七月十六日(1)
「――動くな!」
活気溢れる銀行内にお決まりの怒号が響き渡る。
雑多な小火器を片手に振り翳し、申し分程度に口布を着用する三人組は何処に行っても一目で判別出来るぐらい立派な銀行強盗だった。
「……やれやれ。何で銀行に金下ろしに行く度に、ああいう輩と必ず遭遇するのかねぇ。不幸だわ」
多くの客人が突然の事に立ち竦み、仕事に従事していた銀行員達も日常を脅かす理不尽な強盗達の存在に動揺する。
そんな中、ワイシャツの裾をだらしなく出した赤髪の少年は、緊迫した空気を読まずに窓口に歩いて、無言で通帳と一枚の書類を提出する。書かれた金額は五万円ジャストだった。
窓口の女性が「え?」と疑問符を浮かべる中、銀行強盗達は自分達の警告を無視して平然と動いた少年に視線が集中した。
「テメェ、何動いてやがるっ!」
彼等は怒りで眉間を歪め、銃口を一斉に少年に向ける。
銃の引き金を引こうとする人差し指に力が入り、いつ暴発しても不思議じゃない状況で、少年はポケットから腕章を気怠げに取り出し、自身の右腕の袖に着ける。
「ホント、同情したくなるほど不幸だね、君等」
盾をモチーフにしてデザインされた腕章は学園都市では周知の、彼等にとって非常に苦々しいものだった。
「な、風紀委員(ジャッジメント)だと!?」
風紀委員は生徒の中から選出される、学園都市の治安維持の役割を担う組織の一つである。
大抵の者が戦闘の心得がある能力者であり、個々の能力によっては次世代兵器で武装した大人達の警備員(アンチスキル)より厄介な存在だった。
「さて、銀行強盗の現行犯で全員拘束しなきゃいけないんだが、無条件で投降する気は無いか? それがお互いにとって最善の選択だと思うんだが」
少年は半眼で面倒そうに降伏するよう勧告する。
犯人達は眼を合わせ、同時ににやりと笑う。
「ケッ、ビビッてやがるぜ! 一人じゃ何も出来ないってか!」
その異常なまでのやる気の無さを、恐怖を隠す為の虚勢だと勘違いしたのか、銀行強盗達は一斉に笑った。
幾ら風紀委員と言っても、誰も彼もが戦闘向きの能力を持っている訳ではない。
全員が全員武装している警備員と比べて、目の前のハズレであろう風紀委員は脅威に値しないだろうと三人は都合良く考えた。
「きゃあっ!」
念の為か、三人の中で最も巨体な男は傍らで脅えている女性を強引に引っ張り上げ、頭に銃を突きつける。
正義の味方を自称する風紀委員や警備員は、これで容易に手出し出来なくなる。銀行強盗達は自身達の悪党っぷりと機転の良さを自画自賛した。
彼等の誤算は唯一つ、この時まで無表情だった少年の口元が酷く歪んだ。常闇の中で亀裂が生じたように、不気味なまでに。
「ほらよっ、人質だ。コイツの命が欲しければ大人しく――そげぶっ!?」
少年は間髪入れず懐に踏み込み、迷う事無く人質を盾にした男の顔面を殴り抜いた。巨体の男は訳が解らない内に吹っ飛び、窓口に強烈に激突し、意識を失った。
人質だった女性は腰が抜けたのか、声も無くその場にぱたんと尻餅付いた。
「――実に喜ばしい選択だ。君達に抵抗の意志があるんなら遠慮無く叩き潰せる」
少年の威圧感に満ちた声が響き渡る。
端麗で無表情だった少年の顔は、今では立派なまでに極悪人の面構えになっていた。
まるで目の前の玩具をどうやって弄くって壊そうか、見下して嘲笑う少年に寒気を通り越して悪寒さえ感じたが、恐慌に駆られた銀行強盗は震える銃身を少年に向けた。
「な、舐めんなァ!」
鈍い火薬音と共に発砲された弾丸は、されども少年の〝眼〟の前でぴたりと停止した。
強盗達が眼を見開いて驚く中、あろう事か、少年は止まった弾丸をデコピンで弾いた。
「――え、がぁっ!?」
それだけで弾丸は発射された速度と同じ速さで銃口に出戻り、銃の内部で暴発して弾き飛ばした。
「念動力(テレキネシス)か!? だがっ!」
手に裂傷と手酷い火傷を負った男が床で蹲る中、最後の一人になった男は銃を捨て、自らの右手に燃え滾る炎を燈した。
それは種も仕掛けもある手品でも種も仕掛けもない魔法でもなく、学園都市では一般と化した技能だった。
「発火能力者(パイロキネシスト)、強能力(レベル3)といった処か。で、その火遊びでどうするんだ?」
学園都市では暗記術や記録術という名目で人為的に超能力を開発する事が、普通に時間割り(カリキュラム)に入っている。
発現する能力は個人の資質が大きく関わり、一通りの時間割りをこなせば大体の者が何かしら能力を使えるようになる。
また、それら能力には強度(レベル)が六段階まで存在し、日常的に役に立たない程度ならば無能力者(レベル0)から異能力者(レベル2)、目の前の男ならば日常でも便利に感じる強能力者(レベル3)である。
男の掌で燃え滾る炎を少年は細目で眺め、それでも危機感を覚えないのか微動だにしない。完全に舐め切った態度に男は激昂する。
「余裕扱きやがって! 丸焼きにしてやるぜぇ!」
掌から放たれた炎は一直線上に走った。火炎放射器と比較しても遜色無い一撃、されども少年は地の床に擦れるほど身を低く屈めて走って素通りする。
「――!?」
不恰好な姿勢から繰り出されたとは思えない瞬発力に、二撃目を繰り出す為の演算は間に合わない。
単純に炎を放つにも式に基づく計算が必要だ。授業を怠って不良となり、銀行強盗にまで落ちぶれた男にそれを求めるのは酷だろう。
男は瞬時に手を掴んで引き寄せられ、強引に後ろに放り込まれた。
「ぬわっ!?」
「焼き加減はレアにしといてやるよ」
体勢を崩して転び掛けた彼に対し、少年は指先を小気味良く鳴らす。
その瞬間、先程と同じように炎が一直線上に走り、「へ?」と振り返ったばかりの男を無慈悲に焼いた。
「ぎゃあああああああああ~~!」
炎が服部分に燃え移り、火達磨になった男が必死に地面に転がり続けているのを少年は愉しげに眺める。その貌には喜悦が見え隠れしていた。
一人の能力者が二つ以上の能力を使うなど在り得ない。銃の破壊によって痛む手を押さえる男は、されどもそんな例外的な存在に心当たりがあった。
「多重能力者(デュアルスキル)だと……!? ま、まさかテメェは……!」
男は見るからに青褪めて小刻みに震える。今になって自分達がどんな化け物を相手にしていたのか、不幸にも思い至ってしまった。
「この学園都市で唯一の多重能力者にして超能力者(レベル5)! 出遭ったら最期、誰も彼も無差別に、微塵の容赦無く再起不能にするという史上最悪の風紀委員……ッ!」
曰く、出遭ったら諦めろとさえ言われている、二三〇万人の頂点に君臨する八人の超能力者の中で唯一人だけ風紀委員に所属する変わり者。
――建物に篭城したら建物ごと木っ端微塵に爆破された。
彼に潰された武装集団が報復の為にプロの狙撃手を雇って狙撃しようとしたら、逆に撃ち落とされた。
人質を盾にしたら「人 質 な ぞ 取 っ て ん じ ゃ ね ぇ!」と人質ごと遥か彼方にぶっ飛ばされた。
大能力者(レベル4)を含む、強能力以上の能力者二十人なら大丈夫だと襲ったら、三十人が病院送りにされた。過剰分の十人は止めに入った風紀委員や警備員だったとか。
その眉唾物の逸話の数々が、此処に来て限り無く近い真実であった事に男は実感し、戦慄する。
「八人の超能力者の第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』赤坂悠樹!」
「おやおや、我が悪名も随分と広まったものだ。それが治安の向上に繋がらないのは皮肉な話だがな」
本気で「何故かねぇ?」と思案する赤髪の少年こと赤坂悠樹に、超能力者を恐れて犯罪が三割ほど軽減しても、個人的な怨恨で三割は増えるじゃねぇかと男は内心突っ込んだ。
「じょ、冗談じゃねぇ! こんな化け物を相手にしてられっか!」
二人の仲間を捨て、男は脇目振らず一目散に逃げ出す。
無防備な背後を曝してまで銀行を抜け出し、脱兎の如く駆ける男を、悠樹は前髪を掻き上げながら悠長に歩いて追う。
「おいおい――この『過剰速写(オーバークロッキー)』から、本気で逃げれると思ってんの?」
男は逃亡用に用意していた車に乗り込み、慌てながら鍵を差し込むが、こういう時に限ってエンジンが掛からない。
「クソクソクソクソォッ、早く掛かりやがれぇ……!」
神に祈るような心境で何度も駆け直す中、漸くエンジンが掛かる。
アクセル全開で車道を突っ走り、今まさに超能力者の魔の手から逃れるという前代未聞の快挙を成し遂げつつある時、悠樹はポケットから五百円大の金属の球体を取り出し、宙に放り投げる。
ゆっくり自由落下する球体に合わせ、悠樹は正拳突きの要領で、全力で殴り抜いた。
「へっ、流石に車は追えま――!?」
――ただそれだけで世界を突き抜けた。
音を置き去りにして超加速した球体は車のタイヤをプリンのように穿ち貫くだけでは飽き足らず、車体をダンプカーで刎ね飛ばしたかの如く、宙に数回転させたのち逆さまに転倒――完膚無きまでに停止する。
「あーあ、やっぱり照準が甘いか」
周囲の喧騒が大きくなる中、悠樹は車に歩み寄り、銀行強盗の生死を確認する。
運が良いのか悪いのか、運転席にいる男は泡吹いているが、まだ意識があるようだった。
「れ、超電磁砲(レールガン)……!?」
「まぁ所詮は物真似だ、本家より威力も命中精度も大分劣るしね」
赤坂悠樹は携帯電話を気怠く弄りながら喋る。
荒事は自分の領分だが、面倒な後始末はいつもの如く、他の風紀委員や警備員に押し付ける気満々だった。
「コイツ等が連続発火強盗犯だったのか。期待外れだな」
首尾良く連続発火強盗犯を病院送りにした赤坂悠樹は、今日一日分の仕事は片付けたと自己判断し、適当に警邏しながら帰宅する事にした。
当然、優先して片付けるべき案件や事件は幾らでもある。
風紀委員八名もの負傷者を出した連続虚空爆破事件に、短期間で急激に力をつけた能力者の犯行が相次ぐ中、風紀委員の中で最強の戦力を遊ばすなど言語道断だろう。
「あ、待って下さい。これから来る警備員の方に事件の報告を――」
「面倒だから全部任せた。それぐらい君でも出来るだろ?」
だが、それは同時に――何処の誰に超能力者の手綱を握る事が出来るだろうか。
赤坂悠樹の気質は善ではない。治安を維持する風紀委員に有るまじき事だが、彼は対極に位置する悪そのものである。
「オレの領分は理不尽な暴力を更に理不尽な暴力で捻じ伏せる事だ。後始末は君達で頑張ってくれ」
そんな彼が何故風紀委員に所属しているのかはさて置き、悠樹は他の風紀委員と一切連携を取らず、遭遇した事件を単独で解決する事しかしない。
周辺への被害や犯人の負傷など齎す不祥事は甚大だが、一般人に対しては絶対に傷一つ付けない事と、異常なまでの事件の遭遇数(つまりは解決数)、そして絶対的な戦闘力を背景に、半ば強制的に黙認する形となっている。
「――あら、職場放棄ですか? 余り褒められた行いではありませんわね」
だが、何事にも例外が存在する。今日この時、不良風紀委員である悠樹を咎める者が目の前に立ち塞がった。
有名校である常盤台の制服を纏った、茶髪のツインテールの少女。右腕の袖には風紀委員の腕章があり、自信と余裕に満ち溢れた笑顔は中々様になっている。
「いいや、適材適所ってヤツさ。オレみたいな有能な人間には現場が似合うってな」
自分の事を知ってか知らずか、平然と話しかけてきた無謀な中学生に悠樹は親切に対応する。暴力以外の手段を使う時点で、彼の感覚では親切に値したりする。
「学外での治安維持活動は越権行為ですわ。貴方は自分の始末書をその子に書かす気で?」
「生憎と始末書を書いた事なんて一度も無いのでな。第一、あれって他人に書かすもんだろ?」
自分だけの非常識を世界の常識を語るような言い草に、ツインテールの少女が青筋を立てる。
悠樹は新しい玩具を見つけたように挑発的な笑みを浮かべる。
内心でどう弄ぶか、あれこれ考えていた時――横から今にも飛び出しそうだった少女を制した、もう一人の常盤台の少女に眼を奪われる。
「――傲慢も其処まで来れば怒りも通り越して呆れるわ」
彼女の茶髪の髪が揺れる度に、青白い火花が宙に散る。
能力行使すらしていないのに、これほど解り易い発電能力系のAIM拡散力場は、幾人もの電撃使い(エレクトロマスター)を見てきた悠樹にしても未知なるものだった。
同時にこの余りにも別格の様子から、悠樹はある人物へと瞬時に思い至る。相対する全ての者が格下と、常時見下していた傲慢極まりない態度が今だけ消える。
恐らく彼女は、学園都市でも他に七人しかいない同格。その中で電撃使いは一人しかいない。
「格下どもにオレの一挙一動全てが傲慢不遜に見えるのは致し方無い事だが、君から言われるのは心外だ。あぁ、心外だとも。常盤台中学のエース、第三位『超電磁砲(レールガン)』御坂美琴」
「自己紹介の必要は無さそうね。長点上機学園の頂点、 第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』赤坂悠樹」
御坂美琴も赤坂悠樹も互いの学校と順位を敢えて強調しながら、一触即発の空気を張り巡らせる。
(……同じ超能力者で、よりによってあの長点上機学園の御方――第五位の『心理掌握(メンタルアウト) 』より相性が悪そうですわね)
――常盤台中学と長点上機学園は学園都市の中で五本指に入る名門校である。
常盤台は在学条件の一つに強能力者以上という最難関であり、二百人余りの生徒に大能力者が四十七名、更には超能力者が二名いるトンデモ校である。
長点上機学園は能力開発においてナンバー1とされる超エリート校であり、常盤台と違って高位能力者でなくとも一芸に秀でていれば良い。
対極の在り方ながらも、二校はあらゆる面でライバルなのである。特に、二三〇万人の学生を抱える学園都市の全学校が合同で行う超大規模の体育祭、大覇星祭で顕著に現れるのは余談である。
(うわぁ、どの方も名門校で高位能力者の人ばかり。私だけ場違いかな? でも、第八位かぁ。御坂さんの方がずっと上だけど――)
超能力者の順位は、学園都市側が定めた正確無比にして無慈悲な格付けである。
一つ順位が違うだけで、相性云々以前に、絶対的な壁に隔たれているとさえ言われているが、実際に超能力者同士の戦闘が行われた事は滅多に無く、真実は定かではない。
「弱い者苛めも大概にしたら? 見ていて気分が悪いわ」
「強者気取りで上から目線か? やれやれ、順位で勝敗が決定しているなんて的外れな勘違いをされるのは不愉快極まるな」
下位が上位に打ち勝って下克上するなど夢のまた夢、増してや第三位と最下位など比べるまでもない。それが上位の者の一般論である。
「やはり無能の愚民達に一度思い知らせる必要があるな。誰が学園都市最強なのかをね」
「そんなに最強を名乗りたいなら『一方通行(アクセラレータ)』と戦ったら? 最初から敵わないって理解しているから挑まないんでしょ?」
心底馬鹿にした美琴は鼻で笑うが、悠樹もまた同質の笑みをもって返す。
「見縊らないで欲しいな。順番だよ、順番。第七位から第二位まで順々に潰してから第一位に挑むのが挑戦者の礼儀ってヤツだろ? 予定が若干繰り上がったが、名前も詳細も解らない第六位を探すのは飽きたしな」
テメェなんざ前座の噛ませ犬に過ぎねぇんだよ、という悠樹の傲慢不遜な態度に、ただでさえ気が短い美琴は完全にカチンと来た。
彼女の髪の周辺で、視認出来るほどバチバチと電極の火花が飛び散るぐらいまでに。
「――へぇ、一度痛い目に遭わないと解らないみたいね」
「後で泣き言吼えるなよ。ああ、それとも慰めて欲しいのか?」
売り言葉に買い言葉。一触即発どころか爆心地(予定)と化したこの空間に、周囲の一般人達は我先にと自主的に退避する。規模はともかく、能力者の喧嘩は学園都市では割と日常茶飯事である。
他に残ったのは、風紀委員の腕章をした二人の少女だけだった。
「え、ちょ、お姉様!? 待って下さいまし……!」
「こんな処で超能力者同士が戦ったら、周辺が更地になっちゃいますよ……!」
先程のツインテールの少女と頭に花を模った髪飾りを大量に付ける少女が慌てるのも無理はない。
大能力者の時点で軍隊においても戦術的価値が得られるほどの能力なのに対し、超能力者は一人で軍隊と対等に戦える戦略級の最終兵器である。
そんな人間兵器の二人が街中で衝突し合えば何処まで被害が広がるか、主に桁外れの弁償代などの方向性で想像すら出来まい。
二人が色んな意味で慄く中、超能力者同士の超常決戦の幕が切って落とされ――る前に、とある人物の一喝で二人の高ぶった戦意は即座に霧散した。
「またお前か赤坂ぁ! 事情聴取が後回しになるから病院送りにしない程度に手加減しろって言ってるだろ! って、現場にいつまでも留まるなんて珍しいじゃんよ」
「うわぁ、よりによって黄泉川かよ……」
そのジャージ姿の警備員、黄泉川愛穂の姿を見て、悠樹は肩をがっくり落とす。
普段は「警備員何それおいしいの?」を地で行く悠樹でも、とある縁で知り合った彼女だけは苦手な部類だった。唯一、頭の上がらない大人だったりする。
そんな限界まで脱力し、諦めムード全開の悠樹の様子を見て、美琴もまた遣る瀬無く溜息を吐いたのだった。