモランシーは掌にある透明の小瓶をうっとりと眺める。

 フリッグの舞踏会より数日、部屋に篭もりに篭もって寝る間も惜しみ抽出した僅かばかりの惚れ薬。

 禁制薬というのはそれだけで作るのも難しく、この歳でそれを作れたのはまさに快挙と言っても過言ではない。

 最も、作成された物は決して誉められる物でも認められる物でも無いが。

 モンモランシーは目的に囚われすぎている故見失っているが、これはこれで凄いことだった。

 薬品、秘薬の調合というのは一朝一夕で出来る物ではない。

 ましてや惚れ薬など、そのへんの秘薬屋でも作れず、高名な薬師でも成功するかどうか五分。

 その実績だけならアカデミーへもあわや、という程の難易度にあたっていた。

 彼女が水系統の一族だとはいえ、それを作ることは容易では無いのだ。

 幸か不幸か、それを世間に知られる事はなく、また本人も気付くことが無いのが、ただ一点の救い、といったところなのかもしれなかった。

「さて、早速行動にでましょうか」

 モンモランシーは言うが早いか、身だしなみも忘れて部屋を飛び出した。

 廊下を走り、ロールした金の髪がなびいては型崩れを起こす。

 だがそんなことには気を向けずにギーシュの部屋の前に行き……先客を見つけ猫のように毛を逆立てた。

「ちょっと!! そこで何してるの!?」

「ひっ?」

 モンモランシーの責めるような声質に、肩をびくっとすくませたのは……ブラウンの髪にブラウンのマントをつけている下級生。

「確かロッタ家……ケティ、だったかしら? そこは二年の男子の部屋よ? 下級生に用は無いんじゃなくて?」

 モンモランシーの血走った目が、少女、ケティ・ド・ラ・ロッタにとっては、とても鬼気迫るように見えた。

 問答は無用、すぐに立ち去りなさいといったような表情だ。

 (……こ、ここで逃げたら私はギーシュ様にもう近づけないかも……!!)

 そう思うと、少しだけ勇気が湧き、一瞬怯んで外した視線をケティはもう一度モンモランシーに合わせ……それが逆効果だったことを知る。

 モンモランシーの息は若干荒く、目の下には隈、手には小瓶を手にして、普段綺麗に纏まってロールしている髪はほつれている。

 まさにがむしゃら。

 今の彼女は全てを投げ出す覚悟があるようにさえ感じられ、ケティはさらに萎縮してしまったのだ。

「あ、あの……」

「用がないのならどいて。私は忙しいの」

 モンモランシーはケティを押しのけるように部屋の前に立ち、ケティをもう一度ギンッと睨む。

 その目は赤く充血し、目の下の隈が恐怖を誘う。

 だが、飽くまで誘うだけでモンモランシーには別に相手をどうこうしようという意図は無かった。

 ここ数日の徹夜と疲労が彼女を若干のHIGHテンションに追い込んでいるだけであり、正常な思考が働いていないだけだったのだ。

 最も、まともな思考で惚れ薬を作ろうと考えるあたり、何をもって“まとも”とするかは人それぞれである。

 閑話休題。

 モンモランシーは既にケティを意識から外してギーシュの部屋の戸を開こうとノブを回し、

 ……ガギッ。

 それは回りきらなかった。

 鍵がかかっているのだ。

 ここで人並みな紳士淑女、貴族なら取る行動は『時間を改める』だろう。

 だが、今日のモンモランシーは睡眠不足で正常な思考が働いていなかった。

 疲労によって感情の起伏も激しかった。

『アンロック』

 その結果、彼女は魔法で異性の部屋の戸を勝手に開けるという暴挙に出る。

 ガチャン、と音を立てて扉の解錠が確認されると、モンモランシーは躊躇うことなく扉を開き……無人の部屋を眺めた。

「いない……?」

 モンモランシーはギョロリと周りを見渡して本当に人の気配がない事を確かめ、さらには『ディティクトマジック』までも使い念には念を入れた。

 だが、わかったのは本当にここにギーシュがいないということのみ。

「なんでいないのよっ!!」

 モンモランシーは天井に向かって苛立たしげに叫んだ。




***




「あっ」

 一人の掃除中のメイドが水がいっぱい入ったバケツを倒してしまう。

「また……」

 今朝からこんなミスは通算5回目。

 らしくないと言えばらしくないミスだった。

 今までこんなミスは今の仕事をするようになってからしたことがない。

 それというのも……、



「サイトさん……」



 一人の少年の不在に端を発していた。

『良ければ明日も来て下さい』

 別に確定的な約束というわけではない。

 それでも彼女、シエスタにとってそれはその時点で既に決まった予定だった。

 サイトにその気が無くとも、彼女、シエスタにとっては約束を反故にされたも同然だった。

 オマケにルイズの姿も見えない。

 ここ最近の彼女は何かとサイトに酷かった。

 それが苛立たしく、嬉しかった。

 彼女が彼に厳しければ厳しいほど、サイトは自分の所に居てくれる気がした。

 が、逆に彼女が“前”のようにサイトにべったりであればあるほど、自分の居場所は彼の中に無くなる。

 自分が入る隙間が無くなる。

 今こうしてサイトとルイズがいない以上、二人は一緒にいるであろう。

 それすなわち、自分の居場所が彼の中で減っていくことを示している。



「ミス・ヴァリ、エール……貴方がいるからサイトさんは……」



 シエスタのモップを持つ手に力が入り、

 ……ミシッ!!

 モップの柄に、罅が入った。




***




「ちょっと、ギーシュは何処に行ったの?」

 振り向き、詰問するようにモンモランシーはケティに近づく。

「ひっ? 知りません知りません!! 私だってギーシュ様に会いに来たんですから……」

 ケティはあまりなモンモンランシーの形相にすっかり怯え、まともに彼女の顔を見られない。

 ただ、ぎゅっとバスケットを持つ手に力が入る。

 そんな時、



「やめろよモンモランシー!! 恐がっているじゃないか!!」



 一人の勇者が女性二人の間に割って入った。

 お腹がでっぱり、頬も丸みを帯びるような体型で、広い額にくるりと回る天然金髪がある少年、

「何よマリコルヌ、私はただギーシュの場所を聞いただけよ」

 マリコルヌ・ド・グランドプレ、その人である。

 彼は“偶然”この場、少女ケティがモンモランシーに絡まれている現場に出くわした。

 モンモランシーにとっては天地神明に誓って本当に場所を聞いただけだった。

 だが、外から見ていたマリコルヌ、その表情に怯えを感じてしまったケティはそう取れなかった。

「そんなこと言って、ほら、彼女こんなに怯えているじゃないか!!」

 可哀想に、とマリコルヌはケティをモンモランシーから護るように遠ざけた。

 それを見たモンモラシーは、間が開いたせいか急にやる気を無くして「ふぁあ」と欠伸をする。

 何せ徹夜をした身。

 緊張の糸が切れて眠気がぐんと襲ってきたのだ。

 (なんだか知らないけど、ギーシュもいないみたいだし、出直そう)

 モンモランシーは踵を返すと自室へと戻り出す。

 ギーシュとはお昼からでも会えばいいと思ったのだろう。

 ギーシュが“学院外へ数日出かけるという普段の学院生活から考えればありえない事態”でも起きない限り、大丈夫のはずなのだから。

 最も、そのありえない事態が起きようなどとは、今の彼女に知る術は無い。

 一方、マリコルヌは急に踵を返したモンモランシーに少し拍子抜けしつつも、満足していた。

 “アップルパイの少女”の危機に駆けつけ、助けられたのだから。

「あ、あの、ありがとう、ございます」

「い、いや、いいんだ」

 感無量とはまさにこのこと。

 お礼を言われ、マリコルヌは内心絶頂だった。

「“初対面”なのに助けて下さるなんて、優しいんですね。あ、良ければこれでも食べて下さい。それでは」

 助けられたケティは“見覚えの無い”小太りな少年にお礼を言い、微笑みとお礼ついでの品としてバスケットの中身を差し出す。

 それは……濃厚なリンゴの匂いが香ばしくも濃すぎないアップルパイ。

「こ、これは……!!」

 マリコルヌは目を見開いた。

 これはあの晩のアップルパイ。

 もう忘れられない味のそれだった。

 (彼女は自分の事を覚えていてくれたのか、優しいと言ってくれたのか!!)

 マリコルヌの胸にじぃんと熱い物が込み上げる。

 走馬灯のように思い出される舞踏会の夜。

 マリコルヌは運命を感じずにはいられなかった。

 そう、彼はきちんと彼女の言葉を聞いていなかったのだ。



『初対面』



 ケティはマリコルヌのことなど蚊ほども覚えていなかった。

 そうとも知らず、マリコルヌは内心で喝采をあげ、自身に自信を付けた。

「来てる、僕の時代が来てる!!」

 風上のマリコルヌ。

 皆が普通に歩く廊下で自分の世界に入り、可哀想な視線を向けられても尚、彼の妄想は止まらなかった。




***




「サイト、何をそんなに苛ついているんだい?」

 馬に跨って数時間。

 目前を悠然と走る……否、飛翔するグリフォンに追いすがるように二頭の馬が最速で駆け抜けていた。

「……別に」

 サイトは膨れっ面で短く答える。

 もともと、騎馬経験浅いサイトにこのスピードでの乗馬中に長い会話は望めない。

 だから答えが短いのは必然ではあるが……。

 隣を馬で疾駆するギーシュはそれでもサイトが不機嫌に見えた。

 サイトは必死に手綱を手繰りながらある一点を見据えている。

 羽根帽子を被った護衛、魔法衛士隊の一つ、グリフォン隊隊長のワルド。

 彼を睨み続けているようにも見える。

 グリフォンには彼と、彼の腕の中で桃色の髪が風でなびいていた。

「さっきの話にショックでも受けたのかい?」

 出会い頭、彼は自分はルイズの婚約者だと言い、ルイズもそれに頬を赤らめた。

 もしかしたらそれにショックを受けてのことかとギーシュは思ったのだが。

「………………」

 サイトは何も言わず、表情も変えない。

 ギーシュはしばし返答を待ちながら手綱を持つ手に力を込め、サイトの顔を見つめる。

 動揺しているようには見えず、ただ感じるのは……、

「……あいつ、風のメイジだ」

 嫌悪感。

「ああ、風の、それもスクウェアクラスのメイジだそうだよ」

「俺、あいつ嫌いだ」

「………………」

 ギーシュは口を閉ざした。

 彼にどんな意図があるのか読めないが、先程表情が変化しなかった辺り、どうやら嫉妬からくるもの、というものでも無いらしい。

「それじゃ僕と一緒だね」

 それがわかったから、ギーシュは気楽そうにそう口を開いた。



[13978] 第四十一話【禁句】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:28
第四十一話【禁句】


「?」

 サイトは突然のギーシュの言葉に意外そうな顔をする。

「僕もあの人は嫌いさ、いや、嫌いになった、かな」

 若くして魔法衛士隊の隊長になったというのだから、それなりに尊敬していたが、ギーシュは彼に納得がいかなかった。

 まず、グリフォンの速さである。

 馬は既に二頭目。

 町で新しい馬に乗り換えねば、あのスピードにはついて行けない。

 そんなことはわかっているはずだが、彼は一向に遅くしようとしない。

 まるで君らがちゃんと付いて来ないのが悪いと言わんばかりだ。

 急がねばならないのは事実だが、はぐれてしまっては元も子も無い。

 護衛という観点からすれば、それは好ましくもない。

 ここまでくるとまるで護衛する気が無いようにさえ感じられる。

 だが、こちらは正式でない個人的な頼みだとしても、王女自らの頼み事である。

 それぐらい、彼にも理解出来る筈だ。

「護衛、って言ってたけど護衛する気があるのはルイズだけのようだしね」

 ギーシュがそう言うと、サイトの表情に僅かばかりの変化が見られた。

 なんと形容して良いのかわからない。

 怒りのようで、哀しみ。

 しかし、そのどちらにも完全には当てはまらないようなそんな表情。

 恐らくは自分でも気持ちの整理がついていないんだろう。

 だが、それは自分も同じだった。

「それに、彼は僕のヴェルダンデを傷つけた」

「……ギーシュ?」

 サイトが怪訝そうな顔をするが、ギーシュはもうサイトの方を見ていなかった。

 金の髪をなびかせて、整った顔立ちを若干歪ませる。

 魔法衛士隊隊長ともなれば、傷つけずにヴェルダンデをルイズから遠ざけることが出来た筈だった。

 スクウェアメイジの名は伊達ではないことをギーシュは知っている。

 傷の深さは関係ない。

 軽傷ではあったが、負わせたか負わせなかったかの違いだ。

 傷を負わせた以上、それは故意である。

 ギーシュとて悪かったのがヴェルダンデだとわかってはいるが、使い魔を傷つけられた事に何も感じないほど大人では無かった。

「彼は……ヴェルダンデを傷つけたんだ」

 ルイズのそれとはまた違った、彼の使い魔への“愛”は、静かに静かに、しかし確実にその怒りを溜め込んだ。




***




「あの……ワルド様?」

「何だい?僕のルイズ」

 ワルドに両腕で抱えられるようにして抱き上げられ、グリフォンに乗って数時間。

「少し、お早くありませんか? サイト達と距離が開いています」

「ふむ、グリフォンは早いからね。それにこの方が君と二人きりになれるだろう?せっかく久しぶりに会ったのだから少しは、ね」

 小さくウインクするワルドに、ルイズは視線を逸らして二頭の馬を見つめた。

 かなりのスピードで追いすがっているが、あの様子では乗馬者もそうとう疲れるだろう。

 あんな調子で持つのだろうか。

「ルイズ、僕よりあの二人が気になるのかい?」

「あ、いえそんなことは」

 無いです、とは言えなかった。

 幸い、ワルドは「おや?」と不思議そうな顔をした後、何も言って来なかったが、先程から体の調子がおかしかった。

 抱き寄せられる肌に不快感が募る。

 触られた部分は例外無く鳥肌が立ち始め、言葉を交わすたびに漏れる彼の二酸化炭素が自身を不快にさせる。

 幼い頃からの憧れで、数少ない理解者で、優しい子爵様と一緒にいるのに、彼女の中の感情は何故か一つだった。

 好きだった筈だし、否、好きな筈だし、こうしているのも嬉しい筈なのに、彼女の心を占めるその感情は、










───────────キモチワルイ───────────










 その一言に尽きた。

 だが、それを認めたくない自分がいるのも事実で、必死に彼から愛しいと思える感情を貰おうと腕を強く掴み、体中に奔る嫌悪感にさらに胸が気持ち悪くなる。

 それが納得できなくて、ルイズは何度も何度も首を振った。

 だからだろう、目端に人の影を捕らえた。

「? 子爵様、あそこに誰か……っ!?」

 最後まで言葉を紡ぐ前に、ルイズはそれが誰だか……いや、なんだかわかってしまった。

 数人が弓を引き絞って射る。

その先にいるのは二頭の馬。

「盗賊か」

 ワルドは落ち着き払って下を見据える。

「ワ、ワルド様、早く二人を助けないと!!」

「いや、そうしたいのは山々だがここで降りてはグリフォンや君にまで危険が及んでしまう」

「そんな!! 二人とも逃げ……」

 ルイズは声を荒げ……無かった。

 地面がボコリと隆起する。

 気付けばギーシュが杖を振っていた。

 馬が走る先に小高い丘が出来、馬がそれを上って跳ぶ。

 咄嗟に軌道の変わった二人の獲物に、盗賊は初手を外してしまい、慌てて二射目を射る。

 だが、自分たちがいるところから馬は随分と離れてしまっていた。

 自然、放たれる矢は先程と違い面では無く、点になる。

 それ故無数に放たれる矢は一直線に飛び、スラリと片手で鈍色の剣を背中から抜いた少年がそれらを叩き落とした。

「ほぅ、彼らもやるね。“この程度では問題にならない”か」

 ワルドは意外そうにそう言うと再びグリフォンを進ませる。

 何故か、その声がルイズにはとても気味悪く聞こえた。




***




 二頭の馬が颯爽と離れて行く。

 それを盗賊達の後ろから“見ていた”二つの影が、つまらなさそうにその場を後にする。

「まったくだらしがないねぇ、まさか傷一つ負わせられないどころか相手にすらされないなんて」

 一つは目深にフードを被った女性。

「ふん、仕方があるまい。所詮は平民の盗賊、怪我でもしなかっただけ儲けものだろうよ」

 もう一つは赤と白のストライプ色が激しい貴族服に白い襟巻きを身に纏った男性だった。

「……アンタ、なんでそんな目立つ格好してるのさ?私達は一応隠密だよ」

「何を言う、この服の良さがわからないのか?貴様こそ、そのようにスラリと細い足を露出して誘っているのか?」

「……ったく、学院の爺といい、男ってのはみんなこうなのかねぇ、“旦那”も何でこんな奴引き込んだんだか」

 女性は嘆息してフードから顔を出す。

 美しいエメラルドグリーンの長い髪がそこから現れ、首を少し振ることで、それは全て外界へとさらされた。

「もう顔は隠さないのか?」

「必要無いさね、町まであれ被ってると暑苦しくてかないやしない。ほらさっさと行くよ。“目的地は港町ラ・ロシェールだってわかってる”んだから」

「存外、“土くれ”は大胆だな。私の物にならんか?」

 フフフ、といやらしい笑みで男性は笑い、

「ハッ、旦那くらいならともかくアンタ程度じゃゴメンだね、“波濤”のモット」

 女性、もとい“土くれのフーケ”はそれを切って捨てて近場に繋いでいた馬に跨る。

 それにすこし眉をひそめつつも、特段気にしたふうもないようにモットも馬に跨り、馬を走らせ始めた。




***




 サイトは知らなかったが、これから行くアルビオンというのは文字通り浮遊島だった。

 それ故、そこに行くには空飛ぶ船を用いる。

 その港があるのがここ、一つの大岩を削って出来た町、ラ・ロシェールだということをギーシュが到着前に説明した。

 心なしか、その技術が自分の系統と同じ“土”の魔法によるものだということを誇らしげに自慢しながらではあったが。

「お疲れ様」

 二人がようやくとラ・ロシェールに着くと、ルイズが労いの言葉と共に出迎えた。

 ルイズはワルドのグリフォンに乗っていた為、二人よりも先に着いていたのだ。

「……あの男は?」

 サイトは不機嫌そうにルイズに尋ねる。

「あの男って……ワルドのこと? 今ワルドは船の予定を聞きに行ってるわ、宿はあそこの『女神の杵』亭に取れたと言ってたから合流したら行きましょう」

「ふぅん」

 サイトは興味なさそうに荷物を馬から下ろし始める。

 ギーシュも同じだった。

 興味なし、といわんばかりの拒絶さえ感じられる態度。

 流石にルイズもカチンと来た。

「何その態度? もしかして盗賊の時のこと怒ってるの?」

「「別に」」

 二人は揃って一言で答える。

 それが益々ルイズの怒りを増長させた。

「何よ!! 無傷だったんだからいいじゃない!! ほら、背中だってこんなにきれ……」

 ルイズは無理矢理サイトのパーカーをシャツごと後ろからめくり、息を呑む。

 酷い傷痕。

 何か大きな鎌のようなもので一刀されたのだろうが、何でこんなものがサイトにあるのか“わからない”

 傷自体は結構前のもののようだが、それでもその傷は少女が見るにはあまりに……、



「な、何これ……“気持ち悪い”」



 見るに堪えないものだった。

 しかし、それを言ってしまっては、口にしてはいけなかった。

「っ!!」

 サイトはぎゅっとパーカーを降ろすとルイズを睨み付けた。

「悪かったな、気持ち悪くて。ああそうかよ、お前は俺をそんなふうに思ってたのかよ!!」

「な、何よ、そんなに怒らなくたって」

 ルイズには急に怒り出したサイトがわからない。

「お前はずっとそう思ってたんだろ? モンモンは別に人が変わるなんて言って無かったもんな、そうだよ、記憶が無くたってルイズはルイズだと思ってたけど、それってつまり記憶があるルイズだって“あいつ”と仲が良くて、俺のこの背中……“お前が洗ってくれた背中が気持ち悪いって思ってる”ってことだろ!!」

 サイトは一息でそう言うと何処かへとかけだしてしまう。

「あ、ちょっと……!!」

 ルイズは追おうとするも、肩に手を置かれ止められた。

「……ギーシュ?」

「よくわからないけど……ルイズ、君は本当にルイズなのかい? 今のは、あまりに酷すぎる。サイトは僕が追うから君は荷物を見ててくれ」

 ギーシュは言葉こそ優しかったが、目は怒りに満ちていた。

 その顔に気圧され、ルイズは何も言い返せない。

 ただ、走っていくギーシュの後ろ姿を見つめているしか出来なかった。




***




「………………」

 『女神の杵』亭の一室で、ルイズはベッドに腰掛け床を見つめていた。

 ワルドが戻って来るのと同時、ギーシュとサイトも戻り、船が明日の夜出航予定だと告げられた。

 帰って来たサイトはルイズと目を合わせようとせず、ありありと拒絶が感じられた。

「……何よ、何なのよ」

 いくら考えてもサイトの意図がわからない。

 わからないが、何故か胸が痛む。

 と、




────────ドクン────────





 急に胸の痛みが増し、一瞬意識が飛びそうになる。

 今のは一体なんだったのかと考えようとして、

「やぁルイズ、お待たせ」

 ワルドが入室してきた。

 部屋は二部屋しか取れなかった為、彼が部屋割りの際にルイズとの同室を決めたのだ。

 ルイズは恥ずかしかったが、今のサイトと二人になるわけにはいかず、さらにはワルドに「大事な話があるんだ」とも言われ、流される形でこうなってしまった。

 いや、今はそんな現状の事よりこの胸と頭に来る不思議な……、




────────ドクン────────




「っ!?」

「君とこうしてゆっくり話すのは何年ぶりかな、君は───────」

 急に来る体中の脈動が数を増す事にワルドの声が遠くなり、視界がぼやけ、胸を抑え、




────────ドクン────────




「ルイズ? どうかしたのかい?」

 そんなルイズの異変にようやく気付いたワルドはルイズへと手を伸ばし……、

 バンッ!!

 思い切り払われる。

「ル、ルイズ……?」

 ゆらりと立ち上がったルイズは、目の前の困惑したワルドなど視界に入れずに虚空を見据え、ボロボロと大量の涙を流し始めた。



「私、私……サイトになんてことを……!!」



 その声はこの世の終わりを思わせるような絶望に満ちあふれ、同時に、激しい自分への殺意が感じられた。



[13978] 第四十二話【傷痕】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:29
第四十二話【傷痕】












───────知らないとは“罪”である───────










 サイトの背中の傷。

 それは彼がこの世界に来て初めて、“自分からルイズの為に行動した結果”だった。

 ヴィリエ・ド・ロレーヌ。

 自分とルイズを馬鹿にした彼と決闘し、勝利を収めたかと思ったところでの不意打ち。

 風の刃は深く深くサイトに突き刺さり、生死すら危ぶまれる程の重傷だった。

 もっとも今その傷は、傷痕こそ残っているが、既に傷みを伴うようなものでは無かった。

 ルイズによる献身的な介護、財力に物を言わせた高価な秘薬の取り寄せによってサイトは快復し、その傷のことなど気にせずに暮らしてこられたのだ。

 今日までは。

「………………」

 サイトは与えられた部屋のベッドの上に三角に座って膝に顔を埋めていた。

『よぉ相棒、背中の傷は戦士の恥とは言うが、そこまで気にするもんでもねぇぞ?』

 何も“知らない”デルフはサイトを元気付けようと、壁に立てかけられたままカチカチと音を鳴らして鞘から飛び出ながら話す。

 サイトは一層深く顔を埋めて、体を震わせていた。

「デルフリンガー……だったね。サイトの事はそっとしておいてあげよう。彼の背中の傷は決して戦士の恥などでは無いんだ」

 ギーシュは、少し距離を置きながら椅子に座って一人にして二人の会話を聞き、そうデルフを諫める。

『そりゃどういうことだ?』

 デルフは殆ど反応の無いサイトと話すよりは有意義な話を聞けそうだと思い、ギーシュの言葉に耳を傾けた。

「あれは言わば恥どころか戦士の負傷さ。以前とある貴族がルイズを馬鹿にして、怒ったサイトはその男と決闘になったんだ」

『ほぉ』

 デルフリンガーは意外そうに刀身を外気に晒す。

「結果はサイトの勝利、でも相手は負けた事に納得がいかなかったのか事もあろうにサイトを後ろから魔法で急襲したんだ」

『……そりゃお前ぇ』

 そこからデルフは言葉にせず、カンと音を立てて鞘の中に“自刀”を仕舞い込む。

 これ以上、言葉にするのが憚られたからだ。

 サイトの背中の傷。

 それは誉められこそ、貶される類のものでは無かった。

 言わばルイズの為に負った傷だ。

 それを“気持ち悪い”などと言われてしまえば、傷つくのは無理も無い。

 傷を負った事自体は、特段サイトにとって後悔は無い。

 だが、今までにサイトは幾度と無く彼女に背中を見せている。

 ルイズに言われるがまま背中を流してもらい、着替えをしている。

 ルイズは、人が変わった訳ではない。

 『退行』、そうモンモランシーは言った。

 それはつまり、考え方、人格、それら何から何までが、彼女の思い発する言葉は相違なく本人の“感性”によって発せられた物だと証明してしまう事になる。

 無論、“退行”しているせいで“まだ”知らないのだから、知らないこと自体は仕方が無い。

 事実、サイトはそう思ってこの数日を過ごして来た。

 だが、“ルイズ本人の感性”によって紡がれた言葉の意味は、そうはいかなかった。

 気持ち悪い。

 それはルイズの感性によるものだ。

 退行していようといなかろうと、ルイズがそれを“気持ち悪い”と感じることに違いは無い。

 同一人物である以上、そこに記憶は関係無い。

「……っ」

 顔を埋めたまま、周りにいる一人にして二人に見えぬよう、サイトは体を震わせたまま、閉じた瞼から溢れる“それ”を拭う。

 と、その時だった。



 コンコン。



 静まりかえる室内に、ノックの音が響き渡った。




***




 ルイズは兎にも角にもサイトに会おうと部屋を訪れた。

 同室にいた生物学上同類にあたる人間の言葉など思慮の外、蚊ほども意識を割かずに。

 体を駆け巡る“タリナイ”という感情。

 同時に自らの口から出た許されざる言葉への苛立ち。

 全てを解決させ、自分の居るべき場所、“サイトの傍”へと居る為には、一刻一秒、いやコンマの世界でも早くサイトに会うべきだ。

 単純にして明快。

 ルイズには一日中土下座してでもサイトに許しを乞う覚悟があった。

 ノックをして間もなく、キィと木製の扉が独特の軋みを上げながら開く。

 いくら一つの岩を削って出来た町でも、岩しか使わないワケではない。

 その音を聞きながら、ルイズはサイトに会えなかった焦躁とこれから会えるという歓喜で、一瞬の開扉もその何倍もの時間を感じながら待ちわび……顔を強ばらせた。

「……やっぱりルイズ、君か」

 出てきたのはギーシュ。

 ルイズが望んでいる人物ではない。

「……サイトは?」

 しかし、全く予想しなかったわけでは無い。

 サイトと彼は同室、一緒にいれば出てくる可能性は二分の一、50%は割と高い可能性だ。

 だから即座に目的を言い、見たくも無い顔に向かってサイトを催促する。

 最も見たくも無い顔というのは一部語弊で、正確に言えばサイト以外に見たい物など無いのだが。

 だが、だからこそ次の一言は彼女を絶望という闇へと突き落とす。

「会いたくない、だそうだ」

「えっ?」

 会いたくない。

 あいたくない。

 アイタクナイ。

 パタン……。

 静かに閉められる扉。

 その僅かな隙間から見えた……ベッドに座って顔を膝に埋めるサイト。

「………………」

 すた、とその場にルイズは座り込んだ。

 だらんと腕は垂れ、鈍く光る金のブレスレットが床に当たってキィンと小さくも甲高い音を上げる。

「………………」

 サイトに……拒絶されてしまった。

 サイトからの拒絶。

 拒絶。

 拒絶。

 拒絶。

 体の生気が全て霧散するかのような錯覚。

 生きていく上での希望が全て失われたかのような絶望。

 絶望。

 絶望。

 絶望。




───────ガリッ───────




 細く白い指、その先の透明な爪が床板に食い込む。

 そのまま、爪が折れるのも構わずに指を引いて……ガリッ。

 視線の先には閉じられた扉。

 だが彼女の瞳に光は無く……ガリッ。

 怒りは無い。

 あるのは絶望。

 生きる糧であり、欲しい物であり、必要なもの。

 ルイズにとってサイトとは、生命活動を行う上で酸素と同等に必要なものだった。




───────ガリッ───────




 爪が割れて赤い鮮血が床板にポタリポタリと滴り落ちる。

 それでもルイズは床板に爪を立てる。

 痛みは感じない。

 焦点の合わぬ光の無い瞳は何も映さない。

 ただ一つの聞きたい声以外聞く耳は持たない。

 故に、



「……ルイズ?」



 背後からの“婚約者”の言葉は聞いてすらいなかった。




***




「……ルイズ?」

 声をかけるが反応は無い。

 茫然自失としたような、あまりといえばあまりな状態。

 この状態を見た時に、無反応はある程度予想していたため、ワルドは何も言わずに杖を振った。

 簡易な眠りの魔法。

 得意な部類では無いが、今の彼女なら自分の魔法でも問題なく眠れるだろう。

「……サイト……」

 ルイズは小さく使い魔の名を紡ぐとその瞼を閉じ、桃色の髪を床へと落とした。

「おっと」

 ワルドは彼女が完全に倒れる前に支え、抱き上げる。

「……サイト、ね」

 彼女の口から出た名前に、ルイズが“こう”なった一因を見いだしたワルドは、扉の先にいるであろう平民のことを考えながらルイズを部屋へと連れて行った。




***




 朝。

 ルイズは目を覚ますとベッドから飛び起きた。

 いつ眠ってしまったのか覚えは無い。

 だが、ここ……部屋で眠る予定は無かった。

 サイトが部屋から出るまで、あの部屋の前に居るつもりだったのだ。

 と、腕がいつもより軽い事に胸騒ぎがして……慌てる。

 眠る前までは間違い無くあった金のブレスレットが……無い。

 今唯一サイトと自分を繋ぐものにして、僅かにサイトを感じられる物はそれだけなのだ。

 泣きそうになりながら辺りを見回すと、ベッドの傍にあるテーブルの上に、それはちゃんと乗っていた。

 すぐに手を伸ばしてそれを抱きしめると、じんわりと微かなサイトを感じて涙が零れる。

 こうしてはいられない。

 ゆっくりと腕にブレスレットをはめると、ルイズはベッドから降り、部屋を出た。

 ……。

 …………。

 ………………。

「……ルイズは、よっぽどあの使い魔君に入れ込んでいるようだね」

 それを見ていたワルドは、ゆっくりとその身を起こすと、レイピアのような刺突剣を腰に下げ、ルイズの後を追った。

 案の定、ルイズは昨日と同じく部屋の扉の前にいた。

 違うのは、座らず、爪も傷つけていないことだろう。

 ルイズはノックをしようとしては止め、を繰り返し今一歩踏み込めずに躊躇っていた。

 こんなルイズは見たことが無いが、このままではイロイロと宜しくない。

 (私の“目的”の為に、不安要素は排斥しておく必要がありそうだ)

 そう考えたワルドは、躊躇っているルイズの前に出てノックをする。

 やや間を置いて、出てきたのはルイズの使い魔だった。

「……なんですか」

 その顔にはあまり生気が無い。

 眠っていないであろうことは容易に想像出来た。

「いや、起こしてしまったなら済まない。一緒に朝食を食べようと思って君たちに声をかけに来たんだが」

「いえ、もうギーシュも起きてますんで。すぐ行きますよ」

 サイトは室内のギーシュを呼び、一緒に食堂へと向かいだした。

 その間、一度もルイズに声はかけずに、視線も向けなかった。

 ルイズは何とかサイトの隣を確保したものの、上手い言葉が出ずに俯いていた。

 食堂でもルイズはサイトの隣に座ったが、未だにサイトに声をかけられない。

 (重傷……だな)

 それを見たワルドは、もはや一刻の猶予すらなさそうだと思い行動を開始する事にした。

「なぁ使い魔君……サイト、だったかな?」

「……そうですけど、なんですか?」

 サイトは緩慢に動かすフォークの手を一旦止めて気怠げにワルドに視線を向ける。

「話によると君は使い魔になる前は普通の生活しかしていなかったそうだけど本当かい?」

「ええ、それが何か?」

「いや、なかなか戦いというものは難しいものでね、頭で理解しても実線では上手く行かないのが常なものさ。でも君はルイズ達と一緒にかの怪盗、“土くれ”のフーケから宝を取り戻したそうじゃないか。昨日の戦いも見事だったしね」

 ワルドはサイトを持ち上げるように面白可笑しく話す。

 まるで、凄い凄いと強調しているようだ。

 ……この時から、ルイズが猫が毛を逆立てるように威嚇の眼差しをワルドに向け始めた。

「僕は平民だからと差別するつもりは無い。でも貴族って奴はやっかいでね、自分の目で見た物しか信じられないんだ」

「……それで? 結局何が言いたいんですか」

 サイトは興味なさ気に、話半分に聞きながらフォークを動かす手を再開しだし、

「……そこで僕と決闘してみないかい? 何、手加減はするよ」

 再び止めた。

「ワルド!!」

 ルイズはダンッ!!とテーブルを叩いて立ち上がる。

 彼女の記憶には彼とサイトが戦った様が今もありありと残っていた。

 戦わせるということは、サイトが傷つくことがわかっているようなもの。

 到底看過出来る物では無い。

 だが、そのルイズの態度が癇に障ったのか、サイトは、

「いいですよ」

 そう答えていた。

「ダ、ダメよサイト!! そんな危ないことしなくたって……!!」

 ルイズのサイトを心配するような言葉。

 ここでサイトはああ記憶が戻ったんだな、と理解したが、今はその優しさすらサイトを傷つけた。

 つまり自分は信用されていないのかと、そう捉えてしまう。

 一晩ぶりにお互いの視線を合わせた二人はしかし、お互いに譲ろうとする姿勢は見えず、このまま硬直が続くかと思われたその時、

「なら、代わりに僕がワルド殿と戦ってみたいのですが」

 この場にいるギーシュが、初めて口を開いた。



[13978] ヤンデルイズ番外編【もしも、ルイズがサイトを呼び出せていなかったら】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2010/05/07 17:50
こちらは板移行記念番外編です。

ダーク、バッドエンド気味なのでそれらを許容出来る方のみ、お読み下さい。





ヤンデルイズ番外編【もしも、ルイズがサイトを呼び出せていなかったら】





とうとうこの日が来た。

この十年、本当に長かった。

この日の為にいろいろ考え、準備もしてきた。

「五つの力を司るペンタゴン」

学院に入ってからの一年は、この部屋に一人でいるだけで何百倍もの時間を感じた。

「我の定めに従いし」

でもそれも今日で終わる。

「使い魔を召喚せよ」

私は今日、二十六年ぶりに彼と再会できるのだ。




***




ボムッ!!

辺りには突如白煙が舞う。

「うわっ!?」

「げほっげほっ!!やっぱり失敗したなゼロのルイズ!!」

たくさんいる魔法学院の生徒達は口々に一人の少女を罵る。

だが、その少女はそんな彼女に向けられた罵詈雑言など耳にしていなかった。

(お願い……!!)

煙の中央にムクリと黒い影が生まれる。

「おい、何かいないかあそこ」

生徒の一人がそれに気付く。

「!!」

ルイズはそれを聞くや否や弾けるように飛び出した。

今だ晴れぬ白煙。

誰かが風の魔法で煙を吹き飛ばしていくがそれよりも早く、ルイズは影本人の前に立っていた。

そこには、色褪せて消えたはずの映像が、モノクロからカラー、立体へと像を結ぶように戻っていき、



「グルルルルルル!!」



超強力そうなドラゴンが仁王立ちしていた。

周りの者は皆羨ましそうに眺める。

が、

「こんなのいらない」

ルイズは自身が呼び出した使い魔を一言で切って捨てる。

彼女が来て欲しい使い魔はこの世でたった一人しかいないのだ。

「ミスタ・コルベール!!やり直させて下さい!!」

「え?ミス・ヴァリエール?こんなに素晴らしい使い魔が召喚されたのですよ?」

「こんなのいりません」

そんなルイズの台詞に皆唖然とする。

何せドラゴンだ。

喜びこそすれ、いらないなどと何を考えているのかわからない。

「ダ、ダメですよミス・ヴァリエール。使い魔の儀式とは神聖なもの、気に食わないからやり直すなどというのは許されないのです」

コルベールは驚きながらもルイズを諫め、

「さぁコントラクト・サーヴァントを」

次のステップを進めた。

しかし、

「嫌です、私の唇は一生涯サイト以外に捧げません」

「サイト?誰ですかなそれは」

コルベールにとっては意味不明な事を言って断った。

「私の最愛の使い魔です」

「はぁ?よくわかりませんがコントラクト・サーヴァントをしないと進級できませんよ」

「構いません、スミマセン私学院を止めます」

ルイズは契約もせずに学院を後にする。

「「「「えええええーーーーーッ!?」」」」

後には驚きで絶叫する生徒とコルベール、

「ガルル?」

そして呼び出されたのに何もされない疑問符を浮かべたドラゴンがいた。




***





晩年の頃、彼女は思いを諦めきれないでいた。

寿命というには明らかに早いその晩年は、彼女の齢二十四歳の時に訪れた。

彼女は生きる事を諦めたかのように、人が生命活動を行うに必要なあらゆる行動を放棄していた。

彼女がそれでもこの年齢に至れたのは偏に彼女が貴族だったからだ。



「……好きよ、サイト」




伝えたかった言葉。

伝える事が終ぞ叶わなかった言葉。

願わくば彼女はもう一度彼に会いたかった。

彼女の胸の鼓動が数分おきに小さくなって、やがて止まる。

口元から吸っては吐かれていた吐息は無くなり、完全に時が停止する。

静まり返る室内。




享年二十四歳(実年齢五十歳)

トリステイン王国公爵家ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、こうして大きな無念を抱え込んだまま、その短い二度目の生涯を終えた。




***




暗い暗い場所。

グラリグラリと揺れ動く懐かしい感覚。

この場所には覚えがある、そう思って彼女は自身に被さっている布を振り払う。

自室のベッドで横になっていたはずの自分は、中庭の池にある小船の上にいた。

ルイズは逃げるようにしてその場からすぐに駆け出した。

礼儀など金繰り捨てて自室へと駆け出し、カレンダーを眺める。

その暦は、間違いなく自分の今の容姿、六歳頃のそれであった。



「あは……」



自分はまだ六歳。

けどこのまま育てば十年後には十六歳。



「あはは……」



その頃にはトリスイテン魔法学院にいて、“使い魔”を召喚するはず。



「あははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!!」



その時、私はまた彼と会うことが出来る……かもしれない。

いつの間にか自分しかいない部屋で大声を出して笑う。

「サイト……やった、やったわ!!私また貴方と会えるの、会えるのよ!!」

それから十年の歳月が流れた。




***




とうとうこの日が来た。

この十年、本当に長かった。

この日の為にいろいろ考え、準備もしてきた。

「五つの力を司るペンタゴン」

学院に入ってからの一年は、この部屋に一人でいるだけで何千倍もの時間を感じた。

「我の定めに従いし」

でもそれも今日で終わる。

「使い魔を召喚せよ」

私は今日、四十四年ぶりに彼と再会できるのだ。




***




ボムッ!!

辺りには突如白煙が舞う。

「うわっ!?」

「げほっげほっ!!やっぱり失敗したなゼロのルイズ!!」

たくさんいる魔法学院の生徒達は口々に一人の少女を罵る。

だが、その少女はそんな彼女に向けられた罵詈雑言など耳にしていなかった。

(お願い……!!)

煙の中央にムクリと黒い影が生まれる。

「おい、何かいないかあそこ」

生徒の一人がそれに気付く。

「!!」

ルイズはそれを聞くや否や弾けるように飛び出した。

今だ晴れぬ白煙。

誰かが風の魔法で煙を吹き飛ばしていくがそれよりも早く、ルイズは影本人の前に立っていた。

そこには、色褪せて消えたはずの映像が、モノクロからカラー、立体へと像を結ぶように戻っていき、



「あれ?ここ何処?」



名も顔も知らぬ一般人Aを呼び出してしまっていた。

「ミスタ・コルベール!!やり直させて下さい!!」

即座にルイズはコルベールに申し出る。

例えその答えがわかっていたとしても。

「ダ、ダメですよミス・ヴァリエール。使い魔の儀式とは神聖なもの、気に食わないからやり直すなどというのは許されないのです」

コルベールはルイズを諫め、

「さぁコントラクト・サーヴァントを」

次のステップを進めた。

しかし、

「嫌です、私の唇は一生涯サイト以外に捧げません」

「はぁ?よくわかりませんがコントラクト・サーヴァントをしないと進級できませんよ」

「構いません、スミマセン私学院を止めます」

「え、えええッ!?」

ルイズは契約もせずに学院を後にする。

「「「「えええええーーーーーッ!?」」」」

後には驚きで絶叫する生徒とコルベール、

「ここ何処?」

そして呼び出されたのに何もされない疑問符を浮かべたそのへんの人Aがいた。




***




晩年の頃、彼女は思いを諦めきれないでいた。

寿命というには明らかに早いその晩年は、彼女の齢二十一歳の時に訪れた。

彼女は生きる事を諦めたかのように、人が生命活動を行うに必要なあらゆる行動を放棄していた。

彼女がそれでもこの年齢に至れたのは偏に彼女が貴族だったからだ。



「……好きよ、サイト」




伝えたかった言葉。

伝える事が終ぞ叶わなかった言葉。

願わくば彼女はもう一度彼に会いたかった。

彼女の胸の鼓動が数分おきに小さくなって、やがて止まる。

口元から吸っては吐かれていた吐息は無くなり、完全に時が停止する。

静まり返る室内。




享年二十一歳(実年齢六十五歳)

トリステイン王国公爵家ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、こうして大きな無念を抱え込んだまま、その短いようで長い三度目の生涯を終えた。




***




暗い暗い場所。

グラリグラリと揺れ動く懐かしい感覚。

この場所には覚えがある、そう思って彼女は自身に被さっている布を振り払う。

自室のベッドで横になっていたはずの自分は、中庭の池にある小船の上にいた。

ルイズは逃げるようにして、しかし半ば期待しながらその場からすぐに駆け出した。

礼儀など金繰り捨てて自室へと駆け出し、カレンダーを眺める。

その暦は、間違いなく自分の今の容姿、六歳頃のそれであった。



「あは……」



自分はまだ六歳。

けどこのまま育てば十年後には十六歳。



「あはは……」



その頃にはトリスイテン魔法学院にいて、“使い魔”を召喚するはず。



「あははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!!」



その時、私はまた彼と会うことが出来る……かもしれない。

いつの間にか自分しかいない部屋で大声を出して笑う。

「サイト……やった、やったわ!!私また貴方と会えるの、会えるのよ!!」

それから十年の歳月が流れた。




***




とうとうこの日が来た。

この十年、本当に長かった。

この日の為にいろいろ考え、準備もしてきた。

「五つの力を司るペンタゴン」

学院に入ってからの一年は、この部屋に一人でいるだけで何億倍もの時間を感じた。

「我の定めに従いし」

でもそれも今日で終わる。

「使い魔を召喚せよ」

私は今日、五十九年ぶりに彼と再会できるのだ。




***




ボムッ!!

辺りには突如白煙が舞う。

「うわっ!?」

「げほっげほっ!!やっぱり失敗したなゼロのルイズ!!」

たくさんいる魔法学院の生徒達は口々に一人の少女を罵る。

だが、その少女はそんな彼女に向けられた罵詈雑言など耳にしていなかった。

(お願い……!!)

煙の中央にムクリと黒い影が生まれる。

「おい、何かいないかあそこ」

生徒の一人がそれに気付く。

「!!」

ルイズはそれを聞くや否や弾けるように飛び出した。

今だ晴れぬ白煙。

誰かが風の魔法で煙を吹き飛ばしていくがそれよりも早く、ルイズは影本人の前に立っていた。

そこには、色褪せて消えたはずの映像が、モノクロからカラー、立体へと像を結ぶように戻っていき、




「???」




名も顔も知らぬ一般人Bを呼び出してしまっていた。

「ミスタ・コルベール!!やり直させて下さい!!」

即座にルイズはコルベールに申し出る。

例えその答えがわかっていたとしても。

「ダ、ダメですよミス・ヴァリエール。使い魔の儀式とは神聖なもの、気に食わないからやり直すなどというのは許されないのです」

コルベールはルイズを諫め、

「さぁコントラクト・サーヴァントを」

次のステップを進めた。

「……もうめんどくさい、毎回毎回十年も待てない」

しかしルイズはコルベールの勧めを断り杖を掲げ、



ドォォォン!!



一般人Bを爆殺する。

「ミッ、ミス・ヴァリエール!?何をっ!?」

コルベールは焦るが、

「これで私は使い魔を失いました、もう一回やります」

ルイズはそれを無視して再び使い魔を召喚し、

「??」

名も顔も知らぬ一般人Cを召喚してしまい、

ドォォォン!!

「もう一回」

「??」

名も顔も知らぬ一般人Dを召喚してしまい、

ドォォォン!!

「もう一回」

「??」

名も顔も知らぬ一般人Eを召喚してしまい、

ドォォォン!!

「もう一回」

無限に使い魔を呼び続けた。

(サイト、もう少しよ、もう少しで貴方に会えるわ、あはははははははははは!!)

彼女(実年齢七十五歳)の狂気は、彼を引き当てるまで止まることは無い。



[13978] 第四十三話【私闘】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:30
第四十三話【私闘】


 何故こんなことになったのだろうか。

 羽根帽子をいつもよりやや目深に被り、ワルドは思案する。

 正面には杖を構えたドットメイジの学生。

 本来、魔法衛士隊の隊長と言えど“貴族同士の私闘”は禁じられている。

 それでも自分が戦おうと思ったのは偏に相手がメイジ……“貴族”ではなく“平民”だった故である。

 心ここにあらずといったルイズの様子から、その原因を読み取り、“任務遂行”の為にその“不安要素”を消し去るべく、ワルドは彼女の使い魔を煽ったのだ。

 (……いや、煽ったはずだった、かな)

 目論見は結論から言うと失敗した。

 主である彼女、ルイズが庇った為だ。

 まだそれだけなら彼のやる気を引き出し、決闘に持ち込めたのだが、厄介なことに横やりが入った。

 そう、今正面にいるトリステイン魔法学院二年、ギーシュ・ド・グラモンである。

 彼は“あのグラモン元帥”の四男であることは聞き及んでいるし、ドットメイジであることも既に聞き知っている。

 場所は町から少し離れた岩場。

 辺りはわりと風が吹き、砂埃が舞っている。

 一度口にしてしまった決闘と言う名の二文字から、貴族の誇りによって今更取り下げは出来なくなったワルドは彼が望む決闘場所、“人工的な床の無い外”に来ていた。

 ギーシュは土系統のドットメイジ。

 得意とする魔法は練金。

 よってこういった場の方が周囲に迷惑をかけずに戦いやすかった。

「さぁ、いつでもかかってきて良いよ」

 だが有利というだけで、それは実力とは無関係。

 例えるならレベル20の戦士が自分の得意なフィールドでレベル50の戦士に挑むようなもの。

 勝敗は目に見えていた。

 ならば、とワルドは作戦を変えた。

「ああそうだ。もし、彼が危ないと思ったら使い魔君も参戦してもらっても構わないからね」

 この場に立会人として来たルイズとサイト。

 サイトが一歩ルイズから離れ、ルイズはそわそわとサイトに近づきまたサイトが離れる。

 そんなことを繰り返している二人にこう言っておくことで“サイト”と戦う確率を上げておく。

 もしサイトが戦わなくとも、華々しい戦い方でルイズを魅了しよう。

 そうすれば、彼女も“目を醒まし”問題は何も無くなるハズだ。

 ワルドはそう内心で即席の計画を立てると正面の少年を再び見据えた。

 (悪いが、最高の前座、踏み台になってもらうよ)




***




 ギーシュは目を閉じていた。

 内在的な精神力を確かめ、自分が全力を出せる状態であることを確認する。

 戦略は編んだ。

 相手が格上なことは百も承知。

 ならば、出来るところまで策を巡らせ、せめてその鼻をへし折って“ヴェルダンデ”への贈り物としよう。

 ギーシュが戦うのはヴェルダンデの為だった。

 彼はルイズほどで無いにしろ、使い魔に愛着を持ち、可愛がっていた。

 無論、悪いことをすれば怒るし、使い魔だから自分より下なのだと卑下もしてはいない。

 言わば……家族。

 彼にとってヴェルダンデは家族だった。

 その家族が受けた痛み、その大きさには関係が無く、“受けなくとも良いものを受けた”という一点が彼の内在的な怒りを静かに作り出していた。

 彼は“青銅”のギーシュ。

 “生み出す者”である。

 (行こう、ヴェルダンデ!!)

 カッとギーシュは目を開き、

「行きます!!」

 杖を振ってドットスペルで編まれたオートゴーレム……ワルキューレを二体練金した。

 同時に双振りの剣をワルキューレの前に練金する。

 それは……かつてサイトが決闘した際にギーシュが手助けとして贈った剣だった。

「……ほぅ、装飾の少ない無骨な剣だが、精神力の温存かな?」

 ワルドは練金された剣を一瞥してニヤリと笑う。



────────サイトの眉がぴくりと動いた。



 ギーシュは構わずワルキューレにそれを持たせるとワルドへと突進させる。

「ふむ、ワルキューレ自体の作りは精巧だね」

 ワルドは腰から杖剣を抜くとワルキューレの剣を受け止め、そのまま“風”で吹き飛ばした。

 “一体”のワルキューレが消滅する。

「だが、動きは粗末だ。同時に多数を動かすというのは予想以上に大変なことだからね」

 ギーシュは小さく舌打ちして一体になったワルキューレに指示を出す。

 ワルキューレは、先程やられたのと全く同じ動きでワルドに突進していく。

「おや? 動きが変わっていないよ? ムキになるのは良くない」

 そうワルドが“アドバイス”をした時、目の前のワルキューレが突如大きくなった。

「っ!?」

 当社比およそ二倍。

 恐らくは二体作る為の精神力で一体を編み込んだワルキューレ。

 剣を受け止めるも、流石に先程よりは重い。

 一瞬の焦躁からワルドは先程と同じく“エア・ハンマー”でワルキューレを吹き飛ばすのに若干のタイムラグがあった。

 そしてそれが……ギーシュの狙いだった。

 最初よりも強い横殴りの風を受けて二倍のワルキューレは吹き飛び……その後ろからもう一体のワルキューレが刺突剣で突進してきていた。

「ふぅ……う!?」

 ギーシュがワルキューレを大きくしたのはただ力を強めたかったワケではない。

 目くらまし。

 後ろにもう一体ワルキューレを作っている事を隠すために外ならなかった。

 二体分のワルキューレ、これで計三体の消滅。

 普通に戦って勝てないのならば奇策で勝て。

 彼は確かに元帥の息子たらんと兵法を学んでいた。

 これには流石のワルドも驚き、しかし次の瞬間には口元に薄い笑みさえ浮かべ、

 キィン!!

 甲高い金属音が鳴ってワルドとワルキューレは一瞬動きを止めた。

「!!」

 次に驚愕したのはギーシュの方だった。

 ワルキューレが繰り出した刺突、その剣先に合わせてワルドも刺突を繰り出し、お互いの剣の頂点がぶつかり合う形で固まっていた。

 ワルドは一瞬目端に見えたルイズにニヤリとしながら、

「エア・ニードル」

 杖剣の先からトルネードのような風の槍でもってワルキューレに風穴を開け、粉砕する。

 計四体のワルキューレ消滅。

「これで……終わりだね」

 今のは一瞬ヒヤリとさせられるほどの戦術だった。

 よく練られ、考えられた戦い方だ。

 だからこそ次は無い、普段戦場にいたならまずそう思わないその思考が、一瞬ワルドを油断させ、

「ええ、これで終わりです!!」

 両脇を抱えられた。

「!?」

 魔法を行使した一瞬の隙を突いて二体のワルキューレが一体ずつ腕を掴んでいた。

 魔法行使後の僅かな硬直、それを突いてのワルドの動きを封じる策。

 ギーシュの作戦の集大成、本来の目的は“この形”を作ることだった。

 動きを封じる事が目的だと気付いたワルドは、風の刃、エア・カッターで両脇のワルキューレを切り刻み、



「ヴェルダンデェェェェ!!!」



 今度は何かに足を掴まれる。

 何だ!? と足下を見ると一匹のジャイアントモール。

 これは確か昨日の朝に見た……などと思考を巡らせているうちに『それ』に気付くのが遅れた。

 目前に迫るのは金髪の少年……その拳。

 バキッ!! という心地よい音を立てて頬を殴られ、足をしっかり押さえられている為に思いの外反動は強かった。

 ワルドはすぐに反撃をしようとキッと正面を睨み据え…………杖剣を降ろした、降ろさざるを得なかった。

「降参です」

 頭を下げ、負けましたとギーシュが降伏を宣言した為だ。

 足下のジャイアントモールは既にいなくなっていた。

「もう、止めるのかい?」

 してやられたワルドは、内心面白くなかった。

 油断していたとはいえ、学生……それもドットメイジに殴られたのだ。

 使い魔は反則だとは言わなかった。

 もともとそんな取り決めはしていないし、“使い魔君”には参戦の許可もだしているのだ。

 だがこれで終わっては相手が負けたと言っても勝った気がしない。

「もう僕の精神力は空っぽですから」

 疲れた顔をしてギーシュは座り込んだ。

 最初に二体のワルキューレ練金。

 さらにうち一体にもう一体分の精神力。

 大きくしたワルキューレの背後に隠れていたワルキューレ。

 両脇を抱えるための二体のワルキューレ。

 計六体ものワルキューレを練禁し、最初に双振りの剣……およそワルキューレ一体分に相当する作りの剣を練金している。

 都合ワルキューレ七体分の練金。

 今のギーシュにとってこれが最大だった。

 最大にして最高の功績。

 もともとギーシュは決闘に勝つ気など微塵も無かった。

 ただ一撃、この思いのたけぶつけてやらなければ気が済まないという、それだけを思ってこの決闘に臨んだのだ。

「そう、か。なら仕方ないな、しかしよく出来た戦い方だったよ、手加減したとはいえ、一撃貰ったのは久しぶりだ」

 手加減、という言葉は決して負け惜しみではない。

 事実、手加減が無ければギーシュは最初の練金する暇すら与えてはもらえず、“エア・ニードル”もギーシュまでその勢いを殺さずに向かっていたことだろう。

 それでも、ワルドは一撃を受けたと言うことに、顔には出さない怒りを覚えた。

 (手加減が過ぎたか。いや、これは私の“甘さ”だな……)

 ワルドは深く目を閉じると、今の戦いを心に刻み込む。

 (相手が誰であろうと油断、手加減はしない……これからを生きて行くにはそれは必要不可欠だ)

 ワルドは今、決意を新たにした。

 その決意が……今後自他共に多大に影響していくことはまだ、知る由は無い。




***




「大丈夫か、ギーシュ?」

 宿に戻ったギーシュはほとほと疲れ果てていた。

「……あ~結構だるいね」

 文字通り全力を出し切ったギーシュは、その疲労によってほとんど動けなくなっていた。

 出向は今日の晩、それまでギーシュはずっと休むと言い、ベッドに横たわった。

 そうなるとサイトは一人になり、暇を持て余す。

「こんな時、いつもどうしてたっけ……」

 椅子に座って窓から外を眺めながらぼんやりと考える。

 そう言えば、この世界に来てからあまり暇を感じたことが無かった気がする。

 それはいつも、隣に“彼女”がいたからだろう。

 そう思い当たってサイトは首はぶんぶんと振った。

 今、ルイズのことは考えたく無かった。

 どういうわけか、いやいつも通りというべきか、彼女は自分と一緒に居たがっていた。

 それがわかっていながら、また“気持ち悪い”と言われるのが嫌でルイズを避けた。

 その時のルイズの残念そう……を通り越して今にも自殺しそうな顔を見るたびに胸が痛んだが、それでも今は一緒に居ようとは思えなかった。

 いや、一緒に居るべきではない、というべきか。

「あ~~~っもう!!」

 頭を抱える。

 ご大層に自分の中の心情を整理しようとして上手く纏まらない。

 加えて、“あの男”の存在。

 風のメイジであるワルド、彼がどうにも“気持ち悪くて”仕方がない。

 風メイジ嫌いのせいかはわからないが、本当に生理的に受け付けない。

「あ~、もう考えるの止めようかな」

 上手く考えが纏まらなくなったサイトは、散歩がてら何処か行こうと思い部屋を出て……鳶色の瞳と目が合った。

「あ……!!」

 桃色の髪を力なくだらんと下げて、それでもたった一人の少年が部屋から出てくる可能性を待っていたのだろう。

 自分から誘うような真似はせず“ただひたすらに彼を待ち続けた”に違いない。

 時刻は既に昼下がりをとうに過ぎてしまったが、彼女がご飯を食べていないこともサイトは知っていた。

 やや力なさげに、しかしそれでも望みを持って桃色の髪の少女の鷲色の瞳はサイトを真っ直ぐに捉えていた。

 その神秘的なまでに真っ直ぐな瞳が、サイトにこれ以上彼女を避けるのを躊躇わせ、久しぶりに声をかけようとした瞬間、



 ドォォォォォォォォォン!!

「賊だ!! 賊が襲ってきた!!」



 遠くから聞こえる喧騒によって邪魔された。



[13978] 第四十四話【二手】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:30
第四十四話【二手】


 タリナイ。

 タリナイタリナイタリナイ。

 体中が渇き、飢え、“それ”を渇望してやまない。

 胃は空っぽで、脳が栄養を摂取すべきだと訴えているがそんなことは“どうでもいい”

 タリナイタリナイタリナイ。

 全く持って足りない。

 些かも足りていない。

 “それ”の残りなんてもう水筒の底にある水滴ほどにしか、いやひょっとするともっと少ないかもしれない。

 ところが今、“それ”が少しこちらに寄って来てくれた。

 あれほど避けられていたのに、それは終わったのかと喜び勇み、泣くほどの歓喜を覚え、天に召されるかのような心の内の震えを感じた時、



 ドォォォォォォォォォン!!

「賊だ!! 賊が襲ってきた!!」



 その爆発音が、耳障りな“それ”以外の声が、事態が、“それ”を遠ざける。



 ああ、また私の中が“満たされない”




***




 港町ラ・ロシェールは、通常の港とは違い、海には面せずごつごつとした岩群の中に存在する。

 辺りにはあまり緑が無いせいか、ここからの一次産業はそれほど多くない。

 その為、この町は流通の要となることで繁栄してきた。

 アルビオンとの交易もほぼラ・ロシェールが主流であり、ラ・ロシェールには陸と空、両方の調度品が舞い込んでくる。

 その中には珍しい物も多く、貴族が欲しがる物も少なくない。

 故に、ラ・ロシェールは地形に恵まれずとも(ある一点においては恵まれているが)その“町の在り方”によって繁栄している町である。

 だが、それは調度品を求める者、旅行を楽しむ者、と言ったいわゆる貴族、そうでなくともお金にある程度余裕のある人間からの見解だった。

 辺りが岩に囲まれたこの町では、町の外での生活は難しい。

 だが、町で暮らして行くにはお金がいる。

 ではそれが無い者はどうするか。

 答えは単純にして明快。

 ……ここから去るか、略奪か、である。

 幸か不幸か、港町としてのラ・ロシェールには人の行き来が多い。

 それ故、そういった旅人を鴨にした盗賊まがいの人間が生まれるのは何も不思議なことでは無かった。

 サイトとギーシュが馬に乗りながらラ・ロシェールに向かう途中に襲って来た連中も、そんな“あぶれ者達”だったのだろう。

 そんな彼らは、本当に時々、自らの危険を顧みずわざわざ町まで入って略奪をすることがある。

 町には港町というだけあって、防衛設備、防衛兵、そういった防衛の為の手段もあることから、盗賊達にとってはハイリスク、ハイリターンな為、それをやる者は少ない。

 少ないが、皆無では無い。



「サイト!!」



 バン!! と戸を開けて疲れた顔のギーシュが出てきた。

「今窓の外を見たらこの騒ぎはどうやら盗賊らしい!! オマケに狙われてるのはこの宿のようだ!! ここは一旦離脱しよう!!」

「え……あ、ああ、わかった」

 サイトは、正面の鷲色の瞳から視線をズラして駆けだしたギーシュの後を追う。

 横目で「お前も早く来いよ」とルイズを見やると、何かを訴える鳶色の瞳が、酷く悲しげに見えた。

 軋む木の床をドタドタと優雅とはほど遠い走り方で移動し、三人は階段を駆け下りる。

 下は既に盗賊との防衛が始まっているのか、いくつものテーブルを立ててバリケード代わりにして店の人が怒鳴っていた。

 そのバリケードテーブルの中の一つに、今回の旅の同行者、護衛の役割を持つワルドはいた。

 ワルドは三人に気付くと小さく手招きして呼び寄せる。

「まったくついてないな、こんな時に襲撃に合うとは。しかし我々は任務をやり遂げなければならない」

 被った帽子から覗かれる鋭い目が、盗賊達を睨む。

 全員で突破するには些か敵の数が多かった。

 目視出来るだけで入り口に八人。

 外での騒ぎも止まっていないことからまだ数人は外でも行動しているはず。

 ここからではわからないメンバー、さらに相手が保険として予備選力を保存していたとしたら、状況は益々不利になる。

 このままでは今日の出向便すら危うい。

 いや、逆に出向が早まる可能性もある。

 決断の時だった。

「いいか諸君、こういった任務の場合、全員が目的地に着かずとも、誰かがたどり着ければ成功とされる」

 今回の目的は手紙の回収。

 確かに、極論を言えば全員でたどり着かなければならない理由は無い。

「ここは足止め役と任務遂行役の二手に分かれようと思う」

 冷静にそう指摘するワルドにサイトは怒り心頭だった。

「ふざけんな!! ここで誰かを見殺「サイト」……ギーシュ?」

 サイトが張り上げた声を抑えるかのように、小さな、しかし威圧ある声でギーシュは諫めた。

「今回はワルド子爵が正しいと思う。この状況下では全滅すらあり得る」

 そうしてサイトの言葉を止めたギーシュは、



「だから……僕が残るよ」



───────堂々と自殺にも等しい言葉を言ってのけた。



「僕は……昼間の戦いで正直精神力を使いすぎたんだ。今もって回復したのは全快の五分から六分程度、だと思う。足手まといになるくらいなら囮役を引き受けるよ」

「お、おいギーシュ!!」

 ギーシュの肩を掴んでお前正気か、とサイトは慌てる。

 だがギーシュの瞳は揺らがない。

 それが本気なんだと知ってサイトは目を丸くする。

「そうか、では宜しく頼む」

 そんなギーシュにワルドは、君は足止め役決定だと何の感慨も感じられない声で決定を下した。



 それが……さらにサイトの中の嫌悪感を増長させ、



「てめ「ワルド」……ぇ?」



 “それ”に反応した“彼女”が、先程からの“やりとり”も相まって相当に苛々しながらサイトの言葉を遮る。

 二度も言葉を遮られたサイトは、少し機嫌を悪くしながらも声を発した主、ルイズの言葉に渋々耳を貸した。

 ルイズは射抜くような目でワルドを睨むと、

「貴方も残って。戦力的にも人数的にもこれでイーブンよ」

 これはもう決定事項、と言いつけた。

「なっ!? ルイズ!! 僕は君の護衛だ、僕が君から離れるワケには……!!」

「必要ないわ、それに貴方は“私達”の護衛でしょう?」

「っ!!」

 ワルドが一瞬押し黙る。

 皆、既にわかっていたことだが、彼はルイズを特に特別視していた。

 ワルドはしばし逡巡し、言葉を選びながら搾り出すように話し出した。

「心配、なんだ、わかるだろう?」

「わからないわね」

「僕たちはその……“そういう関係”じゃないか」

「これっぽっちも貴方と関係なんて無いわ」

 ルイズはワルドの言葉を全て即座に短く切り捨てる。

「……!? せ、戦力がイーブンと言うが、君は使い魔君と行く気かい?」

「そうよ」

 ちらり、とルイズはサイトを見やり、サイトから拒絶の意が出ていない事に内心安堵する。

「彼と僕では実力差は圧倒的だろう? それがわからない君じゃ無いはずだ」

 最後の頼みの綱とばかりにワルドはルイズを見つめた。

 そこでルイズはこの時初めて、ワルドへの視線に“敵意”以外の物を向けた。

 ワルドはそれを見てホッと安堵の息を……、






「何を言ってるのワルド? もしかしてまさか無いとは思うけど、サイトよりも上のつもりで居たの?」






 吐けなかった。

 ルイズは心底不思議そうに、あり得ない物でも見るかのように、“敵意”以外の感情、“疑問”をワルドにぶつけた。

 ルイズにとってこの世の全てはサイトである。

 サイトより素晴らしい人はおらず、例え“どんな事柄だろうと”サイトより上の物など存在しない。

 それは、『天上天下唯才人独尊』とも取れる、彼女の中の“絶対”の理である。

「……わかった、ここは君の意志を尊重しよう」

 ワルドは小さく舌打ちすると、やれやれ重傷だな、と呟きながら羽根帽子を目深に被りなおした。




***




 二手に分かれてからしばらくして、船の出る桟橋へ向かう為の大きな樹の中の螺旋階段でルイズはようやく安堵の息を吐いた。

 それは盗賊達との喧騒から離れたからではなく、

「……ルイズ、早く行こう」

 隣にいる使い魔との二人きりの空間故である。

 ルイズ、ルイズ、ルイズ……。

 呼ばれるだけでなんと甘く甘美な響きなのだろう。

 一瞬それが、自分を指す名前という記号であることすら忘れそうになるほど、彼の声は心に染み入る。

「ルイズッ!!」

 だから、突然彼に突き飛ばされた時、彼女は意味がわからなかった。

「!?」

 一瞬の眩しい閃光。

 空から、光が落ちてくる。

 と、同時にサイトが蹲った。

 文字通り光の速さで落ちてきたのは『雷』だった。

「サイト!?」

 サイトに駆け寄ると、その腕は……赤黒く焦げていた。

 タンパク質が燃えるような、嫌な匂いが立ちこめる。

 さぁっとルイズの顔から生気が抜け落ちた。

「……い、熱……痛っ、くそっ、痛ぇ……!!」

 サイトはそんなルイズに構う暇がないほど腕を押さえ、痛い、熱いと繰り返しながら蹲っている。

 なんで、どうしてこうなった?

 何故サイトが傷つかなければならない?

 なぜさいとがきずつかなければならない?

 ナゼサイトガキズツカナケレバナラナイ?

 思考が巡り巡る。

 どうして?デルフは何をしていた?サイトが傷ついた?何故?

 そう何度も何度も同じような思考をループさせ、戻ってくるのは結局、



 ナゼサイトガキズツカナケレバナラナイ?



 それだった。

 コツコツコツ……。

 足跡が聞こえる。

 自分たちの背後から、“仮面”を付けた“何者か”が近寄ってくる。

 いや、

「……そう、やっぱり貴方なの」

 ルイズにとってはそれが“何者か”わかっている。

 過去に起きた出来事を覚えているのだから。

 わかっている。

 理解している。

 理解している?

 本当に?

 だから二手に別れた。

 だが結局、“前回同様”こうなった。

 本当に、自分は理解しているのか?

 ルイズは虚ろな、光を宿さぬ虚無一色の瞳で目の前の仮面を見つめる。

 仮面をした何者かは、そのルイズの顔に一瞬狼狽の意を見せたが、すぐにも“新しい雷”を落とした。

 そう、この相手こそが先程の雷を落とした人物にして、今現在のルイズの、最大の嫌悪の対象だった。

 雷は蹲っているサイトを襲う。

 咄嗟に相手の標的が読めたルイズはサイトを引き寄せ、雷から難を逃れる。

 豪雷音と共に先程二人がいた場所はパラパラと木が焦げ落ちた。

 ライトニング・クラウド。

 “風系統”の上位魔法である。

 次にそれを使われれば、こちらの……とりわけサイトの安全は確保されないかもしれない。

 理解している。

 理解している?

 本当に?



「いいえ、認識不足、かもしれない」



 ルイズは知らず、小さく呟いた。

 甘かったかのかもしれない。

 きちんと理解しきっていなかったのかもしれない。

 瞳が、何も映さない虚無の瞳が、仮面を捉え、小さな唇から“聞こえない程小さな呪文”が紡がれる。

 途端、仮面の何者かは突如起きた爆発に巻き込まれ、足場となる螺旋階段が壊れた為に下へと真っ逆さまに落ちて……闇へと消えた。

 “サイトといる為”に、自分はもっと甘さを捨てた徹底的な“やるべきこと”があるのかもしれない。

 仮面が消える姿を睨み見ながら、ルイズはそう思った。

 何をすれば良いのか、一緒にいるためにどうすれば最善なのかはまだわからない。

 だが、“今やったこと”がそれに繋がる気がした。

「……大丈夫サイト? 辛いでしょうけど行きましょう。船に行けば“きっとお薬も手に入る”わ」

 苦しむサイトを見て、自身のその小さな胸を多大に痛めながら、ルイズはサイトを促した。





 一定にして“決まっていた”歯車の動きが一つ、ズレ始めると、その小さな歪みは、やがて全ての歯車へと影響していく。

 今、その一定にして“決まっていた”歯車の動きに、軋みが生まれた。



[13978] 第四十五話【合流】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:32
第四十五話【合流】


「防戦一方、かな」

 ギーシュは呟きながらバリケードからヒョコっと顔を出す。

 途端に飛んでくる矢、矢、矢。

 一向に盗賊達が減る様子が見えない。

 これはただの物盗りじゃないな、とギーシュは思い始めていた。

 何しろコレだけの数だ、ここまで大きな盗賊団が近場に出没するようになっていたなら噂になっていてもおかしくない。

 だがそんな話をギーシュは耳にしていない。

 オマケに盗賊だというのに、やるのは攻撃ばかりで略奪しているようにも見えない。

 略奪とは別の……何かの目的の為にここを襲っているように見受けられる。

 チラリと横を見れば、さっきから数人倒しては戻る、というヒットアンドウェイを繰り返すワルドが戻ってきていた。

 その顔には随分と焦りがある。

「奴ら、一向に減りませんね、ここまでの規模となるとただの盗賊じゃないかもしれません」

 ギーシュはワルドに自分の考えを告げてみた。

「あ、ああそうだな、統率が随分取れている。裏に何者かがいるのかもしれん。やっかいな略奪者共だよ」

 それはワルドも思っていたのか、ギーシュに言葉の上では賛同したが、ワルドの言い回しにギーシュは疑問を感じた。

 (略奪者共? いいや、彼らは恐らく略奪が目的じゃない。それがわからない子爵では無いはずだけど……)

 しかし、ギーシュが長く思考を続けている暇は無かった。

 凄い音とともに天井が破壊される。

「っ!?」

 ギーシュが慌てて離脱しながら見た物は巨大なゴーレムだった。

「ゴーレム!? いや、あのゴーレムには見覚えが……」

 ギーシュの脳裏に蘇るかつての戦い。

 学院にある国の宝物を盗んだ怪盗、フーケ。



「ふん、ここにいるのは貴族の坊っちゃんだけかい」



 ゴーレムの肩に乗る女性が、その緑髪を風になびかせてつまらなさそうにこちらを見つめた。

「やはり生きていたか、フーケ!!

 ギーシュは彼女を睨み付けながら杖を構える。

 彼は事の成り行きをおおよそ聞いている。

 フーケが生きて逃亡していることは、そんなに不思議ではなかった。

 むしろ、自分の仲間が人を殺した、と言うことの方が真実味に欠ける。

 今の彼は“まだ”それほど“死”というものの身近さを理解していなかった。

「ふん、こないだの礼をたっぷりしてやろうじゃないのさ、ハンサムな少年!!」

 フーケは、そう言いながらここら一帯の岩で錬金した巨大ゴーレムをギーシュにけしかけた。

「っ!!」

 ギーシュは慌ててその場から離れる。

 ゴーレムの腕が先程までギーシュが居た場所を粉微塵にした。

「あははははは!! 逃げるのかい!? 逃げ場なんて何処にも無いさね!! 周りは盗賊で一杯、ここは港だが出港の為にはフネの風石はまだ力が足りないはずさ!!」

 フーケは逃げ場は無いよと高らかに笑う。

 (フネの風石の力がまだ足りていない? ならサイト達は出港出来ないじゃないか!!)

 ギーシュはフーケの“説明口調”の言葉に舌打ちした。

 フネの風石はあとどれぐらいで溜まるのだろう?

 ギーシュの焦りが彼の判断力を鈍らせる。

 その為に、彼は迫るゴーレムの腕に気付くのが遅れた。

「しまっ!?」

 た、と最後の言葉を言う前に、彼は地上はるか数十メイルへと叩き上げられた。

 意識を失いそうになるほどの衝撃に、ギーシュは呻くことしか出来ない。

 体はボロボロだ。

 精神力もそんなに残っていない。

 オマケに今は地上数十メイル。

 このままでは助かる見込など何処にも無かった。

「……フッ」

 だがギーシュは口端に笑みを浮かべる。

「フフフ、あははははは!!」

 体が軋んで痛い。

 笑うたびに体の何処かでおかしな音がする。

 フーケは、コイツダメージ多すぎておかしくなったのか?と首を傾げたが、すぐにその理由はわかった。

 空に上る満月。

 神々しい金の円光の中心に、黒い……いや蒼い影があった。

 影はびゅん!! と素早い動きで空を滑空し、加速度的に落ちていくギーシュを掴まえる。

「やあ、まさか君たちがここに来るとは予想外だったよ」

 ギーシュが笑いながら助けて貰ったお礼を言う。

 きゅい、と大きく一鳴きする蒼い風竜。

 シルフィードと呼ばれるその使い魔は主と他数名をその背に乗せていた。

「ああギーシュ!! こんなに傷だらけで!!」

 一人は香水のモンモランシー。

「ああ、ギーシュ様、お怪我でお労しい姿に……」

 一人は燠火のケティ。

「ぼ、僕は着いてきたんじゃないぞ!? た、たまたま居合わせただけだ!!」

 一人はかぜっぴき……ならぬ風上のマリコルヌ。

「いいからアンタ達落ち着きなさいよ」

 一人は微熱のキュルケ。

 彼女らがここに来たのは半分は偶然である。

 しかしその偶然が彼、ギーシュを助けた。




***




 学校でギーシュを探していたモンモランシーは、いくら探してもいないギーシュが、学院外にいると思い当たるのにそう時間は費やさなかった。

 ケティもまた、部屋に居ないギーシュを探し歩き、途中で“無償で快く手伝ってくれる名も知らぬ男の先輩”の手を借りながら学院中を探したものの見つからず、これは学院には居ないんじゃないかと思い始めた。

 そう二人が思い始めた時、ケティとモンモランシーは再会した。

 モンモランシーは考える。

 “薬”の“賞味期限”は短い。

 早くギーシュを見つけなければならないが一人では限界がある。

 ここは同じくギーシュを探している者を協力者としては、と。

 ケティは考える。

 悔しいが今一番彼の事を知っているのは彼女だろう。

 ここは恥とプライドを捨て彼女に聞いてみるべきでは、と。

 そうして二人は一時休戦および協定を締結した。

 調停人は“たまたま”そこに居合わせたマリコルヌである。

 二人はその時、“ぬけがけはしない”という協定を結び、聞き込みを開始した。

 効果はすぐに現れる。

 朝速くにルイズとその使い魔が出て行き、ギーシュはその二人と一緒に学院の外に出たのを見たと。

 それを見たのはキュルケだった。

 後を追おうか迷ったのだが、最近のルイズはおかしすぎた。

 あれほど大事にしていた使い魔への対応が悪い。

 悪い癖に手放そうとはしない。

 どうにも調子が狂い、しばし近づかないようにしようと決めていたのだ。

 だが、この二人はギーシュを捜しているらしい。

 ならば協力してやるのも一興か、と思いつつキュルケはタバサに事の顛末を話した。

 意外にもタバサは、



『追いかけたいなら手伝う』



 と興味ありげに進んで協力を願い出た。

 タバサは気になっていたのだ。

 使い魔のこともそうだが、ルイズの異常性を。




***




「すぐに私が治してあげるわ、ギーシュ」

 モンモランシーはギーシュを自分の方に引き寄せると杖を振った。

 香水のモンモランシー、彼女の属性はその二つ名からも想像できる通り“水”であった。

「あ、ずるい!! 協定違反です!!」

 しかしそれを見たケティは頬を膨らませ、ギーシュの腕を引っ張る。

 ギーシュは無理矢理に引っ張られ、今度はケティの胸の中へと顔事ダイブした。

「な、なななななな!?」

 モンモランシーはそれを見てギラリ目を見開き、

「ふん!!」

 再び強くギーシュを引っ張った。

「ほわっ!?」

 ギーシュは今度は抱えられるようにモンモランシーの腕の中へと収まる。

 というか、傷自体はまだ完全に癒えていないのでそう何度も無理矢理引っ張られると地味に痛い、結構痛い、かなり痛い。

「お、落ち着いてくれたまえ、君たちのように美しい女性に取り合われるのは光栄だが今はそんな事をしてる場合じゃ……何だい?」

 ギーシュが場を諫めようとして肩を叩かれる。

 肩を叩いていたのは同級、マリコルヌだった。

「………………」

 マリコルヌは唇を上に吊り上げ、しかし目つきは下目使いで睨むようにしながら無言で凄みをきかせていた。

 (何だ? 僕は彼に何かしたか?)

 ギーシュはマリコルヌの意図がイマイチ読めなかったが、マリコルヌがご立腹であるということは薄々感づいた。

「はいはい、そろそろ無視されてるオバサンに気付いてあげないと可哀想よ」

 パンパン、とキュルケは手を叩いて一同の意識を正面のゴーレムの肩に乗るフーケへと移らせた。

 キュルケはフーケの姿を見て、ギーシュ同様“やはり”という気持ちを強めた。

 (そうよ、人殺しなんて早々……)

 当のフーケはキュルケの言い様にカチンと来ていた。

「あんたらねぇ、まだ私はオバサンなんて歳じゃないよ!!」

 フーケが怒りながらゴーレムを操る。

「歳を取った人ってみんなそう言うのよねー」

 キュルケのさらなるからかいにフーケはゴーレムの動きを早める。

 シルフィードはきゅい!と一声鳴いて焦りながら旋回する。

「あっ」

 そんな時、モンモランシーの口から声が漏れた。

 何かが中空に舞い……落ちていく。

 遠く、地上の方でパリンと何かが割れる音がした。

「あああああああ……」

 モンモランシーの表情がどんどん暗くなっていく。

 絶望的に、暗黒的に、漆黒的に。

「モ、モンモランシー?」

 ギーシュが様子のおかしいモンモランシーに声をかけると「降ろして」と小さくモンモランシーの泣くような声が響いた。

 シルフィードはタバサに軽く叩かれ、下へと降りる。

 モンモランシーはふらふらと歩き、ある一点を見て、肩を振るわせた。

「やっと、やっと出来たのに……」

 彼女の視線の先には割れたガラスと謎の液体によって染みが出来た土があった。

 この場にいる人間には、それが何なのかはわからない。

 しかし、明らかに彼女は今、異常だった。

「……オバサン、覚悟は良い?」

 顔を上げたモンモランシーの瞳に、光は無かった。

 その瞳に、フーケは見覚えがあった。

 ゾクッと背筋が凍る。

 これは“あの時”のものと同じだ。

「上等じゃない……!!」

 フーケはガクガク震える体を無理矢理に押さえ込んで下唇をペロリと舐める。

 この時を待っていたのだ。

 これを克服するチャンスを!!

 若干予定は狂ったが、今はもうそんなもの関係無い。

 フーケの戦闘の意志にいち早く気付いたのはギーシュだった。

「散れ!!」

 その言葉に、まだシルフィードに乗っていたキュルケとタバサは上空へ、マリコルヌとケティ、ギーシュは三方へと散った。

 動かないのはモンモランシーのみ。

「タバサ、キュルケ!! 二人はアルビオンへ行ってくれ!! こいつの相手は僕たちがする。アルビオンにはルイズとサイトが向かってる筈だ、二人を頼む!!

 ギーシュは二人に上を指差し、そっちへ行くことを懇願する。

 それを理解した二人は、風竜の背に乗ったまま天高く舞い上がった。

 本当はフネを探して貰いたかったが、恐らく出港してるかどうかすら定かでないフネを見つけるのは至難。

 ならば目的地で合流して貰うのが一番だとギーシュは二人を促した。

 出港していなかったとしてもある程度時間を稼げば風石の問題もクリアされ、結局アルビオンでは再会出来る……ハズだ。

 だから残る問題は目の前のこいつただ一人。

 マリコルヌらが居てくれるおかげでこちらは四系統が揃っている。

 戦術の幅は大きく広がる。

 これならば遅れもとるまい、そう思ってからギーシュは大事な事に気付いた。



「あれ……? ワルド子爵が、いない……?」



 辺りを見回しても、盗賊が減ってきているのが見受けられるだけで彼の姿は無い。

 が、長く思考を続けている暇は無かった。

 ゴーレムがその怪腕をこちらに奮ってくる。

「くっ!!」

 こいつをどうにかしなければこれ以上の身動きは取れないとギーシュは悟り、やむなく目の前の敵に集中すべく杖を構えた。




***




 その頃、サイト達を載せたフネが、風石の力が足りずに飛べないと散々騒いでいた中、急に空へと登り始めた。



[13978] 第四十六話【風嫌】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:32
第四十六話【風嫌】


「サイト、痛い? ごめんね、ごめんね……」

 フネが飛んでからも、瞳に涙を一杯に溜めて、それでも傍を離れようしないルイズ。

 腕はもう、痛いのを通り越して麻痺し始めている気がした。

 これが壊死ってやつなのか? などとぼんやりよく知りもしない言葉を思いながら、サイトはいつの間にかこうやってルイズが傍にいることを許していた。

 きっと彼女は内心この腕を見て“気持ち悪い”と思っているのだろう。

 サイトは心のどこかでルイズの本心をそう読みながらも、突き放しはしなかった。

 理由は一つ。



 ……恐かったのだ。



 今まで何不自由なく暮らしてきた。

 いや、お小遣いが足りないとか、テストで悪い点を取ったとか、そんな日常にある不都合は経験してきた。

 だが、こんな“身に降りかかる危険”など、そう経験したことが無かった。

 正確に言えば、ここまで自覚出来る“危険”を知覚したことが無かった。

 この昨今、交通事故は増えていると言っても、未経験者は他人事のように感じる。

 身近だったとしても、経験者でさえ時が経てば意識が薄れるほど、“現代”の人間に危機意識は少ない。

 サイトとてその一人。

 ましてや、自分が居た世界とは異なった世界での出来事。

 急に降りかかった危険と痛みに、自分でもよくわからない恐怖を感じていた。

 それは人なら、生き物なら誰しもが持つ本能。



 “死ぬのが恐い”



 だから今独りになるのは恐かったのだ。




***




 サイトが震えているのが彼の体越しに伝わって来る。

 ルイズはサイトの恐怖をその身を通じて感じていた。

 感じて、堪らない気持ちが彼女を駆けめぐる。

 何故サイトが傷つかねばならないのか。

 何故サイトが怯え恐がらなければならないのか。

 その気持ちは、彼女に今まで思った事の無い感情を抱かせた。



 サイトを脅かす全てが“憎い”



 思えば、彼女は“憎む”という事をしたことが無かった。

 後悔、嫉妬、憤怒……数多くの感情を内包してきた彼女だが、何かを憎んだことは無かった。

 一度サイトを失った時でさえ、激しい後悔はしても何かを“憎む”ことは無かった。

 だが今、彼女はサイトを怯えさせるものを憎々しく思う。

 それは、彼女の中に先程の桟橋での戦い時にも似た思いと、決意を生み出した。



 “自分がサイトへの脅威からサイトを護らねばならない”



 だから今はただ、サイトの怯えを自分が取り払ってあげたかった。

 そう思う一方で、体中に“タリナイ成分”を目一杯補充する。

 彼の傷んでいない腕を取り、触れる事で彼そのものをその身に刻みこむ。

 久方ぶりにまともに触れる彼の温もりは、彼女の中の枯渇した“それ”ほんの少しずつ潤いを与え始める。

 まだまだ、いくらこうしていても溜まるには時間がかかる……否、溜まった傍から穴が開いた袋のように抜けていくそれを追い求めて彼女はサイトの顔を覗き込む。

 もっと、もっと近くで彼を見たい。

 彼の吐息を感じたい。

 彼の全てをその身に感じたい。

 だからルイズはサイトの傍を離れない。

「サイト、大丈夫、大丈夫だからね」

 自分に言い聞かせているようにも聞こえるそれは、だが確かにサイトの不安を若干和らげた。

 そんな時である。



「右舷上空、雲中に船影あり!!」



 新たな問題が発生した。

「何だあれ?」

 サイトは不思議そうに首を傾げ、船員の次の言葉にその身を硬くした。



「空賊だ!!」



 船内が慌ただしくなる。

 こちらは戦艦ではない。

 戦闘用の荷物など皆無に等しかった。

 あっという間に空賊のフネはこの商船に横付けし、明らかに武装した空賊達がドカドカと無遠慮にフネに乗り込みお頭らしい人間が一人前に出た。

「船長は誰だ?」

 見た目若そうな雰囲気とは裏腹の、黒い眼帯に口周りには黒墨でも塗ったように丸い髭を生やしたお頭はやや低い声で船員に尋ねた。

「……私だ」

 一人、帽子の違いによって明らかに船長だとわかる初老の男性が名乗り出た。

「このフネの積荷は?」

「硫黄だ」

「成る程、ではそれは全て我々が頂こう。何、命までは取らないさ。無論、命と硫黄の交換をしたいのなら話は別だが」

 海賊の頭はそう言うと、積荷を部下に運ばせ始めた。

 サイトはその海賊の頭を見て、眉間に皺を寄せる。

「サイト……?」

 サイトの異変を敏感に感じ取ったルイズは、心なしか不機嫌になり始めたサイトを不思議に思いながらもサイトに「待ってて」と言い残して傍を離れた。

 本心を言えば、離れたくは無かったが仕方が無い。

 “サイトの為を思えば”これは必要な事なのだ。

 ああ、でも本当に離れたくない。

 折角久しぶりに、数日ぶりという超長い年月ぶりにサイトに満足に触れていたのに。

 内心重い溜息を何度も吐きながらルイズは空賊のお頭に近づいていく。

「ちょっといいかしら」

 ルイズは空賊の頭に近づきながら手の甲を向けた。

「何だ? それ以上近寄る……!?」

 空賊の頭は訝しみながらルイズに近づくことを止めようとして……狼狽えだした。

 彼の視線は金のブレスレットをしている手の甲……ではなく、その指に嵌めている指輪だった。

 ルイズは構わず頭に近づき、小さく呟く。

「私はアンリエッタ姫殿下よりの使者でございます、“ウェールズ殿下”」

「!!」

 空賊の頭は目を見開き、しかし納得したように頷くと、

「お前、人質として俺のフネに来てもらおう、野郎共、撤収急げ!!」

 号令をかける。

 それを聞くとルイズはサイトの傍へとすぐに戻った。

「おい、ルイズ……」

 不安そうなサイトの顔に、少し胸を痛めながら、ルイズは「大丈夫」と小さく呟くとサイトと一緒に空賊のフネへと向かった。

 ルイズの後を訝しげに着いて行きながらサイトは、空賊の頭をずっと睨んでいた。




***




「まずは非礼を詫びよう」

 フネの客室らしき部屋に案内されたサイトとルイズは、空賊の頭に頭を下げられた。

 いや、

「いえ、心中お察ししますわ、ウェールズ殿下」

 アルビオン王国の皇太子に頭を下げられた。

 海賊のお頭は付け髭と眼帯を取り、すらっと整った顔立ちを見せ、嫌味の無い金の髪を揺らし、改めて二人を見つめる。

「もう知っているようだが、私はアルビオン王国が一子、ウェールズ・デューダーだ」

 そう、ルイズは彼が今回の任務の相手、ウェールズであることを知っていた。

 何せ経験者なのだから。

「君たちはアンリエッタの使い、ということだが……」

 ルイズの持つ水のルビーの指輪を見て、ウェールズは彼女達が本物であることを確信していた。

 だが用件は当然のことながらわからない。

「その前に、水の秘薬を分けて頂けないでしょうか、サイト……私の使い魔の治療を行いたいのです」

「使い魔の治療……? 人が使い魔なのか? いや、失礼。すぐに用意させよう」

 ウェールズはサイトの腕を見てこれは危険だと判断し、近くにいた者に目配せをした。

「ありがとうございます、こちらが姫殿下より仰せつかった殿下への書状にございます」

 ルイズは頭を下げて膝を折り、書状をウェールズへと進呈する。

 ウェールズはそれを受け取り読み始め、小さく溜息を吐いた。

「そうか、アンは……」

「はい」

 少し寂しそうにするウェールズに、ルイズは頷いた。

 丁度そこへ水の秘薬が届き、サイトの治療が開始される。

 今彼らは突然王家に反旗を翻した貴族派に王党派として応じ、戦争をしていた。

 その為、腐っても王党派というわけか、治療薬は豊富とは言えないが良質な物が揃っていた。

 サイトの腕に感覚が戻り始める。

 どうやら幸いな事に壊死はしていなかったようだ。

 サイトは、自分の世界ならばここまで急激に回復する技術は無いな、と内心感心しながらも、ルイズと話す皇太子に不快感を感じていた。

「アンリエッタからの手紙だったね、すまない。彼女の手紙はここには無いんだ。手紙はニューカッスルの城に置いてきている。面倒だとは思うがニューカッスルまでご足労願っても構わないだろうか」

 ルイズは一つ頷くとサイトに向き直り心配そうに彼の腕を見つめる。

 治療を終えたサイトは軽く腕を上げることで元気な事を伝え、

「貴様!! さっきからその態度は何だ!?」

 いきなり同室に居た空賊……もとい王党派の兵士に胸ぐらを掴まれた。

「先程から殿下に向ける敵意の目!! もう我慢ならん!! さては貴族派の回し者か!!」

 憤怒した王党派の人間はサイトを射殺さんばかりに睨む。

「おい、やめないか」

 ウェールズとてその視線には気付いていたが責めるほどの事ではない。

 今は時期が悪いのだ。

 王族に嫌悪を抱く者も少なくないだろうと思っていた。

「しかし!!」

 だがやはり時期が悪かった。

 もうすぐ彼らは最後の決戦を迎える。

 そんなピリピリと気を張った時期に、我らが皇子に敵意を向ける存在を許せるほど彼らの精神に余裕は無く、寛容でいられなかった。

 だが何度も言うように“時期が悪かった”



「……貴方、サイトに何してるの?」



 ルイズはサイトに掴みかかった王党派の兵士の首を後ろから掴む。

「っ!?」

 その瞳に光は無い。

 彼女は薄暗い、漆黒の瞳で兵士の頭を見つめる。

「サイトを離しなさい、今すぐよ…………死にたいの?」

 グッと首を掴む握力が増す。

「っなぁ!?」

 あの細く小さな手のどこからそんな力が出るのか。

 あまりの苦しみに兵士はサイトを離した。

 本当は離すつもりなど無かったのだが、あまりの苦しさにそうするより無かった。

 兵士がサイトを離すとルイズも兵士を離し、すぐにサイトの傍に寄る。

「はぁ、はぁ……なんなんだお前達は!? 殿下!! こいつらは危険です!! すぐにフネから叩き落としましょう!!」

「落ち着くんだ、こちらにも非はある」

 あまりの出来事に兵士は息切れを起こしながらサイトとルイズを化け物でも見るかのように睨む。

 ウェールズとて今の光景には背筋が凍るものがあったが先に手を出したのはこちらだ。

「部下が失礼をした。さらなる非礼を詫びよう。しかし僕も気になっていた。僕とそこの君は会うのは初めてのはずだけど……どうも敵視されているように感じる。良ければ理由を教えてもらえないだろうか」

 ウェールズは部下の不始末を詫び、飽くまで穏便に事の収拾、原因の追究を試みた。

 彼は元来、戦争などといった争いごと全般が嫌いなのだ。

 皆の視線がサイトに集まる。

 ルイズも少し、気になってはいた。

 接点の無いはずのウェールズに、サイトはどうにも不快感を感じているようだと。

「あんた」

 視線を一身に受けたサイトはゆっくりと、搾り出すように、



「風のメイジ、だろ」



 そう、ウェールズを指した。

「? いかにも。私は風のトライアングルメイジだ」

 一度も魔法を使っていないのにメイジとしての質を当てられたことに少々驚きながら、ウェールズは答える。

 それがどうかしたのか、と。

 だが、サイトはそんなウェールズ、一国の皇太子に向かって、



「風のメイジは嫌いだ」



 そう吐き捨てた。



[13978] 第四十七話【濃霧】
Name: YY◆90a32a80 ID:4af33f10
Date: 2011/03/03 19:33
第四十七話【濃霧】


 船内に張りつめた空気が漂う。

 まさに一触即発。

 今の言葉は、時期もさることながら、滅ぶのが目に見えているとはいえ一国の皇太子相手に言っていい言葉では無い。

 王党派の兵士達はサイトを敵意ある眼差しで睨み、ルイズはそんな兵士達の目からサイトを護るようにサイトの腕に縋り寄った。

「風のメイジは嫌い……?」

 ウェールズはふむ、と一つ頷くと、

「すまないが皆、私は彼と二人だけで話がしたい、席を外してくれないか」

「で、殿下!?」

 兵士達を驚かせる。

 何を言ってるのだろうかこのお方は。

 今は大事な時。

 こんな何処の馬の骨ともわからない輩、ましてや敵意を向けてくる平民ごときと二人になるなど危険すぎる。

 口々にウェールズを諫めようと声が上がっていく。

 ウェールズとて皆の気持ちはわかる。

 その心配は一個人として嬉しく思い、王族として申し訳なくも思う。

 だから、少し卑怯な言い回しをすることにした。

「……幸い、ニューカッスルまではまだ少し時間がある。皆、僕は悔いを残さずに逝きたいんだ」

 文字にしなければ、正しい意味での捉え方は難しい。

 しかし、この場にいる王党派の人間にそれを伝えるには、言葉だけで十分だった。

「………………」

 先ほどまで上がっていた反対の言葉は出てこない。

 いや、皆不満そうにはしてるものの、それをあえて口にはしなくなった。

 それでも、意を唱える者はいる。

「そんなの、認められませんわ」

 それはルイズだった。

 ルイズとてウェールズの人となりは知っている。

 彼は恐らくサイトに危害は加えまい。

 しかしだからといってサイトと二人に出来るかといえば異議を唱えずにはいられない。

 何が起こるかはわからないし、それに……せっかくサイトにくっついているのだから。

 なのにサイトと二人きり?

 そんなこと自分がしていたい。

 だが、当のサイトは、

「俺は構わない……ッスよ」

 一応語尾は少し謙らせ、ウェールズとの対話を受け入れるつもりの意を表した。

 こうなってしまってはルイズとて諦めざるを得ない。

 でも……諦めたくは無い。

「そんな……サイト」

 ルイズはサイト以外を視野に入れずに真っ直ぐサイトだけを大きく丸い鷲色の瞳で見つめる。

「この人が二人で話したいってんだからしょうがないだろ? さっきからの様子を見る限りイキナリ襲われることは無いだろうし多分大丈夫だろ」

 そんなルイズにサイトは肩を竦めて、やむなく、というポーズをとりながらもルイズを宥めた。

 それが王党派の人間には気に食わない。

 気に食わないが、ウェールズがああ言う以上、それを腹の中に仕舞いこみぞろぞろと船室から出て行く。

 ルイズも名残おしそうにしながらゆっくりとサイトの腕を放し、

「……部屋の戸の前で待ってるから」

 そう伝えると、何度もサイトを振り返り見ながら牛歩で部屋から出て行った。

「君たちは仲が良いね、恋人か何かかい?」

 さて、とウェールズは男二人きりになった船室で、少し硬くなった空気を柔らかくしようと当たり障りの無い話題を振るところから始めた。

「……いいえ、違いますよ。俺とルイズはそんなんじゃないです、ルイズには婚約者いるそうですから」

 ところがこれは選択ミスだったようだ。

 う、とウェールズは言いよどみ、それはすまない、と謝罪の言葉を口にした。

「あれだけ君にべったりだからつい、勘違いをしてしまったよ、申し訳ない」

 何気ない会話から少し円滑な会話をしようと思ったのだが、慣れない事はするものでは無い。

 ウェールズはそう内心溜息を吐き、下手な会話より単刀直入に話そうと決めた。

「君は……風のメイジと何か諍いがあったのかい?」

「……ええ、まぁ」

 サイトは短く答える。

 話はするが、アンタは気に食わないというオーラは隠さない。

 ウェールズはそんなサイトのことが、何故だか無性に気になった。

 思えば誰かに敵意を向けられるという経験はほとんど無い。

 それはウェールズが皇太子だったりするせいもあるが、何より人に嫌われまいと、皆の自慢になる良き皇太子であろうとした努力の賜物だった。

 その努力を辛いと思ったことは無い。

 それが自分の責務として育ったウェールズには、努力という概念すら内心には無いからだ。

 だが今、こうやって謂れの無い敵意を初めて向けられ、ウェールズは戸惑いながらも興味を抱いた。

 よく言えば好かれる皇子だが、悪く言えば周りはイエスマンばかりともとれるこの現状に初めて舞い込んだ一陣の新風。

 何故かウェールズはそれを心地よく感じていた。

 だからだろう。

 サイトの態度もオーラも、咎めようという気は一切起きなかった。

「風のメイジって自己中が多いと思ってます」

 ふと気付けば、サイトの方から話し出している。

 これは喜ばしい事だった。

 ウェールズはどうやってこれ以上詳しい話を聞けば良いかわからなかったからだ。

「何故そう思うんだい?」

「……経験ッスよ、風のメイジは周りを巻き込む自己中が多い」

「良ければどんな経験か聞かせてくれるかい?」

 ウェールズの問いに、サイトは服を脱いで背中で答えた。

「……これは」

「風の魔法で切られました、後ろから。決闘することになった風のメイジが、負けた後それを認めずに背後から襲ってきたんです」

「……そうか」

 ……なんて真似を。

 それでも本当に貴族なのだろうか。

「他にも俺が平民だからか食堂に入ったらいちゃもんつけて来る奴がいたり、さっき言ったこの傷をつけた奴なんて俺を誘拐してルイズまで傷つけました。そういや最近、山賊たちの目の前で置いてけぼりをくらったりってのもありましたね」

「……すまない、同じ風を扱うものとしてそういった人間を恥ずかしく思う」

 ウェールズは自分が行ったわけでも無い風使いの非道を、まるで自分が行ったかのように謝罪する。

「全ての風使いが悪いわけじゃないってのはわかってますけど、それでも風のメイジは嫌いです」

「……そうか」

 ウェールズは少し寂しそうに頷いた。

 おかしな話、自分を嫌いだというこの相手を、ウェールズは好きになっていた。

 真っ直ぐに思ったことをぶつけてくる相手はそうはいない。

 そういった意味で、サイトは好感が持てた。

 だが、

「俺は……貴方もあんまり好きじゃない」

 この言葉には首をかしげた。

 話を総合するとサイトの風嫌いには納得がいくが、自分がそうまで嫌われる理由は薄いように感じられた。

「言いましたよね、風のメイジは自己中だって。例えば、さっき貴方は空賊に扮して俺達の乗っていたフネを襲った」

「………………」

 ウェールズは黙って耳を傾ける。

 反論の余地は無い。

 戦争なんだから仕方が無いと言っても、やっていることは略奪という恥ずべき行為に違いは無い。

「それに最後の戦い、とか言ってたよな? ……ましたよね? 周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ」

「………………」

 ウェールズに言える言葉は無い。

 だが胸に染み込んでいく言葉がある。



『周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ』



 それははたしてどういう意味か。

 死ぬなら一人で死ねという意味か、それとも死ぬなという意味か。

 どちらにしろ、現状そんな夢物語は叶わない。

「……貴方が死ぬ気だってんなら、俺はやっぱり貴方も含め風のメイジは好きになれそうに無い」

 サイトの言葉は深く重く、ウェールズの胸に今までに無かった迷いを孕ませた。




***




 ルイズは戸の前で今か今かとサイトを待っている。

 そんなルイズを見ながら、王党派の船員は不満そうに鼻を鳴らした。

「あの少年、何かあったんだろうけどあの態度は腹立つよなぁ」

「そうだな、どうにもあの商船から連れてきた“三人”はいけ好かない」

「三人? 二人じゃないのか? あの少年とそこの嬢ちゃんと」

「ん? いやもう一人“風石に力を込めてた飛び入り客”とかってのをギリギリで乗り込ませたはずだが……そういや見かけんな、何処行った?」

 船員達は不思議そうに首をかしげ、まぁ何処かにいるだろ、と気にせずその場を後にする。

 ルイズは全神経を部屋の中に集中させている為に、船員の話など聞いてはいなかった。




***




「くっ!!」

 フーケは戸惑っていた。

 相手は複数とはいえ子供。

 それなのにここまで手玉に取られるなんて!!

 一人はただ何も考えずに近づいて来る少女。

 コイツが一番やばそうで一番どうにかしたい相手でもあるのだが、如何せん周りがそうはさせてくれない。

「今だケティ!!」

「はい!!」

 ギーシュの掛け声でケティは小さな火の粉を生み出した。

 すかさずマリコルヌは風でそれを術者、フーケへと運ぶ。

 火の弾などなら避けようもあるが細かい火の粉では煙くなり避けようも無い。

 今のところ目に見えるダメージは視界不良と煙たいくらしか無……「ゲホッゴホッ……」……!!

 そこで初めて気付く。

 自分は随分と風に乗って飛んできた火の粉で生まれた煙を吸っていることに。

 ……長期戦はマズイ。

 だがかといって──────ガクン──────またか!!

 ゴーレムの足元にゴーレムの足が嵌るだけの穴が開く。

 ゴーレムは足を取られ転びそうになる。

 ギーシュの考えた作戦は早い話、時間稼ぎだった。

 まともにやっては持たない。

 であればいかに相手を翻弄し、疲労させるか、である。

 勝つための戦法ではない。

 負けない為の戦法である。

 それに気付いた時にはゴーレムに触るモンモランシーがいた。

「……ゆる、さない……!!」

 何も映していなかった筈の瞳に狂気が垣間見える。

「っ!!」

 フーケが一瞬怯んだその時、ふっとフーケの頭上が暗くなる。

 フーケの頭上には巨大な氷の塊があった。

「落ち、ろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 モンモランシーが叫ぶ。

 長年の勘が告げる。

 ……間に合わない。

 フーケはダメージを覚悟し、子供達にいいようにやられた自分に苛立ち、それでも目は背けまいと巨大な氷の塊を睨んで……脱力した。



「え……?」



 氷の塊があっという間に溶ける。



「な……!?」



 驚きは誰のものか。



「全く、これだから女というものは……戦の引き際を知らん」



 気付けば、フーケは赤色のマントを纏う男に抱き上げられていた。

「ア、アンタ……モット!? なんで……」

 フーケは驚いた。

 何時の間に移動したのか、何をどうやったのか、フーケはゴーレムの足元にいるモットの腕の中だった。

「勘違いしているようだが、私は別に冷血漢では無いぞ。一応貴様と私は協力者なのだからな」

 モットはそう言うと杖を振って辺りに水を巻き……その水が段々弱くなり、周囲一帯に濃い霧が生まれる。

「さて、引くぞ。これ以上の戦闘は意味があるまい」

「え? あ、ああ……」

 フーケはあまりのモットの手際の良さについ我を忘れてしまっていた。

「何をボーっとしておる、走れ」

 そう言って駆け出す元モット伯。

 フーケはハッとして、霧中の赤い背中を追いかけ始めた。

 鼓動が、何故か少し早くなっていた。



[13978] 第四十八話【閃光】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:34
第四十八話【閃光】


 ウェールズは一人、自室で長年愛用した椅子に深く腰掛けていた。

 ニューカッスルに戻ってすぐ、ウェールズは二人に手紙を渡した。

 これでお別れかと思うと名残惜しいが、このままここに居ては彼らに迷惑がかかる。

 もう少し彼ら……とりわけサイトの事を知りたかったが、彼らを思うのならば引き留めるわけにもいかない。

 戦争、一番自分には無縁のものと思っていた。

「僕はこれまで、正しくあろうとしてきたが、本当にこれまでの僕は正しかったのだろうか」

 視線を床へと移し、尚もウェールズは一人呟く。

「これから僕がすることは、正しいのだろうか」

 自問するようにウェールズは呟く。

 サイトと話したせいだろう。

 ウェールズは少し、これまでの、そしてこれからの自分に疑問を抱き始めていた。



 コンコン。



 と、戸がノックされる。

「……殿下、そろそろ御支度を。戦が近づいて来ています」

「……わかった」

 ウェールズは扉越しに答え、ふと思い立ったように尋ねてみた。

「君は……後悔していないかい?僕らは恐らく、これから戦って……貴族派に勇敢だったと言うことを知らしめる事しかできない」

「……殿下」

 壁越しの我らが尊敬する皇太子に、兵士は心の向くまま言葉を紡ぐ。

 兵士にはこれで最後だ、という現状もあってか、心の枷も緩くなっていたのかもしれない。



「我らは皆、殿下に付いていきますよ、その事に後悔はありません。皆殿下が好きですから」



 胸を張って言える、自らの誇り。

 頑として揺るがない絶対の信頼。

「死ぬのが恐くは無いかい?」

「王を、そして殿下を裏切る事になることの方がもっと恐いです」

「ありがとう」

 ウェールズは微笑み、立ち上がって戸を開ける。

「戦の準備、だろう? 行こうか」

「はい」

 自らを誇ったようにピンと背筋を伸ばす兵士に、ウェールズは心地よいものを感じる。

 だが同時に、どうしようもない申し訳なさも抱いた。

 彼らは、自分たちの側に付いたが為に、明日を奪われるのだ。

 そう思うと、ウェールズの胸にズキンと痛みが奔る。



『周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ』



 何故か、使い魔の彼の台詞が頭に浮かんでいた。




***




 ルイズとサイトはウェールズから手紙を預かった後、長い廊下を歩いていた。

 廊下と言っても幅は広い。

 壁には所々に絵画が飾られ、天井の明かりによって廊下は煌びやかな光に包まれている。

 サイトにはこの世界の……前の世界でもそうだが、絵の価値などわからない。

 だから、自ずとサイトの意識は再び当然のように腕に抱きつくルイズに集中していた。

 周りには誰もいない。

 既に非戦闘員の殆どは退城し、兵士もこれから起こる戦いに向け一つ所に集まっているという。

 自分たちもここを出る最後のフネ、イーグル号に乗ってここを出ることになっていた。

 よく意味もわからず連れてこられたが、これできっとまた平和な学院生活に戻れることだろう。

 サイトはそう思って内心安堵の息を吐き、次の吐息が溜息に変わる。

 学院生活。

 それを自分は今まで通りに続けていけるのか。

 今も耳に残るルイズの言葉。



『気持ち悪い』



 それを聞いてしまった今、サイトは今後のルイズとの距離を計りかねていた。

 少なくとも、こうしてくっついているのは良くないようにも思える。

 ルイズの内心、いや深層心理では自分を嫌っているのかもしれない。

 よしんば嫌っていなかったとしても、気持ち悪いと思う気持ちがあるのはもう覆しようの無い事実。

 加えて、風のメイジの婚約者までいるのだ。

「ルイ────ズ?」

 このまま一緒に居ては良くない。

 そう思ったサイトはルイズにその旨を伝えようとして、突如歩みを止めたルイズを訝しむ。

 ルイズは一点、廊下の先を睨んでいた。

 つられてサイトも廊下の先を見る。

「!!」

 そこには見知った男が立っていた。



「何故ここにいるの、ワルド」



 それは質問ではなく糾弾。

 ルイズは猫が毛を逆立てるように相手を威嚇しながらワルドへと糾弾する。

「君たち……ルイズが心配で急いで追ってきたんだ。僕は風使いだ、おかげで耳はよくてね、そっちの使い魔君の靴は特に特徴があるから足音ですぐに君たちだとわかったよ。それで任務は終えたのかい? 手紙は?」

 ワルドはゆっくりとルイズに近づき始める。

「お前、ギーシュはどうした!?」

 サイトはこの場に見えないギーシュのことが気がかりだった。

 こいつがここにいるのならギーシュだっているはずだ、と。

「……彼はここに来ていない、方法が無かったのでね」

 ワルドはルイズを見据え、サイトには目もくれぬまま答えた。

 尚も歩みを止めずにワルドはルイズに近寄っていく。

 そんなワルドにルイズは、



「見え透いた嘘はやめなさいワルド、私が桟橋での一件に気付いていないとでも思っていたの?」



 冷たい目を向け、怒りを露にした。

 ワルドの足がピタリと止まる。

「……桟橋? 何を言ってるんだいルイズ? ああそうか、何か危ない目にあったんだね? そら、だから言ったじゃないか、彼では君を護れないと。だがもう大丈夫だ、僕が君をまも「黙りなさい」……」

 渇いた笑いを零しながら取り繕うようにワルドは口を開くが、ルイズにそんなものを聞く気は無かった。

 ルイズはワルドに杖を向ける。

「一体どうしたんだ、僕のル「止めて、“気持ち悪い”」……!!」

 ワルドはルイズの発言に目を丸くする。

「私はサイトのものよ、それ以外の誰のものでもない。サイト以外の……ましてや貴方なんかに自分のもののような呼ばわりをされるのは気持ち悪くて我慢ならないわ」

 ルイズはワルドの言葉を聞きたくなかった。

 かつて、夢でもその言葉を言われそうになって無理矢理聞かなかったほど、その言葉を聞きたくなかった。

 自分の事をそう呼んでいいのは世界にたった一人だけなのだから。

「ルイズ……」

 サイトもまたルイズの言に驚いていた。

 同じ“気持ち悪い”という言葉なのに、どうして今度はこんなにも嬉しい気持ちになれるのだろう?

 だが、深く考える暇は与えられなかった。

 顔を俯けたワルド子爵の肩が小さく震える。



「サイトサイトサイトサイト……やっぱりその使い魔が邪魔になったか、もっと早く消しておくべきだった」



 小さいのによく通る声で、ワルドは忌々しそうにサイトを見る。

 途端、サイトは桟橋で仮面をつけて襲撃をかけてきた何者かに後ろから羽交い絞めにされた。

「っ!?」

「サイト!? ……っ!!」

 サイトが「何でここにこいつがいるんだ!?」と驚き、それにルイズも気を取られた一瞬の隙に、ワルドはルイズの腕を掴んだ。

「ルイズ、僕は世界を手に入れる。その為には君の力が必要なんだ、僕と一緒に来てくれるね?」

「お断りよ、私はサイトと以外に共に歩む気は無いわ」

 即座にルイズは否定する。

 すると仮面を被った桟橋での襲撃者は仮面を取り、その素顔……ワルドの顔で歪んだ笑いを浮かべる。

 風のスクウェアスペル、“遍在”

 ワルドはそれを用い、自らの分身を“一人”で作っていた。

 それは彼のメイジとしての格の高さを示している。

 あの時桟橋で襲ってきたのは、ワルドのこの遍在に外ならなかった。

「ルイズ、僕とて婚約相手の君をこれ以上無碍にしたくはない。これが最後だ、協力してくれるね?」

 飽くまで優しそうな声でワルドは諭すようにルイズに話しかけるが、その顔は能面のように無表情で冷え切っていた。

 ルイズの細く白い腕は、必要以上に強い力で掴まれている。

 ルイズはワルドを睨むと、やはり即座にこう答えた。

「答えはノーよワルド、さっさとサイトを離しなさい。今ならまだ“私に対してしたことは許して”あげる」

「そうか」

 ワルドはルイズがそう答えるのがわかっていたのか、抑揚の無い声で答えると胸元から小さな小瓶を取り出した。

「これは“高名な水メイジ”に用意させた薬でね、何、そのメイジは君も知ってはいる人さ。何せ彼はある意味君のおかげで我々の側についたのだから」

 むしろこの薬を作れるほどメイジを仲間に引き入れたかったこちらとしては好都合だったが、と内心で嗤うワルドはその小瓶の蓋を開ける。

「人ってのは割りと脆いものでね、ましてや心なんてものは壊れやすい。先住魔法ほどでの威力は無いが、ただ思い通りにするならこれでも十分なそうだ」

 ワルドは饒舌に説明口調で語り終えると、おもむろにその小瓶の中身を口に含み……ルイズに口付けた。



「!?」



 ルイズも咄嗟のことで対応が出来ずに、ワルドを跳ね除けられない。

 口移しで含まされた何かの薬が、彼女の体に浸透していく。

 ルイズはその場にペタンと座り込んだ。

 ワルドはルイズの腕を放し、再び優しそうな笑みを浮かべる。

「さぁルイズ、僕の言う事をなんでも聞いてくれるね? 君の心は壊れたんだ、僕の言う事を聞くしか無いよね?」

 ワルドはモットに相手の心を壊し、簡易的な洗脳が出来る薬を用意させていた。

 モットは思いのほか優秀で、あっという間に望みの薬をこしらえた。

 山賊の一人も、その薬でてなずけ、実験も完了しているのだ。

 普通の人間に、この薬の効力を回避する術が無いことは既に証明済みだった。

 ルイズはゆらりとたちあがる。

 ワルドは期待に胸を膨らませ…………次の瞬間には顔面に拳がめり込んでいた。

「ッ!?」

 鼻を押さえながら驚きルイズを見やる。



「……じゃない、……だんじゃない……冗談じゃない!! サイト以外の人間が私の、私の唇に触れた……? 冗談じゃ無い……!!」



 ルイズはワルドの薬を飲まされて尚、ワルドの思い通りになっていなかった。

「馬鹿な!? 聞いていないのか!? 常人には防ぎようは無いはずだ!! あの山賊の心はあっという間に壊れた!!」

 ワルドは信じられないものでも見るかのようにルイズを見る。

 ここで、ワルドはある一点において勘違い、認識不足があった。

 彼は知る由も無いが、彼女は一度サイトを失い、永い年月を経てここにいる。

 絶望に囚われ十数年を生き、一度死をも経験し、また十数年もの努力とお預けを食らった彼女が“常人”である筈が無かった。

 薬の相性が悪かったとも言えるかもしれない。

 相手の心を壊す薬。

 それは相手に壊れていない心があって初めて成立する。

 サイトを一度失い、それでも妄執的にサイトを求めてきた彼女の心など、当の昔に壊れていた。

 でなければ、その悠久には程遠くとも体感的にはそれに近い年月を、耐えられようはずが無い。

 サイトと再び会うために、彼女は彼女の弱い心など当に見限っていたのだ。

 ワルドにそんな理由などわかろう筈も無い。

 だが、だからといってこの“任務”に失敗は許されない。

 驚きではあるが、薬が効かないのならやることは一つ。

「残念だよルイズ、本当に残念だ」

 ワルドは、ラ・ロシェールでギーシュと戦って以来、自身の甘さについて自問していた。

 時にはもっと非情になることが求められると、あの戦いで学んでいた。

 だから、



「さよならルイズ」



 閃光が奔る。



「っ!?」



 サイトの目に、ルイズの体を突き抜ける風が見えた。



「あ、ああああ……!!」



 ルイズは瞳孔を開いたままゆらりと揺れ、



「おや? 耳が良すぎるのも困ったものだ、彼女の心拍が停止したことまでわかってしまった」



 その場に崩れ落ちた。



 ルイズがしていた金のブレスレットが、床に当たって……砕け散る。



「ルイズーーーーーーーッ!!」



 サイトのルイズを呼ぶ声に、初めてルイズは応じない。










 決まっていた道程。

 運命と呼ぶに相応しいそのレールの歯車、その軋みが、また一段と強くなった。



[13978] 第四十九話【如何】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:34
第四十九話【如何】


 喧騒。

 響く金属音。

 轟く轟音。

 また一人、知っている者が倒れていく。

「殿下!!」

「!!」

 倒れた者に手を差し伸べようとして、警戒を怒った自分が受けるはずだった刃を、またも知っている人間が代わりに受ける。

「………………」

 幾度となく敵の刃を受け、時に誰かが身代わりになり、倒れていく。

 これが戦争。

 ずっと自分とは無縁だと思っていたかったモノ。

 これが戦争。

 尊い命がそこらの蟻と変わらないぐらいに軽くなる場所。

「殿、下……」

 また一人、自分をかばって人が倒れていく。



『周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ』



 人が、当たり前のように死んでいく。

 相手の戦力は五万。

 対してこちらの戦力は千どころか五百にも満たない。

 単純計算で、一人で百人以上を相手にしなければならない。

 わかってはいたこと。

 それでも。



『……俺はイヤだ』



「僕も嫌だよ……使い魔君」

 周りが倒れていくのが耐えられない。

 人が死ぬ事など、結局覚悟できようはずもない。

 さっきの彼とは酒を交し合ったし、あの彼はまだ幼い妹がいると言っていた。

 あそこのあいつは……こいつは……。

 数多くの同士が倒れていく様を、ウェールズはもう見ていたく無かった。

 これも、我が侭なのだろうか。



『周りを巻き込んで死ぬ気だっていうのが……俺はイヤだ』



 サイトの言葉が何度もリフレインして、弾けた。



「周りを巻き込んで死ぬのは確かに嫌だ!! 皆、ここは僕に任せて退却してくれ!! 恥だろうとなんだろうと、僕の代わりに生きてくれ!!」



 耐えられない。

 耐えたくない。

 人が死ねば、悲しいのだ。

 こんな悲しいことなど、皆に味あわせたくない!!

 ウェールズはありったけの精神力でもって風の障壁を作る。

 長くは……持たない。



「皆、今までありがとう!! 何時の日かブリミルの御許で会おう、さぁ行け!!」



 背後に向かって進めと、懇親の願いで叫ぶ。

 だが、一本の風の槍が障壁を越えてウェールズの腹部を貫いた。

「ぐふっ!?」

 膝をつく。

 そこには帽子を深く被った髭の男がいる。

「殿下!?」

 数多くの兵士が寄って来る。

「馬鹿者……僕はいいから君たちは引くんだ、これは敗走ではない、必ず来る“光ある明日”の為に君たちは僕を捨て置いて生きてくれ」

 ウェールズの目が霞む。

 意識が朦朧とする。

 そんな中、集まった兵達は、

「なぁにを言ってやがんですかねこの皇太子様は」

 気楽にこれから野良仕事でもするかのように髭の男とウェールズの間に立つ。

「ホントホント」

 髭の男を遠ざけようと数人がかりでエアハンマーをぶつける。

 数瞬後には逆に吹き飛ばされる。

「言ったでしょう? 僕らは王や貴方を裏切る事になるほうが恐いと」

 誰かに背負われる感覚。

 もう、瞼が重くて目が開かない。

 耳も遠くなってきた。

 光が、喧騒が、全てが遠ざかっていく。

 ただ、わかるはずも無い他人の温もりと、揺れる体だけが、ぼんやりとした意識の中で感じられた。



「殿……、貴方……皆の希望……です。殿……こそ■なない……下さ……」



 ウェールズは完全に意識を失う瞬間、揺れる体と共に、誰かの呟くような願いを、耳にした。




***




「ルイズーーーーーーーッ!!」



 サイトは目の前で起きたことが信じられずに叫ぶ。

 ルイズは動かない。

 ルイズは動かない。

 ルイズは動かない。

 サイトは体内全ての酸素を叫びで吐き出した後、口をそのまま大きく開いた状態で固まる。



───────一瞬、場が無音に包まれる。



 カンッ!!

 静寂を破ったのはサイトが背負う鞘に収まったままのデルフリンガーだった。

 デルフリンガーは突如鞘から飛び出る。

 サイトを羽交い絞めにしていたワルドの遍在体が、自身の胸の中で急に動いたインテリジェンスソードを訝しげに睨んだ。



『おお? おおお? あ、相棒 ?“奮わせ過ぎ”だ、おい!? 相棒!?』



「──────っあ」



 一呼吸、息を吸ってサイトはデルフを振り抜く。

 そのまま返す刀でサイトを羽交い絞めにしていた遍在のワルドは掻き消えた。

「ほぅ?」

「ワ、ル、ドォォォォォォォォォォォ!!!!!!!」

 サイトが跳ぶ、いや飛ぶ。

 それはもはや跳躍ではなく飛行。

 一足飛びで、早さも十分にサイトはワルドに肉薄する。

 サイトから繰り出される斬撃をワルドは受け止め……そのまま力任せに壁に叩きつけられた。

「ぐはっ!?」

 血反吐を吐く。

 なんという馬鹿力。

 鍔迫り合いになどならない。

 ……予想以上だ。

「ああああああああ!!!」

 尚もサイトはデルフを振りかぶる。

 早く、無駄の無い押しの一手。

「ふっ!!」

 ワルドは風を使ってできるだけ距離を取り、その振り下ろされるサイトの重い一撃を回避する。

 すぐさま杖をサイトに向け、

「二発目、耐えられるか?」

 雷がサイトを襲う。

 回避は間に合わない。

 今の自分の力量では桟橋の二の舞は目に見えている。

 ならば!!

「頼む、デルフ!! なんとかしてくれ!!」

『うおっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!』

 掛け声一閃。

 構えられたデルフリンガーは、その刀身に雷を受けてそれを吸収する。

「何だと!?」

『ハッ、てめぇなんざのちゃちな魔法なんて俺様が全部喰らい尽くしてやるよ!!』

 それが意外だったのか、ワルドはその場で呆然とし、サイトの接近を許す。



「てめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」



 サイトが懇親の力で横なぎにワルドをなぎ払う。

「がはっ!?」

 再びワルドは壁に激突し、ぱらぱらと壁がひび割れ……壊れる。

 辺りには砂埃が舞い、膝を付くワルドの黒い影だけがサイトの視界に入る。

「うおおおおおお!!!」

『おい!? 相棒止せ!! “奮わせ過ぎ”だ!! もっと周りをよく見ろ!!』

 デルフがサイトを制止するが、それも虚しくサイトはトドメとばかりにワルドにデルフを突き刺した。

 ぱらぱらと落ちる壁の破片。

 舞い上がる砂埃と、黒い影。

 そこに真っ直ぐ突き刺さるデルフリンガー。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 サイトは息を切らしながら砂埃の影を睨む。

 体中から玉のような汗をかき、息を乱しながら既に体力の限界だと疲れたような表情で、晴れていく砂埃の中、デルフが刺さったワルドを見て、



「満足、したかね」



 背後からの声と共に横殴りの風に吹き飛ばされた。

『相棒!!』

 デルフが叫ぶ。

 カラン、とワルドに刺さっていたデルフは床に落ちた。

 ワルドの“体が消えた”為に。

 だから言ったのだ。

 もう少し回りをよく見ろと。

 しかしデルフにもいつ彼が入れ替わったのかはわからなかった。

『てめぇ!? いつ、入れ替わりやがった!?』

 そこには、横腹を押さえているワルドが立っていた。

 口端からは血を垂らし、息もやや荒い。

「馬鹿力め、だが戦闘経験が未熟なおかげで助かった。砂埃が舞った瞬間、私は遍在を残して貴様らの背後に回ったのだ」

 サイトは倒れたまま動かない。

 いや動けない。

 今のダメージはたいしたことは無い。

 だが、サイトは先ほどからデルフに言われていた通り、心を“震わせ過ぎ”た。

 彼はガンダールヴ。

 主人の為に心を奮わせれば奮わせるほど強くなれる……がその分疲労も激しい。

 最初からあれほどの戦いをするのは、戦うこと事態が素人のサイトにとっては自滅行為にも近かった。

「フ、どうやらガス欠のようだなガンダールヴ。私の勝ちだ」

 コツコツとワルドはゆっくり倒れているサイトに近づく。

「貴様の心臓の音もすぐに止めてやろう、私は耳が良すぎる故に心拍音が嫌いでね。今も聞こえている貴様のその音を消したくて仕方が無い」

 クックックッとワルドは嗤い、一歩二歩とサイトに近づきながら不快な心拍音を耳にする。

 ドクンドクンと波打つ彼の心拍。

 全くもって耳障りな音────ドクンドク「ドクン」ンドクン────が聞こえ……?

「!?」

 何だ今の“別の心拍”は?

 ワルドは咄嗟に後ろを振り向く。

 そこには何も無い。

 本当に“何も”無い。

 あるべきものが“無い”

 再びサイトを見ると、後ろに“あるべきもの”がサイトを膝枕していた。



「サイト……」



 高い、ソプラノ調の声。

「ルイ、ズ……? 良かった、生きて……たのか」

 サイトは安心したように笑って、ぐっと苦しげな表情になる。

 先ほど吹き飛ばされた際、胸を強く打ったようで息苦しそうだ。

 そんなサイトに、ルイズは優しく頬を撫でて……瞳に涙を浮かべた。

「ごめんなさいサイト。貴方がくれた“金のブレスレット”が壊れちゃった……折角、サイトがくれたものなのに……」

 ルイズは心底すまなそうに謝る。

 彼女にとって、サイトからもらったものは自らの命よりも重い。

 それが“壊されて”しまった。

 ワルドは、サイトとルイズの二人……とりわけルイズを驚愕の眼差しで見つめていた。

 確かに一度心拍は停止したはずだ。

 まるでワルドがいることなど意に介さないようなルイズとサイトの会話を聞き流しながら、ワルドは言いようの無い焦りを覚える。

 こうして生きているのは何か、何か理由があるはずだ、と。

 と、よく見ればルイズはうっすらと黄金色の光を纏っていた。

 なんだあれは、そう思ってから彼女達の台詞を唐突に思い出す。

 金のブレスレットが壊れた、と。

 ワルドは再び先ほどルイズが倒れた辺りを見やる。

 壊れた金のブレスレットの残骸が淡い金色を放っていて……消えた。

 その光は今ルイズを纏っているものと同じで、しかし、光が消えた残骸は既に灰色のただの鉄くずに見える。



「あれは……まさか……!?」



 ワルドは聞いたことがあった。

 先住魔法をかけられた、一見ではただのアクセサリーとなんら変わらないマジックアイテムがあることを。

 死ぬほどのダメージを受けて尚、たった一度だけその身代わりになってくれるマジックアイテムがあることを。

 それは、作ったものにしか真贋を見極める事は出来ないというほど精巧だという。

 サイトは自分が贈ったものがそうなのか知らない。

 ルイズも自分が貰ったものがそうなのか知らない。

 ワルドでさえ、それが本物であるか知る術は無い。

 だが現に、ルイズはこうして蘇っている。

 ルイズは優しくサイトを撫で、サイトが意識を失うのを確認すると、“何も映さない虚無の瞳”でワルドを見据える。

「な……!?」

 ワルドは、知らず後ずさった。



「……してくれるの、どうしてくれるのよ、私の命よりも大事なサイトからもらったブレスレット……」



 ルイズが重く、呪うような声でワルドにそう言った瞬間、



 ドンッ!!



「あがっ!? あがががががっがが!?」



 ワルドの左腕は弾け飛んでいた。

 ルイズの手には杖がある。

「な、あ、うぐぐああああ……」

 ボタボタと流れてはいけない量の真っ赤な血が床に滴っていく。

 辺りはあっという間に鉄臭くなるが、そんなことより。



「ねぇ、どうしてくれるの? 私のサイトからもらったブレスレット」



 生命維持に支障をきたすほどの出血になりそうだが、そんなことより。



「ああ、サイト。こんなに汗を流して傷だらけになっているなんて……可哀想なサイト」



 このまま急いで応急処置をしてモットと合流すれば最悪の事態は免れるだろうが、そんなことより。



「ああ、サイト、私は貴方がいればそれでいいの。それなのに……」



 虚無の瞳のまま、仮面も付けずに能面のような表情でルイズはワルドを見つめる。



「ほんと、どうしてくれるの?」



 ワルドは既に、生きている心地がしないのは、何故だろうか。



[13978] 第五十話【消毒】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:35
第五十話【消毒】


「すみ、ません……自分は、……殿下の護衛……ここまで……ようです……でんか、は……いきてくだ……い」

 ガクリ、と見たくもなく首が垂れ下がる彼の最後を看取る。

 体は血だらけでズタボロだった。

「……すまない、すまない……!!」

 ウェールズは涙を流しながら動かなくなった同士に謝る。

 自分は、彼に背負われてこの新緑深い森へと逃がされたらしい。

 しばらくそうしていたウェールズだが、そろそろ何とか立ち上がろうと思い、木に体重を預けながら四肢に力を込める。

 一瞬腹部に痛みを感じてガクンと膝を折るが、グッと口内の血の塊を飲み込んで耐えて立ち上がる。

「ハハ、そう言えば腹に穴が開いてるんだった……」

 大樹に背を預け、忌々しそうに腹部を見やる。

 そこは何かの布があてがわれていたが、既に赤黒い染みが出来ていて、恐らく自分もこのままでは助かるまいと直感した。

 しかし、

「……忠誠には、報いるところが無ければ……」

 ウェールズは、かつて“彼女に説いたことのある言葉”、代々受け継がれてきた王族としての在り方を口にして杖を振る。

「げほっげほっ!!」

 びしゃり、と血を吐き出し、体中を駆けめぐる痛みを伴いながら彼は不慣れな魔法を行使した。

「“土系統”は苦手なんだが……穴を掘るならやはり“錬金”か」

 ウェールズは大樹の前に、人が一人入れるほどの大穴を開けると、自身を引きずるように叱咤して動き、彼を穴へと入れる。

 通常なら、この程度の動作はすぐに終わるだろうが、体中ガタが来ているこのままではそうもいかない。

 たっぷりと時間をかけ、最後に体全体を土で覆って、彼が持っていた剣を墓石代わりに突き刺した。

「これで、君は死して尚貴族派の連中に辱められる事は無いだろう。安らかにアルビオンの土に還ってくれ」

 アルビオンは浮遊大陸だ。

 故に有限大陸である意識はハルケギニア中最も強い。

 だからだろうか。

 死して尚、大陸の一部になれることは、一種、誉れにも似た慣習があった。

 ウェールズはしばしその剣を眺めると、踵を返した。

 ここは何処だろうか。

 あれから戦局はどうなったであろう。

 おめおめと自分は生きていていいのか?

 いや、どうせこのままでは自分も果てる。

 頭にはグジャグジャとした纏められない感情が渦を巻き、宛もなく足は彷徨い続ける。

 がそれも長くは続かない。

「ガハッ……」

 膝を折って倒れる。

 だいたい、腹部を貫かれてそう長く生きていられようはずもない。

「みんな……ブリミルの御許での再会はそう遠くなさそうだ……」

 すまない。

 既に出ない声で呟いた彼が最後、ゆっくりと瞼を閉じる瞬間、



 息を飲むような声と、見目麗しい“耳の尖った妖精”が驚いた表情でそこに居るのを見た気がした。




***




『どうしてくれるの?』



 そう言われたその言葉は、その瞳は、ワルドに恐怖を植え付ける。

 相手はまだ自分の半分とちょっとしか生きていない小娘だというのに、震えが止まらない。

 顔色が悪いのが自覚できる。

 それは決して出血のせいだけでは無いだろう。



「なぁにワルド? 足が震えているわよ?」



 妙に優しげな声と、『ドォン!!』というそれに不釣合いな爆発音。

 次の瞬間にはワルドは地に付していた。

「!?」

「ほら、これでもう震えなくて済むわね? だからちゃんと答えて。ねぇどうしてくれるの?」

「あ、ああ、あああああああ!?」

 ワルドの右足は既に無かった。

 綺麗さっぱり、震えていた足は、震えるなら無くなればいいというように硝煙だけ残して何処にも見当たらなかった。

「うるさい、余計な声は上げないで、貴方の声、不快よ」

 また爆発音。

 それはワルドに当たらず、ワルド顔の至近距離で爆発した。

 パクパクとワルドは口を開きつつも声を上げない。

 とりわけ、ルイズ版サイレントとでもいおうか。

 ワルドは静かにすることを強要され、

「ブレスレット……どうしてくれるの?」

 答えを要求される。

「わ、わかった!! 私が謝る!! この通りだ!! 金色のブレスレットが欲しいならもっと高級なものを私が買おう!! だから「うるさい」……っ!!」

 ルイズの何も映さない真っ黒なその瞳が、吸い込まれそうな闇が真っ直ぐワルドを射抜く。

「謝る? もしかしてまさか、貴方この期に及んで謝れば許されるなんて思ってるの? 自分が新しいのを買えば済むと? そんなものには何の価値も無いのに?」

 ドンッ!!

 再び爆発。

「あがぁぁぁぁ!?」

 ワルドは下腹部に例えようの無い痛みを感じる。

 この瞬間、彼は“男”として生きていく機能を奪われた。

 いっそもう殺せ、といいたくなるほど、それは辛く、痛いなんてものじゃないほどの激痛。

 だがルイズは動じない。

 だいたい、今ワルドが失ったものなど、世界中でサイトが保有していればそれだけで問題無いのだ。

「うががががぁあああああ!!!」

 ワルドは痛がり、少しでもそれを緩和しようとして杖を振ろうとし、先程杖ごと腕を吹き飛ばされたことが思い出された。

「杖、杖ぇ!!」

 ワルドは這って自分の腕が吹き飛んだ場所へ向かい、杖剣を視界に納めて『ドォン!!』杖剣が爆破されるのを見た。

「はぁ、全く持って不快よワルド、貴方の声が不快」

 正確には、ルイズはサイトから発せられる音以外全てを不快に感じる。

「貴方と同じ空気を吸ってること事態不快」

 正確には、ルイズはサイトのもの以外のものが混じった空気を吸うのを不快に感じる。

「貴方の存在自体が不快」

 正確には、ルイズはサイト以外のものは全て不快に感じる。

 サイトが居ればすべからく良く、その他のものは一切受け付けない。

「なのに貴方はあろうことかサイトを傷つけた、それも二回も!!」

 爆発が、ワルドの左足をバラバラにし、彼は歩行機能を完全に奪われる。

「私はサイトのものなのに、貴方は私に口付けた!!」

 爆発が、ワルドの右腕を吹き飛ばし、彼は手腕機能を完全に奪われる。

「ワルド、貴方はしてはいけないことをいくつもしたわ。だから……」

 ルイズは杖を高く掲げ、何も映さない虚無の瞳でワルドを見つめ、



──────せめて、ブレスレットと同じようにバラバラになりなさい──────



 大爆発が、廊下に木霊した。




***




「う……」

 サイトは目を覚ました。

 辺りは凄い爆発があったのか、酷くボロボロだ。

 上手く働かない思考で、上半身を起こして視線を回すと、やや離れたところに桃色の髪が視界に入る。

 ルイズだ、そうだ、彼女は無事だったんだ!!

 サイトはルイズに近づき、

「っ!? お前、何やってるんだ!!」

 驚いてルイズの腕を掴む。

「サイト……気が付いたの?」

 ルイズはぱあっと明るくなるが、サイトは心中穏やかではいられない。

 彼女は剣を持っていた。

 恐らく壁に斧とクロスして飾ってあるものからでも拝借してきたのだろう。

 問題は彼女がそれを自分の顔に当てようとしていたことである。

「馬鹿!! 何やろうとしてんだ!?」

「だってサイト、私汚されちゃった、ワルドに汚されちゃった……サイト以外の人に唇に触れられた……とっても気持ち悪いし許せないから……こんな唇切り落とそうかと……」

 ポツリポツリ話すルイズに、サイトはさぁっと顔が青くなった。

 いろいろあって上手く頭が働かない。

 そういやそのワルドの姿も見えないがそんなことより。

 今ルイズは唇を切り落とすといった。

 よくわからないが、ルイズは自分で自分が許せないのだろうか。

 起きたばかりのせいか上手く思考が働かない。

 今わかるのはこのままではルイズがとんでもなく危ないことをしようとしているということだけ。

 唇を切り落とす?馬鹿野郎!!

 サイトは掴んでいたルイズの腕を強く引くと……そのままルイズに強引に口付けた。

「んっ!?」

 ルイズは目を見開き、次いでぽけーっと幸せそうな瞳になる。

 初めての……自分から望まず“サイトから”の口付けだった。

 ああ、不快感が一瞬にして消えていく。

 サイト……ああ、サイト。

 ゆっくりと唇が離されるが、



「……もっと、サイト」



 後頭部を抱くようにしてルイズはサイトを引き寄せ、再び交差する。

 ……サイト、もっと私を“消毒”して。

 貴方で、“浄化”して。




***




 誰にも見えず、聞こえる事の無い、決まっていたレールという名の歯車がズレによってどんどんと動きを止めていく。

 予定調和は崩れ、決まっていた動きが、どんどんと乖離していく。

 居るはずの人間が居なくなる事で、それはさらに加速度的に増し……、




***




「あ……」

 目を覚ました。

「ここは……?」

 見知らぬ天井。

 どうやら自分はベッドの上にいるらしい。

 体中には手当てされたのか、包帯がいくつも巻かれていて、どうやら死の危険は去ったようだった。

 ウェールズは上半身を起こしてきょろきょろと辺りを見回し、ここが恐らくは小さな民家であることを認識する。

「あ、目が覚めた?」

 そこに、妖精が現れた。

「君は……」

 いや、正確にはそれは意識を失う寸前に見た、妖精だと思った長い金砂の髪に緑のワンピースを纏う少女だった。

「えと、大丈、夫?」

 不安げな表情で少女はウェールズを見つめる。

 彼女の不安は体を揺らし、その信じられぬほど大きい首下の双丘をもポヨンポヨン揺らす。

 (アンリエッタよりも大きいな……って何を考えてるんだ僕は……!! ……ん?)

 ウェールズはついはしたない事を考えてしまった事を恥じるのと同時、彼女の容姿で一点気になることを見つけた。

「エルフ……?」

「あ……?」

 少女は慌てて耳を隠し、何処かへと行ってしまう。

 ウェールズは追おうか少し迷い、止めた。

 ボフッとベッドに横になる。

 考える時間が、今は欲しかった。



「僕は、生き残ってしまったのか……」




***




 居ないはずの人間が居る事で、音無き音を立てて、誰にも見えない歯車は完全に崩れ落ちる。

 サラサラサラサラと砂のように“無くなって”いく。

 今日この日この時、誰も知る余地のない決まっていた運命という名のレールは、その“先”ごと消えて無くなった。




***




 “それ”は突然に現れる。

「?」

 合流ポイント。

 そこでフーケはモットと二人、何をするでもなく待っていた。

 もっとも、もう少し待って誰も来なければ自分はまた自由に動くつもりだったが。

 そんな時、ドクンと左足が痛んだ。

 次の瞬間……、

「え?」

 左足が弾け飛ぶ。

 一体何が!?

 意味がわからない。

 無い足に……股下に激痛が奔る。

「ああ? あああああああ!?」

 モットが驚いた様子で、しかしすぐに杖を振るい治療を施し始めた。

 フーケは薄れ行く意識の中、この足は確か、“奇跡的にヴァリエールの小娘の攻撃から免れた足”だという事を思い出していた。



 時を同じくして、トリステイン魔法学院の風メイジの少年が、体全体に奔る痛みを訴えていた。




***




「なんていうか声、かけづらいわね」

 キュルケはその燃えるような後ろ頭を掻きながら、戸惑っていた。

 あちこち飛び回って、フネが襲われ、そのフネがニューカッスルの城に向かったと聞いて助けに来て見れば、二人はこの緊迫した中、唇を交し合っていたのだから。

 どうしたもんか、そう思ってタバサを見ると、タバサは辺りを見回し難しい顔をしていた。

「どうしたの、タバサ」

「……鉄……血の匂いがする」

 少し考え込むタバサだったが、

「タバサ、考えるのは後にしましょ、とにかく今は二人を連れて脱出よ」

 キュルケの声にハッとなったタバサは、こくりと頷いてキュルケの背を追う。



 桃色の少女の機嫌が、急降下したことは言うまでも無い。



[13978] 第五十一話【男色】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:38
第五十一話【男色】


「……ウェールズ様」



 アンリエッタは闇夜に浮かぶ月を眺めながら涙を流した。

 数日前、ルイズが使い魔の少年と共に城を訪れ、回収してきた手紙を渡してくれた。

 これでトリステインとゲルマニアの同盟を破断させる道具は無くなった。

 王女として、これは大変喜ばしいことである。

 だが、彼女の心は悲嘆にくれていた。

 彼には出来るなら亡命して欲しかった。

 生きていて欲しかった。

 共に傍に居て欲しかった。

 ルイズの話によると、彼は戦の最前線に立ち、恐らくは父王に殉じたであろうということだった。

 実際に遺体を見たわけでも、死んでいると公表があったわけでも無い。

 だが、現に王党派は敗れ、神聖アルビオン共和国なる国を立ち上げたという噂は既に広まってきていた。



「貴族派の連合……レコン・キスタ」



 小さく呟いた声が、嫌に大きく脳内で反響する。

 どうやら護衛として出したワルド子爵も、その一員だったらしい。

 ルイズにはいろんな意味で悪いことをしたと思う。

 最後、異様に使い魔の少年と仲良さそうにくっついていたのは、傷心の身としては若干苛ついたが。

 だが、我がトリステインにも裏切り者がいるとわかった以上、そして、その者達がウェールズを間接的にでも“殺した”事実がある以上このままではいけない。

 本当は生きていると信じていたい。

 だが、現実はいつも非常である。

 だから、まずは身内のオトシマエから付けなければ。



「そう、私のウェールズ様を殺した人間に……私からウェールズ様を奪った奴等に……罰を与えないと」



 トリステインの王女、アンリエッタ。

 闇夜に照らされるその顔は端正で美しく、シャープで無駄が無い。

 肌は白く、頬も弱い赤みが差す程度の非のうちどころの無い“整いすぎた”その顔にはしかし、一点、アンバランスな点があった。

 それは突出した胸の膨らみなどでは無く、白いドレスを纏い、白い肌をした全身白と言って差し支えない中にある一点の黒。

 光の輝きを一切宿さぬ、漆黒の……瞳。

 月夜に浮かぶ月の光すら反射されず、ただ闇色に染まるのみ。

 何ものも映さない真っ黒な“虚無の瞳”が、そこにはあった。




***




「サイト、おはよう。ねぇ……お願い」

「お、おはよう……わ、わかったよ」

 挨拶をしてから……二人の影が交差する。

 おはようのキス。

 サイトですら半ば忘れていたそんな行事を、ルイズはきちんと覚えていた。

 それどころか今までにしなかった分の取立を行うかのように、時々ルイズはサイトにおねだりをしてきていた。

 モンモランシーの件があってルイズが退行してしまって以来、その習慣事態無くなったものと思っていたのだが、ルイズは記憶が鮮明でちゃっかりしなかった回数まで覚えているらしい。

 正確には夜、一緒に寝る為の契約更新を兼ねたおやすみのキスの約束なのだが、それが残回数分を昇華するためにこうやって朝にも度々求められる。

 サイトは半ば、まるで借金の取り立てに負われるような心持ちでいたがしかし、それを無碍にすることも出来ない。

 何せルイズとは“契約”してしまっている以上、約束不履行はこちらなのだ。

 不幸中の幸いなのは、ルイズが一括で今すぐ不履行分を求めて来なかったことくらいである。

 いや、考えようによってはそれは逆にサイトにとって不利なのだが、彼はそこに今の所思い至っていない。

 それに、サイトは帰って来た日の晩、ルイズがとんでもない行動に出ようとした事に少しの負い目と……不謹慎な喜びを感じていた。

 それが、ルイズの猛攻を最近のサイトがそんなに嫌がらない理由でもあった。

 実はルイズはその晩、おもむろにデルフリンガーを掲げると自らの背中を切りつけようとしたのだ。

 アルビオンでのことといい、ルイズに自傷癖でも付いてしまったのかと心配になったサイトだが、彼女は事もあろうに、



『もうサイトに嫌われたくない。昔の自分とはいえあんな事を言ったのも許せない。だからサイトとお揃いの傷を付けようと思って』



 と言い出したのだ。

 サイトは愕然とした。

 自分のことばっかりで、今のルイズのことを全然考えていなかった。

 自分だって幼い頃は結構いろいろ残酷だったんじゃないか?

 そう思い返せば返すほど、自分がルイズにとった行動が恥ずかしくなり、ルイズが取った行動に責任を感じるまでになった。

 同時に、ルイズがそこまで自分のことを考えてくれている事にサイトは小さくない喜びを感じた。

 サイトはルイズからデルフリンガーを奪うと、彼女を抱きしめて誠心誠意謝った。

 今できることはそれくらいだった。

 デルフもサイトの事を思ってか、

『それぐらいでいいじゃねぇか娘っ子』

 とサイトをフォローしてくれた。

 次の日、何故かデルフがカタカタと震えたまま殆ど喋らなかったのはサイトにとって謎だったが。

 だが、その晩以降、サイトは危惧していたルイズとの距離を取り戻していた。

 いやむしろ近づいたと思っている。

 ルイズも笑顔が絶えなくなったし、デルフとも仲が良いのか最近のデルフはルイズ全肯定だ。

 ……知らないということは時に幸せである。

 とにかく、サイトには全てが万事上手く行っているように思えた。

 戦争なんて自分とは無縁だと思っていたものに関わったせいもあるのだろう。

 この“平和”を心から楽しんでいた。

 サイトは朝のルイズの着替えを手伝うと二人で一緒に食堂に向かう。

 半ば忘れていた恒例の行事、朝食前のお祈りの為にルイズは渋々と……本当に渋々と一人でアルヴィーズの食堂に入っていった。

 何度かルイズはサイトにもう一度普通に中で食事しないか誘ったのだが、サイトはそれを全てやんわりと断った。

 自分もそうだが、ルイズにも多大な迷惑をかけることがこの世界でいろいろ見聞きするようになってわかってきたからである。

 ルイズもサイトが自分の為を思っての行動だとわかっているからなのか、強くは出ないし“残回数”との交換取引もしなかった。

 ただ、もの凄く名残惜しそうな顔で何度も振り返りながら食堂に入っていくのは勘弁願いたいと思うサイトだった。

 ルイズがようやく席についた事を確認し、やや入り口から離れてサイトはルイズが料理を持ってくるのを壁に背を預けながら待つ。

 そんな時、

「やぁサイト、おはよう」

 聞き知った声で、挨拶をしてくる少年がいた。




***




 ルイズは先程サイトに向けて絶やさなかった笑顔とは一転、イライラしていた。

 (……ブリミルなんて大っ嫌い)

 毎朝毎朝、こうやって決まってサイトと引き離されるのである。

 全く、何がブリミルだ、サイトと引き離す信仰対象など糞食らえだ。

 ロマリアの民が聞いたら卒倒、異端審問にかけられかねないような反ブルミル精神で内心悪態を吐く。

 ああ早く唱和を済ませてサイトの元に戻りたい。

 サイトがいないこの空間はもはや瘴気だ、毒そのものである。

 早くサイトの傍へ言って消毒、浄化してもらいたい。

 そんな事を思いながら時が早く経つことを願うルイズを、そっと見つめる小さな双眸があった。

「………………」

 それはタバサだった。

 タバサはニューカッスル城での出来事を不信に思っていた。

 あの鉄の……血の匂い。

『そりゃあそうでしょうよ、外じゃあ殺し合いをやってたんだから』

 キュルケはそう言って気にしなかった。

 確かに王党派と貴族派の激突は特に凄まじいものがあった。

 彼らの戦闘で飛び火した匂いだと取れないことも無い。

 だが、

 (……違う、あの匂い……あの焼けたような匂いはフーケの時と同じ……!?)

 匂、い……?

 タバサは急に考え出した。

 あの時、匂いなんて感じただろうか。

 確かにあの時の匂いはとフーケの時の匂いは同じような認識がある。

 だが偽者の足ならば、匂いまで精巧に似せられるものだろうか?

 あの時の自分なら、それぐらい冷静に考えられたはずだ。

 だがおかしい。

 どうにも記憶が曖昧で、“あの時”の事を思い出せない。

 今までどんなこともそう忘れなかった筈の自分の記憶が曖昧になったことに若干狼狽えるが、丁度朝の唱和が始まりだした。

 タバサは思考を切り替える。

 これからは別の戦場……ご飯の時間だ。

 ……じゅるり。

 ルイズとは違った意味で、早く唱和が終わって欲しいと思う。

 もう、先程何を考えていたのかは覚えていなかった。




***




「おぅギーシュ、おはよう、寝坊か?」

「ハハハ、いや“朝からちょっといい汗を流した”のさ。おかげで朝食にはこの通り遅れてしまったようだけどね」

 ギーシュは照れたように笑い、そういえば、と思い出したように、

「例の“一緒に街まで行く件”、どうなったんだい?」

「あ~それかぁ」

 サイトは頭をかき、う~んと唸る。

「ルイズのガードが硬いんだよなぁ、中々一人になれなくてさ。まぁ嫌じゃないんだけど……言い出そうにも何か言い出し難いんだよなぁ……かといってついてこられても困るし」

「そうか。だがまぁ行くなら早めに行ってくれよ? 僕にも予定があるし、最近は何かと物騒だから“トリスタニアの出入り”も厳しくなってるかもしれない」

「おうわかった、悪いな」

「いいさ、君と僕の仲じゃないか」

 微笑ましい少年同士のちょっとした密談。

 それを……、




「………………」




 金の髪をいくつもロールした少女が盗み見ていた。




***




 唱和が済んで、ルイズはいつも通り慌てて皿に料理を乗せると外へと急ぐ。

 厨房でコックに混じって食べようかと思ったこともあったが、あそこはダメだ。

 “泥棒猫”がいるので危険すぎる。

 結局ルイズは食事は殆どこのスタイルを維持していて、フラストレーションが溜まっていた。

 と、外に出ようとしたとき、それをルイズは金の髪をいくつもロールした少女、モンモランシーに阻まれた。

「ちょっとルイズ、話があるんだけど」

「……モンモランシー、よくもぬけぬけと私の前に一人で姿を見せられたわね?」

 ルイズの纏う空気が一気に凍る。

 彼女は忘れていない。

 彼女の作った香水のせいでサイトとしばらく隔たりがあったことを。

「それは貴方のせいでしょう? 私は止めたわ」

「言いたい事はそれだけ?」

「話があるのよ、貴方の使い魔、サイトのことで」

「!!」

 不快である。

 他の女が彼の名前を呼ぶこと事態不快である。

 この女、まさかサイトに気があるの!?

 ルイズの瞳からどんどん光が消えていき、

「貴方の使い魔とギーシュ、仲が良すぎると思わない?」

 ピタリ。

 ルイズの動きが止まる。

「私、聞いちゃったのよ」

「何、を……?」

 ルイズはかねてから思っていたことを突かれ、つい話に耳を傾けた。

「貴方の使い魔とギーシュ、貴方に内緒でトリスタニアに一緒に行く計画を立てているようよ」

「な、なんですって……!!」

 メーデーメーデー。

 恐れていた事態発生。

 サイトが……取られてしまう!?

「それにね、今朝私ずっとギーシュをつけてたんだけど」

 何故、とは聞かない。

 そこにルイズの興味は無いからだ。

「ギーシュったら朝からマリコルヌと会って、なにやら戦いだして……遠くからだったからよく話は聞こえなかったけど最後にギーシュはこう言ったの。『今の君なら、誰だって惚れると思うよ』って」

「ほ、惚れる……?」

「私、思うんだけどね……」

 モンモランシーは震えている。

 ルイズはモンモランシーが言おうとしている事に心当たりがあるのか、顔を青くする。

 まるで、認めたくない、そんなわけない、と自分に言い聞かせているようだ。



「私、思うんだけどギーシュってもしかしたら、“男色”のケがあるんじゃないかって」



 ルイズの刻が止まる。



 緊急事態発生。



 サイトが、サイトの貞操が危ない!?



[13978] 第五十二話【聖人】
Name: YY◆90a32a80 ID:33892c33
Date: 2011/03/03 19:39
第五十二話【聖人】



 話は少し巻き戻る。



 早朝。

 ギーシュはアウストリの広場で一人、ワルキューレを無造作に大量生産していた。

「はぁ……はぁ……」

 膝に手を置いて顎下の汗を拭う。

 彼によって生み出された青銅の女戦士は十体。

 彼の最大数量を超える数ではあるのだが……、

「やっぱりダメだ、数だけ増やしても“中身”が伴わないんじゃ意味がない。やっぱり使うなら七体が今の限界か」

 ギーシュはこうやって度々自分の限界を試し、新たな可能性を模索する。

「いや、でもがんばれば八体はいけるかもしれない。やっぱり精神力の総量を増やすことから考えないと」

 彼の扱う魔法はドットスペルである。

 だが、彼はワルドとの決闘によって何かを掴みかけていた。

 ワルキューレにさらに一体分の練金を加えて二体分のワルキューレと為した。

 同時に使用したわけではないが、だが“出来なさそう”では無かった。

 もしそれが可能なら、自分は次のステップ……ラインへと上がれるだろう。

 ラインへ上がったなら、練金での消費精神力も格段に減る。

「だが、まずはやはり総量だ」

 それでも、元が少なければ所詮すぐにスッカラカンになる。

 戦法を頭で考えるだけでなく、やはり魔法技術の向上もしなければならない。

 ギーシュは、ラ・ロシェールでの戦いで、最後は精神力不足で結果的にお荷物だったことに悔しさを感じていた。

 実際は、彼の立てた作戦ありきの戦いだったのだが、ギーシュはそうは思わない。

 やはり自分はもっと鍛えるべきだと、自身の不甲斐なさを悔いていたのだ。

 そんな時、一人でいるギーシュの元に、ふくよかなお腹を隠すことなく、真面目な顔をしたマリコルヌが近づいてきた。

「ギーシュ」

「? やぁマリコルヌ、おはよう。珍しく早いじゃないか」

 マリコルヌが来たところで今日の特訓はお開きにした。

 他人に努力を見せるのは……好きじゃない。

「朝から魔法の特訓か?」

「まぁ、似たようなものだね。君こそどうしたんだい?こんなに朝早くから起きてくるなんて珍しいじゃないか」

 だからギーシュは小さく笑って誤魔化した。

 するとマリコルヌもそれ以上それには触れずに、

「君に聞きたいことがある」

 普段のマリコルヌらしくない、真面目な声色で真っ直ぐに見つめられた。

「なんだい?」

 こんなマリコルヌを見るのは初めてだった。

 だからギーシュも出来るだけ真面目に話を聞くことにした……のだが。

「君は……本当に一年生のケティを愛しているのか?」

「へ……?」

 ポカン、とする。

 まさかマリコルヌから色恋の話が出るとは夢にも思っていなかったからだ。

「答えろ、君は本当にケティだけを見るつもりがあるのか?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 何で君にそんなことを聞かれなきゃ……ましてや言わなければならないんだい?」

 ギーシュは慌てる。

 マリコルヌの目は全く笑っていなかったからだ。

 そういえば、ラ・ロシェールでマリコルヌは自分に変な顔で睨み付けてきたことを思い出す。

「いいから答えろ!! お前はケティに言ったそうじゃないか、君の作るお菓子を毎日でも食べたい、これからずっと自分の為に作って欲しい、みたいなことを!! それってほとんど告白だろう!?」

「う……否定はしないが」

「じゃあ!! 何でお前はあれからずっとモンモランシーとべったりなんだ!!」

 マリコルヌは興奮してきたのか、口調が“君”から“お前”になり、段々と声が大きくなっていく。

 そう、ギーシュは戻ってきて以来、モンモランシーと共に多くの時間を過ごしていた。

「それは……」

 説明しようとして、やめる。

 自分でも上手く説明できなかったからだ。

 ただラ・ロシェールでのモンモランシーの豹変が気になっていた。

 聞けば自分の為に用意していた“何か”を台無しにされて我を忘れたのだという。

 その話を聞いた時、ギーシュは自分を責めた。

 一歩間違えばモンモンランシーは大怪我……最悪死んでいた可能性だってあるのだ。

 “何か”は結局なんなのか聞けなかったが、彼女の話を聞いていると、どうしてもそれは自分のせいだと感じてしまっていた。

 だから、彼は彼女へのお詫びも兼ねてここしばらく彼女と大半を過ごしていたのだ。

「ケティが寂しがっていた。お前はもう自分が好きじゃないんじゃないかって」

「ケティが?」

 いや、ケティには以前トリスタニアで盛大にぶたれて頬に紅葉マークを作ってから疎遠になっていたと思っていたのだが。

 と、あの頃あった“英雄伝説”があっという間に“笑い者伝説”になってしまった事を思い出してギーシュは内心軽くへこむ。

 だがマリコルヌは尚も真剣に、ギーシュへと詰め寄った。

「そうだ、ケティはお前をずっと見ていたんだぞ!!」

 それは意外……というより寝耳に水な話である。

 ギーシュのそんな考えが顔に出たのだろう。

 マリコルヌはギーシュに掴みかかった。

「お前!!」

 何でこんな奴が!!

 マリコルヌには許せなかった。

 ケティという少女に好かれながらも他の女とイチャイチャしてヘラヘラしているように見えるこの男が。

 マリコルヌは、実は見た目と違ってそんなに鈍くない。

 彼はすぐにケティが自分ではなくギーシュを見ている事に気付いた。

 だが、彼女のギーシュの事を話す時の顔は可愛く輝いていて、彼はルイズの時とは違った胸の痛みを生んだ。

 悔しい。

 何故そこで出てくる名前が自分では無いのかと。

 最近ようやくケティに名前を覚えて貰ったマリコルヌは富にそう思う。

 だが、彼は良くも悪くも彼女の事を好きになりすぎた。

 彼女の幸せを一番に願い、それを自分が叶えられないのならばせめて助けようと、そう思えるほどになっていた。

 自分でも、ルイズに嫌がらせをしていた頃の事を思えば、驚くほどの心の成長だと思う。

 だが、人は急に大人にはなれない。

 彼はギーシュの態度を見て、自分でも知らないうちに押さえつけていた思いが堰を切ったように溢れ出してきた。

「言え!! 僕に約束しろ!! ケティを幸せにすると!!」

 襟元を掴んでマリコルヌはギーシュをガクガクと揺らす。

 いつも暴力的なことは好まないマリコルヌが見せた、意外な一面だった。

 だが、ただやられるがままだったギーシュは、力任せにマリコルヌの拘束から逃れた。

 その瞳には怒りを携えて。

「何で人に頼る!? 何で自分でどうにかしようとしない!?」

 今度はギーシュがマリコルヌに迫る。

 しかしマリコルヌも引かずにギーシュに再び詰め寄り、取っ組み合いになる。

「僕だって、僕だって聖人君子じゃないんだ!!」

 ギーシュは胸につかえていた何かを吐き出すようにして言い続ける。

「僕だって何でも我慢できるわけじゃないし、一人だけの女の子といたいって思う!! でも、寂しそうな子がいたら助けたいじゃないか!!」

「じゃあお前はケティが寂しそうだったからそんなことを言ったって言うのか? ふざけるな!! 彼女の気持ちはどうなる!!」

 マリコルヌはその右手をぎゅっと握るとギーシュの頬を打つ。

「っ!! この!!」

 ギーシュもそれにやり返した。

「僕だってなぁ、何でも思い通りじゃないんだ!! 精神力はすぐに切れて魔法が使えないし、元帥の息子ってだけで女の子達はそういう目で見てくる!! 四男だから上の兄弟とも比べられる!! 僕だって精一杯やってるんだ!!」

「うるさい!! お前なんて格好良い顔で生まれただけ良いじゃないか!! 僕を見ろ!! こんなんじゃ女の子に見向きもされない!! そんな僕にかまってくれた彼女の幸せを願うのは当然だろ!!」

 殴って殴られてを繰り返す。

 だがお互い無意識に弁えているのか、最初の一撃以外はボディにしか叩き込まなかった。

「幸せを願うなら君が幸せにしろよ!!」

「ケティはお前がいいんだ!!」

「なら自分に振り向かせろ!!」

「っ!! お前に何がわかる!! 楽しそうに僕にお前の事を話す彼女の顔を見たことがあるか!?」

 二人とも渾身のストレートをお互いの鳩尾に当てて、ぐっとその場に膝をつく。

 ギーシュはまだやる気のマリコルヌを見て、ふっと笑った。

 それに、マリコルヌは訝しそうな顔をする。

「すまない。僕もまだまだだ。つい、この前の自分の不甲斐なさから君に八つ当たりをしてしまった」

 八つ当たり。

 それを言うならこちらも同じだ、とマリコルヌも段々と冷静になってくる。

 本当はケティをもっと見てやって欲しいとお願いするだけのつもりだったのだ。

「だけど、今の君を見ていて、いろいろ吐きだして、スッキリしたよ。ありがとうマリコルヌ」

「いや、僕こそすまない」

 マリコルヌも頭を冷やし、ギーシュに謝罪した。

「君の言うとおり、僕はケティに責任をとらなくちゃいけないのかもしれない」

 ビクリとマリコルヌは肩を震わせる。

「だから僕はケティにごめんと謝るよ、君とは付き合えないとね」

「な!?」

 それでは困る、とマリコルヌは懇願するような目でギーシュを見るが、

「僕はね、しばらく一緒にいて、彼女が、モンモランシーが僕のためにつくった物を失ってああまで取り乱した事を知って……彼女の支えになりたいと思っているんだ。だから、僕はケティとは付き合えない」

 ギーシュにきっぱりとそう言われてしまう。

「ケティにはお前が必要なんだよギーシュ」

「ケティには、君のような人の方が必要なんじゃないのかい?」

「僕じゃダメさ、僕なんかじゃ……「マリコルヌ」」

 マリコルヌが視線を俯かせると、ギーシュは彼の肩を叩いて、

「自信を持ちなよマリコルヌ。今の君なら、誰だって惚れると思うよ」

 そう笑ってその場を後にする。

「僕は……僕は……!!」

 君たち二人をくっつけることを諦めないからな。

 言葉には出さずにマリコルヌは去っていくギーシュの背中を見ながら決意する。

 ケティのためになら自分の心など消してしまおうと。

 この時、ギーシュもマリコルヌも気付かなかった。

 二人のやり取りを見ている少女が居たことなど。

 それにマリコルヌはそんなことを考える余裕さえ無かった。

「あら? マリコルヌ様、おはようございます」

 ブラウンのマントにブラウンの髪。

 ケティ・ド・ラ・ロッタ、その人がたまたま通りかかった為である。

「ケ、ケティ? おはよう!!」

 マリコルヌは立ち上がるとパンパンと体の汚れを落とす。

「あら? 顔にお怪我が……」

 ケティはハンカチを取り出すと、手に持っていたバスケットからビンを取り出してその液体でハンカチを湿らせ、水ですから、と笑ってマリコルヌの頬にそれを当てた。

「だ、大丈夫だよ、これぐらい。気にしないでくれ」

 マリコルヌは慌ててケティを止める。

「そうですか……? あ、そうだ。新作のお菓子が出来たんですの。ギーシュ様に気に入ってもらえるか、まずはやっぱりマリコルヌ様に食べて頂きたいのですけど」

「あ、うん……」

 マリコルヌはぎこちなく頷き、ケティがバスケットから出したオレンジパイを受け取った。

「今度はオレンジにしてみましたの。朝食前ですけれど、宜しかったらどうぞ」

「ありがとう……うん、うん、美味しいよ。きっとこれなら……ギーシュも気に入るよ。そうだ、これにだったら多分ワインより紅茶……そうだね、オレンジペコの方が合うから紅茶を一緒に持って行くと良いよ」

「そうなのですか? いつもアドバイスありがとうございます」

 ケティは嬉しそうに微笑む。

 その笑顔が、マリコルヌには眩しく、そして少し辛かった。




***




「ルイズ、手を組みましょう。私はギーシュを真人間に戻してあげたいし、ついでに貴方の使い魔と引き離したいの」

「……良いわ。正直私もサイトにまとわりつくギーシュをどうにかしたかったし」




 当人達の預かり知らぬ所で、新たな種が芽吹いていく。



[13978] 第五十三話【内緒】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:39
第五十三話【内緒】


「ところで」

「何かしら?」

 モンモランシーはロールした自らの金の髪を手の甲で優しく払いながらルイズの言葉に耳を傾ける。

「さっさとそこをどいてくれないかしら? 私はこれからサイトとの楽しい楽しい朝食なの。あ、ついでにギーシュは持って行ってよね」

「あら、失礼」

 モンモランシーは今度は素直に塞いでいた入り口を開け、ルイズの隣に並んでアルヴィーズの食堂を出て行く。

 お互いそれからは一言も話さなかったが、暗黙の協定が結ばれていた。



 ((精々、私の為にあの“邪魔者”を遠ざけてよね))



 ……人の心を読む魔法が無くて良かった今日この頃である。

 二人はすぐにサイトと……一緒にいるギーシュを見つけた。

 ルイズとしてはサイトの貞操の心配もあり、早々に二人を引き離したかった。

「やぁおはようモンモランシー、ルイズもおはよう」

 ギーシュは二人を見つけ、うやうやしく挨拶をする。

 モンモランシーはそんなギーシュの傍……サイトとギーシュの間に入り込むようにしてギーシュと会話をしだした。

 同時に視線は一度ルイズへ。

 ルイズは心得たと頷き、

「サイト、今日も“二人だけで”食べる分を確保してきたわ。さぁいつも通り“二人だけで”食べに行きましょう」

 “二人だけ”をやけ強調してぐいぐいと皿ごとサイトを押し出す。

「わ、わ、あんま押すなって。あ、皿持つよ。いつも悪いな合わせてもらって。でも聞いたところによると使い魔は厨房から直接食事もらえるらしいしルイズが大変だったら別々でも俺は大丈夫だぜ?」

 サイトはルイズから皿を受け取り、いつもこんなことをするのは大変であろうルイズにそう勧めてみる。

 だがルイズは一瞬にして顔を青くして、

「そ、そんな必要は無いわよ!! 全然大変じゃないし!! サイトと食事を摂る為だったらこんなのどうってことないわ!! そ、そんなことよりほら、早く行きましょ!!」

 ルイズはサイトをぐいぐい押していく。

「お、押すなって、わかったわかった、わかったから。あ、そうだ、ギーシュ!! 良かったらお前も一緒に食わないか?」

 ルイズの剣幕と勢いに乗せられてサイトはその話を流し、代わりにギーシュを食事に誘ってしまった。

 モンモランシーと話していたギーシュはサイトに振り返り、

「一緒に? 確かに今から食堂には入りにくいし……そうだ、モンモランシー、この際彼らと四人で食卓を並べるのはどうだろう?」

「えっ!?」

 モンモランシーは突如ギーシュから上がった提案に顔をしかめ、小さくルイズにアイコンタクトを取る。

 ルイズもまたモンモランシーにアイコンタクトで答えた。

 (ド・ウ・ス・ル・?)

 (イ・ヤ・ヨ)

 (ワ・タ・シ・ダ・ッ・テ・フ・タ・リ・キ・リ・ガ・イ・イ・ワ・ヨ)

 (ナ・ラ・ナ・ン・ト・カ・シ・ナ・サ・イ)

 (イ・イ・ダ・シ・ッ・ペ・ハ・ア・ナ・タ・ノ・ツ・カ・イ・マ・デ・ショ)

 (ア・ナ・タ・サ・イ・ト・ニ・ケ・ン・カ・ウ・ッ・テ・ル・ノ・?)

 そんな二人だけでわかるアイコンタクトで炎上している間にサイトとギーシュは仲良く歩いていってしまった。

 それに気付いた二人はアイコンタクトを止め、慌てて二人を追いかける。

 結局、四人で食事をするハメになってしまった。

「いやぁ、ルイズのおかげで今朝は助かったよ」

 ギーシュはハハハと笑いながら皿の上の料理に手を付け出した。

 幸か不幸か、ルイズはいつも大量に料理を持ってくる。

 万一、サイトが何か気に入ってもっと無いのかと聞いてきたときの為である。

 殆どの種類をいくつも持ってくるので、確かに二人分はとうに越え、四人分近い量があった。

 サイトが普段からルイズの持つ皿を受け持つのはそういった背景もある。

 女の子にそんな重そうなものを持たせられない、といったような。

 今回、そういった意味では量的には丁度良くなってしまったが、ルイズは内心舌打ちしていた。

 こんなことなら二人分ギリギリにすべきだった。

 そうしたら“余分な二匹”がこの朝の食卓についてこなかったのに。

 ……策士は策に溺れるのである。

 だが、モンモランシーはまだ諦めてはいなかった。

「……痛い、痛たたたた!! お腹が痛いわギーシュ、悪いんだけど私を保健室まで連れて行ってくれないかしら?」

「なんだって? それは大変だ。もちろんお供するよ、さ、僕に掴まってモンモランシー。サイト、悪いけど今日の朝食はこれでお暇させて貰うよ。それじゃあね」

 ギーシュは心配そうに痛がるモンモランシーを支え、軽く背中をさすりながらモンモランシーを連れてその場から離れる。

 ルイズは二人の背中を見ながらモンモランシーを見直していた。

 (やるじゃないモンモランシー、でかしたわ)

 ククク、と内心小悪党のような笑いをルイズは零す。

 だが、

「大丈夫なのかなぁ、あの子。何か一瞬尋常じゃない痛がり方じゃなかったか?」

 サイトは行ってしまったモンモランシーを心配しだした。

「え? えぇ、多分大丈夫よ、お、女の子には往々にしてよくあることなのよ」

「へぇそうなのか? 大変なんだな、さっきの奴も可哀想に」

 サイトはルイズの言った意味をなんとなく理解して、そういうものなのか、と納得しながら憂いた顔をしていた。

「そ、そうね……」

 ルイズは引きつった笑いでサイトに同意しながら、

 (前言撤回よモンモランシー!! サイトに心配してもらえるなんて羨ましいじゃない!! 全く余計な真似を……!!)

 先程思ったことをすぐに掌返したように無かったことにする。

 やはり、策士は策に溺れるのだが……、

「ルイズも結構痛くなるのか? なら無理しないでちゃんと言えよ? 俺にできることなら何でもするから」

「えっ? う、うん、ありがとう」

 ルイズはサイトの言葉に胸が温かくなるのを感じた。

 サイトに心配されるという幸福。

 策になど頼らない方が……それは手に入りやすいのだ。




***




 さて、どうしようか。

 今日も日が暮れ、ルイズとの天蓋付ベッドで寝る時間がやってきた。

 ルイズは一日のうちでこれを特に気に入っているらしくて、一緒にくっついて寝るのが毎晩楽しみでしょうがないと言う。

 そんな風に思ってもらえるのは嬉しいが、これから言おうと思っていることを鑑みればそれはサイトにとって障害でしかない。

 ルイズが一際自分と一緒に居ることを喜ばしく思ってくれていることはサイトも薄々気付いていた。

 別段、今はそれも気にしていないからそれは良いのだが、一人の時間が少なすぎた。

 彼とて年頃の男の子。

 可愛い女の子……それも思い上がりで無ければ自分に好意を寄せてくれている女の子とそこまで一緒にいれば、思うことの一つや二つはあるのである。

 ルイズがベッドに入って横に一人分のスペースを作り、サイトを見ながらポンポンとシーツを叩く。

 来ないの? と不思議そうに首を傾げるその様は、そうなることが当たり前だと信じている無垢な可愛い少女に過ぎない。

 そんな少女の顔をこれから歪めるかもしれないのかと思うとサイトは少し罪悪感が生まれたが、これも最終的にはルイズの為を思っての事、と自分を鼓舞させ、それを口にした。

「ルイズ、明日、いや明後日でもいい。俺に一日自由をくれないか? いや、この言い方は変だな。一日ルイズと別に行動したいんだ」

「……………………え?」

 ルイズは思考が停止したように、この世の終わりを体感するかのように顔を青ざめていく。

 それは奇しくも、サイトが予想し、最も見たくない思うパターンのそれでもあった。

 慌ててサイトはルイズにフォローを入れる。

「ルイズの事が嫌だとか嫌いとかそんなんじゃないんだ、ただ、ちょっとルイズには内緒でやりたいことがあって……」

「私に……内緒で……?」

 ルイズの瞳の中の輝きが、じわりと霞んだ。

「あ、悪いこととか変なことじゃないんだ、その、だから一日だけ……頼むよ」

 ルイズの四肢が震える。

 ベッドに半身は入っているというのに、全く暖かくなど無い。

「……どうしても、私には言えないこと、なの?」

 震える唇で、サイトに尋ねる。

「う……いや、そんなたいしたことじゃないんだ」

「じゃあ何をするのか教えてくれてもいいじゃない。私と離れる必要も無いわ」

「あ、後で……終わったら必ず話すから、な、な、な? 頼むよ?」

 サイトは必死に頭を下げた。

 これ以上問われてはつい口が滑ってしまいそうだった。

「でも、一人でいるなんて危険だわ」

「あ、一人じゃないって。言い忘れてたけどギーシュと一緒だから」

 否、既に口は本人の気付かぬ所で滑ってしまっていた。

「ギーシュ、ですって……!?」

 そう言えばモンモランシーから二人が内緒で一緒にトリスタニアへ行こうと企てていると聞いたばかりだった。

 モンモランシーの言う“男色”という言葉が思い出され、ルイズの脳裏に最悪の状況がイメージされる。

 周りは薔薇一色。

 身ぐるみ外したギーシュが嫌がるサイトの服を一枚、また一枚と……。

 さぁっとルイズの血の気が益々引いていく。

「そ、そんなのダメよ!! お願い目を覚ましてサイト!!」

「へ? 何言ってるんだルイズ?」

「ギーシュ、彼は危険だわ!! 二人っきりになったら何をされるか……いえ、ナニするに違いないわ!!」

「ナニって……何を言ってるんだルイズ?」

「ね? お願いサイト、私ならいつでも“OK”だから、だから……!!」

 ルイズは動揺のあまり取り乱す。

 だから自分が何を口走ったのかよく理解していなかった。

「OK? 良かった、OKかぁ!! いやぁホッとしたぁ、そいじゃ早速寝ようぜ」

 サイトは安堵したようにベッドに潜り込み、サービスとばかりにルイズを抱きしめた。

「え? あれ……? サイト……うん、私はいつでもOK……あれ?」

 ルイズは何処か話が噛み合っていないような気がしながらも、サイトの腕の中という至福の場所に顔をとろけさせ、胸板に甘える。

 あ……まだキスしてない……残回数+1、などと思いながら。




***




 ルンルンルン♪

 ブラウンのマントを身に纏った少女は上機嫌で廊下を歩いていた。

 今度のお菓子は上手く出来た。

 いつもの先輩に味見をしてもらって、OKサインももらった。

 ブラウンの長い髪をたなびかせて、ケティはスキップ一歩手前のような軽やかな足取りで歩いていた。

「あら? ちょっとそこの貴方」

 と、急に声をかけられる。

「はい? なんでしょうか?」

 目の前には燃えるように赤い真紅の長い髪をしたグラマラスボディの女性がいた。

「貴方、最近マリコルヌとよくいるところをよく見るけど、大丈夫? 彼なんか変な性癖がありそうなのよねぇ」

 目の前の女性は心配げにケティを眺めた。

 ケティはいつもお世話になっている先輩を悪く言われたようで少しムッとした。

「そんなこと無いですよ、マリコルヌ様を悪く言わないで下さい」

「あ、そんなつもりじゃなかったのよ。ごめんなさいね。でもマリコルヌ様、ねぇ……貴方もしかしてマリコルヌに惚れてるの?」

「え? いえ私には好きな人が……」

「ふぅん? じゃあ私がマリコルヌ貰っちゃおうかしら? 最近彼って珍しく真面目になってきて……真面目だと案外悪くないのよねぇ彼」

「え……?」

「そうしたら貴方はマリコルヌとの仲を応援してくれるかしら?」

「……失礼します」

 ケティは身を翻してその場から離れた。

 何だか胸がモヤモヤする。

 自分が好きなのはギーシュ様だ。

 でもあの女の人がマリコルヌ様を貰おうかなと言った時、何故か鼓動が一際大きく跳ねた。

 だいたい、最初は変な性癖がありそうとか貶していた癖に!!

 言い表しようの無い不思議な感情にケティは苛まれる。



 それを……面白そうに赤い髪の女性、キュルケは眺めていた。



[13978] 第五十四話【雷鳴】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:40
第五十四話【雷鳴】


 翌日の朝。

 天気は生憎の轟音猛々しい雷雨だった。

 だが、ルイズにとっては生憎どころか幸福の雷雨となった。

 ピカッ!!

 ゴロゴロ……ピシャーン!!

「ひっ、サイトぉ」

 ベッドの上でこれでもかとルイズはサイトにひっつく。

 サイトはそんなルイズにやれやれ、と思いながらも強く抱きしめ返していた。

 ルイズはプルプル震え、情け無い声を出す。

「サイトぉ」

「大丈夫だって、な?」

 特別サービスだとばかりにサイトは頭を撫でてルイズをより自分に引き寄せる。

 サイトの見えない所で……ルイズは口端に笑みを浮かべた。

 体は小刻みに震えている。

 幸福によって。

 それは今朝、まさに偶然の産物から始まった。




***




 とてつもない豪雷が鳴り響き、眠っていたルイズは驚いてサイトをいつも以上にギュッと抱きしめてしまった。

 それはたまたまの、咄嗟のことだったのだが、起きていたらしいサイトはそのルイズを見て、

「雷恐いのか?」

 そう言うと強くルイズを抱きしめた。

 ルイズの体が小刻みに震えた。

 朝一番、まさか“サイトから”、そう“サイトから”こんな熱い抱擁をもらえるとは思っていなかった。

 ルイズは驚きと幸せのあまり、体が震えるほどの歓喜に見舞われる。

 しかし、そこでサイトはさらなる勘違いを起こした。

 (ルイズが震えてる。どうやらよっぽど雷が苦手なんだな)

「ほら、大丈夫だ」

 サイトはますますルイズを強く抱きしめ、安心させようとした。

 幼い頃、自分も雷が恐かった時代があった。

 その時、サイトは母親にこうやって抱きしめてもらって安心させてもらったことを思い出した。

 自分はルイズの母親ではもちろん無いが、恐いのなら安心させてやりたいと思い、昔やってもらったことそのままに、サイトはルイズを抱く腕に力を込めたのだ。

 そうしてされればされるほど、ルイズは歓喜の暴風雨に見舞われる。

 ああ、もう毎日天気が雷雨になってくれないかしら、と思うほどルイズは幸せ絶頂期だった。

 そこでルイズはつい、あまりの幸せさに、甘い声で彼の名前を呼んでしまった。



「サイトぉ」



 それが、サイトの保護欲をそそってしまった。

 どうやら、サイトは未だルイズが恐い思いをしていると思ったらしい。

 護って欲しいと、そう懇願するかのように聞こえたその声は、サイトを大胆にさせるには十分の威力だった。

「よしよし、今日は俺がずっと傍に居てやる」

 ぽんぽんと頭を撫でられる。

 ゾクゾクッとした歓喜にルイズは支配され、例えようの無い幸福感で充溢する。

 まさに、サイト分飽和状態でもいうべき状態だった。

 そのせいか、自分に不都合な言葉、



「……明日は一緒にいられないしな」



 サイトが続けて言ったその言葉には耳を傾けていなかった。




***




 そうして一時間、普段とは逆に、サイトがルイズを逃がさないとばかりに強く抱きしめる構図が続いていた。

 無論、ルイズは逃げるつもりなどクックベリーパイの食べカス程も無い。

 自分からもサイトに張り付き、むしろ一生このままで生を終えても人生に一片の悔いも無いと思うほど、彼女の内心は満たされていた。

 ニューカッスルの城でも思ったことだが、ルイズはサイト分の不思議に気付いていた。

 自分から求めてサイトに近寄り、何かしてもらうのと、サイトが自発的に何かしてくれるのでは、その密度は天と地ほどの差があった。

 サイトに近づいていたいとして自分からサイトの腕に抱きついても十分に幸せだが、これがサイトから腕を掴んできていたとしたら、それはもう天にも昇れるほどの幸福になる。

 それほどサイトからの行動というのは嬉しかった。

 だがそろそろ起きなければいけない時間帯。

 朝食を食べなかったにしても、授業には出なければならない。

 サイトは迷い、ルイズをベッドから出そうか考えて、意を決してルイズから離れたのと同時、



 ピシャーーーーン!!



 一際強い光と豪雷音が鳴る。

 ルイズを見れば、震える手でサイトのシャツを掴んだまま瞳には涙を浮かべていた。

「う……」

 なんというか、可哀想である。

 泣くほど恐いのか、とサイトは思い、震えるルイズの手を取って、

「今日は……休むか?」

 つい、そう聞いてしまった。

 ルイズはぱぁっと明るくなる。

 ルイズの涙は本物だった。

 ルイズは本気で、急に離れたサイトが恋しくて泣いてしまったのだ。

 ルイズにとっては確かに雷はそれなりに恐ろしくはあるが、人並み程度で雷が落ちるたびにビクッと驚く程度しかない。

 それよりも恐い事は、もはやこの幸せ絶頂期を失うことだった。




***




 豪雨音激しい廊下を、長く細い褐色肌の足で歩く。

 キュルケは今まで恋に本気になったことが無いと自負していた。

 微熱は燃え上がってもすぐに覚める。

 覚めない熱に焦がれながらも、自分は未だその熱に焦がされない。

 だから彼女は本気で恋している子達を羨ましく思っていた。

 例えばルイズ。

 彼女はあの使い魔に本気で惚れている。

 最初はからかい半分でサイトに手を出していたが、最近はめっぽう手を出すのをやめていた。

 人様の本気を奪うのは主義ではないからだ。

 だがそれも、自分を本気にしてくれる存在でなければ、という枕詞がつく。

 何度か、他にも付き合っている女性がいる男子、もしくは付き合いそうな相手がいる男子と燃え上がりそうになったことがあった。

 その時は相手の勢いもあって自分も相手に傾倒していたが、そういった手合いはすぐに覚めた。

 残る物は元々その男子を好いていた女からの呪詛のみである。

 キュルケはそれをつらいと思ったことは無いが、もちろん好んでいるワケでもない。

 だが、そうして相手の怨みを買い、受け流す精神を養ったおかげで、彼女は随分と精神的に成長したと感じていた。

 だからだろうか。

 自分の関わらない色恋というのを見る目も、同時に養われていたようだ。

 彼女がそれを見たのは偶然だった。

 マリコルヌとギーシュの喧嘩。

 決闘だなんだとなれば流石に問題があるが、ただの喧嘩である。

 特に気にする事も無かったのだが、この二人は特に喧嘩などしそうに無い二人だったので少し気になった。

 結論から言えば、喧嘩事態はつまらないものだった。

 マリコルヌが女の為に先走って、ギーシュは溜まっていたらしい鬱憤からお互い手を出しただけのこと。

 客観的に見れば、キュルケにとってはその程度のもでしかない。

 面白かったのはその後、マリコルヌの元に渦中の根源らしい女が来たことだった。

 マリコルヌは慌てているし、女の子は何も知らずにマリコルヌへとお菓子を渡している。

 ここで、キュルケは自身に備わった嗅覚がヒクヒクと反応したことに気付いた。

「あの子……」

 随分とまぁ小綺麗にしている。

 まるで、男の子会う為みたいに。

 さらには水とハンカチ常備。

 普通、水なんて持ち歩くか?

 いや、お菓子を食べて貰うのなら持ち歩くのかもしれない。

 だとすると、彼女の今の目的はマリコルヌだった事になる。

 通常、好きでも無い男の為にそこまでするだろうか。

 中にはする者もいるだろうが、キュルケの嗅覚はそれを否と断じていた。

 そうなると彼女の好奇心がムクムクと湧いてくる。

 その日、これまた偶然会ったケティにカマをかけてみると、彼女自身気付いていなかった物に触れたらしい顔を見られた。

 マリコルヌは恐らく本気で彼女に惚れている。

 この子が本気でそれに答えるなら、彼女たちはたちまち最高のパートナーへと化けるだろう。

 それが……少し羨ましかった。

 自分が焦がれる“永遠の灼熱”を手に入れられるのだから。

 半分は興味本位、半分はマリコルヌとギーシュの喧嘩を見たために生まれた良心の呵責からの行動だったが、良くも悪くも彼女は結果的に知られない所で二人に深く関わってしまった。

 彼女はその事についてこれ以上弁明する気も関わる気も、付き合う気も無い。

 何が起ころうと知ったことでは無い。

 だが、と思う。

 自分がそんな相手と出会えたなら、私はそんな相手を離しはしないだろうなと。

 雨音が響く廊下を歩く長い褐色の足を止めずに、キュルケはまだ見ぬ運命の人に思いを馳せ……妙な声を聞いた。



『サイトぉ』



 うげ、気持ち悪い、と言い出しそうになるほどそれは甘く切なく、媚びるような声。

 それは丁度お家柄の宿敵……というには些か古くさいような気がする相手、ラ・ヴァリエール家の三女の部屋から聞こえてきた。

 ピシャーン!! と雷が鳴る度に聞こえるその声は小さいが、確実に見えない誰か……『サイト』に甘えているがわかる。

 はたして彼女はそこまで雷が苦手だったろうか?

 一年間の記憶を振り返り、彼女の記憶はそうでもなかった筈との結論を出す。

 やれやれ、本気の男が出来るとこうも変わる物なのか、と皮肉めいた考えをしてしまい、苦笑を漏らす。

 これではまるで負け惜しみか何かのようでは無いか。

 冗談では無い。

 一瞬、この扉を蹴破ってでも邪魔してやろうかしら?などとも思ったが、それも止めた。

 自分は“微熱”を二つ名に持つ、フォン・ツェルプストー家の女なのだ。

 そんなみっともない真似は出来ない。

 殿方を魅了するなら自分の魅力で。

 邪魔するものがいるならそれも自分の実力で排除するのみ。

 フ、と小さい笑みを浮かべてキュルケはその場から離れる。

 どうにも、あの声を聞いたまま一人で部屋にいる気にはなれない。

 慰み者代わりに誰か男を引っかけに……美味く行けば“永遠の灼熱”を得られるかも、などといつも思いながら叶ったことの無い思いを抱きつつ、手頃な男を探す為にキュルケは止まっていた足を動かす。



 この時、彼女はその一瞬の思考で命拾いしたのだが、それに気付くことは無い。



 歩き出したキュルケは、この最悪な天候で出歩いている者も少ないだろうと思い、講義室へと行ってみる事にした。

 講義が終わった後も、いろいろと無駄話等を咲かせて居座る奴は存外多いのだ。

 だが、予想に反して講義室からはまったく人の気配を感じなかった。

 (ハズレかしら……?)

 そう思いながら一応中を覗いて帰ろうと講義室前まで歩いて来た時、

「おや? ミス・ツェルプストー、講義後にこのような所へおいでになるとは、何か質問ですかな?」

 この学院では、容姿以外は比較的人気のある教諭、ミスタ・コルベールと出くわした。

 キュルケは内心舌打ちする。

 彼女は彼が嫌いだった。

 同じ火の系統のメイジでありながら、どうにも覇気が感じられない。

 情熱と攻撃的な姿こそ火の本質であると幼い頃から教わり、自分もそう思う彼女は、彼のような軟弱に見える火の使い手がいることが許せなかった。

 ましてや、そんな人間に教えを請うなど、彼女の貴族としての矜持が許さなかった。

 (男を捜していたけど、この人はパス)

「いいえ、何でもありませんことよミスタ・コルベール。講義室には誰もいないのですか?」

「ええ、先程皆帰られましたよ。今日は生憎の天気のせいか、欠席者も多かったですしね」

「そう、それでは失礼致しますわミスタ」

 キュルケは言葉上は丁寧に、胸の中には侮蔑の言葉を吐きながらその場を後にする。

 彼女は思う。

 “永遠の灼熱”をくれる殿方がこの世のどこかにいるとして、彼だけはあり得ないだろうと。

 彼のような、火を扱いながら弱々しい態度を取っているものに、このツェルプストーを燃え上がらせることなど出来はしないと。

 だから、彼女はそれきりコルベールのことを考えるのを止めた。

 故に、彼女は思い至らない。




 何の気配もしなかった筈の講義室から彼が出てきた事実。

 そこまで、彼が気配を絶つという……戦闘においても特化されたスキルを持っていたことに。



[13978] 第五十五話【擦違】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:40
第五十五話【擦違】


「よく来てくれたの」



 学院長室にて、長い白髭をもしゃもしゃさせている老魔法使い、オスマン学院長がルイズをねぎらう。

 翌日の朝、天気は超生憎と快晴だった。

 それを知ったルイズは天気を……空を心底恨んだ。

 365日雷雨でも良いと思った彼女にとって、もはや晴れなど嬉しくもなんとも無い。



「それでじゃな、今日わざわざ来てもらったのは外でも無い、王宮から……」



 全く、晴れているのはミスタ・コルベールの頭皮だけにして欲しいものだと思う。

 サイトとの幸せ一杯生活を邪魔する天気など、他の誰が望もうが知ったことでは無い。

 そもそも、こうやってサイトと離ればなれにされている事自体納得がいかない。



「……して、君に……というわけなんじゃ……ミス・ヴァリエール?」



 無反応のルイズにオスマンは顔をしかめながら改めて声をかける。

「おーいミス・ヴァリエール? 聞いておるかいの?」

「聞いていますわオールド・オスマン。姫様のご結婚にあたり、式の詔を詠みあげる巫女に姫様が私をご指名されたのでしょう?」

 ルイズが話を聞いている事に若干の驚きを感じたオスマンだが、話を聞いていたのならそれはそれで良いとして話を続ける。

 もっとも、ルイズは目の前の髭爺の話など実はまったく聞いていなかったのだが。

 ルイズは過去……時間軸で言えば未来? の記憶から、そうだろうとアタリを付けたに過ぎない。

 だいたい、朝早く呼ばれたせいで今朝はサイトのうなじを舐めることも、サイトの吐息を十分に吸い込む事も、サイトの匂いを十分に嗅ぐこともできなかったのだ。

 彼女はそのことが大いに不満で、話をまともに聞く気など無かった。

 朝は無防備な彼からたっぷりねっぷりサイト分を吸収するのが彼女の日課なのだから。

 そもそも、王宮からの大事な話だからと、使い魔同伴すら許されないのは間違っている、いろいろ間違っている、世の中間違っている。

「うむ、この王宮の秘宝中の秘宝の『始祖の祈祷書』を……と言っても中は白紙じゃがのぅ、本当にこれが本物なんじゃろうか?」

 ハルケギニア古今東西、始祖の祈祷書だと呼ばれる物は実は数多く存在する。

 だが、その真贋を見極める術は始祖が失われて六千年経つ今、どこにもありはしない。

 ブリミル教の教祖だなんだと崇められているもはや唯一神のような存在、ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリの遺した物だとされるそれは、当然の如く法外な値が付く。

 いや、値をつけること自体あってはならないのだが、いつの世も世界も、金に目がくらむ者はいる。

 そうなれば、偽物が出回るのはむしろ自然の摂理でもあった。

 中には異常な信仰心からそれを持ちたいとして作ったものもいるだろうが。

「っとと、つい話が脱線してしまいおった、歳を取ると話が長くなっていかんのぅ」



「……ほんとよ、さっさと終わらせてサイトのとこに行きたいのに……この髭爺」



 ボソッとルイズは呟くが、幸か不幸か二人の間には数m程の距離があったために聞こえていないようだった。

 オスマンは気にしたふうもなく話を進める。

「さて、君はこれから肌身離さずこれを持ち歩き、詔を考えねばならん。まぁいくつか考えたものを王宮が精査するじゃろうし、最悪向こうも簡単なひな形は用意してくれるじゃろう。あまり気負わずに自分で思う言葉を考えなさい」

 ルイズは始祖の祈祷書を手渡される。

 これでもう用事は済んだと、すぐに礼をして学院長室を出て行く。

 全く、最近の髭男は皆ロリコンなのかと疑いながら。

 そうして、一人残ったオスマンはルイズが駆けて行くのを感じながら、



「髭爺……か、ホッホッホッ、よもや面と向かってワシにそう言える子がまだいるとはのぉ」



 面白そうに笑っていた。

 ルイズの言った言葉はちゃっかり聞こえている、食えぬ白髭爺だった。




***




 サイトはルイズと部屋で別れた後、一人で馬小屋へ歩いていた。

 結局言うのが遅くなったが、ギーシュは嫌な顔一つせず了承してくれた。

 そう、今日サイトはギーシュと一緒にトリスタニアに向かうつもりだった。

 付き合ってくれるギーシュに内心で感謝しつつ、サイトは珍しく一人で目的地へ向かう。

 ルイズがOKと言ってくれて本当に良かった。

 ギーシュとは馬小屋で待ち合わせている。

 ここのところずっとべったりで一人の時間もなかったから、丁度良いといえば丁度良い。

 サイトがそう思っていると、

「あ、あの!!」

 一人の少女に声をかけられた。

「え? 俺?」

「はい、ミス・ヴァリエールの使い魔さんですよね?」

「う゛ぁりえーる? ああ、ルイズのことか。そうだよ」

 サイトの目の前には、ブラウンの長い髪にバスケット片手の少女がいた。

 あれ? 何所かで会った気がする、などとサイトは思いながら、

「俺に何か用?」

 声をかけてきた少女に尋ねる。

「はい、実は以前からお聞きしたいことがあって……」

 サイトに話しかけた少女、ケティは顔を赤らめ、くねくねと体を揺らし始める。

 長い間恵まれなかったチャンスにようやく巡り合えたのだ。

 (こ、これはまさか……!!)

 しかしサイトは、その姿を見て、“まさか”の出来事を幻視した。

 この子、俺に気があるとか!?

 どこかで見たことがある気がするけどずっと俺を想いつづけていたとか!?

 サイトの妄想が無限大に広がっていき……萎んだ。

 彼女の気持ちは正直嬉しいが、答えるわけにはいかないのだ。

 何故なら……。

「あの実は……」

「君の言いたい事はわかってる。でもごめん、気になってる奴が他にいるんだ……」

 サイトは女の子に恥をかかせるものでは無いと思い、彼女が皆まで言う前に答えた。

「えっ!? 私の聞きたいことがわかって……? いえ、それよりも他の方が……?」

 ケティはサイトが聞きたい事を看破した事に驚き、しかし言われた言葉を正確に脳が理解し始め少し顔を歪ませた。

 (そうだよな、悲しいよな……でもごめん、俺、最近は……あいつのことばっかり考えてるから)

 もし、先ほどからのサイトの台詞と頭の中を、学院長室にいる少女が聞くことができたなら、天にも召されていただろう。

 ハルケギアに永遠の春が来ると言っても過言では無いかもしれない。

 それを聞き、知る術が皆無なので、それは飽くまで“できたなら”という仮定の話でしか無いが。

「えっと、ごめん!! 俺、ギーシュとトリスタニアに行く用事があるから、それじゃ!! 本当にごめん!!」

 サイトはその場を駆け出す。

 不幸中の幸いは、サイトにとって彼女が名前も覚えていない程度の顔見知りでしか無かったことだ。

 そうでなければ気まずくて動けなかったに違い無い。

 彼女が、そんなに知らない人物だったが故に、彼は即座に逃げ出したのだ。

 もっとも、彼は大きな勘違いをしていたのだが。

 さらにその勘違いがケティの勘違い……ではなく誤解……でも無い、意味は違えど事実は同じな事をケティに認識させる。

「そうです、か……ギーシュさまはやっぱり他の方を……」

 ケティは、サイトに言われた言葉を反芻していた。

 さっさと逃げ出したことといい、もう自分に脈は無いのだろうと思う。

 その予想はしていないわけではなかったが、彼女は不思議な感情のうねりを身の内に宿した。

 彼の為にいろいろ試行錯誤してお菓子を作ったりしてきたのだ。

 その努力が無駄になるとわかったら、もっと悲しいと思っていたのだが。

 結論から言えば、思うほど悲しくは無かった。

 だが悲しくなくも無かった。

 失恋の傷心、それもあるが、彼女の心を占める悲しみは……もうお菓子作りをする必要が無くなったことだった。

 彼の……ギーシュの為に頑張ってきたのだから、彼女は脈が無くなった以上、もうその必要は無くなったと言って良い。

 もっとも、ギーシュの本命(恐らくあのミス・モンモランシーだろうとアタリつけた)から無理矢理奪う気があるのなら話は別だが、現状ケティにそこまでの意思は無い。

 もうお菓子を作る必要が無いということは、練習したお菓子を味見してもらう必要も無いということである。

 それが、何故か彼女にとっては悲しく、またその悲しみの意味も上手く理解できない。

 そんな時、

「おや? ケティじゃないか」

 都合が良いのか悪いのか、

「あ、マリコルヌ様……」

 いつも味見をしてもらっているマリコルヌが通りかかった。

 ここは天下……というには大げさだが比較的大きい渡り廊下である。

 誰とすれ違っても可笑しくは無い。

「どうしたんだい? 沈んでいたようだけどお菓子作りでも失敗したのかい? 大丈夫、君ならきっと上手く作れるさ、味見とアドバイスぐらいしか出来ないけれど僕は全力で応援してるから、頑張ってくれよ」

 マリコルヌは笑顔でそういうとケティの横を通り過ぎていった。

 その後ろ姿を見て、ケティはハッとする。

 まだ、マリコルヌ様はギーシュ様の気持ちを知らない。

 ならそのまま、ギーシュ様の為、ということでお菓子を作って味見をしていただくことは出来るのでは無いだろうか。

 そうだ、私が“まだギーシュ様が好きな女”でいることを“演じれば”彼はきっとこの距離を保ち、きっと今まで通りでいられるはずだ。

 自分とマルコルヌ様の接点はギーシュ様だけ。

 だからそうすれば、少なくとも今の距離が離れる心配は無くなる。

 そうだ、それがいい。

 ケティはマリコルヌのやや横に広がった背中を見ながらそう思う。

 これは名案だと、これでいいのだと彼女は思いつつも、何故か、彼女の心はサイトに『気になってる奴が他にいる』と言われた時より、深く深く痛むのだった。




***




 早足でルイズは歩き、今朝別れたサイトがいるであろう自室へ急ぐ。

 朝は突然の呼び出しでまともにサイトと会話すらしていない。

 その分を取り戻さなければこの小さな胸の哀しみは収まらない。

「ただいまサイト!!」

 勢いよく扉を開け、いるであろう最愛の使い魔にとびきりの笑顔で挨拶するルイズだが、返事は無い。

「……あれ?」

 部屋を見渡してもそこには人っ子一人いない。

 部屋にはたいして隠れるスペースなど無いし、そもそもサイトが隠れる理由が無い。

 もしなんらかの理由でムラムラして自分の下着が入ったクローゼット等に潜り込んだなら、素直にそう言ってくれればこちらには甘んじて迎撃、もとい受け入れる態勢は常に整っているのだ。

 だが物音一つしないこの部屋では、その可能性も無い。

 途端、ルイズの中で何かがガラガラと崩れていく音がした。

 笑顔が揺らぐ。

 声が震える。

 景色が……滲んでいく。

 ……サイトがいない、ここには、サイトがいない……!!

 ルイズは呆然と立ち尽くし……すぐに踵を返した。

 不安で彼女の、胸が張り裂けそうになる。

 これは……草の根掻き分けてでも、サイトを探さねばならない!!



[13978] 第五十六話【悪魔】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:41
第五十六話【悪魔】


 ルイズは自室を勢いよく出ると、不安を胸に宿しながら走り回っていた。

 彼には前科がある。

 いや正確に言えば彼が何かしたのではなくされたのだが。

 しかしルイズにとってはどちらかというとそっちの方が問題だった。

 また誰かにつかまって酷い目に合っていないか、怪我をしていないか、大変なことになっていないか、不安で小さな胸が気持ち程度膨らむくらいに張り詰めていた。

 実際には走り過ぎによる肺運動激化に伴う胸の上下運動によってそう見えるだけなのだがそこはたいした問題ではない。

 彼女は文字通り学院を東奔西走する。

 サイトがいないか、四方八方へと足を向ける。

 彼女の中の不安は膨らむ一方で、サイト分は減っていく一方である。

 だが彼女は足を止めない。

 もう数時間は歩き、走り回りながら聞き込みをしていた。

 と、クンクン。

 サイトの残り香を感じ……眉間に皺を寄せた。

 正確には“女の匂い”に混じって僅かにサイト臭がするのだ。

 ルイズは匂いのする方へ足を急がせた。

 匂いはずんずん近づいていく。

 見れば、テラスのテーブル付きの椅子に座るブラウンのマントを纏う少女から、サイトの匂いがするではないか。

「ちょっと貴方!!」

 ルイズは掴みかからん勢いで少女、ケティに詰め寄る。

「貴方から私のサイトの匂いがするわ!! サイトを何処へやったの!?」

 まるで犯人は貴方ねと言わんばかりにルイズはケティに詰問した。

「へ……? ああ、ミス・ヴァリエール。使い魔さんですか? 今朝はただちょっとお話を聞いただけですけど」

「話? 貴方がサイトに一体何の用があるというの? まさかサイトの趣味とか好みとか性癖とか聞き出したの!? どうなの!? 死ぬの!?」

 ルイズは目をギラギラ光らせてケティにこれでもかと血走った目で近づく。

 近い、顔がめちゃくちゃ近い。

「ひぃ!? い、いえ私は別に使い魔さんにはそんな……」

「じゃあ何? 何を聞いたっての!? 言ってごらんなさい!! 事と次第によっては……」

 そこまで言ってルイズの瞳の光が、少しずつ失われていき……、

「そ、そんなこと言われても……好きな「好き!?」ひぇっ!?」

 ルイズが身を乗り出しケティの肩を鷲づかみにする。

「きゃあ!?」

「貴方、サイトに気があるのね? そうなのね? 誘惑したのね? 命いらないのね?」

「そ、そんな!? ち、違います!! 私そんなんじゃ……!!」

 ケティはガクガク震えながら涙目で訴える。

「じゃあサイトは何処にいるの!?」

 ルイズはよっぽど余裕が無いのか、彼女の肩を離さない。

「え……? さぁ、ギーシュ様とトリスタニアへ行くって言ってすぐにいなくなられてしまいましたし、今頃はトリスタニアではないでしょうか」

「ギーシュ!? トリスタニアですって!?」

 ルイズはそれだけ聞き出すともう用は無いとケティを離し、一直線に馬小屋まで駆け出した。

 ケティは突然のルイズの奇行に先ほどまでの恐怖も忘れ、ポカンとしながらルイズを見送る。

 ルイズは今までの疲れなどなんのその。

 ようやっと得られたサイトの情報に胸を躍らせるとともに不安を滾らせる。

 ギーシュと一緒、それはルイズにとって最悪の事態に直結しかねない。

 サイトの貞操……それを護れるのはもはや自分しかいないのだ。

 何せそれをもらうのは自分のつもりだし、ついでに自分のを捧げるのはサイト以外選択肢すら無い。

 だが、ルイズが馬小屋について知ったことは……絶望だった。

 珍しいことに馬が全頭貸し出し中。

 まずめったに無い事態。

 たまたま大口の貸し出しが数回あって、まだ馬が帰りきっていないのだとか。

 ルイズはサイト達を追う手段を奪われた。

 これは由々しき事態である。

 まるで運命という名のキューピットがサイトとギーシュをくっつけようとしているようではないか。

 そんなの認めない。

 キューピットは自分とサイトだけに微笑んでいれば良いのだとルイズは怒る。

 頭の中にこないだ想像した二人の世界と薔薇がよぎり、歯を噛み締める。

 そんな、そんなことがあってはならない!!

 そうルイズが思った時、



 彼女は自然に……そう自分でもわからないほど自然に、手に持っていた“始祖の祈祷書”を開いていた。



 指には、すでにアンリエッタより賜った水のルビーが嵌っている。

 かつて、前世でのデルフリンガーに言われたことがあった。



『必要になったら内容が読めるようになる』



 彼女の扱う魔法は今まで全て爆発を伴ってきた。

 前世でも、彼女は最初にこの始祖の祈祷書を開いて、大きな爆発の呪文を唱えた。

 始祖の祈祷書が光り輝く。



「──、──、──」



 唇が、勝手にルーンを口ずさんでいく。

 だが今の彼女に必要なのはそんな爆発などでは無い。

 今の彼女に必要にして、今後も彼女にとっては絶対必要になるであろう魔法は、一つだった。

 かつてこれほど集中してルーンを唱えたことがあっただろうかというほど、ルイズは集中してルーンを口ずさみ、



「私は、サイトの元へ行くの」



 ルイズがそう呟いた時、彼女の姿は既にそこには無かった。




***




「いやぁ助かったよギーシュ」

「なに、このくらいは構わないさ」

 サイトは、トリスタニアでギーシュに案内を頼みながら目的地で目的のものを手に入れていた。

 その為に彼は財布の中の虎の子の一枚、福沢諭吉を失ったが、所詮ここではそんなに使い道は無い。

 財布は閑古鳥が鳴く程スカスカになってしまったが、もともとこの世界では自分のお金は使えないのだから持っていても仕方が無いしサイトに後悔は無い。

「俺の用事はこれで終わりだけど、ギーシュは他に何処か行く予定とかあるのか?」

「僕かい? うぅん、予定はあまり無いね、強いて言えば言ってみたい場所はあるが、酒場だから昼間にやっているかはわからないし」

「酒場?」

「“魅惑の妖精亭”って言ってね、まぁ簡単に言うと可愛い衣装を着た女の子達がお酌をしてくれる酒場さ」

「それってキャバクラじゃん!! お前、まだ未成年だろ?」

「“きゃばくら”? 君が言う“きゃばくら”がどんなとこかは良く知らないけど別にいやらしい所じゃないらしい。まぁ眼福ではあるらしいけど」

 それを聞いたサイトがじとりとした横目でギーシュを見る。

「ギーシュって普段は割と真面目だけどさぁ、そういうところ結構エロい趣味あんだな」

「な、何を言うんだ? 僕はただごく普通の一般男子がそうであるという話をしたわけで、別に僕がそうというわけではだね……そうだ、だいたい君はその辺の興味はどうなんだい?」

「え? 俺?」

 ギーシュは突然のサイトの攻撃に慌て、矛先をサイトに向け返す。

「話によるとかなり巨乳の看板娘もいると聞く。君こそ興味津々なんじゃないのかい?」

「きょ、巨乳? いや俺は……」

 サイトは頭の中で何故かメロンを思い浮かべた。

「何でも時々女の子によってはチップ次第でお触りOKだとか」

「お、お触り? ……それって……」

 サイトは、自分の世界であった古いネタ、殿様が侍従の女に「良いではないか良いではないか」と迫るエロシーンを思い出した。

 あの続きは規制の為に見られなかったのが未だに悔やまれる。

「おや? 鼻の下が伸びているんじゃないのかいサイト?」

 サイトは一瞬息を呑んで鼻を押さえる。

 もはや本当にいやらしいお店じゃないのか、などとは言わない。

 彼とて夢を追い続ける少年であり、全て遠き理想郷に興味ある一介の少年なのだ。

 ギーシュがどこまで本気なのかしらないが、まぁこの世界にも“そういったお店がある”という事を知ったサイトは、それ相応に興味を持つ。

 今は無理でも、万一元の世界に帰れなかった時、大人になってから寄ってみてもいいかなぁ、とか。

「えっとギーシュ、なんて言ったっけそのお店?」

「ん? 興味が出てきたのかいサイト? 全く君だって同じ穴の狢じゃないか」

 ギーシュはほっと一安心すると、少し底意地の悪そうな笑みを浮かべながらサイトの首に腕を回し、顔を近づけさせる。

 普段あまり悪ノリしないギーシュが、それなりに悪ノリしてきたことにサイトは若干驚きながらも、それだけ親しくなったんだと思いニシシと笑みを浮かべた。

「僕らが望む理想郷、その名は“魅惑の妖精亭”さ!!」

「へぇ、魅惑の妖精亭か!!」

 サイトもギーシュの首に腕を回し、二人でスクラムを組むように横に並んで歩く。

「ああ、僕らがもう少し大人になったら是非一度は行ってみたい場所だね。一緒にどうだいサイト?」

「おう? いいのか?」

「フッフッフッ、僕ら既に同士じゃないか!!」

「そうか、同士か、ハハッ、そうだな!!」

 実に楽しそうに笑いながら歩く二人。

 それは……彼らぐらいの仲が良い少年同士なら普通に行うスキンシップであるのだが……、





──────────ズンッ!!





 足音。



 それは体重など感じさせず、質量も無いとわかりながらも、音を響かせるには十分。



 だが、和気藹々としている二人はもちろん、王都で一番広いといえど人がごった返している通りでは、その音に気を取られる者など皆無。



 黒い、真っ黒なドス黒いオーラが立ち上る。



 通りを歩く人の何割か、“彼女”の傍にいる人達は彼女の異質さに気付き、そそくさと離れていく。

 中には「そこの可愛い嬢ちゃん」などと声をかける者もいたが、傍に寄った瞬間彼は通りの敷石と濃厚な接吻をしていた。

 彼が目を覚ましたのは半日ほど過ぎてからだったという。





──────────ズンッ!!





 静かなる足音は次第に肩を組み合う二人の少年に寄っていく。

 それはゆっくりじわじわとした緩慢な動きなのに、この人垣の中、異常な程早いスピードだった。

 “彼女”にやられ目を覚ました彼は後にこう言う。

 黒いオーラを纏った、長い桃色の髪の悪魔に会ったと。





 立ち上る黒いオーラ、その中に、





──────────ゆらゆらと、長い……長い桃色の髪が風に揺られていた。



[13978] 第五十七話【桃誅】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:42
第五十七話【桃誅】


 サイトとギーシュは突然後ろから掴まれた。

 何だと考える間もなく、サイトとギーシュは信じられぬ程の強力によって引き離される。

 一体何事だと二人が振り向けば、



「ギィィィィィィシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」



 そこには鬼……いや悪魔がいた。

 長い桃色の髪がクネクネユラユラと波打ち、まるでメデューサを思わせるような動きだった。

 だが、二人……否、ギーシュに考える暇を彼の信じる神は与えてくれなかった。

「ふげぇぇぇぇ!?」

 細く白い腕、その先の拳がギーシュの顎にクリーンヒットする。

 とてつもない踏み込みのせいか、通りの下に敷いてある敷石が……ピキッ!! っと音を立てて割れた。

 ギーシュは、あの細い体の何処にそんな力があるのか疑いたくなる程の怪力でもって天高く舞い上げられた。

 空に上る太陽が一際輝き、空中のギーシュの背後から彼とサイト、そして襲撃者を照らす。

 照らされた襲撃者は……黒い吐息を吐き、綺麗な桃色の髪をたなびかせた美しい少女……ルイズ、その人だった。

 ギーシュの影を縫うように降り注ぐ黒い光が、一層異様に彼女を照らす。



「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」



 と、格闘漫画にありがちな、気合いを込めているかのような甲高い声をルイズは上げながら大きく息を吸い込んだ。

 空に舞い上がったギーシュはようやく頂点に達したのか、一瞬動きを止め下降をし始めた。

 実に四メイルは浮かんだのではないだろうか。

 意識があるのかは定かでは無いが、口端から涎が垂れているあたり、彼はそうとうキている。

 あと汚い、地味に汚い。



「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 ルイズは落ちてくるギーシュに合わせて気合い一線、どこで覚えたのか崩拳もどきを命中させ、人体的に鳴ってはならないような『グギョッ!!』という鈍い音と共に、



「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!? ぐえぇっ!?」



 ギーシュを石壁に叩きつけた。

 叩きつけられたギーシュは最後にカエルが潰された時のような声を上げて沈黙する。

 だが、声が上がったあたり、彼の意識はあったことが窺える。

 半日目覚めなかった人もいる中、中々のガッツだった。

 と、今はそんなギーシュの現状を冷静に観察している場合では無い。

「ギギ、ギーシュ!?」

 サイトは慌ててギーシュにかけよる。

「大丈夫か、おい? 何だってこんな!?」

 サイトが心配げにギーシュの手を掴むと、僅かだが彼が握り返してくるのがわかった。

「……ゲホッ……サイト……」

「ギーシュ? もういい喋るな!!」

 ギーシュの意識がまだあるらしいことがわかったサイトは、ギーシュに大人しくするよう命じるが、彼は口を閉ざさない。

「サイ、ト……僕は、また生きて学院に、戻れたら……はぁはぁ……ぐっ……将来君と……“魅惑の妖精亭”に……」

「言うなギーシュ!! 何も言うな!! お前のライフはもうゼロだ!! あと生きて帰れたら云々はたいてい死亡フラグだ!!」

 サイトは必死にギーシュを宥めるが、

「り、理想郷に……届かないと知っても、それでも追い求めた……それは、間違いなんかじゃ……」

 ギーシュは何か格好良いこと言い残そうと必死に口を動かし、



「まだ息があったの、本当にしぶといわね」



 桃色悪魔がその瞳の光を“ゼロ”にして杖を振り上げ、

「お、おい!?」

 流石にこれ以上は危ないと思ったサイトが慌ててルイズを羽交い締めにする。

「あふぅん!?」

 途端、ルイズは力が抜けたようにその場にへたり込んだ。




***




「なんでこんなことしたんだ」

 へたり込んだルイズに、サイトはやや詰問口調で問い質す。

「……だって、サイトが、ギーシュに……サイトの貞操がギーシュなんかに奪われちゃうかと思ったら……」

 サイトは口をあんぐりとあける。

 ルイズが何を言っているのかじぇんじぇんわからない。

 ギーシュが俺の貞操を奪う?何故?どうしてそうなった?

 だが、ルイズは深刻な事のように、とうとうボロボロ泣き出した。

「サイトとギーシュが肩を組んでいた……私間に合わなかった……ギーシュに、サイトの初めて取られたぁーーーー!!」

 しかも天下の通りでとんでも無い事を言い出した。

 人がわらわらと寄ってくる。

 ただでさえ人通りが多いこの通り。

 サイトには奇異な目が多感に向けられる。

 ルイズはとめどない量の涙を零し、敷石をどんどん濡らしていく。

「ま、待て待て待て!! ルイズ、お前は何かすっごい思い違いをしている。きっととんでもない勘違いをしている!!」

 サイトが周りの視線も相まって慌ててルイズを宥め始める。

 ルイズはヒクヒク泣きながら目を擦り、目元を真っ赤にしながらクスンクスンと泣きやまない。

 ええい!! とサイトは半ばやけっぱちにパーカーのポケットに手を入れて“それ”を取り出した。

「ほらこれ!! 俺は今日これを買いに行ってたんだ!!」

 ルイズの目の前に差し出されるのは……シルバーの首飾り。

 サイトの世界でシルバーアクセサリーとして一つのファッションを持つそれが、どういうわけかここ、ハルケギニアのトリステイン城下町、トリスタニアにもあった。

 サイトは、以前来た時にお世話になったおじさんに再び会うためギーシュに仲介を頼み、路商を見せて貰ったところ、そこにそれがあったのだ。

 何の変哲もないただのシルバーアクセサリー。

 首下には“太陽”のオブジェ……ただ丸いだけの銀板が来るように出来ていた。

「これ、は……?」

 ルイズがスンスン言いながらそれを眺めると、

「お前のだよ!! ブレスレット壊れたって泣いてたから、新しいの何か買おうかなって。ああもう!! 折角秘密にして格好良く渡そうと思ったのに台無しだ!!」

 サイトがもうヤケだと頭をかきむしる。

「これ……私に?」

「そうだよ!!」

 フン!! と半ば怒りながらサイトはそれをルイズに突き出す。

 ルイズはそれを恐る恐る受け取った。

 差し出した両手に、ポンと乗せられる。

 途端にルイズはぱぁっと胸のうちが暖かくなっていくのを実感した。



 これはサイトからの贈り物。



 私の為の贈り物。



 “サイト”から“私の為だけ”に用意された贈り物。



 ルイズはそれをそっと頬にあててしばらく擦る。

 まだ少し、サイトの温もりがする。

 まだ少し、サイトの温もりがする!!

 サイトはそんなルイズの姿を見ることなく、自分の胸……シャツの中に手を突っ込んだ。

 チャリ、という金属音がしてすぐにサイトの首下にも、似たようなアクセリーが現れる。

「……? サイト、それは?」

「ああこれ、それとお揃いってか……対、なんだ」

「対?」

 ルイズは首を傾げながら、“あまり見ない”その形を不思議そうに見つめる。

 自分のはまん丸なのに、サイトのは、まるで綺麗に食べたかのように一部が無くなっていた。

 彼女は、“三日月”という形を知らない。

 それは、丸の半分以上……極端に言えば一回り小さめの丸をその上に少しずらして乗せて、重なっている部分を全て取ってしまったような、そんな形。

「サイト、それは何?」

「知らねぇの? これは月だよ、三日月」

「月? 月は丸いものでしょう?」

 ルイズの質問にサイトは驚き、そういえばこの世界に来て満月以外の月を見ただろうか、と考え込んだ。

 もしかしたら、ここは地球と根本的に違う、のかもしれない。

「サイト?」

「ああ、なんでもない。とにかくこれは月なんだよ。俺の世界では月が日によって見える形を変えていくんだ。で、結構ポピュラーなのが満月か半月、そして三日月」

「月が見える形が変わる?」

 ルイズは少し興味深そうに言葉を反芻し、やがてほころんだ。

 つまり、これはサイトの世界での太陽と月、なんだ。

 今、この意味を知っているのは私とサイトだけなんだ。

 ルイズはそれが嬉しくなって喜色満面になる。

 それを見て、何か言いたそうにしていたサイトは、口を閉じた。

 本当はこれを渡す時、“対”の意味を話すつもりだった。

 自分の世界においての太陽と月の因果関係。

 それこそが、これをプレゼントにした理由だったから。

 でも、今のルイズの顔を見ていると、なんだかそんなことはどうでも良くなってきた。

 結構クサイ台詞をイメージトレーニングしていただけに、些か残念ではあるが、言わずに済んでよかったと思う面もある。

 いつの間にか、周りは生暖かい目をしだして、一人、また一人と歩いていく。

 通りの人達の止まっていた足が動き出し、再び回りにいつもの雑然さと活気が戻って来た。

 サイトとルイズの視線が絡み合う。

 途端ルイズは立ち上がってサイトに抱きついた。

 もう離さないというばかりの抱擁。

 サイトは照れくさそうに赤くなりながら頬をかき……はて?

 サイトは急に、何かを忘れているような気がしてきた。




***




「ぼ、僕は……魅惑、ようせ、て……」

 少年の声が通りに小さく小さく木霊していた。




***




 ギーシュは馬車で学院に送られることになった。

 ギーシュはなんと、自分ひとりはまともに歩けないほどのダメージを負っていた。

 いや、まともにあるけない程度のダメージですんだ、ともいえる。

 歩くたびに骨が変に軋む音がして、本人曰くマジで超重くヤヴァイらしい。

 ヤバイではなくヤヴァイらしい。

 そんなギーシュを見送ってからふと、サイトはルイズの身軽さに気付いた。

「そういやルイズはどうやってここに来たんだ?」

 見たところ、ルイズは買い物に行く時に持つ、金貨の詰まった麻袋を持っていない。

 いつもの杖と見たことも無い黒っぽい本を持っているだけだ。

「あ、私は……」

 ルイズが説明しようと口を開きかけ、

「俺はギーシュが往復分の馬代払ってくれてたからいいけど、ルイズは馬代あるのか?」

 閉じた。

 彼女にとってもっとも必要な魔法、それは即座にサイトの傍にいける、というものだった。

 普通ならそんなに離れたところには行けないはずの瞬間移動。

 だがルイズは、ルイズの“中”に蠢く“負の精神力”は不可能を可能たらしめた。

 無論、遠ければ遠いほど、彼女の精神力の消費は莫大だ。

 だが飽くまで“莫大”なだけだった。

 彼女はサイトの為なら精神力を惜しまない。

 それに、これは彼女すら与り知らぬことだが、“伝説の剣”いわく、“普通百年溜めたってそこまでは溜まらない”程の量なのだ。

 彼女にとって必要なのは爆発、幻影などといった、身を護り、敵を打ち砕く魔法……などではない。

 彼女にとって必要なのは、いかにサイトといられるかにかかっていたのだ。

 だから、彼女は今、“魔法を使う必要が無かった”

「勿論お金は持って来てないわ。しょうがないからサイト、一緒に乗りましょう」

「え? いやでも「しょうがないから一緒に乗りましょう」だ、だけど「一緒に乗りましょう」あ、あの「なんならサイトの上に乗っても……」……わかった、一緒に“馬に”乗ろう」

 サイトは諦めたようにげんなりと頷く。

 前に一緒に馬にのって、サイトは多大な精神力という名の我慢を強いられた事を思い出し、重い溜息を吐く。

 心なしかルイズは残念そうだった。

 馬の背よりサイトの太ももの上の方がはるかに良いのだから。




***




 魔法学院に着いたギーシュはへっぴり腰で自室へと向かっていた。

 正直一人では上手く歩けない。

 痛い。

 ヤヴァイ。

 僕が何をしたっていうんだ、と涙目になりながら壁に体重を預けつつ微速前進する、が、すぐに腰あたりにピキッとした痛みを感じて足が砕け、体勢を崩す。

「うわ……あ?」

 だが、予想した衝突の痛みは無く、代わりにふわりとした柔らかさと香水の匂いが鼻腔をくすぐる。



「どうしたの? ギーシュ」



 香水のモンモランシー。

 彼女によって、ギーシュは転ぶ事を避ける事に成功した。



[13978] 第五十八話【葛藤】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:42
第五十八話【葛藤】


 太陽の木漏れ日が窓から降り注ぐ一室のベッド。

 そこに、金砂の髪を持つ少年が横たえられていた。

 昨日魔法学院に運ばれてきたギーシュ・ド・グラモン、その人である。

 ここは学院の彼の部屋であった。

 痛みは偶然会ったモンモランシーの献身的な介護と彼女の魔法のおかげで大分引いた……が、腰だけは酷いらしく、未だ彼は一人では満足に歩けなかった。

「はぁ……普通、こういう怪我ってすぐに治るものなんじゃないのかい?」

 誰に言うでもなく、ギーシュは一人ごちる。

 この年で腰が痛くて満足に一人で歩けないなど、ハッキリ言って恥ずかしい。

「通常ならこういう怪我なんて無視されるものの筈なのに……」

 ギャグで出来たような怪我なのだから次の瞬間には完治、でも良いんじゃないないか、とも思う。

 だが、残念ながら彼の怪我は無視されないクオリティだった。

 そもそも、ギャグみたいな出来事で出来た怪我だとしても、それが無かったことになどならないのである。

 それが無かった事になるのは、飽くまで“夢幻”か“彼らの読む漫画や小説の話の中でだけ”だった。

 ギーシュは小さく愚痴りながら溜息を吐く。

 このままでは満足に学院を歩くことも出来ない。

 情けないが立ち上がろうとすると腰が酷く痛んで砕け、へたり込んでしまうのだ。

「一体、ルイズはどれだけの攻撃を僕にお見舞いしたんだ……それ以前に僕が何をしたって言うんだ……」

 ギーシュは額に腕を当てて思い悩む。

 と、



 コンコン。



 戸がノックされた。

「はい」

 返事をすると、部屋に入ってきたのは案の定、モンモランシーだった。

「ギーシュ、調子はどう? 今朝は動けなさそうだから厨房へ行って食事を貰ってきたわ」

「ありがとうモンモランシー、僕はなんて幸せ者なんだ、君みたいに可愛い子にここまで介護されて……自分が情けないよ」

「気にしないでギーシュ、昨日聞いた限りじゃ全部“ルイズのせい”なんでしょう?」

 そう答えながら、モンモランシーは昨日のことを思い出す。




***




「どうしたの? ギーシュ」

 モンモランシーは不思議そうに首を傾げながら頬を少し赤く染めた。

 ここにモンモランシーが居たのは偶然だった。

 朝からギーシュが出かけてしまったらしいことを知った彼女は、久しぶりに本業……もといお小遣い稼ぎの香水の精製を部屋で行い、一段落したところで気分転換に学院内をウロウロしていただけなのだ。

「す、すまないモンモランシー……女性の君にこんな事を頼むのは不躾だとは思うが僕に肩を貸してくれないか」

 ギーシュはゆっくり離れようとして腰に力が入らず再びモンモランシーの体を頼るように抱きつく。

「きゃっ!?」

 軽くなったと思ったら急に体重を乗せられ、その重さに耐えきれずモンモランシーは倒れる。

 ギーシュの下敷きになりながら。

 瞬間、上の双眸と下の双眸がバッチリと交差した。

 距離が……近い。

「わぁっ!? す、すまないモンモランシー!!」

 我に返ったギーシュはすぐさま横に転がって彼女から離れるが、その動きはみっともない。

 ドキドキとした心情もあるのだろうが、何より腰が立たない事にはまともな動きなど出来ないのだ。

 モンモランシーも胸の裡をドキドキさせながらゆっくり起きあがってギーシュを見つめる。

「きゅ、急にどうしたの?」

「い、いやわざとじゃないんだ、誓ってわざとじゃない。今日サイトとトリスタニアに行っていたら突然現れたルイズに思い切り吹き飛ばされてね、イタタ……」

「なん、ですって……!!」

 ギーシュの言葉を聞いた途端、モンモランシーの瞳から、輝きが消えた。




***




 その後、モンモランシーは我に返ったようにギーシュを見、慌てて彼を介抱しながら部屋まで運び、ずっと介護していたのだ。

「また顔を出すわね」

 モンモランシーはギーシュが食事を食べ終わるのを見届けると、トレイを持って立ち上がった。

「すまない、いや、ありがとうモンモランシー」

 ギーシュの言葉に微笑みを返し、モンモランシーは退室する。

 と、廊下の向こうから、見知った顔が歩いてきた。

 長い桃色の髪の少女と艶がある黒髪の少年。

 ザワリ、と彼女の空気が変わった。

「おはよう、ルイズ」

「あらモンモランシー、居たの。おはよう」

 ルイズは、サイトの腕に抱きつきながら歩き、全神経はサイトに集中していた為、目の前に来て初めてモンモランシーの存在に気付いた。

「……貴方、昨日ギーシュに怪我を負わせたそうね。彼、今も一人じゃまともに歩けないのよ」

 モンモランシーの言葉に、ルイズは「だから?」というどうでも良さそうな顔をするが、一人、サイトだけは大きく動揺した。

「え? そんなに酷いのかギーシュ? 悪いルイズ、俺ちょっとギーシュ見てくる」

 するりとルイズの腕を離し、サイトはギーシュの部屋の中へと消える。

「あ……!!」

 廊下に残される少女二人。

 睨み合うかのように見つめ合っている二人はしばし口を開かない。

 空気が重い。

 そんな中、先に口を開いたのはまたもモンモランシーだった。

「ルイズ、言っておくことがあるわ」

「……何かしら?」

 張りつめたような空気は臨界点に到達し、



「良くやってくれたわ!!」



 弾けた。

「別に、私はギーシュがサイトに近づけなくしただけよ」

「今ギーシュは私が居なければ一人で歩くことが出来ない。子供のようにギーシュは私に頼り切っているのよ、ああ、可愛かったわ♪」

 頬を赤らめ、夢でも見ていたかのようにモンモランシーはほころぶ。

 彼女は、ギーシュの怪我を悦んでいた。

 彼は今、生活の大部分を彼女に頼らざるを得ない。

 ギーシュに頼られているという実感。

 それが彼女を満足させる。

 一種、充実にも似たこの感情を彼女が持ったことで、彼女はまた一つ変わるのだが、それがわかるのはまだ少し先のことだった。

「それより、せっかく二人を引き離してるんだから、そろそろサイトを連れて行きたいんだけど」

 ルイズの言葉にハッとしたモンモランシーは、

「そうね、さっさと連れて行って頂戴」

 ギーシュの部屋の扉を開けた。




***




「モンモランシー」

「なあに?」

 時刻はお昼過ぎ。

 あれから数日が経っていた。

 モンモランシーは大半の時間をここで本を読むかギーシュを見ているかで過ごしていた。

 当のギーシュはベッドで寝たきりである。

 痛みはもう無いのだが、何故か腰に力が入らず、未だ一人では満足に歩行できない。

「僕の腰ってあとどれくらいで治るのかな?」

「え?」

 ギーシュはモンモランシーに感謝しているのと同時、罪悪感が込み上げていた。

 自分のせいで彼女の時間を拘束してしまっている。

 それはとても申し訳ないことだ。

 時は金なりというが、時間はお金を持ってしても買えることの出来ないものだ。

 それを彼女に使わせているかと思うと、情けないやら申し訳ないやらで、ギーシュの罪悪感は募るばかりだった。

 対して、モンモランシーはギクリとした。

 彼の腰、それを治す方法は……無いことは無い。

 ただすぐには出来ない……というより“材料”が足りないのでこれ幸いとほったらかしていた。

 モンモランシーは医者では無いが、水メイジだけあって若干の医学を囓っていた。

 モンモランシーの診断では、ギーシュは恐らく、脊椎を傷つけている。

 脊髄でなかったのは不幸中の幸いだが、完治するには長い年月がかかるだろう。

 最悪、放っておくだけの自己治癒力のみでは完治とはいかないかもしれない。

 “その薬”を使わなければ。

 生きていたからと、馬鹿にしてはいけない。

 それほどの、怨念のこもった攻撃でもあったのだ。

 そしてさらにそれは、長い年月ギーシュは誰か……今の場合モンモランシーに頼らなくてはならない事になる。

 モンモランシーとしてはむしろそれは望むところだった。

 彼に頼られ、依存される。

 それを、彼女はここ数日満喫していた……のだが。

「僕は、早く怪我を治したい。何か方法は無いかな、モンモランシー……僕には、“君だけが頼り”なんだ」

「っ!!」

 ギーシュの言葉に頬を真っ赤にする。



 “君だけが頼り”



 “君だけが”



 モンモランシーの中に反芻されるギーシュの言葉は彼女の脳細胞を満遍なく刺激していく。

 頼られれば応えたい。

 でも、応えればこの夢のような時間は終わりを告げてしまうかもしれない。

 彼女の中で、相反する二つの感情に板挟みにされ、彼女は思い悩む。

 このままずっとギーシュに頼られ、彼の世話をしてあげたい。



「頼むよ、“僕の愛しのモンモランシー”、何か知っているなら教えておくれ」



 “僕の愛しのモンモランシー”



 “僕の愛しの”



 “愛しのモンモランシー”



 “僕のモンモランシー”



 ギーシュの言葉がモンモランシーの脳内に埋め尽くされ、彼女の脳内のドーパミンが異常分泌される。

 既に彼女には、ギーシュの一言一言が甘い囁きのようにしか聞こえていなかった。

 脳髄までとろけそうになるその声に、彼女は意識的には無意識的にか、応えていた。

「あるにはあるわ」

「本当かい!?」

 ハッと我に返り、しまったと思った時には既に遅く。

「どうすればいいんだい!?」

 キラキラと、期待するかのような、無垢で信じ切っている少年のような顔でギーシュはモンモランシーを見つめる。

 モンモランシーは、う、と少し狼狽えながら、やがて少々諦めたように、



「“精霊の涙”があれば多分……」



 正直に応えていた。

「精霊の涙?」

「ラグドリアン湖に住む水の精霊の体の一部よ、水の秘薬を作ったりする時にも使うの。私の一族は昔からその精霊と契約を交わすしきたりがあって……」

「ということは君なら精霊に会って“精霊の涙”ももらえるんだね!? ああ、ありがとう愛しのモンモランシー!!」

「う!? い、愛し……? で、でも「ああ、助かった。これで動けるようになるんだ。本当に僕はモンモランシーが居てくれて良かった」……っ!! ………………はぁ……」

 モンモランシーは溜息を吐くと諦めたように頷いた。

「明日、一緒に行きましょう。でも精霊は気難しいからもらえないかもしれない。それだけは覚えておいて」

「大丈夫さ、君なら出来るよ。僕はモンモランシーを信じてる」

 真っ直ぐな瞳で見つめられたモンモランシーはドキリとして、慌てて顔を逸らす。

「ま、まぁピクニック気分で行くのも良いでしょ」

 それは照れ隠しのつもりだったのだが、



「ピクニック? 成る程そうだね、それならサイトも誘おう!!」



 ギーシュの突然の発言にモンモランシーは硬まった。



[13978] 【幕間】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:43
【幕間】


 時は少し遡る。



「……う」



 小さなうめき声を上げ、目を覚ました女性がいた。

 女性は、目を覚ましたばかりのぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと上半身を起こすと何気なく辺りを見回す。

 そこは……小さな小屋の中のようだった。

 彼女の記憶にこの場所は無い。

 もともと彼女は定住地など無いに等しくもあったから、それほど珍しいことでも無いと思考を切り替えた。

「私は……」

 どうしてここにいるのか。

 だが、思考はすぐに遮られる。



「……起きたか」



 突然、真四角なこの部屋唯一の……正面の扉から入って来たのは……赤いマントの男だった。

 彼女は彼を知っている。

「モット……」

「フン、死んだような目をしてくれるなよ土くれ。私を誰だと思っている? 貴様が今そうして生きているは私のおかげなのだぞ? 別に恩着せがましいことを言うつもりは無いがね、死んだような目だけは止めてもらいたいものだ」

 やや不満気味にモットはフーケ……マチルダのいるベッド横の椅子に腰掛ける。

 ここはどうやら元は家具など殆ど無い無人の小屋だったようだ。

 いくつか新しそうに見える家具、例えばこのシーツやモットの座る椅子、テーブルは買ってきたものだろうか。

 首を回せばここにあるものは本当に少ないし、部屋自体も小さい。

 自分が寝ているベッドも……いや、これをベッドと呼んでもいいものか。

「何だ? 寝心地が悪いと贅沢でも言うつもりか? 我が儘め」

 マチルダの視線を敏感に理解したようにモットは不機嫌になる。

 マチルダが横になっているのは、恐らく練金によって編まれた簡易ベッド。

 モットが作ったのだろうが彼は水メイジ。

 それほど練金の腕に覚えは無いのだろう。

 造形は悪くないが、それにこだわりすぎて中身が無いようなベッドだった。

 見た目はベッドに見えるが、それだけ。

 寝心地は均した土の上に薄いベニヤ板を乗せてあるかのような、そんなものだった。

 本当にここには特に何も無い。

 マチルダがそう現状を分析し、そういえばどうして自分はここにいるんだっけと思考を遡り……口元を抑えた。

「うっ!!」

 吐きこそしなかったものの、彼女の胃の中は荒れていた。

 さっきのモットの言い方から、自分は長く眠っていたと思われ、胃には既に内容物など残っていない筈だが、思い出した大量の“血”の匂いに彼女の胃液は逆流しかけた。

 口元を抑えたまま、彼女は慌てて自身の足に手を伸ばし……ハラリ。

 ハラリ……?

「ってキャアァァァァァァァァ!? 何で私何も着て無いのさーーー!?」

 彼女は一瞬上半身が生まれたままの、一糸纏わぬ姿になり、慌てて腹部に落ちたシーツを胸元にたぐり寄せる。

「何を慌てている? 安心しろ、私は女の裸など見慣れている」

「何を安心しろってんだい!? まさかアンタ私が寝ているのを良いことにあんなことやこんなことを!?」

「だから安心しろと言っているだろう。寝込みを襲うような真似はせん。するなら事前に言っておいてからするからな」

「全然安心できない!!」

 マチルダは顔を真っ赤にして信じられない!! とモットを睨み付ける。

「やれやれ、ヒステリーを起こした女はこれだから……貴様、そんなことより足はまだ痛むのか?」

 マチルダはハッとして足を見て……絶句する。

 シーツの上から見た自分の片足は途中から膨らみが無かった。

 自分の中の感覚も、無かった。

「う、そ……」

「残念ながらいくら私とて失われた四肢の再生はできん。せいぜいが血止めと傷口の縫合だった」

 マチルダは顔を伏せる。

 片足を失ってしまった。

 これは致命的。

 これから自分はどのように生きていけばいいのだろうか。

 “彼女たち”への仕送りにも支障が出てしまう。

 彼女の左足は膝より少し上の部分までしか無かった。

 太股が四分の三程度残っているだけ、というべきか。

 徐々に顔色が青くなっていくマチルダ。

 そんな彼女に、



「まぁ貴様のことだ、“練金で義足”を作ることくらいワケ無いだろう」



「…………え?」



 絶望という言葉で埋め尽くされそうになったそんな彼女に、実にあっけらかんとした物言いでモットは告げた。

「何を驚いている? 貴様は土メイジだろうが。自分に合う義足くらいわけなく練金出来るだろう」

「義、足……?」

 正直、その発想は無かった。

 だが、出来なくは無いだろう。

 リハビリ次第では、日常生活には問題無いかも知れない。

 盗賊稼業は微妙だが。

「私もお前のリハビリがある程度形になるまでは貴様を面倒みてやるつもりだ。一時とはいえ同士となった仲だしな、このまま解散と行くには少々人情味に欠けるだろう。それでは私の貴族としてのプライドが許さんからな」

「っ!!」

 マチルダは体を震わせた。

 貴族としてのプライド。

 そんな“つまらないもの”に振り回され、嫌悪までするようになったというのに、それが今、自分の胸の中を暖める。

 モットは鼻下のくるりとした細い髭を引き伸ばしながら尊大な態度で話し続けているが、今のマチルダはそれを不快だとは思わなかった。

 ただ、あの満月の晩に感じた、胸の高鳴りがまた、起き始めていた。

「ふむ、そうだ。忘れておった」

 そんな時、モットが髭を弄る手を止め、急に真面目な顔になる。

「お前、これから……いや、リハビリが済んでからになるだろうが、どうするつもりでおるのだ?」

「……どういう意味だい?」

 今は、先のことはあまり考えたくなかった。

「いや、ついこの前、“あの若造”がようやくコンタクトを取ってきたのだが」

「若造……? ああ、“風の旦那”かい。集合に遅れたからてっきりくたばったものかと思っていたよ」

 マチルダが軽薄そうに笑うが、モットは眉を寄せ、



「その通りだ、奴は死んだ」



 意外な一言を、言ってのけた。




***




 浮遊大陸、白の国アルビオン。

 そのアルビオンから、重力によって空中に流れ落ちる水が液体から霧状に霧散して行き、綺麗な白煙となって大陸を包む。

 人間が殺し合おうが政権が変わろうが、美しいこの景色に特筆すべき変化は無い。

 アルビオンは王党派が倒れ、神聖アルビオン共和国として生まれ変わる。

 それでもこの大陸そのものは変わらない。

「そうは思わないかね?」

 太陽の光の届かぬ暗い一室。

 ハルケギニアでは一番太陽に近いアルビオンで、その恩恵を受けないでいるとはなんとも勿体ない話である。

 だが、“彼”はそんなことは気にせずに自身の前に跪き、頭を垂れている男に話しかける。

「………………」

 聞かれた男はこの暗がりの中、目深く羽根帽子を被り、頭を垂れているせいで生えている長い髭が床に触れてしまっている。

 男は“彼”の言葉に応えない。

 ただただ頭を垂れ、忠誠を表すかのように傅くのみである。

 “彼”はそんな彼の態度に怒りを覚えるでもなく、自身が座る“玉座”の肘掛けに肘を付いて顎を支え、男を見やった。

 その“立場”故なのか、少々痩せ過ぎなきらいがあるようにも見受けられる“彼”は、肩まで伸びてカールしている金髪を残りの手で弄んで“男”の言葉を待つ。

 男は未だに口を開かない。

 やや痺れを切らしたのか、代わりに“彼”が再び口を開いた。

「私はね、君をとても重宝している。“今の君”でもそれは変わらない。わかっているとは思うが次はトリステインだ、君の協力がまた必要になるだろう、無論、そうなればやってくれるだろう?」

「……はっ」

 男が初めて小さく口を開き、応える。

「私は今のまま“変わらない”つもりはない。……君には期待しているよ」

「……御意に、“閣下”」

 男の言葉に満足そうに“閣下”と呼ばれた“彼”は笑うと、男に退室を促した。

 男はゆっくりと立ち上がり、一礼して玉座に背を向ける。

 それを見届けた“彼”はおもむろに自身の指に嵌っている“指輪”を撫で始めた。

「……これがあれば君は何も恐れることは無いんだよ、“ワルド”」

 ククク、と玉座に座ったまま彼はかみ殺すようにして笑う、いや嗤う。



 “彼”こそ現神聖アルビオン共和国初代皇帝、オリヴァー・クロムウェルその人であった。




***




 妙な気分だ、と謁見を終えた男は与えられている自室に戻りながら思う。

 自室には柩が一つあるだけだった。

 ベッドもテーブルもクローゼットも無い。

 いや、正確には“今の自分には”必要ない。

 男は柩を開ける。

 途端、鼻につく異臭……血の臭いが部屋中に充満する。

 だが男はそれにも眉を潜めることすらなく、柩の中を見据える。

 妙な気分だ、と思う。

 柩の中にはよく見知った顔と体があった。

 これは比喩でも何でもない。

 本当に、見知った“顔と体だけ”がそこにあった。

 腕は両方無く、足も両方無い。

 首は血塗れの体と繋がっているが、目は柔らかく閉じられ、開くことは無い。

 顔だけは長い髭を生やしながらも整った紳士の顔だった。

 このダルマのような肉体に、使い道はあるのだろうかとふと思う。

 “仮に”この“死んだ肉体”が意志を持って動くとして、役に立つのか、と。

 男はここで初めて嫌そうな顔をした。

 それは奇しくも、彼がここ最近滅多に表さない感情の起伏だった。

 腕もなく足もないこの体が、どう役に立つのか、男には想像がつかない。

 仮に役に立ったとして、それはあまりにも惨めな姿ではなかろうか。



「……ふん、惨め、か」



 自嘲する。

 今更惨めだからなんだと言うのだ?

 男は柩の中の“自分と全く同じ顔”を見つめる。

 本物は……この物言わぬ柩の中の自分なのだ。

 男は風のスクウェアスペルによって編まれた存在、遍在体だった。

 彼はアルビオンの皇太子暗殺まであと一歩だった。

 ところが本体……本物の自分が死んだ事を悟って、それ以上攻めるのを止めた。

 あのまま行けば、皇太子の首を取る代わりに、自分はここにはいなかっただろう。

 精神力で編まれたこの体は、本体が無くなった以上、ただの“消耗品”でしかない。

 幸か不幸か、皇太子暗殺の為に普段より強く編まれているが、すでに自分には魔法を行使することは出来ない。

 いや、正確に言えば、魔法を行使すればそれだけ遍在体としての寿命が無くなるのだ。

 精神力の無への回帰。

 それは今の自分の“死”を意味する。

 いや、既に本物の自分は死んでいるのだから、“死”という概念はおかしいのかもしれない。



 本当に、妙な気分だ。



 偽物の自分が本物の死体を見つめる。

 通常なら、あり得ざる事だ。

 本体が死んだのなら、この身も消えてもおかしくはなかったのだから。

 故にこの体では魔法は使えない。

 使えば消える。

 だが消えても“閣下”は復活の約束をして下さっている。

 一度閣下の御業……魔法を見たことがあるが、自分もああなるのだろうか。

 従順な死者の復活。

 それは自分が自分でなくなるかのような不安。

 今はまだ、偽物なれど自分という概念はある。

 だが、この身が無くなって復活させられた時、そこに“自分”はあるのだろうか。

 魔法が使えぬ本物の心を持った偽物の体か、魔法を使える本物の体を持った偽物の心の自分になるか。



 どちらにしろ、惨めだ。



 男……死んでいるジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは溜息を吐いて柩を閉じた。

 どちらにしても、残りの時間は少ない。

 この遍在体とて、存在しているだけで消耗していく。

 ならば、やれることはやっておき、やるべき事を為すだけだ。

 ワルドはマントを翻すと自室を出て行く。



 その背中が、ほんの一瞬霞んでいた。



[13978] 第五十九話【警鐘】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:43
第五十九話【警鐘】


 どうしてこうなった?



 サイトは四苦八苦しながら馬車の手綱を握る。

 だいたい、どうやればいいのかなんて簡単なレクチャーしか受けていないのだ。

 そりゃあ四苦八苦しても当然である。

 いやいやいやいやそれはともかく。



 どうしてこうなった?



 フローラルな香りが鼻腔をくすぐり、首筋に細く長い桃色の髪が触れる。

 肩には人の重みと暖かみ。

 それはサイトが手綱を操るのに四苦八苦するもう一つの理由でもあった。

 ガタガタと触れる馬車の御者台の上。

 そこにサイトはぴったりとくっつくルイズと一緒に乗っていた。

 ルイズは目を閉じ、バスケット片手に微笑みをたたえている。

 そんなルイズをちらりと一瞥して、サイトはまた正面を見据える。

 ルイズの感触が彼の冷静さを奪い、いつまで経っても手綱を握る手は安定しない。

 (道、あってるのかなこれ?)

 真っ直ぐ行けば良いと言われたが、当然の如く地理に明るくないサイトは不安で堪らない。

 不安にまみれ、感触に緊張して、手綱を持つ責任感で、時々首にかかる吐息で、サイトは出発して数時間後になる今、既に疲れ切っていた。

 ピクニックってこんなに疲れるものだったのか?とサイトは内心で溜息を吐く。

 何でも本来の目的は療養……ギーシュの腰の特効薬を作るためらしいが、綺麗な湖があるところだそうで、ピクニック気分で行くつもりだとのこと。

 だが一緒に行く三人……もともと行く予定だったギーシュとモンモランシー、そしてサイトが行くとなれば当然ついてくるご主人様……は皆貴族である。

 普通に考えて唯一の平民であるサイトが御者をやるのが当たり前だった。

 ギーシュとモンモランシーは背後の馬車の中にいる。

 この薄いカーテン一枚向こうに、モンモランシーに膝枕されて横になっているのだ。

 畜生、少し羨ましいぞ……と思っていたのは出発してほんの三分程度だった。

 ルイズも馬車の中にいるものだと思っていたらそんなことは無く。

 サイトの横にピッタリと張り付いて一緒に御者台に座っていた。

 最初ルイズはサイトがギーシュとピクニックに行くと言い出した時、杖を振るのもやむなしかと思ったものだが、これはこれでいい結果になった。

 薄い布一枚とはいえ、他の二人という名のオマケ共とは隔たっているし、こうしていると世界に二人きりになったような錯覚さえ覚える。

 毎日のように共にする閨でもそう思うが、昼間から隔絶された空間に二人きりという環境は、むしろ彼女にとって天国に等しかった。

 サイトさえ居ればいい。

 そう思い続けた彼女はいつからか、サイト以外のものに“魅力”というものを感じなくなっている。

 クックベリーパイでさえ、サイトと比べると超えられない壁があるのだ。

 故に、サイト以外のものを煩わしく思い、サイト以外のものを求めない。

 サイト以外のものは不要として、この世にはいらないものが溢れているとさえ思う。

 既に“壊れている”彼女の心は、今日も順調に病んでいた。




 それが彼女にとって、悲劇を招くとも知らずに。




***




「あの、モンモランシー?」

「なぁに?」

「いや……その……」

 ゴトゴトと揺れる馬車の中。

 ギーシュは横になりながら後頭部の感触に参っていた。

 目を開ければつぶらな双眸が自分を見据えていて、目を閉じれば頭の感触が気になって仕方が無くなる。

 なんて悪循環。

 サイトは御者台でルイズとくっついていると聞いて、女性と寄り添っているなんてなんて羨ましい……などと思っていたのは出発してからほんの三分ほどで止めた。

 それどころの話ではないのだ。

 座るのは正直辛いから馬車内で横になって行くことにも不満は無い。

 無い、が膝枕は正直どうなんだろう?

 別に膝枕で無くとも普通の枕を持参すれば良かったのではないか?

 いや別にモンモランシーの膝が嫌なわけではない。

 むしろすこぶる気持ちが良い。

 気持ちが良すぎて、ムラムラしそうになって……困る。



─────────ああ、良い“香り”がする。



 ギーシュが自分を抑えるかのような必死な形相で目を閉じるのを見て、モンモランシーは妖美に嗤った。




***




「……ナニコレ?」

 サイトの第一声はそれだった。

 到着して見たのは辺りは見渡す限りの水。

 これが見に来た湖なのかとも思ったが、遠巻きに村が水没しているのを見てこれは異常だと理解するのにそう時間はかからなかった。

「水の精霊が怒っているのね、何かあったんだわ」

 モンモランシーは馬車の窓からその有様を見て、おおよその現状を把握した。

 膝元を見やるとギーシュは寝息を立てている。

 先程眠ったばかりなのだ。

 どうするか話すにしても起こすのは忍びないし、自分もせっかくだからこのままで居たい。

 馬車の小窓からルイズにアイコンタクトを取ると、彼女はそれを正確に理解したのか頷いてサイトを連れて二人で何処かへと向かいだした。




────────小さな小瓶からの芳香が、馬車内に充満していた。




 一方、本当に正しくモンモランシーの意志を読み取ったルイズは、バスケットを片手にサイトを引き連れてやや新緑深い森の中に足を踏み入れていた。

 鬱蒼とまではいかないが、湖の周りは森に囲まれ、特に街道の両端は林になっていて、悠然とした自然を感じる事が出来る。

 ルイズは林を通りながら湖の水が見える少し開けた場所を探し歩き……見つけた。

 そこでは、透明な湖に太陽の光が降り注ぎ、風によって波打つ水面に反射する様が美しく鑑賞できた。

「サイト、ここで食事にしましょう」

 ルイズはバスケットの中に手を入れると、薄い布を取り出し、草木生い茂る地面へと敷いた。

 バスケットを敷物の上に置き、靴を脱いでスカートをお尻の下に持って行きながら流揚な仕草で艶やかに座る。

 ふわり、と風で前面のスカートが揺れた。

 サイトはその“女性らしい仕草”に目を奪われ、つい硬まってしまった。

 ルイズはバスケットからいろいろなサンドイッチを取り出す。

 それは洋風のお弁当とも呼べるメニュー。

 サイトはハルケギニアに来てから日本人の主食たる米を食べていない。

 ここはそういう場所なんだと割り切っても時々米恋しくなるが、かといってパン食が嫌いなわけでも無い。

「おお、美味そうだな」

「はいどうぞ」

 取り皿を渡され、我に返ったサイトは座ってサンドイッチにかぶりつく。

「ん、美味い!!」

 鶏肉とマスタードをサンドしたものはマスタード加減が絶妙だし、卵サンドはマヨネーズ加減が上手い。

 実際ハルケギニアにマヨネーズがあるのかはサイトにはわからないが、それは確かにいつも食べる、そして自分の知る卵サンドの味だった。

 ハムと野菜サンド、ジャムサンド、フルーツサンド……順番に頬張っていくうち、何処か既視感を感じた。

「……あれ?」

「どうしたの?」

「いや、このメニュー……どれも美味しいし好きなんだけど……なんかデジャヴが……あ、そうか。これこの世界に来てから食べたメニューと同じなんだ」

「ええそうよ」

 ルイズはにこやかに微笑んだ。

「あの時サイトが美味しい美味しいって言ってたから……」

 ルイズはあの時の何気ない言葉を覚えていてくれた。

 それできっとマルトーさんに頼んでこのメニューのお弁当を……。

 サイトの中にそんな感謝の念が渦巻き、お礼を言おうと口を開きかけた瞬間、



「だから、私が作ってきたの♪」



 ……ナンデスト?




***




 お忘れの方も多く、それをルイズの周りの人間が知る術は無いが、ルイズの実年齢……もとい実際に生きた年数は●●である。

 女性のプライバシー保護の為に伏せ字にしたが、彼女はその生きた年数の半分は調べ物に費やしていた。

 ちなみに『実年齢』 = 『実際に生きた年数』とは必ずしもならないことをここに追記しておく。

 それはさておき、彼女の凄い所は理解力の高い所だ。

 本を見て、少し練習しただけで、彼女は意外にもあらゆる事をマスターしていった。

 もともと座学が優秀だった彼女は、やむを得ない“魔法の実践”以外の才能は非常に高かった。

 サイトがいなくなってから最初の一年は、彼女はサイトと再会する方法以外のことも気分転換と称して調べ実践することがあった。

 料理もそのうちの一つである。

 ルイズは膝上にあるサイトの頭、その髪を優しく撫でながらサイトの寝顔を見つめた。

 その顔を見て、このまま襲って既成事実を作ってしまおうかしら? と少し悪魔が囁かないでも無い。

 なにせサイトはいつか、ギーシュに誘われて“魅惑の妖精亭”なる“ボインボイン亭”に行こうとしているらしいのだから。

 だが、そうなるのはサイトの望んだ時と決めている。

 それに今日、サンドイッチがルイズのお手製であることを知ったサイトは仰天し、何度もお礼を言った。


『凄いなルイズ、きっとルイズは良いお嫁さんになれる』


 それに気を良くしたルイズは舞い上がり、気分はすっかりサイトのお嫁さんだったので、そんな内なる邪心はラグドリアン湖にゴミ屑のごとくポイ、だった。

 その後、食事を終えてサイトが眠いと言い出した時、即座にルイズは自分の膝を叩いた。

 今朝出発する時、ギーシュのことを羨ましそうな目で見ていたじゃない、と言われサイトは顔を赤くしながら渋々とルイズの膝に頭を預け、疲れていたのかすぐに眠った。

 それから数時間。

 ルイズはただただサイトの寝顔を見つめて満足していた。

 いつかサイトの為に振るいたいと思って覚えた料理も喜んでもらえて満足した。

 太陽はその身を隠し、夜の帳に二つの満月が昇り、湖の水面にその姿を輝き映す。

 辺りは静かで、聞こえるのは小さなサイトの寝息とルイズの息づかいだけだった。

 ふと、そんな無音に近い環境で、



「サイト……また貴方に会えて良かった。もう私は二度と貴方を失いたくない」



 ルイズは泣いているような声で、小さくそう呟く。



「また……ってなんだよ?」



 いつの間にかサイトの寝息が止んでいた。

 サイトが目をぱっちり開けて不思議そうにルイズを真っ直ぐ見つめる。

 ルイズはサイトが居て、サイトだけが今一緒に居て幸せだった。

 こうなれば何もいらなかった。

 “壊れた彼女の心”は、他の……別な“感情”など考える余地は無かった。

 だから、話す。

 話してしまう。



「……私は一度サイトを失ったの。サイトは私の身代わりにいなくなってしまった。その時の私は素直になりきれなくて凄く後悔した」



「何だ? 何を言ってるんだルイズ?」

 ルイズの懺悔するような言葉に、サイトは何か嫌な予感がしだした。



「後悔して、散々いろいろやって……けどどうしようもなくて。私は後悔の念を抱きながら生涯を終えたと思ったら……どうしてかはわからないけど、サイトが召喚されるよりずっと前に“戻っていた”」



 サイトの中で警鐘が激しく鳴る。

 これ以上聞いてはいけない。

 聞けばもう、“このままではいられなくなる”と。



「私は、その日からサイトにまた会うためだけに生きてきた。今度はずっと一緒に居るために」



 ルイズは潤んだ瞳でサイトを見つめ……彼の異変に気付く。

「……んだよ……なんだよ、それ……」

「サイト……?」

「何だよそれ!?」

 サイトは起きあがって敵でも見るかのような目でルイズを睨む。

「サイト? 私はただ貴方が好「止めてくれ!!」……」

 ルイズが終ぞ、言うことの出来なかった言葉を口にしようとして、遮られる。

「……お前が好きなのは俺じゃない」

「!? 何を言ってるのサイト? 私は……」



「お前は……お前は俺が好きなんじゃなくて、“お前の知る”、“お前を知ってる俺”が好きなんじゃないか!!」



 月夜に浮かぶ満月の光に照らされて、一人の少年の瞳に涙が溢れていた。



[13978] 第六十話【離別】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:44
第六十話【離別】


 ルイズにとって、言われた言葉の意味も何が悪かったのかもわからない。

 ただサイトに、



「……ルイズが見てるのは俺じゃない。もう俺に、近づかないでくれ」



 そう言われ、彼女は思考……考える事を停止した。

 彼女の意識的な行動するという行為を放棄して、ただその場にへたり込む。

 胸にある銀の太陽が、鈍色に虚しく輝いていた。




***




 サイトにとって、最初それは信じられないような話であった。

 理由もわからずに時を超えた……遡っていたという話。

 時を遡る前に自分じゃない自分と会い、自分じゃない自分を失って後悔したという話。

 どれも信憑性の無い話ではあったが、疑いはしなかった。

 それは彼女が、今まで嘘をついたことが無いからだ。

 それだけ自分は信頼されていた、と思えるのと同時に、本当に信頼され好意を向けられていた相手は自分ではないという結論に至る。

 ルイズが見ているのはルイズの知る平賀才人であって、今の自分である平賀才人ではない。

 何故ならルイズがこうまでして惚れ込む平賀才人が何をやったのか、どう同じ時を過ごしてきたのか、自分は知り得ないからだ。

 それは、何とも形容出来ない怒りと悲しみをサイトに与えた。

 彼の中で芽生えていた想い。

 それを根底から覆されたかのような、裏切りにも等しい行為……いや好意。

 今までに自分がされてきたことは、彼女の知るサイトの為だったのかと想うと、急に彼の中に冷たい風と、悲しみの嵐が吹き荒ぶ。

 サイトはルイズに背を向けて彼女から離れる。

 背中に視線は感じるが、振り向かない。

 サイトは駆けだした。

 一刻も早くこの場から去りたい。

 ルイズと距離を取りたい。

 このわけのわからない、わかるけどわかりたくない感情を投げ捨てたい。

 サイトはその一心でがむしゃらに走って、背中の視線を感じなく程遠くに行く。

 走って。

 走って。

 走って。

 転びそうになっても走って。

 走って、走って、走って。

 息が出来なくなるほど走って。

 気付けばサイトは湖の正面に居た。

 ぜぇぜぇと息を切らして、大木に背を預けてそのままズルズルと下がって腰を下ろす。

 パーカーの袖で何度も目元を擦る。

 何度も何度も。

 何度も擦る。

 これは涙なんかじゃない、そう思いながら何度も目を擦る。

 擦って擦って、目が痛くなるほど擦る。

 と、急に背負っていた剣が鞘より飛び出した。



『相棒!! ここから離れろ!!』



 何事だよ、今はそっとしておいてくれ、と思ったのはほんの一瞬。

 ハッと気付いたのは水面に飛んでいく大きな火の塊だった。

 ザブンと音を立てて湖に沈んでいく火球は水飛沫を大きく上げて、サイトの居る場所まで降り注ぐ。

 それが合図だったかのようにたくさんの火球が湖へと落ちていく。

 が、驚きはそこで止まらなかった。

 湖の水が大きくうねりを上げて、自然にとは思えぬ大波を作りだし、津波のような様相でサイトから見て反対の岸の陸地を襲う。

「な、何が起こっているんだ……?」

 サイトが立ち上がってその津波の先を見やると、その津波を避けるようにして飛び立つ黒い二つの影があった。

 空に昇る満月に浮かぶ二つの黒点。

 それは段々とこちらに近づいてくる。

 ……近づいてくる?

「ええっ!?」

 慌てふためいた時には遅く、サイトの傍にその二つの影……夜闇に黒いローブとフードを纏った二人の人間が降りたって来る。

 サイトが呆然とそんな二人を見つめていると、ザパァン!! と大きな水の音がした。

「え?」

『え? じゃねぇ!! 来るぞ相棒!! こりゃでけぇ!!』

 先程のおよそ三倍はあろうかという水のうねりが、津波となってサイトを含めた三人に襲いかかろうとしている。

 黒いローブの二人が対応するかのように杖を構えるのと同時──────ガサッ──────後ろの林から物音がした。

 途端、今まさに三人を飲み込まんとばかりの大きな水のうねり、津波が流体物質のように止まる。

 ゆらゆらと漂うように水が空中で固定される。

 それはまるで、水に意志があるかのようだった。

「止まっ、た……?」

 サイトがデルフを構え、今にも覆い被さらんとした状態で静止した湖の水を見て、呟いた。

「止まったんじゃなくて、止めてくれたのよ」

 と、背後から声がする。

 振り返れば、そこにはギーシュに肩を貸しながらこちらに近寄ってくるモンモランシーがいた。

 ギーシュは何故か、所々服が着乱れている。

 ここに来るまでに何かあったのだろうか。

 いやいやいや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 モンモランシーはギーシュに肩を貸しながら水を見据え、何やら呟く。

 すると水がうにょうにょと湖に戻っていき、湖上に人型サイズの水が作り出された。



『覚えている。私はお前を覚えている』



 人型サイズの水は形をモンモランシーそっくりに変えてスーッと水面を滑り、岸ギリギリまで近づいていくる。

 声がした。

 自分たちでもわかる、凛とした透き通った声。

 そこに濁りは無く、まるでこの湖のように透明な声。

『“単なる盟約者”の末裔よ、私はお前を傷つけるつもりはない。ただ、襲撃者は排除するのみ』

 ザパァ、と水柱がモンモランシーを象った水の精霊の両脇から吹き上がる。

「そう、私達に敵意が無いなら話は早いわ。本当は順序をふまえて貴方を呼び出したかったのだけれどこうなってはしかたがないものね。盟約者としては貴方の危険に参じる必要があるし」

 盟約なのだ。

 一方にのみ利潤がある契約ではない。

『……呼び出す、と言うことは用があるのか。何用だ、“単なる者”よ』

「貴方の体の一部を分けて欲しいの。彼の怪我を治すのにどうしても必要なのよ」

 サイトはハッとする。

 そうだ、今日はその為にここまで来たんだ。

『……“単なる者”はたった今私を襲撃した。その同胞を助けろと?』

 う、とモンモランシーは黙る。

 全く持って交渉の旗色が悪い。

 タイミングは絶望的に悪いのだから、仕方がないと言える。

 (まぁ、それはそれでいいんだけど)

 ビクッとギーシュの肩が震えた。

 そんな一人と一精霊の会話に、突如として口を挟む者がいた。

「言ってくれるじゃない、もともとは貴方が水嵩を増すから私達が来たのよ」

 それは襲撃者の一人だった。

 水精霊の言葉に憤るような口調で、黒いローブを纏う一人が、フードを取る。

「あ……え……?」

 サイトは口をあんぐりと開けた。

 そこにいたのは見知った顔だった。

 灼熱色の長髪に、黒いボディ。

「キュ、キュルケ!?」

 彼女はルイズやモンモランシーと同級のキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーその人だった。

『それは違う。私は自分から行う争いは好まない。“単なる者”は私の秘宝『アンドバリの指輪』を盗んでいった。私はそれを取り戻そうとしているにすぎない』

「なんですって……?」

 モンモランシーが目を丸くする。

 それを見て、もう一人の黒いローブの人物がフードを取り、その蒼い髪を月夜にさらけ出した。

 タバサだった。

 サイトを除いた人間……四人が精霊の前で話し始める。

 どういうことなのか。

 どうすればいいのか。

 サイトは蚊帳の外だった。

 いや、これは今に始まった事ではない。

 いつも、サイトはこのハルケギニアに対する深い事情の話には参加していなかったし、出来なかった。

 別にイジワルされているわけでも、避けられているわけでも無い。

 ただ、サイトに言った所でわからないのだ。

 異世界の住人である彼には、ハルケギニアでの常識が無い。

 だが、こんな時はいつも……、

「なぁ、それってどういう……」

 サイトは振り向いて尋ねようとし、誰もいない森を見てすぐに押し黙る。

 いつもそこに居る存在。

 そこに居るのが当たり前で、こんな時だっていつも面倒くさがらず今起きている事を懇切丁寧に説明してくれる少女。

 それが、今は居ない。

 何を今更。

 先程自分から近づかないでくれと言って離れたばかりではないか。



 ……ルイズがいないと、俺は何も出来ないのか。



 今の状態が、サイトの中に深く突き刺さる。

 話は佳境に入ったのか、ギーシュが、

「馬鹿な、クロムウェルだって!? 神聖アルビオンの王じゃないか!! いや……つまりはそいうことなのか!?」

 興奮冷めやらぬ口調で話していた。

 どうやらそのクロムウェルなる奴が悪いらしい。

 クロムウェルって誰だ?

 わからない。

 わからない。

 わからない。

 わからないわからないわからない。



 ……ルイズがいないと、俺は何も出来ない。



 サイトが頭を抱えていると、



「サイト」



 急に声をかけられた。

 ハッとする。

 今の声は……、

「どうかしたのかい? 水の精霊が何故か君に話があるようなんだけど。どうにも“精霊の涙”や増水の停止の為に僕らが何とかアンドバリの指輪を取り戻すって約束したんだけど、約束する“単なる者”は君がいいって言うんだ。ああ、“単なる者”って言うのは僕ら人間のことさ、精霊は僕らをそう呼ぶんだよ」

 ギーシュだった。

 一瞬、胸に寂しさが募る。

 今、この声が誰であれば良いと期待した?

「おーい? サイト?」

 ギーシュが不思議そうな顔をしているのを見て、サイトは慌てて考えるのを止めた。

「あ、ああ、約束だな、わかった。でもどうすればいいんだ? 出来る約束ならするし俺も手伝えるなら手伝うけど、俺は何どうすればいいのかサッパリだぞ?」

「その辺のことは今度詳しく話すよ。僕らだけの手に負える話じゃなさそうだし」

「そうか」

 ギーシュとの会話を纏めた時、頃合いを見計らったかのように水の精霊がサイトを見た。



『“ガンダールヴ”、“今だ”制約を果たす気があるか?』



「……? ああ、よくわからないけど出来ることはやる。俺もギーシュを治したいし」

 どことなく言い方に疑問が残るが、サイトは水の精霊と約束する。

『定めから外れようとも、変わらぬ事はある。あるいはそれは、“崩壊への序曲”。だが私が指輪が無ければ求めるように、それはお前達も変わらない。ガンダールヴには世話になったことがある。ガンダールヴの言葉なら“今一度”信じよう』

 ガンダールヴ。

 水の精霊が言っている事もその言葉も何のことかサイトにはよくわからない。

 わからないから、無理矢理解釈することにした。

 (昔俺と同じような奴が居て、そいつに助けられたことがあるから、そいつみたいな俺を信じるってことか? ……またかよ)

 サイトは少し表情を曇らせる。

 水の精霊はサイトを見て、ぶくぶくと湖に沈んでいく。

 その視線がふと、この場の誰でも無い、ある一点の森の中へと向けられた。



『“崩壊への序曲”か、それとも“創世への橋渡し”か……お前達と“時の概念が違う”私は、“お前も覚えている”』



 水の精霊は何処までも透き通った透明な声でそう言葉を紡ぐと、水の中に完全に消え、増水していた水がみるみる引いていっていた。

 皆、水の精霊が何のことを言っているのかよくわからない。

 ただ一人、サイトだけが水の精霊が見た方を見て、そっちは“ルイズが居る方角”だと、そう思っただけだった。



 そんなサイトを、一人の少女が見つめる。



「ガンダールヴ……神の左手……左手に大剣右手に槍……槍? ………………イー、ヴァルディ?」



 呟かれるのは水の精霊が残した言葉と別の言葉。

 その少女の蒼い髪が、風で揺れる。

 その視線の先で、



 サイトの首から下がる三日月が、双月の光を受けても反射せず、ただ鈍色に揺れていた。



[13978] 第六十一話【抜殻】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:45
第六十一話【抜殻】


 窓から太陽の日が差し、ハルケギニア大陸が一国、トリステイン王国の魔法学院にも朝を告げる。

 差した日は明るく部屋内を照らし、天蓋の付いたベッドに腰掛ける少女の顔を照らした。

 少女は桃色の髪を元気なく垂れ下げて微動だにせず、ただ虚空だけを見つめ、さながらその様は、まるで“抜け殻”と呼ぶのに相応しい。

 その鷲色の瞳の下には黒い隈が出来ていて、彼女が殆ど眠っていないことが窺える。

 よく見れば、彼女の頬は若干痩せこけてもいた。

 それも無理の無い話だった。

 彼女は元々よく食事を摂る方では無かった。

 “目の前のとある事象”、すなわち“ある人物の食事する様”を見るだけで胸もお腹も一杯になって普段からそんなに食事を多く摂っていない体であるのに、既にもう三日はまともに食事を摂っていない。

 それでも、彼女の身なりが一応の水準を保っているのは、



 ……コンコン。



「……入るわよ」



 返事を待たずにして入室してきた隣室の同級生である彼女、褐色肌に長く情熱的な赤髪のキュルケのおかげだった。

「おはようルイズ」

 声をかけてもルイズは返事もしない。

 彼女はただベッドに座ってずっと壁……虚空を見つめていた。

 生きる気力など微塵も感じられず、ただ無気力に時が流れることに身を任せ、“死”を待っているかのようでさえあった。

「ほら、今日こそはちゃんとご飯食べない?」

 初日から似たようなやり取りをしているが、ルイズはあの日からまだまともに自分から行動……いや思考するということすらしていない。

 あの日、あのラグドリアン湖の一件があってから、彼女と彼女の使い魔の関係は明らかにおかしかった。

 釈然としないまま学院へと戻った後、ルイズの使い魔に何があったのか問い詰めてみると、



『あいつは、俺を俺じゃない俺……“別人”と重ねて見ていたんだ。俺がそいつに“似ていた”から。でも俺はそいつじゃない。俺はそいつのことも知らない。だから、“お前が見てるのは俺じゃない”って言ったんだ』



 それから早三日。

 ルイズの使い魔は一度も主人の元には戻っていない。

 いや、どうにも学院にすらいないらしい。

 今のルイズを見て、張り合いの無くなったつまらない相手だと思う一方、少なくとも一年以上共に過ごした友人としてどうにか元気に戻って欲しいと思う気持ちがある。

 その気持ちから彼女が“こう”なった原因であるような彼に怨み言の一つでも言いたくなるが、彼の気持ちもわからないでもない。

 真偽の程はともかく、彼は彼女の好意が別人というフィルターを通してのものだと知ったと言っている。

 キュルケの目から見て、彼はきっとルイズに惹かれていただろう。

 だからこそ、その事実は辛い。

 無論事実なら、という枕詞が付くが、キュルケにも思い当たる節が無いワケでは無かった。

 ルイズは、一言で言えば異常だった。

 その情熱的な愛は羨ましく思える一方、突然すぎた。

 彼女とは一年時を一緒に過ごしたが、彼女はやや高飛車なところがあって扱いにくい少女だった。

 無論自分とてその点はあるが、彼女は富に殿方に一歩引くという性格では無かった。

 ところが、彼女が彼を召喚して以降、彼女は人が変わったように彼を溺愛していた。

 その時は羨むほどの灼熱の愛を手に入れたんだと思ったものだが、こうなってから鑑みれば、それは確かにおかしな、妙な出来事でもあったのだ。

 そう思うと彼を責める気にもなれず、かと言ってもう友人と言っても差し支えない彼女を放っても置けず、キュルケは毎日無反応の友人の面倒を見る、というやや鬱屈した日々を送るハメになっていた。

 だが、ルイズは悲しいまでに手がかからない。

 よく言えば為されるがままだが、悪く言えば自分からは一切合切何もしないのだ。

 それは食事や湯浴みでさえも。

 毎晩湯浴みこそ無理矢理連れて行っているキュルケだが、食事はどうしようも無かった。

 置いておいても食べないし、無理矢理口に押し込んでも咀嚼しない。

 怒ってもぼうっと虚空を見つめているのみで、こちらに意識すら割こうとしていない。

 水程度なら水差しで無理矢理飲ませられるが、精々それが今できる限界だった。

 見れば彼女はあの日からほぼ眠ってもいないことを目下の隈が物語っている。

 そろそろ睡眠薬か魔法で強制的にでも眠らせるべきか、とキュルケは思案していた。



 そんな時だった。



「失礼、こちらがヴァリエール公爵家が三女のご令嬢、ルイズ殿のお部屋だろうか」

 一人の女性が部屋を尋ねてきた。

 キュルケには見たことも無い女性で、それが恐らく学院関係者では無い事を悟らせた。

「どなたかしら?」

「友人がいたか。これは重ねて失礼。私はこの度アンリエッタ姫殿下により建設された“銃士隊”の隊長、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランと言う。以降お見知りおきを。アンリエッタ姫殿下の命によりルイズ殿にお目通りを願いたいのだが」

 アニエスと名乗ったやや年配の女性(二十歳前半、だろうか)は、鎧を身に纏い、剣を腰から下げ、銃もいくつかぶら下げていた。

 スレンダーボディの女性のようでありながら、それを難なく着こなしているあたり、相当な人物なのだろう。

 だがはて?

 “銃士隊”などという隊がこのトリステインにあっただろうか。

「首を傾げるのも無理は無い。銃士隊はほぼ平民出身者で形成されている上まだ建設されて日が浅い。一般への情報の流浪はまだ時間がかかるだろう。しかしながら私は正真正銘姫殿下の命により参った次第。これを見て頂ければわかるかと思う」

 そう言ってアニエスが取り出したのは、確かに王宮の印がある羊皮紙だった。

 それは確かな証拠ではあるが、得体の知れない人物に違いは無い。

 そんな人物に今のルイズを見せても良い物かと迷ったが、

「おや? ルイズ殿は何かあったのか?」

 既に部屋に入ってこられている時点で、それが遅い杞憂だと気付く。

 アニエスはルイズの様子を見て、若干訝しがるものの、すぐにこれも任務だと開き直り、

「お初にお目にかかります、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール殿。アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランと申します。姫殿下の命により、貴方をお迎えに上がりました。何でも、信用の置ける者のみを早急に集めたいそうなのです」

 相手は公爵家の令嬢とあって、いくら年長とはいえアニエスはルイズに頭を垂れる。

 しかし、ルイズは反応しない。

「無駄よ。今ちょっとあって彼女ここ三日くらいずっとそうなの」

 キュルケが肩を竦めて見せると、

「ではやむをえん。このままお連れしよう」

 アニエスは無理矢理、しかし丁寧にルイズを担いだ。

 華奢に見えるが、これだけの重装備でケロリとしているあたり、かなり鍛えられていることが窺える。

「なっ!? ちょっと!?」

「学院長に姫殿下からの書状は提出してある。それでは失礼する」

 有無を言わさずアニエスは出て行き、ただ為されるがまま、ルイズは振られながら連れて行かれる。

 キュルケはそのアニエスの勢いに、呆然としながら見送るしかなかった。




***




「美味い……ってか懐かしい味がするなこれ」

 サイトは、渡された取り皿にどんどん目の前の鍋の中身を入れていく。

「そうですか? これは私の生まれたこの村の名物『ヨシェナヴェ』って料理なんですけど、気に入って頂けて良かったです」

 ニッコリと笑う艶のある短めの漆黒の髪の少女、シエスタは微笑む。

 三日前、サイトは学院内を一人でうろついていた。

 どうしていいのかわからず、かといってルイズには頼りたくないし、あの部屋に戻りたくもない。

 そうしていると“偶然”学院付きのメイド、シエスタに呼び止められた。

 シエスタの「どうしたんですか?」という質問に、サイトはどう説明していいかもわからず、幾分悩んでからとりあえず無難にルイズと喧嘩した、と答えをはぐらかした。



 故にサイトはこの時、シエスタの表情をよく見ていなかった。



 この時のシエスタの表情を、もしその言葉の意味を知る者が居たならこう呼んでいただろう。

 目と口が、三日月になっていた、と。

 丁度学院から休暇を貰って帰郷の予定があったシエスタは、これも何かの縁とサイトを帰郷に誘った。

 サイトはしばし悩んだものの、このまま学院には居づらいのとシエスタが妙にしつこく誘ってくるのもあって頷き、シエスタの故郷、タルブ村のシエスタの家にお邪魔していた。

「小さな村ですけど、食べ物も空気も美味しいし、いいところなんですよ、ここは」

 シエスタは自慢気に胸を張る。

 ポヨンポヨヨンとたわわな胸が揺れて目のやり場にも困る。

 ルイズには一生出来そうに無い真似だな、そう思ってから自己嫌悪する。

 また、気がつけば彼女の事を考えていた。

 そんなサイトの心境を敏感に感じ取ったのか、シエスタはサイトの手を急に握りしめた。

「サイトさん、サイトさんさえ良かったらずっとここに居ても良いんですよ?そうしたら、その、私も学院を辞めてこっちで一緒に……」

「っ!! シ、シエスタ、まだその冗談引っ張ってるのか……?」

 シエスタの態度の急変に、サイトは焦りを感じる。

 どうにも、タルブの村に来てからこっち、彼女ははっちゃけている……というより恥じらいが感じられない。

 良くも悪くも積極的過ぎる。

 それが、少し必死なルイズと被って、また自己嫌悪した。

 先ほども、シエスタは自分の両親の前でサイトは凄い人だと散々褒めちぎった後、サイトさんになら嫁いでもいいなぁなどと言って、両親をややその気にさせていた。

 今日連れて行かれた寺院にあった、“シエスタの曾祖父が残した物と文字”がわかったのも原因の一旦ではあるだろう。

 寺院にあったのは驚くべきことに第二次世界大戦中に使われていたと思われる“ゼロ戦”だった。

 残念ながらガス欠で飛べなかったが、固定化の魔法によって、一切衰えることなく時を越えたかのようにそれは新品同然でそこにあった。

 日本の学者やミリタリーマニアが知ったら泣いて喜び欲しがるに違い無い。

 ちなみに、そのゼロ戦の横には石碑があり、『佐々木武雄異界ニ眠ル』と書かれていた。

 この文字を読める人間にこれを譲ると言い残していたらしく、縁起を担いだシエスタの両親はサイトの事を気に入ってしまっていたのだ。

 ちなみに後でシエスタに何故あんな事を言ったのか問い詰めると、以前また明日という約束したのに、いなくなっていたからその仕返しだ、と言われた。

 その時シエスタが持っていた皿にヒビが入ったように見えたのは見間違いだと思いたい。

 その件については、この国の姫の頼みごとだったことを打ち明けたが、関係ありません、約束不履行は約束不履行です、と可愛らしく逃げられてしまった。

 約束不履行、それでサイトはまたもルイズとの毎晩の契約更新を思い出してしまう。

 しばらく、していなかったから契約不履行分として……そんな会話をしたのはもうどれだけ前のことだったのか。

 まだそんなに日は経っていないはずだが、もうずっと前のことのような気さえする。

 サイトはやんわりとシエスタの手を振りほどくと、散歩に行って来ると言い一人で家を出た。

 いろいろ、一人で考えたかったのだ。

 これからのこと、ルイズのこと、自分のこと。

 サイトは一人、ゼロ戦のある場所で優しくゼロ戦を撫でながら、故郷に思いを馳せる。

 もし、この佐々木武雄という人と同じように、自分もここから帰れなかったらこちらで暮らす覚悟を決めなくてはならないのだろうか。

 そうなった時、自分の居るべき場所は……。

 サイトが悩み、一瞬、何故か桃色の髪が浮かび上がった瞬間、



「おや? 君は確か、サイト君、でしたかな? いやはや、ここに伝説の竜の羽衣なるものがあると聞いて来たのですが、どうしてこちらに?」



 見たことのある、学院の教諭がそこに居た。



[13978] 第六十二話【粛正】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:45
第六十二話【粛正】


「待っていました、ルイズ・フランソワーズ」

 王都トリスタニアにあるトリステインが誇る王宮。

 その一室に今、連れてこられたルイズとこの国の姫君、アンリエッタは居た。

 ルイズは椅子に座らされているものの、依然としてただ虚空を見続け、ぼうっとしている。

 しかし、アンリエッタはそんな、変わり果てたような友人の姿に臆することなく、全く変わらぬように接していた。

「貴方にも辛いことがあったのね、よくわかるわルイズ・フランソワーズ。でもそれ故に私達は名実ともに心の置ける者通しとなれる」

 アンリエッタは部屋内をスキップするかのように軽い足取りで、行ったり来たりしながらルイズに声をかける。

「私、戦うことを決めたのですルイズ・フランソワーズ。あの方を殺した憎きレコン・キスタ、彼らが作り上げた神聖などという甚だしい前口上付きの現アルビオンと!!」

 だがそれまで優しさの篭もる声色だったのが一転、まるで人が変わったかのようにアンリエッタはやや早い罵るような口調になった。

「神聖? 何をもって神聖だなどとのたまっているのでしょうね。私は奴等を許す気はありません。あの方の意志を継いで仇を必ず討ち取ってみせます。そうそう、この間、我が国の中枢に入っていたレコン・キスタの一員の一部が見つかりましてね、私自ら数人の“粛正”を行ったところですの」

 なまじ、権力がある故に、彼女はその力の行使を厭わぬ性格となっていた。

 最近では、恐怖からか“強くなったアンリエッタ”への派閥が増えつつあるが、その分敵も多い。

 だから、信用の置ける仲間は、一人でも多く確保しておきたいのだ。

 たとえそれが、昔からの親友で、今は抜け殻のような少女だったとしても。



「貴方にも私の覇道を手伝って欲しいのルイズ・フランソワーズ。諜報班の報告によると近々奴等がこのトリステインに攻め入って来るようなのです。そうなれば私は最前線で指揮を執ろうと思っています。その時、貴方には傍に付いていて欲しいのです」



 アンリエッタはルイズを見てニッコリと笑う。

 彼女、アンリエッタの瞳はすでに、光を宿していなかった。



 尚、この一ヶ月でその見た目から鳥の骨と呼ばれる宰相がより一層痩せこけ、疲労と心労によってタダでさえ老け顔だったその顔が、さらにあと十歳は老けて見えるようになってしまったのは、言うまでもない。




***




「すいません、コルベール先生」

「いえいいんですよ、私の方こそこの竜の羽衣は興味深い点がたくさんありますからな」

 サイトは即日学院に戻っていた。

 たまたま出会ったコルベールが、良ければこの竜の羽衣……もとい『ゼロ戦』を研究したいとゼロ戦を譲り受けたサイトに願い出た為、サイトはそれを快く許可した。

 サイトとて、これがまた飛べるならば、それはとても面白いかも知れないと思うくらいに興味はあったのだ。

 サイトの許可を得たコルベールは彼の費用持ちでさっそく学院にこの『ゼロ戦』を運ぶ手筈を整え、研究の為この村をすぐにでも後にすると言い出し、サイトはそれに便乗することにした。

 シエスタはもっとゆっくりしていくよう強く勧めてきたが、今、やけにおかしいシエスタの居るこの村もサイトにとっては居づらくなっていた。

 だからサイトはこうしてコルベールと共に学院に戻ってきていた。

「しかし、この竜の羽衣……いや“ぜろせん”ですか? その動力源が“がそりん”……でしたかな ?ふぅむ、原油からいろいろ練金して試してみましょうか」

 コルベールは早速この『ゼロ戦』の燃料を作ることに夢中になった。

 サイトはそんなコルベールを手伝いながら研究所にお世話になることにした。

 ルイズの所には……戻れない。

 意外にもコルベールは、そんなサイトを咎めなかった。

「使い魔と主人は一心同体と言っても、別個の存在である以上意見の相違や喧嘩などは皆無ではありません。ましてやお互いが同じ種族の人間とあっては衝突するなと言う方が難しいでしょう。存分に考えを纏めていきなさい」

 コルベールは生徒を諭すように、優しく微笑む。

 サイトには、そんな彼がとても大人に感じ、神々しく見えた。

 ……決して彼の頭髪が無いせいでは無い。断じて無い。髪が全く無いわけでも無い。

「しかしサイト君、君が居た所はこんな物まで作ってしまうなんて、凄い所なんだね」

 コルベールとガソリンを作り出して早四日。

 彼は手伝っているサイトに時折話しかける。

 それは何かの講義のようであったり、ただの世間話であったりするのだが、今回はどうにも違うようだ。

「魔法など使わなくとも、このような素晴らしい物が作れる。人とはかくも、そうやって生きていく物なのかも知れない」

 コルベールは、何かに懺悔するかのような、独白じみた言葉を呟きながら三角フラスコの中の液体を練金によって変えていた。

 彼の本来の属性は『火』だが、研究熱心な彼は、土もまたそれなりな腕前を持っていた。

「多様性……それも生活の為にその可能性を広げようとするのは、羨ましい限りだよ。魔法はその使い道から多様性を含んでいるが、大概の人はそれを攻撃的な力の象徴として扱う。嘆かわしいことにね」

 サイトはコルベールの講義のようでいて、独白じみたその言葉に深い重みを感じた。

「えっと、昔魔法で何か、あったんですか?」

「……そう、だね。思い出したくない過去だ。だがそれがあったからこそ今の私はここにいて、“それ”に気付くことが出来た」

「??」

 やや抽象的な言い方になって来はじめ、サイトには意味の全容を掴みきれない。

 コルベールは苦笑し、

「もし、いつか君が自分の世界に帰ることが出来る日が来たなら、可能ならば私も君の世界に連れて行ってほしいものですな……っと、できましたぞ。“試作品”ですが、“がそりん”ができました。試運転してみましょうか」

 サイトはしばし首を傾げていたが、最後の言葉に飛び上がり、ゼロ戦へと駆けていく。

 コルベールはそんなまだ若い少年の後ろ姿を見て、微笑みを零した。



「コルベール先生ー!! 早く早くー!!」



 コルベールは待ちきれずに手を振るサイトを見て苦笑し、レビテーションをかけ、ようやく作り上げた試作品のガソリンの樽をいくつか外へと運び出した。

「何かドキドキしてきた」

「私も年甲斐もなくドキドキしてきましたな」

 二人してガソリンを注入し、油臭いですなぁ、懐かしいガソリンスタンドみたいな匂いだなぁと思い思いの事を言い合う。

 注入し終えると、サイトはコルベールに言われゼロ戦に乗り込み、とりあえずエンジンの点火を図ることにした。

 コルベールが風を起こし、プロペラを回して、サイトはゼロ戦のカウフラップを開いた。

 サイトはそのまま操縦席でくるくると丸いモーター代わりのエナーシャをクランク棒で回す。

 頃合いを見計らってエナーシャとプロペラの軸を連結させると、上手いことプロペラが回ったままになったのでサイトは発動機のスイッチを入れてエンジンを点火した。

 余談だが、コルベールが独学によって小さいエンジンの元になるような構造を開発していたことをサイトはこの四日間で知り、大層驚いた。

 ゼロ戦は勢いよくプロペラが回り出し、けたたましい音を立てて起動を完了する。



「「う、動いたーー!!」」



 二人は歓喜する。

 この四日間の努力が報われた瞬間だった。

 と、サイトの目の前のレーダーか何かのカバーが振動によって外れ、中に白い紙が挟まっている事に気付いた。

 サイトはそれを取り出してみる。



『これを見る者よ。これを読むことが出来るということは、きっとこのゼロ戦が動いたと言うことだろう。さらにこれを動かせたということはそれが同郷の者であると信じたい』



 それは、ゼロ戦の持ち主、シエスタの曾祖父である佐々木さんが遺した手紙のようだった。

『あの文字を読めた者にこれを譲ると遺したが、あの文字やこれを読めた者が同郷である保障はない。出来れば同郷者であることを願うが、そうでなければ嫌というわけでは無い。同じく異界に来てしまった者同士、思うことは多々あることだろうしな』

 サイトは、久しぶりの他人が記した日本語だということもあって、それを夢中になって読み始める。

『私は終ぞ帰ることが適わなかった。帰る方法も見つからなかった。それどころかこちらでの幸せを手にしてしまった。だがそのことに後悔はもう無い。だから、これを見ている者に先達として言っておきたいことがある』

 そこまで読み進めて、突如そこに乱入者が現れる。



「大変だ!! サイト、アルビオンがタルブ村付近に攻めて来たらしい!!」



 ギーシュが血相を変えてサイトが乗るゼロ戦があるこの場まで来た。

 無事に? 腰が治ったらしい彼はサイトがここにいることを知っていた。

「戦争、か。嫌だな。そういやこの戦闘機ももともと戦争の為のものだっけ、ってタルブ村ってこないだ行ったシエスタの故郷じゃないか。大丈夫なんだろうか」

 エンジン音がうるさくて、サイトの声はあまりギーシュ達には届かない。

「おまけに今回、その戦いの指揮をアンリエッタ姫殿下自ら執るらしんだ!!」

 それって実際どうなんだ?とサイトは思う。

 戦争や戦術に詳しくは無いが、一国の姫が最前線においそれと行く物なのか、サイトに判断は出来ない。

 その時点ではまだ、サイトはいくらこの国が巻き込まれる戦争だろうと、対岸の火事でしか無いように捉えていた。

 その、ギーシュの言葉を聞くまでは。



「しかも、しかもだ!! それにルイズが同行してるらしい!!」



 (な、なんだって!?)

 何でそんな事になっているんだ、とサイトは頭を抱える。

 もしかして自分のせいか?

 お前が見てるのは俺じゃないなんて言ったからヤケを起こして?

 でも、それは事実だ。

 だったらここでどうにかルイズを連れ戻しても何の解決にもなりはしない。

 サイトは求めるようにコルベールを見た。

 今日まで、コルベールはサイトも自分の生徒のように扱い、教え導いてくれた。

 彼はサイトの視線を受け止め、小さくもエンジンの音には負けない重い声で、いつものように言ってくれた。



「サイト君、君がどうしたいのか。……それが答えではないのですかな?」



 どう、したいのか。

 そんなことはわからない。

 ……わからない?

 本当に?

 サイトは頭を抱えたまま、ふと目に入った佐々木さんの手紙を見て、泣きそうな面持ちでその続きを読んでみた。



『帰る方法を探すも良し、ここに骨を埋めるもよし、他に何をやるも良し。だが、決して後悔しないよう、何をするかは自分で決めて、自分の手でそれを手に入れろ』



「自分で決めて、自分の手でそれを手に入れろ……」

 考えてみれば、この世界に来てずっと自分で何か決めるってことは無かった気がする。

 ずっと、ルイズに護られていたから。

 佐々木さんの手紙を反芻して、サイトは考える。

 今の自分は、何がしたいのか───────傷つけたルイズを護りたい。

 何故自分は、そうしたいのか───────彼女が、大切だから。

 俺は自分じゃない自分と重ねられたままで良いのか───────良くない。

 彼女が見ているのが、自分じゃない自分で良いのか───────良くない!!



───────自分の手でそれを手に入れろ───────



 佐々木さんの手紙の内容が胸にストンと落ちる。

 コルベール先生の教えてくれた答えが、今の自分にしっくりと来る。



 途端、サイトの中で一つの答えが生まれた。



 サイトはゼロ戦を動かし始める。

「ちょっくら、行って来る!!」

 周りの度肝を抜くように、ゼロ戦は徐々にスピードを上げて動きだし、空へと浮かび上がる。



 ある一つの答えを得た彼は、恐れを抱くことなく戦場へと飛翔した!!



[13978] 第六十三話【奪愛】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:46
第六十三話【奪愛】


「ちょっ!? ナニアレ!?」

 キュルケは、ルイズが無理矢理連れて行かれてから自分でも意外なことに暇を持てあましていた。

 そんな折り、やたらとうるさい音がするので、キュルケは本を読んでいたタバサを伴って音源に向かってみた。

 彼女を誘ったことに他意は無い。

 一人じゃなんとなくつまらないから、誘ったに過ぎない。

 そうしていざ、けたたましいまでの音源に辿り着くと、見知らぬ“竜のようなもの”がその音を伴って凄いスピードで飛んでいくのが見えた。

 流石にその音と速さに度肝を抜かれたのか、珍しくタバサも本から視線を上げて飛翔していく謎の物体を見ていた。



「キュルケにタバサ!! 丁度良かった!!」



 呆然とそれを眺めていると、彼女らの同級生、ギーシュ・ド・グラモンが駆け寄ってくる。

「タバサ、君の使い魔は風竜だったね、突然で申し訳ないがサイトを追いかけたいんだ!! 僕を君の使い魔で運んでくれないか?」

 ギーシュは飛んでいく“竜のようなもの”を指差して懇願する。

「戦争が始まっているんだ!! そこにルイズもいるらしいことを言ったらサイトは飛びだしてしまってね、僕にも何か出来ることをしたい!!」

 それを聞いてキュルケはへぇと息を吐く。

 (どんな心境の変化か知らないけど、いざご主人様がピンチになるとかけつけようとするなんて、熱いじゃない!!)

 キュルケは胸をときめかせたようにその話を気に入り、タバサの説得を手伝うことにした。

「行きましょタバサ、私も行くわ」

 自分だってルイズが心配でもあるのだ。

「……わかった」

 存外早く結論を出したタバサはすぐにシルフィードを呼ぶ。

 だが、その背に三人で乗って一つ、驚愕があった。

「は、早い!! ……もうサイトがあんなに小さく!!」

「まさか、風竜のシルフィードでも追いつけないなんて!!」

「………………」

 そのあまりの速さに驚く。

 このハルケギニア中、何処を探したってあんなに早い幻獣はいないだろう。

 それを平民が操っているのは、驚嘆に値した。

 そしてそれは、それだけサイトが急いでいるとキュルケには捉えられた。

 実際急いではいるが、あまりスピードを落とすと飛んでいられないなどという“仕様”は、基本的に“機械”という概念が薄い彼女たちにはわからない。

 だからこそ、

 (フフフッ、熱いじゃない!! なんか燃えてきた!!)

 彼女の微熱が久方ぶりにうずき出していた。




***




「来ましたね」

 アンリエッタは中空に浮かぶ敵艦隊を見ながら、男さながらにその女性らしい体で白馬に跨って陣頭指揮を執っていた。



「皆の者!! 神聖などとのたまう痴れ者共が率いる現アルビオンが来ようとしています!! 私達の国が荒らされようとしています!! 今こそ我々は立ち上がる時!!」



 アンリエッタは皆を奮い立たせ、指示を与えて行く。

 と言っても、細かい指示は各部隊長に一任している。

 最近、粛正の件からこっち、めざましい成長を遂げているアンリエッタだが、まだ戦のノウハウは持っていない。

 餅は餅屋だと任せている。

 それでも彼女は士気を高めるためにこうして危険を承知で前線に出てきた。

 だがこういった戦に乗じて自分の命を獲りに来る者は敵味方問わずいるかもしれない。

 そういったものに対抗するためにも平民を取り立てた銃士隊を新設した。

 メイジは……信用できない。

 彼女の行った粛正によって、アンリエッタ派は増加の一途を辿っているが、快く思わない者も多いのだ。

 だからそんな人間を一人でも減らし、尚かつ、彼女の心の平穏の為に、彼女は真に心の置ける友の存在を求めていた。

 彼女にとってその者は別に“戦力”にならずとも構わなかったのだ。

 決して裏切らない心の支え、その為だけにルイズは呼ばれた。

 そのルイズはアニエスと一緒に馬に乗っている。

 未だ彼女はぼうっと虚空を見たままただされるがままだった。

 戦局は浮遊大陸からの進軍だけあって、主に空を戦場とする向こうに分があった。

 砲撃の音が、鳴りやまぬほどに連続し始める。

 開戦の合図だった。




***




「くそっ!! 本当にドンパチしてやがる!!」

 サイトは毒づくと、ゼロ戦を急旋回させる。

 ドラゴンに乗った戦士の一人がこちらに魔法を撃ってきていた。

 だが悲しいかな。

 地球が母国、日本製のこの戦闘機は、ハルケギニアのドラゴンはおろか、メイジの繰り出す魔法のスピードを超えていた。

「大日本帝国なめんなファンタジィィィィィィ!!」

 サイトは機関銃のグリップを掴んでドラゴンを撃ち抜く。

 あっという間に相手は落ちていった。

 これはさい先良さそうだと思ったのも束の間、サイトはその乗っているゼロ戦のスピードも含めた異質さから、急に周りの部隊に目を付けられ始めた。

「やべっ!? 何でみんな俺ばっかり狙うんだよ!? 俺は別に戦う為にここに来たんじゃねーんだ!!」

 最初に颯爽と素早く現れ、一体の竜を落としてしまったせいかも知れない。

 サイトは完全に敵の第一標的となっていた。

 周りも応戦しているが、どうにも空中戦は旗色が悪い。

 特に空中の主力部隊の一つ、“グリフォン隊”などは手の内がまるで読まれているかのようだった。

「くっそぉぉぉぉぉ!! ルイズは無事なのかぁぁぁ!?」

 サイトはヤケになりながら一気に攻めてきた竜達を振り切るために滑空した。



 と、ふと。



 トリステイン軍が集中して留まっている、言わば本陣のような集団の中で、誰かと一緒に馬に乗っている少女と目があった。



 サイトは口元をすぼまる。

 ニッと歯を出す。

 またすぼめる。



「……サ、イト……?」



 少女の口から、実に一週間ぶりに言葉が漏れた。




***




 アニエスは当初、空を翔ける見知らぬ竜を訝しんでいた。

 いつ、あのどちら側なのかわからない竜が牙を向いてくるかわからない。

 だからその見知らぬ竜が近づいてきた時、警戒を益々強めた。

 と、急に自分の腕の中にいる少女が、始めてその高いソプラノ調の声を発した。



「……サ、イト……?」



 くわっと目を見開き、彼女は無理矢理に馬を下りる。

「お、おい!?」

 彼女の声を聞くのが初めてなら、動く所も始めて見た。

 しかし彼女は傍目から見ても衰弱しきっている。

 ほぼ眠らぬ上食事も摂らないのだ。

 体はフラフラだった。

 それでも彼女は今までとは対照的に動き出すのを止めなかった。

 彼女には、音無き声が聞こえたのだ。

 彼の口の動き、それが、



───────ル───────イ───────ズ───────



 自身の名前であることを!!

 その彼が、背後にたくさんの竜を引き連れて……否、追いかけられている。

 は? 何やってんのあんたら?

 それが誰だかわかっているの?

 ルイズの思考がクリアになった。

 やせ細った体で杖を掲げる。

 途端、



「!?」



 サイトを追いかけていた竜は爆発した。

 ルイズは一時サイトがフリーになったのを確認すると辺りを見回す。

 丁度その時、



「ルイズ、無事!?」



 学院を飛び出し追いかけて来た三人が到着した。

 ルイズは有無を言わさずタバサに詰め寄る。

「私をシルフィードの背に乗せて!! サイトの所に連れて行って!!」

「……何故?」

「いいから早く!! なんでもするから!!」

「……なんでも?」

「なんでも!!」

「……今度、私の“頼みを一つ聞いて欲しい”。聞いてくれるなら、やる」

「わかったから早く!!」

 ルイズは焦っていた。

 早くサイトの元に行きたかった。

 だから、内容もわからないタバサの頼みを聞く約束をした。




***




「今のはルイズがやったのか?」

 追われていたサイトは、背後の竜達が次々爆発によって落ちていく様を見ていた。

 だが、気付けばそのルイズが見あたらない。

 はて? と思った瞬間、上空に影が出来た。

「へ?」

 上を見上げれば、そこには見たことのある蒼い竜。

 そこから、桃色の髪の少女が、バサバサとマントと髪をたなびかせて落ちてくる……落ちてくる!?

「うおいっ!?」

 サイトは慌てて入り口の蓋を開ける。

 上で誰かがレビテーションを使ってくれたのか、ルイズはギリギリで少し浮かび、サイトは難なくルイズをキャッチした。

「サイト!! サイト!!」

 ルイズはサイトの胸に顔を埋めて泣いていた。

 彼女は痩せこけ、水分すら残っていなさそうだと言うのに泣いていた。

 サイトはそんなルイズの頭を申し訳なさそうに撫でながら、しかし。

「ルイズ、俺は謝らない」

 少しキツイ口調で言い始めた。

 彼女の動きが止まる。

 絶望を宿したような目でサイトを見つめ、震える手で彼のパーカーを掴む。

 サイトは片腕でルイズを抱きしめながらゼロ戦を旋回させ、他にも居た敵の攻撃をくぐり抜ける。

「今のルイズは俺じゃない俺が好きだ。それは間違いない」

 ふるふると小さくルイズは首を振るが、サイトはそれを見ない。

 ルイズの中に嫌な予感が滲み出ていく。

 ギュウンとゼロ戦は急降下し、相手の攻撃をやり過ごす。

 片腕が使えぬ状況では攻撃まで手が回らない。

「だから俺は決めたよ、ルイズ」

 ルイズを抱く手が緩められる。

 嫌だ。

 その先は聞きたくない。

 もしお別れの言葉だったりしたらもう生きてること自体嫌にな……、



「ルイズ、お前を“俺”に惚れさせてやる!!」



 そう、それがサイトが得た答えだった。

 ルイズの竜がエアハンマーを喰らったようなポカンとした顔を見て、サイトは顔を真っ赤にする。

「う、うるせーー!! 好きになっちまったんだ!! しょうがねぇだろ!! 相手が昔の俺で、いまここにもうそいつがいないってんなら、お前を“俺”に惚れさせる!!」



 ルイズの、一番の懸念が今……吹き飛んだ。



「い、言っとくけどまだ返事は聞かないかんな!! お前は絶対まだ“俺”じゃない俺の方が好きだ!! だから、勝手だけど“俺”の方が前の俺より好きになってもらったって自信持てるまでお前の返事は聞かない!!」



 それは本気なのかもしれないし、照れ隠しなのかもしれない。

 それでも、ルイズを歓喜乱舞させるには十二分だった。

 同時に、しつこいくらいにサイトと自分の乗るこのゼロ戦を攻撃してくる輩に殺意を憶えた。

 今ようやっと幸せを手にしたのだ。

 一週間ぶりの、体感的には一万二千年ぶりくらいのサイト分を補充しているのだ。

 それを周りは何なのだ?

 どこまで妨害をすれば気が済むのだ?

 ハッキリ言って邪魔である。

 ルイズは無気力状態時もずっと持たされていた始祖の祈祷書を開き、何か呟き始めた。

 サイトは、その透き通るような声に、何処か安らぐような気持ちになる。

 が、キィンと音を立て慌てたように背中のデルフリンガーが飛び出した。

『やべぇ!! 相棒、娘っ子を止めろ!!』

「へ?」

『娘っ子はまるでわかってねぇ!! いやわかってても絶対止める気ねぇ!! この精神力を“全力で解放”したらこの“戦場”どころか“国”、いや“大陸”ごと消し飛びかねねぇぞ!?』

「はぁ!? 大陸ごと!? どんだけ凄いんだよそれ!?」

『四の五の言ってんな!! 早く詠唱を止めろ!! そうだ!! 口を塞げ!!』

「口を塞げったってどうしろってんだよ!?」

『いいから早くしろ!!』

「あぁもう!! どうにでもなれ!!」

 サイトはルイズを抱く手に力を込めると、かつてアルビオンでそうしたように無理矢理彼女の唇を奪った。

「っ!? ……ん、んんぅ♪」

 ルイズは即座に“詠唱”などという“どうでもいいこと”を止めサイトの“それ”に夢中になる。

 おかげでルイズが詠唱していたのは時間にしてほんの十数秒程度のことだったが、瞬間、




 空に浮かぶ一際大きなフネは白い光に包まれた。



[13978] 第六十四話【嬌声】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:46
第六十四話【嬌声】


 魔法学院の一室。

 そこから、甘い声が響いていた。



「……ルイズ、もうイッてもいいか」

「サイト、もうイッちゃうの? もうちょっと待って」

「こら、お前はあんまり動くな、体が持たないぞ」

「だってサイトがもうイこうとするから」

「んなこと言ったってしょうがないだろ?」

「でも、私はもっと長くこうしてたい」

「いや、その気持ちは嬉しいけどよ」

「? サイト辛い?」

「辛くはないけど、もうずっとこのままだからな。そろそろ……」

「サイトはそんなに早くイキたいの?」

「は、早いか?」

「早いわよ、まだこうして一時間だし」

「いや昨日の夜も十分……」

「昨日は昨日、今日は今日よ」

「だぁぁぁ!! もう我慢できん!! 俺はイクぞルイズ!!」

「えっ!? イっちゃうの!?」

「お前がなんと言おうと俺はイク!!」

「ま、待って!! せめてあと……」

「ダメだ、イク」

「そ、そんなサイト!!」



 そう言ったサイトは勢いよく腰を持ち上げ、次の瞬間…………バサリと布団を蹴りあげた。

 そのままサイトは天蓋付のベッドから転がり出る。

 ルイズがぷぅと頬を膨らませながら残念そうな目をベッドから出てしまったサイトに向けていた。

 そんなルイズにサイトは、



「何度も言ってるだろ? いい加減“飯”を取りに“イク”時間だって!!」



 彼女を怒ったように諭す。

 彼女は酷い睡眠不足の上栄養失調だった。

 ゼロ戦から出た時は、満足に一人で歩けずサイトにおぶってもらったくらいに酷かった。

 サイトはよくそんな体であんな無茶したなぁとつくづく思う。

 ちなみに、ルイズはサイトの背中でこの上ない幸せを噛みしめていたことは言うまでもない。

 そんなルイズだったから、無論休養と介護が必要だった。

 サイトは自分からその役目を願い出て、彼女に尽くすことにした。

 彼女がそうなったのは自分のせいだという自覚もあったのかもしれない。

 それに大層喜んだルイズは、介護役のサイトに一つのお願いをした。



『ずっと傍に居てくれる?』



 サイトは何を今更、と簡単に彼女の願いに頷いたのだが、彼はこの期に及んでまだ彼女の性格を理解しきっていなかった。

 ルイズの言う“ずっと”とは本当に“ずっと”だった。

 朝から晩まで一日中ずっと。

 介護者であるからにはサイトはルイズに付きっきりではあるが、それでも必要物資……食事や洗濯などその他諸々の為に外出を余儀なくされることがある。

 それをルイズは良しとしなかった。

 ルイズは酷く衰弱していることから絶対安静に、と言われ寝たきり生活となったが、病気では無いのだし毎晩のサイトとの添い寝の延長を願っていた。

 サイトも、自分から介護を願い出た以上、仕方がないか……と思っていたのは最初の一日だけだった。

 とにかくルイズはサイトが離れることを恐がった。

 同じ部屋内に居るならばまだそんなことは無いが、彼が食事を取ってこようと部屋を出る旨を伝えると、とても不安がるのだ。

 一度部屋を出るのを強行しようとしたが、その時はルイズが付いてこようとした。

 彼女は出来るだけ今、動かさないようにと医者から言われてるので、それでは本末転倒である。

 もっとも、彼女とて二十四時間すべて一緒に居て欲しいというのは無理な話だと自覚しているようで、超寛大な彼女曰く、

「一日23時間59分58秒87は一緒に居てくれればいいから」

 という言を残している。

 尚、間違ってもそれはもう二十四時間と変わらない、などとは思っていても言ってはいけない。

 そうなれば彼女は断腸の思いで我慢することにした残りの1秒12すら、一緒に居て欲しいと言い出すのだから。

 今のサイトに出来ることはその1秒12をどれだけ伸ばせるかだった。

 ちなみにこの三日での成果で、伸びたのは-0秒03である。

 人はそれを伸びたのでは無く縮んだと言う。

 サイトはこの時始めてコンマ以下の秒数って大事だと認識した。

 ルイズと居るのが嫌なわけではないが、これでは最上級の介護に支障をきたしてしまう。

 責任を感じている負い目もあって、ルイズには早く良くなって欲しいのだ。

 医者の話では一週間安静にしてよく食べれば問題は無いと言っていた。

 幸い今学院は夏期休暇だから休んでいても問題は無いのだが、せっかくの休みなんだからもったいないではないか。

 ルイズにもやりたいことはあるだろうし、サイトとてああ“宣言”した以上思うことは皆無では無いのだ。

「お前を早く治すためなんだから、な?」

「うぅ~」

 ルイズは嫌そうな顔をする。

 自分の体調の完全な復調よりサイトと居たい欲求が強いのだ。

 これではあの時の戦争よりも大変だ、とサイトは苦笑した。

 先のタルブ村周辺での戦い。

 それはアルビオンからの先陣隊の旗艦である大型戦艦、レキシントン号の突然の消失によってトリステインの勝利で幕を閉じた。

 旗艦を失ったアルビオン軍はほぼ撤退し、トリステインは幾人かの捕虜の確保にも成功した。

 もっとも、アルビオンとて今回出し、失った戦力は全体から見ればそれほど多いものでは無く、まだ十分に戦力を保有しており、文字通り開戦の緒戦に過ぎなかった。

 戦局はこれから激化の一途を辿る事は必至であり、また、その為に王宮の軍部はてんやわんやだった。

 だが、緒戦で撤退したアルビオンもそれは同じであり、軍の再編成等、次の表だった衝突までは時間がかかるかと思われた。

 ただ戦うばかりが戦争では無いのだ。

 戦と政治は同時並行なのである。

 それ故に、アンリエッタもルイズを休養の為に学院に帰る事を許していたのだ。

 またアンリエッタが戦争によって不安になる時が来れば徴兵されるかもしれないが、それもまだ戦局から見て当分の間は無いように思えた。

 そんな経緯から、サイトは自分で言い出したのもあって、学院でのルイズの介護に悪戦苦闘中だった。




***




 とりあえずの戦いは去った。

 戦争は尚も継続……いや始まったばかりだが、束の間の平和……借り物の平穏は戻りつつあった。

 それでも、今回の“小競り合い”で目に見える傷や目に見えない傷は数多くあった。

「で? ギーシュ」

「お、落ち着くんだモンモランシー!! 僕はキュルケとは何でもない!! 本当だ!!」

 ギーシュは焦っていた。

 サイトが戦争に行ってしまって、何とか力になろうと自分も現場に向かい必死に戦った。

 初めての戦場は震え上がるものでもあったが、それ以上に使命感に似た何かが自分を突き動かしていた。

 その為、すっかりその日に彼女と約束があることを忘れていたのである。

 モンモランシーは、ギーシュが戦争に行ったという話を聞いて不安で溜まらなかった。

 こんなことならやはり腰は治すべきでは無かったと後悔もした。

 いや、でも治さないと困る事態もあったんだけど。

 それはこの際置いておこう。

 いざ無事に帰ってきたことに安堵し、彼に寄ってみれば、別の女……キュルケの匂いがするではないか。

 香水を作るモンモランシーは匂いに非常に敏感だった。

 それが彼女にギーシュへと疑いの目を向けさせる。

 ギーシュはその目にすくみ上がる。

 戦場よりも怖い、と思ってしまった。

 ギーシュはラグドリアン湖での事を思い出してしまう。

 ギーシュは馬車内のモンモランシーの膝上で目を覚ました。

 モンモランシーが妖美に微笑み、つつ、とギーシュの胸板を細い指で撫でる。

 するとどうだろう?

 ギーシュは自分でもよくわからないムラムラした気持ちになった。

 モンモランシーが優しく彼のボタンを外していく。

 これは……?

 何が起きているのかよくわからない。

 考えも上手く纏まらない。

 モンモランシーはギーシュの頭を膝上から優しくどかした。

 馬車内の座席に水平に仰向けとなったギーシュ。

 その彼のお腹に、ふわりと彼女は座った。

「ねぇ、ギーシュ」

 誘うように彼女は甘い声で、

「シタイ?」

 そう聞いた。

 瞬間、彼は何故か我慢できなかった。

 そのまま勢いよく彼女を組み伏せようとして……出来なかった。

「うぐっ!?」

 悲しいまでに腰が痛くてまともに動けなかったのだ。

 その日の帰りにキュルケに、腰が悪いとイロイロ大変よぉなどとも言われる始末で、彼はこの時程自分を情けないと思ったことは無い。

 だがそのあまりの痛さでギーシュは我に返る。

 どうやら、何かぼんやりと意識を刺激する匂いが馬車に充満しているらしい。

「あ、バレちゃった?」

 モンモランシーはイタズラがばれたような可愛らしい笑みを浮かべて残りの少ない香水が入った小瓶を仕舞った。

 その後の彼女のセリフは一生忘れないだろう。

「やっぱり腰が悪いとダメなのね、どうしてもそういう環境を作るなら、足の一本無くしてもらうとかの方がいいのかしら?」

「モ、モンモランシー? い、嫌な冗談はやめてくれたまえ」

「冗談……? え? あ、今の口に出てた? あ、そうね、うん。冗談よ冗談」

「………………」

 彼はこの日から、毎朝自分の体に足が付いていることを感謝し出したのだとか。

 そんな経緯があって、彼はモンモランシーに惹かれつつも怯えるというなんとも忙しく不可思議な毎日を送っていた。

 そこにこの疑惑である。

 今度こそ足を取られかねないかもという恐怖が、彼に必至に弁明させていた。

 尚、彼の疑惑はたまたまそこを通りかかったキュルケがからかったことで一層深まってしまうのだが、それはまた、別の話である。




***




 タルブの村は、思ったよりも平和だった。

 近場で戦があってどうなるかと思ったが、思いの外被害は無かった。

 無論事後のゴタゴタはあるが、想定よりも随分と無害だった。

 それを皆一様に喜んでいたが、一人、シエスタはずっとふさぎ込んでいた。

 例の連れてきた平民の男の子が帰ってしまった時も相当だったが、今は尚酷い。

 そういえば、その平民の男の子と言えば、どうも戦場に来ていたらしい。

 嘘だと思われていた曾おじいさんの遺した“竜の羽衣”が本当に空を飛んで現れたのだから間違い無いだろう。

「おや? 今日も行くのかい?」

「ええ」

 シエスタは戦いのあった日から毎日かならず決まった時間に森へと出かけていた。

 何をしにいっているのかは誰も知らない。

 だが彼女はしっかりしているので、大丈夫だろうと大人達は疑問に思わなかった。

 シエスタはそのまま森に入る。

「……サイトさん」

 幾分歩いた後、彼女は大きな幹に傷の付いた木の下で止まった。

 シエスタはあの戦いのあった日もここに来ていた。

 そして、見てしまった。

 空を飛ぶ、“竜の羽衣”の姿を。

 その中にいるサイトを。

 ……ルイズを。



 その二人が、唇を重ね合っているところを。



 ミシッ!!

 木の幹に新しい傷が増える。

「……サイトさん、ミス・ヴァリエール……」

 低い、声が漏れた。




***




「そう、わかったわ、グリフォン隊の報告もそうなのね。ご苦労様」

 アンリエッタは報告に来た者を帰し、眉間に皺を寄せる。

 あの突然起きた光、レキシントン号を消失させた物の正体について調査して早数日。

 日に日に浮かび上がってくる目撃情報と状況証拠。

 それは例の見たことのない竜。

 ルイズ曰くゼロ戦と言うらしいが、それに乗っていたそのルイズが杖を振っていたという情報が圧倒的多数。

 物珍しさからゼロ戦を見ていた者が多かったのが幸いし、時間はほとんどドンピシャだった。

 中にはキスしていた、などという戯れ言もあるが、そんなことはさほど重要ではない……ハズだ。



「ルイズ、あの子はもしや……“虚無”なのでは……?」



 アンリエッタの持つ始祖に関する資料。

 それと捕虜として捉えている運良く生き残ったレキシントン号の艦長の証言、それらが一致することから、彼女は一つの解を得ていた。



[13978] 第六十五話【夏恋】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:47
第六十五話【夏恋】


「はいサイト」

「お、サンキュ」

 ルイズは手持ちのクックベリーパイをサイトに渡す。

 双月昇る深夜。

 ようやくある程度快復したルイズはサイトたっての頼みでよく月の見える場所……学院を取り囲むようにある五つの巨塔の一つ、火の塔の屋上に来ていた。

 サイトはルイズの介護をしながら、ルイズが治ったら二人で月見をしたいと言い出していたのだ。

 無論ルイズに断わる理由は無く、むしろサイトから外出のお誘いを受けたことに喜び、一層快復に努めた。

 そんな介護生活を経て、一応の快復を見たルイズは、サイトの頼みである月見敢行の為、火の塔へ来ていたのだ。

 何も無いのも寂しいので、ルイズが用意したクックベリーパイを肴に二人は双月を見上げる。

「しっかし、ルイズが良くなって良かったよ。どれだけ時間がかかるかと不安になった」

 サイトが月を見上げながら介護生活を思い出し苦笑する。

「ごめんなさい、そんなつもりは無かったんだけど」

「今度からはもっと食べないとダメだぞ」

「うん、でもサイトがいるとそれだけでお腹一杯になれるのよね、どうしたものかしら?」

 ルイズは本気で困ったように首を捻る。

 何と言うか、ルイズの発言はいちいち恥ずかしい。

 真っ直ぐストレートで、その真剣さから重みがある。

 だが、その『サイト』と呼ぶ名前だけには、どこか自分じゃない人間が混ざっているような気がした。

 だからサイトは、ここに来た目的を果たす。

「ルイズ、俺があげた首飾り持って来てるか?」

「え? 太陽の形の? いつも肌身離さず持ってるわ」

 ルイズは胸の中に手を入れて、月夜にその鈍色の太陽を取り出した。

 サイトも同じく首から三日月を下げている。

「これがどうかしたの?」

 ルイズは本当にそれを大事にしていた。

 もう二度と失うことの無いように。

「なぁ、この世界の月はなんで光ってるんだ?」

 サイトはそれには答えず、ただ月を見てルイズに尋ねる。

「え? 何でって……何でかしらね。考えたことも無かったわ。そういうもの、としか思ってなかった」

 ルイズは困ったように首を傾げる。

 サイトが知りたがってることなら全身全霊で答えたかったが、座学を得意とする彼女でも、月に関するそんな知識は無かった。

 サイトは困ったルイズを見てクスリと笑い、

「いいんだ、俺の世界と同じかどうか知りたかっただけだから。同じだろうと別だろうと、ルイズがその意味を知らないならそれはそれでいい」

「?? どういうこと?」

「俺の世界では、本来月は自分からは光らないんだ」

「え? そうなの?」

 ルイズは驚いた。

「もしかしてサイトの世界では月は夜に出るものじゃないの?」

 ルイズの中に様々な可能性が巡る。

「? ああ、いやそうじゃない。夜に浮かぶよ。いや、正確には昼間も見えることはあるけど、月って言ったらやっぱ夜のイメージだ」

 ルイズは益々わからない。

 サイトは何を言いたいのだろう?

「混乱させて悪いな。俺の世界ではさ、月ってのは太陽の光を反射するものなんだよ。だから月が光って見えるのは、太陽の光を反射してるからなんだ。この世界でもそうかはわかんないけど」

「へぇ……そうなの」

 サイトの世界はいろんなことを研究しているのね、と少し興味深い話を聞けたルイズは感心し、

「……だからさ、その、お前に太陽を贈ったんだ」

 サイトが頬を掻きながら視線を逸らして小さく呟いた言葉に、ハッとした。

「太陽がいないと、月は輝けないんだ。その、だから、俺も……だぁぁぁぁ!! 恥ずかしくて言えねぇぇぇ!!」

 サイトは顔を真っ赤に染めて背を向けてしまう。

 だが、ルイズはサイトが言いたい事が良くわかった。

 この、もらったプレゼントにそんな意味が込められているなんて。

 ルイズは胸が感動で溢れかえりそうだった。

 もうこれだけで数日食事は摂らなくてもお腹一杯だと言えるほど、彼女は満たされていた。

 背中からサイトに抱きついて一言、ルイズはお礼を言う。

「ありがと」

 サイトはポリポリと頬を掻いて「ああ」とぶっきらぼうに答えて振り返る。

 ルイズの“太陽”が月光を浴びて綺麗な“銀”に輝き、それを反射するかのようにサイトの三日月も美しく光を放つ。

 金属がただ光を反射しあっているだけなのだが、二つ揃ってから見ると、とてもそれは美しく見える。

 サイトは自分が言った惚れさせてやる、という言葉を嘘の無いように実践しようと、彼なりの努力を考え、本気で向かい合っていた。




 だが、彼はその決意故に、この後、悲劇を招く事になる。




***




 サイトとルイズは時間にしてそう長く塔には居なかった。

 だが、ここは学院である以上、誰にも見られないという保障は一切無い。

 無論この二人、とりわけルイズは見られたところで何とも思わないが、

「何か凄いアツアツに見えます……」

 他の人間の目からは、そう見える。

 特に彼氏彼女のいない一人者には目に毒だった。

 二人は普通に歩いているだけだろうが、ルイズがサイトに傾倒してくっついているせいで、嫌でもそのアツアツさを見せ付けられているような、そんな気分になる。

「自分で召喚した平民の使い魔となんて、物好き、なのでしょうか?」

 夜闇に映える茶色いマントにスカート。

 二人を見てやや面白く無さそうに呟いたのは一年生の少女だった。

「……そういえばあの二人って何をしてたのでしょうね?」

 少女は火の塔に近寄り、ふむ、と一つ頷く上に登ってみることした。

 こんなに遅くにここに来たのだ。

 きっと何かをヤっていたに違いない。

 彼女とて多感なお年頃。

 他人のとはいえ、色恋の事はイロイロと気になるのだ。

 何か痕跡でもあればと思い、火の塔に登ろうとし、少しばかり横着することにした。

 もともとトイレに起きて来た身で眠い。

 だから中からは行かずに外の梯子を使おう、と。

 塔には外壁に梯子が付いていて、外からも頂上に行ける様になっていた。

 だが、普段ならしないそんなことを、眠いが為にしてしまったことを、彼女はすぐに後悔する。

「え? あれ? うわわ!?」

 眠気眼のせいか半分程度登ったところで、彼女は体勢を崩し、落ちてしまう。

「きゃあ!?」

 魔法を早く!!と思うが、焦りのあまり空中で杖も手放してしまう。

 地面まではもうすぐ。

 すぐに痛い思いをする、と思って強く目を閉じた、その瞬間!!



 フワリ。



 体が浮いた。

 これは、レビテーションだ。

「大丈夫?」

 一人の少年が走り寄って来る。

「あ、あうあうあう……」

 少女は恐くてたまらなかったのだろう。

 間に合って良かった、と少年はホッと胸を撫で下ろす。

 見れば彼女は下級生のようだし、上級生として、不安を取り除いてあげなければ。

「僕はギムリ。二年だよ。君は?」

 彼女の手を優しく取って、地面に足を付けさせる。

 足が地面に付いたことで少女は安心したのか、うるうると目に涙を溜め、

「ブ、ブリジッタと申します……うわぁぁぁん!!」

 ギムリに抱きつきわんわんと泣いた。

 ギムリはどうしたものかと迷い、しかし結局は女性に抱きつかれているという役得な状況に満足し、彼女の為すがままとしていた。



 後日、彼らはこれが原因で付き合う事になる。




***




「ということがあってね」

「へぇ……そうなの」

 ブラウンのロングヘアーをぶら下げて、同じくブラウンのマントを付けているケティは同級の友人、ブリジッタからそんな顛末……もとい惚気を聞かされた。

 そこから噂が広まったのか、夜中に火の塔の近くで出会った男女は恋人になれるという噂が広まった。

 最初は半信半疑だったものの、偶然とは恐いもので、本当にそれからも幾人かのカップルが誕生した。

 ただ、飽くまで二人きりでなくてはならないようで、数人で行った組は失敗するという噂も流れた。

「ケティも試してみたら?確か二年生に気になる人がいるんでしょう?」

 そう言われケティは考え込む。

 この場合、自分は誰を誘うのだろうか。

 ギーシュか………………マリコルヌか。

 いや、ここでギーシュ以外の選択肢が出ること事態おかしい。

 こ、これは別にマリコルヌ様にギーシュ様以上の感情を抱いてるわけでは……!!

 自分の中で自分に言い訳をする。

 彼女は、どうせ迷信のようなものだし、行くならマリコルヌでも良いのではないか、そう考えてしまってもいたのだ。

 今度会ったら、話して見ようかな。

 ケティは二年の男子が迎えに来たらしいブリジッタと別れると、少し羨ましそうにしながら足をマリコルヌの部屋へと向けた。




***




「なぁギーシュ、頼むよ、ケティの為に少し時間を作ってくれないか」

「また君はそんなことを言って……僕はもうそのつもりは無いと言っているだろう?」

 マリコルヌはあれからも度々ギーシュにケティと何かしらしてくれないか、と頼みに来ていた。

 彼は、それが自分の使命だと思っていた。

 ギーシュは、彼のその健気さを悪くは思っていないが、どこか歪にも感じた。

 ただ人はそれぞれであるし、自分が今置かれている状況も歪と言えなくも無いので非難するような真似はしなかった。

「そこをなんとか」

「だから言ってるだろう?僕はモンモランシーとそういった関係になろうと決めた、と。だからその、すまないがそういう話はもう僕に持ってこないでくれないか……特に公衆の面前ではね」

 ギーシュは震えながら辺りを見回してホッとし、自分の足をさする。

「足に怪我でもしてるのかい?」

「あ、ああこれかい? いや、最近足が付いてるか不安になる時があってね、ハハハ……」

 ギーシュは渇いた笑いを浮かべる。

 未だにモンモランシーの言葉が忘れられないのだ。

 ただ、それでも彼は彼女に愛しい気持ちを持ち続けていたし、自分があれほど馬車で彼女に発情してしまったのは、きっと香水のせいだけではなかっただろうと思っている。

「それじゃあねマリコルヌ。君は人のことより、自分の事をまず見直しなよ」

 彼にちょっとだけ助言を残し、ギーシュは颯爽と歩いていく。

 これからモンモランシーの部屋に向かうつもりだったのだ。

 主に足の保身の為に。

 その背中を見つめながら、マリコルヌは内心舌打ちする。

 まだ、モンモランシーと一線は越えていないようだが、時間は残り少ないと見た。

 その前になんとかケティとくっつけないと。

 マリコルヌはそう焦りだす。

 そんな時、



「あ、マリコルヌ様!!」



 丁度タイミングを見計らったかのようにケティがその場を訪れた。

 ギーシュが行った後で良かったと思う。

「やぁケティ、どうしたんだい?」

 ケティは最初俯き、少しモジモジとしながらも意を決したように口を開いた。

「はい、あ、あの、ですね。実は私、深夜の火の塔に行こうかと思うんです」

「深夜の火の塔……? ああ、そういうことか」

 マリコルヌも噂は聞いていた。

「それでその、良ければごいっし「そうか、その手があったか!!」ょに……はい?」

 マリコルヌは何か閃いたという面持ちで不思議そうにしているケティを見る。

「わかったよケティ、そうだね、その手があったよ。ようし、僕がなんとかセッティングしてみる」

「へ……あの?」

 ケティはなんだかマリコルヌが誤解しているような気がしたが、マリコルヌは話を聞かずに歩き出してしまっていた。

 (そうだ、この噂を利用すれば二人を……!!)

 マリコルヌの脳内で綿密な作戦が練り上げられていく。

 これが上手く行けば、噂が本当ならば、二人は晴れて結ばれるだろう。

「いや、結ばせてみせる、結ばれなければダメなんだ。彼女はギーシュと幸せになるべきなんだ……!!」

 力強く前を見据えるマリコルヌ。



 彼の瞳から、輝きが失われていた。



[13978] 第六十六話【策謀】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:48
第六十六話【策謀】


「ねぇ知ってる?」

 ルイズが広場のテラスでテーブルに付きながらサイトと二人きりの至福の時間を過ごしていると、同級生のキュルケが通りかかった。

 正直、ルイズは邪魔者の出現に苛立ちを隠せないが、サイトが居ない間面倒を見てくれていた時のことはちゃんと憶えている。

 まだ常人として些か残っていたらしいルイズの理性が、この場は理不尽に追い返すことはしないでおいてやるという結論に至り、彼女の話を聞くことにした。

「何よキュルケ、私はサイトと二人で居たいの。用があるなら手短にね」

 言葉の端々までは彼女の不機嫌さを隠すことが出来なかったが、それでもキュルケがこの場での同席を許されたことはこれまでのルイズを知る者から見たら大変な事である。

 明日はアルビオンが突如浮力を失って降ってきてもおかしくないくらい大変なことである。

「あら? 随分な物言いね? 体調が良くなった途端この憎まれ口だもの。全くあなた達の夫婦喧嘩には付き合ってらんないわ」

「夫婦喧嘩!? キュルケ、貴方は見る目があるわ、もっと言いなさい」

「ちょ、貴方ねぇ、皮肉ってものを知らないの!?」

 サイトが引きつった笑みで女通しのやり取りを見ている。

 ルイズは相変わらずだが、それに普通に対応するキュルケもそれなりに兵だ。

 強者ではなく兵だ。

「まぁまぁ、んで知ってるって何のことだ?」

 サイトはそんな女性通しの会話を微笑ましそうに見ながら、話を戻した。

 このままではルイズがどんな痴態を晒すかわかったものではない。

 もっとも、本人がそれを痴態と思っているかどうかは別だが……他人に夫婦と言うことを強制するのはサイトにとって十分恥ずかしかった。

「え? ああ、そうそう、深夜に出会った男女が結ばれるって噂よ、ウ・ワ・サ♪」

 キュルケが茶目っ気たっぷりな目で二人を見つめる。

「何だかうさんくさいわね」

 対してルイズはあまり興味なさ気だった。

 そんなに簡単にサイトの心をゲット出来れば苦労は無かったのだ。

 まぁ、今はそれも考える必要の無いものとなった、いわゆる勝ち組に在籍してるが故の思考だが。

 キュルケはスイッチが入ったように饒舌に語っていた。

「ウチ学院の火の塔、その付近で深夜に出会った男女は結ばれるって噂が少し前からはやっているのよ!! それもちゃんと男女一組じゃないとダメらしくて、二人以上になると上手くいかないらしいわ!! やっぱり恋の炎というだけあって火は情熱を感じるわ!!」

 キュルケは目を爛々と輝かせて噂話を語り続ける。

 彼女も恋愛経験はあれど年頃故にそういった話に興味は尽きない。

 と、サイトにはキュルケの言った場所に心当たりがあった。

「あれ? 火の塔って前に行かなかったっけ? 俺ら」

「ええ、月見の為に深夜に行ったわ。その噂話は間違いなく本当ね、私とサイトはこの通りだもの」

 最初にうさんくさいと言った舌の根も乾かぬうちにルイズは意見をひっくり返す。

 自分……もとい自分とサイトに良い方向へと行く話題なら、それは全て肯定となるのだ。

「でも知らなかったなぁ、そんな噂があるなんて。ルイズ知ってたか?」

「いいえ、私も知らなかったわ。知ってたらもっと早くサイトと行ってたもの」

 それはそうなのである。

 誰も知る由も無いが、何せこの噂の発端はルイズ達なのだ。

「……へぇ」

 キュルケは、サイトがルイズと話だしてからあえて黙っていた。

 二人が仲直りしたらしいことは聞いていたが、あれほどの惨状を見た後では、それも少し半信半疑だったのだが、どうやら杞憂だったようだ。

「二人とも本当にヨリを戻したのね、何があったのか大いに気になるところだわ」

 何せルイズはあそこまで茫然自失状態だったのだ。

 並大抵のことではこれだけ早く明るい自我の快復は望めないと思える程酷かったので、これは素直に気になった。

 あの戦争開戦の日のサイトの頑張りようから、彼が何かした結果だという予想はついているのだが、二人の間に何があったのか、“微熱”としてその真偽を知りたくもあったのだ。

 ルイズは、キュルケの興味津々な顔を見て、

「サイトがね、俺に惚れさせてやる!! って言ってくれたの」

 サイトに言われた言葉を教えながら「キャッ♪」なんて声を上げて頬を染めた。

 サイトはテーブルに突っ伏す。

 恥ずかしい。

 言った事事態は後悔して無いが死ぬほど恥ずかしい。

 穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。

 話を聞いたキュルケは成る程と頷いた。

 彼女はサイトより、ルイズに自分じゃない誰かと重ねられていた、と聞いている。

 厳密には違うのだが、キュルケにそれを知る術は無く、また彼女にとってそこはどうでもいい。

 彼女が着眼したのは、「俺に惚れさせてやる」というサイトの言葉である。

 それは、ツェルプストーがやってきた“略奪愛”に似た、いやそれそのものでは無かろうか。

 そう思うと、俄然キュルケの興味はサイトに向いた。

「ふぅん、それって略奪愛ってことよねぇ、じゃあ私が惚れさせるって言ったら惚れてもらえるのかしら?」



────────ピキッ────────



 空気が凍った。

「……話は終わりよ“ツェルプストー”何処へなりとも行きなさい」

「あら? 奇遇ね、私も貴方との話は終わった所よ。ねぇ“ダーリン”?」

「何がダーリンよ!! そう言っていいのは私だけなの!!」

「独占欲の強い女は嫌われるわよ“ヴァリエール”、私ならこの豊満なボディで全てを包容してみせるわ」

 今までは、この間の恩から珍しく理性が表出していたルイズだが、既に彼女に理性はない。

 お互いの呼び名が家名になっていることからも、その心に余裕が無い事が窺える。

 今なら本当にアルビオンを降らせることもできそうなほど、ルイズはキュルケに敵意を向け、ウッと彼女が怯んだ所で、

「あれ? あそこにいるのギーシュだ」

 気の抜けたようなサイトの声が、場を一旦停止させた。




***




「なぁギーシュ、時間を作ってくれないか」

「またかい? 君もいい加減しつこいね」

 ギーシュは少し辟易していた。

 一体何が彼をそこまでさせるのか。

 恋の為と言えば聞こえは良いが、彼のそれは酷く歪んでいる。

 いい加減、自分の事は一時棚上げし彼に言うべきか、と思ったのだが、

「いや、今日は僕の為に空けて欲しいんだ。そうだな、深夜が良い」

「へ?」

 意外な言葉に素っ頓狂な声を上げる。

「な? 良いだろ? 僕にも少し思うことがあってちょっと君に付き合ってもらいたいんだが、人目のある昼間じゃ困るんだ。だから深夜……そうだな、火の塔のあの辺りでどうだい?」

「う~ん、そういうことなら、まぁ良いよ、マリコルヌ」

 ギーシュとて友達を無碍に扱う人間ではない。

 彼が“自分の為”と言って来るなら、付き合おう。

 そういう気になった。

「そうか、助かる。絶対に来てくれよ……絶対だからな」

「あ、うん……」

 最後、搾り出すように言ったマリコルヌの、その輝きの無い目がギーシュに有無を言わさない迫力があった。




***




 一連のやり取りを見ていた三人は、マリコルヌの異質さのおかげか一旦冷静になった。

「“ツェルプストー”、お祈りは済んだのかしら?」

 訂正。

 冷静になったのは二人だけだった。

 これ以上からかってもやぶ蛇でしかないと悟ったキュルケは、

「ちょっと熱くなりすぎたわね、今日の所はもうやめておくわ。じゃあね、ダーリン♪」

 サイトに手を振り、残った手で投げキッスをして去っていく。

「ツェェェルプストォォォォォ……お!?」

 その行動に怒り心頭になったルイズが杖を掲げるが、焦ったサイトがルイズの杖を奪おうとしてもつれ込み、押し倒す形で転倒しそうになる。

 サイトはしまった、と自身の体勢を立て直しつつルイズを思い切り引っ張り、結果彼女はサイトの胸に納まった。

「……あ」

 サイトはこれまたしまった、と思うがこれこそ時既に遅し。

 ルイズはすりすりとサイトの胸板に頬を寄せていた。

 既に先程の怒りはどこぞへと消え失せていた。




***




「あれ? いないわね……」

 モンモランシーはギーシュの部屋を尋ねていた。

 しかし彼の人の姿は無い。

 折角面白そうな話、火の塔の噂を聞いたのだが、これでは試そうにも試せない。

「むぅ、つまらないわね、やっぱこの間足のことをつい口走っちゃったせいで少し警戒されてるのかしら?」

 失敗失敗、とモンモランシーは舌を出して自身の頭を軽く小突き反省する。

 さて、ギーシュもいないしどうしようかな、とモンモランシーが歩を進めると、



「じゃあケティ、今夜火の塔で」



 同じクラスの小太りな少年、マリコルヌが下級生を火の塔に誘っているらしい現場に出くわした。

 さっと影に隠れる。

 あの娘は確かギーシュに気がある娘だったはず。

 モンモランシーは気を利かせてその場には立ち入らず、内心で「いいぞもっとやれ」などと思いながら来た道を戻り始めた。

「この場にギーシュがいたら完璧だったのに……いえ、今からでも遅くないかしら……?」

 ウフフ、とスキップでモンモランシーはギーシュの部屋へと戻る。

 ギーシュにこのことを話し、これで心置きなく一途になってもらおうというのだ。

 なんて完璧な作戦!!

 そう思っていたのは勝手にギーシュの部屋に入って彼を待ち、一時間が経つ頃までだった。

 彼がなかなか戻ってこない。

 これはおかしい。

 だがもう少し待てば帰って来るかもしれない。

 もう少し待ってみよう。

 そう何度も繰り返してるうちに、気付けば時間は深夜だった。

 これはいくらなんでもおかしい。

 彼は何処へ行ったのだろう?

 そうだ、こんな時、“彼”ならばギーシュの事を知っているのではなかろうか。




***




「何? モンモランシー? 私とサイトの至福の時を邪魔するなんていくら貴方でも許せないんだけど?」

 ルイズは怒り心頭だった。

 これからサイトの甘い匂いを嗅ぎ、優しい腕の中で、約束された幸福の絶頂を味わうところだったのだ。

「貴方はギーシュとずっと居ればいいでしょう?ここに来る必要は無いはずよ」

 だからさっさとカエレ、とルイズはモンモランシーに出て行くよう促す。

 一刻も早くサイトにダイヴしたいのだ、一秒でも長く彼に包まれていたいのだ。

「そのギーシュが帰ってこないのよ、貴方の使い魔なら何か知ってるかと思って」

 ルイズの後ろで話を聞いていたらしいサイトは、ギーシュの名前を聞いて、

「ギーシュ? あれ?ギーシュって昼間あの男に誘われて深夜の火の塔に呼ばれて無かったか?」

「あの男?」

「ああ、マリコルヌのことね、そういえば昼間にそんなのを見たわね」

「ふぅん、マリコルヌが火の塔……なんですって!?」

 ギーシュ────マリコルヌ────ケティ────火の塔。

 モンモランシーの中で点が線へと繋がっていく。

「ま、まさか……!?」

「どうでも良いけどさっさと行ってくれない?」

 ルイズが邪魔よ、とモンモランシーを追い出す。



「さぁサイト、今夜もギュッてして?」



 彼女の夜はここから始まるのだから。



 一方追い出されたモンモランシーは一つの繋がった解に、焦りを感じながら一路火の塔へと走っていた。

 まさか、まさかまさかまさか……!!

 そんな思いで火の塔まで近づいて来た時、案の定というべきか、火の塔を目前に彼女の前に立ちはだかるようにして通路を塞ぐ小太りの少年が居た。



「やって、やってくれたわねマリコルヌゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」



 鬼のような形相で突撃するモンモランシー。

 その瞳には既に光は無い。



「来ると思っていたよ、でも!! ここから先は通さないぞ、モンモランシィィィィィィィィ!!」



 だが、それに相対する少年、マリコルヌもまた、瞳の輝きを消していた。



[13978] 第六十七話【再臨】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:48
第六十七話【再臨】


「マリコルヌの奴、あれだけ念を押してきたくせに自分はまだ来てないじゃないか」

 ふぁ、と欠伸を漏らしてギーシュは火の塔に背もたれる。

 夜空には双月が昇り、今宵も満足に学院を照らしていた。

 全く、こんな時間に何のようなんだ、とギーシュは内心やや悪態をつきながら友人を待っていた。

 友人を待っていた筈だった。

「え……ギーシュ、さま……?」

 だから、その驚愕するような女性の声を聞いた時、彼は驚いた。

 いや、理解した、というべきか。

「ケティ……? どうしてここに……いや、マリコルヌめ、そういうことか……」

 ギーシュは突然現れたケティに面食らい、しかしすぐに事の成り行きに納得する。

 (マリコルヌ、頼むから僕の足の寿命を縮めないでくれ!!)

 ギーシュは足をさすりながらここには居ない友人に怒りをぶつけた。

 夜はまだ長い。




***




 叫んで突進したモンモランシーは、体中から殺気を迸らせて杖を振り、無数の水球を作ってマリコルヌへと叩き込む。

 一方マリコルヌはずっしりと構えたままエアカッターで全てを切り刻み、相殺してみせた。

「マリコルヌ、貴方はやってはいけないことをやったわ!!」

「君が何と言おうと、僕は……僕の為にここを死守する!! そうすることが僕の使命なんだ、そうなるべきなんだ!! そうならなきゃダメなんだ!!」

 自分に言い聞かせ、それが正しいとばかりにマリコルヌはモンモランシーを睨みすえる。

 殺気を込め何度か魔法を放ったモンモランシーだが、“当たれば”致命傷クラスの攻撃を、マリコルヌは見事に受け流していた。

 魔法では埒があきそうに無い。

 だがこのままではケティとギーシュが進展してしまいかねない!!

「このデブ!! せっかく(心の中でケティとの仲を)応援してあげたのに!!」

「モンモランシィィィィィィ!! 君は今言ってはいけないことを言った、言ってはいけないことを言ったぞ!! 僕はデブじゃない!!」

「うるさい!! デブじゃなけりゃなんなのよ!! さっさとそこをどかないとアンタから先に足を引っこ抜くわよ!!」

 この時、火の塔にいるギーシュは何故か悪寒を感じた……かどうかは定かではない。

「僕はデブじゃない!! 僕は体が少し大きい人だ!! 僕はデブじゃないんだぁぁぁぁぁ!!」

 マリコルヌが一瞬、自分を見失ったかのように顔を抑えて首を振る。

 チャンス!! とモンモランシーは奥へ行こうとしたが、すぐに正気になったマリコルヌに通せんぼされる。

「しつこいのよアンタ!!」

 モンモランシーの細い脚からの蹴りがふくよかで弾力のある腹に命中する。

「ぐぅ……!! だが通さん!!」

 漢マリコルヌは苦痛に顔を歪めながらもこの場を引かない。

 二人の激闘は続く。




***




「むぅ」

「どうしたの、サイト」

 ルイズは難しい顔をするサイトを彼の胸の中で上目遣いに見やる。

 それにくらっと来るサイトだが、ここは理性をフル稼働させてそれに耐える。

「いや、外が随分騒がしいなって思って」

「もしかしてさっきからそれを気にして中々私の背中に手を回してくれないの?」

「え?あ、いや……俺そんなこと毎日してるっけ?」

「うん、正確にはサイトが眠った後だけど……」

「おおう……俺って抱き枕使った事無いけどそんな寝相だったのか……」

 初めて知る自分の寝相に少し渋い顔をするサイト。

 だが、それには少し誤りがあった。

 本人の与り知らぬところ、つまり彼が眠った後、ルイズは毎晩のようにサイトが自身を抱きしめるように腕を回させた。

 最初はほとんど眠っているサイトに力は入っていなかったが、それも回を重ねるごとに本人すら与り知らぬ所で体が覚えてきたのか、そうすることが自然になり、とうとう眠ったら自分から腕をルイズの背に回すようになってきた。

 最近は少し力も込められるようになり、ルイズとしては毎晩一緒に寝て来た甲斐を感じていたのだ。

 サイトより抱きしめられて眠る……こんな幸せがあるだろうか!!

 だと言うのに、今日は外がうるさくて未だサイトに遠慮が見られる。

 オマケにそのサイトが外がうるさくて眠れないと困っているのだ。



 ルイズの、外の喧騒に対する不満ボルテージが上がった。




***




「このっこのっこのっ!! 何よ? ちょっとは反撃するとか無いわけ!?」

 もう魔法では埒があかないと悟ったモンモランシーは、先ほど上手く蹴りが効いたことから、女子にあるまじき? 思考回路、拳に物を言わせることにした。

 するとマリコルヌは当初と違いやられるがままになった。

「馬鹿にするなよモンモランシー!! 僕は女性の体を触れど攻撃はしない!!」

 格好良いようで痴漢発言にも似たマリコルヌの言葉に、モンモランシーは容赦なく足蹴りで答える。

「うるさい!! だったら、さっさと、ここを、通しなさい!!」

「ぐえっ!? だめだっ!! げふっ!? ここは……通さなごほっ!?」

 マリコルヌはボコボコにされながらも彼女の行く手を阻む。

 彼にも譲れない一線があるのだ。

「う~しつこい!! 腕の一本や二本折るわよ!! このこのこのこのこのこのこの!!」

「あだっ!? げぇっ!? あんっ♪ ぐふぇ!? がふっ!? おあっ!? うぅん♪ いでっ!?」

 もはや優位性はモンモランシーにあり、マリコルヌはただ踏まれるだけとなった。

 それでも彼は、呻き声と時々何故か嬉しそうな声を上げながら彼女が奥へ行くのを阻止すべく彼女の足を掴む。

「はーなーせぇー!!」

「いーやーだぁー!!」

 もはや子供喧嘩に成り下がった二人の激闘はまだ続く。




***




「眠れん……」

 サイトは溜息を吐く。

 うるさくてまったく眠気が来ない。

「大丈夫サイト?」

「ああ、ただ眠れないだけだから……しかし外は一体何やってんだ?」

 サイトは外の喧騒が気になって眠れないらしい。

 そのせいで、いつもは緊張等からか意識と体がずっとルイズに向いているサイトも、今日は全くルイズを意識していなかった。

 ルイズは一緒に居てくれるだけで十分嬉しいのだが、彼が毎晩ドキドキと緊張しながら自分を胸の中に居させてくれる環境が気に入ってもいるルイズとしては、別要因でそれが為されないのは不満だった。

 最近では、サイトが少々我慢できなくなったのか、スケベ根性……もとい“誤って”寝ている時にルイズの体の一部を触れるまでになってきたというのに。

 飽くまで、サイトが寝ている“ように見える時限定”での話ではあるが。

 無論、その時サイトが起きているかどうかはサイト以外に知る術は無い。

 ルイズとしては今夜は何処を触られるか、地味に楽しみしていたのに、それもまたお預け状態である。



 またルイズの、外の喧騒に対する不満ボルテージが上がる。




***




 モンモランシーは足を掴まれながらも無理矢理に前に進もうとする。

「くぬぅぅぅ、お、重い……」

「フ、フハハハハハッ!! デブとか馬鹿にしたツケがここで回って来たのさ!! 君は僕をデブ呼ばわりするべきじゃなかった、そう、呼ぶべきじゃなかったんだ!!」



「うるさい」



 空気が凍る。

 いい加減、モンモランシーにも限界というものが来たらしい。

 いっそ、ここに真っ赤なチューリップを咲かせるのもやぶさかではない程に、彼女の心の波紋は一度収まっていく。

 ヒュッと風を切る音ともにマリコルヌのぷにぷにした腹にモンモランシーは杖を突きつけ……グッと押し込んで脂肪の中に杖をめり込ませる。

「零距離射撃、これは流石にかわせないでしょう? “これが最後”よマリコルヌ。離しなさい」

 腹をつつかれるように杖を突きつけられているマリコルヌは、そんな感情をも消したモンモランシーの顔を見て、しかし、

「その時は、僕も容赦しない」

 急に、腹の底から搾り出したような、低い声でモンモランシーに答えた。

 モンモランシーの足に抱きつくようにして彼女を足止めしているその様は見るも滑稽な姿だが、彼の瞳だけは、恐ろしいくらいに真剣だった。

 だが、今のモンモランシーはそれに怯えてやるほど、心に余裕は無い。



「そう、なら、これでサヨナラね、マリコルヌ」



 彼女が杖に力を込め、魔法を発動しようとし、



「あ……」



 マリコルヌの情けない声が上がった。

 彼の視線の先、それは……モンモランシーのスカートの中だった。

 彼はモンモランシーの細く白い足を抱くようにして彼女を抑えている。

 そのモンモランシーが無理な体勢を取れば、中が見えるは必定だった。

「!? どこ見てるのよっ!?」

 モンモランシーは魔法を発動させる事も忘れ、即座に彼を蹴り飛ばす。

 ぶっとばされたマリコルヌは、軽快に転がりながら彼女の行く手を阻むようにすぐに立ち上がった。

「ううっ♪ い、いや誤解するなよモンモランシー!! 僕は君のパンツなどに興味は無い!!」

「黙れ変態マゾヒニスト!!」

「だから誤解するな!! 僕は変態じゃない!! 誰が君のパンツなんかに興味を持つものか!! 僕が興味あるのはケティのパンツだけだ!!」

 何故かマゾの部分の否定はせず、持論を堂々と晒け出すマリコルヌ。

 今彼は完全な漢になった。

 しかし、そんなに騒がしくしていれば当然、



「何をやっているんだ君たちは……?」

「マ、マリコルヌ様、私をいつもそんな目で……?」



 近くの火の塔の二人が来るのは必定だった。

 ギーシュは呆れて額に手を当て、ケティはマリコルヌを汚物でも見るかのような目で見ている。

「ギーシュ!! 私、私汚されちゃった!!」

「いや、ただ下着を見られただけだろう。もっとも、その栄誉を僕より先に果たしたマリコルヌには今夜のことも含めてイロイロ言いたいことがあるが」

「え? ギーシュって見たかったの?」

「い、いや、紳士の僕としてそれは……その……しかしだね……」

「マリコルヌ様の変態!!」

「い、いやこれは違うんだケティ!! 僕は変態じゃない!!」

「変態!! ド変態!! マゾ!! いつも私をそんな目で見ていたんですか!? 私が貴方を踏むところを想像していたんですか!?」

「ち、違う!! 僕は変態じゃない!! 誤解だよケティ!!」

「なんでマゾの部分は否定しないんですかーーー!?」

 人が増えたことで、さらに、騒がしさが増していく。



──────────ズンッ!!



 ふと、ギーシュはその喧騒の中、聞き知った足音を聞いた。



──────────ズンッ!!



 ふと、マリコルヌはその喧騒の中、経験したことのある悪寒を感じた。



 黒い、真っ黒い、先程マリコルヌやモンモラシーが発していたソレとは比べものにならないほどの禍々しいオーラが、立ち上る。

 ギーシュはそれに気付いた。

 マリコルヌはそれに気付いた。

 二人は同時に手を合わせ天に祈るようにして許しを請うた。

 彼らの防衛本能がアレには逆らうなと、経験がアレには逆らうなと、何があっても逆らってはダメだと必死に教える。




「うるさいのよアンタら、サイトが眠れないって言ってるの、おわかり?」



 男性陣には覚えのある、女性陣には認識の薄い、桃色の悪魔が、今再びここに降臨した。



[13978] 第六十八話【謹慎】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:49
第六十八話【謹慎】


「あ~、うむ……話は聞いた、で、君らは一体そんな夜中に何がしたかったんじゃ?」

 火の塔付近に居たギーシュ、マリコルヌ、モンモランシー、ケティ、ルイズ、そしてサイトは学院長室に呼び出されていた。

 あの晩、ルイズはかつてギーシュが見た時同様、体に黒いオーラを纏って現れた。

 ギーシュとマリコルヌは神を崇めるかのような態度で手を合わせ何度も頭を下げた。

 どうか、どうかお許しを、と。

 だが、尚も口やかましく喧嘩を止めないケティとモンモランシーに、ルイズはキレた。

 後ろに控えていたサイトの、

「お、穏やかにな?」

 という言葉が無ければ、今この学院長室に全員が無事な姿で集う事は無かっただろう。

 ルイズはその低い身長をものともしないまま、背伸びしてモンモランシーとケティの首根っこを掴むとそれぞれ男子に放り投げる。

 モンモランシーはギーシュの背中に。

 ケティはそのお尻をマリコルヌの顔面に着地させていた。

 モンモランシーはきょとんとし、次いで文句を言おうとルイズを睨み口を開き、

 ケティは、哀れにも小さなお尻に下敷きになったマリコルヌの恍惚とした表情に気付き、変態と罵ろうとし、



「うるさいのよ」



 爆発が起きた。

 隙間を縫うようにケティの股の間が、

 隙間を縫うようにモンモランシーの脇の下が、爆発する。

 二人に怪我が無かったのは、直前にサイトが言った「穏やかに」という言葉が彼女を制した結果だった。

 ちなみに神懸かり的な隙間を縫う爆発位置によって、同じく直撃は無かったマリコルヌとギーシュだが、二人は既に恐怖から泡を吹いて気絶していた。

 事ここにいたってようやく女性二人はルイズに畏怖を憶える。

 まずい、触れてはならない何かに触れた、と。

 ルイズは苛立たしげに壁に杖を向けると、直後に爆発が起き、そこが大変風通しの良い……何も無い場所となった。



「あなた達、まだ子供を産める体のままでいたいでしょう?」



 コクコクと二人は涙目になりながら頷き、自分たちが悪かったと頭を下げる。

 だが、

「馬鹿!! やりすぎだぞルイズ!!」

 サイトの叱責にルイズは突然縮こまる。

「ご、ごめんなさい……」

 何が悪かった、とか、何処がやりすぎた、とかそんなことは彼女の頭にはない。

 ただその双眸は嫌わないで欲しいという怯えだけが見え隠れしていた。

 女性陣がサイトの動向を息を呑んで見守る。

 彼のこれから取る行動によって、彼女たちの運命すら変わりかねないのだ。

 まだ、自分たちは人だと誇れる五体満足でいたい。

 サイトはメッと怒ったような顔から一転、ルイズの頭を撫で、

「まずは話し合おうな」

 ルイズの頭を撫でた。

 サイトの指がルイズの髪を梳き、優しく絡められていく。

「うぅ、あぁ……!!」

 ルイズはサイトにそうやって髪を弄られるのが好きだった。

 腰が砕けてしまいそうになる快感。

 それに耐えるために、ルイズはサイトの体に抱きついた。

 彼にしがみつき、床に崩れ落ちるのを防ぐ。

「ごめん、俺が外うるさいなって言ったからだもんな」

 そう謝られ、ルイズはふるふると首を振る。

 サイトのせいじゃない、と。

 だが、それを聞いていた女性二人は、サイトにお前のせいか!! と怨みがましい目を向け……怯えた。

 サイトの体に擦り寄り、とろけそうな顔をしていたルイズの目が一瞬、輝きを消して二人を睨む。

 言葉無くとも、二人は彼女の言い分を正確に理解した。



────────消えたいの?



 彼女のサイト保護センサーは確実に進化していた。

 サイトに向けられる敵意。

 サイトが大事な彼女はそれを感じる事を可能たらしめた。

 サイトを護る為なら何だってしよう。

 彼女がいつかした決意が彼女にとんでもない技能を修得させていた。

 だが、これだけ大規模に学院を壊してしまえば、当然教諭陣からの尋問は免れない。



 かくして、事情聴取の為、当事者達は学院長室に呼び出されたのだ。



 公爵家の三女とその使い魔以外はやけにブルブルと震えている事にオスマンは首を傾げながらも、恐らくは最近流行しだした火の塔の噂のせいだろうとアタリを付けた。

「全く……夏期休暇中じゃというのにあまり問題を起こすものでは無いぞ? この場に居る者全員三日は自室謹慎じゃ!! 一切自分から部屋を出ることを禁ずる!!」

 オスマンは少しお灸を据えてやろうと、この夏期休暇中に謹慎処分を言い渡した。

 これでは折角の長いお休み中、単位に影響は無いが三日も無駄になってしまう。

 あまり変な罰やペナルティを与えてもその実家からの批判が来る可能性を考えれば、この処分は反省を効果的に促し、かつ学院もそんなに“モンスターペアレンツ”から責められることもない良い方法と思えた。

 その証拠かどうかわからないが、五人はそれぞれ嫌そうな顔をしている。

 せっかくの休みに謹慎など、時間の無駄遣いでしか無い。

 ん……五人?

「はい学院長先生。このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、今回の事を深く受け止め反省し、使い魔と共に一歩も部屋から出ない事をここに宣誓しますわ!! 早速私達は反省の為に二人で部屋に篭もろうと思います!!」

 唯一この処分に喜色満面だったのはルイズだった。

 何せ公然とサイトと二人きりになって出てくるなと命令されたのだ。

 うむ、命令ならば仕方が無い。

 これは罰なのだ。

 よぉく反省せねばなるまい。

 だからサイトと一歩も部屋から出ずに延々と三日過ごすのだ。

 髭爺もたまには良いことを言うではないか。

 ルイズの頭にはそれしか無かった。

 かくして、六人の自室謹慎が決まった。

 尚、何故かその前にモンモランシーはギーシュと二人きりになりたいと申し出たが却下された。

 彼女はギーシュの足ばかりを見ており、それに気付いたギーシュがルイズ同様謹慎することで反省を示すと強く申し出て、さらにはグラモン家の誇りにかけ、一切自分が外出しない事を誰か先生を監視につけ証明人となって欲しいと願い出た。

 彼の反省している様を見てオスマンは一旦、皆の謹慎をとりやめようかと思ったが、ルイズとギーシュは何故か強く謹慎することを願っており、結局謹慎することは覆らなかった。

 とりわけギーシュは、ボディガード……もとい監視人として先生を常備付けてくれるよう強く頼んだことは、余談である。




***




「あの娘達、本当に何をやっているのかしら?」

 キュルケは一人、夜中に火の塔に来ていた。

 昨夜ルイズが爆破した壁はまだ修繕されていない。

「まぁこれだけの騒ぎを起こせば謹慎処分は免れない、か」

 キュルケはつまらなさそうに一人ごちる。

 彼女たちが謹慎処分になったせいで休暇中の学院は格段につまらなくなった。

 それも色恋沙汰で処分をくらったというのだから、そんな面白そうな事は混ぜてもらいたかったものだ。

 そう憤慨していると、

「そういえば、何故かタバサも怒っていたわね」

 謹慎処分を受けていない友人を思い出す。

 何故かタバサは「……約束、まだ果たして貰ってない」と珍しくその目に怒りのような感情を宿していた。

 それがどういう意味なのかはいまいちわからないが、どうにもタバサもルイズに思うところがあるようだった。

「タバサ“も”……か」

 キュルケは昨日の昼間、ルイズをからかっていた時を思い出す。

 彼女の必死さは可愛く、怒りも本物だったが、どうにも彼女が本気になっている使い魔への興味は払拭出来ない。

 どうしてもつい、手を出してみたくなるのだ。

 他人に深くは関わらない。

 それが彼女のスタンスだった筈なのに、どうにも手を出したくなる。

「いや、違うか」

 ただ話が聞きたい。

 それだけなのだ。

 “あの”ルイズを落として見せた男性。

 その人の魅力を知りたいのだ。

 自分の“灼熱”を見つける為に。

 そう考え込んでいる内に、



「おや? こんな所で何をしているのです? ミス・ツェルプストー」



「っ!?」

 急に他人に近づかれていることに驚いた。

 キュルケはすぐに不機嫌になる。

「なんでもありませんわミスタ」

 そこに居たのは、以前も無人の教室で鉢合わせた教諭、コルベールだった。

「そうですか、ではお部屋へお戻りなさい。夏期休暇中とはいえ生活をみだらにするのは感心しませんぞ」

「そういうミスタは何故ここへ?」

「私は“火”の担当教官ですからな、昨夜ああいうこともあったので担当の私が夜に見回りをすることになったのですよ」

 キュルケは内心舌打ちした。

 火の担当教官?

 笑わせないで欲しい。

 凄腕のトライアングルメイジらしいが、たいした威厳も感じない。

 火に相応しく無い臆病者のようではないか。

 そうだ、戦ったなら自分が十中八九勝つだろう。

 ルイズ達が謹慎になってつまらないことだし、この先生を相手取って軽くあしらい、自分も謹慎になるのも悪くない。

 そうだ、前々からこの男は火のくせに気に入らなかったんだ。

 “やって”しまおうか。



「やめておきなさい」



「っ!?」

 そう、彼女が杖に力を込めた瞬間、目の前の男から、一瞬凄いプレッシャーを感じた。

 コルベールの目は、眼鏡のレンズにランプの炎が反射して窺うことが出来ない。

「そう易々と破壊の為に力を振るってはいけない。力を持つ者は、それ故に悲劇を生みかねないのです」

 だがすぐにその重圧は解かれる。

 まるで自分の勘違いだったかと疑いたくなるほど、それは本当に一瞬だった。

 優しげに説くコルベールはいいですね、と付け加えると他にも見回るところがあるのか、ランプを片手に歩いて行ってしまった。

 ……屈辱だった

 あんな、弱々しい“火”の使い手に、重圧の“錯覚”を起こすなんて。

 キュルケは苛立たしげにコルベールの背を睨む。

 先程のは錯覚だと信じて疑わない。

 やや経ってからキュルケもその場を後にする。

 彼女はこの時、その苛立ちから一つ、失念していることがあった。



 この火の塔にまつわる、最近の噂を。




***




 毎晩、当然のように空は暗く染まり夜の帳が降りる。

 だが真っ暗ではない。

 本当に比較対象の無い闇ならば、それが“暗い”と認識出来ないからだ。

 二点の光源、月が浮かんでいるおかげで、“見えない”ということは無い。

 太古より普遍であるそれは、今日も等しくハルケギニアを照らしていた。

 当然、このトリステイン王国の王都トリスタニアにある王宮も例外ではない。



 夜の王宮に、小さい風が吹いた。



 アンリエッタは月光を浴びながら自室の大きなベッドに腰掛けていた。

 今日も政務に兵法学にと忙しかった。

 明日も多忙なことはわかっている。

 だが、アンリエッタは体を休ませるよりも先に毎夜寝る前に祈りを捧げていた。

 いや、それは宣誓と言った方が正しいかもしれない。

 かならず復讐をやり遂げる、という決意の表れとその為に自分が牛歩でも進んでいるという報告を、誰とも無しに彼女は目を瞑って祈る姿勢で行っていた。



 小さい風が、アンリエッタを撫でる。



「風……?」

 アンリエッタは訝しんだ。

 この王宮も今は寝静まっている。

 起きている者など殆ど居ないだろうし、ましてや風が入って来る隙間など……そう思った時、彼女の部屋の大きな硝子窓、そこに黒い影があり、窓も若干開いている事に気付いた。

「……こんな夜更けに何方かしら?」

 アンリエッタは警戒を強め……相手を見て目を見開いた。



「やぁアンリエッタ、そんなに熱心に何を祈っているんだい?」



 そこには、彼女の戦う理由……死んだと思っていたプリンス・オブ・ウェールズこと、ウェールズ・デューダーの顔があった。



[13978] 第六十九話【復讐】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:49
第六十九話【復讐】


「すまない、随分と君に寂しい思いをさせたね」

 アンリエッタは息を呑んだ。

 月光を浴びて煌びやかにその金砂の髪を輝かせるウェールズは、とても優しそうだった。

「僕ももっと早く君にこうして会いに来たかったんだけど、この情勢下ではそれも適わなかった。本当にすまない」

 何度もすまないと謝罪をするウェールズ。

 アンリエッタは体を、心を震わせ、発した言葉まで震えていた。

「ウ、ウェールズ様……!!」

 寝間着に着替える前だった為、純白のドレスのような皇族としての正装そのままに、アンリエッタはウェールズの胸に飛び込む。

「アンリエッタ、悲しまないで話を聞いておくれ、今日君の所へ来たのには理由があるんだ」

「私、私がどれほど貴方を待っていたことか……!!」

 アンリエッタはウェールズの胸の中に抱きすくめられるようにしてぷるぷると震えていた。

 ウェールズはやれやれと、微笑みながらその背中を軽く叩いて落ち着かせようとする。

「私、本当に待っていたんですのよ? 本当に本当に────────」




────────待っていたんです♪




 瞬間、ウェールズの体は横転していた。

「っ!? ア、アンリエッタ!?」

 ワケもわからず床に転がされたウェールズは、信じられないものを見るかのようにアンリエッタを見つめ、美しいまでの……嘲笑を見た。



────────ボギッ!!────────



「うわぁぁぁぁああああああ!?」



 その、あまりの美しさに見とれた一瞬、ウェールズの足はあらぬ方向へ曲がっていた。

「本当に待ちくたびれていましたのよ、レコン・キスタさん♪」

 アンリエッタは本当に嬉しそうに床で転がり回るウェールズを見ていた。

「でも、よりにもよって、ウェールズ様に化けて来るなんて、本当に度し難いですわね」

 一言一言を発していくうちに、先程までの嬉しそうな笑顔から、能面のような、輝きも……何も映さない瞳で、無感情にウェールズを見る。

「な、何を言ってるんだアンリエッタ!? 僕は……」



「お黙りなさい」



 バキッ!! という音と共に、ウェールズが横になったまま自身の胸元に入れた手ごと蹴り飛ばす。

「うがぁぁぁぁああ!?」

 彼の手の甲はみるみる青黒く変色していき、ポロリとウェールズの胸から折れた杖が出てきた。

 彼の右手の甲は骨が“割れて”いることだろう。

「まぁ調査の足り無い侵入者様にお教えしてあげますと、あの方は二人きりの時は私を“アン”とお呼びになるんですのよ」

 サーッとウェールズ……の偽物の顔が青くなる。

「もっとも、お顔の作りや物腰、声は大変良く出来ていて、流石は一級の“偽物者”とは思いましたけど」

「な、何故……?」

 ウェールズの偽物は疑問で一杯だった。

 何故ばれたのか。

 いや、それは自分の失言のせいなのだろうが、だが彼女は言っていたのだ。



 『待っていた』と。



「何ですの? ああ、何故私が待っていた、と言ったのか聞きたいのですか?」

 簡単なことです、とアンリエッタは優しげに説明を始める。

 実は開戦前に彼女が自らレコン・キスタと繋がる貴族の粛正を果たした後、上層部は急に慌てふためき、自らは潔白であると我先に言い始めてきた。

 全てを鵜呑みには出来ないが、今王宮を相手にしてはまずいと悟る者は多くなったようなので、アンリエッタ一計を案じることにした。

 曰く、大魚(アルビオン)を釣るための稚魚(末端員)釣りと称して、



 『今こちら側に付くなら、“この国での身の安全の保障をする”からレコン・キスタの者は出てきなさい』と広めたのだ。



 するとどうだろう。

 意外なことに、何人かは自分の身の可愛さ故に本当に出てきたのだ。

 アンリエッタは彼らを約束通り殺さず、こちらを裏切れないギアスをかけ、諜報員となってもらい情報の収集を図った。

 先のタルブ村降下作戦時にいち早く動けたのも、この情報源があった故だった。

 だが、アンリエッタの提示した“この国での身の安全は保障する”というのは、万一アルビオン陣営で下手をしても責任を持たないということだった。

 そのことに、諜報員として引き抜かれた者達はよくわかっていない。

 結局どちらにいようと傀儡であることに変わりはないのだ。

 だが、彼らのおかげでアンリエッタは先のタルブ村戦を含め有益な情報の入手に成功していた。

 もっとも、最近はその諜報員と連絡が取れなくなっていた。

 考えられる可能性は二つ。

 逃げたか、もしくはこちらのスパイとして見つかったか。

 見つかったのであればスパイの末路は……考えるまでも無いだろう。

 逃げた、とはギアスの件からもあまり考えていない。

 その為アンリエッタは実質、彼らは処分されたものと思っている。

 つまり、今の彼女……トリステイン陣営には有益な情報源が不足していた。

 だからこそアンリエッタは新たな情報源、この期に乗じて侵入してくるであろう相手を待っていたのだ。

 必ず来るとは思っていた。

 こちらの情報源がカットされたこの期を、相手が見逃す筈が無い、と。

 だが、その説明を受けても侵入者は何故、と疑問の言葉しか浮かんでこない。

 何故、一国の姫がこんなに武闘派なのだ?

 何故、呼び方が違ったとはいえ、欠片も自分がウェールズの本物であると疑わなかったのだ?

 何故、この女は、侵入者が来て、こんなにも嬉しそうなのだ!?

 侵入者の疑問は尽きない。

 アンリエッタはうふふ、妖美に笑うとヒールの付いた靴を無造作に脱ぎ捨てる。

 月光の元に露わになる白いストッキングの脚。

 学院のニーソックスとは違う、その薄く白い様に、侵入者は自分の置かれている状況も忘れゴクリと息を呑む。

「まだ、不思議そうですわね? この際、何でも教えてあげますわよ? 幸い、“顔立ちだけ”はウェールズ様そっくりの貴方ですもの」

 アンリエッタはベッドに腰掛けると、その脚線美を隠そうともせず、むしろ魅せるようにして彼の前に白く薄いストッキングに包まれた脚を向ける。

「ど、どうして、僕が皇太子かもしれないと、全く疑わなかったんだ……!! い、いくら呼び方が違うからって、少しの戸惑いがあったって……!!」



「ああ、何だ“そんなこと”ですか……」



 アンリエッタは脚をゆっくりと伸ばし、侵入者の頬を撫でる。

 月光を浴びる彼女は本当に無感動に無表情で、何も映さない“虚無”の瞳であるのに、声だけはやや楽しそうな陽気さが混じっている。

 顔は笑っていないのに、声だけは嗤っている。




────────ゾクリとした────────




「簡単なことです、貴方からは“ウェールズ様分”が感じられませんもの」



 あまりにも妖美で、あまりにも異様で、あまりにも謎。

 だというのに、その侵入者は既に恐怖も、痛みも、不安も無かった。



「さぁ、まだ夜は長いのですよ侵入者さん、次は、貴方がお話しする番ではなくて?」



 ただ、白い姫が、黒くも美しかった。




***




「アニエス」

「はっ」

 空が既に明るみかけている頃、アンリエッタの部屋には二つの影があった。

 一人は部屋主であるアンリエッタ。

 もう一人は彼女が平民より抜擢し、新たに建設した銃士隊なる部隊の隊長だった。

 アンリエッタが自身が行いだした政策の内の一つに、平民の地位意識向上があった。

 平民でも、その能力によって高位職に取り立てることを是とする。

 そうすることによって、国、引いてはアンリエッタへの平民からの支持は増加傾向にあった。

 高位職はほぼ貴族である。

 だが、貴族は総人口の約一割程度でしかない。

 その為、数に勝る平民の口伝は瞬く間に広がった。

 さらに彼女は、優秀な平民を高官へと取り立てたり、暇を作ってはいくつかの圧政をしいているらしい貴族の領地へ自ら向かい、その貴族への厳罰もしくは領地の没収を図った。

 周りの貴族の反感は高まるかと思われたが、アンリエッタは、自分派の貴族に没収した土地を与えた。

 他にも、反対派な者には経済的打撃を、賛成派には特権や年金の増加など、良い思いが出来る物を与えた。

 これが、ますます今アンリエッタ派に付けば甘い汁が啜れると思わせ、彼女の派閥が増加傾向になるもう一つの理由だった。

 無論徹底した反感も多く、中には直情的な者も皆無ではない。

 だから、彼女はアニエスを近くに置いたのだった。

 彼女は平民、それも女性の身でありながら良く鍛えられていた。

 それはその胸に、一つの黒い感情を孕んでいた故でもあるのだが、それを知ったアンリエッタはボディガードにうってつけな彼女を気に入った。

 アンリエッタはその黒い感情の中身を知って、内容は違えど境遇が似ている彼女とはわかりあえる、そう直感したのだ。

 彼女が平民出身だというのも、アンリエッタの信用を促進させた。

 メイジ……とりわけ貴族は一癖も二癖もある輩が多すぎる。

 先日のレコン・キスタが良い例だった。

 故に彼女、アニエスとアンリエッタは主従でありながら半ば共犯者という意識が根強かった。

 お互い、自分の目的の為に相手の力を利用する。

 欲にまみれた者よりも、よっぽど信用が置けた。

「つい“お話し合い”に熱が入ってしまって随分と時間がかかりましたけれど、ようやく纏まりましたわ」

「お疲れ様でございます」

「アニエス、今回の一件で私は例の件をすぐにでも実行に移すことに決めました。事態は思ったよりも急いだ方が良さそうです」

「と、申されますと、“王座”に着くおつもりなのですか?」

「ええ、近日中には私は女王になるでしょう。それと……“ようやく尻尾を出しました”わ」

「では……!!」

 アニエスの瞳に、黒い焔が灯る。

「今回の一件、侵入者の手引きをし、裏で動いている者の中に、“彼”の名がありました。もっとも彼は流石に私の一存のみで裁ける程の相手ではありません」

「姫が女王にさえなれば……」

「可能でしょうが、それでは多大なリスクや無用な敵も生みかねません。ですが“彼”も今回の一件で“黒”な以上、ここは一つ舞台を用意して踊って貰おうではありませんか」

 アニエスはギリリと歯を噛みしめ、己を抑制する。

 本当なら、すぐにでも“奴”を……■■たいのだ。

「これから忙しくなります、今後も頼みましたよ、アニエス」

「……御意」

 だが、自分が“奴”を知り、ここまでの権力をも手に入れられたのはこの姫のおかげ。

 “奴”とは必ず機会を作ると口約され、今回何かまた一計を案じているようだし、事実これからさらに忙しくなるのは目に見えている。

 ならば、ここはグッと堪え彼女の力になり、“その時”を待たなければ。

 自分をここまで取り立て、怨敵に近づかせてくれた感謝の礼の為に、彼女は自身の感情を一時押しとどめる。



 黒い、“復讐”という名の感情を。




***




 一言で言って、ルイズは不機嫌だった。

 ゴトゴトと揺れる馬車の中。

 そこにルイズは三人で座っていた。

 彼女は謹慎中の筈だった。

 事実一日目は謹慎という大義名分のもとずっとサイトにひっついていられた。

 誰にも邪魔されることのない二人だけの世界。

 既に栄養失調からも快復しているルイズは、介護という名目ではない、自由な二人きり生活を最低あと二日は満喫出来る筈だった。

 それが、彼女はどういうわけか学院の“愛の巣”を遠く離れ馬車の中に居た。

 一緒に乗っている残りの二人のうち、隣に居るのは無論サイトだった。

 これは是が非でも譲れなかった。

 もう一人、向かい合うように正面に座っているのは、



「何よちびルイズ、随分と不満そうね」



 ルイズの姉にして、幸せ満喫ライフを奪った張本人、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールその人だった。



[13978] 777リクエスト記念番外編【ルイズの花嫁修業】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2010/08/08 22:01
777リクエスト記念番外編【ルイズの花嫁修業】


その日、急用でどうしても少しの間ルイズはサイトから離れなくてはいけなくなってしまった。

サイトはこの機会にそれじゃ一人で散歩してくる、とついて来て欲しそうなルイズに気付かずその辺をぶらつくことにした。

そうしていると学院の廊下で、

「やぁサイト、一人とは珍しいね」

光り輝く金の髪に、やや胸を開いた白いシャツ。

彼唯一の友人とも言える華と気品が感じられる少年、ギーシュ・ド・グラモンに話しかけられた。

「ああギーシュ、何だよ、俺だっていつもルイズと一緒なわけじゃないぞ」

「そうかな?僕の知る限りほぼ一緒だけど」

「まぁ一緒の時間が長いことは認めるけどさ」

ルイズはその時、速攻で用事を終わらせ、丁度サイトの傍に戻ってくる所だった。

サイトにまた“変な虫”が付いていると思い歩を進めたのだが、次の言葉、



「ふうん、僕から見ると何だか永年連れ添ったパートナーのようにも見えるけどね」



を聞いて咄嗟に影……廊下の曲がり角に身を隠した。

ギーシュ、偶には良いことを言うじゃない……とルイズは内心ほくそ笑む。

すぐにでもその“長年連れ添ったパートナー”に見える体勢に戻っても良かったのだが、折角だし、ここはサイトの反応が気がかりだったので影から様子を見ることにした。

ああ、ほんの十五分ぶりだけど今のサイトもなんて素晴らしいんだろうと頬をとろけさせながら。

十五分というのは短いと思う人もいるかもしれないが、ただ十五分過ぎるのを待っているだけだと、やたらと遅く感じる。

体感速度が人によっても状況によっても違い、ルイズはサイトが居るのと居ないとで、それが大幅に変わる。

今回、ほんの十五分彼の元を離れただけで、ルイズは一日彼と会っていないかのような錯覚さえ憶えているのだから、体感速度は侮れない。

故に、彼女が一度サイトを失ってから彼に会えるまでの年数は、体感時間にしてどれほどのものだったかは計り知れぬ物だったと言えよう。

サイトはギーシュの言葉に照れ、慌てる。

「そ、そこまでじゃねぇよ!!お前だって俺とルイズが会ってからの期間は知っているだろ!?」

「おや?何をそんなに顔を赤くしてるんだい?実際の時間なんて関係ないさ。サイトの女性の好みはルイズなんだろう?」

影で話を聞いていたルイズはもうニヤケが止まらない。

ギーシュ、グッジョブ!!とルイズにしては珍しくギーシュに内心賛辞を送っていたのだが……、



「好み……?俺の好みか……そうだな、やっぱり日本美人、かな?」



ピシッ!!っとルイズの体が水の魔法をかけられたように凍り付く。

“ニホンビジン”って何!?

ルイズは見たことも聞いたことも無い強大な敵に震えた。

サイトが“それ”を好きだと言うのならば、自分は身命をかけてそれにならなければならない。

「サイト、その“ニホンビジン”って主にどんな感じなんだい?女性のことを表すんだろ?少し僕も興味が湧いてきたよ」

ギーシュは女性のこととなると、少し普段よりも好奇心旺盛になる。

紳士らしい彼唯一の欠点とも言えるが、完璧な人間など居ないし、そうであるほうが年頃の少年らしい。

ルイズは思わず腰を低くして臨戦態勢に入った。

耳をヒクヒクとひくつかせ、ただの一言一句たりとも聞き逃さないようにサイトに集中する。

「どんな感じって言ってもなぁ、優しくて、綺麗で、料理が上手くて……うん、炊事洗濯がバッチリな人ってとこかな」

結構な偏見だが、上手く説明出来ないサイトは、思いつく限りの言葉で答えた。

「そうなのかい、それって貴族にはあまりいそうに無いね、料理はともかく、洗濯なんてほぼ自分じゃしないし」

「まぁ俺は将来、美味しいみそ汁が作れる人と一緒になりたかいなぁ、洗濯は自分でも出来るし」

「“ミソシル”?また知らない単語が出てきたよ、それは料理かい?」

「ああ、俺の世界の……日本を代表するスープさ」

サイト達の無邪気で楽しそうな会話は続く。

だが、ルイズは心中穏やかではいられなかった。

(ニホン……?サイトはチキュウから来たんでしょう?私はサイトに本当のことを教えてもらっていないの?)

ルイズは不安で胸が一杯になる。

ニホンという言葉に全く聞き覚えが無いわけではないが、彼女はその時は動転し正しい意味に結びつけなかった。

自分の知らない、自分の記憶とも食い違う事を言うサイトは、もしかしたら本当は自分が嫌いで嫌いでしょうがないのではないか。

また、自分を置いて何処かに行ってしまうのではないか。

嫌だ、嫌だ、嫌だ!!

サイトと居たい。

サイトと共にすごしたい。

可能な限りサイトと一緒でありたい。

幸いまだサイトが離れていく素振りは見えないが、それも時間の問題かもしれないと思ったら身震いがした。

サイトが居なくなるなんてもう耐えられない。

だが“ニホンビジン”になればサイトに好かれる。

好かれる。

好かれる。

好かれる!!



かくして、ルイズは厨房を貸し切り料理に興じるのであった。



部屋でのサイトの下着は既に洗濯済みである。

それはもう丁寧に端正込めて手洗いで洗った。

途中何度もサイトの匂いをくんかくんかした。

洗っている時間よりくんかくんかしている時間の方が長いほどくんかくんかした。

洗濯をして段々と石けんの匂いで彼の匂いが消えていくのは悲しいが、この石けんの匂いは自分がいつも使っているものである。

サイトは以前この匂いを“ルイズの匂いっていい匂いだな”と評してくれたことがあるので、彼が自分の匂いに染まっているのだと思えばそれもそんなには気にならなかった。

洗濯を自称完璧にこなしたルイズは、次は炊事だと思い目の前の食材を睨み付ける。

料理は……ある程度出来る。

だが、残念なことにルイズは“ミソシル”なるスープのレシピを知らなかった。

料理長のマルトーに問い詰めても怯えられながらわからないと言われる。

恐らくサイトの土地固有のものなのだろう。

だが、だからといって“ミソシル”を作れなければサイトに嫌われてしまう。

既にルイズはこの“ニホンビジンになる”という超重大ミッションの失敗=サイトに嫌われるという図式ができあがっていた。

……やるしかない。

それっぽいスープを作って、「アレンジしたの」と誤魔化し、サイトに気に入って貰うしかない。

そうだ、似ていて美味しければ気に入って貰えるはず。

気に入って貰えなかったら……その時は終わりだ。

そうなったらこの命に意味など無い。

だからその時は……とルイズは包丁を強く握りしめる。

鈍色に光る包丁に、ルイズの虚無を宿した瞳を持つ顔が映っていた。




***




「ただいまー」

サイトはルイズの部屋に戻ってきた。

珍しくこの時間までルイズと別行動だった。

なんだか身軽ではあったが少々物足りないとうか、寂しくもあった。

だから、サイトにしては珍しく、ずっと見ているルイズの顔を見たいと思いを込めて扉をくぐった……のだが。



「おかえりなさいませ」



制服の上に白いエプロンという服装を身に宿したルイズが、何処で憶えたのか三つ指ついてサイトを跪きながら出迎えた。

「は!?」

思わず固まる。

一体何事なのだこれは?

サイトは混乱し、どうしたもんかとあわあわする。

しかしルイズも“ニホンビジン”になるため必死だった。

「サイトの下着はちゃんと綺麗に洗っておいたわ」

ルイズはすぐさま、まず炊事洗濯のうち、洗濯の腕を披露することにした。

出迎えから淑やかさは見せたし、次々とサイトの好みを見せていかなければならない。

サイトは「洗濯……?」と不思議そうにルイズが向ける方を見、固まった。

そこにあるのは青と緑のシマシマ柄……いわゆるストライプの……トランンクスだった。

「……これ、ルイズが洗ったの?」

「ええ」

「……洗濯機、なんて無いから手洗いで?」

「“センタクキ”?よくわからないけど、ええ、私がサイトの為に端正込めて手洗いしたわ」

「………………」

サイトは引きつった笑みでトランクスを見つめる。

汚されちゃった、俺汚されちゃったよ、と内心思うが、トランクスはバッチリ綺麗になっている。

「それでねサイト、今日は私がサイトの為にその、料理を作ったの。食べてくれる?」

「え……?」

なんだかもう立ち直れそうに無い……なんでこんなことを……?などと思っているサイトの鼻に、お腹を鳴らせる程の匂いが入ってきた。

ルイズが銀の半球の蓋を取り、小さなテーブルにささやかながら食事が用意されている。

「おお!?いい匂い!!美味そうだ!!」

先程受けた精神的ダメージも忘れ、サイトは顔を朗らかに崩して子供のように喜びはしゃぐ。

「はいサイト」

椅子を引き、彼の食事を甲斐甲斐しく先導し優しさをアピールする。

サイトは今日は何かの記念日か?などと訝しんだが、あまりに美味しそうなテーブルからの匂いにそれもどうでもよくなり、早く食べたいと胃が急かす。

「どうぞ召し上がれ」

許可を得たサイトはわーい♪と子供みたいに食事に手を付け始めた。

大きめのハンバーグ、それに付いているオレンジの人参のようで少し違う野菜、柔らかいパン。

サイトは美味い美味いとそれらを頬張り、スープにも口を付けた。

「……ん!?」

飲んで驚く。

このスープ……、

「あ、あのねサイト、そ、それはそのアレンジ作品なんだけどミ、“ミソシ「美味いなこれ!!何のスープなんだ?」ル”……え?」

サイトの輝くような笑顔にルイズは胸をトクンと弾ませながらも、背中には冷たい汗が流れる。

「えっと、わからない……?」

「ああ、凄い美味いぞ!!全然知らない味だけど」

「……っ!!」

ルイズの手が止まる。

終わった。

嫌われた。

ルイズの中で絶望が駆けめぐる。

サイトがそれを“ミソシル”と思わないなら、それは“ミソシル”ではないのだ。

そもそも、スープ系料理というのがわかっているだけで、名前だけからその料理を作るなどプロでも難しい。

だが、ルイズは唯一の希望から滑り落ちた気分だった。

「う、うぅ……うわぁぁぁん!!き゛ら゛わ゛な゛い゛て゛サ゛イ゛ト゛ォ゛!!」

サイトに飛びつき泣きわめく。

この温もりを離したくない、離れたくない、失いたくない!!

「ちょっ!?ええ?おいルイズ!?」

サイトは突然のルイズの豹変に驚き、ルイズを受け止める事しかできない。

ルイズは“ミソシル”を作れなかった。

それではサイトに好かれない=嫌われるのだ。

「き゛ら゛わ゛な゛い゛て゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛」

「大丈夫だって、嫌わないって、落ち着けよ!?」

意味不明なサイトは必死にルイズを宥める。

その後サイトはなんとかルイズの誤解を解いた。

日本とは地球にある国の一つで、故郷なこと。

ルイズを嫌う理由は無い事。

最後に、これだけ美味い料理が作れるなら良いお嫁さんになれると言い、ルイズを完膚無きまでに喜ばせた。

ルイズは嬉しさのあまりにサイトをベッドへと押し倒し、無理矢理に唇を押し当てる。

舌を口内に滑り込ませ、サイトの舌を飴を舐めるかのようにしつこく口内で転がした。

何せ半日はサイトと離れていたのだ。

その上サイトからのプロポーズにも似たような言葉をもらっては、彼女は我慢できなかった。

その日、結局サイトは残りの食事が出来ず、代わりにルイズの舌を存分に味わうハメになった。



と、いうところでルイズは目が覚めた。

目の前には自分が用意した銀蓋によって隠れている食事。

丁度正面の扉が開き、サイトが帰って来た。

さっきまでのは夢だったのか、何処から何処までが夢だったのか。



ただ、綺麗になったトランクスが、部屋の光源であるランプによって煌々と照らされていた。



[13978] 第七十話【帰省】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:50
第七十話【帰省】


 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールは不機嫌だった。

 久しぶりに、ようやくある程度纏まったバーガンディ伯爵との縁談がつい先日「もう限界」と言われ、破談になったばかりなのだ。

 そんな結婚がまた遠のき苛立っている自分に、母様から気分転換も兼ねて、最近まったく音沙汰の無い夏期休暇中の末娘を呼び戻して来いと言われ、来てみれば。

 この末っ子のルイズは、自分がそんな目に合っている中、なんと恐れ多い事に“男”といたのだ。

 自分は決してルイズが嫌いでは無い。

 どんなであれ、れっきと血の繋がった妹なのだ。

 イジワルした後卑屈になる様は可愛いし、魔法が使えぬならと幾たびも練習し、座学にも精を出していた様子はとても微笑ましかった。

 だというのに!!

 この妹はなんと自分で呼びだした使い魔とはいえ、男……それも平民とイチャついていたのだ!!

 こんな理不尽なことが許せようか!!

 否ッ!!

 断じて否ッ!!

 例えブリミル様が是と言おうと否ッ!!

 これは決して逆恨みでは無い。

 姉の気持ちを逆撫でする、もとい惚気きった妹を正しく導く姉の愛の鞭である。



「いい加減になさいルイズ、いつまでそんな男とくっついているつもり?そんな汚い平民はやはり外に出しなさい!!」



 エレオノールはいつまでたってもあまり話さず平民の使い魔に夢中なままの妹に一喝する。

 彼女の心情上の理由はともかく、このハルケギニアの常識から鑑みればエレオノールのとった行動は模範的で非の打ち所など無い。

 だが、それも“通常の相手”ならという枕詞が付く。

 惜しむらくは、彼女が彼女の記憶にある昔そのままのルイズが、本当のルイズであると思い続けていたことだろう。



「お姉様、今なんと?」



 二、三度は馬車内の温度が下がったかと勘違いするほど、冷たい空気が流れる。

 体感温度は二、三度低下、空気は五倍重くなったかのような錯覚。

 エレオノールは体感的には冷えたのに、タラリと汗を流した。

 それは本来の温度に体が正しく反応した為か、それとも……別の要因か。



「お姉様、今私の聞き間違いで無ければ、お姉様は私のサイトを“そんな男”と仰いましたか? それも“汚い平民”と表現されましたか? ……もしかしてまさかと無いとは思いますけど、私のサイトを侮辱したのですか?」



「う……え……?」

 言葉、声色、身振りは記憶のルイズそのままに、しかし明らかに記憶と違う異質な気迫を纏ってそんなことは許さないとばかりに言葉を投げかけられたエレオノールは、思わずたじろいでしまった。

 たじろいで、自分の中に怒りを感じた。

 (私が、私がちびルイズに気圧された!?)

 それは姉としてのプライド、尊厳が傷つけられたと同義であり、彼女が数多の婚姻を破談にさせた元凶、自覚の無い高い上位者意識がその現実を許さなかった。

「そ、そうよちびルイズ!! この私の言うことが聞けないの?」

 エレオノールは昔のように頬をぐにゃりと引っぱり、恐い姉として高圧的に出る。

 昔からエレオノールはルイズが可愛くて仕方が無かった。

 だが、可愛いからこそ、厳しく接した。

 周りはルイズに甘すぎる。

 ルイズのことを思えば、もっと厳しくしなければルイズは将来困ることになるのだ。

 特に父と次女のカトレアは甘い。

 だが、父はともかく、カトレアはそれでいいのだとも思う。

 厳しい鞭だけでは人はやっていけないのだから。

 周りが甘い分自分が鞭となろうと決意し、虐めだしてそれを恐がるルイズを今まで以上に可愛く思ったあの日。

 その日からエレオノールは姉としてルイズ虐めを楽しみ……もといルイズに愛の鞭を与え続けてきた。

 重ねて言うが、彼女はルイズが嫌いでは無い。

 ある意味大好きとも言える。

 故に一見両極端に見えて同じ方向性へと向かう彼女の、男と一緒に居たルイズへの愛憎……もとい愛情はしかし、

「っ!?」

 ぐっと近寄ってきたルイズの顔に息を呑む結果となる。

 ルイズの瞳がエレオノールの目を釘付けにする。

 ルイズの大きな、大きな何も宿さない黒い……真っ黒い漆黒の闇。

 光の無い輝きの無い、完全に何も無い。



 虚無。



 そんな言葉を連想させる瞳に、エレオノールは蛇に睨まれたカエルのように何も出来なくなり、ルイズが何か言おうとその小さな口を開いた途端、

「ルイズ!! お姉さんなんだろ? 喧嘩はよくないぞ!!」

 サイトの仲裁が入り、ルイズは即座に姉を自分の意識からシャットアウトした。

「そんなサイト、“義姉さん”だなんて」

 ルイズはポッと赤くなる。

 サイトはルイズにまだそんなつもりじゃないと慌てて弁明していた。



 何故かエレオノールはホッとし、それからしばらくルイズに声をかけられなかった。




***




 ラ・ヴァリエール領は広い。

 領地に入ってもヴァリエール公爵家の屋敷へは結構距離があった。

 サイトはそれを見て、知ってはいたもののやっぱりルイズは凄いところのお嬢さんなんだなぁと今更ながらに納得していた。

 屋敷に付くと、執事やメイドが左右に壁のように並び出迎えた。



「「「「お帰りなさいませルイズ様!!」」」」



 エレオノールもルイズもそれが当然だとして気にも止めて無かったが、今までそんなのはお話しの中でしか聞いたことのないサイトは驚きはしゃいでしまった。

「す、凄ぇ!!」

 それをエレオノールがやや蔑みを込めた目で見るが、すぐに止めた。

 何故か悪寒がしたのだ。

 “経験者”にだけわかる、その“気配”が。

 だが、残念なことに未経験者はその悪寒を感じなかったらしい。

「貴様、ルイズ様とエレオノール様の前でなんて失礼な!!」

 執事の中の一人が、貴族……それも主達の前であまりに無礼な働きをするサイトを睨み、近寄っていく。

 手には杖。

 ここからつまみ出すのもやむなしというその態度の執事に、



「やめなさい。貴方、もしかして私のサイト危害を加えるつもり?」



 ルイズがサイトの前、執事との間に立っていた。

「しかしルイズ様、その男は平民ですぞ。旦那様が今のを知ったらなんと言われることか。後生ですから私めにその無礼な男を放り出させて下さい」

 執事はサイトを睨む。

 え? 俺なんか悪いことした? と少しサイトは怯えた。

 怯えてしまった。

 それを感じたルイズは……キレた。



「貴方、サイトを怯えさせるなんて覚悟は出来てるんでしょうね? 解雇なんて生ぬるい制裁では済まさないわ」



 ルイズも杖を抜き、執事の首にそれを当てた。

 魔法が発動すれば、その首は……言うまでも無い。

「エ、エレオノール様……!!」

 執事は慌ててエレオノールに助けを求めた。

 この屋敷に仕えて数年になる彼は、自分は間違っていない事をこのルイズを自在に操れる(と彼は思っている)彼女に諭してもらおうと思ったのだ。

 その時だった。

「まぁ、まぁまぁまぁ!! ルイズじゃないの、おかえりなさい!!」

 ルイズを二周りくらい大きくしたルイズそっくりな女性が現れた。

 だが顔は柔和で、ルイズと違い胸部の戦力はルイズの努力の成果も虚しく圧倒的だった。

「ちい姉さま、ルイズは只今戻りました」

「ええお帰りなさいルイズ、心配していたのよ?貴方ったらちっとも連絡をくれないものだから」

 ルイズは目の前の凶大な戦力を持つ女性……もとい次姉のカトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌに抱きついた。

「ちい姉さま、今日はお体の調子は良いの?」

「ええ、今日は悪くない方よ」

 カトレアはルイズを抱き寄せ頭を撫でながら笑う。

 彼女は、原因不明の病に犯され体が弱かった。

 それを不憫に思った彼女らの父は、せめてカトレアの生きた証を、と彼女に一部の領地を贈り、カトレアはそこの領主として、ラ・ヴァリエールではなくフォンティーヌと名乗る事になっていた。

 領主になるということは大変名誉であり、貴族でもそう多くない。

 そのことからも、ラ・ヴァリエール公爵がどれほど彼女の事を不憫に思い、また大事にしているかが窺い知れる。

 サイトはそんな姉妹のやり取りを見て微笑ましく思っていた。

 何処かルイズは“独り”というイメージが強かったが、ちゃんと理解してくれる家族がいるのだと。

 そう思って、つい自分の家族のことを思い出してしまう。

 今、父や母はどうしているだろうか。

「あら? 貴方は……不思議な方ね、まるでこの世界の人じゃないみたい」

 そんなことを考えていると、カトレアは驚くようなことをサイトに言ってきていた。

「わ、わかるんですか!?」

 サイトは縋るような目でカトレアを見た。

「あら? 本当にそうなの?なんとなくそんな感じがしただけなのだけど」

 あらあら? と困っているような驚いているような、そんな不思議な表情でカトレアは首をかしげた。

「貴様!! まさかカトレア様をたばかるとは!!」

 しかし、話を聞いていた、ルイズに責められていた筈の執事が怒り出した。

 ルイズがカトレアに傾倒したことで、彼への見えない拘束が解けていたのだ。

 執事はサイトの言う事を信じなかった。

 異世界の人間など、聞いて誰が信じようか。

 だが、カトレアは違ったらしい。

「そう、可哀想に。家族の事が心配なのね?」

 カトレアはルイズをそっと押すと、サイトに近寄り先ほどルイズにしたように抱き寄せ頭を撫でた。

「あ……」

 サイトはその時初めて、自分が泣きそうだったことに気づいた。

 それを見たルイズが、次姉を羨ましそうに……かつ何かヤバそうな感情を抱いて見……睨んでいた。

 いや、

「ちい姉さま!! 私のサイトをとらないで!!」

 無理矢理カトレアから引き離した。

 ルイズの小さな、しかし決して皆無では無い胸にサイトは顔を押し付けられる。

「あら? あらあら? そういうことなの? ごめんなさいルイズ、気付かなくて。その子は貴方の大事な子なのね」

「ええ、誰にも渡したくないほど大事なんです」

 ルイズとカトレアが喧嘩のようで違うやり取りをしている。

 エレオノールは珍しそうにそれを見ながらクスリと笑った。

 なぁんだ、ルイズは何も変わっていないではないか。

 今のルイズは、昔大事なものを隠されて(もちろん隠したのはエレオノール)必死になったルイズとなんら変わらない。

 ホッとエレオノールが安堵した時、例の執事がエレオノールにサイトを諫めるよう進言してきた。

「エレオノール様!! あの平民をたたき出しましょう!! 全く貴族への礼がなっていません!!」

 ホッとしたせいか、冷静な思考が帰ってくる。

 執事は自分の言っていることが正論であると疑わない。

「そうね……では結論を出しましょう……貴方、解雇よ」

「はい!?」

 執事は驚いた。

 何故にそうなるのだ!?

「貴方の主は誰?」

「旦那様と奥様、そしてご息女であらせられる貴方達でございます」

「そう、わかっているなら尚質が悪いわ。貴方は主であるルイズの言葉を無視し、カトレアの事を嘘つき呼ばわりしたのよ。これはとんだ主への謀反だわ」

 それはまさしく先ほど執事が言った正論と同じだった。

 ただ、自分が自分より下の平民に躾がなっていないと追い出そうとするのと一緒で、主に逆らうなど躾がなっていないなという理由で追い出されるのだ。

 だが執事は納得がいかなかった。

 自分は平民とは違うのだ。

 自分は偉いのだ!!

 そう思った時、彼は風で吹き飛ばされた。

 サイトの眉間に皺が寄り、みるみる不機嫌……を通り越して腰を低くし戦闘体勢を取る。



「何です、騒々しい。おや? ルイズがようやく戻ったのですね」



 そこには、カトレアの胸囲を退化させ、しかしルイズを全面的に進化させたような妙齢の女性、ラ・ヴァリエール公爵夫人であるカリーヌ・デジレ……早い話がルイズ達の母親がいた。



[13978] 第七十一話【幻影】
Name: YY◆90a32a80 ID:870f574a
Date: 2011/03/03 19:51
第七十一話【幻影】


「全く貴方という子は全然連絡もしないで……心配しましたよ?」

 カリーヌは杖を仕舞うとルイズに歩み寄る。

 が、サイトが背のデルフの柄に手を当てながらルイズの前、カリーヌとの間に立ちふさがった。

「……なんです? 貴方は」

 ギロリ、と目を細めてカリーヌはサイトを見た。

 実はカリーヌは先程のやり取りをある程度聞いていた。

 彼女は、知る人ぞ知る高名な風メイジだった。

 ラ・ヴァリエールに嫁いだことはあまり知られていないが、王宮の魔法衛士隊……とりわけマンティコア隊には伝説が残っている程だ。

 風メイジは耳が良い。

 ワルドが遠くの声や音を聞き判断できたように、カリーヌもまた風に乗って運ばれる音でこの場で起きた出来事を確認していた。

 だからこの場に現れた時、既に解雇が決まった執事を不届き者として吹き飛ばしたのだ。

 執事に対しては彼女もまたエレオノールと同じ意見だった。

 だが、このルイズの大事な人という平民はなんなのだろう?

 まずは見極めなければならない。

 自分たちや娘達、引いては“あの人”に害を及ぼす存在ならばその時は……、

 カリーヌは態度はそのままに、心の中でだけ身構えた。

 だが、目の前の平民は意外なことにそれを察したらしい。



「風のメイジ……!!」



 恐らくは自分のことだろうが、敵意を剥き出しにしたままルイズを背中で押しどんどん距離を取っていく。

 意外なことに末娘のルイズはされるがまま……というより嬉しそうに自分から平民の動きに合わせていた。

 それを見てやや呆れながらどうしようかと思っていると、カトレアが楽しそうに笑った。

「あらあら、えっとサイト君、だったかしら? ルイズの騎士をやってくれてるのね。でも大丈夫、その人は私達の母よ、怒ると恐いけど怪しい人じゃないわ」

 ほわほわした声で場を和ませる。

 最も、この場で和まなかった者が二名ほど居たが。

 (カトレア……平民とはいえ初対面の人間にこの母を怒ると恐いなどと説明するなんて……病弱と言えど後でOSHIOKIです)

 一人は渦中の人、カリーヌ。

 もう一人は、

「……母親、だって!?」

 尚キツイ目をしたもう一人の渦中の人間、サイトだった。

 どうやら今の一言は場を収めるどころか、二人の触れてはならない場所に触れてしまったようだった。

「貴方が、本当にルイズのお母さん、なんですか」

 サイトが、奥歯を噛みしめるようにして睨みながら尋ねた。

 本来、平民が貴族、それも公爵家夫人相手にとって良い行動ではない。

 ましてや相手は“あの”烈風と呼ばれ恐れられる猛者なのだ。

「そうですが……人に者を尋ねる時はまず自分から名乗るのが礼儀でしょう、違いますか?」

 空気の変わった二人に、周りの使用人はオロオロとしている。

「……俺はルイズの使い魔です。名前は平賀才人」

 サイトは感情を殺したような、平坦な声で自己紹介をする。

 カリーヌはようやく合点がいった。

 彼はルイズが呼び出した使い魔。

 人間の平民を呼び出したのは予想できるようなものでは無かったが、だいたいの事情を理解した。

 恐らく、ルイズは平民の人間なんかを召喚してしまった手前、家に連絡も出来ず、その上使い魔として一緒にいるうちに情が移ってしまっているというところか。

 自分の出身から言って、階級差はあまり口にしたくは無いが、だからといってもしルイズが平民と恋に落ちることになっては、“あの人”がきっといい顔をしないだろう。

 全く“あの人”と来たらいつもいつもルイズルイズカトレアエレオノールと娘達のことばっかり!!

 ギリリ、とカリーヌの杖を持つ手に力が入って撓る音がした。

 やや、カリーヌの瞳の輝きが失いかけている。

 今度の“夜”は少し激しく行きましょうか、フフフ娘達に新しい妹か弟が出来てしまうかもしれませんね、などと怪しい事を考えながら、カリーヌは未だ敵意を向けてきているルイズの使い魔から目を離さない。

 もし、どんな理由であれ、向かってくるのであれば叩きのめす。

 それだけだった。

「俺は風のメイジが大嫌いです」

「そう、だからなんなのです?」

「貴方は風のメイジだ」

「だから嫌うと? 別に好かれよう、とは思っていませんがおよそ平民の言って良い言葉ではありませんね。ルイズには後でよく躾けるよう言う必要がありそうです」

「……ルイズに、躾けさせる?」

「ええ、貴方の主人はルイズなのでしょう? なら当然ではないですか。もっとも、ここまで鼻っ柱を伸ばさせたルイズにもOSHIOKIが必要かもしれませんが。あの子は昔から手ばかりかかる……それが可愛いところでもあるのですけれど」

 カリーヌがやや昔を懐かしみ、柔和な顔になった途端、サイトは抜刀していた。

「「「!!」」」

 ざわつく。

 貴族相手に明確な敵意と武器を持った。

 もう言い逃れなど出来ない。
 
 通常なら打ち首ものだろう。

 だが、サイトは止めるつもりは無かった。

 今回、サイトが大人しくルイズの帰省についてきたのには一つ聞きたいことと、恐れ多くも怒りたいことがあったからだった。

 カリーヌは再び目を細め杖を構える。

 両者とも臨戦態勢だった。

「俺はここに来るのにあたって、どうしても聞きたいことがありました」

「何です? こうして死を覚悟してまでそんな真似をしているのです、答えられることならば答えて上げましょう」

 カリーヌの『死』という言葉に反応し、それまで見ているだけだったルイズが前に出ようとするが、サイトに阻まれる。

 サイトはカリーヌを睨み付け、堂々と大きな声で、



「何で、何でルイズをあんな男と婚約させた!?」



「……………はい?」

 カリーヌに素っ頓狂な声を上げさせた。

「あんたが親だってんならあのワルドと婚約させたのはあんただろう!?」

 ずっと、ずっと腹が立っていた。

 ルイズを殺そうとした親が決めたという婚約者。

 今でも時々思い出す。

 卑怯な方法で自分の背中を傷つけた風を。

 自分が人質になったせいで無抵抗になったルイズを打つ風を。

 自分の思い通りにならないからといってルイズを貫いた風を!!

 風。

 風。

 風!!

 いつも悪いことには風が絡んでくる。

 さらに婚約させたらしいルイズの親は風メイジときた。

 本当に風は嫌いだ。

「ワルドはルイズを殺そうとしたんだ!! 死んだっておかしく無かった!!」

「……ほぅ、それは聞き捨てなりませんね」

 カリーヌは笑った。

 杖を降ろす。

 既に戦意は無かった。

 どうやら自分の末娘は随分と良い使い魔を召喚したらしい。

 まさか、先程からの態度が全てルイズの為だったとは。

 それなら風を嫌う理由も頷けるというものだ。

 だから既に彼の言葉の中で聞き流す事の出来ない言葉は一つ。



『ワルドはルイズを殺そうとしたんだ!! 死んだっておかしく無かった!!』



 ワルドが裏切り者だったということは既に聞いている。

 が、王室はこちらの対応が恐かったのだろうか。

 “そんな話”は聞いていない。

「ルイズ、今の話は本当ですか?」

「ええ母様、私はサイトがいなければここにこうして戻れなかったでしょうね」

 ルイズは自信満々にそう言い、サイトの腕に自身を絡ませる。

 その態度に少々驚いたが、成る程。

 それで惚れてしまった、ということだろうか。

 だがサイトは首を振った。

「違う、俺はルイズを護りきれなかった。ルイズが自分でなんとかしたんだ。俺は、あいつの遍在を倒すので精一杯だった」

「いいえサイト、私は貴方がいたからがんばれたのよ。それに貴方がくれたブレスレットが護ってくれたんだもの」

 何でもないことのように話しているが、カリーヌは目を見開いた。

 遍在とはいえワルドを倒した?

 この少年……何者だ?

 ……いろいろ聞き出さなければならない。

「サイト、でしたね。まず質問に答えましょう。と言っても答えにはなりませんが。なぜならルイズを婚約させたのは私ではなく夫ですから」

 カリーヌはそう言い、降ろした筈の杖を降った。

「っ!?」

「サイト!?」

 まさにだまし討ちともとれる行為だが、はたしてサイトが受けた魔法は『スリープ・クラウド』……“眠り”の魔法だった。

「……どういうつもりですかお母様」

 ルイズが眠ったサイトを支え、カリーヌを光の無い瞳で睨み付ける。

「いろいろ貴方には聞きたいことがあります。ですがその使い魔がいてはきっと話が進まないでしょうからね。“あの人”が帰ってくるのは明日ですし、それまでに説明してもらいますよルイズ」

「……わかりました。ではまずサイトを私の部屋に連れて行きます」

「何を言っているのです? 貴方の部屋はベッドが一つでしょう。客室にでも連れて行きなさい。そこの貴方、ええ貴方ですよ、ルイズから彼を「サイトに触らないで!!」……」

 ルイズは必死だった。

 家族が“まだ”平民のサイトを良く思わないのは予想していたが、こうもサイトに対して難が多いとは思わなかった。

 だからルイズは今サイトと離れるのがとても恐かった。

 せめて自室で彼を眠らせ、夜は閨を共にしたかった。

 だが、

「……ルイズ、我が儘はなりません。いくら使い魔とはいえ平民の男性。客室に案内なさい、その代わり貴方が連れて行くまで待っています。終わったら私の所へいらっしゃい」

 カリーヌはそれを認めず妥協案としてルイズ以外に彼を触らせない代わりに、同室を止めさせた。

 ルイズは不満そうだったが、渋々とサイトを連れて行った。

 尚、今回の不意打ちの一件でさらにサイトは風使いを嫌うようになる。




***




 夜。

 あらかたの説明を終え、皆寝静まることとなった時間帯。

「フフフ、わかっていますよルイズ。貴方の考えることなど母はお見通しです」

 カリーヌはルイズの部屋から唯一サイトが眠る客室へと繋がる廊下にいた。

 あの娘のことだ。

 今夜は自室を抜け出し使い魔の所へ行くに違いない。

 あの子のあの目は恋する目だった。

 そんなこと、恋を知って●●年のカリーヌは容易く看破していた。

「恋の年季が違うのですよ年季が。さぁルイズ、来るなら来なさい」

 娘がやろうとして咎めた行動を、改めて制するつもりでカリーヌは自ら廊下に突っ立っていた。

 彼女もまた自身の夫に“異常なほど恋”している女性である為、ルイズの考えていることなどわかるとタカをくくっていたのだが、彼女は一つ誤解していた。



 本当の“年季の差”というものを。



 (それじゃ、お母様)

 カリーヌの背中を見てルイズはほくそ笑んだ。

 カリーヌの予想通りルイズはサイトと閨を共にするのを諦めていなかった。

 だが、彼女はすでにカリーヌが塞ぐ通路を通り過ぎていた。

 (年季が違うんです、母様)

 ルイズはニヤリと笑う。

 カリーヌは時々欠伸をしながら通路を見ているばかり。

 ルイズはどうやって通り過ぎたのか。

 簡単である。

 素直にカリーヌの横を通り過ぎたのだ。

 何を馬鹿な、それならカリーヌは気付く筈、だったのだが、ルイズのサイトへの執念は凄まじかった。

 サイトの元へ行けないならば行けるようにすればいい。

 カリーヌが見張っているなら、それを逆手に取る。

 ルイズは“始祖の祈祷書”を持っていた。

 カリーヌにはずっと同じ通路が見えているだけだった。

 ルイズはその通路を通る、それだけを願って祈祷書を開き、浮かんだルーンを読み上げ魔法を使った。

 幻を見せる魔法……“幻影(イリュージョン)”を。

 果てしない虚無魔法の才の無駄使いだが、ルイズにとってはこの上ない正しい使い方だった。

 サイトの為、サイトと居るための魔法である。

 ルイズは上手いことカリーヌの包囲網を抜け、まんまとサイトのベッドに潜り込み幸せを享受することに成功する。

 しかし、カリーヌはおろかルイズも考えていないことがあった。

 それは、



 翌朝、目覚めた後どうするか、である。



[13978] 第七十二話【五感】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:51
第七十二話【五感】


 彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの朝はサイトから始まる。

 そうでなくてはならない。

 そうでなくてはおかしい。

「……ん……う、ん……」

 もぞもぞと細い腕を伸ばしてさわさわと彼を触り、幸福感を充足させる。

 彼女がサイトに触れる主な理由は彼をより感じこうして幸福感を得る為で、ただ彼がそこにいるかどうかなどを知りたいのであれば、彼女は触れずともある程度近くに居ればそれを理解することが出来る。

 それは使い魔とか主人とかそんなチャチなものでは断じてない。

 もっと感度の良い、彼女だけが持つサイトセンサーの片鱗が、それを可能たらしめ……最近益々その性能を上げている。

 それでも彼女が彼にこうして触れるのには、もう一つ重要な理由がある。

 それは彼がそこにいるのを触覚でも確かめ、彼を存分に感じ、それらから分泌される“目には見えない成分”を補充する為であった。

 その成分は栄養並にやっかいで、ほうっておけばどんどん減っていき、自己生成は出来ない。



 『サイト分』



 彼女はそれを存分に補給しなければとても正気でいられなかった。

 いや、それを補給しなければならない時点で、正気では無いのかもしれない。

 とにもかくにも、彼女は一日の要所要所で特にサイトと居る事を望み、サイト分の補給吸収を重要視している時間帯がいくつかあった。

 朝もその一つである。

「ん……るいずぅ……すぅ、すぅ……」

「……!!」

 サイトは意外に寝言が多い……と言っても普段は唸るような声やむにゃむにゃと言ったどれも“言葉”としてはさほど認識されないものが大半であるが。

 だが、サイトは今日のように時々人の名前を呼ぶことがあった。

 だいたい週に1~2回は何か名詞を口走っていて、うち確率的に三割くらいはルイズの名前だった。

 決して確率的に高くは無いが、他の寝言の内容はほとんど統一性が無く、三割もの確率を誇るワードは無い事からルイズはそれに満足していた。

 彼の声はどんなものであろうと美声である。

 彼女の耳奥に入り込んで、春のせせらぎよりも彼女を癒してくれる。

 今日は朝からサイトが自身を呼ぶ声を聞けたので良いことがありそうだとルイズは幸福に満ち足りていた。

 未だ起き抜けの彼女は目を閉じたまま、スンスンと鼻を彼の首に持って行く。

 彼のうなじですぅっと鼻で息を吸うと一緒に鼻から彼の匂いが吸収される。

 これは鼻から補給できる大変貴重なサイト分だった。

 彼の匂いはいつもルイズの胸を高鳴らせてくれる。

 彼の濃厚な匂いを嗅いだルイズは頬を緩ませ彼の胸に鼻をこすりつけながらここでようやくとゆっくり瞼を開いた。

 振動と鼓動が頬を通して伝わり、視界が小さく上下して彼の呼吸間隔がわかる。

 ルイズはそれに合わせて自分も呼吸を整えて行き、ピッタリと合わせた。

「……サイトと同じ呼吸……ふふっ」

 彼と同じだという何者にも代え難い幸福感。

 頭を上げるとぐいっとサイトの顔に近づき、視界一杯に彼の顔を納める。

 小さく静かに呼吸するサイトの唇が僅かに開いては閉じる。

 ゾクゾクとルイズは背中を震わせながら、ルイズは再び彼の首に鼻を近づけ……通り過ぎて唇を当てた。

 ペロリと舐めると、少しサイトがくすぐったそうに動く。

 これがなかなか面白く、さらに満たされるというのだから止められない。

 舌先にはクックベリーパイの味など及びもつかない味わいと、どんな瑞々しい果物も勝てない食感がある。

「……ん、サイト」

 恍惚とした表情でルイズはサイトを抱きしめ、再び目を閉じる。

 ただし今度は眠るのでは無い。

 いまだ浅いであろう眠りにいる彼に、ただ引っ付いている幸せを享受する。

 ルイズは毎朝毎晩これをやらないと落ち着かない。

 髪の毛の先から足のつま先まで彼女は体全体でサイトを感じるのだ。

 彼女にとって体……感覚器官である五感とは生活を営む為にあるもの……ではない。

 触覚……でサイトの肌を感じ、
 聴覚……でサイトの声を堪能し、
 嗅覚……でサイトの匂いを満喫し、
 視覚……でサイトの容姿を焼き付け、
 味覚……でサイトの体の味をあじわう。

 五感とは、全てサイトを感じる為の器官に外ならない。

「サイトォ♪」

 実家といえど今朝もルイズは絶好調だった。




***



 るったるったる~ん♪

 そんな擬音が聞こえてきそうな程軽やかなステップで歩く初老に差し掛かる半歩手前くらいの男性が居た。

 その歩きは既にスキップとも呼べる程嬉しそうに軽やかだ。

 頭はサラッサラの金砂の髪を肩まで伸ばし、左目にはモノクルを付け、髪と同じ色の髭を鼻下に少し伸ばして子供のように歩くその様は、とても威厳があるようには見えない。

 だが、彼こそこの屋敷と広大な領地の主にして、この屋敷の三姉妹の父、流布こそされていないもののトリステインにその人有りと恐れられた“烈風”の夫、ラ・ヴァリエール公爵その人だった。

「フッフッフ、今日は私の小さなルイズが帰って来ている日だったな。どれだけこの日を待っていたことか。学院に行ってから変な虫が付きやしないかと冷や冷やしていたが……」

 公爵は足を止める。

 目の前にはルイズの部屋があった。

「さぞ寂しい思いをしてたことだろう、私の小さなルイズ、父が寂しがりやなお前を慰めに来てやったぞ」

 まずは紳士らしくノック。

 コンコン。

「………………」

 コンコンコンコン。

「………………………………」

 コンコンコンコンコンコン!!!!!!!!

「………………………………………………」

 公爵は段々顔に苛立ちを含み、背中には汗を流し始めていた。

 ノックの音は回を増す事に多くうるさくなっている。

 何故娘が出てこないのだ?

 まさか、まさかまさか!?

 反抗期!? それとも部屋ではルイズがカトレアのように何か病気で苦しんでいるのでは!?

 公爵の頭に嫌な考えばかりが浮かび……突然ニヤけた。

 (わかった、わかったぞ!!)

 そう、公爵は自分なりの解答を生み出したのだ。

 その解答とは、

「私の小さなルイズめ、お前の寝起きが悪いことは昔からわかっておる。だがこれだけノックをされて起きないということもあるまい。中から何も音がしないことから……」

 公爵はフフフ、と不敵に笑いモノクルをキラリと光らせ真実のルイズはいつも一人とばかりに、



「寝たふりをして私が来るのを待っておるな!! うむ間違いない!!」



 自信満々にその解答に辿り着いた。

 それが間違いだなどとは露程も思わない。

「全くいくつになっても父離れできん娘だな、わっはっは」

 頬を緩ませ公爵は戸に手をかける。

 鍵は……開いていた。

「しょうがないルイズだ、どれ、私が添い寝してやろうではないか」

 既に威厳も何も無い公爵は、かつて王宮でモットを相手に話していた時とは別人のようだった。

 いそいそと娘のベッドに近づき……首を傾げた。

「ぬ……ルイズ?」

 そこはもぬけの殻だった。

 ここで眠っていた形跡も無い。

 公爵は部屋を飛び出した。

 その表情はさっきとは打って変わり父親の表情となっている。

 娘は寝起きが悪い。

 このような朝早くにはめったに起きない。

 可能性があるとすれば……誘拐か!?

「ぬぅぅぅぅぅぅぅ!! 私の小さなルイズを誘拐するなど、何処の不届き者だ!! 打ち首にして一ヶ月は晒してくれる!!」

 公爵は急ぎ足を進め……こっくりこっくりと通路で首を上下させ、もとい器用に立ったまま眠っている妻を見つけた。

「カリーヌ!! こんなところで何をしておるのだ!?」

「……ふぇ? あ、あらあなた、もう帰ってらしたのね。お昼になると聞いていたのだけど。もう、私に会いたくて急いで来たのね? いけない人♪」

「そんなことを言っている場合では無い!! ルイズが部屋におらんぞ!! あの子が朝に弱いことはお前も知っていよう!! 誘拐されたのではないか!?」

 公爵は慌てる。

 娘の一大事かもしれないのだ。

 だが、彼は娘の事を“父親”として心配する余り、妻への配慮が欠けていた。

 ……そんなことをすればどうなるか知っていた筈なのに。



「あなた……?」



 桃色の長い髪をゆらゆらと揺らし、目を細め、瞳の奥にギラリと肉食獣のような輝きを灯して、カリーヌは口を開く。

「“そんなこと”とはどういうことですか? 今私と会う事が“そんなこと”と言いましたね?」

「……へ? あ、ああいやそんなつもりでは……」

 公爵はここでようやく自分の失言に気付くが時既に遅し。

「それに帰って来て私より先にあの子の所に行ったのですか? そうなのですか? 私も子供は大事です、それでもまさか私より先に娘の寝室に行こうとは……!!」

「い、いや落ち着けカリーヌ!! あの子は昔のお前に良く似ているだろう? それでだな……」

「つまり私のようなオバサンはもういらないと?」

「ち、違うぞカリーヌ、それは違う!!」

「それに、二人の時の呼び名は“ああ”してっていつも言っているのに……」

「!! ……悪かったよ、“カリン”」

 優しげな笑みで、公爵は申し訳なさそうに彼女をそう愛称で呼ぶ。

「あ、あなた……」

 ほわほわした空気が辺りを包む。

 公爵がその雰囲気に押され両の腕でカリーヌ……いやカリンを抱きしめようとしたところで、

「さて、それじゃあの子を早く探しましょ」

 ぱっと気持ちを切り替えたカリーヌが子供のような口調でスタスタと歩いて行ってしまった。

 公爵は空気を掻き抱き……しばし心の涙を流すのだった。




***




「ところでカリー……カリン、何故あんな所で寝ていたんだ?」

 公爵は、妻と二人きりの時、彼女の前でのみ、若かりし日の言葉使いで会話する。

 それが、カリンはお気に入りだった。

「ルイズがね、自分の使い魔と離れたがらなくて。その使い魔と同室で寝ようとしていたから諫めたのだけど、どうにも素直過ぎたからきっと夜中にこっそり忍び込むつもりだろうと思って見張っていたの」

 相手がそうなると、カリンもまた、他人にも娘達にも見せない、生娘のような口調になる。

 彼女たちはお互いだけで居る時のみ、色褪せる事の無い、月日の経過を思わせない二人になる。

「使い魔? どんな使い魔なんだ?」

「男よ、人間の。それも平民」

「……………………NANI?」

「オ・ト・コ。それも平民」

「何かの冗談か?」

「いいえ、私も驚いたけど……ってまさかあの子」

「? ……お、おい!! お前見張っていたんだろう!? ルイズがその使い魔の所に行ける筈無いよな?」

「ちゃんと起きていたつもりだけど……念のため見に行こうかしら」

「そ、そうか。そうだな。飽くまで念のためだが。まぁ私の小さなルイズがそんな何処の馬の骨とも知れん男にいでででででで!? 痛い!! 悪かったカリン!! “私達の”小さなルイズ!! そうだな?」

「そうよ」

不満そうなカリンは一つの客室の前で足を止めた。

「この部屋か?」

「ええ」

 ゴクリと二人は息を呑み、ゆっくりと扉を開ける。

 公爵はどうかルイズは居ませんようにとブリミルに祈りながら部屋を覗くのだが……どうやら彼の信仰対象はその信仰に報いてくれなかったらしい。

 もし彼が祈る対象がブリミルでなくブリ■ミルだったなら違う結末があっただろうか。

 だが、今更そんなIFの仮定話は意味が無い。

 何故なら二人が見た物は、嬉しそうにサイトにすり付く“下着姿の愛娘”だったのだから。

「あら」

 カリーヌは意外そうな顔をし、少ない驚きを見せている。

 公爵は……、

「あ、お、お、お、お……おおおおおおお!? ルイズが、私、いや私達のルイズが男と!? おおおおおおお男と!?」

 見た物が信じられず、取り乱し、



「BU、BUCHIKOROSeeeeeEEEEE!!!!!!!」



 もはやおかしな殺意を込めて叫んでいた。



[13978] 第七十三話【対桃】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:52
第七十三話【対桃】


「それで……? どうしてこうなっているのだ? 私の小さなルイズ、怒らないから父にちゃんと説明しなさい」

 ヴァリエール公爵、もといルイズのパパは額に青筋を立て、プルプルと震える手でカップを持ちながら、ギリギリ平静を保っているように見えなくも無い立ち振る舞いでルイズに尋ねた。

 場所は寝室から所変わってテラス。

 UCHIKUBI!! UCHIKUBI!! と叫びながら暴れそうになった公爵を良妻(?)賢母(?)なカリーヌが嗜め、ここまで連れてきたのだ。

 ちなみにサイトは使用人に連れて行かれた。

 公爵がそのように手配したのだ。

 興奮冷めやらぬ状態で、その者とルイズが一緒のままの会話などとても出来そうになかった。

 その為公爵は使用人を呼びつけ、ルイズに背を向けながら、

『彼は我が娘の使い魔だそうだ、できるだけ“丁重に”扱い、連れて行け』

 そう言い、その使用人にしか見えぬように左手を自身の首まで持ってくると、親指だけを伸ばして残りの四本の指は握り、地面を差すように親指を下に向けるとスーッと首の前を横に切った。

 使用人はそれを見て、頭を下げ、かしこまりましたと挨拶をしてそれはもう“丁重に”寝ぼけ眼なサイトを連れ出した。

 途端、サイトと引き離されそうになったルイズは不満そうだったが、父が「大丈夫、“丁重にもてなすよう”言いつけた、お前は私に状況を説明しなさい。説明が終わればすぐ会える」と言って来た為、渋々それを受け入れた。

 ルイズもまた、自身の親にイキナリ不条理を叩きつける程非常識では無かったらしい。

 それでも早くサイトの傍に居たいルイズはすぐに質問に答え出て行こうとする。

「どうもこうもありませんわお父様、サイトは私の使い魔にして最愛の人です、あと私はサイトのであってお父様のじゃありません。以上説明終わり。もうサイトの所に行っても良いですか?」

「駄目だルイズ、待ちなさい」

 公爵は頬を引きつらせながら目頭を押さえる。

 (落ち着け、落ち着くのだ自分……!!)

 公爵は言葉の内容を吟味しながらその意図を理解し、再び膨れ上がる怒りを必死に抑えていた。

 対してルイズは面白く無さそうに膨れる。

 朝のサイトとの一時を邪魔されたのだ。

 彼女の不機嫌度は相当なもので、親族でなかったら間違いなく爆殺していたに違いない。

「あの男は使い魔、それも平民なのだろう? ええと……あの男はなんという名だったかな、私の小さなルイズ」

「サイトですわ、サイト・ヒラガ。それと私はお父様のじゃありません。これでもうサイトの所へ行っても良いですか?」

「だから待ちなさいと言っているだろう。久しぶりに会ったのにこのトラブルだ。まずはゆっくり話をだな」

 公爵は必死にルイズを宥めながら話を続ける。

 いや、続けようとした。

「……!? ……お父様」

「ん? 何だルイズ」

「申し訳ありませんがお話しはここまでです。私はサイトの所へ行きます」

 何かを感じたらしいルイズが、

「ダメだ、話が終わるまではそれはならん」

「いいえ行きます。サイトに危険が迫っている……お父様? まさかとは思いますけどお父様の仕業じゃないですよね? 丁重にもてなすよう言いつけたのですよね? 場合によっては私は今後、二度とお父様を“お父様”とお呼びしませんよ?」

「ぬ、ぬわぁんだとぉう!?」

 公爵は慌てた。

 娘に父と呼ばれない。

 何の拷問だそれは!?

 たとえハルケギニア大陸に大隆起のような天変地異が起きようとそれだけは納得できない!!

「ちょっと待てルイズ!! それは、それはだけはどうか!!」

「私はサイトの所へ急ぎます」

 嫌な予感がするルイズは父に目もくれずにテラスを駆けだした。




***




「何すんだよ!!」

 サイトは憤っていた。

 寝ぼけ眼で部屋を連れて行かれ、扉が閉じた途端まず腹に一発拳を受けた。

 それで完全に覚醒したのだが、腕は即座に後ろ手で縛られ、知らない部屋に連行される始末。

 もっとも、サイトはこの広い屋敷のほとんどを知らないので何処へ行っても知らない部屋なのだが。

「旦那様よりお前を“丁重に”扱うよう言われている」

 使用人は汚い物を見るような目でサイトを睨み、吐き捨てた。

「これの何処が丁重だよ!? ふざけんな!!」

「黙れ平民!! お嬢様をたぶらかしおって!!」

 身動きの出来ないサイトの襟首を掴み、使用人はサイトに凄む。

 部屋には既に手配してあったのか、他にも数人の男が居た。

「何だその目は!? 生意気な!!」

 サイトの態度……怯まず媚の無い目が気に入らないのか、使用人は革靴を履いた足で腹を蹴り飛ばす。

「かはっ!?」

 サイトが大口を開けて苦痛に顔を歪める。

「旦那様は非常にお嬢様達を大事にされている。それを、何処の馬の骨ともしれんお前のような奴がぬけぬけとお嬢様に近づくとは……」

 他の使用人がサイトの髪の毛を掴んで持ち上げ、聞いてるのか?とサイトの頬をペチペチと叩く。

「……け……な」

「あ?」

 気付けば、サイトが何かを言っている。

「ふ……けんな」

「なんだよ?」

 使用人はサイトの髪を掴んだままグラグラと揺らして、挑発する。

「ふざけんなって言ってるんだよ!! 大事にしてる!? だったらなんであんな相手と婚約させてんだ!!」

 がぶり!! とサイトは男の手に噛みつく。

「っ!! このガキ!!」

 使用人は平民に噛みつかれた事に怒り、大振りでサイトを殴ろうとして手を振り上げ───ガシッ───その手を誰かに掴まれた。

 誰だ? と思い振り返ると、そこには─────────



 ゆらゆらと揺れる、長い桃色の髪。



 怒りに身を震わせる悪魔……ルイズの姿があった。

 ルイズは信じられないものをみるかのような顔でサイトを見る。

 ルイズによる“サイトアイ”はサイトのお腹の傷まで看破した。

「これはどういうこと?」

 ルイズは音が聞こえない足取りで使用人の前に立った。

「あ、その……これは……」

 使用人は気まずそうな顔をし、しかし言葉には出さない。

 ルイズは苛立ったように眉をピクリと動かし、

「言えないの? ならいいわ……でも、サイトを殴ったのは貴方よね?」

 正確には蹴ったのだが、流石にそこまで正確にはルイズはわからない。

 使用人がビクリとした。

 瞬間、風を切る音がする。

「ぐぼあっ!?」

 ルイズの華奢な細い腕がその使用人の腹に深くめり込む。

 使用人は崩れ落ち、膝立ちになって地に手を付いた。

 とても、少女の繰り出したとは思えない重い一撃だった。

 だが、ルイズはそれで使用人には興味を失ったとはかりに視線を外し、急いでサイトの縄を解く。

 そこに、ようやく公爵がかけつけた。

 ルイズは父……いや、公爵を睨む。

 その目は、もう二度と父と呼ばないと暗に告げていた。

「ルイズ!! 待ちなさい!! いや待ってくれ!! 落ち着いて話を……まずはその平民から離れ……」

 離れて、そう言おうとしたのを感じて、ルイズはサイトの腕にしがみついてつーんと顔を背けた。

 やっている事は子供じみた反抗に見えなくも無いが、公爵にとってその効果はばつぐんだった。

「はああああああ!?」

 鼻息を荒くし、最近高くなってきていた血圧をさらに上げて顔を真っ赤にする。

「おのれ貴様!! 我が娘から離れろ!!」

 くっついているのはルイズだったが、公爵の目にはサイトがルイズを抱き寄せ自分に悪辣な笑みを向けているように見える。

 被害妄想率100%だった。

 しかし、サイトも聞き逃せない言葉があった。

「娘……? ってことはルイズのお父さんか……!!」

「一応家系図上は血の繋がった、ね」

 ルイズが補足するが、一応という言葉に公爵は内心深く傷つき、それすらも言わせているのはあの平民だと思い始めた。

「貴様!! 我が娘をたぶらかすとはいい度胸だ!! 打ち首……いやUCHIKUBIにしてくれる!!」

 杖を公爵は向ける。

 だがサイトも怯まずデルフリンガーを構えて、昨日と同じ質問をした。

「俺は貴方に聞きたいことがあったんだ」

「フン、何だ?」

 公爵とて理解ある? 人である。

 話をされてはまずその話に耳を傾けるは必定だった。

 それに対してサイトは遠慮なく質問を投げかける。

「何でルイズをあんなワルドなんかと婚約させたのか」

 意識を失う前のルイズ母の言葉をサイトは覚えている。

 決めたのは自分ではなく夫だと。

「フン、そんなことか。平民ではわからんだろうがな、貴族は名誉や名前を重んじるのだ、それが高いほど貴族にとっては誉れとなる。誉れこそ上位貴族の証!! それを娘に望むのは当然のことだ」

「なん、だって!?」

 言われた通りサイトにはわからないし納得できない。

 “そんなこと”の為に勝手な? 婚約をとりつけていたのか、と。

「奴は子爵と爵位は低かったがウチと結ばれればそれだけで位は大きくなるだろう。加えて“魔法衛士隊の上位になるという約束”も果たしている。まぁ……隊長にまでなるとは驚いたが。今回、こんな事になってしまったのは確かに残念だが、私とて一人の父親であり、貴族の父親だ、奴が国を裏切ったりなどせねば娘は貴族としては幸せな位置につける予定だったのだ、そうなるよう娘の幸せを願って何が悪い!?」

 サイトは怒る。

 違う、それは違うと。

 そんなの幸せじゃないと。

 だが、サイトの知らない貴族社会でそれは当然であり、むしろ喜ばれる類のものであった。

 そういった“角度”から鑑みれば、確かに公爵は娘の為を思っていた。

 無論、サイトは納得するつもりは無いが。

「ふざんけんな!! 誉れや誇りがあれば相手はどんなのだって良いのかよ!? あいつはルイズを殺そうとしたんだ!!」

「良いわけなかろう愚か者が!!」

「だったらなん……え? なんだって?」

 予想外の答えにサイトは首を傾げる。

「ワルドめがルイズを殺そうとしたというのは初耳だ。だがどちらにしても私は結婚させてもルイズを奴の好きにさせる気など毛頭無かったわ!! ハッ!? 同棲? 二人きり? 子作り? 私の可愛いルイズにそんなこと誰がさせるかブワァーカ!! 覚えておけ小僧!! この世には名前だけの結婚など腐るほどあるのだ!! ハッハッハッ!!」

 公爵以外知らなかった(カリーヌですら知らなかった)驚くべき真実。

 公爵は結婚させても二人の好きにさせる気は毛頭無かったらしい。

 実際名前だけの政略結婚などハルケギニアではありふれているが、子作りまで管理しようとはなんという親馬鹿か。

 というか普通、名前だけの結婚でも跡継ぎの関係で子供は必要になる。

 しかし公爵はあまりにテンションが上がってしまったのか自身の親馬鹿加減や穴のある理論には気付いておらず、ルイズの「だから私はサイトのです」という言葉も聞き流して有頂天に笑っていた。

 サイトも呆れていた。

 この人は本当にルイズを思っているのかそうでないのかわからなくなってきた。

 だが、その一瞬の隙を突いた公爵が、

「それでは知りたかったことも知ったところで……死ねい!! UCHIKUBIじゃあ!!」

 サイトに火球を放った……がそれはデルフに打ち消される。

「何ィ!?」

 驚愕に目を見開く公爵。

 平民が魔法を無効化できるなど思っていなかったらしい。

 魔法を向けられたサイトは公爵を睨むが、それより怒っている人物が居た。

「サイトに魔法を向けるなんて、もう許さない!!」

 ルイズである。

 ルイズの目は既に公爵を父として見ていなかった。

 もはや排除の対象としてしか見ていないその目は、公爵を絶望に叩き落すには十分だったがしかし、



「ほぅ……ルイズ? まさか貴方、自分の父に向かって反抗するつもりですか?」



 そこに、ルイズと同じ桃色の髪を長く伸ばしたヴァリエール家の真の支配者、“烈風”がそんなことは許さないと立ちはだかった。



 今ここに、桃色の悪魔が、双対を為して相打とうとしていた。



[13978] 第七十四話【逃亡】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:52
第七十四話【逃亡】


 ピリピリと緊張感溢れる空気が部屋に充満する。

 ルイズとカリーヌの殺気でこの部屋は飽和状態だった。

「お、おいカリーヌ? 娘なんだから手加減しろよ?なんなら私が……」

 語尾がやや二人きりの時のものになっている公爵は、だがしかしそうなるほど動揺しながらもカリーヌを諫め、自分がやろうかと名乗り出る。

 この嫁、やる時は徹底的にやる女なのは結婚して数十年、よく理解している。

「大丈夫ですよあなた。それにあなたには任せられませんもの。だいたいあなたがルイズにいつも甘くするからこうなったのです。今日は私が徹底的にルイズに規則と礼儀を叩き込み、教育することとしましょう。ああ、それとあなた」

「な、なんだ?」

 やや怯える公爵にカリーヌはふふり、と笑い人差し指で自身の唇を撫でた。

「っ!?」

 それは二人だけにしかわからない合図。

 暗に“今夜は逃がしませんよ?”と言っているのだ。

 公爵はあたふたし周りを見渡す。

 意味がわかるのは二人だけとはいえ、なにもこんな人の多いところでやらなくともいいじゃないかと公爵は内心汗だくだった。

 ちなみに、公爵が何から逃がしてもらえないのかは、本人達にしか知る由は無い。

 話が纏まったところで、カリーヌはルイズ達に“風”を放つ。

 が、それは全てサイトに叩き斬られた。

「ほう……そういえばそうでしたね。貴方はかのワルド子爵の遍在体を倒すほどの力の持ち主で……っ!?」

 爆発。

 カリーヌがいた床に焦げ跡が出来る。

 ルイズが杖を振っていた。

「お母様、サイトに魔法を撃つなら、私も次は当てます」

「……では今のはわざと外したと?」

「………………」

 カリーヌが目を細めて尋ねるが、ルイズは答えずすぐに移動できるよう腰を屈める。

 それを見て、カリーヌは娘の言葉がハッタリではないと判断した。

 途端、口端が吊り上がる。

 久しく味わっていない戦場の臨場感。

 それが、烈風を若かりし頃の研ぎ澄まされた感覚へと若返らせていく。

「良いでしょう、そんな余裕が無い事を貴方達に教えてあげましょう」

 カリーヌは特大のエア・ハンマーで瞬時に二人纏めて吹き飛ばそうとする。

 詠唱の速度も流石としか言いようが無いほど早く、二人は為す術もなく風の金槌に吹き飛ばされ……消えた。

「幻覚!? そんな馬鹿な!?」

 驚きを隠せないカリーヌ。

 一体何時の間に!? いやそもそもこの魔法は何だ? と思考が一瞬止まったその隙、僅かに出来たその隙に、爆発。

 爆音を響かせ爆発した場所はしかしカリーヌの立ち位置ではなく、出入り口。

 扉が爆破され、瓦礫によって密閉される。

「やって、やってくれましたねルイズ……!!」

 カリーヌは肩を震わせる。

 確かにいまだ見くびってはいたのだ。

 所詮はまだ幼い娘のすること、と。

 だがしかし、その娘にいいようにやられたとあっては烈風の矜持にも傷が付く。

 ドォォォン!!

 あっという間に風で瓦礫をぶっ飛ばすと、カリーヌは耳を澄ませ、

「……見つけた!!」

 即座に飛んでいった。

 残されたのは公爵と使用人達……そしてバラバラになった部屋。



「……カリーヌ、ルイズ、あまり屋敷を壊してくれるなよ……?」



 公爵の悲痛な声が寂しそうに木霊した。




***




「こっちよサイト!!」

 ルイズ達は手を繋いで走っていた。

 逃げていた、とも言う。

「って何処向かってんだ?」

「この屋敷から出るわ、しばらく家には戻らない!!」

「え? いいのかよ?」

「いいのよ別に。前も似たようなものだったもの」

「そ、そうか」

 一体何があったんだ、とは聞かないことにした。

「それより、さっきお母様の魔法から護ってくれてありがとう」

「へ?」

 不意打ちだった。

 ルイズは極上の笑みで嬉しそうにサイトにお礼を述べる。

 サイトはお礼を言われるとは思っておらず、顔を赤くして視線をずらした。

 と、その時である。



「ルイズ、母からは逃げられませんよ!!」



 文字通り飛んでくるカリーヌが桃色の髪をたなびかせ鬼のような形相をしていた。

 その姿、まさしく桃色の悪魔と呼ぶに相応しい出で立ちだった。

「お母様!? 私達を行かせてください!!」

「黙りなさい!! 私を虚仮にした罪贖ってもらいます!!」

 もはやカリーヌの心は本末転倒になっている。

 ルイズの恋の逃避行じみた言葉も何処吹く風だ。

 ルイズはやむなく、再び“幻影”でもってカリーヌを騙そうと幻を作るが、

「甘い!! 二度も三度も同じ手は食いませんよ!!」

 カリーヌは誰もいない廊下の端にエア・ハンマーを唱える。

「っ!?くうっ!!」

 誰も居なかった場所から急に現れた、正確には幻と入れ替わるように見えなくしていたルイズは風の金槌に弾き飛ばされ、サイトに抱きとめられる。

「大丈夫か!?」

「けほっけほっ!! な、なんとか」

 結構な威力のエア・ハンマーだった。

 これが実の娘に向ける魔法の威力か?とも思うがカリーヌが本気を出せば骨の二、三本は折れているであろうこともルイズは熟知していた。

「どうやって幻を作っているのかはわかりません。ルイズ、初等魔法すらまともに扱えなかったあなたがここまでの魔法を身に付けたのには正直驚き、同時に誇らしくも思います。ですがその魔法には決定的な弱点がある」

「じゃ、弱点?」

「いくら幻があっても、貴方は自身の本当の“心音”を消す事が出来ない。私のように心音すら聞ける“風メイジ”であれば、そのことに気付いた時たやすく看破されるでしょう、今のように」

 風メイジは風の振動を感じ取り、遠くの音が聞こえるほど耳が良い。

 かつて戦ったワルドも、耳が良すぎて心音が消えたことまでわかると言っていた。

 カリーヌもまた、その心音から幻に惑わされずにルイズを探し当てたのである。

 対するルイズは歯噛みしていた。

 弱点のことは気付いていなかったが、実はカリーヌから逃げおおせようと思えばすぐに逃げることは可能だった。

 だがそれをしたくない理由があった。

 それは……先ほどまで繋いでいた手に帰結する。

 (サイトってば何か理由が無いと手を繋いでくれないんだもん、折角のチャンスだったのに……覚えていてくださいお母様)

 サイトと手を繋いでいたい。

 ただそれだけの理由だった。

 それだけ、ではあるが、ルイズにとってはこの上なく重要な事でもあった。

 サイトと手を繋ぐというのはお互いの距離がすごく縮まった気がして良い物だ。

 普段から引っ付いても照れるサイトは、あまりそういった接触するスキンシップを自分からは行わない。

 こういうことでも無いと、サイトと自然な“触れあい”が望めないのだ。

 もっとも寝ている時は話は別だが、それはそれ、これはこれである。

 だがこのままではジリ貧であり、捕まってしまう。

 そうなれば最悪サイトと引き離される。

 そんなことはごめんである。

 ルイズはやむなく詠唱しだした。



 (来る……?)



 カリーヌはやや身構えた。

 ルイズが聞いた事も無いルーンを詠唱をしている。

 何故だか例の平民の使い魔が心地よさそうに詠唱を聞いている。

 おそらくこれは“幻”とは別の魔法……攻撃魔法が来るのか?と警戒するが、



「それじゃお母様、私はしばらく家に戻りませんので“あの人”にもそうお伝え下さい。それとサイトへした事許しません、と」



 目の前のルイズとそれをおぶるようにしていた平民の使い魔は文字通りパッと消えた。

「なっ!?」

 カリーヌは驚愕する。

 すぐにまた幻か、と疑うが耳に心音は聞こえない。

 本当にいなくなってしまった。

「フ、フフフフ!! ルイズ、私を虚仮にして、本当に逃げおおせてしまうなんて……母はその成長が嬉しいですよ、ええ嬉しいですとも!!」

 言いながらカリーヌは屋敷一帯にカッタートルネードを展開する。



「お、おぼえていなさぁぁぁぁぁぁい!!!!!!!!!」



 ハッキリ言って八つ当たりだった。

 屋敷が半壊したのは言うまでも無い。




***




「で、逃げられたと」

「……ええ」

 不機嫌そうなカリーヌ。

 触らぬ神に祟り無し、と誰もカリーヌにはそれ以上深く突っ込まない。

 そもそも屋敷が酷い状態で、それどころでもない。

 外壁は傷だらけで、所々崩れてもおり、ルイズとカリーヌが相対した部屋はもはや使い物にならない。

 修理には相当な金と時間を費やすだろう。

 はぁ、と重い溜息を吐く公爵。

 (あまり壊すなよって言ったのに)

 公爵は米神を押さえながら惨状を見、また溜息を吐く。

「あの、お父様? 呼びました?」

 そこに長女であるエレオノールが来た。

 先ほど使用人に呼びに行かせたのだ。

「ああ、エレオノールよ。わざわざすまんな」

「い、いえ」

「もう聞いていると思うがルイズがカリーヌから逃げおおせたらしい」

「はぁ、そうらしいですね」

 信じられない、と思いながらも、母がピクリと苛立たしげに肩を振るわせたのを見て、その話題をすぐに打ち切る。

「行き先は恐らく学院だろう。ルイズが行くところといえばそこくらいしかあるまい。お前には悪いが再びルイズに会う為学院に赴き、家に戻るよう説得してもらえないか」

 なんで私が、と思うエレオノールだが、カトレアは病弱な為危険、母はこの通り情緒不安定で何をしでかすかわからない、父を今の母から遠ざければどうなるかは幼い頃からの経験から恐ろしいくらいに把握済み。

 ルイズの態度からして使用人の話など聞かないだろうし、適任は自分しかいないことを悟ると、エレオノールは渋々頷いた。

「悪いなエレオノール。お詫びとお礼にこの間言っていた例の宝石を買ってやるから」

「え、本当ですかお父様!? だからお父様って好き!!」

 エレオノールが嬉しそうに喜び、

「……あなた?」

 ギラリと光る目のカリーヌに睨まれる。

 それを見たエレオノールはあちゃあ、と思い、すぐに出発することにした。

 残されるのは、目をギラつかせるカリーヌと公爵のみ。

「お、落ち着けカリーヌ!! いやカリン!!」

「ええ、ええ、ええ!! 落ち着いていますとも!! あなた、エレオノールには随分と優しいのね?」

「そ、そうか? 娘に対して普通ではないか?」

「……あなた、あとで話があります、あと、今夜は激しくいきます」

「……その、私達ももうだいぶ歳を取ったし、ここは穏やかにだな……」

「……何か?」

「……何でもありません」

 カリーヌの睨むような視線に公爵はガクリと肩を落として、諦めたように頷いた。




***




 辺り一面の原っぱ。

「ここ、何処だ?」

 サイトは不思議そうに言う。

「まだラ・ヴァリエール領よ、急いだからちょっとポイントからズレたけど、屋敷から離れたかったの」

 ルイズはけろっと言う。

 サイトにはいまいち何が起きたのかわからなかったが、どうやらルイズがここまで一瞬で飛んできたらしい。

 瞬間移動。

 その魔法によってルイズは屋敷からサイト共々離脱していた。

 さて、これからどうしようか、そう思っていた時、丁度そこに馬車が通りかかった。

「あら? 貴方達こんなところで歩いているなんてどうしたの? ここから徒歩じゃ何処へ行くにも日が暮れてしまうわ、良かったら馬車に乗りなさい。これからトリスタニアに戻るところだから、乗せていってあげるけど?」

 その馬車に乗る、筋肉質で肌黒く、毛がぼうぼうと生えている口紅を塗ったくった男……もといオカマが親切にそう言って来た。

「あ、そうそう。私はスカロン、トリスタニアで店をやっているの。怪しいものじゃないから安心して」



 オカマ、という怪しさ120%のスカロンは、そう言って二人を馬車に乗るよう促した。



[13978] 第七十五話【天然】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 19:53
第七十五話【天然】


「ほら、トリスタニアが見えたわよ」

 未だ慣れない、図太い男の声でお姉様言葉を発する馬車主のスカロンは、前方を指差してそう告げた。

 日はとっぷりと暮れ、空は満点の星空である。

 本当にあのままあそこにぽつねんと居たら、今日は野宿だったろう。

 どうしてルイズの屋敷からあそこに“テレポート”したのかよくわからないサイトは、言葉遣いはともかくとして、この親切なオカマのおじさんに内心感謝した。

 出来れば野宿は避けたい。

 こちらには女の子もいるのだから。

 実際に瞬間移動を使ったルイズから見れば、もう一度それを使えば良いのだが、サイトにはそう考えるだけの知識も余裕も無かったし、ルイズとしても使うかどうかは微妙だった。

 彼女の目的は飽くまで“サイトと居たい”だからである。

 そこに屋根付きベッドの必要性は必ずしも無い。

「あなた達、今夜はどうするの? トリスタニアに泊まるアテはあるの?」

 サイトが内心で感謝していると、それを知ってか知らずかスカロンはサイトの目を真っ直ぐに見つめ、尋ねてきた。

 その目は、店をやっているというだけあって、接客が長いのか、人の内面を見通すような瞳だった。

 その瞳だけみれば、サイトはきっとこのスカロンの事を人間として高く評価したことだろう。

 それでなくとも今自分は助けられているし、それが当然のように振る舞っているスカロンは尊敬できると言える人間だ。

 だが、如何せん彼は良くも悪くもオカマだった。

 目がいくら透き通っていても、その筋肉質な体には似合わない乙女を模したようなポージングと化粧、そして言葉遣いは、サイトの人間評価ランクを下げさせた。

 オカマ全てを否定するわけではない。

 無論自分にそんな趣味は無いが、地球にもニューハーフなどと呼ばれる性転換者や、それに準ずる者などは皆無では無い。

 自分の観点からの理解はしてやれないが、人はそれぞれであり、否定するほどのことではない。

 否定するほどのことではないのだが、スカロンを見ていると人には向き不向きがあると強く思ってしまう。

 だからか、どうしても彼の言葉を真摯に受け止めきれないサイトが居た。

 その“言葉”を聞くまでは。

「私の店は“魅惑の妖精亭”って言ってね、酒場と宿を兼ねているのよ、良かったら泊まって行きなさいな、御代は安くしとくわよぉん?」

 クネクネと体を捻らせるスカロンは正直気持ち悪いことこの上なかったが、それよりもサイトに衝撃を与えたのは彼の経営しているという店の名前だった。



 “魅惑の妖精亭”



 聞いたことのあるその名は、かつて“友”と約束した地ではなかろうか。

 友曰くその店は、可愛い衣装を着た女の子達がお酌をしてくれる。

 友曰くその店は、巨乳の看板娘も居て眼福である。

 友曰くその店は、女の子によってはチップ次第でお触りOKである。

 友曰くその店は、殿様が侍従の女に「良いではないか良いではないか」と迫るエロシーンの続きが可能である。

 最後のは友、もといギーシュが言った事ではなく完全にサイトの妄想だが、それでもサイトとて健全な男の子。

 普段から、禁欲を戒めなければならい環境にいるサイトとしては、大変興味のそそられるお話しであった。

 端的に言って頭の中は、

 (ギーシュ、俺先に大人の階段を上っちゃうかもしれない……)

 桃色一色だった。

「ん? 桃色? っておわっ!?」

 サイトが頭の中ではなく、実際に目の前にある桃色の髪に驚き、声を裏返らせる。

「遠慮しておきます」

 その桃色の髪の主、サイトに自ら禁欲を戒めさせた張本人のルイズは丁重に断りの言を入れた。

 もっともルイズはサイトが禁欲……狭義的に言ってルイズに出来るだけ発情しないようにしている事を知らない。

 ただ、自分に手を出してこない事を不満に思うことはあった。

 サイト……実は彼の大人への階段は目の前に用意済みだったりする。

 それでも彼がルイズに手を出さないのは偏に、自身が決め、ある言葉を宣言したことがきっかけだった。



『お前を“俺”に惚れさせてやる』



 サイトの中では未だにルイズは過去の平賀才人を幻視している節があると感じていた。

 それではダメなのだ。

 過去の……自分の知らない自分を超え、彼女の中で本当の一番にならないと、彼女に真の意味で好きなってもらったと思えない。

 だから、彼は血の滲むような思いで毎晩の抱擁に耐えていたりする。

 耐えすぎて、最近では抱擁が甘いと自分から抱擁し返すようにルイズに“開発”されていることには、今もって気付いてはいないが。

 閑話休題。

 ルイズはスカロンの好意的な誘いをバッサリと打ち切った。

 ルイズにはどことなく、そう来る予感があったのだ。

 彼、スカロンに偶然拾われた時から、その予感はあり、それは正しかった。

 彼の人の良さはなんとなく理解しているが、魅惑の妖精亭を“過去の知識”から知っているルイズとしては、サイトの目が盗まれるような場所は御免だった。

 ただでさえ二人っきりの“謹慎処分”を棒に振らされ、父への報告、状況説明の為にサイトとの時間を削られたのだ。

 この上、サイトからの視線というどんな焼き菓子よりも甘美な味を手放す……否、盗まれるなどそう看過できることではない。

 だが、対するサイトも折角の魅惑の妖精亭に行けるチャンスをそうそう棒に振るのは勿体ないと思っていた。

 別にそれほどやましい気持ちがあるわけではない……はずだ。

 こんな滅多に無いおいしい巡り合わせに会えたのだから、ギーシュより先に、ちょっと……ほんのちょっと大人の階段を半歩くらいフライングしてみたいだけなのだ。

 少年のちょっとした冒険心と上手く行けば相手より一歩リードできるかもしれないという余裕。

 そう、これは決して先程妄想したようなエッチな期待があるわけではない。

 ただ男の冒険心がそこに行けと告げているのだ。

 そうすればギーシュより一歩先に大人に近づけるのだ。

 この思いは断じてギーシュへの裏切りではないのだ。

 いつか本当にサイトはギーシュとそこに行ってみるつもりなのである。

 その時自分が慌てない為の、これはそう、心の準備の為の訓練なのだ。

 そう思うと、サイトは是が非でも魅惑の妖精亭に辿り着きたくなった。

 その為にはこのスカロンの行為に否定的なルイズを陥落……もとい説得しなければならない。

 既にどうにかしてその店まで……せめて中の雰囲気だけでも確認したくなったサイトは、隣に座る意中の少女へと意識を戻した。

 彼女……ルイズを攻略しなければ明るい? 未来は無い。

 そう思えるほど今の状況は切迫していた。

 ルイズがもう馬車から降りるから止めて、と交渉を始めていたのだから。

「まぁまぁルイズ。落ちつけって」

 サイトは取り合えず、ルイズを宥めるために肩を抱いてみた。

 何とか宥めて、店の中にまでは行きたい、そう思う一心からの行動だったが、これは予想以上に効いた。

 端的に言って、『こうかはばつぐんだ!』である。

「うん、落ち着くわ」

 サイトに言われたとおり、本当にルイズはリラックスしたように頭をサイトの肩に預けた。

 満面の笑顔である。

 これ以上ない幸せである。

 ルイズにとって、サイトからの行動というのは、自分から何かするよりも何倍もの効果を孕んでいた。

「なぁルイズ、何をそんなに恐がってるんだ?」

 だが悲しいかな、当の本人のサイトにはその攻撃力を正確に把握するだけの能力は無かった。

 その為、とりあえず降りる話を逸らせた、くらいにしかサイトは思っていなかった。

 この状態、実はすでに確率変動突入である。

 当たり確定である。

 サイトが何を言おうとルイズは肯定の意しか唱えまい。

 それが余程自分からサイトが離れていく、といった内容でない限り。

「サイト、私が恐がっているように見えるの? わかるの?」

「? あ、ああ、今に始まったことじゃ無いだろ?」

 (あれ?)

 だが、そこまで行ったところで、ルイズに言葉を返しながらサイトは内心で首を傾げる。

 何だか展開がおかしい。

「そっか……だったら今更隠しててもしょうがないよね……うん、私恐いの」

 (あれれ?)

 サイトは内心の首を九十度近く曲げていた。

 何だか苦し紛れで破れかぶれな言葉で会話が成り立ってしまった為に話が予想出来ない方向に進んでいる。

 ルイズはそんなサイトの地味な心の葛藤など知らずに、肩に回された手を触りながら上目遣いにサイトを見つめ、その小さい口を開く。

「……サイトが私から離れていくかもしれない事が恐いの」

 (あっれェェェェエエエーーーーーー!?)

 サイトの単細胞脳味噌は予定外のルイズの言葉にオーバーヒート寸前だった。

 ルイズの儚げな中にも僅に喜びが混じるその表情を見せられ、サイトは先程まで自分が考えていたことが急に恥ずかしくなった。

 ルイズの目は、不安の中に希望の光を見いだした目だ。

 そんな目を向けられては、まさか自分は魅惑の妖精亭の雰囲気を知りたいですなどとは口が裂けても言えない、いや言いたくない。

 むしろこれが“理不尽に怒られ”でもしていたら、まだ開き直ったかのような態度を取れたかも知れないのだが、なまじルイズの瞳には“信頼”の二文字が煌々と映し出されていた。

 なんだかさっきまでの自分がこの信頼純度100%のいたいけな少女を騙そうとしていたようで無性に情けなくなり、腹立たしくもなる。

 サイトは、ルイズを改めて護ってあげたい少女なんだと認識し、急に保護欲にそそられ始める。

 そんな中、ルイズが触ってきている肩に回した手に、少しばかり力が込められてきた。



 ズッギュゥゥゥゥウウウウウウウウウウゥゥゥゥン!!!!!!



 サイトのそそられる程度の保護欲が、牙を持った獣並に成長した。

「ル、ルイズ!!」

 思わず力任せに抱き寄せてしまう。

 ルイズはすんなりとその力に任されるようにサイトの胸に納まった。

 まるでそれが当然だとばかりに、“そうなることがわかっていた”かのように。

 ふふ、と嬉しそうでいて妖美な笑みをルイズは浮かべる。

 サイトは一瞬、あれ?と首を傾げるが、心地よい重さのルイズの体とその暖かみがそれ以上の思考を許さなかった。

 その為、サイトの頭には既に魅惑の妖精亭に行く事など消えて……いや消されてしまっていた。

 断っておくと、ルイズは別に何かしたわけでも謀ったわけでもない。

 サイト相手に彼女はそういうことはしない。

 ただ単純にサイトの行為に喜び、本心を露わにしたに過ぎない。

 だが時として、真実の姿、それも“天然”が入った相手の行動はどんな奸計よりも意外な結果を生むと言う。

 確かにこの結果は意外な……、

「さ、着いたわよぉん、私のお店“魅惑の妖精亭”に」

「「え?」」

「? 何不思議そうな顔をしているの? 貴方達ずっと話してたから普通にウチの店に進路取ってただけだけどん? ってあら? 何か中が騒がし……」

 バン!! と音を立てて酒場のありがちな入り口、前後に動いてもバネで勝手に中央に戻る扉から一人の小太りな貴族の男が飛び出してくる。

 何だ何だと思う前に、その男を追うようにしてまた扉から、軽微な鎧を身に纏った女性が出てきた。

「あ」

 その女性にルイズは見覚えがあった。

 何故なら、彼女こそ銃士隊隊長にしてルイズと同乗の乗馬経験もある、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランその人だったからである。

 本当に、別の意味で、意外な結果だった。




***




 少しだけ時間は遡る。

「宝石宝石、宝石~♪」

 鼻歌を歌いながら、やや日が暮れなずんできている頃、ヴァリエール家の長女エレオノールは魔法学院に到着した。

「さて、と。早くちびルイズを捕まえてお父様に宝石ねだろうっと♪」

 子供のような笑みを浮かべたエレオノールは活き活きとした表情で学院の中へと入って行く。

 その様は、本当に子供をただ大きくしただけのようだった。



[13978] 第七十六話【研究】
Name: YY◆90a32a80 ID:43bfa0e9
Date: 2011/03/03 19:53
第七十六話【研究】


「何ですって!? ルイズがいない……?」

 開口一番、エレオノールは声を荒げた。

 わざわざ出向いてきたというのに、目的である宝石……じゃなかった肝心要のルイズがまだ学院に戻っていないというのだ。

「はい、間違いないかと。誰もミス・ヴァリエール二年生を見ておりませんし、そもそもご家族からの面会及び急用ということで謹慎処分中の外出という異例状態だったのですから、もしお戻りでしたら一度この学院の窓口へおいでになっているはずです。ですがミス・ヴァリエール二年生はまだあの日から一度もここに見えておりません」

 学院の窓口担当の職員は理路整然としてのほほんと説明する。

 ルイズがいないということで目的を遂げられないと知ったエレオノールは苛立った。

 のほほんと説明する窓口職員にも八つ当たりじみた怒りを覚えるし、この場にいない“宝石の為の生け贄”にも腹を立てた。

 結局エレオノールはひとしきりのほほんとした窓口職員に苛立ちをぶつけると、万一ルイズが来た時の伝言を頼みその場を後にした。

 エレオノールは学院の廊下を腕を組みながら歩き、難しい顔をする。

 今日はこのあとどうしようか。

 ルイズが居ないのであればこのまま帰ってもあまり意味がないし、そもそも夜の帳も落ちているので徹夜作業になる。

 かといって最寄りにホテルなどあるわけもない。

「あ、そうだ」

 エレオノールは、非常手段として学院に用意されている妹の部屋に向かうことにした。

 この際、本人は居ないのだし姉妹なのだからルイズの部屋に泊まらせてもらって明日の昼くらいまでは様子を見よう。

 父から依頼されたことでもあるし、宝石の為にもルイズのことはしっかりとしてやりたい。

 無論、姉という立場から今の状態がベストで無いと思っているからでもある。

「全く、いくつになっても手のかかる子ね」

 こんな状態を引き起こした愚妹を思って溜息を吐きながら、前もって調べてあったルイズの部屋の前までエレオノールが来た時……それは起こった。



 ブォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!



「きゃっ!?」

 エレオノールは自分を抱きしめるようにしてその場にしゃがみ込んだ。

 突然の爆音に驚き身が竦んでしまった為である。

「な、何なの!?」

 どこか学院すら揺るがせているかのような錯覚が起きるほどに力強いその音は、王立魔法研究所に勤めている彼女ですら聞いたことも無い音だった。

 だが、それが“研究者”たる彼女を突き動かした。

 彼女は自分に知らない、わからない、ということがあると“解き明かしたくなる”という典型的な研究家気質の持ち主だった。

 一瞬の恐怖が通り過ぎると、ムクムクと研究者としてのエレオノールが目覚めて来た。

「ふ、ふふふ……今の、なんだったのかしら? 非常に興味深いわ」

 エレオノールは立ち上がると、音のした方へと向かいだした。




***




「………………」

 エレオノールが廊下を歩いて行くのを見つめる瞳が一対。

 食い入るようにエレオノールを見つめていたが、やがて角を曲がってエレオノールが見えなくなると,

「……はぁ」

 ようやく、というように廊下からずっとのぞき見ていた瞳の主が息を吐いた。

 その瞳の主は、一ヶ月ほど前に急に全身に痛みを感じて最近まで療養に努めていたところだった。

 その突如現れだした痛みは、浮き上がるような傷の具合や痛み方から、方法はわからずとも原因はおおよそ理解していた。

 だから、その原因に復讐心を滾らせることで日々を過ごしていた……のだが。

「あの女性……何て美しいんだ、このヴィリエ・ド・ロレーヌ、あそこまでの美貌の持ち主はこれまで見たことがない……!! くそ、この体がもう少し楽に動けば……!!」

 突如現れた“美女”に目を奪われたヴィリエは、未だ傷み自由にならない体に苛立った。

 今自由に動ければ彼女を意のままに出来ると、何故か根拠の無い自身が彼の中に芽生えていた。

 その為、ままならない今の自分の現状を思い、さらに“彼女”への復讐心を募らせた。




***




 音源はすぐに見つかった。

 大きな音だったが、遠いわけでは無し、あれほどの音を出してそれを隠し通せるわけでも無い。

 さらには音を出した本人に隠す気が無かったのだから、すぐに音源に辿り着くのは自明の理だった。

 それは外に出て、手入れされた原っぱが広がる広場の離れに建ててある一件家のようなものの近くにあった。

「おや? どうかされましたかな? 関係者以外は学院内の行動は自粛するようお願いしているはずなのですが」

 そこには、音源らしき大きな“鉄の竜”と頭頂部が寂しい学院の教諭と思わしき人物がいた。

「これは……何なの?」

 エレオノールは先の教諭の言葉など聞かなかった事にして質問し始めた。

 これが何だかわからない。

 何がどういう仕組みになっているのか検討というものがつかない。

 そもそもこの“鉄の竜”からはさして魔法媒体が感じられない。

「おや? これが気になるのですか? 私も全てを知っているわけでは無いのですがね、凄いものですよこの“ぜろせん”と呼ばれる乗り物の技術は。ところで貴方は何故ここに?」

「ぜろせん……?」

 研究者としてのエレオノールが、この正体不明の名前だけを言葉の中から切り取り記憶する。

 またも他の言葉は聞いていなかった。

 エレオノールは頭の中で記憶を遡らせる。

 “ぜろせん”という記述があった学術書は無かったか、魔法理論書は? それとも技術書?

 他にも倫理書から社会歴史書まで、今までに読んだ事のあるあらゆる本……かつて婚約した伯爵の為に覚えようと努力した料理本の内容に至るまでも思考を巡らせ、脳内検索に引っかからないことを確かめた。

 久しぶりに、唐突な……それも特上の“わからない”に巡り会った。

 エレオノールの胸中が子供が遠足に行く時のようにワクワクとしてきた。

「さっきの大きい音は何!? どうやってやったの!? その意味は!?」

「音……? ああそれでここに来られたのですな? そういえば“サイレント”をかけ忘れていましたな。これは生徒の皆さんにも迷惑をかけてしまったかもしれませんな」

 教諭は自らの不手際を知ったのか、話の聞かない目の前の女性と同じように、相手の言葉の端だけを頭に入れて考え込む。

「それで!? この“ぜろせん”というのは一体なんなの!?」

「ふぅむ、考え事を始めると周りが見えなくなってしまいますなぁ、気をつけませんと。あ、そうそう今日は分解組み直しをもう一度やるつもりなのですから工具類も必要になりますなぁ」

 だが、これみよがしに疑問が溢れ尋ねるエレオノールに対して、先程とは真逆に今度は自分の世界に入ってしまった教諭は答えようともしない。

 いや、あれは聞こえていないのだ。

 研究家気質の強い者はその集中力故に周りが見えず関係ない話は聞こえなくなったりするものである。

 この教諭もまたそうなのであろうし、最初のエレオノールを見るに彼女もそうなのであろう。

 この二人、案外似ているのかもしれない。

 だが、こういう場合、一方はよくてももう一方は大変宜しくない。

 シカトされていると同義の状態を看過し続けられるほど、心の広い人間はそういない。

 先程、一切の質問の答えを返さなかったエレオノールに対して教諭がやや不満を感じていたのと同じく、今質問に一切答えない教諭に、エレオノールは業を煮やしていた。

「ちょっと!? 聞きなさい……よ? きゃぅ!?」

 そうなったエレオノールが相手に飛びかかるのは時間の問題で、事実今我慢できずに教諭に飛びかかったのだが、教諭はエレオノールの腕を掴むと彼女の足を払いのけ、やや伸びた草地に組み伏せてしまった。

 あっという間の出来事。

 エレオノールにはこの瞬間なにも為す術が無かった。

「っと!? しまった、つい無意識にやってしまった!? 失礼、大丈夫ですかなお嬢さん?」

 自身が何をしたのか気付いたのか、教諭は慌てて謝罪をしながらエレオノールを起こし始める。

 その時、偶々触れた彼の体に、エレオノールはまた驚いた。

 彼女は魔法研究が主だが、その為にとあらゆる知識と経験を取り込むことを厭わない。

 その知識と経験から、今の教諭の体に触れてわかったことがあった。

 それは……恐ろしく鍛え上げられているという事。

 胸板は鉄板のように厚く硬い。

 先程の身のこなしも一朝一夕で身に付くものではない。

 エレオノールは始めて、その教諭の顔を見た。

 先程までは丁の良い説明者、学院の教諭……程度にしか“思っていなかった”相手を始めてそこにいる“人間”として意識した。

 そうして思ったことは……、

「……ハゲてる」

「こ、これはハゲではありません!!」

 頭頂部のあまりの寂しさだった。

 教諭は突然の暴言にすぐ否定を入れた。

 違うのだ、これはハゲじゃないのだ。

 そう説明しようと気合い高々に口を開いたが、すぐにそれはエレオノールの言葉に塞がれた。

「わかっていますわ、貴方の髪は局部的に生えていない。オマケにそれは毛根の死滅と著しい疲労が垣間見れます。貴方、一体“何を”してそうなったのですか?」

 エレオノールの探るような目に、教諭は驚いた。

 始めてハゲじゃないと否定して信じてもらえたから……ではない。

 いや、それもあるにはあるのだが、彼女のそれを見抜く洞察眼……知識に驚かされた。

 今までこれがただのハゲでないと気付いたのは学院長くらいのものだったのだが。

「貴方は、一体……?」

 教諭が、やや猜疑心に満ちた目でエレオノールを見つめる。

「申し遅れました、私はエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します」

「ラ・ヴァリエール……? では二年生のミス・ヴァリエールの……」

「姉ですわ」

 反対の肘を持ち合うようにしてエレオノールは腕を組み、優雅に自己紹介をする。

「そうですか、これは重ねて失礼をしました。私はこの学院で“火”の担当教師をやっていますジャン・コルベールという者です」

 お互いにようやくとちゃんとした意味で相手を認識し、自己紹介を交わし合った。

 研究家気質が強い物同士は割と自己紹介を交わすのがままならない程の変人と取られることもあり、これは意外に珍しいことでもあった。

「私は王立魔法研究所に勤めていますけど、このようなものは見たことが無いわ、これは一体どういったものですの?」

 早速と、語る事はこれ以外無いとばかりにエレオノールは質問をする。

「王立、魔法研究所……? あ、いやこれは……」

 王立、と聞いてコルベールは迷った。

 話しても良いものか。

 話して万一これを徴収などされたらその利用先は恐らく……それはこれの本当の持ち主や自分の望むところではない。

 だが、そんな機微を感じ取ったのかエレオノールは口端を吊り上げ、

「先程はそういえば、か弱い私を地面に組み伏せて下さいましたわね、ああ、お父様が知ったらなんと思われることでしょう?」

 ギクリとする。

 つい思考に没頭するあまり周りを忘れて向かってきた敵意に体が勝手に反応してしまったのだ。

 相手は公爵家の娘である。

 出来れば事は荒立てたくはない。

「……これの持ち主は私では無いのです。手出し無用という約束をして頂けるのであれば、ご説明致しましょう」

「もちろん」

 ニッコリと笑うエレオノールに、一本取られたという表情で苦笑しながらコルベールは「外ではなんですので」と自身の研究室に彼女を案内した。

 エレオノールはまだ知らない不思議を知るためにワクワクしていた。

 コルベールも自身の失態に少々気を落としていて、注意力が散漫だった。



 その為気付かなかった。

 夜闇に隠れて、静かな焔を灯した瞳で一部始終を見ていた碧い少女が居たことを。



 後に、それが波乱を招くことになる。



[13978] 第七十七話【魅惑】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:54
第七十七話【魅惑】


 ルイズは不機嫌だった。

 今彼女は、来る気の無かった、寄るつもりすら無かった“魅惑の妖精亭”の中のテーブルの一つに付いている。

 中はやや暗めの照明に木造の丸テーブルがいくつもあり、普通の酒場とさして内装は変わらない。

 今回のルイズはそこに無論“客”として来ているわけだが、何故だか彼女はメイド服を着用していた。

 (あ、また……これであの女は三回目)

 ルイズは殺気が迸る視線でホール内を仕事で駆け回る少女達の姿を射抜く。

 ルイズに射抜かれた……もとい睨まれた少女は慌てて視線を逸らしてテーブルを拭く作業に戻った。

 今、あそこでテーブルを拭いている女は都合三回、サイトの方を見た。

 それもやや熱っぽいような、誘うような目で。

 全くもって度し難い行動である。

 今、こうして気絶しているサイトの頭が膝の上に無ければ、すぐにでもその女に“教訓”を説いてやるのも吝かではないと思うほどに度し難い。

 サイトの額を撫で、彼の顔を見つめる事で精神を再び安定させると、ルイズはこの魅惑の妖精亭に来てから起こった事を思いだし始めた




***




 ルイズ達がここ着いた時、小太りな貴族を追って出てきたのはアニエスだった。

 何でも小太りな貴族の男はここら一帯の徴税官であり、その地位を笠に着てやりたい放題していたらしいのだ。

 最近ではこうした中流貴族の横暴が増えているとも聞き、アニエスは今はまだ“王女”のアンリエッタの命を受けて市井を見て回っていた。

 これはもともと平民である彼女には打って付けの任務でもあった。

 今回は偶々現行犯である徴税官のチュレンヌという先程出て行った小太り貴族を断罪しようとしたところに出くわしたのだ。

 そこで話が終われば、「ご苦労様」の一言でルイズ達はこの場を離れられたのだが、簡単に事は終わらなかった。

 その説明を聞いているうちにチュレンヌは何を思ったのか、自身の子飼いのメイジ共を引き連れて戻ってきたのだ。

 恐らく、アニエスへの急な出世のやっかみもあったのだろう。

 いくら王女付の騎士とは言え、相手が平民出身の女性というのも、彼の背を押した理由だったのかも知れない。

 このままでは自分は失脚させられると焦った彼は“所詮は平民あがりの女”という認識でもってアニエスの口封じを図りに来たのだった。

 アニエスとて女性の身でありながらに鍛えに鍛えた肉体と戦術眼は目を見張る物がある。

 だが、多人数のメイジ相手ではまさしく多勢に無勢だった。

 せめて一対一ならば相手にも出来たかもしれないが、魔法というものはそれだけで戦況をひっくり返すほどの強力さを秘めている。

 “ある目的を果たす”まで死ぬつもりは無いが、ここでただ逃げるのはアニエスの今の立場から言って許されなかった。

 アニエスは腰を低くし、剣に手を伸ばして戦闘態勢を取った……ところでそれは起こった。

「お前達、やってしま……え? ……むひひひ……“ぺったんこ”だが中々可愛い女の子だ、どれ、私が触診してやろうではないか?」

 チュレンヌには既に勝利が見えていたのだろう。

 事実、アニエスの頭の中にも自身の勝利は無く、いかに相手に被害を与えて離脱するか、という思考だった。

 チュレンヌもこと魔法に関してそこまで無知ではない。

 戦力を見誤るほど馬鹿では無いつもりだった。

 だからその場に居た桃色の髪の乙女に、つい鼻の下を伸ばして手を伸ばしてしまったのだ。



 それが、保護欲をそそられている少年の逆鱗に触れた。



「……触るな、おっさん」



 ルイズに伸ばされた脂ぎった腕が、掴まれる。

 先程の無類の信頼を寄せた瞳を向けられた点も相まって、サイトは少々、ルイズに近寄る相手に機敏になっていた。

 それでなくとも彼はルイズに告白している。

 返事を聞かない、というある意味自分勝手な告白ではあったが、彼の中の感情はまごうことなく本物だった。

 加えて、これは本当に非常に残念な……いや、巡り合わせが悪いことに、チュレンヌ徴税官は“風”のメイジだった。

 彼の前に、ルイズに近寄る“悪”として出てきてしまったことは、誠に運が悪かったと言わざるを得ない。



「おっさん、風のメイジだろ?」



「ぬ? 何だきさばぁぁぁぁああああああ!?」

 言葉は最後まで発せられ無い。

 愛と怒りと憎しみの、サイト渾身の拳が徴税官の鼻っ柱に叩きつけられた。

 徴税官は鼻を押さえてのたうち回る。

 血がボタボタと垂れ、醜く転がり回っていた。

 瞬間、呆気にとられるチュレンヌ子飼いのメイジ達。

 チャンスだ、とアニエスはメイジの一人の胸元に飛び込むと杖を持つ腕に絡みついて鈍い音と共にその腕を折った。

 ついでに落とした杖を踏み砕くことも忘れない。

 “メイジ殺し”として知られる彼女は、とにかく相手に魔法を使わせない、隙を突くという戦法を主としていた。

 それで我に返った他のメイジ達は一斉に魔法を放つ。

 だが、ここで彼らはさらに愚を犯した。

 一人が、“風”の魔法、エア・ハンマーを使役してしまったのだ。

 アニエスが不可視の風の鎚によって吹き飛ばされ、石造りの壁に叩きつけられる。

 それを見たサイトの脳裏にある映像がフラッシュバックされた。

 天空に浮かぶ島国。



 その城で風に貫かれて揺れる桃色の髪と倒れる小さな体躯。



 あの時、自分は一瞬絶望した。



「っああああああああ!!!!」

 サイトは怒りに身を任せて風の魔法を使ったメイジに斬りかかる。

 無論力任せなだけの剣戟などかわされるが、サイトは即座に腹に蹴りを入れた。

 メイジはそのまま吹き飛んだ。

 サイトは他のメイジも叩きのめそうと足を動かすが、目前には火球が迫っていた。

 ファイアーボールを唱えた他のメイジがサイトを攻撃していたのだ。

 サイトはその火球をデルフで切り伏せるが、火の粉が舞ってやや髪が焦げた。

「っちぃ!!」

 たいしたことは無いが、鼻にはやや焦げた匂いが浸透していく。

 いや、辺りに焦げた匂いが“浸透していってしまった”



「……なにしてくれてんの?」



 ファイアーボールを唱えたメイジは既に首を掴まれていた。

 息も出来ぬほど強力な握力でも持って掴まれているそれは、一見すると女の子と遊んでいるように見えなくもないが、メイジにとっては文字通り生死の境をさまようほどの苦しみだった。

 クン、とルイズが鼻をひくつかせる。

 眉間に皺が寄る。

 苛立ちが増していく。

 サイトの髪が、あの尊いサイトの髪が焼かれたのだ。

 許せない。

 許せない。

 許せない。

 サイトにとっては“少し”であるが、ルイズにとっては“そんなに”と取れるほどのダメージであった。

 ルイズにとって、サイトは髪の毛一本すら、他人に奪われることを良しとしない。

 メイジが泡を吹いて気絶したのを確認すると、ルイズは無造作にそのメイジを放り投げた。

 他のメイジ達がそれを見て後ずさる。

 だが、ただ一人だけ、ようやく立ち上がったチュレンヌは下がらなかった。

 平民に殴られた、ということがいたく彼の自尊心を傷つけられたらしい。

 ようやく立ち上がった彼は、怒りに身を任せてサイトにエア・カッターを放つ。

 サイトは他のメイジと相対していてそれに気付かなかった。



「サイト!!」



 ルイズが慌てて駆け寄り、サイトの背を押した。

 耳には風切り音が……二つ。

 サイトの背中はパックリと割れ……血が流れていた。

 傷自体はたいしたことはない。

 比較的浅く、出血があるだけだが、ルイズにはこの世の終わりのように思えた。

 サイトが出血している。

 それだけでも卒倒ものなのに、サイトが今血を流しているのは……かつてヴィリエによって引き裂かれた所と同じだったからだ。

 あの時の事を思い出すと今でも身震いする。

 再び会えたばかりのサイトを失う所だった。

 あのようなこと、二度とあってはならないのだ。

 そう、もう二度と。

「サイトッ!?」

 ルイズは慌ててサイトを抱き寄せる。

「だ、大丈夫だ、掠っただけだっ……て?」

 パラリ。

 布が切れる音がする。

 風切り音は二つあった。

 一つはサイト。

 ではもう一つは?

「ぶっ!?」

 サイトは鼻血を出して気絶した。

 切れたのは、ルイズの衣服だった。

 一体全体どうやったらそんな切れ方をするのかというほど、見事に“ルイズの正面のシャツだけ”を縦に切り裂いていた。

 そんな服装のままサイトはルイズに頭を抱えられるようにして抱きしめられている。

 サイトの目に飛び込んできたその魅惑の双丘は、見えるか見えないかというコケティッシュなエロさを醸し出していた。

 全部見えるより、見えるか見えないかの方がエロく見えると言ったのは誰だったか。

 見慣れている、と言えば人聞きが悪いが、ルイズのその体のラインはサイトにとって未知ではない。

 それ故に、縦に切り裂かれ、小さくも谷間とその間にある影だけが見える状況というのは、サイトにとって新たな境地であった。

 それは、サイトの意志に関係なく出血を起こし、脳内の超活性によって意識を手放す結果となった。

 それを確認したルイズがサイトを地べたにゆっくりと寝かせる。

 その際に、やや触れた背中から少しぬめりとした感覚をルイズは感じた。



 血、である。



「…………あんた」

 覚悟は出来てるんでしょうね?と声なき声が聞こえた。




 これからここで─────────恐ろしいことが始まる。




***




 そうして店前での“小競り合い”が終わると、店の店員達が口々にお礼を述べ、さらには服が切り裂かれているルイズに仕事着で良ければ貸すと言ってきた。

 ルイズとて女である。

 サイトだけならいくらでも柔肌を見て貰って結構だが、他の人間には御免である。

 歓迎の意で魅惑の妖精亭内部に招かれたルイズは渋々ながら中に入ろうかと思ったのだが、何故かメイド達がこぞってサイトを運ぼうとしていた。

 それを敏感に察知したルイズは着替えなど後回しにしてサイトを自分で運び、常に自分の横に置いていた。

 メイド達はどうやらサイトを気に入ったらしかった。

 戦う時の強さと凛々しさ、そしてルイズの切り裂かれた服を見て鼻血を出して倒れた初心さ。

 それがここの女性達にはストライクだったらしい。

 普段癖のある男ばかり相手にしているせいか、純情・直情的でいて初心な男性に飢えていた面もあるのだろう。

 だからと言ってルイズがはいそうですかとサイトを差し出すわけがない。

 むしろ周りは全て敵、と威嚇していた。

 それは先程礼を言いに来たアニエスをも追っ払う徹底ぶりだった。

 アニエスは別に気にしたふうもなく、他にも行くところがあるので、と言って魅惑の妖精亭を出て行った。

 ルイズは早くサイトが起きてココを離れたい反面、このまま眠ったサイトをずっと膝の上に置いて眺めていたい気持ちが揺らいで、結局はそのままでいた。

 宿泊部屋を取ることも考えたのだが、どういうわけかこの店の看板娘にして店長であるスカロンの娘のジェシカに一人部屋しか開いてないから、入るなら一人で、とサイトと引き離しを図るような事を言われた。

 ジェシカは看板娘の名にふさわしく、この店一番のプロポーションを持ち、“長い黒髪”をした美しい女性だった。

 彼女もまた、サイトに熱っぽい視線を向ける少女の一人であった。




***




 闇夜の町を、軽微な鎧を身に纏って歩く女性が居た。

「……まさか、ここで知り合いに会うとは。だが、あの様子ではもう合うことも無いだろう」

 女性は一人呟きながら町を歩く。

 彼女は、市井で横暴を働く役人の取締と民の声を聞く任務を受けていた………………表向きは。

「この任務……いや、“復讐”の為に、知り合いに姿を見られるのはあまり好ましくないからな」

 女性……アニエスの姿が、夜のトリスタニアに溶けこんで、見えなくなっていく。



[13978] 第七十八話【本懐】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:55
第七十八話【本懐】


 燃える。

 燃える燃える燃える。

 圧倒的なまでの炎圧。

 熱い、熱い熱い熱い。

 そこはまさに地獄だった。

 火事だなんて生やさしい炎では無い。

 これは人災。

 幼いながらにそうわかるほど、圧倒的な火の侵略。

 一体自分が何をした?

 この村が一体何をした?

 理解もできずに、村が焼かれていく。

 ああ。熱い。

 途方もなく熱い。

 果てしなく熱い。

 燃える。

 みんな燃える。

 何もかも燃える。

 燃える燃エるモえるモエるモエルモエルモエルもえるモエルモえル……!!

 燃え……?

 ………………?

 いつの間にか、自分は誰かに背負われている。

 息をするのすらおぼつかなく苦しいが、どことなくこれで自分は助かるんだと安堵する。

 安堵して、閉じていたらしい目を開くと、大きな背中に火傷の跡が見えた。

 ああ、この人もこの圧倒的な火に焼かれた“被害者”なんだと、何故だかホッとした。

 辺りには何かが焼ける音と匂いが充満し、一向に消える気配の無い熱い炎が蔓延っていたが、今は助かる事の出来る自分に素直に喜びを感じる。

 喜びを感じて……喜びを感じすぎて……喜びを通り越して……殺意を覚えた。

 自分が助かるなら、何故他の人は、家族は、優しかったおばさんは、同い年のあの子は、あの村の人達は助からないのだろう。

 わからない。

 わかりたくもない。

 何故。

 何故。

 何故。

 何故自分は助かったのだろう?

 何故他のみんなは焼かれなければならないのだろう?



 その日、アングル地方の一人の少女……当時の幼いアニエスを遺して、ダングルテールから一部の寒村が姿を消した。




***




 王女が消えた。

 公式な発表はされてはいないが、“予定よりだいぶ遅れて”アンリエッタは王宮から姿を消した。

 それも、内々に女王として戴冠する方策を定め、その公表を行うと言った矢先に、だった。

 長年王家に仕えてきたトリステイン高等法院の法院長リッシュモンは、直ちに行方を捜すよう命じた。

 リッシュモンは考える。

 他国からの誘拐か、はたまた内部の者の誘拐か。

 他国からならば、この戦争状態で逼迫したトリステインへの脅迫とも取れるし、内部の者ならアンリエッタ派が“何らかの危険を察知”して身を隠したか、それとも他国へ“売り飛ばす”為に捕らえた可能性もある。

 どちらにしろ、事態は全く持って芳しくなかった。

 加えて、今夜リッシュモンは人生はおろか国を左右するほどの大きな会合の予定があった。

 それを外すわけにはいかず、かといってこのままアンリエッタの行方が不明なままではその会合も内容次第によってスムーズに行われない恐れがある。

 全く、我が身が二つ欲しいと思うほどに忙しく、トラブルばかりが立て続けに起こる。

 だが、無いものねだりをしても始まらない。

 リッシュモンは一通りの指示を終えると、今夜の集会の場へ向かう為、馬車を呼んで乗り込んだ。

 貴族専用の高級馬車は、中の椅子も上質な物を使い、乗り心地を考えられたまさに最上級の物だった。

 リッシュモンは目を閉じ、自身の杖に宝石が付いた指輪をした手を当てながら、深く瞑想する。

 そのまま馬車に揺られ数刻後、

「……リッシュモン様、到着致しました」

 御者の声が彼を深い思考の海から意識を呼び戻し、上質な毛皮のマントを羽織って馬車から降ろさせる。

 馬車から降りると、敷き詰められた辺りの敷石は若干濡れていて、高級なリッシュモンの革靴が僅かに湿った。

 どうやら幾分雨が降ったらしい。

 靴が濡れた事にやや不快感を示しながら、リッシュモンは目前の大きな建物に入っていく。




 舞台劇場の中へと。




***




 リッシュモンが劇場の指定の席に腰を据え、三文芝居と言っても良いさほど興味も引かれぬ演劇を見ている時、それは起こった。

「お待たせ致しましたわ、リッシュモン高等法院長」

 そこには、行方不明と報告のあったアンリエッタ王女の姿があった。

 傍らには新設された銃士隊隊長のアニエスの姿もある。

 内心、リッシュモンは驚くが、成る程と彼女の出現に納得もした。

「そのお顔ですと私がここに居る理由がわかったようですわね」

「はて? 私はここで人と会う約束をしていただけですが」

「ああ、その方達なら既にチェルノボーグの監獄に入っておりますので、お待ち頂いても無駄ですわよ」

 一応とぼけては見るものの、どうやら既に意味は無いらしい。

 やれやれ、とリッシュモンは腰を上げる。

「私は国を憂いているのです、今のままではこの国は終わりましょう」

「そうですわね、でも、だからなんなのです?」

 否定をしないアンリエッタに少々度肝を抜かれながらも、リッシュモンは続ける。

「おわかりならば私のこの行動にも得心頂けませんか?」

「得心? 私に“誘拐まがいの刺客”を送り、諸外国から賄賂を貰っては職務を逸脱していた貴方の行動を?」

 既にネタはあがっているのですよ、とアンリエッタは彼、リッシュモンの罪状を述べていく。

 彼は国を既に売っていたのだ。

 今日の大事な会合も、その相手との予定だった。

 確かに国を左右するほどの会合ではある。

「まぁ貴方はその賄賂で余程良い生活をしていらっしゃるようですけど」

 リッシュモンの服装を見て、皮肉気にアンリエッタは述べる。

「この国は既に手遅れなのですよ姫様……いや陛下」

 皮肉には皮肉で。

 まだ戴冠していないが、戴冠する予定の相手を王と呼ぶ。

 同じ口でこの国はもう終わりだと言っているのにこれ以上の皮肉はない。

「仮にそうだとして、貴方を赦す口実にはなりませんし、それを決めるのは貴方ではない。貴方がどれほど優秀だとしていても、ですわ。あ、あの“偽物メイジ”は大変良い腕でした、それは誉めておきましょう」

 やはり、とリッシュモンは内心ひとりごちる。

 “最初に思った通り”どうにも“アンリエッタの消える日取り”が遅いと思ったのだ。

 アンリエッタは誉めてはいるが、結局彼奴は失敗したということか。

 さらに取引相手も掴まっているとなれば、ここに長居するのは自分の保身上良くない。

 カン!! と足を支える役目も兼ねた長い杖で床を突く。

 瞬間、奥の席に座っていたメイジが立ち上がって魔法を放ってきた。

「っ!!」

 アニエスがアンリエッタを抱えて跳躍し、その場を離れる。即座に控えていた銃士隊の銃が火を噴いてそのメイジを絶命させた。

 その間にリッシュモンは舞台のステージ上に移動していた。

「まだまだ辛抱が足りませぬな陛下……いや姫」

 今度は卑下するかのように態と言い直す。

「僭越ながら昔のように助言致しますと今私を消した所で何も現状は変わりますまい。このような茶番で時間を潰すよりも有意義な時間の使い道もあったでしょうに」

「そうかもしれませんわね、貴方の忠告はいつも痛み入りますわ。でも、それも今日で最後ですわね」

「最後……そうですな、私はここから離れ、貴方は国と共に滅びる。全く、“復讐”などという感情に支配されなければもう少しマシだったものを」

「……リッシュモン、お言葉を返すようですが、その復讐故に今貴方は追いつめられているのですよ?」

「私が追いつめられている? 全く馬鹿なことを。まだまだ学ぶべき事は多いですなぁ姫様、だいたい国のトップが、そのトップに仕える騎士が、復讐の為に生きているのだから手の施しようもないか」

「っ!!」

 アンリエッタの隣で、アニエスが敵意を剥き出しにしてリッシュモンを睨む。

「おお恐い恐い。姫の犬は狂犬と見えますな」

「黙れ!!」

 アニエスは故郷で起きた事件の顛末を、アンリエッタの協力の下あらかた調べていた。

 表向きは疫病によって死滅されたとしている村落。

 だが現状は王室部隊によって焼かれたのだ。

 実行部隊にも疫病を円満させないようにするためと嘘の説明をしていたらしいが、その実、信仰を第一にするロマリアより、新教徒が多くいるとされるその村落の異教徒狩りを依頼され、多大な賄賂を受け取ってリッシュモンがそれを実行させたことを。

 それ以来、その実行部隊の隊長と、賄賂を受け取って実行させたトリステインの重鎮への復讐を糧にアニエスは生きて来た。

 アニエスがアンリエッタの騎士になったのにはそういった経緯があったのだ。

「フン、国のトップを護る騎士が私怨で動いたとなれば風評が悪くなることすらわからぬ小娘が。今貴様がここで私を殺してみろ、貴様はおろかそれを許した姫様の風評もガタ落ちだ。戦争のまっただ中、国内部が割れれば崩壊は余計に早まる」

 怒ったようにアニエスを睨むリッシュモン。

 彼は政治家としてはやはり有能だった。

「おしゃべりはここまでですよリッシュモン、アニエス!!」

 アンリエッタの声と共に先程リッシュモンが仄めかした悪手でもってアンリエッタは攻める。

 事実この場にはバレていないリッシュモンの部下が一般人に紛れて多くいる。

 彼らが噂を吹聴すれば、王家への信頼崩壊もありえるだろう。

 事実を全て事実として広める必要は無いのだから。

 やはりこんなものか、とリッシュモンはやや残念がりながら、杖で床を突いて……下に落ちていった。

 隠し扉ならぬ隠し穴。

 逃げる算段はいつでもしていたリッシュモンの作戦だった。

 これでリッシュモンは勝ったハズだった。



「な、に─────!?」



 ごふっと血を吐く。

 胸からは鈍色の剣が突き抜けている。

 地下排水路に逃げられたハズの自分の胸に、信じられない光景だった。

「終わりだ、リッシュモン─────!!」

 彼の背後にいるのは……アニエスだった。

「馬鹿、な……」

 アニエスは上に居たハズである。

 平民風情がこの距離を降りられるワケもないし、降りてきた形跡も無い。

「“陛下”が言っていただろうリッシュモン、あの“偽物メイジ”は大変良い腕だった、と」

 まさか、と思う。

 上に居たアニエスは自分が派遣したフェイカー!?

 寝返ったのか? しかし何故そんな手の込んだことを!?

「不思議そうな顔をしているな、貴様自身が言っていただろう、“風評”は時に王家の崩壊にも繋がると。アリバイはバッチリだ」

「!?」

 信じられなかった。

 これでは、まるで自分があの小娘の掌の上で踊る最初の演目で演技していた三流子役のようでは無いか。

「恐らく、事は今お前の考えている通りだ……では、精々ダングルテールの人達に悔いながら……死んでいけ」

 胸を貫いている剣を抜くと、再び暗い排水路で鈍色の閃光が一閃する。



 黒い液体と鉄の匂いが、用水路を満たした。



「終わりましたの?」

「……ええ」

 アニエスは背後から聞こえた主の声に答え、震えていた。

 (やった、とうとう復讐を果たした。まずは、まずは一人だ)

 半ば放心状態とも言える“濡れ鼠”なアニエスが、小さくも獰猛な笑みを浮かべた。




 その日、アンリエッタは女王として即位することになる。

 即位した彼女は、義勇軍を募り、徴兵を開始した。

 次々に兵は募り、学院の男子生徒すら親からの圧力もあって徴兵の対象となった。



 本当の戦争への、幕開けである。




***




 翌朝、同じトリスタニアでそんな血生臭い事が行われていたとはつゆ知らず、

「ル、ルイズ!? 一体何処でそれを!?」

 目を覚ましたサイトを連れてルイズはショッピングしていた。

 昼には学院に帰るつもりだったのだが、とある服を見つけてルイズは迷わず購入した。

 サイトが驚くのも無理は無かった。

 ルイズが着ているのは、

「ねぇサイト、似合う? 似合う?」

 くるり、と一回転してスカートをヒラヒラさせる。

 見覚えのある、というかサイトにとってはルイズよりも余程馴染み深い? その服の名前は、

「セ、セーラー服だってぇぇぇぇェェェェエエエエエエエ!?」

 地球は日本が誇るまさかの女子学生服だった。



[13978] 第七十九話【約束】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:57
第七十九話【約束】


 サイトは混乱していた。

 ここはハルケギニアである。

 断じて地球ではない。

 では何故ルイズが地球の……いや日本の“せぇらぁ服”を着ているのだろうか?

 トリスタニアから戻ってはや数日。

 三着も買ったセーラー服は着回されながらずっとルイズの衣服とされていた。

 昨日などは寝る時もセーラー服のままだったのだからサイトとしては戸惑うばかりである。

 セーラー服を着こなすルイズは年相応に可愛く、また、何処か別世界の女の子という印象から一転、親しみ深い印象を受けた。

 日本男子高校生平賀才人十七才。

 女子高生や女子中学生の制服には些かの憧れがあった。

 彼は決して女学生専用服には詳しくない。

 それでも有名所、『ToHE●RT』や『ら●すた』といった女子高生が出てくる二次元的な女学生服から、現実に着ている女学生服まで、男としての興味はあった。

 無論セーラーにこだわるつもりはなく、ブレザーでもOK、とはサイトの内心の言葉である。

 この間の魅惑の妖精亭前でも思ったことだが、サイトは“見えそうで見えない”という状況に予想以上に脳髄を刺激されることを悟った。

 ルイズの純真無垢な目でヒラリとスカートを動かされると、その艶めかしい足の付け根につい目が行ってしまう。

 見えるわけでは無いのに、期待してしまう男の性である。

「ねぇ、今何考えてたの?」

 ルイズがぐいっと顔を近づけてくる。

 フローラルな香りが鼻腔をくすぐり、サイトに急激に“女”を意識させるが、そのサイトが考えていたことをまさか素直に話せるわけもない。

「あ、えーと……」

 サイトは視線を彷徨わせてどうしたものかと考える。

 だが、それを見たルイズは何を思ったのかやや青ざめ、

「もしかして背中が痛いの!?」

 心配そうにサイトに縋り寄って優しくしなやかな手でサイトのパーカー越しに背を撫で始める。

「え? あ、いやそれは大丈夫だって」

 サイトは慌てて離れた。

 どうにも“あの日”からこっち、ルイズが近くにいると縦に切り裂かれたシャツのルイズをイメージしてしまって宜しくない。

 あれは想像以上にサイトの脳裏に焼き付き、胸が早鐘を打つ原因となっている。

 もっとも、ルイズからしてみればいつもより多く見てもらえる代わりに触れられる時間は減っているのが現在の不満点であるのだが。

 サイトはそんなやや不満そうで不安そうなルイズに苦笑しながら「なんでもない」と手を振った。

 どうにもルイズは“寂しがりや”な一面があるとサイトは感じる。

 自分がいなくなったらどうなるんだろう?と一瞬考えた時、ルイズは問答無用でサイトに抱きついた。

 恐らく、何か感じる物があったのだろう。

 サイトが何を考えているのか、何となく感じてしまって恐くなったのだ。

「イヤ!! 絶対イヤ!! サイトが“また”居なくなるなんて!!」

 首をぶんぶんと振ってしがみつくルイズに、この時ばかりは邪なことは考えずにサイトは頭を撫でた。

 だが、ルイズの“また”と言う発言に、サイトはやや複雑な心境になる。

 “また”ということは、やはりルイズには自分と前のサイトを同一視している節があって、尚かつ、“前のサイト”を失うことを極端に恐れているように感じるからだ。

 それは自分じゃない自分である。

 時折見せる彼女のそういった発言や対応が、未だサイトに彼女が一番好きなのは“前の平賀才人”であると思わせ、一線を越えられない……告白の返事を聞けない原因だった。




***




「……ねぇ、じゃあさっきは何を考えてたの?」

 ようやく落ち着いたのか、ルイズは首を振るのを止め、でもサイトの首に抱きつくのは止めずに気になっていた質問を繰り返した。

「だからなんでもないって」

 落ち着いたかと思ったらこれである。

 世の中には答えられる質問とそうでない質問があるとルイズには教えを説くべきだろうか。

 ルイズが落ち着くと、サイトも落ち着いてきたのか、急に首に回されている腕の感触や体の暖かみがエロティックに感じてきてしまった。

 (うわぁ……完全にあの魅惑の妖精亭前での事は失敗したよ、だって縦に割けるなんて反則じゃないか……ってそういえば結局魅惑の妖精亭の中の様子は知れなかったな、ちょっと残念かも)

 気絶していたサイトは、目覚めた時には“何故か”ルイズしか傍にいなかった。

 特にそれを不思議には思わなかったのだが、

「……サイト、ちょっとデルフ貸して?」

 ルイズがやや顔を俯け、昏い感情で壁に立てかけてある剣を指差す。

 少しデルフが震えているように見えた。

 (あれ? 何かヤバイ?)

 ルイズは時々こういう顔をしてはデルフの貸し出しを要求する。

 最初は気にしていなかったのだが、どうにも戻ってきたデルフの様子がおかしい事に最近気付いた。

 何故かはわからないが、ルイズはサイトが何か“ルイズ以外の事を考えるか口走った時”にこうなることが多かった。

 恐ろしくは女の勘と言う奴か。

 何を考えていたの? と聞く辺り全てではなくとも、幾分ルイズはサイトの考えていることがわかるのかも知れない。

 そうなると、ルイズとしては度々デルフと“会話”の必要性が出てくるのだ。

 以前の約束から、またサイトが見ているという観点から、OSHIOKIはそう無い。

 だが、現状デルフは怯えていた。

 (なんかデルフが震えているように見えるんだよなぁ)

 いつも相棒、と慣れ親しんでくれる相手に、サイトとしては何か力になってやりたい気持ちもあった。

 相棒と呼ばれるからにはサイトも相手を相棒と思っている。

 (愛剣の為にもここは……?)

 そう思った時、ルイズの目がクワっと見開かれた。

 何かを感じ取ったらしい。

 ルイズは問答無用でデルフに掴みかかった。

 その目には、“嫉妬”という炎を燃やして。

『お、落ち着け娘っ子!! 相棒!? お前さん何をしやがったんだ!?』

「な、何もしてねぇよ!!」

 一人と一振りの剣はお互いに責任転嫁を始めるが、それすらルイズにとっては羨ま……嫉妬の対象となる。

 何せサイトとデルフ二人だけで世界を作られているようなものなのだ。

 ……そのようなこと、許容できる筈もない。

 ルイズがデルフを持ち上げる。

『イデデデ!? む、娘っ子!? ちょ!? ちょちょちょ!? 折れる折れる折れる!? 砕けちまうって!?』

 折れろ、むしろ砕けろ、という内心はおくびにも出さずにルイズは嗤う。

「あら? “ただ持っただけ”なのに何を言ってるのかしらこの剣は。“六千年”もの時を生きた伝説の剣がただ持った程度で壊れるわけないじゃない? おかしな事を言うわねデルフ?」

『六千年……? ってギャーーッ!? 落ち着け娘っ子!! わかった、何か知らんけどわかった!! 俺様が悪かったから!! あ、相棒も見てないで止めてくれよ!! いつまで娘っ子に見とれてるんでぇ!!』

「へっ!? は、はぁ!? お、俺は別に見とれてなんか……!!」

 突然のデルフの思ってもみない発言にサイトは慌てる。

 そんなつもりは無い。

 ただなんとなくデルフとルイズの間に入っていけなかっただけだ。

 だが、それをそのまま声を荒げて否定しても、何だか嘘っぽく見える。

 加えていつの間にか真っ直ぐにこちらを見つめるルイズの視線がきつい、というか刺さる。

 ルイズはデルフを放り投げ『イデッ!!』期待に満ちた目でサイトに縋り寄った。

 こうなるとお手上げである。

 悪いことをしているわけでも嫌いでも無い相手に、離れろとも見るなとも言えず、そのままそれを了承と取ったルイズは密着する。

 とにかくルイズはサイトの傍に居ることを望むのだ。

 その距離は近ければ近いほど良い。

 恐らく、デルフはそれがわかっていて、相棒を“売った”のである。

 (謀ったな、謀ったなデルフ……!!)

 (悪いな相棒……これも惚れた女がいる男の性だと思って諦めてくれ)

 視線だけで意思疎通を謀る相棒同士は、怨みがましい目と、大人しくそこに無いかのような錯覚さえ起こさせるボロ剣の悪気ある無視によって決着した。

 決着せざるを得なかった。

 ルイズがサイトの視線の先のデルフに気付いたからである。

 ルイズはデルフリンガーを自分の居ない時の護衛として……自分以外の物で唯一サイトの傍に居ても良い物として扱っているが、それも飽くまで“やむなく”である。

 自分よりも多くの時間を共有し、サイトとの絆を深めるなど言語道断である。

 先程からのデルフとサイトのやり取りを見てやや危機感を感じたルイズは、少しこの二人の距離を開けるべきかと思い始めた。

「サイト、ちょっと外に出ましょう?」

 そうなれば善は急げである。

 さっさと外に出て木漏れ日でゆっくり二人きりで過ごすのも悪くない。

 今思えば二人きりだと思ってもデルフが一緒だった事は非常に多い。

 ルイズがデルフからサイトを引き離すようにぐいぐいとドアへ引っぱって行き始めたその時、



 コンコン。



 来訪者を告げるノックが聞こえた。

 一体誰だ? とサイトは首を傾げるが、ルイズには少し嫌な予感がした。

 こういう時の嫌な予感は当たるものである。

 ルイズは学院に帰ってきて学院窓口に帰ってきた旨を伝えた際、職員から姉が学院に来て、実家にもう一度顔を出しよく話し合うようにと言う伝言を受け取っていた。

 無論、ぶっちぎりで無視している。

 父が心配しているともあったが、その父……いや“あの人”がした事はとうていルイズに看過できることではない。

 万一またサイトに危害を与えるつもりなら、実の父にも敵対することさえ覚悟済みである。

 だが姉もあれでいてなかなか面倒見が良く、中々にしつこいことは姉妹なれば当然理解していた。

 昔は恐怖の対象である気が強かったが、“時を経た”今ではそれもただ虐めているだけではないということが理解出来る。

 もっとも、帰省の際に馬車内でサイトを“汚い平民”“そんな男”と評した事をそうそう許す気は無いが。

 さて、相手が姉であった場合どう対処しようかと思考をルイズが張り巡らせ始めた時、サイトは何も考えずに戸を開けてしまった。

「あ……!!」

 声を出すがもう遅い。

 最悪、姉との正面衝突も覚悟してルイズは身構えたが、はたして戸の向こうに居たのはルイズにとって意外な人物だった。



「……帰ってきたなら要連絡」



 そこに居たのは、普段からの無表情ではあるが、やや怒り気味なのがその張りつめた空気でわかる同級生、碧い髪をした小柄な少女、タバサだった。

 ルイズはやや脱力した。

 全面的にこちらの思いこみとはいえ、必要以上に身構えてしまった自分が馬鹿らしい。

「なんだタバサか」

「……いきなり「なんだ」は失礼」

 身の丈以上の大きな杖をルイズに向けて、タバサはやや睨むように視線をぶつける。

「はいはい、で? 何のようかしら? 私達出かけるつもりなの、用なら手短にしてね。長くなるならそこに転がってるボロ剣……デルフリンガーに言っておいて」

 気が抜けたのか、ルイズはややぞんざいな態度でタバサに応じる。

 タバサはそんなルイズの態度にやや怒りを感じながら刺々しい口調で口を開いた。

「……約束」

「約束?」

 はて? とルイズは首を傾げる。

 何かあったかしら、と。

「……タルブ村近郊で貴方は私に貴方の使い魔の元に連れて行ってと頼んできた。代わりに私の頼みを一つ聞く約束」

「あ、ああ……!!」

 ルイズは思い出した。

 サイトの元に行きたいあまり、なりふり構わずそれを可能なタバサに頼んで連れて行ってもらったのだ。

「そうだったわね、それで貴方の頼みは何?聞けることなら聞くわ」

 あれのおかげでサイトの告白を聞けたようなものだ。

 ならば感謝の気持ちとして頼みを聞くのも吝かでは無い……のだが。



「……貴方の使い魔を貸して」



 やはり、こういう時の嫌な予感という物は当たるものである。



[13978] 第八十話【撤退】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:57
第八十話【撤退】


「……は?」

 この目の前の碧い少女は今何と言ったのだろうか。

 決して自分の耳は悪い方でも病を患っているわけでもなく、また老化による難聴が激しいなどということも無い。

 だというのに、今聞いた言葉が聞こえない。

 聞こえないし“理解したくもない”

 だから慈悲深くもルイズは再び質問を繰り返すことにした。

「……よく聞こえなかったわ、もう一度言って?貴方の頼みは何?」

「……貴方の使い魔を貸して」

「………………」

 タバサの先程と同じハルケギニア語らしき言葉にルイズは押し黙る。

 彼女、タバサの言葉が聞こえなかったからではない。

 あまりにも突拍子のない、現実離れした、それこそ“夢物語”のような事を口にする彼女の言葉を脳が理解しようしなかったからである。

 だが、彼女の中の“防衛本能”がそれを良しとしなかった。

 その為、ルイズの思考回路は理解することを放棄した脳に再び活動を促し、タバサが言った言葉の意味をわかりやすい言葉に変換していった。

 そうして……変換が完了した時、彼女はようやく納得した。

 実に簡単なことだったのだ。



「つまり貴方は“自傷願望者”ってこと?」



 それならそうと最初から言ってくれれば良かったのだ。

 ルイズの脳はタバサが言った言葉を自分にわかりやすいよう“正しく”変換してくれた。

「……? 私はただ貴方の使い魔を借りたいだけ」

「え? 何? 腕の二三本折って欲しいって? 腕は二本しか無いのよ?」

「……いい加減にして。私はそんなこと言ってない。私は貴方の使い魔の貸し出しの要求をしている」

「五体満足でいたくない? 奇特なのねぇ貴方」

 タバサは要領を得ないルイズに段々苛つき始め、埒があかないと彼女の使い魔に視線を向けようとし……ゾッとした。

 喉の奥が一瞬でカラカラになったような……口の中の水分が瞬間的に失われたような感覚。

 それでいて背中には吹き出すように汗が流れ始めている。

 何かの魔法かと思うほど部屋の空気が異質に変質していて、思わず戦闘態勢のように腰を屈めた。



「……何処を見ているのかしら?」



 先程話していた時とはまるで別人のような雰囲気を纏っているルイズは、タバサにさらに警戒感と……恐怖感を抱かせた。

 タバサはその数奇な人生によって多少の修羅場というものはくぐり抜けてきている。

 だが、かつてこれほどの“重圧”を受けたことがあっただろうか。

 何かの魔法なのかも知れないしそうでないのかもしれない。

 だが今、それが魔法かどうかなどはさほど重要では無い。

 問題なのは培ってきた危険への嗅覚が、最大限に警鐘を鳴らしているという事実。

 タバサは使い魔の顔を見るなどという“余分な行動”を中断し、ゆっくりとルイズに視線を向け直した。

 そこには、何処か異国のような見慣れない服……胸はVの字に開いてスカーフか何かをリボン代わりにした上着とスカートを着て腕を組みながらこちらを見つめる……否、射抜く“光の無い”双眸があった。

 視線で人が殺せるなら、タバサは既に二本の足で立つことはかなわなかっただろう。

 そう思える程の視線は、タバサに文字通り自らが刺し貫かれているような錯覚さえ覚えさせる。

 一度、緊張からか喉奥にゴクンと空気を飲み込み……思い出した。

 錯覚でも何でもなく、口の中は渇ききっている。

 喉が渇きによって少し痛んだ。

 と、ルイズが一歩タバサに近づいた。

 同時にタバサは一歩後ずさる。

 たった一歩、それだけで危険度は格段に上昇したかのように感じる。

「……? どうして逃げるの?」

「………………」

 ルイズは何処を見ているのかわからない真っ黒な……“虚無”の瞳で不思議そうに首を傾げて歩みを止め、先程とは真逆に今度はタバサが黙り込んだ。

 いや、黙るという表現は正しくない。

 ただ黙らざるを得なかった、言葉が出なかった、それだけである。

 それでも、タバサは経験からか思考することは止めていなかった。

 何故こうなったのか。

 何がいけなかったのか。

 結果、わかったことと言えば、

 (……わからない。私はただ彼女がした頼みと“同じ頼みをしただけ”)

 わからない、ということだけ。

 情報が不足している。

 だが幸いにも相手は今すぐ自分をどうこうしようという気は無いらしい。

 それは歩みが止まった事からも推測出来る。

 ならすべきことは何か。

 ……情報の入手と逃走経路の確保である。

 じりじりと自身の体を部屋の扉……脱出口に近づけながらタバサは少しでも多くの情報の収集を計り始めた。

「……何が貴方を“そう”させるの?」

 また一歩、できるだけそう悟られないよう扉に近づきながらタバサは単刀直入に聞いた。

 長居は出来ない。

 何故か、この“ルイズと使い魔のいる空間”に長居しては危険、という勘がタバサには働いていた。

 だが、ルイズはタバサを抑揚の無い深淵の闇のような瞳で見つめ、答えない。

 (……ルイズは情報を漏らす気が無い、もしくは漏らさないようにしている?)

 タバサの中でどんどんルイズが危険視されていき、また彼女の中の実力パロメーターを大幅修正する。

 彼女が“ゼロ”だなどとはとんでもない勘違いだ、と。

 それは以前の怪盗フーケでの件の疑惑やアルビオンのニューカッスル城でも感じた“血”の匂いが、やはり彼女の“意志”による仕業だったと言われても違和感の無いレベルだった。

 タバサはまた一歩扉に近づきながら無駄と思いつつも質問を重ねる。

「……私は貴方がした頼みと同じ頼みをしただけ。それの何処がいけない?」

「おな、じ……ですって……?」

 (!?)

 だが、予想に反してルイズは反応してきた。

 (……もしかして)

 タバサは一つの解に思い当たり、僅かに悩んでから……踏み込んでみることにした。

「……貴方の使い魔……っ!!」

 だが、それはどうやら『韻竜の尾』を踏んでしまったらしい。

 ルイズはスススッと移動し、自分の体で自分より背の高いサイトをタバサから隠すように立ち振る舞った。



 とんでもない殺気を込めて。



 かつての経験がなければ、卒倒しかねないほどのプレッシャー。

 今は意識を保っているのがやっとで、身が竦んで動くことすらままならない。

 一歩、ルイズが近づく。

 だが体は竦んでしまっていて動かない。

 動け動け動けと念じても、筋肉は動くことを拒否しているかのようにピクリともしない。

 また一歩、ルイズが近づく。

 (……どうしたらこの場を切り抜けられる?)

 タバサは既に頼みを聞いて貰うことよりも、この場からの脱出を考えていた。

 今の彼女からは危険しか感じられない。

 確信が無かったからとはいえ、彼女を大きく揺さぶることの出来る“使い魔の事”を口走ったのは完全な失策だった。

 前に友人のキュルケよりルイズが使い魔に入れ込んでいると聞いたことはあったが、まさかここまでとは……!?

 思ってから、閃いた。

 この状況を打破する方法を。

 “それ”は人によってはそう難しくないことかもしれないが、いざ自分がやらねばならないとなるともの凄くハードルが高いような気がした。

 しかし背に腹は代えられない。

 今までも無理難題な“任務”を差し向けられて来た身なれば、“それ”は肉体的痛みを伴わない分マシと言える……のかもしれない。

 (……やらなければ終わるだけ)

 このままでは、ルイズとの距離が零になった時、恐らく自分は終わる。

 そんな予感がする。

 ならば、藁にもすがる思いでやった試しの無い“それ”をやってみよう。

 タバサは覚悟を決め、死地に向かう時のように下腹に力を入れてほとんどしたことのない“それ”、拙いが『おべっか』を使ってみた。

「……貴方の使い魔と貴方、お似合いのカップルに見える」

「…………!?!?!?!?!?!?!?」

 ルイズの歩みが止まるのと同時、目が見開かれる。

 その瞳には、光が戻っていた。

 同時に、タバサは何かの重圧から解かれたかのように、急に体が動くようになった。

「あうっ!?」

 瞬間、彼女の体は先程からの『動け』という命令に忠実に従って扉まで一直線に向かい、急ぎすぎて目測を誤って扉の梁に額をぶつけてしまった。

「……痛い」

 急に何かの重い束縛から解かれた安堵感と降って湧いた額の痛みにタバサは涙ぐんだ。

「ちょ……大丈夫?」

 先程までのルイズがまるで嘘だったかのように、天使の顔を貼り付けてルイズは心配そうにタバサの顔を覗き込んだ。

「あ、おでこ赤くなってるわね、水の秘薬いる?」

 本当に先程と同じ人物かと疑うほど今のルイズは表情も言葉も、雰囲気も優しかった。

 まるでさっきまでのが夢だったかのようだ。

 人は竜では無いが、触れられたくない逆鱗というものは同じように存在するように思う。

 自分にもそれには覚えがあった。

 だから、今回は知らずにそれに触れた自分が悪かったのだ、きっとそういうことなのだ……多分。

 今の“優しい”ルイズには好感が持てるし……それにもう二度とあんなのと対面するのは御免である。

「……大丈夫、二人の邪魔はしない、帰る」

 なので今日のところは一刻も早くこの場から撤退したかった。

 だがその態度がルイズにとっては好意的に感じられたのか、気を使ったように言い出した。

「あらそう? わかったわ。ああ、そうそう、貴方の“頼み事”はなんだったかしら? 聞ける物は聞くつもりだけど?」

 ギクリ、とする。

 ルイズは全く悪びれもせずに微笑んでいるが、あれはわざとなのだろうか。

「……今日はいい。またにする」

 タバサは内心恐る恐る言ったのだが、ルイズは「そう」と気にした風もなくタバサを解放した。

 この時、誰も気付かなかった。



 サイトが一言も言葉を発さなかったことに。




***




 タバサは安堵していた。

 無事ルイズの部屋から生還出来るとは、一時思えないほどに切羽詰まった状況だった。

 もともと、彼女はルイズの使い魔に関して少し調べたかっただけなのだ。

 彼女の耳に今も残る水の精霊の言葉がある。



『ガンダールヴ』



 タバサには一つの仮定があった。

 自分の大好きな御伽噺……“イーヴァルディ”の勇者とは、“ガンダールヴ”なのではないか、と。

 その理由としては、書かれている文献自体多くは無いが、それでも少ない文献を見ていて、彼女なりの共通点を見いだしたからである。

 イーヴァルディは、魔法が使える貴族でも無いのに、様々な困難に……強力な韻竜にさえ立ち向かう文字通りの勇者だった。

 そんな人間は現実には存在しないと頭の中で否定しつつも、いつも心の何処かでそんな勇者の到来を待ち望む自分が幼い頃から居た。

 イーヴァルディならば、きっと困っている人間をなんとかしてくれる。

 誰かに頼る、等というのはもとより考えていない。

 それでも心の拠り所として、タバサにはイーヴァルディのような存在を渇望する心と理由があるのは事実だった。

 同時に、彼がイーヴァルディだったなら、“勝手に”手伝ってくれるかもしれないという矛盾した淡い期待も持ち合わせていたのかもしれない。

 彼女は、“ある事情”によって出来る限り、それも早急に強くなる必要性に迫られていた。

 もともと余裕は無かったのだが、殊更に“急がねばならない理由”が出来たのだ。

 その為のガンダールヴへの接触だったのが……現実は厳しい。

 ガンダールヴのことすら調べられずに、事は失敗した。

 “最初のアテ”がこれでは、先が思いやられるが、しかしタバサには“もう一つのアテ”があった。

 偶然知ったことだが、彼はかなり“デキる”



「……ミスタ・コルベール」



 タバサはこの際もう一つのアテ、学院の教職員の名前を口にすると、彼の“研究室”へと足を向け始めた。

 そこに、見知らぬ……しかしたった今会っていた人物と無縁では無い客が居着いていることなど知らずに。



[13978] 第八十一話【稽古】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:58
第八十一話【稽古】


 例えるなら、そこは戦場だった。

「オーホッホッホッ!! まさかこの世にこんな技術があったなんて!! 異世界だかルイズの使い魔の世界だか知らないけど興味深いわ!!」

「ちょ!? ミス・エレオノール!! そこは私もまだ弄らないよう残しておいている場所ですぞ!! それを先に弄るなど!!」

「いいじゃありませんか、だって気になるんですから。なんなら一緒に見ますか? 一緒に見ましょうそうしましょう、ってことで」

「あ、ああ、ああああーーーーーっ!? そ、その大きなネジは私が開ける予定だったのですぞ!! 大型のレンチを慣れない練金によってピッタリサイズを作るのには苦労したのです!! ミス・エレオノール!! 私の楽しみを取らないで下さい!!」

「ああ、気になる気になるわ!! ここがこうなって、ん? この材質は何かしらね……ふむふむ、あら? ミスタ、これはどういう仕組みになっているのでしょうね?」

「ちょっと人の話を……む? ムムム……!! こ、これはまさかっ!? まさかこれがあるとは……ブツブツ」

「ちょっと!? 一人で納得しないで説明をしていただけません!?」

「とするとやはりサイト君の世界とやらはこちらよりも利便性を求めた技術が発展しているという話も……いや、そも魔法という概念が無いような話をしていたからそれ故の進化……発展の仕方……ふぅむ……興味深いですぞぉぉぉぉぉぉ!!」

「一人で納得しないでって言っているでしょう!! 教えて下さいな!! いや教えてってば!! あ~もう聞いているの“ジャン”!?」

 タバサの目の前には火の担当教諭コルベールと、長い金髪に整った顔つき、ややシャープな眼鏡をかけて男物のツナギを着ている女性の姿があった。

「………………」

 何だろうかこれは。

 見知らぬ……いや、“あの晩”にコルベールに取り押さえられた女性が目を輝かせながら恐らくはコルベールのものであろうツナギを纏って“鉄の竜”に乗っかっているのといい、コルベールがそんな女性の行動を咎めながらも自分の知らぬ事を知ってはしゃぐ子供のように叫ぶ様といい。

 本当、何なのだろうかこれは。

 思わず閉口してしまったのも無理は無いと思う。

 今、名前も知らぬ女性は自分の目的の教諭の首元を掴んでガックンガックン揺さぶっている。

 傍から見ていると面白いが、何度も「聞いてるの!? 教えなさいよジャン!!」と声をかけてもあれだけ激しく揺さぶられれば普通声を発することは難しい。

 というかあれは服の襟元を掴みすぎて喉を絞めているのではなかろうか。

 みるみるコルベールの顔が青くなっていくが、女性は興奮しているのかそれには気付かない。

 どうしよう、止めようか? と思ったが、その必要は無かった。

「!!」

 コルベールは一瞬女性の腕を掴んだかと思うと、どうやったのか、素早く動き拘束を解いて怒ったように捲し立てた。

「ミス・エレオノール!! 私を絞め殺す気ですか!? それにその、私を“名前”で呼ぶのはあまり好きじゃないと言っておりませんでしたかな?」

「ええそうですけど。この名前は忌々しくも“私の妹を裏切った男”と同じファーストネームですからね。でも名前に罪があるわけでもありませんし、出来れば使いたくない、という程度のものですわよ。それに名前で呼ばないと大抵ミスタは自分の世界に没頭してて気付かないんですもの。そうそう、無論絞め殺す気はありませんわよ? チェルノボーグ行きなんていう不名誉なこと、公爵家の娘としてできませんから。あ、でも“間違って”そうなったら“これ”の解体と研究は私の独占に……?」

「ちょっと!? よからぬ事を考えていませんかな!? 私を事故で亡き者にしようとか!?」

「まさか。先生ほどの人材、失うのはハルケギニアにとって大きな損失ですわ。でもまぁ、総じて“事故”というのはいつどうして起きるのかわからないものですわよね?」

 鼻の頭にやや黒い煤を付けて不敵に嗤う女性、エレオノールを見て、コルベールはやれやれと肩をすくませ小さく息を吐いた。

 彼とて短い間だが彼女と接して彼女がどういう人間かはおおよそわかっている。

 自身のプライドは高く、興味事には引くということを知らない剛胆さ。

 だが、決して悪事に手を染めるような人間では無く、むしろ思いやりの深い女性であることに。

 ……言葉は結構厳しいが。

 恐らく、今の流れも、

「すみませんな、気をつけてはいるのですが、どうにも研究のこととなると集中し過ぎるきらいが私にはあるのです。確かに“この体勢”では転びかねない。オマケに“教え子”まで来ているとなっては職務にも殉じなければ」

「あら? ようやく気付かれたのですか? 気付いてしまわれたのですか? 気付かず転倒して殉職……良くて寝たきりにでもなれば“これ”を私の独占に出来たのに」

 ややお茶目を演じてエレオノールは口を開くが、コルベールにはそれが照れ隠しの毒舌なのだと思った。

 ……というかそう思うことにした。

 ……そうであって欲しい。

 ……そうであったっていいじゃない。

 段々自信なさげになっていくコルベールだが、“レビテーション”も使わずに不安定な足場でゼロ戦の横っ腹に抱きつくようにしていては本当に転倒しかねない。

 加えて、“担当生徒”が来ているのだ。

 早々に一端地に足を着けなくてはならない。

「ってああぁ!? ミス!! そこは私がやるとあれほど言った筈ですぞ!!」

「あらコルベール先生? まだいらっしゃったのですか? 貴方には今、ご自分の生徒のお相手をするという職務があるでしょう? こんなところで文字通り油を売っている暇は無いと思いますわよ? あ、でもその腰の油は置いていって下さいな」

「くうっ!? なんと卑怯な!!」

「オーホッホッホッ!!」

「そう言う貴方こそ王立魔法研究所の職務はどうされたのですかな!? ここ数日ずっと学院、それも私の研究室に滞在して……そろそろ私もソファーより自分のベッドが恋しいのですがな」

「わ、私は……ゆ、有給休暇中ですのよ!!」

「苦しい言い訳ですな、私は知っているのですぞ? 貴方はここに来てから伝書鳥の一羽も利用していないことを。これでも学院の教鞭を執る身。そのくらいの事は問い合わせればすぐにわかるのです」

「くぅ!! 権力を傘に着るなど卑怯な!! 貴方それでも男ですか!!」

「これは貴方を心配して言ってもいるのですぞ!!」

 一端収まりかけた口論が相手の言葉尻を奪い合って再び再燃する。

 タバサの事は二人とも気付いているようだったが、今二人の意識に恐らく少女の姿はあるまい。



 本当、なんだろうこれ。

 タバサはしばし呆然とするより無かった……が、その目は一瞬動きが変わったコルベールの動きを追っていた。




***




「いやぁ、すみませんな、お見苦しい所を見せてしまいました」

 コルベールが恥ずかしそうにタバサの方へと歩み寄る。

 エレオノールはコルベールの紹介状を持って学院窓口へと向かった。

 コルベールなりの思いやりと彼女を“ゼロ戦”から離れさせる苦肉の策である。

 エレオノールほどの人物が職場、それも王立の魔法研究所を無断で休み続けるのは些か問題がある。

 王立ともなればただの無断欠勤では済まない場合だってありうる。

 貴族は貴族なりのルールがあるのだ。

 そうしてコルベールはエレオノールにせめて報告か何かをするよう促し、その間にタバサの話を聞くことにした。

「それでどうされたのですかな? 私の所まで来るとは珍しいと思うのですが、何か質問でも?」

 タバサはじっとコルベールの光る頭……ではなく瞳をやや目を細めて見つめた。

 決して眩しいわけでも軽蔑の眼差しを向けているわけでもない。

 ただ、その目から相手の読み取れるだけの事を読み取ろうとした。

 ……が、どうやらそれは無駄らしい。

 相手は自分に何もかもを悟らせない。

 ……もっとも、そうであればこそ、ここに来た甲斐もあるというものなのだが。

「……私に、稽古を付けて欲しい」

 先程、別の形で実現しようとして言葉にすら出来なかった事を、タバサ告げる。

「稽古、ですか? それはまた……」

 コルベールは一度口を閉じた。

 何故、とは聞かず、それからたっぷり一分ほど沈黙してから……コルベールは口を開いた。

「……君はすでにトライアングルメイジだ。それだけで周りの生徒達より抜きんでてはいるがもっと上に行きたいという向上心もあるだろうし、“別の”理由もあるでしょう。その理由はわかりませんが、君の稽古を望む理由は向上心よりもその理由にあるとみました」

「………………」

 タバサは答えなかったが、小さく頷いた。

「あえて理由は聞きません。言えるなら最初から言っているでしょうからね。でもだからこそ、私は君の願いを断らなければならない」

「……何故?」

 やや意外そうに、タバサはコルベールを睨む。

 この先生の性格からして、頼まれ事は断れないと思っていたのだが。

「君が私の何を“見”、何を“知った”のかはわからない。でも君の言う稽古とは学術ではなく……戦闘でしょう?」

 コクリと再びタバサは頷く。

「……戦いは、他人に振るう力は悲劇しか生み出さないのですよ」

 何処か懺悔するようなコルベールの言葉に、タバサは何か感じる物があったが、彼女にもはいそうですかと引き下がれる程の余裕は心的にも時間的にも無かった。

「……私は、強くならなければならない」

「……先程言いましたが理由は聞きません。その代わり、戦い方などという学院の修了課程に無い物を個人的に教授する気もありません。良いですかミス・タバサ、強い力は悲劇を呼びます。ましてや貴方はトライアングル。周りから見ればもう十分過ぎる力を持っているのです」

 コルベールは授業の時のように、教育者の顔でタバサを諭す。

 だがタバサは頑として首を縦には振らなかった。

 それでは……困るのだ。

 それに、この先生は一つ勘違いをしている。

「……私が学びたいのは魔法では無く、その体術」

「……ふむ」

 コルベールはやや悩むそぶりを見せた。

 自分に稽古をと言うからには魔法のことかと思ったが、体術と来るとは予想外だ。

「……“魔法”を使わず意表を突く、もしくは杖の無い時の白兵戦としての強さを得たい」

 理由としてはコルベール望む物ではないが、魔法で無いのならば、自ら戒めた“禁”にも抵触しないように思える。

 そもコルベールはタバサの推測通り、そうそう教え子からの頼みを無碍に出来るほど冷徹になれない人間だった。

 加えて、魔法学院の教諭は生徒に頼まれれば個人レッスンをすることはそう珍しいことではない。

 例としてヴィリエがギトーに師事してもいる。

 だからだろうか。

 普段の感情を制御した顔ではなく、やや緊張した面持ちでコルベールを見つめるタバサに、コルベールは……折れた。

「……わかりました。手ほどきくらいならしてあげましょう。ただし!! 無闇に多用しないこと、力を誇示し人道から外れた道……とりわけ人を“殺める”ような行為に利用しないことを約束して下さい」

 コルベールが真っ直ぐな目でタバサを見つめる。

 それはじっと澄んだ瞳で、先程とは逆にタバサの全てを見透かすような視線だった。

 そんな時、



「ちょっとミスタ・コルベール!! 私の鼻に煤が付いてるなら付いてるって、そう教えて下さったって良いじゃありません!?」



 大きな声で怒りを露わにしながらエレオノールが戻ってきた。

 その声を聞いたコルベールはタバサからエレオノールに視線を逸らし、やれやれと肩を竦めながらもクスリと笑う。

 そのままコルベールはエレオノールと会話を始めるが、タバサはその場からやや離れてそのまま何も口を開かなかった。

 ただ、コルベールに約束事を提示された時から、彼女にしては珍しく瞳が揺らいでいた。



[13978] 第八十二話【拒否】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:59
第八十二話【拒否】


「何か、だいぶ人……ってか男が減ったな」

 夏期休暇が終わった学院には、ほとんど男子生徒は残っていなかった。

 皆無と言ってもいい。

 サイトにとって唯一と言ってもいい男友達のギーシュも学院にいないとなっては、自然サイトはルイズと居ることが多くなった。

 一人で居るのは味気ないし、他の知り合いはたいしていない。

 無論皆無では無いが、例えばモンモランシーは知り合い以上友達未満といったところなので、それほど親しいとも言えない。

 加えて彼女はギーシュが居なくなってから、何処かを見つめては溜息ばかり吐いて暗いオーラを漂わせているので、近寄りがたい。

 だが、それはモンモランシーに限ったことではなく、学院全体がどんよりとした暗いオーラを発していた。

 それは現状の、学院中の教師を除く男手の多くが戦争によって王室に徴兵・志願したことに起因する。

 知り合い、恋人、気になっていた人、それらの人間が急にいなくなるという現実は、急速に戦争を身近に感じさせ心に不安を宿らせる。

 戦争などというものは体験しなければその凄惨さを正しく認識することなどそう出来はしない。

 しかし、間接的であっても、人がいなくなることによって戦争の片鱗を身近なものとして感じることはままあるのだ。

 故に学院はまるで葬式会場のようにどんよりとしたオーラを纏っていた。



 ……一部を除いて。



 彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはご機嫌だった。

 そのご機嫌を表すかのように、彼女の桃色の髪は周りの学院の様子とは正反対にとても生き生きとしていた。

 揺れる煌びやかでいて枝毛が見あたらない長い桃色の髪は、今朝も丹念にサイトの素手によって梳かれたものだ。

 彼女のご機嫌の理由は至極簡単だった。

 サイトに寄り付く虫が揃って学院からいなくなったのだ。

 これを喜ばずに何を喜べと言うのだろう。

 サイトとしても手持ちぶさたでいるのか、はたまたこの学院の空気に居心地が悪いのか、めったにルイズから離れなくなった。

 サイトと一緒に居る時間は格段に増えたと言っていい。

 これはある意味でサイトに“交友関係”が少ないのが幸いした結果ともいえる。

 サイトにしつこく手を出すあの“キザ金髪”は出兵し、多くの使用人は“あの女”も含めて奉公を解かれた。

 男がほぼいない以上学院内の人手は約半分……いやもっと少なくても事足りる。

 さらに学院には多くの貴族子女が多いことから、戦時中に狙われる拠点としての可能性もゼロではない。

 むしろ有数の大貴族の子女が多々生活してるのだ。

 人質にでも取られれば貴族達の結束が緩むのは火を見るより明らかだった。

 だが、だからこそ学院の女学生達の多くはこの事態に帰省を強いられなかった。

 学院には人に魔法を教えるほどの使い手が多くいる。

 飽くまで通常の施設、土地よりは、という枕詞が付くが、それでも多くは実家に戻るよりは戦力的には安心だった。

 さらに、この事態を鑑みて貴族の子女の護衛として王室からも兵が貸し与えられる事になっていた。

 となれば護る対象は少ない方が護りやすい。

 その為に学院の使用人も必要最低限に絞られていたのだ。

 学院を落とせば有用な人質を数多く手に入れられるが、それを為すのは相当難しい。

 故に手を出す者は少ないだろうという、これは“昔ながらのトリステイン兵法”の一つだった。

 そんなことをすれば突然解雇を受けたような平民は苦労するが、相手が貴族故に逆らえないという昔からの図ができあがっていた。

 そのような格差社会を良く思わないルイズではあるが、今この時のサイトと居られる瞬間だけは、“そんな概念”は無視した。

 サイトと一緒に居られる、今サイトが一緒に居る。

 それが大事な事なのだと、“今”が続けばそれで良いとルイズは最近特に強く思うようになっていた。



 だがそれは、“何か”に気付かないようにしているようでいて……怯えているようでもあった。



 得てして、そういう硝子のような透明な壁は、すぐに砕け散る物である。








 学院の授業は半分に減り……日によって時間帯は違うがおおよそ午前中で終了を迎えた。

 それは出兵している生徒達が授業課程が大きく遅れないように、という配慮と、絶対に帰ってきてもらってまた一緒に学ぶ、という願いが込められた時間配分だった。

 もっともそうやって授業時間が減った女学生達は、余計に嫌なことを考えてしまう時間が増え、学院に漂う暗いオーラは一層濃くなる原因にもなった。

 そんな、授業が終わったとある昼下がり。

 学院の門にはかねてから言われていた王室からの学院護衛兵が到着した。



「私はこの度この学院の警備補強の為に斡旋された銃士隊の隊長アニエス。至急学院長にお取り次ぎ願いたい。あ、それとこの学院の生徒にラ・ヴァリエール家の三女が居るはずなのだが……彼女にも“女王”直々の書簡を預かっている。呼び出して貰いたい」



 一緒に“とんでもない爆弾”を持って。

 この瞬間、音もなく誰にも存在を気付かれずに、透明な硝子の壁に罅が入っていた。




***




「ああルイズ・フランソワーズ!! 待ちわびていましたわ!!」

 姫……もとい女王からの書簡の内容は至極簡単なものだった。

 書簡内容は至ってシンプル、『“鉄の竜”に乗って王宮に来て欲しい』というものだ。

 だがルイズはその書簡の裏側……呼び出しをした本当の意味を経験から予想している。

 その為ルイズは、不満と恐怖の入り交じった顔でサイトと一緒に女王に即位したアンリエッタに謁見していた。

 既に目撃情報等からアンリエッタはあの“鉄の竜”……ゼロ戦にルイズが使い魔と一緒に乗っていた事を掴んでいる。

 早馬でも学院からは何時間もかかるトリスタニアだが、ゼロ戦ならばその倍以上の速さで到着が可能だった為、そこまでは知らなかったアンリエッタはその風竜をも圧倒する“速さ”に大層喜びながら二人を歓迎した。

 ルイズとしては本当は行きたくなかったのだが、アニエスや学院関係者にも書簡の内容は知らされ、是非も無く向かうよう指示され、あれよあれよという間にゼロ戦に乗せられ気付けば出発していた。

 決してサイトとゼロ戦という密室で二人きりなのを想像し、体験して幸せ気分のまま為すがままになっていたワケではない……多分。

 ちなみに、二人がゼロ戦に乗った時はたまたまエレオノールは席を外していて、戻ってきたエレオノールが消えた研究対象に憤慨しコルベールと死戦を繰り広げようとしたのは余談である。

「本当はもっと早くこうして会いたかったのだけど。そういえば前にもトリスタニアでニアミスしたようですし」

 朗らかな笑顔で迎えるアンリエッタにかつてとは違い陰りの表情は無い。

 今も戦時中で、前線では戦闘をも辞さない緊迫状態の戦線がいくつかあるというのに。

 いや、以前は“そう”だっただけで、今は違うのかも知れない。

 自分がココに呼ばれたのも、もしかしたらかつてとは違うのかも知れない。

 そう、ルイズが密かに希望的観測をしたことを誰が責められよう。

 だが、所詮希望的観測は、希望的観測でしかない。

「さて、私も残念ながら忙しい身。甚だ残念でなりませんが旧交を温めるのはまたにして今日あなた達ここに来てもらった理由をお話しましょう」

 来た、とルイズは内心で冷や冷やする。

 ドクンドクンと動悸がやたら大きく聞こえる。



「あなた達に、手伝ってもらいたいことがあるのです」

「お断りします」



 場が……空気か硬直した。

 ルイズは自身の希望的観測が当然のように外れたと知るや否や間髪入れずに断りの声を上げた。

 アンリエッタが最後の一語を言うか言わないかの、聞きようにとっては女王の言葉を最後まで聞かなかった不敬罪として扱われても文句の言えない程のスピードだった。

 事実その場に待機していた何人かのアンリエッタの臨時護衛を任された魔法衛士隊の面々はやや眉根を寄せた。

 だがアンリエッタは彼らを一睨みして黙らせ、ルイズに不思議そうに話しかける。

「何故……かはお聞かせ下さいますわね? ルイズ・フランソワーズ。私達は“お友達”でしょう?内容も聞かず、理由も言って下さらないのではあんまりですわ」

 ここで始めて、やや悲しそうにアンリエッタは顔を歪ませた。

「姫様……いえ陛下、陛下の仰りたい事はわかっています。この戦争に私達の力を使いたいと仰るのでしょう? 私はとうていそれを受け入れることは出来ません」

「それは……確かにお察しの通りですが、では貴方は“やはり”自覚しているのですね?ご自分の系統に」

「っ!!」

 失敗だった。

 まさか“そこまで”王室が掴んでいるとは思っていなかった。

 以前とは違い、これでも王室には秘匿してきたつもりなのだ。

「皆さん、席を外して下さい」

 アンリエッタは黙りだしたルイズを見て、人払いをした。

 魔法衛士隊はあたかも信用されていないようで、また警備の面からも不満そうではあったが、魔法衛士隊の隊長の一角が寝返るという事態を一度許しているのだから、今は信用を得るべきと判断し、アンリエッタの指示に渋々従った。

 その寝返りに一番の被害を被ったと思われるルイズがそこに居たのも、理由に述べられる。

 すぐに謁見の間には、ルイズとアンリエッタ、そしてサイトだけになった。

「貴方は“虚無”なのでしょうルイズ・フランソワーズ。どうかその力でトリステインを救って下さりませんか」

 虚無と言えば、失われて久しい伝説の系統魔法だった。

 普段系統は五系統と言われながらも、実質四系統……火・水・土・風によって成り立っている。

 それは長らく五番目の虚無に目覚めるメイジがいなかったからに外ならない。

 始祖と崇め奉られているブリミルも、その虚無であったと伝えられているほど、虚無は特別な系統だった。

 特別なのは使い手が居ないというだけでなく、その強力さ故にでもあった。

「陛下は虚無を勘違いしておいでです。虚無はそこまでたいした系統ではございません。それに私は“この戦争にだけ”は関わりたくないのです。我がヴァリエールも軍役免除税をお支払いして出兵をお断りしているはずですわ」

「確かにヴァリエール領……ラ・ヴァリエール公爵は軍を出しては下さいませんでした……でもお友達の貴方なら、と私は期待していたのです。ルイズ・フランソワーズ、正直に言いましょう、私は貴方以外信用できる人が居ないのです。どうか私の傍で働いては頂けませんか?」

「……それほど信用をしていただけるのは痛み入りますが、陛下、戦争にだけはどうかご容赦を」

 言葉は丁寧な物を選び、謙っているが、ルイズはアンリエッタに対し敵対するのも辞さない覚悟の瞳で見つめていた。

それをアンリエッタも察したのか、一度溜息を吐いてから縋るような目でルイズを見つめる。

「お願いですルイズ・フランソワーズ。貴方と貴方の使い魔さんだけが頼りなのです。本音を言えば私とてお友達の貴方にこんなことを手伝わせたくはありません。しかし、現状がそれを許さないのです。私に出来ることなら何でもしましょう、以前言っていた使い魔さんへのシュヴァリエの叙位も今の私なら可能です」

 もしマザリーニが聞けばおやめ下さいと泣いてでも止めるだろう。

 かつてもそうだったが、そんなことをすれば反発は強まる。

 ただでさえ内情でのアンリエッタの立場は微妙なものなのだ。

 もっともアンリエッタは二人の協力を仰げるのであれば、そんな代償安い物だと考えるだろうが。

 ルイズの心は少し揺れた。

 サイトをシュヴァリエにすれば、彼女達を取り巻く様々なしがらみは一応の決着を付けられる。

 だが、万一にもサイトを失ってしまえばそれは意味を成さない。

 この戦争には“関わってはいけない”のだ。

 そう思ったルイズは揺れた心をゆっくりと静め、



「お断り致します」



 再度断りの言葉と共に頭を下げた。



[13978] 第八十三話【黒姫】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 19:59
第八十三話【黒姫】


 場がしぃんと静まりかえる。

 ルイズの完膚無きまでの拒絶の意は、一瞬それまで饒舌だったアンリエッタの口をも閉じさせた。

 彼女にしては珍しい頑なまでの拒絶の意。

 正直に言えば、アンリエッタはルイズならば二つ返事で協力を惜しまないだろうと思っていた。

 自分が彼女を一番の友達と思い信用しているのと同時に、彼女も自分をそう思ってくれていると思っていた。

 いや今もそう思っているし、それは間違いでは無いだろうとも思っている。

 だから、今のこのルイズの拒否の言葉はアンリエッタを驚かせた。

 無論断りの言葉を言われる可能性を全く考慮しなかったわけでは無い。

 戦争と聞いただけで毛嫌いする者は当然居るだろうし、彼女の父は公爵程の身でありながら此度の戦争に反対し兵を出す代わりの税を納めている程の人間なのだから何か言い含められていてもおかしくは無い。

 だが、心の何処かで彼女は最終的に私の願いを断れない、と思っていた。

 “あの学院で頼み事をした時”も、心の奥の奥、隅の方では全くそう思わなかったわけではない。

 “だからこそ”彼女の拒否する原因がわからない。

 戦争は嫌だから。

 人が死ぬから。

 父がそうだから。

 どれも理由としては一級だが納得出来るものではない。

 その理由では、アンリエッタの信用たる答えに結びつかない。

 あえてなのか、それともたまたまなのか、ルイズは理由の“核心部分”に触れない。

 彼女には彼女なりの譲れない何かがあるのだろう。

 だが、それは自分とて同じ事だ。

 “あの人”の仇……無念を晴らし、このはちきれんばかりに膨らんだ胸の内側を爆発させないことには、自分には収まりが付けられない。

 本当に彼女の事を大事な友人として思っている以上、“こういった手”は使わず本心からの協力を取り付けたかったのだが、仕方がない。

 “将”を射んとするにはまず“馬”から。

 この“馬”もただの“馬”ではなく、多大な戦力となることは間違いないので、むしろこの馬を落とす方が大変だと思い一計を案じようと用意していたものがあった。

 本当ならこれは、ルイズから“彼”への説得が上手くいかなった時の為の用意だったのだが、この際あべこべでも構わない……いや、こうなってはこちらの方が話は早いかもしれない。

 “彼”を籠絡して彼女の説得に協力してもらおう。

「ルイズ、貴方はどうしても本当の……“一番の理由”を言うつもりは無いのですか?」

 静まっていた時間はそう長くはない。

 だが、広い謁見の間には久しぶりに人の声が通った気がした。

 ルイズは答えない。

 これもアンリエッタ相手には今までに無いことだったが、先のことからアンリエッタももう驚かない。

 むしろ、その沈黙は予想通りであり、“ありがたい”



「貴方は今回の件についてどう思いますか、使い魔さん?」



 一拍の間を空けてから、アンリエッタは始めて話をサイトに振る。

 それまでややおいてけぼり……半ば空気と化していたサイトは、突然の話題参加に思わず「え? 俺?」と自身を指差してしまった。

「姫様!! 私はサイトにも……いやサイトにだけは戦争に参加させるつもりはありません!!」

 ルイズが思わず地……言い直していた“陛下”という呼び方を忘れて声を荒げた。

 それはそれは鬼気迫る顔だった。

「ルイズ? 何をそんなに焦っているのです? 貴方が戦争に参加したくないというなら彼もまた主の意に沿う事になりましょう」

 アンリエッタは優しげに諭すようにルイズを宥める。

 だが、その言葉の抑揚に、何か含む物をルイズは感じ取った。

 ルイズの表情からアンリエッタもルイズが不審に思っている事に気付いた。

 ……今しかない。

「ルイズ、このままでは埒があきません。“二人きり”でもう少しだけお話し合いましょう。すみませんがサイトさん、私の私室にて待っていてもらえませんか?」

「姫様、私はこの戦争には……!!」

「わかっています、しかし今の私の立場では貴方には言いたくないことも言わなければなりません。ならせめて二人きりの方がいいでしょう」

 ルイズがサイトの服の裾を掴んで抗議するが、アンリエッタは仕方の無いことだと言って人を呼び、サイトを連れて行かせる事にした。

「ああ使い魔さん、一人でただぼうっと待っているのはつまらないでしょうから、丁度私の部屋に出している国宝のマジックアイテムがありますので、それでも見ていて下さい。本当ならそうお見せして良い物では無いのですけど、ルイズの使い魔さんですもの。特別に許可致しますわ」

 そんなことを言われてサイトは入ってきた魔法衛士隊の一人に連れて行かれる。

 ルイズは最後まで抵抗してサイトの腕を掴んだが、アンリエッタの「すぐに済みますから」という言葉と、サイトのパーカーを借りる、という妥協案で渋々と折れた。

 例えその場にサイトがいなくとも、サイトの何かが無いとルイズは正気でいられそうに無かったのだ。

 特にこの戦争の話題をしている時は。

 アンリエッタはこれで二人きりで話が出来る上に、用意した策が使えるとこの事の成り行きに内心安堵していた。

 無論大事な友達のルイズを失いたくはないし、大事なのは変わらない。

 ただ“ちょっと”手を借りるだけ。

 その為の奸計なのだから、申し訳ないが許し欲しい。

 自分でも身勝手な考えだとは思うが、今の彼女に取れる道はこれしか無いのだと、ルイズも決して悪いようにはしないと、そう思っていた。

 ただ、一つだけ気付いていなかったことがあった。

 安堵したが故に、もうルイズの挙動……特にその目を見なかったせいだろう。

 ルイズの目が、既にアンリエッタを友として見ていなかった。

 その目は、これで貴方の無茶を聞くのは最後だと、そう告げていたのだが、普段なら気付きそうなそのアイコンタクトをアンリエッタは見逃した。

 これまでアンリエッタがルイズを大切な友達だと思っている事に偽りは無く、ルイズも同じように思っていたが、ルイズの優先順位の一番がサイトのように、アンリエッタもまたルイズよりも優先すべき人がいる。



 それによって産まれたこの歪みが、トリステイン女王アンリエッタ、そしてルイズの友人としてのアンリエッタにとって、後に後悔する事になる。




***




 サイトは一人、大きな部屋に取り残されていた。

 良く整頓されているが、あるのは丸テーブルに大きなベッド、大きな化粧台にびっしりといろんな本が詰まった本棚、と意外に殺風景と言えなくも無い。

 国家元首といえど女の子なのだからもっと小物があってもいいとは思うのだが、ルイズもたいしてそういうものに興味を示さないあたりこの世界の女の子は日本と違ってあまりそういうのに興味は無いのだろうか。

 それとも偉い人ほど清貧に努めて上の人間を見習わせようと言うのか。

 イマイチハルケギニアでのその辺の常識がわからないサイトはポリポリと頭を掻きながら、そのうち考えても無駄か、と考えるのを止めた。

 ただ何もしないというのも暇なので、先程アンリエッタが言っていた国宝とやらを拝ませてもらうことにする。

 サイトとて自分が小市民であることは以前の世界観からも理解している。

 なればこそ、国宝と聞いて滅多にお目にかかれない物を見れるというのは興味が惹かれた。

 ここまで連れてきてくれた魔法衛士隊員は“それ”を見ることを許されたと聞いて驚いていたが、何も知らない風なサイトに気をきかせてどんな物なのかを教えてくれた。

 曰く、それは『心映しの真鏡』と言って、その鏡に映った事のある人間の本心を見ることが出来るというものだそうなのだ。

 ある意味嘘発見器だが、それを使った昔の王は真実と周りの者達が言っていることが違う事に気付いて人間不信に陥り、誰も信用しなくなって王家が崩壊しかけたとか。

 それ以降、このマジックアイテムは危険なものとして封印されてきたのだという。

 サイトは漫画やゲーム、御伽噺にはよくある話だ、と思いながら本当になんの気無しにその鏡を覗いてみた。

 するとどうだろう。

 鏡から眩い閃光が放たれ、その光に目を閉じ……次に目を開けた時、そこには一人の見知った少女がいた。

 見間違う筈もない。

 本人でないことはその雰囲気などでわかるが、彼女は間違いなく……ルイズだった。

「な!?」

 まさか鏡から出てきたのだろうか。

 サイトが驚いていると、そのルイズは“ルイズらしからぬことに”自分を見ずに口を開き始めた。

 これが本物ではないと、何となくの雰囲気でわかっている以上それはそこまでおかしくは無いのだが、ルイズが自分を見ないということに、サイトは変な違和感を抱いてしまい、内心苦笑した。

 (何か……俺も結構ダメダメだな)

 そう自嘲染みたことを思いながら、偽ルイズの言葉に耳を傾け……硬直した。



「どうしよう……私は姫様の為に戦争に参加したいけど、使い魔のサイトが居る以上彼に危険が及ぶことはしたくない。ああどうしよう」



 衝撃だった。

 サイトが大切だ、でも姫様の頼みを聞きたい、という葛藤のような言葉がつらつらと並べられ、自分がやりたいことをすればサイトを巻き込む事になる、と彼女の苦悩を感じさせるようなことまで言ってくる。

 彼女の口は止まらない。

 中でも衝撃だったのは、



「私のしたいことをすればサイトが困るから出来ない。私は自分を殺してでもサイトを護らなければならない」



 彼女が、自分の為に心を殺し、オマケに自分を護ろうとしていることだった。

「な、何だよそれ……俺の為にルイズはずっと我慢しているのかよ!?」

 サイトが狼狽えるのと同時、“偽ルイズ”は急に歩き出して扉を開けて出て行った。

「え!? あ、おい!!」

 慌ててサイトが追いかけるが、そこに彼女の姿は無い。

 部屋の前で番兵をしていた魔法衛士隊の人が居たのでルイズの事を尋ねたが見てないという。

 魔法の道具で出てきた幻のようなものだったのだから、消えてもおかしくは無い……が、あれがルイズの“本心”だったのだとするととてもやりきれない思いになる。

 こんな思いになるのなら当時の王様とやらが封印したのも頷ける。

 だが、幸か不幸か彼女の本心を知ってしまった。

 戦争は恐いし馬鹿らしいし、人殺しなんて嫌だが……ルイズのお荷物……重荷にはなりたくなかった。

 ましてや護られるより護りたかった。

 だから……、




***




 ルイズはサイトのパーカーを鼻頭に当てて匂いをスーハースーハーと嗅ぎ足りないサイト分を補いながら足早にアンリエッタの部屋に向かっていた。

 彼女は今日、胸の裡でアンリエッタと決別に等しい思いを抱いていた。

 アンリエッタはこう言ったのだ。

『お忘れかもしれませんが貴方は“シュヴァリエ”の爵位を与えられています、これが意味することはわかるでしょう? 私も本当ならお友達の貴方にこんな事は言いたくない、でも女王として、トリステインに必要と思った貴方だからこそ言わざるを得ないことでもあります』

 軍役免除税は公爵家の娘と言えど一介の女学生には払えない。

 実家に頼む手もあるが、サイトに手を出そうとした父を頼りたくは無いし、何らかの手を回されている可能性もある。

 まさかこんな事を言われるとは思っていなかったルイズは憤慨し、即座に話す気も失ってサイトの元へ急いだ。

 アンリエッタは怒ったルイズに「もう少しだけ考えてみて下さい、あなた達の身の安全は出来るだけ気を配りますから」と女王でありながらやや下手に出て頼むが、ルイズはもう話を聞く気はほとんど無かった。

 何処か……それこそ東方にあるエルフの地サハラやロバ・アル・カリイエに高飛びすることすら視野に入れて。

 だが、その考えは無に帰すことになる。

 何故なら、



「ルイズ、俺戦争に参加するよ、お前は俺が護ってやるから」



 再会したサイトがそんな事を言い出したからである。



[13978] 第八十四話【開戦】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:00
第八十四話【開戦】


 ルイズはサイトの言葉に驚き、説得しようとした……ぷるぷると頬を震わせながら。

 そんなことはしなくていい、危ない、嫌だ、と……目が喜びに満ちながら。

 しかしサイトはそんなルイズを見て何処か悲しそうな顔をして「俺の為に我慢すんな」とルイズの言葉を受け取らなかった。

 しばらく言葉の上では口論じみたやりとりが続いたが、すぐにルイズはサイトの言葉に折れた。

 ルイズにとってサイトは絶対だ。

 危険な目には何があっても会って欲しくは無いが、サイトの渾身の頼みははねのけられなかった。

 サイトが大事な故に、彼の頼みを断り切れない。

 断れば、サイトが嫌と思うことをすれば、嫌われるかもしれないという恐怖が、嫌われたくないという欲望が、彼女を折れさせた。

 もしかしたら、“間違わなければ大丈夫”と心の隅で思ったのかもしれない。

 それに……『お前を護ってやる』という言葉はルイズのその小振りながらも努力によって皆無ではない胸を直撃した。

 それはもう完膚無きまでに捕らえられた。

 説得しながらも喜色満面の顔を隠せなかったのもそのせいだ。

 もっとも、それがサイトの決断をさらに後押ししていたことには気付いてはいないが。

 だがルイズは本当に嫌がってはいた。

 サイトを案じ、心から反対意見を述べていた。

 そうして、結局は間接的であれ戦争に関わることを認めてしまった……正しくは自分は戦争には参加しないがサイトの傍にはずっといるというある意味詭弁のような話でケリをつけた……のが数時間前。



「ご苦労様」



 アンリエッタの私室に跪く“ルイズ”がいた……いや、

「貴方のその“偽物者”としての力、大変助かっていますわ」

 “ルイズ”の姿が歪み……“変わる”

「はっ、ありがとうございます」

 そこには、“魔法によって偽ルイズに扮し、サイトの前でルイズの真の心の姿を演じた”メイジの姿があった。

 『心映しの真鏡』は国宝のマジックアイテムなどでは無い。

 いや、それどころかあの鏡はマジックアイテムですら無く、また『心映しの真鏡』などというような国宝は存在しない。

 これは茶番。

 引き込んだ“偽物者”を使った、魔法による心理トリックだった。

 アンリエッタの部屋番をし、サイトにマジックアイテムの説明をし、さらには“部屋から出たルイズを見ていない”と証言した魔法衛士隊も何食わぬ顔でこの場に立っていた。

「必要とあらばあと“一手”打つ手筈はあったのですけれど、今回は必要無かったようですわね」

 全ては……仕組まれたこと。

 ルイズの使い魔……サイトを陥落させるための。



「ごめんなさいねルイズ、でも私だって貴方には死んで欲しくないのは本当だから、できるだけ身の安全は確保するわ。だから許して下さるわよね? だって私達は“お友達”ですもの」



 悪びれたように謝る瞳から光を失った女王の言葉に、返事は何処からも無い。

 ここから、“虚無”という生き血を再び啜った戦争は、勢いを増し、月日は瞬く間に流れていく─────────




***




 爆発が起こる。

 地上に大勢いた人間……戦兵達は突然の光と爆発に為す術無く吹き飛ばされ撤退を余儀なくされていた。

 その爆心地から一匹の鉄の竜が飛行してくる。

 それはスピードでは竜族の中でもトップを誇る風竜にも引けを取らない……否、風竜をも越える速さだった。

 いや、そもそもそれは“竜”ではない。

 それはこのハルケギニアには無い技術を使って作られた、“零式艦上戦闘機”……通称“ゼロ戦”と呼ばれる異世界の空飛ぶ兵器だった。

 乗って……操縦しているのはその異世界から来た……いや、“召喚された”少年、平賀才人である。

 彼がゼロ戦に乗って遂行した作戦はそう多くない。

 その理由はいくつか上げられるが、その多くは“彼女”のせい、というか“おかげ”だろう。

 その彼女とは今、本来なら後部座席(わざわざ通信機をとっぱらって出来た空間)に座る仕様になっている席を離れ、前席のサイトの膝の上にいる少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールその人である。

 これのメンテナンスを引き受けてくれている魔法学院の火を教える教諭メイジ(&王立魔法研究所の女研究員)によって、席が幾分スライド出来るよう改造されたのを良いことに、ルイズは常識的な二人乗りをせず、狭いのも相まってサイトに張り付く形で搭乗していた。

 彼女はこの戦争に参加すると言ったサイトの傍を離れない、とだけしか確約していない。

 したがって彼女……“虚無”は戦争に参加はしないと公にも言っており、それは王室にも認められているが、現状、ルイズの“エクスプロージョン”自体はすでに何発も放たれていた。

 理由は簡単だ。

 “向こうが攻撃してくるから”である。

 戦争中に何を馬鹿な、という声もあるが、ルイズにそんな社会通念的な常識は通じない。

 彼女は戦争に参加し、戦いの為に魔法を使う気は今もってさらさらない。

 だが、何よりも大事な愛しのサイトを傷つけようとする輩が来るなら、それらを根こそぎ吹き飛ばすのは吝かで無かった。

 さらにルイズはあまりにも危険そうな任務は癇癪を起こして断り、女王の鶴の一声で彼女やサイトの安全を考慮された風竜による竜騎士小隊が、この人材が足りない最中でも作戦遂行時には常に護衛に付くよう手配してくれていたので、さほど危険に会うことも多くなかった。

 もっとも、風竜の小隊は毎度ただいるだけで、事が終われば風竜より速いゼロ戦に置いて行かれるのが常だったが。

 そんな状態が続いている為、反発も強く、彼女の力をもっと前面に押し出して一気に攻めるべきだという前線の戦将校達の嘆願も少なくなかった。

 それは一件合理的だが、ゼロ戦にいつも付いていく竜騎士小隊の隊長を若くして勤める事になったルネ・フォンクなどは、その作戦は恐らく不可能だと思っていた。

 確かに今の所、この“ぜろせん”を用いた作戦の成功率は100%、被害は逆に0に等しい。

 しかし、そこにルイズの意志が無い事は明らかだった。

 ルイズがやるのは攻撃してくる敵に対しての先制エクスプロージョンが主だったものだ。

 その為、逃げる者に追い打ちは絶対にかけない。

 その理由が、そんな事に意識を割くよりサイトに集中したいというものだと知る者はいないが。

 恐らく彼女なら、眼下に居る人間全てを焦土地獄に叩き込む事も可能ではあるのだろう。

 作戦内容が敵の誘導、攪乱が主だった物のため、今のままでも問題は無いが、前線で戦い傷つく者にすればそれは納得いかない。

「出来るなら彼女にやらせろ!!」

「彼女は戦争に参加しないと言っている」

「でも、ほとんど参加しているじゃないか!!」

「あれは使い魔とただ一緒にいるだけだ」

「そんなものは屁理屈だ!!」

 という口論は上層部でも際限なく上がり、日々ヒートアップしているが、結局の所女王であるアンリエッタが認めないので、兵達は不満を募らせ始めてもいた。

 それが戦場においてルイズやサイトを“強力な駒”として見つつも、“孤立”させていく原因となる。

 もっとも、今二人……とりわけルイズはそんなことは気にせず、気付こうともしていなかった。

 何故なら今、自分はこの狭い密閉された空間でサイトに密着しているのだ。

 鼻からは彼の匂いが吸収され、肌には彼の温もりが伝わり、時折耳を撫でる小さな吐息は彼女の体を震わせる。

 さらにここにいれば、否が応でもサイトの吐いた吐息を吸うことになる。

 サイトの息を自分が確実に吸っていると思うと、ルイズの体は歓喜に打ち震えた。

 戦争は嫌だが、ゼロ戦の中は好きだ。

 だってサイトと密着していられるから。

 最近では最初の一発だけやや大きいエクスプロージョンを使う事を覚えた。

 そうすれば怯えた敵兵は撤退に徹してこちらにはそう攻撃してこれない。

 そうなれば後は甘美なサイトタイムの始まりなのだ。

 ルイズはこの戦争の最中でも、ただサイトの“今”の安全と彼の傍に居るという“願望”を通すことしか考えていなかった。



 結果的にそのルイズの行動が、トリステイン軍のアルビオン攻略の足がかりとなる港町のロサイスを制圧する事に繋がり、戦勢をこちらに向かせ、近隣の港町であるダータルネスの制圧も今回の出征でほぼ時間の問題となった。

 それを皆も知っているから、先の不満を募らせながらも本人達にそう強く言うことはない。

「フン、彼女がいれば勝たずとも負けはない、か……さて」

 作戦の成功を伝令に聞いた作戦司令部、トリステイン軍総司令官を任されているド・ポワチエもその一人であり、その目は次の目的地、この戦争最大の拠点になるであろうサウスゴータ攻略へと向けていた。

「せいぜい、私の出世の為に働いてもらおうではないか」



 戦争が激化し、サイト達が戦線に出るようになってから、既に数ヶ月が経つ。

 もうじき、戦場にも雪が降る季節が来ようとしていた。




***




 フネ……風石の力によって空飛ぶフネは闇夜の空に浮かんでいた。

「全く……ままならんものよ」

「閣下とて全知全能ではない、全てが順調とはいかんだろう」

 そのフネの一室に人影が……二つ。

 一人は羽根帽子を被って顎から歳不相応に髭を伸ばした青年。

 もう一人は顔に酷い火傷ある男だった。

 二人は少数の部下を引き連れて一路トリステイン……それも魔法学院に向かっていた。

 当初、数で勝る神聖アルビオン共和国の勝利は、内部的に疑われることは無かった。

 だが、戦況は芳しくない。

 トリステインの一部隊がトリッキーかつ綿密な作戦を用いて徐々に領土侵犯が広がっている。

 未だ戦力的にはこちらが圧倒的に上だというのに、先日も一つの港町を制圧された。

 それは逆に言えば、今のこの戦争で優位なのは戦力……兵隊の数だけでもあった。

 戦争は生き物である。

 戦力だけで勝てる道理は無いし、まして戦争に限って“絶対”は無い。

 なればこそ、クロムウェルはトリステインへの侵略を開始……いや“再開”することにした。

 狙うは魔法学院。

 護りも硬いだろうが、崩せればこれ以上の朗報はそう無い。

 その為に主戦力たりえる人材を少数ながら編成したのだ。

 もっとも、その兵士の中の“一名”には、全く別の意図があってこの編隊に組み込んだのだが。

 火傷の男は、クロムウェルを崇拝しているらしいその青年の口ぶりを聞いて、皮肉気に口元を歪めた。

「フ、そういうことでは無い、“子爵”」

「……私にその爵位は既に無い、貴様とてそれは同じだろう」

「そう、そうとも!! だからままならんのだ、同じくトリステイン出の元貴族が、こうして故郷を苦しめる為に出向くことになるとは……あの若かりし日には流石に想像出来なかったさ、お前もまだ若いとはいえ、幾分気持ちはわかるだろう? “元”子爵殿?」

「フン、“白炎”と恐れられた貴様程の男がまさか郷愁の“熱”にでも焦がされたのか?」

「本当にまさか、だな。だが、熱に焦がされているのかと聞かれれば、その答えはイエスだ、俺はこの国に“忘れ物”をしているからな。いつか再び相まみえたいものよ」

 嗤う“白炎”という二つ名で呼ばれた火傷の男は窓の方を見、夜空を“白い目”で見つめた。

「空には何も無い、“あっても無い”。非常につまらん存在だ、ワルド、あとどれくらいだ?」

「……もう間もなく降下予定地点だ、見ずとも“わかって”いるんだろう?俺は兵達に声をかけてこよう」

 羽根帽子を被った顎髭の男、かつて“ルイズに殺された”ワルドの“遍在”はその部屋を後にする。



「クックック……ああ、さみぃなぁ、近くにはなぁんにも“熱い”ものがねぇや。学院ではあったかい思いができるのかねぇ?」

 メンヌヴィルはつまらなさそうに嗤いながら、白い目をワルドが出て行った扉に向ける。



 魔法学院に、アルビオンの魔の手が伸びようとしていた。



[13978] 第八十五話【襲撃】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:00
第八十五話【襲撃】


「あ~もうっ!! 次は一体いつ私の“ゼロちゃん”は戻ってくるの!?」

 夜の帳が降りた魔法学院の教員棟……からは離れた半ばコルベールの家となっている離れの研究室には、一人の客が来ていた。

「落ち着きなさいミス、それにあれは貴方のものではありませんよ」

「じゃあミスタのものだと? そんなの認めませんわ!!」

 その客、眼鏡に長い金砂の髪を持つスレンダーな女性は、この部屋の主であるコルベールに対して癇癪を起こした子供のように……いや子供そのままの我が儘ぶりを披露した。

「いえ私のものでもありません、最初に言ったでしょう? あれはサイト君のものです。それと私の研究室に来るなり私のツナギに勝手に着替えるのもそろそろ止めて下さいと前にも言ったでしょう? そんなに汚れるのが嫌ならご自分で用意されれば良いでしょうに」

 そんな女性、ルイズの長姉にあたるエレオノールにやや呆れながらも親切丁寧にコルベールは答える……右手でスパナを弄り回しながら。

「だっていちいちここ用のツナギを買ってもって来るのが面倒くさいんですもの、まぁ幸いミスタは気を利かせて綺麗に洗濯してくれているようですし、現状問題無いではありませんか。それにミスタも暇そうですわよ?」

「いや、それを着られると私のツナギが……」

 コルベールは無意識だったようで、答えながらスパナを慌てて傍に置いた。

「予備くらいあるでしょう」

「それお気に入りなんです」

「なら“ミスタ用”の同じ物を買うか、“ミスタ用”の別な物を用意するか、別の物をお気に入りになって下さい」

「貴方が素直にそれを返却するという選択肢は無いのですかな?」

「残念ながら」

 ニッコリと微笑むエレオノールに、はぁとコルベール溜息を吐きつつも、嫌そうな顔はしない。

 彼女の言うとおり、それは彼女が着るだろう事を想定して念入りに洗濯しておいたのだ。

 流石に女性が着るのにあたって油まみれ、ましてや男である自分の匂いが付いているのは嫌だろうから。

 人のために、をある意味心情としているコルベールはお人好しというか、エレオノールがそう言い返す事を想定していた。

 半ば、諦めの境地とも言えるが、初期の頃、洗濯を面倒くさがって一度エレオノールが脱ぎ捨てていったツナギをそのまま使用し、女性の匂いにドキッとしてしまった罪悪感があったことも彼のそれに一押ししている。

「はぁ、この間以降“ゼロちゃん”は来ていないのですよね?」

「ええ」

「全く、こんな長い間メンテもしないで大丈夫だと思っているのかしら? もし私のゼロちゃんを落として来たなんて言ったらルイズの奴とっちめてやるわ!!」

「いや、落ちるってそんな不吉な……そんなことになったらまずは二人の安否を気遣うものですぞ」

 エレオノールはゼロ戦が無くなってそれはもう憤慨した。

 コルベールの首根っこを掴み、瞳からスウッと光を消して、

『私の最愛の“ぜろせん”を何処へやったの!?』

 と、ガックンガックン揺さぶった。

 居合わせたタバサが止めなければコルベールが早すぎる天寿を全うしていたかもしれない。

 それほどまでに彼女は一瞬狂気的で、タバサは身に覚えのある感覚に身振いしたりもした。

 幸いだったのは、タバサが感じたことのある“それ”よりは遥かに“濃度が薄い”ことだった。

 その為、一度経験したこともあって多少の免疫ができていたのか、タバサは二人を止められた。

 タバサはこの時、やられっぱなしのコルベールを師事してもらう人として情けない、などとは思わず、逆に“あれ”と相対するのが始めてで何もせずに命があったことに感心し、彼女の中の彼の株がさらに上昇していた。

 それからゼロ戦の行方を聞いたエレオノールは大層落ち込み、王立魔法研究所に戻ったが、しばらくして気紛れに寄った魔法学院で、再び事件は起こる。

 エレオノールは学院からゼロ戦が飛び立つ所を目撃したのだ。

 これまたエレオノールは憤慨し、道具を鼻歌交じりに片づけているコルベールに躍りかかった。

 貴族子女にあるまじき行為、コルベール相手にマウントポジションを取ってこれはどういうことかと問い詰めた。

 答えは拍子抜けするほど簡単で、メンテナンス……と言ってもほぼ直す所は無く、一応のチェックと給油の為に学院に急に戻ってきたという事だった。

 コルベールも話を聞いていたわけでは無かった事と聞き、エレオノールは半ば脅すように顔を近づけ「本当に?」と尋ねた。

 彼女にしてみれば、コルベールがゼロ戦を独り占めしようとしたのではないかと勘繰ったのだが、これがいけなかった。

 その現場をコルベールの短期間弟子として、今日も稽古を付けてもらうために来たタバサに目撃されてしまったのだ。

 タバサは少々固まった後、“かつての経験”から一番良い言葉を選んでその場をエスケープした。

「……大丈夫、二人の邪魔はしない。ごゆっくり」

 最後には気を使うな、というニュアンスを持つアレンジまで加えた完璧な逃げ文句だった。

 これにより、実戦で得た経験は時に練習の何倍も身になるのだと改めてタバサは実感することになる。

 そのタバサの態度にエレオノールは首を傾げ、コルベールは慌てて弁明に走る図があったのはまさに余談と言えよう。

 その日以降、エレオノールはちょくちょく学院に足を運び、さらには万一ゼロ戦が来たら自分にも教えて欲しいと頼み込んだ。

 それを受けてコルベールは、次にサイト達が来た時に、

「ゼロ戦を使うならその数日前から来て欲しい、一日以上は整備に時間をかけたい」

 と頼み、その頼みは今の所通っているようで、それはサイト達がさほど危険な目や緊急事態に陥っていない事を裏付け、コルベールとしてはホッとし、またエレオノール合流にも都合が良かった。

 そうした経緯で久しぶりにゼロ戦と再会したエレオノールはゼロ戦を“ゼロちゃん”と呼び、しばらく撫で回す程の喜びようだった。

 何故かタイミングが合わず、ルイズやサイトと再会することは今の所無かったが。

 大抵はゼロ戦が来てからの連絡で飛んで来て、徹夜で分解、調査、組み直しをし、練金による燃料制作も手伝っていた為、ルイズ達が降りる時には居合わせず、乗る時には疲労で眠ってしまうというサイクルを繰り返していた。

 スパン的に言って、確かにそろそろまたゼロ戦が来てもおかしく無い頃だが、それは飽くまでこの短い期間中のスパンでの計算であって、確かなものではない。

 何度か来ては一緒に練金で“がそりん”を作り、ゼロ戦の解体……もといメンテに多く時間を使う為に予備も先日練金し終えたのでいよいよやることが無くなってきた。

 ちなみに二人でやったのは、練金の魔法の相性はエレオノールの方が上なのだが、未だに一人では正しい“がそりん”の精製には至らないからだった。

 コルベールよりも疲れない代わりに、知識が不足しているのが原因だろう。

「まぁまぁミス、ほらこの紅茶でも飲んで気を落ち着けて下さい。確かこの銘柄が好みと仰っていましたな」

「あら? よく覚えておいででしたね? ありがとう」

 エレオノールはつまらなそうな子供の顔から一点、公爵家の淑女の顔となって椅子に座り紅茶を飲む。

 その姿を、コルベールはじっと見つめていた。

 その紅茶は何気なく漏らしたエレオノールの言葉からコルベールがわざわざ懐を痛めて手に入れた物だ。

 普段から特段浪費癖も無いコルベールはそれなりに蓄えがあるが、それでも流石は公爵家の女性というべきか、決して安くはない出費だった。

 良い物を飲んでるなぁと思う反面、こうして紅茶を飲む様は本当に絵になる。

 彼女がゼロ戦を弄って居る時はやや狂気的なのに対し、そうでない時は“綺麗な女性の代名詞”と呼んで差し支え無いほどコルベールにとって女性らしく感じられた。

 最初にそれに気付いたのは、恥ずかしくも彼女がツナギを脱ぐ姿を見てしまってからだった。

 いつもの服の上にそのままツナギを着るので、着替え自体は見ても見られても双方特に問題は無い。

 だが、着る時の荒々しさとは対照的に脱ぐ時のエレオノールはとても艶やかだった。

 美しい、細く白い指が胸元に伸び、するするとツナギを下げていく様は、コルベールの喉をゴクリと鳴らした。

 下半身は内股で弱々しく見え、しかし腰は膨らみを帯びていて、見えだした素足は白く細い。

 その時はエレオノールが眼鏡のズレを直しながら「どうかなさいました?」と尋ねて来るまで視線を奪われっぱなしだった。

 思えばそれからだろう。

 コルベールがエレオノールを良く視線で追うようになったのは。

 彼女のゼロ戦に携わらない時の女性らしさは、コルベールの少ない女性経験の中で群を抜いていた。

 一つ一つの動作が繊細で纏まっており、起伏の少ない細いラインが自然と美しい女性を形作る。

「ちょっと? 今失礼な事考えませんでした?」

「とんでもない」

 コルベールはやや察しの良いエレオノールに苦笑しながら紅茶を喉に流し込む。



 ……たいして好みでは無い紅茶を。



「それではミスタ。今日はそろそろお暇いたしますわ、まだ残務処理もあるのでしょう?」

 エレオノールはコルベールが持ってきていた羊皮紙類を見て、彼の仕事がまだ残っている事にアタリを付けた。

「え? ええまぁ」

「では紅茶ご馳走様でした」

 コルベールは最近、こういった時間が好きだった。

 それ故に好みで無い紅茶を飲んでも満足出来、時間を忘れていたのだが、彼女に指摘され自分の仕事を思い出す。

 いつしかこうして彼女と話すのが楽しみになっている自分がいることに気付いていたコルベールは、内心ではやや残念だと思う一方、自分の業務遂行をこれ以上疎かに出来ないという彼の真面目故の葛藤があった。

 だから、この日はエレオノールを校門まで見送らなかった。

 それが、この後面倒な事になるなど、その時は露程も思わなかった。




***




 残務処理、と言ってもこれはそんなに手のかかったり難しいものではない。

 ただ、時間がかかるという一点に尽きるだけの仕事だ。

 しかしコルベールは面倒だからとそれを放棄することはない。

 むしろ率先してこういうことをやっていた。

 それは……彼の中にある“自分に楽をさせない”というような考え方があることにも起因する。

 そうして数時間、彼は羽根ペンを動かし続けていて……ふと違和感を覚えた。

 ここは学生寮からは離れていて比較的静かではあるが、いつも全く何も聞こえないわけではない。

 小さいなりに何かは聞こえて来たりするものだが、今日はそれが一切無い。

 これは何かおかしい。

 そう思った時、忍ぶように近づく気配を鋭敏なコルベールの感覚が捕らえた。

 “実戦の中”で鍛えられたそれは、これまで何度もコルベールを助けている。

 ここに忍んで近づいてくる者など今まで皆無。

 考えられる可能性は多々あれど、今の国の状況を鑑みれば最悪を想定して尚足りないとも言える。

 コルベールは息を潜め、気配を絶って扉が開かれた時死角となる壁に張り付き、入ってきた人間を瞬間的に判断して絞め落とした。

 寸分の乱れない静かな早業。

 相手は何をされたのか理解出来なかったであろう。

 その“侵入者”は見たことの無い男で、コルベールに事態をある程度理解させるには十分な出で立ちだった。

 彼は戦争相手国、『神聖アルビオン共和国』のシンボルが入った服を着ていたのだ。

「……これは、まさか学院内にも既に手が回っているのでは?」

 コルベールがそう危惧した時、



「っ!?」



 背後、開いたままになっていた扉の外から人の気配を感じた。



[13978] 第八十六話【賢者】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:01
第八十六話【賢者】


 決してコルベールが迂闊だったわけでは無い。

 背後を取られた事に気付くのが遅れたのは、それだけ気配を消すという隠密に特化したスキルを相手が所有していたからだろう。

 それに対し顔を向けるより本能的に杖を先に向けていたコルベールだったが、ルーンを唱えはしなかった。

「君ですか、気配を消すのは相変わらずたいしたものですな」

 コルベールは杖を降ろした。

 そこにいたのは月光を浴びた蒼髪の少女……と灼熱色のロングヘアーを持つ褐色肌の少女だった。

「……襲撃の模様」

 蒼髪の少女、褐色肌の少女に比べると胸の起伏は悲しいと言わざるを得ないタバサは、現状の予測を手短かつ簡略的に口にした。

「どうやらそのようですな」

 コルベールもさして慌てはしない。

 たった今襲撃者を奥で仕留めたばかりだし、そういった状況には“慣れて”いる。

 しかし、ここで二人が冷静過ぎるのを看過出来ない人間がいた。

「ちょっと!? 何を暢気にしてるのよ!? 学院が襲われているのよ? タバサもなんだってこんな弱っちそうな先生の所に行くのよ!! 今は一刻も早く食堂に捕らえられたみんなを助けるのが先でしょう!? 仲間を集めるにしてももっと頼りになりそうな人にしなさいよ、足手まといは迷惑よ」

 赤い、燃えるような灼熱色の長い髪に、月夜にも良く映える褐色肌の若くしてグラマラスな少女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは二人の落ち着き払ったような態度に業を煮やしたのだ。

「……現状分析及び戦力は必要、こういう時こそ冷静にならなければならない」

「そうですぞミス・ツェルプストー、これは遊びではないのです。浅慮な考えで行動すれば全滅の可能性もあります」

 二人に同じように突っ込まれ、キュルケはますます面白くなくなった。

 タバサはともかく、何故この“情けなさそうな火メイジ教諭”にまで説教されなければならないのか。

「ミスタ・コルベール、随分と臆病なことですわね。そんなことでは私達の足手まといではなくて?」

 キュルケは前々からこの先生が気に食わなかった。

 火のメイジのくせにいつも弱々しい態度で腰も低い。

 授業も火に特化しているのかは大いに疑問だった。

 火を扱う初級から始まり、魔法の使い方や可能性、果ては他への転用などと、とても誇り高く強力な“火”を使う同じメイジとは思えなかった。

 その挑発的な言葉に、コルベールは少し悲しそうな顔でやれやれと溜息を吐き、彼女の内心を見透かしたように言う。

「魔法とは戦いの道具では無いのです」

 その一見すると哀れんでいるようにも見える目が、さらにキュルケの神経を逆撫でした。

「行きましょタバサ!! こんな臆病な人必要無いわ!! 余計な時間を使っちゃったんだから少しでも取り戻さないと!!」

 キュルケはそのコルベールの目に我慢できず、タバサの手を引いてこの場を後にしようとするが────クンッ────引っぱった小さい手が動かない。

「タバサ?」

 キュルケは友人の態度に首を傾げるが、

「……ミスタ・コルベールは優秀。私の師匠でもある。彼は決して弱くない。ちゃんと話し合って協力するべき」

 その言葉に納得は出来なかった。

「何言ってるのタバサ? あの人が優秀? 師匠? まさか彼に火系統の魔法の個人レッスンでもしてもらってたの? ダメよタバサ、あんな人に習ったって強くなれっこないわ、火なら私が教えてあげるわよ」

 担当教諭に直談判して個人レッスン、というのは実はそれほど珍しくない。

 もっとも、近年ではわざわざ個人レッスンを望むような勤勉な少年少女は珍しく、あまり個人レッスン姿は見られなくなっていたが。

 しかしだからと言って皆無ではなく、例としてはヴィリエもギトーの個人授業を受けている為、さほど驚くことでは無かった。

 しかしキュルケにしてみればそれも相手によりけりである。

 いくら自分の苦手な系統だからと言っても、半端な使い手に習ったところで所詮そんなものは半端でしか無い。

 それを危惧してのキュルケの言葉だったのだが、タバサは珍しく怒気の表情を露わにして、自分の等身大以上の大きさの杖でキュルケの頭を一発ポカリと叩く。

「……ミスタ・コルベールを馬鹿にしないで。彼は尊敬出来る」

 タバサの怒った言葉にキュルケは目を見開いた。

 彼女が他人の為にここまで怒気を露わにしたところなどほとんど見たことがない。

 しかもその相手が自分が認めず嫌っている情けない教師と来た。

 ……こんなに面白くないことがあるだろうか。

 キッとキュルケはコルベールを睨むが、コルベールは遠くを睨み据えていて……キュルケの視線に気付いたように彼女に向き直った。

「どうかしましたかな? ミス・ツェルプストー」

「貴方、タバサに何をしたの? 何か変なことしてるんじゃないでしょうね? まさか弱みを握っているとか!?」

「とんでもない、私はそんなことはしておりませんぞ。それとミス・タバサ、私なんかより尊敬出来る人間はたくさんいます、私などを尊敬するのは止めなさい」

「………………」

 タバサはやや不満そうな顔になり、首肯も了解の意も唱えなかった。

「やれやれ。さて、どうやら学院内の人間はほぼ掴まっているようですが、学院に常駐している銃士隊が食堂を取り囲んでいます。なにやら交渉していますが旗色は悪そうですな。ここは急ぎたいところですが、急いては事を仕損じます、少し準備をして行きましょう、お二人とも手伝って下さい」

 キュルケは何で貴方にそんな事がわかるの!? 策でもあるというの!? と騒ぎ立てようとしたが、タバサがキュルケの周りに“サイレント”を張ってしまい、その声が届くことは無かった。




***




「お前達は包囲されている!! 大人しく投降すれば今なら刑が軽くなるかもしれんぞ!!」

 アニエスは食堂の門の外で叫ぶが、相手からの返事は変わらない。

「俺たちを脅そうたって無駄だ。俺たちの要求が呑まれない限り人質は解放しない、さぁオスマン学院長殿? アンリエッタ女王にアルビオンより撤退してほしい旨の手紙をしたためて頂けますかな」

 白い目をした筋肉質な男、メンヌヴィルは黒く大きい杖を片手に長い白髭を生やしたオスマン学院長に詰め寄る。

 食堂にはほぼ学院内の人間全員、といってもほとんどが女子で、戦争のため人も普段より半分以下程度でしかないが、後ろ手に縛られて座らされていた。

 数はともかく、人質としての質はとんでもなく上質だ。

「そんなことは私に出来ん。それに私が手紙を書いたところで女王はお聞きにならないだろう」

「俺たちにはその筋の情報からアンタにはそれが可能な権力……“貸し”が王宮にあると聞いている、仮にそれがデマだったとしても念のためにアンタには手紙を書いてもらうぞ。その手紙の効力が無かろうとこちらには十分な数の人質もいるしな」

 メンヌヴィルはオスマンの髭を掴んでぐいっと持ち上げた。

「ハ、“賢者”もこのザマでは形無しか」

 オスマンは杖を取り上げられ、体中痣だらけになっていた。

 唯一メンヌヴィルが今回の作戦で注意したのがこのオスマンだった。

 いつも飄々としていている老人、そんなイメージが先行しがちだが、彼は魔法学院を束ねる学院長の座に長く着いている。

 何より、彼は一度オスマンの魔法を見たことがあった。

 いや、正確には……、

「そうだ、フーケに“盗まれなかった”アレ、『破壊の杖』はもらっていくぞ。幼いながらにあの威力には恐怖したものだ」

「!?」

 オスマンはやや閉じかけていた目を見開いた。

「お主……何故それを……!?」

「簡単な話だ、あの場にはまだ小さかった俺もいた、それだけのことさ。今思い出しても体がゾクゾクする。あのワイバーンが焼けた匂いはたまらなかった……思えばあれから俺は焼ける匂いがたまらなく好きになったんだ。今もって“あんな独特な焼けた匂い”はあの時以来嗅いでいない。あれを使えば嗅げるんだろう? ゾクゾクするぜぇ」

「貴様……!!」

「アンタはその“破壊の杖”以上の威力の魔法を放てる、とも“その筋の情報”から聞いたのさ、だからアンタだけは年寄りだろうと念入りに潰した。あの威力を知らない者なら首を傾げるだろうが、知っているものとしてはそれほど恐い物もない」

 恐い恐い、と言いながら実に楽しそうにメンヌヴィルは口を開く。

 そんなメンヌヴィルを今にも崩れそうなボロボロの老人とは思えぬ眼光でオスマンは睨む。

 しばし睨み合いが続いているその場からやや離れた所で、事はもう一つ起こっていた。

「あ、貴方は……よくもぬけぬけと私の前に顔を出せたものね!!」

「フ……これはこれは長姉殿」

 ワルドの目の前には、後ろ手に縛られたエレオノールがいた。

 エレオノールは今の自分の状況も顧みずに声を荒げる。

「よくも、よくもルイズを裏切ったわね!! 貴方ルイズを殺そうともしたそうじゃない!! よくも私の妹を!!」

 エレオノールは知っていた。

 幼い頃、何処かぎこちなくはあったが、ルイズはこのワルドを気に入っていたように思える……気がしなくもない……多分。

 何しろ一緒に居る時は笑顔なのに離れると一転して触られたところを引っ掻きまくるのだから、あれも恋する乙女心の一つなのかと参考にした物だ。

 それをバーガンディ伯爵の時に何度かやってみて、何故か「もう限界」と泣かれながら言われた事はまだ記憶に新しい。

 ルイズの場合、実際には“サイトを召喚する”という未来を変えない為に出来る限り忠実に過去の自分を演じた姿であり、サイト以外の男に笑顔を振りまき、触られるのに我慢できずに見ていないところで気持ち悪さ払拭の為に引っかき回していたとは、知る由も無い。

「私も……それ相応の代価は取られましたよ、あの使い魔とルイズ……妹君によってね」

 ワルドが冷たい視線でエレオノールを見つめる。

「それに私になど彼女は興味を示さなかった、彼女の頭は使い魔君で一杯でしたよ……だが“俺”にも彼女が必要な理由があった、あったんだ!! その為に今までああして接してきた!! それを……!?」



 ガシャァァァァン!!!



 爆発……いや窓が割れる音が鳴り響く。

 どうやら高い窓から侵入しようとした銃士隊の一部が、“死角だったのにもかかわらず何故かそれに気付いた”メンヌヴィルの火の魔法によって吹き飛ばされたようだった。

「奴等はこちらの要求を聞かずに勝手なことをした!! よって見せしめに何人かは殺す事にする!! 恨むなら軽挙な行動に出たトリステインを恨め!!」

 メンヌヴィルはぎょろりと大きい瞳で食堂中を見回し、生け贄候補を選び出す。

 女生徒達は怯え、互いに手を取り合って震えながら視線を合わせないようにしていた。




***




 失態だった。

 賊の侵入を許したばかりか人質まで取られる始末。

 奇襲は失敗した。

 相手の中には感知に長けたメイジが居るのだろう。

 だが、それでも落とされた隊員の言葉から中に立てこもってる人員は四、五人程度と少ないことがわかっている。

 こちらでも三人ほど始末したし、この闇夜での行動と現在の戦争の戦況から鑑みても少数精鋭で来ているとみてほぼ間違いはない。

 とすれば相手の援軍は無いだろうし、伏兵が居るとしても一名ないし二名程度だろう。

 数ではこちらが勝っている。

 (どうする? 踏み込むか?)

 そうアニエスが悩んでいると中からテログループのリーダーらしき男の声で人質を殺すという言葉聞こえてきた。

 このままでは踏み込まずとも遅かれ早かれ人質の安否は保障されない。

 ならば、とアニエスは被害を極力抑える為に踏み込む決断をし、大扉を開いた。

「待て……!?」

 人質の何人かには怪我無いし死亡もやむなしかと腹を括った突撃だったが、彼女らが食堂に入った時、食堂には無数の紙風船が浮かんでいた。



[13978] 第八十七話【炎蛇】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:01
第八十七話【炎蛇】


 浮かんでいる紙風船に呆気にとられていたのは突撃した銃士隊だけでは無かった。

 ワルドやメンヌヴィルも突然“割れた窓”から風に乗って入ってきた無数の紙風船に警戒を示し動けないでいた。

 と、その僅かな硬直時間が産まれた瞬間、食堂中にあちこち浮かぶ紙風船が突如破裂した。

 破裂するたびに閃光をまき散らし、モクモクと煙が上がって視界を消していく。

 目がくらみ、そうでない者でも急な視界不良に動けなくなっていた。

 それを確認して、キュルケはこの“臆病な作戦”の成功を知るのと共にちょっとした欲が出た。

 今食堂中の人間に混乱を与えているこれはコルベール特性の、言ってみれば目くらまし玉だった。

 エレガントさの欠片も感じられない地味で臆病な戦法で、効果の程も疑わしかったのだが、存外効果はあるようだ。

 もっともこれは相手の視界を奪うことで行動制限するだけだ。

 予定ではこの隙に乗じて人質を解放、戦闘は極力避けるということだったが、この混乱ぶりなら相手の頭を取るのも容易いかもしれない。

 決して手を出してはいけないとコルベールに言われていたが、あんな戦おうとしない臆病者の言うことなど、聞くだけ無駄だ。

 こんな地味な救出劇では自分の中のプライドが許さない。

 何より、このような視界不良なら、あらかじめ敵の位置をしっかりと把握していたこちらが負けることはありえないとキュルケは踏んだ。

 短く詠唱、ファイアーボールを敵のリーダー核らしき筋肉質な男に撃ち放つ。

 勝った、そう思っても仕方のない程完璧な攻撃だと思われた。

 煙の隙間から見た相手は背を向けていたし、気付けるわけがない。



───────だが、往々にして“希望的観測”というものは破られるものである。



「ハッハァ!!」

 背を向けていたはずのメンヌヴィルは、自分に向かってくる火球に同等程度の威力の火球をぶつけて相殺した。

 同時、一人のメイジを中心に“風”が吹く。

「……私に魔法を使わせるな、と言っておいた筈だぞ、メンヌヴィル」

 苛立ちを前面に押し出した声色でワルドを中心に煙が晴れていった。

「悪かったなワルド、だがその必要が無かったのはお前も知っているだろう? さて……」
 
 メンヌヴィルはぬっと振り返ると、杖を向けたままの体勢で信じられないという眼差しのキュルケを見、口端を歪めた。

「ほう、さっきの火はお嬢さんか、中々良い炎だったよ、そんな良い火が出せるお嬢さんの焼ける匂いってのはどんなものなのか、ゾクゾクするなぁ……『フレイム』!!」

「っ!? 馬鹿にしないで!! アンタなんて私の魔法で……『フレイム』!!」

 お互い同じ魔法を繰り出して、さながら火の壁を作り上げた。

「おお、おお、おお!! やるじゃないかお嬢さん、そら!!」

 メンヌヴィルが楽しそうに言いながら炎の圧力を増す。

「ぐぅ……っ!!」

 全力を出している筈なのにじりじりと火の壁が自分に迫ってくる。

 押し返すどころか、既に逃げることさえ適わない炎の応酬。

 今魔法を使うのを止めれば一気に自分の放った魔法も含めた炎が自分の身を焦がすだろう。

 かといってこのままでも炎の接着面がこちらに近づいてきて、結局は焼かれる。

 腕が痺れる。

 腕を突きだして杖先から発してる火の威力は決して弱くない筈なのに、相手の勢いが強すぎてどうにもならない。

 踏ん張っても、段々押されていくのがわかる。

 全力を出しているのに、目前には自分を焼く炎が迫っている。

「い、いや……イヤァ!!」

 キュルケはここに来て始めて、自分が焼かれる恐怖にかられた。

 精神力も限界に達しようとしている。

 このままでは自分は焼かれる。

 だというのに為す術が無い。

 もうダメだ、そう思った時に彼女の前に飛び込む一つの影があった。



 ドォォォン!!



 メンヌヴィルの炎が押し切り、キュルケを吹き飛ばす。

「おや? 焼くつもりが吹き飛ばしてしまった。これでは焼きたての人肉の匂いが嗅げんではないか」

 メンヌヴィルが残念そうに呟くが、吹き飛んだ先には腰が砕けて座り、服はボロボロでありながらも“焼けていない”キュルケの姿があった。

「む? ……ふん、そういうことか」

 キュルケの膝の上には苦しそうにしている一匹の火トカゲがいた。

「フレ、イム……?」

 それは彼女の使い魔であるサラマンダーのフレイムだった。

 主人の危険にいてもたってもいられずに飛び出したのだろう。

 火山地帯で暮らしていたフレイムにはこの程度の温度の炎は特段ダメージにならないだろうが、如何せん勢いが付きすぎていた。

 フレイムはキュルケを護るために全身に勢いのある炎を浴び、火傷こそ無いものの、内部への物理ダメージは大きいようで、苦しそうな呼吸を繰り返していた。

「主人の為に、という奴か。忠義心が厚くてなによりだな、おかげで私は君の焼ける匂いが嗅げそうだ、そうだ、栄えある犠牲者一号は君にして、黒ずみの死体と手紙を王宮に送ることとしよう」

 ニヤリと笑い近づいてくるメンヌヴィル。

「ひっ!?」

 キュルケはフレイムを抱きしめながら震えていた。

 恐い。

 恐い恐い恐い。

 ただひたすらに恐い。

 生まれて初めて、無力という言葉を本当の意味で感じた。

 圧倒的な力の差。

 自身の実力への自惚れ。

 今までのツケを払うかのように一気にそれらがキュルケにのし掛かる。

「では、お前の焼ける匂いを嗅がせてもらお……ぬっ!?」

 メンヌヴィルの目前に、まるで“意志ある蛇”のような炎が現れる。

 クネクネと身を捻らせながら、獰猛な炎の化身はメンヌヴィルとキュルケの間に割り込んでいた。

「こ、この“熱”は、この熱は!! ハッハハハハハハハ!!!!」

 メンヌヴィルが高笑いするのと同時、蛇の炎がメンヌヴィルに突撃する。

「感じる、感じるぞ貴様の熱!! そうだ、間違いない!! この“熱”を俺が間違えよう筈がない!! 見つけたぞ俺の“忘れ物”ォォォォォォォ!!」

 天に叫ぶようにメンヌヴィルは歓喜一色に染まり、炎の蛇も消えた。

 その間に、一人の男性……コルベールがキュルケの前に背を向けるようにして立っていた。

「やれやれ、私は自分に攻撃魔法の使用をずっと禁じて来ていたのですが……ここに来ているのがまさか“お前”だったとは」

 コルベールは、途中から底冷えのするような、優しい仮面を脱ぎ捨てた冷徹な声でメンヌヴィルに答える。

「ハハハハ!! 攻撃魔法を禁じた? “炎蛇”と恐れられ、やるからにはどこまでも冷徹になることすら厭わずに全て焼き払う隊長殿が今は教師!? これが嗤わずにいわれようか!! 所詮隊長は俺と同じ穴の狢だろうに!! ああ、今もあのダングルテールの夜を思い出すと胸の高鳴りが止まらねぇ!!」

「……否定はしない。私は大罪を犯した人間だ。しかし、聞くに貴様はあれからもずっと似たような事をやり続けてきたのか?」

「無論だとも!! 貴方に両目を焼かれ視力を失って尚、俺は戦いを止めなかった!! おかげで失った視力の代わりに視えるようになったものもある!!」

「……“熱”……温度をより敏感に肌で感じられるようになったか」

「そうとも!! 流石は隊長殿!! 説明せずとも全て丸わかりか!! それでこそ倒しがいがある!! あの時嗅げなかった焼ける隊長殿の匂いはどんな匂いなのか、ゾクゾクしてきたぜぇ!!」

 コルベールは身構えたメンヌヴィルを睨み、



「……私は火の……とりわけ攻撃魔法を禁じてきた。だが、お前がどうしても私、引いてはこの学院に害為すというのならば、私は再び杖を振ろう。私の後ろには傷つけてはならない人達がいる」



 学院内でも誰も見たことの無い、杖を他人に向けるという戦闘体勢を取った。




***




 呆気にとられていた。

 青天の霹靂とはまさにこういうことを言うのだろう。

 ずっと頼りない先生だと思っていた。

 その人が今、自分を護るために目の前に立っている。

 とても、とても背中が力強い。

 その背中は本能的に“全てを任せられる”とそう感じた。

 キュルケは、そんなコルベールの背中に見とれていた。

 故に、いくつか気付かなかった点がある。

 それは、

「……ミス、ミス・エレオノール、今のうちにここを離れて下さい。一緒にそこで座りこんでいる私の生徒もお願いします。生徒を傷つけるわけにはいかない」

「…………ハッ!? え、ええ、わかりましたわミスタ」

 彼女、キュルケの隣には、エレオノールが居た事。

 エレオノールは何故か顔を赤くしながらも呆けているキュルケを引っぱるようにその場から離れていく。

「相変わらず女子供には優しいですなぁ隊長殿、とことん偽善が好きと見える。貴方は既に何人もその手にかけているというのに」

「そうだな、それを今更(ボシュウッ!!)誰かのせいには(ボシュウッ!!)せんよ」

 顔も口調も、仏頂面から一切変化は無い。

 だが、その会話に夢中になって警戒が疎かになっていたメンヌヴィルにコルベールは容赦なく火球を叩き込んでいた。

「ぐっ!? さ、流石隊長殿。やると決めたら“手段は選ばない”その一瞬にして心を凍てつかせる鋼の精神は全く衰えて居ない様子……だが!!」

 メンヌヴィルが最初にコルベールの放った蛇のような炎で、不規則な変化を付けながらコルベールに攻撃する。

「……っ!!」

 左、そう思ったコルベールは、炎によって塞がれた視界の奥……右から飛んできた火球に気付くのが遅れ、直撃を受ける。

「……成る程」

「俺もただ時間を無駄にしていたわけではない、貴方に勝つために腕を磨いていたのだ!!」

「そうか、貴様はあの時の事を何も顧みていないのだな。“だからお前は成長しない”んだ」

「何だと!?」

 コルベールの周りに炎が吹き上がる。一瞬にしてコルベールの背後に大きな炎の壁が出来た。

 気付けばメンヌヴィルの周りには誰もいない。

 メンヌヴィルの背後は開かれた食堂の大扉のみ。

 コルベールが一歩前へ進めば炎の壁のも一歩進む。

 (何だあの炎の壁は? あんな使い方をすればすぐに精神力は尽きる。それだけ自身のある魔法だとすれば……ここは一端間を置くのも有りか)

 メンヌヴィルは迷うこと無く、一端食堂から出る。

 それを追いかけるコルベール。

 炎の壁は食堂をコルベールが出たあたりで消えた。

 メンヌヴィルはやはり、と思う。

 狭い室内では有効だが、外では精神力の無駄遣い。

 魔法を解除したあたり、それこそコルベールは精神力を節約しなければならないほど消耗しているはずだ。

 勝機、とメンヌヴィルは見た。

 幸い月は雲に隠れて闇の帳が落ちている。

 見えないコルベールより熱を探知できる自分の方が有利に戦え……!?

 考えていて、急に喉が苦しくなる。



「……苦しいか?」



 急に汗が噴き出して止まらなくなる。



「……熱いか?」



 コルベールの物と思しき声が自分の現状を的確に当ててくるのが悔しいが今はそれどころではない。

 俺は一体、何をされた?



「簡単な事だ、ただ、ここら一体だけの空気、酸素を燃やし尽くしているだけだ」



 こちらの疑問に的確に答えて来るコルベールの声……声?

 そこで気付く。

 何故感じるのが声だけなのだ?

 自分は熱を感知出来る筈なのに、何故?

 そこでメンヌヴィルの意識は途絶え、永遠に目覚めることの無い眠りについた。

「お前の目が見えていたなら、あるいは気付けたのかもしれないな」

 辺り一帯の生物を無差別に窒息死させる魔法。

 この魔法を取得するための鍛錬で、コルベールは体……とりわけ表皮に見た目ではわかりにくいダメージを負い、毛髪に至っては死滅に近い体になってしまっていた。

 額に大量の汗を掻き、呼吸も荒いコルベールが地に膝を付けながら、目前の動かなくなったメンヌヴィルを見て、呟く。



「先に地獄で償っていろ、私もそのうち“そこでも”償いを受けるさ」



[13978] 第八十八話【争奪】
Name: YY◆90a32a80 ID:ec8f6a96
Date: 2011/03/03 20:02
第八十八話【争奪】


 コルベールが食堂に戻ってくると、何やら諍いが起こっていた。

 いわゆる……女の争い、という奴である。

「ミスタは私に言いましたのよ!!」

「いいえ私よ!!」

「ミスタの目を見ていなかったのかしら?」

「貴方より私の胸の方が大きいのよ? 負け惜しみも……」

「ヤダヤダ、もしかして自分の魅力は体だけって娘? もしかして貴方、本当の意味での男性経験ってナシ?」

「~~っ!! このツェルプストーの情熱を邪魔しないで!!」

「ツェルプストー!? ツェルプストーですって!? 我がヴァリエールの恋人を次々と奪っていくと聞いてたけど、今代のツェルプストーも変わらないのね、この泥棒猫!!」

 コルベールはやや呆れながら見ていたが、とん、と肩を叩く傷だらけのオスマン学院長に、何故か背筋が凍った。

「のぅコルベール君、君その頭でそこまでモテるのに、何か秘訣でもあるのかの? 良ければ是非ご教授願いたいのじゃが」

「あ、ありませんよそんなの!! 私だって何が何やら……」

「ほう? あれを見てもそんなシラを切ると……? のぅミスタ・コルベール……老い先短い老人の頼みなんじゃよ?」

「だ、だからですねオールドオスマン!! 私は知らないと……」

「ミスタの今月の給料は無しかのぉ」

「ちょっ!?」

 長い白髭爺さんのイジワルそうな顔がコルベールを見つめる。

 コルベールは今回、良い格好しようと“少々”高い紅茶の銘柄を購入していて、今月は厳しかった。

 毎月溜めているお金は非常時用と決めていて使うつもりは無い。

 そうなると、ここで給料が無いのは困る……というかそんな事で職権乱用とか堪らない。

「……二ヶ月分かのぅ」

「ぐっ!!」

「半年?」

「うぐっ!!」

 オスマンの意地の悪い攻めに、コルベールは頭を抱えようとして……腕を取られた。

「ミスタ!!」

「ミ、ミス・エレオノール……」

 フワリと以前ツナギから漂っていた香りが、コルベールの頬を染めさせる。

 が、しかし。

「ミスタ・コルベール!!」

 反対の腕を教え子であるキュルケが取った。

「ミス・ツェルプストー?そういえばお怪我は……」

 先の戦いを気にしての事だったが、二人はそんなコルベールの言葉を半ば無視して、



「「傷つけてはいけない人とは私ですわよね!?」」



 希望の眼差しをぶつけられる。

 二人はコルベールに尋ねた後、再び睨み合いを続けバチバチと火花を散らしていた。




***




 闇夜の中、タバサはすっくと腰を上げた。

 先程までのコルベールの戦い。

 それをタバサは見ていた。

 強い人間の戦う様というものは参考になる。

 その例に漏れず、今回の戦いもタバサにとってはとても色濃いものとなった。

 それにコルベールはあの状況でも冷静だった。

 彼はタバサに気付き、彼の使う魔法の範囲外……ここより近づくなと合図を送ってきていた。

 相手の目が見えないからこそ相手にバレずに出来た芸当だろう。

 その理由も戦況を見た後ならわかる。

 近寄っていれば、巻き添えで死んでもおかしくない魔法だった。

 それほどの実力を持つコルベールに、タバサは益々内心の株を上げる。

 立ち上がったタバサは、いつまでもここに居る理由も無いとして、先に食堂に戻ったコルベールを追うべく食堂に来たのだが、何やらおかしな事態になっていた。

「……何事?」

「あ、タバサ!! タバサからも何か言ってやって!! ミスタ・コルベールの魅力に気付いた私と彼の恋路をヴァリエールが邪魔するのよ!!」

 タバサに気付いたキュルケは援軍到来と思い、タバサを呼びつける。

 エレオノールがルイズの姉であることは聞いているので意味はわかるが、しかし。

 タバサはゴン!! とキュルケの頭に杖を叩きつける。

「痛っ!? ちょっと何をするのよ!?」

「……散々ミスタ・コルベールを馬鹿にしてた」

「あ、あれは知らなかったから」

「……今まで知ろうともしなかった」

 タバサの怒ったような目つきがキュルケを怯ませ、コルベールの腕を離させる。

 それを好機と取ったエレオノールはコルベールを自身の方へ引っぱり、

「邪魔者は居なくなりましたわミスタ。これで心おきなく一緒に“ゼロちゃん”を作れますわ」

 お腹を叩きながら自信満々に告げる。

 それを見た周りが、お腹を叩いた事と聞き慣れぬ“ゼロちゃん”という言葉から、もしや? という顔つきになる。

「ご、誤解を生むような言い方や素振りは止めて下さいミス・エレオノール!! ってゼロ戦、ですか?」

「そうですわ!! ミスタがいないと作業は私一人になってしまうじゃありませんか!! それにこれだけ研究話が弾む人などきっとそうそう居ませんわ!! さぁ私と一緒にゼロちゃんを完成させるのです!!」

「……えっとつまり、ミスは私ではなくゼロ戦が大事で、私はただの付き物、だと?」

 コルベールがやや肩を落として尋ねるが、

「何を言っているのです? 貴方が居なければ“ゼロちゃん”は成り立ちませんわ!!」

 嬉しいんだか嬉しくないんだかわからない、ゼロ戦との一括り扱いから来る好意に複雑になるコルベールだった。



「……おい貴様、あの男はダングルテールと言ったな?」



 そんな時、銃士隊の一人……隊長を務めるアニエスがコルベールに近づいてくる。

「貴方は……?」

「私はアニエス。あの……ダングルテールの虐殺の生き残りだ!!」

「っ!?」

 彼女の言葉に、コルベールは驚愕する。

「お前は隊長と呼ばれていたな? 答えろ!! お前が火を放ったのか!? 何故!?」

 剣を突きつけ、アニエスはコルベールを光の無い瞳で睨む。

「……命令だった。疫病が発生したから、やむなく他集落に伝染する前に燃やせと。しかしそれが後に間違いであることを知った私は軍を辞めた」

 それが、コルベールがずっと悔い、背負い、贖罪の道を模索していた元凶だった

「~~っ!! ふざけるなッ!! “間違いでした”で済むか!! 私はあの日、“背中に大きな火傷”がある男に助けられて以来、あの事件の首謀者と実行犯に復讐することだけを思って生きてきたんだ!!」

「……君にはその権利がある。私を殺したいなら、私は抵抗しない」

 コルベールはエレオノールの手をやんわりと振り払い、アニエスを真っ直ぐに見つめるが、



「ちょっと? 何を勝手に話を進めてるの?」



 光の無い、深い闇色の瞳。

 そこに映る物は皆無。

 タバサが何かを思い出したかのようにガタガタと震え出す。

 その瞳の主、冷たい声を発したエレオノールは、アニエスとコルベールの間に割り込んだ。

「どけぇ!! 私はそいつを殺す!!」

「は? 貴方何様?」

 高ぶった感情を抑えきれないアニエスに対し、エレオノールは何処までも冷めていた。

「お前こそ何様だ!? 私の生きる目的を邪魔するなぁ!!」

 アニエスは相手が公爵家令嬢であることを知らない。

 だが知っていたところで、この場ではたいした意味を持たなかっただろう。

「断るわ、ゼロちゃんは私の物になるのよ」

「ゼロだかなんだかは知らん!! 私の目的はソイツだけだ!!」

「何を聞いてるの貴方? 死ぬの? 死にたいの? 私のゼロちゃんにミスタは必要不可欠なの、“付属品”なの。ミスタを傷つけると言うことは私のゼロちゃんを傷つけると同意なの、おわかり? 貴方は私の“物”を傷つけようとしているのよ?」

「わけのわからない事を!!」

 興奮しきった虚無の瞳と、何処までも冷酷な虚無の瞳。

 両者がぶつかろうとした時、先程まで蚊帳の外になっていたキュルケが、エレオノールの言葉に噛みついた。

「“物”ですって!? 彼は“物”じゃないしまだ貴方のでも無いわ!! そう違うのよ、まだ私にもチャンスはあるの!! だから私をほっぽって話を進めないでくれる?」

 段々と話がややこしいことになっていく。

 コルベールは一瞬、死の覚悟すらした手前、どうすべきか判断を迷い、たまたま黙っていたタバサと目があった。

 どうしましょうね?と言外に困っている気持ちを苦笑いしながら彼女に伝えると、タバサは何を思ったかコクリと頷いた。



「……私はミスタ・コルベール唯一の弟子。ミスタを手に入れたければまずは私を倒してからにして」



 それは……二人の女性、エレオノールとキュルケにとっては宣戦布告なように聞こえた。

 つまり現在の“本妻”は自分であるから欲しければ力づくで来い、と。

「ちょっ!? ミス・タバサ!?」

 コルベールがイキナリのタバサの言に慌て、それを聞いたアニエスは一番乗りとばかりにタバサに剣を向けた。

「ならまずは私だ!! 我が復讐の前に立ちはだかるなら容赦はしないぞ!!」

 アニエスは気勢たっぷりにタバサを見つめるが、タバサはアニエスの瞳には恐怖を感じなかった。

 それがタバサを勢いづかせる。

「……貴方じゃ無理。勝負にならない。ミスタ・コルベールに相応しくない」

「なっ!? ふざけるな!!」

「タバサちゃんはふざけてなんかいないわ、ねぇ、タバサちゃん……?」

 アニエスの怒りの抗議に、未だ冷たい声でエレオノールが返事をする。

 タバサは体が震えだし、汗を噴出させながらコクコクと頷く。

 何か、恐い記憶をフラッシュバックさせたらしい。

「どういう意味だ!?」

「貴方にはミスタ争奪戦の舞台に上がる資格すら無いと言っているのよ」

「いい加減にしろ!! 私はソイツを殺したいだけだ!!」

「貴方こそいい加減理解して? ここにはミスタを手に入れたい女が集っているのよ? どんな理由であれ、一つの物に対して所有権願望者が複数居る以上、まずは所有権の取り合いからでしょう? もしどうしてもと言うのなら私とツェルプストーは気持ちが同じなのだから、多数決によって貴方も同じ土俵で勝ってから自分の権利を主張なさいな。まぁ私の物で決定なんだけど」

「なっ!? なんだとぉ!?」

「出来ないのなら貴方は失格、いい加減……ウザイのよ」

 エレオノールのやや殺気が篭もった瞳に、アニエスは冷静さを少し取り戻したのか、恐怖を感じた。

「ツェルプストーもいい加減諦めなさいな、ここらでお互いの家の因縁もケリにしましょう?」

「あらご冗談を。私はもうミスタを落とす算段まで付けましてよ?」

 段々アニエスは話の蚊帳の外へと追いやられていく。

 このままでは復讐相手が目の前にいるのに遠ざかってしまう!!

 馬鹿な!! 何の為に私はここまで来たんだ!! 奴を殺すためだ!!

 奴を殺すためなら何だって……とアニエスは決心した。

「待て!! 良いだろう、お前達の土俵で戦って勝利し、その時こそ私の手で奴を殺す!! だから、だから……お、お前なんて好きじゃ無いがお前の女になってやるッ!! だから私を選べ!!」

 訂正。

 彼女はある意味で壊れ、変な属性が付加された。

 無茶苦茶で、支離滅裂で、矛盾だらけの言葉で、今最も復讐に近道だと思い込み、考えようによると遠ざかる一方である道へ踏み出してしまった。

 事態は当人であるコルベールを無視してどんどん進んでいく。

 コルベールは困った顔をしながら三人、とりわけアニエスを見て思う。

 (……あの時の少女が、大きくなったものだ。と、ミス・タバサに先程の事を聞かなければ)

 彼の首筋からは、背中に向けて僅かに火傷の跡が垣間見れた。

 そうして今、三人の女達によるコルベールの取り合いが……、

「ミス・タバサ、何故あんな事を……」

「……目が助けを求めていた」

「確かにそうですがあれはやりすぎです。おや? 震えていますな」

 コルベールがポン、と頭の上に手を乗せる。

「今になって先の戦いが恐くなりましたか? 大丈夫、もう危険はありませんぞ」

 力強くも優しいその掌は、タバサに忘れかけていた彼女の父を想起させた。

「………………」

 キュッとコルベールの服の裾を掴み、タバサは顔を伏せる。



 ここに、三人+αの仁義なき? 戦いが幕を開ける。



[13978] 第八十九話【再見】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:02
第八十九話【再見】


 学院の裏庭。

 双月の月光を浴びながら羽根帽子に長髭の男が居た。

「……チッ」

 舌打ちしたその男、ワルドは、自分の体が透けてきている事に苛立ちを覚えた。

「……魔法を使ったからな、もう長くはないか。だが、俺はまだ死ぬわけには……」

 うっすらと透けている掌を見つめ、ワルドが苦々しい顔をしていた時、



 カサ。



 彼の鋭敏な耳は物音を捕らえた。

「誰だ!?」

 今、ほとんどの人間は食堂に集まっている筈だ。

 隙を見て逃げたのだが、それがばれたのだろうか。

「おや? こんなところに面白い奴が居るじゃないか」

 それは女だった。

 長い黒髪に、ローブを纏ったひょろりと細長い体躯。

 ワルドはその女に見覚えがあった。

「閣下の秘書、か? 何故こんな所にいる?」

 確か、この女はクロムウェルの秘書を務めているはずだ。

「どうしてだって良いだろう? 私は私で別にやることがあっただけさ」

 女は、口で話すつもりは無いようだが、大きな“箱”を持っている事を隠さない辺り、自身の目的まで隠すつもりは無いらしい。

「……まぁ良い、こちらの作戦は見ての通り失敗だ」

「だろうね、だが今はそんなことよりアンタ自身に興味がある」

「?」

 ワルドは女の言い分に首を傾げ、

「フ、『イルイル』」

「っ!?」

 それは何かのマジックアイテムだったのだろう。

 ワルドは次の瞬間には女の持つ掌サイズの不思議な筒の中に吸い込まれてしまった。



「お前には時間が無いんだろう? 多分“奴”なら上手く解決できるだろう。だから連れて行ってやるさ。もっとも、“その後どうなっているか”を保障する気は無いがね。“コレ”を頂きに来たついでに“ガーゴイル娘”の様子を見ようと思ったら思わぬ収穫だよ。こんな面白そうな事、“あの方”がお喜びになるに違いない」



 口端に笑みを浮かべながら、闇の中にローブの女性は消えていく。




***




「サイト……寒いわ。もっと強くお願い」

「こ、こうか?」

 いろんな意味で最近出番の無かったルイズは、ここぞとばかりにサイトを独占していた。

 もう一生このままでいいと、半ばルイズは思うほど、この環境を気に入っていた。

 誰かに見られていようといなかろうと関係ない。

 サイトが居ればそれで良いのだ。

 アルビオンの季節は完全に冬と言って差し支えないほど寒くなっていた。

 ある晩、それは本当にただの生理現象で、本能的なものの寒さから来るものだったのだが、寝間着に着替える途中でルイズは寒さ故にぶるるっと震えてしまった。

 それを見たサイトは、

「今日は冷えるもんな」

 といってルイズを抱きしめた。

 それは何者にも代え難い甘美な感触。

 どんな暖房器具を持ってしても越えられない気持ちの良い暖かさだった。

 それ以降、ルイズは寒い寒いと言ってはサイトからの暖房抱擁を要求していた。

 サイトとしても、寒がっている女の子を放っておくのは忍びない。

 ましてや自分が好きになった女の子となれば、どうにかしてやりたいと思うのは当然だった。

 毎晩寝る時はいつも以上にルイズをきつく抱きしめて眠り、普段の外出時も珍しく完全密着するルイズに合わせて、サイトからも密着した。

 だが、寒いというルイズのために、軍からサイトにも支給されたお金でルイズの“暖かそうな服”を買うのは断られた。

 サイトとしては彼女の為に気を利かせて買ってやりたかったのだが、

『サイトががんばってもらったお金だもの。私の為には絶対に使わないで、お願い』

 ときつくルイズに頼まれた。

 それが、今の薄着故にサイトと密着していられる環境を手放したくないという本心からだとは、サイトに背負われているインテリジェンスソードくらいしか気付いていない。

 そんな二人が出張る事は最近ではめっきり無くなってきていた。

 いくつか占拠した町で、攻めるのに十分な拠点確保が進んできたために、あとは戦争の早期終結への一斉攻撃までは極力温存という傾向が強くなってきていた為だ。

 というのが表向きの理由で、ド・ポワチエの裁量によって二人は前線から戻されていた。

 無論先の理由もあるが、これ以上単独(二人)での功を上げられては面目が立たないという側面もあった。

 加えて、降誕祭が間近というのも理由に挙げられる。

 降誕祭では、たとえ戦争中だろうと停戦してでもそれを祝うのがハルケギニアの慣例である。

 それほど、ブリミルという過去の存在は“偶像神”としてハルケギニア中から崇められていた。

 ある意味で“ブリミル嫌い”なルイズも、そのおかげで最近邪魔が一切入らず二人きりの時間を延々と過ごせた事には感謝していた。

 故に最近占拠した都市、サウスゴータにてサイトを独占すること数日。

 「寒い」という魔法の言葉を手に入れたルイズはサイトに甘えきる生活が続いていた。

 だからだろう。

 うっかり忘れていたことがあった。

 サイトと街を歩いていて、いつも通りのよそ見、正面ではなくサイトを横目で見続けていた時のことだ。

 正確に言えばそれはよそ見ではなく、ルイズにとって当然の視線なのだが、そんな事をしていれば『ドンッ!!』と何かにぶつかるのは時間の問題だった。

 案の定、音を立ててルイズは何か……いや、誰かにぶつかった。

「あらぁ!? 貴方達……」

 野太い声に全身筋肉。

 それでいて女言葉で体をクネクネと動かすその人は、トリスタニアで“魅惑の妖精亭”なる店を構えるミ・マドモワゼルことスカロンその人だった。

「あぁぁん♪ 久しぶりぃ!!」

 両の手を大きく振り上げて突然の再会に喜んだスカロンは、サイトをそのまま抱きしめようとして……“小さな腕”にその太い両腕を弾かれた。



「……ちょっと? 何勝手に私のサイトに触れようとしているの?」



 サイトとスカロンの間に割ってはいるようにルイズはスカロンを威嚇していた。

 サイトを抱きしめる。

 それは自分にだけ許された特権で、逆もまた然り。

 サイトの“匂い”が付いて良いのは自分だけなのだ。

 他に許可無くサイトの匂い……サイト分が漏れる事は看過できない。

 もっとも、たとえどんな状況だろうと彼女が自分以外にサイトを抱きしめることを許可することはありえないのだが。

 ここ数日でのサイトとの引きこもり生活が長かったせいか、ルイズはより“濃度の濃いサイト分”を大事にしていた。

 サイトから自分以外の人間の、何か別なものの匂いがするのが我慢ならない。

 サイトの全身から分泌されるそれは、純粋でなければならない。

 唯一許せるのは自分の匂いとただただひたすら混ざり合うこと。

 それも比率としては彼の方が圧倒的に多くなくてはいけない。

 彼を抱きしめた時に、彼の匂いに混ざって僅かに自分の匂いがするのが、ルイズは好きだった。

 サイトの中に僅かにある自分の匂い。

 サイトの中にある“異分子”はそれだけ。

 すなわちそれは自分とサイト以外存在しない世界。

 その“まっさらな純然たる世界”に、これ以上の余計な物は一切必要ない。

「あらあら? ごめんなさいねルイズちゃん、そんなつもりじゃないのよぉ?」

 スカロンは弾かれた腕を気にした様子も無く、朗らかに笑うが、ルイズはキッと相手を睨んで臨戦態勢を紐解かない。

 ギュッとサイトにしがみつき、スカロンを威嚇し続けていた。

 ここでスカロンがふざけてサイトに近寄れば、彼女の瞳から輝きが失われる事になっただろう。

 だが、流石は大人の貫禄の為せる業なのか、スカロンは引き際を弁えているようでそれ以上突っ込んではこなかった。

「私達、“魅惑の妖精亭”も慰問隊の一員として出張してくる名誉を任されたの、良かったらあなた達も仮店舗に来て頂戴ね?そうそう、魔法学院の生徒さんも何人か来てるわよ、私達がここに居られる武功を立てて白毛精霊勲章をもらった子も来ていたわ」

「白毛精霊勲章……? それって……!!」

 そのスカロンの言葉に反応したのはサイトだった。

 日に最低一度は作戦本部に顔を出すサイトは、このサウスゴータを攻め、最重要拠点として武功を立てた人間の名前を聞いていた。

「ギーシュ、ギーシュがいるのか?」

 ギーシュ・ド・グラモン。

 異世界人のサイトにとって、気の置けない仲として挙げられる数少ない男友達である。

 ルイズは口をヘの字に曲げ、眉間に皺を寄せた。

 次の彼の言葉が容易に想像できて、ギュッと彼の腕を強く抱いた。

「行こうルイズ!! スカロンさんのお店へ!!」

「サイトがそう言うなら」

 サイトの、輝き溢れる表情にルイズは断る術を持たない。

 ただ内心で金髪の同級生、ギーシュにフラストレーションを積み上げながら表向きはサイトの案に快諾するのだった。

 (……そういえば)

 ふと、ルイズは何かが足りない感覚を覚えた。

 いや、足りないというより、“違う”と言うべきか。

 自身にとって足りない物はサイトが居る限り何も無いが、“今この時起きたこと”は、はたして前もこうだったか、と。

 ルイズにしては珍しく、一瞬とはいえサイト以外の事に気を取られた。

 あるいは、今後の自分たちにとって、それが無視できない要因になるかもしれないことに、この時ルイズは本能的に気付いていたのかもしれない。



「あぁ、こんなことならやっぱり“親戚のあの娘”も呼ぶんだったわぁ、何故か連絡取れなかったから諦めたけど、もったいなかったわねぇ」



 スカロンが零した、そんな言葉はルイズの耳には入っていなかった。




***




「あら? どうかされました?」

 トリステイン王国王都トリスタニア。

 そのトリステイン城にて、両脇が硝子張りの廊下を歩いていた女王アンリエッタが、外窓から遠くを見つめている一人の少女に声をかけた。

 少女は女王に声をかけられた事に恐縮し、“おかっぱ”の黒髪ごと頭を下げる。

「ああ、気になさらないで下さい。私達は同士も同じ。……そういえば貴方は明日アルビオンに出発でしたわね」

 女王ほどではないが、たわわな胸を揺らしながらコクリと少女は頷く。



「私は先のルイズとの交渉の際、“シュヴァリエ”として取り立てた貴方という最大にして最後のカードを使いませんでした。この僥倖を生かしていざという時は頼みましたよ、“シエスタ・シュヴァリエ・ド・タルブ”」



 呼ばれた少女、シエスタの口端が釣り上がった。



[13978] 第九十話【実感】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 20:03
第九十話【実感】


「偵察ご苦労、トリステインはロマリアからの協力に大変感謝している」

「いえ、ロマリアはトリステインに信仰あり、と認めていますので」

 作戦司令部にて、総司令官のド・ポワチエが戻ってきた第三竜騎士中隊隊長に労いの言葉をかける。

 声をかけられた少年、左目は鳶色、右目は碧色の『月目』と呼ばれる稀な体質を持つロマリアからの義勇軍の一人、ジュリオ・チェザーレは、気障ったらしい笑顔で答えた。

 彼の気障な笑いは、女性受けは良いが、男性には受けが大変よろしくない。

 当然である。

 特殊な性癖でも無い限り、気障な同姓の顔など嫌みったらしいだけである。

 その顔で狙ってたあの娘を虜にされた日には殺意さえ浮かぶだろう。

 ポワチエもその例には漏れず、その顔にはやや面白くなさそうな顔を映しながら言う。

「祭りの間は停戦だなんだと言っても、相手が馬鹿正直にそれに応じてくれるかどうかわからんからな。ロマリアの方からすれば特に不信心の輩は信用ならんだろう? で、どうだった? “見るからにボロボロ”だが」

 ジュリオはポワチエに偵察任務を賜っていた。

 ジュリオは彼の駆る風竜アズーロに乗ってそれをこなして来たのだ……任務自体は無傷で。

 だが、彼は要所要所に包帯を巻いていたり、服こそ新品に見えるが、体には火傷のような跡が垣間見れた。

 彼はブリミル教総本山であるロマリアからの兵……いや、神官である。

 神官は女人にうつつを抜かすような真似は禁止されていた筈だが、このジュリオという男はそんな戒律など無いように片っ端から女性に声をかけているようだった。

 それがポワチエとしても面白くなかったのだ。

 戦場はロマンスを求める場ではない。

 そういった点では、自軍の“切り札”にも不満はあるが……まぁそれは良い。

 “彼女ら”の働きは目を見張る物がある……というより、“活躍し過ぎている”

 だからポワチエとしても“彼女ら”にはしばし戦場を離れ、甚だ面白くはないが“自由”にさせていた。

 ジュリオの働きが悪いわけではないが、“彼女ら”に比べれば戦果は比べようもない。

 むしろ普通に考えればよく働いている。

 それでも、ポワチエから見れば、いろいろな理由で“彼女ら”を責められない以上、鬱憤が溜まり、ある意味で“彼女ら”よりはやりやすい彼をこの機会にやりこめていた。

「……僕が“こう”なっているのは最初からだと知っておいでのはずですが?」

 笑顔そのままに、ジュリオはポワチエに言葉を返した。

「ふむ、そういえばそうだったな、これは失敬」

 クスクス、とポワチエは忍び笑いを漏らす。

 そも、ジュリオが“こう”なったのは彼がここに来て間もなくのことなのだ。

 あれは本当に偶然、偶然に偶然が重なった出来事だった。

 ここで一番の戦果を挙げているという少年と少女、そのペアが司令部に居ると聞いて、ジュリオは颯爽とそこへ向かった。

 彼としても“いろいろな意味”でその二人には会ってみたかったのだ。

 ところが、彼が目的の人物を見つけた時、そこには少女一人しか居なかった。

 これはジュリオの与り知らぬ事だが、ここで彼女が一人だったのは本当に僅かな時間であり、尚かつそこに彼女が一人で居る可能性など天文学的数字に近い程珍しいことだった。

 そんな珍しい事とは知らずにその場に出くわした彼は、“二人”に会いたかったが、まぁ“女性だけ”というのであれば“それはそれで良い”と考え、彼女……ルイズに近寄ってその手を取った……いや“取ってしまった”というべきか。

 膝を折ってその麗しい白い手の甲に、親愛の口付けをして自己紹介……今まではこれだけで数知れない女性は彼に少なくない好意を示されてきた。

 ジュリオにも、それである程度の女性なら上手くやれる自身があった。



 “ある程度の女性なら”



 次の瞬間、ジュリオは口付けをすることも叶わず蹴り飛ばされた。

 驚きながら転んだジュリオが顔を上げると、そこには桃色の髪をうねらせる悪魔が立っていた。

 即座に彼は自分の失敗を悟る……否、“悟った気でいた”



「何すんのよ汚らわしい。私に触れて良い男はサイトだけよ」



 ルイズはまるで汚物でも見るかのような目でジュリオを見下した。

 本当に汚い物でも触ったかのようにハンカチで手まで拭いている。

 これには流石に些かカチンと来たジュリオは、立ち上がって一歩近づき、

「これは失礼ミス。貴方があまりにも美しプギャッ!?」

 爆発。

「寄るなって言ってるでしょ」

 光の無い、黒い瞳で杖を一振り。

 さらに爆発。

 ジュリオは爆発に押されて吹き飛び、軽い火傷を負った。

 全身もピリピリと痛む。

 この戦場に来て最初の怪我が味方からというのもなんとも情けない。

 が、今それを考える余裕もない。

 ジュリオはワケがわからず冷たい……何も映さず、何も感じず、何も無い真っ暗な“虚無”の瞳を見て、無意識に心の底から来る恐怖に震え、



「あれ? 何か焦げ臭くないか?」

「サイト!! もう、遅かったじゃない、早く行きましょう」



 そこにジュリオが居たことなど忘れたかのように……いや事実思慮の外にして少年の腕に抱きついて去っていくルイズと少年……ジュリオには微塵も気付かなかった平賀才人の背中を見送ったのである。

 ジュリオとしてはそんなことがあった国との協力は望ましい物ではなかったが、今は個の考えだけで動ける情勢ではないし、何より“ロマリア教皇からの命”でここに居る以上、それは出来ない。

 なので現状、ジュリオはここで義勇軍として働くほか無かった。

 ポワチエはここでの唯一の彼の汚点を突くことで、彼の女癖の悪さへの溜飲を下げると、改めて報告を聞き始めた。

「そうか、不審と言えるほどの物ではない……か。しかし何も無いということはあるまい。相手は“この時期”に食料を全部持って後方へと撤退したのだ。一見すると制圧したこちらにその街の住民達への保障をさせる時間稼ぎや疲弊を狙っているようにも見えるが……やはり時期が気になる。引き続き皆に警戒は怠らせぬよう伝えてくれ。我々軍人には祭りと言えど楽しむ暇はそう無い。その代わりにこの戦争が終わったらたっぷりと始祖への感謝を込め、楽しもうではないか、なぁ神官殿」

「……そうですね、全ては始祖の御心のままに」

 わざとらしい言葉の応酬を終えると、報告会を含めた会議は一時解散となる。

 が、

「報告します、アンリエッタ女王直々に指名された特使が、明日こちらに着かれるようです。それも一部界隈で噂になっていた“平民上がりの少女騎士”だとか」

「……なんだと? 例の件か? 何をお考えなのだあの方は? 本当に大丈夫なのか?」

 どうやらポワチエの仕事はまだ終わらないらしい。




***




「ギーシュ!!」

 案内されて入った一つの大きなテント。

 “魅惑の妖精亭出張所”とも呼べる店に入って、サイトは第一声にそう叫んだ。

 入ってすぐ、見覚えのある金髪を見つけた為だ。

 あれはギーシュに間違い無いと、意気揚々にしてサイトはギーシュに近づくが、二人の兵士に行く手を塞がれた。

「なんだお前は? 隊長に近づくな」

「俺ギーシュの友達なんだ、ここにギーシュが来てるって聞いて……あれギーシュだろ?」

「貴様平民だな? 平民の分際でギーシュなどと呼び捨てにして馴れ馴れしい奴!! 悪いが隊長に近づけるわけにはいかないな……痛っ!?」

 サイトを通せんぼしてる兵士が脛を押さえる。

「サイトが通りたいって言ってるんだからさっさとどけて頂戴。それとそれ以上サイトに近づいたら……殺すわよ」

「何だお前!? 俺が伯爵家の息子と知ってるのか!? そんな平民と肩を並べる“弱小貴族”なぞにそんなことを言われる筋合いなど無い!!」

 ピクリ、とルイズの眉が動く。

 決して弱小貴族と馬鹿にされたからではない。

 彼女は“そんな小さい事”には反応しない。

 問題なのは彼が怒り心頭に立ち上がり、先程の警告を無視してサイトと自分の空間に近づいてきた為である。

 だがその時、



「おい、よせ」



 奥から聞き知った声……ギーシュの諫める声が聞こえてきた。

「ギーシュ!! 久しぶ……り……?」

 サイトは久々の友と呼べる相手との邂逅に喜び……声を失った。

「やぁサイト、久しぶりだね。噂には聞いていたが君も戦争に参加していたとは。けど元気そうで良かった」

「お、おま……その腕……」

 サイトは上手く言葉を発せられなかった。

 彼、ギーシュの着ている服の左腕部分が、不自然にへっこんでいた。

 いや、へっこんでいるのではない。

「ああ、これかい? 勲章こそもらったが、僕程度の実力ではね、腕一本は犠牲にしないと戦場では生き残れなかったよ」

「………………っ!!」

 何でもないことのように言うギーシュにサイトは目を見開き、絶望したような顔になる。

 戦争という凄惨さが、今まで目を背けていた実感が、どっと急にわき起こったかのように現実感を伴ってサイトを襲う。

「おいおい、そんな顔をしないでくれ。これは名誉の負傷でもある。誰の責任でもなく、これは僕の責任だからね。それに足じゃなくて良かった。まだ僕は自由に動ける。これなら乱心したモンモラ……いやなんでもない」

 そう言って笑うギーシュの腕をサイトはずっと見つめていた。

 知り合いが、取り返しの付かない怪我を負っているというのを目の当たりにして、予想以上にショックを受けたようだった。

「隊長!! なんなんですこいつら? こんな得体の知れない奴等さっさと追い出しましょう。平民のくせに隊長を呼び捨てにするし、そいつと一緒に居た貴族の女は伯爵家の僕を蹴ったんですよ?」

「そんなことを言うな、サイトは僕の友達だし、そっちのルイズは公爵家の娘だぞ? 今のが上に聞かれればお前の首も危ない」

「なっ!? 公爵家!? アワワワワ……」

 相手が自分より格上と知った男は、急にかしこまって頭を下げだしたが、悲しいかな……ルイズはサイトしか見ておらずサイトもギーシュの腕しか見ていなかった。

「僕が言うのも変だけど、戦争ってのは本当に失うものばかりだ。早く終わって欲しいよ。正直、この腕をモンモランシーに見せたら何て言われるか」

「……そうだな」

 おどけて言うギーシュに、五体満足な方のサイトが暗くなってしまう。

 これはダメだと思ったギーシュだが、それがサイトの良いところだと思い出す。

 思えば、彼はイキナリ召喚されたのにもかかわらず、ルイズを責めないと言った程の……心を許した人間にはトコトンお人好しなのだ。

 自身が彼に心を許されてるのは照れくさかったが悪い物では無い。



────────────ゾクリ────────────



 悪寒がする。

 ルイズからの視線がキツイ。

 戦場培った勘と彼の経験がこのままではイケナイと告げる。

 再び腰にダメージなど負いたくはない。

「サ、サイト? 君はこうなるなよ? さっきも言ったが僕は今からモンモランシーへの言い訳を考えるだけで頭がパンクしそうになる。君だって自分が大怪我をしてルイズを悲しませたくないだろう?」

「それは……」

 サイトがちらりとルイズを見る。

 ギーシュへの圧迫感が弱まった……ような気がした。

 戦場で得た経験が、ギーシュに「今だ」と突撃の法螺を鳴らせる。

「だから君は彼女を護りつつ自分も護らなくちゃいけない。だってそうだろう? 君以外に誰がルイズを護るんだい?」

「それは……」

 サイトはうっすらと触れたルイズの手をギュッと握る。

 この手を……彼女を失いたくはない。

 この瞬間、手を握られたルイズの絶対的降伏ならぬ幸福により、ほぼ完全にギーシュに向けられた危険は去ったと言って良い。



「サイト、戦争ってのは難しいんだ。護る物があるなら尚更だね。だから君は、“間違えるなよ?”」



 ギーシュの最後の言葉が、騒がしい酒場の中で、異様に静かに聞こえた。



[13978] 第九十一話【再起】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:03
第九十一話【再起】


 サイトとルイズが二人で間借りしている一室。

 ここサウスゴータでの二人の待機場所として指定されているその部屋で、サイトは一人ベッドに腰掛けていた。

 珍しい事にルイズが少し部屋を空けると言われ、サイトはそれを生返事で見送り、そのままベッドに腰掛け床を見つめ続けていた。

「……今日までに、一体何人が怪我して、何人が死んだのかな」

 ポツリと呟く。

 それは今まで目を背け考えないようにしていた事だった。

 人が戦って死ぬということは、戦争の最中であっても対岸の火事くらいにしか見ていなかった……いや、見ようとしなかった。

 事実今までサイトが参加した作戦ではそう血が流れるような凄惨な場面は見ていない。

 当然だ。

 やることはほとんどヒットアンドアウェイ。

 それもヒットを担当しているのはほぼルイズだったのだから。

 (俺はなんて卑怯で臆病な人間なんだ)

 サイトが両手で頭を覆う。

 考えないようにしていた。

 戦争に参加するという意味と、ついてまわる拭えない罪。

 だが、片腕を失った親しい友を見たことで、背けていた物が一斉にサイトに実感を伴って降りかかる。

 人は死ぬ。

 戦えばどちらかの、あるいは両方の何かは失われる。

 今まで目を背けてきた自分のなんと卑怯者なことか。

 戦争が続く限り、参加している限り、負けてようが勝っていようが“加害者で被害者”な事に変わりはないのだ。

 そんな当たり前の事に、サイトはようやくまともに直面した、直面せざるを得なかった。

 だからといってどうしたらいいのかわからない。

 わからないから、何も出来ない。

 何も出来ないから、やってることは今までと変わりようが無い。

 ……ああ、なんて卑怯者なんだ。

 サイトの頭の中でグルグルと自身を蔑む考えが無限ループのように巡り彼を苛む。

 が、そんな思考が唐突に中断される。

 考え始めてからどれほどの時間が経っていたのかわからない。

 だが、サイトにはそれはとても長く、そして短く感じた。

 苦しい時間は長く感じる。

 一方で、まだ考えが纏まらず、これから考えなければならないことはたくさんあるように思えた。

 長かったが、短い。

 不思議な時間の体感に自分でも少し戸惑いながら、彼の思考を中断させた元凶、ノックの音に耳を傾ける。



「サイト、開けるわよ?」



 そうしてみれば何のことは無い。

 外出していたルイズが戻っただけのことだ。

 ただ、それだけの取るに足らない……、



「ご、ご主人様元気だしてね?」



 取るに足ら……、



「今日はサイトがご主人様よ? これからずっとでも良いけど」



 ………………………………。

 ……………………。

 …………。

「……は?」

 取るに足らない事象を359度傾けたような、取るに足らないけど無視できないような、そんな事態だった。

 思わず間抜け声を出したサイトはルイズに注目する。

 そう、注目すべきはルイズ、その発言もさることながら彼女自身……正確には彼女のその纏う衣装に注目せざるを得ない事象があった。

「スカロンさんにこっそり頂いたの」

 ルイズはやや頬を赤らめて内股になりながら顔を俯ける。

 今のルイズはなんというか……露出度が異常だった。

 頭には黒いネコミミをつけているが、これはいかほどにも露出を防ぐ役には立っていない。

 胸には、まるでビキニの水着のように黒い毛の胸当てをし、下も逆三角の黒毛を使った水着みたいなものを穿いていた。

 ランプの明かりによって強弱ある光に照らされるルイズの素肌は妙に艶めかしい。

 やや恥じらいを見せながら身じろぐその様は、些細な動きも艶やかに見える。

 身につけている衣類が異様に小さいせいか、彼女の細く白い肢体はいつもよりスラリと長いような錯覚も覚える。

「な……?」

 言葉にならない。

 何故そんな格好をしているのか理解が追いつかない。

「えい」

 呆然としているサイトに密着出来る程近づいたルイズは、可愛げな声と共にその身を勢いよくサイトにぶつける。

「おわっ!?」

 ベッドに腰掛けていたサイトは、そのまま腰上からルイズにのし掛かられるようにベッドの上に仰向けになった。

 ギシギシとスプリングが跳ねる音が、やけに耳に響く。

「ちょっ。イキナリなんだよ!?」

 サイトの胸の上に、本物の猫のように甘える仕草で乗っているルイズは。瞳を潤ませてサイトを見つめ口を開く。

「今日は立場逆転しようかと思って。いつもサイトは使い魔として一緒に居るから今日くらい私がサイトの下になってみようかなって」

 わけがわからなかった。

 何でそんなことをする必要があるのか。

 何でそんな格好をする必要があるのか。

 何で今のこの時にやることにしたのか。

 サイトのそんな疑問をよそに、ルイズは甘えるように頬をサイトの胸板にこすりつけて満足そうにしながら、

「何でも言って? 今日はサイトがご主人様だから何でもするわ」

 と微笑みをたたえる。

「……お前、今の状況わかってるのか?」

「今? もちろんわかってるわよ、立場が逆転したサイトの上に乗ってる。嬉しくない? あ、重い?」

「いや、たいして重くないし嬉しくないかどうかで言ったらそれは……ってそういうことじゃない!!」

「キャッ!?」

 サイトは半ば苛立ちながら無理矢理上半身を起こしてルイズを振り払う。

「今は戦争中なんだ!! 俺たちだって無関係じゃない!! なのにそんな気楽そうにしてていいのかよ!? 今この時も戦いで怪我を負った人が苦しんでるかもしれないんだ!! 休戦中でも爪痕は残ってる!!」

 サイトは子供が駄々をこねるように声を荒げた。

 ゼェゼェと肩で息をする。

「……サイトは今、私と居たくないの?」

 ルイズのやや泣きそうな声がする。

「そういう事を言ってるんじゃない、ただなんていうか……不謹慎じゃないか」

 サイトはルイズの方を見ずに、肩で息をしたまま床を見つめながら思ったことを口にする。

 今はそんな事をしているような情勢じゃない。

 戦時中、それも真っ直中で、休戦中とはいえ何も考えずわけのわからないご主人様プレイなんてしているのはどう考えても場にそぐわない。

 まして、今そんなことをしていれば自分は余計に卑怯者になってしまう気がする。

 考える事から逃げて、目を背けて、自分は関係ないと、関わってないフリをしているも同然になってしまう。

 サイトは、そんな苦しみを含んだ言葉でルイズに答えたが、次の瞬間には冷水をぶっかけられたような心境になった。

「もしサイトが嫌ならそう命令して? 私は従うわ。だって今日はサイトがご主人様だもの。あ、勘違いしないでね? 普段でもサイトが嫌なことは絶対しないから」

 寂しそうに、泣きそうな笑顔でルイズはサイトに微笑む。

 何だか、胸が抉られるような気持ちだった。

 いつもの照れた、幸福な笑顔ではない笑顔。

 そんな顔をさせてしまったことに、早くもサイトは胸を締め付けられた。

「大丈夫、私は何があってもサイトの味方だから。本当は私、トリステインがどうとかどうでもいいの。たとえ“明日ハルケギニアが滅ぶ”としても私はサイトが居ればそれで良い。私にとって、トリステインより、ハルケギニアより、サイトが大事だから」

 いつの間にか、振り払われた筈のルイズはサイトの膝の上に座って彼の胸に頭を預けていた。

 サイトは言葉が出ない。

 何と言っていいかも、どうすれば良いかもわからない。

 ただ所在なさげに手が宙を彷徨う。

「だから悩まないでサイト。私だけはずっと貴方の傍に居るわ。貴方だけの傍に。貴方は……“私が護る”から」

「っ!! ルイズ!!」

 頭をハンマーで殴られたかのような衝撃。

 自分は何をやっていたのだろう。

 何を考えていたのだろう。

 宙を彷徨っていた手を彼女の背に回す。

 素肌のルイズは、いつもよりもさらに華奢に感じた。

 そもそも、自分がこの戦争に参加したのは何の為だ?



─────ルイズの為だ。



 間違ってはいけない。

 “ルイズのせい”ではなく、“ルイズの為”

 そして、“自分の為”だ。

 ルイズの足枷になりたくないと、彼女に負担をかけたくないと、彼女を護るのは自分だと、そう思って参加を決めた。

 いつか言った言葉。



 “俺に惚れさせてやる”



 本気で向かい合い、彼女を射止めると決意した満月の晩。

 そう、自分はもう決めていた筈だった。

 ルイズを護ると。

 ルイズを振り向かせると。

 たとえ自分が卑怯者と呼ばれようと、気付かぬフリをしていた事があろうと、臆病者と罵られようと……それだけは変わらない。



─────ならばもう、迷うことなど無い。



「ルイズ、お前は俺が……」

 護るから。

 ギュッと胸の中に力強くルイズを抱きしめる。

 強く強く抱きしめる。

「サイト……元気出た?」

「ああ……悪かった、ありがとう」

 ようやく自然に、何の含みもなく出た言葉。

 ルイズはそれに微笑み、二人の影がゆっくりと……交差した。




***




「本当にそれで問題無いと?」

「ああもちろんだとも。それに“あのお方”は既に“兵をこちらに向けている”」

 神聖アルビオン共和国の皇帝とその秘書の女の声が暗い室内で響く。

 ただ、異様な点が一点。

 前者の声が皇帝、クロムウェルなのに対し後者の声がローブを纏った秘書の声であることだ。

「では指輪を」

「は、いやしかし……いえわかりました」

 またもや異様。

 “皇帝”であるはずのクロムウェルが秘書の女性に頭を下げて“指輪”を手渡す。

 皇帝が秘書に従い謙っている。

「“お前”はこの事を兵達に知らせ、戦わせるだけで良い。この戦争はそれで“終わりを告げる”だろう」

「……はい」

 不安な表情を隠しもせず、怯えた表情で“皇帝”のはずのクロムウェルは“自分より上の秘書”を見やる。

 そんなクロムウェルを見て秘書の女はくつくつと笑い、

「どこに目があるかわかりませんわよ皇帝、そのような弱々しい姿は控えられた方が宜しいかと」

 嫌味にも似た、わざとらしい臣下の礼を取る。

 しかし、クロムウェルの顔は晴れない。

 いつまでも情けない姿をさらす“皇帝”に秘書は段々と苛立ち始め、ふと思い出したように告げた。

「そうそう、忘れるところだった。戻ってこなかった“風”が居ただろう? アレの“死体”……お前使っているね?」

「……っ!! そ、それが何か」

 クロムウェルは怯える。

 彼……いや“彼の死体”は今のクロムウェルの唯一の心の拠り所だった。

 彼は優秀な風のスクウェアメイジだ。

 “遍在”と違い“従順な彼の死体”はボディガードには打って付けだった。

「出して頂戴。“アレが存在すると”ちょっと困るの。いえ、“あのお方”が楽しめないと言った方が正しいかしら?」

「それは一体どういう……?」

 クロムウェルが首を傾げるが、秘書の女は「知る必要の無い事よ」と取り合わなかった。

 そう言われて嫌な予感がしたクロムウェルは“それ”を出すのを渋ったが、秘書の女の睨む顔に怯え、とうとう折れた。

 すぐに影から彼……“ワルドの動く死体”が現れる。

「おやおや。無理矢理体は縫いつけたのかい? いくら死人だからって随分とまぁ不格好じゃないか。まぁ、これからもう一回死ぬんだ、そこまで気にする事も無いかね」

 ワルドの体は、その腕や足を本当に無理矢理縫いつけているような状態だった。

 秘書の女がワルドの動く死体に“銃らしきもの”を向ける。

「これは“使うとまた弾に魔法を込めてもらわなきゃならない”のが面倒だけど、この際いいでしょう」

 秘書の女が笑うと同時に引き金を引く。

 途端、銃口からはトライアングルクラスの“火の魔法”が放たれた。

 ワルドの死体は声も無く焼かれていく。



「さぁ、パーティを始めましょう」



 その様を見ながら口端を釣り上げた秘書の額が、光っていた。



[13978] 第九十二話【薬学】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 20:04
第九十二話【薬学】


「お断りします」

 キッパリと即断でルイズは断りの言葉を口にする。

「しかし、さもすれば国がどうなるか君ほどの人間ならおわかり頂けるだろう? ここはどうか、“亡きポワチエ元帥”の為にも引き受けてはくれまいか」

 降誕祭最終日、事態はルイズの辿った軌跡通りに最悪の展開へと発展した。

 反乱、謀反、協定違反による攻撃。

 始祖に対し敬意を持って然るべきこの祭日に、事は再び起きてしまった。

 何故、どうして、などの疑問と理不尽な暴力に嘆いている暇は無い。

 自軍を束ねるド・ポワチエ“元帥”

 彼は、“元帥”に昇進したばかりだった。

 それ故の浮かれもあったのだろう。

 自身への警戒を怠った。

 いや、たとえ警戒していたとして、それを防げたかはわからない。

 寝返った兵の凶弾を胸に浴びた、それだけが事実。

 昇進祝いとしての元帥の証である元帥杖も彼の傍で無惨に折れていた。

 ウィンプフェン参謀総長は傍に居ながら何も出来なかった。

 元帥になっていつもより豪快だったポワチエ。

 同時に素直に喜びきれてはいなかったポワチエ。

 ウィンプフェンはそんなポワチエが好きだった。

 彼は人の上に立つべき人だと尊敬していた。

 故に、ポワチエが目の前で凶弾に倒れたのは衝撃だった。

 そのポワチエが、最後の命令……撤退命令を出し、自分に後を任せ司令官の座を託し……息を引き取った。

 正直に言えば、これほど悔しく、悲しいことは無かった。

 戦争だといっても、これはあんまりではないかと軍人らしからぬ激情に駆られもした。

 だが、後を任された以上、ポワチエの言葉を全うするのが彼の為に出来る最後の事であり餞だとそう思ったウィンプフェンは、その激情をぐっとこらえ、為すべき事……託された仕事を全うするために奔走した。

 逃走経路の確保、撤退準備、兵の振り分け。

 お祭り騒ぎによってやや弛んでいた兵達に現実の厳しさを一喝し、奮い立たせた。

 撤退準備から撤退移行へはウィンプフェンの頑張りもあってスムーズに進んでいるかのように思われた。

 だが、どうしてもある一点だけウィンプフェンでは解決できない問題があった。

 それは時間。

 兵達はよく働いてくれているが、それでも時間が圧倒的に足りない。

 見張りや偵察兵からの報告を聞けば万単位の軍勢が侵攻中とのことだ。

 それが撤退前に到着すれば全滅は免れない。

 となれば、ここはやはり腕の立つ“殿”が必要だった。

 だが、

「私は戦争への参加をしていません。従う理由はありません」

 目をつけた相手、我が軍の切り札とも呼べる女性、伝説の系統『虚無』によって無血勝利を淡々とこなしてきた公爵家の三女、ルイズ・フランソワ-ズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはその首を縦には振らなかった。

「やむをえない事態なのだよミス。本国のマザリーニ枢機卿も危機的状況においての殿を立てることに意は唱えないと聞いている」

「マザリーニ枢機卿、ですって!? あの人のせいで私の計画がどれだけ崩れたか……余計に、そして絶対にお断りしますわ」

 ウィンプフェンは彼女が嫌いだった。

 その理由の一端に、今回のポワチエの昇進も絡んでいる。

 ポワチエは此度の戦争、その功績によって元帥に昇進したが、自他共に全てが彼の功績とは見ていなかった。

 虚無であるルイズとその使い魔の功績を上司……司令官であるポワチエが受け取ったとする見方は強い。

 ウィンプフェンでさえ、確かに此度の功はポワチエ一人のものではないと自覚している。

 しかし、それだけの功をポワチエが立てられないかと言えば……答えはノーだ。

 ウィンプフェンはポワチエならば、例えあの二人がいなくとも功を立てられたと考えていた。

 だから、尊敬するポワチエの顔に泥を塗っているようで、彼女や彼女の使い魔の事は嫌いだった。

 加えて彼女は女王直々にその我が侭……自身は戦争には参加しないが戦争に参加する自身の使い魔の傍には居るという一見して矛盾している行動を許されていた。

 言ってしまえば詭弁、贔屓とも取れる。

 結果を残してきてはいるが、だからこそそこもウィンプフェンはやはり好きになれなかった。

 オマケに、今亡きポワチエ元帥の為に動いている自分の苦渋の選択すら突っぱねた。

 気持ちがわからないワケではない。

 死ねと言われはいそうですかと言える者は多くない。

 だが、その覚悟無くしてここに居てもらっても困るのは事実。

 ウィンプフェンは内心腸が煮えくりかえりそうだったが、その矛先は引っ込めた。

 今は議論や喧嘩をしている場合ではないし時間もない。

 冷静になれ、と自身を叱咤するウィンプフェン。

 彼女が女王直々の権限を持っているのなら、こちらも権限内で出来る最善にして最低の手段を取らせてもらおう。

「わかった、別の者に頼む事にする。下がってくれミス。ああ、そうだ、こんな情勢下だが先日からこちらには女王からの特使が着いていてね、その方が君に話があるそうだ。この後そこに行き、その後速やかに撤退してくれたまえ。それと気が変わったというのなら出来るだけ早く言ってくれ。以上だ」

 話の終わったルイズは急ぎ足で出て行く。

 だいたいサイトと引き離されて気分の悪いところにマザリーニの名前まで出てきたのだ。

 彼女にとってマザリーニは敵だった。

 国にとって当然の考えだろうとなんだろうと関係ない。

 彼のせいでルイズのサイト貴族化計画は遅れ、結果的におじゃんになったのだ。

 アンリエッタが戦争に参加すればサイトを貴族に、とも言っていたが、もともと戦争自体に参加したくなかったルイズは戦争前にサイトが貴族にならなければ意味は無かったのである。

 いくら先見の目があるマザリーニと言えど、一個人の、それも極めて異質な感情によって、まさかその国を揺るがしかねない事態になろうとは、その時は思いしなかったことだろう。

 ルイズは一秒でも早くサイトと合流するために、ウィンプフェンとマザリーニに内心で悪態を吐きながらさらに足を速めた。




***




 一言で言って意外。

 それ以外の言葉は思いつかなかった。

 サイトはルイズを待っている間、アンリエッタからの特使が是非会いたいと言っていると言われ、そこに案内させられた。

 居たのは見知った顔。

 にっこり笑い、胸にあるその豊満な果実をたわわに揺らす黒いおかっぱの髪をしたメイド少女、シエスタだった。

 いや、今は既にメイドでは無く、貴族になったとのことだった。

 その辺の詳しい予備知識が豊富でないサイトは、平民も貴族になれるんだ、などとたいして気にはしなかった。

「お久しぶりですサイトさん、タルブの村以来ですね」

「そうだな、元気そうで良かったよ。しかしシエスタが貴族かぁ、俺よくわかんないけど貴族って誰でもなれるものなのか?」

「いいえ、私は本当にたまたま、運が良かっただけなんです。偶然アンリエッタ女王様に目をかけて頂いて。あ、でも私はまだ貴族になって日が浅いですし元平民ですし今まで通り接して下さいね?」

「? ああ、そのつもりだよ。あれ? もしかして、俺って未だにいまいち貴族云々ってよくわかってないんだけど貴族になった人には謙らなきゃダメなのか?」

「う~ん、基本はそうかもしれませんね。貴族と平民ではやっぱり差がありますから。でもでもサイトさんには普通通りにしてもらいたいです」

「おう、任せとけ!!」

 ニカッと笑い、当然だとサイトは告げる。

 サイトにとっては今更知り合いに仰々しくなる方が嫌だったのだ。

 それは、シエスタにとっても望ましい対応だった。

「そうそう、サイトさんに来て頂いたのは他でもありません。渡したい物があったんです」

 この情勢下だ。

 加えて、“彼女”がいつまでもサイトを一人にしておくわけがないという思いから、シエスタはポケットから“二つの小さな小瓶”を取り出して渡し、本題を切り出した。

「サイトさん、私貴族になったおかげで“こういうもの”も手に入りやすくなったんです。しかもそれは“アンリエッタ様が直々に手配してくれた”もので……本当にあの人にはもう頭があがりません」

「えっと……それでこれは?」

「あ、すいません。ええとですね、その“青い小瓶”が“眠りの魔法薬”で“赤い小瓶”が“気付けの魔法薬”です。眠りの魔法薬は大変よくきく薬で、本当にすぐ深い眠りにつきます。起こすにはその気付けの魔法薬を使わないとまず目覚めません」

「眠りと気付け? 何でそんなものを俺に?」

 サイトは首を傾げる。

「それは……このままミス・ヴァリエールがここに居ることを、戦争の為に働くことを決意したらきっと使い魔のサイトさんは逆らえません、だから……」

「は……? 何を言ってるんだシエスタ?」

「いいんです!! 私全部わかってるんです!! サイトさんは“ミス・ヴァリエールのせい”で戦争に参加するはめになったって!! だけどこのままじゃサイトさんは死んでしまうかもしれない。だから……」

「ちょっ!? ちょっと待て!! 別にルイズのせいじゃない!! 俺が戦争に参加したのはルイズの「いいんです!!」…………」

 足枷になりたくなくて、とは言わせてもらえなかった。

「いいんです、何も言わないで。私本当に全部わかってるつもりです。“女王様から聞きましたから”」

 本当にわかっているのか、それはサイトにはわからなかったが、あの時その場にいたアンリエッタに聞いたというのなら、それを信じるより他無かった。

「だから、サイトさんはきっと無茶をします。それじゃ困るんです!!」

「心配してくれるのはありがたいけど、でもシエスタ」

「待って、最後まで聞いて下さい」

「あ、ああ」

 シエスタは途中でのサイトの反論を許さなかった。

「私は貴族になりました、それも領地持ちの。アンリエッタ様が私が必要だからとそこまで取り立ててくれたんです」

「………………」

「領地持ちとなると、対面的にも私は一人は腹心に近い専属のメイドか執事を雇わねばなりません。でも私は知らない人にそんなことをお願いしたくないんです。ですからサイトさん、私はこの戦争が終わったらサイトさんに執事になってもらいたいと思っています」

「いや、でも俺はルイズの……」

「わかっています。でも女王様に確認したら使い魔が執事になってはいけないということは無いそうです。何せ事例が無いそうですから。それに、基本的に貴族が平民に頼んで断る、というのは出来ないからだれでも好きな人を、と言われたんです。お願いしますサイトさん、こんなこと頼めるのはサイトさんしかいないんです!!」

 シエスタの、サイトと同じ色の瞳がうるうるとサイトを見つめる。

 その目にやや気が引けたサイトだが、聞ける頼みと聞けない頼みがある。

「俺は……」

「待って下さい。返事はこの戦争が終わってからでお願いします。だからサイトさん、その為にも絶対に死なないで下さい」

 返事を聞かずに微笑むシエスタに、ああそうか、とサイトは勝手に納得した。

 これはきっとシエスタなりの死なないで欲しいという思いやりなんだと。

 執事云々が本当かはわからないが、その心遣いは確かに嬉しかった。

 だから、



「良いですか? その薬はいざというときには“絶対にミス・ヴァリエールに飲ませて”下さいね? 起こす時もですよ? “間違ってもサイトさんが飲んじゃいけません”からね?」



 やたら念入りに薬のことを押すシエスタを、不審に思わなかった。



[13978] 第九十三話【眠姫】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 20:04
第九十三話【眠姫】


「何故貴方がここにいるのかしら?」

 苛立ちを含み、敵意を隠さない声でルイズは声を発した。

「お久しぶりですわ、ミス・ヴァリエール」

 ルイズの刺々しい声色にも物怖じせず、シエスタはニッコリと微笑む。

 ウィンプフェンに言われ、すぐにもサイトに会いたい感情を断腸の思いで我慢し、さっさと会ってさっさとオサラバしようと足を運んだアンリエッタからの特使とは、学院の“メイドだった”少女、シエスタだった。

 既にサイトと引き離されて十分以上が経過しようとしている。

 そんな禁サイト欲を圧せられている中だからこそ、サイトとの邂逅が未だ見えない状況でここに“サイトの残り香”があるのが彼女を苛立たせた。

 サイトの匂いに罪は無い。

 むしろサイトの匂いを嗅いだ鼻腔は体全体にその匂いを巡廻させ微量なサイト分として補給される。

 問題なのは“何故シエスタの居るここにサイトの残り香があるのか”という疑問。

「ミス・ヴァリエール、私達はとても仲良くなれると、そう思いませんか?私は思います。そう、この戦争が終わる頃にはきっと」

 だがシエスタはそんなルイズの質問に答える気は無いのか、はぐらかすように問いを問いで返した。

 結局、シエスタは「言いたかったのはそれだけです」とそれ以上語らなかった。

 ただその作ったような微笑みが、酷くルイズを不快にさせた。




***




 サイトはルイズと入れ違うようにシエスタの場を離れ、ウィンプフェンの所に連れてこられた。

 情勢から鑑みて、本当は早くルイズと合流したいところだったが、総司令官が戦死し、自分に重大な話があるとまで言われては、無視するわけにもいかない。



「降服も撤退も認めない」



 ウィンプフェンからの通達。

 それは殿役の命令だった。

 いや、正確には全ての撤退準備が整い、撤退するまでの間は降服も撤退も認めないというものであって、殿役という名目ではない。

 ただ、それは言葉の上に殿と出ないだけであって、殿として死ねと言っているも同義だった。

 それがわからぬほどサイトは馬鹿でも道化でも無く、義理も無い。

 即座に断ろうと、最悪無視しようかとそう思った。

 ウィンプフェンから“その言葉”を聞くまでは。

「このままでは我々は逃げられない。そうなれば死ぬのは我々だけではない。“ミス・ヴァリエールとて命を落とすことになる”が」

「っ!?」

 ルイズの名前にサイトの体が強ばる。

「当然だろう? 逃げられなければ我々は全滅だ。私とて犠牲無くして逃げられるのならそうする。が、現状それは不可能なのだ。情勢が、敵の応援部隊がそれを許してくれそうにもない」

 サイトの体が震える。

 ここで断れば、たくさんの人間が死ぬ。

 そのたくさんの中には……ルイズが含まれる。

 それだけで、先程即断しようと思った心が揺れる。

 なんていう卑怯者。

 その他大勢の死にはほとんど無関心なのに、親しい人のこととなるとすぐに決断できない。

 名前も知らぬ人の事は見捨てられるのに、そうでない人は見捨てられない。

 ましてやその対象が、好きな人ならばそれも一入だった。

 人一人の命の重みなどそう変わらない筈なのに、サイトはどうしても“たくさん”の中に“ルイズ”の名前があるだけで即断できない。

 ウィンプフェンは、目の前の体を震わせ悩んでいる少年に対してもさほど良い感情を持っていなかった。

 いや、それを言えばこの戦争で前線に出ている者で、この少年や虚無の少女に好印象を持っているやつなど極少数と言って良い。

 安全を約束されたような戦いで大きな手柄を立てて帰ってくる。

 危ない仕事はしない。

 それが、前線兵を含めたウィンプフェンのこの二人に対する認識だった。

 無論、安全と言っても戦争である以上確約された安全は無いし、実際に手柄を立てるのはそれなりの力が必要な事もわかっている。

 あの“鉄の竜”を駆る技術はこの少年にしか無いし、伝説の使い魔というだけあって腕も立つのは知っている。

 それでも、数多くの兵が犠牲になって、出来るかどうかわからない足止めをするのと、この“つまはじき者”を足止めにするのでは、消費される数が違う。

 人が生活を営んでいくには数多くの人が必要になる。

 たとえ戦争が終わっても、生き残ったのが少数では国は疲弊してから立ち直るのに時間がかかる。

 そうした場合、司令官に求められるのはいかに被害を小さくして利を得るかだった。

 さらにウィンプフェンの本音を言えば、多くの兵を失ってそれらの家族や周りからのやっかみをもらうことを思えば、一人の平民を犠牲にした方が遥かに心象が良い。

 部隊内であまり良い印象が無い者を切り捨てた方が後々もウィンプフェンとしては楽だという思惑があった。

 それは感情論によるものであるが、客観的な現状分析から言っても、それがベストだとウィンプフェンの脳は言っていた。

 汚いと言われようと、どれだけこの手を汚そうと、ウィンプフェンは亡きポワチエの為に被害を最小限に抑えての撤退を完了させたかった。

 だから、

「このままでは彼女も死ぬ」

 彼は、

「ミス・ヴァリエールは死ぬ」

 その唇に、

「君がやらなければ」

 多くの、

「彼女が救われる事はない」

 責言を、

「やってくれるね……? 『ミスタ・ヒラガ』」

 乗せる。



「俺は、俺は──────────────────」



 サイトの言葉に、ウィンプフェンは口端を歪めた。




***




「サイト!!」

 ようやくとルイズはサイトと再会出来た。

 すぐに彼の腕にしがみつき、今日はもう離さないとばかりに力を込めた。

「………………」

「……サイト?」

 だが、サイトからの反応は無い。

 いや、一拍間があってから抱きしめられた。

 それは、普段恥ずかしがるサイトにしては珍しく、誰憚る事のない力一杯の抱擁だった。

「……ルイズ」

 ルイズの耳朶にサイトの声が、吐かれる息が触れる。

 それはとてもとても深い声で。

 サイトの中に居たルイズは思わず腰が砕けてしまった。

 それほどまでに甘美でいて快感を伴うサイトの甘い吐息。

 耳朶を振動させる声が、それを加速度的に快感へと変換する。

「ルイズ……ッ」

 今までに無い、サイトから無限とも感じられる求愛を感じる。

 ああ、ああ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!

 なんて、なんてッ!!なんて素晴らしいんだろう!?

 サイトから無限に求められる。

 これ以上の幸せなど、この世界に存在しない。

 ルイズは一瞬意識が飛ぶんじゃないかと思えるほどの快感に支配され、喜びに満ちあふれた。

 理由などいらない。

 サイトが自分を求めて抱きすくめている、それだけが事実。

 それ以外の事実など取るに足らない些事。

 背中に回されていたサイトの手が、ゆっくりと上ってルイズの桃色の髪触れる。

 ふんわりとしたしなやかな髪にサイトの手が埋もれ、ややサイトが体を離して……また近づいてくる。

 サイトの顔が離れたと思ったらまた接近してくる。

 ルイズにそれを拒む意志は微塵もない。

 理由などいらない。

 サイトに求められている。

 それが全て。

 ゆっくりと二人の距離が、顔が近づき……唇を合わせ、ゼロになる。

 ……。

 …………。

 ………………ゴクン。

「!?」

 ルイズがその鳶色の目を見開く。

 今、口移しで何かを飲まされた。

 思い出したくない過去が脳裏を駆けめぐる。

 まさか、まさか、まさか……!?

 何故? どうして?どうやって……!?

 疑問と焦りがルイズの中で暴れ回る。

 が、すぐにその焦躁は消える事になった。

「……どうし……サイ……」

 力なくルイズの手がサイトのパーカーから落ちる。

 ……ルイズの意識と共に。



「……ごめんなルイズ」



 眠ったルイズを抱きしめながら、サイトは涙を零す。

 ポツリポツリと、ルイズの頬をそれが濡らしていく。

「ごめんな、か。ふぅん」

「!? ……誰だお前?」

 そこに、ギーシュとは違う金髪の、気障ったらしい少年が居た。

 瞳が左右で違う、いわゆる月目の美形少年だ。

「やあ、君とは一度会ってるんだけど君は気付いてなかったみたいだし、はじめましてと言っておこうか。僕はジュリオ、ジュリオ・チェザーレ」

 ジュリオと名乗った少年は体のあちこちに怪我を負っているようで、要所要所に包帯を巻いていた。

「君、サイトだっけ? “彼女”を眠らせてどうする気だい?」

「……こうでもしないとルイズは俺が行くところにはついてきちゃうからな」

 サイトのややぼかすような言い方で、ジュリオは納得した。

 それにこうなるだろう大方の予想は付いていた。

「それじゃ彼女は……」

「ああ、置いていく」

「悲しまれるんじゃないのかい?」

「……まあ、な。きっとすっげー泣かれる。でも、こうしなきゃいけないんだ。俺はこうしないとその先へはきっといけない」

「……? よくわからないな、君も逃げちゃえばいいじゃないか。死ぬのが恐いんだろ?そんなに震えているじゃないか。なのに何でそうしなきゃいけないんだい?」

 言われて気付く。

 サイトはルイズを抱きしめながら震えていた。

 心の底から震え上がっていた。

 でも、逃げるつもりは無かった。



「それは……ここで逃げたら、きっと俺は“ルイズの中の俺”を越えられないからさ」




***




 サイトはジュリオにルイズを託し、一人地平線から見える軍勢を見つめていた。

 ジュリオは完全には納得しなかったものの、ルイズを安全なところへ、という頼みは聞いてくれた。

『相棒よぉ、本当にこれでいいのかよ?』

 背中に背負う剣……デルフが、自分から鞘を抜け出て語りだす。

「ああ、いいんだ。なんか、足止めの話をされたときピンと来るものがあったんだ。きっと、“前の俺はここで死んだ”。命をかけてルイズを護ったんだって。ハハッ、そりゃ命をかけた相手にはそうそう勝てねーわな。さっきは“助言”助かったよデルフ。俺は最初、“そのへんの酒でもかっぱらって乾杯しよう”って切り出すつもりだったから。確かに、もしそれが前の俺と同じ行動ならバレるとこだった。あ~もっとちゃんとルイズから前の俺のこと聞いとくんだったかな」

『へっ、“同じだったら”じゃなくて“まんま”じゃねーか。それに昔のお前さんの話は相棒が比べられそうで聞きたくないって娘っ子に言ったんだぜ?』

「あ?まぁ、そうだけど……ん?」



───────何か、今“会話”の中に違和感を感じた。



『しっかし同じ道を歩むたぁ相棒も物好きだなおい』

「物好きっていうより、ただ負けたくないんだ。ルイズの中に居続ける俺に」

『そういうもんかね』

「ああ、悪いなデルフ。付き合わせて」

『俺様はデルフリンガー様だぜ? ガンダールヴの居るところになら何処にでもついていくさ。“また”こうなっちまった以上、今度娘っ子に会った時に溶かされないよう祈るだけなこった……でもよ相棒』

「うん?」

『……今なら、まだ間に合うかもしれないぜ? ここで逃げちまうのは弱さじゃねぇぞ?』

 思い出される友人……いや親友の「間違えるなよ」という台詞。

 この場合、ルイズもろとも死ぬのが正解なのか、はたまた今の自分の行動が正解なのか、それはわからないが後悔はしていない。

 だから……、

「ありがとうデルフ。最後に、お前と一緒でよかった」

『チッ、結局心変わりは無しか。ああわかったよ、“また”付き合ってやるさ。ふんばれよ、相棒』

 スラリと片手でサイトはデルフを引き抜く。

 地平線からは数え切れぬほど軍勢が所狭しと蟻の大群のように押し寄せてきている。

「……好きだよ、ルイズ」



───────一人の少年が、この舞台に再び駆け出した。



[13978] 第九十四話【凶刃】
Name: YY◆90a32a80 ID:ec8f6a96
Date: 2011/03/03 20:05
第九十四話【凶刃】


 白髪を風になびかせて、ホーキンスは自慢の白髭を撫でながら辺りを見回した。

 行軍の兵、その数約七万人。

 兵は純粋にアルビオンの人間だけかと言えば、そうでもない。

 亜人……トロール鬼やオグル鬼 が合わない歩幅で一緒に参列している。

 彼ら亜人はメイジ数人分に上り得るほど強力だ。

 これだけの戦力と反乱中とのお膳立てがあれば作戦は遂行できるだろう。

 だが、どうにもホーキンスには胸の中に何かが引っかかっていた。

 一見盤石にも見える今回の布陣ではあるが、ここに来るまでに紆余曲折ありすぎている。

 今回の作戦は、ここまでの作戦や戦いとはかけ離れて用意が良い。

 まるで“作戦立案者が違う”ようでもある。

 そうなれば反乱分子を潜入させたのもその別の立案者側の人間で、実質我々は……そこまで考えてホーキンスは思考を止めた。

 今の自分はしがない指揮官にすぎない。

 戦争屋ではあっても作戦立案者や政治屋では無い。

 なれば、いかに上層部に不服や不満、疑心があろうと自分の仕事をするまでである。



「敵襲!! 敵襲だ!!」



 前衛兵より連絡が入る。

 もとより自分にはもう余分なことを考えている暇など無いらしい。

「全隊戦闘準備!! 敵が一部隊とは限らんぞ!! 四方警戒しつつ行軍せよ!! して、数は?」

 ホーキンスは声を張り上げ、編隊を組み直すべく頭の中で戦線状態を構築する。

 既に彼は自分という人間を武人に切り替えた。

「敵は一人、一人しか確認できません!!」

「何だと!?」

 一人? 何だそれは? 一人を囮にした足止めの作戦か何かか?

 ホーキンスの中にはいくつかの敵がしかけそうな策が浮かび上がるが、同時に馬鹿にされたものだと憤りも感じた。

 仮に一人を囮とした包囲作戦でも考えているのなら、少なくとも我々がその一人に手玉に取られるような事態にならなければ作戦の成功率はグンと下がる。

 よもや相手の指揮官はそれすらわからぬ馬鹿なのか、はたまた二重三重の罠があるのか。

 どちらにしろ、この先に何らかの罠があるのは間違い無い。

 “一人”という数字が、ホーキンスにそれを確信させていた。

 一人でこの大軍を止めるのが無理なのは子供でもわかる以上、愚作だろうとなんらかの罠は張っているハズだ、と。

 ホーキンスは全隊に周囲の警戒を怠らせないよう伝達し、数の暴力では一人など囮にすらならないことをトリステインの人間に教授してやろうと編隊を組み直したところで、

「っ!? 何だあれは!?」

 それが目に入る。

 日暮れはとうに過ぎている。

 辺りは双月と松明の明かりのみの光源の中で、“それ”は白く輝いていた。




***




「ああああああああああああっ!!!!!!!」

 喉よ裂けろとばかりにサイトは声を張り上げてデルフを引き抜く。

 馬鹿にしたように迫ってきていたアルビオン兵はその剣戟を受けて文字通り“吹き飛んだ”

『良いぞガンダールヴ!! いつぞやと違って“震わせ過ぎ”なんてもう言わねぇ!! 後の事なんか考えるんじゃねぇ!!』

 まるでドミノ倒しのように吹き飛んだ兵士が後ろの兵士を巻き込んで倒れていく。

 サイトの左手のルーンがかつてない程光り輝いていた。

 その光は、もはや見る人間に“眩しい”と思わせるほど激しい。

『心を震わせろ!! お前さんの力はそうすりゃそうするほど膨れあがる!!』

 カチカチと鍔の金具で音を立ててデルフがサイトを鼓舞する。

「っだぁ!!」

 もう一振り。

 大きくデルフを薙ぎ払って回転することで、サイトの背後に寄っていた兵士は“切り飛ばされる”

『今のお前さんは全くと言って良いほど戦う術を学ばなかった、だが“だからこそ”強くなれる!!』

 ガンダールヴは、いや虚無の使い魔は心の震えによってその力を引き出す事が出来る。

 心……感情の振り幅が大きければ大きいほど、その力は貪欲に発揮されると言っても良い。

 サイトは今までに戦う為の鍛錬……修行等をまともにしていない。

 それはルイズがサイトと居る時間を削ることを良しとせず、またサイトに危険な目に会って欲しくないが為でもあった。

 その為、サイトは戦いのイロハを“知らなさすぎた”

 白兵戦での戦いの駆け引き、間合い、急所、効率、あらゆる経験がサイトには無い。

 足りない、のではく、無いと言っても過言ではない。

 突発的な戦闘こそあれど、まともにサイトが戦った回数など、片手で事足りる。

 だが、“だからこそ”今のサイト……ガンダールヴは強い。

 サイトは戦いを知らない。

 駆け引きを知らない。

 “戦い方がわからない”

 わからないから、本能……“心の赴くまま”戦う。

 実際には彼はデルフを振り回しているに過ぎない。

 ……されど。

 彼は虚無の使い魔“ガンダールヴ”

 “あらゆる武器を使いこなす”ことの出来る使い魔として召喚された彼に、使えぬ武器はない!!

 サイトは相手が持っていた槍を掴み、無理矢理奪う。

 そのまま“それ”を振り回した後に投擲。

 ぐんぐんスピードを上げる槍は、遠くで矢を引き絞っていた兵に当たる。

 それによって矢が、予定とは違うポイントに飛ばされる。

 その矢が、周りの兵士へと降り注ぐ。

 ……例えばサイトが、少しでも戦いの手解き……戦う為の修行をしていたとしよう。

 そうなれば、サイトの心には今より幾分の“余裕”があったことだろう。

 修行しただけの成果が彼の肉体を通して彼に伝わり、それは自信にも繋がるだろう。

 だがそれは同時に、“経験”が彼に“思考”を強要する事に外ならない。

 戦えば戦う程、修行を積めば積むほど人は強くなる。

 何故ならそれは“経験”を生かしているからだ。

 “経験”が蓄積されればされるほど、戦いの幅を広げられる。

 何故ならそれは“経験”を生かして“考えられる”からだ。

 考えるという一呼吸。

 刹那にも満たない一時。

 しかし、それがガンダールヴとしての明暗を分ける。

 “心の震え”を糧にするガンダールヴ。

 考えるという“冷静”な感情では、心は震えない。

 震わせられたとして、それは純度100%には満たない。



 故に。



 何も知らず、何の経験を持たないサイトは、“何もしてこなかったからこそ”ある意味純粋に“ガンダールヴ”としての力を純度100%で発揮出来ていた。

「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」

 一足飛びで飛んできた魔法を斬り割いて敵に飛びかかる。

 また兵が兵を巻き込んで飛んで行く。

 その姿はまさに圧巻だった。

 当初、相手はたかだか一人だと馬鹿にしていた前線兵は皆顔を青くしている。

 あっという間に“数”という力で叩きつぶせると思われた相手。

 それが十の兵を屠り、
 百の兵に損害を負わせ、
 千の兵に恐怖を植え付け、
 万の兵の侵攻に影響を与えた。

 一人で万単位もの相手を屠るのは無理だろう。

 だが彼、サイトにとってはそれで十分“勝ち”だった。

 彼の勝利条件、それはこの“大軍の足を一時的にでも止める”ことなのだから。

 そうすることによって、皆が、ルイズが逃げられる時間を作り出せる。

 大軍というのは数の暴力によって戦闘力は留まる事を知らない。

 だが一方で、一度戦い出すと指揮系統の乱れから足並みを揃えるまでには時間がかかる。

 攻撃力が強い反面、アクティブ性には些か欠けるのが大軍の弱みだった。

 ましてやホーキンスは相手が一人なわけがないと警戒をさせている。

 それが、さらに足並みを乱れさせた。

 一人で“あれ”なのだ。

 あんなのがそう何人もいたとしたら?

 あり得ないとは思うが、現実に今一人はそこに居るのだ。

 無い、と思っても“もしかしたら?”を疑って慎重になるのが人である。

『相棒? くっ限界が近いか!!』

「はぁ……はぁ……はぁ──────────────ハッ!!」

 サイトの息が切れてくる。

 ガンダールヴとしての欠点。

 それは、その力に頼れば頼るほど“体力の消耗が激しい”ということだった。

 心を震わせれば震わせるほどその消耗は激しくなる。

 言ってみれば諸刃の剣。

 だが、それでもこれだけの時間を稼げばサイトの目的は達成されたと言えよう。

 サイトも内心そう思い始めたのか、左手のルーンの輝きがみるみる鈍くなってきた。

 疲労の上に、“考える”ことまでしだしたが故である。

 もう長くは持たない、でも時間は稼げたからか良いか……そうサイトはバクバクと破裂しそうな心臓の音を聞いて半ば諦めじみた境地に入る。



 それを見るまでは。




***




 風。

 それが人工のものではなく、速すぎるスピードによって生み出されたものだというのを感じながら、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは“気付け薬を飲むこと無く目を覚ました”

 長い桃色の髪が風に撫でられ、起伏に乏しくも艶やかな肌に冷たい空気が痛いくらいに刺さってくる。

 ルイズはやや重い頭を抑えながら立ち上がった。

「船……?」

 そこは船上だった。

 未だハッキリしない頭が、しかしその冷たい風のおかげでハッキリと覚醒していく。

 そうだ、自分は……!!

「やぁ、お目覚めかい、眠り姫」

 目の前には、以前爆発をお見舞いしたロマリアの神官、ジュリオが居た。

 それだけで、ルイズの胸には嫌な……思い出したくない過去が蘇る。

 この後言われるであろうことも、起こるであろうことも寸分狂い無く思い出せる。

「あ、あああああああああ!? サ、サイサイサイト? サイトサイトォォォォ!!!!!!!!!」

 ルイズは狂ったように叫び胸元に手を伸ばす……が杖がない。

「いや、そんな? 嘘? 何処? ダメ、サイト、杖、ヤダ、また? 死……? ……ああああああああああああああああああ!?」

 ルイズは気が触れたかのようにフネの端へと走り出した。

 ジュリオをはそれを見て、彼女がやろうとしたことに気付き慌てて止める。

「止すんだ!! この高さにこのスピード、落ちたら助からない!!」

「離して、離してぇぇぇぇ!! 杖が無い!! なら這ってでもサイトの所へ行くのぉぉぉぉぉ!!!」

「落ち着くんだ!! 杖なら僕が預かってる!!」

 ジュリオはルイズを落ち着けようと、つい“本当のこと”を言ってしまう。

 眠っている彼女が落としていた杖を、ジュリオは起きてから返そうと持っていたのだ。

「!? 渡しなさい!! 今すぐ!!」

「わかった、わかったから落ち着いぐがぁ!?」

 足払いの要領でジュリオは転ばされ頭を打った。

 ルイズは痛がるジュリオの口を塞ぎ、

「……早く出して。今すぐ」

 何の光も無い……真っ黒な虚無の瞳でただ見つめる。

 その瞳は、見ているだけで恐怖を抱き、吸い込まれ二度と戻ってくることはかなわないような、この世の終わりを彷彿とさせる瞳だった。

 ジュリオは恐る恐る杖を手渡し、ルイズはそれを無理矢理ぶんどるとルーンを唱え始めた。

 ジュリオの聞いた事の無いルーンは、彼に“安らぎ”を与え……同時に驚愕までも与えた。



 目の前にいたルイズが、消えてしまったのだ。




***




 苦しい、息が……酸素が圧倒的に肺に足りていない。

 一度力が抜けると、みるみる疲れを意識し始める。

 サイトがもうダメだと、もういいやと、半ば諦めかけたとき、それは起こった。



「サイト!!」



 目前には彼が助けたかったルイズ。

 命を賭けることを決めたルイズ。

 勝利条件であるルイズ……に向かう凶刃。

 体は意外なほど自然に動いていた。



「がっ!? …………ルイ、ズ……」



 腹から生える鈍色のロングソードの先が、自分の行動の全てを物語る。

 突如来てしまったルイズへ襲いかかった兵士の攻撃を代わりに体で受けたのだ。

「え……? サイ……っ!?」

 微笑むサイトが、ルイズの視線からずり落ちる。



「っ!? ───────っ!! サイトォォォォォォォオオオオオオオオオオオ!?」



[13978] 第九十五話【絶望】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2011/03/03 20:05
第九十五話【絶望】


 サイトサイトサイトサイト。

 この世で一番好きなもの……サイト。

 この世で一番大切なもの……サイト。

 この世で最も必要なもの……サイト。

 サイトサイトサイトサイト。

 サイト以外は何もいらないし望まない。

 サイトが一緒に居てくれれば、それで良い。

 それだけが、唯一無二して至高の望み……だったのに。



「あ、が……っ……ぁ……は……ぁ……っ!!」



 聞こえるのは息絶え絶えなサイトの呼吸音。

 目の前には大好きなサイトの……赤い血。

 目の前には大切なサイトの……紅い血。

 目の前には尊いサイトの……朱い血。

 お腹から突き抜けた鈍色の切っ先からポタポタと滴り落ちる。

 その異国の服を黒く染めていく。

 血。

 血。

 血。

 血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血。

 ち、チ、血血血血血チチチチちち血チ血チ血チ血チチ血ィィィィィィ!!!!!!!!!!!!





「───────────────あ、あああああアアアア亜亜亜ッ!!!!!!!!!」





 言葉として……いや、人が認識し表現できる“音”として漏れたのはソレが最後。



「───────────────!!!!!!!!!」



 涙に濡れ、人の発声器官によってこんな声……いや音が出せるのかという程奇怪な叫びを桃色の少女は張り上げる。

 何と言ってるのかわからないそれは絶望を孕み、悲しみを内包し……怒りを示していた。

 その彼女の瞳が、一瞬……ほんの僅かだけサイトから別なもの……サイトを刺したまま固まっていた兵士に向いた。

 途端、その声に当てられたかのように、サイトを刺した兵士は逃げた。

 言い知れない恐怖が彼を襲い、わけもわからずその場から出来るだけ遠くに逃げたくなった。

 ただ本能がここに居てはいけないと彼に命令した。

 彼女の何も映さない真っ黒な……深淵そのものの丸い瞳が、僅か一瞬だったというのに彼の網膜に焼き付いて離れない。

 あれは見てはいけない、関わってはいけないものだ。

 あれだけ叫び、涙を流しているというのに、それだけ感情が昂ぶっているはずなのに、瞳はまるで無感動……いや何も内包していないようで、例えるならそれは“虚無”といって差し支えないような…………そこで彼の意識は途切れる。

 いや、正確にはもう二度と意識……思考することは無くなった。

 何故なら彼の思考するために必要な器官は、その上半身ごとこの世から消失したからだ。



「っ!? わあああああああ!?」



 それが合図。

 周りの兵士が上半身が文字通り粉微塵に吹き飛んだ味方を見て錯乱する。

 爆音。

 それが一つ鳴るたびにクレーターが出来る。

 クレーターが出来た所には“誰もいない”

 先程までそこにいた“十数人”は“影も形も無い”



「───────────────!!!!!!!!!」



 声なき声が戦場を支配する。

 涙に濡れ、声は極限以上に張り上げ、全身からは感情の昂ぶりが離れていても感じるのに、その瞳だけがただ黒く、何も映していない。

 それが一層、兵の恐怖を煽る。

 ルイズを中心にして、環状に兵士が退いた。

 が、何万もの兵のうねりの中、退くということは実はそう容易では無い。

 味方が味方の退路を塞ぐ。

 はるか後方に位置する兵は我こそ戦果を上げんと前進してくる。

 前線の状態など知りようが無い後方部隊は功を求める余り退く事を知らない。

 ましてや相手は一人。

 いくら歴戦の猛者であるホーキンスが指揮を執ろうと、人の“欲”にまで歯止めはかけられない。

 それも大きくなればなるほど、止めようの無いものになる。

 結果、突然現れた目前の桃色の髪の少女に対して恐怖した前線の兵は退陣しようにも思うようにいかず……その生涯を終える事になる。

 爆発。

 それによってルイズを中心とした兵士達は軒並み吹き飛んだ。

 それで終わり。

 最初にサイトと相まみえた百程の軍勢はほとんどがこのハルケギニアから姿を消した。

「う、うう……痛……」

 だが中には運良く生き残る者いた。

 全身を強く打ち付け、火傷を負い、朦朧とした意識で残る痛覚に苦しむ。

 それでも“消し飛んだ”者達に比べればダメージは遥かに少なかったと言えるだろう。

 ……もっとも。



「……痛い? 痛いですって? サイトはもっと痛かったのよ………………死んで償いなさいよ」



 それが良かったのかと言えば、必ずしもそうだとは言い切れない。




***




 遠くで喧騒が聞こえる。

 爆音が遠くで鳴り響く。

 だが、白濁とした意識の中で最も強く感じるのは腹を貫く熱さだった。

 既に痛いというより熱い。

 まるでマグマでも飲み込んだんじゃないかと錯覚するほど体の中から熱い。

「く……そ」

 膝で立ち上がろうとして、目が霞む。

 あまりの体内の熱さに苛立つ。

 背に手を回して、自身の掌が切れるのもお構いなしに刃を掴み剣を引き抜く。

「げほっげほっ!!」

 腹から、背中から流れちゃいけない量の血がどろりどろりと流れ出ていくのがわかる。

 まるで水流を紙の栓で止めようとして染みだし、歯止めが利かなって流れ出ているようだ。

 目がまた霞む。

 血と一緒に“命”そのものが流れていくかのような錯覚。

 しかし、出血とともに体の力が無くなっていくのは間違えようの無い感覚だった。

 加えてとんでもなく眠い。

 まだ意識があるのが不思議な程眠い。

 体中が熱いのにそれを振り切って寝られそうな程眠い。

 だが、ここで眠ったらもう二度と目が覚めないかもしれない。

 それぐらいのことはサイトにもわかった。

 それは困る。

 まだ自分は“勝利条件”を満たしていないのだ。

 苦労しながらようやくと膝立ちになったサイトは、大粒の汗を額に浮かべながら腹を押さえた。

 今更ながらの止血は何も意味を成さないが、つんと鼻につく不快な鉄の匂いが未だ彼が意識を保っていられる要因の一つでもあった。

 ……ゴロン。

 と、やや無理な体勢がたたったせいか、パーカーのポケットから小瓶が転がり出てきた。

 赤い小瓶。

 強い眠り薬に対しての気付け用としてもらったものだが、途中で使われて起きたルイズが何をするかわからなかった為に結局自分で持ったままだった。

 もっとも、そうした意味もルイズが来てしまった今となっては成さなくなってしまったが。

「そういやアイツ、気付け薬無しで起きたのか……?」

 サイトは今更ながらルイズが起きたことに軽く驚く。

 話によるとそうとうキツイ眠り薬だったハズだが。

「っ!! ヤバ……」

 眠い。

 このままでは眠ってしまう……眠って?

 地面に付いた手のすぐ傍に転がる小瓶、それに目が行く。

 そうとうに強いらしい気付け薬。

 ルイズが起きた以上効果の持続力はそう期待できないが無いよりはマシか。

 とにかく今のこの眠気をどうにかしたいサイトは、後のことなど何も考えずにその小瓶を取ると“一気に飲み干してしまった”

「ぐっ!?」

 飲んで数秒、異変は現れる。

「頭……痛……っ!! なんだ、これ……!?」

 気持ち悪い、頭が痛い、吐き気がする。

 もっともこれは、頭痛を除いて先ほどからずっとサイトの体に起きていたことではある。

 しかし、頭痛も然ることながら体の不調のどれもが、“不調”だと感じられるほど激しい。

 先ほどまではほとんどの感覚が無くなっていたというのに。

「痛っ!! まぁ、今はなんだって良い……ルイ、ズ……!!」

 落ちていたデルフを拾い、あまりに酷い頭痛によって眠気が吹き飛んだサイトは、体を引きずるようにして歩き出した。




***




「くそっ!! 奴は化け物か!!」

 既に数の有利だなどと思っていた輩は無く、また後方に位置しているからといって前線状況もわからず功を焦る者もいない。

 既に狩る側と狩られる側は逆転している。

 相手は数などものともしない。

 火力が違い過ぎるのだ。

 それでも、ホーキンスは諦めていなかった。

「くっ、第二、第三部隊、魔法放て!!」

 ホーキンスの掛け声と共にいくつも魔法が矢となってルイズへ降り注ぐ。

 ルイズはそれら全てを爆散させ、無効化した。

 既にもう何回も繰り返している攻防だ。

 相手には精神力が尽きるということが無いのだろうか?

 そう思うホーキンスだが、全く策を考えなかったわけでもない。

 敵の動きに注目し、敵がこちらの魔法を見てから反撃していることは既にわかっている。

 恐るべきは相手の攻撃範囲の広さだが、“見て”からの反撃なのは間違い無い。

「悪魔め……」

 兵も半数が何がしかで傷ついており、ホーキンスは悪態を吐きながら空を見上げた。

 闇夜にゆっくりと“他人の『フライ』”によって“空を移動させてもらっている”メイジが三人……どうやら配置についたようだ。

 ホーキンスの策、それは見られてから反撃されるなら、“見られない攻撃”をしかけることだった。

「よし!! 皆もうひとふんばりだ!! 魔法、放てェ!!」

 声と共に再び魔法を放ち、それらはあとかたも無く魔法で迎撃され、前線に近い兵がまた爆発を受けて吹き飛ぶ。

 その様を見ながらホーキンスは奥歯を噛み締め、

「今だァ!!」

 空のメイジに合図を送る。

 同時、

 他のメイジによって“浮かせてもらっている”三人のメイジは下方に魔法を放った。

「っ!?」

 ルイズは咄嗟のことに反応できない。

 イキナリ真上から魔法が降ってきたのだ。

「……あっ!?」

 体への直撃こそ防いだものの、ルイズの杖が魔法に当たって……砕けた。

 この機をホーキンスは見逃さない。

「今だァァァァァァァ!!!! 全員放てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 すかさず全隊に攻撃命令。

 無数の魔法が密集してルイズめがけて飛来する。

 それを……、

「だっ!!」

 瀕死のサイトがデルフリンガーで吸収した。

 あまりに多くの魔法だった為、砂埃が舞い上がって辺りの視界は完全に塞がれている。

「サイ、ト……?」

 目の前に現れたサイトに、ルイズは目を丸くし……その目が絶望に彩られた。

 彼の体は血まみれだった。

 その姿を見て、ルイズはハンマーで頭を殴られたような気持ちになった。

「イ、イヤ……サイト……そんな……」

 サイトが怪我をしているのだ、本来ならサイトを傷つけた奴らを一掃するより離脱して彼の快復を優先すべきだった。

 怒りと絶望に我を忘れ、ヴィリエにやられたかつてと同じく、その矛先をぶつけることを優先してしまった。

 激しい後悔と悲しみの渦に飲み込まれているルイズにサイトは微笑みかけ、腹部にデルフリンガーの柄を当てる。

「っ!?」

 ルイズは目を見開いて……気絶した。

 まさか、“誰よりも信頼しているサイト”に攻撃されるとは思いもしていなかった。



「デルフ、後は、頼む……」

『おうよ、相棒』




***




「ん……ハッ!? サイト!?」

 見たことのある、しかし何処だったかはなかなか思い出せない作りの家の一室。

 そこでルイズは目を覚ました。

 だが今はここが何処かなど考えている暇は無い。

「サイト、サイトは!? ……あ」

 が、すぐに落ち着いた。

 サイトは隣で眠っていた。

 自分はどうやら眠っていてもサイトの服を離すことは無かったらしい。

 それにサイトの寝顔はとても穏やかなものだ。

 パッと見、怪我は見受けられない。

 信じられないことだが、誰かに助けられ、あれほどの傷を治療してもらえたのだろうか。

 だが今はそんなことはどうでもいい、今はサイトが無事なことだけが重要だ。

「サイト……」

 彼の頬を撫でると、彼は「う~ん」と唸った後、その黒い瞳をゆっくりと開いた。

 何度見ても愛しさしか生まれないその瞳が自身を捕らえ、



「……あんた誰?」



 嬉しさ一転、かつて彼女が彼に放った第一声と同じ第一声で、彼女の心を絶望に染め上げた。



[13978] 第九十六話【記憶】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/03/03 20:05
第九十六話【記憶】


 あんた誰?

 そうサイトは口にした。

 その言葉は思い出深く、しかし今となっては過去にしか過ぎない自分の思い上がった言葉……だったはずだった。

「……な、何を言ってるのサイト? 私よ?」

 口調がどもる。

 脳がたった今サイトが口にした言葉の真の意味を掴みかねる、いや掴みかねようとした。

「……? ごめん、俺には君が誰だかわからないんだけど」

「っ!?」

 だがそれもすぐに意味の無いものになる。

 サイトから吐かれる言葉のナイフは薄っぺらなルイズの心の盾をいともたやすく傷つけ、現実を突きつけてくる。

「う、嘘でしょう? サイトが私のことわからないわけがないもの」

 ルイズは努めて明るく、しかし怯えたようにサイトのパーカーの裾を掴みながらそれでも信じられないとばかりに上目遣いでサイトを見つめた。

 だが本当に、何も知らない幼子のように、黒い瞳をまん丸にさせて、サイトは首を傾げていた。

 それが、さらにルイズに事の信憑性を高めさせ、彼女の中に絶望感を彷彿させる。

 と、その時、

「やぁ、お目覚めかな?」

 二人の居る部屋に、第三者が入って来た。




***




「彼はどうやら、“記憶障害”のようだね。その……言い難いのだが彼は相当な怪我に加え出血が酷かった。怪我によるショックかあるいは出血過多による脳の損傷か、そのどちらも考えられる事態ではある」

 ルイズの目の前には見知った顔があった。

 見知った顔で、もう一度見ることは無いと思っていた顔。

「それで……“ウェールズ殿下”はサイトは元に戻るとお考えですか?」

 その見知った顔とは、あの戦乱で死んだと思っていたアルビオン皇太子、ウェールズ・デューダーその人だった。

 彼は、あの戦乱で部下の兵士に命を救われ、それでも深傷ではあったのだが、運良くこの家の家主に助けられたらしく、気付けばここに居たのだという。

 もっともルイズにとってはウェールズがどうしてここに居るのかなどはどうでも良いことだった。

 彼女の意識を割く事柄はいつでもサイト一色である。

 今もウェールズが、サイトの記憶喪失についてショックを受けたらしいルイズのためにまずは自分の身の上を話して少し気を落ち着けさせようとしたのだが、そんな話はそうそうに切り上げられてしまい、本題をルイズは優先していた。

 そうなってはウェールズも対応せざるを得ない。

 元々ルイズを落ち着かせるための横話のつもりだったので、ルイズが急ぎ本題に入りたいというのであれば、ウェールズとしてもそれに付き合うつもりではあった。

「正直……わからないとしか言いようが無いな。私の属性も水では無いし、そういった知識に明るくなくてね。すまない」

 ウェールズはすまなさそうに謝るが、本当のところ、知識が明るいとは言えなくともいくつかの可能性を示唆することは出来た。

 だがそのどれもがあまり良い方向への話ではない。

 現状、“第三者から何かをされていなければ”彼の記憶喪失は内的要因ではなく外的要因の可能性が高い。

 ウェールズの私見では、出血過多により脳に酸素が行き渡らず、いくつかの脳細胞が死んだのではないかと見立てていた。

 内的要因……“心的外傷”に関する記憶障害ならその内容を取り除くことで快復に向かう見込もあるが、事が脳細胞の死となれば記憶を司っていた器官そのものが損傷していてもおかしくはない。

 もし予想通り外的要因ならば彼の記憶回帰は難しいと言うほか無い、というのがウェールズの見立てだった。

 しかし、今のルイズはサイトの記憶障害を認識してから憔悴しきっている。

 信じていたものを一気に失ったような、体からまるで生気が抜け落ちたかのように元気がない。

 こんな状態の彼女にこの話は酷すぎる。

 加えて先程述べたとおりウェールズは専門家でも何でもない。

 もしかしたら、という可能性もある以上イタズラに不安を煽っても仕方がない。

 とは言え自分の予想が当たっていたなら彼……サイトは何らかの障害が出ている可能性は否めない。

 そこでウェールズは言葉を濁し、ルイズと話をしている間にこの家の“家主”にサイトの様子……障害の有無を確認してもらっていた。

「とにかくだミス・ヴァリエール、今は情報が少なすぎる。やはり専門の水メイジにでも彼を診てもらうのが良いだろう、全てはそれからだ。幸い戦争は終結したそうだ。今朝早くにこんな小さい村にもその報せは届いたよ。何でもクロムウェルの居た司令部が“突如参戦したガリアによって砲撃”され、司令部ごと彼は亡くなったそうだ。しばらくはゴタゴタしているだろうが、それが済めば恐らく定期便も復興する。そうすれば君らもトリステインに戻れると思う」

 ウェールズは明るく振舞うが、ルイズは一向に下を向いたままだ。

「ウェールズ……? ちょっと良い?」

 そこに、サイトを見てくれていたこの家の主がぴょこっと顔を出した。

 長い金髪……を突き抜けるように長く尖った耳が彼女の“種族”が何なのか訴えていた。

「ああティファニア、どうしたんだい?」

「えっと……私もそっちに行っても大丈夫かな?」

「え? ああそうか、ミス・ヴァリエール、彼女のことなんだが……」

 ウェールズは気まずそうにルイズの顔をみやった。

 既にうすうす感づかれているとは思うが、彼女の“正体”……種族を嫌う者は多い。

 かくいう自分も、彼女と出会うまではあまり彼女ら“エルフ”……とりわけ“ハーフエルフ”に良い印象は持っていなかったくらいなのだから。

 そう、瀕死のウェールズを助け、この家の家主でもあるティファニアと呼ばれた彼女は“ハーフエルフ”だった。

 エルフと人の悔恨は遥か昔からあり、お互い別の人種を認めようとはしない。

 人は長い耳を見ただけで忌避するし、エルフも人を蛮人と見下したような呼び方をするのが常だった。

 だが何事にも例外は存在する。

 例えばハーフエルフなどはその最たる例で、その名の通りハーフエルフとは人とエルフの混血だった。

「ハーフエルフなのでしょう? 別に気にしません。それよりサイトは……」

 ルイズはウェールズが気にし、言わんとしていることを察した。

 察した上で、やはり彼女の中の第一順位はサイトらしい。

 言ってしまえばサイト以外は須らくどうでも良いのだ。

 エルフだろうがオーク鬼だろうが、サイトと自分を引き裂くものは許さないし応援してくれる者は味方と認識する。

 もっとも、彼女の中で味方=サイトに近づいて良しというわけではないのはご愛嬌だ。

「ああ、ティファニア、どうだった?」

 呼ばれてティファニアはトコトコとこちらに歩いてきた。

 白いワンピースにそのふくよかを通り越してメロンでも詰めているんじゃないかと錯覚するほど大きな胸を二つ揺らし、艶かしいまでに素肌の足を露出させ、“ややお腹がぷっくりと膨らんでいる姿”で二人の前にティファニアは立った。

「あのね、あの男の子……えっとサイトだっけ? サイトは本当に何も……自分の名前すら覚えて無いみたい。でも身体は何処も異常が見つからなかったから、生活するのに支障がある障害とかは無いと思う」

 ティファニアはまず簡単な問診をした。

 と言っても医者でもなんでも無い彼女は、覚えている事を聞き出そうとあの手この手の質問をしただけだったのだが収穫はゼロ。

 続いて外で少し一緒に歩き、やや走ってみたりとサイトに動いてもらった。

 結果は良好、サイトは動く事に支障は見られなかった。

 ウェールズの予想では何処かに麻痺が見られる可能性があったのだが、それが無いのは僥倖と言えるだろう。

 もっとも、これでウェールズの考えが否定されたわけでも無いので楽観視は出来ないが。

「そうか、それは一先ず何よりだね」

「うん。あ、そうそう、そのサイトがね、自分の事を知っている人と話したいって」

「!!」

「そうか、ミス・ヴァリ……言うまでも無かったか」

 ウェールズは少しサイトと話をしてみては、とルイズに勧めようとしたが、それよりも早くルイズはサイトの元に向かっていたようだ。

「苦労かけたねティファニア」

「ううん、良いの」

 ティファニアは向日葵のような笑顔でウェールズに微笑む。

「でもさっきやや走ったって言ってたけど、まさか君も走ったのかい?」

「え? うん、少しだけだけど、一緒にね」

「……その、何ていうか……もう一人の身体じゃ無いんだからくれぐれも無茶はしないように」

「え……? う、うん。えへへ……」

 ティファニアははにかんだように自身のお腹をさすりながらまたも微笑んだ。

 その顔に、ウェールズも思わず頬が緩む。

 思えば、自分達が“こういう関係”になってどれだけの月日が経ったのか……それを示す計りでもあるように、ティファニアのお腹は胎動していた。

「あともう少し、だね……どんな子が生まれるんだろう?」

「きっとティファニアに似て可愛い子だと思うよ」

「ううん、それならきっとウェールズに似てすっごく格好良い子だよ。楽しみだなぁ…………あ」

「ん? どうかしたのかい?」

 突如何か思いついたようにティファニアの顔が暗くなった。




***




「サイト!!」

 ルイズは駆け足でサイトが居る外へと向かい、



「えっと……“ルイズさん”……だっけ?」



 ピタリ、と足が止まる。

 ルイズ“さん”

 聞きなれないサイトの声でのその呼び方は、ルイズを酷く怯えさせた。

 サイトの声で、サイトの顔で、サイトそのものに他人のように接されるのが、酷く辛い。

『おうよ、お前さんはあの娘っ子の使い魔にして俺様の使い手なんだぜ?』

 デルフリンガーがカチカチと柄を鳴らしながらサイトと会話していた。

 先ほどの“ルイズさん”という言葉も、サイトとデルフの会話から漏れた一語に過ぎなかった。

 それでも、ルイズに衝撃を与えるには十分すぎた。

「へぇ、そうなのか。ところで“使い手”ってなんだ?」

『おう、前さんは……』

 二人はいつもと変わらないように会話している。

 だがルイズにはそれが何処か別世界のように感じられた。

 そこに居るのは“サイトのようでサイトで無いような”そんな錯覚が彼女を恐怖に陥れる。

 そこにサイトが居るのに、何故か彼は遥か遠くに居るように感じる。

 サイトの傍に行きたいのに、近寄っても傍に居られていないような錯覚。

 それを恐れて、近づこうと踏み出したルイズの足は、何故か家の中へと戻っていく。



 未だかつてない彼女のこの行動が、確実に彼女の中で感情の変化が起きている事を示していた。




***




 家の中に戻ったルイズは、ふと話し声に気付いた。

 恐らくはウェールズとティファニアだろうと気に留めるつもりは無かったのだが……途切れ途切れに“それ”が聞こえてルイズは足を止めた。



「……から、悪かっ……て」

「それは……仕方の無い……それにそうそう強く影響……言っていたじゃ……」

「うん、それは……でも……」

「確かに……いでも……いが……」

「私、本当に記憶を消して良かったのかなぁ」



 耳から入った言葉を脳が認識するまでの若干のタイムラグ。



──────────記憶を消して良かったのかなぁ──────────



 その間に、ルイズの表情は消えていた。



[13978] 第九十七話【何者】
Name: YY◆90a32a80 ID:ec8f6a96
Date: 2011/03/03 20:06
第九十七話【何者】


「あれ? お外に行ったんじゃ無かったの?」

 ティファニアは、外に行ったと思っていた少女、突然の同年代の来客の一人、ルイズに気付いた。

 彼女は無言でどんどんこちらに近づいてくる。

 ティファニアはそれに首を傾げながらもその大きな胸に一つの小さな期待があった。

 (もしかしてお友達になってくれるのかな?)

 ティファニアは生まれついてから物心付き、今に至るまで、同年代の友達などいなかった。

 周りは幼い孤児達ばかりの隠れ村そのものだったし、自分が人にもエルフにも蔑まれるハーフエルフであることは良く理解していた。

 それでも、やっぱり友達というものは欲しかった。

 だからかウェールズがここに来た時、そして自分をハーフエルフと知りながら怪我の手当をした事に対してお礼を言って来た時、言いようのない嬉しさを覚えた。

 歳が近い異性というのはそれだけで特別な存在に思えた。

 何より、彼は優しかった。

 それが嬉しく心地よかった。

 一方で悩みも増えた。

 同い年くらいの男の子の考える事、好まれる事がわからない。

 同時に、同年代の“普通”の女の子はどういうものなのかもわからない。

 自分は一般的な女の子と何か違うのではないか、そういう不安とそれによってウェールズに嫌われる可能性を考えて悩んでもいた。

 いつだったかウェールズが自身を見て「……す、凄いね」と言ったのもその不安を助長したのかもしれない。

 だから、彼女は歳の近い女の子とも友達になりたかった。

 いろんな話を心おきなく出来る、そんな友達。

 もとより友達というものに強い憧れもあったのだ。

 いつも自分は年長の身からお姉さんとして振る舞って来た。

 嫌ではないが自分の心の裡をさらけ出せないでもいた。

 だから、降って湧いたお友達作るチャンスに、胸とお腹を大きくしたティファニアはワクワクしていた。

 ワクワクして、



「記憶を消したって──────────────」



──────────────ドウイウコト?



 息を呑んだ。

 彼女……ルイズは小さい。

 いろいろ小さい。

 だというのに、押し潰されそうなプレッシャーがティファニアを襲う。

「え……っ!?」

 ティファニアの顔が恐怖に引きつる。

 ルイズの目は真っ直ぐこちらを見ている。

 偽りも虚言も許さない“純粋過ぎる”瞳。

 そこに“色”は無く、あるのは開ききった瞳孔……穴だけだ。

 吸い込まれそうな程大きい“穴”はティファニアを掴んで離さない。

 物理的には触られてすらいないのに、体は鉛でも身につけたかのように重くて動けない。

 と、ルイズの手がティファニアに触れた。



「“大きいお腹”ね……さぞ楽しみで幸せなことでしょう……?」



 触られたお腹が冷たい。

 冷たいけど熱い。

 お腹の中が何かに怯えて胎動しているのが感じられる。

 別に抓られているワケでもないのにピリリと痛むような錯覚。

 ただ“触られているだけ”で、そこに絶望と恐怖を感じ、お腹の中の子も全く同じ事を感じているかのようだった。

 ルイズの手が撫でるように動く。

 それは優しい手つきの筈なのに、ティファニアは“痛みのない痛み”を覚えた。

 痛くないのに痛い。

 体の“中”が痛い。

 そこでハッとする。

 まさか、ありえないと思いながらも彼女、ルイズは“お腹の中に直接何かをしている”のではないかと思い当たる。

 通常そんな事は出来るはずがない。

 だが、言いようの無いその不安が、ティファニアに根拠の無い錯覚を現実として認識させ始めていた。



「幸せよね? 幸せでしょう? 幸せじゃない筈無いよね? 幸せなのよ。幸せじゃないなんて言わせない」



 ルイズの撫でるような手がピタリと止まる。

 不思議と瞬間お腹の痛みが無くなった気がした。

 ……急激なお腹の中の喪失感と共に。

 それが、ティファニアに最悪の未来の予想をさせる。



「記憶を消したって言ってたわね? 貴方がサイトの記憶を消したの? 消したのね? 消したんでしょう?」



 ルイズの色の無い……いや光すらも無い“虚無の瞳”が、ティファニアを射抜く。

 それはただ視線を向けているだけのもののようでいて、確かにティファニアには“お腹”を刺し貫かれたような錯覚を与えた。



「私の幸せは……私の全てはサイト。それを貴方が奪ったのなら……」



──────────────私も奪うわ。



 それは、宣告に等しかった。

 問答は無用。

 弁解も無用。

 ただし、それが“事実”ならの話だが。

「違う、ティファニアは使い魔君の記憶を消していないよ」

「………………?」

「っ!?」

 ふっとルイズが声を発したウェールズを見る。

 それだけでウェールズはゾッとした。

 魔法を使った形跡は無いしルーンも聞いていない。

 いやそもそも杖も無い。

 だというのに、この部屋の空気は一変したと評して良いほど変わったように感じた。

 どうも彼女とティファニアの様子がおかしいと声をかけてみたのだが、それは正解だったらしい。

 ティファニアは“これ”をまともに、しかも至近距離で感じていたなら声を出すことすらままならないだろうと思う。

 何よりウェールズをそう思わせたのはルイズの目だ。

 何も誰も映していないその目。

 焦点がわからないどころの話じゃなく、無い。

 そんな目で見竦められたら、自分でもどうなるかわからない。

 ウェールズは瞬時に理解した。

 彼女がこうなっている理由と、自分がこれから取らねばならない行動を。

 失敗は許されない。

 そうなればティファニアも自分も……“あの子”も全て終わり。

 言葉を慎重に選びウェールズはカラカラの口を開……こうとして気付いた。

 口の中が乾燥し過ぎている。

 それほどまでに呆然と口を開けたままだったのか、はたまた背から滝のように流れ出る冷や汗が水分を放出しているのか。

 とにかくこのままでは自分もティファニアもマズイと思ったウェールズは早々に彼女の“誤解”を解くことにした。

「……ティファニアは不思議な魔法が使えるんだ、人の記憶を消せる魔法を。この村は“いろいろあって”人里から少し離れているせいか訪問者は少ない、オマケにその少ない訪問者の半分は盗賊だったりしたんだ。彼女はこの村の子供達を護るために、そういった者が来た時は彼らがここに来た目的を忘れさせて帰ってもらっていたんだそうだ」

「じゃあ記憶を消したというのは……」

「その盗賊達のことさ。ティファニアは今の使い魔君と君の関係を見て、仕方ないとはいえ今までここに来た人達の記憶を消してしまった事に罪悪感を持ってね。そもそもティファニアは亡き母君の遺したマジックアイテムで君たちを治療し、その代償としてマジックアイテム……恐らく水の力を秘めていたと思われる指輪なんだが、それを失ってしまったんだ。そうまでして助けた君たちを害なすわけ無いだろう?」

「そう、そうなの」

 しばらく黙って聞き、動かなかったルイズだが、納得したのか瞳に光が戻り始める。

 途端ティファニアは目に見えぬ拘束が解けたようにその場に座り込んだ。

 同時、ティファニアのお腹の中も安心したかのように胎動を再開しだしたのを感じる。

 ルイズはウェールズから座り込んだティファニアに視線を戻すと、

「ひっ!? ……え?」

 彼女の頭を……その長い耳を嫌うことなく抱きしめた。

「ありがとう、貴方のお母さんの形見を使ってまでサイトを助けてくれて。貴方は恩人よ」

 すっとルイズが離れて微笑みをティファニアに向ける。

 その顔がとても美しくティファニアには感じられた。

 顔の造詣は小さいのに、バランスは良く、キラキラと輝くような桃色の髪と柔らかそうな赤みを帯びた頬。

 微笑んだルイズは、ティファニアはこの上なく、これ以上は無いと断言出来るほど可愛いと思えた。

 まさに地獄から天国。

 恐怖のどん底から春風吹く花畑の中心に来たかのように暖かい。

 先程までの彼女が嘘だったのではないかと思うほど、その顔は穏やかだ。

 その顔に安心し過ぎたのか、まだ緊張が抜けきっていなかっただけなのか、全身の筋肉が弛緩したティファニアは上半身も床に吸い込まれるように傾き……引っぱられた。

「……っえ?」

 ハッとすると、正面のルイズが腕を引いて倒れぬよう支えてくれていた。

「ダメよ、安静にしないとその子にも良くないわ」

 先程までとはまた違った、優しい手つきでルイズがティファニアのお腹を触る。

 それがくすぐったく、嬉しかった。

「あ、ありがとう……」

「いいのよ、むしろ私に出来ることならなんだってやってあげる。貴方のお母様の形見を使い尽くしてまでサイトを助けてもらったのだから、むしろ全然足りないくらいだわ。だから何か頼みたいことがあったら言って?出来る限り力になるから」

 ルイズの微笑む顔がとても優しかった。

 だからティファニアは自然と安心しきってその言葉を口にした。

「じゃ、じゃあ……その、お友達になってくれる?」

 上目遣いにルイズを見つめる。

 一瞬ルイズはきょとん、としてすぐにまた微笑み「もちろん」と笑い返した。

 笑い返して、ルイズはもう一度ティファニアの頭を抱きしめ、耳元で囁く。

「お友達になった証に一つ良いことを教えてあげる。良い? 絶対忘れちゃダメよ?」

 なんだろう? とティファニアは内心で首を傾げ、その大きな胸に期待を膨らませた。

「……もしも“さっきの私”みたいになりたくなかったから……好きな人を失いたくなかったら絶対にその人を手放しちゃダメよ、“何があろうと絶対に”」

「っ!?」

 ティファニアが震える。

 “さっきの”と言われただけで、一瞬だけ勘違いだったのかもと思っていたルイズへの恐怖が蘇る。

 それは既に、ティファニアの中に強く根を張る程に深い恐怖。

 ティファニアは震えながらルイズの顔を見た。

 ルイズは変わらず可愛らしい笑顔を向けて、

「……でも私は貴方と殿下の味方だから、出来ることはしてあげる」

 安心させるようにそう言った。

 ティファニアはそれに安堵し、同時に胸の中に深くルイズの言葉が刻み込まれた。

 “何があろうと絶対に”ウェールズを手放してはいけない。

 それが、恐怖と共にティファニアの中に強く強く根を下ろしていく。




***




『………………』

「おーい? デルフリンガー?」

『……なぁ相棒、ちょっと頼まれてくれねーか』

 ティファニアの家からやや離れた切り株の上に座って話し続けていると、さっきまで饒舌に語っていたデルフリンガーが急に黙りだし、しおらしそうにそう言ってきた。

 話も良いところで、ルイズ“さん”が急に戦場に現れた、というところだったのだが。

「え? 何を? 俺が出来ること?」

 サイトは突然の話の中断を訝しみつつ、不安を募らせる。

 記憶喪失のこの身で何ができるだろうか、と。

『ああ、簡単だ、ちっと娘っ子と二人で話がしてぇのさ、気になることがあってな』

「ふぅん、まぁいいや、じゃあルイズ“さん”を呼んでくるよ」

 それなら大丈夫そうだとサイトは勢いよく立ち上がり家に向かおうとして……違和感を感じ振り返る。

「……? 今そこに“誰か”いなかった?」

『………………今ここに居るのは俺様と“相棒”だけだぜ? それより娘っ子を頼むよ』

 自分の感覚とやや間を置いてから返答したデルフに首を傾げながらもサイトは家の中のルイズを呼びに行く。



『……今ここには俺様と相棒しかいねぇ、そうだろう? ……“相棒”』



 デルフは、サイトが家の中に入りきってからカチカチと音を立ててそう呟く。

 すぐにルイズはぶすっと不機嫌な顔でこちらに歩いてきた。

 大方サイトに声をかけられた理由が“一人で”デルフと話す為だったせいだろう。

 口を開かせれば罵声やら何やらが飛びそうで面倒だ、そう思ったデルフは単刀直入……思っていた事を先に口にした。



『娘っ子、おめー何者だ?』


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