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[12234] 鬼才と進む道【お知らせ追加】
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2011/09/19 16:04
まえがき

初投稿です。まえがき書こうとして何を書くべきか悩む程度に初心者です。取りあえずいくつか注意点を。

これはマブラヴオルタネイティブを原作とした二次創作であり、原作とは一切関係ありません。
原作、あるいはそれに準じたものを見たのを前提に書いているので二次創作のみという方はところどころわからなくなるかもしれません。
オリジナルな戦術機が出る可能性があります。
オリキャラは普通に出てきます。
戦術機等、いくつかの設定で独自の解釈をすることがあります。
キャラ崩壊させたつもりはなくても作者の力不足&観察不足でキャラ崩壊する可能性があります。
基本的にマブラヴへの愛を原動力に書いているので更新は不定期です。
感想を貰えるとテンションが上がり、無意味に更新速度が上がる……可能性が無きにしも非ずです。

自分の読みやすいように段落を作ってるので読みにくいかもしれません。その場合は感想版でこうしたらどうかなど提案してもらえると嬉しいです。
誤字脱字等があったらなるべく早めに直したいと思います。指摘して頂く際は何話のどのあたりかなど教えてもらうと後で筆者が楽をできます(ぇ

09/19 お知らせ追加
09/18 外伝第四話更新。久しぶりのちゃんとした外伝な気が
09/14 第三部第一話更新。あれ、時が飛んでる。
01/01 第三部プロローグを更新。あけましておめでとうございます。
11/06 最終話を更新。終りが見えてきたかも
09/28 二十話を更新。連載開始から一年が経過しました。
09/15 十九話を更新。初めて2P目に落ちたぜw
07/29 十八話を更新。今までで一番間があいた……。
05/28 十七話を更新。起承転結の転!
05/08 十六話を更新。GWの書き溜めこれだけorz
05/07 とりあえずエイプリールフールネタを削除。今さらですが。SS書く暇が無い……
04/01 MFC会報926回を更新。
03/18 十五話を更新。
03/12 十四話、もしもの話を更新。更新ペースが戻って来た。
03/07 十三話を更新。飛ばしてます。
02/25 十二話と設定を更新。
02/21 十一話の誤字修正。設定を更新。
02/20 十一話を更新。外伝第四話がここに取り込まれましたw あと外伝五話も
02/17 十話の見つけた誤字を修正。まだある気がするので見つけたら報告お願いします。
02/16 第二部第十話を更新しました。
01/24 設定集を更新しました。
01/23 ようやく更新……。第二部第九話をお送りします。
01/11 レインダンサーズをプレイしてレイド中隊をレイズからレイダーズと称する事に変更。それに合わせて一部更新しました。……思ったよりもレイズって言ってなかったね。
01/01 あけましておめでとうございます。第二部第八話を更新しました。
12/26 実家PCより。間違えてアップしていたオルタ道場の12回を削除しました。報告ありがとうございます。
12/25 HOMEに関する注意分を追加。不快に思った方申し訳ありません。(HOMEから消しました)
12/25 お知らせ兼アンケート追加しました。詳細はそちらで
12/21 第二部第七話更新しました。ちょいと駆け足。ようやくクーデター編です
12/13 第二部第六話更新しました。外伝第四話加筆修正のため一旦削除。
12/10 外伝第四話更新しました。……短い。
12/5 誤字修正しようとしたらうっかり削除。第五話再投稿。
12/5 第二部第五話更新 サブタイトルが思いつかない……w
11/26 設定を更新しました。地味~に色々書いてます。感想返しは次回本編更新の時にでも。
11/24 第二部第四話を投稿。もうすぐバルスカの発売日……
11/11 第二部第三話を投稿。これから忙しい+それが終わったらゲームの発売日なので更新ペースが型落ちします。(ぇ
11/7 第二部第二話を投稿。眠いので感想コメはまた後日。
11/5 第二部第一話の位置を上げようとしてうっかり削除。再投稿。そしてsage忘れる……申し訳ない
11/5 第二部開始! 外伝第四話をネタに変更。もう反省している。
11/4 外伝第四話更新 反省している。
10/28 外伝第三話更新 またもや一週間ぶりぐらい。
10/22 外伝第二話更新 霞誕生日記念SS……のつもり。一応。実質本文更新一週間ぶりか~
10/18 設定更新 ほ、本編じゃないんだから更新ペースは落ちてるんだからねっ(ぁ
10/15 第十一話、ネタ予告更新。明日から本格的に忙しいのでマジでペース落ちます。落ちて無かったらお前良いのか? と言って下さい(ぉぃ
10/14 第十話更新 あれ? 更新ペース落ちて無いよ?
10/12 設定変更に合わせてプロローグ、第一章を加筆
10/11 第九話更新 これから一か月くらい忙しいので更新ペースが落ちると思います……
10/10 ネタ更新 ハルーの誕生日なのに何をやっているんだ、俺は……(ぁ
10/9 第八話更新
10/7 第七話更新
10/6 外伝第一話更新 設定を更新
10/4 第六話更新
10/3 第五話更新。設定集を追加
10/2 第一話と第二話を微妙に加筆。第四話の改行を修正
10/1 第四話更新。第三話の改行を修正&少し加筆
9/30 第三話更新
9/28 第二話更新&誤字修正
9/27 設定追加 連続更新し過ぎである。
9/27 誤字修正&微妙に加筆(sage忘れ)
9/27 第一話更新(一部加筆しました)
9/26 プロローグ更新



[12234] プロローグ
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/12 19:45
 BETA。人類に敵対的な異星起源種。唐突に地球圏に現れたこれは、人類に牙を向いた。その圧倒的な物量と三十年近く経ってもほとんどわからない生態。そのどちらもが人類を困惑させ、絶望させた。2000年の段階では後十年で人類は滅びる。そこまで言われる程だった。
 そして今、2015年。人類は滅びることなく、逆にBETAを滅ぼそうとしていた。
 オルタネイティブ4。香月夕呼が中心となって実行された。人類の逆転劇の始まりとも言え、当時は秘密裏に行われていたこの計画。本拠地たる極東国連軍主導の桜花作戦よって地球上のオリジナルハイヴは潰され、地球のハイヴは指揮機能を失った。そしてその計画の中で生み出されたOS、XM3は人類の死者を半分に減らした奇跡のOSとまで呼ばれている。
 その功績は香月夕呼だけの物では無い。その直属部隊の挺身によるものも無視できない要素である。彼女たちが一人でも欠けていたらオルタネイティブ4の成功は有り得なかっただろう。そして香月夕呼の腹心、桜花作戦を生き抜いた衛士。彼がいなければ桜花作戦後の世界は有り得ないと言われている。
 生きた伝説。彼が歴史の表舞台に現れたのは錬鉄作戦――甲二十号作戦の時だった。試01式戦術歩行戦闘機、不知火弐型を駆りハイヴに突入。その反応炉の破壊に成功した。それ以降も彼は数多くのハイヴを落とし、地球上で最も多くハイヴを落とした衛士として名を馳せる。無敵、とそう呼ぶものもいた。だが、無敵の人間など、不死身の生き物などいるはずがない。だから、この結末は必然だったのだろう。

――ようやく、彼の戦いは終わった。
 月面に二つある上位存在のいるハイヴ。フェイズ8――日本呼称月の涙。その反応炉手前の横坑に彼はいた。
「こちらシルバー1。……CP、聞こえるか?」
 届いて欲しいと願いつつ彼はヘッドセットで呼びかける。そんな彼の願いが叶ったのか、あるいは神の気まぐれか。ハイヴ最深部とは思えないほど良好な通信が繋がった。
『……ちらCP。聞こえている』
「もう一つの状況は……どうです?」
 彼が一番気にしていること。それは同時に攻略を予定していたフェイズ7ハイヴ――日本呼称、月の雫の攻略状況だった。
『先ほど突入部隊がG-11を使って反応炉破壊に成功したとの報告があった』
 突入部隊には彼の教え子もいた。そのG-11が自爆か、設置してから退避したのかまではわからないが、破壊には成功したらしい。気がかりの一つが消失する。
「そうか……良かった。こちらも反応炉破壊はどうにかなりそうです。……戻るのは無理っぽいですが」
 彼の乗機、『天照』はまさに満身創痍だった。右主腕は損失。突入時に保持していた10式電磁速射砲は途中で放棄。12式高周波近接格闘長刀は酷使に耐えかねて根元から折れ、最大の武装である収束荷電粒子砲は消耗部品を考えればあと一発撃てれば上出来だろう。残る手段は一つだけ。
「ML機関は正常……今からこいつを暴走させて反応炉を潰します。突入中の全部隊を下がらせて下さい」
 と、言っても下がれる部隊は少ないだろう。せいぜい上層の一部か、と予想する。
『白銀大佐……よろしければ旗艦に回線をつなぎますが』
「いや、俺だけが特別扱いを受けるのも……」
 ここに来るまでに大勢の部下を失った。その中には涼宮茜や宗像美冴、風間祷子ら旧ヴァルキリーズも含まれている。そんな彼ら、彼女らは親しい人に何も言えずに死んでいったのに、自分だけが、と武は躊躇する。
『何を言ってるんですか! あなたがいなければ人類はもうとっくに滅んでいた! そんなあなたにこの程度のことしかできない事を責める声こそあれ、あなたを貶す人間が、この世界にいるわけないでしょう!』
「……すまない、中尉。繋いで貰えるか?」
 きっと伊隅大尉もこんな気持ちだったんだな、と今更当時の上官の心情を理解する。そして、最期に何か言い残せるということに彼は深く感謝した。
『はい! 任せて下さい!』
 網膜投影の映像にノイズが走り、そこに見慣れた顔が映った。――恩師であり、この世界での親代わり、香月夕呼だ。
「夕呼先生……」
『ちょっと、白銀。あんた遅いわよ。こっちはもうパーティーの準備してるんだから早く帰ってきなさいよね』
 状況は分かっているだろうに、いつも通りに振る舞う夕呼に武は涙が出そうになる。だが、ここで泣いてはこうしている夕呼の気持ちにそむくことになると思い、口元に精一杯の笑みを浮かべて答える。
「はは……パーティーですか」
『そうよ。京塚曹長に頼んで天然物の食材使った超豪勢な料理よ』
 確かに今でも天然素材は貴重だ。それを鉄人、京塚志津江が調理した料理。上手くないはずがない。こんな状況にも関わらず武はそう思った。
「それは食べたいですね……。でもすいません、先生。ちょっと戻るのはきつそうです」
『ふーん、そうなの』
「そうなのってひでえな、先生」
 あまりにそっけない反応に武は脱力しかける。
『だって元々白銀はいなかったんだしい? 別に死んでも元通りじゃない?』
「なるほど、その考え方は無かったです」
『むしろあんたの貢献で人類に大きくプラスになったわけだから得じゃない』
「まあそうですね」
 と、相槌を打つが、この論理展開は夕呼にしては粗があり過ぎる。だが武はそれを指摘しない。最期の会話をそんなつまらない論争で潰したくなかった。
『だからあたしは別に良いから霞とでも話してなさい。ほら、霞』
『あ……』
 画面から夕呼が消えて霞が出てくる。それとほぼ同時に向こうで誰かが部屋を出て行く音が聞こえた。
「ありゃ、先生出て行っちゃったのか」
『……泣いてました』
「そっか……やっぱ強がってただけか」
 皮肉な話だが、しかし武にとっては別れを惜しんでくれてるとわかり少しだけ嬉しくなった。本当にどうでも良いと思われていたら流石に悲しいものがある。
『私も、泣きそうです』
「そんなこと言うなよ。俺の我儘だって分かってるけどさ、最後は笑顔で見送って欲しい」
『……はい』
 僅かな沈黙。今この一瞬がとても貴重だとわかっていても声が詰まった。それでも武は笑みを浮かべる。儀礼用の作り笑いでは無く、最期に見せるのだから最高の笑顔を――と浮かべる笑み。楽しかったことばかりじゃない人生でも、その輝きを思い出せば笑えるから、と。
「ごめんな、霞。約束守れそうにない」
『…………』
(やっぱ出撃前にあの手の約束は死亡フラグだったか……)
『……私の、せいですか?』
「違う、違う! 霞のせいなわけが無いって。むしろあれで俺はやる気出したんだからそのおかげでここまでこれたんだぞ?」
 純夏を亡くしてからずっと傍で支え続けた霞。部下を率いる立場になって、部下を亡くして落ち込んでいた時に慰めてくれた霞。あの小さな体で色んなものを抱えながらも笑顔を絶やさなかった霞。何時の日か、とても武の中で愛しい存在になっていた霞……。
 だから約束した。
「あ、そうだ。夕呼先生に今までありがとうございましたって言っといてくれるか? 言おうと思ってたんだけどさっさと行っちゃったから」
『……はい』
「それから……俺のことなんかさっさと忘れて他に良い奴探せよ?」
 一瞬言うのを躊躇った。これから霞の元を永遠に去ることになるとは言え、この言葉を自分で言うのは辛かった。
『……嫌です』
「霞……」
『武さん以外なんて……嫌です』
「頼むよ、霞。お前が俺のことずっと引きずって幸せになれないなんて俺は嫌だよ」
 辛い。好きな人にこんな事を言わなければいけないことが辛い。だけど武は言わないといけない。
『私は……幸せでした』
「これからも幸せでいて欲しいんだよ。お前は今まで人並みの幸せって奴だって手に入れられなかったんだから」
 エゴだとしても、霞には幸せでいて欲しいのだから。
『それでもっ……』
「だからさ、他の奴に託すのは癪だけどそいつがお前にいろんな事を教えてくれるのを期待してるんだ、俺は。じゃないと死んでも死にきれない」
『……………………分かり、ました……』
 霞がとぎれとぎれに、絞り出すように返事をする。彼女も不本意――だがそう言わなくては武は心残りができてしまう。彼の半生を知る霞は、せめて逝った後くらいは何の悩みもなくいて欲しかった。
 武の元に新たなデータが届く。ハイヴ内から行動可能な部隊は全機撤収完了したらしい。――別れの時間が近づいていた。
「そろそろ時間だ霞……じゃあな」
『武さん……大好きです。…………またね』
 小さく手を振る霞に武は涙をこぼすのを必死でこらえる。
 必死で霞がこらえていた涙がこぼれた。
「ああ、愛してたよ、霞……またな」
 もう会えることは無いと知っていても。もう一度会いたいと思うなら。その約束が、誓いが、願いが込められた別れの言葉。そして未練を断ち切るように通信を切る。
 その瞬間、『天照』に内蔵されていたML機関の暴走を開始させる。小型とは言え、G弾五発は軽い。瞼を閉じ、深呼吸する。これから逝くのは地獄へと続く道。そこを往くには英雄と呼ばれた白銀武でなくてはいけない。
「さあ、ご対面だ」
 最後に遺された武装、荷電粒子砲を門級に向ける。最期の一撃。これで貫けなければここで自爆するしかない。だが荷電粒子砲は、その存在と引き換えに放たれた光の奔流は門級を消し飛ばし、最後の道を切り開く。そこにいたのはオリジナルハイヴにいたあ号標的と似たような姿のコア。武から多くの大切な人を奪った忌々しい敵。恐らく今回のハイヴ攻略作戦で最も強い思いを持って進んだのは武だろう。彼が、彼だけが上位存在の姿を知り、奴のせいで戦友をこの手で撃つことになったのだから。
 負荷に耐えかね、最後の仕事を終えて爆散する荷電粒子砲を投げ捨てる。
(ありがとよ、おつかれさん)
 これまで苦楽を共にした戦友に近い感覚を持つ武装に別れを告げ、武は己が生涯最後の敵に専心する。
「久しぶりだな! クソ野郎!」
 武の怒声。そこには全ての感情が込められている。
 ラザフォード場を全力で展開しながらコアに肉迫する。それを迎撃しようとコアは触手を伸ばすが、ラザフォード場に弾かれる。
「お前がいなくなれば!」
 十億近い人たちは救われる。
「お前がいなければ!」
 こいつが、こいつがいなければこの世界はこんな風にはならず、伊隅大尉も、神宮司軍曹も、速瀬中尉も、涼宮中尉も、美冴さんも、祷子さんも、茜も、柏木も、委員長も、タマも、美琴も、彩峰も、冥夜も! この世界の白銀武も、BETAに殺された五十億近い人間も! 死ぬことはなかったのに!
「お前たちがいなければ!」
 霞も、純夏も、もっと幸せになれたのに!
 減速もせず機体が上位存在に体当たりする。それによって途切れそうになる意識を強化装備の電気ショックが連れ戻した。
「全く……心中の相手としては三流だな」
 軽口で恐怖で動かなくなりそうな心を誤魔化す。機体に内蔵されたアンカーでコアの直下に『天照』を固定する。
「これで終わりか……」
 因果導体から解放された今、ループすることはないだろう。だから今度こそ全ての終り。あの世があっても俺はそこにいけるんだろうか? と無駄に哲学的なことを考えてしまう。平和だった世界から集められたシロガネタケルの断片の集合体のさらに残りカスの自分に、還れるところがあるのだろうか?
「ごめんな、霞。一人ぼっちにさせて」
 でもいつかはきっと。
「お前が守ろうとした世界……ちゃんと守ったぜ。純夏?」
 だから……許してくれ。
「伊隅大尉……みんな、俺、最後まであがいたぜ?」
 隊規に反してないよな?
「……ああ、畜生。やっぱこええよ……土壇場で死にたくないって思っちまう」
 だけど、ここで逃げるわけにはいかない。ここでこれをつぶさないと、月のハイヴに人類は苦戦を強いられる。そうなったらもっと沢山の人が死ぬ。
「英雄なんて言われたら引き下がれねえよな?」
 昔、冥夜に言われた言葉を思い出した。人の上に立つ者には常に周囲の目を考える必要がある。まさに今のことだろう。英雄が逃げたとなれば全人類の士気に関わってくる。月面のオリジナルハイヴを残してそうするわけにはいかない。己の死を最大限に生かす状況。それがきっと今なのだろうと武は落ち着いた心で考える。
「……悪いな、巻き込んで」
 愛機に語りかける。だけど、きっとこれが正解。
 ML機関が暴走する。臨界点を超え、強烈な重力変動を引き起こす。
「はっ……みたか。人類を舐めるなよ?」
 そして武の意識は黒い光に包まれた。


 武は何となく会える気がしていた。夕呼の仮説通りなら自分の死の状況はかつての鑑純夏が置かれた状況と同じものだったから。反応炉、強い意志、重力変動による次元の歪。気がついたらどこだかよくわからない空間にいた。虚数空間。そう呼ばれる世界に。
――たけるちゃん……。
「お前は……この世界の無意識領域の純夏……であってるか?」
 どこからか聞こえてきた声に武は自分の中の推測を口にする。それに対する反応は。
――たけるちゃんが冷静に物事考えてる……変なの。
 結構酷い物言いだった。
「……もしかして無意識だから思ったことずばずば言われるのか?」
――うわあ、頭の回転も早いよ……。もしかしてたけるちゃん中身入れ替わって無い?
「――チョップしてやりたいんだけどどこにいるかわからないな」
――あ、そうだね。姿無いと話しづらいよね。
 その声と同時に武の目の前に光が集まり、純夏の形を作る。その姿に懐かしさすら覚えながら武は見入る。
――これでどう?
「光が集まって人になるなんてファンタジックな演出純夏には似合わないな」
――あ~酷いな、たけるちゃん。クールぶってるたけるちゃんだって似合わないよ。
 その言葉に武は容赦なくチョップを実行する。それも二発。
――あいたっー。何するかー!
「バカなこと言うからだ。クールぶってるんじゃなくていつの間にかこれが素になっちまったんだよ」
――……素でクールな人が些細なことでチョップするかなあ……?
「何か言ったか?」
 武が軽く睨むと純夏は笑いながら応える。
――何も言ってないよ~だ。
「ったく。で、どうして俺はここにいるんだ?」
――う~ん……そうだね。最期にお礼を言いたかったからかな?
「お礼?」
――ありがとうございました。多数の世界から集められたシロガネタケル。あなたの挺身であの世界の鑑純夏は救われました。
 これまでのじゃれあいとは違い、真剣な顔で、これまでに聞いたことのないような真剣な声音で、この純夏は礼を言った。
「やっぱりお前は純夏とは」
――あの時の鑑純夏の無意識領域をコピーした存在。たけるちゃんと少し似てるかな?
「そっか。で、最期ってのは?」
――あの世界の鑑純夏の願いは叶えられたからね。私はようやくお役御免何だ。
 つまりはここからもいなくなる。
――あとはたけるちゃんを元の世界を再構築した世界に送れば私のお仕事は終了というわけ。
「嘘をつくなよ」
――嘘?
「今ここにいる俺の中に元の世界から集められた俺の断片は存在しない。あの日、パラポジトロニウム光が出た時に俺の中からそいつらはもう元の世界に戻ったんだろ?」
 因果導体でなくなった以上元の世界に戻ることになる。だが白銀武がいなくなったことに対する矛盾は大きすぎる。だから世界は元の世界の白銀武の要素以外で白銀武という存在を再構成した。と、夕呼が言っていたのをただそのまま言っているだけの武。実はよく分かっていない。ただ確かなのは自分の中から元の世界と呼んでいた世界の記憶のほとんどが失われていること。
「だから俺はどこにも行けない。あの世界で死ぬだけ……だったはずだろ?」
――そっか。やっぱり気付いちゃうか。
「だけどG弾の影響で俺はもう一度ループする可能性がある。違うか?」
――たけるちゃんは頑張ったんだからもう休んでも良いと思うよ?
 ここにいる鑑純夏は全ての白銀武を見てきた。何十回、何百回と戦ってきた彼の姿を。何度も狂いそうなほどの絶望を、愛する人を失った悲しみを見てきた。
「……あの世界の純夏は満足したんだろうよ。俺が因果導体じゃなくなったことからそれは確実だ。だけど俺はまだ満足してない」
――未来を知っていてもどんなに力があってもひょっとしたら今回より悪い結果になるかもしれないよ? 今回のこれが最良の結末かもしれないよ?
 その可能性はあった。最良の未来を引き当てる力を持ったヴァルキリーズの挺身で得た結末だ。その彼女達が作り出した世界より良い世界なんて存在しないのかもしれない。だが。
「でも、今よりももっと良い未来が掴めるかもしれない」
――また苦しい思いをするよ?
「自分の惚れた女を幸せに出来ない方が苦しい」
――……それって霞ちゃん?
「おまえと霞だ」
――欲張りだね。
「今更だろ?」
――うん、たけるちゃんは昔っから欲張りで頑固だもんね。
「いや、そこまで言っていいといった覚えはない」
――しょうがないなあ、ここはお姉さんの私が譲ってあげるよ。
「お姉さんって一年も違わないだろ。ってこのやりとりも懐かしいな」
――そうだね。もう私はたけるちゃんの世界に干渉できない。これで最後のループになると思うよ。
「上出来だよ。今度こそやり遂げてやるよ」
――それじゃあね。たけるちゃん。さよなら。
「純夏、こういうときはまたねって言うんだぞ?」
 また会いたいならまたな、って。
――ふふ、そうだね。またね、たけるちゃん。
「ああ、またな。純夏」
 最期の別れ。この純夏とは二度と会うことがないことを知りつつも、武はまたね、と願いを込めて別れの挨拶をする。
 白銀武という存在がない世界に白銀武という異物を流し込む。時空を超えて、因果すらも超越して白銀武は三度目の世界に生まれ落ちた……。

 ゆっくりと眼を開ける。見慣れない天井……武は寝起きの頭でぼんやりとそう考えた。
(何か夢の中で純夏と話してた気がする……っていうか俺、何でここにいるんだっけ?)
 考えること数秒。
「! 戻って来たのか!?」
「君が現実に帰ったという意味ならそうだろうね」
「!?」
 突然、声をかけられて武は全身を緊張させる。今までループした場所に誰かいたことはなかった。
(っていうかよく見るとここも俺の部屋じゃない……?)
 体を起こしながら部屋を見渡す。そこにいたのは一人の少女。
「起きたかね? それなら事情を説明してほしいのだけど」
「……あなたは誰ですか?」
 見た感じで部屋は夕呼の執務室に近く、部屋の主らしき人物も女性であるという点は一致する。違うのはその彼女が霞よりも年下であるということだろうか。付け加えるなら冗談のように白衣を羽織っており、研究者らしい格好をしている。
「人に名前を聞く前にまずは自分から名乗るべきだと私は思うのだけど。で、君は……シロガネタケル?」
(! 俺の名前を知っている!?)
 もしループしたならこの時点で俺の顔を一目見ただけでわかるというのはおかしい、とパニックになりそうな頭を必死で抑えつけながら武は考える。
「……どこかで会ったことがありましたか?」
「この世界では無い、ね」
 この世界では、つまり別の世界ではあるということだろうか? しかしまだ情報が足りない。ここがどこなのか、更には今が何月何日なのか。
「冗談が上手いですね。それじゃあまるで別の世界でなら会ったことがあるみたいですよ」
「まあそうとも言う」
 どこまで本気なのだろう。少女の表情は出会ったころの霞並に無表情で分かりにくい。その上武も夕呼の元で何年もいたため多少の交渉事にも慣れてきたが、自分よりも遥かに高い知性――身近なところだと夕呼とか霞とか――を相手にした場合の交渉は全く駄目である。そしてこの少女はその遥かに高い知性を持った人間だった。
「おや、では時空旅行者ですか。少し憧れますね」
「……君だって似たようなものだろうに」
「! 何のことでしょう?」
 一瞬の動揺を抑えきれなかった。因果導体としてループしていたこと。それを知っているのは夕呼と霞、それと純夏だけ。今までの短い会話からそんなことが推測できるほどの情報を武は与えたつもりはないし、事実与えて無い。
「君は死ぬたびに2001年の10月22日に戻り、何度も戦ってきたのではないのかね?」
 決定的だった。この少女は俺の事を知っている、と確信する。
「もう一度聞きます。あなたは何者ですか?」
 若干言葉に殺気を乗せて脅しをかけるが少女は微塵も動じない。この年でこの胆力。とんでもないな、と内心で舌を巻く。
「その反応は今まで私が言ったことを認めたも同然だけど?」
「ふざけないでください。あなたは知るはずのないことを知っていた。どうやって知ったのか、教えてもらいます」
 全く想像がつかない。今が何時なのかもわからないが、夕呼や霞を尋問したという線も薄いし、かといってデータベースなどに載っているような内容じゃない。
「……まあ種明かしをすると簡単。君から直接聞いた」
「俺から? まさか」
 いくつかの可能性が武の頭の中を交錯する。その中で一番可能性が高そうなのは。
「ふむ、ただの軍人かと思っていたが存外頭の回転も悪くはないみたいだね。そのまさかよ」
 そこで少女は初めて無表情を崩す。にやりと形容するにふさわしい笑みを浮かべて。
「私は別世界の私の因果情報を受け取っているのよ」
 1998年10月22日。その日、白銀武は鬼才に出会った。


あとがきっていうか補足?
天照
完全趣味に走ってしまった戦術機。荷電粒子砲と自爆くらいしかしてませんが本当は強いはずw
無駄に豪華な装備ですが当分登場する予定はありません。だって出したら無双状態になっちゃうし

10/12 設定変更に合わせて加筆
9/27 誤字修正
9/26 投稿



[12234] 【第一部】第一話 オペレーション・ルシファー
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:19
 横浜市街地に砲弾が飛び交う。その音は一つや二つでは無く、無数の発射音がそれ以外の音を飲み込む。地面を揺るがす爆音。それだけの数の砲弾。だがそれをもってしても彼らの敵は止まらなかった。その数は無限。いくら無数の砲火がそれを撃とうとも、それを超える数が押し寄せる。
『ち、畜生! 来るな!』
『宇宙に帰れ! この化け物どもが!』
『う、うわああああああああああああああ!』
 通信回線に衛士たちの悲鳴が木霊する。地獄というものがあるならきっとここがそうだ。BETA。その名を冠された人類共通の敵はこの場においては地獄の使者だった。限りなく死に近く、平等に死が与えられる場所。明星作戦。その真っただ中において命とは最も安い存在だった。
『こちらノーヴェンバー1! 支援砲撃を要請する! HQ!』
『こちらHQ。支援砲撃の要請を確認した。三分後に該当地区に砲撃を開始する』
『急いでくれ! このままじゃ持たな……うわあああああああ!』
『こちらHQ。ノーヴェンバー1。どうした? 応答せよノーヴェンバー1!』
『こちらノーヴェンバー2。ノーヴェンバー1は撃破された。これより自分が指揮を執る』
『HQ了解』
 一分、一秒。その単位で刻一刻と命の灯が消えていく。

 その中に戦乙女たちが舞い降りる。
『ヴァルキリー1よりヴァルキリーズ各機! 前方のBETAを喰らうぞ! 楔壱型で突撃!』
 オルタネイティヴ計画第1戦術戦闘攻撃部隊第9中隊、通称伊隅ヴァルキリーズ。国連軍使用の不知火、総勢12機が前方のBETAを屠るべく突撃する。
『ヴァルキリー7、フォックス1!』
『ヴァルキリー9、フォックス1!』
 二機の不知火が92式自律制御型多目的ミサイルを斉射。BETAの群れを薙ぎ払おうとする。
 空に走る閃光。レーザー種によるレーザー照射。その驚異的な射程と速度から逃げるのはたやすくなく、網目のように宙に映し出されたそれはミサイルの群れを悉く打ち抜く。だが、それを予期しないヴァルキリーズでは、人類では無い。撃ち抜かれたミサイルから金属の粉塵が舞う。
『重金属雲発生。繰り返す重金属雲発生』
 AL弾頭。支援砲撃のほとんどを撃墜するレーザー種に対抗するために生み出された能動的防御兵装。撃墜されたらレーザーを減衰させる盾に、されなければ敵を焼きつくす矛になる兵器。小規模ではあるが重金属雲の存在でレーザー種を一時的に封じ込めることに成功する。
『B小隊! 突撃級を超えて光線級を潰す! 続け!』
『A小隊はB小隊の突撃を援護! C小隊は突撃級を足止めしろ!』
『ヴァルキリー3、了解』
 各小隊長が部下を率いて己の役割を果たそうと動く。不知火の一機が長刀で要撃級の首を切り落とす。別の不知火がその隣で突撃級の背後に噴射地表面滑走で回りこみ、36mm弾の嵐を喰らわせる。隣の戦車級が36mmを撃った不知火ににじり寄るが、後方の不知火が120mm炸裂弾でその群れを吹き飛ばす。そうして光線級への道が開ける。
 ヴァルキリーズは多くの演習、実戦によって培われた連携を駆使して光線級を排除する。その速度は常識では考えられないほど速い。
 確かに精鋭。その練度は世界を見渡しても高い水準であり、彼女たちが優秀であることを示す。現にヴァルキリーズが担当している区域は他と比べてもBETAの撃墜数が多かった。だが、所詮は一個中隊。たった12機だ。圧倒的な物量の前には12という数字はあっけないものだった。

 状況は徐々に不利になる。最初は拮抗していた戦力。だが時間が経つ毎に天秤はBETAに傾いていく。当然と言えば当然。BETAは無限に等しい物量。対して戦術機は限られた弾薬、推進剤、機体しかない。
『ヴァルキリー6、シグナルロスト!』
『い、いやあああああああああああ!』
 一体の不知火がBETAの群れに飲み込まれたのと同時、別の不知火が戦車級に取りつかれ、管制ユニットを食い破られる。
『ヴァルキリー10! クソ、支援砲撃はまだか!』
 ヴァルキリー2――突撃前衛長が焦りも隠せずにうめく。普段から自信があるようにふるまい、それに見合った自分で居ようとしているが、この状況でそこまでできるほど彼女は突撃前衛長としては完成されていなかった。その中、信じられない通信が届く。
『こちらHQ、戦闘中の各部隊へ。ただちに後退せよ。繰り返す、ただちに後退せよ』
『後退だと!? この状況でか!』
 戦局は芳しくない。まだ辛うじて地上での陽動が生きているがここで撤退などしたら突入中の部隊は全滅する! と、ヴァルキリー1――伊隅みちるが憤ったところで気がついた。撤退を指示するということは地上での陽動の必要がなくなったからではないか、と。
(まさか突入部隊が……早坂大尉!)
 先任であり、ハイヴに突入した第三中隊を率いていた人物を思い起こす。その一瞬みちるの不知火は完全に無防備な状態になった。その隙に腕を振りかぶる要撃級。振り下ろすのは当然棒立ちしている不知火。
『大尉!』
(しまった!)
 他の隊員のフォローは間に合わない。後衛を支援する後衛がいるはずがない。振り下ろされる杭のような腕。それが管制ブロックに飲み込まれる瞬間。
 死の羽音。管制ブロックの中にいるみちるには届かなかったが、それを纏って飛来した120mmAPFSDS弾がその腕を砕き、36mmがその要撃級を蜂の巣にした。
『大尉! 無事ですか!?』
『あ、ああ。しかし一体……』
 呟くみちるの不知火が目視で接近する機影を捉えた。近い。何故こんなにも近くにいて今まで気付かなかったのか。いくら混戦状態でもレーダーは正常に機能している。その理由はすぐに明らかになる。
「これは……F-22A? いや、違う」
 だがその機体は米国機の流れを汲んだものに違い無かった。見慣れぬ新型が国連に配備されるはずがない。
(条約を一方的に破棄して逃げ出した米軍が今更!)

「ふう、間に合ったか……」
 データリンクでみちるの不知火が無事なのを確認して息を吐いた。来る途中でもう一つの国連仕様の不知火の部隊を助けられたからこれでA-01はわずかだが損耗した戦力をカバーできたことになる。
「にしても凄いな、こいつ……米国製なのにこの格闘性能。確かにこれはアメリカの戦術に合わないな」
 管制ブロックの中で武は笑みをこぼす。新たな乗機となったYF-23――ブラックウィドウⅡの機体特性はどちらかというと日本の物に近く、武の要望に存分に答えてくれるものだった。第三世代機としては今まで使った機体の中で最高の相性かもしれない。
「にしてもミリアの奴もここまでわかっててこの機体を手配したのかな?」

 ミリア=グレイ。あの時世界から因果情報を受け取っていると言った少女は驚くことにオルタネイティヴ予備計画……つまりオルタネイティヴ5の主要メンバーだということがわかった。担当は移民船の設計。だが彼女は既に因果情報からオルタネイティヴ5の失敗……つまりバビロン作戦は成功しないことを知っている。
『失敗するとわかっていることを素直にやらせるほど私は馬鹿ではないよ。だからこそ打つ手を探していたのだが……丁度良いタイミングだったね』
 と、言って武をミリア直属の兵にしてしまった。そんなにあっさり信用していいのかと武は思ったが、『どこの世界でも君は君だろう。なら問題ない。一度と言わずに君とは会っているからね』とも言ってきた。
『まずはオルタネイティヴ5……というよりバビロン作戦の阻止だね。これを認めては地球圏の人類は滅亡する』
 つまりはオルタネイティヴ4の完遂。だが表向きは敵対とまではいかないまでも友好的ではないだろう夕呼と接触するにはなど問題が出てきたが彼女は一言。
『私を誰だと思ってる? 事実上のオルタネイティヴ5の責任者だよ?』
 要するに夕呼と同規模の権力は持ってるらしい。むしろ国連軍と米国が協力体制にある以上夕呼以上かもしれない。それを使えば夕呼を交渉のテーブルに座らせることも十分可能らしい。
『まあまずは私の自由に使える戦力を用意するとしようか。頼りにしてるよ? 白銀武』
 そういってやったことがYF-23の手配だったりするわけだが。

「まあいいや。こっちの仕事を遂行するか。信頼された分は応えないとな」
 そう呟いて武はオープンチャンネルで音声だけ送る。
「こちら国連軍大西洋方面第三軍フロリダ基地所属オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊だ。撤退を支援する。後退しろ」
 ここは高圧的にでる必要があるとは言え、かつての上官にこんな口のきき方をしている自分に武は違和感を覚えずにはいられない。
『オルタネイティヴ計画だと!? それに一機で撤退を支援など……』
「一機では無い」
 武の回答に合わせるかのように三機の影がヴァルキリーズを守るように展開する。F-15SE――サイレントイーグル。未だ実証試験中のそれを引っ張ってきたのもミリアである。その機体特性はYF-23とマッチしており、第三世代水準まで引き上げられた機体性能もあり、何の問題もなく連携が取れていた。尤も正史ではこの状態になるのは2001年末期のはずだが、そこは武とミリアの未来情報を元に足りないアイデアを前取りした。特に武は実際に機体に乗ったこともあり、その意見を反映させた。そのため若干だが本来のサイレントイーグルよりも乗り心地が向上しているかもしれない。
 三機のF-15SEがAMWS-21戦闘システムから36mm弾で弾幕を張り、BETAの接近を拒む。
『い、イーグル? いや、しかし四機だけでは!』
『HQよりグレイ1へ。ヴァルキリーズの撤退を援護せよ。繰り返すヴァルキリーズの撤退を援護せよ』
「グレイ1、了解。そう言うことだ、ヴァルキリー1。撤退しろ。お前たちが早く撤退すればそれだけ俺たちも早くここから別の所に行ける」
『……了解しました。武運を』
 納得してなさそうな声を最後に通信が切れ、ヴァルキリーズが撤退を開始する。それを見ながら武は別方向に回線を開いた。
「ミリア、そっちはどうだ?」
『楽勝。向こうはまだハッキングを受けてることに気付いてない。ふふ、最新兵器も撃てなければただの飾りだな』
 楽しそうだな~と思いながらも武は気を緩めないようにする。現在ミリアがやっているのはG弾を発射する米軍の爆撃機へのハッキング。史実にあるとおりのタイミングで撃たれると戦術機部隊にかなりの被害が出る。それを阻止するためにいつG弾が投下されるかわからない危険を犯して武たちは撤退の支援をしているのだった。
『取りあえず確実に三十分は稼げる。でも発射の阻止は』
「無理だな。ここで使わないと帝都が落ちる」
 残念ながら今の武たちではG弾を使わずに横浜ハイヴを落とすことはできない。そしてここを落とさないと日本が終わってしまう可能性が高い。そしてなにより‘彼女’には絶対に必要なことだろう。
『そうだな。制限時間を一杯に使って救えるだけ救うといい』
「了解。それじゃあ行くぞグレイズ、楔参型でSE114の部隊の撤退の支援をする!」
『了解!』
 通信回線に武の部下の三人の声が唱和する。武自身が直接足を運び、選んできた信頼のおけるメンバー。そのせいで三人しか確保できなかったとも言うが。

『やれやれ、やっとこの子も実戦でテストできますね。まさかいきなりこんな大規模作戦だとは思いませんでしたが』
 網膜ウィンドウに金髪を後ろで括った女性が気楽そうな口調でそう言ってくる。別の網膜ウィンドウが開き、今日初陣の衛士の緊張した顔が写された。
『グレイ3、実戦中にそんなおしゃべりは……』
『もう、ケビンは固いなあ。もう少しやわらかく行こうよ』
『……シルヴィアは緩すぎだ。もう少し引き締めろ』
 そういって出てくるのはいつも通りの副長。お気楽な彼女でさえ、僅かだが久しぶりの最前線という緊張があるのに、彼にはそう言った物は見られない。いつも通りである。
『ああ! 副長、裏切ったわね!』
「あ~お前ら。緊張してないのはいいことだがこの気の抜けっぷりはまた違うと俺は思うんだが」
『申し訳ありません、大尉。この二人は自分が後で教育しておきますのでご容赦を』
「いや、そこまで言ってないって。ギル。お前ももう少し肩の力抜いたほうがいいぞ?」
 ここにいるほとんどはユーラシアで死線を掻い潜ってきた猛者だ。ふざけているように見えても、きちんと頭の中ではいろいろと考えている……はずだと武は自分を納得させる。緊張のほぐし方は人それぞれだ。
『だって大尉、この子に新OSですよ? 正直ハイヴ突入でもやらされるんじゃなきゃ落とされる気がしません』
 そう言っている彼女はおそらく本気で言っている。彼女が経験してきた作戦のほとんどが負け戦――つまり絶望的な物量のBETA相手に撤退戦をやって生き抜いた者の自信があった。だがそれに武は釘を刺す。
「油断するなよ? 一応どっちもまだテスト中なんだからな。どんな不都合がでるか分からない」
『わかってますって』
 新OS。つまりはXM3を作ったものだが、CPUの性能が足りずに、即応性は従来のまま。それでも使いこなせば十分なのだがXM3には届いていない。これは夕呼との協力体制が取れた時にようやく完成する代物だ。名づけるならばXM2。
「さて、そろそろ食事の時間だ。行くぞ!」
 前方に見えてきたBETAが網膜ウィンドウ上のレーダに映し出される。まばらな点。総数100と少しといったところか。だが傷ついた撤退中の部隊には荷が重いだろう。
『グレイ4、フォックス2!』
『グレイ3、フォックス2!』
『グレイ2、インレンジ。フォックス1!』
 それぞれの機体から吐き出された120mmと36mmが後退中の部隊を追撃していたBETAの後ろから突き刺さる。こちらの存在に気付きノロノロと反転する。その隙に武は可動兵装担架にXAMWS-24 試作新概念突撃砲を戻し、XCIWS-3 試作近接戦闘長刀を抜き放つ。
「グレイ3、援護しろ!」
『了解っ』
 グレイ3――シルヴィア=ハインレイ中尉の援護を受け、こちらに向き直ろうとしていた要撃級を縦に切り裂く。周辺を確認。光線級はいないことを確認し、噴射跳躍。次の要撃級を餌食にする。着地直後にサイドステップ。武によって隠されていたグレイ2の射線――120mm炸裂弾が二体の要撃級と無数の戦車級の群れをまとめて吹き飛ぶ。そのまま機体を回転させるようにXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を振り抜き、要撃級を二体まとめて引き裂く。その剣閃に乱れはなく、最小限のロスで敵を切り裂いていた。
『べ、米軍!?』
「国連軍だ! 撤退支援をする、急げ!」
『わ、分かった』
 武の声に弾かれたように動き出す戦術機部隊。それを追撃しようと荒れ果てた市街地を踏み越えて進むBETAの前に武たちは立ちふさがる。
 二機のF-15SEが手近な突撃級の後ろに回り込む。その先には複数の要撃級と戦車級の群。一機が手にした長刀で要撃級の首をまとめて飛ばし、もう一機が36mmで戦車級を無価値な肉片へと変える。反転しようとする突撃級に残った一機のF-15SEが120mmAPFSDSでその頑丈な甲殻に突き刺さり、爆散させる。武のYF-23はXAMWS-24 試作新概念突撃砲の先端についたXM-9 試作突撃砲装着型短刀で近寄ってくる戦車級を切り裂きつつ、36mmを的確に撃ち、その数を急激に減らす。
『CPよりグレイ1へ。十一時方向にBETA群。出現数は小規模ながら光線級を含む模様』
「くそ……グレイ2、4! ここは任せる。この数なら大丈夫だろ?」
 新たに届けられたデータに舌打ちを堪える。そして数を確認し、部下にこの場を任せ、武はもう一人と共に新たに出現した群を狩ることにする。
『こちらグレイ2。問題は見当たりませんな。貴方に鍛えられた我々を舐めないでほしい。大尉は後ろの光線級を!』
「おう、任せろ。いくぞグレイ3!」
『はい!』
 跳躍ユニットに点火し匍匐飛行で後方のBETAに吶喊する。その数100弱。だが突撃級を先頭にその後ろにレーザー属種が待ち構えている。可動兵装担架にXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を戻し、改めてXAMWS-24 試作新概念突撃砲を保持する。
「グレイ1、フォックス2!」
『グレイ3、フォックス2!』
 120mm弾が突撃級の甲殻を貫き、その動きを止めさせる。だがその屍を乗り越えてくるのがBETA。無数の戦車級が這い寄り、要撃級がその杭のような腕でこちらを貫こうとする。
『うわあ、ホントに味方を踏みつぶしてくるよ……大尉、私が死んでも踏んだりしないでくださいね?』
「あほなこと言うな。後で腕立て200回。生き延びるために必要ならいくらでも踏むぞ?」
『うわあ、大尉もひどいや。踏まれるの嫌だからせいぜい死なないように気をつけますよ、と!』
 バストアップのシルヴィアが唇を舐めながら突撃砲を撃つ。軽口を叩きながらも二人の操縦に一片の乱れもない。前衛の突撃級を抜け、光線級に肉薄する。
「要塞級はいない! このまま光線級狩りと行くぞ!」
『ほらほら、どいて! 邪魔すると撃っちゃうよ? 邪魔しなくても撃つけどねっ』
 36mmが、120mmが次々と光線級を駆逐していく。時に武が宙に舞い上がり、レーザー照射を誘発させ、その隙にシルヴィアがインターバル中のレーザー種を撃ち抜く。撃ち抜かれそうになったら手近の突撃級の陰に隠れて即席の盾とする。
「平面機動挟撃!」
『了解!』
 高速で接近する二つの機影に光線級は照準するのを一瞬躊躇う。その一瞬ですれ違いざまXCIWS-3 試作近接戦闘長刀が光線級の目玉を真っ二つにする。
『やった!』
「シルヴィア! チェックシックス(後方)!」
 浮かれているシルヴィアに武が警告を飛ばす。だがそれは一瞬遅かった。残った光線級がレーザーを放つ……その瞬間に36mmが目玉の部分をズタズタにし、行き場を失ったエネルギーがボスンと音を立てた。直後に着地するのは噴射跳躍してきたF-15SE。
『やれやれ……だから気を引き締めろと言ったんだ』
「よくやったギル!」
 グレイ2、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の副隊長であるギルバート=ラング中尉が呆れたように言った。
『大尉、あちらの敵は片付きました』
「流石だな、二人とも。ケビンはどうだった? ギル」
 初陣のケビン=ノーランド少尉。グレイ4のコールサインを預かる少年、尊敬する上官から評価を下されるのをひょっとしら戦闘中よりも緊張して聞いている。
『なかなか様になってきてます。これが実質の初陣とは考えられないくらいに。支援砲撃の対象選択などは私にはマネできそうもないです』
「だとさ、良かったな。ケビン。まあ気を抜くなよ? 生きて帰ってようやく死の八分を乗り越えるんだからな」
『はい!』
「さてと、こちらグレイ1よりCPへ。他に撤退支援が必要なエリアはあるか?」
『こちらCP。撤退支援が必要な部隊は存在しない。グレイ1はこれより撤退を開始せよ』
 つまりもう動けて残っているのは武たちだけということになる。
「グレイ1、了解。……ミリア?」
『こっちも限界。やっと向こうもハッキングされてるって気付いたみたいだね。ネットワークを切断された』
 そう言っているが、さほど悔しそうでもない。元々時間稼ぎはこのくらいの予定だし、彼女自身のハッキング技術が破れた訳ではないから良いのだろう。
「よし、グレイズ! 全速後退する。一番遅れた奴はトップに夕飯一品献上だ!」
『グレイ2、了解』
『ええ! 作戦後のご飯食べなかったら死んじゃうよ!』
『勝てば問題ない』
「そういうことだ! 行くぞ!」
 武のYF-23と三機のF-15SEは隊列を組んで匍匐飛行で戦闘領域を、G弾の効果範囲から逃れようとする。
 その途中で絨毯のように広がる戦車級を踏みつぶし、36mmで蹴散らし、彼らの辿った道を屍が示した。
 全速で遠ざかる横浜ハイヴのモニュメント。それが遠眼では何なのか分からなくなったころ。後ろで黒い閃光が弾けた。
 1999年8月5日、明星作戦は終了した。二発のG弾によって。その中で本来それに飲み込まれるはずだった139機の戦術機が帰還したのはまさに奇跡というのが後の軍関係者の意見である。

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[12234] 【第一部】第二話 魔女と鬼才
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:18
 香月夕呼。オルタネイティヴ4の責任者である彼女は明星作戦に参加した戦術機母艦の中を苛立たしげに歩いていた。いや、彼女だけでなくそこにいるほぼ全員が苛立っていたが。
 条約を一方的に破棄して極東から撤退した米国が事前通告もなしに新型爆弾を投下。その前に来た国連軍の増援がなければ戦術機部隊にも少なくない被害が出ていただろう、とほとんどの人間が考えていた。そのため米国を非難しても国連軍を非難する者が少ないのは夕呼にとっては不幸中の幸いと言うべきであったが、彼女の苛立ちの原因はまさにその国連軍部隊にあった。
(オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊ですって? あたしの指揮下にそんな部隊は存在しない。オルタネイティヴ計画という言葉に偽りがないなら)
 すなわちオルタネイティヴ予備計画――オルタネイティヴ5だ。
(こんな風に表に出てくるなんて。もうこっちが失敗したって決めつけてるのかしら? ふざけんじゃないわよ!)
 偶然なのか、それとも作為的なものか。その件の部隊はここに収容されたらしい。
(一体どういうつもりなのかきっちり説明して貰おうじゃない)
 簡易的な戦術機格納庫。整備も補給もろくにできない場所ではあるが、取りあえず収納はできる。そんな感じの場所に駆け込み、その部隊を探す。と、探すまでもなく見つかった。YF-23。F-22Aとの競合に敗れ制式採用を逃した機体。それにF-15の改良型と思しき機体。そんなものは大東亜連合に存在する訳もない。物珍しさか機体の足元には既に兵士が集まっていた。
「……気に入らないわね」
 どう見ても米国の機体。しかも一機は相当の権限がないと接収するのも難しいはずだ。その事実だけでオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊という言葉が現実味を帯びてくる。
 管制ブロックから衛士が降りてくる。途端に騒がしくなる格納庫。そのほとんどが衛士――彼らの支援で命を救われたものらしい。イーグルから降りた一人は陽気に手を振っている。一人は冷静にあしらい、一人は困惑気味である。そして夕呼の一番の目的。恐らくこの部隊の指揮官が乗っているであろうYF-23の衛士が降りてくるのを待った。
 纏っている空気が違う。戦う者ではない夕呼ですらも漠然とそう感じ取った。口々に礼を言う兵士たちになれたような応対をしているのは見た目二十歳そこそこの男である。だがただそこにいるだけで存在感を感じる。そう、今はいないA-01連隊の連隊長があんな感じだったかもしれないと夕呼は思った。
「タケル、シルヴィ、ギル、ケビン」
 トテトテと夕呼の足元を駆けて行く小さな影。視線で追うとその部隊員たちのところへ駆け寄っていった。ローティーンの少女。流れるようにたなびかせるプラチナブロンドの髪が周囲から浮いている。誰かの娘か妹だろうか? 夕呼が至極真っ当な、しかしここが戦術機母艦であると明らかに間違いなことを考えていると隊長格らしき人物が少女に敬礼した。
「特務戦術機甲小隊四名。全員帰還しました」
「お疲れ様。みんな。取りあえず今日は休んで」
「はっ。博士の御配慮、感謝します」
「じゃ、解散」
「敬礼!」
 副隊長らしき人物が号令をかけ、彼らは解散した。だが夕呼は驚きのあまり動けない。あの部隊は今の少女に敬礼していた。そしてオルタネイティブ計画直属の部隊ということは、つまり。
「Ms.香月」
「っ」
 気がつくと目の前に少女とさっきの隊長らしき人物が立っていた。こうして間近で見ると少女はビスクドールのような顔立ちをしており、隊長の方はサングラスで目元を隠している。
「少しお話があるのですがよろしいですか?」
「……ええ」
 夕呼は知らず乾いた唇を舐める。これから行われるお話とやらがただのお話で終わらないことを予感しながら。

 割とあっさりと会談に持って行けたというのが武の率直な感想だった。戦術機母艦の中で一番上等な――上等というのはセキュリティーも含めての話である――一室で二人の話し合いは行われることになった。正直もう少しかかるかと思っていたのだが、やはり伊隅大尉の前でオルタネイティヴ計画の名を出したのが効いたのか。それともうちの部隊の戦闘についてか。あるいはその部隊の上司がこんな年端もいかない少女だということに対してか。もしかしたらその全てかもしれないし、全く別の理由かもしれない。
(まだ純夏をリーディングしてないから白銀武については知らないはずだ)
 純夏の事を考えた時、武の胸に痛みが走った。武がこの世界に来た時には既に横浜ハイヴができていた。つまり純夏は既に捕虜になっていた。助けだすには……恐らく手おくれだった。仮に間に合ったとしても恐らく助けなかっただろうと武は考えた。もしもここで純夏を助けた場合、00ユニットが完成しない可能性がある。他の適合者が上手くいけば良いが、万が一うまくいかなかった場合、人類の勝利というのは遠ざかる。ハイヴデータがあるかないかだけでも全く違うのだから。
(惚れた女を幸せにするためにもう一度やり直してるのに心が壊されるほどひどい目にあわされるのを黙認するなんて……なんて矛盾だろうな)
 純夏や霞を幸せにしたい。だがそのために人類が負けては意味がない。死なせてしまった戦友を死なせては意味がない。だから愛する者の不幸すら許容する。
(全く……本当に純夏の言った通りだ)
 どうして2001年じゃないのかとか自分の部屋じゃなくてミリアの執務室だったのかとか色々と疑問はある。だがそれでも望む未来のために全力を尽くすつもりだったが。
(こういう形での苦しみはちょっと……予想外だったかな)
 我ながら想像力が足りてないと思いながら壁際に立っている。護衛はお互い一名づつという取り決めの元。反対側には同様に伊隅みちる大尉。一応護衛としてこの部屋にいるが実際お互いに役に立つことはないだろう。外部からの襲撃でもない限り。そして部屋の中央にあるテーブルに二人の天才……香月夕呼とミリア=グレイが座っていた。
(伊隅大尉……やっぱり少し若いな。それにミリアも。普段は眠そうな目がばっちり開いてる)
 公私の区別がしっかりできているということだろう。
 武が淹れさせられた(やたら淹れてるうちに上手くなってしまった)紅茶を飲むミリア。そのあまりな余裕ぶりに夕呼は苛立っているのが見えた。
「あら、Ms.香月。飲みませんの? うちの部下が淹れた紅茶はお気に召しませんでしたか?」
「いいえ、Ms.グレイ。少し緊張していただけですわ」
 その言葉に思わず武は噴き出しそうになるのを必死で堪えた。夕呼先生が緊張するとかありえねええ、と内心で叫んでいる。幸いにも目元はサングラスで隠され、口元はどうにか平静を保たれていたから室内の誰にも気づかれることが無かったが。
「それで、ご用件とは何でしょうか? まさかただ一緒にお茶をしたかったというわけではないでしょう?」
「実はそれも大きな要件の一つだったのですが、まあそれはできたので良しとしましょう」
 にしてもミリアの落ち着きぶりに武は何度目か分からない感嘆を覚える。この少女は夕呼の半分ほどの年でありながらほぼ同等の権限、知性を誇り、因果情報の受け取りもあるが夕呼をはるかに超える才覚を見せている。夕呼自身が世間からみればあり得ないようなスペックなのに、ミリアはその上を行く。それがどれだけ異常なことか。
「ときにMs.香月。研究の方は順調ですか? まあもっとも本番はこれからといったところでしょうか?」
「……何の話か分かりかねますね。Ms.グレイ」
「おや、では分かりやすくいいましょうか? 00ユニットの製作は順調ですか? 適合率が低くて大変でしょう?」
「……どちらでそれを?」
 流石というかなんというか。確実に動揺はしたはずなのに微塵も表情が揺るがない。武はあのレベルまでなるのは無理だろうな、と残念な気分になる。
「あら、これでもオルタネイティブ予備計画の責任者とも言える立場ですよ? これくらいは知ってますよ?」
 夕呼がちらりと武に視線を向けた。それに気付いてミリアが言う。
「ああ、彼なら大丈夫です。彼の情報開示レベルは私とほぼ同等ですから」
 その言葉に夕呼からの視線がさらに険しくなった気がした。G弾信奉者だとでも思われたのだろうか?
「尤もそちらの大尉はこれ以上の機密に触れるのは許されていないようですね」
 一瞬みちるが困惑したのを見逃さずにミリアがそう言った。確かに適合率の下りでみちるは戸惑いを見せていた。
「伊隅大尉。悪いけど席を外してくれる?」
「博士! それでは護衛が」
「ここから先の情報にあなたが触れる権利はないわ」
「……わかりました。では、失礼します」
 渋々といった表情を浮かべ、みちるが退室し、ドアがしっかりしまったのを確認してからミリアが口を開く。
「己が分を弁えた良い部下ですね。ごねられたらどうしようかと思いました」
「大方そこにいる護衛が強制的に排除でもしたんじゃないのかしら?」
 夕呼の言葉にミリアは大仰に驚いたふりをしてみせる。
「あら、知っていたのですか。Ms.香月もお人が悪い。気付いていたのなら言ってくれればよろしかったのに」
 実際にミリアは――というよりも武はやるつもりだった。ここから先の話はみちるに聞かせるわけにはいかない。彼女の心情は悪くなるが、必要なら武はそうした。
「くだらない話は良いわ。さっきも言ったけどお茶をしに来たわけじゃないわ」
「そうですね。では本題を。このままではオルタネイティヴ4は2001年の12月25日にオルタネイティヴ5……つまり私たちの計画に移行します」
「っ!?」
 夕呼が今度は驚愕も隠せずに目を見開く。サングラス越しにその様子をみて武は当然か、と考えた。
 まだ1999年。二年も先の話をされて驚かない人間がいるはずがない。
「それは国連議会の決定ですか? そんな話、どこからも」
「ええ、これはあくまで私の予想。ですけどほぼ間違いないと思ってますよ」
「あと二年……?」
「ええ。二年で結果を出せなければ」
 夕呼の表情に焦りが浮かんでいる。二年というのは長そうで短い時間だ。実際、夕呼は武が理論を回収しなければ独力で00ユニットを回収できなかった。その自覚があるのだろう。
「尤も私としてはそれは望ましくない」
「……?」
 夕呼が先ほどまでの焦りの代わりに訝しげな表情を作る。オルタネイティヴ5の責任者が5に移行するのを望ましくないと言っているのだから当然ではあるが。
「Ms.香月。勘違いしないでほしいのは私が担当しているのは移民船の建造です。G弾によるBETA殲滅――つまりバビロン作戦には私は反対しているのですから」
「……オルタネイティヴ5派も一枚岩ではないということかしら?」
「そう考えてもらって結構です。そもそも私からするとBETA由来の物質で作ったG弾がずっとBETAに効果があると信じているあの頭の固い軍人どもに説教してやりたい気分です」
 よっぽど鬱憤が溜まっていたのか言わなくてもいい事まで口にするミリア。下手な将官にでも聞かれたらそれだけで立場が危うくなりそうだ。彼女に限って目的を見失うことはないと思うが、念のため注意を促す。
「ミリア」
「……話がそれましたね。で、その為に私たちがMs.香月に協力したいと思います」
「協力?」
「ええ、我々は00ユニットを完成させるために必要なものを用意できる」
「……その話をどうやって信じろと?」
「まあ当然そうなりますね。できればすぐに証拠を見せてあげたいのですが、残念ながらこちらも準備に時間がかかります」
「どのくらいかしら」
「まあ二年と二か月くらいですね」
「ふざけてるのかしら?」
 まあ普通の反応だろう。そこから二ヶ月でミリアの言った移行の日だ。協力すると言っておきながらそのギリギリのタイミング。夕呼の眼からは馬鹿を騙すための戯言にしか聞こえないだろう。
「残念なことにそれを早めることも遅くすることもできません」
 相変わらずミリアは淡々と話を進める。その瞳に揺らぎはない。事実その日以外で来たことは今回の一件しかないのだから。
「ですので00ユニット完成の支援はそちらがそれまでに独力で完成できなかった時として、それ以外での支援になりますね」
「……具体的には?」
「そうですね……どこかの国が出し渋るようなものを要求する時に圧力をかけることができるかもしれませんよ?」
 つまりは米国への圧力。言葉にするとそれだけだが、オルタネイティヴ4に賛同していない人間が多い米国で融通がきくようになるのは結構なメリットだろう。
「そちらが得るメリットはあるのかしら?」
「さっきも言いましたが私たちの目的はバビロン計画の阻止です。どんな形であれ、それを阻止できれば方法は構わない」
「それでオルタネイティヴ4を?」
「一番可能性が高いと思いましたから」
 その言葉に夕呼は考え込む。この申し出の裏を頭の中で考えているのだろう。そしてその場合自分がこうむりそうなリスクとメリットを天秤にかけている。
(まあこっちは純粋に援助したいだけなんだけどな)
 とはいえ夕呼にそんなことを言っても信じてもらえないだろう。むしろ余計に考えさせるだけだ。だから武は口を挟まない。おそらくリスクをさらにメリットに転じることまで考えているのだろう。一分ほどして夕呼が顔を上げた。
「……その申し出、受けさせて貰いますわ」
「交渉成立ですね」
 魔女と鬼才が手を組む。
(もしかしてこの二人で世界征服とかできちゃうんじゃ?)
 武は知らない。とある確立分岐世界でそれが現実になってることを……。

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[12234] 【第一部】第三話 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:17
「さて、そろそろ私たちもフロリダに帰るとしようか」
 まだ戦術機母艦の中。夕呼との会談のあとミリアが思い出したようにそう言う。真っ先に反論したのは痛んだ金髪を揺らすシルヴィア。
「え~日本観光は~?」
「できるわけがないです」
「シルヴィア、国連は多かれ少なかれ米軍と同様に見られる。そんな状況で単身、観光に出た場合どうなるか、私には保証できない。それでも良いなら逝ってこい」
 冷たくバッサリとケビンはその提案を切り捨て、ギルバートが追い打ちをかける。一瞬で沈黙したシルヴィアに苦笑を浮かべながら武は間に入る。
「まあそのうち来る機会があるだろうからその時は案内してやるよ」
「そう言えば大尉は日本出身でしたね」
 ケビンは初耳なのかそうなのですか? と問いかけてくる。
「言ってなかったか? まあそうだ」
「へえ、じゃあ帝都のおいしいお店とか知ってます?」
 早くも復活したシルヴィアが目を輝かせて訊ねてくる。だが残念なことに彼女の望む答えを返すことはできない。
「いや、食い物関係はさっぱり」
「ええええ~」
「……シルヴィア、基地の食事に不満でもあるの?」
 ケビンが物凄くがっかりしてるシルヴィアを哀れに思ったのか声をかける。
「いや、無いけど?」
 ならなぜそこまでがっかりしたんだよとジト眼で見つめるケビンに気付いたのか早口で弁明する。
「だ、だってさ、基地の食事おいしいけど甘いものが少ないって言うかお菓子食べたいみたいな?」
「博士の執務室に行けば大抵クッキーとか貰えるよね?」
「ああ、大尉の淹れて下さった紅茶はなかなかの味だった。私も一度習いたいものだ」
 その男二人の発言に私驚きました。とでも言いたげな表情で固まっているシルヴィア。
「シルヴィ、君はいつも報告書の提出をケビンに押し付けてるから知らないだろうが私は報告書を持ってきた部下はそれなりに労う主義だよ?」
 ミリアの発言に更にショックを受けるシルヴィア。そして武がトドメを刺す。
「ちなみにこの前天然素材で作ったクッキーがあったけど終わったから」
「そ、そんなあああああああ!」
 崩れ落ちるシルヴィア。そんなに食いたかったのだろうか。
「さて、大した荷物も無いだろうが支度をしたまえ。帰ったら丁度注文しておいた新しい茶葉が届くころだ」
「へえ、新しいの頼んだんだ?」
 意外にも興味を示したのは武。最初は嫌々やっていた紅茶を淹れるのも美味しい美味しい言われればそれなりに面白くなってくるものである。仮にも部隊長が小間使いのように扱われているのを疑問に思う人間は幸か不幸かオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊にはいなかった。

 海上輸送でゆっくり時間をかけてフロリダ基地まで戻る。その最中に武は機体のステータスチェックをしていた。
「やっぱり間接部の負担が大きいか。補修パーツも限られてるからな。限定的に生産してもらうかF-22A辺りを流用できるように改造するか」
 YF-23は既に競合に敗れ、量産されるどころか、一度も制式採用されてないため補修パーツの調達すら困難な機体である。今はまだ試作機建造の時に作られた補修パーツと予備機があるから良いが、それが尽きたら実質この機体は死んだも同然となる。
「この機動力と格闘性能は武御雷には無いものだからな。できれば失いたくない」
 F-15SEも良い機体だが、機動力で一歩劣り、積載可能な装備の数でYF-23に軍配が上がる。武は自分では長刀での格闘技術に特別長けているわけではなく、射撃も特別優れているわけでは無いと思っている。実際はどこの部隊に行ったとしてもどのポジションでも即応できるだけの力はあるのだが、その道のスペシャリスト――たとえば格闘なら真那や冥夜、慧。射撃なら壬姫や晴子、祷子といった面子にはかなわないというだけの話である。実際に厳しい戦場では彼女たちと比べて武の武装の消耗は早かった。そのため積載可能な武装が多いのは武にとって望ましいことだと感じている。
『大尉、サイレントイーグルの損耗ですが』
 強化装備は付けていないが、機体ステータスを表示するためにヘッドセットを装着していた武の元にギルバートから通信が入る。網膜投影で武と同じように作業着にヘッドセットをつけた姿が視界に映る。
「ああ、何か問題があったのか?」
『問題、というほどのものではありませんが。一回の戦闘での機体各部へのダメージがやや大きい気がします』
「そりゃあ新OSの影響だな。あれのお陰で今までよりも自由な機動ができるようになったが機体へのダメージが大きいからな」
『なるほど。性能アップの弊害ですか……しかしそのリスクに目を瞑ってでもあの機動は魅力的です』
「まあ機体への負荷が増えるって言ってもそこは衛士の腕でカバーできるところだからな」
 実際、横浜基地をBETAが奇襲した時、斯衛の武御雷はほぼ無傷だった。同様の戦いを行った武たちの不知火はスクラップ同然だったにも関わらず、だ。
『ふっ……それは我々に対する挑戦ですか? 大尉』
「と、いうより俺達全員に対する課題だな。俺だってまだまだだ。まあ基地に戻ったらオーバホールに出すか」
『その間はシミュレーター演習ですか?』
「そうだな。オーバーホールから帰ってきたらまた教導の仕事が入るかもしれない」
『仮想敵(アグレッサー)ですか。あれは確かに訓練になりますが、米軍は何を考えているのでしょうね。訓練内容のほとんどがAH(対人戦闘)というのは。あそこまであからさまだと呆れてしまう』
「まあ俺たちも人の事言えないけどな。……でかい声で言えないが、俺たちの任務内容には人間を相手にすることがあるのも忘れるな」
『ええ、心得ています。シルヴィアも日頃はふざけてますがそのあたりは大丈夫でしょう。問題は……』
「ケビン、か?」
 この部隊の中で一番年若く、経験不足な少年の名前を挙げる。その言葉に映像の中のギルバートは小さく頷く。
『彼は優秀です。しかし心が幼すぎる』
「戦術機はBETAと戦うための剣で人類に向けるものではないって?」
『大きな声では言えませんが私も、おそらくシルヴィアも人を撃ったことがあります』
「ああ、俺もそうだよ」
 BETAを撃った時とは違う後味の悪さ。あれだけは何度経験しても慣れそうにない。
『そして任務遂行のために必要なら友軍を切り捨てる覚悟もあります』
「俺は……できればそうしたくないけどな」
 桜花作戦ではその甘さで他の部隊員に気を使わせたのは武にとって苦い記憶だ。もしあの時自分がもっとしっかりしていたら死なせずに済んだかもしれないと思ったことは一度や二度ではない。だがその考え自体が彼女たちの死を侮辱しているのだとも理解していた。それでも考えてしまう。最大効率。その言葉が重くのしかかる。
『私だって救える命は救いたい。しかしケビンは……』
 人を前にして撃てるのか。味方を切り捨ててでも任務を遂行できるのか。
『それができないのであれば彼は部隊から外すべきかと』
「まあ待てって。ギルバート。あいつがまだそうだと決まったわけじゃない」
『そうでしたね。大尉……私は』
 口ごもるギルバート。だが武はこの実直とも言える部下が非常に部下思いなことを知っている。でなければ時々届く元部下からの手紙に一つ一つ返事を出したりはしないだろう。
「わかってる。別にあいつを苛めたいわけじゃなくて心配してるんだろ?」
『……彼がためらえば彼だけでなく我々も危険に晒されます。そのリスクを考慮しただけです』
 素直じゃないな、と武は苦笑する。ケビンはギルバートを目標にしているし、それをギルバートが表情には出さないものの喜んでいるのも知っている。そう言えばシルヴィアはそういうのあっただろうか、と考えたがシルヴィアは全体的にフレンドリーな感じだな、と結論付けた。実際には武に遠まわしにアピールしているのだが鈍感大魔神且つ、純夏&霞一筋? な彼は全く気付かない。
「で、実戦で使った感想はどうだった?」
『非常に良い機体です。機動性も申し分ありません。恐らくケビンもシルヴィアも同じ感想かと』
「ふむ、じゃあF-22Aと比べてどうだ?」
『……私は乗ったことが無いので友人から聞いた話を基準に考えますが』
 と、言っているが実際は彼はF-22Aに乗ったことがある。その時の任務で詳細は武も知らないが、トラブルがあり後方に回された。その際に緘口令が敷かれたためこのような言い方になっているのだろう。
『巡航速度などではあちらに分がありますが、近接戦闘時の小回りではこちらが上でしょう。射撃に関してはあちらの方が若干優秀。ステルス性もあちらの方が優秀です。しかしこちらは整備が簡単。且つ機体コストが遥に下。またその性能と数をそろえるのが容易という点から対BETA戦ではこちらの方が優秀と言えます』
「なるほど。俺はF-22Aの搭乗経験はないから参考になった」
『ふっ、大尉。それは私もです』
「ああ、そうだったな。悪い悪い」
『さて、そろそろケビンとシルヴィアも機体チェックをさせましょう。作戦後だからこそ気を緩めっぱなしという訳にはいきませんから』
「まあもう少しゆっくりさせてやれ。あんな大規模作戦は初めてだから二人とも疲れたんだろ」
『では彼らの機体チェックは大尉がなさるということで』
「しまった。そういう狙いだったか」
 武の副官たる彼はにやりと笑う。
『さあ? 何の事だか私には。さて、それでは私は失礼します』
「おう、お疲れ」
 投影されていた映像が途絶え、キャットウォークからギルバートが降りるのが見えた。本当に帰るつもりらしい。恐らく割り当てられた部屋で休むのだろう。歴戦の衛士でもあの戦闘は堪える。正直武も早く休みたいが、部下を休ませるのも上官の仕事だろうと考え、二人の分の機体チェックを始める。こういうところが前の世界でも彼を英雄と呼び慕う部下が多かった理由の一つである。
「そういえば……」
 一つ武は気になったことを思い出し、全機体のログを確認する。
「これは……!」

 戦術機を海上輸送するためのタンカーはそれなりに設備は整っていた。その中には当然PX――というか食堂もある。そこに集まるはオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊+一名(ミリア)。だがその空気は重い。
「……何事かね? この空気は」
「(ヒソヒソ)何で副長あんなに暗いの?」
「(ヒソヒソ)俺に振らないで下さいよ。無駄に隊長がご機嫌なのも気になります」
「さて、諸君!」
 武がそんな周りの空気をぶっちぎって声を張り上げる。
「先日行ったドキドキ誰が最後かな? 撤退レースの結果を発表する」
「取りあえずタケルにネーミングセンスがないのはよくわかったから落ち着きたまえ」
「ああ、そう言えばそんなこと言ってましたね」
「うわ、大尉本当にやったんだ」
 普段からふざけることが多いシルヴィアすら呆れていると言えば武のテンションが分かるかもしれない。
「さて、先ほど整備ログを見た結果――まずはトップ! ケビン。おめでとう」
「はあ、ありがとうございます」
 心底どうでもよさげに答える。
「二位、俺」
 特にリアクション無し。
「三位、シルヴィア」
「正直どうでも良いんでごはん食べさせてください」
 今にも食器を打ち鳴らしそうな雰囲気で言うシルヴィア。
「そしてドべ。ギルバート」
「……………………」
「ああ、なるほど。だからギルの空気が重かったのかね」
 この退屈なタンカーの中では食事は貴重な娯楽だ。それが一品奪われるのだから淀んだ空気も纏いたくなる。
「ってことはケビンが副長の一品奪う訳だ」
「ええええ!」
 確かにケビンにしてみれば敬愛する上官の食事を一品奪う。それはあり得ないことだろう。だが無情にも今日の武は間違った方向にノリノリだった。(主に一人で三機も機体チェックした疲労でハイになっている)
「ふ、副長……これ、要りますか?」
 戦利品(ケビン的には核爆弾)を恐る恐る譲ろうとするとギルバートは重苦しい声で。
「……敗者に情けをかけるな……ケビン」
「は、はい……」
「ついでに上官命令。それはちゃんとケビンがしっかり食べること」
 普段命令とかしないのにどうしてこういうときには権力を遠慮なしに使うんだろうとケビンは首を傾げずにはいられない。
「あ、大尉。私のF-15SEの機体チェックしていただいてありがとうございます」
「お、俺のもありがとうございます」
「気にするな。っと、そうだミリア」
「何かね?」
「YF-23何だが間接部とかの補修パーツだけでも良いから生産できないか?」
「……後でノースロックに掛け合ってみよう。F-15SEの方はどうだったのかね?」
 最近この部隊の人間が気付いたことだが、ミリアは周囲に信頼できる人間がいるときだけこういう言葉づかいになる。交渉事のテーブルに着いたときなどは別人のような口調で話しているから恐らく確実だろうとも。
「実戦証明がまだなので不安でしたが予想以上に良い機体でした」
「ま、イーグル系の機体だから大外れは無いと思ってたけどシミュレーター通り良い仕事してくれたよ」
「私の言いたいことは二人が言ってくれました。ただ試験機にしては少し完成度が高いのが気になりました」
(さすがギルバートは鋭いな……まあ実際に仕様は制式採用機と同じだから試験機なんてのは方便なんだけどな)
「そこは設計した私を褒め称えるところだろうね。まあ特に問題が出なかったようでなによりだ。ではあれを元に先行量産機の設計に入るとするかね」
「期待しています。博士」
「折角だから57mm支援砲も導入してくれません? あれ結構使い勝手良さそうなんですけど」
 サイレントイーグルと支援砲に一体どんな関連付けが行われたのか知らないが、シルヴィアがついでとばかりに自分の要望も口にする。
「何が折角なのか分かねえが確かにあれは結構良い装備だ。導入してもいいかもしれない」
 現に武も錬鉄作戦の時に不知火・弐型に積んで使用したが、バランスのとれた良い装備だと記憶していた。
「ふむ……確かラインメイタル社だったね。そちらもやっておこう」
「ありがとー博士」
「さて、そろそろ食事にしようか。いい加減に私もお腹が空いた」
「じゃあいただきます」
「あ、いただきます」
「いただきまーすっ」
「……いただきます」
「ごちそうさまでした!」
 武、みんなが口々にいただきますと言ってる間に完食。祷子直伝の早食いである。
「早いですよ、隊長!」
「うわ~いつ食べてたのか全然わかんない」
「常在戦場の心得、というやつですね」
「……ちゃんと噛まないのは体に悪いと思うのだがね」
 とりあえず武の言い分。ちゃんと噛んでます。

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[12234] 【第一部】第四話 教導隊の顔
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/18 11:10
「……こちらオリンポス3。生き残っている者、応答を」
 オリンポス中隊、C小隊隊長が緊張を滲ませた声で僚機に呼びかける。
『こちらオリンポス5。生存』
『同じくオリンポス6』
『オリンポス8。どうにか逃げ延びたぜ』
『オリンポス10です。手ごわいですね』
『オリンポス12。……まさかこれだけか?』
 返ってきた応答にオリンポス3は驚きを隠せない。たったの五機。自分も含めて六機しかいない。自身の乗機のF-22Aを物陰に隠し、物理的、電子的にも感知しにくい状態を作ったにも関わらずどこかから見られている気がする。嫌な汗が背筋を流れた。
『こちらオリンポス6。オリンポス3。奴らは何者だ? あの一瞬で六機も喰われた。こっちはF-22Aなのに!』
『こちらオリンポス10。確証は持てませんが私が一瞬交戦した機体はYF-23だったように思えます』
『YF-23!? こいつに負けた機体だろ!? どうして……』
「議論は後だ。今は奴らを潰すことを考えるぞ」
 余計な事を考えていてはただむざむざと狩られるだけだ。C小隊隊長である彼は唯一残った指揮官として残りの隊員の注意を向けさせる。
『何かプランが?』
「簡単な作戦だ。データを見ろ」
 オリンポス各機に送られたデータには二つのポイントがあった。
「奴らほど優秀ならば待ち伏せ(アンブッシュ)も警戒しているだろう。故にポイントAに誘い込むふりをしてポイントBにうまく誘導する」
『そしてポイントBでドカンですね』
「その通りだ。だが念のためポイントAにも一人伏せておく。こちらは損傷を与えられれば恩の字といったところだろうな」
『了解。ではデータ通り配置につきます』
 散開していくオリンポス中隊。それを見ながら若干苦々しい思いを堪える。今の作戦はかつてF-15とF-4Jの改造機が模擬戦を行った時にF-4Jの衛士が使った作戦だ。つまり弱者が強者を狩るための策。すなわちそれは六機いるF-22Aが弱者だということである。
「全く……だがこれで戦局も変えられるはずだ……」
 通信回線に乗らないつぶやきは管制ブロックの薄い闇の中に消えた。軽く頭を振りオリンポス3も配置につく。
 囮となったオリンポス10が後退しながら戦闘している。その銃火の先にはYF-23。オリンポス中隊で知ってるものは少なかったようだが、決してあの機体はF-22Aに劣っているわけでは無い。あれが採用されなかったのは性能よりも政治的側面の方が大きかったのだから。現にレーダーにはF-22Aの光点と同じくらいの光点しかみえない。この至近距離まで近付いているにも関わらず、だ。ステルス性能も十分に優秀らしい。
 ポイントAに伏せているオリンポス8が絶妙なタイミングで120mmを放つ。それは着地の瞬間の硬直を狙ったもの。まさかこうもあっさり蹴りがつくとは、とオリンポス3は落胆する。どうやら買いかぶり過ぎていたらしい、と。それが従来の発想に囚われた衛士の限界だった。
 YF-23はその常識を覆す。どの戦術機でもかわせない絶対の瞬間。それを無視してすぐさま横っ跳びに120mmを回避する。更に再び着地するまでの一瞬の間に彼の機体の右腕は別の機体のように独立した動きをし、狙撃してきたオリンポス8に36mm弾を浴びせる。
『う、嘘だろ!?』
 一気に中破まで追い込まれるオリンポス8に部隊全員が動揺した。当然だ。あの常識外れな機動を見せつけられて冷静でいられるはずがない。その動揺の隙にYF-23は体勢を立て直し、囮になっていたオリンポス10に長刀を引き抜いて切りかかる。
『え、きゃあ!』
 動揺から立ち直れないオリンポス10は管制ブロックを引き裂かれ大破。
「まずい! 各機二機連携を組んで後退……」
 その言葉を彼は最後まで言うことができなかった。彼の目の前に黒い機体。
「い、イーグルだと!?」
 なぜこんな至近距離まで気付かなかった! レーダを見てもそこにはやはり小さい光点しか存在しない。
「ステルス仕様のイーグルだというのか……?」
 それを最後にオリンポス3のF-22Aは大破した。
 そこから立て続けにオリンポス6、12が撃破。
『くそお! 何で当たらねえ!』
 通信機にオリンポス5の叫びが響く。だがそれに返事できるものは存在しない。正面から撃っているにも関わらず、その弾幕をすり抜けるようにF-15SEが接近し、右手に保持した短刀を突き出す。
『う、うおおおお!』
 短刀を抜いていては間に合わないとAMWS-21戦闘システムから36mmを放つ。だがそれも機体中心をそれ、F-15SEの左肩を貫いただけで終わり、管制ブロックに短刀を突きたてられ、大破する。同時にYF-23と交戦していたオリンポス8、10も大破。この左肩の損傷が彼らの残した唯一の証となった。

 2000年5月13日。すでに明星作戦から半年以上経った。その間、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊は大規模な任務もなく、設立理由の一つである教導を連日行っていた。北米大陸では数少ない実戦を経験した衛士を有する部隊。彼らから学べることは多いと、少なくない数の部隊が教導を打診している。
「さて、ではデブリーフィングを始める」
 ブリーフィングルームの一つに二つの部隊が集められていた。一つはオリンポス中隊。一つはオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊――ここでは特別戦術教導小隊というあつかいだが――である。オリンポス中隊の面々は半分が納得いかない顔。もう半分は自省している表情だ。
「……では中隊長。何かありますか?」
 武もオリンポス中隊長も同じ大尉だが彼の方が先任であり、年上だ。ここは目上を立てるべきだろうと判断し話を振る。
「完敗、としか言いようがない。最初の奇襲も見事だったし、その後の各個撃破も狙いすまされたようにやられたからな。演習の様子を見直してみるとヤラセかと思うぐらいになっている」
 苦笑しながらそういう中隊長に武はありがとうございますと頭を下げる。
「では今回の演習で反省点はあったか。グレイ小隊」
「……そうですね。私としては最後に長刀を使うべきだったかと。あれで戦闘が終了したから良かったですが、短刀で挑んだためリーチの差で左主腕を中破しました」
 ギルバートは冷静に自分の問題点を省みる。だがシルヴィアは非常にどうでもよさげに。
「私は特にありませーん」
「俺は……反省点の方が多くてあげられません」
 ケビンはケビンで若干過小評価気味なところがある。
「シルヴィア……自己を省みない者は成長しないぞ……?」
 結局あれからも報告書届けるのはケビンに任せてるし、と武は思い出す。
「ではオリンポス中隊の方は何かありますか?」
「まず最初の奇襲だが、全員が、たかが四機と侮っていた。それゆえに一気に六機も喰われたわけだが。それは奇襲だから可能であったわけで正面から戦えば恐らく六機で倒せただろう」
 してやられたよ、と苦笑を漏らす中隊長。
「申し訳ありません。目先の事態に気をとらわれ過ぎ、適切な指揮ができませんでした」
 オリンポス3の衛士が無念と言いたげな表情でそういうのを中隊長がフォローする。
「いや、私でも恐らくあのような指揮を執っただろう」
「それにあれも不正解というわけでは無かった。あれを回避できたのは運が良かっただけです」
「そうだ。それを聞きたかった。あの時のYF-23の機動。あれは異常だ」
 着地後に即行動。更にその行動中に射撃。どれも従来の戦術機では不可能な動きだ。
「ええ、我が小隊の戦術機には次世代型のOSが積んであります」
「次世代型……?」
 中隊長が期待と胡散臭い、と言いたげな気持ちを要り混ぜたような声音で反芻する。
「これ以上は機密事項に該当するので言えませんが、全世界に普及したら死者が半分になる。それくらいの可能性があるOSです」

 デブリーフィングが終わり、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊だけが残ったブリーフィングルームで全員がぐったりとする。
「つ、疲れた……」
「大尉。もう少しシャキッとして下さい……」
 ギルバートが言うが、そういう彼もだいぶ参っているようだ。
「そういう副長だって背中丸まってるよ……」
 シルヴィアが突っ込むが、その言葉にも勢いがない。
「流石に一日に三回も模擬戦やるのは疲れますね……」
 そう。このグレイ小隊。今日だけで午前一回。午後二回と模擬戦をしている。それもすべてJIVESを用いた実機で。疲れるのも不思議では無い。彼らとて人よりも操縦がうまいだけで体力は普通の人間と大差無いのだから。
「だけど最後に小隊デブリーフィングだけやるぞ~? これ終わったら部屋戻って寝て良いから……」
「了解」
「う~い」
「はい……」
 全員気の抜けた返事をしてだらだらしたままデブリーフィングが始まる。
「取りあえずXMシリーズの有用性はアピールできた。これで今度実際に導入する時少しは楽になるだろう」
 尤も武としてもミリアとしても米軍に支給する予定は当分ない。今は国連内部の極々一部の部隊で試験運用をしている段階だ。
「次はそれぞれの総括かな?」
 武からみた各々の問題点を上げていく。機体ログを見ながら一つ一つ。
「じゃあまずギル。もう少し格闘の時間合いを意識しよう。長刀には長刀の一番効果的な間合いってのがあるから。まあこれはギルだけじゃなくて他の二人もな」
『はい』
 机に突っ伏すような状態でも全員頭は働かせている。そのせいで却って意味不明な状態になっているが。
「次シルヴィア。大破が確定した機体に無駄弾を撃ち込むな。……まあBETA相手の時はあれくらいでいいけどな」
「わかりました」
「ケビン。お前今日全部撃つ時に一瞬ためらってたな。何でだ?」
 武は先ほどまでのグダグダを止め、ケビンを真っ直ぐ見て問う。その言葉に部隊員全員が体を起こし、真剣な表情になる。
「お、俺は……」
「戦術機はBETAと戦うための剣で人を守る盾、か?」
「……はい」
 頷くケビン。その返事に武は危惧していたことが現実になったことを悟った。
「その考えは正しいけどな。だけど戦術機で人と戦うことが無いわけじゃない。どうして俺たちの機体にBETAには何の役にも立たないステルスがついているかわかるだろう?」
「…………」
「実戦でそんなことやってたら死ぬぞ?」
「わかって、ます」
「いいや、あんたはわかって無いね」
 そう言ったのはいつものゆるんだ空気を引っ込めた真剣な表情のシルヴィアだった。
「あんたのその一瞬のためらいが命を奪う。だけどその命があんたのものとは限らないんだ。いや、一つであったなら良い。ひょっとしたらあんた以外の全員かもしれない」
 そういうシルヴィアの表情は苦々しい表情を作っており、恐らく実体験からくるものだろうと武は推測する。
「その時あんたは自分を許せる? 自分のせいで戦友をみんな死なせてしまった時。あんたは死なせた戦友を誇らしげに語れる!?」
 衛士の流儀。それはこの部隊が設立した時にまず最初に武が話したことだ。万が一そうなったときに全員が全員をちゃんと語れる。そういう部隊でいようと。
「……すいません大尉。ちょっと頭に血が上ったみたいです。取りあえず部屋に帰って寝ます」
 そう言ってシルヴィアが退室していく。退室直前に見た顔色は死人のように白くなっていた。それだけ思い出すのも辛い記憶なのか。だがそれを堪えてでもケビンには言う必要があると感じたのだろう。
「シルヴィアの言ったことは間違ってない。後悔だけはしないようにしろ」
「ギルの言うとおり。まあ人を撃つ事に慣れるのもダメだけどな。その死をきっちり背負わないと」
「確かに。罪を感じなくなったら人としておしまいだ」
 それも詭弁にすぎないのだろう、と武もギルバートも思っていた。結局どんなに言い訳しても人殺しには違いない。問題はそれを自分の中でどう処理するかだ。
「背負う……」
「そう。まあお前はまだ若いからしっかり悩め」
「若いうちの苦労は買ってでもしろというからな」
「はい。って隊長も副長もまだまだ若いじゃないですか!」
 書類上では武とは二歳。ギルバートでも七歳年下だが、自分の年齢を考えると十分に若いと呼ばれる年代だとケビンは今更気がついた。普段から妙に老成しているように見えるため、意外と意識しないのだが。ちなみにシルヴィアの年齢は誰も知らない。見た目は二十歳前後のはずだが、書類すら塗りつぶされてる。体重、スリーサイズも。どうやったのかは疑問だが、情報戦でも優秀な能力を持っている……と思うことにして部隊全員が気にしないでいる。
「あ、俺実は中身は30越え」
「私は自己の確立が早かったからな。精神年齢は高いとよく言われる」
「……詭弁っぽいです」
「それが大人だよ、ケビン」
 適当なことを言って場を閉める武。きっとケビンなら迷っても自分で答えをだせるだろうと信じて。結局のところ他人から何を言われても自分の中で答えを出さなければ意味がない。
(まあ俺みたいにいろんなものを失ってからじゃなければ良いんだけどな……)
 そう考える武の横顔は先の宣言通り、30を超えた戦士の貌だった。

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[12234] 【第一部】第五話 嵐の前
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:15
「大尉は昔に戻れたらって考えること、あります?」
 PXで合成ウィスキー(天然ものもあるのにわざわざ頼んだ)を煽るシルヴィアが机に突っ伏しながらそう尋ねてきた。珍しく一人で静かにしてると声をかけたのが武の運の尽きだったともいえるだろう。
「そりゃあ何度かある。部下を失った時とか特にな」
 というか実際に二度ほど戻っているというのは心の中でつぶやくに留めておく。自分の采配がもっと上手くやっていれば死なずに済んだんじゃないのかと悔やんだことは一度や二度では無い。今だってもしもこの小隊メンバーが欠けたら同じように悔やむだろう。そうならないために今の武は勤勉に様々なことを学習している。
「ですよね~。後悔しない人間なんていませんよね~」
「で、そんな当たり前のこと聞いてどうしたんだ?」
 何か愚痴りたいことでもあるんだろうと思い口を開きやすいように促す。このあたりも部下と交流するためにどうするかと恥を忍んで部下に慕われる上官や、その部下たちに聞いたりした成果だったりする。
「私はですねえ。ケビンを弟みたいに思ってるんですよぉ?」
 ならケビンからみればシルヴィアは手のかかる姉か? と武は思ったが、それも胸の中に留めておく。
「だからあの子には私みたいな後悔はして欲しくないんですよお」
 私みたいな後悔。つまりは先日のデブリーフィングで言っていたことだろう。
「俺だってあいつに俺みたいな思いはさせたくない」
 今となっては自分が絶望的な気分になるような出来事の全てが自分を成長させるための糧になったと思ってはいる。だがあれは人によっては途中でくじけてしまう。ひょっとしたらどこかの確立世界ではあの出来事一つ一つでくじけてしまった世界があるんじゃないかと武は思っている。
「ギル副長だってそう思ってるはずですよぉ。らのにあの子っはら……一人でウジウジ考えて……あたしらはそんあに頼りない上官ですか!」
「取りあえずウィスキーを置け。呂律が回って無いぞ」
「あたしわ酔ってまへんって」
「いや、酔ってる間違いなく酔ってる」
 酔っ払いの定例文みたいなことを言っても説得力ゼロだ。
「らいたいれすね。あたしは、たいひょうにもひとこと言いたいんれすよ」
 もはやケビンの話から逸れている。シルヴィアが酒を飲むところは初めて見たが、絡み酒だったのか、と武は肩を落とす。
「たいひょうはいつもいつも」
「白銀大尉。グレイ博士がお呼びです」
 これからシルヴィアの本気が始まるというタイミングで恐る恐るどこかの曹長が武に呼び出しの旨を伝える。
「悪いな、曹長。助かった」
「いえ、失礼します」
 さて、シルヴィアには悪いがここは避難させて貰おうと考え武は席を立つ。
「らいらいあらしみらいなみじんがこうしてあひーるしてるおにおうしてなんにもはんのうがらいんですか!」
 目の前に武がいないことにも気づかずに何かを言っているシルヴィアを見てPXの中にいる一人に適当に水でもやって酔いをさましてやってくれと頼みミリアの執務室に向かう。

「御苦労さま。タケル。意外と早かったね」
 執務室につくとデスクにミリアは座っていた。……小柄なので足が床に届いていないのは御愛嬌か。こうしてみるととても人類の命運を背負った計画の責任者には見えない。精々が高官の娘が親の執務室で遊んでいる、だろうか。言ったらとんでもない事になるのは確実なことを考える武。
「こっちにも逃げ出したい事情があってな」
 絡み酒は速瀬中尉だけで十分だ、と思ってしまった武に罪はない。
「ふむ? まあ良い。取り合えずこれを見たまえ」
 手渡された書類は米国議会内でのG弾脅威論についての報告書。
「……やっぱりこれは」
 それを見て武は顔をしかめずにはいられない。彼らの意見というのは要約するなら。
「ほとんどが反オルタネイティヴ派に変わるだろうね。私と君の記憶が正しければ」
「……つまり」
「これからの任務は対テロに移行するだろう」
 その言葉に武は唇を噛む。まだ早い、と思った。しかしこちらの準備が整っていないからと言って世界はその流れを止めたりはしてくれない。
「……部隊の方はどうかね?」
「技術面では問題ない。XM2もあるから戦術機一個大隊くらいまでなら俺たちだけでも対処できる」
 尤も危険だけどな、と付け加えるのを忘れない。
「問題は精神面ということかね?」
「俺とギルバートは問題ない。シルヴィアも多分大丈夫。問題は」
「ケビン=ノーランド少尉、か。BETAとの実戦経験は三度。対人経験は無し、か」
「あいつは……人を撃つ事にためらいを覚えてしまうからな」
 人としてそれは間違ったことでは無い。だが仲間を守るため、自分を守るためにもそれができないのは戦うものとして致命的だ。
「今のところここがオルタネイティヴ5の本拠地だとは知られていないからしばらくは直接のテロはこないだろう。だが議会や国連の誰かがテロリストに同調して情報をリークしたら……本格的なテロがここにも来るだろうね。HSSTの特攻くらいならまだ政治的干渉での対処のしようがあるがね」
 尤もここには移民船開発の本拠地であり、バビロン作戦とは一切のかかわりが無いのだから本当は意味がないのだが。テロリストにはそのあたりの区別はどうでもいいのだろう。それに地球を捨てる、というところに反対している人間はむしろこっちに来るだろう。
「確かに、な」
 あらかじめ来るかもしれないと思っていればHSSTと言えども注意を促すこともできる。だがもしも戦術機部隊で強襲されたら?
「最前線の後方の横浜基地でもあの緩みっぷりだ。ここ何かもっとひどいな」
 とはいえ気を引き締めさせるにも良い方法が浮かばない。横浜基地のようにBETAを解放しようにもBETAの捕獲自体が現状不可能だ。
「君の記憶に他にこういった出来事はあるかね?」
「ある。2001年の話だが、アラスカのユーコン基地がテロリストに占拠された」
 その時の手口を簡単に説明するとミリアはふむ、と頷いた。
「監視システムを乗っ取られたら私でも手こずるな」
 手こずるだけで奪還は可能らしいが。
「そちらも手を打っておこう。問題は」
「米国議会が動いた時だな」
 つまりは国家権力が敵になった時。
「そうなったら例の手段を使うしかないがね」
「……準備できたのか?」
「一応は、だがね」
 万が一に備えた最後の手段だが、使わずに済めば良いと武もミリアも考えていた。同時に恐らく使わないで済むことはないだろうとも。
「横浜のほうは大丈夫かな?」
「横浜基地は帝都のすぐそばだからね。あんなところを襲ったらあっという間に帝都守備隊が飛んでくるだろうさ」
「まあ確かにな」
「それに今はまだ建設中だ。よほどの上役でないとあそこにオルタネイティヴ4の中枢があるなんて気付かないさ」
「そうだな」
 武は今は遠い故郷を思う。やはりどこに行ってもあの町は自分の故郷だと感じながら。
(今夕呼先生は何やってるんだろう?)

「ふう」
 オルタネイティヴ4責任者、香月夕呼は自身の執務室で溜息を吐く。ようやく中枢区画が稼働状態になった横浜基地。まだ上はほとんどできていないが、夕呼にとってはここが動いていればあとは割とどうでもいい。
(ようやく00ユニットの適性を最も持つ者が見つかった。だけどまだ脳の情報を量子電動脳に移すのがうまくいかない。素体の適性が問題なのか、それとも理論が間違っているのかしら)
 そこまで考えたことで夕呼は頭を振って考えを切り替える。もしも理論が間違っているのだとしたら00ユニットは完成しない。自分が世界一の天才などとうぬぼれるつもりはないが、自分がこれだけ考えても見つからないということはこの世界の誰だって見つけることは出来ない。
「そういえばあの二人」
 オルタネイティヴ5の責任者だと名乗った二人。確かに夕呼の方でも調べてみたらミリア=グレイという名前はあった。むしろそのグレイというファミリーネーム。それがあの‘グレイ’だと気付いた時には驚いたが。もう一人。あの腹心と呼んでいた人物の情報はほとんど見つからなかった。数少ない手がかりは日本の血が流れてること。恐らくその名前がタケルということ。
(タケル……タケル……まさかあのタケルじゃないわよね?)
 恐らく最も00ユニットの適性が高い人物から唯一得られたといってもいい情報。たけるちゃんに会いたい。名前は一致する。だが。
「仮にここで行方不明になった直後に渡米して国連に入ったとして、一年足らずで大尉?」
 そのタケルだと思われる人物は適正者の戸籍から判断すると隣家に住んでいたシロガネタケルの可能性が高い。だが不可能だ、と夕呼は判断する。みちるに例のYF-23の機動について質問したところ、一年や二年の鍛練ではあの機動は不可能だと断言していた。事実A-01連隊――今や辛うじて二個中隊を残すのみだが、そのいずれもがあの機動の再現はできていない。
「となるとやっぱり別人か……」
 ふとカレンダーを見る。2000年も半ば。彼女の言が正しいならあと一年半でオルタネイティヴ4は5に移行する。
「大体あと一年くらいで情報を提供するとか言ってるけど……怪しいものね」
 そもそもなぜ準備に二年もかかるのか。そこが最大の疑問だ。もしその二年の間に考えるとか思っていたなら今からでも殴りこみにいってやろうか、と疲れた頭でらしくないことを考える夕呼。
「ダメね……三日も寝て無いと頭が働かないわ」
 と、言う訳で三日ぶりの睡眠をとることにした夕呼。しかし最低限の基地機能しかない横浜基地にゆっくりと寝れるベッドなど無い。
「……もう良い。机で寝る」
 授業中に睡眠をとる学生のように腕を枕にして机で寝る夕呼。誰から見ても副司令には見えない……。

 同時刻。アメリカ某所。
「……準備は整ったか?」
「こちらは万全だ。鷲、隼と猫は用意した」
「大したものだ。まだまだ現役だろうに」
「現役だからこそ、だよ。戦場に行けば中破して放棄された機体がいくらでもある」
「なるほど」
「そちらこそ用意はできているのか? 振り上げた拳をどこに下ろすか戸惑うのは御免だ」
「案ずるな……そちらも滞りなく」
「ふ……一体どんな手品を使ったのやら」
「連中も一枚岩では無いということだよ」
「なるほどな。天からの鉄槌はどうなった?」
「どこかから情報が漏れていたらしい。厳重にチェックされていてすぐ落とされたよ」
「ふん、連中も自分が恨みを買っていることの自覚はあったようだな」
「だが次は防げまい」
「そうだな……では、われらの悲願のために」
「次にお話しするときは良いニュースをお知らせしましょう」

 その日のフロリダ基地ではオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊がそれぞれ二機連携を組んで模擬戦を行っていた。前衛の武とギルバート。後衛のシルヴィアとケビン。それぞれの二機連携。かつて武がヴァルキリーズ時代に行った対光線級、突撃級を意識した編成での市街地での模擬戦中。爆音が響いた。
『? 事故、ですかね』
『派手に爆発したね。大丈夫かな?』
『CP、こちらグレイ2。今の爆発は何だ?』
 部隊員が口々に憶測を確認し、ギルバートが素早く状態把握に努める。武は嫌な予感がした。こういうときの予感は大抵当たる。むしろ予感がする時というのは嫌なことが起こるときだけといっても良い。しかもこの流れ。偶然だと思いたいがトライアルの時に近い。
「各機、何があっても即応できるよう待――」
 待機、と最後まで言い終えることはできなかった。投影されたウィンドウにコード111の文字が踊る。コード991がBETAに対するものならこれは。
『基地の襲撃だと!』
『テロリスト!?』
 人類戦力による襲撃。
 ついに来てしまった。武は眼を閉じて、乱れそうになる心を理性で抑えつける。ミリアとの予想よりも若干早い。
(基地内部に呼応する動きはない。つまり完全に外部からの仕業か? だとしたら最悪の事態は回避できてるか)
 データリンクでそう判断する。それでも状態は十分悪い。このままここにいてもペイント弾しかない現状では何もできない。
「HQ! 基地内にある補給コンテナを展開しろ! 現在演習中の部隊の装備を換装して迎撃に出る!」
『こちらHQ。了解した。第二演習場区画の補給コンテナを展開した。至急補給を』
「了解! よし、少々不測の事態だが全員やれるな!?」
『グレイ2問題なし』
『グレイ3いつでも』
『グレイ4……やれます!』
「よし、それじゃあ全機第二演習場の補給区画へ――」
 武の機体にロックオン警報が鳴り響く。レーダーに反応。総勢12機の戦術機がこちらに向かっている。恐らくここに差し向けられたのも一部だろう。
「くそ、豪勢なお客さんだ! ギル、お前らは補給を!」
『了解』
 この状況でもギルバートは慌てない。いつも通りの動きで反転し、噴射跳躍を行う。
『隊長は!?』
「俺はここでこいつらを足止めする!」
 なるべく自信たっぷりに見えるよう、決然とした表情を意識して武が言う。
『単機で、しかも模擬装備ですよ!? 無茶です!』
『グレイ4、行くよ!』
『シルヴィア!?』
 急げと促すシルヴィアを信じられないといった表情になるケビン。それにシルヴィアが活を入れる。
『私たちが早く戻ればその分だけ大尉も楽になる!』
『くっ……グレイ4、了解! 隊長、武運を!』
 苦渋に満ちた表情でケビンが機体を反転させ、補給へ向かう。
「おう、任せとけ」
 一人になって思い出すのはトライアルの時のBETA強襲と、佐渡島で要塞級の足止めをした時。あの時に比べれば数も少なく、機体も高性能、そして何より武自身の覚悟が違う。
「さあ、いっちょ相手してやろうか」
 12機のF-14とF-16の混成中隊。そこに武のYF-23は真っ正面から突撃した――。

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[12234] 【第一部】第六話 AH
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:15
 12対1。F-22Aと不知火の被撃墜率が7:1だったことを考えるとYF-23と第二世代機の寄せ集めの中隊なら勝機があるかもしれない。だがそのYF-23は非武装。厳密には模擬装備しか装備していない。状況は圧倒的不利。
「F-14……クラスターミサイルを装備か。それにF-16Cか……第二世代機、しかも米国製。どことなく作為的なものがあるのは気のせいか?」
 武は管制ブロックの中で緊張で乾いた唇を舐める。これだけ不利な状況での実戦は一体どれくらい久しぶりだろうか? 不幸中の幸いと言うべきは模擬戦装備がAH仕様だったこと。JIVESでは無くペイント弾を用いていたことだろう。
「行くぜ!」
 機体から吐き出された遠隔操作式の発煙弾が白煙をばら撒く。一気に浮足立つ敵機。
(やっぱ素人か!)
 戦術機を動かせるだけで乗りこなすことはできないのだろう。その隙に一気に機体を急上昇させる。強化装備のフィードバックがあっても感じる強いG。それを気合いでねじ伏せて噴射降下。一番隙だらけな戦術機――F-16Cの一機に跳躍中に手にした短刀を突き立てる。
 ガツンっと鈍い手ごたえ。模擬戦用の短刀は一撃でひしゃげ、使い物にならなくなった。が、それを受けたF-16Cの背部兵装担架に損傷を与え、マウントされていた突撃砲が落下する。それを素早く回収し、マッチングや照準など気にせずに煙の中に叩き込む。残弾が六割を切ったところで演習場の物陰に隠れる。それだけでも高度なステルスを持つYF-23には十分な隠密になる。
 煙が晴れた。武が短刀を突き立てたF-16Cはメインカメラも損傷。他の機体もいくつか損傷を負ってはいるが、撃破には至らないらしい。だが、確実に傷は負わせた。
 武はそれによって生じる騒音を気にすることなく、水平噴射跳躍。一気に敵中隊の後方に踊り出る。一機がそれに反応したこちらに突撃砲を向けてくる――が、片手で振り払った模擬長刀がその銃口を見当違いの方向に向け、隣接したF-16Cが至近距離からの36mmを受けて沈黙した。それを尻目に歪んだ模擬長刀を構え、敵の真っ只中に飛び込む。
「さあ、どうする!?」
 ここで武が単独な事が有利に働いた。武はどこに撃っても敵に当たる。だが相手は撃てば大抵味方に当たる。そして機体のIFFがそれを阻止するためにロックをかける。その隙は武の前では致命的過ぎた。
 振り回された長刀。それが一機のメインカメラを奪う。更に歪み剣として使い物にならなくなったそれを短刀を抜こうとしている一機に投げつけ、牽制する。そしてその動作の間に鹵獲した突撃砲を至近距離からありったけ叩き込み、F-16Cの管制ブロックを貫き、無力化する。
「くっ……」
 また、一人を殺した事に顔をしかめる武。自分の目的のために、人類を救うという大義の元、人を殺す。誰かが言っていた。一人殺せば殺人者だが、百人殺せば英雄だと。そういう意味では自分も前の世界では紛れもなく英雄だったのだろう、と自嘲気味口元を吊り上げる。
 相手がIFFを外したらしい。誤射覚悟で突撃砲を撃ってくる。ならばそれを有効活用させて貰おう、と武はつぶやく。既に鹵獲した突撃砲は弾切れ。ためらいなく放棄して機体を軽くする。代わりにペイント弾を装填したXAMWS-24 試作新概念突撃砲をマウントから背後に向けて撃つ。最初は必死で回避していた敵機もペイント弾だとわかると回避しなくなる。そうなったタイミングで敵のメインカメラを狙い撃つ。ペイントがカメラのレンズにべっとりと張り付き視界を奪った。戦術機の自動洗浄なら十秒も掛からずに元通りにできるが、その機体にその機会は永遠に訪れなかった。
 武に向け突撃砲を撃ってくるF-14の射線上にペイントまみれで視界零のF-16Cを割り込ませる。計ったようにギリギリのタイミングでのそれは味方殺しを強要させた。それが二度。敵は突撃砲による武機の撃破をあきらめる。
 二機いるF-14がAIM-54 フェニックスからクラスターミサイルを放とうとする。その瞬間、YF-23の肩部兵装担架が滑るように脇下からXAMWS-24 試作新概念突撃砲をF-14に向ける。右主腕に保持した物も含め36mmが三つ、120mmが三つ、計六つの銃口が一斉に火を噴く。たかがペイント弾とはいえ侮れない。被弾すれば貫通力が無いだけでそれなりに衝撃が来る。それがクラスターミサイルに当たるとどうなるか。発射直後のクラスターミサイルはそのことごとくが撃墜され、F-14二機は両主腕を失い、崩れ落ちた。
「残り五機!」
 管制ブロックの中で武が吠える。網膜に投影されたウィンドウは機体各部損傷の警告。特に腕がひどい。先ほどから戦術機を強引に引き寄せたり、力任せに短刀や長刀を振ったことが原因だ。だが今は機体を酷使しなければどうにもならない。
 ついに敵機が短刀を構えた。射撃での撃破は困難と判断したのだろう。接近戦なら誤射もないし、武のYF-23はくどいようであるが模擬装備。攻撃手段は無いに等しい。
 それでも武は腕のナイフシースから短刀を両手に構える。そして水平噴射跳躍で一気に懐に潜り込む。やはり格闘も素人同然。そこらのチンピラがナイフを振り回すのと大差がない。いくら五対一とはいえ、武の機動についていける機体がない以上、実質一方的に攻撃されるだけである。だが武には武器が無い。それを考えるといつかは五体の何れかの攻撃があたり、地に伏せることになる。しかし桜花の英雄はそれを良しとしない。力任せの刺突。狙うは戦術機の跳躍ユニット。深々と突き刺した短刀を抜かずに、代わりに噴射跳躍、反転噴射降下と別の戦術機の陰に隠れる。損傷した跳躍ユニットで飛ぶ。それがどれだけのリスクを孕むか衛士でない彼らはしらない。
 推進剤が漏れている戦術機。噴射跳躍。そして爆散。その爆発は隣にいたもう一機のF-16Cを巻き込んで墜落した。
「残り、3!」
 だが武にもう打つ手はない。どうあがこうと、今の手段は使えない。やってもひっかからないだろう。三対一。武は何となくだが敵のF-16Cが余裕を取り戻した気がした。
 短刀片手に迎え撃つ姿勢をとるYF-23。そして決着は着く。
 飛来する36mm弾。武機に集中していた彼らは後ろから飛んでくるそれに何の反応をすることもできずに管制ブロックを貫かれ、搭乗者と共に運命を共にした。
『大尉! ご無事ですか!?』
『ってうわあ……素手で九機も落したんですか?』
 シルヴィアが地面に転がる戦術機の数を数えて驚嘆の声を上げる。
「おう。どうだ。俺の実力」
『大尉の実力は知ってます。私の背部兵装担架にマウントしてあるAMWS-21戦闘システムをどうぞ。実弾装填済みです』
 武にF-15SEの背を向けながらギルバートが言った。そこにある突撃砲を見て武が礼を言う。
「さんきゅ。助かる」
 機体の火器管制がAMWS-21戦闘システムを認識する。元々同じ米国製ということもありマッチングは何の問題もなくクリア。
「他の状況はどうだ?」
『現在第一ゲート周辺にテロリストが集結。第一滑走路を占領されたようです』
 ギルバートがここにくるまで確認した情報を口にした。
「まあ第一滑走路は大した警備じゃないからな……さて、どっちの支援に行くか。一応お伺い立ててみるか。こちらグレイ1。HQ聞こえるか?」
 そう言いながらも武は内心呆れかえる。第一滑走路はともかく、第一ゲートに集まった方がいまだに制圧出来ていないという事実に。そこにいるのが腕利きが集められているというなら話は別だが、この程度の敵を相手に実弾を装備した部隊がまだ倒せないなど弛んでると以外にどう称せと言うのか、と。
『こちらHQ。そちらの敵は排除完了したか?』
「ああ、第二演習場に侵入してきた中隊は排除した。取りあえず俺たちはどっちに行けば良い?」

 通信を始めた武。三機のF-15SEは武機を囲むように展開する。それに気がついたのはケビンだけだった。
 ケビンは知る由もないが、墜落したF-16Cに巻き込まれただけのF-16C。動力部が停止しても残った電力で主腕を動かしている。それが手にした突撃砲を、恐らくは120mm弾をYF-23に向けている。武は気付かない。ギルバートもシルヴィアも気づかない。
 この状況に対応できるのはケビンだけ。これがBETAなら簡単だ。それを撃てばいいだけ。十分間に合うタイミングだ。ケビンの能力なら鼻唄混じりでもできる。目をつむっても当たるだろう。だが相手は人間。その違いがケビンにトリガーを引かせることを躊躇わせる。
 彼がここまで人を撃つ事を忌避するのは幼少時の出来事がきっかけだった。当時彼が住んでいた場所は治安が悪かった。そして強盗が彼の家に入り、目の前で両親を殺された。この世界では珍しくもない出来事。だがそれは彼の心に大きな傷を残した。両親は即死だったわけでは無い。ケビンを大丈夫だと励ましながら目の前で死んでいったのだ。それ以来彼は人を傷つけることを極端に忌避する。
 だが、ここで撃たないと武が死ぬ。ひょっとしたら狙いが逸れてシルヴィアかもしれない。ギルバートかもしれない。自分かもしれない。
 それでもケビンの指は凍りついたように動かない。口の中がカラカラに乾く。何かしたわけでもないのに全力で走った後のように息が乱れる。撃たなきゃ。頭はそう言っているのに心がそれを拒否する。
『あんたのその一瞬のためらいが命を奪う』
 シルヴィアの言葉が思い出される。
『その時あんたは自分を許せる?』
 許せるはずがない。助けられたはずの命を助けられずにそれで何も感じずにいられるほど、自分は人から外れていない。だが人が人を殺すのは人から外れているとは言わないのか?
 銃口がYF-23に向く。それにシルヴィアが気付いたが、機体を反転させる必要がある以上間に合わない。
 その瞬間、ケビンの頭にいつかの武の言葉が思い出された。
『何でそんなに訓練するのかって? そりゃあ強くなるためだ。何のために? 決まってる。お前らみたいな戦友を守るためだよ』
 守るため。戦友を守るため。
(俺たちを守るって言ってくれた隊長を……隊長が殺されそうになっている)
「うわあああああああああああああ!!!」

 突撃砲の発砲音で武はそれに気がついた。吐き出される36mm弾。それは突撃砲を保持した手腕を、跳躍ユニットを、そして管制ブロックの中にいる搭乗者をズタズタに引き裂くことでその戦術機を完全に無力化した。
「ケビン……」
 撃破したと思っていた機体がまだ生きていた。それだけでも底冷えのする事態だったが、武としてはそれを撃ったのがケビンだというのが心配だった。
 ヘッドセット越しに泣いてるような声が聞こえてくる。あれだけ嫌っていた人を撃つ事。そして今一人の命を奪うことになってしまった彼に何を言ってやれば良いのか、と武が悩んでいるとシルヴィアが口を開いた。
『よくやった。ケビン』
「………………」
 何を言ってるのかよくわからないといったようにシルヴィアを見つめるケビンに構わず彼女は言った。
『あんたは人を殺したんじゃない。大尉を守ったんだ』
 そう言っているシルヴィアの表情も泣きそうに歪んでる。
『う……あ……』
『だから、今は辛くてもあの時守れて良かったって。きっと思える』
『あ……あああ……』
 網膜投影越しなのがもどかしげなシルヴィアが泣きじゃくるケビンを見守る。その時秘匿回線でギルバートから通信が入った。
『やはり、女性は強いですね』
「全くだ。俺は今あいつに何を言ってやれば良かったのか全然わからなかった」
 こうして考えると俺の周りは強い女ばっかりだな、と武は思った。元207B分隊の連中しかり、神宮司軍曹しかり、夕呼先生しかり、ヴァルキリーズしかり。
(純夏と霞も、か)
 あの二人は特に強かった気がするのは惚れた弱みだろうか?
『ええ、私もです。もし彼女がいなければケビンがどうなっていたか分かりません』
「……そうだな。それはさておきギル。勝手に秘匿回線使ったから後で腕立て100回な」
『これは手厳しい』
 苦笑気味のギルバートが秘匿回線から通常回線に切り替える。
「グレイ4。任務の続行は可能か?」
 あえて白銀武ではなく、白銀大尉として、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊隊長としてケビンに質問を投げかける。
『大尉、ケビンは……』
 シルヴィアが困惑気味の声をあげるがケビンは決然と表情を改め言う。
『……やれます』
「……無理する必要はないぞ?」
『大丈夫です。不安なら後催眠暗示でも何でもどうぞ。ここで俺が休んでいる間に大尉がうっかりミスで死んだら悔やんでも悔やみきれません』
 その言葉に武は笑みを零す。
「言うじゃねえか。ならその時はせいぜいお前に守ってもらうことにしよう」
『はい。任せて下さい。隊長の背中はきっちり俺が守って見せます』
「よし、上等! ではグレイズ各機。これより我々オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊は第一滑走路を占拠したテロリストの排除を行う! 滑走路には破壊することが望ましくない施設が多数存在する。各機、流れ弾には注意しろ!」
『了解!』
「全機NOE! 第一滑走路に向かう!」

あとがき
最強系じゃね? と思った方。相手がド素人だからできたことだと思って下さい。ええ、ちょっとやり過ぎたかも……と反省しています。

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[12234] 【第一部】第七話 AH――そして
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:14
 F-15C、F-16C、F-14。全てが米国産の機体。その選定は偶然か、作為か。だが武はこの世の中に完全な偶然など無いことを知っている。そもそもここにある機体はどれも第一線級の機体。テロリスト程度がこんな数を揃えられる機体では無い。
(まあそこらへんの話はミリアに任せるとして……問題はこっちだな)
 第一滑走路を占拠したテロリスト側の戦力は戦術機一個中隊に歩兵部隊。戦力としては大したことはない。戦術機と言っても、乗っているのは素人同然だ。いかに上質な装備であろうと、使いこなせないなら武たちにとって真の脅威とはなりえない。だが歩兵。それは彼らに心理的な苦痛を与え続ける。
 戦術機の装備は最低でも36mmだ。そんなものを人体が受けたらバラバラに吹き飛ぶ。そんな光景を見続けたらどうなるか? 武は良い。ギルバートも良い。だがシルヴィアは確実に精神的な疲弊が加速度的に増し、ケビンに至ってはいつ倒れてもおかしくない。だがそれでいいと武は思う。生身の人間が死ぬのを見て何も感じないのはただの戦闘機械だ。とはいえ、戦場で倒れられたりしたらまずいことになる。処置をするべきか? と迷う。だが処置した場合、その時は平気でも後で自分の意思以外で人を殺したという事実に苛まされないかなどの不安要素がある。二人の心を心配するのもあるが、部隊長としての武はここでこの二人が使い物にならなくなったら困るという実務的な思考も行っていた。
 今この場で確実に敵を倒し、最悪の可能性を残すか。若干の不安を抱えながらもこのまま戦うか。その逡巡を見透かしたかのように二人が声を上げる。
『大尉! 私はまだ平気です!』
『俺も、俺もまだいけます!』
 それを決めるのはお前らじゃない、と武は言いたくなったが、彼らの眼を見て思いとどまる。確かに疲弊している。バイタルからも極度の緊張状態にあるのは間違いない。だがその眼、それは確かにまだ自分の意思をしっかりと持ち、まだまだやれると、この程度でつぶれたりしないと言っていた。
『大尉、私からも具申します。処置はもう少し待ってみてからでも良いかと』
「ギルバート、それを決めるのは俺だ」
『……失礼しました』
 敢えて自分に決定権があることを強調する武。実際、ここで判断を間違えれ武とミリアの計画は大幅な修正が必要となる。考えた末。
「だがまあ、お前らがそこまで言うなら証明して見せろ! グレイ小隊の名に泥を塗るような真似をしたら後で全裸で基地十周だ!」
『って大尉! それセクハラです!』
『シルヴィア、だったらきっちりやれば良いんだよ』
『大尉、ありがとうございます』
「礼を言われるようなことはしてないんだけどな」
 武としては彼らなら今日のことも自分のやったこととしてしっかりと受け入れて次に進めると思ったからだ。ここで下手に催眠処置や薬物処置をして自分でやったという自覚がない場合、また同じようなことが起こるという判断もあった。だが一番はきっとこいつらなら乗り越えられるだろうという冷徹な判断を下す軍人としてはあるまじき精神論だったのだが。
 武がYF-23にAMWS-21戦闘システムを構えさせた時、ついに限界が訪れた。
「しまった!」
 駆動系の限界。突撃砲を保持した右主腕が壊れた人形のようにぶらりと垂れ下がる。すぐさま左手に持ち替えて照準を向けるが既に敵がこちらをロックオンしている。これが先ほどまでと同じ単独だったら武はここでKIAとなっていただろう。
 だが、ここには背中を守る戦友がいる。
『大尉!』
 シルヴィアが120mmで武を狙う敵を撃つ。彼女にとってこのフィールドにおいては敵は敵足りえず、ただ的になるだけだった。
「助かった、シルヴィア」
『いや~ケビンの努力を無駄にしちゃ悪いですから』
 と笑うシルヴィアの顔は真っ青だが。
 戦闘は続く。いや、戦闘では無い。これは既に掃討。相手が抵抗する意思を見せている以上、武たちにできるのはその銃口を向けるだけ。素人の乗る戦術機が衛士の駆る戦術機に勝てるわけがない。第一滑走路での戦闘は十分もかからずに終了した。
「こちらグレイ1。第一滑走路の敵を排除した。各施設に残党が潜んでいる可能性がある。機械化歩兵部隊を一個大隊回してくれ」
『こちらHQ、了解。第一ゲート前での戦闘も終了した。施設内に潜む敵の排除をこれより行う。第一大隊は周辺の警備を。残りの戦術機部隊は格納庫にて即応態勢にて待機せよ。機械化歩兵部隊は各自所定のセクションを捜索せよ』
「グレイ1了解」
 その言葉にようやく武は肩の力を抜く。一時はどうなることかと思ったが、事態は収束の兆しを見せている。このテロリスト達の目的や背後関係は武にはどうしようもない部分だ。尋問内容を手に入れることくらいはできるだろうが、背景を探るのはミリアに任せよう。そう思い己の小隊に声をかける。
「状況終了だ。全機格納庫に帰還するぞ」
『グレイ2、了解』
『グレイ3、了解』
『グレイ4、了解』
 全員疲労の色が濃い。一番平気そうだったギルバートすら若干顔色が悪い。恐らく鏡を見たら自分も同じような顔だろう、と武は思いながらもケビンに声をかける。
「ケビン」
『……何ですか?』
「よくやった……とは言えないけどな。お前のお陰で助かった。ありがとう」
『気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ、隊長。ちゃんと自分で心の整理をつけます』
『ダメだよ~ケビン? 気を使ってもらった時は気付いても気付かぬフリをしなくちゃ。これ大人の社交術よ?』
『シルヴィア、適当教えるな』
『ええ、適当じゃないよ』
「まあ別に大人の社交術というほどじゃないよな」
 大人の社交術と聞いた時なぜか桃色な想像をしてしまった武はそれを誤魔化すように会話に便乗する。
(……経験不足って奴か……)
 20歳位という肉体年齢を考えればそこまで言うほど経験不足でもないが、武的には30過ぎなので若干ダメージを受けていた。男の沽券に関わる問題……らしい。
 弛緩した空気。それでいて全員周囲への警戒は怠らない。実戦経験は数えるほどだが、確実にこの小隊は一流だった。
 鳴り響く警報。全員の表情が一斉に引き締まる。
「今度は何だ!?」
『聞こえるかね、大尉』
 上位権限から強制的につながれた回線からミリアの声が響く。画面に映ったミリアの眼はしっかりと開いている。何かあった。すぐさま武はそう悟る。
「ミリア!? この警報は一体……」
『やられたよ。連中は囮だった』
 その言葉に他の部隊員も口々に意見を言う。
『囮? ではほかに本隊が?』
『でも全部で一個大隊以上の戦術機だよ!? いくら乗り手が素人だからってそんな大がかりな陽動なんて』
『つまり本命は……それよりももっとやばいものってことですか?』
 ケビンの言葉に頷く気配があった。
『すまない、タケル。折角忠告して貰ったのにまんまとやられた』
「まさか……」
『HSSTだ。爆薬を満載して電離層からフルブーストで落下してくる』
「『っ!』」
「被害予測は……まあこの基地は軽く吹き飛ぶね」
『時間は!?』
『十分少々といったところか』
『短すぎる……』
 ミリアの答えを受けたギルバートの表情が絶望に歪む。
『ミリア! 今から戦術機に乗って全速で退避すれば……』
『シルヴィ、そうしようにも私はまだ地下フロアだ。地上に出て、戦術機に乗り換えてとやっていたら逃げられるものも逃げられないよ』
『何か方法はないんですか!?』
『今からそれをいうところだよ、ケビン。……タケル。アレを使うよ』
「……調整は?」
 険しい面持ちで武が尋ねる。
『八割、といったところかね。一発撃ったらチャージが完了する頃には既に頭の上だ』
「一撃で決めろってか? 全く、無茶を言ってくれるよな」
 俺はタマじゃないっての、という言葉は武の口の中だけで消えたが。
『だがここでやらなければ全滅だ。まあ安心したまえ。万が一に備えて手配しておいた特製の軌道予測プログラムがある。それに弾道は真っ直ぐだよ。これだけ好条件なら君の腕でも可能だと思うが?』
「はあ、まあこれが乗り越えられない様じゃこれから先のことも乗り越えられねえよな」
『そういうことだ。我々に下手なチョッカイを出すとどういう目にあうか。これを余裕で見ている連中に目にもの見せてやれ』
 武の網膜投影に新たなウィンドウが立ち上がる。それと同時に周囲の風景が全く別のものになる。空高くを照準した映像。既にセンサ類はアレに切り替わっている。
『照準を君のブラックウィドウに回した。You have weapons.(全兵器制御移譲済)』
 敢えて自動翻訳を切ったのか、ミリアの少し気取った感じの声でアレの制御が自分のYF-23に来たことを武は確認した。
「アイ・ハヴ・ウェポンズ(全兵器制御受領確認)!」
 これほどの長距離射撃は武の経験でも初めて。だが壬姫という極東、否世界最高のスナイパーに学び、培ってきた武の狙撃技量は世界から見ても決して見劣りするものでは無い。特製の軌道予測プログラムは現在のところ非常に正確な軌道を予測している。
 強化装備の中の掌がじっとりと汗をかく。少しずつ、照準を調節していく。一撃で確実に仕留めるために。
(はは……すげえプレッシャー……。よくこんな中でタマは冷静に照準出来たよな。やっぱすげえよ)
 画面端にある対象の高度計がどんどん減っていく。これ以上下がると加速して狙いが付けにくくなる。そうなったら武の成功率は格段に下がるだろう。
 そんな状況下でどんどん武の心は冴え渡っていく。余分な思考が消え、ただ目標のことだけを考える。そして。
(今っ)
 トリガーを引き絞った。

 天に昇る柱。天使が空に戻るかのように地上から空を高く貫く。それは天から振り下ろされた鉄槌を打ち砕き、融解させ、消滅させる。その堂々たる威容を人々に見せつけ、消失した。

「ふう……」
『御苦労さま、タケル。流石』
「やらせといて良く言うよ……。あの軌道予測が無かったら危なかったかもな」
『なら私のおかげか』
「……お前とは一度話をつける必要がありそうだ」
 溜息をつきながら武は網膜投影のミリアを睨みつける。その武に初めて会った時のようなにやり笑いを浮かべるミリア。
『ふむ、面白い……まあ取りあえずは戻って休みたまえ。今日は流石にこれ以上のことは起こらないだろうしね』
「そうさせて貰うよ。……グレイズ各機。帰還……どうした?」
『いえ……大尉の狙撃に全員驚いているのです』
『いや、ついてっきり突撃前衛馬鹿かと』
 二人とも武の狙撃に驚いているのは違いないが、シルヴィアのは少々言い方に問題があった。
「シルヴィア、お前上官侮辱罪で腕立て百回な」
『でも隊長。何であんなすごい狙撃できるのに突撃前衛何ですか?』
 画面上でケビンが心底不思議そうな顔をしている。
「ケビン。それはもしかして俺の突撃前衛としての技量が不服か?」
『い、いいえ! でも近接も射撃も一流なんて……凄いです』
「いや、俺はまだまだだよ。俺の知ってる最高のスナイパーはあれよりももっと悪い状況で目標に当てたことがある」
『あれよりも悪い状況って言うのが全く予測できないのですが……』
 普通はできない。と、いうよりも今回のだって十二分に最悪な状況だったのだから。
『私も副長と同意見。っていうかさっきのあれ何ですか!? あのドバーって奴!』
『シルヴィア……ドバーは無いでしょ、ドバーは……。でも隊長俺も気になります』
「スマンが二人とも。機密だ」
『う……』
『すいません……』
 がっかりしたようにうつむく二人に武が付け加える。
「まあそのうちミリアが教えてくれるだろうからそれまで待ってろ。そんじゃあ今度こそ帰るぞ?」
『了解!』

「失敗しただと!?」
「もうしわけありません……」
「く……あれだけ支援してやったのに使えない奴め!」
「ですが、あの光が予想外でした! あれがなければ今頃は!」
「言い訳など聞かん! 一体あの数の戦術機とHSSTのコースを偽造するのにどれだけ」
 そう彼が憤ったところで通信が途切れた。それもかなり不自然な途切れ方。
「何だ?」
 訝しんでいると丁寧にドアがノックされる。
「今忙しい! あとにしろ!」
「ええ、こちらも忙しいんです。ギネント議員」
「っ!」
 そう言って許可もなく入ってきたのは歩兵の一団。
「な、何だ。貴様らは! 私をだれだと……」
「ギネント議員。貴方に国家反逆の容疑が掛かっています」
「国家反逆だと!? この合衆国に忠誠を誓った私が!?」
「あなたにはテロリストに資金と装備を横流しした疑いがあります。ご同行願えますね?」

 その報告を受け、自身の執務室でミリアは一息ついた。
「ありがとう。あなたも休んでちょうだい」
 そう告げて通信将校の一人を下がらせる。扉が閉じたのを確認してしっかり開いていた眼が半分くらいに閉じられる。
「黒幕は反オルタネイティブ派の一人。でも彼だけじゃない」
 山積みの問題を頭の中で列挙して顔をしかめる。そう考えると比較的早く片付いたこの件はまだまし、といった具合か。
「アレも予定よりも早く晒してしまった。気付く人間は気付く」
 今のところそれによる不都合は見当たらないが、晒さなければ発生しなかったリスクではある。
「ままならないわね、世界は」
 思い通りに進まない。いくら因果情報を得たことで未来も含めて世界で最も情報を持っていたとしても、だ。
「……それでも変えないと」
 それが望み。絶対にあの世界だけは現実にしてはいけないのだから。

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[12234] 【第一部】第八話 追憶――海
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:13
 青い海。青い空。白い雲。
 まさに夏と言った風情の風景。その光景を武は目を眇めながら見守る。
「凄いよ、ほら見て。ミリア!」
子供のようにはしゃぐシルヴィアにそれをたしなめるようなミリア。どっちが年上だかわかったものじゃない。武は苦笑しながらそれを見守る。
「待ちたまえ、そんなに急がなくても海は逃げない。だからもう少し落ち着いてだ、シルヴィ」
「あっれぇ? もしかして怖いんですかぁ?」
「な、何を言うか! この私が水如きを……」
「私水なんて一言も言ってないですよー」
 意外なことにミリアは水が怖いらしい。こういうときにミリアがまだ子供だと思い出させる。
「ぐっ……」
「ほら。怖くないって。一緒に泳ご?」
「……手を離すなよ」
「はいはい」
 先ほどまでとは立場が逆転し、シルヴィアがミリアをリードするという非常に珍しい光景を見て武の脳裏にある日の光景が蘇る。
『……ら、大丈夫だって。手ぇ繋いでやるから』
「っ……」
 頭を振ってその残滓を振り払う。今は一応警備時間。正直武がいてもいなくても大差無いが、これがここに来るための建前なのだから。
 数日前の事を思い出す。非常に珍しい事を言い出した彼女はあの時どんな顔をしていただろうか……?

「バカンスに行こうと思う」
 いつも通りの眠たげな目のままミリアはそう言った。彼女の執務室で報告書を(自分の部屋でやるより集中できるという理由で)書いていた武はその言葉に顔を上げた。
「……何だって?」
 驚きと言うよりも困惑の色が強い武に対し、ミリアは呆れたように溜め息を吐く。
「タケル。君に私ほどの知性を求めるつもりはないが、先ほどの言葉にそこまで難解な言い回しがあったかね? 言葉通りの意味だよ」
「んなことは分かってる。……あぁ、いや。何か演習でも入れたかとも思った」
 何しろ訓練校時代のバカンスと言えば総戦技演習――死者すら出たことがある過酷な演習なのだから。その時のことを思い出して言いなおす武。
「わざわざこんな時に演習を入れたりはしないさ。君達の機体も整備中だしね」
 あのテロリスト騒ぎの時の損害は対した事が無かった。だが、第一滑走路の復旧(残骸処理とも言う)に丸一日かかり、そのせいで補給物資の搬入は大分遅れた。いくらかはすぐに復旧した第二滑走路に回したのだが、その日に限ってそれで捌ける量では無かった。
「せっかく届いた中隊支援砲も残念だがお預けだ」
 そしてその遅れた物資の中にはFー15SEの補修パーツや漸く持ってきたラインメイタル製の中隊支援砲もあった。
「まあこちらはどうとでもなるが、問題は君だ」
 無茶苦茶な格闘機動を行った武のYFー23。その状態は酷かった。どのくらいのレベルかというと整備班長に。
「こりゃあ明星作戦の時以上に酷いですぜ?」
 というレベル。あちこちの関節に過負荷がかかり、オーバーホールが必要な状態らしい。確かに今回は無茶したからな……と武は納得してしまったが。
「ノースロックの工場とここを往復するのに二日、オーバーホール自体に二日。計四日だ」
「ってことはその間実機は使えないんだよな」
 一応予備機はあるが、使える状態にするのに半日以上はかかるだろう。それにF-15SEの整備もしているのだから。
「だからこそのバカンスだよ」
「つまりここでまとめて休暇を取ると?」
「そう言うことだ」
 そう言いながら彼女は手元の資料に視線を落とす。
「スケジュールを組み直そうと思ってみていたら一年以上休暇らしい休暇を取らせていないと気が付いてね。丁度良いから私も休暇を取ることにしたよ」
「なら俺達の名目はミリアの護衛、か?」
 その言葉にミリアは唇を釣り上げる。
「君も私の記憶の中にある姿より大分賢くなったようだ。……まあそう言うことだ。そうでなければ君達は高級将校のリゾートには入れないだろう?」
「そうだな。うん、このタイミングでの休暇は悪くない。肉体的には問題なくても精神的なリフレッシュは出来るだろうしな」
 部下のこともしっかり気にしている武にミリアは口元をほころばせる。
「更に言うならテロリスト騒ぎの後始末でバタバタしているこの基地より先方の方がセキュリティは厳重だ」
 ここまで好条件なら行かない理由はあるまい、と笑うミリア。何だかんだで彼女も楽しみなのだろう。
 珍しく年相応な姿を見れた武は口元を若干綻ばせ、僅かに喜びを感じさせる声でミリアに確認を取る。
「この事を三人には?」
「君から頼む。水着などは向こうでも買えるから気にしないで大丈夫だと伝えてくれ」
 泳ぐことも出来るらしい。このご時世でそんな施設があるのは確かに高級将校が出入りするリゾートだけな物だろう。
「では頼んだよ」

 と、言うのが約二十時間前。そして今、五名がこの南の島にいる。
「大尉」
「ん? ……ああ、どうしたギルバート?」
「いえ、私は今からあちらの岩場の方に行こうと思っていまして」
 そう言って指さす彼の格好は釣り竿にクーラーボックス。何をやるかは明白だ。
「ああ……釣りか」
「ええ。宜しければ後で一緒にどうです?」
 その提案には若干魅力的な物を感じたが、残念ながら武は一ヶ所に留まるのが苦手だ。
「いや、悪いけど俺は釣果だけを期待させて貰うよ」
「ふっ……ではその期待に応えて見せましょう。今宵の晩餐は天然物の魚介類が並びますよ」
 と言って岩場の方に向かう。自信ありげだが、上手いのだろうか? と、シルヴィアとミリアの方に視線を戻すとその姿が無い。
「っ! まさか!」
 万一の事態を考えホルスターから銃を抜き、周辺を見渡す。
 すると更衣室の方から。
『う~ん。なかなか良い水着が揃っていたわね』
『私は普通の水着屋に行ったことが無いから良く分からないのだが、やはりあの店は品揃えが良かったのかね?』
『うん、本土にもあれだけあるところはそんなに無いよ?』
『流石はリゾート地だな』
『そうだね~。さって、と着替えようか』
『ふむ。そうだ……なっ?』
『ど、どうしたのミリア!?』
『き、キミは着痩せするとか言われないかね?』
『ん? ああ、胸? 有っても軍人には無駄なだけなのよね~』
『…………』
『そ、そんなに恨めしげに見ないでよ……。ミリアだってもう少ししたら大きくなるって』
『……そうでも無いのだがね』
『ん? 遺伝なら大丈夫だよ。私のママは真っ平らだもん』
 これ以上聞くのは止めようと武はそろそろと更衣室から離れる。
「ったく……そうならそうと一言位言っていけ……」
「何をですか?」
「うおっ!」
 背後からの声に飛び上がる武。声をかけた方もそんなに驚かれるとは思わなかったのか結構驚いている。
「な、何だ。ケビンか……。どうした?」
「いや、それは俺が聞きたいんですけど。銃なんか抜いてどうしました?」
 言外に何も無いのに何馬鹿してますか? と言われた気分になる武。
「いや、俺の早とちりだった。気にするな」
 言いながらホルスターにしまう武。
「まあそれなら良いですけど……。にしても大尉、軍服以外の服持ってたんですね」
「現地調達だけどな」
 武が着ているのは南の島っぽいアロハシャツ。ケビンはトランクスタイプの水着にパーカーを羽織っている。
「似合ってますよ」
「男に服褒められてもな」
 とはいえ女に褒められてもうれしいという訳では無い武。要するに服装を褒められてもあまり嬉しくないらしい。
「まあ俺もこの格好褒められても微妙ですけどね。で、シルヴィアとミリアは?」
「着替え中」
「ああ、なるほど。それで大尉は暇してると?」
「着替え中も傍で護衛する訳にはいかないからな」
 白い目で見られることは間違いない。
「確かに。ギルバート副長は?」
「向こうで釣りだってさ。今夜は天然ものの魚が食えるかもしれないぞ?」
「そりゃあ楽しみです」
 そう言っているケビンの様子に変なところは見られない。一時はどうなるかと思ったが、どうやら自分の中で引き金を引く理由を見つけてくれたらしい、と武は胸を撫で下ろす。
 そうこうしているとミリアとシルヴィアが着替えて出てくる。大胆ビキニ姿のシルヴィアにケビンがたじろいた気配がした。隣にいるミリアの水着姿も、可愛らしく――武の知識によればあれはスクール水着に酷似している気がする。名札に誰が書いたのかミリア、と日本語で書いてあるし――武は若干動揺する。別に彼がロのつく人種とかそう言う意味では無く、ミリアの白衣以外の姿を見たことに対することである。
「お、ケビーン。こっちこっち。ビーチボールふくらますの手伝って」
「……このボートもやってもらいたいのだが」
 いや、ボートは無理じゃねえかな? と武は思う。が、二人が楽しそうなので放っておく。
「大尉もどうですか~?」
「一応建前だけでも護衛しとく」
「……ああいう男が将来ワーカーホリックになるのだろうね」
「うるせえ!」
 苦笑交じりで武が叫ぶ。若干自覚があるから言わないでほしいとも。
「それじゃあ俺も行ってきます」
「ああ、楽しんでこい」
 ミリアとシルヴィアの元に向かうケビンを見送り、武は再び周囲を見渡す。その姿は警戒しているようだったが、武はそんな無駄な事はしない。ここのセキュリティーの強固さは横浜基地の地下施設にも匹敵することを良く知っているからだ。
「まさかこんな形でもう一度来るなんてな……」
 どことなく懐かしさが入り混じった呟きを漏らす。確か前に来たときは若干だが人がいた気がする。尤もあの時と今では世界情勢が違いすぎるが。
 陽光が突き刺さる。その眩しさに武は手を翳し、目を閉じる。

 そう、あれは遠い昔の思い出。

「わあ…………」
 視界一杯の蒼。白く輝く砂浜。それを見て武は少しばかり懐かしい気持ちになる。今の武の記憶には残っていないが、元の世界ではきっと来たことがあるのだろう。それを確認する術は武には無いが、この体が感じる郷愁の念に近いものからそう遠くない予想だと思っている。
「どうだ、霞。これが海だ」
 別に武が作ったわけでも無いのに、自慢気にいう武に満面の笑みで答える霞。
(本当に、良く笑うようになった)
 海を熱心に眺める霞の後ろ姿を見守りながら武は心の中でそう思う。万一リーディングされたら少し不機嫌になってしまうだろうが、それが武の率直な感想だった。今、霞は二つに束ねていた髪を一つに纏めている。そしてそこには黄色のリボン。在りし日の誰かを思い起こさせる格好だった。
 いや、忘れないようにしているのだろう。霞にとって純夏は本当の姉妹のような存在だったはずだ。そして彼女はきっと純夏が守ろうとしたこの世界を守ろうとしているのでは無いか。根拠も無く、武もそれを本人に確認する気は無いがそう外れた考えでもないと確信に近い物がある。
「とりあえずコテージに荷物置いて砂浜まで言ってみよう」
「……はい」
 微笑みながら頷く霞。
(ああ、もしかしたら)
 唐突に頭の中に浮かぶ考え。もしかしたら今までも考えたことがあったのかも知れないが、それは覚えていない。だがこんな大事なことを一度考えたら忘れるはずがないと思うのできっと初めて考えたのだろう。
(本当に霞は純夏になりたかったのかもな)
 いつの間にか霞との距離が若干離れていた。武が早いので無く、霞が先を行く形で。その立ち位置が今の霞を如実に表している気がした。
「どうしました? 武さん」
「ん……ちょっと考え事」
「……当ててみましょうか?」
 控え目ながらイタズラっぽく笑う姿はこれまで決して見られなかった表情。霞の新たな表情を見る度に、武は彼女の成長と時間の経過を感じるのだが。
(今の笑みは夕呼先生に似てなかったか?)
 本当の親子以上にいつも一緒にいれば少しは似てくるだろう……、と武も思うのだが。
(ああ、いや。今は本当に親子だったな)
 彼女なりの罪滅ぼしか、その理由は定かでは無いが香月夕呼は社霞を養子にした。その際に言った言葉が『私の子供になるか私をキリキリ働かせてここにいるか選びなさい』だった。オルタネイティヴ4の完遂によってオルタネイティヴ3の成果(武はこの表現が好きではないが)である霞が横浜基地にいられなくなる可能性が出てきた。
 それを回避するのに一番手っ取り早いのが養子にする事でそれ以上の意味は無いと夕呼は言っていたが、その時に視線は逸れ、頬も染まっているのだから武を騙すには全く何もかもが足りていなかった。
 そもそも、ただそれだけで養子にしたならことある度に『今更名前で呼んでも気味悪がないかしら?』とか『何か買ってあげようと思うけどあの子何が喜ぶかしら?』とか聞いてこないだろう。しかも一回など警報鳴らして呼びつけた事もあったぐらいだ。
 その様な経過はさて置き、夕呼似の笑みを浮かべていた霞が口を開く。
「私の水着姿でも想像してましたか?」
 純夏……霞がどんどん毒されていくよ……宗像大尉とかに。と、心の中で涙を流す。人間的に成長しているのは間違いないのだが、若干方向性が違うんじゃないか、と思わずにいられない武。更にその質問にどう答えるのが正解なのか、武には判断がつかない。
 頭の中でハイヴ内で挟み撃ちにされた時よりも高速で気の利いた言葉を考える武に、霞は怒ったと思ったのか。
「あ、あのすいません……夕呼さんと宗像大尉にこう言えって言われて」
 途端に今まで通りの小動物チックな雰囲気に早変わり。本人なりに自分を変えようと努力していたらしい。武としてはあの二人を見習うのはやめておけよーと一言苦言を呈したい気分ではあったが。
「ああ、いや。怒った訳じゃない」
「……本当ですか?」
「当たり前だって」
 尤も、武はこの時横浜基地に変えったら二人に一言位言わなくては、と決意していたが。
「何て答えたら霞が喜んでくれるかな、って考えてたんだ」
「……武さんが思った通りで良いです。私はそれが一番嬉しいです」
 武、ちょっと感動。これが純夏だったらきっと理不尽な理由で殴られていただろう。と言うか、何故元の世界で殴られた記憶‘だけ’覚えているのだろう?
(元の世界の俺達もこの記憶を持ち帰るのは拒否したのか……?)
 ある意味最大の謎である。閑話休題。
「そうだな。水着姿はともかく霞と一緒に遊ぶのは楽しみだよ」
「はい……私もです」
「思い出、沢山作ろうな?」
「はい」
 霞と海に行こうと約束したのは何時だったか、と武は考える。少なくとも桜花作戦の前。そう考えると……。
「八年、か……」
「……どうしましたか?」
「いや、霞と海に行くって約束してからもう八年も経っちまったんだな、って思ってさ」
「そうですね」
 言い換えるなら八年経ってようやく海に来れるようになったとも言える。
「武さんは忙しかったから仕方ないです」
「まあそうなんだけどさ。何て言うかこう、仕事ばっかりで家族を蔑ろにしてる父親みたいな感じが……」
 確かに武は忙しかった。2003年の錬鉄作戦に始まり、この五年間実に十一のハイヴ制圧作戦に参加しており、うち六は地上からの突入部隊、三は軌道降下してのハイヴ内突入で計七回の反応炉破壊を成し遂げた。
 作戦自体が忙しいのもあるが、人類で最もハイヴを落とした男として有名になってしまい、プロパガンダに利用されたのも拍車をかけた。そのせいで顔を広く知られてしまい、下手に外に出ると人に囲まれて動けない、という状態にすらなったりもした。
 更に2003年以前は壊滅したAー01の立て直しの為に帝国軍に出向して富士で訓練校の教官をしたりで、そもそも横浜基地にいなかった。
 つまり漸く訪れた安息の時と言える。
「でもこうして一緒に来れたから嬉しいです」
 そう笑顔で言われたら大抵の人間は疲れも吹っ飛ぶだろうし、武もその類に漏れなかった。そう言って貰えるだけでここに来た甲斐があったと思うぐらいに。
 コテージに荷物を置き、着替えるために一旦別れた。例によって武の方があっと言う間に着替え終わり、暇を持て余していると。
「あの……武さん」
「着替え終わったか?」
 と、武自身終わらなきゃ来ないだろ、と自分で突っ込んでしまうようなことを言ってしまった。それに霞ははにかみながら応える。
「はい。ちゃんと着替えてきました」
「そうだな……なら霞、まずは泳がないか? 折角海に来たんだし」
 と武は提案すると途端に霞は困ったような顔になる。
「あ……武さん」
「ん? どうした?」
 パーカーの襟元をいじりながら上目遣いに見上げられてドキッとしながらも、平静を装いながら武は応じる。
「私、泳げません」
「あ~」
 そうだった、と武は考える。そもそも海どころか風呂場よりも広い水場を見たこと無いんじゃないだろうか、と思う。
「……ごめんなさい」
「いや、謝んなくて良いって。じゃあ泳ぎ方教えてやるから泳げるようになろう」
「頑張ります」
 両手を握り締めてグッと意気込む姿に和みながら二人は海辺へ歩く。
 砂浜に残る足跡を霞は楽しげに見つめ、武はふと気になった事を口にする。
「なあ、霞は水着どこで用意したんだ?」
 ちなみに武が身に着けているのは国連軍の支給品。だが、霞の場合厳密には国連軍では無いので支給されてるのか、などが気になった。
「宗像大尉が渡してくれました」
「その発言だけでとてつもなく不安になるんだけど……霞。パーカー取ってみ?」
「いや~んえっち」
 ……霞が棒読みで言った瞬間世界が凍り付いた。
「……忘れて下さい」
 本人としても恥ずかしかったのか顔を真っ赤にして俯く霞。だが武としてもインパクトが有りすぎて忘れろと言われても忘れられそうにない。
「今のも?」
 主語を省いても通じてしまうのが何となく悲しい。
「はい……武さんにそう言ってやれって」
「……霞、あの人の言うことはあまり信用するな」
「私も、少しだけそう思いました」
 そして今の流れで武は更に不安になる。こんなところにまで美冴の魔の手が伸びているのだ。絶好の仕込みポイントである水着に何のテコ入れもしてないと言うことがあるだろうか? いや、ない。(反語)
「霞、正直に答えてくれ。お前の水着によっては今からやることが出来る」
 主にちゃんとした水着を買いに行くという。
「大丈夫です。一緒に入っていた風間中尉のを着てますから」
「風間中尉、グッショブですっ」
 最後の良心たる祷子はここでも最後のストッパーになっていた。武としては美冴が何かする前に止めて欲しいと思うのだが、きっと本人も楽しんでいるので言うだけ無駄なのだろう。
「ちなみに霞。宗像大尉からのにはどんなのがあった?」
「ヒモみたいなのとか……」
「よし、帰ったら夕呼先生も一緒に説教だ」
 今度こそガツンと言ってやると心に決める。夕呼はどちらかと言えばついでだが、ここら辺で主導権の奪還を図るの良いだろう。……武の頭にはどうしようもなく絶望的な構図しか浮かんでこないのだが。
「まあ良いや。それじゃあ海に入ろうぜ」
「あ、あの……」
「今度はどうした? 水着になるのが恥ずかしいのか?」
「それもありますけど」
 あるんだ、と武は霞の成長を実感する。尤も最初の頃でも恥ずかしがった可能性も十分にあるが。
「海、怖いです……」
「そっか、初めてだもんな」
 さて、どうするかと武は悩み、一瞬で答えを出す。
「霞、とりあえずパーカー脱いで。波打ち際で少し水に慣れよう」
「はい」
 パーカーを脱いだ霞が身に着けているのはワンピースタイプの水着。祷子が着るには小さな過ぎることから霞の為に用意したのだろう。やはり怖いのか波打ち際で海に入るのを躊躇している。
「ほら。大丈夫だって。手ぇ繋いでやるから」
 そう言って霞の手を取り、優しく海に引っ張っていく。最初は恐る恐ると、次第に確かめるように海に入っていく霞。
 その握った手の大きさを感じる。この世界で初めて会った時に握手した時の手の大きさ。当時は完全に子どもだったが、今では女性の手になっていることに武は溜息をつく。
(ああ、そうだよ。霞を意識しちまってる)
 誰に言い訳する訳でもないが、心の中でそう呟く。少なくとも会ったときは妹のように感じていた。だけど霞が成長していくにつれて、武はどんどん困惑していく。まるで思春期の娘にどう接して良いか分からない父親のように。
「武さん?」
「ああ、わりい。ちょっと考え事」
「……一緒にいるのに考え事されると悲しいです」
「すまん……」
 確かに失礼な行為だった、と武は反省する。だから純夏にもどりるみるきぃぱんちを食らったりするんだな、と己を戒める。無いとは思うが霞にそんなことをやられたらショックで当分立ち直れないかもしれない。
「わかった。霞の言うことを何でも一個聞こう。それで許してくれ」
「わかりました。……そのうち何かお願いするかもしれません」
 パシャパシャと波打ち際を歩き。
「さて、それじゃあ本番。泳いでみようか」
「…………はい」
「大丈夫。浅いしこうやって手握ってるから溺れないって」
「……はい」
 幾分か気が楽になったのか霞は頷く。
「よし、それじゃあ行くぞ!」
 結論から言って。
「……砂遊びでもしよっか」
「……そうですね」
 武は霞に泳ぎを教えることを諦めた。
「……横浜基地に帰ったら運動します」
「そうしたほうが良いな」
 理由は会話を聞いて察してほしい。
 その後も砂遊びしたり、定番の水をお互いにかけっこ(霞の強い要望)したり、ボートで澄んだ海の中をみたりして楽しんだ。

 夕日が沈む。時間は常に流れて、それが止まることはない。
「ふう、結構遊んだな。楽しかったか、霞?」
「はい……たくさん思い出作れました」
 嬉しそうに笑う霞を見て、やっぱり来て良かったと思う武。知らずうちに笑顔になる。
「そっか。俺も霞と遊べて楽しかったよ」
「……武さん」
「ん?」
 気がつくと霞は立ち止まっていた。振り向いて向き合う形になる武。
「お話したいことがあります」
「何だ?」
「武さんは……私が言ったことを覚えてますか?」
「……すまん、どれのことだ?」
 流石にこれまでした会話全て覚えているかという話ではないだろう、と武は考える。だとしたら何か印象深いこと……。
「あの日、桜花作戦が終わって武さんが元の世界に帰ろうとした日のことです」
『……でも私は……あなたが好きでした……』
 あの日の告白。何だかんだでうやむやになってしまった物。
「思い出しましたか?」
「……ああ」
「私があの時言った思いは今も変わっていません」
「っ!」
 揺さぶられる。武の中にある何かが大きく。
「私が今でもあなたが好きです」

「……い? ……てくださいって。大尉!」
「うお!」
「やっと起きたのかね」
 武が気がつくと目の前にシルヴィアとミリアとケビンがいた。
「どうしたんだ? 遊ばなくて良いのか?」
「……隊長。今何時だかわかります?」
「何時ってそりゃあ……うお! 日が沈んでる!」
 先ほどまで青い空に輝いていた太陽は今は地平線の向こう側。砂浜は夜の帳に包まれていた。
「やれやれ。どうやらぐっすり眠ってたみたいだね」
「隊長、疲れてるんじゃないですか?」
「……こんなことをした後じゃ否定できないな」
 仮にも任務中に居眠りなど軍人失格だと己を叱責する武。同時にあの夢で霞に告白された時のことをはっきりと思い出した。忘れるはずがないと思っていたが、記憶の劣化は起こっていたらしい。
「まあ君も働き詰めだったのだからここらでリフレッシュしたまえ」
「……そうだな。そうさせて貰うよ」
 その言葉に全員がおや、という顔をする。意外とあっさり武が同意したのが意外なのか、それとも別の原因か。
「にしても懐かしい夢を見たよ」
「夢まで見てたんですか……」
「あ、大尉。私夢占いできますよ」
 そう言って手を挙げるのはシルヴィアだが、武には占ってもらうまでもなくどんなものかはわかってる。
「嬉しそうだね。どんな夢だったのかね」
 ミリアが少し興味深げに聞いてきたのを武は苦笑しながら答える。
「遠い日の思い出だよ」

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[12234] 【第一部】第九話 充填期間
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:12
「貴様ら! やる気があるのか!」
 武の怒声がフロリダ基地訓練校のグラウンドに響く。
「何だ貴様らは! ここにカメになりに来たのか! それともかたつむりか!」
「はい、いいえ、軍曹殿!」
 走っている訓練生が悲鳴のような声で唱和する。
「ならば何になりに来た!」
「はい、衛士です! 軍曹殿!」
「だったらちゃんと人のように走って見せろ! あと十周追加だ!」
 声を張り上げる武。何故こんな事をしているのか。それは約三か月前のこと。

「やはり四人というのは辛くないかね?」
「……実際の戦術行動をとるときに四人ってのはいてもいなくても大差ないからな。明星作戦のときだって倒したBETAの数は1000体そこそこだし」
 一個小隊の殲滅数としては十分な数。だが、実際にハイヴに突入した時その程度では、というより一個小隊では到底反応炉にたどり着くことはできない。
「増員、出来そうか?」
 この場合の増員とは信頼できる――オルタネイティヴ5推進派の息がかかっておらず、スパイになる可能性も低い人物、という意味である。
「……どんなに頑張っても十人が限界だね」
「ということは一個中隊か……厳しいな」
 予想される任務は今後さらに厳しくなる。その環境下で一個中隊。損耗が0というのはあり得ないのだから任務を繰り返していけばあっという間に減っていくだろう。
「君としてはどのくらい欲しい?」
「贅沢を言うなら一個連隊。悪くとも一個大隊は用意したい。もちろんある程度の錬度が前提だけどな」
「……と、なると残る方法は二つ」
 ミリアが指を二本立てる。
「幹部クラスは信頼できる人間で固めて末端は数だけ集める」
 そして武がもう一つの方法を口にする。
「あるいは幹部クラスは同じで末端は訓練兵にXM3の操縦方法を一から叩き込む」
「将来的な面では後者、かね?」
「従来の概念がない状態で学べば完全にXM3に対応した衛士になる。例え新任でも今の古参のエースには負けない」
 それは武たちが前の世界で実証済みのことだ。
「まだXM2だがね。で、問題はその訓練内容だが」
「問題ない。前の世界で教官をやったこともある。訓練カリキュラムも考えてあるさ」
「ちなみにその実績は?」
「錬鉄作戦――甲二十号作戦に投入された教え子のうち、七割が無事生還。一割が衛士ではなくなるほどのけがを負ったが、生きて帰ってきた」
 裏を返せば二割は帰ってくることができなかったわけだが、この生還率はかなり高い。
「ならやはり教官はタケルに任せよう」
 ミリアが規定事項を――実際、ミリアの中では決定していたのだろう――を確認するように言った。
「後は指揮官クラスの人間なんだけど」
「私の方でも優秀な指揮官クラスの人間を当たってみるつもりだよ」
「頼む、流石に指揮官まで新兵って訳にいかないもんな……」
 中隊指揮官と小隊指揮官。一つの中隊に三人。それだけの人材を確保出来るだろうか?
(最悪欧州や極東国連軍から持ってくるしか無いかもな……)
 一番オルタネイティヴ計画絡みのしがらみが無いというならそれが効率的だ。だが、それには武に躊躇わせるだけの理由がある。簡単に言うなら部隊内の不和。極東は言うまでもなく、欧州も米国に、アメリカ人に少なからず悪感情を持っている。
(確かに気にしない人もいる。だが同じ位かそれ以上に嫌ってる人が多いのも事実だ)
 斯衛の中にも友好的な人間がいる反面、帝国の末端兵が公衆の面前で罵倒する。武からすれば民がいなければ国は成り立たないが、民イコール国では無い。個々人を見ずにその後ろにある国家だけを見てその全てを否定するなどバカげているにも程があるとさえ考えていた。
「欧州、極東にも友好的な人間はいるさ」
 武の思考を読んだかのようなタイミングでミリアが口を開く。
「仮に多少の不和が生じてもキミのカリスマで心酔させてやれば良い」
「カリスマって、おい」
 その言葉に苦笑する。確かに一度は最大師団規模まで指揮した事がある。だがその時は英雄部隊と言うことでみな心が一つに向かっていたから不和など起きなかった、と思ったところで気が付く。
(つまりあの時と同じような状況を作れば良いのか)
 大した実績の無い今ではあの時のように何もしないでああ言う風にはならない。ならば。
「何らかの形で俺の力を見せ付ければ良いって事か」
「それも圧倒的な、ね。例えは悪いが動物の群れのリーダーは大抵の場合最も強い雄がなる。人間も動物だ。少しは叶わない、と思わせる位で丁度良い」
 ミリアにしては乱暴な理屈だと武は思ったが、恐らく言ってることは間違ってない。ならば。
「ミリア、俺達が今まで教導してきた部隊のリストがあるよな?」
「当然だ。それで?」
「その部隊の連中は俺達と模擬戦を行って、殆どが俺達の実力を目の当たりにしてる」
「ふむ。続けたまえ」
 ミリアが楽しげに先を促す。言われなくても続けるつもりだった武はテンションが上がったのか若干語調が荒くなる。
「中には俺達に憧れてる奴もいるだろう。そいつらの中から腕の立つ奴を引き抜いてこれないか?」
 と、武が一気に言い終えるとミリアがニヤリと笑う。
「素晴らしいな、大尉。正にそれは私がやろうとしていた話だよ」
「あれ、そうなのか」
「何のために君たちを表向き教導隊にしたと思う? 各地の部隊の生のデータが取れるからだよ」
 そうだったのか、と唖然とする武。そんな昔から既にこの時の状況まで予見していたとは……、と武は久しぶりにミリアが鬼才と呼ばれる所以を目の当たりにした気がする。
「各部隊から優秀な人材のピックアップは済んでいる。後は背後に何も無いか確認するだけだ」
「さすがだな。じゃあ俺はさっそく訓練兵どもを教育すれば良いのか?」
「手配に数日かかる」
 どこから取り出したのか、眼鏡をかけながら書類をチェックするミリア。その書類が恐らく教官関係のものなのだろう。
「それと、それが終わったら最後に一つ、やらなければならないことがある」
「やらなければならないこと?」
 何かあっただろうか、と武は首をひねる。当初に立てたプラン通り……とまではいかないが、順調に準備は進んでいる。
「まあ大したことじゃない。君はまず教官の引き継ぎをしたまえ」
「了解。じゃ、頼んだぜミリア」
「任せたまえ」

 と、いう会話があって今。武は教官をやっている。
「訓練部隊集合!」
 ざっと一斉に整列する訓練部隊。二つに分けたが、半分だけですでに二十近くいる。このうちの何人が使い物になるか分からないが、大隊規模はいけるか? と頭の中で考える。もう一つは戦術機過程までは元の教官に担当してもらっている。
「さて、貴様ら。今までよく頑張った。そんな貴様らに褒美をやろう」
 如何にも、な鬼軍曹の口調で訓練生に告げる。
「総戦技演習ですね?」
 訓練部隊の隊長がそう言うが、それを武は否定する。
「違う。今期よりカリキュラムが大幅に変更になった。総戦技演習は行われない」
 その言葉に一瞬ざわめきが漏れるが、武が一睨みすると静まる。ずいぶんと怖がられたものだ、と武は苦笑しそうになるのを堪え、今後の予定を伝える。
「明日は一日休みとする。明後日、0900より各自強化装備を着装してシミュレーターデッキに集合。そこで衛士適正テストを行う」
「戦術機適性とは違うんですか?」
 訓練生の一人の質問に武は良い質問だ、と前置きして答える。
「戦術機特性も同時にテストする。衛士とは戦術機を駆るものであるが、戦術機を駆るものが衛士ではないと肝に刻んでおけ」
『はい!』
「なお、衛士適正テストで一番試されるのは心だ。最悪、これで衛士への道が閉ざされることがある。全員気を抜くな!」
『はい!』
「では解散!」
 散り散りになる訓練兵を見て武は思う。彼らは知らないのだろう。本来座学で訓練兵の段階からBETAの種類を学習することなどあり得ないと。だが武のやろうとする教育プログラムではそれが必要だった。既にそれだけでそれぞれの部隊合わせて三人がリタイヤしている。
 何人残るのだろう。武は夕暮れに染まる空を見ながら思った。できれば全員残って欲しい。だが、恐らく今回のテストでも数名リタイヤすることになるだろう。
(ここで落ちるなら戦場に出ても死ぬだけだ)
 武はそう考え、敢えて正規兵でも落ちるかもしれない衛士適正テストを用意した。
「……頑張れよ」
 そう呟いた武の声は誰に届くこともなく、夕闇に消えた。

 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊専用の(決まってるわけではないが、位置的に彼ら以外ほとんどこない)PXにケビン、ギルバート、シルヴィアがトランプをしていいた。何故トランプかと聞かれれば全員が首を傾げるしかないが、隊長である武が取られている今、教導もほとんどなく、はっきり言って暇だった。そのうち武が持ち込んだ花札でも始まるんじゃないかというくらいに暇だった。自主訓練もしているが、一日中やるのも辛い。ましてや既に三ヶ月。
「……はあ、シミュレーターデッキにでも行って訓練してこようかな」
「別に構わんが、だが大尉がいない状況で連携の確認もできないだろう」
「あんまり三人で連携しちゃうと後で困りますよね」
 三人ともこの部隊が大隊、あるいは連隊規模まで増員することは聞いている。それでも四機で出撃することもあるとのことだから今の連携を崩したくない。さて、どうしようかと考えているとPXに新たな人影。珍しいな、と思い全員がそちらに目を向ける。
 まず銀髪が目に入った。軍人には珍しく、腰の辺りまで届く長さの。そしてその身長。体格から女性だとわかるが、それにしては高い。そして猫のような目。――全体的に猫類の印象。それが三人の共通した意見だった。更にギルバートは胸元についている衛士を示すウイングマークに気づき、シルヴィアは基地内で見たことが無い顔だと警戒し、ケビンは綺麗な人だな~と思っていた。
「済まない。特務戦術機甲小隊の隊員だろうか?」
 三人に近づいてきて訪ねてきた言葉に三人は首をかしげる。どうやら我々に用があるらしい、と。
「副長のギルバート=ラング中尉です」
「私は欧州国連軍から転属になったシオン=ヴァンセット大尉だ。よろしく頼む」
「転属……ってことはうちの部隊に?」
「ええ。そちらの方々も部隊員の方かしら?」
「シルヴィア=ハインレイ中尉です」
「ケビン=ノーランド少尉です」
 ビシッと敬礼を決める二人。ケビンはともかく、シルヴィアまでしっかりとやっているのはギルバートにとって意外だったが、初対面かつ上官を相手にあんな態度に出るほど礼儀知らずではないのだろう。
「で、隊長の白銀大尉はどちらに?」
「大尉でしたら今は」
 と続けようとしたところでギルバートの後ろ――シオンの正面でもある――から噂の人物の声が聞こえてくる。
「お~い、ギル。これでようやく戦術機教習に移れる。その時は頼むぜ?」
「無礼者!」
 いつも通りの武に雷が落ちる。誰からと言えばシオン。
「軍曹! いくら親しき仲とは言え、中尉に対してその口の聞き方は何だ!?」
「あ~ヴァンセット大尉。彼は――」
 その剣幕に驚きながらも(シルヴィアとケビンは固まっている)ギルバートが彼女の誤解を解こうと口を開くが。
「ラング中尉、こういった輩は一度言わないといつまでもそうします。それでは軍紀が保てない」
 いや、そう言うことじゃなくて、と言いたいのだがその前に武が返事をしてしまった。
「申し訳ありませんでした大尉殿!」
 ――何の気まぐれか軍曹として。
「訓練兵の規範となるべき自分がこのような軍紀を破るような行動。深く反省しております!」
「――それなら良い。すまなかったな。突然大声を出したりして」
「いいえ、中尉殿。非があるのはこちらです! 謝罪して頂く必要はありません!」
「そうか。では会話を邪魔したことの謝罪としてくれ」
 シオンが微笑しながらそう言う。その様子はどことなく、武を更生? させたことに満足感を覚えているようであり、きっと世が世なら立派な委員長だっただろう、と武に思わせた。
「は!」
 三人とも思った。ああ、また大尉の悪ふざけが始まったと。

 で、その日の夕方。武はミリアの執務室にいる。
「ヴァンセット大尉。こちらがオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の指揮官の白銀大尉だ。ヴァンセット大尉の方が先任になるが、今後の予定も鑑みて、貴官には彼の指揮下に入って貰いたいのだが構わないだろうか?」
 それにシオンは答えない。と、言うより口をパクパクさせている。
「え~っと。もうばれちゃいましたが、白銀武大尉です。よろしく。ヴァンセット大尉」
 その後三十分ほど武に平謝りするシオンの姿が目撃された。

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[12234] 【第一部】第十話 巣立ちの日
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/15 21:11
『ひ、……うわああああ!』
『やだ、来ないで!』
『ヤメロヤメロヤメロ!』
『こ、これがBETA……』
 衛士適正テストを開始して十分が経過した。この時点で無理だと武が判断したのは二名。残念だが彼らは衛士になるのは難しいだろう。戦術機適性なら文句はないのだが。
 訓練兵が見ている映像に武が目を向ける。そこには武でもできれば遠慮したい世界が広がっていた。敢えて名前をつけるならば『BETA地獄めぐり』だろうか? 大破した戦術機でもブラックボックス――つまり通信記録などが収まった部位は割と無傷で残っている。そこにある様々な衛士の最期の瞬間をつなぎ合わせたものである。死んでいった者の最期を弄ぶようで悪いが、新兵の生存率の向上のために協力してもらおうと武は割り切った。
 ついでとばかりに戦術機適性テストも行っているが、誰も気づかない。みな、最期の瞬間を何度も味わい、それどころでは無いらしい。新兵の戦場に出た時最も多いのはBETAを間近で見て思考が停止してしまい、その間にやられる。あるいは錯乱してしまう。特に錯乱した場合、周囲の味方すら巻き込んでしまうおそれがある。武としてはそんな相手に背中を任せられない。だからこそのこの荒療治である。
 スピーカーからは訓練兵たちの悲鳴が上がる。だが、逆にその中でも冷静さ――と言っても軽い興奮状態にあるが、これは概ねBETAを前にした兵士に見られる反応である――を保っている訓練兵もいる。きっとこいつらはそのまま出しても死の八分を乗り越えられる奴らだろう、と武は考える。
 今はパニックになっても良い。ここで一度シミュレーターとは言えBETAの姿を見ておくのは衛士として決してマイナスにはならない。と武は思う。これをみてPTSDになってしまうようでは戦場に出たら確実に死ぬ。
「やはり訓練兵にこのテストはきついのではないですかな?」
 年配の教官がそう言ってくる。
「私ですらこれは厳しい」
 そう言っているが、そもそも彼は戦場に出たことが無い。武は若干の苛立ちを感じながら、同じようにこれを受けさせたら泣き叫ぶ可能性の方が高いだろうと推測する。
「お言葉ですが軍曹。この程度を乗り越えられないような兵は戦場に出てこられても足手まとい――いえ、むしろ害悪でしかありません。戦場で戦うもののためにも、彼らのためにもここではっきりさせておいた方が良い」
 すなわち、衛士たる資格が――人類の敵を前にしても守り手たることができるか、ということである。
「――実戦経験のある大尉がそう言うならそうなのでしょう」
 日和見主義のこの教官に任せておいたらどんな半端な新任が送られてくるかわかったものじゃない――武は溜息をつきたい気持ちをこらえながら試験の経過を見守る。
 そして開始から三十分が経過。シミュレーターが停止する。
「さて、取りあえずお疲れ様、とだけ言わせて貰おうか。……大丈夫か、お前ら?」
 半数以上は自分の足で立っているが、ふらついてるものやシミュレーターから出てこれないものもいる。
「きょ、教官……腰が抜けて立てません……」
「……まあ仕方無い。正規兵だって今のを見て腰が抜ける奴がいると思う」
 その言葉にほとんどが恨めしげな眼を向けてくる。だがそれを武は意に介さず言葉を続ける。
「だが、今こうしてここにいるお前たちは死の八分を疑似的に経験した」
 四十七名中三十三名がここにいる。
「その経験は間違いなく実戦で奴らの前に立った時に役に立つ」
 それは武にも断言出来た。決して無駄にはならない。
「おめでとう! ここにいる貴様たちは衛士適正テストをパスした!」
 ここにいる訓練兵の中で絶望に染まり切った眼差しを向ける者はいない。あるのはただ、奴らと闘ってやるという闘志。それを見て武は満足げに頷く。同時に全員が気にしているであろう今後の予定を発表する。
「ではこれより全員軍医にPTSDになって無いか検査してもらう。その結果、問題がなければ戦術機教習だ。問題があった場合は何らかの治療を行い、それでもダメだった場合は残念だが衛士になることはできない」
 その表情に一斉に顔を曇らせる訓練兵たち。それを武は笑い飛ばす。
「心配するな。こうやってここに立っているお前たちなら大丈夫だ」
「……あの、教官。質問があるのですが」
「言ってみろ」
「ここにいない者はどうなるのでしょうか?」
 つまりは途中で武がバイタルデータを見て限界だと判断した訓練兵のこと。
「……催眠治療を受けてもう一度同じテストを行う。本人が希望すれば、だが。それに合格した場合は貴様らと同じ戦術機教習だ。他に質問は?」
 ぐるりと見渡すが、誰も手を上げない。
「よし、それでは全員着替えてメディカルエリアに向かうぞ」
 そう言って武は軍医の所に三十三名が行くことを伝えに行った。

 衛士適正テストから一週間。
「大尉、訓練兵の調子はどうですか?」
「ん? これは失礼しました。ギルバート中尉。で、何でしょうか?」
 昼食時のPX。立地条件のせいかガラガラなここで食事中の武。武が軍曹としてギルバートに接するとギルバートが苦笑気味に言う。
「大尉、それくらいにしておいてください。ヴァンセット大尉が苦しんでおります」
 その苦しんでいるシオン=ヴァンセット大尉。武を軍曹と勘違いしてどなり散らしたことがある。それを思い出して今も身悶えしている。
「ああ……白銀大尉……私が悪かったですからそれはもうやめて下さい……」
 と、今も瀕死のような状態だ。結構な美人がそうしているのは絵的に色々とやばいものがある。何か無意味に色っぽい、と武は思った。
「いやいや、ヴァンセット大尉は悪くないです。先任大尉なんですから」
「軍紀とか言いながら自分は同階級の相手を怒鳴りつけるなんて……ああ、もう恥ずかしさのあまり死んでしまいそう」
「……大尉。ヴァンセット大尉がかわいそうなのでそろそろやめてあげてください」
 確かに可哀そうではある。色々と。
「いや、さっきから一人で恥ずかしがってるだけだけど」
「もう騎士失格です。むしろこんな醜態を晒して騎士? はっ、ちゃんちゃらおかしいですよ……」
 シオン=ヴァンセット。欧州の貴族の出……らしい。取りあえず騎士道精神を掲げており、そして若干自虐癖がある。正直武がからかって一番楽しい相手である。もうすでに始まりから。
(美冴さんも俺のところからかう時はこんな感じだったのかな?)
 と、言うか何の対策もしなかった場合、この世界の美冴にあったらシオンはどうなるのだろう、と真剣に不安になる武だった。彼女にあの人の攻勢を凌げるだろうか? いや、多分というか絶対無理だ。だからと言って対策を施すつもりは武にも無いが。
(すまん、ヴァンセット大尉。君がいれば俺の被害が少なくなりそうだ)
「で、何の話だったっけ?」
「訓練兵の調子です」
 ギルバートが最初のセリフを繰り返す。興味があるのかシオンも悶えるをやめて耳を傾けている。
「悪くない。と、いうよりも訓練兵だってことを考えると上出来だ。まだ初めて一週間だけど応用動作過程がもうすぐ全員終わりそうだ」
「それは……優秀ですね」
「やっぱりXM2の恩恵、かしら?」
 シオンが聞いてくる。
「こっちではどうか知りませんが、応用動作過程をすべて終えるには欧州では三週間以上かかってました」
「ええ、こっちでも似たようなもんですよ。だからOSの違いも大きいじゃないかと」
 それでも十分優秀だ。
「これからXM2の限界機動を見せて、全員にXM2の特性を体得してもらうつもりだ」
「一番最初のお手本が大尉ですか……それは贅沢な話だ」
 ギルバートが羨ましげに言う。確かに訓練兵時代からこの世界でもトップクラスの人物の機動を間近で見られるのだ。贅沢どころの話では無い。他の分野で言えばプロ野球選手に野球を教わるようなものなのだから。
「お前たちの機動データも使わせて貰うからな?」
「私ので良ければ」
「私のはまだそんなに蓄積データが無いから役に立たないとは思いますが」
 と、言うシオンに武は反論する。
「いや、ヴァンセット大尉の機動データは格闘戦が非常に優れてますから。それは射撃中心だと考えていた彼らに良い刺激になるかと」
 実際、訓練兵の中でも格闘を軽視する者は多い。全体的に戦術が米国寄りなのだ。一度その価値観をぶち壊す必要があるがどうしようか、と武は悩んでいるのだが。
「そういえばシルヴィアとケビンは?」
 やけに静かだと思ったら二人ともいない。いつもなら大抵揃って行動してるのだが。
「二人なら午後から休暇です」
「あら、そうなの?」
 まあ休暇もたまには消化しないとたまっていく一方である。だから休暇をとるのは全く構わないのだが。
「二人一緒って珍しいな」
 武が疑問を口にする。少し前にギルバートとシルヴィアが同時に休暇をとったが、それは二人で同じ人物の墓参りに行っていたらしい。その人物が二人とどういう間柄なのか武は詳しくは知らない。だが、二人にとって大切な人だというのは休暇後の二人の顔を見れば何となく想像がついた。で、ケビンとシルヴィアの場合そういうのは無さそうであるのだが……。
「一杯買いたいものがあるってハインレイ中尉が言ってノーランド少尉を引っ張って行きましたよ」
「……シルヴィア」
 餌食になったケビンに武は心の中で合掌する。ケビンにもやりたいこととかあっただろうに、と彼らがいそうな方向を眺めるが、当然壁しか見えない。

 丁度二人も昼食だと言うので、武は二人がトレイを持ってきて座るのを待つ。ギルバートは合成ペペロンチーノ、シオンは合成カルボナーラだった。ちなみに武は合成うどん(合成鯖の味噌煮定食はイメージと味が違うのでやめた)。しばらく黙って食事をしたところでシオンが口を開いた。
「今後のスケジュールはどうなっているのですか?」
 武は頭の中でスケジュールを思い浮かべながら回答する。
「取りあえず実機が搬入されるまではシミュレーター演習の繰り返しですね。搬入されたらJIVESを導入して対BETA戦闘も経験させます」
「ずいぶんと実戦的ですのね」
 シオンが計画を聞いて驚いて目を見開く。確かに武のやり方はこれまでの教育プログラムと大きく異なる。人によってはそれで大丈夫なのかと不安を覚えるだろう。
「機密保持だか士気を下げないためだか知りませんが、BETAの姿も知らせずに操縦だけできたら実戦に放り込むってのは少し手抜きだと思いますよ。その前に少しでも知識があれば生き残れたかもしれない衛士が一体何人いることか」
 その言葉にシオンも心当たりがあるのだろう。顎に手を添え考え込む。彼女は部隊の中で武を除けば最も最前線にいた衛士だ。色々と思うところがあるらしい。
「欧州にこの教育プログラムが導入されたら……初陣衛士の死亡率を二割下げることが可能でしょう。白銀大尉の教導があればさらに二割」
「前線にいたヴァンセット大尉にそう言ってもらえると自信が持てます。それはそうと一つ頼みたいことがあるのですがよいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
 少し口調が改まった武に何かを感じ取ったのか、シオンも姿勢を正す。
「丁寧口調が疲れたので普段通りの言葉遣いでよろしいでしょうか?」
「は、……へ?」
 はい、と返事しようと思ったのだが、少し予想外の頼みごとだったのか思わず聞き返すシオン。ギルバートは合成紅茶を飲み、「大尉の方がおいしいな」と関係ない人間を装っていた。
「いや、別に軍紀に反しようとか言ってるわけじゃないんです。ただ、ちょっと元々の言葉づかいがラフなもので……」
 怒ったと思ったのか早口で言い訳を始める武。相変わらず腰が低い。
「その、ヴァンセット大尉はこの部隊初めてだからなるべくちゃんとしたように見せようと思ったのですが……何と言うか、そろそろボロが出そうなので先に言ってしまおうかと」
「はあ、別に構いませんけど」
 そもそも一応は同格の大尉なのだからそこまで気を使わなくても良いのに、とシオンは思う。もしかしたら律儀な人なのかもしれない、とも。
「はあ……助かったあ。さっきから言葉づかい微妙におかしくなってなかった?」
「ご安心を。いつも通りでした」
 ギルバートがにこりともせずに言う。既に彼はどこから持ってきた新聞を見ている。
「しかし白銀大尉、なぜそんなに気にしていたのです? 同じ階級なのですから気になさらなくても……もしかして」
 と、シオンが何かに思い当たった。
「最初に会った時怒鳴ったからですか?」
「ギクっ」
 武がわざわざ言わなくてもいいのに擬音を口にする。実はそれが大きな理由である。規律に厳しそうな人が今の部隊の現状――っていうかシルヴィアを見たらどうなるだろう、と。一応武にもシルヴィアの態度が軍紀と照らせば問題があることは自覚している。そして同階級のシオン。彼女がそれを見た時どうなるか。それを考えたら結構恐ろしいものがあった。
「ああ、やはりあの時のせいで大尉に無駄な苦手意識を植え付けてしまったのですね……」
「いや、そう言う訳じゃないけど……」
 苦手意識はあるけど。
「やはり私が騎士失格だ……周囲の人間を怯えさせるなんて」
「もしもし~?」
 ブツブツと己を罵倒する言葉をつぶやきながら沈んでるシオンを見て、武はどこか懐かしい気持ちになった。どこだろう……どこかでこれに近いものを見たことがある気がする……。と、記憶を探ったところで思い出した。
(ああ、篁か……)
 篁唯依。帝国斯衛軍の一員。山吹色の武御雷を駆る守護者。武と共闘したのは数えるほどしかないが、妙にウマのあったユウヤ=ブリッジスとの関係でたびたび顔を合わせていた。悪い人間では無いが、自省癖がありよく自分で反省していた。
(ついでに武士道、と。欧州版篁ってところか……)
 っていうかユウヤ懐かしいな~会いたいな~と思う武。尤も、XFJ計画に携わるまでは極度の日本嫌いのため、今の段階で改めて交友を作るのは難しいものがあるが。

「大尉、もとい軍曹。時間は大丈夫なのですか?」
「ん? ああ、そうだ。そろそろ行かねえとな」
 時計を見ながら武が言う。そろそろ午後の座学が始まる時間だ。
「あんま教官が時間に遅れると示しがつかないからそろそろ行ってくる」
「はい。あまり訓練兵を待たせないようにしてあげてください」
「おう」
 そう言って武がPXから出ていく。その背中を眺めながら(ようやく帰ってきた)シオンは独り言のような言葉を呟く。
「不思議な方だ……」
「ええ、私もそう思います」
「何というか……人の心にどんどん踏み込んでくるような感じのする方だ」
 シオンが率直に思った印象を口にするとギルバートもそれに同意した。
「そうですね。ですが不思議と不快感は感じない。ヴァンセット大尉もそうではないですか?」
「それはラング中尉も、ということか」
「ええ。あのようなタイプの人は今まで会ったことが無いです」
「私もそうだよ。中尉……さて、私もそろそろお暇しよう」
 そう言って椅子から立ち上がるシオン。
「ではまた後ほど。夜間訓練の時に会おう。失礼する」
 敬礼して立ち去るシオンを見送りながらギルバートはつぶやく。
「どうやらヴァンセット大尉もうちの部隊に馴染めそうだ」
 はっきり言ってこの部隊は部隊長の気質に強く染まってるのか割と緩い。きっとこれは新任が入ってきても変わらないだろう、とギルバートは考えていた。その中でシオンが最初に見せた武を怒鳴る姿。それを見てギルバートは他人事とは思えない思いを抱いてしまった。即ち。
「……この人この部隊でやっていけるのだろうか?」
 と。自分でさえそれなりに苦労しているのだからもっと生真面目そうなこの人はもっと苦労するんじゃないかと思い少し気を使っていたのだが、どうやら杞憂に終わったらしい。きっと溜息をつきながら苦言を漏らしつつも何だかんだでその雰囲気を認めてしまうのだろう。
「やはりあなたは凄いですよ。白銀大尉」

「はっくしょん」
 座学中にくしゃみをする武に訓練兵が心配そうな眼を向ける。
「と、すまんすまん。続き行くぞ? 突撃級の外殻はモース硬度――」
 BETAの細かい特性の座学。全員シミュレータとは言え、一度見たからか具体的なイメージを持って学べているらしい。
(これならBETA戦のシミュレーター演習を早めても大丈夫かな?)
 一週間前の衛士適正テストで最後まで残った三十三人にPTSDらしき人物はいなかった。後はこいつらに自分の技術を伝えられるだけ伝えるだけだ、と武は思う。正直な話、このカリキュラムで最大の難関は衛士適正テストだ。そこから先はひたすら覚えるだけで良い。
「――と、今教えたのが脅威順だが、バカ正直に戦場でこの順番通りに倒そうとするな? それぞれ単独ならこういう格付けだが、BETAの武器は物量だ。多種多様なBETAが連携してくるのが厄介なんだからな」
 その武の言葉に訓練兵の一人が挙手をして質問する。
「教官はさきほどBETAが連携すると仰りましたが、BETAに戦略、戦術は無かったのではないでしょうか?」
「良い質問だ。確かにパッと見、BETAに戦略らしきものは見られない。だが光線級はどうだ?」
 どうだ? と言われても分からないのか首をひねる訓練兵たち。
「航空戦力を無力化して物量で勝負できるようにする……これも立派な戦略じゃないか?」
 その言葉に何人かの訓練兵がハッとした顔になる。それを見ながら武は続ける。
「現に戦場では時に要塞級が光線級を守る盾になったりする。また、光線級が照射する時にBETA共が射線を開けるっていうのもそうだ。決してBETAはただ愚鈍につっこんでくるだけの馬鹿じゃない。気付きにくいだけでちゃんと戦略も戦術も持っている」
 その言葉全員衝撃を受けたようだ。当然だろう。BETAが戦略や戦術をもっていると断言されたのはこれが初めてだろうから。
「まだまだBETAにはわからない特性が多くある。ユーラシアや月面で採取されたサンプルからは未確認種の存在も確認されている。思考を硬直させるな! これはこうだ、と決めつけるな! 戦場で相手の全てを知った気になった奴は予想外の行動を取られた時にすぐ対処できない」
 事実、武にも何度かそれで危ない時があった。要塞級の触角部に光線級の目玉がついていたときなどは本気で危なかった。
「やつらは異性起源種だ。人間は自分たちの体のことすら全て完璧に知ってるわけじゃない。ならば生まれた星すら違う奴らの事がどれだけわかってると思う? おそらく一割も分かって無い。そのことを心に刻め」
『はい!』
「では本日の座学を終了する」
「敬礼!」
 一斉に敬礼する訓練兵に返礼し、武は資料をまとめて退室した。本当は母艦級とかの話もしてやりたいが、そこら辺になってくると明確な証拠が必要となる。今の段階では明らかでないものを教えることはできないのが武には残念だった。だが、今日彼らのBETAの常識を打ち砕いたため、戦場で予想外の事態にあっても少しは冷静に対処できるだろう、と武は思っていた。
「後は……卒業試験か」
 任官直前に行うつもりの模擬戦。訓練兵たちが古参に対してどれだけ力をつけたかを見る模擬戦だが……。
「あんまり強いところとやるとあれだしな……。かといって弱いところとやると増長しそうだし……」
 自信喪失してはいけない。だが自信過剰になってもいけない。ここまでこれたんだ、的な感情を抱かせる相手が一番良いのだが……。
「XMシリーズの機体に乗ってる時点で同じ数だと相手が不利だよな……」
 それは前の世界で武たちが任官直後にやったトライアルで証明されてる。かと言って米国のインフィニティーズを連れてきたら流石に負けるだろう。
「難しいな……」
 何かあった時に派遣されるような部隊なら錬度も申し分ないんだけどな~と思っていると一人の軍人の顔が頭に浮かんだ。
「あの人の部隊なら……」
 早速ミリアに打診してもらおうと彼女の執務室に武は向かった。

 そしてついに訓練兵最後の模擬戦が始まる。正直な話、最初は教官が日本人で、且つ新たなカリキュラムをやると言ったときはどうしようかと思った。だが、話に聞くかつてのカリキュラムに比べて非常に有効だとこの訓練兵は思っていた。
 そして何より、この模擬戦。正規兵とやることで自分たちの実力を試せということらしい。訓練兵たちも興味があった。この新たなカリキュラムと新型OSというのが古参兵にどこまでやれるのか。それに教官だって正規兵との演習を組むなんて苦労したに違いない。ならば教官に自分たちの成長を見せるのが一番のお礼になるだろう。
(ああ、それと衛士適正テストのことも言わなくちゃな)
 任官したらこっち方が上になるんだから冗談めかしてそのことを言ってやろう。きっとあの教官は苦笑いを浮かべながらお前たちならできると思ってたとか言うに違いない、訓練兵の一人は考えその瞬間を楽しみにした。
 そのころ武はどこにいたかというと。
「特別戦術教導小隊隊長の白銀武大尉であります」
「米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官、アルフレッド=ウォーケン少佐だ。大尉、貴公の武勲は私の耳にも届いている」
「は、ありがとうございます」
 演習場の管制エリア。それぞれの部隊のオペレーターが準備をしている。ちなみに訓練兵側のオペレーターは衛士適正テストに落ちた人間が含まれている。どんな形でも良いからともに戦ってきた戦友を支えたいとの要望で武がCP将校の訓練校を斡旋した。ちなみに模擬戦に臨む彼らも、ここにいるオペレーター候補も互いがここにいることを知らないので終わったら会わせてびっくりさせてやろうと思ってる。
「それで彼らが?」
「はい。私が育てた訓練兵です」
「俄かには信じがたいな。大尉の言葉を疑う訳ではないが、訓練兵がこちらと互角の戦いをできるとは」
 普通はそうだろう。だが武には絶対の自信がある。
「勝つ、までは厳しいでしょうが、ひやりとさせられる自信はあります。優秀者で固めた部隊なら勝利もあり得るでしょう」
 と、謙遜しておく。一応立場というものがあるのだ、武にも。
「最後に君の部隊と私の中隊とで演習を行うとのことだが」
「はい。一度しっかりと見せておきたかったものですから」
 シオンを加えたオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊。若干変則的だがその連携と錬度、それを一度訓練兵にも見せたいと前々から武は思っていた。その相手がこのウォーケン少佐ならば不足はない、と心の中で気焔をあげる。この世界では初めて会うとは言え、前の世界では浅くない因縁がある。
「だがまずは訓練兵からか。大尉の教え子たちの戦いぶりを見せてもらうとしよう」
 そう言ってモニターに目を向ける。そこには十二機のF-15Eと十一機のF-15Cが並んでいた。
 模擬戦が終わる。隣でどんどん表情が変わっていく少佐を見るのは武にとってなかなか楽しめた。
「勝ってしまいましたね。いや、あいつらも良くやった」
「い、今のが優秀者で固めた部隊かね?」
 ウォーケンがやっとこ言葉にできました、といった風情で口を開く。それに対して武は笑いながら首をふる。
「いいえ、あれは第三中隊――言葉が悪いですが一番成績が悪い部隊です」
 訓練兵の中での相対的な話ですが、と付け加えるが、ウォーケンは聞いていない。ただ茫然と。
「成績が悪くてあれだと……?」
 と呟くのみである。
 そして次の模擬戦。
「……大尉。実はあれは君の部隊じゃないのかね?」
「いいえ少佐。今のは第二中隊です」
 もはや結果が信じられず、武の部隊じゃないかと疑い始める少佐。それをやんわりと否定しながらも武は内心ではニヤニヤしている。
(ここまでやるとは予想外だったな。みんなしっかり成長してるじゃないか)
 しかも勝ったからと言って、浮かれてる訳でもなく己の反省点を見つけているのは頼もしいと言わざるを得ない。
「で、これが第一中隊――自分が鍛えた訓練兵の中でも最も強い連中です」
 正直な話、動きだけなら前線に出しても問題ない。後は初陣さえ生き残れば立派な衛士だ。
(さて、頑張れよ。お前ら)
 その模擬戦は前の二つよりも遥かに早く、半分ほどの時間で終わった。
「さて、それではウォーケン少佐。我々も支度をしましょう。訓練兵たちが待っています」
 そういって武はドレッシングルームに向かう。
「……これが国連の訓練兵か。米国とは質が違いすぎる……」
 管制室で茫然とそう呟き、ウォーケンもドレッシングルームに向かった。

『白銀大尉、グレイ5。準備完了です』
『こちらグレイ4……あの、本当に俺が前衛で良いんですか?』
 普段はグレイ4――ケビンは後衛にいる。だが前々からその操縦特性は前衛向きだと思っていた武はこの際だから、とシオンが入った連携を訓練する時にケビンとギルバートのポジションを入れ替えた。
『こちらグレイ2。ケビン。俺と白銀大尉はお前ならできると判断した。その期待、応えて見せろ』
『こちらグレイ3。何となく久々にコールナンバー言った気がするよ』
 ああ、実際にお前はいつも言わないからな、と武は苦笑する。
「グレイ1よりグレイズ各機。今回の模擬戦は訓練兵どもも見ている。連中はお前らの部下になる人間だ。無様な姿を見せるとなめられるぞ!」
『だってさ、ケビン。頑張んないと』
『凄いプレッシャー感じた。シルヴィアの言葉で』
 網膜投影に恨めしげなケビンの顔が映る。が、その表情は決して緊張に固まったものではなく、適度な緊張を与えられて引き締まったものだった。
『私!?』
『あ~、注意でもしようかと思ったんですがこれがこの部隊のカラーなんですよね?』
 困ったようにシオンが言うのに対し、淡々とギルバートが返事をする。
『そう言うことです』
「諦めてくれ、シオン」
『はあ……でも最低限の軍紀は守ってもらいますからね!』
 ああ、委員長だな~と武は思う。まさに委員長の鏡だ。ベストオブ委員長だ。千鶴とどっちが上かなんて決められないほどシオンの委員長ぶりは素晴らしかった。
『グレイ0よりグレイズ各機。間もなく模擬戦が開始されます。繰り返します、間もなく模擬戦が開始されます』
 グレイ0、今はまだ決定していないため任務の度に変わるが、戦域管制を担当するCP将校が見つかったらその人がこのコールナンバーを名乗ることになる。
「よし、グレイズ各機! 俺たちの力を見せつけるぞ!」
『了解!』
 結論から言って、そこでも武たちは圧勝した。それはもう、あり得ないくらいに。その後、ウォーケン少佐と個人的な会食の場が設けられたが、それは今は関係ない話である。

「ご苦労だったね」
「いや、良いリハビリになった。最近戦術機に全力で乗ってなかったからな」
 一個中隊との模擬戦をリハビリ扱いか、と武の化け物ぶりにミリアは呆れる。
「これであとは任官式だけだ。明日講堂を使ってやるのは予定通り。くれぐれも遅れないでくれたまえよ?」
「わかってるって。で、いつだったか最後にやることがあるって言ってたよな?」
「……………………」
 ミリアが絶句していた。いや、むしろ現実を疑っていた。
「君がそんな昔のことを覚えていたとは」
「……いくらなんでもその反応は酷いと思うんだ」
「冗談だ」
 そう言うが、さっきのミリアは誰がどう見ても冗談には見えなかった。武はその冗談だという発言が冗談なんだろ? と確認したい気持ちに駆られたがそんなことをしていたらいつまでたっても話が進まないので強引に軌道を修正する。
「で、何をすれば良いんだ?」
「……タケル、グレイの姓を名乗るつもりはないかね?」
「…………………………………………………………は?」

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[12234] 【第一部】第十一話 変遷
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/01/11 22:11

「ねえ、お兄ちゃん――ミリア、もう我慢できないの……」
 これはどういう状況だ? 必死で理解しようとするが、理解できない。っていうかしたくないというのが正確だった。
「ずっとね、ずぅぅっと待ってたんだよ? お兄ちゃんの方から来てくれるの」
 そう言いながらベッドで寝ている自分の上に覆いかぶさってくるミリア。
「ちょ、ちょっと待て! なんだ、この状況は!」
「もう……そんなこと……言わせないでよ」
 そしてミリアの恰好がまた拙い。シーツを一枚体に巻いただけ。以上。正直どこに視線をやって良いのかわからない。正面から

視線を捉えたらそのまま捕らえられてしまいそうだ。
「っていうかお前誰!? ミリアとか言うジョークは勘弁してくれよ!?」
「もう……酷いなあ。お兄ちゃん。ミリアがミリアじゃいけないの?」
 一体何なんだ!? もう頭の中はパニックである。オーバーフロー寸前。
「お兄ちゃん……良いでしょ?」
「何が!?」
「わかってるくせに……えっちなんだから」
 悪夢だ。とびっきりの悪夢。あのミリアがこんな風な口調で迫ってくる。これが悪夢でなくて何だというのか。
「ね、お兄ちゃん……」
 耳元で囁くように。
「しよ?」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ああ!」
 無駄に長々と悲鳴をあげて跳ね起きる。そこが自分の部屋でミリアが覆いかぶさっていることはないということを確認して安堵

の息を吐く。
「良かった……夢だったか……夢で良かったあ……本気で夢で良かった……」
 起床ラッパまでは時間がある。そう思い、再びベッドに入る。その動作の中で布団がはだけたミリアに苦笑しながら掛け布団を

掛け直してやり、再び眠りに就いた。
 ………………待て。
「何でミリアがここにいるんだああああああああああああああああああああああ!!」

「ああああああああああああ!」
 叫びながら布団を跳ね飛ばしながら体を起こす。
「って良かった……夢だったよ。夢で良かった……。夢の中で夢を見るって何だよ、って言いたくなったけど夢で良かった……」
 そう思いながらちらりと隣に目をやると。
 スヤスヤと眠るミリア。
「何でだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 以降無限ループ。
 白銀武とミリア=グレイ。最後の会談の日の夢であった。

 武は今言われたことを頭の中で整理してみる。グレイの姓を名乗る気はないか。そう、それだけだ。それだけそれだけと自分を

納得させる。
「ってできるかああああああああ!」
 叫んだのは武、ではなくシルヴィア。髪を振り乱しながら執務室に入ってくる。突然の闖入者に武とミリアが視線を向ける。あ

あ、面倒なのが来た、とでも言いたげに。
「シルヴィ……入室を許可した覚えはないのだが」
 ミリアが呆れも通り越して溜息しか出ない、と言いたげに嘆息しながらそう言った。
「ダメだよ、ミリア! そんな簡単にそんなこと言っちゃ!」
「いや、私なりに考えての発言だったんだがね」
 武は間違いなく断言できる。この二人の会話はかみ合ってない。そもそも武にだって良く状況が分かっていないのに何故盗み聞

きを(恐らく)していたシルヴィアにわかるというのだろうか?
「ダメだってば! 年の差とか色々あるし! 世間体とかもあるし!」
「その点は問題ない。既に解決積みだ」
「外堀から埋めてる!?」
 何か言おうと口を開く武だが、諦めて静観することにした。何となくだがここで口を開くと飛び火しそうだと長年の経験で察知

したからである。だが、結局この天災には意味のないことだった。
「大尉も! さっきから黙ってて! まさか受けるつもりですか!?」
「と、言うよりも受けてもらわないと困るのだが」
「な……そこまで覚悟を……」
 喧々囂々と話し合い(と呼べるかは武にとって疑問だったが)を続ける二人を尻目にいつの間にか隣に来ていたギルバートに聞

いてみる。
「なあ、シルヴィアは何であんなにヒートアップしてるんだ?」
「恐らく、博士の発言を大尉を婿に取る、という風に解釈したからでしょう」
「あ~なるほど」
 確かにそれは騒ぎたくもなるだろう。年の差十歳近く云々の前にミリアどう見ても幼女だし。一応十四歳のはずだが十分犯罪。

そういうことらしい。
「ふう……シルヴィアも馬鹿だなあ。そんなわけないじゃねえか」
「恋する乙女は盲目、とも言いますがね」
 ギルバートが少し遠い眼をしてそう言う。良く分からないが、聞いても答えてくれなさそうだと察して適当に相槌を打つ。
「なるほど。で、ギルバートとシルヴィアは何でここに?」
「大隊の話です。ヴァンセット大尉と白銀大尉で一個中隊づつ。新たに指揮官を連れてくるのでなければ私かシルヴィアが隊を率

いることになります。で、どっちがどうなるのか聞きに行こうとシルヴィアが」
「その話か。うん、今のところ二人のうちどっちか……っていうかギルに中隊長やって貰うつもりだけど」
「そうですか」
 昇進を仄めかされても表情が変わらないギルバート。ふと気になって武は聞いてみた。
「お前昇進とか興味ないの?」
「そうですね。正直さほど。昇進したら下手をすると自分の隊を率いることになるかもしれませんし」
 これまた奇妙な回答が来た、と武は思った。自分の隊を率いるというのは責任も増えるて嫌がる者もいるが、下手をすると、と

まで言うのは稀だと思った。
「私が昇進し、部隊を持つことになったら白銀大尉の傘下でない限りあなたの元で戦えない」
「……っていうとつまり?」
「私はあなたの元で戦って死ぬ。そう決めてるのですよ」
 と、何の迷いも感じさせない口調で言い切った。
「……俺そこまで惚れこまれるようなことしたか?」
「そういうところにみんな惚れこんでいるのですよ。きっとシルヴィアも、ケビンも、きっとミリア博士も。それからヴァンセッ

ト大尉もそのうちそうなるでしょう」
 ギルバートにしては珍しく笑みを浮かべてそういう。それを珍しいと思いながらも武は先ほどのギルバートの発言を訂正する。
「それはそうとギル。俺はお前たちを死なせるつもりは微塵もないからな? 寿命で死ぬまでこき使ってやるから覚悟しとけ」
「やれやれ、これは少し早まった真似をしたかもしれません……ですが了解です。その命令。必ずや守って見せましょう」
「そこまで大げさなものでも無いんだけどな……。っと、あの二人も終わったかな?」
 ギルバートと武が話している間にミリアとシルヴィアの熱き戦いも終わったらしい。
「な~んだ。そう言うことなら最初からそう言ってくれれば良かったのに」
「……話を聞かなかったのは君だと記憶しているがね、シルヴィ?」
 珍しくミリアの態度の端々に苛立ちが見えている。恐らく説得をするのに同じことを何度も何度も説明することになったのだろ

う、と武は推測する。
「って言うかミリア。シルヴィアは納得しても俺が納得してねえ。っていうか説明受けて無いんだけど」
「……ふう、また説明するのは正直面倒なのだがね」
「文句ならシルヴィアに言ってくれ」
「部下を売り飛ばす上司!?」
 シルヴィアがショックを受けたような表情を作るが無視。タイミング良くギルバートがシルヴィアの肘を掴む。
「行くぞ、シルヴィア。用事は済んだ」
「はれ? 副長何か用事あったの?」
 その言葉にギルバートと武は頭痛を覚える。こいつの頭は鳥並みか? と。
「……良いから行くぞ。ヴァンセット大尉も交えてお前には一度言いたいことがある」
「ええ! 何か説教っぽい気がする!」
 た~す~け~て~と引き摺られていくシルヴィア。どこかでドナ○ナが聞こえた気がした。
「さて、それでは説明を始めようか」
「頼む。正直さっぱりだ」

――そして月日は流れる。

 2001年10月20日。
 フロリダ基地、市街地演習場。
「レイド6! アルター7を追跡! レイド9は援護だ!」
『はい!』
『了解!』
 張りのある声が通信回線に響く。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊第二中隊隊長、ギルバート=ラング大尉が部下に指示

を出す。
「レイド2! 頼んだぞ!」
『レイド2、了解!』
 レイド2――レイド中隊の突撃前衛長、ケビン=ノーランド中尉がその命を受け、中隊長支援の下敵前衛に攻撃をしかける。
 機体はいずれもF-15SE。制式採用直前の第三世代相当機がこれだけの数だけ配備されているのは世界中を見渡してもこの部隊だ

けだろう。計二十四機の黒き鷲は互いの群れを潰そうと有機的に動き相手を喰らおうとする。その戦闘を見たらほとんどの衛士が

感嘆の息を漏らすだろう。全てが――末端員すらもがエース級。アメリカ国内では数少ない実戦経験者ばかりの部隊だ。
『あまりアルターズを舐めないで欲しいわね! アルター2! 援護よ!』
『隊長、少しは自重してください!』
 そう言われながらケビンの前に立ちふさがるのはアルター1――シオン=ヴァンセット。中隊長ではあるが、突撃前衛長である

変わり種の中隊長である。尤も、この部隊の場合大隊長すらも最前線で正面切って戦うのだからこのくらい普通、みたいな空気が

ある。
 高速で動く二体のF-15SE。元々武がその適正に目を付けて連れてきたケビンだ。ここ一年で鍛えられた結果、突撃前衛長を名乗

れるまでその機体制御技術と格闘技術を磨いた。かつては対人戦に強い忌避感を抱いていたが、今ではそれで動けなくなるような

ことはない。だが、シオンも易々と一撃を喰らわない。元々欧州国連軍での叩き上げの大尉だ。その機体制御技術は一からXMシリ

ーズを使ってきた者には及ばないが、格闘技術に関しては大隊長すら苦戦する腕前である。その二人の格闘戦に援護をしようとす

る人間などこの部隊にはいない。
 ただ一人を除いて。
『っ!』
 弾かれたようにケビンが機体を下がらせる。先ほどまで彼のF-15SEがいた空間に、57mm弾が通過した。
『うっそ! 今の避けるの!? また腕上げたね、ケビン!』
 戦場の射手、アルター2のシルヴィア=ハインレイ中尉である。彼女の弾丸は決して味方に当たらず、敵はただ的となる。そう

言われるほどの射撃能力を持つ彼女。だが、必中のはずのそれを後輩であったケビンに避けられた。そのことに驚きを隠せない。
 それは彼の上官であるギルバートも同様である。ケビンを突撃前衛長に選んだのはギルバートだし、その実力も知っているつも

りだった。だがここまで腕を上げているのは流石に予想外だった。昔は前衛後衛逆だったが、それは経験不足なケビンをいきなり

前衛にするわけにもいかず、仕方無しの配置だった。そして今、ようやくあるべき姿で彼らは力を振るう。
「C小隊! 敵の退路を断て! レイド2、ここでアルター1、2を落とす! A小隊はB小隊の援護を!」
『シルヴィア、ここは引くよ。流石に二対八じゃ分が悪い』
『だからシオンが先行し過ぎるとこうなるから自重して下さいって言ったじゃん!』
『うるさいなあ。とにかく、引くよ!』
 と、まあ少し気の抜ける会話があったが、彼女たちの操縦に乱れはない。後退しながらも決して被弾せず、それどころかシルヴ

ィアの一発がレイド隊の一機を落とした。
「流石に手ごわい……」
 かつての部隊員の手ごわさにギルバートは唇を歪める。どうやら成長著しいのはケビンだけでは無いらしい。普段は大した落ち

着きなど無いように見えるのにこうも的確な狙撃をしてくることに彼は驚きを禁じえない。
「レイド2! 援護する! アルター2だけでも落とせないか?」
『こちらレイド10! 前方100メートル地点に敵機確認! 待ち伏せ(アンブッシュ)です!』
 データリンクにもその情報が送られてくる。確かにシルヴィア、シオンの進行方向に敵機。あのまま追いかけたら撃墜されてし

まうだろう。
「ちっ……レイド1より中隊各機、一旦後退だ。ここのまま突っ込んだらまずい!」
『レイド2、了解!』

 更に時間が経つ。既にレイド中隊、アルター中隊ともに半数に減じており、レイド中隊は前衛の被害が甚大。アルター中隊は逆

に後衛の被害が甚大だった。
「ふん……やはりまだ第三中隊の前衛陣とやりあえるほどではないか」
 ギルバートが管制ブロック内で呟く。それが聞こえたのかケビンが応じる。
『っていうかシオンさんが強すぎます。あの人でこっちの前衛二人抑えられちゃうし』
「逆に向こうの後衛は連携がまだ甘いようだ……おかげでお前は向こうの支援射撃をほとんど気にせず戦えるぞ」
 向こうの後衛は二機しかいないからな、と付け加える。
『隊長。シルヴィアがいる時点で二機だろうと一機だろうと関係ありません』
「違いない」
 くっく、と笑う。その様子に珍しいものを感じたのかケビンが尋ねる。
『どうしました?』
「いや、お前が突撃前衛長になった時なら前衛三機も一人で抑えるのは無理です! とか言ってだろうと思ってな」
『突撃前衛長は強気じゃなくちゃダメなんでしょう? 大丈夫です。前衛の三機ぐらい抑えるどころか落として見せます』
 憮然としながらケビンは言うが、その内容はシオンが来たら笑いながら物凄い勢いで襲ってくること間違いなしな内容だ。彼は

全ての通信がボイスレコーダーに録音されている以上、いつか聞かれる可能性があるというのを知らないのだろうか?
「さて、ではレイダーズ各機。作戦を説明する。プランは簡単だ。正面突破。敵の支援砲撃は殆どない。その状態で我々後衛が敵

の前衛を撃ち、レイド2がその隙に敵の後衛を潰す。以上だ。何か質問は?」
 その冗談めかした口調に真っ先にケビンが喰いつく。
『隊長! 俺の負担が大きいです!』
「ふむ、前衛三機落とす方が容易いと。わかったならば我々が後衛二機を追い回してる隙にケビンはヴァンセット大尉達を落とし

てくれ」
『うわ! さっきの発言が返ってきた!』
 崩れ落ちるケビンを見て通信回線に笑いが溢れる。実戦経験があるとは言え、小規模なBETAを狩っただけの実戦テストだ。それ

なりに緊張していたのだろう。それが良い感じにほぐれたことを感じ、ギルバートは本当の作戦を口にした。

「信じられない。まさかあんな方法で来るなんて」
 私とっても不満です、と全身で主張するシオンを見てケビンは首をすくめる。不満を言われてもケビンが作戦を立てたわけじゃ

ないので困ってしまう。
「いや~ケビンがシオンと互角に打ち合いながら下がって全機でアンブッシュなんて思いきったことしたよね」
 そういうのはシルヴィア。彼女は割とご機嫌である。彼女が言ってる全機アンブッシュとは、ケビンが囮としてシオンと近接戦

をさせながら、徐々に押されるのを演出し、前衛と後衛の距離が離れたところでギルバートたちが一斉にアルター中隊の前衛を撃

破したもののことである。
「シルヴィアは良いよね。私と違ってちゃっかりケビンを落としたんだから」
「シオンさんが落ちて一瞬油断したところを狙ってきたから全然避けられなかった」
 シオンが不満そうに言い、ケビンが反省するように言う。シオンもシオンさんとか呼び捨てにされたりとかしてもほとんど気に

してないあたり、この部隊にすっかり染め上げられたようである。
「でも油断したところをドンってのもBETAには役に立たないから私の負けかな?」
「それを言うなら今日俺がとった戦術だってBETAには役に立たない。今回は俺達の負けだな」
 そう言いながら歩いてきたのはギルバート。手にしたタオルで汗を拭っている。
「にしてもうちの後衛連携がいまいちだったな~ 特にAとCが」
「それを言うなら俺のB小隊も微妙だったって。みんな長刀と短刀の使い分けが遅いし」
 シルヴィアとケビンが互いの部隊の反省をしながらそれぞれドレッシングルームに向かう。
「……俺たちも行くとしよう。中隊長が部隊デブリーフィングに遅れたとなっては笑い話にしかならん」
「そうですね。軍紀を守らせるのはこの部隊では厳しいですが、時間ぐらいは守らないと」
 訂正。染められてはいるが、まだあきらめて無いらしい。
 そうしてそれぞれの部隊でデブリーフィングを行い、問題点を洗い出し、今後の訓練の課題とし、解散した。

 地下フロア。ミリアの執務室にミリアと彼がいた。
「予定通り横浜へ入る」
 眼鏡をはずしながらミリアがそう言った。
「時期的にもそろそろか……やはりこのタイミングで動くのが一番かな」
「そうだな。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊も間に合った……。どうにかこれで戦力が必要な場面でも切れる手札が出来

た」
「アレ、はどうなっている?」
 テロリスト襲撃時のHSSTを撃墜した物。それを指して彼が聞く。
「完成率80%ってところかね。動かすだけならどうとでもなる。後は主兵装の艤装が済んでないだけだから」
「十分だな。後は、来るかどうかだ」
「来るさ、彼は。きっと」
「だと良いがな。来なければ俺たちの準備の半分が無駄になる」
 肩をすくめる彼にミリアが皮肉気に唇を吊り上げる。
「来たら来たでやっぱり準備の一部は無駄になるんだがね」
「……そう考えると厄介な存在だな。本当に」
 一瞬の沈黙ののち、耐えかねたように溜息を吐きながらそう呟く。
「間違っても殺しちゃだめだぞ?」
「殺さねえよ」
 何を言うんだ、こいつは。と言いたげに視線を向ける彼。
「あまりのガキさ加減に切れて新兵をボコボコにしたのは記憶に新しいのだがね」
「……忘れてくれ。頼むから」
「まあ良いさ。取りあえず部隊のみんなに今の事を伝えてくれ。頼んだよ? 大隊長」
「了解した」
 そう言って彼――グレイ少佐と呼ばれる人間は軽く敬礼して退室した。
「さて……転属の手続きをするとしよう」
 そう呟いてデスクの端末をたたくミリア。その中で部隊員リストを表示したとき。
「……いかんな。直しておかんと」
 と呟き、グレイ1の部分の名前、白銀武の名前を修正する。
「もしかすると……ああ、やはり」
 そう言いながら白銀武のパーソナルデータも修正する。付け加えられるKIA(Killed In Action)の文字。
 戦死だった。

同日、横浜基地副司令執務室
「何よ、これ」
 香月夕呼は横浜基地の執務室でピアティフ中尉から渡された書類を見てそう呟いた。
「補充人員、だそうです」
「補充って……頼んだ覚えないけど。しかも大隊規模?」
 そのリストを見て夕呼は眉をしかめる。その中に、看過できない名前を見つけた。
「ちょっとこれ! どういうこと!?」
 その剣幕に驚くピアティフをよそに、荒々しい足音を立てて執務室から出ていく。そのまま向かう先は長距離通信室。
『あら、Ms.香月? どうしましたか?』
 通信を送るとすぐ繋がった。まるで来るのが分かっていたかのように。その余裕がさらに夕呼を苛立たせる。
「理由なんて言わなくても分かってんでしょ?」
『理由……ああ、先日のXG-70の件ですか? わざわざお礼なんて良いですのに』
「違うわよ!」
 誰がわざわざそんなことで直接お礼などするか! と怒りながらも用件を叫ぶ。
「どういうつもりよ! あんたとあんたの手駒を連れてこの横浜基地に来るなんて」
『あら? 覚えてませんか? 00ユニット完成の手伝いをする、と。まだできていないのでしょう?』
「っ!」
 その言葉で夕呼は思い出す。今年の12月24日にオルタネイティヴ5に移行すること。そしてそれを夕呼に伝えた時にミリアが言

ったこと。
「……本気、だったのかしら?」
『あら、冗談だと思ってたのかしら?』
 小首を傾げるその仕草は可愛らしいが、今の夕呼にとっては苛立ちの原因にしかならない。尤も、それは既に表には出していな

いが。
『ようやく準備が整ったんですよ。こちらも』
「でしょうね。二年前には四人しかいなかった手駒が随分と増えたみたいじゃない」
 夕呼の皮肉にミリアは動じずに言い返す。
『そちらは随分と減らされたようですね』
 その言葉に夕呼は軽く舌打ちする。A-01の現状まで知っているらしい。あれから何度か補充もあったが、結局二個中隊を辛うじ

て維持できているだけだった。連隊の名が、泣く。夕呼は自分の思考に眉をひそめたくなる。
『だからこその私たちの横浜入りですが』
「どういう意味かしら?」
『あなたの手駒になって差し上げる。そういう意味ですわ』
「っ?」
 その言葉に夕呼は困惑する。
『詳細は後ほど。現地で直接お話ししましょう? 彼も交えて。では、また会いましょう』
 そう言って通信が切られる。
「……彼?」
 あの時いた腹心だろうか?
 夕呼は迷う。この危険分子を基地内に入れてもいいものかどうか。常の夕呼なら思考すらしない。だが、国連議会は成果の出な

いオルタネイティヴ4に見切りをつけつつあり、このままでは本当にクリスマスにとりつぶされてもおかしくはない。
「……虎穴に入らずんば虎児を得ず、か」
 どうせこのままやっていてもどうにもならない可能性が高い。ならば妙に自信満々な彼女に乗るのも悪くないだろう、と決めた

。手の平で踊らされてるようで癪だが。

 2001年10月22日。アメリカ、フロリダ基地から出た駆逐艦が横浜基地に到着した。それを正面ゲートで眺めている門兵が二人。
「今日は妙に滑走路の出入りが多いな」
「何でも補充要員だとよ。衛士が一個大隊にその機体も」
 その言葉に黒人の門兵が驚く。
「一個大隊もかよ! そりゃあすげえ。で、どこからの部隊だ?」
「アメリカの国連軍らしい」
「……そりゃあ、あれだな」
 二人とも考えることは同じらしい。
「面倒なことにならなければいいが……」
「全くだ……お?」
 その時一人がゲートに近づく人影を捉えた。
「さて、仕事するか」
「だな」
 その人影が十分に近づいたところで話しかける。
「こんなところで何をしているんだ?」
「外出してたのか? 物好きな奴だな。どこまで言っても廃墟だろうに」
「隊に戻るんだろう? 許可証と認識表を提示してくれ」

――そして物語は新たな語り部を得る。

01/11 微妙に修正(レイズ→レイダーズ等)
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[12234] 外伝 第一話 戦う理由
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/06 22:33
 ギルバートがPXに行くとシルヴィアが合成ウィスキーを煽っていた。あのように飲むのは珍しい、と思った時、彼は今日の日付を思い出す。
(ああ、そうか……今日だったな)
 それはギルバートにとっても特別な日。いくら忙しいからと言って忘れるなどどうかしていた、と己を悔いる。
「……ん? ‘ギル’ぅ……?」
「飲み過ぎだ‘シルヴィ’」
 普段は副長、シルヴィアと親しさを感じさせても決して部隊員以上の感情を覗かせなかった二人がこの基地に来てから初めて口にするお互いの愛称。
「良いじゃない。今日位は飲んだって」
 PXの担当がギルバートにさっきからずっと飲んでて……今はマシですけどさっきまでひどかったんで、お願いします。と耳打ちしてきた。つまりは同じ部隊員として飲み過ぎないように頼む、ということだろうとギルバートは判断した。
「その意見には同意するが‘俺’の分もよこせ」
 常とは違い、若干乱雑な言葉遣いでシルヴィアの合成ウィスキーを奪い、自分のグラスに酌んで一気に飲み干す。
「ギル下戸なのに無理しない方がいいんじゃない~?」
「下戸だったのは昔の話だ。今はそれなりに飲める」
 そう言ってしばらく会話が途切れる。
「衛士の流儀、かあ……」
「どうした、いきなり」
 ギルバートがグラスを片手に聞く。時間が時間のためか、PXにはほとんど人がいない。
「大尉は逝った仲間を誇らしく語れって言うけど……まだ私には無理っぽいかな……」
「そうか」
 ギルバートはそれだけ言って再びグラスに口をつける。大した度数のアルコールでは無いが、既に酔いが回っているらしい。
「あれからもう三年か……」
「まだ三年だとも言える」
「そうだね……。うん、まだ三年かもしれない」
 酔いで頬を染めたシルヴィアが頷く。
「恨んでいないのか?」
「誰をさ」
 ギルバートの主語を省いた質問にシルヴィアはそれを理解しながら聞き返す。
「無論、俺だ」
「……恨めるわけがないって……」
 シルヴィアはあの日の事を思い出す。あの、忌まわしい知らせが届いた日を。
 ギルバートはあの日の事を思い出す。永遠に、会えなくなったあの日を。
 あの日からシルヴィアは軍に入るのを決意し。
 あの日からギルバートは口調を改めた。

 マリア=ハインレイ。シルヴィア=ハインレイの姉であり、尊敬すべき先達であり、目標とすべき壁だった。
 ギルバート=ラング。シルヴィア=ハインレイが兄と呼んだ人物であり、マリア=ハインレイと将来を誓った青年だった。
 そう、だった。

 1997年、某日。
 その日、ギルバートはF-22Aの先行量産型のテストのため待機していた。現在は一番機が市街地突破の計測テストを行っている。まだ年若い彼の顔に浮かぶのは歓喜の表情。同じ部隊の人間が見れば一発でわかる。
「ああ、ハインレイ隊長と何かあったな」
 基本的に鉄面皮なギルバートはほとんど表情が動かない。だが唯一の例外が彼女。この試験小隊の隊長であるマリア=ハインレイがらみの時だ。
 二人が恋仲だというのは全員が知っている。この全員というのは基地要員も含めた全員であり、その二人の進展具合は基地内での格好の娯楽となっていた。尤も、それに当人たちは気付いていないのだが。
 そして今回に限っては既にその内容を基地全員が知っていた。マリアが基地司令に辞表を出したのだ。無論、今は新型機のテスト中であるため、すぐに受理されることはあり得ないが、それでもその任が終わったらすぐに除隊できるように、と。それを出された基地司令は大層驚いたらしい。本人曰く「あまりの驚きにお迎えが来るかと思った」とのこと。何しろ彼女は基地内一の戦術機マニアで、それこそ一日中乗りたい。そう公言しているくらいなのだ。それなのに除隊。理由を聞くと彼女ははにかみながらこう答えたらしい。
「私、結婚するんです」
 と。そして翌日ギルバートを見てみたらこれだ。この浮かれっぷり。何を言っても「ああ、素晴らしいな」と返すこの状態。誰と誰が結婚するのか。それは火を見るより明らかだった。相変わらずそれに気付いていないのは本人だけ。
 だが、基地の人間は概ねそれを好意的に受け止めていた。何しろ整備兵にとっては二人が新兵の頃から知っており、付き合い始めた初々しいころまで知っている。まるで手のかかった娘を嫁に出したような気分になっているものもいる。加えて最近は暗いニュースが多い。基地の中くらい、こうして新たな夫婦になる二人を祝福してやってもいいだろう、と皆が考えていた。
 ギルバートは思い出す。つい先日のことを。
 その日、ギルバートとマリアは休暇で、マリアの実家に帰っていた。
 以前から何度か訪問しており息子が欲しかったマリアの父親は大層ギルバートをかわいがり、両親を亡くしていたギルバートも困惑しながらもそれに喜びを感じていた。マリアの母親は、
「こんなガサツな娘でごめんなさいね。でもギル君なら安心だわ」
 と言って二人を恥ずかしがらせたりした。中でもマリアの妹のシルヴィアは非常にお転婆で、その活動っぷりについてこれるギルバートにはとても懐いていた。尤も最近はそう言ったこともなく、一端の乙女を気取ってはいたが。
 そして、マリアの自室でギルバートはプロポーズした。その時何と言ったかは覚えていない。ただ必死に言葉を重ねていたと思う。そしてマリアは一言。
「いいよ」

 このとき、ギルバートにとっては最も幸せな瞬間だっただろう。

 最も幸せというのは裏を返せばそれ以外の時はそれよりも不幸ということである。そして、ギルバートを襲った不幸は人生で最大の不幸だった。
 爆発音。この演習で実弾は使用していない。滅多なことでは爆発など起きない。だが実際に爆発が起きている。流石にギルバートも浮かれた表情を引き締め、何があっても対応できるようにし。
「一番機、大破! 救助班を呼べ!」
 その言葉で全てが崩れ去るような気がした。

 原因は跳躍ユニットの不都合。それも設計段階での。尤も、簡単な改修で済む話なのだが、ロックウィード・マーディンはこれによるF-22Aのイメージダウンを恐れた。結果、不都合では無く、ヒューマンエラー。つまり搭乗衛士の操作ミス、ということで済ませようとしていた。
 死人が喋れないのを良いことに。
 推進剤が引火し、その高熱の炎で骨すら残さずこの世からマリアは消えた。そして、ギルバートは部隊員として法廷に呼ばれた。マリアの死が、本人の過失なのか、機体の過失なのかを聞くために。
 あとにも先にもあれだけの人数の人間に注目されたことはないだろう、とギルバートは思う。
「ではマリア=ハインレイの事故原因は機体側にあると?」
 軍からは再三再四ヒューマンエラーだと言えと強調された。だが知ったことか。どうせ今更もうこんな軍に用は無いし、別にどこに飛ばされようと興味はなかった。だから全てを暴露してやった。ご丁寧に整備兵から貰ったその問題部分を掲示した上で。彼らも憤っていたのだ。あの事故の原因が彼女のありもしない過失にされることを。
 そしてなにより、ギルバートにはマリアが戦術機にかけた思いを知ってるが故に。彼女の衛士としての誇りを知ってるが故に。その誇りを汚そうとする奴らは許せなかった。

 その一週間後。ギルバートはアメリカ軍から欧州国連軍に飛ばされ、最前線に送り込まれた。要するに体の良い処刑だ。だが、そこでも彼は生き抜いてしまった。
 そして米国の国連軍に戻ってきたとき、白銀武から誘いを受ける。
『なあ、俺の部隊にこないか?』
 特に目標もなかったので、それを受けた。後になって考えると、あれが一つの転換点だったのだ、とギルバートは思う。
 そこで兵士になっていたシルヴィア=ハインレイと再会した。

「正直ね、私はあの時ギルが証言してくれたことで救われた気持ちになったんだ。『ああ、この人はまだお姉ちゃんの味方なんだって』」
「そうか……」
 ギルバートは天井を見上げる。そして呟くように言った。
「……俺はお前が軍に入っていて驚いたよ」
「あはは……パパあの後すっかり弱っちゃって……退職したんだ。それで蓄えもあんまりないからちょっと親孝行」
 ギルが最前線に送られたのも原因だよ? と冗談めかして言われ、ギルバートはふと考え込む。
「……一度挨拶に行った方がいいかな?」
 そこまで心配されたのなら一度顔を出すべきかと感じたのだ。
「そうだね。きっと喜ぶよ」
 はかなげに笑うシルヴィア。
 ギルバートは思い出す。マリアからの遺書に書かれた内容を。それが届けられたのは欧州国連軍に来て二月ほど経った頃だった。宛名にギルとしか書いてなければそれは送る側も困っただろう。

――ギルへ
 これを見ているということは私は既に死んでいるのでしょう。もし生きているなら今すぐ見るのをやめて下さい。恥ずかしすぎて死にたくなります。死んでいるのなら、次の用紙を見て下さい。

 どうやら私は本当に死んでしまったようです。残念。軍から除隊したら遺書は処分するつもりだったからどうやら私は除隊する前に死んでしまったようです。死因は何でしょうか? できれば人が聞いた時にご愁傷様というか爆笑するか悩むような死に方をしてないことを祈るばかりです。
 さて、冗談はこれ位にして。ごめんなさい、ギル。きっと私の死はあなたに深い傷を負わせたことでしょう。私がこれを書いているのはあなたがプロポーズしてくれた次の日。幸福の頂から不幸のどん底にまでたたき落とされたと思います(それくらい大切だったと自惚れさせて下さい)。
 死んでしまった私がそれを慰められないのは大変無力感を感じますが、どうか立ち直ってください。そのために必要なら誰かと付き合っても構いません。私の事など気にせず遠慮なくやってください。ただ、落ち着いた時に私という存在がいたことを年に一度くらいで良いから思い出してもらえると嬉しいです。
 正直、私はギルに遺書で何を書けばいいかわかりません。だって自分が死んだ時のことなんて全然想像できないんだもの。だから、ここからはギルへの思いを綴りたいと思います。ひょっとしたら聞いたことがあることが書いてあるかもしれませんが、気にせず読んでください。
 ギル。私は最初あなたがあまり好きではありませんでした。というか正直嫌いでした。なのに何故こんなに好きになってしまったかは私の人生で最大の謎です。いつかゆっくり考えてみたいと思ってましたが、どうもその時間は無かったみたいです。大好きなギル。私はあなたが大好きでした。偶に見せる笑顔が好きでした。私といる時に見せてくれる優しさが好きでした。シルヴィと一緒に遊んであげているあなたが好きでした。私なんかといるだけで幸せそうにしてくれるあなたが大好きでした。なのに、もう会えないということが悲しくてたまりません。どうしてこんなにあっさり死んでしまったの? と思うくらいに。これからもっともっと幸せなことが待っていると思ったのに。
 私は子供が好きでした。だからいつか子供ができたらきっと凄いかわいがるだろうな、と自分でも漠然と思っていました。あなたと私の子供を産みたかったです(もしもいたらここら辺は読み飛ばしてほしいです)。あなたと私の子供をこの腕で抱きたかったです。衛士の私に憧れているシルヴィにBETAと戦うより、赤ちゃん産む方が凄いんだぞって言ってあげたかったです。
 いざ、言葉にしてみようと思ったらなかなか言葉にできません。きっと私は心の中で思ってることの一万分の一もあなたの前では言えないし、千分の一もここに書けて無いです。本当はもっと伝えたいことがあるのに、こんなことしか書けません。
 だから、目一杯の気持ちを込めて、言葉にできない99.999%の思いをありったけ込めてあなたに伝えます。

 ギル、あなたを心から愛してました。

マリア=ハインレイ


 追伸
 もし、良かったらで構いませんがシルヴィアの事をよろしくお願いします。あの子、私が死んじゃったら何をするか分からないので。守ってあげてください。ギルがそうしたいのなら付き合っちゃってもオッケーです。きっとあの子もギルの事が大好きなはずだから。それでは今度こそ本当に、さよなら。

(なあ、マリィ。これで良いか? 俺はお前のことを忘れない。きっと忘れることができない。だけど、シルヴィの事は守る。お前の所に行った時に怒られたくないからな。それに俺にとっても大事な妹だ。……だから会いに行くのはきっと遅れる。俺は、俺たちは今の上官の元でまだまだやることがあるから)
 口調を改めたのは一種の戒め。彼女への誓いを忘れない。だが、今日だけは。彼女が逝った今日だけは、あの頃に戻っても良いんじゃないかと思う。
「墓参りにも行かないとな……」
 そこに遺体は無いけれど。きっと拠り所はあるから。きっと彼女の魂はそこにいるから。
「じゃあ今度の休暇一緒に行く? ついでにうちによれば挨拶もできるし」
 そのシルヴィアの提案はギルバートにとっても丁度良かった。流石に一人でハインレイ家を訪れるのは辛いものがあった。
 そして酒を煽る。そのタイミングでシルヴィアが口を開いた。
「ねえ、ギル。ギルはお姉ちゃんのこと、誇らしく語れる?」
 シルヴィアの質問にギルバートは自信を持って答える。
「当たり前だ」

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[12234] 外伝 第二話 追憶――誕生日【社霞誕生日記念SS】
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/12/05 19:56
「霞の誕生日プレゼント、ですか?」
 それはある日のこと。2003年10月某日、横浜基地。武は切羽詰まった夕呼の声で安眠を破られ、早朝からここに呼び出されていた。武にとっては実に六十時間ぶりの睡眠であり、またその後も四十八時間は連続活動する必要があったのだが、それはさておき。
「あの……夕呼先生?」
「……何よ」
「何で俺は四時前にこんな所に呼び出されてるのでしょうか?」
 そう、時刻は四時前。ちなみに武がベッドに横たわったのは午前の一時。三時間も寝ていない。正直言って目を開けているのも辛い。
「うるさいわね。こっちは徹夜なのよ?」
「理不尽すぎる!」
 徹夜だからって巻き込まないでほしいと思う武だった。
「だから、霞の誕生日プレゼントは何が良いか、って思ってあんたの意見を参考にしようと思ったの。わかる?」
「まあわかりました」
 これが最近良くある、夕呼のある意味病気だと。

 オルタネイティヴ4が完遂し、オルタネイティヴ計画は新たな見直しを図ることになった。即ち、BETAから地球圏の奪還。――当然オルタネイティヴ5と呼ばれていた物は却下。新たなオルタネイティヴ5を各国が考案していた。その事は夕呼には関係ない。あるのは次期オルタネイティヴ計画にオルタネイティヴ4が接収されること。その中にはオルタネイティヴ3で生み出された人工ESP体――社霞も含まれていた。
 それを良しとしない香月夕呼は社霞を呼びつけてこう言う。
『あたしの子供になるかあたしをキリキリ働かせてここにいるか選びなさい』
 つまり夕呼の養子になればここにいられる。それが嫌でもここにいられるように夕呼は尽力する。そういう話だった。それを霞から聞いた時、武は少し意外で、同時にとても納得した。とても冷酷そうに見えても、中身は情の篤い人。オルタネイティヴ4が、人類を救うという目的が彼女抜きでも達成できる今、ようやく冷酷な仮面を剥いで素の香月夕呼として霞に向き合えるようになったのかもしれない。
 そして彼女が霞を養子に迎えてから初めての誕生日。きっと夕呼なりに祝ってあげたいのだろうと武にも理解できる。理解はできるのだが……。

「だから、別にあたしは白銀の意見は参考程度にしかするつもりはないの。そこんとこ勘違いしないでよね」
 何というツンデレ。武に元の世界の知識があったらそう言っただろうと思われる言葉。いや、仮にあってもまだ時代がその言葉を生んでいなかったかもしれない。しかし、まさにこの状況のためにあるような言葉だった。
「わかりました。それはわかりましたから。どうしてこんな早朝に呼び出したかです」
「だって……昼間じゃあの子がリーディングしちゃうかもしれないもん」
「…………………………」
 武は最近覚えるようになった頭痛を堪えるように額に手をやる。今回の場合は睡眠不足も加味されているが。ここにいるのは本当に香月夕呼か? 実は別人が入れ替わってるんじゃないのか? と思いたくなるくらいの変貌ぶりである。元の世界の彼女もこうだったのか? と記憶を探るが、残念ながらその記憶は残っていなかった。が、どの世界でも夕呼先生は夕呼先生と考えていたことがあるから大差無いのだろう、と思う。
「でもどの道リーディングされたらダメじゃないですか?」
「大丈夫。その話の思念波だけカットするバッフワイト素子があるから」
「何という技術の無駄遣い」
 端的に言うならこの数年の研究で特定の話題のみをブロックすることが可能になったらしい。武には詳しい原理がわからないが。
「……っていうか知られても良いじゃないですか……霞喜びますよ?」
「だ、ダメよ」
「それはまた、どうして?」
「だって……驚かせたいんだもん」
 ここにいるのは(以下略。
「はあ……分かりました。って言っても結局夕呼先生が選んだ物が一番喜ぶと思いますよ?」
「……そうね。それに朴念仁の白銀の意見なんて参考になるか疑問だったわ」
「……怒っても良いですか?」
「別に良いわよ~? あとで霞に白銀に押し倒されたって言うから」
「義理の娘に何を言う気だあんたは!」

 結局、別々にプレゼントを用意することになった。
「さて……どうするかな。プレゼント……うさぎのぬいぐるみとか喜びそうだけど……」
 あの不気味な人形――うささんを思い出す。
「……霞が抱えられるくらいのにしよう」
 あのサイズは流石に怖い。サンタウサギのように手作りも考えたが、木彫りにせよ何にせよ圧倒的に時間が足りない。連日の演習に次ぐ演習。それに伴って増える書類仕事。甲16号作戦は既に発令されていた。霞には悪いと思うが、今年は既製品で我慢してもらおう。
「でもうさぎのぬいぐるみなんて……日本にあるかな?」
 そこが問題だった。だいぶ復興を遂げたとは言え、まだそこまで日本に余裕はない。
「アメリカとかどうかな?」
 しかしこちらもこちらでどうやって調達するかの問題がある。
「おい、タケル。どうしたんだ?」
「ん? ああユウヤか。ちょっとな」
 PXで悩んでいると頭上から声。ユウヤ=ブリッジスがいた。
「何だ? 女性関係で悩みか?」
「自分の不安って無意識に口に出るって言うよな」
「……ほっとけ」
 ユウヤ=ブリッジス。ある意味で彼も恋愛原子核の持ち主であろう。武が知る限りでも三人の女性からアプローチをかけられている。
「で、どうしたんだ? お前が悩んでるなんて珍しい」
「人を単細胞みたいに言うなよ。ちょっとぬいぐるみが欲しくてな」
 その言葉にユウヤが固まる。一瞬ののち再起動。
「いや、お前にそんな趣味があったとは意外だった……」
「俺のじゃねえよ。プレゼントだよ」
「なるほど……プレゼントねえ。親戚の子供にでもあげるのか?」
 武の向かい側の椅子に腰掛けながらユウヤが興味があるのかそう尋ねてくる。
「まあそんなところだ。でも日本だとあんまりなくてな……」
「ああ、つい最近まで最前線だったからな……そういうのはあんまりないか」
 と、ユウヤが相槌を打つ。
「アメリカにはあったのか?」
「そんなに沢山はないし、新作とかはほとんどないけどそう言うのも一応あるぞ」
「……今から買いに行くのは、厳しいよな」
 そもそもが手作りの時間がないから既製品で妥協しているのだ。太平洋を渡る余裕があるなら作っている。
「それなら良い方法があるぜ」
 ユウヤがにやりと悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
「聞こうじゃないか」
 そういう武の口元にも確かにそれと同じ種類の笑みが浮かんでいた。

「ったく……ユウヤの奴。いきなりぬいぐるみ買って来いってどういうつもりだよ?」
「良いじゃない……似合ってるわよ、VG」
「くっくく……大の男が兎のぬいぐるみを抱えて……ぷっ」
 横浜基地に着陸した駆逐輸送艦。そこから国連軍の制服を着た三人が口やかましく降りてくる。相変わらずだな、とユウヤは苦笑し、武は初めて見るユウヤの戦友の姿を観察していた。
「よう、VG、チョビ、ステラ」
「久しぶりだな、ユウヤ。で、これは一体どういう頼みだ?」
「チョビって言うな。まあ、何だ。久しぶり」
「久しぶりねユウヤ。元気にしてた?」
 と口々に挨拶する。
「ああ、最高に元気にしてたぜ。武、こいつらがユーコンで一緒にタイプ94セカンドを作ったアルゴス小隊のメンバー。でこっちが白銀武大尉。錬鉄作戦でハイヴに突入して反応炉ぶっ壊した部隊の指揮官」
「初めまして、白銀大尉殿。ヴァレリオ=ジアコーザ中尉であります」
「お、同じくタリサ=マナンダル中尉です」
「ステラ=ブレーメル中尉です」
「白銀武大尉だ。諸君らの作った不知火弐型のお陰で生きて帰ることができた。礼を言う」
 とかしこまって挨拶するとユウヤがプッと噴き出す。
「……何だよ、ユウヤ」
「いや、悪い悪い……お前らがかしこまって挨拶してるのを見たらおかしくてな……」
「……今度月詠さんに会う時に篁に無いこと無いこと伝言してもらおう」
 時々会う機会がある斯衛の彼女ならユウヤの弱点に伝言を頼むのくらい容易い――それを知っているが故の発言。ちなみに無いこと限定なので凄いことを言う予定である。
「せめてある事だけにしてくれよ! また刀持って追いかけられるじゃねえか!」
 と騒ぐ二人を見てポカーンとする三人。
「己が行いを悔いるが良い……。まああれだ。自分で言うのも何なんだが、あんまり階級とかにこだわらないんでな。ラフに行こう。ラフに」
「了解だ、タケル」
「っていうかユウヤ。まだタカムラと続いてるの?」
「意外ね……」
「うるせえ。それとVG。そのぬいぐるみはタケルのだ」
「お、そうなのか? これはまた可愛らしい趣味で……」
「わかってて言ってるだろ。ヴァレリオ。プレゼントだ」
「ふむふむ……ぬいぐるみを欲しがる年頃の子狙いですか……チョビ。気をつけろよ?」
 納得したような表情を作るヴァレリオに武は苦笑を浮かべる。気をつけろよと言われた瞬間おびえたように体を抱いたタリサには軽くショックを受けたが。
「取りあえず気を取り直してようこそ。横浜基地へ。貴官らを歓迎する。……と、言う訳で取りあえず部屋まで案内するよ。その後は適当にPXで飯でも食おう」
「サンセー! ずっとすわりっぱなしで腹減ったよ」
 そういってタリサが先陣を切る。部屋の場所を知らないにも関わらず。

「……と、言う訳でユウヤ=ブリッジス中尉の友人三名が当基地に逗留することになります。……夕呼先生、聞いてますか?」
「え? ああ、うん。聞いてたわよ?」
 どうも様子が変だ、と武は思う。夕呼にしては珍しくとても疲れているように見える。当時は観察力がお察しだったので自信が持てないが、オルタネイティヴ4が切羽詰まってた時よりも疲労がたまってそうな感じだ。
「何かありましたか?」
「……どうして?」
「いや、見るからに疲れているので」
 どうも本人は普通のつもりらしい。と、そこで武は夕呼の指先を巻く包帯に気がつく。
「先生、どうしたんですか? 指?」
「え……? あ、これね。……ちょっとドアに挟んだのよ」
 ウソくさいな~と思いながらも武は追求しない。
「で、霞の誕生日パーティーの件ですが、当日京塚曹長のPXを借りることにしました。それらしい料理も用意してくれるみたいです」
「そう……ありがと」
「先生。何をしてるかは聞きませんけど、疲労でパーティーに出られませんでした、何て事にならないで下さいよ?」
「……分かってるわよ」
 若干不安を感じたが、本当にやばい事態ではなさそうだと判断して、武は退室する。扉が閉まる直前、夕呼の溜息が聞こえた気がした。

 そして当日。

『誕生日、おめでとう!』
 PXに様々な人の声が唱和する。旧A-01メンバーや、基地要員、アルゴス小隊のメンバーや斯衛から真那、真耶も来ている。
「ありがとうございます」
 笑顔でそれに答える霞。
「はい、社。これあたしからのプレゼント」
 そう言って茜が渡したのは小さめの靴。
「これからきっといろんなところ行くと思うから。サイズ違ったら言ってね? すぐ交換してくるから」
「大丈夫です……ぴったりです」
「そっか~良かった。白銀の情報だから不安だったんだよね~」
 さらりと失礼なことを言われている武。
「社さん。これは私からです」
 そう言って祷子が渡すのはシンプルだが女性らしい装飾のついた日傘。
「社さんは折角綺麗な肌をしてるのだから外に出た時も少し気を使わないと」
「……たくさん使います」
 嬉しそうにそれを受け取る。
「ふむ。では私からは特製の衣装を――」
「はい、退場」
 美冴の特製は世界にとっての害悪だ。特に武の周囲の世界にとっては。
「何をする白銀」
「自分の普段の行いを省みてから言って下さい。宗像大尉」
「日頃の行いのせいですね。美冴さん」
「何だ、祷子まで。わかったわかった。冗談だ。ほら、社。私からはこれだ」
 そういって広げるのは白いワンピース。
「社は私服が少ないと聞いてな。サイズは……白銀が直接触って測ったと言っていたから大丈夫だろう」
 と、にやりと笑いながらとんでもない発言をする。それを聞いた瞬間会場の面々が一斉に引いた気がした。ついでにタリサは本気で背筋を震わせていた。
「なっ!」
「っと、涼宮が言ってた」
「言ってません!」
「宗像大尉!」
 危うく罪を着せられそうになった茜が全力で否定する。そして流石にだまされる武では無い。さんざん水月相手の盾にされてきた経験からこのパターンは嘘だとすぐに見破れる。
 と、ふざけているが武は若干焦っていた。
(やべえ。何かみんなちゃんとしたというか……年頃の女の子にあげるような感じのだよ……。俺ぬいぐるみで良かったのかな?)
「それで、白銀の番だ」
「う……はい、霞。これ」
 そう言って大きめの包みを渡す。
「……開けても良いですか?」
「あ、ああ」
 頷くと丁寧に包みを破り――。
「わあ……」
「へえ……」
「あら……」
「ほう……」
 純白の兎のぬいぐるみ。わざわざ米国のカタログを手に入れて、アメリカの国連軍基地にいるヴァレリオ達にユウヤ経由で頼み、買ってきてもらったぬいぐるみ。直接選んで、自分の手で買ってきたわけではないが、そこに込められた思いは他の人からのプレゼントと遜色ない――いや、複数の人間分込められているため大きいかもしれない。
「えっとその何だ。よろこぶかなあ? って思ったんだけど。もっと大人っぽいプレゼントの方が……」
 しどろもどろになって説明する武。本当に甲二十号を落とした衛士かと思ってしまうほどの慌てぶりだ。
「武さん」
「はい」
 思わず佇まいを正して返事をする。
「ありがとうございます。大切にします」
 そう満面の笑みを浮かべる霞がいた。
「どうやら今日のM.V.P.は決まりだな」
「みたいですね」
「あ~あ、白銀に負けるなんて残念」
 と美冴、祷子、茜は言うが、武は霞がこうして喜んでくれたので満足だった。
 プレゼントを渡すのが終わり、歓談の時間になると武に美冴が耳打ちしてくる。
「……副司令はどうなされた?」
「……今忙しいって言って自室から出てこないんですよ」
「…………それはおかしいな。あの人は今日を大変楽しみにしていなかったか?」
「……ええ。だから来るように言ったんですけど全然出てこなくて。時間になったから俺だけ来たんですけど」
「……正解だな。もしもこれで白銀までいなかったら社嬢は更に落ち込んでいたぞ」
 ちらりと目線をやる。いつも通りに振る舞っているが、時折、――本人は隠してるつもりだろうが割と頻繁に出入り口の方に目線が行くのを二人は見逃さない。
「……司令に頼んで副司令の部屋のパスを解除してもらうか?」
「……いや、それもまずいでしょ……。それに司令のパスでも無理だと思うんですけど」
「……かといって放っておくわけにも……。おや」
「え?」
 美冴の視線が武の背後に向かう。それを追って振り向くと。

 疲れ切った姿の夕呼がいた。眼の下にクマは出来てるし、手に巻いた絆創膏は前よりも増えている。普段なら寝不足でも軽く化粧してクマを隠すくらいのことはするのだが、それをする余裕もないくらいに急いでいたのか。スッピンである。それでも問題ないのは美人の特権か。
「……霞」
 ぴょこんっとウサギ耳を立ててとてとてと駆け寄る。
「ごめんね、遅くなって」
「いいえ……気にしてません」
「はい、これ。プレゼント」
 そう言って包みを手渡す。
「開けても良いですか?」
「良いわよ」
 許可を得て恐る恐る包みを破る。そこには――。

 少し不格好な兎のぬいぐるみ。

「あ……」
 霞の小さな目が大きく見開かれた。
「……いらなかったら捨てて良いわよ」
 そう言う夕呼の表情は武の眼から見ても緊張していた。既製品とは思えない不格好なぬいぐるみ。夕呼の最近の疲労。指の怪我。それらを照らし合わせれば一つの答えが見えてくる。
「………………大切にします。絶対に捨てたりしません」
 ギュッとそのぬいぐるみを宝物のように――真実霞には宝物だ――を抱きしめる。それを見てようやく夕呼の表情がほころぶ。
「そう? 良かった」
 それを見ていた美冴が武の耳元で囁く。
「残念だったな、白銀。どうやら今日のM.V.P.はお前じゃないらしい」
 それに武は笑みで答える。
「構いませんよ。夕呼先生が一番なら文句はないですし。それに……」
 それにあんなに幸せそうな二人を見れたならそれで十分です――。

 ある意味で10月22日は武の誕生日である。この世界にやってきた日、という意味で。
 頬を紅潮させて夕呼に何かを話しかける霞。それに微笑みながら霞の頭を撫でる夕呼。くすぐったそうに身をよじる霞――。
 そんな光景を見れただけでも武にとっても最高の誕生日プレゼントだった。

12/5  修正
10/22 更新



[12234] 外伝 第三話 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の日常?
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/28 23:03
 フロリダ基地で最強の部隊はどこか。そんな話題がある日のPXで出た。いくつかの部隊の名が挙げられる。中には俺の部隊こそが最強だという輩もいた。それにPXの主――通称マスターは鼻で哂う。
「青いな……小僧ども。真の最強ってのはな……自分から誇示することはねえんだよ。いつしかそう呼ばれる……そんな連中のことを言うんだ」
 その言葉に反論する兵士たちにマスターはにやりと笑って答える。
「なら俺が教えてやろう……この基地最強の連中の物語をな……」
 そして、闇に葬り去られた出来事が白日のもとに晒された……。

 それはシオン=ヴァンセットがオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊に来る少し前の出来事。
「グレイ1よりグレイ3! 現在バンデット7はB-13フロア第三通路を北上中! 頭を押さえて挟撃する!」
『こちらグレイ3。了解』
『グレイ4よりグレイ1! バンデット2を発見! メインシャフトからA-05フロアに上がっています!』
「グレイ1よりグレイ2。行くけるか?」
『やれます!』
 耳につけたインコム越しにオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊が密に連携を図り敵を追い詰める。
 既に彼らが無力化した敵の数は6。そして残るは3。どうにか今回も大きな被害を出さずに乗り切れそうだと指揮官である白銀武は安堵の息を吐く。

 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊。ミリア=グレイの元で働く特殊任務部隊。その任務内容は多岐にわたり、部隊員にもそれに応じたスキルが求められる。そして以外にも彼らの任務で最も多いのは……対人戦闘。人間を相手にすることが最も多いのだ。
 これを聞いた時多くの人間が疑問を浮かべる。いくらBETAが上陸していない北米大陸の国連軍部隊だからと言って人間相手にすることもそうそうあるとは思えない。教導部隊としての意味では無く実戦という意味での任務なのだからなおさらだ。
 そしてそれに対して彼らはこう答えるだろう。
「敵とは、内側に巣食う敵だ」
 彼らが相手にする人間。それはフロリダ基地の中にいる人間だった。

(ち、畜生! 話が違うじゃねえか!)
 もはやパニック寸前の思考でオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊にバンデット7と呼ばれた青年は通路を走る。
 こんなはずではなかった。彼の頭の中にはそれしかない。ただ指示された物品を指示された場所に持っていく。それだけのちょっとした小遣い稼ぎのはずだったのに。
 確かに若干不審なものを感じていた。何故、間に人を挟む必要があるのか。何故、その物品は何かを入れるのにちょうど良さそうな段ボール箱なのか。だが、少しそれを移動させるだけで給金半月分というのは魅力的過ぎた。次の休暇の時に娘にプレゼントを買って行ってやれるかもしれない。彼の考えていたことはその程度。
 だが、唐突に一般兵とは違う空気の兵にとまれと言われた時に反射的に逃げてしまった。そして後を追ってくる彼らを見て気がついた。
 これは、ヤバい品なのだと。
 つかまるわけにはいかない。ここで捕まれば最悪スパイ容疑だ。その思いが彼の足を動かす。尤も、ここで逃げ切ったとしてもスパイ容疑をかけられたのなら無意味だというのは彼の思考のうちにはない。そこまで考えていたら頭がどうにかなりそうだ。
(次の通路を右に曲がって――エレベータに乗れれば)
 うまくすれば逃げ切れる。そんな希望が彼のうちに沸いた。しかし。
「残念。行き止まりだよ」
 金髪を一つに括った鬼によって阻まれた。
(挟まれた!)
 後ろからも足音が近づいてくる。万事休す……。これから先訪れるであろう自身のことや残された家族のことを考えると恐ろしくなる。せめて妻と娘には何も影響が無いようにしてほしいと彼は願った。

「良くやったシルヴィア!」
 武は向かい側に仁王立ちするシルヴィアに褒めの言葉を与えてバンデット7と呼んでいた兵に追いつく。
 既に彼はがっくりとうなだれ抵抗する気はないらしい。
(妙だな……)
 これまでの‘連中’ならこうして無抵抗のままつかまることなどあり得ない。そう考えると彼は‘連中’とは無関係なのだろうか? 突然逃げ出したその行為からして全く後ろ暗いところが無いと言うわけでも無さそうだが。と武が考察していると唐突に声が響く。
『ふむ……関係のない人間を巻き込んでしまったか』
「隊長……この声は……」
「シングル№か!」
『如何にも』
 その声と共に白煙が通路に充満する。咄嗟に口元を手で覆い、息を止める武。これが毒ガスの類だとしたらこの程度全くの無意味ではあるが、何もしないよりはマシというたぐいの気休めだった。
 そしてその白煙が晴れた時には……。
「う、嘘!?」
「バカな……」
 青年はいる。だが青年が運んでいた段ボール。それが綺麗に跡形もなく消えていた。
『ここには貴重な資料が詰まっているのでな……返させて貰おう』
 声の源を探すが見つけられない。そもそもどうやって段ボールを奪取したのかすら武にもシルヴィアにも分からなかった。
「くそっ!」
『こちらグレイ2……申し訳ありません隊長。バンデット2に逃げられました』
 その報告で武は更に歯噛みする。
「グレイ1よりグレイズ各員……帰投する」
 それは事実上の敗北宣言であった。

「……つまり君たちは件の重要データをもって逃走した集団を取り押さえることができずにむざむざと逃した……そう言う訳だな?」
 珍しく、本当に非常に珍しく怒気を孕ませた声でミリアがそう呟く。
「ああ、すまない。俺の作戦ミスだ」
 僅かに消沈した表情を見せながらも武はそう報告する。全ては己のミスだと。
「言い訳など聞く耳持たない。私が望むのは結果だよ」
「……今捕まえた連中を尋問している。彼らから有益な情報が手に入ればまだ奪還は可能だろう」
「奪還だけでは意味がないのだよ。あのデータを見た人間。その全ての消去。それが君たちに与えられた任務だ」
 そのあまりに非道な命令に武が流石に反駁する。
「待ってくれ、ミリア。それは」
「結果を出せなかったのは……この命令を出さざるを得ない状況にしたのは君だ」
 その言葉に武は返す言葉がない。先ほど武がその資料を奪還できていればそれで話は済んだのだ。つまりは武がミスしたことにより彼らは消去される。ミリアは暗にそう言っているのだ。己の無力さにうなだれる武の後ろからシルヴィアが入ってくる。
「いや~ミリア? それは流石にやり過ぎじゃないかな?」
「だったら薬物を使って脳を破壊する」
「別にそこまで気にすることもないと思うんだけどな~」
 シルヴィアがあのくらい別に大したことないよ。と続けるがミリアは涙目になって反論する。
「大したことないだと!? あれが世界に流れたらどうなるか分かっているのか!? 大変なことになる!」
 そこまでミリアを焦らせる代物。だがシルヴィアと彼女の間には多大な温度差があった。
「いや、でもさあ……」
「デモもストもない!」
 何でそんな言葉を知っていると武は突っ込みたいが空気を読んで我慢した。俺は美琴と違って空気が読める奴なんだと心の中で呟きながら。その真偽は別として。
「別にコスプレ写真くらい良いと思うんだけどな~。ヌードとかじゃないんだし」

 ミリアファンクラブ。通称MFC。フロリダ基地内でも屈指の錬度と機密性を持つ地下組織である。
 その実態はひたすらにミリアを愛でるロリコ……失礼、紳士たちの集まりであり、ミリアに気付かれることなく日々見守っている。
 彼らの主な活動内容はミリアの写真や映像の収集、ミリアに近づく男の排除である。なお、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊のシルヴィア除いた全員はブラックリストのトップ3である。彼らは直接ミリアと接することはしない。あくまで遠くから愛でるのだ。そう、紳士的に(ここ重要)。
「いや、あの写真だけはダメだ!」
 確かにあれは拙いかもな、と武は他人事のように――真実彼にとってはさほど深刻になる話でもないと思っている――考える。その写真と言うのは……まあ体の要所を黒いフェイクの毛皮で隠しただけの黒猫コスプレ――どんなものかはゼロの使い魔の何巻だか忘れたが挿絵を見れば良いじゃない――である。何でそんな格好をしたのかそれは関係ないので割愛。ミリア的にはそんな格好をしただけでも首つりものなのに、それが映像として残されていると聞いた時は羞恥で死ぬかと思ったくらいである。
「尋問の結果だが……どうやら奴らはミリアの写真を鑑賞用、保存用、布教用、御使用の四つは最低でも確保するらしい」
「御使用って何かねっ!!」
 今にも血圧が上がり過ぎて倒れそうだな~と自分で入れた紅茶を飲みながら呟く。報告してきたギルバートにも淹れてやると優雅に足を組みながらカップに口をつける。実に紳士的である。
「……こうなったらアレを暴走させてフロリダ基地ごと……」
「ちょ、ちょっと待て!」
 アレ――フロリダ基地に落ちてきたHSSTを撃破した奴――の中身を知っている武が流石に慌てる。
「落ち着けミリア! フロリダを重力異常地帯にするつもりか!」
「離してくれ! 男にはあんな写真を撮られた気持ちは分からない!」
「そうだそうだ~」
 お前さっきそこまで気にすることはないと言ってなかったか? と武は疑問に思う。
「でもどうするんですか? 流石に持ち物検査してまで探すのは難しいと思うんですけど」
 ケビンが恐る恐るといった感じで発言する。確かに彼の言うとおり、持ち物検査何かしたら不満が出るし、没収するのはミリアの写真どころじゃ済まないだろう。
「……本部を叩く」
 その言葉に全員に緊張が走る。
「正気ですか……?」
「本部ってことはシングル№がいるってことだよね?」
「そりゃあミリア。いくら俺たちでもちょっときついぞ?」
 シングル№。MFCの会員番号が一桁の人間。何故だか知らないが全員が全員、超がつくエース達である。いや、本当に何でか知らないが。
「良いから! 写真だけでも取り返してきて!」
『りょ、了解!』
 流石に全員ミリアの涙目で懇願されては断る術を持たなかった。

「……で、こうなったわけか」
 先ほど捕らえた捕虜と取引――ミリアの生写真あげるよ――によって本部の位置をつかんだ四人。ちゃっちゃと入ってほとんど制圧。だが肝心の写真は見つからない。
「ギルバートとケビンはあっちを探してくれ」
「了解」
「了解です」
 ぐるりと見渡す。整備兵の詰め処、ここは既に使われていないようだがさほど広くはない。そうそう物を隠せる場所もないはずだが……。
「……今だ! ずらかるぞ!」
 その叫びと共にいつの間にか縄抜けで抜け出したMFCのメンバーが一斉に逃げだす。
「待て!」
 その声と共にホルスターから拳銃を抜くシルヴィア。
「この!」
 撃つ。だが当たらない。それは彼女の腕が悪いのではなく、単純にMFCのメンバーが無駄にハイスペックなだけである。
「避けるな!」
 撃っても撃っても当たらない状況に苛立ったのか荒々しい手つきでマガジンを取り換えるシルヴィアを見て武はあることに気がつく。
「ちょ、バカ! それは実弾だ!」
「え?」
 シルヴィアに武の声が届いた時には既に引き金は引かれたあと。耳に残響が残る。そして今まで軽々と避けていた弾丸はこの時に限ってメンバーの一人の胸に命中した。
「そ、そんな……」
 ゆっくりと崩れ落ちるメンバー。武としても認めたくないことだが、その弾丸は間違いなく心臓を貫いていた。
「クソ!」
 慌てて駆け寄る二人。
 突然むっくりと起き上がる撃たれたメンバー。
 胸元から何かを取り出し一言。
「ミリアたんの写真がなければ即死だった」
「「そのまま死ね!」」

 結局その戦い(?)ではMFCの全てを潰すことはできなかった。あそこにあったのは支部のようなものらしく、本部はまた別にあるらしい。
 だが、ミリアとしては自分の写真が取り戻せたのだからひとまずは満足していた。

 ……彼女ほどの人物がデータ化されたかもしれないということに気がつかなかったのは不覚としか言いようがないことであった。
 これがオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊とMFCの対立を決定的なものにした契機であった。

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[12234] 【第二部】第一話 白銀来る
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/11/05 21:25
 これが世界を変えた転機。 
「グレイの姓を名乗るというより、白銀武という名前を変えたいというのが本当のところだね」
 彼女の執務室で彼女はそう言った。
「名前を変える? もしかして白銀武って名前で問題が起きたのか?」
 この世界の白銀武は死んでいることから何か突き上げが来たのか。彼はそう言う。
「違う。だがこれから起きるだろう」
「……すまん。話が見えない。それは名前を変えることで解決する問題なのか?」
「確証はないがね。恐らく解決するはずだ」
 そういって彼女は眼鏡をかける。彼は最近知ったがこれは伊達らしい。説明する時にかけると何となくうまく説明出来る気がするそうだ。そう言ったところを知っているのは実は彼だけだと気がつくのは更に後のこととなる。
「我々の下準備は順調に済んでいる。だがこれは当面オルタネイティヴ4の支援が主目的になる。それは良いね?」
「ああ、それは俺も立案した部分だからな」
「次、オルタネイティヴ4の完遂のためには数式が必要。これも良いね?」
「もちろんだ」
 そこら辺は彼自身も既に良く知っているのだから。
「では数式を手に入れるにはどうするか。BETAのいない世界の香月夕呼氏から貰ってくる。そうするには?」
「元の世界に行く必要がある。ああ、そう言うことか」
 彼が理由に思い当たった。分かってしまえば簡単なこと。因果導体で無いとそれは取りにいけない。そして取りに行く人材は――。
「そう言うことだよ。君はもう因果導体では無い。彼が来た時に白銀武がいると万に一つが起こるかもしれない」
 コンピューター上での同一ファイル名の上書きみたいなものだね、と彼女が補足する。
「つまり、その上書きを行わせないために念のため名前を変えると?」
「世界から認識されている名前が違い、中身も違うならば流石に大丈夫だろう。万が一行われたても私たちがサポートするから君は安心して消えたまえ」
 その言葉に彼は苦笑を浮かべる。彼女らしくもない言い方は最低限の義理は果たす、と言ってくれてるらしい。
「わかった。それじゃあ苗字だけじゃなくて名前も変えないとな。同じ顔で同じ名前は不味いだろう」
「先日死んだ私の兄の戸籍を改竄しよう。そうすれば国連データベースの白銀武は死亡扱いにできる」
「……分かった」
 兄、という言葉に引っ掛かかった。彼女に兄弟がいたなんて話は聞いていないが、恐らく話す必要がないと思ったから話さなかったのだろう、と彼は判断する。事実、彼女に兄弟がいるという情報が無くて困ったことはないし、彼自身彼女に全てを話しているわけじゃない。ましてや互いの計画に関係なさそうな部分に関しては。
「では白銀武。死んでくれ」
 それが白銀武が行った最後の仕事。

 そして時は廻る。嘆きを、悲しみを、絶望を飲み込みながらも無常に。
 幾多の世界を飲み込みながら、それでも結末に向けて進む。

 彼が目を覚ましたらそこは自室だった。
「俺の部屋か?」
 見渡す。そして意識が覚醒する。
「俺の部屋か!」
 間違いない、と彼――白銀武は思った。
 ――ここは……俺の部屋だ。
「あ、あれ?」
 突然溢れた涙に戸惑う。そして落ち着くと武はとても長い夢を見ていた気がした。
(本当に夢か?)
 あれは本当に夢だったのか? と自問する。が、答えは出ない。
(外に出れば分かる)
 予感がした。夢じゃないという予感。それが外れる方が意外――。
 自分の家の玄関から外に出る。そして武が口を開いた。
「――夢じゃない」
 夢じゃなかった。目の前に広がる廃墟。それが紛れもなく、武が今いる世界はあの世界だと思い知らせた。
「夢じゃないって言うなら……」
 どうして俺はここにいる!? と武は心の中で叫ぶ。が、当然そんなものに答えが返ってくるわけがない。
「何なんだよっ! 一体何なんだよ! これはよぉ!」
(夢なのか現実なのか! 訳わかんねえよ!)
 そして武は再び認める。現実だと。ここに自分という意思がある以上ここは現実だ。
(確かめる必要がある)
 本当にここがあの世界かを。そう決意し、武は横浜基地があるはずの場所へ向かった。
 空を駆逐艦が行き来する。武の記憶には前回の世界でこんなことはなかったはずだが、そもそも前回は浮かれていたので、気付かなかっただけかもしれない、と武は結論付けた。そして坂にたどり着く。衛士訓練校に続く桜並木。本州奪還作戦の時に散った多くの兵士が眠る場所。
「………………」
 そこに黙祷を捧げている人がいた。前回いただろうか? いや、流石にいたら覚えてるとは思うがそもそもが武の主観的に三年近く前の記憶だ。細かいところは忘れてしまっているのかもしれない。邪魔にならないようにそっと後ろを通り過ぎる。
 歩きながら武は思い出す。オルタネイティヴ5の発動。全人類の一万分の一を宇宙に逃がし、残りの人類の滅亡――尤もその最期の記憶はないが。何としてもそれは阻止しなければいけない、武は決意する。
 坂を登り切る。武の目の前に飛び込んできたのはあの時死ぬほど馬鹿にしたレーダー。国連軍太平洋方面第11軍横浜基地。
(やっぱり、この世界か)
 だがそれを確認したことですっきりしたというのもまた事実。既に武の覚悟は決まっていた。今更違う方が彼にとって困る。
(記憶通りってことはいよいよ人類の終焉が現実となってきやがった)
「こんなところで何をしているんだ?」
「外出してたのか? 物好きな奴だな。どこまで言っても廃墟だろうに」
「隊に戻るんだろう? 許可証と認識表を提示してくれ」
 二人の門兵が口々に言ってくる。
(て言われても持ってないものな)
「どうも御苦労さん」
 と言って通ろうとするが当然通してもらえない。そして向こうが部隊章がないことに気付いて一気に表情が険しくなる。
「認識番号と所属部隊名、及び外出許可証を掲示せよ」
 どうする? ここで捕まったら数日営倉に入れられる。それは時間のロスになるから避けたい。武はそう考え、夕呼に連絡をしてもらおうとしたところで。
「認識番号S-37288117。所属部隊特務戦術機甲大隊。それから外出許可証。これでいいか?」
「へ?」
 後ろから言葉が聞こえてきて武は振り向く。そこにいたのは先ほど坂で黙祷を捧げていた男。目元はサングラスで覆われてわからないが、それなりに若い。
「しょ、少佐! お離れ下さい! その男は身元不明の――」
「来たか。白銀武」
 その言葉にその場にいた全員が驚く。
(俺を……知っている?)
「少佐殿……その、お知り合いで?」
「ああ、現地集合の部隊員で……言ってなかったか?」
 その少佐が「もしかすると」みたいな表情で言うと門兵二人が頷く。
「少なくとも我々は聞かされておりません」
「……すまん。こちらの連絡ミスだ。こいつは私が連れていくが構わないな?」
「は、了解しました」
 敬礼する門兵二人に武から見ても惚れ惚れするような見事な返礼を返し、基地内へ進む。
「何をしている。白銀武。また貴様の事を一々説明するのも面倒だ。いくら無能でも人の後をついていくことぐらいできるだろう?」
 と、言われ、武はこの人物は一発で嫌いになった。

 武にとって歩きなれたS-4エリアの通路。その一室、夕呼の執務室に辿り着く。
「香月博士、グレイ博士。白銀武をお連れしました」
(グレイ博士?)
 聞きなれない名前に武は首をかしげる。そもそもここまで連れてきたこの少佐も何者なのだろう。武の記憶にこの人物はいない。少なくとも夕呼の執務室に連れてきてもらった記憶など、無い。
 扉のロックが外れ、開く。
「失礼します」
 夕呼の執務室には武を除いて三人の人間がいた。一人は香月夕呼。一人はここまで武を連れて来た少佐――アールクト=S=グレイ。そして最後に。
(……誰だ?)
 武にとってまったく見覚えのない人間。年は14くらいだろうか? とあたりをつける。背まで届くプラチナブロンドの髪を揺らしながら、一枚の絵のようにソファーに腰掛けている。その少女――ミリア=グレイが口を開く。
「御苦労さま、アールクト」
「いや、こちらも用事のついでだったからな」
 アールクトはそのままミリアの半歩後ろに立つ。
「で、あんたが白銀武?」
 夕呼が正面から問いかける。端から想定外の出来事に武は頭の中で考える。もしかしたら前の世界とは別の世界の可能性もあると。その場合、ここがどんな世界なのか知る必要がある。
「はい」
「何者かしら」
「それは……」
 ちらりと夕呼以外の二人に視線をやる。これから話すことは夕呼以外に聞かれたくないと思う武だったが、それを見た少女が笑う。
「安心して良いわ。私たちはあなたのことをよく知っている」
(それはこの世界の俺ってことか?)
「……時に白銀武。君はこれで何回目だ?」
 唐突にアールクトが武にそう質問する。
「何回目?」
「何度10月22日に来たのか、という意味だ」
 その言葉に武は揺さぶられる。自分自身把握し切れていない自分の現状を彼らは把握しているということだろうか、と混乱する。同時にこの発言から今日が10月22日ということが分かった。
「アールクト。あんまり苛めちゃダメよ」
「……了解。端役はせいぜい出しゃばらないことにしよう」
 仕方無い、とでも言いたげに口を閉ざすアールクト。
「で、何回目なのかしら? その回数によって私たちの対応は変わるわ」
「……二回目です」
 そう言った途端にミリアの唇が楽しげに釣り上がる。
「私の勝ちね。Ms.香月」
「くっ……よく考えたら未来を知ってるんだからあんたが勝つに決まってるじゃない!」
「いやですわ、Ms.香月。ラプラスの悪魔はもう存在しないのですよ?」
 いきなり始まる騒ぎに武はついていけない。その様子を見てアールクトが溜息を吐く。
「ミリア。白銀武が困惑している。それぐらいにしておけ」
「……しょうがないわね」
 と、不満げに呟き武の方に向き直る。
「さて、では二回目だというなら一回目に私たちはいなかったんじゃなくて?」
「……確かいませんでした」
「でしょうね」
 そのミリアの言葉に夕呼が口を開く。
「さて、そろそろ教えてもらいましょうか。こいつの出現を予測したこと、オルタネイティヴ4がつぶされる日を予見したこと。何故今ここに来たのかを」
「夕呼先生も知らないんですか?」
「先生? とりあえずあたしが聞いているのは今日、ここにあんたが来ることをこの二人が予測していたこと。それだけよ」
(夕呼先生も知らない相手? それに未来を知ってるなんて俺と一緒でやり直してるみたいじゃないか)
 武がそう考えるとミリアがまずは、と前置きして話し始める。
「Ms.香月。因果量子論はご存知ですよね?」
「冗談にしてはつまらないわね。さっさと進めなさい」
 夕呼本人が提唱した理論なのだから彼女が知らないはずがない。
「では白銀武は?」
「えっと、少しは」
 前の世界で夕呼が言っていたことを思い出しながら武は答える。
「なら多分大丈夫ね。ではどこから説明しましょうか……」
 う~んと悩んでいます、と全身で表現しているミリアにアールクトが溜息を吐く。
「事の始まりはミリアが他世界の因果情報を受け取れるようになったことだ」
 彼女に任せていては話が進まないと思ったのか、彼が口を開く。
「ちょっと、アールクト」
「二人をからかいたいのはわかるが、少しは状況を考えろ。見ろ、あの間抜け面を。香月博士はともかくあっちはまるで阿呆としか思えない顔をしているぞ」
「なっ」
 その言葉に武が腰を浮かせる。
(いくらなんでもそこまで言われるような顔してないっての)
「見苦しい。この程度でいちいち反応するな。それとも何だ。貴様は前回の世界で兵役にも就かずふらふらしていたのか?」
「ぐ……」
 確かに、軍人としてこの程度で苛立つのは未熟者と言われても仕方無かった。そう考え浮かせた腰を戻す。
「……では話を戻しましょうか」
 戻すも何も、まだ大したことは言っていないだろ、と夕呼が睨みつけるがどこ吹く風のミリア。

「何故因果情報を受け取れるか。それは今説明することではないとして、私はまず人類が滅亡する未来の情報を受け取りました」
 未来と言っても他世界の時間軸の相対的な話ですが。と付け加える。
「滅亡? BETAによって?」
「ええ、今考えるとあれはオルタネイティヴ5が発動した後の世界だったのでしょうね」
 オルタネイティヴ5。その言葉に武の心臓が飛び跳ねる。その世界というのはもしかして――。
「だから私はそれを避けるために地球から人類を脱出させる方法を考えました。――幸いにもお爺様の教育で非常に高い教養を得られていたものですから」
 淡々と語るミリアの言葉に感情は無い。ただこういうことがあった、と別の人の話をしているかのように。
「そのお爺様ってのがウィリアム=グレイ?」
「狂人でしたけどね」
 吐き捨てるように言った言葉には深い悲しみ。
「まあともかく、そのお陰で移民船を設計することに成功しました。当時は存命だったお爺様の口添えもあって、それと当時は核の集中運用によるBETA殲滅をセットにしたのがオルタネイティヴ5」
 この少女が? と、武は眼を見開く。こんな少女があの計画を考えたというのは武にとって完全に想像できないことだった。そして、あの時感じた絶望感が怒りに変わり――。
「やめておけ、白銀武。それ以上するなら私はお前を排除することになる」
 と、アールクトが武を制する。そこでようやく武は自分が拳を固く握りしめて、再び腰を浮かせかけていたことを知った。
「座れ。何かをするにしてもまずは周囲の情報を得ろ。視界が狭い兵士は役に立たん」
(畜生……わかってる、わかってるんだよ。だけど!)
 あんな計画を、人類を生き延びさせるという選択では間違っていないと理解はしているが、ほとんどの人が不幸になる計画を考えた彼女に問いただしたかった。何故、あんな一握りしか生き延びられない計画を? と。人類全員が逃げられたならあいつとあんな別れ方を――。
「っ!」
 武の頭に痛みが走った。駆逐艦を見送った記憶はある。だがその相手を思い出そうとすると――。
「……白銀武?」
 不意に痛みが治まり、気がつくと全員の視線が武に集中していた。
「ちょっと、あんた大丈夫?」
 珍しい夕呼の気遣いに武は口元に笑みを浮かべて大丈夫です、という。それを見てミリアが説明を再開した。
「その後も私は様々な未来の情報を見ました。ですがそこから得られたもので役に立つ物はほとんどなし。ただ人類が負けているということだけでした」
 ですが、とミリアは若干の歓喜をにじませた声で言う。
「ある日私は人類が勝利している未来の情報を受け取ったのです」
 それがオルタネイティヴ4が成功した世界ということらしい。
「それを皮切りに人類が勝利した未来の情報もいくつか受け取れました。それでも人類が一億程度まで減ったりした末の勝利であり、犠牲が大きかったのですが」
 夕呼は黙ってそれを聞いている。武は何故自分を知っているのか聞きたかったが、まだそこまで話がいきそうにない。
「まあその後はいろいろな世界の因果情報を得て、オルタネイティヴ5の移行の日や、白銀武がここに来る日も知った。そういうことです。そしてオルタネイティヴ4が人類勝利で最も犠牲の少ない方法だから、という訳です」
「……まあ良いわ。その真偽はともかくとして、聞きたいことがあるんだけど」
 しばらく考えていた夕呼が口を開く。
「なんでしょうか?」
「あなた達の目的は何?」
「今のところはMs.香月と一緒です。オルタネイティヴ4の完遂。それだけです」
「そう」
 と呟き、夕呼は武に視線を向ける。
「で、白銀。あんたの話を聞きましょうか?」
「あ、はい」
(夕呼先生、今の説明で分かったのか?)
 武は若干の疑問を覚えつつも夕呼に前の世界と元の世界の説明をしようとしたところでミリアが席を立つ。
「では私たちはこれで。部下たちの面倒も見ないといけませんし」
「……失礼する」
 アールクトが夕呼に一礼し、退室していった。その際、武の方には視線を向けもしない。そのことでいちいち掴みかかるような真似はしないが、やはり面白くない武。
「……話の腰が折れたわね。続けましょうか」
「はい」

 前の世界、元の世界と話が進んだところで夕呼が武に質問する。
「それで前の世界って言うのにはあの二人はいなかったのね?」
「はい。一度も見たことがありませんでした。それに俺がループしているって言うのも」
 武としてはそれが一番ショックだった。もしかしたらこれまで何度も死んでいた、そう言われたも同然なのだから。しかもそれを自分では覚えていないというのが得体の知れない恐怖を彼に感じさせる。
「どうも話を聞く限りじゃあんたがいた世界とは関係ない別の世界の白銀武の話らしいけど……まあ多分一緒でしょうね」
「やっぱりそうですか」
「ま、良いわ。取りあえず信じてあげる」
「……本当ですか?」
「あの二人も、アンタも嘘は言ってないみたいだしね。尤も、向こうは本当のことも言ってないみたいだけど」
 端末を弄りながらそう呟く夕呼に武が反応する。
「あの、先生。それって」
 どういう意味ですか、と聞こうとした武を夕呼の声が遮る。
「そんなことよりもあんたの目的は何?」
「オルタネイティヴ5の発動阻止とBETAの殲滅。それ以外にありません」
 その言葉に夕呼は溜息を吐く。
「……どうでしょうか。信用してもらえましたか?」
「あたしはまだあんたのことを100%信用したわけじゃないわ。最初はあの連中が仕込んだ駒かと思ったけど、そう言う訳じゃなさそう。且つ私の研究に多少は益をもたらしそうだからここに置くと決めただけ」
「先生、それじゃあ」
「あなたを207B分隊に配属するわ。セキュリティーパスも前と同じにしておいてあげる」
「ありがとうございます!」
「……それじゃあ行きなさい。細かいことはまりもに任せてあるわ。グラウンドに行けば誰かいるでしょ。場所は……言わなくても大丈夫そうね」
「はい! 失礼します」

 退室していく武をみて夕呼は呟く。
「ガキね」
 ちょっと目の前に人参をぶら下げてやったらそれに夢中になる。世界を救うのは自分にしかできないと酔っている。
(本当にあんな奴が?)
『彼は救世主ですよ』
 ここに来て、ミリアは最初に夕呼にそう言った。
『これからここに来る彼が人類を、この世界を救うカギになります』
 と。霞のリーディングデータからはミリアが本当のことを――少なくとも嘘は言ってないことを夕呼は知っていたが、それだと腑に落ちないところがある。
(未来を知っているならなぜ独力で00ユニットを作らない?)
 と、言う点。それは未来の知識が完全ではないからなど理由を作れるが。
(白銀武が00ユニット完成の鍵を握っているといったけど……ただのガキじゃない)
 多少は兵役の経験があるようだがそれだけ。心構えがまるでなって無い。更に付け加えるなら彼は00ユニットについて何も知らないように見えた。
「もし知ってるならカガミスミカのことをああも口にできるはずがない……」
 やはり、あの二人は何かを隠している、と夕呼は確信する。特にアールクトは夕呼にとって第一級の怪しい人間だった。
「何故あの男だけにリーディングブロックをしたのかしら?」
 もともとBETA由来の物質であるバッフワイト素子を持っているのはさほど不思議ではない。普通に考えれば知られたくない情報があるからだろうが、オルタネイティヴ5のほぼ全てを知っていると言っても良いミリアが無対策で、その護衛が対策済みというのはおかしい。だが、ミリアのリーディングに嘘はない。ならば。
「あの男がより重要な情報を握っている?」
 オルタネイティヴ5や因果情報を得ている彼女よりも? と、言う疑問は残るがこれが一番可能性としては高いと夕呼は踏んでいた。
「まあ良いわ。しばらく泳がせてあげましょう」
 白銀武も、ミリア=グレイも。
 確かに時間は無い。だが、手がかりがあるとわかっているならそれに基づいて情報を引き出せば良い。この横浜基地にいる限りは、あらゆる事象も夕呼の掌の上なのだから……。

(俺にできることって何だろう)
 武はグラウンドへ続く通路を歩きながら考えていた。
(流石に俺一人でBETAを殲滅とか戦局を有利にするとかは無理だろうな)
 多少彼も衛士として腕に覚えがあるとはいえ、それだけでどうにかなると思えるほど楽観できない。
(俺が知ってるのはオルタネイティヴ4が5移行すること。それからそれまでに起こる出来事だけだ)
 だけどそれすらも。
(あの人は知ってるんだよな……他の世界で起きたことらしいけど)
 それを考えてしまうと俺ってここにいる意味あるんだろうか、と武は考えてしまう。いや、夕呼先生が言いそうな言葉だと思いながらも、武はおのれを鼓舞する。
(理由のない結果なんて存在しない。俺がここにいるのには紛れもない意味があるはずなんだから)

 グラウンドに出てまりもを探す武。どこだろうか、と見渡すと後ろから声をかけられた。
「そこのお方。こちらは訓練区画故関係者以外の立ち入りはご遠慮願いたいのですが――」
 その言葉に勢いよく振り向く武。そこには急な動きに驚いた御剣冥夜がいた。
「め……あ、いや。教官に用事があるんだけど。どこにいるか知っているか?」
 冥夜、と呼ぼうとするのを必死で堪える武。ここでいきなり名前で呼んだら彼女を警戒させるだけだ、との咄嗟の判断だったが、どうにかそれは成功したらしい。
「神宮司教官ですか? 申し訳ありませんが現在の所在までは――ああ、いや。丁度来たようです」
 武の後ろを見つめながらそういう冥夜の視線を追い、振り向く。そこにはまりもと――アールクトがいた。
(……? 何であいつが?)
 階級章から少佐だと判断するが、あの短時間で武は彼の事が嫌いになっていた。自分にしては若干珍しいとは思うのだが、言動の一々が忌々しく感じる。
 まりもがこちらに気付く。こちらに歩いてくるその隣でアールクトも歩いてきた。
「白銀武だな?」
「はい」
 まりもはそうか、と短く答え分隊を集合させた。

「さて、紹介しよう本日付で207B分隊に配属された白銀武訓練兵だ」
「白銀武訓練兵です」
 武はそこにいるメンツを見渡す。美琴がいないのは入院中だからだろうか? それ以外は全員揃っていることに武はほっとした。
「見ての通り男だ。とある事情で徴兵免除を受けていた。訓練には明日から参加してもらう」
『はい!』
 武の紹介が終わったところで全員がそわそわする。武も何故アールクトがここにいるのか疑問に思っていた。
「さて、こちらは大西洋方面国連軍から転属になられたアールクト=S=グレイ少佐だ」
 グレイ、という言葉に武が反応する。さっきいたあの少女のファミリーネーム。それもグレイじゃなかったか? と。
(兄妹……にしちゃ似てないよな。まさか夫婦ってことはないだろうし)
 武はあらかじめ少佐だと知っていたからさほど驚きは無いが、他のみんなはそれなりに驚いていたらしい。彼女たちの位置からだとまりもの頭で階級章が見えなかったのだろう。
「アールクト=S=グレイだ。本日より貴様たちの訓練の補佐をすることになった」
『っ!?』
 その言葉に今度は武も含めて驚く。
(おいおい! 少佐が訓練兵の面倒をみるって……何でだよ!?)
 本来なら大隊の指揮を執るような人物だ。それがたった六人の訓練兵のために……? という疑問が武の頭の中を渦巻く。ちらりと横目で他のメンバーを見ると彼女たちも同じようなことを考えていたように見えた。
「何故、少佐が? といった顔をしているな。説明してやろう。俺が前任地で立てた新たな訓練兵教育カリキュラム。それは実際に実行して有効だとわかったからな。この訓練校でも試験的に導入することになった。だがそのカリキュラムの意味を正確に理解しているのは私だけだ。そのため神宮司軍曹にそれを教えつつ貴様たちの訓練も見る。そう言うことだ。わかったか?」
『はい!』
 それ以外に返事のしようがない。どんなに高い志を持とうと、今の武たちは訓練兵なのだから。それを本当の意味で自覚するのはもう少し先だが。その返事に満足げに頷く。
「良い返事だ。何か質問は? ……なさそうだな。神宮司軍曹。後はどうぞ」
「ありがとうございます。少佐。今少佐が仰られたとおりだ。貴様ら。無様な姿はさらすなよ!?」
『はい!』
「では明日の予定を伝える。明日は朝はランニングの予定だったが、座学に変更になる」
「貴様らは二回目だ。体力面で今更不足もあるまい?」
 訓練兵の情報も事前に得ていたらしい。アールクトが肩をすくめながらそう言う。心なしか武にはそう言われた瞬間他のみんなが落ち込んだ気がした。
(でもこいつ俺は一応一回目って建前なんだけど。さっき肉体も継承してるって言ってないし……見ればわかるのか?)
 服の上から分かるほどではないと思うのだが……年季が違うということなのだろう、と自分を納得させた。
「では解散とする」

「榊さん、白銀さん。こっちです」
 千鶴から案内を受け(正直不要だと武は思った)、PXにたどり着いた二人を壬姫が迎える。
「存外早かったな」
 冥夜が意外そうな顔をしてそう言うと千鶴がトレイをテーブルに置きながら答える。
「だって案内の必要なんてなかったもの。もう何年も住んでるみたいに飲み込みが早くて。途中からどっちが案内役だったか分かんなくなったくらいよ」
「別に良いじゃないか委員長。予習の成果だよ」
「……委員長?」
 全員が頭の上にはてなマークを浮かべながらも慧が代表して質問する。
「何だかわからないけど、さっきからこの調子。ずっと人を委員長呼ばわりよ」
「悪いな。だけど分隊長は俺の学級委員だった奴にそっくりなんだよ」
「その言い訳、聞き飽きた」
 そう言い、千鶴が嘆息する。
「頑張れ分隊長、もとい委員長」
「彩峰、あなたねえ」
 と慧が混ぜっ返し、口論になりかけたところで武があわてて口を開く。
「そ、それよりもさ。いきなりカリキュラム変更ってどういうことだろうな?」
 武としてもそれは疑問だったし、彼女たちにとっては更に疑問だった。それゆえか千鶴と慧はあっさりと口論を止め、話題に乗ってきた。
「そうね。確かに行き成り過ぎるわ」
「ミキもびっくりしました~」
「一体どのようなカリキュラムになるのやら……」
「……変なのじゃなければ良い」
 と口々に感想を口にする。全員に共通してるのは。「大丈夫なのか? それ」という感情で、武もその例に漏れない。
「だよなあ。いくら成果が上がってるって言ってもちょっと不安だよな」
「まあでも私たちは二回目だから。極論を言ってしまえばそのカリキュラムが多少変でも戦術機課程以外は前のを参考にすれば良いけど……白銀」
「ん? ふぁんだ?」
 合成サバ味噌定食を食べながら返事をする武に冥夜が呆れたように溜息を吐く。
「白銀、せめて口の中の物を飲み込んでから話すがよい」
 頷くことで返事をして咀嚼することに専念する武。同時に冥夜が白銀と呼ぶことに違和感を覚えていた。
(やっぱほとんどの期間タケルって呼ばれてたからかな?)
「モグモグ……すまん委員長。で、何だ?」
「だから……まあ良いわ。白銀、単刀直入に聞くわ。あなた、期待していいの?」
 来たか、と武は思う。状況は若干違うが、前の世界でもあった質問だ。
「神宮司教官からはあなたのことを『特別な人物』だと聞かされてるわ。それは私たち、ひいてはこの国の、この星のためになる『特別』なのよね?」
 その言葉に武は胸を張って答える。
「……そうだ。少なくとも俺はそのつもりだ」
 その言葉に全員がどよめく。
(そうだ……やれるかやれないかじゃない。やるんだ)
 あの最悪の未来を回避するために。武は拳を握りそう決意する。
「私たちはその特別の意味までは詮索しない。だが期待はする」
「一ヶ月もすれば総戦技演習があるわ。絶対に成功させなきゃいけない」
 そう千鶴が言ったところで武はふと疑問に思った。
「……なあ、総戦技演習ってやるのかな?」
 途端に「こいつ何言ってんの?」的な視線を向けられる。
「いや、だってさ。カリキュラム変更になったんだろ? やるにしても今まで通りの予定でやるのかな、って話」
 その言葉にハッとした表情になる。もしもカリキュラム変更によって総戦技演習までの日程が延びたりしたら――その分衛士になるのが遅くなると全員気がついたのだ。
「言われてみればそうね……。もしもそうだとしたら」
「最悪半年くらいロスがある、ということになるな」
「……とても困る」
「ええ! 卒業できるのがさらに遅れるんですか!?」
 と全員で真剣に議論し始める。当然だ。彼女たちにとってそれは死活問題なのだから。結局明日聞いてみようということに落ち着いたが。
「どちらにせよ、私たちの力を高めることに無駄はあるまい」
「そうですね~。もうすぐ鎧衣さんも帰ってきますし」
 壬姫が嬉しそうに言い、武がそれに相槌を打つ。
「鎧衣って入院しているもう一人のメンバーだろ? どんな奴なんだ?」
 もちろん武は知っているが、知らないふりをしてそう聞く。
「鎧衣はサバイバル技術のエキスパートよ。それ以外にも知識豊富ね」
「へえ……早く会ってみたいな」
「……白銀、ケダモノ」
「何でだよっ」
 慧の冗談に分隊のみんなが笑う。
「さて、それじゃあ明日からの訓練も頑張りましょう」
 という千鶴の言葉で解散となった。

 入隊宣誓を済ませ早速新たなカリキュラムでの訓練が始まる。
「さて、まず貴様たちに説明することがある。本来ならこのカリキュラムでは座学と共に実技も行うのだが、それらは貴様らは二回目。白銀も問題ないとの副司令からのお墨付きだ。よって最小限の時間にとどめることになる。これからやるのは変更後に存在する座学が主となる」
 とまりもが説明する。全員の手元には新たな教本。
「また、総戦技演習に関してだが、これは衛士適正テストに変更になった」
 その言葉に全員が疑問符を浮かべる。戦術機適性なら分かるが、衛士適正とは? と言いたげだ。それを感じ取ったのか、まりもが補足する。
「衛士適正テストは戦術機適性とはまた別だ。あれは戦術機に乗れるか乗れないかだが、これは衛士たる資格があるかどうかを試すテスト……らしい」
 らしい、とつけたのはまだまりももその全容を把握してないからであった。アールクトが今日までに簡易的なカリキュラムの説明をすると言っていたが、残念ながら初回の座学には間に合わなかった。
「さて、それではまずは教本を開け。十一ページ……」
 新たな教本を使った座学が始まる。その中でそのことに気がついたのはまりもと武だけであったが、そこでやっている内容は戦術機課程や正規兵が学ぶような内容も多く含まれている。そしてその中には。
「光線級BETA、ルクス」
 BETAの映像つきの特性解説もあった。これまでシルエットでしかしらなかった人類の敵の姿に全員嫌悪感を感じる。中でも武は重症だった。
(何だ……? 何でこんなにビビってんだ?)
 自分でも異常だと感じるほどの悪寒。ただ映像を見ただけでこれらを目の前にしたかのような錯覚に陥る。その理由はさっぱりわからないが、あるBETAの説明が来た時にそれはこれまでにないほど強くなった。
「兵士級BETA、ヴェナトル」
「くっ……」
 一番最後――まりもによると脅威度の順らしいが、それを見た瞬間に武に目眩が襲った。一瞬で目の前が真っ暗になり、武は意識を失った。

「……君、もう少し落ち着けないのかね?」
 横浜基地で新たに用意された執務室。そこでミリアはイライラを隠そうともしないアールクトを見かねて苦言を呈す。付け加えるならミリアはこのイライラしているアールクトを相手に一時間ほど待ってから話しかけた。つまりその間ずっと彼はイライラしていたのである。
「まさかあそこまでガキだったとは思わなかった」
「大方そのことだろうと思ったよ。まあ私はそれなりに好感が持てたよ。一生懸命な分まだいくらかね」
「結果が伴わない心意気に意味はない。心意気だけで世界を救えるなら結構だがな」
 そう吐き捨てるように言うアールクトにミリアは苦笑混じりの溜息を吐く。
「全く……八つ当たりは止めてくれないかね?」
「……すまん」
 彼にも八つ当たりという自覚はあったのか、素直に謝罪してキチンと座る。
「で、どうするのかね? ただここでイライラしてお仕舞い、という訳ではないのだろう?」
「取りあえず徹底的に鍛えるさ。起こるべき事象は最大限利用して、な」
「では……クーデターも?」
 ミリアが目を細める。
「ああ、あれが起きないと将軍に実権が戻らない。冥夜と殿下は向き合えない。そしてあの馬鹿は成長の糸口をつかめない。ならばこれは看過しよう。その代り可能な限り犠牲を出さないように対処する」
「……君がそうするというなら私は止めない。既に覚悟は決まっているようだしね」
「覚悟ならとっくに決めたよ。あの日からずっと」
 そうアールクトが若干疲れた笑みを見せながらコーヒーもどきを口にしようとしたタイミングで内線が鳴る。
「……ふむ。そうか。ありがとう」
 と返事をして切るミリア。その口元には薄い笑み。何となく良いニュースの予感はしないな、と思いながらもアールクトは問いを放つ。
「何があった?」
「良かったな。どうやら君は相当鍛え甲斐がありそうだぞ」
 その言葉で大体の事情を察したアールクト。深く嘆息し、また苛立ちをのぞかせる。
「白銀武が倒れたそうだ。BETAの講義中に」
 クソったれ、と悪態をついてアールクトが立ち上がる。
「どこに行くのかね」
「……頭痛薬を貰いに医務室に行ってくる」
 そう言って部屋を出ていく彼を見送りながらミリアが微笑む。
「やれやれ。素直じゃないな、彼も」

 武が目を覚ますと白い天井。あてがわれた自分の部屋では無い。この清潔さが保たれた白は……。
「医務室……?」
「正解だ。白銀訓練兵」
 となりから不機嫌そうな声が降ってきて寝起きの頭でそちらを見上げる。と、そこには不機嫌そうな声に違わず、不機嫌そうに頬をゆがめたアールクトがいた。
「しょ、少佐。申し訳ありません。このような姿勢で……」
 個人的には気に入らない相手でも上官である。姿勢を正し敬礼しようとすると適当に手を振って遮られた。
「他の人間がいるときはともかく、こんな時まで敬礼するな。香月副司令と同じような対応をしろ」
「はあ……わかりました」
 この人も変わり者なんだな~と思う一方で、武も佐官くらいになったら同じことを言うかもしれないと思った。
「さて、BETAの講義中に倒れたそうだが……平気か?」
「あ、はい。今は何とも」
 武は驚きつつもそう答える。まさか少佐に心配されるとは思っていなかった。
「全く……別にまだ戦場に出たわけでもないのに映像だけで気絶か?」
「自分でも驚いてますよ。こんなんで実戦の時大丈夫なのかって」
 そう言うとアールクトは溜息を吐きながら口を開く。
「今の時代兵を戦わせるための技術はかなり進歩している。多少の事ならそれで解決できる」
 それに、と彼は続ける。
「私も同じような経験がある。だが結局上官や仲間に恵まれて立ち直ることができた」
「そう、なんですか」
「精々目標を明確にしろ。そうすれば怖くて震えてる暇もなくなる」
 そう言ってアールクトは医務室から出ていく。何も持たずに手ぶらで。
「……あの人、何しに来たんだろう?」
 励ましに来た。……まさかな、と武は心の中で自分に突っ込む。そこまで親しい訳ではないし、何か用事のついでで気まぐれにアドバイスをしたといった感じだろうと武は結論付けた。
「……そろそろ座学に戻るかな」
 気絶したの何て言い訳しようか、と考えながら武も医務室を後にした。

「白銀さん凄いですね~」
 夕食時のPXで壬姫がそう言う。武的には白銀さんという呼び方に違和感バリバリなのだが。
「凄いって……何が?」
 あの後座学に戻り、その後は気絶することなく進んだ。午後に行軍訓練を行い本日の訓練終了、といった流れ。特に凄いといわれるようなことはしていないはずだが……と武は頭をひねる。まさか気絶したことを言ってるのか? だとしたら武は壬姫の腹黒さを見誤っていたことになるのだが。
「完全装備で分隊支援火器を背負って完全装備じゃない私たちよりも早いって言うのは白銀には大したことじゃないわけ?」
「ああ、あれか……」
 そう言えば委員長達は完全装備じゃなかったんだっけ、と思いだす。
「日頃から自己鍛錬を積んでいなければああはできまい」
「……ちょっと見直した」
 慧の言葉に全員が頷く。
「座学中に気絶した時はどうしようかと思ったけどね」
「おいおい、委員長。それは忘れてくれって」
 と武が頼むが。
「なら委員長って呼ぶのをやめたら考えてあげる」
 と切り返され、武は諦めた。
(でもこれはいい傾向だ)
 と武は思う。もし今までのカリキュラムだったら恐らく武は成績優秀だった。だが優秀すぎて若干心理的な距離が開いたままになったかもしれないと武は思う。しかし、座学に気絶をしたという失敗が、彼女たちにとって優秀だけどちょっと臆病な奴。的な親しみやすいポジションにつけた気がする武だった。

(災い転じて福となす、って感じかな?)
 自室で夕食時のことを思い出し、武はそう結論付けた。
 新カリキュラムがどんな内容なのか分からないが、一応有効性が証明されてからのものらしいから多少は安心を覚えながら武は瞼を閉じる。
 明日は気絶しないようにしよう……と。

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[12234] 【第二部】第二話 違和感
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/11/07 23:05
 その日も武は危うく気絶しそうになった。
 BETAに関する座学。その内容は出撃経験の記憶こそ無い物の、三年近く正規兵だった武でもキツイものがあった。
「……つまり突撃級を相手にする際は、後方、あるいは側面からの攻撃が一番効率的だ。次に……」
 その座学を他の訓練兵――冥夜、千鶴、慧、壬姫らは時折顔をしかめているが、普通に受けており、入院中の美琴も現在自習中らしい。彼女も特に何かあったと聞かないことを考えると武は三年間も正規兵やってたのに情けない、と凹みそうになる。だが、もしも戦場でいきなり見ていたら錯乱して味方を巻き添えにしたかもしれないと考えると、こうして事前に知ることで耐性を付けられたんじゃないかと武は感じる。
「では今日の座学は終了する。……白銀。お前は香月副司令がお呼びだ」
「了解しました」
「では解散」
「敬礼!」
 一斉に敬礼してまりもが退室したのを見て武がみんなのところへ振り向く。
「じゃあそう言う訳だから俺ちょっと行ってくるよ。みんなは先にPX行っててくれ」
「うむ、では席は取っておこう」
「わりいな。じゃあ頼むよ」
 そう言って地下――夕呼の執務室に向かう。最高クラスのセキュリティを抜け、部屋に入る。

「あら、白銀訓練兵。どうしたのかしら?」
「っと、すいません。部屋間違えました」
 部屋のデスクに座っているのは夕呼では無くミリア。それを見て武は執務室を間違えたと思った。それを見てミリアがくすくす笑う。
「大丈夫。ここはMs.香月の執務室よ。私が場違いなだけ」
 そう言って作業に戻る彼女。武はどうしていいか分からずそこに立ち尽くす。それを感じたのか作業している目線を上げずにミリアが口を開く。
「Ms.香月なら今呼び出されてどこかに言ったわ。白銀訓練兵が来たら適当に相手しておいてやれって言われた」
「はあ、そうなんですか」
「適当に相手って何をしろって言うのかしら。まさか寝ろって話じゃないでしょうし」
「ぶはっ!」
 唐突に目の前の少女――むしろ幼女から出た過激な言葉に噴き出す武。飲み物を飲んでなくて良かったと思う。
(いや、落ち着け。多分意味がわかって無い。あるいは日本語が不自由なんだ。そうに違いない!)
 ちなみにミリアとアールクトは日本語知ってると翻訳装置を使ってない。武としてはアールクトの方は日本人並に分かりやすいが、ミリアの方は翻訳機あった方が良いんじゃと思わざるを得ない。
「私のつまらない冗談はさておき、白銀訓練兵。あなた前の世界では衛士だったのよね?」
「はい、一応は」
 冗談で良かった、と胸を撫で下ろすが、それって意味分かって言ってたってことか? そして改めて疑問が浮かんでくる。つまり彼女は一体何者なんだろう、と。未来の知識を得ている少女。武とは違う方法で世界の枠を超えた異端の存在……。だがそれを問う前にミリアが言葉を発する。
「あなたの意見も聞きたいわ。これを見てくれる?」
 そういってくるりと回転させたモニターには戦術機のデータ。
「……これは?」
「現在開発中の新型OS搭載を前提にした第四世代戦術機よ」
「第四世代!?」
 と驚きの声をあげるが、開発のペースとしてはそこまでおかしいものではない。大きく区切って十年ごとに世代が変わってきているという事は言いかえれば十年ごとに新たな世代の開発が進んでいたことになる。そして第三世代の開発――例としては不知火などは80年代から行っているし、決して異常なペースでは無い。むしろ問題なのは。
「そんなもの俺に見せちゃっていいんですか?」
「大丈夫よ、Ms.香月が使うって決めたんだし、それに大した情報じゃないから。上層部なら大体知ってるわ」
 とミリアはあっさりしている。むしろ武の方が恐縮気味だ。
「それに新型OSって……」
「それもそのうちMs.香月から何かあると思うわ。で、どう? この機体」
 そう言われて武はデータに目を通す。不知火よりも頑強そうな四肢。撃震のような太さではなく、例えるなら――。
「まるで筋肉質ですね」
「そうね。新型OSのおかげで機体の運動性能は大きく向上したのだけどこれまでの機体だとその機動に機体が悲鳴を上げてるのよ。もう限界! って」
 画面が切り替わる。今度は機体フレーム部分らしいが、それを見て武は再び驚きの声を上げる。
「何ですか、これ! 太!」
「それくらいしないと関節部分とか持たないのよ。おかげで重量増して機動性は大分落ちたわ」
「う~ん。でも俺にも良く分からないです。実際に乗ってみてどうだ、とかなら何か言えたかもしれませんけど」
「そうね……確かに新型OSも知らないのにこれだけで判断しろなんて少し無理だったわ」
 あ、でも。と武が思いついた事を口にする。
「さっきのフレームまるで人間の骨格みたいでしたね」
「それは人型兵器だもの。当たり前よ」
「まあそうなんですけど、筋肉つけて皮膚かぶせたら完全に人間だな~って」
「筋肉……」
 その言葉にハッとしたようにミリアが呟く。
「えっと……グレイ博士?」
「そうよ……わざわざ無駄な重さ……つける必要はない……高分子……で作った……なら……性も……」
 とぶつぶつ思考の海に没頭してしまう。どうすれば良いかと武が思ったところで、ミリアがばっと顔をあげる。
「白銀訓練兵! Ms.香月が来たら閃きがあったからそれをまとめると言っておいてくれ!」
「は、はあ」
「では、また会おう」
 そう言って颯爽と出ていくミリアを茫然と武は見送る。
「……一体何だったんだ?」
 己の発言が何かのきっかけになったっぽいが、完全に置いてきぼりを食らった形の武。呼びとめる暇すらなかった。あと何か最後口調が変じゃなかったか? やっぱり日本語が不自由なんだろうか?

「そうだ……」
 色々あってすっかり忘れていた。霞に会わなくてはいけない。
 どうして、あの脳みそに固執するのか。そして彼女の軍服に縫い付けられたALTERNATIVEⅣの肩章――。
 自分のパスを使ってあの脳髄部屋に入る。と声が聞こえてくる。
「――すまない。俺にお前たちを救う事は出来ない――」
 深い後悔と悲しみが入り混じった誰かの声。その声を聞いて、武の頭に見覚えのない光景が映る。――視界一面のBETA。まるで洞窟みたいな所を武御雷と共に進む光景……。
「っ痛」
 ズキンッと頭痛を覚え、思わず顔をしかめる。
(何だったんだ……今のは?)
 BETAのいた世界――だが武に今の光景に心当たりはない。まず場所が分からないし、そもそも武は武御雷と共同戦線を張ったことが……。
「ない、ハズだ」
 もしかしたらよく覚えていない最期に戦った時に一緒に戦ったかもしれないが、やはりあの場所が分からない。そうやって考えていると武の前に人影。
「何をしている? 白銀訓練兵。出入口に立たれると邪魔だ。出るか入るかどちらかにしろ」
 こちらを若干見下ろすように――良く見たら身長はそこまで変わらない。ほんの少し大きいだけだった――アールクトが口を開く。
「あ、すいません……」
 そう言って道を開けるがアールクトは通ろうとしない。サングラス越しの目線が武を射抜く。
「……聞いていたのか?」
「えっと……」
「正直に答えろ」
「すいません。お前たちを救えないって言うようなことを言っていた下りだけ聞いてしまいました」
 そう正直に告げるとしばらくアールクトは武を見つめていたが、ふむ、と姿勢を崩した。
「良く考えたらお前は隠し事ができるほど器用な人間では無いな」
「なっ」
 それくらい出来る、と思ったが、夕呼に良いように扱われていたのを思い出し、口を紡ぐ。代わりにふと気になったことを口にした。
「あの、少佐。質問をよろしいでしょうか?」
「構わないが、白銀訓練兵。一々敬語を使うな。ましてや使いたくない、と思ってる相手までにな」
 その言葉に武は思わず渋い顔をしてしまう。思いっきり見破られてるし、と。
「じゃあお言葉に甘えて……少佐はさっきお前たちを救えないと言ってた。それはどういう意味だ?」
 流石に軍人として叩き込まれた今、敬語を使わなくても良いと言われても最低限の敬語は使ってしまうだろうと思った武だが何の問題もなく言葉が発せてしまった。そんなに嫌いだったのか俺、と無意識の自分に呆れながらも質問する。
「では白銀訓練兵。極端な例えだが……自殺しようとしている人がいる。その人を死なせないためにはどうすれば良い?」
「え? それは……自殺しようとしたのを止める?」
「その通りだ。確かにそれで一度は助けられる。だが、その人の問題を取り除かない限り、再び同じことが起こる可能性がある。そう言う場合どうする?」
 その例えに武は迷う。質問への回答では無く、その質問の意図が掴めなかった。
「また助けます」
「そうしたらまたそいつは同じことをする」
「なら原因を取り除きます」
「それをするにはお前はその相手に深くかかわらなければいけない。それでもか?」
「はい」
 と、武は答える。それにアールクトは唇を僅かに吊り上げる。
「もし、その原因がお前の一生をかけて解決しなければいけない問題でもか?」
「それは……」
「助けるのと救うのは違う。その自殺志願者を助けても、そいつにとっての救いにはならない」
 そういうアールクトの表情はサングラスによって隠されており、武には分からない。だが、何故か彼が泣いているように武には感じられた。
「人が救えるのは一生に一人。そしてほとんどの人間はそれを自分を救うのに使う」
「……あんたも、そうしたのか?」
 武がためらいながら質問を口にする。だが、何となくだが武は彼が違う答えを口にするような気がしていた。そして、その予想は当たる。
「私は……すでにある人を救おうとした。救えたかどうか、それはわからんがな」
 どこか遠くを見つめるアールクトに漠然と武は彼の救おうとした人はもうこの世界にはいないのだ、と察した。
「白銀武。お前は救うべき対象を間違えるな。その対象が何かは私には分からない。だが、決して見失うな。これは先達からの忠告だ」
「はっ……忠告、ありがとうございます」
 そう言って敬礼すると嫌そうにアールクトは顔をしかめる。
「よせ。誰もいない時まで無理に敬礼しなくて良い」
「いや、今のは純粋にお礼のつもりだったんだけど」
 何となく気勢をそがれて普段通りの口調になる武にアールクトは更に眉をひそめる。
「お礼?」
「あんたが言ってくれたことは俺のこれからの道に非常に参考になった、と思う」
「……そうか」
 それならそれで良い。と通り過ぎざま呟く彼の背中を見送る。そこまで年の差はなさそうなのに何十年も戦ってきたかのような背中。それを見て武は思う。何時か俺もあんな風になるのだろうか? と。

 今度こそ霞に会おうと意気込んで扉をくぐる。そして、そこにいた。
 青白く輝くシリンダーの側に佇む少女。――社霞。その姿を見た途端、武の脳裏に前の世界での別れが思い出される。
『…………また……ね……』
『ああ……またな!』
 交わした最後の挨拶が、約束が、誓いが、願いが思い出される。
(また、会えた)
 違う世界の人間とは言っても、こうして武は再び霞と再会できたことに喜びを感じる。一歩近づくと足音に気がついたのか兎の耳のような部分がぴこんっと跳ね上がる。……こんな状況だが、武は無性にあれの構造が気になった。一歩近づくごとに一歩後ずさる。そして物影に隠れる。まるで臆病な小動物だな、と苦笑する。
「露骨に逃げるなよ~~」
 霞は無表情のままこちらをじっと見つめている。武は目線を合わせるように片膝をつき、自己紹介をする。
「初めまして。俺の名前は白銀武。君の名前は?」
 ――また振り出しだけど、ここから始めるんだ。
「日本語わかるの知ってるぞ~?」
「……霞、社霞です」
「お、今度はちゃんと本人から聞けたぞ!」
 と叫ぶとビクンと驚き、また物陰に体を隠す。
「と、悪い。今度はなんて意味分かんないよな……」
「気にしてません」
 思いのほかはっきりとした返事が返ってきて武は嬉しくなる。
「じゃあ霞。記念に握手だ」
 困惑した表情が返ってくる。それは握手に対してか? と自分の発言を顧みたところで気付く。
「もしかして霞って呼んだ?」
 こくりと頷く霞に武は頬を掻きながら言い訳する。
「悪い。俺って馴れ馴れしいからさ……嫌なら止めるよ」
「……良いです。霞で、良いです」
「そうか、じゃあ握手だ」
「握手……?」
「握手知らないのか? ほら、手をこうやって……」
 霞の手を取る。小さくて華奢な柔らかい手。それを握った瞬間、全く違う光景を幻視した。どこかの海。今よりも成長した霞の手を引いている光景――。
「……どうしました?」
「ああ、悪い悪い。ほら、握手握手。……結構手ぇ暖かいな。小さいけど」
 そう言って笑いながら霞の手を上下させながら武は考える。今一瞬見えた光景は何だろう? 今度こそ見覚えがない。この世界であんな綺麗な海が存在するところに行ったことなんて一度もないし、霞がここから出たのも記憶にある限りでは……無い。そう思って更に記憶を辿り。

『たけるちゃんにはわからない!』

「っ!」
 今、何かを思い出した。何だ? 何を思い出したんだ?
「……!」
 少し眼を見開いた霞が武の顔を覗き込む。
「と、悪い。びっくりさせちゃったか? 強く握り過ぎたかな?」
「……大丈夫です」
 そう答える霞に武は微笑み、夕呼の執務室に誰か入ってくる気配を感じた。
「夕呼先生も戻ってきたみたいだ……じゃあ行くよ」
 そう言うと霞は小さな声で言う。
「バイバイ」

 夕呼の執務室に入ると夕呼が自分のデスクに座ろうとしているところだった。
「夕呼先生」
「ん? あら、珍しい。どうしたの?」
 振り向いて武を確認した夕呼が首を傾げた。その視線は武の背後に向けられていることに気付き、背後を振り向く。そこにはさっきバイバイといったばかりの霞がいた。
「社、こっちへいらっしゃい」
 夕呼が常の彼女らしくもなく優しい声で霞を呼ぶ。とてとてと霞は夕呼のそばに駆け寄った。
「どうしたの?」
「………………」
 ぼそぼそと夕呼に耳打ちする霞。その光景は仲の良い母娘が内緒話をしているような微笑ましさを感じさせるが、夕呼の視線が武に釘付けになっている現状、その穏やかな空気をぶち壊す程度の嫌な予感を感じさせる。
「ふうん、そう。わかったわ。ありがとう社」
「何がわかったんですか?」
 ダメ元で聞いてみるが、やっぱり駄目だった。
「前にも言ったでしょ? 言えないことはいっぱいあるのよ」
 言ったか? と武は首を捻りたくなるが、言われた気もする。
「でも目の前でひそひそ話されたら気になりますよ」
「あら、別にあんたのこと話してるって決まったわけじゃないでしょう?」
 絶対嘘だ、と思ったが武は溜息を吐いて気持ちを切り替える。夕呼のペースに流されると碌なことにならない。これは全次元世界共通だった。
「で、何の用ですか?」
「……用?」
 なんだったかしら? と首を傾げる夕呼に武は軽い頭痛を覚えながら繰り返す。
「夕呼先生が何か用があるって言うから俺はここに来たんですけど」
「ああ、そう言えばそうだったわね……」
 本気で忘れていたらしい。
「改めて聞きたいんだけど。本当にあの二人を白銀は知らないのよね?」
「はい。あ~でも」
「何? 何でも良いから気付いたことは言いなさい」
 と、夕呼が促し、武は意を決していう。
「あの人――アールクト少佐の声がどこかで聞いたことがあるような気がして……」
「声?」
「はい」
 その言葉に夕呼は考え込むようなしぐさを見せるが、すぐに頭をあげる。
「それだけじゃどうしようもないわね。他には?」
「……すいません。特にはないと思います」
「そう……」
 そこで武は前から気になっていたことを質問する。
「先生もあの二人がどういう人なのか知らないんですか?」
「あっちのチビッ子の方は知ってるわよ? 問題はあっちの少佐の方」
「少佐? 別に普通だと思いましたけど……」
 むしろあの少女の方がここでは異端だと武は思う。
「あの少佐はちょっと変なのよ。まあ詳しくは言えないんだけどね」
「変?」
「特に経歴。ある日突然大尉として現れて少佐になった。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊長としてね」
 確かに変だ。極秘部隊とはいえそれまでの経歴がどこかにあるはずだ。
「そして極めつけはその前任者。誰だと思う?」
「誰なんですか?」
 鸚鵡返しに聞くと夕呼がつまらなそうな表情をする。
「ちょっと。少しくらいは考えないとつまらないじゃない」
「う……すいません。でも軍人なんて全然知らないので……」
「まあそうね。でもこの名前は知らないはずがないわ」
 という夕呼。そんなに有名な人間なのかと思うと夕呼がその人物の名を言う。
「白銀武。……あんたと同姓同名よ」
「!」
 その言葉に衝撃を受け、一瞬の自失の後、武は即質問する。
「そ、それってこの世界の俺がってことですか!?」
「……恐らく違うわ。いくらなんでも一年で大尉までなるなんて異常過ぎるし、年齢も合わないわ」
「……それじゃあ、その白銀武は……?」
「わからないわね。……ちなみに前の世界ではどうだったの」
「俺はBETAの本州侵攻の時に死んだ。そう言われました」
 国連軍に名前があるなんて聞いた覚えはない。
「正直あたしも驚いたけど……でも調べる方法が無い」
「夕呼先生ならどうにかできるんじゃないですか?」
「残念なことにあたしとほぼ同等の権力をもった奴が妨害してるのよ」
「同等の権力?」
 オルタネイティヴ4責任者の夕呼と同じくらいの権限というと――。
「ミリア=グレイ。あいつがこのデータへのアクセスを拒否している」
「あの子がですか?」
「白銀。あんたがあいつをどういう風に見てるか知らないけど。あいつは純粋無垢なお嬢様なんかじゃないわ。むしろ逆。ひょっとしたらあたし以上に世界の黒い場所を見てきている」
 そう言った時の夕呼の顔は忌々しげに歪んでおり、彼女が夕呼にとって厄介な存在だと言っていた。
「っていうかそこまであからさまだと見られたくないものがあります。って言ってるようなものですよね」
「それが余計に腹立たしいのよ。向こうの狙い通りに踊らされてる気がして」
 そう言って椅子に深く腰掛ける。
「あたしの用はおしまいよ」
 だから帰って良いわ、といった夕呼の言葉を遮るように武は口を動かす。
「先生。聞きたいことがあるんですけど」
「聞きたいこと? 言ってみなさい」
 と促されるが霞がいると聞きづらいな……と思う。
「……………………」
 ウサギ耳をぴょこぴょこ動かし、霞は元いた部屋に戻ろうとする。
「あら、もう帰るの?」
 こくりと無言で頷き、霞は退室した。
「……何、霞がいると話辛いことだったの?」
「ええ、まあ」
「ふ~ん? それで?」
「はい、実は……」

 夕呼の執務室にいたはずのミリアがいないことに気付き、アールクトは彼女を探していた。
「……全く。ここはフロリダ基地ほど安全が確保されているわけでは無いのにな」
 セキュリティの観点では同等だろうが、ここの場合米国人というだけでトラブルの原因となる可能性がある。それゆえに保険としてアールクトが護衛に就いていたのだが……。
「護衛対象が雲隠れしてどうする……」
 ぼやきながら一番可能性が高そうなミリアの執務室になった部屋に入る。まだ届いた荷物はほとんど整理されていない。山積みになった段ボールに空っぽの書棚。きっとこれも自分がやらされるのだろうと思い、若干憂鬱な気分になるのを抑えられなかった。
「ミリア」
「アールクトか。……そう言えば忘れてた」
 忘れるなよ、と深々と溜息を吐く。もう何か言う気にもならない。
「で、今度は何を思いついたんだ?」
 ミリアがこうなるという事は概ね何か考え付いた時だろう。と予想を立てたが、この様子から言ってまず間違いないだろうとアールクトは確信に近いものを抱く。
「……第四世代戦術機について少し、ね」
 目下のミリアの課題。それについての未来情報を得たとは言え、そのほとんどがブラックボックスだった。第三世代とどう違うのか、残念ながらそれを詳しく知るミリア=グレイはどの並列世界にも存在しないらしい。そのため、実質オリジナルの設計になっていたわけだが。
「ああ、結構難航してたからな……何か良い案でも出たのか?」
「出た、というか出して貰ったというのが正しいね。本当に、世の中何が発想のきっかけになるかわからんね」
 出してもらった、という事はタイミング的に白銀武か、と考える。本人にとっては本気でどうでもいい事を言ったのだろうが、それをこういう風にアイデアに変換する。――と、言うより自分の中にある知識をアイデアと結びつけるのは流石だと言える。
 ミリアは忙しそうに各部署に指示を出す。第四世代機は夕呼も開発に同意しており、オルタネイティヴ4のスタッフも使えることから開発は更に加速するだろう。何しろ世界最高の人材が揃っているのだから。その点ミリアは、というより予備計画は確かに豊富な人材だったが、こちらには劣る。
「それから、あれも改良した。近いうちにうちかA-01でテストする」
「早いな」
「XG-70の主要スタッフがいたからね」
 とミリアが苦笑する。自分が引き抜こうとしたときは下っ端しか送ってこなかったくせに、とでも思っているのかもしれない。
「……佐渡島の間引き作戦か、あるいは九州戦線か」
「流石に11月11日にいきなり試すのは良くない。その一週間前くらいにやれたら、と思ってるんだがね」
 そう言いながら足をぷらぷらさせるミリア。アールクトの脛を蹴っているが本人は無意識らしく、彼は自分から安全圏へと退避する。
「妥当だな。夕呼先生には?」
「Ms.香月には言っておいた。第一中隊を動かすと」
 その折衝をするためにさっき夕呼は執務室にいなかったのだが、ここではどうでも良い話である。
「今週中にはXM3も完成する。そうなったらオルタネイティヴ計画第1戦術戦闘攻撃部隊への教導も始まるからね」
「やっとか……」
 ようやく思い描いていた物が手元に来る。
「確かにあのCPUは素晴らしいね。あれで彼女にとっては失敗作など……悪い冗談かと思ったよ」
 楽しそうに笑うミリア。きっと傍から見れば自分も同じことをしているのだとわかって笑うのだろう。
「こちらの隊の機体も順次XM3に換装していく。その際のスケジュールだが、ギルバートに渡しておいたが構わないかね?」
「ああ、そういう細かい調整はあいつの方がうまくやってくれる」
 そういうとミリアがジト眼を向けてくる。「うまくやるというよりもお前がダメすぎるだけだろ」と。
「……じゃあ俺は訓練の方にでも行ってくる……」
「そうしたまえ。部隊長が訓練にあまり顔を出さないようでは問題だろう」
 全体的に不利になった気がしてアールクトはそそくさとミリアの執務室から出ていく。訓練に行くと言った以上は行くべきだろうと思いそのままオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊に与えられたシミュレーターデッキに向かう。
「……偶には扱いてやるか」
 この瞬間、本日のオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊は疲労困憊になることが決定した。

(結局オルタネイティヴ4がどういうものかは教えてもらえなかった)
 自室のベッドに寝転がりながら、武はそう考える。
(前の世界と違う行動をとれば俺が持ってる未来の情報は役に立たなくなる、か……そこまで考えて無かったからな。これからは慎重に動かないと)
 と、言っても既に武の記憶とは大分変っているし、この訓練校の中での出来事など世界にとっては些細な変化でしかないと夕呼は言う。
「あ~もう!」
 うだうだ考えていても仕方がない、とベッドから跳ね起きグラウンドへ向かう。少し体を動かせばこのもやもやした気分も晴れるだろうと少し期待して。そしてそこには先客がいた。
「ん? そなたは……」
「めい……っと御剣か」
 タオルで汗を拭いている御剣冥夜がそこにいた。
「今そなた名前で呼ぼうとしたのか?」
「いや、つい、な。それよりも自主訓練か? 頑張ってんだな」
「一応日課でな……月並みだが、私にも護りたい物があるのだ」
 その言葉は武に前の世界の記憶が呼び起こさせる。確かこんな会話をした記憶がある、と。
「そうか。それが何か聞いても良いか?」
「この星、この国の民、そして日本という国だ」
 ああ、どの世界でもこいつは変わらない。武はそう思う。きっと冥夜だけじゃなくて他のみんなも心に秘めてる物は変わらないのだろう。
「そなたには無いのか?」
「ん? ああ。あるよ」
 空に浮かぶ月。BETAの完全支配下にありながらもそれは変わることなく美しい。それを見上げながら武は己が決意を口にする。
「地球と、全人類だ」
 唖然としている冥夜を見て付け加える。
「張り合った訳じゃないぞ? 念のため」
「誰もそんなことは言っておらん。……なるほどな。そなたが特別といわれる理由が少しわかった気がした」
 冥夜が納得した表情で言葉続ける。
「そなたは日ごろか自己鍛錬を積んでいるようだが、それもその護りたい物のためか?」
「ああ、目的があれば人は努力できる、だな」
「ふむ……いい言葉だ」
「もともとは御剣の言葉なんだけどな」
「何?」
 やば、と感じる。ついつい調子に乗って口が滑った、と思い何か誤魔化そうと思ったら物陰から音が聞こえる。
「静かに、御剣」
「……突然どうしたのだ?」
 唐突に言われてすぐにそれを実行できる冥夜に軽い尊敬の念を抱きながら、武は物音が聞こえた一角を指差す。
「あっちの方。何か物音が聞こえないか?」
「……聞こえるな。しかしなぜあんなところで?」
 わざわざ隠れて何かをしている……怪しさを感じるシチュエーションだった。
「ところで白銀。この音……何か連想させないか?」
「連想……?」
 武は耳を澄ませてその音を良く聞く。すると確かにどこかで聞く音だった。
「これは……何かを振ってる音?」
「それも太刀やそれに準ずるものを振っている、な」
 つまりこの音の主はそう言ったものの鍛練をしているらしい。
「どんな奴が訓練してるのか興味があるな」
「やめとけ置くがよい。わざわざ隠れて鍛錬をしておられるのだ。それ相応の理由があるのであろう」
「それもそうだな。……俺はこれから走るけどお前は?」
 その冥夜の言葉に納得する。と、言うより他人に構っていられるほど今の武は余裕があるわけではない。
「私は今日の日課分は走ったのでな」
「そうか。じゃあまた明日な」
「うん」
 そう言って去っていく。それを見て武は準備運動をし、ランニングを始める。その時物影のところにいた人物がちらりと見えた。長い銀髪の、恐らく女性と思われる体躯。
(……あんな人この基地にいたっけ? やっぱりこれも前の世界との違いなのか?)
 グラウンドを一周した時にはもう姿が見えなかった。
「幽霊とかそういうのじゃないよな……?」
 ランニングで体が暖まってるはずなのに背筋に冷たい汗が伝う武であった。

「ん? どうした。シオン。何で訓練校か出てきたんだ?」
「あ、アールクト少佐! そ、その正規兵のグラウンドと間違えて訓練兵のグラウンドで鍛錬していまして。訓練兵から奇異の目で見られていることに気付き、退散したのです」
「訓練校、ね……わざわざ確認しに行ったのか?」
 と、アールクトがカマをかけると当たりだったらしい。若干うろたえるシオンに苦笑と共に声をかける。
「別に構わないが……くれぐれも余計な事は言うなよ? 香月副司令のお気に入りだ。下手なことをすると火傷しかねん」
「分かってます。にしても本当によく似ています……あの訓練兵」
 シオンが感慨深げに言う。誰と誰がと言うのはこの二人、と言うよりもこの部隊には言うまでもない。
「親族だから当然と言えば当然なのだろうな。さて、そろそろ持ち込んだ機材も稼働状態になっているだろう。中隊ごとにシミュレーター演習を行うぞ」
「はっ」



[12234] 【第二部】第三話 九州戦線
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/11/12 19:19
2001年10月31日
 武が横浜基地に再び来て一週間が過ぎた。部隊の面々とも名前で呼んだり呼ばれたり(例によって呼ばせ方指定付き)新たな生活にも慣れた。そんな頃。
 その日、武は遭遇した。
 何に、と言えば鎧衣美琴にと答える。
「みんな、久しぶり! あと知らない人、はじめまして!」
 と、言う相変わらずと言えば相変わらずな挨拶。武としては初対面ならもう少ししっかりした挨拶をしようぜ、と言いたい気分ではあったが。
「何かさあ、うちの部隊に凄い新人が入ったんだって~」
 なぜ余所のことを話しているような言い方なのかは疑問だが、武を除いた全員が武を指差す。
「ええ、君がそうなの!?」
 気付けよ。全員が心の中でそう突っ込んだ。
「で、美琴は病室で自習してたんだ?」
「うん。神宮司教官がこんな分厚いのを持ってきてね。『座学の内容が変更になったからここに書いてあることを予習しておけ』って言って置いてったんだ~。でもカリキュラム変更ってどういうことかな?」
 その美琴の疑問に千鶴が答える。
「何でも米国の国連基地で考案した新カリキュラムらしいわ。従来のものに比べて成果が上がったからあちこちの国連軍基地で試しているらしいけど」
「訓練兵の段階でBETAの詳細が明かされたのには驚いたな」
 その冥夜の言葉に壬姫と慧も同意する。
「ああ~あれね! 何かグロテスクで気持ち悪かったよね~」
 と彼女は言うが、その口調はあっけらかんとしており、本当に気持ち悪かったのか? と疑問になる。
「まあこれで鎧衣も戻ったことだし……少佐は揃い次第衛士適正テストをやるって言ってたわよね?」
 千鶴が確認するように発したその言葉に武が頷く。
「ああ。でも少佐今日からしばらく基地から離れるって言ってたよな?」
 何かの任務だろうとは思うが、彼らにそれを聞く権利はない。武はこういう些細なところで階級の必要性を痛感させられていた。
(一日でも早く任官してオルタネイティヴ4を支援する任務に就く――そのためにこのカリキュラムが有効ならいくらでもやってやるさ)


 翌日。
 九州防衛ライン。
 甲十六号――重慶ハイヴから来るBETAを迎え撃つための重要防衛ライン。荒野と化した西日本でも唯一と言っていい人が存在する場所とも言える。ここが突破された場合、帝都が危機にさらされる可能性が高いため、新潟の防衛ラインと同等かそれ以上に戦力が配備されている。
 その前線基地の一つ。その日は異様な緊張感に包まれていた。太平洋方面を経由してきた輸送艦。そこにいる人員が問題だった。
「……こうもあからさまだとため息が出ますね」
「ぼやくな。中尉。この程度は想定の範囲内だ」
 じろじろと無遠慮な視線に晒される中、堂々と肩で風を切って歩くのは国連軍少佐、アールクト=S=グレイ。そしてその後を続くのは第一中隊副隊長の中尉である。彼らの向かう先は司令部。しばらくこの基地に逗留することになった挨拶をしようと歩を進めていた。
「まあ僕らは日系、あるいは日本人ってことで多少はマシそうですけど……他のみんなが心配ですね」
 柔和そうな笑みを浮かべながらも、声音には心配の色が混じっている。それもそうだろう、とアールクトは共感に近いものを覚える。
「そこは彼らの理性に期待しよう。ここで私たちがどうこう言っても始まらないことだ」
 そうは言っているがアールクトも心配だった。部隊の中には年頃の少女もいる。前線でそんな彼女たちへの配慮を期待する方が間違っているが、米国人、国連軍ということで嫌がらせ――それで済めばまだ良いが、それ以上――になった時のことを考えると若干沈鬱な気分にさせられる。
「そうですね。向こうには副隊長もいてくれてますし、滅多な事は起こらないでしょう」
「部隊員には知らない相手についていくなと言っておかないとな」
 その冗談交じりの言葉に彼が冗談で返す。
「飴をあげると言われても釣られちゃダメですよって言うのも言わないと」
「くっくく、違い無い。うちの部隊には飴一つで投げ売りするような安い奴はいないからな」
 笑いながら司令室に辿りつく。
「さて、ここは俺達の流儀で行くか、横浜の流儀で行くか」
「まああの人の真似しても真似できないでしょうから僕ららしく行きましょう」
「お前ならそう言うと思ったよ。……さて、行くか」
 クツクツと笑いをこぼし一瞬で表情を引き締める。滞在期間は短いとは言え、わざわざ部隊員に不快な思いをさせることはないだろう。
「ええ、行きましょう」
 柔和な笑みを引っ込めて、軍人らしい顔つきになる中尉。そうして二人は司令室に足を踏み入れた。

「国連軍太平洋方面第11軍、横浜基地所属、アールクト=S=グレイ少佐であります」
 敬礼に貫禄を感じさせる返礼を返すのはそれなりの年の男。だがその肉体は衰えを感じさせず、未だ最前線に出れるということを示すかのように鍛え上げられていた。
「帝国軍准将、加藤義盛だ」
 返礼を下げたのを確認し、アールクトも手を下げる。
「遠路はるばるご苦労だったな、少佐、中尉。当基地は――まあ何だ。最前線ということで荒くれどもも多いが、上手くやってくれ。正直俺じゃあどうしようもない」
 言おうとしていたことを先に言われてしまった。しかもどうしようもない――実際基地司令という立場では末端まで管理するのは難しいのだろう――とまで言われてはアールクトからはその件について追及できない。仕方ないので別方面の要求だけをすることにする。
「こちらでテストする予定の新型兵器――それらは現地の部隊員には見せませんし、触らせません。構いませんね?」
 許可を取るというよりも確認。当然の話だがたまにそれが分かっていないおめでたい人間がいるが故の確認だった。
「構わん。下っ端どもはどうだか知らんが、それなりの階級になるとわざわざ横浜に関わりたいとは思わないからな」
 正直お前らが来るのも命令じゃなければ断りたいくらいだ、と笑いながら言う。
「……なお、こちらが試験日程のスケジュールです。BETAの侵攻によって変動しますが」
「ふん……。因果な話だよな。あのクソ虫どもをぶち殺すために新しい兵器を作って、新しい兵器を試すにはあのクソ虫どもが来なくちゃいけない。だがクソ虫どもには来て欲しくない」
「世の中、そう言って歪んだ形で回っている物が多いと思います、准将」
 アールクトが僅かに本音を滲ませてそう言うと加藤准将は大口を開けて笑う。
「違いない! ではそちらの件は了解した。部隊には第三十番格納庫が割り当てられている。大隊も収容可能な当基地で最大の格納庫だ。わざわざ空けてやったんだから感謝しろ」
「はっ、ありがとうございます」
「それと、俺は国で人を見る気はないが、そう言うやつもいる。気をつけな」
「ご忠告感謝します」
「では行って良い。長旅の後だ。疲れをとってこれからに備えろ」
 そう言うのは彼なりの気遣いか、何にせよその申し出は彼らにとってありがたいことだった。
「それでは失礼します」

 退室して早々中尉が溜息を吐く。
「どうした?」
「いや、いつ少佐が殴りかかったりするかとひやひやしてました」
「……お前はどんな風に俺を見てるんだ」
「まあ冗談はさておき、悪くない人間でしたね」
 と彼がストレートすぎる感想――しかも上から目線――を口にする。それにアールクトも頷く。
「叩き上げ、って感じだったな」
「ああ言う人ばっかりなら楽で良いですけどね~」
「全くだ。それなら人類はもっと楽にBETAを倒せているだろうよ」
 皮肉気に唇を吊り上げてアールクトが呟く。そもそもの喀什にBETAの着陸ユニットが落着したときだって国連が介入していればもっと早くに――つまり光線属種が出てくる前に決着が付いたかもしれない。そうなったらあとは落ちてくる着陸ユニットを迎撃して、緊張感を孕みながらもこんな世界にはならなかっただろう。ここでもしもの話をしても仕方のないことだが。
「で、来ると思います?」
 主語を省いた会話だがこれで二人には通じる。現在来るかどうかと言われたら一つしかない。
「来るだろうな。何しろ極上の餌が二つもある」
「G元素がBETAを引き寄せるって奴ですか。どうでもいいんですけどBETAはどうやってG元素を見つけるんでしょうね」
「さあ……? 案外奴らにしかわからない匂いでも出てるんじゃないのか?」
「……ありそうでいやですね」
 そう小声で雑談を交わしながら非友好的な視線の中を歩く。
「…………この中に米国の息がかかった奴はいるかな?」
「…………わかりませんね。クーデターに潜り込ませるためにいるかもしれません」
 今のところ殺気は感じられない。単に気に入らないとかそういう感情だけだが、アールクトも生身での対人戦闘の経験は少ない。殺気を消せる――そんなやつが居るのか若干疑問だったりもする――ような奴がいた場合、アールクトでは対処しきれない可能性がある。
「…………一人での行動は自粛したほうがよさそうだ」
「っていうか少佐。少佐は少佐だということを自覚したほうがいいと思います」
 微妙に分かりづらい文章だが、自分の階級を少しは意識しろよ、と言いたいという事はアールクトにも伝わってきた。
「まあ善処してみる」
「尽力してください」
 その答えに苦笑しながらアールクトの意識は横浜基地へと向かう。
(あいつらちゃんとやってるかな?)

 同時刻、横浜基地。
 戦車級が戦術機に貼りつく。その強靭な顎が装甲をかみ砕く。眼前に映る醜悪な、赤い口。硫黄の臭いすら感じる気がする。それは中にいる衛士をもかみ砕き、人をただの肉の塊に変える。
 光線級がこちらを捉える。その眼から発せられる光線。光の速さで到達するそれを避けることなどかなわず、そのまま衛士ごと管制ブロックを焼き尽くす。
 要撃級が腕を振り下ろす。その杭のような腕が装甲を突き破り、戦術機の胸を貫通する。
 突撃級がその速度のままこちらに激突する。機体が激しくゆがみ、そのフレームに衛士が押し潰され、圧死する。
 要塞級の触覚が襲う。その先端から発せられた溶解液が生きたまま体を溶かし尽くす。

 それを一時間近く、シミュレーターの中で延々と場面を変えて見せられ続けてきた。戦場での最後。誰が考案したのか、強化装備に細工がしてあり、映像の衛士の死の瞬間に痛みが走るようになっている。
 まりもはこれはやり過ぎだとアールクトに進言した。こんなことをしたら訓練兵が使い物にならなくなると。しかし彼はそんなまりもにこう言い切る。
『この程度で使い物にならなくなる程度なら最初から使い物にならん。戦場に出ても足を引っ張って死ぬだけだ。他の人間も巻き添えにしてな』
 その言葉にまりもは反論できなかった。確かにこれで駄目なら戦場でもダメだろう。そしてその時いるのはその本人だけではない。それはまりもにも分かっている。だが、自分の教え子にこの過酷な試練を与えるのは狂犬と呼ばれた彼女ですら躊躇するものがあった。
『私の勘だが、あの訓練小隊なら一人を除いて大丈夫だ』
 と、アールクトは自信ありげに言っていた。事実、とまりもは手元のバイタルデータを見る。ほとんど全員が最初は恐慌状態に陥ったが、今では戦場に出ている兵特有の興奮状態になっている。事前に知っていたというのも大きいのだろう、とまりもは推測する。問題は――。
『はっ……はっ……はっ……』
 白銀武。座学は新カリキュラムのため、他のものとさほど差が見られなかったが、実技に関してはどれも抜群。元衛士のまりもが気付かなかったようなことまで気付くなどただの体力馬鹿という訳でもない。優秀な訓練兵。だが座学の時間に気絶するなど同じ部隊員からは優秀だがちょっと臆病と親しみを持たれているらしく、この短時間で信頼関係を築けている。退院したばかりの美琴とも他のものと同じような関係を築けているらしい。それはきっと本人の人徳だろうとまりもは思っている。
 その彼だが、最初は他のものと同じく――むしろ若干ひどかった――恐慌状態に陥っていたが、今はそれも収まっている。だが代わりに他の隊員とは違い戦場の興奮では無く、パニックに近い興奮になっている。
 限界か? まりもはそう思う。アールクトはこのラインまで言ったら止めろと言っていたが、今の武はそのラインすれすれの状態だった。
 だが本人は、武の眼は死んでいない。恐怖に負けそうな心を必死で鼓舞してギリギリのところで踏みとどまっている。まりもにはその原動力はわからない。彼が何を心に秘めて戦っているのかはわからない。だが、兵役にも就いていないのにあの能力。何かの目的を持って己を鍛えてきたことはわかる。それゆえにまりもに判断を躊躇わせる。限界に近い彼をこれ以上無理させていいものかどうかと。
 しかしそのためらいは長くは続かなかった。全シミュレーターが停止する。――テストが終わったのだ。
 全員青白い顔をしている。仕方ない、とまりもは思う。自分の初陣前に同じものを見せられたら彼女たちのように自分の足で立っていられるかどうか疑問だった。そして最後の一人、白銀武がシミュレーターから降りてくる。その眼を一人一人みて、まりもは声を張り上げた。
「良くやった! 貴様らは全員、衛士適正テストをパスした!」
 その言葉にわずかに喜びの表情をのぞかせるが、それだけ。精神的にも疲れ切っていて、喜ぶこともままならないのだろう、とまりもは思う。
「では、少佐からの伝言を伝える『さて、これを聞いているという事は貴様たちは衛士適正テストをクリアしたということだ。まずは御苦労さまだったと言わせて貰おう』」
 その言葉に武がぐっと顔をあげる。前々からまりもは思っていたが、どうも彼は少佐に何かしらの対抗意識を抱いているらしい。御苦労さま、と言われたら疲れて無いとポーズをとる根性は褒めてやってもいいと思うが、伝言でここまでむきになるのも考えものだと思った。
「『今回の衛士適正テストに始まり、新カリキュラムの目的は衛士を育てることだ。今までと何が違うのかと思っただろう? これまでのカリキュラムは――衛士というよりも戦術機乗りを育てるカリキュラムだったと俺は思っている。では衛士とは何だ?』」
 その問いかけに全員が考える。それぞれの中にある衛士観。それを考えているのだろう。
「『衛士は戦術機を駆る者ではあるが、戦術機を駆る者全てが衛士では無い。人類を守るためその身を捧げる覚悟をしたもの。人類の敵を前に己が体を差し出せる覚悟があるものが衛士だと私は思っている。故に、貴様たちには疑似的にではあるがBETAの前に立って貰った。辛かったか? 怖かったか? それで良い。それを感じない奴は人間として何か欠けている。パニックになったか? もしもそれが実戦だったらどうなる? パニックになった間BETAは行儀よく待っていてくれるのか? 答えは否。戦場でパニックになれば死ぬ。自分だけでなく、周りも巻き込む』」
 全員が自分のパニック振りを思い出しているのだろう。恥じるような表情になる。しかしそれも次の言葉で吹き飛ぶ。
「『だが、貴様たちは今パニックになったことで、この試練を乗り越えたことで一つ強くなった。実物を見ても、パニックになることはないだろう。私は初陣の時にパニックになり、恩師を死なせた。しかしこの試練を乗り越えた貴様たちなら大丈夫だ! 他の連中がパニックになっているのをフォローしてやるくらいのつもりで行け。貴様たちは初陣の衛士では無い。疑似的にではあるが死の八分を乗り越えた!』」
 死の八分。初陣衛士の平均生存時間。それを乗り越えたと聞いて全員がわずかだが自信をもったようにまりもには見えた。そして最後の言葉を言う。
「『この喜びを貴様たちと共に味わえないのは残念だが、良く頑張った。これで戦術機課程だ。おめでとう』以上だ。少佐も仰っていたが、良くやった。私からも保障してやろう。戦場に出てもパニックになるようなことは無い、と」
 ようやく、疲れが若干取れて来たのか、全員の表情が輝き始める。
「ではこれより医務室で精神外傷等になってないか検査する。全員着替えて医務室へ向かえ。ああ、今は敬礼は良い。……よくやったな。お前たち」
 最後に優しい言葉をかけられたのが引き金になったのか、ついに戦術機課程に進めたという感動が千鶴たちに涙を流させる。武以外は全員二回目。今回ダメだったら衛士への道は閉ざされることになっていたのだから感激もひとしおだろう。まりもは苦笑しながら言葉をかける。
「こらこら。めでたい日にそんな顔をするな。それにまだ終わったわけじゃないんだぞ?」
 と、言うが泣き笑いのような表情を浮かべるだけでなかなか動かない。仕方のない奴らだ、とまりもが苦笑を深めた。

 シミュレーターデッキに集められた武たち。いよいよ戦術機課程だと息込んでいたのもつかの間。今は全員がそわそわしていた。
 理由は単純。全面が透明な強化装備に冥夜たちは羞恥心の限界を試されていたからだ。先日の衛士適正テストの際はそれを感じる余裕すらなかった。そのため一日遅れでこんな風になっているというわけだ。武は既に慣れていたのだが、みんなが恥ずかしそうにしているのでなぜか自分まで恥ずかしくなってきた、というわけである。
「……お前ら。どうして訓練兵の強化装備がそうなっているか座学でやったな?」
「はっ……素材が安価であることと羞恥心をなくすためです」
 冥夜がそう答える。その手は胸元を隠したままだが。
「そうだ! 前線では男も女も関係ない! 全員が共同のふろやトイレ、部屋を使うんだぞ!?」

 そのころ九州前線のアールクト達。
「いや~。男女別で部屋使わせてくれて助かりますね。トイレやふろも部屋の使えますし」
「佐官用に個室まで用意してもらわなくてもよかったんだがな……まあお陰でゆっくり寝れたが」
「やっぱり香月副司令のパワーですかね?」
「……だろうな」

「そう言った環境に訓練兵のうちから耐性をつけておく。そのためのデザインだ」
 まりもはそう言うがアールクト達の現状を見てしまったら説得力が半減するのは間違いない。
「と、言う訳で私も気持ちはわかるが我慢しろ。そのうち慣れる」
 そう言って説明を始める。
「従来のカリキュラムならここで戦術機適性を測るのだが……実は先日の衛士適正テストですでに測ってある。よって今日からシミュレーター演習を開始する」
 そこでまりもは武を見た。
「では白銀。やってみろ」
「へ?」
 突然の指名に目を白黒させる武。
「……ゆ、香月副司令からの要請だ」
 その言葉で武は納得する。つまりここで実力を見せてみろ、ということだろう。
「なお、貴様たちは新型のOSを使用して訓練する。基本的な操縦は変わらんから安心しろ」
 と、言われて武はシミュレーターに乗り込む。
「新OSね……」
 いつぞやミリアと話したことを思い出す武。確かあれは来てすぐだから……一週間くらい前か? と考える。その時彼女も新OSと言っていたはずだと。
(機動に機体が悲鳴を上げるって言ってたよな? ってことはよっぽどアクロバティックな機動ができるってことか?)
 と考えながら架空空間に再現された機体を動かす。と、転んだ。
「んな!」
 その操縦感覚の違いに武は絶句する。最後に乗っていたのが撃震。そして今は吹雪のデータに加え新OS――ついに完成したXM3が搭載されている。その操縦感覚に大きすぎる誤差があったため、転倒を防げなかった。
『無理そうならやめるぞ、白銀』
「……いえ、大丈夫です。少し慣らしで動かして良いですか?」
『構わん。準備ができたら言え』
「はい」
 そう言って武は操縦に専念する。どうやらこのOSは即応性が半端なく高いらしい。だがそれだけじゃないはずだ。その程度で機体が悲鳴をあげるなんてありえない。
「さあ……やってやろうか」
 最初はゆっくりと。次第に感覚を掴み、前の世界でやったような三次元機動を使う。
(まだだ! まだこんなもんじゃないだろ!?)
 もっと早く、もっと柔軟に。
 そして気がつく。
「先行入力が効いてる? それにこれ……キャンセルみたいのもあるし。コンボは……まだ分からないな」
 まるでバルジャーノンだ、と感想を抱く。だが、このOSなら俺の機動はもっとすごいものができる……と武は確信する。
『そろそろ良いか? 白銀』
「はい、はじめて下さい」
『では特殊操縦演習Cを開始する』
「へ?」
 特殊操縦演習って……何だよそれ。と武は思う。基礎とか応用じゃなくていきなり特殊? と思っている間に風景が先ほどまで動作確認をしていた市街地から基地――横浜基地とは違い前線基地のような簡易的なものだ――に切り替わった。
『侵攻する敵BETA群を殲滅せよ』
「ちょ、まりもちゃん!?」
 思わず本人の前では言わないようにしていた呼び名が出てしまった。怒りのこもった声でまりもちゃん? と呟いたあと。
『死ぬ気でやれ。状況開始』
「ちょっと~!?」

 前線基地に迫るBETA群。敵先鋒は突撃級。その名にふさわしい速度で通り道にあるものを蹂躙し、その背後には残骸しか残さない。
 それを鷹は舞うようにかわす。地上を走る愚鈍な生き物に空を飛ぶ鷹を捕えることは不可能だと言わんばかりに。だが、空を舞う鷹を打ち抜くべく猟師が狙いを定め、その巨大な瞳から光線を放つ。それに貫かれ落ちる鷹――帝国軍の陽炎が一瞬で融解され、爆散した。
「グレイ1よりグレイズ各機! 気をつけろ。敵の、光線級の数が多い。XM3搭載機でも下手に飛べば落とされるぞ!」
『了解!』
 緊張の孕んだ声が唱和する。戦局データを見てアールクトは声を飛ばす。
「HQ! 第七区画に支援砲撃要請! 光線属種が多い。AL弾で頼む!」
『こちらHQ。了解。二分後に砲撃が届く』
 前方に地下からBETA群が現れる。それに舌打ちしながら配下の部隊に指示をする。
「A小隊! 右前方の突撃級14体を排除! B小隊! 俺に続け! 左方向の要撃級19体を狩る! C小隊はB小隊を援護!」
『グレイ3了解! さあみんな、B小隊よりも早く片付けるよ!』
『はい!』
『こちらグレイ2。C小隊各機中隊支援砲装備。B小隊の援護をする。友軍誤射を起こすなよ』
『了解!』
 グレイ3が温厚そうな、しかしきびきびした声で部下に指示を出し、グレイ2――副隊長であるが自分も含めて小隊に兵装変更の指示を出す。それを聞きながらアールクトも己の配下に命じる。
「全機抜刀! B小隊の名に懸けて他の小隊に負けるな!? 吶喊!」
 指揮官が先陣切って戦うのは部隊としては好ましくない。だが、これが彼らのスタイル。王――アールクトを守るべく配下は全力を尽くして敵を撃つ。太古の時代、王が最前線に立ち、十倍の敵を撃退したという話もある。それを考えると指揮官が前に出るというのは必ずしも否では無い。士気高揚の点では非常に効果がある。逆に落とされた時のリスクはでかいが、今のところそうなったことはない。
「さあ、殺せるものなら殺してみろ!」
 アールクトのYF-23が――PAV-2 グレイゴーストが甲高いエンジン音と共に先陣を切る。肩部兵装担架からXCIWS-3 試作近接戦闘長刀が抜き放たれる。滑走噴射しながらその勢いを殺さず、すれ違うように要撃級の脇を抜ける。その一瞬で要撃級の首と胴が切り離され、人類の敵から肉片へとその姿を変える。同時に他のF-15SE――更に改良を加え、兵装担架が肩部にも二つ増設された――が同様に長刀で要撃級を切り刻んでいく。その背後を狙うものは後方に控えたC小隊の中隊支援砲が、そこから放たれた57mm弾が一瞬で蜂の巣にし、攻撃を許さない。
『A小隊、掃討完了しました』
『C小隊、掃討完了』
「お疲れ。……順調だな」
 改修型のF-15SEは兵装担架を増設したことによる不都合は今のところ無い。むしろ兵装が増えて火力が上がった分、殲滅速度が速まっているくらいだ。
『しかしこう小規模侵攻ばかりだとコイツの出番がないですよ』
 そう言って指すのは今回の実戦テストに持ち出した大型砲。グレイ2とグレイ3のF-15SEに搭載されており、それによって機体の兵装担架の半分が埋められている。スペック通りの仕様ならそれだけの価値はあるとアールクトは思っているが。
「確かにこの小規模相手に撃っても大してデータを取ることはできないしな……」
 だからと言って大規模侵攻があって欲しいという訳でもなかったのだが、神は彼らの言葉を最も悪い形で実現してくれたらしい。
 地面が細かく揺れる。その揺れははじめは小さく、次第に無視できないほどに大きくなっていく。
「これは……!」
 何事かとCPに問い合わせようとした瞬間。
『HQより展開中の全部隊へ!』
 重慶ハイヴから来たと思われる師団規模のBETA群が海底を進行しているのを発見したという情報。一斉に立ち上がるウィンドウ。網膜に移されるデータが一瞬で真っ赤になる。それは即ち。
『コード991だと!?』
『そんな……』
 BETAの大規模侵攻を意味するものだった。

 コード991。それに自失したのも一瞬。すぐさまアールクトは声を張り上げる。
「CP! 上陸したBETAの数は!?」
『現時点で上陸したBETAの残数は約12000体。現在も上陸中』
 一瞬で通信回線が静まり返る。
「グレイ1よりCP。支援砲撃の撃墜率はどうか?」
『こちらCP。撃墜率は約二割。レーザー級は少数の模様』
 その報告と同時に上陸地点のデータが送られてくる。それを見てアールクトは眉を顰めた。
「CP。この情報は正確か?」
『三分前の確定情報です』
 基地と上陸地点の間に防衛線が三本しかない。しかも一本は支援車両によるもの。戦術機による防衛線はたったの二本。その内の一本は水際殲滅のための部隊で日帝お得意の近接格闘はこなせそうにない。しかもそこまで多数の部隊が存在しているわけではないのだからこのペースではそう長くは保てずに瓦解する。
「グレイ1よりCP。これよりグレイ中隊は簡単な補給を済ませた後、防衛線の援護に向かう。こちらが防衛線を持たせる間にもう一本防衛線を構築できないか?」
『こちらCP。HQに問い合わせる。補給は周囲にある補給コンテナを使用せよ』
「グレイ1。了解」
 通信を切って軽く溜息を吐く。新型兵装の実戦テストが大事になってきたと思いながら小隊長二人に回線を開く。

 荒れ果てた土地の空に吹雪が跳ぶ。着地予定地点に戦車級が群がる。それに舌打ちしながら彼の手は素早くレバーに操作を入力する。着地地点に群がっていた戦車級が36mmの嵐を喰らって肉片を撒き散らす。そこに一瞬だけ着地して、その肉片をさらに細かく磨り潰したのと同時、すぐさま跳躍して次の標的へと向かう。その最中に弾切れになった87式突撃砲を廃棄、ナイフシースから短刀を引き抜き噴射降下しながらその切っ先を要撃級の頭に叩き込む。
 その流れるような一連の動作。それに最も驚いているのは衛士――白銀武であった。
「すげえ、すげえよ!」
 思った通りの、頭の中でイメージしていたバルジャーノンの機動がほとんど再現できる。今武の頭を占めるのはそのことだけだった。誰が考えて作ったのかはどうでも良い。これならBETAが相手でも負けない……そう武に確信させるだけの動きだった。
 噴射跳躍から反転噴射降下でレーザー級の光線の射線から致命的損害を受ける前に退避する。想像以上の出来に口元に浮かぶ笑みを抑えきれない。
 レーザーのインターバル。その間12秒。その僅かな時間を見逃さずに水平噴射。そのまますれ違いざまにレーザー投射膜を切り裂き、攻撃能力を奪う。
 正面から来る突撃級。その相対速度は800km/hを超える。そんな高速の世界で武はほんの僅かな跳躍。そのまま上を通り過ぎながらも背部兵装担架の87式突撃砲で脆弱な突撃級の臀部を打ち抜く。
 縦横無尽に仮想空間を駆け巡る吹雪。そこに再現された900近いBETA群。その全てが30分で肉片へと姿を変えた。
 シミュレーターから降りると全員唖然とした顔で見ている。……当然と言えば当然の話。名目上は特別な事情がある訓練兵だ。特別が一体どういう意味なのかは置いておくにしても訓練兵だ。その訓練兵が正規兵顔負け、いやそれ以上の機動をする。驚かない方がおかしい。
(……やりすぎたか?)
「……香月副司令が白銀は戦術機の操縦に長けているはずだから乗せてみろと言っていたが……まさかこれほどとは」
 まりもは思案する。新OSの恩恵があったとしても、この機動は異常だ。一朝一夕で身につくものではない。ここまでの領域に至るには最低でも三年以上の鍛錬が必要だと考える。だが、白銀は徴兵経験はないと言っていた。書類の改竄があれば話は別だが、夕呼の眼をごまかすことは容易くない――その点に関してはまりもも全幅の信頼を置いている。通達ミスなどの雑事に関しては自分からどうにかしないとダメだろうと思ってもいるが。
「白銀、貴様には戦術機の操縦経験があるのか?」
「そんな、あるわけないですよ」
 だろうな、とまりもは頷く。そもそもそこまで完成されているならここに訓練兵として入る必要が全くない。天才、ということか。と考えてまりもは自分を納得させた。
「よし、下がって良いぞ。白銀。では他の者も順次シミュレーターに乗り込め」
 そう指示をだし、まりもは他の面々の教練に入る。その頭の片隅には白銀武の操縦技能に関することが燻っていたが。

『BETA群、なおも侵攻中!』
『第一防衛ライン、接敵。BETA排除率、21%』
『砲撃陣地より入電。これより北西方面のBETA群に飽和砲撃を開始する。以上です!』
『HQよりアルフレッド1へ。後退は認められない。繰り返す後退は認められない』
 指揮官権限でデータリンクに飛び交う情報を確認するアールクトの眉間に深いしわが刻まれる。奇襲に近い師団規模の侵攻。基地との距離。
 網膜投影で写された光景。大地が蠢いている。それは地面が見えなくなるほどの数の戦車級と併進する要撃級の群がそう錯覚させる。赤と白の絨毯。日本では紅白は祝い事の象徴だったが、戦場においては忌むべき配色だった。それが一斉に支援砲撃で消し飛ぶのは若干だが爽快感を感じさせる光景だったが。
(これだけの数の侵攻……記憶にないな)
 未来の情報を持つ身として、考えるが間違いなくこの時期にここでこんな侵攻は無かった。だからこそ、連隊規模、あるいは多くても旅団規模のBETAに対する例のブツのテストとF-15SEの近接格闘テストを行う予定でここに来たのだから。
(……未来が変わっている? だとしたら何故)
 今は考えても仕方のないことと頭を軽く振り思考を切り替える。既に上陸したBETA群は二万を超える。その数を殲滅するには余分な事を考えていては叶わない。
「グレイ1より中隊各機へ。補給が完了し次第、防衛線の補強を行う。連中は真っ直ぐ基地へと向かっており、このままでは多大な被害が出ると予想される。そして喜ばしいことに自由に動けるのは我々だけだ。……お前ら! あの忌々しい虫どもに思い知らせてやれ! ここが、この星が誰の物なのかをな!」
『了解!』

 第一防衛線、すなわち水際殲滅を試みる部隊――A-10J、凄鉄で構成された一個中隊とその直援の撃震一個中隊。その両肩にマウントされたジネラルエレクトロニクス社製36㎜ガトリングモーターキャノン、GAU-8 Avengerが上陸してくる戦車級を、要撃級を蹴散らす。36mmでは歯が立たない突撃級は仕方ないので第二防衛線に回す。彼らの任務で重要なのは敵の殲滅では無い。水際にいる際にはレーザーを撃たない光線級、その排除が最も重要だとここの中隊を率いる隊長は思っていた。光線級がいなければ第二防衛線にたどり着くまでの間の支援砲撃でかなり削ることができるのだから。
 両腕に保持した87式突撃砲も使って混戦になったら厄介な戦車級をまとめて薙ぎ払う。それでも突破する敵は出てくる。こちらは二十四、あちらは既にここを通りぬけた奴だけで万は軽く超えている。そしてその中には当然通り抜けるのではなく、こちらに向かってくるのもいる。
 一匹の戦車級が凄鉄に張り付いた。それは足をよじ登り、管制ブロックへ、その中にある獲物を喰らおうと進む。だがその道程が半ばにも行かぬうちにその赤い体躯は弾け飛び、肉片と体液を撒き散らしながら地面に叩きつけられる。その原因は凄鉄の膝から生えた四本のスパイク。一瞬で元に戻り、戦車級の死骸以外なんの違いも見せないそれはCIDS-Mk1 ジャベリン。対戦車級兵装として非常に優秀で重量以外に問題はない兵器である。それのお陰でこの圧倒的な物量の中、戦車級に取りつかれることなく凄鉄が戦闘を継続できる理由だった。
 だが、戦術機の中で最も鈍重で凄鉄のように戦車級に対する備えがあるわけではない撃震はそうもいかない。これが陽炎ならもう少しうまく立ち回れただろう。不知火ならもっと余裕を持てた。だが撃震。XM3を積んでいるわけでもないただの撃震である。それが戦車級に取りつかれるのを完全に防げるわけもなく、時間の経過とともに数を減らしていった。既に半数。
「おら、おめえら! 気合い入れてけ! ここが一体誰の土地か、あのクソ虫の体に叩き込んでやれ!」
 凄鉄の中隊長が己の部下を鼓舞する。だが、そう長くは持たないだろうと彼は思っていた。あくまで凄鉄の主兵装はGAU-8 Avenger。どんなに連射性能が高かろうと36mmである。周囲で大型種を陽動してくれている撃震部隊が全滅したら、撃震以上に鈍重な凄鉄は突撃級の突撃はもちろん、要撃級の一撃さえもまともに回避するのは厳しい。
(……ったく。弾薬はまだまだある……。最悪跳躍ユニットを暴走させての自爆攻撃でも何でもしてこいつらを道連れにしてやるさ)
 一瞬考えた全滅のビジョンを振り払うように彼は心の中で強がる。

 ――BETA上陸が止んだのは第一防衛線が瓦解してから十分経過した頃だった。

 第二防衛線。実質唯一と言っていいこの防衛線の主戦力は陽炎の三個中隊。第一防衛線の奮戦のお陰で、相手にするのは旋回能力の低い突撃級が主だ。
 だがしかし、それは同時に絶対に突撃級だけはここで倒さなければいけないということでもある。第三防衛線は戦車や支援車両による防衛線。
 そしてそれらには突撃級の突進を回避するすべがない。要撃級なら近づく前に倒せる。戦車級も12.7mmや35mmで蹴散らせる。だが突撃級の甲殻は120mm弾でも貫くのは容易ではなく、弱点の後ろに回り込むことも不可能だ。つまりなすすべなく踏みつぶされるしかない。
 そうさせないためにもこうして戦車よりは遥かに容易に背後をとれる戦術機が突撃級を中心に大型種を排除していく。それは順調。だが徐々に流入してくるBETAの数が増えているのに陽炎部隊を率いる隊長は気がついた。そして、ついにあれが現れる。
『じゅ、十一時の方向に要塞級……数、じゅ、十三!?』
 他と比べて前に出ていた陽炎の衛士が悲鳴のような声でそう報告する。その報告に思わず彼は舌打ちをする。既に戦闘開始からそれなりの数のBETAを相手にしている。最初は三十六機いた陽炎も既に二十台に突入している。弾薬も消耗した状態で十三体の要塞級を倒せるか……また同時に倒せてもその後の戦闘継続が可能かどうか……。S-11の使用も視野に入れなければいけないかもしれないと悲観的な意見が出たところでヘッドセットに声が響く。
『こちら国連軍太平洋方面第十一軍横浜基地所属戦術機甲中隊だ。要塞級はこちらで引き受ける。そちらは他の奴らを頼む!』
 レーダーにその機影は映っていない。それを訝しむ陽炎部隊の隊長は声を張り上げる。
「待て! 引き受けるというが、そちらは到着までどのくらいかかるのだ?」
『後0002――いや、もう着いた』
「何?」
 レーダーが至近距離の機影を確認する。網膜投影に映るそのフォルムは陽炎に似通いながらも若干の違いがある。全部で十一機。だが一つたりともレーダーにまともに映る機体は存在しない。対人戦闘も視野に入れたF-15のバリエーション機体。その姿に頼もしさを感じた。

「グレイ2、グレイ3! 99式を使う。全弾撃ち切って構わない。要塞級を中心に前方のBETA群の数を減らせ!」
『グレイ2、了解』
『グレイ3、了解しました』
 99式――試製99型電磁投射砲。世界初の実戦使用されたレールガンである。だがその構造等に様々な問題があり、未だに制式採用には至っていない装備である。今回のテストに使用されるこれは、横浜で更に改良を加えたもので、帝国軍からの委託としてテストするものであった。新兵器など彼らに取っては不安しかなかったが、この状況ではスペック上の性能にもすがりたい気持ちだった。
『冷却装置、問題ありません』
『弾薬供給システム。オールグリーン』
 甲高い充電音が鳴り響く。火薬式の火砲では決して発せられることのない音。そして。
「目標、前方BETA群、要塞級を照準とし、撃て!」
 その号令と共に二つの銃口から光が迸る。試製99型電磁投射砲はチェーンガン並の速度で120mm弾を吐きだし続ける。その強烈な反動をF-15SEはしっかりと受け止めている。XM3対応に合わせて間接各部を強化したことがプラスとなった。F-15では耐えきれずに主腕が破損していただろう反動を乗り越え、次々とBETAを駆逐していく。
 強靭な甲殻を持つ突撃級がなすすべもなく、120mmに蹂躙尽くされ、侵攻の勢いのまま滑り込む。要撃級がその貫通力に耐えきれずに血飛沫を上げながら倒れ伏す。小型な戦車級が肉片へと姿を変え、辺りを赤い絨毯のように染め上げる。巨大な要塞級が胴を撃ち抜かれ、なすすべもなく崩れ落ちる。圧倒的だった。その一方的な暴力はBETAたちを蹴散らし、蹂躙し、死を撒き散らす。

 無慈悲な虐殺。これまでBETAが行ってきたことを返すように人類はその群れを容赦なく殺し尽くす。

 あまりの熱に砲弾の一部がプラズマ化し、神々しさと禍々しさを同時に感じさせる閃光が戦場を彩る。

 そして試製99型電磁投射砲から放たれる砲火が止む。目の前の地平いっぱいに広がっていたBETA。それが今や地平線が見える状態になっていた。
『冷却開始します』
『弾数の約六割を消費』
 若干弾んだ声で試製99型電磁投射砲の砲身の冷却を開始を宣言し、その戦果に対して淡々とした声音でもう一人が残弾の報告をする。部隊員たちは若干興奮気味の声で今の戦果を期待している。
『CPよりグレイ中隊へ。現在の射撃での推定BETA撃破数は小型種含め計9000体を超えたと思われる』
 その言葉に周囲の部隊から歓声が上がる。たったの一瞬であの忌々しい敵がそれだけ吹き飛んだのだ。彼らとしては散々苦渋をなめさせられた相手がなすすべもなく蹴散らされたのに高揚しているのだろう。だが、その中でアールクトは一人冷静に――冷めているとさえ思える声音でCPに問いかける。
「こちらグレイ1。残数はどのくらいだ?」
 その言葉にCP将校が一瞬沈黙し、答えた。
『大型種残数約16000。尚も上陸中』
 浮かれていた空気が一瞬で冷える。BETAの第一陣の殲滅には完了したが、それも虎の子の試製99型電磁投射砲を使っての戦果。既に残弾は半分を切っており、今のような戦果は期待できない。師団規模のBETAと言えば七万強。つまり先ほどの砲撃で倒せたのは約八分の一。

 まだ、地獄は終わらない。

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11/12 一部修正
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[12234] 【第二部】第四話 齟齬
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/11/24 20:40
 灰色に塗装された巨人が空を舞う。光線級が支配する空。そんなことは知らないとばかりに跳躍。放たれる必中の矢。非常識な射程と非常識な精度を持つそれは更なる非常識によって目標を完全に貫く前に回避される。
 誰が考えようか。わざわざこのBETA大戦で空を飛ぶなど。空を飛べるなど。だがそれを可能にするのはミリア=グレイと香月夕呼が生みし世界最高のOS、XM3。そしてその性能を十全に引き出し機体を乗りこなすのはミリア=グレイの懐刀、アールクト=S=グレイ。
 彼の駆るYF-23が両手に保持したXAMWS-24 試作新概念突撃砲を迫る要撃級に向ける。撃たれる弾の数はきっちりその息の根を止めるのに必要な数のみ。多すぎることもなく、少なすぎることもない。
 隊長と言うポジションから考えれば兵装担架も含めて突撃砲が六つと言うのはおかしくない。だが彼は突撃前衛長も兼ねている。その彼が後衛装備なのはある一人の衛士との出会いがきっかけだった。その彼女は、同様に突撃前衛でありながら突撃砲四門の装備だった。それに疑問を覚えたアールクトは何故そんな奇妙な装備なのかを尋ねたところ、「無駄弾を撃たないなら継戦能力は長刀と変わらない。むしろ機体に無理な負荷を掛けさせない分、長刀使いよりも上だ」と断言した。事実彼女の戦闘ログを頼みこんで見せてもらったら機体への負担は長刀使いよりも軽く、理に適ったものだった。
 その日からアールクトは突撃砲兵としての道を歩み始めた。彼女の動きを自分の戦闘機動の中に組み込む。XAMWS-24 試作新概念突撃砲が銃剣だという利点を活かす運用法を構築する。それによって彼の課題だった機体への負担は大幅に軽減でき、彼自身の経験からBETAを確実に殺すには何発撃ちこめば良いかを判断できるようになった。
 ある種完成された戦術。――尤も、そのオリジナルである彼女は「真似するのは構わないがあっという間に自分のものにしてしかも更に昇華させるとはどういうつもりかしら!?」と怒られたのは余談である。

 そして今、彼はその技能を惜しげなく披露して迫りくるBETAを殲滅する。
 要撃級に36mmをばら撒く。その隙に這い寄る戦車級。一瞬きらめいたのはXAMWS-24 試作新概念突撃砲先端のXM-9 試作突撃砲装着型短刀。瞬きをしている間に群がっていた戦車級は醜い臓物と既存の生物ではなかなかお目にかかれない色の体液をばらまきながら活動を停止する。
 その見事とさえいえる一連の動き。剣術を極めた物の太刀筋が一種の芸術であるように、彼の演舞も芸術の域に達していた。
 それを見た帝国軍衛士が対抗するように叫ぶ。
『見事だ、国連の衛士! ならば我らもわれらの芸で応えよう!』
 そう言って抜刀するのは74式近接戦闘長刀。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊が運用するXCIWS-3 試作近接戦闘長刀とは違い、叩き切るのではなく斬る。切断ではなく斬断。その太刀筋は俄仕込みの剣術のグレイ中隊とは違い、芸術とまでは行かないが十二分に業と呼ぶにふさわしいものだった。

 再度迸る閃光。試製99型電磁投射砲から吐き出された無数の120mmがBETAを次々と無害な肉片へと変換していく。その速度は通常兵器とは比べ物にならない。そしてその光景を見て第二防衛線の衛士達は士気を上げる。
『第一防衛線が瓦解しました!』
『グレイ1へ! グレイ7がやられた! 左翼のカバーをっ!』
『HQより展開中の各機へ……現在別方面で展開していた富士教導隊がこちらに向かっている。到着まであと三十分』
 届けられるのは芳しくない報告ばかり。だがその中で唯一の朗報が届けられた。
『BETAの上陸が止みました! 残り10000!』
 一万体のBETA。既に切り札たる試製99型電磁投射砲は弾切れ。ほとんどの機体が損傷しており、どの部隊も欠員が出ている。グレイ中隊さえも一名食われた。
 これまでに倒した三万ものBETA。だがもはやこれまでと同じようにはいかない。支援砲撃も切れ切れになっており、そこまでの効果は期待できない。
「万事休す、か……」
 思わず呟く。第二防衛線の全戦力は陽炎九機にF-15SEが十機にYF-23が一機。数だけなら十分だがどの機体も補給はままならず、弾薬も推進剤も心もとない。こんな状況でどうにかするなど不可能に思えた。

 そのままの状況なら。

『こちら富士教導隊第三中隊。間もなくそちらに到着する』
「何?」
 アールクトは戦域マップに目をやるが友軍マーカーは存在していない。だがこの通信の主は間もなくと言っている。そもそも富士教導隊は後十分は必要なはず。どういうことだとアールクトが困惑していると。
『ふん……外国産などクソくらえと思っていたが、この機体はなかなか良いな。おかげで諸君らが全滅する前にたどり着けた』
 唐突に現れるマーカー。その数十二。これだけの距離にならないとレーダーに反応が無い帝国軍の機体。月虹。その単語が頭に浮かんだが現実はそれを否定する。
 目の前に降り立つのはアールクトがよく見慣れた機体。見慣れたどころか乗りなれた機体――YF-23だった。それがマーカー一つに一機。あり得るはずのない制式採用に至らなかった機体が十三機並ぶ姿は開発した者が見れば涙を流したかもしれない。
「な……?」
『ん? ベース機は既にスクラップだと聞いていたが……何だ。ちゃんと動いてるじゃないか』
 彼が部隊長なのかニカっと笑っている顔が通信ウィンドウに現れる。
「その機体は……」
『自己紹介は後だ。中隊ごとに交代で補給に入れ。数は高々一万。準備が整っていれば押し返せない数では無い』
 これで数は三十二。しかもそのうち十三はアールクト自身がよく知っている最高峰の機体だ。
「了解した。ではまずは第三守備中隊から入らせようと思うが」
『構わん。急げよ? こっちはまだまだ機体に振り回されてるからな。うっかりがあるかもしれん』
「奇遇だな。こっちも似たようなものだ」
 その言葉にお互いにやりとする。そして同時に叫ぶ。
『よし、楔壱型で突撃! 後ろの連中が安心して補給できるようにしてやれ!』
「グレイ1よりグレイズ各機! 鶴翼弐陣で展開! 富士教導隊を援護しろ!」
 一斉に動き出す二十三機もの米国製戦術機。
 それから約一時間。更に陽炎三機とF-15SE一機の犠牲を出しながらも第二防衛線と接敵したBETA群を殲滅。九州防衛ラインは突破されることなく、その侵攻を耐えきった。

「国連軍太平洋方面第11軍横浜基地所属部隊、特務戦術機甲大隊大隊長、アールクト=S=グレイ少佐だ」
「帝国軍富士教導隊第三中隊隊長の早坂飛燕少佐だ。横浜の部隊だったんだな」
 敬礼はせずに手を差し出してくる彼に若干戸惑いながらも握手をするアールクト。そして彼――飛燕がどことなく感慨深げにそう呟く。
「横浜に何か?」
「ああ、いや。実は俺横浜からの出向何だよ。そっかそっか。何時の間にか新しい人も入ってるんだな~。今から楽しみだ」
 うんうん。と頷く飛燕だがアールクトとしても驚いていた。横浜から富士教導隊に出向している人員がいるなど聞いていなかった。
(連絡ミスか……意図的な隠ぺいか……どっちにしても夕呼先生を問い詰める必要があるな)
 と、内心の考えを出さずに格納庫に格納された機体に目をやる。
「まさかYF-23が量産されてるとはな」
「何でも明星作戦の時に試作機を使った部隊が結構な戦果をあげたらしくてな。そのデータをひっさげてごり押しされたのと、その場にいた衛士からの要望で取りあえず一個中隊で実証テストを行う……って流れになったらしいぞ」
 その言葉に思わず顔をしかめる。明星作戦の時に戦果をあげた部隊と言うのに心当たりがあり過ぎた。
「ん? どうした?」
 それに気付かずに不思議そうな顔をしている飛燕。もしもこれが演技なら大したものだとアールクトは思う。
「ところで機体名は?」
「試00式戦術歩行戦闘機、阿修羅……兵装担架あわせりゃ六つあるからって安直過ぎだとは思うがね」
 そう笑うが、アールクトとしてはそこまで悪くないネーミングだと思っている。特に亡霊とか蜘蛛とかつけないだけましだと思った。
「まずはお礼を。貴官の部隊のお陰で我が部隊は全滅せずに済んだ」
「気にするな。俺たちはお前たち個人を助けようとしたわけじゃない。それに命令したのは上だ。礼ならそいつらに言った方がいいだろう」
 まあ礼を言われて悪い気はしないけどな、と快活に笑う姿にアールクトは好感を覚えた。
「で、俺からも聞きたいんだけど良いか? お前のとこの部隊でYF-23運用してるよな? もしかして明星作戦に参加していた部隊ってお前らか?」
「……私は参加していない。この部隊が参加していたかどうかは、機密事項だ」
 その言葉が真実。参加していないなら参加していないと答えれば良い。事実アールクト個人としてはそう答えたのだから。だからこれは遠まわしな肯定。それに気付いた飛燕が軽く頭を下げる。
「そこに俺もいた。ありがとう」
「さて、私には何のことか分かりかねるが……礼は受け取っておこう」
 その予定調和じみたやり取りにお互いに苦笑を浮かべる。

「にしてもあんたの戦い方は面白いな」
「元はヨーロッパの四丁拳銃の真似事だ」
 ああ、あいつか。と納得したという事は知りあいか何かなのだろうか。あるいはそこそこ名が知られているからそれで知ったのか判断はつかないが、取りあえずオリジナルを知っているようなので話を続ける。
「丁度その頃機体に負荷をかけ無い運用方法を模索しててな。彼女の動きを見て真似たのが始めだ」
「なるほどなあ。つっても簡単に真似できるような物じゃないだろ?」
「任官して三番目の部隊の同僚の射撃技能が凄まじくてな。彼女たちから色々と学ばせて貰っていたから下地はあったんだと思う」
 ふむふむ。と頷く飛燕にアールクトも質問を投げかける。
「ところで阿修羅の性能はどうなんだ? やはり日本仕様だからいろいろと調整されているのだろうが」
「ステルス性はオリジナルより少し下だな。メーカーは同じだって言ってたけどな」
「技術蓄積の問題もあるのかもしれないな……。日本ではステルスに対する造詣が浅いと思うのだが」
「違いない。だがこの銃剣型突撃砲は良いな。上でもこれのラインセンス生産を検討しているらしい」
 その言葉にアールクトは表情を緩ませる。
「それは良いニュースだ。何しろ量産されずに終わった機体だからな。補修部品を用意するのも一苦労何だよ」
「だろうな。っと、いかん。司令部に顔出さんと」
「引き止めてすまなかった。では、また縁があれば会おう」
「武運長久を祈る」
 互いに敬礼して別れる。飛燕は司令部へ。アールクトは部隊員の元へ。

「……ロイド=ヒルベルト中尉」
「はっ」
「……水城晶中尉」
「はっ」
 一人一人部隊員の名を呼びあげていく。そして七人目。
「……アリカ=ノーウェン少尉」
「……パトロール中です。少佐」
 沈鬱な面持ちで副官がそう告げる。サングラスをしたまま軽く目を閉じ、息を吐く。
「……ラルゴ=ローデン少尉」
「……パトロール中です。少佐」
 二人。フロリダ基地から苦楽を共にした戦友が二人逝った。未来の情報には無いイレギュラーによって。だが本来未来など分からないのが当たり前。いつの間にか未来がわかっているのが前提で動いていた自分がいることを自覚し悔いる。
 固定観念に囚われるなと偉そうに言っておきながら自分は未来に囚われている。
「まずは今回の戦闘ご苦労だった。諸君らの奮戦のお陰で損耗は、軽微だ」
 確かに被害としては奇跡的なほど少ない。奇襲に近い師団規模の侵攻。被害は戦術機四十六機。それだけ見れば大きいが、車両部隊は無傷であり、基地にも被害は出ていない。最悪基地の放棄すら視野に入れなければいけないような侵攻だったことを考えればやはり少ないといえる。
「各人しっかりと休息を取ってくれ……。こんなことしか言えなくて悪いな」
「敬礼!」
 その言葉で解散となる。佐官用に用意された部屋。そこに入ってアールクトは喪って来た部下の顔を思い浮かべる。もはや全てを思い出すにはかなりの時間を必要とする人数になってしまった。それは自分の采配ミスの時もあれば、向こうが命令を無視して死んだこともある。
 気持ちを切り替えるためにシャワーを頭から被る。
 図らずも99式はかなり過酷な耐久試験を行うことになった。今回のデータはかなり有益なものになるだろう。そして第一中隊のメンバーに死地を体験させられたのも長期的に見ればプラスだ。生き残った隊員は大規模作戦の時でも必要以上に気負わず、他の部隊を引っ張る役割を果たせるだろう。
 頭の中でメリットを上げていく。そしてデメリット。二人の人員と二機の戦術機の損失と比べた時、今回の作戦はどうだったか。
(……成功と言うべきかな)
 そう考えた自分に嫌悪感を感じる。恩師が言っていた。軍隊では人の命すらコストで測られると。そして今、自分はその言葉の通りに得た物とコストを比較して利があると判断した。その事は思ったよりも己にショックを与えた。
 思わず恩師の言葉に食ってかかった頃の自分に戻りたいと考えてしまったが、バカな考えと苦笑する。

 もうあの頃に戻るなんて不可能なんだから。

「おお、すげえ! もう搬入されたのか!」
 11月4日。横浜基地に97式戦術歩行高等練習機 吹雪が搬入された。その速度は異例と言うべきであり、武たちだけでなく教官であるまりもすらもこんなに早く来るとは――まりもの場合付け加えてこんなに早く戦術機課程に進むとは――思っていなかった。
(懐かしいな……)
 体感的には三年前に乗っていた機体だ。任官してからは撃震……。XM3を搭載された吹雪に乗って真っ先に思ったことは一度あれの乗り心地を覚えてしまった以上、第一世代機に乗ったら不満しか感じないかもしれない。と言うことだった。人によっては大袈裟だと笑うかもしれないが、武にとっては死活問題だった。何しろ彼の三次元起動は機体自体の機動力が高くないとその技量を十全に発揮できない。正直な話、吹雪にすら役不足だと感じているのだ。
「わ~凄いね。もう来たんだ~」
 美琴の声が後ろから聞こえたため武は振り返りながら挨拶する。
「よう、お前らも来たのか?」
「うん。ミキさんも一緒だよ」
「おはよう、たけるさん」
「おう、おはようタマ」
 挨拶もそこそこに視線は戦術機へ。
「こんなに近くでミキ初めて見ました」
「僕も僕も!」
 一回目の時は俺もっとテンションあがってたよな~と当時を思い出し苦笑する。――尤も時間軸的にはまだ未来の話なのだが。
「ちょっとあなたたち。騒がしいわよ」
「委員長たちも来たのか」
「うむ、吹雪が搬入されたと聞いていたのでな。見に来たのだ」
「榊は堅物。こういう時ぐらい騒がないと」
 だから何でそういう喧嘩売るようなことしか言わないのかな、こいつは。と武は思い、若干険悪な空気が流れかけたところで新たな人物の声が格納庫に響く。
「やれやれ……相変わらずだな、貴様たちは」
「――敬礼!」
 まりもが来たことで全員談笑を止め(まりもが来る直前は誰も笑える状況では無かったが)敬礼する。
「朝食は済ませたのか? 別に集合までは好きに見ていて構わないが」
 当然だが誰も済ませていない。何だかんだでみんな自分の乗機になる戦術機が搬入されるのが楽しみだったのだろう。
「まだ今日は乗れないんですよね?」
「そうだ。だが、機体整備も管制ブロックの個人調整も今日中に完了するはずだ」
 久々の第三世代機で整備兵たちのテンションも上がっているらしい。それでもそんなスケジュールをこなす彼らを凄いと武は思うが。
「破損機を回したりじゃないんですか?」
「新造機では無いが……こんなに程度の良い機体が回ってくるとは正直私も驚いた」
「……やっぱり博士ですか?」
 他に原因が思いつかなくてそう言うとまりもは溜息交じりで答えを返す。
「新造機を要求したが、搬入に一月以上かかると言われて妥協したらしい」
 普通に考えたらかなり恵まれてる状態を妥協、と言う夕呼に武は呆れるやら感心するやら複雑な感情を覚える。
「……撃震?」
 格納庫に搬入されてきた戦術機の中に吹雪とは違うものがあるのを見つけ、慧が疑問の声を上げる。
「ああ、あれは私と少佐が乗る予定の機体だ。内装も最新の物に変えて新型OSを搭載した」
 つまりは改修型の撃震と言うことだろうと武は考える。まりも自身XM3には初めて触れるのだから時折オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の隊長陣がレクチャーしている


「ふっふふふ……ついに来たわね……」
 と、何かちょっとネジが飛んでそうな声が聞こえてビクッとしながら武とまりもが振り向く。
「夕呼先生!?」
「ゆ、香月副司令っ?」
 何でこんな所に? という気持ちを込めて言うとふふんと楽しげに笑う。
「あの撃震。新造機なのよね」
 つまり? と視線に込めると。
「鈍いわねえ。シートの保護ビニールを破れるじゃないの」
 武は「はあ?」、まりもは「はあ……」と微妙に違う反応を返す。そんな二人は気にせずに喜々として撃震に向かう夕呼。
「それじゃあねえ~」
 今にもスキップしそうな姿を見送って武が口を開く。
「今のは一体……?」
「……副司令も仰っていたがシートの保護ビニールを破るのが好きらしい」
「子供かあの人は」
 見ている前であっという間に一機のビニールを剥がしたのか管制ブロックから出てくる。その表情は悪戯を成功させた子供のよう。
「天才とは、そういう子供っぽい面をいつまでも持ち続けているのだろう。だからこそ凡人とは違う柔軟な発想ができるのかもしれん」
「それを夢で終わらせないのが博士の凄いところで……」
「そうだな」
(そうさ、先生は絶対にやってくれる)
 そう武が思ったのは無意識の信頼であったが、この時の武はまだ気付かない。香月夕呼が一人の人間であり、そのできることには限界があると。
「さて、私はそろそろ行くが……各自ほどほどにしておけよ。集合には遅れるな」
 まりもが立ち去ると同時に夕呼もビニール剥ぎが終わったのかさっさと格納庫から出て行った。それを見送り、千鶴が。
「そろそろ私たちも行きましょうか」
 と言ってPXに行こうとしたら外から新たにもう一機戦術機が搬入されてきた。一体何だろうと足を止める207B分隊。武と冥夜だけが何かを察したような表情をする。
 搬入された戦術機――武御雷の姿が保護シートから解放され外気にさらされた。まだ斯衛でも配備中の最新鋭の機体に訓練兵たちは色めき立つ。
「武御雷か……」
「っ!!」
 武のつぶやきに冥夜がびくりと肩を震わせた。
「何だよ? そんなに驚くことじゃねえだろ?」
「……そなた、知っていたのか?」
「まあ人並には、ね」
 視線を武御雷に向ける。帝国城内省直属、斯衛軍制式の特別仕様機。今は冥夜のためだけの紫色の機体。
「そなたは不思議な男だな。あれを武御雷だと知っても、そなたの態度は自然だな」
「まあな……」
 答えながらも武は既視感を覚える。どこかでこの機体を見たことがある。いや、当然前の世界で同じように搬入されたのだからその時に――。

――ボロボロになった紫色の武御雷がいる。四肢がそろっておらず、機体の中央に何か突き刺さっている。
  誰かが泣いている。嘆きながら引き金を引いた。
  そして武御雷が閃光に飲み込まれ――

「……ける、タケル!」
「っと、何だよ。大声出すなよ」
「そなたが惚けておったのであろう」
「……そうだったのか?」
 そう答えると呆れたように息を吐く。これがオーバーアクションを取る人間だったら肩をすくめて両手の平を上に向けやれやれと首を振っていたことだろう。別に冥夜がやったわけではないが。
「突然話している途中にぼんやりと武御雷を見上げて……何か思い入れでもあるのか?」
「ああ、いや……どんな乗り心地かなって」
 適当に思ったことでごまかす。実際、吹雪とはどれだけ違うのか興味はあるし、乗ってみたいとも思っている。その機会があるかは別として。
(……今の光景は一体?)
 記憶を遡ってもさっきのような光景は見た覚えがない。これは夕呼先生に相談すべきかな、と武は頭の中のメモ帳に記憶する。
「うわ~武御雷だ~」
 そう言って無邪気に触れようとする壬姫。その姿に武は一気に現実に戻される。
(やべえ! 武御雷がここにあるってことは月詠中尉も……)
「タマ!」
 慌てて声をかけるがタイミングが悪かった。
「え?」
 丁度手が触れた瞬間に壬姫が武の方に振り向く。そしてその後ろから赤い袖に包まれた腕が振られ、その手の甲が壬姫の頬に向って……。
 振り切られる瞬間に横合いから延ばされた手にがっしりと止められた。
「え?」
 予想外の結果に思考が止まる武。その視線の先には銀髪をポニーテールにした女性士官がいた。

 まずい。何か早まったかもしれない。
 シオン=ヴァンセットは物凄い形相で睨んでくる斯衛軍中尉――月詠真那を見てどうしようかと考える。この場合、正当性があるのはどちらだろう? この訓練兵を殴ろうとしていた彼女かそれを止めた自分か。とはいえ、シオンにはこの訓練兵が殴られるほどのことをしたようには思えなかったため咄嗟に間に入ってしまったのだが。
 とりあえず掴んでいた手を離すとばっと振り払われる。それだけで彼女がどれだけ苛立っているのか推察できた。
「……どういうつもりだ」
「こちらこそ聞きたいですね。いきなり殴りつけるとは。貴女の口は飾りかしら?」
「この武御雷が訓練兵ごとき下賤の身で触れて良いものではない。故に制裁を下そうとしたまでだ」
 それだけ。とシオンは思うが、前の所属であった親衛隊もこんな気風があったと思い、溜息が出そうになる。遠く離れた異国の地に来てもあれと同じ感覚を覚えることになるとは思わなかった。
「なるほど。そちらの言い分はわかりました。しかしここは国連軍の基地です。帝国軍でも斯衛軍でも無い。体罰を振るうのであればそれくらいは考慮してほしいものです」
 そう言うと更に険しい表情が険しくなる。尤もシオンも傍から見れば似たり寄ったりの顔をしているが。
「……以後、気をつけるとしよう」
 そう言って引き下がる。正直ほっとした。ここで言い争ってもあまり益は無い。武御雷につられてふらふらと来てしまったが、本来ここにいるべき人間ではないのだから。
 早く立ち去ろうとして振り向くと心配そうにこちらを眺めている訓練兵二人がいた。男女一人ずつ。それを見てシオンは思う。
(……本当によく似ている)
 だがその感情を表に一切出さず、シオンはその場を後にする。所属は一応極秘部隊だ。顔を見られるのも好ましくない。

 武はさっさと立ち去る女性士官を横目で見送りながら、意識を真那と冥夜の会話に向ける。
「冥夜様」
「月詠中尉……なんでしょう」
「冥夜様! 私どもにそのようなお言葉遣い、おやめ下さい」
 その言葉を聞いて改めて冥夜がやんごとなき立場だと思わされる。将軍の遠縁だとは聞いているけど……どの程度の遠縁何だろう? と疑問が芽生える。
(前の世界では気にならなかったけど士官が警護についてるなんて)
 遠縁なんて曖昧なくぐりでは相当数いる。だとすれば本人が言っているよりは冥夜の立場というのは高いのではないかと武は推測した。その考えを確認する術はないが。
「それよりも冥夜様。武御雷をご用意いたしました。なにとぞ……」
「己の分はわきまえているつもりだ。一介の訓練兵には吹雪でも身に過ぎるというもの」
(まあ実際撃震で訓練しているところもあるしな)
「おやめ下さい。冥夜様には――」
「くどい! すぐに搬出いたせ。他の物が何事かと思うであろう」
 冥夜が一喝するが真那もひるまない。
「この武御雷は冥夜様の御為にあるのです。冥夜様の御側に置くよう命ぜられています。……どなた様のお心遣いかは冥夜様もご存じのはず……」
「………………」
 その言葉に冥夜は答えない。
「どうかそのお心遣い、無下になさいませぬよう」
「………………」
「冥夜様」
「……勝手にすればよい」
「ご承諾感謝いたします。……それでは私どもは失礼させていただきます」
 一礼して立ち去っていく中、しっかりと睨みつけられた。
(相変わらず嫌われてるみたいだな、俺)
 分かっていてもキツイ。一体俺が何をしたんだろう、と。
「騒がせたな。許すがよい」
 そう言って格納庫から出ていく。それに他の207B隊員も続き――。
「ほら、白銀。行くわよ」
「ん、あ、ああ。ちょっと寄りたいところあるから先言っててくれ」
「寄りたいところってどこかしら?」
「おいおい、委員長。そういうときは突っ込まないのがマナーってもんだろ? ちょっと便意を催したんだよ」
 その言葉に千鶴は顔を真っ赤にする。まあ当然と言えば当然だが。羞恥と怒りが混ざった声音で千鶴が叫ぶ。
「そんなこと一々言わないでよ!」
「いや、委員長が聞いてきたから言ったんだけど。一応俺配慮してぼかしたんだけどな」
「~~っ! わかったわよ! 私が悪かったわよ! じゃあ先言ってるから!」
 鼻息荒く出ていく千鶴をまた後でな~と手を振って見送る。
(さてと)
 武は浮かべていた笑みを消し振り返る。
「何をしている?」
「……月詠さん」
 斯衛軍中尉月詠真那がそこにいた。

 屍が散乱していた。散乱、というのはやや不適切な表現だったかもしれない。敷き詰められていた。大地に、広く、広く。その本来の底が見えず、それが地表だと勘違いさせてしまうほど、広く。
 その地獄の真っ只中に一つの影がある。陽光を返して周囲に銀を撒き散らすものが。
 ただ影は佇む。有象無象の死骸の中で。
(ああ、でもこいつらは自分を生き物と考えていないのだったっけか)
 彼は最近得た知識をぼんやりと反芻しながら自分の置かれた状況を改めて定義する。自分は幾多もの残骸の中に立っている。だがそれをすぐさまくだらないと切り捨て、周囲を走査する。……震動は無し。
 重慶ハイヴから侵攻してきたBETAの一部――より正確な表現を求めるなら約半数の三万を超えるBETA群はここで潰えた。たった一機の銀によって。
(ああ……これで守れる)
 誰を――あるいは何を。それすら彼の記憶には存在しない。ただこうして敵を殺して、壊して、蹂躙すれば守れる。そう感じている。
 その結果がこれ。たった一機で三万のBETAを短時間で殲滅させた。そのことに彼は何の感慨ももたないし、それが常識では不可能だと言われていることなど塵芥も気にならない。ただ、目の前の敵を殺し尽くす。
『こちらCP。評価試験は終了した。ただちに帰投せよ』
 スピーカーから誰かの声が聞こえる。とても不快な声。普通の人間が聞けばそこに込められた侮蔑の念に眉を顰めるだろう。だが、彼はその声には逆らってはいけないような気がしてその意に従う。
「シルバー1、了解」

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[12234] 【第二部】第五話 横浜基地
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/12/05 23:13
「何をしている。白銀武」
「月詠さん……」
 来た、と思った。前の世界でもあったこと。斯衛軍中尉月詠真那にここで問い詰められるのはやはり規定事項らしい。
「名を呼ぶ許しを与えた覚えはない。何をしているかと聞いている」
「……さっき中尉が何か言いたそうな顔をしてましたから」
 厳密に言うには前の世界と同じことが起こるだろう前提で動いていただけだが、それをわざわざ言う必要もない。
「……間違いではなさそうだな。お前は何者だ?」
「さっき自分で言ったじゃないですか。白銀武ですよ」
「とぼけるつもりですか?」
「死人が何故ここにいる?」
 ――まただ。
「死人ってどういうことですか? 俺はここでこうして生きてますよ?」
「国連軍のデータベースを改竄してここに潜り込んだ目的は何だ!?」
「城内省の管理情報までは手が回らなかったのか? それとも追及されないとでも思っていたのか?」
「冥夜様に近づいた目的は何ですか?」
 三バカ――この世界ではバカではないが――が口々に詰問してくる。だがそのタイミングは連続と言って差し支え無く、質問に答えさせる気があるとは思えない。それに辟易としたものを感じ、口を開こうとしたところで。
「騒々しいな。何の騒ぎだ?」
 武がここ数日姿を見なかった人物がいた。
「少佐……?」
「斯衛軍か。うちの訓練兵が何か粗相でも?」
 ちらりと真那の軍服を見て状況を推察したのかアールクトはそう口にする。だがその表情はどことなくめんどくさそうで、「あ~とっとと帰って寝たい」というような感情が見え隠れしている。
 彼としても、九州から帰ってきて早々訓練兵の機体の搬入チェックと自分で乗る撃震のチェックをしていてまだ休めてもいない。だから早く休みたいというのが彼の信条なのだが、当然誰もそんなことに気がつかない。
「アールクト=S=グレイ……貴様にも聞きたいことがあった」
「……斯衛軍というのは礼儀知らずの集まりなのか? 名前を呼ぶ許しも、ましてや貴様呼ばわりする許しを与えた覚えはないのだがな」
 苛立ちを隠そうともせず言い放つ彼の表情は不機嫌そのもの。疲労がたまると怒りっぽくなるというのは本当らしい。
「嫌疑をかけられている相手に尽くす礼など斯衛には存在しない」
 すっかり蚊帳の外に置かれてしまった武だが、嫌疑という言葉に気を引き戻された。
「ほう……嫌疑ね。全く持って心当たりがないが」
「とぼけるな。貴様の隊の前隊長――白銀武のことだ!」
 その言葉に武もアールクトをちらりと見上げる。それは武も、そして夕呼も気になっていたことだった。アメリカに短期間存在していたとされる白銀武。だがその詳細はアクセスが許可されてないため調べられない。
「ああ、そう言えばこの訓練兵と同姓同名だったな。奇妙な偶然もあるものだ」
「とぼける気か?」
「とぼけるも何も……それが事実だからな」
 その言葉に真那が眉を吊り上げる。だが怒鳴るようなことはせずに、言葉を続けた。
「そして後任者の貴様の経歴――何故部隊配属前の経歴が一切ない?」
「軍機だ。Need to know……軍人ならば常識だろう?」
「我々はその白銀武が貴様ではないかと考えている」
 その言葉に一瞬の沈黙。そして格納庫中に響くような笑い声。
「何がおかしい!」
「あっははははははは! やばい……ちょっと腹筋が捩じ切れそう……」
 その笑い声に整備兵たちの視線も集まり始める。アールクトは体を折りながらも爆笑を続けている。
「あ~笑った。じゃあ聞くが何で俺がそんな無意味なことをする? わざわざ名前を変えて、しかも変える前と同じ名前の人間と並んでいる。そんなことをする理由が見当たらないな。むしろそうする理由があるなら教えてくれ」
「……それは」
「それとも白銀武という名前は城内省に置いてそこまで価値を持つ名前なのか?」
「っ!」
「おいおい、質問しただけでそこまで睨みつけないで欲しいんだが」
 この世界の白銀武がアールクト=S=グレイ? あり得ないだろ。と武は思う。夕呼先生も言っていたが、時間が足りな過ぎる。横浜侵攻から二年足らずで大尉になっているという時点でおかしい。更にわざわざ死んだことにして名前を変える理由がない。白銀武という名前がよほど目立つというなら話は別だが――。

「何をしている!」
 少女の一喝が笑い声の残響を打ち消すように格納庫に響く。
「月詠、神代、巴、戎! まだいたのか? ここで何をしていた!」
「冥夜」
「御剣訓練兵か」
「冥夜様をそのように呼ぶなど!」
 真那が二人を睨む。
(……訓練兵と呼ぶのは間違ってないと思うんだが)
 人知れずアールクトが心の中でぼやいた。
「よい、私が許した」
「冥夜様はこの男がどのような人間かご存じないのですか!?」
「知らぬ……だが、ここではそれで良い」
 冥夜が毅然とそう言ってくれるのを聞いて武は少しだけ嬉しくなる。冥夜がそう言ってくれるだけの信頼は勝ち取れていたということなのだから。
「し、しかしこの者だけは別問題です!」
「……もう良い。下がれ」
「冥夜様!」
「下がれと申した」
「は……行くぞ」
 若干肩を落として斯衛の四人が去る。その背中に冥夜が声をかけた。
「月詠」
「は」
「日頃のそなたたちの心遣いには感謝している」
「勿体なきお言葉……身に余る光栄でございます」
 四人が完全に立ち去ったのを確認してから。
「少佐、不愉快な思いをさせて申し訳ありません」
「気にするな。私の経歴に疑問を持つのは警護を預かる者として当然のことだ」
 そんなに滅茶苦茶なのか、と武は思う。せめて少しくらい偽装でもしておけばいいのにと思ってしまう。
「では私はこれで失礼する。貴様たちも集合時間には遅れるな」
 軽く敬礼してさっさと立ち去るアールクトの背中を見送りながら冥夜が謝罪を口にする。
「タケルも、不愉快な思いをさせたな……許すがよい」
「お前が悪いわけじゃないし、月詠中尉が悪いわけでもないだろ」
(やっぱり月詠さんが言ってたこと確認する必要があるよな。夕呼先生に聞いてみよう)
「タケル?」
「ん、何だ?」
「斯衛軍の衛士に詰め寄られても動じないとは……やはりそなたは変わっている」
「おいおい。いきなり変人扱いは無いだろ?」
「私の出自……おおよそ予想がついているのであろう? なのに、何故そうも――」
 ――ただの友人のように扱ってくれるのだ?
 冥夜にはそれが不思議だった。みな知ればどこかで距離を置くのに、武にはそれが無い。
「だから俺は礼儀知らずなだけだって。それともそれは敬えという遠まわしなお言葉であらせられますか?」
 武がどこかで見た執事の礼っぽい真似をしたら冥夜は露骨に嫌そうな顔をする。
「ばか……よせ。ただ、そなたのような態度で私に接する者はいなかったのだ」
「お前がどこの誰だろうと冥夜っていう人間の価値が変わるわけじゃないだろ?」
「そう、だな」
「……俺も一つ聞いて良いか?」
「何だ?」
「俺って死んでるように見えるか?」
 ……鳩が豆鉄砲食らった顔ってこういうのを言うのかな? と武は思った。なかなかレアな冥夜の顔を拝めたな~と心のアルバムの中にしまっておく。
「何を言い出すかと思えば……」
「だから、どう? 死んでる?」
 自分の手を見ながら尋ねる。血の通った手。死人のように白くはない。
「だとしたら迷わず成仏いたせ」
「……え?」
「少なくとも私の眼には生きているように見える」
 そう言った冥夜の顔は苦笑しているようだった。
「本当にそなたはおかしなやつだ」
 その笑顔に笑みを返しながら武はぽつりと呟く。
「理由……話すの難しいんだ。そもそも俺にもさっぱりわかって無い」
 天井を見上げる。当然格納庫だから空は見えない。見えれば少しは気が晴れたかもしれないのに。と武は似合わないこと考えてるな~と思いながら言葉を重ねる。
「この隊にはわけありの人間が多いだろ? お互いに必要以上に立ち入らないのもアリ何だろうけど……俺はそういう気の使い方は苦手なんだよ。それにそういう隠し事みたいの無くして行くのが仲間ってことだと思うんだけどさ。ホントはな」
「……そなたらしいな」
「だからまずは自分の事から話して行くのが筋なんだけど……あ゛~~ッ、矛盾してんな、俺」
「別に無理に言う必要はあるまいに」
「だからさあ、お互い命預けるんだからそういうのも言い合えるような仲間になりたいんだって」
 だが、武が自分のことを話すときは来ない。少なくとも彼が目標を――BETA殲滅を達成するまでそんな日は来ないのだ。だからもどかしい。言葉では彼の思いを十分に伝えることができない。千の言葉を費やしても、万の言葉を尽くしても彼の思いを今、言語化するのは難しい。
「……いつか話す日が来るやもしれぬな」
「ああ、そうだな……」
 そんな日を早く来させるためにも、オルタネイティヴ4を成功させなくては。万が一にも再びオルタネイティヴ5が発動した世界にするわけにはいかない。それを武はあの滅びを見た来た自分の義務だと考えている。だから隊員の――冥夜たちとの相互理解がオルタネイティヴ4の成功に結び付かない限りはその優先順位はどうしても低くせざるを得ない。
 矛盾。武が他のみんなと解り合いたい気持ちは嘘ではない。しかし人類を救うという目標の前には霞む。どうしても、等価値にはならない。

「夕呼先生~?」
 夕呼の執務室に入るが姿が無い。
「あれ、タイミング悪かったかな?」
 時折見える光景の事や、真那との会話について色々と聞こうと思っていた武は若干拍子ぬけした気分になる。
「ま、いっか。ちょっと霞とおしゃべりしてよう」
 と、脳みそ部屋に入ると。
「……これでこうなって……。やはり難しいな」
「……難しいです」
「え~っと」
 何か非常に珍しい光景が広がっていた。床に座り込んで何やら手元でいじっている少女――もとい幼女が二人。一人は言うまでもなく霞。もう一人は霞より年下に見えるが実は年上なミリアだった。書類上では横浜基地内で三番目に権力がある人が床に女の子座りをしている光景というのは非常に奇異に映る。もしもこれが夕呼先生ならどうなんだろうと武は想像したが、脳がそれを拒否した。
「ん? あら、白銀訓練兵。どうしたのかしら。霞に何か用?」
「いや、用ってほどのようでも無いんですけど……なにしてるんすか?」
「……あやとりです」
 なるほど確かに彼女たちの手元にあるのは輪になった毛糸。あやとりをしていたというのは間違いないだろう。武にとっての問題は。
「霞ってあやとりできたっけ?」
 フルフル。
「えっとグレイ博士?」
「できたら幸せね」
 つまり出来ないってことだろう。
「両方できないでどうやって遊んでたんですか……」
「それはほら。この天才的な頭脳で新たな型を見つけようかと」
「見つかったんですか?」
 その言葉に目線をそらして遠くを見るミリア。
「……如何に鬼才、天才、才女と讃えられようと、専門外に関してはただの人だと思い知らされたわ」
 要するにできなかったのだろう。
「誰かに聞けばよかったじゃないですか……」
「アールクトに聞いたら『あやとり……か。最近殺鳥しかやってないな……』っていう物騒な答えが返ってくるし、声かけられるような人に他に日本人いないし……」
「っていうか殺鳥って何!?」
 そこはかとなく危険な響きのするものだった。
「それじゃあ俺で良かったら教えますけど……」
「あら、良いの?」
「どうせ暇何で」
「私は構わないわ。霞は?」
「……私も良いです」
 小さくうなずいたのを確認してミリアが仕切り始める。
「さて、それでは君はこれを使いたまえ」
 渡されたのは黒い毛糸。それより武が気になるのは。
「あの~グレイ博士」
「何かね?」
「何か言葉遣いが……」
「遊ぶ時ぐらい地を出しても構わんだろう」
 って今まで演技だったのか!? と武驚愕。女って怖ええ~と思った。そしてもしかして霞も? と一瞬頭で考えると。
「……私はいつも地です」
「あ、そうなんだ……」
 とりあえず良かった。と思う武だった。
「さて、それでは先生。お願いします」
「……お願いします」
「先生って……」
(……まずい。そんなにできないぞ……っていうかまともにできるの橋だけな気が……)
 知らずうちに武の背筋に冷たい汗が流れた。

「……君も大概不器用だね」
「……ほっといて下さい」
 結局あやとりはできなかった。こんなことならもう少しやっておけばよかったと武は思う。
 ちなみに何故あやとりかと聞いたらミリアがやってみたいと思い、霞に聞いたのが発端らしい。
「さて、と。では私は仕事に戻るとしよう」
 そう言って立ち去ろうとするミリアに思わず武は声をかける。
「えっと、グレイ博士」
「ん? 何かな。白銀訓練兵」
 一瞬聞こうかためらうが、口を開いたら言葉はすんなりと出てきた。
「博士は……オルタネイティヴ5についてどう考えてますか?」
 聞いてからバカなことを聞いたと思った。彼女はオルタネイティヴ5の責任者だ。そんな相手に聞く質問では無かったと後悔する。
「すいません……今のは――」
「人類が生き延びるための本当に最後の手段……私はそう考えているよ」
 軽く溜息をついて淡く微笑む。
「白銀武。君はオルタネイティヴ5が発動した世界を見てきたんだったね?」
「あ、はい」
「……君の眼から見て世界はどうだった?」
 その言葉に武は即答できる。
「あんな世界にしてはいけないと感じました」
 滅びゆく世界が脳裏に蘇る。断片的な記憶でこれだけ感じさせられるのだ。全てを記憶していたらそれだけで気が狂ったかもしれない。ひょっとしたら最後の記憶が曖昧なのは無意識に危険な記憶にブロックをかけているのかもしれないと武は思った。
「ああ、私も同意見だ。……尤も私の因果情報に世界の終焉は無いのだがね」
 その前に死んでしまったらしいと笑って付け加える。
「じゃあなんであんな計画を?」
「言っただろう? 本当に最後の手段だと。人類という種を生き延びさせるためだけの方法」
「でも! もっと他に方法あったかもしれないじゃないですか!」
「……崖から落ちそうになっている十人の人がいる。そのままでは全員が落ちてしまう。一人を助けている間に他の人間は確実に落ちる。その状況で君は出来るかもわからないが、全員を助けるために時間を取るのかね?」
 その十人が人類の写し身。全てを救おうとすれば全滅する。
「それは……」
「全員救えるならそうしたさ。だけど現実はそうではない……」
 そこで言葉を切り、ミリアは武をまっすぐ見る。
「いつか君にもそれを痛感させられる日が来る。この世界に生きている限り、ね」

 武はミリアの言葉を反芻する。
 そしてアールクトの言葉も思い出す。
『人が救えるのは一生に一人。そしてほとんどの人間はそれを自分を救うのに使う』
(俺もいつか守りきれなくて誰かを見捨てることになる?)
「……ちょっと、人の部屋で辛気臭い顔して俯いてないでくれる?」
 自分の守れる人間について考えているといつの間にやら夕呼が執務室に戻ってきていた。
「で、何か用があるんじゃないの?」
「あ、はい。幾つか」
「言ってみなさい」
 執務机に座りながら興味無さげにそういう夕呼に武は言葉を選びながら話し始める。死人がなぜここにいると言われたこと。これに関して夕呼は既にこの世界の白銀武が死んでいるということだろうとそっけなく返す。それに何とも言えない思いを抱きながらも武は次の要件を口にする。
「それで月詠中尉が少佐に言ったんです。『貴様の隊の前任者、白銀武のことだ!』って」
「……なるほど。城内省でも気がついたのね。で、何て言ってたの?」
「そこの訓練兵と同姓同名とは奇妙な偶然もあるものだって」
「他には?」
「あと……白銀武という名前にはそこまで価値があるのか、って」
 その言葉に夕呼は考え込むように視線を落とす。夕呼の眼から見ても少し斯衛軍の張り詰め具合は行き過ぎている気がした。素性が怪しいにしてもそんなやり方でどうこうできるわけがないのに、それでもやってきた理由。あるいはやらざるを得なかった理由。
「こっちの方でも本腰入れて調べてみようかしら……」
「何をです?」
「そのアメリカにいたって言う白銀武。それと城内省に何故白銀武の名前が重要視されているのかを」
「……良いんですか?」
「あたしの手元に不安要素を置きたくないのよ。もしもあまりに影響力があるようならあんたを表に出して戦わせるわけにいかなくなってくるしね」
 少なくともすぐに手放す、という選択肢はない。今の段階でも白銀武はオルタネイティヴ計画について知り過ぎているし、もしも影響力がある名前なら放置したらどこに食われるかわかったものではない。何らかの交渉の材料になる可能性もある。
「それじゃああんたは戻りなさい」
「もう一つあるんです」
「もう一つ~? サッサと言いなさいよ」
 あたし自分の仕事に戻りたいんだけど、と言いたげに不機嫌そうな声を出す夕呼。それを気にせず武は未来の知識を提示する。
「11月11日に佐渡島からBETAが侵攻します」

「……11月11日に第二、第三中隊を新潟に展開させる……ですか?」
「そうだ。私の第一中隊は先日の九州遠征の際の損耗がまだ回復していない。また、今回はおそらくオルタネイティヴ計画第1戦術戦闘攻撃部隊との合同作戦になる。それなら日頃から接しているラング大尉とヴァンセット大尉の部隊の方が連携が取りやすいだろう?」
 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊に割り当てられた格納庫。そこで運び込まれた資材を確認しながらギルバートとアールクトが次の作戦について言葉を交わす。
「本当なら私も行く予定だったが、フロリダの方でアレが出来上がったのでな。それを取りに行くという案件もある。……できるな、ラング大尉」
「問題ありませんグレイ少佐。彼女たちとの連携も訓練している。……理由が定かではない命令も慣れています」
 すまんな、とアールクトは心の中で詫びる。さすがに未来の情報ですなどと正直に言えるはずもない。
「しかしフロリダで完成したものを取りに行くということはその間グレイ博士に誰も就いていないことになりますが」
「いや、グレイ博士は私と一緒にフロリダに行く。つまり第一中隊でグレイ博士を護衛する形になる」
「了解です。では我々は第三中隊との訓練を再開します」
「頼む」
 互いに敬礼を交わし、ギルバートはシミュレータルームに。アールクトはPXに向かう。帰る前からほとんど飲まず食わずでさすがに空腹が限界になってきた。
 長いエレベータの中で訓練兵の教育カリキュラムの資料を確認しつつ、留守にする間の訓練プログラムを考える。
(実機も搬入されたし、演習場でJIVESを使った対戦術機、対BETA戦闘を行わせてそれぞれの必要とされる技能の違いについて確認させるか……。いや、本来訓練兵がJIVESで対BETA戦を行うことは想定してないからな。設定が間に合わないかもしれない。A-01からデータを借りるか? うちのデータはどうにもBETAが撃たれ弱い気がして――)
 などとつらつら考えながら通路を歩く。考えに没頭しているように見えても一応前は見ているらしく書類片手にひょいひょいよけながら歩いている。存外器用な人間だった。
 そしてPXに入って合成鯖味噌定食を頼もうとしたところで中が騒がしいことに気が付く。
 ――ああ、また昼食が遠のくのか。

 少し時間は遡る。
「でも本物の戦術機って凄かったねぇ」
 午前の座学が終わり、戦術機の構造について学んだあとの昼休み。興奮冷めやらぬ面持ちの美琴がそういう。念願の戦術機課程に進んだということが具体的に実感できたのだろう。そしてそれは他のメンバーも同じだった。武と冥夜を除いて。
「そういえば最近少佐を見ませんね~?」
「神宮司教官がしばらくいらっしゃらないって言ってたけど……」
「あ、俺朝会ったぜ」
「私もだ」
 なら明日あたりには来るかもしれないなどと話していると美琴が「そんなことより」と言い出す。
(そんなことってお前はいつもいつも……)
「なんか正規兵の人たちがこっちをチラチラ見てるんだけど」
「え?」
 美琴の視線を追うと確かに正規兵が二人こちらを見ていた。
(あれ……? あいつらどこかで、って前の世界で冥夜に絡んできた奴らじゃねえか!)
 よく三年以上前に一回会っただけの人間のこと覚えてられたな、と自分で感心してしまうがそれだけ印象に残るようなことだったのだろうと考える。
「いいじゃねえか。ほっとけほっとけ」
 関わるだけ時間の無駄だと思うが、全員気になっているようだ。また同じことの繰り返しになっても愉快な話ではないと武は思った。
「ちょっと水汲んでくる」
 そう言って席を離れる。丁度いいと言うべきか、件の正規兵は給水場の傍に陣取っていた。
「おい、そこの訓練兵」
 近づいたら案の定声をかけてきた。思わず心の中で来たよ、と笑ってしまう。
「は、自分でしょうか?」
「お前以外にいないだろ?」
 イラ。
「何かご用でしょうか? 少尉殿」
「お前らの隊はあそこにいるので全部か?」
「はい」
「七人じゃないのか?」
「総員で六名です」
「だったら格納庫の斯衛軍の新型は誰のだ? お前らの中の誰かようだと聞いたが」
 またこれか、と内心で溜息を吐く。どう言ってこの場を済ませようかと考えていると。
「少尉、私の機体です」
「冥夜!? いつの間に!?」
 これが嫌だったからわざわざ席を立ったのに!
「お前の名は?」
「御剣冥夜訓練兵です」
「お前……あれ、なんか……」
「ああ……どうなっている? 何であんなもんがここにあるんだ?」
「…………」
「答えろ!」
 その状況に耐えられなくなって武が言葉を遮るように口を開く。本来なら不敬に当たることだが……今は気にしない。
「恐れながら少尉殿! それは少尉殿の個人的な興味を満足させるための質問でしょうか?」
「なんだと……?」
「それとも『あの機体に搭乗する衛士を探せと』という雑役を遂行中なのでしょうか?」
「よせ、武!」
「お前……誰に口聞いてるのかわかってんのか?」
「はい」
 きっぱりと武は答える。
「ずいぶんと生意気な口を聞くひよっこだな」
「少尉殿がなさるべきことはほかにあると思いますが? 少なくとも訓練生相手に粋がるより有意義な――」
 衝撃が来る。ある程度身構えていたからよかったが、何もしてなかったらそれだけで後ろにぶっ飛びそうだった。
「たけるさん!」
「たける!」
 他の207B分隊も気が付いてしまったらしい。結局こっちに来た意味ねえじゃん、と武は苦笑したくなる。
「大丈夫だよ、冥夜。撫でられただけだ」
「ああ? まだわかんねえの、かっ!」
「ぐっ」
 再び一発。この力を――。
「……気は済まれましたか、少尉殿?」
「カッコイイねえ。少しは骨があるじゃないか」
「この野郎!」
 この力をもっと有意義に、BETAに全力を注いだらあんなことには、人類が滅びるようなことにはならなかったかもしれないのに!
「もう良いでしょう階級を楯に個人的な憂さ晴らし」
 言っている間にも少尉の拳が武を襲う。だがやり返すわけにはいかない。もしもそんなことをしたら本格的に大ごとになる。
「白銀! もうやめなさい!」
 千鶴の静止の声が聞こえたが、武は口を開くのをやめない。これだけは言わないといけない。
「少尉に与えられた権限や力は……守るべき人たちを……人類を守るためにあるんじゃないですか!?」
「白銀!」
 もう滅びは見えてるんだ……。今の人類に出来てるのはもう明確な滅びをどうやって遠ざけるか、それも年単位なんかじゃない。一分、一秒――。それだけ追い込まれてるのに。
「こんな無駄な事やってる余裕はないんだ……」
 なのに、人類同士で足を引っ張り合ったり、ありもしない戦後を考えたりするから――。
「だから人類は!」
 人類はBETAに負けたんだ!
「わけわかんねえこと言ってないでかかってこいよ。階級は関係ねえ……」
「何をやってんだ!」
 間に入ってきたのは……誰だ? と武は記憶を探るが心当たりはない。パッと見東洋系ではない。正確な年齢はわからないが同い年くらいの白人。この基地だって日本人ばかりじゃないが白人は珍しい。だから会ったことがあれば割と印象に残る。つまり会った事のない人だ。
「これは何の騒ぎだ、少尉?」
「ちゅ、中尉殿。これは、そのですね」
「こ、この訓練兵が生意気言ってきたから少し教育を……」
 さっきまで高圧的だった少尉二人がしどろもどろになって言い訳しているが、その中尉はあまり信じているようには見えない。
「……そうなのか?」
 ちらりとこちらに視線を向けて尋ねてくるが、どう答えたものかと迷っていると思わぬ援護射撃が来た。
「そこの訓練兵に少尉が搬入された新型について質問し、訓練兵がそれは任務かと質問したら殴った。そんなところだな」
「こ、斯衛軍」
「申し訳ない。お騒がせした」
「気にするな。我らにも関係があったことだ。帝国斯衛軍第十九独立警護小隊、月詠真那中尉だ」
「ケビン=ノーランド中尉です」
 互いに敬礼して自己紹介する。
「にしても国連軍の衛士は衆人環視の中そのような恥知らずなふるまいをしてもよいと教育されているのか?」
「教育が行き届いておらず……申し訳ない」
 中尉が二人が話しているというのに空気を読まずに口をはさむ少尉が一人。
「ちゅ、中尉殿。これは国連軍内部の問題ですので……」
「先に言ったとおり、この件には我らも関係がある」
「それと少尉、上官同士の会話に口をはさむのは控えたほうが良い」
(つ、月詠中尉も怖いけど、こっちの中尉もこええ……)
 静かな地面の下でマグマがグツグツ言ってるような感じ。
「国連軍に籍を置いてるとはいえ、貴様らも日本人であろう? その者の言う通り、権力とはそれを利用して己の欲望を満たすものではないぞ!? 恥を知れっ」
「いえ、その……」
「彼の武御雷は日本政府と国連軍司令部合意の元さる事情により配備されたものだ。ここは確かに国連直轄地であり治外法権区であるが、かといって一介の衛士ごときが興味本位で首を突っ込んでいいことではないぞ!」
 まさに一喝というに相応しい。少尉二人も身をすくめているし、すぐそばにいた武も身をすくませていた。ついでにケビンも固まっていた。
「これ以上要らぬ詮索を続けるのであれば、国連軍に正式な抗議をしなけらばならないが、よろしいか? 武御雷を愚弄することは我ら城内省斯衛部隊を愚弄することも同じ……ひいては将軍を冒涜する行為であるぞ?」
「……な、何もそこまで俺ら、なあ?」
「ああ、武御雷を愚弄したわけじゃ……ましてやその……」
「ならばおとなしくこの場から立ち去るがよい。さすればこの件は不問に付す。……よろしいか?」
 最後の一言はケビンに向けられたものだった。小さく頷いて肯定の意を示す。
「し、しかし帝国斯衛軍がなぜこいつらを……」
「どうした少尉。何か不服でもあるのか?」
「い、いや。お、おい。行くぞ」
「あ、ああ」
 逃げるように立ち去っていく少尉二人をみてケビンは真那に向き直る。
「中尉、申し訳ありませんでした。余計な手間をかけさせました」
「いや、気にするな。奴らにも言ったが今回の件、発端は我らにある。そのしりぬぐいをしたまでだ」
「そうですか……。では自分はこれで」
 ケビンも立ち去っていく。
「……事態を事前に察知したまでは良いが……不器用な男だ」
「月詠、中尉」
「冥夜様。私共はこれにて失礼いたします」

 ――どうやら昼飯の危機は去ったらしい。
 見た限りでは特に武にも問題はなさそうなのを確認してアールクトは昼食を取る。
 その後も夜まで書類仕事に忙殺されていた。

 深夜。
「……もうこんな時間か」
 気がついたら日付が変わる直前になっていた。しかし目の前に積んである書類の山は終わらない。
「仕方ない」
 PXにでも行ってコーヒーでも煎れて貰おうと考え部屋を出る。アンダーシャツで出るには基地内でも少々肌寒いかと思ったが、意外とそうでもなかった。PXに行くとどこかで見たことがある少尉がいた。
「てめえ……昼間の」
 昼間の、といわれても全く覚えがないので人違いだろうと思い無視して進む。
「おい! 無視してんじゃねえぞ!」
 ガっと肩を掴まれたので面倒だと思いながらその手を振り払う。
「この野郎……」
 その少尉は酔っているらしく、こちらに殴りかかってくる。よけるのも億劫なのでそのボディーブローを腹筋で受け止めてやる。
「ぐ……」
(……最近衰えてるかと思ったが、そうでもなかったか)
「気は済んだか? 少尉」
「てめえ……誰に向って口聞いてやがる」
 それはこっちのセリフだと溜息をつきかけたところで。
「あれ、少佐。なにしてるんですか?」
「シルヴィアか。ちょっとコーヒーを貰いにな」
「へえ……あれ、珍しくサングラスしてませんね」
「ん? ああ、さっきまで書類仕事してたからな。外したまま忘れてた」
 と正面にいる少尉がガタガタ震えていた。
「しょ、少佐ってそんなバカな……」
「ああ、そういえば忘れていたな。で、少尉? 当然それなりの覚悟はあったのだろうな?」

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[12234] 【第二部】第六話 2001年11月11日
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/01/11 22:14
 2001年10月23日

「先日着任したオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊隊長。アールクト=S=グレイ少佐だ。よろしく頼む」
 突然やってきて挨拶した彼はそういった。あまりに唐突な出来事に水月達は戸惑っていたようだが、みちるは違った。何故なら

ここにいる人間で唯一その部隊名を聞いたことがあったのだから。
「少佐。質問をよろしいでしょうか?」
「何だ、大尉」
「……少佐の隊は明星作戦に参加していたのでしょうか?」
 その質問をすると僅かに表情を変えたように見えた。尤もサングラス越しなのでみちるにも確証はなかったが。
「そういえばこの隊も明星作戦に参加していたのだったな。共闘していたか」
「はっ。第九中隊はオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊のお陰で救われました」
「生憎だが私は当時は部隊に在籍していない。うちの中隊長や小隊長に当時のメンバーがいる。礼をしたいなら彼らにするといい


「はっ……しかし」
「さて、大尉。今後の予定の確認をしたいのだが構わないか?」
「申し訳ありません。お願いします」
「これよりしばらくは我々が開発し、香月博士の協力で完成した新型OS、XM3を導入、使用してもらうことになる。OSについての

詳細はこちらの資料を」
 手渡された資料を受け取る。
「……資料を見てもらえばわかると思うがオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊が明星作戦時に使用したものだ。実戦証明は十

分にされてる。その点は安心してくれ」
 その言葉に若干部隊の空気が和らいだ気がする。さすがに精鋭ぞろいとはいえ、試作品を渡されるのは嫌なものだ。
「このOSは既存のものとは違う概念で組まれているため我が隊の第二、第三中隊が教導を行う。後ほど部隊長が挨拶に来るだろう


「少佐、質問です」
 水月が片手を挙げて質問する。
「少佐の隊は何をするのでしょうか」
「軍機、と言いたいところだが。私は基本的に訓練兵の面倒を見ることになる。また、第一中隊はこちらの都合で色々動くことに

なる。では説明を続ける」


「たいちょ~。こっちで飲みませんか~?」
「……お前ら、着て早々酒盛りか」
 頭を抱えたくなる。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊総勢35名+管制組14名とA-01第九中隊十名。総勢59名もの人間がPX

で飲んでいた。
「誰か、何でこうなったのか説明してくれ」
「では私が」
 この中で唯一まともそうなギルバートが説明を始める。曰く、「速瀬中尉とハインレイ中尉が意気投合して飲み始めたのがきっ

かけだと」
「……絡み酒か」
「はい」
 その魔の手はどんどん伸び、シオンが犠牲になり、みちるが犠牲になり、ケビンが犠牲になり、遥が潰れたあたりでもはやスト

ッパーがいなくなった。
 幸いにも美冴と祷子が早めに部屋に戻ったので――戻って何をしてるかは考えないようにした――混沌とはしていない。あまり

慰めにもならないものだが。
「そして今に至ります」
「あ~御苦労。ギルバート。とりあえず全員に飲み過ぎないように注意しておいてくれ」
「……おそらくそれは数人既に手遅れかと」
「現在生き残ってるやつだけでいいから」
「了解しました」
 結果的にこの酒盛りは正解だったのだろう、とアールクトは後に語る。これのお陰で部隊員が互いに親睦を深められたのだから



 こんな昔のことを思い出すのはやはり全員揃っていた頃を懐かしく思ってしまうからだろうか。

 2001年11月3日
 三発の弔砲が鳴り響く。
「国連軍特務戦術機甲大隊所属、アリカ=ノーウェン少尉並びにラルゴ=ローデン少尉の英霊に対し、敬礼!」
 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の面々――計34名に管制組14名。一斉に敬礼をする。先に逝ってしまった戦友を送るた

めに。
 特殊部隊である彼らは死んでも事故死としてしか扱われない。A-01とは違い、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊は表に出

ることがない。出てはならない。本来はオルタネイティヴ5の専属部隊なのだ。こうして、第四計画を支援していることは決して

表沙汰にはできない。そして、第四計画が成功したら第五計画に出る幕はない。……文字通り陰から支えるしかないのだ。だから

二階級特進もなく、名誉も何もなく死んでいく。
 第三中隊で泣いている衛士がいた。管制組にも。確か訓練校時代から一緒だったと本人がうれしそうに語っていた。
 よく覚えている。
 アリカは非常によく明るく笑う子で、お世辞にも特別技能に長けていると言う訳では無かったが決して諦めることなく常に前向

きに訓練に励んでいた。その姿勢は他の部隊員にも良い影響を与えており――こんな世界でなければ学校に通って一生懸命何かを

するただの女の子だっただろうと思わせる子だった。
 ラルゴは少し強引なところもあるが、周りを引っ張っていく力のようなものがあり、順調に成長すれば部下に慕われる良い指揮

官になるだろうと思われる人間だった。また、裏でいかがわしいブロマイドを扱っていたが、それも男性衛士にとってはいい娯楽

になっていた。
 他にもいろいろ覚えている。彼らが好きだった音楽や食べ物。もしも戦争が終わったら何をしたいか。日本に来たのだから休暇

がとれたらここに行ってみたいなど……。
 よく、覚えていた。
 故国から遠く離れた島国の地で散った二人。空っぽの棺桶を見る遺族の気持ちなどアールクトにはわからない。経験した事のな

い痛みを分かった気になるつもりもない。それでも、二人を失った親兄弟の気持ちを考えるとやるせないものがある。
「貴官らの献身に感謝する。我々は貴官らの犠牲を無にせぬためにこれからも戦い続けるだろう。だが……貴官らの戦いは終わり

だ。何も気にすることなく、ゆっくりと、休んでくれ」
 空っぽの――形だけの棺桶にアールクトが語りかける。せめて、亡骸は無くとも彼らによって命をつないだ自分たちの思いが届

くようにと。
 それを皮切りに口々に部隊員が別れを告げる。ずっと泣いていたアリカの親友にシルヴィアが声をかけた。
「……ほら。せめて最後のお別れを口にしないときっとあとで後悔するよ」
 彼女が泣きながら別れの言葉を口にする。全員終わったか見渡して確認する。
「では」
「お願いします」
 遺品係に彼らの遺品を託す。
 それでおしまい。
 アールクトの頭の中には既にアリカ=ノーウェンとラルゴ=ローデンのことは過去の情報として整理されていた。
「……どうして」
 後ろの部隊員から呻き声のような怨嗟の声が聞こえた。
「どうしてそんなに平然としてられるんですか!」
 周りの人間を押しのけて目の前に立つのは……第三中隊の隊員。
「仲間が死んだって言うのに、どうして隊長は涙の一つも流しもせず! そうして平然としていられるんですか!」
 平然か、と他人事のようにアールクトは反芻する。他の隊員の顔を見ると多かれ少なかれ同じ思いを抱いているらしい。ここに

いる隊員は優秀とはいえ、ほとんど新兵。これまでの戦場も隊長陣がエスコートしての――温い戦場しか経験してきていない。そ

んな環境で戦死者が出ることなどなく――つまり戦友を失う経験をしたのは今回が初めてだというのがほとんど。
 さて、なんというべきかと迷う。下手な言い方をすると頭に血が上っている彼らは逆上するだろう。
「隊長には人の心がわからないんですか!?」
 何かを言おうと口を開きかけたところで、乾いた音が響いた。
 ほんの一瞬の間にシオンが彼の頬を張っていた。
「甘えるな。貴様のような奴が私の隊にいたとは……申し訳なさで死にたくなる」
 反論している衛士を尻目にその言い方もダメだろ、と諌めようとしたところでシオンが再び口を開いた。
「自分の無力感を他人に転嫁して責め立てる。それが甘えでないというなら何が甘えだ!」
 一気に場が沈黙する。その後を引き継ぐようにギルバートが口を開いた。
「私も含めて隊長陣が何故こうして平然としているかわかるか? 経験。確かにそうだろう」
「……俺たちはどんなに辛くてもそれを表に出したら部下が動揺する。だから辛くても平然としてなければいけないんだ」
 ケビンが続け、第一中隊の副隊長が口を開く。
「我々は部下の命を預かる立場にある。死んでいった部下を思うのは大切なことだ。だが……」
「私たちは生きている部下を守らなきゃいけない。死んでいった部下の死を無駄にしないために。そうしたら悲しんでる暇なんて

ないんだよ……」
 あとお願いします。とシルヴィアが目配せしてくる。アールクトはもう言いたいことは言ってもらったんだがな、と苦笑する。
「……色々と機会を逃していていうタイミングがなかったんだが、私が隊を持った時必ず言うことがある。衛士の流儀と呼ばれる

ものなのだがな」
 アールクトは語る。前の部隊長から受け継がれていくその流儀を――。



 2001年11月9日
「では護衛頼むよ。アールクト」
「了解。まあここで手を出すバカもいないだろう」
 フロリダへ向かうため再突入型駆逐艦に乗り込む二人。
「……万が一にもこれごと落とされるということが無いと信じたいんだけど」
「今の私たちはオルタネイティヴ5推進派からすれば完全に目の上たんこぶだからね。何かしらの妨害があってもおかしくはない

。だが、まあとりあえずやることはやった。まさに人事を尽くして天命を待つ、というところだ」
 ――どうでも良いんだが、とアールクトは思う。何故この少女――もとい見た目幼女の合法ロリはこう小難しい日本語を知って

いるのだろうか、と。

「では第三中隊は一足先に現地入りしています」
「頼む、ヴァンセット大尉。我々は翌日伊隅大尉たちと共にこちらを出る」
 先に第三中隊が先行。現地の帝国軍と折衝を行い、そののちに第二中隊、ヴァルキリーズと続く。
「くれぐれも気をつけてくれ。日本人に対するアメリカ人の感情はあまり良くない。米軍の下部組織と見られている国連軍も同様

だ。いらん挑発を受けるかも知れんが、自制してくれ」
 ギルバートの言葉にシオンがやわらかく微笑む。
「心得ていますよ。……むしろそれはあなたの妹さんに言った方が良いのでは?」
「……シルヴィアに言っても聞かんだろう、あいつは。それと妹では無い」
「まあご期待にはお応えしましょう。彼女だって自分の立場というのが分かっているのですから……」
「コラー! 人のデザート取るなあ!」
「昨日体重増えたって言ってたから気を遣ったんです!」
「そんなこと今言うなああ!」
 ……しばらく向き合ったまま沈黙する。
「……しっかりと手綱を握りたいと思います」
「……苦労をかける」
 同時に二人が思った。この部隊の中隊長陣は苦労が多すぎる、と。

 2001年11月10日
「うむ……フロリダも久しぶりだな」
「いや、ミリアは一月前までずっといただろ。……俺たちはあちこち飛び回っていたから本当に久しぶりだけど」
 二人とも歓声上げているMFCは見ないようにしている。
「ともあれ長旅の後だ。本題は一休みしてからで良いだろう」
「……そうだな」
「心配かね?」
 歯切れの悪いアールクトの返事に少し眉を寄せてミリアが尋ねる。
「俺が基礎を鍛えてギルバートとシオンが育てた連中だ。戦力での不安は無い。ただ……」
「ただ?」
「何か嫌な感じがする。漠然とだけど」

『伊隅大尉~本当に明日BETAが来るんですかね~?』
「香月博士によればな。尤も、来ないに越したことはないのだが」
『でもただの博打というわけではなさそうです。他にも二個中隊も動員しておいて何もありませんでしたじゃ済まないでしょう』
「確かに、な……。涼宮。そっちの方で何か動きはあるか?」
『今のところ何もありません。引き続き待機をお願いします』
 その言葉にふむ、とみちるは軽く頷き別の回線を開く。
「ラング大尉」
『何かありましたか。伊隅大尉』
 呼びかけに対する応答はすぐに来た。実直な中隊長の顔を見ながらみちるは提案を口にする。
「今のところ佐渡島に動きはないようだ。各隊交替で休息を取りたいと思うのだが」
『私は賛成だ。ヴァンセット大尉?』
『異存はありません。できれば我が隊から休ませてもらってもよろしいでしょうか? 昨日より隊員達も気が張っていて疲労が溜

まっているでしょうから』
「構いません」
『ありがとうございます。それではレイダーズ各機、休息に入ります。涼宮中尉、記録をお願い』
『は、はい』
 その言葉と同時に網膜ウィンドウから彼女の姿が消える。部下に指示を出しているのだろう。
『我が隊には余裕がある。ヴァンセット大尉の隊の次は伊隅大尉の隊が休息を取ると良い』
「ありがとうございます」
 通信を切って溜息を吐く。今回の任務に新任は連れてきていない。――捕獲任務など初陣の連中にはきついだろう。尤も僅か四

人でそれをやらなければいけなかったかもしれないと考えると笑うこともできないが。

 2001年11月11日
『ヴァルキリーマムよりヴァルキリーズ各機! 佐渡島ハイヴより旅団規模のBETAが南下中!』
 本当に来たのか、と沿岸の第二防衛ラインに待機していた全員に緊張が走る。
「ヴァルキリー1よりヴァルキリーズ各機! 聞いた通りだ。全機出撃!」
『伊隅大尉。我々オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊第二、第三中隊は前面に展開してそちらに流れるBETAの数を減らします


「了解しました」
 言葉どおりに漆黒のF-15SEが跳躍ユニットを吹かしてNOEで展開する。まだ光線級が空を支配する前。その隙に機動力を最大に

生かして防衛線を引く。
「聞いたな、お前ら! 今回私たちはエスコートしてもらう立場だ。こんな簡単な任務で失敗したら後で覚悟しておけ!」
『了解!』

「第二小隊、前面展開。第三小隊、左翼に。第一小隊右翼に。楔形壱陣で先頭BETA群と交戦に入る。第三中隊。そちらは?」
『現在北上中。国道沿いには既に帝国軍第十二師団が展開しているようです。……優秀ですね』
「最前線を守ってきた連中だ。この程度できないと生きていけないのだろう」
『同感です。……第三中隊、予定地点へ到達! 部隊を展開します!』
「レイド1、了解。レイダーズ並びにアルターズ各機。敵戦力は高々旅団規模。同条件で我らが隊長が率いる第一中隊は生き残っ

た。ならば我らに出来ぬ道理はあるまい」
『アルター1より全ユニットへ。レイド1の言うとおり。それに私たちの仕事は敵の殲滅では無い。ここに来たやつらを適当に減

らして後ろの方々に送る役目よ。無理せず、決して単機で当たらずにうまく連携を取っていけば……少佐の訓練よりも簡単よ』
「そういうことだ。では伊隅大尉。そちらの準備はよろしいか?」
 後半は回線を切り替えて後方に展開しているA-01に送る。
『こちらヴァルキリー1。準備は出来ている。いつでも』
『ラング大尉、私も前に出ます。よろしいですか?』
 シオンがギルバートに許可を求める形で確認する。彼女の本領は近接戦闘。長剣を使った一刀一足の間合いだ。それを活かすに

は当然前に出るしかない。
「レイド1了解。ではアルター中隊の指揮も私が取るが構わないか?」
『お願いします。……ヴァルキリーズはどうしますか?』
「ヴァルキリーズは捕獲が主任務だ。そして私にも後ろを気にしながら戦える余裕はない。伊隅大尉にお任せする」
『了解。ヴァルキリー1よりヴァルキリーマム。データリンクをヴァルキリーズとレイダーズ、アルターズで接続してくれ』
『こちらヴァルキリーマム。了解』
 その言葉と共にさっきまで映っていなかった情報が網膜ウィンドウに表示される。
「……よく整理されたデータだ。涼宮中尉、感謝する」
『いえ……沿岸部にBETA第一群上陸!』
「レイド1より各中隊A小隊へ。全機中隊支援砲装備。現地点より上陸中のBETAを砲撃する。可能な限りレーザー属種を狙え」
『アルター2より各機。光線級は完全に水面から体を出さない限りレーザーを撃たない。B小隊はそのタイミングを目安に突撃を

!』
 シルヴィアが補足情報を口にする。不思議なことに、光線級は目玉の部分が水面から出てもレーザーを撃たない。足が大地を踏

むまで撃ってこない。その理由は諸説あるが、水中ではレーザーが減衰するのを知っており体の一部が水中にあるだけで駄目だと

勘違いしているのではないかという説が割と有名ではある。
『レイド2よりB小隊! 36mmで牽制しつつ前に出る!』
『アルター1よりB小隊。隣の連中に負けるな? 吶喊!』

 57mm弾の雨が降り注ぐ。その一発が要撃級の体躯を抉り、致死量の体液を流させた。一発は突撃級の頑丈すぎる甲殻に弾かれ―

―跳弾が足もとの戦車級を打ち抜いた。上陸したばかりでまともな行動を取れないBETAを一方的になぶる。
 それをしかし潜り抜けるものは全体の一割程度とはいえ、いる。そして彼らの武器は物量。一割もいれば十分だった。
 砲撃地点に近づくBETA。それを阻むために漆黒の鷲が羽ばたく。
 唸りを上げて振り下ろされるXCIWS-3 試作近接戦闘長刀。それは正面から突撃してきた突撃級を、その頑丈な甲殻ごと真っ二つ

にする。
「……いけない。こんな使い方をしていたら刃がすぐダメになる」
 シオンは自省の言葉を口にする。咄嗟に振り下ろしてしまったが、あれは横にすり抜けて足を切りつけるのが正解だった。奴ら

は仲間の死骸は乗り越えるがどんなに重傷でも生きている仲間は避けて進む。それを利用して各所にバリケードを設けた方がよか

った。特にここは平野部。遮蔽物が少なく光線級の盾としても最適だったのに。
「悔いても仕方ない。次からはそうしよう」
 極度の自省癖は失敗を自己の糧にするといえば聞こえは良いが、シオンのそれは少々のめりこみ過ぎる傾向がある。戦場でそん

なことをしていては死につながるというのに。
(癖、というのはなかなか治らないものだな……。おっと、今のこれもそうか)
 思わず苦笑する。決して油断していていい状況では無いのだが。
『……? レイド2よりアルター1へ。何かありましたか?』
「いや、人というのは簡単には変われないと思ってな……。レイド2。前方に要塞級5。私とお前の立体挟撃機動で片付けるぞ?


『了解! タイミングはこちらで合わせます』
「よし。それでは……行くぞ!」
 巨大な要塞級。その鞭を掻い潜り足もとに滑り込む。そのまま手にしたAMWS-21戦闘システムで36mmをばらまく。鬱陶しげにこ

ちらを踏みつぶそうとする杭というよりも槍のような足を舞踏を踊るように小刻みに跳躍ユニットを使ってかわす。
 BETAの感覚器官はいまだによく分かっていない。だが、その要塞級が足もとの敵に意識を集中させているのは見てわかる。それ

を逃さずにXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を構えたF-15SEが空を駆けた。既に何体か光線級が上陸しており、飛行など自殺行為の戦域

。しかしBETAの陰にいればその例には当てはまらない。そのわずかな隙間。十センチでもずれたら照射されるそんなぎりぎりのラ

インを――ケビンは渡りきった。
『ハアアアアアアアアアアアア!』
 彼の叫びが通信機越しに聞こえる。そして水平噴射の勢いのままXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を振り下ろし――要塞級の頭部を切

り落とした。
『よし!』
「よし、じゃない! なんだあの危険な機動は!」
 先ほどの危険行為について咎めながら崩れ落ちる要塞級から抜け出し、少し離れた所にいる要塞級に120mm、APFSDS弾を撃つ。

頑丈な外殻を誇る要塞級もその貫通力に抗しきることはできずに毒々しい色の体液を流す。
「後でじっくり弁明を聞かせてもらうからな!」
 あんな危険な機動。一歩間違えばケビンはこの世の人間ではなくなっていた。それを咎めないわけにはいかない。
 そんなシオンの心中は別にして、作戦は概ね順調に推移していた。

「ヴァルキリー1よりヴァルキリーマム! 規定数のBETAは捕獲した。これより我々も実戦装備に切り替え、彼らの援護に行く!


『こちらヴァルキリーマム。了解。補給用コンテナを手配する』
 その応答を聞きながら小さく安堵の息を吐く。BETAの捕獲任務と聞いた時は相当の難題になると思ったが、前方に展開したオル

タネイティヴ計画特務戦術機甲大隊がうまく数の流入を減らしてくれたため、想像以上にスムーズに任務を遂行できた。
(いや、このOSの恩恵もある、か)
 活動停止したと思っていたBETAが急に動き出して別の行動をしているこちらを攻撃してくることが何度かあった。それが今まで

のOSなら硬直が解けずにそのままやられていただろうが、この新OS――XM3はその状態からそれまでの行動をキャンセルして回避

運動を取ることができた。……それがなかったらここには四人全員は揃っていなかっただろう。
(感謝しないといけないな)
 侵攻してきたBETA全滅の報が届けられたのはその二十分後のことだった。



「……そう、わかったわ。ありがとう。あなたもゆっくり休みなさい。伊隅」
『はっ、ありがとうございます』
 夕呼は自分の執務室で伊隅からの報告を受け取り、軽く息を吐いた。
(……これでまた当たった)
 白銀武とミリア=グレイの予想――未来予知と言い換えてもいい。それがどちらも的中した。この二人が通じているかどうかだ

が――少なくともその可能性は低いだろう。仮に通じているのだとしたら武は正直すぎる。ましてや霞のリーディングで真偽は確

認できる。そこまでごまかされているならこちらの完敗だが。
 重要なのは二人が言った事。
「12月24日が一気に現実的になってきたわね」
 彼らの言った言葉が本当なら――あと二か月もない。
「先生!」
「騒がないの。聞こえてるわ」
「色々とありがとうございました」
「……お礼を言う必要はないわ。あたしの興味でやったことなんだから」
 無邪気に礼を言ってくる武に対して軽い苛立ちを覚える。
「それでもいいんです! これで歴史は変わりますよ!」
 イラっとする。この程度の歴史が変わったからと言って何なのだ。ハッキリ言って今回の変化は夕呼の研究にとってはあっても

なくても大差ない出来事なのだ。
「……はしゃいでるわね。あんたは嬉しいかもしれないけどね……」
 こっちにとっては寧ろ苛立ちの種を抱えただけだ。
「……もしかして研究の方があまりうまくいってないとか?」
「忙しいから出て行きなさい」
「お邪魔しました!」
 一睨みすると逃げるように退室した。それを見て溜息を吐く。そして自分の理論の見直しを始める。
(間違っているはずがない)
 もしも間違っているなら白銀武はここにいない。ミリア=グレイも別世界からの因果情報を受け取ったりはしない。
「間違ってるはずが、ない……」
 誰もいない執務室にその声は空しく響いた。

 フロリダ基地最深部。秘匿格納庫。
「……これが」
「いろいろといじったからな。大分原型とは離れたが、性能は保障しよう」
「武装は……D並みか。凄いな」
「機動性は段違いだよ。また、戦術機を四機積載できるスペースもある。ステルスもね」
「対人戦での強襲にも使えるってことか……」
「まあ使わないに越したことはないけどね」
 彼らが前にするのは全長八十メートル、全高四十メートルの物体。
「対BETA戦もこの機動力を生かせば遊撃から拠点防衛までこなせる。バランスではDにも負けないよ」
「さすがだ、ミリア。よくここまで仕上げてくれた」
「何、すでに完成図があったからね。そこに私なりに線を足しただけだよ」
「それでも、だ。これで……足りない戦力を補って余りある。……名称は決まってるのか?」
 その言葉を待っていた、というように笑みを浮かべるミリア。
「もちろんだ。……彼の機体の名称を参考に私が名付けた――死を支配するものの名をね」

01/11 微妙に修正(レイズ→レイダーズ)
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[12234] 【第二部】第七話 訓練兵を鍛えようin横浜
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/12/21 19:47
 2001年11月16日
「なかなか全員さまになってきたな」
 訓練を眺めながらアールクトは呟いた。画面には六機の吹雪が模擬戦を行っている。
「軍曹から見てどうだ? 彼らは」
「はっ、新OSということもあるのでしょうが……これまで担当してきた訓練兵に比べて非常に優秀であると思われます」
「そうだな。私もフロリダ時代に訓練兵を鍛えたが、彼らと比べても優秀だな。練習機が吹雪という違いもあるが」
 吹雪という機体をアールクトが説明するとしたら贅沢な機体と答える。主機出力が足りないがそれ以外は現行機と比べても遜色ない性能だ。
「しかし撃震がここまで動くようになるとは意外でした」
 まりもの乗機である撃震――光菱が改修した撃震にXM3を搭載した機体だが、第三世代機の技術を惜しみなく投入した結果2.5世代相当の性能を獲得した。おかげでまりもも訓練兵たちに遅れを取ることなく仮想敵を務めることができていた。
「ひよっこ相手とはいえ、第一世代では第三世代を相手にするのは厳しいと思っておりましたので」
「連中、XM3への親和性が高いからな……通常の撃震では動きに追い付けないだろうな」
 と、話しながら見ているうちに模擬戦が終了した。
「……予想通りみたいですね」
 まりもが溜息を吐く。アールクトもこめかみを揉んでいる。
「賭けにもならなかったからな……」
 彼らがそうした原因、通信機の会話が漏れ聞こえてきた。
『あんたが独断専行したのが悪いんでしょ!?』
『臨機応変に対応した。それだけ』
『そのせいでこっちの対応が崩れたじゃない! 白銀との連携も取れてなかったし!』
『お、おい。お前ら落ち着けって』
『榊は頭が固い。いつまでも失敗した作戦に固執しても仕方ない』
『あなたみたいに作戦無視して動くのは正しいって言うの!?』
『戦場で無能な指揮官に従っていたら全滅しかない』
『何ですって!』
 二人――一応武もいるがいないも同然――の会話はどんどんヒートアップしていく。
「これは、放置するわけにはいかないな」
「はい……」
「さて……何か良い手は無いものかどうか」
 思わずアールクトは天を仰いでしまうのだった。

「え~っとそれじゃあ第……何回だっけ? とりあえず反省会を始めます」
 PXで一番心情的にも中立の武が司会を務めて反省会を始めるが……。
「彩峰が悪い。以上」
「榊が堅物過ぎる」
 二人とも即答。そして一瞬視線を合わせ、ふんっと逸らす。
(ああ、もう! 何でこいつらはどの世界でもこうなんだよ!)
 前の世界でもそうだし、元の世界でもそうだったはずだと武は思う。そのくせ妙なところでは息が合うし。この反省会もそのあたりをうまくするために始めたのだが。
(最初のうちはよかったんだよな……割と二人も友好的というか、歩み寄りの姿勢がまだいくらかあったというか……)
 それが回を重ねるごとに段々互いに我を通すことが多くなって、現在。
(今回は前みたいなことをしなくてもうまく行くと思ったんだけどな~)
 また合宿やるしかないのか……? と思っているとまりもから三人が呼び出された。
「白銀、榊、彩峰。話がある」
(……また五日間模擬戦から外れてどうにかしろって奴かな)
 前回と同じならそうなるだろうな、と思いながら行くと予想通りの言葉が降ってきた。
「貴様たちには明日からの模擬戦外れて貰う」
 やっぱりか、と思って武はうなだれるしかない。だが今回は武に代わり千鶴が抗議した。
「教官、それは成績が悪いからですか? だとしたら」
「榊。自分で分かっていることを口にしようとするな」
 きっぱりと言われ千鶴は黙り込む。このあとは五日間でどうにかしろって言われるのだろう、と思っていたら。
「明日から三日間、アールクト少佐のご厚意で少佐の部隊の方に一対一で教導をして貰えるそうだ」
「へ?」
 思わず声を出してしまった。
「それも含めて五日間の猶予を与える。その後の模擬戦の結果次第では、さらに芳しくない結末を覚悟しておけ。以上だ」
 予想外の出来事にしばし呆然としていたが、頭を振って切り換える。
(未来は変わってるんだ。こういうこともあるだろうし。それに……)
 現役衛士からの一対一での教導。それが無意味なはずがない。
「え~っとじゃあそういうことらしいから……三日間ちょっとお互いに頭冷やそうぜ? 顔を見ないで冷静に考えてみれば何か見えてくるかもしれないし」
「……そうね。少し頭に血が上ってたかもしれないわね」
「私が冷静」
「っ……あなたねえ」
「だ、だから落ち着けって!」
 二人の間に入って止めながら武は思う。……大丈夫かな、今回。だが人間関係のことは前回と同じように行動したからと言って同じ結果になるとは限らない。
「未来を知ってるのも考え物だよな……」
 小さくつぶやくが二人は全然聞いてない。ますますヒートアップしている。

「……さっきから気になっていたが何を探しているのかね?」
 執務室に来るなりがさごそ探しているアールクトをさすがに不審に、或いは手伝おうと思ったのかミリアが声をかける。
「胃薬を探している」
「……なぜ?」
「訓練兵を教導することになった」
「ああ、Ms.香月からも聞いている」
 それと胃薬が繋がらない。
「……俺の担当は白銀武だ」
「あ~なるほどね」
 得心が行ったとばかりに頷くミリア。
「そんなに嫌なら別の人に任せれば良いじゃないか」
「ギルバートはA-01の教導で手が離せないし、シオンとシルヴィアは既に担当が決まってる。ケビンとやらせたらお互いに暴走するだろうし、他の連中はあいつと一対一にすると面倒なことになりそうだ」
「……まああれだ。大ごとにならないように頑張ってくれたまえ」
「……善処しよう」
 既に胃薬を欲している時点でだいぶ危ない気もするがね、と言おうと思ったがそれは心の中に留めておいた。わざわざ負担になるようなことを言う必要もないだろうと思ったからだが。
「自分から許可を求めておいて言うのも何だが良いのか? 一応機密部隊だろ」
「どうせ彼女たちはA-01に入るのだろう? それが少し前倒しになって顔を合わせたと思えばいい」

 2001年11月17日
「さて、では彩峰訓練兵。私が貴官の教導を担当するシオン=ヴァンセット大尉だ。三日間だけだがよろしく頼む」
「シルヴィア=ハインレイ中尉です。よろしくね、榊訓練兵」
「「よろしくお願いします」」
 シオン、と言う人には武は見覚えがあった。
(あれって月詠中尉にタマがぶたれそうになったときに割り込んだ人だよな? あいつの部下だったのか)
「何をぼんやりしている白銀武。ヤル気がないなら置いていくぞ」
 イラっとした。よりによってこいつかよ! とも思った。だがそのたびに大隊長まで上り詰めた人間が無能なはずがないのだから、と自分を諫めて来た。
「全員別々に教導する。諸事情により実機が使えないのでな。シミュレータでの演習が主になるが我慢しろ」
 そう言って三人は別々の場所に向かう。確実なのはアールクト以外シミュレータデッキには向かっていないこと。
「……あの二人に何よりも必要なのは自分以外の考え方に対する理解だ」
 武の無言の疑問に答えるようにアールクトが前を歩きながら口を開いた。
「下地としてそれがあれば多少は互いに話しやすくなるだろう」
 そう言って彼はシミュレータデッキに入る。
「さて、彼女たちはそういった目的でうちの部下に教導をさせる。で、貴様は――」
 振り向いてサングラス越しの視線が武を射抜く。
「喜べ。俺が徹底的に貴様に三次元機動の真髄を叩き込んでやる」
 そう言って振り向いたアールクトの顔は……。
(どう見てもSの顔だ!)
 サングラスがあってもそう断言できた。

「くそ!」
 思わずシミュレータの中で悪態を吐く。さすがに自分で真髄というだけのことはある、と武は思った。
 いきなり始めたのは模擬戦。
『貴様も教官がどのくらい自分よりも上にいるか分かった方が身に入るだろ?』
 と言ってこちらの返事も聞かずにシミュレータに入っていった。
 聞くところによればこのOS――XM3は彼が理論を提唱したらしい。そのあたりの経緯はどうでもよかったが、武にとってはこのOSは己の操縦技能をフルに引き出してくれるものだった。同時にそれは従来よりも遥かに高度な機体制御というこの世界ではまだ誰も手に入れていない武だけの切り札となる、はずだった。
「……あいつも、俺と同じ考えで動いてる?」
 どう考えてもそれ以外になかった。XM3を動かしている衛士はみな旧OSの延長で動いている。武が訓練時に色々と教えているがそれでも、だ。当然その時アールクトも色々と教えていたが、彼はあくまで触りの部分。こういう概念だからこういう動きができる。ということしか教えておらず、具体的な操縦方法は自分で考えろといったスタンスだった。仮想敵役もまりもに任せきり。つまり、武はアールクトがどれくらいの腕を持っているか知らなかった。
 だが、今それが目の前にある。武と同じ考えで、概念で動きながらもその細かいキレが違う。着地の際の僅かな関節の屈伸、噴射跳躍の際に機体を細かく動かし航空力学的に最適な状態にする。射撃の際に重心をずらして着地位置を微妙に変える。等々上げればキリがないほど僅かに上を行かれている。
 今のところ形勢はほぼ互角。だがそれも徐々に、本当に少しずつ傾いてきている。
 搭乗機体は同じ吹雪。設定も同じ。つまりこの徐々に傾く天秤は完全に衛士としての力量を示していた。
「くっ!」
 右肩に被弾。36mmの単発なら損傷は酷くない。だが、一瞬だけバランスを崩した。それはコンマ一秒の世界。その刹那の間に武は体勢を持ち直し――アールクトは追撃をしかけた。
 至近距離からのセミオートでの36mmの連射。マズルフラッシュが瞬き武の吹雪の機体情報を次々と赤に変えていく。
 それでも反転噴射跳躍で距離を取る。が、それを読んでいたかのように水平噴射跳躍で開けたと思った距離が一瞬で零に戻る。もしも武が下がらなかったら激突するタイミング。まともな神経の人間ならそんなことは絶対にしないだろうという機動だった。そしてそのせいで武はこの後の攻撃の組み立てを全て破棄する。
 今から始まる攻撃を凌げなければ反撃の機会など訪れないと本能で理解した。
 背部兵装担架の基部が起動。満を持して74式近接戦闘長刀を手に取るアールクトの吹雪。刀身を保持したリップにある八ヶ所のロッキングボルトが炸裂し、強制解放されると同時に火薬式ノッカーが長刀自体を振り上げる。両腕で保持され、唸りを上げて振り下ろされる74式近接戦闘長刀。主腕のトルク、振り下ろされることによる重力加速度、そして兵装担架の各種機構による加速――現状の冥夜の抜刀すら霞む高速の抜刀。それを回避すべく武の吹雪は右腕のナイフシースから副腕が右手に65式近接戦闘短刀を握らせようとする。
 だが、間に合わない。吹雪が65式近接戦闘短刀を手にする前にアールクトの吹雪の74式近接戦闘長刀が武の吹雪を真っ二つにするだろう。それだけの威力を備えている。だから武は更に後方に飛びのきつつ87式突撃砲を投げ捨て、相手の振り下ろしを僅かでも鈍らせようとする。87式突撃砲を切り裂く74式近接戦闘長刀。その瞬間、僅かに74式近接戦闘長刀の振り下ろし速度が落ちる。その僅かな差で武の吹雪は再び武器を手にする。
 74式近接戦闘長刀と65式近接戦闘短刀の間合いの差。それは比べるまでもない。だが、西洋の重さで切る剣ならともかく、74式近接戦闘長刀は日本式の――引いて斬る刀だ。間合いと言ってもその実際は物打ち――本物の日本刀なら刀の殺傷性は切っ先3寸の内が最も高く、その箇所以外の範囲なら致命打にはならない。
 冥夜との会話の中でそれを知った武は間合いを詰める。反転噴射をキャンセル。慣性で機体バランスが崩れそうになるのを強引に持ち直し、水平噴射で加速しての踏み込み。物打ちの内側、武の65式近接戦闘短刀が最も威力を発揮し、アールクトの長刀は物打ちの内側で威力が減じる間合いに。

 だが、アールクトの方が一枚上手だった。

 87式突撃砲を切り裂く瞬間まで両手で保持されていた74式近接戦闘長刀。だが、武が間合いを詰めた瞬間にはそれは片手になっていた。ならもう片方の手はどこに?
 決まっている。武を打ち倒すための位置。他にありえない。
 既に握られている65式近接戦闘短刀。そして本来必要な間合いを詰めるという作業は必要ない。何故なら、武自身がその間合いを詰めた。65式近接戦闘短刀が最も威力を発揮するその間合いに。
 小さく、しかし戦術機の装甲を切り裂くには十分な威力を持ってそれが振るわれる。判定、管制ブロックに致命的損傷。大破判定。
 武の負けだった。

「なかなか悪くなかった。ああ、想像以上だ。正規兵でもこれだけ動けるのはそういないだろう。最後の短刀での踏み込み。あれは良い判断だ。並みの衛士なら反応できずに切り伏せられただろう。ただお前にとっての不運は相手が私だったことだ。決してお前は弱くない。私が強すぎただけだ」
(……誉められてるはずなのに妙に苛立たしいのは何故だ)
 妙にアールクトは上機嫌だった。その上機嫌の理由は武にはわからない。こうして武を負かすことができた程度で浮かれるような人間にも思えなかったし、仮にそうだとしたらただでさえ低い武の中のアールクト株が更に下がることになるが。
「さて、白銀訓練兵。今回の模擬戦で私とお前の実力差がはっきりしたわけだが……何が違うと感じた?」
 何が、というなら何もかもだが……。
「根本では差を感じませんでした」
 武はそう断言する。そう、根本――剣の技量や機体運用の巧みさを除けば差はなかったように武は感じた。
「……よし。それに気がついたなら良い。自覚があるだろうが……お前と私の操縦概念は他者とは違う。他の連中がやっているのはあくまで従来の概念であのOSを使っているだけだ。それではXM3の本来の力の半分も発揮できない」
 まあ、従来の概念で八割まで迫る猛者もいるけどな。と遠くを見ながら言うアールクトに何となく同情を覚える武がいた。
「お前に操縦技能を、お前の本領を発揮させることが出来るのは世界広しと言えども俺だけだ。だから、俺はお前に俺の持つすべての技能を徹底的に叩き込む」
 そこで一旦言葉を切り背中を向けてこちらを振り向きながら言う。

「ついてこれるか?」

 答えなど問われるまでもない。
「当たり前だ!」
 その後上官への口の利き方について一時間ほど説教された。それに理不尽さを感じたのは武のせいでは無い。

 2001年11月18日
「……明日の訓練は急ではあるが中止となった」
 その日の訓練も終わり、全員が集まった中でまりもが口を開く。
「急な話ではあるが、明日国連事務次官が当基地を査察することになった。よって中止だ」
 それに慌てたのは武と壬姫だ。武はその日にHSSTが落下するのを知っているため。壬姫は自分が書いた手紙の内容のため。
「先生! HSSTが落下してきます!」
「あうあうあうあうあうあうあ~」
 二人はそれぞれ行動を起こし、来訪の日は何事もなく終わる――はずだった。

 2001年11月19日
 視察ももうすぐ終わる時間のはずだ。簀巻きにされた武はトイレに転がされながらそう考える。……少し目の端に水滴が見えたのは気のせいでは無いだろう。
「ふう……何事もなく終わったか……」
 武の視点ではそうだった。
 夕呼の視点でも特にこれといった問題は起こらなかった。
 アールクトの視点でも予定どおりに終わったことに安堵していた。
 ミリアから見てもその日は何事もなく終わった。

 だが、もっとマクロな点で見ると何事もなくとは言えなかった。

「狗に紛れ込ませた虫はどうだ?」
「気付かれることもなく、各所に分散しています」
「ふん……所詮は黄色い猿か。思うように動いてくれるわ」
「まあまあ。愛玩動物は馬鹿なくらいが可愛いですよ」
「確かにな」
 暗い一室でクツクツと笑い声が響く。
「これを足掛かりにあの魔女を蹴落とす」
「……だがあの小娘はどうする? 大層な建前を並べてはいるがどう考えてもあれは向こうに与している」
「構わん。諸共処理すればよかろう。既に奴は不要だ」
「だがあの頭脳は魅力だ。簡単に捨て去るには惜しい」
「しかし生かしておいて今回のように噛み付かれるのは困る」
「ならば四肢を削いで保管おけばよい。……貴重な古書というのはそうするものだ」
「確かにな。本に手足など不要か」
「違いない」
「あちらの解析は?」
「ブラックボックスの根幹部の複製に成功したらしい。もはやオリジナルなど不要。この件で使い潰してしまえばいい」
「……そうだな。奴も年を越せるかどうかという状態だ。カードを切るなら今、か」
「戦力的には十分だ。あれなら我らの関与も疑われまい」
「あの小娘なら感付くかも知れんぞ? われらの基準で考えては危険だ」
「気付いたら気づいたで構わん。気付いた時には既に手遅れだ」
 彼らには絶対の自信がある。例え話題の小娘がこちらの動きに気付いたとしても既に彼女では対処できないレベルに達していると。
「虫はいつ動かす?」
「引金は奴らに引かせてやろうじゃないか。楽しませてもらった大道芸人に施しをやるのは礼儀だろう?」
「ええ、我らのためによく働いてくれたのです。それくらいは譲るべきでしょう」
「尤も、埒が明かないようならこちらで更に引金を引きますがね」
「文字通りにな」
「では手筈どおりに」
「ああ、風の噂では恐らくこのあたりに動くだろうとのことだ。派遣できそうな部隊を見繕っておけ」
「我らの手駒を含ませて、ですな?」
「人聞きの悪い……同志、と呼んであげたまえ」
「以前同志と呼んできた彼はとんだ無能でしたので」
「ああ、彼か……実に中途半端な真似をしてくれた。おかげで一時期私たちも動き辛くなってしまったよ」
「本気であの小娘を落とすつもりだったならあんな半端なやり方ではなく徹底的にやるべきだったのにな」
「しかしおかげで別のところには穴もできました。その点は感謝しても良いでしょう」
 再び笑い声が室内に満ちた。明るいとは言い難い声が。
「では私はこれで」
「ああ……我らが祖国のために」
『祖国のために』

 だがこれは誰も知らない話。ここにいた人間しか知らない話。
 だから武にとって、夕呼にとって、アールクトにとって、ミリアにとって、11月19日は何もなかった日だった。

 2001年11月20日
「さて、これで俺の教導は終了だ」
「あ、ありがとうございました」
 初日に教導中はちゃんと上下関係を意識しろと叩き込まれた成果か、普通の武の挨拶が響く。
「今日はゆっくり休んで明日からの戦いに備えておけ……俺の教導とは比べ物にならないほどの険しさだろう」
 そうしみじみと言うアールクトに武は激しく同意した。なにしろこれから待っているのは千鶴、慧の二人の間を取り持つ。少なくとも訓練中、任務中は息を合わせられるようにしなければいけないのだから。
「……では解散。神宮司教官には俺から明日からの訓練に復帰することを伝えておく」
「はっ。失礼します」
 その背中を見送ってアールクトはため息を吐く。
(順応しすぎにもほどがあるだろ!)
 三日で教えられることなどたかが知れてると思ってた。精々今後何かの成長の切っ掛けになれば良い。その程度のつもりだった。
(三日であり得ない吸収率……これはミリアの仮説が当たってたか?)
 たったの三日。その三日で武の操縦技能は劇的に向上した。むろんアールクトとしては一対一なら全然負けないし、小手先の技も含めれば圧勝できる自信がある。
 だが、今の白銀武に、彼の操縦技能に匹敵する衛士が世界に何人いるだろうか? 少なくともアールクトの部隊にはいない。総合力で見ればまだまだ勝っているが、あそこまでの変則機動を相手にしては総合力などという器用貧乏な連中では勝てないだろう。それこそ総合力でも勝ってある一分野で互角に近い人間でもない限り。
 たったの三日でそこまでの化け物になってしまった。無論、心理状態など実戦にある様々なファクターを考えれば順位は大きく下がるが。
「これは嬉しい誤算、で良いのかな?」
(だけどこれでまた俺の知る未来から遠ざかった)
 今持ってる情報がどれだけ役に立つのだろうか。溜息が洩れそうになるが堪える。
 本当に溜息をつきたくなるのはこれからなのだから。

 2001年11月21日
「それでは恒例の対冥夜分隊対策会議を始めたいと……おもいます……」
 腕組みをして沈黙を保つ千鶴と慧の圧力に負けて声が小さくなる武。普段ならこれくらい無視できる。だが、今二人が発しているこの重圧の前でとてもそんな真似は出来ない。
(何故こんなに空気が重い……?)
 心当たりがない。まさか自分の知らぬ間に喧嘩でもしたのかと思ったがそういう訳でもなさそうだ。
「必要ないわ。白銀」
「うん、必要ない」
「いや、必要ないってお前ら」
 何でこんな時ばかり息が合うんだと突っ込みたくなる。
「だから対策を練る必要なんてないわよ。もう私と彩峰で練ってあるから」
「あとは白銀の意見を聞くだけ」
「へ?」
「だから、昨日の夜私と彩峰でじっくりと話し合ったの。普段の個人的感情を訓練中は忘れようっていう前置きの元ね」
「そういうこと」
 何時の間に、と武は思う。一体アールクトの部下だという二人がどういう教導をしたのか武にはわからないが、何かをするまでもなく二人の関係はだいぶ軟化していた。
(良い事なんだけど……)
 昨日寝る間も惜しんで色々と考えた俺は一体何だったんだと言いたくなる武だった。

 模擬戦の結末はわざわざ言うまでもないだろう。千鶴、慧、武のA分隊の最大の欠点でもある連携の不備が完全にという訳でもないが改善されたのだ。その技能を十分に発揮し……負けた。流石に連携が取れていようが、壬姫の狙撃は甘くなく、冥夜、美琴もA分隊に劣る技量では無い。これまでにない接戦だったが、負けた。これがA分隊側のみにXM3があったというなら勝敗は覆っただろうし、回数をこなせばこなした数だけ勝敗は変わっただろう。つまりはそれくらいの接戦だった。
 しかし負けは負け。A分隊は――一週間の兵舎のトイレ掃除を命じられた。
『この程度で済んでよかったと感謝しておけ』
 というのはまりもの談。
 また、その兵舎のトイレという閉鎖空間の中で千鶴と慧が口論を始めないわけがなく――武の胃に負担をかけるようになったのは余談である。

 2001年11月25日
 ようやくこの日が来た。アールクト=S=グレイは万感の思いを込めて呟く。思い返すのは先日のこと。
『これ……! この図、見たことありますよ!』
 ついに気がついたのだ。白銀武が、鍵に。オルタネイティヴ4を成功に導く鍵に。
『違う……これ、BETAのいない世界で見たんだ。そう、この図にバツをつけてその隣になんか数式を……』
 長かった。これでようやく、これまでとは違う結末を迎えられる。
 口元に笑みが浮かぶ。ようやくだ。
「これでやっと、俺の目的が果たせる……」
 部屋の照明が瞬く。短時間だが停電が起きる。つまり、転移装置の電力供給のためだろう。アールクトは記憶から該当することを思い浮かべ、笑みを深くする。
「これでやっと…………」

 2001年11月27日
 転移実験の関係で夕呼の執務室に向かう武。
(今度こそ世界を救える)
 部屋の前まで行くと霞が佇んでいた。
「お、何だ? 霞も先生に用事か?」
 こくりとうなずく霞に微笑みかけながらIDカードを通して執務室に入る。と。
「副司令なら司令室に行きましたよ」
「うわっ!」
 見知らぬ男の声に身構える武。執務室の中央に視線を飛ばすとそこには声の主と思われる男がいた。
「はじめまして」
「え? は、はじめまして」
「作りものにしては良くできている」
「むがっ?」
 いきなり頬をつねられて奇声をあげる武。それを振りほどく。
「なにするんですか!?」
(こいつ……あっさりと俺の懐に入りやがった……。俺だって警戒してたのに!)
「――白銀武。本物か」
「な……」
「警戒しなくても大丈夫だよ。社霞ちゃん?」
 武の困惑は深まる。心当たりは――無いわけでは無かった。城内省がらみ。今の白銀武の名を知る人間は訓練校の人間を除けばほとんどそれになる。
 そもそも夕呼の執務室はそんな簡単に入ってこられるような場所では無いのだ。そこにいる時点で警戒に値する。
「ふむ……無用な警戒心を与えてしまったようだね。シロガネタケル?」
「そうやって名前を連呼するから怪しいんですよ」
 怪しいことこの上ない。
「騒がしいわよ。人の部屋で何やってんの」
 その無意味な論争は夕呼が戻ってくるまで続けられた。

 来客を追い払うように退室させ、夕呼は深く椅子に腰かけて溜息を吐く。転移実験も順調。何の問題もないはず、だ。
 白銀武が00Unitの根幹理論を否定し、正しい物の在り処を示した。正直、他世界の自分とはいえ他人に頼るのはあまり良い気分では無かったが仕方ない。自分のプライドに拘って人類を滅ぼさせるわけにはいかない。
 だが、と夕呼の胸に一抹の不安が過ぎる。ただ一人――正確には二人、か? この事態を予見した人物がいた。
 ミリア=グレイとアールクト=S=グレイの二人。彼らだけが最初から白銀武が鍵だと言っていた。彼こそが救世主だと。確かにそうだろう。こうして人類を救うための研究に貢献などと呼べるレベルでは無いことをしてくれた。
 だったら、なぜあの二人はそれを言わなかった? 気付いているなら武が来た時点であの図を見せれば00Unitはもっと早期に完成し、人類にとってのプラスになったはずなのに。
(やっぱり完全には信頼できないわね)
 それなりに信用はしているが。きっと彼女たちは利害が反したら自分を見切るだろう。それは夕呼としてもお互い様だから責めるつもりはない。
 付け加えるなら武が理論回収のために転移実験をした翌日。何事もなかったかのような顔で。
『先ほど00Unitの問題点の因果情報を受け取りました。私ではどうしようもないですが、Ms.香月にお知らせしておきます』
 と言ってODLを経由してBETA側に情報が漏れる可能性があるという情報を伝えてきたが……それも怪しい。
(本当はもっと前に受け取っていたけどあえて今明かした? だとしたらその理由は?)
 一番可能性として高く、その行動で確実に効果が見込めるのは完成の遅延だが――。
(する意味がない)
 完成を妨害するならある意味本来の立場に戻った正しい行動だと言えるが、完成を遅延させてどうするというのだろうか。そもそもこの程度のことは大した遅延にもならない。元々最終的には反応炉を介さなくてもODLを浄化するつもりだった。そのための研究は進んでおり――簡易浄化装置を大量に並列で繋げば解決している。コスト面を度外視すれば既に完成しているとも言えるのだから。
(これも単に稼働開始が少し遅れるだけ)
 ならば次、向こうが完成が遅れることで何らかのメリットがある。ましてや彼女たちは未来の情報を得ている。それも加味すれば可能性としては低くないが。
(……流石に思いつかないわねえ)
 稼働開始が遅れてメリットが生じるというのは考えにくい。少なくとも夕呼には考え付かなかった。
「……まあ良いわ。少なくともこれで00Unitは完成する」
 このあと何か手を出してきても問題はない。オルタネイティヴ本計画と予備計画では動かせる権限の規模が、優先度が違う。何か企んでいたとしてもどうにかできる自信があった。

 12月5日。
 他者にとってはこれから意味を持ち――アールクトにとっては既に意味を持つ日が始まる。

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[12234] 【第二部】第八話 クーデター 序 ――それぞれの思い
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/01/23 23:02
 2001年12月05日 02:33 首相官邸
「こ、こちら首相官邸警備部隊! 至急増援を乞う! こちら首相官邸警備部隊!」
 必死で通信機に呼びかけるが帰ってくるのはノイズのみ。
「ECMか……!」
「動くな」
 通信妨害に歯噛みしていると後ろから静かな声。背中には何かを押し付けられている感触。
「貴様ら……こんなことをして何になる! この混乱で防衛戦が手薄になり、佐渡島から攻められれば日本はひとたまりもないぞ!」
「黙れ」
 くぐもった悲鳴は一度。湿った音とともに何かが倒れた音を背景に男は奥へ進む。
 バンッと、過剰なまでに大きな音を立て、扉が開かれる。その部屋の主はこんな時間にも関わらずスーツで身を包み、堂々と腰かけていた。
「随分と手際の良いことだ。踊らされているという自覚はあるのだろう?」
「――ここで立たねば、日本の民は二度と自分の足で立つことが出来なくなる」
 部屋の主が襲撃者に落ち着いた声音で問う。侵入者は――短く刈った髪にスーツ。あくまで視力矯正用の無骨な眼鏡。そしてその中でその眼光と手にした日本刀が浮いていた。
「立ち上がって転ぶ程度なら良いのだがな。それが民に何を強いるのかわからぬわけでもあるまい」
「将軍殿下を民から遠ざけ、国政を思うままにした貴様が何を言う……!」
 その言葉は厳密には違う。だがそれを知る部屋の主はそれを否定せず、襲撃者はそれを知らない。
「日本はBETAに侵攻された時に滅ぶのでは無い。施しに甘んじ、日本の民たることを忘れたときに滅ぶのだ。……ここに来たからには覚悟はあろうな? その身を汚泥に晒す覚悟が」
 既に部屋の主は覚悟を決めている。そして襲撃者も同様に。
「是非もなし」
 一輪の、紅い華が咲いた。

 2001年12月05日 04:26 横浜基地 兵舎
 いつものように霞に起こされて、眠気を取るために冷水で顔を洗う武。そこに冥夜が駆け込んできた。
「タケル、起きろ! ってもう起きてるではないか」
「おはようさん。点呼前にうろつくとはおぬしも悪よのう」
「バカ者。先ほど総員起床の令が下ったのだ」
 ――総員起床。何かあったのだろうか? と武は思案を巡らせるが心当たりはない。前の世界でも特には。
「抜き打ち演習?」
「わからん。その後は即応態勢で自室待機だ」
「? とりあえず訓練は中止なのか」
 最近転移実験のせいであまり参加できていなかったから今日は参加しようと思っていた武としては残念な気持ちがあったのだが、その思いを冥夜に言うことは出来なかった。
『防衛基準体制2発令。全戦闘部隊は完全装備で待機せよ。繰り返す、防衛基準体制2発令。全戦闘部隊は完全装備で待機せよ……』
(何だこれ! こんな出来事記憶にないぞ!?)
「タケル!」
「分かってる! 俺は夕呼先生のところに行く! お前はみんなに伝えてくれ!」
「分かった!」
 部屋の前で互いに言葉を交わし、全速力で武は走る。
(どういうことだ!? いきなり防衛基準体制2なんて……。まさか本当にオルタネイティヴ5が早まったなんて言わないよな!?)

 2001年12月05日 04:35 横浜基地 中央作戦司令室
「首相官邸、帝国議事堂ともに完全に制圧されました!」
「帝都城周辺の状況はどうなっている!? 報告急がせろ!」
「相模湾沖に展開中の米軍第七艦隊に依然動きなし!」
「都内の浄水場、発電所が次々と占領されていきます!」
「主要な新聞社、放送局にも手が回っています。都内の通信施設は支配下に落ちたと――」
 一歩踏み込めばそこは戦場だった。比喩では無く。本物の。
「厄介なことになったな」
「まったくです。このどさくさに紛れて米軍がどこまで介入してくるか注意しなければいけませんね」
 声のする方に武が振り向くと基地司令――ラダビノッド司令と夕呼、ミリア、アールクトが並んでいた。
「米軍との折衝は任せてもらっても良いでしょうか? 第七艦隊には多少だが伝手があので。……多少はマシかと」
「うむ……それでよいか? 香月副司令」
「ええ、構いませんわ。ではグレイ少佐。よろしくお願いします」
「了解しまた。では早速行ってきます」
 何やら司令クラスの人間で今後の対応を話し合ってるらしい。
「私は特務戦術機甲大隊の方に指示を出してきます。ついでにA-01にも出してきますが……どうしますか?」
「お任せします。グレイ博士。では司令、私たちは」
「うむ」
 会話が途切れたタイミングを見計らって武は夕呼に声をかける。
「先生!」
「白銀? ああ、ここってあたしの部屋より機密レベル低かったっけ」
「そんなことよりも何があったんです? まさかオルタネイティヴ5じゃ……」
「安心なさい。そんなんじゃないから。ちょっと帝国内部で面倒が起きたのよ。いわゆる軍事クーデターって奴ね」
「クーデター!?」
 そんな記憶は武にはなかった。この時期にあったのは先日の災害救助のみで、それも断った今、クリスマスまで何もないはずだった。
「こういうのは初めてかね? シロガネタケル」
「うわ!」
 突然背後から声をかけられて飛びのく。
「よ、鎧衣課長?」
 先日会った美琴の父親。会うのは二度目だが、正直武は苦手だった。
「いやいや、なかなか大ごとになってきましたなあ」
 他人事のように、飄々とした態度を崩さない左近に夕呼が呆れが混じったような表情で言葉を投げかける。
「前に来たときに聞いてもないのにべらべら喋っていったのは誰だったかしら? 飼い主はさぞ頭が痛いでしょうね」
 その言葉に武はハッとなる。あの時言っていた意味深な言葉。あれはこのクーデターを示唆していたのだと。
「いやいや、褒められても何も出ませんよ。……クーデター部隊の中核を占めるのは帝都守備隊の面子だそうですが。この短時間で帝都を手中に収めるとは……いやはや。大した手際だ」
「……そのようね。で、将軍は無事なのかしら?」
 将軍、という言葉に武は冥夜の顔を思い浮かべる。遠縁の親戚だと言っていた。だが武御雷を送ってくるくらいだ。本人が言うほど遠縁でもないのだろう。
「帝都城は斯衛の精鋭が固めていますが帝都守備隊すべてを敵に回しては戦闘が始まれば時間の問題でしょうな」
「随分とはしゃいじゃって。帝国と国連を向こうにまわしてよくもまあ。世界で遊ぶのは愉快でしょうけど、あんまり動きすぎると消されるわよ?」
「買いかぶりすぎですよ。私などせいぜい演出助手くらいです。私の喜びは博士のような美人の手足となって働くことですからね」
「良く言うわ。自分の目的のためでしょう」
 おどける左近を夕呼が一瞥する。既に武にはわからないことだらけだが、次の左近の言葉は聞き逃すわけにはいかなかった。
「ええ、もちろん。商売柄目的遂行のために手段は選びません。それは先ほどまでここにいた彼女も、あなたも同じでしょう……香月博士? 例えそれが将軍家ゆかりのものであろうと、首相の娘であろうと、実の娘であろうと犠牲は厭いませんよ」
「鎧衣さん! 今のってどういう意味ですか!」
「……いけないな。聞けば必ず答えが返ってくると思っているのかね?」
 左近の嗜めるような言葉。だがそこに込められた覚悟のようなものに武は気押される。だがそれでも口を動かした。
「犠牲って……どういう意味ですか!?」
「安心したまえ。その犠牲を無駄にするようなことはしないさ。切ったカードが最大限効果を発揮するタイミングは私も、彼女も、香月博士も心得ているつもりだよ」
「なっ」
「将軍家の血縁者に現役総理大臣、榊是親の娘。国連軍事務次官珠瀬玄丞斎の娘。さらに元陸軍中将の娘にこの私、情報省外務二課課長鎧衣左近の娘。君はこれだけの豪華メンバーが偶然揃ったと思ってるのかね?」
 ――確かにそうだ。前の世界でそれを知ったときだって偶然だとは思えなかった。それがないと思っていた美琴にすらこんな因縁があったなんて……。
「白銀、あんたはブリーフィングルームに行ってなさい。あたしもあとから行くわ」
「……わかりました」

 2001年12月05日 05:00 横浜基地 第五ブリーフィングルーム
『親愛なる日本国民の皆様。私は帝国本土防衛軍帝都守備連隊所属、沙霧尚哉大尉であります』
 クーデターの首謀者からの声明が流される。その姿に武は既視感を覚える。どこかで……会ったことがある?
『皆様もよくご存じのとおり、わが帝国は今や人類の滅亡をかけた侵略者との戦いの最前線となっております。殿下と国民の皆様を、ひいては人類社会を守護すべく、前線にてわが輩は日夜生命を賭して戦っています』
 武の目からは彼が軍人というよりは青年実業家のように見える。だがその印象に反してとんでもない戦術機の腕を持つことを――。
(あ?)
 思わず片手で頭を押さえる。今、何を考えた? 沙霧大尉が戦術機の操縦に長けている。そんなことを一体いつ知った? それに驚嘆した記憶がある。だがあるはずがない。彼には会ったこともなければ戦術機に乗れるかすら――いや、先ほど守備連隊と言っていた。なら戦術機にも乗ってるかもしれない。しかしそれでも戦術機の操縦に長けていることを知っている理由にはならない。
(一体何なんだ!)
 まるでどこかから別の世界の記憶が流れて来たかのよう。そのなんとも言えない不快さに武は苛立つ。
 その間にも声明は続く。将軍を傀儡としている政府を打倒するために自分たちは蜂起した。国民には害を与えない、など。
『我々が討つべきは日本を蝕む国賊、亡国の徒を滅するのみであります』
「もう良いわ、切って頂戴。どんなことをいうのかと思えば……がっかりね」
「先ほど最後まで抵抗を続けていた国防省が陥落したようだ。未確認ではあるが帝都で戦闘が始まったとの情報もある」
 そこで一旦まりもは言葉を切った。ほんの僅かに躊躇のような感情が見えた。むろん、訓練兵は気がつかないようなレベルではあるが。
「また、臨時政府はクーデター部隊により榊首相をはじめとする内閣官僚数名が暗殺されたことを確認した」
 その言葉に訓練部隊の全員が固まる。榊首相、つまり千鶴の父親だ。
「沙霧大尉自ら、首相以下の官僚を国賊とみなし殺害したそうだ。榊……お父上のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げる」
「いえ、今は任務中ですから……」
 そう絞り出すように告げる千鶴は唇を噛みしめていた。その姿を痛ましげな視線を一瞬向けたのちまりもは堅い口調で言葉を続ける。
「貴様らも国連軍の衛士である前に日本人だ。この事態に動揺するのは当然だと思う。我々の使命は人類の滅亡をかけた戦いに、国家の垣根を越えて奉仕することだ。それを忘れるな。入隊宣誓復唱!」
 まりもの号令に207B分隊全員が入隊宣誓を斉唱する。そうすることで己のなすべきことを確認し、迷うことなく任務を遂行する。それが軍であり、軍人としてのあるべき姿だ。
「よし、その言葉の意味を噛みしめろ。いいな?」
『はいっ!』
「現在当横浜基地では、第一戦術機甲大隊、第五航空支援大隊を即応部隊として待機させ、残りは基地の防衛に当たる予定だ。……とはいえ出撃の可能性は零では無い。今頃貴様らの機体も実戦装備に変更されてるはずだ」
 その言葉に武は苦い思いを感じずにはいられない。人間相手の戦闘になるかもしれない。人間を戦術機で撃つかもしれない。――同じ日本人を。
(クソったれ……)
 そう吐き捨てずにはいられなかった。

 2001年12月05日 05:12 横浜基地 中央作戦司令室
「どうあっても増援部隊は受け入れられないと仰るのですか!?」
「そうは申しておりません。ただ時期尚早だと言っているのです。我々国連軍が帝国政府の要請もなしに干渉することは……」
 この手の話はどうも苦手だ。とアールクトは冷やかに司令室を、珠瀬事務次官とラダビノッド司令の口論眺めながら思う。
 一応腹芸もこなせるがやはりそういう政争やら陰謀やらには自分は向いてないと思った。
(……先生にも言われたしな。あんたには向いてないって)
 己の交渉事などの搦め手の師である人物を思い返し小さく口元に笑みを浮かべ、それを打ち消す。
(いかんな……ここのところよい出来事が続いていたから少し気が緩んでいる)
 そうやって油断した時こそ手痛い一撃を食らう羽目になるのだ。
「もはや一刻の猶予も残されていないのですよ!? この機を逃しては後悔することになりますぞ!」
「まるで米国みたいなやり方ですのね。国連はそんなにアジア圏での米国の発言力を回復させたいのかしら? 増援と言いつつ結局は米国が日本帝国に内政干渉したいだけなのでしょう?」
 皮肉たっぷりというよりも皮肉100%で構成された夕呼の言葉に珠瀬事務次官言葉を呑む。
「それに帝国政府からの出動要請も出ていませんわ。国連はいつから加盟国の主権をないがしろにできる権限を持ったのかしら?」
「決まっている、Ms.香月。米国が望んだ時に、だよ」
「あら、納得ですわ。グレイ博士」
 ここにミリアも参加しているから珠瀬事務次官はもう大変だ。……心の中で合掌しておく。本来なら自分もあそこに入っていくべきなのだが、入ってもおそらく大した効果は見込めないだろう。単に珠瀬事務次官の胃を痛めつけるだけだ。それを考えるとミリアもあまりいる意味がないのだが……矛先が自分に向かない分には良しとする。
 そもそも、ミリアも自分も一応戸籍上は米国人なのだが……。言わぬが花だろう。わざわざ話をややこしくする必要はない。
「国連は対BETA極東防衛の要である日本が政情不安定な状態に陥ることを望んでいません。それは即ち、オルタネイティヴ計画の中枢である横浜基地の安全が脅かされることに直結しますからな。もしクーデター後の新政権がこの横浜基地を……全人類の切り札の接収を要求してきたら一体どうなさるおつもりです!?」
「むろんその時は国連の名において当基地の全力をもって応戦します。Mr.珠瀬」
「……そうなれば当然、米国への支援も要請するでしょう。ですが今はその時では無い。米軍を受け入れるわけにはいきません」
 ミリアの言葉をあくまで毅然とした態度のラダビノッド司令が引き継ぐ。仮にそうなった場合……恐らく支援はいらないだろう。万が一そういった事態になった場合に備えてアレにも対人戦闘の装備を組み込んだのだから。
 チラリと地下――90番格納庫にあるアレの方向を見る。尤も、今回のような戦闘で使うわけにもいかないが……。
「大体、このタイミングで米国太平洋艦隊が相模湾沖に展開しているのはどういうことです? まるで何が起きるか知ってたみたいですね」
「艦隊については緊急の演習と聞いておりますが……まさに僥倖と言ったところでしょうか。それに五日前米国諜報機関より基地司令部宛てに、帝国軍内部に不審な動きありとの勧告が回ってきてるはずですが?」
「……用意周到ですこと」
 秒レベルで悪くなっていく空気を改善するようにラダビノッド司令は口調を和らげて珠瀬事務次官に語りかける。
「事務次官。あなたも日本人なら米国のそのような強硬姿勢がこの国でどのような反発を生んでいるのかはご存じのはずでしょう?」
「言っても無駄ですわ、司令。属国の謗りを受けてまで忠実なパートナーであろうとした日本をさっさと切り捨てて逃げ出した国ですからね。佐渡島が落ちたと見るや一方的な条約破棄による撤退。――日本の半分が敵の手に落ち、ハイヴが建設された時に、明星作戦で何をしたか。日本の国民は忘れてなどおりません」
「次期オルタネイティヴ予備計画が動き始めて早三年……次期計画推進派の圧力も日々高まっています」
 そこで珠瀬事務次官はちらりとミリアをみた。何故ここにいる? と言いたげに。
「対BETA戦略の見直しを迫る米国はもはやしびれを切らし、オルタネイティヴ計画自体に見切りをつけ、独自行動に踏み出す機会を窺っています」
 これは事実。オルタネイティヴ5すらどうでもいい。そう言っている人間がいるのも事実だ。
 正直に言って、今やアールクト達――ミリアの立場はかなり複雑だ。オルタネイティヴ5の主要人物であり、オルタネイティヴ4に積極的に協力し、米国の独自行動を牽制する。一応建前はオルタネイティヴ4から成果を奪えるだけ奪って5に還元する。また、5で人類を救うことに拘泥している――という風になっているが、それでごまかせるのもあと一月が限度だろう。
 それが過ぎてオルタネイティヴ4が何の成果も上げてなければ負けだ。良くて権力が奪われてどこかに軟禁。悪ければそのまま人知れず葬られるかもしれない。
 本来なら賭けにすらならない。だが、勝算はある。それにアールクトにとっては他に選択肢がなかったのも事実。彼の目的はどうあってもオルタネイティヴ4の成功――少なくともその一歩手前まで持っていかないと達成できない。
「私も国連職員である前に一人の日本人として、日本主導のオルタネイティヴ4を完遂させたいのですよ」
「戦略の見直し……ね。結局のところ米国は極東防衛戦が崩壊して、本土が戦場になるのを避けたいだけでしょう? 戦略の転換って言ってもG弾を米国本土以外でバンバン使ってBETAを全滅させて、戦後の地球に君臨したいだけなのよ。自国は無傷のままでね」
(そしてその手段はG弾に限らないのだろうな……。別にあれが今一番効率的にBETAを殲滅できるから使いたいだけ。他があればそれを使う)
 夕呼の言葉に反論とまではいかないまでも珠瀬事務次官が口を開いた。
「国連が米国の意向を受け入れない組織になれば……彼らは単独でもそれをやるでしょう」
 それだけの力が米国にはある。それだけの力があるからこそ国連は最後のストッパーとしてどうにか機能せざるを得ないのだ。米国が独自行動を起こさないように。ぎりぎりまで米国の意見を反映せざるを得ない。
「ご安心ください事務次官。オルタネイティヴ5の発動も米国の独断専行も許しませんから」
「……大した自信ですな。いまだに具体的な成果が出ていないと言うのに何があなたにそう言わせるのか」
「虚勢と取るかそうでないかは、お任せしますわ」
 決して虚勢ではないことをアールクトは知っている。武が元の世界の夕呼から00Unit完成のための理論を受け取る寸前まで来ている。確実に実現に近付いている。
「……仕方ない。いったん退散するとしますか。すぐにもどってまいりますので後ほど」
 それを見送ってアールクトも動き出す。自分も前みたいにぼんやりしているだけでは済まない。望んだ未来を手繰り寄せるために自分から動かなくては。

 ――そう。あと一歩のところまで来たのだ。

 2001年12月05日 05:19 横浜基地 廊下
「……オヤジさんの事。気の毒だったな」
「ありがとう。でも気にしないでちょうだい」
 気にしないで、といわれても気にしないことなど武には出来そうもなかった。
「おまえさ……この作戦降りた方が良くないか? せめて今だけでも分隊長変わるとかさ」
「なによ。私が任務を果たせないって馬鹿にしてるの?」
「さっき手が震えてたじゃねえか。いつもと違うって一番良く分かってるの委員長だろ?」
 確かにみた。父親の死亡を伝えられた時、小刻みに震えていた彼女の手を。
「だからこそいつも通りにしてたいのよ」
「任務中ならそうするべきだ。でも今は待機中だろ? 俺たちの出番が来るまでまだ時間がある。そんな時まで無理に圧し殺さなくていいんじゃないか?」
 確かに任務中はそうするべきだ。あの日以来千鶴と慧の任務時の態度が変わった。少なくとも任務中はいがみ合わない。その分日常でよく口論をしている姿を見るようになったが、それも今までのような険悪なものでは無く友人同士がじゃれている――というには些か過激だったが――ようなものだった。
 武の記憶では父親に反発して徴兵免除を蹴りここに来たはずだった。親子のソリは合わなかったかもしれない。それでも親は親だ。どんな原因であろうと、どんなに疎遠であろうと肉親が死んで完璧にいつも通りでいられるはずがない。
「……そうね。ショックなんて受けないと思ってたのに」
 ぽつりと、窓の外の景色に向けて千鶴が呟く。
「元々距離置いてたし、ほとんど会ってもいなかったから」
「いつからだ?」
「覚えてない。私が志願する前が最後かもしれない」
「そっか……。俺も親にはしばらく会ってない。どこにいるのかもわからないし」
 その言葉に千鶴は同情するような視線を向ける。自分だって悲しくて、手いっぱいのはずなのに。それでも人を気遣える彼女を武は尊敬したいと思った。
「あのな、辛い時には辛いって言えよ。そうしてもらった方が周りは楽だったりするんだよ。みんなだってたぶん心配してるぞ? 例の不干渉主義だとかで何も言わないだろうけど」
「御剣だって今の状況はかなり不安なはずだわ。理由はわかるでしょ?」
「ああ、あいつも顔には出してないけど」
「だから彼女には余計な負担をかけたくないの……やっぱり私やるわ」
「おいおい、だからって大丈夫なのか?」
「――良いのよ。私には心配しなければいけない人も心配する人もいないから」
 隊のみんなが心配するとは言えなかった。彼女が言っているのが家族のことだと気付かされたからだ。
「委員長……」
 何も言えない自分が悔しかった。
「大丈夫よ。何かしてる方が方が気が紛れるしね。まあ、私たちみたいな訓練兵の出番はないと思うけど」
「……だと良いけどな」
 だが、出撃もしない相手にあんな詳細なブリーフィングをするだろうか。

 2001年12月05日 05:27 第七艦隊所属空母 格納庫
「……この状況下で内紛とはな。日本人には目の前にハイヴが建てられているという危機感が持てないのか? 楽観主義にもほどがある」
「……私には難民のために、という彼らの主張。わからないでもないですが」
 控え目にイルマ=テスレフ少尉が言う。それに大仰に首を振るのはアルフレッド=ウォーケン少佐。
「……テスレフ少尉は難民キャンプ出身だったな。だがそれも行き過ぎればRFLなどと同じ世の中に混乱をばらまくテロリストだ」
 そう言いながらウォーケンの脳裏には三年前から親交のある士官の顔が思い浮かぶ。
(確か次の赴任地は日本だと言っていたな……)
 これから向かうところに彼がいる。心配はしていない。仮に戦闘に巻き込まれても自分よりもうまく切り抜ける。それは確実なのだが。
(彼はこれを見て何を思うのだろうな)
 日本出身だと言っていた。家族は誰もいないが故郷だと寂しそうに。その故郷が内紛を起こしている。戸籍は既に合衆国だと言いながらもこの国を懐かしんでいた彼は――。
「このような茶番、さっさと終りにしたいものだ」
「……そうですね」
「今のこの世界に人類同士で争っている余裕などないのだから」
 何よりもそう言っていた彼の故郷がそうなっているのは皮肉だが早めに終わらせる。その分だけ被害も何もかも小さくなるはずだから。

 2001年12月05日 07:01 横浜基地 廊下
「米軍の受け入れ随分と急に決まりましたね」
 早歩きで進む夕呼に小走りで追いつきながら武が声をかける。
「事務次官が安保理の承認を取り付けたんでしょうけど。それにしたって早すぎるわ」
「……最初からそういう筋書きだったって言うことですか?」
 本当に準備が良い。
「まったく……基地内で好き勝手やられたらたまったもんじゃないわ。まあそのあたりはグレイ少佐がどうにかしてくれるみたいだけど」
「少佐が?」
「彼、北米国連軍の出だからね。米軍ともそれなりに交流があって今回の派遣された部隊も頭から末端まで知り合いが多いから折衝を受けてくれたわ」
「そうですか……」
 なんだかんだ言っても結構偉い人なのだと認識させられた。
(……不敬罪とかにならないよな?)
 よくよく考えると何となくであんな態度をとって……よく許されたと思う。
「それより今回の件、あんたの記憶にはないのね?」
「はい。覚えてる限りでは次はクリスマスのオルタネイティヴ5でした」
「素晴らしいわ。確実に未来を変えているという証拠ね。それにこの事態、あたしたちにとっては好都合だわ」
 その言葉に一抹の不安を覚える。
「頼んだわよ。色々とね」

 2001年12月05日 08:26 横浜基地 格納庫
「うわ、凄い匂い。こんなんで着座調整してたら窒息しちゃうよ」
 格納庫に充満する塗料の匂いに美琴が眉根を寄せてぼやいた。武もそれに同意だ。この匂いは慣れてないと辛い。何となく息苦しさを覚える程度には。
「実戦塗装ってことか。目立つマーキングとか潰してるんだな」
「ほんとだ。機体番号も濃いグレーで書いて、目立たなくしてるね」
 BETA相手ならどんな塗装でも関係ないが、今回の相手は人間。同じ眼でこちらを確認して同じ方法でこちらを撃ってくる。それを考えるとまた武は暗澹たる思いに囚われそうになる。
「出撃の可能性は十分にあるということね」
 先ほどの発言をいきなり撤回せざるを得ない状況に千鶴もやや気分が下がり気味である。
「そのようだな」
 それは冥夜も同じ。彼女の場合はこうして自分たちの出撃が身近になるにつれてクーデターが、自分の親戚である将軍の状況を考えて落ち込んでるのだろう、と武は判断した。
(前はこんなこと起こらなかったのに……!)
 今は寄り道なんかしてる場合では無く、人類すべてがBETAとの戦いに結束する必要があるのに、と憤る。
(何がクーデターだ。余計なことしやがって!)
 先ほどの理由に加えて、今回の件で部隊の仲間がそれぞれの事情で苦しんでいるのもその感情を後押しした。
「兵装の指示は!?」
「Cだ! 次のコンテナ!」
「全機実弾装填だ! 兵装はC!」
「了解!」
 整備兵たちの声が武たちのキャットウォークにまで届く。
 実弾。
 それを人間相手に撃つ。
 人を、殺す。
(……こればっかりは俺も模擬戦のペイント弾でしか経験がない)
 前の世界ではBETAと人間の警戒任務だったが、BETAの襲撃も移民反対勢力のテロも――。

 なかったはずなのに。
(畜生! まただ!)
 BETAに基地が襲撃された記憶がある。テロリストが戦術機で基地を制圧しようとしてきた記憶がある。
 片方は横浜基地。もう片方は見た事のない場所。だが武はそこがフロリダ基地だと知っている。
(どうなってるんだよ!)
「たたたたたた大変です~! 外が大変なことに……あわ!」
 謎の現象に頭を悩ませていると壬姫が慌てて入ってきて……転んだ。
「タマ、大丈夫か?」
 強化装備を着ているから顔面から行かない限りは大丈夫のはずだし、これまで訓練してきて顔面ダイヴをするようでは困るのだが……「タマならあり得る」と考えてしまった武がいた。
「あ、はい……ありがとうございます。たけるさん……じゃなくて、外が大変なことになってるんです! 基地の周りに帝国軍が!」
「はぁ!? 帝国軍!?」
 その様子を確かめるために武は走りだす。
「ちょっと白銀。どこに行くの!? 待機命令中よ!」
「榊、私が連れもどす」
「頼んだわよ!」
 後ろで冥夜と千鶴が言葉を交わしているが武は気にせず基地の外に出て――。
「なっ……!」
 目にしてのはこちらに銃口を向けている帝国カラーの撃震と陽炎の部隊。
「……完全に包囲されているな」
 その声にようやく武は冥夜が後ろにいることに気が付いた。
「冥夜……おまえも来たのか」
「いや、そなたを連れ戻しに来たのだ」
 そういえば待機任務中だったと今更に思い出す。しかし今から戻るのもここで少し話してから戻るのも大差ないだろうと思い、武は冥夜に尋ねる。
「あれって帝国軍だよな?」
 口にしてからバカな質問をしたと思った。そんなもの一目瞭然だ。
「ああ、そのようだな」
 暗がりで遠くまでは見えないが、戦術機だけでなく機甲部隊も展開しているようだ。この分では後方にMLRS部隊などの支援車両部隊がいてもおかしくない。
「クーデター部隊ならともかく……何で帝国軍がここに……」
「国連軍の基地内とはいえ、他国の軍隊が無断で上陸してきたのだ。主権国家としては当然の措置であろう」
 その言葉に一応は納得する。国連では無く米国の軍隊だからというわけだ。
「……くだらねえ……最悪だ」
 それでも理解はできない。米国に手出しされるのが嫌ならとっとと自分たちで片付けろよ! と言いたくなる。
(クーデターだけでも余計なことだって言うのになんだよこりゃあ!? これ以上俺たちの足を引っ張るなよ!)
「こんな所に部隊を派遣する余裕があるなら何でクーデターを鎮圧に行かないんだ!」
「そういう問題では無い。既に米軍はこの基地に進駐している。その事態に対する当然の反応だと言っているのだ」
 たしなめるような冥夜の言葉も武の耳には入らない。いや、それを理解しようとしない。
「だからBETAに負けるんだ! あいつらに好きなようにやられるんだよ! こんなことやってて勝てる相手かよ……」
「目的が同じであっても……重んじるものが違えば道を違えることもある」
「BETAに勝つよりも大切なことがあるのかよ!?」
「それは……」
 冥夜が言葉に詰まる。ある、とは言えない。だが――
「あるわけないだろ?」
「貴様の言う通りだ。だが、それだけでないのも事実だ」
 後ろから声をかけて来たのは……斯衛の将校、真那。
「月詠さっ……中尉」
「月詠……そなた何をしている! 殿下の危機を知りながら何故ここにいるのだ!?」
 本来ならば帝都にいて将軍を守るべき立場の人間である。
「め、いや!?」
 突然の冥夜の剣幕に戸惑う。
「は……お言葉ではありますが、冥夜様の警護こそ私どもが殿下より賜ったお役目でございます」
「ばかものっ! 痴れ言を申すな! 今、帝都がどうなっておるか……知らぬわけがあるまい!」
 その剣幕のまま、どなり散らす冥夜の姿は明らかに平静を失っていた。
「重々承知しております。そうであるが故に、冥夜様の御側を離れるわけにはいかぬのです」
「そなた、己の申していることの意味が分かっておるのか!?」
「おい冥夜、よせ!」
 武の目から見ても真那は苦渋の決断の末ここにいるようだった。それがわからない冥夜では無いはずなのだが、今は動転しているようで武の静止も届かない。
「私のことはよい! 早く行けっ……行かぬか!!」
「なりません……こればかりはいかに冥夜様のご命令といえど……なりません」
 まさに絞り出すと言った様相で言葉を吐く真那を見て武は当然だと思った。たとえ世界が違ってもその根本は変わっていなかったそれならば。
「恐れながら冥夜様! 月詠様とて殿下を案ずる気持ちは冥夜様と同じ……しかしながら私共にとりまして、冥夜様も大切なお方――」
「控えろ巴!」
 真那が一喝するが、残りの二人、神代と戎が後を引き継ぐ。
「左様でございます……私共とて身を引き裂かれる想いでございます! 冥夜様! どうか、月詠様の心中、お察しくださいませ!」
「殿下直々に賜った冥夜様の御側役を私共がどうして蔑ろにできましょう!?」
「やめんか!」
「……もうよい」
「……冥夜様」
 三人の血を吐くような思いを聞いた冥夜は既に先ほどまでの剣幕を捨て去っていた。あるのは僅かな後悔。
「月詠、許すがよい。私がどうかしていた」
「いえ、決してそのようなことは……」
「そなた達が殿下の命に背くなど決してあり得ぬこと。私も重々承知していたはずだったが……神代、巴、戎、許すがよい」
「「「滅相もございません! ……私共こそお許しを」」」
「もういいじゃないか……な?」
 落ち着いた頃合いを見計らって場を取りなす……が、ここにいる人間の思いに気押されて若干遅い気がしないでもない。
「ああ……」
「貴様たちはもう下がれ。格納庫にて待機せよ」
「「「はい。冥夜様、失礼致します」」」
 三人を見送ってから冥夜が武にも謝罪する。
「つい取り乱してしまった。許すがよい」
「良いって。それよりも中尉。殿下はご無事なんですか?」
 その言葉に冥夜が僅かに目を見開く。
(やっぱり知りたかったのはこれ、か)
「……どうなのだ?」
「現在斯衛軍第二連隊と決起部隊が堀を挟んで睨みあっています」
 と、言うことは先ほどの戦闘が始まったというのは誤報らしいと武は判断にした。
「決起部隊は帝都城に背を向け、銃口こそ殿下に向けておりませんが、包囲部隊の数は徐々に増えている模様です」
「では、殿下はご無事なのだな?」
「はい。警護を預かる第二連隊は精鋭中の精鋭です。ご安心ください」
 それを聞いてクーデターの報を聞いてからずっと張り詰めていた冥夜の表情がほんの少しだけ和らいだ。
「月詠中尉。あの帝国軍部隊は?」
「恐らく甲信越絶対防衛線から派遣されている部隊であろう」
「やっぱり……」
 単純に決起軍の分だけ戦力が減っている今の帝国軍が部隊を捻出するには既存の部隊から出すしかない。そして横浜に一番近い部隊は帝都守備隊を除けば絶対防衛戦の部隊。
「帝都奪還作戦の主力は北関東絶対防衛線と第二次防衛戦から抽出されたと聞いている」
 第二次防衛戦まで手薄にしていると聞いて武は怒りと呆れを覚える。第一次防衛線は海上ライン。無いに等しい。それを考えると今の帝国は佐渡島からの侵攻があればそれだけで滅ぶ寸前になる状態だった。
「国家の主権がどうこう言ってる場合かよ。下らねえ」
 吐き捨てるように呟いた武の言葉に真那が冷たい視線を向ける。
「国家の主権が下らぬとは……聞き捨てならんな」
「下らないじゃないですか。国家主権なんて。そんなもの人類の未来あってこそだ。極東の最前線で、こんな時に権力争いなんて……国連の力を借りてさっさと鎮圧すればいいじゃないですか」
「では貴様に尋ねる。例えば国連の方針が特定国家の世界戦略を色濃く反映させたものであったとしよう……」
 米国のことだろう。
「その国家が多様性を認めない自国中心主義であっても貴様の答えは同じなのか?」
「同じです」
「ほう……」
「人類の生存が最優先です」
 既に一度滅びを経験しているから断言できる。
「ではBETAとの意思疎通が可能になったとして、人類の生存が叶うなら彼らの支配を受け入れるというわけか」
「違います。人類の勝利が前提です。BETAとの共存は有り得ません」
「では別の例えをしよう。貴様の部隊が敵と交戦中に部隊内で致命的なトラブルが発生し、窮地に陥ったとしよう。偶然その付近に展開していた私の部隊からトラブルの解決に協力したいとの申し入れが来る。提案を受け入れなければ貴様の隊は全滅。受け入れればトラブルは解決し勝利する可能性が高い。だが受け入れれば貴様の部隊は強制的に私の部隊に編入され……全ての精神的肉体的自由を奪われ、私に隷属することを強制されてしまうとしよう」
 それは最初のたとえ話を言いなおしただけ。
「それでも貴様は私の提案を受け入れるかな?」
 その言葉に武は憤りを感じる。そんな小さい話をしてるんじゃないと。
「勝利が得られるのであればどのような提案でも受け入れるのだろう?」
 そんなたとえ話に意味はない。そう言いたい。
「どうした? 主権が下らないものであれば考えるまでもなかろう」
「……もう良い。そこまでだ月詠」
 冥夜の言葉で真那の追及は止まる。
 だから武は気が付けなかった。その問いに即答できないということ。その意味に。自分で思っているほど自分の意志は強くないということに。
「そなた達はここにいるとして、斯衛軍はどう動くのだ?」
「それは……」
 そう言いながら真那はちらりと武に目を向ける。
「何だ。武が情報を漏らすとでも言いたげだな」
「え?」
「……この者の言動は国連……ひいては米国よりです」
「そなたは帝国斯衛軍。私たちは国連軍。武の考えはその意味では間違いではあるまい」
「それでは差し障りのない程度に……」
 そう言って真那は簡潔に斯衛軍の様子を伝える。
 城内省が健在のため斯衛軍の統制は失われていないこと。声明にあった通り、殿下に仇なす所存なしと言う言葉は今のところ真実であるということ。帝都民には被害が出ていないということ。ただしこれにも今のところはという言葉が付く。
 城内省が健在ということは精度の高い帝都の情報がそこから伝わるということであり、クーデター部隊は将軍と国民に手を出したら大義名分を失うことになる。その情報を整理して次の言葉を待つ。
「ですが先ほど申し上げましたように帝都城を包囲する部隊は増強されつつあります。状況は予断を許しません」
「確かに……」
「決起部隊側は殿下の勅命を賜ろうとするはずです。それが彼らの正義を証明する、唯一の手段です故。ですが殿下の重臣を殺害したことは殿下の御心を曇らせているはず……ただちに勅命が発せられることはあり得ないでしょう」
「しかし時間が経てば経つほど帝国軍の情勢が整う。米国が介入してくる可能性もある」
 つまりは時間の勝負。
「左様でございます。帝都が戦場となる可能性も充分ありましょう」
「…………最悪だ」
 冥夜が呻くように言うが武も同感だった。それでどっちが勝利しても敗北しても意味がない。結局最終的に戦力を減らし、帝都をぼろぼろにしたという事実が残るだけだ。
 そしてそれに備えるために斯衛軍も帝都に部隊を集結させている。真那のような独立警護部隊はそれぞれ警護任務に就いているということだった。
「わかった。そなたに感謝を……下がってよいぞ」
「は、何かございましたらいつでもお呼びください」
 そういって真那が下がっていく。それを見送りながら冥夜が謝罪を口にする。
「許すがよい……あの者は職務に忠実であろうとしているだけなのだ」
「気にしてない。中尉の立場じゃあれが当たり前だろ。それよりも格納庫に戻ろう。着座調整しないと」
 死んだはずの人間。米国よりの発言。あれだけで済んでいるのは幸運だと武は思っていた。
「……そうだな」

 2001年12月05日 08:37 横浜基地 正面ゲート
 先ほどの会話を思い返しながら真那は基地内を歩く。そろそろ格納庫に戻ろうかと思ったタイミングで後ろから声をかけられる。
「……話してみてどうだった? やっぱり前の白銀武とは違うか?」
「……アールクト=S=グレイ少佐」
「白銀武。……白を賜る白銀家の長男。BETA侵攻の際には母方の実家である柊町に帰省しており、その後行方不明……何か補足は?」
 本来そう簡単に知りえない情報を軽々と口にするアールクトに真那は瞳に怒気を乗せて睨む。だがアールクトは堪えた様子もなく話を続ける。
「しかし長男と言っても父親と母親の間に婚姻関係はなし。表向きでは斯衛士官学校に入ったただの一般家庭の出、となっているな。後見人が白銀影行か」
「……それが何か?」
「確かに元武家で死んだはずの人間。だがなり済ますには向かない。何故あんなにも警戒した?」
 アールクトとしてはそこが謎だった。何故白銀武一人にあそこまで警戒したのか。その答えを知っているのはこの本人だけ。データでたどれたのはこれが限界だった。
「……そっくりだった」
 どこか遠くを、昔を懐かしむように真那が呟く。
「もし、あのような出来事がなく無事任官できていたなら……神代、巴、戎の三人と共に私の部下になっていただろう」
「…………」
「幼い日に何度か会ったことがあってな。……故に許せなかった。あの純粋な子を騙っている輩が」
「なるほどな……」
 すでに故人である白銀武と個人的な親交があった。それがあの初対面の激昂の理由か。
「少佐。ひとつ問いたい」
「こちらの問いに答えてもらったからな。答えられることなら何でも答えよう」
「……貴官の前任者、あの白銀武は……」
「残念だが別人だ。中尉の知ってる白銀武じゃない」
 ばっさりと切り捨てる。一分の望みも抱かせないように。
「……そうか」
「あの白銀武がそうだとは思わなかったのか?」
 ふと疑問に思った事を聞いてみる。
「あれが私の知っている白銀ならきっとこう呼んだ……『真那さん』とな。だがあいつはどんなに砕けた呼び方でも月詠さんとしか呼ばなかった。ならば、あれは私の知ってるあの子では無いのだろうよ」
「……悪かった。わざわざ傷を抉るようなことを聞いて」
「いや、こちらも数々の無礼を働いた。お互い様と言えるほど天秤が釣り合っているわけでもないが……これで手打ちにしてほしい」
「そうだな」
 そう答えるとふ、っと儚げな笑みを浮かべて呟いた。
「横浜侵攻の時に米軍に拾われて米国に連れて行かれたという眉唾ものの話は所詮は眉唾であったか……」
「……待て。何だそれは?」
「ああ、一時期必死に行方を辿ったことがあってな。そんな証言とも言えぬ言葉に縋っていたのだよ。そのせいで少佐にも噛みついたというわけだ……」
 自嘲気味に笑みを浮かべるがアールクトは笑わない。ただ同意するように軽く頷いて言葉を発した。
「いや、気持ちはわかる。俺とて誰かを探すときはほんの些細なことでも信じようとしていた。……冷静になって考えるとありえないことだらけだったがな」
 そうしてお互いに苦笑を交わし、アールクトは表情を引きしめる。
「……恐らくあの訓練小隊も出撃する。その際に中尉の部隊も護衛に就くだろう。……私の隊も同行する可能性が高い。その時はよろしく頼むぞ」
「了解しました。少佐」
 そうして斯衛式の敬礼をして去っていく真那の背中を見つめながらアールクトは呟く。
「そうか……そういうことか」
 やっと謎がいくつか解けた。と小さく苦笑を漏らした。

 2001年12月05日 18:00 横浜基地 待機室
 やけに時間がたつのを遅く感じる。武はそう思った。
 事態に大きな動きはなく、重い緊張が基地全体に圧し掛かっていた。
 クーデター軍は将軍からお墨付きを貰ってないのかという考えに始まり、基地を包囲している帝国軍の動きや基地内にいる米軍のことが気になりだす。それが武に苛立ちを覚えさせる。やるべきことがあるのに何もできず、ただ徒に時間を浪費しているだけ。人類の命運が懸かった大事な時期にこんなにらみ合いに付き合わされているということがそれを助長した。
 周囲に目を向ければ隊の雰囲気も重苦しい。初めての実戦が人間同士の殺し合いになるかもしれないこと。そして家族の安否。その二つが隊に圧し掛かっている。
(幸か不幸か俺はそれを気にしなくても済む立場だけど)
 もしも武の両親が、純夏がいたならば居ても立ってもいられなかっただろうと自己分析じみた事をする。
 特に冥夜は将軍の心配をしているだろう。親戚なのだから当然だ、と武は思う。他の隊員だって多かれ少なかれ将軍の身を案じているはずである。
(でも、一番つらいのは委員長だろうな)
 肉親を殺された彼女。他の隊員も気を遣いすぎているが、千鶴が気丈に振舞っている分、逆にやりづらそうだった。
 どうにかしないと。そう思った武だが。
「みんな、格納庫に集合よ」
 その言葉に部隊に緊張が走る。
「――えっ? まさか……」
「出撃命令か!?」
 壬姫の不安そうな声に被せるように冥夜が鋭い口調で尋ねるが、それを美琴が能天気――と言っては失礼だが、いつも通りの声で答える。
「違うよ。火器管制装置の微調整だって」
 何でも新OS、XM3が個人データを参照するときの設定項目が細かすぎて自動補正じゃどうしても誤差が消えないらしい。それを直すべくそれぞれ手動で調整するということだった。そうして全員で格納庫に向かう途中。
「あれ? 慧さんは?」
 気がつくと慧がいない。それを武が迎えに行く。
「彩峰」
 武はベランダで空を見上げている彩峰に近づく。だが、反応はない。
「おい、彩峰」
 軽く肩をゆすってようやく彼女は振り向いた。
「……何?」
「何、じゃねえよ。格納庫に集合だって委員長言ってただろ?」
「ああ、うん」
「それじゃあ行くぞ」
「何?」
「だから、格納庫に行くんだってば。火器管制装置のマニュアル補正だってよ」
 そう言っても慧の反応は薄い。
「おいおい……昨日からお前変だぞ? しゃきっとしろよ。しゃきっと」
「……しゃき」
 重症だ。武はそう思ったが、今すぐ何か出来ることは少ない。精々愚痴を言わせて気持ちを楽にしてやるくらいだろう。
「……昨日PXで眺めてた封筒。あれが関係あるんじゃないのか?」
 誰から来たものかはわからなかった。武に気がつくと慧はすぐにそれをしまってしまったから。ただ彼女にも手紙を出してくるような知人がいるんだな程度にしか思わなかった。前の世界ではそんな素振りが一切なかったにも関わらず、武が一切疑問に思わなかったのはアールクトに始まる面々の存在。彼らの存在に比べれば慧が手紙をやり取りする相手がいるくらい大した違いに思えなくなってしまっていたのである。ただ、ほんの少し引っ掛かりは覚えたが。
「……知ると後悔するよ」
「聞いて欲しくないならいつも通りでいろよ。気持ちを表に出すなよ」
 きっと心の底では誰かに聞いてもらいたいと思ってる。そうでないなら慧はいつも通りでいられる。そういう強さを持っていると武は知っていた。――それをどこで知ったのかは全く思い出せなかったが。
「彩峰……俺たちはお互いが命を預け合う同じ隊の一員だ……そうだろう?」
 武の言葉に慧は答えない。聞いていて無視しているのか、先ほどみたいに聞いてないのか。
「俺はお前がどんな事情を抱えているかよく知らない。それを無理に聞き出すつもりもない。だけどこれだけは聞かせろ。俺はお前に安心して背中を任せて良いんだよな?」
「……白銀は、私がうんって言ったら信じるの?」
「当たり前だ」
「……どうかな」
 確かに武はとある事から疑念を抱いている。仕方ないと思いつつもそれを口に出す。
「正直に言うと俺はお前が何かの陰謀に巻き込まれているか、それに加担しているんじゃないかって疑っている。昨日の封筒。切手も消印もない上に雑に切られた封。それで検閲済みのハンコが押されてた」
 半分は当てずっぽうだ。そこまでしっかりとは見えなかった。だが切手と消印が無く、検閲印があるのは確実だった。
「俺は人類を救うために頑張ってきたしこれからもそうだ。でも人類の生存よりも自分の都合のほうが大事な連中がこの世の中には大勢いるみたいで――そいつらが今みたいな自体を引き起こしている」
 そしてそのせいで今武たちはその訓練の成果をBETAではなく人間に向ける羽目になっている。
「多分そいつらは他人を信じることができないんだと思う。俺は少なくともそいつらと一緒になりたくないと思ってる。だからお前が『うん』と言ってくれれば俺はお前を信じる」
 慧は黙っている。裏目に出たかとも思ったが、このまま遠まわしに勘ぐって何も分からず、疑心暗鬼になるよりもましだと思った。
「……これ読んで」
 答えは差し出された封筒。おそらくは武が昨日見た物。彼が感じたとおり、明らかにおかしかったそれ。まだ持ち歩いていたことに武は驚きつつも尋ねる。
「お、おい、どういうことだよ? これを読めば答えになるっていうのか?」
 小さくうなずいたように見えた武はそれを読む……が、読めない。文字は読めるが意味がほとんど取れない。
(こ、これって古典か!? 最後に古典の勉強したのなんて何年前だよ……読めるわけねえ……)
「……何を言いたいのかさっぱりわからん」
 正直に観念して武がそういうと慧は予想していたように軽く頷く。
「……いくら手紙を書いても読まなきゃ意味ないし、読んでもその意味を考えようとしなければ同じこと」
「ということを責めてるってわけか?」
 そしてそれには理由があるとは思うということが書いてある。
「まあね、返事出したこともないし、それ以前に読んでもいないけど」
「全部読んでないのか? なんで読まないんだよ?」
 最後の手紙となろうというところはすぐに読めたし、武にも意味がわかった。少なくともこの送り主は何度か慧に手紙を送っているということが。
「読んでもわからないから」
「嘘言うな。今までの部分全部理解できてるじゃないか」
 良いから早く続きを読めと促されて最後まで読む。
「……彩峰? 読んだぞ」
「最後、名前が違う」
(えっ!? って何で黙読してたのにわかったんだ!?)
「その人の名前は……沙霧尚哉」
「――えっ!!?」
 沙霧尚哉。今、この日本帝国でその名前を知らぬものはいないだろう。クーデターの首謀者としての名を。
「これはその人からの手紙」
 そうして慧は説明する。沙霧尚哉が自分の父親――彩峰萩閣の元部下だったこと。尊敬していたこと。父親も彼を子どものように可愛がっていたこと。まっすぐで、優秀な人だったこと。今でも父親が投獄されるときに何もできなかった自分を責めていること。最近大東亜連合軍の人が会いに来て手紙を渡すこと。彼らは父親は悪くないということ。
「……人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである。……父さんがよく言ってた言葉」
 どこかで聞いたことがある、というのは今度はすんなり思い出せた。前の世界で同じように慧から聞いたことを。
「父さんには失望したけどその言葉には従える」
「ああ」
「でも私には軍の発表とその人たち、どっちの言ってることが正しいのかなんて……わからない。だからもういいのに……」
「……………………」
「後悔の綴られた手紙なんて、欲しくない……だから開かない。だから読まない」
「……そうか」
 彼女だって無関係ではなかった。武が気が付いていなかっただけで、慧も今回の件で辛い立場にいた。そして沙霧尚哉の気持ちもほんの少し。
 何もできなかった後悔なら武にだってある。前の世界で何もできなかった、人類の滅びを甘受するしかない立場だった自分に。
「大体わかった。でも、それでも彩峰にあんな危険な手紙をよこす理由が俺には分からない」
 下手をすればあそこからクーデターが発覚していたかもしれない。そんな危険を冒してまで上官の娘にあんな手紙を送るだろうか?
「他に思い当たる理由はないのか?」
「父さんは……あの人と私を結婚させたがってた」
「えっ!?」
(じゃあやっぱり恋人……許嫁とかいうやつか?)
 その瞬間何かを思い出しかける。それまでのどこで得た知識かわからない不快な感じではなく、忘れていたことを思い出したような感覚。
「あの人は、まっすぐな人だったから。私の同意が欲しかったのか、それとも巻き込まれないように警告したかったのか……」
「……そうか」
 どの理由もそれなりに納得できる話だった。まっすぐで、危うい人物。武には沙霧尚哉がそう見えた。
「だから、もっと早く読めばよかった……」
 後悔に満ちた慧の声に武は意識を引き戻される。
「おととい、手紙を届けた人がこれで最後だって言うから封を開いた。でも……」
 準備万端で手紙を届けたのだろう。真偽を調べているうちに時間切れになるように。
 或いはその逆。武は既に戦略研究会が帝国情報省にマークされているのを聞いた。発覚を恐れ、決起を前倒しにしてその直前に手紙を送ったのかもしれない。だけどそれだと情報省が軍にクーデターを警告しなかった理由が武にはわからない。
「もっと早くに読んでいれば……少なくとも死ななかったかもしれない」
「――え?」
「あの人が手を掛けた人達……」
 クーデターの首謀者が首相を暗殺したという事実。慧の父親の信念を信じる者が信念ゆえに千鶴の親を殺したという事実。そしてその首謀者と慧はただの知り合いじゃ済まない関係。それはどれほど慧の心を苛んだのだろうか。
「もう手遅れ」
「確かにそうだけどお前が悪いわけじゃないだろう? 仮にお前が通報したとしても手紙の真偽を調べているうちにクーデターは起きたはずだ」
 そう。さっき武自身が考えたように時間切れになった。それがわからない慧ではないだろうが、それでも自分を責めてしまうのだろう。止められたかどうかではなく、動いたかどうかが重要だと考えているのだから。仮に――通報していたとしても国連軍から帝国軍には安易に知らせることはできなかっただろう。
「沙霧大尉はそれを計算に入れていたはずだ」
「……どうかな」
 その言葉に武は不安になる。慧は沙霧大尉のように後悔を胸に秘め、千鶴の父親の死を十字架に背負い、復讐しようというのかと。
「これが白銀が知りたいことの全部……。満足?」
「……なあ、何でお前は俺にそこまで話したんだ? 俺がしつこかったからか?」
(俺はお前の手伝いをしてもいいのか?)
「さっきの白銀の質問。……今『うん』って言っても白銀は信じる?」
 不安はある。だがそれは慧本人に対するものではなく。だとしたら武の答えは決まっていた。
「当たり前だ」
「じゃあ約束守って」
 武の頭に疑問符が一瞬浮かぶ。
「うんって言うから……」
 黙って信じろ……というよりもこれは慧からのこれ以上は聞くなというサインだと思った。だが、何時も気丈にしている彼女がここまで話してくれたということは相当参っていることだろうと武には感じられた。
「わかった。その代わり、ひとつお願いがある」
「……なに?」
「この件は誰にも言うな。今さら彩峰がこうでしたなんて言っても余計に混乱する」
 慧には悪いが、これ以上部隊内でごちゃごちゃしたくないというのが武の本音だった。
「いいな? 俺も共犯だ」
 その言葉に無理矢理気味だが慧も笑みを浮かべる。
「……良いね、共犯。その響き」
「だろ? というわけで息合わせていこうぜ」
 そう言いながら慧の肩に手を置いて格納庫に向かおうとすると。
「……彩峰、武!」
 流石に遅いと思ったのか冥夜が駆け込んできた。
「ごめん、すぐ……」
「――調整は後だ! すぐにブリーフィングルームに集合だ!」
 武の言葉に被せるように言う冥夜。その口調にただならぬものを感じた武は問いただす。
「どうした! 何か動きがあったのか!?」
「わからん! 榊達は直接向かった。急げ!」
 その言葉に急かされて三人はブリーフィングルームに向かった。

 2001年12月05日 18:03 横浜基地 副司令執務室
 ほぼ同時刻。
「ったく……やっと一息つけたわね」
「これでようやく私に話を聞くことができる、かしら?」
 部屋の中には主である香月夕呼と彼女がここまで連れてきたミリア=グレイ。
「話が早いわね」
「わざわざここに私を呼んで話すことなんてそう多くはないでしょう?」
「…………前々から言いたかったんだけどそのむかつくしゃべり方やめてくれないかしら?」
 その言葉にミリアは軽く眉を上げ、感心したように笑みを浮かべた。
「……驚いたね。気が付いていたのか」
「確信したのは社の報告を受けてだけどね」
 薄い。彼女はそういったのだ。リーディングして得られる色。それが薄いと。読み辛いではなく、まるで虚構のようだと。
「仮想的な人格の構築……対ESPを取ってるとは全く気がつかなかったわ」
 必要な事象のみ脳裏に浮かべることでリーディングすら騙すその切り替えには恐れ入る。
「ふむ、バレてしまったか。と、なると今は霞嬢を待機させて私の思考を探っているということかな? もしそうだとしたらやめさせたほうが良い。初めて会った時にも言ったが私の頭は少々特殊だ。人類の中で優れた脳を持つ彼女でも人類の枠を超えた脳の情報量には耐えられないだろう」
 それは予想していた。だから今、霞にはリーディングを禁じている。そのために貴重なバッフワイト素子を使っているのだから。
「それも含めて色々と聞きたいことがあるわ。あんたが知ってる未来の知識についても、ね」
「やれやれ……嫌われたものだな。いきなりあんた呼ばわりかね。まあ、下手にちゃん付けで呼ばれるよりはマシだがね」
 そう言って再び小さく笑うがその瞳は笑っておらず、剣呑な光を湛えていた。その光に夕呼は一瞬ひるむ。その圧力にではなく、自分の半分程度の少女がそんな光を宿していることに。
「……まずはあんたが言っていた未来の知識……あれはどこまで正確なのかしら?」
「さあ? 基本的に私が見る世界はオルタネイティヴ5が発動した世界だ。もう既に今の状況はそこから外れつつある。そんなものの正確さを求めても仕方ないだろう」
 その回答は別に夕呼にとってはどうでも良い。今夕呼が欲しているのは解答ではなく、それに繋がる手掛かりなのだから。嘘でも真でもとっかかりにはなる。
「それじゃあ次。あんたの目的は?」
「前にも言ったと思うが、人類の救済だ。そのためになら手段は選ばない」
 それは前にも聞いた。少なくとも今の発言にも嘘があるようには見えない。
「……あんたはさっき自分の脳が人類の枠を超えていると言ったわね。その理由は?」
「前にも言った通り私の頭にはちょっと爺様が改造していてね。……G元素の人体応用パターン3RA。それが私の頭に施された。内容は脳細胞の機能増加とそれによる記憶量の向上。……それと副作用としての因果情報の受け取り」
「その因果情報の受け取りとはどんな形で?」
「軽い因果だけだよ。精々近しい別世界の私の記録が良い所か。その条件は同様の施術を受けていること。そして受け取る記録は私の見聞きしたことを出来の悪い映画のように延々と流すだけのもの」
 一つ嘘を吐くと矛盾が生まれる。その矛盾を消そうと嘘を吐けば更に矛盾が。逆にいえば矛盾を探せば嘘かどうか見分けられる。そして、一つこれまでの会話でおかしい所がある。夕呼はそこに切り込んでみることにした。
「さっきあんたはオルタネイティヴ5が発動した世界を見ると言ったわね」
「ああ、言ったね」
「……だったらどうしてこのオルタネイティヴ4が成功すると知ったのかしら?」
 ここが最大の矛盾。彼女がここに来た大前提が崩れる。オルタネイティヴ5が発動した世界で4が成功することなどあり得ない。いや、あったかもしれないが、分の悪い賭けになるだろう。
 そして、その問いに今度こそミリアは楽しげな笑みを浮かべる。
「ああ、やっとそこを尋ねてくれたか」
「……どうなのかしら」
「既に見当が付いているのだろう? データベースにアクセスするのに随分苦心したようだからねえ」
「ええ、そうね」
 そう言いながら夕呼は数枚の書類を取り出す。アールクト=S=グレイの個人データ。
「結論から言えばこの人間はこの世いないわ」
「その通りだ。既にアールクト=グレイは私がフロリダ基地に着任したころに死亡している」
「そしてこいつ……アメリカにいた白銀武」
 もう一枚の書類は空欄が目立つ。だがそれでも必要なことが書かれていた。
「死亡扱いなのは良いのよ。ただこっちは急に用意したような偽装の跡が見られたわ」
「まるで自分が白銀武したのと同じような?」
「……ええ」
 そう、あると考えて探せば簡単に見つかるようなもの。突然現れた人間に対応しようとして偽装した跡があった。
「こいつは」
「推測通りだよ。私が知り得ないオルタネイティヴ4の成功を知っている人間。元を辿れば4が成功した世界からやってきた白銀武だ」
 やはり、といった心境だった。むしろ悪質な詐欺の手口を受けたような気分とも言える。
「明星作戦でのG弾落下を知っていたのはオルタネイティヴ5派だからって言う理由だけじゃなかったのね」
「むしろ彼がいなければ気が付かなかっただろうね。移民船開発部と戦略研究部とはあまり連携が取れていなかったからね。まあ向こうからすればこちらは添え物だから知らせる必要もないと思ったのだろう」
「……だったらあの時あそこにいたのが」
「そう、白銀武だよ」
 サングラスをかけた士官。おそらくミリアも夕呼と同じように未来を知っている人間を囲うことに決めたのだろう。そして向こうはこっちのよりも経験を重ねてた分使えたと。もしも夕呼の元に来たのがそっちの白銀武だったならどれだけ自分は楽だったかと考えると腹立たしいものがあるが。
「そう……大体わかったわ」
「ほう?」
「つまり、その白銀がいるとこっちの白銀が来たときに面倒な自体が生じる。だから名前を変えさせた。白銀武という存在を一旦世界から消した。……違うかしら?」
 その言葉にミリアは軽く頷く。
「正解だ」
「じゃあやっぱり」
「想像通りだ」
「……なるほどね」
 これで先ほどの矛盾は解けた。
「じゃあ次。明らかに幾つかこちらの計画の遅延を図ったような行動が見られたのだけどその意図は?」
「いや、あれは偶然だ。彼も全てを常に覚えているわけではなくてだね。時々急に思い出すということが多いようだよ。特に横浜に来てからはそれが顕著だね」
「……まあそういうことにしておきましょうか」
「後は私も彼も歴史の流れをあまり大きく変えたくないという気持ちもあった。少なくともオルタネイティヴ4の成功が見込めるまでは。まあ正直な話、そっちの白銀武が自然にあの図を見つけることができれば解決だったからね。世界を俯瞰的に見たときに大差無いように干渉を留めていたつもりだよ」
 ミリア曰く、川の流れを変えたら大事だが、水量が僅かに増す程度、川幅が少し広がる程度は問題ないらしい。
「つまりそっちにはこれから起こる出来事は大体わかっていると?」
「概ね、だがね。あくまで結末だけほんの少し変える。これからの流れは多少干渉した程度では止められない。成功した後は……恐らく彼の知る未来とは違った結末になっているだろうね」
 そしてミリアは小さく呟く。現在が彼の知る当時と差異がなければの話だが、と。

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[12234] 【第二部】第九話 クーデター 破 ――それぞれの思惑
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/01/23 22:59
 2001年12月05日 18:28 横浜基地 第十三ブリーフィングルーム
「ではこれよりブリーフィングを始める」
 集められた四個中隊の人員。むろん各中隊が定員に達しているわけではないが、それでも四十近い人間が一室に集っていた。彼ら彼女らに共通するのはただ一つ。オルタネイティヴ計画に携わる者という点のみ。
「つい先ほど国連軍の軍事支援を受け入れることを仙台臨時政府が発表した」
 アールクトがスライドを表示する。
「それによって我々も出動となる。まず第九中隊――ヴァルキリーズはここ」
 品川周辺の地図のスライドに表示された一点を指す。
「濱離城の警護について貰う。同様に第二中隊、レイダーズもここだ」
 スライドが切り替わる。富士山周辺の地図。その一点を指す。
「ここ、塔ヶ島城には第一中隊、グレイズが向かう。そして第三中隊、アルターズはここ横浜基地の防衛だ。万が一の際には香月博士とグレイ博士の護衛になる」
 まあ万が一などそう滅多に起こる物では無いがな、と付け加えながら再びスライドが切り替わる。映し出されたのは戦術機の概略図。
「戦闘になった場合、敵の主力はタイプ94、不知火。タイプ89、陽炎。タイプ77、撃震となるだろう。連中はクーデターを画策していただけあって、対人戦闘の訓練は良く積んでいたようだ。また、ヴァルキリーズの諸君には言うまでもないだろうが、ここ日本は最前線だ。末端までの緊張感が違う。ましてや現状を憂い、立ち上がったクーデター軍は尚更だ。本国にいたぬるい衛士共の感覚でいるなよ。また、今回の作戦には多大な危険が伴う。身辺整理をしていないものは済ませておけ」
 その言葉に動揺したのはヴァルキリーズの新任――元207A分隊のメンバーだ。対人戦の経験は無くとも、既にBETAとの実戦を、戦友の死を経験してきたオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の隊員は比較的落ち着いていた。ただ人類と戦うことへの忌避感が見える。
「次にこちらの装備について確認する。対人戦闘であるため装備はAH3。後衛はAH6だ。ポジションによって変更があるので確認しておけ」
 ECMや発煙弾はBETA戦では不要の物であるため使い慣れていない者が多い。その使用法を簡単におさらいする。
「……では三十分後に格納庫に即応態勢で集合。解散!」
「敬礼!」
 次席である伊隅大尉が敬礼の号令をし、その場は解散する。
 そして閑散としたブリーフィングルームに残るのは数人の男女。
「で、どうだ。ヴァルキリーズは?」
「はっ。錬度は現時点で望める最高のものだと思います」
 ちらりと視線を振って水月から美冴に移す。
「自分も同じ考えです。少佐。しかし、新任どもが少し心配ですね」
「それは我々が可能な限りフォローしよう」
 ギルバートが美冴の不安を薄めるようにそう口にする。
「第二中隊は肝の据わった連中が多い。――今は躊躇っていても本番となればいつも通りやってくれます」
「私たち第三中隊は基地待機ですが、状況によっては出撃もあり得ます。その判断は?」
 シオンの言葉にアールクトが軽く頷く。
「任せる。可能ならば一報あるとありがたいが――恐らく無理だろうな。副隊長陣はどうしてる?」
「恐らく隊員たちの不安を紛らわせているのではないかと。しかし少佐。大丈夫ですか?」
 ギルバートにしては珍しく常の無表情を崩して不安げに問う。
「少佐の隊には訓練兵が同伴するとか」
「ああ、そのことか。大丈夫だ。未来のヴァルキリーズ候補生どもだぞ?」
「と、言うと207B分隊ですか」
 みちるが納得した様にいうと後ろで水月と美冴がひそひそと話し始める。
「……ねえ、宗像。207Bってなんだっけ?」
「……速瀬中尉。涼宮少尉たちとは別の訓練兵部隊ですよ」
「ああ、茜たちの同期か。そっかそっか」
 その会話に少しみちるが頭痛をこらえるような表情をしていたがアールクトは無視した。昔から彼は心に決めていることがある。怒っている女性にはなるべく関わらないようにしようと。
「まあ連中は私が直接鍛えているからな。実力面ではここの新任とそう大差ない。それに向こうには斯衛軍も一個小隊ついてくるからな。そこまで負担にはならんさ」
「なら、良いのですが……」
「そっちは帝都に近い。クーデター軍との戦闘の可能性も高いんだから気をつけてくれ。ではこちらも準備に入ろう。部下に遅れたのでは上官としての示しが付かないからな」
 その言葉で隊長陣もそれぞれの準備を始める。

 2001年12月05日 18:28 横浜基地 第五ブリーフィングルーム
「国連軍の軍事的支援を仙台臨時政府が正式に受け入れた」
 集合した207B分隊に告げられたのは国連軍がこのクーデターに正式に介入するということ。事態が更に進展したことを示すものだった。
「珠瀬事務次官と臨時政府の全権特使との会談の結果だ。約十分前に公式発表された」
 その言葉に壬姫が複雑な表情を浮かべる。自分の父親がそんなことに関わっていれば喜ぶことはできないだろう。ましてやクーデター中。万が一向こう側に見つかったら売国奴として扱われ、千鶴の父親と同じ運命を辿るかもしれないのだから。
「臨時政府が受け入れに際し、絶対条件としているのは殿下の安全と保護だ。これは今後展開される全作戦の最優先事項となる。クーデター軍はこの政府の決定を、殿下の御心を蔑ろにする逆賊と国連に加担する売国奴の共謀だと激しく非難している」
 既成事実を積み上げ、将軍の保護を餌に承諾させる。それさえも米国の、オルタネイティヴ5推進派の意向なのだろう。その決定の速さから元々根回しが済んでいたのかもしれない。
(こんなことやってたら遺恨ばっかりが増えてって最後には協力もできなくなって……クソっ!)
「相模湾に展開中だった第七艦隊は既に東京湾に向け航行中だ。当基地に上陸した米軍第132戦術機甲部隊、態勢が整い次第、帝都に向け出撃する手筈になっている」
 武とて頭では理解している。今回の介入。そのきっかけを作ってしまったのは国連でも米国でも無くクーデター軍だ。表に出ることの無かった矛盾を浮き彫りにしたのは彼らだ。米国はそれを利用しているだけ。
 これ以上時間の無駄は許されない。そのために人類同士で殺しあうことが必要なら――。
(こっちだって覚悟を決めてやるさ! だからさっさと終わらせてくれ。これ以上の無駄は勘弁してもらいたいんだから)
「当基地からも第一戦術機甲大隊、第五航空支援大隊が既に出撃している。現在、第四、第五戦術機甲大隊と第二航空支援大隊の出撃準備が進行中だ」
 まりもが横浜基地の状況の説明に入る。
「また、第三戦術機甲大隊が帝国軍の抽出で手薄になった第二防衛線の支援部隊として出撃準備中である。それ以外の部隊は敵の後方撹乱を警戒し、戦闘態勢を維持したまま待機することとなった」
 それを聞いて207B分隊の面々は心中で安堵の息を吐く。恐らく自分たちは基地内の防衛となる。その場合――人間を撃つ可能性は低い。しかし次のまりもの言葉でその安堵は消え去る。
「尚、第三戦術機甲大隊の出撃予定時刻は19時40分。これに合わせわが隊も出撃。後方警護任務にあたる」
「「「「「――!」」」」」
「任務の重要度、戦力バランス等、様々な要件を考慮した結果、わが隊も出撃せざるを得ない状況だと判断された」
 それを聞いて武は僅かに疑問を抱く。それはつまりまりもも選定理由がよく分かっていないということではないだろうか。訓練部隊がのこのこ出ていく理由など思い当たらない。
(まさか、夕呼先生の差し金?)
「任務内容は塔ヶ島城の警備。作戦区域は芦ノ湖南東岸一帯とする」
 頭の中で地図を思い浮かべて納得する。基地を挟んで帝都は正反対。確かにそこなら正規兵を配備するほどではないし、訓練部隊の割り当てとしては妥当なところだろう。どうやら今回は夕呼先生は関係なさそうだ、と武は考えを改める。
「尚、当任務には横浜基地駐留の帝国斯衛軍第19独立警護小隊も随伴する」
 一瞬冥夜が複雑な表情を浮かべたがすぐに消し去った。彼女たちの任務を考えれば随伴は当然のことだと考えたのだろう。
「我々は米国が進駐している横浜基地所属の部隊だ。その上貴様等は日本人だ。余計に帝国軍の反発を買う可能性がある。作戦区域では厚木基地の帝国軍部隊が周囲を固めることになっている。作戦行動中に何か言われるかもしれんが、絶対に挑発には乗るなよ」
 何を言われても耐えろということ。その上訓練兵だとばれたら余計になめられそうだと武は思った。
(ただ突っ立ってるだけじゃ終わりそうにないな)
「それに殿下を取り巻く状況が不透明だ。帝国軍将兵の苛立ちは相当なものだろう」
「教官、質問があります」
 少し言葉が途切れたタイミングを見計らって千鶴が質問を求める。
「許可する。なんだ、榊」
「実際に武力による挑発や攻撃があった場合、防衛行動は認められるのでしょうか?」
 常から様々な事態に備えているのが千鶴の指揮官としてのスタンスだが、流石にそれは考えすぎだと武は思った。しかし次の言葉で再び考える。
「この作戦は国連と臨時政府が決定したもので殿下の御裁可をいただいたものではありません。帝国軍が我々を侵略者とみなす危険があります」
 この考えの違いは千鶴たちがそう言った感情に敏感なのか、それとも国連軍がそこまで憎まれているのか……。判断材料が少ない武には当分わかりそうにもなかった。
 まりもが千鶴の質問を聞いて少し考えながら答えを口にする。
「……米軍のゴリ押しがあったとは言え、これは正式な手続きを踏んだ国連軍の作戦だ。それに手を出せばどうなるか、容易に想像がつくはずだ。同じ日本人として彼らの理性を信じよう」
 その言葉に壬姫はまたも複雑な表情を浮かべる。自分の父親が国連介入の手伝いをして、日本人のほとんどはそれを快く思っていないという事実は簡単には処理できないだろう。
「では引き続き移動経路について説明する。19時40分、87式自走整備支援担架にて国道16号線を北上、東名高速自動車道跡沿いに旧海老名市まで前進。海老名市パーキングエリア跡にて、帝国軍厚木基地からの補給部隊と合流。補給が完了次第、小田原厚木道路沿いに旧小田原市まで前進。小田原インターチェンジ跡を補給中継基地とし、全戦術機起動。出撃準備が整い次第全機C装備で箱根新道跡を前進する」
 今回の件には彼ら207B分隊にとって他人事ではない。美琴の父親は暗躍し、慧の婚約者が決起して千鶴の父親を殺して、壬姫の父親が国連を引き込んで、冥夜の親戚である将軍の安全が脅かされている。そしてそれぞれがそれぞれの事情を知っているため、居心地が悪そうである。まだ慧と沙霧尚哉の関係は明らかになっているわけではないが、情報が流れ始めたら容易く想像がつく。美琴の父親は、恐らく誰も知らない。今はまだ。
「最後に、本任務は実戦が想定されている以上、私が戦術機で直接指揮を執る。コールナンバーは00だ。隊を二分し、支援車輌も私が指揮する。小隊の運用としては変則的だが……やむを得まい」
 一瞬の驚きののち全員が納得する。まりもの操縦技能については自分たちも幾度か模擬戦で味わっている。ここに来る前は前線に居たことも。それを考えれば実戦経験がある人間が指揮をとってくれるのはありがたい。
「編成は榊を分隊長とし、彩峰、鎧衣をA。御剣を分隊長とし、珠瀬、白銀をBとする」
 どう組み合わせてもこの状況じゃ微妙。それを考えると仕方ないと自分を納得させた。
「各自30分以内に火器管制装置の調整を済ませ、格納庫前に集合。以上だ。解散!」

 2001年12月05日 21:42 帝都
 白煙を引いて砲弾が瑞鶴に吸い込まれていく。歩兵用の対戦車ミサイル。それは戦術機の装甲にも有効であり――一機の瑞鶴を容易く大破させた。
 撃ったのはクーデター軍の一人。否、一人という表現は正確ではない。同時に各所で同様の行動をとったものがいた。
 しかし、誰が何人という話は意味がない。ただ撃った。その事実が重要なのだ。
「貴様! なぜ撃った!」
 撃った一人を拘束しようとした士官がいた。しかし、撃った兵士は取り押さえられる前に己の口に拳銃の銃口を突っ込み引金を引いた。それを愕然とした面持ちで眺めながら士官は堀の向こう側を見る。
「なんということを……!」
 斯衛軍の瑞鶴が、武御雷がこちらに87式突撃砲を向けている。それがマズルフラッシュを伴うのにもう数秒もいらないだろう。
 そうなった場合、こちらも反撃する必要がある。こっちの一部が暴走したなどという言い訳は通用しない。向こうからは攻撃されたのが事実。こっちは反撃されたのが事実。
「帝都が、戦場になる……」
 帝都が戦場になるのは避けられそうもなかった。

 2001年12月05日 21:42 箱根新道跡
 既に陽も落ちた山道。そこを巨人が足音荒く通り過ぎる。
 青々とした装甲を暗闇に浮かばせるのは国連軍仕様の97式練習歩行戦闘機、吹雪。そして77式戦術歩行戦闘機、撃震。
『00より01,02.先行した威力偵察部隊からの報告によると作戦区域に敵影なしとのことだ』
 その報告を聞いて武はそりゃあそうだとしか思えない。いくらクーデター軍でもこんな場所まで展開するほど余裕はないだろう。帝都を包囲するので精一杯のはずだ。
『予定通り屏風山を抜け旧関所跡まで前進。塔ヶ島半島を速やかに確保の後、AB分隊は所定の位置につけ。私は支援車輌と共に旧関所跡にCPを設営する。尚、偵察情報は更新毎に各自データリンクにて確認せよ。――以上』
『01了解』
『02了解』
 基地を出てから既に二時間は経過している。しかしその間隊員は誰一人無駄口を叩くことなく、黙々と進んでいた。実戦の可能性が、死の可能性が現実味を帯び始めたことに対して口が重くなっているのか。或いはBETA相手に戦う覚悟はあっても、人間相手の覚悟は無いのか。しかし、最も大きな理由は武を除いた全員の親や親族の複雑な立場と関係だろう。それが複雑すぎてお互いに下手に声を掛けられなくなっている。
(つっても作戦中にこんな他のこと考えっぱなしじゃ良くないよな)
 ふむ、と一人心の中で頷き武は適当な話題を探しつつ口を開く。
「なあ、箱根って温泉が沢山あるって知ってるか?」
 ……見事なまでにノーリアクションだった。正直くじけそうになったが、まりもの叱責が無いことから隊の雰囲気を察してお目こぼしをもらったのだと思った。
(すなわち今、ここで盛り上げるのが俺の使命!)
 と、いうよりそうでも思ってないとこの沈黙でしゃべり続けるのが辛いという無意識の自己防御だったのかもしれない。
「この作戦が終わったらさ、ひとっ風呂浴びるくらいの時間欲しいよな」
 千鶴のことを考えると不謹慎かとも思ったが、武にもこのくらいしか掴みが思いつかなかった。あまり関係ないことを話しても気遣いが見え見えになってしまうし、匙加減が難しい所だ。
「みんなで入るか? 温泉。……俺は一向に構わないぜ?」
 ふと武は元の世界でみんなで行った温泉のことを思い出したが……結構細かい所を忘れていた。
『03より06。静かにしなよ? 作戦中じゃないか』
 美琴が常より硬い声でそう言ってくる。ようやく寂しい一人喋りを辞める時が来たかとうれしくなる。
「こちら06。ようやく反応してくれたか!」
『ダメだってば。もう切るよ?』
 武としてはすぐに千鶴が怒って突っ込んでくると思ったので少し意外だった。
(やっぱりいつものようにはいかないか……)
『00より207各機――』
 まりもからの通信に武もさすがに調子に乗りすぎたかと焦るが、それは要らぬ心配だった。むしろ潜在的に危惧してきた事がついに起こったという報告――。
「先ほど帝都で戦闘が始まった」
 ついに、という気持ちしか武には無い。それでも馬鹿野郎と悪態を吐きたくなる。
「未確認ではあるが、帝都城を包囲していた歩兵部隊の一部が斯衛軍部隊に向け発砲した事が発端らしい。それに対し斯衛軍第二連隊が全力で応戦。沙霧大尉の戦闘停止声明も発表されたが、混乱は収拾できていない」
 クーデターの首謀者が自分の部隊のコントロールができていないことに武は憤りを隠せず呻く。たった一人が原因で。
「先発した第一戦術機甲大隊は、米国第117戦術機甲大隊と共に品川埠頭に強襲上陸を敢行。現在敵部隊と戦闘中だ」
 たった一人の歩兵が原因でここまでの戦火が広がっている。確かにクーデター側に焦りはある。将軍の勅命は来ない。時間が経てば経つほど各所からの増援で帝国や国連軍の戦闘態勢が整ってくる。
「……だが我々の任務内容に変更はない。各機通信機を開放で固定。予定に従いA班B班に分かれ任務を続行せよ」
「01了解」
「02了解」
 甘かった、と武は自分の見積もりを評価する。国連軍が介入し、帝国軍の態勢が整って戦力バランスが偏れば事態が早めに収束すると思っていた。
(畜生……)
 たった一人の兵士のせいで。

 2001年12月05日 23:31 濱離城周辺
 憂鬱だ。ケビンは誰に聞かせるでもなく呟く。今回の任務はこれまでになく憂鬱だった。いや、今までの任務も憂鬱では無かったと言ったら嘘になる。だがこれまでの任務はBETA戦ばかり。こんな気分にはならなかった。
(こんなに憂鬱なのは……)
 あの日以来。フロリダ基地がテロリストの襲撃を受けた時。しかしあの時はいきなり放り込まれた事もあり、さほど意識してなかったが今、こうして管制ブロックの中で待機していると気分が益々落ち込む。
 これから“人を殺しにいく”のだと考えると気分が上向きになることは有り得ないのだが。誰にも聞かれないように小さく溜め息を吐く。吐いてから通信回線を開かない限りは聞かれることは無いと気が付いて先程よりも大きな溜め息を吐く。
 どうやら自分は緊張しているらしいと他人事のように考える。先程から普段ならしないような小さいミス――溜め息の件も含めて――を連発している。幸い部下には気付かれていないが多分ギルバート隊長には気付かれただろうな、と思う。それでも何も言ってこないのは自分でどうにかすると思ってくれているのか……単にケビン一人に構っている暇が無いからか。
 この部隊は北米国連軍出身にも関わらず、対BETA戦が中心だった。その為対人戦には不慣れで動揺もしている。ギルバートその緊張を解す作業に集中しているはずだ。本来ならケビンもそうするべきなのだが……。
(まだそこまではムリだなあ……)
 引き金は引ける。躊躇うことは無い。だが周囲に気を使うまでは辿り着けそうに無かった。
 情けなさにまた溜め息が出てきた。
『ヴァルキリーマムよりヴァルキリーズ並びにレイダーズ各機』
 通信回線からヴァルキリーズの管制官、涼宮遥中尉の言葉が流れる。
『帝都での戦闘は依然継続中。現時点ではこちらに戦線が延びてくる気配はない』
 ここ数時間ではマシな情報だ。尤も、そのマシというのは不幸中の幸いと言ったレベルのものだが――無いよりは良いだろうとケビンは思う。
(隊長、大丈夫かな?)
 自分たちとは別のところに居る大隊長の姿を思う。同時に、随伴している部隊に居る白銀武……。
(同姓同名……兄弟でそんな名前を付けるのかな?)
 ケビンは日本人の姓名について詳しくない。とりあえず日本語には使う文字が三つもあるということ。同じ音でも使う文字は一つとは限らないことぐらいだ。
「っていうか何で三つもあるんだよ……どれか一つで良いじゃんか」
 思わずぼやきが口から漏れる。お陰でこっちは微妙に困らされている。
 数年前のある日、突然自分の隊長が名前を変えた。と、言ってもそれは養子縁組がどうのこうのという話でその時は「そういうこともあるのか」位にしか思わなかったが――ここに来て当時に疑問を感じた。
 それが白銀武の存在。
(弟、って言ってもな……)
 確か天涯孤独とか言っていなかっただろうか? それとも行方不明だったのが見つかった?
(あり得ない)
 BETA大戦における行方不明というのは身も蓋もない言い方をすればBETAの胃袋の中という意味だ。となると別の原因? いや、それはどうでもいい。問題なのはその弟と名前の音が同じだったこと。
(キョウヅカ曹長が言うには同じ音でも違うカンジを充てるのはたまにある事らしいけど)
 それでもかなり珍しい例だと言っていた。
『……ド2……』
(それにあいつ……似過ぎてるし、隊長の事知らないっぽいし……)
 物心つく前に分かれたのだろうか? 色々と浮かぶが決定的な答えは出ない。
『……イド2……返事を……』
(そもそも隊長がフロリダに来る前にどこで何してたかもよく知らないんだよな……確か前聞いた年を考えると物心つく前に別れたなら隊長の年齢は――)
『レイド2! ノーランド中尉! 返事をしろ!』
「は、はい!」
 突然の――口ぶり的に何度か呼びかけた後だとケビンは気が付いた――大声に驚きながらも返事をする。
『……気を抜き過ぎだぞ』
「すいません、隊長……」
『まあ良い。伊隅大尉もよろしいですか?』
 ふ、と網膜投影に映る通信ステータスが目に入る――元々目に入っているのだが焦点が合う。秘匿回線――?
『香月博士並びにグレイ博士の予想だともう間もなく帝都での戦闘は終結し、こちらにクーデター軍が展開してくる』
「なっ……」
 ケビンは絶句するが、みちるはそれほど驚かなかった。想定の範囲内、というわけではないがあの香月夕呼がただ突っ立っていれば良いだけの仕事にAー01を派遣する訳が無いと予感していたからだ。このあたりは恐らくケビンももうしばらく彼女の元で動くことが多くなればおのずと悟らされるだろう。
『言い換えるならば間もなく我々も戦闘状態に入る可能性が高いということだ……準備をしておけ』
「……了解」
『了解です』

 2001年12月05日 23:43 塔ヶ島城周辺
 雪が降ってきた。
 武は空を見上げながら前の世界での初雪はクリスマスだったはず、と考える。だが標高はここの方が高い。知らなかっただけで箱根では雪が降っていたのだろうと結論付けた。もしもそうでなかった場合――自分の行動、あるいはイレギュラーのせいで天候まで変わったか、そもそも前の世界とは似て非なる世界ということになってしまう。
(……まあ仮に違う世界だったとしてもこの後に関して俺の記憶があてになるとは思えないけどな)
 既にクーデターという記憶に無い出来事が起きているのだ。これから先の出来事が一緒とは思えない。そもそもオルタネイティヴ5の発動を阻止する以上、武の記憶の大半はオルタネイティヴ5が発動した世界の記憶だ。役に立たなくなるのは必然と言えた。
 意識を外に向ける。……音は僅かに唸る戦術機の駆動音。それがどこのパーツの音かまでは分からないが、ここに何かいるというのを主張させる。特にこうも静かだと。
 そして帝都方向に視線を向ける。ここからでは何も見えない。ここはこんなにも静かなのに帝都では人間同士が殺しあっている。戦闘の光も、銃声もここまで届かない。ここからでは帝都が戦場になっているなど大して面白くもない冗談にしか思えない。
『とうとう降ってきたな』
「ああ」
 何故だかわからないが突然冥夜に声を掛けられても武は驚かなかった。自分でも不思議なくらいに自然に応じられたのはここの静謐な空気のせいか。その空気を壊すのが躊躇われたのか。或いは予感めいたものがあったのか。考えてそれを切り上げる。今気にするべきはそんな事じゃないと思考を切り替えた。
 通信ウィンドウに映る冥夜の顔は平然としているように見える。だが内心では帝都の戦況が気になって仕方ないだろう。
「意外だったよ。この辺もBETAの占領地域だったはずなのに、こんな建物がきれいに残ってるなんて」
『…………』
「冥夜?」
『……ああ』
 その心ここにあらずという反応には武にも見おぼえがあった。前の世界で、天元山が噴火したとき。だがあの時はもっとカリカリしていたように思える。
「BETAの支配地域は自然が根こそぎやられるというのに、このあたりの山間部は何故か手付かずだったらしい」
「ああ……」
 BETA西日本侵攻における最大の謎と言われる二つの事例の一つだ。
 北九州や山陰地方への上陸から始まった日本侵攻。何故か横浜まで来たBETAが進路を変え三浦半島方面に向かった事。そしてもう一つがこの中部山岳地帯は東に行くに従って被害が少ない事。
『武、こんな話を知ってるか?』
「なんだ……?」
 ここ、塔ヶ島城にはBETA本州侵攻の際斯衛軍第二十四連隊が踏みとどまったらしい。かつて京を守護していた彼らは幸いにも小規模な戦闘が数度発生したのみで城は健在であった――。
『だが……いかに斯衛軍が将軍の守護をその任としているとはいえ、離城を守るためだけに踏みとどまるとはいささか度が過ぎていよう。そもそも殿下がそのような事をお望みになるはずが無い』
 冥夜は余談だったな、と会話を締めようとする。しかし武にはその忠誠心のあまり将軍が望んでない事を行った部隊の話をしたのは偶然とは思えなかったし、武にも話したい事があった。通信ステータスが秘匿回線に切り替わる。
『そなた、何を! 馬鹿者。作戦中に勝手に秘匿回線を使うとは……』
 前の世界で使ったのはお前だけどな、と心の中で突っ込みながら武は先ほどから疑問に思ってた事を口にする。
「わかりにくくなるからストレートに聞くけど……お前は決起した連中の気持ちが理解できるじゃないか?」

 2001年12月05日 23:48 塔ヶ島城周辺
「全く……あいつら。秘匿回線とは言え上位からの割り込みは可能だということくらい座学でやっただろうに」
 己の乗機、YF-23の中でアールクトは小さくため息を吐く。もう一回データリンクの仕組みについて座学をやらせるべきか、それともここに電子戦用機体も顔負けの装備を持ったYF-23がいる不運を知らせるべきか迷う。が、結局どちらもどうでも良くなって思考を放棄した。ただ武と冥夜の会話をBGMに外の光景を眺める。
「……そうか。この日は雪が降っていたんだったな」
 クーデターがあったのは主観的に相当前だったのですっかり忘れていた。流石に寒冷地装備が必要なほど冷え込まないだろう、という確信はあるが若干視界が悪いのが気になる。
「クーデター……か」
 今のアールクトには彼らの気持ちが分からないでもない。確かに将軍に対する扱いは決起するに値するものだっただろう。そして恐らくだが――沙霧大尉も米国に踊らされてる自覚がある。それでも将軍を蔑にする連中が許せなかった。そのためには手段を選ばない……。一体どこに自分との違いがあるというのだろう。
 同時に白銀武が言ってることも分かる。こんな人類滅亡が懸ってるときにこんなことをするなんて馬鹿げてる、と。こうして未来を知っている者でなければ戦々恐々としているだろう。もしも今佐渡島から侵攻があったら……と。
 冥夜と武は互いに己の思いを吐露する。武の言ってることは正論。しかし世の中は正論だけでは回らない。正論だけで回るなら戦争なんて起きない。
「……この時はそれすら分かってなかったのか?」
 苦笑する。いや、失笑と言った方が近いか。とにかく、アールクト=S=グレイはかつての己を嗤う。
「クーデターは起こせる……だが襲撃は……」
 これからの予定を思い浮かべる。が、それは彼にとって容認できるものではない。それを回避しつつどうやって最大限の成果を上げるか……と考えている事に気づき軽く頭を振る。
(何を考えている。まだ目の前の出来事も片付いていないというのに)
 良くない傾向だと感じる。明らかに目の前の事を些事と考えて軽く見ている。自覚は無くとも今を軽く見ている。
「前は……そんなこと無かったのにな」
 当時と今は良く似ている。未来を知り、それを変えようと足掻いていた頃。だがあの時から既に自分以外の行動を軽く見ていなかったか?
「全然成長していないということかな」
 知らずうちに笑みが零れる。今度は今の己を嗤う笑み。だがそれが少しだけ嬉しかった。
 自分はまだあの頃の様な気持ちをもっているという事に気付かされたからだ。
「後……二時間も無いか」
 もうすぐ彼女が来る。それは帝都の情報からも確実だろう。その時に備えて――。
「少し寝るか」
 仮眠を取ることにした。ふと傍受している通信に耳を傾けるとそろそろ彼らの会話も佳境に入ってきているらしい。
「記憶と寸分たがわず……か。これは良い傾向なのか悪い傾向なのか……」
 かつての自分と同じでは意味が無い。かつての自分と同じでは救えない。せめてあの世界の最期までは持って行って貰わないとアールクトの望みは叶わない。
 操縦技術はかなり上がっているだろう。あの数日の教導であそこまで上がるのは尋常ではない。……何らかの形で因果情報が流入したと考えるべきだろう。その場合、流出したのはどこか……それを考えると喜んでもいられないが。
「さて……こちらグレイ1。グレイ4、交代の時間だ」
『こちらグレイ4了解』
「グレイ1、これより待機に入る」

 2001年12月06日 02:02 塔ヶ島城周辺
「…………」
 武は先ほどの冥夜との会話を思い返していた。そして痛いほどに感じた。自分と冥夜が心に抱いている物は違う。彼女は国を主体に置いている。対して武は世界だ。それは武がこの世界の日本人ではないからだろうか。だから割り切れる。
 とぐるぐる頭の中を考えが回る。仮眠から覚めたばかりというのもあるのだろう。頭が回っていない。
 冥夜とタマに外の空気にあたってくると告げて武は吹雪から降りる。
 少しぶらぶらと歩いて体を動かす。十分にほぐしたところで武の耳がかすかな物音をとらえた。
(っ! 枯れ枝を踏み折った音!)
 音を立てずに匍匐姿勢に移る。敵だろうか。クーデター軍がここまで? だとしたら向こうは間抜けと言わざるを得ない。枯れ枝を踏み抜くなど凡ミスにも程がある。
(こっちは向こうに気付いたが……向こうはこっちに気付いてるのか!? 数は何人だ? 装備は?)
 咄嗟に握りしめた拳銃が重い。おまけに初弾を装填していない事に気が付いた。ここでやればそれは十分すぎる隙になる。ならもっと適した場所に移動する? 確かに強化装備なら多少の銃弾は防げるだろう。しかし頭だけは無防備だ。ヘッドショットなどまともな人間なら狙わない――的が小さい上に頭蓋骨というのは意外に固い――が、他に狙う場所が無ければ狙ってくるだろう。それだけじゃない。強化装備でも防げない口径の火器を持っている可能性も否定できない。
 人影らしきものは移動している。まだこちらには気が付いていないのだろうか? と、そこで武は吹雪の暗視モニターにリンクすることを思いついた。
(二人……武装はしてなさそうだな。ってことは民間人か。こんなところに? 不法帰還者か?)
 正体は未だ不明だが、クーデター軍ではなさそうだ。もしもこれがこちらを油断させるための罠だとしたら完璧だが。
「06より02。民間人二名を発見。バックアップを頼む」
『02了解』
 報告の中で武は自分が無線連絡と言う手段が頭からすっかり消え去っていた事に気が付いた。同時に自分がパニック状態に陥っていた事も。
(クソ、これが実戦経験の無い弱みか……)
「止まれ! 両手を頭の後ろにつけてゆっくりこちらを向いて」
「な、銃を向けるとは何事です!」
 近づいていくと一人の老女の姿が視界に入って来た。もう一人は良く見えないが若い女性のように見える。……何故こんなところに?
「ご存じだとは思いますがここは民間人の立ち入りが禁じられている第一種危険地帯です。ここから退去して頂かなければなりません。日本政府の担当官庁が迎えに来るまであなた方の身柄は我々が保護します」
「無礼者! なんですかその――っ!」
「おやめなさい」
 老女が何かを言い募ろうとしたところで未だ姿の見えない一人がそれをいさめた。
「黒い強化装備は国連軍衛士の証……恐らくこの者は――」
 半歩前に出たことで彼女の顔が月明かりに晒される。そこにいたのは。
「冥夜!?」
「……めい……や?」
 そんなはずはないとすぐに気が付く。さっき交信したばかりだし、雰囲気が違う。似ているが冥夜はどちらかというと武人の空気だ。こちらの少女は貴人的な空気をまとっている。と言っても武の主観だが。
 自体が分からず混乱している武の耳に壬姫の切羽詰まった声が響く。
『たけるさん、気を付けて!』
「っ!」
 その声に促されるように武は構えていた銃を後ろに向ける。訓練の賜物か、狙いを付けたわけでの無いのに相手にしっかりとその銃口を向けている。そしてその先には銃口に加えて戦術機の照準用のレーザーサイトを額に当てられても飄々とした鎧衣左近がいた。
「鎧衣課長!? どうしてここに――」
「この場所に君たちがいるとは……いやはや、流石は香月博士と言うべきか。それともこれは彼女たちの思惑かな?」
「06より05……問題無い。この人は大丈夫だ」
『05了解』
 その言葉と共に左近の額から赤い光が掻き消える。
「はっははは。流石に36mmチェーンガンに狙われると生きた心地がしないねえ」
 嘘吐け、と武は小さく呟く。どうみても何時も通りだったぞ、と。
「それよりもどういう事です? この人たちは一体――」
「ほう……君はこの方を知らないと言うのかね?」
「え……?」
「煌武院悠陽殿下に在らせられるぞ! 無礼者!!」
「こうぶいん……ゆうひ?」
 先ほどから口を閉ざしていた老女が叱りつけるようにその名を口にした――が武には聞き覚えが無い。ただその言葉を己の口の中で転がす。それを聞いた左近が面白そうに言う。
「日本帝国国務全権代行である政威大将軍殿下を呼び捨てかね……シロガネタケル?」
 政威大将軍。その単語が武の脳にしっかりと沁み渡った瞬間、驚愕が走る。
(こ、こんな女の子が!? もっとむさいおっさんだとばかり……っていうか知らないのはまずいよな。ごまかさなきゃ)
「いや、あまりに普通の格好なんで……」
「やはり……おかしいでしょうか?」
「いいえ、良くお似合いです殿下」
 武の言葉に変と言われたと感じたのか己の姿を見ながら悠陽がそうつぶやくとすかさず左近がフォローした。その点に関しては武も全面的に同意する。
 そして何でこんなところに将軍殿下がいるのかを尋ねようとしたが、尋ねるまでも無くまりもからの通信で察した。
 殿下が帝都から地下鉄道を使って脱出した。それが三十分前に何者かからリークされた。その結果帝都での戦闘は終結。現在はクーデター軍も帝国軍も血眼になって将軍を探している事。更に本人たちからリークしたのは自分たち。その理由はこれ以上帝都の民を戦火に晒したくないからとの事だった。
「なぜ……殿下は全軍に戦闘をやめるように命令しなかったんですか?」
「もちろんしたとも」
「え、だったら何故……」
 話を聞いて納得できずに聞いてみたが左近はやれやれといった風情で答える。
「悪い癖が直ってないな白銀武。そういう現状を憂いた連中が決起したんじゃないのかね?」
(なんだよ、それ。クーデター部隊の方が正しいって言うのかよ)
「だがどうしてもクーデターを起こしたい連中がいるようでね……決起部隊の中に紛れ込んでいたらしい」
「ってことは最初に発砲した歩兵って言うのは――」
「そう言う事だ。分かったかね?」
「……はい」
「では行きたまえ。殿下を横浜基地にお連れするのだ」
「お、俺がですか!?」
 こういうのって儀礼用の機体でどうのこうのという元の世界の漫画の知識やらこっちで得た将軍の地位やらで頭の中がごちゃごちゃになる。それに気付かずか或いは無視したか、左近は説明を続ける。
「この状況では戦術機のコクピットの中以上に安全な場所は無いと思うが?」
「た、確かにそうですけど!」
「――私はこれより帝都に戻りもう一仕事しなければならん。殿下を頼んだぞ」
 そういって左近は踵を返す。その背中に悠陽が声をかけた。
「鎧衣、ここまでの働き。本当に大義でした。我が臣を失ったという知らせはもうこれ以上聞きたくないのです。どうか気を付けて」
「斬った者、斬られた者。共に臣下であります故、殿下の仮名じみは如何ばかりかと存じますが……国の乱れを憂う若者たちがそれを正すべく止むに止まれず立ち上がったというのが此度の仕儀の真相。誤った道を進んだにせよそのような若者たちがいる限り……まだまだ日本も捨てたものではございません。ここで膿を出し切ることで再び日本は目覚める。私はそう信じております」
「……頼みます」
 その言葉を受けて左近は暗闇に消える。

 2001年12月06日 02:11 塔ヶ島城周辺
 YF-23の暗視モニターが人影を捉える。
「悠陽が来たのか……」
 すぐさま通信回線を開く。
「こちらグレイ1。HQ、横浜基地への中継を頼む」
『こちらHQ。了解。しばらくお待ちください』
 かすかなノイズの後、秘匿通信が横浜基地に繋がる。網膜ウィンドウにミリアの顔が映し出される。
『ああ、アールクト。どうしたのかね?』
「クイーンの脱出を確認した。プランA-3に移行する」
『了解した』
 何時も通り――なのだが何かアールクトは違和感を覚えた。
「何かあったのか、ミリア」
『いや、取り立てては。少しばかりMs.香月と話していただけだよ』
 明らかに含みのある言い方。何かをしたのは間違いないが、何をしたかは分からない。
「……レイダーズとヴァルキリーズにも連絡を頼む。間もなくクーデター軍がHQとCPを落とすだろうからな。当分は連絡が付かなくなる」
『ああ、了解だ。気を付けてくれ』
 その言葉を最後に通信が途切れる。そしてアールクトは小さく息を吐き部下に指示を飛ばす。
「貴様等! 楽しい観光はおしまいだ! これより我々はひよっこ共の護衛に入る! 各機、ポイントD2に移動開始!」
『了解!』
 そしてあわただしく彼の視線が動く。見ているのは管制ブロック内の光景ではなく網膜ウィンドウのアイコン。彼の視線にこたえてダイアログが立ち上がり、20700――まりもに通信が繋がる。
「神宮寺軍曹。こちらアールクト=S=グレイ少佐だ。これより貴官の部隊の護衛に入る。よろしいか?」
『しょ、少佐!? どうしてこちらに……』
「博士絡み、と言えば納得してもらえると思う。現在そちらに急行中だ。……ちなみにレーダーに映り辛い仕様なもんでな。うっかり撃たないようにしてくれるとありがたい」
『りょ、了解』
 最後は冗談めかして言ってみたが割と切実である。うっかり撃たれて撃墜されましたなどと言ったら笑い話にもならない。
 推進剤を無駄に使わないように主脚走行ラン彼ら207分隊がいる場所へ向かう。
陣形フォーメーション菱壱型ダイヤモンド・ワン! 前方の吹雪を中心に布陣しろ!」
『了解!』
 最後に軽く噴射跳躍ブーストジャンプをし、グレイズは命令に従い着地と同時に布陣を終える。その手際に満足しながらアールクトは目の前の吹雪に通信を繋いだ。
「こちら特務戦術機甲大隊第一中隊。アールクト=S=グレイ少佐だ。聞こえているな。白銀武」

 2001年12月06日 02:18 塔ヶ島城周辺
 将軍を戦術機に乗せて補助席用のベルトで固定していたりするとレーダーが微弱な反応を捉えた。咄嗟に87式突撃砲を構えたが、先ほどまりもから護衛の機体が来ると聞いていたのですぐさま発砲するようなことも無く、しかし警戒しながら到来を待った。
(陽炎……じゃ、無いな。ストライクイーグルか? 黒いってことはどっか特殊な部隊用か?)
 そして一機だけシルエットから違う機体。その機体から通信が入った。
『こちら特務戦術機甲大隊第一中隊。アールクト=S=グレイ少佐だ。聞こえているな。白銀武』
「しょ、少佐?」
『これより私が207訓練小隊も含み指揮を取る。……月詠中尉もそれでよろしいか?』
 後半は武に向けられたものではなく付近に展開している深紅の武御雷の衛士に向けられたものだった。やや間が空いて答えが返る。
『こちらは異存はない』
『ではこれよりブリーフィングを始める。と言っても時間が無いので手短にだが――先ほど帝国軍厚木基地からの通信が途絶。続いてHQも沈黙した。既に明神ヶ岳山中では帝国軍部隊が敵と交戦中』
 その言葉に武は心臓を鷲掴みにされたような心地になる。僅か二山向こうで既に戦闘が始まっている……。
『敵主力は東名高速自動車道跡と小田原厚木道路跡の二手に分かれ進撃中。東名を進撃中の部隊をE1、小田原を進撃中の部隊をE2と呼称する。では脱出経路だが……我々は渥美新道跡から伊豆スカイライン跡に入り南下する』
 それしかないと武も思った。横浜まで行こうとすれば真正面から進撃中の敵部隊とぶつかる事になる。それしか道が無いならともかくわざわざ正面突破を選ぶことはないだろうと。
 その後のこちらの展開と敵の予想される展開が口にされる。
『……万が一富士教導団の部隊が決起に呼応していることも考え、帝国軍にこの地点での防衛戦の構築を依頼してある。ここで足止めすれば不知火でも追いつくのは難しいだろう』
 その言葉にまりもが複雑な表情になる。ここにいる人間のほとんどは知らないが、彼女は富士教導団の出身だ。古巣である場所がクーデターに呼応している可能性があると言われてそれをまさかと思いつつも完全に否定はできないのが彼女にそのような表情をさせるのだろう。
 そしてアールクトが進行経路の説明を終えた。身も蓋もない言い方をしてしまえば追撃を振り切りつつ海岸線に到達し、脱出するという作戦。
『次に陣形だがまず我々第一中隊が楔参型アローヘッド・スリーで前面を、斯衛軍第十九独立小隊が後方を鎚壱型ハンマーヘッド・ワンで固める。207小隊は06を中心に縦型トレイル。側面を厚く取れ』
「……第十九独立小隊……」
 武の膝の上に居る悠陽が小さく呟く。しかしヘッドセットを付けていない彼女の声は説明しているアールクトの耳には届かず彼は説明を続けた。
『本作戦の絶対目標は煌武院殿下を無事に横浜基地にお連れすることである。従って06の安全を最優先とする。尚支援車輌部隊は撹乱の為熱海岬から135号線に向かう』
(それってつまり……囮ってことだろ?)
 その判断に釈然としない物を感じているとアールクトが武に向けて言葉を発した。
『白銀』
「――はい」
『貴様はどんな犠牲を払ってでも必ず殿下を横浜基地にお送りするのだ。良いな?』
「…………了解」
 俺が未来を変えたからこうなったのかもしれない。このせいで死ぬはずじゃなかった人が死んだのかもしれない。……でもこれだけはやめるつもりはない! そう武が考えたところでふと気が付いた。気が付くと逆に何故今まで気が付かなかったのか疑問になるくらいの事。

 ……クーデターが起きた原因は本当に自分か? いや、正確には自分だけか?
 ――確かに前の世界との行動の差異が何かしらのきっかけになった事はあるだろう。しかし、それよりももっと明確な差があったじゃないか……!
 アールクト=S=グレイ。ミリア=グレイ。彼らに従う部下達。……北米国連軍から来た人達。
 このクーデターを望んでいる人間は誰だ?

 考え始めると疑念が止まらない。前の世界ではいなかった人と起きなかった出来事。その二つを全く無関係と断じるには武には判断材料が足りなかった。ぐるぐると頭の中で渦巻く考えを止めたのは悠陽の声だった。
「本当に……面倒をかけます」
「絶対横浜基地にお連れします。任せてください」
 自分の言葉で武は頭を切り替える。起きてしまった事は変えられない。少なくとも今彼らは共通の目的――将軍の救出で動いている。ならば真相を確かめるのは自分の今の仕事ではない。今やるべきは将軍搭乗機として如何に安全に将軍を横浜基地に届けるかだ。
『では全機。発進する!』

 2001年12月06日 02:55 伊豆スカイライン跡山伏峠付近
『帝国軍が突破されたよ!』
 美琴の切羽詰まった声。あいつのこんな声を聞いたのは初めてかもしれないと武は思った。いつもマイペースなあいつでも焦る時ってあるんだな、と。無論彼女の言葉を考えればそんなのんきな事を考えている暇ではないのだが、武には妙に余裕があった。否、余裕と言うよりも難しいがそれなりに手慣れた事をこなすかのような緊張感。良い意味で体を引き締めるような感覚が。
『狼狽えるな! 後方は斯衛軍が固めている!』
『00から各機、落ち着いて隊形を維持しろ!』
 冥夜の言葉とまりもの声が通信回線に響く。後方の帝国軍部隊は――既に壊滅状態だ。あれだけいたのに、と戦慄を抑えられない。
『06! 速度をもっと上げられないの!?』
「無茶を言うな! 殿下は簡易ベルトなんだぞ!? これ以上は体力的にも無理だ!」
「構いません白銀。速度をお上げなさい」
「しかし!」
 既に三十分以上実戦機動で揺られっぱなしの悠陽の言葉に武は異存を唱える。酔い止め薬のスコポラミンを飲んだとはいえかなり体に負担がかかってる事を鑑みてもこれ以上の速度は危険だと武は考える。しかしそんな逡巡を断ち切るように悠陽が言葉を重ねた。
「――早くなさい」
「………………わかりました! 06より各機! 次の谷を噴射跳躍ブーストジャンプでショートカット」
『グレイ1了解』
『20700了解』
『ブラッド1了解』
 総勢21機の戦術機が噴射跳躍ブーストジャンプで谷を飛び越える。そして再び主脚走行ランに入った途端に警報が鳴り響く。
『四時方向より敵機多数! 稜線の向こうからいきなり!』
 レーダーの死角からいきなり現れた敵増援。それを何故か冷静に考えるだけの余裕はあった。尤も、それが分かったところで後方に迫る敵の脅威は塵一つ分も変わらなかったのだが。
『――全機兵器使用自由! 各個の判断で応戦! 06の生存を最優先にしろ!』
『無闇にこちらからは仕掛けるな。向こうは将軍搭乗機が判明しない以上うかつに手を出せないからな』
 まりもとアールクトがそれぞれ指示を出しながら己の乗機を駆る。それに207小隊の面々は了解の声で答える。
(とうとう殺し合いかよ!)
 現状に歯噛みしながらも武は生き残るという決意を新たにする。と、見計らったようなタイミングで通信。――併走中のクーデター部隊の機体からだった。
『国連軍および斯衛部隊の指揮官に告ぐ。我に攻撃の意図在らず。繰り返す。攻撃の意図在らず。直ちに停止されたし。貴官らの行為は我が日本国主権の重大なる侵害である』
 その通信に武は機影を探す。だが見えない。レーダーにも反応はない。その瞬間レーダーが正面からの機影をとらえた。浮かび上がる大量の光点フリップ
「正面!?」
 この至近距離までどうやって近づいたのか混乱しているうちにチカチカと光が瞬く。マズルフラッシュの明かり。すなわち発砲している。咄嗟に反撃しようとロックすると――。
『馬鹿野郎! ロックオンするな! 殺されたいのか!』
「っ!?」
 所属不明アンノウンだったフリップが一斉に友軍フレンド
『こちらは米国陸軍第六十六戦術機甲大隊。速度を落とすんじゃない! 早く行け!』
『ここは任せろ!』
 すれ違いざまに衛士たちが武たちに声をかける。米軍機――つまり援軍だ。
『グレイ1了解』
『ってあんたか……奇遇だな』
『確かにな』
 突然アールクトと米軍衛士が会話を始める。
(知り合いなのか?)
『作戦に変更は?』
『無い! 安心していけ!』
『グレイ1了解。――各機、隊形を維持し最大戦闘速度!』
「了解!」

 米軍のおかげで助かったと武は息を吐く。
 先ほど見えた機影を思い返す。あれは新鋭機――確かF-22だったか。あのステルス性能は対人戦では驚異的だろう。そしてそれを考えると先ほどの疑惑が蘇った。
 恐らくあのF-22が配備されているのは米国でも僅かだろう。……それと同じステルス機を持つ彼らは本当に米国の――今回のクーデターを目論んだ連中とは関係ないのか? 考えないようにしていても考えてしまう。まさに疑心暗鬼と言うべき状況に陥っていた。
 それにしても、と武は先ほどのクーデター軍の様子を思い浮かべる。速度といい、部隊の錬度といい半端では無かった。この速度の差では――E1に回り込まれてしまう。
「白銀、大丈夫ですか? 顔色が優れませんよ」
「え、あ……大丈夫です」
 顔に出ていた事に今さら気が付いたが既に悠陽は気付いた後。今さら取り繕っても仕方ないと思いつつもこれ以上の心労を掛けさせないためにも表情を引き締める。
「そうですか。では私に構わず速度を上げるが良い」
「はい……」
 その堂々とした振る舞いに武は肝が据わってると感心してしまう。この激しい揺れの中、強化装備なしで平然としているのもそうだ。酔い止めを飲んでいるからと言って平気なはずが無い。将軍とはいえ武とさほど年の変わらない少女なのだから。更には武が気を使わなければいけないような状況で逆に気を使われている。それが武に情けなさを感じさせるのだった。
「あの、殿下。本当に大丈夫ですか? 気持ち悪くないですか?」
「心配はいりません。操縦の心得は多少はあります。飾りとはいえ軍の最高司令官なのですからね」
「え……操縦って、戦術機のですか?」
「そうです。まだ実機で96時間ほどですが」
 96時間という数字に今日だけで何度目かわからない驚きを味わう。96時間というと前の世界の経験を持つ武を除けば207分隊の誰よりも長い。
「故あって今は手元を離れていますが私専用の機体もあるのですよ?」
 ……金ぴかでレーザーを跳ね返すような奴だろうか? と下らない妄想が武の頭を走った。流石にレーザー反射は無くても金ぴかはあるかもしれないと思ったが。
 不思議そうな顔をする武に悠陽は将軍家は戦においてその戦闘に立つ責務があった。今でも将軍縁者が戦場に赴く事は少なくないという。
「……ところで白銀、この部隊に随伴している斯衛の指揮官は月詠真那中尉でありましょうか?」
「そうですけど……」
「だとすればおかしいですね」
 何がだろうか、と口にする前に悠陽が問いを発しようとする。しかし言い掛けたところで通信が入った。
『横浜基地所属戦術機部隊に告ぐ――私は米国陸軍第六十六戦術機甲大隊指揮官ウォーケン少佐だ。現在我がA中隊が時間を稼いでいるが彼我の戦力差を考えれば楽観できる状況ではない。我々は亀石峠で諸君らの到着を待つ。到着次第補給作業を開始する。……可及的速やかに合流せよ。以上だ』
 確かにさっきの米軍が命懸けで頑張ってくれてるのも分かるがこれ以上早くしろというのはかなりの無茶だ。彼らにとっては将軍はお構いなし、と邪推したくなる。
「すいません。米軍の司令官から合流地点の指示が。で、なんでしたっけ?」
「いえ……良いのです。米国軍衛士たちの生命が懸っていましょう。先をお急ぎなさい」
「はい……では殿下が衛士である事を考慮して飛ばします」
「よしなに……」
 悠陽の了解を得て武は部隊各機に通達する。
「06より各機。亀石峠まで連続噴射跳躍ブーストジャンプで行く。500刻みだ」
『グレイ1了解。各機500刻みでリンク。タイミングは06に同調』
「……行きます!」

 2001年12月06日 03:37 伊豆スカイライン跡亀石峠
「……すいません。補給中くらい外に出れると良かったんですが」
 完全な安全が確保されてない以上急な発進もあり得る。それを考えるとこの処置も仕方ないのだが。
「構いません。気遣いは無用です」
 そう答える悠陽の顔色は流石に悪い。強化装備なしで噴射跳躍ブーストジャンプと着地の繰り返しでこの程度で済んでいる方が幸運なのだがそれに感謝する気にはなれない。
 ふと冥夜との関係が気になる。先ほどの話もあるし、何か話していた方が気が紛れるかもしれないと思って話題を掘り返す。
 そこで語られたのは悠陽と冥夜の関係。しきたりによって生まれてすぐに離れ離れになった、しかし外見だけでなく内面も良く似た双子の姉妹の話。遠く離れて、あったことも無い姉妹との絆を拠所にしている二人の話――。そして幼き日にほんの数日共に過ごせた証である人形を武に託した。
「直接渡すことはできないんですか?」
「あの者に双子の姉など居りません。…………そして将軍にも……双子の妹なども居りません」
「……わかりました。必ず冥夜に渡します」
 冥夜の思いが分かったからこそ直接渡せない。既に二人とも宿命の元に生れそれを背負っていく覚悟ができていると武は察した。
「お願いします」
『横浜国連軍部隊の指揮官は誰か?』
「あ、ちょっとすいません」
「よい」
 米軍からの通信に耳を傾ける。
『こちら特務戦術機甲大隊指揮官、アールクト=S=グレイ少佐だ』
『なんと……』
『久しぶりだな。ウォーケン少佐。最後に会ったのはこちらに来る前の教導の時だったか』
 どうやら二人は既知らしい、と会話内容から察する。しかも結構親しいらしい事が口調から読み取れる。先ほどまで厳しい顔をしていたウォーケン少佐の表情が若干緩んでいることからも明らかだ。
『少佐、ということは昇進したのか。となると私が先任となるが私が指揮を取って構わんか?』
『任せよう。少佐の指揮なら安心できる』
 と、アールクトが冗談を言ったところでウォーケン少佐の緩んでいた表情が引き締まった。
『現在敵部隊は山伏峠に到達。友軍部隊は後退を開始した。しかしながらこの後退は包囲殲滅を避けるための戦術的なものだ。敵の圧力は侮れない物があるが、彼我の撃墜比キルレシオは依然七対一の優勢を維持している。目下のところ事態の推移は予想の範囲内であり、作戦およびルートに変更はない』
 撃墜比キルレシオが七対一。米軍衛士と帝国軍衛士の錬度にそこまで差が無いと考えると機体の性能比が異常ということになる。――尤も、実はF-22の伝説と比べるとこれは比較的まともなほうであるのを武は知らない。
『特務戦術機甲大隊は補給完了後現隊形を維持し先発。両翼と最後部は我々は固める。先ほども言ったが、これより特務戦術機甲大隊は我が第六十六戦術機甲大隊の指揮下に入る物とする。以上だ』

 2001年12月06日 04:04 沢口付近
 クーデター軍が亀石峠に到達した。現段階で絶対安全とまでは言えずとも結構な距離を稼いでいる。仮に米軍が突破されてもギリギリ逃げ切れる程度には。
 これ以上、移動速度を上げるのは無理だと武は思う。既に悠陽は限界ぎりぎりだ。先ほどから一言も喋らないのがそれを裏付けている。
「殿下、大丈夫ですか?」
「……私は大丈夫です。構わず任務を遂行しなさい」
 馬鹿か、と武は己を罵る。彼女の性格から言ってこう言えばこう答えるはずという位この短い付き合いでも分かっていたのに!
「米軍のお陰で距離は十分稼いでますから……速度を少し落とすように進言してみます」
「なりません! 白銀、そなた私の話を聞いていませんね?」
 先ほどまでぐったりしていた人間とは思えない剣幕で悠陽が声を張り上げる。が、その顔色の悪さはそれだけでごまかせるようなレベルでは無かった。
「どう見たって全然平気じゃないですよ! これ以上は保ちませんよ」
「お黙りなさい。何が保たないというのです」
「そんなの……殿下の体が保たないに決まってるじゃないですか!」
「ならば良い。如何程酷くなろうと、加速度病如きで命を落とすことはありません」
 もちろんそんなことはない。加速度病だって酷くなれば嘔吐を伴う脱水症状で死ぬこともあり得る。衛士が最初に習う常識だ。もちろん戦術機の操縦訓練を受けているという悠陽がそんな事を知らないはずもないし、国連軍の衛士である武だって知っている。
 それでも急げと。私の体を案じて速度を落とせばその分多くの将兵の命が失われると悠陽は武を急かす。しかし、それに武は頷けない。明らかに体調が悪化しているのを見て彼はそれを放置できるような人間ではない。
(こういう意地を張るところは冥夜とそっくりだな)
 気付かれないように徐々に速度を落とす。だがこの程度ではいくらかマシという次元の話であり、根本的な解決には程遠い。これ以上速度を落とせば隊形を崩すことになる。特に噴射跳躍ブーストジャンプの際の揺れが大きい。踏切の瞬間も大きく揺れるし、着地の瞬間など言うまでもない。それが控えられたら大分違うのだが、この山間部ではNOEは危険すぎる。もう少し開けてないと山腹に衝突してしまう。
『――ハンター1より各機。旧三島市街、136号線跡を進軍してきたと見られる敵部隊が冷川料金所跡周辺に到達した』
 冷川――包囲突破の重要ポイントである。そこを突破できればこちらの勝ち。できなければ負けと言っても良いくらいの重要ポイント。そこが敵に抑えられた。
『現在第174戦術機甲大隊が交戦中だ』
 展開が早すぎる。武はそう感じる。先ほどの補給で時間を食った……だがそれを考慮に入れてもまだ計算が合わない。進路変更を考えずに全速で追撃しているかのよう。そもそも何故――
(どうして俺たちが殿下を護送している部隊だと確信できている?)
 異常な展開の早さ。最初から自分たちを狙ってきた追撃。その事柄が武の頭に一つの可能性が浮かぶ。すなわちクーデター軍への情報のリーク。
『だがどうしてもクーデターを起こしたい連中がいるようでね……決起部隊の中に紛れ込んでいたらしい』
『その人の名前は……沙霧尚哉』
「――っ!」
 先ほども考えたじゃないか。前の世界との差異。いなかった人間と起きなかったクーデター。そして教官になった人間。点と点が繋がって一本の線になる。
(そんなわけ、あるか!)
『――という状況だ。全機現隊形を維持。最大戦闘速度で冷川を突破する。174大隊が相手をしているのは恐らく富士駐屯地の部隊だ』
 その言葉にアールクトは異を唱える。
『いや、クーデターが始まった直後に富士駐屯地周辺に簡易だが防衛線を引かせた。それを突破したにしろ迂回したにしろ到達が早すぎる』
『ふむ……増槽を付けてアフターバーナーも使ったのか? しかしそうだとしても……』
『……いや、済まない。今は到達した原因を考えている場合ではない。何をしたのか知らんが帝国軍の最精鋭部隊だ。常識外に突破が早かったのかもしれん』
『かもしれん。とにかくこの状況から考えて富士の部隊は奴らの切り札に違いない。逆にいえば冷川を突破してしまえば奴らに打つ手はないという事だ』
 確かにその通りだが、と武は迷う。今は殿下を決起部隊に渡さない事が最優先。人類の未来の為に必要な事だと考えても迷いは消えない。
『グレイ1より各機。聞いていたな? 時間との勝負になる。隊形、コースを維持。最大戦速』
「06……了解」
 せめて揺れが少しでも少なくなるように最大限の注意を払って操縦しようと決める。今の武にはそれくらいしかできる事が無かった。
『ハンター1よりヒートリーダー。コース変更なし。繰り返す、コース変更なし』
『ヒートリーダー了解……急いでくれ。奴ら、尋常な強さじゃ――』
 耳障りなノイズが走る。それとほぼ同時に少し離れたところで光が弾ける。
『ヒートリーダーがやられた! ヒート2が代わりに指揮を取る!』
『ち、畜生! こいつらどこから――!』
 パニックになった米軍衛士の通信が入ってくる。データマップを見るとかなり押されている。いや、かろうじて抑えていると言った方が正しい。既に戦線は瓦解寸前だ。いくらなんでもクーデター部隊の圧力は強すぎる。
 冷川まで1.5キロ……。間に合うのだろうか? 武の胸に不安が広がる。
 周囲の光景が止まる。いや、止まったように感じる。一秒が引き延ばされて一分、一時間、無限に感じる。そして――
『ハンター1より各リーダー。敵が料金所跡に達した。だが将軍がこちらにある限り敵はうかつに手出しできない。現隊形を維持しつつ全速前進』
 確かに向こうは下手に撃ってこれない。それを考えればまだ望みはある……と僅かだが武が安堵したところで警報が鳴り響く。十時方向――進軍してきた敵と逆方向!
『各機、気をつけろ! こいつは――』
 アールクトの声が通信回線に響く。だがそれを聞くよりも前に武はその姿を視認していた。
 日本製の戦術機よりも米国製の戦術機に近いフォルム。兵装担架は通常よりも多い四つ。そしてその鋭角的な機影は既に武たちにとっては見慣れつつあるもの――。
『ブラックウィドウだと!?』
 ウォーケン少佐の驚愕の声が響く。既に競合に敗れ表舞台からは消えたはずの機体。しかしF-23Jとして蘇ったそれが今ここに居る。――総勢十二機。既に包囲網が完成しつつある。
『ハンター9およびハンター13! 諸君の中隊は先行し、包囲網の完成を阻止せよ!』
『ハンター9了解』
『ハンター13了解』
 その機影がさほど離れぬうちにアールクトが言葉を次ぐ。
『私たちも前に出て牽制する。その後可能ならば離脱するが……構わないな、ウォーケン少佐?』
『……前面の圧力は侮れない物がある。頼む』
 YF-23を先頭にF-15SEの隊形が楔壱型アローヘッド・ワンで前方のF-23Jの中隊を足止めしようと前に出る。と、同時に五時方向の敵機をセンサーが捉えた。既に174大隊は組織的な防衛ができてない。このままでは包囲が完成してしまう――と思ったところでウォーケン少佐が更に指示を出す。
『ハンター1よりハンター5。君は二個小隊を率いてここに留まり追尾してくる敵部隊を叩け』
『ハンター5了解』
 F-22の三個小隊で防衛戦の再構築。これがウォーケンの狙いだった。彼らを盾にしてこの場を突破する。
『ハンター1より各リーダー。このままのコースを維持し、中央を突破する』

 2001年12月06日 04:12 冷川料金所跡付近
 どうして頭が回らなかったのかと己を罵る。
(富士教導隊にF-23Jが配備されている事を俺は知っていたのに!)
 しかしそれならば富士教導隊が決起に呼応することを見越した防衛戦が役に立たなかったのも頷ける。F-22AとF-23Jに性能的な差はそこまで無い。F-22Aの撃墜比キルレシオが七対一ならF-23Jもそれに比類する数値を出すはずだ。加えてどちらの機体も巡航速度がそれまでの機体の比ではない。防衛戦は役目を十分に終える前に突破され、そこで減じた時間は巡航速度でカバーしたのだろう。結果、アールクトの記憶にある時間と大差なかった。
「……早坂大尉か?」
 ほんの少し会話をしただけの相手。それでも知ってる相手を撃つというのは心理的抵抗が大きい。だが少ししてそれが杞憂だと分かった。隊長機の動きが明らかにあの時見たものとは違う。こちらの方が数倍"いやらしい"動きをしてくる。恐らく機体だけを奪ったか或いは別の部隊にも配備されていたかのどちらかであろう。
 両手にXAMWS-24 試作新概念突撃砲を構え近距離、中距離で相手を圧倒する。機体性能はほぼ互角。ならば後は衛士の腕が物を言う。その点に関してアールクトは問題が無かった。しかし――。
『ぐう!』
『ハンター10!』
 F-22Aは押されている。それはまるでATSF計画時の焼き直し。互いにステルス性能に長けているならば必然的に接近戦になる。そして、YF-23の近接格闘能力はYF-22のそれを凌駕している。ましてや乗っている衛士が今は帝国軍のトップガン。F-22Aをもってしても撃墜比キルレシオは一対三という数値だった。
「近接戦闘ではF-22Aは不利だ! こちらが前に出る。援護を!」
『すまん! 頼む!』
 F-22Aが僅かに下がる。入れ替わるように前に出るのはF-15SE。衛士も含めてF-22Aよりは近接戦闘もマシだろうとはアールクトも思う。それでも……
(何人生き残れるか)
 はっきり言って分が悪いにも程がある。F-23Jと比肩する近接格闘能力をもった機体など噂に聞く不知火弐型か、あるいはSuー47か。武御雷という選択肢もある。それらに比べるとF-15SEの近接格闘能力は霞む。機体も不利。衛士としての腕も勝ってるとは言えない。高速で移動しながらの砲撃戦ならば勝ちの目もあるが現状は如何に何人を生かせるか。そういった類の戦いである。
 ならば一人でも多く生かすために今の最善を尽くす。そう決意したアールクトのYF-23が動く。F-15SEに切りかかろうとこちらにわき腹を見せているF-23J。そのむき出しのわき腹にXAMWS-24 試作新概念突撃砲の先端の短刀を突き刺す。管制ブロックのやや下。衛士はギリギリ無事。そこまでで終わっていれば、だが。短刀の上。36mmの砲口が閃光を伴う。ゼロ距離での36mm連射。それは瞬く間に管制ブロック周りを精密機器からただの残骸へと姿を変えさせる。
 素早く短刀を引きぬき次の敵に備える。振りかぶられた74式近接戦闘長刀――どうやら向こうの装備は帝国軍とほぼ共通の物を使っているらしい――を先端の短刀で受け流しつつ反対の手で保持したXAMWS-24 試作新概念突撃砲の短刀がF-23Jの肘に突き刺さる。樹脂製カバーを突き破り、内部の炭素電磁帯を引きちぎるように短刀を引きぬいた。相手の腕が使い物にならなくなったのを横目に次の動作に移る。両手と四つの兵装担架にマウントされたXAMWS-24 試作新概念突撃砲。それが全て前面を向く。そして一斉に火を噴き狙うのは吹雪の一団に向かおうとする一機。一個小隊の斉射に近い数の砲弾を喰らったそれはかろうじて管制ブロックを守っていた。だが、別の方向から飛来した離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSが機体の中心を――中に居る衛士を巻き込んで貫く。唯一207小隊に残った米軍の機体が撃ったそれはクーデター部隊の包囲網に穴を開けた。その穴を塞がせないように他のF-22Aが敵機を牽制する。
 そして――彼らが包囲を突破した。それを確認してアールクトは声を張り上げた。
「俺たちも行くぞ! ……後は頼む!」
 この場を米軍の部隊に任せ、まだ塞がっていない包囲網の穴をF-15SEが抜けていく。その数……八機。ここに来た時には九機いたのが一つ減じている。その事に奥歯が砕けるほどにかみしめながらアールクトは自身の機体もそこから抜け出そうとする。
「っ!」
 が、それをよしとしないのはクーデター軍。F-23Jがこちらに手を伸ばす。兵装交換の時間も惜しんで素手で殴りつけるつもりかとアールクトは眉を寄せる。そんなことをしてもYF-23は止められない。むしろ敵機のマニピュレータが破損するだけだ。そう判断しそのまま進もうとする。
 そこで初めて気が付いた。至近での敵の光学映像。そこに映る機影は自分の物とは若干違う。改修されいるのだからそれは当然なのだが、上腕部が気になった。YF-23にはナイフシースが取り付けらている個所。その形状が違う。いや、違うというよりも別の物が取り付けられている。それが何だったか、と考えるまでもなく正体に気が付いた。
(間に合うか!?)
 咄嗟に機体をひねる――しかしその"剣線"から逃れきれない!
 上腕部の装備が展開する。内部機構から出てくるのは短刀と変わらぬサイズの物。しかしその刀身部はチェーンソーの様な刃。ソ連製の機体に良く見られるモーターブレード。それがYF-23のコクピットハッチを凪ぐ。火花を散らしながらわき腹に深々と傷跡を残しながら両者はすれ違い……YF-23は機体を傾かせた。


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[12234] 【第二部】第十話 クーデター 急 ――銀
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/02/17 09:34

 2001年12月06日 04:04 小田原西IC跡付近
『ヴァルキリーマムよりヴァルキリーズ及びレイダーズ。被害状況を報告せよ』
『ヴァルキリーズ、損害なし』
『レイダーズ、損耗零』
 敵の第一陣を殲滅した後の僅かなインターバル。次の増援が来るまではほんの少し体を休められる。全員が僅かに息を吐き、張りつめていた体をほんの少し緩める。
『新任達も損害なし……順調ね』
「そうですね」
 水月の言葉にケビンは相槌を打ちながら己の手のひらを強化装備の腿のあたりにこすりつける。――人を撃った感触がこべりついている。無意味なことだと分かりつつもその行為をやめられない。
『でも速瀬中尉……こっちにも余裕がありますし、戦闘不能に留めるだけでも』
『甘く考えるな! こっちは新型OSのお陰でどうにか互角に持ち込んでるんだ。そんな余裕を見せたらやられる!』
 それはケビンも同意見だった。むしろ現段階で一人も欠けてないという事が奇跡に近い。そんな状況で相手に手心を加えたら一気に崩れるだろう。
「……敵を無力化したつもりでもいくらでもこちらを殺せる。武装を全て破壊しても回避運動中に体当たりをされたらそれは致命的な隙になる。戦闘不能に留めるだけと言ってもそれをする手間を考えると撃墜が一番効率的だ」
 我ながら反吐が出る、とケビンは思いながら口を動かす。
「まず自分が生き残る事を考えろ。次に仲間を生き延びさせる事を考えろ。それが200%達成できるようになってから敵の命の事を考えろ。良いな?」
『…………はい』
 渋々、といった感じの返事が返ってくる。自分とはさほど年の変わらぬ少女。今回が初陣だと言う。
(普通は納得できないよな……)
 BETAと戦うつもりで訓練してきたのに初陣は人間。そして自分とさほど年の変わらぬ上官に知った風な口を聞かれる。
(……俺なら納得できない)
 何の自慢にもならないがケビンのジュニアハイスクール時代は陸上部の先輩に気に入らないという理由で突っかかりまくっていた過去がある。
(それでも死んでほしくない)
 きっと教官や先任も同じ気持ちだろう。疎まれても良い。恨まれても良い。一分、一秒でも長く生きてくれるならいくらでもそうしてやると。そう思えるだけ少しは隊の先輩に近付けただろうか、とケビンは思う。
『敵、第二波接近!』
 遥の声が通信回線に響く。クーデター軍の増援。それがまたここに近づいている。
『レイド1より各機。二機連携エレメントを崩すな? 彼らとてこの国の首都を守って来た精鋭。油断すれば一瞬で食われるぞ!』
 ギルバートの鼓舞に全員が了解の言葉を返す。
『では大尉、一番槍は頂きます』
『任せた、速瀬。C小隊! B小隊の突撃を援護する!』
 みちると水月のやりとりを聞いてケビンも己の部下――レイダーズの突撃前衛ストームバンガードに対し声を張り上げる。
「俺たちも行くぞ! ここで良いとこ見せとかないと後でエスコートできないぞ!」
『それは勘弁!』
『少しは男を上げとくかあ』
『あの……私エスコートされる側なんですが』
 ……鼓舞する言葉を少し間違えたかもしれないと思いつつもそれを一切表に出さずケビン指示を出す。
「B小隊各機! 二時ののタイプ94を駆逐する。続け!」
 そう言い放ち自ら先陣を切る。F-15SE。第三世代機にまで引き上げられた総合性能は不知火にも引けを取らない。あっと言う間に先行した水月たちの不知火に追いつく。
「お供しますよ。速瀬中尉」
『ふっふ~ん? なかなか勇ましい事言ってたじゃない?』
「あれぐらい言わないと動かないシャイボーイ共ですので」
 私女です! と言う声は無視する。
『エスコートするのは良いけど……うちの隊員はどれもじゃじゃ馬よっと!』
「なら精々振り落とされないようにしましょう!」
 互いに言葉を交わしながら74式近接戦闘長刀を振り下ろす。交錯した帝国軍仕様の不知火が二体の長刀によって三等分されて崩れ落ちる。
『ヴァルキリーズ! 隣の連中に負けるんじゃないわよ!』
「レイダーズB各機。良い所を見せるには最低でも隣に勝つのが条件だ。行くぞ!」
 特に打ち合わせたわけでもないのに同じような事を言う二人。常に強気である事が求められる突撃前衛長ストームバンガード・ワンともなると考えが似てくるのかもしれない。特に弱い自分を覆い隠しているという共通点がある二人の場合。

 作戦が順調に推移する。第二陣も撃破した段階でも損害ゼロ。ここまで来ると埋め合わせのために明日からとんでもない不幸が来るんじゃないかというレベルの幸運だ。尤も、生きているならどんな不幸もドンと来い、と言いたいケビンだが。このまま順調に行ってくれ、と願うように思った時、その思いは裏切られた。
『こ、こいつ……早……』
 その通信を最後に一機のF-15SEが爆散する。その爆炎の向こうにはやはり、帝国軍仕様の不知火。
『デイビット!?』
『こいつら……さっきまでの奴らとは動きが違う……!』
 後衛の支援砲撃も機敏に動いてかわすその動きにケビンの中の記憶が刺激された。
「タイプ94カスタムか!」
 不知火壱型丙。主に熟練兵専用機として運用されている不知火の上位機種。その機体特性はピーキーだが、それを御せる衛士が乗れば不知火よりもはるかに手ごわい敵と化す。特に真ん中の一機の動きが良い。恐らくは隊長機かそれに準ずる機体。逆に言えばあの機体を落とせば相手の士気は下がる。既にこの精鋭部隊一個中隊の登場でこちらの士気は下がり始めてる。それを避けつつ相手の士気を落とすには。
「隊長! 俺が前に出てあれを抑えます。援護を!」
 ならばそれを討つのは部隊内での最強の称号、突撃前衛長ストームバンガード・ワンの名を持つ自分しかいないだろう。
「ふっ!」
 74式近接戦闘長刀を振り下ろすが難なくかわされる。どころか先ほどまで構えていた87式突撃砲を既に兵装担架に戻し、敵機も74式近接戦闘長刀を引きぬいている。早い。その動作にケビンは素直に称賛する。元々F-15SEの近接格闘能力は不知火には僅かだが及ばない。そしてケビン自身も、帝国軍衛士程に74式近接戦闘長刀の扱いに長けているとは思えない。ならば相手の土俵で戦う必要もない。
 兵装選択。74式近接戦闘長刀からAMWS-21戦闘システムに。36mmを選択。
 兵装交換を一瞬で終える。74式近接戦闘長刀は担架には戻さずに地面に放棄する。今はその戻す時間すら惜しい。兵装担架が機体の脇の下をくぐってAMWS-21戦闘システムを前に向ける。それをマニピュレータで保持する前から36mmを打ち出す。発射の振動が機体を揺らす。その揺れの中、弾幕を張っていたAMWS-21戦闘システムをマニピュレータで掴み、更に撃ち込む。だが、致命傷にはならない。細かく動いて被弾個所を巧妙にずらしており、どれも装甲を突破するには至らない。
 ならば、と兵装選択。離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSを呼び出そうとする。これならば一撃で装甲を貫通し、被弾個所をずらそうと関係ない。だがその一瞬。兵装を選択する一瞬の隙。その隙を逃さずに不知火壱型丙が踏み込んでくる。下段から振るわれる74式近接戦闘長刀。それを回避するために跳躍ユニットに点火。逆噴射リバースブーストで下がる。構えたAMWS-21戦闘システムが74式近接戦闘長刀の先端に捉われ二つに分けられた。
 役に立たなくなった鉄屑を投げ捨てながら膝のナイフシースから短刀を引きぬこうとするが、敵機の踏み込みの方が早い。
 F-15SEは無手。そして兵装担架には既に武装は無い。

 切先が管制ブロックに突き刺さる。それは搭乗している衛士の命を一撃で奪い、物言わぬ肉片に姿を変えさせた。
 機体が崩れ落ちる。
 灰色の機体が倒れ、漆黒の大鷲が立ち上がる。
「……まさか本当にこの装備が役に立つ日が来るとは……」
 不知火壱型丙に突き刺さった短刀を引きぬきながら呟く。いわゆるスペツナズ・ナイフの機構を積んだナイフシースである。強力なスプリングで短刀を飛ばした。ただそれだけだがその威力は侮れない。実際、至近距離ならば戦術機の装甲も貫通してダメージを与えられる。ついでなので不知火の兵装担架から87式突撃砲を奪って装備する。……マッチングに問題はなさそうだ。FCSのロックを解除……一瞬で済んだ。これもXM3と言うよりもオルタネイティヴ4の成果である新型CPUの恩恵だろうか、とケビンは思いながら機体を次の敵に向ける。
 頭を失い、連携が乱れた相手はさほど苦戦することなく駆逐が完了した。損害――レイド7が大破。衛士はギリギリで緊急脱出ベイルアウトできたらしい。幸運、ケビンはそう思う。本当に明日以降は死ぬ直前の不幸でようやく釣り合いが取れそうなほどの幸運だ。だが生きている。生きていれば何でもできる。もう何も言う事も考えることも出来なくなった衛士が乗っていた不知火壱型丙の残骸を見ながらそう考える。
 今生きている人間の命は多くの屍の上にある。それを実感させられた。
「隊長、無事かな?」
 気持ちを切り替え、現在の任務遂行状況を考える。自分たちが守る道の先。そこで戦っているであろう自分たちの上官の姿を思い浮かべながらケビンは呟いた。

 2001年12月06日 04:14 冷川料金所跡付近
 機体が傾く。同型機同士の交錯。その一瞬で変わったのは試作機、YF-23の方だった。正面、腹部中央から右の脇腹まで一気にモーターブレードが引き裂く。迸る火花。
 そのままバランスを崩して墜落する――そう思ったところでどうにかYF-23は機体を立て直した。しかし既に死に体。その姿はそこから見ても隙だらけでもう一撃打ち込めればそれで堕ちる。
 そう確信したのか、すれ違ったF-23Jが反転、その回転の勢いのまま左上腕にマウントされたモーターブレードを先ほど作った左脇腹の装甲の裂け目に突き込もうとする。それがなされれば既に抉れた装甲は紙のように引き裂かれ、中にいる衛士を無残な肉片に変えた事だろう。
 しかしF-23Jの衛士は忘れていた。いや――YF-23の衛士の、アールクト=S=グレイの生きようとする願望が殺そうとする想いを上回ったのか。
 腰部のスラスターが点火する。日本製戦術機にはない装備。その使い方をF-23Jの衛士はまだ十全に把握していなかった。隙だらけの機体。それが強引に四分の一回転させられた。機体正面の装甲を僅かに削るモーターブレード。だがそれだけだ。とどめのつもりで繰り出した渾身の突きは今、度し難い隙へと変わる。
 胴部の装甲を削られる衝撃でも手放さなかったXAMWS-24 試作新概念突撃砲。その砲口が隙だらけのF-23Jに向けられた。しかしF-23Jの衛士とて馬鹿では無い。先ほどのアールクトの機動を見て、それを己の機体で再現できるだけの技量があった。同じ事をして射線軸から離れる。そして僅かに息を吐いて安堵している。その瞬間光学カメラからの映像が途切れ、視界が完全に失われる。それを疑問に思う間すらもなく、彼の意識はこの世から乖離した。最期の瞬間まで死んだ事に気付かずに。

「くそ、なんて無様……」
 どうにかこちらに致命的に近い損傷を与えたF-23Jを落とし、後方に兵装担架にマウントしたXAMWS-24 試作新概念突撃砲四門で牽制しながらその場を離脱する。ちらりと兵装ウィンドウに目をやり120mmキャニスター弾から36mmに切り替える。射線軸から離れても散弾ならば関係ない。尤もそれが必殺になるかどうかは撃った本人も疑問だったが、運が良かったのか敵機のメインカメラを破壊できた。予備カメラに切り替わる一瞬の隙で回避させる間もなく打ち込んだキャニスター弾で落とせたのはラッキーだった。せめて少しくらい感謝する幸運があった方が気分が良い。
 そのまま視線は機体ステータスに向かう。……網膜投影の向こう側に何時もなら管制ブロックが見えるはずなのに今は外の光景も見える。腹部損傷大。右跳躍ユニット接続アームに損傷。跳躍ユニットを動かすのに若干の問題あり。戦闘継続――困難、一時後退を推奨。
「どこに後退しろというんだ……」
 今はまだ戦うしかない。だが――予定通りに事が進めばこの後は戦闘は無い。ならばこの腹に空いた風穴も気にならないだろう。
『隊長!』
『ご無事ですか!?』
 部下からの通信が届く。流石に全員の声が強張っている。これまで三年間一度も損傷らしい損傷を受けた事が無い隊長がいきなり中破、下手をすれば撃墜されていたような損傷を受けた事に動揺しているのだろう。
「装甲の隙間から風が入ってきて寒いな。誰か防寒シートを貸してくれ」
 その冗談に一様にほっとした表情を浮かべるのを見てアールクトは、まずいな、と思った。
(依存し過ぎている)
 これまでアールクトは失敗らしい失敗をした事が無い。それは彼の出自を考えると当然と言えば当然なのだが、それを知らず、彼についてきた人間はそれこそ超人か何かのように見えていたのだろう。故に彼らはアールクトに心酔してると言ってもいい。それは言い換えれば依存だ。彼がいるときは普段以上の力を発揮するが、いなければ途端に崩れる。これまでのその兆候はあった。他の部隊の隊長の指揮下に入る時などはやや動きが鈍い。
(どうにか……と言ってもどうすればいいのやら……)
 また帰ってからの懸案事項が増えた、と思いつつ先ほどのF-23Jを思い返す。
「ソ連製の装備を導入したのか……米国機に取り付けるとは何とも……」
 外国産の技術を導入するには国産派が抵抗する。だが今回は既に外国産機があるのでついでとばかりに取り付けたのだろう。
 だがそれによってF-23Jの近接格闘能力は大幅に高まったと言える。あの分では脛の部分にもモーターブレードがありそうだし、機体各所のカーボンブレードもあるだろう。そして四つの兵装担架に低燃費高速巡航能力。あの機体がラインに乗れば通常戦力でのハイヴ攻略も大分楽になるんじゃないかと思う。
「……こいつも改修するか?」
 少し羨ましいと思ったりもした。
『ハンター1より部隊各機。約二マイル先の谷までNOEで移動。高度制限は100フィートとする。到着後06以外の各機は散会して周囲の警戒に当たれ』
 ウォーケンからの通信が入る。そこで休息を取る理由は言わなかったがアールクトは知っている。殿下が倒られたか、と小さく呟き笑みを浮かべる。
 予定通りだ。若干の、ほんの少しイレギュラーがあったがそれ以外は概ね順調に行っている。白銀武の操縦技能の向上によって揺れが少なくなるんじゃないかと思ったが、残念なことに彼の技能はまだ未熟――大きな揺れという問題を自身の戦術機特性で耐えていると言うだけであった。
「帰ったらそのあたりも鍛えるべきか……?」
 むしろ前よりも揺れは酷くなってるんじゃないだろうか? 半端に自分の機動を身に付けたせいであるのだから最後まで面倒をみるべきか……それとも本人の成長に任せるか。あまり干渉しすぎるのも良くない。……まあその点は既に気にしてないが。
『ハンター2、ポジション確保』
『1901、配置確保』
『20701、ポジション確保』
『グレイ2、ポジション確保』
『よし、各機指示あるまで前面警戒を維持せよ』
 了解の唱和と共にウォーケン少佐から秘匿回線が繋がれる。近距離での直通回線。これを傍受するのは容易ではないだろう。
『白銀、殿下のご容体はどうだ?』
『依然変化はありません。むしろさっきよりも苦しそうです』
 まりもの問いに苦々しげな表情で答える武。それを見て小さく鼻を鳴らす。
(この程度でうろたえるな。せめて殿下の前では平然としていろ。病人は己を心配する人間に気を使ってしまうんだから。殿下の性格なら尚更だろう)
 不甲斐なさに変わってやりたいとも思うがそれは禁じ手だ。ここにいるのはアールクト=S=グレイであって白銀武では無いのだから。
『バイタルデータはモニターできるか?』
『簡易データですが転送します』
『少佐、訓練部隊のファストエイドキットは国連E規定に準拠したものだな?』
「ああ。米軍と同じものを使用しているはずだ」
『白銀訓練兵。スコポラミンはもう投与したのか?』
 しかし流石だとアールクトは思う。武の顔を見ても表情一つ変えない。思った事はいくらでもあるのだろうにそれを一切表に出さない。……こちらに物言いたげな視線は向けてきていたが。
『――少佐、早急に応急処置を施すべきだと考えますが!』
『処置内容は?』
『ハーネスのテンションを緩め、可能な限り楽な姿勢を取らせるべきです。ハッチを開放し、涼しい外気に触れさせることも必要だと判断します』
『許可する。実行に移せ』
『了解!』
 作業を開始する武にアールクトは一言声をかける。
「白銀訓練兵。実体験から言わせて貰うが外はかなり寒い。殿下に防寒シートをかけて差し上げろ」
『り、了解』
 先ほどから裂け目から風が入ってきて結構寒い。特に顔面が。強化装備の温度調節機能も顔面までは効果が無い。局所的に寒いので違和感がありすぎる。
「ウォーケン少佐。済まないが機体の応急処置をする。遠隔操作の優先権をグレイ2に」
『了解した。通信は開いておいてくれ』
『グレイ2了解』
 通信回線を開きっぱなしにしながら作業を始める。と言っても隙間の上側に防寒シートをテープで固定して風が入ってこないようにすると言うとてつもなく簡単な処置だが。一気に見た目がみすぼらしくなるのは仕方ない事だろう。見た目よりも実用性を取る事にした。
「……大分違うな」
 処置を終えた後で小さく呟く。この防寒シートの断熱性はなかなからしい。今度メーカーに感謝のメールでも送っておこう、と決めた。
 その間もまりもとウォーケンの話は続く。悠陽がクーデター以後眠っていないらしい。そんな状況での戦術機動では無理もないとウォーケンが納得した風に言う。そして。
『白銀訓練兵。殿下にトリアゾラムを投与しろ』
『……え?』
『早くしろ。精神安定剤の投与は重加速度病に対する通常の措置だ』
『お待ちください少佐! 殿下の症状と戦況の好転から考えて更なる投薬のリスクは不要ではないでしょうか』
 その指示にまりもが喰ってかかる。それに呼応するように通信回線に新たなウィンドウが開く。
『その通りです少佐。安静が確保できるのであれば問題ありませんが、この後も戦術機での移動が続く以上トリアゾラムの――』
『月詠中尉、本作戦において君はオブザーバーだ。通信の傍受は許可したが発言する権利を認めた覚えはないぞ』
 そんな事は真那も分かっていたのだろう。それでも我慢できずについ口を出してしまう状況だった。
 このあたりか、とアールクトは判断する。なるべく記憶にあるままにしようと思っているが、ここで黙っていることもないだろう。最終的な結果が同じなら問題ない。
「ウォーケン少佐。私も投与には反対する」
『グレイ少佐……?』
『理由は』
「トリアゾラムは睡眠導入効果が高い。それは筋弛緩を引き起こす事を意味する。その状態での嘔吐で窒息する可能性を見過ごすわけにはいかない」
『確かにその可能性はある。しかし殿下の容体を鑑みれば一刻も早く戦域を離脱するのが最良の選択だと私は考えるが?』
 確かにウォーケン少佐の言っていることも間違ってはいない。それはここに居る全員がわかっているだろう。
『加えて短時間での休息で殿下が回復する保証もない。180秒後に移動を再開する』
『少佐、無茶です! すぐに移動を開始すれば殿下は嘔吐による衰弱と脱水症状で――』
『白銀訓練兵! 上官の議論に口を挟むな!』
 武が我慢できずにウォーケン少佐に進言するが、まりもがそれを一喝する。
「白銀訓練兵。後で基地に帰ったらみっちりしごいてやるから感謝しろ? だがウォーケン少佐。私も訓練兵と同意見だ。加えて話を聞けば殿下は精神力だけで持っているような状態。その状態で眠らせるのはリスクが高い」
『……少佐、分かっているとは思うが我々国連軍の任務は反乱軍から将軍を守り、無事脱出させる事だ。そしてこれも言うまでもない事だと思うが指揮官である私には君たちを含めた部下の出来得る限りの安全を図る義務がある。本作戦は日本政府の要請により実行されている物だ。反乱側の人間でもない限り任務遂行の邪魔をすべきではないと考えるが?』
「同感だな、少佐。しかしその任務遂行の正しい手順を今、話し合っているのではなかったのかね? 私からすれば貴官の取ろうとする行動は殿下に害を――つまりはこの状況を更に混乱させるものだと私は考えるが?」
『富士教導隊の例もある。どの部隊が反乱に参加しているか分からない状況でのんびり時間を潰している暇はない。加えて行軍を開始する前にも言ったがこの部隊の指揮官は私だ。君ではない』
「……ならば我々も反乱軍と断じるか、ウォーケン少佐。その場合は濡れ衣で撃墜されたのではたまらないのでこちらも全力で応戦させて頂くが」
『ウォーケン少佐。皇帝陛下は未だ彼の物たちを反乱軍とは宣しておりません。まして殿下は皇帝陛下直々に国事全般をお預かりしている身です。殿下の大事は政府の要請に勝ります。どうか命令の再考を』
 一気に張りつめた空気の中、遠まわしに本来の国家元首は日本政府ではなく皇帝、或いはその全権を預けられた将軍だと真那は言う。その言葉に僅かウォーケンは思案したがそれでも首を横に振る。
『中尉、君には国連軍の作戦に意見する権限はない』
『ウォーケン少佐、本作戦成功の暁には殿下を救出した米国に対する日本の国民感情は一気に好転すると思われますが、殿下に対する薬物過剰投与の情報が漏洩すればそれが最善の措置であったとしても対米感情が一気に悪化することは確実です。そうした状況は米国政府が負ったリスクと労力に見合わないと考えますが』
 まりもの米国のデメリットに配慮する言い回しに再びウォーケン少佐は黙考する。
『……そういえば少佐、君は日本出身だったな。軍曹も、そうだな?』
「ああ」
『はい』
 いつぞや酒のつまみにそんなことを話した記憶があったが覚えていたとは意外だった。画面の端で武が若干驚いたような顔をしているが今は無視する。
『君たちの将軍に対する忠誠、想いの深さには敬意を表する。君たちがそうであるのと同様に、私も、私の部下たちも祖国である米国に忠誠を誓った軍人だ。国民や国家の安全を守るための命令には従う。そしてこの作戦も任務である以上全力を尽くす。だが……これだけは言わせて貰うぞ』
 ウォーケン少佐が息を吸い込む。そして大きな声ではないが、頭に響く声。
『この人類滅亡の危機に、極東防衛の要衝たる自覚もなく……無意味な内戦に突入し、貴重な戦力や時間を浪費している愚かな国家……それが君たちの国、日本だ。その幼稚で下らない国の為に私の部下が命を落とすことは絶対に我慢ならん! そして今、ここから数マイル後方で……そのクソ忌々しい事態が現実になっているんだ! 中尉の提案する十分の休憩の間に敵味方何人の命が失われると思う? それは本来、人類の宿敵、BETAと戦うべき命なのだぞ!』
『少佐のご指摘は尤も』
 ウォーケン少佐の怒号の余勢が消えかけたところで真那が口を開く。
『貴国との戦争に敗れた後、我が国は誇りを失い、政治は疲弊し……情けなくも今や、他国の干渉に翻弄される有様。されど貴官の将兵の命を危険に晒しているのは私共でも、まして殿下でもありません。極東での復権を欲する米国政府です。ならば先の物言い、まさに陰口が如き泣きごとに過ぎぬ。私共相手に漏らすのは筋違いも甚だしい。その程度の覚悟と忠誠ならば遠慮は無用。またあの時のように、安全な北米大陸に帰られよ!』
 その一喝にまりもが慌てて口を挟む。一気に先ほど以上に険悪になった空気に――アールクトは口を挟まない。何か言われたら返すつもりではいるが、ここで黙っていてもそのうち収束することを知っているし、ついでに言うなら武があたふたした様子でこちらに視線を送ってくるのがなかなかに愉快というアレな理由もある。
『月詠中尉! 本作戦での立場をお忘れですか!』
『先ほど上官の議論に口を挟むなと訓練生を窘めていたな? 部下への範は己が態度で示すが良い』
(こうして客観的に見ると月詠中尉も神宮寺軍曹もらしくないよな。……まあこいつはそこまで気が回らないみたいだが)
 ちらりとあたふたしている白銀武を見て小さくため息を吐く。最初は面白かったがすぐにこのままで大丈夫かと不安になって来た。自分の行動で本来よりも軟弱になっているんじゃないだろうか?
『やめたまえ、中尉。時間稼ぎはもう十分だろう? まったく、見事に乗せられてしまったものだ。君の挑発が全て演技だったというわけでもあるまいがな』
『少佐のおっしゃる意味がわかりません』
『ふ……まあ良い。ところでグレイ少佐に軍曹。君は知っていて乗った口かね?』
「さあ……何のことやら?」
 向こうには見えないと分かりつつも薄い笑みを浮かべながら答えたところでデータマップに友軍機のマーカーが現れる。帝国671航空輸送隊。これも予定通りか……と口の中で言葉を転がす。
 そこから降下してくる帝国軍カラーの不知火――そして包囲が完了する。BETA支配空域での飛行……正気の沙汰ではない。
『国連軍指揮官に告ぐ。私は本土防衛軍、帝都守備第一戦術機甲連隊所属の沙霧尚哉である』
 そして一時間の休戦を通告していく。……後は不確定要素が入る心配もない。既に仕込みは済んでいる。
「これで終わりか……」

 2001年12月06日 04:27 岩山付近
「反乱の首謀者が最前線に現れ六十分の休戦を通告……どう考えても罠だ。状況から考えて不自然すぎる」
 部隊指揮官が戦術機から降り、今後の対応を話し合っている。それを武は聞き流しながら焦れる。素人目にも悠陽の容体は悪化している。囲まれている現状。休戦の提案。それらを考えると簡単に悠陽を外に出すわけにはいかないのは分かっている。いるのだが気持ちはそれで納得してくれない。
「休戦に応じる。各機は現ポジションを維持。殿下には戦術機から降りてお休みいただこう」
「……聞こえているか、白銀訓練兵。殿下を戦術機から降ろすぞ。月詠中尉、手を貸して貰いたい」
「承知した」
 国連軍の強化装備と紅の強化装備を来た二人が数歩歩き、武の吹雪に近づく。
「白銀、機体を屈ませろ。管制ブロックのハッチを低くしてそこから御降り頂く」
「分かりました」
 指示された通りに戦術機を屈ませる。手の平に真那を乗せ、それを管制ブロックのハッチ前に持っていく。
「殿下、失礼いたします」
 悠陽を抱え、再び手の平に戻る真那を乗せ、ゆっくりと武はマニピュレータを地面に戻す。そこから真那が降りたのを確認してアールクトが指示を出す。
「オッケーだ。この後は殿下の警護に当たる。戦術機を戻して降りてこい」
「……了解です」
 武が降りると既にアールクトの姿は無い。視線を巡らせると少し離れていたところでウォーケンと話しているのが武の眼に入った。それがこのクーデターが始まってから何度も考えている事を考えてしまう。とはいえやはり証拠も何もない。ここに夕呼がいればそれを元に少しは調べると言った事が出来るかもしれないが、武にはそんな事が出来る力が無い。
(でも帰ったら言ってみるべきだな)
 何もないならそれでいい。だが……直感だが何もない事は無いと武は思っていた。

「白銀武」
「え?」
 振り返ると白の零式強化装備を纏った神代がやや呆れ顔で立っていた。
「探したぞ。休憩中とはいえこの状況でうろつきまわるとは……国連軍の程度が知れるな」
「……すいません」
 先ほどまで他の隊員のところに行って話していた武としては頭を下げるしかない。
「まあいい、ついてこい」
 要件も告げずにそう言われても頭に疑問符を浮かべるしかない武に神代が若干いらだった様子で言葉を継ぐ。
「――急げ。殿下がお呼びだ」
「ええ!?」
 少し歩いて木に寄りかかるように座っている悠陽の元に辿りつく。
「殿下。白銀武を連れてきました」
「御苦労でした。下がりなさい」
 その姿を見て武は少しほっとする。さっきよりも悠陽の体調が回復しているのが見た目からも分かる。だがそれでもすぐの移動に耐えられるほどではない。
「――白銀、ここへ」
「は、はい」
 こういった場での作法を知らない武はどうして良いのか分からない。それを不審に思ったのか悠陽が言った。
「どうしました……楽になさい」
「す、すいません……失礼します」
「このまま話す非礼を許すが良い……身を起こすと少々辛い故……」
「いえ、俺は非礼ばっかりなんで気にしないで下さい」
 武が緊張気味の笑みを浮かべながらそう言う。
「ふ……そなたは本当に面白い男ですね」
 と悠陽が小さく笑った後若干表情を引き締めて尋ねた。
「そう言えば白銀……そなた、武家の白銀家とは何の縁も無いのでしょうか?」
「え?」
 武家の白銀家、という言葉に武は困惑する。一度もそんな話は出た事が無いし、夕呼からも聞いていない。
「いえ……関係ない、と思います。少なくとも俺の知る限りでは」
「そうですか。珍しい名字なのでもしや、と思いましたが……考えすぎでしたか」
 心なしか残念そうに悠陽が言葉を紡ぐ。少し躊躇しながらも武はその新たに得た情報を掘り下げようと問いを口にする。
「あの……その白銀家って」
「今は断絶しています。BETAの本州侵攻の際に当主が京都で、次期当主が横浜で散りましたが故」
「そう、ですか……」
 もしかしたらこの世界の白銀武の事かもしれないと武は頭に留める。夕呼にでも聞いて調べて貰った方が良いだろう。
「それはそうと……私が不甲斐ないばかりにそなたには要らぬ苦労を掛けましたね」
「いえ、正直に言えばあの状況なら常人ならもっと早くに倒れています。それを乗り切ったのは殿下が精神的、肉体的にも優れていたからだと思います」
「そう言ってもらえると助かります」
「本当の事です。で、殿下。どんな御用でしょうか」
 まさかこれらの会話の為だけに呼んだ、と言うわけではないだろう。何か本題があるはずだ。
「神代から状況は聞きました。時間が来る前に少しそなたと話がしたかったのです」
 武へのねぎらいに始まり、武の特異な操縦技能への賛辞、そして武が何時か人の上に立つ事。その時に選べる道の事……。
「自らの手を汚す事を厭うてはならないのです」
 その言葉を聞いた時……何故か武は懐かしかった。自分の中に深くしみ込んだ言葉のように感じる。もちろんそんなことはない。初めて聞くはずなのに……。
(どうしてだ?)

 吐く息が白い。アールクトは機体の調整を行いながら自分の吐く息を網膜投影越しに見た。やはり装甲の裂け目は戦闘機動にも影響を与える。無いとは思うが全力機動を行ったらこの裂け目を起点に機体が真っ二つになるかもしれない。それを頭の片隅に入れておかないと戦闘になった際に面倒かもしれない。
 だが、アールクトは恐らく戦闘は起こらないであろうと見込んでいる。記憶にある会談の際、狙撃が無ければ穏便に済んだだろう。既にハンター2とハンター3の衛士に施された後催眠暗示の事はミリア経由で調べが付いている。CIAにとって望ましくない展開になった場合に妨害するために衛士に後催眠暗示を施している。だがそれはこの隊の二名のみ。他にもいたが彼らは後方で防衛線を引いている。つまりこの二人を抑えれば、狙撃は行われない。つまり、会談も無事に終わり、クーデター軍を――沙霧大尉率いる精鋭を残す事が出来る。それは今後――佐渡島攻略にとって決して小さく無い要素になるだろう。
 そして殿下から全員を集めるように命を出した。
 この後は記憶通りに進むなら冥夜が替え玉に志願して沙霧大尉の説得が始まる、とアールクトは記憶を辿り溜め息を吐く。
「どうやら今度こそ無事に終わりそうだ」
 ここまで来てイレギュラーも無いだろう。残る問題は。
「将軍の前にサングラス付けて出るわけにいかないからな……」
 戦術機での警戒任務でも行っていよう。

「米軍並びに国連軍衛士の皆様、今暫くお時間を戴くことをお許しください」
 悠陽が全員を集め、それをねぎらった後、そう話を切り出す。
「長きに渡るBETAとの戦い……そして好転しない戦況に、我が国民の心は疲弊し蝕まれつつあります。されど私の力ではそれを癒すことすら適いません。あまつさえ、皆様の多大な尽力を得ながら、足手纏いとなる始末。我が身の至らなさ、未熟さを痛感しております。――それでも私は民を守りたい。民の心にある魂を、『国』を守りたいのです」
 己の心情を吐露する悠陽に武はかつての冥夜の言葉を思い出す。
(冥夜が言っていたのは……この事だ)
「私と同じくこの思いは全ての者が持っているに違いない。私はそう信じております。決起に走った者たちは、その想いが強すぎたのでしょう。想いが強く純粋であるが故に、立ち上がらざるを得なかったのです」
 だからその行動は罪でも、心意気だけは寛恕して欲しいと。本来責めを負うべきはこの私なのだからと。そして自ら決起軍を説得すると言う。確かに成功すればこの戦いはここで終わる。だが失敗した場合、例えば悠陽が決起軍に囚われるなどこれまでの戦いが全て無意味になる可能性がある。それを案じてウォーケンが諌めるが、悠陽の心は決まっていた。それを表すように決然と言い放つ。
「月詠、武御雷を持て!」
「ははっ!」
「っ!」
 武は先の言葉を思い出す。『自らの手を汚す事を厭うてはならないのです』その言葉と武御雷を持てという言葉。それを繋ぎ合せると――
(殿下は自分の手で沙霧大尉たちを斬るつもりなのか!?)
「お待ち下さい!」
 既に場の空気が固まりかけ、悠陽がその言を実行しようとするギリギリのタイミングで声が響いた。全員の視線を受けながら冥夜が悠陽の前に進み出る。そして悠陽の心情を慮った後、自分が悠陽の替え玉として説得の任を果たすと言った。それを見て武は思う。光だの影だのそんなことは関係ないと。
(間違いなくお前たちは姉妹だよ……)
 しかしその提案もウォーケン少佐は却下する。そこに月詠中尉が補足をし、ウォーケン少佐の決定が揺れた。
(俺はどうしたい?)
 武は自問する。
 答えはすぐに出た。あの日、前の世界での天元山と同じ。
 冥夜を助けたい。
「少佐、発言を許可してください!」
「全く……国連の訓練兵は次から次へと」
「白銀、控えていろ!」
 すぐさまウォーケンのため息とまりもの叱責が飛んでくる。が、武はそれを無視して発言を続ける。
「はっ! ご許可いただきありがとうございます! 私は先ほどの替え玉作戦に志願致します!」
 今度は俺が連れて行ってやる、と武は決意を新たにする。前の時とは違う。自分の意思で、天元山で婆さんの為に冥夜がそうしたように、生きていくために大切なものを守りに行く。
「白銀! 黙れ――」
「待て軍曹。あの訓練兵、多少気になっていたのでな……言ってみろ」
 気になるという理由が少し引っかかったが、武にとっては好都合である。そのチャンスを利用しない手はないと武は言葉を紡ぐ。自分は決起軍に隊形フォーメーションから高確率で将軍搭乗機とマークされている事。それを利用して替え玉に真実味を持たせると。
「ふむ……訓練兵。他に言いたい事があれば聞いておこう」
 興味を引けた、と武は確信する。ダメ押しとばかりに自分の考えを口にした。
 将軍はこの国の拠所であり、彼女の権威が失墜したらそれは極東防衛線崩壊の始まりかもしれないと。先ほどまでの自分には信念や立脚点が無く、目標や使命感ばかりが先走って焦っていた事。今は日本人として――三つの世界を見てきた日本人として目標を達成する方法を考えて物事を決断すればいいと考えに至った事。
 全てを満たして目標を達成することはできない。そんな事が出来るのはいるかどうかも分からない神くらいだろう。だけど、こぼれるものにもこぼすなりの筋を通す。ただ切り捨てるだけならばオルタネイティヴ5と最終的に変わりがない。
「一つ聞くが訓練兵……貴様の目標とはなんだ?」
「人類の勝利です」
「まさかとは思うが……贖罪の為の志願ではないだろうな?」
「いえ、自分が為すべき事を行うためです」
 これは俺にしかできない、そんな確信が武の内にある。
 しばしウォーケンは黙する。そして誰にも聞こえないような大きさの声で呟いた。
「やはり……そう言う事か……? いや、実戦が訓練兵を鍛え上げた……と言う事なのか……」
 その呟きは武の耳にも僅か届いたが、追及はできない。今はただ少佐の決定を待つのみだった。
「……貴様の考えは良く分かった。しかし貴様の吹雪が単機で向かうと言うのはいかにも不自然だな」
「斯衛の直援は真実味の上でも必要であろうな……でありましょう、少佐?」
「貴様たちプランを採用する。替え玉は白銀機に搭乗。直援は月詠中尉とする」
「了解!」

 悠陽に扮した冥夜を乗せて武の吹雪が会談場所に向かう。
 それをアールクトは見届ける。離れた場所からハンター2の代わりに狙撃ポジションについて。
 アールクトに取って武が冥夜の随伴に自ら志願したのは安心させる材料になった。どうやら、記憶にあるのと殆ど変っていないらしい。もしも自分の干渉でここで尻込みしてしまうようだったら口を挟むつもりでいたが、彼は自分の意思で行動した。それはアールクトにとって喜ばしい事であり、彼の目的が更に一歩、達成に近づいた事を意味する。知らずうちに笑みがこぼれる。
 望遠で見る限り、会談は順調に進んでいる。この調子なら無事に終わるだろう。
 終わるはずだった。

 2001年12月06日 05:22 太平洋上
『……以上だ。こちらの用意したプランは全て読まれていた。予備作戦を開始せよ』
「……シルバー1、了解。ミッションプランに従い、行動を開始する」
 戦術機の中で衛士がそう返答する。
 兵装担架にマウントされた武装を構える。
 そしてその機影は――一瞬でそこに現れた。

 2001年12月06日 05:26 岩山付近
 陽が、登る。
 悪夢のような夜が終わり――地獄のような朝が始まる。

 一瞬だった。
 一瞬で、沙霧大尉の不知火が戦術機から鉄塊に形を変える。
『な……!』
 アールクトの驚きの声が通信機から漏れてきた。だが武も同じ気持ちだ。いきなりの攻撃。それは、真上から来た。自然、全員の視線は上を向く。そこには――
 仁王立ちする戦術機。宙に足場があるかのように、そうするのが自然なように浮いている、白銀の戦術機。

 銀

 その装甲は降り注ぐ陽光を跳ね返し、ただ一色を主張する。

 銀

 誰も動けない。動いた瞬間やられる。為す術も無く、獅子が兎を狩るように、戦術機が生身の人間を踏みつぶすように、BETAが人類を蹂躙するように――!

 銀

 ただそこにいるだけで周囲を塗り潰す。己以外の色など要らぬと言うように圧倒的な存在感を持って。そうあれと望まれた理念そのままに。

 銀

 白銀の戦術機。たった一機のそれがクーデター軍も、アメリカ軍も、国連軍も全てを飲み込んでいた。そこにいる全ての衛士の覚悟、気迫。そんな物はこの戦術機から発せられる物に比べたら塵芥に等しかった。

 銀

 ただ一色に、思考を塗りつぶす。

 銀

 銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀銀

『全機散会! 未確認機から離れろ! 全速力で後退しろ! クーデター軍もだ! 死にたくなければ逃げろ!』
 アールクトの怒声が全周波で戦場に響く。その言葉を切っ掛けに全機体が一斉に動き出す。
 だが、素直に退避できる――敵に背を向けられる者ばかりでは無かった。アールクトの指揮下、訓練小隊や第一中隊に斯衛軍は距離を取った。元々の距離があったのも幸いだった。ウォーケン少佐率いる部隊もその指示に従った。
 だがクーデター軍は。それに従わなかった。
 誰かが発砲した。それは攻撃するつもりだったのか、恐怖のあまり手が震えて撃ってしまったのはわからない。切っ掛けは36mmの単発。だがそれは一瞬で120mmや発煙弾、機体に搭載された武装を無秩序に撒き散らす豪雨へと変わった。
 たった一機に対する戦術機一個大隊からの飽和攻撃。その過剰としか言えない攻撃に包まれ、白煙の向こうに消えていく機影を確認してアールクトは判断を下す。
『全機、当初のプランA第二フェイズに従い、全速力で現戦域より離脱、海上に出る。良いか、ウォーケン少佐?』
『待て、グレイ少佐。クーデター軍を放置するのか? 追撃が来たら……』
『追撃は来ない。これは絶対だ。少なくともクーデター軍は……ここで終わりだ』
 その有り得ない断定にウォーケンは訝しむが、すぐさまその理由を理解した。
 白煙が引いていく。いくら得体の知れない相手とは言え恐怖に駆られて36mmを弾倉一つ撃ち尽くすのは遣りすぎだった、と先程までの痴態を思い出しクーデター軍衛士は苦笑を浮かべた。それを誤魔化すために隣にいる衛士にジョークを飛ばそうとして、その表情が凍り付く。網膜ウィンドウに写る相手の顔。それが醜く歪んでいく。人間の限界を越えるまで歪み――弾けた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 彼の口から悲鳴のような叫びが漏れる。弾け飛んだ衛士の不知火から紐のような物が煙の中に戻っていく。
 白煙が晴れる。そこにいたのは無傷の銀色の戦術機。文字通り無傷。装甲に一筋の傷も、僅かな歪みもない。
『何て装甲だ……』
 ウォーケン少佐が呻くように呟く。武も、この場にいる全ての人間が同感だった。一個大隊からの飽和射撃を受けて無傷の戦術機が存在するとは思ってもいなかった。
『現在の速度を落とさず進め! 追い付かれたら連中の二の舞だ!』
 武の吹雪が捉えたクーデター部隊の機体のマーカー。その数は既に三つ、消えていた。

 早い。早過ぎる。
 動作の起点が見切れない。一切の予備動作もなく高速で移動し、一瞬で機体を潰す。更にはいかなる原理か宙に浮かぶ。尋常な性能では無い。しかし、幸いと言うべきか。相手の武装はそう豪華な物ではなく、一般的な機体に使用されている物だった。だがその採用国家はバラバラで機体の所属を見いだせる物では無かった。戦場においてはどこの国の武器であろうと武器には変わりないので今はあまり気にならないが。
 白銀の戦術機が手にした突撃砲を向ける。それが発砲される前に向けられたクーデター衛士は反応した。すぐさま射線上から離れる。一瞬前まで烈士の不知火がいた空間を36mmが通り過ぎる。お返しとばかりに不知火の突撃砲が36mmを吐き出す。それを白銀の戦術機は回避したが反応が遅れたのか数発命中する。それを見て彼は笑みを浮かべる。機体性能には圧倒的な差があるが、衛士の腕はその機体性能に見合っていない。あの驚異的な速度にさえ気を付ければ勝てない相手では無い。そう考えた故の笑み。
 時間はかかるが全員で火力を集中すれば倒せる。しかしそうなると殿下を取り逃がしてしまうと思い、部隊を分散しようと考える。
 誰も気が付かない。今までの銀はまだ慣らし。その性能を半分も発揮してないと。

 管制ブロックの中で小さく息を吐く。大分この機体の癖にも慣れてきた。先程まではまるでじゃじゃ馬を操っているようだったが、今や人馬一体を体現できるほどに感覚を掴んだ。それはきっと彼女のお陰だろう、と銀の衛士は小さく笑みを浮かべる。
 突撃砲の弾が切れた。迷うことなく捨てる。既に武装は全て使い切り、固定武装であるアンカーしかない。あまりこれは集団戦には向かない。
 ならば、彼は――白銀の戦術機の衛士は奪おうと考える。奪う対象は勿論この目の前にいる能無しの敵共から。倒した奴の装備は壊れてるかも知れない。どうせなら新しい奴が良い。
 そう考えた彼はそれを実行に移した。

 注意深く正面の敵機を窺っていると、後方からの突然の衝撃。それも生半可ではない。一体何が、と不審に思い後方カメラの映像を見た瞬間彼は悲鳴が上がりそうになる。鬼の瞳のように爛々と輝くツインカメラ。瞬きをする前まで正面にいた敵が後ろにいる。その事態を彼が把握するのに時間は必要無かった。
 機体ステータスが急速に赤く染まる。敵機は驚くべき事に素手で戦術機を破壊しているらしい。しかし後方への攻撃手段が無い――否、無くされたこの機体の衛士には反撃できない。
 最初の接触時に破壊されたのは突撃砲をマウントした兵装担架。そして今破壊されているのは長刀をマウントした兵装担架。
 銀はなかなか取れない兵装担架に業を煮やしたのか乱雑に不知火の背を乱雑に蹴り付ける。そのまま力を込め、捻切るようにブレードマウントが機体からもがれる。接続部から火花と幾つかのケーブルを撒き散らしながら不知火は地面に蹴り倒された。
 再びの強い衝撃を堪えて機体を起き上がらせようとした時、彼は自分の腹部から何か生えているのを目にした。その何かが上に上がり、彼の頭部を両断する瞬間までその映像も目にし続けた。そして彼の見た生涯最期の光景はそれになった。

 ブレードマウントがついたままの長刀で不知火を腹部から頭部にまで真っ二つに切り裂いた銀の機影を見てクーデター部隊の中に動揺が広がる。速過ぎて定かではないが、明らかに動きが違った。無駄が無くなった。
 忌々しげに銀は長刀に纏わりつく兵装担架を引き剥がす。今がチャンスだと解っているのに、誰も動けない。乱雑な手つきに耐えかねたように兵装担架のロッキングボルトが炸裂した。それと同時にその質量とは裏腹に軽く、兵装担架が地面に落下する。そして二度三度具合を確かめるように長刀を振ると真っ直ぐに構える。――青眼の構え。やや我流の崩れはあるがそれは日本の剣術に連なる構えだった。それもただの流派の物ではない。無現鬼道流。斯衛軍を代表する流派。
 それを目にしたクーデター部隊の頭に血が上る。どこの誰とも知らぬ下郎が将軍を守護する剣技を愚弄するつもりか、と。
 そして彼等はその場に於いて最も愚かな選択をした。即ち自らも長刀を引き抜いての近接格闘戦。
 狩り場は途端に舞踏会の会場に変わる。
 まるで木の葉の様。ヒラリヒラリと華麗に剣戟をかわす銀色を見て誰かが思った。少なくともこの衛士、並みの斯衛軍衛士を上回る実力を持っていた。その事実は愚弄されたという思いは消えたが、別の思いが湧き上がる。これだけの力がありながら何故現状を変えようとしないのだと!
 不知火の一団が次々切りかかる。平面挟撃、波状攻撃と息付く暇も無く剣閃が飛ぶが、一筋の傷も付けられない。その光景にクーデター部隊は唖然とする。端からこれを見ている人間がいたら恐らくこう思うだろう。稽古かやらせか。或いはもう少しリアリティを、とでも言うか。それぐらいに現実味の無い光景だった。実際切りかかっている衛士達も何か質の悪い夢じゃないかと感じている。そっちの方が余程納得出来る。実はまだクーデターを始めておらず、これは夢だと。しかし打ち込むための踏み込みの衝撃が、戦術機の駆動音がこれは紛れもない現実だと告げる。
 そして舞踏会が終わる。始まるのは殺戮の現場。
 銀が柳のように剣戟をかわす。今度はそこで終わらずにすれ違い様、胴を凪ぐ。まるで何もなかったかのように抵抗無く長刀が振り切られる。
 それだけの動作で不知火が胴から真っ二つになる。火花すら出さず、最初からそうであったように上半身が腹部から分かたれる。ずれ落ちた上半身の断面から液体が噴き出した。一人の衛士がそれが中身の上半身から出ていると気が付いた時には彼もその両断された衛士と同じ運命を辿っていた。
 袈裟切りで伏せた不知火を踏みつけ銀は次の獲物を狙う。下段からの切り上げ。股下から頭頂部まで一気に切り裂く。
 そのまま流れるように上段からの打ち込み。一撃目で頭頂部を破壊し、跳ね上がった長刀を再び斬り下ろし右主腕を切り落とす。そしてダメ押しとばかりに胴体に蹴り。それも生半可な威力ではなく、装甲板が激しくゆがむ。
 その隙――戦術機には必ずあるはずの一つの動作後の硬直を突いて一機が死角から離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSを撃ち込む。反応すら出来ないはずの一撃。それは……機体と衛士、両方の異常によって防がれる。
 その速度に反応できないはずの衛士は反応し、機体を動かす。動けぬはずの機体は動き、74式近接戦闘長刀で離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSを真っ二つに切り裂いた。今度こそ全員が絶句する。誰が予想したか。肉眼で捉えられぬ速度の弾丸を切り落とせる人間がいるなど。
 化け物。誰かが呟く。衛士も、機体も化け物同然だった。
 銀の74式近接戦闘長刀が折れる。87式突撃砲も弾切れか投げ捨てた。そしてとうとう武装が無くなった銀は後方に大きく跳躍する。それを好機と判断したクーデター軍機が追撃のため距離を詰める。残りわずかな機体。だが無手の相手ならば――と切り掛かる。
 そこが会談場所であったことに気が付く人間はいなかった。そして、沙霧大尉の不知火を撃破した装備が何なのか、知る物もいなかった。
 銀が最後の武器を手にする。最初に使った武器。一撃で不知火を鉄屑に変えた戦術機最大の格闘兵装――要塞級殺しの異名を持つBWS-3 グレートソード。墓標のように地面に突き立つそれを銀は片手で引き抜く。そして振りかぶり、凪ぎ払う。
 それだけの動作。それだけの動作で不知火がまとめて三機、叩き斬られる。まともな戦闘では絶対にこうはならないという破壊のされ方。
 撃墜比キルレシオ……零対三十五。戦闘開始から十一分。それだけの時間で一個大隊は全滅した。

『振り切れない、か!』
 忌々しげなアールクトの声が通信回線に響く。だが、まだレーダーマップには何も映っていない。機体の後方カメラからの映像を最大望遠で見るとまだ辛うじて銀色の光が煌めいているのが確認できる。そのぐらいに距離が離れている。
 ならば何故アールクトはそう言ったか。
 答えは単純にして明快。その距離を一瞬で詰められるからだ。
『馬鹿な……!』
 先ほどまで遙か後方に居た機影。それが猛追してくる。米粒程度だった姿が指先に、手の平に、そして更に大きくなる。
 まるでこちらが止まっているかと錯覚するほどの速度。武たちの吹雪も遅くはない。NOEによって時速500kmオーバーで進んでいる。相対速度を考えると銀の速度は音速を超えている。なのに。
『跳躍ユニットも無しでどうやって!?』
 そう。ついていない。戦術歩行戦闘機ならば全ての機体についていると言っていい跳躍ユニットがあの機体には無い。なのに音速で飛翔する。
『各機。そのまま前進。俺が殿を務める』
 恐慌状態に陥りそうな空気の中、場違いなくらいに冷静なアールクトの指示が全員の耳に届いた。
『あの機体の特性は知っている。多少なら時間を稼げる』
『しかし単独では』
『本作戦の最大目的は殿下の安全の確保だ。その任を全うするための唯一の方策だと私は考える。……許可を』
 アールクトが静かな声でウォーケンに決断を求める。しかしここにいる全員が理解していた。
 あれは災害だ。人の身で抗しきれるものではない。あれの前に立つという事は災害に――台風や山火事の中に身一つで立ち向かうのと同義だ。
 そして彼は時間を稼げると言った。その意味は最終的に勝つことはできない。つまりは――捨石。
『可能な限り足止めしたのち離脱する。このまま追いつかれて全員無事でここを離脱できる可能性は低いと考えるが』
「しょ、少佐! それなら俺も……」
『白銀! 上官同士の議論に口を挟むなと何度言えば……』
 思わず口走った武の言葉にまりもが声を荒げるが、アールクトは場違いすぎるほど平静な声で武を制止する。
『白銀訓練兵。貴様は今言った通り訓練兵だ。尚且つ貴様の機体には御剣訓練兵も搭乗している。そのような状態での随伴は許可できない』
『では隊長。せめて我々第一中隊だけでも……』
 第一中隊副隊長が進言するがそれもアールクトは却下する。
『速度が足りない。離脱する時に足手纏いになる。……心配するな、遅れは取らん』
 その言葉を聞いてウォーケンも決断する。
『無理はするな』
『了解』
 そう短く応じてYF-23は機体を反転させる。そしてそのままの速度で後方から迫る敵機へと躍りかかった。


 接近する。目視ではっきりとその機影を捉えた。見覚えのあるフォルム。それは紛れもなくアールクトの記憶にある機体その物だった。その事実の確認にアールクトは渋面を作る。あるはずのない機体。
 先程まで行われていたであろう決起軍との戦闘がこの短時間で終了した事から戦闘能力の高さは伺えるが、これがアールクトの知る機体ならばその見積もりは更に高く成らざるを得ない。そしてそれはそのままアールクトの生死に直結する。
 そこで気が付く。装備が貧弱だ。そもそもあの機体がここにある理由すらアールクトには欠片も思い付かないが、装備は一緒では無かったのか、使えないのかは分からないがあくまでこの時代の一般的な戦術機の装備だった。その情報は僅かだがアールクトの心を軽くする。もしも彼の知る装備だった場合--足止めどころか背中にいる連中を含めて一撃で消し飛んでいるところだった。
 それでも無論厳しい相手には違いないが。本体だけでも現存する全戦術機と比較してもダブルスコアの大勝を刻めるほどのスペックだ。
(しかし何故動いている?)
 通常起動は兎も角、今のように高速で宙を舞ったり、先のように宙に立つような完全起動には認証が必要のはずだった。その認証は機体の特性とも言え、アールクトの知る限りでは解除など不可能な物。
(……誰かがそれを解除した。或いは因果情報を受け取って同じものを建造した? だとしたら誰が?)
 そう考えればここにこの機体がある一応の説明にはなるが今度は誰が造ったかと言う問題になる。考えられる選択肢はそう多くは無い。
(ミリア……か?)
 ゼロでは無い。自己申告によればミリアにはオルタネイティヴ4が成功した世界の記憶は無い。だが、何かを考えて隠していた可能性もある。しかし。
(ミリアならもっと巧くやる)
 少なくともアールクトの目の前にこうして出すような事はしない。何より彼女にはクーデターを泥沼化させる理由が無い。もしかしたらアールクトが知らないだけであるのかも知れないが、彼女ならもっと巧くやる。
「こちら国連軍太平洋方面第11軍横浜基地所属、アールクト=S=グレイ少佐だ。貴官の所属を述べよ! 何が目的でこのような真似をするっ?」
 返事など期待していない呼びかけ。アールクトの予想に反してしかし、返答はあった。尤も理解に苦しむ内容ではあったが。
『同じ……そのためなら何でも……』
 変声機越しの無機質な声。 だがそこに込められた思いは装甲の鋼鉄越しにも伝わってきた。同時に頭に叩きつけられるような情報の奔流。ただ一心に護るという思いがアールクトの脳髄に流し込まれる。
「これは……プロジェクション!?」
 それは確かにアールクトも過去に体験した事があるプロジェクションと同じ感覚だった。浮かんでくる光景は不明瞭。場面も途切れ途切れで整合性の欠片もない。それでも、ただ何かを失った深い悲しみと何かを護るという強い決意。それだけはハッキリとわかる。より正確に言うならば共感した。きっと、あの衛士は自分と同じだ。その確信が芽生えるほどに。
 それでも、アールクトはここで彼の思いを汲むことは出来ない。

 誰かの顔が投影される。それを振り切る。

 咽よ枯れろとばかりに泣き叫ぶ声――きっとこのイメージの持ち主の声――が聞こえる。聞こえないとばかりに前を見る。

 形勢は互角。しかし機体状態は雲泥の差。YF-23は既に限界ギリギリ。今ある全ての弾薬と推進材をここで使い切る覚悟で動いている。対して銀は殆ど動かない。アールクトの猛攻の前に成す術も無い――と言うわけでも無い。その気になれば強引に突破できるだろうが、それもしない。ただ困ったように攻撃を受け流すだけ。何がしたいのかわからないその中途半端な行動に僅かな苛立ちを覚えるが――。
 いける。アールクトはそう思う。
 原因は分からないが今の銀の戦術機は動きに精彩を欠いている。足止めと言ったが今なら討てる。
(いや、討つべきだ)
 これ以上のイレギュラーを放置すれば今後の計画にどれだけ歪みが生じるか分からない。アールクトの目的の達成の障害になる。ならばここで後顧の憂いを断つ。そう決めた。
 YF-23の跳躍ユニットが唸りを上げる。機体の搭乗員保護がオフにされた。今、この短時間はYF-23は全ての枷から解き放たれ、その性能をフルに発揮する。一瞬で敵機の正面から横合いに回り込む。その急旋回に機体とアールクトの体が悲鳴をあげるがそれを強靱的な精神力で無視する。完全に虚を突いたはずのその機動に衛士は反応する。だが機体の動きは鈍い。例えるなら、イマイチ息の合っていない二人羽織のように。本来ならば防いで反撃まで可能なはずであったが、今は突き出された左手で保持された突撃砲の先端に取り付けられた短刀を上に弾くだけで手一杯だった。
 しかし弾いた事により銀の胴体が無防備に晒される。そこにアールクトは右手で握ったXAMWS-24 試作新概念突撃砲の銃口が管制ブロックに向ける。躊躇うことなく発砲。装甲に届いた弾丸が二桁に届く前に銀が後ろに飛び退く。
 その装甲には窪み一つ無い。確かに直撃したはずだが、その悉くが弾かれて終わった。有り得ない光景だがアールクトは驚かない。この程度は先のクーデター軍の一斉射を防いだ時に分かっている。加えてアールクトの知る機体ならばこれを防げない事も。
 保持した突撃砲はそのまま。視線だけで36mmから離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSに切り換える。あの装甲でもこの運動エネルギーから生じる貫通力は凌げない。ならば選択肢は一つ。当たらなければ良い。そしてそれを実現するための選択肢も一つ。回避するしか無い。だが、銀は飛び退いた直後。回避不可能なタイミング。アールクトはそこに離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSを撃ち込む。一直線に向かう弾丸は、
「ラザフォード場、か……」
 常識を越えた技術によって有り得ない選択肢、弾丸の方を避けさせると言う事象を実現させた事により付近の岩肌に突き刺さる。
「その機体をどこで建造した!」
 これであの機体は今ある技術で造ることは不可能だとハッキリした。跳躍ユニット無しでの高速巡航能力。強固な装甲に、それでも防げない物を逸らす防壁。それらはただ一つ、ML機関という言葉で解決される。ML機関自体は有り得ない物ではない。歴史を紐解けばそこまで目新しい物ではないのだから。
 だが、それが戦術機に搭載されているとなると話は別である。現在ML機関は戦術機よりも遥かに大型の機体にしか搭載する事は出来ず、その制御も完全ではない。
 アールクトの知る時代の未来の知識があればどちらの障害もクリア出来る。つまりは別世界の因果情報なり、何らかの干渉が想定されるが故に、意味の無い疑問を口にした。
 先の問いとは違い、返答は無い。代わりに銀の両腕、ナイフシースがあるあたりから短刀が伸びる。対話に応じるつもりはないと言う態度にアールクトは落胆はしない。

 話す気が無いのなら機体から引きずり下ろして聞くまでだ。




『間もなく下田に出る!』
 ウォーケンがそう叫ぶ。後方からの追撃は無い。アールクトが上手く足止めしているのだろうか、と誰かがデータマップを見た。
『……え?』
 小さな声。本人も意識して出した物では無いだろう。そんな、小さな声が妙に響いた。
 データマップ――この周辺の機体の位置を示すそれに映る光点は自分たちの物だけ。後方に残っているはずのYF-23の光点は存在しない。
「武?」
 愕然とした表情をしていたのか、或いは場の空気を感じ取ったのか。網膜投影が無く、状況を知る事が出来ない冥夜が疑問の声を上げた。
「どうしたのだ、武? 何かあったのか」
 気遣うような冥夜の声も耳に入らない。光点が存在しない、つまり機体からの識別信号が出ていない。戦術機がそんな状態になるのは大きく分けて二つしかない。一つは電波状況が悪く信号を受信できない。だが、今の電波状況は良好。ならばもう一つの理由しかない。
「撃墜された……?」
 知らず呟きが漏れる。それを聞いた冥夜がまた何かを言っているが、武の耳には入らない。
 無意識に体が覚え込んだ動作を行う。データマップの履歴。過去数分の推移を見る。
 不明機アンノウンと交戦中と思われしYF-23の光点。それがしばらく続いた後、唐突に片方の――YF-23の光点が消えた。そしてその数秒後に不明機アンノウンが移動を開始する。これから分かる事実は誰が見ても、どんな解釈をしても一つしかなかった。

 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊隊長、アールクト=S=グレイが搭乗するYF-23は撃墜されたのだと。


 その報告を受けてもミリアは冷静だった。
「ああ、分かった。うん……そうだね。第三中隊に行って貰おうか。ではよろしく頼むよ」
 報告を受けて幾つか指示を出すミリアを見ながら夕呼が声をかける。
「随分と冷静ですのね。長年付き合ったパートナーが行方不明だと言うのに」
「これが逆の立場でも彼は私と同じ行動を取っただろうね。既にお互いがお互いを最も重要だと考える時期は過ぎているのだよ。彼がいなくなってもオルタネイティヴ4は成功する。違うかね、Ms.香月」
「さあ、それはどうでしょう」
 夕呼のはぐらかす答えにミリアは薄く笑うだけで追及はしない。恐らく未来から得た因果情報とやらでオルタネイティヴ4が成功するための要因を知っているのだろう、と夕呼は結論付けた。
「何か勘違いしているようだから教えておこうか。Ms.香月。私と彼は利害が一致しているだけの協力関係だよ。私の目的、人類をBETAによる滅びから救うと言うのが彼の目的の一部と合致しただけの話だ。それが無ければきっと彼は最初からあなたの元に来ていただろうね」
「そこが疑問だったんです。グレイ博士。アールクト=S=グレイは白銀武だと言った。なら何故すぐに横浜基地に来なかったのか」
 仮説は幾つか立てられる。が、そのどれもがしっくりこない。ミリアの未来の知識から白銀武がオルタネイティヴ4のカギだと分かっていたはずにも関わらずすぐに来なかった理由がどうしても見つからない。
「それを説明するには多分に私の主観が入るが構わないかね?」
「ええ」
「まずはそうだね……アールクトを名乗っている白銀武がどんな人生を歩んできたかという予想から話そうか」

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[12234] 【第二部】第十一話 long long time ago
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/02/21 14:13
 向けた銃口が短刀で切り裂かれる。本来なら一瞬の均衡が生じるはずの鍔迫り合いは大した抵抗も無いように進む短刀の存在で行われない。銃身を切り裂かれて、一瞬でダメになったXAMWS-24 試作新概念突撃砲をアールクトは投げ捨てながら兵装担架から予備のXAMWS-24 試作新概念突撃砲を手にする。そしてそれから放たれる銃弾が敵機の装甲を捉えるが、大した損傷を与えることも無く弾かれた。だが一か所に立て続けに受けた銃弾は僅かとはいえ確実に損傷を重ねていく。
 こちらは何十回も攻撃を当てて漸く僅かな損傷。対して敵機の攻撃は一撃でこちらを落とすこともできる。随分と分の悪い賭けだとアールクトは苦笑する。それでも、勝ちの目があるだけ上出来か、と己を鼓舞しながら果敢に攻める。
 一進一退の攻防。だが互いに決め手に欠ける。本来ならば勝負にならないはずのこの状態を生み出しているのは一重に敵機が本調子ではないからだ。それが無ければ終わり。そんな危うい綱渡りを続けている。
 また一丁、XAMWS-24 試作新概念突撃砲が破壊される。120mmの発射部分は無傷だが、36mmの弾倉供給部を貫かれたそれではもう役に立たない。そこから120mmの弾倉を入れ替えて機体軽量化のために投棄する。その作業の合間にも突きだされる短刀を回避するために腰部のスラスターを吹かして側面に回り込む――が、向こうもすぐさま対応してそれを許さない。側面から襲うはずの弾丸は正面からとなり、後半の弾は避けられる。アールクトもそれは分かっているので無駄になった弾は数発である。
 先ほどからこれの繰り返し。だが不利なのはYF-23――即ちアールクトの方である。確かに機体は軽量化されて機動は少しずつ早くなる。だが、それは同時に装備を投棄しているという事。そのうちYF-23は無手となり、攻撃手段を失う。そして推進剤。先ほどから搭乗員保護すら切って行っている機動は通常よりも遙かに推進剤の減りが早い。このままではそう遠くない時に推進剤切れに追い込まれるだろう。それだけではない。搭乗員保護を切っているという事はアールクトにも限界を超えた負荷がかかっている。そしてそれは機体にも言える。度重なる旋回、急反転。通常ならその程度でならまだ機体は悲鳴を上げない。だが、今のYF-23は先の富士教導団との戦闘で腹部に大きな損傷を負っている。本来ならば機体の放棄も検討に入れなくてはいけないほどの損傷。そこを起点に亀裂が徐々に広がっている。こちらもそう遠くないうちに戦闘続行が出来ない損害へと変わるだろう。
 だから短期決戦。それがアールクトの狙いだったが、相手の技量が本来起こり得ない一種の膠着状態を作り出す。本来ならばこちらが賭けに出てその結果が勝敗に繋がる――そんな戦いになるはずだった。その未来図は最早役に立たない。今は今の状況、この膠着状態を打開する手を考える。方法はあるか?

 ある。

 そのために先ほどから仕込みはしている。気付かれているだろうか? いや、気付かないだろう。僅かな違和感こそ覚えど、あの仕込みからこちらの行動が読まれる事はあり得ない。とアールクトは思考を巡らせる。

 また脳裏に誰かの顔が映る。それを集中して無視する。先ほどから送られてくるプロジェクションの映像は徐々に明瞭になってくる。だがだれだか分からない。見た事がある気がするのに思いだせない。何故?

 敵機の繰り出す突きを避けるために急停止、上昇、反転しつつ背後を取る。その一連の動作のGをアールクトは歯を食いしばって耐える。既に強化装備と機体が持つ対G機能が役に立たない。機体側のは先ほどから嫌な音を上げながら亀裂を広げている装甲。そこに納められていた一連の部品が脱落している。そして強化装備側はフィードバックなど追いつかない。だから耐えるしかない。
 後ろから管制ブロックに向けてXAMWS-24 試作新概念突撃砲先端の短刀を突きだす。確実当たるはずのそれは不可視の壁、ラザフォード場によって阻まれる。
「やはり正攻法では無理か!」
 これで落とせたら楽だったのだが、とアールクトは歯噛みする。しかし敵機の動きはやはり鈍い。まるで――こちらを殺すわけにはいかないと言うように攻撃が温い。
 構わない。それならそれで構わない。こちらはスポーツをしにここに居る訳じゃない。殺し合いだ。向こうが手心を加えてくれると言うならばそれを受けよう。最後に立っていれば良い。
 機体ステータスに目をやる。腹部が既に真っ赤。戦闘機動継続可能予測……残り五分。
「上等だ」
 それだけあればお釣りが来る。
 慎重に、気取られないように徐々に銀を追い込む。そして狙いの場所に来た時にアールクトがXAMWS-24 試作新概念突撃砲を構える。しかしその照準は先ほどまでと違い、銀ではない。敵機の方向に向けてはいるが、照準がずれている。その先には――先ほど投棄した突撃砲。
 何かに気付いたのか銀が防御姿勢を取る。だがアールクトの発砲の方が早い。撃たれるのは粘着榴弾HESH。それは破損した突撃砲に張り付き、爆風を撒き散らし――続けて先ほどの物を上回る大爆発を引き起こす。その紅蓮の炎は付近にいた銀に容赦なく襲いかかるが、銀はそれをラザフォード場で防ぐ。炎の明かりを反射し装甲を煌めかせる銀。だがアールクトの行動はそこで終わらない。反対側にあるもう一つ放棄した突撃砲。先ほど爆発したものと同じくあらかじめ弾倉を粘着榴弾HESHの物に替えておいたそれにもう一発粘着榴弾HESHを撃ち込もうとする。二度の大爆発は防ぎきれないのか、或いは今度は回避する余裕があったからか、前方にラザフォード場を展開しながら後方に飛び退いた。咄嗟の行動。

 それをアールクトは読んでいた。

 炎の上を跳ぶ。これ以上下がるとその瞬間装甲の隙間から内部に炎が入ってきて己を焼き焦がす。そんなギリギリのラインをアールクトは跳ぶ。そして180度ループと180度ロールの連続機動。インメルマンターン。炎の熱によって熱源探査が出来なくなっている銀の背後に回り込む。ラザフォード場の展開は――無い。
(獲った!)
 最後のXAMWS-24 試作新概念突撃砲を、その突端のXM-9 試作突撃砲装着型短刀を銀の脇腹――可動部分を確保するための装甲と装甲の隙間、そこに突きだす。アールクトの知識にある通りの機体ならばそこにML機関を稼働させるために不可欠な装置がある。そこを破損すればラザフォード場の展開も、空に浮かぶことも出来なくなる。そうなれば後は簡単、とまでは行かないまでも有利になる。向こうの戦闘機動はML機関の重力制御。それが失われたら相手は跳躍ユニットの無いただの頑丈な戦術機だ。
 敵機は回避する兆しを見せない。いや、完全に不意を突いたのだ。気が付いてすらいないのかもしれない。
 刃先が迫る。ようやく敵機が回避行動を取ろうとする――が、遅い。その程度の動きなら十分に修正可能だった。
 刃先が喰い込む。その瞬間。


 ――たけるちゃん。

 どうして、彼女の顔が頭に浮かんだのだろうか。

 遠い昔の、遠い、遠すぎる昔の大切な人。

 もう、昔過ぎて、ずっとずっと会えなくて、もう顔もおぼろげにしか思い出せない人の顔。

 太陽のように明るい笑顔を浮かべていた少女。

 幸せにしたかった人……。

 それが……プロジェクションによって明瞭に思い出された。


 刃先が鈍る。だがまだ外したわけではない。一瞬の自失の後アールクトは今度こそ引導を渡そうと機体を動かす。が、それに答える前に機体の限界が来た。

 破損していた跳躍ユニットの接続アーム。その制御が完全に失われる。全力噴射していた状態で本人の意図しない方向への跳躍。本来なら山肌に激突していてもおかしくはないが、それをアールクトは驚異的な操縦技能でカバーする。破損した跳躍ユニットを破棄。片肺となった状態で機体を立て直す。
 それは確かに称賛される機動だった。だが、彼の前に居るのは敵機。味方なら拍手で応える物だが敵からは攻撃が返ってくる。

 銀の両腕がYF-23に向けられる。そこから射出されるのは先ほどまでYF-23と打ち合っていた短刀。その末端にはワイヤー。
 両腕から放たれたアンカーがYF-23の頭部と左肘の関節に突き刺さる。
 アールクトはまずいと思う暇すらなく、いかなる方法によってか固定されたYF-23をワイヤー毎引き寄せながら振り回す。そして叩きつける先は激突を免れた山肌。
 今度はまずいと感じた。既に機体は限界。これ以上損傷を受けると本体フレームにまで歪みが出る。そうなる前に彼は緊急脱出ベイルアウトした。



 残骸を見下ろす。そう、残骸だ。
 先ほどまでこの残骸は自分と楽しく踊っていた。人類の剣だったこの残骸は非常に手強く――銀の衛士にとっても非常に心躍る敵だった。だがそれももう終わり。緊急脱出ベイルアウトはしたようだが、機械化歩兵装甲程度ではこの機体に傷を付けることすら適わない。さっさとトドメを差して戻ろうと思ったが、頭の中に響く声がそれを制止する。
 殺しちゃダメ、と。
「ああ、分かったよ」
 彼はあの残骸に乗っていた衛士が誰なのか知らない。だがこの声の主が殺さないでと言っているなら殺さないでおく。そう決めている。逆に殺してと言われたら殺すが。
「それじゃあ戻ろう……純夏」
 銀の衛士は僅かに無表情を緩めながら声の主にそう言った。



「まずは……アールクトの年齢はいくつだと思う?」
 そのミリアの質問に僅かに夕呼は考える。わざわざこんな聞き方をしてくるのだ。ここで聞いているのは実際の年の事ではない。
「それは前の世界も含めた彼の主観で何年生きているか、と言う質問かしら?」
「流石Ms.香月。頭の回転が早くて助かる」
「うちにも似たようなのがいるしね」
 白銀武の顔を脳裏に浮かべながら夕呼がそう言った。それを聞いてミリアは問いを重ねる。
「で、幾つだと思うかね?」
「さあ……あの白銀が中身は二十一位だって言ってたわね。なら……四十かそこらじゃないかしら?」
 性格の違いなどから夕呼はそう推測した。ミリアが笑みを深める。
「ああ、私もそう思ってた……私の能力、というよりも体質は覚えているかね?」
「別世界の自分の因果情報の受け取りでしょ? 主に軽い因果――記憶だったかしら」
「その通り。その中には同じように別の世界から来た白銀武と過ごした記憶もあるのだよ」
 興味深い話だと思った。夕呼は視線で先を促す。
「それを繋ぎ合せた結果アールクトは、あの白銀武はきっと――」




 目を閉じて、目を開けた。光景に変化はない。
「どういうこと……?」
「いや、俺にも何が何だか……」
 夕呼の困惑気味の声に武は答えを持たない。因果律量子論関係の事で武が夕呼以上に詳しくなる日など来るはずもないのだから当然と言えば当然。夕呼も別に答えを期待していた訳でなく己の疑問が口から零れ出たと言った様子だった。
「まさか……いえ、可能性はあるわね」
「あの~? 先生?」
「白銀。あんた確か元の世界の記憶が無いって言ってたわね?」
「はい、無いって言うか殆ど抜け落ちてるって言うのが正しいんですけど」
 夕呼の質問に武は正直に答え、夕呼はその答えに渋面を作る。
「そっちのあたしは確かあんたは元の世界に戻った白銀武の因果情報から別れたこの世界での因果情報を元に作られたって言ってたのよね?」
「はい、そうだったはずです」
 沈黙。その沈黙を破ったのは夕呼。
「……白銀」
 その表情は苦々しい。
「あんたのせいでこの世界は」

 ――救われない。


 場面が変わる。
「白銀さんは悪くありません……」
 冷たい感触を頬に感じる。柔らかい、小さな手。
「これは……私が無理をした結果……。白銀さんは……悪くないんです……」
 前に握った時に感じたぬくもりはもう、無い。現在進行形で失われていく。
「か、すみ……」
 それに武は何も出来ない。目の前で一人が死に往くのを見ている事しかできない。どんなに戦術機を上手く操れても、どんなにBETAを殺せても。
 今ここで死に往く少女一人救えない。
「だから……白銀さんは自分を責めないで――」
 手の平が頬から離れる。力の抜けたそれは地面にたたきつけられ、軽くバウンドして……止まった。
「――――――――――――っ!」
 叫びが喉から走る。その名前を、命を呼び止めようとするかのように。
 ただ、別の世界でかつて愛した少女を見送るしか出来なかった。


 何度も。
 何度も。
 繰り返して。
 その度に誰かが死んでいくのを見て。
 どんどん。
 どんどん。
 心が擦り減っていく。

 開き直れたら良かった。
 彼女たちを救うために他の全てを犠牲にすると。

 だけど、彼にはそれが出来るほど強くなかった。
 目に見えるものは、自分の戦友たちは救いたいと思った。
 だから見捨てられない。
 だから心が摩耗する。

 そして彼は己を捨てた。
 彼女たちを救うのは己ではなく、未だ見ぬ白銀武だと決めた。
 他を見捨てて一を救うのは出来ない。
 だから全てを見捨てた。己の手で救う事を諦めた。


 陽光が瞼越しに突き刺さる。
「う……?」
 小さな呻き声をあげながらアールクトは眼を覚ました。
「今、何時だ……? 起床ラッパは鳴ったのか……?」
 と呟いたところで意識を失う直前の事を思い出した。今居る場所はどこかの山中で、緊急脱出ベイルアウトした後の管制ブロックの中。
「落とされたのか、俺は……」
 現在地を知ろうとするが網膜投影はダウン。仕方ないので機械化歩兵を装着しようとするが、こちらもエラー。どうやら射出された後の衝撃でどこか深刻な損傷を負ったらしい。幸いにも無事だったプレアディスを手に管制ブロックから這い出る。
「……こいつは酷いな」
 深々と地面に刻まれた溝。その終端には今アールクトが這い出た管制ブロック。そして反対側の端は――見えない。少なくとも相当な距離を滑らされたらしい。それなのに怪我ひとつないというのは強化装備のお陰としか言えない。
(……防寒シートと合わせてメーカーに感謝のメールを送ろう)
 そう心に誓いながらGPSで現在地を確認する。……大体銀との戦闘開始地点から一キロ程東に行った場所。撃墜された場所までは分からないが……一キロ滑ったという事は無いと信じたいアールクトであった。しかしその時本人は確認するすべを持たないが、実際には一キロどころか二キロ近い距離を吹っ飛ばされていると言う事には気が付かなかった。
「救難信号は出てるはずだからそう遠くないうちに救助が来るはずなんだが……」
 時計を見ると墜落から四時間近く経過している。万が一クーデター部隊の残党とかがいたら大ピンチなのだがあまりそちらは心配していない。この時間、この付近に展開していたと思われるクーデター部隊は既に全機あの銀色に潰されているだろうという確信がある。
「……天照」
 ぽつりとあの機体の名前を言の葉に乗せた。知らず拳は堅く握られ、何かを耐えるように歯を食いしばる。
「どうして……ここに、この時代にあるんだ」
 イレギュラー。イレギュラーにも程があるのだ。
「この時代の技術で作るのは不可能。あっちの世界だって完成させるには生半可な道じゃなかった」
 未来の知識を得ただけで簡単に作れるものじゃない。それに――未来の知識から作ったのだとしたら問題がある。
(どうして俺が趣味で付けたスタビライザーまで再現されている?)
 それだけはどうしても覆せない。わざわざ付ける必要のないものだ。単に彼がカッコいいからというそれだけの理由で付けたもの。誰かが新たに作ったのなら間違いなく付けない物。
 だとしたらあれは――あれには。
(考えるな)
 考えてはいけない。これ以上は考えてはいけない。
 これ以上考えたら――アールクト=S=グレイは戦えなくなる。もう、崩れ落ちた足は立ち上がれなくなる。
 これまでに積み上げてきた屍の山の上で倒れこんでしまう。
 それだけはいけない。
 そんなことになったら……自分のせいで死なせた者たちは一体何のために死んだのか。
 その死が無価値になる。
 それは、それだけは許容できない。
(だけど、俺は――)
 遠くから戦術機のエンジン音。そしてヘッドセットの通信機から自分を探す声の通信が入った。空を仰ぐ。青い空に太陽。冬の陽光が彼を柔らかく照らす。
 それがどうしようもなく悲しかった。



「……これは予想外でしたね」
「うむ……」
 会議室じみた部屋で複数の人間が一つの映像を見ながら言葉を交わす。それぞれの席に設置されたディスプレイには数時間前の戦闘、銀色の戦術機とクーデター部隊の戦闘の様子が映っていた。
「私としては鉄砲玉代わりとして向こうの頭を潰し、将軍を米軍が助けた、と言うのを演出しようと思っていたのですが……」
「危うくその将軍すら潰しそうになったな」
「面目次第もございません。こちらの関与を疑われない為に無差別攻撃を命じていたもので」
 一人の男が深々と頭を下げる。だがその口調にはさほど反省の色が見えない。それが分かっているのか別の男が口を開いた。
「まあ、しかし全てが全て悪かったわけではない。見ろ」
 正面の大型ディスプレイに別の戦闘の様子が映し出される。
「あの忌々しい小娘の懐刀を潰せたのだ。そして結果的に米軍はジャップの御姫様を救い出した……それで良いではないか。むしろ有効な手駒が増えたことを喜ぼう」
 その言葉に賛同の声が上がる。中でもまとめ役とみられる男がそれを聞いて小さく頷く。
「確かに結果的には成功だった。今回のミスは不問としよう」
「ありがとうございます」
 欠片の謝意も含まれていない言葉に彼は小さく唇を歪めたが、表情を改め新たに生まれた議題を口にする。
「ではあの機体と衛士の状態はどうなっている? あれほどの戦力。有効に活用しなくてはな」
「既に補給は済んでおります。被検体の方も後一年くらいは持つでしょう。以前にもお話しした通り、量産の準備も整っております」
「ふん……量産の目処は?」
「およそ三年程で量産化改修が完了するでしょう」
 三年、という言葉にその場の空気が別れる。長い、というものと短い、と言う物。短いと言った者は軍事畑の出身だ。新型が三年で完成すると言う事に驚きを隠せない。
「しかし量産の意味はあるのでしょうか? 既にG弾と言う物がある以上G元素の余分な消費は避けるべきかと」
「……確かにG弾があればBETAの殲滅は簡単だ。しかし、だ。我々はその後も視野に入れなくてはいけない」
「と、言いますと?」
「君の頭は飾りか帽子掛けかね? 少しは考えた前」
 その言葉に言われた人間は顔を真っ赤にするが別の人間が口を開いた。
「我々は侵略者でも破壊者でもあってはならない……救世主である必要がある。ということですか?」
 それを聞いたまとめ役が出来の良い生徒をほめるように頷く。
「その通りだ。恐らくBETAどもを地球から駆逐しても人類同士の抗争がある。特にアラスカに居座ってる連中あたりとのな。だがその時に世間から非難を浴びてはいけない。今はそうでもないがいずれG弾も核と同じように使えば非難される時代が来る。その時に備える必要があるのだよ。こちらにはG弾以外にも力があると、な」
 あまりに一方的に破壊を撒き散らすG弾を使ったらそれは戦争ではなく虐殺だ。だから通常戦力で相手を上回るべきだと彼は言う。しかしそれは命を無駄に散らすことはないという米軍の戦術ドクトリンに反する。それを誰かが口にすると小さく笑い声をあげたのちに答えた。
「この我らが大地に図々しくも住み着いている難民どもを駆り出せばいい。内も外も掃除が出来て好都合じゃないか」



 二日ぶりに横浜基地に入る。知らずうちに溜め息が出たアールクトを、捜索部隊の指揮を取っていたシオンが見咎める。
「隊長。気が抜けたのは分かりますが、もうしばらくしっかりしていてください。第一中隊始めオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊総員、少佐の帰りを待っています」
「ああ、分かってる。あいつらに顔を見せるまでは気は抜かないさ」
「はい。……それとグレイ博士にもです。大層心配して居られるようでした」
 シオンもミリアの無表情が読めるようになるとは成長したなあ、とアールクトは感慨深くなる。着任した当初は「私はもしかして嫌われているのでしょうか」とか言っていたにも関わらず。その頃のことを思い出してアールクトが小さく笑みを浮かべたのを見つけるとシオンの視線が若干厳しくなる。
「それだけ笑みを浮かべる余裕があると言う事は大丈夫そうですね。一息入れてから行こうかと思いましたが今すぐ行きましょう」
「……墓穴を掘ったか」
 軽く嘆息しながら前をツカツカ歩くシオンの背を追う。
 ともあれ、無事に帰ってこれたことを喜ぼう、と。



「お父様~お母様~」
 子供特有の高い声。若干間延びしたそれは自分の両親の姿を求める。
「どうしたんだい? ○○○○○?」
 父親らしき人物が優しげな笑みを浮かべてプラチナブロンドの幼子を抱き上げる。
「見て下さい! これ!」
「へえ……これは、もしかしてエンジンの設計図かい?」
「はい! 私一人で作ったんです!」
 そう言って幼子は笑う。まだ三歳になるかならないかの少女が独力でエンジンの設計をする。それはどれほどの才か。
「凄いな。○○○○○は」
「どうしたの、あなた」
 彼が感嘆の息を漏らしていると家からプラチナブロンドを腰まで伸ばした女性が出てくる。
「ああ、ジェリーか。見てくれ」
 そう言って彼は手にした画用紙を対面に来た妻に手渡す。
「まあ、これ○○○○○が?」
「凄いだろう? さすが僕らの娘だ」
「ええ、本当に……。偉いわ○○○○○」
 そう言いながら女性は幼子の頭を撫でる。そんな平和な光景。穏やかな光景。

 それを私は冷めた目線で眺めていた。
 夢――いや、別の分岐世界の私の因果情報だろう。これが見えると言うことは別の分岐世界で私が死んだ、という事だ。
 私の持つ因果情報を受け取る力はそこまで便利な物では無い。まずこちらから受け取りたい物が選べない。別の世界の私が死ぬ度にその一生分の記憶が流れ込んでくる。
 慣れないうちは酷かった。拷問のような痛みが頭を、その中に収まった脳髄を襲い滅茶苦茶にする。狂うことも出来ずに正気でその苦痛を因果情報が私の脳に一生分の知識を書き込むまで止めない。
 最近は自分の知識と比較して差分だけ記憶すると言うことが出来るようになったのでそこまで酷いものでは無くなったが。

 ともあれこの夢、死んでしまった私は概ね私と同じような生涯を送ったようだ。ちなみにこの時の私が書いたのは夢によって違う。……正確な人体図は流石の両親も笑みが引き釣っていたように思う。
 ならばこの後辿る私の道筋も似たような物だろう。そう考えながらまるで映像を早送りするように夢を進める。このあたりも慣れてきたら出来るようになった。

 私の記憶では私は普通の家庭に育った。
 両親が共に技術者で、絵本の代わりに技術書を読んで育ったという位で、後は普通の子供だったと思う。
 じゃあ普通じゃなくなったのはいつか?
 私の才能が尋常ではないと両親が気が付いたとき? いいや、その時でさえ両親は私に愛情を注いでくれた。
 両親が死んだ時? その時でさえ私は普通の子供だった。
 なら……母親の旧姓がグレイだったというそもそもの大前提からだろうか?

 出来の悪い映画。
 それが私がこれを見た感想。
 因果律量子論を読んでようやくこれが因果情報の流入かもしれないという推論を得た私は当初悩まされていたような恐怖は無くなった。こんな風になっても理屈で説明できないものは怖いし(いまだに怪談などを聞くと夜にトイレに行けなくなる)逆にちゃんと説明できるものなら安心できる。
 私がこうやって別の世界の私の事を夢見るようになったのは確か二年前。同時期に私の祖父を名乗る人間がした何かが原因であることは間違いないだろう。その何かが全く予想が付かないが……この三流映画を見ていればヒントでも見つかるかもしれない。
 過去に見た夢は最初のうちはあまりの頭痛と吐き気でそれどころではなく、最近はその訳のわからなさに恐怖を感じ、じっくりと覚えようとしていなかった。だがこうして落ち着いて見るとこれはかなり有益だと気が付く。

 概ね別の世界の私が辿る人生は大差ないようだ。しかし、細かい所――例えば学ぶ分野が違う。この私は機械工学に精通しているが、今見ている夢の私は情報分野を学んでいるらしい。こうやって見れる夢ではどうも夢の中の私が考えていることまではわからないが、読んでいる本や聞いた言葉は現実の私の知識としても残される。要するに覚える時間を短縮できる。しかも中には未来のものもある。役に立たないはずが無い。
 そして、また彼が現れる。
 彼はその時々によって様子が違った。そして私も対応が違った。そもそも出会う場所すら違った。
 混乱する彼と落ち着いて対応する私。
 状況を納得する彼と困惑している風の私。
 そして気概に満ちた彼とある程度彼を知っている私。
 それらを比較してわかったのは、どうやら他の世界の私も同じように夢を見ていること。加えて、彼も私と同じように別の世界の記憶を持っていること。
 そこから先は色々とやることが変わる。だが結末は変わらない。
 私の死。そこでこの三流映画は終わる。

 彼が来てからは共に行動するのが多くなったことがわかる。
 オルタネイティヴ4を成功させるために暗躍する。しかし、そのために必須の数式回収が彼には出来なかった。原因は簡単。彼は既に彼のいうところの元の世界から来た因果導体ではない。それだけの話だったのだ。

 オルタネイティヴ4が失敗し、5に移行した。
 せめて、一人でも多く救えるようにと移民船を改良し、地上戦力も充実させるために戦術機の改良も行った。いずれG弾が無効化される因果情報を彼女も受け取っていたのか、威力を高めたG弾を作っていた。――滅びるよりはマシだからと。あれだけ嫌っていたG弾を使う。

 にしてもこの世界の私は大変精力的に動いたようだ。他にもいくつかの因果情報を受け取ってきたけど、この世界はオルタネイティ5が発動した世界にしては……まともだ。少なくとも人類に勝ちの目がある。ユーラシアはほぼ壊滅だろうけど。

 移民船への最後のシャトルが空に上がる。白煙を夕焼けの空に残して。高く、高く。
 それを私は見送った。

 それからはどんどん事態は動いて行った。G弾を使ってオリジナルハイヴ外周のハイヴを攻略。そのまま一気にオリジナルハイヴを落とすという桜花作戦。
 彼はその作戦名に苦笑していた。どの世界でもオリジナルハイヴを落とすときの作戦名は一緒だと。だがこれが成功すれば人類による地球上のハイヴ殲滅という目標が現実的なものになる。幾つかのハイヴの攻略に成功したこともあり、人類の士気は高まっていた。

 しかし私にはその桜花作戦の結果を知ることはできなかった。
 なぜならその前に私が死んでしまったからだ。

 彼の腕に抱かれている。……全く、自分がうれしそうに顔を緩めているのがわかる。彼の心情を考えると痛まれない気持ちになる。だが、きっと自分が同じような状態になったら同じような表情をしてしまったという確信がある。
「これは呪いよ」
 私が――この世界の私が最期の言葉を吐き出す。
「私が死んで発動する呪い」
 また、だ。また私は呪いを残している。
「あなたが……白銀武である限り、あなたの目的は達成できない。あなたは彼女たちを救えない」
 何故呪いだというのにそんなに幸福そうな声なのだ。何故、そんなに幸福そうなのに呪いなどと言うのだ。
 私に受け取れる因果情報は記録だけ。その時こういうことがあった。こういうものを見た。こういうことを聞いた。こういう言葉を言った。そういった事しかわからない。その時に何を感じ、考え、思っていたは私には伝わってこない。五感に訴えかける出来の良い映画レベルの代物なのだ。
「……忘れないで。シロガネタケル。あなたでは、世界を救えない……」

 そして全ての感覚が消失する。


 何度も夢を見る。
 何度も私は死を経験する。
 何度も私は呪いを残す。

 やはりどの世界でも私の両親の死と、お爺様に引き取られるという流れは不変の物らしい。
 そして私の脳が改造されるのも規定事項――いや、むしろ因果情報というものの性質上あの処置をされて因果情報が流れるようになるのかもしれない。と、なると私の記憶もいずれ誰かが手にすることになるのだろう。いや、頭にするか。
 呪い。
 私が生涯の最後に必ずと言っていいほど残す呪い。
 世界を呪うのではなく、彼を呪う言葉。
 何故そんな言葉を残したのか私にはわからない。記憶を見た限りでは私には彼を呪うような理由など見当たらなかったし――それに私が呪いなんて言う非科学的な事を信じるとは思えない。ならば――あれはいったい何の為に残されたものなのだろう?
 わからない。自分の事なのにさっぱりわからない。
 とりあえず今見た記憶から使える知識を発掘しよう。
 私だってそんなに時間が余っているわけではない。

 そして私にも終わりの時間が来た。
 執務室だろう……。そこで急に私は体のバランスを崩した。慌てて彼が抱きとめてくれるが、私はそれすら認識できない。いや、体と魂が分かたれるような感覚、とでも言うのだろうか。こうして考えている私と体を動かそうとしている私は同じようで違う。
 既に私の肉体は死を迎えつつあった。皮肉なことにそれをじっくりと観察する余裕すら私にはある。
 彼の表情は困惑に染まりきっていた。当然だろう――いきなり目の前で人が死にかけたら私だってそうなると思う。私が慌てずに済むのは知っていたから。

 ――私の死ぬ日も規定事項、か。

 脳細胞が機能を失っていくことが分かる。お爺様の処置、G元素を体内に入れたときの作用の研究の成果である私。莫大な記憶領域と因果情報を得ることの代償は――脳細胞の急激な劣化。
 本来以上の負荷を掛けられたことで一瞬で生命活動が維持できなくなるほど脳細胞が死滅する。
 私の体は彼に抱えられている。……ああ、だめだこれは。抑え込んでいた思いが暴走する。幸福感に包まれる。こんな風に逝けるならこの苦界で生きてきた価値も少しはあったのかもしれない。――彼の目的の手助けをできないのは少し残念だけども。
 口元に笑みを浮かべて、何かを言おうとしたとき。

 因果情報が入ってくる。ズキンと頭が痛む。既に限界の脳髄に限界を超えた情報が入り込む。一気に、崩れる。同時に悟る。あの呪いの意味を。
 ああ、伝えないと。だけど。だけどこの頭は既にその意味を伝える言葉を考え付かない。だから言う。そのままに。記憶に残るそのままに。
 血を吐くような思いで。



「これは呪いよ」
 呪う。
「私が死んで発動する呪い」
 呪うのだ。
「あなたが……白銀武である限り、あなたの目的は達成できない。あなたは彼女たちを救えない」
 別の世界の私を呪う!
「……忘れないで。シロガネタケル。あなたでは、世界を救えない……」
 そしてお願いだ。気付いてくれ……。この呪いの意味に……。
 私たちが気付けなかったことに気がついてくれ。どこか遠い世界の私……。
 その願いと共に私の感覚は全て閉ざされた。
















 ようやく辿りついた。
 ようやく、この呪いの意味を理解した。
 初めて、まだ修正が利く段階で数多の世界の私の真意を理解した。
「呪い、か。確かに自分が死んでから効果を発揮するなら呪いだろうさ」
 誰が一番最初にこの言葉を考えたのだろう? いや、そもそもあの状態になった私が言葉を考えられるとは思えない。それを考えると色々思うところはあるが――。
「彼を救いたいと思う誰かの助けでもあったかな?」
 そんな事ができるような人間に心当たりはないが。
 とりあえず手元のインターホンで彼を呼び出す。
「安心したまえ。やっと辿りついた。もう、呪いを残す必要はない」
 あんなに苦しい思いをする必要もない。
「……今度こそ、助けて見せるさ。だから見ていてくれ。失敗した世界の私」

 そんな昔の夢や過去の出来事の夢を見た。気が付いたら転寝していたらしい。ミリアは眠気で開かない瞼を強引に押し上げながら顔を上げると彼がいた。
「……随分と遅い御帰りだね」
「朝帰り程度で説教されるような年でもないがな」
 お互いに笑みを浮かべながら軽口を叩きあう。
「君ぐらいの年齢になると妻に朝帰りを問い詰められるのではないかね?」
「つまりお前か」
「さしずめ君はロリコンだな」
 ロリコンという言葉を聞いたとたんに両手両膝を地面に突くアールクト。あまりに唐突な行動にミリアの反応も遅れた。
「ど、どうしたのかね」
「ロリコン言うな……」
(何かロリコンと呼ばれて辛い思いでもしたのだろうか……?)


 閑話休題。


「で、一体何があったのかね? 一応報告は神宮寺軍曹やウォーケン少佐から受けてはいるが当事者からも聞きたい」
「ああ。その事なんだが、夕呼先生も交えて話をしたい。予定は空いてるか?」
「少し待ちたまえ。大丈夫だ」
 しばらく端末をいじって予定を確認するミリアの返事を聞いて軽く頷くアールクト。
「……その表情はあまり良いニュースではなさそうだね」
「決して良いニュースでは無いな」
 こちらでも映像資料はあるだろうがあの戦術機の正体を知っているのはアールクトしかいない。あれがあることのおかしさを知る人間は彼しかいない。
「君のそんな顔は初めて見るな」
「え?」
 ミリアの呟いた言葉を聞き返すように返事をするアールクト。
「君がそんな風に何かを我慢しているような顔は初めて見る。悩んでいる顔や迷っている顔、辛さをこらえている顔は見ても今すぐ駆け出したい。そんな顔は見たことが無い」
「今すぐ駆け出したい、か……」
 きっとそれは間違っていない。適うならばそうしたいという思いがずっと燻っている。だけど、今の彼にそれをすることは許されない。許されてはいけない。
「気のせいだよ」
 その明らかに嘘だとわかる強がりを聞いてミリアは何も言わない。それが今のアールクトにはありがたかった。
「……Ms.香月の方も大丈夫だそうだ。今から行こうか」
「そうだな……」
 ミリアの執務室を出て夕呼の執務室へ向かう。エレベーターに乗って更に下のフロア。ミリアの執務室のセキュリティも高いが、夕呼のそれは更に高い。それでもそこへ行くセキュリティーは与えられているので問題なく執務室に辿りつくと。
「ちょ、先生! 止めてくださいって!」
「もうほんと、最高よ!」
 無駄にハイテンションな夕呼とその夕呼にキスをされまくって困りまくってる武がいた。
「……もう数式回収してきたのか?」
「帰ってきてすぐにね」
 一瞬唖然としたが、理由に思い当たり納得する。確かにそれならこのハイテンションも納得がいく。
 夕呼の目がアールクトを捉える。そのキスの嵐が武からアールクトに飛び火しそうになったので、アールクトは手近な盾を前に突きだす。
「白銀バリアー!」
「ちょ、少佐、酷……」
 再びキスの雨に沈む武を見ながらアールクトは誰にも聞こえないように呟く。
「許せ……一度やってみたかったのを思い出したんだ」
 次は人間爆弾だな、と考えるアールクトの心を知るのは誰もいなかった……。

「で、何の用かしら? あたしはこれからこの理論を使って00Unitを完成させたいのだけど?」
「かなり重要な話です。香月博士。……白銀訓練兵、並びに社霞。君たちは席をはずせ」
 その言葉に武が反論しようとするがその前に夕呼が口を開く。
「二人とも席をはずしなさい。社は……そうね、白銀の部屋にでも行ってなさい」
「……はい」
「わかりました」
 渋々、退室していく武と霞を見送り、ドアが完全に閉まりきるのを確認して夕呼が口火を切った。
「で、話って何かしら? 言っておくけどあんたが白銀武って言うのはもう聞いてるからね?」
 その言葉に驚くのはアールクト。ちらりと隣のミリアに視線をやる。
「ああ、すまんな。言うのを忘れてた」
「忘れるなよ……と言うか勝手に言うなよ……」
「ああ、グレイ博士の明かしたタイミングは絶妙よ? 正直あたしはあんたたちの事がこれ以上分からないなら遠ざけようと思ってたから」
 本人にそう言われては納得するしかない。そこで情報を出し渋って協力関係が破算になったら不利益が大きすぎる。そもそもの偽名を使っている理由のほとんどが既に達成されている。正直今すぐ本名にしても人間関係の問題ぐらいしか起こらない。
「はあ……段取りが滅茶苦茶だ。最近多いなこういうの……」
 それでもぼやかずにはいられない。説明の手間が省けたと喜ぶべきかとも思うが。
「ミリアがどこまで説明したかは分かりませんが俺は確かに白銀武です。大本を辿ればオルタネイティヴ4が成功した世界から来た、白銀武です」
 そう、今までずっと隠してきたことを口にした。

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[12234] 【第二部】第十二話 追憶──天を照らす星
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/02/25 20:51
 最強の戦術機は何か、と言う問いがとある記者から発せられたことがある。
 当時2002年、桜花作戦終了直後の話だ。それを聞かれた軍事関係者はこう答えた。
『格闘戦ならば武御雷かSu-47、対人戦闘も含めた総合性能ならばF-22Aだと私は考える』
 それはどこの国の人間に聞いても概ね同じ答えが返ってくる。自国の機体が加わるか加わらないかの違いだ。
 では現在、2016年。ここで同じ質問をした場合どうなるか。
『…………全ての戦術機、という事ならば選択肢は一つしかない』
 そしてこれもどこの国の人間に聞いても同じ答えが返ってくる。ただ一つの機体の名称。
 天照。2011年に完成した第七世代相当戦術機と目されるそれは既に現存する機体ではない。唯一の実戦投入機は昨年の月面攻略作戦で損失している。有識者によると今後十年はどんな戦術機が生まれても天照を超えることは無いだろうと発言している。
 天照は現在でもその制御は簡単ではないML機関を搭載した初の戦術機(戦術機以外ならばXG-70が存在する)である。その驚異的な性能はML機関による豊富な電力と、重力制御技術によってなされており、常識を超えた性能を発揮している。
 本著ではその天照の実績と、そこから見られるML機関を搭載した戦術機の今後の展望について記したものである。
2016年8月13日 カール=C=ハインツ(検閲の結果公開禁止)



「俺は確かに白銀武です。大本を辿ればオルタネイティヴ4が成功した世界から来た、白銀武です」
 そうアールクト=S=グレイは否、白銀武だった彼はそう口にする。今までずっと隠してきた己の正体を。
「じゃああんたたちが言っていた未来の情報って言うのは──」
「殆ど俺です。特にクーデター以降、つまりこれからの情報は俺しか知らなかった」
 そう言いながら彼はミリアにちらりと視線をやる。ミリアは何も反応しない。これはつまりまだ明かすべきではないだろうと言う事か。
「で、何でそれを今明かしたのかしら? 特にそうする理由が見当たらないのだけど?」
「それは私も聞きたいな。何故このタイミングで?」
 確かに。理由は無いのだ。理由を知る人間以外にとってその理由すら見つけられない。
「会談を襲撃した戦術機。あれについてです」
「……何か分かったのかしら?」
「分かったかどうかというなら最初から分かっています。あの機体の事なら殆ど全て」
 その言葉に夕呼は表情を険しくする。
「それはあの機体と少佐は関係がある、ということかしら?」
「そう言う事だ」
 断言する彼に慌てたのはミリア。常では見られない表情を表に浮かべている。
「どういうことかね? 何時の間に──」
「あの機体の名前は『天照』。第七世代相当戦術歩行戦闘機」
 問い詰めるミリアの言葉をさえぎるように彼はその名を明かす。これまでこの世界では一度も呼ばれたことのない名称を。
「……俺がオルタネイティヴ4が成功した世界で最期に乗っていた機体です」


 それは白銀武の最大の罪。
 一人を救うために一人を犠牲に。
 決してその罪が薄れる事は無く。
 ただ今は彼の胸中にのみある。


2004年3月17日
 ハイヴを侵攻する。
 かつて地球に存在した最大規模のハイヴ──通称オリジナルハイヴ。桜花作戦によって大型反応炉、コアを破壊された今はハイヴ跡地であるその場所。それに匹敵する規模のハイヴを戦術機が単機で挑んでいた。それを駆る衛士の表情に当然と言うべきか、余裕はない。まさに無尽蔵のBETAに辟易する暇すらもなく立て続けに戦闘を繰り返している。
<重力偏差警報>
 視界の隅に機体からの警告が点滅する。重力偏差警報、それが意味するのは単純だ。現在単機でそのような警報が出るということは外部への影響では無い。内部──つまりは衛士が危険だということ。だが衛士は動きを緩めない。その戦術機に内蔵されたML機関が唸りを上げ、絶対防壁とも呼べるラザフォード場を形成。同時に重力制御で宙を舞うように進む。そうしなければすぐさま撃墜されてしまうほどの状況だった。
 ハイヴ地下3000メートル。そこはフェイズ4の最大深度をはるかに超え、フェイズ5の最大深度すら越えることがある地点。無論、これまで桜花作戦を除いてそこまで到達した記憶はない。そもそも地球上に現在そこまでの深度を誇るハイヴなどフェイズ6になりかけていると目されるマシュハドハイヴとウラリスクハイヴくらいだろう。それを単機で踏破したのは衛士の腕だけではなく、機体性能の面が大きい。
「くっ!」
 群がるBETA。一体何級が何体など考える余裕すらない。とにかく確実なのはここで捕まったら一瞬でスクラップになるというBETA大戦が始まってからのシンプルな結論のみ。衛士は舌打ちしつつもラザフォード場の出力を上げ──。
<多重干渉発生>
 一瞬で視界が真っ黒になり、衛士は何かを言う余裕すらもなく闇の中に叩き落とされた。

「……畜生」
「すまん、武。その結果で全く満足できていないお前が分からない」
 横浜基地のPX。膨れっ面の武を苦笑してユウヤが口を開く。普段は対等な友人──親友と言ってもいい間柄だが、時々武が弟でユウヤが兄のようになるときがある。ようするに精神年齢的に武の方が上だが、密度の点で違いがあるということだろう。武とて今回2001年の10月22日から翌年1月頃までの207B分隊と過ごした三か月の経験は何よりも得がたいものではあった。しかし前の世界では大したこと(した記憶)もなく三年間過ごしたのみ。根本ではまだ学生的なところが垣間見える。対してユウヤは方向性こそ違えど、この世界でずっと生きてきている。そして彼にとっての207B分隊──アルゴス小隊と過ごした期間も武の三か月に劣るものではない。
 そう言った経緯があるからか、単に武がユウヤには素で接しているのか、あるいはユウヤが年上ということが無意識に影響しているのかはわからないが、時々こうなる。
「だってよ~。もうちょっとで反応炉まで行けそうだったんだぜ? いや、あそこで多重干渉がなければ行けた」

 ML機関搭載型戦術機。
 オルタネイティヴ4で凄乃皇を、欠陥兵器と呼ばれたML機関搭載型戦略機動航空要塞を実戦投入した香月夕呼にある依頼が舞い込んだ。改めて言うまでもないことだが、ML機関搭載型戦術機である。試験運用が始まった第四世代戦術機をベースにML機関を搭載した究極の戦術機を作り出す。それが夕呼への依頼のすべてだった。
 だがオルタネイティヴ4に深く携わったものなら知っていることだが、世間が凄乃皇を欠陥兵器から決戦兵器へ変えたと信じている00Unitというメインコンピューターはその実、単純なコンピューターなどではなく、非常に特殊な存在だった。当然、量産できるような物では無い。付け加えるなら夕呼は余程のことがない限り00Unitを作るつもりはなかった。
 そんなわけで断るつもりだったのだが。
『ああ、そうそう。今回の話とはまったく関係のない世間話なのだが……以前の件──社霞、今は香月霞かな? 彼女の処遇を決めるときは私も苦労したなあ……いや、別に今回の件に関係はないのだけどね。いや、あの時は本当に大変だった。数年ぶりにあんなに仕事したと思うくらい大変だった。おかげで今になってもその時のしわ寄せがきて休みが取れないんだ。いい加減に休みを取りたいんだけどね。さて……で、何の話だったか。おお、受けてくれるのか! すまないねえ!』
 ということがあったらしい。流石に養子にすればしない場合よりも楽に霞を横浜基地に残せるとは言え、それでもそれなりにあちこちに無理をさせたらしく、断るに断れない状況になったらしい。

 そして現在その開発を進めているのだが──。

「……俺にはその特殊な資材の詳細が分からないんだがそれを外したら」
「ユウヤが乗ってる機体とおんなじ。っていうか使えないデッドウェイト多い分弱体化」
 開発は大きく分けて二つの方向から進められている。
 まずユウヤが首席開発衛士の戦術機本体部分。本体部分だけでも試験中の第四世代機を上回る性能を示しており、実はそれだけでも夕呼の面目は保たれたといえる。技術スタッフがオルタネイティヴ4当時のメンバーが多く残っていたのもプラスに働いた。
 もう一方が武を首席開発衛士としたML機関搭載型の開発。こっちは難航というレベルでは無い。あくまで対外へのポーズとしてやっているような面もある。何しろ多重干渉をどうやっても克服できないのだ。それがなければ単独でオリジナルハイヴを相当の深度まで突き進めるが、兵器としては欠陥品もいいところである。
「ユウヤの方はどうなんだ?」
「順調だ。もうすぐ実機が搬入される」
「良~い~な~」
 グダグダする武。白銀武は戦術機バカである。ユウヤ=ブリッジスほどではないが、かなりの戦術機バカである。そんな彼がここのところずっと、シミュレーターで改善される気配のない新型の開発。改善されるならやりがいもあるが、一切無い。というより誰もがどう改善すれば良いのか全く分からない。
 PXで合成玉露を飲みながらくつろいでいるとスピーカーがかすかなノイズを発して放送を開始する。
『白銀武大尉。香月副司令がお呼びです』
「呼ばれてるぞ武。……にしてもどこへとか無しか」
「まあ執務室だろうよ。ちょっくら行ってくる」
 立ち上がりながら武は考える。また霞がらみの夕呼の暴走だろうか? だが何となくだが違う気がした武だった。根拠は勘だけなのだが。

「まずいことになったわ」
 開口一番夕呼はそういった。
「まずいことって……何がです?」
 ずいっと書類が突き出される。読め、ということだろうかと考えながらその書類に目を通して……。
「なっ!」
 その内容に絶句する。いろいろと小難しく書いてあるが要約すると唯一つ。
『ML機関搭載型戦術機に何らかの進展が見られない場合、その開発をこちらで引き継ぐ。その際にはオルタネイティヴ4の成果のすべてを押収する』
 ということ。
「なんですか、これ。滅茶苦茶じゃないですか!」
「だけど向こうはその無茶を通してくるわ。むしろこの計画の立案者は最初からそれが目的だったのかもしれないわ。凄乃皇の起動に関するデータを押収するという名目でオルタネイティヴ計画の全てを掠め取る……。舐めたマネしてくれるわ」
 忌々しいと口をゆがめて吐き捨てる夕呼に今回ばかりは全面的に同意だった。
「どうにかできないんですか? 例えば凄乃皇に関連することのみに絞るとか」
「もうそのことは上層部には公開してるし、00Unitありきの兵器だと認識してるはずよ。つまり連中が欲しいのは……」
「00Unitの製造法……まさかっ!」
「そう、これを提案してきたのは名義が違うけど実質旧オルタネイティヴ5の連中。奴らは意地でもオルタネイティヴ5をしたいみたいわね」

 オルタネイティヴ5。その内容はG弾による地球奪還と移民船による地球脱出。だがその裏にある目的は自国を無傷でBETA大戦を終わらせ、各国の優秀な人材──政治のトップを含めて宇宙に追い出した上で崩れた他の国家をひとつに纏めてその上に君臨しようとする国家の思惑があった。

「もしこの条件をのんだら連中喜んで00Unitを量産するわよ。……難民キャンプで市民権を餌にすれば素体候補はいくらでも釣れるでしょうね」
 だがその候補者全てが00Unitになれるわけじゃない。まず間違いなく半数以上は失敗するだろう。
 そしてML機関搭載型戦術機を独占して戦後も支配する。それが今回の旧オルタネイティヴ5派の目論見だろうと夕呼は言った。
「あの国にはG元素が十分にある……ってまずくないですか、先生!」
「最初に言ったでしょ。まずいことになったって」
「それにオルタネイティヴ4の成果をすべてって……もしかして純夏も?」
「それだけじゃなくて連中霞も要求するでしょうね。00Unitの調律にはリーディングができる人間がいたほうが楽ですもの。それに危険人物の排除にも使えるし」
 奪われる。白銀武が守ろうとしたもの、守ろうとしているものが。
「これを撤回させることはできないんですか?」
「……難しいわね。あたしがオルタネイティヴ4の責任者だった頃なら簡単だった今じゃ無理よ」
 ならその最悪の未来を回避するには一つしかない。
「だったら先生。完成させましょう」
「……白銀。わかってると思うけどそう簡単には」
「一応の完成をみた場合、時間はどれくらい延ばせます?」
 夕呼の言葉を無視して武は言葉を重ねる。
「一機でも実証機が完成した、と見せかけられたらどのくらい時間を稼げますか?」
「……それは」
「夕呼先生。絶対に00Unitは増やしちゃいけない。そのためなら俺は命だって賭けます」
「白銀……あんた」
 これは誰だろう。
 そんな言葉が武の脳裏を過ぎった。ここでさっきから状況に流されて、やる前から諦めきっているこの人は。前は何かあったらすぐに対応できていたこの人は。不可能に思えることでも諦めなかったこの人は。
「最悪の場合は多重干渉のリスクを無視してでも。一度動かして後でじっくり研究する時間がとれるならそうします」
 武の言葉に夕呼は呆然としている。
 腑抜けている。いや、これが普通。今までの香月夕呼が張り詰め過ぎていただけ。だが──
「……気を入れてください、先生。もうのんびりできる休憩時間はおしまいです。俺たちにとってはここが瀬戸際。俺があの日この世界に来た時と同じ状況なんです」
 世界とは自分の周囲のことだと誰かは言った。
 すなわち白銀武にとっての世界というのはこの横浜基地であり、香月夕呼にとっての世界というのもこの横浜基地である。
 そして両者に共通する世界を構成する大きな、大きすぎる要素。社霞を奪われるということは世界の滅びと等しい。
「先生、もう一度言います。休憩はおしまいです。今だけでいい。あの頃の先生に戻ってください。……悔しいですけど俺はよくも悪くもただの衛士です。どんなに頑張っても先生の領域には辿り着けません。できるのは戦術機を動かして、これから作る‘剣’を鍛えることだけです。どうやったらML機関を乗せた戦術機を作れるかなんてわかりません。先生が必要なんです。あの頃の自分と世界を同時に相手にできる先生が!」
 ──だが、今はその時の香月夕呼が必要なのだ。
「今の先生が何を考えているのか知らないですけど、これが二年前ならこんなのが来たけど突っ返してやったわ、くらい言ったと思います」
「……衰えるような年じゃないと思ってたんだけどね」
 武の言葉に自嘲気味に夕呼が笑みを浮かべた。
「あんたの言うとおり平和ボケして少し腑抜けたみたいね……全く、これで魔女だなんて笑わせてくれるわ」
 椅子に座って彼女が足を組む。当時の夕呼が良くしていた姿。
「感謝するわ。白銀。あんたが説教してくれなければあたしは自分から動くこともせず、ただ終わっていたかもしれない」
「俺も俺のために言っただけです。こんな形で霞とお別れなんて冗談じゃないですから」
「そうね……期限は10月の終わり、か。あの日あんたが来たときに比べれば随分と余裕のある状況ね」
「ええ。俺と先生が本気を出せば楽勝です」
 二人で冗談を言い合って小さく笑う。
「……凄乃皇のスタッフを呼び寄せるわ。彼らが一番00Unit無しでの制御については研究してるわ」
「そのあたりは任せます。俺は戦術機を作り上げます。一ミリの妥協もなく、見た者すべてが完璧だと言わざるを得ない戦術機に」
「デモンストレーションで成功したら一年……いえ、確実に二年のさらなる猶予をもぎ取ってやるわ。その二年でこの件を完全に終わらせる」
「じゃあこのことは霞には内緒で」
「そうね。じゃあ用があったら呼ぶわ。それ以外はあんたの仕事をしなさい」
「わかりました」
 そう言って退室する寸前。
「俺は先生と霞の事を家族みたいに思ってますよ。だから絶対に失いたくないです」
 と言って立ち去る。だから武は聞いてない。夕呼が小さくつぶやいた言葉を。
「バカ、そんなの今さらよ」
 と。

2004年9月25日
「くそ!」
 多重干渉。どうやってもその壁を乗り越えられない。どうにか夕呼の尽力の末、通常機動での多重干渉は完全にキャンセルできた。しかし高速機動中のラザフォード場展開で約三割の確率で多重干渉が発生する。特に多方向に同時に展開した時など八割を超える確率で多重干渉が発生していた。
「おい、落ちつけよ武。そんなにイラつかなくてもいいだろ? 確実に進歩してるじゃねえか」
「……このままじゃダメなんだ……」
 実機を見上げる。まだ一度も動いたことがないこの機体。開発コード凄乃皇六型。多重干渉が完全にキャンセルできるまでは今は乗るわけにはいかない。まだここで死ぬわけにはいかないのだ。
 ──最悪、高速機動時の多方向展開をしなければデモンストレーションの時間くらいは保つんじゃないかと武は思っている。
「……なあ、この半年くらい武は何かに追われるようにこいつの開発に打ち込んでる。何度か理由を聞いても答えてくれないから俺は改めて聞いたりはしなけどよ。なんかあったら相談くらいしろよ? 一応これでもお前よりは人生経験豊富なつもりだぜ?」
「ああ、ありがとよ。ユウヤ。でもこれは俺のことだから……」
 ただでさえ女性関係──色っぽい意味ではなく、彼の親しい女性は何かしらトラブルを抱えている──で神経を割いている彼の心労を増やしたくないという遠慮もあった。内容がかなりの機密を含んでいるということもあった。
 だが一番は、これまで政治や国家に関わって人生に横やりを入れられてきたユウヤにこれ以上政争に関わって欲しくないと思った。

2004年10月15日
 残り半月。
 まだ何のとっかかりもつかめない。このままじゃ……と焦りを隠そうともせずに武はシミュレータに打ち込む。苛立ちを発散させるように。
 多重干渉を抜きにすれば機体本体は既に単機でのフェイズ2ハイヴ制圧が可能になっていた。

2004年10月22日
 残り約一週間。
 今日は霞の誕生日。
「誕生日おめでとう、霞」
 そう言って手渡すプレゼントは去年とは違い、帝都に出て自分で選んできたもの。一体霞は何を喜ぶだろうかと同僚の涼宮茜に相談したが「白銀があげる物ならなんでも喜ぶと思うよ~」との答えが返ってきた。同様に風間祷子、宗像美冴に聞いてみたら「自分で選ばれた物が喜ばれると思いますよ」というのと「ふむ、だったらこういうのはどうだ? お前自身にリボンを巻いて俺がプレゼントですというのは」と返ってきた。とりあえず美冴さん自重、と武は思った。さすがにそろそろ限界がきそうである。
「……ありがとうございます」
「はい、霞。これはあたしから」
 そう言う夕呼は今回は最初からいる。去年はやはりぬいぐるみ制作が間に合わなかったらしい。ちなみにそのぬいぐるみ二つは霞の部屋のベッドにうささんと一緒に並んでいる。寝るときは三つ全部と一緒に寝てるらしい。
(……霞の部屋って入ったことないけどベッド広いのか……?)
 という素朴な疑問が浮かんだが、それを頭を振って忘れる。今は考えることじゃない。そんなもの、今の案件が解決したらいくらでも調べられることだと。
 そして会の途中だが、武と夕呼は早々に辞する。二人の組み合わせ的に色っぽいことはありえないだろうと思い、周囲は仕事が忙しいんだなくらいの認識だった。
 そんな武と夕呼の様子に霞は何かを感じ取ったが、何も言わなかった。ユウヤも何か感じたが、久々にあった仲間にその感覚は押し流された。
「……先生」
「白銀……あんたはもう少しゆっくりしてきなさいよ。あたしもあんたもいないんじゃあの子も寂しがるでしょ」
 それはお互い様です、と武は思ったが口にはしない。言っても仕方のないことだとお互いに理解していることを言うのは無意味だろう。
「……決意が鈍らないうちに、と思いまして」
 これから提案することはつい先日思いついたこと。凄乃皇関係の資料を読み漁って、専門者が常識にとらわれて行き詰まったりしてないかとか、元の世界の知識で何か流用できるものはないかと考えていた時にある文章を見つけたことが発端の意見。
「決意?」
 執務室に来た武の表情は戦場にいる時──己の死を覚悟したものが浮かべるものと同じだった。
「俺を……俺を00Unitにしてください」
 沈黙。だが夕呼からは怒気が放たれている。
「あんた、今度という今度こそ何を言ってるかわかってないでしょ?」
「十分にわかってます」
「だったら何でそんな意見が出てくるのよ!」
「それが一番ベストな方法じゃないですか!」
 夕呼の叫びを上回る武の叫びが執務室に響く。
「こうすれば見た目だけでもあれは動く! デモンストレーションの時にも多重干渉のリスクを考えなくていい! 何が問題なんですか!」
「あんたがそんな風になったら……いくらなんでもあの子をごまかしきれない! それに……!」
「先生……俺は半年前に言いました。あの頃の、オルタネイティヴ4の責任者だった頃の先生に戻ってくださいって」
「………………」
「だったら、覚悟を決めてください。ここに問題解決の手段がある。なら……ためらう必要はないはずです」
「………………無理よ」
 小さな声が漏れた。
「あたしはもうそこまで非情になれない。いえ……違うわね。白銀、あたしにとっての世界ってのは本当に狭いの。たぶんあの子にとっても」
 自嘲気味に笑みを浮かべる夕呼は弱々しかった。オルタネイティヴ4が失敗した世界の夕呼とはまた違う弱々しさ。
「あんたがいなくなったらねえ……あたしとあの子にとっては世界の終りなのよ……」
 その言葉に武はハッとさせられた。考えていなかったのだ。自分が誰かにとっての世界の柱になっているなんてこと。自分が00Unitになるだけで世界が揺るいでしまう人がいることを。
「……すいません」
「……笑いなさいよ。親友を殺した人間が何を言ってるんだって……。でもね、もう無理なのよ……身勝手だって罵られてもいい。これ以上自分の手で親しい人を失うのは耐えられない……」

 結局、何も打開策は打ち出せなかった。最終手段だった自身を00Unitにするのも夕呼の協力がなければできない。そんなことを考えながらふらふらと歩いていてたどり着いたのは──鑑純夏の部屋。
「……純夏」
 眠っている。桜花作戦が終わったあの日からずっと。
 夕呼が作った反応炉を使わない浄化装置に繋いで二年以上。浄化はとっくの昔に完了しているのに、彼女は目覚めない。だがそれでも武は死んだと認められなかった。だからずっとこうしてここで眠ってもらっている。
「どうすればいいんだろうな」
 答えなど期待せずに武は口を開く。
「俺は霞と別れたくない。先生は俺も霞も失いたくない。きっと霞も俺と先生と別れたくない。でもその全てを成立させるのはできない……」
 死ぬことは怖くない。00Unitになっても白銀武という自我は残るのだから。極端な例えを出すなら全身義体にするだけ。だから武はかまわないと思った。
「……おまえはどうだった? 俺は、00Unitになった純夏を人間だと思った。だから俺も何も変わらないつもりだったんだけど」
 返事は──返ってこない。



 唐突だが、ここで世界の話をしよう。
 ここで話す世界というのは先ほどから述べられている個人にとっての世界ではない。
 人が営み、人が観測する次元という意味での世界の方だ。
 この世界ではシロガネタケルが残った。
 だが、他の世界ではほとんどが消滅している。元の世界に戻り、その残りで再構築される可能性のあった白銀武は再構築されずに消えた。
 そして、その世界のカガミスミカはほんのわずかなカガミスミカの残滓を残して機能を停止した。

 もし、その残滓というのを大量に集めればカガミスミカはよみがえるのでは無いか? そう考えた夕呼がいた。
 量子電導脳は別の並行世界とつながって並列処理をする。それを利用してすべての残滓を一か所に集めれば……と考えた。そしてそれは実行された。
 2004年の10月22日に。その日付を選んだ理由は特にない。単にその世界の夕呼がもしも成功したら霞の誕生日プレゼントにでもなるかしら、とでも考えたのかもしれない。あるいは──消え去った記憶の中に彼が来た日付が残っていたのかもしれない。
 そしてその実験は……失敗した。カガミスミカは起動せず、残っていたわずかな残滓すらなくなった。それを夕呼は大変悔しがったが、諦めがついたと思い、00Unitを封印した。

 失敗したのだ。その世界では。
 残滓の集合体であるカガミスミカは歓喜した。もう一度たけるちゃんに会えると。だが既に彼女たちの世界には白銀武はいなかった。そして彼女たちが彼女でいられる時間も限られていた。カガミスミカでいられる時間は実験をした夕呼がその実験を止めるまで。……約三十分。
 ならば探している時間もない。どこか、カガミスミカのすぐ傍にシロガネタケルがいる世界……。

 奇跡がいくつ重なったのだろう。
 ありえないような出来事がいくつあったのだろう。
 無限分の一の確率を乗り越えて、鑑純夏は目を開ける。




「……たけるちゃん?」
「純、夏?」
 幻聴だと思った。いつの間にか寝ていて夢を見ているのだと思った。だが力なくとはいえ、手を握ってくる感触がある。目の前で彼女が瞼を開けている。その口元に小さな笑みを浮かべている。
「やっと……会えたね」
「……………………」
 言葉が出ない。信じられないという思いが強い。まだ夢だと疑っている。それでも。
「バカ……おまえがのんびり寝てるのが悪いんだろ?」
 あの頃のように口を開く。
「ひどいよ~。一生懸命頑張って少し、休んでただけなのに」
「良い事を教えてやる。三年間を少しとは言わない。ったく……俺を起こしに来てた頃の元気はどこに行った?」
「ちょっと、寝疲れちゃったかな?」
「だったら軽く運動だな。そうすれば体も頭もすっきりするだろう」
「ふふ……そうだね」
 力なく笑う純夏が今にも消えてしまいそうで、グッと彼女の手を握り締める。
「……少し痛いよ?」
「あ、ああ。悪い」
「霞ちゃんが大変なんだよね?」
「っ! どうして」
 それを知ってるんだ、と言いかけたところで気が付く。リーディング。それを防ぐべきバッフワイト素子は三年前の物。脳波のパターンも三年もたてば同一人物とはいえ多少はずれが生じる。ましてや──ここにいる白銀武は三年前の白銀武と同一人物とは言えないのだから。
「……方法、あるよ」
「え?」
「今たけるちゃんたちが考えてるML機関を多重干渉なしで動作させる方法」
「ほ、本当か!?」
「うん……。きっと夕呼先生ならこれを見ればわかると思う」
 そう言った時には既にデータを転送したのだろう。だが、淡く微笑む純夏に武は何か嫌な予感を覚えた。この感覚は──思い出せない。どこかで、どこかで見たんだ。自分を犠牲にしようとする彼女の姿を──。
「……私を使えばいいんだよ」
「いや、確かに純夏を乗せれば動くだろうけどそれじゃあ」
「あの日と同じだね。たけるちゃん。こんな私を人間扱いしてくれる」
 あの日と同じ。人間扱い。そうだ。これと似たような会話をした。あれは桜花作戦の直前。

『そうかぁ~。三人乗るのに複座型ってかなり謎だったんだよな~』
『私は操縦席に乗るっていう概念じゃないからね』
『俺と霞で複座ってことだったのか。なるほどなぁ~』
『あはは……私を人間と同じ感覚で数えてくれるのはたけるちゃんだけだからだよ~』

 たけるちゃんだけ。そして純夏は使えば、と言った。それはすなわち。
「私を、接続すればいい。そうして、リーディングで衛士の思考を読み取ってラザフォード場を制御する。間接思考制御を少し推し進めた感じかな? そうすればML機関を搭載した機体は動く」
「ちょっと待て! それじゃあ純夏は──」
 また兵器として、部品として扱われるのか? 人間としてではなく。
「……私がこうしてたけるちゃんとお話しできるのはあと二十分くらいかな。そうしたら私は完全にただの物体に成り下がるから遠慮なく使えばいいよ」
「二十分……?」
「どこかの世界の香月先生が私を再起動させようと頑張ってくれたの……その限界が残り二十分。それが過ぎたら今度こそおしまい」
「そんな……」
「……私はずっとたけるちゃんに謝りたかった。償いをしたかった」
 手を握ったまま。視線を天井に向けて純夏が呟く。
「なんだよ、償いって。俺はそんな……」
「平和だった世界からたけるちゃんをこんなところに連れてきちゃった償い」
「俺は──」
 何も言えない。何でこんなところに来たんだと思ったのも事実。こんな世界から逃げようとしたのも事実。
「だからね、もうたけるちゃんを元の世界に帰すことができないなら最後に手助けしたいんだ。この世界でたけるちゃんが生き残れるように。この世界でたけるちゃんが幸せになれるように」
「純夏……」
「ねえ、たけるちゃん。今でもたけるちゃんは私のこと好きでいてくれる?」
「当たり前だろ……馬鹿」
 即答できる。誰に聞かれても、いつ聞かれても。白銀武は鑑純夏を愛していると断言できる。
「だったらお願い……せめて、眠った後たけるちゃんと一緒にいたい……」
 純夏の切実な叫び。彼女は涙を零しながら言う。本当はそんなことを望んじゃいけないのに、と。
「…………分かった」
 長い沈黙の末、武は絞り出すように返事をする。

 卑怯だと思った。
 こうやって彼の心を引き留めようとしている。
 ことの始まり自体が自分の我儘でここにいる彼を平和な世界から連れ去った。
 そして自分に辿り着くまで何度も殺した。
 そして辿り着いて、死んだ後もこうして引き留めている。
 こうして、彼が戦場で共にするであろう機体に自分を封じ込める。
 そうすればきっと彼は私のことを忘れない。忘れられないという打算があった。
 ああ、本当に。自分で自分が醜いと感じてしまう。
 悲劇のヒロインぶって──妹のような存在の彼女の思いを阻もうとしている。
 なんて、なんて醜悪。
 きっと鏡を見たら自分の顔はさぞ醜く映るのだろうと思う。
 でも。
 それでも。
 私は彼を手放したくない。
 どんなに醜いと蔑まれても。
 誰であろうと渡したくない。

「……ごめんなさい」
 そのつぶやきはあまりに小さく、武の耳に届くことなく空に消えた。



 2007年7月6日
 帝国呼称、甲八号目標──ロヴァニエミハイヴ。
 フェイズ5ハイヴ。

 それは人類にとっての墓場だった。
 フェイズ5以上のハイヴを攻略した事例は多くない。桜花作戦以降いくつものハイヴが攻略されてきたが、ヴァルキリーデータのお陰でフェイズ4まではこれまでとは格段に少ない戦力での攻略が可能になった。しかし、フェイズ5となると話が違う。
 現存するハイヴはほとんどがフェイズ5。そしてそのほとんどに攻略のとっかかりも掴めていなかった。理由は簡単。ハイヴの地下茎構造が広大すぎること。そしてBETAの数がフェイズ4と比べて格段に増えていることである。例え迷路の道筋が分かっていて、最短ルートを進めるとしてもそこを妨げるBETAの数が多くて突破できない。効率的に補給線を確保しようとしても想定以上のBETAの襲撃を受け護衛が耐えきれない──など。
 これが桜花作戦のように全世界の戦力を集中されたなら話は別だろう。しかし、あれは本当に人類の滅びが間近に迫っていたから可能だったものだ。そうではない──極端に言えばただの前線基地を潰すのに世界の総力を挙げるなど不可能な話だった。
 つまり、人類には正攻法で限られた戦力でハイヴを攻略するしかない。




 はずだった。

 彼は眼を疑う。とうとうあまりに絶望的な状況に幻覚を見たかと思った。
 彼は地上の陽動部隊の一員だった。しかし予想を遙かに超えるBETAに押され、既に戦線が瓦解寸前。自分自身、突撃級に押しつぶされる寸前だったのだ。それが、一瞬で立て直された。圧倒的な物量に瓦解寸前だった戦線は散発的なBETAを処理するだけで済むような状態になっており、目の前に迫っていた突撃級は跡形もなく消失していた。
 一体何が──と情報を得ようとする彼のJA-35が一機の戦術機を発見した。だが彼はそれをミスと思った。当然だ。誰が大空を飛んでいる物を戦術機だと思うか。精々支援砲撃の弾が視界を掠めたと思うのが普通だろう。だが、戦術機のコンピュータはその機体の所属をデータベースから見つけてくる。たかが砲弾に何を、と思って映像を拡大する。
 今度こそ彼は自分の正気を疑った。
『ブラボー6。どうした』
「すいません、隊長。どうやら俺はもうダメみたいです」
『どうしたんだ、ブラボー6!? 機体に何かトラブルか!?』
「幻覚が……」
『幻覚、フラッシュバックか? 君が後催眠治療を受けたという記憶は無いはずだが?』
「空に……戦術機が見えるんです……」
『何を馬鹿……な……』
 ヘッドセットの向こう側が奇妙な途切れ方をする。
「隊長?」
『……どうやら俺も幻覚を見ているようだ……。俺にも空を飛んでる戦術機が見える。しかもレーザーを弾いてる』
「ああ、俺にも同じ幻覚が見えます……。はっはは……しかも極東国連軍の横浜基地所属だって戦術機がデータを出してますよ」
『俺もだ』
 その言葉に若干気まずい沈黙が下りる。
「……もしかして幻覚じゃないんですかね」
『最高のドリームかもしれんぞ』
 相変わらず常識を無視した白銀(はくぎん)の戦術機は背中から肩越しに何か長いものを構えたかと思うと閃光が走った。
 自動で機体が閃光防御をしていなかったら完全に目が焼かれていたかもしれない。それぐらいの閃光。そして地面を揺るがすほどの轟音。先ほどまで鳴り響いていた支援砲撃の音も、着弾の衝撃もかき消すような轟音。
 そして閃光が消え去った瞬間、その戦場にいた全員が己の目と、現実を疑った。

 無くなったのだ。
 先ほどまであった忌々しいものが。
 バベルの塔のように天に伸びるハイヴのモニュメントが。
 跡形もなく。一瞬で。

 ようやく戦場の人間に現実が戻ってくる。己の頬をつねったりして現実だと確認する。

 そうして先ほどまでの轟音に負けず劣らずの歓声が響く。
 あちこちで戦友の肩を叩きあう者がいる中、ただ一人彼だけは天を仰ぐ。
「見てるか……? 純夏? お前のお陰で……人類はまた救われそうだぜ?」
 機体を愛おしげに見つめながら武はそう呟く。人類は確かに救われたのだ。一人の少女を二度も道具のように扱う事で。
 奥歯が砕けそうな程かみしめる。悔しい、と思った。彼女を、純夏を犠牲にしなければ少女一人も救えない自分に嫌悪感で一杯になる。それでも、せめて霞だけは守りとおそうと誓う。

 その後、このML機関搭載型戦術歩行実験機、凄乃皇六型は解体。その実戦データを元に一から設計しなおした機体が2011年にロールアウトした。
 第七世代相当戦術歩行戦闘機、『天照』。そのコアユニットは実験機から移植されたものであり、コアユニットの製造の困難さからML機関搭載型戦術機の開発は凍結されることとなり、天照一機を除いて存在しない。
 本来ならば天照も凍結されるはずであったが、その性能を無駄にするのは惜しいという意見からその後も実戦を巡る事となる。
 少女が望んだように、搭乗している衛士を守るように。





 彼は天照の形状──自分が取り付けたスタビライザーから恐らく自分が乗っていた物と同一だと話す。
「そう、あれが理由は分からないけど未来から来た機体だってことは分かったわ。で、あんたはどうするの?」
「討ちます」
 何の躊躇も無く、彼は断言した。
「あれが、俺の目的の邪魔になるというならば、俺は討ちます」
「……正気かね? あの性能は」
「そのためのヘルメス・サードだ。そのための俺だ。次に会った時には遅れはとらない」
 彼の表情に迷いは見えない。この事は決めた事だと全身で主張する。
「あたしとしては構わないわね。恐らくだけどあの機体はオルタネイティヴ4に反する勢力が保有している。グレイ博士、何か心当たりは?」
「私への意趣返し、と言う可能性もあるね。オルタネイティヴ5派にとっては私は裏切り者扱いだろうさ。それでも表向きは国連の計画への従事だから強くは言えないだけでね。ああ、後横浜基地で無ければそれだけで暗殺の危険があっただろうさ」
 今やミリアも彼らにとっては敵だろう。オルタネイティヴ4と違い、ミリアの頭脳はどうしても必要なわけではないのだから。
「……良いわ。なら次にあの機体が出たらそちらで対応……構いませんか? グレイ博士」
「それ以外に無いだろうね。スサノオ・セカンドでは対応できないだろう?」
 渋々、というよりも仕方ないと言いたげなミリアの言葉に夕呼は軽く頷く。
「四型ならあるいは、と言ったところね。それにまだ00Unitは完成してない。完成するまではこちらには対応策が無いわね」
 そして会談が終わり夕呼がふと気が付いたように言った。
「ところで少佐。これからどういうふうに呼べばいいのかしら?」
「……ここにいる私はアールクト=S=グレイだ。白銀武という人間は世界に二人も必要無い」
 そう、Arukteアールクト=Sirogane白銀=Grayグレイは背中を向けながら答えた。彼が退室したのを見て夕呼が呟く。
Arukteアールクトね……変な名前だと思ったらTakeruのアナグラムだったとはね……」
「結局捨てきれないのだよ。私も彼も、過去をね」

「え、クーデターの首謀者って生きてるの?」
 深夜のPXに場違いな大声が響く。それを渋い顔で窘めながらシオンは応えた。
「声が大きいですよ、シルヴィア。ええ、私も先ほどギルバートから聞いたばかりですが。どうやら生き残っていたのが先ほど捕縛されたようです……ってなんですか、その目は」
「ん~? 別にい? 何かギルバートなんて呼んじゃって仲が良いな~って思って」
 ニヤニヤ、と形容するのがふさわしい笑みを浮かべながらシルヴィアがシオンをからかうとボッ、と一瞬で火が付いたように顔を真っ赤にする。
「からかわないで下さい! べ、別に同僚としての親愛の情の表れで……他意はありません!」
「でもケビンにはノーランド中尉じゃん。あと隊長にも」
「ノーランド中尉とはそれほど親しくありませんし、隊長は上官です!」
「あ、ギルとは親しいんだ」
「う……そ、そういうシルヴィアだって彼の事をギルって呼ぶじゃないですか」
 若干押され気味だったが、反撃の糸口を見つけたとばかりに勝ち誇って言うシオン。だがその栄光は長く続かない。
「だって元々家族っていうか兄妹みたいなものだし」
「そうなのですか……っていうか仲が良いと思っていましたがそれは初耳です」
「ん~元々お姉ちゃんの婚約者だったんだ。まあ色々あって今はただの上官と部下」
「その色々が気になるところですが……姉、ですか」
 急に沈んだ表情を浮かべるシオンに慌てたようにシルヴィアが言葉を継ぐ。
「あ、でももうお姉ちゃんが死んで大分経つし、そろそろギルも新しい恋を見つけてもいい頃だと思うし……」
「ああ、いえ。そっちではなく……って恋ってなんですか、恋って!」
 PXにシルヴィアの笑い声が響く。まるで女生徒がじゃれているような空気のPXに。
「…………えっと、別のPXに行きましょうか、隊長」
「…………そうだな」
 ギルバートとケビンは入る事が出来ず、別のPXに向かうのだった。
「でもどうやってサギリは生き残ったんですかね」
「……映像では上から串刺しにされていたが、あの時は沙霧大尉は乗っていた訳ではなく会談の為に管制ブロックを前にスライドさせた状態でいた。衝撃でそこから落下した時に幾つか怪我を負ったらしいが、命に別条は無いらしい」
 なるほど、とケビンは納得して更に問いを重ねた。
「で、ヴァンセット大尉とはどうなんですか?」
「…………黙秘権を行使しよう」


 白銀武にとってここ数日は普通だった。訓練部隊の戦友である美琴がMPに連れて行かれた以外は何も変化が無く、日々の訓練に励んでいた。
 行方不明だったアールクトも帰還した。数式も回収し、オルタネイティヴ4も順調らしい。だから唐突な夕呼の呼び出しに何の用だろうと疑問を覚えずに居られなかった。
「失礼します。先生?」
「来たわね、白銀」
 何時も通り自分の席にいる夕呼はどことなく機嫌が良いように見える。何かあったのだろうか、と武が疑問に思う前に彼女が口を開く。
「……確かあんた鑑純夏を探してる、て言ってたわね?」
「あ、はい……でもこの世界にはいないって──」
「見つかったわ」
「先生が、……え?」
 聞き間違えたかと思った。だが夕呼は同じ言葉を繰り返す。
「だから見つかったのよ。鑑純夏が」

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[12234] 【第二部】第十三話 偽りの宝物
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/03/07 22:01
「純夏が見つかったって本当ですか、先生!?」
「嘘ついてどうするのよ」
 確かにそうだが、元の世界の彼女の行動を考えるとドッキリという可能性も考えてしまう。だが、と武は思いなおした。前の世界の彼女も滅茶苦茶だったが親しい人の心を踏み躙るようなまねはしなかった気がする。
「会わせる前に幾つか言っておく事があるわ」
「何でしょうか……?」
 テンションが上がっている武に対して夕呼は少し沈鬱そうな表情を浮かべている。それを見て武も落ち着きを取り戻した。
「鑑だけどね……肉体的には問題ないんだけど精神の方が少し、ね。よほど辛い目にあったらしいわ。だからまともな会話は出来ない」
「そんな……」
「だけど医師の見解によればちゃんとした治療をすれば元通りになるって話。だから白銀。あんたが積極的に話しかけて鑑の意思を取り戻してやんなさい」
「はい、わかりました!」
「じゃあはい、これ病室の場所。このフロアにあるから迷う事は無いでしょうけど」
 その部屋番号を覚えて武は駆け出したい気持ちを抑えながら口を開く。
「それじゃあ、先生……」
「はいはい、もう言って良いわよ。さっきから行きたくて仕方ないって顔してるしね」
「ありがとうございます!」
 そう言って武はギリギリ歩いていると言い張れる速度で部屋から出ていく。完全に閉まる前の扉からどたばたと駆け足の音が聞こえてきた。
「はしゃいじゃって、まあ……」
 ふと、全てをぶちまけたい衝動に駆られる。だがそれはダメだ。今の彼では耐えきれずに押しつぶされるだろう。
「……………………」
 深いため息を吐く。今後のスケジュールを見てそれは更に深くなる。

 四日後にオルタネイティヴ第四計画より派生した戦術機関連装備のトライアルが予定されていた。

「どういう事だ、これは?」
 多くの戦術機がそこで役目を待っている。巨大な人型が並んでいる姿は太古の神殿のようでもあるがその雑多な空気が、人型の持つ空気がそう言った神聖な空間をぶち壊しにする。そんな格納庫の中で周囲の喧騒に負けないように彼が声を張り上げる。
「いや、俺たちにもさっぱり……」
「私の記憶だと新任どもの分の不知火を発注したはずなんだが……」
 困ったように頭をかきながら彼が頭上を見上げる。そこには帝国軍より引き渡された戦術機が並んでいる。
「不知火は不知火でも壱型丙ですねえ、こいつは」
「だよなあ。やっぱ見間違いじゃないか」
 整備班長と顔を見合わせて溜め息を吐く。
「これ、新任どもに使えると思うか?」
「それは少佐の方がよくご存じでしょう?」
「機体の損耗度から見た整備兵としての見解を聞きたい」
 彼の言葉に整備班長は少しの間、あごに手をやりながら考えた後答えた。
「白銀の小僧は多分大丈夫でしょうな。後榊の嬢ちゃんならギリギリってところですかね」
「……理由を聞いても?」
「白銀の方は純粋に操縦技能ですね。あれならこいつのピーキ―な特性でも大丈夫でしょう。榊の嬢ちゃんの方は本当にギリギリですね。というよりも他の連中の推進剤の減りとか見てるとこいつに乗ったら短時間で干上がります」
「なるほど……それは考えていなかった」
 整備班長の見解に頷きながら彼は改めて見上げて──。
「ん?」
 ふと、塗装の塗り残しに気が付いた。良く見てみるとUNブルーの下にうっすらと透けて見えるのは──。
露軍迷彩ロシアンカラー? ってまさかこれ富士教導団の機体か!?」
 思わずもれた驚きの声を誰かに聞かれてないか慌ててあたりを見回すが、整備班長以外は聞こえていなかったらしい。今はクーデター直後と言う事もあって教導団にはあまり良い印象が無い。流石にその程度で整備の手を抜いたりと言ったサボタージュは無いだろうが、その事実は整備兵の無意識下のモチベーションを下げるには十分なものだろう。
「富士教導団ってまたどうして?」
「私の勝手な推測だがな」
 と断ってから自分の予想を口にする。
「この前のクーデターで数が減ったからな。壱型丙を使える人間が少なくなったのかもしれない。それなら使える人間が限られている壱型丙よりも通常型の方がいいと思った……のかもしれない」
 とは言えその程度で壱型丙を送ってくると言うのも考えにくいというのが彼の本音だった。
「まあ整備はきっちりやりますがね。新任どもが扱うには厳しいと思いますよ?」
 六機の不知火壱型丙。それを見上げながら彼は呟いた。
「確か第七中隊が出向から帰ってくるらしいからな。第九中隊と第七中隊の隊長陣に配備して彼らの使っていた不知火を新任どもに回すか。一応その予定で整備を頼む」
「了解です」
 そう言って整備班長はちらりと格納庫の隅に視線を向けた。
「それで少佐。あちらは……」
「ああ、あれな……」
 それは残骸にしか見えない。だがそれはかつてここに並んでいる戦術機と同じように動き、共に戦場を駆けてきた機体だった。しかし今は頭部はもげ、左腕は肘から先が無い。両足はおかしな方向に関節が曲がっていて、電磁炭素帯がはみ出ている。右腕も付いてはいるがまともに動くことなど期待できず、管制ブロック周りには大きな亀裂と空洞が広がっていた。
 YF-23 PAV-2 グレイゴースト。文字通り世界一高価な鉄屑と化したそれを見ながら彼は呟く。
「……私には新しい機体が用意されている。こいつももう役目を終えただろう……」
「そうですかねえ……俺にはまだこいつは戦えるって言ってるように感じますよ?」
 とは言え、これを修理するぐらいなら新しいのを一機持ってきたほうが早いだろう。尤も、新造機などあるはずもないので無理な相談だが。
「……時間があれば修理しても構わないが……多分無理だろう?」
「まあ流石に欠損した部品が多すぎますわな。予備パーツを全部使っても元通りっていうのは無理でしょうね」
 お互いに顔を見合わせて溜め息を吐く。廃棄するにしてもただでは出来ない。それを考えると溜め息の一つも出ると言う物だ。
「では壱型丙の方を頼む。終わり次第A-01の方に引き渡すから」
「了解です。少佐」
 そう言い置いて彼はエレベータに入る。更に下のフロア。そこにあるのも格納庫だった。しかしこちらにある人型はただ一機。上の格納庫と違い人もほとんどおらず、静謐な空気が漂っている。そして人型自体が持つ得体の知れなさが一種の魔境の様な空間を形成していた。その周りにいる整備兵はさしずめ神官か、とアールクトは益体も無い思考を走らせる。
「これが?」
 格納庫にいた整備兵の一人を捕まえて尋ねる。
「はい。第四世代概念実証機です」
 堂々と答える整備兵の視線はその機体に注がれている。しかしその姿は不知火に近い──というよりも不知火だった。
「不知火に見えるんだが?」
「コスト削減のために外装は不知火の物を、設計はイーグルの物を参考にしています。また、強引な設計の為機体特性がピーキ―ですが、それでもYF-23を超えるスペックを発揮しています」
 すらすらと答える整備兵の表情は誇らしげである。
「良くこの短時間でここまで仕上げられたな」
「……実はここに採用されている技術のほとんどはグレイ博士が考案したものでして。既に実証済みの物ばかりで開発に伴う新技術のテストと言う物が一切なかったんですよ。だからこれだけ早く仕上がりました」
 開発期間は実質三か月程度だろう。元々素体はフロリダに居た頃からあったが、この形になったのは横浜に来てからだ。それでも十分すぎるほど早い。どんなに急いでも普通は二年近くかかる物なのに、だ。
「で、大丈夫なんだよな?」
 しかしどんなに高性能でも新型と言うだけで信頼性が無い。それを確認するとその整備兵はあろうことに……目を逸らした。
「……おい」
「い、いえ。まだろくにテストもしてないのに無責任に肯定するのもどうかと思いまして……」
 まあそれもそうだろうと納得して彼は睨むのをやめる。それに今すぐこれに乗ると言うわけでもない。この後数カ月程テストを重ねながら問題点を潰していき、実戦に投入されるのだろう。
「まあじっくり育てていこう」
「はい。あ、それと機密保持のために網膜認証を採用しています。乗る時はそのサングラス外して下さいね?」
 そんな冗談に軽く笑いながら、幾つかの連絡事項をこちらの整備班長と打ち合わせて下の階層、夕呼の執務室があるフロアに向かう。

 その途中で武と赤い髪の少女の姿を見た。

「────っ」
 息が詰まる。
 そこに、鑑純夏がいる。
 ずっと会えなかった人がいる。
 それだけで彼は冷静さを失う。
 今すぐ駆け出したい衝動に駆られる。
 だが出来ない。捨てたのは自分だ。逃げたのも自分だ。そんな自分が彼女の元にいる権利も、何もない。
 息苦しくなるのをごまかすように足早にその部屋の前から立ち去る。夕呼の執務室に着いたころには何時も通りに戻っていた。
「……失礼します」
「あら、何の用かしら。グレイ少佐」
 要件は分かっているだろうに、わざとらしくそう聞く夕呼に彼は溜め息を吐きながら彼女の問いに応える。
「分かってるでしょう。鑑純夏の事です」
「何かあったかしら?」
「とぼけないで下さい。あいつに00Unitだと言う事を伝えないんですか?」
 若干語気を荒くして問い詰めると夕呼は興が削がれたように肩を竦める。
「冗談よ。まあその理由も少佐には予想が付いてるのでしょう?」
「……今の白銀武の精神ではそれを受け入れられない」
「正解。流石自分の事ですから。良く理解なさってますね」
 サングラスの奥で彼が視線を険しくするが、夕呼の言葉がこちらをからかうものだと気が付いて再び嘆息する。
「……先生、俺が白銀武だと知ったからってからかうのはやめてくれませんか?」
「あら、気に障ったかしら?」
「そうですね。多少は」
 不機嫌さを隠そうともせずに彼はそういう。流石にふざけ過ぎたかと、夕呼も佇まいを正す。
「それで、それだけじゃないのでしょう?」
「はい。グレイ博士からXM3のトライアルについて」
「ああ、あれね。ほとんどそっちが作ったようなものじゃない。あたしが提供したのはCPUだけなのにオルタネイティヴ4の成果って言うのもねえ」
 若干夕呼が不貞腐れたようにぼやくが、彼は笑いながらフォローした。
「一番最初に作ったのは先生ですから。今回作ったのも俺が覚えていたのを再現しただけですし」
「別の世界の自分が作ったって言ってもねえ。そう言えば聞きたかったんだけどあんたの言う先生ってあの白銀とは若干ニュアンスが違う気がするのだけど」
 その言葉に彼は考え込む。ニュアンスの違い。確かに先生と言う意味合いがあの日を境に変わった。
「そうですね。言っても良いですけどそれはあいつがそこに至った時に本人から聞いてください」
「……あの餓鬼があんたみたいになるかしら」
「さあ、どうでしょうね」
 若干投げやりともとれる彼の言葉に夕呼が眉をひそめる。
「随分と適当じゃない」
「正直な話、あいつがダメでもここまできたら世界を救う位は俺一人でも出来ます」
 傲慢ともとれる発言に夕呼は苦言を呈さない。それがまぎれもない事実だと感じさせられるだけの重みがあった。
「はあ、本当に。あの餓鬼がどうやったらこんな風になれるんだか」
「それは企業秘密の方向で」
 大分話が脱線したと思い彼は方向修正をする。
「トライアルの後……BETAを開放するつもりでしょう?」
「はあ……やっぱりと言うか何というか。ばれてた訳ね。で、それをやめろって?」
「いえ、是非行ってください」
 その言葉は夕呼にとって予想を大きく外れるものだった。本人も気づかぬうちに驚愕が表情に浮かぶ。
「驚いたわね。あんたは無駄な犠牲を出すなとか言いそうだと思ったのだけど」
「そんな人道主義的な面を見せた覚えは無いんですけどね。この基地の空気は弛んでいる。それを払拭しないといつかの日に比べ物にならない大損害を被る」
 そう発言する彼の声は底冷えする程に冷淡。それは夕呼ですら背筋が寒くなる物を感じる。
「何人死ぬか、それが分かっての発言かしら?」
「……この際だから言っておきましょう。俺は自分が守りたい人たちとそれ以外の有象無象の命を等価値に見ていない。守りたい人を守るためにならそれ以外の人間の命をいくら犠牲にしても構わない」
「とんだ主張ね。そんな人間が世界を救おうとするなんて……悪い冗談だわ」
「守りたい人たちを確実に守るにはついでに世界を救う必要がある。それだけの話ですよ」
 淡々と言う彼の言葉に強がっているような色は感じられない。あくまで思っている事をただ口にしたという気楽さの様なものがある。つまり彼は本気でそう思っていると言う事だ。あっさりと世界がついでと言える彼の辿って来た道筋は夕呼をもってしても想像が付かない。
「まあ良いわ。それで、タイミングはこっちで任せて貰って良いのかしら?」
「一応事前に一報入れて貰えれば。気を引き締めるためとは言っても全滅されては意味が無いので」
「そうね。大かたグレイ少佐の部隊が実弾装備で待機して迅速に対応。そんなところかしら?」
 鋭いな、と彼は口元に小さく笑みを浮かべながら答える。
「はい。トライアルに出る守備隊の穴を埋めるための防衛任務、という名目で」
「手配しておくわ。だけどあまり早く出てき過ぎても意味が無いわ。やられるかもしれないという緊迫感が生まれないと被害を出しただけに終わる」
「分かってます。BETAを前にした人間の心理に関しては先生よりも詳しいと思ってますのでその辺は安心を。ギリギリのタイミングで介入しますよ」
 その言葉にそう言えばミリアの予想が正しければ彼は相当な年月の戦歴を持つ古兵ベテランだったか、と夕呼は思いだす。
(古参兵を遙かにしのぐ経験と全盛期の肉体って……こいつ衛士としては反則的に恵まれてるわね)
 武もそれに近いが、経験と言う点で圧倒的すぎる差がある。逆に言うならば経験以外はこの二人はほぼ同一の存在だ。
「では俺はこれで。訓練兵どもの様子も見ないといけないので」
「はいはい。精々励みなさい」
 そう言って見送ろうと思ったところでふと気になった。
「そう言えばあんた、あの中に入りたいとは思わないの?」
 かつての戦友──と思われる207B訓練分隊の面々。かつてならそこで共に学んでいた者を今は教え、決して教官と訓練兵以上の関係には踏み込もうとしない。そんな現状に彼はどう思っているのか。それが唐突に気になった。
「そう言えばミリアにも同じことを聞かれましたよ」
「グレイ博士にも?」
 少し夕呼には意外だった。どうも思っていたよりもドライな関係だと思っていたが、そう言う事も話すのかと。尤も、それを言い出したら今自分がやっている事は何なのか、と夕呼は苦笑を浮かべそうになる。
「……ここに居るのはアールクト=S=グレイです。あそこに入れるのは……白銀武だけですよ」
 そう言ってアールクトは退室した。次に向かう先は既に決まっている。

 利用者は少ないが、横浜基地には道場がある。そこを利用するのは主に御剣冥夜の警護に着いている第十九警護小隊の隊員のみと言って良い状態だが──この日はもう一人いた。
 竹刀でも木刀でも無く模擬刀を用いた訓練。無論刃引きはしてあるが、当たり所が悪ければ死に至ることももちろんある。そんな危険な訓練を彼女たちは日常的に行っている。もちろんそれはお互いの技量──きちんと寸止めが出来る、互いの攻撃を受ける事が出来ると言う信頼があってこそ成り立っている物である。
 だからいきなりそんな事をやらされるアールクトとしては堪ったものではなかった。
「こ、降参です。降参!」
「甘いです少佐! 戦場でそのような言い訳が通用すると思ってか!」
「絶対これを機に日頃の憂さ晴らしをしてるだろ、中尉!」
 格闘訓練、と言ったのは失敗だったかもしれない。後訓練中は階級を気にしないで良いと説き伏せたのも。眼前に迫る刃を視線で追いながらアールクトはそう後悔した。
 模擬刀で叩かれるのは思った以上に痛かった事が分かった。
「ふう……なかなか様になってきましたな、少佐。しかし何故急に剣術を?」
 手にしたタオルで汗を拭きながら真那がそう尋ねる。良い汗をかいたと言いたげな真那に対してアールクトは道場の床に座り込みながら息を整えている。
「厳密には剣術を会得したいわけではなく、型を知りたかっただけだ」
「……それはあの」
 銀色の機体の事でしょうか、と言葉を発せずに問いかける。それにアールクトは黙して頷くことで答えた。あの機体は現在それなりの機密に属する。目にした者には例外なく緘口令が敷かれる程度には。おいそれと口に出せる話題でも無い。
「……あの衛士は私の見立てでは無現鬼道流に属する流派を修めていると見た。中尉の見解を聞きたい」
「……恐らくあれは正統派の無現鬼道流を修めた者でしょう。やや我流の崩れがありますが、それは扱う者の癖と言うよりも自分に合わせて最適化した結果でありましょうな。それ以上の事はあの距離からでは」
 やや考え込むように視線を落とした後、真那がそう答える。それはアールクトもほぼ同意見だった。むしろ今の質問は互いの認識の擦り合わせ。その上で彼は問いを重ねる。
「では無現鬼道流師範代、月詠真那にお聞きしたい。あれだけの技量をもった衛士、生身でもかなりの腕だったはずだ。それが見稽古のみであそこまでに至ったとは考えにくい。無現鬼道流の門下の中に居たはずだ。あの銀を駆る衛士が」
 正直にいえば既に見当は付いている。あれが──天照が動いている以上乗っているのは素性は分からずともただ一人しかいない。そして、この世界に天照に乗れる人間はもう一人しかいないのだから。
「恐らく──────です」
 だから真那が言った名前は予想外でも何でもない。アールクトにとっては既に分かり切った事実。そして真那がそれによって傷つくのも分かった上で尋ねた。
「少佐は──彼を殺すのですか?」
「……私たちの障害になるのなら実力をもって排除する。それを確実にするために教えを請う。それだけだ」
 断言するアールクトを真那が眩しいものを、眩しすぎて眼を背けたくなるような者を見るような眼で見つめる。
「少佐には、人の心が分からないわけではないのにそれを無視できる。一体何をすればそのような心境に至れるのでしょうな」
「何、簡単だ。ほんの一億年ほど生きてみれば誰だってこうなる」
 それを下手な冗談と受け取ったのか、真那が僅かに唇を歪めて笑みを浮かべた。次の瞬間にはいつも通りの凛とした表情に戻っている。
「あの子を鍛えたのは私です。すなわちあの子の癖も、欠点も良く知っている」
「……教えてもらえるか?」
「何を今さら。最初からそのつもりであったのでしょう? それは構いません。ですが──」
 真那は僅かに言い淀む。だが心が固まったのかほんの少しの逡巡の後に言葉を発した。
「条件があります。冥夜様を決して危険にさらさない。それが絶対条件です」
 その上官に対するには無礼とも言える言葉にアールクトは気を悪くした風も無く答えた。
「ああ、約束しよう」
 かつての白銀武に関わった人間を守る。それがアールクトの中の至上目的の一つなのだから。

「白銀、医務室に行ってこい」
「ちょ、教官まで!」
 座学の時間に武はまりもから唐突にそう言われる。
「しかしだな、白銀。そうずっとニヤニヤされてると頭でも打ったのか心配になる。一体どうしたと言うんだ?」
「あ、いや……その、私事です」
 流石に幼馴染──と言っても別の世界のだが、が見つかったからというのはなんとなく気恥ずかしい。
「まるで生き別れていた恋人に再会した正規兵の様な顔をしてるぞ」
「ぶっ!」
 まりもの言葉に武は吹き出し、他の面々(美琴はまだいないのでそれ以外)の視線が武に突き刺さる。特の冥夜が拗ねたような眼は印象的だった。
「な、冗談のつもりだったのにまさか白銀。あたっていたのか!?」
「ち、違います!」
 慌てて否定するが周囲の視線は和らがない。むしろ険しくなった気がする。まりももまりもで「え、もしかして(ピーーーーッ歳年下に負けてる?」と呆然としたふうに呟いている。
 一言でまとめると良い感じに混沌カオスだった。

「結局何があったのかしら? 今日は朝からずっと機嫌が良いみたいだけど」
 正直気持ち悪いけどね、と武の心を抉っていく言葉を吐きながら案ずる千鶴。既に武の心は風前の灯である。場所は昼時のPX。周囲は正規兵で賑わっておりその中に207B分隊もいた。
「……怪しかった」
「えっと、その、あまり直視出来なかったです」
「み、皆。武が胸を押さえてうずくまっているからそれ以上は──」
 ズバズバと武の胸を切り裂いていく言葉を放つ他の面子を止めようと冥夜が口を開く。が、しかし。
「……で、御剣の感想は?」
 慧の言葉に半ば反射で冥夜が答える。
「正直不気味だと、ってすまぬ、武!」
 もうやめて。武のライフはゼロよ! そう叫びたくなるくらいに武は凹まされた。

 武が復活するまでしばらくお待ちください。

「で、何があったのだ? その、機嫌が良いのは分かったのだが」
「最初からそれだけにしておいてくれ……」
 そうすれば無駄に心に傷を負う事も無かったのに、と武はぼやきながら答える。
「前に幼馴染の話をしただろ? その幼馴染が見つかったんだよ」
 何気なく言った武の言葉に207B分隊の面々の気配が張りつめる。その側で食事を取っていた正規兵は後に語る。「まるでうちのかみさんに浮気がばれたときのようだった」と。
「それは……良かったな」
 と、言いながらも複雑な表情を浮かべている冥夜に武は気が付かない。
「本当にね。この御時世行方不明になっていた人が見つかるなんてかなりの奇跡よ」
 千鶴がそう言うと他の面々が同調するように頷く。
「でも小説の中の話みたいで素敵ですね」
「小説って……ラブロマンス?」
 壬姫が言った言葉に反応した慧の一言で再び気配が張りつめる。
「そう言えば白銀……前は遠慮して聞けなかったけどその幼馴染はどんな人なのかしら?」
「い、委員長? 何か顔が怖いぞ……?」
「良いから、質問に答えなさい」
「い、イエスマム!」
 何だろう、と武は首をひねる。先ほどから感じるこの空気……まるで戦場の只中にいるかのようだと。
 洗いざらい吐かされた後、午後の座学が始まりその空気は有耶無耶のまま終了したが、207B分隊(武除く)の隊員には様々な思いを残した。何しろ──武の語る様子はどう見てもただの幼馴染を語る物では無かったからだ。その関係を邪推するのも仕方ない事ではある。

 そして207B分隊の面々がその幼馴染が女性だと知るのはしばらく先のことであった。

 また数日が過ぎた。
 その日は武たち207B分隊は講堂に集まるように言われた。一体何があるのかと向かうと数日ぶりに見る顔がある。
「……美琴!?」
「戻って来たんだね!」
「あ、うん……ただいま」
 口々に再会を祝う言葉を言うが、美琴の表情は常の物とは言い難い。尤も、武がそれに気付いたのは裏事情──つまりは鎧衣課長の事を知っているからであり、それを知らなければ他の人間と同じように声をかけていただろう。
 久しぶりに全員がそろい、しばし歓談していると講堂の扉が開いた。それを見て千鶴が号令を飛ばす。
「──気を付け!」
「小隊、整列!」
 続けてまりもが号令し、それに合わせて全員が一列に並ぶ。だが武はその後ろから入って来た人物に目が釘付けになっていた。
(あれは基地司令!? まさか……歴史を変えたせいでオルタネイティヴ5が早まったなんて事は無いよな……?)
「ラダビノッド司令官に対し──敬礼!」
 一糸乱れぬ敬礼。だが武の心中は疑問が渦巻く。更に後ろからアールクトと見知らぬ大尉が入ってくる。
「休め! 突然ではあるが、ただ今より、国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、207衛士訓練小隊解隊式を執り行う」
 その言葉でようやく合点がいく。ついにここまで来た。その感慨が武の胸を満たす。
「基地司令訓示!」
「気を付け!」
 基地司令からの言葉が、そして悠陽──政威大将軍からの言葉が武たちに贈られる。
 そして衛士徽章──ウィングマークが授与される。その銀の翼の重みを噛み締めながら──解隊式は終了した。

「私たち……ついにやったんだね」
「ええ、これで私たちも衛士よ」
 口々に任官を喜ぶ彼女たちの目尻には涙が浮かんでいる。何しろ彼女たちは一度総戦技演習で落ちている。ようやく咲いた季節はずれの桜。感慨も一入だろう。そうしていると近づいてくる影が二つ。
「神宮司教官、それにグレイ少佐」
「任官おめでとうございます、少尉殿」
「良く頑張ったお前ら。これでお前らも衛士だ」
 二人の言葉に再び熱い物が胸に込み上げてくる。同時に寂しさも込み上げてくる。もうこの人達から教えを請う事は無いのだと気付かされたからだ。
「神宮司軍曹、あなたには大変お世話になりました」
「御昇任おめでとうございます、少尉殿! 武運長久をお祈り致しております!」
「このご恩……決して忘れません!」
「お気をつけ下さい、少尉殿。私は下士官です。丁寧な言葉をお頂くにはあたりません」
 武たちが任官したことで階級は逆転する。だからこうなるのは当然なのだが……やはり複雑な思いを皆抱いている。
「貴官の錬成に心より感謝する」
「御昇任おめでとうございます、少尉殿!」
「貴官の教えと栄えある207衛士訓練小隊の名を汚さぬよう、戦場に於いても精進し、人類の盾となる所存だ」
「は、身に余る光栄です。武運長久をお祈りしております」
「どうか……どうかご壮健であれ」
「は……ありがとうございます」
 冥夜と入れ替わるように美琴が前に出る。次に慧、壬姫。そして武の番が回ってくる。
「神宮司軍曹、今までありがとう」
「御昇任おめでとうございます、少尉殿! 武運長久をお祈り致しております!」
「軍曹の錬成を受けた事を生涯誇りに思う。今俺がこうしているのも軍曹のお陰だ」
「光栄です少尉殿。ですが少尉殿は元より傑物でした。私は何も益しておりません」
 確かに何も知らない人間からみればそうだ。白銀武という訓練兵は入って来た当初から正規兵顔負けの技能を発揮しており、まりもが何かを教えた事などそれこそ数える程しかない。だが全てを分かっている人間は知っている。かつての世界でただのガキだった白銀武をここまで鍛え上げたのは神宮司まりもであると。その思いが武の口から零れる。
「それでも……それでも俺は、まりもちゃんに育てられたんです!」
 言うと同時に「やっちまった」と言うような気分になる。このような場でのまりもちゃん発言。ついでに言うなら言ってる事は支離滅裂。
「少尉殿……御望みであればまりもちゃんでも構いませんが、軍紀上、神宮司軍曹とお呼びいただくことが望ましいと思われますが?」
 その言葉は恐らく最後であろうまりもからの叱責。
「……検討しておく」
「よろしくお願い致します少尉殿!」
 そして全員の視線がもう一人の教官──アールクトの方に向く。
「少佐……」
「さっきも言ったがまずは任官おめでとう。これで貴様等も衛士だ」
 淡々とそういう彼の眼は何時も通りサングラスに覆われていて見えない。だが確かにその声は柔らかく、武たちを祝福していた。
「先達として貴様らに伝える事は既にこれまでの訓練で殆ど伝えた。後言うべき事はこれだけだ」
 ニヤリと口角を釣り上げて笑う。だが武にはそれが。
「ようこそ地獄へ」
 それが嗤っているように見えたのは何故だろうか。

「俺もやっと衛士になれたんだよ」
「………………」
 その瞳は目の前に居る人間を見ていない。どこか遠くを見るように焦点が合っていない。鑑純夏。その表情には何も浮かんでいない。それでも武は懸命に語りかける。
「本当ならもう衛士になって三年以上経ってるのにもう一回やり直しなんて夕呼先生も酷いよな? ってお前にこんな事を言ってもしょうがないけどさ」
「………………」
 まるで人形。或いはただ呼吸をしている屍。そんな言葉が武の脳裏をよぎる。
(畜生……純夏がこんな風になるなんて。一体どんな目に合わされたって言うんだ?)
 彼の知る鑑純夏という少女は何時も笑っていた。時々泣いたり(その大半が武絡みだが)していたが、基本的に笑顔の少女だった。それはきっと世界が変わってもそう大差ないと武は思っている。その彼女から何もかもを奪い去った出来事。あの夕呼が言葉を濁すような事。見当は付く。そしてどんなことをされたか、真に迫る想像が出来るだろう。だが想像だけだ。それを体感することは出来ないし、彼女が感じたであろうそれを和らげることも出来ない。今はただこうして彼女が再び笑えるように努力するだけだ。
「でもこれでやっと戦術機にも乗れる。BETAを倒せる」
「…………べーた?」
 ただ耳に入った言葉を繰り返した風に言葉が彼女の口から零れ落ちた。それを契機に呆然としていた表情に感情が宿る。
 憎悪。
 殺意。
 ただ一つの感情──同時に彼女には最も似つかわしくない──敵意が彼女の心を一瞬で埋め尽くす。
「BETA! 殺す!」
「純夏!?」
 突然の変化に武は追いつけない。武が唖然としている間にも純夏はその華奢な身体を暴れさせる。
「殺す! 殺すんだ……! あいつらを!」
「落ちつけ、純夏!」
 我武者羅に暴れる純夏を抱きかかえるように抑え込む武。しかしそれを振りほどく勢いで暴れ続ける。
「ここにBETAはいない! 大丈夫だから!」
「……してよ! 返してよ!」
「純夏!」
「武ちゃんを返してよっ!!」
 叫ぶと同時にぐったりと動きが止まる。
「純夏?」
 顔を覗き込むと眠っているように瞼を閉じていた。それでもうわ言のように彼女は口を動かしていた。
「武ちゃんを……返してよ……」
 気絶した純夏を夕呼に預け、武は霞に会おうと何時ものシリンダールームに向かう。その中で異変に気付く。
「あれ?」
 部屋の中央にあった不気味な脳髄。それが無くなっていた。
「何でだ?」
 今さら気味が悪くなって撤去したなどと言うのは考えにくいが、それ以外の理由も武には思いつかなかった。
 しばらく待って霞が帰ってこないのが分かるとそのまま自室に戻った。
 そして、それっきりシリンダーの中にあった脳髄の存在は武の意識から忘れ去られた。

 運命の分岐路。それがあるとしたら一体どこだろうか、そんな益体も無い考えをアールクトは抱いた。そんな事を考えたのはこれから僅かな違いでは済まない出来事を変えようとしているからだろうか? それとも単純に警備任務の退屈さからそんな考えが浮かんだのだろうか。その真実は自分にも判断しがたいものがあるが、正直どちらでも良かった。さほど重要な事でも無いと思考に戻る。
 現在はオルタネイティヴ計画からスピンオフした戦術機装備のトライアル中。初日は新型OS。そして翌日に戦術機に流用可能な新技術の公表。今日という日を契機に世界を変える。ミリアはそう言った。アールクトもそれに同意だ。ここから本格的に別の色を混ぜる。自分の知る歴史に、より良くなれと願いを込めて異物を流し込む。それが吉とでるか、凶と出るか。それはまだ分からない。だがここで行動を起こさなければ前と同じ結末に向けて走り出す。
『少佐』
「……どうした、ギルバート?」
 物思いに耽っているとヘッドセット越しに部下の声が耳に届く。
『……いえ、心ここにあらずと言った風情でしたので。念の為声をお掛けしました』
「そうか」
 だがギルバートがその程度の事でわざわざ声をかけるとは思えない。今言った事は建前で本当は何か言いたい事があるのだろうと察する。だからこそすぐさま通信を切ったりせずに繋いだままにしている。通信が沈黙する。僅かなノイズのみが回線に流れた後、意を決したようにギルバートが口を開いた。
『実は──』
 だがその言葉はアールクトの耳に届く事は無かった。
 網膜ウィンドウ一杯に広がる警報のアイコン。

 Code:991

『っ! 敵襲!』
「大隊各機! 戦闘状態で起動! 第三中隊、基地警備第七中隊を率いて防衛線を展開しろ!」
 迅速に指示を出しながらアールクトは別の場所に通信を繋いだ。
「香月博士! これは!」
『こちらでも原因究明中! だけど"明日"使うつもりだったBETAが逃げ出したのは間違いないみたいよ!』
 事故か、人災か。原因はどちらでも良い。ただ確実なのはこちらが意図しないタイミングでのBETA解放という事実。
「こちらで防衛線を展開します。敵総数は?」
『そう多くは無いわ。奇襲で無ければ簡単に対処できる程度よ』
 問題は完全な──こちらにとっても奇襲だと言う事。アールクトの記憶にある前回はA-01が即応態勢で待機していたからあの被害だった。だが今回は戦力的には上でも奇襲と言う一要素がそれを覆す。
「こちらは迎撃の指揮を取ります。演習中の各部隊の収容は任せます!」
 戦域マップを見て歯噛みする。全体的に広くBETAが出現している。第三中隊と付けた中隊だけでは全域をカバーしきれない。どこかで必ずとりこぼしが出る。
「整備班! 実弾装備を用意しろ! 演習場の補給コンテナも起動! 演習中の部隊に武器を届けろ!」
 指示を飛ばすが、恐らくそれでも遅い。
 今すぐにでも飛んでいきたい。その思いが身を焦がす。だが、今の彼の手には振るうべき剣が無かった。これまで戦場を駆けてきたYF-23相棒はもう戦えない。
 己が動くべき状況で動けない。今の彼に出来るのはただ見守るだけだった。

2010/03/07 初投稿



[12234] 【第二部】第十四話 偽りの英雄
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/03/12 17:17
 順調だった。
 順調だったんだ。
 なのにどうして!
『HQより各部隊へ。防衛基準体制1へ移行。繰り返す──』
 どうして!
『地下より強襲したBETA群は第二演習場を中心に展開』
『演習中の各部隊へ。これは演習では無い。繰り返す演習では無い!!』
『ホーネット3よりHQ! 逃げ回るのも限界だ。格納庫まで後退させろ!』
『HQよりホーネット3、後退は認めない。引き続き撹乱戦術にて時間を稼げ』
 一瞬のうちに戦域マップに輝いていた光点が消えていく。その光の一つ一つが衛士の命。秒単位でその灯が消えていくのを見て武は戦慄する。
 訓練でBETAの恐ろしさを知ったつもりだった。クーデターで実戦を経験したつもりだった。人の死と言う物を理解したつもりだった。
 だが甘かった。人類の敵、BETAを前にその程度で理解していたつもりになっていたというのは。次々と味方の戦術機が撃破されていく。それを見て武は現実逃避の為か、あるいは精神の均衡を保つためか心中で罵倒する。何故経験者の癖に次々やられる。新OSを搭載しているのに、と。そして何故ここでBETAが出てくるのかと、まだ実戦は先のはずなんだと。
 それはアールクトも感じた事だ。武はしかし、気が付かない。未来など本来知り得ない物。それにとらわれ過ぎて予想外の事態に対応できなくなっては本末転倒だと。
『シャーク1よりHQ。合流完了。A207小隊を指揮下に編入する』
『HQよりシャーク1。換装の済んだ部隊に武器を運ばせる。待機せよ』
『シャーク1了解。早めに頼む』
 その通信の向こう側で基地側からの支援砲撃が開始される。光線級はいないのか、その砲弾は迎撃されることなく次々とBETAを屠っていく。だがそれを見ても武の不安は晴れない。この程度で倒せるなら人類はここまで負けてないと。事実その通りではあるが、BETAの最大の武器は物量、そして光線級による航空戦力の封じ込めである。その両方が欠けているこの戦場に於いては今の支援砲撃はかなり有効だった。だが武たちにはそれを知る由もない。ただ唐突に放り込まれた実戦に震えるだけだった。
 シャーク1が移動の指示を出すが反応は鈍い。それを見て彼は司令部に打診する。
『シャーク1よりHQ。A207の新任どもに処置の必要あり。多少の判断力低下は止むを得ない。許可を求む』
『HQよりシャーク1。処置を許可する』
『シャーク1、了解。A207各機、秘匿回線Bを繋げ』
 戸惑いつつも武たちが秘匿回線Bをつなぐと詩が流れ始める。それが後催眠暗示の、かなり強力な奴だと気が付いたが文句は言えない。勝手に感情をコントロールされるのはむかつくが、それに頼らなければまだ戦えない。
(こんなもんに頼らなくても取り乱すことのない強靭な精神が欲しい……)
 そのイメージとして真っ先に浮かんだのがどうしても好きになれない上官だと言うのは皮肉だ、と武は僅かに笑みを浮かべた。ほんの少し、あっても無くても変わらないような余裕が武の中に生まれた。
『シャーク1よりA20701、貴様が指揮することになっているらしいがやれるか?』
『だ、大丈夫です! やれます!』
『ようし、その意気だ! 地獄へようこそ。新任少尉殿。貴様等の隊は模擬戦であたしたちをあそこまでやり込めたんだ。自信を持て。各機、良いな!?』
「はい!」
 そう言えば少佐もようこそ地獄へって言ってたっけな、と興奮剤を打たれて判断力が落ちた頭でそう考える。
 そして幾つかのやり取りの末、武たちが37番格納庫まで武装を取りに行く事になる。だがその途中、地面からBETAが雪崩のように現れた。地下侵攻。その可能性が全員の頭から抜けていた。
『全機散会! 全速退避! 各自格納庫を目指して!』
 千鶴の指示が飛ぶ。だが、武はそれを無視した。否、耳に入らなかったと言った方が正しい。その醜悪な姿を目にした途端、頭が真っ白になる。それは恐怖だけではなく──憎悪。純夏をあんな風にさせた原因の一つであるBETAに対する憎しみが武を突き動かす。
「この野郎! 殺してやる! 殺してやる!」
 仲間からの制止も届かない。そして武の吹雪の装備は──ペイント弾、模擬戦装備だ。いくら当てようと、斬り付けようと意味は無い。ただ醜悪な体皮にカラフルな模様を描くだけだった。
「俺はてめえらなんかに負けねえんだ! 俺が地球を救うんだ!」
 要撃級の腕が吹雪の僅かに横を掠めていく。だが当たらない。
「そんな攻撃あたらねんだよ! 俺に当たるわけねえんだよ!」
 ペイント弾の87式突撃砲を撒き散らしながら飛び回っていると警告が立ち上がる。残弾ゼロ。
「弾切れ!?」
 それに気を取られた瞬間に唸りを上げて振り下ろされた要撃級の腕が吹雪の跳躍ユニットをもぎ取る。倒れ伏したタイミングで遠隔操作──指揮管制権を得た冥夜による鎮静剤が注射された。それによって先ほどまでの高揚が過ぎ去ると同時に、自分がもう動けない戦術機の中に取り残される。
「どうした、くそ! 動け、動くんだよ!」
 無意味に操縦桿を動かすが、機体は反応しない。そして網膜投影の外部カメラからの映像が途絶える。真っ暗闇。それは──かつて受けた衛士適性テストの際に見た映像を思い出させた。即ち、戦車級に喰い殺される光景。
「ひいい!」
 死が間近に迫る。そんな中、彼が取った行動は──逃避だった。ただまだやる事がある。何でこうなったと。そしてただ死にたくない。その思いだけ。
 装甲が、軋んだ。
「いやだあああああああああああああ!!!!!!!!」
 そして徐々にその軋みが大きくなり──外の光景が。
「貴様、生きてるな!?」
「え……?」
 隙間から見える機体は依然見た黒い陽炎──F-15SEだった。BETAでは無い。
「その機体はもう駄目だ。放棄して近くの格納庫まで走れ!」
「う、あ……」
 その呆然とした様子を見咎めたのか、戦術機の衛士からの声が怒声に変わる。
「男なら自分の足で立ちなさい! 私たちはベビーシッターでは無い!」
「ひっ!」
「このエリアのBETAは片づけた。貴様の僚機も無事だ──残りのBETAを狩ってくる。良いな、格納庫に行くんだぞ!?」
「ああ……いやだ……行くな、あぅぅ……置いて行かないでくれええええええええええええ!!!!!」

 その叫びはF-15SEの衛士──シオン=ヴァンセットにも届いていた。
『シオン! こっちは片付いたよ!』
「上出来です、シルヴィア。ではこれより合流してS25区画の敵を排除します。間もなく第二中隊、基地防衛部隊も出撃が可能になります。それまで防衛線を維持し、小型種の浸透を防ぎなさい。現状、基地の方で小型種に対応する準備が出来ていません。ここで排除しなくては多大な犠牲が出ます」
『お世話になってる人達に恩返しってところだね。了解。アルター2、これよりアルター1に合流します』
「急ぎなさい。現状光線級は確認されてませんが、今後もそうとは限りません。可能なうちに数を減らします」
『了解!』
 その声を聞きながら後方をカメラで見る。半壊した吹雪からどうにか衛士が這い出しているのを見た。悲痛な叫びをあげていたが、自分で動くことが出来たようだ。だが、あの状況での恐怖はシオンには想像できない。決してやさしい物ではない事だけはわかるのだが。
(……やはり途中まで送ってやるべきだったでしょうか。いえ、そうした場合部隊の展開が遅れる。そうなれば基地職員に犠牲が出るかもしれません)
 後悔は一瞬。後ろを見るのをやめ、シオンの視線は前を向いた。

 夕焼け。血の様に赤い空。逢魔が時。既に戦闘は終結している。そんななか、大破した自身の吹雪の前に武はいた。ただひたすらな後悔の念。結局あの時と、前の世界のシミュレータ訓練でBETAの影を相手にパニックを起こした時と何も変わらない。
「白銀少尉。少しは落ち着かれましたか?」
 鬱々とした気分になりかけたところで後ろからかけられる優しい声。それがまりもの物だとすぐに分かったが武は振り向けない。
「少しは落ち着かれましたか?」
 だが今は放っておいてほしいと思った。今、どんな顔をして彼女たちに顔を合わせていいのかわからない。
「お気持ちは分かりますがそろそろ……」
「ほっといてください! …………お願いですから……ほっといてくださいよ…………こんな事してても、何も意味が無いのはわかってますよ…………だけど、俺は……俺は……」
 今は気を使われるだけでも辛い。普通に対応することが重い。
「……それにしても派手にやられたわねえ」
「……え?」
 唐突に口調が変わった。士官と下士官ではなく、教官と訓練兵だった頃──いや、むしろこれは学園時代の教師と教え子の時の口調に近い。
「これだけやられて生きてたんだから大したものよ。月並みな言い方だけど、戦術機の換えは利いても白銀の換えは利かない。あなたとあなたの才能が生み出す物は、これから何万人と言う衛士の命を救うわ」
 その口調に武は懐かしさを覚える。元の世界のまりもはこんな感じだったと。そしてそれがもう懐かしさを伴わずには思い出せない事がほんの少し、悲しい。
「少なくとも私はそう信じてる。今まであなたが見せてくれた物はそう信じさせてくれるのよ。少佐だって言ってたわ。『あいつはきっと私よりも遙かに上手く人を救えるようになるだろうよ』って。そのあなたの命が失われなかった事を、丸腰でBETAと戦って生き残った事を誇りなさい」
「止めてください……戦ったなんて、そんな大層な物じゃないでですよ。ただ何か勘違いして勝手に舞い上がって、ビビりまくって、でも先任衛士から見ればミエミエで。薬物投与したら今度は過剰反応で……は、はは……笑っちゃいますよ。ただの馬鹿だ。臆病ものですよ」
 自嘲的な笑いを浮かべながら武は呟く。背を向けている武にそれを聞いたまりもの表情は分からない。あきれられたかな、と思うとまりもが言葉を紡いだ。
「私は臆病で良いと思うわ。怖さを知ってる人はその分、死に難くなる。だからそれで良いと思う。人は死を確信した時、持てる力の全てを尽くし、何にも恥じない死に方をするべきなのよ。だけど生きて成せる事があるならそれを最後までやり遂げるべきよ。臆病でも構わない。勇敢だと言われなくても良い。それでも何十年でも生き残って、一人でも多くの人を守って欲しい。そして最後の最後に、白銀の人としての強さを、見せつけてくれればそれでいいのよ」
 死の8分。それを武は乗り越えたとまりもは言う。何万、何千万の衛士が超えられなかった壁を乗り越えた。それがそんなに不名誉な事かと。それに自分も同じだったと。そんな失敗を笑って話せるようになった頃には武が見失った物もまた見つかっているはずだと。
 それを聞いて武は切実に思う。彼女の様になりたいと。今すぐに立ち直る事は出来ない。それでもいつか、と。

 その瞬間、有り得ない光景を見た。
 無い。
 生命活動に必要な物が無い。
 生命が無い。
 ■が、無い。
 まりもちゃんの■が無い。
 足が浮いてる。
 その足元に■が転がっている。その中の■がこっちを見ている。転がって向きの変わったそれと視線が合って──。
「うああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 スコープの中に標的の顔が入って来た。白い肌。今からそこにこの鉛玉を撃ち込めるかと思うと気分が高揚してくる。
 標的はまだ物陰に居る。ここからでは撃てない。だが後数秒。数秒で脆弱な頭をこちらに晒す。そうなれば高速で飛んで行った弾丸はその白い肌に食い込み、その中身を撒き散らして絶命するだろう。
 失敗は許されない。
 今回の件ではケチが付きっぱなしだった。ここで挽回をしておかないと良い所が全くない。
 ついに標的が物陰から出てくる。
 彼はそれを見て──躊躇うことなく引金を引いた。









 それからの数秒はまりもにとって訳が分からなかった。話をしていたら突然武が頭を押さえて叫びだす。それは尋常な様子で無く、まりもは屈みこんで様子を窺った。
「ちょっと、白銀! 大丈夫?」
「っ! まりもちゃん!」
 完全に油断していた。普段なら有り得ないほど容易くまりもは武に押し倒される。色々と思う事はあったが、制止しようとそちらに意識を向けたところでまりもは気が付く。武の肩越しに見える醜悪な白い顔、兵士級の姿に。
「白銀!」
 逃げろ、と続けようとする。武は恐らく丸腰。だがまりもは拳銃を持っている。正直BETA相手に拳銃の一つで立ち向かうなど無謀の極みだが、素手で立ち向かうよりもましだろう。加えて武は初陣を済ませたばかり。将来有望とはいえ、ここで生身でBETAと戦って勝てるとは思えない。それは二人でも同じ事。ならばどちらかがここに留まり、片方が助けを呼ぶ。それが一番ベストだと彼女は考えた。そして当然残るのはまりものつもりだった。先ほど彼女が言ったように武の才はいつか多くの人を救う。そんな彼をここで死なせるわけにはいかない。なにより──彼女に教え子を見捨てるようなまねができるはずもなかった。
 だがその言葉は発せられる事は無い。発するよりも先に頭が吹き飛んだ。白い肌の──兵士級の頭が。
 遅れて聞こえる銃声。遠距離からの狙撃。一撃で兵士級を仕留めたその腕前に心中で感嘆しながら身体を起こす。
「白銀、無事か!?」
 返事は、無い。ただ武は何かを堪えるように、大きく眼を見開いて空気の無い場所で息をするように喘いでいた。その様子にただならぬものを感じたまりもは声を張り上げる。
「医療班、それに防疫班をここに!」

 その様子をアールクトは対物狙撃銃のスコープでしばし見た後、撤収の準備を始めた。
(直前の白銀武の行動……因果情報の流入が行われたのか?)
 あの瞬間、彼は間違いなく先の事を知ってるかのように動いた。後ろに何がいるかを確認する前にまりもを引き倒したのだ。そのお陰でもっとシビアなタイミングになるだろう狙撃に大分余裕が出来た。
 本当ならばこんな事は起きないはずだった。予定では明日BETA群を開放して、管理された狩りを行う予定だったのだ。あくまで"観客"には本物の戦場らしく見せるつもりだったが。そしてそこで掃討漏れの小型種に誰かが襲われると言う事態にはならないはずだった。そのために準備をしていたのがアールクトだったのだから。
 だがどこかの馬鹿のせいでそのもくろみは崩れた。その結果がこれだ。向こうにはこちらの予定通りに動く義理は無いとは言え、悪態の一つも吐きたくなる。危うく至上目的の一つが達成できなくなるところだった。奇襲による影響は思ったよりも大きく、機械化歩兵部隊の展開が大きく滞った。おまけにこの状況でも既に掃討されたと油断しているものがいた。今のBETAもそうやって見落としたのだろうと彼は思ってる。
 何時、どこにいるか分からない。ならば来る可能性が高い所で待ち伏せる。尚且つ武とまりもには干渉しない。それがアールクトの下した決定だった。こんなギリギリのタイミングでの阻止なんていうアクロバットは今後は勘弁してほしいな、と考えながらアールクトはヘッドセットから指示を出す。残存BETAを確認したと言う言葉を添えて。これで少しは注意深くなるだろう、と思いながら。
(しかし、思ったよりも因果の流出が多いな。元因果導体の影響もあるのか?)
 そのあたりは夕呼の領分だろう、と考えてもう一度武の方を見る。
(BETAには耐性が付いたと思っていたんだが、あまり効果が無かったみたいだな。他の面々にはそれなりにあったのを考えると……因果かそもそもの本質か。どちらにせよ俺がやってきたのは殆ど無駄だったな)
 無駄骨を折ったと思わないでもないが、全く成果が無かったわけでもない。どんなミスも次につなげる事が出来るのだから。そう思いながらアールクトは基地に戻る。今後の対応を夕呼とミリアで話し合う為に。

 そうして今後の対応を話し合っていたアールクト達の意識を引き戻したのは唐突な警報だった。
「今度は何!?」
「アールクト、心当たりは?」
「いや……これ以上はもう無いはずだが」
 ミリアの問いにアールクトは記憶を辿る。もはや大分記憶が薄れてはいるが、これ以上何かあったというのは思い出せない。
「となるとまたイレギュラーかね。まあ今までが大したイレギュラーも無く来れたのが奇跡だったのだ。本来未来など知りえるものではないのだから漸く普通に戻ったとも言えるがね」
「そうは言ってもトラブルはあまり歓迎できないわね」
 ぼやきながら夕呼がミリアの執務室の壁に設置された内線を取る。
「あたしよ。…………なんですって!?」
 夕呼の顔が驚愕に染まる。
「何があったのかね?」
 その問いに忌々しげに夕呼が吐き捨てる。
「鑑が……攫われたわ」
「なっ!?」
 その言葉に一番驚いたのはアールクト。あまりの事に言葉も出ずにいる。それを見たミリアが彼が気にしているであろう問いを口にしていく。
「一体誰が?」
「分からないわ。そもそも鑑がいるフロアはあたしの執務室があるフロア。そう簡単に入れる場所じゃないわ。監視カメラの映像を当たってみるけど」
「となると内部犯の仕業……と言う事かね?」
「……或いは、そちらの手の人間と言う事もあるわね」
 夕呼がミリアを見ながらそう言う。そちらの手の人間、即ちミリアの部下の事を指している。二人の間に緊迫感が高まる。
「困ったね。私たちはオルタネイティヴ4に全面協力している。今さらそんな事を言われては立つ瀬が無い」
「……そうでしたね。言葉が悪かったわ。そちらの中にもぐりこんだオルタネイティヴ5派の人間という意味よ」
 その言葉にアールクトはなるほど、と思う。トップは協力的でも末端までそうとは限らない。夕呼はそれを言いたかったらしい。だがそれでもあのセキュリティーレベルを突破するのは容易ではない。正規の方法で立ち入れる人間はミリアの部下の中でもアールクトと限られた人間だ。そしてその数人は皆ミリアとアールクトが背後を洗った人間。となるとどこかで経歴を偽装したか、或いは。
「スパイがいたか……BETAを解放した人間は捕縛したが、こちらにも同じ輩がいたかな?」
「兎も角、まずは基地を封鎖しよう。外部に逃げられると面倒だ」
 その言葉に同意して基地内の警備部隊を動かす。今の鑑純夏は自分で何かをすることは無いと言って良い。そんな状態の彼女を連れて隠密行動など取れるはずが無い。基地内に閉じ込めてしまえば簡単にあぶりだせるだろう。
「しかし……解せんな。どうして下手人はBETA襲撃に合わせて行動を起こさなかった?」
 ミリアの呟きにアールクトは考えてみる。確かに基地からの脱出を考えればこのタイミングはおかしい。確かに通常よりも雑になっているが、その前まではもっと雑どころか穴だらけだったのだから。警備の面をみればその時に脱出した方が楽だったはずである。
「いや、あの時はまだ小型種がうろついていた」
 対人察知能力に長けた小型種は時に優秀な猟犬となる。尤も、この猟犬は飼い主もかみ殺すのでまともに使えないが。だが小型種が徘徊していたのを考慮に入れても遅い。時間が経つにつれて警備体制の穴は少なくなっていく。そうなると幾つか挙がる可能性はそのタイミングまで動けなかった。
「連携が取れていないか、そもそも単独犯か。いや、単独と言うのは考えにくいか。あいつを攫う理由が個人には無い」
 強いて挙げれば私怨があるが、彼女の知人はBETAの日本侵攻で軒並み死んでいるだろう。やはり組織的な物があると考えるのが自然だった。
「既に航空機は発着を差し止め。基地外部へは出られないようにしてるわ。後は戦術機格納庫だけど……」
「そちらも今封鎖した。地下フロアのエレベータの封鎖もね」
 これで袋の鼠。そのはずなのにアールクトの胸には不安が残る。何かを見落としている。そんな感覚がずっとある。だが何を見落としているのかが分からない。それが不安の原因だった。
 封鎖された地下フロアのマップを呼び出す。夕呼の執務室、シリンダールーム、90番格納庫、ミリアの執務室。そして──第四世代概念実証機が格納されている80番格納庫。
「まさか……」
 何かが引っかかる。その引っかかりを確かめるためにアールクトは80番格納庫を呼び出す。
「私だ。そちらに異常はないか?」
『少佐? こちらは特に問題ありませんが。小型種もここまでは侵攻していませんしね。念の為概念実証機に実弾装備を施しましたが無駄になりました。元に戻そうかと思ったんですが、上の方で人手が足りないのでそちらに回っており、今は自分が番をしています』
「そうか、なら良いのだが」
『ってあれ? お、おい! 誰がそれ動かしていいって言った!?』
 途端に通信機の向こう側が騒がしくなる。怒声と、金属が叩きつけられる音。
『しょ、少佐! 実証機が何者かに奪取されました!』
「網膜認証はどうした!」
 自分が聞いてる前でこれか、と歯噛みする。そして機密保持のために網膜認証による起動チェックが入るはずなのにそれが無いと言うのはおかしいと思い、問いただす。
『わ、わかりません! 機材搬入用のエレベータを使って地上に!』
「00Unitの解析能力を使ってプロテクトを解除したのかね?」
「いえ、鑑の意識が安定していない以上、そう簡単には……」
 後ろで夕呼とミリアが話しているが、アールクトの耳にはもう入らない。既に彼の中で犯人は分かっていた。
「格納庫! すぐに出せる機体はあるか!」
『無茶言わんで下さい、少佐! さっきの襲撃でどれもこれもぼろぼろです!』
 その言葉は想定の範囲内。だがそれでも舌打ちしたい気持ちは押さえられない。
「だったら程度の良い戦術機を一機、用意しろ! 俺が出る!」
『わ、わかりました! すぐに!』
 叩きつけるように通信を切るとアールクトはすぐさま執務室を出る。そのあとをミリアが追い掛けた。
「どうするつもりかね!」
「追撃する」
「しかし──」
「白銀武だ」
 え、と戸惑うような声が漏れた。それを無視してアールクトは早足で廊下を進む。
「白銀武だ! 鑑純夏を連れ出したのも! 実証機を動かしたのも!」
 何時もはアールクトがミリアの歩調に合わせている。だがそれが無い今、ミリアは小走りでアールクトの隣を進んでいた。
「……確かに彼なら実証機の網膜認証をクリア出来るだろうが、君はそんなことをしたのかね?」
 そんな事、脱走と言う意味だが──近い事はしたが軍を逃げ出すというのはしていない。
「してるわけがない。つまり俺たちの行動の結果がこれだ」
 忌々しい、と吐き捨てる。
「ああ、くそ! はらわたが煮え繰り返るようだ! こんなふざけたことを起こすために俺はここに居るわけじゃない!」
 荒々しく上着を脱ぎ捨てる。下に着た強化装備を外気に晒しながら格納庫に飛び込む。
「少佐! 不知火壱型丙、出撃準備完了です!」
「御苦労だった、軍曹っ。すぐに出す。整備兵を下がらせろ」
 前面に出た管制ブロックの中に滑り込むアールクトにミリアは声をかける。
「こうなったのは私たちの責任だ。彼だけのせいじゃない」
「それでも、選んだのは奴だ」
 管制ブロックがスライドする。鋼鉄が二人を遮った。操縦桿を握りしめる。ギリッと骨が軋むほどに。
「そうだ……こんな結末を迎えるために俺はここに居る訳じゃない」
 喉の奥から絞り出したような声が漏れた。壱型丙を慎重に動かす。そして格納庫の外に出た瞬間に匍匐飛行で追跡を始める。
「HQ! 対象の位置は分かるか?」
『こちらHQ。北東の方向に距離2000です。情報が更新され次第対象の位置報告をします』
「頼む」
 視線はまっすぐ正面に。まだ見えぬを見据えた。
「白銀、武……!」

 武がそうしようと思ったのは誰かに唆された訳でも何でもなく、ただ脳裏に浮かんだ光景を回避するためだった。
 まりもと話した時の頭痛。その時確かに武はまりもが死ぬ光景を見た。だが実際には咄嗟にまりもを引き倒し、誰かの撃った銃弾でBETAは殺され、まりもは死ななかった。だが、あの光景がただの妄想では無いと感じさせるには十分出来ごとだった。
 そして医務室に連れられた武が見たのは自分が息絶えた純夏を抱えて慟哭する姿。その余りに生々しい夢に武は叩き起こされた。
 妄想と断じるのは簡単だ。普通ならそうする。しかし武は普通ではない。何故か世界を超えて、もう一度繰り返している。それを考えれば今さら未来の光景が見えたくらいで驚きはしない。それに前からこういうことはあった。BETAの座学の時に兵士級を見て気絶した事──それはあの光景を無意識で感じていたかもしれない。
 そして今回の光景で重要なのは純夏が強化装備を来ていた事。つまり衛士となっていたという事だ。
 あの光景を回避するにはどうするか。それを考えた武は最も短絡的な答えに達した。

 即ち、鑑純夏をそもそも軍に入れない。

 どう言った経緯でああなったのかは分からない。とは言え、大前提の軍にいると言うのが崩れれば少なくともあの光景は回避できるはずだと、彼は考えた。その結果が彼女を連れての軍の脱走。鑑純夏を守るため。それは偽りでは無い。しかし……心の奥底にあるBETAが怖いから逃げたというのがあるかどうか、それは誰にも分からなかった。
 そして幸いにも彼は純夏の元に行くのは苦労しない。そのための高いレベルのセキュリティーパスだ。その後は戦術機を奪うなりして逃げれば良い。特に今は普段よりも混乱している。チャンスはある。
 だが上層に上るエレベータの閉鎖は予想外だった。これでは地上に出られない。原因が何かはわからない。だが純夏が原因だとしたら──。
(夕呼先生は純夏に何をやらせるつもりなんだ!?)
 仕方ないので下の階層に降りる事にする。前々から地下格納庫に戦術機を搬入する時、エレベータの駆動音が下に大きく反響していた。一度好奇心で吹雪のセンサーを使って測定してみたらかなりの深度までエレベータのシャフトが続いている事が分かった。そしてここ横浜基地は元々ハイヴである。衛士適性テストに合わせて変更されたカリキュラムでハイヴの深度を習った。それと照らし合わせると──広大な地下空間に何かの格納庫、ないし多くの機材を必要とする何かがあるはずである。そこに行ければ機材搬入用のエレベータから外に出られるかもしれない。そう考えた武は更に地下へと向かう。どこに何があるかは分からない。だから運を天に任せるような気持ちで適当なフロアを押す。
 00Unit適性の一つ、最適の未来を選ぶ能力。それは白銀武にも多少なりとも備わっている。そして彼の押したフロアは一発で目的の階に当たった。その最適の未来が誰にとっての最適化は別として。
 そこからはあっという間だった。コクピットハッチが開きっぱなしの不知火の改造機の様な機体にこっそり乗りこみ、そのまま動かし機材搬入用のエレベータで上へと向かう。そして周囲の瓦礫撤去をしていた戦術機や重機を尻目に匍匐飛行NOE基地を後にする。
 もうこれで戻れない。遠くなっていく横浜基地を見て僅かな寂しさを感じながら武はそう思う。だが視界に入る純夏の寝顔を見てその寂しさは打ち消される。
 寂しさを覚えている暇などない。これから自分は彼女を守って生きていかなければいけないのだから、と。
 だがその思いを確認するのもそこそこに戦域マップが立ち上がる。後方から接近する友軍機の光点。だが、友軍のはずが無い。今の武にとって全員が敵だ。つまりこの光点は横浜基地からの追手と言う事になる。
「畜生! そんなに純夏に価値があるっていうのかよ!」
 或いはこの戦術機か。これしか方法が無かったとはいえ、実験機の様なものを奪ったのはまずかったか、と武は今さらながらに後悔するが今は気にしない。後で乗り捨てれば追撃も形式だけの物になるだろうと言う予想があった。
 追手らしき機影は一つ。この機体の巡航速度は不知火を超えている。つまりこの全速力で来ている敵機を撃墜すれば追手は自分に追いつけないと武は頭の中で計算し、速度を落とさずに機体の戦闘準備を整える。
 不知火の様なフォルムをしたこの機体は87式突撃砲が一門、74式近接戦闘長刀が一振り、65式近接戦闘短刀が膝のウェポンラックに二本。それで全てだった。87式突撃砲の予備弾倉は36mmが四つ、120mmが二つ。だが恐らくこれらを使いきることは無い。今ある装備を使いきる程時間がかかったら横浜基地からの他の追撃が恐らく追いつく。短期決戦。その必要がある。
 機影が徐々に近づいてくる。跳躍ユニットから延びる青白い光は大量の推進剤を使っての輝き。そう長くは持たない。だがその明かりが消え去る前に追いつかれる。速度計を見ながら武は迎撃の必要があると判断。
 握りしめた操縦桿を複雑に動かす。ある規則性を持ちながらも、知らぬ人間には全く無意味な動作に見えるそれは機体の180度旋回を行い、同時に後退──つまり元々の進行方向に進みつつ相手と相対するというポジションを作り上げる。その即応性に武は驚く。ついつい無意識に新OSの感覚でやってしまったが、それに存分に答えると言う事はこれにも新OSが搭載されているのが分かった。それ以上に機体の反応が早く、スムーズだ。少なくとも吹雪とは比べ物にならない。この感覚の違いは練習機と本物の戦術機の違いか、或いはこの機体が特別なのか。撃震と吹雪以外の搭乗経験の無い武にはその違いが分からないが、確かなのは一つ。
 この機体ならば自分の操縦技能を吹雪以上に反映できる。その一点だけだった。
 後進しながらも速度は殆ど変わらない。僅かに落ちた速度を奪うように敵機との距離が縮む。機種は分かっている。不知火壱型丙。友軍機だった機体なので元々データベースに載っていたらしい。それに向けて武は87式突撃砲を構えさせる。狙うは足。跳躍ユニットは暴発の可能性があるし、上半身は衛士の命を奪う恐れがある。自分の勝手で逃げ出した以上、その勝手のせいで人を死なせたくないと思ったが故の判断。足を潰せれば着地が出来なくなる。それは戦術機の戦闘機動に於いては致命的な損傷だ。そんな相手を振り切る事はそう難しくない。
 敵味方識別装置IFFを切る。これから味方と判断されている敵に撃つには不要な物だ。36mmのセミオート連射。断続的に吐き出された弾丸は敵の機体に届くこと無く地面にめり込む。相手の反応も早い。武はそう思いながらも銃口をずらす。まだ距離は十分に開いている。その時相手は避けるのに大きく動く必要があるが、撃つ側はさほど動かなくても良い。銃口を少しずらすだけでも着弾点は大きく変わる。敵機は小刻みに動いて弾丸を避けているが、回避行動を取ったことで距離は更に開く。ダメ押しとばかりに兵装選択からキャニスター弾に切り替え、弾倉一個分をそれぞれ着弾地点をずらしながら撃ち込む。目的には至らなかったが、それでも大きく距離を開けた。そのまま再び180度旋回から前進を開始する。
 その瞬間、機体が警告を発する。照準観測用レーザーを感知。即ち敵機もロックオンしてきたという意味だ。距離は先ほど自分が撃った時よりも開いている。この距離で有効打を与えられる攻撃と考えた瞬間、武は直感に従うように機体を大きく右に傾ける。慣性で簡易ジャケットに身を包む純夏が大きく動いたがそれを気にしている余裕が無い。機体のギリギリ横──先ほどまで管制ブロックがあった場所を離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSが駆け抜けていく。それを確認した瞬間に武を死の恐怖が襲う。先ほどまで無かった空気。相手の衛士が明確にこちらの命を奪う意思があると言う空気が分かったのだ。
 死なせたくない、そんな生半可な覚悟ではこの相手は振り切れない。武はそう感じた。

『ちょっと少佐! 鑑を死なせるつもり!?』
「あのくらいならあいつは避ける。この程度で死ぬならそこまでの人間。そこまでの00Unitだったと言う事だ」
 そう言いながらアールクトはこれから先の戦術を組み立てる。ヘッドセットから聞こえてくる夕呼の抗議は無視だ。今の問答無用の一撃──無論わざわざ御丁寧に照準観測用レーザーまで使ったテレフォンパンチじみた一撃は避けるだろうと思っていたので当たらなくても良い。むしろあたっていたら夕呼の言うとおりとんでもない事だった。が、結果として無傷だから良いとアールクトはドライに考える。
 今のやり取りで距離は僅かに縮んだが互いの距離は先ほどから開いたり詰めたりの繰り返しで縮んではいない。だがこのままではそう遠くないうちにこちらが推進剤切れに追い込まれて追撃の手段が無くなる。元々この不知火壱型丙という機体は燃費の悪さに定評がある機体だ。その問題点を解決した不知火弐型──せめて第一フェイズの物でもあればもう少しマシだったが、無い物ねだりをしても仕方ない。ましてや撃破されたYF-23があればなんていうのは完全に自分の実力不足が招いた結果だ。己を呪うぐらいしか出来る事は無い。
「ミリア、この機体を経由して実証機に緊急停止コードを打ち込めるか?」
『恐らく意味が無い。非正規の手続きで搭乗したなら効果はあるだろうが、一応彼は正規の操縦者──つまりアールクト扱いだ。君が乗っているときは操作優先権は常に機体側にあるように設定してあったからね。緊急停止も簡単に解除できる』
 面倒な設定にしたものだ、とアールクトは舌打ちをしながら推進剤の残りを見る。最大戦速を維持すれば十分と持たない。だが最大戦速で無ければあの巡航速度にすら追いつけない。
「香月博士。攻撃許可は頂けないかな? 機体中心部以外の許可でも貰わなければ振り切られる」
『………………鑑の安全を絶対条件にして貰えるなら機体主要部以外の攻撃を許可します』
 散々悩んだようだが夕呼はそう許可を出した。このままでは振り切られると言う言葉が利いたのか。彼女を見失ったらその時点でこちらの負けである。その後すぐに補足できるとは限らないし、時間が過ぎると00Unitである純夏は機能を停止する可能性もある。そうなったら次の00Unitと言う話になるが、確実に成功する保証などどこにも無い。つまりここで捉えるのが一番リスクが低い。彼女はそう判断したのだろう。
「……了解!」
 不知火壱型丙の両手に持たせた87式突撃砲を前方のこちらに背を向けている実証機に向ける。整備班はあの短時間でアールクトが乗る事を想定した装備も整えていてくれた。即ち四丁拳銃のお株を奪う機動砲兵としての装備。時間が足りず換装が間に合わなかったからか、兵装担架の一つはブレードマウントとなっており74式近接戦闘長刀がマウントされている。だがその心遣いにアールクトは感謝したい。お陰で装備だけはある程度前と同じ感覚で行ける。
 ただ闇雲に撃っても大した足止めは期待できない。ならば狙うべきは敵機を損傷させることではなく──。

 後方の敵機から白煙を引いて何かが飛び込んでくる。機体には当たらないコース。それが何かを確かめる暇も無く、飛翔体が様々な色のスモークを吐きだす。
「発煙弾!?」
 このまま中に居たら狙い撃ちにされるか? それとも慌てて飛び出してきたところを狙い撃ちにするつもりか──だが武には取れる選択肢はそう多く無い。目隠し機動ブラインドマニューバなんて数えるほどしかやった事が無い。狙撃のリスクを下げるためにジグザグに飛びながら斜め上に機体を走らせる。スモークが途切れ、星空が見える。息を吐く暇も無く後方からの砲撃。それを継続したジグザグな機動で回避する。だが放たれた砲弾は粘着榴弾HESH。過ぎ去ったそれは自機から見て前方に着弾。爆風と幾つかの土塊を撒き散らしてこちらの動きをけん制する。それを更に回避。
 気が付いた時には敵機との距離が大きく縮まっている。既にここは──近接格闘の範囲。先ほどの一連の攻撃はこちらを仕留めるものではなく、こちらの足を止めることだけを目的にしているのだとようやく理解した。後方に過ぎ去ったスモークの中から不知火壱型丙が飛び出す。機体の両手には87式突撃砲。その銃口はまっすぐにこちらを狙っている。そして吐き出される36mmの暴風。だがそれは一発たりとも武の機体を捉える事無く空を裂いて消える。半ば反射で行った行動が、その咄嗟の行動に答えた機体が、至近距離での射撃を全て回避すると言う神業を可能にした。
 だがその腕に武はひやりとする。的確すぎる射撃。こちらを行動不能にしろと言われてるからか、機体主要部への射撃は無いが全ての弾丸が的確に四肢と頭部を狙ってきた。一瞬のうちにそれだけの照準を二つの銃口で撃ち抜く技量。そんな相手に武は心当たりが一人しかいない。
「少佐が、追ってるのか……?」
 指導教官としてのけじめか、或いはたまたま手隙の腕利きだったからか。後者ならまだしも前者の場合既にこちらの素性は割れているという事である。その場合更に──アールクトは搭乗している衛士が武だと分かった上で攻撃している。
 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。知らぬうちに呼吸が荒くなっていた。他者からの明確な敵意。それも半端な物ではない。真那が向けた敵意は素性不明の者に対する物だ。絡んできた少尉が見せた物は特別扱いが気に入らない訓練兵に対する物。今回の様に白銀武と言う個人に向けられた敵意は初めてだった。模擬戦でも、BETAとの戦いでも感じる事の出来ないこちらを害すると言う明確な意思。それに武の身体は委縮しそうになる。
 それでも武は身体を動かす。今自分の目の前に居る少女。彼女を守れるのは自分だけだからと。
 再びの180度旋回。ドッグファイトからブルファイトに構造が変わる。兵装選択、74式近接戦闘長刀。片手で掴んだそれを勢いのまま振り下ろす。地面を削りながらの踏み込み。相手もそれに応じる構えを見せる。87式突撃砲を放棄して両手で保持した74式近接戦闘長刀を不知火壱型丙も振り下ろした。だがその結果は、こちらの圧勝。片手で振るった長刀に両手で保持した不知火の長刀は押し負け、後方に弾かれる。
「ってマジかよ!」
 その結果に思わず武は声を上げた。お互いの技量などもあるが、武のそれがアールクトに勝っているとは考えられない。心技体で言うならば技はアールクトにある。心はここで確実に捕える必要のあるアールクトと、この場は逃げれれば良いという武では武の方が余裕がある。つまり体──機体に大きな差がある。まがいなりにも武が乗っているのは第四世代概念実証機。その基本性能は現状存在する戦術機の中で一二を争う。ただの、と言っては語弊があるが不知火壱型丙に負けるような機体性能では無い。それは単純な駆動系の出力に始まり、機体の即応性などで圧倒的な優位性を誇る。逆にいえば武とアールクトでは同じ条件、同じ機体に乗った場合では逆立ちしても武は勝つ事が出来ない。
 本来ならば勝負にならない戦いを成り立たせているのは機体性能の差。武とアールクトの実力差を埋めてもなお余りあるそれはこの場において武に大きく味方する。
『……どうして!』
 外部スピーカーからの音声を武の機体が拾った。
『どうしてお前は捨てられる!』
「何を……?」
 相手の言いたい事が掴めずに困惑しながら武は機体に再び長刀を構えさせ、斬りかかる。その最中でもアールクトの声が響く。
『俺が欲しくてたまらない物を! 捨てたく無くても捨てざるを得なかった物を! どうして簡単に捨てられるんだ!』
 上段からの振り下ろしと下段からの切り上げ。本来ならば下段の方が不利。上段からは重力と言う味方が付くのに対して下段からは重力が敵になる。だがその定石を無視するように実証機の下段からの切り上げは不知火壱型丙の長刀を上に弾き、相手の胴をがら空きにする。そこに武は追撃を加えようとしたが、アールクトが弾かれた長刀を握りなおし間をおかずに振り下ろそうとするのを察し、一旦引く。一進一退。だが分は武の側にある。
『俺は、お前の様な奴を待つために何度も繰り返してきたわけじゃない!』
「何が言いたいんですか、少佐は!」
 知らずうちに武も叫びながら長刀を振り下ろす。空気を裂く音をさせながら振り下ろされた長刀をアールクトは受けずに流す。勢い余った長刀が地面に突きささる。本来ならばそれは抜くために僅かな時間を要するが、実証機は力技でその時間を半分以下に短縮する。僅かな土が飛ぶが、互いにそれを気にせずに打ち込みあう。
『わからないだろうよ! お前みたいに、何も考えずにのんきに英雄気分に浸っている奴には!』
「英雄気分!? あんたに何が分かるって言うんですっ? 世界の滅びを見てきた俺の気持ちが!」
 分かるはずが無いだろう、と決めつけながら武は片手で突きを繰り出す。身体全体を使った突きは外せば隙になる。本来ならば片手では十分な威力を見込めない。だが実証機の常識離れした駆動系が片手で必殺の威力を可能にした。加えて片手で行ったことによりリーチが両手の時よりも伸びる。虚を吐かれたアールクトだが、それは受け止めない。長刀の腹で受けようともそれごと串刺しにされる可能性は十分にあった。だが相手の視界が確保されている今、回避しても十分に追いつかれる可能性がある。だから機体を逸らす前に不知火の足が何かを蹴りあげた。
 それは放棄した87式突撃砲。視界一杯を塞ぐそれを武は空いた方の手で叩き落とす。その刹那で武は突きの方向を回避方向に修正する時間を失った。空を切る長刀。度し難い隙。それを狙って不知火壱型丙が下段からの切り上げ。狙いは長刀を保持した主腕の肘関節。斬られると感じた武は強引に機体を倒れこませる。一種の賭けだったが管制ブロックが長刀の剣閃上に来た。慌ててアールクトの機体は切り上げを中断する。その強引な抑えつけは機体に少なくない負荷をかけたはずだ。つまりこれではっきりした事がある。アールクトは武、或いは純夏の生存に執着している。
『世界の滅びっ? そんな物! こっちは何度だって見てきたっ。お前が見た終わりよりももっと凄惨な物も! 何も守れなかった世界も!』
「なっ!」
 その言葉に武は息をのむ。その隙はアールクトにとって切って下さいと言っているような物でしかない。再びの下段。今度の狙いは脚部。地面に突き立てる勢いで盾にした長刀が軋みを上げる。
『大体! 本気で世界を救いたいと思ってるなら何故ここにいる! 何故逃げた!』
「純夏を助けたいからです!」
 足もとで受け止めた長刀を強引に押し返す。それに引っ張られて不知火壱型丙がバランスを崩した。そこを猛禽の様に鋭く狙う。アールクトはそれを装甲の厚い肩部装甲ブロックで受け止めた。不知火の肩に一筋の傷が刻み込まれる。そのまま地面に倒れこみそうになった不知火は地面に手を着いてコマのように機体を回転させた。十分な威力の乗った蹴りが実証機の脚を襲う。だが頑強なフレームはさほど損傷を受けず、むしろ不知火の方が悲鳴を上げる結果になった。その勢いに引かれたように武は口を動かす。
「夕呼先生は00Unitが完成するって言った! だったら俺にしか出来る事はもう無い! だけど純夏を助けるのは俺にしか出来ないだろ!」
『ああ、確かにその通りだ』
 理由を知らなければ意味不明の言葉にしかならない武の言葉を聞いたアールクトはそう言う。静かな、アールクトの声が戦場にいたく。不知火は長刀を上段で構えて待ちの姿勢になっている。
『確かに鑑純夏を救うのはお前にしかできない』
 だが、とアールクトは続ける。武は攻め込めない。この距離から斬りかかっても上段に構えた長刀がこちらの機体を切り裂く方が早い。しかし装備を持ちかえて射撃に移ろうにも、装備切り替えの隙に斬りかかれる。背を向けて逃げるのは論外。後退しながらの射撃。これがベストとまでは行かなくてもベターと武は判断した。向こうは待ちの姿勢だがこちらはそれに付き合う必要はどこにもないのだから、と行動に移そうとしたところのアールクトの言葉で武は身体を凍りつかせる。
『お前は鑑純夏を救うために元207B分隊の仲間を捨てた』
 違う、と否定したい。だが出来ない。事実だからだ。その言葉はどう解釈しても疑いようの無い事実であり、その事実を武は否定する術を持たない。
『自分だけ安全なところに逃げるためにお前は幼馴染をダシにして、仲間を見捨てた』
 違う、と言いたい。だが本当に違うのか? と自分の中のどこかが囁く。
 初めてのBETAとの戦い。それを体験して逃げ出したいと本当に思わなかったのか? 天地神明、この世のすべてに誓ってそんなことは無いと言えるだろうか。
 答えは否。
 心のどこかにそんな気持ちがあった事に武は今気が付いた。
「っ!」
 機体を衝撃が襲う。自問自答している間にアールクトは距離を詰め、こちらの長刀を打ち払っていた。限界以上のトルクを受け、実証機の手から長刀が離れる。無手になった機体を慌てて後方に走らせる。
『違うと言うならば言ってみろ! 鑑純夏を助けたいから自分は全てを捨ててでも彼女を守るのだと!』
 立て続けの射撃。いつの間にか片手に保持していた87式突撃砲が何発目になるかなど数えきれない数の弾を吐きだす。先ほどは避けられた距離。だが今回は武の反応が遅れた。数発が機体の中心部を避けた個所に当たる。一発がセンサーマストに当たり、一瞬レーダーを始めとする観測機器の表示が乱れた。
「しょ、少佐に何が分かるっていうんですか! 俺がどんな気持ちか──」
『分かるさ。俺とおまえは同じだ! 同じ道を辿りつつあるのはお前だ。同じ道を辿ったのは俺だ!』
 そしてアールクトは決定的な言葉を口にする。

 ずっと疑問はあった。
 どうしてアールクト=S=グレイは自分と同じ概念の動きをしているのか。
 時々見える未来の光景はどこから来たものか。
 グレイ博士が自分を見る時に複雑な感情を浮かべているのは何故だったのか。
 それらずっと気が付きながらも日々の忙しさを言い訳に見て見ぬふりをしていた物が今目の前に示される。

『何万回も繰り返して、何度も何度も絶望して、願いをかなえるためには全て捨てざるを得ないと分かり、守りたい人達を捨てた! なのに……どうして貴様は容易くそれを捨てられる! 同じ白銀武でありながらどうして俺が救いたかった人を捨てられるんだ!』
 自分の中の何かで何かが繋がった。
 同じだと。
 アールクトはは自分の未来の姿だと。

 まっすぐに正面から。87式突撃砲で弾幕を張りながら不知火壱型丙が主脚走行ランで駆け寄る。
 だが武はそれを避けるしか出来ない。まだ動揺から立ち直れない。
『本当に純夏を救いたいならばもっと考えて行動を起こすはずだ! お前はここから逃げ出すのだ純夏の為だと信じ切って他の選択肢を考えもせずに実行に移したんじゃないのか!?』
「そんなこと……!」
『お前は知ろうと思えば知れたはずだ! 俺だって後からそう思ったんだから! ましてや今回は尚更だろう! 香月夕呼がただの義理や人情で人助けなどすると思うか!?』
 止めろ、と叫びたい。無意識のうちに眼を逸らし続けた現実を立て続けに直面させられそうになり武はそう思った。だが武の喉は声を発することなく、ただ喘ぐように空気を求めているだけだった。
『鑑純夏は00Unitだ! あの脳髄が鑑純夏だった! もう……この世界の鑑純夏も生物としては死んでいる! お前が殺したんだ! お前が持ち帰った数式で!』
 叫び声が聞こえる。耳障りだな、と武は思う。一体どこの誰だ。こんな喉も嗄れそうな大声で叫んでいるのは。耳元で煩いな。
 ああ、叫んでいるのは俺か……。

2010/03/12 初投稿



[12234] 【第二部】第十五話 偽りの平穏
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/03/18 17:20
『鑑純夏は00Unitだ! あの脳髄が鑑純夏だった! もう……この世界の鑑純夏も生物としては死んでいる! お前が殺したんだ! お前が持ち帰った数式で!』
 闇の中でアールクト自分がそう叫ぶ。こちらを糾弾するように。眼を逸らしていた事実に目を向けさせる。
「違う! 俺は、俺は……!」
『……武ちゃん……』
「っ!」
 後ろを振り向く。うつろな目をした純夏が座り込んでこちらを見上げている。
『武ちゃんのせいで……私、死んじゃったよ……』
「違う……違う違う、違う……! 俺は世界を救おうとして……」
『だが結局世界を救わなかった』
『武ちゃんはみんなを見捨てて逃げたんだよね』
 後ろと前から己を糾弾する声が聞こえる。それは自分を責め立てる声。
「違う……俺は……俺は……………………うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 布団を跳ね上げ、ベッドの上で身を起こす。着ていたパジャマ代わりのスウェットが汗まみれになっていた。ベッドの上で荒い息を吐きながら周りを見渡す。乱雑に散らかった机。バルジャーノンのポスター。順番など気にしないで棚に突っ込まれた漫画本──元の世界の自分の部屋だ。
「戻って来た……のか」
 部屋を見渡して武はそう呟く。帰って来た。本来自分がいるべき場所に。あの狂った世界から戻ってこれたという事実に武は安堵の息を吐く。
『武様? 何かありましたか!?』
 階下から真那のやや焦った声が聞こえてくる。先ほどまで叫んでいた事を思い出し武は声を飛ばす。
「すいません、ちょっと変な夢見ちゃいまして。心配掛けてすいません」
『そうですか? なら良いのですが……』
 時刻を見る。五時半。学生時代ならまだぐうすか眠りこけていた時間だ。だが向こうで鍛えられた今では既に起床時間だった。二度寝する気にもならず、武はベッドから立ち上がる。ハンガーに掛けた白陵柊学園の制服を着て、キッチンに降りる。
「おはようございます、月詠ちゅ……さん」
 危うく中尉と呼ぶところだったと苦笑しながら武は席に着く。
「た、武様? 今日は随分とお早いのですね」
「さっきも言いましたけど変な夢みちゃいまして。二度寝する気にもならなかったんで。あ、お茶貰えますか?」
「あ、はい。ただ今」
 余計なことを詮索される前に真那にお茶を頼んで武は新聞に目を通す。スポーツ選手の不倫騒動。企業のリコール……様々な記事の中で紛争地域の被害支援の記事が目を引いた。こちらの世界にもこういった事はある。目を向けなかっただけで世界全てが平和と言うわけではない。そんなことを考える自分がいる事に気が付き武は僅かに眉を寄せた。こっちの世界で生きていくにはあまり必要のない感覚だと感じたからだ。
(そうだ……向こうの世界の事なんて忘れちまえば良い。悪い夢だったんだ)



 武が叫んでいる間に実証機は中にいる武と純夏ごと横浜基地に収容された。本来ならば武はMPに拘束されるところだが、それもなくただ夕呼の前に連れ出された。
「…………やってくれたわね。白銀」
 長々と溜め息を吐いて怒鳴りつけるのを必死に抑制したような声音で夕呼はそう言った。だが武にはその言葉は届いてない。それを苛々した様子で夕呼が眺めていると小さく口を動かした。
「嘘……ですよね?」
「何がかしら?」
「純夏が……もう死んでるなんて、俺が……持ち帰った数式のせいで死んだなんて」
 その言葉に夕呼は溜め息を吐く。先にそれを答えない限り話は先に進まないと思ったのか夕呼は真実を口にする。
「そうよ」
 それは肯定。武の最後の希望を打ち砕く言葉だった。
「どうして……」
 とぎれとぎれの言葉でどうにか問いを口にする武だが、その答えは納得のいく物ではなかった。
「必要だったからよ」
「どうして純夏じゃないといけないんですか!」
「あんたに答える必要性は感じないわね。数式は回収して00Unitは完成した。これ以上あんたに価値は無い。そんな相手に必要以上の情報を与えると思う?」
 取り付く島も無い言葉に武は絶句する。絞り出すように出た言葉は一言。
「……狂ってる」
「そうね狂ってるわ。でもそれは一体何が狂ってるのかしらね」
 夕呼か、武か。この世界か、元の世界か。
「……帰ります」
「あらそう? なら御帰りはあちら。今回の件は──」
「元の世界に帰ります」
 武のその言葉に夕呼は一旦言葉を区切った。そしてしばし黙考し言葉を発した。
「別に構わないけど……あんたが戻れるのはあんたの言う元の世界から分岐したあんたが干渉した世界よ?」
「構いません。元の世界から分岐したなら……この世界よりも何億倍もマシだ」
 吐き捨てるようにそう言うと夕呼もそれ以上言う事は無いのか、装置の準備に入る。
「あと一つ、装置の動作も怪しくなってるし社が観測をやめたらあんたはこの世界には帰ってこられない。二十四時間が経過したら二度とこの世界に戻ってこられないと思って頂戴」
 願ったり叶ったりだ、と武は心中で吐き捨てる。これ以上こんな狂った世界に一秒でもいたくなかった。
「じゃあ始めるわよ」
「お願いします」
 装置が重い駆動音を発し始める。それを操作しながら夕呼が武に顔を向ける。
「あんたはあたしにとって一番有能な駒だったわ……だから餞別代りに最後の忠告」
「はい」
「向こうに行ったら常に強く世界を意識し続けなさい。万が一にも自分の存在に疑問を持っちゃダメよ。もし疑問を持ったら最悪白銀武という存在自体が消し飛んでしまうかも知れない。あるいは元々その世界に居た白銀武に一方的に取り込まれてしまうかもしれない。それ以前に……自分で消しちゃうこともあるかもね」
 装置の駆動音がますます高くなる。その時になって夕呼の隣に霞が居る事に気が付いた。
「じゃあね、元気でやんなさい」
「色々とお世話になりました。オルタネイティヴ4を成功させてください」
「当然よ」
 既に六割は達成してるしね、という言葉は呑み込んだ。わざわざ言う必要も思いつかなかった。
「霞……思いで作る約束守れなくてごめんな。平和になったら……海、見に行けよ……」
「一気に送り込んで固定するわ。社、電源を一から六まで入れて頂戴」
「さようなら……霞」
 ああ、そう言えば。と武は思う。グレイ博士や未来の自分だと言うアールクトに別れを告げていなかったと思ったが……別に良いかとも思う。きっとこんな世界に残る事を選んだ自分だ……既にどこか狂ってしまっているのだろう、と。
「……弱虫」
 最後に──霞の呟いた言葉が耳に残った。


 そうして今、ここに武はいた。
 あの世界の全てに背を向け、ここに。
「おはよう、月詠」
 真那が淹れたお茶を飲みながらニュースを見ていると冥夜がリビングに入ってくる。
「おはようございます、冥夜様」
「おはよう、冥夜」
 冥夜の顔を見たときに向こうの世界の冥夜の事が思い出され、僅かに視線を逸らしたくなる。だがこちらの冥夜は向こうの冥夜とは関係が無い。ましてや完全にこちらの問題だ。努めて普通の応対を心がけた。武としてはごく普通のあいさつのつもりだったが、冥夜の反応は劇的だった。
「た、武!? どうしてこんな時間に……ま、まさか、月詠、今は何時だ? 寝過したぞっ」
「冥夜様、驚きは御尤もですが、どうか落ちついてください。今日はたまたま武さまが早く眼をお覚ましになられただけです」
 ああ、俺ってやっぱり何時もグダグダ寝てたんだな、と武は理解させられ苦笑を浮かべる。普段起きてこない人間がいれば自分が寝過したのかと不安にもなるだろう。
「全く……驚いたぞ、武」
「俺だって驚いたぞ。偶に早起きすればこれだ」
「そなたの日頃の生活習慣を省みてみるが良い。鑑だってきっと──」
 と冥夜が言い掛けたところでバタバタと玄関前があわただしくなる。
「おっはよ~! 御剣さん。タケルちゃんお……きてる!?」
「………………」
 ほら、驚いた。と言いたげに冥夜がこちらを見てくるが、武はそれどころではなかった。
 純夏が笑っている。表情を変えて、元気に動き回って、笑っている。たったそれだけのことで──涙が出そうになった。
「ど、どうしちゃったの、タケルちゃん!? も、もしかして私寝坊しちゃった?」
「そう言えば早起きをした理由を聞いてなかったな」
 二人が話しているのも耳に入らない。
「おーい、タケルちゃん?」
 気が付くと目の前に純夏の顔があった。どことなく不貞腐れたような顔。多分話を無視されたからだろうと武は思う。だが言葉が出ない。
「あれ?」
 と、純夏が小さな声をあげる。
「タケルちゃん……泣いてるの?」
「え?」
 言われて手を当てると湿り気。……本当に涙を流していた。
「どうしちゃったのタケルちゃん……ってあいたーっ!」
 武は殆ど無意識に純夏の頭にチョップを落としていた。彼女の前で涙を見せたくないと言うプライドが、そうさせた。
「もう、なにすんのさ!」
「ただあくびをしてただけなのに大げさに騒ぎ過ぎなんだ、お前は!」
「人が心配してやったのにー!」
 そのやり取りを懐かしく思いながら武は純夏との口論をしばし楽しむ。
 決して、向こうでは得る事の出来なかった時間を噛み締めながら。


 BETA奇襲から二日。ようやく横浜基地の運営も通常通りになったある日。ミリアは医務室に向かう。彼女自身が用事ではなく、そこにいる人間に会いに。
「やあ、元気かね。アールクト」
「思ったよりも退屈だ。何より行動が独房よりも制限されるのはちょっとな」
 ベッドの上で身体を起こしながらアールクトは冗談交じりにそう答えた。だが本音でもある。筋トレの一つも出来ないのでは身体が鈍り切ってしまうと言う懸念もある。
「まあ比較的軽いけがで良かったじゃないか。管制ブロックを潰されたにしては軽傷だと軍医も言ってたぞ?」
「このデカイ図体良くこの程度で済んだもんだと驚いてはいるけどな」
 そう言ってアールクトは片手を挙げる。肘あたりに巻かれているのは包帯。その下にはギプスががっちりとはめられ、動かせないようになっている。有体に言えば、骨折した人間の姿だった。そして事実その通りである。
「まあここのところ激務だった。休暇だと思って休んでいたまえ」
「激務なのはお互い様だろう? そう言うミリアは休まなくて良いのか」
「あいにく私の体は疲れても素直に疲れたと教えてくれないのでね。根を上げるまで頑張るさ」
 困ったもんだ、と言いたげに肩をすくめるミリアだがアールクトは失言を悔いていた。この世界では聞いてないが、以前の世界でミリアが疲労を感じ"られない"体質だと知らされていたのにもかかわらず不用意な発言をしてしまった。だが、それを表に出すことはしない。その程度の感情を飲み込むのは知らず知らずのうちに上手くなっていた。
「今回の件で見つかった問題はどうにか解消できそうだよ。シミュレーターでも問題の無い数字を弾きだしてる」
「シミュレーターの数値など当てになるか。現に今回だってシミュレーターでは問題が無かった」
 憮然としてアールクトはそう言う。確かに急いでテストを行った事は否定できない。だがそれもシミュレーターで問題が無かったからだ。改善の根拠にそのシミュレーターの数値を出されても信用できないのは仕方ない。
「それを言われるとこちらには返す言葉も無いがね……。で、最後の失敗を除いた感想は?」
「……現状では性能に問題はなし。今回の問題が解決できたのなら佐渡島に投入できるだろう」
 佐渡島──即ち甲二十一号作戦。日本帝国を脅かすBETAの居城、その地球上で二十一番目に建造されたハイヴを攻略することを主目的にされた作戦。既に準備は始まっている。後はこちらの準備さえ整えばすぐに決行できると言うほどに。
「まあ、佐渡島に行こうにもMs.香月の方が準備万端とは言い難いがね」
「確かに、な」
 甲二十一号作戦は実質00Unitの試験運用──即ち鑑純夏の能力テストでもある。彼女がまともに行動できるようにならないと決行できない。それを解決するために様々な人員が全力を尽くしているが、効果が薄いというのが実情だ。
「君でもダメかね?」
「リーディングをブロックさせてる以上、今の状態では効果が薄いな。下手をすれば目の前に誰かいることすら認識していないかもしれない」
 何故ブロックさせているのか、という事をミリアは聞かない。わざわざ貴重なバッフワイト素子を使用することに対しアールクトは必要だからとしか言わなかった。実際、ミリアの経験上彼が必要だからと言って不要だった事は無かった事からそれを許可した。そして今ならその理由もおぼろげに察せられる。
『何万回も繰り返して、何度も何度も絶望して、願いをかなえるためには全て捨てざるを得ないと分かり、守りたい人達を捨てた! なのに……どうして貴様は容易くそれを捨てられる! 同じ白銀武でありながらどうして俺が救いたかった人を捨てられるんだ!』
 きっとこの言葉は全て事実なのだろう。ミリアはこれまでアールクトが、白銀武が一体何度繰り返してきたか、その正確な数は知らなかった。本人も言わなかったし、ミリアもその回数には興味が無かった。それで問題が無かった。だが……彼が何も言わなかったのは言えなかったからではないのか、とミリアは思っている。言えない。一体何度の繰り返しを経てきたか、それが本人にも分からない。その中で何度も絶望し、絶望し、絶望し……その果てにようやく希望を掴んだのだろう。今回という希望を。
 だが、その繰り返しの記憶は決して益だけでは無い。それは他の世界の因果情報を受け取っているミリアも良く知っている。確かに他の世界での経験は非常に役に立つ。それは同時に毒でもある。人を治療する薬が摂取しすぎると文字通り毒になるように、因果情報も毒となる。あれは記憶だ。生憎、人間の脳と言うのは何万年分もの記憶を納められるようには出来ていない。それをミリアはG元素による改造で、アールクトは忘れることで均衡を保っている。それでも他の人間には毒だ。あまりに膨大な記憶量はその人間の人格、経験を破壊するには十分すぎる。
 そして今の不安定な鑑純夏がそれを読みとればトドメの一撃になるのは間違いが無かった。
「まあ上の方でも00Unit完成は聞いているだろうからね。少なくともクリスマスに移行、と言うのは無いだろう。私の方でもそれとなく口を利いておいた」
「5推進派は?」
「通信越しとはいえ久しぶりに顔を合わせたら唾でも吐きかけられそうな勢いだったよ」
 それを聞いてアールクトは渋い顔をする。これまで以上にミリアの立場が悪くなっている。同じ国連の計画であり、人類救済のためと言われては表立って非難は出来ないが、オルタネイティヴ4が失敗した場合人知れず葬り去られる可能性がある。というよりまず間違いなくそうなる。優秀な頭脳とは言え、唯一無二の物ではない。手に噛みつくような飼い犬は不要だろう。逆に成功した場合でも対処は必要である。報復、という形でミリアに害が及ぶ可能性は十分にあるのだから。
「まあ彼らの事は追々考えよう。今はこちらが優先だ」
「……分かってる」
 そう、ここが瀬戸際。アールクトの目的が達成されるかされないかの瀬戸際。だからアールクトは身の内──心の奥に刺さった小さな棘の様な違和感は無視した。



 いつも通りの日常だった。
 当たり前すぎるほど、当たり前な日常。最初は見捨ててきた向こうの世界の事を思い出し、取り乱したりした物の……元の世界で過ごした日常だった。
 ニュースでは時々海外の痛ましい事件を伝えてくる。そのうちの一つは中国から発生した新型の伝染病が感染域を拡大し、死者が既に多数出ていると言う物は流石に他人事ではいられないが、まだ具体的な予防などを取る者がいないのも事実だった。
 平和。
 平和すぎるほどに平和。
 だからこそ、武は自分に違和感を覚えずには居られなかった。気を抜こうとしても気が抜けない。いや、十分に抜いているつもりでも他の人から見ればピリピリしているように感じるらしい。純夏や冥夜にそう言われた時は驚きと納得があった。自分はもうすっかり向こうに染まってしまっていると。夕呼はそのうちこっちの白銀と同化して何時もの抜けた空気に戻るでしょ、と言われたが武はそこまで悠長には考えられなかった。仕舞にはまりもが何かあったのかと心配して来るほどだったのだから。その後細かい経緯は思い出せないが(恐らく夕呼が何か言ったのだと思われるが、努めて覚えないようにしたのだろうと考えることにした)ファミレスで面談じみた事をする事になった。
「それでどうしちゃったの、白銀君。何かとてもピリピリしてるけど」
「いえ、その……」
 どう言おうかと考えながら口を開く。
「……上手くやれてると思ってたんです。俺にしか出来ないって。少しずつ良い方向に変えられて、どうにかなるって思ってたんです。でも俺は甘く考えてたんです。自分の力を過信して……状況が上手くいってるのは全部自分の力だって過信して。実際はそんなこと何のに……それで取り返しのつかない事をしてしまって……」
 向こうの世界でのアールクトの言葉が脳裏に響く。
『鑑純夏は00Unitだ! あの脳髄が鑑純夏だった! もう……この世界の鑑純夏も生物としては死んでいる! お前が殺したんだ! お前が持ち帰った数式で!』
「だけど失敗しない人なんていないのよ?」
「それでも……」
 あれだけは……純夏を自分の手で■すなんて事だけはやってはいけなかったのに。と武はあの時の己の気持ちを思い出し、叫びだしたくなる。
「白銀君は何かをしたかったんでしょ? そのためにやってきたんでしょ?」
「…………はい」
 だったらそれを責めることなど誰にも出来ないとまりもは言う。それを許さないのは自分だけだと。
「それでも……あいつらを見捨てた自分を許せないんです」
「……それはもう取り返しのつかない事なの?」
「え?」
 とても意外な事を聞いたように武は聞き返す。
「その見捨ててしまった人達をもう一度助けることはできないの?」
「それは……」
 出来ない、と思う。だが……こちらの世界の彼女たちに何かを助けることは出来る。
「出来るなら、もう一度助けに行けば良いんじゃないかしら。許せない自分を許せるように。見捨ててしまった事を許してもらうために」
 それは武にとってまさしく許しの言葉だった。今こうしてここに居る事。それを肯定する言葉。

「やだ、話しこんでたらすっかり遅くなっちゃったわね。白銀君、時間大丈夫?」
「俺は大丈夫ですよ……多分」
 冥夜が大騒ぎして変な事してない限りは、と心の中で付け加える。わざわざ口に出してまりもの不安をあおることも無いだろうと思った。
「先生、今日はありがとうございました」
「あら、珍しく素直じゃない。何時もみたいにまりもちゃんじゃないの?」
 と冗談めかして尋ねてくるまりもに武は苦笑で返す。
「相談に乗って貰ったんですから流石にまりもちゃんって呼ぶのは……」
「とか何とか言いながら明日にはきっとまりもちゃんに戻るんでしょ?」
 図星だった。普段通りの日常を行うのにこれは外せない、と武は思っているところがある。
「もう……でも元気になったみたいで良かった。それじゃあまた明日ね」
 そういってまりもは去っていく。その瞬間、軽い頭痛。何となく、ここで行かせてはいけないと感じた武は何も考えないまま口を動かす。
「まりもちゃん!」
「ん? ってもう、また元に戻ってる。で、どうしたの?」
 呼びとめたのは良い物の、特に理由が思いつかなかった。ので定番な事を言ってみた。
「もう遅いですし、送ってきますよ?」
「あら、でも……」
「最近物騒ですし」
 武にはここでまりもを一人で行かせてはいけないと直感があった。確信と言い換えても良い。何故そう感じたかは分からないが……だが行かせたらつい先日にも幻視たあの光景に近い物が展開される気がしてならない。
「……じゃあお願いしようかな」
 そう言ってまりもを送る。その判断が正しい事は間もなく明らかになった。
 まりものストーカーが逆上してまりもを襲った。幸いにも武が取り押さえたのでまりもは無事だったが、もしも一人だったらと考えると武はぞっとした。或いはこの世界の自分だったら。このストーカーは襲う際に躊躇う様子も見せずにナイフを抜いた。そしてそれを取り押さえられたのは武は向こうの世界で軍人として訓練してきたからであり、ただの学生だったらビビって最悪一緒に刺されていただろう。それを考えると──今、こうして武がいる事でまりもを助ける事が出来たのかもしれない。
 それが嬉しい。向こうの嫌な記憶を忘れられない代わりに、こちらの世界で誰かを救う事が出来るなら──。
『人が救えるのは一生に一人。そしてほとんどの人間はそれを自分を救うのに使う』
 何故か、その言葉が思い出された。言われたのはほんの一月ほど前。だがその言葉は無視するには重すぎる。
 自分アールクトが残した言葉だ。それがただの戯言だと片づけるには無理があった。

 そして翌日──武とまりもは校長室に呼びだされた。何か色々と言われるのかとも思ったが……大した御咎めも無く、儀礼的な事を色々聞かれただけで解放。恐らく夕呼か冥夜が何かしたのだろう、と武は判断した。その証拠に朝に集まっていたテレビ局などは昼過ぎにはその姿を完全に消していた。だから教室に戻ってまず最初に武は冥夜に小さく礼を言う。
「さて、何の事か分からぬな」
「そっか、それでもサンキューな」
「あー、何々? タケルちゃんと御剣さんだけで秘密の会話っ?」
「ばーか、そんなんじゃねえよ」
 そう言って純夏の頭をポンポンと軽くはたく。
「……………………」
「あんだよ?」
「タケルちゃんが優しい。変なの」
 力加減をしながらも十分に痛いチョップを落とされた純夏に今回は同情の余地が無い。

 その後は何もなく、白銀武は日常を過ごした。










 そう、終わっても良かったのに。
「……因果が流出して、流れ込んできてるわ」
 他に誰もいない学校。物理室で夕呼は重苦しくそう言った。
「今回の御剣の件、そしてこれ」
 ばさりと彼女が投げ出した新聞の一面は。『喀什より発生した伝染病、死者千人を超える』と見出しが載っていた。
「白銀、あんたの話だとそのベータっていうのは喀什に最初に来たのよね?」
「…………はい」
 武が力なく肯定すると夕呼はやっぱりね、と呟いた。
 色々とあった武に気分転換をさせようとする冥夜と遊ぶ約束をしたのが昨日。だが、冥夜はそれを忘れていた。それどころか次第に記憶があいまいになったようなしぐさを見せ──そしてついには武の事すらも忘れてしまった。
「恐らくこの伝染病の本当の原因はあんたが向こうから運んできたベータに殺された人間の死の因果よ。そして因果導体となったあんたをパイプに軽い記憶と言う因果情報が虚数空間に流れ出た」
「じゃあこの二つはどっちも……」
「あんたのせい、ってことになるわね」
 その言葉に武は愕然とする。向こうでは純夏を殺し、こちらでは千を超える人を殺してしまった。そして気が付く。向こうで純夏が死んでいるって言う事は──。
「せ、先生! 純夏が……純夏が……!」
「落ちつきなさい! 鑑がどうしたのっ?」
「む、向こうだと純夏……死んでて……俺が、お、俺がころし……」
「だから落ちつきなさい!」
 ようやく武が落ちついた時には既に十分が過ぎていた。
「鑑なら恐らく大丈夫よ。もうしばらくは」
「本当……ですか?」
「仮説でしかないけどね。こっちの世界の因果の流入口はあんた。だったらあんたが強く意識した物から流れ込んでくる可能性が高いけど……そうはならなかったでしょ?」
「あ……」
 こっちの世界に来た時は純夏の事ばかりを考えていた。殺してしまった向こうの世界の純夏の事を。確かに意識していた物の因果がまず流れ込んでくるなら最初に死んでいたのは──考えたくも無い、と武は頭を振る。
「今はベータってのに殺された人の因果が流れ込んできてる。それは生半可な数じゃないでしょ? それによって一時的にパイプが満杯のような状態になってるはずよ」
「じゃあそれが終わったら……」
「その時にはこっちと向こうの世界の人口が一緒になってるでしょうね……」
 そしてその原因は武自身にある。つまりそれを殺したのは……。
「俺のせいで……」
「そうね。あんたのせいじゃないとは口が裂けても言えないわ」
 唇を噛む。
「最初に言ったけど、あんたの事を考えれば考えるほど因果が抜け落ちるわ。それを避けるためにはなるべく人と接しないようにしなさい。分かったわね?」
「……はい」
「それと自分を強く意識しなさい。そうしないとあんたは自分を保てなくなる」
「……はい」
 落ち込む武に夕呼は更に追い打ちをかける。因果導体と言う運命からは逃げられないと。因果の高低差がある限り。それを聞いた瞬間絶望した。そんな立場から逃れるには──消滅するしかない、と。そして向こうの世界の夕呼の言葉を思い出した。
『向こうに行ったら常に強く世界を意識し続けなさい。万が一にも自分の存在に疑問を持っちゃダメよ。もし疑問を持ったら最悪白銀武という存在自体が消し飛んでしまうかも知れない。あるいは元々その世界に居た白銀武に一方的に取り込まれてしまうかもしれない。それ以前に……自分で消しちゃうこともあるかもね』
「は……はっはははははは……」
 力無い武の笑いが響く。それを夕呼は黙って見ている。
「何をやっても、どうやっても、全部俺が原因になって……いきなり飛ばされた世界から何とか帰って来ようと、元の世界で普通に暮らしたいと思う事がそんなに悪いんですか!? 知らないうちに自分の幼馴染を殺したなんて言われて……あの狂った世界から絶対に逃げ出さないなんて言えるのかよっ!!!? どうなんですか先生!? そんなこと言えるのかよ!?」
 武の叫びにも夕呼は答えない。次第に悲痛な叫びに変わる。
「何でそれでも俺が悪いって言わねえんだよ!? 何で俺のせいだっていわねえんだよ!?」
「あたしは……何のために研究をしてたのかしら? 少なくとも……抗う事の出来ない見えない力に翻弄され、狼狽し打ちひしがれる教え子の姿を見守るためじゃなかった……。この世界から一人の人間が消滅していくのを、指をくわえて見ているためだけじゃなかった」
「……先生」
「天才が本気を出しちゃおうかしらね」
「え?」
 唐突な、ぽつりと夕呼が呟いた言葉を武は聞き返す。
「……今日はもう帰りなさい。一生懸命な姿はあたしには似合わないのよ。こっちから連絡するわ」
 そう言ってこの場は解散になるかと思われた。
「いや、ちょっと待って欲しいな」
 そう言って物理室に入ってくる人影さえなければ。
「……あんたは……」



 眼がさめると暗闇だった。だがそれには慣れている。便利な事にほんの僅かな光源さえあれば視界は確保できる。だが、ここではそれすら無い。文字通り視界が奪われた現状に彼は舌打ちする。だがそう言う事が考えられるという事は彼にとっては貴重な事だった。
「薬は……抜けてるか?」
 軽く声に出してみる。舌の痺れは無い。次に手。ジャラジャラと鎖がなるが、一応動く。足。同様。最後に軽く背伸びをしてみる。しばらく動いていなかったからか、背骨がぽきぽきと軽い音を立てた。
「今日は……何時だ?」
 前回出撃した事を思い出す。あれから何日経ったのだろう?
『おはよう、被検体IZ16』
 かすかなノイズと共に声が響く。彼の耳はその音源を特定し、そちらに視線をやる。尤も、まっ暗闇ではこちらからでは何の役にも立たないが。
『気分はどうかな?』
「何時も通り最悪だ、とでも答えれば満足か?」
 と答えた瞬間に身体に電流が走った。
「っ!」
『いけないなあ。そんな反抗的な言葉づかいをしたら。僕らはこんなにも愛情を注いでいるのに』
 彼の首に付けられた脱走阻止用の首輪。その中の懲罰用の電撃装置が起動した。お陰でさっきまで好調だった身体が一瞬で色々不調に変わる。
「生憎と……反抗期から成長が止まってるんでな……」
 舌が痺れているが、無理矢理声を出す。この連中の前で弱みを見せるなど御免だった。それは彼の意地と言っても良い。
『やれやれ、どうやら御仕置きが足りないようだね』
「動物じゃないんだから痛めつけられたくらいで、っ! 従順になると思ったら大間違いだっ」
 途中で電撃がまた流されたが、どうにか堪えて最後まで発する。だがそれだけの動作で既に彼は疲労困憊となっていた。
『いいや、君は獣だよ。隙を見せたら喉笛を噛みちぎる、獰猛な獣だ。まあだからこそ僕らの研究の為になるのだがね。ああ、それと。君が言った通り君にそんなことをしても無駄だと分かったよ。だから次からは──あっちに御仕置きをすることにしたよ』
「な……」
 絶句。それだけは有り得ないと思っていた。このスピーカーの声の主にとって、彼女はとても貴重な研究材料だったはず。手荒なまねはしないと言う確信があった。なのに。
「何故……」
『ん? ああ、君は知らなくても無理はない。もう既に彼女から取れるものは全て取ったのだよ。つまり、居てもいなくても関係ない。さて……どんな御仕置きをしようか? 意識のあるまま解体するのも良いし……ああ、そうだ。うちの部下がたまってると言っていたからね。ダッチワイフ代わりにはなるだろう?』
「貴様……っ!」
『おや、今何か言ったかい?』
「っ!」
 遠まわしにこう言ってきてる。今ならまだ間に合うよ? と。そして彼には選択肢は一つしかなかった。
「……すいませんでした。どうか彼女には何もしないで下さい……」
 屈辱。その一言に尽きる。だが相手はそれでも満足しない。
『お願いします、が抜けてるよ?』
「……………………お願いします」
 ポタリと床に水滴が落ちる。彼が流しているのは涙などではなく、血。噛み締めて破けた唇から一滴、二滴と雫が落ちる。
『さて、それじゃあ僕からもお願いをしようかな? またお仕事があるんだけどね』
 それを彼に断れるはずもなかった。



「……グレイ?」
 見知らぬ女生徒だった。同じ色の白陵柊の制服を着ている事から同級生だと察することは出来たが、見おぼえは無い。ただその金髪は一度見たら忘れないと思うのだが……。
「何だ。思い出せない? それなりに顔を会わせてるんだがね」
 少し残念そうに言う少女。金髪のショートカット。青い目。テンプレートの様な外国人だがやはり記憶にない。もしかしてこの世界の白銀武があった事のある人間だろうか、と考えていると。
「やれやれ……まだ分からないかね? 白銀訓練兵。いや、今は少尉だったか?」
「なっ……!」
 思わぬ言葉に武は絶句する。横目で隣を見ると夕呼も同じような顔をしていた。
「何を驚く? 君と言う因果導体を通じてこちらから記憶と言う因果が流れ出し、向こうから死という重い因果が流れ込む……。だが世の中には例外がある。因果導体がいなくても近しい世界の因果情報を受け取り、同時に因果情報を流す。そんな例外がね」
 その言葉を聞いて思い出す。いや、思い出す言うよりも意識していなかった知識を知覚した、と言うのが正しい。確かに彼女はそう言っていた。グレイと言うファミリーネーム。そして彼女の髪を伸ばして、色を薄くし、眼の色を赤に変え、トドメに年齢を六、七年程さかのぼらせれば武も見知った人間になる。
「ぐ、グレイ博士!?」
「正解だ、白銀武。あまりにナイスバディに育っていて気が付かなかったかね?」
 そう言って正しく成長し、武と同い年くらいになったミリア=グレイは小さく笑った。
「……つまり白銀と同じように向こうから来た人間、という解釈で良いのかしら?」
「概ねあっているよ。Ms.香月。肉体ごとの転移か、因果情報を受け取り記憶を引き継いだか、などと言うのは瑣末な問題だ」
 そう言っているが、武には納得がいかない。
「で、でも全然年齢が……」
「ん? ああ、何故か向こうだと発育不良らしいね。まあそのあたりは本人から聞きたまえ」
 いや、発育不良なのはお互いさまじゃ……? と武はある一点を見て思うが、言わないでおくことにした。そんな場合ではない。
「で、待って欲しいって言うのは何でかしら?」
「ああ、その事なんだがね。恐らく君の持っている向こうのMs.香月の理論……それを使って向こうにこの白銀を送り返すとうちのアールクトが上書きされる可能性があるのでね」
 アールクトって誰よ、という夕呼に武が簡単に説明する。
「……あんたと同じ経験をした未来の自分……? だったら何でわざわざ送り返したのよ」
「いや、それは俺にも……」
「ちなみに私に聞いても答えられないぞ? 私だって全てを知ってるわけじゃないし、向こうの世界の私の全ての記憶を引き継いでるわけじゃない。たださっきも言った通りむこうのアールクトが消えるのはどうも向こうの私にも困るらしいからな。こうして止めに来た訳だ」
 質問をしようとしたら先にミリアが答える。大体流れ的に自分に来るのも分かっていたのだろうし、この中で唯一向こう側のミリア達の思惑が分かる人間だ。尋ねるのは道理。しかしこういう頭の回転の早さはどこの世界でも変わらない。
「推測だが……こうなると分かっていてもやらなければならない事があったのではないかね?」
「やらなければいけないこと……?」
 その言葉を反芻して武は考える。だが思いつかない。この世界でなければ出来ない事、と言い換えても良いが……こちらの世界の物で向こうに貢献したのはバルジャーノンの知識位しかない。まさかそれをもっと得てこいなんていう話じゃないだろう。
「またあたしから何かを聞こうとした、っていうのは薄そうね」
「知識ならアールクトでどうにかなるからね。数式──というよりも論文は流石に覚えきれないようだが」
 考えていても仕方ないと三人は話の流れを元に戻す。
「で、じゃああたしはどうすればいいのかしら?」
「無論装置の改良だ。元々その転移装置は一体化しなかった。つまり完成品を未完成品に落とせば、その問題は解決する」
「なるほどね……。白銀、向こうのあたしはその事について何か言ってなかった?」
「え? えっと……」
 記憶を辿る。確か……そう、あれは……。
「出力がどうのとか……」
「出力ね……。良いわ、白銀。これからあんたを送り返すための装置を作るわ」
「……帰れるんですか?」
「じゃなかったら転移装置の話なんてしないわよ」
 確かにそうだ、と武は納得する。むしろそれに気が付かない今までがおかしいくらいに。
「だからあんたはそれまでなるべく人と接しないでいなさい。それが現状のベストよ」
「……わかりました」
「それじゃあ帰りなさい」
「Ms.香月は白鳥の様に水面下で足掻くのが好みの様だからね」
「……あんた物理の単位要らないのかしら?」
「……ごめんなさい」
 向こうの世界では対等でも、こちらでは教師と生徒と言う厳然たる壁が存在していた。

 街行く人を眺める。もしも帰れなかったら……こんなありふれた光景も憧憬のまなざしで見るようになるのだろうか、と武は思う。決して自分では手に入れられない物。それにあこがれて……持っている物を羨ましく思うのだろうか?
 そしてそう考えた時に武は漠然とだが理解した。アールクトが言っていた言葉の意味を。
「どうして捨てられるか、か……捨てたくても捨てさせられた奴が当たり前のように持っていてそれを捨てる奴を見たらそう言いたくもなるよな……」
 例えば、今ここの道を歩く人が「周りの人間なんて消えれば良い。みんな俺のところなんて気にしなければいい」なんて言っていたら、きっと武は激怒するだろう。自分が求めている物を捨てようとする人に対して。それは醜い八つ当たりかもしれない。それでも言わずにはいられないだろう。
「……でも、俺はあの時純夏を……」
「私がどうかした?」
 一人呟いていたら唐突に後ろから声。
「す、純夏!?」
「どうしたの、タケルちゃん。昼間は用事あるって言ってたのに」
 そう言えばインパクトの強すぎる出来事があったせいで、夕方から純夏と約束をしていたのを忘れていた。そして武にとってまずい事はもう一つ。
「どうしたのさ、ぶつぶつ道で呟いたり、そんな驚いたり。変な人みたいだよ?」
 なるべく人と接しないようにしなさい、という夕呼の言葉が思い出される。
「あれ……? 叩かないの?」
「ダメだ!」
 耐えられない……。
「え?」
「あっち行け!」
「は?」
「俺に近づくな!」
 もしも純夏が、自分の事を忘れたら、と思うと。
「何それ~! 酷いな~!」
「酷くても何でも良い! 俺の側に来るな! 俺に話しかけるな!!」
 最初は唖然としていた純夏も徐々に言葉の意味を理解するにつれて怒りをあらわにする。
「……何だよー! いきなり怒り出してさ! そういう態度取ってるとプレゼントあげないよ?」
 え? となった武に純夏はたたみかけるように言葉を続ける。そしてそれは純夏がまだ武の事を覚えている証で──僅かに武の心が希望を持ちかける。だがそれを理性が否定した。たまたまかもしれない。少なくとも何もしないのが安全だと。
「来るんじゃねえ!」
「タケル……ちゃん?」
 耐えられない……! 純夏に忘れられるなんて絶対に耐えられない。それほどに重い。鑑純夏と言う存在は白銀武にとって重い。
「タケルちゃんどうしたの……?」
「とにかく俺にべたべたするのをやめろ! あっちいけよ!」
「ど、どうしたのタケルちゃん。どうして急に怒るの?」
 流石に純夏も当惑する。これまで喧嘩をしてきた事はあってもここまで理不尽な──純夏から見れば、だが怒られ方、そして武の本気さを感じた事は無い。何時ものいじわるやそう言う物とは違うと純夏は感じ始めていた。それが分かったから故に目尻に涙が浮かぶ。そしてそれは武も気が付いた。それでも言わないわけにはいかない。
「良いから行け! お前の顔なんて見たくないんだよ! 行かなえと殴るぞ!」
「良いよ!」
 純夏が一歩前に出た。涙に濡れた純夏の眼がまっすぐに武を見つめる。それを直視できなくて武は純夏を振り払う。
「きゃっ」
「近づくなって言ってんだ!」
 殴れるわけがない。
(どうして俺が純夏を殴らなくちゃいけないんだ!)
 冗談で叩くことはある。だが、害意を持って純夏を殴る事など有り得ない。
「……タケルちゃん?」
「もう、うんざりだ……お前なんて大嫌いなんだよ」
 僅かに沈黙。周囲の喧騒が大きく響いたように感じられた。
「タケルちゃんのバカあああああああああっ!」
 走り去っていく彼女の背中を見送る。周囲からは痴話喧嘩か? という視線を向けられていたが、それも数秒と持たずに消える。ただ武は立ちつくす。まるで迷子の子供の様に。これで良いと心の中で言い聞かせながら。純夏に全て忘れられるよりは──死んでしまうよりは会えなくても生きていて貰った方が良い。
 気が付くと武の脚は公園に向いていた。そこのベンチに腰掛けながら考える。死にたくなくて逃げ出した。だがその逃げ出した先では死にたいほどの目に合い、そして今は逃げ出した世界に帰ろうとしている。そんな自分を考えて自嘲の笑みを浮かべる。だったら最初から逃げ出さなければよかったのに、と。そうすればこっちの世界での千人は死ぬことも無く、冥夜の記憶が消えることも無く、純夏の死におびえなくても良かったのに、と。
 考えれば考えるほど思考が袋小路にハマっていく。寒さが武の身体から熱を奪っていく。そんな状態だったからだろうか。武は睡魔に抗いきれず眠りに落ちた。

 温かい。まるで日溜まりの中に居るよう。いったいどうしたのかと武は目を開けて……有り得ない光景にひねりの無い一言を吐いた。
「…………うそだろ」
「あ、おはよー」
 無邪気な笑顔。何時もそばに居た少女は──武に拒絶された後でもそのそばに居た。彼女の膝の上で、純夏を見上げながら武は様々な感情に襲われる。
「お前……何で……」
 言葉が出ない。彼女の顔を見ただけで涙が溢れそうになる。
「いくらタケルちゃんでもここで寝るのは反則だよ」
「……何で来たんだよ……」
 嬉しいのに……武は彼女を拒絶することしかできない。
「寒いんだから気を付けてよね。手なんてガチガチだよ」
 その言葉で武は自分の手に意識を向ける。どうにも動かしにくいと思ったら、そこには純夏の手袋がはめられていた。つまり純夏は今素手、ということになる。
「それタケルちゃんがくれた奴だよ」
「……そんなの何時までも持ってるなよ」
 何年前に上げた物か、武でさえ思い出せない。
「子供の頃にそんな大きいのくれるんだもん。最近まで使えなかったんだから」
 どうして、あれだけ言ったのに純夏は武の隣ここにいるのだろう。
「あったかいでしょ? さすがタケルちゃんのプレゼントだよね」
「……知るかよ」
 武だったらきっとカンカンに怒って、二度と顔なんか合わせるか、と言っているだろう。それなのに、何故。
「あやまれ、この」
 純夏が軽く武の頭を小突く。
「傷ついたんだぞ」
 忘れられたくない。
「本当に……傷付いたんだから……」
 想像できない。彼女が自分を他人みたいな目で見ることなど想像できない。だから……ここで甘えてはいけない。甘えちゃ……ダメだ!
「帰れよ……」
「タケルちゃん」
「これ持って帰れよ!」
 身体を起こして純夏に手袋を投げつける。それを拾いながら文句を言って来る純夏に武は更に拒絶する。そして純夏は──
「やだっ!!」
 それでも武の側にいると言った。
「そんなの絶対にやだよ!」
 だがそれは今の武にとっては残酷な言葉でしかない。こうしている今にも彼女が豹変しないか……他人を見るような目になるんじゃないかと武を苦しめる。
「私……何かしたかな? タケルちゃんに嫌われるようなこと……何かしたかな?」
 違う、と言いたい。悪いのは自分だと。バカな自分が向こうの世界から逃げてきたせいだと。
「ねえ?」
 答えられない。
「何か、言ってよ!」
 答えられないんだ。
「黙ってたら、分からないよ!」
 分かるはずが無い、
「話してくれないと分からないよ」
「……わからねえ」
「わかるもん!」
「話したって分からねえよ!」
「分かるんだよ!」
「何でだよ!?」
「タケルちゃんの事だから分かるんだよ!」
「絶対に分からねえよ!」
「頑張って理解するよ!」
 その真っ直ぐな言葉に、武は二の句が次げない。
「そりゃ、タケルちゃんよりは成績悪いけどわかるよ。だって……だって……タケルちゃんのことだもん!」
「無理だ…………あんな話…………」
 信じるわけがない。頭の良い悪いじゃない。
「分かるよ。わかるんだよ!」
「無理だって言ってんだろ!」
「絶対に分かるんだから~~~~っ!!」
 どうして。と武は思う。
「ばかやろ……何で……」
「絶対にわかるもん……タケルちゃんのことだから、わかるもん! 分かるまでずっとずっと一緒に居るんだから! 帰らないから!!」
「お前……やっぱり馬鹿だ……」
 涙が止まらない。こんなに拒絶して、尚側にいてくれる彼女。同時に──向こうの世界で彼女を殺してしまった。その事実が武の目から涙をあふれさせた。
「あああ…………ぅあああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 武は向こうの世界の事をかいつまんで話す。向こうにいたこっちと同じ人。そこには純夏がいなかった事。一度人類は負けた事。自分はもう一度やり直した事。
「そしたら今度は前居なかった人がいたんだよ……」
「居なかった人……?」
「……未来の俺だった」
「未来のタケルちゃん?」
「ああ……」
 その後も色々あって、クーデターを乗り越えて……。
「向こうの世界のお前に会えたんだ」
「え、でもさっき私は居ないって」
「ああ、でも居たんだ。だけど廃人みたいになってて……」
 そこから先は言うのが躊躇われた。その空気を察したのか純夏も追及はしなかった。
「基地を敵が襲ったんだ……でも特に大きな被害は無く撃退できたんだけど……」
 そこで純夏が死ぬ光景を幻視した。そして脱走した。
「……死なせたくなかったんだ」
「………………」
「そうしたらアールクトが……未来の俺が追いかけてきて……その純夏は00Unitだって。本物の純夏はさっき話した脳みそで、俺が持ち帰った数式のせいで死んだって……」
「そんな、そんなの……タケルちゃんのせいじゃないよ……!」
 純夏ならそう言うと思っていた。確かに武は直接は関与してない。人類を救うために取った行動が利用されたと言っても文句を言う人間はいないだろう。だが、武はそれでも自分を許せない。
「こんな話、信じられねえよな」
「なんでさっ!? ううん! 信じるよ! 信じるに決まってるじゃない!」
 そう言って貰えるのが堪らなく嬉しい。だからこそ……。
「純夏」
「だって真剣だもん。辛いの……見ててわかるもん」
「信じるなら……もうあっちいけ」
 だからこそ忘れて欲しくない。死んで欲しくない。
「俺の話を信じてくれるなら、もう俺に近づくな」
「ど、どうしてよ!?」
「俺と話をしてると、俺の事を忘れてしまうんだ……」
「忘れる?」
「それだけならまだ良い……中国から新型の伝染病が発生してるだろ……? あれも俺が原因なんだ。向こうでBETAに殺された人の因果を運んできたから。向こうの世界のお前は死んでるんだ……。その因果が何時運ばれてくるかわからない……。だけど近くにいなければその因果が来るのが遅くなるかもしれない。そうでなくても俺にまつわる記憶が二つの世界を繋ぐ穴を通って流れ出ていってしまうんだって……」
 辛い。自分のせいで死なせてしまうかもしれないと言う事が辛い。自分が二度も幼馴染を殺すかもしれないと考えると叫びだしたくなる。
「だから先生……私にタケルちゃんに近づくなって言ったんだ!」
「………………そうだ」
「でも……タケルちゃんはどうするの……?」
 因果が来るのが遅くなっても何れは来る。だから、白銀武が二度と鑑純夏の死を見たくないと言うならば、採るべき道は一つしかない。
「……向こうの世界に戻ってこうなった原因を探す」
「……え?」
 当惑したように瞳が揺れる。
「それって……タケルちゃんがいなくなっちゃうってこと……?」
「あ、いや……俺は元々この世界の俺の身体を借りてるだけ、みたいな状態なんだ。だから俺が居なくなっても……」
 忘れるのはこの数日間の自分の事だけ、と笑みを浮かべようとするが、上手く行かない。
「……とにかく、お前には何の問題も無いから……」
「忘れないよ……」
「ああ、俺がいなくなればこれ以上こっちの俺と過ごした記憶までは……」
「違うよ……今ここにいるタケルちゃんの事も忘れないよ」
 本当に……どうしてこういう時になって気が付くのだろう。と武は何かに向かって呟く。
「忘れちまうよ……。いや、忘れちまえ。こんな嫌な話、忘れた方が良い」
「私は忘れないよ! 忘れるわけ無いよ!」
 自分よりも背の低い少女に抱きすくめられる。だがそれを武は振りほどけない。振りほどくことなど、出来ない。
「純夏……」
「私とタケルちゃんが一緒にいなかったときなんて殆どないんだよ? それはタケルちゃんだってそうでしょ?」
 当たり前だ……それは世界が違っても変わらない。
「タケルちゃんの事を忘れたら半分は私じゃなくなっちゃうよ……」
「だけど……!」
「タケルちゃんと居て、タケルちゃんとの思い出があって、はじめて私なんだから!」
「……俺だって」
 唐突に理解した。
 アールクトあいつは孤独なのだと。一体どんな生涯を辿ったかは知らない。だがその隣には確実に鑑純夏がいない。己の半身と呼べる人がいない。だから求め続けているのかもしれない。己の片割れを──。
「だから忘れないよ。忘れるわけ無いよ。タケルちゃんの事、タケルちゃんとの思い出全部……それが別の世界のタケルちゃんの物であっても……絶対になくさないんだから」
「純夏…………ダメなんだって言ってるだろ! 忘れなくても……その前にっ!」
 死んでしまうかもしれない。
「放さない! ダメっ! 絶対に放さないんだから! タケルちゃんはタケルちゃんだもん! タケルちゃんがいなくちゃいやだよ! あっち行けなんて言わないでよぉ……」
 別れたくない。放したくない。このままここに居ても良いんじゃないか? という誘惑が武の胸に宿る。純夏はこうして向こうの自分でも受け入れてくれる。こっちの白銀武だって消滅するわけじゃない。今は向こうが主流だが、時間を置くにつれて徐々に統合されていって完全に一体化する。そうしたら因果導体じゃなくなるかもしれない……。だけど……。
「バカ……バカだ、ホントに……」
「それはタケルちゃんだよぉ……タケルちゃんといて私は私になれるんだから!」

 ──俺は純夏と居て俺になれる。

「それが私なんだから!」
 だけど、これ以上こっちの世界をあらすわけにはいかない。また逃げて、こっちの世界の自分を、自分じゃ無くすわけにはいかない。

 ──だからここでお別れだ……純夏。

 きっとこっちの世界の自分も同じ気持ちだから、と武は己の行動を抑制する。その先は……この世界から去る人間が取っていい行動では無い。
 純夏を家まで送り、学校に行く。夕呼に装置の進捗を聞くために。
「……もう少し時間がかかるわ。今グレイに材料の調達して貰ってるところ」
 だが早ければ今日中には完成するらしい。なら、後は適当にどこかで……誰にも会わないように時間をつぶせば問題ない。そう思っていたら昇降口でばったり純夏と会ってしまった。
「お、おはよう……純夏」
「うん、おはよー白銀君」
「………………え?」
 白銀君?
 白銀……君……って…………?
 呆然としている武に純夏がクラスメイトを労わるような言葉をかけて去っていく。それを武は見送り、天を仰ぎ慟哭する。
(わるい……この世界の俺……こんなにお前の世界を滅茶苦茶にして)
 遅かった。既に純夏からは自分の記憶が抜け落ち始めてる。だがこれ以上は……これ以上は、と願う武に対し、世界は無情だった。
 体育館の方から響く轟音。普通に学園生活を送る以上、決して聞こえない音。
(何か巨大な質量の物体が落下した音!?)
 そして悲鳴。まさか……と武は思う。
 まさか、と思いたい。
 脚を動かす。体育館に向ける。既に人だかりが出来ている。何が起こったのか、武からはまだ見えない。
「救急隊が来るから入口は開けておきます! お前ら邪魔だ! 早く教室に戻れ!」
 教師が生徒の人の山を掻き分けた時、隙間から中の様子が見えた。赤い。それが誰かの血だけではないと気が付いた時、黄色のリボンが目に入った時。
「純夏!」
「あ、こら!」
 立ち塞がる教師を強引に押しのけ体育館の中に入る。そしてバスケットボールのゴールに押しつぶされた純夏の元に駆け寄る。
(まだ息はある……!)
 向こうの世界で行った応急治療の知識。美琴が懇切丁寧に説明してくれたそれを武は頭から引き出しながら幾つかの応急処置を施していく。だが自分でも効果があるとは到底思えない。絶望的な感情が広がっていく。
「畜生……畜生……!」

 純夏は病院に運ばれ、生死の境を彷徨っているという。
「……君は病院に行かないのかね?」
 一人、校舎に残っている武にこちらの世界のミリア=グレイが声をかける。
「……俺が行っても何の役にも立たないだろ……それに、近くに居ることでまた因果が流れ込んで今度こそ死んでしまうかもしれない」
 そう呟く武の表情は憔悴しきっている。もしも向こうの世界に戻ると言う目的が無ければ今にも自らの命を絶ちそうな程に。
「そうだね……医者でも無い我々には……こうして祈る事しかできない」
 しばらく二人で夕暮れの教室を眺める。ぽつりとミリアが呟く。
「装置が完成した。後は動かすための電力を確保するだけだ」
「電力……」
 その言葉で武は思い出す。向こうの世界でも動かすのに膨大な電力を必要としていた。そんな電力……個人で確保できる物なのだろうか?
「もうすぐ香月教諭が来る。そうしたら……君は向こうの世界に戻る事が出来、私はただの学生に戻る」
「……え?」
「私は向こうの私達と違って君と言うパイプを通じてストリーミング通信を行っているようなものだ。向こうの私たちは自分と言うハードディスクに保存しているみたいだがね。まあつまり、パイプが無くなれば私の中から向こうの知識は無くなる」
 戦術機には興味があったのだがね、と言うミリアに武はバルジャーノンの存在を教えておく。
「なんと……そんな物があったのか……。ならばそのうちやりに行こう」
「ああ……きっとこっちの俺もやってるよ」
「その時は教えを請う事にしよう……さて、香月教諭がいらしたようだ」
 夕呼の車に乗り込む。そしてまず純夏の部屋に向かった。その中で夕呼から純夏が奇跡的に一命を取り留め、峠は越えたという話を聞く。そして純夏の部屋に散らばる日記──。
「本当にあんたたちはずっと一緒だったのね……」
「……はい」
「………………………………」
 ミリアが日記を見て小さく何かを呟いた。それは誰の耳にも届くことはなかったが──とても寂しげな笑みだけは武の脳裏に残った。

 原子力発電所。
「じゃあさっさと見張りを気絶させて銃を奪いなさい」
「いや、施設侵入の訓練は受けてないんですが……」
「何だ、つまらん」
 結局、フェンスに穴をあけて通ることにしたのだが……。
「そこ、開いてたわよ」
「無駄骨だったね、白銀」
 そうして施設内に侵入したが……。
「……まずいですね」
 正面から警備員。どうやっても隠れ用の無い一本道。だがここでもたついていると他の場所から警備員が来るかもしれない。
 強行突破しかないか? と武が覚悟を決めるとミリアがやれやれと首を振る。
「もっとエレガントに行く必要がある。そうは思わないかね?」
「何かあるんですか?」
「……まあ見てたまえ」
 そう言いながら彼女は制服を脱ぎ始める。
「ちょ……」
「煩い、静かにしたまえ。後見るな」
 そう言いながら適当に制服を着崩し──まるで襲われた直後のようになった。
「では行って来る」
 たったたたと足音を響かせながらその警備員に駆け寄る。
「た、助けて!」
「な、何だ!? どうしてこんなところに学生が……」
「へ、変な人達に襲われて……ここの入口に居た人が奥に行けって……あと誰か呼んできてくれって」
「入口!? そんな連絡は……」
「早く! 大勢いたからあの人やられちゃう!」
 そうミリアが急かし、警備員が背を向けた瞬間。
「えいっ!」
 可愛らしい掛け声とともに突きだされるスタンガン(Ver.違法改造)。成人男性を一撃で昏倒させると言うキャッチコピーのそれは言葉の通りに一瞬で警備員の意識を刈り取った。
「こんなもんだ」
「……行きましょうか」
「……はい」
 何も言う気にならなかった。というか、何でスタンガンとか、失敗したらどうするんだとか色々言いたい事があったが……結果オーライと二人は無理に自分を納得させた。

 装置を繋いで、既に秒読み段階。
「精々向こうのあたしに吠え面かかせてやってちょうだい」
「頑張ってみます」
 そして夕呼は武に改めて覚悟を問う。その答えに夕呼は満足げに言った。
「…………頼んだわよ」
 ドアの向こうから声が聞こえてくる。
「どうやら向こうもこちらに気が付いていたようだね」
「あらまあ、安月給の癖に。給料分だけ働いてれば良い物を」
「まあ私が少し時間を稼いでくる……白銀」
 振り向いてミリアが別れの言葉を告げる。
「向こうの私に伝えておいてくれ。勝ち目は薄いが頑張れとな」
「は?」
「そう言えば分かる。それと……生かされてる事と生きてる事の違い。それを覚えておきたまえ。では、な」
 スタンガン片手に彼女が扉に向かう。
「動かないでよ? いつ装置に電力が回るか分からないんだから」
「……はい」
「…………さようなら白銀武……世界を頼んだわよ!」
「夕呼先生……ありがとうございました。まりもちゃんにも伝えてください」
 とは言え、恐らくすぐに会う事は出来ないだろう。ここに居る人間は全員何かしらの罪を負う可能性がある。
「パラポジトロニウム光……行けるわ!」
「──先生」
「鑑は生きてるわ」
「え?」
「だからこそ、こっちの鑑も……」
「それってどういう──」
「しっかりやんなさいよっ! 白銀武!」
 その瞬間視界が閃光に包まれて──。

 目の前の光景がいきなり切り替わる。転移装置のある部屋……こちらの世界に武は再び戻って来た。
「あら? 珍しい生き物がいるわね」
「……先生」
 振り返るとそこにいたのはこちらの世界の夕呼。向こうの世界の夕呼とは違い、完全な味方では無い。あれだけの醜態を晒した後だ。ただで済むとは思わない。
 だがやるべき事は決まっている。己の覚悟、立脚点。それらが道を示す。
「夕呼先生。みっともない真似してすみませんでした! 何を今さらって思ってるでしょう。それでもお願いします! 俺をここにおいてください。もう一度チャンスを下さい!」
 それを無表情で眺めた後、夕呼が溜め息を吐いた。
「あんたまた何か勘違いしてない? あたしは別にあんたにチャンスをあげた覚えも、奪った覚えも無いんだけど」
 利害関係が一致したから手を組んでいただけだと。そして武の要求に対し、何を与えてくれるのかと。それに武は……。
「純夏です」
「へえ?」
「少佐は純夏が00Unitだと言いました。確かそれはオルタネイティヴ4の根幹を担う何かですよね?」
「そうね。良く覚えてたじゃない」
「そして純夏の事を一番よく知ってるのは俺です。00Unitが一体どんなものなのか、俺は知らない。でも純夏の事なら俺が知ってます!」
 その武の答えに夕呼は頷く。
「三十点てところね。そもそもどうして00Unitが鑑純夏だと思ったのかしら? 単に姿を真似ただけかもよ?」
「向こうの世界の純夏が半死半生になりました……でも生き残ったんです。こっちの世界の純夏は死んでいるはずなのに」
「……それで?」
「向こうの世界の夕呼先生はこっちの純夏が生きてるって言ったんです。だから向こうの純夏は生き残ったって。でも少佐は生物的には純夏は死んでいるって言いました。きっとこれも嘘ではないと思います。だけど──生物としてではなく、機械として生きてるとしたら? それが00Unit何じゃないんですか!?」
「………………少し気に入らない表現があったけど、まあ概ねあんたの推測通りよ。これで五十点ってところかしら。これじゃあ単位はあげられないわね」
 その夕呼の言葉に武は頭を働かせる。これ以上、何か夕呼の興味を引ける物──。
「無いのかしら? そっちにないんだったら……そうね、面接をしてあげるわ」
「……え? 面接?」
「そう、面接。確かにあんたの言った事は正しいわ。でもね、一番良く知ってるのはあんただけじゃないわよ」
 その言葉と共に夕呼の執務室に入室してくる影。
「あら、ちょうど良いタイミングね」
「大体の時期は覚えていましたから。そろそろ来ると思って。……さて、向こうで何か見つけられたか。白銀武」
「…………グレイ少佐」
 武がこの世界で新たに居場所を得るためには──未来の自分よりも有用性を示す必要がある。それを見せつけるようにアールクト=S=グレイは武の前に立つ。
「では面接と行こうか。白銀武」


 と言って最初に連れてこられたのは基地の正門前の坂。
「あの……少佐、その腕は?」
「気にするな。ただの骨折だ。すぐに直る」
 腕を吊ってるアールクトが気になったのだが、取り付く島も無い。
 着いたのは桜の一本。何の変哲もない──ただの桜。だがアールクトはそこで黙祷を捧げる。
「……ここは」
 確か──最初にここに来た日も彼はここで黙祷を捧げていた。
「墓だ。と言ってもこの世界では墓にならずに済んだがな……」
 この世界、ということは別の世界、未来の自分が前に過ごした世界の事だろう。
「一番最初は神宮司軍曹だった」
「……え?」
「次はお前がまだあって無い相手だ。その次も。そしてその次は──207B分隊と純夏達だった」
「……っ!」
 その言葉で武は得心がいく。あの時見えた二人の死の光景は──。
「恐らく俺から流れ出たものだろう。互いに因果導体であり同一の人物である以上、因果のやり取りが頻繁になるのは仕方のない話だ」
「……あんたは、因果導体から解放されなかったのか?」
 ずっと……自分も戦い続けるのだろうか、と思った武はそんな質問をした。だが返って来たのは予想外の答え。
「いや、一度は解放された。今因果導体なのは俺の意思だ」
「どうして……」
「それは自分で考えろ。尤も、そんな時間があるか疑問だがな」
 そう言いながら彼は身を翻す。
「俺はお前が向こうの世界何を見てきたか、それは知らん。知るつもりも無い。だが俺とお前が同じ経験をしたと前提して話を進める」
 そう言ってアールクトは心の内に刻み込んできた言葉を口にする。
「死力を尽くして任務に当たれ。生ある限り最善を尽くせ。決して犬死するな……これらを実践するだけの覚悟がお前にあるか?」
「はい」
「どんなに険しい山でも、地獄の様な状況でも、生き抜く覚悟があるか?」
「はい!」
「永劫の時を耐え、それでも目標に進む覚悟があるか!?」
「はい!!」
 ならば、とアールクトは手にした物を武に手渡す。
「これ……ロシアンルーレット用の銃?」
「覚悟を見せてみろ」
 ロシアンルーレットと覚悟。そこから連想されるのは己を撃つ事だが──。
「お返しします」
「ほう?」
「こんな物で自分を撃っても覚悟を示すことにならない。ここで死んだら次に何も残せない。確かに死ぬ可能性がある道を選ぶ必要もあるかもしれないが、それは生き抜く覚悟があるからだ。こんな……やらなくても死なない状況でこんなことをしても意味は無い、と思う」
 それを聞いてアールクトは小さく頷く。
「合格だ。白銀武」
「……え?」
「俺からの面接は合格だ。夕呼先生には俺の方か話しておこう」
 あっさりしすぎているように武には感じられた。
「どうして……?」
「お前は十分に覚悟を示した。今、もしもお前がその銃を撃ったら確実にお前は死んでいた」
 弾など抜いてないからな、とアールクトは言う。
「お前の覚悟が口先だけなら、ここで死んでもらうつもりだったが……杞憂で終わって何よりだ」
 そう言って彼は基地へと戻る。
「ああ、それはくれてやる。それと、ついてこい。もう一つくれてやる物がある」
 そう言って彼が向かったのは基地の中。
 途中で追いついて武は躊躇いながらも問いを投げかける。
「少佐は……未来の俺なんだろ……どうしてまだ戦ってるんだ?」
「自分で考えろ。俺が戦う理由ともう一度因果導体になることを選んだ理由は同じだ」
 そこで彼は少し考えるように目を伏せた。尤も、武にはサングラスで遮られてみる事は叶わなかったが。
「俺が三度目の世界に行くきっかけになったのは月面の反応炉でML機関の暴走に巻き込まれたからだ。それによって俺はもう一度ループの中に組み込まれる事が出来た。永劫に続く螺旋の中にな」
「……螺旋」
「だが……三度目では成功しなかった。四度目、五度目……一万を超えたあたりから数えるのはやめたから正確な回数は覚えていないがな。それだけ、それだけ続けても俺の願いはかなわなかった。だが、今回はようやく叶える事が出来そうだ」
 そう言って前を見る彼の口元は確かに笑っていた。そして武は一番気になっていた事を尋ねる。
「……それは純夏を探してるからなのか?」
「………………どうしてそう思った?」
「同じ俺なら……きっと全員そう思う。俺と純夏は二人揃って始めて自分になれるんだから」
「そうか…………懐かしい言葉だな。もう思い出せないほど遠くだが……その言葉は、あの日の光景だけは今もまだ俺の心の中に残っている」
 そう呟く彼の表情は懐かしむ、と言うには程遠い物で、武はそれ以上質問することを躊躇わせる物だった。そして同時にここにいる自分がとても身近な存在に感じられた。
 アールクトの後を追いかけていると辿りついたのは格納庫。目的は最初から決まっているのか、アールクトは入ってすぐに一人の人物に声をかけた。
「整備班長」
「お、少佐。ちょうど今終わりましたぜ。と白銀少尉。お久しぶりですね。特殊任務でしたんですっけ?」
 特殊任務? とアールクトに視線で問うと「そう言う事になっている」とアールクトは答えた。
「ならちょうど良い。こいつに合わせてチューニングしてくれ」
「おや、少佐が乗るんじゃないんで?」
「私には新しい機体がある。こいつには機体が無いからな」
「ああ、そういや……」
 何やらこの二人の間では納得が言っている事項の様だが、何の説明も無くここに連れてこられた武には訳が分からない。
「整備班長……? あの……」
「よし、それじゃあ坊主──じゃなかった少尉行きますぜ」
「いや、だからどこに?」
 当惑気味に武がそう言うが、整備班長は聞く耳持たない。と、いうより浮かれて聞いてない。
「おめえら! こいつの最終調整を始めんぞ!」
 ういーすと返事が格納庫の方々から返ってくる。こいつ──視線を遮るようにシートで覆われた一角。まるで冥夜の武御雷が来たときの様だと思っていると──。
「っ!」
 そのシートが引き剥がされる。塗装されている個所と、されていない地金の色が晒されている個所、されている個所もばらばらな色──ちぐはぐな継ぎ接ぎだらけの機体、という印象を受ける。だがそこには魂があった。何故そう感じたのかは武にも分からない。ただの機体。それなのにこの機影を見た瞬間に誰かを待っていたように感じたのだ。
「帝国軍に掛け合って富士教導団のF-23Jの予備パーツを分捕って来たんですさ。そこにPAV-2の予備パーツと、PAV-1の予備パーツも組み込んでようやく直せましたよ。元々が古い機体ですからね。これを機に各種電装も最新の物に換装しました。後は再塗装と調整だけです」
「流石だな。良く五日程度でここまで仕上げた」
 生まれ変わったYF-23。まだ継ぎ接ぎだらけのそれは──新たな搭乗者を待っていた。
「YF-23 PAV-3 ハブブルー」
 そこでアールクトは武の方に顔を向ける。
「これからお前が乗る機体の名だ」

2010/03/18 初投稿



[12234] 【第二部】第十六話 集う道
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/05/08 22:20
 世界で最も完成された衛士。彼を知る者は全員がそう呼ぶ。それは世界で最強を意味しない。彼よりも強い衛士なら少ないとは言え確実に居る。だがそれでも完成されたと称されるのは彼だけである。動きの一つ一つに無駄が無い。動作の最適化。どんな状況でも戦術面ではミスをしない。必要な事を必要なだけ行って、常に戦術目的を達成する。後ろから見ると全てが予定調和の様に最初から最後まで演目を演じきる。アールクト=S=グレイ。尤も、その理由は幾千幾万の繰り返しの中戦い続けた彼だからこそ可能なやり方だ。膨大な戦闘経験。それが彼の強さを裏打ちしている。
 つまり、何が言いたいか。
「お前に俺の動きを真似するのは無理だ」
「……みたいだ」
 場所はまだ格納庫。改修されたYF-23の最終調整に付き合い、最後に模擬戦を行った二人の白銀武。アールクト=S=グレイを名乗る万を超える繰り返しをしてきた白銀武と、自覚している限りではまだ二回目の白銀武である。同じ機体、同じ条件でやった模擬戦は今も白銀武を名乗る彼の惨敗だった。
「まずお前には圧倒的に戦闘経験が足りない。知ってるか、勘とはそれまでに積んできた経験が教える無意識の予測の事で、運任せとは違う」
「それも今実感したよ」
 やや不貞腐れたように武が言う。己に出来るなら自分にも出来るかと試してみたが──とてもじゃないが無理だった。却って弱くなったくらいだったと言える。
「六丁拳銃だってそうだ。同時に六門もの突撃砲を照準するのはFCSの助けがあろうと、己の技量も重要だ。そうそう見ただけで真似できる物じゃない」
「分かってる」
 今の武に精確に照準出来るのはドローン相手でせいぜいが三門。多角的に動き回る相手なら二門が限界だった。
「お前は俺じゃない。何をどうやっても、お前は俺になれない」
 同じ人間が、過去の自分に向かってそう言う。
「俺とお前は確かに元は同じ人間だった。とある理由で因果導体にされ、いきなりこの世界に放り込まれた。だが、既にここに至るまでの経緯が違う」
 それはまるで自分に言い聞かせるようだった。別人だと。自分は白銀武では無いと。
「だからお前は俺になれない……なってはいけない。それを忘れるな。お前は俺の真似なんかをする必要は無い」
 そう、願うようにアールクトは武に言った。

 その言葉を考えながら武は消灯後の兵舎を歩く。細かい話は明日すると言って追い返されたのである。しかし、武としてもそれはありがたかった。ここ数日で──というよりも今日一日で得た知識を整理したかったのだ。
 中でも重点的に考えるのは純夏の事。00Unitの姿となっている彼女。脳髄だけの姿になっていた彼女。……武自身が持ってきた数式で殺してしまった彼女。
 だが……本当に死んでしまったのだろうか? もし、死んでしまっているならば元の世界の純夏も死んでいたはずだ。そしてあちらの夕呼も言っていた。純夏は生きていると。あの状況で言った言葉が何の推測も無いでたらめとは思えない。00Unitを作る最後のひと押しになった理論は彼女が作った物だ。それを考えれば──あちらの夕呼は00Unitがどういう物か推測出来ていたのではないか? そして、00Unitの姿は純夏その物である。とてもその身体は作り物とは思えない。それはしばらく、彼女の側にいた武が良く知っている。
 もしも……00Unitが人の意識をロボットに移し替える物だとしたら、と武は推測を立てる。ならば彼女の意識は生きていると言えるのではないか?
 全ては憶測。想像の域を出ない。全ては明日。そこで全ての答えが聞けるとは限らない。いや、夕呼が正直に全てを教えるか分からない。
(……少佐は……完全に俺の味方って訳じゃないだろうな)
 もしも最初から全てを教えるつもりならば、はじめて会ったときから正体を明かすだろうと武は考えている。先ほど合格と言った以上、ある程度の手助けはしてくれるだろうが、それ以上は期待できない。
(少佐は俺に何かをやらせたがっている……でも何をだ? 少佐の目的はきっと純夏に関わる事……だけど少佐自身が純夏と接しようとしてるのを見た事が無い。むしろ避けてるようにも感じるんだが……)
 そもそも、まだ武はミリアとアールクトの目的を明確に知らない。夕呼の思惑も。そのうえでこの世界にいる純夏を守り、因果導体となった原因を取り除かなければいけない。思わず弱音が漏れそうになるが、武はそれを堪える。泣くのも喚くのも、全てが終わってからだと己を戒めながら。
「武……武なのか?」
「冥夜……」
 思索に耽っていた武は後ろから歩いてくる冥夜に気が付かなかった。既に目の前。彼女の姿を目にした時、罪悪感が沸く。あの時、自分はまぎれもなく彼女たちを捨てて逃げ出したのだと。向こうの世界で記憶を奪われた冥夜の姿も浮かぶ。未だに理由は分からないが、わざわざ武の元に来たのには何かの思いがあったはずなのに、それを奪ってしまった。
 正直に言えばもう少し時間が欲しい。だが、今の武に甘えも弱さも許されない。
「今戻ったのか……?」
「ああ、そうだ……」
「そうか、特殊任務……大義であったな」
 そういう冥夜の目を真っ直ぐ見れない。今ここで冥夜に謝るのは難しくない。だが──それが本当に意味があるのかどうか、武には分からない。わざわざ相手を傷つけるような事を言う必要はないのではないかと思ってしまう。同時にそれが単なる逃避ではないかと。自分が何を言いたいのかも分からずに武は口を動かした。
「あの時、俺は……」
 そう言い掛けたところで冥夜が思いっきり拳を振った。
「今のは皆に黙って行った分だ!」
 そしてもう一発。骨が軋むほど、強く。
「今のは皆を心配させた分だ!」
 最後に一発、これまでのよりも強く、冥夜自身が顔をしかめるほど強く。
 痛みに武は呻くが、同時に感謝もしていた。あれだけの情けない姿を晒して、その後逃げ出したような奴をまだ本気で殴ってくれる。まだ仲間だと思ってくれる事に。
「そなたは大バカ者だ……あの様な状態で一人で最前線に赴きおって……」
「すまない……」
 確かにそうだ。撃墜されて落ち込みまくっていた人間がまたすぐ最前線に行きましたと言われて心配しない人間はいないだろう。武でも同じように心配する。それを考えたら謝罪以外の言葉が出てくるはずもなかった。
「戻らぬかと思ったぞ……」
「心配してくれてありがとう……」
「ばか……もの……よくぞ、戻った……」
 泣いていた。御剣冥夜は白銀武の為に涙を流していた。それを見た武は自然に口が動くのを感じた。
「済まなかった、冥夜……俺は──」
「もう良い。良いのだ……そなたの目を見ればわかる。自ら課せられし宿命に立ち向かう覚悟が出来たようだな……」
 それを武は肯定する。そしてもう逃げないと。自分の弱さを人のせいにして逃げることを正当化するなんて真似はしないと。そしてようやく彼らは笑顔を浮かべられた。
「御帰り、武」
「ただいま、冥夜」
 そうやって笑みを交わした後、冥夜が何かを思い出したようににやりと笑った。
「はてさて、そなたが何発まで耐えられるか、見物だな」
「え?」
「心やさしい私だからこそ三発で済んだが──」
「お前さっき皆の分って言って殴って無かったか?」
 武の突っ込みを無視して冥夜は話を進める。
「元207B訓練小隊は仲間思い故なあ……まあ覚悟しておくが良いぞ。ああ、それと神宮司大尉もきっと参加なさるだろう」
「わかった。覚悟しておく……って待て冥夜。今聞き慣れない単語があった」
 誰かの後に付く階級がおかしかったような……。
「ではそろそろ戻るとするか」
「何事もなかったようにスル―するんじゃねえ」
 思わず向こうの世界の言葉が出て来たが、当然のように冥夜には通じてない。それを説明して、改めて武が質問したところ。
「武が行ったのは神宮司大尉が昇進なさる前だったな……。あの後すぐに昇進なさったのだ。訓練兵がいない今、優秀な人材を遊ばせるのは勿体ないとの事でな。原隊復帰で最終階級の中尉からクーデターでの功績で一階級昇進で大尉になられた」
「そうか……昇進したのか、神宮司軍曹……じゃなくて大尉か」
「しばらくは戸惑うのも無理は無いぞ。皆も大変戸惑っていたからな」
 それはつい先日階級が逆転して教官から部下になったと思ったら今度はまた上官だ。ようやく彼女を部下として扱うのに慣れ始めた頃にこれでは時々ヘマをしそうだ。
「教えて貰って助かったよ。ありがとう、冥夜」
「気にするでない。こちらから言わなければいけなかった事だ。今日のところはゆっくりと休むが良い。では、明日な」
「ああ、お休み冥夜」
「おやすみ……武」

「A-01部隊へようこそ、白銀少尉。貴様を歓迎する!」
「は、白銀武少尉であります! ただ今を以て着任致します!」
 翌日。武は己が配属される部隊とようやくの顔合わせをしていた。
「第九中隊隊長の伊隅みちる大尉だ。よろしく頼むぞ!」
 そして中隊のメンバーの紹介が始まる。先任、元207A、そして元207B。
「次に第七中隊になる。先日まで富士教導団に出向していたが、ようやく戻って来た」
「第七中隊隊長の早坂飛燕大尉だ。……クーデターの時は俺たちのミスで苦労させたみたいだな」
「ミス……?」
 心当たりのない武はその言葉を反芻すると、飛燕の隣にいる副官らしき女性が補足した。
「F-23Jは私たちの部隊が運用していたの。だけどクーデターの日に奪われちゃってね」
「……クーデターの報が入ってすぐに万が一に備えて対処していれば奴らは不知火での出撃を余儀なくされていただろう。或いは俺たちがF-23Jで出撃することで支援が出来たかもしれない。そうなっていればお前たちにかかる負担は少なかった。済まない」
 そう言って謝罪するが武としては気にしていない。と、いうよりもあれが不知火だったとしてもやはり同じようになっていた気がするので気にしてない。なにより、最終的に目的を達成できたのなら、それは成功だ。それをまりもの前で言うのは気恥ずかしさがあったが、武はそう言った。
 そうして第七中隊の紹介も終わり、最後の一人になる。
「そしてこちらも貴様にとっては今さらだろうが……神宮司まりも大尉だ。現在所属中隊は未定だが、今後の中隊の戦力バランスを見て配属先を決める」
「神宮司まりも大尉だ。……数日振りだな、白銀」
「は、御無沙汰しております。神宮司大尉」
「後で話があるから覚悟しておけ?」
「よし、一通り紹介が終わったところで貴様に我が中隊のモットーを教えてやる」

 ──死力を尽くして任務にあたれ。
 ──生ある限り最善を尽くせ。
 ──決して犬死するな。

「では戦闘訓練に移る。白銀、貴様も榊達と同じカリキュラムだな?」
「はい」
「ならば問題ないだろう。陣形フォーメーションは訓練の中で覚えて行け。良いな?」
「はい!」



 カタカタとキーボードをタイプする音が室内に響く。端末に向かっている人間以外いない室内はただタイプ音のみに支配されており、他の音を混ぜるのが躊躇われる空気となっていた。
 画面を見つめながらキーボードを打つ手を休め、アールクトは折れてない方の手でこめかみを揉む。
「……これだけやっても尻尾が掴めないとはな……」
 銀──天照。あの機体を個人で運用するのは不可能だ。動力であるML機関を動かすにはG元素が必要。それを現状で調達できるのは、ここかアメリカのいずれかだけである。極秘裏に他の国家が入手している可能性も考えて調査しているが、結果は芳しくない。必ずどこかに人の流れ、物資の流れで不自然なところがあるはず。そう考えて手当たり次第に探しているが、砂漠に落ちた一本の針を探すよりも難易度が高い。不自然な流れなど幾らでもある。その不自然が本物か、カムフラージュのための物か。そして本物だったとしてそれがこちらの求めるアタリかどうか……。
 逆にクーデター時の機体の移動経路をトレースして帰還先を探ると言う手もあったが──それも失敗に終わった。海上で完全に見失ったからだ。そしてその時刻、公式ではその海域には何もいなかった事になっている。無論それを鵜呑みにするわけではないが、正攻法ではそれを調べるのは不可能となった。
 つまりは手詰まり。どうやっても短期間で見つけ出すのは不可能だった。
「……やはり直接捕まえるしかないか……?」
 あれを──最強と呼ばれたあの機体を。それはアールクトからすれば余りに馬鹿げた考えだった。スペックを十全に把握してるからこそ分かる。捕まえるなど不可能だ。撃破ならば……可能かもしれない。そんなレベルの相手。無論、撃破と言うのもこちらが多大な犠牲を払った上で全体を見れば辛うじて勝ち、と言う形になるだろうが。
 ふと時計を見る。……既に最後に睡眠を取ってから四十時間が経過していた。医務室で寝込んでいた分の仕事を片付けようとした結果ではあるが、今ここで無理をして倒れでもしたら後々もっと困る事になる。そう考えてアールクトは机からピルケースを取りだし、錠剤を飲み込む。そうして仮眠用のベッドに倒れ込み、数分と経たないうちに寝息を立て始めた。

 夢だ。
 これは夢。
 赤い髪の少女がニコニコ笑いながら手招きしている。
 銀髪の少女が影の無い笑みを浮かべている。
 アールクトが望んで、望んで、望み続けて諦めた光景。
 その光景を作る事は出来ても、己がそこに入る事は叶わない光景。
 もう、二度と手が届かない泡沫の夢──。

 だからアールクトの寝起きは最悪だった。何故今さらあんな夢を見たのか分からない。夢占いと言う物が元の世界にあったような気がするが、よく覚えてない。同じような物がこの世界にもあるだろうかと思い、今度暇があったら調べてみようと思った。己の状態を把握するのは衛士の務めでもある。それが目に見えない精神の事なら、尚更。
 そこでアールクトは気が付く。己の頬に雫が伝っている事を。
「泣いてた……?」
 自分が? と自問する。まだ未練があると言うのだろうかと考えるが馬鹿らしいと頭を振る。未練などあるに決まっている。何時だって自分の選択を悔やんで、そのうえで最善の道を探しているのだから。もしもあの光景が自分の物になると言うのなら──それこそ悪魔にだって魂を売れる。それでも、やはりあの光景は現実にはなっても己の物にはならない。



「さてそれじゃあ始めましょうか。少佐のお墨付きも貰ったみたいだしね」
「はい」
 戦闘訓練を終え、武がまっすぐに向かったのは夕呼の執務室。そこにいるのは夕呼、武の二人だけ。アールクトもミリアもいない。
「まず00Unitについての説明から始めましょうか」
 そう言って夕呼はオルタネイティヴ計画の概要について説明していく。そして00Unitは非炭素系疑似生命体だと……。そしてそれが人の形をしているのは人にとっての容姿とは最も根源的なアイデンティティだと言う事。つまり……。
「じゃあ00Unitは……やっぱり純夏だって事ですか?」
「あら、あっさりと認めたのね。もっと逃避するかと思ってたけど」
「……それで現実が変わるならそうしますけどね……」
 じゃあ、と武は自分から口にする。
「あの脳髄も鑑純夏。そこから純夏の意識を移し替えた。その結果──脳髄の方の純夏は死んだ……ということですか?」
「驚いたわね。自分からそんなことを聞いてくるなんて」
 夕呼が軽く目を見開いているが、武はそんな称賛はどうでもいい。
「それで、どうなんですか?」
「ええ、そうよ。あんたが持ち帰った数式のお陰で脳髄から意識を移す事が出来た。BETAは生きたままばらばらにしただけ。殺したのはあたし。あんたは何も知らずに手伝っただけ」
 それは覚悟していたとはいえ、武にとってはショックだった。アールクトの言葉から、以前の夕呼への問いから。既に分かっていた事ではあるが、もう一度肯定されるとやはり動揺は隠せない。
「どうしたの? あたしが許せない?」
 そう言って夕呼は拳銃を手に取り武に差し出す。
「貸してあげるわ」
「何の真似ですか……」
「許せないなら私を撃ちなさい。遠慮はいらないわ。何なら後ろでも向く? それとも場所を変える?」
「どっちも必要ありませんよ。銃をしまってください。必要ありませんから」
 そんな風に……誰かのせいにするのはもう御免だった。何かのせいにして自分の弱さから目を逸らし続けるのは。
「俺は……その気になれば知れたんです。何度かおかしいってきっかけはあったのに……その度に純夏がいない方が良いんだって言う願望があって、そこで思考を止めてたんです」
 それに……と付け加える。
「生きている事と生かされている事は違う……自分の身体で世界を感じられる……自分で選択できる未来がある方が良いに決まってます」
 それを夕呼は黙って聞いていた。
「俺が最後まで責任を持って、00Unitの調律をやります。そして……許されるなら、俺がこの世界で生きていく限り……純夏を守ります。それが……俺に出来るたった一つの償いです」
 更に武は因果導体について夕呼に問う。それを彼女は予想していたように答えた。同時に夕呼には武が戻ったらどういう事が起きるか予想できていた事が分かった。そして自分のこれからの進むべき道。人のせいにする事じゃない。自分でやったことに自分で責任を持つと言う事。
「俺はもう一つ一つの悲しみや感情にその都度向き合うのはやめます……俺がやるべきことを全て終わらせてから……盛大に泣きわめきますから」
「…………そう」
「だからBETAをぶっ潰しますよ。絶対」
「確かにあんたは成長したようね。逃げ出す前とは大違いよ」
 夕呼が感嘆したように言った。そして思い出したように付け加える。
「そう言う意味ではグレイ少佐に近づいたとも言えるわね」
「……俺はあいつみたいにはなりませんよ。結局……あいつは……俺は失敗したんだ。最後まで守り切れなかった。だから今もここにいるんです」
 そう、なってはいけない。武は決意を新たにする。未来の自分の助力もあって、その上で失敗するなどあってはならない。
 夕呼は武に情報開示のレベルを武の成長に合わせて引き上げると言った。そして同時に00Unitの目的──。
「運用評価試験は本当はもっと早かったんだけどね……色々と事情が変わって少しだけ余裕が出来たわ。だからあんたはその間に鑑の人格を絶対に安定させなさい」
「分かりました」
「ちなみに出来なかった場合佐渡島が無くなるわ」
「はあ!?」
 流石にこれには武も驚いた。
「佐渡島が無くなるって……またどうして?」
「さあ? あたしもまだ詳細は聞いてないわよ。ただグレイ少佐がそうだって」
「…………了解です。そのつもりでやります」
「泣きごとや恨み事を言わなくなったわね。結構結構」
 そこで夕呼は直援部隊の話を始める。横浜基地の部隊は腑抜けていると。そして──あのBETA襲撃が夕呼の画策した物だと。それを聞いて一瞬血が頭に上る。それでも武は堪えて話を進めさせた。
 妨害も今や沈静化しつつあり、米国も手の平返したように協力的。もしも失敗したら期待が大きかった分、失望も大きい。最悪オルタネイティヴ5が即発動と言う事態すらあり得ると。
「とにかく、運用評価試験までには一定の成果を出しなさい。必要な物があったら言って頂戴」
 そして幾つかの注意をして夕呼は去っていく。
「……よし」
 武は自分に気合を入れるように小さく呟き、純夏のいる部屋に一歩踏み込んだ。

「あれ?」
 その日、ケビンは第二中隊の訓練を終え、格納庫に己の機体を戻した時に違和感に気が付いた。今まで格納庫の一角を占領していた機体──大破したYF-23の姿が無くなっていた。いよいよ廃棄されたのか、と思ったケビンは整備兵に機体を預ける際に尋ねてみた。
「YF-23ですか? 少佐がどこからか補修パーツを手配して下さったのでどうにか修理が出来ました」
 殆ど作り直しみたいな感じでしたけどね、と笑う整備兵にケビンは重ねて何気なく質問した。
「じゃあまた少佐が乗るんだ?」
「あ、いえ。どうも別の衛士が乗るみたいです」
「別の衛士?」
 となると誰だろうか、とケビンは頭の中で候補をリストアップする。とりあえず同じオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の面々は除外する。乗るならば既に本人には話が言っているだろうとの判断だが、間違ってはいない。
(伊隅大尉……は能力的に問題は無いだろうけど、壱型丙に乗って貰うって言ってたな。ならF-23Jの搭乗経験がある早坂大尉か? 或いは神宮司大尉かも。元教導団のエリートらしいし)
 だがどれも決め手に欠ける気がして結局聞いてみることにした。だがその返答は到底納得できるものではない。
「新任少尉って……何で!?」
「いや、僕も聞いてないんで……すいません」
 思わず八つ当たりの様な形になってしまったケビンは慌てて謝る。日頃から世話になっており、自分の階級が上とはいえ年上を相手にする態度ではなかった。そう思いながら。
 結局、他の整備兵に聞いても理由は分からないとの事なので上官であるギルバートに尋ねても答えは変わらず。なら本人に聞こうと思ったが、アールクトは任務で基地を離れている。
「どういう事だよ、一体……」
 これまで自分を率いてきた人の機体を新任少尉が使う。それはケビンには到底納得できない物だった。

 結局、純夏の様子は武が元の世界に帰る前と変わりがなかった。強いて挙げるなら今度は霞の行動にも僅かな反応を示していたこと。
 だが一つ気になる事があった。
(……私の手を離さないって言ってたのにタケルちゃんはどこかに行っちゃったよ……か。それってやっぱりこの世界の俺は死んでるってことなのか? それとも逃げ出した?)
 逃げ出した……つまりは純夏を見捨てたと言う事になるが、それは武としては考えたくなかった。別の世界とは言え自分が純夏を見捨てたと言うのは認めがたい。しかしそうやって現実から目を逸らしていては依然と変わりが無い。意を決して武は夕呼に質問する。
「この世界の俺について先生が知ってる事を全て教えてください」
「いきなりね。何かあったのかしら?」
 ただ知りたいってだけじゃ教えないと視線が語る。無論武もただ知りたい、それだけではない。
「この世界の俺の事を多く知ることで、純夏の調律がよりスムーズになると考えられます」
「……その根拠は?」
「この世界の純夏のリーディング結果の中に俺の名前が合った以上、この世界の俺と純夏も幼馴染。或いはそれに近い関係だったと推測できます。なら彼女の精神の安定のきっかけがつかめるかもしれません」
 そう答えると夕呼は胡散臭げな視線を浮かべてくる。
「何か妙にすらすら答えられたわね。もしかして少佐と入れ替わったりしてない?」
「してませんよ。その程度の事も分からないなんて先生もボケました?」
 あまりの夕呼の言葉に武も少々神経を逆なでするような言葉を返す。一瞬でピリピリした空気になる執務室だが、夕呼の溜め息でその空気は霧散した。
「そんな気の利いた嫌味を言うようになるなんて随分と成長したじゃない」
 評価を更に修正する必要があるわね、と夕呼は更に情報開示のレベルをもう少し上げると言った。同時に『男』としての評価は若干下げると。
「何でですか?」
「女性に対して年を連想させるような言い回しをする男は長生きできないわよ?」
 流石にここで「先生も年齢とか気にするんですね。少し意外です」とか言うほど武は空気の読めない人間ではなかった。
 少し思ったが。
「端末をあんたの部屋に運ぶわ。ちなみに本来新任少尉が得られる物じゃないからなるべく人には喋らないように。って言っても言いふらすようなことをしなければ部隊の連中に言う位は問題ないわ」
「分かりました」
「それじゃあ後でピアティフにでも届けさせるからそっちで見なさい」
「はい」
 端末の手配に少々時間がかかると言う事なので、武は一服しようとPXに立ち寄る。
 混む時間をはずしたからか、PXの中は空いていた。一角を除いて。
(……日本人じゃないよな……どっかで見た事あるような)
 席に着いている欧米系の顔立ちの衛士をちらりと見て武は記憶を探るが、すぐには出てこない。と、そうしていると一人と視線が合う。ちらりと確認した階級は中尉。このまま無視して視線を逸らすのもまずいと思い、武は敬礼するが返礼は無い。代わりに返って来たのは。
「シロガネタケル……?」
 どこか呆然としたような呟きだった。自分の名を呼ばれて武はそちらを改めてみる。同い年くらいの少年と青年の半ばに居るような年代の男。その視線は武にきっちりと向けられている。その呟きに反応したのか武に背を向けて座っていた一人が振り向いて武の方を見やる。
「あ、ホントだ。シロガネタケル」
 何でこんなにフルネームで呼ばれてるんだろうと思わないでもない武だが、振り向いた同年代らしき少女も階級は中尉。そちらに向けても武は敬礼するとすぐに返礼が返ってくる。それを見て少年の方の中尉も返礼したため、ようやく武は手を下す事が出来た。
「ね、君。シロガネタケルだよね?」
「はっ、白銀武少尉であります」
 直立不動の体勢でいると少女の方の中尉──シルヴィアがカラカラと笑った。
「そんなに堅くならなくても良いよ。うちも隊長の方針で気安い部隊だから。A-01と一緒」
 そう言われたので姿勢を武は緩める。そこではたと気付く。
(う……凄い睨まれている)
 少年──ケビンが視線で殺すつもりかと言いたくなるくらいの険しい視線で武を射抜いていた。シルヴィアは彼に背を向けているため、それに気付かない。快活に笑いながら武に質問を投げかける。
「で、さ。うちの隊長と親戚なんだっけ、少尉は」
「隊長ですか?」
 そう言われても彼女の部隊の隊長など武は知らない。尤も、親戚と言われて思い浮かぶ名前はあったが。
「うん。アールクト=S=グレイ少佐。以前少佐はそう言ってたんだけど……うん、見れば見るほどそっくりだね。ちょっと渋みは足りないけど」
 そう言われても武にははあ、と抜けたような返事しか出来ない。アールクトが彼女たちに何と説明しているか分からない以上ここで下手に何かを言うと嘘がばれる可能性がある。流石にそこから実は二人は同一人物だと気付く人間はいない──というよりもそれを真剣に考える人間がいたら本来ならそれは誇大妄想の類である。面倒なことに今回はそれが事実なのだが。兎も角、下手な応対で余計な疑惑を持たれる訳にはいかない。後でアールクトに作り話カバーストーリーを確認しておかなくては、と武は決めながらシルヴィアの質問にどうとでも取れる答えを返していく。
「と、そう言えばケビンさっきから静かだね?」
 ようやくそこでシルヴィアは後ろにいるケビンに視線を向けた。その時には彼の視線は武から逸らされておりシルヴィアの方に向き直っていた。
「ケビンも何か聞いたら?」
「……………………」
 シルヴィアの言葉に対するケビンの返事は無言。普段ならば人の事情根掘り葉掘り聞くなよ、とシルヴィアを諌めるのだがそれも無い。ただ黙って立ち上がり武の前に進む。それを武はどうするべきか迷っているとケビンが口を開いた。
「……認めないからな」
「はっ……?」
 返事をしようとしたら中途半端な疑問になってしまった。気の短い上官が相手ならこれだけでも叱責物だが、ケビンはそこまで気が回って無いらしい。
「お前が隊長の機体を使うなんて認めないからな!」
 そう言い捨ててPXを出ていくケビンを見てシルヴィアがあちゃーと額に手を当てる。
「しまった。そういえばさっきまでそれを愚痴ってたんだった」
「あの……俺何か中尉に失礼をしてしまったんですかね?」
 特に心当たりも無いが、初対面でいきなりあんなことを言われる理由としては今何かをしてしまったとしか考えられない。そう思った武がそう聞くとシルヴィアがパタパタと手と首を振る。その動きに合わせて後ろでくくった長髪が一緒に揺れ、無意味に大きな動きのようになってしまったが。
「いや、少尉は何もしてない……って訳でもないけど今回の件で少尉に責任は無いから気にしなくて良いよ。ケビン──さっきの中尉の個人的な鬱憤だから」
 不快な思いさせてごめんね、と頭を下げるシルヴィアに武は気にしてない旨を伝えるとそっか、と彼女は笑いながら席を立つ。
「じゃ、あたしはあの子追いかけるから。またね、シロガネ少尉」
 そう言って去っていく彼女とすれ違うようにPXに入って来たのは。
「ん? ハインレイ中尉が出て行ったが……何か話していたのか。白銀少尉」
「はい、神宮司大尉」
 その姿を認めた瞬間、武は敬礼していた。今までで一番綺麗な敬礼だったと自分でも思う位の敬礼を。それを見て僅かにまりもが目を細めたように見えた。
「ほう、今日はまりもちゃん呼ばわりはしないんだな」
「は、上官に対してそのような口の聞き方はあり得ません」
 そんな如何にもな答えにまりもが小さく吹き出した。
「別に無理しなくて良いわよ白銀……よく戻って来たわね」
「はい……ただいま、で良いんですかね?」
「そうね。あとそれはあの子たちにもちゃんと言ってやりなさい。みんな心配してたんだから」
 お互いに肩の力を抜いて。口元に笑みを浮かべながらまりもがそう言った。
「冥夜にはもう会いましたけど……他のみんなはまだですね」
「そう……直にみんな来るわよ。自主訓練を終えてさっきシャワールームの前ですれ違ったから」
 シャワールームという単語に武は殆ど無意識にその中を想像してしまう。もちろんそこで浴びているであろう人物の姿も。その気配を敏感に感じ取ったのかまりもが付け加える。
「……そういう想像は誰かを前にしてしない方が良いと思うわよ。白銀」
「してませんよ!?」
 していたけど、それでも肯定する訳にはいかない。その武の慌てぶりを見てまりもは笑みをこぼした。
「ふう……なんだか安心したわ。いきなり特殊任務だって言ってどっかに行っちゃったからどうなるかと思ったけど」
 そう言ってまりもも席を立った。
「神宮司大尉?」
「言ったでしょ。もうじきあの子たちが来るって。私がいない方が気兼ねなく話せるでしょう?」
 色々話すつもりだったけどそれはまたに回すと言ってまりももPXから出ていった。もうすぐここに来る少女たちに場を譲るために。

 そしてやって来た元207B分隊の面々と再会し、歓談した後、武は自室に戻る。そこには既に端末が運び込まれていた。それを起動させてさっそく望んでいた情報を探す。
 あったのはこの世界の自分の個人情報。
「……白銀家の次期党首……やっぱり武家の人間だったのか」
 母が柊町の出身。その隣家が──鑑家。
「そっか……親戚の家の近所の友人ってところか」
 大半は離れていたが、なんだかんだで元の世界の自分と同じような関係を築いていたらしい。
 そして──BETAの本土進攻の際、瑞鶴を奪いその後撃墜されたのを確認した……。
「戦術機を奪った?」
 その詳細を知りたいと思ったが、そこにはそれ以上の事は書いてない。後は撃墜場所。
「ってここって純夏の家じゃねえか……」
 そう。あの鑑家に上半身だけで突っ込んでいた撃震──あれは撃震ではなく瑞鶴だったらしい。破損した上半身と風雨にさらされて剥げた塗装からではそこまでは分からなかった。その事に一応の納得を覚えた武だがやはり疑問は残る。何故、戦術機を奪ったのか。仮に逃げ出すためならばあそこで撃墜されたのはおかしい。そしてこちらの武は本土進攻の際は柊町にいたというのだ。
 更に詳しい情報を得ようと武は端末を操作するが、それ以上の事は無い。後は白銀家の当主……白銀影明が京都で討ち死に。そしてこちらの武も死んだ事で白銀家は断絶した事になっている。
「親父……」
 別の世界の親とは言え、既に故人である事を知り武の胸に一抹の寂しさが過ぎる。仮に生きていたとしても会う事は叶わなかっただろう。それでも、感じた寂寥の念は隠しようが無かった。かれこれ数年会っていない。それを自覚すると苦笑が漏れる。今まで意識した事など無いのにこういう時にだけ思い出すなんて、と。
 他の情報──オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の事もあった。アールクトが、未来の己が行ってきた事。その中には部隊員の名簿もある。その中に見知った顔を見つけた。
「ケビン=ノーランド。階級は中尉か……」
 絡まれた、と言うのも若干の違和が付きまとう表現だが接点のあった人間の顔を見つけた。経歴を見ると部隊員の中でも古参らしい。設立当時からのメンバーで……大隊規模になった時から今まで生き残っている衛士。くぐりぬけてきた戦歴をみるとかなりの腕だと武も思った。そしてそれはアールクトにも当てはまる。
(尊敬していた隊長の機体を新任が使ったらそりゃあ納得いかないよな)
 とは言え、こればかりは武にもどうしようもない事だった。YF-23を武の乗機としたのはアールクトであり、武では無い。武が搭乗拒否したところでアールクトは無理に止めるとも思えないが、理由くらいは聞くだろう。そこで認めないと言われたから降りるでは格好がつかないにも程がある。それだったらまだ自分の実力を認めさせる方が有意義であると言える。と、そう思考を進めたところで武は気が付く。簡単な話だ。認めないと言うのなら認めさせればいい。
 そう決めた武は端末を閉じ、寝ることにした。明日からも訓練は続く。純夏の事もある。無駄に出来る時間など無いと思いながら……。

「あら、少佐。こんばんは」
「ん? 中尉か。こんな時間にどうした?」
 ミリアの執務室があるフロアを書類片手に歩く女性士官。既に兵舎は寝静まっている時間だろう。それはこの文官上がりの中尉も例外ではないはずだった。それゆえにアールクトは珍しいと感じながら彼女の隣を歩きながら廊下を進む。
「はい、グレイ博士に取り急ぎ確認して頂きたい案件がありまして。このような時間となってしまいましたが博士のところに」
「そうか。ミリアなら恐らくまだ何かしらの仕事をしているだろう。とは言え彼女も直に就寝するだろうからな。用事があるなら急いだ方が良い」
 アールクトがそう言うと中尉は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます少佐」
「気にするな。それよりも……」
 言葉を切りながらちらりと視線を中尉の腰元に向ける。より正確に言うならスカートの丈に。
「随分と短いな」
「ええ、殿方を誘惑するためですので」
 色っぽく笑いながら中尉がアールクトの方に身体を向ける。
「どうですか、少佐」
「ああ……危険だな」
 そこに視線を固定したまま言葉を続ける。
「特にその下にある物が気になる」
「あら……興味があります?」
「ああ、無いと言えば嘘になるな」
 笑みを浮かべながらアールクトが言う。
「どうしてこんな時間に文官である君が武装厳禁のエリアでそのような刃物をスカートの下に隠しているのか……気にならないはずがないだろう」
 そう言った瞬間に笑っていた中尉の顔から表情が消える。手元がぶれるように掻き消え、アールクトが指摘した刃物──無骨なサバイバルナイフをスカートの下から取り出し、姿勢を低くしながらアールクトに向かう。まさに一瞬の出来事。先ほどまで中尉が持っていた書類が宙を舞い、地面に辿りつく前に一連の動作は行われた。常人ならば何が起きたか分からずにナイフの餌食になっていただろう。だが、中尉にとっては不幸なことにアールクトは常人では無かった。
 突きだされた手首を掴む。そのまま捩じるように関節を極めようとするが思惑通りにはいかなかった。相手の反応も常人の域を超えていた。捩じられた瞬間に地面を蹴り、掴まれた腕を起点に跳び蹴りを仕掛けてきた。それを避けるために腕を放し身体を逸らす。そして互いに距離を開けて構える。
「……随分と刺激的な下着だな。危うく昇天してしまうところだった」
「あら、遠慮なさらずにじっくりと堪能して下さい、なっ」
 会話の間も攻撃は止まらない。ナイフで切りつけ、かと思えば急所を狙った拳の一撃。時には足技も絡めて来る。今のところ形勢は互角だが、そう長くないうちに負ける。アールクトはそう理解した。今ここに居る敵は己よりも近接戦闘に長けている。装備が整っていればまだやりようがあるが、徒手空拳では勝ち目は無い。戦術機でなら徒手空拳で完全装備の小隊位は潰せる自信があるが、生身ではそうもいかない。そこまでアールクトは己を万能にすることはできなかった。
(こうして堂々としている以上このフロアの監視は何らかの手段で沈黙させているのだろう。となると増援は厳しいな)
 今の状況で応援を呼ぼうとしても、通信機に手を伸ばした時点で己の喉に呼吸には不便な穴が開くか、心臓を一突きされるか。どちらにせよ望ましくない結果になるだろう。
 要するに、アールクトにはこの状況を打開する手が無かった。
 それをまず受け入れる。そのうえで考える。己の力だけでこの状況を打開できないならば、他者の力を借りれば良い。問題はいかにして仲間を呼ぶか。言い換えればここで異常が起きている事を知らせるか。無理だと結論が出た。時間をかければ誰か来るかもしれないが、今はその時間が無い。第三者が来るのと自分が殺されるのだったら殺される方が早い。半ば確定事項としてアールクトは思う。
 何らかの隙を作ると言うのも難しい。相手が一体どんなことで隙を作るかなど分からない。会話から隙を誘おうにも先ほどからかわしている言葉で行動の遅滞は見られない。つまり会話からは無理。何か外的要因。だがこれも先ほどと同じく時間が無い。
 ならば逃げるか?
(……難しいな)
 ここで背を向ければ斬られる。闘争から逃走に意識を変えた瞬間に命は無いだろう。
(まずいな……)
 滅多に感じる事の無い悪寒。そして全く打つ手の無い状況。後は運を天に託すしかない。そんな状況。
 そして幸運の女神は──。
「ん? 何をしているのかね。二人とも」
 アールクトには微笑まなかった。
 執務室から出てきたミリアの姿を見て同時に意識を逸らす二人。だが始まりは同時でも終着は全くの別。アールクトよりもコンマ一秒早く意識を眼前に戻した相手は右手に持ったナイフを突き出す。それを七割反射的に逸らす……が、そこまでだった。弓のように引き絞られた左拳が矢のようにアールクトの鳩尾に突き刺さる。腹部を中心に広がる衝撃。それをこらえながらアールクトは次の行動を起こす。相手の事を見る必要など無い。目の前に獲物ミリアがいる以上、彼女の取る行動は一つ。
 対象の暗殺。そのために彼女はここにいて、アールクトの戦闘はその目的達成の障害となっていたから行っていたにすぎない。無論、それは度し難い隙だ。堂々と背中を見せられたらアールクトとて彼女を仕留める事は出来る。しかし先ほどの矢の如き拳がアールクトの行動と遅滞させる。一秒。たった一秒が決して超えられない壁になる。その一秒で彼女はミリアの命を奪い、自身の命を失う。アールクトにとっては決して等価になりえぬ二つの命が、ここで消える。
(させられない)
 だが世界は無情だった。出遅れた肉体はどうやっても相手に追いつくことは無く、加速された思考は、感覚は相手がナイフを突き出しミリアの命を奪おうとする瞬間を克明に見せていた。
(俺のミスでまた彼女を死なせるなど……!)
 一度だけ。無数の繰り返しの中で一度だけミリアは自己要因ではなく他者が要因で死んだ。有体に言うならば殺された。アールクトが守り切れず、恐らくオルタネイティヴ5推進派からの者と思われる相手に。今でも克明に思い出せる。まだぬくもりが残っているが、既にその熱は失われるだけの状態になった彼女──。
 二度と見たくない。だが今、それが再現されようとしていた。
 世界がスローモーションになる。切先がミリアの喉元に吸い込まれるように進み──腰を捩じりながら上体を逸らすことで回避した。
 驚く暇は無い。そんな余分をしていたら降って沸いたような奇跡が無意味になる。だが次の光景には流石に驚くしかなかった。
 捩じった腰を戻す。その引き戻しの力を利用したミリアの小さい拳。その体躯にふさわしいそれからもたらされる一撃は教本に乗せたいほど見事な正拳突きだった。もちろん威力は大したことは無い。相手を一撃で昏倒させるような事はできない。精々が一瞬驚かせる程度。
 だが今はその一瞬で十分だった。
 アールクトが追いつく。完全に背中をこちらに向けている敵に。容赦なくその首に腕を回し、命を刈り取った。
「ミリア、無事か!?」
「見れば分かるだろう? 見ての通り健在だ」
 と、言われてもあの様に肝の冷える現場を見せられたら無事かと確認したくなるのが人情だろう。例え無事だと分かっていてもそう言ってしまう。
「ああ、私だ。ボディーパックを一つ頼む。ああ、そうだ。済まんね」
 既にミリアが後の指示を出し始めていた。そうしてアールクトに向き直り軽くため息を吐く。
「どうしたのかね、アールクト。近頃妙に精彩を欠いているように見えるが」
「俺がか?」
 もちろん、とミリアが頷く。例えば今だって背後関係を探るつもりならば殺す必要は無かったと。無防備な背中を晒していたのだから取り押さえるのも可能だったはずだと。そしてそれは的を得ていた。あの状況ならば命を絶たずとも良かった。その判断が間に合わなかったが故にその行動に出たという事になる。そして少し前までならその判断が間に合わないと言う事は無かった。
「……気が抜けたかね。自分の目的が達成間近で」
「……かもしれんな」
 ミリアの執務室のソファーに深く腰掛けながらアールクトが呟く。廊下には既に処理班が来ている。彼らに任せれば問題は無い。そんなことを頭の片隅で考えながらもアールクトの関心は先ほどのミリアの動きにあった。
「一つ聞きたいんだが良いか?」
「大方さっきどうやって避けたか……だろう?」
「ああ、俺はお前があんな動きが出来るなんて知らなかったぞ」
 そもそも、アールクトの記憶にあるミリア=グレイというのは先ほどの機敏な動きとは正反対だった。階段を上るのには難儀するわ、エレベータのボタンを押すのに苦労するわ、PXのカウンターに手が届かないわ……。
(……思い出したら涙が……)
 本当に、涙なしでは語れないほど色々あった。
 それがいきなりあれだ。昨日まで顔に水を付けることも出来なかった園児がいきなりバタフライを泳いだ位の驚きがある。
「私の特異性は主に脳に施された改造が原因だ。基本的に神経細胞が増強されたようだが……その主目的が記憶領域の拡大。そして思考の高速化。神経伝達速度の向上だ。因果情報の受け取りはあくまで予期せぬ副産物だよ」
 そこまで聞いてアールクトも納得がいった。要するに脳に受けた改造で反射神経が物凄く良い、と言う事らしい。ついつい因果情報の受け取りと言う副産物イレギュラーに目が捉われがちであるが、元々彼女が受けた施術はG元素を生物内に取り込んだ際の変質の研究の成果として受けた物だった。ならば主産物があるのは道理。確かにあの反応の良さは説明がつく──が。
「あの正拳は?」
「……以前シルヴィアとシオンに痴漢撃退で教わってだね」
 意外なところで役に立っていた。その対象となる痴漢──変態もフロリダ基地時代には掃いて捨てるほどいた。そう言った積み重ねがあの正拳なのだろう。
「で、話は戻るが大丈夫なのかね、アールクト。確かに今回は君の目的達成にこれまでにないほど近づいている。だが達成された訳ではないのだよ?」
 そう言うミリアの言葉に窘める響きは無い。ただ、案じていた。
「今君がいなくなっては私の計画に支障が出る」
 だがその感情を言葉にすることは無い。素っ気なく目的だけを見ている風に装う。
「分かっている。まだ佐渡島も、喀什もある。それが終わってもまだ地球上のハイヴがある」
 アールクトはそう答える。まるで自分に言い聞かせるように。まだ、自分には仕事がある。役目があると。そうしないと己を保てないとでも言うように。
 それを知りながらもミリアは何も言わない。今はまだ言う事が出来ない。アールクトが目的の為に様々な物を捨ててきたように、ミリアも自身の目的の為に色々な物を捨てて、抑え込んでいる。そんな彼女が余分を表に出す事は出来なかった。それを表に出せるのは──彼女の目的が達成された時にしかない。
「では行こうか。アールクト。目的達成に向けての第一歩を踏み出すために」
「ああ」
 だから、変わらない。二人の立ち位置は最初から最後まで。変わることなく平行線をたどり続ける。

 その日、武たちは第七ブリーフィングルーム──横浜基地内で最も広いブリーフィングルームに集められた。A-01だけでなくオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊も現在いる隊員全てがそこに集合している。普段行動を共にしない第一中隊さえもである。アールクトを筆頭に大隊が、A-01が一糸乱れずに整列している。そこに入ってくるのは夕呼、そしてミリア。
「敬礼!」
「あ~そういうのやんなくて良いって何時も言ってるでしょ? って言ってもやるんでしょうけどね。あんたは」
「規律ですので」
 号令をしたことで視線を向けられたアールクトがしれっと答える。本人も身内内ではさほど規律に厳しくない。だが、夕呼相手に敬礼をするのはアールクトのルーツが二回目の世界で夕呼に鍛え上げられた事であるからだ。もうどんな時に何を教えられたかなどは思い出せないが、どれだけ経とうと先生である事に変わりは無いのだから。
「まあ良いわ。まずは本題。年が明けて一月一日。甲二十一号目標攻略作戦、甲二十一号作戦の決行が発令されたわ」
 その言葉に室内が驚きの気配がさざ波のように広がる。それを気にしないようにミリアが言葉を続けた。
「後半月。帝国軍はもちろんの事、在日国連軍も作戦に参加する。日本帝国は総力を挙げて佐渡島を攻略する。それが──」
「表向きの理由。真実はこれ」
 そう言ってモニターに二つの機体の映像が表示される。
「XG-70bとXG-70c。凄乃皇弐型とヘルメス・サード。この二機を以て佐渡島ハイヴを攻略するわ」

05/08 初投稿



[12234] 【第二部】第十七話 追憶──終わりと始まり
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/05/29 01:22
「XG-70はアメリカで1975年に始まったHI-MAERF計画が生み出した、戦略航空機動要塞。その仕様オーダーは単機でのハイヴ制圧なんていう夢のような機体。ML型抗重力機関を備え、そこから発生するラザフォード場で機動制御及びBETAのレーザー兵器を無効化し、重力制御の際に生じる莫大な余剰電力を利用した荷電粒子砲による攻撃でハイヴを殲滅する。実際に要求されたスペック通りになってればそれに近い事は可能だったはずよ。だけど結局完成せずにお蔵入り」
 その要求スペックに室内の全員が唖然としている。単機でハイヴ制圧と言う夢物語以外の何物でもない話もそうだし、XG-70に搭載される兵装の技術力の高さもだろう。それは説明している夕呼とミリア、そしてアールクト以外は全員同じだった。誰もが多かれ少なかれ驚きを表情に張り付けていた。
「お蔵入りの理由は簡単だ。G弾。私たちには馴染み深過ぎるこの爆弾がML機関開発のスピンオフ技術で開発されてしまったからな。量産も簡単で一発落とせばそれで大体片が付くと言うお手軽さが売りの兵器がね」
 ミリアがやや皮肉気に唇をゆがめながら説明を引き継いだ。
「だがここで暮らしている諸君は分かるだろうが、G弾を使用した後の土地は重力異常地帯となる。周囲の廃墟には雑草も無いし、鳥や虫すらも寄り付かない死の土地だ。それをユーラシアで使えば土地を取り戻せても結局そこに住む事は出来ない」
「だからオルタネイティヴ計画権限でモスボール処理されていた機体を接収したって訳。今回の作戦はこの二機のテストが本当の目的になるわ。それに伴って、あんたたちの任務は二機の護衛」
 夕呼は今回が初の実戦投入だから不慮の事態に備えてこれだけ厳重な護衛体制を取っているが、本来ならばこの百分の一どころか二機だけでも制圧は可能なスペックを持っていると説明した。
「そうなればBETA大戦が始まってから何度も言われている人類の勝利と言う言葉に初めて現実的な可能性と具体性が付与されることになるわ」
 その言葉が全員の気を引き締める。自分たちの行動が人類の未来に関わってくる。これまでのように滅亡を遠ざけると言う負けを遠ざけるのではなく、人類の勝利と言う勝ちへと近づくための物。それは今までの任務では無かった物だ。それを確認したうえで夕呼は凄乃皇の説明を始めた。荷電粒子砲発射の際の注意、機体に近づきすぎないことなど──。
「さて、ヘルメス・サードも凄乃皇弐型と注意は同じだ。特にラザフォード場の制御はこちらの方が甘い。とは言え基本的にヘルメス・サードは遊撃を行う予定だ。諸君らの護衛は凄乃皇弐型が主になる。と言うのも凄乃皇弐型には近接防御兵装が付いていないが、ヘルメス・サードにはある。こちらの場合はML機関を用いての高速軌道と豊富な攻撃オプションによる一撃離脱がコンセプトとなっている。搭載されている兵装はこれだ」
 画面に表示される兵装の数々。36mmチェーンガンに始まり、120mm電磁速射砲。多目的VMLSに1500mm電磁投射砲という重装備。
「代わりにといっては何だがラザフォード場の制御が甘い。そのせいで荷電粒子砲の発射に著しい制限がかかっているのでそちらは無い物として考えてほしい」
 そうして作戦概要の説明が終わる。
「以上が甲二十一号作戦の概要となるわ。まだこれから細かい所に変更が入るかもしれないけど……今回の話を念頭に訓練して頂戴」
「解散!」
 そうしていよいよ甲二十一号作戦、佐渡島攻略に向けて時が進み始める。

 その後は瞬く間に過ぎていく。ハイヴ突入も視野に入れた訓練。
 それと並行して行われる鑑純夏の調律。彼女とA-01の顔合わせ。
 まるで時間を早送りにする事を望む誰かがいたんじゃないかと錯覚するほど、アールクトにとってその期間はあっという間だった。
 永劫。
 己の生涯を一言で表せと問われたらこの言葉に尽きるとアールクトは思っている。だからこの二週間と少しがこんなにも短く感じたのだろうか。永劫に近い時を生きてきた自分の体感時間は狂いつつあるのかもしれないと。だがそれでも構わない。
 たった一つの願いを叶えるために永劫を望んだ。永久に生きる事を選んだ。永遠に、救われない事を思い知らされた。
 だから、これで良い。
 これで良いのだ。
 既に、鑑純夏の人格は安定している。甲二十一号作戦の概要が発表されてから何日目か。残りの日数を数えた方が早い。
 そして自分に残された僅かな記憶から考えれば──こうなるのは至極当然の結果だった。きっと武を拒絶したその帰り道。兵舎の一角。
 目の前で彼女が泣いている。
 白銀武を拒絶して、自分ひとりで全てを片付けようとして、泣いていた。
 アールクトは何も言わない。
 何も言えない。
 言いたかった事はある。
 伝えたかった事は星の数とだって競える。
 これまで抱えてきた思いを吐き出したいとも思う。
 だけど、ここは白銀武の場所だから。
 アールクト=S=グレイが居るべき場所じゃないから。
 そして何より──ここにいる鑑純夏は己が愛した彼女じゃないから。

 何度繰り返してきたのだろう。
 何人見送って来たのだろう。
 何度絶望したのだろう。
 何個滅ぼしてしまった世界があるのだろう。
 アールクトが、始まりの白銀武が望んでしまった事によって多くの世界がその運命を狂わせた。死なせなくても良い人を死なせたかもしれない。滅んでしまう世界を救えたかもしれない。だがそのどちらも彼にとっては関係が無い。確実なのはその何れの世界でも彼の望みは叶えられなかったという事。
 だが、ようやく。ようやく、犠牲にしてきたもの全ての死を無駄にしないで済む事が出来た。
 鑑純夏と社霞を幸せにする。だが、その願いはいつしか長い時間を経て少し変わった。鑑純夏と社霞を幸せにさせる。ほんの僅かな言葉の違い。しかしその意味は大きく違う。己の手でか、他者の手で幸せにするか。
 もう、彼にも何回目の時か……主観時間で何年前か分からない。その時に悟ったのだ。

 ここにいる彼女は、彼女たちは自分が愛し、愛してくれた女性では無いと。

 当たり前だ。当たり前すぎる事に彼はその時にようやく気が付いた。元は同じ時間軸から別れた人間かもしれない。だが、そこにアールクトという異物が入れば違う人間になるのは必然。必然だと言う事に気が付いていなかった。目を背けていた。
 どの世界でも彼女たちは救いたい人間だった。どの世界でも戦友だった。だけど、決定的に違う。あの世界の人間ではない。愛することは出来なかった。
 救いたい。その想いは一体何故生まれたのか。虚数空間で問われた時に自分は何と答えたか。
『自分の惚れた女を幸せに出来ない方が苦しい』
 大前提としてそれがあったのだ。惚れていた……愛していたから幸せになって欲しかった。
 だが──愛していた彼女たちはもういない。
 それに気が付いた時彼は戦えなかった。どんなに死力を、最善を尽くしてもこれまでの世界の人達の死を無価値にしか出来ない。犬死にしかさせられない。
 だから、諦めたのだ。己の手で掬う事を。
 もしも二回目の世界で未来を知っている人間がいたら。そうしたらあの結末は変えられたのではないか。それだけを祈って、願って、望んで、そうしてようやく辿りついたのだ。この世界に。
 アールクトを名乗る白銀武が居て、世界を救えて、二人を幸せに出来る白銀武がいるこの世界に辿りつくことが出来た。
 だからこれで良い。
 どこかで、どこかの世界で白銀武が鑑純夏と社霞を幸せに出来る世界がある。それが叶っただけで良い。
 自分は最後に先達として言葉を贈ろう。
「大切な物は一度たりとも手放すな。決して目を逸らすな。そうすれば、失わずに済む」
 自分は一度手放してしまったから。目を逸らしてしまったから。だからもう──。
「……少佐?」
 まだ鑑純夏はこちらの正体に気付いていないのだろう。極力接触を避けてきたし、リーディングブロックもしている。武からのリーディングも人格が安定してからはブロックしている。だからきっと気付かない。それで構わない。きっと彼女は傷付く。別の世界の白銀武とは言え、別の世界の自分が原因とは言え、こんな風に永劫回帰の中に囚われた自分を見たらきっと自分のせいだと思ってしまう。これ以上彼女に重荷を背負わせたくない。その小さな肩に有り得ないほど重い物を背負わされているのだから。
「そら、そのうちまた奴が来るぞ。涙を拭いておかないとさっきまでの演技が台無しだな」
 そう言って口元に笑みを浮かべる……上手く出来たかは不安だが。
「えっと……その……」
 何が何だか分からないと言う顔をしている。それはそうだろう。偶然会った人間がこれまでの状況を全て知っているように行動したら彼だって驚く。
 だけどアールクトは彼女のその疑問に答える事は無く、背を向けた。
「お邪魔虫は早々に立ち去ろう。まだ馬に蹴られたくは無いからな」
 既に廊下の角から武の姿が見えていた。それを見て頑張れよ、と心中でエールを送る。それがアールクトに出来る最後の応援だった。
 そうして歩く。彼らに背を向けて。そうして、彼らが立ち去ったのを気配で察し、小さく呟いた。
「さようなら。純夏」


 空を見上げる。視界に飛び込んでくるのは月。BETAに占領されて尚、美しく輝くそれはアールクトの脳裏に過ぎ去った遠い昔の情景を思い起こさせた。こんな月の夜。どこかで誰かと語った守りたい物。今となってはそれはもう思い出す事が出来ない。その事実はアールクトの中にまた一つ喪失感を刻んだ。
「……ミリア」
「良い月の夜だな。アールクト」
 滅多に外に出る事のないミリアがこうしてここにいる。その意味は分かっているが、アールクトは何も言わない。ミリアも、口を開かずに月を見上げる。月光を受けて彼女の髪が輝く。それはまるで月の女神のように美しかった。だがその美しさも、今のアールクトには届かない。ただ、黙って空を二人して見上げた。
「こうなるのを望んでるはずだった」
 ようやくアールクトが口を開いた時には十分以上が経過していた。その言葉をミリアは黙って続きを促す。だがアールクトもすぐには次の言葉が出てこない。彼自身も何を言えばいいのか戸惑っているようだった。長い年月を過ごしてきた彼が戸惑うような事態。こうなる事に納得していたはずだったのだ。
「この世界の純夏は俺の愛した純夏じゃない……霞も、他のみんなも……別人なんだ」
 確かに限りなく近しい人間ではある。だが、同じではない。決して同じにはならない。例えば霞。純夏が死なずにこうして生き残った世界で死んでしまった世界と同じように彼女が成長することは有り得ないだろう。例えば純夏。彼女が死ぬ間際にまで感じていた物はこの世界の純夏は一生感じる事は無い。
「幸せにしたかった……でも、どうしたって俺はあいつらを俺の世界のあいつらと比べちまう」
 だから、待っていたのだ。鑑純夏を救える白銀武を。それはアールクトも考えた末の結論のはずだった。そうして彼は己の名前を捨て、裏方に徹するつもりだった。
 なのに今感じているのはどうしようもない寂寥感。胸にぽっかりと穴があいたような感覚。
「やっと俺の願いが叶ったはずなのに……どうして……」

 ──どうしてこんなにも虚しさだけが募る?

 一つで良い。たった一つでも純夏と霞が幸せになってくれてる世界があればよかった。あの日、共に戦った戦友たちが生き残ってくれる世界があればよかった。
 そしてそれは成った。幾億幾万の世界での失敗を礎に、新たに得た戦友たちの屍の上に。
 同時に悟らされた。当たり前のことをようやく悟った。目を背け続けてきた事に目を向けた。

 一番最初の願い。己の愛した二人を幸せにするというのはもう、どうやっても不可能なのだと。

「俺は……俺にはもう……理由が──」
 アールクトの足元に光が宿る。パラポジトロニウム光。アールクトは自身の目的を達成したことで、そして己の存在意義を疑った為に彼はこの世界から放逐されようとしていた。それに気付いているのか、いないのか。ミリアは背伸びをして手を伸ばす。
「理由がないのなら」
 そうして伸ばした手でアールクトの頭を引き寄せて抱きかかえた。それにアールクトは抗わない。はたから見ると背の低い少女に大の男が縋りついているようだった。
「私の為にここにいてくれ」
 事実、それは縋っていた。まるで、寄る辺を無くした人間が神に縋るように。
「どの世界でも言えなかったんだ。どの世界でも言う余裕がなかったんだ。どの世界でも言う勇気が出なかったんだ。だけど今、この世界でなら言える」
 ミリアがずっと隠していた本心を明らかにする。何億、何万の世界の彼女が言おうとしても言えなかった言葉を。
「私はずっと君が好きだったんだよ。どの世界の私も、君の事が。白銀武だった君も、アールクト=S=グレイの君も」
「ミリア……?」
「好きになってくれとは言わない」
 そう言ってアールクトを抱きしめるミリアの表情は彼からは見えない。だが、それでも彼女の言葉に嘘が無い事は分かった。
「君がこれまでずっと愛してきた人間を忘れろなんて言わない」
 周囲の喧騒が聞こえない。まるで世界からここだけ切り離されたように、静寂が満ちていた。既にパラポジトロニウム光は消えている。月明かりだけが二人を照らしていた。
「それでも、私は君の事が好きで、支えたいと思っている。だから、少しくらいこうやって寄りかかってくれて構わない。どの世界でも私は精神的に君に寄りかかっていたんだ。これくらい借りを返すうちにも入らんさ」
「あ…………」
 アールクトの瞳から涙が零れる。その涙が一体どんな感情に起因する物か、本人にも分からず。だけど一度流れ出すと止まることなく──。
 子供のように泣き声をあげる彼の頭をミリアは慈愛に満ちた表情で撫でる。彼女としてもこんなタイミングで想いを告げるのは卑怯だと思わないでも無かったが、我慢できなかった。それでも今だけはアールクトの心を支えたいと思ったのだから仕方ない。そう自分を納得させた。




 そうして、最後の鍵が開かれた。

 ◆ ◆ ◆


2011年9月23日
「クーデター……ですか?」
「そ、とうとうと言うか、何と言うか。いよいよ爆発したみたいよ」
 そう夕呼は大した事ないと言うが、そんなはずは無いだろうと武は思う。地球上のハイヴは殆どが駆逐されたとは言え、まだ少数残っている。加えて現在は月面のオリジナルハイヴ攻略の為に様々な準備を推し進めている段階だ。そこでクーデター。影響が出ないはずがない。ましてやそのクーデターが起きた国が──。
「でも本当なんですか? 米国でクーデターだなんて」
 アメリカ合衆国。桜花作戦が成功した今でも尚強い権力と武力を持ち、地球の守護者たる国家。彼の国が無ければオリジナルハイヴ制圧後とて物量に押し切られ、人類は滅亡していただろう。それを免れさせたのが米国の武力であり、その高い質であった。
 その未だ世界の中心と呼べる米国でクーデター。それが武には理解できない。こう言っては何だが、そんな事をしている状況ではない事は分かっているはずなのに。
「声明見る? あまりにバカらしくて笑えるわよ」
 そう言ってスピーカーから流れてきたのは英語だが、武もそれなりに聞きとれる。そしてその内容は──。
「……本気ですか、これ?」
「向こうは至って本気みたいよ? 桜花作戦に続いて月面攻略まで黄色い猿が仕切るのは我慢できない。そんなふざけた事を認めた現政権は即時解散……まあ後は色々言ってるけど要するに自分たちで仕切れないのが嫌って連中の集まりよ」
 それは武にも理解できた。正直な話、12・5事件の時も思ったが今はそんな事をしている場合じゃないだろうと思う。だが、これもまた彼らにとっては譲れない誇りなのだろうか。
「だけど連中だけでこれだけの大規模なクーデターは起こせない。裏には旧オルタネイティヴ5派の残党がいるわ」
「……それもとびっきりの過激派、ですね」
「そう言う事になるわね。で、国連本部からの要請。英雄殿の威光を以てクーデターを迅速に鎮圧せよ、ですってよ」
「英雄、ですか」
 その言葉に武は苦笑いを浮かべるしかない。そんな大層な事はしていない。やって来た事と言えば必死になって大切な人達を守ろうと戦ってきただけ。そうしたらいつの間にかそんな風に呼ばれるようになっていた。
「一応要請って形になってはいるけど事実上の命令よ。これは」
「ええ、分かってます。手配はどうなってますか?」
 その武の既に行く事を決めた言葉に夕呼は口を開きかけ、止めた。十年前ならいざ知らず、今の武なら夕呼が言わんとする事に気付いていないはずもない。それをわざわざもう一度確認するなど愚者の行いでしかない。
「こっちでやっておくわ。出来次第連絡するから」
「分かりました。では失礼します」
 その背を送りながら夕呼は不意に基地内電話を手に取る。
「あ、もしもし。霞かしら?」
 どうせあの男は何も言わずに行くつもりだろう。それを後から知って悲しむ娘の姿を見たくもないし、可能性としてはかなり低いが万が一があったらその悲しみは何倍にもなる。
 我ながらお節介になったものね、と苦笑を浮かべながら夕呼は僅かな時間の娘との会話を楽しんだ。

「さて、と」
 呟きながら武はペンを置く。そしてそのまま先ほどまで文字を書いていた紙を折りたたみ机の中にしまう。そこに書いてある文字は遺書。出撃の前に万が一を考えて書いていた物だ。
「無駄に終わってくれるのが一番良いんだけどな」
 遺書なんて物は帰ってきてからバカらしい事を書いたと笑いながら破り捨てるのが一番良い。それが役目を果たすような事にならないようにするのが一番良いと武は思う。
 それでも、その紙が誰かの救いになる事は部下を見送って来た彼も良く知っている。
「……明日の今頃は北米大陸か」
 既に輸送機の手配は済んでいる。後数時間で出発という状況だ。
 クーデター鎮圧に派遣される事が決まってから武はまだ霞に会ってない。改めて会うつもりもないし、会ってもこれから任務に赴くことを話すつもりは無い。
「……まだPXに人いるか?」
 時計を見て時間的に微妙だと思う。結構遅くなってしまった。何も食べていないので何か作って貰いたいところだが、今から行っても既に片づけているかもしれない。それでも行くだけ行ってみようと思い席を立ち、扉のロックを解除して出ようとしたところで。
「……あ」
「……何してんだ、霞」
 片手で器用に食事を乗せたお盆を掴みながら、しかし開かない扉を前におろおろしている霞がいた。
「その……一緒に食事をしようと思って持って来たんですが……扉が開かなくて」
「両手がふさがってるから呼び鈴も鳴らせなくて?」
「……はい」
 恥ずかしそうに顔を伏せる霞を見て武は己の表情が緩むのを感じた。逆に気付かぬうちに強張っていたらしい。
「一回床に置けばよかったのに」
「……そうですね」
 本当に考えつかなかったらしい。盲点、と言いたげに目を見開く霞の手からお盆を自分の手に移す。
「とりあえず入れよ。一緒に食うつもりだったんだろ?」
「はい」
 そう言って霞を室内に招き入れる。余談だが、その光景を見た某兵士により「白銀中佐は部屋に女をつれこむ時食っちまうけど良いか? と言って連れ込むらしい」と言う
噂が囁かれるようになり、流石英雄は違うとどうでも良い誤解を受けるようになった。加えて「やっぱり中佐はロリコンじゃないのか?」という議論が発生し、KFC(霞ファンクラブ)のメンバーとその他の間で「霞嬢はロリか否か」で熱い議論を交わしたらしいが、これは心の底からどうでも良い話である。
 簡素なテーブルにお盆を二つ置き、向かい合って席に着く。
「いただきます」
「いただきます」
 二人で手を合わせ、箸を取る。例によって例の如く、二人とも合成サバの味噌煮定食である。
「ところでどうしたんだ? わざわざ部屋に持ってきたりして。何時もは時間が合った時にPXで食べてるのに」
「武さん、あーん」
 武の口を塞ぐように霞がサバの味噌煮の一部を武の口元に運ぶ。それを払いのけることなど出来る訳もなく、口に含み咀嚼する。相変わらずの──否、以前よりもより美味しくなっているそれを飲み込み再び武は問いを口にする。
「で、霞。さっきの質問なんだけど──」
「武さん、あーん」
 またもやあーん攻撃。どうやら霞はその事に触れてほしくないらしいと言う事は流石に鈍い武でも分かった。だから武はその疑問を口にしない。代わりに、
「霞、人参は自分で食べなさい」
 頭を軽く叩くに止めた。
「……あがー」
 以前教えた通りの反応をしている霞に武は笑みを浮かべ、人参を食べて涙目になっている彼女を見てそれは苦笑に変わった。
 それなりに年月が過ぎて色々と変わったように見えたが、本質的なところは変わってないと分かり、少し安心の様な感情を抱いた。
 そうして二人とも食事が終わり、武の部屋に備え付けてある合成玉露(自腹で買った物)を飲みながらまったりとしていた。弛緩した空気の中、霞が口を開いた。
「武さん」
「ん? 何だ」
「アメリカに行くんですね?」
 回りくどい言葉は一切なく、直球で来た。だから武も誤魔化す事なく素直に答える。
「ああ」
「クーデターを鎮圧しに?」
「そうだ」
 既に武には何故霞がそれを知ったかは見当がついている。この事を知っているのは武の部隊と準備中の輸送機のスタッフに夕呼だけだ。そしてその中で一番霞に知らせそうなのは夕呼しかいない。
「どうして言ってくれなかったんですか?」
「それは……」
 余計な心配をかけたくなかったから。だが霞は遅かれ早かれ武が派遣された事を知るだろう。結局変わらない。それを理解したうえで武は霞に言わない事を選んだ。それは何故か──。
 きっと会ったら別の言葉を言ってしまいそうだと思ったから。
「武さん、私は前に言いましたよね? 私はあなたを好きですって。それは今も変わりません」
「ああ、忘れてない。ちゃんと覚えてる」
 あれから二年。ずっと答えを避けてきた。我ながら女々しいと思うが、それでも彼女にその告白に対する答えを返すのを避けていた。
「だから……好きな人が何も言わずに行ってしまうのはとても、悲しいです。それにさびしいです」
 そんな風に自分の心の内を晒す霞を見て武は言うつもりの無かった事を言った。
 ずっと胸の内にしまっておくつもりだった事を言った。
「正直に言うとさ、俺は戦いたくなんて無いんだよ」
 それは弱音。
 この世界で生きていくと決めた時、絶対に漏らさぬと自分に誓った弱音。
 純夏が自分たちの為にもう一度その身を捧げてくれた時に二度と吐かないと決めた弱音。
「なのに、気が付いたら俺の戦いは俺だけの物じゃ無くなって。知ってるか? 俺がいるかいないかだけで兵の損耗率が一割も違うんだぜ」
 厳密な意味での損耗率の計算など出来ない。戦場に於いて全く同じ状況と言うのは有り得ないのだから。だが、事実として彼が参戦した戦場での兵の損耗率は明らかに少なかった。一目見ただけで違うと分かるほどに少なかった。それは天照と言う個が持つには過剰な戦力の投入と言う意味だけでなく、士気の意味で大きな差があった。
「俺が戦場に居るだけで損耗率が下がる。俺がいなければ死ななくても良い奴が死ぬかもしれない。それが……怖い」
 一人じゃ何も出来ないはずだった。
 みんなで力を合わせないとBETAには勝てないはずだった。
 だけどまるで世界は彼が、白銀武と言う英雄がいれば勝てるような空気がある。そんなことは有り得ないにも関わらずそんな空気がある。
「だから俺は弱音を吐いちゃいけない。英雄白銀武じゃないといけない」
 それに気付いた時、彼にはもう逃げる事は出来なかった。
「吐いちゃ、いけなかったんだけどな」
 はあ、と深くため息を吐く。こんな事を霞に言っても自分の気が僅かに軽くなるだけで彼女には重荷でしかない。分かっていたのについ言ってしまった。
「ごめん、霞。こんな事愚痴っても」
 仕方ないのにと続けようと思った。だけど続けられなかった。
 それを口に出す前に武は霞に抱きかかえられていた。
「弱音、言って下さい」
「霞……?」
 抱きかかえられている武からは霞の表情が見えない。だけど、何となく微笑んでいるような気がした。
「武さんは何時も一人で頑張りすぎです。純夏さんみたいに」
「そう、かな」
「はい。とてもよく似ています」
 そう言われればそうかもしれないと武は思った。あの時も、純夏は武に何も言わずに最後の戦場に赴いた。あの時と、今の自分は同じかもしれない。余計な心配をかけたくないから黙って出撃した彼女と。
「でも、そうして置いてかれる方は……辛いです」
 そうだった、と武は十年前を思い出す。あの時は自分が蚊帳の外で。全員に気を使われていて。
「だから、こうやって武さんが本当の事を言ってくれるのは嬉しいです。ずっと、苦しんでるのを知ってましたから」
 その言葉に武は自嘲の笑みを浮かべずにはいられなかった。
「みっともないな、俺」
 結局、自分のやせ我慢なんて見え見えだったらしい。それを必死に取り繕おうとしている自分は霞の目にどれだけ滑稽に写っていた事か。
「……いいえ。武さんは凄いと思います。普通はあんなに一人じゃ戦えません」
 でも、と霞は続ける。
「私も頼ってください。愚痴、吐いても良いです。弱い姿、見せても良いです。世界で英雄と呼ばれていても武さんは武さんなんですから。英雄白銀武じゃなくてただの武さんに戻れる時間も必要だと思います」
 その言葉で武は自分が安らぐのを感じた。ずっと張りつめていた糸が切れる前に静かに緩められた。そんな感覚。
「なあ霞……」
 武は抱きかかえられたまま霞に呼びかける。そして霞もそれに静かに答えた。
「はい」
「俺は……霞の事が好きだ」
「…………」
「でも、やっぱり純夏の事も好きなんだ」
「……分かります」
「忘れることなんて出来ない」
「……はい、私もです」
 武からは見えないが、霞の手が自分の髪を一つに束ねているリボンに伸びた。そこにあるのは純夏のリボン。きっと何時まで経っても純夏を忘れる事は出来ないと二人とも思っている。
「それでも良いか? こんな中途半端だけど、それでも俺は──」
「もしも、武さんが純夏さんの事を忘れてしまうなんて言ったら、私はきっと武さんの事を嫌いになったと思います」
 霞がどうして武を好きになったか、その理由は本人にも良く分からない。初めてまともに会話をした異性が彼だったからかもしれない。ずっと心を見ていた彼女の中に一番多く出てきたからかもしれない。だけどその理由の中に彼がとても優しい──今はいない人たちの事を忘れずに大切に思い続けている事があったのも事実だ。
「だから、忘れないって言ってくれて嬉しいです。私も好きだって言ってくれて嬉しいです」
 随分と遠回りをした、と武は思う。本音を言えばきっと五年くらい前から霞の事は異性として好きだった。三年前に海でもう一度告白された時、頷こうと何度も思った。だが、やっぱり純夏の事を忘れられなかった。そんな自分が霞の思いに応える資格など無いと思っていた。だが彼女はそれで良いと言う。そうでなくては嫌だと。
「霞……」
「はい」
「今夜はこのままで良いか?」
「……はい」
 そのまま、二人はベッドに横たわった。互いのぬくもりを求めるように身を寄せ合って。

2011年9月26日
 その日は既にクーデターが発生してから三日が過ぎていた。
 クーデター側は一つの基地に籠城を余儀なくされていた。
 こんなはずでは、と誰かが言った。最初は順調だった。主要行政機関を押さえ、首都機能を完全に掌握した。政権の首脳陣は既に退避していたが、ワシントンDCを押さえたと言うのは様々な面で優位に立ったはずだった。
 それが二日前の事。
 そしてその日、極東から来た派遣部隊。彼らによってワシントンDCは奪還。首脳陣も戻ってきてあっと言う間に国家反逆者になってしまった。
『……こちらブラボー1。異常は無い』
『チャーリ1、同じく』
 近辺を哨戒している部隊から通信が入る。それを聞いている一人の衛士の表情は強張っていた。
 彼が乗っている機体はF-42A レクス。F-22Aの後継機として建造された第四世代戦術機である。その設計にはF-35やF-15SEなどの近接格闘に長けた機体のデータも反映されており、F-22Aの短所であった格闘能力を大きく向上させた上で他の能力も軒並み向上させたまさに最強の機体と呼ぶべきものだった。つい先日までこの機体に乗っている彼もそれを信じて疑わなかった。極東で作られたと言う化け物戦術機にも勝てると思っていた。
 だが──それが大きな間違いであった事が証明された。
『HQより各部隊へ。基地のレーダーが接近する機影を補足した。高度三千メートルを飛行中。サイズから奴と思われる』
 その通信が入った時、彼の身体に震えが走った。
 来てしまった。ついにあの悪魔が来てしまったと。
 そして、上空から降下する星が──いや、戦術機があった。単独飛行能力を有する戦術機。そんな物はこの世に一機しか存在しない。
 それは白銀の装甲を煌めかせていた。
 それは英雄として崇められていた。
 それは武神として尊敬されていた。
 そしてそれは、今ここで死神として恐れられていた。
『Shit!』
 通信回線にスラングが撒き散らされる。様々な言葉が飛び交うが、それら全ての意味するところは一つ。
 今目の前にある絶望に対する悲嘆だけだった。
『SunShine...』
 誰かがその機体名を呟いた。それに応えるように白銀の戦術機が背中の兵装担架にマウントされた長物を構える。誰も動けない。既に殆どが諦めている。中にはあれがBETAに向けて撃たれるのを見た事がある人間もいるのだろう。そう言った人間はあれの破壊力を良く知っていた。
 閃光が迸る。その光に網膜を焼かれ──その場に居た衛士は、戦術機は一機残らず破壊されつくしていた。

「……くそ」
 武は戦術機の管制ブロックの中で小さく悪態を吐く。
 天照はこれが初の実戦になる。既に運用テストは何度も行っているが、実戦が対人類になるとは武も考えていなかった。荷電粒子砲を撃った後の強制冷却。ラザフォード場による反動の打ち消し。全てが正常に動作していた。初の実戦だがそれに対する機体への不信感は無い。テストで順調だったと言う事もあるが、ここには純夏がいる。それだけで無条件の信頼を寄せたくなる。
 だから武の悪態は機体に対する物ではない。今撃った一射。荷電粒子砲の一撃に対する物だ。
 武は今回これを使わなくても事態を収束できると思っていた。実際、使わずともどうにかなる戦力だった。しかし最新鋭の第四世代機を相手にそんな事を考えられるのは彼ぐらいだった。クーデター鎮圧部隊の隊長──つまり今回の作戦に於いて武よりも上の権限を持つ人間はそうは判断しなかったらしい。
 まず単独での先制攻撃。荷電粒子砲の一射を以て敵防衛網の一角を切り崩し、本隊の突入口を作れと言う物。
 拒否できない事もない。だがここで拒否した場合、夕呼の立場が悪くなる。そして、この機体──天照の存在意義自体が問題視される。明らかに量産できない機体。それを運用するには、身を捧げた純夏を守るためには単独でも戦果をあげられると言う事を証明し続ける必要がある。英雄の機体だと示し続ける必要がある。
 だから撃った。
 ひょっとしたら通常戦力なら生き残れたかもしれない相手もまとめて吹き飛ばした。
 今の一射で何人死んだのだろう。
 データマップに表示されている光点は最初よりも格段に減っている。最初の数が──確か137。そして今の数は、23しかない。114人。名前も顔も知らないそれだけの人間。彼らは一体何のために戦っていたのか。それすらも分からずに。
「……くそっ」
 今度はやや強めに悪態を吐く。悔やんでももう遅い。命令だったからと言う言い訳は出来ない。あくまで自分の意思で引金を引いたのだ、と武は己に言い聞かせる。ここで命令のせいにして罪の意識から逃れることなど許されない。今ここで散った114人。それが誰かは今は分からないけど、その死を背負わなければいけない。
 そうして小さく息を吐き、気持ちを切り替えた。
 ここから先は英雄が必要とされる。多くの血の上で成り立つ英雄が。
 白銀の機体が次なる獲物を求めて動き出した。

 その光景を画面越しに見ている人間がいた。
 二十代くらいの女性。金色の髪を肩で切りそろえている。その視線は険しく、焦りを感じさせる表情だ。その言葉を向けた先にいるのはクーデターの事実上の首謀者。この基地を占拠した後、こうして彼女は彼の説得を続けていた。
「降伏するべきだわ。今ならまだ間に合う」
「降伏!? 今ならまだ間に合う!? 何をバカな事をいっているのですか、博士。私たちにそんな選択が出来るわけがないでしょう!」
 博士と呼ばれた女性はその言葉に歯噛みする。ああ、確かに無理だろう。今までどおりに優雅な生活はまず間違いなく無理。良くて終身刑だろう。
 だが、それでもここで捕えられても同じ事。ここから逆転する可能性など微塵もない。
「あれは極東から派遣された英雄です。もはやこの基地の防衛戦力であれを落とす事は不可能だ」
 彼女はここにいる人間よりもほんの少しあの機体の事を知っている。主機に使用されているのはML機関。そこから発生するラザフォード場は同じラザフォード場でしか突破できない。つまりこの基地の戦術機ではあれに傷を付けることすら出来ないと言う事だ。
「ええ、よおく分かってますよ。あれを落とすのは無理だ。この基地の防衛戦力では」
「だったら──」
「ですが、防衛戦力以外でなら……」
 その言葉に女性は意味を理解しかねると眉をひそめ──一瞬の後に得心の表情に変わった。
「正気ですかアルベルト!」
「どの道私は破滅だ! だったら──せめてあの忌まわしい悪魔だけでも道連れにしないと気が済まない!」
 この基地はかつてとある計画の中心地だった。
 その計画が中止になった時、計画に関わるものは殆どがここに運び込まれた。
 だから、ここには女性が危惧した物がある。
「そんなくだらない考えの為に、ここに居る人間全てを犠牲にすると!?」
「構いません! どうせ私は死ぬのだ、それがここか牢獄の中か。その程度の違い! 他の人間など知った事か!」
 それを聞いて彼女の脳裏に諦観の念が過ぎる。どうして、かつての私はこんな人間を同志だと思ったのだろう、と。
「もう一度言います。アルベルト。考え直してください」
「しつこいですよ、博士」
「そうですか……」
 ならば、と彼女が取り出したのは護身用の拳銃。弾数は二発程度だが、十分に殺傷能力がある。それをアルベルトと呼んだかつての同志に向けた。
「……撃ちますか、博士?」
「……く」
 引金を引こうとする。だが引けない。ここで彼を撃たなければ大勢の犠牲が出る。それは分かっているが、こうして引金を引こうとすると身体が固まる。
「ええ、あなたはそう言う人だ。優しすぎる」
 そうして彼も同じように拳銃を構えた。
「反吐が出るほどにね」
 彼は躊躇いもなく引金を引いた。
「あっ……」
 痛みは無い。最初の弾丸でそれを感じる機能を持った場所をまとめて吹き飛ばされたらしい。ただ、身体のあちこちを鉛玉が貫く感触だけが残った。
「さようなら、博士。私はあなたが大っ嫌いでしたよ」
「っ……」
 既に言葉は出ない。倒れ伏した身体は一切の自由が利かず、ただ部屋から出て行くアルベルトの靴を見送るだけだった。

 何機目だろうか。
 あれから数十機の戦術機を撃破した時、ML機関に異常が検知された。一瞬だけの出力上昇。それは制御可能なレベルだったが、武は操作していない。
「何だ……?」
 前後の操作ログを呼び出すが特におかしなことは無い。と思った瞬間に警報が鳴り響く。
<重力偏差警報>
「な!」
 ラザフォード場の制御が乱れたのかと危惧したが、己の身体に異常は無い。機体にも異常は無い。
 異常は外──戦場全てに起こっていた。
「これは……」
 視界に僅かに映った黒い光。その正体に気付いた時、武は戦慄した。
「全機、全速後退! 今すぐ基地から離れろ!」
 だがその命令は遅かった。先ほどまで戦闘中だった部隊はすぐに後退する事も出来ず──そうでない部隊もその命令に即応できなかった。
 そして武自身も。気付いた時には逃げる事は手遅れだった。
「ML機関、出力最大! ラザフォード場を全方位に展開!」
 武のその叫びに、彼の防衛本能に従い、天照のML機関が全力運転を開始しラザフォード場を最大で展開する。
 そうして世界が黒い極光に覆われる。

 G弾。オルタネイティヴ5の基幹戦略、バビロン作戦で使用される予定だったG弾の一部。それがクーデター派の籠城していた基地に保管されていた。その数14。その全てが炸裂し、周囲全てを飲み込もうとその貪欲な口を開く。
 周囲に展開していた戦術機がその黒い光に飲み込まれていく。多重乱数指向重力効果域の中で次々と塵となって虚空の彼方に送られる中、唯一形をとどめている機体。
 天照。ラザフォード場を全力で広げることでどうにかその身を守っているがそのラザフォード場も徐々に押し込まれている。
 当然だ。ラザフォード場の突破にはML臨界反応圏が、必要である。そしてG弾とはその臨界反応を撒き散らす兵器であると言える。それを前にして制御されているML機関から発生するラザフォード場が暴走させたML機関から発生するラザフォード場に耐えきれるはずがない。
「畜生!」
 少しずつ、少しずつ削られていく。武の叫びも虚しく、世の中の摂理に従って白銀の機体を今まで飲み込んだ機体と同じように咀嚼しようと黒い光が近付いてくる。
 死ぬ。
 このままでは死ぬ。
 武の脳裏をその言葉が埋め尽くす。
 何も出来ずに、自分がこれまで見て来た死者たちと同じように。自分が殺してきた人間と同じように。
 何も残せず。
 何も言えず。
 無になる。
「ふざけんな……」
 認められない。
 まだ自分はやるべき事を果たしていない。今、ここでクーデター部隊の人間を殺したのは何故だ?
 月面攻略と言う大義の為だ。
 それを果たす前に死んでしまったら──自分が殺した彼らの死は無駄になってしまう。
 そして一人の少女の姿が脳裏を過ぎる。
「霞……!」 
 思いを伝えあった少女。彼女をまた一人にする訳にはいかない。だから。
「頼む、純夏……!」
 もう眠ってしまった少女に呼びかける。もう意識は無く、ただの機械でしかない少女に呼びかける。力を貸してくれと。一人では何もできないから、今自分ひとりじゃ霞の笑顔を守る事も出来ないから。
 その叫びに天照は応えた。
 ML機関。これはただの機械では無い。武は知らない。かつてあ号標的を前にした時、停止したML機関を動かしたのは御剣冥夜の言葉に揺り動かされた鑑純夏の心であると。想いに、人の感情によってML機関はその出力をあげる。
 武の生き抜こうとする想い。それにML機関は歓喜の悲鳴をあげる。形の無い燃料を与えられ、過去最高の出力を出す。
「持ちこたえろ、天照!」
 押し込まれていたラザフォード場の境界線が停滞する。ギリギリのライン。これ以上押し込まれたら機体の一部が多重乱数指向重力効果域接触し、その接触個所から連鎖的に機体を崩壊させる。その綱渡りの様な時間が数分続き。
 多重乱数指向重力効果域が消失する。効果範囲内のゼロ気圧状態から周囲の大気を補填して気圧を一定にしようとする働きが突風を巻き起こす。その中に、白銀の機体はあった。
<ML Engine Down>
 ML機関が落ちた事を網膜ディスプレイが告げる。
「生きてる……?」
 信じられないと言う様な面持ちで武が呟いた。
 死んだと思ったのだ。
 生きているはずがないと思った。だが、ここに居る。
 死んでない。
「助かった、のか?」
 それが俄かに信じがたい。だがそれが実感するに従って武は小さく笑みを浮かべた。
「ありがとう、純夏……」
 何故かは分からないが、彼女が守ってくれた気がした。

 G弾が爆発する寸前。己の血液によって出来た血だまりの中に倒れ伏す女性、博士と呼ばれていた彼女は苦笑を浮かべた。
「ああ……失敗した」
 何が、とは考えない。あえて言うならば本気で人類を救う気のあった人間がほんの一握りしかいない計画に──オルタネイティヴ5に参加した事だろうか。それともそれよりも前か……だが普段は明晰な彼女の頭脳は大量の血液を失った今、まともに動かない。
 ただ。
「次があるなら……今度はもっとマシな人と組みたいかな……」
 そう例えるなら。
「英雄みたいに、強い人。優しくて、私を助けてくれるような、そんあ英雄みたいな人……」
 小さく笑みを浮かべた。ああ、本当に。そんな人と一緒ならどんなことだって出来そうだ。少し想像してみたら楽しげな気分になれた。
「ああ、あの人みたいな……」
 顔も知らない。だけど、きっと彼はそうだと言う確信があった。
「白銀の英雄……一度会ってみたかったな」
 それはまるで絵本の中のヒーローにあこがれる少女の言葉。
 その言葉を最後に彼女──ミリア=グレイは黒い極光に呑まれ、旧オルタネイティヴ5の本拠地であったフロリダ基地はG弾によって消滅させられた。

 ◆ ◆ ◆

「──っ!」
 最後の──いや、最初の記憶。全ての始まり。全てのミリア=グレイの原点ともいえるミリア=グレイの因果情報が彼女の脳に注ぎ込まれる。
(そういう……ことか)
 納得した。何故、自分が因果情報を受け取ることで疑似的な繰り返しを果たしていたか。何故、アールクトが──三回目の白銀武が常に自分の元に現れたか。その全てに理由があった。そうして、そこから予測されるのは。これまでにあった出来事から可能性があるのは──。
(やれやれ……やっと思いを伝えられたと思ったのにな。まあ、仕方ないか)
 本当に心から欲しい物は何時だって自分の手を擦り抜けていくのだから。この思いが他の世界からの因果情報などではなく、自分から生じた物だと言う確信を得られた。最初に自分が抱いていたのは憧れだったのだから。それが分かっただけで十分だ。
「どうやら、まだ君の仕事は終わらないようだ、アールクト」
 少し悲しげに、だが確固たる意志を持ってミリアはアールクトに次なる戦場を提示した──。


あとがき
ML機関に関しては独自設定です。だけどあの時ML機関の出力増大はそう考えたほうがロマンがありませんか? 佐渡島に向けて巻いてます。だいぶ省略してますがそこら辺は大体原作と一緒。とはいえオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の面々による違いは、次の話で補完できたらな~と思ってます。ってあれ、二回目武ちゃんがしゃべってないよ……?

05/29 一部追記
05/28 初投稿



[12234] 【第二部】第十八話 絡まる思い
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/09/15 18:12
「ねえケビン。いい加減に機嫌直したら?」
「別に機嫌は悪くない」
 訓練後のシミュレータルーム。既に隊員たちは解散しており、そこにはケビンとシルヴィアだけがいた。
「だってどう見ても苛々してるじゃん。女の子達怖がって声かけられないでいたよ?」
 シルヴィアの言う女の子達──高原、麻倉、築地の三人の事だ。全員が全員ケビンのお陰で命を拾ったとも言える境遇である為か、本人に自覚は無いがケビンを好いている。ケビンからは精々仲のいい隊員程度と言うのが泣ける認識だが。
「別に怖がっては無いだろう。訓練自体は何時も通りだったし」
 実際、怖がっていたのではなく苛立っている様に見えるケビンにシルヴィアがずっと側に張り付いていたから近寄れなかっただけである。それはさておき今のケビンの発言にシルヴィアは鬼の首を取ったかのように言う。
「あ、訓練自体は、ってことは機嫌は悪かったんだ?」
「む……」
 あっさり看破されて唇を若干への字にするケビンにシルヴィアは僅かに語調を正して言った。
「そりゃあ私だって気にならないって言えば嘘になるよ? でもだからって少尉に当たるのも違うと思うんだけどな。十分優秀だったじゃん」
「それは分かってるよ」
 ここで言う少尉──つまりは武だ。以前から武にYF-23が与えられた事に対してケビンは反感を持っていた。それは新任に与えるような機体では無いと言うのも有ったが、鳶に油揚をさらわれたという様な感情の方が強い。要するに。
「男の嫉妬は見苦しいぞ~?」
「うるさいな!」
 こういう事だった。ケビンは武に嫉妬している。それはアールクトの機体を得た事もそうだし、それに相応しい技量を持っていた事に。
「まあ実際凄いよね。あんなに女の子侍らせて」
「うん……って違う!」
「え、違うの? モテモテなのに嫉妬してたんじゃないの?」
「全然違うよ!」
 実際に凄いとは思うが、別にそれはどうでも良かった。もしかしてさっきからの発言は武のモテ度に関してだったのだろうかとケビンは呆れから出そうになる溜め息を堪える。そこでふと気になる事が有った。
「……シルヴィアも気になるんだ?」
「ん? そりゃあまあね。少佐の弟だって言うし。将来的には少佐みたいになるかもしれないし」
 しれっとそう言うシルヴィアにケビンはチクリと胸が痛む。前々から分かっていた事。それはこの思いが自覚する前から分かり切っていた。シルヴィアはケビンのところを手のかかる弟分としてしか見ていない。ケビンは手のかかる姉だと思っていた。だが──。
「前々から気になってたんだけどケビンって女っ気ないよね~。白銀少尉みたいにハーレム作れとまでは言わないけどさ。何にも無しで死んじゃったら虚しいぞ~?」
 快活に笑いながらシルヴィアはそう言う。それが冗談だとケビンにも分かっている。
 分かっているのだが──そんな事を彼女には言って欲しく無かった。
「ケビン?」
「何でも無いよ。訓練のデータをまとめに行こう」
「あ、待ってよ」
 急にケビンが落ち込んだ理由がシルヴィアには分からず、先に部屋を出た彼の背中を追い掛けながら彼女は首を捻る。
(何か怒らせるような事を言ったかな?)
 実際には怒らせたのでは無く、悲しませたと言うのが正解なのだが。
 そうして先にシミュレータルームを出たケビンだが、思いっきり自己嫌悪していた。
(シルヴィアは別に悪くないだろ……八つ当たりしてどうするんだよ)
 ケビンは胸の内をシルヴィアに明かしていない。どころか誰にも言ってない。それでシルヴィアに察しろと言うのは余りに我儘だと彼は思っていた。
 だが──それを伝える訳にはいかない。何しろシルヴィアは以前から少佐、アールクトに想いを寄せていると公言している。明らかに勝算はゼロだ。そんな状態で伝えても気を遣わせるだけで、作戦中の連携に問題が出たら笑い事では無い。
 誰かに相談してみようか。そうケビンは自然に考えた。

 相談するとなると数は限られてくる。まず同年代はダメだ。相談以前に恥ずかしい。年上。尚且つ同性が好ましい。更に恋愛経験豊富そうな……。
 早坂飛燕……はダメだった。相談に行ったら色々と言ってはいたが副官の「この人の話は基本的に妄想ですよ」と言う一言で一気に信頼性がガタ落ちだった。
 部隊の面々はまず間違いなく面白がるので却下。
 そうなると残りの面子は少なくなってくる。
「私のところに来たと?」
「……はい。すいません。忙しい時に」
「いや、部隊員のケアも隊長の仕事だから良い」
 そう言ったのはギルバートだ。手元の資料を机に置いてケビンに向き直る。
「で、何の相談だ?」
 相談相手を探してさまよっていたのは聞いたが、内容までは聞いていなかった。
「その……恋愛相談なんですが」
 部屋の時間が止まった。
「……恋愛、か」
「はい」
「とりあえず話を聞こう」
 そうは言った物のギルバートも困っていた。表情には出さない物の。
 自分が恋愛経験豊富で無い事は自覚している。そしてその唯一の経験とも呼べる物は特殊例なのでケビンの参考にはならないだろう。そう彼は考えていた。
「好きな人がいるんです」
「ふむ」
 そんなそぶりは今まで見せなかったのにな、と言う言葉は呑み込んだ。それをここで言う意味は無いし、自分を信頼して相談に来た相手に揶揄するような発言は不義理だろうと考えた為である。だが内心では驚いた。
(ケビンも年頃の男子と言う事か)
 付き合いが長く、年齢差が有るせいか自分の息子の恋愛話を聞いたような気分になる。ギルバートには子供はいないから想像だが。
「だけどその人はずっと別の人を好きみたいで。しかも俺はどうも弟扱いされていて」
(うん? どこかで覚えの有るような……気のせいか?)
 話を聞いて頷きながらもギルバートは首を捻るが、すぐには思い出せそうにない。無言で先を促した。
「その上、その人は俺に色々と言って来るんですよ。恋愛の一つでもしろ~みたいな事を。それが辛くて……」
「……そうか」
 要約すると自分の思いに気付いて貰えないが故に相手からの発言がケビンの心を抉り、そしてその思いを伝えるのも難しい。
(…………難題だ)
 正直自分のキャパシティを超えている。だがここで下がっては頼って来たケビンに申し訳ないだろう。
「内容は理解した。だがすぐにこれと言ったアイデアは思い浮かばないな。少し考えるからまた後で来てくれ」
「はい。すいません、わざわざ」
「気にするな。部下のケアも隊長の仕事だからな」
「ありがとうございます。俺は副隊長なのにそう言う事は全然……」
 肩を落とすケビンにギルバートは否定の言葉を投げかける。
「それは違う。お前は良くやっている。少なくとも普段の(シルヴィアとの掛け合いなどの)行動は部隊員達をリラックスさせるのに一役買っている」
 流石にふざけてるのが良い事だ、とはおおっぴらには言えない為そこは心の中で言うにとどめたギルバートだが。
「そうなんですか?」
「ああ。そう自分を卑下する物では無いぞ」
「……ありがとうございます、隊長。では、失礼します」
 敬礼をして退室するケビンを見送ってギルバートは基地内電話の受話器を取る。
「……私だ。すまないが少し相談があるのだが……」

 ギルバートの部屋を辞した後、ケビンは自主訓練でもしようかとシミュレータルームに足を向ける。と、そこでアールクトの背中を見つけた。
「隊長?」
「っ! っとケビンか。どうした?」
「いえ……自主訓練でもしようかと」
「そうか。だが今はA-01がここのシミュレータを使用中だ。自主訓練なら第七が空いているだろう」
「ありがとうございます。……あの隊長、一つ良いでしょうか?」
 それを聞いて良い物かどうか、ケビンはかなり悩みながら問いを口にした。
「何故そのようにこそこそ隠れながらシミュレータルームを覗いているんですか?」
「ノーランド中尉」
 唐突に堅い声。まるで任務中の様な空気にケビンの背筋も伸びる。
「はっ」
「狙撃兵に求められるのは忍耐、そして集中力、観察力だ」
「はっ……は?」
 上官の言う事を聞き返すと言う普通の部隊でやったら叱責物の失態だったが、それを無視してアールクトは話を続ける。
「つまり私がここでこうしているのはそう言った能力を高める為に必要な事であり……」
 数分が経過した。
「これが私がユーラシアで学んだ事だ。肝に銘じておけ」
「は」
 力無い返事しか出ない。結局……ここで何をしていたのか答えていない。
「む」
 アールクトの呟きにケビンもアールクトが見ている物を見ようとして視線をそちらに向ける。丁度シミュレータ訓練を終えたところらしく、ぞろぞろと人が集まっていた。その中には武たちも含まれている。
(……やっぱり気にしてるのか)
 親族、と言う事になっているアールクトと武の関係をケビンは思い出し、心中で呟く。生き別れていた親族が見つかったら気にするのは当然だろう。だがそれにしてはアールクトの様子が剣呑なのが気になった。
「……何をやってるんだ、あいつは」
 武の周囲には大抵元207B分隊の隊員がいる。最近ではそこに純夏も加わっている。その光景を見て更にアールクトは呟く。
「貴様は本命だけ見ていれば良いだろう……そうやって誰にでも優しくするからすぐに勘違いされるし、態度もはっきりしないから……(以下略」
 物凄い勢いでぶつぶつ言いだしたアールクトを若干引き気味にケビンは見つめる。一体何が有ったのか、これが上官で無ければ問い詰めたいところではあるがそうもいかない。とりあえず確実なのはアールクトは何かに苛立っていると言う事。そしてその苛立ちと言うのがまるで……自分のバカな行いを見せられて若干恥ずかしいような感情が入り混じっているようにケビンには感じられたがその理由までは思い当たらない。
「ああ……本当になんて……死にたくなってきた」
 なんだか色々と忙しそうな上官にこれ以上声をかけるのは止めようとケビンは判断し背を向けた。

「はいよ、合成カレーライス」
「どうも。京塚曹長」
 渡された皿を手にケビンはPXで空いてる席に着く。だがその食の進みは速いとは言えない。知らずうちに溜め息が漏れる。
「おや、ノーランド中尉。何かお悩みごとですかな?」
 そう言ってきたのはA-01の美冴だった。一応の許可を求めながらケビンの対面に腰を降ろす。
「いえ、悩みと言うほどの事でも無いんですけどね」
「なるほど……色恋沙汰ですか」
「っ……!」
 一瞬で言い当てられた動揺で口に運んでいたカレーが変なところに入ってしまい咽る。
「ノーランド中尉、お水を」
 横合いから差し出されたコップを受け取り、入っていた水を流し込む事でどうにか落ちつく。
「ありがとうございます。風間少尉」
「お気になさらず」
 そう言って彼女も美冴の隣に座る。
「やれやれ、中尉。そんなに動揺しなくてもいいでしょう?」
「いや、顔見ただけで良い当てられるとは思っていなくて」
「しかし中尉も健全な男子だ。むしろ今までそう言った話を聞かなかったので私はてっきり……ああいや、別にまだそうじゃないと決まった訳では……」
 後半の方は小声だった為ケビンには聞きとれなかった。
(……相談してみるか?)
 年上の女性。相談するには悪くない人選……のはずなのだが何故かケビンには悪寒が止まらない。何となくこの人だけにはこの問題を言ってはならない気がする。
 例えるならばそれは既知感。前にもこんな事があったような気がする。という類の物。だがそれは有り得ない。こうしてこの二人に対してケビンが相談を持ちかけようとするのはこれが初めてだ。なのに感じるこの違和感。そして止めろ、と“まるでそうしたらどうなるかを知っている”かのようなこの感覚。
(やっぱり止めておこう)
 理由は分からないが、ここまで全身が拒絶反応を示しているなら止めておいた方が良いだろう。
「それで、相手はどなたで? ちなみに伊隅大尉は幼馴染にずっと片思いをしてるので難易度が高いですよ?」
「いや、別に大尉は……」
「では速瀬中尉ですか? 彼女もなかなか難易度が高い。……まさか祷子に手を出すつもりですか? その場合は私と言う壁が立ちふさがる事になりますが」
「まだ何も言ってませんよ……」
 矢継ぎ早に言われてもケビンも困る。
「元207Bの連中も止めておいた方が良いでしょうな。あいつらは全員白銀少尉に夢中ですから」
「はあ」
 そんなのは見れば分かると突っ込みたいがその隙すら与えてくれない。
「元207Aの連中は……そうですね。高原、麻倉、築地の三人当たりは割と好意的ですので狙い目ですね」
「はあ」
 数秒前と全く同じ返事。ケビンの脳が思考する事を若干放棄している。別の言い方をするなら右から左に流すモード。もしもこの時の美冴の発言をケビンがしっかりと聞いていたらもっと別の展開が有ったかもしれない。
「後は……美冴さんは既に想い人がいるので止めておいた方が良いですよ」
「こら祷子……」
「そうですか」
 そんな二人の会話をもう少ししっかりと聞いていたら今後美冴にケビンがからかわれる時に反撃の材料が出来たのだが……残念ながらこれも聞き流してしまった。

「ギルバート、来たよ~」
「……今更言っても仕方のない事だがちゃんと階級で呼べ」
「良いじゃん、ちゃんとしなきゃいけない場所ではちゃんとしてるし」
 確かに部外者の眼が有る場所では一応規律は守っている。それでも他者の眼が無くても規律を守れと言いたいのだが──そんな物はこの部隊が出来た頃に言わないとだめだろう。
「それで何? もしかして……報告書適当に書いたのがばれた!?」
 適当に書いていたのか、とギルバートは心のメモ帳にその事を書き込みつつ違う、と否定する。
「じゃ、じゃあもしかしてこの前うちの部隊でこっそり宴会やった事とか!?」
 やっていたのか、と呆れながら第二中隊でも何かレクリエーションでもやるべきか、と考えつつそれも否定する。
「相談だ。私の知り合いから相談を受けたのだが少々身に余る問題でな。お前の知恵を借りたい」
「へえ、珍しいね。ギルが手に負えないなんて。で、どんな相談だったの?」
「恋愛だ」
 その時のシルヴィアの顔をどう形容すればいいのだろうか。まるで眼の前で光線級BETAがメイド服を着ながら阿波踊りを踊っているのを見たらこんな表情になるのだろうか? 確実なのは有り得ない物を見たと言う感情が浮かんで見えた。
「……御免。もう一回」
「恋愛相談だ」
 ギルバード自身も自分がらしくない事を言っているのは自覚していた。彼はシルヴィアに対して常に良き兄であろうと振る舞っていたし、他の者に対しては信頼できる上官、そしてアールクトに対しては優秀な副官であろうとしていた。故に彼がこうして相談事を、ましてや恋愛相談を持ちかけるなどこれまででは有り得ない事だった。
「あ、うん……わかった」
 やっとその言葉を脳が理解したのか、のろのろとシルヴィアの首が縦に振られる。演習時などはどんな予想外の事態──例えばプログラマのいじわるなロジックによる戦略行動を取ってくるBETA──に直面しても冷静な彼女がここまで動揺する事からどれだけ衝撃的だったか分かるだろう。
「えっと……それでどんな内容?」
「同僚に恋をしたのだが、その同僚はどうも上官が好きらしい。その上向こうは好かれている自覚が無いからどうすればいいかと言う話だ」
 少し簡略化しすぎたか、とギルバートは思ったがそもそもケビンからはこれ以上の事を聞いてない。
「…………」
 意外にもシルヴィアは真剣に考えていた。ほんの少しだけギルバートは感心する。他人の事を真剣に考えられるというの悪い事では無い。ましてや戦時中、自己中心的になってもおかしくは無い状況なのだから尚更だ。
「ねえ、ギル」
「何か意見はあるか?」
「シオンは別に少佐の事は好きじゃないと思うよ? 確認取ったし。あと好かれてる自覚も有ると思う」
「誰が彼女の話をしていると言った!」
 前言撤回。他人の事を真剣に考える前に人の話をちゃんと聞かないと言うのはダメすぎる、と溜め息を吐く。
「え、だってシオンとの事で相談があったんじゃないの?」
「お前は俺の話の何を聞いていたっ? 俺の知り合いの話と言っただろう」
「いや、そう言う体のギルからの相談かなって」
「そんな事わざわざ相談する必要はない」
 その言葉を聞いたシルヴィアは目尻を下げてニヤニヤと笑いだす。
「……何だ」
「いえいえ、仲がよろしいようで」
 失言だったか、とギルバートは思うが幸いにも今回は逸らす話題が有った。
「それで、シルヴィア。お前の意見を聞きたいのだが」
「ん……やっぱまずは相手に好かれている事を自覚させないとだめじゃないかな? 同じステージに上がらない事には比較もされないだろうし」
「なるほど。で、具体的には?」
「積極的アピール……かな? でも相手が鈍感だとそれでも意味が無いんだよね」
 はあ、と溜め息を吐くのはアールクトへのアプローチが一切効果が無かったからだろうか。それをみてふとギルバートは前々からの疑問を口にした。
「シルヴィ、一つ良いか?」
「何?」
「お前は本当に少佐が好きなのか?」
「は?」
 何を言っているのか分からない、と言った表情を浮かべるシルヴィアにギルバートは自分が感じたままを言う。
「その、何と言うか少佐を好きだと言っているがどうもそれが本当だとは思えない」
「ちょっとギル。それどういう意味?」
 シルヴィアの眉が釣り上がるのを認めながらもギルバートは言葉を止めない。シルヴィアが本当にアールクトを好きなら良い。だがギルバートにはそうは見えなかった。むしろ──。
「俺には無理に少佐を好きであるように見せている様に思えた」
「そんな訳──」
 無い、とは続けられなかった。本当なら断言しなくてはいけないのに。ギルバートの発言に怒らなくてはいけないのに。なのに言い切れない。
「……何でそう思ったの?」
「何でだろうな。何となく、としか言いようがない」
 本当にそれはギルバートにも何となくとしか説明が出来なかった。ただ漠然と無理をしているように見えたのだ。その点に関して言うなら──。
「ケビンのは本気に見えたな」
 ポロッと、言葉が漏れた。
「え?」
「む……」
 己がまたも失言をした事に気が付いたが発した言葉は消せない。そしてタイミングの悪い事に──と言うかようやくギルバートは気が付いた。
(もしやケビンの思い人とはシルヴィアの事ではないか?)
 ケビンはその相手が色々と言って来る。弟扱い。そんな事をする人間は部隊に一人しかいない。他に有り得ない。むしろ気付いてしまえば何で今まで気付かなかったのかと己の馬鹿さ加減に頭を抱えたくなる。
 だらだらと嫌な汗が背中を流れた。もしかすると今さらだが一番相談してはいけない人間に相談してしまったのではないかと気付かされたのだ。
「そっか……ケビンも誰かに恋してるんだ」
(……ふう)
 一番最悪なパターン、その相談の相手がケビンだと言うのには気付かれなかった。もしもそこまで気付かれていたら自分を信頼して相談してくれたケビンに飛んでもない不義理を働くところであったギルバートはほっと胸をなでおろす。
「他に何かある?」
「い、いや。特には無い。済まなかったな。わざわざ来て貰って」
 本当はもう少し聞きたかったが、これ以上話していたら自分がまた何か失言をしてしまいそうで怖い。
「良いよ、別に。じゃ、また後で」
 そう言って退室するシルヴィアを見て安心したギルバートに罪は無いだろう。

 苛々と、シルヴィアは基地内の通路を足早に歩く。カツカツと響く靴の音がまるで自分の心の中の苛立ちを表しているようで余計に苛立つ。
 苛立ちの原因は先ほどのギルバートの言葉。だがそれが一体どの言葉で一番苛立っているのか自分でも分からない。本来ならその苛立ちは自分の想い人への感情を偽物だと言われた事に対してのはずなのだが、そうではないと言う事が分かっていた。
「ああ、もう、苛々する!」
 手近なゴミ箱でも蹴飛ばしたいくらいだったが、それをすると基地内清掃の云々やら基地内風紀の云々やらで始末書物となる。そんな事をしたら苛立ちがマッハを超える勢いで高まるのは確実なので出来ない。だがストレスはたまる。
「……よし、泳ごう!」
 水中訓練用のプールが横浜基地にはある。無論訓練以外の使用は禁止されているが、そんな物はどうとでもなる。佐渡島への移動中に船から落下した際の対応自主訓練とでも名目づければ許可は下りるだろう。
 このもやもやした気分も水で冷やせば消えるに違いないと考えながらシルヴィアは足音荒く訓練の申請に向かう。
「おい、てめえ」
「あ?」
 背後からの無礼な呼びかけ。既に沸点寸前だったシルヴィアの感情が一瞬で沸騰した。
「やっぱりだ。てめえの上官のせいでえらい目にあったんだよ。どう責任とってくれんだ、ああ?」
 その顔には見おぼえがあった。以前アールクトに突っかかった少尉だ。普段なら自業自得でしょ、と言い返すところだ。女だからって舐めてくる人間には事欠かない。そんなのを一々相手にしていたら日が暮れてしまう。だがこの相手──アールクトを武と勘違いした結果基地内の無償奉仕など比較的易しい罰を与えられた少尉にとっては二つ不幸な点が有った。一つは先ほどまでオフだったシルヴィアが階級章の付いてない部屋着だった事。そうしてもう一つは言うまでもなく彼女が苛立っていた事である。
「おい、少尉」
「ああ?」
「舐めるのも大概にしろ?」
 その言葉が言い終わると同時に拳が少尉の身体に叩きこまれる。一瞬ひるんだすきにシルヴィアは後ろに回り込み──そのまま相手の腰を抱えて自分の身体を後ろに倒す。一瞬の浮遊感と同時の腰のあたりに感じる柔らかい感触に少尉は何とも言えない幸福を味わったが……彼にとっては残念なことに次の脳天への衝撃でそれはすっかり忘却されてしまった。
「ふう……」
 完全に八つ当たりだが、だいぶすっきりした。床に転がる少尉を通行の邪魔にならないように通路の隅に寄せながらシルヴィアはほんの少しだけこの少尉に感謝した。即ち丁度いい具合に八つ当たりの的になってくれてありがとう、と。同時に彼の隊の上官の顔を思い出す。また彼には上官侮辱で怒られて貰おうと。
 本当に、この少尉は運が無かった。

「お待たせしました。ギルバート」
「いや、私も先ほど来たところだ」
 まるで待ち合わせをしていたカップルの様な会話だ、とギルバートは心中で小さく笑う。そして自分がそれを少し楽しんでいる事に軽い驚き。もう二度と自分はこんな感覚を覚えないと思っていたのに、と意外さを覚える。
「少佐は?」
「まだいらっしゃらないようだ。地下でXG-70の最終調整を行うと言っていた」
 残念ながらこれはデートではなく、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の中隊長三名による甲二十一号作戦における部隊再編の打ち合わせなのだが。アールクトは今回XG-70cに乗る為第一中隊に指揮官が居なくなる。加えて幾度の戦闘を経て少なくない戦死者が出ている。補充人員も期待できない以上、三つの中隊を再編してギルバートとシオンを部隊長とした二個中隊に再編しようとしていた。
「そうですか。では先に我々だけで案を出し合ってみましょう」
「やってみるか」
 机上演習に使う駒を用いて幾つかの陣形を検討しながらシオンがふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさっきシルヴィアが鼻息荒く屋内訓練施設の使用許可を求めてきましたけど何かあったのですか?」
「いや……そうだな。少しばかり私が言い過ぎたのだろう」
「珍しいですね。ギルバートがシルヴィアとケンカなど」
「ケンカ、か」
 あれはケンカと言えるのだろうか、とギルバートは胸中で思い返す。ただ自分が一方的に言って──彼女は殆ど何も言い返す事もなく去って行った。どことなくこちらが一方的に責め立てたような後味の悪さがある。
 ──そもそも、マリアが居なくなってからケンカなどした事があっただろうか?
「ギルバート?」
「いや、すまない。俺が少佐の事で少々言い過ぎただけだ」
「少佐の事ですか」
 小さく頷くシオンを見てどうやら彼女も同じ事を感じていたらしいとギルバートは察した。
「確かに私も前々から感じていた事ではありましたが──」
「もしもその行動が本心を押し隠しての物なら俺は……」
 素直になって欲しいと思う。
 その本心を向ける相手が、シルヴィア自身が、何時戦場に散るか分からないのだから。
 逝ってしまった相手に想いを伝えようとしてもどうしようもないのだから。
 小さく息を吐いてギルバートは頭を切り替える。今は軍務中。今心配しているのは上官としてではなく、彼女の兄であるギルバートとしてだ。本来の責務を放置してまで考えるべき事では無い。
「続けよう」
「はい」
 結局、その日アールクトは来なかった。

 シオンから訓練許可を貰い、屋内訓練施設に向かう途中。そこに行くには中庭を臨める廊下を通る必要が有った。
 何かが見えた訳じゃない。何かを感じた訳でも無い。本当にただ、ふと空を見ようと思って──。
 彼女は見た。
 自分よりも遙かに小柄な少女に縋りつくように抱きついて泣いている己が想い人の姿を。
「っ!」
 何時だったかした会話が思い出される。
『愛人? アールクトがかね?』
 あれはいけすかない将校との会話だったか。その中でアールクトはミリアの愛人だと揶揄された事が有った。実際に若く、見た目はそれ以上に若いミリアが槍玉にあげられるのは何時もの事で、十分若い部類に入るアールクトが四六時中張り付いている事を快く思わない人間も多い。そんな一人が言った言葉だ。
『有り得ないね』
『有り得んな』
 ミリアも、アールクトもそう即答した。少なくともシルヴィアにはそれが真実に思えた。
 だが今目の前にある光景はどう見てもそれを否定するもので──。
 それ以上は見ていられなかった。
 身を翻して歩いてきた道を逆走する。その途中でケビンが声をかけようと口を開いた。
「シルヴィ……」
「うるさい!」
 己の名前を呼ぼうとする彼を押しのけてシルヴィアは自分の部屋に戻る。そしてそのままベッドに倒れ込んだ。
 悲しかった。
 失恋した、という言葉が脳裏を過ぎる。だが元々対して相手にもされてなかった。そんな風に考える自分もいる。
 だが何よりも悲しかったのは失恋した事実ではなく──その事に対してさほどショックを受けていない事が悲しかった。

10/07/29 初投稿



[12234] 【第二部】第十九話 乖離
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/09/15 18:13
2001年12月31日

 もう後数時間もしないで今年も終わる。そして明日になったら、甲二十一号作戦が始まったら。
 どうなるのだろう、と武は思った。
 ここで死ぬつもりは無い。彼には自分が関わった世界を直すために自分が因果導体となった原因を探さなければいけない。本当なら自分と殆ど同じ道を辿ったと言うアールクトに聞こうと思ったのだが、聞く前に。
『因果導体になった原因なら俺に聞いても答えないぞ。あれは知ってどうにかなるものじゃないしな』
 と言われてしまい、結局自力で探す事になった。いや……ヒントは貰ったと言える。原則協力的なアールクトが情報の開示をしなかったという事はそれは知る必要のない事なのだろう。むしろ知ってしまっては支障が出るようなもの。
 そして自分が注意してないと見つけられないような物でも無いのだろう。そうだったらもっと何か言って来る。
 だから武は今はその事は気にしない事にしていた。代わりに浮かんでくるのは純夏の事。
 現在武は佐渡島へ向かう母艦の上。そして純夏は凄乃皇弐型。それを操縦者として機体と共に横浜基地で待機している。ちゃんと出来るのか武にはそこが心配だった。武の中にある純夏はやはり元の世界の能天気な幼馴染の姿で、とてもあんな超兵器を操縦できるようなイメージは無い。
 だが、純夏は。00Unitとしての純夏はそれを可能にする。あの機体を己の手足のように操りBETAを駆逐する。知識としては知っているが、それがいまいち実感できない。
「純夏……」
 つい先日、ようやくお互いの本心をさらけ出せた少女の名を呟く。呟いて、息を吐く。12月の気温は吐いた息を白く染める。そして、その白い息は一つだけでは無かった。
「何だ、眠れないのか?」
 甲板で海を眺めていた武に声をかけたのはギルバート=ラング。武も何度か顔を合わせた事のある大尉だった。
「はい、大尉殿。何となく、ですが」
「そうか。あちらでも少尉の同期の少女たちが伊隅大尉と同じような会話をしていた」
 視線を向けた先にはギルバートが言うようにみちると元207B分隊の隊員。恐らく全員がこの後に控える大規模な作戦の緊張から眠れないのだろう。武自身、色々と考えてしまい眠気が遠ざかっている。
 会話が途切れた。無言の二人の間を波と風の音が横切る。その沈黙を破ったのはギルバートだった。
「少尉には我が隊の副隊長が色々と迷惑をかけたようだ」
「いえ、そんな事は」
 ギルバートの隊の副隊長、即ちケビン=ノーランドである。アールクトの乗機だったYF-23に武が乗る事を納得できないからか、度々武に挑んでいた。その事を指しているのだろうが、武は気にしていない。むしろケビンの反応は正常な物と言える。新任が隊長の乗っていた機体を乗る事になると言われてあっさり納得したギルバート達の方が物分かりが良すぎると武には思えた。
「ラング大尉は何とも思わなかったんでしょうか?」
「何とも、とは?」
「自分がグレイ少佐の乗機に搭乗する事にです」
「取り立てては思わなかったな。最初は新任に任せることに対する不安は有ったが……それは誰でもだ。少尉の訓練を見てその不安も消えたよ。DACTで有りながら良く連携を維持していた。まあそれは他の隊員の協力もあってこそだが、そのような人間関係を育めることも能力の一つだろう」
 そう言うギルバートの口調にはどこか仕方ない、と言った雰囲気がある。その感情が向けられているのは武にではなく恐らくはケビン。
「ノーランド中尉もそれは分かっているのだろう。だがそれでも噛みつかずにはいられない。何故だと思う?」
「いえ……」
「少尉が余りに少佐に似ていたからだよ。見た目だけの問題では無い。その戦闘機動。少佐の物に比べればまだ雑だが、我々が手を伸ばしても達せなかった領域に君はいる。それが悔しかったのだろう」
 XM3は白銀武の為にあるOSだと気付いている物はほとんどいない。彼しか知らない元の世界でのバルジャーノンの動き。頭に刻み込まれたそれを再現するためのOSがXM3とも言える。故にその性能を十全に発揮させられるのはバルジャーノンを知る人間、この世界では白銀武しかいない事になる。ギルバートもその事には気付いていないが、白銀武がアールクト=S=グレイと同じ物を見て動いていると言うのは感じられた。
「ノーランド中尉の年齢は少尉等とさほど変わらん。少しばかり君たちよりも早く任官しただけの立場だ。時々、年相応にムキになる事も有る」
 暗がりの為武には分からなかったが、ギルバートの口元には僅かな笑みが浮かんでいる。武には知る由もない事だが、ギルバートは少し喜んでいた。ケビンより低い年齢で大隊副指揮官という人間もいるが、それらはやはり特殊例だ。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の人間は殆どが年上か、或いは同年代でも女性が多い。つまりは──同年代の同性と言うのはこれまでにいなかった存在だった。そこに現れた白銀武という存在は彼の中で面白い事になっている。
 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊からオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊に編成される時。真っ先に問題になったのは指揮官クラスの人間の事だった。ケビンにはたして小隊長が務まるか。結果としてケビンは立派に小隊長としての責務をこなしている。だが、とギルバートは時々思うのだ。自分達はケビンの何かを奪ってしまったのではないかと。それは例えば子供でいられる時間。無論、今の人類にそんな余裕は無い。まだ若いから、などと言っていられる状況では無い。それでも──まだまだ先任が彼の事を守ってやるべきだったのではないかとギルバートは思ってしまうのだ。まだ、彼に人の──部下の命を背負わせるべきではないと。
 それがこうして白銀武と出会った事で気兼ねなく文句を言っている。本来ならばそれは黙って飲み込まなくてはいけないものにも関わらず。
「そう言う訳だ。……本人にも悪気はないので深く気にしないで貰えると助かる」
 言いながらギルバートは母艦の甲板上の人影に気が付く。
「あちらに伊隅大尉が居られる。挨拶でもしてきたらどうだ?」
「あ、ホントだ。それでは大尉。失礼します」

 ◆ ◆ ◆

 敬礼して立ち去る武を見送りながらギルバートは背後の暗がりに声をかける。
「君も出てきて話せばよかったのに」
 その声音には柔らかい響きがあった。部隊の誰も──アールクトさえ向けられた事の無い声。ただ一人、シルヴィアだけがそれを聞いた事があった。もしもここに彼女がいた場合、はたして怒るか喜ぶか……。
「いえ、私は良いです。何を話せばいいのか分からない」
 そう言って出てきたのは強化装備姿のシオン。長い髪を一つに束ねてシニョンに纏めている。そのため普段に比べて非常にさっぱりした印象を見る者に与えた。
「それに私が話したら彼のラフな態度に一言二言小言を言ってしまいそうでしたから。こんな時にそんなところまで意識させる必要は無いでしょう」
「大分慣れたと思っていたんだが」
「ええ、慣れましたよ。それでも性分ですから。ついつい口から出てしまいます」
 喋りながらシオンはギルバートの隣に並ぶ。肩が触れ合うか触れ合わないかの距離。お互いに距離が近い事に気が付いてはいたが、それに不快感を覚える事は無かった。むしろ安堵する。とても心地よい空気。肌を刺すような冷たい風が吹く甲板上も、今だけは快適な自室にも勝る空間だった。
「……いよいよですね」
「そうだな。シオンはこの規模の作戦は初めてか?」
「ええ、ここに来る前は精々が間引き作戦くらいでしたから……ギルバートは?」
「私は一度だ。オペレーションルシファーに参加していた」
 ふと、互いに名前で呼ぶようになったのは何時頃からだっただろうか、とギルバートは考えた。すぐに思い出せないと言う事はそれなりに前のはずだが──。
「だけど……これが成功すればようやくユーラシア奪還と言う言葉が現実の物になるのですね」
「そうだな」
 二人して視線を向けたのはまだ見えぬ佐渡島ハイヴの方向。後十二時間もしないうちに自分達はそこで戦う。生死を賭して、人類の未来を勝ち取るために。
 それは良い。たとえ自分が死んでも戦友たちがその後を継いでくれる。だが、この胸の内に育ってしまった想いはどうすればいいのだろう。まったく同時に、ギルバートとシオンはそう思った。
 ギルバートはそのつもりは全く無かった。シオンと会った時も、その前からも。シルヴィアから見てもマリアに義理立てし過ぎていると感じる事も有った。
 シオンにもそのつもりは無かった。この部隊に来た経緯、実力不足と断じられ祖国から放逐されるような勢いで配属された部隊。おまけに妙に風紀が緩い。はっきり言ってこの部隊でやっていけるとは思わなかった。なにより自身の能力を鍛えなおすつもりでいたのだ。今度こそ実力不足を理由に追い出されないように。つまりは当時のシオンは親衛隊に戻るつもりでいた。
 それがいつの間にかこれだ。ギルバートは早い段階からシオンに惹かれている事を自覚していたし、シオンも散々シルヴィアにからかわれた挙句にようやく自覚していた。しかしそれで何かが変わったかと言えばそうでもない。プライベートは兎も角、任務に私情を持ち込むようなまねはしなかった。ただ、それでも。
「シルヴィアは大丈夫でしょうか……」
 意識した言葉では無いのだろう。思考がつい口の端から零れ出たという様な感じの呟きだった。その疑問に対する答えをギルバートは持っていない。
 今のシルヴィアは常の状態では無い。それは確実だ。明らかに落ち込んでいると分かっていながらもどうする事も出来なかった。ただ事務的にカウンセラーを紹介しただけだ。万一を考えると催眠暗示も施しておきたいところだったが、その判断を二人とも下せなかった。何しろシルヴィアが何故そんな状態になったのか理由が分からないし、語ろうともしない。それでは催眠暗示も効果が十分に発揮されない。
 そしてアールクトとの会話を思い出す。

 ◆ ◆ ◆

「失礼します」
「……アポがあった覚えは無いんだが、何か重要な案件か?」
 急な来訪に部屋の主──アールクトは若干怪訝そうな視線をギルバートに向ける。そこには言葉通り重要な案件が有るのかと言う思いと、もしかすると自分は何か忘れていたのだろうかと言う焦りに近い物が有る。ちなみに部隊再編の打ち合わせに関する事は既に解決済みである。
「はい。部隊人事に関する事です」
「……先日の部隊再編でその辺りは解決したと思ったが?」
「一人、部隊から外すべき人間がいます」
「誰だ?」
「シルヴィア=ハインレイ中尉は部隊から外すべきかと」
 その言葉をアールクトは予想していたのか。間髪いれずに答えが返ってくる。
「却下する。現状で戦術機甲部隊の人数を減らす事は許容できない」
「ハインレイ中尉は現時点で精神的に不安定であり、実戦では使いものにならないと私は考えます」
 ギルバートの声音は平坦だ。それは努めて冷静さを保とうとした結果だった。逆に言えばギルバートの内心は荒れ狂っている。
「使いものにならないなら使えるようにする。それもお前たちの仕事のうちだろう」
 本音を言えばアールクトも今のシルヴィアは危険だと思っている。覇気が無い。生きようと言う気力が無い。あんな状態で戦場に出て何時も通りに戦えるとは思っていない。
 だが彼女を部隊から外した時の損耗率を考えるとそう簡単に外す事は出来ない。世界トップクラスとまではいかないが、シルヴィア自身の能力もそう簡単に代わりを見つけられるような物では無い。だから無理にでも戦わせるしかない。それこそ薬物でも催眠暗示でも何でも使ってだ。
「それとも、お前はこう言うのか? 『彼女に無理をさせたくないから済まないが死んでくれ』と」
「っ!」
 認められる訳が無い。部隊長が、部下の命を預かる身であるギルバートが仮にも一人の部下を救うために多数の部下を犠牲にするなどという暴挙を。そんなことはギルバートにも分かっている。彼だって新兵では無い。アールクトと同じ程度の事は考えている。
「あの時と同じだ。ケビンは乗り越えた」
 対人戦での弱さを露呈したケビンは実戦でそれを乗り越えた。だがシルヴィアの物は実戦でどうにかなる類の物では無い。そう反論したくなったギルバートだが、それこそアールクトが気付いていないはずが無い。シルヴィアの様子がおかしくなってから彼女と事務的以上の会話をしていないのはアールクト自身だ。原因が自分に有るかもしれないと言うことくらい既に察している。
 だが何も出来ない。もしもアールクトの予想通り──以前からのシルヴィアのアピールで気付かないほど鈍感では無い。加えて何度も繰り返していれば流石に気付く──だとしたら余計に。
「オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊が総員参加するような大規模戦闘は恐らく次で最後だ。そうなればシルヴィアを無理に戦わせる必要が無くなる……!」
 次の戦場、佐渡島。そこが事実上のオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊が参加する最後の作戦となることがすでに決定していた。建前上はここでオルタネイティヴ4が成果を挙げられなかった場合、予備計画が息を吹き返すがそんなことはあり得ない。そしてミリアをはじめとするオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊は予備計画の派閥でしかない。予備計画が凍結になった場合、ミリアの権限は失われ部隊ごとフロリダに帰る必要があった。その後はミリアの手腕次第だが──次の作戦、喀什攻略には間に合わないだろう。少なくとも大隊を派遣などということは不可能だ。
 つまり佐渡島を乗り越えれば当面の戦闘はない。それでもシルヴィアにとっては厳しい。万全の状態で命を拾えるかどうかという戦場だ。
 ギルバートの表情が歪む。これ以上何かを言ってもアールクトは自分の意見を曲げないということがわかったのだろう。
「…………失礼しました」
 そう感情を押し殺した声で退室するギルバートを見送ってアールクトは目元に掌を運ぶ。
 叫びたい。このやり場のない感情をどこかに吐き出したい。だがそれすらも許されない立場になっている。三十名弱の部下。彼らに自分の弱さを見せるわけにはいかない。
 シルヴィアは生き残れるだろうか。いや、シルヴィアだけでない。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の面々も、A-01も。全員生き残るなどというのは夢物語だ。確実に犠牲は出る。例えばこの世界がゲームならば数え切れないほどやりこんでいるアールクトはあらゆるパターンを知って無傷で勝利するということも可能だろう。だが現実にはうまくいってるほうが少ない。結局、今のところ伊隅ヴァルキリーズで二回目では死んでいた人間が生きているのは非常に簡単な言葉で済む。
 身代り。
 彼女たちの代わりに共に戦場を駆けた戦友が散っていったのだ。クーデターでもクーデター側、正規軍側の被害を最小限に抑えようとしたがたった一つのイレギュラーがアールクトの苦心を全て無にした。
 何もうまくいってない。何度繰返しを経験していても何ひとつ。
 だがそれも当たり前かとアールクトは納得する。最大の目的を妥協しているような人間がその他の目的を完遂できるわけがない。
 だけど、もしかしたら。もしかしたら達成できるかもしれない。ずっと昔に諦めた目的の一つが。たった一人の少女を幸せにするという目的が。

 ミリアの言葉を思い出す。
『鑑純夏はこの世界に居る』
 一瞬意味が分からなかった。だがそれが自分の──二回目の世界で想いを通わせた純夏の事だと察し、その有り得ないはずの事象に対し何も疑問に思う事もなく一言だけ聞いた。
『どこにいるんだ?』
 と。それは今もまだ自分があの純夏に会いたいと言う思いであり、同時にミリアからの告白を断る返事に等しいと自覚しながら。それでもその問いを発せずにはいられない。
 会いたい。
 この世界で00Unitが──純夏が目覚めてからずっと感じてきた思いがより鮮烈になって己の意識を焼く。ただその事だけを考えているような状態。こんな馬鹿げた繰り返しを始めた頃は何時もこうだったかもしれない。
 会いたい。会って幸せにしたい。一番最初に抱いていた願い。それが実現できるかもしれない。
 気が逸る。だがそれを堪える。今はまだダメだ。今目の前にある事。佐渡島を乗り越える。自分を信じて付いて来てくれている部下たちを一人残らず連れ帰れる。何としてでも。
「頼むぞ……ヘルメスサード」
 己の乗機に小さく声をかける。この"欠陥機"がどれだけまともに動いてくれるかでこれからの戦いの趨勢が決まる。その戦いを終えてこそ──。ようやく自分は自分の我儘を行える。世界の為ではなく、自分の為の戦いを。

 ◆ ◆ ◆
2002年1月1日

 年が明ける。この年が人類にとっての輝かしい年になるかならないかは今はまだ誰も知らない。
 作戦は順調に推移していると言えた。
 軌道爆撃から始まり、橋頭保確保。そして軌道降下兵団の突撃(ダイヴ)
『A-03、指定ポイントに支援砲撃をお願いします』
「こちらA-03了解。座標を受け取った。これより支援砲撃を開始する」
 CPからの指令に従い、アールクトは現状使用できる兵装を選択する。多目的VLSに散弾式広域制圧弾頭が装填。三十六の発射筒を持つVLSが合わせて十六基。計576のミサイルがBETAの群れに向かう。空を裂く光条。飛翔体を撃墜しようと光線級が足掻くが、既に手遅れ。低空から侵入したミサイルは既に子弾を撒き散らしている。その数202。一発一発はBETA一体を葬るので手いっぱいの破壊力だが576のミサイルからそれぞれ202発分かたれたとしたらその数は実に116352。無論その全てがBETAに命中した訳ではないが──アールクトが狙ったエリアにいたBETAはほぼ一掃されていた。
「A-03、次の射撃座標に移動する」
『こちらCP。SW245の支援砲撃が薄い。支援を頼む』
「了解」
 返事をしながらアールクトはここからは見えないA-01が展開しているポイントを見る。元々作戦としてはA-03……ヘルメスサードは遊撃だ。支援砲撃の薄い場所を或いはBETAの攻勢が激しい所をフォローする。それゆえにA-01とは殆ど別行動を取っている。
(シルヴィアは大丈夫か?)
 結局、アールクトには彼女に何かを言う事は出来なかった。何を言えばいいのか。豊富なはずの人生経験も殆どが戦闘技術に関する事。すさまじいまでの己の偏りっぷりを認識させられるだけだった。
(本当に俺は戦ってただけなんだな)
 白銀武だった頃はもっと余裕があった。視野が広かった。それが気が付いたら視野狭窄所の話では無い。まるで道筋を知っている迷路を眼隠しで進むような状態になってしまった。
「…………?」
 僅かに緩んでいた思考を引き締めようと思ったところで──何かを感じた。本当に何かとしか形容できず、ただ漠然とした感覚。だが何か嫌な感覚。時間的には──そろそろ凄乃皇弐型がA-01と合流する頃。
「……A-03よりCPへ。A-02発射地点確保支援の為針路を変更する」
『こちらCP、そのような行動はこちらの計画には無い。変更は認められない』
「だったらHQに許可を取れ」
『……了解した。HQより変更の許可が出た。A-03の転進を認める』
「感謝する」
 そのやり取りの間にも既にヘルメスサードはA-01の元へ針路を取っている。随分と応対が早かった。こんなにもあっさりと認められたのは恐らくミリアが何かしたのだろう。そのお陰でアールクトは皆の元へ行ける。
「間に合えよ……」
 根拠はあいまいな感覚。だが確信が有る。そこに行かなければ後悔する事になると。

 一方A-01側。
 凄乃皇弐型の射撃地点確保。A-01の二個中隊とオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の二個中隊の戦力を以てすればそこまで厳しくもない。しかしそれはあくまで正面から戦った時の話。奇襲──ましてや足元からのそれに的確に対処出来る人間はそう多くは無い。
『各機、二機連携(エレメント)を崩すな!』
 凡庸な衛士では壊滅必死な状況から損害一割に抑えたのは流石は精鋭部隊と言える。だがそれでも一割は──六機程は食われた。そして今もまた。
『──! しまった!』
 それぞれがそれぞれの安全の為に動いた。緊急避難時に全体を見て移動する余裕はない。だから彼女たちは孤立した。
『多恵!?』
『ハインレイ中尉!』
 咄嗟に近場に居る人間が二機連携エレメントを組んだのだろう。築地、高原、麻倉、シルヴィア。その四人の機体が十重二十重のBETAの山に包囲されていた。
 確かに囲んでいる数は多い。だが今残っている機体でその包囲に穴をあけるのは難しくは無い。それなりに時間はかかるが、それくらいの時間は中の四人も耐えられる。それだけの実力が有る。だが──。
『ヴァルキリーマムより各機! 前方に重光線級を多数含むBETA群を確認!』
 それは他に敵がいない場合の話。そしてその敵の優先順位がこちらよりも低い場合の話だ。
 光線級によって凄乃皇が落とされる可能性が有る。それを防ぐために先ほどまでA-01とオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊はここでBETAを駆逐していた。そして当然だがこの状況で優先しないといけないのは光線級だ。必殺の宝刀を持っていようと、その剣を鞘から抜く前に撃たれてしまえば意味が無い。そして光線級のレーザーと凄乃皇の荷電粒子砲では──レーザーの方が圧倒的に射程が長い。もしも凄乃皇が、人類反撃の切り札が墜ちた場合、それは下手をすると人類の滅亡に繋がる。
 だからみちるはその決断を下すしかなかった。
『全機、前方の重光線級を狩る。各機個別に包囲を脱し、ポイントFに集合』
 データリンクを通じて全機のマップに集合ポイントが表示される。それは四人を見捨てる事と同義だった。
 全員が苦渋の決断だと分かった。それは取り残される四人にも。そうするしかないと殆どが思った。

 たった一人を除いて。
 青い機影が奔る。明らかに集合ポイントとは違う方向──取り残された四人の方向に向かっていた。
『武!?』
 認められなかった。青臭いと言われようと、目の前で戦友が死ぬのは──助けられるかもしれないのを助けられないのは認めたくなかった。
 自分の行動が正しいとは武は思わない。むしろ自分が勝手に隊列を離れた事で本隊の方に不利益が生じた。その戦力低下が致命的な物にならないとは断言できない。それでもあそこにいる四人を死なせたくないと思った。さほど親しくもない。下手をしたらこれで自分が死ぬかもしれない。それでも。ただ傍観するなど出来ない。
 死力を尽くして任務に当たれ。生ある限り最善を尽くせ。決して犬死するな。
 ならあそこで死ぬ四人は犬死では無いのか? 可能性が有るのに看過するのは最善を尽くしたと言えるのか?
「すいません、大尉! あの四人の救出を志願します!」
 返事も待たずに加速度的に大きくなるBETAの姿。そこに向けてXAMWS-24 試作新概念突撃砲を発砲した。
 YF-23が隊列から離れる。その背中をケビンは見つめ、そして彼も動き出す。何時も追いかけていた背中。それをただ見送るなど出来はしない。だがさっきから何度も救出は無理だと。理性がそう訴えかける。もう間に合わない、彼女たちはここで死ぬと。
 だが──それは助けに行こうとする自分への言い訳じゃなかったか? だから見捨てるしかないと。小隊を預かる身でそれを放り出してあそこへ行くなど出来ないと。本当は、全てを投げ出してでも助けに行きたいのに……!
 自覚は一瞬。その瞬間にケビンは動き出していた。
『小隊長!?』
『ノーランド中尉! 持ち場を離れるな!』
「すいません! レイダー5に指揮権を委譲!」
『なっ……』
 ギルバートの絶句した声が聞こえたが、ケビンの耳にはもう届いていない。彼の専心は既に目の前──BETAに囲まれている築地、高原、麻倉、シルヴィアの四人に向けられている。今はまだ上手く回避しているが、それも長くは持たない。急がなければ、とケビンはF-15SEを奔らせる。甲高い跳躍ユニットの音が、普段なら精神を高揚させる音が、逆にケビンを冷静にさせていく。一度のミスも許されない。そんな状況だと言うのに自分でも驚くほど冷静。同時に手が緊張で震える。
 人の命が懸っている。あの時と──既にアールクトを名乗っていた大尉をテロリストの凶弾から守った時と同じ。
 その事実がケビンを震えさせる。失敗したら彼女たちは死ぬ。それは間違いようもなく。そして自分もきっと。目の前を跳ぶ武も、きっと。
 許せる事ではない。
 両親の死をきっかけに一人でも血を流す人を少なくするためにケビンは軍に入った。そして今、目の前で血を流そうとしている人がいる。ならば、やるべき事は一つ。失敗など有り得てはならない。これまでの訓練。これまでの人生。その全てはこういう時の為に備えていたのだから──!

10/09/15 初投稿



[12234] 【第二部】第二十話 間隙
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/09/28 23:12
「うおおおおっ!」
 知らず雄叫びが発せられる。剣道でも剣術でも無い。ただ相手を斬るためだけの一閃。それは近寄って来た要撃級の頭を斬り飛ばし、返す刀で別の要撃級を下段からの切り上げで両断する。無論機体負荷は大きい。だがその甲斐あって武の前に僅かだが道が開ける。しかしそれでも足りない。囲まれている四人の少女の元へ辿りつくには後BETAの山を何度抜ければいいのか……あまりに絶望的な壁に武の心が萎えかける。それを自覚しながらも武は焦らない。どんなに絶望的な状況でも諦めないと決めた。どんなに絶望的でも、彼女の──純夏の元に帰ると決めた。それに、と武は呟く。
「この程度……」
 本来ならば一個中隊で相手をするような数だ。そこに単機で突っ込む。他の人間がそれをやっているのを見たら自殺なら余所でやれと言いたくなるくらいに無謀だ。
 だが無策では無い。今は単機。しかし向こうで奮戦している四機と合流出来れば話は変わってくる。あそこに居るのは殆どが後衛。唯一の前衛である築地一人では迫りくるBETAを抑えきれない。そして乱戦となり、後衛も存分に力を発揮できない。逆に言えば──乱戦状態をどうにか出来れば武を含めた五機で包囲を突破できると踏んでいた。なによりこの機体は装備的に見ても乱戦に向いている。
「邪魔だ、どけっ!」
 背部兵装担架にマウントされたXAMWS-24 試作新概念突撃砲が足元の戦車級を掃討する。目の前の要撃級の鉄槌の様な叩きつけを回避したところで視界を掠めるものがある。
「っ! 要塞級まで!」
 BETAの中でも最大級の体躯を誇る要塞級。だがそれに威圧感は感じない。武にとって問題なのは倒すのに時間がかかると言う点。そして今、その時間は致命的だ。砂時計の砂一粒が千金にも値するこの状況でこのタイムロスは痛すぎた。
「畜生ぉぉお!」
 それでも武は諦めない。諦めると言う選択肢すら頭には無い。ただ考えるのは如何に効率的に敵を倒し、四人を助け出すか。
 長刀を握りなおす。既に酷使したXCIWS-3 試作近接戦闘長刀は交換が必要。だがまだ使えると判断した武は交換せずに要塞級に躍りかかる。要塞級の弱点、三胴構造の体節接合部。そこに長刀を突き立てる。
「喰らいやがれ!」
 そのまま跳躍ユニットに点火。複雑な動きを描く跳躍ユニットはその出力をもってYF-23の機体を動かす。長刀が突き刺さったまま、機体は要塞級の胴を一周した。そして武が戦術機を離れされると同時に中央から切断された要塞級が二つに分かれて地面に崩れ落ちる。それだけでは死なない。しかし杭の様な足が二本だけになった要塞級は近寄らない限り害は無い。
 その分かたれた身体が落下するのを見届けることも無く、武は着地地点に居る要撃級を一閃する。だが、その一撃は杭の様な腕で止められ……根元からXCIWS-3 試作近接戦闘長刀がへし折れる。万全の状態なら斬り裂かれたかもしれないそれは酷使された挙句に要塞級を斬った長刀を折るには十分な硬度だった。そのまま斬り裂いて前に進むつもりだったYF-23は一瞬そこで止まる。
 この状況で、周囲がBETAに囲まれた状況で足を止めると言うのがどれだけ致命的か、武には理解していた。だが一度止まってしまった機体をすぐさま高速機動に戻すのは難しい。これはOSの問題でも何でもなく、純然たる物理現象。戦術機の様に質量のある物体を動かすには大きなエネルギーが必要。だがそこから動かすためのエネルギーは下肢にたまっていない。跳躍ユニットで跳ぶにも、やはり失速域機動を行うにはある程度の運動エネルギーがいる。下手に高く跳べばその瞬間優秀な狙撃手がこちらを蒸発させる。つまり今の武はほんの数秒──その位置からは動けない。
 その隙を逃さぬとでも言うようなタイミングで正面から要撃級、後方から突撃級が迫る。戦術など無い。偶然の様に波状攻撃になっただけ。努めて武はそう考える。もしもここにいるBETAの全てが緻密な戦略に基づいて襲ってきたらと考えたら元々細い糸を手繰るようなこの状態すら維持できなくなる。
 振りあげられる要塞級の腕。対する武は無手。だがそれは攻撃手段が無い事を意味しない。兵装選択からこれまでの機体には無い物を選ぶ。脚部モーターブレード。脛の部分からチェーンソーの様な刃が露出した。と、同時にそれが音を立てて動き始める。そして正面の要撃級を蹴り上げる。
「ぐ……」
 機体を襲う酷い振動に武は身体に力を入れて踏ん張る。状況にさほどの変化は無い。違いは武のYF-23が右足を高く振りあげている事。そして要撃級の腕──杭の様な部分が無くなっている事だった。時間差で蹴り上げられた杭の部分が落下し、別の要撃級の頭に突き刺さり、その一体を行動不能にした。だが後方から迫る突撃級までは武も手が回らない。
 回避は間に合わない。舌打ちをする時間すら与えられてない。衝撃に身構え、無意味に終わった。その突撃級の後ろから追い縋るF-15SEがその四本足の全てを薙ぎ切ったからだ。
「ノーランド中尉……?」
『支援する、シロガネ!』
 それ以上の言葉は不要とばかりに彼は手にしたAMWS-21戦闘システムから36mmをばらまき、近辺の戦車級を不出来な挽肉に変えていく。そして彼が向かう場所も──武と同じ場所だった。それを悟った武の胸が熱くなる。ここにもいた。小を切り捨てる事が出来ない人が。軍人としては失格だ。それでも武は嬉しかった。
「了解!」

 この二人がこうして二機連携エレメントを組むのは初めてだった。これまで一度も合わせた事など無い。なのに。
『……凄い』
 そう漏らしたのは誰だったか。だが誰もがそう思っていた。僅か二機。その二機がまるで砂場の山を削るかの様に次々とBETAを蹴散らしていく。思わず見とれていたみちるはこれから自分がやるべき事を思い出し、声を張り上げる。
「あいつらが図らずも陽動の役目を果たしてくれている! ならば奴らにつられてこちらの要塞級が動いた時、私たちもその隙間を狙って匍匐飛行NOEでその壁を抜ける! タイミングを逃すなよ!?」
『了解!』
 各隊の隊員からの唱和を聞き、みちるは再び獅子奮迅と呼ぶにふさわしい働きをしている二つの機影を見守る。戻ったら絶対に叱り付けてやろうと心に決めながら。
(だから死ぬんじゃないぞ……)

「シロガネ! 左!」
『おう!』
 言葉と同時に後方からの支援、離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDSによる狙撃が邪魔な要撃級を貫く。崩れ落ちたそれを踏み付けながらケビンのF-15SEは突撃級の側面に回り込み、脆弱な部分にたっぷりと36mm弾の洗礼を浴びせる。そうして作られた道に自機の機動力を生かして後方から武のYF-23が跳び込む。XAMWS-24 試作新概念突撃砲から瞬時に持ちかえたXCIWS-3 試作近接戦闘長刀で、要撃級を両断、そして更に回し蹴り。モータブレードのオマケ付きだ。
 そうして一瞬生じた隙を埋めるように漆黒の鷲が動く。
 次々とその名を示すように突撃して来る突撃級の集団。その先頭の足を正確な射撃で射抜く。この至近距離、外す理由が無い。そうして動きを止めたBETAをバリケードにして少しづつ囲まれた四人に近付けるように空白地帯を作って行く。
 だがまだ足りない。このままでは時間切れ──二人が辿りつく前にBETAの物量に耐えきれずに中心部にいる四人が崩れる。
 ならどうするか。その問いに対する答えはほぼ同時。二人して同じ結論に達した。
「『だったらこいつらがこっちに釘付けになるようにする!』」
 XAMWS-24 試作新概念突撃砲の先端のXM-9 試作突撃砲装着型短刀を振り払う。その一閃で要撃級の頭の様な部分を切り裂き、振り回しながらも36mmを放つ。何割かは至近距離にいた要撃級に吸い込まれ、残りはその後方にいる戦車級を掃討する。その後ろでは人体には不可能な関節の使い方をしながら文字通り四方八方に銃弾をばら撒くサイレントイーグル。互いの機体が互いの射線上にいるにも関わらずその銃弾は装甲を掠めもしない。精確に人類の敵へのみ攻撃を加えていた。
 その背景にはケビンの働きが有る。まるで呼吸を読むかのように武が撃とうとするタイミングでその射線上から退き、無造作に見える発砲も決して銃口がYF-23に向くことは無い。ずっとアールクトの動きを見てきて、それを模倣しようとしたケビンだからこそ出来る芸当だった。その意味では──今まで誰にも理解できなかったXM3の概念に一番近いところにいるのは彼かもしれない。
 互いに示し合せたように背中を合わせる。そうして跳躍ユニットに点火。互いの中心を起点として噴射滑走サーフェイシングで円を描くように回る。そして嵐のように吹き荒れる36mmの雨。雷光の様にひときわ強く一瞬煌めくのは120mmの発射炎。その暴風雨の様な攻撃はヤスリで削るようにBETAの群れを駆逐していく。
 後少し。だがその少しが遠い。
 不知火三機とサイレントイーグル一機の小隊規模。その姿がようやくモニタ越しに確認できる。まだ健在。
『流れ弾に気を付けろよ、シロガネ少尉!』
「ノーランド中尉も!」
 この距離になると向こうの機体の射撃がこちらに当たるかもしれない。その逆もまた。だがそれは二人にはほぼ無用の心配だった。ケビンは巧みな位置取りで、武は至近距離からの射撃で四人の方には射撃を飛ばさない。逆に四人の方からの射撃はそもそも射線上にいない。縦横無尽に動き回る二人を意識せずに捉えるのは難事と言っていい。
 後少し。

 ◆ ◆ ◆

 自分のミスだとシルヴィアは思った。地下からの奇襲の時。咄嗟に近くに居た子と二機連携エレメントを組んだ。それは良い。だがその後──退避先を明らかに間違えた。獰猛な犬の居る道を避けたら餓狼の群れでは笑えない。彼女は明らかに慌てていた。そんな時こそ上官でもある自分がフォローしないといけないのに。そんな後悔が胸を渦巻く。
「築地少尉。後ろに気を付けて! 私たちも常にはフォローできない!」
『は、はい!』
「麻倉少尉と高原少尉も! 他人の支援よりもまずは自分の安全を確保して!」
『了解です!』
『分かりました!』
 指示を飛ばしながらも誰一人として動きを休めない。この状況で止まったら次の瞬間には前衛的なオブジェが一つ出来上がるか、戦術機を器にした真っ赤なシチューが出来るかの二択だ。シルヴィアもこの状況では取り回しが不便なMk-57中隊支援砲は既に投棄して予備のAMWS-21戦闘システムを手にBETAを排除する。だが状況は良くない。当然と言うべきか、みちるは全体の為に凄乃皇を守る選択をした。それで良いとシルヴィアは思う。もしもこちらに来て時間が無くなったら舌を噛んで死んでしまいたくなる。
(日本だと豆腐の角に頭をぶつけて死にたいって言うんだっけ?)
 兎も角、生き残るためには自力でこの包囲から抜け出す必要がある。
(どこか包囲の薄い所が有れば──)
 意図的に薄くしてその先には罠を仕掛けると言う周到さはBETAには無い。少なくとも今までは確認されていない。ならば純粋に敵の少ない所を突破できるように考えればいい。
(あ、でも少佐にBETAが戦術を全く使って来ないなんて考えるなって言われてたな……)
 特に着任当初は本当に耳にタコが出来るほど聞かされた。
 そんな事を思い出したのが良くなかった。こんな緊急時だと言うのにまたあの時の事を思い出す。ミリアがアールクトを抱きかかえていた時の事を。
(いけない)
 これ以上考えたら動けなくなる。失恋した事とそれに付随する事柄。その全てがごちゃ混ぜになってぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなる。もう少し余裕があるなら自分で自分に薬物を投与した。興奮剤なり精神安定剤なり……兎に角幾らかマシな状態になるだろう。だがその余裕もない。
「くっ……」
 三人はまだ色々と拙い。無論、まだ任官して一年も経っていないと言う点から見れば優秀な部類だ。だがこう言った乱戦、絶望的な戦というのは経験したことが無いのだろう。時折背中に隙を見せている。その隙をフォローするのはユーラシアで修羅場慣れしている自分の仕事だとシルヴィアは思っていた。だが余計な考えのせいでそのフォローが遅れる。
 それでも必死で照準を付け、背後からの一撃を加えようとしていた要撃級の腕を吹き飛ばす。それだけで十分。背後に迫られているのに気が付いた麻倉は自分でそれを排除する。
『す、すいません!』
「お礼は後!」
 言いながらも二門あるAMWS-21戦闘システムの一つを背部兵装担架に戻し、シルヴィアは膝のウェポンラックから短刀を引き抜く。ケビンたちとは違い近接戦闘など殆ど行わない。だが全くできない訳ではない。むしろそこらへんの一般兵よりも上だと自負しているが、やはりこの状況では辛い。弾薬を節約するために使おうとしたが、懐に入らないと有効打を与えられない。やはりこれは戦車級の排除位にしか使えないだろう。
(弾数残り──125!)
 オートで射撃したら一瞬で無くなる数だ。この囲まれた中で弾切れになるのは不味い。しかし弾倉交換の隙もどうにかしないといけない。後ろは既に交換済み。それと取りかえるかと考えたところでまたフォロー。今度は二人同時。
「このっ」
 丁寧に狙いを付ける暇は無い。オートで弾をばら撒きながら正面の敵を一体、そして背部兵装担架にマウントした突撃砲で背面の敵を一体。狙いを絞らずに面を射撃したのが良かった。そうしていなければ外れていただろう。その代償として手にしたAMWS-21戦闘システムは弾切れ。後ろのと取りかえる暇も与えずに横から突撃級の突進。
(あ、ダメだ)
 そう悟ってしまった。
 回避は間に合わない。側面では背部兵装担架のAMWS-21戦闘システムも射角を取れない。手にしたのは弾切れ。短刀では切りつける前に吹き飛ばされる。
(嫌だ)
 死にたくないと思う。もっと生きたいと思う。
 だがそれが無意味な事もシルヴィアは良く知っていた。ここに、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の隊員として呼ばれる前はユーラシアに居た。スウェーデンでは沢山の戦友を送って来た。そんな中でシルヴィアが生き残れたのは強かったからではない。もちろん呼ばれる直前は十分な腕を身に着けていたが、その前。新兵同然の頃は単に運が良かったからだ。
 シルヴィアよりも立派な衛士がいた。その人は奥さんも、娘もいると言っていた。何時か平和になった世界で孫を見るのが楽しみだと。死んだ。要撃級に殴られてあっけなく。
 シルヴィアと同い年の少女がいた。とても仲が良かった。一緒に生き残ろうとも言った。死んだ。戦車級に取りつかれて殺してと、こいつらにかみ殺される前にと懇願しながら。撃てなかった。
 シルヴィアよりも年下の少年がいた。あっけなく死んだ。初陣で。八分も耐えきれずに。突撃級に跳ね飛ばされて、管制ブロックがぐちゃぐちゃなのにしばらく生きていた。死にたくないと叫んでいたが死んだ。
 生きたい。死にたくない。言うのは自由だ。思うのは力になる。だがそれが必ずしも叶えられる事ではないとシルヴィアは知っていた。この世界では命なんてあっさり失われる。だから衛士と呼ばれる人間は常に悔いを残さないように生きている。私事の悔いを戦場に持ちこんではいけない。それは知っていたはずなのに。
(ミスッちゃったな……)
 どんなに心を鈍磨させても、薬で抑えても、催眠暗示を施しても棘は残った。やはり大本を取り除こうと自分で動くべきだった。子供みたいに自分の殻に閉じこもってないで誰かに相談すればよかった。
(ケビンの事笑えないな)
 走馬灯のように様々な思い出が蘇る。ゆっくりと、時間が進んでいく。自分の死までの時間が僅かに引き延ばされてもあまり嬉しくないな、と思いつつも空気が粘性を持ったかのような状態で身体を動かす。
 最期の一瞬まで足掻きながらも彼女は諦めていた。

 ◆ ◆ ◆

『あと少し!』
 通信機越しに武の声が響く。活力が有る。ケビンはそう感じた。やはり親族だけあってアールクトと武は良く似ているとケビンは思っていた。実際は親族どころの話ではないが。だが武にはアールクトには感じられない熱が有る。別にアールクトのやる気が無いと言う訳ではなく、生命力の様な物が。
(気に入らない)
 それは紛れもない事実。ケビン=ノーランドが白銀武を嫌っているのは疑いようのない事実である。だがその理由はやはり八つ当たりの様な物でしかないのだろうとも分かっている。
 羨ましい。妬ましい。そんな何時までもウジウジと持っていても仕方のない──だが人間としてはまっとうな感情。
 戦術機の腕。僅かな時間で自分たちと同等のレベルまで来た新任達。そこに何も感じないほど鈍感では無い。後半年もすれば今回任官した六人は得意分野で自分たちを追い抜いてしまうだろう。数年も経てばほぼ全ての分野で確実に追い抜かれる。それだけの才気に満ち溢れている。
 だがそれはどうしようもない事だ。生まれ持った才能なんてものはそれこそ生まれた時に決まる。自分の努力ではどうにもならない。
 確かに努力は重要だ。繰り返し行った鍛練は決して裏切らない。それと同じくらい才能も重要だ。同じだけ努力をしたのなら才能のある方が伸びるに決まっているのだから。
 やはり気に入らない。彼らが才能に満ち溢れてる事も、それに一々嫉妬する自分にも。
 自分は自分以外の何者にもなれない。そんなことは分かり切った事なのに。
 弾倉交換。再装填。発射。ほぼ無意識のうちに身体はその動作を行い敵を撃つ。余計な思考に囚われていた。ほんの一瞬の思考の戯れを放棄し、現実を見る。
「十一時の方向の包囲が薄い。そこから切り込むぞ!」
『了解! 後ろは頼みます!』
 返事も待たずにもう何度目かになるか分からない吶喊。吐き出された36mmの数はもう数えたくもない。そして屍に変えたBETAの数も二機連携(エレメント)の戦果としては破格だろう。だがまだ足りない。後一歩。後一歩が──。
 120mmが弾切れ──キャニスター弾に換装。既に離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾(APFSDS)粘着榴弾(HESH)は弾切れだ。
 足元に群がる蜘蛛じみた赤い戦車級に一発打ち込む。次々と肉塊に変わるそれを見届ける事なく次の標的。
「っ! シルヴィア!」
 標的を探す中で見つけた。隙を晒しているサイレントイーグルを。その横腹に突進する突撃級を。
 高速で思考を巡らせる。シルヴィアからの迎撃は間に合わない。この状況で突撃級に激突されたら即撃破とはならずとも致命的な物となるだろう。ならばこちらから支援するか──いや、ダメだ。確かに届かない距離ではないが、36mmでは有効打となるか微妙な距離だ。ましては側面。完全に甲殻に覆われている訳は無いが、照準がずれれば甲殻に弾かれる。こう言う時こそ離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾(APFSDS)で堅牢な盾を貫くべきなのだが、既に弾切れ。
 間に合わない。自分ではあれを止める方法は無い。ならば他の人間は? 向こうの三人──無理だ。全員が自分の事で一杯一杯。隣のYF-23を見ると向こう側に背を向けている。突撃砲四門を前面に展開しての一斉射。後方に向けられる砲塔は無い。
(ダメだ。間に合わない)
 あと少しなのに。あと少しで助けられたのに。たった一人を助ける事が出来ない。
『ノーランド中尉!』
 武の叫び。それがケビンの耳を打つ。絶望に囚われそうになっていたケビンを引き上げる声。そして叫んだ武は、YF-23はブレードマウントを起動していた。柄をこちらに向けて。だが武はそれを抜かない。その場から動かない。一瞬でも動きを止める事が致命的な状況で。武は何かを待っていた。そしてケビンもその真意を理解する。
「感謝する、シロガネ少尉……」
 跳躍ユニットを使いながらの噴射滑走。そのままYF-23のブレードマウントから長刀を掴みとる。それで切りかかるのではない。そんな事をしていては間に合わない。そもそもケビンはそれを逆手に握っている。ならば何をするつもりか。
「行けっ!」
 小さく息を吐くような短い叫び。
 振りかぶる。踏み込む。腕を振り下ろす。僅か一秒の動作。それは投擲。戦術機用の長刀を投げると言う教本のどこにも載っていないような想定外の運用方法。無論戦術機側のアシストなど無い。ケビンにもやった事は無い。初めての挑戦。それでもそれは真っ直ぐ飛んでいく。十分な速度を持って。
 戦術機から伝えられた加速度。長刀自体が持つ質量。その二つが合わさった運動エネルギーは突撃級の甲殻を貫き、その勢いを止め──地面に縫い付けた。
 咄嗟に機体ステータスを見る。かなりの無理をさせた事は自覚していた。瞬間的にかなりの負荷を掛けた右腕は幸いにも危険域には達しなかったらしい。これ以上の負荷をかければどうなるかは分からないが当面は動かせる。
「全員生きてるな?」
 見れば分かる事だが、それでもつい言ってしまう。
『ノーランド中尉! 俺たちが突き抜けてきた道を一気に駆けもどりましょう!』
 周囲のBETAを足止めしながら武がそう提案する。この戦場で命を拾った事、救えた事を祝う暇などない。
『いえ、白銀少尉。そちらからだと本隊から更に離れ、最終的にまた囲まれる可能性もある。こちらのBETAの薄い個所から楔壱型アローヘッド・ワンで一点突破。後に光線級狩りを行っている本隊への支援として側面からの攻撃を行うのが現状ベターじゃないかと思うけど、ノーランド中尉の意見は?』
 シルヴィアのサイレントイーグルから通信と同時に囲まれていた四機の機体ステータス、バイタルデータが送られてくる。本来直接の指揮官で無いと閲覧できない物だがどうやってかシルヴィアはそのデータを得たらしい。それを見て言えるのは早めの本体との合流が必要と言う事。どの機体も推進剤、弾薬共に心もとない。もしももう一度囲まれたら持ちこたえる事も出来ないだろう。そして何より精神的に疲労している。孤立していたという過去を仲間と共にいるという現在で上書きするべき。ケビンはそう判断した。
「シロガネ少尉をトップに築地、自分と続き、残りは後方から支援。包囲の突破を最優先とし、本隊の支援に向かうのが良いと思う」
 だがそれよりも気になるのはシルヴィアの事。何時も通りに見える。流石に実戦中にふざけるほどシルヴィアも不謹慎では無いし、軽口を叩く余裕もない。だが先ほどまで被撃墜一歩手前の状況で冷静に居られるだろうか……? そんな視線に気付いたのか網膜投影のウィンドウの中にいるシルヴィアが口元を小さく笑みの形にする。
(大丈夫)
 そう言ってる気がした。

 ◆ ◆ ◆

「オルタネイティヴ計画第1戦術戦闘攻撃部隊並びにオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊。予定通りに作戦進行中」
 その報告を聞いて夕呼とミリアは小さく息を吐く。地下からの奇襲で部隊が分断された時はどうなる事かと思ったが、孤立した方も本隊と合流し、無事光線級の排除に向かったらしい。ただ気になる事が一つ。
(……BETAの数が多すぎないか?)
 確かに凄乃皇のML機関につられているのはあるだろう。だが地下奇襲などあったらアールクトから忠告があったはずだ。まして彼の時は一個中隊。直下からの奇襲など受けたらそれだけで全滅する恐れもある。それを忘れていたとは思えない。
 夕呼も予想よりも数が多い事に驚いてはいたが、BETAがこちらの予想を超えた行動をとると言うのは何時もの事だと納得しているように見える。それはミリアも同感だ。BETAの考えなど太陽の寿命が尽きる頃になっても分からないだろう。だが何かがひっかかる。本当に些細な……棘が刺さった様な感覚。
(何だ、何を見落としている?)
「A-02、砲撃予定地点に到達」
『こちらA-03。間もなくA-01と合流する』
 アールクトからの通信。そこでハッと気が付いた。
「アールクト。そちらの方のBETA出現数はどうなっている?」
『? ちょっと待て。今データを送る』
 大体の撃破数が送られてくる。そして時間をさかのぼってのBETA出現分布。それを見て夕呼も気が付いた。
「少なすぎる……」
「どういう事だね、これは……」
 凄乃皇を目指したと思われるBETAとヘルメスを目指したと思われるBETA。その数は本来ならほぼ均一──いや、距離が近くレールガンの砲身にもG元素を使っているヘルメスの方が多いくらいでなくてはいけないのに。
「約五倍の差。……向こうにBETAの気を引く何かが有ると言う事かしら?」
「だとしたら何が──」
 原因かと考えた瞬間に両者は同時に己を呪う。ある。XG-70並みにBETAを誘引しうる要素が。ヘルメス・サードを投入した最大の理由が。
「不味いぞ……」
「A-02、荷電粒子砲発射」
 佐渡島の方角を移したモニターが閃光に包まれる。そして崩れ落ちる地表構造物。歓声。
「アールクト、急いでくれ!」
『……了解』
 ミリアの言いたい事を察したのか先ほど以上に緊張した面持ちになって通信が切れた。まさかと言う思いが有る。まさか本当に来るとは。ここで妨害してもオルタネイティヴ5は有り得ない。ハイヴを砕くと言う成果を上げた以上、オルタネイティヴ4が潰えると言う事は無い。
(私の知らない何か──切り札でもあると言うのかね!?)
 分からない。最早ミリアとオルタネイティヴ5は別陣営と言って良く、向こうの深い所は全く分からない。それが今の状況を──向こうの意図を不透明にした。

 ◆ ◆ ◆

 数時間前。
 帝都城の自室から悠陽はある方角を眺める。佐渡島。ここからではその姿を見ることは叶わないが、せめて心だけでも共にという想いの表れか。陽が昇る前からずっと彼女はその方角を見つめ続けている。
 その後ろに影のように控えているのは紅蓮醍三郎。無現鬼道流の師範であり、斯衛軍最強の剣士であり──そしてBETAと戦う事が叶わない男であった。紛れもなく最強の剣士である。それは斯衛軍の誰もが認める。しかし、それに対して戦術機特性は致命的なまでに低かった。戦術機を動かすことが出来ない男。故に彼は後進の育成に力を注いでいる。その紅蓮も悠陽と同じように影で夜明け前から控えていた。
 両者の間に会話は無い。ただ真っ直ぐに正面を見続ける。
 警報が鳴る。それは敵襲。しかしBETAでは無い。ならば消去法で相手は人間と言う事になる。
「殿下」
 それまで黙って彫像のように立っていた紅蓮が動いた。さっと悠陽の前に出る。そして音もなく彼らの前に影が現れた。
 浮いている。白銀の人型はそれ自身が太陽であるように陽光を反射させながら悠陽と紅蓮の前に居た。一瞬で帝都の防空圏を犯し、この天守閣の前まで来る。それがどれほど困難か、紅蓮は良く知っている。そして今この機体の衛士がその気になれば自分たちの命は成す術もなく奪われるだろうと言う事も。だが不思議と──そんな気はしなかった。それは悠陽も同じである。無機質なはずの機体の顔。それがどことなく泣きそうに歪んで見えたのは光の加減による錯覚か。両者は何もせず、言葉も発せず──白銀の戦術機は飛び去った。


 何故あんな事をしたのか。彼は管制ブロックの中で静かに考えてみた。
 予定されたコースからは大きく外れてはいない。静止していた時間も精々一分かそこらだ。作戦行動に支障は無い。だから問題は無い。だが理由が分からない。自分の行動なのに何故あんな事をしたのか。それが分からない。
 人が居た。城の天辺。そこに二人。それが誰なのか彼には思い出せない。だが知っていたはずだ。あそこに居たのは彼女とはまた違った意味で大切だった人。それぞれその感情のベクトルは違うが、守りたいと思っていた人。
 なのに思い出せない。彼女の事も、あそこに居た二人の事も。欠けている。自分自身が欠けている。ここに来る前に誰かが言っていた事を思い返す。
『もう限界です』
『これ以上は恐らく有益なデータは取れないでしょう』
『この作戦が終わったら廃棄するべきです』
 そんな言葉。だが彼にはその文字の羅列の意味が分からない。理解する能力が失われている。
 それでも必死になってさっき見た二人の名前を思い出そうとする。そうしなくてはいけないと言う風に。顔を歪めながら必死に。
「ゆ……う──」
 瓦礫の中から慎重に蜘蛛の糸を取り出すかの如き記憶の発掘作業は無機質なブザーによって遮られる。
『IZ16。時間だ。行動を開始しろ』
「IZ16、了解」
 そう答えた時の彼──武家として生まれ、横浜で死んだはずの白銀武の表情には何も残っていなかった。

10/09/28 初投稿



[12234] 【第二部】最終話 次へ
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/11/06 23:56
 荷電粒子砲の一射。
 ハイヴを打ち砕いたそれを撃った直後の間隙。ラザフォード場をほとんど展開できず、無力な巨体を晒す凄乃皇弐型に上空からの砲弾が降り注ぐ。弾種は36mm。本来ならばその程度で凄乃皇が傾くことは無い。だがしかし、常識外れの弾速が堅牢なはずの装甲を易々と突き破った。
 被弾個所から黒煙が上がる。内部の電気回路が引き裂かれ、凄乃皇を操縦する純夏は己の神経が喰い破られたような錯覚を覚える。咄嗟にその区画を電子的に切り離す事で対応したが、僅か一瞬の間に先ほどまで緑一色だった機体状況が浸食されるように赤に染まる。同時に機体の傾きを自覚した。──ラザフォード場の制御、姿勢維持。しかし出来ない。
 例えるならば片腕を失った状態。歩く為の機能は残っているが、大きく変わった重心のバランスに身体が対応できていない。幾つか損傷した回路を除いた制御を行うには時間が足りない。地面に不時着する。そう察した彼女は咄嗟に叫ぶ。
「逃げて!」
 その言葉に反応出来たのは残念なことに全員では無かった。機体を横倒しにして不時着する凄乃皇。その下に不知火とサイレントイーグルが合わせて三機。純夏は墜落の際に姿勢制御を諦めて墜落の衝撃を和らげるために下方にラザフォード場を展開していた。それが仇となった。凄乃皇と言う機体の維持と言う点では純夏の判断は間違っていない。凄乃皇の墜落だけならばまだ三機の衛士に生存の可能性は残っていたが、下方に展開されたラザフォード場に巻き込まれた以上生存は絶望的である。
 しかし残った者たちにそれを悲しむ余裕などない。続く弾丸でサイレントイーグルが二機撃墜される。凄乃皇が地面に墜落してからまだ三秒しか経過していなかった。その攻撃を受けて漸くA-01もオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊も動きを再開させる。迅速に散会。同時に上に向けて攻撃態勢を取る。そこで見たのは──もう一つの太陽だった。

 ◆ ◆ ◆

 唐突に降り注いだ弾丸が凄乃皇を落としたのを見て、YF-23を駆る武は一瞬自失する。だがその損害は致命的な物ではない──あくまで機体がではなく純夏の身がということである──事に気付いた彼の反応は早かった。瞬時に攻撃してきた相手を確認。その相手がこちらに向けて36mmの雨を降らせてくるのを見えた為、比較的容易に回避する事が出来た。だが安堵には程遠い。そこにある機体に武は見おぼえがあった。武だけでは無い。あの日、あそこに居た人間がその圧倒的すぎる戦闘能力を思い出す。単機で一個大隊を潰した白銀の戦術機。その姿を見て何も感じない物などいない。
 動けない。動いた瞬間にあの日見た光景の焼き直しがここで行われると言う強迫観念じみた確信が有る。そうしているうちに銀色の機体は背中から前方に砲身を構える。そしてその先端から溢れだす閃光。
 頭上に出現したもう一つの太陽。それは先ほど凄乃皇が放った光と同種の物だと武は気付いた。そしてその標的が自分たちだと言う事に。
「な……!」
 戦術機である以上人類側の物なのだろう。だが、本来轡を並べて戦うはずの人類の剣はその切先を隣の戦友となるべき人類に向けられた。そのショックが大きい。ましてや先ほどまで人類反撃の狼煙だと思っていた物と同じものを向けられれば動揺はさらに大きくなる。
 回避を考えるが間に合うはずもない。あれが凄乃皇と同じなら今から逃げたところで向こうが僅かに射角をずらすだけで蒸発する。
 ならば先制攻撃。ラザフォード場があったとしても、荷電粒子砲発射の前なら全方位に展開は出来ないはず。確実に空いている場所──考えれば答えはすぐに出る。荷電粒子砲の砲身を向けている機体前面。そこには展開できない。ラザフォード場は内側から攻撃し放題の便利な盾では無い。展開していたら両方向からの侵入を留める壁だ。
 決断した後の武の行動は早かった。他にも数名──彩峰や美琴など勘の良い者は回避よりも先制攻撃を選んだ。
 XAMWS-24 試作新概念突撃砲を全て前面に。兵装担架にマウントしてあった二門のうち一門は先ほどの救出劇の中で担架毎失われている。そしてその時に手で持っていた物も咄嗟の盾代わりに使って今はもうない。つまり二門だけ。
 それでも上の敵に向けてトリガーを引き絞る。相手は回避する素振りを見せない。そして全弾命中。射角の関係で後背部のラザフォード場に弾かれた物も幾つかあるが36mm,離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDS粘着榴弾HESH劣化ウラン貫通芯入り仮帽付被帽徹甲榴弾APCBCHEと戦術機が使用可能な弾種のほぼ全てが一機の戦術機に集中する。だが爆煙が晴れた後当然のように無傷の機体を見て心が俺無い物など居ない。たとえそうなるかもしれないと覚悟していてもだ。
 極光が一際強まる。それに対して武には無駄だと知りつつも凄乃皇の盾になるように機体を動かすしかなかった。

 ◆ ◆ ◆

「……充電完了」
 小さく、機体の中で彼──武家として生まれた白銀武は呟く。天照。本来ならばこの世に存在するのは十年後の機体。その最大の武装への電力供給が完了した事を示すサインが点滅している。そして彼は躊躇うことなくそれを選択した。
 天照に三つ装着された背部兵装担架。その中央、他の何よりも巨大な砲が発射の為に形を整える。折りたたまれていた砲身は真っ直ぐに前に伸び、長大な姿を形作る。肩越しに展開された荷電粒子砲の砲身下部。そこにあるグリップを掴み照準を合わせる。目標は眼下にいる有象無象──あの巨大な機体は荷電粒子砲の一射くらいならばラザフォード場でどうにか耐えるだろうという計算がある。この引金を引けば展開している戦術機は全滅する。そうなれば動けない的など幾らでも処理できる。
「あと少しだ」
 意図せず彼の唇から呟きが漏れた。あと少し。この引金を引いて、あのデカイのを潰して。そうすれば──。
 そうすれば──どうなる?
 何かあったはず。何かあったはずだ。そうすれば何かを取り戻せる。何を?
 僅かな逡巡。時間にして一秒もない。
 その一瞬が凄乃皇の周りに展開している全員の命を救った。
 全身を突き抜けるような衝撃。散々弄られて衝撃や苦痛に鈍感になった彼の身体でもそれは堪えた。激しく揺さぶられる機体の中身。バーテンダーのシェイカーの中に放り込まれた氷の気分を味わされた。並みの衛士なら失神している衝撃もさほど気に留めずに彼はその原因を探す。
 探すまでもなかった。先ほどまで空に居たのは自分一人。だがそこにもう一つある。とても無視できない巨体。大きさの比率的には人とクジラか。潜水艦の様な航空機の様な細長い巨体。だがその形状は流体力学を完全に無視している。それがこうして空にあると言うのは有り得ない。常識ならという但し書きが付くが。
(同じか)
 だがここには条理に反した機体が三つも有る。そして彼にとっては己の物以外は必要ない。破壊目標は元々このデカイのだけでクジラは予定に入っていないが関係ない。邪魔をするならただ意味の持たない物体に変えるだけ。
 チャージが完了している荷電粒子砲の砲塔を巨体──ヘルメス・サードに向ける。後はトリガーを絞るだけ。そう考えた刹那ロックオンしていた機影が正面から消えた。目標を失った照準が彷徨う。
(何処に)
 レーダーに視線をやるより早く直感した。背面にラザフォード場を展開。その力場を掻い潜って衝撃が機体まで届く。
「ぐ……」
 噛み締めた歯の隙間から苦悶の声が漏れた。肺から空気が吐き出される。そんな状態でも身体は機体を反転させ敵機と相対ヘッドオンさせる。背を向けたままでは勝ち目はない。向き合った先には一瞬で背後に回り込んだ敵機。クジラのヒレの様に見えていた部分はどうやら相当な威力を持った火器だったらしいと彼は考察する。そしてその機動力。巨体だからと侮っていたが、相当素早いらしい。その上小回りも利く。
(厄介だ)
 だがそれだけだ。
 荷電粒子砲を兵装担架に戻す。代わりに手に握るのは12式高周波近接格闘長刀。今回の武装はこの機体が始めから装備していた物が全て搭載されている。それを軽く振って感触を確かめる。
(……違う)
 何か違和感を覚える。どこか違う。バランスか、別の何かか。いまいちしっくりこない。だがその誤差を飲み込んで彼は剣を振るう。
 これだけの巨体。各部に迎撃用か、チェーンガンは設けられているようだがその程度では足止めにもならない。懐に潜り込んでこの剣を振るう。それだけで決着がつく。気分はクジラを解体する職人。
「一太刀馳走!」
 上段からの一閃はまずまずの出来だった。横合いから下へ抜けるように振り下ろす。だがそれは押し留められた。上から叩き落とされた"腕"によって。
 刃には触れないように下に。運剣に余計な力が加わった為、切先が僅かに装甲を削って終わった。だが彼の心は攻撃の失敗よりもその原因に向いている。そしてそれを見た。バカバカしい程に巨大な人型を。

 ◆ ◆ ◆

「ヘルメス・サード。戦闘形態に移行」
 戦術機の管制ブロックとは比べ物にならないスペースを確保されたコクピットの中でアールクトは小さく呟く。その肩は戦闘開始から僅か数分で上下している。ML機関の出力に任せた強引な機動。それによってもたらされる加速度は強化装備があるとは言え無視できるものではない。瞬間的な最大Gは約20G。そんな物を何度も受けていれば屈強な人間でも体力はやすりを掛けたかのような勢いで削られていく。
 クジラと評された巡航形態からXG-70シリーズと同じように縦に長い状態に機体を可変させる事を終えたアールクトは後方に過ぎ去った凄乃皇やA-01の方を見やる。
「鑑少尉、機体は動かせそうか?」
 36mmとはいえ、紛い形にもレールガンによる攻撃。もしかしたら機体を放棄する必要があるかもしれないと危惧していたが通信機越しに届く声はその懸念を払拭した。
『大丈夫です! 移動なら何とか』
「……では全機体は戦域より離脱。先頭を第九中隊、左舷に第七中隊、右舷第三中隊、殿は第二中隊が努め後退しろ。以降の指示はHQに従え。以上」
 ここに居たら凄乃皇は兎も角不知火やサイレントイーグルは流れ弾だけで撃墜される。そんな戦場に部下を置く訳にはいかない。ましてやこれから行うのは酷く個人的な戦いだ。
「純夏……」
 知らずうちに呟きがアールクトの唇から漏れる。彼が口にしたのは後方にいるこの世界の鑑純夏の事では無い。自分と同じ世界の鑑純夏の事。幸せにしたかった少女が最期にいた場所。機械仕掛けの神の胎内。
 天照。この世界の異物。明確な形を持ったアールクトにとってのイレギュラー。相手の意図は分からない。だが確実なのはその望みは自分の望みとは合致しない事だけだ。そしてアールクトが天照を敵とみなすにはそれだけで十分だった。行動不能までに叩きのめしてその上で中に居るであろう純夏を救出する。それがどれだけ困難か。今さら論ずるまでもない。
 敵が動く。こちらの巨体の隙間を突くように、懐に入り込もうとする。それはこちらにとって一番嫌な戦法だ。至近距離ではこちらは迎撃用の36mmくらいしか火器が無い。遠距離でなら豊富な火器で圧倒できるが、密着戦では相手の方が圧倒的に有利となる。
 それは敵も分かっている。そしてこちらもその弱点は百も承知。なら、対策をとらない理由が無い。対策と言うには余りに力技なのは認めざるを得ないが。
「いくぞ」
 それを行うにはアールクトにも少々の覚悟が必要だった。出撃前に行った技術士官との会話が思い出される。
『この機体のラザフォード場制御は凄乃皇弐型と比較して稚拙と言わざるを得ません。可能な限り複雑な使用は避けてください。多重干渉、機体の処理能力の限界……考えれば幾らでも不都合は思い浮かびます』
 一言で表すならそんなものは欠陥機以外の何物でもない。そんな欠陥機を使っているのもこれ以外で天照に対抗できる物が無いからだ。同じ土俵にすら立てない。
 だが今アールクトはその忠告を無視してラザフォード場を発生させる。懐に居る天照を包み込むように。そのままにしておけば天照は高水圧の深海に落ちたように圧壊する。当然それを良しとしない敵機は対抗するようにラザフォード場を発生させる。目に見えない鬩ぎ合い。今こうしている間にも天照とヘルメス・サードのCPUは互いのラザフォード場を撃ち消しつつ相手に損害を与えようと様々なパターンを一瞬で切り替え、干渉しあっている。処理能力ではヘルメス・サードは天照に遠く及ばない。そんな一瞬の均衡を崩したのは天照の側だった。
 その状態を維持する事を厭うように乱雑に離脱する。それはこれまで見せた事のない反応──危機感から出た物だと言うのを推測するのは容易だった。その様子にアールクトはこちらの対抗策が上手くいった事を察してほんの少し唇を釣り上げる。簡単な話だ。CPU同士がやっていたのは如何にお互いの力を受け流すかということ。例えるならサーフィン。互いの波に上手く乗れるかどうかという戦い。だがその波がもしも津波と呼ばれる物だったら? サーファーでは対処のしようのない物だったら。そうなったらサーファーは波に飲み込まれるしかない。
 天照は戦術機として見た場合、対抗できる機体は皆無と言っていい。未来でも同型機の開発が困難であった以上これは確実だ。だが──戦術機以外、戦略航空機動要塞と比較した場合、その優位性は常には当てはまらない。例えば火力。どんなに重武装にしようとしても戦術機のサイズである以上限界はある。荷電粒子砲と一言でいえば同じだが、その出力には十倍近い差がある。搭載できる火器の数も大きく制限を受ける。そしてラザフォード場の出力。戦術機サイズにまで小型化させた技術者の才気は疑いようもない。だがどんなものにも纏わりつく大きさと出力のトレードオフ。ML機関もその呪縛から逃れることは出来なかった。ラザフォード場の最大出力。それは互いのML機関が通常運転の最中では精確に比較するまでもなくこちらの方が高い。これがアールクトの勝算。機体特性の違い。それを生かして最強を狩る──!
 距離を離した天照に追撃をかける。機体各部のVLS、四型と同じように腕代わりのレールガンの一斉射撃。相手の退路を塞ぐように1500mmとミサイルが降り注ぐ。決して高さを取らせないように上位からの砲撃で今の位置に釘付けにする。高度を取った場合、こちらには不利だった。お互いに高さは取れる。だがその後──地上にいる光線級が狙って来るのはML機関の出力が高いヘルメス・サードだ。そしてこちらは高速機動とラザフォード場の同時処理が困難だ。元々アールクトの作戦と言うのが綱渡りめいたものである以上、こちらに不利な要素は徹底的に排したい。
 レーダーマップがA-01の撤収が順調に進行している事を告げる。この調子なら向こうは大丈夫。後はこれを──。
 そんな余分がアールクトの反応を遅らせた。
「っ!」
 ミサイルの爆炎の中から閃光が飛び出す。ほんの少し装甲に汚れが増えただけの天照。手には12式高周波近接格闘長刀。
(懲りずに接近戦だと?)
 先ほどの攻防で懐に入った場合の危険性は理解できたはずだ。それでも尚近接戦を挑む敵手の姿に僅かな憐憫を覚える。
 あの衛士がこの世界の白銀武だと言う事は八割確定だ。シロガネタケルで無いと天照は動かせない事。クーデターの時に見せた剣技。己の記憶にある鑑純夏の発言とこの世界の鑑純夏の発言の違い。彼を知る者から聞いた話を総合するならば天才──麒麟児。黄を賜る武家である白銀家に生まれ、その剣技と戦術機の腕は斯衛の中でも高い評価を得ていた。特に剣技は成人するころには紅蓮を超えるとまでの腕前だったらしい。その性格はとてもではないが、自分とは違うとアールクトは苦笑交じりに評価する。二度目の武が聞いても同じ反応をするだろう。武家の人間として相応しい振る舞いを体現するような人間だったらしい。そんな人間が帝国に弓引く理由などそう多くは無い。その中でもアールクトは最も高いと思っていたのは薬物による洗脳。後催眠暗示ですら似た事が出来るのだ。違法な薬物を使えば尚楽だろう。この無謀な突撃は薬物による状況認識力の低下だと判断した。
 アールクトの推測はあながち間違っていない。現に天照に乗っている白銀武は薬物による洗脳を受けている。厳密には洗脳ではなく、生体コンピュータとして使う為に脳内の神経伝達速度を上げる施術を外科的、内科的方法によって受けた結果、己の意思が殆ど無くなり、暗示によって命令に忠実な人形になったのだが。しかし彼の致命的な間違い。それは状況認識力の低下など起こしていない。そして己の意思が無くとも、かつて天才と呼ばれたその戦腕は些かも衰えていない事に気付かなかった事である。
 ラザフォード場で包み込む。先ほどの焼き直し。だがその結末は全く異なった物となった。
「………………何だと」
 そんな月並みな言葉しか出てこない。先ほどまで万全だった機体状況。その一か所が真っ赤に染まっている。右腕──1500mmレールガンの砲身が重々しい音を立てて地面に落下する。半分ほどの長さになったそれを見て一瞬自失するがすぐさま機体を動かす。機体の限界以上の速度を出した天照が再び装甲に切れ目を付けていく。
「ぐ……」
 呻く時間すら惜しい。必死に機体を繰り大きな損害だけは避ける。だが次々と刻まれていく機体は文字通り終わりへのカウントダウンに見える。驚異的な天照の速度を完全に追う事は出来ない。己の技量と経験を駆使してどうにか致命的な損害を避けている状況だ。
(解せない)
 有り得ない事だった。天照は文字通り限界を超えている。かつてアールクトが行った天照の機動試験。その中で限界速度という項目があった。その際の速度は一般的な戦術機よりは早いが、音速は超えてない。そんなレベルだった。そしてそれはML機関を最大出力で行った試験である以上、天照はそれ以上の速度を出せない──はずだった。
 ならば今の光景は何だ、とアールクトは自問する。何らかの改造が施されたのかと一瞬考えるがすぐさま否定する。未来でもあれが限界だったのだ。それが過去でホイホイ改良されては当時の技術者たちの立つ瀬が無い。
 そこでふと気が付く。こちらから離れている時は速度は平常──と言っても十分に速いが──だ。こちらの側に来た時にだけ加速している。だがそれはおかしい。こちらの側に来た時はラザフォード場で干渉している。減速ならまだしも加速などするはずもない。なのに現実はそれに反している。その理由が分からない限りアールクトの敗北は不可避の物となる。
 目を凝らす。天照に。その周囲に。ヘルメスのセンサ類が得たデータに。その中から原因を探る。そうしている間にも損害は増えていく。
 焦りが生じる。それを抑え込みながらデータをチェック、チェック、チェック……。違和感。とあるデータ──ラザフォード場の分布状況。天照が加速する瞬間、移動方向にだけラザフォード場が無い。
「まさか」
 ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ天照の処理能力を力任せに使ったラザフォード場の相殺。進行方向だけ相殺し、残りの箇所は反発させる。過剰にかかった圧力は何もない一方に向かう。
 何の事は無い。天照の限界を超えた加速はこちらの力を利用しただけの話だ。だが驚くべきはそこでは無い。
「たった一回の交錯でここまで見抜いた!?」
 一度受け止めただけ。それだけで既に敵手はここまでの状況を組み立てていたのだろうかとアールクトは戦慄する。そして何よりもその胆力。言葉にするのは容易い。しかし上手くいかなければそこで圧壊するだろう。それを迷い無く行える。
 難敵だ。この敵はこれまでで最も手ごわい。アールクトはそう確信した。そして同時に勝算が限りなく下がった事も。

 撤退を検討。却下。ここで撤退したら天照は間違いなくA-01に向かう。それだけはさせてはならない。あそこにいる白銀武、鑑純夏、御剣冥夜、榊千鶴、珠瀬壬姫、彩峰慧、鎧衣美琴──A-01の面々、ここに来るまで幾つもの世界で何度も死なせ、共に闘ってきたギルバード=ラング、シルヴィア=ハインレイ、ケビン=ノーランド、シオン=ヴァンセット──オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の隊員。誰一人としてこんな理不尽な暴虐に巻き込ませる訳にはいかない。
 天照と自分はセットだ。ミリアの願いか──それとも自分が無意識に願ったのか……。詳細は分からない。多分今後分かる事もないと思う。だが確実にあの理不尽をこの世界に持ちこんだのは自分だ。自分の不始末は自分で決着をつけないと。たとえそれが己の最大の願いへの希望を自分の手で断ち切る行いだとしても、だ。
 元々が自分の我儘で始まった事だ。純夏でさえも言っていた。
――未来を知っていてもどんなに力があってもひょっとしたら今回より悪い結果になるかもしれないよ? 今回のこれが最良の結末かもしれないよ?
 と。だからきっとこれは罰。自分の好きなように世界を変えようとした代償なのだろう。一番幸せにしたかった人をこの手で討つ。これ以上は無い罰だ。
「だけどな」
 それを甘受したらそれこそ最初から諦めていればいいと言う話になる。諦めない。諦める物か。このふざけた回数の繰り返しで一番鍛えられたのはその諦めないと言う事。たとえこれが罰だとしても──ギリギリまで足掻いて見せる。足掻いて足掻いて、その上で望みを叶えてやる。まだ自分は終わっていない。この世界でループが途切れるとしても、まだ生きている。この世界でやれることが有る。
「さあ、行くぞ」

 ◆ ◆ ◆

 状況を確認する。
 ここは何処だ? ──佐渡島だ。
 今は何時だ? ──2002年の1月1日。
 何が行われている? ──帝国軍主導による甲二十一号目標攻略作戦。
 自分の目的は? ──本作戦に投入された国連軍の新型破壊兵器の破壊。
 その手段は? ──現在搭乗してる戦術機による攻撃。最も有効と思われる攻撃手段は荷電粒子砲。
 その為の障害となるのは? ──現在交戦中の敵機。ブリーフィング時に該当する機体の情報は無し。ただし外見から破壊目標の同系機と思われる。
 勝算は? ──予断を許さぬ状況ではあるがやや此方が優勢。敵機の巨体を盾に一撃離脱を繰り返す。
 他に確認事項は? ──無い、はずだ。
 思考にノイズが生まれた。先ほどから感じてる些細な違和感。その違和感が無視できないほどに大きくなる。
 何か有ったはずだと言う想いを捨てきれない。自分には何かあったはずだと。こんな簡素な確認事項では無く、もっと重要な何かが。
 何故作戦領域に向かう時に予定されたルートを通らなかった? ──分からない。
 何故あの時敵に捕捉される事が分かりながら城郭でとどまった? ──分からない。
 何故あそこに居た二人に懐かしさを感じた? ──分からない。
 何故自分はこんな作戦とは関係の無い事を考えている? ──分からない。
 ……自分は何者だ? ──分からない。
 自分の事が思い出せない。どうしてこんな大事な事を今まで考えなかったのか。それすら疑問に感じる。普通自分が何者か分からなければもっと気にするはずだ。なのに何故それすらも考えなかった?
 頭が痛い。莫大な情報が頭に刻み込まれていく。自分では無い自分の記憶。そのほとんどは認識できずに零れ堕ちていく。だがその中で零れ堕ちない物が有った。
 赤い髪の少女の姿。
「──あ」
 彼女の名前は? ──思い出せない。だが覚えている。とても大切に思っていた事だけは覚えている。
 自分の名前は? ──思い出せない。だがこの敵と戦っていればいずれ思い出せる気がする。

 ◆ ◆ ◆

 砲弾が互いの間を行き交う。剣閃が煌めく。お互いがお互いの持つ全ての技能を振り絞って戦っていた。第三者から見れば一種予定調和じみた動き。互いが互いの次の行動を予測できるように機体を縦横無尽に奔らせる。周囲にはBETAも居た。だが彼ら二人以外はここには存在しないように戦う。それぞれの流れ弾が無粋な視線を飛ばす観客を引き裂く。熱烈に抱きつこうとしたモノを撃ち抜く。握手を求めようとする手には爆風を、二人の舞の邪魔になる巨体にはそれに見合った弾丸を。
 何時までも続きそうな輪舞はある一点を超えた事で終わりを告げる。
 小人の持つ剣が折れた。巨人の撃つ砲火が途切れた。
 そしてお互いに最後の武器を手に取る。

 ◆ ◆ ◆

 一秒ごとに自分が生まれ変わる。
 自分では無い自分の記憶。それと共鳴するように本当の自分の記憶が溢れかえる。
 ──純夏。
 母親の実家の側に住んでいた少女。武家に生まれた白銀武にとって、唯一と言って良い心許せる相手。
 ──純夏。
 大切な幼馴染だった。幼い日は別れの日に泣きたくなるくらいに。
 ──純夏っ!
 だけどあの日──BETAが横浜に侵攻した時、自分は瑞鶴に乗っていた。当時はまだ任官していない。端的に言うならば戦場のごたごたにまぎれて奪った。わざわざそんな危険な真似をしたのは偏に幼馴染を助ける為。軍の展開が間に合わない事を確信した為に一人で助けに行こうとした。だが多勢に無勢。単機では何も出来ずに成す術もなく撃墜され、どうにか機体から這い出た時に──奴に出会った。
 後藤。下の名前は知らないし、階級も知らない。ただ帝国軍で違法な人体実験を繰り返していたのは知っている。そして帝国がBETAに侵攻された時、早々に見切りをつけて合衆国に亡命しようとした。己のこれまでの実験データを携えて。
 そんな男が何故自分を拾ったのかは分からない。確認しようにも既に彼はこの世の人間では無い。一体何が有ったのかは分からないが。
 そして自分は──人体実験を受ける羽目になった。一体何処をどういじられたかなど分からない。確実なのは一度頭を開かれた事が有るという程度だ。もう一つ確実なのはどうやら自分は適性はあったがそれを遥かに超える無茶を受けた結果、そう長くは持たないらしい。少なくとも研究者が考えているような長期間戦えるスーパーマンには達していないようだ。
 そんなある日この機体に乗せられた。そして直感した。──純夏がいると。
 そう、あの時は彼女の存在を覚えていた。その頃から薬品の投与回数が増えて……今に至る。何度か出撃した記憶はあるが、どれも自分とは思えない。

 互いの砲口に光が満ちる。お互いにこれが最期の武装。この閃光が晴れた時に立っている方が勝者だ。だが既に彼にとってはこの戦いに意味は無い。だがこの敵が見逃してくれるとも思えなかった。
 閃光が走る。互いに放たれた光の矢はお互いを喰らい尽くそうと突き進むが──既に天照は射線上から離れている。この機体の電磁波遮断措置ならば僅かな距離でも離れれば影響は殆ど無いに等しい。だが相手はあの巨体で避けるのは不可能だろう。
 そう思った瞬間に向こうに動きが有った。敵の頭部が吹き飛ぶ。外的要因では無い。内部からだ。そこから出てきたのは──戦術機。それも僅かに記憶に引っかかる。
「YF-23……!」
 思い出した。あの機体は一度戦った。恐らく──通常の機体相手では最も苦戦した相手。
 だがもう戦う必要は無い。自分が真に戦うべき相手はここにはいないのだから。
 機体を飛翔させる。戦術機には不可能な完全な飛行。
「……済まない」
 小さく先ほどまでの敵手に詫びながら天照は佐渡島を去る。

 与えられた任務は今回も失敗した。任務を出した側からすれば、だが。逆にこの機体の衛士──白銀武からすればそれは成功と呼べた。
 ようやく思い出した。己の名前を。自分が守ろうとしていた人の名前を。
「よくも……」
 散々良いように使ってくれた、と小さく悪態を漏らす。だがそれを表に出さないように努める。今はまだここの研究所の連中にはこちらの洗脳じみた暗示が解けている事に気付かれてないはず。機体の中につい先日まで乗せられていた少女は今はいない。ならばまずは彼女を取り戻す。
 そう決めた後の行動は迅速だった。
 格納庫の中に入った瞬間に手にした10式電磁速射砲の予備弾倉を補給コンテナから強引にとりだす。正規の方法とは程遠いやり方で開けられたコンテナの残骸から逃げ惑う整備兵を見て僅かに溜飲が下がるが、主目的を忘れる訳にはいかない。そのコンテナから即行える補給を全て済ませ、景気づけとばかりに10式電磁速射砲を格納庫の一角に向けて打ち出す。
「純夏……!」
 守るべき少女の名を口にして、彼は己を縛り続けた組織に反旗を翻した。

 ◆ ◆ ◆

「暴走?」
「は、現在第三格納庫、第二研究棟が破壊されました」
 ふむ、とその報告を受けて男は考える。暴走するような理由が思いつかなかった。施した暗示は完璧なはずだと自負している。だが……それが解けたとしたら暴走、というよりも反逆も有り得る。と言うよりもしない方がおかしい。
「如何致しましょう?」
「……もう取るべきデータは取った。中枢ユニットは既にこちらにある。ゼロは失うのが惜しいが……良いよ。予定通りにテストを行う」
「は、了解です」
 敬礼も返さずにその男は次の行動に移る。手近な通信機を取る。
「ああ、僕だ。SSを準備しておいてくれるか? ああ、全部だ。上手くいけば良いテストが出来る。あれを相手に、ね」
 そうして指示を出し終えて口元に隠しきれない程の笑みを浮かべる。そこから読み取れるのはただただひたすらな──理性。どこまでも整合化された無秩序よりも遙かに異質な秩序。
「さあおいで……IZ16……君とぼくとで殺し合いをしようじゃないか……」
 最高に楽しい事になる。そう歪んだ笑みを浮かべた。

 ◆ ◆ ◆

「純夏ぁぁあ!」
 叫ぶ。意味が無いと分かっていても。それでも叫ばずにはいられない。
「ふざけんじゃねえ……」
 唇から血がにじむほどに噛み締めた口から怨嗟の声が漏れだす。
「ふざけんじゃねえ!」
 許せなかった。
 世の中は平等ではない。平等ならばBETAに襲われて死ぬ人はいない。或いは生き残る奴はいない。
 そんなことは理解していた。十分すぎるほどに理解していた。
 だが、それでも。
「何であいつがこんな目に会わなければいけない!?」
 人ではなくなり、機械の身体になって。それでもまだ弄ばれて。
「何も悪い事をしてないあいつがこんな酷い目にあって! 何であんなクソ野郎どもが悠々と生きてやがる!?」
 平等ではない。それは良い。
 だが、それでも、行いに応じた報いぐらいあっても良いんじゃないか?
「畜生が!」
 そうして彼の取った行動はシンプルだった。既に彼女の居る場所の見当は付いている。ならば関係の無いブロックならば破壊しても構わない。むしろ特別な理由が無い限り彼はこの施設の全てを破壊するつもりでいた。
 銀が──天照が背負う最大の武装。荷電粒子砲。それが肩越しに展開する。砲口に紫電が集まる。チャージは一瞬。放たれた光の奔流は射線上にある物全てを薙ぎ払い……目標に届く前に四散した。
「な……」
 閃光が晴れる。そこに居たのは……。
「同型……いや、簡易量産型かっ?」
 天照を簡略にしたような機影。だが性能としてはそこまで劣る物ではないのだろう。装備は殆ど現行機の物。だがML機関を搭載しているのであろう。その機体は空を飛び──今、ラザフォード場で荷電粒子砲さえも凌いだ。それだけで十分すぎるほどの脅威だ。一般の機体なら。
「どういうつもりか知らないが……その一機で俺を止められるとでも!?」
 確かにこちらも消耗している。だが実際にこの機体を使った自分には分かる。これはそう簡単に制御できる物では無い。ましてや宙に静止すると言うのは口にするほど簡単じゃない。既存の戦術機と同じ感覚で操っていてはこの機体の真価は発揮できない。少なくとも実戦経験は無いはずだ。そのアドバンテージは大きい。
『いいや、一機じゃないさ』
 ようやく研究所側から通信が来る。
『三十六機だ』
「っ!」
 音も無く、取り囲まれていた。正面に居る一機と同型の機体が三十六機。ぐるりと天照を囲んでいる。そしてその全てがML機関を搭載していた。
『君は以前三十六機の戦術機を撃破していたね? それと同じ数だ。ただし……』
 三十六機がそれぞれ装備を構える。世界各種の武装。中には電磁速射砲らしきものすらある。
『結末は既に決定しているけどね』
 殆ど性能差の無い戦術機三十六機を相手に生き残れるかと聞かれてイエスと答えられる人間はどれだけいるか。
『精々長く生き延びてくれよ? この子達のデータを取る機会は中々無いんだ』
 耳障りな声。何処までも理性的でそれが逆に恐怖を感じさせる。
『さあ、始めよう。君の死で終わるデモンストレーションを』
 返事をする余裕など、無かった。

 ◆ ◆ ◆

2002年1月31日
 桜花作戦実行。あ号標的を目標とした突入部隊、全隊員が帰還。

2002年2月1日
 フロリダ基地、壊滅。

 ◆ ◆ ◆

 何か伝えていない事はあっただろうか。
 目的を達成した後の僅かな虚無感。そんな中でアールクトはやり残したことを考えた。
 佐渡島攻略が終わったら横浜基地からフロリダ基地に戻る。だからその前に桜花作戦で有った事を思い出せる限りデータにまとめた。あれを見れば作戦の立案が楽になるはずだ。尤も、そもそもの前提条件が違うのであまり役には立たないかもしれない。それならそれで良い。今の白銀武には多くの戦友がいる。教えを請える上官がいる。もしかしたらそれはマイナスなのかもしれない。白銀武と言う個人を鍛えるには向いていないのかもしれない。
 だがそれの何がいけない? 人一人がやれる事などたかが知れてる。それならば一人が二百を目指すよりも十人で千を目指した方が良い。
 きっと彼は大丈夫。自分みたいに失敗はしない。失敗してもそれを補ってくれる仲間がいる。何よりも──守るべき対象がすぐ側に居る。
「ああ、そうだ……」
 一つだけ伝え忘れていた事が有った。この世界の鑑純夏と社霞に伝えたかった事。
「二人は幸せになっていい」
 それだけの言葉。世界の全てが否定しようと自分だけは肯定してやると。
 ほんの一瞬悔いの感情が胸を過ぎるが、思いなおす。
 それを伝えるべきは自分では無く、この世界の白銀武で有るべきだろう、と。

 ここに残すべき言葉はもう無い。
 だから行こう。正真正銘最後の戦いに。

初投稿 10/11/06



[12234] 設定集
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/02/25 20:52
名前:白銀武(第二部)
所属:横浜基地衛士訓練校
階級:訓練兵
 2001年10月22日に横浜基地に現れた白銀武。本人の認識では二回目らしい。実際、彼の記憶はオルタネイティヴ5が発動した世界が最後であり、オルタネイティヴ4についても詳しくは知らない。それゆえに衛士としては心構えが半人前。要するに本編の武。すでにミリアたちがXM3を作ってしまったので最初からXM3で訓練している。
 アールクトとの訓練で急激に戦術機操縦の腕が上がった。加えて時々自分が経験した事のない記憶を思い出す事があり、困惑中。クーデターとミリア達の関係を疑っている。

名前:白銀武(第一部)
所属:オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊長
階級:大尉
 1998年10月22日に現れた三度目のループを果たした白銀武。それまでの知識と経験を総動員して今度こそ全ての大切な人を守るため、惚れた女二人を幸せにするため戦う。恋愛原子核は健在。衛士としての腕は世界最高峰。特に機体制御技術に関して右に出る者はいない。現在はオルタネイティヴ4を完遂させるために、また自身の目的達成のための素地作りを行っている。ミリアとは一応は協力関係。だが、割と向こうの仕事が多い、且つあまり武から何かを要求することが少ないのであまりそうには見えない。
 何度も戦場を潜り抜け、若干悲観的になっているところもある。が、相変わらず人に気を使ったりするお人好し。そのおかげで今も昔も部下から慕われているが、上層部には受けが悪い。二度目の世界で最もハイヴを多く落とした人間であり、同時に部下を最も多くBETAに奪われた男。そのためBETAに強い憎しみを抱いてはいるが、それで自分を見失わなくなったのは成長の証。髪型は原作と大して変わっていない。

名前:アールクト=S=グレイ
所属:オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊隊長
階級:少佐
 グレイの姓を持つミリア=グレイの義兄。先に言ってしまうと三回目の白銀武では無い。衛士としての技能は一流で、XM3を搭載したYF-23を自由自在に振り回す。XAMWS-24 試作新概念突撃砲を両手に持ち、銃撃と短刀による格闘戦を好む。大隊長という立場にもかかわらず真っ先に切り込んでいく困った人。未来情報もミリア並に詳しい。武ちゃん曰くどこかで聞いたことのある声らしい。ミリア=グレイ曰く白銀武であるらしいが一体どういう経緯の白銀武なのかは不明。大本を辿ればオルタネイティヴ4が成功した世界来たと本人の談。三回目の白銀武とのかかわりは不明。

名前:早坂飛燕
所属:オルタネイティヴ計画第1戦術戦闘攻撃部隊第七中隊隊長
階級:大尉
 正史では明星作戦で戦死した第七中隊の隊長。主にオルタネイティヴ計画第1戦術戦闘攻撃部隊の生き残りで第七中隊は構成されており、現在第九中隊は訓練兵たちの増員待ちという状態である。第三中隊隊長に兄の早坂当真がいたが、ハイヴ突入で死亡。衛士としての腕はA-01内でも突出した物は持たないが、指揮官特性が高い。戦場ではBETAの奇襲にも冷静に対処し、直下から奇襲を受けても損害一で凌いだこともある。性格は公私の区別がしっかりしている人。楽しいことが大好きな人。あれ……何かどっかにいたような。公では厳しいが、私ではとてもラフ。現在富士教導隊に出向中。




名前:ミリア=グレイ
所属:オルタネイティヴ予備計画(オルタネイティヴ5)移民船部門主任
階級:大佐相当
 ある意味世界で最も白銀武に近い存在である少女。もとい幼女。一応順調に成長中……のはず。他世界の自分の因果情報を受け取れる。そのため他の世界での技術などの知識も得ており、鬼才と呼ばれるほどの才能を発揮する。なお、他の世界の彼女はそう言った因果情報を明確に受け取れる訳ではないのでそれが無くても十分天才の域にいる少女である。他世界の自分の因果情報の中には未来の記憶もあり、あんなことやこんなことも見てしまっているので耳年増。それだけが原因ではないが、精神が非常に成熟している。他世界の自分が色々な男性と交際しているのを見て、軽く凹んだ過去あり。その中には白銀武もいるから更に凹んだ。実は泳げない。その身長で日々苦労している。なお、伸びる見込みは薄い。
 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の面々からは上官というより背伸びしている子供にみられるのが悩み。服装などには無頓着で、国連軍服の上に白衣を羽織るという夕呼先生スタイル。最近眼鏡が追加された。髪型は何もせずただ腰のあたりまで流している。色は金髪では無くプラチナブロンド。間違えてはいけない。彼女の個人情報は国連軍データベースの中でもSSSクラスの機密に設定されている。ぶっちゃけると職権濫用である。
 全ての世界である時期に達すると同時に死亡している。その理由は自身の脳に埋め込まれたG元素による脳細胞の急激な劣化。そのG元素のお陰で常人を遙かに超えた記憶領域を確保するが、同時に肉体の成長を抑制している。ちなみにそれはミリアも気が付いていない

名前:ギルバート=ラング
所属:オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊副長→オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊第二中隊隊長
階級:中尉→大尉
 武よりも年上な部隊の副長。彼がいなければ部隊は部隊として運営できない。面倒な書類仕事は彼が率先して片付けている。本来のポジションは後衛だが、部隊の適正、経験を鑑みて前に出ている。両方こなせるということから分かるように衛士としての腕は一流。元は米軍所属。とある任務中のトラブルが原因で欧州国連軍に送られ、最前線を経験した。その後、武にスカウトされオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊に来る。
 シルヴィア=ハインレイとは部隊で一緒になる前からの知り合い。彼にとって彼女は守るべき存在。部下に気を配れり、武とは違う意味で部下から慕われている。その慕われっぷりは前の部隊の部下が定期的に手紙を送ってくるほど。最近その中にラブレターが混ざるようになったが、今のところ恋人はいない。身長が高く、髪は茶髪。特に髪型には気を使っていない。表情に乏しいが、割と熱いタイプ。

名前:シルヴィア=ハインレイ
所属:オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊隊員→オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊第三中隊副長
階級:中尉
 年齢不詳なオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊のムードメイカー。その年齢は実はギルバートが知っている。酒にはあまり強くないため飲み過ぎ注意。後衛として非常に高い技能を誇り、その狙撃は極東一と呼ばれる彼女とは別方面でトップを狙える。最大射程は向こうの方が圧倒的に上。訓練兵時代はフロリダ基地で過ごしていたが、正規兵となってからロシアの最前線で戦う。その際に部隊が全滅したため、配置転換で米国に戻ってきたところを武にスカウトされた。
 ギルバートとは軍に入る前からの知り合い。彼女にとって頼るべき兄。ケビンはこの部隊になってからの仲だが、弟のように可愛がっている。ちなみに末っ子。己のミスで部隊を全滅に追いやったことがあるため、そのあたりの話になると厳しい。恋愛原子核に引っ掛かったのか、武に惚れ気味。武に自覚なし。哀れ。髪は傷んだ金髪(こっちはこれであってる)に髪型は大抵ポニーテール。時々気分で変わる。意外と胸が大きいらしい。

名前:ケビン=ノーランド
所属:オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊隊員→オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊第二中隊副長
階級:少尉→中尉
 一番年若い部隊の隊員。武が訓練兵の彼を見つけ、XMシリーズへの高い適性に目をつけスカウトした。事実、機体制御に関しては武を除けば部隊内でトップである。本来前衛向けだが、経験不足を考えて今は後衛に回っている。だが、そこでも水準以上の実力を発揮し、部隊員を驚かせる。近いうちに追い抜かれるかもしれないと武含め全員が考えており、部隊内でのいい刺激になっているが、本人はそれに全く気付いていない。
 人を撃つ事を極端に忌避し、そのせいで問題がいくつか出ている。精神的にも技術的にもまだまだ成長の余地があり武は期待しているが、対人戦で彼がどうなってしまうか不安。どうにか自分の中で折り合いをつけ、兵士として成長した。第一部終了時点では突撃前衛長を任されるまで成長した。

名前:シオン=ヴァンセット
所属:オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊第三中隊隊長
階級:大尉
 欧州からやってきたたたき上げの大尉。騎士道を掲げており、自省癖がある……あれ? どこの唯依姫? 前衛としての腕は確かで、実戦経験のある衛士相手でも二対一でも余裕で勝ちを拾う。それに短時間とは言え拮抗できるようになったケビンの成長は褒めてあげるべき。順調に部隊の色に染め上げられている。元はイングランド・ロイヤルガード(親衛隊)の一員。が、能力不足として除名された。前述の通り、腕はかなり良いのだが親衛隊のレベルがどれだけ化け物かは推して測るべし。
 意外とドジというか抜けている。自覚はあるので気をつけているのだが、基地内とかだと普通にドジる。髪色は銀髪。ポニーテール。そして猫目。ここに書いてから気がついたのだがシルヴィアと髪型一緒だった……。

名前:マリア=ハインレイ
所属:F-22A試験小隊
階級:中尉
 外伝に登場したギルバートの元恋人。シルヴィアの姉。いろんな意味で凄い人。三度の飯より戦術機大好き人間。でもそれよりもギルが好き。何気に作中のオリジナル女性キャラで最も乙女な人。衛士としての腕はかなり高かった。ギルバートの戦い方は彼女を模倣していると言っても良い。生前最大の悩みは六つ年下の妹よりも胸が小さかったこと。正直に言おう。作者は彼女を主役にしたギルバートとの初々しい恋人関係をつらつらと書き連ねたい。だが諸事情(主に妄想)の問題により実現は厳しめ。

名前:エミリナ=アディソン
所属:フロリダ基地防――MFC
階級:中――盟主
 外伝で搭乗した人間やめちゃってる人。作中最強。銀とやっても多分勝てる。MFC盟主、ゼロ様とか呼ばれる。別に反逆はしない。正体は実はマブラヴを知らない戦場の絆で鍛えていたTSトリッパ―っていう隠れ設定があったりする。恐らくこの設定が生かされる事は一生無い。ミリアLOVE。ミリアの為なら死ねると豪語している。

 ここから戦術機。

YF-23 ブラックウィドウⅡ
 放置されていた機体をオルタネイティヴ予備計画権限で接収した物。特に改造は行われておらず、トライアルで使われたものと同一。制式採用されなかった機体のため、補修パーツが当時に作られた分しかなく、一機を予備機としどうにか運用している。ミリアの要請で最低限の保守部品の生産が開始された。記録では白銀武が死亡した際の事故で一番機が失われ、現在は二番機――グレイゴーストを運用している。グレイゴーストも銀に撃墜された。

F-15SE サイレントイーグル
 本来2001年末期に完成する機体を武の未来知識とミリアの因果情報を元に三年近く完成が前倒しされ、誕生した。その中身はF-15SEJ月虹であるが、アメリカで完成した物のためJはついていない。長刀の使用、ステルス、第三世代と同等以上の機動性等からYF-23との連携を見込まれ、武の提案で試作機が作られた。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の標準機体。

F-23J 阿修羅
 オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊が明星作戦で活動した際のYF-23のデータを引っ提げて日本帝国に売り込まれた結果、一個中隊での性能評価試験が行われるようになった正史では存在すらしなかった機体。帝国戦術機の例に漏れず格闘戦向けに更にチューンされている。ステルス性はオリジナル並と主張しているが、政治的理由か日本にステルスに詳しい技師がいないからか、月虹程度のステルス性に留まっている。XAMWS-24 試作新概念突撃砲はその特性――弾数の増加と短刀の装備――から制式採用が検討されている。本機自体はまだ評価中だが、試験を受け持った部隊からは概ね好評。
 これが試験導入されたことで帝国軍上層部では「この際外国産機を導入してでも戦力増強に努めるべき」という意見と「国産機以外は認めない」という意見と「外国産機から技術を盗み、国産機にフィードバックすべき」という三つの意見に分かれている。結果、「XFJ計画やらなくてもよくね?」となりかけたが、外部からの働きかけで続行される運びとなった。
 ソ連製の装備を導入しているため、ナイフシースがモータブレードに換装。脛にもモーターブレードが取り付けられている。また、兵装担架の一部にソ連のオーバーワード方式の技術が採用されているため試作機よりも展開速度、整備の面で優れる。(米国メーカーにオーバーワード方式のノウハウが足りなかったためである)現段階で世界中でも最も近接格闘能力が高い機体に仕上がっている。


銀(天照)
 搭乗衛士のコールサインはシルバー1。誰かを彷彿とさせるコールサインだが、その正体は不明。純夏、と呟いたこと、脳に響く声が純夏と認識していることから彼女とのかかわりが予想されるが相変わらず正体は不明。単機で三万近いBETAを殲滅する戦闘能力は機体に由来するものか、衛士に由来するものかは不明。ちなみにTEでスカーレットツインが短時間で1000体のBETAを倒したのがかなり凄いレベルなのでこの機体の異常さは押して測るべし。
 単機で一個大隊規模の戦術機を、更にはアールクトのYF-23を打ち破り、対人戦闘能力の高さも見せ付けた。

天照
第七世代相当戦術歩行戦闘機に分類される、ML機関搭載型の戦術機である。第七世代相当というのは発言者の香月夕呼の「戦術機は今の第四世代から低重力下での戦闘を主眼に置いた第五世代、そのコンセプトを更に突き詰めた第六世代、そして最終的には1G下から低重力下のどちらでも活動できる第七世代と発展していくでしょうね。ま、あたしの勝手な予想だけどね」と言う物に由来する。発言当時は第五世代の基礎研究が始まったばかりであり、その後の発展も概ね彼女の言葉通りに推移しており、その先見を称える者も少なくない。
 開発コンセプトはML機関を搭載した多目的戦術機。プロジェクトは2004年に開始された。当時開発中だった第四世代戦術機にML機関を搭載した試験機は重力制御に対する技術蓄積が少なく、難航していたがある日を境に開発は進展。試験飛行も華々しく成功させ、その後数度の戦闘に投入され、実戦データを取り役目を終えた。試験終了後はコアユニットは取り外され、外装だけになったそれは米国の航空博物館に引き渡された。
 試験機の実戦データを基に天照の設計が開始された。当時の最新技術を大量に盛り込み、2011年に実機は完成した。
 その性能は同年代の戦術機と比べても隔絶しており、残り僅かな地球上のハイヴの根絶に始まり人類間の戦争、 月面攻略作戦でもその能力を遺憾なく発揮した。
 最終的に月面オリジナルハイヴ、月の涙攻略の際に反応炉にて自爆。機体は消失した。
 装備は任務に応じて細かく変わったが、電磁投射砲、高周波長刀、荷電粒子砲と言った強力な物を装備しており、それらはML機関の豊富な電力によって実現した。特に荷電粒子砲を搭載できるペイロードを持った戦術機は天照のみであり、実質専用装備として生産された。後に一部の艦船に搭載され、人類同士の争いにも用いられる事になる。
 戦術歩行戦闘機としては異例の跳躍ユニットを搭載していない。理由はML機関の重力制御により飛翔が可能になり、跳躍ユニットを使用したのと同じ動きが可能であった為である。また、ラザフォード場を展開することでレーザー級の射程内での短時間の飛行が可能になっている。しかし地球上のハイヴ攻略戦では貴重な機体という事で実際に飛行することは無かった。
 ラザフォード場の制御が更に高度になったことにより攻撃に転用することも可能になった。しかしそれは機体から離れた場所では制御が困難になる。基本的に制御は搭乗衛士のイメージによって為されるため、機体から離れた空間での作用と言うのがイメージし難いためである。それを解消するためにアンカー付きのワイヤーガンを上腕部に搭載。固定兵装とした。これにより機体から伸びたワイヤーの周辺とその先端からのラザフォード場の展開が容易になった。
 飛行も同様の理由からただ宙に浮かぶのをイメージするのは難しいという首席開発衛士の要望と趣味により実験機の両肩部に翼状のスタビライザーが付けられた。事実搭載した前と後では飛翔時の機体制御レベルは明らかに後者の方が上であった為、天照の設計時にも引き継がれた。
 OSはXM3を使用しているが、主演算装置はラザフォード場の制御にも使われるため通常の物より高性能な物が積まれている。が、その演算装置は完全なブラックボックスであり中身は香月夕呼にしかわからなかった。また、それを製造するための素材がG元素であり、ML機関の燃料であるグレイ11に比べて調達が困難であった。それが原因で2011年段階でのML機関搭載型戦術機の開発は天照一機を開発して終了する事になる。
 後に高性能な演算装置が開発された事でブラックボックス抜きでの開発が現実味を帯びてきた。それを受けて地球上、月面上双方での活動を可能にするML機関搭載型戦術機の開発が再開されることになる。ここでも香月夕呼の予言が現実になったのはML機関搭載型戦術機の開発に反対した彼女に取っては皮肉でしか無い。



[12234] 【ネタ】オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の天敵
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/11/05 20:33
 MFC。みんなご存じミリアファンクラブ。最近会員数が六桁目に入ったと噂のミリアファンクラブ。そのトップ――シングル№で構成された定例の幹部会がフロリダ基地某所で行われていた。
「連中の攻勢は日に日に激しくなっている」
「既に第十八支部と第百三支部がやられた」
「保安局員は既に掌握済みだ……心配ない」
「だが奴らはたったの四人だというのだぞ」
「あの程度の能力。我らには遠く及ばない」
「だが、潰すこともできないのが辛い所だ」
「そんなことをしたらミリアたんに嫌われてしまう」
 うむ。と全員頷くシングル№ども。実に変t……紳士的である。
「やはりダミーを用意するしか……」
「MDBの所在をつかまれるのだけは避けなければ」
「幸い向こうに情報のエキスパートはいない。そう簡単には……」
 ちなみに、これは全くの余談ではあるがフロリダ基地にはオルタネイティヴ予備計画のために優秀な人材がそろっている。そして、その中にはもちろん情報――電子戦のエキスパートもいる。だが何故彼らはいないと断言できるか。それはオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊側にはいないという話である。全く持って余談であるが。
「ではこれからも付かず離れずミリアたんを見守りましょう」
「御意……にしてもゼロ様はどこにいかれたのやら」
「最近お姿を見ませんな……」

「敢えて言わせて貰おう! エミリナ=アディソンであると!」
(え~~)
 武以下四名、全員で心の中で投げやりに突っ込む。
 ミリアの執務室のあるフロアのブリーフィングルーム。セキュリティーの観点でもオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の打ち合わせにはここが一番都合のいい場所である。
 彼らが見ているのは次に教導することになった部隊の映像。一人の能力が高くて他のメンバーが追いつけないのでどうにかして欲しいらしい。確かに滅茶苦茶だった。
「あ、今反転噴射倒立した」
「……XM3無しで着地の硬直を消してるぞ?」
「あれって完全マニュアル操縦ですよね」
 小隊同士の模擬戦らしいのだが、実質一対四である。何しろ件のエミリナ女史があほみたいに強くて他の三機が追いつけていない。そして三機が到達した頃には既に相手の三機が落とされていた。よってまた四対一。
「……人間?」
 全員が同じことを思った。
「人間……のはずだよ。多分」
 ミリアすら自信なさげである。実は戦術機の形した新種のBETAでしたと言われたら全員納得しそうである。
「で、今度この部隊を教導するんだが」
 仕切り直すように武がいう。手元にあるのはその資料。主にエミリナ=アディソンの。
「階級は中尉……しかしこの階級は本人が昇進を嫌ってむかつく上官を殴り何度も降格した結果で、本来なら佐官クラス」
「何で処罰受けないのかな?」
 シルヴィアがふと思いついたように口にする。それに対してギルバートが資料に目を落としながら簡潔に答える。
「噂では上層部に多大なコネがあるらしい」
 別に大した興味がないのかふーんと言って流すシルヴィア。
「記録ではインフィニティーズのF-22A先行量産機とのDACTでF-15Eで一人生き残り相手の二機連携を撃破したとか」
「…………人間?」
 改めて全員が同じことを思った。F-15EでF-22Aに勝っただけでも眉唾物なのに相手が教導隊を教導するインフィニティーズ。しかも最終的には二対一である。余談だがその時のF-22Aの衛士はユウヤとレオンだったとか。
「……段々私も人間じゃないような気がしてきたよ」
 人間離れした知能を持つミリアですらそう称したくなるハイスペックぶりだった。
「ふ……そんなに褒められると照れるな」
 その言葉に全員が一斉に振り向く。視線が集中するのは部屋の入口。しかしそこには誰もいない。
「どこをみている? 私はここだ」
「なっ!」
 全員が絶句する。音もなく、当然のように彼女はブリーフィングルームの中央――ミリアの正面に立っていた。
「ミリアっ」
 この女が何を目的にしているのかわからない。だが最悪の事態を想定して彼らは動く。武はミリアと彼女の間に立ち、盾になるように。シルヴィアとケビン、ギルバートはそれぞれが射線に入らないように、ミリアを射線にいれないように拳銃を構える。
 くどいようだがオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の隊員はいずれも精鋭である。戦術機による戦闘に特化していると思われがちだが、中でもそれが頭一つ高いのであり、他の能力も軒並み平均を上回っている。その彼らが。
「あ」
「む」
「わ」
「へ」
 一瞬で無力化された。まるでコマ落ちした映画のように全員が地面にひれ伏す。そして一拍遅れてカランカランと弾薬が抜かれた拳銃が転がる。立っているのは入ってきた女とミリアのみ。
「やれやれ……私たちの出会いを妨げようとするからこうなる」
「ぐ……」
 何をされたのかさっぱりわからなかった。だが、確実なのは今武たちは動けずに、この女が何かしようとしたら止めることはできないということ。
「会いたかった……会いたかったぞ。ミリア=グレイ……」
「私は別に会いたくないわね」
 彼女がいるからか外向きの口調で受け答えるミリア。
「ああ、そんなつれない態度も素敵だ……」
 一歩、また一歩と近づく女。それを武たちは地に伏したまま見送るしかない。
「抱きしめたい……いや、むしろ抱きしめる! ミリアたん!」
『MFCかああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!』
 全員の声が揃った。シンクロ率で表すなら200%をあげてもいいぐらいに。

「と、言う訳でエミリナ=アディソンだ。こうしてミリアたんに会えたことにおとめ座の私はセンチメンタリズムな運命を感じずにはいられない」
「いや、無理に押し行ってきたから」
「そんな道理、私の無理でこじ開ける!」
「うん、知ってる」
 初っ端からテンションマックスなエミリナと疲れたように適当に突っ込む武。ちなみに他の隊員は疲労困憊でまたも地面に伏している。取りあえず全員背中が上下しているので息をしているのは確かだが。
 あの後、ミリアに抱きつこうとするエミリナを阻止するために頑張って全員立ち上がったが、何をされたのかもよくわからない攻撃で次々と地に伏す体勢に逆戻りだった。予備の拳銃で撃っても何かパラパラ地面に粉末が落ちるだけだった。それでも全員果敢に立ち向かうがやっぱり何をされたのかよくわからない攻撃で次々と宙を舞い、地面に叩き伏せられた。そんな中偶然届いた一発の弾丸。それは狙い違わず彼女の胸に当たり――。
『危ない危ない……ミリアたんの写真と私の巨乳がなければ即死だった』
 というふざけたセリフと共に完全に武たちは無力化された。
 そんでもってミリアは思いっきり抱きすくめられていた。その時顔を胸に押し付けられていたミリアがこの騒ぎが終わった後自分の胸を見下ろして溜息をついていたのは仕方のないことだと思う。
 どうにか立ち上がる気力を得た武はソファーに座ってエミリナと対面している。ちなみに他の三人は。「銃弾素手で受け止めるとかあり得ないだろ……」「何でMFCの人たちってミリアの写真があれば即死級の攻撃でも平気なんでしょうか……」「っていうかあの胸なによ……私よりもデカイって普通にショック何だけど……」と良い感じで落ち込んでいて使い物にならない。
「で、今回はどのようなご用件で? ぜひとも中尉にはアポイントメントという概念の存在と、社会常識を学んできてほしいのですが」
 武らしくもなく会話に皮肉が交じる。っていうか皮肉しか言いたくない気分だった。
「付け加えるなら今回の騒ぎでのもろもろの経費は貴女の給料から差し引くのであしからず」
 ミリアが冷たい態度で接すると。
「ああ、ミリアたんの冷たい視線……ハアハア」
 となる。とんでもない変t……紳士、いや淑女と言いかえるべきか。これが淑女だったら○V女優だって深窓の令嬢だろと言いたいが。そしてミリアがいると話が全く進まないので執務室に帰らせた。
「ふむ、ミリアたんがいないのでは意味がないな。帰るか」
「待てこのクソ(ピーーーーーーーッ」
 怒りとか色んな感情が混ざった結果お見せできない言葉を発してしまった武ちゃん。シルヴィアが若干引いている。
「全く。こんな淑女を言うことかいて(ピーーーーーーーッで(ピーーーーーーーッで(ピーーーーーーーッ、(ピーーーーーーーッな(ピーーーーーーーッだと? お前の頭は(ピーーーーーーーッなのか?」
「言ってねえ!? しかも淑女はあり得ない!」
 まさに放送禁止用語のオンパレード。これが淑女だったら(以下略。
 そんなやり取りが数分会った後。
「ああ、そう要件ね。要件。一番はミリアたんに会うことで。二番がミリアたんに抱きつくこと。三番がミリアたんをふもふもすることで四番がミリアたんにクンカクンカすることで五番が――」
「ミリアに対すること以外で!」
 埒が明かないので武が叫ぶ。宗像相手でこういう輩には耐性があるつもりだったが、次元が違いすぎる。
「ああ、さっきそこのお嬢ちゃんとにゃんにゃんするが付け加えられた」
「全力でお断りします」
 即答だった。
「ふむ……では後は。ああ、今度教導してもらうからその挨拶」
「わざわざ直接足を運ばなくても――」
「っていう口実でミリアたんに会いに来た」
 もう突っ込む気力も起きなかった。ついに武も地面に倒れ伏す。うわごとのように「純夏ぁ……俺は今最大の敵と戦っているよ……霞……俺に力を貸してくれ……」とか呟いているが、誰にも聞かれなかった。
 代わりに復活したのはシルヴィア。
「っていうかどうやって入ってきたんですか」
「普通に」
「普通に入れるフロアじゃないでしょう!?」
「ふ……何、新人のセキュリティー要員の前で胸を強調してな。私い、ここのフロアに入るパスが欲しいなあ。って言ったら簡単にくれたぞ。彼は私がレズだと知らなかったらしい」
 実際にはもっといろいろ言葉がついていたが、要約するとそうなったらしい。
「っていうかレズって言うの別に聞きたくなかった……」
「なるほど。試してみたいと。良いだろう。理想郷を見せてやるぞ?」
 サイト的な意味じゃなくて。そしてその言葉に身の危険を深刻に感じたシルヴィアはギルバートにパス。
「で、この部屋にはどうやって?」
「普通に。貰ったパスを使って」
「……この部屋のセキュリティー権限は基地司令とグレイ博士しか持っていない。いくらセキュリティー要員でも」
「うん。だから基地司令の爺にこの前のことばらされたくなかったらここのパスよこせって」
「バカな!?」
 そんなにあっさりパスを与えてしまったということが信じられずに叫ぶギルバート。上層部にコネがあるというのは本当だったのか、と考えると。
「馬鹿だよな。適当にカマかけただけで私は何も知らないのに勝手に色々喋ってくれたし」
 その言葉に人の上に立つ人間とは何だろうと考え始めてしまったギルバートに代わって相対するは……ケビン。既に勝負は見えていた。
「ほう……なかなか可愛らしい少年だ。どうだ? お姉さんと良いことしないか?」
「え、えぇぇ!?」
 真っ赤になってあたふたするケビンに追撃。
「もちろん君は女装だが」
「そんな世界に生きたくありません!」
 ケビン、未知の世界に撃沈。
 結果。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊VSエミリナ=アディソン。
 体術 × ○
 口論 × ○
 という結果に終わった。

『……あ~私頭痛くなってきました』
『……私も先日から若干胃が』
『お、俺もです』
「奇遇だな……俺も頭と胃が痛い……」
 あれから数日。エミリナの率いる小隊との模擬戦。何というか彼女のインパクトはオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の隊員たちに思った以上のダメージを負わせていたらしい。主に精神面で。
「こういう言い方はあまり好きじゃないが……相手はF-15E四機だ! XMシリーズも積んでない、数も少ない。機体も第三世代じゃない! こんな楽なシチュエーションがあったか? 無かっただろ? 大丈夫だ。気負わずにやれ! そうすれば俺たちに負けは無い!」
『は、はい!』
 そう言って発破をかけるが、全員が同時に思っていた。
(でもあの人また無茶苦茶やるんだろうな~)
 と。

 で五分後。
 Mk-57中隊支援砲が火を噴く。それはシルヴィアが思い描いた通りの軌道を描き、イメージ通りにF-15Eを貫く……と、言うところでその的が僅かに動く。その僅かな動作で完璧にかわされた。敵をただ的にしてしまうシルヴィアの狙撃。それはこの戦場においては効果を発揮していなかった。
『あ、あり得ない……今のかわすって人間じゃないでしょ』
 F-15SE二機と格闘戦を繰り広げていた最中で、そんな際どい回避を披露したのだ。シルヴィアのぼやきは全員共通の思いだった。
 今回の模擬戦。始まりからおかしかった。何がと言えば開始早々相手の三機が撃沈。理由は友軍誤射。下手人が誰など議論する必要すらなかった。
(ああ、あの人だ)
 何の打ち合わせもなく全員がそう思った。
 そして接敵。
 囮としてケビンのF-15SEが突出する。レーダーに反応は無し。だが唐突にダミービルを突き破り中から出てくる。当然エミリナのF-15Eだ。ステルスなど知ったことか! と言いたげに正確にこちらの位置を把握して各個撃破に持ち込もうとしてくる。それを避けるために武たちはある程度固まって行動することを余儀なくされた。
 僅か五分。その五分でオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の彼らは悟った。
(こいつ、人間じゃないって絶対!)
 あり得ない動きが多すぎる。と、油断していると。
『人呼んで、エミリナ・スペシャル!』
 ダミービルの向こう側。センサーの影からF-15Eが躍りかかる。反転噴射倒立跳躍からヘッドオンで短刀を抜いての格闘戦。
『っ! 舐めるなあ!』
 F-15SEのチューンされた主腕が衛士の意志に呼応してブレードマウントからXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を引き抜く。市街地演習場ではビルが乱立しており、長刀での戦いは本来なら愚策。だが、ここの地形――交差点に加え周囲のダミービルは一部崩れている。このスペースがあればXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を振るのに支障はない。そう判断しケビンはボルトで解放されたXCIWS-3 試作近接戦闘長刀を両手でつかみ、まっすぐ振り下ろす。
 強化された主腕の出力、重力による加速。その二つの力を込められた長刀は真っ直ぐ水平噴射で向かってくるF-15Eに振り下ろされる。F-15SEの理論最速攻撃。だがそれはF-15Eの理論無視の動きによって必殺を逃す。
 長刀を短刀で受け止める。確かに避けることは困難だろう。だが十分な速度を持ったそれは短刀のガードごとF-15Eに致命的打撃を与える――はずだった。しかし実際には唐突に目の前からF-15Eがいなくなる。
『消えた!?』
『どこを見ている。少年!』
 オープン回線で響く声。もちろん通信回線越しではいる方向など分からない。だが、ケビンは自分の中に芽生えた確信に従って機体を動かす。
 前転するように機体を動かすと先ほどまでケビンがいた場所にF-15Eが着地する。水平噴射から垂直噴射、噴射降下の三つをXMシリーズでも無い旧式のOSで先行入力、キャンセルがあるかのようにスムーズに行う。
『良い反応だ。少年!』
 そう言いながら僅かに機体を動かす。その瞬間57mm弾がまたも空を切る。
 今更だが、F-15SEはステルス機能が搭載されている。それは装甲の形状から気を使ってステルスを実装しているF-22AやYF-23にはやや劣るものの、十分な隠ぺい性を誇る。そして、シルヴィアの技能も相まって彼女の機体は移動の痕跡も残さず撃たれる瞬間までどこにいるのか全く分からない。その弾丸を避ける。それも一度ならず二度までも。
『化け物……っ!』
 思わず歯噛みする。だがそこでムキになって乱射したりはしない。そこで撃っても効果は期待できない。素早く機体を反転させ、次の狙撃ポジションの確保に向かう。
『副長! 足止めよろしく!』
『任された。……隊長。どうやらアンブッシュは見破られたようです。ルート変更されました』
「みたいだな……っていうか本気でどうやってこっちを検知してるんだ?」
 その理由が彼らにわずかに残るミリアの匂いがするからという本気で人間やめてるとしか思えない能力だと知る事は幸いにも彼らには無かった。
『見つけたぞ、白銀武! ブラックリストの筆頭候補ぉ!』
「心当たりがない!」
 正面からの高速機動戦闘――つまりは武の得意分野。
「行くぞ! 人類失格!」
『来たまえ! MFCの怨敵!』
 武の手が一瞬で複雑な動作をレバーに入力する。水平噴射跳躍、そして兵装選択、XCIWS-3 試作近接戦闘長刀。背部兵装担架がせり上がり長刀のグリップが肩上に来る。それを掴み――投擲する。
『何と!』
 ダーツのように飛ぶそれをエミリナは跳躍してかわす。そう、この市街地演習場は狭い場所が多い。今二人が対峙していた大通りも同様。余程無理をしない限り戦術機がそのまますれ違うのも大変な場所だ。そこでわざわざ左右に回避はしない。ならば逃げ道は上のみ。
「喰らえ!」
 YF-23の特徴である四基の兵装担架。そこに搭載された二つの突撃砲。そして手にした突撃砲。計三門。後衛装備ならその倍は行くが、十分な火力である。その全てが同時に弾丸を吐きだす。
 無数の弾丸。普通なら回避の叶わないそれは。
『今日の私は!』
 異常によって回避される。
『阿修羅すら凌駕する存在だ!』
「この距離で、避けた!?」
 もう驚くことにも飽きてきた感があるが、至近距離かつ飛び上がった直後への射撃を鼻歌交じりでかわされる。……やはり人間じゃない。

 以下描写が面倒なので会話だけでお楽しみください。
『どうした! 動きが悪いぞ!』
「一瞬で背後に!?」
『ぬん!』
「お、俺の長刀をもぎ取って!?」
『喰らうが良い! 九段突き!』
「そ、それって九頭りゅ――うわあああああああ!」
 武、撃沈。
『ちょ、早すぎる!』
『抱きしめたいな! お嬢ちゃん!』
『く、来るな!』
『出来ないな!』
『何で!?』
『求めてる人がいるからだ! 具体的には百合的な展開を!』
『いやあああ!』
 シルヴィア、撃沈。
『……来るか』
『ただの男に用は無い!』
『ぐっ!』
 ギルバート、撃沈。
『やばい……S-11使いたい』
『なるほど、辱めを受けるぐらいなら死を選ぶか』
『辱めるって自覚はあるんだ!』
『だがそう言うのは最初だけだ……次第に向こうから求めるようになる!』
『なりたくな……うわあああああ!』
 ケビン、撃沈。

 結果。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊VSエミリナ=アディソン。
 体術 × ○
 口論 × ○
 戦術機   × ○

 となった。

 これから三日ほどオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊隊員がショックで寝込み、スケジュールに多大な影響が出たと言うのは当たり前と言えば当たり前の話である。
 そしてこの日以来オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊隊員にはエミリナ=アディソンに対する苦手意識がしっかりと刷り込まれた。
 また、エミリナが最初に来た時ミリアを抱きすくめた感触を元に抱き枕を開発――忠実に再現されたそれはMFCの資金源の一つになるまで広まった。純粋に寝具としても有用だったのでMFC製と言う事に気付かずミリアも使用していたが……それに気がついて色々と騒動が起こるのは当分先のことであった。

あとがき
あれ……気がついたらエミリナがグラハ……Mr.ブシドーっぽく……。最初はもっとエロお姉さんって感じで気がついたら×××板に行かなくちゃいけない発言連発してたから削って伏字にしたらこんなキャラに……。ちなみに当SS最強の衛士はこの人です(ぇ
追記
言い訳をさせて下さい。酔った勢いのまま書いたらこんな怪文章になってしまいました。って言うか一時間で書いた俺のテンションがすげえ……
あまりにひどいので削除したいのですが臭いものにふたをする的な発想もどうかと思うので自戒の意味も込めてネタとして残しておきます。

11/5 あまりの後悔にネタに変更……昨日は何かテンションがおかしかった
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[12234] 【ネタ】Short Short
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2009/10/10 10:52
Short Short寄せ集め

*注意:ここにある話は作者の趣味とか思いつきとかが盛りだくさんです。本編とは直接かかわりはありません。本編によく似た他世界での話、と思ってくれて構いません。あとろくに推敲もせず、勢いのままに書いています。なのでここで文章がおかしいとか言う突っ込みは無しでお願いします。っていうか常気に戻って推敲なんてしたらバカらしくて乗せられねえよ、と。あとついでに本編の時間軸よりも先の話も乗ってたりするけど他世界だから問題なし! ネタばれはありません。
突っ込み処満載でも突っ込んではいけない。

思いつき次第随時更新していきます(ぇ
ではどうぞ。


$ミリアの苦悩

 ミリア=グレイ。時に才女、時に天才、あるいは鬼才。そう呼ばれる彼女にも誰にも言えない悩みがあった。因果情報を知り、未来を知り尽くしていると言っても良い彼女。そんな彼女にできないことなど、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の面々は恋愛ぐらいだろう、と思っていた。それもそれで失礼な話ではあるが。
「…………………………」
 今、彼女は親の敵のようにエレベーターのボタンを睨みつけている。そして、意を決したように一つ頷くと、膝を曲げ、力をためる。
「はっ!」
 彼女の最大跳躍。そのまま目的の階のボタンを目指す。しかしそれはわずかに狙いがそれ、一つ下のボタンを押してしまう。
「あ! 違う! そこじゃない!」
 と、一生懸命背伸びして目的の階のボタンを押そうとするが、届かない。物理的に。ピョンピョン飛び跳ねている姿は常の悠然とした空気は完全に霧散し、ただ一生懸命頑張っている小さな女の子にしか見えない。
「は、く、ううう……」
 ついに断念する。彼女の身体能力ではどんなに頑張ってもそのボタンに届かないというのがはっきりしたからだ。すぐに思考を切り替える。幸いにも目的のフロアと間違えて押したフロアは階段で繋がっている。本来は非常時用で閉鎖されているものだが、ミリアのパスなら問題なく開けられる。たまには軽い運動をするのも良いだろう、とミリアは。

 甘く考えていた。

「………………………………………………」
 人類の敵、BETAを睨みつけるような視線で階段を射抜く。
 当然だが基地職員はそのほとんどが成人、あるいはそれに近い年齢である。いかにミリアの頭脳が卓越しており、その知性がこの基地の中で一際輝いていようと、その年齢は変わらない。ミリア=グレイ13歳。今肉体の限界を痛感していた。
「……どうして、一段一段が、こんなに高いのかね!」
 階段を上るというよりも、よじ登る、といった方が正しい状態のミリア。気分はロッククライミングである。
「い、一階分の階段がこんなにも大変だとは……」
 苦労してようやく目的のフロア――PXのフロアにたどり着く。
「やれやれ……さて、たまには一人で食事でもしようか」
 普段はオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の面々の誰かと食事をとっているのだが、今日はあいにく全員用事があったらしい。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊のほぼ専用となっている伽藍としたPXで合成ペペロンチーノを頼んだところで気付く。
「…………………………………………………………………………………………………………………………」
 届かない。自分の目線がちょうど配膳台にある。手を伸ばすが、角度の関係でつかめない。
「……何という……」
 結局、PXの職員がテーブルまで運んでくれた。椅子に座る。この時の足が届かないのでよじ登るように座ることになる。
「…………………………屈辱」
 思わず怨嗟の声が唇から洩れた。本気で彼女は屈辱だと感じていた。まさか自分一人ではこうも何もできないなんて……。
 毎日の日課である牛乳を飲むこと。それも未来を知る身としては自分が望んでいるどちらの効果も期待できないことは知っているが、ひょっとしたらという一縷の望みにかけて毎日飲んでいる。……真剣に涙が出そうになるミリアだった。

「と、言う訳でフロリダ基地の改装を要望します!」
 後日、顔を真っ赤にして基地司令にそう進言するミリアの姿があったとかなかったとか。

 更に後日。一生懸命飛び跳ねてるミリアとか、涙目になってるミリアとかの映像が基地内のミリアファンクラブ会員の間で流出したが、オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の活躍でそのデータはすべて消去に成功。物理的に所持しているものも全て捕縛されたが……それはまた別の話である。

 ネタ解説。感想板の方で出てきたミリアの日常。ノリノリで書いてみた。普段はオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の誰かがいるので苦労していないことに気付いたお話。ミリアファンクラブは要注意。強敵です。


$あ号さんちの娘さん
 俺の家はかなり特殊だと思う。
 目が覚めて、ベッドの上。そして覆いかぶさってる少女。
「あら、起きちゃった? 幸多くん」
「……なにしてるんですか、光さん」
 一条光。お隣さんに当たる人。ちなみに妹にあかりもいる。
「シオンちゃんに起こしてって頼まれたから」
「それで何で俺の上に覆いかぶさってますか?」
「…………お約束?」
「何のです!」
「うそうそ。もうすぐご飯だから、二度寝しちゃだめよ」
「しませんって」
「したらあかりちゃんが来るからね?」
「絶対にしないと誓わせて貰います!」
 光さんはまだこう、言葉でのコミュニケーションが可能だけどあかりは即行動というか手が早いというか……。人の話を聞こうとするのが1.2秒だけというのが泣けてくる。要するにすぐ殴られる。
 寝巻き代わりの服から普段着に着替えていると窓の外に田浦涙の見慣れた姿があった。
「おい、涙!」
「ん? こ、コウタじゃないか。ど、どうした?」
「いや、見かけたから挨拶しようと思ったんだが……どうしたんだ? 突撃級なんかに乗って。もしかして急ぎか?」
「あ~、まあ。ちょっと。もう済んだというかなんというか……」
「? よくわからんが急ぎじゃないならうち寄ってくか? お茶くらいなら出せるぞ?」
「いく! すぐいく!」
「おう。じゃあ後でな」
 どしん、どしんと地響きを立てて突撃級に乗った涙が遠ざかっていく。
 しかし突撃級を使うほどの用事とは一体何だったのだろう。
「おはよう。リア、あかり」
「あ、おはよう、こーたちゃん。もうすぐご飯になるよ?」
「お前起きるの遅いな。リアにばっかり仕事させるなよ」
「そのままそっくりお前に返してやるよ。お前も光さんを少しは手伝ったらどうだ?」
「ふん。世の中には適材適所ってのがあるんだよ」
「なら俺もそうだ」
「ちっ、ああ言えばこういう」
 賑やかな朝。……はて、何か足りないような気が。
「リア。氷華姉はどうした?」
「おねーちゃんならまだ寝てるんじゃない?」
「珍しいな」
「こーたちゃん起こしてきてくれる?」
「わかった」
 吾郷氷華。俺たちの保護者(自称)であり、姉でもある人。俺もシオンも吾郷の苗字を名乗らせて貰ってる。
 氷華姉の部屋は地下にある。複雑な通路を下り、その最下層。そこに氷華姉の自室はある。
「氷華姉、入るぞ?」
 薄暗い部屋。そこの青白い光源を目指す。そこで気持ちよさそうに寝てる人がいた。
「…………」
 この家最大の謎、そしてボスの吾郷氷華。記憶にある限りこの人は年をとったことが無い。ずっと前から今の俺たちと同じくらいの年齢の容姿だった。
「氷華姉、起きてくれ」
 軽くゆすると。
「ううん……リア~?」
 ベッドに引きずり込まれた。
「ちょ、おい!」
「ん~どうしたのよ、リア。そんなに暴れたら良いことできないぞ~」
「リアじゃねえから! っていうか何するつもりだ、あんた!」
 バっと離脱する。ベッドの縁から延びる腕が触手のようにこちらを絡め取ろうとする。
「……いそぎんちゃくか、この人は」
「うう……リアに反抗される夢見た」
「上で甲斐甲斐しく飯作ってるからさっさと起きろ。このバカ姉」
「……? 何でコウタは怒ってるのさ?」
「良いからさっさと起きろ!」
「はいはい。全く……反抗期かしら」
 ぶつぶつ言う姉を置いて上に上がる。

 この家……というより町は特殊だ。
 BETA。正式名称を「Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race」即ち、「人類に敵対的な地球外起源種」。そう呼ばれた存在が地球の侵略を終えたのが約10年前のことらしい。だが、ここではごく少数の人とそのBETAが共存している。いや、氷華姉曰くここにいるのはBETAはBETAでも「Beings of the Extra Terrestrial origin which is Amicability of human race」即ち、「人類に友好的な地球外起源種」らしい。何でこうなったのかは知らないが。
 と言っても敵対的なBETAもいて、友好的なBETAもいる。何を隠そう俺とリアも幼い日に敵対的なBETAに襲われた。それを氷華姉に助けてもらったわけだ。
「まあ正直あれ以来敵対してるのなんて見たこと無いんだけど」
 何はともあれ。俺はこの女性比率90%の町で暮らしている。
 …………何で俺しか男いないんだろう?

「と、言う世界の因果情報を受け取ったのだよ」
「いや、ミリアがどこにもいないのは気のせいか?」
「ああ、あの世界では私は既に標本だな」
「おい!」
「しかも五体満足だ」
「凄い強運!」

 ネタ解説。鬼才と進み道を書く前に書いたSSをのせてみた。一条ひかりとかは知っている人は知っている擬人化BETA。ちなみにこのあとラヴコメ展開が続き、移民した人類が帰ってきたとき、地球を取り戻すため、幸多と擬人化BETA娘の誰かが懸け橋となって人類と友好的な方のBETAが一致団結して闘うあいとゆうきのおとぎばなしです。(ぁ


$本気でネタ
「覚醒した00ユニット思念波がML機関と連動し、純度を増したラザフォードフィールドが人々の意識を拡張させる……ついに完全なる00ユニットとして目覚めたか。鑑純夏。君こそが、真の00ユニットだ……」

 ネタ解説。元ネタはガンダム00。そこの某セリフをもじってみた。予想外に突っ込み処満載となった。たった一行なのに。純度を増したラザフォードフィールドって何だよっ。ついでに真のって他にもいるのかよ! とか。あと喋ってるお前誰だよ!

10/10 投稿



[12234] 【IF】もしも彼女が~~たら その一
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2010/03/12 17:21
 これは有り得たかもしれない物語。同時に有り得なかった物語。
 川の本流に合流することなく、そのまま枝分かれして消えていった物語。

「さて、今日の訓練はここまでにしよう」
 額の汗を拭いながらオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊隊長、白銀武大尉がそう言った。
「疲れたっ。よし、シャワー浴びて来よう!」
 疲れているのか元気なのか良く分からない勢いでシャワールームに向かうシルヴィアを見送る。
「俺もシャワー浴びてきます……」
 対してくたくた、としか形容できない状態で危なっかしい足取りのままそのあとに続くのはケビン。ちなみにフロリダ基地のシャワールームは男女別なので二人が一緒に入る事は──。
『ちょ、シルヴィア! 何で男性用のシャワールームにいるのさ!』
 無いはずだったのだが。
『え~だって女性用の方は今清掃中なんだもん。良いじゃん、私は気にしないし』
『俺が気にするの!』
『ほらほら、見れるときに見とかないと。私のこの美乳みれるチャンスなんて滅多にないよ?』
『う……うわあああん!』
 叫びと共に上着を脱いだ状態のケビンが飛び出してきた。何となくそれに手を合わせる。合掌。正直シャワールームに入りたい欲求に駆られるが──紅い髪と銀の髪の少女に睨まれた気がしたので止めておく。
「………………さて、俺は自分の部屋のシャワーを使うかな」
 ついでにシャワールームの前に清掃中の札を下げておいた。本人は良くても後から入ってくる奴らが気の毒だと言う理由で。目の保養としては良いかもしれんが、その後が"あれ"なのは確定だろう、と武は溜め息を吐く。
「で、ギルはどうするんだ?」
「私も自室で」
 そう言う彼の眼は冷静な常に似つかわしくない焦りの様な色を湛えている。それを見て武は苦笑を浮かべた。意外と分かりやすいと。或いは自分がそこまで読みとれるようになったのか。
「良いよ。後は俺の方でやっておくからギルは先に戻っても」
「しかし……」
「気にするな。代わりに今度なんか手伝ってもらうから」
「……感謝します、大尉。では」
 敬礼もそこそこにギリギリ早足、走り出す一歩手前の状態で廊下を進んでいく彼の背中を見つめながら武は呟く。
「……愛妻家だなあ」
 ギルバート=ラング中尉。新婚生活真っ只中だった。

 訓練の事務処理を終え、シャワーを浴びて汗を流し、PXに向かう。常ならばそこには立ち入ることも憚れる桃色の空間が形成されているはずだが……反して今日は何もなかった。代わりに何か冷気──否、殺気じみた物を感じる。武の背中を冷たい汗が流れる。なんだろう、この感覚は、と自問する。これに近い空気は感じた事がある。具体的にはドリルでミルキィなパンチを貰う直前とかに。
 だがここで足踏みをするわけにはいかない。意を決して武はPXに踏み込む。知らぬうちにホルスターの拳銃に手が伸びているのは生物としての生存本能か。
 そこにあったのは──がたがた震えるケビン(あれはトラウマ物の何かを見た顔だった)と、机に倒れ伏すシルヴィア(手に着いたケチャップで犯人はお、まで書いてある)に、現在進行形で処刑中のギルバート(体が宙に浮いている)だった。そして、片手でギルバートの頭を鷲掴みにし、釣り上げている修羅──もとい人間と武の目線が合う。
(殺られる!?)
 そんなふうに錯覚するくらいの鋭い視線が武を射抜く。その一瞬の後、パッと手を離しにこやかな笑みを浮かべた。
「あら、大尉。こんばんは」
 普通すぎて逆に怖い。後頬についてる返り血位拭ってほしい。
「こ、こんばんは。ハインレイ大尉……」
「いやですね、大尉。私はもう大尉じゃないですし、ハインレイでも無いですよ? 今はただのPX職員です」
 ニコニコと笑う彼女に先ほどまでの修羅は見られない。だが、油断は出来ない。下手をしたら自分も巻き添えを食う恐れがある。
「あ~俺は用事を思い出したのでこれで」
「まあまあ、白銀大尉。食事になさるおつもりだったのでしょう? すぐに用意しますので待ってて下さい」
 ここで食べろと彼女は言うのだろうか。このがたがた震えるケビン(あれはトラウマ物の何かを見た顔だった)と、机に倒れ伏すシルヴィア(手に着いたケチャップで犯人はお、まで書いてある)に、処刑完了のギルバート(倒れ伏した体が時々痙攣している)に囲まれた中で?
「あ、大尉。二人の事起こして貰えますか?」
 どうやって、とは怖くて聞けなかった。とりあえず手近なシルヴィアの肩を揺すってみる。
「シルヴィア~? 生きてるか~?」
 むしろ死んでるかと言うのを確認した方が早い気がする。何となく口から見えてはいけない白い靄の様なものが見えてる気がしてならない。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
 うわ言のようにそれだけを呟いている。何があった。
 次にケビンを見る。がたがた震えていた。
「よし、意識あるから次」
 あそこから精神を呼び戻すのは並大抵のことではなさそうだった。
「ギルバート、しっかりしろ」
 乱暴に肩を揺すると意外に早く眼を覚ました。武が来たおかげで処刑が途中までだったのが良い方に傾いたのだろうか。そのあたりは武にとってもどうでもいいが。
「ん、大尉? 私は……」
 ぼんやりと周囲を見渡すギルバート。どうも記憶の一部が飛んでるらしい。どう説明した物か、と武が考えていると厨房から料理を運んできた彼女が口を開いた。
「もう、ギルったら。話の途中で寝ちゃうんだもの。いくら訓練で疲れてるからって妻が話してる時に寝るなんて夫失格よ?」
「む……済まん」
(誤魔化す気だ! 自分がアイアンクロー決めてたこと誤魔化す気だ!)
 だが武にそれを告発する気にはならない。そんな事をしたら次の犠牲者は確実に自分だ。
「さて、と。後はミリアだけね。ほら、シルヴィ? 起きなさい。食事時に寝てるなんてお姉ちゃん許さないからね?」
 料理の皿を置いて空いた手によるチョップがガツン、と彼女の脳天に叩き落とされシルヴィアは跳び起きた。
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん! だから……特製野菜ジュースだけは! ってあれ?」
 こちらも記憶の混乱がある模様。
「ほら、あなたも席に着きなさい。食事にするから」
「い、イエスマム!」
 ケビンも正気を取り戻した模様。むしろこれは刷り込みに近いと武は思ったが。
「……ん? なんだ、もうみんな揃っているのかね。悪かったね。待たせて」
「はい、ミリア。それじゃあみんな揃ったし、食事にしましょうか」
 マリア=ラング。旧姓ハインレイ。シルヴィアの姉であり、ギルバートの妻。そしてオルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の影の隊長と称される元衛士がそう言って食事を始めた。

「はい、ギル。あーん」
 何だろう、食事を始めて間もないのに既にお腹一杯だ。ちらりと視線を巡らせると当人たち以外は同じ様な表情をしている。まあこの桃色のオーラが見えそうな空間に居たら誰もがこんな風になるだろう。尤も、一年も付き合っていれば慣れる。前はそれで完全に箸が止まったが、今は遅々とだが進んでいる。この進歩は大きい。カロリー確保の意味で。
「そう言えばさっき男性用のシャワールームに清掃札を下げると言う悪戯があったらしい。まったく、良い年にもなってそんなことをする馬鹿がこの基地に居るとは驚いたよ」
「ぶっ」
 危うく口に含んでいたシチューを吹き出すところだった武。ミリアとしては何気ない世間話のつもりだったのだろうが、それをやった本人としては胸が痛い。
「へえ、そんなことをする人がいるんですか」
「良い年してみっともないね、本当に」
 そう言ったうちの一人──シルヴィアだが、その言葉に武は叫びだしたい気持ちを堪える。お前のせいだろ、と。
 だがその声にならない叫びを天は聞き届けたのか、シルヴィアにも裁きは下された。正直武としてはそこまでしなくても良いと思ったが。
「そう言えばシルヴィア?」
「ふぁい?」
 口の中にパンを詰め込んだままのシルヴィアの頭上に再びチョップが振り下ろされる。頭を押さえてうずくまるシルヴィア。
「い、痛いよお姉ちゃん……」
「口の中に物を入れたまま喋らない!」
 食事中の暴力は良いのだろうかと全員が思ったが誰も言わない。言ったら延焼するのは間違いない。そしてそうなればこの食事を取る事は出来なくなる。いつの時代も兵站を握ったものが勝つのだ、と言われてる気がするのは気のせいである。
「さっきケビンから聞きましたがあなた、男性用のシャワールームに入って行ったようですね」
「あ! け、ケビン。裏切ったわね!」
「聞こえない聞こえない」
 ローストビーフを切りながらケビンは聞こえない振りをする。だがその程度では後のシルヴィアの報復から逃れる事は出来ないだろう。
「大体あなたは少しは自分の魅力と言うのを自覚しなさい! そんな身体で男性用のシャワールームに入っていくなんて餓狼の群れに子羊を投げ込むようなものです!」
「そりゃあお姉ちゃんよりも胸は大きいけどさ……って痛い痛い痛い!」
 不用意な発言でギリギリと顔面を掴まれたシルヴィアが悲鳴を上げる。だが全員見て見ぬふり。怖くて間に入れない。
「ひ・と・が、気にしてる事を~~~!!!!」
 マリア、若干涙目である。彼女にとってこの件は死活問題だったらしい。
「マリィ」
 だが捨てる神あれば拾う神あり。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲小隊の面々がシルヴィアを『二次災害の危険性あり、救助は断念』と見捨てた中、一人ギルバートだけがマリアの肩をそっと掴み彼女を止める。
「ギル……」
「私は別にマリィの胸がシルヴィの胸より小さくても気にしな…………ゆ、指が喰い込んでっ!?」
 だが致命的に言うべき言葉を間違えたらしい。
「もうちょっと、気を、遣いなさい!」
 うんうん、と頷いているミリアが印象的だった。

「し、しかし相変わらずマリアの食事はおいしいな」
 凍りついた空気を回復させようとミリアが口を開く。それに便乗するように武も言葉を発する。
「ほ、本当だな! 正直普通のPXの食事だと物足りない!」
「はあ、ありがとうございます」
 そんなに大した事じゃないんですけど、と言うマリア。
「いやいや、大した物だって! ほんと、ギルは幸せ者だな!」
 白銀武、必死である。何故こんなに必死なのか分からないが、身体のそこからの恐怖心に突き動かされるようにマリアをほめる。と、それを聞きつけたのかシルヴィアが再起動した。
「た、大尉! 私にもこれくらい出来ます!」
「ほう、シルヴィは料理が出来たのか? それは知らなかった」
「そ、そうだよ! まあミリアはできないだろうけどね!」
 失言だった。二重の意味で。シルヴィアはまともに料理など出来ないし、ミリアに挑戦的な言葉を投げかけたのも。
「ほう……ではシルヴィ! 勝負だ!」
「は?」
 あまりの急展開に全員頭が追いつかない。フォークでシルヴィアを指したままミリアは言葉を続ける。
「どっちの料理がうまいか勝負、と言う意味だ。勝ったらさっきの発言は──あいたっ?」
「食器で人を指しちゃいけません」
「ご、ごめんなさい」

 で、グダグダな運びだがミリアとシルヴィアの料理対決が取り行われることになった。

 ……どうしてこうなった?

2010/03/12 初投稿



[12234] 【第三部】プロローグ
Name: 春夜◆0856b548 ID:47080f5d
Date: 2011/01/01 23:48
 豪華な装飾。ワイングラス片手に談笑する人々はみな着飾り、その年齢、人種は多様だ。ただ共通してるのはここにいる人間の殆どが資産家の類である。テーブルには天然食材を使った料理が並び、賓客は舌鼓を打つ。テーブル一つに並べられている品々だけで何人の難民が救えるのだろうか。だがそれらの豪華な料理の殆どは処理しきれずに廃棄される事を考える人間は少ない。そしてここにいる彼女はそれを考える数少ない一人だった。
 退屈そうに柱に背を預けながらワイングラスを弄ぶ女性。長い金色の髪は緩やかにウェーブを描いており、背中まで垂らされている。手足はすらりと細く伸びている。それがわかるのは白い肌を剥き出しにした露出の多い黒いドレスに身を包んでいるからである。それでいながら胸元は不釣り合いに膨らんでおり女性らしさを強調する。結果として周囲の男性の視線を集めていた。物憂げな表情は何処となく儚さを感じさせ、同時に下手に触れられない空気を醸し出していた。現にパートナーの居ない男が声をかけようとして躊躇っている。
 と、会場に僅かなざわめき。多くの視線がそちらに向かう。ちらりと彼女もそちらに視線を向けて、小さく唇が釣り上がる。
 少女だった。年の頃は十代前半か。様々な年齢の人間が集まるとは言ってもやはり十代は珍しい。肩のあたりで切りそろえられたプラチナブロンドの髪が彼女の歩く動作に合わせて小さく揺れる。サーモンピンクのドレスに包まれた身体はまだ成長の余地を残しており、将来に期待が持てる。だが先ほどの女性とは異なりそれを見つめる人たちの目にあるのは自分の娘や孫をめでるような色だ。……ほんの一部、女性に向けたのと同種の視線を向けた人間がいた事に少女が気付いたのか僅かに眉を寄せた。
 その後ろには髪をオールバックにした男が二人。目元はサングラスで隠されており、スーツ越しでもわかる鍛えられた肉体はただそこにいるだけで周囲に威圧感を与える。ボディーガードは珍しくない。だがこうも堂々とひきつれているのは珍しいと言えた。有る意味で示威行為。少女は何かに対して牽制を行っている──。
 と考えたところで彼女は視線を外した。今の彼女には関係の無い事だ。視線の先に居るのは中年のスーツの男性。口調や仕草は穏やかだが、その眼はまるで溝水の様だと彼女は感じた。あまり近づきたいタイプの人間では無いと思い、今回彼と関わる必要が無い事に安堵した。
 視線をずらす。談笑している婦人方、何か──コレクションだろうか──を見せ合う人。女性の肩を抱いてホールから出ていく人間。行動は様々だ。考えながらワイングラスを口元に運ぼうとして固まった。確実に今手元にあるのは現在この世界で飲めるワインの中でも最高級だろう。だが、だがしかし、だ。良い酒と言うのはそれだけ酔い易いと彼女は思っている。そして彼女は非常に酒に弱い。後には引きずらないが、すぐに酔いが回る。これから行う事を考えるとそんな醜態を晒す訳にはいかない。
(……でも一口なら)
 だがその一口でアウトという可能性も否定できないのだ。しかし飲みたい……ここで飲まなかったら恐らく一生飲む機会は無い。許されるならボトルの一つでも隠し持ちたいところだが、露出の大きいドレスでは隠す場所など無い。片手に持つ──論外だ。誰が好き好んで酒を握って離さない女に声をかけるか。
 彼女の体感としてはほんの数秒だったが、実際には結構長い事ワイングラスとにらめっこしていたらしい。
「大丈夫ですか?」
 胸の谷間じゃ隠しきれないだろうな、と考えていた彼女は唐突に声をかけられてハッとなる。眼を瞬かせる彼女を気遣うように声をかけた人間──三十代前半程度の男性が再び口を開く。
「先ほどからぼんやりとしていましたが……具合が悪いようでしたら──」
 失態だな、と内心で眼を覆いつつも表面は笑顔を取り繕い大丈夫、と言おうとしたところで声をかけてきた人間が先ほどから彼女が探していた男だと言う事に気が付いた。
 気が付いてからの行動は速かった。ふらりとよろめいたかと思うと彼の胸にしな垂れかかる。
「すいません……少々酔いが回ってしまったようで。よろしければ部屋をお貸し頂けませんか?」
 瞬殺だった。だらしなく鼻の下を伸ばした男に寄りかかるようにして部屋に向かう。
 今回のパーティーの招待客には大きく分けて二つある。一つは有る程度の資産を持った招待客。もう一つは主催者の身内とも言える超が付くセレブリティ達だ。単なる招待客にはゲストルームが与えられているが、こちらは本当にパーティーが始まる前の控室程度の扱いだ。そして後者の場合それぞれスイートルームクラスの部屋が与えられている。今回彼女はその区画に入りたかった。
「さて、と」
 ベッドの上に半脱ぎの状態で縛り上げたバカな男を放置して彼女──シルヴィア=ハインレイは小さく息を吐いた。ここまで潜入するのが有る意味最大の難関だった。何しろこの男、女好きで有名だが好みが少々特殊だった。具体的には金髪で背が低くて胸が大きいタイプが好みらしい。この世界にはあまり普及していない単語で言うならばロリ巨乳である。他にもこの区画に入る方法は幾つか提案されたのだが──この男を使うのが一番確実だろうと判断した。
「……あーあー。こちらグレイ3、グレイ3。応答されたし」
『こちらグレイ2。侵入には成功したのか?』
「イエス。予定通り鴨経由で区画に潜入」
 鴨──この半裸でベッドに拘束されている男だ。ちなみにきっちり気絶させてある。防音性がばっちりだからどんな声を出しても大丈夫だよと言う彼の言葉は図らずも彼自身が証明してくれた。
「部屋に監視の類は無し。情報通りよ」
『了解した。グレイ0とグレイ4に連絡。予定通りその部屋からハッキングを行う』
「グレイ3了解。そっちの様子は?」
『屋敷から十キロ離れたポイントで待機している。最悪の場合はきっちり陽動を行うので心配するな』
「了解。通信終わり。次は一時間後に。通信が無い場合はプランDに移行した物として考えて」
『了解。幸運を祈る』
 その言葉を最後にグレイ2──ギルバート=ラングとの通信が終了した。アクセサリーに偽装した通信機を身につけ、鏡を見る。少し悩んだ後このままでいいかと思いなおす。捕縛する時のごたごたで良い感じに乱れていかにも何か有ったように見える。有る意味でそれは正解だが。
 部屋を出て再びパーティー会場の方に向かう。出る為でなく、出迎える為に。
「御苦労さまです」
 警備員に後ろから声をかける。隙だらけだな、とシルヴィアは思う。これが自分の部下だったら訓練メニューを更に厳しい物にするところだが、気が緩むのも仕方ないと彼女は思う。常識的に考えてわざわざこの御時世に人間相手に戦いを吹っかけるようなバカはいない。このパーティーに参加している人間の殆どが後ろ暗い物を抱えているとしても、そこを襲撃するなんて考える人間は皆無だろう。──自分たちを除いて。
「お姉ちゃん!」
 サーモンピンクのドレスに身を包んだプラチナブロンド少女──ミリア=グレイがそう声を挙げるのを見て苦笑が零れそうになるのを必死でこらえる。
「あの人が妹もつれて来いって。……構わないわよね?」
 既にこの警備員は数十分前に鴨と一緒にシルヴィアが通るのを見ている。そしてシルヴィアの事後っぽい格好。大体何を想像したのかシルヴィアにも分かるが、警備兵が僅かに顔を赤くした。
 そうしてミリアの手を引いて部屋に戻り。
「……で、何かしたのかね?」
「……する訳無いでしょ」
 ため息交じりで反駁する。
 ボディーガード二名──ケビンたちには外で待機させている。さすがに男二人までこの区画に連れてくるのには不自然すぎるとの判断だった。
「さて、この端末だが……パスワードはわかるかね?」
「聞けばわかると思うけど?」
 部屋に取り付けられた端末。この屋敷──厳密にはその主のデータベースにアクセスしたいためにこんな迂遠なやり方で侵入した。今までだったらもっと強引にデータの提出を迫ることも、別の人間にやらせることも可能だったが今では全て自分たちでやるしかない。
「あまり強引な方法は好きじゃないのだがね……頼む」
「はいはい、お任せ」
 そう言いながらシルヴィアは部屋に備え付けられたシャワールームに気絶した男を運ぶ。それと並行しながらミリアは独力でのパスワード解析を開始する。いくつかパターンを試し、数分後あっさりと当たりを見つける。
「……シルヴィア。見つかった。もうやめていい」
「え、早いよ。まだこいつ起きたばっかりなのに」
 と言いながらシャワールームから出てくる。同時に床に何か叩きつけられた音とくぐもった悲鳴。そしてぶつぶつと何か言う声が聞こえてきたが、シャワールームの扉を閉じるとそれも聞こえなくなった。
「どう?」
「さすがに内部からの侵入は想定していないみたいだね。セキュリティが段違いに甘い。これなら目的の情報も手に入るだろう」
 言いながらもミリアの指はキーボードの上を乱れ舞い、その視線は一点に留まらない。口と目と手が別々の生き物の様に動いている。ただ一つの情報を求めて電子の海に潜っていく。
「……見つけた」
 待ち望んだ情報を手早く記憶媒体に収める。
「終わったの?」
「ああ、問題な──」
 くな、と続けようとしたミリアの声が耳障りな警報で掻き消される。
「……ミスってるじゃん」
「わたしじゃない!」
 潔白を主張するがシルヴィアの疑念のまなざしは晴れない。だがすぐに頭を切り替えたのか表情がひきしまる。
「とりあえず異常事態だね。私たちの潜入がばれたのか、それとも他の要因か」
 その理由はすぐに明らかになる。ノックもせずに入って来た警備員がご丁寧に説明してくれた。
「おくつろぎのところ失礼します! 当屋敷に侵入者です! 万が一に備え、招待客の皆さまを安全なところに……」
 そこまで言って肝心の主催者身内の招待客が見当たらず、女二人と言うことに気がついたらしい。
「その……レイ・ヴァンオルタさまは?」
「あ、え~っと」
 そのタイミングでシャワールームの方からどたばたとやかましい音が聞こえてくる。縛られた状態で体当たりでもしているのだろうか。大した根性だがこの状況ではマイナスでしかない。警備員の顔に不審の色が広がっていく。
 シルヴィアの行動は迅速だった。向こうが完全な警戒態勢に入る前に当て身。そしてそのまま背後に回り込み頸動脈を絞める。酸素の供給を断たれた警備員は背中に感じる柔らかな感触を楽しむこともなく意識を手放した。
「よし、逃げるよミリア!」
「……完全にスマートな作戦では無くなったが、仕方ないかね。こちらグレイ0よりグレイ2およびグレイ5へ。プランDへ移行だ。派手にやれ!」
『了解しました』
 邸宅の外から銃声。ギルバートだとしたら行動が早すぎる。
「……随分と敵が多かったようだね。ここの主は」
「かもしれないね。グレイ4!」
「ああ、もう! 結局こうなるんですか!」
 シルヴィアの声に応じてボディーガードに扮したケビンが拳銃片手に駆け寄ってくる。
「予定していた脱出経路は所属不明の連中が進行中。正攻法で招待客にまぎれて逃げるのがリスクが低いと判断します。この状況ならいちいち確認している余裕もないでしょう」
「私は荒事は専門外だ。任せるよ」
 そう言ってミリアはケビンの後に続く。その後ろにシルヴィア。あくまで招待客に紛れる以上、ボディガードでもない人間が銃を持っているのは怪しいので手ぶらだがこれが思いの外落ち着かない。かといってワインのボトルを握るわけにもいかないので静かについていく。
「それで、見つかりましたか?」
「ああ、まず間違いない。予想通り彼らが主犯だったようだ」
 本来前線に出る事のないミリアがこうして危険を冒してまで敵地に忍び込んだのは彼女にしかできない情報収集があったからだ。シルヴィアも情報戦では優秀と言って良いレベルだが、天才──鬼才と呼ばれる人間には到底及ばない。
「フロリダ基地襲撃の指示を出した人間、その尻尾をようやくつかんだ」

 2002年8月5日
 ミッション再開。


11/01/01 初投稿



[12234] 【第三部】第一話 フロリダ基地襲撃
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2011/09/14 17:08
2002年1月31日
 フロリダ基地観測室で大きなあくびをしながら間の抜けた声を漏らす観測員。それを隣の同僚が咎めた。
「おい、緩みすぎだぞ」
「ってもよ、今日はチェリーブロッサムだろ? こんな日にBETAがわざわざ海の底渡ってくると思うか?」
「万が一がある。もしもアメリカ大陸にBETAがハイヴでも作った日には人類はおしまいだぞ」
 そうたしなめる観測員の口ぶりからは自分たちアメリカがいなければ人類は勝つことは出来ないという自負がある。そしてその防衛の一角を担っているのは自分達だと。とはいえこの立派な観測室も設営されてから対BETAに使用されたことは一度もないのだが。
「へいへい、常に警戒厳かに──って、ん?」
「どうした?」
「十一時方向に反応があった気がしたんだが気のせいか? そっちでも確認してくれ」
 観測室内の空気が僅かに緊迫感を帯びる。あくびをしていた方もたしなめていた方も表情を引き締めて計器を見つめる。
「微弱な反応──小さいな」
「それに空だ。BETAが新種でも出してきてない限りBETAはあり得ないな」
「……鳥じゃないか? 最近は少ないが昔はよくあったらしいぞ」
「これだけ反応が弱くて単独ならそうかもな。少なくとも早急に対応するような優先度の高いタスクじゃない」
 その言葉にほっと息を吐く。
「そういえば博士が帰ってくるんだっけ?」
「ああ、らしいな。ほんとどこから情報仕入れてくるんだろうな、MFCの奴ら」
「全くだ」
 そんなくだらないことで笑い合っていた二人は──突然の炎に巻かれて死んだ。

 ◆ ◆ ◆

「第一フェイズクリア。第二フェイズに移行」
 彼らが鳥と判断した反応。そこには一機の戦術機がいた。形状は特に奇抜なものはない。ただ一点、宙に浮いているということを除けば。それをモニター越しに確認してほくそ笑む。
「上出来ですな、SSは」
「実践テストで半数近くを失った時はどうなるかと思いましたが」
「あれも結局は相討ちですよ。こちらの方は時間はかかるが修復可能なレベルです」
 口々に現時点での作戦の進行具合を称える。軍事行動中だというのにそこには演劇を観覧するかのような気楽さがあった。一見しても軍人ではないとわかる集団の集まり。むしろ近いのは──上流階級の集まるカジノか。全員がくつろぎながらも何かの推移を見守っている。
「さて、第二フェイズだがどうなると思うかね?」
 共通しているのは一点。
 ここにいる人間のすべてがこれから起こる事態に対して何の痛痒も感じていないということだ。

 ◆ ◆ ◆

 基地に帰還した彼らを迎えたのは耳慣れた──だが聞きたくはないサイレンの音だった。
『防衛基準体制1へ移行。繰り返す防衛基準体制1へ移行』
「……帰ってくるなり騒々しいことだね」
「言ってる場合か」
 帰還してまだ数時間。Fー15SEが搬入され、整備が開始された頃合いだ。隊員たちもそれぞれ部屋に戻って一息ついた頃だろう。
「……心当たりは?」
「聞くな、俺がいたのは桜花作戦が終わるまでだ。そもそもがずれている状況で俺の知識が当てはまるとは限らん」
「つまりはまったくの未知か……」
「そういうミリアはどうなんだ?」
 その問いに彼女は小さく肩をすくめるにとどめる。わざわざ口にするまでもないということだろう。もうすでに歴史の流れは彼ら二人の手を離れた。望むべく方向に舵を取ったはずだが、これから先の流れが読めない以上、これまでのように大胆な舵取りはできない。
 つまり二人は初めてまったくの未知の事態に直面したと言える。言い換えるならば──二人が持つ能力のみが頼りとなる状況に。
 だが、それから考えてもこの状況、このタイミングでの異常事態というのは不自然だった。何故なら今は桜花作戦がまさに決行されているとき。地球上のどの基地も防衛基準体制2で待機しているだろう。それが1に上がるというのは直接的な脅威が迫っていることを指す。
「状況は?」
 作戦司令室に入ったミリアが開口一番にそう尋ねる。まだ帰還を知らなかったものもいたのか僅かに驚きの表情を見せるがすぐにてきぱきと報告する。
「は、数分前より基地外延部の各観測所の連絡が途絶しました」
「それで?」
「観測所からのデータが届きませんので発見が遅れましたが、基地のレーダー網が接近する物体を確認……識別の結果、SCALP-EG / ストーム・シャドウと判明しました……」
 SCALP-EG / ストーム・シャドウ。戦術機からの発射も可能にした巡航ミサイルだ。それがここ、フロリダ基地に向かってきている。
 それはシンプルすぎる一つの事実を示していた。人類からの攻撃だ。
「数は?」
「じゅ、十二です。第二波に数十八!」
「対空迎撃システムをフル稼働。地上要員は地下区画に退避」
「了解!」
 だがミサイルの速度はマッハ0.8──ほぼ音速だ。そして発見が遅れた。その二つの要因は致命的なまでに時間を与えてくれなかった。
 基地の防衛システムが──この基地が建築されてから一度も使われたことのない対空施設が稼働する。丁寧にメンテナンスされていたおかげか──それらは十全の働きをした。ただ惜しむべくは状況が悪かったこと。亜音速の物体に、更に急な迎撃。その状況で半分を打ち落とせただけでも奇跡だろう。
 着弾の衝撃は地下まで届いた。作戦司令室も大きく揺れる。
「被害報告を!」
 基地司令がその激しい揺れも物ともせずに短く問いを投げかける。
「第一、第二滑走路に着弾! 離陸準備をしていた輸送機二機が大破! 乗組員は退避した模様」
「対空迎撃システムに着弾……詰めていた十三名との応答ありません……」
「演習中だった各部隊のシグナルロスト!」
「第二波、来ます!」
 今の状況を理解する隙間さえ与えないように矢継ぎ早に事態は進行する。既に迎撃装置は潰されている。十八のすべてが基地の施設を焼き払う。そもそも観測所のレーダーが潰されている時点でこちらの眼は奪われた。そして滑走路、迎撃装置と奪われた現状。ここまでの状況を整えてそのままで終わるとは思えない。
「全弾着弾……地上施設の四割が焼失!」
 そして誰も口にしなかったがそこにいた人間も、であろう。少なくない数の人間がこの基地と運命を共にした。
「輸送機が接近中!」
「こんなときにか!?」
 辛うじて生きているレーダーの反応。もしも資材等の運搬で来た機体ならば即刻退避を指示しようとするが、管制員の報告はその行動を止めた。
「アントノフ225──ムリーヤです! 所属不明!」
 しかもその反応は一つではなかった。秒針が動くたびにその反応は増えていく。総計──二十四機。所属不明の機体がそれだけあるのは最早事故では済まない。
「これだけの数をどこから……」
 基地司令のつぶやきに答えるものはいない。いや──そもそもがこの一連の流れはなんなのか。人類の基地による人類の装備による攻撃。それも桜花作戦という人類の天王山ともいうべきこのタイミングで。正気の沙汰ではない。アールクトとミリアはこれが成功するという確信に近いものを持っているが、ほかの人間にはいつ予測不能な事態が起きるかわからないはずだ。
 そんな状況で同士討ちを起こすなど何か尋常ではないものが入り込んでいる。それが何かまではこの場にいる全員が分からないことであったが。
「ムリーヤ、コンテナを切り離します!」
 オペレーターの言葉に生きているカメラからの映像がスクリーンに映し出される。戦術機輸送用のコンテナに近い何か。それがそれぞれの機体から二つずつ切り離され基地の各所に落ちていく。そのまま機首を翻して基地から離れていった。
「……爆撃でもしてくるかと思ったのだがね」
 ある意味拍子抜けだった。落下したコンテナによって基地は多少のダメージを受けたが、先ほどの巡航ミサイルの損害に比べれば誤差レベルである。
 だから次の事態は予想を遥かに超えていた。
 突然の閃光と、火を噴いて墜落するコマンチ。そしてスクリーンを埋め尽くすように表示されるレーザー照射警報の文字。
「な……!」
「べ、BETAです! コンテナから大隊規模のBETAが出現!」
 基地内のカメラが次々とBETAの姿を捉える。小型種がほとんどだが僅かに突撃級、要撃級の姿もある。だがこの状況では大型種が少ないことなど何の慰めにもならない。既に懐に入り込まれている以上、小型種というのは戦術機では対処しきれない。そして人間にはいうまでもなく脅威だ。
「消火活動をしている基地要員を呼び戻せ! 隔壁閉鎖!」
「ダメです! 先ほどの攻撃で基地各所に侵入可能な穴が──! 小型種、基地内に侵入します!」
 既に管制室はパニック寸前だった。安全なはずの後方でのBETAの襲撃。そしてそれがもう自分たちの基地の中に侵入しているという事実。訓練を受けているとはいえ、後方の管制官が前線でも無いような修羅場に即座に対応できるはずもない。それは基地司令も、ミリアも同様だった。
「うろたえるな!」
 ただ、アールクト一人を除いては。
「機械化歩兵部隊を招集、基地内の小型種駆除に当たらせろ。侵入してきたとは言ってもそこまで数は多くない!」
 一喝すると同時に指示を出す。パニックになりそうならば何か別の仕事を与えればいい。考える前に行動させる。長期的に見ればマイナスだが、現状を凌ぐには一番適切な対処だ。今現在の危機的状況を深く意識させなければ混乱は起こらない。そして手近なマイクをつかみ取り基地内に放送を行う。
「基地内の人員総てに告ぐ。各員、小型種との遭遇に備え武装。また単独での行動は控え、常に二人一組以上で動くこと! 戦術機甲部隊は格納庫に集合。外の大型種の排除と小型種の侵入阻止を行う!」
 怒鳴りつけるように放送を終えると踵を返す。
「ミリア、俺は戦術機甲部隊の指揮を執る」
「大丈夫なのかね」
「大丈夫にするのが俺の仕事だ」
 言い置いて真っ直ぐ格納庫へ。ドレッシングルームで強化装備に着替え、キャットウォークを走る。
「少佐! YF-23はダメだ、予備機のF-15Eを用意した!」
「分かった」
 管制ブロックに体を滑り込ませ、機体のステータスチェックを行う。強化装備からデータが転送され、微細な補正作業も並列して行われた。操縦桿を握りながらアールクトは乾き切った唇を舐めながら小さくつぶやく。
「厳しいな」
 ミリアには啖呵を切ったものの、現状が厳しくないとは言えない。まず基地にいる部隊は実戦経験が少ない。おまけに教導に出ている部隊も多い上に演習中だった部隊は第一波攻撃で全滅したため基地にいる戦術機の数が少ない。そしてオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊。既に佐渡島の戦闘で定員を大きく割っている。全中隊を合わせても二個中隊分しかない。そしてF-15SEはすべて佐渡島から簡単な整備と補修を終えただけ。本来オーバーホールの必要な機体ばかりだ。
 だが即応できるのは自分たちしかいない。その事実がアールクトの肩にのしかかる。
「グレイ1より各機へ」
 だが僚機に呼びかける声にはそんな心情は一ミリたりとも出さない。ただ堂々と言葉を発するだけだ。
「どこぞのバカ共が捕獲したBETAを捨てに来たらしい。数は大したことはない。ただし基地から決して逃すな」
 フロリダ基地の周辺にはさすがに民間人はいないが──数十キロも離れれば多くの民家がある。そこに小型種が一匹でも迷い込めば、大惨事となるだろう。戦術機では知らずに踏み潰していても生身では確実に死ぬ。それが武装もしてない一般人ならなおの事。
「また先日のオペレーションサドガシマから十分な整備は行われていない。戦闘中にぎっくり腰になるかもしれんから気をつけろ!」
『了解!』
 通信機から返ってくるのは不安の色も感じさせない了解の声。機体コンディションは最悪だ。戦闘中に関節が破損してもおかしくはない。
「いい返事だ。オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊、全機発進。兵装使用は自由だ。小型種を優先して排除しろ。後ろの連中の仕事を楽してやれ!」
 二十四の鷲が飛ぶ。一個小隊が少ない大型種を、そして残りが小型種を掃討する。簡単な作業だ。落ち着けばどうと言うことはない。
『基地内部に数匹侵入した! ポイントA-24だ!』
『HQ了解、第三機械化歩兵部隊はA-25で小型種の侵入を阻止せよ』
 基地内も落ち着きを取り戻している。それ故に疑問が残った。
(手緩い)
 手緩いのだ。この事態を招いた人間は分からない。だが最初の巡航ミサイルは明らかにこちらを殲滅しようとしているのだと感じた。その後のBETA投下も同様だ。だが、それにしては攻め手が甘すぎる。事実BETAはこうして対処している。最初の混乱から立ち直った以上、これ以上苦戦するというのもないはずだ。何か奇襲を仕掛けるにしてもややタイミングを逃している。もちろんその気の緩みを狙ってるとも考えられなくもないのだが。
(大体何故今なんだ? 桜花作戦が始まって、俺たちを妨害するのだとしても手遅れだ)
 だとすれば逆、桜花作戦が始まったからかとも思うが。
(それこそ有り得ない。万が一この作戦が失敗したら人類は大打撃を受ける。それこそバビロン作戦しか手が無いほどに……)
 それが狙いなのだろうか? 桜花作戦への何らかの妨害を仕掛けるためにその一手としてフロリダ基地を襲った……? 或いはフロリダ基地がそちらに目を向けられないようにしたい? バカな。ユーラシアのど真ん中へ、北米大陸の端っこからどうしろと言うのだ。
 その時一つのセンサーの反応に気が付いた。
「HQ、こちらのセンサーで振動を感知した」
『こちらHQ。こちらでもその波形は観測している。地下侵攻の物とは違うので恐らく地震だと思われる』
「な……!」
 バカか、と悪態を吐く。震源が移動する地震などあるものか! 確かに北米大陸までBETAが来たことはないが──それは今まで来てなかっただけでこれから先の未来を保証するものじゃない!
「グレイ1より全機! 警戒態勢を──」
 遅かった。ダメになった第一滑走路を突き破り、それは姿を現した。

「あんな巨大な物の存在に何故気付かなかった!」
「観測所が潰されています! 直前まで感知できません!」
 司令部もパニック一歩手前だった。謎の大型物体──恐らくと前置きしても無駄であろう未確認種BETA、その体内から大量のBETAの反応が確認されたのだ。大騒動の中で顔色を真っ青にしたミリアが震える唇で小さくつぶやく。
母艦(キャリア)級……」
 その日、北米大陸に始めてBETAの侵攻を許した。

 ◆ ◆ ◆

「おお、あれが話に聞いていた母艦級という物か」
「見ろ、戦術機がまるでプライマリースクールの子供の様じゃないか」
 上機嫌に笑う彼らの顔に悲壮感という物はない。同じ北米大陸にBETAが侵入したにもかかわらず……自分たちには関係のないことだと笑っている。
 それも道理。この状況は彼らにとっては演目の一つでしかない。
「しかしよく誘導できたものだな。遠路はるばるユーラシアからここまで、そして狙い澄ましたようにフロリダ基地でその姿を晒すまで」
 客の一人の質問にその空間の主は口元に小さな笑みを湛えて答える。
「その為のBETAですよ。研究用の奴らをフロリダ基地に落としたのは他でもない。魚を釣り上げる生餌にするためですよ。餌を撒く環境を整えるために巡航ミサイルで基地施設をつぶす。今までのはオードブル。これからがメインディッシュですよ」
 気負いもなくあっさりと、フロリダ基地を襲撃したのは自分だと認める。だがそれを咎める人間はいない。ここにいる人間すべてがそれを見たくてここにいるのだから。
「さて、どうするかな。グレイの鬼子」

 ◆ ◆ ◆

 さしものアールクトも数秒の自失を避け得なかった。母艦級。その脅威度は改めて語る必要はない。彼にとっては存在を知ってから常に意識の片隅に置かれていた事象だったからだ。
 一度でもその中身を吐き出されれば戦局は一気に傾く。人類側にとってはくそったれなBETAのジョーカー。
 それが今、ここにいる。
「………………………………っ。各機二機連携(エレメント)を崩さずに散開! BETAを吐き出される前に体勢を整えろ!」
 気を取り直して即声を張り上げるが、その指示は数秒遅かったと言わざるを得ない。
『う、うわああああ!』
 母艦級が先端の開閉部を大きく開ける。内臓めいたその内部から出てくるBETA……それは先ほどまで相手にしていた数とは比較にならない。いや、これだけの数は果たして佐渡島でも見たかどうか。その一団に最も近くにいたF-15SEが食われた。
 突撃級に跳ね飛ばされ、要撃級に殴られ、要塞級に鞭で弾かれ、手足の千切れた人形の様になって戦車級にたかられる。確かめるまでもない。既に中の衛士は息絶えているだろう。
『少佐! グレイ9が!』
「無理だ、グレイ11! あいつはもう──」
 助けに行こうとする隊員を制する。部隊員の機体ステータス。現在出撃している全員の中で一つだけ赤い表示。誰かなどと確認の必要はない。
「グレイ9……エリック・パーソン少尉をKIAと認定。グレイ11はグレイ2とエレメントを組め!」
 涙する時間はない。
 絶望的な戦いが始まった。

2011/09/14 初投稿



[12234] 外伝第四話 壱玖玖漆
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2011/09/18 14:47
1997年十二月

 板張りの道場。静粛な空気を感じさせるそこに二つの彫像がある。互いに竹刀を構え、面胴小手に防具を付けて。片や巨漢、片や引き締まった体躯の少年と青年の過渡期にある男。共に隙を探るように摺り足で間合いの取りあいをしているにも関わらず、その気配は静粛。故に彫像。そこに人がいるとは思えぬほど静謐な空間だった。
 互いに注意深く、それぞれがそれぞれの間合いに入らないように慎重に、互いに押し引き、そして円を描くように。巨漢にとって少年の間合いは間合いの内側。十分な威力を発揮できず、剣道に於いても有効とは言い難い。逆に少年にとっては巨漢の間合いに入った時点ではまだ届かない。もう数年成長すれば間合いも伸びるのだろうが、まだまだ成長中の身。肉体的にはこれからだった。一刀一足よりも遠い。互いに攻めあぐねている様で同時に互いに
 朝露が草の先端から落ちる。互いに見える筈のない道場の外の出来事。まるでそれが合図になったかのように静から動へ。零から瞬時の気の発露。例えるならば風船の破裂。中に溜めに溜めた空気が一瞬で弾けるように素人でもわかる闘気、とでも言うべきものが発せられている。
 動いたのは少年。発剄からの遅延は極限まで無に近く、恐らくは巨漢でさえ反応しきれてはいない。無論、この少年にとっては反応されたら負けなのだ。間合いの外から一足で踏込、対手の間合いの内側に入り込む。反応されたならば容赦なく兜割りすら容易い面が降ってくる。
 踏み込む。巨漢は既に竹刀を振り上げている。あとコンマ何秒? 瞬き一つの時間もしないうちに面打ちが来る。だが既に次の動作に移っている少年の方が早い。
「胴っ!」
 短く覇を込めてもう一歩踏み込む。一刀をもって両断する気概で竹刀を振るう。
「面ェェェェェェんっ!」
 それを上回る力を込めた声と神速の打ち下ろし。
 道場に鳴り響いたのは僅かな時間差の打突音。そして再びの静寂。互いに向き合い、立礼。
 面を外し苦笑したように巨漢が口を開く。
「やれやれ、ついに一本取られたか」
 交錯した面と胴。それは刹那胴の方が早かった。
「でも同じ手は二度と通じないんでしょう? 紅蓮師範」
 面を取った若武者は苦笑しながらそう言う。これはあくまで邪法。正道でこの師を上回ったわけではないと。
「無論だ。だが兵法もまた強さの一つ。この紅蓮から一本取ったこと、誇るがよい武よ」
 斯衛軍士官候補生、白銀武。白を賜る白銀家の次期当主である。
「ありがとうございます」
 殊勝に頭を下げる武だが内心では小躍りしているのだろう。確かに兵法──互いに位置取りを変えている際にさり気無く逆光になる位置を選んでいたこと。ほんのわずかな時間、まぶしさでこちらの位置を把握できなくさせた事。即興で考え付いた物だったが見事に嵌まりこうして師から念願の一本を取ったのだ。嬉しくないはずがない。
「だが武よ、もしも真剣ならば今のは相討ち。それをどう考える?」
 その言葉は事実だ。もしも互いに本物の鎧兜を身に着け手にしたのが真剣だった場合。紅蓮の面は兜諸共武の頭蓋を両断した。逆に武の胴はどうだっただろうか。紅蓮の鎧を切り裂きその身を両断できただろうか? 答えは否。紅蓮は相討ちと言っているが相応の手傷を負わせて散る結果となるだろう。
「その場合は踏み込んだ勢いのまま体当たりを。しかる後突きます。いくら紅蓮師範と言えども物打ちから外れては兜は割れませんでしょう? しかしそれでは剣道では有効打となりませんので今回の方法を取りました」
 残心が乱れていたら有効打とはならない。だが実戦ならばそのような物は関係ない。どんなに無様であろうと最後に生きていた方が勝ちだ。所詮実践と稽古は別物。暗にそう言っている。
「うむ、前提と勝利条件によって対応を変える。それは簡単なようでなかなかできないことだ。その心を常に忘れるな」
「はい」
 互いに防具と竹刀を手入れして道場に一礼する。日課となっている紅蓮による武への早朝稽古。この後紅蓮は斯衛本軍への朝稽古もある。未だ訓練兵の身である武はそちらには参加していないが、実力的には十分──否、本軍の士官でさえ一対一では紅蓮から一度たりとも一本を取ったことがないと考えるとある面では凌駕していると言える。故に参加してもさほど問題がないのだが……。
「少しいつもよりも遅いな。急いだ方が良いのではないか? 武」
「って本当だ。では師範、先に失礼します」
「うむ、遅れて姫様(・・)の機嫌を損ねぬように気を付けるが良い」
 どこかニヤニヤと、例えるなら孫の恋愛を見守る祖父の様な笑みを浮かべて紅蓮は武を送り出す。その背を見送って険しい表情で呟く。
「あの様な若者を戦地に送り出すような事態にはならないで欲しい物だが……」
 決して楽観できる状況ではない。間もなく光州作戦が発令されるとはいえ大陸の戦局は厳しいと聞く。件の姫様の教育係の一人がそこに赴くのも気がかりの一つだ。
「全くこの身が恨めしい」
 いくら斯衛軍最強とは言われてもそれは生身の話。強化外骨格を身につければ要撃級でも始末できる自信はあるが、所詮それだけ。二匹来たら危険、三匹来たら敗北だ。何よりも戦うことを望んでいるにも関わらず──紅蓮には戦術機特性が無かった。
 外科的方法でどうにかできないかと様々な方法を考え、いくつかは実行に移した。だが結果は得られず。長い付き合いの軍医が言うには
「あなたの肉体は既に完成している。成長などと言った次元ではなく、人間と言う生き物として。だからこそ、自分以外の肉体というもの──すなわち戦術機には馴染めないのではないだろうか?」
 だった。理由などさほど興味はない。ただ彼は戦術機に乗れず、こうして若者を鍛え彼らを戦地に送ることしかできない。
「歯がゆいな……」
 呟きながら歩いていると対面から一人の士官。白の軍服を纏った衛士としては高齢の男。既に肉体的には最盛期を過ぎ、徐々に衰えているはずだがそれを微塵も感じさせない姿勢の良さで敬礼する。
「おお、影行か。おぬしの倅なら何時もの日課じゃぞ」
「御無沙汰しております、紅蓮師範。いえ、本日は愚息に用があったわけではないので。にしてもあいつは……あれほど控えろと言っているのに」
「良いではないか。あちらもそれを望んでおる。で、用向きは何かな?」
 浮かべていた笑みを引っ込めて真剣な表情になったのを皮切りに影行も話を切り出す。
「はい、本日辞令が下りました。京都守護の任に付けと」
 それは本来ならば最大級の栄誉。だが表情は硬い。それはこの時期に京都へ行けというのつまり──。
「……BETAの日本侵攻。それへの備えと?」
「はい。故に本日は出立の挨拶と、厚かましくもお願いに参りました」
「願い、とな」
 紅蓮が続けるように促すとどこか苦しげに、その頼みごとを口にした。
「私に万が一のことがあったら息子を……武の事をお願いしたいのです」
「万が一などと申すな」
「無論、私とて死ぬつもりはありません。ですが戦場に立ったならば常にその事態を予測してしかるべきです。そして武はまだ未熟です。腕っぷしだけは立つようですが武家の棟梁としてはまだまだ。家内の実家は武家相手では太刀打ちできず……奴には頼れる者がほとんどおりません」
「故に儂に頼むと?」
「はい、この影行、伏してお願い申し上げます」
 膝を突こうとする影行を紅蓮は大きな掌で押しとどめる。
「あい分かった。後事は任されよ。だが決して命を粗末にするな」
「心得ております」

 紅蓮と別れた後の武は汗を流し、最低限の身なりを整える。必要以上にかしこまる必要は無いとは言われてるものの、それでも汗臭い姿のまま会うのは躊躇われた。
 ちらりと父から譲られた懐中時計に視線を落とす。何時もよりほんの数分遅れている。
「しまったな」
 小さく後悔を口にする。紅蓮との最後の試合はいつも以上に長引いた。並みの人間ならば間合いの取り合いで紅蓮にあっさり踏み込まれ終了してしまうのだが、近ごろメキメキと腕をあげている武の間合いを犯すのは紅蓮でさえ容易いことではなくなっていた。それがどれだけの偉業か本人は全く気付いてないが。
 何時もの場所に到着して周囲を見渡す。探し人の姿は──ない。
「……置いてかれたか?」
 そうつぶやくがそれも考えにくい。
「白銀訓練兵」
 しばらくそうして辺りを探していると後ろから呼びかけられる声。その声を聞いた瞬間に武の背筋が伸びる。
「はい、何でしょうか月詠少尉!」
 文字通り直立不動。振り返る際の勢いのよさにむしろ月詠の方が引いている。
「い、いや。ただ伝言に来ただけだ」
 そこで少し周囲に気を払い、特に聞き耳を立てているものがいないのを確認すると小声で言った。
「白銀、お前の待ち人は少し遅れる」
「へ?」
 待ち人──要するにさっきから探している人物の事だろう。
「何かあったんですか?」
「いや、ただ朝の定例会が長引いてな。気になされているようだからこうして伝えに来た」
「それって日課がつぶれるくらいに長引きそうなんですか?」
「潰れる、とまでは行かないだろう。私が出て来た時点で話はまとまりつつあった。そう待たずに出てこられるはずだ」
 と月詠はそう言っているのだが……。
「あの、ならあそこにいるのは誰なんでしょう?」
「何!?」
 目を剥いて振り向いた先には──見つかった、と一瞬だけバツの悪そうな顔をしてしかしすぐに堂々とした態度に戻る青を賜る少女──煌武院悠陽がいた。
「悠陽様! 朝会は……」
「退屈なので抜け出してきました」
 非の打ちどころのない笑顔を浮かべてまるで市井の学生──それも不真面目な──の様な事をこの国でも有数の地位の少女は言い切った。
「だってあそこに私が居ても居なくても別に変りません。求めているのは煌武院という名の看板だけ。父がいるなら話はまた変わりますけど……」
 自分はただお飾りであると言い切る。その言葉に武も月詠も口にこそしないが概ね同意だった。実際まだ二十年も生きていない少女がそこにいたところで意見が通ることはないだろう。雛壇の人形のようにジッとしているだけというのが関の山だ。
「というわけで武様参りましょうか?」
 良いんですか? と目線で月詠に問いかける。少し考えていたようだが結局彼女も小さくうなずいた。こうして出てこれた以上は向こうも納得しているのだろう。或いは──いなくなったのをこれ幸いとキナ臭い話でもしているのかもしれない、と彼女は考えた。
「では悠陽様、行きましょう」
 そういって武は悠陽の隣を歩く。本来ならば斜め後ろ──要するに付き人としての位置にいるべきなのだが、今この時だけは例外。

 白銀武と煌武院悠陽の日課。それはこうして朝の僅かな時間共に歩く事だった。

「それで武様、昨日は何がありましたか?」
「ん~そうだな」
 武はぞんざいな──紛いなりにも白の次期当主が青の次期当主(或いはその妻)に利く口調ではなかったが互いにそれを気にする仲ではない。かれこれ十年来の付き合いだ。武家の中では本来接点が薄い。故にこうして朝の僅かな時間しか共にいられない事がほとんどだがそれでも友好な関係を維持していた。
「ああ、そうだ。今朝とうとう紅蓮師範から一本取ったぜ」
 悪戯小僧が自分の悪戯を自慢するような表情で武がそういうと悠陽は目を丸くして上品に口元を抑えながら驚く。彼女も斯衛司令官であり、無現鬼道流の師範である紅蓮の事はよく知っている。
「あの紅蓮から一本を?」
「おう、って言っても──」
 そんな風に楽しげに話す二人を微笑ましげに帝城に詰めている人たちは見守る。ここにいる古参の人間にとっては彼らが幼少のころからそうしているのを知っている。この時勢でこういった交流はそれだけで救いになる物だ。自分たちはこうした笑顔を守らねばならないと。
 だが逆にそんな二人を疎ましげに一瞥する者もいる。より正確には白である白銀武を。
 武家としての序列は五摂家である最高位の青の悠陽と事実上一番下の白の白銀武としては大きな開きがある。口さがない者などは「白銀武は煌武院悠陽を誑し込んで青の地位を狙っている」などと言う始末である。実際にこの二人の距離が近いのは確か。それだけで五摂家と縁を持とうとしている家にとっては不愉快な事実だった。
「それにしても」
 ふと何かを思い出したように口元を抑えながらクスクスと悠陽が笑う。
「何だよ?」
「いえ、出会ったころの武様を思い出しました。あのころは確か──」
「わ、ちょ、それは忘れろって言っただろ!?」
「いいえ、忘れません。武様と出会った日の大事な思い出ですもの。そう、あの時は稽古が嫌で逃げ出して──」
「止めろってば、恥ずかしいっての!」
 悠陽がそれ以上武にとっての恥部──もっと言ってしまえば黒歴史を楽しげに語ろうとするのを必死で止めようとするが悠陽はその反応を面白がっているのか、止めるつもりはない。手で口をふさごうとするがそれをするりと悠陽は躱して追いかけてこいとでも言うように走り出す。朝の定例会から抜け出してきたままの格好の悠陽はきっちりとした正装──値段など聞いたら卒倒しそうな和服姿である。当然歩きにくいし走りにくい。
 だから本来ならすぐ追いつく。だがそのやり取りを楽しむかのように武はゆったりと走る。
 二人が普通の格好をして、ここが街の中だとしたらその様はまるで恋人同士のじゃれ合いだっただろう。実際、城内の人間の何割かはこの二人がそういう関係だと思っている。
 だから誰も知らない。
 煌武院悠陽は決して白銀武と結ばれない事を知っているし、白銀武は煌武院悠陽に触れてはならない存在だと己を戒めているなどと。
 無邪気に遊んでいる裏側で女は国を考え、男はそんな女を生かす為に捨石になる覚悟があるなどと。
 誰も知らない。

「武様、十年後私たちはどうなっているでしょうか?」
「十年後?」
「いえ、十年後と言わずとも五年後。私たちは──私たちの周りはどうなっているでしょうか」
 五年後。非常に現実味のある数字だった。同時に五年後に自分は生きているだろうかと武は思う。恐らくあと半年ほどで自分は任官する。その時──死の八分を乗り越えられるだろうか? だが今そんなことを言っても意味がない。生きていると仮定して考えるべきだろう。
「そうだな……とりあえず俺は斯衛の士官になってるだろうな。帝都の守備か京都の守護か、或いは独立警護隊か……とりあえずちゃんとした軍人になっていると思う」
「ええ、きっと武様はそうなっていると思います。……では私は?」
「悠陽は──」
 その問いに言葉が詰まる。五年後。悠陽は成人になっている。そうしたらきっと誰かとの婚約を発表するだろう。そして自分は斯衛の士官。いくら軍功をあげても五年では大尉になっていれば大成功の部類だ。任官したらきっと、こうした時間は取れなくなる。
 だけどそれを口にするのは躊躇われた。それを口にした瞬間に何か──何かが終わってしまう気がして。だから武は冗談めかして答える。
「きっと今より美人になってると思う」
「まあ、ですが武様も今よりもっと男ぶりに磨きがかかっていると思いますわよ」
 何時もならそこで話は終わりだった。だが悠陽は笑みを残したまま会話を続ける。
「先日父から見合いの話をされました」
 その問いに武は──驚かない。そうなっても可笑しくない年だ。実際──武にも実はそう言った話がある。格が劣るとはいえ武家の次期棟梁。早めに身を固め、血を絶やさぬようにしなければならない。特に白銀家には彼しか子供がいないのだから。
「そしてこうも。そろそろ子供の時間は終わりだ、と」
 それはつまり──。
「はっきりとは口にされませんでしたが、恐らく父はこう言いたかったのでしょう。武様と会うのを止めろと」
「それは……そうだろうな」
 見合いをするとなればその相手が頻繁に別の男と会っているなど不快な要素でしかないだろう。
「今父は京都にいます。次戻ってきたらどなたかと──恐らくは崇宰の二男あたりと見合いをさせられるのでしょう」
 崇宰家の二男、と言っても現当主の弟だ。確か今年で三十。だが五摂家で長男を除けばもっとも年が近い男である。或いは赤を賜るの誰かという可能性もある。
 漠然としていた将来、それが一気に現実味を帯びた。これまで続いていた日常が壊れる。
「ことに出でて 言はぬばかりぞ 水無瀬川 下に通ひて 恋しきものを」
 悠陽が小さく何かの歌を口ずさむ。
「武様から一言貰えれば私は──」
「悠陽様」
 何かを悠陽が言いかけたところでどこから現れたのか、一人の女官が背後から声をかけた。
「そろそろお時間で御座います」
「……わかりました。では武様。また」
 口惜しげに俯く悠陽を見送って武は小さく、小さく呟く。
「俺、は…………」

 1997年十二月。日本本土にBETAが襲来する直前。まだ日本が平和だった時代の最後の年の一幕である。

2011/09/18 初投稿



[12234] 打ち切り? のお知らせ 2012/05/17追記
Name: 春夜◆0856b548 ID:7c291c8b
Date: 2012/05/17 00:30
頭から全部書き直します。
理由は自分でも思ってましたが設定の矛盾などがかなり深刻になってきたため。
大まかな流れは変わらないのでプロットとかはすでにできてます。
ただ、非常に可能性として高いのは書き直してる途中で力尽きてしまうことなので一応打ち切りとしておきます。

真に勝手な理由で申し訳ありません。
これまで読んでくださった方。非常に中途半端な形となってしまい申し訳ありません。

首尾よく直しがある程度完了したら今ある分を削除して再掲載という形にしたいと思うので保存したいと思った方は保存しておいてください。

2012/02/08追記
一応生存報告。書き直したらやっぱり矛盾が生じた……やはりもう今まで書いたのは気にせず始まりだけ一緒の別の話になるかも。
そして何より深刻なのはオルタ本編の武ちゃん達忘れてる。一気にやりたいけど時間取れないです。まあボチボチ書き直していきます。

2012/05/17
三か月ぶりの生存報告。全然進んでねえ!orz
一応頭から終わりまでプロット、伏線配置考えたから今度こそ矛盾はないはず。だが書く時間がない。ちまちまと寝る前の三十分くらいを使ってるだけなので牛歩にもほどがある速度で直し進行中です。



[12234] 追加のお知らせ
Name: 春夜◆0856b548 ID:42d1b251
Date: 2013/08/08 05:08
まず結論から
書き直しとか無理でしたorz
どうしたってモチベが持ちません。投げっぱなしにしてましたが、せめて完結だけはさせようと思い、もう一度恥をかきに戻ってまいりました。
こっそりsage進行で行きたいと思います。もしかしたらまた逃げ出す可能性があるので。今度こそ完結したら上げたいと思います。

以下注意事項
ぶっちゃけ作者も時間あけすぎて伏線とか忘れてます。
ぶっちゃけ作者も時間あけすぎて一番最初の着地点忘れてます。
正直矛盾点とか潰していく余裕もないので、もうその辺全部無視してばばばばっと最後まで突っ走ろうかと思います。
なのでもう、難しく考えずにそういうことなんだな、と思っておいてください。
第二部の最終話から書き直して話が別の物になっていきます。注意

非常に物書きとしてこれはあかんやろと思いつつも、未完で投げるよりはマシと信じていきたいと思います。
では白銀武とミリアの物語の結末におつきあいください。



[12234] 【第二部】二十一話
Name: 春夜◆0856b548 ID:42d1b251
Date: 2013/08/08 05:04
 荷電粒子砲の一射。
 ハイヴを打ち砕いたそれを撃った直後の間隙。ラザフォード場をほとんど展開できず、無力な巨体を晒す凄乃皇弐型に上空からの砲弾が降り注ぐ。弾種は36mm。本来ならばその程度で凄乃皇が傾くことは無い。だがしかし、常識外れの弾速が堅牢なはずの装甲を易々と突き破った。
 被弾個所から黒煙が上がる。内部の電気回路が引き裂かれ、凄乃皇を操縦する純夏は己の神経が喰い破られたような錯覚を覚える。咄嗟にその区画を電子的に切り離す事で対応したが、僅か一瞬の間に先ほどまで緑一色だった機体状況が浸食されるように赤に染まる。同時に機体の傾きを自覚した。──ラザフォード場の制御、姿勢維持。しかし出来ない。
 例えるならば片腕を失った状態。歩く為の機能は残っているが、大きく変わった重心のバランスに身体が対応できていない。幾つか損傷した回路を除いた制御を行うには時間が足りない。地面に不時着する。そう察した彼女は咄嗟に叫ぶ。
「逃げて!」
 その言葉に反応出来たのは残念なことに全員では無かった。機体を横倒しにして不時着する凄乃皇。その下に不知火とサイレントイーグルが合わせて三機。純夏は墜落の際に姿勢制御を諦めて墜落の衝撃を和らげるために下方にラザフォード場を展開していた。それが仇となった。凄乃皇と言う機体の維持と言う点では純夏の判断は間違っていない。凄乃皇の墜落だけならばまだ三機の衛士に生存の可能性は残っていたが、下方に展開されたラザフォード場に巻き込まれた以上生存は絶望的である。
 しかし残った者たちにそれを悲しむ余裕などない。続く弾丸でサイレントイーグルが二機撃墜される。凄乃皇が地面に墜落してからまだ三秒しか経過していなかった。その攻撃を受けて漸くA-01もオルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊も動きを再開させる。迅速に散会。同時に上に向けて攻撃態勢を取る。そこで見たのは──もう一つの太陽だった。

 ◆ ◆ ◆

 唐突に降り注いだ弾丸が凄乃皇を落としたのを見て、YF-23を駆る武は一瞬自失する。だがその損害は致命的な物ではない──あくまで機体がではなく純夏の身がということである──事に気付いた彼の反応は早かった。瞬時に攻撃してきた相手を確認。その相手がこちらに向けて36mmの雨を降らせてくるのを見えた為、比較的容易に回避する事が出来た。だが安堵には程遠い。そこにある機体に武は見おぼえがあった。武だけでは無い。あの日、あそこに居た人間がその圧倒的すぎる戦闘能力を思い出す。単機で一個大隊を潰した白銀の戦術機。その姿を見て何も感じない物などいない。
 動けない。動いた瞬間にあの日見た光景の焼き直しがここで行われると言う強迫観念じみた確信が有る。そうしているうちに銀色の機体は背中から前方に砲身を構える。そしてその先端から溢れだす閃光。
 頭上に出現したもう一つの太陽。それは先ほど凄乃皇が放った光と同種の物だと武は気付いた。そしてその標的が自分たちだと言う事に。
「な……!」
 戦術機である以上人類側の物なのだろう。だが、本来轡を並べて戦うはずの人類の剣はその切先を隣の戦友となるべき人類に向けられた。そのショックが大きい。ましてや先ほどまで人類反撃の狼煙だと思っていた物と同じものを向けられれば動揺はさらに大きくなる。
 回避を考えるが間に合うはずもない。あれが凄乃皇と同じなら今から逃げたところで向こうが僅かに射角をずらすだけで蒸発する。
 ならば先制攻撃。ラザフォード場があったとしても、荷電粒子砲発射の前なら全方位に展開は出来ないはず。確実に空いている場所──考えれば答えはすぐに出る。荷電粒子砲の砲身を向けている機体前面。そこには展開できない。ラザフォード場は内側から攻撃し放題の便利な盾では無い。展開していたら両方向からの侵入を留める壁だ。
 決断した後の武の行動は早かった。他にも数名──彩峰や美琴など勘の良い者は回避よりも先制攻撃を選んだ。
 XAMWS-24 試作新概念突撃砲を全て前面に。兵装担架にマウントしてあった二門のうち一門は先ほどの救出劇の中で担架毎失われている。そしてその時に手で持っていた物も咄嗟の盾代わりに使って今はもうない。つまり二門だけ。
 それでも上の敵に向けてトリガーを引き絞る。相手は回避する素振りを見せない。そして全弾命中。射角の関係で後背部のラザフォード場に弾かれた物も幾つかあるが36mm,離脱装弾筒付き安定翼徹甲弾APFSDS,粘着榴弾HESH,劣化ウラン貫通芯入り仮帽付被帽徹甲榴弾APCBCHEと戦術機が使用可能な弾種のほぼ全てが一機の戦術機に集中する。だが爆煙が晴れた後当然のように無傷の機体を見て心が俺無い物など居ない。たとえそうなるかもしれないと覚悟していてもだ。
 極光が一際強まる。それに対して武には無駄だと知りつつも凄乃皇の盾になるように機体を動かすしかなかった。

 ◆ ◆ ◆

「……充電完了」
 小さく、機体の中で彼──武家として生まれた白銀武は呟く。天照。本来ならばこの世に存在するのは十年後の機体。その最大の武装への電力供給が完了した事を示すサインが点滅している。そして彼は躊躇うことなくそれを選択した。
 天照に三つ装着された背部兵装担架。その中央、他の何よりも巨大な砲が発射の為に形を整える。折りたたまれていた砲身は真っ直ぐに前に伸び、長大な姿を形作る。肩越しに展開された荷電粒子砲の砲身下部。そこにあるグリップを掴み照準を合わせる。目標は眼下にいる有象無象──あの巨大な機体は荷電粒子砲の一射くらいならばラザフォード場でどうにか耐えるだろうという計算がある。この引金を引けば展開している戦術機は全滅する。そうなれば動けない的など幾らでも処理できる。
「あと少しだ」
 意図せず彼の唇から呟きが漏れた。あと少し。この引金を引いて、あのデカイのを潰して。そうすれば──。
 そうすれば──どうなる?
 何かあったはず。何かあったはずだ。そうすれば何かを取り戻せる。何を?
 僅かな逡巡。時間にして一秒もない。
 その一瞬が凄乃皇の周りに展開している全員の命を救った。
 全身を突き抜けるような衝撃。散々弄られて衝撃や苦痛に鈍感になった彼の身体でもそれは堪えた。激しく揺さぶられる機体の中身。バーテンダーのシェイカーの中に放り込まれた氷の気分を味わされた。並みの衛士なら失神している衝撃もさほど気に留めずに彼はその原因を探す。
 探すまでもなかった。先ほどまで空に居たのは自分一人。だがそこにもう一つある。とても無視できない巨体。大きさの比率的には人とクジラか。潜水艦の様な航空機の様な細長い巨体。だがその形状は流体力学を完全に無視している。それがこうして空にあると言うのは有り得ない。常識ならという但し書きが付くが。
(同じか)
 だがここには条理に反した機体が三つも有る。そして彼にとっては己の物以外は必要ない。破壊目標は元々このデカイのだけでクジラは予定に入っていないが関係ない。邪魔をするならただ意味の持たない物体に変えるだけ。
 チャージが完了している荷電粒子砲の砲塔を巨体──ヘルメス・サードに向ける。後はトリガーを絞るだけ。そう考えた刹那ロックオンしていた機影が正面から消えた。目標を失った照準が彷徨う。
(何処に)
 レーダーに視線をやるより早く直感した。背面にラザフォード場を展開。その力場を掻い潜って衝撃が機体まで届く。
「ぐ……」
 噛み締めた歯の隙間から苦悶の声が漏れた。肺から空気が吐き出される。そんな状態でも身体は機体を反転させ敵機と相対ヘッドオンさせる。背を向けたままでは勝ち目はない。向き合った先には一瞬で背後に回り込んだ敵機。クジラのヒレの様に見えていた部分はどうやら相当な威力を持った火器だったらしいと彼は考察する。そしてその機動力。巨体だからと侮っていたが、相当素早いらしい。その上小回りも利く。
(厄介だ)
 だがそれだけだ。
 荷電粒子砲を兵装担架に戻す。代わりに手に握るのは12式高周波近接格闘長刀。今回の武装はこの機体が始めから装備していた物が全て搭載されている。それを軽く振って感触を確かめる。
(……違う)
 何か違和感を覚える。どこか違う。バランスか、別の何かか。いまいちしっくりこない。だがその誤差を飲み込んで彼は剣を振るう。
 これだけの巨体。各部に迎撃用か、チェーンガンは設けられているようだがその程度では足止めにもならない。懐に潜り込んでこの剣を振るう。それだけで決着がつく。気分はクジラを解体する職人。
「一太刀馳走!」
 上段からの一閃はまずまずの出来だった。横合いから下へ抜けるように振り下ろす。だがそれは押し留められた。上から叩き落とされた"腕"によって。
 刃には触れないように下に。運剣に余計な力が加わった為、切先が僅かに装甲を削って終わった。だが彼の心は攻撃の失敗よりもその原因に向いている。そしてそれを見た。バカバカしい程に巨大な人型を。

 ◆ ◆ ◆

「ヘルメス・サード。戦闘形態に移行」
 戦術機の管制ブロックとは比べ物にならないスペースを確保されたコクピットの中でアールクトは小さく呟く。その肩は戦闘開始から僅か数分で上下している。ML機関の出力に任せた強引な機動。それによってもたらされる加速度は強化装備があるとは言え無視できるものではない。瞬間的な最大Gは約20G。そんな物を何度も受けていれば屈強な人間でも体力はやすりを掛けたかのような勢いで削られていく。
 クジラと評された巡航形態からXG-70シリーズと同じように縦に長い状態に機体を可変させる事を終えたアールクトは後方に過ぎ去った凄乃皇やA-01の方を見やる。
「鑑少尉、機体は動かせそうか?」
 36mmとはいえ、紛い形にもレールガンによる攻撃。もしかしたら機体を放棄する必要があるかもしれないと危惧していたが通信機越しに届く声はその懸念を払拭した。
『大丈夫です! 移動なら何とか』
「……では全機体は戦域より離脱。先頭を第九中隊、左舷に第七中隊、右舷第三中隊、殿は第二中隊が努め後退しろ。以降の指示はHQに従え。以上」
 ここに居たら凄乃皇は兎も角不知火やサイレントイーグルは流れ弾だけで撃墜される。そんな戦場に部下を置く訳にはいかない。ましてやこれから行うのは酷く個人的な戦いだ。
「純夏……」
 知らずうちに呟きがアールクトの唇から漏れる。彼が口にしたのは後方にいるこの世界の鑑純夏の事では無い。自分と同じ世界の鑑純夏の事。幸せにしたかった少女が最期にいた場所。機械仕掛けの神の胎内。
 天照。この世界の異物。明確な形を持ったアールクトにとってのイレギュラー。相手の意図は分からない。だが確実なのはその望みは自分の望みとは合致しない事だけだ。そしてアールクトが天照を敵とみなすにはそれだけで十分だった。行動不能までに叩きのめしてその上で中に居るであろう純夏を救出する。それがどれだけ困難か。今さら論ずるまでもない。
 敵が動く。こちらの巨体の隙間を突くように、懐に入り込もうとする。それはこちらにとって一番嫌な戦法だ。至近距離ではこちらは迎撃用の36mmくらいしか火器が無い。遠距離でなら豊富な火器で圧倒できるが、密着戦では相手の方が圧倒的に有利となる。
 それは敵も分かっている。そしてこちらもその弱点は百も承知。なら、対策をとらない理由が無い。対策と言うには余りに力技なのは認めざるを得ないが。
「いくぞ」
 それを行うにはアールクトにも少々の覚悟が必要だった。出撃前に行った技術士官との会話が思い出される。
『この機体のラザフォード場制御は凄乃皇弐型と比較して稚拙と言わざるを得ません。可能な限り複雑な使用は避けてください。多重干渉、機体の処理能力の限界……考えれば幾らでも不都合は思い浮かびます』
 一言で表すならそんなものは欠陥機以外の何物でもない。そんな欠陥機を使っているのもこれ以外で天照に対抗できる物が無いからだ。同じ土俵にすら立てない。
 だが今アールクトはその忠告を無視してラザフォード場を発生させる。懐に居る天照を包み込むように。そのままにしておけば天照は高水圧の深海に落ちたように圧壊する。当然それを良しとしない敵機は対抗するようにラザフォード場を発生させる。目に見えない鬩ぎ合い。今こうしている間にも天照とヘルメス・サードのCPUは互いのラザフォード場を撃ち消しつつ相手に損害を与えようと様々なパターンを一瞬で切り替え、干渉しあっている。処理能力ではヘルメス・サードは天照に遠く及ばない。そんな一瞬の均衡を崩したのは天照の側だった。
 その状態を維持する事を厭うように乱雑に離脱する。それはこれまで見せた事のない反応──危機感から出た物だと言うのを推測するのは容易だった。その様子にアールクトはこちらの対抗策が上手くいった事を察してほんの少し唇を釣り上げる。簡単な話だ。CPU同士がやっていたのは如何にお互いの力を受け流すかということ。例えるならサーフィン。互いの波に上手く乗れるかどうかという戦い。だがその波がもしも津波と呼ばれる物だったら? サーファーでは対処のしようのない物だったら。そうなったらサーファーは波に飲み込まれるしかない。
 天照は戦術機として見た場合、対抗できる機体は皆無と言っていい。未来でも同型機の開発が困難であった以上これは確実だ。だが──戦術機以外、戦略航空機動要塞と比較した場合、その優位性は常には当てはまらない。例えば火力。どんなに重武装にしようとしても戦術機のサイズである以上限界はある。荷電粒子砲と一言でいえば同じだが、その出力には十倍近い差がある。搭載できる火器の数も大きく制限を受ける。そしてラザフォード場の出力。戦術機サイズにまで小型化させた技術者の才気は疑いようもない。だがどんなものにも纏わりつく大きさと出力のトレードオフ。ML機関もその呪縛から逃れることは出来なかった。ラザフォード場の最大出力。それは互いのML機関が通常運転の最中では精確に比較するまでもなくこちらの方が高い。これがアールクトの勝算。機体特性の違い。それを生かして最強を狩る──!
 距離を離した天照に追撃をかける。機体各部のVLS、四型と同じように腕代わりのレールガンの一斉射撃。相手の退路を塞ぐように1500mmとミサイルが降り注ぐ。決して高さを取らせないように上位からの砲撃で今の位置に釘付けにする。高度を取った場合、こちらには不利だった。お互いに高さは取れる。だがその後──地上にいる光線級が狙って来るのはML機関の出力が高いヘルメス・サードだ。そしてこちらは高速機動とラザフォード場の同時処理が困難だ。元々アールクトの作戦と言うのが綱渡りめいたものである以上、こちらに不利な要素は徹底的に排したい。
 レーダーマップがA-01の撤収が順調に進行している事を告げる。この調子なら向こうは大丈夫。後はこれを──。
 そんな余分がアールクトの反応を遅らせた。
「っ!」
 ミサイルの爆炎の中から閃光が飛び出す。ほんの少し装甲に汚れが増えただけの天照。手には12式高周波近接格闘長刀。
(懲りずに接近戦だと?)
 先ほどの攻防で懐に入った場合の危険性は理解できたはずだ。それでも尚近接戦を挑む敵手の姿に僅かな憐憫を覚える。
 あの衛士がこの世界の白銀武だと言う事は八割確定だ。シロガネタケルで無いと天照は動かせない事。クーデターの時に見せた剣技。己の記憶にある鑑純夏の発言とこの世界の鑑純夏の発言の違い。彼を知る者から聞いた話を総合するならば天才──麒麟児。黄を賜る武家である白銀家に生まれ、その剣技と戦術機の腕は斯衛の中でも高い評価を得ていた。特に剣技は成人するころには紅蓮を超えるとまでの腕前だったらしい。その性格はとてもではないが、自分とは違うとアールクトは苦笑交じりに評価する。二度目の武が聞いても同じ反応をするだろう。武家の人間として相応しい振る舞いを体現するような人間だったらしい。そんな人間が帝国に弓引く理由などそう多くは無い。その中でもアールクトは最も高いと思っていたのは薬物による洗脳。後催眠暗示ですら似た事が出来るのだ。違法な薬物を使えば尚楽だろう。この無謀な突撃は薬物による状況認識力の低下だと判断した。
 アールクトの推測はあながち間違っていない。現に天照に乗っている白銀武は薬物による洗脳を受けている。厳密には洗脳ではなく、生体コンピュータとして使う為に脳内の神経伝達速度を上げる施術を外科的、内科的方法によって受けた結果、己の意思が殆ど無くなり、暗示によって命令に忠実な人形になったのだが。しかし彼の致命的な間違い。それは状況認識力の低下など起こしていない。そして己の意思が無くとも、かつて天才と呼ばれたその戦腕は些かも衰えていない事に気付かなかった事である。
 ラザフォード場で包み込む。先ほどの焼き直し。だがその結末は全く異なった物となった。
「………………何だと」
 そんな月並みな言葉しか出てこない。先ほどまで万全だった機体状況。その一か所が真っ赤に染まっている。右腕──1500mmレールガンの砲身が重々しい音を立てて地面に落下する。半分ほどの長さになったそれを見て一瞬自失するがすぐさま機体を動かす。機体の限界以上の速度を出した天照が再び装甲に切れ目を付けていく。
「ぐ……」
 呻く時間すら惜しい。必死に機体を繰り大きな損害だけは避ける。だが次々と刻まれていく機体は文字通り終わりへのカウントダウンに見える。驚異的な天照の速度を完全に追う事は出来ない。己の技量と経験を駆使してどうにか致命的な損害を避けている状況だ。
(解せない)
 有り得ない事だった。天照は文字通り限界を超えている。かつてアールクトが行った天照の機動試験。その中で限界速度という項目があった。その際の速度は一般的な戦術機よりは早いが、音速は超えてない。そんなレベルだった。そしてそれはML機関を最大出力で行った試験である以上、天照はそれ以上の速度を出せない──はずだった。
 ならば今の光景は何だ、とアールクトは自問する。何らかの改造が施されたのかと一瞬考えるがすぐさま否定する。未来でもあれが限界だったのだ。それが過去でホイホイ改良されては当時の技術者たちの立つ瀬が無い。
 そこでふと気が付く。こちらから離れている時は速度は平常──と言っても十分に速いが──だ。こちらの側に来た時にだけ加速している。だがそれはおかしい。こちらの側に来た時はラザフォード場で干渉している。減速ならまだしも加速などするはずもない。なのに現実はそれに反している。その理由が分からない限りアールクトの敗北は不可避の物となる。
 目を凝らす。天照に。その周囲に。ヘルメスのセンサ類が得たデータに。その中から原因を探る。そうしている間にも損害は増えていく。
 焦りが生じる。それを抑え込みながらデータをチェック、チェック、チェック……。違和感。とあるデータ──ラザフォード場の分布状況。天照が加速する瞬間、移動方向にだけラザフォード場が無い。
「まさか」
 ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ天照の処理能力を力任せに使ったラザフォード場の相殺。進行方向だけ相殺し、残りの箇所は反発させる。過剰にかかった圧力は何もない一方に向かう。
 何の事は無い。天照の限界を超えた加速はこちらの力を利用しただけの話だ。だが驚くべきはそこでは無い。
「たった一回の交錯でここまで見抜いた!?」
 一度受け止めただけ。それだけで既に敵手はここまでの状況を組み立てていたのだろうかとアールクトは戦慄する。そして何よりもその胆力。言葉にするのは容易い。しかし上手くいかなければそこで圧壊するだろう。それを迷い無く行える。
 難敵だ。この敵はこれまでで最も手ごわい。アールクトはそう確信した。そして同時に勝算が限りなく下がった事も。

 撤退を検討。却下。ここで撤退したら天照は間違いなくA-01に向かう。それだけはさせてはならない。あそこにいる白銀武、鑑純夏、御剣冥夜、榊千鶴、珠瀬壬姫、彩峰慧、鎧衣美琴──A-01の面々、ここに来るまで幾つもの世界で何度も死なせ、共に闘ってきたギルバード=ラング、シルヴィア=ハインレイ、ケビン=ノーランド、シオン=ヴァンセット──オルタネイティヴ計画特務戦術機甲大隊の隊員。誰一人としてこんな理不尽な暴虐に巻き込ませる訳にはいかない。
 天照と自分はセットだ。ミリアの願いか──それとも自分が無意識に願ったのか……。詳細は分からない。多分今後分かる事もないと思う。だが確実にあの理不尽をこの世界に持ちこんだのは自分だ。自分の不始末は自分で決着をつけないと。たとえそれが己の最大の願いへの希望を自分の手で断ち切る行いだとしても、だ。
 元々が自分の我儘で始まった事だ。純夏でさえも言っていた。
――未来を知っていてもどんなに力があってもひょっとしたら今回より悪い結果になるかもしれないよ? 今回のこれが最良の結末かもしれないよ?
 と。だからきっとこれは罰。自分の好きなように世界を変えようとした代償なのだろう。一番幸せにしたかった人をこの手で討つ。これ以上は無い罰だ。
「だけどな」
 それを甘受したらそれこそ最初から諦めていればいいと言う話になる。諦めない。諦める物か。このふざけた回数の繰り返しで一番鍛えられたのはその諦めないと言う事。たとえこれが罰だとしても──ギリギリまで足掻いて見せる。足掻いて足掻いて、その上で望みを叶えてやる。まだ自分は終わっていない。この世界でループが途切れるとしても、まだ生きている。この世界でやれることが有る。
「さあ、行くぞ」

 ◆ ◆ ◆

 そこから特筆するべきことは無い。
 砲弾が互いの間を行き交う。剣閃が煌めく。お互いがお互いの持つ全ての技能を振り絞って戦っていた。第三者から見れば一種予定調和じみた動き。互いが互いの次の行動を予測できるように機体を縦横無尽に奔らせる。周囲にはBETAも居た。だが彼ら二人以外はここには存在しないように戦う。それぞれの流れ弾が無粋な視線を飛ばす観客を引き裂く。熱烈に抱きつこうとしたモノを撃ち抜く。握手を求めようとする手には爆風を、二人の舞の邪魔になる巨体にはそれに見合った弾丸を。
 何時までも続きそうな輪舞はある一点を超えた事で終わりを告げる。
 小人の持つ剣が折れた。巨人の撃つ砲火が途切れた。
 そしてお互いに最後の武器を手に取る。
 互いの砲口に光が満ちる。お互いにこれが最期の武装。この閃光が晴れた時に立っている方が勝者だ。
 閃光が走る。互いに放たれた光の矢はお互いを喰らい尽くそうと突き進むが──既に天照は射線上から離れている。天照の電磁波遮断措置ならば僅かな距離でも離れれば影響は殆ど無いに等しい。だがヘルメスはあの巨体で避けるのは不可能だろう。
 そう思った瞬間に巨体に動きが有った。ヘルメスの頭部が吹き飛ぶ。外的要因では無い。内部からだ。
 矢のように飛び出した戦術機が手に携えた長刀で機体の腹部を貫く。そこにあるのは管制ブロックと中枢ユニット。そこにいる二人を鋼鉄の塊で切り裂いた。
 斬った。
 違う道を辿っただけの自分と、かつて最も愛した人を自らの手で斬った。
 もっと上手くやれたかもしれない。もう一度やれば――その傲慢を振り払う。
 もう一度。その願いがこの結果だ。自分なら何でもできると思い上がった。あの日、桜花作戦が終わった時の思いを忘れてしまった己への罰。
 通信機越しに歓声が聞こえる。甲21号目標、佐渡島ハイヴの制圧に成功したと。
 その成功は喜ばしい。だが今のアールクトに素直に喜ぶことは出来ない。諦めない。その思いは変わらず胸にある。佐渡島を落としただけ。まだ桜花作戦が残っている。天照を運用していた何者かもいる。戦いはまだ、残っている。
 それでも今だけ。誰も見ていない、見られることのない今だけは。
「純、夏……」
 こうして今完全に命を奪った少女を想って涙を流すことを許してほしい。


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