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[37141] テスト
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 15:54
てすとの1。



[37141] テスト2
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:01
ダッシュテスト。
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[37141] テスト3
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:01

[33226] 奴隷の価値は(仮)
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/24 07:18
 この作品は作者が「こういう小説あったらいいなー」と思ったものをだらだら綴っているだけの作品です。

 色々なハーレム、奴隷小説を読んだ上での投稿になりますので、もし似たようなシチュエーションだと思ったら「あ、こいつあの作品読んでやがる」とでも思っておいてください。

 18禁小説は初めてになりますので多分夜のおかずとしてはやや貧相な品物になると思いますので、ただいちゃいちゃしているだけの文章としてお読みください。




[33226] 一話
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/24 07:20




 目を覚ました。

 目に入ってくるのは青々と茂る木々の葉が覆い、その隙間から木漏れ日が差し込む光景。少し頭と視点を動かしてみれば、自分が大木の根に挟まれるようにして眠りについていたのだと理解出来た。

 両側の根に手をつきながら体を起こす。体調は至って良好なようで、倦怠感も頭に鈍痛が走ることもなかった。試しに両手を握り開いてみたが、何の問題もなく力が入った。

 辺りを見渡せば大樹と呼べる木々が規則なく立ち並んでいる。巨大な根によって大地は見えず、うねるそれらは荒れる大海原を彷彿とさせた。

「……」

 静かだった。木々が音を吸い込んでいるかのように、虫の声も、鳥の囀りも、葉の擦れるささやかな音すら存在しない静謐さが辺りには漂っている。

 そうしてしばらくぼんやりと景色に視線を送っていたが、ふと自分はどうしてこんなところで眠りについていたのかという疑問が浮かんできた。

 昨日は何をしていたのだろうか。思い出そうとして、沸々と浮かび上がってくる何かがあった。

 それは知識だった。自分の居る場所がどういう場所であり、生きる生物がどのような営みを送っているのか、そして自分が何を出来るのか。

 最後に――自分がこの世界で生きていかなければならないのだという、宣告が脳裏を過る。

 何故そんな知識が自分にあるのかは分からなかったが、不思議とそれらの知識を自然と受け入れる自分が居た。浮かんできた知識を反芻していると、ようやくといった感じで自分の記憶を思い出してきた。

 名前、年齢、その他諸々。

 思い出してから、大きく深呼吸をした。いや、それは深呼吸というよりも、深いため息を吐くために大きく息を吸い込んだ、というのが正しかったかもしれない。

 自分が誰か分かった。ここがどこかを知った。けれど、どうしてこんな状況になっているのかまでは理解出来なかったからだ。

 だが、自分はこの世界で生きるしかないのだということは変わりないのだ。ならば、と思う。自分を知る人間も居ない。自分のこれからを制限する状況もない。何の柵も、ない。

 だったら――せめて、自分の好きに生きてみるのもいいかもしれない。

 それは、もしかしたら二十二年間生きてきた中で、初めて思ったことだったかもしれない。だけど、もはや至ったその考えを否定する人も諭す人もいない現状では、誰に指図されることもない、紛れもない自由から生まれた結論だった。

 根のベッドから立ち上がり、歩き出す。どこへ行くにしても、先ずはこの森を抜けなければいけない。

「……ああ、そうだ」

 しばらく歩いてから、振り返った。見えるのは先ほどまで世話になっていた大樹だ。そこに手のひらを向けて、少し悩む。

「……あっちでいいか」

 逡巡の後、その樹から少し離れた樹に手を向けなおす。

 そして、口を開く。

「爆ぜろ」

 瞬間、発生した現象によって起こされたのだろう、前方から風が吹き付けてきた。爆風ともいえるそれらに髪や服が強くなびく。

「……なるほど」

 納得の息を吐いてから、そこから踵を返した。自分が何を出来るのか、その結果を確認出来た以上、ここにはもはや用はなかった。




 幾星霜の年月を経た木々が生えている。人が数十も連なってようやく輪を作ることが出来るほどの巨大な木々だ。人を寄せ付けぬ荘厳さを持った木々の中、しかし一つだけ趣の異なる樹が一つあった。

 それは根から少しばかり上の幹の部分が、深く抉れていた。胴体の半分もが削り取られたかのような樹は、傷ついた体を晒している。

 それに驚愕を覚える者は居ない。それを不審に思う者は居ない。それは見る者が居ないのだから。




 森を抜けた。

 どうやら最初に居た巨大な木々の空間は神聖な場所だったらしい。しばらく歩いていると木々のサイズは普通のものになり、空気の質も変わっていた。そして何より違ったのが、明らかに魔物と分かるそれらが襲ってきたことだった。初めて見るそれらに最初こそ驚きはしたものの、特に問題が起きることもなく対処することが出来た。することは簡単で、どんな魔物が出てこようともただ念じて致命傷を与えるだけなのだから。

 そうして幾度かの魔物との遭遇を果たしてから、森を抜けることが出来た。結構な時間がかかったものの、頭上を見上げると太陽はまだ高い位置にあった。あとはこのまま街道に出てどこぞの都市に付ければ順風満帆なのだが。

「……はぁ」

 何はともあれ、とにかく今は歩くことが先決だと考え、その結論に従うことにした。




「じゃあ気を付けなよ」

「感謝する。そっちも気を付けて」

 馬車に乗って去っていく男性に手を振りながら、ようやく着くことが出来たと疲れた息を吐いた。

 あれから。

 何とか日が暮れようとするころには街道に出ることが出来たのだが、都市の姿は視界に映ることなくこのまま野宿かと諦観を抱いていたところに行商人と名乗る男が通りがかった。男はこちらの姿を見ると声をかけてきて、事情を説明すると同情を抱いたのか一緒に都市まで乗って行ってはどうかと提案をしてきた。渡りに舟とばかりにその提案にのり、一夜の野宿を経て次の日の昼ごろにようやく都市に着くことが出来たのだった。

 野宿の際、男は夜の食事ばかりか毛布まで貸してくれた。この恩はいつか機会があれば返せればいいと思う。

「さて、先ずは冒険者組合か」

 道すがら、男からは色々なことを聞いていた。その際の一つにあるのが、冒険者組合という所で冒険者登録をするのが良いだろうということだった。というのも、冒険者組合は大陸の都市中にあり、首都や大きな都市になると住民登録が必要になるのだそうだ。だが、冒険者としての登録があれば、その際に住民登録をしなくても済む場合がほとんどだという。そのため、旅をしている人間や僻地の村から出てきた若者は先ず冒険者として登録をするのが常らしい。

 若干面倒くさいな、と思うものの、折角好意で教えてくれたのだから取り敢えずはそれに従っておこうと思い、場所も分からない冒険者組合という場所を探すのだった。




 そうして見つけた冒険者組合の、予想よりもはるかに大きかった建物の中で、一人の男と向き合っていた。

 冒険者組合の建物の中に入り、受付窓口で登録を始めたまではよかった。冒険者としての説明も聞き、最後に登録を済ませるか、という段になって受付の女性から付け加えるように出てきた言葉が切っ掛けだった。

「冒険者としてのランクの上げ方は三つあります。一つは最初にFランクから始め、そこからクエストをこなして上げていく。二つ目は最初に認定試験を受けて上位ランクを狙う。最後に上位ランク冒険者と模擬試合をしてあげる方法です」

 そこまで言って、女性は質問を投げかけてきた。

「どうされますか。希望されるのであればこの後にでも、当ギルドの担当官と模擬戦闘を行っていただき、それによってランクを認定することも可能ですが」

 少し悩んでから、疑問を投げかけることにした。

「聞きたいのだが、もしもここで試験を受けない場合、しばらくしてから再び模擬戦闘を希望することは出来るのだろうか?」

「その場合は三つ目に申しあげました上位ランク冒険者と戦闘を行っていただくことになります」

「では、別に今認定するための戦闘を行わなくても特に不利益になるということはない、ということか?」

「はい。ただ大概の初心者はこの認定試験を受けられます。運が良かったり、実力を示すことが出来れば一気に最大でBランクまで上がることが出来ますし、そうでなくとも自分がどの程度の実力があるのかを判断することが出来ます」

 如何いたしますか? と受付の女性は見事な営業スマイルを向けてくる。それは「どうするの初心者君?」と言っているようでもあった。

 その挑発じみた笑みに感化されたわけではないが、素直に認定試験を受けることにした。

 そして連れて行かれた石造りで囲まれた空間で、一人の男と向き合っていた。

 男は身長こそそう高くないものの、体は筋骨隆々できっちりと締まった筋肉をしていた。何故か分からないが上半身は裸で、その上に直接胸当てのような鎧を付けていた。

「俺はガーブという。お前が新しい冒険者か」

 ガーブはじろり、とこちらの上半身から下半身を睨むように見て、鼻を鳴らした。

「まぁいい。武器は見たところないようだが徒手空拳か? それとも魔法でも使うのか?」

「後者ですね」

「そうか。ではどこからでもかかってこい。遠慮はしなくてもいいぞ。どうせ届きはせんからな」

 言って、ガーブは手に持った両刃剣を構えた。その様子は素人目から見ても堂に入ったもので、一見隙はない様だった。

 一方、こちらといえば最初にガーブと相対して突っ立ったままだった。構えも何もせずに、ただガーブを見ている。

「どうした、かかってこんのか?」

 焦れたのか、ガーブが声をかけてくる。邪推かもしれないが、初心者冒険者であるこちらが怯えていると思っているのではないだろうか。

 一応、こちらとしてはそう言うつもりではなく、ただ疑問を持っていただけだった。なので、それをガーブに向けてみる。

「本当に、遠慮はいらないんですか?」

「新米が下らんことを気にするな。そんなことでは魔物に出会ったときにすぐ死ぬぞ」

「最後に訊きます。いいんですね?」

「くどい!」

 ガーブが怒鳴った。こちらとしてはまだ疑問が晴れたわけではなかったが、このまま問答を続けていても話は進まないし、何よりガーブ本人が良いと言っているのだから、それこそ問題はないのだと判断することにした。

 それに、どうせこの疑問はすぐに答えが出るのだから。

「じゃあいきます」

「来い!」

「――吹き飛べ」

 手のひらをガーブに向けて、一言呟く。

「っ――!」

 そして、ガーブは吹き飛んだ。こちらの手のひらから発せられた強烈な突風を一瞬は耐えようとしたようだったが、蟷螂が斧を持って隆車に向かうが如く、抵抗する間もなく、勢いよく石壁に向かって飛んでいく。

 ガーブはそのまま石壁を突き破って外へと消えて行った。

「やっぱりね」

 疑問は解決した。――果たして、遠慮ないこちらの魔法を耐えれるほどの強さをガーブは持っているのか、という疑問だった。

 結果は見ての通り、予想の通りだった。




 その後、石壁が崩れる音を聞いて駆けつけてきた組合職員に驚かれながらも、認定できる最高ランクのBランクをもらうことができた。あまり感慨深いものはなかったが、あって困るものではないし、ありがたくもらっておくことにした。ただ一つだけネックなのが、Bランク所持者は月に一度三十万ルクスを払わなければならないということだった。こちらの世界の三十万がどれだけ得るのが難しいのか分からないので判断しようがないが、義務というのはどんなことであろうと面倒くさいものだ。

 何はともあれ、上から四番目のランクをもらったのだ。早速クエストなるものを受けに行って見ようと思う。今の自分は今日の宿代すらもたない文無しなのだから。




 一ヶ月が経った。

 何とか生活の基盤を手に入れることに成功して、現在は少し高めの借家を借りている。

 とはいえ、実は冒険者活動によって賃金を得ているわけではない。最初の一週間こそ無難に活動を行っていたのだが、手間に対して得られる金額があまり高くないように感じて、他に収入を得る方法はないかと調べていたところ、魔法協会というところで希少価値のある物品を売買しているの知ったのだ。クエストで得られる報酬に比べると雲泥の差での収入に、活動方向を修正するのはすぐのことだった。

 そうして現在はおよそ三千万ルクスほどの金額が手元にある。前の世界でもそれなりに裕福な家に住んではいたが、自分が働き得た大金というものはそれとは違った喜びがある。

 最初こそ夢中になって色々な希少植物などを刈りに行っていたが、これだけの蓄えがあれば数年は働かずに済むだろう。本でも買うか、はたまた借家ではなくきちんとした家を買うか悩みながら街中をあるいていると、ふと一つの建物にかけられた看板に目が行った。

『奴隷商』

「へぇ」

 そんなものもあるのかと感嘆の息を吐いた。奴隷といえば現代でいえば社畜奴隷などのように、文字通り奴隷のように働かされるといった意味でしかお目にかかることは出来ない。本当の奴隷というものは二十二年生きてきて見たことはなかった。

 だからだろうか。奴隷商という印象を否定するかのような小奇麗な石造りのその建物に自然と足が向いていたのは。




「いらっしゃいませ。ようこそウェン奴隷商会へ」

 入って正面のところに受付があり、そこで一人の男が迎え入れてくれた。スーツのような姿をしたその男は、こちらの姿を確認するとすぐに近寄ってきて、一瞬こちらの全身をチェックしたのが分かった。現在のこちらの全身は黒一色で統一されているために、不審な人物と思われたのか、もしくは金を持っていそうかどうか確かめられたのだろう。

 まあ、何と思われようと関係はなかった。どうせここに入ったのは半分冷やかしだったのだから。奴隷というものがどんなものか見られればそれで目的は達成だ。

「本日は奴隷のご購入でご来館いただいたのでしょうか?」

「ん? ここは奴隷以外にも何か売っているのか?」

「お客様は当館をご利用は初めてのご様子で。はい、当館では購入していただいた奴隷の売買だけでなく、奴隷の解放、奴隷の躾、希望されるのでしたらその他様々な奴隷に関することを商いとさせていただいております」

「ふーん」

 どうしたものだろうか、と悩む。買いに来たわけではなく見たいだけ、というのは通用するのだろうか。もしかしたら門前払いに近い扱いを受けるかもしれない。それはそれで構わないが、折角来たのだから奴隷というものを見ていきたい。

「買うかどうかは見てから決めようと思うんだけど、取り敢えず見せてもらうっていうのはあり?」

「左様でございますか。もちろん、見て購入されるもされないもお客様の自由でございます」

 どうやら大丈夫らしい。少し安心していると、男は続けて口を開いてきた。

「それで、お客様はどのような奴隷をご希望でしょうか? 見たところ冒険者を営まれているとも窺えるのですが戦闘奴隷をご希望ですか?」

「あーそうだな」

 言われて、奴隷にも種類があるのかと気づかされる。購入する予定はないものの、取り敢えずの名目と言うものは必要かもしれない。奴隷、奴隷……

「俺は奴隷というものについてあまり詳しくないのだが、どんな種類の奴隷がいるんだ?」

「はい。奴隷の種類といいましても厳密にはそう決まっているわけではありません。ただ便宜上、戦闘奴隷や性奴隷、あるいは女中奴隷などが存在するだけでございます」

「へぇ」

 戦闘奴隷、性奴隷はそのままだろうが、女中奴隷ときたか。女中といえば家庭・旅館・料亭などにおいて住み込みで働く女性のことを指す言葉だっただろうか? ようはメイドか、と考えが至り、一つ頷く。

「じゃあ女中奴隷を見せてもらえるかな」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 途中違うスタッフらしき人物とすれ違いながら、二階へと連れて行かれる。表で見た印象よりも奥行きがあったらしく、二階に上がって見えた廊下と、その先の壁に見える部屋を見る限り建物全体で結構な広さがあるらしい。まあ、奴隷を収容しているのだからそれなりの広さがないとやっていけないのだろう。

「こちらへ」

 更に促されて廊下の先へと向かう。突き当りに行き当たると、そこはT字の交差点になっていて、左右にはまだ廊下が続いていた。その先にも扉が付いていて、予想するに目の前にある扉と合わせて三部屋に奴隷が収容されているらしい。

 取り敢えずは正面の扉へと入るらしい。男がドアノブに鍵を差し込んで扉を開く。先に立って扉を開いたままでこちらが入室するのを待つ男の隣を通り過ぎるようにして室内に入ると、ある意味壮観な光景が待ち受けていた。

 左右に鉄製の檻がずらりと部屋の隅にまで伸びている。その中にはベッドだけが備え付けられた空間があり、そこにはそれぞれ一人ずつ人間が閉じ込められていた。

 男が背中の方で扉を閉めた。密室となった空間は、何だか異様な空気が漂っていた。何といえばいいのだろうか。重い、歪んでいる、不気味。どれが一番適切な表現になるのだろう。ただ言えるのは、ここにある雰囲気は表通りでは決して味わえない、独特の空気だということだけだった。

「まずはこちらから……」

 と、男が奴隷について説明をしようとした瞬間、先ほど閉めたばかりの扉が開かれた。二人してそちらをみると、高級そうなタキシードに似た服を着た初老の男性が立っていた。

「し、支配人」

 隣に立っていた男は更に驚きながら声をあげた。

 支配人、ということはこの商館の館長だろうか。だとしても、何故そのお偉いが今ここに現れたのだろうか?

 支配人と呼ばれた男性は、男性の方には目もくれず、ただ真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

 何だ、と思う間もなく、そっと視線が外され、男に向けられる。

「もうご購入される奴隷は決まったのですか?」

「い、いえ。まだこれからご説明差し上げるところでして」

「なるほど。続きは私がやりますので、貴方は下がっていなさい」

「は……はい」

 まるで男性の視線に気圧されるように、男はそそくさと室内から立ち去って行った。

 展開についていけないのはこっちだった。何故館長がここに? そして何故一見の客に過ぎない自分の案内を? 疑問は尽きないが、向こうは思考する暇を与えてくれないようだった。

「申し訳ございません。ここからは当館支配人である私、ウェンがご案内差し上げます」

「はぁ」

 よくは分からなかったが、案内してくれるというのなら拒否する必要性もない。

「それで、お客様は具体的にどのような女中奴隷をご希望なのですか? 炊事洗濯は当然として、あるいは物の読み書きから夜のお世話まで色々とございますが」

 と、そこで一つ疑問に思った。

「ん? 女中奴隷とは別に性奴隷もいるんだろう? それなのに女中奴隷に夜の世話をさせていいのか?」

「はい。性奴隷とは家事をこなす能力もない、文字通り性的なことにしか使用方法のない奴隷です。女中奴隷といいましても、所詮は奴隷。奴隷は主人の所有物であり、どのように扱おうがそれは主人の自由でございます」

「へぇ~」

 当たり前と言えば当たり前のことだった。女中奴隷という言葉に先入観を抱いていたらしい。

「まぁいいか。えーと……じゃあ、どんな奴隷を、だったか……」

 どんな、と言われてもそれこそ困る。何故なら、買うつもりがないのだから。ここは適当に言って乗り切るのがいいのかもしれない。

「まぁ、取り敢えずは家事をやってもらえればいいかなぁ。あとは顔がよければそれで」

 最後は余計な一言かもしれないが、こう言っておいた方が買うつもりがあると聞こえる気がしたのだ。

「ふむ……家事ですか。ならばこちらへどうぞ」

 そう言ってウェンは少し奥の檻へと近づいた。そうして始まる説明。檻の中に座る女性の名前、年齢、初物かどうか、家事の能力はどの程度か。

 二十の最初辺りの年齢のその女性は中々に綺麗な顔をしていた。髪も奴隷というには相応しくないさらりとした印象を持たせる。だが、もしも奴隷を買う気でここを訪れていたとしても、自分がこの女性を買うことは決してないだろうと思った。

 彼女の目ははっきりと怯えを浮かべていたからだ。呑気に眺めるこちらを、まるで生殺与奪権を奪われた家畜のような瞳で、びくびくと震えながら見てくるのだ。はっきりと萎えた。奴隷らしいといえば奴隷らしいのかもしれないが、自分の中で何かが急激に冷めていくのを感じていた。

 これが良心の呵責というものならば何だかあっさりしたものだな、と思いながら、小さく息を吐いた。

 それに反応したのか、ウェンは次の奴隷の檻へと促してきた。

 幾つかの女性奴隷を見せてもらったが、どの女性も皆見目麗しい女性達ばかりだった。もしかしたらここは高級な奴隷を扱う商館なのかもしれないと、この辺りで感じ始めていた。女性は奴隷にしてはそこそこ綺麗な身なりをしているし、不潔感があまり見受けられない。もし買うつもりで来たとしても、きっと莫大な金額になっていただろう。

「では、最後の奴隷になりますが」

 そういって、部屋の隅の檻の中の奴隷の元へと案内された。もうこの時点で目的は達成されていて、今すぐにでも帰りたいと思っていた。どの奴隷もこちらを怯えを孕んだ視線で見てくるだけなので、何だか見ていて空しさを覚えるだけなのだ。

 もはややる気のない状態で、最後の説明を受けるために檻の前に立った。

「……?」

 すると、そこに居たのは少女といっても間違いではない女の子だった。髪の毛は金髪で、肩よりも少し伸ばしたセミロング。顔は小顔で、全体的に愛らしい顔立ちをしている。

 その少女は、じっと感情の浮かばない瞳でこちらを見ていた。

 何だか新鮮な気持ちだった。その瞳には感情がない代わりに、これまでの奴隷のような怯えも存在しないのだ。こんな奴隷も居るのかと興味心をくすぐられ、ウェンの説明を聞くことにした。

「こちらの少女はマリーと言いまして、見た通り初物でございます。年齢も幼く、まだまだこれからが働き盛りでございます。少々感情に乏しいところがございますが、家事の能力は確りとしたものです」

「へぇー」

 説明を聞きながらも、視線はじっとマリーに向けていた。見れば見るほどに不思議な雰囲気の子だった。この異様な空間の中で、彼女の周りだけが澄んだ空気を漂わせているように感じる。この少女はどんな声で喋るのだろうか。笑わせたらどんな綺麗な笑顔を浮かべるんだろうか。――夜は、どんな声で鳴くのだろうか? 少女を見ていると、そんな下種な感情までもが浮かんでくる。

「ああ、なるほど」

 分かった。少女は穢れというものがないのだ。だから、自分の色で染めてみたくなる。自分だけの色で、染め上げてみたくなる。だから、こんなにもこの場において浮いているし、欲しくなる。

「お気に召しましたでしょうか?」

「っ」

 と、ウェンの声で自分がマリーに夢中になっていたことに気づく。少しばかり焦りを覚えた。このままではこの少女を購入する気があると捉えられてしまう。

「ああ、まぁ、可愛いよね。何ていうか、野花みたいで可憐で」

「左様でございますか」

 ウェンはただ静かに視線を向けてきた。そこからは何の表情も窺い見ることが出来ない。

 このままでは何だか話が進まなそうだったので、米神をぽりぽりと掻きながら、断りの言葉を入れることにした。

「まぁでも、何だか高そうだし、俺には手が届かないかな」

「お客様は初めてのご来館のようですし、今後もご贔屓いただけるようお安くさせていただきますが」

「いやいや、お安くっていっても高いでしょ? 俺そんなに金もってないですし。今日は様子見に来ただけなんですよ。申し訳ないけど」

 もう買う気がないと素直に言うしかなかった。考えてみれば、最初に接客してきた男が言ったように買おうが買うまいがこっちの勝手なのだから、気にする必要はなかったのだ。

「だから、まぁほんと申し訳ないけど今日の所はこの辺で――」

「――少し前に、耳にしたことなのですが」

 と、辞去する言葉を吐こうとした時を狙ったかのように、ウェンが口を開いた。

「ある冒険者が魔法協会に様々な希少植物や素材を持ち込み始めたようです。聞けばその冒険者はまだ冒険者になり立てにも関わらずBランクを取得し、そのランクには似つかわしくないものばかりを売っているのだとか。そこから得られる金額はAランク冒険者の収入にも負けないでしょうな」

「――」

 ――こいつ、どこでそれを。

 紛れもなく、それは俺のことだった。米神を掻いていた指を下し、視線を鋭くしながらウェンを見る。それでも、ウェンの表情に変化はなかった。

「少々、こちらへよろしいでしょうか」

 そういって、ウェンは室外へと促した。そうして連れて行かれたのは階段を上がってすぐ右手にあった部屋だった。室内には中央に長方形のテーブルと、それを挟むかのようにしてソファーが置いてあった。

「どうぞ、お座りください」

 言われてソファーの片側に座り、それと相対するようにしてウェンが座る。

 そうして、ウェンは口を開いた。

「……先ほどご案内させていただいていた男は申し上げなかったかもしれませんが、実は当館では情報も切り売りさせていただいております。その副次的な情報でございます」

「……ふーん。そうなんだ。すごいね。その情報も、冒険者も。それで?」

「それで、とは?」

「あんたは俺にさっきの奴隷を買えって?」

 ここまで来ると、もう開き直っているようなものだった。だが、それでもいい。何を知られようと、こちらにとって不利益になることなど何もないのだから。もう冷やかしに来たと思われようが何と言われようが関係ない。大切なのは、ウェンという男がこちらに何を求めているのか、ということだけなのだから。

「いえ、奴隷の購入に関しましてはお客様の自由となっておりますゆえ。強制などとは」

「じゃあ、その話を俺に聞かせて、あんたは俺に何を求めてるって?」

 そこで初めて、ウェンの表情がピクリと動いた。ただそれ以上変化が訪れることはなかったが。

 しばし、にらみ合う。いや、一方的に睨んでいるのはこちらだけで、ウェンは感情の浮かばない瞳で見てくるだけだ。

 少しの時間が経って、ウェンが口を開いた。

「率直に申し上げれば、貴方様と関係を築きたい、というところでしょうか」

「俺と? 何故? 俺と知己になろうと何の得もないだろう?」

「――世の中、魔物が居ります。権力を持った者が居ります。腕力で物を言わせる粗野なものが居ります。それらから身を守るにはさてどうしたらよいでしょうか? 逃げる? 予め防御策を備える? それとも立ち向かう? 確かにどれもが効果的でしょうが、それよりもはるかに利を得る方法があります」

「それが、俺か?」

「左様です」

 ソファーの背にどっかと体を預け、大きくため息を吐いた。

「分からないな。俺がまだ冒険者になりたてだと分かっているだろうに。そんな見ず知らずな男の力を頼って関係を築きたい? その言葉をどう信じろと」

「――リムリム草。バルガス山脈に育つ薬草」

「……」

 ウェンが喋りだしたその言葉を、黙ってじっと聞く。

「――火竜の牙と鱗。バルガス山脈の山頂付近に棲息する巨大な竜」

 言葉は続く。

「――ケブスの実。バルガス山脈の麓の森林の奥深くに成る実」

 今ウェンが口にしたのは、どれも俺が魔法協会に持ち込んだ植物と素材だった。

 どれもそれなりに知られた素材であり、そうそう簡単に手に入れることが出来ないというのは魔法協会で素材一覧を見たときにその入手危険度から知れている。だから、ウェンが今わざわざそれらを口にしたということは、そういうことなのだろう。

「――ここまで言えばお分かりになるかと思います。最早貴方様の実力はAランクどころかSにも届くかというもの。そのような方と親密になりたいというのは、ある程度財を築いた者ならば当然のことかと」

 そこまで聞いて、大きく息を吐いた。言うことが至極尤もだったからだ。

「あー……分かった。何故そこまで詳しく知っているのかについて気にはなるが、まぁそれはよしとしよう。で、改めて話をしようか。あんたは俺に奴隷を売りたいのか?」

「無論、商売人としても、個人的な意見としても、購入いただけるのでしたら幸いです、はい」

「なるほどねー」

 力を抜いて、どうしようかな、と悩む。別に奴隷は欲しいとは思わないが、ウェンは奴隷を売ることで自分との繋がりを作りたいのだろう。あっさりと断ってものだが、この男の持つ情報源というものは中々侮りがたいものがあるのは今証明されたばかりだ。それをみすみす見過ごすのは惜しい。加えていうならば、先ほどのマリーが気になるというのもまた事実だった。少しばかり話を聞いて決めるのもありかもしれない。

「さっきの人にも聞いたんだけど、俺は奴隷というものについて全く知らないんだ。だから、奴隷を得ることで得る利益と不利益が全く分からない。だから、買いませんか、と言われても中々頷けないんだ。そもそも俺、奴隷ってものを見に来ただけだったし」

「そうですな。奴隷というものは主人に忠実な僕です。極端な話、殴ろうと蹴ろうと殺そうと、家畜のように扱おうとそれは主人に自由です。もし命令に背きましたなら首に付けている首輪にとある言葉を言いますと激痛が走るようになっておりますので逆らうということも出来ません。また、主人が死んだ、殺したという場合、その所有奴隷は処分することが法で定まっておりますので、反逆を恐れる心配もありません」

「それが利益で。じゃあ、不利益は?」

「年に一度の人頭税が掛かることでしょうか。とはいえ、これは自分にかかる人頭税の半額ですので、そう負担になることはありません」

「へぇ」

 纏めると、奴隷は何してもいいですよ。責任にも問いません。ちょっとお金がかかりますけどそれだけです、ってところか。

 先ほどのマリーを思い出す。綺麗な瞳、顔、髪。きっといい匂いがするんだろう。体は細かったし胸もあまりあったとは思えないが、それはそれでまた味があるだろう。

 目を瞑ってそこまで考えてから、決めた。

「分かった。買うよ」

「ありがとうございます」

 こちらの言葉に、初めてウェンが微笑みを浮かべた。

「それで、値段は?」

「四千二百万ルクスでございます」

「……高いな」

 思わず呟いてしまった自分だった。




 結局、マリーという奴隷を買うことにはしたが、手持ちの金額が足らないためにしばらく待ってもらうことにした。ウェン自身は前述の通り値下げして破格の三千万ルクスでいいと言ってきたのだが、それはこちらから待ったをかけた。例え相手が誰であれ、借りを作ることはしたくなかったからだ。なので、待ってもらう代わりに手付金として千万ルクスを払い、俺は再び素材集めに奔走することになった。

 だが、目的を作って活動をすると、思ったよりもいい収穫があった。残りの一千二百万は一週間で集まり、俺はその足でウェンの奴隷商館へと向かった。

「お待ちしておりました」

 商館の中に足を踏み入れると、まるで本当に待ち受けていたかのように、ウェンは部屋の中央で頭を下げてきた。

「すごいな、あんたの持つ情報網ってのは俺の来る時間まで分かるのか?」

「ご冗談を。たまたま、でございますよ」

 そう言ってほほ笑むウェンの言葉を素直に信じることは出来なかった。そうかい、と曖昧に頬を上げて、白金貨の入った袋を掲げて見せる。

「お受け取りします」

「金額に間違いはないと思うけど、まぁ確かめてください」

 袋を渡しながらそう言うと、ウェンは小さく首を振った。

「お客様を信頼しておりますので、それには及びません」

「……ああ、そう」

 照れるべきなのか喜ぶべきなのか分からず、またもや曖昧な表情を浮かべて笑った。どうやらこの男は本当に自分との間にそれなりの関係を築きたいと思っているようだ。その心意気を見せつけられたような気がして、今後はウェンにどういう態度で臨めばいいのか、少しばかり悩んだ。

「それでは、奴隷の受け渡しをいたしましょう」

「了解」

 ウェンの後を追って、二階へと上がる。そしてあの日会話した部屋に連れて行かれソファーに腰掛けると、ウェンは扉の前に立ったまま言った。

「奴隷を連れてまいりますので、少々お待ちください」

 そうして、ウェンは部屋を出て行った。

 何だか手持無沙汰な気分だった。これからとうとう自分にも奴隷が手に入るのだと思うと胸が躍るようでもあるし、よく分からないものを手元に引き入れてしまったという面倒くささもある。そう深く考える必要もないのだろうが、仮にも現代で生きてきたのだ、奴隷というものをどう扱ったらいいのかなぞ分かるはずもない。

「まあ」そう言いながら、腕を組む。「なるようになるか」

 背もたれに体重をかけながら天井を仰ぐと、部屋にノックの音が響いた。

「はい」

「失礼いたします」

 静かに入ってきたのは、エプロンドレスに身を包んだ女だった。

「お茶をお持ちいたしました」

 しずしずと近寄ってテーブルの上にお茶を置く女。その際、ふくよかな胸元がちらりと見えた。同時に、首元に首輪がしてあるのも見て取れて、

「一つ聞いてもいいか?」

「はい」

「君、奴隷?」

「はい。現在行儀の見習いをさせていただいております」

「なるほど」

 こうして奴隷にはきちんとした教育を施しているのだろうと思うと、感心するものがあった。

「ありがとう。下がっていいよ」

「失礼いたします」

 奴隷の女が退室するのを見送ってから、置かれたティーカップを手に取る。香りを楽しみ、一口飲んでから、ふと気が付く。

 もしかしたら、ああやって奴隷に接客させておいて商品としてのアピールをしていたのだろうか? 例えばあの胸元を見た男性にセックスアピールをさせているとか。

 なるほど、と思う。確かにああやって妖艶な姿を見せつけてから購買意欲を高めさせるというのはいい手かもしれない。奴隷商も中々侮れないな、などとどうでもいいことを考える。

「……おいしいな」

 紅茶のようなお茶を飲みながら、呟く。簡潔に言ってしまえば、退屈だった。だから先ほどのようなどうでもいいことを考えてしまうのだろう。

「早くこないかな」

 かちゃん、と受け皿にティーカップを置いたその時、再び部屋にノックの音が響き渡った。

 ――来たかな?

「はい」

「失礼いたします」

 そうして入室してきたのはやはりウェンで、その後ろには、先ほどの奴隷と同じようにエプロンドレスを身にまとったマリーという少女の姿があった。

 ウェンに促されるようにして俺の正面に立ったマリーは、あの日見たときと同じように澄んだ瞳を向けてきている。同時に、ウェンとは違った意味で感情が篭もっていなかった。ウェンは表情や感情が見えないだけど、その奥に隠されているのが分かるのだが、マリーには本当の意味で表情や感情と言った情動的な部分が欠如しているように見えた。

「挨拶をしなさい」

 二人して見つめ合っていると、ウェンがそう言ってマリーを促した。

 マリーはそれに反応して、スカート部分の両裾を手に持ち、片足を下げて礼をした。

「これから誠心誠意お仕えさせていただきますマリーと申します。どうぞ可愛がってくださいませ」

 綺麗な礼だった。流暢な科白だった。それだけに、マリーの淡泊な表情が際立っていた。

「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 日本人らしくもっと丁寧な返答をするべきだったかとも思ったが、主人が奴隷に頭を下げるのも変な話だと思い、当たり障りのない返事をした。

「それじゃあ……もう持って帰ってもいいの?」

 ウェンに振り向きながらそう言うと、彼は無表情のまま首を振った。

「いえ、まだ主従契約を交わしていただいてないのと、いくつかの留意点のご説明をしなければなりません」

「へー。すぐ終わる?」

「はい、それではまず主従契約から――」

 すぐ終わると言った割には少々長い説明を受けてから、俺はマリーという奴隷を手に入れたのだった。




 そうして、マリーを引き連れて服屋に行き、適当な服を数着購入した。聞いてみればマリーの服は今来ているエプロンドレス一着というので買ってやることにしたのだ。買う服は全て店員に選ばせた。自分では女の子の服なぞ分かるはずもないし、マリー本人に聞いてもまともな返答を得ることが出来なかったからだ。畏れ多い、だとか、必要ありません、だとか。人が生活するうえで服が一着で成り立つわけがないし、たかだか服を数着買う程度で何が畏れ多いのか分からなかったので、半ば強引に買い付けた。

 服をそのままマリーに持たせて家路を歩く。現代でも女の子と二人っきりで歩く機会はあったものの、自分だけの奴隷と歩くというのはまた違った感覚があるものだ。幼い女の子が自分の数歩後ろをひっそりと付いてくるのは何だかくすぐったいものを感じる。今後もこういうことはあるのだろうから慣れたほうがいいのだろうけれども。

 家に着いた。ドアを開けて、中に入る。少し疲れたように椅子に座ると、すぐ傍にマリーが突っ立ったままでいるのに気づく。

「どうした?」

「……どうしたらよろしいでしょうか?」

「は?」

「……」

 マリーは一言発しただけで、何もしゃべろうとはしない。

 どうしたらいいか、と訊かれてもそれが何のことについてなのか分からなければ答えようもない。

 よくは分からないが、ともかく、と口を開くことにした。

「取り敢えず服をテーブルに置いて、座りなよ」

「……座ってもよろしいのでしょうか?」

「はぁ?」

 思わず素の声が出てしまう。あれだろうか、奴隷というのは椅子に座るの一つとっても主人の許しか命令がいるのだろうか?

 もしもそうなら――なんて面倒くさい。

 そうなってくるならばあれをしていろこれをしていろというの一つ一つに自分の言葉がいるということになるではないか。無性にマリーを付きかえしたくなる衝動にかられたが、違う発想が浮かぶ。

 そう、マリーは女中奴隷。つまり半分はメイドだ。メイドが主人と同じ椅子に座るなんて確かに聞いたことがない。小説や映画の世界でも、メイドは主人の後ろにそっと付き添う様に佇んでいるのが常が。

 なるほど、そう思えば今の問答にも納得がいく。

「いいよ。座りなよ」

「……失礼いたします」

 ゆったりと椅子に座る。だが、そこからはやはり口を開こうとしない。指示を待つ忠犬のように、じっとこちらを見てくる。

 何かを言わなければいけない気がして、少し質問をしてみることにする。

「あー。マリーは女中奴隷と聞いたが、実際何が出来るんだ?」

「料理、洗濯、掃除、その他ご命令があればなんなりとさせていただきます」

「あ、料理出来るんだ? へー、俺ここでの家庭料理って食べたことないから楽しみだな」

「……」

「こっちの家庭料理ってどんなのがあんの?」

「はい――」

 マリーの小さな口から洩れてくる澄んだ声に耳を傾け、こちらの世界の家庭料理に思いを馳せる。こちらの世界に来てからの料理と言えば最初の野宿で食べたのを除くと、外食ばかりだった。その味は悪くはなかったのだが、どこかよく言えば大胆、悪く言えば大雑把な味付けが多く、繊細な味付けで育った日本人である自分からすれば偶には和食のようなものを食べてみたくなるのも道理だろう。マリーから教えられる家庭料理の名前には一つとして心当たりがなかったが、想像する分には非常に期待がもてた。

 説明が終わると、マリーはまた黙ってしまった。こちらとしてもこれ以上話題はない。一先ずは家事でもしてもらえばいいかな、と思いマリーの顔を見ていたが、その潤いをもった愛らしい唇を見ていると、僅かな悪戯心と、劣情を催した。

 同時に、本当にマリーは何でも言うことを聞くのだろうかという疑問も浮かび上がってくる。

 それら全ての問題を同時に解決するために、一つの命令を下すことにした。

「マリー。こっちに来い」

 何も言わず、言葉に従って俺の正面にマリーが近づく。

「跪け」

 膝を着く。すると、マリーの顔は俺の下腹部あたりの高さになる。

「ズボンを脱がせて舐めろ」

 自分でも言っていて恥ずかしいことを口にしていると思ったが、さほどの抵抗は覚えなかった。どちらかといえば、これからマリーに奉仕させるという期待の方が大きかったのかもしれない。

 マリーはやはり何も言わずに、俺のズボンを下ろしにかかる。その動作は慎重の一言で、まるで壊れ物を扱うかのような丁重さだった。

 ズボンを下し、下着まで下げると、俺の一物が露わになった。期待に少しばかり膨らんではいるが、まだまだ小さいままのそれに、マリーは直接口を近づけていく。

 普通は手を使うものだと思っていたのだが、これが正しいフェラなのだろうか? 一応童貞である自分には分からなかったが、マリーの舌が息子に触れると、そんなことはどうでもよくなった。

 ちろり、と触れるそこは初めて覚える感触で、これまで感じたことのない感覚が襲ってくる。舌の先端でくすぐるように奉仕されるそれは、もどかしいものを与えると同時に確かな快感をこちらに与えてきた。

 上面、側面、下面、先端、あるいは玉袋と陰茎の間をちろちろとマリーはぬめった下で舐めていく。

 そのころには、すでに息子は天を突き上げていた。だが、それでもマリーはただただ舐めるだけだ。

 もしかしたらフェラの仕方が知らないのか、それとも舐めろと命令したからそれだけを実行しているのだろうか。

「そろそろ銜えろ」

 言うと、マリーは舐めるのを止めて先端部分を口内に含んだ。しかし、そこから動こうとはしない。先ほどの疑問はどうやらどちらも正解だったらしい、と考えながら、それなら思う様に動いてもらおうと指示をしていく。

「そのまま先端を舐めろ」

 言われた通り、マリーの舌が躍りだす。流石に先端は敏感なだけあって、先ほど以上の快感が襲ってくる。尿意を催すような心地よさに、マリーの頭に手を置いた。そっと撫でると、滑らかな金髪の中に指が滑って行き、それすらもが心地よさを感じさせてくれる。

「銜えたまま頭を上下させろ」

「――えふっ」

 命令したすぐあとに、マリーはえづいた。どうやら命令通りにしすぎて喉の奥まで突っ込んでしまったのだろう。そういうのもあるとは聞くが、別に俺はそこまでしてほしいとは思わない。

「そこまで奥に入れなくていい。マリーが大丈夫だと思う範囲で口の中に入れろ。その際に口の中でしっかり擦るようにしてな」

 命令を口にしている内に、段々と自分がいけないことをしているような気になってくる。見た目少女の女の子に、自分の息子を口で奉仕させて、さらに思うがままに命令している。その小さな口が、舌が、自分の一番気持ちいいところを奉仕している。

 ――これは、買った価値があったかな?

 水音を立てながら頭を上下させるマリーの顔を見つめながら、そんなことを思った。

 マリーの首元に手を伸ばす。くすぐる様に擦ると、触り心地のいい感触が返ってくる。首でこれなら、胸はもっと気持ちいいのだろうか? 触ってみたかったが、マリーが奉仕を続けているのとドレスの首元が意外と狭かったので手を潜り込ませることが出来なかった。ならばせめてもとマリーの首元を味わう様にして撫でていく。

 このまま服を脱がしてみたい欲求に駆られるが、今は一度出すほうが先決だろう。ここまで高められたのだから、お預けしてしまうと息子に反逆されかねない。

 マリーの動きは先ほどから単調だが、それ故に同じ快感を与えてくる。先端まで戻り、そのまま一気に頭を落とす。口の中で竿が擦られ、ぬめるその感触にしびれるような快感ばかりが腰元を襲う。

 そろそろ出そうだった。

「マリー、少し速度をあげろ」

 ラストスパートとばかりに、マリーの頭が速度を上げて動く。俺は襲ってくる快感と射精感を抑えることすらせず、出ると感じた瞬間にマリーの頭を強く押さえつけた。

「っ」

「!」

 長いこと出していなかったので、幾度も竿が跳ねる。尻に力を込めて、全部を出し尽くそうとする。

 出している最中も、マリーの顔を見ていた。じっとこちらの顔を見てくるマリーのその口の中に今自分は出しているのだと考えると、ますますの快感が襲ってくる。全身で力を込めて出し尽くしたのか、ようやく自分の息子は跳ねることを止めた。

 ゆっくりと、マリーの口から抜く。

「……」

 マリーは口の中に精液を溜めたまま、こちらを見つめてくる。

 本当ならば吐き出させればいいのだろうが、折角なので欲望を満たすことにする。

「飲め」

 端的な命令だった。しかし、マリーはそれに頷くことすらせず、静かに喉を上下させた。

「えほっ、えほっ」

 濃かったのか多かったのか、少し咽たようだったが、大量の俺の精液を、マリーは見事に飲みきった。そう考えると、何だがマリーに愛おしさを感じた。自分に尽くして、自分の思う様に行動する。まるで機械のようだが、それでも自分だけのものというのは愛着が湧くものだ。

 今後の生活が楽しみだ、と思いながら、俺はマリーに家の掃除をするように命令するのだった。









[33226] 二話
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/25 06:07



 夜になった。

 マリーによって綺麗にされた家の中で食事をとり、一緒に風呂に入った。

 この世界では風呂は一般大衆がそう簡単に入れる、もとい沸かせるものではないらしい。理由は分からないが、恐らくは薪などで費用がかかるからだろう。だが、俺の家では違った。魔法で幾らでも熱湯を出すことが出来るからだ。鍛冶屋で作らせた特性のシャワーの取っ手口のような器具の中に少し高い位置からお湯を出せばお手製のシャワーの出来上がりと言うわけだ。湯船にも同様にお湯を溜めることが出来るので、毎日の入浴が可能になる。

 一緒に入ったのはマリーの身体に興味があったのと、あまり風呂に入り慣れてない世界の人間はきちんと身体を洗うことが出来るのかどうかが気になったからだ。この後夜のお勤めをしてもらうつもりなので、秘所が不衛生というのはあまりに嬉しくないのだ。結果から言うと、マリーはきちんと身体を洗っていた。どうやら奴隷商のところで風呂に入れられていたらしく、身体の洗い方もそこで習ったようだった。

 俺は湯船に浸かり後ろからマリーを抱きしめたり髪の毛に顔をうずめたりして存分にその体を楽しんでから風呂を上がった。

 そして就寝。

 一つしかないベッドで二人して座り、相対する。二人とも既に服は脱いで裸だ。こちらとしては少々照れくさいものがあるのだが、マリーは変わらずの無表情を浮かべていた。向こうがその様子がないのにこちらだけ照れているのも余計に恥ずかしいので、努めて表情を変えないままに、マリーの身体を眺めた。

 未発達の身体は全体的に細身で、華奢だ。膨らみの乏しい胸元は整った形をしていて、先端部分も綺麗な色をしている。乳輪も大きいということはなく、うっすらとした色が溶け込むように肌に広がっている程度だ。

 おもむろにその胸元に手を伸ばした。触れる時に表情を見ていたが、少女の顔に変化は見られなかった。それならそれでいいと、遠慮なく胸に手を置いた。小さいのに張りと柔らかさの感じるそれを、手のひらで揉む。

 女性の胸というのは初めて触ったけれど、こんなにも柔らかいものがこの世にあるんだな、と思った。全体を撫で、先端を指で擦り、摘まむ。いやらしさと同時に何だか楽しいものを感じる。

 片手で胸を弄りながら、もう片方の手でマリーの頬に手をやった。軽く撫でて、その小さな顔に自分の顔を近づけていく。

「……」

 あと僅かで唇同士が触れる、という段になってもマリーはこちらを見ていた。

「……あー、キスをするときは目を瞑れ」

「はい」

 そう言うと、唯々諾々と目を瞑った。瞼が閉じるのを確認してから、そっと唇を合わせた。こちらも胸とは違う柔らかさを感じさせてくれる。そのままついばむようにキスをしてから、そっと舌を伸ばしてみた。唇を割り、少女の口内に侵入すると、歯に当たった。ああそうか、と気づく。

「少し口を開け」

 ようやく開かれたその中に更に侵入する。反応して舌を絡めてくれることはなかったが、特段気にすることなく口内を味わう。相手の舌を舐め、滑らかな歯を滑り、唾液を味わう。

 甘かった。味覚的に甘いわけではないのに、確かに甘いと感じる。不思議な味だった。

 顔を離すと、視線が合った。

 そこで少し気になったことがあった。答えは知っているが、それに近しいことがどうなのかな、と思ったのだ。

「マリーは初めてだよな?」

「はい」

「これまで男とこういうことしたことは?」

「ありません」

「キスは?」

「ありません」

 その言葉に、僅かな満足感を覚えた。この穢れない少女の初めては全て自分が得るのだと思うと、支配欲のようなものが湧いてきて、それがなんとも心地よい気分にさせてくれる。

「そうか」

 言いながら、マリーを押し倒した。少女は何の抵抗を見せることなくベッドに横になり、その身体を晒している。

 乳首に顔を近づけ、ぺろと舐めてみた。そのまま口をつけ、もう片方の乳房を手で弄りながら何度も何度も舐めてみる。しばらくすると、小さな先端が固くなってきた。感じているのだろうか、生理反応でそうなっているのだろうか。

「気持ちいいか?」

「分かりません」

 素直に聞いてみたが、答えは得られなかった。

 今度は彼女の首元に顔をうずめてみた。髪の毛が顔に当たり、少しくすぐったい。だが、いい香りがした。女性独特の香りの中に、少女特有の甘い匂いがする。大きく息を吸ってそれを味わいながら、胸や尻を撫でていく。

 それらに対してマリーは何の反応も返してはこなかった。こういうのをマグロと言うのだろうかと思いながらも愛撫を続けていく。このまま続けて果たして反応してくれるのだろうかと思いながらそっと下腹部に手を伸ばし、秘所に触れてみた。

 全く濡れていないというほどでもなかったが、マリーの女の子の部分はまだまだ受け入れる準備が出来ていなかった。

 愛撫を止めて頭を下げた。少女のもう一つの口にそっと顔を近づける。女性のここは臭う場合もあると聞いたが、清潔にされているそこからは何の匂いもしなかった。いや、僅かに汗のような、独特の匂いはするものの、決して嫌なニオイではなかった。

 味はどうなのだろうか、と舌を伸ばして僅かに濡れたそこを舐めると、これまた独特の味がした。表現には出来ないが、やはり不味いとは思わない。マリーが可愛いからだろうか。むしろもっと舐めてみたいという欲求に駆られる。その欲望に従って、マリーの可愛らしい小さな尻を撫でながら何度も何度も舐めていく。穴の付近を、クリトリスを、ほんの少しだけある襞を。舐めれば舐めるほどに自分が興奮していくのが分かった。自分は、マリーという幼い少女に夢中になっている。自分の好きなように出来る少女の身体に、夢中になっている。それが、何とも言えない昂ぶりを生む。

 気づけば、マリーの秘所ははっきり分かる程度に濡れていた。これならばもう入れても大丈夫だろうか。

「入れるぞ」

「……はい」

 返事に少しばかり間があった。表情は変わらないが、もしかしたら怯えているのかもしれない。もっとも、嫌だと泣き叫ばない限りは止めるつもりはないのだが。

 すっかり高ぶっている自分の息子を、マリーの小さすぎる秘所にあてがう。濡れた愛液を竿に塗りつけるように前後して、ゆっくりと穴の中へと侵入していく。

「……っ」

 その時、マリーの身体が少しびくついた。

「痛いか?」

「……大丈夫です」

 そうは言うが、きっと痛いのだろう。――だが、止まらない。

 出来るだけ負担にならないようにゆっくりと、マリーの中に侵入していく。入口の時点で分かっていたが、マリーの中はやはり狭かった。それでいて、温かく、柔らかかった。ぬめる肉襞がしっかりと絡みついてきて、死ぬまでこの中に居たいと思うほどだった。

 途中で何か壁のようなものを感じたが、気にせず進んでいった。貫いてから、今のが処女膜だったのだろうかと気づいたが、もはや後の祭りだった。もう少し感慨深いものを感じればよかったのだろうか。いや、自分は十分満たされている。今この瞬間、本当の意味でこの少女の初めてを奪ったのだから。

 そうして、奥までたどり着いた。根元まではいるかどうかという深さだったが、何ら問題はなかった。十分な快感が腰から背中を上ってきている。それに少女にはまだまだ成長の余地があるのだから、焦る必要はなかった。

「動くぞ」

 言って、返事も待たずに腰を動かす。腰を引き、戻す。たったそれだけなのに、マリーの膣内は何度も舐められたかのような快感をもたらしてくれた。この感覚を何と表現すればいいのだろうか。円滑油を滴らせた絹でしごかれているかのような繊細な感触。肉棒に当たる箇所全てが細かな愛撫を与えてくれているのに、全体でぎゅうと締め付けて包み込むような温かさを伝えてくる。

 たまらなかった。この世で一番の快楽が、ここにはあった。

 我慢できず、マリーの腰を掴んで何度も何度も腰を振った。辛いのか、初めてマリーの顔が小さく歪んでいる。といっても目元を細めている程度の、微々たるものなのだが。

 今の自分にはそれすらも興奮剤にしか過ぎず、留まることのない勢いを以てマリーの中を味わう。

 腰を打ちつけるたびに少女の小さな胸がふるえる。体が揺れる。髪が乱れてベッドに広がっている。

 それが全て自分が行っているのだと思えば思うほどに征服欲が湧きあがってきて、更に腰の速度を上げる。

 限界はやって来た。そろそろ出そうだと思って湧いてきた射精感を我慢するつもりはなかった。

 体を倒しマリーの身体を抱きしめて、最後のスパートをかける。

「っ!」

 突き出せる限界まで突き刺し、出す。昼間出したばかりだというのに、肉棒は何度も何度も跳ねた。マリーの身体を抱きしめるというよりも拘束するような形で、一滴も逃さんとばかりに膣内に射精する。

 身体が震えた。快感に、というのもあるし、少女に種付けしたという実感に歓喜を覚えたからだった。

「……はぁ、はぁ」

 全部出し尽くしてから、体勢をそのままに息をついた。そのままマリーを見下ろすと、マリーも少し息を整えているようだった。

 気持ちよかったか? などと聞く気にはならなかった。痛かっただろうし、辛かったと思う。自分が満足するためだけに腰を振っていたようなものだし、だからといってそれに罪悪感を抱くことはない。

「はぁ」

 息が落ち着いてきたので身体を起こした。マリーに挿入したままの息子はまだそのままだ。出したばかりだというのに、まだ半分は硬さを保っている。これは今まで自分が未経験で心地よい刺激に慣れていないせいだろうか。自慰をしたときは割かし早く萎えたような気がしたのだが。

 まだ息を整えているマリーの、上下する胸を見る。先が尖った膨らみが動いている様子は何とも卑猥で、誘われるようにそこに手を伸ばした。先端の蕾を指先でこりこりといじると、ぴくりとマリーの身体が反応した。それが何だか面白くて、何度も何度も弄り回す。

 そうしていると、次第に息子が硬さを取り戻してきた。まだまだこの調子では収まりそうもないなと感じながら、再びマリーの身体に覆いかぶさった。

 唇にキスをして、滑らすように耳元に顔を寄せて耳たぶを銜える。口の中でちろちろと舐めながら、手は胸元から離さない。

「続き、するぞ」

「……は、い」

 耳元でぼそと呟くと、途切れながら返事があった。自分の耳元で呟かれたその声に、背筋が震えるのを感じながら、俺は再び腰を振るのだった。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 感想ありがとうございます。

 感想掲示板に直接レスするのは自分で感想数を増やすみたいで嫌なのでこちらで返信させていただきます。


[1]すが様

>展開はテンプレ的ですが、冒険者になるまでの部分は簡潔になっていて
読みやすかったです。

 冒頭部分は意識して簡潔にしました。
 僕自身そういった小説での冒頭部分が長いのが好きではないので。

>比べて奴隷購入前後の文章は少し冗長に感じましたが、十分な説明がなされていたと思います。

 おっしゃると通りで。
 僕も自分で読み返しててだらだらしてるなーとは思ったのですが、自分で書いておこうと思った部分なので削らずにそのままにしました。

>ありきたりなストーリーをなぞるにせよ、独自の展開を進めるにせよ、続きを読みたいと思いました。
>これからもがんばってください。

 ありがとうございます!


[2]甘露様

>最強なのに最強な描写薄めでかつまどろっこしくない。

 俺ツエーの小説は楽しいんですがナルシスト的な表現をされるとちょっと読む気が失せることがあったりします。
 だから反面教師としてあっさり仕上げました。

>つまり良作の予感がしたので続きを期待させていただきます

 良作になるかどうかは分かりませんがまったり頑張っていこうと思いますです。


[3]でれめ様

>あひゃ、これはイイ小説!!

 あひゃ、これはいい感想!!
 ありがとうございますです。

>巡回余裕!

 更新余裕! ……とまでは行きませんがぼちぼち更新しようと思います。


[4]tarte様

>これは期待

 これは感謝。




[33226] 三話
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/26 10:05




 昨夜は結局三回ほど出した辺りで就寝となった。思っていたよりも自分がスケベだったのか、マリーの身体が気持ち良すぎたのかは分からないが、至福の時間だったことに変わりはない。いい夢を見れそうだとマリーを抱いたまま寝ようとしたところ、しかしマリーは部屋から出て行こうとした。

「私はどこで休ませていただけばよろしいでしょうか」

 服を着てそう言ったマリーの言葉に、訝しみを覚えながらも答えた。

「この家にはベッドは一つしかないぞ」

 言外に、ここで寝るしかない、と言ったつもりだったのだが、それはマリーには伝わらなかったようだった。それどころか、続けて発せられた言葉は理解の範疇外だった。

「はい。ですので、私はどちらで寝ればよろしいでしょうか。倉庫でしょうか、それとも台所のある間でしょうか、トイレでしょうか」

「はぁ?」

 全く持って意味が分からなかった。どこの世界にトイレで寝る馬鹿が居るのだろうか。昼間服を買ったときもそうだったが、マリーは時々よく分からないことを言う。自分にこちらの世界の常識が乏しいのが原因なのだろうかとも思うが、その常識を知らない現状では答えを出すことも出来ない。

「いいから、ここで寝ろ」

「……よろしいのですか?」

「何がだ?」

「主人と共に寝る奴隷というのは聞いたことがありません」

「……」

 どうやら自分の常識が若干ずれているようだ、とは今のやりとりから感じられた。だが、この世界の奴隷の扱いがどうあれ、目の前にいるのは他でもない“俺の”奴隷だ。他の誰でもない、俺が思うままに出来る奴隷のはずなのだ。

「トイレで寝たいのか?」

 少し腹が立って、意地悪な質問をしてみた。

「そう命じられるのでしたら」

「そうじゃない。俺は、寝たいのか、と聞いているんだ。俺がどうとかじゃない」

「……」

 マリーは答えなかった。答えられないのか、答えたくないのかは分からないが、それがまた一段と苛立ちを感じさせた。

「ここで寝たくないのか?」

「……」

「俺が、ここで寝ろと言っているのに、お前は寝たくないのか?」

「……いえ」

 小さく返ってきた言葉は、どこか曖昧なものだった。

 何だか面倒くさくなってきた。やはり昼間に感じたように、奴隷というのは主人が行動の一つ一つ全てを命令しなければならないのか。そんな考えと、マリーが自分の思うままにならないことに、腹立たしいものを感じた。

「分かった、もういい。ここで寝ないのならどこでも勝手に寝てろ。ただし明日からお前の寝床はずっとそこだからな」

 返事を待たずにベッドに横になった。体をマリーから背けて、枕に頭をうずめる。一応ベッドは半分空けてマリーが入れるようにはしているが、これで入ってこなければ本当に明日からは今日寝たところで寝かせるつもりだった。

 しばらくそのままの時間が流れた。マリーがベッドの脇に立ったままというのは足音がなかったことから分かっているし、背中には彼女の視線が感じられる。気まずさはないが、果たしてどういう行動に出るんだろうな、とどうでもいい気持ちで彼女の行動を待っていた。だが、それも長くはなかった。初めての経験を三回もこなして精神的に疲れたのか、段々と眠気が襲ってくる。このままでは彼女の行動を見守ることなく眠りに着いてしまうだろう。まあそれでもいいだろう。何だかこの眠たさの前では彼女のことを考えるのすら面倒くさい。

 力を抜いて、本格的に眠ろうか、と思ったその時、背後で動く気配がした。

「……失礼いたします」

 マリーは恐る恐るベッドに入り込んできた。こちらの身体に触れないような距離を保って、小さな寝息が聞こえてくる。

 ――最初からそうしてくれると助かるんだけどな。

 そんなことを思いながら、暗闇の世界に意識を落とすのだった。

 それから、マリーとの生活が始まった。

 普段はマリーに家事をさせながら、俺はだらだらとした生活を送っていた。偶に珍しかったり面白そうな書物があれば購入し、美味しそうな食材があれば買ってきてマリーに調理させたり。

 勿論性的なことも色々とした。掃除中のマリーを後ろから抱きしめて胸元に手を滑り込ませて延々と揉んだり、ソファーに座った自分をまたぐように座らせて尻を揉みながらキスをしたり、あるいは下半身を口で世話させたり夜に性交したりと、それなりに満足した毎日を送っていた。

 それでもやはり、マリーは時々予想の斜め上を行くときがある。一度気まぐれに冒険者組合のクエストを受けたことがあったが、その際に三日ほど家を空けたのだ。そして帰ってきたときにどこかマリーの様子がおかしいと思ったのだが、原因は夕食の際に判明した。何と彼女は自分が居なかった三日間一切の食事をとっていなかったのだ。理由を聞いてみると、食事の許可がなかったので、と返ってきた。もう思わず目を抑えて上を向いてしまった自分は何もおかしくはないだろう。

 その後は家を空けることがあっても必ず食事をとる様に厳命したが、果たして今後彼女がこんな恐ろしいことをしないのかどうかが危ぶまれる。

 そんなこともあったりはしたが、そう言ったことを除けば毎日は平穏無事に過ぎて行った。




 夜。いつものように性交を済ませてから眠りに着く。最近はマリーを裸のままにさせてその胸元に顔をうずめて寝るのが習慣づいていた。マリーの身体はふくよかとか言い難いが、女性の胸元に顔をうずめているだけで不思議な安心感が湧いてくる。それに抱いている身体自体は柔らかく、尻を揉みながら眠るというのも中々に乙なものだった。

 彼女の胸元に顔を寄せると、そっと頭を抱くように腕を回してくる。これは最初何もしてこなかった彼女に直接そうしてくれと言ってようやくやってくれるようになった行動だ。マリーはこちらから命令しなければ何もしないが、一度口にしたことは必ず守るので奴隷としては優秀なのかもしれなかった。

「じゃあ、おやすみ」

「……はい。おやすみなさいませ……」

 そう言って、目を瞑る。返事に少し間があったが、何か考え事でもしていたのだろうかと思うが、問題があれば言ってくるだろうと気にせずに力を抜いた。

 彼女の身体を抱き、背中を撫で、尻を擦る。時折乳首を口に含んで舌先で弄んだり、眠気が来るまではいつもこうして彼女の身体を味わっている。今日もこのまま心地よい微睡に落ちていくのだろうな、と思っていると、一緒に眠りにつくようになって初めてマリーが口を開いた。

「……ご主人様」

「……ん?」

 何でもない返事をしながらも、内心ではかなり驚いていた。マリーが自分から声をかけてくることなぞ、めったにないからだ。先ほどの考え事が何か問題のあることだったのだろうか、と思いながら続きを促すように顔を上げた。

 視線が交わる。彼女の瞳はいつもの無感情なものとは違い、どこか熱意を帯びているように見えた。

「どうした?」

「……お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ああ、何だ?」

 さて、一体彼女は何を気にしているのだろうか。少し楽しみながら彼女の言葉を待つ。

「……私は……ご主人様のお気に召されているのでしょうか」

「ん?」

 それは、自分にとってマリーがお気に入りかどうか、という質問だろうか?

 何でまた唐突にそんな質問を、と思ったが取り敢えずは尋ねられた内容を考えてみる。

 マリーは可愛いし見ていて癒される。身体の相性もいいし、家事もきちんとこなしてくれる。たまにまだるっこしい行動はあるものの、それは今述べた要素と比べると差し引いてプラスだろう。

「そうだな。少なくとも気に入らないということはないぞ。それがどうした?」

「……」

 答えを口にしてやると、マリーは黙り込んだ。何かを言おうかどうかを迷っているようにも見える。

 何だろうか。彼女がここまで悩みこんでいるのを見るのは初めてだ。

「どうした。何かあるのなら言ってみろ」

「……」

 促しても、彼女は黙り込んだままだった。

 よくは分からないが、彼女にとって重大な何かがあるのだろう。それは言葉にしてもいいかどうか悩ましいものである、と。

 ――分からないな。

 そう結論付けると、俺は再び顔をマリーの胸元に移動させた。何も言ってこないのなら相手にする必要はないからだ。彼女の乳房の柔らかさを顔で味わいながら目を閉じると、マリーはようやくといった感じで口を開いた。

「……あの、お願い、したいことが、ございます」

「んー?」

 もう相手をするのもだるくなってきていたので、ぞんざいな返事をする。とはいえ、自分の意思を見せようとしないマリーからの初めてのお願いだ。聞く価値はある。

「何だ、言ってみろ」

 服が欲しいのか、新しい掃除道具でも欲しいのか、はたまた奴隷辞めさせてくださいとでも言うのだろうか?

 もしも三番目だった場合、即座に奴隷商に売り飛ばしてやろうと思う。奴隷は気に入らなかった場合、購入した半額で売り返すことが出来るのは、マリーを買ったときにウェンから聞いた話だった。

 俺は自分だけの奴隷が欲しいのであって、自分に対して不信感や嫌悪感を抱いているような奴隷は欲しいとは思わない。もしマリーが奴隷を辞めたいと言ってきた場合なんて返してやろうか、と思っていたのだが、

「――奴隷をもう一体、購入していただけないでしょうか」

 ――彼女の口から出てきたのは、そんな言葉だった。

「……それはどうしてだ?」

 どうやら真剣に聞かなければならない状況だと判断し、身体を起こした。釣られるようにマリーも身体を起こし、向き合う。

「……」

 マリーはまた黙り込んでしまった。確かに言いづらかっただろう。マリーを買うときでさえ莫大な金額の金を支払ったのだ。それに相当するであろう奴隷を、もう一体買ってほしいというのだから。だが、その理由が分からない。今借りている家はそう広くはないし、家事が辛いとは思えない。しいていうならば俺の性欲をぶつける対象がマリー一人だという点だが、そんなに辛かったのだろうか。それとも嫌? それならばそうと言ってもらえれば遠慮なく売り飛ばすというものだが。

「命令だ。答えろ。何故奴隷が欲しい」

「……姉が、居るんです」

「姉?」

「はい。あの奴隷商会には、私の姉も奴隷として売られているのです」

「……あー」

 なるほど、それは確かに欲しいと思うだろう。マリーに姉が居るということもそうだが、その姉も奴隷というのも驚きだ。同時に、言いづらい理由にも行き当たった。

 これまでのマリーを見るに、奴隷というのは主人の命令あって初めて動く生き物だ。そこに自分の意思が介在する余地はないし、させようとも思わないのだろう。だから、その奴隷が主人に質問をするどころか願い望み、さらにそれは自分の姉という全くの私事なのだから言いづらいなんてものじゃなかっただろう。

 もしかしたら、彼女はここ数日自分の機嫌を窺っていたのかもしれないな、と思う。言い出せるタイミングを見計らって、勇気を振り絞って言葉にしてみたのだろう。

 その勇気は買う。思いやりにも共感しよう。

 だが、だ。ここで俺が頷いてやるには二つほど障害があった。

「なるほどな。だが、俺がお前を買ってから結構経ったけれど、もう売られているんじゃないか?」

「――それはありません」

 やけにはっきりとマリーは言った。

「へぇ、それは何で?」

「それは……」

 また、マリーは黙り込んでしまう。これ以上何を言いづらいことがあるのかは分からないが、話の腰を折られるのはこれ以上ごめんだと、命令する。

「答えろ。何故売られていないと断定できる」

「姉は……足が悪いんです」

「足?」

「はい。昔、奴隷商に売られた私達は馬車で運ばれていました。しかし途中山賊に襲われた際に馬車が転倒してしまい、その際私を庇った姉は足に怪我を負ってしまったのです」

「それはどのくらい悪いんだ?」

「右足は何ともないのですが、左足が動きません」

「つまり、歩けない?」

「……はい」

 纏めて言うと。

 姉は足が悪い。女中奴隷としては使えない。逆に世話がいる状態。しかも購入する際には大金が掛かる。

 それは確かに売れないだろう。性奴隷としてならば役に立つかも知れないが、足の動かない手間のかかる奴隷なぞ大金はたいて誰が買いたがるだろうか。

「ちなみに聞くが、売れない奴隷というのはどうなるか知ってるか?」

「口減らしにあいます」

 口減らし――家計の負担を軽くするために、子供を奉公に出したり養子にやったりして、養うべき家族の人数を減らすことだったか。この場合は使えない奴隷なんだから奉公も糞もない。つまり――

「急がないと危ない、と?」

「……はい」

「ふーん」

 話を聞いてはみているが、正直なところこの時点でその姉とやらを買うつもりはなかった。何故なら、障害の二つ目に当たる、とあることが見当たらないからだ。

「じゃあ、もう一つ聞くが――その姉を買うことによって、俺に何か利があるのか?」

「……」

 今度こそ本当に、マリーは黙り込んでしまった。それはそうだろう。俺がマリーの姉を買うことによって出る利は何も存在しない。だからこそ、マリーは言い出しづらかったのだろうから、本人がその事実はよくわかっていることだろう。

 話は終わった。マリーがこれ以上何かを言うこともないし、こちらからかけてやる言葉もない。俺は再びベッドに横になった。

「ないだろ? 話は終わりだ。寝るぞ」

「……」

 しかし、こちらが横になってもマリーは身体を倒そうとはしなかった。無表情だが、その顔には必死さが窺える。何か考えているのだろうが、その答えが出ることはないだろう。

 俺はそのまま寝ることにした。マリーの胸枕がないのは残念だが、それは明日でも問題はない。

 さて明日はどうするか、と考えながら意識が沈むのを待っていた。

「……お仕えさせていただきます」

 すると、マリーが何か言ってきた。目を開けてみると、ベッドの隅で、土下座をしていた。

「誠心誠意お仕えします。身も心も捧げます。死ねと言えば死にます――だから、どうか、姉を救ってやってください」

「……」

 まさか土下座までされるとは思ってもみなかったので、思わず目を見開いた。が、所詮そこまで。その程度では俺の心は動かなかった。

「それはつまり、今までは誠心誠意仕えていなかったと、そういうことか?」

「いえっ」

 勢いよく頭を上げて否定の声をあげるマリーに、先ほどよりも驚いた。土下座などより、マリーが慌てている様子の方が何倍も驚くべき現象だ。

「これまで以上に、ご主人様の望まれること全てを致します。ですから、どうか、どうか……!」

 必死なマリーには悪いが、俺は面白がってその光景を見ていた。人形のようなあのマリーが、顔に必死の表情を浮かべて懇願してきているのだ。ここまでいいものを見せてくれたのだからいっそ買ってやってもいいかな、なんて思ったが、残念ながら俺が欲しいのはそういうお願いの仕方ではなかった。

「……寝るぞ、こい」

 俺は敢えて返事を濁して、両手を広げた。マリーは涙を浮かべながら、こちらの行動を見ていた。そうしてしばらくして、自分の願いが届かないことを悟ったのか、頬を滴で濡らしたまま、ゆっくりと俺の頭を抱え込んだ。もはや語るべき言葉はなかった。マリーも諦めたのか、黙ったままで何も言ってこようとはしない。

 それでも、最後に諦めきれなかったのか。

「助けてください……」

 そう言って、ぎゅうと俺の頭を抱え込んだのだった。

「……」

 ――その反応が欲しかったんだよな。

 そう思い、俺は眠りに着いた。




 次の日、目が覚めてからマリーはいの一番に謝罪の言葉を口にした。俺は気にするなとだけ言って、そのまま横になっていた。マリーが朝食を作るまで惰眠をむさぼるのが常だったからだ。

 作ってくれた朝食を食べ、ソファーに座り込む。マリーは淡々と掃除をこなしている。その様子を見ていても、昨夜あれだけ必死だった少女の顔はどこにも見えない。そう考えると珍しいものを見れたんだなぁと思う。この後に連れて行く場所を考えると、もう一度その表情が見れるかもしれない。その想像を浮かべて、俺はほくそ笑んだ。

「少し出かけるぞ、ついて来い」

 昼ごろになってから、マリーを連れ立って外に出た。

 向かった先はウェンの居る奴隷商会だった。扉を開く前に一度振り返ると、マリーは目を見開いていた。その反応に頬を上げて、俺は入口をくぐった。

「いらっしゃいま……ようこそいらっしゃいました。支配人を呼んできますので少々お待ちくださいませ」

 以前来た時、最初に案内をしてくれた男がこちらを見るなり一瞬固まってしまった。が、そこは仕事人として流石なのか、即座に動き出して奥へと消えて行った。あの反応を見る限り、ウェン辺りから俺を丁重に扱えとでも言いつけられているのかもしれない。

「お待たせしました。ようこそいらっしゃいました」

 ウェンは間もなくやって来た。口元には笑みを浮かべているが、相変わらず表情は存在しない。

「ちょっと奴隷を一体欲しくて来たんだが、今大丈夫か?」

「はい。お客様でしたらいつでもいらしていただいて結構でございます」

「そりゃあどうも。で、こないだ買ったマリー」

 と、後ろを指さす。

「こいつの姉が居るはずなんだけど?」

「――はい、確かに当商会で取り扱っております」

「見せてくれるか?」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 連れて行かれたのは先日と同様二階部分だったが、今度は廊下奥の右側にある扉だった。マリーの姉とやらは扱いとしては性奴隷になるだろうから、もしかしたら奴隷の扱い別に部屋を分けているのかもしれない。

 案内されて室内に入る。後ろにはマリーの姿もある。

「こちらでございます」

 檻が並んだ部屋の中、奥の方に彼女は居た。金髪なのはマリーと変わらないが、腰元まで伸ばされている点では違った。顔立ちもマリーに比べてきちんと大人の顔をしているが、どこかマリーと似たような雰囲気もある。

「マリー」

 俺が口にした言葉に、檻の中の女は反応したようだった。もちろん反応したのはマリー本人もだった。彼女は呼ばれたままに俺に近づいた。

「これがお前の姉で間違いないか?」

「……はい、間違いありません」

「そうか」

 言って、ウェンを見た。ウェンはこちらの視線を感じると、小さく頷いてくれた。

「マリー、俺は少し支配人と話がある。お前は姉とでも話しをしてろ」

 言うが、マリーは俺の言葉を聞いていない様子だった。檻を両手で掴んで中の姉と視線を交わらせている。まあ色々と語り合いたいこともあるだろうから、しばらくは放っておこう。

 ウェンと部屋を出て、応対室へと入る。

「一応聞いておきたいんだけど、さっきのってまだ買い手ついてないよね?」

「はい、大丈夫です……が、よろしいのですか?」

「ん?」

「あの娘は器量はよいのですが、足が……」

「あーうん。一応聞いてる。その上で買いたい」

「……さようでございますか。それならばこちらからは何も申し上げることはありません」

 そう言うウェンは、微かに笑ったような気がした。それは接客用の作り笑いではなく、思わず洩れた本音の一端のようだった。

「で、まぁ話を続けるんだけど。実はマリーの時と同じで今手持ちがないんだよね。だから買うまで少し待っててほしいんだけど」

「それはもちろんでございますとも」

「手付金なくてもいい?」

「はい、大丈夫です」

「それはよかった」

 断られることはないだろうとは思っていたが、内心ではほっとしていた。これで姉を買えませんなんてことになったらマリーには期待だけさせたことになるからだ。

 ――俺がマリーの姉を買うことにしたのは、昨日最後にマリーが縋り付いてきたからだ。他の誰でもない、俺という存在に俺の奴隷であるマリーが助けを求め縋り付いてきた。それが何よりも満足感を与えたのだ。あれがなければ、きっと俺がマリーの姉を買おうと思うことはなかっただろう。

 だが一度買ってやろうと思ったからには全力を以て姉を購入する。買ったときのマリーの表情が見ものだし、今後彼女が自分に対してどう変わるのかが楽しみでもある。

「えーとじゃあ、金が出来次第来るからそれまできちんと世話しててね?」

「かしこまりました」

 会話は短かったが、まぁこの時間でマリーも少しは姉と語らうことが出来ただろう。迎えに行って今日の所は帰ろうかと思ったところで、ふと気になっていたことを聞いてみることにした。

「なぁ、少し聞きたいことがあるんだけど」

「何でしょう」

「この世界における奴隷ってのは、普段どんな扱いされてるの?」

 これは前から気になっていたことだった。マリーの時々発する言葉や行動はまるきり理解出来ないことが多い。それはきっとこの世界における奴隷の扱いがマリーの想定する扱いと同じだからだろう。そこに、俺の思う奴隷の扱いと相異があるに違いない。

「奴隷の扱いについてお話する前に、先ず当館で扱っている奴隷の価値についてお話しなければなりません」

 ウェンは一つ咳払いをして説明を始めた。

「先ず、当館で扱っている奴隷は中級から上級の品質の奴隷を扱っておりますので、一般的な奴隷の値段と比べると値段に差があります」

「へぇ」

「なので、当館のような場所で買われた奴隷はそれなりにいい扱いをされます。一般の、例えば奴隷市場などで売られている奴隷などの扱いは家畜と同等かそれ未満でしょう」

「というと?」

「寝る場所は馬小屋。食事は一日に一食。風呂はもちろん身体を拭くことすら許されないで、日々馬車馬の如くこき使われ、主人の機嫌を少しでも損ねれば殴られる。それがこの世界における一般的な奴隷の扱いです。また、先ほどは当館のような場所の奴隷は扱いがいいと申しましたが、それはあくまでも比較的、なだけでありまして、やはり暴力や食事抜きなどのことは頻繁に行われているようですな。あるいは一般的な奴隷と同じ扱いも」

「……なるほどねー」

 話を聞いて、マリーがどうしてあんな反応だったのかが分かった気がした。

 最初に服を買い、食事はきちんと三食あり、しかも主人と一緒の席についている。家事や性的な奉仕はさせるが、暴力はないし寝床もきちんとしている。そりゃあ聞かされていただろう奴隷の扱いとは雲泥の差だろう。

 もしかしたら、マリーが姉を買ってくれと言ったのも俺がそういった一般的な主人とは一線を画する“いい主人”だったからだろうか?

「まあ、どうでもいいか」

「はい?」

「いや、なんでもないよ」

 今となっては姉を買ってやると決めたのだ、マリーがどういう考えのもと懇願したのかなんて、もはや関係はない。

「それじゃあ、金が出来たら来るよ……あー、ちなみにあの姉の値段っていくら?」

「それはですな……」

 やはりマリーと比べると足が悪いのが祟ってか、かなり安かった。もちろん、大金には違いなかったが。

 そうしてマリーを連れて家に帰る。途中食料品を大量に購入してからの帰宅となったので、帰るころには地味に疲れていた。

 テーブルに荷物を置いて、ソファーに座る。

「……」

 そんな俺を、マリーはじっと見つめてきていた。

「なんだ?」

「……姉を、買っていただけるのですか?」

「そうだな」

「……どうして」

 まるで信じられないものを見たかのような顔で、マリーはこちらを見てくる。その表情の変化が楽しくて、笑みを浮かべながら答える。

「何だ、それとも買ってほしくなかったか?」

「いえ……それは」

「それは? 嬉しくないのか?」

「嬉しい……です」

「じゃあいいじゃないか。何も問題はない。マリーは姉を買ってほしい。俺は姉を買う。何か問題があるか?」

「……はい」

 言って、マリーは少し俯いた。まだ不安なのだろうか。それとも現状が信じられないのか。昨日遠まわしに買わないと言っていた主人がいきなり買うと言っているのだからそれはそうかもしれないが、俺としては気にしてほしい点はそこじゃなかった。

「ところでマリー?」

「はい」

 顔を上げて、マリーが返事をする。

「お前は昨日言ったよな。身も心も捧げるって」

「……はい」

「具体的に、どう捧げてくれるんだ?」

 きっと、今の自分の顔は嫌らしい笑みが浮かんでいるだろう。楽しくて仕方がなかった。マリーが自分に何をしてくれるのか、それを想像するだけで不思議な興奮が襲ってくる。

「それは……」

 戸惑っているようだった。ひょっとすると、昨日のは勢いで口にしただけで、何も考えてはいなかったのかもしれない。

「それは?」

 さあどうするのか。例えここでマリーがつまらないことを言っても機嫌を損ねるつもりはない。何故なら、今の現状こそが楽しいのだから。

「……ご主人様は、どのようなことをしたら喜ばれますでしょうか?」

 ――まあ、無難な答えだよな。

 自分で分からなければ相手に訊く。常套手段だろう。折角なので、俺は素直にその答えを出してやることにした。

「こっちにこい」

 腿の上を叩いて、マリーを呼ぶ。マリーは疑問を浮かべながら近づいてくる。

「俺の足の上に乗れ。またぐようにして、こっちを向いてな」

 言われた通りに、俺の腰にまたいで座ってくる。マリーの柔らかい感触が腿や恥部に伝わってくる。向き合うと、身長の低いマリーの顔が正面にあった。仄かに香る匂いを鼻腔で満喫しながら、指示を出す。

「首筋を舐めろ」

 少し顎を上げて舐めやすい様にしてやると、そこに引かれるようにしてマリーの顔が近づいてくる。そして感じる生暖かい感触。小さな舌が、唾液を塗りつけるようにして這っている。くすぐったさもあったが、舐めさせているという興奮と、舐められているという満足感に快感が湧き上がってくる。

 そのままマリーに舐めさせながら、俺は口を開いた。

「そのままで聞け。なぁマリー、俺が奴隷に求めるものは何だと思う? 従属するのは当たり前、命令に従います? 当たり前だ。仕えるのも当然だよな。じゃあ何だろうか? 分かるか? 分かったら舐めるのを一旦止めて答えろ」

 待ってみたが、マリーが舐めるのを止めることはなかった。

「そうか、まぁそうだよな。俺の個人的な嗜好なんてわかるわけないわな。でもお前はそれを分からなければならない。何故ならお前は俺の奴隷だから。俺のことを考え、俺のことを思い、俺のためだけに行動すればいい。俺がお前に求めるものはそれだ。わかるか?」

「……はい」

 小さく返事をして、マリーはまた首を舐め始める。

「まぁ今度来る姉のことは例外としてやる。世話もお前がしろよ。だが、それ以外は俺のことだけ考えてろ。わかったな?」

「はい」

 今度ははっきりと、頷いて、マリーは首に唇を当てて吸い付いてきた。

 ――お?

 突然変化に、心地よさと疑問を覚えた。もしかしたら早速言いつけを守って自分が気持ちよくなることを考えて行動を始めたのだろうか。それならばいい傾向だ。

 これは今日は夜の奉仕が楽しみだな、と考えながら、俺はマリーの舌の感触を堪能していた。




 そうして一週間と少しして、俺はマリーの姉を購入したのだった。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 前回感想ありがとうございました。
 年甲斐もなく感想を見ては「げへへ」と見て笑っておりました。
 きもいですね。
 それでは今回も感想返しをば。


[5]ポチ様

>頑張れ~!!
>応援してる

 が、がんばるー!
 こういう感想は素直に嬉しいので感謝です。


[6]ろくばん様

>最初の方の文体で星新一的な良い意味での無機的さを感じました。

 実は星新一先生のお話は読んだことがなかったりする作者です。
 面白いと話には聞くのでいつか読もうとは思っていたのですが……やはり読書好きとしては読むべき作品ですかね?

>ちょっと期待出来そうなのでえ~るをば…

 ご期待に応えれるかどうかは分かりませんが応援は嬉しいので感謝です<(__)>


[7]月様

>良作の予感。
>期待してます。
>頑張ってください。

 良作……になれればいいなぁっ?
 と切実に思う作者です。
 応援感想ありがとうございますです。


[8]A7様

>これは良いものだー

 なんかラブヒナ思い出しました。

>この手の作品の悪くなりがちな部分を切り捨てているのが奏功していますね

 この手の小説は面白いのが多いのですがもはやテンプレといってもいいほどにまだるっこしい部分が多いですよね。あれは読んでてもがっかりするので自分が書く分にはできる限り気を付けていきたいと思います。

>マリーちゃん以外にも奴隷買おうぜ!

 これまたテンプレ通りな姉を購入することにしました。
 さてどんな悪戯……じゃなくて奉仕をさせるか。げへへ。


[9]Libra様

>tueeee臭のしない最強主人公は珍しい。

 逆に考えたら本当に弱いかもしれません。
 弱いやつがドラゴン倒すってこの世界の住人どんだけ化け物だよと思わないでもないですが。

>これだからss巡りはやめられない。たまにこういう良作になりそうなssが出てくるから。

 僕も今でも奴隷系や最強系のss探索にはよくネットのなかで出かけてます。
「こんな小説が今まであったのかー!?」となる瞬間は確かに楽しいですよね。
 どっかにいい小説があったら是非紹介してください。
 僕の中で最高の奴隷ハーレム小説は惚れ症のハーフエルフさんです。

>つまり、期待してるから頑張ってという事です。

 ……が、がんばりますっ!
 ありがとうございます!




[33226] 四話
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/26 11:25




 マリーの姉を買うまでの一週間とちょっとの間、今までにない充実感を味わっていた。はっきりと分かるほどに、マリーのこちらに対する態度というか言動が変わったのだ。これまでは命令するまでは何も動こうとしていなかったのが、何か言う前にこちらのことを気遣った行動をとるようになった。それでも分からないときは自分から何か用事があるかを聞いてくるようになった。性的なことでは、キス一つを例に挙げると、これまではこちらから一方的にキスするだけだったのに、する際にこちらの首に両手を巻きつけて自分から舌を差し出し絡めてくるようになった。セックスの際もこれまでは一言も声をあげなかったのが少しずつ感じるような嬌声を上げているし、膣内はいつもこちらを気持ちよくさせようと締め付けてくる。膣内から抜いた後は自分からフェラをして掃除してくれるし、就寝するときの添い寝では何も言わずとも頭を撫でてくれたり背中を擦ってくれたりする。正に言うことなしの状態だった。

 そんな幸せな日々を送りながらも狩りをし素材集めをして、何とか資金を集めることが出来た次の日、マリーを連れて奴隷商会へと足を運んだ。

 肉体的にも精神的にも疲労が溜まっているのでさっさと引き取りを済ませて家に帰りたい。そう思いながら、どこか浮かれているように感じるマリーを背中に引き連れながら奴隷商会の扉をくぐった。

 そこには、マリーを買ったときと同じようにウェンが部屋の中央で待ち受けていた。

「お待ちしておりました」

「なあ、やっぱり俺の居場所って逐一分かってるでしょ?」

「ご冗談を」

 絶対嘘だと思いながらも、これ以上追及しても答えてくれないだろうと理解しているので何も言わない。

「あー、で。約束の奴隷をお願い」

 前回同様ウェンに白金貨の詰まった袋を渡す。中身を確認しようともせずに受付に居た男に袋を渡すと、ウェンは「それでは」といって二階へと促してきた。慣れたもので、黙ってその後をついていく俺とマリー。

 二階に上がると、マリーを買ったときにも連れて行かれた対応室にて待っているように言われた。ソファーに座り一呼吸する。何故かマリーは後ろの方で突っ立ったままだった。

「どうした? 座ればいいのに」

「いえ……自宅ではともかく、外で奴隷が主人と同席しているのは体裁が悪いかと思います」

 そうか? と疑問に思ったが、マリーが言うのならばきっとそうなのだろうと思う。正直誰に何を言われようと関係はないのだが、別に無理に座らせる必要もなかったのでそのままにさせておくことにした。

 ちなみに、マリーがこうして俺に対して意見を言うようになったのも変わった点の一つだった。反抗するというわけではなく、俺にとって良かれと思うことを自分から言葉にするようになったのだ。ある意味これも一般的な奴隷からすれば体罰ものの行動なのかもしれないが、俺自身はそのことに好感を抱いているので何の問題もない。きっとマリーからすれば最初に意見するときはかなりの勇気を振り絞ったのだろうが、それが自分に尽くそうという思考からの行動なのだから可愛げがあるというものだ。

 マリーの姉を買うためにそれなりに苦労はしたが、こうして彼女が良い意味で変化してくれたのだから甲斐があったというものだ。

 ソファーに背を預けてだらりと力を抜いていると、部屋にノックの音が響く。予想としてはまた奴隷がお茶を持ってきたのだろう。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 入室してきたのは前回もお茶をくれた奴隷だった。見習い奴隷である彼女は入室してこちらを見ると、一瞬目を見開いて固まってしまった。その視線は自分に、というよりも自分を通り過ぎて後ろまで行っている。なんだ、と思いながら背後に視線を送ると、マリーが女奴隷の視線を真っ直ぐに受け止めていた。

 檻の中に居た時の知り合いかな、と思ったが、口は出さなかった。

 女奴隷はしばらく固まっていたが、自分の役割を思い出したのかようやくテーブルに近づいてくると二つのお茶を置いた。その際に見えた胸元は相変わらず見事な大きさで、いい目の保養になった。

「失礼いたしました」

 出ていく際に一瞬だけマリーの方を向いてから、女奴隷は出て行った。

 ティーカップを手に取り、香りを楽しみながらマリーに声をかける。

「知り合いか?」

「はい、商品時代によく喋っていた人です」

「ふーん」

 予想通りの返答に、適当に頷いておく。

「それよりマリーのお茶も準備されてるみたいだから、座って飲めよ」

「ですが……」

「どうせここにはお前が俺と座っていたからといって咎めるやつはいないし、居たとしても俺が許す。いいから座れ」

「……はい」

 渋々、といった感じでマリーが隣に座ってくる。カップを手に取り、一口飲むと、ほうと息を漏らした。その動作が何とも様になっていて、まるでどこぞのお嬢様のように見える。少しむらっと来たので、カップを受け皿に置いたのを見計らって腰を抱いて引き寄せた。

「あっ」

 両手を俺の胸元に置きながら、戸惑いの表情を見せる。

「あの……」

「何だ?」

 言いたいことを理解していながら、さも知りませんといった風に聞く。

「いえ……何でもありません」

 少しばかり言いよどんだが、マリーがそれ以上何かを言うことはなかった。ここで何かを言うということは俺の行為を否定することと思ったのか、言っても仕方ないと考えたのかは定かではないが、どちらにしてもこれからすることに変わりはない。

 マリーの腰を抱いたまま、空いた手を彼女の頬に当てて近づける。マリーもそっと目を閉じて自分から近づいてきた。

 重なる唇。優しく啄んでその柔らかさを堪能してから、そっと舌をマリーの口の中に差し込んだ。それに合わせて、マリーも自分から舌を出してきた。最初に先端部分同時を合わせ、絡ませる。少し自分の舌を引っ込めて、誘われるようにマリーの舌がこちらの口に入ってきたのを確認して軽く吸いながら舐める。粘膜同士の触れ合いに心地よさを感じながら、マリーのスカートをめくり太ももに手を這わす。繊細な皮膚と、細いのに柔らかな感触に満足しながら、その手を徐々に奥へと忍び込ませていく。僅かに閉じられたその足を開かせて、奥に手を差しのばす。

 ――コンコン。

 その時、狙い澄ましたタイミングでノックの音が響いた。

 あまりのタイミングの悪さに舌打ちをしてから、マリーを見る。マリーは落ち着いた様子で乱れたスカートを直すと、両手を膝の上に置いて行儀よく座りなおした。

 準備が出来たのを確認してから、入室の許可を出す。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 先にウェンが入室してくる。そして少し身体をずらして扉を押さえたままでいると、廊下から松葉杖のようなものを着きながら歩いてくる女性が一人。

 一度だけ見た、マリーの姉だった。

 彼女はゆっくりゆっくりとこっちへと近づいてきた。その背後でウェンが扉を閉め、後を追う様に歩いてくる。

 マリーの姉はテーブルの傍まで近寄ると、俺を見て、マリーに視線をずらし、再びこちらに顔を向けた。緊張しているのか、その表情は若干硬いように見える。

「挨拶しなさい」

 ウェンが促すと、流石に全身での礼は出来ないのか、頭だけを下げて、

「エリーと申します。不自由な身なので出来ることは限られてくるかと思いますが可能な限りお仕えさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

 そう言って顔を上げた彼女の顔には、微かな笑顔が浮かんでいた。マリーとは違い、どうやら姉の方は感情がそこそこ豊かな様だった。だが、その表情に若干の戸惑いのようなものが見えたのは、はたして俺の気のせいだったのだろうか。

「よろしく。まあ出来る限りでいいから頑張ってくれ」

「はい」

 もう一度頭を下げながら、はっきりとエリーは返事をした。

「それじゃあ、また前回と同じような手続きかな?」

「そうですな。お手数をかけるようですが、よろしくお願いします」

「はいはい」

 そうして、エリーと主従契約を結んでから、俺は奴隷商会を後にしたのだった。




 ようやく家に着いた。ようやくと言っても、今回は杖で歩くエリーを気遣って服屋に寄ることもなく真っ直ぐに帰ってきたので疲れるようなことはしていない。精々帰り道にあった屋台などで食料品を買い込んだくらいだった。

 それでも、金儲けでの活動が地味に来ていて、奴隷商館と家との往復だけでも精神的にくるものがある。もう今日はさっさと寝てしまいたいのが本音だった。

 なので、家に着くなりマリーに言った。

「俺は休む。この家での過ごし方についてはマリーから伝えておけ。何かあれば呼んでくれていい。分かったな?」

「かしこまりました」

 マリーが頭を下げるのを確認してから、早々にベッドのある部屋へと移動した。

 部屋に入ってから、服を脱ぐこともなくそのままベッドに倒れこんだ。倦怠感があるし、何より眠たかった。きっと今目を瞑ればすぐにでも眠りに着くことが出来るだろう。

 仰向けに倒れ、枕に頭を預けながら、片腕を瞼の上に置いた。深呼吸して、力を抜いた。

 何だかんだでこの一、二か月の間に二人もの奴隷を手にしたのだ。そこに掛かった費用は数千万ルクスにものぼる。マリーはその金額に見合った、素晴らしい奴隷だが、果たしてその姉はどうだろうか。どうせ世話はマリーがするのだから自分に害があるわけではない。何か家事を期待しての購入ではないので、精々夜の務めに使えるくらいだろう。それが数千万の価値に見合うだけのものがあればいいが……

「まあ、買った動機がマリーのお願いだもんなぁ。その辺は気にしてもしかたないか」

 究極的に言ってしまえば、どれだけ役に立たずともエリーを購入することは確定だったのだ。それを今更気にしても、埒のないことだった。

 ――まぁ、あれがどんな人間であるかは、これから知ればいいことだし、な……

 段々と自分の意識が薄れようとしているのが分かった。もう少し経てば、一気に夢の世界へと旅立つだろう。昼飯は食べ損ねたことになるが、夕食を食べればまぁいいだろう。もしかしたら昼食になったらマリーが起こしてくれるかもしれないし。

 そんなことを考えながら完全に眠りに着くまでしばらくぼんやりとしていた。

 どれだけの時間が経ったかは分からないが、突然部屋にノックの音が鳴った。

「……何だ?」

 何か用事があれば呼べとは言ったが、いくらなんでも早すぎではないだろうか。

「あの……まだご就寝ではないでしょうか?」

 声からするとマリーではない。すると、訪ねてくる人物は限られている。

「ああ、起きてる。どうした?」

 何かあったならマリーが呼びにくるだろうし、休むと言っているのにエリーがここに来る理由が分からない。

「……部屋に入ってもよろしいでしょうか?」

「……入れ」

 理由は分からなかったが、何かしら用事があるのだろう。聞くだけは聞こうと身体を起こす。

 ゆっくりと扉が開いて、そこからこつこつと杖の音を鳴らしながらエリーが入ってくる。やはり片足では歩きにくいのか、その歩みはゆったりとしたものだ。扉を閉めてから、またゆっくりとこちらに近づいてくる。

「お休みのところ申し訳ございません」

 言って、頭を下げる。

「あーまあ、気にしなくていい。何か用事があって来たんだろ?」

「はい。お礼を申し上げようと思いまして」

「礼?」

 何か礼を言われるようなことをしただろうか、とふと疑問に思って首を傾げる。

「はい。足の不自由な私を買っていただきましたお礼です」

「ああ」

 なるほど、とは思ったが、別に礼を言われるようなことではなかった。所詮エリーを買ったのはマリーの懇願に折れたからだし、エリーという人物を思っての行動ではない。

「気にするな。お前を買うと決めたのはマリーだし、礼を言うなら妹に言うんだな」

 正直に言って負の感情を向けられても困るので、一部の真実だけを口にする。

「それでも、お金を出していただいたのはご主人様です。妹から聞いたかも知れませんが、あのままですと私の先はありませんでした。ご主人様はそれを救ってくださった方です。なので、改めて感謝を述べておきたいと思いまして」

 その気はなかったが、こうして相対して感謝を述べられると、少しばかりくすぐったいものがあった。買った理由からの気まずさまではないが、どういう反応をしていいのか若干困ってしまう。

「……まあ、礼は受け取っておく。が、あまり気にするな。それに、俺は主人でお前は奴隷だ。これからは俺に命令されてこきつかわれるんだ。そんなことを気にせずこれからのことを考えるんだな」

「それについてなのですが……」

 言いよどみながら、エリーは空いている方の腕を胸の前に持ってきた。そして、おずおずといった感じでこちらを見ながら、一度唇を引き結んで、口を開いた。

「私はこの通り足が悪いので家事などは出来ません。下手をすれば用を足すのも一人では出来ません。そんな私が、どうすればご主人様のお役に立つことが出来ますでしょうか」

「どう、と言われてもな……」

 今エリーが言ったように、彼女に雑用をこなせるわけはない。となってくると、彼女に出来ることは性的な奉仕以外にはあり得ない。それは彼女にも分かっているだろうにどうしてそんな質問を……と、ここまで考えて、なるほどと思う。つまり、彼女は遠まわしに誘っているのだ。

 これが勘違いだった場合かなり恥ずかしい思いをすることになるが、相手は奴隷なのだから気にする必要はないと考え、俺はベッドの縁に腰掛けながらエリーに手招きした。

「こっちにおいで」

 決心したようにこちらへ近づいてくるエリー。

「ここに座れ」

 少し腰を下げてエリーが座れるスペースを股の間に作り、ぽんぽんとその空間を叩く。彼女は難しそうにその場で半回転してから、腰を下ろそうとする。

「あっ」

 片足ではやはりバランスがとりづらいのか、彼女の尻が勢いよく落ちてきた。軽くベッドが音を立てた。

「も、申し訳ございませんっ」

「ああいいよ。別に痛くなかったし」

 慌てて謝罪を口にするエリーの横腹に手を添えながら、自分の顔をそっとエリーの肩に持っていく。そのまま顔を肩に固定して、右手を腹の前に、左手を右胸へと持っていく。

「あ……」

 エリーが小さく固まった。怖いのか緊張しているのか、とも思ったが、はてもしかして彼女は。

「なあ、訊くが。お前初めてか?」

 そう言えばウェンにはエリーを買うと言っただけで、その際にエリー自身に関する説明は一切受けていなかった。本来は説明を受けて気に入った奴隷を買うのに、最初から指名したからいらないと思われていたのだろうか。重要なこともあるかもしれないので、今後も奴隷を購入する場合は気を付けようと思う。

「は……はい。ご主人様が初めてです」

「ふーん……キスの経験は?」

「ありません」

「胸を触られたことは?」

「ありません」

 ――素晴らしい。

 その点に期待していたわけではなかっただけに、全てが未経験というのは素直に喜ばしい。折角なので、その稀有な存在を守っておくように言づけておくようにしよう。

「じゃあ最初の命令だ。俺以外の男に身体に触れさせたりキスしたりするな。いいな?」

「はい……かしこまりました」

 背中からなのでエリーがどんな表情をしているのかは見えなかったが、何言ってんだこいつ? な顔をしていないことを祈る。そうだ、マリーにも今のと同様の命令をしておかなければならない。現時点において彼女は既に俺の忠実な奴隷だから心配はいらないとは思うが、念には念を入れておかねばならないだろう。

 エリーの胸に触れている腕に少し力を入れて、体重を自分に預けさせる。背中が触れると、痛くない程度にぎゅうと抱きしめてみた。

 抱き心地がよかった。小さなマリーはあれで素晴らしいのだが、より肉付きよく成長している姉のエリーの方が単純な抱き心地としては上だった。

 腹に回していた右手を右胸に、左手を左胸に移し、全体を揉みしだく。手からあふれる程度に育った双丘は指が沈み込むほどに柔らかかった。張りがないわけではない。何といえばいいのだろう……そう、マシュマロだ。あの感触に似ている。ブラジャーなど存在しないのでノーブラの胸を服の上から何度も揉んでいると、何だか自分まで沈み込んでしまいそうな気分になってくる。

「ん……」

 先端部分を擦りながらひたすらに揉みしだいていると、エリーが声をあげた。

「ん……あ……」

 その声が酷く妖艶に聞こえたので、俺は直接服の下へと手を伸ばし、胸を鷲づかんだ。直接触れた肌の感触はさらさらとしていて肌の肌理細やかさがよく分かった。肌のすべすべさはマリーと比べてもなんら遜色のないもので、流石姉妹と変なところで納得してしまった。

「んあ……あっ……!」

 直接触れることで刺激が強くなったのか、エリーの声にも熱が篭もってきた。俺の顔は未だにエリーの肩に置かれているので、その声がよく耳に届く。

「くすぐったいのか?」

 分かりきったことを敢えて間違えて聞いてみた。毎回処女かどうかを確認したりこんな質問をする辺り、自分は意外とねちっこい性格をしていたのだろうかと疑問に思う。

「いえ……」

「何だ?」

 か細いエリーの声には恥ずかしそうな色が混じっている。

「あの……ち……いいです」

「聞こえない」

 エリーの身体が小さく震える。恥ずかしいのだろう。だが、それがいい。そんな様子を背中からとはいえ見ていると、酷く興奮してくる。

「気持ち……いいです」

「そうか、じゃあもっとしてやらないとな」

 乳首付近を焦らして触っていたのを、いっきに摘まんでやる。

「あぅっ」

 くりくりと豆をこねくり回すように愛撫する。親指と中指で挟んで人差し指で先端を擦ってやったり、指で何度も先端をはじいてやったりと、何も言われないのをいいことに好き勝手やる。

 それでも感じるものがあったのか、段々とエリーの体温が高くなってきている気がする。

 胸を揉んだ時点ではっきりしていたが、どうやら姉の方は妹と違ってかなり性感帯が敏感なようだった。クールに感じる妹と、激しく悶える姉。いつか並べて同時に愛撫してみたいものだと考えながら、片手を抜いてエリーの顎に持って行った。

「こっちを向け」

 顎を置いている肩に無理やりエリーの顔を向けると、そのままキスをした。体温の上昇はこんなところまで伝播しているのか、彼女の唇は熱く、舌を入れると中はぬめっていた。何度も口の中を蹂躙するように動き回っていると、しばらくしておずおずとエリー自身が舌を差し出してきた。やはり熱いそれを絡め捕る様に交わらせると、何だかエリー自身の味が感じられるような気がした。

 顎に置いていた手をどけて、今度はスカートの中へと移動させる。中は何だか蒸れているような気がした。気にせず一気に奥まで手を伸ばし、閉じられた腿を開かせる。片足が動かないので少ししか開かなかったが、触れるには十分なほど隙間が出来たので下着に触れてみた。僅かに湿っていた。

 両手を抜いて口を離し、身体を後ろに移動させてエリーをベッドに横たえた。

 髪をベッドの上に広げて両手を身体の左右に置いたエリーの姿は、卑猥だった。上気した頬が、乱れた呼吸によって上下する胸が、自分を誘っているように見える。

 スカートの中に両手を差し込んで、下着を脱がそうとする。

「少し腰を上げれるか?」

 片足だから難しいかとも思ったが、エリーは素直に片足で支えると腰を浮かせた。その間にさっと下着を抜いて、ベッドの上に放る。

 スカートをめくり、足を広げさせてそこをみると、開かれた小陰唇の間から愛液が光っていた。これならもうすぐにでも入れて大丈夫だろうかと思ったが、折角の初物なのだから味わわなければ損と思い、顔を近づけた。

 舐める瞬間、ちらりと上目でエリーの顔を窺って見ると、顔をそむけて目を瞑っていた。そそる表情だった。どうせならもっと恥ずかしがればいいと思いながら、舌を差し伸ばした。

 両の親指で秘裂の上部を左右に引っ張り、陰核をさらけ出す。小さく膨張したその豆を、舌先でチロチロと舐めてやる。びくんとエリーの身体が揺れるのを愉快に思いながら、今度は舌の先端部分を大きく使って何度も往復させてやる。その度にエリーは震え、両腕を身体の前に持ってきて何かに耐えるように力を入れている。

 膣口から溢れる愛液を舐めるように掬い取り、クリトリスに直接つけてぬめりを帯びるようにしてから何度も何度もなめまわす。すると次第に愛液の量が増してきたので、そろそろ遊ぶのは終わりかなと身体を起こした。

 ズボンを下ろし、自分自身を露わにする。見ると、エリーの視線が下半身に向いていた。

「あ……」

「初めて見るか?」

「いえ……父のを見たことはあるのですが、そんなに大きくなっているのは初めて見ました……」

「そうか。その大きくなっているのが今からお前の中に入るが、いいか?」

 嫌と言っても入れるのは確定しているのだが。

「あ……はい。お好きなようにお使いくださいませ」

 そう言って出来る限り股を開こうとするエリーに何だかくるものを感じて、せめて優しくしてやろうと思った。

 亀頭を入口にあてがいながら、そっとエリーに覆いかぶさる。頬に手を当て、軽くキスをする。すると今度はエリーから求めてくるようにキスをしてきた。キスをしながら胸に手を当て、手のひらで乳首を転がすようにしながら揉む。更に空いたもう片方の手で、クリトリスを転がしてやる。その度にエリーがまた震えるが、こうしながら入れる方が感じる痛みが少なくて済むだろうと思ってのことだった。

 エリーに愛撫を繰り返していきながら、ゆっくりと侵入を開始する。亀頭が入り、竿が入っていく。

 中は酷く熱かった。まるでエリーの体温の全てがここに凝縮しているのではないかと思うほどに熱く、比例するように気持ちいい。愛撫を繰り返しているからか、中では幾度も収縮があって、動かずとも下半身を刺激してくる。締め付け具合もきつ過ぎず緩すぎずちょうどよく、こういうのを名器と言うんだろうかと思った。

 そうして、先端が何かに当たるような感覚があった。マリーの時は何となく突き破ってしまった、処女膜だろう。あのマリーですら痛がっていたのだ、きっとエリーにも相当の苦痛があるのだろう。どうしたらいいか、一瞬の逡巡の後、愛撫していた手を止めて背中に手をまわしてやった。

「……?」

 不思議そうにするエリー。その顔に向かって、頬を上げて言った。

「きっと痛いだろうから、抱き着け。どんなに強く抱き着いても叱ることはない」

 気を遣って抱き着けないことを考慮して、予め許可を出しておく。せめて何かにしがみつくことが出来れば、辛抱することも出来るだろう。

「あ……はい」

 そう言いながらも、恐る恐ると背中に手をまわしてくるエリーの初々しさに可愛いものを感じ、逆に強く抱きしめてやった。

「じゃあ、行くぞ」

 言ってから、一気に貫いてやった。じっくり行くよりも一思いに貫いた方が痛みを感じる時間が少ないだろうと思ってのことだった。

「あぐっ……!」

 案の定、エリーは声をあげて強く抱き着いてきた。そればかりか、若干爪まで立てているようで、少し痛い。

 だが、マリーの時にも感じたが、自分の奴隷が自分に助けを求めるかのように縋り付いてくるというのは精神的な充実感が高い。守ってやろうとか、可愛がってやろうという保護欲のようなものが湧いてくるのだ。

 自然と上がる頬を抑えきれず、俺は笑ったままエリーの苦痛に歪む顔を見ていた。もう少し痛みが引くまで我慢してやればいいだろうに、邪な感情が湧き上がってきて、それに負けて腰の動きを開始した。

 引いて、入れる。ぐいと奥の奥まで突き入れてから、また引き、刺す。

「んっ、あぁっ……! いた……んんっ!」

 エリーの顔が苦痛に歪み、しがみつく腕により力が入っていく。それでも痛いとだけは言うまいと頑張っているのか、唇を噛んで耐えているのがいじらしい。

 そんなエリーに対して、俺はというともっと苦痛にその表情を歪めればいいのに、とか、もっと俺に救いを求めろだとか、悪魔染みた思考を頭に浮かべていた。きっとこんな考えを知ればエリーは俺に幻滅するだろうなと思ったが、俺に卑猥な様相を見せるエリー自身が悪いのだ。こんなに興奮させる彼女が悪いのだ。そう思いながら、腰の往復運動を繰り返していく。一定の動きではなく、時々早くしたり遅くしたりと緩急を付けたり、深い位置で小さく出し入れしたりと違う感触を楽しみながら腰を前後させる。

 やはり名器なのだろう。熱く締め付けてくる中の心地よさに、もうそろそろ限界が訪れようとしていた。我慢してもう少しこの乱れる女の表情を堪能しようかとも思ったが、

「んんんん……!」

 その耐える姿があまりに綺麗で健気で、それに負けて俺は出すことにした。

「あああ……! 熱い……!」

 余程興奮していたのか、前日にマリーを抱いていたというのに息子は何度も何度もエリーの中で跳ねた。同時にエリーがその感想を漏らしていたが、こちらからすればお前の中の方が余程熱かったと言いたい気分だった。

「はぁ……はぁ……」

「は……ん、はぁ……」

 余程夢中になって腰を振っていたのか、いつも以上に呼吸が乱れていた。エリーも耐えて疲れたのか深い深呼吸を繰り返している。

 俺はこの事後の、微睡のような時間が好きだった。興奮した状態のまま冷静さを取り戻している、曖昧なこの瞬間が。

 顔をエリーの耳元に置いているので、彼女の耳が目の前にある。何となくそれがおいしそうに見えたので、口に含んでみた。

「あっ、あの、何を……?」

「ん? 何かいけないか?」

 マリーにはいつもやるし、やってもらうのだが、エリーは初めてだったからか戸惑っている様子だ。

「いえ、そのようなことは……」

「じゃあ問題ないな」

 そう言って、耳への愛撫を再開する。男の耳たぶを舐めたことはないし、舐めたいとも思わないが、女性の身体っていうのは本当にどこも柔らかくて触り心地がいいんだなと思う。耳たぶですら、サラサラとしていて舐めている側なのに気持ちがいい。本当に食べたらおいしそうだななんて思いながら、ふと気づく。

「あー……エリー。そろそろ爪尖らせるのやめないか?」

 そう、強く抱きしめてきたときにエリーは爪を立てていた。それが未だに刺さっているのだ。口に出すほどではないが、地味な痛みを与えてくるそれをそろそろ離してほしかった。

「あっ! も、申し訳ございません!」

 すぐに離してくれたが、今度はエリーが酷く恐縮している様子で謝罪してくる。

「あ、あの、本当にすいません! どうか、お許しを!」

「あー、いいよいいよ。怒ってないし、抱き着いていいって言ったの俺だし」

 先ほどまでは酷く乱れた女だったのに、一瞬でただの奴隷へと変化してしまったその様子におかしいものを感じながらも、悪くない気分だった。

 ――あーしかし、あれだ。

 心地いい疲れが体にはあるし、射精したことによるすっきり感もある。だからこそ、

「眠い……」

「え?」

「いや、眠たいなーって」

 元々休もうと思って一人でベッドに寝っころんでいたのに、思わぬ運動をしてしまったことで限界が来たらしい。襲うような眠気が頭の上を漂っている。

「あ、えと――お休みのところをお邪魔して申し訳ありませんでしたっ」

 すると、責められていると勘違いしたのかエリーが再び頭を下げてくる。だが今はそんな謝罪を相手するのも億劫なほどに眠たい。

「あーいいよ。その代りに添い寝してくれ。眠い」

「え? あ、はい」

 胸、胸、胸枕ー。と頭の中で連呼しながら、のしかかっていた身体をどかし、脇にずれてからエリーの身体をこちらに向けさせる。

 そのまま豊かな双丘に顔をダイブさせて、背中に手をまわして目を閉じる。

「お休み、起こすなよ」

「……はい。おやすみなさいませ」

 エリーはマリーのように頭を抱いてくれるようなことはなかったが、この胸の感触があればそれでもいいかな、と思う。

 そうして、俺は心地の良い眠りの世界へと旅立った。




 マリーの声によって目を覚ますと、どうやら既に時刻は夕方を過ぎていたようだった。完全に熟睡していたようで、まだだるさは残るものの頭の中はすっきりとしていた。

「あー、おはよう」

「おはようございます」

 身体を起こしながら言うと、マリーは小さく礼をしてきた。

 下に視線を向けてみると、まだエリーは眠りに着いているようで、小さな深呼吸を繰り返している。何だか起こすのが忍びない様な、無垢な寝顔だった。

 ほほをぽりぽりと掻きながら、マリーに視線を向ける。

「マリー、昼は食べたの?」

「はい、頂きました」

「そりゃあよかった。で、もしかして夜ご飯出来た?」

「はい、そのつもりですが、まだご就寝なされますか?」

「んー」

 それも中々素敵な提案だが、折角作ってくれたのだから温かい内に食べたい。

「いや、起きるよ。エリーはどうする? このまま寝かせてやった方がいいようにも見えるけど」

「起こしましょう」

 即答だった。マリーはベッドに近づくと、エリーの肩を掴んで揺らし始めた。

「姉さん。起きて。起きて」

「んん……」

 寝起きは悪くないのか、間もなくしてエリーは目を覚ました。よく現状が理解出来ていないのか、目をこすりながら上体を起こし、マリーを見て首を傾げている。

「マリー?」

「うん。マリー。で、早く目を覚まして。ご主人様がベッドから降りられないから」

「えっ?」

 その言葉に素早く俺の方を見ると、ようやく自分の現状が理解出来たのか突然慌て始めた。

「あ、あのっ。申し訳ございませんっ」

 ――何が?

 そう思ったが、彼女なりに謝らなければならない何かがあったのだろう。心底どうでもいいな、と感じたが、そんなことを考えるところまだ自分も頭が寝ぼけているようだった。

「いいよ。そんなことより飯らしいから食いに行くぞ」

「えっ、あ、はい」

 相変わらずわたわたとしているが、どうやらこの姉は少しばかり慌てんぼうのようだ。それともまだ最初だから慣れてないだけで普段はおしとやかなのだろうか。出来ればうるさくない方が好きなんだがなぁと欠伸を漏らしながら、俺は台所のある間へと足を向けるのだった。

 そうして夕食を食べた。最初俺と一緒に席に着くマリーに驚き、自分も着いていいと言われてまたもや戸惑いの表情を見せていたエリーが居たが、それ以外は特に問題なく平穏な食事時だった。まあ食べている最中も最初から最後までエリーはおずおずといった食事を続けていたが、いつか慣れるだろうから気にしないことにする。

 後は風呂に入って寝るだけだな、と考えたが、ふと一つの事実に思い当たる。

 エリーは一人で風呂に入れない。つまりマリーと入ることになる。俺はマリーと入れない。お風呂でいちゃいちゃできない。

「何てことだ……」

 猛烈に残念な気持ちに項垂れる。別に三人一緒に入れないこともないのだが、湯船がそう広いわけではないので難しいだろう。ちなみに自分がエリーと二人で入るという発想はなかった。俺は世話されるほうで世話する係ではないからだ。

 今後しばらくは風呂に入るのは一人で入ることになりそうだと思いながら、俺は湯船にお湯を溜めに行った。

 そうして風呂の時間を終え、就寝時。俺は左にマリー、右にエリーを侍らせてベッドに倒れていた。二人は俺の腕を枕に、抱き着いてくるような体勢だ。こうしてほしいという欲望もあったし、ベッドはそこまで広くないのでこうでもしないと三人もの人間が一度に寝ることは出来ないのだ。

「あの、本当によろしいのですか?」

「何がだ?」

 エリーが戸惑いながら訪ねてくる。

「いえ、奴隷が主人と一緒のベッドで寝るなんて……」

 さっきも一緒に寝てただろうが、とは突っ込まない方がいいのだろうか。

「構わん。俺がいいといったらいいんだ」

「……はい」

 納得がいかないのか後で怒られないかが心配なのか、エリーの声には元気がない。まぁこれもすぐに慣れるだろうと思いながら二人の乳を揉もうとして、精々頭を撫でる程度しか腕が動かないことに気が付く。しかもこの体勢では抱き着くことも胸枕を堪能することも出来ない。ガッデム。綺麗な女を侍らすというのはいいのだが、その先の行動を起こせないようでは意味がないではないかとまたもや残念な気持ちに苛まれながら、半ばいじける様に目を瞑った。先ほどたっぷり寝たというのにまだまだ眠気があるのは、余程疲労がたまっていたのだろう。もう寝てしまおう。目を瞑り、すぐに思い至り瞼を開く。

「マリー」

「はい」

 左を見ると、目を閉じていたマリーが目を開いた。俺はそんな彼女に首を逸らして見せる。それだけで理解したのか、マリーは顔を近づけてくると首筋にキスをしながら舐めてきた。最近ではランクアップしてキスマークを付けるところまで来ているので次はどうなるんだろうかと期待に胸が膨れている。

「俺が寝るまでそうしてろ」

「はい」

 舐められている個所から感じる快感に身をゆだねながら、ゆっくりと力を抜いていく。眠気はあるのですぐに眠りに着くことが出来るだろう。最後に大きく欠伸を一つして、俺は意識を落としていった。

 寝る瞬間、最後に一つだけ失敗していたと思ったことがあった。

 ――どうして俺もエリーもマリーも服を着たまま寝てしまったんだろうか、と。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


[10]tonton様

>これって某所にある更新停止になった作品のパクリですよね?

>・主人公はチート能力持ち
>・主人公が購入した奴隷が無口で無気力な感じ
>・奴隷には姉がいて、美人だが足が悪い
>・主人公に姉を購入するように頼んで、主人公はその面倒は自分で見ろという

>現時点でこのくらい共通点が出ています
>その作品を読んだことがある私としては、その作品を勝手にリメイクした作品にしか見えませんよ

 僕もその作品は読んだことがありますし、影響を受けてないといえば嘘になります。
 そもそもこの小説を書き始めた理由というのが色々な作品を読んだりしてそれらの面白いと思った部分だけが集まった小説はどんなものだろうと思ったのが理由からです。
 正直構想した時点であまりに類似点が多いので悩みはしていたのですが、小説家になろうで同じような設定の小説を見たのもありますし、その他の点でも同じような設定の小説があったので問題ないかなと思ってこうして掲載させてもらってます。
 確かに設定類似点が多いことは自覚してます。
 これがパクリかどうかと言われたら僕自身では判断できないので、今後あの小説を読んだことのある方々から多くの「パクリだ」という声があれば謝罪の後に削除するかと思います。
 それでも納得がいかないようでしたら、直接あの作者の方に連絡差し上げてからその作者さんの判断を仰いでみてください。それで作者さんにもパクリだといわれてしまえば、素直に削除したいと思います。
 ご指摘ありがとうございました。


11]aa様

>主人公が淡々としてていいな。こういう奴隷系としてはめずらしい。

 こういう主人公大好きです。鬼畜な主人公も好きですが。

>ところで、4話の足の悪い奴隷ネタ見るとどうしても「小輔は夜に寝る」の
異世界召喚ハーレムが頭に思い浮かんでしまう。

 上でも申し上げましたが、思いっきり影響受けてると思います。
 それ以外でも足が悪い姉奴隷がいる小説というのは見たことがあるので問題ないとは思っていたんですが。
 パクリかどうかはどうぞ読者様のほうで判断していただけると幸いです。
 多分今後も更新が続けられるようならば他にも違う小説の似た要素がたくさん出てくると思います。
 そう考えるとやっぱりパクリなのかなーとちょっと自問自答する作者でした。
 感想ありがとうございました。





[33226] マリー1
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/27 11:21




 マリーは平凡な両親の、平凡な家庭に生まれ育った。

 母は元々冒険者組合の受付嬢で、父は元冒険者だった。二人は何ら特別な出来事があるわけでもなく、ただ出会い、惹かれあい、結婚した。

 一緒になってからも、二人はそれぞれの仕事を続けていたらしいが、マリー達が大きくなるにつれて父の方は危険を伴う冒険者を止めることにした。しばらく鍛冶屋の元で修業を行い、独り立ちできるようになってからは母も受付を止めて家事に専念するようになった。

 最初の内は順調にいっていた。独立するために鍛冶屋の建物と道具が必要で借金をしていたが、冒険者時代に培った人脈からか、父には頻繁に仕事が入っていた。

 だが、冒険者時代の無理が祟ったのか、ある日父は倒れてしまった。歩いたりする程度には問題ないが、力仕事や火の扱いなどはすぐに体調を崩すようになった。また、気を抜けば立ち眩みなどを起こすので、母も父の傍から離れられなくなった。

 そうなってくると問題なのは生活費だった。母は父の面倒を見るために働きに出ることは出来ず、マリーはまだ幼い。自然と、少し年の離れた姉が働きに出ることになった。しかし、姉の稼ぎだけでは日々の生活を生きるのに精一杯で、借金を返していくゆとりは欠片もなかった。

 不幸とは立て続けに重なるらしい。父が借りていた借金の手形が余所に移ったようで、ある日を境に取り立ての男が家を訪ねてくるようになった。

 最初は大人しく催促に来ていた男だったが、借金の利子が嵩んでいくにつれて、居丈高な態度を取るようになり、脅しをかけてくるようになった。

 そして運命の日がやってくる。男はどうしても借金を返せないのならばマリーと姉を奴隷商に売れと要求したのだ。父も母も断ったが、それならこの家と鍛冶屋の建物を引き取らせてもらうと言われて言葉をなくしていた。

 鍛冶の建物だけならばともかく、家まで取り上げられてしまったら一家は生活していけなくなってしまう。現状家を支えていたのは姉の収入だけで、それも新しく家を借りてしまうと食費すら出せなくなってしまう程度のものだ。

 答えは一つしかなかった。マリーは嫌がる素振りを見せなかったし、姉もただ微笑んだだけで両親を責めようとはしなかった。二人とも、自分を育ててくれた親に感謝の念を抱いていたのだ。だから、自分たちが売られることで少しでも恩返しが出来るのならば、それもまた良しと思ったのだ。

 自分たちが売られれば借金を消して余りある大金が入る。これまで自分たちを大切にしてくれたのだから、せめてそのお金で楽をしてほしい、それがマリーのささやかな、そして、最後になるだろう願いだった。

 そうして二人は売られていった。奴隷商の馬車が家にやってきて乗り込むとき、両親は抱き合って涙を流していた。自分たちは紛れもなく愛されていた。それを感じることが出来て、思い残すことなどなかった。

 馬車に揺られながら、マリー達は自分達がどこに連れて行かれるのか知らないでいた。どこに行き、何をされるのか、何をさせられるのか。不安ではないと言えば嘘になる。だが、ここに居るのは自分だけではない、仲のいい姉が一緒なのだ、怖いことは何もなかった。

 そんな旅の最中、突然外から雄叫びのような声が響いてきた。一体何が起きたのかと思っていると、唐突に馬車が走り始めた。漠然と、何かから逃げているのだろうとは分かった。

 しばらく走っていると、馬車が縦に揺れ始めた。道が悪い場所を走っているのだ。どこまで逃げているのか、馬車は止まろうとはしなかった。

 と、ある瞬間、馬車が跳ねた。それは今までにない高さでの振動だった。馬車は傾いていき、マリー達は座っている位置から真横へと投げ出されてしまった。

 薄暗闇の中、自分がどうなっているかも分からない瞬間、マリーは誰かに抱きとめられるのを感じた。

 強い衝撃があり、遅れて体に痛みが走った。身体を地面に強くぶつけたのだ。だが、それにしては痛みが少ないと思っていると、自分の身体が姉に抱きとめられているのだと分かった。

 姉さん、と言う。姉の返事は苦悶の声だった。見ると、片手で左足の付け根を押さえつけている。抱かれている腕から離れ見ると、空いた手で膝の辺りも押さえ始めた。自分を庇った際に怪我をしたのだと気づいたのは直ぐだった。

 痛みに呻く姉を引きずり、何とか馬車から出ると御者をしていた借金取りの男が立っていた。

 そして姉を見ると、驚愕の表情を浮かべた。怪我をしたのかと聞いてくるので素直に答えると、見る見る内に表情は怒りへと変わり、御者台へ向かって走り戻ってくるとその手には馬を叩くための鞭があった。

 次の瞬間、躊躇いのない鞭のしなりが姉に向かって弾けた。姉の口から悲鳴の声が上がる。

 マリーはどうしてこんなことをされるのか分からなかった。自分を救ってくれた姉に、何故こんな無体なことをするのか。慌てて姉を庇うように塞がると、今度はマリー自身に鞭が飛んできた。経験したことのない鋭い痛みが走るが、どくわけにはいかなかった。ここで自分が痛みに負けてしまうと、この痛みは全て姉に行ってしまうのだから。

 耐えて、耐えて。幾度打たれたか分からないけれど、男は満足したのか鼻息を荒くしながら、転がった馬車を直そうとし始めた。幸いなことに御者台にはもう一人の男が居たので、合わせた二人で馬車を起こすことには成功したのだった。

 だが、姉の足の怪我と自分の背中に走る痛みは消えてはくれなかった。姉の表情を見ると余程痛いのか、額や頬に脂汗が浮いていた。励ます言葉をはき何とか元気づけようとするが、その表情は一向に安らぐことはなかった。

 そんな状態で無理やり幌の中に押し込まれ、再び馬車は走り出した。急ぎ旅だったのか、馬車は食事と野宿の時以外は常に走り続けていた。そうして幾日かして、ようやくマリー達は奴隷商会の商館へとたどり着いた。

 商館には余所からも集められたらしき同類の女性が居た。これから奴隷へと堕とされる身の彼女たちの前で、最も偉そうな人間が言った。

 貴方達はこれから奴隷となります。奴隷とはその身分、身柄、肉体的にも精神的にも主人に支配される存在です。貴方達が最初に覚えることは、自分という存在が他の誰でもない主人のためだけにあるということです。暴力を振るわれようと、不遇な扱いを受けようと、不満を持つことなく、逆らうことなく、ただ従順に主人の言うことを聞く、それが貴方達の役割です。

 ――それは、未来がないと同義ではないだろうか?

 マリーは思ったが口にすることはなかった。それよりも姉のことだけが気がかりだったからだ。

 立ち去ろうとする男に姉の怪我を見てやってほしいというと、怪訝な顔をしながら姉の足を触診し、どうしてこうなったのかを説明させられた。説明を終えた後に、どうやら自分のうなじ辺りに付けられていた傷跡も見つけられたのだとマリーは男の視線から感じられた。

 男が平坦な声で医者を呼ぶと言ってくれたので、マリーは一先ず安心することが出来た。

 それから、マリーの商品奴隷としての生活が始まった。最初に教えられたのか家事だった。次に文字の読み書き、平行して言葉遣いを習い、奴隷としての心構えを説かれた。食事は一日に二回あったし、風呂には毎日入らされた。実家に住んでいた時でも数日に一回の入浴が当たり前だったのでこれには驚きもしたが、風呂に入るときには全身隈なく洗うこと、また秘所は特別綺麗に洗うことを命じられたことで、これも教育の一環なのだとマリーは理解した。

 日々の生活の中で、段々と理解を深めていく。やはり自分は奴隷と堕ちた時点で未来を閉ざされていたのだと。悪くない生活だろう。狭い檻の中とはいえベッドと屋根がある部屋を与えられ、食事は二食とはいえ用意され、身だしなみも整えさせてもらえる。ただ、それらの行動全てがいずれ訪れる主人のためだというだけで。

 マリーは生来の無感動な表情と感情の所為で、周りからは酷く冷静な女だと思われていたようだった。奴隷は風呂の時だけは一緒に入れるのだが、その時に同期の奴隷女性から聞かれたことがあるのだ。

 曰く、怖くはないのかと。このままここに売れ残っても未来はないが、売られたとしても身の安全を保障されるわけではない。なのに、貴女は怖くないの? と。

 マリーは怖くなかったわけではない。未来に不安を覚えていないわけではない。ただ、絶望だけはしていなかっただけだ。ここには姉が居る。風呂の時しか顔を合わせることは出来ないが、それでも大好きな姉と同じ時間を過ごすことが出来る、それだけが、マリーにとって心の支えとなり、まだ希望を見失いきっていなかったのだ。

 例えそれが訪れる暗闇から目を背ける行為だったとしても、確かにマリーは今の生活の中に希望を見出していた。

 日が経つにつれて、徐々に知り合いは減って行った。聞けば売られていったのだという。顔もよく笑顔が素敵な女性達ばかりだったので、きっと器量よしと売られていったのだろう。

 そんな売られていく女性達と比べて、マリーに買い手がつくことはなかった。奴隷は買い手が来ると愛想笑いを浮かべる。売られなかった場合は処分されてしまう。だからどうにか自分を買ってもらわなければならない。けれどその主人が横柄な性格をしていないとは限らない。そんな不安を隠し、必死になって笑みを浮かべるのだ。せめて少しでも気に入られるようにと。

 そんな中で、マリーはどんな買い手が訪れようとも笑みを浮かべることはなかった。愛想笑いというものが分からなかったのもあるし、自分から自分を売ろうと思っていなかったからだ。だから、マリーは買い手が見に来た時も真っ直ぐ見返すだけで、何も行動を起こそうとはしなかった。

 だからか、マリーは売れなかった。見た目は良いが、幼く愛想がないのが買い手の心を揺さぶらなかったのだ。

 商館の人間には言われた。微笑めと、自分をもっと売り出せと。だが、何を言われてもマリーは笑うことはなかった。そんなマリーに、商館の人間は半ば諦めの表情を浮かべていた。

 何を言われても、マリーは今の生活に満足していた。姉と一緒に居られる。それだけで、マリーは充実していた。

 だがそんなある日、一人の男がやって来た。男はこの館で最も偉い人間に連れられて奴隷の説明を受けていた。全身黒尽くめの、黒い髪をした男だった。年はまだ若いだろう。

 奴隷は高い。若くして奴隷を得ようとすれば貴族かそれに準ずる人間でないと無理だろう。男の恰好を見るに、とても貴族には見えなかった。何故そんな男がこんな場所にいるんだろう。マリーはそう思った。

 男は色々な奴隷の前で説明を受けるも、気に入った奴隷が居なかったのか次々に檻を移動している。

 そして最後になって、マリーの檻の前に来た。

 男は真っ直ぐにマリーを見ていた。マリーも、いつものように買い手である男を見つめ返した。

「こちらの少女はマリーと言いまして、見た通り初物でございます。年齢も幼く、まだまだこれからが働き盛りでございます。少々感情に乏しいところがございますが、家事の能力は確りとしたものです」

「へぇー」

 近くで見ると尚更に若いのが良くわかった。声も若く、男にしては高い声だと思った。

 男はマリーの顔や身体、下半身をまじまじと見つめていた。それに嫌悪感を抱いたりはしないが、今まで自分をここまでじっくりと見た買い手はいなかったので、マリーは少し疑問に思った。

「お気に召しましたでしょうか?」

「ああ、まぁ、可愛いよね。何ていうか、野花みたいで可憐で」

 褒められたのは初めてだった。住んでいた村ではよく近所に住むおばさんたちに可愛がられていたが、異性の口から自分の容姿を褒められたのは父以来だった。

 だが、少し言葉を交わしただけで男は頬をかきながら、

「まぁでも、何だか高そうだし、俺には手が届かないかな」

 そう言って、曖昧な笑みを浮かべていた。

 やはり予想通りあまりお金を持っていないようだった。どうやら庶民の男か若い冒険者が興味本位で見に来ただけのようだった。

「いやいや、お安くっていっても高いでしょ? 俺そんなに金もってないですし。今日は様子見に来ただけなんですよ。だから、まぁほんと申し訳ないけど今日の所はこの辺で――」

 そう言って断ろうとする男を、しかし、支配人は言葉を遮った。

「――少し前に、耳にしたことなのですが。ある冒険者が魔法協会に様々な希少植物や素材を持ち込み始めたようです。聞けばその冒険者はまだ冒険者になり立てにも関わらずBランクを取得し、そのランクには似つかわしくないものばかりを売っているのだとか。そこから得られる金額はAランク冒険者の収入にも負けないでしょうな」

 ――それは、どういう?

 まるで目の前の男がそうであるかのような口ぶりに、マリーは首を傾げた。男を見る限りそんな熟練冒険者のようには見えない。服で隠れてはいるが、少なくとも屈強な体つきをしてはいないだろう。

 それならば違う人間の話になるが、今わざわざそんな話をする必要はなかったはずだ。

 どういう意味でそんな言葉を発したのか、その答えをマリーは聞くことが出来なかった。支配人が男を連れて部屋を出て行ってしまったからだ。

 一体なんだったんだろう? そんな思いを抱きながら、マリーはベッドに寝そべった。どうせ何があったとしても、自分が売れることはないのだから。例え先ほどの男性が実は大金を持っていたとしても、わざわざ自分を買うことはないだろうと確信できる。

 マリーの生活は変わらない。そう思って目を瞑った。

 ――しかし、それから少しして、支配人が直接マリーの檻の前を訪れた。

 彼は言う。

「貴女に買い手が付きました。今すぐというわけではありませんが、数日の間に貴女を引き取りにやってくるでしょう。いつここを離れてもいい様に心構えだけはしておきなさい」

 それだけ言葉にして、支配人は部屋を出て行った。

 マリーは支配人が部屋を出て行ってしばらくしてからも、自分に言われた言葉を理解出来ずにいた。

 ――買われた?

 誰が?

 ――私が?

 支配人はそう言っていた。

 言葉に理解が追いついてくるにつれ、身体のそこから湧き上がってくるものを感じた。マリーは自分の身体を両腕で抱きしめた。震えそうになる身体を抑え込むように、強く、強く。

 ……それは、マリーがこの商館にやってきて初めて感じた、恐怖だった。

 買われてしまう。姉と離れてしまう。自分が居なくなれば姉はどうなる。風呂も用を足すのも一人では難しく、足が悪いままで買い手がつかないだろう姉は、自分がいなくなればどうなってしまう?

 買われてしまった自分のこれからよりも、マリーは置いて行ってしまう姉のことだけが心配だった。他のことなど考えられないほどに、マリーは姉のことを考えていた。

 そうして、薄らと気付く。

 ――自分は、姉に依存していたのだと。

 馬車が横転する時には守られた。自分の所為で足が悪くなってしまったので、せめてその苦労は自分が分かち合おうと思った。世話をしているつもりだった。支えているつもりだった。だけど、結局支えられているのは自分だったのだ。

 そのことに気が付いて、ますますマリーは震えを大きくした。途端に自分の未来に不安を覚えたのだ。姉が居ない。誰も助けてくれない。そんな暗闇に染まった未来に初めて目を向けてしまい、マリーはこの瞬間、世界に絶望した。

 マリーが絶望しても、孤独を感じようと、不安に震えようと、日々は無情にも過ぎていく。

 その間に、姉とは普段通りに接した。不安を感じている姿を見せて姉にもその不安を与えたくなかった。だが、このまま何も言わず去っていくことは出来ないと思い、五日目になって正直に話した。

「姉さん。話があるの」

「どうしたの、マリー?」

 マリーは人生で初めて、自ら表情を自制して言った。

「私、買い手が決まったの」

「――え?」

「売られることに決まったの。あと何日ここに居られるか分からない」

「……そう…………なの」

 酷く残念そうな、傷ついたような表情を浮かべる姉に、マリーは無性に抱き着きたくなった。抱き着いて、何も考えずに涙を流してしまいたくなった。

 だが、それは出来ない。自分が怯えていることを表に出してしまえば、姉は自分のことを心配するだろう。ただでさえ姉は自らのことで必死なのに、これ以上負担をかけるつもりは毛頭なかった。

 だから、マリーは努めて平常の顔で、言うのだ。

「私は平気。主人がどんな人でも頑張って見せる。だから、姉さんも頑張って」

「……うん。そうね」

 少し陰りはあったが、確かな笑みをもって、姉は自分を送り出してくれた。あとは、自分がこのまま去っていくだけだった。

 それから数日して、マリーの元に買い手の男が現れた。

 突然支配人が部屋に来て、着替えをしろと命じてきた。今までなかった命令に、マリーはついにその時が来たのかと覚悟を決めた。それが何の覚悟だったか、マリー自身にも分かってはいなかったが。

 着替えを済ませ、連れて行かれた部屋に入ると、そこにはあの日見た男がソファーに座って寛いでいた。

 男はマリーを見、マリーは男を見ていた。

 そうして見詰め合っていると、支配人が口を開いた。

「挨拶をしなさい」

 言われるがままに、この館でならった礼儀作法通りの礼をする。

「これから誠心誠意お仕えさせていただきますマリーと申します。どうぞ可愛がってくださいませ」

 言うと、そのままのマリーに男は声をかける。

「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 奴隷に対して言うには、些か丁寧に過ぎる言葉だと思ったが、もちろん口にすることはなかった。

 そうして、男とマリーは主従契約を交わした。首輪にちょっとした細工を施すだけなので、そう時間は撮られなかったが、その後にあった説明事項では少しの時間を要した。

 買い取られ、男に着いて商館を出る。これからどこかに行くのか、それともすぐに家に帰るのかと思っていたら、男から口を開いてきた。

「あー、ところで服って持ってないの? もしかして着てるそれだけとか?」

「はい」

「まじか……」

 何か不思議なことがあるのか。主人となった男は何か悩み始めたが、すぐに顔を上げると言った。

「よし、服を買いに行こう」

「かしこまりました」

 服屋に着くと、男は何とマリーの服を買うと言ってきた。マリーとしては男自身の服を買うとばかり思っていたので、少しばかり驚嘆した。

「どんなのがいい?」

 聞かれても、本当にマリーの服を買うつもりなのか分からなかった。それか、もしかしたらこれは自分を試しているのかとすら考え、マリーは否定の言葉を口にする。

「いえ、私には必要ありません」

 すると、主人は訝しげな表情をした。まだ言葉が足りなかったのかと、マリーは更に続ける。

「私など奴隷に服など畏れ多いことです」

 これだけ言えば問題ないだろうと思っていると、男は先ほど以上に怪訝な顔をして、女性店員を呼んだ。そうしてその女性にマリーの服を選ばせると、半ば強引な勢いでそれを買い、マリーに持たせた。

 まさか本当に自分の服を買うとはもちろんマリーは思っていなかった。何を考え服を与えたのだろうか。それともすぐに服が破れて使い物にならなくなるようなことを命じられるのかとも思ったが、マリーは大人しく服を受け取り、店を出た主人の後を追った。

 主人の自宅らしき家に着いた。一人で住むには広いだろうその家のドアを開き、中に入る。台所のある間にはテーブルが置いてあり、その横に置いてある椅子に主人は座った。そのままため息のような深い息を吐いて寛ぎ始めた。

 マリーは服を持ったまま、その場に立っていた。

 その様子を見てか、主人が声をかけてきた。

「どうした?」

 逆に、自分はどうすればいいのかを問いたかった。

「……どうしたらよろしいでしょうか?」

「は?」

 何故か疑問を疑問の声で返された。何もおかしいことは言っていないつもりだったので、マリーはそのまま黙り込んだ。

「取り敢えず服をテーブルに置いて、座りなよ」

 少しの間をおいて出てきた言葉は、そんなあり得ないものだった。

 奴隷というのは普段から主人の世話をしたり後ろに控えていつでも命令に備えているものだ。ましてや一緒に椅子に座るなどということは普通ならば考えられないことだった。

 だが、だからと言って嫌です、無理ですなどとは口が裂けても言えない。だから、マリーは尋ねた。

「……座ってもよろしいのでしょうか?」

 主人は何か珍妙なものを見たかのような表情でマリーの顔を見た。まじまじと見つめて、何かを考え込むように顎に手を置いた。何かに悩んでいるかのような難しい表情をしたかと思うと、小さく息を吐いた。

「いいよ。座りなよ」

 本当にいいのか。この段になってもまだ疑問に思うマリーだったが、主人が重ねてしろと言うことを否定することはできない。

「……失礼します」

 出来るだけ大げさにならないように椅子に座る。そのまま、主人の瞳を見た。いつ何を言われてもいい様に、意識をただ一点に向けて。

 そうしていると、またもや主人から声がかかった。

「あー。マリーは女中奴隷と聞いたが、実際何が出来るんだ?」

「料理、洗濯、掃除、その他ご命令があればなんなりとさせていただきます」

 どれも館でならったものだった。

「あ、料理出来るんだ? へー、俺ここでの家庭料理って食べたことないから楽しみだな。こっちの家庭料理ってどんなのがあんの?」

「はい――」

 そうしてマリーは知り得る限りの料理を語って言った。それらを作ってくれたのはもう会うことはないだろう母だった。村で過ごした、もはや味わうことはないだろう記憶を思い出しながら、一つ一つ丁寧に説明していく。あの料理はああ作り、こんな味がします。あの料理は食感がよく食べごたえがあります。等など。

 主人はその話をどれも興味深そうに聞いており、しきりに首を縦に頷いている。自分は命令をこなせているとマリーは少し安堵の思いを抱いた。買われて最初から、何だか躓きっぱなしだった気がしたからだ。

 そうして説明が終わると、マリーは黙った。また次にある命令を待っているのだ。

 主人もマリーの顔を見て口を開きかけていたが、ふと視線がマリーの目からずれると、そこで固まってしまった。何か自分の顔についているだろうかとマリーは思ったが、それを気にするより早く、主人の口が開いた。

「マリー。こっちに来い」

 言われた通り、椅子から立ち上がり主人の傍へと向かう。

「跪け」

 両の膝を着き、顔を見上げる。

 そして、次に発せられた言葉に、一瞬だけマリーは頭が白くなった。

「ズボンを脱がせて舐めろ」

 言われたことは分かる。商館でも実践ではないが習った記憶はある。だが、まさか家について早々にそんな命令を受けるとまでは思っていなかった。

 しかし命じられた以上は実行しなければならない。マリーは慎重に、決して主人を不快にさせないように丁寧にズボンを脱がせていった。

 露わになる一物に、マリーは父と風呂に一緒に入ったときのことを思い出していた。目の前にあるものほど大きくはなかったが、確かに父にも同じものがついていた。

 少し舐めずらいが、マリーは両手を下に垂らしたまま顔だけを近づけた。主人の腿に手を置けばやりやすくはあるのだが、そんな無礼は出来なかったからだ。

 正直なところ、舐めるという行為を知っているだけで実際にどうやればいいのか、マリーは欠片も知らなかった。だから、とにかく命令通りに舐めるという行為だけを実行した。

 色々な角度から、色々な面を舐めている内に、一物はマリーが見たことのないほどに膨れ上がった。最初はふにゃりと倒れていたのに、今では天井に向かって突き立っている。舐めるとこうなるのか、と冷静な頭で納得しながら、舐め続ける。

「そろそろ銜えろ」

 言われて、先端を口に含んだ。こうすることに何か意味があるのかさっぱり分からなかったが、とにかく銜えたまま、マリーは動かずにいた。

「そのまま先端を舐めろ」

 舌を動かす。上下に舐め、側面を滑らし、また戻る。繰り返していると、舐めているものが更に硬くなった気がした。

「銜えたまま頭を上下させろ」

 立て続けの命令にも、忠実に応じる。だが、素直すぎたのか、喉の奥に一物が当たったとき、マリーは咳き込んだ。

「――えふっ」

「そこまで奥に入れなくていい。マリーが大丈夫だと思う範囲で口の中に入れろ。その際に口の中でしっかり擦るようにしてな」

 こんな苦しいことに耐えなければならないのか、と考えていると、主人から行為を緩和する言葉が出てきた。内心で助かったと思いながら、マリーは頭を動かし始めた。

 何も考えず、何も感じず、ただただ無心に頭を上下に動かす。

 繰り返していると、段々とマリーの唾液で一物全体が濡れそぼってきた。時折水音がなり、これは無礼にならないのだろうかとマリーは思い始めていたが、主人からは何も言葉もないのでひたすらに続ける。

 そうして数分が経っただろうか。

「マリー、少し速度をあげろ」

 言われて、マリーは速度を上げた。水音が強くなり、口の中に一物が強く擦れる。勢いに任せて喉の奥を突かないように気を付けながら頭を動かしていると、突然頭を上から押さえつけられた。

「っ」

「!」

 突然一物が固くなったかと思うと、先端から何かが飛び出してきた。

 それは変な味だった。苦い様な、えぐいような。例えようのない味。正直なところ、あまりおいしいとは思えない液体が、何度も何度も口の中に放出される。

 全部出し終わったのか、マリーの口から一物を抜いて、息を吐いた。マリーは口の中に入ったままのその液体を吐き出すことも出来ず、ただ主人を見上げていた。

「飲め」

 すると、主人はそんなことを言う。粘性の高く、味もまたいいとは言い難いこれを飲めという。深く考える前に、マリーは一気にそれを飲み干した。

「えほっ、えほっ」

 その液体はやはりねばねばしていて濃かった。飲みこむことは出来たが、思わず咽てしまった。もしや今のは失礼なことではなかっただろうかと主人の顔を見上げてみるが、そこには満足そうに笑みを浮かべる主人が居た。一先ずは大丈夫らしい。少し安堵しながら、マリーは喉の物を流すためにもう一度喉を鳴らした。

 そして夜。マリーは初めて抱かれた。まだ幼く、未体験だったマリーに快楽というものは一度として訪れることはなかった。代わりに激しい痛みだけが襲う。それは普段から無表情のマリーをして顔に力が入ってしまうほどのものだったが、主人はそれに構うことなく幾度とマリーを抱いた。

 全身に隈なく触れ、舐め、まるで味わうかのようにマリーの身体を堪能しているようだった。

 激しい痛みは最初の内だけだったが、小さな体には激しい性交が負担になっていたようで、マリーは感じたことのない疲労感を味わっていた。それでも、終わった以上この場にいることは出来ない。いつまでも寝ているようでは主人に叱られてしまうからだ。

 だから問うた。

「私はどこで休ませていただけばよろしいでしょうか」

 至極当然の質問をしたつもりだったが、主人は片眉を上げたて怪訝な顔をした。

「この家にはベッドは一つしかないぞ」

 それはそうだろう。見たところ主人一人しか住んでいる気配がないのだから。それが予想出来ているからこそ、自分の寝床を訪ねているつもりなのだが、意図が伝わらなかったのだろうかと再度尋ねる。

「はい。ですので、私はどちらで寝ればよろしいでしょうか。倉庫でしょうか、それとも台所のある間でしょうか、トイレでしょうか」

「はぁ?」

 今度ははっきりと呆れの声を出された。自分を抱いている時は機嫌が良かったように見えたのに、段々とそれが崩れている気配がする。何か自分は間違ったことをしているのだろうか、とマリーは自分の言動を振り返った。

「いいから、ここで寝ろ」

 思い返して何の問題もなかったはずだと考えていると、そんな言葉がかけられた。

「……よろしいのですか?」

「何がだ?」

「主人と共に寝る奴隷というのは聞いたことがありません」

 突然の申し出に、マリーは内心で訝しんだ。いや、戸惑っていたのかもしれない。服を買う時のように、自分は奴隷としての質を試されているのかとも思った。だから遠まわしに自分はここ以外で寝ると伝えた、つもりだった。

 だが、どうやらそれが決定的だったようで、主人の顔にはありありと不機嫌の表情が浮かんでいた。

「トイレで寝たいのか?」

「そう命じられるのでしたら」

 自分の言動の何がいけなかったのかを振り返りながら、返事をする。どこで、どの発言が主人は気に入らなかったのか。何かがいけなかったのは間違いがない。でないとこんなに不機嫌に物を言うはずがないのだ。

「そうじゃない。俺は、寝たいのか、と聞いているんだ。俺がどうとかじゃない」

 続けられた主人の言葉には苛立ちが混じっていた。そんな言葉を投げかけられても、マリーには答えようがなかった。奴隷である自分に希望を述べる余地がある筈がないからだ。

 主人に買われて、初めての困難だった。自分がどうすればいいのか分からないのだ。商館で教えられたことは、とにかく主人の不興を買わないようにすること。忠実に命令を守ることが主な内容だったのだ。前者は何故か出来ていないようだが、後者はきちんと実行できているはずなのに、何故主人の機嫌は急降下しているか、マリーにはまるで予想がつかなかった。

「ここで寝たくないのか?」

 答えられない。

「俺が、ここで寝ろと言っているのに、お前は寝たくないのか?」

「……いえ」

 これだけは、主人の命令を拒否しているようだったので否定の言葉を吐いた。マリーの内心の戸惑いが漏れてしまったのだろう、その声はどことなく曖昧なものになってしまったが。

 寝ろと言っているのには命令で、しかしそれに頷いていいものか分からない。お前は寝たくないのか、は命令が聞けないのか、と言っているも同然。ここは素直に頷いておくのが正解だったのだろうか。あり得ないと思っていた答えに、マリーは困惑した。

 そんなマリーの葛藤すらも苛立ちの原因でしかなかったのか。主人は不快感を露わにした声で投げ捨てるように言った。

「分かった、もういい。ここで寝ないのならどこでも勝手に寝てろ。ただし明日からお前の寝床はずっとそこだからな」

 主人は背を向けて寝てしまった。マリーはその背中を見つめた。どうしてもっと分かりやすく命令してはくれないのだろうかと思う。トイレで寝ろと言われた方がこんなにも悩まなくて済んだのに。

 とにかく、今はこの場をどうするか考えなければならない。このまま立って朝を迎えてしまったら肉体的に辛いのもあるが、それすらもまた主人の不興を買ってしまいそうだったからだ。かといって、本当に好きなところで勝手に寝てしまうのも憚られる。

 結果、マリーは動けないでいた。その中で、必死に考えた。自分は果たしてどんな行動をとればいいのだろうか。

 悩んで悩んで、至った結論は“せめて主人の言うことを守ろう”という奴隷の本能に忠実なものだった。

「……失礼します」

 そっと、主人の眠りを邪魔しないように静かにベッドへともぐりこんだ。これで叱られてしまったら最早マリーにはどうしていいか本当に分からなくなってしまうが、主人は眠ってしまっているようで、落ち着いた寝息が聞こえてくる。

 どうか目を覚ました時に、主人の機嫌が良くなっているようにと祈りながら、マリーも先ほどの疲れを癒すために瞼を閉じた。

 そうして、主人との生活が始まった。

 あの日理解に苦しい命令をしてきて、不機嫌になったことを除けば、マリーの主人は温厚な性格の持ち主だった。家事を命じられそれを実行していたが、その内容についてとやかく指摘されはしなかった。掃除がなってないだとか、料理が不味いだとか。その気になれば文句をつける場面は幾度とあったにも関わらず、主人の口からそれらが吐き出されることはなかった。

 そればかりか、家に居る時は常にマリーに構うような素振りさえある。そのほとんどが性的なことだったのは致し方ないことなのかもしれないが、少なくとも嫌われているわけではないと感じる程度には、主人の態度は好意的だった。

 それでもマリーは調子づくことはなかった。考えるのは主人の機嫌を損ねないことと、命令を忠実に守ること。これだけを徹底的に行った。

 だから、主人が冒険者の活動として家を空けた時も、帰ってくるまでは決して家の食糧には手を出さなかった。いつもは食事時に主人が食べていい、と口にしてから初めて食べ始めていたからだ。主人が居ない以上、食事を作る必要性は感じないし、作ってもそれを食べる許可を与えてくれる人が居ない。だから、マリーは主人の居ない三日間を空腹の中で過ごした。主人が帰ってくる頃には身体に倦怠感が付きまとっていたが、顔に出すことはなかった。勝手に体調を崩したと言って機嫌を損ねてはいけないからだ。

 だが、どうやら不調は主人には確りと分かっていたらしく、どうしたと尋ねられて一瞬の逡巡の後に、正直に話した。叱られるかとも思ったが、主人は手で目を覆って天井を仰いだだけで、これといった怒りを見せることはなかった。但し、今後は自分が居ないときでもきちんと食事をとるようにと命じられたが。

 そんな生活を繰り返している内に、マリーの心に一つの疑問が生まれる。

 ――自分は、気に入られている?

 奴隷というのは基本的に不遇な扱いを受けるのが常識だ。だが、今の所、時々不機嫌になる以外では主人からそんな扱いを受けた覚えはなかった。服を買い与えられ、食事を与えられ、仕事を与えられ、寝床を与えられた。これでは奴隷というよりも、文字通り女中ではないかとマリーは思う。

 そんな扱いを受ける奴隷が居ると、商館で耳にしたことがあった。それは、主人に余程気に入られた場合、妻にとまではいかないが恋人のように主人と接する奴隷の話だ。立場は奴隷なのだが、言動が奴隷でない奴隷。

 恋人とまではいかないが、自分は限りなくそれに近い扱いを受けているのではないかとマリーは思う。性的なことをするときでも、乱暴に扱われたことはない。最初の時は流石に痛みを感じていたが、あれは初体験では仕方ないことだと理解している。それ以外、キスも、愛撫も、触れるという行為も、どれもが奴隷に対するにしては優しさに溢れている。そんな扱いを受ける理由を、気に入られているという以外に見つけることは出来ない。もしもこのまま主人が変わらない性格のままでいるならば、自分の先行きはそう落ち込んだものではなさそうだ

った。

 ――だから、だろうか。そこに、少しの希望を見出してしまった。

 もしも、自分が本当に主人のお気に入りならば。普通の主人とは違う、考え方の違う自分の主人ならば。もしかしたら、もしかしたら――姉を救ってくれるのではないか?

 考えれば考えるほどに、その期待は膨らんでいく。自分を買ったくらいなのだからお金がないというわけでもない。事実食事はいい食材を使っているし、毎日冒険者組合に行く様子もなく家で寝転んでいるところを見るに、懐は温かいのだろう。それも、相当に。

 一体いつ振りになるのか。マリーの胸がドクンと高鳴った。

 諦めていた。自分の生活を、これからを。売られると分かったあの時に、自分が絶望したのを、今でもマリーは覚えている。だから何も期待しなかった。何も希望を見出そうとは思わなかった。

 だが、もしかすると。自分以上に未来がなかったあの姉が救われるかもしれない。そう考えると、身体中を心臓の音が伝播する。ドクンドクンとなる鼓動が耳に響く。

 どうするべきか、慎重に考える。まだ主人が姉を救ってくれると決まったわけではない。願いを口にしても、一蹴される可能性もある。もしも言うならば、主人の機嫌がいい時が肝要になってくる。

 いつだ、と考える。主人が最も機嫌のいい時は、一体どんな瞬間だ。これまでの生活を思い出し、振り返り、思い当たる。

 自分を抱いている時だ。

 マリーの主人が最も機嫌のいい時機は、マリーを抱いているあの瞬間だった。

 それに気が付き、マリーはこくりと喉を鳴らした。落ち着いて、焦ってはいけない。言う時機は決まった。あとは何と言うかだ。素直に言って聞いてくれるだろうか。もし聞いてくれたとしても、足が悪いことを知って買う気を無くすのではないか。

 マリーは考えた。主人の気に入る言い回しを、言う順番を。熱くなっていく身体を落ち着かせながら必死で、頭を働かせた。

 だというのに、答えは出なかった。どうしても、主人に確実に首を縦に振らせる言葉が見当たらなかったのだ。

 どうしたらいいのだろう。そう思いながら、言いつけの家事をこなしていく。その最中にももちろん頭は動いているが、思考は先へと進んでいかない。

 そうして悩んでいる内に、夜がやって来た。夕食を終え、風呂に入り終わり、いつものように抱かれる。痛みはなくなったが、未だに快感を覚えることのないこの時間はマリーにとって家事をしているのと同じだ。時たまくすぐったいような、痺れる様な感覚はあるが、ただそれだけだ。

 行為が終わり、二人して息を整える。落ち着いたのか、主人はマリーの上から退いて横になった。

 その際、顔を覗き見る。主人の顔はすっきりしたもので、口には微笑みさえ浮いている。

 機嫌は、悪くなかった。

 主人がマリーの胸の中に顔を埋めてくる。その頭をそっと抱きながら、マリーは考える。言うなら今しかない。だが、どういうべきか。理想の言葉など結局思いつかなかった。

「じゃあ、おやすみ」

 考えていると、主人が就寝の言葉を言う。

「……はい。おやすみなさいませ……」

 思考の渦に溺れながらも、マリーは何とかそれだけを返した。

 どうすればいい。それだけが頭を過ぎる。無理ならば、何も今でなくとも明日でもいい。明後日でもいい。だが、もしもまたそれまでにいい文句が思いつかなければ? そうやってずるずると伸ばして伸ばして……そうしている間に、姉が処分されないという保証はどこにある?

 言うなら今しかない。だが、その前に自分は本当に気に入られているのかを確認しておかなければならない。大前提として、自分が主人のお気に入りでなければならないからだ。

 勇気を出して、マリーは口を開いた。

「……ご主人様」

「ん?」

 閉じていた主人の瞼が開き、顔を上げてくる。向けられたその瞳を、初めて真っ直ぐに見据えた。

「どうした?」

「……お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ああ、なんだ?」

 一つ喉を鳴らし、言う。

「……私は、ご主人様のお気に召されているのでしょうか」

「ん?」

 不思議なものを見たような目で、主人はマリーを見た。そのまますぐに思案に暮れる表情を浮かべてしばらくして、

「そうだな。少なくとも気に入らないということはないぞ。それがどうした?」

 第一関門は突破した。次は本題だ。言え、言え、と自分に言い聞かす。

「……」

 だが、言葉は出てこない。

 この時、マリーの頭の中からは自分が願いを口にすることで主人を不快にさせてしまうという可能性は抜けていた。あるのは、緊張と、否定されることによる恐怖ばかりだった。

 躊躇って口を閉ざしていると、主人は聞く気を無くしたのか再びマリーの胸に顔をうずめた。

 このままではいけない、とマリーは最後の勇気を振り絞り、口を開いた。

「……あの、お願い、したいことが、ございます」

「んー?」

 返ってきた言葉はなんともぞんざいなものだった。もう半分以上聞く気をなくしているのは明らかだった。言う時機を見誤ってしまったか、と思ったが、もう言葉にしてしまったものは巻き戻せない。

「何だ、言ってみろ」

 ドクン、と心臓が鳴る。もう、後戻りは出来ない。先行きのない暗闇を歩かされるような気分で、マリーは言う。

「――奴隷をもう一体、購入していただけないでしょうか」

 言った。言ってしまった。主人は何というだろうか。怒るだろうか、否定するだろうか、一蹴するだろうか。

「……それはどうしてだ?」

 だが、心配をよそに主人は身体を起こして話を聞く体勢に入ってくれた。マリーも合わせて身体を起こし、主人の顔を見る。

 主人の質問に答えなければならない。そう思うのに、口が開かない。

「命令だ。答えろ。何故奴隷が欲しい」

 これ以上黙ってはいられない。

「……姉が、居るんです」

「姉?」

「はい。あの奴隷商会には、私の姉も奴隷として売られているのです」

「……あー」

 納得の声をあげる主人。その様子を見るに、不快にさせたわけでもないようだ。ただ、肯定的かと言うには曖昧な返事だったが。

 そのまま少し考え込んで、主人は言う。

「なるほどな。だが、俺がお前を買ってから結構経ったけれど、もう売られているんじゃないか?」

「――それはありません」

 その質問には、さらりと言葉が出た。あの姉が売られているはずがない。もしそうならば、自分は今こうして苦難に立ち向かって等いないのだから。

「へぇ、それは何で?」

「それは……」

 言うべきか、言わざるべきか。今の所悪い印象はない。だが、果たして事実を知ってもそうとは限らない。

「答えろ。何故売られていないと断定できる」

 催促の言葉に、諦めの心境で口を開く。

「姉は……足が悪いんです」

「足?」

「はい。昔、奴隷商に売られた私達は馬車で運ばれていました。しかし途中山賊に襲われた際に馬車が転倒してしまい、その際私を庇った姉は足に怪我を負ってしまったのです」

「それはどのくらい悪いんだ?」

 質問に素直に答える。

「右足は何ともないのですが、左足が動きません」

「つまり、歩けない?」

「……はい」

 言ってしまった。果たして、主人はどんな判断を下すだろうか。そして、否定されたとき、自分はどうするべきなのか。

「ちなみに聞くが、売れない奴隷というのはどうなるか知ってるか?」

 突然、主人はそんな質問を投げかけてきた。足が悪い奴隷ということで、その点に思い当たったのだろう。だが、これは好機ではないだろうか。少しでも同情を引かせることができれば、買う気にもなってくれるかもしれない。

「口減らしにあいます」

「急がないと危ない、と?」

「……はい」

「ふーん」

 マリーは思う。悪くはない感触だ。今の所機嫌を損ねている様子もないし、話を聞いてくれる姿勢を保っている。このままいけば、もしかしたら――

「じゃあ、もう一つ聞くが――その姉を買うことによって、俺に何か利があるのか?」

 ――その問いに、言葉を失った。

 そんなものは、ありはしない。姉を買うことで利になれば、とっくの昔にあの美しい姉は売られているだろうから。ないからこそ、自分はこうして、主人に縋っているのだから。

 今の言葉で分かってしまった。主人は姉を買う気がないのだと。

 足元が崩れる様な感覚。買われた時に感じたような、絶望が再びマリーの目の前に現れる。

「ないだろ? 話は終わりだ。寝るぞ」

 主人が横になる。もう本当に話すつもりがないのだろう。目を閉じ、寝息を立て始めた。

 終わってしまった。もう、姉を救うことも、姉と共に過ごすことも出来そうにはない……

 ――いや、まだだ。まだ、諦めるには早いはずだ。

 主人は言った。自分に利はあるのかと。ならば、その利を示せば、主人は考えを改めるはずだ。

 何がある。主人の利になること。自分が出来ること、差し出せるもの。

 ……そんなもの、一つしかなかった。

 マリーはその場で土下座した。

「……お仕えさせていただきます」

 頭を下げたまま、言葉を続ける。

「誠心誠意お仕えします。身も心も捧げます。死ねと言えば死にます――だから、どうか、姉を救ってやってください」

 奴隷となった時点でマリーには何もない。あるといえば、この身一つだけなのだ。だから、その全てをマリーは差し出した。自分を救ってくれた姉。その姉を救うのは、救われた自分しかいないのだから。

「それはつまり、今までは誠心誠意仕えていなかったと、そういうことか?」

 出てきた主人の言葉に、慌てて顔を上げた。

「いえっ」

 そうではなかった。今までだって奴隷として誠心誠意仕えてきたつもりだった。ただ、自分の全てを捧げると言っているだけなのだ。

「これまで以上に、ご主人様の望まれること全てを致します。ですから、どうか、どうか……!」

 これで駄目ならば、もう本当に姉を助ける方法は尽きてしまう。頭を縦に振ってほしい。いいぞ、と笑ってほしい。どんな命令でも聞こう。性的なことだって何だろうと応じよう。だから、どうか……

「……寝るぞ、こい」

 ……しかし、遂に主人が首を縦に振ってくれることはなかった。両手を広げて、マリーを誘っている。熱く湿っていた瞳から、涙が零れ落ちるのを感じた。姉を救うことは出来なかったのだと、助けてもらった恩を返すことが出来ないのだと悟ってしまったのだ。

 真っ白になった思考のまま、マリーは命令に従って主人の頭を抱いた。染みついた奴隷としての行動だった。主人の寝息が聞こえてくる。それで、会話すらも終わってしまったことを知る。もう何を言っても、自分の声は主人の元に届くことはないだろう。

 救いはなく、希望すら消えてしまった。マリーは涙を流しながら、ぼんやりと正面を見ていた。壁が見えた。その壁が、決して敗れることのない障害に映った。

 ――それでも。真っ暗闇の中で、見えない何かに手を伸ばすように、マリーは自分の胸の中の主人の顔に抱きついた。いや、縋り付いた。

「助けてください……」

 無礼だとか、起こしてしまうとかいう考えの一切を無くし、マリーは強くその頭を抱いた。それしか、マリーには助けを求める相手がいなかったから。

 次の日になって目を覚ました時、マリーはいつもの自分であることを自覚した。感情に乱れはなく、表情も普段通りだ。昨日の今日でこんなにも落ち着けている自分に驚くものもあったが、それはきっと全てを諦めてしまったが故なのかもしれないと思った。

 目を覚ました主人に即座に謝罪し、昨日の許しをもらった。いつもと何ら変わらない様子を見て、あまり気にしてないのだと分かった。気にするまでもないことだったのだと、理解した。

 そのことに何か情動を覚えることはなかった。マリーはいつものように淡々と食事を作り、朝食を終えると掃除を始めた。家はそう広くはないが――いや、二人で住む分には十分広いが――のんびりやっているといつまでたっても終わらない。ソファーに座った主人から何やら視線を感じたが、何も言われない様子だったのでマリーは気にせず掃除を続けた。

 そして昼ごろになっただろうか。そろそろお昼を作ろうかという時刻になって、主人が唐突に口を開いた。

「少し出かけるぞ、ついて来い」

 主人の言葉が突然なのはいつものことだ。マリーは驚くことなくその後を着いていく。何か珍しい食材でも見つけたのだろうか、それとも本屋か、あるいはまた自分の服でも買うのかもしれない。冒険者組合に自分が連れて行かれることもないし、その他の施設も同様だ。一体どこだろうかとマリーは長いスカートをひらひらと揺らしながら着いていく。

 ついた先で、スカートの裾以上に心が揺れた。

『奴隷商』

 そう掲げられた看板は見覚えがあるなんてものじゃない。つい先日まで自分が居た場所に相違なかった。何故ここに? もしかして昨日のことがやはり不興を買って売り戻されてしまうのだろうか。

 一度、主人がマリーを振り返って頬を上げた。その笑みが、邪悪なものに見えてしまったのはマリーの心境からすれば致し方ないことなのかもしれない。

 主人は何も言うことなく、そのまま入口をくぐった。中に入ると、男と何かやり取りしている。しばらくして、支配人がやって来た。やはり売られてしまうのだろうか、と若干の不安を覚えていると、更に驚くことを主人は口にした。

「ちょっと奴隷を一体欲しくて来たんだが、今大丈夫か?」

 ――え?

 今、主人は何と言った?

 奴隷を一体買うと言った。間違いない、確かにそう口にした。心臓が高鳴っていく。それは、失われたはずの希望が再び光りだした証だった。

 まさか、まさか、まさか――

 昨日の今日で奴隷を買うと言えば誰を買うかなんて、一つしかない、はずだ。だが何故? 主人は断ったはずだ。利がないと、否定したはずだ。いやまて、最後に主人ははっきりと買わないと言っただろうか。寝るぞと言っただけで、買うことはないとは言っていない。ならば、本当に?

 ぐるぐると、思考が廻る。主人と支配人の会話も聞かず、マリーは考えに没頭する。

 気が付けば、姉が入っている部屋の前に立っていた。室内に入る。

 そこには、変わらぬ姉の姿があった。思わず足が止まる。

「マリー」

 主人に呼ばれた。反射的に、マリーは主人に近づいた。

「これがお前の姉で間違いないか?」

「……はい、間違いありません」

「そうか」

 答えながら、マリーは姉の入った檻の鉄格子を掴んでいた。その向こうに居る、姉の姿を目に焼き付けんとばかりに凝視する。姉も、マリーを見ていた。

「マリー、俺は少し支配人と話がある。お前は姉とでも話しをしてろ」

 言葉は耳に入っていなかった。主人と支配人が部屋から出ていく。

「……姉さん」

 姉の瞳を真っ直ぐに見つめたまま、マリーは口を開いた。

「マリー……」

 姉は戸惑っているようだった。売られたと思っていた妹がこうして自分の元を訪ねてきたのだ、その驚きも当然だろう。しばらくお互いに無言だったが、姉は少し陰りのある笑みを浮かべると、マリーに言う。

「……元気で、やってる?」

「……うん」

「何か酷いこと、されてない?」

「うん。少なくとも、聞いていたご主人様の想像とは全く違うご主人様だった」

「そう、よかった」

 そう言って、翳りのない微笑みを姉は浮かべた。

「でも、今日はどうして?」

「……分からない」

「え?」

「多分……姉さんを買いに来たんだと思う」

「――え?」

 姉の動きが止まった。

「昨日、姉さんを買ってくれるようにご主人様にお願いしたの。断られたと思ってたんだけど、さっき出かけるぞって言って、それから真っ直ぐここに来て……奴隷を一体買う、って支配人に言ってたから、多分、間違いないと思う」

「……」

 言葉もないようだった。姉は目を見開いたままで、完全に動きを止めている。

 当然だと思う。もう顔を合わせることも出来ないだろうと思っていたのに、再び相見え、しかもその主人が自分を買うという。足が動かず、何の役にも立たないこんな自分を。

 そう思っているだろう姉の心境は容易に知ることが出来た。もし自分が同じ立場でも、同じように驚愕していただろうと思う。

「……それは、本当に?」

 ようやく出てきた姉の言葉は、そんな力ないものだった。

「ごめんなさい、多分……としか言えない。でも、真っ直ぐに姉さんの檻に来たから、間違いないと思う」

「私……また、マリーと一緒に暮らせるのかしら?」

「多分……」

「また……また……お外に出られるのかしら?」

 姉の眦から涙があふれ、零れる。マリーもつられるように、滴をこぼした。

 それきり、二人は何も語ることなく、俯いていた。これ以上何も言うべきことはないし、どうなるかはまだ分からないからだ。だが、マリーは半ば確信していた。主人は姉を買うのだと。あの主人は、時々機嫌を悪くするし、突飛なことを口にはするが、決して悪人ではなかった。期待させておいてそれを裏切るような悪辣な行為をするような人間ではないと、マリーはこれまでの生活の中で確信していた。

 だから、大丈夫。姉さん、また一緒に住めるよ。

 そう思いながら、マリーは涙を流し続けた。

 そうして、主人が迎えに来て、共に帰宅した。途中で買った食料品をテーブルにおいて、主人は疲れた様子でソファーにどっかと座った。

 その様子を、いつも以上に熱の篭もった瞳で見つめる。

「なんだ?」

 主人がこちらを見てくる。昨日よりは幾ばくか気を楽にして、マリーは口を開く。

「……姉を、買っていただけるのですか?」

「そうだな」

「……どうして」

 やはり、という気持ちと、どうして、という疑問が浮かんだ。一体何が主人の心を動かしたのだろうか。昨日の時点では、確かに主人は姉を買うつもりがなかったはずだった。それなのに、どうして。

「何だ、それとも買ってほしくなかったか?」

 主人は笑いながらマリーに尋ねる。

「いえ……それは」

 そんなこと、あるはずがなかった。

「それは? 嬉しくないのか?」

「嬉しい……です」

「じゃあいいじゃないか。何も問題はない。マリーは姉を買ってほしい。俺は姉を買う。何か問題があるか?」

「……はい」

 確かにそうだ。俯きながら、マリーは思う。何が切っ掛けで買ってくれる気になったかは分からずじまいだが、姉がこの家にやってくることに変わりはない。そう、何も問題はないのだ。

「ところでマリー?」

「はい」

 幾分気が楽になったところで、声をかけられ顔を上げた。

「お前は昨日言ったよな。身も心も捧げるって」

「……はい」

 言った。確かにそんなことを言った。

「具体的に、どう捧げてくれるんだ?」

「それは……」

 捧げるとは言ったが、確かにそれがどんな風にという具体性はなかった。あの場ではああ言わなければならないという気持ちばかりが先行して、頭を下げていたのだ。

「それは?」

 主人は笑っている。まるでマリーが困惑しているのが可笑しくて仕方がないといった様子で、にやにやと笑みを浮かべている。

 思いつかず、マリーは恐る恐る口にした。

「……ご主人様は、どのようなことをしたら喜ばれますでしょうか?」

 もうこれしかなかった。主人が望むことを忠実に実行する。これまでと変わらないかもしれないが、気持ちを変え、自分からそれを模索するようになれば少しは違うかもしれない。

「こっちにこい」

 近づく。

「俺の足の上に乗れ。またぐようにして、こっちを向いてな」

 言われた通りに座る。偶にさせられている恰好だから、すんなりと座ることができた。

「首筋を舐めろ」

 主人が首を少し上げた。マリーは何も考えずに、そこに顔を近づけていった。舐める。少しでも気持ちよくなるように、猫がミルクを舐める様に、優しく、丁寧に。

「そのままで聞け。なぁマリー、俺が奴隷に求めるものは何だと思う? 従属するのは当たり前、命令に従います? 当たり前だ。仕えるのも当然だよな。じゃあ何だろうか? 分かるか? 分かったら舐めるのを一旦止めて答えろ」

 分からず、マリーはそのまま舐め続けた。

「そうか、まぁそうだよな。俺の個人的な嗜好なんてわかるわけないわな。でもお前はそれを分からなければならない。何故ならお前は俺の奴隷だから。俺のことを考え、俺のことを思い、俺のためだけに行動すればいい。俺がお前に求めるものはそれだ。わかるか?」

「……はい」

 返事をする。主人のことを考え、思い、行動する。振り返れば、今までの自分はそれをしていただろうか? ただ言われたことを守っていただけで、自分から主人のために動こうとしたことはなかったように思える。だから、時々主人は機嫌を悪くしていたのだろう。少し分かってきた。主人が求めていたのは人形のような奴隷ではなく、本当の意味で自分に尽くす奴隷だった。

 ならば、今の自分に何が出来るだろうか?

 ある意味初めて、マリーは主人の奴隷としての一歩を踏み出した。

「まぁ今度来る姉のことは例外としてやる。世話もお前がしろよ。だが、それ以外は俺のことだけ考えてろ。わかったな?」

「はい」

 はっきりと返事をして、そのまま首筋にキスをした。これは言われていないことだ。だが、主人は閨で良く自分の身体にキスをする。唇同士のキスも好んでするようだし、今のこの行動はきっと間違いではないはずだ。この行為が気持ちいいのかすら分からないが、分からないのであればこれから分かる様にしよう。そうして主人への理解を深めていこう。尽くそう。だって、自分はこの御方の奴隷なのだから。

 ――自分と姉を、救ってくれた人なのだから。

 崇拝のような、陶酔のような、信愛のような、そんな感謝を思い浮かべながら、マリーは情熱的にキスをし続けた。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 今回もたくさんの感想並びに応援書き込みありがとうございます。
 少々荒れ気味で横レスもあるかと思いますが一応全レスで行きたいと思います。完全横レスについてはノーコメントですが。


[12]すが様

>惚れ症~は自分も好きです。
>ヒロインが主人公を慕っているような作品が好みです。

 あの作品はほんといいですよね!
 何がすごいって個人的に好きなキャラクターを絞れないくらいにどの女の子も魅力的なのが一番すごいと思います。
 あれはハーレムの一種の完成形のような気すらします。

>このままこれからもがんばってください。

 応援ありがとうございますです。


13]ネオ生茶様

>冒頭で
>>>色々なハーレム、奴隷小説を読んだ上での投稿になりますので、もし似たようなシチュエーションだと思ったら「あ、こいつあの作品読んでやがる」とでも思っておいてください。
>とあったからそういう事なんでしょう。個人的にはこれからも期待させていただきます。

 上部分は横レスっぽいのでノーコメントで。
 期待していただけるのは素直にうれしいです。
 ありがとうございます。


14]秋刹那様

>奴隷の姉妹で姉が馬の下敷きになったり、馬車の事故で足が不自由になり、妹が口減らしにあう前に助けようとする話は、四年ほど前から何回か読んでますから一種のテンプレでしょう。
>わたしが初めて読んだのは、高見梁川の個人ブログでしたがその小説でも主人公は地球から渡ってきた最強能力もちでした。
>そこらへんの設定が同じなだけで、他が大きく違っていればパクリではない事になるでしょうね。

 横レスっぽいのでノーコメントで。

>ここまではかなり良作の予感です、続きに期待します。

 ご期待ありがとうございますです。


[15]豆腐マニア様

>姉さん可愛いよ、コレからも頑張ってください

 出来ればどのキャラもそういわれるようにしていければいいなぁと思っております。
 でも姉キャラっていいよね!
 応援ありがとうございますです。


[16]ask様

>姉妹はともに可愛いですねーw
>しばらく2人でイチャラブが見たいです。
>・・・あんまり増えると、キャラを覚えきれないですし(汗)

 少しでも可愛いと思っていただけたなら幸いです。
 一応しばらくは物語進行させないでまったりラブラブするつもりなのでご期待に応えれるかと。
 キャラ数についてはえーと……ご想像にお任せしますです!


[17]Libra様

>お、早速続きが来てた。お疲れさまです。

 今後は更新まったりです。

>二人目の奴隷、それもマリーの姉ですか。女の子に縋られるのは支配欲をそそられます、個人的に。

 こう、ぞくっとくるものがありますよね。
 特にそれが頼ってこなさそうな女の子だと尚更に。

>あと、完全パクリでなければそれほど気にしない(というか、同じ様な設定のssを読んだこと無いのだが)ので、自身の書きたいように書いていいのではと思います、これまた個人的に。

 なんとも悩みどころではありますね。
 正直今後どうしようかかなり悩んでいるところなのでこういった言葉は励みになります。

>では、次話を気長に待ってます(=゜ω゜)ノ

 ありがとうございまーす!


[18]トマト様

>パクリ騒動で消えるにはすごく惜しい作品だと思います。

 蝋燭の灯のような状況なので今度どうなるか僕自身わからなかったりします。

>めっちゃ楽しみですし・・・。

 ありがとうございますです……


[19]ねこキック様

>奴隷モノの小説はいいですね。

 これが「ヒャッハーご主人様飯の時間だぁー!」って奴隷ならまっぴらごめんですね。
 すいません冗談です。
 奴隷もの小説は個人的に大好物です。

>頑張ってください。

 ありがとうございます!


[20]abaA

>自分の嗜好にジャストミートしている作品!

>>色々な作品を読んだりしてそれらの面白いと思った部分だけが集まった小説はどんなものだろうと思ったのが理由からです。

>ぜひ読みたいです。今後も継続お願いします。

 今後どうなるか分かりませんが出来る限り頑張りたいと思います。
 しかし嗜好にジャストミートとは、いい酒が飲めそうですね。
 僕お酒飲めませんが。


[21]kiriko様

>人間は模倣する生き物なので、そこまで神経質にパクリパクリといわなくていいかと

>登場人物の名前を変えただけで本筋が丸々同じというならば騒がれても仕方ないと思いますが、この小説にはそこまでの問題点を感じられません。
>作者さんが影響された作品もまた何かに影響されて出来てるわけですし、そういった原点至上主義では堂々巡りになってしまうと思いますよ。

 横レスっぽいのでノーコメントで。

>なので気にせず執筆していただければ、というのが個人的な意見です。
>無表情で従順なマリーが大好物です。猫耳似合いそうグヘヘ

 現在進行形で結構気にしてますが、お言葉はありがたく頂戴しておきます。

 マリーが大好物とは……貴方とは肩を組んで歩けそうだ。
 しかし猫耳マリーか……俺、その言葉忘れませんよ……(じゅるり)

>更新楽しみに待ってます応援してますので頑張ってください

 ありがとうございますです。


[22]天船

>>足が悪い姉
>が、弟に……なら読んだことあるけど違うし。

 僕はないかもです。

>つか「すわ切断か?!」と思ってしまった。

 そういえばその辺の描写してなかったですね。

>奴隷もので妹が達磨にされたのなら読んだことあるし。

 え、なにそれ怖い。
 でもちょっと読んでみたいかも。
 そっと教えてくれると嬉しいです。

>初物、美味しいです。

 現実だと別に処女信仰あるわけじゃないんですが、物語の中だと穢れない女の子が大好きです。


[23]甘露様

>楽しいですし完全に展開が一致!とかでも無いんで良いと思います。

 自分では判断が難しいところなので何ともいえないのですが、お言葉はありがたく頂戴しておきます。
 ありがとうございますです。

>姉妹丼だね! やったねたえちゃん!

 おい馬鹿やめろ。

>次はどうなるのか、期待してます

 しばらくいちゃいちゃします。
 ご期待ありがとうございます!


[24]VITSFAN様

>いやまぁ確かに展開は似ているなぁと感じました。
>次回以降の展開は要注意しなければなりませんね。
>とりあえず、採集仕事で依頼が舞い込む展開は避けた方がいいかと。

 今色々展開を見返してる最中です。
 さらにその他の作品とも被らないように注意してみてます。
 ご指摘ありがとうございます。


>そんなことよりも姉妹丼しようぜ!
>あと、ベッドの上でのイチャイチャをもっともっと書いてほしいです。

 姉妹丼は間違いなくやりますね!
 ベッドの上でのあれやこれやは今どんなシチュエーションでやろうか悩み中です。
 まぁ姉妹丼はやりますけどね!(大事な事なので


[25]Kim様

>もう一つ積極性に欠けるマリーの主人公に対する心象の変化が丁寧に書かれていて良いですね。
>今後の展開に期待しています。

 期待に応えれるように頑張っていきたいと思います。
 ありがとうございますですy。

>P.S.
>元ネタといわれる奴を読んでみましたが、本作は全く別物かと

 これは一応ノーコメントで。


[26]一言様

>下で別の人も言ってるけど、影響受けたレベルじゃなくてキャラ付けも話の展開も丸パクリだろ。

>・主人公はチート能力持ち
>・高難易度の素材調達系の仕事で金を稼ぐ
>・主人公が購入した奴隷が無口で無気力な感じ
>・奴隷には姉がいて、美人だが足が悪い
>・主人公に姉を購入するように頼んで、主人公はその面倒は自分で見ろという
>・姉は妹と違い感情豊か
>・姉を買ってから妹の態度が変わる。

>まったくの別物とか言ってるやつは、一度「小輔は夜に寝る」の異世界召喚ハーレムを読んでみろ。

 これはノーコメントで。


[27]涼一様

>楽しませていただきました。
>続きをたいへん期待しております。

 お言葉ありがとうございますです。
 励みになります。


28]トマト様

>ていうか影響元の作者様が反応しないことには読者様がなんだかんだ言っても意味なんか無いでしょう。

>作者の誉人さんも今後の対応についてはちゃんと言及してるんだからいちいちパクリという必要は無い。

 横レスっぽいのでこれはノーコメントで。


[29]NNN様

>パクリであろうがなんだろうが、無償で提供しているものに対して
>文句をいちいち言う理由がない。嫌ならば見なければいいだけ。

>「小輔は夜に寝る」は途中で終ってるし、仮にそこまでパクったとしても
そこから先の展開を楽しみにすればいい。

 横レスっぽいのでこれはノーコメントで。

>私は続きを楽しみにしています。

 ありがとうございますです。


[30]通りすがり様

>この先の展開が気になるお話ですね。
>主人公の性格や行動、あと話しの進み方も好きなタイプなので、これからも期待です。

 ありがとうございますです。
 そう言ってもらえると素直にうれしいです。

>あと意外に皆さんが同じように「小輔は夜に寝る」知ってて嬉しい。

 正直僕も嬉しかったりします。

>エッチついてですが「一盗二婢三妾四妓五妻」という言葉がありまして
>一番目:他の男の妻との密通
>二番目:若い女中や下女を抱くこと
>三番目:妾を囲うこと
>四番目:娼婦・娼妓を買うこと
>五番目:妻を抱くこと
>という言葉もあるように、男からみた女遊びの面白さの順番は昔々から言われているそうです。
>お話として女遊びを書いていくならば、奴隷で召使いなら避けれない点は多いのかもしれませんね。

 へぇー、そんな言葉があるんですか、初めて知りました。
 いい勉強になりました。ありがとうございます。
 しかし妻が最後か……わからんでもないところが酷だなぁと思いました。


[31]A7様

>無気力キャラから愛奴隷にクラスチェンジしたマリーちゃんにニヨニヨ
>お姉ちゃんも良いなぁ…コンプレックスありそうで

 どっちにもニヨニヨしてあげてください。

>奴隷商は巨乳ちゃん買って欲しいんだろうなw

 あれは……どうなんでしょうねw

>※なんか噛み付いてる人がいますが私が言いたいのはそんなことより続きが読みたい、ということだけですね

 応援ありがとうございます。励みになります。


[32]sana様

>パクリというよりテンプレですね。

 これは横レス、かな?
 一応ノーコメントで。


[33]2ガッツ2号機様

>ほかの方も言及していますが、某所の作品に似てはいますね。
>物語の構成は、数があればあるだけ誰かと似てしまうものですから仕方ないかと。
>オリジナリティーを出すのは、難しいのですよ。

 これはノーコメントで。

>個人的に、此方の方が登場人物の彫り下げをされているようでいいと思いますよ。
>こういった、「物語が進むにつれ徐々に惹かれていく」や「頑なだった娘が少しづつ心開いていく」っていうのがたまらなくツボなので、作者様にはがんばってほしい所です。

 心理描写には気を使ってるつもりなのでそういっていただけると幸いですー。
 応援ありがとうございますです。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ところで某所の方のメールアドレスご存じの方いらっしゃいませんか。
 いっそこちらから連絡差し上げようと思ったのですがブログの方には記載されてないですし、このサイトに掲載されているSSの部分にも載ってないようなので少々困ってます。
 なので、もしもご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけると幸いです。





[33226] 作品削除のお知らせ
Name: 誉人◆03ba0914 ID:d90dbb0c
Date: 2012/05/28 18:16
 感想ページを見ていると少なくない数の盗作指摘があるようなので、以前の宣言通り作品を削除したいと思います。

 本当は即削除しようと思ったのですが、謝罪してから、という宣言を守り明日の朝までは残しておこうと思います。

 無駄に期待させてしまった方、すいませんでした。

 不快な思いをさせてしまった方、すいませんでした。

 ご迷惑をおかけしてしまった方、すいませんでした。

 簡潔ですが、これにて失礼します。



[37141] テスト4
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:02

[18596] オッサン少年珍道中【現実→ゲーム チート】
Name: アラサー◆9bb0931e ID:a9634125
Date: 2010/05/05 11:58
「はぁ・・・はぁ・・・」

俺は息を整えつつ眼前に広がる惨状を改めて見回した。


「んふぅ・・・もう、もうダメー」
「許してぇ・・お願いよ坊や、もう許してぇー」
「あふぅ、ダメまだいっちゃってるぅ」


その美しく、淫らな肢体を俺が放出した白濁液で彩っているのは

20人程の美女たち。

しかし彼女たちは人間ではなかった。

その証拠に彼女らの背中からは黒い蝙蝠のような羽が生え、尻からは長く、

先端が尖った尻尾が、そして極め付けに頭からは山羊や牛を連想させる

歪に捻じれた角が生えていた。


サキュバス


ソロプレイヤーでの戦闘適正レベルが200~250という、この世界

【アルカディア】においては上位モンスターにランクされる

悪魔系女モンスター。

【スタミナドレイン】や【ライフドレイン】、【チャーム】

といったイヤラシイ能力を有しており初めて闘う際には間違いなく

苦戦を強いられる、そこそこ危険な連中。


・・・という認識を今さっきまで俺は持っていたのだが、どうやらそれは

改める必要があるらしい。

少なくとも今、この俺に一人につき数十回もの絶頂に押し上げられた挙句、

そのむしゃぶりつきたくなるようなオッパイや、本当に内臓が入っているのか

疑わしいほどに括れたウエスト、何人でも子供が産めそうな肉感的なお尻、

さらには俺のザーメンを嫌というほどそそぎこんでやったにも関わらず、

未だ貪欲に肉棒を欲しがり、パクパクと開閉を繰り返しているオマンコに

いたるまで最後の仕上げにタップリとザーメンをぶっかけられて放心している

彼女たちは、俺にとってはただの交尾狂いの雌豚でしかなかった。


「ふぅー・・それにしたって童貞卒業の相手がまさかゲームの中のモンスター、

それもサキュバスとはなぁ・・・」


そう、俺は自慢じゃないがこの世に生を受けて早35年(この世界は

俺のいた“世”ではないが)ついさっきまでガチガチの童貞であり、

どうせ死ぬまで童貞のままなんだろうなぁと、心の中で諦めていた。

ところがそのついさっき、この俺の身に起きたある出来事のおかげ

で、俺はモンスターとはいえ、男なら誰でも死ぬまでに一回はヤリたい

と思うような極上の女たちを相手に童貞を卒業できたのである。

その出来事とはすなわち・・・


・自分がプレイしていたゲームの世界へ・・・


である。しかもお約束で


・自分の容姿は持ちキャラそのまま

・当然、超絶美系(髪、目ともに白銀の14歳の少年)


だった。しかも、


・魔法面では無敵(現在、魔道士系第5クラス【超魔道】・レベル3000)

・物理面でもかなり強力(戦士系第5クラス【覇皇】・レベル9999から現在の【超魔道】のクラスに転生したため)


というほとんどチートと言って良いような現状に至ったわけだが、

そもそも何故こうなってしまったのか、その原因がよくわからない。

俺はその原因を探るべく、まだまだ元気なムスコを近くにいたサキュバス

の肉壺に再度つっこみながら「あひぃ!ダメぇえーん」数時間前の記憶を

回想し始めた・・・












あとがき

はじめまして。
アラサーと申します。
ゴールデンウィーク中の暇つぶしにこの作品
を書いてみようとおもいました。
何分、初めてssを書くもので所々に見苦しい点、
稚拙な表現等あるかとは存じますが、あまり期待せず
に皆様も暇つぶしぐらいの気持ちで楽しんで頂けたら
幸いです。




[18596] プロローグ
Name: アラサー◆9bb0931e ID:a9634125
Date: 2010/05/17 17:13
突然、もといた場所から違う場所へと放り出されたら、しかもそこが自分が今の今までプレイしていたゲームの世界だったら


諸君はどんなリアクションをとるだろうか?



ある者は現状に戸惑い


またある者は状況を受け入れることを拒み


またまたある者は自らの正気を疑うだろう。


しかしてこの俺、藤堂辰真(とうどう たつま)はといえばもう何の躊躇いもなく


「キ、キ・・・・キターーーーー!!」



と魂の叫びを響かせた。


・・・うん、まあ恥ずかしいとは自分でも思ったけどな?


だが、考えてもみてほしい。


今年で35、中小企業のヒラ社員、しかも女に縁がなく未だに童貞、趣味はネトゲ


という何処にでもいるウダツの上がらないサラリーマンだった男が、自分で容姿を決めたキャラとはいえ超イケメン、しかも最強


の魔法使いになれたとしたら、こういうリアクションをとってもおかしくないと思わないか?







オッサン少年珍道中    プロローグ







さてまず現状を再確認しよう。


俺はついさっきまで、ネカフェでサービス開始から十年、あと1日でサービスが終了してしまうオンラインゲーム


【アルカディア】をプレイしていたはずだ。


ちなみに、俺はサービス開始当日から1日たりとも欠かすことなくこのゲームで遊び続け、最強ソロプレイヤーの1人として名を馳せていた。


もっともサービス終了が近くなるにつれてどんどん人が減っていき、チート級プレイヤーの中で最後までやり続けていたのは


俺1人きりだったようだが・・・・


まあとにかく、そんな俺にとって思い入れの深いこのゲームもあと1日で終わってしまうというのが悲しくて


俺は勤めている会社の仕事を終わらせた後、ここ数日近所のネカフェにこもり自分の半身とも言える持ちキャラである14歳の少年


デスタ・ディ・ドラゴ(イタリア語で、{龍の頭」)


と共に最後の冒険を楽しんでいた。


そして冒険の締めとしてお気に入りのフィールド【騒がしき密林】に足を踏み入れ探索していたところで・・・


探索していたところで俺の意識はブラックアウトし、気づけば俺はこの場所にいた。


元々、亜熱帯をイメージして造られたせいか気温・湿度共に高く、ジャングルを思わせる奇妙な形をした植物が鬱蒼と


生い茂るこの場所。


【騒がしき密林】の中心部、【サキュバスの巣】に結構近いこの空き地の中が俺が現在いる場所である。


意識を失う前、確かに俺は一休みするためにセーブする場所として、この空き地に入っていきそしてセーブしたが、そこからどうなったのか


幾ら頭を捻っても思い出せない。


いや・・・そういえばセーブした瞬間、画面の中のデスタがこちらに微笑んできたような・・・・


そして俺の容姿は、デスタがもし現実の世界にいたらこんな感じだろうという外見になっていた。


ちなみに、何故それが判ったのかというと、足元にあった水たまりを偶然覗き込んだら


見知ったオッサン面ではなく銀髪銀眼の少年がこちらを見返してきたからである。





むぅ・・・どうもこの事態に至った原因らしきものは、現時点では俺には判らない。


ならば今度は自分の・・・いや、このデスタの体のスペックを確認するべきだろう。


こういう展開はネット上のssで何回か読んだことがあるが、もしデスタの能力をそのまま使えるのだとしたら


何もおそれることはない。


しかし正直不安だ。何故なら今、この俺(つまりはデスタ)が着ている装備は、俺が10年の歳月をかけて


このアルカディア全土を駆けずりまわって集めたソレではなく、この場所に来る前に俺が着ていた服装・・・つまりは


スーツ姿だったのである。


サイズが合うはずはないのに、何故か今の俺の体に、それこそオーダーメイドのようにピッタリフィットしている。


この調子でいくと、もしかしたら変わったのは外見だけでステータスでいうと俺は以前の俺、すなわち


レベル1なのは確実だったころの俺のままなのではないだろうか。


もしそうなら、由々しき事態だ。この【騒がしき密林】のソロでの探索で必要なレベルは300以上。


ゲーム中でもかなり難易度の高いフィールドなのである。


レベル3000の【超魔道】ならお散歩気分だが、レベル1の【一般人】では生き残るのは完全に不可能である。


仮にゲームのように、セーブやロードが出来ればモンスターと遭遇した瞬間逃走し、少しづつ歩を進めつつ、


ちまちまとセーブしていき、モンスターに殺されてもセーブした場所から復活!!・・・・なーんてことも可能なのだろうが。








セーブ機能は現在失われています






「・・・何だと?」



突如目の前に、このゲームをプレイしていた頃、何千万回と目にしていたコマンドメニューが表示されたかと思うと


ステータス・装備・アイテムなどの欄の一番下にある、セーブorロードの項目が勝手に開き、俺にとって


あまり嬉しくない文面が表示された・・・






[18596] 第1話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:a9634125
Date: 2010/05/24 20:53
俺はもう一度、よーく目を凝らして目の前のメッセージを読み返してみた。





セーブ機能は現在失われています





ということはだ・・・怖れていたように俺の異世界転生ライフは、開始早々ジ・エンドなのか・・・?


せっかく超絶美少年の体を手に入れたというのに、地球にいた頃常に妄想していた、素晴らしき夢と冒険と肉欲(ココ、非常に重要!)の毎日はむなしく泡沫に帰するというのか・・・!?


何度読み返してみても、無機質な現実は消えてはくれず、俺はこの世界に来てから初めて自分の今の現状に絶望した。


焦った俺は、気持ちを切り替えるまでの1時間近く何とかしてセーブ機能を復旧出来ないものかと、無駄な努力をしまくった。



その結果は・・・・・・・








オッサン少年珍道中      第1話










セーブ機能が使えないという現実を受け入れてから5分間くらい、俺は目の前のコマンドメニューの機能を確認することにした。


いやもう、ゲームの中に入り込んだって時点でこの世界がおれにとっての現実なのだから、セーブ機能なんてものに頼ってちゃいけないんだよ!うん!!




・・・・・・・・グスン




と、とにかく俺はどうにもならない現実は放置して、コマンドメニューの各種確認作業に移ることにした(決して現実逃避ではない。断じて!!)


そ、そもそも不思議じゃないか?いきなり、目の前に見知ったゲームのソレが現れるなんて!?





この世界じゃ皆、コマンドメニューを目の前に開けるのか?


それとも、異世界である地球からやってきた俺にしか出来ないのか?


仮に俺にしか出来ないとして、じゃあこの世界の住人(例えばモンスターやNPC)はコレを視認出来るのか?






疑問に思うことは沢山あるが、とりあえずは後回し。


そして5分間思いつく限りのことを試し、あるいは調べた結果以下のことが判明した。



・コマンドメニューは自分の意思で表示が可能


・目の前だけではなく、頭の中にもかなりリアルなイメージで表示が可能


・項目を選んだりするのも自分の意思


・その際、コントローラーを操作するような感覚である



とまあ試行錯誤の結果、大体これだけのことが判ったわけだ。


そこで俺は、一番最初の問題・・・自分の現在のステータスに意識を傾けた。


コマンドメニュー・・・ええい、メンドくさい!もうメニューでいいよ、メニューで!!


とにかくメニューからステータスの欄を選択し、現在のステータスを頭の中に表示する。その結果は・・・






デスタ・ディ・ドラゴ


クラス:【超魔道】    

レベル:3000

転生前クラス:【覇皇】

転生前レベル:9999(MAX)




よっしゃキターーーー!!!


これで俺の天下じゃーーーーーー!!!


俺はそれから数秒間、その場でデタラメな小踊りを踊った。


いやだってなぁ?【超魔道】だよ!?


魔道士系最終クラスである第5クラスだよ!?


おまけに転生前が【覇皇】!!


これまた戦士系最終クラスである第5クラスだってんだから・・・


しかもレベルは9999のカンスト!!・・・ってそもそも、レベルが9999に達したクラスからしか転生は出来ないんだけども・・・・


まあいいや、次だ!次!!


はやる心を抑えつつ、俺は更に詳細を確認するためにクラス説明欄へと目を通した。







クラス【超魔道】(第5クラス)

魔道士の頂点に位置する存在。その叡智は他の追従を許さず、絶大な魔力は世界を震撼させる。



取得条件
第1から第4までのすべての魔道士系クラスを最低1回は経験済み。かつ特定イベント{魔道の理を統べる者}をクリア



固有能力
魔道の真理:第1から第4までの魔道士系クラスで覚えられる魔法系スキル、及び魔法をすべて使用可能

無限の魔力:文字道理、システム上でのMPの限界がなくなる。これによってステータス欄に表示される魔力が“∞”となる








クラス【覇皇】(第5クラス)

全ての戦士が目指す究極の姿。その拳は森羅万象を砕き、その剣は神魔をも斬り裂く。



取得条件
第1から第4までのすべての戦士系クラスを最低1回は経験済み。かつ特定イベント{天地に覇を唱える者}をクリア



固有能力
大いなる覇権:第1から第4までの戦士系クラスで覚えられる肉体系スキル、及び体術をすべて使用可能

無限の精力:文字通りシステム上でのスタミナの限界がなくなる。これによってステータス欄に表示されるスタミナが“∞”となる







【覇皇】からの転生によるボーナス

前世が【覇皇】だった者は、今世においてもその絶大な戦士の力が生まれながらにして与えられる。



転生によって得られる能力
大いなる覇権:上記のソレと同義

凄まじき精力:スタミナが転生後のクラスの各レベルでの通常値×1000になる

覇皇の系譜:体力、物理攻撃力、物理防御力、俊敏さ、器用さ、筋力、反射神経、直感が転生後のクラスの各レベルでの通常値×100になる






・・・・・・ハッ


ハ・・ハハハッ・・・・・


ハハハハッ・・ハハッ・・・


アーーーッハッハハハハハハハハハーーーーーー!!!


キターーーー!!俺の時代キターーーーー!!


チックショウ!!笑いが止まんネーーー!!♪


予想していたとはいえ改めて確認してみるともう、凄まじいとしか言いようがない。


いやー、よかったよかった。一事はどうなる事かと思ったけど、これなら何とかなりそうだ。


この【騒がしき密林】を突破するのなんて余裕!それどころか最高難易度のダンジョン【終わりの始まり】でもなければ


何処へだって安心して一人旅が楽しめるってもんだ。


・・・それにしても、【無限の魔力】や【無限の精力】は俺のチートっぷりを端的に表していると言えるだろう。


実はこの2つに加え、他のクラスが持っている幾つかの固有能力、そして特定の数カ所の場所におけるセーブ機能は、


つい数ヶ月前に実装されたばかりなのである。


その頃には、【アルカディア】のサービス停止はとっくに決まっており、こんなゲームバランスを崩壊させるような設定を


どうして今になって?と、当時既にほとんど居なくなっていた【アルカディア】プレイヤーや、


他のオンラインゲームのプレイヤーも不思議に思ったものだ。


元々このゲームは、某日本一ゲーム会社がそれまでの自宅用ゲームソフトの開発から、オンラインへと進出するための足掛かりとするために開発した作品で、


噂では、10年前このゲームをデザインし、現在その会社の社長にまで異例の若さで登りつめた男が、


思い入れのある作品の最後を飾るために、強権をはたらかせたらしいが・・・・


まあ、現実にそんなことが可能かどうかはさておき、少なくとも今、俺がこの世界でも有数の大魔道士であることに変わりはない。


俺はそれから数分間、その場でデタラメなダンスをスーツが汗でベトベトになるまで踊り続けた。









「ふぅーーー、踊った、踊った」


俺はようやく正気に戻り、傍から見たら狂人としか思えないようなダンスを終えた。


しかし、このダンスで俺は一つ事実を確認できた。


ズバリ、まったく疲労を感じないのである。


確かに汗はかくし、ほんの少し息も早くなるが、でもそれダケ。


35のメタボなおっさんだった頃なら、これだけの運動で軽く死ねたのに今なら1週間ブッ続けで、ある黒人男性考案のブートキャンプでも踊れそうである。


・・・いや、実際やろうと思えばそれぐらい出来るのだろう。


ステータス欄の常識はずれなスタミナがそれを裏付けている。


頭の中でスタミナバーを表示してみると、ほんの数ドット分だけスタミナが減っているのが判った。


俺は改めて、本当に違う世界の違う人間になったんだなぁと、感慨にふけった・・・・




[18596] 第2話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:a9634125
Date: 2010/05/17 17:13
ザッザッ・・・ザッザッザッ・・・・・・


!!

な、何だ?今のは!?

俺が物思いにふけっている途中、突然今いる空き地の外から、何かがこちらに向かって来ているとしか

思えないような物音が聞こえてきた。



この世界の冒険者か?

・・・・いや、物音は1つ。俺のようなチートキャラでもない限りこの危険な【騒がしき密林】に、パーティを組まずに1人でやってくる

可能性はかなり低い。



ならば、小動物か何かだろうか?

・・・・それも違う。今のは明らかにヒト型生物の足音だった。




なにより、以前の俺が持っておらず、今の俺が持っている【直感】が俺に警戒を促してくる。

ステータスの一種であるこれは、ゲーム中では数値が高いほど、モンスターに不意打ちされるリスクが減るという仕様だったが、

その直感が反応していて、なおかつ相手はヒト型、しかも現在地が【騒がしき密林】・・・・





この世界が、俺にとってはさっきまでただのネトゲに過ぎなかったオンラインゲーム【アルカディア】の設定に、ある程度縛られているとすると、

導き出される答えは唯一つ。それは・・・・・
















「ハ~イ♪坊や!・・・・お姉さんとイイこと・・・し・な・い?」











オッサン少年珍道中      第2話








茂みの中から現れたのは一人の女だった。

勿論ただの女じゃない。

美しく、それ以上に淫らな雰囲気をまとった女だった。

身につけているのは、何かのハ虫類を連想させるテラテラと光る黒い皮で出来た、ブラとショーツのみ。

それが今にもこぼれおちそうな豊満な胸と、パリンと張りがあり肉感的で柔らかそうな尻を、申し訳程度に覆っている。


また、そのスタイルもシャレにならない。

地球の外人スーパーモデルが裸足で逃げ出しそうな脚線美と、抱きしめると折れてしまいそうなウエスト。



極めつけがその美貌。

くっきりとして品がいい鼻筋に、ポッテリとして血のように紅い唇。

染み1つない真っ白な肌と、黒曜石を思わせる腰までとどく長い髪。

そして墨で一本の線を引いたかのような長くキリッとしたまつ毛と、好色そうにゆがめられたキレ長の漆黒の瞳。


陳腐な表現だが、町を歩けば100人の男が100人とも振り返ることだろう。

それほどまでに美しい女だが、俺はそいつに熟れすぎて腐った果実を幻視した。

あるいは、獲物を甘い香りでおびき寄せ、ゆっくりとその全てを咀嚼し尽くす食虫植物でも的を射ているかもしれないが・・・・





なんにせよ頭と背中、そして尻から、悪魔を連想させる角や羽、尻尾を生やしている時点でこの女の正体は決まっている。

解析魔法【アナライズ】を使うまでもない。こいつは、そう・・・・




「サキュバスか!?・・・・」



思わず口に出してしまった俺の声を聞いて、目の前の女・・・サキュバスは我が意を得たりとばかりに、妖しく微笑んだ。



「ウッフフフフ♪ハ~イ、正解よ~・・お利口ねぇ、坊や」



やはりサキュバスか・・・

さーて・・・・どうしたもんかねぇ?

いや、確かにモンスターではあるんだろうけどさぁ?俺は既に自分のステータスを確認してるからコイツじゃ相手になんないってわかってるしぃ?

それに初めて目にするモンスターが、この辺にいる【サーベルタイガー】とか【ジェネラル・ビー】だったら、恐怖で混乱して攻撃を喰らってたかも知れんが

サキュバスは悪魔系とはいえ人間型、それもとびっきりのイイ女。故に正直あんまし怖くない。


せいぜい、見てるだけで股間が熱くなるだけだ(しゃーねーじゃん、童貞だもん!)


まだ魔法や、各種肉体系スキルの効果を確認したわけじゃねーけど、多分コイツ俺が一発殴っただけで消し飛ぶんじゃないかね?



「どうしたのかしら?黙り込んじゃって・・・・ウフフ、怯えているの?可愛いわねぇ・・・・・・・・・・ジュルリ、あ、あらやだ//」



っとそんなことを考えている内に、俺が恐怖で身動きできないと勘違いしたのかサキュバスのほうからこっちに歩いてきた。


てゆーか、ヨダレたらすんじゃねえよ。そ、そりゃあ俺は自他共に認める美少年だけどな?(正確には俺が作ったキャラが、だが)




「だいじょ~ぶよぉ、と~っても気持ちイイことをするだけだから・・・・坊やもきぃっと気に入ってくれるわぁ~♪」




そう言ってサキュバスは俺の目の前で立ち止まる。

うーむ、近くで見るとマジでエロいなこの女。


「それじゃあ・・・・久しぶりの御馳走・・・・イタダキマ~~ス♪んちゅう、んん・・んちゅぱぁ♪」


「お、おい待っ・・・んぐぅ!!んん・・・んちゅ」


突然、両手が俺の方に伸びてきて頭をガシィッと掴まれたかと思うと、拒む間もなく俺は目の前の女悪魔に唇をうばわれた。


ちなみに勿論ファーストキスだ。よもやこんな形で失うことになろうとは・・・

多少驚きはしたが、別にどうでもいいことなので俺は目の前のサキュバスの自由にさせた。

サキュバスのキスは流石にディープで、細長い舌が俺の唇を割って口内に入ったかと思うとすぐさま俺の舌を見つけ出し、

まるで蜂蜜のように甘い唾液を滴らせながら強引にからませてきた。




「ん~、んちゅ、ちゅっ、ちゅるる、れろ~・・・・・ンフフッどう?気持ちイイ?」



正直、マジ気持ちイイ。

俺はキスで気持ち良くなれるなんてウソだと思っていたのだが、どうやら間違っていたのは俺のようだ。

サキュバスの長い舌で口内の隅々まで、それこそ上顎や歯ぐき、舌の付け根に至るまで舐め回されると、

体中がとろけてしまうほどに甘美で心地よい。

なにより、俺の唾液をコクコクと、さも当然のように飲んでくれるのだからたまらない。

気づけば俺は自分からも舌を積極的に動かし、サキュバスとのキスに完全に夢中になっていた。


そんな俺の反応を見て気を良くしたのか、サキュバスは唇をちゅぽんっと音をたてて離すと、ニンマリと笑みを浮かべた。



「どう?お気に召してもらえたかしら・・・・?」



一応、質問の形式をとってはいたがその顔には「訊くまでもない」という表情がアリアリと浮かんでいた。



「あ、ああ。・・・・正直、凄かったよ」



そう答えるしか俺には出来ない。てっきりサキュバスは嬉しがるだろうと思ったのだが、その顔に浮かんだのは喜びよりも困惑のほうが

大きかった。



「そ、そう・・・楽しんでもらえたようで良かったわ。・・・・にしても、坊や、あなた随分素直ねぇ?普通、こういう状況では人間の男ってもっと強がるものよ?・・・・」



それはそうだろう。自分の命を快楽で奪おうとしている者に対して、その奪うための技術を素直に称賛する者など、よほどの物好きだ。

しかし、俺の場合何とかしようと思えば、何時でも何とかできるので余裕を持って対応できるのである。

しかしそんなことを、いちいち言ってやる必要はない。

当たり障りのない会話でごまかすとしよう。

それに上手くいけば、こんな極上の牝に童貞を奪ってもらえるかもしれないんだから、一匹の牡としてはこんなに嬉しいことはない。

命の危険が若干あると言えばあるが・・・・・まあ、何とかなるだろう、うん。




「人間、諦めが肝心だからな」



「そういうもの?・・・・フフフ、それじゃあ、そんな素直な坊やに御褒美をあげなくちゃねぇ?」




御褒美?

一体何をするつもりなんだと、期待半分、不安半分の俺の耳元にサキュバスは口を寄せ

その鈴を転がすような美声で・・・・・・・









チャーム











その呪文を囁いた・・・・







ドクンッ!!

突然、心臓が激しく脈打ったかと思うと、それを皮きりに全身に凄まじい熱が生まれた。

昔、話のタネでバイアグラをスッポンの生き血で飲んだことがあったが、ソレの数十倍、いや数百倍の興奮が体中を駆け巡り脳を直接侵しそして・・・・







一瞬で消えた・・・・・・・







・・・・うん、まあ、そうなるよな。

いきなりチャームの魔法を使われたのは驚いたが・・・相手が悪すぎる。

腐っても俺はレベル3000の超魔道だぞ?たかだかレベル150かそこらのサキュバスの魔法を【ディスペル】できないわけはないわなぁ?


しっかし、そうか・・・今のが魔法か・・・

やっぱりゲームと実際に体験するのとじゃ全然ちがうもんだな。

ゲームじゃ単純に一定時間行動不能だったんだけど、この世界じゃディスペルする直前のあの状態が、ずっと続くんだろうなぁ。


そりゃー逃げらんねぇよなぁ。あんな状態が続いちまったらこの俺でもまともには戦えん!

いやー、ステータスの【魔法抵抗力】が高くてよかった~。


しかし、そんな俺の状態にはサキュバスは気づきもしなかったらしく・・・・



「ウフフ・・・ばっちり効いたみたいねぇ。こんなに元気にさせちゃって・・・」



と、さも嬉しそうにズポンの上から俺の愚息をなでまわしていた。

イヤイヤイヤイヤ!ぶっちゃけお前とキスする前からこうなってましたからね?

そうツッコミをいれたかったが我慢した。チャームが効いていると誤解させた方が都合が良さそうだったからな。

しっかし、自分のかけた魔法が効いているかどうかくらいわからんもんかね?

仮にもサキュバスだろうに・・・・・

もしかして、胸が大きいと頭に栄養がいかないってアレ、事実だったりするのかねぇ?


そんなことをしみじみ考えている俺など放っておいて、サキュバスはズボンのベルトに手をかけそして・・・



「え、ええ!ちょっと!?」


俺が止める間もなく、トランクスごと一気に引きずりおろした!




ぶるるるるんっ!という音がきこえて来そうな勢いで、とっくに臨戦体勢に入っていた俺の肉棒が飛び出してきて、サキュバスの頬を強かに打った。

14歳という年齢だからか、完全に勃起しているにも関わらず未だに皮をかぶったままの仮性包茎だ。し・・しかし・・・・





で・・・でかい!・・・・





ズボンの中に窮屈に収まっていた時から、うすうす感づいてはいたが以前の俺など比較にならんくらいこのデスタのペニスはでかい。

ていうか何これ!!デスタ君、君はまだ14歳だったはずでしょう!?

どうして明らかに20cmはあるの!?

いや、それともこの世界じゃこれくらい普通なのか?・・・・それならまぁ、納得してやらんでもないが・・・・・

俺は今や自分の体になった持ちキャラに対して、男の尊厳という名の嫉妬を感じつつ、ひそかな期待をこめてサキュバスの様子をうかがったが・・・





「キャッ!!・・・す、凄いわねコレは。坊やくらいのトシでこの大きさ・・・・私もちょっと、お目にかかったことがないわ・・・」


がーーーん!!

あっけなく撃沈・・・

い、いや別に良いんだよ!だってこの体はもう俺のものなんだから、このチンポだって俺のものなんだ。ハ、ハハハハ・・・・・・

俺は嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちになりながら、改めてサキュバスに意識を集中させた。



「フフッ・・・でも、わかるわよぉ・・・坊や、あなた・・・・・・・童貞でしょう?」


その白魚のようなホッソリとした手で竿をヤワヤワと握りつつ、サキュバスはあまり人に知られたくない俺の秘密をアッサリ見抜いてみせた。

む、むぅ・・・・流石はサキュバスと言うべきだろうか。

ま、まあ確かに以前の俺も童貞だったし、このデスタも童貞・・・・だよなぁ?

少なくともゲームでは、下半身関連のイベントはなかったし、街中でも娼館なんかは・・・・・あったのかもしれんが入れる施設はなかったしなぁ。

・・・・・ていうか、サキュバスに俺のペニスをニギニギされるのがマジで気持ちイイ!

人間の女とシタことないから比較は出来んが、俺が自分でするよりかは遥かに気持ちイイ!!




「うふふ、気持ちいいでしょう?これからもーっと気持ちよくなるわよぉ・・・でもぉ・・・その前にぃ・・・ムキムキしちゃいましょうね♡」





そう言って笑うとサキュバスは、皮に覆われたペニスの亀頭部分を両手の親指と人差し指で優しくつまみ、

そのまま徐々に力を入れて、皮をゆっくりと根元へと剥いていった。

くぅ!!マジでイイ!!

サキュバスの冷たい指の感触がゆっくりとペニスの根元へと移動していくのと、少しずつ露わになっていく亀頭にかけられる

熱い吐息が、タマラナイ!!

何より、上目づかいに俺を見つめて口元に優しく、そして淫らで邪悪な笑みを浮かべた最高級の美女に、童貞チンポを優しく剥かれているという

その異常なシチュエーションに、俺はとてつもなく興奮していた。

そして遂に、亀頭が全てサキュバスの目の前に晒された!!





「フフフ♪童貞だけあって亀頭が真っ赤できれいねぇ、もう先走りが出ちゃってるし・・・それに、まぁ、こ~んなにチンカスが付いてるわよぉ?

うふっ・・・血管も太くてビクビク脈打ってるし・・・ああん、もう本当に美味しそうねぇ♡」


「くっ!!そ、そんなにまじまじと見ないでくれ・・・」



確かに、剥けきった亀頭のカリの裏側には恥垢がビッシリと張り付いていて、先走りがドクドクと噴き出していた。

しかしそれをこんな美人に観察され、詳しく実況されると男として非常に恥ずかしい。

しかし、恥ずかしいと思うのと同時に、チンポに突き刺さるサキュバスの視線に俺は間違いなく興奮していた。




「あら、そう・・・・それじゃあ・・・・ア~~ン♪」




サキュバスは残念そうに呟くと、しかしすぐにその淫らな美貌をゆっくりとペニスのさきに寄せていき、大きく口を開けそして・・・・




ぱくっ じゅるるるるっ



一息にペニスをその半ばまで、じゅるじゅるとイヤらしい音を響かせながら、その鮮やかな紅い唇の中に飲み込んだ。



「うおぉ!!・・・お、俺のが・・・・フェ、フェラされて・・・」



プリプリとした唇をぎゅうっとすぼめて竿をしごきながら、舌で亀頭をレロレロとなめまわし、あまつさえチンカスをなめとり、くちゅくちゅとよ~く味わってから飲み込んでゆく。

た、たまんねぇ・・・これがサキュバスのフェラか!・・・・

温かく粘着質な口内と、とろとろの唾液をたっぷりとたたえ、肉棒を這いまわる舌の感触に俺は酔いしれた。

その細長い舌がまるでトグロを巻くへびのように、亀頭をすっぽりと覆いニチュニチュと卑猥な音をたてて、とんでもない快感を俺に与えてくれる。



れろれろれろ・・・・・ずぼっ



「くああっ、うひぃ、ひぃひゃああっ!!」



き、亀頭を舐め回していた舌が尿道口に差し込まれた。そのままグリグリと尿道をほじくりかえし、ガマン汁をぺろぺろと舐めとっていく。

あまりの快感にまるで女のように甲高い嬌声をあげ、腰を引こうとするがサキュバスの両手にガッチリと掴まれて離れられない。

ああ・・・今度は亀頭を頬の粘膜でこすられてる、キ、キモチイイ・・。



「ちゅるる・・・・んちゅっ、れろんっ・・・ちょ、ちょっと!・・・・信じられないくらい美味しいわよ、あなたのオチンチン!!

むちゅう、ちゅぱっ・・・ちゅっちゅっ・・・ああ、まだガマン汁しか飲んでないのに・・・・ちゅるん、れろれろん、精がとんでもなく濃厚で、しかも量も多いわぁ♡・・・・」



じゅるじゅるとチンポにむしゃぶりつきながら、サキュバスが俺のチンぽの味を報告してきた。

お、恐らくそれは俺のステータスの高さに関係しているんだろう。

サキュバスは獲物の精、つまりは生命エネルギーを吸うモンスターだ。

当然、ステータスが高い方が生命エネルギーが強大になり、精の濃度は濃く、量も増える。

まして俺はレベル3000の超魔道だ。サキュバスにとってはとんでもない御馳走というわけ・・・



くにくに・・・ずぶん




くあああああぁっ

な、何だ!?尻の中に何かが・・・





「うふふふふ、べろん、ちゅちゅう、・・・ハァ・・こんなに美味しいのは、はぁ・・・初めてよぉ・・・じゅるるん、んちゅんちゅ・・・

今までのがぁ、何だったんだろうって思うぐらい・・・はむっ・・・んくんく・・・・

美味しいわぁぁ~・・・だからぁ・・・いっぱいサービス・・・してあげちゃうわねぇ」




そう言ったサキュバスの顔はほんのりと赤く染まっており、瞳はうっとりとうるんで、当初の余裕に満ちた態度はもう消えていた。

薄い皮のブラ越しでもはっきりと見えるくらい乳首は勃起し、ショーツから流れ出した愛液は地面に水たまりを作っていた。


そしてサキュバスの左手は相変わらず俺の腰に添えられているが、右手の方はというと・・・・・



ずるずるっ・・・コリッコリコリッ、グニグニィ





「あはぁん♪見つけたわよぉ、パクッ・・じぇんりちゅしぇん♡・・・んちゅ、じゅるるるるん」


「ひぃはぁぁぁ!!おい、そ、そこはやめっろおおぅうおっ!?」


そう。何とサキュバスは自分の愛液をたっぷり塗りつけた右手の中指を、俺の校門に入れてきたのである。

そしてたった今、男の究極の性感帯である前立腺を見つけ出し、その爪で優しく引っ掻き、揉み潰してきた。

む、無理だ!さっきまで童貞だった俺がこんな責めに耐えられるわけがない!

俺の意思とは関係なく玉袋がパンパンに膨れ上がり、その中でグツグツ煮詰められていた大量の種汁が、急速に尿道を駆けあがってきた。




「も、もう駄目だ!出るっ出ちまう!!」

情けない大声で自らの屈服を宣言した俺はそのまま射精衝動に身をゆだね、チンポにむしゃぶりついて離さない淫乱なメスの口の中に、

恐らくこれまで出した中で一番濃く、量も多いであろう欲望の奔流を解き放とうとして・・・・





ぎゅうぅぅぅぅぅぅっぅ






サキュバスの左手に肉棒の根元を握りしめられ、その望みは叶わなかった・・・





ビクンッビクビクン






何度ペニスが脈打っても、その先端から子種のたっぷり詰った白濁汁は飛んではいかず、

出口を失った精液が再び精巣に戻る、その異様な感覚に俺は戦慄した。



「あぁ・・・ど、どうしてぇ?」




未だに空打ちを続けるペニスの先端を美味そうにペロペロと舐めしゃぶり、肛門から引き抜いた右手で玉袋をキュッキュッとリズミカルに揉みしだく

目の前のサキュバスに、俺はなんとも情けない声で問い詰めた。





「ふふっ、ごめんなさいねぇ。でもぉ、坊やは女の体で精液を出すのは初めてでしょう?

だったら最初はやっぱり・・・・アソコじゃないと・・・ね♪」


「え?・・・う、うわ!」




そう言ってサキュバスは俺を地面に押し倒し、上着をはぎ取り俺を完全に全裸にしてから、既に愛液でグチョグチョになっていたショーツを、見せつけるように片足ずつ

ゆっくりと抜いていった。そしてそれを、俺の細身ながらもしっかりと筋肉がついた胸板に放り投げた。



ビチャッ





卑猥な音をたてて落ちたそのショーツは、牡の本能に直接訴えるようなむせかえるほどの濃密な女の匂いを俺の鼻へと届けた。

先ほどの寸止めで、若干萎えぎみだった俺の肉棒はその芳香によって一気に硬さを取り戻した。





「さぁて、それじゃあそろそろメインディッシュを頂こうかしら?・・・ふふふっよ~く見てるのよ?今からお姉さんのお腹の中で、

あなたの童貞チンポをトロトロになるまでこねまわして、濃ゆくて美味しい精液をぜ~んぶ絞り出してあげちゃうからね♡

普通ならそのまま天国へ逝っちゃうんだけど・・・・でも、きっと坊やなら大丈夫よ、お姉さんが保証してあげる♪」





そう言ってサキュバスは俺のペニスを左手で掴み、ゆっくりと腰をおろしながら、右手で自らの秘部を俺によく見えるようにクチュッと音をたてて開いていった。



「そ、それが・・・オ、オマンコ!!・・・」



初めて真近でみた女性器は、まるで雨に濡れた薔薇のようだった。

サキュバスの指によってパックリとひらかれたそこは、大陰唇、小陰唇、尿道口、そして今から俺を迎え入れる肉穴まで

はっきりと見えた。

愛液によってテラテラと光る淫蕩な花びらは、早くペニスを咥え込みたいのか、物欲しそうに収縮を繰り返している。

そして花びらの奥にひっそりと潜む膣口は、淫らな蜜を垂れ流しにしながら自分を貫いてくれる牡の肉銛を

今か今かと待ちわびていた。


す、すげぇ!!・・・ビデオなんかと全然違う。


かつて持っていた無修正のアダルトビデオで、外人AVが自分のオマンコを晒すシーンがあったが、

それは妙にドス黒くて、形も歪で、正直汚いという感想しかなかった。

だが、目の前にあるコレは、そんな紛い物とは全く違った。


男なら誰しもが思春期に抱くであろう、女性器に対する幻想を現実のものとした結果が、今俺の眼前には存在する。


甘い香りの蜜がコンコンと湧き出ているそこは、まさしく{蜜壺}という名が相応しかった。


こ、このある意味一つの芸術品を、今から俺が犯す・・・・いや、犯されるのか?

だがもう、そんなことはどうでもいい!

ヘソに反り返るほど硬く勃起した肉棒の先が、あのイヤらしい肉壁に触れ、そのまま膣内へと飲みこまれれば

さきほどのフェラチオすら霞むほどの、極上の快感を味わえることだろう。

それを思うと俺は、今まさに俺の命を喰らおうとしている邪悪な淫魔が、ゆっくりゆっくりペニスの先端に向かって腰を落としてくるのを

ただただ、歓喜をもって見つめていた。


そう、ついに35年の童貞人生が終わり、この美女のドロドロにとろけた胎の中でチンポをこねまわしてもらい、思う存分、

まさに死ぬほど子種汁を注ぎ込むことができるのだ。


そんな人生始まって以来の興奮の中、俺の期待にこたえるように淫液で濡れそぼった肉花が、

ペニスの先端をゆっくりと、しかしこの上なくいやらしく咥え込んでいった。





くちゅっ






「あ、ああああっ・・・」

と、とうとう俺の肉棒にサキュバスのオマンコが触れ、そして






ずにゅうぅぅぅぅ






と、そのいやらしくくねる肉花の中に入り込んでいった。



「はあああんんっ!イイわ、よ、よすぎるぅぅぅ!!こ、これ予想以上だわぁ!!坊やのチンポ、すっごくイイのぉぉ、ほ、ほぉおおう、せ、精が・・・濃厚な精がいっぱい流れ込んでくるぅぅぅぅ!」



俺の肉棒を受け入れた瞬間、そんなサキュバスの嬌声が聞こえたような気がした。

だが、俺はそんなものに注意を払うことなど到底不可能だった。

オマンコの中は熱くとろけていて、まるで何百枚もの舌に肉棒を隅々まで舐め回されるような異常な感覚。

それでいて、その舌の一枚一枚に至るまで、小さな無数のツブツブがついているのだからたまらない。

まして、その快感を俺に与えてくれているのが目の前で気持ち良さそうに俺の肉棒を咀嚼している淫らで美しい女悪魔だというのだから・・・・




パンッパンッパンッパンッ ブシュッブシュッブシュゥゥーー


「うああぁ、ふぁっあ、はあああああっ!!」




肉銛をその蜜壺に根元近くまでギッチリ飲み込んでからすぐに、サキュバスはかなりの速さでそのキュッとしまった腰を振りたくってきた。

その途端、ヌルヌルでトロトロのマン肉が一斉に俺のチンポをギュウギュウと締めあげ、シゴキあげてくる。

おお~~マ、マジで死にそうなくらい気持ちイイ!!

それと同時に、チンポの先端は子宮口のコリコリプ二プ二した、適度な硬さと柔らかさを味わうことになる。

ぴゅぴゅっと噴き出し続けている先走りを、亀頭に吸いついた子宮口がちゅうちゅう吸いあげるのがたまらない。


そんな異次元の気持ちよさによって、俺はもう何も考えられず、ただただ与えられる快楽を享受し、

イミのない喘ぎ声をあげるのが精いっぱいだった。

そんな俺を見てサキュバスは、白い美肌を真っ赤に染め、玉のような汗をかきながらも、淫魔としてのプライドなのか、

余裕ぶった笑みを浮かべて、イヤらしく舌舐めずりをする。

しかしその瞳はトロンと潤み、まるで恋する少女のような眼差しで

俺の顔を覗き込んできた。





「ハァ、ハァ、ど、ど~う?坊や、き、気持ちイイでしょう?私の・・・お、お姉さんのお腹の中、あっあああぁ!!

・・・さっ、さいこおっでしょおほおおおぉっっ!!ま、また大きくぅぅぅ!?」





自信たっぷりに、だが何故か不安げにも見えるサキュバスの質問に対して、俺はペニスに襲いかかる快感に抵抗しながら、

必死でイミのあることばを紡いだ。






「も、勿論だ、あっ、くぅううぅ・・・お、お前の膣内は、はぁ、はぁ、さ、最高だぁぁぁぁー!!」


「ああん、う、嬉しい!嬉しいわよぉ坊やぁぁぁん!!・・・私もぉ、私もよぉおお、ほ、おほおおおぉ~~ん!!・・・ハァ、ハァ

私もぉぉ、こんなに感じちゃうのはぁ、ぼ、坊やがぁぁぁ、坊やのオチンチンがぁぁぁ・・・は、初めてなのよぉぉぉ~♡。う、嘘じゃないわ、信じて・・・・お願い、信じて坊やぁぁぁ~~」






この時、俺は今セックスしている相手が邪悪な悪魔であることを、一時的に忘れた。

そして、今にも涙を流しそうな瞳と、その哀願にみちた彼女の声を聞いた俺の返答など決まりきっていた。





「し、信じる・・・くはぁ、俺・・はぁ・・・俺、信じるからぁああああ!!し、締まるぅううーー」


「あん、あ、はぁああああ・・・んっふう、あ、ありがとう坊やぁぁぁぁ!!・・・ね、ねぇん坊やぁあ?

わ、私のこと名前で、ひっ、ひぃ~ん、エ、エルって呼んでぇ~~ん。

ぼ、坊やにはぁ・・・な、名前で呼んで欲しいのぉぉぉぉ!!はぁ!はぁひぃぃぃぃん」!!





ズチュッズチュッズチュッズチュッ パンッパンッパンッパンッ 






俺の尻に垂れて来るまで淫液を吐き出し、なでまわしたくなるヒップを前後左右に動かし、その温かく柔らかな胎内で

俺の一番大事な部分を食い締め、舐めしゃぶり、こねまわしてくれる美女。

そんなサキュバスの、ブチュブチュと下品な音をたてて肉の交わりをしている最中の、あまりに可愛いおねだりに刺激され、


かろうじて残っていた我慢という名の頸木はもろく崩れ、俺の肉棒はサキュバスの・・・・・・エルの胎内にドロドロの胤汁を注ぎ込んだ!!






どぴゅどぴゅっどぴゅぴゅっ びゅくびゅく  びゅるるぅぅぅんん






尿道を凄まじい勢いで駆け上がる俺の精液!!

目の前の美しい牝に、原初の本能に従い種付けするために、ペニスの先端を子宮口に食い込ませ

尿道口がクパッと開いて、精子がウヨウヨ泳いでいるであろう白濁をなんの躊躇もなく異種族の悪魔に流し込む!!!







「あーー!!あはぁぁぁーーー!!出してる、出してるのね坊や!!私の子宮に、の、濃厚ザーメンをブチまけてるのねぇぇぇぇん!!

あはぁ、ダ、ダメよぉ・・・の、飲みきれないぃぃぃ!坊やの精が濃すぎてぇぇぇ、飲みきれないわぁぁぁぁ~

ああイクゥ・・・・イ、イクわよぉぉぉぉ!?・・はぁ、はぉぉぉん♡に、人間の子供に、あぁん、ザーメン注がれてぇぇぇん・・・

サキュバスなのにぃぃぃん!!イッ、イッちゃうわよぉぉぉ~~ん!!」






どびゅるっどびゅるるるぅぅぅん どびゅどびゅっ ぶっしゅぅぅぅぅ






明らかに人類に出せる量を軽く凌駕しつつ、濃さもネバリもまったく変わらない特濃ザーメンを

思う存分、目の前の極上の肉穴に放出する俺。






「くぅぅぅ、エ、エル!!い、いいぞ。まだ・・・まだ出るぞ!!うおぉぉぉぉ!!」






そして子種を注がれ嬌声をあげまくるエルの、そのたゆん、たゆんと揺れるオッパイに目を奪われた俺は、

まったく勢いが衰えることのないスペルマを更にその子宮へ注ぎ込みながら、彼女の汗にまみれたブラをはぎ取り

その爆乳の頂でピンッと勃起し、しゃぶって欲しそうにフルフル震えている2つの乳首に、

両手で左右のオッパイを中心に寄せておれの口元に近づけることで、2つともいっきにむしゃぶりついた。



べろん、ちゅちゅちゅうぅ  ちゅっぢゅるるるる~~~







「はぁん、オ、オッパイはぁ・・・オッパイはダメェぇ~ん!!ひっ、ひぃぃぃ~~ん!!

乳首かんじゃヤダぁ!あっ、はっはひぃぃぃん!!だ、だからって、ちゅぱちゅぱしゃぶっちゃダメェェェン!!

・・・・・あっ、ダッ、ダメェェん、ほ、本当に来たぁぁぁぁん♡♡わ、私イッちゃうぅぅぅ!!あはぁん!イ、イックゥ~~~~~♡♡♡」








ビクビクとその魅惑的な肢体を痙攣させ、絶頂の快楽にふけるエル。

彼女の膣内は絶頂によって更に締まりチンポからザーメンを絞り出し、その子宮口で子種たっぷりの精液をゴクゴクと飲みほしていく。

俺はそんなエルをしっかり抱きしめ、両足を彼女の腰で組み、決して外れないようにしながら、そのエロく勃起した乳首を

ちゅぱちゅぱと吸いつつ、玉袋が空になるまで白濁液を注ぎ続けた・・・・














あとがき
エロくかけてますでしょうか?・・・・・





[18596] 第3話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:a9634125
Date: 2010/05/07 17:45
びゅくっびゅくっ・・・・びゅるびゅるん・・・びゅる・・・・・


永遠に続くかと思ったほどの長い射精はようやくその勢いが弱まり、


最後にとりわけ濃厚な種汁をエルの胎内に吐き出して、俺の人生初の生膣内出しは終わりを告げた。




く~~~マジで最高だった!この世界最高!!サキュバス万歳!!

無事、童貞を捨てることができた俺は、世界を一段高いところから見下ろすような感覚を

そう、何とも言えない万能感を味わっていた。











オッサン少年珍道中      第3話











調子に乗った俺は、あれだけ濃い精液を中ジョッキ一杯分くらい吐き出したにもかかわらず、

未だに女悪魔の膣内でその硬さと熱さ、大きさを保っているムスコを、肛門の方に力をいれてビクビクと震わせた。



ついでに頭の中にステータスウィンドを開き、今の自分の状態を確認してみる。

・・・・・う~む、やはりスタミナが100ほど減っているな。

先ほどの俺の妙な踊りでは、スタミナはせいぜい1か2しか減っていなかった。

つまり今の一連のセックスの流れは、ゲーム風に言うと【スタミナドレイン】だったわけだ。



ゲームではサキュバスは、スタミナドレインを使ってこちらのスタミナを吸いとってくる。

もっともセックスなんて手段は当然使わず、近寄ってきて頬にチュッと唇をあてるだけだ。


この相違からも、この【アルカディア】が{ゲームの世界}ではなく、{ゲームと何らかのつながりがある異世界}だということが判るんだが・・・・・・















少し、無駄話をさせてくれ。な~に、すぐ終わる。

昔誰かに聞いたんだが、小説家やゲームクリエイターといった人種がアイディアを閃かせたとき、

実はそれは異世界やパラレルワールドの情報を、彼らの脳が何らかの方法で受信し、まるで自分が思いついたかのように

錯覚させているのだとする説があるらしい。



正直、ただの与太話だとしか思っていなかったんだが、現実に自分がその異世界にやってきてしまうと、不思議と信憑性が増す。


もしかしたら、【アルカディア】というゲームをデザインした男はこの世界の情報を受信して、ゲームという形で昇華させたのだろうか?




いや・・・・・もしかしたらその男も、俺のようにこの異世界【アルカディア】に何らかの手段でやって来たんじゃないのか?


そして、来た時と同じ手段で地球に帰り、その知識や経験なんかを基にして、オンラインゲーム【アルカディア】を

創り出したんだと考えるのは、いささか乱暴すぎるだろうか?・・・・・・・


仮にそうだとすると、サービス停止数ヶ月前になっていきなりゲームバランスを崩壊させるようなシステムを幾つも実装したのには、


何か重大な理由があるんじゃないか?


いやしかし、この世界じゃセーブ機能は使えなかったし・・・・・むぅ。



















すまん、すまん、つまらなかっただろう?今のは忘れてくれ・・・・・

さて、スタミナってのはモンスターとの戦闘や徒歩での移動なんかで減り、食事をしたり宿で休んだりすると回復する。

このスタミナの値が低くなればなるほど、ステータス全般にマイナス補正がついてしまうのである。

そしてスタミナが0になることは、体力が0になるのと同じで死を意味する。



まぁ、この俺には関係ないことだ。

一般兵士とかなら100ってのは結構な数値だが、俺は何といっても超魔道!

しかも覇皇の系譜に連なる男!!

100くらいな~んともない。文字通りケタが違うよ、ケタが!

3つほどな!!






「ハァ、ハァ、ハァ・・・・・ぼ、坊やったらぁ・・・凄すぎぃ・・・あっ、あぁん!ちょ、ちょっと・・・

オチンチン、動かさないでぇ♪ま、またイッちゃうでしょう!?・・・・・ふ、ふあぁは、・・ひ、人の話しを聞いて・・・や、やぁん♡」





エルのほうもどうやら絶頂から帰ってきたらしい。

俺のペニスの脈動に合わせるように、その下腹部をピクッピクッと痙攣させている彼女は、

当初俺が感じていた邪悪さはナリを潜め、淫らではあるものの何処か可愛らしく見えた。


俺の童貞を奪い、人生を変えるほどの快楽を教えてくれた目の前のサキュバス。


俺はその柔らかく、上等な絹のような肌触りの爆乳を、指がズブズブ埋まるほど強く揉みしだき、

俺の小指くらいの大きさにまで勃起した乳首を、まるで赤ん坊のようにチュウチュウと音をたてて吸ってやった。

そうすると、興奮しつつも酷く安らいだ気持ちになれるのは何故だろうか?

・・・・・ええ、そうです。生粋のオッパイ星人ですが何か?





「ハァ、ハァ・・・あ、あぁん!・・・も、もう、またオッパイ吸ってぇ・・・ウッフッフフフ♪

それにしても・・・まるで大きな赤ちゃんねぇ♡・・・・・・ふふっ、どうでちゅかぁ?甘えん坊の可愛い坊や♡・・・ママのお乳は美味ちぃでちゅかぁ?」


「ちゅっちゅっ、ぢゅっぢゅぢゅ・・・・はぁ、レロレロ・・・う、うん・・・はぷちゅっ・・・ちゅぷちゅぷ・・・・・

ちゅるるる~~~~、っちゅぽんっ・・・はぁ、はぁ・・エ、エルママのお乳、最高に美味ちぃ」






これで母乳でも出ればパーフェクトなんだがな・・・・

なんなら、このまま俺が直々に出るように・・・いや、しかしまだ身を固めたいとは・・・・・・


そんな考えを隠しつつ、ノリ良く質問に答えてやると、エルは嬉しそうに頬笑み、両手を俺の頭の後ろに回した。


そのまま俺の頭をその美乳に押し付け、ゆっくりと体を起こしていく。

当然その動きに上半身を引っ張られる俺は、気づけばいわゆる対面座位でサキュバスの乳を吸っていた。

体位が変わり、与えられる刺激も変わったせいか、未だにエルの肉壺にもみくちゃにされている俺の暴れん棒は、

もう一度、目の前の牝に種付けがしたいとでも言うように、俺の意識とは関係なく精液混じりの先走りを垂れ流し始めた。


そのことは当然、目の前で未だに息を荒げ、汗に濡れた髪を頬に張り付けている

淫らな女悪魔も気づいたようで・・・・






「・・はぁん♪こ、こらぁ~!・・・・・坊やってば本当にエッチなんだからぁ♡」





てへっ、怒られちゃった♪(スマン。自分でもキモイと思う)

いや~~まさか淫魔にエロ関連で叱られる日が来るとは思いもしなかったなぁ。


とは言ってもこの淫魔のお姉さん、その両手で、スリムで肉づきのいい下腹部を撫でまわし、ズッポリと自分の肉壁の中に埋まっている

俺のチンポの感触をウットリ確かめている。



はっはっはっ・・・・ぜんっぜん怖くない。

俺は気にせず、今度は自分から動いて抜かずの2連発としゃれこむかと、鼻息荒くした矢先、

エルが未だ快感に身悶えながらも、真剣な顔で俺に話しかけてきた。






「ね、ねぇ、坊や?・・・・少し真面目なお話がしたいの・・・いいかしら?」






初めて聞く彼女の真面目な声音に、俺は仕方なく、未練たらたらながらも、その水蜜桃から口を離し彼女の方に向き直った。

チュポンッという音と共に俺の口撃から解放された乳首はすっかり充血しきっていて、俺の唾液でヌメヌメとイヤらしく濡れ光り

フルフルと震えるその様はまるで「食べて、食べて」と言っているようだ。



・・・ああクソッ、本当にエロいな!!



俺はもう一度、すぐにでもそのイヤらしい果実にむしゃぶりついて気が済むまで舐めまわし、吸い、しゃぶり、甘噛みしたい

という衝動を必死でこらえた。


昔何かの本で、がっつく男は嫌われるって書いてあったしな、うん!






「そうね、まずは・・・・坊やのお名前、教えてくれる?」


「うん?ああ、いいぞ。俺は塚も・・・・・い、いや!俺の名はデスタ。デスタ・ディ・ドラゴだ」


「デスタ?へぇ。随分珍しい名前ねぇ?・・・・」


俺はつい癖で、もともとの自分の名前を言ってしまいそうになった。

別に良いかな?とも思ったが、俺はすでにこの世界で暮らしていく覚悟を決めてしまっている。

そのため、もとの名前ではなく新しい名前【デスタ・ディ・ドラゴ】を名乗る必要があると思ったのだ。


以前の生活にこれっぽちも未練がないと言えばウソになるが・・・・

しかし、どう考えてもこちらの世界のほうが充実した毎日を送れるだろうし、何より

こんな美人を抱けるなんて、もとの世界・・・地球じゃまずあり得なかったことだ。

あの世界にいたら俺は一生、女なんか抱けなかっただろうし、仮に抱けたとしても、場末の風俗のババアが関の山だっただろう。




自分好みの女の膣内に思いっきり射精し、その体を思う存分貪る肉の交わりの味を知ってしまった以上、

この快感をもう味わえないというのは拷問に等しい。

地球ならともかく、この世界ではそんな心配をする必要はない。

きっと望めば望んだだけ美女と情事にふけることが出来るだろう。

ならば俺はこの世界【アルカディア】で生きていくことに何の躊躇いもない。

35年にもわたった童貞時代の鬱憤を晴らすべく、この世界で俺は女を食って、食って、食いまくってやる!!!そう・・・・・・・俺は!















ヤリチン王に、俺はなる!!!

















・・・・・・・・・・・・・・スマン、調子に乗りすぎた。

童貞を卒業出来たせいか、妙にテンションが上がってるというか、気が大きくなっているというか・・・



と、とにかく!!俺はこの異世界で超魔道として生きていくことを決心して、デスタと名乗った!


俺の胸は熱く燃えていた!ついでに股間も熱く「ヒャァン!い、今はダメ!!」・・・・・・ごめんなさい。






「もう・・そ、それで質問の続きだけど・・・・・坊や…デスタって一体何者なの?

たった一回の射精で、サキュバスであるこの私が吸精限界を迎えてイっちゃうなんて・・・・・さっきの私のチャームも

本当はかかってなかったみたいだし、とんでもない高レベルだってのは何となくわかるけど・・・・」








!!

ちょ、ちょっと待て!今コイツ何て言った!?

高レベル・・・レベルって言ったのか!!?

だ、だとするとこの世界の住人はレベルって概念を理解しているのか!?

混乱した俺は目大きく見開き、エルを睨むように見つめてしまったが、そんな俺の態度を誤解した彼女は少し怯えた様子で、






「ちょっ、ちょっと!そんなに睨むことないでしょう!?べっ、別にステータスを見せて欲しいって訳じゃないのよ!?

ただっ、そのぉ・・・デスタのことが少しでも知りたくて・・・・」







という何とも嬉しいセリフを頬を染めつつ、拗ねたような表情で言った。

その中に、またもや聞き捨てならない単語が混じっていた。

ステータス!今、間違いなくエルはそう言った。

こっ、これは詳しく事情を訊かねばなるまい。

俺はエルに怒っていないことを伝えてから、彼女が話してくれるこの世界についての情報を真剣に、一言一句漏らさず聞いた。











彼女のオマンコにペニスをブチ込み、ヒクつかせたままで・・・・・・・・














[18596] 第4話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:a9634125
Date: 2010/05/09 21:09
エルの話をまとめると、以下のようなことが判明した。



・この世界の住人はレベルやステータス、クラスという概念、つまり自分や他人の能力が数値化され、システマチックに設定されているということを知っている。


・それはこの世界に生きる者すべてにとっての常識であり、神々や魔王といった非常に強力な個体でも例外ではない。


・また、自分の現在のステータスを俺と同じように頭の中や目の前に出現させることもできる。


・目の前に出現させる際、特に意識しなければ自分だけにしかステータスは見えず、他者に見せたい場合は“見せたい”と強く意識しなければならない。


・自分のステータスを他者に見せるということは、自分の全てをさらけ出すことに等しく、家族や親友、長年組み続けているパーティのメンバーといった、
 
 自分が心の底から認め、信頼する者にしか通常見せないらしい。それ故、異性にプロポーズする際の儀礼にもなっているようだ。


・ただし、出現させたりできるのはステータスだけで、アイテム欄やスキル欄、地図といったその他コマンドメニュー中の項目は存在すらしない。


・それ故、アイテムを拾っても自動的にアイテム欄に収納されたりはせず、当然持ち運ぶ量にも限界はある。

 
・同じ理由で、ゲーム中にスキルや魔法に設定されていた【熟練度】なんかもこの世界にはなく、

 使い続ければ段々と威力や精度が上がってくるという認識しか持っていないらしい。














オッサン少年珍道中       第4話















以上がエルから聞いたこの世界の情報である。

う~む、それにしてもステータス関連は完全に予想外だった。

てっきり異邦人である俺にしか判らないものだとばかり思っていたのに、まさかこの世界の常識とは・・・・

ただ、やはり完全にゲームの通りというわけにもいかないようだ。

それはそうだろう。魔法も何も使っていないのに、金貨を1億枚まとめて持ち歩けるわけはないし、

大きな鎧や武器を複数かついでモンスターとの戦闘に行くわけもない。


ちなみに、俺に極めて重要なことを教えてくれたエルはというと、俺が出現させたコマンドメニューをしげしげと眺めている。

いや~、詳しく説名を聞くのにどうしても必要で、つい見せちゃったんだよなあ。

だけど、俺が別の世界から来たことは流石に話しておらず、メニューについても特殊な魔法ということで誤魔化した。

異世界のことについても彼女に訊いてみたんだが・・・・・






「異世界?それって天界や魔界のこと?」







という答えが返ってきたところをみると、やはり地球の存在は知らないらしい。

天界や魔界ってのはまぁ、大体想像がつくだろう?

天使や神々、そして彼らにつき従う神獣がいるのが【天界】。

悪魔や魔王たち、そして彼らに使役される魔獣がいるのが【魔界】というわけだ。


ど~も設定がうろ覚えなんだが、どちらもこの世界【アルカディア】のすぐ近くの次元に存在するらしい。

あと誤解しないで欲しいんだが、両者は別に対立したりはしていない。

それどころか現在、比較的良好な関係と言って良いだろう。


そもそもこの【アルカディア】の世界観において、天界が善で魔界が悪、といった地球での固定観念は存在しない。

今俺の目の前にいるモンスターは【悪魔】のサキュバスだが、天界に属するモンスターも少なからずこの世界にはいる。

つまり【悪魔】・【魔獣】=モンスターではなく、あくまで人間やエルフ、ドワーフといった

アルカディアに住む住人たちにとっての、害悪になる存在全てを【モンスター】と定義しているのである。

ほら、ドラ●エなんかでも人間なのに、モンスターとして【とうぞく】とか【まほうつかい】が出てきたりしただろう?

アレと一緒みたいなもんだと思えばいい。


だから、魔界の住人すべてがモンスターというわけではなく、同様に【天界の住人】=モンスターじゃない、ということも成り立たないのである。







その証拠に、かつてこのアルカディアを、ある一人の神が滅ぼそうとした時、数人の魔王とその軍勢が人間やエルフの連合軍に味方して、

力を合わせその神を討ち滅ぼした・・・・・な~んて公式設定もあったはずだ。



残念なことに天使も悪魔も、プレイヤーキャラとしては選択できなかったが、大きなクエストなんかでタマ~にNPCとして登場していた。








そういえばあの連中、男も女も総じて美系ばっかりだったなぁ~・・・



グフフッ!その内お相手願いたいもんだぜ!!






「へぇ~、こんな魔法、見たことも聞いたこともないわね・・・・・やっぱり、あなたって相当凄腕の魔道士なの?」








そんなエルの質問に、俺は意識を引き戻された。

ふぅ、ヤバい、ヤバい。危うく妄想の世界にトリップするところだった。







「あ、ああ・・・・まぁ、宮廷魔道士程度の実力はあると思うぜ?」






俺はいそいそとコマンドメニューを消し、そう答えた。

本当は魔道士の頂点にいる俺だが、わざわざ正直に話す必要もあるまい。

あんまり怖がらせてもアレだし、何よりレベル3000の超魔道だってことが世間にばれたら、絶対メンド臭いことになる。

勿論、そのメンド臭さに見合う見返りも期待できるわけだが・・・・




いずれにしろ、俺はこの世界のことをまだまだ知る必要がある。

それはゲームをしているだけでは得られなかった、この世界に関するリアルで、もっと深い知識である。




ある程度この世界に慣れるまではせいぜい、かなり優秀な魔道士程度に、実力を隠しておくべきだろう。


俺tueeeeeなチート展開は、それからでも遅くないはずだ。







「宮廷魔道士、ねぇ?・・・・・それにしては“精”の濃さと量が異常よ?

自慢じゃないけど、私の吸精限界は大体、騎士団1個小隊分なの・・・・それなのに、たった1発射精されただけでイっちゃうなんて・・・・・」






そう言ってエルはいささか悔しそうに、会話の最中もまったく萎えず未だに彼女の胎内に入ったままの俺の肉棒を、

膣口をキュッと締めつけることで刺激してきた。

そしてすぐ、自分でやったクセに「あはぁ~ん♡」と気持ちよさげな吐息を、俺の顔に吹きかけてきた。










「きゅ、吸精限界って?」







い、今のは非常に気持ちよかったのだが、エルの口から出た聞き慣れない単語に、俺の興味は引きつけられた。

そう言えば、さっきもそんなことを言っていたような?・・・・・


エルは「知らないの?・・・まぁ、無理もないわね」と、【吸精限界】とやらを説明してくれた。







・・・・・・・・ふむふむ、成程。

彼女の話をまとめるとこうだ。



エルによると、サキュバス族には精を吸収できる限界値がそれぞれの個体につき備わっているらしい。

濃い精であればあるほど、少ない量でその限界値に近づき、なおかつ美味く、気持ちよく感じるそうだ。

まあ、人間でいうところの胃袋のデカさみたいなものだろう。

彼女らが【吸精限界】と呼ぶそれは彼女らのステータスにも表示されることはなく、いわゆる隠しパラメーターのようなものらしい。

ソレを超えない限り、サキュバスは牡の精を吸収し尽くし、魔力や体力、スタミナを回復したり、自分の美しさに変換できるそうだ。

そして、コレが俺にとって最も重要なことなのだが、【吸精限界】を迎えた状態でない限り、

彼女らはいくら快感を感じようがイクことはできず、またその状態になると非常に敏感になり、体全体が性感帯になってしまうらしい。

とりわけ、【吸精限界】を超えた量の“精”・・・・つまりは精液に対して異常な程の快感を感じるようになり、

肌に少し触れただけでも、簡単にイってしまうそうだ。









・・・・う~む、それで性の技術なんて何もない童貞に過ぎなかった俺が、淫魔サキュバスを

初体験でイカせることができたわけか。

本人もたった1人の人間の精を吸っただけで、イッタことなんて初めてだと言ってるし・・・・・






「じ、実はね?・・・・さっき意地悪してお口に出させてあげなかったのも、このまま出されちゃったらイッちゃうかもっ!って思ったからなの・・・・

だっ、だって、デスタのおチンポってば、フェラしてる最中からすっごく多くて、濃さもケタ違いの、

あり得ない程美味しい精を垂れ流してたから・・・・・仮にもサキュバスである私が、お口にザーメンを出されただけでイッちゃうなんて

仲間にバカにされると思って・・・・・・・・・えっ!ちょっ・・・キャッ、キャア!?」









くぅ~~~!!そんな嬉しいセリフを、そんな恥ずかしそうに目元を赤くしてハニカミながら言われたら・・・・・

もうっ!もうっ!辛抱たまらんっ!!


俺はエルの肩に手をあて、今度こそ第2ラウンドを始めるためにその体を押し倒した!

その途端、ブチュッと卑猥な音をたてて、彼女のオマンコにギリギリ収まっていた俺のスペルマと、

さっきの情事でエルが出していた白濁色の本気汁が結合部分から溢れ出す。

その光景に興奮した俺は、彼女のムッチリしてスベスベな太ももを両脇に抱えつつ、熱くたぎった肉棒を再び最奥まで押し込み、

放ってから数分たつというのに未だに湯気が出るほど熱く、膣内にこびりついていたネバネバの種汁を、

既に限界まで精液を飲み干し、貯め込んでいる彼女の子宮に亀頭でムリヤリ押し込んだ。


・・・・・てゆーか、いい加減動かないと、俺の尻とか、ふくらはぎとかに小石が刺さって痛かったというのもある(勿論、体力はまったく減っていないが・・・)







「イヤぁん!せっ、精液ぃ・・・・子宮にぃぃひぃ!!・・・い、今はダメェ!!・・・

せっ、説明したでしょう?わ、私ぃ・・・今まだ吸精限界なのぉ!!・・・・ちょ、ちょっとチンチン動かされるだけでぇ・・・

イッ、イッちゃいそうにひぃいぃ!?・・・ヤぁんダメェェ・・・ハァ、ハァン!・・子宮の中でぇ、デスタのチンポミルクがぁぁ~♡、タプタプいっちゃってるぅぅぅ~♡」








チ、チンポミルクって・・・・!

エロゲーやエロ漫画で、精液のことを「チンポミルク」だとか「ザーメンミルク」だとか言ってるのを見かけたことは何度もあるが、

こんな美人が現実で、俺のネバネバドロドロの精液を、そんなイヤらしい表現で言ってくれるとは・・・・!!

俺はエルの「チンポミルク」という発言に興奮し、更に肉壺に突き刺した肉槍を硬く、大きく尖らせた。

・・・・・・・・・・・・こんなことで興奮する俺は、変態なのだろうか?








「ふっ、ふぅわぁぁ~~♪・・ま、また大きくぅぅぅ!?イッ、イッちゃうぅ!!・・・ま、まだピストンもしてないのにぃ~~~

あ、あっあああぁ!!イク、イックゥゥウ~~~~♡」








絶頂に達したエルは背中を海老のようにそらせ、無意識なのだろう、膣口を痛いほど締めつけ、

膣内のグチュグチュにとろけたヒダを一枚一枚ネットリ、しかし激しくペニスに絡みつかせてきた。そして・・・・・








びくびくびくっ びくんびくん ぷっしゃぁぁ~~~~~








こ、これは!?

俺はチンポの根元の上、エルの尿道口から勢いよく出てきた液体に目を奪われた。

ピクンッピクンッと、エルが絶頂の痙攣をするのに合わせて、その液体も、プシャップシャ~と吹きだしてくる。

ま、まさかコレ・・・・潮ってやつか!?

恐らくそうだろう。

俺の股間と陰毛を急速に濡らしていくその液体は、無色透明で、尿のようなアンモニア臭もせず、愛液にしてはサラサラすぎる。


AVでしか見たことない、その女性の体の神秘に俺は、興奮よりもまず感動を覚えた。


つ、ついさっきまで童貞だった俺が、こんなエロくてキレイな女に潮を吹かせることが出来るなんて・・・・・!!!


ペニスを根元までねじ込まれ、俺の前で失神してしまっている女悪魔への愛おしさが抑えきれなくなった俺は、

彼女にさっさと起きてもらい、そしてもっともっと感じてもらうために、全力でピストンしてやろうとして、

以前とは比べ物にならない巨根をカリ首辺りまでオマンコから引き抜こうとしたのだが、

その時・・・・・









ガサッガサガサガサッ ガサガサッ








「あぁーーーーっ!!エル姉ったら、やっぱり一人で楽しんじゃってるよーー!」



「酷いわよねぇ?【巣】まで持ち帰ってからでも遅くなかったでしょうに・・・」



「“人間の牡の汗の匂いがするわ。連れてくるから皆は待ってて・・・・”な~んて調子の良いこと言っちゃってさ~。

だから言ったでしょ?絶対つまみ食いしてるって」



「まったく、エルさんったら・・・・それにしても確かに美味しそうな坊やですね・・・・・フフッこれならワタクシでもつまみ食いしちゃってたかもしれませんわぁ♡」



「そ、それはぁ・・・あたしも同感だけどさぁ・・・・うわぁ!それより見てよ!!あのデッカイちんぽ♪タマタマもすっごくおっきいよぉ!・・・・

それに、この密林に来るくらいだしさぁ~・・・レベルも130くらいはあるよねぇ?・・・フフッ、きっと20発くらいは絞りとれるよね♡」



「そうねぇ・・・若いから精子もきっとプリプリしてて・・・うふふふっ、タ~ップリ可愛がってあげなくちゃねぇ・・・・」



「あらあら、いけませんよ?2人とも。この坊やの仲間が何処かにいるはずですから、その方たちの居場所を聞き出すのが先ですわ・・・・

もし、素直に喋ってくれなかったら・・・・・まずはぁ、チャームを使ってから焦らせるだけ焦らして・・・・・

泣きながら“イカせて下さいっ”て言うまで、足であのオチンチンをシゴいてあげましょう・・・

それから仲間の居場所を吐いてもらって、その後でじ~~~っくり食べてあげましょう?

勿論お仲間と一緒に、ねぇ・・・・・・・・くふっ♪うっふふふふふ・・・・・」








じゅるり・・・・








ガサガサと茂みの中から楽しそうにお喋りしながら現れたのは、エルに負けず劣らず美しく、

そして淫らな雰囲気を漂わせた3人のサキュバスだった。


3人はまずエルに目をやり、続いて俺、最後にエルのオマンコに半ばまで埋まっていた俺のペニスを凝視すると、

3人そろってイヤらしく舌舐めずりをした。

その表情は、まるで動けなくなったネズミを飽きるまで嬲り尽くす猫のような、残酷さと邪悪さを兼ね備えていた・・・・・・・




[18596] 第5話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/05/18 19:55
つながったままのエルと俺の姿を見ながら、ニヤニヤ笑いつつ此方に近寄ってくる3人のサキュバス達。

その目は俺を完全に獲物だと思いこみ、自分たちの絶対的優位を信じて疑わない傲慢さを宿して、暗く淫らに輝いていた。

そんな彼女たちを目の前にして俺は・・・・・


(クッククククク!!・・・飛んで火にいる夏の虫ってのは、こういうシチュエーションを言うのかねぇ?)


表情だけは驚愕を浮かべつつも、内心では狂喜乱舞していた・・・・・








オッサン少年珍道中      第5話











既に言ったと思うが、この空き地は【サキュバスの巣】から程近い場所にある。

そんな所でズコズコとハメまくっていたら、牡の匂いに惹きつけられたサキュバス達がやって来るのは馬鹿でも分かることだ。

そう、俺はとっくにこの事態を見越していたのだ(ウソじゃないよ?)


エルからサキュバスの【吸精限界】の事を聞いた時から俺は、必ず残りのサキュバス達にも、

今まで感じたことのないような絶頂を、ムリヤリにでも味わってもらおうと決めていた。

向こうだってコッチを餌と認識して、その命を文字どおり吸い尽くそうと企んでいるのだから、

コッチが向こうをどんな風に扱おうが、文句を言う権利はないはずである。

元々、エルを失神するまでイかせたら自分から【巣】へ乗り込んでいくつもりだった。

それがアチラから親切にも出向いてくれたのだから、好都合としか言いようがない。

まぁ、エルを合わせて全部で4人ということはないだろうが、たとえ数千人規模であったとしても今の俺のスタミナからすると、

一人1発ずつ射精してやったとしてもまだ充分に余裕がある。


(それにどうやら、良い実験台にもなってくれそうだしな・・・・・)


俺は頭の中にメニューを呼び出し、そこから【魔法】の項目を選択し“ある魔法”を探し始めた。


そう・・・目の前の3人には、俺がこの世界で初めて使うことになる魔法の、尊い実験台になってもらうのだ。

といっても、何も攻撃魔法で殺そうってんじゃない。

ただ、目の前の傲慢チキなメスどもに世界は広いってことを、学習してもらうだけである。

そして遂に、俺は目当ての魔法・・・・“ある状態異常を付加させる魔法”を見つけ、

そのまま決定ボタンを押すような感覚で、その魔法の名を口にし、目の前の3人に掛けてやった。










ワイドチャーム












本来、サキュバスはチャーム系の魔法に対して、かなり強い魔法的耐性を有している。

しかしそんなものは、レベルが2000以上離れている俺にとっては何の障害にもならない。

【チャーム】の発展魔法であり、複数の敵に同時に状態異常【魅了】を付加させることができる魔法【ワイドチャーム】・・・・・

魔道士系第3クラス【性魔術師】の固有魔法を俺に使われた3人のサキュバス達は、

自分の身に起こったことが信じられないといった様子で俺のことを凝視してきた。



その息をハァ、ハァと激しく荒げ、内股を擦り付けるようにモジモジさせながらも気丈に俺を睨み付けるその姿は流石だったが、

そのささやかな抵抗も、長くは続かなかった・・・・・・・・

















ぶびゅっぶびゅう ぶびゅびゅびゅっ  どびゅぅるるるん







「ひぃん!?アッ、アツイッ、アツイよぉ!お・・・・お願いだから、もうみりゅく射精さない・・・・・

は、はひぃ!ま、また射精るぅ!?いやぁ、もうイクのいやぁなのぉ!!こ、壊れるぅぅ・・・本当に壊れちゃうぅぅぅ!!

いやっいやいやぁぁぁぁ~~ん!!」






・・・・・・ここは【騒がしき密林】の中で、最も淫らな空気が漂っている場所【サキュバスの巣】の中。

バックで犯していたサキュバスの少女の中に、既にこの数時間で射精回数400発を越えているだろうにも関わらず、

相変わらずの濃度と量を維持したままのスペルマをタップリ吐き出した後、俺は回想から戻ってきた。


えっ?

サキュバス三人娘にワイドチャームを掛けてからどうしたのかって?

これはこれは、賢明な諸君らしくもない愚問を・・・・・


当然、その場で犯したに決まっているじゃないか?

まぁ、もう少し詳しく説明するとだ・・・・・

まず3人が一斉に俺を犯そうと襲い掛かってきたので、しばらくは好きにさせてやった。

そして、それぞれ微妙に形も感触も違うオマンコに1発ずつ中出しを決め、強制的に吸精限界に押し上げつつイカせてやった。


いや~、そこからが面白かった!!

まだまだ【魅了】の効果が消えない3人の尻をこちらに向かせ、一列に密着した状態でバックで犯してやったんだが・・・・

あと少しでイケそうって状態になった瞬間、残りの2人のどちらかにペニスを突き刺してやるってことを繰り返したわけよ。

当然いつまでもイクことができない・・・・まあ、1種の焦らしプレイだわな。

ぶっちゃけ、俺を足コキで焦らそうとか言っていたことへの、ちょっとしたお仕置きのつもりだった。

サキュバス相手に焦らしプレイをしたのって、この世界でも俺が初めてじゃなかろうか?

吸精限界を迎えて、異常に敏感になった体にそんな仕打ちを受けたもんだから、3人とも

10分かそこらで気が狂ったかと思うほどの痴態をみせるようになった。

美しく整っていた顔は涙と鼻水でグチャグチャになり、しきりに「イカせてぇっ!イカせてよぉっ!!じゃなきゃいっそ殺してぇ!!!」と

叫ぶようになり、流石に可哀そうになったのでキッチリ膣内射精でイカせてやった。


そうして会話が出来る程度にまで落ち着いた3人は、なんとエルと同じように俺の名前を知りたがり、

かつ俺に名前で呼んでくれとせがんできた。


今まで味わったことがないほどの屈辱を与えた俺に対して、どうしてそんなに友好的なのかを問い詰めたところ、

ちょうど失神から帰ってきたエルも加わり4人で俺の疑問に答えてくれた。


まぁ単純に、女悪魔というのは自分より強い牡に惹かれるらしい。

獣人や鬼人、竜人の女でもそういう性質はあるようだが、女悪魔はとくにソレが激しいそうだ。



また、よくよく話を聞くとサキュバスは数百年の寿命を生きるが、その間にセックスで達することが出来るのは、よくて1、2回らしい。

現に彼女たちも、エル以外はイッたことなどなかったそうだ。

エルにしたって、最後にイッたのはもう100年以上前の話らしい。



そんな自分たちに絶頂の味を教えてくれたのが俺であり、しかもサキュバスを1人でイカせることが出来るのは、

牡として非常に強大な力を持っている証拠でもある。

女悪魔として自分たちよりも遥かに強い牡を求める本能と、久しぶりの、あるいは初めての絶頂を味わえた歓喜が融合し、

俺に魅力を感じずにはいられない、ということらしい。





まー、俺としてもモンスターとはいえ最上級の美貌を誇るサキュバス達に好かれて嬉しくないワケはないので、

快く、名前を呼び合うことにした。





それから4人に「他の仲間も、私たちを同じように抱いてあげて」と言われ、【サキュバスの巣】に案内してもらった。

あっ、ちなみにスーツは汗を吸って気持ち悪かったのと、エルに上着を引き裂かれたのとで、そのまま空き地に置いてきた。


サキュバスの巣は薄暗く、ネットリと肌に絡み付いてくるかのような空気が印象的な洞窟で、その入り口付近で再びワイドチャームを使い、

エルたち4人も巻き込んで総勢20名以上の肉欲の宴に突入した。





そこからは、正に全ての男の夢が叶ったといえる時間だった。

まず全員に、前戯なしで膣内出しして吸精限界にしてやると同時に、1回ずつイカせてやった。

その後は、手コキ、足コキ、フェラチオ、素また、クンニ、クリ舐め、パイズリ、ぱふぱふ、アナル挿入など、

思いつく限りの全てのプレイを楽しませてもらった。(流石にスカトロ系は、まだ俺にはムリだったが・・・・)


特にエルたちに、憧れの4人同時パイズリフェラをやってもらった時は、比喩ではなくこのまま死んでも良いと思った。




そして今、楽しませてもらったお礼として、20数名のサキュバス全員に俺のスタミナが尽きるまで

ザーメンをその蜜壺で味わってもらっているわけである。

性に関してはまさしく達人の彼女たちの指導を受け、俺のペッティングの腕や腰使いなどは、

さきほどまで童貞だったとは思えないくらい、この数時間で上達してしまったぜア~ハッハッハッハッハ!!











俺は子宮の最奥まで濃厚ザーメンを注がれ、ビクンビクンと可愛らしく絶頂の痙攣を繰り返している

サキュバスの少女(たしかミーナだったか?)から、ゆっくりとペニスを抜き去った。






コポッコポッ コポコポッ










肉棒を引き抜いた途端、栓を失ったオマンコは飲みきれなかった精液をドロドロと膣口から吐き出した。

そのまま地面に落ちた俺の牡汁は一箇所にたまり、わずかに黄ばんだ白い水溜りを作る。

するとスグに別のサキュバスが(こいつはケーネ。エルのことをエル姉とか呼んでいたあの娘だ)

イカ臭く、うっすらと湯気をたてているソレに、顔ごと口を寄せジュルジュルと卑猥な音をたてて啜り取り、

口の中でクチュクチュとよ~く子種を味わってから、一息にごくっと嚥下し

「どうだ?」と言わんばかりに俺の方を向き、口の中をア~ンと開いて見せた。


クゥ~~~!!何てイやらしいんだ!


俺がケーナに御褒美をやろうと、彼女のキュッとくびれた腰に手をそえ、まだまだ熱くそそり立ったままのチンポを

種汁をこぼしつつ、クパクパと淫蕩なおねだりを繰り返すその肉花に突き入れようとしたその時!!・・・・・











「ほぅ、何とも凄まじき男よなぁ?・・・どれ、此方に来て我の相手もしてもらおうか?」










突如、頭の中に直接そんな声が響いたかと思うと、ブオンッという音と共に俺の足元に、紅色の奇怪な紋様が現れた。

ヘキサグラムを囲むようにして外側に3重の円、円と円との間にはビッシリと古代語の呪文・・・・・こ、これは!?









「【転送魔方陣】だとっ!?」










それは、難易度が最高に高いイベントでしかお目にかかったことがなく、レベル3000の超魔道である俺ですら使えない

最上級空間制御魔法【ディメンション・ゲート】が使われた印だった。

その転送魔方陣がひときわ紅く輝いたと思った瞬間、サキュバスたちの慌てふためく声を聞きながら、

俺の体は、此処ではない何処かへと転送されていった・・・・・・・・・・

 
























































[18596] 第6話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/02 19:14
距離にして銃百キロか、はたまた数千、数万キロかもしれない。

とにかく、俺は突如足元に現れた転送魔方陣の効果でさっきまでいた【サキュバスの巣】から別の場所へ・・・・・

つまり、現在俺がいるこの部屋へと飛ばされてしまった。



しかし何とも広く、かつ豪華な、そして絶望的なまでに趣味の悪い部屋だ。

大きさは俺の母校の小学校の体育館くらい。

部屋の壁はどうやら黒曜石らしく、傷一つ無いその表面はテカテカト輝いている。

そして壁の所々に、何ともオドロオドロしい絵画がいくつも飾られている(うず高く積まれたドクロの山とか、ギロチンにかけられている人間とか)




部屋の4隅には恐らく黄金で出来ているのだろう、3メートル近い大きさのサキュバスの像が設置されている(目の部分は大粒のルビーやダイヤ)

床の全面にひかれている金糸銀糸が編みこまれた艶々とした漆黒の絨毯は、思わず転げ回りたくなるほどのなめらかさを

素足の俺に感じさせ、天井に備え付けられている赤水晶や紫水晶がちりばめられた巨大なシャンデリアは部屋全体を明るく、

しかしどことなく妖しく照らし出している。




その他にも、一目で馬鹿高い値段であることがわかる家具がこの部屋のアチコチに存在しているが、

そのどれもが成金趣味丸出し、あるいはグロくてかなり趣味が悪い。

そして・・・・・・





「ふむ、我の寝床は気に入ってくれたかの?」










オッサン少年珍道中      第6話









先ほど、頭の中に響いてきた声が今度はちゃんと耳から聞こえた。

改めて聞くとどうやら女らしいが、その声音は先ほどまで俺と交わっていたサキュバス達と似ているようで、

何か言葉では言い表せない部分が決定的に違っていた。



強いて喩えるとすれば、金剛石で出来た2つの音叉をぶつけ合わせたかのような、そんな現実にはあり得ない美声。

その声の主はどうやら俺の目の前・・・・・天蓋付きのキングサイズのベッドの中にいるらしい。


そう、俺が連れてこられたのはボス部屋の扉の前でも、超極悪モンスターハウスでもなく、誰かの寝室だったのである。

その誰かとは間違いなく、今は閉じられている真紅のレースに隠れてはっきりとは姿が見えないコイツなのだろう。




この状況・・・・ちょっとマズイかもしれんな。

俺の【直感】がさっきから油断するなと囁き続けている。

いや直感に頼るまでもなく、転送魔法なんて使える時点でただの女であるワケが無い。

もしかしたら、この異世界【アルカディア】ではゲームと違い、転送魔法がポピュラーなのかも知れないが・・・・・・・・・その可能性は低い。


目の前のコイツとまともに戦えば・・・・・・此方に“切り札”がある以上、負けることは絶対に無いが、苦戦は避けられないだろう。

さてさて・・・・まずは相手の反応を伺うとして・・・・







・・・・うん?どうしてそんなに落ち着いていられるのかって?

確かに、これから俺がこの世界に来て初めての戦闘・・・・・・・しかも、本当に命を賭けた激戦になるのかもしれない。


つい昨日までただの一般人だった俺が、そんな状況で取り乱さないのは、普通に考えればおかしいだろう。

しかし、俺自身も不思議なのだが、さきほどから恐怖や混乱といった感情はまったく心には浮かんで来ない。

それどころかむしろ、この状況に興奮し、ガキみたいにワクワクしている自分がいる。


多分、そんな俺こそが【一般人としての俺】ではなく【デスタ・ディ・ドラゴとしての俺】なのだろう。

何を言っているのか判らんかも知れんが許してくれ。

俺も本当のところ、判っちゃいないんだから・・・・・・・









「ふふふっ、どうした?さぁ、恐れることはない・・・・早くこっちに来るのじゃ」










おっと、アチラさんから催促されちまった。

こうなってはお望み通り、その顔を拝ませてもらうとしよう。


俺はレースを開き、ベッドの中央に陣取っているソイツの前に姿を見せてやったのだが、そこにはなんと!・・・・

なん、と・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?














「・・・・・幼女?」


「だ、誰がチビでツルぺタで色気の欠片もない幼女じゃっ!?」


「いや、そこまでは言ってないけど・・・・・」











目の前で「これでも昔は・・・・」とか、「貴様があと1000年早く生まれてきていれば・・・・・」とか

ワケの判らない事を物凄い勢いで俺にまくし立ててくる一人の幼女(全裸)



大体、小学4、5年生くらいの体型であり、その容姿はたとえ、頭からサキュバスたちのソレより立派な羊のような角を、

背中から小さな蝙蝠のような2対4枚の羽を、尻から黒皮の鞭のように長く、先端がハート型の尻尾を生やしていたとしても

とんでもなく可愛らしい(あくまで可愛らしい、だ。美しいではなく)



その髪は、俺の銀髪に近い色の艶のある白髪で、長さは彼女の身長の2倍以上。

当然、細長く形の良い眉やパッチリとした二重まぶたを飾る睫毛も、髪と同じ白色である(ちなみに、ほんの少しだけ生えていた陰毛も同様)


その瞳はダークレッドに輝き、まるで最高級のピジョンブラッドを見ている錯覚すら覚える。


そして高価なチョコレートをそのまま溶かしこんだかのように、シットリとしてきめ細やかな褐色の肌。

鼻はスゥッと高く、頬はほんのりバラ色で、ぷりぷり柔らかそうな唇はピンクダイヤを2つ重ね合わせたかのようである。

本人が気にしていたように、まさしく“ツルペタ”なその胸の先端には、瞳と同じダークレッドで、

少し小さめの乳輪と、まるで米粒のような乳首があり、彼女の容姿と相まって妖しく・・・・・そして、背徳的な魅力を感じさせていた。



ぶっちゃけ、ソウイウ趣味の野郎からすれば(俺は違う!断じて違う!!)

問答無用で襲い掛かりたくなるほどの可憐さ、そして年齢に不相応な淫らさをこの幼女は持っていた。









「・・・・・・・であるからして、我は決して幼女などでは・・・・・うにゅっ?

おいコラ貴様!わっ、わっ、我の話をちっとも聞いていなかっただろう!?

・・・・・うっ・・・・・うぅ・・ぐすっ・・すんすんっ・・・うううぅっ!・・・・・」









長々とした説明を終え、俺がまったくそれを聞いていなかったことに気づき、激しく怒る幼女が一匹。

ぷにぷに柔らかそうな頬をプクーーッと膨らませ、その瞳をウルウルと潤ませつつ今にも泣き出しそうな表情で

「うぅ、ううぅ!」と唸っているその様子は、ソウイウ趣味じゃない野郎でも問答無用で襲い掛かり・・・・・・・・




・・・・・・・ハッ!!おっ、俺は一体何を口走ろうとした!?










「・・・・うう・・・な、何と無礼な人間の牡じゃ!?わ、我こそは全てのサキュバス達を統べる女帝!

魔界一の美しさを誇るこの【エンプレス・パレス】の支配者!

ある時は【煉獄の黒薔薇】と呼ばれ、またある時は【魔性の女神】と呼ばれた魔王が一人!

【淫魔王】エレシュキガルなのじゃぞ!!?」







ドドーンっと効果音が聞こえてきそうな勢いで、ベッドの上に仁王立ちになり、腰に左手を当て、

右手人差し指を俺に突きつけ名乗りを上げる1人の幼女・・・・・・・









そう!レースをめくれば、そこには幼女がいた!!!











・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なにこの展開?
















[18596] 第7話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/05/13 11:26
パンッパンッパンッパンッパンッ


「はぁ♪よい・・・ああ、よ、よいぞ!!・・・・・な、なんと美味なのじゃ、貴様の精は・・・・濃厚で、量もこんなに・・・

そ、それにこの姿・・・・ああ、懐かしき我の本来の身体・・・・・き、貴様を見つけることが出来て本当に良かった・・・・・

さぁ、だ、出せ・・・・もっと、もっと精を我にくれ・・・く、くぅぅあ~~ん♪」



「くぉお、や、やめ・・・マジでそれ以上絞られると・・・・グゥ!ま。また出・・・・・」





どぷっどぷっどぷどぷっ   どびゅるるるぅ~~











オッサン少年珍道中     第7話















突然だが、現在俺はリアルで死に掛けている。

この部屋に来る前、サキュバス達の相手をしていた時はまだ結構余裕があった俺の【スタミナ】。

ところが、度重なる射精によって今やその残量は2割をきっており、

このままでは本当に腹上死をしてしまうのは想像に難くない(騎乗位で犯されているので、正しくは腹下死か?)



魔法で回復すれば良いって?そんなことはとっくに試してみたさ。

でも駄目だった。なんとこの部屋、ゲーム中でも最高難易度のダンジョンやフィールドにしか存在しない【魔法無効化空間】だったんだよ!!

恐らく、暗殺者なんかへの対策なんだろうが、そのお陰で超魔道の武器たる魔法が、攻撃から回復に至るまで一切使えやしない。

(部屋の主、つまりエレシュキガルのみ自由に使用可能らしい)



そして現在進行形で、本人の意思ではないとしても俺を吸い殺そうとしている目の前の美女。

俺の腰の上で妖艶にヒップをくねらせ、自分の肉壷の中にある肉棒を無我夢中で頬張っているのは、

先ほどまで俺を涙目で睨み付けていた幼女魔王のエレシュキガル。

その目は完全に情欲に狂って我を忘れており、このまま手をこまねいていては間違いなく俺はヤリ殺されてしまうだろう。

さすがに【淫魔王】だけあって、射精一発ごとに奪われるスタミナの量がサキュバスとは比べ物にならないほど多く、

ハッキリ言って次元が違う。




しかし、彼女は最早最初に会ったときの幼女体型ではなかった。

俺の精液をその口で受け止め、一滴残らず飲み干した彼女は人間で言うところの20代半ばくらいまでその体を成長させていた。

本人曰く、これこそが本来の【淫魔王】としての姿で、1000年前の“ある天界の女神”との戦いの際に

力の大部分を失ってしまい、本来の姿を保つのが難しくなったので子供の姿にならざるを得なかったそうだ。




そしてこの1000年間、何とか元の姿に戻ろうと吸精をはじめ様々な手段を講じてきたが、結果は芳しくなかったらしい。

また、子供の姿はあくまで時間稼ぎに過ぎず、この状態があと数十年続けば、今度は自分の存在そのものを維持できなくなり

最終的には消え去る運命だった。




もうほとんど諦めていた時に、俺の精液をタップリと飲んだことによって元の姿をギリギリ維持できるくらいには

力を取り戻したエレシュキガル。

しかし、例えば人は餓死するほど空腹に陥った時に、少しでも食べ物を胃の中に入れると全て喰らい尽くさずにはいられない。

それと同じように、彼女も1000年ぶりの自分の中の確かな“力”に狂喜し、その力を与えてくれた存在・・・・・・

つまり俺を貪り尽くそうと、真紅のベッドに押し倒し本能の赴くままに“食事”を始めたというわけだ。



彼女としても、自分を救ってくれた恩人にこんなことはしたくないらしい。

事実、上記の説明を俺にしてくれている途中でもその身体を自らの両腕でかき抱き、苦しげに息を荒げながら

必死で自分自身を理性という鎖で押さえつけようとしていた。

しかし結局湧き上がる肉欲と本能には勝てず「すまぬ、すまぬ」と涙を浮かべて謝り続けながらも俺に襲い掛かってきたというわけだ。



てっきり、サキュバスの女帝というのだからそんな殊勝なことなど考えもせず、ただ欲望が命じるままに牡を食い荒らすような女だと

思っていたので、その態度には結構好感が持てた(まぁ、結果は変わらなかったんだけど・・・・・)

そういう事情もあって、彼女をムリヤリどかすような真似はあまりしたくない。







それにしても今の彼女は、幼女の時にはなかった淫蕩な雰囲気を身体中から撒き散らしている。

その姿は、なるほどサキュバス達の頂点だけあってとんでもなく美しく、同時にまるで男とセックスするためだけに生まれて来たのかと思うほどエロい。


たぷんたぷんと縦横無尽にはねまわる豊満な美巨乳は、サキュバス達のソレをさらに大きさの点で凌駕している。

挑発的にツンッと突き出したそのロケットオッパイは、まさしく魔乳と呼ぶに相応しい。

この乳でパイズリしてもらえれば、それはもう、一瞬でザーメンを噴き出してしまうこと間違いなしである。


また手足は細長く、カモシカのような力強い躍動感を感じさせ、当然のようにウエストは限界まで引き締まっており、縦長のヘソまで何とも美しく見える。



玉袋に時折びたんびたんとぶつかる尻は、剥きたてのゆで卵のようにシットリムチムチしており、

土下座してでも頬ずりしたくなるほど蟲惑的である。


極めつけに、どう見てもチンポを受け入れたら裂けてしまうほど狭く、小さく見えた肉花も同様に成熟しきって、

久々のご馳走らしい俺のペニスを食い締め、思う存分ぐにゅぐにゅとこね回し、ドロドロのスペルマを底なしに飲み込んでいった・・・・・・・・・














思えば、そもそもエレシュキガルに望まれるままにフェラチオさせたのが早計だったのかもしれない。


カッコつけて名乗りを上げた後、それでも俺が何のリアクションもしなかったせいで、とうとう本格的にぶちギレそうになった彼女を

なんとか宥めた後、そもそもどうして自分を喚び出したのかと質問してみた。


返ってきた答えは「一縷の望みに賭けた」という、その時の俺にはワケが判らないものだった。


なんでも、彼女にはアルカディア中に散らばっている自分の眷属(サキュバス)の様子を、

何時でも好きな時に覗き見ることができる能力があるらしい。

そして、たまたま今日暇つぶしにソレを使おうと決め、手始めに【騒がしき密林】に住んでいる眷属たち(エルたち)を観察しようとした。


ところがその目に映ったのは、彼女たちがたった一人の人間の少年を相手にイイ様に弄ばれ、

あまつさえ全員が吸精限界に押し上げられて乱交パーティにふけっている場面だった。


当然驚いたのと同時に、この少年ならあるいはと思ってわざわざ世界間の転移魔法まで使いこの城へ・・・・・・・・


魔界の空に浮かび続ける浮遊城【エンプレス・パレス】まで俺を喚び寄せたという次第である。









死なない程度には加減するし、自分に出来る限りの褒美も出すから、とにかく我と交わってくれと嘆願するエレシュキガル。

当初、俺は幼女には興味がない(ウソじゃない!)とキッパリ断ろうとしたのだが、そうするとまた怒らせてしまうだろうし、

何より俺に空間転移は使えないのである。

となると、何とかご機嫌を取ってもといた場所へと帰してもらわなくちゃならないとその時の俺は思っていた。


力づくっていう手も無くは無いが、魔王とはいえカワイイ女の子にそんな真似はしたくなかった(戦えばタダじゃすまなかったってのもある)


そんなわけで、どう見ても俺の剛直が入りそうにないオマンコはとりあえず後回しにして

何とか実現可能なフェラからって話に持っていったんだが・・・・・・・・





いや~~、流石は淫魔王を名乗るだけのことはあったわ!

ぶっちゃけサキュバスたちと同等、もしかしたらそれ以上に気持ちよかった。


俺のタマ袋をそれぞれ1個づつ、左右の手で強めに握りキュッキュッと互い違いに揉みこみつつ、

プルンと潤った柔らかい唇を亀頭にちゅうっと押し付け、幼女とは思えない吸引力で先走りを吸い出してきた・・・・・・・・

かと思いきや、限界まで口を開くとそのままパクッとペニスをくわえ込み、小さいが細長くヌメヌメした舌で

俺の弱いところを一瞬で探し出し、焦らしつつも的確に責めるということまでやってのけたし、

少し先が尖った、牙のような八重歯で尿道口をグリグリされた時にはマジで暴発するかと思った。



何より、トロンとした目つきで俺を上目遣いに見て、ちゅぷちゅぷと卑猥な音がなるほど

ハイペースで俺の股間にむしゃぶりついているくせに、見た目は完全に小学生というそのアンバランスさと、

そんな完全な幼女にチンポをしゃぶらせているという背徳感が俺の興奮を増長させた。




気がつけば俺は、彼女の2本の角をしっかり握り締め逃げられないようにしてから、

まるでオマンコに出し入れするときのような勢いで彼女の口内に肉茎を出し入れしていた。

彼女の唾液と俺のガマン汁が混ざり合った淫液を、肉棒に舌でこすり付けられるのが何とも心地よく、

彼女が頬をすぼめ、強烈なバキュームフェラを繰り出してきた瞬間、俺は実にアッサリと

その温かくてトロトロの口マンコの中に、煮えたぎった欲望の白濁をしぶかせていた。





口の端から飲みきれなかった分をこぼしつつも、唇をきゅっと肉竿に密着させコクンコクンと

喉を鳴らしながら、粘ついて臭いも強い子種汁をなんの葛藤も無く飲み干していくエレシュキガル。


最後の一滴までスペルマを飲み尽くし、ちゅぽんっと音を立ててペニスを開放した淫魔の女王は

褐色の頬をうっすらと赤く染めつつ、本当に幸せそうな、そして淫靡な笑みを俺に向けながら口の周りに付着した白濁汁を指でぬぐい取り、

チュパチュパと俺に見せ付けるように舐め取り始めた。





そんな様子を見て「あれ?・・・幼女ってイイかも・・・・」とか密かに思ってしまったのは秘密である。

そんな俺の目の前でその変化は起きた。








突如、「グッ!?」とうずくまり自分の肩を抱き寄せぶるぶる震え始めたエレシュキガル。

ただ事ではないと思って傍に駆け寄った俺に「ち、近づくなっ」とか「早く逃げっ・・・」とか言ってる最中に

彼女の角から、目もくらむほどの赤紫色の光が部屋一面に放たれた。


そして数秒後、光が収まった部屋で俺が目にしたのは、先ほどまで目の前にいた幼女ではなく、

サキュバスたちすら霞むほどの淫気を全身から振りまきつつも、はぁはぁと苦しそうに息を荒げながら

申し訳なさそうな、哀しそうな瞳で俺を見つめる妙齢の美女だったというわけなんだが・・・・・












さ~て・・・・・これは本当に“アレ”を試してみるしかないかね?・・・・・















[18596] 第8話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/05/15 08:21
びゅぷっびゅびゅびゅるぅぅ ・・ びゅぷ・・・・・





「あんっ、ま、また出してくれたのか?・・・・ふぅ、ふぅぅぅ!・・・・じゃ、じゃが、止まらぬ・・・・

身体が止まってくれぬのじゃ・・・・あ、あああっ!もっと、もっとと、貴様の子種を全て搾り取れと・・・・ふ、ふぁぁぁあ!!」









くぅ!考えてる余裕なんてもうないな、こりゃ。

今の射精で俺のスタミナはとうとう残り1割になってしまった。

それでもまだ、エレシュキガルの本能は満足せず、射精直後のペニスに萎えるのは許さないとばかりに絡みつく。

幾重にも重なり、柔らかく弾力性に富んだヒダで肉棒を絞り上げ、尿道口に残った精液全てを膣の最奥に送り込んでいった。

その目は未だに情欲に狂いきり、知性などまったく感じられずマトモな会話すら通じるか怪しい。



その精液の射精量も明らかに少なくなっているにも関わらず、この淫魔の女王は未だに吸精限界を迎えていない。

つまり、まだまだ満腹ではないということだ。

エルたちとの情事で判ったことだが淫魔という種族は、一度吸精限界を迎えてしまえば、屈服させるのは容易い。

テクニックなど無くても、ただガンガン腰を叩きつけ、チンポを抜き差ししてやるだけで簡単にイってしまうようになるのだ。



それはたとえ【淫魔王】であろうとも変わることはないと思うが、とにかくコイツは胃袋というか、精液袋がデカすぎる。

多分、普通の人間の男なら一万人でも吸い殺せてしまうだろう。

流石は魔王の一人といったところだろうか。





・・・・・・仕方ない、とっておきの“アレ”を使わせてもらうとしよう。

強敵との戦いの最中ならいざ知らず、まさかこんな場面で使うハメになるとは思いもしなかったが、

まあ、一度試しておくのも悪くない。



頭の中にスキル欄を出現させ、目当てのものが確かに存在することを改めて確認する。

アレは魔法でも体術でもなく、【特殊スキル】に分類され魔力を消費することも無いので、この部屋の中でも発動できるはずだ。



もしダメだったらその時は、エレシュキガルには悪いが彼女を思いっきり突き飛ばし、部屋の外に逃げ出してから

魔法でスタミナを回復しよう。

まさか城内全てが魔法無効化空間ではあるまいし、単純な肉体能力でエレシュキガルに劣るとも思わない。

前者よりは危険で、希望的観測が多分に含まれていることは間違いないが、その辺は賭けである。




俺は覚悟を決めるとエレシュキガルの両肩を掴み、そのまま一気に騎乗位から正常位へともっていた。







「ふわっ!な、何を!?・・・・」









突然俺が反抗したことで戸惑う彼女の耳元に口を寄せる。

そして、2人の立場を完全に逆転させることができる技の名前を、舌を差し込みながらゆっくり囁いてやった。

別に声に出す必要は無いんだろうが、そこは様式美というやつだ。



その技とはすなわち・・・・・・・・・・・・・












「“輪廻逆転”・・・・・・・!」










オッサン少年珍道中      第8話









特殊スキル【輪廻逆転】

一度転生した者は己が魂に刻まれた記憶を読み取ることにより、生前の自分の力を一時的に取り戻すことができる



習得条件
【転生】を行う



スキル能力
一時的に、転生後のクラス・レベルが転生前のソレになる

一定時間が経過すれば転生後のクラス・レベルに戻り、その後しばらくの間、このスキルは使用できなくなる

また、転生後のクラスから別のクラスに【クラスチェンジ】した場合、このスキルは消滅する












刹那、俺の心臓のあたりに俺自身すら圧倒されるほどの強大な力の塊を感じた。

その塊はすぐさま奔流となって俺の身体中を駆け巡り、やがてそれぞれの部位に染み込むように消えていった。



俺はうまくいったことを半ば確信しつつ、すぐに頭の中にステータスを呼び出し自分の現状を確認した。








デスタ・ディ・ドラゴ



クラス:【覇皇】


レベル:9999








ふっふふふふふ・・・・・・・・・・完璧だ。

俺がステータスメニューに表示された各種ステータス、レベル、そしてクラス名を確かめると、

そこには俺の望んだ通りの結果があった。

作戦通り、輪廻逆転を使用した現在の俺のクラスは戦士系第5クラスの【覇王】、しかもレベルはマックス9999!

まさに約10年のネトゲ生活の総決算とも言うべき力を俺は再び手にしたのだ。



が、別に俺はエレシュキガルと戦うためにわざわざ転生前のクラスに戻ったわけじゃない。

では何故か?当然、賢明な諸君なら既に俺の魂胆を察してくれているだろう。



そう、【覇皇】にはまさにチートと言うべき、ある“固有能力”が備わっている。

それは・・・・・・・・・









「ひっ!ひやっ!ひぃやあぁぁぁ!?な、何じゃ!?この精の濃さと量は!?

さ、先ほどまででも、まるで高位の【魔王】のようであったというのに・・・ふぁ、ふあああああぁ!!

な、流れ込んでくる!・・・・・我の中に、激流のように流れ込んで・・・こんな、こんなことがあぁっぁぁあ!?」











クックククククク・・・・・おやおや、淫魔王様はすっかりお喜びのようだな?

おっと話を続けよう、覇皇の固有能力とは【無限のスタミナ】。

文字通り、スタミナが無限になるわけなので、これで俺は幾らエレシュキガルに射精しようと死ぬ心配は完全に無くなった。



しかも今の俺はレベル9999の【覇王】。

当然、たとえ【覇皇】からの転生によるボーナスがあったとはいえ、約3倍のレベル差があった

【超魔道】とは比較にすらなら無いほど、総合ステータスが上がっている。



サキュバスの言う“精”とは生命エネルギーのことで、その量と濃さは獲物のステータスの高さに依存するので、

今の俺の精は先ほどまでのソレより更に数倍美味く、量も多くなっているはずである。

さらに付け加えると、今回無限なのは【魔力】ではなく【スタミナドレイン】・・・・・つまりセックスで、

直接吸収されることになる【スタミナ】なのだから、その影響は計り知れない。

しかもその精は俺が【覇皇】である限り、永遠に尽きることがないので、サキュバス族にとって今や俺は、

超が8つくらい付く程の極上の餌というわけである。





それは【淫魔王】といえども変わることはない。

現にエレシュキガルには、さっきまでの淫欲と食欲に狂った容貌はもはや影も形も無い。

その代わり、自分の中に注がれている精から、目の前の男がとんでもない化け物だったということを漸く理解できたのか

その瞳には少なからず恐怖が見え隠れしている。





驚愕と恐れが入り混じった表情で俺を見つめ、その間も自分の胎内に自動的に注がれ続ける、

彼女にとって天上の妙薬とも言える精に息をはっ、はっ、と激しく荒げ、頬を上気させつつその魅惑の肢体をくねらせる淫靡な女帝。

その美しく、そしてどこまでもイヤらしい姿に、自分でも知らなかった心の奥底の猛毒のような嗜虐心を刺激された俺は、

【魔性の女神】の名に恥じない目の前の最高級の牝を徹底的に犯しぬき、完全に自分の女(モノ)にしてやると密かに、しかし固く決心した。








そうだな・・・・・・とりあえずの目標として、俺のことを“ご主人様”と呼ばせてみるか・・・・・





























[18596] 第9話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/05/28 16:53
ずちゅっ・・・ずちゅっ・・・・ずちゅっ





「ふわっ、ふわぁぁ!・・・きゅっ、急に動かしてはならぬぅ・・・・」






俺は両手でエレシュキガルの両手首を掴み、そのままベッドに押し付けしっかりと固定した。

別にこんなことする必要は無いのだが、こうした方が“自分のモノにする”という雰囲気が出るかなと思ったんだ。

そのまま彼女の腰に自分の腰を密着させ、最初なので遅めのスピードで腰をゆっくり振っていく。

ずん・・・ずん、とペニスを一突きするごとに、汗を垂らしながらタプン・・・タプンと波打つように

イヤらしく揺れるその豊満なオッパイが俺の視覚を楽しませてくれる。



乳揺れならさっきまで散々見ていたじゃないかと思うかも知れんが、下から見上げるのと

上から見下ろすのとでは、また違った趣がある。

俺は一定の腰振りスピードを保ったまま、エレシュキガルの唾液で濡れたパールピンクの唇に

自分のソレを寄せると、そのまま一気に吸い付いた!









オッサン少年珍道中      第9話











「むちゅうっ、んちゅ、うんん・・・」



「んんっ!?・・・んぷっ、ん、んちゅう・・・」








突然の口付けに目をカッと見開き、その大粒のルビーのような瞳を俺に向けてくる淫魔の女王。

もはや完全に正気を取り戻しているようでその瞳からは確かな知性が感じられた。

先ほどまでの淫欲にまみれた狂気を一瞬で振り払うとは、よほど突如膨大に膨れ上がった

俺の精に驚き、かつ恐れを抱いたのだろう。




そんな彼女に、怖がる必要はないと伝えるように、俺は丁寧で優しいキスを続ける。

この辺のテクも既にエル達からレクチャーされ済みだ。

そしてしっとりぷりぷりの唇の感触を十分に味わってから、俺は彼女の口内に舌をさしこんで

レロレロと口の内部を舐めまわし、彼女の舌をからめ取った。







「んちゅっ、ちゅぱっ・・・んじゅる、れろっれぇろ・・・・」



「んふぅ・・・ちゅ、ちゅっ、んちゅうぅ、はぁ、んんん・・・」






サキュバス族特有の蜂蜜のように甘くトロトロの唾液を啜りとり、お返しとばかりに

俺の唾液も舌をつたわせて注いでやった。

んくっんくっと喉を鳴らしてソレを飲み込みつつ、ねっとりと濡れ光る真っ赤な舌で

俺の口内の隅々まで舐め上げてくれるエレシュキガル。

その技巧はサキュバス達との経験が無ければ、それだけでイってしまいそうになるほど心地良い。

すんすんと形の良い鼻を鳴らしながら俺とのディープキスを楽しむその様子から、

これなら会話も出来そうだと判断する。









「んんっ・・・・ぷはぁっ・・・・クッククク、さっきは随分と好き放題やってくれたなぁ?」


「んぷはぁっ・・・はあ、はあ・・・す、すまぬ・・・・自分でもどうにもならなかったのじゃ・・・・」


「ふ~ん?・・・その割には今は落ち着いてるようだが?」


「そ、それは貴様の・・・貴様の精のおかげじゃ・・・はぁ、はっぁぁ!・・・・・・・・い、一体貴様は何者じゃ?」








俺と目をしっかり合わせつつ、自分の疑問を口にするエレシュキガル。

必死に真面目な顔を取り繕うとしているようだが、絶えず彼女の中に流れ込み続ける俺の“精”を

一時的にでも忘れることは不可能なようだ。

その証拠に、俺と会話しながらも気持ちよさそうに熱い吐息を漏らし、その肉壷は相変わらずジュルジュルと

俺のペニスに絡みつき、肉ヒダがズリズリとこすりあげてくる。









「さ、最初は、ただステータスが異様に高い一種の天才かと思った。

んふぅ、だ、だが貴様の精液を飲み干し、我の“力”に変えた時、それは誤りであったと・・・

き、気づいたぁ・・・んんぅ、んああぁぁっ!」







淫魔の女王の独白は続く。

本人はシリアスぶってるつもりなんだろうが、喘ぎながらじゃ台無しだ。

俺はソレをチンポをひくつかせ先走りを垂れ流しつつ、ニヤニヤ笑いながら聞いていた。








「ふぅぅ、はっ、はっああぁ!・・・たかが天才如きの精では・・・・わ、我の姿は元に戻らぬぅ・・・

くぅぅぅ!?そ、そこは弱ぁ・・・・ほ、ほぉぉ!・・・しっ、しかし、しかしぃぃ、今のお前の精はぁあっ・・・

ハァ、ハァ・・・先ほどのモノですらぁ、く・・・比べ物に・・・・ふあぁっ!?イ、イキナリ強くぅぅぅっ!?」



「悪いな、そろそろ俺も限界だ。今から思いっきりさせてもらう」






そう言い放つと俺は腰を振るスピードを一気に高めた。









ぱんっぱんぱんぱんっ  ずちゅずちゅっずちゅずんっ








既に射精していた俺の精液と、その白さに負けないほど濃い彼女の本気汁を、ペニスを抜き差しするごとに

膣口からかき出し、あるいは子宮へと押し込んでゆく。

待ちわびていた激しい刺激へのお礼のように温かいマン肉がギュウッと締まり、

ぷるぷる小刻みに蠕動しながら肉棒を包みこんでくる。

亀頭で最奥を小突いてコリコリした子宮口の感触を楽しみながら、大きく張り出したエラで膣肉をズリズリと擦りあげてやる。





ぶちゅっぶちゅっぶちゅっぶちゅっ ずぷずぷずぷずぷっ



「はぁっ、はぁっ、はぁあぁぁぁん!!たっ、頼むぅ・・・もっとぉ、もっとゆっくりぃぃ!

んほぉ、ほぉぉぉぉ!?も、もうこれ以上はぁぁ、精を吸収するのはぁ・・・ひっ、ひぃぃぃ!・・・

チ、チンポがぁぁ、貴様のチンポが膨らむぅぅ、ふ、膨らんでおるぅぅ~!?んはぁ~、はっ、はぁぁ~ん・・・

しぃっ、子宮がぁぁ、押し上げられるぅぅぅ~!・・・」








先ほどまで一方的に責められる側だった俺は、責めることの興奮に脳を熱くさせつつ、

その絶品の名器を自分専用の形にするべくグチュグチュと卑猥な音をたてながらピストンを加速させていった。





しかし格好悪いことに、俺の限界もすぐやってきた。

子種をねだるかのように肉槍に絡みつき、小さなツブが無数についたヒダでグニグニと揉みたててくる美女の肉壷。

幾重にも連なる肉の壁が一枚づつデタラメに蠢き、奥深くに咥え込んだペニスを強烈に締め付けた。



その結果、先ほど射精したばかりだというのにズクズクと疼いていた俺のチンポは、

実にあっけなく、根元にまでせり上がっていた欲望を吐き出すことに決めた。

玉袋が尿道へと煮えたぎる灼熱を送り込み、ソレを感じた瞬間、ほとんど条件反射で腰を思いっきり突き上げる。

子宮口を一気に押し上げ、子宮内に直接亀頭を潜り込ませる。

肉棒の先端が決して抜けないようにカリ首を仔袋の入り口にひっかけ、しっかり固定してから

【覇皇】となって初めての記念すべき射精を始めた!




どぷっどぴゅっどびゅるるるるぅぅん  ぼっしゅぅぅぅ~~~~~~





狭い尿道を押し広げたマグマのような欲望の塊が次々と目の前の女の子宮の中に打ち込まれていく。

やはり、【覇皇】となった影響が射精に現れているのだろうか?

子種がタップリとつまった、ドロドロと言うより最早半固形のゼリー状のザーメンを腰をピッタリ密着させて、

今までに無い火山の噴火のような、怒涛の量と勢いで極上の牝の胎内に流し込む!!





どぶどぶどぶどぶっ  ぶぅびゅるるるぅぅ~~ん




「はっははははは!凄い!凄いぞこりゃあ!・・・おおぅ、出しても、出しても・・・・・まだまだ出るぞぉぉ!

くぅおおおおお!!」



「ほぉっ、ほぉぉぉっ!?ほぉほほぉぉぉぉ~~ん!!で、出ておるぅ、出ておるぅぅ!!

とてつもなく濃厚な“精”がつまった胤汁がぁ・・・わ、我の胎にドパドパ出ておるぅぅぅ~~~!?

・・・・・ア、アッハハ、アハハハ・・・な、何じゃコレは?・・・・あり得ぬ、これほどの“精”が、この世にあるなど・・・

あ、あり得な・・・んほぉぉ!んほぉぉぉぉ!?クル、クルゥ、何かがぁ・・・何かがクリュゥゥゥ~~!?」









ピンッと背中を弓のようにしならせ、俺に拘束された両手でシーツをギュウッと握り締めるエレシュキガル。

美しい雪原のような髪を汗で額にはりつけ、その口から出たとは思えないほどみっともない喘ぎ声を

部屋全体に響かせながら、彼女はようやく【吸精限界】を迎えイクことが出来るようだ。







「ははははっ、もうイッちまうのかエレシュキガル?

淫魔王ともあろう者が人間のガキにイカされるなんて許されるのか?」


「はぁ、はぁぁぁっぁ!・・・イ、イクだとぉぉ!?コ、コレがそうなのかぁ?

んふぅ、はぁっ、はぁぁぁん!・・・・馬鹿なっ、馬鹿なぁぁぁ・・・わ、我は・・・

我はイッタことなどぉ・・・こっ、これまで一度もぉ・・・あぅぅ、なぁ、無かったというのにぃぃ~~!!」


「おいおいマジかよ?ははっ、こりゃあ傑作だな・・・・それじゃあ・・・俺がイカせてやるよ。

俺が、お前の、初めての、男に、なってやるよ!・・・はははっ、はぁっはははは・・・・そ~ら、まだまだ出るぞぉぉぉぉっ!!」





ぶびゅるんぶびゅるんぶびゅるるるるぅん  どっびゅうぅぅぅ

ずんずんずんずん!  ずちゅずちゅぶちゅぶちゅ!







「ひぃぃんっ!しゃ、射精しながらピストンするなぁぁ~♪・・・・ああっ、ダメじゃ・・・ほ、本当にイクゥ・・・

め、目の前の人間のチンポでぇ~・・・は、初めての絶頂にぃ、押し上げられるぅぅぅ!!

ああぁ・・・ダメじゃ、ダメじゃぁぁぁ・・・・イってしまったらぁ・・・・はぁぁぁ!・・・・【吸精限界】になったらぁぁ・・・

み、みごぉ・・・身篭ってしま・・・あっ、あああっ、あああぁぁぁ!?

イクッ、本当にイクッ、イクイクイクイクイク・・・・イッ、イックゥゥゥゥ~~!!?」






ん?今物凄~く聞き捨てならないことを言わなかったかコイツ?

一瞬、問いただそうかとも思ったが、そんな考えを吹っ飛ばすような現象が俺の前で起きた。

それは・・・・・・・・







ぷしゃあっ ぷしゃっ ぷしゅう






「な、何だ!?・・・・もしかしてお前、ぼ、母乳を噴いてるのか!?」






そう、乳噴きである!!



まったく量も濃さも変わらない射精を子宮に受けとめつつ、その肢体をガクガク震わせ、

初めての絶頂へと駆け上がる淫魔の女王。

オマンコの中はその甘美な刺激に狂喜乱舞し、絶大な快楽を与えてくれたお礼とばかりに、

突き刺さったままの肉棒から、まだまだ勢いの衰えないスペルマを一滴残らず搾り取ろうと更に激しく蠕動し始める。

しかし、その最高級の美女の、たゆんたゆんと揺れる魔乳の先端から絶頂とともに噴き出してきた白い液体は、どう見ても【母乳】だった!!




クックククク!最高だ!マジで最高だぞこの女は!!

サキュバス達とじゃ出来なかった母乳プレイまで体験させてくれるとは、流石は【淫魔王】、

わかってるじゃないか!!(俺の性癖を)


俺は母乳という嬉しい誤算に顔をニヤけさせ、エレシュキガルの両手首を拘束していた左右の手で

目の前のたわわに実った双丘をかなり強めに掴む。

しっとりと吸い付いてくるようなチョコレート色の肌の触感や、ヤワチチ自体の柔らかさ、

そして適度な弾力は勿論素晴らしいのだが、どうも乳房の奥のほうに大きなシコリのようなものを感じる。



そのシコリを揉み潰すようにして、すぶすぶと指を魔乳の中にめり込ませつつ

乳首をひねりあげてこのロケットオッパイに刺激を与えてやれば・・・・・




ぷしゃっ ぷしゅぷしゅうぅ






「あんっ、はぁ、はぁ、はぁぁん・・・・そっ、そんな、母乳などぉぉぉ!・・・・

お・・おおっ・・・お乳などぉぉぉ~!!・・・た、確かにぃ、確かにイッタがぁぁ!・・・・う、生まれて初めてのぉ・・・・

きゅ、【吸精限界】になったがぁぁ・・・わ、我の腹はまだ大きくはなっておらぬのにぃぃ~・・・・

ほ、ほぉぉぉ~ん!?や、やめよぉ!!む、胸を絞るなぁぁ・・・・し、絞られただけでぇ、ま、またイクゥゥ~・・・・・

あああっ、イッ、イッてるのにぃぃ~・・・・貴様のぉ・・・しゃ、射精でぇぇ・・・ハァ、ハァ・・イッちゃってる最中なのにぃぃぃ~・・・

またイクゥ!・・・イクッイクゥゥゥ!・・・・ほぉぉ、ほぁおぉぉぉぉ、んほおぉぉぉあぉぉぉぉ♪」







おお~~出た出た、やっぱり母乳が出てるぞ!

真っ白で甘ったるい匂いの母乳が、淫魔の女王のピンッと勃起しきった乳首から

ピュッピュッという擬音が聞こえてくるほどの勢いで噴出してくる。

どうやら一度イッてしまうと、母乳が出る体質だったらしいが、そもそもこれまで一度も

イッタことがなかったので本人も知らなかったらしい。



瞬く間に俺の手を白く染めあげたエレシュキガルのミルク。

その練乳を濃くしたような芳香と、トロ~リトロ~リと乳首から乳輪へと滴り落ち、やがてツゥーーと

褐色のオッパイを滑り落ちていくその光景に、ようやく射精が終わりに向かった俺は目を奪われた。



喩えるなら、超特大のチョコレートプリンに練乳と生クリームをぶっかけ、その上にさくらんぼをチョンと乗っけたら

こんな感じになるのではないだろうか。



ぐふふっ、まあそんなことはどうでも良い。とりあえず味見させてもらおう。

俺はエレシュキガルに見えるように、口をア~ンと開けて母乳を噴出し続ける、向かって右側の乳首に舌を近づけた。

その途中、目の前のチョコプリンな淫魔王様は「や、やめろ、吸うのだけは・・・」なんてことを

仰ったが勿論聞く耳持たない。




それでは・・・・我が人生始まって以来の、母親以外の母乳をタ~ップリ飲ませてもらおうか・・・・・





ぱくっ れろれろん んちゅう~んちゅう~ じゅるじゅるぅ~  ごくっごくっごくん


どぴゅどぴゅどぴゅどぴゅう  びゅるるるぅびゅるるん






「あひぃ、あひぃぃぃ~ん!!の、飲まれておる・・ああっ、わ、我のぉ・・・お、お乳がぁ・・・

我のお乳がぁぁ、目の前の牡にぃぃ・・・の、飲まれておるぅぅ~~♪・・・

ゴ、ゴキュゴキュと喉をならして・・・はぁ、はぁぁん・・・う、美味そうに飲みおってぇぇ~~♪・・・・・

ふふふっ・・・う、美味いか?我のお乳は・・・・ひぁっ!んひぃぃぃぃ~~!!ま、またかぁ!?また出すのかぁぁ!?

ば・・・化物ぉ、化物めぇぇぇ!!」



「ごくっごくっごくっ、べろべろっ、ちゅうぅぅぅ~~チュポンッ・・・・はぁ、はぁ、そうだ。

お前のミルクが美味すぎるからなぁ!お、お礼に俺のチンポミルクももっと沢山飲ませてやるよ!・・・・

くっ、くぅおおおおお~・・そらぁっ、子宮が破裂するまで注ぎ込んでやるぞぉぉぉ!!んちゅうっ、ぢゅるぢゅる、ちゅっぱちゅっぱ」









実際、エレシュキガルの母乳は美味かった。

練乳とココナッツミルクを混ぜ合わせたような濃厚な味で、それにしては後口がスッキリしていて、

ノドごしも爽やかなので幾らでも飲めてしまう感じだ。







美女の母乳という、世界中のどんな飲み物にも勝るドリンクの味に興奮した俺の感情に同調するように、

チンポは更に硬くとがり、やっと終わったばかりの射精は再びその勢いを取り戻した。

飲み干した母乳の量に比例して、精巣内で熱くてゲル状の精液が生産されているような感覚。






その感覚に身を任せて、俺は最後の一滴までエレシュキガルの膣内に欲望の濁流を流しこむことにした。

再び子宮口を押し広げ亀頭を子宮内にぶち込み、ネバネバの特濃ザーメンを思う存分流し込んでやる。

射精した端から肉穴に近い精液・・・・つまり古い精液が膣外に押し出されて、

真紅のベッドシーツに白い水溜りを作る。



当然、エレシュキガルの肉花のまわりも、俺の子種汁によって白くコッテリとパックされ

たちのぼる湯気と青臭い牡汁の匂い、そしてニチャニチャと音をたてながら糸をひくその姿に、

俺は心の中に、眼前の美しい牝を自分のモノにしたという圧倒的な征服感が発生するのを感じた。












「イったぁぁ、ハァ、ハァ・・・イ、イキまくったぁぁぁ・・・・・んんっ・・・・子種ミルク出されてイってぇ、

お乳飲まれてイってぇ!・・・・はあ、はあぁぁぁぁ・・・・す、凄かったぁぁ、

しゅごしゅぎだったぁぁ~・・・・・・・・はぁ、はぁ、ダメじゃ、ダメじゃぁぁ・・・お、堕ちる、堕ちるぅぅぅ・・・

き、貴様がぁ・・・・い、いや、そなたのことがぁぁ・・・・い、愛おしくてならぬ・・・・・・・

こ、こんな気持ちはぁ・・・・は、初めてじゃぁぁ♪・・・・・」








いつのまにかエレシュキガルは、そのすらりと長く、見事な脚線美を描いた両足を俺の腰で交差させていた。

そのまま俺の腰が決して離れないようにしてから、「もうたまらない」といった風に俺の頭をかき抱く。



くくくくくっ・・・これまた作戦通り。

サキュバス達の親玉である以上、サキュバス達と同じ方法で堕とせるとは思っていたからな。

徹底的に俺という極上の餌の味を教え込んでやった。

しかもイクのが初めてだったというんだから予想以上にうまくいった。

コイツはもう、俺と交わることで得られる肉欲の味を絶対に忘れられないだろう。




乳首に吸い付いたまま、上目遣いにエレシュキガルの表情を確認してみると、彼女が浮かべていたのはエルたちと同じモノ。

目の前の自分より強い牡に、身も心も魂すらもゆだねて、いつまでも可愛がってほしいと願う、屈服を誓う牝の眼差しだった。

さっきまで俺を吸い殺そうとしていた女と同一人物とは思えないほど、慈愛に満ちた微笑を浮かべ

ウットリと俺を見つめながら、激しい情事の後で汗に濡れ、乱れた俺の髪を手櫛で梳かしてくれている【淫魔王】エレシュキガル。

俺はこの女を完全に堕とせたと半ば確信しつつ、ピロートークとか言うものを試してみることにした(チンポはまだ挿入中)









「ククククッ・・・どうだ?満足できたか?」



「はぁ、はぁ、はぁぁ・・・・ああ、“力”も完全に戻った・・・・いや、戻ったどころか失う前よりも

強くなっている気もするが・・・・・・フフフッ、後でステータスを一緒に見てみるか?」


「ステータスって・・・・良いのか?誰彼構わず見せるものじゃないんだろ?」



「勿論じゃ。我が背の君に・・・・・・・・・・・“旦那様”に見せることに何の苦痛があろう?」



「はあっ!?だ、旦那様~~!?」










予想だにしなかったエレシュキガルの発言に目を剥く俺。

“旦那様”って・・・・“様”しかあって無いじゃん。いや別に、本気で“ご主人様”と呼んでほしかったわけじゃ無いけどさぁ?

混乱する俺を尻目に、俺のスペルマでぽっこり膨らんだ自分の下腹部にそっと両手を当て、愛おしげに撫でる淫魔王様。









・・・・・・・・・・・って、ちょっと待て、何だこの仕草は?何だその母性に満ち溢れた表情は?


果てしな~くアレな予感がする俺の気持ちなどお構いなしに本日2度目の淫魔王様の爆弾発言が投下された・・・・









「ん?そうじゃ、我を孕ませたのじゃから、そなたは我の旦那様であろう?」






・・・・・・・俺、一瞬フリーズ。再起動まであと3秒。










「・・・・・・・・・・ちょっ、ちょっと待ってくれ。俺が?お前を?は、孕ませたって?

何でイキナリそういう話になるんだ?正直まったくついていけないんだが?」










い、いや確かに中出ししまくったけどさぁ~、それだけじゃ孕んだかどうか判ら無いだろう。

そんな俺を、どこか悪戯っぽい目で数秒見つめたエレシュキガルは「実はな・・・・」と

手品師が種明かしするかのように、俺にどういうことか説明してくれた。






「旦那様?サキュバス族の【吸精限界】のことは、もう我の眷属から聞き及んでおろう?」





俺は無言でうなづいた。確かにエルから既に聞いていたし、実証済みでもある。

そして「うむ」と頷いた淫魔王様は、本日3回目にして最大の爆弾発言を投下しやがった・・・・・






「うむ。実はな、眷属達の中でも知らぬ者が多いのじゃが・・・・・【吸精限界】とは要するに、

【発情期】のことなのじゃよ♪」


「は、発情期~~!?」









おいおい、マジかよ・・・・・・・

動物じゃないんだから【発情期】って・・・・・・



彼女の話を要約すると、サキュバス族が【吸精限界】を迎えるということは、交わっている男が

“牡”として途轍もなく優秀だという証拠であり、そんな“牡”の子種を孕み後世へと子孫を残すことこそ、

彼女たちの本懐なのだそうだ。




それ故、吸精限界中はいわゆる発情期になっており、この状態になったら、すぐさま妊娠出来るように“排卵”が起こる。

この“排卵”は人間の女のソレとは違い痛みもなく、行われたその瞬間に、卵管と子宮内を、

精子が卵子と受精しやすく、その受精卵が着床しやすい最高の状態に整えるのだという。



その代わりサキュバス達は、吸精限界を迎えていなければ幾ら中出しされても受精することは無いし、

もう一つ、相手のレベルが自分のレベルよりも低かった場合は、たとえ吸精限界を迎えて中出しされようと、

やはり受精することは出来ない。





精液に対して異常に敏感になったり、この状態になるとイキまくったりというのは、

少しでも孕みやすくなるようにという遺伝子レベルでの特性らしい。




エルフや妖精、獣人、竜人、鬼人、天使などでは遺伝子が違いすぎるので妊娠は無理。

ならば他の悪魔系の種族はどうかというと、サキュバス達は実は結構、悪魔系のなかでも上位の種族である。

彼女達より下位の種族ではレベルが足りず、しかも人型自体が少ない。

かといって上位の種族は個体数も少なく、そもそも下位のサキュバスなんかには見向きもしない。

そして【アルカディア】の世界では、男性型サキュバス・・・・・いわゆるインキュバスは存在せず、

サキュバス族は完全に、女性のみで構成されているのである。






そういうわけで、サキュバスを孕ませることが出来るのは、わずかな例外を除いて人間の牡だけなのである。

さらに、そうやって人間との情事を経て産まれてきたサキュバスは、通常の方法で生まれてきた

個体よりも強い力を持つらしい。

あっ、通常の方法ってのは、魔界にあるサキュバス族の聖地【淫落の泉】という真紅の泉の水から生まれてくる方法のことだ。



うん、確か公式設定でそう書いてあった。



しかし、サキュバスを吸精限界にまで押し上げ、なおかつ孕ませることができる人間の牡など、数百年に一人現れれば良い方なので、

いつしかアルカディアにいるほとんどのサキュバス達は上記の事実を忘れてしまった。

今このことを覚えているのは、淫魔王とその親衛隊のごく一部、もしくは余程長生きのサキュバスに限られているらしい。





ちなみに、このようなある特定条件を満たした牡に対して発情することは、他の種族の女悪魔も同様らしく、

例えばグレーターデーモンの女は、男が一対一の戦闘で自分を負かしたとき、その男に受精させてもらうために

発情期になるのだという。







え、え~と・・・・つっ、つまり俺は人間でいうところの、一番危ない危険日に子宮姦をきめ、さらには何の葛藤もなく、

精子がウヨウヨ泳ぎ回っている濃厚ザーメンを、大ジョッキ3杯分くらいという完全に人間をやめている量で卵子に浴びせかけたということか!?











「だ、だからってお前が本当に孕んだのかどうかはまだわからないだろう!?」


「ふふっ、確かに、な・・・・・じゃが、ほぼ間違いないと思うぞ?何しろ・・・・自分より相手の

レベルが大きければ大きいほど、悪魔や竜人、獣人や鬼人の女なんかは身篭りやすくなるからのぉ・・・

そうじゃな・・・まぁ、1000も離れておれば確実らしいが?・・・・・」







そう言ってエレシュキガルはゾクゾクするような流し目を俺に向けつつ、ニンマリとした笑みを浮かべて俺の手を取り、自らの下腹部に押し付けた。

ゲッ!!お、俺の現在のレベルは9999。

エレシュキガルがどれほどのレベルかは知らんが、流石に9000を超えていることは絶対にないだろう。

し、しかし・・・・そうすると・・・・(汗)









「ふっふふふふ♪その様子では・・・我とのレベル差が1000以上あると確信できるようじゃな?・・・・・

くっふふふっふ、ということは、じゃ・・・そなたは確実に我を、この【淫魔王】エレシュキガルを孕ませたぞ?・・・・

ふふふふっ、どうじゃ?一匹の牡としてこんなに名誉なことはあるまい?・・・・・くっふふふ♪・・・・

我だけではない・・・・そなたが此処に来る前に、一心不乱に交わっておった我の眷属達も・・・・・

くふふっ、我の可愛い可愛い、血の繋がらぬ娘達も・・・きっと一人残らず、何も知らないまま孕まされて・・・・・ふふっふふふふっ、んっふふふふふ♪」









俺の表情を読み取った淫魔王様は心底愉快そうに、幸せそうに、そして淫靡に笑いながら両足をグッと締め付け

更に強く俺の腰を自分の方に引き寄せた。

未だに子宮内に突き刺さったまま萎えることの無いペニスが、その動きでより深く彼女の最奥に沈みこむ。

目の前で母性と淫性が混じりあったような笑みを浮かべる彼女は、そのまま自分のセリフに

酔うような感じで俺に語りかけてきた。









「は、はぁぁぁっ♪・・・んふふっ、ふふふふふ・・・・そ、そうとも・・・そ、そなたはぁ我の子宮の中にぃ、こ、このぉ、底なしのチンポの先端を差し込んでぇ、

高位の【魔王】連中すらぁ、か、軽く凌駕するほどの精がつまった・・・・は、はぁ、孕ませ汁を、何の躊躇いもなく注ぎ込んだのだぁ!」









段々興奮してきたのか、次第に熱っぽさを増して話を続けていく淫魔の女王。

俺はその光景を、まだ現実への理解が追いつかないまま、呆然と見つめていた。


妊娠させた?俺が?コイツやエル達を全員?







「・・・・・・はっ、はぁ、くはぁぁはっ!・・・・そ、そしてっ、そしてぇっ、我に初めての絶頂を教え込んだ挙句ぅ・・・・

初めてのぉ・・・にぃ、妊娠までぇぇぇ~~!!・・・・・ハハッ、ハハハハッ・・・・堕ちたぁ、わ、我はもう完全に堕ちてしまったぁぁぁ!

・・・はぁ、はぁん・・・んちゅう、ちゅぷっ、ちゅうぅぅ!」


「ぬおぉっ、こっ、こらエレシュキガル!ちょ、ちょっと落ち着けって・・・・んんっ!んちゅう、ちゅるる、ちゅうぅ」」








俺の言葉に耳を貸すことなく、自分の言葉に感極まったかのようにいきなり唇を押してつけてキスしてきた

エレシュキガルは、そのまま腰をクネクネとくねらせ、膣内の肉棒をもう一度味わおうとする。

ペニスの周りに感じる自分の精液の熱さと、締まりを少しもユルくすることなく肉銛を咀嚼してくる

肉ヒダの感触に、俺もまた先ほどのように興奮してきた。



まして、目の前の相手から「妊娠確実」なんてことを聞かされた直後だ。

確かに最初は驚いたし混乱もしたが、少し冷えた頭で考えてみると、常識とか倫理とか、

そういう地球での価値観に根付いた後悔の類はまったく浮かんでこない。




あるのはただ、地球にいた頃じゃ絶対に手が届かなかった最高級の美女達に自分の子種を思う存分仕込みまくり、

自分のモノであるという刻印を刻み付けたことへの、目の前が真っ白に染まるような、途方も無い征服感と万能感だけだった。

や、やべぇ・・・この感覚・・・・クセになりそうだ。






「そ、そなたのモノ以外のチンポなどぉ、もう要らぬぅぅ!そ、そんな汚らしいものぉ・・・コッ、コッチから願い下げじゃ・・・

・・・んふぅ♪ふぅぅ、ふぅぅ・・・そなたとぉ、そなたの絶倫チンポさえあればぁぁ~・・・それ以外には何もぉ、

何も要らぬぅぅ~~!あああっ、旦那様ぁ、旦那様ァァ!!・・・いぃ、今一度ぉ、今一度子種ミルクを注いでぇぇ~~♪・・・・・

お、お乳をっ・・・・んんぅ、はぁぁあん!・・・・腹も大きくなっておらぬのにぃぃ・・・み、みっともなく垂れ流す我のお乳を・・・・

チュパチュパと音をたてて飲みながらぁぁ~・・・んくっ、はうっ、はっ、孕ませ汁を注ぎ込んでくれぇぇ~~!!」



「くぅぅおおぉぉ!、エ、エレシュキガルゥゥゥ~!!」






ぱんぱんぱんぱんっ  ばすっばすっばすっばすっ








彼女の種付け嘆願を引き金にして、俺は3回目になる射精を行うために、彼女の肉壷をもう一度擦り上げはじめた。

当然、先ほど注いだばかりの、膣道に溜まっていた子種汁を子宮へとカリ首で押し込みながらである。

そうやって押し込まれた白濁は、そのまま子宮内に到着すると、決して垂れ落ちないように、ネットリとその場でこびりつく。

その情景を頭の中でイメージしつつ、俺は両手で、重力に負けることなくそそり立っている

2つのロケットオッパイの根元を絞りあげるようにして搾乳を開始する。




ぴしゃあ ぴしゃぴしゃ ぷしゃあ




程なくして出てきた魅惑の白い液体を、自分の腹が裂けるまで飲み続けようと、小指の第一関節くらいにまで

肥大化した2つのさくらんぼにむしゃぶりついた。



レロレロと舌で舐めまわしたり、乳輪部分にそって舌を這わせたり、根元を奥歯で強めに噛んでみたり、

その後唇で挟み込んでみたりなど、とにかく思いつく限りの方法で乳首を弄んで、射出部分に刺激を受けて

出が良くなったサキュバスミルクを、口の端からこぼさないように丁寧に、しかし勢いよく吸い上げ嚥下していった。




ごくんごくんごくんっ んくっんくっんくっ




あ~~、マジで美味いわ、これ。

飲めば飲むほど出てくる、まったりとした甘さの最高に美味なエレシュキガルの母乳。

その味を本人にも味わってもらおうと思い、高く響く美しい声音で喘ぎ続けるその口に、

乳房の先端を2つとも差し入れ、まだまだ飲み足りない俺も一緒に飲ませてもらおうとソコに吸い付いた。

ミルクにまみれてテラテラと白く濡れ光る、コリコリした乳首の感触とプリプリの唇の感触のコントラストがまた素晴らしい。







「んぷぅ!?な、何を・・・・わ、我に一緒に・・・・お、お乳を飲めというのかぁぁ?・・・

ほぉぉぉん、んほおぉぉぉぉ!!・・・カ、カリ首太すぎぃぃぃぃ!!」


「ごきゅっごきゅっ、れろん、ちゅうちゅう・・・・ちゅぱっ!そ、そうだ。

滅茶苦茶美味いぞ?お前のお乳は・・・・んちゅ、ちゅう~~~~」


「んふぅ、んふぅぅ?・・・こくっこくっ、ごっくん・・・た、確かに甘いな・・・・

た、ただ・・・あはぁぁぁん!ほぉぉ、ほぉぉぉん!!・・・ただぁぁ!・・・」







俺の望み通りに、自らの乳首に吸い付きコクコクと愛らしく喉を鳴らして、自分が出した母乳を

飲んでゆくエレシュキガル。

唇に付着した分を、俺が舌で綺麗に舐め取ってやると、淫魔の女王様は俺の両頬に手を添え、

俺の瞳を覗き込みつつ、わずかに恥ずかしそうにハニカミながら自分の思いを訴えた。









「た、ただぁ・・・わ、我としてはぁぁ・・・ん、んくっ、んくっ・・・そ、そなたのミルクの方がぁ・・・・

はぁ、はぁぁん!!・・・・チッ、チンポミルクの方が好きじゃ///・・・・ふはぁぁぁ、ふぅはぁぁ~~ん!?

・・・チ、チンポがまたぁ、また膨らんでくれたぁぁ♪」









・・・・・・なにこの可愛い生き物?

頬を染め、上目遣いで俺の反応を伺う彼女の姿に、不覚にもトキめいてしまった俺は、

照れ隠しのように、更に硬く大きくしたデカマラで彼女の子宮の最奥まで串刺しにして、

彼女の望み通り受精を確実にするために、白くて臭いもキツイ溶岩をドバッと注ぎ込んでやる。

精液が玉袋から尿道へ、尿道を通り鈴口へ、鈴口から子宮へと勢い良く放出されるその過程が、

たまらない快感を俺にもたらす。



責任など取るつもりは無く、我ながら考えなしだとは思ったが、種付けへの欲望に抗うことは出来なかった。







どばっどばどばどばっ  どびゅうどびゅうどびゅるるるぅん







「ひぃぃぃっ、あひぃぃ~ん・・・イクイクイクゥ、なぁ、中出しでぇぇ・・・イックゥゥゥゥ~~~!!!

・・・・はぁ~、はぁぁん・・・むはぁぁぁ、んんほぉぉぉぉ!?しゅ、しゅごいぃぃ、コレしゅごいぃぃぃ~!!・・・

イクのが全然、ぜぇんぜん止まらないぃぃ~~!?・・・・・びちゃびちゃって、子宮の中に、孕ませミルク、叩きつられておるぅぅぅ~~!!  

はっ、ははっ、あははははっ・・・しぃ、死んでも良い・・・もっ、もう死んでも良いぃぃぃ・・・・

は、孕まされてイクゥ!種付けされてイクゥ!!・・・・子供仕込まれてイクゥ!!イッグゥゥゥゥ~~!!!」







ぷしゃあ ぷしゃっぷしゃあ ぴゅぴゅぴゅっ








はしたなく大声で喘ぎ、髪を振り乱し、口から唾液を撒き散らしながら絶頂する一人の美女。

白目を剥き、犬のようにはぁっ、はぁっと舌を突き出し、アヘ顔で俺の子種を受け入れていくその姿は

とんでもなく下品で醜いのと同時に、とんでもなく淫靡で美しかった。

俺に必死で抱きつき、尻尾までも腰に巻きつけてくるその姿が何とも健気で可愛らしく思えた。




ちゅうちゅうちゅう  べろべろん じゅるじゅるじゅる




俺は彼女に抱きしめられて、射精の影響で更に勢いが増した母乳を、ふるふると震える乳首にむしゃぶりつきながら

飲み干し続けた。

目の前の美女に自分の子を仕込んでいることへの感慨にふけりつつも、俺の射精は止まることはなかった。

エレシュキガル自身の、絶頂に打ち震える肉ヒダと子宮が、「もっと頂戴」と言わんばかりに俺のペニスをしごき上げ、

結局彼女が失神するまで、とぷとぷっと子種を注ぎ込み続けた・・・・・・・





















[18596] 第10話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/01 18:16
「はい、旦那様♪・・・・・・あ~~ん」



「う、うむ・・・・・・あ~~ん・・・パクッ」



「ふふっ、どうじゃ?シェフ特製のミルクプリンの味は?・・・・」



「もぐもぐ、ごくっ・・・あ、ああ・・・美味いぞ?」



「それは良かった・・・・くふふっ・・・しかし、美味いのは当然のことじゃ・・・・

何せ、材料が特別じゃからなぁ?・・・・くふっ、ふふふふ♪」









俺の胸にしなだれかかり、その魔乳というべきロケットオッパイを薄い生地のドレスごしにしっかり押し付けながら

食後のデザートのミルクプリンをスプーンですくい、口元に「あ~~ん」をしながら近づけてくるエレシュキガル。



そんな光景を、俺達が座っているテーブルから少し離れた所に控えているサキュバスのメイド達が羨ましそうに見ていた。

そのメイド達の中には、あの【サキュバスの巣】にいたエル達も混ざっている。

エレシュキガルが「我と同じで、旦那様に孕まされた娘達じゃからな♪」という理由でこの城に喚んだのだ。



メイド服を着込んだ彼女たちから自分のことを「ご主人様」と呼ばれた時は、その瞬間に【輪廻逆転】を使用して、

その場に居合わせたエレシュキガル共々、アへ顔をさらしながら失禁するまで徹底的に犯しぬいてやった。




そんな彼女たちの近くにはもう数人、純白のコックコートに身を包んだ、淫魔王専属料理人たちが控えている。

スプーンの上でプルプル震えているミルクプリンは彼女達(当然サキュバス)が作ったものである。

口の中に入れた瞬間、プリン特有のあの面白い舌触りと共に、まったりとしてなめらかな甘さが口いっぱいに広がって実に美味い。




そして俺が素直にその出来を褒めるたびに「そうじゃろう♪、そうじゃろう♪」とご機嫌になっていくエレシュキガル。

いや確かに、ミルクプリンだけなく、既に食べてしまった生クリームがタップリ乗ったショートケーキや、

チーズの風味がよくきいたチーズケーキ、冷たくコッテリとした甘さが最高だったアイスクリームも大変美味かったのだが・・・・・・・



これらのデザートにはある共通点がある。

そう、エレシュキガルの言う“特別な材料”というのがそれだ。

・・・・・・・もう察しがついているかも知れんが、その材料とは要するに・・・・・・・・









「んっふふふふふ♪どうやら、お気に召してもらえたようじゃのう?・・・・・我とシェフ合作の

“特濃母乳スイーツ”は素晴らしかったであろう?」









・・・・・・・・・・いや、確かに「お前のミルクは超美味い」って言ったけどな?

俺との初エッチの後に興奮したら母乳を噴く体質になってしまったということも知ってるけどな?

だからって自分の母乳を自分で搾って、ソレを材料に料理人たちにデザートを作らせるとか、ド変態の所業だぞ?それは。



まあ、その事実を知りながらもしっかり残さず食ってる俺も、コイツのことは言えんのかも知れんが・・・・・

確かに今まで食べたどんな菓子よりも美味いのだから文句は言うまい。








「ところで・・・旦那様、そろそろ喉は渇かぬか?・・・・・か、渇いておらぬ?・・・・・

うっ、嘘じゃっ!渇いたじゃろう?渇きまくっておるじゃろう!?喉が渇きすぎてもう死にそうじゃろう!!?・・・・・・・

んふふふっ、そうじゃろう、そうじゃろうとも・・・・さあ、遠慮することはない。

そなたの子が産まれるまで我のお乳はそなただけのものじゃ・・・・・タップリ味わうが良いぞ?」









俺の喉が渇いていると勝手に決め付けて、いそいそとドレスの胸元を下にずらし、雄雄しく優雅に盛り上がった

はち切れんばかりの魔乳の先端の、既に母乳が滲み出ているイヤらしく尖った乳首を俺の口に挿し込んでくる淫魔王様。




別に拒否する理由も無いので、お望み通りにチュウッと乳首を吸い上げ、勢い良く噴き出てきた彼女の母乳をゴクゴクと飲んでやる。

その優しく、しかし濃厚な甘さは確かに今日食べたデザート全てに共通する味だった・・・・・・・

















オッサン少年珍道中     第10話

















エレシュキガルとの情事が終わリ時間切れで覇皇から超魔道に戻った後、彼女は俺の精液で体中ドロドロにしながらも、

約束通りステータスを見せてくれた。

「本当にいいのか?」ともう一度尋ねてみたが彼女の決心は固く、ニコッと微笑んで手をかざしたかと思うと、

一瞬でステータスメニューを俺の前に出現させた。






淫魔王エレシュキガル


レベル:2000







そこに記されていたレベルは・・・・・なんと2000!!

たまげた!!そりゃ~【直感】にビンビンくるわけだ。

各種ステータスを見ても確かにマトモに戦うなら油断できる相手ではなかった。



いや、【超魔道】の状態でも十分に勝てることは勝てる程度のステータスだったんだが、何せ俺は未だにこの世界での戦闘経験がゼロ。

そんな俺が、いきなりボス級を相手にするとかちょっと無謀すぎるだろう?

幸い、そんな事態にはならなかったから良かったものの・・・

・・・・・サキュバス達やエレシュキガルとセックスバトルしただろうって?た、確かに・・・・・いや、そうじゃなくて!



俺がまじまじとエレシュキガルのステータスに目を通していると、彼女のほうも何かを期待するかのように

ジ~~ッと俺を見つめてきた。

むう・・・どうやら俺のステータスも見せてもらいたいらしい。



男女間でステータスを見せ合うのは婚約の際の儀礼にもなるとエルは言っていたが、俺はまだ結婚するつもりはない。

まあそれでも、どうやらコイツは俺が自分よりも高レベルだと確信しているらしいし、

俺自身コイツには見せてやってもいいかな~~なんて思う。

俺の子をほとんど確実に妊娠してしまったわけだし、俺のことを旦那様と呼んでくれるコイツのことが

結構可愛く思えてしまったというのもある。

男女間でのステータスの見せ合い全てが、婚約につながるということはないだろうしな・・・・



その辺のことを彼女に伝えると、










「別にかまわぬ。結婚しようがしまいが、我はもうそなたのモノで、そなたは我の旦那様じゃ」











という何とも男前な返事を実にすっきりとした表情で俺に言ってきた。

やべぇ・・・・今の俺って客観的に見て、滅茶苦茶酷いやつじゃないか?

それなら・・・・と彼女の望み通りに俺のステータスを見せてやったんだが、いざそれを見た瞬間、

彼女は目をまん丸にして、しばらく口を金魚のようにパクパクさせた後いきなり大笑いしだして

「参った!これでは敵わぬ!!」と心底おかしそうに言った後、俺に抱きつき唇を重ねてきた・・・・・・・・













「どうしたのじゃ、旦那様?・・・・・」


「ああ、いや・・・・何でもない」


「そうか?それならもう一度・・・・・はい、あ~~ん♪」








いや、まずその胸元から零れ落ちているロケットオッパイを仕舞え!

そんなに自分の母乳を飲んでほしいのなら今夜また、その巨大ミルクタンクが空になるまで飲み干してやるから!







・・・・・・・エレシュキガルの声で追憶から帰ってきた俺。

彼女にこの城に連れてこられてから、今日でもう5日になる。

この5日間、何をしていたのかって?




そうだな・・・・・・まず、この淫魔王様に【ディメンション・ゲート】や、

ゲーム中には登場しなかった幾つかの魔法が書かれた魔道書を見せてもらい、それらを全部習得した。




どうやら、【ディメンション・ゲート】の習得条件をレベル3000の超魔道は満たしていたらしい。

ゲーム中では、ただ手に入れる手段が設定されていなかっただけなのだろう。




そしてもう一つ・・・エレシュキガルに喚ばれたエル達が持っていた、彼女たちがあの空き地から回収して

俺のことを想いながら自分達のオナニーのオカズにしていたスーツ一式を、淫魔王様のご提案で

俺専用の装備に作り変えることになった。




既に【装備欄】にも【アイテム欄】にも武器や防具、アイテムの類はまったく無く完全に空っぽだということを

確認していた俺にとって、この提案は非常に魅力的だった。

コレに関しては、俺にはほとんど手伝えることは無く、淫魔王専属の服職人たち(勿論サキュバス)に

一任することになった。



せいぜい、俺の血液を結構多く提供しただけだが・・・・・どうもソレを使って、スーツの改造と一緒に武器まで作ってくれるらしい。

服職人なのに鍛冶職人の真似事が出来るのかとも思ったが、まあ折角の好意を無下にするのもアレなので、

よろしくお願いすることにした。





最後にもう一つだけ・・・・これを説明するのは簡単だ。一言で事足りる。

すなわち・・・・











“子作り”













・・・・・・・・コトの発端は初日にまで遡る。

エレシュキガルの部屋を二人で出てスグに、彼女は自分の家来達に俺を紹介するために、この城に勤めている兵士達やメイド達、

料理人達や庭師、そして親衛隊などを、玉座の間へと全員集合させた(分かってると思うが、全員サキュバスだ)

そこで未だに素っ裸だった俺を玉座に座らせ、自分はその傍らにこれまた素っ裸で立ち、家来達に向かって








「今日からこのデスタが、我の旦那様じゃっ!」










なんてことを堂々と宣言しやがった。



その家来達はというと、仕えている主が、自分達の中ですら実際に見たことのある者は少なかった、

かつての姿を取り戻しているのにまず驚き、その偉業を成し遂げたのが目の前の人間の小僧だと説明されたことにも驚いた。



あまりの出来事に混乱し所々でざわめきが広がるサキュバス達だったが、その中から

エレシュキガルに歩み寄る者たちがいた。



それは十数人の帯剣したサキュバス達から構成された、エレシュキガルの親衛隊であり、

その中でも一番身に着けている装備が立派な、エルをもう少し大人にしたような美女が

(後から聞いたが、こいつはジェミニという名で親衛隊の隊長だった)


エレシュキガルに向かって「どうか、我々にその男を試させて下さい(勿論セックスで、だ)」と、

はっきりその顔に納得できないという表情を浮かべて進言したのがそもそもの始まり。




まあ彼女達からすれば、どこの馬の骨かも分からない人間のガキが、自分達の敬愛する主を救った、

なんて聞かされても、ハイそうですかそれはどうもありがとうございます、とはいかず、それ故の行動だったのだろうが・・・・・・






俺はこの時、ハッキリと聞いた。

俺の側に侍っていた淫魔王様が「作戦どおりじゃな・・・♪」と楽しげに呟いたのを・・・・・・






エレシュキガルはすぐさま許可を出し、俺としても断れる雰囲気ではなく、数百人のサキュバス達の目の前で、

親衛隊と俺とのセックスバトルが始まった。

幸いこの玉座の間は【魔法無効化空間】ではなかったので、【リフレッシュエナジー】の魔法を

何回か使って、スタミナをMAXまで回復させた俺。



そのまま万全の状態で親衛隊の方へ近寄る俺に、淫魔王様はその輝かんばかりの美貌を、

しかしどこまでも淫らな笑みで歪ませながら、こんなことを耳元で囁いてきた。









「旦那様ぁ?・・・・・この広い城の中で、我一人だけ妊婦というのは、と~~っても寂しいのじゃ

・・・・・じゃからぁ・・・・・しっかり頼んだぞ?・・・・」







そう俺に囁きつつ、エレシュキガルはその細長く、陶器のような滑らかさの指を使って

俺のペニスをゆっくりしごいてきた。

他の淫魔たちとは隔絶したテクニックによってすぐさま皮が剥け、俺のヘソまで反り返った

愚息をみて、彼女はウットリと溜め息を吐いた。










「た、頼んだって・・・・マジで言ってんのか?俺は責任なんて取れないぞ!?

・・・ぬぉっ!つ、爪を立てるな!」




「ふふふっ、そう難しい顔をするでない・・・・血は繋がらぬとはいえ、全員我の娘じゃ・・・・・

母親である我が許す故、責任などというつまらぬ考えは捨てて・・・・・存分に楽しむが良いぞ?・・・・・・

ふふふふっ、アハハハッ・・・ああっ、何と素晴らしい!!我の目の前で、我を愛しく思ってくれておる娘達が、

我と同じように旦那様によって・・・・・んふっ、んふふ、ふふふふふっ・・・・♪」








これから起こることを想像し、一人興奮してそのピジョンブラッドの瞳を淫靡な光でギラつかせる肉欲の女帝。

その女帝からの、この上無く無責任で、しかし同時に脳髄が蕩けてしまうほど甘美なお願いを

俺は拒否する術を持たなかった・・・・・・・・・・





















[18596] 第11話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/01 18:32

「ああっ・・・・できちゃう・・・・・はんっ、うんんっ・・・ふぅぅ・・・にっ、人間の精液ミルクで・・・・あ、赤ちゃん、出来ちゃう・・・・!」


「はぁはぁはぁ・・・はぁ、す、凄かったぁ~・・・・ね、ねぇ・・・この子、本当に人間なの?・・・・・

ふふっ♪・・・・お腹ぁ・・・ぽっこりぃぃ♪・・・・・・この子のチンポ汁でぇ、あたしのお腹ぁ、ぽっこり膨らんじゃってるよぉ♪」


「子宮の中が熱いぃ・・・・・・も、燃えるように熱いわぁ♪・・・・・コレ、全部この坊やが出してくれた精液なのよね・・・・・?

はぁ、んはぁぁん・・・・・・な、何て濃さなの?・・・・・・信じられないくらい美味しくて・・・・・

ああんっ!ま、まだ・・・クルゥゥゥッ!!」





「んっふふふふ・・・・・流石は我の旦那様じゃ。親衛隊全員、きっちり種付けしてくれて・・・・・

ふふふ・・・本当にそなたは凄まじい牡じゃなぁ?ますますお慕い申し上げるぞ・・・・♪」









耳元で、まるで幼い子供がはしゃぐかの様な楽しげな声で囁きかけてくるエレシュキガル。

ただし彼女の真紅の瞳は、どうしようもないほどの愉悦に染まり、その表情は目の前の光景に大満足という風だった。



【エンプレス・パレス】の中心部である玉座の間。

この大きな部屋の中では【淫魔王】エレシュキガルに仕える家臣たちが、あり得ないモノでも

見るかのような眼差しで、自分たちの目の前に展開された惨状を呆然と見つめていた。

それは淫魔王直属の親衛隊全員が、たった一人の人間の男によって吸精限界に押し上げられ、イカされたという惨状である。







ずりゅずりゅずりゅう・・・・・・・じゅぽっ




「ああんっ!!・・・んふうぅ、ふうぅぅ・・・・せ、精子がぁ・・・・溢れてくる・・・・くうぅぅっ!」








たった今、俺にセックスバトルを挑んできた親衛隊の最後の一人にして、隊長のジェミニの膣内から

彼女の淫液と俺のザーメンとで真っ白に染まったペニスを引き抜いたところだ。

今や玉座の前では、脳が焼き切れるほどの絶頂を俺によって与えられたサキュバス達が全員一人残らず、

そのひくついた肉穴から俺のスペルマを溢れさせた状態でグッタリとしている。



エレシュキガルの話を信じるなら、彼女たちはほぼ確実に俺の子を妊娠したことになる。

やはり、その事実をあらかじめ知った状態での親衛隊とのセックスは、エルたちやエレシュキガルとの

ソレとは違っていた。



一回射精するごとに“妻でもない女に自分の子を仕込んでいるのだ”という、とてつもない背徳感と

征服感が俺を襲ってきた。

牡なら誰でも本能的に・・・・根源的に持っているはすだ。

目の前の美しい牝の腹を自分の種で大きくし、自分の子を産んで欲しいという願望を・・・・・



俺はその願望に従い、もといた場所では決して許されず、またその機会も永遠に訪れなかったであろう

数十人の美女たちとの孕ませセックスを心ゆくまで楽しんだ。



すっかりエレシュキガルの言いなりになってしまったわけだが後悔は欠片もしていない。

別にムリヤリ犯したわけではないのだから罪悪感なども感じていない。



たとえ孕ませたのが本来その美貌と肢体で男を狂わせ、精を吸い尽くして殺すサキュバスだったとしても

胸の中の圧倒的な達成感は、何ら損なわれることはなかった。











オッサン少年珍道中     第11話










「はぁ、はぁ、イ、イカされた・・・・イカされてしまったぁ・・・・ああっ・・・に、人間などに・・・・何度も、何度もぉ・・・・!

し、しかも、しかもぉ・・・・・焼けるように熱い、た、種汁を・・・・子宮が一杯になるまで注がれてぇ・・・・

こ・・・これでは、わたしは・・・・わたし達はこの男にぃ・・・か、確実に・・・・・!」


「ふっふふふふふ・・・・そうじゃなぁ・・・・そなた達は絶対に旦那様の子を妊娠したぞぉ?ジェミニよ・・・・・」


「ああっ、はぁ、はぁん!・・・エ、エレシュキガル様、なっ、何をっ!?・・・・・」









俺に注がれた白濁液が、自分のサーモンピンク色の肉壷からドロドロ流れ落ちていく様子を

床に仰向けになったまま上半身を少し起こして、信じられないといった風な表情で見つめる親衛隊隊長ジェミニ。



そんなジェミニにエレシュキガルがニヤニヤ笑いながら近づき、零れ落ちていく俺の子種を指で掬い取ると

彼女はソレをジェミニの膣内に突き入れ、トロトロに蕩けた肉ヒダを爪で軽くひっかきながら子宮へと精液を押し戻していく。








「まったく・・・・せっかく注いでもらった旦那様の孕ませ汁を、子宮に貯めることもせずに垂れ流すとは・・・・

親衛隊隊長ともあろう者が何と情けない・・・・・ほれ?我がちゃ~んと戻してやるからの・・・・」


「ああっ!お、お止め下さいっ、エレシュキガル様ぁっ!!・・・・わ、私はまだ吸精限かっ・・・・あううぅっ!!」


「んふふふっ・・・・それにしても、見事な孕みっぷりであったなぁジェミニ?・・・・・

ふふふ、嬉しいぞジェミニよ・・・・我に最も忠実なそなたが、我と同じく、旦那様の子を孕ませていただいたのじゃから・・・・・」









ジェミニの肉壷をその褐色の細長い指でかき回しつつ、耳元ではっきりと妊娠の事実を突きつける淫魔の女王。

その姿はどこまでもイヤらしく、淫魔王の名に恥じない淫らなモノではあったが、それと同時に彼女自身で言ったように

血の繋がらない自分の娘の幸せを心の底から喜ぶ、どこまでも優しい母としての笑みも浮かべていた。



淫蕩な女帝によって【受胎告知】されたジェミニはその目を大きく見開き、困惑とも驚きとも取れる表情を浮かべたが

やがてその事実を認めたのか、ゆっくりと頷いた。

しかしまだ完全に納得してはいないのか、その表情には俺に対する愛しさよりも悔しさのほうが多く見て取れる。



流石は親衛隊隊長と言うべきだろう。エル達のような普通のサキュバスなら俺の精を胎内に注がれただけで

俺の虜になってしまうというのに、コイツは俺への愛しさをちゃんと感じつつも、未だに抱かれる前の自分を保っている。








「・・・・・・・・・・・はい。・・・私はこの男の・・・デスタの子を身篭りました。

・・・・・・ふぅ、ふぅぅ・・ああ・・・・か、感じます・・・子宮の中で新たな命が、しっかり息づくのを感じます・・・・」


「ふふっ、そうか・・・・それで?今はどんな気分じゃ・・・・?」



「はぁん・・・・い、愛しいです。・・・・・はぁんっ・・・じっ、自分でも・・・・お、押さえきれないほどの

愛しさが・・・・デスタに対する愛しさがぁ・・・・こ、こみ上げて来てぇっ!・・・・に、人間相手に・・・・

何と無様なっ・・・・は、はぁっ!?そ、そこはぁ!!・・・・」









あくまでも優しく、しかし答えをあらかじめ知っているかのような声音で問いかけるエレシュキガル。

そしてジェミニも、そんな敬愛する君主の期待通りの答えを返したようだ。

ご褒美と言わんばかりにエレシュキガルの指を抜き差しするスピードが増し、淫魔の隊長の肉壁をこそぎ落とすかの様な勢いで

淫肉を擦りあげる。









「ふふふ、そうじゃ、それで良いのじゃジェミニよ。・・・・・・胎内に濃厚な精を受け、絶頂に押し上げてもらい、

子を孕むことの何と甘美なことか・・・・・

そんな自分の世界を変えるほどの快感を与えてくれた男を愛するのは女として・・・・・・牝として当然のことじゃ・・・・・・」



「はぁっ、はぁあああんっ!エ、エレシュキガル様ぁぁっ!!・・・・エレシュキガル様も・・・・こ、このようなお気持ちで・・・・?」


「そうじゃ?・・・・・今のそなたと同じように旦那様が・・・・デスタ様のことが愛おしゅうてならぬ・・・・・

じゃからこそ・・・・我はそなた達を旦那様に抱いてもらったのじゃ。・・・・・・・・

血が繋がらぬとはいえ、そなた達は我の可愛い娘・・・・・その娘達に我は、我と同じように

牝の喜びを知ってもらいたかったのじゃ・・・・・娘よ」



「ああ・・・・あああっ!?い、今何とっ!?・・・わ、私たちを・・・・む、娘っ・・・・娘とっ!!・・・・・はぁぁっ!んんっ!んんあああぁぁぁ!!」






自分が長年仕えてきた主に娘と呼んでもらったことで一気に絶頂に駆け上がるジェミニ。

その膣肉は、はっきりと見て分かるほどエレシュキガルの指を締め付け、絶対に離さないとばかりに膣奥へと

引き込んでいく。








「んっふふふふ、こんなに締め付けよって・・・・・イッてしまうのか、我が娘よ?・・・・・・この我に・・・

そなたの母親に肉壷を擦りあげられて、浅ましくイッてしまうのだな?」


「は、はい!・・・はいぃぃっ!!イ、イキます!・・・はっ、母君にっ・・・母君にぃ!!オマンコ・・・い、弄られてイキますぅぅっ!!」


「ハハハハッ!そうか、我を母と呼んでくれるのか!?そなたは本当に可愛い娘じゃ・・・・

さあ、我が娘よ・・・母のお乳を吸うが良い。本来なら、我のお乳は全て旦那様のモノじゃが・・・・

ふふっ、そなたは特別じゃ・・・・構わぬな、旦那様?」









そう俺に問いかけてくるエレシュキガル。

特に反対する理由も無いので、首を縦にふり頷いておく。








「あ、ああ・・・そりゃ、構わんが?」


「うむ、それでは・・・・・・・」









俺の許しを得た淫魔の女王は、その類まれな大きさのチョコレートプリンの先端を、自らの娘の口に挿し込んだ。

ぷるんっと俺の唾液によって濡れ光る唇を弾ませ、愛する母親のオッパイを受け入れていくジェミニ。









「んんっ!んちゅうっ・・・ちゅちゅちゅう・・・ちゅるちゅる」


「そうそう。そうやって我のお乳を吸いながら・・・・・そなたがイってしまう姿を見せるが良いぞ?・・・・・

ふふふっ、それっ、もっと激しくしてやろう!」


「んちゅる、んちゅう、んちゅう・・・れろれろ・・・イッ、イクゥ!・・・ちゅぱちゅぱ・・・・・・

んちゅるるぅぅぅぅ~・・・・・ぷっはぁ、イ、イキます!!イってしまいます、ああんっ!はっ、母君ぃっ!母君ぃぃ~~~~~!!」






ぶしゅぶしゅっ  ぶしゃぁぶしゃあっ





自分の主君の母乳を飲み、指でイカされながら盛大に潮を噴いてしまう淫魔の隊長。

エレシュキガルにはわずかに及ばないものの、十分爆乳と言っていい乳房を、絶頂の痙攣でゆさゆさと揺らし、

無我夢中でその母の乳頭に吸い付き母乳を飲んでいくその姿は、先ほど彼女の膣内に

たっぷり射精したペニスを、ピクピクとひくつかせるのに十分な刺激だった。




そんな俺の肉棒に目をやった淫魔王様は、ジュポッとはしたない音を立てて、自分の娘の膣内から

白濁が絡みついた指を引き抜いた。

そしてジェミニに囁きかけるように、興奮している俺の状態を報告し始める。









「おや?・・・ふふふふっ、のう、ジェミニ?そなたと我を孕ませた獣が、また腹をすかせたらしいぞ?・・・・・

くふっくふふふふ・・・・・さぁ、愛しき我が娘よ。我と共に今一度、旦那様を・・・・・そなたの“ご主人様”を受け入れようぞ・・・・・・」


「はぁ、はぁ・・・・・は、はい。母君の仰せのままに・・・デ、デスタを・・・・いえ、

ご・・・・ご主人様を受け入れます・・・はぁ~、はぁぁ~~・・・・ご、ご主人様?ど、どうか私のオマンコを・・・・・

ご主人様に孕まされた、私の妊娠マンコをお使いくださいぃ♪」









そう言ってニッコリ笑いながら、エレシュキガルによってトロトロにこね回された肉花を

俺のチンポに押し付けてくる淫魔の美女。

その様子を見て「計画通り♪」と口元を笑みの形に歪ませる淫魔王を俺は見逃さなかった。





コ、コイツ・・・・ジェミニが自分へと向ける愛情を逆手にとって俺を服従すべき牡・・・・

すなわち“ご主人様”だと認識させるために利用しやがった!!



俺より遥かにジェミニと付き合いの長いコイツのことだ、きっとジェミニが容易には堕ちないということも、

自分への並外れた好意も全部承知のことだったんだろう。

だからこそ、彼女の前でわざと“可愛い娘”と呼んでやり、自らを母と呼ぶように仕向けたんだ。

そして母性の象徴である母乳を飲ませてイカせ、安心感と幸福感を同時に味わわせた状態で俺のことをご主人様と呼ばせる。

そうすれば、ジェミニは元々セックスしたことによって俺に対して好意は抱いていたのだから、自分自身の心に素直になるのは自明の理だろう。

そして淫魔王様は俺を“仕えるべき対象”なのだと、自分の娘の心に刷り込んだというわけだ。





し、しかし・・・これってほとんど洗脳みたいなもんじゃねぇか!?

た、確かに親衛隊の隊長が俺に屈服すれば、他の隊員や家臣たちも、スンナリと俺のことを認めるようになるだろうが・・・・

まさかコイツ・・・・親衛隊を孕ませるのは単なるオマケで、本当はソレが目的で俺を大勢の臣下の前で堂々と紹介したなんてことは・・・・・





そんな俺の考えを表情から読み取ったのか、淫魔王様は俺に向かって



ニヤリ・・・・



と、何ともワルそうな笑顔を向けてきた。

その瞳はまるで、「よく分かったのう・・・」と、難しい問題を解いた生徒を温かく見つめる教師のソレだった・・・・・・・










俺、もしかしなくても、とんでもない女を堕としちまったんじゃないか・・・・・・・?

















[18596] 第12話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/05/22 16:37

その後何があったかは・・・・・まあ多分、諸君の想像通りだろう。

ジェミニの膣内に再び挿入し、粘度の衰えない白い欲望汁を子宮一杯に注ぎ込んでやった後、

エレシュキガルがその場にいた全ての家臣に、俺と交わるように命令したのである。



主君からの命令は絶対・・・・・・しかもその交わる相手が、たった今自分達の目の前で親衛隊を全員イカせた、

とんでもない精力を持った人間の男。

臣下としての忠義と、強さに惹かれるサキュバスとしての本能とが噛み合った結果、全員一斉に服を脱ぎ捨て、

歓声を上げながら俺に群がってきた。



現代日本にいた頃の倫理観や貞操観念など、とっくに失っていた俺はペニスを好き勝手に貪る数百名の悪魔美女たち全員に、

エレシュキガルの意図通りに、キッチリ膣内出しをきめ、子供を仕込みまくってやった・・・・・・








オッサン少年珍道中      第12話










「もう・・・・行ってしまうのか?旦那様・・・・・・」








玉座の間の天状にはめられたステンドグラスから、魔界の黒い太陽の光が差し込んできている。

その光に照らされながら、俺はエレシュキガルと向かい合っていた。

寂しげな表情で、俺に最後の確認をしてくる淫魔の女王。

その真紅の美しい瞳はうっすらと涙に濡れ、どうか考え直してくれと、俺に語りかけてくる。



最もそれはコイツだけじゃない。

エレシュキガルの提案で、この城でメイドを勤めることにしたエル達や、親衛隊隊長のジェミニ。

そして、俺がこの数日間で確実に孕ませてやったサキュバス達全員が寂しげな表情を浮かべ、

俺とエレシュキガルを遠巻きに見守っている。

その中には、既に泣き出している者も少なくない。

短い間だったが、何とも愛されたものだと、自然に口元が弛んでしまう。




俺は一言「スマンな・・・」と口にして、この城の主を思いっきり抱きしめてやった。

その途端、とうとうガマンできなくなったのか、エレシュキガルは臣下達全員が見ている前で、

まるで小さな子供のように泣きじゃくり始めた・・・・・・











玉座の間の大乱交の後、エレシュキガルがエル達をこの城に喚んだり、

妊娠の事実を知った彼女達が「流石にひくよな~~・・・・」という俺の予想を裏切り、

全員笑顔で「元気な赤ちゃん、産んであげるわね♪」と宣言し、その場で俺を押し倒してきたり、

エレシュキガルに幼女の姿に戻ってもらって、その生ゴムのようなキツさの肉壷を心ゆくまで堪能したり、

毎朝毎晩、城内のサキュバスたちを適当に見繕って奉仕してもらったり、

かねてから一度はやってみたいと思っていた“女体盛り”を試してみたり・・・・・





そんな、男にとってはまさに夢のような日々を過ごしていく内に、俺はある考えを抱くようになった。





それは「このままじゃ、ずっとこの城に居続けたくなってしまうのでは?」というモノだ。

勿論、最高級の美女を毎日好きなだけ抱けるこの城での生活に不満などない。

このままこの城に留まれば、全ての牡を魅了してやまない美しい悪魔の女帝と、

その娘達の極上の肉体を、毎日独り占めすることが出来る。

しかも今や彼女達は全員俺の種で妊娠しており、心の底から俺を愛し、尽してくれているのである。



この世界に来る前、ただ毎日決められた時間に会社に行き、何の楽しみも無くただ生きるためだけに働き、

クタクタになって誰もいない家に帰っていた頃の生活に比べれば、まさに天国そのものだ。



しかし、俺にはこの世界に来た当初から抱いていた大きな望みが二つあった。

その内の一つは、せっかく憧れていたゲームの世界に来たのだから、思う存分冒険を楽しみたいというものだ。



パソコンの画面越しでしか見たことのない壮大な景色を見に行き、そこで大型のモンスターと

一対一の激闘を繰り広げてみたい!

誰も踏破したことのないダンジョンを仲間と共に最深部まで攻略し、そこのボスを協力して打ち倒し、

莫大な財宝と名誉を分け合ってみたい!



ゲーマーなら誰でも一度は夢見て、そして年を経るごとに下らない妄想だと吐き捨てるようになるであろうその願いを、

今の俺は叶えることが出来る立場にいる。

ならば、そのチャンスを無駄にしたくは無いと思ったのだ。

それにディメンション・ゲートの魔法は既に習得済みなのだから、この城に来たいと思えば何時でも来ることが出来るし・・・・・・





その辺のことを、俺が異世界から来たという点を上手くぼかしてエレシュキガルに伝え、明日の朝出て行くと告げたのが昨日の夜のことだ。

善は急げと言うし、丁度頼んでいたスーツと武器が出来上がったし、グズグズしていたら本当に此処から去りたくなくなると思って、

彼女の顔色を伺いつつ言ってみたわけだが・・・・・・・・・・





言った瞬間、その場で大泣きされるとは思わなかった。

周りの家臣達が必死になって宥めようとする中「イヤじゃ!、イヤじゃ!」と駄々っ子のように

手足を振り回すエレシュキガル。

その姿からは、ジェミニを陥落させた時の妖しさと狡猾さは完全に抜け落ちていた。




「お願いじゃから捨てないでくれぇっ!」と俺にしがみつき、涙と鼻水を擦り付けてくる姿に、

このままじゃ埒が明かないと思った俺は、泣きじゃくる彼女をお姫様抱っこで寝室まで連れて行き、

文字通り“身体を張った説得”を敢行した。

輪廻逆転まで使用して、明け方近くまで続いた俺の説得が功をそうしたのか、

彼女は何とか最終的には俺の出発を認めてくれた。




ちなみに、彼女を“説得”中に「最初俺をこの城に喚んだ時のように、何時でも好きな時に喚べるじゃないか」

と彼女に言ったのだが、淫魔王様は首を横に振ると、あの時はエル達を観察しようとした時に偶然

俺を見つけたのであり、対象の姿が見えない状態では、まるで【召還術】のようにその対象を

【ディメンション・ゲート】で自分の下に連れてくることは出来ないのだと説明した。




ところで、元々この魔法はあくまで“自分が別の場所に転移”するためのモノだから、エレシュキガルがやったのは

高度な応用だったということになる。

この辺りの柔軟性からでも判るが、やはり俺の思ったとおり、この世界は“ゲームそのもの”というわけではないらしい。





話を戻すぞ?

要するに出て行った後、再びこの城を訪れるかどうかは完全に俺の意思次第なので、

エレシュキガルはまるで自分が捨てられるかのように思ってしまったのだろう。




そして“説得”が終了した時、「そうじゃっ!誰かこの城の者を、従者につければ何時でもそなたを喚ぶことが出来る!!」と

エレシュキガルは提案してきたが、ソレはキッパリと断った。

しばらくは一人で好き勝手したかったし、俺の子種で孕んだ身重の女を自分の都合でアチコチに連れて回りたくも無かった。



それに、サキュバス達はアルカディアでは一般的には“モンスター”、しかも【魔物使い】系のクラスですらテイムすることが出来ない、

高度な知能を持った種族として認識されている。




つまりは、彼女たちのことを認めてくれる者は誰もおらず、街中に入ることも出来ない。

それどころか俺が目を離した隙に、いきなり高レベルの冒険者連中に殺されそうにならないとも言い切れない。

とてもじゃないが、一緒に行動するなんて事は不可能だ。

仮になんとか出来たとしても、かなり冷たいようだが俺の足を引っ張る結果にしかならないだろう。




そもそも、そんなことをされたら俺の第二の望みの達成に支障が・・・・・・














そこまで考えてから、エレシュキガルの声に意識が戻された。













「・・・・・うう・・・ううえぇぇ~~ん!!・・・・ひっく、ひっく・・・・グシュッ、グシュン・・・・スンッスン・・・・・

ど・・・・どうしても行ってしまうのかぁ?旦那様ぁ・・・・・・・・」


「ああ、お前も納得してくれただろう?」


「ぐしゅ・・・それはそうじゃが・・・・・・こ、こうなったら我も一緒に・・・・・!」


「だ~か~ら~~、ダメだって言っただろう?どこの世界に自分の城を放り出す魔王がいるんだよ・・・・」


「む、むうぅぅぅ・・・・・・・」








やれやれ・・・・・・・・・愛が重いぜ!!(調子に乗ってると思うか?・・・・・・・・・・・・・俺もそう思う)

なんとか泣き止んだエレシュキガルの頭をゆっくり撫でてやると、彼女はようやく諦めがついたかのように、深く息を吐いた。









「ふぅ~~~・・・・・ふふっ、思えば・・・・不思議なものじゃの?・・・・・【煉獄の黒薔薇】とまで呼ばれた我が・・・・・・

涙を流せるほどに、たった一人の男を愛するようになるとは・・・・・」











ようやく落ち着いたのか、まるで独り言のように、自分の心境を語り始めるエレシュキガル。

いつしかその美貌から悲しみは消え、そのかわりに静かに微笑みを浮かべていた。

・・・・・・・前から思ってたけど、コイツ感情の起伏が激しいな。











「ふふふっ、じゃが、悪くない・・・・・それどころか、そんな自分が酷く誇らしい・・・・・

これは、我の力を奪ったあの小娘に・・・・・・【処女神】アテナスに感謝しなければならぬのう・・・・・

あやつのお陰で、旦那様と出会うことが出来たのじゃから♪・・・・・」


「なっ!!・・・・・」








しょっ、【処女神】アテナスだとっ!?

なんとまあ・・・・コイツが戦ったのってあの【黄金の戦女神】だったのか!!

俺の内心の驚きに気づくことなく、エレシュキガルはゆっくりと、俺の背中にまわしていた両手を解いた。



その表情はすっかり晴れ渡り、どこまでも穏やかに笑っている姿は、先ほどまで泣きじゃくっていた女と同一人物だとは思えない。

正直、今の彼女が浮かべている笑みが、俺がこの数日間見続けた様々な彼女の表情の中で、最も美しいと思った。











「我はもう、そなたを止めぬ・・・・そなたから自由を奪い取って、嫌われたくはないからな・・・・・

じゃが、覚えていてほしい。旅に疲れたとき、そなたには何時でも帰ってこれる場所があるということを・・・・

そなたを心の底から愛する一人の女が、そこで待っているということを・・・・・

どうか、お気をつけて・・・・・・我が唯一の君よ・・・・・・」










そう俺に囁きかけ、ゆっくりと唇を近づけてくる淫魔の女王。

ソレはセックスの時のように激しいものではなく、淫魔王の名に相応しくないほどの、

俺の身を心から案じる、優しさと慈しみに溢れたキスだった・・・・・


















ブオンッ



数日前に一度耳にした音と、足元の魔方陣と共に、この世界にやってきた時に立っていた場所・・・・・

【騒がしき密林】の中心部、【サキュバスの巣】の近くの空き地に俺は戻ってきた。




何故この場所かというと、この魔法は“使用者が転移したい場所を明確に思い浮かべなければ発動しない”

という制限があるらしく、まあ要するに“一度訪れたことのある場所にしか転移できない”のである。

ドラ●クエのル-●みたいなモンだと思えばいい。





さて・・・・・エレシュキガルにキスしてもらい、俺の子を宿しているであろう下腹部を愛おしそうに撫で回すエル達にお別れをした後に、

覚えたばかりのディメンション・ゲートを使って此処に戻ってきた俺だが、特に行きたい場所があるわけでもないので、

当初の予定通り、この世界に来たことで生まれた、二つの望みを果たそうと思う。



一つは勿論、ファンタジー異世界ならではの大冒険。

当初俺が持っていた【ギルドカード】もアイテム欄の中には無かったので、どこか適当な町に行って

【ギルド登録】をした後、晴れて俺は【冒険者】の仲間入りというわけだ。

それを思うと、今からガキみたいに胸のドキドキが止まらないぜ!






・・・・・えっ?もう一つの望みは何なのかって?

ああ、まだ諸君には言ってなかったか・・・・・・

実はこの2番目の望みこそが俺にとっては1番目の望みより重要で、エンプレス・パレスを去ろうと決心したのも

コレに依る所が大きい。

何せ、サキュバス族じゃ絶対に叶えてはくれないからなぁ。











涙に暮れるエレシュキガル達の元から去ってまで優先しなければならなかった重要な望みとは、

まあ、ぶっちゃけると・・・・・・



















「処女とヤリたい」


















何しろ、サキュバス達は全員非処女だったし、童貞卒業した後は処女を食わなければ男が廃るぜアッハハハハハハハハハハハハハハ・・・・・・




・・・・・・最低?・・・・・・・・・そうか・・・・・そうだよなあ、やっぱり・・・・・・・














[18596] 第13話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/01 18:36
突然だが、俺は非常に難解な問題に頭を抱えていた。



騒がしき密林に出現するモンスター達を相手に、エンプレス・パレスで作ってもらった

魔剣【煌血剣】を右手に、魔杖【煌血錫】を左手に持ち、元々俺が着ていたスーツを改造してもらった【煌血礼装】

を着込み、なおかつ戦闘に対する恐怖なんかもまったく感じることもなく、

虐殺としか言いようの無い俺様無双を繰り広げている最中でも、その問題は頭から消えてはくれない。



考えれば考える程に、思考の迷宮から抜け出せなくなってしまう。

最早、俺にはどうすることも出来ない。

そこで、だ・・・・・賢明なる諸君らの力を是非とも貸していただきたい。


諸君らに問いかけたい問題とはつまり・・・・・













「俺が初めて処女を奪う女は、どの種族の女にすべきか?」










・・・・・・・・・・最低だろう?大丈夫、自分でも分かってるから・・・・












オッサン少年珍道中     第13話










「はぁ~~、本当にどうしたもんか・・・・・・」








頭の中に、進んだ分だけ自動的にマッピングされる【地図】を出現させたままで、木々が鬱蒼と生い茂る

ジャングルを散策しながら大きく溜め息を吐く俺。

ゲーム中で完成させていた【騒がしき密林】他、全てのダンジョンや、フィールド、

海図にいたるまでの全ての“地図”は消えさっており、また一から埋め直さなければならないものの、

俺の溜め息の原因はソレじゃない。


では何が原因なのかというと、勿論先ほどから悩み続けている“難問”である。



いやマジで俺にとっては、結構重要な問題だったりするんだよコレが。

何せ“冒険したい”という理由が3割、“処女とヤリたい”という理由が7割でエレシュキガル達の

元から去ったわけだからな・・・・



あれだけの極上の牝達(しかも全員、俺の子を孕んでる)を置いてきてまでその目的を果たそうというのだから、

生半可な真似はしたくないわけだ。

出来ることなら、考え付き限りの最高の相手で“処女とヤル”という望みを叶えたい。



つまり、俺が初めて処女を奪う相手は、厳選に厳選を重ねた相手じゃないとイケナイということだ。

そうじゃないと、俺のために涙まで流してくれたエレシュキガルやサキュバス達に申し訳が立たない(自己満足ですが何か?)




となると、サキュバス達に負けないような美女であることは大前提として、どの種族の美女にするかがキーポイントになってくる。



オーソドックスに、自分と同じ【人間族】で手を打つか?

ネコ耳、イヌ耳、ウサ耳と何でもござれの【獣人族】を攻めるか?

スレンダーな体型と、男女問わず美人だらけの【エルフ族】を虜にするか?

強さに絶対の自信を持つ【竜人族】をベッドの上で降伏させるか?

陽気でサバサバした気質の【鬼人族】を悶えさせるか?

純白の翼を生やし、頭に光輪を頂く【天使族】を堕天させるか?

魔界の闇から誕生した、誇り高い【悪魔族】を昇天させるか?

自然の中や街中で生活している、無邪気な【妖精族】を毒牙にかけるか?







う~~む、どの案も非常に魅力的で決断することが出来ない。

それに上記の種族分けはとても大雑把なモノであり、一言で【種族】と言ってもその中で

更に細かく分けられる。



例えば、妖精族にはドワーフを始めとしてノーム、シルフ、サラマンダー、プーカなど、多種多様な種類の妖精が属しているし、

竜人にだって東洋竜のような姿の者もいれば、西洋竜のような姿の者もいる。

となると、ますます選択肢が広がってしまうというわけなのだが・・・・・



・・・・・・・ダメだ、やっぱり俺には決められない。

こうなったら最後の手段・・・・つまり、冒険する中で“コイツは処女だっ!”と思った見目麗しい女の

ピンチを助け、ソイツに好意を持ってもらって、なし崩し的にその場で頂くしかない。

もっと分かり易く、この作戦を方程式のように著すと・・・・・・




美女(処女の疑いアリ)がピンチ→→俺、颯爽と登場かつ問題解決→→惚れたわっ!私の初めてを貰ってっ!






・・・・・・うん、自分で言い出しておいてアレだが、とてつもなく頭の悪い作戦だ。

しかし実際、この方法なら相手が処女ならば良し、もし処女じゃなくてもイイ女を抱けるということには変わりないので

俺にとってのメリットは大きい。

また、この世界では“強い”=“カッコイイ”という公式が元の世界よりも遥かに顕著であるようだから、決して夢物語ではないだろう。




それに、あくまでコチラは相手を助けたわけだから、見返りに身体を要求しても罰は当たるまい。

うむ、この作戦は無事に“処女とヤル”という望みを果たした後でも、女冒険者なんかを堕とすのに使えそうだな・・・・・






・・・・・・そんなに女とヤリたいなら、強姦でも何でもすれば良いって?

まあ確かに、レベル3000である俺ならそんな真似も朝飯前だろう。

しかしなぁ・・・・エロゲーとかじゃ割りとその手のシチュエーションも好きだったんだけど、

いざ実際にそういうことが出来てしまう立場になっちまうと、ほら・・・なぁ?



よっぽどムカツク相手ならともかく、そうじゃない相手を力づくでムリヤリってのは、やっぱりちょっとな・・・・・

ヘタレだと思うか?・・・・・・自分でも少しそう思うが、こればっかりは性分と言う奴なんだろうな。

俺としてはやっぱり、女の方から股を開いて欲しいわけだしなあ・・・・・




そんなことを悶々と考えつつも、出口を目指して密林の探索を続けていた俺の耳に突如、

前方から耳をつんざくような咆哮が聞こえてきた。







「グアァーーーーーッッ!!」




「ガアァァーーーーーッ! ゴアァァーーーーッ!!」




「・・・ク・・・ソッ!・・ボク・・・・・・・んかに・・・喰・・れて・・・・・!!」










今のは・・・・・【サーベルタイガー】か?それも一体じゃないな・・・・・

名前の通り、トラに酷似した姿と子供の象ほどもある巨大な体躯、その口にズラリと生えそろった剣のような牙、そして鋼鉄ですら紙のように引き裂くことが

出来るのではないかと思うほど、長く鋭利な爪。





ソロでの戦闘適正レベルが250~300という、この密林の中で“フィールドボス”を除いて

最も強力なモンスターが数体、この近くで“狩り”を行っているらしい。



俺は既にこの数時間で何十匹も葬ってやったから分かるんだが、今聞こえてきたコイツらの吼え方は

追い詰められて出すソレではなく、獲物の死が近いことに興奮して出す歓喜の咆哮だった。




さて、どうしようかねぇ・・・・・獲物ってのは、ほぼ間違いなく冒険者だよなぁ。

さっきサーベルタイガー達の雄叫びに混じって、誰かが焦りながら必死で叫んでるのが聞こえたもんなぁ・・・・・



トラ共の声がデカすぎて男か女かは分からんかったけど、多分一人で戦ってるんだろう。

よくよく耳を澄ませば、矢を射るような音も聞こえてくる。

ふぅむ・・・・・矢ということは後衛担当のクラスだと思うが・・・・・・パーティのメンバーと離れ離れにでもなったのかね?



まあ何にしろ・・・・このまま放っておいたら確実にトラ共の餌になるだろうな。

別にそうなっても俺には関係ないっちゃ~ないんだが・・・・







・・・・・・よし決めた!やっぱり見殺しにするのは後味が悪いから助けてやろう。

別に全力を出す必要もないから超魔道だってバレル心配もないし、そこそこ優秀な魔道士で納得してもらえるだろう・・・・




それにもしかしたら・・・・・・襲われているのは俺が探していた超絶美人な処女かも知れない。

可能性としては極めて低いが、もしそうならトラ共にむざむざ喰わせてやるのは勿体無い。

先ほど考えていた“作戦”の一人目の被験者になってもらうと同時に、もしあの方程式通りの展開になったら、

その時はトラ共の代わりに、俺に食われてもらうとしよう・・・・・





そんな自分に都合の良いことを考えつつ、口元をニヤニヤと歪ませながら魔道士に不釣合いな煌血剣を【アイテム欄】に収納する。

エンプレス・パレスに居た頃に色々試してみたのだが、どうも俺が手で触れているもの(生物以外)なら、

俺の意思でアイテム欄へ仕舞えて、出すときはそのアイテムを“出したい”と念じれば、ちゃんと手の中に出てくる。

これが何とも便利で、お陰でモンスターたちのドロップアイテムも全て回収することが出来た。




まさかゲームのように、倒して少し時間が経ったら【素材アイテム】や、換金専用アイテムの【魂魄石】をその場に残して

うっすらと透けるように消えていくとは思わなかったが・・・・・・



まあ、今はそんなことはどうでも良い。

とりあえず、トラ共に喰われかけている冒険者を助けに行ってみるとしよう。

願わくば、俺の助けを待っているのが美処女でありますように・・・・・・
















おまけ

オッサンの装備説明

【煌血剣】

絶望の如き暗黒がそのまま刃渡り2メートルほどの大剣の形をとり、その刃の餌食になった者たちの血が複雑な紋様を描き出しているかの様な、

禍々しさ満点の巨大な両刃の魔剣。

装備するのに必要なレベルが3000以上かつ、【筋力】も大幅に要求されるという以外は、コレといった特殊効果は無いものの

その物理攻撃力は、かつてオッサンがゲーム中で所持していたどの武器よりも高い。

オッサンの血液に秘められた力の一端を知ることができる。

本来両手で持たなければならないのだが、オッサンは持ち前の【筋力】の高さを生かして、片手でブンブン振り回している。




【煌血錫】

杖というカテゴリに分類されるものの、どうみても先端部分が二股になった真紅の巨大な槍。

事実、武器スキル欄を見ると【杖術】の他に【槍術】も使用可能になっている。

装備条件は煌血剣と同様。こちらも特殊効果は無いものの、魔法攻撃力がとんでもなく高い。

また、その形状からか物理攻撃力もかなり高めである。




【煌血礼装】

仰々しい名前だが、その実態は執事が着ているようないわゆるタキシード(ただしシャツは黒シャツで、

蝶ネクタイもズボンもジャケットも全部真っ赤)

ベルトのバックルの部分がドクロの意匠(勿論真っ赤)を施されており、エレシュキガルの趣味の悪さが垣間見れる(ちなみに、

本来タキシードはベルトではなくサスペンダーを用いる)


しかしその物理・魔法防御力は大したもので、オッサンがゲーム中で身につけていた装備とほぼ互角。

特殊効果は、全ての状態異常に対する高い耐性と、物理ダメージ以外の自分が戦闘で受けるダメージを30%減らすというもの。



余談だが、ジャケットの裏にはエレシュキガルが直々に、オッサンの名前を金糸で刺繍してある。















[18596] 第14話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/05/28 17:09
【ダークエルフ】


ブラックコーヒーを練りこんだかのように鮮やかで深みのある漆黒の肌と、色素が抜け落ちているかのような

暗い灰白色の髪と目を有する彼らの、いっそ作り物染みた美しさは元々美形が多いエルフ族の中でも群を抜いている。

また、その誇りの高さや傲慢さも一級品で、エルフ以外のほとんどの種族・・・・とくに【人間】をナチュラルに見下していることが多い。



生まれながらにして闇の属性を色濃く持つエルフの上位種族であり、その恩恵で普通のエルフよりも強大な力を持つ彼らは、

同様に光の属性を持つ上位種族【ハイエルフ】と並んで、大陸の東側に存在する森に囲まれた

エルフ達の王国【アルフヘイム】において貴族や王族といった上流階級に君臨している。



事実、俺が助けてやったこの【弓使い】のダークエルフの少女・・・・ノワールも、伯爵家の3女という立場らしい。

こんな場所をうろついていた理由を聞こうとしたところ、当初は涙で目を真っ赤に充血させながら




「ううぇぇん!・・・・ひっく、ひっく・・・ううう、なっ、何でそんなことを・・・ぐしゅぐしゅ・・・

ひっく・・・れ、劣等種族なんかにぃ・・・・・」




とかほざいて喋るのを渋っていたが、たとえ劣等種族の【人間】といえども流石に命の恩人という負い目は効いたのか、

ひくつきながらも自分の身の上話を語り始めた・・・・・・・・・・・






彼女は思春期特有の「自分の道は自分で決める!」とかいう考えに基づいて、実家を飛び出してきたそうだ。

まあ、伯爵家ともなると色々作法とかしきたりとか、俺みたいな庶民には縁の無い面倒くさいことがテンコ盛りなのだろう。

少し話して判ったが、確かにコイツの性格ではそういうのは苦手そうだ。




何より、親が自分に内緒で勝手に婚約者を決めたことが相当ショックだったんだとさ。

その件で両親と大喧嘩して「お前のような娘はこの家から出て行け!」と言われたことで堪忍袋の緒が切れ、

兄弟や姉妹の静止を振り切って、本当にその日の内にアルフへイムを去ったんだと。

いや~~若さっていいよね!(実際はコイツの方が俺より遥かに年上なんだけどな)





んで、そういう理由から厳しくはあるが自分の力だけで生きていける冒険者になったらしい。

元々才能もあったんだろう、わずか数年でギルド内でもメキメキと頭角を現した彼女は、

急速に力を得た者が全員やらかしてしまう、大きな過ちを犯してしまった。


つまり“自分の力を過信しすぎた”のである。


その結果が、つい自分の力をギリギリの状況で試してみたくなり、今のレベルでは明らかに無謀な

この密林に足を踏み入れた挙句、危うく3体のサーベルタイガーの腹に収まるところだった・・・・ということだ。




そもそも、後衛担当の第2クラス【弓使い】がソロでこんな場所を冒険するなど、頭がどうかしているとしか思えない。

その辺の無茶も含めて、親しい友人でも居れば必死になってコイツを止めようとしたんだろうが

コイツの場合、人間だけじゃなくて自分以外の全ての者を見下しているようなところがあり、

それが災いして、マトモに友達と呼べる者など一人も出来なかったらしい。



事実、俺のことも“デスタ”ではなく“ニンゲン”と呼んでくる始末だ。

こんな調子じゃあ、友人なんか出来る筈が無い。




まったく・・・・傲慢さ此処に極まれり、である。




しかし、流石はダークエルフというべきか、その容姿はサキュバス達に負けず劣らず極上と言っていいだろう。

見た目は人間で言えば16~18歳といったくらいだろうが、エルフ族の寿命の長さは人間の比ではないので、

実際は300歳を少し超えた辺りのはずだ。

身長は俺より少し高い程度だから、大体170cmに届くかどうかといったところ。

髪型はボーイッシュな印象の強いショートヘアで、すぅっと高い鼻筋と、細長くやや吊り目がちの瞳は、

その心に秘めた凛々しさを強調していると共に、どこか寂しげな印象も受ける。



クールビューティーというにはまだ少し幼さが残る感じだが、それでもとんでもない美少女ということには変わりない。

そしてファンタジーでの定番とも言える、エルフ族特有の長く尖った耳とスッキリとした流れるようなスレンダーな体型。




ただし、その双乳だけは身体に流れる血統に逆らうかのように丸く、そして大きく盛り上がっている。

流石にサキュバスたちには及ばないものの、それでも一般的なエルフ族のバストサイズからは

大きく逸脱していると言えるだろう。

本人に言わせると「重いし、肩は凝るし、何の役にも立たないよ、こんなの・・・」ということらしいが、

少なくとも俺にとっては非常に役に立つ。





そう・・・例えばちょうど今みたいに、俺好みの“処女”を探していた状況では・・・・・・









オッサン少年珍道中     第14話










ぬちゅっぬちゅっぬちゅっ  ずりゅうずりゅずりゅぅ









「はぁ、ふぅ・・・・お、おいニンゲン!ま、また臭くて透明な汁が出てきたぞ・・・・・・

くぅぅ・・・・ネトネトしてて、ボクの胸に絡み付いて・・・・・・ま、まったく・・・幾ら命の恩人だからって、

何でこのボクがこんなぁ・・・・・・はぁんっ、いやぁん・・・・・チッ、チンチンをビクビクさせるなよ、この変態ぃっ!」







仰向けになって寝転がっている俺の股間から熱くそそり立った肉棒を、そのたわわに実った巨乳で挟み込んで、

ゆっくり上下に動かしながら涙目で俺を睨んでくるダークエルフの少女。



サキュバス達のようにしっとりと吸い付いてくるような乳肌ではないが、その代わりに若い娘特有の

弾けんばかりにプリプリしていて、柔肉がパンパンに詰まったお椀方のオッパイ。

それが俺のペニスを彼女自身の汗と、俺の先走りにまみれながらも撫で回す様は、見ていて非常に興奮する。




何しろ俺の精神年齢は35なので、見た目が女子高生くらいのコイツと肌を重ねるのは、まるで援助交際でもしているみたいだ。

頬をうっすらと赤く染め、明らかに今の状況に興奮しているくせに、それを認めようとしないその反抗的な目つきが

俺の嗜虐心をたまらなく刺激してくれる。






「ククク、俺のせいじゃないぞ?お前のパイズリが気持ち良いのが悪いんだ・・・・ククッ、いやマジで、とても初めてとは思えないぞ、ノワ?」






これは嘘だ。確かに気持ち良いっちゃ~良いんだが、当然サキュバス達の男を手玉に取るような

テクニック満載のパイズリとは比べようもない。



しかし、それでも俺は十分に満足していた。

テクニックが無いということは、慣れていないということ・・・・・つまり俺以外の男に

したことが無いということと同義なのである。

やっぱり男としては、美人が初めて奉仕する相手が自分というシチュエーションには胸が躍る。





「えっ!?・・・・・・そ、そうなんだ・・・・・・・・そんなに気持ち良いんだ?ボクの・・・パ、パ、パイズリは?・・・・・

はぁ、ふぅぅ・・・・フフン?・・・・そ、それなら仕方な・・・・ってぇ!な、馴れ馴れしく愛称で呼ぶなよ!

あ、浅ましい劣等種族の分際でぇ!」





一瞬嬉しそうに頬を緩めたかと思ったら、次の瞬間には俺を罵倒してきやがりましたよ、この長耳娘。

そういえば、ゲームの中でもダークエルフのNPCはとにかく傲慢な態度で、取っつき難かったのを覚えている。



しかし、言われたままというのは俺の性に合わない。

ここは、現在のこの状況を作ることになったあの出来事を、もう一度コイツに思い出させてやろうと思う。




「お~お~、その劣等種族に命を助けられて胸元でワンワン泣き喚いて、一時間以上もしがみついていたのは

何処の誰だったかなぁ、ノワールちゃん?」





俺がからかうように、先ほどの彼女の醜態を指摘してやれば、すぐにビクッと身体を震わせて悔しげに唇をかみ締めながら

上目遣いに俺を睨みつけてくるノワール。



そう・・・コイツは先ほど自分が手も足も出ず、矢を放って牽制したり、必死で防御に徹したりして

逃げ回るしかなかった3体のサーベルタイガーを俺があっさり縊り殺して見せると、余程死ぬことが怖かったのだろう、

その場で俺に抱きつき、地面に押し倒して胸元で「びえぇ~~~んッ!!」と、何かのギャグかと

疑うような声で大泣きし始めたのだ。

その様子は、人間を小馬鹿にするダークエルフにはあるまじきものだった。




しかも、コッチがちょっとひくぐらいの時間そのままで、困った俺は何とか宥めようと

その状態のまま彼女自身のことについて幾つか質問し、“ある細工”を施しつつも彼女の話を聞き続け、

上記の個人情報を手に入れたというわけだ。




しかしまあ・・・考えてみれば仕方無いことなのかもしれない。

何しろ、俺が駆けつけた時には既に、弓も防具も無残に引き裂かれ、1体のサーベルタイガーに

前足でその華奢な身体を押さえつけられていたのだから。



顔にかかる獣臭い吐息と、ヨダレで不気味な光沢を放ちながら自分を頭から噛み砕こうとする

牙が、刻一刻と目の前に迫ってきているような状況だったのだ。

今まで挫折も知らず、自分の才能におんぶに抱っこでやってきて、当然修羅場なんかも

潜り抜けたことはなかったのだから、それこそ恐怖で悲鳴も上げられないほどだったに違いない。




そんな状況から助け出してやった俺に対して、いくら俺が【人間】とはいってもある程度の感謝を抱くべきなのは当然のこと。

散々泣かせてやって、ようやく落ち着いたところを見計らって俺は男らしく堂々と切り出した。

ずばり「お礼にパイズリしてくんない?」とな・・・・




当然、そんなことを快く了承できるはずも無く“変態”だの“劣等種族”だのと怒りで顔を真っ赤にしながら、

好き放題俺を罵りまくったノワールだったが(途中、罵られるのがチョッピリ気持ちよくなっていたことは秘密だ!)

俺がいきなり全裸になり、既に半ばまで勃ち上がっていた肉棒をその整った顔に近づけてやると、

段々大人しくなっていき「ほ、本当にやらなきゃダメなのか?」とか言いつつも、

最後には自分の方から俺の言うがままにパイズリしはじめた。


それは一体何故かと言うと・・・・・






「くっ・・・・そ、そのことはもう言うなっ!!・・・だ、だから・・・・そのお礼として、こうして・・・・・・・

うぅん、はぁぁ・・・・お、お前の望み通り、パ・・・パイズリしてやってるだろぉ・・・・・・・・・・・・

はぁん、ふみゅうぅ・・・・あ、熱いよぉ・・・身体が燃えるように熱くて・・・む、胸もドキドキして・・・・

こ、こんなことしたくないのに・・・・二、ニンゲンのチンチン、オッパイに擦り付けるの・・・・き、気持ちイイよぉ・・・・」





くくくっ、まあこういうことだ。

種明かしをしようか?俺はこの長耳娘がグズってる最中に、コイツに聞こえないように注意しながら

小声である魔法を唱えてたんだよ。





そう、【チャーム】をな・・・・・・






ただし効果が強すぎてノワに感づかれないように、かなり手加減しておいた。

この世界に来て数日、そういったゲームには無かったアクションも今ではお手のものだ。

別に全力で唱えて完全な魅了状態にしてから、快感に抗えないところを強制的に犯してやっても良かったんだが・・・・・・



前にも言ったと思うが俺はムリヤリってのは余り好きじゃないし、恐らくコイツは処女なのであまり酷いこともしたくない。

それにこうすることによって俺が常々見たいと思っていた、エロゲーでお馴染みの“処女の破瓜オネダリ”を

現実で目にすることが出来るかもしれない。



ノワは自分の身体が火照っていることや、俺のパイズリ要求を受け入れてしまったことが

魅了状態になったことによる、女の身体の本能的な衝動だということに気づいていない。

彼女の心にあるのはただ、劣等種族とまで蔑んでいた人間に奉仕し、なおかつその行為を

不快に感じてはいないという困惑だけだ。

そんな状態で、命を助けてくれた恩人である俺に奉仕することによって、性的快感まで得だしたらどうなるか・・・・・








「ふぅ、ふぅうう・・・・・チ、チンチン熱いぃ・・・ボ、ボクのオッパイも熱いよぉぉ・・・・・

ど、どうしてぇ?・・・どうしてこんなにぃ・・・き、気持ちいいのぉ!?・・・・

と、止まんないぃ、胸のドキドキが止まんないよぉぉ・・・・ま、まさかぁ・・・まさかぁあ!・・・

ボク、ボク・・・・こいつのことぉ・・・・すっ、好きになっちゃったのぉ!?」





最初の小生意気さなど欠片も見せず、可愛らしく喘ぎながら自分の感情に疑問を持つノワール。

信じたくは無いが、信じるしか無いといったその様子は、俺の仕掛けが万事上手くいったことの証明に他ならなかった。



くっ・・・くっはははははは!!そうだよな、そうなるよなぁ!?

何せ俺はお前に負けないほどの美形で、しかも絶体絶命のピンチから助けてくれた命の恩人だ!

恋心が芽生えても仕方無いって、自分でも納得しちまうよなぁ!?

いや~~俺たち人間のことを劣等種族と蔑んでくるダークエルフが、その人間の方をチラチラ見ながら

恥ずかしそうに頬を染める光景は何とも胸がスッとするなぁ!




はははっ、ははははは・・・・・しっかしこうも簡単にいくとはなぁ・・・・

エレシュキガルがジェミニを堕とすところを見学したのがよかったのかね?アレは傍で見ていて

ゾクリときたからな・・・・・

まぁ何にしろ、ここまで来たからには最後の確認だ。






「くくくっ・・・・・おいノワ!お前は処女だな?正直に答えろ」



「んんぅ・・・そ・・・そうだよぉ?・・・・ボ、ボクはぁ・・・・はぁん、はぁ、はぁ・・・・

ノワール・スヴァルトはぁぁ!・・・・しょ、正真正銘の処女だよぉぉ!!・・・・はぁ、ああぁん!?・・・・

チンチン乳首に擦れちゃうぅぅ!・・・オ、オマタがひくひくって・・・・ふわぁぁぁん!?」




よーーし、完璧だ!!

小生意気なダークエルフのボクッ娘・・・・・まさに俺の初めての“処女”に相応しい!

俺はコイツの処女を奪うが、その代わりにノワールには“俺が処女を奪った一人目の女”という栄誉をプレゼントしてやろう。

何度も何度も肉壷をチンポでかき回してイカせまくり、一生忘れることの出来ない最高の初体験をさせてやろうじゃないか!!



勿論、避妊なんか絶対しないぞ!俺の精子でコイツの卵子を輪姦しまくって、世にも珍しい

【ハーフダークエルフ】の受精卵をその胎の中に仕込みまくってやる!!

そして当然、もし本当にそうなっても責任なんぞ取る気はサラサラ無い!!!




・・・・・っとその前に、折角だからまずはパイズリでイカせてやろう。

軽い魅了状態の今なら、たとえ処女であっても結構カンタンに絶頂に達するはずだ。

俺は早速、肉棒の上を行ったり来たりしている双丘に手を伸ばした。




「あうぅっ!む、胸ぇ・・・揉まないでよぉぉ・・・・」




少し固めのゼリーのような乳房を強めに揉んでやるだけで、ノワは色っぽい嬌声を上げ

より一層強く、ペニスにはち切れんばかりのオッパイを押し付けてきた。

既に勃起していた褐色の乳首を二つとも指ではさみながら、俺の方からも腰をゆっくり動かして

肉棒の熱さと固さ、雄雄しさをノワの巨乳に刻み込んでやる。

胸の谷間を一往復する度に、鈴口からガマン汁をピュピュッと噴き上がらせ、まるでパンでも

こねるかのように彼女の乳房をむにゅむにゅと揉みしだく。





「あっ、ああん・・・・はふぅぅん・・・あんっ、きゃうう・・・ダメ、ダメェ!・・・

ボクのオッパイィ・・・いじめちゃやだよぉ♪」




口ではイヤイヤ言いつつも、ノワは左右の手でギュウッとオッパイを押しつぶし、ペニスに更なる刺激を与えてくる。

大きな黒いマシュマロの間で、血管を浮き上がらせた醜い剛直がその先端だけをわずかに残し、

他の部分は全部マシュマロに食べられてしまった。




「くぅぅ、い、いいぞ・・・そのまま激しくオッパイを揺するんだ!」



「ふぅぅ、ふうぅぅぅ!・・・・こ、こう?・・・・・ひゃっ、いやぁぁん!!・・・

チ、チンチンから臭い汁がぴゅっぴゅっしてるよぉぉ!・・・・・ああん、ボクのオッパイ臭くなっちゃうぅ・・・・・

チンチンの匂いがぁ・・・・こ、こびりついちゃうぅぅ!・・・・・はぁ、はぁ・・・・・んちゅうううう!!」



「むおぉぉ!き、亀頭に吸い付いて・・・・!」




少しも嫌がっていない口調で言いながら、ノワは俺に命じられたわけでもないのに、

胸の間からピョコンと飛び出したままのペニスの先端に吸い付いた。

そのまま唇を閉め、カリ首を刺激しながら、先走り汁をちゅうちゅうと吸い取ってゆく。

かと思えば今度は亀頭を吐き出して、鈴口付近をペロペロとまるで子猫のように舐めまわしてくる。





いかに稚拙なテクニックとはいえ、ここまで熱心に奉仕されると流石にそろそろ限界が近づいてくる。

俺はノワの乳房を鷲づかみにして乱暴に揉みしだきながら、最後の瞬間に向けて腰を大きく振りたくる。

にちゅっにちゅっとイヤらしい音をたてながら、彼女の汗と俺のガマン汁が雫となって飛び散った。




「ちゅぱっ・・・はぁ、苦い、苦いよぉ・・・・・ああんっ、あん、あん、あん・・・ひぃぃん、やぁ、やぁぁ~ん!オッパイがぁ、オッパイがぁぁ~!・・・

ひゃぁ、ひゃあぁぁん!ボクのオッパイがニンゲンに犯されてぇ・・・・ひぃ!?ひいぃぃん!!

ビクって・・・あああ・・・い、今、チンチンがビクビクって震えたぁぁ~!?・・・・えっ!ちょっ、ちょっと何を・・・んぶうぅ!?」





射精の衝動がピークに達したその時、俺はノワの頭を強引に押さえ込んでムリヤリ肉棒の先端を咥えさせてやった。

そして彼女の温かく、ヌルヌルとした舌が亀頭を這った瞬間・・・・・・





びゅくっ!びゅるるるっ!ぶびゅっぶびゅうぅ!





いっそあっけないほど我慢することなく、その口内に精汁をぶちまけてやった。

尿道口が限界まで開き、本来スペルマを出すべきではない口の中に、ドクドクと無遠慮に白い欲望汁を注ぎ込んでやる。




「んぐぅっ!?んぐぅ、んんぅ、んぶぶぅぅ・・・・・ごくっごくっごくっ・・・・」


「ほ~ら、ノワ?・・・俺特製の濃厚ミルクだ・・・・特別にご馳走してやるから、遠慮せずに飲めよぉ・・・くうぉぉぉっ!」





ザーメンの量と勢い、そして熱さに驚いたのか、白に近い灰色の両目を大きく見開くノワ。

すぐに俺の意図に気づいたのか、混乱と驚愕をその美貌に浮かべ、首をイヤイヤと横に振って必死に俺の許しを請うが、当然許してやるつもりはない。



彼女の頭を押さえたままで、情け容赦なく胤汁を口にぶちまけてやったが、流石に口内には留めきれなくなったのか、

ヤケクソのように目をギュッと閉じてコクコクと黒い喉を鳴らしながら煮えたぎる俺のスペルマを胃袋へと送っていく。

しかし常人を遥かに超える量の俺のザーメンを飲みきれるはずは無く、窒息させるわけにはいかないので

適当なところで手を離してやった。




どぷっどぶっどぶっ!  ぶぴゅぴゅっ!




「んんん、んぶぶぶぶ・・・・・・んっ、ぷはぁっ!・・・・げほっ、げほっ、げぇぇ・・・・・

の、飲んじゃった・・・ボ、ボク・・・・二、ニンゲンの汚らわしい精液飲んじゃったぁ・・・ああっ、んくぅぅっ!・・・・

ゴクッ、ゴクッて・・・・お腹いっぱい・・・いっぱいぃぃぃ・・・・・!!」




ノワが呆然としながら息を整えている最中も射精は終わらず、彼女が飲みきれなかった分は全て、

その凛々しい顔と、エルフ族には不釣合いな巨乳をパックするのに使ってやる。

ダークエルフの肌の黒さと、俺の子種の白さがたまらなくイヤらしいコントラストを描き出した。





「ヤダ、ヤダ、ヤダァ~!・・・・も、もう出さないでぇ、かけないでぇ!!・・・・・

お、お願いだから、これ以上ボクを汚さないでぇ!・・・・ふ、ふわぁ!?な、何コレ?・・・・

オマタがじんじんして・・・・な、何か来るぅ!イヤ、イヤ、来る、来る、来ないで、来ないでぇぇ!!・・・・

はあっ、はあああぁぁ~~~ん!!?」






ビクビクッと全身を震わせ絶叫しながら、絶頂の快感にひたるダークエルフの少女。

俺のザーメンをたっぷり嚥下し、あまつさえ顔と胸がすっかり隠れてしまうほど白濁パックされてしまった

彼女の身体は、チャームの効果もあって本人が望まない絶頂を与え続ける。






「ひぃやぁぁぁッ!はぁ、はぁぁぁん!!また、またクルゥ!?きちゃう、きちゃうよぉ!・・・・

止めて、止めてぇ!!・・・・ああ、おかしくなるぅ~・・・ボク、ボク・・・ニンゲンの汚らわしい精子でぇ・・・・

おっ、おかしくなっちゃうぅぅぅ~~!!」




何度も何度も断続的にイってしまうノワ。

そんな状態でも相変わらずその両手は、その豊満な胸で俺のペニスをしごくのに使われていた。

ほとんど無意識なのだろう、汚さないでと言いつつも尿道に残った分の精液までキッチリ、魅惑の黒ゴマプリンで絞り上げてくれる。

弾けんばかりの弾力と、じんわりとペニスに染み込んでくるような温かさを持つ2つの肉塊に、俺は最後の一滴まで白濁汁を塗りつけてやった。






「はぁ、はぁん・・・・・と、止まったぁ・・・・や、やっと・・・・やっと、止まったぁぁ・・・・

ふぅ、ふぅ・・・・は、はぁん♪・・・頭ぁ、撫でてくれてるぅ♪・・・・フフッ、くすぐったいよぉ♪」





ようやく絶頂の波から帰ってきた長耳娘の頭を、お疲れ様の意味を込めて優しく、丁寧に撫でてやる。

その灰白色の髪を手で梳いてやると、嬉しそうにトロンとした表情で微笑むダークエルフの美少女。

その様子は完全に堕ちた、恋する乙女のソレだった。




俺はすっかり可愛らしくなってしまったノワに、ゆっくり言い聞かせるように語り掛ける。

この時の俺の表情は、我ながら邪悪極まりない笑みを浮かべていたと思う。

何しろこの瞬間のために、わざわざこんな手の込んだことをしたんだから、もう少しで成功だと思うと

自然と顔がにやけてしまう。




「クククク・・・・物凄く気持ちよかっただろう、ノワ?・・・でもな?もしお前の一番大切なものを・・・・

お前の処女を俺にくれるんだったら・・・・もっと、も~っと気持ちよくしてやるぞ?」



「ふぇ?・・・ボクの・・・しょ、処女?・・・・ほ、欲しいの?・・・・二、ニンゲンの癖に・・・・

ボ、ボクの純潔を・・・・この臭くて野太いチンチンで・・・う、奪いたいっていうの?・・・」




戸惑い半分、期待感半分といった様子で俺の言葉の意味を確認してくるノワ。

勿論、俺が返す言葉など決まっている。

できるだけキリッとした顔を作ると、彼女の目を覗き込んでハッキリとその言葉を言ってやった。






「ああ、お前の初めてを俺にくれ」





「ふ、ふわぁぁん♪・・・・そ、そんなこと言われたら・・・・そんなこと言われたらぁ♪・・・・

んふぅ、フッ、フフフ・・・・いいよぉ、いいよぉ!・・・・ボクの処女を・・・・ああん、さっ、300年守ってきた

大切な処女を・・・・二、ニンゲンにあげちゃう~♪・・・・・・

お、お前を・・・・ボクの初めての、お・・・男にしてあげるよぉ♪・・・・はぁ、はぁん・・・・・・・

こっ、このゴツゴツしたぶっといデカチンポでぇ・・・ボ、ボクの・・・しょ、処女膜を破ってぇ・・・・♪」





照れくさそうに頬を染めながら、それでもはっきりと破瓜を懇願するダークエルフの美処女。

“処女の破瓜オネダリ”をこの身に受けるという、男なら誰でも夢にまで見る偉業を達成した俺は

胸に湧き上がる歓喜と興奮とで、たった今射精しまくったばかりの肉銛を更に固く、大きくそそり立たせた・・・・・・・・・・・



















[18596] 第15話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/13 08:47
「ノワール。そこに立ってる木に両手をつけ。そんで尻をグッとこっちに突き出すんだ」



「そ、そんなぁ、恥ずかしいよぉ・・・・う、うう・・・こ、こう?・・・・・はぁぁん、この格好・・・すっごくエッチだよぉ♪」





何だかんだ言いつつも俺の指示に素直に従い、その小ぶりなヒップをこちらに向けてくるノワ。

当然その体勢だと、既に俺と同様に全裸になっていた彼女の股間の、未だ誰にも使わせた事の無い初物マンコが

丸見えになってしまう。



それは人間を劣等種族と呼び、自分達の方が優れた生物なのだと公言して憚らないダークエルフとは思えないほど

人間に媚を売るかのような姿である。

この場に普段の彼女を知る者や家族が居れば、さぞ面白い百面相が見れたに違いない。

だというのに彼女は羞恥心をわずかに感じるだけで、俺に向かって桃尻を高らかに上げ、

こちらを誘うかのようにクネクネと腰を躍らせてしまう。




チャームの効果が未だ続いているのだろう、肉棒を貪欲に求めるその姿は知らないものが見たら処女とは思うまい。

しかし彼女は紛れも無く処女であり、その純潔を今から俺に徹底的に汚されることになる。



逆三角形に切りそろえられた意外と濃い目の灰白色の陰毛。

そして既に膣内からの愛蜜によって、テラテラといやらしいヌメリを帯びた一本の縦スジがはっきりと見える。

俺は興奮で鼻息を荒くしながら、そのひっそりと閉じられた肉の貝に両手の親指を添えると、

そのまま左右へゆっくりと押し開いていった・・・・・




クパァァ・・・・・




「おおっ!!(確かにサキュバス達よりも鮮やかな色をしてるな)」



「ふあぁん!?そ、そんなマジマジと覗き込むなぁっ!!」




ノワールのやつが何か喚いているがまったく耳に入ってこない。

それほどまでに、初めて目にする処女の肉壷は衝撃的だった。



愛液によって濡れそぼった、鮮やかな鮭肉色の粘膜。

そしてその中心部で、男を受け入れたことの無い小さな肉穴が、物欲しげにひくついているのが見える。

既に周囲が暗くなってきたせいか残念ながら処女膜そのものは視認できないが、別に

“目”しか処女の確認のための手段が無いわけじゃない。




クチュリ・・・・





「あ、当たってる・・・・・チンチンの先っぽが・・・・ボクの・・・・オ、オマンコに当たってぇ・・・・

はぁ、はぁ・・・・い、入れちゃうのか?・・・・んふぅ、ふぅ・・・・本当に入れちゃうのか?・・・

ああっ・・・ニンゲンの癖に・・・・れ、劣等種族の癖にぃぃ・・・・ダークエルフの処女を・・・・ほ、本当に、奪っちゃうのか?」




期待と僅かな恐怖を滲ませた声で、俺に最終確認をしてくるノワ。

首を曲げ、こちらを振り返り見るその瞳には明らかに情欲の炎が灯っていた。




「ああ、お前の処女膜をコイツでぶち抜いてやる・・・・安心しろ?痛いのは最初だけだ」


「はぁ、はぁんっあん・・・・・ああ、お願い、許してぇ♪・・・・・」





亀頭を粘膜に押し当てて、とぷとぷ溢れてくる先走り汁を満遍なく塗りこんでやる。

本当はサキュバス仕込のクンニも試してみたかったが、正直もう我慢が出来ない。

それは口では「許して」などと嫌がりつつも、期待と興奮とで熱い吐息を漏らしているノワも同じだろう。

俺が挿入しやすいように、自分から膣穴を押し当てようと腰を揺り動かす様子から簡単に判る。



そんな彼女の期待に応えるために、何より俺の欲望を満たすために、血管が醜く浮き上がりゴツゴツした

剛直を、ゆっくりとノワの秘所へと潜り込ませていった・・・・・











オッサン少年珍道中     第15話










ずっずっずっ・・・・ずぶぅっ!!





「あくぅっ!?・・・はぁあぁ!・・・・入って、入ってくるぅ!!ボクの中に入ってくるよおぉ!!」



「くうぅぅ!マ、マジでキツイな・・・・!」




熱く爛れた肉壁を掘削しながら、肉棒をまっすぐに、ゆっくりと処女膜へ進ませる。

処女の締め付けは強烈だとは知っていたが、まさかこれ程とは思わなかった。

異物の進入を拒絶するかのように狭く、同時にこっちが痛みを伴うほどの膣圧で締め付けてくる。

ペニスを揉み立て包み込んでくるようだった、サキュバス達のソレとはまったく違う感触。





「熱い・・・ああ、チンチン熱いよ・・・さっきオッパイでしてあげた時よりも、あうぅぅ、熱くなってぇ・・・・・」





多少潤っているとはいえまだまだ摩擦が強いノワの肉穴。

正直、気持ちよさという点ではサキュバス達には劣るが、しかしそれでも俺は十分過ぎるほどの快感を得ていた。

何せつい数日前までは冴えない中年だった俺が、今はこうしてファンタジー世界の美処女の純潔を奪おうとしているのである。

その興奮で俺の頭は茹で上がり、数cmずつペニスを進ませるたびに激烈な快楽を感じるようになる。




そうやってノワールの膣内を少しづつ征服していき、遂にその時がやってきた。

肉棒の先端に感じる僅かな、まさしく“膜”のような抵抗。

俺はその感触に感慨深いものを覚えながらも、膣口まで亀頭を引き抜いていって・・・・





ノワの腰をがっしりと掴み、一気に子宮口まで叩き込んだ!!





ずぶずぶずぶぅっ!  ぶちぃっ!!





「はぁ、ふあぁぁ、はあぁぁぁぁ!?や、破れた、破れたあぁぁ!!・・・ぶちって、ぶちぃって、ぶちぶちぃってぇ!!・・・

あああぁ、ボクの・・・・・しょ、処女膜ぅ・・・・ボクの処女膜がぁ、ニンゲンのチンポでェェ!!」




カッと目を見開き、口を大きく開けて自らの処女喪失を叫ぶダークエルフの美少女。

彼女と俺の結合部からは確かに、どこまでも赤い純潔の証が地面へと滴り落ちていた。

くくくくッ、やったぞ!遂に処女とヤッてやった!!





「ははははっ!!そうだ、たった今お前を女にしたやったぞ!・・・・・それでその・・・・・どうだ?やっぱり、痛いのか?」




処女膜を破ったからか、彼女の膣内はその痛いほどの締め付けが随分弱まり、逆に肉棒に絡みつくような動きも

少し見せ始めた。

本当なら今すぐグチャグチャにかき回してやりたいところだが、処女を気遣うくらいの理性は

まだ俺にも残っている。

亀頭を子宮口にピッタリ密着させたまま動かさずに、後ろから覆いかぶさるように彼女を抱きしめてやる。

まあ、痛くて泣き叫ばれるのはイヤだしな。





「はぁ、ふぅぅ・・・・な、何だよ今更・・・そ、そんな優しいフリなんかしたって・・・・はぁ、ううぅ・・・

だ、大丈夫・・・・ちょっとピリピリするだけで、思ってたほど痛くないよ・・・・・・・って、

あっ、あああ!ふ、膨らんだぁ・・・・チンチンびくびくって膨らんだぁぁっ!?」





・・・・・・・・・えっ、マジ?

そうかそうか・・・・・・・・・痛くないのか。

確かに、常日頃から激しい運動してる女は、処女膜も薄くなって初体験でも痛くないって話は聞いたことはあるが。

それともあれか?個人差ってやつか?

しかしそうすると・・・・・・・




「全力で動かしてもいいよな?」




ぱんぱんぱんぱんっ! ずっちゅずっちゅずっちゅ!!




「ひゃっ、ああ、ひゃぁぁんっ!!?は、激しいよぉ!・・・あっくぅぅ!イ、イキナリ激しくするなぁぁっ!!

し、子宮がぁ・・・ふぅぅ、ふああ・・・子宮が押し上げられるぅぅぅ!?」





小ぶりでプリッとしたノワのヒップに、俺の玉袋がビタッビタッと叩きつけられる。

一気に腰ふり速度をかなりのスピードまでもっていき、縦横無尽に肉棒を動かし潤いタップリの肉壁をこそげ取ろうとする。

けれど幾ら次々と湧き上がってくる愛液と処女血で潤っていたとしても、やはり処女肉の硬さは

相当なもので、なかなか上手くいかない。




しかしそんな初物マンコ独特の感触にこそ俺は興奮し、こなれていない肉ヒダが少しペニスに吸い付いてきただけで

背筋がゾクゾクするほどの快感を得てしまう。

強張った膣道を時には浅く、時には深く、ガマン汁を垂れ流す肉棒で突きこみまくり、

男を知らなかった無垢な肉壷に俺自身の形と熱さを刻み込んでゆく。







ぶしゅっぶしゅっぶしゅっ!  ずちゅずちゅずちゅっ!




「ははっ、はははは!!いい、いいぞ!処女ってやっぱ凄ぇっ!!」






誰にも踏まれていなかった新雪を思うがままに踏み荒らすように。

偉大な画家が描いた絵を額縁ごと引き裂くように。

ノワール・スヴァルトというダークエルフの少女が300年間守ってきた純潔を、俺はただ本能が命ずるままに

蹂躙していく。





「あん、あん、あん!!ダメ、感じる、感じちゃうぅぅ!!・・・ああ、ボク、ボク初めてなのにぃ・・・・

チンポォ!あぁくぅぅ・・・ニンゲンのチンポおっきい!!」





既に結合部の血はだいぶ薄れ、早くも肉棒には白っぽい本気汁が絡み付いてきた。

自分のペニスとテクニックで処女を感じさせることが出来ているという事実に、俺は歓喜で叫びだしたくなる衝動をこらえ、

ただひたすら彼女の肉ヒダを擦り続ける。



相変わらず締め付けが強く、それでも確かに柔らかくなってきたノワの膣肉。

しだいに肉棒に絡みつくような動きまでみせ始めた処女マンコに、情けないが俺は早くも射精衝動が込み上げてきた。





「くぅぅっ!はぁ、はくぅぅぅ!!凄いっ、凄いよぉぉっ!ニンゲンのチンチン凄いぃぃぃ!!・・・

ああん、劣等種族のぉ・・・チ、チンポ太すぎぃぃ・・・ボクのオマンコ、えぐりまくって・・・・ク、クルよぉ!

さっきよりも凄いのきちゃうぅぅぅ!!・・・んんっ、ひぃ、ひにゃぁぁぁん!!?」





ギュウッと膣内粘膜が収縮して、目の前の長耳娘が絶頂に達したことを教えてくれる。

勿論チャームの効果もあるんだろうが、それでもやはり処女をイカせたという達成感は半端ではない。

俺は更に肉棒を滾らせ、プリプリした処女肉を堪能しまくる。



キュッキュッと手で握られているような締め付けと、やわやわと蠢動する肉ヒダの感触が同時に

肉棒に襲い掛かってきた瞬間、俺は腰を思いっきり跳ね上げた。

そのまま亀頭部分を子宮口に食い込ませ、ノワールの耳元で膣内射精を宣言したんだが・・・・・





「ふぅ、ふぅ・・・イクぞ!お前の中に出すからな!?」



「ひゃぁ、ひゃあぁぁぁん!?・・・だ、出すって・・・・ダ、ダメだ、それだけはダメだぁぁ・・・

はぁ、やぁぁん・・・に、人間族はエルフ族よりも繁殖力が高いんだぞ?・・・・・

くぅんッ、はぁ・・・そ、それに・・・今日はボク、絶対安全な日ってわけじゃないんだ・・・

そんな状態で・・・あ、あんな量の精液を出されたら・・・・・ダ、ダメ!絶対ダメェッ!中出しイヤァァ!!」






必死になって首を横に振りたくりながら、膣内射精を拒んでくるノワール

ふむ、てっきり自分からねだって来るかと思ったんだが・・・・

やっぱり不完全なチャームじゃあ、子供を孕んでまで快楽を得たいとは思わないらしい。

まあ、俺に淡い恋心を抱いているとしても、イキナリ種付けはハードル高かったかな・・・・

残念だが仕方ない、俺は紳士なのでムリヤリ中出しする様な真似はするつもりは無い。














そう・・・・・ムリヤリは、な・・・・

くっくくくっ・・・・“処女の破瓜オネダリ”は見ることが出来たから、今度は

“処女の孕ませオネダリ”を見せてもらうことにしよう。







ぐっちゅぐっちゅぐっちゅぐっちゅ!  ぱんぱんぱんぱんッ!




「んはあぁぁ~~!!ジュボジュボォ!・・・・デカチンポがジュボジュボするの凄いィィ!!・・・・

ああ、またイク、イッちゃう、イックゥゥゥ!!・・・・・・・・・・・・・・・えっ、ええ!?」






俺は込み上げてきた射精欲求を肛門を閉めることで押さえつけ、再びノワの処女肉穴を蹂躙し始める。

一回抜き差しするごとに卑猥な音が結合部から響き、白く濁った愛液が俺の股間とノワの桃尻を垂れ落ちていく。

元々彼女も高ぶっていたんだろう、再開したピストンですぐにイキそうになったんだが・・・・




「ど、どうしてぇ?・・・・はぁ、はぁ・・・ど、どうしてチンチン動かさないんだよぉぉ!?」



そう、俺がいきなりピストンを止めたせいでイケなかった。

不完全とはいえ魅了状態での寸止めは、興奮しきった今の彼女にはかなり辛いだろう。

絶頂寸前でお預けを食らった不満と、俺の行動への困惑を顔に浮かべた彼女の耳元で、

俺はもう一度、あくまで紳士的に“お願い”をすることにする・・・・・・




「くっくくくく・・・ノワ?お前の中に出しても良いだろう?」




「えぇっ?だ、だから・・・・出しちゃダメってさっきも・・・・ひやぁぁっ!?はぁああぁん!!

来た、来たぁ!イクッ、イクぞっ!今度こそイク!イ、イックゥゥゥ!!・・・・・・・・・・・・・・

はああ!?ま、また止まって・・・・・」





会話の途中でピストンを再開し、ノワがイキそうになったらまた止める。

そして先ほどの焼き直し。彼女の耳元でゆっくり囁く。





「ノワ?・・・・お前の中に出させてくれるよな?」



「っ!!??・・・・あ、あああああぁっ!!!・・・・・」




ようやく俺の意図に気づいたらしいノワは、その灰白色の瞳を驚愕に見開き、絶望に染まった顔で

俺の方に向き直った。

その余りにも哀れな表情によって、いつのまにか俺の中に生まれていた嗜虐心は歓喜に打ち震える。




さて、コイツは何分もつかな?

エレシュキガルを“説得”した時、あの淫魔王様は1時間は耐えてくれたんだが・・・・・



























そしてわずか10分後・・・・




ぱんぱんぱんぱんっ! ぶちゅっくちゅっくちゅうぅ



「やあ、やぁぁ、やあぁぁぁん!!もう、もう良い!出して良い!!・・・・ああ、はぁ、あっぐぅぅぅ!!・・・・・

ザーメン中出しぃっ・・・・中出ししていいからぁ!ボ、ボクに種付けして良いからぁぁぁ!!・・・・

イカせてっ、イカせてぇっ!!お願いだからイカせてよぉぉぉ~!!」




「ふふん?そうかそうか・・・・いいのか?中になんて出したら、劣等種族の子供が出来ちまうぞ?」




「いいのっ、いいのぉぉ!!・・・・は、孕む、孕んであげるぅ!!・・・・ああ、やぁ、やぁぁん!・・・・

ニンゲンの赤ちゃん、ボクの子宮に宿してあげるからぁぁ!!だ、だからぁ・・・・

うう、うえぇぇん、ぐすっぐすっ・・・・イカせてぇ、思いっきりイカせてぇぇ・・・・

じゃないとボク・・・・く、狂っちゃうぅ!あ、頭が変になっちゃうんだよぉぉぉ~!!!」




口から涎を吐き散らし、目の焦点がまったく合っておらず、とうとう涙まで流しながら俺に膣内射精を

ねだってくるダークエルフの美少女。



それも当然だ、俺が中に出さなくちゃ自分もイケないってことを、

その身体にこの10分間でイヤというほど叩き込んでやったからな。

今やコイツは完全に目先の快楽の虜になっており、ソレを得た先にどんな結末が待っていようとも

一向に構うことはない。

もっとも、俺がそうなるように焦らし続けたんだが・・・・・




しかしまぁ、何とも他愛の無い。

処女を失ったばかりの小娘じゃあ、そんなに長い時間、耐えられないだろうとは思っていたが・・・・

まあ、俺のほうもそろそろ限界だったので丁度良いだろう。

ぴゅっぴゅっとノワの胎内で噴き出し続けている先走りには既に、ペニスの根元まで競り上がっていた

胤汁が少し混ざっている。



これ以上粘るようならもう一度、今度は手加減抜きのチャームをかけてやるつもりだったしな。

“処女の孕ませオネダリ”も見れたことだし、そろそろコイツをイカせてやろうか・・・・





「よ~しノワ!そこまで言うんだったら仕方ない。俺の子種をタップリ受け止めて思う存分イッちまえ!!うおぉぉぉぉ~!!」






俺はペニスの先端を子宮口にねじりこみ、今までこらえていた射精衝動を一気に解き放った。

後ろからのしかかるようにノワを抱きしめ、その美巨乳を揉みしだきながら、エルフ族特有の

細長い耳にも舌を這わせ、甘噛みしてやる。

そして、玉袋がパンパンになるほど製造されていた子種汁を異種族の美少女の仔袋に躊躇なく注ぎ込む!





どぶどぶどぶどぶっ! びゅくぅびゅくぅびゅるるぅぅ!




「はぁんっ、出てるっ、出てるよぉぉっ、精液出てるぅぅぅ!!・・・・はぁぁぁ、あっくぅぅぅ!?

イ、イケる・・・・や、やっとイケるんだね!?ああ、イクよぉ、イクッ、イクッ、イクッ、イクイクッ・・・いやぁぁん!

はっ、孕みながらイッグゥゥゥゥ!!!」





待ち望んでいた絶頂に嬌声を上げながら、そのスレンダーな肉体をビクビク震わせ、

豊満なオッパイをたぷんたぷんと弾ませるノワール。

天に向かってはしたないイキ声を上げ続けるその姿には、ダークエルフの誇り高さなどまったく無く

今の彼女は牡に種付けされるという原初の快感に悶え狂う一匹の牝でしかなかった。




とぷっとぷっとぷっとぷ!  びゅるっびゅるるるん!




「ああ・・・・すっごい!・・・・と、止まんないよぉ♪・・・・ボクのオマンコの中でぇ・・・・くぅぅ、ああぁぁん!

ビュクゥ、ビュクゥって止まらないぃぃ・・・・ニンゲン、のぉぉ・・・き、汚らしいチンポ汁ぅ、全然止まってくれないぃぃ~~!!

・・・・はぁ、んっほおぉぉ~~!!み、身篭るぅぅ・・・ハーフダークエルフの赤ちゃん・・・み、ごっ・・・身篭っちゃうよぉぉ~~!!♪」



初めての精液の感触に狂喜するノワの膣内。

処女とは思えないほど貪欲に、かつ浅ましく俺の肉棒に絡みつき、ミッチリと詰まった肉ヒダで

ザーメンを全て絞りあげようとする。

尿道の中に一滴も残させまいと、肉壁全体で押しつぶし、締め付け、揉みあげてくる。




俺の子を受精したくて降りてきた子宮が鈴口にむしゃぶりつき、噴き出してくる子種汁を

ごきゅごきゅと飲み干していく感覚に、背筋が震えるほどの快感をかんじてしまう。

一撃一撃スペルマを打ち込むごとに感じる、牡としての優越感に目の中がチカチカする。




人間を見下すダークエルフに種付けするという、圧倒的な満足感と征服感を堪能しながら、

俺は精巣が空になるまで中出しを続けた・・・・・・




















「はぁ・・・・・・子宮の中でコポコポって・・・・もう、お前ってば本当に出しすぎだぞぉ♪」



「おいおい、お前の方から中出しを頼んできたんだろう?まったく・・・処女だった癖になんて淫乱な女だ」



「はぁ!?あ、あれはニンゲン・・・・デスタが悪いんだろう!?お、お前がボクを焦らして、

そう言うように仕向けたんだろうがっ、この鬼畜がぁ!!」


「ぐぇぇっ、わ、分かった。俺が悪かったから、玉袋を力いっぱい握るな。マジで潰れる」







数時間後、俺とノワの二人は地面に直接横になって、情事の後のイチャイチャを楽しんでいた。

あの後、ノワが気絶するまで何回もハメまくったもんだからすっかり夜になってしまい、

この場所で野宿することにしたのである。



ノワは不満だったようだが、これから冒険者になろうという俺にしてみればいい経験である。

それに寝転がりながら見上げる、現代の地球では見ることが決して叶わないだろう、満天と言うのも

陳腐に聞こえるほどの膨大な数の星の海は単純に息を呑むほど美しい。






一応モンスターよけのために火も熾したし、自分よりも弱いモンスターを寄せ付けないための魔法

【メナス】も唱えておいたので、奇襲を受ける心配はあるまい。





いや~しかし良かった。やっぱり処女は違うよ、処女は!

俺の腕を枕代わりにして寝そべっているノワの頭を慈しみを込めて優しく撫でてやる。

そうすると彼女は「うぅん♪」と気持ち良さそうな声を出して、猫が匂い付けでもするみたいに

俺の胸元にすりよってくる。



情事が終わった後、てっきり膣内射精したことを怒られるかなと思ったんだが、予想に反してコイツは

まったく怒ってはいなかった。

いや正確には怒りはしたんだが、その怒り方というのが顔を真っ赤にして涙目で「鬼畜ぅ、変態ぃぃ」とか言いながら

大して痛くも無いパンチでポカポカと胸板を殴って来るという、何とも愛らしいものだったんだな、これが。




どうやら、余程俺のことが気に入ったらしく呼び方も“デスタ”へと変わっているし、ステータスまで見せてくれた。

俺のステータスも見せて欲しいとせがんできたが、流石にそう簡単に冒険者であるノワに見せるわけにもいかないので
(情報が流れる危険があるから)


適当に「俺と肩を並べられるようになったら、その時に見せてやる」とか言っておいたら何か物凄く張り切っていた。

それだけじゃなく、自分の下腹部を両手でさすりながら頬を染めて(肌が黒いので判り難いが、確かに少し赤くなっていた)





「しょ、しょうがないから、お前の子を産んであげるよ・・・・20年後を楽しみにしてるんだねっ///」




と、何とも威勢のいい声音で言ってきた。

あっ、ちなみにエルフ族はその寿命の長さからか、妊娠してから出産までの期間が約20年前後と人間に比べて大分長い。

たとえ胎に宿した子がハーフだったとしても、それは変わらないらしい。



まぁとにかく、ただ一つ確かなことは、この小生意気なダークエルフの少女を完全に堕とすことが出来たということだ。










・・・・・・・しかし、とうとう地球にいた頃から常に妄想していた美処女との中出しセックスまで経験してしまった。

勿論とんでもなく嬉しいのだが心の中に一抹の寂しさがあるのも否定できない。



ヒトは欲しいと思っていたものを一度手に入れてしまうと当然だが手に入れる前ほど

ソレに対して価値を感じなくなってしまう。

その喪失感が嫌だからヒトは「もっと、もっと」と今の自分では手に入れることが出来ないものに

憧れるのである。



美処女とヤルという望みは、俺にとっては他の全てに勝るほどの憧れを抱いていたものなのだ。

それを達成してしまった以上、少し空しくなってしまうのは仕方あるまい。






「“手に入らぬからこそ、美しいものもある”か・・・・・・」



「うん?デスタ、それどういう意味?」





首をかしげて不思議そうに質問してくる長耳娘の耳たぶを甘噛みしてやりながら「ひゃぁんっ!み、耳弱いって言っただろぉ!!」

俺はこの空しさを埋める方法を考えていた。



やはり此処は新たな望み・・・すなわち目標を持つことが最適だろう。問題はその目標をどうするかだ。

装備は十分。冒険も出来る。童貞は捨てた。処女とはヤレた。数百人孕ませた。責任は取らない。

この他に俺が憧れていたことと言えば・・・・・・・・・・・・




待てよ?・・・・確かに処女とはヤレたが何か違和感が・・・・・・・・・・はっ!!!!
















「チャームに頼らず処女を堕とす・・・・・!!」







こうして、幸いなことに俺の新しい目標はすぐに決まった!!































[18596] 第16話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/03 21:01





その後、ノワと二人で無事に【騒がしき密林】を抜けることが出来た俺は、彼女が冒険の拠点としていた

大陸南方の地方都市であり、町の半分が海に面している【鋼船都市アラクシュミー】を訪れることにした。



大陸でも有数の大きな港があるこの都市には当然、世界を股に掛ける“冒険者相互補助組合”・・・・

通称【冒険者ギルド】の支部もあるので、そこで無事【ギルド登録】をすることが出来た。



ギルド登録によって得られる、氏名とギルドランクが記入された銀色のプレート・・・・通称【ギルドカード】は

身分証明書としても認知されているので、コレを持っていなければ各国の都市に入る際に

面倒な手続きやら検閲やらを長々とするハメになってしまう。

流石にゲーム中のように、門を素通りというわけにはいかないのである。



ちなみに今の俺の【ギルドランク】は、上からS、A、B、C、D、E、F、Gと並ぶランクの中の一番下・・・・・すなわちGランクであり、

冒険者としては半人前以下といったところだ。



一つランクが上がるごとに、その次のランクに上がるのが指数関数的に難しくなるこの世界では

ギルドに所属している冒険者はEランクで一人前、Cランクで超一流で、Bランク以上となると

人外魔境というのが常識らしい(ノワはEランクで、この都市にはDランク以上の冒険者はいない)

しかしそうなると、ゲーム【アルカディア】が最盛期だった頃は俺を含めてそこら中に人外魔境が闊歩していたことになるんだが・・・・・





それはさておき、とにかく今の俺はGランク。これは仕方ない。ギルドに入る者は皆、たとえどれだけ腕利きでも

最初はこのGランクから始めなければいかないので特別扱いを希望するわけにもいかない。

当然、受注することが出来る【クエスト】なんかも俺にとっては子供のお使いレベルなのだが文句は言うまい。



少なくとも、この世界に来る前の生活とは比べようも無いほど今の暮らしは充実していると思えるし

何より“生きている”と心の底から実感することが出来る。



それに、この都市に着いて早々“ある事件”が起きたせいでギルドや他の冒険者連中に俺がGランクなぞに納まるような

奴じゃないことがもうバレちまっているからな。

既に何組かのパーティからしつこい位の勧誘を受けてるし、その事件とはまた別のことが原因で

いつの間にか妙な“二つ名”まで付けられてるし・・・・





そんな生活の中でただ一つ不満があるとすれば、時々ゲーム中では決して語られることの無かった血生臭く残酷な現実を目にすることもある。



クエストを受注した顔見知りのパーティが、そのまま帰って来なかったりとか、な・・・・・



けれどこの世界はゲームとは違うのだから、冷たいようだが仕方ないとも言えるし、それでもやっぱり冒険者という職業は面白い。

せっかく異世界に来たんだから、自分好みの処女を探したり女を抱くばかりじゃ能がないよな!!










「うぅん・・・・・・・・もう朝なのぉ?」









おっと、もう起きたのか?流石にタフだな、昨夜はあんなに乱れまくっていたのに。 

確かにもう朝日が昇っていて、市場のほうがだんだんと賑やかになってくる時間帯だが・・・・

おおそうだ、今日の朝飯は魚市場で売っている鱒(ます)を適当に捌いてスープにでもするか。

幸い【料理スキル】は、ぼちぼち上げてあったしな。





昨夜の情事で乱れたベッドの上で、まだ眠たげに目蓋をこすっている町一番の娼婦の姿をぼんやり眺めながら、

俺はそんなとりとめの無いことを考えていた。





・・・・・・・・・・・・・まったく抱かないとは言ってないぞ?











オッサン少年珍道中       第16話











すっかり馴染みとなった娼館を後にし市場へと足を向ける俺。

そんな俺の唇には、先ほどまで同じシーツにくるまっていた娼婦が腰をガクガクさせながら

別れ際にしてくれたキスのしっとりした感触がまだ残っている。



「絶対また来てね・・・・・約束よ」という言葉と熱っぽい視線と共に捧げられたディープキスは、

流石は商売女と言うべきか男が興奮し喜ぶテクニックがふんだんに盛り込まれていた。

まあそれでもサキュバス達には性技全般やその美貌はどうしたって劣ってしまうわけだが・・・・・・



でもまぁ娼館通いというのも中々楽しいもので、最初は堕としたいと思えるような処女が中々見つからないことへの

苛立ちから、ついつい扉をくぐっただけのはずが・・・・

ハッハッハッハッ!!いつのまにか結構な頻度で足を運ぶようになっていたんだなぁ、これが!!










・・・・・・・うんそうだな、諸君らが訊きたいことは判ってるつもりだ。

ずばり「おいこらオッサン!ダークエルフのボクッ娘はどうしたんだよ!?」と言いたいんだろ?

う~~ん・・・ノワールなぁ・・・・・いや別に喧嘩別れしたわけじゃないぞ?この都市についてからも

数日間は昼夜問わず子作りしまくったし。




実はなぁ・・・・・アイツは妊娠検査のために故郷のアルフへイムに帰ってるんだよ。

なんでも本当に妊娠しているかどうかは、アルフへイムにあるエルフ族専用の病院で検査すれば

すぐにわかってしまうらしい。

一応、俺も一緒に行こうかと提案したんだが



「もしパパに見つかって、お前がボクに子種を仕込みまくったことを知られちゃったら・・・・・・

デスタ、間違いなくその場で殺されるよ・・・・・・?」



とか真顔で忠告されてそれでもノワについていくような根性など体は最強心はオッサンの俺には備わっちゃいなかったいいとも笑いたければ存分に笑えっ!!

幸いなことに、この都市からアルフへイムまでは距離こそかなりあるものの、ノワにとっちゃ

雑魚レベルのモンスターしか出ないらしいから俺も安心して送り出した。



まあ腐っても俺はレベル3000だから本当に殺されることはまず無いんだが、ノワの実家が伯爵家ってのが問題なんだよな。

この世界じゃ貴族や王族が暗殺者を雇って邪魔者を消すってのは日常茶飯事らしい。

家を捨てて出て行った娘とはいえ人間などと交わり、あまつさえ孕まされたと知った時の

ノワの“パパ”がどんな対応をするかは想像に難くない。



楽しい面倒事なら大歓迎だが、今回のはどう考えても楽しい展開にはなりそうにない。

もうちょっと節度を持つべきだったよなぁ俺も。物語なんかでも貴族の娘に手を出した平民は

良くてその土地を追放、悪ければ殺されるって相場が決まってんのに・・・・



でも気持ち良かったんだよな~~アイツの身体は。

中出しオネダリからお掃除フェラまでキッチリ仕込んでやったし、何より普段は強気な癖に

ベッドに入った途端にマタタビを嗅いだネコのように従順になるアイツが、もう可愛らしゅ~て可愛らしゅ~て!






あっちなみに妊娠検査ってところで気づいたかもしれんが、この世界は全体的に見れば

中世ヨーロッパ程度の文明レベルしか持っていないんだが一部の特定分野においては現代の地球に追いつく、

あるいは軽く凌駕するような技術的発展に成功している。



魔法が生活の一部として日常的に存在する、ファンタジー世界ならではの【魔科学】とかいうモノの存在と、

モンスターが消滅する時にドロップする、魔力の結晶体である魂魄石が石油など比べ物にならんくらいの

クリーンで効率的なエネルギー変換を可能とすることの結果なんだそうだ(公式設定より抜粋)



病院設備や生活排水の処理システムなんかは、何処の国でも地球の発展途上国よりもよっぽど進んでいるし

【飛空挺】なんかもコストパフォーマンスが悪すぎて地球では作れないだろう。

まして【魔導戦艦】なんか地球人からすれば宇宙船だと言われても信じるしかないような

オーバーテクノロジーの塊である。






「チクショー、自分の飛空挺欲しいな~~~~」





アレさえあれば世界中何処にでもイイ女を探しに・・・・・もとい冒険に行くことが出来るんだけどな~~~。

そんなことを考えつつも、出勤や朝食の準備のために家から起き出してきた町の住人に笑顔で挨拶しながら(イメージアップって大事)

石畳で補整された市場への道をゆっくり歩いていると・・・・・・




「おっ!おったおった・・・お~~い、デスタっ!おはようさ~ん。

これから朝食なん?良かったら一緒に食べよ?あっ、勿論ウチの奢りでええよ♪」





あん?・・・・うわーー、こりゃまた面倒な奴に見つかったな。

背後を振り返ると朝っぱらから何とも元気のいい声を出し早足で此方へ近づいてくる女が一人。

いや美人だよ?確かに美人なんだけど・・・・・面倒臭いんだよなぁ、色々・・・



ニコッというよりはニカッという擬音の方が正しいであろう笑みを、同姓にモテそうな

凛々しくキリっとした顔に浮かべて、胡散臭い関西弁を繰り出しながらその女は目の前で立ち止まり、

その大きな手で俺の頭をグリグリと撫でてきた。



女性としてはかなりの高身長だろう、180cm近くあるメリハリの利いたやや筋肉質なボディを

白いヘソ出しタンクトップと青いジーンズというラフな格好で包んでいる。

ブラをつけていないせいか小玉スイカのような巨乳が胸元を押し上げ、その中心部のサクランボがうっすらと透けて見えそうだ。

しかしコイツの持つ快活な雰囲気の影響か、イヤラしい印象はまったく受けず、むしろ若々しい健康美が目立つ。




そして背中には常に持ち歩いているという、コイツの商売道具にして愛用の武器である巨大な鎚。

装飾の類は最小限で実用性を重視した、持ち主の身長よりも長い鉛色に輝くその大きな殴打用武器を

この女は軽々と背負っている。




余りお目にかかれない様なその光景も、コイツの種族の特性を考えれば納得がいく。

何しろ単純な身体能力なら竜人すらも凌ぐほどなのだから(その代わり魔法の類は全滅)

赤銅色の肌と瞳、腰まで届くポニーテールにまとめた鉄錆色の髪も目をひくが、額の上部からそれぞれ

逆の方向に生えた“短く黄色い円錐形の角”ほどじゃない。






この女の名前はシズカ・シノノメ

この都市にやってきた最初の日に起こった“ある事件”を通じて知り合った第2クラスの【鎚使い】であり、

それと同時にギルドにほど近いこの町の中心部で鍛冶屋を営んでいる【鬼人】の女戦士である。












・・・・・・・・・・・どーでもいいが頭皮に爪が食い込んで少し痛いぞ。



















[18596] 第17話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/06 07:09

シズカと知り合うきっかけになった“ある事件”ってのは一体何なのかというと、

まぁ要するにモンスターの大群がこの都市に攻め込んで来たわけだ。



ゲーム中でもたま~に似たようなイベントがランダム周期であった。

攻め込まれる対象となった都市や村の中にいるプレイヤー達がNPCと協力し合って、

モンスターからそこを防衛するって感じのヤツだ。



もっともそれに参加するかどうかは各プレイヤーの自由意志だったが、よっぽど時間が無い

プレイヤー以外は、ほとんど毎回全員参加していた。



というのも防衛に失敗してしまうとプレイヤー達にとっても都合の悪いことが起きるからだ。

復興資金に当てるとかいう理由でそこで販売しているアイテムの値段が一時的に高騰したり、

一部の施設がしばらく利用できなくなったり、酷いときなぞ一定期間その都市や村に

入ることすら不可能になってしまう。

当然その間もゲーム内時間は進むので、そこでしか達成できないような期限付きのクエストなどを

受注していると泣くことになる。




・・・・・・・・しかし俺が今いるこの世界はゲームではなく、あくまで“ゲームのような現実”だ。

ゲーム中では描写されることの無かった人的被害も、この世界では当然の如く存在する。

それは現代日本に住んでいた俺にとっては目を覆いたくなるようなものだ。



“モンスターに攻め込まれた町や村が一夜にして地図から消え去る”なんてことも

珍しくはないと事前にノワールから聞いていたんだが、そこに住んでいた住人達も男や老人なら大概は食い殺され、

若い女なら繁殖用に連れ去られてしまうらしいぞ?



主にオークやゴブリン、リザードマンやウェアウルフなんかの手によってな。コイツらは種族内に牡しか存在しないので

他種族の牝を巣に持ち帰っては“壊れる”まで輪姦しまくって、壊れてからも死ぬまで子供製造機として扱われるらしい。

まったく勘弁してくれ。要らないんだよ、そんな子供達の夢を壊すかのような本当は怖い

グリム童話的なファンタジー世界の裏話は!!





別に俺は聖人君子じゃない・・・・・むしろそんなモノからはかけ離れた人間だと自認しているが、

これからしばらく滞在しようというその場所で余り血生臭いことは起こって欲しくなかったし

折角憧れていた魔道士に為れたんだから、魔法の効果の実践的な実験も兼ねて

人助けくらいしてやってもいいかなと思った。




それに何より、たかがモンスター風情に俺が抱くことになるかも知れない女達をムザムザと

奪われることなど容認できるわけが無い!!





というわけで持ち前のチート性能を存分に発揮することにした俺は、モンスターに襲撃されていた

都市の東側へとノワと共に赴き、諸君なら全員ご存知であろう、あの伝説の最強最悪最厨魔法を高らかに唱え

一瞬にして数百体はいたモンスターの群れを永遠に溶けることのない氷の棺に閉じ込めた。

その魔法とは勿論・・・・・・・













「極寒の地の氷の神よ、我に力を与えたまえ。言葉は氷柱、氷柱は剣。身を貫きし凍てつく氷の刃よ、

今嵐となり我が障壁を壊さん!【エターナルフォースブリザード】」



瞬間、世界そのものが凍った・・・・・・・!!










オッサン少年珍道中      第17話














・・・・・・・・・・はいそうです。ウソです。フィクションです。ぶっちゃけ完全に妄想です。

そもそもあんなのこの世界にはないし、覚えていたとしてもイタすぎて使えない。





本当は何をしたのかというとモンスターの攻撃で傷ついた冒険者たちを回復してやったり

少し苦しそうだなと思った冒険者たちに補助魔法をかけてやったり、強めのモンスター達を弱体化させてやったり

攻撃魔法はほとんど使わず(使ったとしてもかなり手加減した)あくまで回復・補助要員として戦場を駆け回った。



回復にしろ補助にしろ、その全てが初級から中級ランクまでの魔法だったが、それでもこの俺が唱えれば

並みの魔道士が放つ上級魔法すら比較にならないほどの効果がある。

その恩恵に与った都市防衛に当たっていた冒険者たちは皆、戦闘終了後に口々に礼を言ってきたし

早速勧誘してくるパーティも少なくなかった。



事実、俺が戦闘に関与したことによって想定されていた人的被害を遥かに下回る結果になったらしく、

ギルドの職員からもえらく感謝された(ギルドに入る際の登録金は免除してくれなかったけど・・・・・)







随分と地味なやり方だと思うか?でもこれでいいんだ。

前にも言ったと思うが、俺は自分の本当の実力はなるべく隠しておきたい。

でもやっぱり俺も俗物なので、少しは大多数の人から尊敬されたり認めてもらいたいという気持ちもある。

そのためにはこれが一番いい方法だったんじゃないかと思う。




正直な話、別にエタブリなんか無くたって、この辺りに出現するモンスターならたとえ

数百体いようが一人で5分~10分もあれば全滅させることが出来る。

しかし名の知れた有名冒険者でもない俺がそんなことをしたらどう思われるだろうか?



そりゃ勿論感謝もされるだろうが、間違いなくそれ以上に怪しまれ、恐れられて俺の方がモンスターみたいに思われてしまう。

○○の大冒険の主人公みたいにな。アレは読んでいて心が痛んだ。

俺はあんなことになってまで自分の力を誇示したいとは思わん。



ただし周りに見せる“力”が、あくまで味方を援護するための“力”だったとしたらどうだろうか?

要するに強力な攻撃魔法を使える奴より、強力な回復魔法を使える奴のほうが親しみやすく

感じるんじゃないかってことだ。



今回の都市防衛線でも、俺に助けられた奴は感謝こそすれ恐れを抱くようなことはないだろう。

俺のことは精々“補助・回復に一点特化した才能溢れる少年魔道士”みたいに思っているはずだ。

何ていうかこう、小さな縁の下の力持ち的な?



それでいいんだ、そういう認識でいてくれた方が俺としても有難いし、だからこそ防衛終了後の

都市全体を挙げての宴で、娼館のお姉様たちが優しく接してくれたんだと思う(ノワは隣で頬を膨らませていたが)

それに自分でも意外だったのだが、騒がしき密林の時のように一人で俺様無双するよりも

俺のサポートを受けた他の冒険者連中が、その威力に驚きつつも俺に感謝しながら敵を屠っていくのを

見ているほうが楽しかった。



熟練者が初心者を見守るときの心情と言えば判りやすいかな?

そりゃあ俺が一人で何から何まで終わらせたほうが犠牲は少なかったんだろうが、そこまでしてやるほど

俺は聖人君子じゃない・・・・・もう言ったなこれは。






まあとにかく、そういう経緯から俺はこの都市でも一躍有名になった。

もっともそこには、誰にも心を開かなかったダークエルフの少女を手懐けたことへの驚きと賞賛も入っていたが。




・・・・・・・え?結局シズカとはどうやって知り合ったのかって?

おっとスマン、話が少し横道にそれちまったな。




コイツとは都市防衛線の最中、正門前の最も戦闘が激しかった所で出会ったんだ。

数体の【ゴブリンメイジ】が遠距離から放つ魔法に苦しんでいたシズカに、俺が魔法防御力を

アップさせる補助魔法【ディフェンドマジック】をかけて助けてやったわけ。

ちなみに、その時コイツは舞妓さんたちが身に着けているような艶やかな着物と、足には高下駄を装備していた。



いきなり補助魔法をかけられて驚いたようだったが、そこは流石に本職の冒険者と言うべきか、

自分の魔法防御力が凄まじく上がっていることを脳内ステータスで確認すると、シズカはすぐに気をとりなおして

敵の集団へと向かっていった。



元々身体能力がズバ抜けて高い鬼人族で、しかも弱点である魔法に対する抵抗力まで得た彼女にとっては

魔力を保有していること以外は普通のゴブリンと大差ないゴブリンメイジでは相手にならなかった。



そんで、持っていた槌でゴブリンメイジ共を全て叩き潰した後、お礼を言うために俺の方を振り返ったわけだが・・・・・

そうなんだよ、そこなんだよ俺が迂闊だったのは。

でも仕方なかったんだよなぁ、その時点ではコイツが王都でもやっていけるほど腕のいい鍛冶職人だなんて知らなかったわけで・・・・・



「“そういう事態”もあり得るので実力を隠したいなら十分注意して下さい」



とサキュバス達にも言われてたけど、まさかこんなに早くバレルとは思わなかったんだよ俺は!!

よっぽど凄腕の冒険者とか有名ブランドの鍛冶屋、もしくは大都市の高級武具店の店員くらいしか

気づくまいと思っていたんだが、その予想を裏切ってこの女は気づいちまったんだよなぁ・・・・・








「な~な~な~~、別にええやん!アンタが身に着けてるあの装備・・・・・たしか煌血杖と煌血礼服やったっけ?

一度でええからじっくり調べさせてよぉ!!大丈夫やって、ちゃ~んと返すってば~~~~~!」



「煌血“礼装”だ。“礼服”じゃなくて“礼装”」



「どっちも同じや~ん。なあ、ええやろ?お願いっ!この通りや」



「何度も言ってるだろう?駄目なものは駄目だ」



「むむむうぅぅ~~~~~~~~」




俺と一緒に宿屋の食堂で焼き鱒のスープをすすりパンをかじりながら、さっきから同じことばっかり

ほざきやがるエセ関西弁(大阪弁?)の鬼っ娘。

俺がこの宿の主人に厨房を借りてスープを煮込んでる最中も、側で椅子に座りながらず~~っとコレばっかりだ。




そう、コイツは初見でその時俺が身に着けていた装備が、とんでもない力を秘めたシロモノであることを見抜いてきたのである。




その時のコイツの反応といったらもう、こっちがちょっとヒクぐらいに驚くは、目が血走るはで、

まだアチコチで戦闘中だったにも関わらず俺の肩を掴み、そのままガックンガックン揺らして

軽く逝っちゃったような目つきで俺の装備を凝視しながら




「ちょ、ちょ、ちょっとアンタ!!これ何!?これ何なん!?こんなん一体何処で手に入れたん!?」



「えっ、えっ、えぇ?いや、あの・・・とりあえず手をどけてもらえると助か・・・・」



「いやいやいや・・・・あり得へんから・・・・【オリハルコン】・【アダマンティン】・【ミスリル聖銀】と並ぶ

伝説の四大金属の一つ【ヒヒイロカネ】をそのまま槍の形に削り出すって・・・・・!!

しかもその表面を・・・・何や?・・・とんでもない魔力がこもった血液でコーティングしたんか!?」


「い、いやだから・・・・・とにかく手を離して欲しいなって思ったり思わなかったり・・・・」



「こ、こ、こっちの服は超希少な【アリアドネの糸】を槍とおんなじ生物の血で染めたんか!?・・・・・

こっ、こんなモン・・・この国の王宮宝物庫にも無いで!!・・・・こ、このドクロのバックルもヒヒイロカネやんかっ!!?」




とまあこんな感じで俺がムリヤリ引き離すまで延々と俺の装備に対する解説を披露してくれましたとさ。

んでもって次の日から俺に馴れ馴れしいくらいの態度で接してきて、隙あらば俺の装備をかっぱらってでも

調べようとしてきやがる。

その光景を見て、自分以外の女と必要以上にベタベタしていると誤解したノワの機嫌を宥めるのにどれだけ苦労したことか・・・・・



どうも鍛冶職人としての探究心に火が点いてしまったらしい(火というよりも燃え盛る業火だが)

これでアイテム欄に煌血剣を仕舞っていなかったらどうなっていたか考えたくも無い。



実はサキュバス達との約束で彼女達が俺に作ってくれた装備一式は他の職人には調べさせてはいけないことになっている。

何でも魔界に伝わる秘術を多用しているらしく、整備が必要な時にはエンプレス・パレスまで持っていくことになっているのだ。

しっかしシズカの驚きようからすると、俺が思っていた以上にとんでもないモノを作ってくれたようだが・・・・・



本当なら調べる許可をダシにして関係を迫りたいとこだが、サキュバス達との約束でそれは出来ない。

詳しい事情を誤魔化して、ただ「約束があるから」と言ってみたものの、それでも納得はしてくれなかった。

となると、コイツはただの喧しくて面倒臭い装備オタクの女ということになるんだが・・・・・



そのハズなんだが・・・・・不思議とコイツのことは嫌いになれないんだよなぁ・・・

いちいち「装備を調べさせて」と捲くし立ててくるのには参るし、それを断りつづけるのも面倒なんだが、

別に鬱陶しいとは感じないんだ。でなきゃ朝食を一緒に食べたりはしないし。




シズカが美人であり、基本的には親しみやすい性格をしてるってのも勿論あるんだが、

それ以上にコイツといると妙に落ち着く自分がいる。

波長が合うと言えるのかもしれない。まるで昔から知ってる幼馴染といるかのような感覚。

実際、コイツと即席パーティを組んで臨んだ鉱石集めのクエストでは結構良い連携プレイができた。



そういうわけで、別に俺個人としてはシズカの望みを叶えてやることに吝かでもないんだが(報酬はちゃんと払ってもらうぞ?勿論肉体でな)

あれだけ俺に尽くしてくれたエレシュキガル達を裏切るような真似をするのは流石に躊躇われる。

・・・・・・・・・・・・あっさり捨てたくせに何言ってんだって?

べ、別に捨てたわけじゃないぞ!!ただ男には大切なものを置き去りにしてでも成し遂げなければならぬことがあるっていうか・・・・



と、とにかくそういうわけでシズカの望みを叶えてやることは出来ないんだが、彼女はコップの水を

一気に飲み干すと・・・・




「んくっ、んくっ、んくっ・・・・・ぷはぁっ!・・・・・ぶ~ぶ~、デスタのケチィ!

ふんっ!!そんなんやからあんな妙な二つ名をつけられる羽目になるんや。

この“オーガンイーター”!!」







それを今ここで持ち出しますか?シズカさん・・・・・・・・・・



















[18596] 第18話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/09 16:28
organ eater


直訳すれば“内臓を喰らう者”という、何とな~く某カニバリズムな元天才精神科医を思わせるような

俺の二つ名だが勿論あんな趣味は俺には無い。

では何故こんな風に呼ばれるようになったのか?




前に話したと思うが、この世界ではゲームと同様、モンスターは倒されてしばらくすると

その場にドロップアイテムを残して消えてしまう。

個体差や大きさにもよるが、その間約5秒~10秒とかなり短い。




そしてここからが本題なんだが、ゲーム中でもこの世界でも、倒したモンスターに対して【剥ぎ取り】

という行為を行えるのである(モン〇ンを知っていればイメージしやすかろう)

まあ、ゲームでは消滅する前のモンスターに近寄ってコマンドを入力すれば良いだけなのに対して、

この世界では実際にナイフ片手に自分で剥ぎ取らなければいけないので、難しさは段違いなんだがな。

制限時間もかなりシビアなわけだし・・・・・




剥ぎ取りを行えば通常のドロップアイテムとは別に追加でアイテムを入手することが出来る。

当然、剥ぎ取りでなければ手に入らない素材や、【剥ぎ取りスキル】の熟練度が高くないと入手出来ないものもあるんだが

【内臓系】はその中でも熟練度がカンスト間際にならないと手に入らないという最も貴重なアイテム郡である(当然俺はカンスト)




【レッサードラゴンの心臓】とか【マグマシャークの肝臓】とかそんな感じ。

これらは高級な装備品や魔法薬を作るのに必要になったり(例えば上の2つだと【ドラグーンセイバー】とか

【溶岩鮫の肝油】の作成に不可欠)

売りに出せば他の素材アイテムとは比べ物にならないくらいの値段が付いたりする。

当然、冒険者からしてみれば是が非でも手に入れたい代物なのだが上記の難しさも原因となって、

この世界でも内臓を剥ぎ取れるのは最低でもギルドランクがC以上の連中ばっかりらしい。




後は言わなくても判るだろう。

数種類のザコから構成されたモンスター集団の討伐クエストを引き受けた俺は、折角だからと倒したモンスター全てから

内臓系のアイテムを剥ぎ取ってやった。




具体的には【ワイドパラライズ】でモンスターたちを全部【麻痺】状態にして動けなくしてから、

流れ作業のように、一匹ずつ殺して素早く、丁寧に、かつ大胆に解体していった。

どういう手順でバラしていけばいいのか、熟練度カンストの影響からか手に取るように判った。

屠殺場で働いたことはないが、多分似たようなことをしてるんだと思う。





で、その場面を知らず知らずの内に他の冒険者パーティに見られていた俺は、翌日からめでたくオーガンイーター

と呼ばれるようになり、例の襲撃事件のこともあって瞬く間に都市中にその名が広がってしまったというわけ。

しっかし俺としてはもうちょっとカッコイイ(中二臭い、イタいとも言う)二つ名が良かったんだがなぁ。

例を挙げると“ゴッドイーター”とか“ソウルイーター”とかそんな感じのヤツが・・・・・




朝食の後、シズカと一緒にクエストに出かけ、その帰りにギルドで不要なアイテムを換金し、

互いの分け前を分配してから彼女と別れ宿屋へ戻る道すがら、茜色に染まる石畳を歩きながら俺はそんなことを考えていた。

この微妙な二つ名が、数日後に役に立つことになるなどとは夢にも思わずに・・・・・・










オッサン少年珍道中     第18話













ギルド前でシズカと別れて数十分後、俺がこの都市に来てから利用している、この界隈では一番高級な宿屋に着いたんだが・・・・・・





「て、手前ぇ!・・・・騎士様だか何だか知らねえが調子に乗ってんじゃねえぞっ、クソがぁぁぁッーーー!!」



「卑しい冒険者風情が・・・・このあたしに触るなっ!!」




ヒュン! バキィィィッ!!




「ガァッ!?く、くそッ・・・・」





え~~と、遠巻きに眺める野次馬の中心で絵に描いたような乱闘騒ぎが起こっています。

いや乱闘自体はそんなに珍しいもんじゃ無いんだけども、流石に1人vs10数人ってのは中々お目にかかれない。

まして、一方が屈強な冒険者の男達で、もう一方がはっと目が覚めるような美女だってんだから尚更だ。




「どうした、その程度か・・・・?ふんっ!所詮、男などこんなもの。弱者の癖に我々に歯向かうから痛い目を見るのだ」




小馬鹿にした様子で自分が殴り飛ばした冒険者の男を冷たく見下ろし、ハスキーボイスで吐き捨てるその女の容姿は、

健康的に日焼けした小麦色の肌と、肩の辺りで切りそろえられた深緑の髪。

顔つきは女性に対する形容詞としてはアレだが“美人”というより“男前”という表現が似合う。

髪と同じ色の瞳と、キリッとして意思の強さを感じさせる眉。そしてくっきりとした鼻筋に小さめの唇。

少しだけ童顔っぽくはあるんだが、その鋭い眼光のせいか随分と勇ましく見える。




そして極め付けが彼女の身に着けているその装備。

いかにも“ファンタジーなので物理法則は無視”って感じの「これホントに防御力あるの?」と疑いたくなるような

露出の激しい鎧を着込んでいる(タキシードを着ている俺が言えた義理じゃないが)




身体の前半分がほとんど隠れておらず、首元から胸の間、そしてうっすらと割れている腹筋、横腹までもが丸見えである。

かろうじて股間とその小ぶりな胸を覆っていて、先ほどの会話からして騎士甲冑の一種なのであろうそれは

彼女に合わせた特注品なのか、緑色を基調として所々に豪奢な意匠が施されている。

そして背中には一本の長剣・・・・・分類としてはツヴァイヘンダーで合っていると思うが、

2メートル近い長さの両手剣を抜き身で吊るしている。

・・・・・・・・・というかあの女、どうやらブラを着けてないぞ?




ただし、乱闘騒ぎに加わらずに人垣の最前列であの女の背中を見守っている、恐らくは彼女の仲間らしき十数人の女騎士達は全員、

銀色に輝くオーソドックスな騎士甲冑を着けている(ちなみに、この世界では女騎士はそんなに珍しいものじゃない)

耳を澄ませば「流石はジーラ副隊長よね~~」とかいう会話が聞こえてくる。

・・・・・・・・そうか、露出が激しくても副隊長になれるのか。




彼女たちの騎士甲冑は見たところこの国・・・・【ニルヴァンナ王国】のソレのようだが、

どうも俺が覚えているゲーム中のデザインと微妙に違う。

具体的には彼女たちの甲冑のほうが装飾が派手というか、金がかかってそうというか・・・・




まあ、そんなことは今はどうでも良い。

何しろ副隊長さんと喧嘩している連中(正しくは一方的にボコられている連中)は全員俺の顔見知りであり、

その内の何人かとは、この前の襲撃事件から友人と言って良い関係を築けている(まあ俺を利用したいだけかも知れんが)




元の世界ではともかく、この世界では俺は結構な実力者だ。

何回か晩飯を奢ってもらったこともある顔もいることだし助けてやってもいいだろう。

それに・・・・・・・・あの女騎士たちだが、皆かなり美形の粒ぞろいだ。

もし、この騒ぎを上手に利用することが出来れば全員まとめて・・・・・ぐふッ、ぐふふふふふッ




特に緑で露出な副隊長さんは、オッパイこそちょっと残念な感じではあるが、それでも十分に美味そうな身体をしている。

あの瑞々しい肌に舌を這わせれば、さぞかし甘~い味がするに違いない。

あの誇り高そうで強気な表情が、屈辱と悦楽で歪む様は俺の嗜虐心を大いに満たしてくれることだろう。

ちょうど試してみたい魔法もあることだし・・・・・・

まあ、もしかしたらノワの時みたく後々厄介なことになるかも知れんが、それはその時になってから考えよう。




もしもアイツが処女でいてくれたら最高なんだがなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・

おっと、そんなことを考えている間に最後の一人が殴り倒された。

あれは・・・・へクターだな、襲撃事件の時に俺が回復してやった第2クラスの【盗賊】だ。

あいつの妹は今年で16になるんだが結構美人なんだ・・・・・・・・・大変残念なことに処女じゃなかったんだけども(でも中々美味かった)




俺はニヤけそうになる頬を必死で引き締めながら野次馬共を掻き分け、さも心配しているような表情を作って

へクターの元に駆け寄った。

煌血杖は既にアイテム欄に仕舞っているが、無くても特に問題はあるまい。




「おいおい大丈夫か?一体この騒ぎは何事だ、説明してくれよへクター?」



「うう・・・・デ、デスタか?ありがたい、来てくれたんだな・・・・そ、それが、

この女騎士たちがイキナリやってきて、自分達がこの宿を使うから俺達は出て行けってエラそうに命令しやがってよ・・・・・」



「はぁ?何だそりゃ、それでお前達が断ったからこの乱闘騒ぎってわけか?」



「っ痛ぅ、そういうこった・・・・『卑しい冒険者風情が我々に逆らうな』だとさ。

ハッ!騎士がどれだけ偉いってんだ畜生がッ!!」



「や~れやれ・・・それだけ元気なら【ヒール】はかけなくても良さそうだな」





まあ確かにゲーム中でも一部のNPCの騎士たちは、此方も騎士系統のクラスで無い限り

見下した対応をとっていたが・・・・

ていうかそんな横暴、ここの店主が許すはずが・・・・・・・・・おいおい、従業員やら家族やらと一緒に

宿の一階にある厨房に引っ込んじまってるよあの野郎。

まあとにかく、これでハッキリしたことがある。それは・・・・




「お前達に一方的に非があるってことだ。俺の友人達に謝罪してもらいたいものだな、ジーラ副隊長殿?」





俺はヘクターをそのまま地面に横たわらせてから、問題の騎士たちに向き直った。

いや良かった良かった・・・・コイツら相手ならわずかに残っている俺の良心も傷つかずに済みそうだ。

俺を完全に舐めているのだろう、ジーラも彼女の部下達も「子供が何をエラそうに・・・・」という

心境を隠すこともなく馬鹿にしたような笑みを浮かべている。




「ふふん・・・小僧、友人思いなのは結構なことだが口を慎むんだな。何故あたし達が冒険者如きに

謝罪しなくてはならない?むしろ謝るべきは我々に歯向かったそやつらの方だろう」




自分が悪いという気持ちなど欠片もなく、どこまでも横暴な態度でジーラはそう断言した。

それを聞いてへクターやその他の連中がいきり立ち、もう一度立ち上がろうとするが俺はそれを目線で止める。

パッシブ系の特殊スキル【カリスマ(大)】のお陰だろう、多少不満そうな顔はするものの、全員俺に従ってくれた。

そもそも脳を揺らされてるんだから、そう簡単には立ち上がれないだろうし・・・・




ふ~む、しかしそうか。謝罪する気はまったく無いわけね。

別にいいさ、俺としても素直に謝られちゃ困るんだ。

何しろ・・・・・お前達を好きにするための大義名分を周りの野次馬共に見せつけたいわけだからなぁ!!






そうだな・・・・背中の長剣を利用すればいけるだろう。

街中で武器を向けるということは、この世界じゃ暗黙の了解的にしてはならない行為らしいし・・・・

そういえばコイツ、さっき「男など・・・」とか言ってたな。

見た感じ単純そうだし・・・・それじゃあ、こういう趣向はどうだ?

俺は出来る限り相手を不愉快にさせるような、苛立たせるような表情を作ってヘラヘラ笑いながら

ジーラを挑発し始めた。




「ふざけるなよ?たかが“女”の分際で・・・・」




その瞬間、取り巻きの女騎士たちの表情が強張り、彼女達のリーダーの方に目を遣るのがはっきりと見えた。

そして肝心のジーラはというと、




「・・・・女の分際で、だと?・・・小僧、あまり調子に乗ると子供とはいえ容赦はせんぞ・・・・・!」




ビンゴッ!!狙い通り食いついてきやがった。

ははははッ、怒ってる怒ってる、いい感じだ!!俺を殺意すら孕んだ眼差しで睨みつけながら

拳を握り締めてプルプルさせてるよコイツ。

あとはこのままコッチのペースに乗せてやればすぐにでも・・・・




「はぁ~~~?なんだそりゃ、それでカッコつけてるつもりか?男の逸物を咥えこむことしか能がない“女”風情が・・・・

っぷ、くすくすくす、マジで笑えるんですけど?どうやったって男に勝てない“女”の癖に粋がっちゃって・・・・」



「貴様ッ・・・・!それ以上口にすれば・・・・・ッ!!」



「おやおや?どうしたのかなぁ?拳が震えてるぞぉ、んん~?・・・怖いのか?怖くて震えちゃってるのか?

そりゃそうだよなぁ、“女”だもんなぁ?・・・くすくす、弱いんだもんなぁ?男の性処理肉便器に過ぎないもんなぁ?

そうだろう?“女”ばっかりの愚にもつかない様な騎士団の“女”副隊長さん?・・・・

くッくくく、あッははははははッ!!」



「き、キッサマァァァァーー!!そこに直れぇぇぇぇッ!!!」




空気がビリビリ震えるような大音声と供に、背中の長剣を掴み、そのまま俺へと向ける副隊長さん。

やっぱりだ。理由は判らんがこの女は、いわゆる女性への性差別的な言動に対して異常なまでの怒りを覚えるらしい。

多分コイツは“男”という存在を本気で唾棄すべきものだと思っているのだろう、じゃなきゃ幾ら単純でも

こんなあからさまな挑発には乗ってこないはずだ。仮にも“副隊長”なんだし?




これはただの推測だが、宿屋にいた冒険者達が女ばかりだったら、また違った対応をしていたのではないだろうか。

過去に男関連でイヤなことでもあったのかね?まあそれは追々調べることとして・・・・




「ふっふふふふ・・・・剣を手に取ったな?一応忠告しておいてやるが、今すぐその剣を収めろ。

じゃないと後悔することになるぞ?」



「黙れッ!!・・・あたしとこの騎士団に対する数々の暴言、子供と言えども最早許してはおけんっ!!

覚悟しろっ、ハアアァァァァーーーーッ!!!」



「ジ、ジーラ様!ダメです、お止め下さいっ!!」




慌てて部下たちが止めようとするが間に合わない。ツヴァイヘンダーを大上段に振りかぶって

俺の脳天に振り下ろしてくるジーラ。

しかしその凄まじい斬撃も、この俺の【反射神経】と【俊敏さ】からすれば・・・・・




「遅すぎる・・・・・“アンドレス”!!」



「な、何だと!?」




あるイベントで手に入る魔道書からでしか習得出来ず、かつ第3クラス以上の魔道士しか使えない魔法【アンドレス】

この魔法は元々、敵モンスターの装備している武器や鎧を弾き飛ばしてステータスを下げることが出来たり、

戦闘後に弾き飛ばした装備アイテムを入手出来たりする便利な魔法なんだが、それを

この男嫌いの副隊長殿に対して発動させればどうなるか・・・・・・




ガキィーーン・・・・・ガシャン、ガシャン




「な、な、な・・・・・きゃ、きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」



「おおおおおおおぉぉぉぉ!!?(その場にいた男共の魂の叫び)」




自分の身体を両手で抱きしめてその場に蹲る副隊長さん。

先ほどまで身にまとっていた鎧も、手に握っていた長剣もアンドレスの効果で弾き飛ばされた

今の彼女の格好は、飾り気のないショーツを一枚穿いているだけという非常に扇情的なものだ。

俺の手にすっぽりと収まりそうな形の良い美乳も、その先端にある薄いピンク色の乳輪と乳首までもがハッキリと見えた。

はっはっはっはっは・・・・顔を真っ赤にして蹲ってるよ。いくら甲冑の露出度が高くても、流石に有るのと無いのとでは全然違うようだ。




「ふ、副隊長!?」



「み、皆、ジーラ様を中心に円陣を組め。我々が壁となってさしあげるのだっ!!」




ほう?流石によく訓練されているな。部下共の立ち直りが予想以上に早い。

どうやら自分達の身体でジーラの裸を隠そうという魂胆らしいが・・・・




「許すわけはないわなぁ・・・・・“ワイドパラライズ”」




ジーラの元に駆け寄ろうとした女騎士たちに、彼女らの副隊長ごと麻痺を与えてやる。




「きゃあ!?ちょ、ちょっと何なの!?」



「て、手足が痺れて動かない・・・・・これは、まさか麻痺か!?」



「そ、そんな・・・・麻痺に対する耐性も私達の鎧にはついている筈でしょう!どうしてディスペル出来ないのよ!!?」




はははは・・・・申し訳ないが、そんなチャチな耐性で本気の俺の魔法が防げるわけは無いんですよ、お嬢さん方。

さて、そろそろ仕上げといくか。




「“チェーンホールド”・・・・後はそうだな・・・・喚かれてもうるさいだけだから・・・・“サイレント”」




呪文によってジーラの頭上に出現した6つの魔方陣からそれぞれ、俺の魔力によって編まれた漆黒の鎖が彼女へと伸び、

その躍動感あふれる手足に巻きついて一気に空中へと引きずり上げた!!




「んんんっ!?んんーーーー!!」




そのまま俺の眼前でムリヤリM字開脚をとらされる哀れな副隊長さん。

もっとも鎖の長さや締め付け具合を調節して、コイツにこんな恥ずかしいポーズをとらせているのは他ならぬ俺なんだがな。

いくら喚こうとしても“サイレント”がかかっている以上、猿轡を咬まされているのと同じなんだから

どうしようもあるまい。




俺は目の前で緊縛されているジーラの顔を覗き込んだ。

そこには現状への驚愕と俺に対する怒り・・・・・そして俺が最も見たかった恐怖の感情もわずかに浮かんでいた。

いい、いいぞ!!実にそそられる光景じゃないか!?




「くくくく・・・・言ったろ?後悔することになるぞって・・・・・!!」



「んんぅ!?ん、ふぅふっぅぅ、んんんぅ!!!」




彼女の後ろに回りこみ、耳たぶに舌を這わせながら自分の選択の愚かしさを囁いてやる。

鎖に縛られて身動きすることも、声を上げることすら出来ない彼女の姿はまるで、蜘蛛の巣に囚われた

一匹の蝶を思わせる。

巣の主である蜘蛛は勿論この俺だ。せいぜい最後まで楽しませてもらうとしよう。

基本的にムリヤリは避けてるんだけど、この女には俺も結構ムカつくところがあるので問題なし。

それに・・・・・・前々から不特定多数に見られながらの路上セックスにも興味があったんだよなぁぁ!!!!





ふっふふふふ、はははははははははは!!!・・・・・・・・・・・・・


なあ諸君、俺ってやっぱ変態か・・・・・?

















[18596] 第19話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/12 19:41


ビリッビリビリビリ・・・ビリィィッ





「んんぅ!!んーーっんんうーーーー!!!」



「くくくく、諦めろ。どんなに叫んだって許してやるつもりは無いんだから・・・・」




王国の騎士を半裸に剥き、動きを封じた挙句に空中に浮かせて束縛するという、いきなりの俺の暴挙に

周囲が未だ呆然としている最中、俺はさっさと副隊長さんの前に回り、魔力の鎖が既に

巻きついていた足首を掴んで、更にグイっと外側に割り開いてやる。

流石は騎士というべきか、かなり柔軟なその身体は180°近い開脚を楽々と可能にした。





「ふぅぅん!?うむぅ、んんんぅ~~!!」





サイレントの効果でマトモに喋ることが出来ず、瞳を怒らせて呻き声を上げ続けるしか出来ないジーラを無視して、

俺は彼女のショーツに手をかけ、脱がしてやるのも面倒なのでそのままビリビリと破り捨ててやった。












オッサン少年珍道中      第19話













「ほほう・・・かなり毛が濃いんだな?それなりに手入れはしているようだが・・・・」



「ふぐぅぅ!!んん、んむぅぅ~~~!!」




女の秘部を覆っていた布切れが無残にも地に落ち、意外と濃い目の陰毛とその下でひっそりと

息づいていた縦に裂けた割れ目が丸見えになってしまう。

使い込まれてはいないらしく花びらは固く、肉ヒダが飛び出ているようなことも無く

ピッチリと閉じ合わさっているものの(いいぞ!処女の可能性“大”だ)

部下や野次馬の前で恥ずかしい姿を晒していることにほんの少しは興奮しているのか、うっすらと愛液が秘烈から滲んできている。




それにしたってこの状況ですぐに濡らすことが出来るとは・・・・・本人に言ったところで絶対に

認めようとはしないだろうが、コイツには結構マゾの素質があるのかも知れない。




「ハッ!!・・・ふ、副隊長が・・・・!!」



「くぅっ、きっ貴様ァ!今すぐジーラ様から離れろぉ!!」




野次馬共のどよめきに混じって、ようやく現状を認識しだした女騎士たちが麻痺状態で四肢を

動かせないまま首だけをこちらに向けて、必死の形相で自分達の副隊長を助けようと俺を怒鳴りつけてくる。




なかなか麗しい仲間意識ではあるが・・・・・どうやら自分達の立場というものをよく理解していないとみえるな?

まあその辺りは後でじっくり身体に教え込んでやるとして、今はとにかく目の前のオマンコに集中しよう。

とりあえず剥きだしになった秘部に顔を埋め、両手をジーラの後ろにまわして程よく筋肉がついた

美尻を鷲掴みにし、そのままグニグニと揉み込んでやる。




「くっくくく、いいぞ。中々いいケツ持ってるじゃないか?さてお次は・・・・・

クンクンッ、スンスンスン、スーースーー!」



「んぐうぅ!?んふふぅ、ふむぅぅぅぅ!!!」




しっとり滑らかな小麦色の肌の温かさ、そして指を押し返してくるようなしっかりとした弾力を思う存分楽しむ。

そして、ジーラもちゃんと感じるように尻の性感帯を探りつつも、同時に割れ目に当てた鼻を下品に鳴らす。

副隊長さんにも聞こえるように、そして出来るだけ恥ずかしがるように、鼻息を荒くして女騎士のオマンコの匂いを堪能してやる。




「スンスンッ・・・・はは、はっはははは!何だこの匂いは!?臭すぎて鼻が曲がりそうだぞ!

おいおい、もしかして副隊長殿は身体を洗ったことがないのかなぁ?クンクン、うぷッ、おえぇぇぇぇ!」



「んぐぅぅぅ、んむうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」




射殺さんばかりにその深緑の目を怒らせ、しかしわずかに涙を貯めながら俺を睨みつけてくるジーラ。

それはそうだろう、自分の部下や先ほどまで罵倒していたヘクター達、そして周囲を取り囲む

野次馬共に響き渡るような大声で、自分の秘所が臭いと言われてしまったのだから。




そのショックと屈辱、そして悲しみは女性である以上、如何に優れた騎士とて耐えられるわけも無い。

如何にかして股間から俺の顔をどかそうと、手足が動かない状態でもがこうとするのが余計に哀れである。

誤解の無いように言っておくが、何も本当にコイツのオマンコが臭いというわけじゃない。

ショーツの中で熱気がこもっていたのだろう、確かに少しすっぱいような汗の匂いはするものの、

むしろそれは男の興奮を掻き立てるフェロモンとしての働きを有している。




では何故俺はあんな嘘を吐いたのか?

勿論それは、この傲慢でどこまでも男を見下しきった女騎士を完膚なきまでに辱めてやるためだ。

健康的に日焼けした顔を真っ赤にしながら、「絶対に許さない!!」とばかりに憎悪と怒りを瞳に宿して

俺を睨み付けつつ、けれど屈辱に耐え切れずに涙を滲ませてしまうその姿は見ているだけで

愚息がいきり立つほど俺を興奮させてくれる。




エレシュキガルやノワールを初めて抱いた時も思ったんだが、どうも俺の本性は結構なSらしく、

一度それに火が点いてしまうと自分でも収まりがきかない。

現に今も、いくら相手の態度に問題があったとはいえ他人が大勢見ている中、そいつを身動きできないようにして

犯そうだなんて我ながらとんでもなく鬼畜なことをしでかしている。

自分でも問題だとは思うのだが“こんなことをすれば自分の評判がどうなるか”とか、

“好きほうだい犯しぬいた後で復讐されるかも”とか、そういうことが一切どうでも良くなってしまうのである。




幸い、この辺りは娼館や水商売の店が立ち並ぶ区画に近いため、集まっている野次馬も半分以上は

好色そうな男ばかりであり、そういう奴らは何とか俺のおこぼれに与れないかと目をギラつかせている(へクター達も含む)

ここは現代日本ほど治安が良い世界ではなく、まして見目麗しい女騎士たちが身動きできずに目の前に倒れているのだから

その反応は当然ともいえる。

最も俺の獲物たちに少しでも触れようものなら、その場で昏倒させてやるつもりなのだが・・・・・

女にしたところでその手の店で働いている連中が多いためか、こちらを面白そうに眺めているし、

その中には俺が抱いたことのある奴も何人か混じっている。




しかし当然ながら全部が全部そういう連中ばかりではないし、なかには俺に対してハッキリと

顔をしかめている者もいる。

そういう“そこそこな善人”のお陰で後になって俺の評判が落ちることも有り得るかも知れないんだが・・・・・




まあそれはアレだ、その時になって考えればいいだろう。

なにもずっとこの都市に滞在する気は無いのだから居辛くなったら出て行けばいいし、

面と向かって俺に喧嘩をふっかけてくる奴もいないだろうし。

ただ一つ・・・友人としても結構気に入っている、あの鬼っ娘がどういう反応をするかが少し気がかりではあるんだが、

それは現在行っている路上公開プレイを止める決定的な要因にはならないんだよなぁ、これが。




「んんふうぅ!!んぐぅ~~~!!」




おっと、ジーラをほったらかしにしてしまった。

俺はすぐさま両手に力をこめ魅力的なヒップをほぐすように揉みしだき、多少潤み始めた肉裂に吸い付き

舌を使って縦に大きくベロベロと舐め上げてやる。





「んちゅ、れろれろれろ・・・・・」



「ふぅぅぅッ!?んくぅぅ、んぐぐぅぅぅ!!?」




そろそろ身体が火照ってきたらしく、俺の舌と唾液の感触に敏感に反応してしまう女騎士。

太ももや下腹部もジットリと汗ばみ、肌をうっすらと赤く染めたその姿は明らかに感じている女のソレである。





「ああ、そんなぁ・・・・ふ、副隊長、まさか・・・・まさか感じておられるのですか・・・・?」



「ちょ、ちょっと、馬鹿なこと言わないでよっ!!!ジーラ様がムリヤリされて感じるわけないでしょう!!?」



「し、しかし・・・あのお姿はどう見ても・・・・・・・」




とうとう自分を敬愛してくれる女騎士達に感じていることがバレてしまった副隊長さん。

部下達の視線を受けてキリッとした睫毛を悲しげに震わせ、今度は俺への怒りではなく感じてしまっている

自分への羞恥で顔を真っ赤に染めてしまう。




先ほどまで馬鹿にしていた子供によって無理やり愛撫され、しかも感じてしまっているという、そんな自分を認めたくは無いのか

イヤイヤと首を振って少しでも俺から逃れようとするのだが、どうやったってそれは不可能である。





「くくくく、大分よくなってきたみたいだな?・・・・それじゃあもっと激しくいこうか」





そう言い放った後、少しも身じろぎ出来ないようにジーラの尻肉を握りつぶさんばかりに

掴んで息を大きく吸い込んでから一気にオマンコにむしゃぶりついた!!




「んふうぅぅぅ!!?んんん、んんっんふふぅぅ~~~!!!」




途端に更に大きく響く嬌声がわりの呻き声を耳にしつつ小陰唇を掻き分け、口の周りを愛液で

ヌラヌラと濡らしながらも既にコンコンと淫蜜が湧き出している肉穴へと舌を突き立てる。

サキュバスほどではないが常人に比べて十分に長めのソレを使って膣道の奥深くへと潜りこもうとする俺だったが・・・・




「んむぅ?・・・・・(おいおい、マジか・・・・・こいつ、処女じゃなかったのかよ・・・・)」



「んふぅ、んふぅ、んふぅぅ、んんぐぅぅぅ!!!」




そう、てっきり舌の先端に感じるだろうと思っていた処女膜の感触が無かったのである。

別に“膜なし”=“非処女”というわけではないことは知っているが、激しい訓練や敵との戦闘で

自然に破れたにしては処女膜の破れ方が綺麗過ぎるので、こいつは過去に俺以外の男に抱かれた

経験があるのだろう。




「んちゅう、んちゅう・・・ジュルジュル、ズーーズーーッ(な~んだ、あんなに男を嫌っていたから

てっきり処女だと思ったんだがなぁ・・・・アレか、昔レイプでもされて、その時から男を嫌悪するようになった、

とかいうオチか?)」




かなりキツめに狭まってくる肉壁の感触を舌で感じ、ブシュっと飛び出してきた酸味が強い淫蜜を舐めとりながらも、

俺はジーラが処女では無かったことに正直ガッカリしていた。

勿論事前に確かめたわけでもなく、彼女の態度から俺が無意識の内に勝手に「多分、処女だろう」と

思い込んでいただけなのでジーラに非は無いのだが、それでも期待を裏切られたという思いを禁じえない。




ていうか処女だと思ったからこそ縛り上げるなんて非道な真似をしつつも、せめて痛くないように

してやろうと、じっくり丁寧な愛撫を心がけていたんだが・・・・

これでは“今度処女を相手にするときは、出来るだけチャームを使わない”という、あの晩ノワの隣で

自分自身に誓った“性約”をご丁寧に守っていた意味が無いじゃないか・・・・・




本当に我ながら勝手だとは思うが、俺はこの女騎士に対して“処女じゃなかった”という

一点に関して自分でも驚くほどの失望を覚えた。

全ては俺の自分勝手な思い込みでしかなかったのだと理屈では判っているのだが、感情がそれを認めてはくれない。




「んちゅる、んちゅる・・・じゅぷじゅぷ、ずじゅるるる(もういいや・・・メンドくさいし・・・)



「んっふぅぅぅ!?ん、ん、ん・・・んんくぅぅぅぅ!!?」




膣内粘膜をデタラメな動きで舐め上げ、肉ヒダについているツブツブを舌の上に感じ、その間もプックリと勃起した

クリトリスを指で弄って次々と出てくる淫液を飲み下しながらも、俺は眼前でビクビクと悶える

女騎士をどこか冷めた目で見つめていた。




何だか妙にテンションが下がってしまった俺はさっさと目の前の牝に、たとえコイツが死んだとしても

忘れることが出来ないような恥辱を与えてやるべく、このところすっかりご無沙汰になっていた例のあの魔法を

本人には聞こえないようにしながら小声で唱えた。

まぁ別にコイツにこだわらずとも美味そうで、かつ処女っぽい美女は目の前に十人以上転がっているわけだし

早いとこコイツに大恥をかかせて次の相手に移るとしよう。




「じゅるじゅる、じゅるるる・・・・“チャーム”・・・・んぢゅうぅぅぅ~~~!!」



「ふぅぅ?、ふ、ふぅぅ・・・ふぅぅ~~ん!!?んん、んん、んぐぅぅぅぅぅ!!!!!」




魅了状態になった途端、鼻先にむせ返るような濃厚なメスの匂いが立ちこめ、既にほぐれていたマン肉も

さらにトロトロに熟し、蕩けきった様子を見せる。

俺は一気に汁気たっぷりになった秘肉にかぶりつき、舌で乱暴に淫蜜をかき出しながら、

前歯でクリトリスを強く擦り上げた。

先ほどのような繊細さは欠片も無いような責め方だが、チャームをかけられたい以上、多少雑にしたところで

この女は十分すぎるほどの快感を得ることができるので問題は無い。

そうして劇的に膨れ上がった快楽を前にジーラは、ただただ呻き声をあげて、完全にほぐれきった秘所を

ひくつかせる事しかできない。




「う、うそ・・・!ジ、ジーラ様、イッちゃうんですか?・・・・そんな子供にムリヤリされてるのに・・・

気持ちよくなってイッちゃうんですか!?」



「そ、そんなぁ・・・・いけません、副隊長!!ど、どうかお気を確かに!!!」



「お、おい!・・・・デスタの奴、マジであの女をイカせそうだぞ?」



「あ、ああ・・・・・とんでも無い奴だとは思ってたが、まさかここまでとはな・・・・

くぅぅぅ!!羨ましいぜ、おいデスタッ、頼むから俺に代わってくれよ!!」



「あッ!手前ぇ、抜け駆けする気かコノヤロウ!!」




誰が代わってやるかバ~~カ!!確かにコイツが処女じゃなかったのは残念だが、それだけの理由で

こんな美女をムザムザ他の男にくれてやるものかよッ!!

口の端から涎を垂らし、鼻息を荒くしながら焦点が合っていない目で虚空を見つめ一気に

絶頂への階段を駆け上がろうとしているジーラの姿に周囲の人間は全員、彼女がもうすぐ

俺にイカされてしまうことを知る。

そんな連中の声が聞こえたのだろう、一瞬ビクッと背筋を震わせ「もう止めてくれ」といった感じで

完全に半泣きで副隊長さんは俺を見つめてくる。




その姿はさっきまでの彼女とは別人じゃないかと思うほど弱弱しかったが当然俺はそんなことでは

許してやるつもりは毛頭なく、ピンと尖りきって俺の唾液で妖しく濡れ光る淫核を、奥歯で強めに噛み扱きながら

ドロドロに蕩けきってヒクつく肉穴に右手の指を3本、一気に根元まで突き入れてやった。

それがトドメになったのだろう、鎖で雁字搦めになっている哀れな女騎士は、その艶やかな緑色の髪を振り乱しつつ

背中を海老のように反らせて白目を剥きながら一気に絶頂へと達してしまう。




「んぐぅ!?んぐぅ!!、んふぐうぅぅ!!!・・・・ふっ、ふッぐうぅぅぅぅぅ~~~!!!!!」



びしゃあぁ!!じょろ、じょろじょろ、ちょろちょろちょろちょろ・・・・・




「んふぅぅ!?(おっと、コイツまさか・・・・!!)」




ジーラがイッたのとほぼ同時に、絶頂時の痙攣のリズムとは関係なく彼女の股間から熱い液体が迸り出て

俺の口の中に溜まっていく。

一瞬「潮かな?」とも思ったが、それにしては量が異常だし何より潮は無臭のはずなのでこんなアンモニア臭はしないはずだ。

となると必然的に・・・・・・




「ふぐッ・・・・んぐっ、んぐっ、ごくごくごくっ・・・(はっはははは!!コイツ気持ちよすぎて

“小便”を漏らしやがった!!!)」



「ん、んふうぅぅぅ!!??んんぅ、んんんんーーーー!!!!」




自分の排泄物が飲まれていることに気づいた副隊長さんは、信じられないものでも見るかのような

目つきで俺を一瞬見るものの、すぐにまたやってきた絶頂の荒波に意識を奪われてしまう。

ここで口を離してコイツの部下達や周りの野次馬共に、お漏らししている場面を見せてやったほうが

ジーラにとっては堪えるのかもしれんが、それ以上に面白い趣向を瞬時に思いついた俺は次々と噴き出してくる

彼女の黄金水を周囲に気づかれること無くゴクゴクと飲み干していく。




ふっふふふふふ・・・・・・・エンプレス・パレスで大人&幼女状態の淫魔王様を相手にとっくに“聖水”プレイを経験済みの

俺にとっちゃこの程度の事は造作も無い。

いや~~しっかしエレシュキガルの聖水には驚いた(アイツに小便のことはそう呼ぶように言われた)

一体どういう排泄器官を持っているのか知らんが、最高級の素材で作ったホットレモネードみたいな

味と香りだったんだよなぁマジで。




あっ、ちなみにウ〇コはダメ!!どう頑張ってもアレだけはダメだったことを此処に宣言します!!




そんなどうでもいいことを考えながら俺は十秒近く、ジーラの金色に輝く聖水を飲み下し続けてやった。

エレシュキガルに比べれば格段に味は落ちるし、決して美味いとは言い難いのだが

まあ飲めなくは無い(本来飲み物じゃないんだから当たり前か)




「んん、んふぅ、んんうぅぅ・・・・・・・」




そして約十秒後、やっとジーラが絶頂から帰ってきたところで俺は彼女の秘部から口を離し顔を上げた。

そして未だに強制的にイカされた挙句、自分の尿まで飲まれてしまったショックで虚ろな目つきをしている

副隊長さんに近づき顎を掴んでコッチに視線を向けさせる。




「んふうぅぅ、ふぅぅぅ・・・・・・・・んんん!!?」




その途端、ジーラは目を大きく見開き愕然とした表情で俺の顔を凝視する。

まあ正確に言えば俺の“膨らんだ頬”を、なんだがなぁ・・・・・・・・くっくくくくく!!

俺はそんな彼女の予想を肯定するように、口の中に含んだ“彼女の黄金水”をこぼさないように

気をつけて、わざと狂気に満ちた微笑を浮かべながらジーラの唇に自分のソレをゆっくり、ゆ~~っくりと寄せて行った。




「んぐぅ!!んんんんっ!!ふぅ、ふぅぅぅぅぅんっ!!!」




俺が一体何をしたいのか悟ってしまったのだろう、どこまでも哀れで美しい女騎士はその顔に

とてつもない嫌悪とそれ以上の恐怖を貼り付けながら猛然と首を振って俺から逃げようとするが

ステータス上の【筋力】の差はどうやったって埋めることが出来ず、俺にしっかりと頭を固定されたまま、

遂には互いの唇の間の距離が後数cmとなったところまで俺の接近を許してしまう。




恐怖に震える彼女の深緑の瞳をとても愉快な気分で覗き込みながら、俺は彼女にかけていた

サイレントの魔法を指をパチンと鳴らして解いてやった。

こうしないと上唇と下唇が閉じたままであり、上の歯と下の歯もしっかりと噛み合ったままなので

舌を挿し込んでやることが出来ないのである(指パッチンは様式美だと俺は思う)

喋る自由を再び手にした副隊長さんは、絶頂の後なので息が整わないまま俺に許しを乞うてきたんだが・・・・・




「い、いやだ・・・・・・や、止めてくれぇっ、んんくぅ、はぁっ、はあぁぁ、しゃ、謝罪しよう、幾らでも謝罪するから

それだけはぁ・・・・えっ・・待てっ、よ、止せぇぇっ・・や、止めろぉぉぉぉぉぉ~~~っ!!!・・・・・・・

ふむぐぅ!?んんん、んんんぐうぅぅ!!??」




ジーラの必死の嘆願を遮って、俺は嫌がる彼女にムリヤリ口付けを慣行し、そのまま口内に留めていた

彼女の尿を口移ししてやる。

涙目で必死に口を閉じようとするジーラの努力を嘲笑うかのように、クリトリスを思いっきり捻り

その衝撃と快感で思わず開けてしまった副隊長さんの口内に舌を差込み、決して閉じられないように

顎を固定してから一気に喉元に聖水を流し込み、ムリヤリに嚥下させていく。





「んちゅう、ちゅる、ちゅうぅぅ・・・・・・」



「んごぅぉぉぉ!!ふうぅぐぐ~~!!!・・・ん、んんん・・・・んふうぅ!!?・・・・んくっんくっ・・ごくんっ・・・んんぅ・・・・」





幾ら飲むことを拒んでも今でもチャームが効いているので、クリトリスと肉花を強めに弄くってやれば

激烈な快感に身を刺し貫かれ、その瞬間に自分自身の尿をゴクンと飲み込むことになってしまう。

涙を流しながら快楽に悶え、その瞳を絶望の色に染めつつも、俺の口に先ほど思いっきり排泄した黄金水を

コクコクと飲み下してしまう、どこまでも哀れな副隊長さん。




部下達と周囲が見守る中でゆっくりと、しかし確実に誇り高い騎士としての心を俺の手によって削り取られてゆく

その姿を眺めるだけで、俺は今にも射精してしまいそうなくらいの興奮を得ることが出来た・・・・・・

























くっははははっはは・・・・・だってコイツが悪いんだぜ!?もしも処女でいてくれたなら

俺だってこんな真似はしなかったのに。


ふっふふふふ、はははははははははははは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なあ諸君、やっぱり俺は変態だな。























[18596] 第20話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/15 02:07

「んうぅぅ・・・・んく、んく・・・・・ぷはっ!・・・・・はぁ・・はぁ・・・・あ、ああぁぁぁぁぁぁ・・・・・・

あ、あたし・・・・な、何てことを・・・・!!」




結局、口移しされた自分自身の尿をほとんど全部飲み込んでしまい、俺が口を離してやった後で

そんな己の醜態に呆然とするジーラ。

未だに魅了状態にあるために発情しきっている肌を赤く染め、細かな汗の粒が浮いている肢体を

悲しげに震わせるその姿は、見る者の同情と欲情を一遍に誘う。




「そ、そんな・・・・・ジーラ様、本当にイって・・・・・!!」



「う、嘘よっ!!そんなことあるはずないでしょう!!?」



「おいおい・・・・・デスタの小僧、マジであの女をイカせやがったぜ!!」



「あ、ああ・・・・・・まあ、馴染みの娼婦連中に聞いても、アイツのテクは凄いらしいからな」




周囲のどよめきに混じって聞こえてくるそんな声に、いちいち身をビクっと震わせて屈辱に耐える

飲尿副隊長さん。

そりゃまぁ、そうなるだろう。何しろさっきまでただの無礼極まりないガキとしか思っていなかった俺に

身体の自由を奪われ強制的にイカされ、挙句の果てに強制聖水プレイ(しかも自分の)まで

されたんだから、そのショックは計り知れない。




しかし、そこは流石に騎士。普通の人間ならしばらく茫然自失の状態になるか、あるいは

泣き崩れても仕方が無いというのに、この女は尚も眼光鋭く俺を睨み付けてきた。

もっとも、どれだけ気丈に振舞ったところで羞恥と快楽に火照ったその表情までは

完璧に隠すことは出来ないんだけども・・・・・




「くぅぅぅ・・・・!!・・・きっ、貴様ぁ!!殺す、絶対に殺してやる!!!」



「はっはははは・・・・・いいとも、やれるものならやってみるがいい。ただしその頃には・・・・・・」




手の甲で飲ませ切れなかった黄金水を拭いながら、いったん言葉を区切って副隊長さんの耳元に口を寄せる。

そして耳たぶを甘噛みしながら、これから彼女の身に訪れる絶対的な運命というものを教えてやる。

それが何なのかというと勿論・・・・・




「ただしその頃には・・・・・お前は俺の子を孕んでいるだろうけどな・・・・!!」



「なっ!あ、あたしがお前の子を孕むだとっ!?」




いいなぁコレ、今日から俺の決め台詞にしよう。









オッサン少年珍道中    第20話










「・・・・・・・・・そこまでにしては貰えないだろうか?」



さぁこれから皆さんお待ちかねの楽しい公開セックスタイムですよ、と息巻いていた俺の耳に、突然そんな声が聞こえてきた。

声が聞こえてきた方向・・・・・つまり右を向いてみると、そこにはいつの間にか先ほどまでは居なかった

新たな騎士の集団・・・・人数にして十数人が周囲の人間を押しのけた形で存在している。

そしてそれを見た瞬間、未だに麻痺状態から抜け出せず俺の足元で転がっている女騎士共が口々に叫ぶ。




「た、隊長!!」



「セシリア隊長!!来て下さったんですね!」




銀色の騎士甲冑とそれに施された意匠を見る限り、どうやらこいつらも王国の騎士・・・・つまりはこのジーラ達の仲間らしいが

その集団の先頭に立つ女(たった今俺に向けて声を放ったのもコイツだろう)・・・・・・セシリアとやらが

この騎士連中をまとめている隊長らしい。



野次馬共のどよめきを気にした風もなく悠然と此方に歩いてくるその姿には確かな気品と教養が感じられ、

身に着けている純白を基調としたアーマーは太陽の光を受けキラキラと光輝いている。

他の騎士娘たちとは違うあの姿と彼女自身から発せられるこの静謐な気配から察するに

恐らく彼女は戦士系第2クラス【騎士】の上位クラスの一つ、戦士系第3クラス【聖騎士】なのだろうと思われる。



そして輝くといえばその美貌もそうだ。ジーラの装備とは違って露出が控えめなので

体のハッキリとしたラインまでは判らないが、それでもハッキリととんでもない美人だと

断言できる程の美しさをこのセシリアは持っていた。



腰まで真っ直ぐに伸びたプラチナブロンドの髪と南国の海を閉じ込めたかのようなコバルトブルーの瞳。

すぅっと通った鼻梁にプルンとしたピンク色の唇。

そしてシミ一つ無く透き通ったような白さの肌、最後に分厚い胸部アーマーの上からでも

その存在が確認できるたわわに実った大きな胸。



要するに正統派ファンタジー美少女としての魅力を全て兼ね備えているわけだねコイツは。

いや~~眼福、眼福と吊らされたままのジーラを無視してホクホク顔でその姿を見ていた俺の前にセシリアは立ち止まり・・・・・




「事情は周りの者達から聞いている・・・・宿を探してくるよう命じたのはこの私だ。だから私の部下が行った

貴公の友人に対する非道は隊長であるこの私に責任がある!!

正直、貴公のコレはやりすぎだとは思うが・・・・・友を侮辱した者に対してどのような仕打ちを行うかは貴公の自由だ。

故に・・・・・・・故に!!貴公の怒りがどうしても収まらぬと言うのであれば、どうかジーラや部下達ではなくこの私を辱めて欲しい!!!」



「なっ!!・・・・・(おいおい、てっきり腰に挿してある剣を抜くもんだとばかり思っていたんだが・・・・)」



「た、隊長・・・・!そんな、あたしなんかのために・・・・立って、立って下さい!!」




と、そんな微妙に論点がズレたことを一気にまくしたててから俺の声もジーラの声も無視して

この隊長さんは地面に片ひざをついて、こちらに頭まで垂れてきやがった。



自分の発言が余程恥ずかしいのだろう、握り締めた拳はプルプル震えているし、わずかに見える

横顔は頬だけではなく全体が真っ赤に染まっている。

彼女のそんな行動は周りにとっても予想外だったらしく



「お、お止め下さい、隊長!!」



とか・・・・・



「そうです!悪いのは向こうなんです隊長!!」



とかとか・・・・・・



「おいおいおいおい!!!騎士が頭を下げるとこなんざ初めて見たぜ・・・・!!」



とかとかとか・・・・・

そんなざわめきが周囲全体に広まり、ガヤガヤと野次馬共が騒ぎ立てる中、目の前の隊長さんは

まったく姿勢を崩すことも無く、いくら強力な魔法が使えても自分よりも年下のガキ相手にただひたすら頭を垂れ続けていた。

その姿は思わず溜め息がこぼれてしまうほど謝意と誠意に溢れたものだった。

いや~~~美人は何やっても似合うんですねぇ。




「はぁ~~~~~~~・・・・(何なのこの娘?メチャクチャいい娘なんですけど)」




参ったなぁ・・・・ここまで健気な態度を取られてしまうと流石の俺もちょっとは罪悪感に駆られてしまう。

一瞬コチラを騙そうとしてるんじゃないかとも考えたんだが、どうもこの様子からして

そんな積もりは微塵もないらしい。

そもそも自分のところの副隊長と部下達が、言ってしまえば俺に“人質”に取られているこの状況で

何かしでかすとも思えないし。





う~~~ん・・・・・・・・・まぁ、いいか?

自分で言うのもアレだが元々俺は小者なので、この騒ぎもどうせ計画的じゃない突発的で後先考えないものではあったから

興奮が冷めてしまえばそんなに執着するようなことではないと思えてくるし。



このまま突っ走って騎士団全員陵辱ルートも悪くは無いんだけど、隊長殿にここまでさせた上でそんなことを

やってしまった暁には俺が完全に悪者っていうか、“友のために”っていう大義名分が効果を失ってしまうというか、

ムキになってする程のことではないというか、いくら評判とか気にしないって言っても流石に限度があるというか。










要するに、だ・・・・・・・・・・・・“カッコ悪い”よな、やっぱ。

別に変態だろうが鬼畜だろうが外道だろうが何でもいいけどさぁ・・・・・・・カッコ悪いのはなぁ・・・・・・

元の世界に居た頃で十分だよなぁ、そんなのは・・・・・・・・・・

まあ、こういうことをイチイチ気にするから俺は小物なんだろうけどさ。











結局、俺はあの後へクター達に一応許可を取ってからジーラ達を許してやることにした。

周りにいた男連中の中には「なんでだよ、このまま皆で輪姦そうぜ!!」とかほざきやがる

阿呆もいたけど、そんな奴らには漏れなく麻痺状態をプレゼントしてやった。

だから何度も言ってるように俺は自分の獲物を他人に分けてやるつもりはないの!!



ただし普通に許してやるのも少しは業腹なので、体術の一種である【殺気】を彼女らがギリギリ

意識を保てるほどに加減してぶつけてやった。

質量すら伴うほどの俺の殺気に当てられて(どこの格闘漫画だよって突っ込みは無し)顔面を蒼白にする

騎士娘たちに向かって俺は




「いいか騎士共。俺はな、たとえどんな言葉で侮辱されようが、子供だと侮られようが、

格下の相手に見下されようが大抵のことは笑って許してやる。だがな・・・・・・・

俺の友達を理不尽な理由で傷つけることだけは絶対に許さんっ!!!!」




とまあ、何ともクサイことを俺の周りにいた野次馬共が全員、耳をふさぐ様な大声で言い放った(多少は評判の回復もやっとかんとな)

へクター達がもの凄く感動した(どうでもいいな)

その後、若干怯えた様子の騎士たちに、この都市で好き勝手しないことを約束させてから

自由にしてやった。



んで、どうやら部隊を二つに分けて宿泊先を探していたらしく、隊長殿の方で見つけていた別の宿に向かってゾロゾロと歩いていった。

そういえば、セシリアの奴が俺の連絡先を聞いてきたが・・・・・何だろうね?楽しい面倒ごとなら大歓迎だが。



彼女たちを許してやったのは・・・・・・・まぁ勿体無いと言えば勿体無いんだけど、どうやらあの連中は

当分この都市に滞在するようなので、まだまだそういう機会が潰えたわけじゃない。

それにサビキ釣りなんかでも一匹、二匹の魚が針にかかった瞬間にスグにリールを巻いたんじゃダメなんだ。

そのまま少し待てば、残りの針にも魚がかかって五匹、六匹と釣り上げることが出来る。



それと同じ。どうせ頂くならあの30人近い騎士団を一気に食い尽くしてやろうというわけ。

特に結局堕としきれなかったジーラは勿論だが、あの正統派美少女のセシリア隊長は是が非でもモノにしたい。

清廉潔白を地でいくような彼女が俺の醜い肉棒を受け入れてアンアン喘いでいるところを

想像するだけで尋常ではないほどの性欲が沸き上がってくる。



しかしまあ、とりあえず今はその性欲を向ける先は娼婦たちではなく、

すっかり俺に骨抜きのへクターの妹でもなくて(へクターはこのことを知らない)・・・・・・・・











「なぁ、デスタええやろ?・・・・・・・・・ウチの初めて、アンタに貰って欲しいんや・・・・♪」




この鬼っ娘になるのかねぇ、状況的に。

あの後、晩飯を済ませてから自室でゴロゴロしているところに何かを決意したような表情のシズカが訪ねてきて、

いきなり見慣れたタンクトップとジーンズ、更には下着まで脱ぎだしたかと思うと飛び掛るように俺に抱きついてきて

そのままベッドに押し倒しやがった。



そんで今は彼女に口説かれてる最中ってわけだ。

ベッドの上で俺を押し倒し、そんな自分とシチュエーションに興奮しているのか、シズカは

その頬を上気させピンク色に染めあげている。

少し細めの目をトロンと潤ませて、小玉スイカほどもあるその双丘を俺の胸元に押し付けてくる姿は

普段の快活な彼女からは想像も出来ないほどに可愛らしく、何より蟲惑的で色っぽい。

俺はそんな彼女の背中に手をまわし、多少引きつった笑みを浮かべながらも内心ではこんなことを考えていた。











(あっれぇ~~~~~~?一体いつの間にシズカフラグを立てたんだ俺は!!??)


いやマジで覚えがないんですけど・・・・・・・・・・・・・・・















[18596] 第21話
Name: アラサー◆9bb0931e ID:af1cefe5
Date: 2010/06/18 01:11




ずぶぅ ずっ、ずずずぅ・・・ずぶぅ!




「かはぁっ!!・・・・はぁぁ、はあぁぁぁっ・・ああ・・や、やっぱり・・・痛いもんなんやなぁ・・・・っ!」




俺は騎乗位で腰の上に跨るシズカの膣口にパンパンに張り詰めた肉棒の先端を押し当てそのまま一気に膣内部へ腰を進ませた。

先走りでヌラヌラと濡れた亀頭で子宮口を軽く圧迫する程度にまでペニスを埋没させた後、

シズカの表情を確認すると、やはり相当辛いらしく歯を食いしばって破瓜の痛みに耐えている。




「当たり前だ。騎乗位で破瓜なんか経験したら痛いにきまってるだろうが。まったく・・・・・

しばらくは動かずにいてやるから、さっさと慣れちまえ」




これぐらいの気遣いは俺にも出来る。

というか正直なところ、余りにも締め付けが強すぎて満足に腰を動かすことが出来ないのである。



この部屋に来る前から俺とこうなることを想像し、既にある程度は濡らしていたらしく、

挿入自体にはそれほど時間はかからなかったものの、初めて受け入れる牡の器官を肉ヒダが

情け容赦なく締め付けてくるので、根元の部分なんかマジで食いちぎられるんじゃないかと

若干の恐れを抱くほどに痛い。

こいつの場合ノワと違ってクラス柄、腹筋がかなり鍛えられているので(実際あのお漏らし副隊長よりも

見事に割れている)その分オマンコの締め付けが激しくなっているんじゃないかと思う。



しかし引き締まった筋肉によって覆われた細い腰と、そこから破瓜血で赤く染まる秘部へと至るラインは

まるで美術館に展示されている彫刻のように美しく魅力的ではある。

ここまで見事な肉体をしているんだから鍛えればとんでもない名器になれるんだろうが

処女喪失直後でそれを期待するのは流石に酷というものだろう。

そんな俺の考えにまったく気づかないまま、俺にほとんど逆レイプのような形で行為を迫った鬼っ娘はというと・・・・・




「う、うん・・・・・・アハハ、やっぱデスタは優しいなぁ・・・・・♪」


「いやそういうことじゃなくて・・・・・・・・・・・・うぷッ!」




痛みに青ざめた顔色で無理に笑顔を作りながら、しなだれかかるようにこちらに倒れこみ

俺の頭に手を回してそのままギュウッと抱きしめてきた。

必然的に豊かで張りのある二つの小玉スイカが俺の両頬に押し当てられるわけだが、今はその感触を

素直に楽しむことは出来ない。



何しろ、ノワの時とは違ってシズカの場合、明らかに破瓜に対して苦痛を感じているようなのである。

やはり個人差なのだろう、たった今俺が破った彼女の処女膜は肉棒から垂れ落ちる多量の破瓜血からも判るように

ノワのソレと比べても大分厚く抵抗が大きかったように思われる。



当然その分、破瓜に伴う痛みも大きくなる。

今コイツは俺を心配させないようにするためか、胸元に顔を埋めている俺に向かって

気丈にも笑みを浮かべているんだが無理をしていることが手に取るように分かる。

目にうっすらと涙まで浮かべているんだから、むしろ分からないほうがどうかしている。



とりあえず、少しでも痛みを忘れることが出来るように、まずは汗が玉となって張り付き吸い付くような質感をしている

胸の谷間に舌を這わせることにした。



「あんッ・・・ちょ、ちょっと、汗を舐め取ったら・・・・・ああぁぁん!!」



ふむ、ちょっとしょっぱい。












オッサン少年珍道中      第21話














舌でベロンと舐め上げた途端、普段の彼女からは想像できないほど可愛らしく喘ぎ声を上げたのを聞きながら、

俺はその薄桃色の乳首に指を伸ばし、腹を使って優しく擦り上げてやる。

しだいに熱を帯び、コリコリと固く尖っていく様子を目の端に入れつつ、彼女の秘部にもう片方の手を伸ばし

うっすらと生えそろった陰毛を掻き分け、遂には女の急所とも言うべき淫核に指を添える。

そして小豆ほどの大きさのソレを、破瓜の血を絡めた指で包皮越しにクリクリ刺激してやった。




「ふあぁぁぁ!!ア、アカンてぇ・・・・くぅ、はうぅ、デ、デスタぁ・・・・ウチ、そこ弱いからぁ・・・・うひゃぁぁぁ!?」


「随分と敏感だな、日頃からここを使ってオナニーしてるのか?」


「あッ、アホッ!そんな恥ずかしいこと言えるわけ・・・・・ひゃぁぁぁッ!!つッ、爪を立てんといてぇっ!!」




強めに弄くった途端にスグに勃起してきたイヤらしい淫核の皮を剥き、人差し指と親指の爪で傷つけないように

注意しながらソレを摘む。

それに平行して谷間の汗を舐め取るスピードを上げ、乳首も少し乱暴に扱き上げてやった。




「んくぅっ、ふあ、はあぁぁぁん!!そ、そんな一遍にしたらアカンよぉ・・・・・・っ!」




そう言うと彼女は急な快感に耐えるように俺を抱きしめる手の力をますます強めてきた。

そうした愛撫を続ける内に、いつの間にかシズカの顔色も随分と良くなっており、その様子を見る限り

ここまでの俺の愛撫で結構感じてはいるんだろう。

しかし未だに膣道・・・・特に膣穴付近は固く強張っており、それはつまりシズカの痛みも

完全には消えていないということである。

流石に初めのほうに比べれば多少は弛緩してきてはいるものの、それでもやはり肉棒の根元に

小さくない痛みを感じるほど彼女の肉壷は外からの異物を拒み続ける。




まあそれでも竿の部分に絡み付いてくる肉壁はそこそこほぐれてきたようで、破瓜血と愛液によってヌルヌルのヒダが

鍛え抜かれた腹筋の後押しを受け剛直を押しつぶすように揉み込んで来るのは、思わず鈴口から漏れたガマン汁が

子宮口にピュピュッとかかってしまうくらいには気持ち良かったりするんだがな。




それから数分間、俺は肉棒を一切動かすことなく更に徹底的に手と舌の愛撫のみでシズカを責めてやった。

俺の肩に細く整った顎を乗っけながら、それでも未だに痛がっている様子の彼女の膣内で、ずっとお預けを食らっていた

剛直はいい加減ガマンの限界のようで、さっきから自分でもビックリするほど大量の先走りを垂れ流し続けている。




本当なら今すぐにでも産道を掘削して、彼女の肉壷を俺専用の形に変えてやりたいところではあるんだが

それは破瓜の痛みがもう少しだけ薄れてからにしてやるべきだろう。

俺としてはこの後、彼女の初物マンコが壊れるくらいに腰を振りまくって肉の快楽を教え込んでやり

ノワールに続く俺様専用の搾精マンコに仕込んでやる積もりなので、その途中で痛みに顔をしかめられては興ざめなのである。




しかしここまで痛さが長引くようなら、せめてペニスの挿入前くらいチャームを使ってやるべきだったかと

少しだけ後悔する反面、自分の痛みを押し殺してまで俺を気遣う彼女の姿にはかなりクルものがあった。



何しろ出会った時からずっと狙っていた異種族の美女が実は男性経験がまったく無く、しかも自分の腰に跨ったまま

必死に破瓜の痛みをこらえているのだ。



この光景は男としてこれ以上無いくらい興奮するものだと言えるだろう。

しかも今回、俺は魔法の力を一切借りずにコイツの処女を頂けたわけなのだから感動もひとしおである。

こういったことから俺は彼女のオマンコに潜り込ませた肉棒を更に弾けんばかりにそそり立たせてしまう。




「ああぁぁん!?また、またチンポが大きなったぁ~♪・・・・・ふっ、ふふふ・・・・ええよ?

ウチのオマンコで一杯気持ちよ~なって・・・はぁぁ、ぐぅぅぅ・・・・デ、デスタの、ふぅ、はぁん、子供のくせに逞し過ぎるこのチンポ、

もっともっと膨らませてやぁ・・・・・ひゃっ、ひゃあうぅぅん!!?い、言った側から膨らんでるぅぅぅ!!」




やれやれ、その子供チンポが欲しくて全裸で押し倒してきた挙句、騎乗位で処女を奪われて目に涙を貯めているくせに何言ってんだか。

必死で強がるシズカの頭を可愛さ半分、呆れ半分の思いで左手を背中にまわしながら右手で撫でてやり

焦がしたキャラメルのような色の髪を優しく梳いてやった。




「ちょ、ちょっとデスタ?・・・・・・はぁ、はぁ・・・・それは・・・・ううん、やっぱり何でもない・・・・続けて?」



するとシズカは一瞬ビックリしたような表情を浮かべたが、スグに顔をほころばせると

俺を抱きしめる力を更に強め、俺の頬に自分のソレを甘えるようにスリスリと擦り付けてきた。

当然、俺の胸板にもコイツの爆乳が押し付けられるわけで尖りきった乳首のコリコリした感触が

肌にダイレクトに伝わってくる。



ううむ、何だかコイツが異様に可愛く思えてきたぞ?

街中で会った時も一緒にクエストを受注した時も“美人だな”とか“ムダに明るいな”とか

そういうことは何度も考えたんだが・・・・・・・・・そうか、これがいわゆるギャップ萌えという奴か!!




「シズカ。ちょっとこっちを向け」



「はぁ、はぁ・・・・う、うん?どうしたん・・・・んんうぅ!!?」




シズカがこっちに向き直った瞬間を狙って俺は彼女の唇に一気に吸い付いた。

そのまま舌を口内にねじ込み、彼女の舌を絡めとって強引にディープキスへと持っていく。




「んちゅ、んん、ちゅっ、くちゅ・・・・ちゅうぅぅぅぅ!!」



「んちゅうぅ、ちゅっ、ちゅちゅっ・・・・ぷはぁっ!・・・・ああん、ウチのファーストキス、デスタに奪われてもうた・・・・♪

はむっ、くちゅう、ちゅるるうぅぅぅ!!」




おいおい、普通はロストヴァージンの前にファーストキスだろうが。

でもまぁ嬉しくないわけじゃないので、彼女の口内粘膜を好き放題に舐めまわし、口の端から飲みきれなかった唾液を零しながら

かなり激しい口付けを交わす。

チンポを肉壷の中でビクビクと脈打たせ、大きく肉感的なヒップを両手で掴み、まるで餅でも

こねるかのように指が食い込むほどの力で揉み込んでやる。




「んちゅう、ちゅるちゅる、ちゅうぅぅぅ・・・・ちゅぽんっ!はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・

んふふふ、デスタとキスすんの、めっちゃ気持ちええなぁ・・・・もっとぉ、もっとキスしてぇ♪・・・・・・

はむ、むぐぅ」



「あっ、おい・・・・んぐぅ!」




そうして大体5分くらい、お互いの口腔粘膜の味を堪能したところで口を離した。

その途端に今度はシズカの方から俺の唇に吸い付いてきて、内心で随分と好かれたもんだと苦笑しながら

再びコイツとディープキスをする羽目になったわけだが。




「んむ、んちゅう・・・・・(しかしなぁ、まさかあんなことで俺に抱かれることを決心するとは予想外だった・・・・・・)」




そんなことを考えつつプルンとした唇を貪りながら、俺は彼女の全身をまさぐる愛撫を更に激しくしていったのだった・・・・・・・





[37141] テスト5
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:05

[3175] 鋼鉄のノンスタンダーズ(アーマードコア4・シリーズクロス)
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/05 13:05
 始めまして。こちらでは一度ちょこっとだけ掲載して削除したことのある八針来夏と申します。
 以前は風牙亭に投稿させて頂いていましたが、風牙亭閉鎖に伴い、今回こちらに投稿させて頂きました。よろしくお願いします。


 ただし、ちょっと注意点が。

・作者は沖方丁先生のスプライトシュピーゲル及びオイレンシュピーゲルに多大な影響を受けているため、かなり特徴的な書き方をしております。好き嫌いの別れる文章だと思われますので、読みにくい、肌に合わないと感じられる方がいらっしゃるかもしれません。そこはどうかご了承下さいませ。


・所々に、設定の改変があります。一部のキャラクターの設定がかなり盛大に変更されている場合があります。そういった設定改変を見かけた場合はそういうものだと納得して下さると有難いです。


 読んで頂き、面白いと思っていただければ幸いです。
 それでは、よろしくお願いします。





[3175] プロローグ
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/05 13:17
 戦場で常食するものはライフパックに常備された乾パンや、真空パックされたサイコロステーキ。

 もちろん本物のステーキであるはずもなく味など下の下。栄誉補給と保存期限をもっとも優先したそれは非常に不味い。
 それを更に不味くする要素は戦場には転がっている。
 鉄の焼ける不愉快な音、機油の喉奥に絡みつくような悪臭、そしてその臭気の中きっと何十分の一かは混じっているはずの人血の臭い。

 
「こいつは朝飯が旨かった祟りかな」

 食堂からくすねて来たビスケットをばりぼり、と粉をこぼしながらむさぼるレイヴン(傭兵)、ハウゴ=アンダーノアは愛機の薄暗いコクピットの中で小さくぼやいた。

 操縦者=黒瑪瑙のような瞳/乱雑に切りそろえられた黒髪/機嫌の良い猛虎というべき剣呑と同居する陽気な雰囲気/引き絞られた四肢/敵手の隙を探る知性/相手の猛攻を楽しんで捌く余裕/命をチップに金を稼ぐ命知らずの傭兵/マウリシア撤退戦の伝説の男。

 外界の臭気から隔絶された密閉式のコクピットの中は普段なら静かなシステムの駆動音しか存在せず、静謐に包まれているはずだったが、その日は違っていた。

 冗談じゃないのか、ハウゴは耳をつんざく轟音に、その轟音の源に目を向けた。通信機から悲鳴のような爆音、……いや、きっと悲鳴も混じっていただろう音に――死神の足音を感じた。


 愛機のシステムをチェック/即座に機動準備。
 腕利きのレイヴンであるハウゴは今回出撃する予定など無かった。国家軍に雇われた傭兵である彼はここで愛機ACを輸送機に乗せ、仲間達と共に民間人の住まう生存圏、コロニー『アナトリア』防衛に従事する予定だったのだが。
 
「これは、負け戦か……」

 世界を統治している政府は無能だ。
 各地で勃発するテロ行為、暴動に対する対応は常に後手に回り、経済は破綻寸前。この時代に生きるものなら誰もがこのままで良いとは思っていなかっただろう。

 だが、その混迷の世界を導ける力の持ち主など、数は限られている。世界を支配する彼らと戦ってそして勝てる算段を立てられるものなどそうは存在しない。



 GA/ローゼンタール/レイレナード/BFF/インテリオル・ユニオン/イクバール。



 6の巨大企業によって構成される世界経済の支配者=すなわち、企業体連合(パックス)。



 
『敵、基地内に侵攻! ……防衛線ライン、第四幕を突破!』

 切迫した声が、ACの中に響き渡る。

 この基地は確か国家軍の中でももっとも厳重な防御力、戦力が集中しているところではなかったのか? ハウゴは思う。世界でもっとも安全な場所とは危険の只中にある、とは誰が言った言葉か。ここは恐らく世界でもっとも安全な場所『だった』はずだ。

 だが、いまやここは世界でもっとも危険な場所になりつつあるようだった。

 狭いACのコクピット/人生の中でもっとも多くの時間をすごしてきた場所/見つめてきた光景は、こいつのカメラ越しの方が生身の目で見つめてきたものよりはるかに多い。

 起動スイッチをオン/燃料電池はFULL。戦闘行動を行うのに支障は無い。

「相棒、お目覚めの時間だ。……起動シークエンス8から14、16から19を省略しろ。緊急起動だ」
『了解、緊急起動します』

 ACの制御AIの復唱を聞きながら、ハウゴは通信機からの絶望的な凶報に耳を傾け続けた。情報は命。侮れば=死/集めなければ=死/生かせなくても=死。

 状況は至極拙いと言えた。
 国家と、その国家に武器を提供する巨大企業達。六大企業が、無能な国家に対して宣戦布告を行ったのは、……確か今朝の朝食を食べたころだったとハウゴは思う。朝方、パンに卵を載せて、丸ごと食べた。一緒に出てきたベーコンは旨かった。あれは末期の食事になるのか。

 まったく実感が沸かない=さながら千年前に垣間見た夢のよう。



 後の世で国家解体戦争と呼ばれる戦い――宣戦布告同時攻撃。


 恐らく開戦前から反撃を許さぬように念入りに計画は進行していたのだろう。他基地へのホットラインは既に寸断され、増援を呼ぶことすらままならないらしい。

 ……もっとも他の基地に余力をまわすことが出来るとも思えなかった。
 なぜなら、今この基地を攻撃しているのは、この基地を陥落させようとしているのは……。
 
『早い、……なんだ、なんだあれは!』
『たった、たったの一機なんだぞ! 何で落とせない!』
『あれは、あれは本当に陸戦兵器なのか?! あの速度、まるで戦闘機じゃないか!』

 たったの一機。
 世界を軍事力で締め上げる国家軍の圧倒的戦力――その圧倒的戦力すら凌駕する絶対的に突出した個。そんな怪物が近くに存在するという事実がハウゴの肝を冷やす。

 ……にわかには信じられない話だが、通信越しの悲鳴に虚偽の臭いなどかけらも感じられない。あるのはひたすら濃密な死の香り、死神の足音、時限爆弾の短針が刻む音に似た破滅の予兆だ。

『れ、レイヴン! 起動命令は出していないぞ! 許可無く発進な……!』
「こいつは負け戦だ。鴉は鴉らしく小狡く沈みかけの船から逃げるさ」

 通信をオフにしてから独白する。
 彼の重ACはパイロットであるハウゴの重火力信奉の影響か、強力な破壊力を有するバズーカを積載している。
 ……本音を言うならもう少し細身のスタイルが好みであるが、『殺られる前に殺れ』がこれまで戦場で生き抜き、ついには伝説的な名声を有するまでになった理由だと思っている彼には重火力を捨て去る事が出来なかった。AC拘束用のジョイントをパワーで引き剥がし、機体を直立させる。

 右腕にバズーカ/左腕にシールドを搭載し戦闘モードへ。 
  
『起動、完了しました』
「よし、起きるぞ!」

 少なくともここに居続けては愛機のコクピットが棺桶代わりになる。
 格納されていた倉庫からハウゴはゆっくりと機体を外へ出させる。同時にレーダー更新を確認しようとして、その必要が無かったことを悟る。
 

 視界の端に見えた敵のブースター炎。瞬間的に亜音速を発揮しながら飛来。空気がそれに跳ね飛ばされ爆音と変じる。 

「……この時代のACが……空を飛んだだと!?」

 敵AC、凄まじい速度で飛来し着地――戦車を遥かに凌駕する自重、速度、それらが齎す着陸の衝撃、コンクリートの地面がその凄まじい衝撃を吸収しきれず爆薬を仕掛けられたかのように派手に吹き飛んだ。破片が周囲に撒き散らされ。ハウゴの愛機の表面装甲を叩く。

 敵機=夜闇そのもののような漆黒一色/空力特性を生かした機体構成はどこかセクシィですらある/戦闘機並みの高速機動を行う陸戦兵器/脚部にいくつも設置されたスラスター郡/長大な銃身のライフル/鋭角的なデザインのマシンガン/背に負う折りたたまれた大口径榴弾砲/肩に設置された、ミサイルの誘導性能を欺瞞するフレア×2/長時間の戦闘に耐えうる堅牢な装甲/人の形をした巨人兵器=アーマードコア。 

 巨大な漆黒の人影、両腕に巨大な銃器を構える人型の巨人=肩の大口径榴弾砲を展開。

 倉庫から出たばかりのハウゴのACに対して背に負う巨大砲を構えた。いや、狙いは自分ではない。彼が先ほど出撃した、他の機体が出撃を待つ格納庫。

 背に走る冷や汗/炸裂する生存本能/雷鳴の如き脊椎反射=罵声に似た叫び声をあげながらハウゴは推力ペダルを全力で押し込み、必死の回避挙動を行う。

 瞬時に、それが至極危険な火力を持つ代物であると本能で悟ったのだ。

 バスッ、と鈍い音と共に発射音。それに伴う凄絶な反動/脚部を伝わりそのACの足元の地面の土が更に吹き飛んだ。

 一瞬視界によぎる巨大砲弾の影/それはハウゴのACがいた場所を通り、先ほどまで彼が機体を駐留させていた格納庫の中へ飛び込んでいく。
 



 黙示録的轟音。




 瞬間、凄絶な爆発が背後に巻き起こった/音量調節器マイナス補正最大=だがそれでも馬鹿になる耳。

「……なんて、こった……」

 後部カメラで確認し、絶句する。彼の他の仲間達や、国家軍のAC部隊がいた格納庫は完膚なきまでに破壊されていた。

 そして感じる。目の前の敵にとっては自分とは、踏み潰す路傍の石ころでしかないのだと。今目の前にいる新型のACと自分の乗るACの戦力差はまさしく象と蟻に等しいのだと。

 敵のカメラアイがすべるように此方を睨んだ。光学的捕捉(レーザーロック)、敵パイロットの殺意の射線を感じる。

 背筋に走る恐怖/戦慄で震える指先/すくみ上がる心臓=撤退の算段をつけようとして=だが卓越した戦闘知性はいかな手段を用いても脱出することは不可能と最悪的絶望的世紀末的判断を下す。

 燃える闘志=やせ我慢/操縦桿を強く握り締める=震える指先を握力で締め上げる/深呼吸=心臓に安息。

 逃げれば後ろから撃たれる。
 交戦を決断=爆発的発作的無謀的判断=行動、推力ペダルを全力で踏み込む。突撃。
 
「……舐めやがって……!」
 
 闘志を無理やりに湧き上がらせる。

 どうせ退避は間に合わない。戦闘開始から敵がこの場所に来るまでそんなに時間はかかっていない。それを可能とするあの敵の機動性は空前絶後。勝てないと力ずくで悟らされる。だが、心は戦慄に震えようと、トリガーを握る指が恐怖で竦む事だけは断じてなかった。
 シールドを構える。

「その手の大物は再装填(リロード)が遅いと信じてぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 ブースターノズルの推力噴射角を後方へ統一――全力で噴射/前方へ猛然と突撃を開始。相手が構えた大型榴弾砲だが、あれほどの大火力が連射できるとは到底思えない。もし連射できるなら苦しむ暇も無く吹き飛ぶだけだ。接近し、必中距離(ヒットレンジ)に入ってから高火力を誇るバズーカを叩き込んでやる。

 相手が両碗に装備する武装はマシンガン、ライフル系、たとえ被弾してもシールドと重装甲ACの装甲があれば一撃を叩き込む程度の時間は繋がるはずだ。

 だが、相手の侵攻速度から逃げ切れないと言う事はわかっても相手の運動性まではハウゴは考慮に入れていなかった。



 敵AC、肩から膨大な噴射炎を吐き出す/横方向へ壮絶なスライド移動、唖然とするような瞬発力。
 相手の網膜に残像を刻むような/獲物の喉笛に喰らい付くような肉食獣の如き移動。ハウゴの重ACのバズーカを持った方向へ瞬間的に回り込む。

「つ、馬鹿な……、てめぇ人間か?! せめて中で吐いてろよコラァ!!」

 相手の超絶的な加速をカメラ越しに目で追えても、機体はそうはいかない。ましてやハウゴのACは重装甲と引き換えに運動性、旋回性を犠牲にしている。
 ここにきて重装甲、重火力を重視してきたことが仇になったか――ハウゴはそれでも足首を掴む死神を蹴り飛ばすように推力ペダルをさらに荒々しく踏み込む。前方へ移動するままシールドを構え必死に旋回、距離を離そうとする=だがその行動は断頭台に縛りつけられた罪人が暴れるさまに似ていた。

 そんな全力離脱すら、必死の抵抗すら敵の新型ACにとっては静態目標に等しい。

 マシンガンが火を噴く/オレンジ色のマズルフラッシュが幾度も瞬く/横方向に降り注ぐ豪雨の如き、凄まじいまでに吐き出される高速の弾丸は、高水準であるはずの重装甲をさながら暖かいバターをフォークで刺し抜くように貫いていく/装甲が慣性エネルギーを食いきれずに穴を開けられていく/見るも無残に蜂の巣にされていく/そのうちの一発の弾丸が、ACの重バズーカの砲弾を格納する弾装を貫通=火薬に引火/誘爆が起こる。


 敵に損害を与える為のバズーカ砲はここに来て主を裏切った。


 誘爆を起こした砲弾はそのまま砲身を食い破って爆発、その破片と爆発は重ACの装甲を吹き飛ばし半壊させる。機体コクピットの右側、システムインテリア類が爆発の衝撃で吹き飛び、即席のナイフ、鉄片の散弾に変じる=主の右腕を切り刻んだ。

 フレーム大破状態。重力に抗う全ての力を失い、重々しくハウゴのACは地に崩れ落ちた。
 誰の目に見ても、もう脅威は無い。戦闘続行など不可能だった。


 それはもちろん、新型兵器『ネクスト』を駆るLINKS、ベルリオーズにとっても例外ではない。


『ネクスト』の操縦者=頬にL字傷/獲物を狙う猛禽のようでもあり真摯な僧侶のようにも見える知性的な瞳/鍛え上げられた肉体/脊椎から伸びる大量のコード/コジマ粒子被爆から搭乗者を保護する液状装甲(ジェルアーマー)を内蔵したパイロットスーツ/パイロットと機体、電子的に結合=その違和感は頬傷の幻痛として作用/高い精神的負荷を前提にした新機軸操縦インターフェイス『AMS(アレゴリーマニュピレイトシステム)』/人機一体の体現/LINKS(リンクス)=繋がれたもの。

「恐怖に飲まれず怜悧な判断を下す良い腕前の戦士だったのだがな」

 小さく独白する。
 もちろん、戦場で同等の戦闘力を持つものが戦うなどということは無い。戦いは非情だ。立場が違えば、今目の前のACパイロットは彼自身だったのかもしれない。

 ただ、もし彼が自分と同等のネクストに乗っていれば戦いはどうなっていたのだろうかと無意味な考えに捕らわれる事もある。

 もちろん、彼にとってそんな遊びの思考は一刹那。相手が勝手に誘爆してくれたのだからマシンガンのマガジンを無駄に消費せずに済んだ、という程度の認識でしかない。

 次の標的を倒す為の弾装は多ければ多いほど良いに決まっている。
 レーダー更新を確認、未だ戦闘を続けている味方ノーマル部隊――援護要請を受信。

 応援に回ることを決め、彼はオーバーブーストをスイッチ。
 機体を跳躍させ、高度を取る/障害物を避け、進路を確保/同時にベルリオーズの乗機、ネクストAC『シュープリス』の後背、装甲カバーが開放=オーバーブースト用ブースターが展開、エネルギー圧縮。

 ベルリオーズは体に掛かる凄絶な負荷に堪える為、歯を食い縛った。亜音速で再び飛翔、更なる破壊を撒くため戦場を股に駆ける。




 だが、しかし。

 
 敵に損害を与える為のバズーカはここに来て主を裏切った、と言ったが、大局的に言えばそれは誤りだった。


 ハウゴの愛機は、結局最後の最後までパイロットに対して忠実だった。もしあそこでバズーカが誘爆し、半壊しなければベルリオーズは無感動にトリガーを引き続け、ハウゴの機体を完全に大破させ、彼の命を奪っていただろう。だが、戦闘不能に陥ったお陰で彼は多くの破壊を撒くことを優先し、とどめを刺さずに去っていった。それは多数にとっては大いなる不幸だったが、彼にとっては大いなる幸運だった。

 もちろん、彼にそんなことなどわかるはずも無い。ただ、致命的な脅威が去っていったのを、戦場の空気が去っていくのをなんとなく気配で知っただけだ。





 ハウゴ、覚醒=同時に激しい痛みを感じる。

「……ええい、どうなった……?」

 ハウゴはうめき声を漏らす。
 アラート/アラート/ひたすらにアラート。
 周囲のモニターは真っ赤に染まっている。特に右側のステータスは全てが赤色というか、全て真紅に染まっていた。とにかく最悪とだけ示せばいいのに、とハウゴは思う。

「……い?」

 ようやくそこで彼は自分の肉体の状況を思い知る。

 右側のステータスどころか、視界の全てが真っ赤。瞳を閉じようとして激痛を感じる。右目の視界が真赤い。潰れているのか、と心のどこか冷静な部分が判断を下す。異物感がある。恐らく目を運悪く破片でやったな、と他人事のように思う。そのうち右目の視界が永遠に暗黒となる。

 くそ、と舌打ち一つ。腹部の怪我を生き残った左目で確認。痛みはない、怪我はない、だが、このままでは失血死の可能性がある。


 次いで自分の右腕を見て、溜息を漏らした。

「……ああ、こりゃやばい。むしろ俺がレッドアラート……」

 腕は目よりも酷い状況だった。とっさに頭部を庇った為、爆発の破片は右腕に集中して突き刺さり、ずたずたに引き裂かれている。大きな傷口から白いものが見えた、何であるかなど知りたくもない。

 右腕痛い×右腕痛い×右腕痛い×右腕痛い×右腕痛い×右目痛い=痛くない――明らかに矛盾した肉体の感覚にこりゃ末期だやべぇと、ハウゴはぼやいた。

 痛みの感覚は確かにあるのだが、あまりにも、あまりにも痛すぎて痛くないという矛盾が起こっている。この右腕はもう使い物にならないだろう。今の自分と同じように戦場で四肢を失ったレイヴンと会ったことなら何度もある。

 自分も彼らと同じように、負傷した時の事を、酒の席で笑いながら話せるんだろうか?

 茫洋とした意識/かすかに和らぐ痛み/暖かさが体から漏れていく感覚/ベッドに横たわりまどろむような心地よい感覚――『死』。


 恐怖という生存本能が意識を明確にさせた。 


「……くそっ!」

 生き延びなければ。生き延びなければ馬鹿話のネタにもならない。失血でぼやける頭を意思の力で無理やり賦活させた。

 体を起こしシートの下のメディカルパックを取り出す=たったそれだけの動作で体をつんざくような激痛が走った。死にたいと思う。流れ砲弾で俺のACが吹っ飛べばこんな痛い思いをしなくて済むのに。

 そんな後ろ向きな発想を振り払おうとハウゴは歯を食い縛る。

 モルヒネを投与し(中途半端な麻酔、よみがえる激痛)、激痛を騙し(痛いと言うことは生きている証だと信じ)、右腕を脇で縛り(暗くなる心、もう腕は駄目だ)、出血を抑える(命の漏れる感覚に恐怖する)。

 血だ、とにかく血が足らない。ハウゴは失血で寒くなっていく体に恐怖しながらそれでも纏わり付く死に抗う為、無益にすら思える絶望的な努力を続けた。




[3175] 第一話『君は俺の財布の女神様と言うことか』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/05 12:36
 目を開ければ、そこは今のご時世珍しいといえる気で組まれたロッジの天井があった。視線を翻せば、大きく開け放たれた窓が外気を吸い込み、青空と白い雲のコントラストが移る。思い起こすのは赤い天使を撃墜し、地下世界を出て初めて見知った青空と雲の色。

 少し視線を下に向ければ青々とした生い茂る草原/草原に面した家の一室――今のご時世ダイヤよりも貴重な風景。

 でもそれを見る視界はもう半分だけ。唯一残った左目で横を向けば、本来右腕があってシーツを押し上げている膨らみがない。

「……そうか、もう、無いんだな」

 どこか、力の抜けたような声を漏らすハウゴは続けて周囲に視線を向け、状況の理解に勤める。

 ここはどこだろう? 野戦病院、ではない。周には一緒に病室に押し込められた患者もいない。どうやら個人の所有するロッジらしい。さしあたっての危険はないようだが、疑念も沸く。


 伝説のレイヴンと持て囃されても、彼らの資産は企業重役の財産などには到底及ばない。報酬も弾薬代、修理代などで費える場合もある。ましてやハウゴは先の戦いで自分の愛機を大破させられた。あの損害状況を思えば、残ったなけなしの貯蓄を売り払ってようやく中古のMTが一台購入できるかと言うところか。
 


「潮時かも知れねぇな」

 軽い絶望感が胸の奥に燻っている。
 あの時戦った敵のハイエンド機。格納庫を一撃で粉砕する絶望的な大破壊力、瞬間的に視覚外へ移動する瞬発力。間違いなく企業体の最新兵器だろう。

 もう一度あの敵と交戦して生き残れる自信などあるわけが無い。ハウゴが生き残ったのはまさしく偶然だ。そんな偶然が二度三度続くほど気楽な性格をしていない。


 ……だが、悔しい。
 完全な敗北。
 もちろん、ハウゴもかつては伝説のレイヴンと呼ばれた身だ。己の技量に対する自負もある。

 しかし、あんな機体を一介のレイヴンが手に入れられる道理などない。
 それに今やハウゴは最大の財産であるACを失った。病院の手術費程度なら捻出することも出来るかも知れないが、今更紙同然の装甲しか持たないMTに乗り換えられる訳も無い。あれほどの高性能機を手に入れるなどまさに夢のまた夢だ。 

 考えるなどやめよう。ハウゴは目を閉じる。

 今は失った腕の事も、自分を破ったあの敵の事も考えたくは無い。これが現実であり、夢でないと知ってはいたが、今しばらくぐらいは夢に溺れていたかった。

 その時、軽い電子音と共に扉が開け放たれるのが見える。

「目を覚ましたんですね! ……ああ、良かった」

 体を覆う気だるさ/眠気=そう思ってまどろみに落ちようとしていたハウゴは病室を明ける音に気づいた。

「すみませんが、患者はまだ面会謝絶です。また今度お越しください」
「自分でそう言えるなら意識はしっかりしていますね? ハウゴ=アンダーノア」

 扉を開けて現れた女性=軽く波打つ蜂蜜色の背中まで伸びる髪/瞳は深く青い海/少し小柄な体躯/桜色のカーディガンに長いスカート/胸元を押し上げる緩急/目元を隠すふち無しの眼鏡。

 彼女は喜びで笑顔を浮かべながら室内の通話回線を取る。

「もしもし、エミール? 彼が、そう、彼、目覚めたよ! 貴方も早く来て!」

 そんな彼女を寝転がったまま見上げてハウゴはたずねる。

「さて。今はいつでここはどこで君は誰だ?」

 今現在自分が置かれている状況を把握する為の短く直接的な言葉にその彼女はこくり、と頷いた。

「私の名前はフィオナ=イェルネフェルト、……貴方に命を救われたイェルネフェルト教授の娘に当たります」
「イェルネフェルト教授? ……あの時の、か」

 思いがけない単語にハウゴは目を見開き、同時にかすかに顔を綻ばせる。
 
 アナトリアの極めて優れた技術者であり、ハウゴが以前彼の護衛任務を引き受けたときに少し会話した事がある。懐かしい名前が思わぬ場所で出てきたことに驚きながら彼女をまじまじと見る。確かにそういわれればその知性的な光を宿す瞳は彼女の父親にどこか似ている。

「ベッドの上でそんな名前を聞くたぁな。……教授はお元気か?」
「……死にました」

 懐かしくてたずねた質問の台詞――フィオナ、そう名乗った彼女はハウゴの言葉に悲しげに顔を背けた。

「……そうか、悪い事を聞いた」
「いえ。……ここはコロニー『アナトリア』、生活圏ブロックの一角の、父から譲り受けた私の持ち物の家です」

 悲しみを押し殺すように、無理に笑う彼女の笑顔。悲しみを時間が癒しきっていない様子に、そう昔ではない間に教授は死んだのか、ハウゴは思考を巡らす。
 

 イェルネフェルト教授。
 企業体から高給と地位を約束され、幾度も研究員として招きを受けていたにも関わらず、自分が生まれ育ったコロニー『アナトリア』に愛着を持ち、その優れた頭脳で企業も瞠目するシステムを開発し続けてきた人物。

 そうか、死んだのか、ハウゴは一抹の寂しさを感じながら天井を見上げる。誰も彼も己より先に逝く。ロスヴァイゼ、アップルボーイ、アレス、ストラング、俺は後何人見取ればいいんだ。


「……ハウゴ、落ち着いて聞いてください。
 貴方が最後に出撃した戦い、……あれからすでに四年経ちました。貴方は、四年間、こんこんと、眠り続けていたんです」
「なにぃ……?」

 唐突に告げられたその言葉にハウゴは起き上がり、そして同時に自分の肉体の重さによって、その言葉が正しいものであると納得する。

 体が重い。残った左腕を見れば、鍛え上げたはずの筋肉は萎縮し、かなり痩せ細っている。怪我を負い、一ヶ月程度昏睡していてもここまで肉体の性能が劣化するわけが無い。嘆息を漏らした。

「……て、こた、今までの入院費で俺の貯蓄はパーか」
「父の恩人にお金を請求なんて致しませんよ」

 まじまじとフィオナを見るハウゴ。

「じゃ、君は俺の財布の女神様と言うことか」
「おかしな言い方の人、……本当、父が言っていた通り、面白い方ですね」

 くすくす、と口に手を当てて笑うフィオナにハウゴは苦笑する。確かに彼とマウリシア撤退戦を生き抜いたシーモックも彼のことを変な性格と酷評していた。

「別におかしいことを言ってるつもりじゃねぇんだがよ。……ま、俺が本当に四年間眠り呆けてたかは後でニュースペーパーの日付読んで確認するとして。……教えてくれ。四年前の戦いは、どういう形で終わったんだ?」

 気になっていたことを尋ねずにはいられないハウゴ。自分が居たあの基地はどうなったのか、あの敵のハイエンド機はいったい何者なのか、知りたい。

「少し長くなりますよ。よろしいですか?」
「かまわねぇ、話してくれ」

 フィオナはこくりと頷く。

「貴方がいたあの戦争は、現在では『国家解体戦争』と呼ばれています。
 国家の支配体制に対し、企業体が起こした史上最大規模のクーデター。……六年前、つまり国家解体戦争の二年前にアクアビット、オーメル=サイエンス=テクノロジーが発見した、環境汚染を引き起こす代わりに強大な戦闘力を付与するコジマ技術を搭載した二十六体の新型機動兵器『ネクスト』により、国家軍はろくな反撃もできぬまま敗北しました」
「ネクスト……。それが、『奴』か」

 己を完膚なきまでに打ち倒したあの新型の敵。瞼を閉じれば瞳に浮かぶ漆黒の機影。

「はい、……国家解体戦争時、参戦した二十六機のオリジナルは、それぞれが挙げた戦果の順番によってLINKS(リンクス)ナンバーが割り振られています。……貴方を倒した相手はレイレナード社に属する、オリジナルの中でも最強のLINKSナンバー1、『ベルリオーズ』です」
「慰めにもなんねぇな。……ところで、なんで山猫(リンクス)なんて呼ぶんだ?」
「山猫(リンクス)ではなくて、繋がれたもの(リンクス)ですよ、ハウゴ。
 ……ネクストは非常に強力な兵器です。

 ネクストの絶対的優位性は三つ。コジマ粒子を機体周囲に安定させ、殆どの武装の破壊力を減退させる極めて強力な防御力場を展開する『プライマルアーマー(PA)』。
 桁外れのエネルギー供給率と、高度な機体制御によって可能になった、瞬間的な超加速により相手の射撃を回避する『クイックブースト(QB)』。
 そして最後の一つが、高い精神負荷を前提に人間とパイロットを機械的に接続し、より直感的、より高度な操縦を可能とする『AMS(アレゴリーマニュピレイトシステム)』です」

 一息、言葉を切るフィオナ。

「……しかし、AMSは特殊な操縦システムです。極めて特異な知的能力を要求するため、その適応には先天的な才能、AMS適正が必要不可欠になってしまうので国家解体戦争から四年が過ぎた現在でもネクスト機体を操ることができる人間は全世界で二十何名程度しか存在していないのです。
 国家に繋がれた人間、機械と接続した人間、そういった意味合いからリンクスと呼ばれていますね」
「鴉と山猫喧嘩して、鴉ボロ負けだったわけか」

 嘆息をもらすハウゴ。そんな彼にフィオナは実際のデータを見てもらおうと、ハンディパソコンを操作し、公表されている基本的なネクストのスペックノートデータを開いて手渡す。

「……なるほど、こりゃ無謀だな。良くぞ生きてたってところだぜ、俺」

 ノーマルでネクストに挑むということは、T―34でM1A2に挑むようなもの、と記入されているが、実際そのぐらい戦闘力に隔絶した差がある。
 恐らくどんなにうまく立ち回ってもこれを撃破することは不可能だろう。ネクスト一機が保有する戦闘力は、三個大隊に匹敵か、もしくは上回る。戦術的価値においては最強の機動兵器だ。

「本当……、よく生きてらっしゃいました。貴方は重症を負い、気絶していてコクピットに居たため、ネクストによるコジマ被爆を受けずに助かり、そして企業の救助部隊に助けられました。悪運がお強いんですね」
「さすがは、マウリシア撤退戦の英雄だ」

 唐突に聞こえてきた第三者の声に、ハウゴとフィオナは振り向いた。

 第三者=男性/ロシア系か、くすんだ金髪/強い意志と知性の同居する青い瞳/痩せぎすの体=だが、ひ弱さは感じられない、肉体に鉄芯でも埋め込んでいるような印象/三十代半ばといったところか/寡黙な大木の風情。

「エミール」
「貴方が目覚めた事により、我々にも希望が見えた。……お初にお目にかかる、マウリシア撤退戦の伝説の傭兵、ハウゴ=アンダーノア。私はイェルネフェルト教授が亡くなられた後、『アナトリア』の全権を預かっている、エミール=グスタフと言う」
「ハウゴ、だ。……教授に会った時、そういや、一人交渉に重宝する弟子がいるって聞いたな」

 ふぅん? と値踏みするようにエミールを見るハウゴ。面白がるように微かに笑みを浮かべる。

「俺が目覚めた事により? なにか俺と交渉事でもあんのかい、大将」
「察しが良くて助かるよ、レイヴン。……君に傭兵の仕事を頼みたいのだ」

 ハウゴ――目を細める。レイヴンに仕事と言えば、戦闘行為と相場が決まっているのはわかっている。

「エミール、彼は今目覚めたばかりなのよ? ……いきなりその話を持ち出すなんて……」
「いや待て。そもそも、四年間眠り姫をやってたんだ。今の俺の体は鈍りきってる。往時のような戦闘力なんぞかけらも残ってねぇぜ?」

 エミール――苦笑。タバコを取り出して吸おうとしたが、病人の前である事に気づいたのか、すぐに仕舞い直した。小さなコロニー『アナトリア』を仕切っているなら心労も多いだろう、ニコチンに頼りたくなる気持ちは分かる。ハウゴ、エミールに軽い親近感。責任を感じているなら信頼できそうだ。

「君にアナトリア専属の傭兵になって貰いたい」
「なんでよ」

 即答するハウゴ。エミールは苦い顔を浮かべた。

「アナトリアの主産業は何か知っているか?」
「イェルネフェルト教授だろ?」
「……妙な言い方だが、間違っているわけでもないな」

 苦笑しながら頷くエミール。

「……知っての通り、そこのフィオナの父上であり、私の先生でもあったイェルネフェルト教授の天才的頭脳がはじき出す最新技術を基幹産業としている。……いや、していたと言うべきか」

 フィオナは顔を背けている。罪悪感か、それとも父のことを思い出しているのか、分かるのは悲しみの色だけ。

「先生は暗殺された。同時に先生が生み出した最新技術のいくらかが奪われた。一年前だった」

 一瞬何を言われたのか分からず、目を見開くハウゴ。

「……あの、研究一筋で、陰謀のいの字から一万光年離れている教授が……?」

 ハウゴは呆然とした表情を浮かべる。思い起こすのは研究の虫ともいうべき教授の顔。偏屈で人付き合いの悪い人物だったが、兵器技術を作る自分自身を嫌い、薬品や医療技術をもっと極めたいと呟いていた人物。


 彼の遺産とも言うべき技術が盗まれた。恐らく企業体のどこかが、彼の研究に魅力を感じ強奪したか、もしくは危険を感じて強奪したか、だ。もっとも今や世界を支配する企業体にその責を責めようにも力が違いすぎている。結局泣き寝入るしかないわけだ。


 だが、だからといって納得できるわけでもない/こみ上げる怒り、震えるこぶし。

「馬鹿な……」
「……現在、アナトリアは残った技術開発によって持っている。……だが、それも長くは持たないだろう。一年ぐらいだ。恐らく一年すれば他企業が新たな技術を開発し、我々は経済の基盤を失う。……一つのコロニーの餓死だ」

 なるほど、ハウゴは事情を飲み込んだ。今コロニー『アナトリア』は緩慢な滅亡に向かっているわけであると言うこと。早急な滅びというわけでもないが、かといってハウゴにどうすることもできない。彼にイェルネフェルト教授ほどの脳みそは無い、出来るのは直接的な暴力の行使、だが、その力であるACは四年前にぶっ壊れたままだ。 

「……だが、だからって、俺にアナトリア専属の傭兵になれって言うんだ。いっとくが、アナトリアの住民全員を食わせてやれるほどの根性は俺の財布にはねぇぞ?」

 ハウゴの言葉に、エミールは微かに、得意そうに笑う。





「我々は教授の遺産とも言うべき、一機の『ネクスト』を保有している」





 ハウゴ、しばし沈黙。言葉の意味が理解できず、目を見開いたまま、エミールを見返した。

 疑問質問の言葉が脳内に泡のように浮かんで消えて、結局唇からもれるのは呆然としたような言葉。

「……な、なんだって?」
「まるでご自身の死期を悟っていたかのように教授が死亡直前にくみ上げられた、……新技術開発用に所有していたネクスト機体がある」

 ネクスト。
 究極の単独戦力。一機で戦局を変えうる戦闘力。確かにその力を以ってすれば、アナトリアを経済的に潤すだけの報酬を企業体に要求する事が出来るだろう。

「君に頼みたい。……教授無き後、アナトリアは基幹産業を失った。私には教授ほどの才能は無い。……君にAMS適正があるかは神のみぞ知るだが……。君にネクストのパイロットになって貰いたい。修理などは我々アナトリアが受け持ち、その報酬のいくらかを経済活動にまわしてもらいたいのだ」
「エミール!」

 フィオナの叫びが、エミールの言葉を切り裂いた。視線が彼女に集中する。

「……貴方は卑怯よ。……一つ大切なことを彼に伝えていない。……ハウゴ、リンクスは総じて短命なの。コジマ技術は環境汚染を引き起こすけど、同時に人体にも極めて有害だわ。ネクストに登場するリンクスは常にコジマ被爆を受けるため、どうしても寿命が短く……」
「いいぜ。その話、受けてやる」

 フィオナの言葉を遮るようにハウゴは答えた。
 不敵な表情、笑顔を形作る/心の底から愉快を感じているよう。

「どうせ一度死んだ身だ。それにレイヴンなんて職業、ベッドの上で死ぬなんて保障はむしろ少ない。……勝って生き残れる算段が増えるなら、それに越したことはねぇし……」

 更に笑いにゆがむ唇/闘志に瞳が燃えている。

「なにより、殴られっぱなしなんぞ気にいらねぇんだ」




 ……あの後。
 謝辞を受けたハウゴは一人天井を見上げていた。すぐさまベッドから起き上がれるわけも無い。肉体は衰えており、明日から早速リハビリメニューを実施するようフィオナに依頼した。明日から地獄の筋肉痛の日々が待っているだろう。

 四年間。 
 あの国家解体戦争の際に気絶し、そのまま眠り続けて四年の歳月が過ぎた。


「そんなわきゃねぇだろう」


 呟く。
 そう、そんなわけは無い。
 肉体に重大な損傷を受け、植物状態になったというなら理解できる。だが、至近で爆発の衝撃を受けたハウゴは一度覚醒し、自分の肉体の応急処置を行っている。
 そうだ、確かに重症を負ったが、それでも四年間も眠り続けているわけが無いのだ。植物状態になったというなら、ハウゴはコクピットで覚醒せず、応急処置もせず、そのまま永遠に眠っていたかも知れなかったのだ。
 考えられることは一つ。自分を四年間、眠らせ続けた存在が居るということ。自分の存在を煙たがるものが、四年前に自分に何かをしたのだ。


 いったい誰が? 疑問は浮かぶが、正解の確信を持てる回答は浮かばぬまま。


 生き残った左腕を掲げる/鈍った肉体はそんな動作にすら重さを感じさせる。
 見上げながら呟いた。






「俺をこの第三次人類の世界に再生させて、本当に何か変わるのか……? なぁ、セレ=クロワール」





[3175] 第二話『私で最後にしてみせる』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/05 16:27
「……てなわけで、半年ほど経過したんだが」

 誰に向かって話しているか意味不明な独り言をつぶやきながらハウゴは空腹を覚えた。

 パックス出資のリンクス養成所を兼ねた研究所ってのは、やけに良いものを出すんだな、というのがハウゴ=アンダーノアの真っ先に受けた印象だった。

 食堂――時間は真昼。朝からトレーニングメニューをこなし、肉体を疲労させているためか腹の奥には空腹感が付き纏っている。

 昼食――メニューはバイキング制。
 茹でられた温野菜類/レアのステーキ/ポタージュスープ/食パン、ナイフとフォークをトレイに乗せて食堂を見渡した。

 リンクス候補生専用に準備されたこの食堂も、最初に比べて一人、また一人と櫛の歯が抜けるように欠けていき、今では使用しているのは自分を含めたたった二名だけ。先日までは三人だったが、その一人も去っていった。

 食事は他人と取るのが趣味のハウゴは一人で黙々とトレーニングメニューをこなす様に白米を食している一人の少女を右の銀色の義眼で補足/見つけると、相手の許可も何も取らずにその前に座った。

「よう、ミド」

 ハウゴ――明るく右腕の、ほとんど生身と変わらない精巧な義手を掲げて――笑いかけ、ミドと呼ばれた少女に話しかける。

「……ふぅ。何です、ハウゴ」

 白米/海苔/豆腐/魚の刺身――箸を休めて不可解そうにミドと呼ばれた少女は正面に座ったハウゴに視線を返す。

 ミド=アウリエル――黒目黒髪/健康的に焼けた浅黒い肌/引き締まった身体/なだらかな曲線=ネット上に公表されているネクスト適応者ブログ『リンクスレポート』の作者。

「セーラがいなくなって、一人寂しくご飯か?」
「友達がいないのは貴方も同じだと思いますけど」
「寂しいこというなよ」

 ミド――不愉快そう。ハウゴ――愉快そう。
 無理も無いかもしれない。ミドは自主訓練の際、ゲームを流用した実機シミュレーター『アーマードコア・サイレントライン』でハウゴに五連勝したが、先日今度は彼女自身が五連敗した。ミドは今度こそ、はと思っているが、目の前の陽気な元レイヴンは実戦を知るだけあって極めて優秀なパイロットだ。実機シュミレーターなら兎も角、鍛え上げられた鋼のような肉体はネクストの超機動にも耐えうる優秀な耐G適正『S+』をはじき出している。

 とはいえ、AMS適正に関してハウゴは『C-』判定を下されているため、総合的に見てハウゴとミドの研究所の評価は同程度。

 ちなみにローゼンタールとローゼンタール内のコジマ粒子研究機関であるオーメル出資で経営されるこのリンクス養成所『エレメンタリー』での歴代最高のAMS適正値は、国家解体戦争時に活躍したリンクスナンバー6、『オーメルの寵児』セロの『SS+』だ。実質的な最高位はS+である事からして彼のAMS適正は『規格外』ということになる。

 ミド=不意に脊椎にあるジャックに人工光速神経網(オプトニューロン)を差込み、AMSを用いて初めて機体の統合制御体に接続したことを思い出す。

 死にたくなるような嘔吐感、虫歯の治療で麻酔なしで歯を削られるような痛み、酷い苦痛だった。かすかに顔が青くなったかもしれない。目の前で座るハウゴは心配そうに覗き込んでいる。

「おい、無事か?」
「……はい」

 青い顔をしたミドに気遣うような言葉のハウゴ。

「ならいい。……ここに来た当初は何人もいた候補生らも、教育プログラムの最終段階の今じゃ俺を含めてたったの三人だ。今更知り合った仲間らがAMS適正に失敗の烙印を押されて被検体扱いなんざ夢見が悪すぎる」

 ハウゴ――真摯な表情。

 その顔を見てミドも静かに頷く。AMS適正を持つ人間をパックスはのどから手が出るほど欲しがっている。無理も無い。世界でたった数十しか存在しない――それでいて通常戦力をまるで歯牙にかけないネクスト戦力は強大だ。

 元々ミドは軍人志向だったわけではない。

 だが、内戦で大学に在籍する余裕が無くなり、国家解体戦争の後に大学にやっとの思いで復帰した彼女はバックス(企業体)の技術者にAMS適正を見出されリンクスの道を選んだ。

 AMS適正は一種の才能だ。
 戦士としての覚悟を決めた軍人ではなく、適正のみを優先され、リンクスへの道を選ばされた人間はいる。




『本日のゲストは、バックス・エコノミカの究極兵器ネクストを駆る、リンクスナンバー31、セーラ・アンジェリック・スメラギ嬢にお越し頂きました』
「……ああ、そういやそうだったか」

 企業体経営の何処かの報道番組。女性アナウンサーの耳障りな声。出演している少女に視線を移す=ハウゴ/あまり愉快そうでない。

 セーラ・アンジェリック・スメラギ。

 ミドルティーンの最年少リンクス――非の打ち所のない美少女。
 短いライトブロンドの髪/アーモンド色の可憐な瞳/白人種としても美しいと思える白磁のような白い肌/幻想に片足を差し入れたような非現実的な美しさ。
 先日まで研究所に調整の為にいた少女の久しぶりの姿に二人は映像に集中する。

「ここにいた時も美少女と思ってはいたが、だいぶカメラ栄えする。確かに有効だな」
「……そうですね」

 ハウゴ=独白。ミド=首肯。
 最強の機動兵器ネクストのパイロット、特異な知的才能に恵まれたもの、『リンクス』でありながらセーラは美の神に愛されているかのような素晴らしい容姿の持ち主でもあった。確かに恐怖と畏怖の対象であるはずのネクストのパイロットが十四歳の飛び切りの美少女と来れば馬鹿な男などいちころ、イメージ戦略として悪くは無い。

 悪くは無いが、ハウゴは心中にわだかまる不快感を抑えきれない。
 ハウゴ自身は彼女と会話したことは多くなかった。せいぜいシミュレーション後にセーラとデブリーフィングで事務的な意見交換を行っただけ。ただ二十代中盤のハウゴと違い、ミド=アウリエルは同じ女性であり、十代同士で一番年齢も近かったため話も合い、プライベートの時間では良く会話していたのを見かけたことがある。
 ハウゴもミドもそれぞれ思うところがあってリンクスを目指している。

 ハウゴは己の生命を救ってくれたアナトリアの経済基盤を築く為。
 ミドはかつて故郷を滅ぼした戦火を少しでも食い止める為。


 内戦の終結を呼びかけるセーラの発言に、どこか白けたような気分でハウゴはテレビを切った。
 セーラ自身はその言葉を真実であると信じているのだろう。だが、実際のところは石油利権に関するバックスの欲望が見え隠れしている。

 ましてや十四歳の少女が、自分も幾度か話したことのある子供が利用されているとあってはハウゴも冷静でいる自信が無かった。
 
 
「ハウゴ」
「なにさ」

 スープを皿ごと抱えて啜るハウゴ/行儀の悪さに、じろり、責めるようなミドの視線=ハウゴはまるで意に介していない。

「貴方は、ネクスト傭兵になるのですよね? ……でも、どうしてそんな職をバックスが認めるのですか?」
「……ああ」

 ハウゴ=首肯。

「少し危険な話をしようか」

 ハウゴは目線をミドの方に向けながら軽く笑う。ミド、小首を傾げる。

「現在世界経済、どころか世界そのものを支配しているのが企業体連合(バックス)だ。で、そのバックスでもっとも巨大な企業体がGAになる。
 ……だが、コジマ粒子開発の専門組織アクアビットと提携したレイレナード、そしてオーメル・サイエンス・テクノロジーの主君であるローゼンタールの二社がネクスト開発における主流であり、GAは現在この二社から比べて極めて低い場所にいる。
 GAの切り札、オリジナルリンクス『メノ・ルー』がリンクスナンバー十位という低い場所にいることからもそいつが伺えるな。

 だから、だ。
 現在、ネクスト傭兵をやる予定の最大の顧客はGAになる。……そして理由はもうひとつある。
 良いか? 企業間戦争はすでに始まっている」
「……な」

 ミドは唖然とした表情でハウゴの言葉に反応するしかない。

 現在世界は不安定であるが確かに戦争と呼べるほどの大規模なものにはいたっていない。せいぜいが国家解体戦争で敗れた国軍の残党が引き起こす反乱や、武装テロリストによる武力蜂起だ。ミドも平和を乱す彼らの存在が許せなくてリンクスを目指している。
 
 なのに。

 その言葉は彼女の努力を嗤うようではないか。

「お前もネクストの戦闘力は知っているだろう? ……あんな滅茶苦茶な戦闘力を誇るネクストが二十六機。そして国家解体戦争からすでに四年半だ。なのにまだ武装テロは根絶されない。

 ……簡単だ。
 武装テロリストや国家軍を支援しているのは企業だ。もちろん中には企業の管理から放たれたマグリブ解放戦線の『砂漠の狼』アマジーク、あの野郎が駆るイレギュラーネクスト『バルバロイ』とかの例外もあるかも知れねぇ。だが、実際のところ、武装テロリストは企業同士の代理戦争の尖兵だ。

 企業間直接戦争が始まっていないのは、お互い戦えばただでは済まないと知っているが故だな。

 だが、俺のような企業に属さないネクスト傭兵は違う。投入すれば戦局を変える戦力、他企業との戦争の口実にならない使い勝手の良い傭兵だ。
 ……アナトリアを生き残らせるためにネクスト傭兵になったが、実際のとこは企業間同士の醜い駆け引きによって認められた、あまりに脆弱な戦力……てのが、俺に対する評価さ」

 そう言いハウゴは、はは、と軽く笑う。
 実際のところ彼を取り巻く実情はそんなに甘いものではない。パックスに存在価値を認められているうちは良いが、そうでなくなればどうなるだろう。


「さてと、ミド。飯が終わったら付きあわねぇか?」
「付き合うって、……何をです?」

 食事を終えたハウゴの言葉――最後の一枚の刺身に醤油つけて食べるミドはもぐもぐと噛みながら聞き返す。
 少し楽しそうにハウゴは笑った。

「なに、現在俺のネクスト機体が調整の為に研究所に搬入されてな。一緒に見物にいかねぇか、ってだけさ」
「……それは、確かに興味がありますね。わかりました、行き……」

 ましょう、と続けようとしたミドの言葉は生まれる前に死んでしまった。




 桁外れの爆音が外で鳴り響いたからだ。





 明らかに物体の破壊を目的とした悪意ある攻撃によるもの――ハウゴ、瞬時にミドをかばい上から覆い被さって降り注ぐガラスの破片から彼女を保護。

 悲鳴が周囲から聞こえてくる。緊急至急を告げるアラート音/同時に聞こえてくる銃声、軽機関銃の発射音、悲鳴、阿鼻叫喚。
 ハウゴは心配そうにかばったミドを見ようとして、なんか自分の腕をパンパンと叩く彼女に気づいた。締め上げられたレスラーがタップしているように見える。

「……無事か、ミド」
「……窒息の心配以外は」

 胸元に口を押し付けられていたためか、ようやく開放された彼女は酸素を求めて荒々しい呼吸をする。そしてようやく周囲の状況に目が行ったのか、表情を強張らせた。ガラスがあちこちに散乱し、外に視線を向ければ周囲に展開したMTが、襲撃者のノーマルと交戦を始めている。

「これは、一体……!」

 その時だった、食堂に足早に侵入してきた兵士らしき男×2が手元に軽機関銃を持って走り込んでくる。

 ミドはネクストに乗れば人類でも有数の戦闘力を発揮することが出来るが、その生身の肉体はただの少女とたいした変わりが無い。ましてや今自分は無手、対応する手段を知らない。

 その進入してきた目鼻出しのマスクのうち一人の男は何処かわからない異国の言葉で叫び声をあげる。

「リンクス……!」

 言っている言葉の意味など半分も理解できなかったが、しかしその文中に含まれる特長的な言葉だけは理解できた。

(私達の事だ……!)

 狙われているという事実に寒気が走り、背筋が凍る――だが、逆にその横にいたハウゴの行動は空恐ろしくなるほど迅速だった。

 先ほどまでステーキを食べる為に使用していたフォーク×1、ナイフ×1を片手ずつに握る/未だ肉の脂がついているそれ、フォークとナイフを、まるでシネマの中のニンジャのように投擲=回転しながら飛来するそれは連絡の為に通信機を握り、引き金から手を離した男のそれぞれ右目に正確に命中した。

「guaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 異国の言葉でも激痛と怒りに叫ぶんでいるのがはっきりと理解できる。
 ハウゴ――行動は人類が可能とする限りの最速、短距離を駆けるスプリンターのように一挙動で間合いを踏み潰し、相手の銃に添えられた腕を義手の右腕で補綴。

 瞬間、力学的摩訶不思議が展開。

 そのまま相手の肉体が空中で一回転。相手の肉体を何らかの武術の技で投げ飛ばし/もう一人の相手に叩きつけ/ハウゴは相手の上に乗りかかり全体重を乗せた下段蹴りで一人を悶絶させ、乗りかかられて動きの鈍る相手のもう一人を踏み潰して気絶させる。

 相手の抵抗力を奪うと、ハウゴは彼らの武装を奪ってからズボンとシャツで器用に拘束した。

 
「……こいつら、馬鹿で助かったが」

 ハウゴ――倒した相手の身に着けていた服の中から軽機関銃と拳銃を取り出す。弾装を確認=軽機関銃をミドに手渡した。

 渡された手元にある相手を殺すための銃器の冷たさ――背筋に戦慄が走り、怯えが震えとなって走る。ハウゴは自分が握る拳銃の重みを確かめながら言った。

「ネクストと銃器、間接直接の差はあるが、お前が選んだ道だぜ」
「……! ……はい」

 だが、ハウゴの言葉にミドは自分を取り戻す。そう、ネクスト兵器も所詮は殺人の道具でしかない。自分が引き金を引くか、機体が引き金を引くかの差はあれど命を奪うという行為にはなんら差は無い。その言葉で恐怖から逃れえたわけではないが、引き金を引くためらいは無くなった。少し冷静になると同時に疑問が浮かぶ。

「……何者なんでしょう」
「さっきこいつが言ったのは、『リンクス二名を発見、確保します』だった」
「え? 言葉がわかるんですか?」
「安心してくれ。俺は十カ国語で『金貸してくれ』と言う言葉を完璧にマスターしているスゴイ人だ」
「……不安になってきました」
「まあ、それはともかく。……間違いなく俺達の身柄確保を目的としている。……まあ、もう一種類ぐらいはあるかもしれねぇが」
「?」

 ハウゴの言葉にミド、不可解そうに形良い目元を寄せる。

「俺のような企業に属さないネクスト傭兵の数少ない利点として、アセンブリを一社のみのパーツで形成せずに済むって利点がある。
 まあ組んだのはイェルネフェルト教授だが。……頭部、コアはローゼンタールだが、腕部はレイレナード社、脚部はレオーネメカニカの消費エネルギー低減型、ジェネレーターはGAの最重量級とかでな。
 ……他企業の技術を盗むにはうってつけの継ぎ接ぎ機体なんだよ」

 ハウゴはじつに面倒そうな表情、手元の拳銃の安全装置を解除する。

「……リンクスと貴方のネクスト機体の奪取が彼らの目的だと?」
「世界でも四十名程度しかいないリンクスのうち二人がここにいる、十分な理由じゃねぇか?」

 確かに。
 このリンクス養成の研究所でもっとも貴重なものはリンクスそれ自体だ。可能性は大きいと認めざるを得ない。

「それに捕まえた人間に言う事を効かすなんざ簡単だ。遅効性の毒物とその血清、人格洗浄、肉体的苦痛、洗脳。……どっちにしろ楽しくねぇぞ、きっと」
「同感です」

 茶化して言うハウゴにミドは戦慄を含ませながらも頷く。

 捕まれば、きっと人間としての尊厳を叩き壊すような手段で言う事を聞かされる。もちろんそんな目にあってたまるか。ミドは己の手のうちの軽機関銃を握り締め頷いた。

 苦しかったリンクスとしての訓練に耐え続けてきたのは、誰かを苦しめる力ではない。

 瓦礫に埋もれた死体を野犬が食いちぎり、カラスが啄み、無数の蠅が飛び回る中、水を求めて歩き続ける。拳銃を突きつけられ、逆に撃って追い払う、そんな地獄のような体験を自分ひとりで終わらせたかったから、自分で最後にしたかったから。

「私は最後。あんな目にあう人なんて、きっと私で最後にしてみせる」

 祈るように目を伏せるミド――頷くハウゴ。彼女の言葉に決意を感じ、意識を尖らせる。

「OK、じゃこっからの行動だが。……恐らく襲撃の報告はローゼンタールに行っているはずだ。すぐに部隊が来る。俺たちの勝利条件は味方部隊が来るまでの逃走だが……来い!」

 ミドを片腕で引き寄せながら、ハウゴは食堂の壁に隠れる。同時にやってくる新たな敵兵×2。正体を隠す目だし帽、こちらに気づき、軽機関銃を構える。

 発砲=それに伴う轟音。

 百近くの銃弾が壁に穴を開ける――顔を出すことも出来ない偏狭質的猛射。

 リロードに伴う一瞬の間=ハウゴ、失ってもかまわない義手の右腕で拳銃を握り発砲×2。銃撃戦のセオリーである一人の相手に二回の連射という事項を無視した二撃。だがその弾丸は正確に精密に脳天を貫通し一撃で相手の生命を奪う。セオリーを無視しながらも勝利してみせる神業的連射。

 ハウゴ――少し不満そう。

「……ちょいとぶれたか。ロスヴァイゼなら一発で二人倒しそうだったがな」

 聞いたことの無い女性の名前。
 ミド――微かに好奇心を持つが、今はそれどころではないと判断。

「行くぞ」
「はい」

 行動を開始する。





[3175] 第三話『起動しろ、<アイムラスト>!』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/05 13:04
 操縦席は薄暗いが、それを苦に思うことは無い。

 人工光速神経によって機体と接続されるLINKSは、愛機が持つ索敵機構を我が物にできる。たとえパイロットの目が見えずとも戦闘行動にはなんら支障は無い。

 そもそもAMS技術そのものが元来義肢を本来の四肢と同様に動かすためイェネルフェルト教授のネクスト理論によって開発された産物だったのだから。

 微かな振動=ジェット音。
 自機ともう一機を輸送するための輸送機の推進音。現在高度一万=腕によりをかけての目的地を目指した全速急行中。

『緊急事態のため、この場で作戦行動を伝達いたしますわ』

 機体の通信機から聞こえてくる涼やかな声=妹のものに、操縦者は頷く。
 操縦者=黄金色の髪/青い碧玉のような瞳/水晶を銀の彫刻刀で削ったかのような美麗な容姿/虎体狼腰/ローゼンタールの極端なエリート主義を体現するかのような完璧な戦績を持つ青年/美しき若獅子の風情/オリジナル=リンクスナンバー4、通称『破壊天使』レオハルト=カントルム。

『……それは本当にネクストを二機も投入する程の価値在る作戦なのか?』

 通信から聞こえてくるのは歳若い少年のような少し甲高い声。もう一機存在する同行者の機体パイロットのもの。

 同行者=どこか不愉快げに顰められた瞳/右目を覆い隠すような黒髪/ありありと不平不満を隠そうとしない気配を纏っている/戦闘を娯楽と断じるあまりにも幼い気質/天より自分以外のすべてを見下ろす傲慢な黒鴉の風情/史上最大のAMS適正『SS+』保持者=紛れも無い天才/オリジナル=リンクスナンバー6、通称『オーメルの寵児』セロ。

 返ってくる言葉、両名のアシスタントおよびバックアップを引き受けるローゼンタールの才女でありレオハルトの血を分けた妹。
 デュリース=カントルム/波打つ豪奢な金髪/青い碧玉のような瞳/兄と造形の端々に共通点の見られる透き通った美貌/微かに胸元を押し上げる膨らみ/才女=エレクトロニクスの専門家でありさまざまな情報検索能力とその情報の中から適切なサポートを瞬時に判断する能力が要求されるオペレーター職を勤め上げる女性。

『確かに多少過剰な戦力を投入する事は間違いございませんわね。……作戦内容を説明いたしますわ、お兄様、セロ。
 ……本日13:15分頃、武装テロリストが、我々ローゼンタール及びオーメル出資のリンクス研究施設『エレメンタリー』を強襲、当施設を占拠しています』
『武装テロリスト程度に占拠される程度の戦力しか無いのかい。仮にもリンクスの養成所だろう……』

 面倒そうにセロは呟く。確かに相当数のノーマル部隊が配備されていたにも関わらず、敵にやられるまま。しかしそこまで良いように叩かれるほどの戦力ではなかったはず。

「……確かにセロの言葉には一理あるな。やはり他企業の息の掛かった敵だろう」
『ええ。左様ですわね。……攻撃を行ったのは前々からレイレナード系列との関係が噂された組織です。敵組織自体はたいしたものではありませんが、企業の支援を受けた敵は最新鋭のノーマル部隊を使用している可能性があります』
『どっちにしたって、結局全部落とせば良いって事じゃないか』

 セロ――微かに声に楽しげな響きを含ませる。破壊と殺戮を遊戯のように捕らえる残酷な童子の如き思考。レオハルト――戦を舐める同僚の発言に感じた不快感を言葉と表情には出さない。

『違いますわ。……本作戦の最大の目的は最終選抜まで残った二名のリンクス候補生の救出と、コロニー『アナトリア』から預かるネクスト機体の回収ですわよ。……ただ、武装テロリストの施設占拠からすでに二時間経過していますわ。上層は最悪救出は行わなくともかまわない、ネクスト機体のみは確実に確保せよ、とのことです。

<テスタメント>は三次元機動を生かし施設周辺を征圧する敵部隊の殲滅を、お兄様の<ノブリス・オブリージュ>は施設内部を制圧、アナトリアのネクスト機体を確保してくださいませ。

 ……コジマ粒子による研究所の被爆汚染を防ぐためプライマルアーマーは使用不可能です。
 よろしいですわね、お兄様、セロ』
『結局敵の弾に当たらなければ良いだけじゃないか。ふん、了解』
「……了解した。……デュリー、リンクス候補生の名称と顔の画像データを私に」

 通信機越しに聞こえてくる機材の操作音、同時に操縦席の左側の画面に画像提示。一瞬のローディング表示の後画像データが展開される。その、画像データの一つに、思わず目を剥くレオハルト/セロ。

『……生きていたのか、こいつ』
「……はは、彼か。なるほど、死んだと思っていたが」

 唐突に突然に、なんの前振りも無く現れたその顔、人相はいささか変わっているし、右目にいたっては自然では決してありえない人工物に変わっているが、間違いない。レオハルトは微かに苦笑する。

「問題ない、デュリー。彼はマウリシア撤退戦のあの男だ」
 
 返答は無い――帰ってきたのは驚愕で思わず息を呑んだ呼吸の音。
 
『……彼が、伝説の?』
『……シーモック=ドリの指揮の下、撤退する部隊の最後尾を勤め、機体を五度の中破状態にしながらも五度機を乗り換え奮闘したマウリシア撤退戦の英雄……』
 
 紛れも無い天才ゆえに他者を見下す傾向にあるセロですら彼の名前には聞き覚えがあった。レオハルトは微かに口元を笑みに歪める。

 同時にリンクスの注意を促すようにシグナルが警告。作戦開始三分前。

『あと三分で投下ポイントに到着。プライマルアーマーを展開しませんから当然オーバードブーストは使用不可能ですわ。
 投下後、可及的速やかに研究所に移動、攻撃を開始してくださいませ。ハッチ開放、御武運を』

 漆黒の視界の中に一筋光が混ざる。

 それは徐々に広がっていくと同時に、光の向こう側に青空を写した。
 高度一万メートル。レオハルトは彼の乗るネクストAC<ノブリス・オブリージュ>を輸送機のハッチのそばに立たせる。

 ネクストAC<ノブリス・オブリージュ>/銀色のメタリックカラーに彩られた鋭角的デザイン/平均的な戦闘能力を有するローゼンタールのスタンダートな構成(アセンブリ)/右腕=射程重視型ライフル/左腕=長大な刀身のレーザーブレード/背部に背負う巨大な翼=否、一基一基が一翼の形をした天使の翼の如きデザインの高出力レーザーキャノンユニット×3×2=計六門=破壊天使たる由縁。
 
「<ノブリス・オブリージュ>、出撃する」
 
 レオハルトの言葉と共に、<ノブリス・オブリージュ>は輸送機のハッチを蹴り蒼空に踊りだす。

 同時に機体システム=機体と接続したレオハルトの脳髄に進行方向を指し示すガイドビーコンが現れる。機体制御、同時に各種ブースターが起動し落下速度を緩め着陸=接地、ショックアブソーバーが起動しパイロットに着地の衝撃を減衰して伝える。

『<テスタメント>、出るぞ』

 輸送機から踊りだすもう一機のネクストAC<テスタメント>出撃/ジャングルを思わせるような塗装色/軽量型ニ脚機体/右腕=改良型ライフル/左腕=発射に伴う消費エネルギーを抑えた機動戦闘想定型レーザーライフル/右肩=軽量型レーザーキャノン/左肩=相手の両側から標的を挟み込む高角度旋回ミサイル/脆弱な装甲=凄まじい運動性能/三次元戦闘を想定した高機動ネクスト。

 着地するニ機のネクスト機体、既存の戦闘兵器の常識を覆す経済巡航速度で前進を開始する。
  

 


 ハウゴ=ミド、即席の二人一組(ツーマンセル)。
 ミド、軽機関銃を後背に向け、動体を視界の端に捕らえればバースト連射。ハウゴ、前面に立ちふさがる敵を拳銃による精密な射撃で駆逐。

「……凄いですね」
「殺しの腕を褒められるのは人としてどうかなと思うんだが」

 ハウゴ、敵に向け三連射撃=敵の捕獲部隊は脳天、喉笛、心臓を貫通され即死×3。

 圧倒的技量――残弾を数えていたのだろう、全弾撃ちつくしたことを確認しマグチェンジ。


「……ァアアアア!!」

 敵兵の一人が味方を殺された憤怒の叫びを張り上げながら物陰から飛び出してくる。弾装交換に生じる一瞬の隙を狙った攻撃。
 ハウゴ――空恐ろしくなるほど冷静。正確に弾装を捨てたままの拳銃で構える。今弾は無いはず、ミド、息を呑むがしかしハウゴは疑問に答えるように小さく呟く。

「しかし、火室(チャンバー)には一発残してるんで。はいよ残念賞」

 発砲――精密な一射で相手から命を奪う。
 後ろから見ていたミドは声も出ない。ハウゴ=アンダーノアに掛かれば、唯の拳銃が、まるで機関銃の連射性能と狙撃銃の精密性を兼ね備えた必中必殺の魔銃、類稀な殺戮の道具に生まれ変わるかのようではないか。

 リンクス適正を見出されたから戦士の道を選んだミドとは根本的にどこか違う。硝煙と火薬で培養された戦闘に適合した別の生物のように思える。ミドがやったことといえば、せいぜい顔を出した敵兵に対して数撃ちゃ当たる的にサブマシンガンを発砲しての相手の足止め程度だった。

(……彼はレイヴンだと聞いた。……でも、レイヴンだからといってここまで正確に戦えるものなの?)

 疑念が胸のうちにわだかまる。
 もちろんレイヴンは傭兵だ、ミドのような元々平和な暮らしを享受していた市民に比べ銃器に触れる機会は多かっただろう。だが、それでもレイヴンはノーマルACを駆り戦場を駆けるのが仕事。しかしハウゴの動きは的確すぎる。映画に出てくるワンマンアーミーのような、それこそ対人戦に習熟した特殊部隊の如き正確な動きだ。

「ミド、おい」
「え? あ、はい」

 ミド――思考に没頭していたためか、返事が遅れる。
 ハウゴは呟きながら、裏道――通常移動に使用されるものでなく配線やパイプなどの密集する整備のための道――への扉部分へ一発二発銃弾を叩き込む。次いで扉を蹴り飛ばして不法侵入。

「しっかりしてくれよ? こちとら背中預けてるんだから」
「……分かっています」

 ミドは小さく首肯、ハウゴ――軽く、頷くのみ。
 ハウゴはそのまま走り始め、施設の地下のネクスト保管庫へと急行しようとする。

 その時だった。
 遠くで爆音とそれに伴う振動が聞こえる。また爆炎と混じって鋼鉄を溶断する音、味方部隊だろうか――希望が沸く。
 
「味方でしょうか?」
「だといいな。……まだ確証が無い。当初の予定通りに行くぞ」
 
 呟きながらハウゴは階段をより下、下層へと進んでいく。





 ニ機のネクストACが高速で移動する。施設を肉眼でもって確認。目標地点へ到着。レーダーで敵影補足、戦闘行動を開始。

『後数秒で敵射程へ到達いたしますわ』

 オペレートを勤めるデュリーの声。
 不意にセロの<テスタメント>は推力を上昇――レオハルトの<ノブリス・オブリージュ>、それを追従する形。
 
「何をする気だ、セロ」

 レオハルト――誰何の声。セロは愉快そうに笑いながら機体の全武装使用制限を解除。左腕のレーザーライフルを構える。光学ロックオン、補足。しかし有効射程距離内であることを示すレッドマークは未だ未点灯。

『決まってる、少し面白くするのさ。……こんな退屈な任務なんだ。少しぐらい楽しんだって良いだろう?』

 セロ、レーザーライフルの引き金を引いた――実効射程外からの射撃。もちろん空気層で徐々に減退していくレーザーは敵ノーマルに直撃する頃には威力を失っている。命中――しかし、装甲板にわずかな黒こげ傷を作る程度。

 敵ノーマル=攻撃を受け、敵の存在を感知。部隊展開、戦闘行動を開始する。
 デュリース=激昂、自ら優位を捨て去るセロの行動に口から気炎を吐くような叫び声。

『セロ! 貴方一人ならともかく、お兄様を巻き込むとはどういうつもりですの!!』
『……こうでなくちゃ面白くない。レオハルト、あんたは先に行ってろ、僕はこいつらと遊んでから向かう』
「……了解。デュリー、方向を指示してくれ」

 セロの勝手な行動は正直良くあることだ。戦士としてはあまりに幼い気質の持ち主であるし、上層部も彼のそんな性格を問題視しているが、しかし彼が紛れも無い天才であることは疑いようが無い。傲岸不遜であり、子供の如き一面もあるが、それでも彼は当時十五歳にしてネクストを駆り国家解体戦争の折には凄まじい戦果をあげてみせた。

 二十六名いるオリジナルの中でも最高位の一人に数えられるほどの戦闘力の持ち主だ。

『ね、ネクスト?』
『データ照合完了、……破壊天使レオハルトに、オーメルの寵児セロだと?! ネクストが二機も? 聞いていないぞ!!』
『せいぜい派手に回避してくれ、全力で反撃してくれ、必死に生き足掻いてくれ!! そうすりゃ即死のみは免れるかも知れないかもね? ハハハハハハハハハハハハ!!』

 セロの哄笑を聴きながら、故にこそレオハルトは惜しいと思う。戦いに娯楽を求めず実直に任務内容をこなすようになればもっと華々しい戦果を挙げることもできたろうに。

<テスタメント>、その機体の軽量と似合わぬ膨大な推力を吐き出し、圧倒的推力重量比を見せ付けるかのような三次元戦闘を開始する。
 その様を視界の端に入れながらレオハルトは武装を選択。機体背部に背負う六連装大型レーザーキャノンを射撃形態へ移項。

 ジェネレーター、エネルギー供給を開始。
 膨大な電力が銃身に流れ込み先端部がプラズマ炎で燃える=FCSが敵機補足、正面をふさぐように展開している敵ノーマル部隊を射程内に納める、数六、ちょうど良し。

 FCS、敵ノーマル、マルチロックオン――火器管制を司るコンピューターのデータ、<ノブリス・オブリージュ>の統合制御体(IRS)の指示に従い六連装大型レーザーキャノン敵ノーマルに対し、銃身一つ一つが独自の意思を保有するかのようにその銃口を相手に向ける。相手の回避挙動を見通したような繊細な敵機動予測、銃身制御。――統合制御体、ゼロコンマ5秒で補足を完了――攻撃可能を示すレッドサイン。

「我が名に懸けて、彼らを救う!」

 引き金を引く=六連装大型レーザーキャノンは銃身から凄まじく太い白熱の槍×6を吐き出した。伸びる光の槍は狙いをはずさず敵機の真芯を刺し貫く、爆発×6。

 進路確保。<ノブリス・オブリージュ>はそのまま突撃、内部への侵入を拒む隔壁に対して武装切り替え=左腕レーザーブレードを横薙ぎに払い隔壁を溶断する。そのまま機体をぶつけ強引に内部進入。

『敵ネクスト、研究所内部に侵入した! 追撃を!!』
『そ、そんな余裕があるか!!』

 それを追いたくとも、追うことが出来ない。
 まるで重力の鎖が切り離されているかのような凄まじい三次元機動と殺人的高加速を行うクイックブーストを絡め、敵ノーマル部隊にロックする事すら許さない<テスタメント>、あざ笑うかのように、なぶり殺しにするかのように上空から敵の制御系が集中する頭部に右腕の実体弾ライフルによる精密射撃でもって戦闘不能に陥れていく。

『見ているかい? ミス・デュリー、ちゃんと相手を落としているだろう?』

 セロは愉快そうに唇に喜悦の笑みを刻みながら攻撃を繰り返す。

『なんてったって、僕の得意技は皆殺しなんだから、ふふ、はははははははは……!!』



 
 ハウゴ、蹴る/蹴る/蹴る。
 なかなか開かない緊急用の扉を蹴り開けて地下の機体格納庫の扉を開ける。内部――薄暗い格納庫、電灯はなく視界は悪いが、それでも地面に背を預ける巨人の存在感は確かなものとしてそこにある。ミド、内部の隔壁がまだ破られていないことに感謝。周囲を警戒する。

「よくこんな道を知っていましたね?」
「情報って大事だろう? ……流石にこんな具合に使う羽目になるとは思わなかったが」

 ハウゴ――呟きながら彼の為に用意されたアナトリアのネクスト機体の首元にあるスイッチを入れる。キャノピー、オープン。ゆっくりと操縦席がその姿を現す。まるで王の為に用意された玉座だ。そう思いながらハウゴは体を気に滑らせ、許されたもの以外が機に触れることを拒む電子的アーマメントを解除。

 その様子をミドは顔を覗かせて見る。実際のネクスト機体の内装を見るのはこれが始めて。

「なあ、ミド。……お前、何の為に戦ってるんだっけ?」
 
 ハウゴ=唐突な質問の言葉。ミド=一瞬返答に困る。
 思い起こすのは荒廃した故郷。皆死んだ家族。死臭と瓦礫、薬莢と硝煙。そして生き残ったもの同士の殺し合い。地獄の現出。

「私は、……私のような思いをした人をもう二度と出したくないから、私を最後にしたいから。そう思ったからです。……そういう貴方は?」
「……ん? 俺がレイヴンになったのは必要に駆られてだった。俺が生まれ育った場所は日の光が差さない陰気な場所でよ。くそ狭い場所の癖になんだかんだと勢力が喧嘩し合って、猫の額みたいな土地の覇権を得るためにあくせく戦ってるようなところだった。

 こんなはずじゃない。俺たちはこんな場所で殺しあう為に生きてきたんじゃない。……面倒くせぇ現実をねじ伏せる力を求めてレイヴンになって、そんでいつの間にか……、よし、火が入った」

 ミド、微かな起動音をかき鳴らし、静かに揺れる機体を見る。
 
「貴方の故郷って、何処にあるんです?」

 ミドにとってそれは何気ない質問の言葉。ハウゴ――悲しげに目を伏せる。

「今は、もう無い。みんな時間が奪い去った」

 ジェネレーター起動。GA社製の最重量級ジェネレーターは膨大な電力を機体各部に伝達。複雑化したアクチュエーターがパワーを吐き出し、ゆっくりと機体が稼動を開始する。
 その時、薄暗い格納庫内にレーザーの明かりが点る。高熱でシャッターを焼き切る焦げ臭さを思わせる音と共に光が差し込んできた。格納庫内の明かりが満ちる。同時に内部に侵入してきたのは。

「敵ノーマルだな。……ミド! 非常用通路に戻れ、ここは俺がやる!!」
「は、はい!!」
 
 起動体勢に入ったハウゴのネクスト機体。光に照らされるその勇姿を視界に納めながらミドは戦闘行動の邪魔にならぬように退避する。

『ジェネレーターの起動確認。隔壁の向こうで、ネクストが起動開始しています!』
『うろたえるな……』

 ゆっくりと溶断されるシャッターの向こう側に見える敵のノーマルの姿=そこから聞こえてくる敵からの混線を尻目にハウゴは人工光速神経を脊椎に設けられたジャックに接続。
 同時に機体の統合制御体から流れ込む膨大な情報量が脳髄に圧迫感として神経に刺さる――その異常はすでに失った感覚の炸裂として現れた。
 ハウゴ、自分の義手と右目に走る痛みに顔を顰める。
 
「なんで無いのに痛いのかしらね……!!」

 痛みなど感じないまがい物の機関の癖にそこに腕があるという錯覚を脳髄がしている。激しい幻痛を気力で黙らせる。
 ジェネレーター機体各所に電力供給/FCS起動/各種アクチュエーター問題なし/プライマルアーマーはミドを被爆せぬため使用厳禁/起動準備良し。
 だが、その前にディスプレイに踊る表示。

『機体名を入力してください』
「あ」

 忘れていた。
 レイヴンは皆全て愛着ある機体には名称をつける。弾丸が外れる強運、敵に齎される凶運を願い、そして生き延びる為に形無い幸運を信じて皆すべからく名前を考えるものだ。ハウゴ自身自分の手足となる機体にはちゃんとした名前を考えるものだ、が、今回緊急の為きっちり名前をつける暇が無かった。
 どうする。右側からマニュアル入力の為のキーパネルを正面に持ってくる。どういう名前を付ける?
 思い起こすのは一番最初に乗った機体の名前を考えていた少年の頃の己の姿。ああでもない、こうでもないと安物のベッドの上で転がり続けて考えた。
 次いで思い出すのは先ほどのミドとの会話。

『私を最後にしたいから。そう思ったからです』

 ハウゴ――機体名を決める。

「私を最後にしたいから。……私を最後、……私は最後。オーケー、<I,m Last(私は最後)>……だ!!」

 機体名認証。
 統合制御体――ハウゴと精神直結=人機一体。
 機体のカメラとハウゴの視界がパッチワークのように継ぎ接ぎとなって精神に映る、指先の感覚は機体の武器補綴用マニュピレーターアームと混じり、アクチュエーターの軋みは己の体の軋みと混ざる=常人には耐えられぬ精神負荷。
 その悪夢的感覚を乗り越える才能を持ち、なおかつ戦闘行動に耐え得る存在=LINKSナンバー39、ハウゴ=アンダーノア。

「起動しろ、<アイムラスト>!!」





[3175] 第四話『今も英雄扱いですもの』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:ccbf006a
Date: 2008/06/07 20:38
 最初に、アーマードコアを動かしたのはどれほど昔だったのか。
 最初に、人を殺めたのはどれほど昔だったか。
 その全ては記憶の海の遥か底。砂漠の砂の中から欠片を探すかのように思い出に埋もれて久しい。
 腕に痛みが走る。目に痛みが走る。AMS接続による擬似痛覚。





 だが、それ以上に全てを失った、降り注ぐ特攻兵器の雨を見上げるあの日こそが=世界が滅びたあの日こそが。


 今も尚、痛烈に心を抉る。


「……ったく、何だってんだ」

 ハウゴ――精神を覚醒。ゼロコンマ一秒の失神=その間に幻視する過去の残影。

 意識を現実に適応=ここは戦場だ。機体と接続する事による気分の悪さを押し殺しつつ、操縦桿を握り締め、推力ペダルに足を添える。

 ジェネレーター、出力上昇。敵の手によるものか、格納庫内の明かりが点灯。暗がりの中からあらわになるその巨人の姿。

 鋭角的なデザインの頭部/レイレナード製の攻撃適正を限界まで高めた両腕/インテリオル・ユニオン製の低エネルギー消費型脚部/戦う機械が持つ怜悧な美しさを究極まで突き詰めればこのような刃物を思わせるニヒルを帯びるようになるものなのか。

 アナトリアのネクスト機体<アイムラスト>に積載されているジェネレーターは、全企業の製作するパーツの中でももっとも桁外れの重量とそれに見合う膨大なエネルギー供給力を誇る最重量級。
 本来ならば、膨大な積載量/桁外れの重装甲を誇るタンク系のネクスト機体での積載が想定されている巨大なパーツ。中量級二脚に積載するには歪とも言える膨大な心肺機能=それはさながら猛禽の肉体に強引に獅子の心臓を埋め込むかのごとき所業。

 メインブースター/サブブースター/バックブースター/オーバードブースター=各種推進機関を生かす超強力なEN容量を実現。
 他のネクスト機体の追随を許さぬ、圧倒的な高機動戦闘継続能力。
 青色と白、そしてかすかな赤色で塗装された機体がゆっくりと立ち上がる/ハウゴが一番好きな色のコントラスト=天の青/雲の白/太陽の赤/自由の象徴である、青空。

 機体を拘束するチェーン類が、ネクスト機体の圧倒的パワーに耐え切れず弾け飛んでいく。
 脚部、地面に接地。重心を下肢に、ゆっくりとその機体は直立していく。同時に格納庫への侵入を拒んでいたシャッターが数千度にも及ぶ溶断用レーザーバーナーによって完全に切り裂かれ、内部にノーマルが侵入してくる。ハウゴ――その侵入してきたノーマルを見ていやな顔を浮かべた。重装甲、重火力、腕部にはバズーカ、シールドを積載=国家解体戦争時に自分が搭乗していたノーマルACと同形型の機体。

『敵ネクスト発見しました、……やはり起動しています』
『傭兵は傭兵でも実際はGAの犬だ、落としておくぞ!!』
 
 無線混線、ハウゴは嫌そうに顔を顰める。

「嫌な計らいをしてくれるぜ……。統合制御体、装備武装を検索しろ」
 
 音声入力と肉体に接続された人工光速神経からの二重の命令を受け機体を制御する統合制御体はデータを走査=結果を即答。
 該当=一件有り。

「一件だとぅ?!」

 ハウゴ――愕然、武装を確認し更に愕然。
 右脚部に搭載されている予備武装のレーザーブレード一本。

「ブレード一本?! この状況下でブレードが一本?! くそ、俺に死ねとおっしゃられる!!!」
『よし、事前情報通りだ。敵は白兵専用のブレードが一つ、味方施設のコジマ汚染を恐れてプライマルアーマーも使用不可だ! これなら我々のノーマルでも応戦可能だ、やるぞ!!」
『了解!』

 敵侵入、三機のノーマル展開。積載したバズーカの照準をこちらに向けながら半方位するように移動開始する。

 ハウゴ=超不運だぜ、呟きながら見えざる何かに対して毒づき予備兵装であるレーザーブレードを右腕に装備。

 ……この状況は敵の言うとおりだと言わざるを得ない。相手は閉所でも装甲と火力を生かせる重火力ノーマル。こちらは突出した性能は無い代わりにどの局面においても安定した戦闘力を発揮する中量級二脚機体だ。

 もしプライマルアーマーが使用可能であれば、その自前の装甲とコジマ粒子を利用した防御力場によって相手を装甲で圧倒して倒す事も可能だろう。だが、ここは味方施設、更に言うなら近くにはミドがおり、ここでプライマルアーマーを展開すれば彼女を被爆する羽目になりかねない。
 環境汚染を引き起こし、人体にもきわめて有害=ネクストの隔世的戦闘力を支えるコジマ技術は極めて危険であると実感。

 だが、ハウゴはそれら一切合財の思考を瞬時に全て放棄し突撃を開始する。戦場では巧遅より拙速。殺られる前に殺れこそが不変の真理。眼前の不利を知りながらも、ここで二の足を踏めば更なる不利となる事を肌で知る戦士としての脊椎反射行動だった。

『こ、こいつ……!! ブレード一本しか無いくせに……!』
「ブレード一つで勝てるとは言わねぇ。だがブレード一つを舐めるなよ……!!」
 
<アイムラスト>猛進、時速四百キロ近くで前進するネクストは相手との距離を猛烈な速度で踏み潰す。
 敵ノーマルのバズーカの威力は脅威であり、当たればネクストといえど馬鹿に出来ない被害を被る。しかし彼らは選局を有利に運ぶ情報は得ていても相手が被弾の恐怖に竦まず尚突撃を選択できるハートの持ち主であることは知り得なかった。

 ……だが、例えネクストの速度が凄まじくとも、引き金を引く動きより早く斬れる訳ではない、敵ノーマル、<アイムラスト>の交戦意志をはっきりと感じ、バズーカを発砲する。

 彼らとてネクストの性能は知っていた。
 瞬間的に膨大な推力を吐き出し、マズルファイアを視認してからでも回避を間に合わせる、回避技術のセオリーを根底から叩き潰す圧倒的瞬発力。だが、この狭所では回避するためのスペースすら満足に無く、速度を乗せる事が出来ない。
 
 
 それ故に、彼らの敗因とは彼ら自身の認識の甘さなどではなく。
 ハウゴ=アンダーノアという漢が何処かイカレた操縦技術を有していたという事だろう。


 砲弾が飛来する×3=その射撃に先んじてハウゴは既にAMSを通して機体を動かす。バズーカの射角並びに殺気の射線を瞬間的に判断し、左側へ、機体の肩を擦るような移動。

 敵バズーカのFCSはネクストの機動予測、右側へ銃身の角度を補正し、発砲。放たれるバズーカの大型実体弾は必然的に<アイムラスト>の左半身へと集中し。
 クイックブーストの派生機動、ターンブースター稼動。
<アイムラスト>の両肩に内蔵されたクイックブースターノズル稼動、左肩のブースターが前方へノズルを向け噴射=右肩のブースターが後方へノズルを向け噴射=凄まじく強引に機体を捻る。そして捻る事によって機体は相手の射線に対し半身に構える形となり=砲弾×3を回避=避けられた砲弾は虚しく壁を破壊するにとどまる。
 
『なに……!!』

 敵の驚愕の呻き=ハウゴ、そのまま慣性で敵目指して前進させ、旋回しもう一度敵を正面に捕らえ、余速を駆って突撃。

 メインブースター角度調整=出力上昇/<アイムラスト>は頭部アンテナを擦るように天井ぎりぎりの跳躍――出力調整を間違えて時々ごんごんと天井に頭突き/同時にAMSを通しハウゴの意志に従い<アイムラスト>は構える。まるで蹴り足を突き出し、飛び蹴りを叩き込むと言わんばかりに、自分自身の肉体を一本の槍と見立てるように。

「機体各部間接ロック完了!! 後は力一杯ぶつけるだけで事は済む!!」

 敵の一機めがけて飛び掛る。
 バズーカー砲の再装填速度は遅い、それはかつて重装ノーマルを操っていたハウゴ自身が誰よりも良く知っている。

「この手の必殺技ぁ、叫ぶのがお約束でよ……!!」

<アイムラスト>、跳躍速度から更に加速するため、両肩のクイックブースト噴射=さながら白炎の翼を背に負うかのよう。いかなる荒地をも走破する為に選ばれた『足』という移動手段が、物理的破壊武器として振るわれる。ネクストの膨大な重量とクイックブーストによる速度エネルギー、足の裏という狭い点に集中。

「必殺!! 究極、ゲシュ、
 ネクストキィィィィィックゥゥゥゥゥゥ!!」

 ハウゴ=超危険な台詞を自覚し瞬間的に言い直す。
 行動は馬鹿げてはいるが、その一撃が齎した破壊力は唯唯絶大。顔面を蹴り潰された敵は、そのまま崩れ落ち、戦闘力を奪われる。

 同時に威力を増すために衝撃を吸収する間接をロックしたツケが回る、想定外のアクションに膨大なエラーが瞬時に発生、その唐突に膨れ上がった情報量はAMSを通してハウゴの頭蓋に叩き込まれる、再び激痛に軋む、既に失った右腕。
 間接のロックを解除し、各種スラスターを稼動、機体平衡を保ち滑るような接地=すぐさま次の攻撃アクション。
 唯一の武装――レーザーブレードにエネルギー供給開始、瞬間的に数千度に達する超高熱の白刃が敵ノーマルのバズーカ先端を溶断=完全に相手の戦闘力を奪うべく、そのまま突進。ブレードに再度エネルギー供給=スラストモーションを選択。
   
 敵、頭部貫通。
 敵ノーマルがいかに重装甲でも槍のように突き出される数万度の高熱塊を叩き込まれれば持つはずが無い。機体の制御を担当する統合制御体が頭部に集中しているという点はノーマルもネクストも同様。頭を串刺しにされ、痙攣に似た微動と共にノーマル機能停止。

 最後に残ったノーマル、<アイムラスト>に対して攻撃を仕掛けようとバズーカを構える、が、引き金を引くことは無かった。敵ノーマルの後方から動体反応が1、<アイムラスト>のレーダーはそれが味方だと告げている。

『な、あ、新手だと?!』

 後方から来る機体=早い/ノーマルでは絶対にありえない速度/銀色のネクスト機体/羽のような翼/ローゼンタール唯一のオリジナル機体、<ノブリス・オブリージュ>。それらのデータを機体内の資料から引き出し確認するハウゴ。右腕に構えるライフルから弾丸が射出/放たれる弾丸は精密。一撃で敵ノーマル後頭部を打ち抜き、統合制御体を破壊=戦闘終了。

『……デュリー、救出目標を確認した』
『状況終了。流石ですわ、お兄様。……<テスタメント>も戦闘終了。お疲れ様です、任務完了ですわ』

 前方のネクスト<ノブリス・オブリージュ>が構えるライフルの先端からガンスモークが立ち昇る/銃身を下へ。戦闘行動終了。
 ハウゴ=ようやく一件が落着した事を確認し、やれやれ、と溜息を吐く。





「噂には聞いていたが、確かに無茶な男だな、貴方は」

 戦闘終了より三時間後。
 ローゼンタールの部隊の投入によりようやく後始末に一段落がつきつつあるブリーフィングルームで三人の人間が薄暗い室内で腰を下ろしている。視線を横に向ければ壁には弾痕、拭っても拭い切れない鮮血の気配がこの研究所には満ちていた。

 もう一人、戦闘に関わったセロは面倒だと一言残して顔も見せていない。セロとレオハルトのオペレートを勤めている女性はまだやらなければならない事が残っているらしく顔を見せていない。
 目の前に居る青年は、これまでの経緯を聞き終わると、呆れと賛嘆の入り混じる呟きをもらす=レオハルト/黄金色の髪/青い碧玉のような瞳/水晶を銀の彫刻刀で削ったかのような美麗な容姿/虎体狼腰/金獅子の威風。
 
「状況が状況だったからな」

 ハウゴ――苦笑しつつ頷く/左側の瞳=黒目、右側の瞳=銀色の義眼/陽気と剣呑が同居する機嫌の良い人食い虎とも言うべき雰囲気/闘争に身を置く武人のように引き締まった四肢/敵手の技量を愉しみ相手の攻撃の破綻を探る知性を兼ね備えた精神/まぎれもない戦士。
 
「お前も、お疲れさんだったな、ミド」

 一人席に座ったまま、言葉も発さず緊張しているらしいミド=黒目黒髪/健康的に焼けた浅黒い肌/引き締まった身体/魅力的な曲線/何処か強靭な色を秘めた瞳/背筋に一本鉄柱でも仕込んでいるようなやけに良い姿勢/遥か地平の向こうを見続ける渡鳥の風情。
 
「主に戦ったのは貴方です、ハウゴ。……私は、正直何もしていないに等しい」

 首を振るミド。彼女の脳裏に浮かぶのは、白兵戦闘用の武装一つしか帯びない機体で=考えうる限り最悪の条件で=それでもなお被弾ゼロのまま勝ち抜いて見せた彼の圧倒的な力の体現たる<アイムラスト>の立ち姿。

「いや? 実際んとこ背中任せる相手がいるといないとじゃだいぶ変わるさ」
「そうだな。ミド、君も早いめに休むがいい。……それにしても、セロめ。折角自分の後輩に当たるご婦人がいると言うのに」

 レオハルト=ここには居ない相手の事を思い出し、不愉快そうにする。

「いえ、気にしないでください」

 ミド=少し緊張気味。実力と天才性から来る傲慢さで知られるオーメルの寵児、実際に出会うまでに時間が空いてよかったと思っている。それと同時にオーメルの上位組織ローゼンタールの唯一のオリジナルリンクス、レオハルトがそばに居るのだ。多少緊張もするものだ。

 そこまで考えて、ミドはやはり普通ではない、と思いハウゴを見た。
 少しぐらい緊張すると思うのに、しかしハウゴはレオハルトと気後れすることなく談笑している。良くやれるものだ=半ばあきれたようなうらやましいような気持ち。

「しかし、……まさかマウリシア撤退戦の英雄が生きているとは思っていなかった。殺しても死なぬ男とは聞いていたが」
「……なんやらかんやらで六年前か」

 ミドは唐突に出てきた聞き覚えの無い単語に不思議そうな表情。
 
「知らないのも無理は無い話かも知れぬ」

 レオハルトは微かに頷く。ハウゴも、それもそうか、と頷き一つ。

「マウリシア撤退戦、ですか?」
「ああ。……もう六年ほど昔の事になるかな」

 ハウゴは椅子に腰を下ろしながら天井を見上げる。思い出を懐かしむように言葉を選び始める。
 
「ホワイトアフリカとブラックアフリカ。……サハラ砂漠を境界線として、白人の移住者を多く有するホワイトアフリカと、元来からそこに住まう黒人を多く有する事から対比してそう呼ばれるんだがな。

 ……元々火種の多いところではあったんだわ。古来はサハラは砂漠だったが、数百年前に大規模な緑化計画が推し進められ、サハラは広大な草原地帯へと変貌した。砂漠に適応した植物、人工降雨。当時から問題視されていた環境破壊による地球金星化を防ぐための当時の国連が採択した大規模な緑化実験場が世界でも有数の大砂漠であるサハラだった」

 言葉を引き継ぐレオハルト。

「ああ。当初は誰もが無意味であると思っていた技術だったらしい。しかし、とある企業が緑化に対する革新的技術を開発し、地道に、ゆっくりとサハラ砂漠はサハラ草原へと姿を変えていくはずだった。……だが、それは百年ほど前からホワイトアフリカとブラックアフリカ、アフリカの南部と北部の戦争の火種となった。両者は緑豊かな生い茂る大地へと変貌しつつあったサハラ草原の占有権を主張し戦争を開始。

 ……世界平和の架け橋と願って始まったそれは、両者の戦争によって緑化した大地は再び荒廃した。
 戦争自体は南アフリカの国家が勝利、アフリカは統合され、その支配に不満を抱くマグリブ解放戦線が誕生する」
「……で、だな。そん時たまたま俺とシーモックの二人は仕事で北アフリカをうろちょろしていたんだけどよ。政府軍がしぶといマグリブ解放戦線に業を煮やして、彼らの妻子の居る大きな集落に事故と見せかけてロケット燃料の散布を決めた。……表向きは輸送機の事故、実際は彼らの居場所に毒ガスをまくに等しい行為だ」
「ロケット燃料って、毒なんですか?」
「BC兵器並に有害だったと記憶している」

 レオハルトの言葉に絶句するミド。確かに六年前といえば、ミドの故郷は内戦でずたずたにされていて、ニュースペーパーも満足に読めない状況だった。

「……その状況を何とかすべく行動を開始したのが、三人の男達。ハウゴ=アンダーノアと、今もなお戦地を転々としているシーモック=ドリ」
「そして、マグリブ解放戦線のイレギュラーネクスト<バルバロイ>を駆る『砂漠の狼』アマジークですわ。お三方は現地に行けば今も英雄扱いですもの」

 四人目の声=涼やかな響きに三人の視線が集中する/螺旋を描く豪奢な金髪=岸壁穿孔機(ドリル)と見えなくも無い/青い碧玉のような瞳/傍にいるレオハルトと造形の端々に共通点の見られる透き通った美貌/微かに胸元を押し上げる膨らみ/黄金の葉を生い茂らせる柳の風情。

 彼女は丁寧な会釈で挨拶する。

「お初にお目に掛かりますわ、そこのレオお兄様の妹に当たります、デュリース=カントルムと申します」
 
 ハウゴ=あいよ、と軽く頷き、ミド=畏まって一礼する。にこやかに薔薇の如き豪奢な微笑を浮かべる彼女は会話の続きを引き継ぐ。

「……当時ノーマルACを駆る二人のレイヴン、ハウゴ=アンダーノアとシーモック=ドリの両名はマグリブ解放戦線とは関係無く移動中だったのですが、アマジークに雇われ彼と行動を共に。

 ロケット燃料の散布が免れないと判断した三名は大集落『マウリシア』の民間人の避難を開始。それを知った国軍は民間人を抱えたため足の遅くなったマグリブ解放戦線の殲滅の好機と判断。彼らに対し追撃部隊を派遣。
 シーモック氏の指揮の下、ハウゴ氏、アマジーク氏の両名は砂嵐による劣悪な視界を奇貨とし、地形を生かした的確な陣地防御、相手の出足を払う高度な機動防御を展開。国軍の足を幾度と無く食い止め、ただの一人も民間人を失うことなく撤退。……その際、レイヴン、ハウゴ=アンダーノア氏は常に前線で味方の盾となり、七度の出撃に置いて機体を五回大破させるも幾度と無く生還」
「……他人の口から聞く自分の戦果が、こんなにも居心地が悪いものとは思わなかった」

 ハウゴ=苦笑。ミド=驚愕。彼女は自分の隣に立つこの陽気な元傭兵がそんな大戦果を挙げた経歴の持ち主であるとは想像だにしなかった。
 
「わたくしも、お兄様も、まさか自企業のリンクス研究施設にこんな人が居るなどと、存じ上げてはおりませんでしたわ」
「彼の戦果は知る人間だけは十分知っている。……ミド嬢、貴方が知らなかったのは無理からぬ」

 レオハルトの言葉、右から左へ流れていく。なんということだ。ミド、ハウゴを睨む。
 そういう伝説的な名声を有するレイヴンならば彼女がシュミレーター『サイレントライン』で勝負を挑んでも勝てないのはむしろ当然ではないか。そんな彼女の視線にハウゴ、不可解そうな表情――何が言いたいんだこいつわとでも言わんばかりに首を傾げて見返した。
 
 ミドとて分かっている。
 ハウゴ=アンダーノアは特に隠していたわけでもない。ハウゴはもしミドが『貴方はマウリシア撤退戦の英雄ですか?』と尋ねれば『OKサインが欲しいんだな』と明るく詳細を返すような男だ。

 ただ、この男の事を自分はまだ何も知らなかったのだなと再認識するのみ。
 あの拳銃の扱いの上手さも、不利な戦場を切り抜ける冷静な判断力も、そして彼の過去も。

 それが普通だ、とミドは考え直す。同様にハウゴもミドの事を理解していない。彼女の家族の事も、医学生の頃にどんな研究をしていたかも、リンクス候補として採用されたとき、彼に敵愾心を抱いていたことも、彼はきっと知らない。
 当たり前だ。
 なのに、心に棘が刺さるような感覚は、いったい何なのか。ミドは溜息を吐いた。




 セロは光を拒む薄暗い暗室の中、通信機器を入れる。
 目を細め、連絡先のコードを入力。一回目のコールで通信網確保。

「聞こえるか?偉大なる脳髄(グローバルコーテックス)」

 返答は無い。無音。しかし相手はこちらの一字一句も聞き逃さないことは間違いない。電子の海にたゆたう人類の真の管理者。
 言わなければならない一言を、セロは苦渋を噛み殺すように囁く。

「……僕のモデルジーン、『ナインブレイカー』の生存を確認した」

 憎しみのまま、受話器を握りつぶした。




[3175] 幕間その1―『紋章の謎』―
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:ccbf006a
Date: 2008/06/10 23:27
 ハウゴ=アンダーノアはジュニアスクールもハイスクールも通った経験がない。
 とはいえ一概にしてそういう事情は属する国家の教育水準にこそ問題があるのであり、学校に通ってはいないからといって責められる謂れなど無かった。

 もちろん生活に必要な技術『のみ』実践の内から学んだハウゴにとって、銃器の扱いやトレーラーの運転技術、各種兵器の整備法や装甲板の取替え方法、ACの簡易修理方法などはお手のものである。ライフル弾を標的に命中させるために必要な風圧からの逆算式、装甲板に三発の第二種装甲板貫通が発生した場合の修理費用の計算なども暗算できる。更には地形図を広げ、その表示される山々の高度、地形、数字などから脳内で立体的な戦場モデルを組み立てる特異な才能を有していた。
 
 また、ジャングル戦ではそこいらにいる蛇や鰐などを適当に狩り、掻っ捌き解体し、カレー粉一つと木の油などで魚の生臭みを取り、丸ごと油揚げにするなどしてどう考えても食べられない食品をなんとか食用に耐えうる程度の味にするなどの料理の才能(?)を会得していた。

 とはいえ、これら全てはレイヴンとしてより確実に戦場で生存するために自然と体得していった技術であり。
 ありていに言えばそれ以外の一般人が日常で求められる事柄に関してはハウゴ=アンダーノアは絶望的な技量しか有していなかったのである。
 



 輸送機の、人間用の席、内側に座る女性――フィオナ=イェネルフェルトは――蜂蜜色の髪を揺らし、眉間に皺を寄せ、形のよい細いあごに手をやった。手元には一枚のプリントアウトされた用紙がある。

 先日の騒動から一ヶ月ほど経過し、ようやくリンクスとしての全ての会得科目を終了させたハウゴは――とはいえ、彼にとってはその試験はあくまで今まで体得した技術の再確認に過ぎない――ようやくAMS調整を完了させた愛機<アイムラスト>をアナトリアへ輸送し、そしてこれより事前に用意していた武装選択に従って兵装を装備、本格的にネクスト傭兵としての仕事を始める予定だった。

 徐々に企業製の技術に圧倒され、収入を断たれつつあるコロニー・アナトリア・半年前エミールが予想していた通りもうすでにアナトリアの枯死に至る状況は出来上がりつつある。

「……ハウゴ、機体名を<アイムラスト>にしたのは良いと思うわ。うん、いい名前だと思う」
「………………」

 黙ったまま窓の外、空港をじーっと見ているハウゴ。
 その状況を脱出するためのネクスト傭兵なのである。
 
 別にネクスト傭兵を始める事の致命的な問題が見つかったと言う訳ではない。そう、このままならあと五ヶ月程度で、ネクストのコジマ汚染を洗浄するための純水洗浄施設や、整備ハンガー、修理用各種パーツの準備、リンクスとしての登録、各種手続きを終え、ちょうど国家解体戦争から五年後にネクスト傭兵を開始することができる。

 言い換えればその最初の仕事に失敗すればエミールの計算は大幅に狂い、坂道を転げ落ちるように転落するだろう。

 とはいえ、戦闘技術に関してフィオナはハウゴに全幅の信頼を持っている。十番代のナンバーのリンクスが駆るネクストACならともかく、普通の武装テロリスト程度なら問題なく勝利できるはずだ。

 だから、今回のこの件はそんなに大層なことでもなく、無視しても良いレベルの次元であるのだが。フィオナは手元の紙を見る。

 イラストがあった。とりあえず何か形にしようとしたのか、それとも最初から狙ってやったのか、もしくはなにも考えず霊感にしたがって筆を走らせた結果なのか、四足歩行から二足歩行に進化した赤子がそこらへんのクレヨンを使って適当に書き殴ったような絵がそこにあった。

 右下には『BY・ハウゴ』と書かれている。

「だから、気に、しなくていいの。うん。……別に絵心が無くったって気にする必要も無いわ」

 ハウゴ=アンダーノアが会得した技術は全てが生存と闘争に特化しており、それ以外に関しては世辞にも満足いく技量を有しているとは言いがたい。


 ぶっちゃけて言うと、ハウゴは致命的に絵が下手糞だった。
 


 
 ネクストACは、みなエンブレムを持つ。
 エンブレムとは機体右肩に刻まれる紋章であり、個性の出る顔だ。もちろん企業体所属のネクストは機体のイメージなどもあるから割と専門的なデザイナーが行う事が多い。
 とはいえ、それはデザイナーに支払う金銭などはした金と言える、潤沢な資金を持つ企業体所属のネクスト機体の話。

 ゆっくりと、だが確実に経済的崩壊という危機に直面しつつあるコロニー所属のネクスト傭兵であるハウゴやアナトリアにそういったかなりどうでも良い部門に回す資金などもちろんあまっている訳がなく。
 結局ネクストの右肩に刻まれるエンブレムは、実際に乗って戦うリンクスであるハウゴや、そのオペレーター役を務めることになるフィオナ、そしてアナトリアで機体の到着を待つ整備班の面子でエンブレムを適当に決めようぜー、という事になっている。
 
 だから、整備の面子の中にもしかしたら絵心がある人間がいるかも知れないし、そんなに焦る必要は無いのであるが。
 
「…………」
 
 戦闘に関しては高度な技量を誇るハウゴであるが、いざ絵筆を取れば気の狂ったようなイラストしか書けない彼は溜息を吐きながら、手元にあった二枚目のイラストを丸めて捨てようとする。

「あれ? ハウゴ、二枚目があるなら見せてくれない?」

 それを目ざとく見つけたのはフィオナである。
 絵筆を握ればどうやら小学生以下の絵心しかないハウゴではあるが、この落ち込みようは正直見ていて不憫だった。今度のイラストは見ても正直な感想など言わず、無理やりにいいところを見つけて褒めてあげよう。そう思いながら自分の絵の下手さ加減になんか絶望しているらしい彼からイラストを取り上げるフィオナ。
 それをなんか人生に疲れた敗者のような目で見つめるハウゴ。

「へぇー、これは良いかん……じ……」

 無理にでも褒めようとして口を開いたフィオナは言葉を途中で切った。というか切らざるを得なかった。
<ノブリス・オブリージュ>のエンブレムはカントルム家の家紋、<テスタメント>のエンブレムは杖に巻きつく二頭の蛇。
 それとは別に『イクバール』のネクスト機体、<リバードライブ>のリンクス『K・K』のエンブレムは三つの『K』を積み重ねたものだった。デザイン的にはなかなか優れているとフィオナは思う。

 そのハウゴのエンブレムデザインは、文字を使っていた。
 それは良い。前述の通り文字だけでもなかなかイカしたデザインはできる。要するに後はセンスの問題だ。

 だが、ハウゴの二枚目のエンブレムイラストは、そういうセンス云々の次元ではなく、フィオナを愕然とさせるものだった。

 左側から右側へ文章が記入されている。これではエンブレムではなくただの文章だ。

 丸っこい、いわゆるビスケット文字という絶滅危惧の言語で書かれた文面、カラーはピンク、もっこりとしたイラストの癖に妙にリアルな質感を誇る無駄な技術の全力行使、そして肝心の文面。

『暗殺、破壊活動のご依頼がございましたらどうぞお気軽にアナトリアにご連絡下さい。
 良心的なお手ごろ金額で各種戦闘行為をお引き受けします。TEL番号は……』

 フィオナは思った。

(こいつ、手に負えない……!!)

 父の命の恩人に向かって感じる言葉ではなかったがこの場合誰も彼女を責める事など不可能だったろう。

 そもそもビスケット文字はもっこりしているから細かい文字を表現するには超不向きだ。なのにどうして文章が理解できるのだろうか、ここだけ魔術的センスが遺憾なく発揮されている。フィオナは首を捻った。阿呆か、と言う言葉を飲み込む。

 センスが無い、とかいう次元ではなくこれを大真面目にやっているとしたら頭の配線がどっか変な異次元とアクセスしているとしか思えない。どこの超常的存在と接続すればこんな頭の悪い事が出来るのか。

 右肩に暗殺、破壊活動の依頼を求めるエンブレム、もとい宣伝を刻まれたネクスト機体<アイムラスト>。

 隔世的戦闘力を誇る、アナトリアの広告。飛んで跳ねて戦うロボット、もとい高機動看板<アイムラスト>。余白にはきっと他企業の新商品宣伝が印字されるに違いない。

 もしこんな奴にやられるノーマルがいたら余りにも不憫である。<アイムラスト>に魂があればカメラアイから洗浄用水ではらはらと滂沱の涙を流すだろう。父のイェルネフェルト教授もこんな風に残した機体を使われたら成仏できまい。

 頼むからもう少しぐらい主人公ロボっぽく格好良さを追求してくれといった気分である。
 
「……ああ、そうさ、俺はどーせセンスねーよ」

 今回やっと台詞らしい台詞が出てきた主人公の台詞を右から左へ聞き流し、フィオナは視線をこれから以降のスケジュールを記入された手帳に落とした。
 今までの考えや見たものに対する感想とか記憶とかそういったもの全部まとめて心の井戸にほうり捨てて精神的安定を取り戻し、話をシリアスに戻すんだー、と念仏のように呟いてこれからの事を思う。



 フィオナは、この件に関して面倒くさくなったので考えるのを止めた。




[3175] 第五話『希望の種は撒き終えて』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:ccbf006a
Date: 2008/06/07 18:52
「エミール、君はネクストについてどう思っていますか?」

 そう遠からぬ間に聞いた師の言葉/これが夢であるという明確な自覚/明晰夢というものか=エミール・グスタフはもう他者の記憶にしか存在しなくなってしまった師の言葉が理解できず、不可解そうに首を傾げた。


 ……ネクストは企業体の究極兵器です。国家解体戦争を企業体の勝利に導かせた圧倒的な力です。



「間違っている訳ではありませんね、三十点差し上げましょう」

 イェルネフェルト教授はそう呟きながら一体の巨人を見上げる。
 技術開発用にアナトリアが保有する唯一のネクスト機体。カラーリングは施されておらず、現在では無色のレーダー派吸収塗装のみが施されているだけで鋼鉄の臭いを漂わせるようなメタリックカラーがあらわになっていた。


 ……教授、三十点の理由を聞いていいですか?


「エミール、君は不自然に思った事はありませんか?」

 巨人の足元で見上げる教授、その後姿はもうひどく遠く感じる/過去の幻視を頭の中で焼き付けながら、教授の前でエミールはその言葉を反芻する。不自然、一体何が不自然なのか。

「いいですか。基本的に人類の歴史において信じがたい超兵器という存在はまず有り得ません。対立する一方が先に新兵器を開発しても、そこに来る驚きは『そんな馬鹿な』ではなく、『やはりそうか』という類のものです。……例え新兵器でも、相手側も理論上は確立されているのがせいぜいです。

 ……ですが、ネクストは違う。あの隔世的戦闘力はあまりにも不自然すぎるのです。それこそ未来から来た兵器のように戦闘力が既存のものとかけ離れている」

 天才とは時折突飛な思考をするものだとその時は思った事を思い出す/ネクスト機体を見上げる師は真剣そのものの様子でエミールを見た――この教授は教え子に声を掛けるときはだんだんと冷静な思考ができなくなっていく癖を持っていた。その時、師の妄想に似た意見をからかうような気持ちで尋ねた。


 ……では、教授。一体何者がネクストの根幹であるコジマ技術を齎したのでしょう。


「偉大なる脳髄」

 唐突に出てきた意味の判らぬ言葉に面食らう。
 教授は頭を掻きながら振り向いた/背筋は真っ直ぐでない、猫背/身にまとう白衣はよれよれ/身なりに気をつけてと、今年二十になった娘に叱られてばかりだが、どうにも改める気にならないらしい=ただ瞳だけが溢れるほどの知性に満ちていた。
 彼はかつかつと靴音を鳴らしながら言う。

「こう見えて技術開発にはいろいろ携わったのですが、いまだに私はコジマ技術を齎したドクター・コジマなる人物にお会いしたことがありません。
 ……エミール、君は技術者としてはあまり出来のよい弟子ではありませんでしたが、視界を広く持つ政治家としての才能があります。ついでに言っておきますと、たぶん、わたし近日中に死にますよ」

 金槌で頭を殴られるような衝撃=もうすでに終わった過去であるはずなのにショックは変わらない。


 ……何をおっしゃっているのですか、教授、貴方がいなくてはアナトリアは!


「後のことは任せますよ、エミール。……なに、別に確実に死ぬ訳じゃありません。もしかしたらの話です、遺書も書き上げています。心配する事はない」

 そして再び、教授は一歩引いた位置から技術開発用のネクスト機体を見上げる。……そう、今は<アイムラスト>と名付けられたその機体を。

「既に希望の種は撒き終えています。ハウゴ、後は貴方の仕事です。……エミール、もし私が死んだら、彼にネクストに乗るように依頼なさい。ネクスト傭兵ならば、アナトリアを餓死させぬ程度には稼げるし、たぶん、彼はそれを引き受ける」

 唐突な教授の言葉/過去の自分は不可解そうな表情。世界に数える程度しかいないアレゴリーマニュピレイトシステムの適応者、教授が身元を引き受けた彼がどうしてネクストに乗れるという前提で話しているのか理解できない。


 ……しかし教授、彼がたまたまAMS適正を持っている可能性など数えるほどしか。


「大丈夫」

 今から思えば、あの教授の断言は一体いかなる根拠に基づいたものだったのだろう。
 その根拠は理解できない/だが、教授はハウゴ=アンダーノアのAMS適正を知っていたのではないか? しかし四年間植物状態の彼のAMS適正など調べようがないはずなのに。
 
「彼にAMS適正がないなど有り得ないのです」

 教授と、ハウゴ=アンダーノアの間には一体何があったのだろう。





 今や本来の彼の仕事、専門の脳神経に関わる研究を脇に退けて、アナトリアの実質的指導者という特にやりたくもなかった仕事をやる羽目になってしまったエミール=グスタフは、政務による忙殺の合間を縫って少しの間夢の国を彷徨っていた事に気づいた。――指先にかすかな痺れ/まぶたはひどく重い/体のあちこちが軋む/ベッドではなく机に体重を預けて眠っていた為だろう。

 机の横に置いてあった、時間が経ったためにすっかりぬるくなったホットコーヒーを飲みながら、エミールは先ほどの夢を反芻する。

 あの夢は、イェルネフェルト教授が暗殺される一週間ほど前にあった実際の出来事。一週間後に教授は事故に見せかけられた暗殺を受け死亡している。教授の仇を討ちたいと思わなくもないが、しかしあの教授の事だ、復讐に傾ける余力があるなら別のことに力を使いなさい君は出来の悪い弟子ですねぇとぐちぐち言うに違いないのだ。

「……しかし、確かに教授の仰った通りだったな」

 アナトリアの枯死を防ぐためにハウゴ=アンダーノアにネクスト傭兵になることを依頼した=そしてローゼンタールのリンクス養成機関『エレメンタリー』からリンクス候補として認められた事を伝えられた時は文字通り踊りあがったものだ。これでアナトリアは救われる、と。

 だが、冷静になった今では疑念も浮かぶ。

 なぜ、教授は彼のAMS適正を知っていたのか。

 AMS適正とは脳内の特殊な知的能力を指す=圧倒的運動性能を有するネクストは膨大な推進機関を装備している――その代償として常に統合制御体には膨大な負荷が掛かる=それを補うためのAMS。

 もし従来のインターフェイスを用いてネクスト級の機体を運用しようとすれば、連携の取れたパイロットチーム二十名が束になってやっと、というところだろう。もちろんネクストにはそこまで巨大なコクピットを用意するスペースはない。そのために本来の高機動性を損なうのであれば本末転倒も甚だしい。

 それゆえ、各種の微細な操作を感覚=直感的に行える知的才能が要求される。世界でも未だ四十名程度しか存在しないリンクス。

 しばらく考え込んでいたエミールだったが、突如鳴り響いたインターフォンで思考の海から引き上げられる。すぐさま受信ボタンを押す=聞こえてくるのは野太い男性の声。

『エミールかぁ?』
「ああ、私だ。……リンガー、ランガー、どっちだ?」
『おう、リンガーの方じゃ。……ちょっと<アイムラスト>のジェネレーターによくわからん機構を見つけた。関係者を集めて貰えるか?』



 ハウゴ=アンダーノアがシミュレーターで各種火砲のリロード間隔、射程を撃ちまくって感覚に刻み込んでいた最中に、エミールから呼び出しを受けた。

「なんだろうな?」

 疑問に思いながらもすぐに切り上げてハンガーに来てみる。真っ先に鼻に付く機油の臭い/鉄屑の色/天井の少し薄暗い明かり/汚れた整備員用の衣服に身を包んだ整備スタッフ達が<アイムラスト>と直結したコンピューターの前で一塊になっている。

 真っ先に気づくのはフィオナ=蜂蜜色の髪を揺らして近づいてくるハウゴに軽く手を振る。

 続いて振り向くエミール/その両脇にいる巨漢の中年二人=双子のおっさん=とても萌えない。
 ごつごつした指/立派な顎鬚/胸に輝くのは整備班長の証/格闘を目的として鍛えられた肉体ではなく、生活の習慣として重量物を持ち上げ続けた結果発達した筋肉/風雪に耐えた巨岩の印象/170センチ後半あるハウゴよりなお背が高い/二人ともにやり、と笑ってハウゴを見る。動作のひとつひとつが同調しているようでちょっと怖かった。

「お前さんがハウゴ=アンダーノアか?」
「わしらはイェルネフェルト教授の弟子、ランガー=スチュアート」
「リンガー=スチュアートじゃ。……教授の下ではハードウェア面を教え込まれとった」
「二人は<アイムラスト>及びアナトリアの防衛用ノーマルの修理を請け負うことになる」

 エミールの言葉に軽く頷くハウゴ。<アイムラスト>の整備が万全であるかどうかはアナトリアの経済に大きく関わる話だ、手抜きなど寸毫足りとてしていないだろう。信頼ではなく、実益の面から相手も全力を尽くしているはず――ハウゴ、自分自身のあまり健康的でない思考に溜息。

「で、呼び出した理由ってのはなによ?」
 
 とりあえず収拾の理由を尋ねる――スチュアート兄弟、頷いてディスプレイを指差す。

 覗き込めば表示されている画像データはジェネレーター周りの表示、内部にはGA社の最大重量型に過度の改造が組み込まれた、<アイムラスト>の心臓とも言うべき機関がある。

「イェルネフェルト教授はGA社の最重量級にKP(コジマ粒子)出力を増幅させる改造を施しておる。コジマ技術の最先端、アクアビットやオーメルすらもびっくりするような魔改造じゃ」
「故に、ジェネレーター供給電力とKP出力、……プライマルアーマーの防御性能を共に両立させておるのじゃが、一箇所腑に落ちん点があるんじゃ」
「……システム的には不要であるパーツなんじゃがのぉ……」

 画像を双子親父の指がなぞる、同時に内部画像が拡大――ジェネレーターに食い込むようになっているパーツが色違いで表示。

「不要であるはずなんじゃが、……ジェネレーターシステムにがっちり食い込むように設計されている。これがなくても設計上戦闘行動に支障はないんじゃがのぉ」
「このパーツを外せば重量に余りが出る、そうすりゃ機体への負荷も低減するんじゃ」
「……パーツ解除には時間がかかんのかな?」
「二日ほどもらえりゃ完了できる。どうせ時間は余っておるし、別に問題はありゃせんぞ?」

 ハウゴの質問の言葉に即座に返答する双子のおっさん整備士。ハウゴは既に初コンタクトの時点でどっちがランガーリンガーであるのかを判断する事をとうの昔に諦めている。

 両者の言い分はわからなくもない。基本的にどの機体にも制限重量が存在しており、その重量を超過すれば著しい機動性の劣化を招く。もちろん武装を戦闘中に廃棄し、機体負荷を低減させ本来の機動性を取り戻すなどの事も戦術としてある。

 更に言えば、重量が軽ければ軽いほど機体の運動性能は向上する。……もちろんその不要パーツを外したからといって得られる効果は微々たるものだ。だが、わずかな差が生死を分ける戦場――戦闘前に出来るだけ生存の確率を上昇させようという姿勢は正しい。

 そんな中、ずい、とエミールが身を乗り出してくる。画像データを注視しながら目を細めた。

「……この不要パーツに、何か刻印されていた文字はなかったか?」
「ん? ああ、……なんじゃったかな、兄ちゃん」
「う? うむ。……確かanti kojima particle systemじゃったなぁ」
「……アンチコジマプライマルシステム、……反コジマ粒子機構?」

 その初めて聞く言葉にハウゴ――首を傾げ、フィオナを見る。
 意味がわからないのは彼女とて同じ、お手上げ、といった感じで小首を傾げた。だが、一人エミールは表情を崩さない、真剣な面持ちでじっと画像を見つめたまま。胸中に飛来するのは、事実上、師の遺言であったあの時の会話の言葉。

(既に希望の種は撒き終えています)
「……これが、そうなのですか、教授」

 一人、ぼつりと言葉を漏らすエミール。
 ハウゴ――その様子を横目に写し、言う。

「外さないで良いんじゃねぇかな」

 二人の巨漢双子、まじまじとハウゴを見る。

「なぜじゃ?」
「別に整備班の手間なんぞ気にする必要はないぞい?」

 ハウゴ――頬をかきながら答える。

「いやよ、例えば足のツボ押したら体のどっかが良くなるって話あるじゃんか。正直なとこ、ああいうのって、普通ツボ押したら良くなるの、足だけって気がしねぇか? 足のツボ押して肩が軽くなるとか普通考えねぇんじゃねぇか?」
「……この用途不明のパーツは、どこかの機体システムと見えないところで密接に繋がっている可能性があると言うんじゃな?」
「……有り得ん話じゃないのぅ、少なくとも教授はわしらの先生だった人じゃ。わしらが気付く事にあの人が気付かんとも思えん」
「このパーツ以外は神業のようなチューンが施されているにも関わらず、この用途不明のパーツを残している。……単に教授がボケてそのままにしたっていう可能性がないわけじゃないがの、どっちかというなら、わしらに理解できん理由でこのパーツを残しておいたと考える方が自然かもしれんな」

 頷く双子の巨漢はお互い頷き合い、周囲にいた整備士に声を掛ける。

「おーし、それじゃやる事は決まったぞぃ! 複合装甲板の再取り付けじゃ!」
「それが終われば各種チェックを開始じゃい、始めるぞ!」

 二人の整備班長の叫び声に呼応して<アイムラスト>に幾人もの整備士たちが取り付き始める。

 実戦が始まったわけではないが、この場にいる誰もが自分の駆るネクスト機体を出来るだけ完璧な状態で送り出そうとしている、その事に満足を覚えながら、ハウゴ――未だに画像に視線を向けているエミールに目をやった。

 エミール、タバコを吸おうとして、燃料の多い整備ハンガーでの火器は厳禁であったことを思い出し、慌てて消す。

「エミール、ちょいと頼みがあるんだが、一週間ばかりちょいと外出して良いか?」
「……急だな、どこへだ? 言っておくが、君はアナトリアの希望だ、余り危険な場所へ行ってもらっては困るぞ」

 エミールの言葉も至極当然の反応だ。とはいえ、レイヴンでありかつてさまざまな修羅場を潜り抜けてきた俺を守る意味などあるのかな? 少し皮肉な気持ちでハウゴは笑う。

「なに、安全さ」
「まあ、君をどうこうできる相手などいないだろうが。GAに傭兵戦力が加わる事を嫌う他企業の干渉もあるかもしれん。気をつけてくれ。……行き先は?」
「北アフリカ」
「ああ、北アフリカ……北アフリカ?!」

 エミールの言葉が途中で裏返ったのも無理はないかもしれない。
 北アフリカ、武装テロリストの中でも二体のネクスト機体を保有する武装テロリスト最大の勢力『マグリブ解放戦線』が活発に活動する場所であり、そして企業の傭兵になる道を選んだアナトリアにとっていずれ戦う事になるもっとも恐るべき敵組織の存在する地域だ。
 そんな死地に自ら赴くという正気ではない発言をしながらも、ハウゴはなお涼しげに笑うのみ。

「なに、ちょいと砂漠の狼とかいう派手な仇名を貰った戦友と、いずれ戦う強敵と、杯を交わすだけさ」




[3175] 第六話『もう二度と会えまい』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:ccbf006a
Date: 2008/06/10 10:06
 その人達は、少年にとって憧れの男達だった。


 ああいう男になりたいと、幼心に思った。


 幼い頃憧憬を以って見上げた三人の男。




 一人は砂漠の戦場で味方を被爆せぬようたった一人孤独な戦いを続け、自分達を導く英雄となり。

 一人は敗色濃いエチナコロニーでパックスの力の象徴、ネクストと絶望的な戦いを続ける道を選び。

 そして、最後の一人は、アナトリアコロニーに属し、企業体の傭兵となり。




 敵に回った。




 息をする――砂が舌に絡む。
 目を大きく開ける――そうすればすぐに異物感が瞼に引っ掛る。
 この北アフリカで瞼をごしごしと擦ったり唾を良く吐き出している奴が居ればそれは大概この砂漠という環境になれていない別の国の人間であるという事が判る。

 ウルバーン=セグルは、雑踏の中、自分の前を歩く壮年の男性=我らが英雄の後ろ姿を必死に追いかけていた。

 浅黒い肌/黒い瞳/長身長躯/額から右目にかけて鋭い裂傷/刃のような雰囲気/指には幾度と無く火器を扱い続けた男の勲章とも言うべき硬くなった皮膚/少年と青年の端境期/幾度と無く生身で死闘を繰り返してきたもののみが纏う気配=幼さを残した雰囲気とちぐはぐな印象/ただ、瞳のみが無垢な子供のように未来を思わせる輝きを放っている。

「……宜しいのですか?」

 ウルバーンは一人先を歩いている壮年の男性はかすかな笑みを浮かべて振り向いた。
 英雄/中肉中背の男性/有色コーカソイド/体をすっぽりと覆う衣服を愛用しているのは、パックスに捕らえられAMS適正を上げる為の拷問じみた改造を受けた時期に刻まれた傷を見せぬため=脊椎に埋め込まれたリンクスの証であるジャックを隠すため/コジマ粒子被爆から味方を護るため唯一人今も戦い続ける孤高の英雄/イレギュラーリンクス=『砂漠の狼』アマジーク。

 彼はかすかに口元を綻ばせる。向う先は小さな酒屋。十人程度の人が入ればそれでもう誰も立ち入れなくなるようなレイヴン御用達の小さな酒場は、六年前にアマジーク自身が訪れて二人の男を雇った思い出深い場所だ。

「……なに、構わんさ。……昔共に戦った戦友が、一緒に酒を飲もうと誘ってくれただけの話だ。……それよりウルバーン、ススとファーティマ殿に付かずに良いのか?」

 アマジークが呟く名は、アマジークと共にバックスに捕らえられ、度重なるAMS適正上昇のための人体実験による精神汚染により、まともに喋ることすら出来なくなったウルバーンの父とその妻の名前だった。今現在は戦闘を行う必要も無く、親子で逢うことの出来る数少ない機会であるはずだったが、実直謹厳を地で行く青年は首を横に振る。

「今は御身を護る事こそもっとも優先すべきです」

 いささか硬すぎるその言葉にアマジークはかすかに苦笑する。
 ウルバーンはマグリブ解放戦線の若い戦士の中ではもっとも優れた力量の持ち主だ。ノーマルを操る腕前はそれほどでもないが、しかし銃器を扱うのが上手い。相手の殺気の射線を感じて自分の身を安全地帯に投げ出し、敵の銃口が自分を睨む前に引き金を引いて永遠に沈黙させられる実力の持ち主だ。純粋な白兵戦能力で言うなら、今から逢いに行く戦友に匹敵するかもしれない。

 そんな事を考えながらアマジークは町の中でも外れた場所の古い酒場を見つける。

 
 レイヴン。
 一時期はその数が戦争の勝敗を決するとすら言われた存在だったが、隔世的戦闘力を有するネクストの存在によりその価値は激減。

 大半がコロニーの警備隊に属したり、もしくは企業体に飼われる道を選んでいった。今も尚純粋な傭兵として戦うものはもはや絶滅したと言っても過言ではない。

「まだ、残っていたとはな」

 レイヴンが数を減らせば、そういった傭兵相手の酒場など当然寂れるのが道理/だが、薄汚れてはいるものの六年前となんら変わらない酒場を見つけ顔を綻ばせるアマジーク。ゆっくりと扉を開けて中に入る。

 薄暗い店内、天井には時折ちかちかと点灯する電灯、壁側には色々な種類の酒瓶が飾られており。目を瞑ったままの老人がこっくりこっくりと船を漕ぎながらそれでも椅子からずれ落ちる事無く佇んでいた。

 まるで六年前の光景がそのまま正確に再現されているかのようだった。
 ただ一つ違っている光景があるとすれば、六年前は二人のレイヴンがカウンターの席で愚痴を漏らしながら杯を傾けていたが、今要るのはその二人のうち一人だけという事だった。

 その青年はよう、と片手を挙げて挨拶する。

「久方ぶりじゃねぇか、アマジーク」
「貴様こそ、息災だったか、ハウゴ=アンダーノア」

 にやり、と笑う不敵な表情の二人。今は敵と味方に分かたれた両者だが、それでも胸中に飛来する戦友同士という思い出が否定される訳でもない。アマジークは後ろに座り/そして後ろに控えるように佇むウルバーンは席に座らずハウゴが不穏な行動を取れば即座にそれを止めることの出来る位置に立つ。

 ハウゴ=不可解そうな表情/最初はウルバーンの顔を見ても記憶に照合しなかったのだろうが、マジマジと見詰めるうちに脳裏に閃くものがあったのか、手を叩いて笑った。

「ああ、誰かとおもえば、ウル坊かよ」
「……覚えられているとは思いませんでした」

 ウルバーン/意外そうな表情を隠すことに失敗する。
 あの頃の自分は小さな少年兵であり、彼を憧憬の眼差しで見上げるその他大勢の中の一人だった。かすかに高鳴る胸を自覚し、ウルバーンは首肯する。

「あの歳の餓鬼にしちゃ、馬鹿に上手く動けたからな、印象が強かった」

 思い出深そうに二人は笑いながら、どちらもストレートを注文する。
 次いで、この懐かしい酒場を見回しながら、ハウゴは呟いた。

「……この酒場が残ってるか、正直判らなかったが、まさかちゃんと残ってるとは思って無かったぜ」
「ああ。……あの時貴様と初めて出合った時の事を思い出す」

 差し出される琥珀色の液体がなみなみと注がれたグラスに手を伸ばし、アマジークは言う。

「……貴様が俺と初めて出合ったときの第一声は『金貸してくれ』だったな」
「……そーいう美しい青春のメモリーはそっと胸の奥の大切な宝物入れに仕舞っておくべきだと思うんだがなぁ」
「これが美しい思い出と思える貴様の頭の中はさぞかし笑いに満ちているのだろうな」

 軽口を叩き合いながら二人は杯を交し合う。

「六年ぶりの再会を祝して乾杯」
「この場に居ぬもう一人の戦友の剛運を願って乾杯」

 お互い杯を傾け、酒場の端に据え付けられたテレビの音を背景にしながらしばしの沈黙を護る。

「……とはいってもな、正直今の俺に取っちゃあの日々の戦いは二年前って感覚でよ。今も昔も、なんだか他人においてかれてる気分だぜ」
「俺にとっては余りいい思い出は無かったな」

 そう呟くアマジーク。
 それは当然かもしれない。

『砂漠の狼』アマジーク。
 イクバール社のパーツをベースにした軽量二脚型の高機動ネクストを駆るイレギュラーリンクス。

 イクバール社の精鋭ノーマル部隊『バーラット・アサド』との交戦において機体を中破=部下であるススと共に捕虜となる。思えばそこで死亡していればよかったのかもしれない。

 その高い精神力を買われ、『まったくAMS適正の素養がない人間をネクストに適合させる』という非人道的な実験の為のモルモットとして度重なる投薬、幾度と無く続く肉体改造、そして桁外れの精神的苦痛を味わった。

 そして自分を其処まで苦しめた自分自身を救ったのもまたパックスであるという事が許せない。何処の組織の特殊部隊かはもう知ることは出来ないが、しかし自分を脱出させ、イクバールに対する敵愾心のままネクストで暴れればそれはパックスの何処かの組織にとっての利益になる。

 部下であるススはもう廃人寸前にまで精神を破壊されてしまっていた。変わり果てた姿のススと対面したウルバーンとファーティマの声は今も頭に焼き付いている。

 アマジークは自分自身の復讐心という名の獣性を、理性の鎖で御する事の出来る男だった。

 元々AMS適正など無いに等しいアマジークは、あえて致命的精神負荷を受け入れそれを驚異的な意志力で捻り伏せる事により、ネクスト機体<バルバロイ>の戦闘能力を極限まで引き出している。その戦闘力は二十六名のオリジナルをも上回るとすら言われているぐらいだ。

 ただ、この頃は指先に震えを感じる。脳漿に眩暈を感じる。思い出は陽炎の如く不確かな幻影になる。今もなお確かなものは戦場における怜悧な判断力と圧倒的戦闘力。思い出と感情、人間の人格を形成するもっとも重要なものをすり減らしながら、彼はそれでも戦うことはやめることは無いだろう。後一年か二年か、残された命を全て使いきるまで。
 

「ハウゴ、そういえば、貴様のネクスト機体の名前は?」
「ああ、<アイムラスト>ってんだが」

 何気なく漏らしたアマジークの質問の言葉にハウゴは答える。
 だが、アマジークは少し怪訝そうな表情/瞳に相手の正気を疑う疑問の光を揺らしながら眉を寄せて言った。

「……<I,m Lust>、<I,m Lust>? ……<私はエロ>だと? ……貴様、狂ったか」
「面白い事言うねぇアマジーク先生。……ちょっと表出ろコラ」

 ははははははは、と朗らかに笑って額に青筋を浮かべながら相手の襟首を掴むハウゴ。

 ニヤニヤ笑いながらアマジークは自分の服の襟首を掴むハウゴの手を握り、握力でぎりぎりと締め上げる。ウルバーンは一瞬二人を制止しようとしたが、両者の間のやけに陽気な雰囲気に手を出すことを控える/起きているのか眠っているのか、店主は相変わらず船を漕いでいる。

 二人がさあ殴るぜと剣呑な笑みを浮かべたその時だった。


 今まで毒にも薬にもならない音楽番組を放映していたテレビの画像が突然切り替わったのである。速報を告げるその言葉に二人は思わず視線をそちらに向けた。
 そして二人は瞠目する。

 発信先はエチナコロニー。
 映る映像、それはパックスの脅威に一矢報いた姿だった。

 レーザーブレードを振りかざすノーマルAC。その数万度に達する超高熱の刃が、青いネクスト機体の両足を叩き切り、溶断する姿だった。
 思わずハウゴ/アマジーク/ウルバーンの三人はその小さなテレビに視線を釘付けにする。
 


 パックスの治世、その力の象徴たるネクスト。
 その一機が、既存のノーマルによって撃破された姿だった。

 勿論、インテリオル・ユニオンのネクスト機体であり、ハウゴがLINKS養成所で会ったことのあるセーラ・アンジェリック・スメラギは突出した戦闘力を有するというほどの物でもない。しかし、ネクストという隔世的戦闘力を誇る怪物は全世界でもたった四十機程度。その一機を撃破寸前まで追い詰めたという事は、パックスに未だ抗する民主主義陣営をどれ程勇気付ける事になるか。


 そして、二人はテレビに映る、ノーマルでネクストに見事牙を突き立てた機体のエンブレムをしっかりと瞳に焼き付けていた。


「「我らが偉大なる戦友にして人類史上初、ネクストを追い込んだ戦神、シーモック=ドリに乾杯!!」」

 再びこの場にいない戦友の比類なき武勲を祝しハウゴとアマジークは杯を打ち鳴らす。
 杯を傾ける両者は再び笑いあいながら、少し皮肉そうに笑った。

「……考えてみると可笑しなもんじゃねぇかな。俺達二人は、共にLINKSだ。ネクストが絶対的な戦闘力を持つとは言え、撃墜される事だってあると証明されたのにな。なんで喜んでいるんだろうな、俺たちゃ」
「だが、そんな事よりも戦友が勝った。それも人類史上初めて、ネクストを追い込んだんだ」

 二人の心には確かに歓喜があった。
 ネクストは隔世的戦闘力を誇る超兵器だ。それこそ一方的な大量虐殺でないかと思えるぐらいの神の如き力。

 だが、それに打ち勝ってみせる事が出来るという証明。
 そう、たとえどんな強大な力であろうとそれは人の力で打ち勝てる、どんな戦力をも上回る力が人間には宿っていると再確認させられた瞬間だった。

 両者は杯を空にし、相対する。二人の目には何処か寂しげな色。

「今だから言うとな、アマジーク。俺はお前とシーモックとはできれば戦いたくないと思っていたぜ」
「奇遇だな、ハウゴ。俺はお前とシーモックとはできれば戦いたくないと思っていた」

 だが、二人はいずれどこかで相対する時が必ず来る。
 パックスの傭兵と、パックスに戦いを挑む武装組織の英雄。

 あの六年前の日々は、お互いは背中を預ける事の出来る戦友だった。
 ハウゴはアナトリアのため/アマジークは部下達のため/現在では二人とも共に戦いを避けることの出来ない立場にある。
 
「……ま、仕方ないか」
「そうだな。仕方ない」
 
 両者はこれが恐らく今生の別れであると知っている。共にどこか寂しそうな諦観の笑みを浮かべて、二人はどちらからかともなく、手を差し出した。
 握手を交し、二人はお互いの肩を抱く。

「じゃあな、戦友。恐らくもう二度と会えないだろう」
「さらばだ、戦友。恐らくもう二度と会えまい」

 二人は離れ、そして袂を別った。




 そして事実、二人はもう二度と会うことは無かった。




[3175] 幕間その2―『早く戦争をくれ』―
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:e7588bfd
Date: 2008/06/11 16:53
 凍結された物品を解凍することはとても気を使う。
 例えば、凍結されたマグロの赤身を解凍する手順を間違えてしまった場合、赤身の組織を破壊し、細胞内の液体が漏れでてしまう。
 


 大まかに言えば今、一つの大きな冷凍睡眠カプセルの周りにいる男達はその作業と同じ軸線上にある作業を行っている。
 とはいえ、その重要度から言えば、マグロの解凍の同次元と並べるわけにはいかない。
 バックスの斜陽の巨人と揶揄されるGA、ヨーロッパ支部は先日地層開発の最中に地底深くに高度な技術で建造された地下施設を発見する。如何なる記録にも資料にも載っていないその存在を、GA上層部は最終的に先史古代文明によるものと断定。

 地底奥深くで偶然発見されたもの。
 俗に言う先史古代文明の遺産。それは小型の冷凍睡眠施設であることが発覚。
 その奥でのデータを解析した結果、今から目覚めさせようとしている女性は、信じがたいことに先史文明の生き残りという結果が出た。その彼女を覚醒させるためのチームが即座に発足。今も不眠不休でその作業が行われている。

 同時にその女性が駆っていたと思われる機動兵器をGAヨーロッパは確認した。
 根本的な設計は現在存在しているコアを中心に各種パーツを組み替える事によってあらゆる戦局に対応できるアーマードコア構想と告示しており、この事実は関係者を驚かせた。

 だが、それら歴史的な符号よりも、GA上層部を喜ばせたのはその機体に内蔵された革新的技術の方であろう。コジマ粒子技術を搭載していないのは当然ではあるが、そのブースター関係の技術はGAヨーロッパの推進系技術を三年は飛躍させるという結論が出たのである。

 そのシステムは無脚(ホバー)型とでも言うべき特異な代物であった。

 高出力と低燃費を実現しなければ不可能である、地に脚を付く事を拒否した強力な推進ユニット。制動性能は現行の脚部に比べれば落ちるが、加速力/運動性能という点から見ればそれは凄まじい性能を発揮する事になる。
 その機動兵器のパイロットであると思しき女性を目覚めさせる事ができれば有益な情報を幾つも得ることができるだろう。
 
 
 そういった経緯からチームは幾度も上層部からせっつかれているが、実際人間を覚醒させるには慎重に慎重を期さねばならない。

 先に述べたように下手な解凍を行えば組織細胞が破壊され肉体にダメージが出る。それが手足などの四肢の末端であるならばまだ問題は無い。問題は脳髄などの人間の記憶、精神に密接に関わる臓器が破壊されてしまった場合である。事実そんな事故が発生すればチーム全員が処罰の対象となるだろう。


「……だが、上手く行きそうだな」

 チームの一人が安堵の溜息を漏らす。
 そう、事実覚醒作業は上手く行きつつあった。細胞を破壊せぬようゆっくりと冷凍保存された女性の肉体は人間の常温の域まで温められ、既に何時覚醒してもおかしくない状態にまで達しつつある。

 何千年か、どれ程の長きを氷付けにされて過ごしてきたかは知らないが、その覚醒は人類にとって大きな接触点となるだろう。その歴史的瞬間に立ち会う感動を胸に、チームの面々は唾を飲み込む。



 眠り続けていた女性の瞼が揺れる。
 次いでうっすらと瞳が見開かれた/自分の今の状況を確かめるように周囲を見回し/次いで、自分の四肢を見る。

 驚きで目が見開かれたかのようだった。まるで本来あるべきものが備わっていない事に対し/狼狽/驚愕/そして、爆発的歓喜。
 ゆっくりと彼女は立ち上がった。

 チームの面々が感動で声を上げようとした時、全員が共通して背筋に氷塊を注ぎ込まれたかのような感覚を覚えた。
 さながら猛虎と同じ檻に入れられた無力な餌であることを自覚したように、全員が一歩後ずさる。

「……アタクシを手錠脚錠も無しで覚醒させるなんて……、もしかしてこいつは遠回しな自殺希望とかなんかねぇ」

 上体を起こし一糸纏わぬ姿を惜しげもなく晒しながら、千年の眠りから覚めた女性は剣呑に笑った。

 獅子の如き黄金の蓬髪/鍛え上げられた長身の四肢は今先ほど覚醒したばかりとは思えないほど力に満ちている/体中をくまなく覆う膨大な傷跡――顔だけは完全に無傷/血と不吉を連想させる狂猛な色を帯びた赤い瞳/劣情を誘うような豊麗な肢体=しかしその場の誰もが欲情を感じる事ができない=人間は肉食獣を性欲の対象とは見なせない/さながら戮殺に酔う心の病んだ魔女。
 チームの中でもっとも勇気のあった男性が恐る恐る声を上げる。

「……き、君の名前を聞いて良いかな?」
「なんだとテメェ」

 真紅の双眸がその声を上げた男性を睥睨すると同時に彼女は動いた。
 野獣の瞬発で、相手が腰に降ろした拳銃の存在を思いだすより遥かに早く彼女は相手の襟首を掴んでいる。驚くべきはその男性を彼女は片腕一本で宙吊りにしているという事だろう。

 れっきとした成人男子を堂々たる長身であるとは言え、女性が片腕一本で持ち上げている。その光景に言葉も出ない面々を見ながら女性は不愉快そうに言った。

「……良いから記憶封印を解きやがれ。アタクシが何で大人しく一億年もの冷凍刑に処されたと思ってやがる。アタクシがアタクシの名前を思い出してぇから大人しく従ってやってんだろうが」
「……な、なんの事だ」

 苦しげに呻き声を上げる男性に対してつまらさそうな一瞥をくれると、彼女は男性をその四肢から想像できぬ筋力で投げ飛ばした。機材に衝突し回りから悲鳴が上がる。
 どうにかして彼女と交渉しなければならない。主任の男性ははっきりと理解する。目の前の女性は驚くべき身体能力を有しており、恐らく徒手でもこの場に居るチームを殴殺できる。だが、それと同時に彼女は先史文明の生き残りという貴重な人材でもあるのだ。警報を鳴らして部隊を呼べば制圧できるかもしれないが、それは同時に貴重な人材を失う事でもある。何としてでも交渉で解決しなくてはならない。
 
「……冷凍睡眠していた君を我々が覚醒させたのだ」
「そいつぁ判ってんだ。アリガト、起こしてくれてサンキュー。……って、言うと思ってんのかテメェら」

 不愉快げに呟く女性は、今まで自分が眠っていたベッドに腰を降ろし、羞恥心を覚える気にもならないのか嘲るような一瞥を回りに向けている。

「質問があんだけどよ」
「……何かね?」
「地球のナインブレイカーと火星のナインブレイカー、どっちが勝った?」
「……な、ナイン?」
 
 質問の意図が読めず、研究員の男性は思わずオウム返しに聞き返す。
 不愉快そうに眉を潜める女性、ぎろりとねめつける。

「火星最強の王者、アレスの駆る<プロヴィデンス>と地球最強の王者、ハウゴの駆る<アタトナイ>のどっちが強かったって聞いてんだよ。アタクシは悲しい囚人だからなぁ、あの二人の決着が付くまで起きさせろ、どうせなら百年ぐらい刑を増しても構わねぇつってんのに、くそったれの裁判官は認めやがらなかった。……どっちが勝ったって聞いてんだ、さっさと応えろよ。でねぇと素直にお喋りしたくなるようにしてやんぞコラ」
「……しゅ、囚人?」

 彼女の言葉に、チームの女性化学者が怯えたような呟きを漏らす。
 つまり、自分達が目覚めさせた相手は先史文明の生き残りであると同時に、先史文明において危険因子と判断され冷凍刑という刑罰に処せられた犯罪者という事なのか。全員が息を呑む。
 不愉快そうに女性は手首に印字されたバーコードを見やる。囚人番号B-24715と刻印された忌わしき紋章。

「……ああ、囚人さ。ただし、飛び切り破壊の上手い囚人て事で、LCCのお偉いさんは、いう事を聞く代わりに刑の減刑を認めたんだよ。……だからよぉ、どうせなんかあったんだろ? 何百年寝て過ごしたか知らねぇけど、強化人間をわざわざ覚醒させたんだ。さっさと殺しか壊しか、要望を言いな。どいつもこいつもぶっ潰してぶっ殺してやっから……」

 彼女は笑う。初めて心の其処から愉しそうに喜悦で唇の端を歪めた。

「……早く戦争をくれ。その為の体を返せよ、アタクシの愛機、<アポカリプス>を」




[3175] 第七話『感謝の言葉は自分でね』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:e7588bfd
Date: 2008/06/10 10:04
「最終確認だ。
 独立計画都市グリフォンを占拠する武装テロリストを排除する」

 ハウゴはスクリーン一杯に広がる都市部の画像を黙って注視したまま、エミールの言葉に耳を傾けている。
 作戦目的を聞きながら思う/そういえば、作戦の背後、その政治的パワーバランスに留意しながら依頼を受けるのはとても難しいな。エミールの喫煙量も酒量も多くなるのは仕方ない事かもしれない。ハウゴとしては、今現在豊かな彼の頭髪が砂漠にならないためにもミッションを是非とも成功させなくてはならない。
 
「グリフォンは、基幹インフラを失い放棄された都市だ。武装テロリストはその後グリフォンを占拠、勝手に根城にしているに過ぎない」

 頷きながらハウゴは移り変わる敵ノーマル=今回の作戦目標データを見る。
 レーザーライフルを装備したインテリオル・ユニオン製のノーマル部隊×3の破壊が今回の作戦目標だ。

 ハウゴ/かすかに飢えを感じる。
 無理はないだろう。ハウゴは作戦任務が決定した二十四時間前から食事の量を三分の一に減らし、水も最低限しか摂取していない。
 それはハウゴの自分自身に対する暗示とも言えた。
 減量に苦しむボクサーが追い込まれた結果驚くべき集中力を発揮するように、それはハウゴにとって自らを飢えに追い込むことによって精神的な屈強さ、苛烈さを得る一種の儀式、自らを野獣に戻す為の試練であった。もちろんそれを知った回りの整備クルーやフィオナ、エミールは心配の声をかけたが、勿論ハウゴはそれらを一顧だにしない。
 
「この作戦はパックスからのプレゼンテーションだ。
 パックス最大の企業、GAはグリフォンの復興を計画している。この作戦の成功は彼らに対して恩を売るまたとない機会だ」

 頷くハウゴ。
 俺は獣だ。飢えた獣だ、人間相手に敗れはしない。初陣の頃からずっと胸に刻んできた言葉を心の中でそっと呟く。

「状況は出来上がっている。後は君次第だ。宜しく頼む」
「ああ。任せときな」

 フィオナ/周辺の地形図データを整理。ランガーリンガー兄弟/<アイムラスト>の兵装を装備。ハウゴの仕事は迫った作戦に備え、体調を万全にする事。そんな彼を見ながら、エミールは手元の資料に目を向ける。

「……武装は君の要望したとおりの物を準備した。……一つ、先に言っておくことがある。プライマルアーマーの有無だ」
「ん?」
 
 エミールの言葉にハウゴ/少し怪訝そうに眉を上げる。
 
「先に言った通り、独立計画都市グリフォンはGAが復興を計画している都市だ。……勿論、コジマ汚染が確認されれば、汚染除去の為に余計な資金がかかる」
「……ああ、言いたい事は判るぜ、エミール」

 ハウゴは陽気な笑みを浮かべた。エミールの眉間に刻まれた皺を見れば何があったか大体理解できる。

 GAは恐らくプライマルアーマーを展開せずに作戦を遂行すれば、報酬の上乗せをするといってきたのだろう。勿論、戦場にハウゴを送るエミールやフィオナはそれを良しとしなかったはずだ。だが、現在経済的に貧困の域に達しつつあるコロニー・アナトリアにとっては恐らく一銭でも多く収入が欲しいはず。
 ハウゴを無用の危険に晒すことに対する良心の呵責/アナトリアの全権を背負う羽目になった責任者としての自覚/その双方に押しつぶされ、結局そのことをハウゴに伝える事にしたのだろう。

「気にすんなよ、エミール」
 
 だから、元々イェネルフェルト教授の弟子であり、今ではやりたくも無いアナトリアの責任者などという重責に喘ぐ気苦労の耐えない男の背負う荷を少しでも負ってやるために、ハウゴは微塵も不安を感じさせない笑みをエミールに向けた。
 プライマルアーマーを使用せずに戦うという事は、ネクストの絶対的優位性の一つを自ら捨てるという事。被弾回避を優先的にして戦う必要がどうしても出てくる。戦術の構築を頭の中で行いながらハウゴ――不敵な表情。
 
「大丈夫だ。俺は物凄いのさ」



 
 ネクスト機体<アイムラスト>。
 元はアナトリアにおけるネクストの技術開発用として実験的に用意された機であり、もしイェネルフェルト教授が存命であれば、この機体は生涯戦場を知る事無く、穏やかに時間を重ねて最終的には解体という道を歩んだだろう。
 ランガー・スチュアート/リンガー・スチュアート=二人の双子のおっさん整備士の心情は何処か複雑だった。
 
「妙な気分じゃのう、兄ちゃん」
「わしもじゃ。……最初はコイツでパーツの組み方、整備法などを知って、わしらに取っちゃ商品開発の為の商売道具で、同時に整備技術を磨くための教材で、……ジョシュアが見れば、複雑な気分じゃろうなぁ」
「うむ……」

 二人が呟いたのは、かつてイェネルフェルト教授の弟子の一人であり、AMS技術の最初期からの被験者であり。

 そして今やコロニー・アスピナに所属するネクスト傭兵、リンクスナンバー40<ホワイト・グリント>を駆るジョシュア=オブライエンの名だった。

 アスピナも、アナトリアと同じく経済的飢餓を迎えており、恐らく同様の事情ゆえ彼もネクスト傭兵の道を選んだのだろう。
 国家解体戦争が終わって、もう五年が経過。しかし頂点に立つものが国家から企業にすげ代わりはしたが、民衆に取って劇的な改変が訪れたわけでもない。武装テロリストを用いた、陰に篭もった形での戦争は未だに続いており、まだ平和とはいえない時代。

 二人はしばしの沈黙の後、己らが愚痴を漏らしても仕方ないと諦めに似た悟りを得たのか、嘆息を漏らして、無理やりに笑って見せた。

「良し、武装接続開始じゃ!!」
「行くぜ、野郎共!」

 オー! 行きますイキマス! 整備士達は二人の馬鹿にデカイ声を合図に一斉に拳を天へ突き上げた後、わらわらと動き始めた。
 


「オーライ、オーライ! はーい、ストップ!!」
「起重機起こせ!! <アイムラスト>のRB(ライトバック)ウェポン、接続を始めるぞぃ!!」

 武装搭載のための作業用パワーアームが、重々しい振動音を響かせながら大型の武装搬入用トラックに積載された大型の武装を掴む。
 掴むと同時にわらわらと整備士たちが近づき、フック/ジョイントを確認。全てがブルーに点灯している事を確認し、全員がOKサイン。

「ホールド完了っす!」
「右側班はイエローラインへ退避! クレーン車を寄越せ!」

 右側武装の装備を預かるリンガー/口から泡を飛ばして叫ぶ。
 何せ右側の武装は<アイムラスト>が装備する武装の中でももっとも重量のあるもの、もしフックが甘くて地面に落ちればエライ事になる。そんな心情を知ってか知らずか、作業用パワーアームはゆっくりとその巨大な後背の兵装を持ち上げ、<アイムラスト>の右側背部ハードポイントに設置。
 同時にコネクトボルト車が接近し、ハードポイントと兵装を接続すべく接近、アームを伸ばす。
 もし積載する武装が戦闘中に破損/弾切れなどの事態を起こした場合、接続ボルト内に内蔵された排除用炸薬を爆破し切り離す仕組みになっている。コネクトボルト車、ハードポイントと兵装に接続ボルトを差込み回転させて挿入。
 
「システム、接続完了、エネルギー供給バイパス確保、装備完了!!」
「メリエス製の射撃管制データロード完了! 統合制御体、……良し!」
「FCS補正良し、班長、OKです!」
「砲身を展開させてみんかい!!」
 
 リンガーの言葉に、電装班は<アイムラスト>を操作。 
 同時に背部に装備された武装、インテリオル・ユニオンの中のエネルギー兵器のリーディングカンパニー、メリエス製のハイレーザーキャノンが展開、砲身を伸ばし、その巨大な威容を露わにする。何せ購入した武装の中でもっとも高価な武装だ、これで不備があっては困る。高負荷の代償としてプライマルアーマー突破性能に優れた高威力の光学兵装のその威容。

 おおおぉぉぉぉ―――――。
 展開した銃身を見て整備班の一角から感動したような声が漏れた。どこかで拍手する奴もいる。
  それと同時に左側、巨大な自立誘導弾を積んだミサイルコンテナがパワーアームで持ち上げられ、、接続ボルト挿入。LB(レフトバック)ウェポン装備。
 武装の射撃形態テスト。
 ミサイルコンテナが起き上がり、射撃形態になると同時にカバー解放、赤い先端部を覗かせるミサイル弾頭が搭載された内部が露わになった。装弾数を増加させたスタンダードな高火力ミサイルランチャー。
 一度の射撃において十八発のミサイルを放出する武装は、ミサイル系武装の天敵、フレアによる欺瞞兵器を用いるなら兎も角普通ならば非常に回避しづらい事この上ない。<アイムラスト>と背部の兵装、電子的結合。
 
「ミサイル、ハイレーザーキャノン、共に動作問題無し!!」
「よし、次の工程じゃい!! 武装待機状態へ! 次は腕部兵器、LA(レフトアーム)RB(ライトアーム)じゃ!」

 同時に<アイムラスト>が載る整備用ターンテーブル回転。今度は機体前面が露わになる。
 鋭角的なデザインのネクスト機体<アイムラスト>。かつてはこの機体はイェネルフェルト教授の弟子の一人だったジョシュアが主に載っていた。もちろんハウゴ=アンダーノアの専用機として調整された今では彼はもうコイツに乗ることは出来ないだろう。ただ、どこかで彼の帰ってくる場所を亡くしてしまうような気がしないでもなかった。

「……よし、腕部兵装の装備は機体OSにあるな、やらせてみせい!」
「はい」

 感傷を振り払い叫ぶ。
 スタッフが操作すると同時に<アイムラスト>は武装運搬トレーラーに乗った銃器に手を伸ばす。同時に銃身をマニュピレーターアームで補綴。腕部の掌にあるエネルギー供給部とコネクタ接続。此方は接続ボルトの必要も無く、ただ指を弛めれば外れる。
 RA/メインアーム=操作性に優れた軽量型マシンガン。技術的に真新しいものは無いが、近接火力と経済的事情によりこちらに落ち着いた。
 続けて左腕武装装備。左腕のように腕部補綴ではなく、固定型武装。
 LA/サブアーム=レイレナード製レーザーブレード。刀身の長さを犠牲にした代わりに粒子集束率に優れた高出力ダガーブレード。
 両肩/戦闘補助エクステンション=経済的事情により未購入。
 
 火器管制データロード。
 武装積載の為前屈状態だった<アイムラスト>は全武装を装備した事を確認。直立する。
 
 上がる歓声。整備員達は派手に叫び声を上げながら頭に被っていた帽子を天井を突き破れといわんばかりに放り上げる。
 叫ぶにはまだ早いし、今度はプライマルアーマー整波装置のチェックやらジェネレーターの点検、頭部光学ロックオンシステムのカメラアイ洗浄システムの点検。
 此処から先が整備士の職場であり、勝利の為に必須である第一の戦場。

「叫ぶヒマァないぞぅ!!」
「歓ばずに手動かせぃ!」

 GA社の輸送機が来るまで時間はまだあるが、余裕と言えるほど潤沢な訳でもない。
 部下達を叱咤激励しながら、ランガー/リンガーは<アイムラスト>を見上げた。今はこの機体を完璧に仕上げて出撃に漕ぎ着ける。感傷に浸る暇は無く、明日飢えて死ぬ事より今日を戦い抜いて勝たねばならない。
 休む暇など無かった。
 
  

 ハウゴ――――コクピット内でカメラを確認。
 脊椎にあるジャックと人工光速神経接続中――人機一体。

『具合はどう? ハウゴ』
「良い感じだ。生き残れそうだ。整備のお二人さんに感謝しといてくれ」
『……だったら、出来るだけ傷つけずに持って帰ってこい、だそうよ』
「OK、ビニール破ったばっかの新車同様に持って帰ってきてやんよ」

 システムをチェックし、身体を鎧うコジマ粒子被爆からパイロットを保護するゲル状のスーツを指でつついて軽く笑う。
 機体のカメラアイ/生身の生き残った瞳からの視界と義眼の映像が脳内で同時に広がる。

 何時やってもネクストと接続した際の違和感は拭えないままだった。AMS適正を高める薬品もあるが、その手の薬は副作用が耐えない、なにより趣味ではない。気力で違和感を捻り伏せ、かすかに笑う。

『……でもやっぱり感謝の言葉は自分でね? ……生きて帰ってきてね』
「勿論だ、今のうちから取らぬ狸の皮算用してて良いぜ。……じゃあな、<アイムラスト>、出るぞ」

 輸送機/ハッチ解放。独立計画都市グリフォンに乱立するビル群を確認し、ブースターペダルを慎重に踏み込む。中空に躍り上がる<アイムラスト>。
 レーダー更新=確認/ジェネレーター=エネルギー各所に正常提供/プライマルアーマー整波装置=沈黙/ブースター=良好。


 攻撃照準波検知。ロックオン警告。


 頭部カメラアイ、敵の戦車部隊――降下中の<アイムラスト>に一斉に砲門を向けてくるのを確認する。

「さぁて」

 戦車部隊/一斉射撃。
 吐き出される幾つもの砲弾/しかし<アイムラスト>右肩に内蔵されたブースターへ瞬間的に膨大なエネルギー供給=クイックブーストによる横方向への凄まじいスライド移動=むなしく空を抉る弾頭の雨は風を抉る凶音を奏でるのみ。
 臓腑を潰す加速Gを笑いながらブースターペダルを踏み込んだ。

 俺は獣だ、飢えた獣だ、人間如きに敗れはしない。

 まじないの言葉と共に、獰猛に笑う。
 猛禽のように上空から敵部隊へ飛来、着地点にいた敵戦車を踏み潰し、その自重を以って圧殺。右腕武装/軽量マシンガンを構え引き金を引く。
 猛烈な連射に伴う快音と共に凄まじい数の機関銃弾が豪雨の如く敵戦車部隊を薙ぎ払い殺戮する――爆発、炎上、戦車の装甲と避弾径始を純粋なファイアパワーで食い破り破壊。

「始めるとするか」




[3175] 第八話『魅力的じゃないか』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:e7588bfd
Date: 2008/06/10 10:21
 レーダー索敵更新を確認。

『敵、戦闘ヘリ部隊接近。数……十二機』
「そうか」

 索敵の結果はハウゴ自身の脳髄に直接送り込まれる。相手の高度、位置、レーダーで持って逐一確認すべき情報を、まるで視覚、聴覚と同等の新たな感覚を手に入れたかのようにただ正確に理解する。

 右腕武装/軽量マシンガンを選択。

 ネクスト相手ならば多少心もとない武装ではあるが、しかし相手が戦闘ヘリ程度ならば問題は無い。
 左肩武装/高火力ミサイルランチャー。
 一発一発が優れた破壊力を持つミサイル弾頭×16を一斉に発射するミサイルは、高度なFCSによって圧倒的な面の制圧火力を誇る武装だ。
 ……戦場において相手の攻撃の機会を削る事こそが勝利への鍵。
 軽量級ACの理想的な戦い方は常に相手の死角へ回り込み、相手の攻撃機会を削る事。
 重量級ACの理想的な戦い方はその充実した火力によって相手を捕捉と同時に撃破する事。

 とはいえ、理想通りにいかないのが戦場の常である。
 その為に軽量級は凄まじい乱数回避性能を持ち、重量級は分厚い装甲で相手の攻撃を受け止める防御性能を持っている。

『高い火力武装を持つ』事がハウゴの基本スタイルであるのだから、正直を言えば、ハウゴはミサイルランチャーのマルチロック性能で一撃で敵を殲滅したい。
 だが、其処に関わってくる問題。
 
 このミッションでは弾薬費が支給されないという事だ。
 プライマルアーマーを展開しないから追加報酬は見込めるが、確実に勝利できるミサイルを撃ちまくって赤字決算が出たのではただの阿呆である。ハウゴ/左側武装をダガーブレードにセット。
 ミサイルランチャーを使用しない事を心に決め、ビル群を縫って接近しつつある敵戦闘ヘリ部隊を待つ。
 かつて国家解体戦争時に搭乗していた機体では楽な相手ではない。バズーカ砲は破壊力は兎も角弾速が遅く、世辞にも命中精度には優れていない。戦闘ヘリに集中砲火を浴びれば危ない。
 だが、今彼が駆る機体は、ネクスト。

「楽勝だな」

 

 羽音が聞こえる。
 高速で回転するローター音を鳴り響かせながら戦闘ヘリ部隊をハウゴは確認する。

 攻撃照準波検知、ミサイルアラート。
 敵部隊、ヘリ下部に設置されたガトリング砲を速射しながら接近、同時に後方に控える大型ヘリが<アイムラスト>に対してミサイル、リリース。攻撃目標がインプットされた高速飛翔体はパイロンから切り離され、白煙の尾を引きながら直進を開始。

『ミサイル接近』
「FCS、ガンモード、CIWS! 自動迎撃開始!」

 FCSを近接防御火器(CIWS・シーウス)に切り替え、ハウゴの意思を離れた軽量マシンガンは機関砲弾を速射、オレンジ色の弾幕がミサイルを撃ち落さんと迫り叩き落す。中空で砕かれたミサイルは爆炎の花と咲く。その熱波の嵐を迂回しながらローター音を威圧的に響かせ接近する戦闘ヘリ群。
 
「被弾は少ないに越した事はねぇ」

 後方へ後退しつつ、ジェネレーター出力チェック。
 ブースターペダルを強く踏み込む/脚部屈伸=跳躍準備動作/ジェネレーター=咆哮/メインブースター=サブブースター各部にエネルギー供給開始。
 脚部アクチュエーターがパワーを生み出し、トン単位の鋼鉄の巨人を空中に舞い上がらせる=同時に跳躍の頂点と共にブースターがオレンジ色の爆炎を吐き出し機体を上空へ押し上げた。
 戦闘ヘリ群、対地攻撃ではなく、対空攻撃にシステム自動切換え――だが、元々戦闘ヘリは、そのホバリング性能と小回り、そして積載する武装による下に対する攻撃を主眼とした兵器。小型の戦闘ヘリ群が腹に抱えるガトリング砲が下を向いていることからもそれは明らか。
 
「入れ食い、だな……!!」

 それに対してACはその機になれば対地対空をこなす万能兵器。ましてや<アイムラスト>は兵器の中でも頂点に立つネクスト機体。その気になれば戦闘機と機動戦を行う事すら不可能ではない。
 防御兵器として発砲したマシンガンが今度は攻撃の為に狙いを付ける。
 吐き出されるマシンガンの弾丸は戦闘ヘリ群の装甲をまるで紙でも千切るようにやすやすと引き裂いていく。
 
 レーダー更新確認/敵機接近、新手の高度を確認する=<アイムラスト>と同じ。三時方向より接近。
 速度、高度からして他の戦闘ヘリであると推測、推力上昇/<アイムラスト>は手近なビルの上方まで上がり、着地。戦場で息を吹き返すための数秒で消耗したエネルギーを回復。
 同時にビル上方からマシンガン正射し接近しつつある小型ヘリを撃墜。
 残った大型ヘリにロックオン。そのまま推力を挙げ前進、ビルから空中で躍り上がる。
  
「空中戦における格闘性能も試しておく……!!」

 メインブースターに膨大なエネルギー供給/<アイムラスト>、凄まじい瞬発力で敵大型ヘリに接近=クイックブースターによるAMSの機体制御負荷が脳髄をかすかに重くした。
 左腕レーザーブレードにエネルギー供給。触れえる全てを溶断する超光熱の刃を形成し、<アイムラスト>は踊りかかる。スラッシュモーション、縦斬り。
 振り下ろされる光の刃はローターを焼き、装甲を飴のように切り捨て<アイムラスト>そのまま着地と共に直進=後方で爆光。

「こちらハウゴ、敵戦闘ヘリ部隊殲滅。……続けて本作戦目標のノーマルAC、本命を叩く」
『了解、気をつけて』

 行く手を遮るMTを進むついでに一太刀で撫で斬りにしながらアイムラストは直進。
 ビル群を抜けた先には『グリフォン』の有名な青い大河が横たわり、その中心には大きな橋が建っていた。海と繋がる巨大な運河はグリォン市民の憩いの場所であったらしいが、今では海岸にいるのは無骨な兵器達。

「真っ正直に橋渡って行く気にゃなれんな」

 同時に敵攻撃目標の位置を再計算。敵のレーザーライフルの射程をデータベースから引き出す。

「……やはり、橋の先は十字砲火点、進めば良い射的の的だわな。橋は使えん。川を渡って、端から順に叩く!」
『……待って、この反応は』

 フィオナの言葉にハウゴ、川沿いで機体の脚を止める。

『……情報と食い違っている?! 敵ノーマル、数六!』
「そうか、そんなもんか」

 声にかすかに含まれるフィオナの狼狽の声――ハウゴ、特に狼狽も恐怖も感じず頷くだけ。

『予想数の二倍よ、やれるの、ハウゴ?』
「殺れなきゃ死ぬだろが。……良いか、フィオナ。事前情報なんぞ信じるな、当たっていればラッキー程度に考えるんだ。戦場の真実は、やはり戦場にしかない。エミールに伝えてくんな。戦いは俺に任せろ、これをネタに更にGAから一銭でも多く分捕る手段を考えるんだ、ってな」
『……わかったわ』

 不安そうなフィオナの声/しかし、返事するハウゴの言葉は酷く剣呑で明るい。
 右側武装選択/折りたたまれたままのメリエス製ハイレーザーキャノン=砲身展開、その巨大な威容を露わにする。
 敵武装はネクストのプライマルアーマーに対して有効なレーザー系のライフルを装備している。優れた弾速を持つレーザーは回避し辛い。
 ハウゴ、機体のオートブースタースイッチをONに。対岸から水面へ踏み込んだ。水上をホバー移動で前進しつつ同時にロックオンシステムをマニュアルに切り替え。自動ロックオンから眼球の動きに追随するアイリンクシステムへFCS切り替え。ハイレーザーキャノンの引き金にかかる指先を緊張させる。
 
「仕掛けるぞ」

 水面効果で飛行より遥かに少ないエネルギー消費で水面を滑る<アイムラスト>、その挙動に対応して、敵ノーマル部隊も移動を開始。 同時にハウゴは敵の射程距離を慎重に測る。
 大型のハイレーザーキャノンは威力、射程距離において敵を圧倒している。アウトレンジからの一方的な射撃戦が可能であるが、しかし此処で数の差が問題になってくる。一機を撃破しても敵はまだいる。リロード時間中に敵に攻撃されるのは面白くない。相手のレーザーを回避しつつ、敵の懐に飛び込みネクストの機動性能を生かした戦闘を仕掛けたいところ。
 ならば。
 ハウゴの瞳が湖面を捉える=ハイレーザーキャノン、銃口を湖面へ。
 
「必殺、忍法霧隠れの術!!」

 各武装の中でも、もっとも膨大なエネルギー消費を誇る、高負荷と引き換えに必殺の威力を持つハイレーザーキャノンは、何を狂ったか水面に直撃した。凄まじく太い光の巨槍は湖面に突き刺さる。
 もちろん鋼鉄すら融解させる凄まじい破壊力のレーザーキャノンといえど、大河という圧倒的な水量を蒸発させるほどの威力など無い。
 だが、その光熱は水面に突き刺さると同時に、凄まじい水蒸気を周囲に撒き散らした。

『な、何?!』
『ええい、水蒸気で敵ネクストの姿が捉えられない、光学ロックオン不能だ、奴は何処に!!』

 空気中ですら徐々に減退するレーザーが、荒れ狂う水蒸気の嵐の中でまともに直進など出来る筈が無かった。
 狼狽したように水蒸気の檻から逃れようとするノーマル部隊は、しかし、その時点で既に遅きに失していた事を知る。

『レーザーが……くそ、こうも水蒸気が多くてはレーザーの減退率が、水蒸気をレーザー撹乱幕代わりに使ったのか……!!』
「いいや、だから必殺忍法霧隠れの術さ」

<アイムラスト>、水蒸気の中から霧の衣を纏いつつ凄まじい凶速で襲い掛かり、相手の死角にクイックブースターで飛び込む。

『……!! お前の横だ! 右!』
『え? あ……』

 その時点で既に<アイムラスト>は敵の一機の右側の位置を占めている。
 懐に飛び込まれたノーマルの横に展開していた機体に乗るテロリストの一人は<アイムラスト>に銃口を向けようとするが、しかしその位置は味方誤射の可能性在りとFCSが自動判断しトリガーをロックする。それに対して<アイムラスト>は盾にした相手ではなく、向こう側の敵をその腕部に構えるマシンガンで狙った。レーザーと違い実体弾であるマシンガンは、水蒸気の影響を全く受けない。
 引き金を幾度も引けばFCSはパイロットが『至急発砲の必要在り』と要請しているものと判断し、トリガーロックを外すが、この場合そのゼロコンマ単位の遅れが致命傷になった。

 なんたる狡猾であるか。
 マシンガンの速射で近くに居た敵ノーマル×2を屠り、同時に必死に旋回して<アイムラスト>を狙おうとした敵ノーマルは、しかし一閃するダガーブレードでレーザーライフルを叩き斬られた。武装を破壊され戦闘能力を失ったノーマルを、奸智を働かせるハウゴは見逃さない。

「悪いが、盾になって貰おうか……!」 
『こ、こいつ……!』

 左腕の開いたままになっているマニュピレーターアームで敵ノーマルの顔面を掴み、そのまま<アイムラスト>は敵を盾にしつつ、再び右側武装、ハイレーザーキャノンの砲身を展開。接近しつつあった残り三のノーマルを目指して小細工無しの直進を開始する。
 右肩、ハイレーザーキャノン発射。
 吐き出される灼熱の巨槍は敵ノーマルを膨大なエネルギーでジェネレーターが誘爆する暇も与えずに粉砕。
 同時に仲間を見捨てたらしい敵はレーザー発砲――背部に突き刺さった光熱の槍はジェネレーターに突き刺さる。だが、その動作に先んじてハウゴは敵ノーマルのホールドを解除。同時に再びビル街の影に隠れる。

『に、逃げた?!』
『……レーダーから動かな、……いや、上昇している、上だ!』

 前に出て確かめようとした敵の上に影が掛かる。
 ビルの上からの高角度トップアタック/降下中に離れていた一機をハイレーザーキャノンで粉砕/同時に前に出ていた相手を踏み潰し、上に乗る。何を撃っても直撃する距離だ。
 
「潰すぞ、往生しな」

 コクピットにダガーブレードを突き込み、破壊。光熱の短刃は厳重にシールされているコクピット回りの装甲をあっさりと溶断貫通し、中に居たパイロットを原子へと還元した。
 レーダー索敵更新を確認。――敵影無し。

『破壊目標の全機沈黙を確認。……お疲れ様』
「……見たか。被弾ゼロだ。あの双子爺さんを給料泥棒にしてやるぜ」
『家に帰るまでが戦闘よ? ……合流ポイントを表示します。向ってください』
「了解だ。……システムも良好。そのままあと一戦ぐらいかませそうな気分だ。……あん?」

 ハウゴ/不意に妙な感覚を覚える。
 自分の姿を一挙一動を観測しているような不可解な視線が自分の機を舐めるように眺めているような感覚に不意に襲われた。
 本能に従い、ハウゴはシステムを移動モードから戦闘モードへ切り替え、不愉快な念を受けるその方向に対して、ハイレーザーキャノンを構える。

『ハウゴ、戦闘システムが起動しているわ。どうしたの?』
「…………様子見か、覗き見か。……仕掛けてくる様子は無しか……。なんでもねぇ、帰還するぞ」

 システムを再び移動モードに切り替え。ハウゴはガイドビーコンに従って、合流ポイントへの移動を開始する。


 
 
「魅力的じゃないか」

 砲身を向けられた遥か彼方にその女は居た。
 膝を折り曲げ、屈伸する待機状態のアーマードコア。
 
 レイレナードの標準ネクスト<アリーヤ>をベースにした流線型のネクスト/左肩=高威力プラズマキャノン/両肩エクステンション=膨大な光量でカメラを焼き、ロックオンを封じる特殊閃光弾/右腕=鋭角的デザインのマシンガン/左腕=近接接近戦を嗜好する彼女の要望を満たすために開発された、高負荷と引き換えに破壊力と刀身の長さを両立させた『月光』の名を冠する大型レーザーブレード/近距離接近戦を想定したネクストAC=<オルレア>。

 黒い短い髪/抜き身の刀身を思わせる冷え冷えとした雰囲気を纏う女/鷹のように鋭い眼光/サーベルのようなすらりとした長躯/リンクスナンバー3=通称『鳥殺し』アンジェ。

「随分と、随分と魅力的な奴じゃないか、ベルリオーズ」
『……GAに与するネクスト傭兵。……それほどか』
「今すぐにでも<オルレア>を起動させて追いかけたい気分だ」

 耳元につけた通信用のヘッドセットで通信を続けつつ、アンジェは手に提げる双眼鏡でまるで恋するかのように喜びに満ちた瞳で戦闘区域から離脱する、<アイムラスト>を監視する。
 戦闘行為を楽しむアンジェではあるが、その本質は『オーメルの寵児』セロとは大きく異なる。

 彼女は死合いに飢えている。彼女がもっとも嗜好する戦いとはお互いに肉と命を削りあうような壮絶な死闘であった。今や彼女を倒せる可能性があるとすれば自分と同じくレイレナード社に属する最強のリンクス、ベルリオーズが駆る<シュープリス>か、イクバール社に属する『イクバールの魔術師』、リンクスナンバー2のサーダナーが駆るネクストAC<アートマン>か。
 だが、今眼前で繰り広げられた戦闘光景は彼女の背筋を震えさせるに足る物だった。もちろん、強者と死合う歓喜によって。

『……アンジェ、砲台のパーツ隠蔽作業、完了しました』
「了解した」

 彼女の本来の任務は『グリフィン』の各所に隠蔽された砲台の隠蔽作業の護衛でありハウゴが撃墜したのはその作業を隠すための捨石。 その任務内容もあくまで『念の為』程度でしかない。魂を削るような死闘を好む彼女としては本音を言えば拒絶したいところだったが、ネクスト傭兵のその実力の査定も含めての任務であった。

「では、各員撤収だ。……奴の戦闘データは取っておいた。後で再確認する」
『了解だ。お前にそうまで言わせる相手。私も興味がある』

 通信を切り、アンジェは<アイムラスト>が去った方向を見据えながら、薄く笑う。

「刃を交える機会を楽しみにしているぞ、アナトリアの傭兵」




[3175] 第九話『なぜなにパックス』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/13 19:16
「みなさんこんにちわ、なぜなにパックスの時間です」

 煙草を一本摘み、紫煙を燻らせながら椅子に腰掛けた人物/囚人番号Bー24715とかつて呼ばれた女は椅子の前、相対する席に座っている不健康そうな肌色の孔雀頭女に薮にらみの視線を向けた。大概の男であればその視線の奥底に潜む『本物』の気配に背筋を寒くさせる圧倒的な暴の気を感じ、離れていくだろう。

 もちろんそれは、彼女にとって慣れた至極当然の反応であり、彼女のその暴の気に触れて平然としていられるのは彼女と互角かそれ以上に色濃い暴の気を纏った一握りの怪物しか存在しない。


 そのはずではあるのだが。


「……ところで女囚君。一応この時代は慣れたかね?」
「今度そういう呼び方したらテメェの五体をばらして綺麗に並べてやんよ」

 かなり失礼な呼び方に囚人番号Bー24715はぎろりと相手をねめつける。


 日光に余り当たらない人間特有の病的な青白い肌/黒縁の眼鏡/こげ茶色の長い髪を後ろでくくり、まるで孔雀の羽のように広げた派手な髪/全身を覆う白衣/陰気な外見に見合わず、こう見えてネクストの戦術理論に関する提唱者であり、オリジナルリンクスの一人でもあるという二足の草鞋を吐くGAヨーロッパの要人/リンクスナンバー22=ミセス・テレジアが、彼女の名前であった。

 そう、ミセス。こう見えて既婚者である。


「では、なんと呼ぶべきかな?」

 囚人番号Bー24715は古代先史文明の生き残りであり、また一億年という信じがたい長期間の冷凍刑を科せられた犯罪者でもある。だが、GA社は彼女の存在を稀有のものとし、彼女の駆るアーマードコアにコジマ技術を付与し、四十一人目のリンクスとして登録する事を考えているらしい。

 そんな彼女に対して学術的な興味を持つものは多いが、しかし私人として彼女と接する人間は事の他少ない。彼女自身の持つ経歴――犯罪者という事実を鑑みれば仕方ないかもしれないが。
 ゆえに、彼女=ミセス・テレジアはGA内でも奇人変人と称されるだけはあり、気兼ねなく彼女に話しかける稀有な例であった。


 囚人番号Bー24715は彼女の言葉にぶっきらぼうに答える。


「……プリス=ナーだ。プリス=ナーが、良い」
「囚人(プリズナー)、かね?」

 確かに彼女の実質を表した名前だとは思ったが――テレジアのその反応に対する囚人番号Bー24715=自称プリスは目を細めて剣呑に笑う。形良い細い顎、唇に覗く歯は何故か鮫を連想させる。
 
「アタクシは常日頃から思ってんだが。……男って奴はな、鼻濁音に対して暴力の響きを感じる生きモンだ」
「ほう」
「ド○とか、ゲル○グとか、名称に鼻濁音の付く名前はどいつもこいつもバイオレンスな響きが感じられてアタクシは大嫌いだ」
「バイオレンス、ねぇ」

 むしろ彼女自身がバイオレンスの塊のような経歴と行動を起こしている。

 覚醒時にはスタッフに対する暴行を行い/会見を求めるGA上層の人間に暴行を行い/GA社のみのパーツしか使えないというスタッフに暴行を行い/GA社本社施設の名前が『ビッグボックス』であることに意味も無く大暴れし――ここまで暴行を連発されるとテレジアとしてはいっそ清清しいとすら思える。

「いいか、アタクシは乙女だ」

 テレジアの本音を言えば乙女という言葉から一番かけ離れた存在が彼女であったが、勿論自分が可愛いので正直な発言は控えた。
 
「乙女は可愛い方がいい、だからアタクシは自分の名前は可愛い半濁音を多用するんだよ」
「はぁ」
 
 彼女の機体名は<アポカリプス>。確かに鼻濁音は一文字も無く、半濁音は二文字使われている。だが、そもそも<アポカリプス>の言葉の意味はいうまでも無く『黙示録』だ。これをかわいい名前と思っている彼女の感性はちとぶっ飛んでいる。むしろ相手に対するプレッシャーたっぷりのドスの効いた名前というのがテレジアの正直な意見であった。

 しかし常人には理解しがたい拘りではあるが、戦士とはそういうものかも知れない。

 経緯は聞いている。一億年という計り知れない刑期の減刑を条件に政府の傭兵となる――明日をも知れぬ彼らレイヴンならば、形の無い偉大なるものに縋りたくもなるのだろう。


「では、可愛いプリス」
「おう」
(……あ、殴られるかなと思ったのに殴られなかった)

 テレジアはついつい出てしまった自分の脊椎反射的な発言に対するリアクションが実に普通だったので拍子抜けしながらも手元のレポートに目を落とした。

「最初に言ったとおり、本日はパックスの各企業に対する理解を深めてもらおう」
「そんな話だったなぁ。……何処から始めるんだ?」

 発言に対するテレジアの言葉は無い――ただ無言でスイッチを押せば、背後にあるスクリーンに画像が展開される。映像に映るのは巨大なパイプによって支えられる異様な形状のビル。

「レイレナード社。……コジマ粒子技術の専門機関『アクアビット』と提携する巨大企業だ。本社施設ビル『エグザウィル』に居を構える、六大企業の中でも尤も新興の組織であり、そして尤も勢いがあるといえるね。……所属するリンクスは……」
「ナンバー1リンクス、『ベルリオーズ』、ナンバー3リンクス『アンジェ』を有し、ネクスト戦力は各企業中最大。パーツの特性は高機動型、瞬発力を高めた構成が多い」

 おや、と目を見開くテレジア。素直な賞賛の念を抱きながら感心したように呟く。

「正直、知っているとは思わなかったな」
「ぶつかるかも知れねぇ相手の事前情報の確認は必須だろうが、ボケ」
 
 彼女は企業体に関する事は全く覚えていない。だが、もしネクスト戦力としてGAの戦闘部隊に組み込まれることになれば、いつか彼らとも当たる事になるかも知れないと考えているのだろう。裏を返せば彼女の興味は戦うこと、そして勝つことにしか向いていないとも言えるのか。そう考えながらテレジアは端末を操作する。
 
「BFF社。……長距離系の武装に代表される高精度武装、また長距離索敵システム、レーダージャミングの技術などに定評がある。……この企業は強引な買収吸収合併、M&Aを繰り返しており、企業では珍しい単一企業で形成されている。また本社機能の全てを特別艦クイーンズランスに集中させている。……此処を落とせばBFFは終わりだが周囲にはネクスト機体に重厚な護衛艦隊がいる。落とすのは難しいだろうね」
「ナンバー5のリンクス『女帝』メアリー=シェリー、ナンバー8の王小虎の二人がBFF軍部における実質的指導者だな。まあネクストは近づけば終わりな長距離アセンブリだが……」
「そもそも近づかせないからこそ女帝だからね。
 ……で、三つ目。インテリオル・ユニオン。連合(ユニオン)と名乗っているだけあって、ここは前述のBFFと違い三つの主軸となる企業で構成されているな。……高い技術力で知られるレオーネメカニカ。レーザー技術のリーディングカンパニー、メリエス。アクチュエーター部門の雄、アルドラ」
「……以前、こいつらのアセンブリを確認したが、基本的にレーザー兵器が多いな。……リンクナンバー9のサー・マウロスク、アルドラのシュリング、戦績を見る限りじゃこいつらがやばそうか」
「そうだね。
 ……レイレナード、BFF、インテリオル。この三つの企業体こそが、自分らGA社、ローゼンタール、イクバールの三つの企業体連合の敵対者に当たるな」

 テレジアの言葉にプリスは面倒そうに欠伸を漏らした。
 
「……凝りねぇこったな」
「どういう意味かね?」

 まるで懐かしむように/誰かの愚かさを嘆くように/プリスは目を閉じて自嘲的な笑みを浮かべる。

「……アタクシが居た時代も似たようなモンだったってんだよ。……企業間で覇権を争う経済戦争。何時果てるとも知れない永劫の食い合いだ。愚かさはここでも変わらねぇな」
「そういうものかも知れんね。案外この時代と君らの時代も繋がっているかも知れないのだから」

 プリス=怪訝そうに、初めてこの女性の発言に注目すべき点があったかのようにテレジアを見る。

 テレジアは、脊椎のジャック=リンクスの証、AMSの端末を見せた。それはプリスの脊椎にも儲けられた人機一体のための端末。

 先史古代文明にも存在していた技術と全く同じ技術が現在にも存在しているという不可思議。

「プラス、だったかね。君たちの言う強化人間というのは」
「ああ。……まあ、ダイレクトに機体を操るって点じゃAMSと一緒だが強化人間はもっと徹底しているな。……筋肉、骨格、果ては内臓の殆ど全てが擬似組織。極めつけは珪素神経網」
「高Gに耐えるための生体改造か。徹底している、ね。文字通りのサイボーグという訳だ。
 ……だが、私は正直果たしてこれが偶然なのかとも思っている」
「へぇ?」

 プリスの呟き=興味深そう。

「……ネクストと機体を直結させるアレゴリーマニュピレイトシステム、通称AMSは最初医療目的に作られた。……しかし、その精神負荷は凄まじく、人を選ぶため軍事技術に転用された。
 ……逆じゃないだろうか? AMSの開発者、イェネルフェルト教授は君のような強化人間の知り合いが居て、その彼の身体を調べ、AMSを医療技術として完成させたんじゃないだろうか? 
 いるのかもしれない、と思うのさ。……プリス、君と同様に古代先史文明の生き残り、君と同様の強化人間が、今の世界に、さ」





 ハウゴ=アンダーノアは<アイムラスト>のコクピットの中で、くしゃみをした。

 はて、風邪か? と首を傾げる。戦闘が終了する今の今まで自分の肉体の不調に気付いていなかったのか。
 通信機の向こうからその音声を聞いていたフィオナ――自然と少し心配そうな色が声に含まれる。

『大丈夫? ハウゴ』
「いや、問題ねぇ」

 身体のセルフチェックを済まし、ハウゴは軽く肩を竦めて笑った。

「どうやら、どっかの誰かが俺の噂をしているらしい」

 そう呟いた後、ハウゴは上空を見上げた。

 アナトリアのネクスト傭兵――初陣から既に二戦を繰り広げ、共に生還したハウゴ駆る<アイムラスト>は今回、初めてGA、ローゼンタール、イクバールの三者と相対するレイレナード陣営の一社『インテリオル・ユニオン』の依頼を受け、レオーネメカニカの新型発電施設『メガリス』を制圧した敵ノーマル部隊を殲滅し終え、戦後の一息を付いている真っ最中だった。

 空を見上げてみれば、其処には数十機のレオーネの特殊部隊を満載したヘリ部隊が接近しつつあった。彼らの突入を阻む十数基の強力なレーザーキャノンは既に電力提供を停止させられ、その砲身が火を噴くことは無い。

『……今回は楽で良かったわね』
「前回のミッションが激しすぎたって気もすっけどよ」

 苦笑しながら笑い声を漏らすハウゴ。
 前々回のミッションはまだ問題が無かった。GA『イオシーン発射場』に対して特殊潜水艦が放出する自立型自爆兵器の迎撃ミッションは、風に浮くほどの軽量でありながら爆発力を持つ――それを只管に砕く作戦だった。

 問題は前回のミッションである。
 GAの新型ノーマル工場を占拠した敵部隊の撃滅が作戦目標だったのであるが、しかし問題はその新型ノーマルの武装であった。

「……まさか敵ノーマル全部が全部、ラージミサイルこと通称核ミサイル装備機だったとはなぁ」
『閉所だから被弾回避も困難。障害物も多かったから至極危険な状況戦。咄嗟にロックオンシステムの最優先対象をミサイルに切り替えたのが効いたわね』
「いきなり本作品中最難易度のミッションだもんなぁ……」
『? なんの事?』
「いや、何でもねぇさ。それより、エミールの方は大丈夫なのか?」

 ハウゴは傭兵であり、戦闘が仕事。エミールは任務の受諾/及び各企業との軋轢を避け、敵ではないという立ち位置を保持しなければならない。ハウゴにもエミールが今行っている外交的交渉が至極危険なものであると理解できる。
 なにせ敵対する企業体の依頼を引き受けたのだ。GA/ローゼンタール/イクバール――バックスの三社と必ずしも同調行動を取るわけではないアナトリアと言えども快く思われるはずがない。

『……現在GAの人間との交渉で忙しいわ。貴方には余計な心配をかける必要も無いから黙っておいてくれって。
 ……でも、エミール楽しそう。どうもね、彼、世界を支配するバックスに対して交渉し譲歩を引き出すための外交がなかなか痛快らしいのよ』
「危険な趣味だな。……そういう趣味は俺も大好きだが」

 アナトリアが今現在一銭でも多い状況であることはまだ変わらない。ハウゴが任務を三度達成した事により、アナトリアの経済は徐々にプラスの方向に向きつつあるが、それでも、だ。

 彼は彼なりの戦場で戦っているという事か。ハウゴはAMS接続を切断し、機体を迎えの輸送機の侵入ライン近くで待機させる。今からアナトリアに帰還。その後に純水洗浄施設で機体に付着するコジマ粒子を汚染除去し、その後はハウゴ自身の滅菌。暫くは愛機の中で篭もりっきりだ。

「あいつもあいつなりに真剣なんだな」

 輸送機が回収高度に接近。<アイムラスト>、推力を挙げ、トン単位の鋼鉄の巨人を空中へと飛翔させていく。高度、軸あわせ、良し。
 後部ハッチに侵入し、機体を屈伸させる=ハッチ内の固定ワイヤーが<アイムラスト>を拘束。同時にハッチ閉鎖開始。

「回収された、後の事は任せるぜ」
『了解。お疲れ様、帰りましょう』

 機体システム、パイロットの生命保護を残し全てオフに。AMSの人工光速神経を引き剥がし、電源の落ちた<アイムラスト>の中でハウゴはゆっくりと目を閉じる。 
 エミールは戦火の及ばぬ戦場にいるが、その身にかかる負担はきっとハウゴ以上だろう。

 それでもハウゴには彼は何も言わない。きっと何も言わぬまま、ハウゴの勝利を最大限生かすべく努力している。ハウゴが勝ったとしても、それでバックスの恨みを買えばそれまで。バックスの恨みを買わずともハウゴが落とされればそれまで。互いに一方が破綻すればそれまで。

「危険な、綱渡りだ」

 呟きを漏らし、考えても仕方がないと割り切ると、ハウゴは目を閉じ、意識して睡眠を取る事に務めた。




[3175] 第十話『全て砕いてやる』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/13 19:23
 レーザーブレード。
 近接戦闘、それも撃つよりも殴る方が手っ取り早い超至近距離戦での使用を想定された兵装。

 溶断用レーザーバーナーを祖先に持つこの武装の期限は古く、国家解体戦争以前から一部の傭兵達を始めとするによって愛用されていた。

 高威力/短射程=扱い辛いという癖の強さが腕に自身のあるレイヴンをはじめとするパイロット達の挑戦心をくすぐったのである。
 高熱の重金属粒子を収束させ振るわれる光熱の刃の威力は筆舌に尽くしがたい。

 ネクストの絶対的な防御システム、プライマルアーマーによる粒子装甲ですら一撃で破壊/貫通/減退させ、致命的な損害を与える事ができる威力を有している。いかな複合装甲でも溶けた飴のように溶断するその威力は一撃必殺の威力を有するのだ。また全体的に機体負荷も少なく、武装積載量の兼ね合いをさほど気にする必要も無く装備することが可能だ。


 もちろん、欠点も多い。
 レーザーブレードはとにかく射程が短い。それゆえに使用する機会が他の火器類に比べ極端に少ない。
 また使用頻度の少ない武装を選択するよりも、二つしか無い腕部ハードポイントを両方射撃武装にしておいた方が総合火力は増す。
 
 一撃必殺を狙う事が出来る武装だが、しかしその扱いには習熟を要する。
 技量の低い人間は、両腕武装を用いたほうが良いと言うのがレーザーブレードに対する基本的な評価であった。





「ですから。わたくしは両腕とも銃火器にした方が良いと思うのですわ」

 そんなわけで。
 デュリース=カントルムの言葉に対して、ミド=アウリエルは効果的反論を述べる事が出来ない。

 ブリーフィングルーム/薄暗い室内の大きなプラズマディスプレイには今回の戦闘シュミレーションの結果が出ている。

 映っているのはミドのネクスト機体<ナル>が膝を突き、機体各所から黒煙を噴出している姿=それも二対三での複数戦闘で彼女の機体は真っ先に撃破される結果となった。

 ネクストAC<ナル>/軽量型ネクスト機体/右腕=機動戦闘を想定したエネルギー消費を抑えたレーザーライフル/左腕=粒子収束率を下げた代わりに長大な刀身を持つロングブレード/左肩=横方向への散布型ミサイル=高速接近し、レーザーブレードを生かす道を求めたネクスト機体。

 一言で言うならば、火力が脆弱。正面から撃ち合うならば両腕を火砲型に切り替えたほうがいい。

 今回の試合ではレオハルトのネクストAC<ノブリス・オブリージュ>とミヒャエル・FのネクストAC<カノン・フォーゲル>に対してオーメル在籍の三名で挑みそして敗北してしまった。開始の直後に一瞬動きに隙を見せた彼女の機体に<ノブリス・オブリージュ>の六連装ハイレーザーが直撃して一撃で戦闘不能状態に陥ってしまったのだ。

 三対二の勝負が瞬時に二対二に移り変わる。
 彼女の味方であり、リンクスナンバー6=セロは戦闘終了後『一対一なら負けなかったよ』とだけ残して自室に戻ってしまっている。言外に篭められた意図は明白だ。足を引っ張ってしまった。
 
 ミド=自然と表情が暗くなる。

「……別に貴方を責めている訳ではありませんわよ、ミド」

 デュリース=頬の横の縦ロール/どう見てもドリルを指で弄りながら苦笑しつつ言う。
 差し出される資料はこれまでの戦闘でミドがあげた戦果のレポート用紙。

「ネクスト機体であるとはいえ、流石軽量型を選択するだけはありますわね。……これまでの戦闘での被弾率の少なさは特筆すべきですわ。……ただ、正直な話を申しますと、いつか当たり負けすると思いますのよ」

 軽量型ネクストだけあり、機動性能に関しては<ナル>は優秀な性能を発揮している。

 だが、回避率に関してはセロのネクスト機体<テスタメント>、オーメル在籍のリンクスナンバー13=パルメットの駆るネクスト機体<アンズー>に劣っている。

 両者が三次元機動戦闘を得意としているのに対して、ミドは近接戦闘を嗜好する癖がある。そこが如実な差となって数値に表れているのだ。空中を飛びながら相手のネクストに斬撃を加える事は容易ではない。技量の追いつかない彼女ではその高みにはまだ達してはいないのだ。それ故、<ナル>の機動はどうしても地に脚を付ける二次元的機動が多くなってしまう。

「……まあ、自覚はなさっているようですし。……良く考えてくださいませ」

 軽く微笑むデュリース=この話はこれで終わり、と告げるように笑った。
 
 
 

 ミドはリンクス養成所に在籍していた時点では別段レーザーブレードに過度の思い入れがあったわけではない。

 むしろ自分が戦闘者としては素人に毛が生えたのと大差ないことを自覚しており、素直に他の先達の忠告に従って両腕に武装を装備させていたぐらいだった。
 彼女が、接近戦を嗜好するようになった理由はただひとつ。

 あの日、リンクス候補生だった自分と、もう一人、ハウゴを狙う武装テロリストに養成所が襲撃された時だった。
 ハウゴが<アイムラスト>を駆り、侵入してきたノーマルに対して戦闘を行った一部始終を彼女は見ていたのだ。



 ただのレーザーブレード一本であれほど驚くべき動きが出来るのかと、自分の目を疑った。レーザーブレードは基本的に扱いにくい武装であり、使いこなすには錬度がいる。だが、<アイムラスト>の動き。
 一目で魅せられた。ああなりたいと思ってしまったのだ。



「……今の私では分不相応な夢だけど……」
 
 頭ではそれはわかっている。判っているが胸の奥に染み付いた憧れをそう簡単に手放したくないのも確か。
 ミド自身に足りないものは、結局、形である結果だ。今のアセンブリを変えたくない、そう思いながら彼女はシュミレーターに腰掛けた。電源をONにして表示させるものは他企業のネクスト機体の戦闘データリプレイ集。その中でも尤も近接戦闘を嗜好するリンクス達のデータを再現。
 
「あら」

 ふと、そこでミドは微かに首を傾げた。
 その戦闘データには企業に所属するネクストAC/並びにリンクスが記入されているが、そこで二つの空白を見つけた。
 リンクスナンバー23/リンクスナンバー29の欄を埋めるUnknownの文字。
 国家解体戦争に参加したリンクスは26名。ナンバーからして不明の一人は国家解体戦争時に失われたロストナンバーだ。
 
 ロストナンバー=バックスの力の象徴であるネクストの消失を隠すのは、リンクスと彼らが駆るネクストが絶対的な力の象徴である事実を護る為の処置なのだろう。

 だが、自分と同じリンクスが一人知らない場所で存在を抹消されているのだ。
 ミド=何処か恐ろしく感じる。バックスにかかればリンクスなど存在など無かったように消去されるという事実を改めて教えられたかのようだ。

「興味があるのか?」

 ディスプレイの失われたリンクスに対し、考え事に耽っていた為か。ミド=背中からかけられたそのぶっきら棒な言葉に思わずびくりと背筋を伸ばしてしまう。思わず後ろを振り向いた。

 壁に背を預け、つまらなさそうな表情でガリガリとロリポップを齧る音を立てる中肉中背の青年。

 黒目黒髪/右目を覆い隠すような長い黒髪/何処か不愉快そうな全てに不平不満を抱くかのような倦怠感を纏ったような雰囲気/ミドを見下ろす冷たい目/リンクスナンバー6=『オーメルの寵児』セロ。

 その冷たい声色に、ミドは意外そうな表情を隠せない。
 現存するリンクスの中でも最高位のAMS適正を誇る彼は一言で言えば『傲慢な天才』だった。
 ブリーフィングでもろくに意見を出さず、他人と交わる事を好まず、また戦闘においてもオペレータの指示を無視する事が甚だ多い。

 だがそれでも彼の戦闘力はミドの遥か上を行く。その圧倒的な戦闘力から横暴を見逃されているようなものだ。彼のオペレートも勤めた事があるデュリース嬢から何度愚痴を聞かされたことか。
 
 だから、その言葉にミドは驚いた。まるで望めば質問に答えてくれるかのような発言など初めて聞く。

「は、はい」
「そうか」

 口元に咥えたロリポップをダストシュートに放り込むと、セロはゆっくりとミドの座る椅子に手をやる。

「ロストナンバー23、コイツはレイレナード社のコジマ粒子研究機関……アクアビット所属のリンクスだった。
 リンクスの名前はネネルガル、使用していた機体名は<アレサ>だった」
「……詳しいんですね」

 その言葉に一瞥をくれるセロ=その眼光が貴様は喋るなと告げているような冷たい色を放っている。思わず息を呑むミド=同時に察する/セロが求めているのは話の聞き手であって、質問をする相手ではないのだと。沈黙を護り、ただ相手の発言に任せておいたほうが良いと理解する。

「……<アレサ>プロトネクスト。
 プロトネクストってのは現在のネクストのモデルケースだった機体だ。高い精神負荷を要求するAMSだが、コイツが要求するAMS適正は半端じゃない。機体との人機一体を、搭乗者を廃人にすることすら厭わないまでに深く行うAMS、それがもたらす過度の精神汚染に、大地を百年は腐らせる高濃度のコジマ汚染被爆を引き起こす。性能は絶大だったが犠牲が大きすぎる機体だった。
 ……そのためたった一度の出撃でパイロットは機体に繋がれたまま目覚める事は無かった」
「……詳しいんですね」

 驚いたような言葉を漏らすミド。
 恐らく企業に属する人間でも、かなり深くまで食い込まなければ知ることの出来ない情報ではないだろうか。
 
「兄妹なんだ。僕のたった一人のね」
「それは。ごめんなさい」

 短い言葉に込められた苦しみと哀しみ。ミド=反射的に頭を下げる。
 ふん、と大して気にも留めぬように呟くセロはそのままミドのシュミレーターの向こう側に腰掛ける。え? と思わずミドは首を傾げた。傲岸不遜で規定のトレーニングすら嫌がる天才児セロ、他者との協調性を母親の腹に置き忘れたような彼が、まさか自分より格下であるミドのトレーニングの相手をしてくれるというのか。

 ありがたい話ではあるが、俄には信じられないと言うのが実際の所か。
 困惑して何も言えないミドに、セロ=不機嫌そうにミドを睨み付けてくる。目で早くシュミレーションを始めろと言っているような薮睨みに、ミドは慌てて戦闘シュミレーターを稼働させた。
 



「君は下手だな」

 言い返すことが出来ない/ミド=悔しそうに唇を噛み締めて俯く。
 実力に過度の開きがあることは自覚してが、この戦闘ではその差がハッキリと出た。セロの<テスタメント>に結局ミドの<ナル>は一発も叩き込む事が出来ずに敗北してしまった。

 やっぱり、腕部武装を両方とも火器に切り替えるべきなんだろうか。

「もう少しオーバードブーストを戦術に取り込んでいくべきだろ」

 だから、ミドは驚いたような表情を浮かべる。頭ごなしにミドを嘲笑する言葉が飛んでくるものと思っていたら、思ったよりも遥かに冷静な意見が帰ってきた。困ったように思いながら、セロの言葉に答える。

「……えと、はい。……ですけれど、オーバードブースターを使えばPAの粒子装甲減退を……」
「君は馬鹿か。いや馬鹿だ」

 セロ=鼻で笑う。
 
「戦闘は結局どこかで賭けに出る必要がある。……レーザーブレードを主体として斬りこんで行くなら、まず相手の機動を読み、いち早く接近戦を挑む事だ。……オーバードブースターの高速度によって発生する空気摩擦で確かにプライマルアーマーが減退し装甲は薄くなるが、だがレーザーブレードを命中させる事が出来るなら、博打としては中々悪くない」

 きっと特に意味も無く馬鹿にされるものとばかり思い込んでいたミド=その思ったよりも理論的な発言に、なるほどと呟く。

 現在のネクストは基本的に両腕に火器装備をしている機体ばかり/だが如何なる長獲物も殴りあう距離になれば無効化できる。納得したように頷いた彼女は、そこで懐かしい言葉を思い出す。

「驚きました」
「……なにがだ」
 
 懐かしい言葉/リンクス養成機関の同僚、ハウゴとのブリーフィング時に彼女はレーザーブレードを有効に使用したいのならオーバードブースターを有効に使うことを心掛けろといわれていた事を思い出し、つい懐かしさで顔を綻ばせる。

「……わたし、以前リンクス養成機関の同僚に、……今はアナトリアの傭兵をやっている彼に、似たような事を言われたんです。ブレードを活用するなら、もう少しオーバードブースターを使用するようにと」

 その言葉を聞いた瞬間だった。
 セロは不愉快そうに細めていた瞳を更に細める。への字に歪んでいた唇から歯を覗かせた。
 ミドはその彼の雰囲気の突然の変化に思わず息を呑む。気付かぬうちに肉食獣の顎に自らの頭を差し出す愚考を行っていたような感覚に息を呑んだ。

「僕が、あいつに似ているって言うのか」
「あ、あの」
「黙ってろ」
 
 氷のような一言でミドの言葉を無視すると、セロは荒々しく立ち上がりそのまま苛立ちを隠しもせずシュミレータールームから立ち去った。



 セロ/一人、オーメルの人間でも限られたものにしか使用を許されない特別なエレベーターの中で苛立たしげに舌打ちを漏らす。

 らしくない、自分としても実にらしくない行為をしたという自覚があった。ミドの事など実際どうでもいいし、彼女のシュミレーターになど付き合う気などまったくなかったのだ。

 そういう気になったのは何故なのか。
 
「……ネネルガル」

 ロストナンバーリンクスの名前を思い出しながらセロは呟く。
 恐らく企業の中で失われたロストナンバーの事を知っている人間は数少ないだろう。だからかもしれない。ミドに彼女の事を話したのは、同じように彼女の事を知っている人間を少しでも増やしたかったのかもしれない。

 セロは新しく用意したロリポップを咥えながら、かつての事を思い起こす。ネネルガルは自分と同じくナインブレイカーをモデルジーンとした、人為的にAMS適正を極限まで高めた戦闘兵器。

 対イレギュラー兵器、『ナインボールセラフ』を落とした『あの男』を元にした兵器のパーツの一つとしての己。

 自分と同じ双子の片割れである彼女。

「……僕は強い。あの男よりもだ」

 最強として生み出された己と、最強である己のプロトタイプである『あの男』。あの男を落としてこそ、自分は名実共に自分の生み出された目的を完遂できる。
 


 エレベーターが停止し、扉が開く。

「聞こえるだろ」

 セロは怒鳴りながら/最下層ブロックの巨大な空間に脚を踏み入れる。
 ここは許されたものにしか入る事ができない空間。その空間の主とも言うべき存在がそこにあった。


 巨人/四肢を厳重に鎖で縛り上げられたアーマードコア。
 ネクスト機体=だが、その技術に通じる人間が居ればその異常さに気付くだろう。
 平均的なネクスト機体を大きく逸脱する純白の巨人。
 膨大なPA整波装置=整波装置が吐き出す膨大なコジマ粒子はただその巨人が動くだけで大地を腐らせ草木を枯らし命を無慈悲に奪う力を持つ。
 機体各所が内蔵する巨大な推力装置=その膨大な推力は、内部搭乗者の頚椎を平然とへし折るほどの圧倒的加速力をもたらす。
 AMS適正『SS+』の人間が搭乗する事を前提に設計された狂気的操縦機構=その致命的精神汚染は搭乗者を発狂死させても構わないという悪夢的発想――パイロットを使い捨てても構わないという考えによって成り立っている。
 機体各部には武装設置のためのハードポイントがあるが、まるでその火を宿さぬ死に絶えた巨人が武装を帯びる事を恐れるかのように全て外されている。
 パイロットは存在しないにも関わらずオーメルの誰もがこの機体を恐れた。

「聞こえているだろう、グローバルコーテックス。ナインブレイカーを発見したにも関わらず、何故僕に奴を撃たせない」

 返答は無い=当たり前。 

 この機体にはパイロットは存在しないし、メインシステムも稼働していない。それでもセロは巨人を睨み付ける。

 己の為に作り上げられた、ドクターコジマを名乗る『偉大なる脳髄』の技術提供を元にオーメルが開発した、ネクストの開発途中に産み落とされた異端児、プロトネクスト<バニッシュメント>を睨みつける。
 巨人は黙して語らず、またその予兆も無い。
 セロは苛立たしげに歯を噛み鳴らすと、元来たエレベーターに爪先を向けた。

「待っていてくれ、ネネルガル。……そう遠からぬうちに、全て砕いてやる」





[3175] 第十一話『恋する乙女のようでした』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/13 19:33
 レイレナード本社施設『エグザウィル』の形状は他の類を見ない、非常に特徴的な構造をしている。

 巨大な湖の中央に座する、上空から見れば円錐状に見える本社ビルは、下部に港湾部と飛行場を有しており、またその周辺を膨大な数のエグザウィル直衛艦隊によって防御されている。

 各種本社業務を担当するのは港湾部の奥であり、レイレナードの本社施設自体は半円錐の傘の下に存在している。

 この傘がレイレナード社を防御する巨大な防護幕であるのだ。
 巡航ミサイルの直撃にすら耐えうるといわれる複合セラミックスで形成されたその傘は、八本の巨大支柱の張力によって牽引されている。この傘が心臓とも言うべきレイレナードを守護する鉄壁の天蓋、たとえ如何なる攻撃を受けようと、その物理エネルギーは八本の支柱にそれぞれ分散して受け流され、更にそれらの振動は熱エネルギーに変換され大気に放出、全ての衝撃を無効化する性能を持つ。

 ゆえにレイレナード本社施設を破壊しようと試みるのであれば、その八本の巨大支柱の接合部を破壊する事が必要になる。

 もちろん言葉にするのは簡単であるが、実行しようとすればその困難さは筆舌に尽くし難い。パックスの企業体の中でも尤も勢いを持つ新興企業レイレナード社の艦隊とそれに付随する精鋭ネクストを相手取りながら『エグザウィル』を陥落させる事は不可能に近いだろう。

 長距離からのアウトレンジ攻撃による効果は全く期待できず、また破壊しようとすれば接近戦を挑む必要があるが、それらの攻撃は重厚なエグザウィル直衛艦隊とネクストACによって阻まれ事実上不可能であった。



 レイレナード本社施設『エグザウィル』にも、勿論他企業と同様、コジマ粒子関係の部門が存在している。

 そこは、真っ白な壁と透明なガラスで覆われた一室だった。
 中央には一人の少女=鴉の濡れ羽色とも言うべき艶やかな黒髪/少女らしい柔らかな曲線/化繊で出来た病人が着る衣服/規則的に上下する胸元/手の静脈には栄養を供給するための点滴の針が刺さっている/瞳は閉じられたまま=目を覚まさなくなってから既に五年の月日が経過している。もし、オーメル所属のリンクスナンバー6=セロを良く見知る人物が此処に居れば、彼女のその容姿の端々に彼との共通点を見出す事が出来ただろう。

「……脈拍、呼吸共に安定。……五年前から一度も変化無し、か」

 その少女を一人、部屋の外のガラス越しに観察する男性がいる。

 男性=頬にL字傷/獲物を狙う猛禽のようでもあり真摯な僧侶のようにも見える知性的な瞳/鍛え上げられた肉体/何の感情も見せずに未だに眠り続ける少女――リンクスナンバー23=ネネルガル――を見やった。

 五年前の国家解体戦争の折に、当時二十六名存在したリンクスの中でも最高位のAMS適正を持ち/それが理由で尤も過酷な精神汚染を強要するプロトネクスト<アレサ>に搭乗=結果、二度と目を覚まさず今も尚意識を取り戻す予兆を見せない。

 その男/オリジナルの中で尤も膨大な戦果を上げた男/リンクスナンバー1=ベルリオーズは目を細める。

 アクアビットで長年覚醒させるため研究されてきた彼女であるが、しかしこの度レイレナード本社による覚醒作業を行う事になったのである。

『世界で尤も強力な単独戦力『ネクスト』を駆る事の出来る才能の持ち主を眠らせる事は勿体無い』と言うのがアクアビット、ならびにレイレナードの上層部の人間の意見である=が、ベルリオーズはそれが表向きの理由でしか無い事を知っていた。

「……国家解体戦争時における彼女の肉体年齢は十六歳と出たが……」
 
 忌々しそうにベルリオーズは吐き捨てる。
 今も永劫の眠りに憑かれたかのごとく昏々と眠り続ける彼女であるが、しかしその肉体年齢はどう見積もっても十六歳程度の物でしかない。ただしく年齢を重ねているならば、彼女はいまや二十一歳の妙齢の女性と成長していなければならないのに。

 AMSが人間の脳髄に影響し、それが何らかの影響で肉体の老化を防いでいると言うのが専門家の意見だったが。
 脳に影響を与えるAMSによる意識不明という事態はよくある話だ。……そのよくある話の裏で何人のAMS被検体が廃人になったかは不明であるが、しかし意識不明となった人間が、年齢を重ねる事無く眠りに付くという事実はレイレナードの上層の人間の興味をいたく引いたらしい。




 大昔から富と権益、人界における最高の地位を手に入れた人間が行き着く場所は不老不死と相場が決まっている。




「下らん」

 吐き捨てる。
 リンクスは総じて寿命が短い=だがその代償として世界のパワーバランスを崩す強大な力を約束される。未来を削る代償として力を得る道を選んだベルリオーズからすれば、そこまで長生きして何をするのか、自分の上司に尋ねてみたいのが本音であった。

 視線を、夢の国に囚われた少女に向ける。
 アクアビットで研究されてきた彼女であったが、五年近く研究した結果『不明』という解答しか出なかったのは間抜けとしか言いようがない。結局アクアビットも匙を投げ、今回レイレナード社の医療スタッフにお鉢が回ってきたという話である。

 果たして解明できるのだろうか。
 ネネルガルとセロ。
 正体不明の謎の研究者にして、オーメルとアクアビットの両者にコジ技術を提供したというドクターコジマから直接派遣された人材のうちの片割れ。本音を言うならば、ベルリオーズはコジマ技術に何処か嫌なものを感じていた。

 国家解体戦争=膨大な戦果を己は上げ、そしてリンクスナンバー1という高い評価を得た。

 絶対の防御機構『プライマルアーマー』/圧倒的瞬発力をもたらす『クイックブースト』/機体を手足のように扱う『AMS(アレゴリーマニュピレイトシステム)』。

 それらを駆使し、戦った。否、あれは戦いと呼べるものではない。間違う事無き一方的な戮殺でしか無かった。
 最早『卑怯卑劣』とすら呼べる圧倒的戦闘力/彼に勝利は齎したが、しかし死力を尽くしたという実感だけは全く与えてくれなかった。


 あれから五年の歳月が過ぎた。
 武装テロを尖兵とした偽りの平和が破れ、いつかかつてのように互角の戦闘力を持つネクスト同士が戦う日が来るのか。

「……アンジェの事を笑えんな」

 微かな疼き=互角の戦闘力同士がぶつかり合う時代を期待してか、静かに鼓動が高鳴るのを感じ、ベルリオーズは笑った。
 
「なるほど。ここに居ましたか、ベルリオーズ」
「ザンニか」

 金髪碧眼の青年/口元には微かな微笑/目の奥底にある不敵な色/リンクスナンバー12=ザンニ。
 彼はかつかつと靴音を鳴らしながら、目のみでザンニを捉えるベルリオーズの視線を辿っていく。いまだ眠り続けるネネルガル――それを見やって笑う。

「面白い子でしたよ」
「知っているのか?」
 
 アクアビット所属の彼女を何故、と思ったが、質問しながらベルリオーズは思い出す。

 ザンニはアクアビット/レイレナードの両者の試作パーツを良く装備するテストパイロットとしての顔もある。アクアビットの技術者ともっとも関係の深いリンクスはこの男だった。

 テストパイロットは当然技量も一流のものでなくてはならないが、同時にある程度のコミュニケーション能力も要求される。パイロットが感覚的に捕らえた試作パーツの不満、問題点などを洗い出し、言葉にして技術者たちに理解できるように説明する事は、戦闘一辺倒の人間には中々難しい。其処を行くと、ザンニはそういったコミュニケーション能力に恵まれていた。彼の意見を参考に造られたパーツの数は結構な量になっている。

 ザンニは懐かしそうな表情で眠る少女を見やると、くく、と笑みを深くして言った。
 
「ええ。……始めて出合ったとき、彼女ジューススタンドの前にいました」
「ほう」
「ただ、持ち合わせが無かったようでして。ちょっと困った様子で首を傾げていたのですが、そしたら自分に話しかけてきましたね。『金貸してください』と」
「ほほぅ」
「で、突然だったので少し困って何も言わなかったら、彼女、今度は別の国の言葉で『金貸してください』と言ったんです」
「……ほお」
「……もう一回口を開いたら、また『金貸してください』と言われました。理解できたのは其処まででしたね。後も何度か喋っていましたが、きっとアレも『金貸してください』と言ってたんでしょうね。後でスタッフに聞いたら彼女、十カ国語で金貸してくださいといえるそうですよ」
「……ザンニ、用件を言え」
「彼女の教育を行ったというドクターコジマは何を考えていたのやら。
 ……独立計画都市グリフォンにアナトリアの傭兵が出撃しました」




『敵対空砲、射程内』
「見えた、アレか。……歓迎の花火が来たぜ」

 ハウゴ=アンダーノアは愛機<アイムラスト>のコクピットの中で、グリフォン対岸部に設置された巨大な対空レーザー砲が一斉に銃口に光熱を溜めるのを確認/引っ切り無しにロックオン警報。

 だが、輸送機から投下された<アイムラスト>の着地ポイントはグリフォンのビルの陰。<アイムラスト>はそのままバーニアを使用せず荒々しく地面を踏み鳴らし着地=高性能のショックアブソーバーが衝撃を吸収/同時に機体が硬直。

 実戦ならば着地直後の衝撃を吸収するための硬直は回避機動の一切が出来ない。相手の攻撃を一方的に受ける戦闘中に行ってはならない行動の最たるものであるが、しかし今回はあらかじめ着地点を調整してある。

 放たれる光の巨槍/対空攻撃を主眼に置いた大型の地対空レーザーキャノンの破壊力は対地攻撃に用いても大変効果がある。

 それらのレーザーは、しかしそそり立つグリフィンのビルの一つが受け止める。
 その様を確認しながらハウゴ=馬鹿にしたように笑う。

「こっちが遮蔽を取ってる事もお構い無しの発砲か。撃鉄を引いてるのは融通の効かねぇ阿呆のAIだな」
『作戦進行開始。GA空挺部隊が来るまで敵対空砲台を殲滅する事が任務よ。タイムリミットを表示。……無事でね』
「了解。……敵対空砲台のデータは? 細かいデータはいらねぇ、敵砲台のリロードタイムだけ教えてくれ」
『画像データから検索開始。……MFA72HL-プロキオン、メリエス製の対空レーザーと断定。データを転送するわ』
「レイレナード陣営のどっかの子飼い共か」

 ディスプレイ右側に表示される敵データを流し見ながらハウゴはブースターペダルを踏み込んだ/<アイムラスト>ビルの遮蔽から姿を現し、対岸に陣取る敵対空部隊に対して攻撃を開始する。

「敵陣左翼から切り込む。行くぞ」

 ネクストAC<アイムラスト>が水面を滑るように前進を開始/同時に水面との接触によって機体全体を覆う緑色の防護幕が緑色の燐光を放つ=コジマ粒子を機体周囲に循環させ滞留させるプライマルアーマーを不可視の甲冑として鎧っているのだ。

 対岸から接近を許すまいとノーマル/ならびに六脚型自走砲台が射撃を開始。
 ノーマルがもつレーザーライフルが青白い光を放ち此方に発射される。

「……貴様らの殺気の射線程度など……!!」

 ハウゴ=回避機動をレーザーに集中。自走砲台のロケットランチャーはプライマルアーマーの防御力でもって防ぐと判断。

<アイムラスト>右肩スラスターに膨大なエネルギー供給=爆発的瞬発力を発揮するクイックブースターで左へと壮絶なスライド移動で回避。その回避機動の終わりを付け入るようにロケットランチャーが<アイムラスト>を捉える/それらは着弾する寸前に緑色の防護幕に運動エネルギーと炸薬の爆発を食い尽くされ、機体の損傷には至らない。

「プライマルアーマー動作正常。損傷は軽微。整波装置、アーマーの再生を急げ!」
『プロキオン、エネルギー充填完了』

 ハウゴ=すぅ、と息を吸う。プロキオンの高出力レーザーを浴びればネクストとて無視できぬ膨大な被害を受ける。直撃は絶対出来ない。
 だが、と思う。敵の射撃管制は人間ではなくAI。機械は狙いが正確すぎるきらいがある。
 
「オーバードブースト、レディ」

 コクピット右側のオーバードブーストスイッチをハウゴ、殴るように押す。

<アイムラスト>の後背、装甲カバー解放/同時にブースターがジェネレーターからコジマ粒子供給を受け推進エネルギーに転用=エネルギーとコジマ粒子の両方を消費し、爆発的加速を持続してもたらすオーバードブースターが火を噴いた。

 ハウゴ=瞬間的に歯を食いしばりシートに頭を押し付けて頚椎を痛めることを防いだ。

 同時に一瞬前まで<アイムラスト>が居るはずの場所に照準をつけていた対空砲台は、しかし圧倒的な速度で前進を始める敵機の予想を超える速度に狙いを外す。
 空を薙ぐ灼熱の巨槍/脇を抜けて大気を焼く光にハウゴ、口笛吹きながらオーバードブーストをカット。余勢を駆って、敵ノーマルに狙いを定める。武装選択=ハイレーザーキャノンの巨大な砲身がその威容を現す。

「時間を食いたくねぇ。即死してくれ」
『つ、突っ込んでくる?!』

<アイムラスト>空中から踊りかかり、敵ノーマルの目と鼻の先に着陸。

 同時にハイレーザー発砲。プロキオンの対空レーザーほどではないが、しかしそれでもネクスト専用武装の中でも最大ランクの負荷と破壊力を約束する大型光学砲の破壊力は凄まじい。零距離で発砲したレーザーは敵ノーマルの装甲を一撃で融解/貫通し、その有り余るエネルギーの奔流はノーマルの後方に設置されていた対空レーザーの一基を直撃する。
 ジェネレーターに命中したのか、プロキオンが噴煙を上げて爆発した。
 
「一つ」

 クイックブースター派生機動/瞬間的に四十五度旋回し敵の六脚自走砲台を正面から睨む形へ。

 武装をマシンガンへ変更。同時に通常ロックオンからハウゴの視線で狙いを付けるアイリンクシステムにFCSモード切り替え。レーダー更新を確認し、敵六脚型自走砲台の銃口から微かにずれるように前進。

 マシンガンがオレンジ色のマズルフラッシュを瞬かせて六脚砲台の脚部を破壊/バランスを崩す六脚砲台/そのまま接近し、ダガーブレードの一閃で銃身を破壊。
 同時にタイムリミットを再確認。
 戦闘は継続している。




 
「通常のGA特殊部隊程度なら問題は無いだろうが。……相手がアナトリアの傭兵となるとな」
 
 ベルリオーズ=少し困ったように呟く。ザンニ=肩を竦めて笑う。

「アンジェご執心の傭兵ですか。……確かに面白い相手ですね。
 ……メリエス製のハイレーザー六基に、……ああ確か、アクアビットから借り受けたGAEM―クエーサー型の大型六脚戦車も投入はしていましたが、はてさて」

 両名ともネクスト機体の搭乗者であり、ノーマルや多少特殊な兵器を投入した程度でネクストをそう容易く倒せるとも思ってはいない。
 ましてや相手はアンジェがその戦闘力に太鼓判を押した相手。

「お前の目から見て、今のアンジェはどう思う?」
 
 ベルリオーズ=ふと思いついたようにザンニに尋ねてみる。他のリンクスと違い、観察力、分析力、他者に感じたものを的確に伝える表現力に優れた彼なら、アナトリアの傭兵という稀代の敵手を知った彼女をどう思うのか、聞いてみたくなったのだ。少なくともまともに喋ろうともしない真改には聞けない。
 ザンニ=くくっと、軽く笑いながら応える。

「いやはや、『鳥殺し』の最高位リンクスであるあの女傑にこんな表現をするのは少し気恥ずかしいんですがね」

 親指で頬を掻いてこの上なく楽しそうに笑った。

「まるで、恋する乙女のようでした」
「ふっ、言い得て妙だな。……それほど慕われているなら……」

 ベルリオーズ=我が意を得たように笑う。

「必ず彼女が、仕留めるだろう」




 
『対空砲台、全て沈黙……。レーダーに新たな敵影。……これは、コジマ粒子反応?!』
「新手か。……接触までにKP出力にエネルギーを回す。プライマルアーマー、再生を急げ」

 ジェネレーター出力の供給割合をアーマー再生に回し、ハウゴ/同時にレーダーを穴が開くほど見つめる。
 プライマルアーマーの再生終了と同時に<アイムラスト>機動開始。

『……GAより入電。敵コジマ兵器の撃破の追加オーダーが入ったわ』
「了解。……あれか?!」

 グリフォンの道を押し進む足の生えた巨大な箱。ハウゴが真っ先に抱いた印象はそれだった。
 白銀の巨体/機体上部に設置された大型連装砲/蜘蛛のように地を踏み鳴らす六本の足=歩くごとに自重に耐えかねたアスファルトが凹んでいく。

『GAEM―クエーサー型大型六脚戦車と確認』
「GAの空挺部隊を撃つ為にGAヨーロッパから流出した新型兵器を使うのかよ。敵さんも皮肉が利いてるなぁ、オイ!!」

 呟きながらハウゴ<アイムラスト>を直進させる/視界の彼方、ロックオンした敵大型が此方に主砲を向けてくのが見えた。
 発砲/凄まじい轟音と共に戦艦の主砲に匹敵する威力を持つ三連装砲弾が此方に向けて飛来する。

「そんな大味な攻撃なんぞ、当たると思うか?!」

 クイックブースターすら必要としない=<アイムラスト>通常出力のみの、機体の横方向への急激な切り替えしのみで敵砲弾を回避。
 あの手の大型兵器は他の部隊との連携を主眼として始めて効果を発揮するものだ。単品で現れたところを見ると、どうやらあの大型兵器が来るまで味方が持ちこたえているものだと踏んでいたのだろうが。

「へっ、残念だったな。……プライマルアーマーにあの重装甲が相手じゃ、マシンガンは効きが薄い。貼り付いて斬り刻む!!」
『機体上部より垂直降下型ミサイル射出!!』

 左腕武装=ダガーブレード。
 右腕武装=マシンガン。

 噴煙の尾を引きながら飛来する垂直降下型ミサイル接近を確認。
 クイックブースターで敵ミサイルの追尾限界を越えるスライド移動=それでもなお食いつく数本のミサイルをマシンガンで撃ち落し、ハウゴ/オーバードブースターをスイッチ。
 
 爆発的推進力を持って、一気に懐に飛び込む。
 
「デカブツは懐が甘いと相場が決まってるんでな……!!」

 主砲も射角が取れず=ミサイルも近すぎて捕捉できない。こうなればまっとうな射撃戦では圧倒的な重装甲もただ単に刻まれるだけの惨めなものでしかない。お互いのプライマルアーマーが接触しあい、緑色の燐光が激しく瞬く=粒子装甲が相殺し減退現象が発生。

<アイムラスト>、ダガーブレードを一閃し敵のプライマルアーマーごと六脚のうち半分を溶断/重量のある機体を支える脚の半分を破壊され、斜めに崩れ落ちる六脚戦車。

 武装をハイレーザーキャノンに切り替え=とどめに移る。

 銃口を敵六脚戦車の上部、ミサイル発射管に照準。
 
「じゃあな」

 トリガーを引く=吐き出されたハイレーザーは敵のプライマルアーマーを貫通=六脚戦車のミサイル発射弁の脆弱な装甲を一撃で溶解させ、膨大な熱エネルギーが内蔵されていたミサイル弾頭に接触=誘爆=内蔵していた膨大な破壊力が六脚戦車の臓腑の中を引き千切った。

 爆発=炎上。

 その爆風が<アイムラスト>のプライマルアーマーに接触し、ジジ、とコジマ粒子の焼ける音をもたらす。

『お疲れ様、任務完了よ』
「……ああ」
 
 ハウゴ=機体システムを戦闘モードから移動モードへ。
 GAヨーロッパが開発したはずのGAEM―クエーサー型六脚戦車=何故味方組織が開発した戦闘兵器が、レイレナード企業連合の尖兵である武装テロリストの手に渡っていたのか。コジマ粒子技術を用いたあんな最新鋭兵器が武装テロリストに流通するなど考えにくい。GAヨーロッパはもしかして非GA企業連合に通じているのか。

「……また、キナ臭いな」

 ハウゴ=頭を振って溜息。面倒な事を考えるのは嫌いなんだが、そう思いながらレーダーに表示される回収ポイントへ機体の移動を開始する。
 作戦任務は完了。問題は無いはず。とりあえず帰って疲れた身体を癒すべく、帰還を急いだ。




[3175] 第十二話『また会えて嬉しいぜ』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/13 19:39
「商売敵?」

 ネクスト傭兵、ハウゴ=アンダーノア/そのオペレーターであるフィオナ=イェネルフェルト/整備班長スチュアート兄弟の計四名は神妙な顔をして食堂にやってきたエミールの言葉に食事の手を止めた。

 怪訝そうな表情を浮かべたのはハウゴ一人であり、彼は途中まで食べていたすき焼きうどんを貪る箸を止め、自分以外の三名を見やる。ハウゴ以外の三名が皆同様に顔色を変えたのを見て取ったのだ。

 ハウゴが怪訝そうな表情を浮かべたのは無理からぬ話ではあった。

 ネクストを運用する能力を持つものは、六大企業。コロニー・アナトリアはイェネルフェルト教授がネクスト技術の開発を行っていたからこそ、技術開発用ネクストを保有していたのだ。

 世界の戦力バランスを単独で覆す超兵器を運用できる組織など数が知れている。アナトリアはその稀な例の一つであったはずなのだが。

 エミール=どこか苦々しげな表情。苛立ちのあまり煙草を一本やろうとしたが、ニコチンの臭いで食事の味覚を狂わさせるのは不味いと思って自主的にやめた。

「……ジョシュアか」
「ああ」

 リンガーか、ランガー、双子親父のどっちかが溜息混じりの言葉を漏らした。エミールはそれに短く応えるのみ。

 見ればフィオナも何処か沈痛な表情。ハウゴ=首を傾げる。

「なんか知らねぇが蚊帳の外みてぇだな。誰だ?」
「……ジョシュア=オブライエン。元々父の元でAMSの被検体としてアナトリアに居た人よ。コロニー・アスピナに帰ったって聞いていたけども」
「アスピナの情勢も我がアナトリアと似たようなものだ。経緯も想像できる」

 ハウゴ=フィオナとエミールのその言葉に目を細める。

「……て、こた、アスピナも?」

 エミール=首肯。
 
「商売敵の名はリンクスナンバー40、<ホワイト・グリント>を駆るアスピナのネクスト傭兵。ジョシュア=オブライエンだ」

 ハウゴは少し考え込むように沈黙する。
 かつてアナトリアに居たAMS被検体の男。自分がアナトリアにやって来るまでに色々と関わりのあった人間なのだろう。

 それが今や商売敵。傭兵である以上、敵とは限らないが、しかし味方とも呼べない相手。彼らにとって心情的には複雑なのだろう。鴉であった身には覚えがありすぎる話だった。
 
「マグリブ解放戦線の要所、旧ゲルタ要塞を固めていたノーマル部隊、ならびに砂漠奥地の旧エレトレイア城砦に保管されていた弾道ミサイルが彼によって撃破されている。更には未確認情報だが、イクバールの子会社テクノクラートのネクスト機体<バガモール>とその搭乗者ボリスビッチが未帰還であると言う話もある」
「ネクスト同士の交戦があった訳か」

 どの企業体とも密接に関わる事のない傭兵だが、それは同時に企業体の庇護下に無いという事でもある。傭兵を撃墜したところで何処からも文句など無い。企業間直接戦闘に発展しようが無いから、傭兵は企業体の虎の子と激突する可能性も多くなる。

 だが、その企業体のネクストAC、すなわち互角であるはずのネクスト同士の戦いに勝利して見せたのだ、腕が悪いはずが無い。

「……しかし、旧ゲルタ要塞は、旧式とはいえ大口径砲台が固めていたし、弾道ミサイルは旧エレトレイア城砦の奥に隠されていた。……あそこは年中砂嵐でプライマルアーマーも有効に活用しきれねぇ筈だったが」
「詳しいのね?」
「……ああ、昔あの辺りでドンパチやったからな」
「……ハウゴ?」

 ここに来て、フィオナはハウゴの様子が何処か変わったことに気付く。すき焼きうどんに箸を突き立て、顔に掌を当て、すぅと深呼吸の音を漏らしている。どこか思い悩むような感じ、何となく嫌な予感を感じているかのような雰囲気。

 フィオナの印象は正解だった。ハウゴは自分自身、らしからぬ事に緊張している事を自覚している。マグリブ解放戦線の要所=確かあの二つは彼らにとって要所中の要所、急所に痛撃を叩き込まれた事に等しい。手足を捥がれ、行動の自由を封じ込められたに等しい。


 とどめを刺すなら今だろう。


 とどめとは何か。
 マグリブ解放戦線で心臓に等しい存在とは何か。

 味方をコジマ粒子で被爆せぬよう戦いを続ける単独にして究極戦力/低いAMS適正を補う為に致命的精神負荷をあえて受け入れ、機体性能を極限まで引き出すイレギュラーリンクス/攻勢戦力として企業の軍隊に痛撃を与え続ける脅威/マグリブ解放戦線にとっての精神的支柱=イレギュラーネクスト<バルバロイ>を駆る砂漠の英雄アマジーク。

「……この作戦が成功すればアナトリアの傭兵の価値は格段に上昇する。企業から重要度の高い依頼を引っ張ってくる事も可能だろう」

 ハウゴと彼の関係を知るエミールは勤めて淡々とした口調で言葉を続ける。ハウゴは頷いた。次に何を言われるであろうか、何を撃てといわれるだろうか。





 さだめなのに、こころをきめたはずなのに。





 旧友と出会った時に末期の杯を交し、もう二度と会うことは無いと未練を振り捨てて来たはずだった。

 商売敵。ネクスト傭兵は唯一無二ではなくなったということ。企業の戦力を目減りさせない使い勝手のいい力、その立場に居座るものがもう一人。
 ならば、どうするべきか。エミールは知っているはずだ。企業にアナトリアの傭兵がアスピナの傭兵以上に商品価値が高い優秀な存在であると知らしめれば良い。そして今やマグリブ解放戦線は打撃を受け弱っている。一気呵成に攻めかかる好機でもある。そして企業体すら手こずる彼の首を取ることが出来るなら、それは名を売る最高の売名行為だ。

 ハウゴは目を伏せた。傭兵の宿業であると知っていたはずだったが、やはりいつまで経っても慣れる事など無さそうだ。心臓は激しく脈打ち、指先は緊張に震える=心はその真逆であるように悲しみに凍て付いていく。

「……イレギュラーネクスト<バルバロイ>撃破任務を受けた」
「そうか」
 
 ハウゴは目を伏せて頷いた。そのあまりの平静な様子に他の四名は一瞬言葉を呑む。

 友人を撃てと、かつて背中を任せた戦友を撃てと、アナトリアの為に友を殺せと。そう言われているにも関わらず、悲しいがそれが定めだと言わんばかりの冷静さ――かえってそれが他の四人の心を切り刻む。

「ハウゴ……お主」
「……ライフル、……051ANNRと、MR-R102を腕部武装に切り替えてくれ」

 ハウゴは顎に手をやりながら呟く。確かにその名称は二つともライフル系統の武装であるが、しかし即座に、性能を確かめもせず、シミュレーターも起動させずに発注を頼むなどありえない。スチュアート兄弟のその表情に、ハウゴは二人が何を言いたいのか察したのか、微かに笑って見せた。

「考えたのさ。……夜眠れねぇ時に色々考えた。俺はあいつの手のうちを知っているが、あいつも俺の手の内を知り尽くしている。早さも癖も長所も短所もお互いにな。……もちろん俺だって容易くやられてやる気はねぇが、しかし容易くやれる相手でもねぇ。……だが、心配するなよ、みんな」

 ハウゴ=笑う。笑うが、彼以外の三人にはそれが何処か無理をしているように思えた。

「大丈夫だ。俺は物凄いのさ」

 かつて初陣の際、ハウゴがエミールに向けて言った言葉。
 だがどうしてだろう、三人はその言葉を素直に信じる事が出来なかった。







「GAヨーロッパ、大ピンチだね」

 先史古代文明の生き残りであり、GAの要する41人目のリンクスとして登録真近である女/プリス=ナーは先ほどから与えられた忌々しそうにブリーフィングルームの中を行ったり来たりして、歩くごとに頭の後ろの孔雀のような髪を震わせるミセス=テレジアを見た。一体何があったのかは知らないが、しかし不機嫌そうであると言うことは間違いない。

 孔雀をふりふり、テレジアは眉間をもむ。

「何がどうだってんだ」
「……いや、ね」

 テレジア=話しかけられるのを待っていたかのように/愚痴をこぼす機会を待っていたかのように近くの椅子に腰を下ろした。

 プリス=頬杖を突きながら首を傾げる。

「BFFのような極端な中央集権構造の企業体と違い、大抵の企業がそれぞれのグループに分かれている事は知っているね? 我らGAグループは、グループを統合するGAアメリカ、GAヨーロッパ、有澤重工、MSACインターナショナル、クーガー、五つで構成された企業だ。
 ……私たちがGAヨーロッパ所属であることは知っていると思う。
 で、だね。私達GAヨーロッパ最大規模のハイダ工廠なんだが、……どうやらGAヨーロッパの上層はGAアメリカに内密でレイレナード社のコジマ粒子研究機関アクアビットと技術提携を結んでいた。……その技術提携で完成したGAヨーロッパ製の六脚戦車が、どうやらアクアビットを経由してレイレナード社の部隊に使用されたらしい」

 思わず目を剥くプリス。事情を聞けばそれが只事でないと理解できる。すなわちGAヨーロッパは密かに敵対勢力の一部と技術提携を結び、その結果生まれた新型兵器をレイレナード陣営に使用されたため、今現在GAアメリカに責任を追及されている真っ只中なのだろう。あるいはそれもレイレナードが仕組んだ内紛を誘発させる罠なのかも知れない。

「ハイダ工廠はGAでも異端と呼ばれる技術者が多くてね。……技術者としての彼らの気持ちは分かる。彼らはたぶん作れるものを作らずにはいられない性格なのだろう。自分達の研究が愛おしくて仕方が無かったのかもしれない……。それがGA全体の利益に繋がるかどうかはまだ不明だが……」

 呟きながらテレジア=ブリーフィングルームの画面を操作し電源を入れる。
 同時にディスプレイに展開される設計図らしき画像=プリスはその画面に口笛を吹いた。

 四脚の大型機動兵器/グレネードやガトリング砲などの各種迎撃火器の威容が目立つ/だがやはりもっとも目を引くのはその巨大な四脚でなければ到底支えきれないであろう巨大な目玉にも見える球体であった=コジマキャノンと説明文が記載されていることから予想できる。

 上部に超大型の主砲を積載した兵器=整波装置が機体周囲に充満させたプライマルアーマーのコジマ粒子を、砲身に取り込むことによって絶大な破壊力を得る新型兵装コジマキャノン。

 膨大な環境汚染と引き換えに、いかほどの戦禍と戦果と戦火をもたらすのか想像もつかない巨大兵器。

「名称『ソルディオス』。アクアビット社との提携で建造が予定されている超大型兵器だ。ハイダ工廠はコジマキャノンを製作できないが、それを支える基底部を作り上げる技術力があり、アクアビットはコジマキャノンを製作できるがその重量を支える基底部を作る技術力が無い。お互いの苦手分野をカバーする合作だね」
「機動性はなさそうだが、代わりに大出力のプライマルアーマーとコジマキャノン運用を想定した兵器か。まぁた脇が弱そうだな、オイ」

 プリス=小馬鹿にしたように鼻を鳴らし笑う。

 テレジア=苦笑を浮かべる。ネクストの戦術理論を研究する彼女にもプリスの懸念は理解できた。ソルディオスの欠点は、結局機動性能とその図体の大きさに尽きる。もちろん主眼はネクストとの戦闘ではなく、通常のノーマル戦力を相手取ることを目的としている。

 だが、ネクストと正対した時はその機動性能にどう対応するかが重要になるだろう。

 と、プリスはそろそろ彼女との会話に飽きたのか、貧乏ゆすりを始めながらテレジアを軽く睨む。

「……まぁ、内通がばれてGAEの偉いさんがアタフタしてんのは分かったさ。……だけどよ、アタクシにゃんなこと関係ねぇぞ? ……いつになったら出撃できる」
「ああ。……プリスをリンクスナンバー41にする手続きはあと少しで終わるね。……デビュー戦でぶつかる相手だ」

 そう呟きながらテレジアは端末を操作し、画像を切り替えた。
 ディスプレイに浮かぶ戦場は、砂漠=右端には敵機体の画像データが同時に表示。イクバール社のネクストをベースにした軽量型機体。

「……北アフリカで猛威を振るうマグリブ解放戦線の英雄、『砂漠の狼』アマジークを、アナトリアのネクスト傭兵と共同して撃破してくれというミッションだね」
「ネクスト傭兵?」
 
 聞きなれない単語にプリス=怪訝そうに聞き返す。
 傭兵=かつてレイヴンと呼称され、かつては国家間の戦争の行方すら左右したと言われる自由傭兵達だが、現在では企業の超兵器ネクストの暴威によって戦場から駆逐されていき、今現在では企業の子飼いか一部のコロニーの守備隊に吸収され、傭兵は今や過去形で語られる存在となったはずだが。

 そういうプリスの疑問を当然と感じたのだろう。

 テレジアはディスプレイを切り替えた。表示される画像は今回共同で作戦に参加するアナトリアのネクスト傭兵の機体。ローゼンタールのコアと頭部をベースに、各種企業体のパーツでもって組み立てられた継ぎ接ぎのネクストAC。

「……アナトリアはもともとネクスト技術を提唱したイェネルフェルト教授が居たコロニーでね。……ここは元々技術開発用にネクストを保有していた。……で彼らは経済的危機を打破するためにネクストを用いた傭兵業を始めたんだがね。AMS適正は低いにもかかわらずパイロットの技量が良いのか、これまでの作戦で極めて優秀な戦果を挙げている。
 名前と顔写真は……ああ、これか。ハウゴ=アンダーノアと言うそうだね…………プリス?」


 テレジアはそこでプリスの異常に気づいた。


 プリス=ナーはディスプレイに表示された男性の画像/名前を見た途端、まるで彼女自身が不可視の氷塊に氷付けにされたかのように静止していた。カタカタと椅子が震える。それが、全身から凄絶な暴の気を撒き散らし、訓練された軍人すらも怯むような武威を漲らせる彼女の体から発せられる震えであると知った。

 握り締められた拳は自分自身の握力に悲鳴を上げるかのように震え、歯は噛筋力でギリギリと軋むような異音を上げている。

 その様子に驚いたテレジアはプリスを正面から覗き込んだ。

 息を呑む=プリスの表情/唇は紛れも無い歓喜の笑みに歪みきり/真紅の瞳には轟々と闘志の炎を滾らせている/全身を武者震いに震わせている。

 紛れも無く喜んでいた。獰猛な肉食獣が食らうべき極上の獲物を見つけた姿を連想させるような雰囲気を纏い、プリスは喉から空気を搾り出すような静かな笑い声を漏らす=それは次第に含み笑いから、喜びを無理やり鎖で縛るような苦しげな笑い声に、最後にはその笑い声は喜びを抑えきれぬかのように爆発的歓喜を孕んだ哄笑へと移り変わっていく。

 仏頂面が基本であると思わせるぐらいに常に不機嫌そうな彼女がいったい何を思い、ここまで喜んでいるのか。

 テレジアは、アナトリアの傭兵の画像を見る。二十代後半の歴戦を思わせる男性、右目を失った隻眼の男。だが、別にプロフィール写真を見て馬鹿笑いできるような奇怪な面相をしているわけでもない。

 いったい何が、いったい何がプリスの心をここまで揺り動かしたのか。

 プリス=ナーは笑う。

 狂ったように/耐え切れないように/闘志を滾らせるように、両腕で己の身を掻き抱き、笑いながら叫んだ。

「はは、ハハハハハハ!! …………また会えて嬉しいぜ、ナインブレイカー……!!」




[3175] 幕間その3―『相手を選べる立場でもない』―
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/13 19:51
 ――セルゲイ=ボリスビッチの大学時代の論文から抜粋――
 

 人類とは殺し合いを本能とする種族である。

 かつて人は獣であったが、肥大化した脳髄とそれを支えるための直立した骨格を得ることによって他の種に比べて次元の違う知性を得た。

 そしてそれらの英知を駆使することによって人類は他の種を圧倒する力を得、大地を切り開き海に島を浮かべ天候を操作し、大昔ならば神の御業に例えられる事すら可能とした。人類は人類自身の種を脅かす存在を持たない霊長類の長と自らを自称するほどの力を得るに至った。

 だがそれでも人は動物のくびきから逃れることはできないでいる。
 人は増え続ける。人間を減らす天敵ともいうべき存在がいないのだから際限なく増え続ける一方である。だが、大地には限りがある。人々が際限なく増え続けるのと違い、大地が生み出す食料の数には限りがある。

 最初の時期はまだいいだろう。多少の節制を行えば苦しくとも増え続ける人口を支えることはできる。

 だが、人口が増え続け、食料が足りなくなり、大地が増え続ける人口を支えることができなくなればどうなるか。

 人類とは殺し合いを本能とする種族である。
 本能を磨耗させ、知性と理性を高めた者のそれは業なのか。
 増えすぎた鼠が種を存続させるために海にその身を投げるかのように、人類は自ら間引きを始める。

 戦争。または侵略。

 結局のところ、人類は天敵を失ったと前述したがそれは誤りである。
 人類の天敵とは人類自身であり、そして突出した科学力は結果、人類自らを百殺できる核熱兵器の山を得るという、種の自殺すら可能とする力をもたらしてしまった。

 人類とは殺し合いを本能とする種族である。



 ―――ふざけるな、と言うのが現在年齢三十八歳の彼、セルゲイが今を遡る事二十年前、大学で学んでいた若かりし日に行き着いた糞忌々しい結論に対する意見であった。

 確かに人類史において紛争地域を赤く塗るなら、一般的に平和と評されるどの時代でも赤色が飛び散った鮮血のように広がっているだろう。戦争、紛争、対立の示されていない奇跡のような純白の世界地図など存在しないと言っても過言ではない。

 だが、それは余りにも悲しい結論ではないか。人類は確かに本能として殺し合う動物でもあるが、本能を縛り付ける強靭な理性の鎖も、また同時に有している生き物だ。

 ヨーロッパ。
 かつての昔よりこの地方は様々な人種と国家と宗教が入り混じり、対立と対立と対立が火種となって戦争を幾度も続けていた。
 そのヨーロッパが雪地の如き純白の地図であった一時期がある。

 アメリカの発見だ。
 増え続ける人口を支える肥沃な大地、豊かな処女地、黄金を内包する山々。目を欲望の火に輝かせた彼らは先住民族を虐殺し、侵略を続けた。

 もちろん侵略と言う行為は本来許されない事であるが、この一時期、ヨーロッパは驚くほど静かだった。増え続ける人口を支える肥沃な大地を有していたがためである。もちろんアメリカが国家の形を取れば、それは新たな対立の火種となるが、それでも平和であった時期は確かに存在していた。

 若き日のセルゲイ=ボリスビッチが下した結論とは、人類が平穏を得られる、戦争を行う必要がない時期とは肥沃な大地を求める大開拓時代であり、すなわち全人類の恒久的平和を実現する最も必要不可欠なものとはありとあらゆる困難を制覇するフロンティアスピリッツであると言うものであった。



 そして地球を埋め尽くすほど増え続けた人類が目指す新たなフロンティアとは、もはや宇宙以外には存在しない。

 そうと決意するとセルゲイは、それまで学んでいた人類史学から一転し、一から宇宙に旅立つ手段――すなわちロケット工学を本格的に学び始めた。元より知能指数が180もあり、幼き日から神童の誉れが高かった彼はロケット工学においてメキメキと頭角を現していった。

 ロシア国営企業――当時はまだ国家が存在していた――『テクノクラート』から軍事兵器としてのロケットエンジン開発者として高額の給与をチラつかされたがセルゲイはこれを綺麗に蹴り飛ばし、民間企業に就職。そこで宇宙を目指しロケット開発に携わる事になる。

 宇宙開発の上でもっとも重要なものはペイロード。いかに安価に大量の荷物を宇宙へ打ち出す事が出来るかに掛かっている。若き日の情熱に燃えるセルゲイは努力に努力を重ね、そして宇宙空間に達する事の出来る船を作り上げた。宇宙へ羽ばたき、そして人類の恒久的平和をもたらすであろう大躍進時代を築く為、その土台となる宇宙船は見事に宇宙へと飛び立ち。



 爆発した。



 夢は砕かれた。

 乗員達数名を載せた宇宙船『バガモール』は原因不明の失散。生存者はゼロ。
 同時にセルゲイは全ての職を追われ、あらゆる民間企業からの再就職を拒絶され、ロケット技術者として社会的に抹殺され、最終的に『テクノクラート』に属する事になる。

 宇宙を愛していた。だが、夢を追う手段は全て断たれ、セルゲイはこの後の長い年月を、生きながら腐っていく日々を繰り返していく事になる。それ以降の人生はもはやただの消化作業と化し、その卓越した頭脳を封じる。企業の為に人殺しに関わる道具を作る気にはなれなかった。かつての天才は凡人に落ちたと揶揄されたが、それすらも気にならなかった。そんな失意の日々のうちに、ある疑問が胸中に沸く。


――『テクノクラート』が自分を得る為に何か宇宙船に対して細工を施したのではないか?――

 
 自分の夢を奪い、友人達の命を奪った爆発事故。

 ――だが、セルゲイは自分自身の設計に完璧な自負を誇っていた。少なくとも事故に会う要因など完璧に削りきったはずなのになぜ失敗したのか。何らかの悪意がそこに介在したのではないのか。 

 セルゲイは敵を探す。居るかどうかすら定かではない敵を探した。
 テクノクラートでAMS適正を認められ、ネクストAC<バガモール>を操るリンクスになったのも、一重に真実を知る為。真相に近づける立場に立つ為。全てを奪った存在を見つけ出し、復讐の刃を打ち込む為だけに生き続ける事になる。

 だが、ほとんど何も、見つけることは出来なかった。
 企業体によって隠された宙難事故の真相は虚偽のベールに覆われ、真相を知るには個人は余りに無力でしかない。

 そう、ほとんど。

 得た物など、たった一つの言葉だけだった。その言葉が何を意味するかも、何を指すのかもわからない。ただ、血を吐く思いで真実を探す日々を重ねるうちに、あの宙難事故に関わるひとつの単語を得ることに成功していた。








 

 その言葉は、『アサルト・セル』と言う。











 セルゲイ=ボリスビッチは、夢の形を取った思い出の海からゆっくりと目を覚ますと、周囲を見回した。

 角刈りのくすんだ金髪/百九十近くあるごつごつした体格/顎の周り、唇の上を覆う見事な髭/周囲を見回し、自分の五体が無事であることを確認する。

 どうやら生きてはいるらしい=アスピナのネクスト傭兵、<ホワイト・グリント>に撃墜された時はあわや、と思ったが。

「目を覚ましたようですね」
「……ここは、マグリブの拠点であるか?」

 頷く青年=背にライフルを掲げた武装ゲリラなのだろう。彼はセルゲイの横たわっていたベッドの傍の椅子に座ると、小さく頷く。

「ウルバーン=セグルと申します」
「我輩の名はセルゲイ=ボリスビッチである。……我輩は、敗れたのであるな」
「はい」

 ウルバーン=首肯し、水筒の水を差し出す。
 セルゲイはそれを受け取って飲み干した。眠りから目覚めた直後、喉が渇いていたのでやけに旨い。

「すまぬのである。支援に来ておきながら恥を晒す結果になってしまった」
「……いえ。仕方ありません」
 
 ゲルタ要塞の生存者からアスピナの傭兵の猛威は聞いている。ましてや精度の低いロケットを操るテクノクラートのネクストが対した評価を受けていない事も知っていた。もちろん言葉に出す必要もない=ウルバーンはすくっと立ち上がる。
 
「後で食事を持って来させます。……企業のオリジナルの方の口に合うかはわかりませんが我慢してください」
「心配無用である。……暑いな」
「ロシアに比べれば地球は大抵暑い場所ばかりですよ。空調を買う金などありませんし」 

 そう呟き、外に出てウルバーンは空を見上げた。
 珍しいことに砂嵐が、無い。

 この周辺において視界を奪い、大昔には旅人の方向感覚を奪い、そして今現在では微細な砂が銃器や兵器の隙間から入り込んで武器の精度を奪う砂漠特有の自然の猛威が無い事は、まるでこれから起こる両者の戦いに天が無粋な横槍を入れる事を妨げているかのようであった。

 ウルバーン=AC輸送用のトレーラーに横たわり乗せられた赤褐色のネクストAC<バルバロイ>を見上げる。

 要所の二つをアスピナの傭兵が駆る新型ネクストに壊滅させられたとはいえ、<バルバロイ>と英雄アマジークの存在がある限りマグリブ解放戦線の心が折れる事は無いだろう=もし、英雄アマジークが倒れたら?

 不吉な想像=自分の心に一瞬よぎった恐ろしい予想を振り払うようにウルバーンは首を振った。
 
「……どうした、ウル」
「やはり、護衛のノーマルは付けてもらえないのですね?」
「ネクストの戦闘に下手な取り巻きなどかえって不要だ。……それにもし撃墜され、脱出した際にコジマ被爆を受けたのでは笑い話にもならない」

 後ろから声をかけてくる相手=英雄アマジークの言葉にウルバーンは振り向いて、懇願とも諦観とも取れる言葉を呟く。

 アマジーク=微かに苦笑。彼の意思は理解している。だが当然彼の言葉を聞くつもりは無かった。銃を撃ち、銃に生き、銃に倒れる。武器を操る事は他者を殺める力を手にする意思を持つことであり、また殺められる事を覚悟する決意の表明でもある。それは戦う力を持ち戦場に立つ人間に平等に与えられる義務であり宿命だ。

 だからこそ武器を砕かれた人間が/闘争の意思を捨てた人間が=コジマ粒子などという無慈悲な毒物で殺傷される事はアマジークにとって至極馬鹿らしく、そんなものに命を奪われる人間がいることが我慢できない。

 アマジークの言葉にウルバーンは表情を悲しみで歪ませた。
 脳裏をよぎる数ヶ月前の光景=戦友同士が酌み交わした末期の杯。
 そして、出来うるならば未来永劫来るな来るなと思い続けていた日が来てしまった。


 マグリブ解放戦線の情報網に引っ掛った一つの連絡。


『イレギュラーネクスト<バルバロイ>を討つ為、アナトリアの傭兵が出撃した』


 予想は、出来る。GA社と敵対するレイレナード陣営の何処かからの情報なのだろう。同じく地球の資源を求めて経済戦争を繰り返す醜いろくでなし共だが、敵の敵は味方と言う言葉通り、こちらに利する情報を送ってきた訳だ。
 アマジーク=ふと、思い出したかのようにウルバーンを見やる。

「テクノクラートのリンクスはどうしている?」
「コクピットの中で気絶していたそうです。おかげでコジマ被爆する事も無かったようで。悪運の強い御仁です。先ほど目覚めました」

 そうか、と短くアマジークは頷くのみ。

 そのまま彼は梯子を駆け上がり、首の根元にある<バルバロイ>のコクピットハッチを開放する。輸送用トレーラーは<バルバロイ>のコクピットからも制御は可能だ。
 アマジーク=振り向いた。地平線の彼方まで広がる一面の砂漠。
 六年前、あの時、ハウゴ=アンダーノアとシーモック=ドリの両名を味方につけることが出来なければ、マウリシア撤退戦の最中にどこかで命を落としていただろう。
 その命を、戦友と戦うために使う。なんという皮肉な運命なのか。
 
「……ウル」
「はい」
「俺が死んでも敵討ちなど考える必要はない」

 その言葉で、彼の表情が強張るのを視界の端に収める/アマジークはコクピットの中に滑り込んだ。




 
 空中を飛行する輸送機の中でリンクスナンバー40、ジョシュア=オブライエンはゆっくりと意識を覚醒させた。
 イェルネフェルト教授の弟子の一人――アスピナ機関の最高クラスのAMS被検体。
 すらりとした鼻梁/平均的な体格/肩まで伸びた白い雪のような髪=毛先に黄金を孕んでいる/深い知性を湛える緑色の瞳/青年から中年への過渡期に差し掛かり、若人の血気と年輪を重ねた紳士的な雰囲気を併せ持つ、老成した空気を纏う落ち着いた印象の壮年の男性。

「……戦闘空域まで後小一時間か」
『……お、お、起きたですか、ジョシュア』

 バイタルを監視していたオペレーターの涼やかな――それでいてどこか卑屈な響きを持つ吃音気味の言葉にジョシュアは頷いた。頷いてからこの動作は相手に見えていない事を思い出した。

「ああ。……マーシュ、<ホワイト・グリント>の調子もいい。生き残れそうだ」
『そ、そ……ほ、褒めないでください……こ、怖い』

 アブ=マーシュ。アスピナ機関に属する年齢十六歳の優秀なアーキテクト(設計者)であり、また<ホワイト・グリント>のオペレーターも兼任している紛れもない天才。内向的/自罰的な困った性癖の人間だが、その能力は紛れもなく完璧だった。

 幼少の頃より吃音症に掛かっており、自分自身の喋り方を恥ずかしがって家で設計の勉学に没頭する=そのうちに大人達も瞠目する設計を行えるようになったのは彼女にとって果たして幸だったか不幸だったかのか。
 吃音症のオペレーターなど可笑しな話だ。もっともその言葉を本人の目の前で言ったら――首を吊ろうとする/手首を切ろうとする/部屋の隅で背中を向けて念仏を唱える――ので決して口にはしない。おかげでジョシュアは発言の前に言葉を吟味する癖が付いてしまった。


『……そ、それより、だだだ、大丈夫で、すか……。相手は……せ、精強を以って鳴る……あ、アナトリアの傭兵、です……』
「強い事は判る。だが、相手を選べる立場でも無い」

 アナトリア。
 ジョシュアにとってそれは思い出深い名前だ。かつて以前イェルネフェルト教授の元で学んだ時期が懐かしい。アナトリアの傭兵を撃破すれば、あのコロニーは餓死するのだろう。だが、ジョシュアもまた生まれ育った故郷を見捨てる事など出来なかった。

 迷いが無いとは言わない。だがそれは行動にはなんら影響を及ぼさないだろう。心に迷いはあったとしても、引き金を絞れば銃弾はまっすぐ飛んで命を奪う。絞れるだろうか、引き金を。
 

 その瞬間だった。
 轟音/爆音/破壊に伴う劇的な衝撃が機体を揺らした。激しい震動に<ホワイト・グリント>ごと操縦席が揺れるのを感じる。
 

「……どうした」
『ひ、ひぇぇぇ、こ、攻撃です。……輸送機の右主翼が大破しました。大破パターンから大口径砲弾の直撃を受けたようです。……平行を保てません、墜落します。こ、こわいぃぃぃ……』
「戦闘空域には通常推力で向かうしかないか。……コジマ汚染を無意味に撒き散らさせてくれる。 <ホワイト・グリント>緊急起動開始……!!」

 脊椎のジャックに人工光速神経を接続=人機一体。
 高いAMS適正を誇るジョシュアは機械と精神を繋ぐ行為にもまったく負荷を感じることがない。己の腕の感覚と、機体の腕の感覚が直結=その違和感をまるで感じぬままジョシュアは<ホワイト・グリント>のジェネレーターをイグニション。起動と同時に吐き出されるコジマ粒子を整波装置がプライマルアーマーへと形成を開始する。

『……コココ、コジマ粒子反応を検出、……この反応、ネクストです!! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!』
「足止めに虎の子を使うか、GA」


<ホワイト・グリント>はハッチを手動開放=徐々に陽光の元、その純白の機体が姿を現した。

 ネクストAC<ホワイト・グリント>。
 頭部=カメラ保護機能を初めとする各種実験的機構を組み込んだ新型/空中戦闘と高機動継続性能に重点に置いた推力機関/タフな機体を構築するジェネレーター系列/その純白の機体は戦闘力と機能美を両立させた偶像を思わせるワンオフの特製ネクストAC/右腕武装=BFF製高精度ライフル/左腕武装=BFF製突撃ライフル/背部武装=否、そのハードポイントの位置は背部武装というよりもむしろ両肩兵装の部位に当たる/設計上の都合=小型ミサイル×8に分裂する多弾頭ミサイルランチャー×2=高機動力型中量級二脚ネクスト。

 アスピナのネクスト機体<ホワイト・グリント>は輸送機を撃墜した敵をレーダー補足。

『ネネ、ネクストを足止めに使うなんて……じ、GAは本気でマグリブを潰す気ですぅぅ……』
「……先の作戦でゲルタ要塞と旧エレトレイア城砦を陥落させた我らが言える義理ではないがな。オーバードブースト、レディ……!」

<ホワイト・グリント>後背の大型推力器が露わになり展開する=エネルギー圧縮。

 同時に両肩、下部がスライドし一直線に連なる=全装甲カバー開放され、肩部内臓式追加ブースターユニット展開、オーバードブースターモードへ変形を開始する異端のネクスト機体。

 主推進ブースター×2+肩部内臓式補助ブースター×7×2+コアブロックサイドブースター×6×2=総計28門のブースターユニットが光炎を吹き上げ猛烈な勢いで加速=戦場にあり、戦う為の道具としてはありえざることに、その吹き上げる推進炎は光の翼のように広がり、美しくすらあった。

 両者の間にあった膨大な距離を一気に詰める<ホワイト・グリント>。その進行上に仁王立つ敵重量級二脚ネクストをカメラアイで画像認識=補足。

 角ばった印象の赤褐色の機体/実弾防御力を極限まで高めた重装甲二脚タイプ/右肩=直進性に優れた高速ミサイル/左肩=誘導性能に優れた低速ミサイル/両腕=AMS適正の低い人間でも扱える精神負荷の少ない武装一体型腕部=巨大砲弾を発射するバズーカアーム/ネクスト技術に置いて他企業の後塵を拝すGAの焦りを示すと言われ、粗製と揶揄される急造リンクス=ネクストAC<フィードバック>、リンクスナンバー36=ローディー。

『……まぁ、そうだな。そうでなくては。
 航空機の腹の中でくたばる間抜けでも困る。しかし見たことのない構成部品だ、アスピナの特殊タイプか』
「GAめ、贅沢な戦力の使い方をする」

 相手の重く響く声。ジョシュアは目を細め、思考=相手は重装甲型ネクスト。もちろん敗れはしないが、しかし相手の装甲を削りきるには弾薬の数が居る。本命がアナトリアの傭兵<アイムラスト>である以上、余計に弾数を食うことは避けたい。

『こういう機会を待っていたぞ。任務内容は足止めだが、別に墜としても構わんしな。……誰も彼も私の事を粗製扱いするが、ネクストを墜とせばそんな不愉快な雑音も消えて無くなる。……踏み台になれ、アスピナの傭兵!!』
「生憎だが、貴様と本気で撃ち合う気は無い。適当に流させてもらおう」
『さ、作戦開始予定まで後二十分程度、わ、私の<ホワイト・グリント>、て、て、丁寧に扱って下さい……』
「……善処する」

 システム、戦闘モードへ/FCS=カーソル表示/各種推力機関=エネルギー、潤沢に供給/兵装を両腕のライフルに選択=画面右上に作戦開始予定時刻が表示される。

 目的の戦場へ急がなければ、ジョシュアは戦闘行動を開始する。




[3175] 第十三話『仲良く殺ろうぜ』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/17 10:20
 砂漠の只中に 幾つも塔のようにビルが立ち尽くしていた。
 かつての北アフリカと南アフリカが対立していた国家解体戦争以前、このあたり一体は北方の首都に当たる場所だったらしい。だが今では打ち捨てられ、不毛の地に成り果てて久しかった。

 ハウゴ、<アイムラスト>の生命保護機能類の最低限のシステムを残して機体を待機状態にし、ビルの陰に膝を付かせている。

「……こういう形で決着はつけたくなかったが」

 呟きつつ作戦概要を思い出すハウゴ。
『砂漠の狼』アマジーク、そして彼の駆るイレギュラーネクスト<バルバロイ>は企業所属のオリジナルと比べてもその戦闘力は遜色ない=まともに戦うにはあまりにもリスクの大きい相手。

 故に、策。

 軽量級のネクスト<バルバロイ>は圧倒的な高機動能力を保有する=言い換えればその装甲自体は脆弱である。

 作戦概要は、陸送中の<バルバロイ>を起動前に強襲/プライマルアーマー展開前に積載する全火力を一気に叩きつけ撃破、もしくは可能な限り損傷を与えて起動した相手との以後の戦闘を優位に運ぶ/それが提示されたミッションプランだった。
 不満がないとは言わない。
 ハウゴがその両肩に背負うものが何もなければ、大昔の命よりも名を惜しむ武人のように一対一でも何でも仕掛ければ良い。だが、今ハウゴはアナトリアの運命を双肩に背負っている。彼の敗北はアナトリアの枯死という結果を招くのだから、戦いに勝つためには卑劣とすら思える手段を取る必要もある。

『目標、作戦エリアに侵入』
「……了解」

 火を落とし、待機状態にある<アイムラスト>は相手の動体レーダーにも光学捕捉にも熱源ロックにも作用しない。
 相手を近距離まで引き摺り込んでから仕留める。
 相手に行動させない事を考えるならば、オーバードブーストで目標に急速に接近し、起動しようとする<バルバロイ>のコクピットにダガーブレードを叩き込めばそれで決着が付く=だが、両腕の武装をライフルに切り替えたのは自分が彼との真っ当な勝負を望んでいる事の心の現われではないのだろうか。

 ハウゴ――我ながら傭兵らしからぬ思考だと自虐的に笑いながら待ち伏せる。
 待ち伏せなんてのは鴉より狼の方が得意の筈なんだが、オペレーターのフィオナの合図を、手のひらに汗が滲むのを感じながら待つ。動悸が徐々に早くなっていく。舌先の乾きを覚えながら機体の主電源スイッチに指を押し当て待ち伏せるハウゴ。
 一秒が千倍に拡大されたかのような感覚――刹那、フィオナの悲鳴に似た叫び声が通信機から聞こえた。

『そんな?! ……敵ネクスト<バルバロイ>すでに起動しています!!』
「! ……了解!!」
『……お願い、生き残って!』
「言われなくとも!」

 奇襲が見抜かれていたのか/相手の索敵はこちらの隠蔽を見破るほど強力だったのか/どこかから情報が漏れたのか=誰もが疑問と狼狽から心理的動揺から立ち直るのに時間を要するものだが、ハウゴはそういう無為な思考にニューロンを一ミクロンも働かせなかった。失敗した作戦に拘るつもりは無い。

 即座に<アイムラスト>のジェネレーターを稼動させ、生成されるKP粒子を整波装置が機体を鎧う防護幕へと形成する。<アイムラスト>のジェネレーターはGAの最重量級。その強力なエネルギーは高速戦闘の要であるクイックブーストを稼動させる回数を大幅に上昇させるが、その代わりにコジマ粒子の生成能力は世辞にも高いとは言えない。プライマルアーマー形成にも幾らかの時間が掛かる。

 ――敵機接近警報。

 ハウゴ――痛烈に舌打ちを一発、同時に急げ急げ急げ、と、プライマルアーマー形成状況を示すディスプレイを親指で小突き続ける。システムを戦闘モードへ、接近しつつある攻撃目標をカメラアイが光学捕捉。同時にアーマー形成完了を示すブザー=操縦桿を握り、ブレーキと後方への後退推力を兼任するバックブーストペダルを蹴った。

 敵イレギュラーネクスト<バルバロイ>は、その驚くべき機動性を見せ付けるかのように空中に跳躍。

 その相手と中距離を保とうとするように<アイムラスト>は全速で後退。
<バルバロイ>着地=だがそこからすぐに戦闘機動を行わず、何故か直立したまま微動だにしない。
 ハウゴ――相手の意図を戦士としての本能で理解=通信を開く。

「……よお、前は六年ぶりで今度は数ヶ月ぶり。えらく差が出たなぁ」
『そうだな。前は酒場で今回は戦場。……我ららしい再会と言えばそうかもしれん』

 多分、これが最後の会話。

 この会話を終わらせ、戦いが始まれば自動的に生き残るのはたった一命。
 かすかな寂しさ/だが、それと同時に胸の奥底に確かに広がりつつある凶暴な熱=それは殺意と呼ぶにはあまりも静かであり、友情と呼ぶにはあまりにも厳しすぎる。<アイムラスト>、銃器を構える。<バルバロイ>、応えるように銃器を構える。
 
「……今だから言うとだな、アマジーク。前会った時にお前と戦いたくないって言ってたが、実はありゃ嘘なんだわ」
『……奇遇だな、俺もだ』

 自然と唇が笑みの形にゆがむ。
 ハウゴは不可解な感情に支配されながら笑った。自分は戦友を失う/もしくは自分自身の生命を失う=にも関わらず胸の奥底に広がる闘志と、紛れもない歓喜に/己の全力を駆使する事の出来るという、どこか歪んだ喜びに突き動かされる。

「実はな、いつかお前とやってみたいと思っていた」
『……俺もな、貴様と戦ってみたいと思っていた』

 それは戦士の宿業なのか。
 殺しの技を極め、そして同じく殺しの技を極めた友人と殺しあう。それをハウゴは繰り返してきた。ロスヴァイゼ/ストラング/アップルボーイ/アレス――数多くを殺し、数多くを看取り、殺しの螺旋を生き残った。

 自分は何処に行くのだろう。敵を殺し友人を殺し全てを殺して最後の一人(ラストレイヴン)になり、そして自分は一体何処に行けばいい? 戦いの果てには例え生きていても一人ぼっちになるのではないか? そう考えると、ハウゴは寂しさのあまり一瞬喉を掻き毟り、泣きながら悲鳴を上げたくなる衝動に駆られた。

 だが、衝動は一瞬。胸の奥底を熱く突き上げる麻薬に似た思いに従ってハウゴは笑う。

「じゃ、似たもの同士……」
『……ああ』

 ロックオンシーカーオープン。<アイムラスト>のカメラアイが<バルバロイ>を捕捉。同時にロックオン警告、同様に相手もこちらを照準した。操縦桿を握る手に力を込め、ハウゴ/アマジークは獰猛に笑う。
 
「仲良く殺ろうぜ……」
『……ああ、仲良く殺ろう……』

 この強敵を倒せるならば明日などいらぬと言わんばかりに、二人は本能に従った。





 運動性能を決定する性能指数とは、いわゆる推力重量比である。
 ブースターユニットが吐き出す推力と、機体自身の自重が運動性能を決定付ける。
 単純に言えば、非常に軽い軽量機体と、凄まじい推力を吐き出す推進機器が揃えば最高の運動性能を有するということになる。
 もちろん推力が優れているだけではまるで意味がない。優れた移動物と優れた兵器は別のものだ。そこから更に防弾性能/エネルギー回復力/積載武装などを突き詰めていくことになる。

 原理的に言うならば軽量機体が軽快な動き/機動力を有するのは自重が軽く、推進器に対する負担が少なくて済むからだ。もちろん推力器のパワーを底上げすることによって重量機でもそれなりの運動性能を有することは可能である。
 ただし、高い推力を有するという事は、逆に言えば高いエネルギーを要求すると言う事であり、推力器を強力にすればするほど今度は持久力が低くなると言う事態に陥るのだ。
 あちらを立てればこちらが立たないのがアーマードコアであり、その突出させた性能の中で自分なりの戦術を組み立てるのがアセンブリの基本となる。



 手ごわい。
 ジョシュア=オブライエンが実際に交えてみて感じた印象はその一言に尽きる。

『上手い動きだが……そんな腰の引けたマニューバで何が出来る!!』
「……これの何処が粗製だ……!」

 敵ネクスト<フィードバック>のバズーカ砲弾――至極単純明快な物理的破壊力=高脅威/その先端が<ホワイト・グリント>を睨み、機動に追従して来る様は背筋に氷塊を滑り込ませるかのような凄まじい威圧感を持つ。

 確かに高いレベルのAMS適正を持ち、<ホワイト・グリント>を手足の如く扱えるジョシュアから見れば機体制御に甘い点がところどころ見受けられる。アスピナ機関であれば失敗作の烙印を押されて見向きもされないはず――だが、そういう相手にジョシュアは苦戦を強いられている。

 AMS適正は低い、それに機体も重量級であり機動性能はむしろ劣悪な部類であるが、しかしそれを補って余りあるぐらいに単純に『上手い』のだ。

 距離を離し、積載する武装の中で最高の威力と追尾性能を持つ多弾頭ミサイルの使用を狙えば的確なオーバードブーストにより乱戦に持ち込まれる。長槍を思わせる高速ミサイルが<ホワイト・グリント>めがけて一直線に追撃し、敵の低い旋回性能に付け入り相手の射角を避けて横歩行からの銃撃で圧倒しようとしても、プライマルアーマーと元来持つ重装甲に阻まれ致命傷には至らない。まごつけば相手の低速の高角度旋回ミサイルが蛭のように回避機動に食いついて来、時には被弾を覚悟し、バズーカの必中距離へ弾雨の中にも臆することなく突撃を仕掛けてくる――AMS適正が低い人間なりに/才能が無いなりに戦う手段を編み出していた。

 致命弾はすべて避けている。

 だが、この戦闘にはジョシュアは勝利しても得るものなど何もないのだ。
 敵リンクスのローディーは自分に付きまとう侮蔑の言葉をすべて叩き潰すため、己に向けられる嘲笑全てに対する怨念をぶつけるかのような刃の如き一直線――充溢した殺意を漲らせるような狂猛な機動を仕掛けてくる。それに対しジョシュアは全力を振り絞る事が出来ないでいる。

 この作戦で勝つ事に全力を注ぐローディーと、次の戦いに備えて戦力を温存したいジョシュアとではその戦いに賭ける意気込みに差が出るのは当然――それがジョシュアが苦戦する理由の一因でもあった。

『ああうううぅぅ……依頼主より入電、<バルバロイ>と<アイムラスト>が交戦(エンゲージ)、ななな、なんてことおぅぅぅぅ……』
「出来るなら二対一で確実に仕掛けたかったが……!」

 マーシュからの連絡に臍を噛む思いのジョシュア。予想されていた時間より交戦が早い――下手をすれば一対一が二回になってしまう。

 ジョシュア――腹を決める。このまま戦いを続けたところでジリ貧であり、以降の戦いを考えるならば早い時点で勝負に出るべきだった。<ホワイト・グリント>、左右への移動を中止=真っ向から打って出る。

『?! ……死ぬ気……でも無さそうだ』
『ジョ、ジョシュア止めてくださいぃぃ……バズーカを浴びれば幾らホワイトグリントでも傷が付きますぅぅ……』

 ローディーは驚愕の呟きを漏らしながらも相手が勝負に出たことを悟り、迎え撃つように両腕のバズーカアームを槍のように構え突撃。
 アブ=マーシュは自分の生み出した機体に傷一つ入る事すら嫌いな偏狭質的な性癖を剥きだしにして思わず本音を漏らす。実際は直撃すれば傷どころか大穴が開きそうな気分であるのだが。

 突撃する両名。

 共に必中の距離へと到達する寸前――<ホワイト・グリント>突撃ライフルを構える=だがその銃口が睨む先は敵ネクスト<フィードバック>ではなく、砂漠の大地へ向けられている。
 速射――マズルフラッシュの瞬きと共に近距離で威力を発射するライフルの弾丸が正確に三正射。

『FCSが死んだか? ……いや!!』

 見当外れの方向に発射された弾丸は地面に着弾=弾体が持つ運動エネルギーが砂漠に命中――その勢いに弾かれ砂が爆薬でも仕掛けられていたかのように四方へ弾け飛んだ。

『目潰しのだろうが……!』

 ローディー=驚きながらもそれが所詮悪あがきの類である事を見抜く。
 最新鋭機であるネクストは例え光学ロックオンが不可能だったとしても高性能のFCSが即座にシステムを自動で切り替える。

 光学ロックオンからシステムを熱源追尾に自動切換え――再度ロックオン完了。砂の瀑布に姿を隠しながら空中へ移動していた相手に対してローディーは引き金を絞る指に力を込めようとする。こちらの目を誤魔化し空中に逃げる為の数秒を稼ぐ事に成功した相手の機転には素直に感心する。だが、この至近距離からバズーカ砲弾を避けることは出来まい。

 必殺の確信を得たローディーは――そこで空中に飛ぶ<ホワイトグリント>の体勢を見、瞠目する。
 まるで蹴り足を突き出し、飛び蹴りを叩き込むと言わんばかりに、自分自身の肉体を一本の槍と見立てるように。

『貴様、その動きは?!』
「機体関節各部ロック完了! ……エレメンタリーからアスピナに流れたその動き、使わせてもらうぞ、アナトリアの傭兵!!」

<ホワイト・グリント>クイックブースター起動=瞬間的に音速突破し、如何なる場所をも踏破するために作り上げられた足という移動手段を物理的破壊兵器へ転用する――機動兵器による肉弾戦/飛び蹴りとしか形容しようが無い一撃。その真横を<フィードバック>のバズーカ砲弾が風を抉って吹きぬける。

 かつて<アイムラスト>を稼働させる際、ハウゴが見せた常識外れの動き――命名『必殺! ネクストキック!!』
 相手がまさか離脱ではなく攻撃を狙っていたと判断できなかったローディー=<フィードバック>はその頭部の統合制御体に一撃を叩き込まれる。途端<フィードバック>のディスプレイにエラーが乱立=同時に頭部メインカメラに裂傷/光学ロックオンシステムに甚大な被害。頭部は大破まではいかない=ノーマルとは次元の違う強度装甲――だがそれでも打ち込まれた衝撃は壮絶。

『……クソ、メインカメラが半分死ぬか……此処までだな……』
 
 敵機捕捉機構に異常/統合制御体に損傷=システムをバックアップモードに切り替え最低限の移動能力を確保し、損害を受けたことで増加したAMS負荷による頭痛に眉を顰めながらローディーは<フィードバック>を後退させる。

『ててて、敵ネクスト、後退します』
「……追撃の必要は無い、このまま戦闘領域へ移動開始」

 ジョシュア――その後ろ姿を見送りながらオーバードブースターをスイッチ。
 再び、新たな戦場をめがけ推進炎の翼を広げる=加速/戦域を離脱。 
 
 
 



 
 熾烈ッ――――――――――壮烈ッッッ――――――――――――――――――――――――痛烈ッッッッ――――――――――――――――――――酷烈ッッッッッッ――――――――――――――――――――激烈ッッッッッッッッ――――――――――――――――――――――苛烈ッッッッッッッッッッ……!――――――――――――――――――――強烈ッッッッッッッッッッ…………!!――――――――――――――




 それは桁外れの速度と火力を併せ持つ、一秒ごとに加熱し続けるかのような激しい死闘を繰り広げる、圧倒的大多数を凌駕する絶対的な質を有した人類最強戦力同士のぶつかり合い。

 その異常なまでの機動戦舞に迂闊に近づくものがあれば両者即座に相対するを止め、無粋な第三者に対し戮殺の意志を露わにすると思えるほどに、全く他に対して目を向けてはいなかった。

 砂漠の狼アマジーク。アナトリアの傭兵ハウゴ=アンダーノア。
 両名ともリンクスの中でも恐らく最高位に位置する技量の持ち主であり/だが、その戦いを鑑賞するものは少なくとも今はまだ居ない。


 お互いに至高の強敵と認めた敵手。
 両名とも――――相手機動に追従し/凌駕しようとし/死角を取ろうとし/死角を取られまいとする。


『活動限界、半分を突破!』

 被弾/衝撃。ハウゴ――フィオナの恐怖の色をまじえたその言葉に、『いつの間にそんなに喰らったか』と驚く。そう考えながら武装を選択。

<アイムラスト>、肩部兵装のミサイルランチャー、カバーを解放、弾頭を展開。<バルバロイ>を追いかける為のロックオンに必要とする時間は一刹那=ロック完了のサインと共に指を離す/相手目掛けて噴煙の尾を引きながらミサイルが吐き出される×18。

 飽和攻撃(サチュレーションアタック)、相手の回避スペースを膨大な弾数で踏み潰し、相手の迎撃能力を数で押しつぶす戦法。まるで獲物を噛み砕かんとするピラニアの群――だが<バルバロイ>の可能とする運動/加速性能は従来の回避セオリーを軽々と飛び越える。

『オーバードブースト、レディ……!』

<バルバロイ>至近距離ならば最高クラスの破壊力を誇る、十六発の散弾をばら撒くショットガンを前に構え、同時にオーバードブースターをスイッチ――自らミサイル弾幕の網に飛び込む形。

 背部装甲カバー解放――圧縮された膨大なエネルギーによる爆発的推力が<バルバロイ>を瞬時に音速の域へと機体を押し上げる/同時にショットガンが吼えた=吐き出される十六の弾丸は音速域へと加速した機体から射出されたが故に通常よりも強力な慣性エネルギーの加護を帯びてミサイルを引き千切る。
 四散したミサイルの破片が周辺のミサイルを巻き添えにして爆発――ミサイル誤誘爆(ブラザーキル)。

 その爆発の高熱帯をプライマルアーマーで突破し、<バルバロイ>そのまま直進。遠距離射撃戦の距離から一気に近距離射撃戦に移動。回避機動と前進機動の一体化した動き――砂漠の狼と仇名される理由を示すかのような相手の喉笛に噛み付きにかかる攻撃的移動だった。

 対するハウゴの対応も迅速を極める。

 ミサイル正射後、<バルバロイ>のオーバードブーストのエネルギー圧縮を視認した時点で武装をミサイルからライフルに切り替え相手の突撃をやり過ごす闘牛士のように横方向への回避機動。
 両者、射撃距離に接近。
<バルバロイ>の突撃ライフルが火を噴き、吐き出された弾丸は<アイムラスト>に迫る=だがハウゴはマズルファイアの炎を視認すると同時にAMSを通じて逆方向へのクイックブーストでこれを回避。だが、<バルバロイ>の銃口は軽量級ならではの軽快な腕部運動性能を生かし相手の回避機動に追従する。

<バルバロイ>、突撃ライフル/ショットガン発射。
<アイムラスト>、高精度ライフル/突撃ライフル発射。

 両機とも機体周囲に形成するプライマルアーマーが敵の弾丸の威力を減衰させる/だが、お互いにプライマルアーマー貫通性能を追求した点の突破力に優れる、ネクスト級の機体が発射するライフル弾は防御力場を貫きその下の地肌、装甲に着弾した。
 ステータス表示にまた赤色が追加され――戦闘限界がゆっくりと近づいている事を告げる。

「くそっ……」
 
 ハウゴ――激しい衝撃に怒りの声。相手のショットガンの数発の直撃を浴びた=本来ならば相手の攻撃による衝撃は高性能なパイロット保護機能とショックアブソーバーが相殺する所だが、今の一撃はハウゴにも感じられた。度重なる死闘でプライマルアーマーの展開率が四割を切っている。
 だが、それは相手も同様であった。一撃撃たれはしたがそれでも<アイムラスト>は相手を撃ち返している。無傷ではない=お互い互角。
 
『……悪いが、まだ死ねんのだ』
「お互い様だろうが、そんなこと……!」

<バルバロイ>脚部屈伸=跳躍準備動作。
 得意の三次元機動とそれに絡めた頭上からのトップアタック。ハウゴ――相手に頭を取られぬように<アイムラスト>脚部屈伸=跳躍準備動作。

 両機、共に飛翔。
 
 一転し、空中戦へ両機は戦場を移す。
 どちらも両腕に持つ火砲に火を噴かせ、相手の機動を回避しながら射撃を繰り返す。
 被弾/回避――両名とも背筋を冷たく濡らす感覚を感じる。

『消えろ、消えろ、消えろ』

 抑揚の無いアマジークの声――機体性能を極限まで引き出すための精神負荷によるものか、まったく感情の揺れが感じられない。
 通常よりもエネルギー消耗の激しい空中戦――だが、ハウゴはその状況で冷静に戦況を見極めようとしている。

<アイムラスト>が搭載するジェレネーターは他の追随を許さぬ強力なエネルギー回復力を誇る。それに対して<バルバロイ>は軽量級機体。瞬発力では<アイムラスト>に勝ちは無いが、持久力では上回っている。そしてトン単位の機体を空中に押し上げながら、膨大なエネルギーを消耗させるクイックブースターを使用し続ければいずれ限界が来る。

 被弾の恐怖を勝利への算段で必死に押し殺しながらハウゴは銃撃を続ける。
 次の瞬間だった――<バルバロイ>は空中への空対空戦から先に脱落するように地上へ落下する。ジェネレーターに限界が来た、そう判断したハウゴは<アイムラスト>積載武装の中でも最大の威力を誇るハイレーザーキャノンを展開。頭上からの攻撃で回避機動に限界の来た<バルバロイ>に狙いを付けようとし――。

「ちっ?! うまい手を……!!」

<バルバロイ>の機影が、乱立するビルのひとつの陰に隠れるのを見る。
 即座に<アイムラスト>の統合制御体はロックオンシステムを熱源追尾に切り替え、ビルの壁向こうに隠れた相手を再度補足。

「だが、隠れたなら壁ごと……!!」

 ハイレーザーキャノンのガントリガーを引く=同時に膨大な電力によって形成された超高熱の光の巨槍がビルの外壁を溶解させ/貫通し/壁ごとぶち抜く。同時に倒壊するビル/瓦礫が砂埃を吹き上げセンサーに悪影響=レーダーを確認するがマスキングされて役に立たない。瞬間脊椎に炸裂する生存本能――反射的に機体を全力で後退。

 その直後横方向から放たれた散布型ミサイルが爆炎を撒き散らす。そのうちの一発が着弾=振動。

『……二秒、三秒……よし、生き返った!』

 視界を奪いながら横方向へ回り込んでいたのだろう――<バルバロイ>唯一の背部武装である散布型ミサイルランチャーのカバーを閉鎖し、再び射撃戦の距離へ。

 ハウゴ――機体を後退。敵をロストした二秒三秒で<バルバロイ>のエネルギー総量はすでに完全に回復している。
 地形を把握し、建物を遮蔽に取る。単純に早いだけではない相手であることを改めて実感するハウゴ。
<アイムラスト>後退、<バルバロイ>前進。
 ショットガンが不味い、ハウゴは思う。
 至近距離において最高クラスの瞬間火力を誇るショットガンは熟達した戦士であるアマジークが使えば必殺となる。相手の集弾率が低下する中距離戦を挑みたいところだが相手もそれを理解しているのだろう、<アイムラスト>の後退に対して追従してくる。
 
「だが、アマジーク……!」

 ハウゴ――周囲の地形を見回し後方へ跳躍。<バルバロイ>も前方へのクイックブースターで間合いを詰め、ショットガンの間合いへ踏み込もうとする。<アイムラスト>それに対して後方へのクイックブーストによる後退。
 
『ダメだ、それでは』

<アイムラスト>はそれでもショットガンの致命的殺傷領域からは逃げ切ることができない。相手の無駄な努力を嘆くような平坦な言葉だが、次の<アイムラスト>の行動にアマジークは目を剥く。

 右腕に装備していたライフルのホールドを解除――同時に右腕を振り上げ、ライフルを放物線状に後ろへ投げ捨てる=自機の位置から右斜め後方へ投擲。同時に腕部で銃器を補綴していた<アイムラスト>は、その空いた右腕を横に伸ばした――そこに在る乱立する砂に埋もれたビルの壁を引っかき、そしてビル内部の角の支柱を掴む。

『……なにっ!!』
「忍法直角飛びだ、覚えときな……!!』

 支柱を握ることによって強烈極まるコーナーリングフォース発生――後方への推力のベクトルを右斜め後方へ直角的跳躍へと変化させる。
 同時に頭上に影――放物線を描いて空中から落下してきたライフルを再び右腕が補綴――銃器と統合制御体=電子的結合。ライフルをFCSに取り込む。過去の自分から未来の自分への精密なバックパス――同時に<アイムラスト>は<バルバロイ>の横方向、絶好の射撃位置を取る。
 ロックオン=最大の勝機到来。

『理に適った動きの中に一点奇を潜ませる……相変わらず読み難い動きだ……!』
「殺るぞ、アマジーク!!」
『……この反応、いけない、逃げて!」

 ガントリガーを絞り、鴉と狼の勝負に決着を付けようとしたハウゴ――フィオナの声と共に突然のミサイル警告。
 どこからだ、と疑問の声を上げる暇も無い。衝撃/轟音/一気に機体ステータスにレッドサインが増殖する。

『こちら、<ホワイト・グリント>』

 冷静な、どこか落ち着いた響きの声――レーダーに閃くIFF(敵味方識別装置)が敵勢表示を示す。
 
『これより貴機を援護する』
『……企業の雇われ犬か』

 アマジークの声=どこまでも苦々しい。かつての戦友との決着――願わくば一対一、公正な状況で雌雄を決したかった。そんな戦士としての本能を黙らせ/マグリブ解放戦線の英雄として必ず生き残らなければならない立場であることを自らに言い聞かせる。
 
『……了解した。……悪いな』
「……奇襲を狙った相手に掛ける言葉じゃねぇな」

 ハウゴ――声は陽気/だが心臓は死神の足音を感じたのか、早鐘のように波打つ。限界に近い機体/目の前には比類なき強敵の戦友/無傷のままの新手の敵。白い新手のネクスト<ホワイト・グリント>はミサイルランチャーでの遠距離射撃から高速機動を行いつつ接近=両腕のライフルから苛烈な銃撃を加えてくる。
 それに応射しつつ、同時に<アイムラスト>の腕部に構える銃器の弾数が限界に近づいている事を確認。

「……切れ切れついでに人生の幕切れってか?」

 死に瀕してなお軽口――笑いながらそれでも一縷の希望にすがり、<アイムラスト>を戦闘機動へ。




『す、凄い敵です……』

 アブ=マーシュの言葉にジョシュアは心底同意する。
 攻撃目標<アイムラスト>は今や死神に片足を掴まれた状態にあった。装甲も限界に近いのか各部から火花を散らしていた。機体の耐久力よりもまず先に心が折れるような絶望的な状況であるにも関わらず/二対一にも関わらずその動きは一秒ごとにキレを増し、進化していくかのようだった。

 一対一ならば恐らく確実に敗れていたであろう相手=否、今もなお<アイムラスト>が背部に積載するハイレーザーキャノンは健在、あの相手はまだなお勝利を諦めず、こちらに必殺の一撃を打ち込む機会を淡々と狙い続けている。なんという精神力、なんという闘志。圧倒的優位な立場であるはずのジョシュアだが、心理的な余裕など一片も感じる暇がない。
 高機動を行い迫る二機のネクスト<バルバロイ>と<ホワイト・グリント>に対して<アイムラスト>は直も隙を見せない。両腕に構えたライフルをそれぞれに振り分け、まだ反撃を行ってくる。

 だが――それも時間の問題でしかない。ジョシュアは冷静に算段を付ける。
<アイムラスト>、<ホワイト・グリント>に向けた左腕の突撃ライフルを破棄、同時にハイレーザーキャノンを展開する。

「弾切れか、付け入らせてもらう……!!」

<アイムラスト>のライフルの弾装が遂に尽きたのだろう、マグチェンジもせず投棄したライフルの変わりにハイレーザーキャノンがその威容をあらわにするが、所詮は隙の多い単発兵器。一撃を回避すれば後はリロードが終わるまで攻撃を加える事ができる。
 勝った、ジョシュアがそう思うのは至極当然の帰結であり。
 次に聞こえてくるアブ=マーシュの言葉にジョシュアは息を呑んだ。

『……うぇ、ジョ、ジョシュア……高速で戦闘空域に接近する機体を確認、ネネネ、ネクストです……!!』
 
 ハウゴの勝利で終りかけた勝負。
 それはジョシュアの参加でひっくり返り、そしてアマジークとジョシュアの勝利が見えかけたその勝負。
 それは再び、新たな第三者の参戦でひっくり返る。



 戦闘空域へ侵入する機体=異形のネクスト機体。
 相手の小口径砲弾など欠片ほども意に介さぬかのような相手の闘志を殺ぐ絶望的重装甲/攻撃を避弾径始で弾く事を狙った丸みを帯びたボディ/もっとも目を引くものはその下半身だろう=脚部が無い/低エネルギー消費で常に空中に浮き続けるホバー脚部=本来ならばこの時代に存在するはずが無い技術/右後背武装=大口径榴弾砲/左後背武装=大口径榴弾砲/右腕武装=大口径榴弾砲/左腕武装=大口径榴弾砲/ただ一つの兵装に統一した凄まじいまでの広範囲爆殺半径=驚異的大量虐殺能力。
 接続ボルト爆破――両肩、補助兵装の部位に接続されていた増速用パワーブースターを分離(パージ)。
 その戦場に現れた四機目のネクストはその余速を駆って乱戦に飛び込む。
 
 
 運動性能を決定する性能指数とは、いわゆる推力重量比である。
 軽ければ軽いほど、速い。重ければ重いほど遅い。単純明快な法則。

 そして新たに現れた異形の足無しネクストはその法則を純粋な力技でねじ伏せるあまりにも異質な存在だった。

 大口径榴弾砲=通常なら重量級のネクストが運用する武装であり、軽量級が装備しようとしても、武装積載量(ペイロード)を大幅に食うそれは運動性能を低下させる。相手の攻撃を分厚い装甲で受け止める重装甲は過度の機体負荷をもたらす。
 だが、その機体はそれほどの大型武装を四つ積載/重装甲の機体負荷を帯びながら、<ホワイト・グリント>に驚くほどの速度で迫る。

「馬鹿な?!」
『アタクシの前に立った奴は大抵そう言うねぇ』

 その外見/その装甲、もし地を這うような低速であるならばジョシュアも納得はできる。装甲と火力で相手を殲滅する重量級だ。
 だが、その新手は先ほどから<ホワイト・グリント>の速度に付いてきている。
 考えられるのはただ一つ、相手は圧倒的な重量の武装を搭載しながらも、それを桁外れの大推力でもって非常に強引に軽量級の機動性を確保させている。新型、恐るべき新型。ジョシュアは勝負が再び振り出しに戻ったことを悟った。




『ハウゴ、……GAから連絡。リンクスナンバー41、プリス=ナー、増援よ!』

 フィオナの声には明らかな喜色がある。無理は無いだろう。圧倒的な劣勢から生還する望みが出てきたのだから。
 だがハウゴは彼女の言葉に答えない。
 無理もない、その機体はかつてあの赤い星で戦った強敵が駆る機体そのままだったのだから。

「……確かに、確かにお前が生きてても不思議はねぇが」
『……よお、ナインブレイカー』

<アイムラスト>を庇うような位置に立つその異形のネクスト機。
 女の声。重装甲/重火力/高機動力という矛盾をクリアした超高性能ネクストを駆る女の声は、どこか狂猛な色を帯びている。

「……お前が味方だなんて悪い冗談みたいだな、<アホガリブス>! そして囚人番号……えーと。……誰だっけ?!」
『ハハハハハハハ人の名前覚えてねぇのかよ失礼だなオイ!! ……勝手に死に掛けてる分際で、相変わらず変わらねぇな、テメェ後と言わずに今すぐぶっ殺してぇぜ!!』
「お前こそ、相変わらずの全武装グレネードか、変わらないな、俺を惚れさせる気か!」
『いるかよ、ンなもん!』

 死に瀕してなお軽口――あの赤い星で戦った男が今もなお変わらぬ事をその短いやり取りで感じたプリス=ナーは、ゲラゲラと笑い声を漏らしながら、操縦桿を握力で締め上げる。
 システム、戦闘モードへ移行する。




[3175] 第十四話『こういう死に方なら』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/17 10:29
『GAE所属、リンクスナンバー41、プリス=ナー。機体名<アポカリプス>、ううぅ、じょ、情報らしい情報がありません、おお恐らく相手の戦闘はこれが始めて、相手は初陣です。……う、初陣ですけど、け、警戒してください』
「……了解している」

 初陣の相手――通常なら与し易いと見るべきなのだろうが、あの新型から漂うのは凄まじいまでの暴の気/闘争に慣れた熟練の殺戮者の邪悪な風格/魔王が如き威圧。

 ジョシュア――<アイムラスト>を庇う位置に立つ敵の新手<アポカリプス>に視線を向ける。

 既存のネクスト機体とは一線を画す新型=GAはネクスト技術において他企業の後塵を配するがために、使い勝手の良いネクスト傭兵という存在を受け入れたのではないのか? あれほどの性能を有する機体を生産する能力があるのなら他企業に遅れをとるはずがないのに。

 そう考えたのは一瞬。疑問の全てを脇においてジョシュアは戦闘行動を開始する。相手が新型であるなら、<ホワイト・グリント>もアスピナの新型機体。引けは取らぬと己を叱咤激励――ミサイルロック完了、ガントリガーを引いた。
<ホワイト・グリント>の両肩に設置された多弾頭ミサイル×2が噴煙の尾を引き射出――加速と同時にミサイルのカバーが排除されパイロンに捕まれたミサイルをリリース、敵新型を追尾開始8×2=計十六発。

『ハッ、そんなにアタクシとガチで殴りあうのが嫌かい?』
「……当たり前だ……!!」

 真っ当に殴り合うなど正直割りに合わない=ジョシュアの冷静な戦闘知性はそう告げている。あの高機動性能にあの重装甲にあの重火力。外見を一瞥するだけで相手の戦意を削ぐような凶悪なディティールだ。

 ――<ホワイト・グリント>の両肩に積載された多弾頭ミサイルランチャーは市場に並ぶネクスト用のミサイルランチャーの中でも非常に高い火力と追尾性能を誇る。誘導性能を欺瞞するフレア装備がなければ対処は不可能と言っていい。

 相手との距離を一定に保ちつつミサイルで相手の装甲を削り、戦闘を優位に運ばなければ。
 発射された小型ミサイルは高機動(ハイアクト)ミサイル並みの追尾性能がある、あれから逃れるにはオーバードブースターで一気に振り切るか、もしくは被弾を覚悟して前に出るかしかない。どちらにせよジョシュアにとっては考えうる最善の一手だった。
 相手がミサイルを振り切るために離脱するなら、<アイムラスト>に止めを刺し、ミッションを完了させる。もし重装甲にものを言わせて被弾覚悟で突撃してくるなら、それはそれで良い。相手の装甲を削る事ができる。どちらに転んでも状況を優位に展開できる。
 だが、<アポカリプス>/プリス=ナーの取った行動はそう踏んだジョシュアの思惑を嘲笑うかのようにまったく完璧だった。

『……増速用パワーブースターを装備するために肩の迎撃ミサイルを外したのが痛てぇな。まあ良いさ、……セット、ゼロコンマトゥーワン!!』

 ジョシュアの予想に反し、<アポカリプス>は前進する。回避機動を取らずに相手のミサイルを睨むように腕部大口径榴弾砲を突き出した/重々しい発射音と共に榴弾が発射される。

 それは普通に考えるなら愚考でしかない。高度になった火器管制は飛来するミサイルにすら照準をつける事が可能になったが、それは弾速と連射性能を兼ね備えたマシンガンでなければ生かすことなどできない。弾速が遅く、着弾と同時に爆発するグレネードはミサイル迎撃にまるで向いていない。

 そのはずだった。

 飛来するミサイル×十六/飛来する榴弾×壱=その両方が交差しようとした瞬間。
 轟音/空気を跳ね飛ばすような衝撃が砂漠の地を覆った。
 ミサイルと榴弾、交叉する百分の一秒、その刹那の瞬間を狙い済ましたかのように榴弾が爆発した=弾体周囲を焼く超高熱の灼熱の嵐/周囲の構造物を切り刻む鉄片/乱舞する殺傷領域=結果十六発のミサイルは灼熱と鉄片に暴食され爆発に飲み込まれて吹き飛ぶ=ミサイル迎撃成功。

「……な、に?」
『み、ミサイルを、ぐぐ、グレネードで正確に吹き飛ばすぅぅ……? し、し信じられません……』

 白昼の下で幽霊を見たような驚愕のうめき声を漏らすアブ=マーシュ/ジョシュアも心情的には彼女と似たようなもの。目に映る神業を俄かに信じる事が出来なかった。




『あれ、な、何をしたの?』

 フィオナ――驚愕を露わにしながら呟く。
 ハウゴ――相手の注意が増援に向いている事を確認し、<アイムラスト>のプライマルアーマーの再生を急がせる/だが、整波装置のいくつかが激闘の中で破損していた/眼前に展開される神業を見つめながら忌々しげに目を細めた。

「……変わってねぇ、あの女は悪魔みてぇな遅速信管(ディレイ)使いなんだよ」
『……ディレイ?』

 ハウゴの呟き――フィオナは思わず聞き返す。
 
「……通常ミサイル兵器や榴弾は着弾と同時に信管にスイッチが入り爆発する設計になってるが、バンカーバスターなどに代表される兵器の中には接触じゃなく、接触後コンマ何秒後とかに設定されているもんなんだ。装甲に当たった状態で爆発するよりも、運動エネルギーで装甲を貫通した後で、柔らかい腹の中に爆発すりゃ威力も倍増だ。……あの女はそれを榴弾でやってるのさ」
『……どうやってなの?』
「相手の機動、敵のミサイルの速度、位置などを瞬時に判断、ゼロコンマ単位で判断して発射される榴弾の遅速信管のタイマーをセットしやがる。……今のもそれさ、相手のミサイルと発射した榴弾、その交叉する瞬間を瞬時に判別して爆発するようにしやがったんだ」

 フィオナの息を呑むような声が通信機から漏れて聞こえる。信じがたいのは当然だ、実際あの常識はずれの恐ろしさは戦ってみないとわからない。回避したはずの榴弾が至近距離で爆発する。もちろん直撃よりは幾らかダメージは下がるが、もとより爆弾を射出するような兵器だ、その威力は高い。軽量級のように紙一重で回避するというセオリーがあの女にはまるで通用しないのだ。かつて駆った愛機<アタトナイ>でさえ何度も痛手を食らわされたのだから。
 
『……可能なの? そんな事』
「不可能だ。少なくとも俺にはできねぇ」

 ハウゴ――コジマ粒子が再度機体を覆う激しいスパーク音/整波装置の故障により、プライマルアーマーの最低限展開を告げる音声と共にはっきりと断言。

「戦場でそんな悠長なことなんぞ、普通出来ないさ。お互いに超高速で機動する相手と自分、相対距離などを瞬時に把握し計算する必要がある。……相手の機動を予測して、距離を把握し直感的にタイマーをセット、それを相手の至近距離で爆発させる。状況が流動的に動き回る戦場であんな神業なんぞ、誰にもできねぇ。
 ……ただ一人、あいつを除いてな。
<アポカリプス>は確かにヤバイ機体さ。だが、機体のヤバさならメイトヒースの<デスマスク>のヤバさの方が上だった。どっちかって言うなら、操縦している相手がヤバイんだ。あいつはあの技一つでアリーナの最上位ランカーに上り詰めたようなもんだよ」
『アリーナ……?』
「あ、わりぃ、何でもねぇ。……やるぞ」

 ハウゴ――思わず口を突いて出た言葉に、しまったな、と顔を顰める。もうすでに第二次人類の生き残りが自分ひとりであると思っていただけあって、敵だったとは言え彼女と再会した事で気が緩んでいたのか。郷愁の念を振り払い、ハウゴは戦闘に参加すべくブースターペダルを踏んだ。
 
『……邪魔をしないで貰おうか……』
『アタクシと奴との先史古代文明からの再会を邪魔してんのはテメェだぜ?! 先約はどう考えてこっちだろうがよぉ!!』

 視界の先、交戦する三体。プリス=ナー――<バルバロイ>の激しい三次元機動に追い縋りつつ叫び返した。

 イレギュラーネクスト<バルバロイ>は先程までハウゴの駆る<アイムラスト>との交戦で耐久度が限界近くまで達しているのだろう、機体の各所から火花を散らしている/だが内部のアクチュエーター、並びに推進系には致命的損壊を受けていないのか、その機動性能には翳りなど感じられない。

 ネクスト同士の即席の連携――否、<バルバロイ>の動きに集中する<アポカリプス>の隙を突くように<ホワイト・グリント>が銃撃を仕掛けてきている。スタンドプレイ同士が見事噛み合って連携の形になっているのだ。だが、それでも軽量級の機動性に攻撃を回避され/命中した攻撃は全てプライマルアーマーと重量級の装甲に阻まれてしまう。攻撃の命中で乱れたプライマルアーマー、整波装置が再び安定滞留へ/躊躇い無く他企業パーツのレイレナード最重量級ジェネレーター『マクスウェル』を装備しているためか、エネルギー容量もコジマ粒子出力も極めて高水準/積載武装も電力を殆ど必要としないグレネード系のみ装備しているだけあってエネルギー回復力も馬鹿げた水準。

『……しかし、勝手に死にそうじゃねぇかコイツ。クソ長い手続きが終わってようやく実戦と思えばアタクシの一発で相手が死にそうなんぞ欲求不満にもほどがあるぜ? なぁ、ハウゴ!!』
「知るかよ……!」

 帰るのは不愉快そうな言葉/プリスは鼻を鳴らして笑う。
 
『……に、しても腕が落ちたじゃねぇか、ナインブレイカー。アタクシが昼寝してる間にどこまで鈍ってやがる。……ああ、いや。
 テメェ、さては『全力』を使ってねぇな』

 ハウゴ――答えない。ただ、沈黙のみが是と認めているようなものだった。

『図星か。……たく、アタクシらが体を改造してんのは何のためだ? 神経系光学繊維による反射速度上昇! 肉体強化による抗G耐性! 知覚系直接伝達(ダイレクトアクセス)と呼ばれるAMSに似た人機一体能力! ……戦いに使わず死んでりゃ意味ねぇぜ?』
「へっ、……嫌いなんだよ単純に!」

 舌打ちを漏らす。
 ハウゴ=アンダーノアは同時にIFFの表示を無視し、いざという時は味方識別を解除するため、ロックオンシステムのマニュアルモードを稼働させる。血と破壊/一億年もの刑期を処された囚人番号―B・24715の戦闘力も、味方にしても尚危険である性格も把握している。味方ごと敵を爆殺してなお平然とする危険な精神/それでありながら透徹した戦闘知性は戦場にて常に正解を選択する。敵にしても味方にしても尚恐ろしい相手。

『さよけ。……だが、アタクシはテメェの命が大事だから使わせて貰うぜ? ……本気出せよハウゴ! アタクシは本気出すぜ?! ……INTENSAFY―LOADING、【システムプラス】、戦闘稼働開始! ……はははははははははハハハハハ、破壊破壊破壊破壊破壊破壊!!』
『ちっ……!』
『この殺気……!!』

 瞬間、アマジーク/ジョシュアの両名から戦慄を含む呟きが漏れた。
 まるで自分に向けられた拳銃の撃鉄が引き絞られたかのような感覚/何か不味いものが、のたうちながら目覚めたような印象をその殺戮に酔う声音に感じたのだろう。<アポカリプス>両腕に設置されたグレネードを発射。

 それを大きく間合いを開けながら二機は回避/爆風と破片による破壊の熱波を掻い潜りながら体勢を立て直す。ジョシュアは銃撃射程から誘導兵器による長距離戦闘を選択。クイックブースター噴射し後方へ退避。<ホワイト・グリント>ミサイルカバー解放/今度は一斉にミサイルを放たず、<アポカリプス>にタイムラグを含ませたミサイル時間差射撃。
 同時に<バルバロイ>背部装甲カバー解放=オーバードブーストへ。
 向きはこちら/来るか、ハウゴは腹を括る。

『……だが、これはこれで俺の望んだ形……改めて一対一だ!! ……いくぞ!!』
「来いや、アマジィィィィィィィィィィク!!」

<バルバロイ>突撃。<アイムラスト>それを臆する事無く正面から迎え撃つ形。
 左肩のハイレーザーキャノンが吼え/伸びる青い光の槍=オーバードブーストによる高速推進中に<バルバロイ>、クイックブースターで横方向へのスライド移動。

『ぐ、ぐぅ……!!』

 苦しげな戦友の声/猛烈な加速Gに加え、横方向へのGで肉体に過度の負担が掛かっているのだろう。
 だが、機体の進行方向は<アイムラスト>に向いたまま/狙うべき/決着をつけるべき戦友を睨み、照準は揺るがない。
 ハウゴ――思考を張り巡らせる。突撃ライフルを失った今となっては至近距離での射撃戦闘は分が悪い=結果として射程距離の長い、残った一本のライフルとハイレーザーキャノンを生かした長距離射撃戦を行うべき。
 そこまで考えて、その考えを全て捨て去る=相手の突撃力はこちらの後退速度を上回る。
 後ろに引いては敗北/長の戦闘経験から勝利への手段を立案。一か八か、ハウゴは腹を括る。


   

『あっちはあっちで踊り始めたみてぇじゃねぇか? ……楽しくやろうぜ、白いの!!』
「……予想外の続く戦いだ!!」

 ジョシュア――高機動を繰り返し、臓腑を潰すGを堪えながら呻き声を上げる。
 先に戦った<フォードバック>の戦闘力といい/この新型、<アポカリプス>といい、戦場がいかに水物であるか教え込まれた一日だ。高いAMS適正を持つ己だが、AMS適正が劣性であるはずのローディー/ハウゴ=アンダーノア/アマジークの三名が持つ戦闘力は予想を超える凄まじさ。AMS適正はネクストを運用するために必要な才能だが、それは戦うための才能では無いという事を改めて実感。
 最もそれを教訓として生かせるか否かは目の前の大敵を倒せるかどうかに掛かっている。
 ネクストAC<アポカリプス>。
 広範囲攻撃には向くが、プライマルアーマーとネクストの機動性に対しては本来有効ではないはずの武装のグレネードのみしか積載していないにも関わらず、その爆殺半径に正確に相手を巻き込む能力を持っている。
 そう判断したジョシュア/オーバードブースターを起動=突撃を開始する。

『へ、さっきと違って好戦的じゃねぇかよ……!』

 ジョシュア=無言/無駄口を叩いてどうにかできる相手ではない。
 機動性能では相手がこちらを凌駕/防御力では相手がこちらを凌駕/攻撃力では相手がこちらを凌駕=性能においてこちらが勝る点=皆無/絶無/悪夢。
 だが、それでもジョシュアは闘志を捨てていない。
<ホワイト・グリント>は相手の至近距離に接近=両腕のライフルで銃撃を加えながら高機動戦闘を開始する。炸裂するライフル弾の運動エネルギー/<アポカリプス>の装甲に火花が散る。アーマー貫通性能に秀でたライフル弾によって損傷が入る=しかしそれは致命傷には遠い。<アポカリプス>、顔の周りに群がる羽虫をうっとおしがるように榴弾砲を構える=だが、発砲は行わない/否、行えない。
 
「この距離でならば、広範囲を焼くグレネードは使えまい……!」
『へぇ……』
 
 プリス=ナー――感心したような声。<ホワイト・グリント>の狙いは常に<アポカリプス>を大口径榴弾砲の巻き添えを受けるほどの近距離で戦い続ける事だ。相手の広範囲攻撃を逆手に取りながら幾度も銃撃。<アポカリプス>の重装甲とて無敵ではない、撃ち続ければ倒せない敵など無い。
 
『良いじゃねぇか。良いじゃねぇか……。仲良く丸焼きになろうじゃねぇか、へへへへ……』

 途端ジョシュアは通信から漏れ聞こえるプリス=ナーの狂的な色を帯びた含み笑いにぞくりと背筋を寒くする。
<アポカリプス>クイックブースター稼働=瞬間的加速で後方へ後退/爆殺領域から逃がすまいとそれを追いかけようとしたジョシュアは同時に自機の進行上にある飛来物を視認する。

 邪魔な物体/一瞬それを排除しようと考えたジョシュアは、その障害物の向こうでバックブーストを吹かす<アポカリプス>の右腕装備が失われている事に気付く=脊椎反射で目の前の障害物がパージされた大口径榴弾砲であることを理解/そしてもう一方の腕でこちらに照準を付ける敵機/『死』/雷電の如き緊急退避命令を<ホワイト・グリント>に伝える。

『ただし! アタクシはレア、……テメェは一人でベリーベリーウェルダンだ!!』

 プリスの叫び声と共に、<アポカリプス>左腕大口径榴弾砲を構える=ただし狙いは<ホワイト・グリント>ではなく空中に投棄した大口径榴弾砲の弾装/短い発射音炸裂。
 




 パージした大口径榴弾砲に着弾/誘爆=致命傷の大乱舞/黙示録的大爆発。




 瞬間、轟音と爆炎が<アポカリプス>と<ホワイト・グリント>を巻き込んだ。
 ショックアブソーバー/パイロット保護機能が機体を震わせる凄まじい破壊の衝撃からリンクスを保護しようとする=だがそれでも相殺しきれない凄まじい衝撃。同時に機体各所にエラー/AMS過負荷となり、ジョシュアの脳髄に今まで感じた事の無いレベルの精神負荷が発生。

「ぐわぁ……!! ……自分ごと、だと?!」
『う、ううう……!! プライマルアーマー形成率10パーセント、並びにAP30パーセントに低下!』

 アブ=マーシュの泣き声に似た報告を聞きながらジョシュアは<ホワイト・グリント>の被害状況を確認。

 極めて不味い状況/耐久力の大半は吹き飛ばされ、プライマルアーマーは極限まで減退=戦闘続行不可能と判断。爆風で吹き飛ばされたのか、<ホワイト・グリント>から離れた位置にある<アポカリプス>も大きな損傷を受けているのだろう、機体のあちこちに破損の傷跡が刻み込まれている=だが、あれほどの爆発に巻き込まれながらも戦闘継続には支障が無いのか、ホバー脚部からブースト炎を吹きながら再び迫り来る。

『お互い受けたダメージが互角なら、後はタフな奴が勝つってな。いい感じで黒こげだぜテメェ。今度から<ブラック・グリント>って改名しな』

 ジョシュア――戦闘における判断は間違っていなかった。相手の爆殺半径の広さを逆手に取り射撃を封じる。
 異常なのは相手リンクス――自分自身を巻き込んで敵を撃とうとする、その常軌を逸した狂人的発想だ。普通なら誰もが躊躇する自爆攻撃を実行できる精神/ここは危ない=あの敵は不味い。

「……限界だ、撤退する」

 敵との距離が開いている今が離脱の唯一にして最後の機会/クイックブースト派生機動=ターンブーストで大震地旋回/オーバードブースター起動し、加速開始/戦闘空域を離脱する。

 
 

 考えた、許される僅かな時間で何回も考えた。
<バルバロイ>猛進/突撃ライフルを構え速射三連。
 その銃撃に対してハウゴは覚悟を決めた。<アイムラスト>は回避機動の一切を行わず右腕に構えていた、まだ弾数の残っているライフルを破棄/右腕が開放、同時にFCSが選択火器を肩のミサイルにオート変更。

<アイムラスト>は武装の重量から開放された右腕を動かす/迫る弾丸=コクピットを刺し抉ろうとした銃弾を、心臓を守ろうとする右腕が庇う/プライマルアーマーが限界域に達していたのだろう=恐るべき精度でパイロットを狙ったライフル弾は右腕を貫通/腕部のアクチュエーター複雑系に致命的損壊が発生、精神的負荷がAMSを通じてハウゴに失った右腕の幻痛として作用。
<バルバロイ>更に突撃/連射三連を右腕一本を犠牲にして回避したが、相手に残された装甲はもはや皆無=ならば至近距離において最強の武装であるショットガンの零距離射撃を持って引導を渡す。
 構えられるショットガン/必中必殺の距離=確定した撃破/アマジークは友を失う微かな心の痛みを振り切るように引き金を絞った。



 否、絞ったはずだった。



『なにっ……』
「……必中の心得を教えてやるぜアマジーク……、殴れるまで近づけだ!!」

 相手の腕ごと、最後の一撃を放とうとした<バルバロイ>のショットガンは、<アイムラスト>の左腕に魔術のように現れた巨大な鈍器によって打ち落とされていた。
 
『ハイレーザーキャノン……?!』

 それは今リロード中であるはずの左肩の必殺武装――アマジークは理解する。
 至近距離に近づいた<バルバロイ>に対し、ハウゴは<アイムラスト>の左腕でハイレーザーキャノンをホールド、接続ボルトを爆破しそのままネクストのパワーで、光学兵器技術の粋を集めたハイレーザーキャノンを射撃武装としてではなく/単純に背中に積んだ巨大な鈍器として<バルバロイ>のショットガンを持つ腕をぶん殴ったのだ。
 打ち落とされたショットガンは<アイムラスト>の装甲を抉る事無く砂の大地をかき回した。


 刹那――両名は使用できる武装を可能な限りの速度で検索。


 砂漠の狼アマジークの駆る<バルバロイ>の武装。
 突撃ライフル――至近距離過ぎて照星が外れている=攻撃不能。
 ショットガン――<アイムラスト>のハイレーザーキャノンを鈍器とした一撃に銃口を下に打ち落とされた=攻撃不能。
 散布型ミサイルランチャー――兵装切り替えに時間が掛かるため即座に対応できない=攻撃不能。


 アナトリアの傭兵ハウゴ=アンダーノアの駆る<アイムラスト>の武装。
 高精度ライフル――右腕でパイロットを保護するために武装を破棄=攻撃不能。
 突撃ライフル――度重なる銃弾の消耗により弾切れ=攻撃不能。
 ハイレーザーキャノン――ショットガンの致命的一撃を外す為に物理的鈍器として使用し、パージ済み=攻撃不能。
 ミサイルランチャー――右腕武装を破棄した事によりFCSが自動的にミサイルカバーを開放し発射準備態勢=攻撃可能。


 躊躇わず、トリガーを引いた。
<アイムラスト>の右肩ミサイルランチャーが統合制御体の意思を受け高火力ミサイル発射。
 ミサイルに食らい付く相手を覚えさせるロックすら行っていない攻撃だったが相手は目と鼻の先=ロックオンの必要すらない超至近距離射撃。
 度重なる戦闘で損耗しきった<バルバロイ>にはミサイルの炸薬がもたらす破壊力は致命的だった。
 ミサイルが着弾=<バルバロイ>の頭部が吹き飛び、統合制御体を保護する装甲すら大破し頭脳部が粉砕される/腕部を構える肩、腕それぞれに着弾/骨格のようなアクチュエーターがむき出しになり、小爆発を繰り返す/装甲の薄い軽量ネクストが耐えうるはずもない=爆発の余波は至近距離にいた<アイムラスト>にすら破壊の影響を与えるほど。
 すべての力を失い<バルバロイ>はゆっくりと崩れ落ちた。

 『……終わり、か……』 

 どこか、疲れたような声/どこか、安堵したような声=殺しの螺旋からようやく降りる事を喜ぶような/残された仲間達の未来を嘆くような、安堵にも悲嘆にも取れる呟きだった。

「……アマジーク」

 さだめなのに、こころをきめたはずなのに。
 ハウゴは脱出しろ、と叫びたい衝動を押し殺す。彼を本気で撃とうとした自分の言える言葉ではない。お互い末期の杯を交わしたあの日からずっと決められていたその日が来ただけだ。それは悲しいが仕方の無い話。ただ戦友を撃たなければならなくなったその巡り会わせを嘆くばかり。

『……そう嘆くな、友よ。……AMS適正をもたらすための人体実験と、機体限界を極限まで引き出すためにいろいろ無茶をやってきたのだ。お前に勝ったとしても……遠からぬうちに死んだだろう。これはこれで……悪くない』
「…………」
『……羽ばたくがいい、鴉。狼の死肉を食らえ。……腹を満たして明日を生きろ。……他ならぬお前に討たれ、お前に見取られるのだ……こういう死に方なら、……まぁ、な』

 ハウゴ――瞳の奥に熱を感じ、頬を伝う水を知る。

「……何か、言い残す事はあるか?」
『……ウル、ウルバーン……彼がお前の前に立ったなら、俺は満足して死んだ、と。……仇討ちなど考えないでくれ、と。
 ハウゴ、その力で……守りきれよ……』

<バルバロイ>が火を噴いた。まるで主が最後の遺言を語り終えるまで懸命に命を永らえていたように、最後の言葉を呟くと同時に<バルバロイ>は爆発し、四散する。
 砕け散った戦友の機体、マウリシア撤退戦を共に生き抜いた仲間の一人を討った。
 ハウゴ――<アイムラスト>の内装のシステム、空調をチェック。同時に接近する味方識別の機体。

『なんか知らねぇがしんみりしてんな、お友達だったのかよ?』
「黙ってろ、殺すぞ」

 プリス=ナーの言葉にハウゴ――凍えるような殺気を含む言葉。
<アポカリプス>、その腕部を器用に動かし肩をすくめるような動作/背部装甲カバー開放=戦いの終わった戦場に興味などないと言わんばかりにオーバードブースターで加速。戦場を離脱していった。

『……敵ネクスト<バルバロイ>の撃破を確認。……ハウゴ、本当にお疲れ様』
「……フィオナ。<アイムラスト>の内部空調をチェックしてくれ」

 ハウゴの平坦な声。友人を討った事で悲しでいるのだろう――押し殺した悲嘆の色を感じつつ、フィオナは無言でハウゴの言葉通り<アイムラスト>の空調システムをチェック――オールグリーン。

『内部空調に問題は無いわ、……ハウゴ』
「……だとしたらそいつは妙だな。……エアクリーナーが不調なのか、さっきから砂粒が目に入ってくるんだ」

 そんなはずは無い。そんなはずは無いのだが――フィオナは黙って言葉を受け止める。

「……おかげで、涙が溢れてとまらねぇ」
 




 ウルバーン=セグルは己の胸にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚を覚えながら、居住区から幽鬼のような足取りで外に出て砂漠の海を見渡していた。
 マグリブ解放戦線の精神的支柱であり、ネクスト<バルバロイ>を駆る砂漠の英雄アマジークは死んだ。戦死した。

 遺骸は無い。<バルバロイ>と共に爆散してしまった。
 耳を澄ませば、砂風の音と共に何処からもすすり泣くような声が聞こえてくるだろう。

「……仇討ちを考えるなとあなたは仰りました」
 
 ウルバーンは仲間の場所に居たくなかった。
 悲しみの声を上げ、悲嘆の呟きを漏らす仲間の近くにいたら、まるで本当にアマジークが死んでしまった事を認めてしまうよう。
 否、ウルバーンは理解している。ハウゴ=アンダーノア、確かに彼ならアマジークを討つことができるだろう。両者を直接的に知る人間だからこそ、ウルバーンはアマジークの死を信じることが出来た。
 
「ハウゴ……覚えていますか。六年前、貴方は私に銃の使い方を教えてくれた。死闘の中で暖を取り、逃避行の中歌を囁き、誰よりも前に出た貴方を私は憧れていました」

 呟く。誰かに聞かせることを目的としていない、自分自身に対する囁き。
 ウルバーン=セグルは英雄アマジークを尊敬していた。だが、それ以上にあのマウリシア撤退戦の折、少年兵の一人だったウルバーンはハウゴ=アンダーノアに強く惹かれていたのだ。
 だからこそ、彼が企業の傭兵と言う立場になったことを知ったときは、強く裏切られたと感じた。

「……私は、貴方のようになりたかった。……貴方になりたかったのに……!!」

 拳を握る=強く握り締めすぎて己の手を潰すような激しい握力。
 慟哭/嗚咽/悲嘆。目の奥が熱くなり、指先が震える、喉の奥が乾ききり、胸には大穴が開いたまま。大きな、大きすぎる穴、どうやったらこの空虚な思いを満たすことが出来るのか、失ったものの大きさに煩悶し絶望しながらウルバーンは空を睨んだ。
 満月がある。
 アマジークは死んだ。そしてその事実は、ハウゴ=アンダーノアというウルバーンの憧れであった人が、未来永劫自分と共に歩む事は無いと言う事実を告げるものだった。
 

 
 砂漠の狼アマジーク、イレギュラーネクスト<バルバロイ>は撃破され、この日を境にマグリブ解放戦線は徐々に戦線を縮小させていくことになる。
 そして彼が討たれた事は、一人の青年の岐路を大きく変える事を誰も知らない。



 その彼を、物陰から黙って見守るセルゲイ=ボリスビッチを除いて。

「……嘆くがよいのである、若人よ。……心の穴を埋めるものはただ時間だけなのである」

 セルゲイ=ボリスビッチは己を助けてくれたウルバーン=セグルを、物陰から黙って見守るだけ。
 あの姿は彼にとって見知ったものだったから何も言わない。
 彼は、ウルバーンは大切なものを失ったのだ。覚えがある。彼はセルゲイがかつて友人たちと夢を乗せたロケットが壊れ、大切なものを失ったあの日々の己自身にあまりにも酷似していた。己が失ったもののあまりの大きさに、胸を穿つ虚無の巨大さにただ叫ぶしかない空虚な日々。
 時が己の心を穿つ穴を埋めるだろう。時間は残酷でいて優しい。
 

 そして胸の虚無が癒えれば、ウルバーンはきっと行動を起こすのだろう。
 それもセルゲイにははっきりと理解できる。失ったものを取り戻そうと、失わせた相手に相応の報いをくれてやろうと、自らの身体的苦痛を憎悪で踏み潰し、いかなる苦難も怒りで乗り越えるだろう。かつての自分のように。
 
 手を貸そう、彼に。大切なものを失ったものとして、彼が道を誤まる前に。
 一人の若人は復讐鬼になり、そしてかつて復讐鬼であった中年の男は若人の心を救おうと心に決める。
 セルゲイ=ボリスビッチがテクノクラートに戻らず、マグリブ解放戦線に協力する事を決意したのは、その時であった。




[3175] 幕間その4―『金で誇りが護れるのなら』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/06/17 10:34
 薄暗い場所/慌しく人が動き回る整備ドック/周囲には大勢の整備員達が鎮座するネクストの調整に追われている。
 それらをちらりと横に見やる女。

 黒い短い髪/抜き身の刀身を思わせる冷え冷えとした雰囲気を纏う女/鷹のように鋭い眼光/サーベルのようなすらりとした長躯/リンクスナンバー3=通称『鳥殺し』アンジェ。彼女は周囲を見回し自分たちに注意を払っている人間が誰も居ない事を再確認。
 
 もしこの場所に手榴弾が一発投げ込まれれば世界の戦力バランスが崩れるだろう。

 そんな事を考えながら、この極秘の会合を集めた男、金髪碧眼の青年/口元には微かな微笑/目の奥底にある不敵な色/リンクスナンバー12=ザンニを見やる。ネクスト機体の資材を乗せたトラックの横、レイレナード本社施設『エグザウィル』の整備ドックの中、四人のリンクスがそこに居た。

 頬にL字傷/獲物を狙う猛禽のようでもあり真摯な僧侶のようにも見える知性的な瞳/鍛え上げられた肉体/オリジナルの中で尤も膨大な戦果を上げた男/リンクスナンバー1=ベルリオーズ。

 横に影のように控える男。切れ目の瞳/長身痩躯/黒目黒髪の男性/徹底して寡黙=この場に居る人間全員が会話を交わした回数は片手の指で足りる程度/AMS被検体から正規リンクスにのし上がり、当初の期待を上回る成果を上げた優秀な戦士=リンクスナンバー33=真改。

 
 周囲に聞き耳を立てる相手はおらず、また雑多な音が溢れる整備ドックでは自分たちの会話を盗聴は不可能=其処まで四人のリンクスが注意を払ったのは、この集合を呼びかけたザンニ立っての要望であった。

「……まずは、何故我らを呼んだか教えて貰おうか」
「……疑問」

 アンジェの言葉に続くように、壁に背を預ける真改=短く同意する。
 ザンニは軽く頷いた/顎に手をやって、さて何処からどう話したものであるのか考えるように口を開いた。

「話が長くなりますから、最初から用件を申し上げます」
「ああ」

 ベルリオーズ――首肯/この場に居る全員が単刀直入に話を進めることを好んでいる。
 ザンニ――にっこり笑って言う。

「すみません、お金貸してください」



  
 ベルリオーズ/アンジェ/真改――全員揃って変な奴を見る目で彼を見た。

 そも、リンクスは企業専属の兵士であり、当然彼らには膨大な給与が支給される。リンクスとしてコジマ汚染に晒され続け短命を宿命付けられた彼らに対するせめてもの償いであり、彼ら全員が普通の人間からすれば到底手が届かない高給を得ている。
 よほどの事態でなければ他のリンクスに対して借金の無心をする必要など無いはずなのだ。

 ザンニ――困ったように笑う。恐らく全員の反応も予想のうちだったのだろう。

「さてと、……では、そんな事を言う羽目になった理由から始めましょうか。
 ……我々レイレナードとインテリオルユニオンとの間で提携して始まった『ゼルドナー』計画はご存知ですか?」
「……初耳」

 真改――大抵の会話を単語で済ませる彼は、不可解そうにザンニを見やる。
 
「簡単に申し上げると、レイレナードとアルドラで開始された、ネクストの量産計画です。いやはや、知るのに随分鼻薬を嗅がせましたよ」
「……おい、ネクストの量産だと? 不可能だろうそんな事……」
「まあ、待て」
 
 アンジェ――何を馬鹿な、と言わんばかりにザンニを不審そうに睨み付けた。だが、それを押し留めるベルリオーズ。
 ザンニ――頷く。

「ネクストの量産を妨げている理由。……ネクストはコジマ粒子という最高のハードウェアを獲得しましたが、それらを制御するために必要なソフトウェアが追いついていないと言うのが実情です。……その問題を解決するためにAMSという新機軸のインターフェイスを使用、人間の特殊な知的才能を利用してようやく制御に成功しました。
 ですが、そのAMS適正を持つ人間は少なく、それがネクストの量産を妨げる一因となっています」

 そのあたりは全員が弁えている。今更言われるまでも無い事だ。
 だが、とザンニは続ける。

「……我々レイレナードは自立型ネクストの生産に成功はしていますが、しかしやはりリンクスの乗るネクストと比べればその戦闘力の差は歴然。……で、レイレナードとアルドラが提携したのですよ。アルドラは量産化を想定したフレーム、ゼルドナーシリーズの製作に着手しました。そしてレイレナードはネクストを制御するソフトウェア開発を開始しました」
「……見込みはあるのか?」

 ベルリオーズも信じ難いと言わんばかりにザンニを見やる。

 ネクスト級の機体を制御/それをリンクス無しで行わず機械が自動でやろうとすれば恐ろしく高度で小型のベトロニクス【陸上車両などに搭載される電子機器の総称。対になる言葉として戦闘機などの航空機に搭載される電子機器をアビオニクスと呼称する】技術が必要になる。アクアビットは電子機器などの開発に定評のある企業だがネクスト級の機体を制御できるクラスの高度なソフトウェア開発は未だ不可能。可能になったのなら六大企業の軍事力バランスはもっと劇的に変化しているはずだ。

 ザンニ=笑った/だが、先ほどまでとは何処か違う=何かおぞましいものを知ってしまったような、苦笑い。笑うしかないとでも言わんばかりの陰気な光を瞳に揺るがせて、唇を歪める。

「あるじゃないですか、ここに高性能コンピューターが。
 倫理を無視して外道になれば、使い道のあるソフトウェアが」

 呟きつつ、ザンニは自分の頭をこつこつ、と叩いた。

 アンジェは最初彼が何を言っているのか理解できず、怪訝そうな表情で彼を見た=瞬間、最悪の想像に行き当たり眉を寄せる。まさか/出来るならば考えたくないおぞましい方法/むしろそうであって欲しくないという願望に近い思い=口に出せばその予想が真実になってしまうような気がして口を噤んだ。

 ベルリオーズ/真改――両名もその予想に行き当たったのか、口を紡ぐ。周囲から隔絶されたような感覚/このあたり一体の空気が粘性を帯びたかのような印象。
 

 まさか。
 

「……我らがレイレナードは人間の脳髄を利用したネクストの制御システムを開発しています」

 呪詛に似た呻き声がアンジェの唇から意識せずに漏れた。全員が全員、ザンニですら笑顔を消し、目に嫌悪の色を浮かべている。
 
「……真偽」
「一応こう見えて大分お金を使いましたよ。十中八九間違いありません」

 真改の言葉にザンニ、即座の返答。
 ベルリオーズ――顎に手をやり考え込む様子=口を開く。

「……しかしな。……AMS適正の問題がある。例え機械への接続が成功しても、……いや。……まさか、もう研究を見限った訳か」

 発言の途中で何らかの連想に行き当たったのか、ザンニに詰問の視線を向けるベルリオーズ。

 アンジェ/真改=共に何の事か判らず顔を見合わせる。

「適任、いるじゃないですか。……極めて高いAMS適正を持つ人間が。……ずっと目を覚まさず、今やレイレナードに何ら益を齎さないまま眠り続けているあの子が」

 そこまで言われればアンジェにも思い当たる。 
 国家解体戦争の折、過度のAMS過負荷によって意識を失い、五年近くも眠り姫となった/未だ目を覚まさない一人の少女のその面影。

「ネネルガルを、……あの子供を母体にクローンを量産しようと言うのか?」

 アンジェ/喉奥から競り上がる嘔吐感。おぞましい真実を知ってしまった事に嫌悪/激怒=その両方を心に沸き立たせる。
 
「……レイレナード上層は彼女の研究を続けても益する事無し、それなら新技術の礎になってもらうと決定したようです。
 ……数日後、彼女は実験に供されます。意識不明の人間をネクストに接続した場合、外部からのコントロールは可能であるのかの実験です。レヴァンティーン基地から<アレサ>プロトネクストを輸送し、彼女を接続。稼働実験を行うそうです。それ以降は実験の結果次第ですが……まぁ、あまり楽しいことにはならないでしょう」

 楽しいなど一万光年ぐらいかけ離れたおぞましい話だ。
 ベルリオーズ――そこでふと気付いたようにザンニを見た。

「……まさか。お前にはそこまでやる義理など無いだろう、ザンニ」
「まあ、そうなんですが」

 肩を竦めて笑うザンニ。アンジェ/真改――両名共、そこで彼が金の無心など行った理由を悟る。

「あの子……再会した時に、ジュース一本奢ってあげましてね。喉を鳴らして美味しそうに飲んでいました。
 殺しが仕事の私ですけど、……まあ、流石に小さな女の子が切り刻まれるのを黙ってみていたら、これは駄目だろうと思ったんです。……ほんと、それだけなのですけどね」

 ベルリオーズ/アンジェ/真改――無言のまま三名はそれぞれ胸元からこれまで得た作戦の給与を引き出す為のカードをザンニに手渡す。
 ザンニ――深々と一礼。

「……私の我侭に、お金を出して貰い……感謝します」
「気にするな」

 ベルリオーズ――短く一言。

「金で誇りが護れるのなら、これほど安い買い物も無い」

 残る両名――アンジェ/さばさばとした笑顔、真改/短く首肯、唇には微かな笑み。
 気になった様子でアンジェ――訊ねる。

「で、……アスピナとアナトリア、どちらだ?」
「そうですね」

 ザンニ――頭を上げて微笑。

「やはり、ここはアンジェの愛しの彼にお願いしておきますよ」




[3175] 第十五話『赤色は嫌いなのです』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/22 11:38
「さて、今回はお前さんの目論見どおりに行くものかね?」

 レイレナード社本社施設『エグザウィル』の頂上部分=鉄壁を誇る傘の最頂点の室内は基本的に本社の点検員しか足を運ばないはず。
 だが、その二名はレイレナードにおける立場を考えるなら絶対に足を運ぶ必要など無いはずの人間であった。二人の男=湖面に浮かぶエグザウィル直衛艦隊を見下ろしていた。

 一人の男――初老に差し掛かった男性/百七十近くの飄々とした印象の体躯/頭髪は老いに寄るものか、銀が混じり始めている/年経てはいるが、脆弱とは無縁の不可解な力の磁場を発するかのよう/瞳には深い知性と経験のみが可能とする老獪な色/嵐を呵呵大笑して受け流す柳の風情。
 長煙管から紫煙を吐き出している/本来ならばコジマ粒子被爆を浴び続け余命いくばくも無いと告げられていたにも関わらず=アクアビット医療班の予想を超えて奇跡の現場復帰を遂げた男/趣味はサボテンの栽培/オリジナル――リンクスナンバー7=ネオニダス。

 傍に佇む男=黒衣/長身/表情が見えない――唯、彼はこのレイレナードにおいて全ての人間から敬意を払われる立場にある。感心したように彼はネオニダスが吐く煙草の臭いの質が変わった事に気付く。唇に微かな笑み。
 
「……麻薬の類はやめたようだな、結構」
「コジマ被爆で全身のあちこちが癌化しとったからな。……痛みから逃れる必要がなくなりゃ、薬剤に頼る必要なんぞなんわい。……なぁ、社長よ」

 ネオニダスの言葉――即ちエグザウィルの頂点に立つその男性/世界を実質的に支配する六大企業の一角を占める新興企業レイレナードの長=世界の王たる企業社長。その言葉に答えもせず頷きもせずただ正面を見下ろす社長と呼ばれた男。

「お前さんは私の恩人じゃて。誰もが匙を投げた状態から健常者に戻してくれたんじゃからの。……信じられん技術を用い、病を治した。……しかし今回は理由が判らん。何故<アレサ>を破壊する? ……不老不死なんぞ馬鹿げた夢を見ている重役どもの目を覚まさせるためか? その為にザンニの奴を泳がせおったのか?」
「……ナインブレイカーには、そろそろ敵を見せてやらねばならんのだよ。あの男は本来の戦闘力を発揮すれば、イレギュラーネクスト<バルバロイ>とはいえ、あれほど手痛い打撃を受ける事も無かったのだ」

 ネオニダス――呆れたように嘆息。すぱー、と長煙管を吸い、煙を吐いた。

「変わらんなぁ、おまえさん。私には理解できん言語で話す」
「……なに、<アレサ>はどちらにせよ破壊しなければならんのだ……」
「なぜ」
「奴は赤い天使を呼ぶ」
「は? なんでそこで天使が出てきおる」

 意味が判らない――顔にそう書いているネオニダス/ふとそこで部屋の通信機が点灯=回線を取る――通信を聞き、あからさまに額に皺が寄り始めた。

「……レヴァンティーンにGAのネクスト<タイラント>が迫っておる。……確かにあそこは新型兵器の実験場じゃが、表向きには自立ネクスト工廠じゃろ? 本来の建造物、アームズフォートを発見されてはいささか事じゃて。……<ジェット>のレーザーブレードは室内戦闘に向かん。……私が出ようか?」
「……頼む」
「了解した、では」
「ああ」
 




 ハウゴ=アンダーノアは自分がいつか立ち直る事を知っている。
 ……だが、それはすぐではない。
 かつてのように友を屠った――戦友だった男を、撃たなければならなかった。お互いに覚悟の上であり/納得済みの戦い。だが、それでも心は哀しみに重くなる。
 
『……ハウゴ。大丈夫なの?』
「……まぁ、な」

 立て続けの戦闘行為――フィオナの言葉に不安と気遣いが満ちているのを感じる。
 ハウゴ=アンダーノアを構成する陽性の成分がごっそり削げ落ちれば今の彼に成るのだろうか。返す言葉にもいつもの陽気さが失われている。

『今回の依頼は断っても良かったのよ?』

 フィオナ――心配そうに告げる。
 砂漠の狼アマジーク、彼の駆る<バルバロイ>を討った事により膨大な報酬をせしめる事は出来た。だが――本来は作戦任務自体よりも、強大な敵<バルバロイ>を討ったという実績で以って企業にとっての重要度の高いミッションを引っ張ってくるはずだった。

 一種の売名行為――だが、突如戦場に乱入したGAの新規リンクス、プリス=ナーにより、そのインパクトは薄れてしまっている。
 更に、機体の損傷も激しく、修理に要する費用もあって思ったより黒字にならなかった。

 機体各所の損傷――それも右腕部の破損度は致命的であり、修理するよりも新しい腕部を購入する方が安上がりになるという有様だった。あの戦いから数日、<アイムラスト>の損傷はここ数日のスチュアート兄弟ら整備班の睡眠時間を生贄に捧げる事で完全に復旧する事が出来た=今頃激しく高鼾をかいている頃だろう。

 だが、心はそうは行かない。心の傷は時間だけが埋める。
<アイムラスト>積載武装――両肩武装はそのままに/右腕=BFF製高精度ライフル/左腕=粒子集束率を上昇させた高出力ダガーブレード。

 ロスヴァイゼ/アップルボーイ/アレス/ストラング――そして、アマジーク。
 かつて戦い看取った鬼籍に、戦友の名を連ねればならない。それが苦しくて仕方が無い。

「……テンションが落ちてんのは認めるけどな」
『……』

 多少苛立ちが言葉に含まれていたかもしれない。
 プリス=ナーの乱入により思ったよりも売名行為が成功しなかった/それなら、依頼人が名を明かさないような胡散臭いミッションでも受けない訳には行かない。資金の余裕は多いほうがいい。例えそれが罠であろうともハウゴは自分の技量なら罠を噛み破る自身がある。
 
 ――哀しみに心を浸す暇も無い。たった一人で戦っていた一羽の鴉であった頃なら一ヶ月近くはこの胸に開いた穴を埋めるため、安酒とベッドを友とし、酩酊と惰眠に耽るのがハウゴの主義だったのだが。

 鴉で無くなり、山猫になった時から縛られているのか。
 ふと気を抜けば重くなる心/意識を切り替えないと――ハウゴは一回二回深呼吸。
 
「出るぞ……!!」

 推力ペダルを押し込み、<アイムラスト>を輸送機から跳躍させる。
 
「……ったく。確かに、不安になられるかもな」

 呟き=フィオナにも聞こえない小さな声を漏らしつつ、ハウゴは<アイムラスト>を着地。

 長の戦歴を誇るハウゴの肉体は意識せずとも戦場における最適答を瞬時にはじき出す頭脳を持つ――だが、その頭脳を稼働させる闘志が何処か萎えている。指先にまでの骨が腑抜けているような思い。
 ハウゴ――己の頭を自分で殴る。今は兎に角ミッションに専念しなければならない。愛機を作戦領域に前進させる。



 レイレナード社実験部隊――レヴァンティーン基地から出発し、旧ピースシティエリアが実験場となる。 
 風に砂が孕む/砂の海から生えるビル郡/荒涼たる大地――人の居ない砂漠の都=コジマ汚染を引き起こす事に何ら躊躇いを持つ必要が無い。

「来ると思うか?」

 アンジェ――愛機<オルレア>の中で待機状態。横のディスプレイに移る僚機<ラフカット>を見やった。
 空力特性を考慮した高機動型の上半身/脚部=レイレナードでは希少な逆間接型――跳躍力を高めた三次元戦闘を想定したネクスト/右腕武装=レイレナードの傑作と呼ばれる突撃型ライフル/左腕武装=同じレイレナード陣営であるインテリオル製のレーザーライフル/右肩武装=ロックオンの必要も無く射出と同時にミサイルに内蔵されたAIが自立判断で標的を捕捉し追尾するASミサイル/ 両肩装備=アクアビットの試作パーツである追加型プライマルアーマー整波装置/リンクスナンバー12、ザンニの愛機=ネクストAC<ラフカット>。

『依頼を受けたとの返答がありました。……アマジークを討っても、思ったより売名になりませんでしたから、それに関しては心配はしていませんよ。……心配は彼がきちんと彼女を誘拐してくれるかどうかです』

 ザンニの言葉にアンジェは画像をズームで表示――映るのは国家解体戦争において唯一度だけ出撃し、その後五年の惰眠を貪った鋼の巨人=鋼鉄の巨人アーマードコア・ネクストと比べても尚巨大である機動兵器/あまりの高性能と精神負荷により極めて高いAMS適正を誇るネネルガルでなければまともに動かす事すら出来なかった怪物。
 
 鋭いシルエット――戦闘機を思わせる、というよりもその鋭角的過ぎる形状は最早刃の域=触れ得る全てを斬殺するかのような威嚇的形状/背部の大推力ブースターユニットにより通常のネクストをすら歯牙にかけない悪夢的な運動性能を保有/腕部武装――ネクストが装備する火砲としても規格外のサイズである、専用のコジマタンクを搭載したコジマキャノン=反動を相殺する為に滑車型パイルを地面に打ち込ばなければ横転するといわれるほど/腕部武装――五連装超重ガトリングガン、ガトリングガンそれ自体はGAなどが開発に成功しているが<アレサ>が積載するそれは、冗談だろうと言いたくなるほどに歪な巨大さを誇る=如何なる装甲をも蜂の巣にするであろう速射製と破壊力/禁断の遺物にして異物――<アレサ>プロトネクスト。
 その中に一人、黒髪の少女が運ばれる/パイロットスーツに身を包んだ――本来ならば今も病院で治療を受けるべき娘。
 
『……くそ』
「堪えろよ、ザンニ」

 苦渋が本人の意識せぬまま漏れ出たのだろう/陽性の雰囲気が似合うザンニらしからぬ押し殺した怒りが伺える呻き声。

 ネネルガル――かつて五年間眠り続けていた時期に彼女は筋力を取り戻す為、強引に彼女を運動させる器具に入れられた=まるで操り人形のようだったな/アンジェ――不愉快そうに目を細める。

 この場所に自分達が居る事は本来予定されていなかった。
 此処に居れば、アンジェ/ザンニの二人はこれから襲撃を仕掛けるであろうアナトリアの傭兵と立場上交戦しない訳にはいかない。本来ならば、二人はベルリオーズ/真改と同じく他の任務に就くはずだったのに。

 横槍を入れたもの――レイレナード社長直々の命令=逆らえるはずが無い。


『起動実験の準備が整いました。……実験を開始します』
 
 レイレナード/アクアビットの研究員たちが<アレサ>プロトネクストのコクピットから離れていく。

 安全な距離まで退避した事を確認し、<アレサ>プロトネクストはジェネレーターから高濃度のコジマ粒子を生成開始――放出される緑色の霧を機体全体を覆うプライマルアーマーへと形成していく。
 
『……それでは、まずは遠隔起動の実験を……』
「待て」
 
 アンジェ――短く一言/<オルレア>が頭部を稼働させ周囲を睥睨=視界の彼方に白炎の尾を引きながら飛翔する影を視認。

「……管制、聞こえるか? 南西から一機、接近する機体がある。事前の予定にあったか?」
『い、いえ……。IFFレッド! これはネクスト反応です! 馬鹿な、極秘の実験任務なのに……!』

 その極秘の実験の情報を漏らし、敵を呼んだのは自分達なのだが――アンジェ、少し罪悪感を感じながらも<オルレア>を戦闘起動開始。同様に<ラフカット>も戦闘起動を開始する。機体の微かな震え/唸り、独白する。

「……願わくば、一対一で交えたかったぞ、アナトリアの傭兵」

 心底残念そう――めぐり合わせの悪さを呪いながら操縦桿をきつく握り締める。




 少女は、ずっと眠り続けていた。
 思い起こす六年前――眠り続けていた彼女の主観時間ではたったの一年前――セロ=自分の姉弟。
 彼はオーメルへ/自分はアクアビットへ。
 
 出撃――激しい頭痛/痛苦=臨んで永遠の夢を見る。

 敵勢存在の接近を告げる音声――夢うつつの彼女の意思は目覚めを拒まんとする。例え死んでもまどろんだまま死ねるならそれはそれで良いのではないか。

 操る機体――<アレサ>=見紛う事なき破壊の化身。圧倒的戦闘力と言う名の戦闘とも呼べない一方的殺戮――唯一度の出撃にて大地に百年の汚毒を撒き散らす悪夢のような光景=特攻兵器発動を促す愚行――まさに、彼女にとって現実こそが悪夢。

 悲鳴を上げる心/苦痛/セロも同じ苦しみを味わっているのか――目覚めない自分自身への微かな後悔=心理の海に浮かぶ微かな悔恨の泡。その泡を皮切りに覚醒の震え――怒りのように現実の身体が震え始める。
 意志は覚醒を拒絶しようとも、戦闘適合突然変異人類種【ドミナント】を遺伝子原型(プロトジーン)としたその細胞一片一片が主の意向を無視し、目覚めさせようとざわめき始める。

(……嫌です……嫌いなのです……)

 脳髄に走る覚醒の雷光=赤子が泣き叫ぶのは楽園たる母の子宮から無情なる現実へ追い出される事を嘆くからなのか。

 瞳が見開かれる――ネネルガルは周囲を寝惚けたままの頭で周囲を見回した。
 操縦桿/ディスプレイ/推力ペダル――ここは操縦席であると茫洋とした意識で理解。だが、覚醒と同時に脳髄を灼熱のように焼く精神負荷=<アレサ>の胎内。

 同時に<アレサ>に対して周囲から針を刺されるような感覚――電子的介入を受けている/ネネルガルはそれを煩わしく思った。<アレサ>の統合制御体はリンクスの意志に従いアクセスコードを全て拒否。

「……嫌いです…………」

 頭痛/眩暈――彼女の意思と反して冷たい戮殺機構は<アレサ>を操縦するための操縦桿を握らせる=統合制御体によるAMSを介した肉体操作。操縦桿を動かし、接近しつつあるレッドサインの敵へと向き直らせる。だが、そうしようとした瞬間、意識に再び突き刺さる電子的介入=頭の中に針を刺されるような感覚。ネネルガルは朧げな意識のまま怒りを感じる。

<アレサ>プロトネクスト――巨躯に似合わぬ軽やかな挙動で介入を試みる相手に向き直った。

 一方の腕――超大型コジマキャノンを地面に叩き付けるように設置=反動を受け流すための体勢――同時に敵を照準内に入れる。攻撃可能のサイン。攻撃目標――レイレナード社実験指揮車両。

「……敵勢表示(あかいろ)は嫌いなのです」

 コジマキャノンの銃身に桁外れのエネルギー供給開始――同時に銃身にコジマ粒子蓄積、チャージ、砲身に破壊光が蓄積/周辺の空気を光熱が歪める=エネルギー充填完了。

 発射――吐き出されたコジマキャノンの一撃は一直線に伸び=レイレナードの実験車両部隊の一つを完膚なきまで焼き滅ぼす。





『確認したわ、ハウゴ。……撃破対象、味方を撃った!』
「みたいだな、何かあったか」

 遠距離から接近しつつあった<アイムラスト>の操縦席でハウゴは眉を寄せる。
 こちらに向けての発砲なら理屈はわかるのだが。

 作戦目的を思い出す=敵実験兵器のコクピットの中の人間をブロックごと引きずり出してくれ――考えてもみれば、よくよく妙な依頼内容。考えても仕方ないと雑音的思考を振り払い敵撃破対象を認識。

「……デか」
『……そんな、……<アレサ>プロトネクスト?!』

 ハウゴ――相手のサイズに呆然とした呟き。
 フィオナ――彼とは対照的に声には多分に焦りが含まれていた。同時に漏れ出る敵の名称らしき言葉。

「知ってるのか」
『……<アレサ>プロトネクスト。父の書斎で見たわ。ネクストの原型とも言える機体だけど、あれを再度動かそうとするなんて……』
「差し詰め実験兵器の戦闘力テストにお呼ばれされたのかねぇ。結構、噛み破ってやる」

 自分を罠に嵌めた作戦内容――後悔させてやる。テンションが落ちているという自覚のある自分を奮い立たせるため、今は怒りの凶熱に身を焦がす必要を感じ、下腹に力を込める。

 同時に<アイムラスト>に通信要請――確認したフィオナ=驚きの声。

『……これは、ネクストがニ機も?!』
『聞こえるか、アナトリアの傭兵』
『初めまして、こちらは<ラフカット>及び<オルレア>です』

 刃の如き硬質の声/会話を円滑にする為の柔らかさを含んだ声――接近しつつあるレイレナード社のネクストACニ機からの通信。
 
『実験段階のプロトネクストが暴走しました。制御すべきはずの車両も破壊され穏やかに退場願うのはどうやら不可能のようです。……貴方の目的は、あの機体のパイロット、違いますか?』
「テメエ、何で知ってる」

 ハウゴ――不審げな言葉。
 ザンニ――通信越しに何故か微妙な沈黙。
  
『……まさか、貴様と殺る前に、轡を並べる羽目になるとはな』
「あぁ? ……なんでそんな物騒な話になる」

 ハウゴはもう一人のリンクス――アンジェの言葉に不可解そうに呟く。彼女の己に対する闘志を知らないハウゴとしては怪訝そうな声を漏らすしかない。
 
「……ま、いい。テメェらの目的はあの暴走した<アレサ>をどうにかする事」
『貴方の目的は、パイロットの保護。我々には覚醒せずずっと眠り呆けたパイロットを頑張って確保する理由もありません。手が足りないのは一緒。……どうにかすると言う点では一致していますね』
『手伝って貰うぞ、アナトリアの傭兵』

 ハウゴ――皮肉げに笑う。

「オリジナルリンクス二人との共同戦線かよ。予想外だな。こっちの事情に妙に詳しいのは気にいらねぇが、まぁ、良い」

 敵新型――いや、旧型になるのか? ――の戦闘力が未知数である以上戦力が多いに越した事が無い。
 奇縁だな――敵対勢力である機体と偶然とはいえ戦線を張るそのめぐり合わせ。不意に、砂塵に消えた戦友が/同じように奇縁で結ばれたかつての戦友――アマジークが脳裏にチラつく。

「死ぬなよ」
『当たり前の事を』
『お気遣いどうも』

 口から零れる言葉――それはむしろ願いに似ていた。システムを戦闘機動へ、接近しつつある攻撃目標――<アレサ>プロトネクストに視線を向ける。
 交戦。




[3175] 第十六話『貴様は確かに抹殺した』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/22 11:47
 薄暗い闇。
 時折ブースターによる炎がチラつき、漆黒の闇に光を与えている――一機動兵器『ネクスト』が前進していた=レヴァンティーン基地内部を武力を持って侵攻するネクスト。

 六大企業の一つ、GAの粗製と揶揄されるリンクス、ユナイト・モスは、己と同様の経緯でリンクスとなったローディーと同様に戦果を求めている。
 粗製、粗製、粗製。出来損ないであるという評判を受け続けてきた。
 彼と同じようにリンクスになったローディーは先日アスピナの傭兵に苦渋を舐めさせたというが、しかし結局は破れ撤退を余儀なくされたという。
 
「失敗しねぇ、俺は失敗しねぇぞ」

 レイレナード社の新型機の実験施設であるというレヴァンティーン基地――新型兵器が運び去られて戦力の減少したそこを徹底的に破壊すること、多少の勇み足はあるかもしれないが、膨大な戦果さえあれば良い。結果がよければ良いと信じる彼は、ネクストAC<タイラント>の腕部一体型武装=バズーカアームで隔壁を吹き飛ばし、内部施設に侵入する。
 
「……なんだここは」

 大きい天井、地下の十分な空間――光源は十分でないが、どうやら建造ドックらしき場所に出たらしい。
 奇怪なのは、時折オレンジ色の火花が飛び散っている事だった。
<タイラント>の機体内の画像処理システムを呼び出し、明度を上昇させ薄暗い内部を肉眼で確認できるレベルに押し上げる。

「……お、おい。なんだこりゃ」

 ひび割れた様な言葉が自然と漏れ出た=眼前の光景が信じられない。
 内部に鎮座する巨大な存在――まるで巨大な蟲。黒い分厚い装甲をいくつも纏ったもの――推進器らしきものも見当たらないところから察するに装甲の厚さで相手の攻撃を防御し、下にあるキャタピラ類などで前進するのだろう。
 
 だが、ユナイト・モスが驚愕のうめき声をあげたのはその巨大兵器ではない。
 その巨大兵器に群がり、腕部を動かして建造している小型工作機械にこそ彼は恐怖した。

 四脚の小さな蜘蛛とでも言うべき形状/上部には小型のラインレーザー砲を積載/前足を器用に使用して、時折溶接の光を放ち装甲を巨大な蟲にはめていく。
 問題は、その小型機械が天井にもびっしりと張り付いていた事だった。

 恐らく三桁を軽々と越す小型工作機械の群れ――その蜘蛛のような機械郡はそこでようやく<タイラント>の存在に気づいたように一斉に立ち上がった――照準をつけるためのロックオンレーザーの赤い光条がタイラントの装甲を舐める。
 
「ひ、ひぃ!!」

 恐怖の叫び声をあげるユナイト・モスは、自分が何か異質な怪物の巣に紛れ込んでしまったかのような感覚に襲われ、ここから逃げ出そうと愛機を操ろうとする。
 だが、巣に踏み込んだ侵入者を逃がすまいと、蜘蛛の如き自立機械郡は上部のラインレーザーの銃口を向けた。

 発砲=暗闇が、破壊の光で覆い尽くされ太陽を越える明るさで照らし尽くされる。

 レーザーが走る――その一撃一撃はノーマルの装備するものにも劣る威力の低いものではある――しかし百を越す数が束ねられるとなるとその威力は計り知れない。プライマルアーマーと言えども膨大な数のレーザーを一斉に浴びせられれば限界が来る=ましてやレーザー兵装に対する防御力が軒並み低い典型的GA機体の<タイラント>が耐え切れるはずがなかった。

 照射時間はほんの一秒程度でしかないが、<タイラント>は装甲を溶解させられ、ボロボロになりながらもその場所から早急に逃げ出そうとする/来た道を戻ろうと旋回し工場を脱出――そうしようとした矢先に聞こえる声。

『運が無かったのぉ、お前さん』

 通信機からの言葉=同時に機体システムがコジマ粒子反応を検知――ネクストの接近を告げる。
 前方から現れる機体――球体型のプライマルアーマー整波性能に特化した頭部/脆いとすらいえる軽量型脚部/防御力をプライマルアーマーのみに絞ったアクアビットの正規ネクストAC/右腕武装=装弾数、威力を追及した高火力マシンガン/左腕武装=プライマルアーマーに強烈に干渉し、減退させるアクアビットの試作型レーザーライフル/左後背武装=高出力のプラズマを吐き出す大型プラズマキャノン――リンクスナンバー7、ネオニダスの駆るネクストAC<シルバーバレット>。
 同時にプラズマキャノンを展開し、砲門を<タイラント>に向ける。
 機体各所に重大なダメージを負った<タイラント>ではここから脱出することすら不可能だった――ユナイト・モスは叫ぶ。

「なんだ、お前ら、一体あの蟲共は、……ありゃ一体何なんだ!!」
『……人の最後を飾る言葉にしては月並みで悪いが……』

 小さな嘆息――ネオニダスは言う。

『ディソーダーを見られた以上、生かしては帰せん』

 白銀の光槍――プラズマ炎によって形成される灼熱の塊が吐き出され、一直線に伸び来る。
 それが、ユナイト・モスの見た最後の光景となった。




 どこか愛機が鈍い――いつもの己と違い、指先に神経が伸びているような気がしない/腹の奥底から闘志の炎が滾る気がしない/相手の手を二手三手先を読む戦闘知性が錆付いている=いや、錆付いているのはきっと自分自身なのだろう。

『アナトリアの傭兵……貴様、何を腑抜けている!!』

 怒りに似たような声――まるで期待していた相手が予想以上に弱くて苛立っているかのような言葉。

<アレサ>プロトネクストが左腕を振るい撒き散らす致死の豪雨――五連装大型ガトリングガンの巨大な弾丸はその命中すればネクストのプライマルアーマーを紙のように引き千切る性能を持っている=食らってみて分かった/数発の弾丸が直撃、<アイムラスト>の装甲が攻撃を食い止めようとするが、防ぎきれない。機体のステータスにダメージ表示。

「くそっ……!!」
『アンジェ、彼に構わず』

<ザンニ>の言葉――言葉には失望がありありと現れている。
 三次元戦闘を想定した<ラフカット>、相手の弾丸の乱射を逆間接型特有の跳躍力を以って回避し<アレサ>プロトネクストをルックダウンに入れ、トップアタック――プライマルアーマー貫通性能に優れたレーザーと弾丸を射撃。

『……赤色、貴方も、赤色?』
『……ネネルガル?! ……起きているのですか?!』

 瞬間――<アレサ>プロトネクストはネクストと比べても異常とも言える横方向へのクイックブーストで銃撃を回避してみせる=残像すら相手の網膜に刻むような異常な運動性能。漏れ聞こえる少女の声――ザンニは驚きつつ叫ぶ。

『……青色、青空の色。……<ラフカット>、海の色みたいで綺麗だけど、落とします』
『くそ、今まで覚醒の予兆すら見せなかった彼女がなんで今更だ……!!』

 その様子を見守りながら<アイムラスト>は右後背武装のミサイルランチャーを発射体勢に――ロックオン完了。

「仙人みたいな移動を繰り返す……!」

 トリガーを引く=放たれるミサイル弾頭は噴煙の尾を引きながら敵を目指す。
 だが――<アレサ>には背後に目でも付いているのか、正確に着弾のタイミングを見計らい、悪夢的加速力を持ってミサイル誘導性能を超える移動で回避。

 
 錆付いている。
 ハウゴは自覚せざるを得ない=もちろん彼が今まで身につけた戦技の数々は少し気落ちした程度で劣るほど程度の低いものではない。
 だが、相手が強敵であれば、その自分自身の僅かな性能低下が致命傷に結び付きかねないのだ。

「……錆びている、か」

 ハウゴ――小さな声。
 胸の奥底に穴が開いている――胸を吹き抜ける強い風がある/それは寂しさにも似て/絶望とも思える、重々しい鉛の塊だった。
 引き金を引くことは出来る、だがその行為に僅かに沸く疑問。友人を撃った事に対する嘆きか――戦い全てに対する諦観が神経にへばりついているかのよう。類稀な戦技を支える骨格が腑抜けているよう。

『……もういい、貴様は見ていろ!!』

 苛立たしげに叫ぶアンジェ――<オルレア>、右肩兵装=プラズマキャノン/左腕兵装=マシンガンを選択。プラズマの炎/連続して叩き込まれる機関砲弾の雨=減退性能に優れた二種の武装で<アレサ>の絶望的な分厚さを誇るプライマルアーマーを剥ぎに掛かる。
 


 アンジェ――余りにも予想と違っていたアナトリアの傭兵のどこかぎこちない動きに失望を押し殺せないでいる。

 あの初めて彼を見た瞬間の感覚――自分の目指す強さの極みを、その頂きを先に覗いたかのような動き=あの動きを真近で見ることが出来る今の現状に、最初不謹慎ながらも確かに喜びを感じていたのだ。
 だが、結果は彼女の予想を下回る。
 何処か、精細を欠いた回避機動/消極的な攻撃――そうでは無かったはずだ。
 もどかしい、時間があるのなら<アイムラスト>のコクピットハッチをこじ開け中のパイロットに一発拳骨をくれてやりたい気分。

『……空の青色、雲の白色、太陽の赤色……天使を落として地上に出て手に入れた光景……』
「ネネルガル、いい加減に正気を取り戻せ!!」

 勿論ハウゴに喝をくれてやる為の時間など無い。
 それどころか今まで敵らしき敵の居なかったアンジェと<オルレア>は未だかつて無い苦戦を強いられている。

<アレサ>プロトネクストの武装は二種類しかない。
 コジマキャノン/ガトリングガン。

 コジマキャノンは別に問題は無い。発射のために一時停止し、滑車型パイルを地面に打ち込まなければ発射できない武装など圧倒的機動力を誇るネクストにとっては目を瞑っていても回避できる攻撃であり、また静態目標に成り下がれば、<オルレア>最強のレーザーブレード『ムーンライト』の一太刀で屠り去る事が可能だろう――威力は致死だが、ネクストの機動性を前にしてはあまりに大味な相手の武装。

 問題はもう一つの腕部武装――さながら魔翼の如く広がり必殺の魔弾を雨霰と撒き散らす五連装ガトリングガンだ。

 掠めても大きくプライマルアーマーを減衰させ、数発を浴びただけでも凄まじい運動エネルギーによって機体がバランスを保つので精一杯に――硬直状態に陥れられる。

「手伝え、ザンニ!!」
『了解、合わせますよ、アンジェ……』

<ラフカット>跳躍=ならびに<オルレア>近接格闘距離へ突撃。
 頭上からの猛射/ならびにクイックブースターを絡めた攻防一体の機動。
 だが、<ラフカット>の猛射を通常推力で回避はするものの、肝心のクイックブースターは稼働させない。
 読まれている=クイックブースターを稼働させればどうしても次の回避挙動を行う為には隙が出来る/その隙を狙い、月光による一撃を狙ったのだが、<アレサ>は最大の脅威が<オルレア>のレーザーブレードであることを見抜いているのだ。
 五連装ガトリングがこちらに銃口を向けた――並ぶ大口径/悪鬼を思わせる高速回転の異音が掻き鳴らされ致命の豪雨が吐き出されようとした瞬間。

『……意図は読んだ。手伝うぜ!!』

 後方からの声――アナトリアの傭兵の言葉/オーバードブースターを用いた高速突撃/左肩のハイレーザーキャノンがその砲身を露わにし、先端を<アレサ>に向けている=発砲――白熱の巨槍が<アレサ>の回避機動を予測/直撃コース。

 通常のライフル弾/レーザーライフルの攻撃は無視できるレベルとしても、メリエス製の大出力レーザーを無視する事は出来なかったらしい。<アレサ>――横方向への殺人的スライド移動/クイックブースター。

「取る……!!」

 好機――アンジェは脳髄が思考するより早く脊椎反射で以って突撃。
 スライド移動で回避した<アレサ>目掛け<オルレア>は白兵距離へ接近/並行して右腕武装のレーザーブレードに意識を集中。

『……う、うう……』
「まずはそのマシンガンを……!!」
 
 ネネルガルの呻き――今其処から出してやるといわんばかりにアンジェは斬撃に先んじて両肩から一対の閃光弾を射出=命中。
 炸裂する膨大な光量――敵機体のメインカメラを焼き、光学的補足を封じて攻撃させない特殊兵装。

『合わせるぜ、鳥殺し……!!』
「っ了解!!」

 突然に聞こえるハウゴ=アンダーノアの声。視界の影、挟み込むような位置から<アイムラスト>もオーバードブースターによる高速突撃で<アレサ>に切りかかろうとしている。

 流石だ――この戦闘に置いて初めてハウゴに対する賛嘆の念=そうでなくては。 
<アレサ>プロトネクストはクイックブースターによる回避能力を回復するには後数秒が必要――だが、致命の一刀を叩き込むには一秒が在れば事足り。



 アンジェ/ハウゴの二人が必殺の布陣を敷いたと判断しても/たとえロックオン出来ずとも使用できる兵装を=<アレサ>が未だ奥の手を潜ませていた事に気付かなくても――無理は無かった。


 
 コジマ収縮=<アレサ>プロトネクストの機体を覆うプライマルアーマーが禍々しい黄金の輝きを伴い/同時に破壊的白光が覆い尽くす。
 その行動が何で在るかを理解できた人間――ネクストの技術に関して最も詳しいザンニしか居ない/そしてこの状態では彼は忠告の言葉と<ラフカット>を緊急退避させるしか出来る事は無かった。

『……っ不味い! アサルトアーマーだ、逃げて!!』


 


 ハウゴは、眼前の大敵が行おうとしている事が何か極めて不味い破壊的行動である事を戦士としての本能で察知していた――しかし走るネクストは急には止まれない――オーバードブースターを点火等していればなおさらの事である。
<オルレア>は攻撃を中止し、即座に緊急退避機動=<アイムラスト>を庇う暇など無い。

 膨らむ白光/脊椎に炸裂する生存本能=<シュープリス>にやられたあの時に嗅いだ死の臭いが鼻腔をくすぐる。

 失敗だったのか――戦場で仲間を戦わせて後ろに引っ込んでいる事は、戦士として最大の恥辱=故にアンジェの行動を察し、そのタイミングに合わせた挟撃を仕掛けたが、結果は、どうやら最悪で終るらしい。
 此処が幕切れなのか――走馬灯が走る。

「……案外、早い幕切れだったか……。皆、今逝く。悪い、フィオナ」

 フィオナが悲鳴のような叫び声を上げたような気がする――すでに逝った戦友達の声が聞こえたような気がする。
 膨らむ白い光――その光が帯びる狂猛な威圧は恐らく<アイムラスト>を破壊するに足る威力を秘めていると理解できた。





 故にこそ、ハウゴ=アンダーノアは死に対する抵抗を諦めた。
 




 広がり滅ぼす破壊の同円心から逃れ得る術はなく、たとえ在ったとして闘志尽きたハウゴは惰弱にも死を受け入れ。








 その彼を救うべく――死者の遺志が黄泉帰る。







 一切合財の抵抗が無意味と言える絶望的状況――誰もが生の渇望を捨て、死への刹那を淡々と受け入れるであろう瞬間。<アイムラスト>に組み込まれた機構が目を覚ます。
 主の意を離れた機械は、己を作り上げた造物主の遺志を受け継ぎ、戦いに絶望しかけた漢の魂を救わんとした。<アイムラスト>――ディスプレイに黄金の文字が打刻され、秘められたシステムが復活する。



――     anti    kojima     particle     system     ――




『本機<アイムラスト>は至近距離において大規模コジマ爆発の予兆を確認しました』

 プライマルアーマー整波装置解放/<アイムラスト>のジェネレーターに組み込まれた、今まで眠り続けたが故に不要であると思われたパーツが目を覚ます/システム音声が無機質な声で引き金を引いた。




『反コジマ粒子機構、発動』


 






 アサルトアーマー。
 防御用のコジマ技術であるプライマルアーマーを収縮させ、自機を中心とした広範囲をコジマ爆発で吹き飛ばし殲滅する特殊兵装。プライマルアーマーを代償として失うが、その破壊力は絶大――ハイリスクハイリターンを地で行く<アレサ>の奥の手。
 アクアビットで極秘開発されたオーバードブースター技術の一環であり、この実験的システムを搭載している機体は現時点では<アレサ>プロトネクストしか存在していない。
 
『アンジェ!!』

 ザンニ――コジマ爆発の衝撃でプライマルアーマーを消耗し、機体各所から火花を散らす<オルレア>を見て叫ぶ。
 その声を聞きながらアンジェは衝撃でシートにぶつけた頭を振った。機体のステータスをチェックし、その酷い状態に眉を顰めつつ言う。

「……私は大丈夫だ、……<オルレア>の方は、世辞にも十全とは言い難いがな」

 至近距離――コジマ爆発を受け、<オルレア>の耐久力は限界近くまで削られている/戦闘AIは既に即時撤退を推奨していた。
 同時にレーダーを確認――自分と共に吶喊した<アイムラスト>はどうなったのか=質問の言葉を口にする。

「奴は?」
『……貴方と違い退避が間に合わなかったようですね、あの光の渦の中です』

 息を呑むアンジェ。
<アレサ>プロトネクストを爆心地としたあの破壊の渦は、未だコジマ粒子を散乱させており目視が不可能な状況である――だが、あの致命的破壊力の中心に居たのだ。恐らく確実に生き残ってはいまい。
 一人を欠いた今の戦力で暴走状態にあるネネルガルを止める事が出来るのか――滅びの粒子が空に溶け込み消えていく。
 その中心には無惨な亡骸を残した<アイムラスト>が横たわっているはずであり。故にこそアンジェは驚愕の思いで目を見開く/通信機からザンニの息を呑む声が聞こえる。

『……馬鹿な』

 アンジェの内心を代弁するかのようなザンニの言葉。
 あの破壊の中心に在った<アイムラスト>――致命的破壊を浴びたはずの機体は既に戦闘不能状況に陥っているはず=にも関わらず、全身から真紅のプライマルアーマーを身に纏い<アイムラスト>は其処に変わらず在った。


 

『ハウゴ……ハウゴ!! 馬鹿!』

 泣き声が、聞こえる。
 通信機からのフィオナの声――まだ生きている自分自身が信じられずハウゴはいつもと変わらぬ状態の操縦席を見回した。戦士としての第二の本能のように即座にステータスをチェック=信じられないものが表示されている――ハウゴは『異常なし』と告げるシステムを確認し、目を剥いた。

『さよならなんて……、さよならなんて……!』

 狭いコクピットに鳴り響く嗚咽の声――ハウゴは今の状態が、どう考えても死の選択以外に存在しなかった自分が何故生きているのか信じられず口を開いた。

「俺は、生きてるのか……?」
『……当たり前じゃない! ……父さんが、父さんが、貴方を護っていたのよ?』

 教授が? 言葉の意味が理解できないハウゴはディスプレイに映る黄金の文字を見やる。

「反コジマ粒子機構だと?」

 思い起こされるのは、整備班二名が告げた用途不明の機構。
 イェネルフェルト教授が残した意図不明のパーツに刻まれていた名称。同時に<アイムラスト>の統合制御体――反コジマ粒子機構の発動を引き金に設定されていたのか、自動で内蔵されていた画像データを再生開始。

 映るのは――生前イェネルフェルト教授が使用していた研究室とカメラの前にアップになったディスプレイ。
 猫背/身にまとう白衣はよれよれ/身なりに気をつけてと、今年二十になった娘に叱られてばかりだが、どうにも改める気にならないらしい=右下の日付からして恐らく暗殺される数日前に残した文字通りの遺言となるデータ。
 同時に未だ生きている<アイムラスト>の存在が信じられないと言わんばかりに<アレサ>は牙を剥く/五連装ガトリングガンが威嚇するかのような高速回転の異音を撒き散らす。

 うるさい/やかましい/黙っていろ貴様――ハウゴの心の奥底に湧き上がる怒りの念。

『やあ、ハウゴ。……コレを貴方が見ていると言う事は、恐らく私は既に死んでおり、あなたは恐らく敵のコジマ技術を転用したコジマ兵器の攻撃を受けているという事ですね? ……ああ、別に自分の記憶をデータに移し変えてマシンファザーとかになったわけではありませんから安心してください』
「遺言が聞けねぇだろ、黙ってやがれ……<アレサ>プロトネクスト!!」

 教授の言葉が聞こえなくなる――ガトリングガンのクソ喧しい異音に対して本日最大級の激怒。

 降り注ぐ致命的猛射を空中へと退避し、上空から銃撃=この上無い集中力、世界の全てが見えているような感覚――放たれた弾丸/特殊武装アサルトアーマーによるコジマ爆発で相手のプライマルアーマーは失われている――正確無比に<アレサ>の頭部メインカメラを掠めた。

 クイックブースター起動=まるでパイロットの動揺が乗り移ったかのような緊急退避機動で距離を開ける。

『アナトリアの実験機に残した技術は反コジマ粒子機構。……私が生きている事はまだ実装されてはいませんが、恐らく近いうちにコジマ粒子を兵器に転用した武装が現れるはずです。……それらを感知した瞬間、コジマ粒子相殺能力に特化したプライマルアーマー、名づけてアンチコジマアーマーが発動します』
『父さん……』

 思わぬ場所に眠っていた父の遺言――フィオナの涙声。
 死者となった人が残したものが、生者を護ってくれた。<アイムラスト>は再び遠距離からの銃撃に対応する――集中、この上なくハウゴは没頭している/遺言の言葉を心に刻みながらハウゴは先程とは比べ物にならない鋭い機動で戦いを続ける。

『……ハウゴ。私には貴方の苦しみはわからない。貴方が余りにも長い間孤独な戦いを続け、そして仲間に先立たれる苦しみは私には理解できないでしょう。……ですが、覚えておいて下さい。人と人との絆はたかが死が立ち入れるものでない。貴方が失った戦友達との絆は死如きが奪えるものではない、貴方が生きている限り』
「……教授」

<アイムラスト>は戦う――先程までの精細を欠いていた動きとは一線を画す動き。
 教授は実際に実践して見せた――人と人との絆は死如きが立ち入れるものではない。事実ハウゴを救ったのは、教授との絆。

 ハウゴは思い起こす。

 自分の中にも誰かが居る――ロスヴァイゼのあの悪夢的遠距離射撃/アップルボーイのレイヴンらしからぬ連携を意識した動き/アレスの誇り高い王者の猛攻/ストラングの冷徹なプロフェッショナルとしての機動/スティンガーの駆るファンタズマとの死闘/スミカ・ユーティライネンの的確なカバーリング――その全ての経験がハウゴ=アンダーノアを形作る不可分のものであり、自分が生きている限り彼らとの絆を断ち切る事など出来ない。そう、数日前に撃ったあの戦友との絆も。

「ロスヴァイゼ、アップルボーイ、アレス、ストラング、……アマジーク!! ……いるのなら援護しろ、手伝え!!」
『忘れないで下さい、ハウゴ。貴方は一人ではない。貴方は一人で戦っている訳ではない』

 信じ難い猛攻――<アイムラスト>が放つ銃弾の悉くは<アレサ>の急所目掛けて飛来する。
 致死の豪雨を撒き散らす五連装ガトリングガンが、<アイムラスト>が右腕に構える一本のライフルで完全に押さえ込まれている。

『……う、ううわぁぁ……起きてくる……ううぅぅぅ!!!!』
『ネネルガル……?!』

 通信機からの声――<アレサ>のパイロットらしき少女ネネルガルの苦悶に呻くような声/焦ったようなザンニの言葉。

『……離れて……奴が……AMSから奴の意思が流れ込んでくる!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 その叫び声と同時に<アレサ>が戦闘機動を止め――そして<アイムラスト>と正対=銃口を下げ、無防備に佇む。
 敵意を失ったのではない――ただ、冷徹にカメラ越しにこちらを観察するため足を止めたかのよう。

「……年頃の娘さんの悲鳴は好きじゃないな……。オイどうした」
『……貴様、何者だ』

 その声――ネネルガルのものであるはずの言葉にハウゴ/アンジェ/ザンニは違和感を感じる。
 苦悶に呻いていた少女の声――それがまるで一片の感情も感じられない無機質な機械的音声に移り変わったかに思える/先程までの言葉とは何かが決定的に異質。

「誰かと問われりゃ、ハウゴ=アンダーノア。アナトリアの傭兵さ」
『……貴様は確かに抹殺した。ナインブレイカー』
「……なに?」

 ハウゴ――その己を差す言葉に/今となってはプリス=ナーしか使わなくなった最強を差す呼び名に呆然とする。
 ネネルガル――否、それはまるで彼女の背後に潜む存在が、ネネルガルの言語中枢と声帯を用い、四苦八苦しながら人の言語を操っているかのようであった。

『貴様は、かつて<アタトナイ>と共に死したはず。事実ドミナントである貴様の屍を元にネネルガルとセロは生み出された。貴様の死亡は確認されている。貴様が生きているはずがない』
「……お前」

 何かが、途方も無く巨大で禍々しいものがゆっくりと鎌首を持ち上げるかのように起き上がる威圧感。


 セレ=クロワールによって目覚めてから敵を探し続けた。
 かつて自分のいた世界を滅ぼした敵を捜し求めた。だが巨象の下を這う蟻が、像の腹を天と錯覚する事に似て、探すべき敵は余りにも巨大であった。

 たとえ人類最強の戦力を有する個人で在ったとしても所詮は一人、求める相手にたどり着く確率は砂漠の中で一本の針を探す事に等しく/かつて絶望と諦観が心を支配した/戦場では無敵であろうと、撃つべき敵の見つけられる状況であってはハウゴは全くの無力だった。

 心が早鐘のように波打つ――かつて世界を滅ぼされた/空から降り注ぐ滅びの雨=『特攻兵器』/都市を押し潰す悪魔の鉄塊/突然に唐突に理不尽に何も判らぬまま――全てが虫けらのように屠られた/憎い仇敵に誓って痛撃を叩き込まんと仲間の鴉と共に挑み/そして後一発が足らなかった。
 



 まさか、まさかまさかまさか――――!!



 胸中を塗り潰す憎悪の炎/言葉を漏らせば胸を突いて憤怒と呪詛が湧き上がる/永劫に思える時間を彷徨い歩き/そして探し続けた。
 宿敵――仇敵――大敵――讐敵――怨敵――捜し求めた相手。





「まさか、お前は―――――――――――!!」










 そして。
 遂に、――――真の敵が姿を現す。



















『我は、偉大なる脳髄(グローバルコーテックス)』




[3175] 第十七話『この瞬間では、力こそが』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/22 11:57
 アンジェ――愛機<オルレア>を全速度で後退させながら呻くような呟きをもらす。
 
「……こいつら」

 漏れ聞こえる言葉――余人には到底理解できぬと思わせる殺意漲るそのアナトリアの傭兵の言葉に/短い叫びに込められた激烈な憎悪にアンジェは眉を寄せる。

 両者に接点など無いはずだ。

 ネネルガルは国家解体戦争の後に五年間の永い眠りに付いていた。ハウゴ=アンダーノアは国家解体戦争の後に行方不明――恐らくアナトリアにかくまわれていたのだろう。故にその両者が交わる機会など無かった筈。

 だが、アンジェの直感は両名は出会ったことがあると告げていた。
 アナトリアのネクストAC<アイムラスト>から放たれる壮絶な鬼気は、<アレサ>プロトネクストに向けられている。あの憎悪は顔を合わせた事が無い者同士が抱けるような生易しいものではない。

『……命令する。<オルレア>及び<ラフカット>は急ぎ戦線から離脱せよ』
『今になって、どういうですか……』
『これよりECMによる通信霍乱を行うためだ。彼と言えど、天使を呼ばれては勝ち目が薄くなる』

 本社からの直接命令。アナトリアの傭兵に戦闘を任せて、二人のネクスト機体は直ちに退避しろと言う上層からの強い命令――レイレナード社は自社戦力を消耗する事を嫌がり、この場に居合わせた<アイムラスト>に後始末を押し付けるつもりなのだろう。

 今度は戦士としての恥辱を二人が味わう番だった。たとえ一時とはいえ轡を並べた仲間を見捨てて自分だけ逃亡する=許し難い卑劣。
 
『兎に角、……残念ながら<オルレア>は戦闘続行不能です。後は……彼に任せるしかありませんね』
『……そうだな』

 ザンニ――アンジェと同様に無念さを感じているのだろう。努めて平静さを装っている。

(本当にそうか?)

 アンジェは思う。確かに<オルレア>は戦闘続行には厳しい状況――だが、それでもアンジェが撤退命令を大人しく受け入れたのには理由がある。
 肉と命を削りあうような戦いを好む剣士アンジェとしての、戦士としての本能が叫んでいたのかもしれない。


 間に入ってはいけないと。
 あの両者が戦うのは、もっと深い理由。自分の踏み入る事の出来ない、因縁の鎖に結ばれた存在のみが立ち入れる、厳粛な決闘空間であるのだと思ったのだ。





『……ウゴ?! EC…………信…………され……サポー……生き……』
「フィオナ?! くそっ、通信が死んだか」

 電子霍乱が周囲に行われているのだろうか、オペレーターとの連絡が出来ない状態だ。 
 相手を睨む=心臓が喚く/脳裏に悲鳴が木霊する=肉体が己のものでないような感覚――自分の居た世界を滅ぼした仇敵を目の前にし、第二次人類総数、百八十七億の死者の霊魂達が自分の魂に取り付き、憎悪と凶熱に駆られるまま復讐を果たそうとするかのようであった。
 
『在り得ぬ。……セロの報告を受けていたとはいえ、我は半信半疑であった。人に付き物である不確かな幻覚でも見たのかと判断した。
 ……だが確かに貴様の戦闘機動は、かつてのイレギュラーの物と極めて告示している』

<アレサ>プロトネクスト起動。
 膨大なコジマ粒子生成能力を発揮し、大気と土壌の汚染など寸毫たりとて意に介さぬ傲慢さでコジマ粒子放出――激しいスパーク音と共にプライマルアーマーが再び<アレサ>の周囲を鎧う。

 復活した不可視の甲冑を身に纏い、再び凶暴な戦闘機動を開始する。
<アイムラスト>――それに追従、ライフルを構えた。
 
「……じゃ、俺の存在はどう説明する?」

 ハウゴ――引き攣ったような笑み。反コジマ粒子機構システムを通常のプライマルアーマーに戻し、答えた。

 動揺している/問答の最中だが、すぐに攻撃に転じることができないのは、捜し求めた仇敵が突然に現れたゆえなのか。

『偶然の一致』
「言ったな!」
 
 凄まじい速力――網膜に残像を刻む壮絶な超機動。
 それに対応する<アイムラスト>の機動は<アレサ>プロトネクストほどの機動力はない。ハードウェアの面に関しては明らかに劣っている。だが、それを補って余りあるハウゴの操縦――ただ単純に戦い続けた歴戦のみが可能とする桁外れのソフトウェア。

<アイムラスト>の速力は通常ネクストの域を超えない。それでも<アレサ>に追従することが可能なのは、戦闘機動の贅肉を徹底してそぎ落とし、目標への最短距離をひた走る以外に無かった。
 ハウゴ――笑う。

「偶然の一致だと?!」

 相対することを望んだ。復讐を願った。なのにこの相手は自分がここに立っているはずがないと機械的な論理思考でその可能性を切り捨てる。

 ふざけるな=胸に着火する激怒の炎。如何なる困難をも乗り越え、相手に対して自分が失ったものを相応に購わせる――それを願い猛る意思を燃え上がらせずっと探し続けていたのに、この相手は自分の事をまるで歯牙にも掛けていない。





 この相手は、第一次人類と第二次人類を滅ぼしたことに対する負い目などまったく感じていない。






「……臥薪嘗胆って言葉を知ってるか?!」

 ハウゴ――叫ぶ。
 同時に<アイムラスト>のシステムに密かに組み込んでおいたプログラムを設定=左側のシステムディスプレイ画面にローディング表示。

「薪を寝床に、苦い肝を舐める。自分に苦痛を強いて、復讐の心を忘れない為だ! ……お前は本気で俺の名前が」

<アレサ>、カメラアイを滑らせ、照準。
<アイムラスト>のディスプレイ、回転するカウント――ゼロを目指し廻る、廻り続ける。

「この俺の名前が、アンダーノアと言う名前が! 本気で貴様の『地底の箱舟(アンダーノア)』計画と無関係だと思っていたか?!」
『ハウゴ=アンダーノア。――脅威レベルをイレギュラークラスに認定。最優先抹殺対象へと移項』

 ネネルガルの声帯を借り、冷徹な色を滲ませて滲ませていた<アレサ>プロトネクストに潜む何者かは、ハウゴのその言葉を聞くと共に機体全体から凍えるほど冷たい意思を漲らせる。塵芥と思い込んでいた小虫が人を殺せる致死の毒蟲であると気づいたかのように、それは危機意識を発揮し、それが動員できる最大の戦力を召還しようとする。

『最大戦力の行使を要求……承認、可決。対イレギュラー用兵器【ナインボール・セラフ】の投入を採択。招来を開始……回線断絶。何者かによる強力なジャミングを確認』

 表面上は感情の揺れなどまったく感じられない無機質な音声――だが、ハウゴには分かる。言葉に秘められた僅かな動揺が見て取れる。
 確かに、通常のリンクスならば<アレサ>プロトネクストの戦闘力を持ってすれば勝利は容易いだろう。それだけの性能を秘めているし、事実ハウゴは先ほど撃破されかけたのだ。油断ならない相手であることは間違いない。


 だが、この相手が。
 偉大なる脳髄に連なる仇敵であるならば、ハウゴは自らに架した枷を外す事になんら躊躇いを持たない。この時代の人間が持たない、旧時代の技術を行使することに迷いは無い。
 カウント――ゼロに到達。

「INTENSAFY―LOADING、【システムプラス】、戦闘稼働開始!」

 神経系光学繊維による反射速度上昇、肉体強化による抗G耐性、知覚系直接伝達(ダイレクトアクセス)と呼ばれるAMSに似た人機一体能力。どれもこの時代には決してありえない失われた技術の産物=強化人間。

 機体ジェネレーターのエネルギー消費効率最適化/大型兵器使用に伴う反動を直立姿勢のまま受け流す高度バランサー/索敵システムが感知した敵を直感的に把握するレーダーシステム/収束した重金属粒子の刃を射出する光波ブレードシステム――そのすべてが失われた遺失技術であり、もはやこのシステムを同様に扱えるのは囚人番号-24715のみ。

 同時に<アイムラスト>の性能限界を極限まで引き出すべく、砂漠の狼アマジークと同様に己の劣性AMS適正を無視し、機体との同調率を極限まで引き上げる。

「……う、ぐぬぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁあ!!!!」

 ぶちぶちぶちぶち。
 シナプスが千切れるような感覚が耳の奥で響く/脳が腫れているのか、激しい頭痛が響く。
 AMSは要するに脳内に直接電気信号を流し込み、膨大な情報を処理させるシステム。適正が劣性であるにも関わらず同調率を上昇させればその精神負荷は致命域まで達する。

 もし第三者がいれば、彼の瞳が血走っているのを確認できただろう。
 だがそれらすべての苦痛を強靭な意志力と復讐の凶念を持って強引に捻り伏せ、ハウゴは<アイムラスト>の設計限界性能を引き出す。脳髄の過負荷ゆえか、眼底が傷ついたのか、血の涙を流しながらも、しかしハウゴはそれでも激痛を嗤い痛快を感じる。

 ハウゴ=アンダーノアは一介の戦士。

 世界の裏側に潜む神如き存在を遂に戦場に引き出した。策も陰謀も通じない、純粋に戦闘力のみが問われる場所に、己の切っ先が届く舞台に相手を引きずりだすことに成功したのだ。今まで撃つべき敵の見えなかった苛立ちに比べてみれば、シナプスがあげる悲鳴など鼻先で笑える程度のものでしかない。

 誰かが言った言葉を、AMS過負荷により記憶野から焦げ付き失われた誰かの言葉を思い出す。

「しがらみも、陰謀も、此処じゃ何の意味も無い! ……この戦場では、この瞬間では、力こそがすべてだ!!」

<アイムラスト>――失われた技術による設計限界性能を発揮。ハウゴ――肉食獣を思わせる狂猛な笑み。
 
『貴様の戦闘力は既に把握している。癖も、動きも、全て』
「ただし、ずっと昔の俺のな……!! 覚えておけよ、偉大なる脳髄! 穴倉の中のお前と違い、俺は経験重ねてるんだぜ?!」
『戦力差は明白。貴様の最善行動は苦痛を伴わぬ速やかな自決。死ね、ナインブレイカー。ここは第三次人類を用いた実験世界。貴様の生きる世界ではない。貴様が本来属すべき世界は二千年前に我が滅ぼした。後を追え、貴様が真に属すべきは鬼籍、冥府。人間の言うあの世に逝くがいい』
「自覚ありの癖に! 詫びの言葉一つなしか、貴様!!」

<アレサ>、跳躍=大質量を飛翔させる強大なアクチュエーターがパワーを吐き出し、空中へ。

 同時に超大型コジマキャノンの砲身を向ける/エネルギー供給開始/コジマ粒子供給開始――破滅の灼光を蓄積/充填――発砲。通常ならば地面にパイルを打ち込まなければ発射できないコジマキャノン――射撃に伴う反動を驚異的重心操作のみでバランスを保ってみせた。

 単調な一撃――目を瞑っていても回避できる一発。
 
「そんな大味! ……ぬぁ?!」

 クイックブースター起動=横方向へ回避した瞬間、ハウゴは未だ破滅の灼光を銃身に蓄積したまま先端をこちらに向けている<アレサ>に思わず舌打ちをもらした。

 連射できるのか?! 脳髄に炸裂する戦慄と反射的回避機動を迅速に愛機に伝達。

<アイムラスト>、脚部屈伸――前方へ倒れこむようにして斜め上からの射撃に対し、被弾面積を削って一撃を回避――空を舐めるコジマの炎がプライマルアーマーを削りながら背後の地面に着弾した。

「くそったれが、奴が表に出ているせいかソフトウェア回りが強化されてるな?! あんな馬鹿反動を飛びながらやれるのか!」

 先入観が頭の中にあった――同時に<アレサ>プロトネクストに対する戦力評価を改めて頭の中で書き直す。
 偉大なる脳髄の影響だろう/もしくはあの機体の中に居るパイロットの元々持っている能力なのか――疑問を捨て置き戦闘に集中、心を戦いに特化させる。

 火力が足らない、火力が足らない、相手のガトリングガンは馬鹿げている。尋常な撃ち合いで勝てるとは思わない。
 ハウゴ=アンダーノアは純粋な火力信奉者である。基本的に戦いは攻撃力が重要だと考えている。防御力も機動力も戦場において勝利するための重要なファクターだが、一番を選べといわれればやはり攻撃力だろう。
 だが、それだとこの世で一番強いのは巨大兵器という事だ。ならば<アレサ>に勝つための手段の考案には、自分が巨大兵器と戦った時に使用する戦術が有効=即ち、懐に飛び込む。
 そこまで考えて、ハウゴは脳内で構築した戦術を放棄=クールになど、なれない。
 ただ身体から湧き上がる熱の欲するまま<アイムラスト>を疾走。

『理解できない。貴様は何故我を憎む』
「貴様に世界を滅ぼされた、それが理由じゃ不足か?!」
『なるほど、理解した。しかし貴様の憎悪は見当違いである。我が、第二次人類を生み出さなければ貴様は存在しなかった。その憎悪も発生しなかった。貴様の憎悪は見当違いである』
「そんな舐めた論理で何人殺した!!」
『第一次人類、第二次人類、抹殺総数三百五十一億人。それがどうした』
「ぐ、ぬぅ?! て、めぇ……!!」

 悪鬼も鼻白む言葉にハウゴは言葉を失う=目も眩む憤怒に歯をがちんと噛み鳴らした。

 同時に<アレサ>プロトネクスト――五連ガトリングガンの砲身を向ける=回転=発砲。即座に<アイムラスト>は弾丸を大きくそれて回避。

 数と威力で圧倒する狂猛な弾雨――ネクスト級の機体を操りながらその過剰な火線を掻い潜って突撃することは実質的に不可能。
 ハウゴ――かつての戦いの中で得た膨大な戦闘経験の蓄積から最適解をはじき出し、AMS過負荷でみしみしと内側から頭蓋骨を圧迫するような頭痛を押し殺し、愛機を操る指先に全てを委ねる=さながら掌にもう一つ脳があるよう。

 殺意の凶熱を滾らせる=されど力を束ねる芯は冷静な知性。
 ネクストのみならず、人体を模した兵器は内側に腕を向ける事より外側に腕を向ける事を不得意としている。それは構造上仕方無い事。ハウゴは、これまでの相手の動きを見て察している事があった。あの<アレサ>プロトネクストは圧倒的な機動性能を有している=だが、それでもAMSを機体制御に使用している以上、無人機と同じように人体の影響を無視は出来ないはず。コジマ粒子技術によるある程度の慣性相殺が確立しているとしても、限界がある。



 圧倒的機動性能を有しながらも、人を乗せているため、<アレサ>プロトネクストは性能に一点縛りを入れている――そこが狙い目だ。



「……行くぜ、偉大なる脳髄!」

<アイムラスト>、背部装甲カバー解放=オーバードブースター点火。
<アレサ>のガトリングガンが威嚇するように狙いを定め、回転。撒き散らされる弾丸――それらをオーバードブースターによる超加速で回避。ガトリングガンの外側に回りこむように高速突撃。

 相手の接近を狙う機動に気付いたのだろう=<アレサ>はガトリングガンの照準が付け易い中距離を保とうとした――その瞬間を狙い済ましたかのような、相手の呼吸を盗む神業的射撃=<アレサ>の分厚いプライマルアーマーすら貫通する威力を有したメリエス製ハイレーザーが照射される。
 クイックブースター噴射による回避=その脇を抜けるように<アイムラスト>は相手の横を疾走、その刹那にオーバードブースターを解除。

「貴様の横をぉぉぉぉぉ!!」

 クイックブースター派生機動であるターンブースト。
 脊椎をもぎ取る様なGを鍛えた頚椎で耐え、<アレサ>の真横を取る。<アレサ>は圧倒的なサイドブースター出力を誇る=だが、その圧倒的な出力を横方向への旋回に向ければ、間違いなくパイロットの頚椎を折る。その火力と通常推力の高さから、肉薄するほどの接近戦にはならないと設計者は考えたのだろう、間違いなく<アレサ>には旋回のためのターンブースター機構が不要と判断され、オミットされている。
 同時に白い炎の刀身を吹き上げる<アイムラスト>の左腕武装=高出力ダガーブレード。

『貴様は、我の予想を超えない』

 近接白兵戦距離――如何なる装甲も溶断する光の刃に、しかしネネルガルを操る存在は平静なまま応える。
 僅かな横方向への通常推力で、ブレードの間合いから逃れる――<アイムラスト>から見て後退する形。<アイムラスト>のレーザーブレードは威力と引き換えに刀身の長さを切り詰めたもの。相手の通常推力程度で刃の間合いから逃れることが出来る程度の長さしかない。

「ははっ、バグったか、偉大なる脳髄。……地底の奥でテメェの頭脳に黴が沸いたか」

 だが、それなら必殺の一撃、絶好の好機を逃したハウゴ=アンダーノアの嘲りの言葉はなんなのか。
 ダガーブレード――エネルギー供給力を極限まで上昇。

「俺には、これが出来る事を忘れたか!」

 一閃。
 振るわれる重金属粒子の塊であるレーザーブレードが規定値を遥かに上回るエネルギーを供給され――その斬撃モーションによって光の塊が飛んだ。
 飛来する光の塊――強化人間にのみ許された光波ブレードシステムにより射出された超光熱の塊は狙いを過たず、<アレサ>の頭部を両断する=首が、宙を舞った。

 同時にパイロットとの接続が解除されたのだろう――首無しとなった<アレサ>は機体制御を行う統合制御体を失い、その場にゆっくりと崩れ落ちる。

 
 空中に飛んだ、刎ね飛ばされた首を見上げる<アイムラスト>。
 カメラアイがそれを捕捉――右腕のライフルを天に掲げた。


 まるで開戦の狼煙を上げるように/戦う意志を宣言するように――照準を付ける。


「まず、一つ」


 トリガーを引く=発砲。
 空中の<アレサ>の頭部を銃撃で粉砕し、ハウゴは叫んだ。

「……我が復讐の一つは成せり!」





 ネネルガルは、茫洋と意識の中、自分を支配していた存在が打ち砕かれた事を肌で知った。統合制御体が一撃で断ち切られたため、機体破損によるAMS過負荷は起こっていないらしい。たいした腕前だと感心する。
 頭部を完全に破壊されたのだろう――全天周囲モニターは殆どが死に絶え、胸部に設置されたサブセンサーで周辺の光学情報を僅かに受信するのみ。
 振動――何かがゆっくりと近づいてくる音。微かに見える鋼鉄の巨人=アーマードコア・ネクスト。
 その巨人は手を伸ばし、<アレサ>の胸部を掴む――何か機械部品を引きちぎるような音。どうやらコクピットブロックを直接引きずり出そうとしているらしい。自分を誘拐しようとしているのだろうか? ネネルガルは不思議に思う。僅かに残ったサブセンサーの画像が消えていき、最後には電装系も死んだのか、真っ暗になった操縦席の中で目を閉じた。
 自分と戦った相手――そして恐らくは自分を支配していた存在を打ち砕いた相手。その機体<アイムラスト>を思い起こす。

「青空の青色、雲の白色、太陽の赤色。……とても綺麗です」

 たとえ誘拐されたところで、レイレナードで意に沿わぬ戦いを強いられる今よりも悪い事にはならないだろう。
 生来の楽観思考のまま、ネネルガルは意識を失った。




[3175] 第十八話『海の藻屑になって貰おうか』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/07/01 21:43
 ライフルは怖い。


 狙撃銃は対象の気付かぬ視覚の認識できる距離より遥か彼方から相手を撃つための武器であり、長大なライフリングによって弾頭の軌道を安定させ、狙撃専用に開発された弾丸は空気の影響でぶれる事無く対象に命中する。高精度/長射程――狙撃銃に代表される、BFFの生産する主生産商品。

 

 ある晴れた麗らかな日――森に面するその木陰でライフルを構える一人の少女に、大勢の大人達が期待するような目を向けていた。

 少女――陽光を孕んで輝くアッシュブロンドの長い髪=まるで頭上に王冠を被るよう/翠玉を思わせる青い瞳/美しいや、麗しい、という言葉よりもまず可憐という言葉が思い浮かぶ愛らしい顔立ち/庭園の中で美しく咲き誇るように大切に育てられ、当然のように美しく育ったような可憐な白菊の風情/五年後にはきっと深窓の令嬢か、光り輝く姫君のようになるぞと周囲の大人達が褒め称える少女=BFF軍部の名門貴族ウォルコット家の末娘=今年十三才になるリリウムは猟銃を構えている。

 直立し、銃底を型にあて、射撃の反動を受け流す体勢=見本のようなある種の機能的な美しさすら感じる凛とした構え。狙撃精度を高めるためには肉体の呼吸による微かな胸の上下すら制御しなければならない。まるで自分自身を銃器の一部と化し、弾丸を正確に、狙う目標へ放り込むための精密機器とするかのよう。

 

 ライフルは怖い。リリウムはいつもそう思っている。

 もっと小さな頃、八歳近くも年の離れたフランシスカ姉様とユジーン兄様に連れられ、他の大人達に混じって猟友会の会合に顔を出したとき、ライフルの轟音に怯えて泣き出してしまった事を覚えている。


 ライフルに指先が絡む――薬室に弾丸を送り込み、給弾。
 BFFの軍部の名門であるウォルコット家の人間は常に軍人たれと教えられている。事実二人の歳の離れた兄と姉は企業の最強兵器ネクストの搭乗者リンクスとして多大な戦果を上げている。

 ネクストの操縦に必要なAMS適正――遺伝子の如何なる部分がそれを可能としているのかは不明であるが、しかしウォルコット家の人間はAMS適正を保有する率が他の家系に比べて非常に高いらしい。それは即ち、リリウム自身もいずれBFFに属するリンクスとして戦場に立たなければならない宿命という事だった。


 ライフルは怖い。リリウムはいつもそう思っている。
 ライフルの発砲に伴う轟音も心臓が止まるぐらいに怖いが、それと同じぐらいに怖いのがスコープだった。

 スコープの先には狙うべき獲物がおり、照星の中に自分の生殺与奪の全てが他者に握られている事を知らないいきものが、いつもの日常が続くのだと無邪気に信じている。



 スコープの先=かわいい野うさぎ。小鼻を動かしながら草を食んでのんびりしている。

 
 引き金を一発引けば/指先にほんの少し力を込めれば弾丸が吐き出され、リリウムは周りの大人たちの拍手と賞賛の言葉を受け、一匹の獲物を手に入れる事が出来る。突然に唐突に他者の指先一つで人生を中断させられるその理不尽――考えるたびに胸が軋む。

 王小龍=リリウムの師でありBFF軍部の首脳とも言うべき初老の男性は、他の大人に混じっていつものように彼女に言葉を掛ける事無く、ただ黙って見守るだけ。それが本当は引き金を引くことを嫌がる自分の心を見透かしているかのように思えていた。


 リリウム=ウォルコットはライフルが怖い。
 世界を支配する六大企業/そのうちの一つであるBernard and Felix Foundation=略称BFFは、元々西欧に存在する古い名家が主体となって作り出された組織であり、属するリンクスナンバー5、『女帝』メアリー=シェリーの意思に寄るものか、高精度技術に定評がある。

 メアリー=シェリー。

 今年十三になるリリウムにとってその名は特別だった。国家解体戦争において上位から五番目の実力を持つBFFの女帝。あの人がライフルを構える姿は正に一個の精密機械のよう。文字通り空を飛ぶ鳥を射落とすその技量は、文字通りの神業だった。



 凄い、と思う。
 でも、憧れては、いない。



 ライフルは怖い。
 だけど人に照準を付けて/スコープの向こうで突然人生が終るのだと考えてもいない人に対し/躊躇い無く引き金を引ける人間は/動物ではなく人を狩れる人は――もっと怖かった。







「申し訳ありません、皆様」

 リリウム=ウォルコットはこの場に居た猟友会の大人達に深々と頭を下げる。
 射撃の瞬間、野うさぎがスコープ越しに覗いていたリリウムを見たのだ――いや、野うさぎが感づいたのでは無く、単に偶然振り向いただけだったのだろう。
 だがそれでも猟銃を扱うことに何処か忌避感を抱いていた少女を動揺させるには充分だった。

 震える銃身――ぶれる照準――放たれる弾丸は当たるわけも無くあさっての方向に逸れていった。結局仰天した野うさぎは泡を食ってその場から一目散に逃げ出していった。

「まぁ、仕方あるまい」

 その場に居た苦笑する大人達の心情を代弁するかのように一人の老人が言う。
 白が混じる黒髪/黒い瞳に浮かぶ深い知性の色/老いの影は見えるものの、しかしそれを補って余りある強靭さを思わせる/論理と洞察こそを最大の武器とする戦場の博士=権謀術策を駆使する策師/BFFの女帝メアリー=シェリーの養父であり軍部の重鎮、リリウムのライフルの師である初老の紳士/オリジナル=リンクスナンバー8=王小龍。
 
「申し訳ございません、王大人。……リリウムはご信頼に背きました」
「なに。気に病むほどの事でもあるまい」

 深々と頭を下げる少女に王小龍は苦笑を浮かべるのみ。とはいえ、リリウムとしては謝らずにはいられない。

 自分の失態は銃を教えた師の評判にも繋がる。そも、名門ウォルコットの生まれとはいえ、十三歳の少女に銃を扱わせるなど普通に考えれば非常識だろう。だが少女は自らの境遇を受け入れ、その武門の血筋が齎す宿命に忠実だった。

 事実、座学なら師である王小龍をも瞠目させる飲み込みの速さを見せている。砂に水を染み込ませるように物事を覚えていく、とは彼女の面倒を見る姉と兄の弁だった。

 だから、彼女をもし戦士として完成させるのであれば、それはただ一つ。
 引き金を引ける精神――他者の人生を断ち切る事に対する罪悪感の磨耗。王小龍は表面上は平静なまま密やかに笑う。それは見るものが見れば、笑顔の奥底に潜む邪悪に気付いただろう。自らの目的の為に他者の人生に歪みを入れる事に何ら躊躇いを持たない、エゴの怪物とも言うべき暗黒だった。



「リリ……リリ……」

 少女の声が、リリウム=ウォルコットの耳朶を震わす――同時に彼女は可憐な容姿を歓びに華やがせ、声の主を見やる。

 居るのは一人の壮年の男性――その少女の父親――の横に隠れる少女に目を向けて小走りに駆け出した。
 獲物を狩る事にすら躊躇いを覚える少女が、出来るだけ固辞し続けた猟友会の集いに参加したのは、その自分より一つ年下の少女に会うためでもあった。
 炎を連想させる鮮やかな珍しい赤毛/青い瞳の端には慣れない大人の中に居る事に心細さを感じていたのか涙の粒がある/その手の平は宝物でも掴むように茶褐色の熊――テディベアが握り締められていた=首を締められているような形だった/リリウム=ウォルコットの一つ年下の少女――BFF技術部門における日陰の立場のエネルギー開発に携わるヴァルデマー=カノセン博士の一人娘であるアンゼリカ=カノセン。

 家族や父母以外のほぼ全てに敬語を使ってしまう丁寧な喋りのリリウムが唯一家族以外で愛称を呼ぶアンゼリカに微笑みかけて、先に彼女の保護者に挨拶しようとヴァルデマー博士に向き直る。

「こんにちわ、ヴァルデマー様。お久しぶりです。アンも、お久しぶり」

 ヴァルデマー博士――少し血色の悪い肌/後ろに纏められたくすんだ金髪の壮年の男性/一つの物事に心血を注ぐ芸術家的な気質を思わせる好ましい偏屈さを有する印象――娘に前に出るように促しながら応える。

「やあ、リリウム……済まないが、アンと遊んで貰えるか?」
「はい、喜んで」

 リリウム――心の底から嬉しそうな表情。
 ――彼女の周りには同年代の人間が少なく、また年長者はそれぞれが社会的な地位と名声を獲得した大人ばかりであった。それは心安らげる対象であるはずの父母や歳の離れた兄と姉ですら例外でない。そんな彼女が出会った一つ年下の少女は、内気な性格で友達を作ることに不自由していた。
 初めて出会う自分と同様の、社会的地位も名声も持たない唯の女の子――要するに、リリウムは自分自身、お姉さんぶりたかったのかも知れないと思っている。


 ヴァルデマー博士は、目の前の男性、王小龍と向き合う――表情に真摯な色を満たして言った。

「……王大人、こういう形でお会いした事をまずお詫びします」
「いや、構わん。……お互い立場ある身だ。腹を割って話す機会も少ないしな」

 ヴァルデマー博士=安堵した表情をすぐに引き締める。

「……ご存知の通り、コジマ粒子を利用したアルテリアの基幹システムの構築は終っています。これが完成すれば、我々はレオーネの発電施設『メガリス』に頼る事無く潤沢な電力を得ることが出来る。……だが、この機構には欠陥があることは分かりきっているはずです」

 ヴァルデマー博士の研究内容は『コジマ粒子技術』を利用した発電施設の開発であり、これまで積み重ねた研究の成果もあり企業上層を納得させる事ができる実験結果を出すことが出来た。理論は既に完成しており、後はそれを実現するだけの資金、資材、時間だけが必要であるだけ。

 博士自身とて早く自分の技術で完成した実物を見たい。栄光と賞賛――研究を完成させる為に時間を費やしてきた/その費やしてきた時間のしわ寄せとして家族の団欒を犠牲にしてきた――冷えた家に娘を一人ぼっちにさせてきた。

 だが、研究が認められれば娘のアンゼリカを一人ぼっちにしておく必要も無くなる。

 アルテリアには一つ欠陥が存在していた。

 コジマ粒子を発電に使用するアルテリア技術は、使用と同時に周囲にコジマ汚染を撒き散らす。恒常的に発電を行うアルテリアを地上に建造すれば、そのコジマ汚染による大気と土壌の汚染は深刻化し、地球を人の住めない死の星にするだろう。
 その問題を解決する手段など判りきっている――なのに、何故かその段階にいたってBFF上層は二の足を踏んでいるのだった。

「アルテリア技術は確かにコジマ汚染を撒き散らします。しかしアレはネクストとは違う。汚染など関係の無い場所、宇宙にアルテリア施設を建造すればいい。……どうして上層はわかってくれないのでしょうか。頼みます、王大人、貴方からも口ぞえを」
「……貴方のいう事も判るがね。宇宙開発とも為ると、地上とは違う環境だ。かかる資金も当然違ってくる。二の足を踏まれるのも無理は無いだろうね」
「確かにリスクが大きいのは認めます。しかし完成した暁には、その提供されるエネルギーは……」
「……もう、止し給え」

 王小龍――手を挙げてヴァルデマー博士の言葉を制する。
 
「私が上層に口ぞえした程度では彼らの重い腰は上がらんだろう。……気に病むな。君は実力がある。アルテリア自体の有用性は認められているのだ。遠からぬうち、彼らも考えを改めるだろう。……この頃は趣味の狩りもしておらんのだろう? 気晴らしに君も撃てばどうだ?」
「……」
 
 内心は不満だらけだが、今は押し黙るより他無いと思ったのか――ヴァルデマー博士は無念そうに唇を噛むと軽く一礼しその場を去った。

 その背中を見送り、王小龍は不愉快そうに鼻を鳴らす。先程までの相手の言葉に耳を傾ける真摯な聴衆という仮面を脱ぎ捨て、頑迷で愚かな技術者の背に舌打ちを盛らした。
 相手の生命になんら価値を認めない独善的な色――他人の前では厳重に被った演技を脱ぎ捨て本性とも言うべき悪意の鱗片を覗かせる。

「……報酬も地位も約束されているだろうに。地上が汚染される事など無視しておれば、宇宙などに目を向けなければ長生きできただろうにな」

 王小龍――リリウムもヴァルデマー博士も、義理の娘であるメアリー=シェリーですらも知らないであろう、瘴気じみた言葉を漏らした。

「アサルト・セルの存在を感づかせる訳にもいかぬ。……いずれアルテリアの開発の目処が立てば……邪魔な上層ごと、クイーンズランスと共に海の藻屑になって貰おうか」





 ライフルは怖い。
 アンゼリカ=カノセンは、父の数少ない趣味である猟友会の集いに出たことがある。

 ――企業の中でも重宝される技術者である父親と一緒にお出かけする事は嬉しかったが、ライフルの轟音も、獲物の死もどちらも怖くて仕方のないものだった。でも研究で気疲れしているのだと幼い彼女にすら判る父親の数少ないストレス発散の場を自分のわがままで壊してしまうのはもっと辛かった。

 そんな中で出会ったのが一つ年上の少女であるリリウム=ウォルコットだった。
 BFFの名門ウォルコット家の末娘である彼女は、人見知りの激しい自分に声を掛けてくれた。

 会う回数は大人達の都合で会えたり/会えなかったりしたが、幼い両名にとって同年代、同性の友人と言うものはまさしく黄金に勝る貴重なものだった。

 
 猟友会の大人達が歓談する中、二人の同年代の少女は一緒に歩きながら陽光の差す森の中を歩いている。

 BFF本社施設のクイーンズランスにリリウムもアンゼリカも顔を出したことはあったが、あの場所は空気が清潔すぎて、かえって体に合わなかった。森の中でしか存在しない濃紺な生命の香りは、やはり生命の充満する森の中でしか味わう事が出来ない――アンゼリカ、リリウムに手を引かれながら言う。


「リリ、残念だったね」
「え? 何がでしょうか、アン」
「さっきの」

 先程の外してしまった一撃の事を言っているのだろう。
 アンゼリカからすれば、彼女が褒められる事は純粋に嬉しかった、彼女が褒められないのは残念だった。大切なお友達が大人達に褒め称えられる様子を見たかったと、そのことを素直に告げたのだが、彼女の意に反してリリウムの顔は暗く曇る。

「ご、ごめんなさい、リリ……」

 途端声のトーンが落ちるアンゼリカ。リリウム――ついつい顔に暗い色が出ていたことを自覚して慌てて笑みを形作った。お姉さんなのだ、自分は。自分よりも小さい子を不安がらせてはいけない。

「いえ、気にしなくていいんです、アン」

 嫌われるかも知れないと泣きそうな顔をしている少女を安心させる為ににっこりと微笑むリリウム。熊のぬいぐるみを抱きしめて目頭の熱さを誤魔化すようにするアンゼリカ。

「外してしまったのは私の責任ですから。……それに、うさぎ、可愛かったのです」

 意図して外したわけではない。だが、心の何処かは安堵している。
 当てれば賞賛を得られただろう、しかし心の何処かは獲物を駆らずに済んだ偶然に感謝していた。

「そうだね、……うさぎ、かわいかったもの」

 こくり、と頷くアンゼリカにリリウムは顔を綻ばせる。
 ライフルは怖い。
 ライフルは罪を実感させる武器だ。拳銃やマシンガンは弾が当たる事を期待して弾丸をばら撒く武器だ。だが、ライフルはスコープで相手の顔を目で見て、相手が自分と同じ生き物であると実感して、それでも尚引き金を引くための、膨大な殺意を要する武器だ。

 リリウムは座学なら兎も角、実戦では、自分の気性それ自体が戦いに向いていないと自覚している。周囲の期待に応えられないのは辛い/申し訳ないとは思う。周囲から求められるものと自分が求めているものが違うのは残念だが、いつかきっと王大人やフランシスカ姉様とユジーン兄様も判ってくれると思う。

「かわいいうさぎ、見つかるといいね、リリウム」
「そうですね、アン」

 微笑みあう二人。スコープ越しにでも草を食むうさぎはとても愛らしかった。あんなに可愛かったのだ、アンゼリカもきっと気に入ってくれるに違いない。今度は命を奪う為にスコープ越しに見詰めるのではなく、驚かせないよう、自分の瞳でかわいいうさぎを仲の良い友達と一緒にそっと見つめるのだ。


 リリウム=ウォルコットは自分がライフルに向いていない事を自覚している。
 ただ、自分にそっと掌を握り締める中の良い友達と結び付けてくれた事は感謝しても良いと思っている。


 だからリリウムは、己の指を絡ませ、手で握り締めるのは、ライフルよりも――誰かの手の温かみのほうが良かった。
 
  


 だが。


 二人が戦うための因縁は/歪みは――もう、既にこの日から始まっていたのだ。




[3175] 第十九話『貴方には早すぎる』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/06/27 11:18
 ネクストの防御面において絶対的優位性を約束するプライマルアーマーに対する対処法は大別して二つになる。
 貫くか、剥ぐか――貫通か/減退か。

 コジマ粒子を機体周囲に安定滞留させる事により防御力を得るプライマルアーマーであるが、点の攻撃には弱いという弱点がある。またレーザー兵器による攻撃も有効であり、敵のプライマルアーマーを貫通する為にはアサルトライフル、スナイパーライフル、レーザー兵装が貫通性に優れている。

 次には、連続して攻撃を浴びせ続ける事によって相手のプライマルアーマーの再生力を上回り、プライマルアーマーを剥し防御力を削る事だ。この攻撃には継続して銃弾を浴びせるマシンガン、瞬間的に十数発の銃弾を叩き込むショットガン、或いはプラズマによってプライマルアーマーを大きく減退させるプラズマキャノンが上げられる。

 だが、貫くか、剥ぐか、その二者を両方とも満たす武装は少ないが、確かに存在している。
 レーザーブレードともう一つ。

 銃身にコジマ粒子を蓄積し放出する武装――時間を掛け、チャージ限界まで高めた場合のその破壊力は筆舌に尽くしがたく、よほどの重装甲型でも無い限り一撃でネクストをすら撃破する悪夢的威力を有する兵器。


 すなわち、コジマキャノン。



 
「やっぱ防御ミッションなんざ性に合わねぇなぁ」

 ネクストAC<アポカリプス>の中で一人ごちるプリスはレーダー更新を確認=撃破対象は既に何処にも見当たらない。
 視線を別に向ければ其処にはグローバルアーマメンツ社、通称GAのロゴが入った超音速旅客機が施設の中に収納されていく光景がある。

 今回のミッションはGA内で発生したGAEの内部監査の為の人間を無事迎え入れる為のものだった。

 中にはGAグループを構成する、環太平洋経済圏に本社を置く有澤重工の社長すら参加しているらしい。GAEの反乱の可能性が無いかを徹底的に洗い出すつもりなのだろう。
 ――何はともあれ、GAE上層部はこの内部監査を受け入れた。少なくとも今しばらくは反抗する意志は存在しないのだろう、とプリスは思う。GAEの新兵器『ソルディオス』はアクアビットが開発している大型コジマキャノンであるソルディオス砲は積載していない。今ならまだ言い訳が聞くという事だろう。

 今回のミッションは、要するにやってくるGAEへの内部監査官の乗るGA本社の旅客機の護衛であった。

 もしこれが何らかの手違いで他企業の息の掛かった武装テロリストに襲われ、仮に撃墜でもされてみれば、確実にGAEはグループから孤立する。


 ――故に、誠意を見せる意味で、GAE上層部はその護衛に彼らが有する最強のネクスト戦力を投入した。


 一人は、近年リンクスとして登録され――重装甲/重火力という矛盾を両立させ戦場にて圧倒的暴威を振るうリンクスナンバー41=プリス=ナーの操るネクストAC<アポカリプス>。

 そしてもう一人が、国家解体戦争においてその徹底的な大火力と重装甲にて多大な戦果を上げたGA社最高戦力――リンクスナンバー10=メノ・ルーの操るネクストAC<プリミティブライト>だった。

<プリミティブライト>――GA社特有の実弾防御を高めた角ばった印象の巨人/重量武装を振り回し、操るためのパワーに優れたアクチュエーターを内蔵するごつい腕部/右腕武装=プライマルアーマーも装甲も物理的破壊力で強引に貫通する大口径バズーカ/左腕武装=大型の機関砲弾を撒き散らすガトリングガン/両肩武装=推進速度を犠牲にした代わりに、追尾性能に優れ、ミサイルに搭載された膨大な量の炸薬で致命的な破壊の嵐を撒き散らすラージミサイル×2――GAの大火力重装甲主義を体現するかのごとき機体。


 既に撃破しつくされた敵の武装テロリスト部隊は跡形も無い。
 航空機とノーマルの混成部隊であったが、相手を爆殺半径に正確に放り込む能力を持つ<アポカリプス>と、実弾系武装に対しては機動要塞じみた圧倒的防御力と大火力を有する<プリミティブライト>の敵では無かった。

 むしろ撒き散らされるグレネードの破片/大爆発を引き起こすラージミサイル――その絶大な破壊力の余波であちこちに被害が見受けられる空港の後始末の方が絶望的な気分にさせられる。そういう意味も含めてプリス=ナーは自分には防衛ミッションなど不向きであると再確認させられた。

『どうして、……向ってきたのでしょう……退いて、と何度も言ったのに』
「酔うなよタコ。アンタの宗教だかなんだか知らねぇが、向ってくるなら殺るしかねぇだろうに」

 戦場に立つ戦士の言葉としてはあまりに優しさと柔らかさが強すぎるメノ・ルーの言葉にプリスは思わず口を挟む。

 そんな風に言う相手はプリスにとって敵に情けを掛ける事によって自己を高みに置こうとしているかのように思え、虫唾が走る為か――その舌鋒には容赦が無い。
 敬虔なクリスチャンであると言う事は聞いていたが、こんなひ弱な精神でよくも国家解体戦争を生き抜けたものだ、と半ば呆れたような思い――嘆くような彼女の息遣いが通信機越しに聞こえてきた。

「生は即ち食、食は即ち殺――気にするほどの事か?」
『……だけど、彼らのマッスルでは私のマッスルを貫く事など到底不可能だと判っていたはずなのに』
「…………………………………………………………………………………………………………………………は?」

 プリス=ナーはその哀しみに満ちた声音とはあまりに不似合いな言葉を聞いて思わず馬鹿のように聞き返した。
 とりあえず<アポカリプス>の通信機が狂ったか、はたまた自分が狂ったか、プリスは両方を疑った。<アポカリプス>の通信系の自己診察プログラムを走らせ、自分は正気であるか確認しようとする。
 プログラムには当然問題など無く、また、そもそも正気でない人間は自分が狂っているなどと考えはしない。

『さようなら……幸福を』
 
 十字を切って死者の冥福を祈っていると思しき台詞――しかし先程聞いた台詞のインパクトが余りにも強烈だったのでプリスは頭に?マークを連発しつつも帰還を命ずるオペレーターの声に従う事にした。とりあえず耳鼻科で診察を受けよう、そう心に誓った。





 健康優良児どころではない、並みの男が十人掛かっても正面から圧倒する身体能力を誇るプリス=ナーの診察の結果は勿論言うまでも無くまったく健康であり、耳に異常など無かった。

 彼女が今現在向っている場所は、今現在ほぼ唯一の友人と言えるミセス=テレジアの個人的な研究室である。メノ・ルーのマッスルとは何事なのか、それを聞くためだ。知人という事ならアナトリアに一人居るが、あれはどちらかと言うなら、強敵と書いて友と読ませる類の間柄なので、やはり純粋に友人となると彼女一人に限定される。

 GAEの施設、窓から陽光が挿すその建物の中を歩いていると、プリスはそこで一人何個かの箱を抱え、てこてこ歩いている子供に気付いた。

 年齢は十二歳ぐらいだろうか――柔らかそうな明るい亜麻色の髪/優しさが表に出たような整った顔立ち/何処かの学校の制服なのか、黒白の制服を着崩す事無く喉元の辺りまできっちりとボタンを留めている/何処かの良家の子女と思わしき雰囲気/不安そうにあたりの建物に記入された案内を見ている――母鹿を探す群からはぐれた小鹿の風情/抱える箱には『有澤名物温泉饅頭』『メタルウ○フカオス』『大統領の特別なスーツ』と書かれている。

 他人に親切にするような性格でもないプリス=ナーであったが、ふと視線を向けたのは、少年の顔立ちに何処か既視感を覚えたからだった。

「何してるんだ、餓鬼」
「あ、こんにちわ。お姉さん」

 ぺこり――少年は不安そうな表情を完璧な自制で消して微笑みで彩る。

「実はお母さんに会いに来たんですが。場所がわからなくなりました」
「母親? GAEに詰めてるのか」

 ふぅん? と呟く。生憎とGAEでの知り合いなど右手で充分事足りる程度――と言うよりテレジア一人しかいない。自分の物悲しくなるような交友関係の狭さに密かに愕然とするプリス。

「あんまり役に立てそうに無いな。……なんかパッと見て判る特徴とかないか?」
「はい、あります」
「おう、何だ。言ってみろ」

 にっこり、嬉しそうに笑う少年。

「お母さんは頭に大きい孔雀があります」
「…………そうか、そう言えば」

 今まで普通に接していたから忘れがちだったが――ぽん、と手を打つ。

「アイツ、……既婚者だったな」




 場所を間違えてはないよな――孔雀にしか見えない奇抜なヘアスタイルをしているミセス・テレジアの個人の研究室である事をプリスは確認して、扉を開いた。扉を開ければ其処には見知らぬ顔が一つ。


「お母さん!」
「ああ、デュナン。良く来たね」

 抱えていた箱をその辺に置いて傍目にも判るぐらいに嬉しそうな表情を浮かべ、デュナン少年は母親のミセス・テレジアに抱きついて嬉しそうな表情を浮かべている。

 プリス――親子同士の対面に同席するのは場違いな気分/ふと、同じくテレジアの自室で椅子に腰掛けている喪服にも思える黒と白で統一された衣服に身を包む一人の女性に気付いた。

 先天的色素欠乏症によるものか、銀に近い色合いの長い髪=右側にサイドテールで結い上げている/日光に対してあまりに脆弱な赤い瞳は深く鮮やか/口元から微かに覗く白い八重歯/その肌は薄絹を思わせるように滑らかで白に近い薄薔薇色/小柄な肢体――だがよく見れば四肢は程よく引き締まっている/胸元=特筆して描写する必要有り――ニ連装核ミサイル(いやらしい意味で)/胸部装甲の過剰な突出/男性諸氏の視線を強引に変化させる磁力を有した蟲惑的曲線/横方向からシルエットを視認した場合、突如出現する巨大山脈/深刻な肩凝りをもたらす重量級の重りを吊り下げている/ル○ン三世三代目オープニングテーマ風に言うなら魅惑の谷間/動作の端々に反応して過激に震える水蜜桃――……まあ、その、なんだ、……つまり要約すると、おっぱいが大きかった。

 この場に居る唯一の男性であるデュナン少年は未だ性に目覚めぬ純真無垢な少年なのだろう――是非ともそのままの、汚れを知らぬあなたのままでいていただきたい。母親の腕の中で久しぶりの再会を喜んでいる。よかったよかった、性に目覚めた青少年にとって目の前の彼女の胸は視覚的猛毒に過ぎない。友人の息子が女性の乳房に目覚める光景を見るのは真剣に辛いが、そんな事は無さそうだった、プリスはかなりマジで安堵した。

「初めまして。先のミッションでは一緒になったわね?」
「ああ、……あんたか」

 プリス――ぶっきら棒な口調。言われてみれば、その声は通信機越しに聞いたものと同一。
 
「メノ=ルーよ。宜しく」
「プリス=ナーだ」
 
 差し出される手――それを払いのける理由も無いし、プリスはそれを受取る。
 だが、そこから先が少し違っていた。メノ=ルーはプリスの手を取り握手――そしてもう一方の手で腕をさわさわ。

「――――ッッ!」
「やっぱり、思った通り、……とてもよいマッスルをお持ちのようね」

 そこまで来てプリス=ナーは唯一の友人ミセス・テレジアの研究室に足を運んだ理由を遅まきながらようやく思い出した。
 そう、マッスル。その意味不明にも程がある彼女の危言が何に由来するのかを知るためであった。




 国家解体戦争後、今ではGA最高のネクスト戦力と認定されているオリジナルリンクス、メノ=ルーであるが、彼女は別に最初から軍人を志したわけではなかった。

 むしろその正反対――人の魂の安息を願う、尼僧を目指していた。
 五年前の国家解体戦争以前の彼女は世界全体の危機に心を痛め、飢餓と紛争で傷つく世界それ自体を嘆く、良くいる心優しい人だった。
 ただ、そんなありふれた少女と彼女が違っていたのは――彼女が当時のGAのAMS関連技術者にAMS適正を認められたと言うことである。

 熱烈なスカウトが来た。

 当時より他企業とコジマ技術において後塵を拝していたGAはその当時喉から手が出るほどAMS適正――ネクストを運用する才能を持つ人間を求めていた。もしメノ=ルーがその誘いを拒んでいれば、非合法な手段に出たかもしれないが、GAにとっても彼女自身にとっても逸れは無かった。

 神に祈る日々を送っていたメノ=ルーではあったが、その祈りは例え心の安息をもたらしたとして――当時から問題視されていた地球金星化、各種エネルギー問題、勃発する紛争――祈りがもたらす心の救いは平安を与える――しかし、病んだ国が屠る人の数はその数千倍。

 神に祈るよりも、実効的な物理力の行使/即物的な劇薬が必要なのだと彼女は思った。

 アーマードコア・ネクスト。
 おおよそ個人が運用する最強の兵器であり、巡航ミサイルなどの大量破壊兵器と違い、よりデリケートで繊細な破壊力を行使できるもの。彼女はそれに選ばれたのだと――そう伝えられた時にメノ=ルーは僧衣を脱ぎ捨てリンクスになる事を決意する。アーマードコア・ネクストによる精密にして迅速な破壊力を行使し、必要最小限の出血を以って世界滅亡の歯止めを掛けるのだと。

 殺人は紛れも無い罪であるが、殺を以って生を紡ぐ事こそ、即物的な救済こそ必要であると思った。罪に塗れる事を覚悟した。


 メノ=ルーは勇者ではない。
 むしろその性質は臆病者と呼ぶに相応しいものであった。だが、この場合問題だったのは、彼女が非常に熱心な臆病者であったという事だろう。
 勇猛は蛮勇に繋がり、臆病は慎重に繋がる。
 彼女は戦士ではない――しかしそれ故自らの技量を磨くことに熱心であった。才能は乏しかったが、努力する才能だけは有していたと言っていい。

 高い実弾防御力を有する彼女の<プリミティブライト>であるが、圧倒的戦闘力を有するにも関わらず、戦場では心胆を凍えさせる敵とぶつかった事があった。半壊した機体でなおも抵抗する相手が居た。勝利などありえないのに尚抵抗する本物が居た。
 恐怖すると同時に畏怖と、敬意を抱いた。

 ネクストと比べて火力も装甲も脆弱なノーマルでなおも抵抗するその相手。その精神性に憧れた。
 不屈の闘志/精神性に憧れ――気が付けばメノ=ルーは真摯な根性主義者になっていた。

 戦場において生き延びるのは絶望的な状況でも尚心の折れぬ根性を持つ人間だ。からからになった体力/悲鳴を上げる筋肉に更なる酷使を強い、走り続ける事の出来るタフネス。過酷な戦場を行きぬいたという自負、尽きた体力を搾り出し走るための体力を振り絞る意志――それらは根性という名の肉体を支える力、自信という名の強靭な骨格。
 
 ふと、そこでメノ=ルーは考える。
 根性とは、どうやって培うのだろうか。


 
「……私はそこで思ったの」
「……ほう」

 本人がいるならマッスル発言に関して直接聞けば良いと思ってプリスは素直に質問をした=十秒目で即後悔。

 一から懇切丁寧に何故彼女がマッスルに拘るのか、その経緯を聞いている――どうしてアタクシはこんな処でこんな話をしているのだろうか。隣で母親に学校での生活をニコニコしながら話し合っているテレジアとデュナンの微笑ましい親子同士の会話が別次元かと思うぐらいにかけ離れている。

 ふと、物憂げな視線で目を伏せるメノ――視線が外れた/プリス=好機到来/手信号でテレジアに助けを求める――テレジア=無視。

 そんなプリスに微塵も気付かずメノ=ルーは言葉を続ける。

「根性とは、自信よ。即ち、いかに自分自身を苛め抜いたか、自分にどれ程過酷な負荷を強いたか。……その負荷を乗り越え得た筋肉こそが、根性の度合いを示すパラメーターなのだと気付いたんだわ。
 そう、つまりマッスルこそがその人の自己を鍛え上げた経緯を綴る肉の歴史書、勝敗を分ける最大の要因、根性を示すパラメーター」
「…………駄目だコイツ超面白い」
「筋肉は根性と同意義。いかな苦境でも根性を振り絞って立ちあがり続ける。過程は関係なく、最後に立っていた人が勝者。……私はそれを轡を共にした人に教えて貰ったわ」
「誰だよそれ」
「アンジェ」
 
 唐突に出てきた国家解体戦争で活躍したオリジナルリンクスのナンバー3の名前。プリスは片眉を上げる。そのあまりにも早すぎるお笑いシーンからシリアスシーンへの移動に一瞬戸惑ったような表情。

「ふむ、ちょっと珈琲でも入れてこようかね。メノ、プリス、君らは?」
「アタクシは別にいいや」
「砂糖とミルク入れたもので」

 注文を受取って私室に据え付けられた珈琲メーカーのある別室に移動するテレジア。母親を待つ間暇になったデュナン少年は椅子の上で足をブラブラさせて二人を見ている。
 
「まぁ、言いたい事の理屈は判らないでもねぇな」

 戦場では真っ先に諦めた人間から銃弾が当たる。勿論戦場で勝敗を決するのは物理的な要素だが、そういった精神的な部分も決して無視できぬ要素であることは間違いない。

 そう呟きながらプリスはごく自然な動作で/男性諸氏が実行しようとすればロープなしバンジーを敢行するほどの勇気を必要とする行動を/まるで扉を開けるようなごく日常的な行為を行うような気安さで/勇者の如き偉大な行為を/メノの乳房に手を伸ばした。

 
 むにょん。

 
 極上の触感=メノの胸、そう書くべきだとプリスは悟った。

「な、な、な」

 当然、メノ=ルーは自分が何をされているのか脳が理解できずパニック状態=薄薔薇色の頬を薔薇色に染めて自分の胸部に陵辱を加える、這うような動きの十本の指にただただ困惑するのみ。

「筋肉で根性の度合いを測るって理屈はわかるけどもよ。こっちは贅肉だらけだなぁ」
「な、なにを、なにを、して」
「……いや、ここまででかいと女として敗北感すら感じねぇな。なんつーか、セクハラしねぇと失礼に当たるような気がして、……な?」

 同意を求めるような声/椅子に腰掛けていた純情無垢な人様の子であるデュナン少年は訳も分からず真っ赤な顔をしていた。

「一揉み百万コームだ。……少年、お前の小遣い幾らよ?」
「え、えっと」

 思わず自分の懐の財布具合を確かめてしまうのは、幼くとも確かに彼が雄であったが故なのだろうか。

 だが、其処に青い顔で飛び込むミセス・テレジア。顔色を青く赤くいろいろ変えながら自分が目を離した隙に、自分の自室に展開されたお色気十八禁空間に――そのお色気空間に取り残されるにはあまりも若すぎる可愛い息子を庇うように抱きしめて叫んだ。子を思う母親の意志が沸き立ち、背筋に怒りの暗黒闘気が吹き上がる。

「ぷ、プリス! 人の息子に何をしている!」
「……ナニを、かねぇ」
「この子は子供だ! 情緒教育に悪すぎるね!」
「美味そうな少年と書いて美少年と書く」

 プリス=にやにや笑い。青少年をからかうことが楽しくて仕方が無いといった様子。メノ=唖然としながらも自分の胸に腕を巻きつけて乳房を庇うように後ろへ下がる。デュナン少年=意味も無く高鳴る心臓の鼓動に只管戸惑うのみ。自分が美味そうとはなんなのだろうと困惑。

 テレジア=握り締める拳を震わせ、外を指差して叫ぶ。

「幾ら君とは言え許せないね、表に出ろ、勝負だ!」
「へっ、勝負と聞いちゃ引けねぇな、良いぜ、受けて立つ!」

 椅子を蹴り飛ばして外に出る両者――そのまま走り去っていく二人の背中を唖然とした様子で見送ったメノ/デュナン少年は、勢い良く閉じられた扉の音でようやく正気を取り戻して、慌てて走り出していった。
 


 メノ=ルーとデュナン少年、その二人が遠ざかる足音を追って向った先はGAE内のレクリエーション施設の一つ、体育館だった。
 両名のその勝負の内容とは一体何か、走り込んで来たメノはその光景に思わず息を呑んで、母が心配で後ろからやってきたデュナン少年に向き直り叫んだ。

「駄目、デュナン! 貴方には早すぎる!」
「ふぇ?」

 言いつつデュナン少年を、メノの眼前で繰り広げられていたモノスゴイ光景から庇うようにその豊かすぎる胸で抱きしめた。
 ここから先、テレジアとプリスの両名に対する具体的な描写を避けねばならない。
 もし具体的な描写をすれば良い子が読めなくなってしまうのであった。

 にらみ合う女囚と人妻、まるでB級アダルトの枕詞のような経歴を持つ二人はどちらがより女性として格上なのかを死合って確かめるように勝負を始めていた。
 いやらしいテクニックの応酬、かなりどうでもいい死闘――それはその光景を見る少年少女が居れば無理やり大人の階段を上り詰めさせてしまう事請合いの壮絶な戦いだった。
 見るもの全てを身悶えさせる恐るべき魅力、というよりは淫らな桃色の激闘/十八禁に満ちたいやらしい決闘空間/今すぐ良い子も悪い子も見てはいけませんと立ち入り禁止を行うべきだが、責任ある大人の立場のメノはこんな凄い戦いを見逃すわけにはいかないと、一歩も動かず二人の戦いを見守っている。
 視覚を封じられたデュナン少年の耳に飛び込んでくるのは息苦しそうな母とプリスのなんだか変な声、おまけに自分を捉えて離さないメノは胸元を両腕で顔面に押し付けてくる――苦しいやら気持ちいいやらで頭がオーバーヒートしてなんだか訳が分からなくなってくる。
 メノ自身もまるで熱病で潤んだような目で両名の到底描写できない女の戦いを見守る――止めるなんて、勿体無くて出来なかった。
 
 


「へへっ、……や、やるじゃねぇか」
「ふふっ、……き、君もね」

 なにやら夕日をバックに殴りあったような無駄に爽やかな様子でプリスとテレジアはお互いの健闘を称えあっている。
 会話は爽やかだったが、二人の着衣はあられもないぐらいに乱れ、覗くうなじや頬にはキスマークが付きまくっており、それだけで事情を知らない人間が見ればよからぬ想像を掻き立てられるは確実、健全から一万光年はかけ離れた姿だった。
 
 ダブルノックアウト。

 両名とも相討ちした武人のよう――そのまま前のめりになってぶっ倒れてしまったのである。
 
 その光景を夢中になって遠巻きに見ていたメノ=ルーは、ようやく情緒教育に悪い光景から少年を解放することを思い出し。

「デュナン、もう大丈夫よ? ……あれ?」

 下手をすれば二人のイヤラシイ死闘よりも情緒教育に悪いかもしれない蟲惑的な果実を押し付けられ、触覚を刺激し続けられたのと、気持ちいいやら息苦しいやらのトリプルパンチでヘロヘロになってデュナン少年はそのまま母とその友人と同じように前のめりになってぶっ倒れたのであった。

 結果――蝶よ花よと大切に育てられ、これまで異性の事など意識した事も無かった純情可憐な少年デュナン君は、周りの大人達のご無体な振る舞いによってなんだか超強引に性の目覚めを迎えさせられた。
 良かったのかどうかは――本人にすら判らない、デュナン少年十二歳の春であった。






 ――昼間の喧騒から時間が過ぎた深夜。
 くぅくぅ、とベッドの上で寝息を立てるデュナンの髪を弄りながらテレジアは優しげな微笑を浮かべている。
 灯りは既に真っ暗で/枕元の小さな照明だけがオレンジ色のささやかな光を放っている。

 不意に扉を開ける音――待ち合わせていた相手。

「……やぁ、温泉饅頭、美味しくいただいたよ、隆文社長」

 入ってくる相手――暗闇でよく見えはしない、だがテレジアは良く見知っている相手。
 黒目黒髪/穏やかでありながら強い意志を思わせる瞳は彼の身に流れる侍の血筋である事を示すよう/への字に結ばれた一見して不機嫌そうな顔/望めば如何なる飽食も許される立場でありながら鉄の自制心と精神力でもって鍛えている為か、贅肉は極限まで皆無/紺色のスーツを上下に纏った壮年の男性――国家解体戦争以前は自社製の戦車の信頼性を証明するため戦車兵として活躍し、国家解体戦争において、『若』というリンクスネームを用いて自社製ネクスト<車懸>に搭乗したオリジナルの一人――同時にGAグループを形成する、環太平洋経済圏に本社を置く有澤重工の社長=世界の支配者階級の一人でありながら自ら前線に立つ寄人=リンクスナンバー24、有澤重工四十二代目社長、有澤隆文。
 
「……良く寝ているな」
「昼間色々あったからね。……貴方こそ、視察、ご苦労様」
 
 有澤隆文――寝入っているデュナンの顔を覗き込む。固い表情がふと和らいだ。

「……口元が君に似ている」
「目は貴方に似た」
「恨んでいるか、私を」

 不可解そうな表情のテレジア。

「何故? 貴方は企業社長という立場があって、私も研究を捨てる気は無かった。……お互い納得付くの筈だね? ……そういう貴方こそ、父親と言ってあげないんだね」
「……共に居られぬならば、最初から居らぬほうが良い」

 言葉に混じる苦汁の声――慣れ親しんだもので無くてはその鉄面皮の下の熱い血潮に気づく事はあるまい。
 デュナンの髪をなでる男のごつい手――不意に少年が寝息と共に声を漏らす。

「んん……お父さん……」

 不意に、金縛りにあったように、止まる指先。
 隆文は、少年の頭をなでてやる。自ら名乗り出る事を鉄の自制で禁じた男は/デュナンが無意識のうちに伸ばした手を握り返した。




[3175] 第二十話『なんせ、私の師だ』
Name: 八針来夏◆0831a7df ID:e7588bfd
Date: 2008/07/01 21:42
――国家解体戦争より一年後のある日の手記――


 私がそもそも専門としていた研究はアルツハイマーに代表される脳疾患の治療のための研究だった。義肢技術を研究する過程で、脳と機械を直結させるAMSを発見したイェルネフェルト教授に私が指示したのも当然の成り行きであり、最初は――そういう意図は存在していなかった。

 結局私が見つけたその遺伝子細胞とは単なる偶然の産物によって発見されたものだった。

 が、その技術を公表すれば、恐らく企業体から目を付けられる事はまず確実だった。
 ……脳の神経細胞の成長に関わる遺伝子細胞の発見に成功。脳細胞が死滅していくアルツハイマーに対する特効的な治療法になると判断した私は研究を続けようとするが、私はそこで教授に待ったを掛けられる。

 今から思えばそれは正解ではあったのに。
 マウスの実験結果、それが明らかになる。その発見した遺伝子――運動神経と免疫、そして特に知能の発達に密接に関わるものだった。
 数人の、当時は沢山居た同僚たちに酒の席で愚痴を零した程度であり、そのことを覚えている人は少ないだろう。


 そうであって貰いたい。そうでなければ。


 AMSは人間の脳を利用する制御システムであり、その脳の性能を根本から強化する私の論理はネクスト戦力を欲する企業からすれば何としてでも得ようとするものだろう。

 私の作った技術――人間の脳細胞の成長を促進する遺伝子改造技術。
 平たく言えば、それは天才を作る技術、人間の品種改良だ。



 だが、私が今まで生きてきた中で、師である教授を上回るものはこれしかなかった。
 いつか完成させたい。あの教授を上回る成果を上げたい。



 理論的にはその強化された脳髄ならば、『脳内認識加速機構』(システム・ステイシス)の過負荷にも耐えられる。ネクストを上回るネクストを生み出すことが出来る。
 いつに、なるのだろう。
 企業の目を気にする必要もなくこの技術を生み出そうとすれば、やはりアナトリアを捨て、企業に与するしかないのか?
 だが、大恩ある教授を裏切って? 
 だが、このまま教授の後継であるという立場のまま、一生を捧げると誓った研究も出来ずに?


 どうすればいい。わたしは、どうすればいいのだ。





 かちゃり、かちゃり、かちゃり、かちゃり。
 六大企業の一角インテリオル・ユニオンのリンクスが集うそのブリーフィングルームに、玩具を弄くる音が響き渡る。

 ルーピックキューブに絡む指先が、面の色を合わせようと幾度も回転させていく。やる事も無いのか、一人の女が、手元の玩具を操っている。
 手元には今指先で弄くるルーピックキューブ。耳から吊り下げるイヤリングも銀細工で出来た知恵の輪。

 頭の上に結い上げた黒い髪/涼しげな紫色の目元には黒縁の眼鏡/不機嫌そうに結ばれた桜色の唇=無言のうちに他者との係わり合いを拒絶するよう/メリハリの効いた美貌/紺色のスーツに下はタイトなスカート/一見すれば腕利きのOL=だが彼女を知ればその認識は過ちであると知らされる/重火力重装甲のタンク型ネクスト機体<レ・ザネ・フォル>を操るメリエス唯一のリンクス=オリジナル・リンクスナンバー18、スティレット。
 扉の開く音――首も動かさす、視線のみを向ければ、このブリーフィングに参加するもう一人。
 
「相変わらずの一人遊びか」
「……他者と共同するのは好きではない。そういうものだろう」

 冷やかす風も無く、ただ淡々と確認するような口調。
 理想的に発達した砂時計型の長身/波打つ柔らかそうな黒い髪/一目見ればその奥に強い光を感じるだろう黒い瞳/刀剣類を思わせる硬質の美貌/実質的なレオーネ・メカニカ主戦力と目される女は、スティレットと同様に紺色のスーツに身を包んでいる=少し窮屈そうに襟元を直していた/オリジナル=リンクスナンバー16=霞スミカ。

 同席する両者――どちらも歓談を愉しむ性格ではないのか、無言のまま椅子に腰を降ろす。無機質なルーピックキューブの回転音のみがブリーフィングルームに響き渡った。
 再度、扉の開く音――両名とも全く首を動かさない。

「やぁ、ご両人。相変わらず必要以上に喋らぬようでござるなぁ」
「……貴様は、喋りすぎる」
「ヤンか、シェリングはどうした」
「今回の実質的作戦指揮官は彼でしてな。少し時間がかかるそうでござる」

 三人目――異装の男性。
 禿頭/盲目故か、ミラーシェイドが目元を覆っている/その身には仏門に仕えるものが纏う袈裟――戦場の坊主/手には数珠国軍兵士として国家解体戦争に参加――戦いの最中永遠に光を失い、後にアルドラ所属のリンクスとなる/仏門に身を置く殺しの達人――戦場にて己が討った相手の成仏を祈る異色の男/企業所属のリンクスとしてはもっとも新しく、出撃した作戦では圧倒的戦果を上げるアルドラのリンクス/リンクスナンバー38=ヤン。

 三人の中では一番の年長者であり、国家解体戦争の後、仏門に帰依――だが、己にAMS適正があることを知り、リンクスとなる。一度は光を失うが、しかしAMSによってネクストと接続している時のみは再び光を感じる事が出来る――光を求めて殺しを鬻ぐ破戒僧――ヤンは、盲目でありながらも迷う事無く近くの椅子に座った。

 光を失いはしたが、AMSの特殊な影響によるものか、現在の彼の聴覚は異常な発達を遂げ、既に視覚無くとも日常生活に不足の無い域に達しているらしい。

「すまない、遅れたな」

 最後に中に入ってくる男性――長身/丸太を削って作ったような逞しい肉体/短く刈ったくすんだ金髪/穏やかな所作の中に爪を隠す鷹の風情/かつてのレイヴンの一人であり、AMS適正を認められリンクスになったオリジナル=リンクスナンバー14・シェリング。
 全員が全員、敬礼もせずかすかに首肯――シュリングは特に咎めもせずに頷く。

「さて、……まぁリンクス三人に脚を運んでもらったのだ。時間を掛けず、手早く行こう」

 シェリング――手元の操作パネルに指を滑らせ、作戦内容の解説を始める。 
 リンクスでありながら、戦術に明るく、また頭でっかちの作戦指令部よりもより現実に即したミッションプランを立てる能力を持つシュリングの重要性は、インテリオルユニオンも理解するところ。
 映像が映る――数十両の輸送車両/『GA』とロゴが刻まれている――シュリングは、再度操作パネルを動かす。再び現れるのは緑を有するコロニー。

「アナトリアへの経済支援物資を積載した、GA車両を攻撃。アナトリアのネクスト機体<アイムラスト>と、アナトリアの代表、エミール=グスタフを確保、奪取する」

 カチカチ、とルーピックキューブを弄くる手を止めるスティレット/目を細めるスミカ/ほぅ、とヤンの呟き/勿論三人はその言葉が示す意味をよく理解している。

 現在GAの勢力庇護下にあるコロニー・アナトリア。其処に対して攻撃を仕掛けるという事は、下手をすれば本格的な企業体同士の直接戦争を勃発させる引き金と為りかねない。
 だが、三人は一先ず疑問を据え置く。レイヴンとして数多の戦場を経験したリンクス、シェリングがそのことを気付いていないはずが無いという無言のうちの信頼によって三人はまず口を挟まない。

「……諸君らが実際に叩くのはのはGAの大規模な輸送車両だ」
「……インテリオル本気モードとしても、大仰過ぎないか」

 霞スミカの言葉はそのまま三人の心情の代弁だった。シェリングは、その言葉に対して、ただし、と付け加える。

「作戦行動が許されるのは三十秒、その三十秒で全て破壊する」
「ほぉ。……またぞろ、随分と時間を限られた作戦でござるなぁ」
 
 ヤン――自分の禿頭を叩いて可笑しそうに笑う。

「……シュリング、何を考えている。アナトリアのネクストにその代表を奪う事にどれ程の価値がある?」
「価値はある、充分すぎるほどに。……レイレナードに潜ませた技術者の中にインテリオルのスパイが居る。そこからの情報だ、見ろ」

 ディスプレイに表示されるもの――緑色の毒々しい爆発/ネクストに搭乗する人間ならば馴染みである究極の防御機構と機動性能を支える根幹技術――コジマの光だ。
 だが、大地を死滅させる毒の炎の中に直立する巨人が居る。アナトリアの傭兵が操るネクスト機体<アイムラスト>。
 驚きべきは、高濃度域ならば機体の耐久力すら減退させるコジマ粒子の中で損壊も無く立っている事、その原因が<アイムラスト>の纏う真紅のプライマルアーマーである事に三人は気付いた。
 ヤン――盲目ゆえに、横の二人が息を呑んだ理由が判らないらしい。一人だけ首を傾げている。

「……これは……、コジマ粒子と赤いプライマルアーマーが接触して……燃えているのか」

 スミカ――唖然とした様子で呟く。コジマ粒子と真紅のプライマルアーマー、その接触面にバチバチと燐光が瞬いている。恐らくあの眩い輝きは、接触した物質が結合、光熱で焦滅しているのだ。粒子同士がその存在全てをエネルギーに換算、炎と燃えて熱を大気に撒き散らし、消えていく様子がはっきりと映っている。
 
「技術班は、<アイムラスト>が展開している防御システムは、コジマ粒子の相殺性能に特化した特殊型であると判断した。
 コジマ汚染による大気と土壌の汚染に対する有用な手段であり、これを獲得する事が第一目標となる」
「なんと! ……すなわちコジマ粒子兵器に対する特効的な防御システムと言う事であるのですか」
「詳細は、実際に調べてみなければ分からない。だが、ネクストの環境汚染を減退させることが出来るなら、それに越したことも無い。そういうことだ」

 コジマ汚染による環境破壊のリスクはネクスト運用に関して決して避けえる事の出来ない致命的なリスク。その問題に対してどの企業体も根本的な解決である、コジマ兵器の運用停止を行おうとはしていない。だが、<アイムラスト>に搭載されたシステムを用いれば既に汚染された大地と土壌の浄化は無理でも、コジマ兵器運用後に使用することにより汚染を最低限に食い止めることが出来る。地球環境の命数を伸ばすことが可能であるということだ。
 スティレット――目を細めて呟く。

「……<アイムラスト>奪取の理由は理解できた。では、もうひとつは何だ? 企業間直接戦争の危険を冒す価値が二つ目にあるのか?」
「当然の疑問だ。……ゼルドナー計画は知っているな」
 
 その事は噂で三人も知る程度――人間の脳髄を利用したネクストの制御システムを用いる事により、ネクストの量産を可能とする計画だが、その中核である培養脳は実験中にアナトリアの傭兵の襲撃を受けて、アクアビットは事実上失敗したと認めているらしい。
 結果、馬鹿を見たのがインテリオル・ユニオン――特に発注を受け、傑作フレーム、『ヒルベルト』型をモデルに、量産に適したフレームの開発を始めていたアルドラだった。

 もちろん、と首肯するヤン。
 シェリングというリンクスは、自社企業にすら全幅の信頼を置いてはいない。かつてレイヴンであった経歴を持つ彼は、巨大組織は必要があれば自らの手足を切り落とすことも平気で行うことを知っている。作戦の背後に存在している事情を先だって調べておくことは彼にとってまさしく第二の本能に等しかった。

「……エミール=グスタフ。イェルネフェルト教授の直弟子の一人であり、脳に関する研究者だった。アスピナに幾度も招聘されたがそれを固辞し続け、アナトリアの政務の一切を取り仕切っている。……彼が過去に行っていた研究で、ひとつ面白い報告があった。
『脳神経細胞成長因子』(ニューロン・グローイングファクター)。運動と知能に密接に関わる遺伝子を彼が発見したと言うらしい」
「……なに?」

 聞きなれぬ言葉――スティレットは片眉を寄せる。シェリング――頷いて続ける。

「人間は生れ落ちた瞬間から脳細胞を死滅させ続けていく。彼は、その死滅していく脳細胞を増殖させていく手段を見つけたのだ。……分かるな? その意味が。成長するにつれ、ニューロン密度を高めていく人造の天才を作る技術。その技術があれば、通常の培養脳も極めて高い確率でAMS適正が得られるものと考えられている。アクアビットすら匙を投げたネクストの制御システムを生産できるかもしれない、そういうことだ。ネクスト三機を投入する価値は十分にある」
「天才を作る技術か。俄かには信じられないが、確かにそれならインテリオルが社運を賭ける理由も分かるが。……しかし、実際にインテリオルの部隊を動かすのか、良く上が賭ける気になったな」

 スミカの疑問――もしインテリオルが表立って動けば、他企業との直接戦争の口実になりかねない。老人どもにしては思い切った手段だが、と感心する。量産型ネクストの運用を始めれば、いずれ勝者になるかもしれないが、それまでに痛烈な打撃を受けかねない。

「……もちろん、インテリオルは直接には攻撃しない。我々はアナトリアに攻撃を仕掛ける武装勢力を支援し、混乱に紛れ、その二つを奪うためだ」
「アナトリアに攻撃をする武装勢力? ネクストを敵に回してもかまわない勢力など……いや、一つあったな」

 スティレット――自分の言葉に自分で回答/自己完結型らしく納得したように頷く。
 スミカ/ヤン――両名もその言葉が指す組織の名前を思い出す。アナトリアの傭兵に私怨を抱き、死すら恐れぬ組織――英雄を殺され、復讐に猛るものども/未だネクスト戦力を有する非企業系最大の戦力。

「マグリブを使う」
 
 シェリングは全員の脳裏に閃いた言葉を肯定。

「攻撃目標は、GAの経済支援物資を輸送した輸送車両の速やかな撃滅。
 それに入れ替えた車両にマグリブ解放戦線の戦力をアナトリア領内で展開。同時に工作員を放ち、アナトリアのネクスト機体<アイムラスト>を奪取する」

 同時に後ろのディスプレイに展開されるのは上空から見下ろした地形図――三人のネクスト<シリエジオ><レ・ザネ・フォル><ブラインドボルト>の配置、その最効率撃破ルートが表示。タイミング、連携それらが命となる作戦であり、実際に理想的な結果を齎そうとすれば事前演習が欠かせないだろう――共同を嫌うスティレット=あからさまな嘆息。

「……好きにやれ、私もそうする、……とはさすがに言えないか」
「まぁ、誰であろうと拙僧のレーザーにときめいて貰うだけでござる」

 スミカ――片手を挙げて質問。

「最後に一つ。……シェリング、お前は、レイヴンだったな。……アナトリアの傭兵、その実力はどれほどと思う?」

 それは単純な好奇心/興味から来た質問の言葉だった。今回の作戦では、三機のネクストはアナトリアの傭兵を相手取る予定は無い。ただ、砂漠の狼を討ち、現在驚くべき戦果を上げる彼の事を、かつて同じ鴉同士知っているのかと思ったが故の言葉だった。
 だから、その質問に対するシェリングの言葉は奇怪極まる。アナトリアの傭兵は、二十代後半であり、シェリングは四十に手が届きかけた、円熟した傭兵――故に彼の返答は矛盾を孕んだものだった。

「戦場であの人と一対一で当たるなど、想像したくも無い」

 そして、真剣な表情で、どう考えても普通ではない言葉を返した。

「なんせ、私の師だ」 




[3175] 第二十一話『あと一、二年程度か』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/07/01 23:50
 目が覚めれば、そこは知らない天井だった。

「……まずはお約束を処理、処理なのですよ」
 
 真っ白な病室――個人用の病室の中、一人の少女が目を覚ます。ここはどこだろうか? 思考――記憶から引き出すのは意識を失う前に見た最後の光景。<アレサ>の内部で消えていくディスプレイ群と近づいてくるネクストの足音/操縦席のあるブロックをパワーで引き剥がそうとする<アイムラスト>。

 偉大なる脳髄が干渉してきた時の記憶――まるでテレビ越しに映像を見るようにフィルターを通したような非現実的な感覚。少女は自分の体をよっこいしょ、と一声掛けて持ち上げた。静脈に注射された点滴の針を抜く。
 彼女は注射は嫌いだった。薬物は好かない。何より痛い。痛いのは嫌いだ。好きだというやつはただの変態だ。
 目を覚まし周囲を見回す――人影はない。頭の辺りにはナースコールがあったがなんとなくお世話にはなりたくなかったので押さないことにする。
 近くにあったニュースペーパーを手に取る/日付を確認。

「なんと」

 短く驚愕の呻き。国家解体戦争に従事し、その頃から既に五年が経過している事を知る。

 同時に空腹を訴える胃腸/ずっと眠り姫だったのなら栄養補給は静脈注射で十分だったとしても、まともな食事にはまったくご無沙汰だったということになる。
 固形物の食料、ちゃんとしたご飯が食べたい――脳髄の思考に同調するように胃袋が哀切を帯びた叫び声=空腹を訴える腹の音を鳴り響かせる。
 少女=無表情の顔に微かに羞恥の朱を挿して周囲を確認――誰もいない事を確かめると、安堵のため息を漏らす。
 
「まずはご飯。ご飯なのですよ」

 お腹が空いたので何か食べよう、そう思って、彼女は医務室を後にした。





 BFFからの依頼によるコジマ粒子満載の砕氷タンカー護衛。
 一転し、今度はBFF艦隊を襲撃する敵艦隊襲撃任務。

 
 砂漠の狼を討った事による精神的なダメージから復活したハウゴにとって、潜水艦が繰り出すミサイル迎撃も、鈍重な戦艦も相手にならず、危なげなくそれらの任務をこなす事に成功していた。

 そして、帰還/戦闘終了後のデブリーフィング/愛機<アイムラスト>の修理、並びに次回戦闘に合わせてレイレナード製マシンガン『モーターコブラ』購入などこまごまとした雑事を片付けて――とりあえず飯を食おうとしたハウゴはそこで、食堂をわくわくした目で見詰めている一人の少女の存在に気付いた。

 鴉の濡れ羽色を思わせる、腰まで伸びた艶やかな黒髪/精緻な人形細工を思わせる細面=表情筋はまったく凍りついたままであったが、瞳にはどこか期待に満ちた色がある/身長は百五十五ぐらい=伸びる手足――しなやかなばね、高密度に束ねられた筋肉、それは一流のみが理解できる戦士の肉体/体を覆うのは病院患者が纏うような化繊の服――周囲からは不可解そうな視線を向けられているものの、彼女はまったく意に介さぬ様子で食堂を穴が開くほど注視/食事時ではないので人は少ないが注目を集めている――きっと微笑めば華のようだろう、望めば魅力で人を引き寄せられそうだが、自身の魅力に無自覚なのか――飯に心奪われた様子。



 こんな奴いたっけ。ハウゴ=アンダーノアは首を捻りながら食事を貰おうと足を運ぶ。

(……はて、なんかどこかで見た気がするんだが)

 首を捻りながら歩くハウゴ――脳裏に閃く既視感=だれだっけ?
 横を通り過ぎようとして、彼女の視線が自分に突き刺さるのを感じる――彼女は微かに目を丸くし、息を呑む。次いでぺこぺこぺこ、足に履いたスリッパを鳴らし、ハウゴに近づいてくる。

 少女――十六歳辺りだろうか――静かに一礼/口を開く。

「始めまして。ハウゴ=アンダーノア。私の名前はネネルガルです、なのです。
 初対面の方にこんな事を言うのは失礼ですが、金貸してください」

 ハウゴ=超納得――そうか、こいつ、俺に似てるんだ。
 至近距離で彼女を見てハウゴは彼女がようやく自分が<アレサ>の操縦席から引きずりだした相手であることを思い出す。実際ハウゴは相手の顔をよく覚えていない。レイヴンは相手の顔を見て戦う訳ではない。むしろ戦闘機動の癖を視たほうが個人を特定するのに確実だ。少女、とは先のミッションの後に聞いていたが、特に興味も無く、またリンクスとして戦いに赴く必要があったので見舞いにも特に行かなかった。何せあのミッションの後二ヶ月近く眠り続けていたのだからわざわざ会う必要も無い、と思っていたのだが。

 ハウゴ=ふと、不可解そうに言う。

「……なんで俺の名前を知っている?」

 ハウゴの言葉にネネルガル、肩を竦める。

「そりゃ勿論」

 そして、そっと言葉の爆弾を放り込んだ。

「一応遺伝子上の、私の父親ですから、なのですから」
「……………………………………………………………………………………………………………………なぬ?」
「改めて名乗ります、ハウゴ=アンダーノア。私の名はネネルガル。第二次人類最後の決戦において偉大なる脳髄に敗れたドミナントである貴方を遺伝子原型(モデルジーン)とし、設計された人造人間が私です、なのです」
  
 




 ハウゴ=アンダーノアは気がつけば一児のパパになっていた。


 そんな馬鹿な、と思う。いや彼とて男性だ。そういうような、子供は知らなくていいごにょごにょな事を致した記憶が無いわけではないが、しかしもちろんそういう結果にならないようにきちんとしてきたのに。


 むしゃむしゃがつがつむしゃむしゃがつがつ――擬音語でネネルガルが今やっていることを表すと、こうなる。


 子供を餓鬼と言うが、文字通り飢えた鬼のように食事を取るネネルガル――ハウゴは見ていて食欲が減退。突如現れた謎の少女が自分の遺伝子をベースに作られた人造人間である=まともな神経ならば冗談と一笑に付すだろうが、あいにくと彼はそれが決して嘘でない事を知っている。

「……疑っている訳じゃねぇがな。……確かに俺自身もセレに再生処理を受けてこの時代に生きている訳だから、可能性は無い訳じゃない。……だが、何でお前、あんなもんに乗ってたんだ?」
「偉大なる脳髄は、ドクターコジマを名乗り、第三次人類にコジマ技術を与えました。……彼は人類を試しています。世界の覇権を握る力、その代わり自らの寄って立つ大地を腐らせる諸刃の剣をどう御するのか。……その結果次第で特攻兵器発動の時期を決定するのでしょう。私は、偉大なる脳髄にアクアビットに派遣されました。私をどう扱うのかも、彼の観察対象だったようですね」
「……参ったな。世界滅亡までもうカウントは始まっているのか」
「すぐ、では無いでしょう。あと百年単位は持つはずです。アレは気が長い。人間の尺度では測れぬほど気が長いです。そう案ずる事は無いのです、親父」
「……親父って。……やめろよその呼び方」

 ハウゴ=嫌そうな表情。
 自分の知らないところで勝手に血縁者を作られた――自分がいつの間にか老けた気分にさせられ、溜息を吐いた。

「……親? ……ねぇ、ハウゴ。それどういう事?」

 そんな訳で。


 背後から聞こえたそのうら若い女性の声にハウゴ/ネネルガル――服の中に氷塊でも入れられたように反射的に背筋を跳ね上げた。

 
 宿敵に繋がる重要な情報源と出会った事に対し動揺した男/空腹のあまり飢えを満たそうとして周囲に対する警戒が疎かになった少女――その両名は油断ゆえか、自分達に近づいて言葉を掛けようとしたフィオナの影に対し、反応が致命的に遅れたのであった。


「……しかも、ハウゴ……。その子……何時の子?」

 フィオナ――視線の冷たさが氷点下域。

 ハウゴ=アンダーノアの外見年齢は二十八前後であり、ネネルガルの外見年齢は十六歳。もし血縁の親子であるとすればそれ即ちハウゴが十二歳の時と言う結果になる。ギネス記録ではもっと下の年齢での出産などの記録があるが、それより下があるといってもこの場合なんの慰めにもならない。

 ハウゴ/ネネルガル――咄嗟のアイコンタクト=この辺の連携の速さは遺伝なのかもしれない。

 真実を語ることは出来ない――語ったとしてもその内容は正直滑稽無等なものであり到底信用できないだろう。ここは嘘で押し通す必要がある。

(俺に合わせろ)
(OK、マイファザー)

 ――この瞬間のみはテレパス能力に目覚めたように言語を超えた究極の理解を発揮する二人。

「俺は」
「私は」
「「実は義理の親子なんです!」」

 ハウゴ/ネネルガル――完璧な連携、肩を組んで仲良し親子をアピール――嘘八百を押し通そうとする。

 フィオナ――二人の見事な息の合いっぷりに目を瞬かせる/未だ不振そうだった。
 
「えーとだな。俺達は全世界フィギュアスケートで頂点に君臨するBFF団、王小龍と『銀盤の女帝』メアリー・シェリーの親子スケーターを打倒する為に日々修練に励んでいたんだ!!」

 フィオナ――ハウゴの出任せに開始一秒目で気付く=不審度が飛躍的に上昇。というか、最初で『えーと』などと自分の発言を考えている時点で駄目だった。

「頂点を極めた王者を倒すには堅い絆が必要! 故に私達は常日頃から絆を強くするため義理の親子の契りを結んだのです! ……って、どう考えても無茶があります! ありすぎるのです!」
「……なんだか大怪球とか繰り出したり世界を静止させたりしそうな組織なのね。バーナードアンドフェリックス財団って。知らなかった」
「親父、あんたアホですか! 明らかに疑われています! と言うか疑われて当然です、当たり前なのです!!」
「くそっ、氷原でBFFの輸送船に乗って潜水艦とドンパチやってたせいか、全然説得力の無い台詞を連想しちまったぜ……!!」

 ハウゴ=歯噛みする。ネネルガル=表情は相変わらず凍りついたように無表情だが、両腕を広げてパタパタ振り回している。動かない表情と感情を変わりに示すパロメーターのように両腕をパタパタ動かしているらしい。
 フィオナ=大きく溜息。

「……まぁ、二人がとても仲良しと言う事は良く分かったわ」

 ハウゴ/ネネルガル――お互いを見詰め合う=嫌そうな顔をした。お互いの顔を指差して言う。

「こいつと一緒にすんな」
「そうです、とても心外です。心外なのです」

 見事な息の会いっぷり――フィオナ、楽しそうな声を漏らした。しばらく肩を震わせて笑った後、気を取り直すように改めて言う。ネネルガルに目を向け、やわらかい微笑を向けた。

「目を覚ましたのね。……始めまして。私はフィオナ=イェルネフェルト。……お名前を聞いて良いかしら?」
「ネネルガル=アンダーノアと申します、始めまして、フィオナ」

 ネネルガル――ぺこりと丁寧な一礼。
 次いでたしなめるような表情のフィオナ。

「……でも、目覚めたばかりで動き回るのは良くないわよ? 先に、きちんと検査しておかないと」
「そーいう事を気にする必要のあるタマかね」

 横で笑うハウゴ――ネネルガルは彼をぎろりと睨み、次いでフィオナに素直に謝罪。
  
「……そうですね、すみません。フィオナ」
「ハウゴも。明らかに病人の子にたくさんご飯をあげたりして、彼女が体を壊したらどうするの?」
「そうです。そんな風に気の効かない男だから、私の弟に『僕は女になる!』とか言われて家を出られたりするのです、ですよ?」
「……はぁ?」
 
 訳が分からんと言わんばかりにたずね返すハウゴ。





 

 セロはブリーフィングルームの中で大きなくしゃみをした。
 隣に居たミド――心配そうに声を掛ける。

「体、具合悪いんですか? セロ」
「いや、大丈夫だ。……おかしいな。今誰かにとても酷い事を言われた気がするんだ」





 この頃のエミール=グスタフは恐らくアナトリアで一二を争うぐらいに忙しい立場にある人間だった。

 技術開発用のネクスト機体を運用しての企業体に対する傭兵業――これまでの作戦で得られた報酬は多く、現在、他のコロニーと比べても有数の発展を遂げていた。食料、仕事に事欠かず/安全と平和が維持されている――それは紛れも無く発展の土台であり、また人々が食事と仕事を求めて人口が流入する最大の理由でもあった。

 もちろん人が多くなれば新たに問題も発生するだろう/それに得た資金をどの部門に無駄なく適正に分配するか、という問題も存在している。そういった地道で、しかし必要不可欠な仕事をこなせる能力を持つ人間は、アナトリアには世辞にも多いとは言えず、この所のエミール=グスタフは多忙を極めていた。

 そんな彼にとって、先の依頼先が定かではないミッションで連れ出した少女が覚醒した、と言われても正直どうでもいい。

 現在、<アイムラスト>に搭載されたブラックボックスである『アンチコジマ粒子機構』は、<アイムラスト>の大幅なオーバーホールのついでに構造を研究されている。災厄を招く死神のようであり、また企業体に対する切り札にも成り得る、文字通りのジョーカーだが、解析はまだ遅遅として進んでいない。

 企業体に目を付けられれば、それを奪おうと攻めてくる敵が居るかもしれないし、逆に一般規格化できれば、それはアナトリアの強力な収入源になる代物だ。そちらに神経をすり減らしているので、余計なところに気を回す余裕が無い。

「こちらがハウゴの隠し子……じゃ、なかった。義理の娘に当たるネネルガルちゃん、だそうよ」
「……フィオナが最初どう思っていたのか、はっきりと分かったな」
「危ういところでした、だったのです」

 会議室の一室に集うハウゴ、エミール、フィオナ、そして、ネネルガル。

 フィオナの言葉にエミールはそうか、と頷くのみ。

 エミール=正直上の空。彼にしてみれば、『アンチコジマ粒子機構』を見たレイレナードが脅迫なり、恫喝なり、何らかのアクションを起こすものであると踏んでいた。しかし実際にはあのミッションから二ヶ月がたった現在でも相手は不気味な沈黙を保ったまま。

 ネネルガル=ぺこりと一礼。

「初めまして。エミール=グスタフさん。わたしは、ネネルガル=アンダーノアと言います、申します。今回は、どうもありがとうございました」
「いや……礼なら、私よりもアナトリアにそんなミッションを依頼した相手に言うべきだろう」
「とはいえ、お話を聞くだに、その方は名前を明かさなかったとか」

 ハウゴ=わからん、と首を捻った。

「確かにあのミッションにそう深い意味があるとは思わねぇが」

 レイレナードの実験を潰した――だが、其処にあの仇敵が出現した事は偶発的な要素であるはず=考え込むハウゴ。
 
「……ま、いい。正直親子と言う言葉を私も全面的に信じたわけでは無いが。……アナトリアに居たいと言うなら好きにしたまえ」
「ありがとうございます」

 ネネルガル――ぺこりと一礼。

「しかし、お前も何か得意な仕事はあるか?」

 ハウゴの言葉にネネルガルは短く頷く。自分の無い胸を力強く叩いた。
 何せ十六歳のハイスクールに通うような年頃の少女と言えども元企業のリンクスだ。下手な大人より遥かに多芸であるはず。 

「私が一番得意なのは親父との掛け合い漫才です」
「大嘘を吐くなタコ」
「はい、嘘ですが。……元々国家解体戦争時はネクストを操っていました。という訳で親父」
「おう、何だコラ」
「<アイムラスト>を私に譲ってくれれば、アナトリアの傭兵を私が引き継ぎます、やり遂げます」
「……その場合、俺はどうなるんだ?」
「……そう、つまり親父は娘に養われるヒモ人生、駄目人間に劇的なクラスチェンジを……」
「誰が変わるか!!」
 
 ハウゴ=本気で怒る。ネネルガル=相変わらずの無表情のまま、すました様子。

「まったく、親父はうるさいですね。そんなに私と組み体操がしたいのですか?」
「お前のような凹凸の少ない奴と組み体操して何が楽しい!! 俺はどちらかと言うならフィオナと組み体操したいぞ!!」

 ハウゴは叫びながらびしぃ! とフィオナを指差した。
 フィオナ=流れ弾でも喰らったような唖然とした表情。さながら麗らかな日差しの中、草原をピクニックしていたら何処からか猪にでも襲われたような気分で二人の会話を見守る。

「待てい!」

 突如として響き渡る声=会議室の扉を蹴破る勢いでアナトリアの整備班長である双子のおっさんであるスチュアート兄弟が、脈絡ゼロの登場を果たす。
 
「大恩ある教授のご息女であるフィオナを毒牙にかける事はお主でも許さん!」
「フィオナと組み体操がしたければ、ワシらを倒してゆけい!!」
「なにぃ?! という事は、逆に言えばお前ら二人を倒せばフィオナと組み体操できるという事か! 行くぞ、うおぉぉぉぉぉぉ!!」

 豪腕唸り、拳撃吹き荒れる肉体言語の交錯――たちまちハリウッドアクション映画終了十五分前並みの壮絶な死闘が繰り広げられる。その戦いを見守るのも馬鹿らしくなったのか、エミールは既に退席済み。ネネルガル――フィオナに目を向けた。

「……すみません、フィオナ」

 今までのハウゴとの馬鹿馬鹿しい会話とは違う、真摯な響きの言葉にフィオナは首を傾げた。冗談の入り混じる隙の無い瞳が彼女を見上げる。

「私は、私とハウゴは皆に黙っている事があります。……でもそれを教える訳には行かないのです」
「……」

 フィオナ――自然とその言葉が真実であると受け入れる。ハウゴとネネルガル、二人は何らかの関係がある人間だが、其処にあるものは簡単に言い表せない複雑なものであると、心の何処かで察していたのかもしれない。

「でも、親父と仲良くしてくれてありがとうございます。……本当に」

 全てを語る事が出来ない自分自身を責めるように肩を小さくするネネルガル。
 そんな彼女の肩を抱くフィオナ。謝るのは自分たちなのに。アナトリアの傭兵――受け入れたとはいえ、寿命を削り戦い続ける道を押し付けた自分らは、彼に謝罪こそすれ、礼を言われる筋合いは無いのだ。
 無いのに――彼女の瞳に封じられた罪悪感に似た影を見つけ、フィオナは慰めるようにかすかに微笑むだけしかできなかった。
 







 エミール=グスタフは一人、廊下を歩いている。

『アンチコジマ粒子機構』

 アナトリアの切り札となったその存在を知った時、エミールの心に浮かんだ感情は――新技術を獲得した歓喜でもなく/企業から付け狙われるトラブルを引いた焦燥でもなく――死しても尚エミールのはるか先を行く教授への嫉妬心だった。

「……まるで屑のようだな、私は。なんとも、無様な事だ」

 情けない。
 エミールは思う。今は無きイェネルフェルト教授への憧れはそのうちに、偉大なる師父を追い越したいと願う思いに移り変わって行った。だが、未だに自分はアナトリアの政務に追われ、かつて続けていた研究者の道を戻る事は出来ないでいる。
 追い越したい/追い抜きたい――師を上回る事が出来るかもしれない研究=神経細胞成長因子。
 
 それが可能とするもの――人造の天才、そして『脳内認識加速機構』(システム・ステイシス)。
 
 時間があれば、研究する時間があれば、きっと師を上回る研究成果を上げる事が出来る自信があった。
 アナトリアの政務の全てを放り出す事が出来れば――だが、アナトリアの支柱となった自分が責任を投げ出せば大変な事になる。この重責を放り出す事はできない。
 アナトリアが経済基盤を得て、企業体に呑まれず独立した存在になれば、エミールは再び研究者に戻る事が出来るだろう。




 そう信じてきた。
 








 そう、信じてきたのに。







「ごほっ、ごほっ……!!」


 噎せる――同時に喉の奥底から這い上がってくる熱い塊。
 当てた手の平を見れば、明らかに尋常ではない吐血の量――粘性を帯びた鮮血がべったりとへばりついている。
 それを誰にも見つからないようにハンカチで拭い――エミールは平静を装う。



 


 諦観/絶望――何も残せぬまま死ななければならぬ苦痛=何もかも諦めたような虚脱感。
 身体を蝕む死病。











「あと一、二年程度か……」











 そう、信じてきたのに彼に残された時間はあまりに短く。










 彼の無念に気付くものは何処にもいない。




[3175] 第二十二話『生贄にはちょうど良い』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/07/16 16:00
 デュナン少年がGAEに在籍する母親と共に暮らし始めてから、数ヶ月が過ぎた。
 プリス=ナーとしては正直戸惑う毎日が続いている。彼女の体のあちこちにある傷や、その狂猛な言動に対して普通誰も距離を置くのが当然であるのだが子供ゆえの鈍感さか、まったく臆する様子もなくにこにこしながら話しかけてくる相手は正直初めての体験である。
 肉体を戦闘に特化するための強化人間技術――その人体改造の結果として、プリス=ナーは子供を生むことが難しい体になっている。その事を後悔したことはない。支払った代償の結果は、女性として死んだも同然だったが、そもそもプリス自身、己は性別を間違えて生まれてきたのだと思っているし、また代わりに充分すぎる桁外れの戦闘力を得ることにも成功した。 
 子供を生んで育てて生きていく生き方は他の女がやるがいい、自分は血と硝煙の中で生きていくのがふさわしいのだと思い続けてきた。今もそう思っている。
 
「どうしたんですか、プリスさん」
「……あー」

 プリス=ナーはテレジアの私室で一人、部屋の主の私物であるコーヒーメーカーを勝手に使ってコーヒーを勝手に飲もうとしていたのだが、母親に会いに来ていたデュナン少年に捕まってお相伴させられている。プリスは地獄のように黒く熱く苦いブラック。デュナン少年はミルクとコーヒーの入った飲みやすいものを選んでいる。少年と大人の端境期にある年頃としては大人の味と呼称されるブラックコーヒーに大いに興味を持っていたのだろう――のんでいいですか? と尋ねられたので普通にプリスは飲みさしでよければ、と渡した。
 鼻腔をくすぐる香気は心地よくとも、その苦味ばかりは歳月を重ねなければ理解できないのだろう――あまりの苦さにデュナン少年は眉を寄せて辛そうな表情を浮かべた。どうやら一口目で断念したようであった。

「なぁ、そういやお前の……」

 プリス=ナーは心に一瞬躊躇いを覚える。
 彼女の友人たるミセス・テレジアと、その愛息デュナンには、顔の造形の端々に所々似通った点が見受けられる。親子と言う事は疑う点がない。
 そこで次に疑問に思うこと。
 テレジアの相手の男性はいったい誰だったのか、という事だった。

「はい」

 不思議そうに小首を傾げる少年の無邪気な笑顔にプリスは喉元まで競りあがった言葉を飲み込む。
 確かに知りたいことではあるが、下世話な好奇心に任せて相手が気にしている事に無遠慮に触れる行為なのでは無いか、と考える。相手が敵対者であれば情け容赦ない発言も行動も起こせるプリスだが、流石に自分よりも遥か年下に対してまで舌鋒を鋭くするほどでもないのだ。
 だが、プリスにとっては初めての質問であっても、デュナンにとっては決して珍しいものでもなかったのだろう。
 
「お父さんの事ですか?」

 此処で即座に違う、と否定できれば良かったのだろうが、相手のその言葉に思わず二の句を告げないでいるプリスは否定も肯定も出来なかった。この場合、沈黙は是だと踏んだデュナンは口を開く――プリス、困ったような表情。

「いや、別に無理に聞く気なんざねぇんだ」
「いえ、いいんです。……お父さんは、ちゃんとお母さんを愛している、そうお母さんが言っていました」

 そう告げた後、デュナンは少し恥ずかしそうな表情を浮かべて言う。

「えっと、ですね。プリスさん。……僕、絵本作家になりたいんです」
「へぇ。いい夢だな」
 
 プリス――少年の夢に対して特に否定するような言葉も表情も見せない。ただデュナンからしてみれば、思春期の少年が夢見る将来の夢としては多少軟弱であると思っていたのだろう――意外な肯定の言葉に不思議そうな表情。だが、すぐに嬉しそうな表情をみせる。

「……えっと、ですね。……お母さんもいい夢だね、と言ってくれたんです。
 ……でもこの前、GAの人とお母さんが話しているのを聞いたんです。……僕のお父さんもリンクスだから、僕には高い確率でAMS適正があるからって……。あんなに怒っているお母さん、始めて見ました」
「……なに?」

 BFFのウォルコット兄弟の例がある。AMS適正は一種の才能だが、同時にある程度遺伝する可能性が存在している。 
 AMS適正を有する人間同士の子供ならば確かにリンクスになれる可能性は高くなるかもしれない。それは同時に少年の父親がリンクスの誰かであると言う事を示唆している。

「……僕、絵本作家になりたいんです。……リンクスにはあんまりなりたくありません」
「……ま、そりゃそうだな」

 十二歳の少年であるデュナンだが、インテリオル・ユニオンの最年少リンクスであるセーラ=アンジェリック=スメラギの例もある。あと二年程度すれば戦場に立つ事すら不可能ではない。だが、年端も行かぬ自分の子供を戦場に送り届ける事を由とする母親が何処に居るだろうか。
 少年に続けて何か言おうとしたプリスだが、そこで自分の小脇に入れた連絡用のベルが震えているのに気付く。同時にかすかに胸元に振動が伝播してかすかに乳房が震えた。その様子を見たデュナン少年が顔を真っ赤にしているのを確認し、少年が無理矢理思春期を迎えさせられた全責任はメノにあるアタクシは悪くねぇぞチクショーと心の中でそっと自己弁護してから通話スイッチを入れる。

『プリス、すまない。ハイダ工廠へ緊急出撃だ』
「はぁん。了解。相手は?」

 話題の人であったテレジアからの連絡――戦場を選べぬ立場である、繋がれた山猫の立場が恨めしい。囚人として冷凍刑に処される前の自由だった時期は記憶の奥に埋もれて久しく、ただ、不満を鉛のような嘆息にして吐き出した。ハイダ工廠――記憶にあるデータを引き出す。アクアビットとの提携によって製作中の大型兵器『ソルディオス』があるGAE最大規模の生産施設だ。
 プリスの質問の言葉に対して少し躊躇うような沈黙が過ぎる――意を決したようなテレジアの言葉。

『有澤製ノーマル。……恐らくGA本社からの部隊だ』






 機動力が制限される閉所では、脚を止めた打ち合いが出来る重量級機体が有利である。
 しかしハイダ工廠へ三方からの侵攻ルートを確保した敵を撃退するには迅速に目的地へ急行する移動力が必要であり、また素早く敵部隊を撃破する火力も必要とされる。
 高機動/高火力/重装甲の全てを実現した<アポカリプス>にはうってつけとも言える作戦――しかし、現在迎撃任務に当たるプリスの眉間には不愉快そうな皺が極まれている。

「結局共食いかね、飽きねぇ、飽きねぇな、お前ら」

 敵のノーマルを光学補足――<アポカリプス>はその両肩に備える大口径グレネードを展開、発射態勢へ。
 突撃ライフルや通常型のミサイルならばネクストに対して足止めぐらいにはなるいであろう、実弾防御の高いGA製のノーマル部隊。だが、<アポカリプス>の馬鹿げた火力は、本来ならば優位であるはずの重量型ノーマルをごり押しで粉砕していく。
 プリス=不審そうな表情。

「……妙だな」
『どうしたね、プリス』

 緊急で管制を勤めるテレジアの声にプリスは言う。

「粘りがねぇっつうかな。こんな狭い所でグレネード馬鹿のアタクシとぶつかっておきながら、相手にゃ怯む挙動が見られねぇんだ」
『……無人機、かね?』
「有り得るな。脅しじゃねぇんかな、これは」

 プリス――自分自身の言葉にありそうな事だと呟く。
 少なくとも逆の立場であれば、プリスは冷静で居られる自身が無い。相手の行動はGA、有澤製ノーマルによるGAEへの威嚇だろう。勿論攻撃によって『ソルディオス』がある工場区画まで侵入できればそれはそれで良し、迎撃されるならされるで掣肘できると踏んだのだ。

『……敵ノーマル、後方に控えていた奴が逃げるな。……無人機の管制タイプか、こいつは』
「追うか?」
『……上から命令が来た。追撃はするな、との事だね。……ここから数キロ離れた地点に、本社所属のネクストが演習中だ。<フィードバック>……それに<車懸>だ。手を出せない』

 有澤重工のリンクスの名前を告げたときのテレジアの言葉――その不自然な間隔をプリスは一瞬不思議に思ったが、特に気にする事も無く、<アポカリプス>の戦闘システムを移動モードに切り替える。
 本社からの威圧――GA製ノーマルは武装テロリストと強弁できてもネクストに手を出せば本社との関係は最悪になる。
 GAアメリカとヨーロッパの確執は日増しに大きくなっていく。呆れたようにプリスは苦笑い。

「賢明で結構。帰還するぜ」
『了か……なんだ、レーダーに妙な奴が……』

 作戦終了を告げようとしたテレジア――だが、突然に妙な反応を拾ったのか、困惑したような声が漏れ、それは次の瞬間、驚愕に変化する。

『……撤退中の管制タイプに手を出した馬鹿がいる! ……IFF(敵味方識別装置)に応答無し、……この反応……!』

 息を呑み、呻くような声が響いた。

「新手かよ?」
『オーバードブースト、早い。……進路を<フィードバック>と<車懸>に切り替えた……こいつは……なんだ?!』



 
 
 気乗りしない任務であることは間違いが無い――赤褐色の機体の中で一人の壮年の男はレーダーを確認している。
 後ろにオールバックで纏められた黒髪/中年に差し掛かる年齢層だが黒い瞳は眼光鋭く強靭なものを思わせる/狭い機体の操縦席に押し込められた肉体は、自らの意志で戦場に立つ事を選んだもののみが纏う、軍神の如き武威を帯びていた/リンクスとしては若輩でも戦士としては一流である威厳を持つ男/GA社の焦りを示すといわれた粗製、リンクスナンバー36=ローディー。
 粗製であるという侮蔑の視線を叩き潰すため戦場を点々とする日々――だが、今回の作戦では彼の出番は無い。ただ其処にGA社製のネクストが存在しているという事がGAEに重圧を与える事になる。

「…………まったく」

 AMS適正が低いゆえ、精神負荷を無視できない――戦闘状態ならば兎も角、待機状態では発言すら億劫だった。
 視線を僚機に向ける。
 GAグループを構成する有澤重工の象徴――<車懸>も同様に待機している。
 GAEも馬鹿ではないはずだ。此処で自分達に手を出せばそれは明確な反乱と見なされ、本格的な戦力投入の理由になる。とはいえ、自社企業の一部に自社企業の戦力を投入したのでは費用対効果が悪い。差し向けられるのはアナトリアか、アスピナか。


 急を知らせる警告音――敵勢勢力と断定された敵ネクストが接近している。
 ローディー――馬鹿だったか? と心の中で呟き<フィードバック>を戦闘モードへ移項。同時にオーバードブースターによる膨大な推進炎を吐き出し、接近しつつある敵にカメラをズーム。その形状を確認――息を呑む。

「……なんだ?」
『……ローディー、聞こえるな? 不明機を迎撃。……こいつは……ただのネクストでは無さそうだな』

 ワカの声にローディーは敵を確認。


 敵、不明ネクスト反応、だが表示される数値はそれがただのネクスト機体では無い事を告げている。

 平均的なネクスト機体を大きく逸脱する純白の巨人/膨大なPA整波装置=整波装置が吐き出す膨大なコジマ粒子はただその巨人が動くだけで大地を腐らせ草木を枯らし命を無慈悲に奪う力を持つ/機体各所が内蔵する巨大な推力装置=その膨大な推力は、内部搭乗者の頚椎を平然とへし折るほどの圧倒的加速力をもたらす。

 右腕武装=インテリオル・ユニオンのハイレーザーライフル、カノープスに比較的酷似した『KARASAWA』と記入された長大なレーザーライフル/左腕武装=焦熱の刃を形成するための大きな重粒子形成機構、大型のレーザーブレード/右肩武装=形状から如何なる武装であるのか推測も出来ない特異な塊が接続されている/左肩武装=超大型のガトリングキャノンの如き形状をした大砲、極めて太いエネルギー供給用パイプが接続されている事からして未確認のレーザー兵器とシステムが推測。

 歪なまでに巨大な両肩/迷彩など一切考慮されない純白一色の塗装は設計者の絶大な自負を示すかのよう/鋼鉄と鋼鉄を拠り合わせ、更なる鋼鉄でくみ上げた、さながら人型の悪鬼/頭部のカメラアイが滑るように起動、二機のネクストを光学的補足した。

『……へぇ、ネクストが二機か。生贄にはちょうど良いかもね』

 通信内容の混線――敵の不明ネクストからだ。
 意外に幼い――同時に言葉の端々にまるで戦闘行為を愉しんでいるかのごとき傲慢な童子を思わせる感情の色がある。

『ま、せいぜい頑張って。……そうすりゃ多分、即死のみは免れる』

 発言から零れる残忍な意思――ローディーは戦闘機動を開始。純白の機体もそれに合わせてアクチュエーターから静かな唸りに似た音を上げ始める。

『……僕もこいつを操るのは初めてでね、嬲り殺しの加減がわからない。……出来るだけ長く持ってくれよ?
 なにせ、この<バニッシュメント>は死ぬほど強んだからさ』




[3175] 第二十三話『確認させて貰おうか』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e7588bfd
Date: 2008/08/23 11:18
 ネネルガル=アンダーノア。
 肉体年齢十六歳。戸籍上の年齢は二十一歳。

 アナトリアのネクスト運用に関わる人間が足を運ぶその食堂の中、先日突然に子持ちの立場になってしまったハウゴ=アンダーノアは頬杖を突きながら、先程からばりばりとすき焼きうどんをむさぼるように食らう義理の娘であるネネルガルを見やった。
 実際のところ実感はない――もし誰か女性が妊娠した結果子供が生まれたのならば、困惑しつつも理解できただろう。
 だが彼女は違う――ハウゴ=アンダーノアの宿敵とも言うべき存在が、己の手駒として人工的に生み出した強化人間であり、その生誕は子宮によるものでなく、超科学的な技術を用いて生み出されたものだ。
 ハウゴからすれば、『お前みたいな子など知らん!』と叫びだしたいところではあるが、しかし生憎と遺伝子学上ではハウゴとネネルガルは完全に親子関係に当たってしまう――遺伝子鑑定でもすれば自分の首を絞めてしまうのだ。

「……良く食うな」
「育ち盛りです、ですから」

 口の端にいいかんじに焦げた葱が張り付いていた。それを舌を伸ばしてぺろりと口に入れると、平らげ終えた鍋を前に満足そうにする。表情に変化は無いが数日してハウゴはなんとなくではあるものの、彼女の感情をその無表情のうちから感じ取る事に成功していた。

「……さてと。そろそろお話しておこうと思います、思うのです」
「何を?」
「私の姉弟の事を……」
「兄弟? 以前『僕は女になる!』って言って家をおん出たあの?」
「……親父、良くそんな事を覚えていますね、驚きです」
 
 あきれたようなネネルガルの視線――ハウゴは、気にした様子も無く、はっ、可笑しそうに笑う。

「……セロ。レイレナード社のコジマ粒子研究機関アクアビットに送られた私と同様、ローゼンタールのコジマ粒子開発機関であるオーメル・サイエンス・テクノロジーに送られた、人為的にAMS適正を高められた、私と同様親父の遺伝子を元に作り上げられた人造人間です、ですのです」
「……AMS適正SS+、それを人為的にやれるのか」

 こくり――頷くネネルガル。

「……私はあまり戦闘が好きでなく、また私に秘かに真実を伝え続けたセレ=クロワールからの情報もあり、偉大なる脳髄からの命令に懐疑的でした、だったのです。
 ……しかし、あの子は違います。
 彼は――セロは与えられた役割に忠実であり、そしてハウゴ――親父を憎んでいます。自分は強い。だが、その強さは貴方の血を引くが故でなく、己が特別なものであると証明しようとしています」
「……一応聞いておくと、やはり強い?」

 ネネルガル――ハウゴの言葉にこくん、と頷く。

「……彼のネクスト<テスタメント>もそのナンバーが6だけあり、強力です……。なの、ですが……彼ら……オーメルが偉大なる脳髄の技術提供を受けて開発させた<バニッシュメント>は拙い。……かつて存在した第二次人類の技術を盛り込んだあの機体を倒すのは至難の業でしょう」








 有澤渾身のネクスト<車懸>――実体弾の攻撃に対して要塞じみた防御力と、ネクスト級としても極めて強力な火力を有する戦車型機体。
 右肩兵装=垂直に上昇し、頭上から敵機に降り注ぐ垂直上昇式ミサイルランチャー/左肩兵装=有澤の大艦巨砲主義を体現するかのごとき大口径グレネードキャノン/右腕武装=物理的破壊力でPAも装甲ももろともに撃砕する大口径バズーカ/左腕武装=大型の期間砲弾を速射するガトリングガン。
 過剰なまでの防御力によって操縦者を保護し、過剰なまでの攻撃力でもって相手の攻撃力を素早く粉砕するという有澤のコンセプトにどこまでも忠実なその機体――操るのはリンクスナンバー24にして環太平洋経済圏に本社を置く有澤重工の社長=若。

「……GAE? いや」

 リンクスの一人であり、同時に社長業務も平行して行う彼は各企業の開発するパーツに深い造詣を持つ。その知識が告げている――今接近しつつある敵の大型ネクストは、少なくともGAEのものではない。
 高水準の性能を得ることを目的とした機体のコンセプト――むしろ同盟企業であるところのローゼンタール系列が一番近いか。
 しかし、だとしても――それを裏付ける証拠も無く、また理由も不明=疑問はさておき、若は<車懸>を戦闘体勢に以降――垂直上昇式ミサイルを選択=ロックオン、攻撃可能のサインを確認と同時にミサイルを射出。
<車懸>――後背よりミサイルを射出=ある一定の高度到達と同時に噴煙の尾を引き落下を開始するミサイルの豪雨。
 敵未確認ネクスト――通常推力で前進を開始=無論その程度で、高速落下し降り注ぐミサイルを回避できるものでもない。

『……まぁ、面白みが無いぐらいに妥当だと思うよ』
「……!」

 瞬間――敵が巨大化した=否、敵ネクスト<バニッシュメント>のクイックブースターによる前方への猛烈な加速による急接近だ。一瞬遅れて遠近感が正常化――脳髄が、その怪物じみた加速性能で接近してきた相手の存在を受けいれる。

『いかに分厚かろうがね……これを防げるか?!』

 形成される超高熱の刃――装甲を飴のように焦がし溶かし斬るレーザーブレードが、物理的な攻撃力より先にその禍々しい輝きで敵対者の心をまず恐怖で焼き斬る。だが、そこに居るのは世界に冠たるGA有澤社長=世界の王の一人でありながら前線に立つ侍の生き残り。

 近接射程――斬撃の届く距離。

 彼は活路を死中に見出す。指先の操縦よりもAMSを介した緊急命令=ネクストAC<車懸>は前方へのクイックブースターを稼動=相手の斬撃のモーションの出がかりをその体躯で潰す。

「零距離ならば――」
『意外や意外』

<車懸>密着状態から大口径バズーカを狙う。
 だが、相手の射撃より尚早く<バニッシュメント>は斬撃を振るうためのスペースを得るために後方へ移動――瞬間膨大な噴射炎を両肩から吐き出す。その速力――自分が有利な距離を保てる圧倒的アドバンテージを有している。

『あの距離であそこまで冷静に動けるなんてね。驚いたよ。ま、いい。どっちにせよ死ぬよ。……この銃、強すぎるからあんまり使いたくないんだけどさ』

 横方向――<車懸>の死角へと圧倒的推力にものを言わせて<バニッシュメント>はその右腕に構える巨銃の先端を向ける。
 発砲――青白い光条/束ねられた破壊の塊/間断無く繰り出される死の弾撃=一撃一撃がプライマルアーマーを貫通する力に優れた光の矢は<車懸>に命中――即座に有澤隆文はクイックブースターを稼動させ回避挙動に移行する。
 だが、敵のレーザーライフルの照準は狙うべき相手に定めて動かず――降り注ぐ破壊の光。

「……この威力、メリエスでもない……!」

 衝撃を有する武装ではない――ゆえに何発受けても<車懸>の挙動が乱れはしないが、その武装の威力に彼は瞠目する。
 全体的にレーザー兵装に対して弱いGA社製ネクスト――その中でも大鑑巨砲主義を謳う有澤製ネクストはその怒涛の重装甲で下手なレーザー兵器など受け止めるほどのタフネスで知られている。
 だが、今現在の<車懸>の重装甲すら打ち抜く威力/精度/連射――レーザー武装のリーディングカンパニー『メリエス』でもこれほどのものは作れないはずだった。

『有澤っ!』

 瞬時に味方機を危地に叩き込む<バニッシュメント>に対して、ローディーの<フィードバック>が即座に味方を援護。
 狙いを変えさせる必要がある――彼は<車懸>に銃撃を加える相手の横方向を取り、ハイアクトミサイルを射出/同時に両腕の大口径バズーカ砲弾を発射した。
 流石に<バニッシュメント>といえども最大クラスの物理的破壊力を有するバズーカを無視する事は出来なかったらしい。
 空間ごと己の巨体をスライドさせるような横方向への壮絶なクイックブースター=瞬間的に離脱。

『仙人のような移動を繰り返す……!!』

 ローディーの忌々しそうな声が通信越しに響き渡る。無理も無い。元来のスペック差は最早大人と子供、理不尽ともいえるぐらいに差がある。
 それでも諦めず挫けず腐らず、性能差のある機体でしぶとく食いつくのは、粗製の烙印を押された男なりの意地だったのか。
 機動性能に劣る/レーザー兵器に対して有効ではない装甲――それでも<フィードバック>は健闘していると言えた。レーザーライフルの速射を浴び――坑レーザー塗装が蒸発し――装甲の所々を光熱で融解されながらも、闘志=戦闘継続力を失っては居ない。意地を見せるかのように単眼式カメラアイは敵の超機動を追い続けている。

『……しつこい。……しつこいしつこいしつこいしつこい! たかが粗製が生意気に噛み付くんじゃない!』

<バニッシュメント>のリンクス――苛立ったような叫び声を挙げる。
 クイックブースター機動=間合いを一動作で容易く踏み潰しレーザーブレードの長大な刃を横薙ぎに振るう。ローディー――冷静を保ち、相手の挙動をギリギリまで見切る。直撃すれば一撃でネクストを叩き斬る威力――その致死の凶刃をバズーカアーム先端に掠めさせ最小の動作で回避と必中距離を確保=驚くべき集中力とタフネス。防御と攻撃を両立させた渋い玄人の機動で、ローディーはトリガーを絞る
 だが、<バニッシュメント>は機体を斜めにしてバズーカ砲の隙間に巨体を滑り込ませる=高度な期待制御を行なえる高いAMS適正保持者のみに許される動き。
 吐き出される砲弾の衝撃波――しかし装甲を抉れず空を穿つのみ。
<バニッシュメント>脚部屈伸――跳躍準備動作。瞬間、巨体が空中へと跳躍。同時に姿勢が変化――まるで蹴り足を突き出し、飛び蹴りを叩き込むと言わんばかりに、自分自身の肉体を一本の槍と見立てるように。

『機体関節各部ロック完了。……良いから、早く逝けよ……!』

 クイックブースター噴射=機体後背から推進炎を翼のように広げ<バニッシュメント>はその自重と加速性能を物理的破壊力に変換し、蹴りの一撃を叩き込もうとする。
 ネクスト戦において異端とも異常とも言える、肉弾戦――本来移動に用いられる脚部を物理的破壊力として流用するその動きは、大勢のリンクスにとって全くの未知数であり、未見の人間であるならば、その動きが何を狙っているのか理解できなかっただろう。


 そして――GAのリンクス、ローディー=ネクストAC<フィードバック>はその未知とも言える攻撃動作を経験した事のある数少ない人間であった。
 
 
 ローディー=相手の挙動の一投足をも見逃さず、同時にオーバードブーストスイッチを殴るように押す。機体後背の装甲カバーが解放、コジマ粒子供給開始、エネルギー圧縮。己の巨体を槍のように構え、襲い掛かる<バニッシュメント>の影――3、2、1、脳細胞の片隅でカウントするローディーは、この上ないタイミングでクイックブースターを起動――後方へのスライド移動。

『……外した、アレを?!』
 
 外れたと感じた瞬間に関節ロックを瞬時に解除し何とか着地に成功する<バニッシュメント>のリンクス=その速度の凄まじさは圧倒的だった。
 
『……だが、この距離で一体何を……!』

 嘲笑うような声=<フィードバック>のミサイル兵装は至近距離過ぎて発射できず、またバズーカも接近しすぎており使用不可能。
 ローディー=返答せず。男は行動のみで語るものだと告げるように彼は行動する。

 チャージ完了した<フィードバック>は機体後背からオーバードブースターの噴煙を噴き上げ、眼前の障害物<バニッシュメント>の巨体を両腕の武器一体型腕部で挟み込み、そのままパワーと出力で強引に押し始める。
 接触するPA――<バニッシュメント>の強力なコジマ出力に押し負け、減退していく<フィードバック>のPA。
 ローディー=叫ぶ。

『合わせろ、有澤!』

 両者の戦いを見守る位置に居た有澤隆文=瞬時にしてローディーの意図を理解。
 ネクストAC<車懸>も同様にオーバードブースターを起動させ、音速域に突入。加速を開始する。

『……な。ま、まさか……こんな、こんな雑魚相手に……!』

 初めて狼狽したような声が通信越しに響く。
 その巨体をバズーカ型腕部で挟まれ、そのまま推進する<フィードバック>、その直進軌道へと進む<車懸>。相手が如何なる重装甲であろうとも、この自分自身の重装甲と質量を砲弾とした体当たりに挟まれれば重傷は間違い無い。<バニッシュメント>はもがく様に<フィードバック>を押しのけようとするが間に合わなかった。


 ぐしゃり、と、鉄がひしゃげる不愉快な衝撃音が炸裂する。


 前方から<フィードバック>、後方から<車懸>という大質量の重量型ネクスト二体が音速で衝突するその真ん中に挟まれたのだ。
 激突と同時にローディー、若の両方に、激突による衝撃と、その破損に伴うAMS負荷が増大し一瞬脳髄に眩暈を感じる。

 だが、それ以上に真ん中で挟まれた形になった<バニッシュメント>の被害は大きい。胸部にあった装甲、整波装置は無残に破壊されている。それでもなお駆動するということはよほど強固なパイロット保護機能があるのだろうが、しかし漏れ出る声は苦しげだった。

『……痛い、くそ、痛いぞ! なんで頭が、AMSでこんなに痛む……!』

 機体損傷によるAMSの痛覚――これまで人機一体に伴う苦しみを知らなかったのか、困惑したような感情が込められていた。
 アクチュエーター系には損傷が少なかったのか、それでもなお駆動する<バニッシュメント>――機体各所の整波装置が開放――同時に機体を覆う不可視の甲冑であるプライマルアーマーが可視可能域まで高密度に膨れ上がる。コジマ粒子収縮――アクアビットでのみ設計された極秘技術――新型兵装アサルトアーマーの発動に伴う禍々しい発光現象。

『くそ……くそくそくそ!! こんな相手になんで僕が追い込まれるか!』
「……っ!」『くっ?!』

 GA所属の二名のリンクス――脊椎反射で咄嗟に退避を試みる=だが、体当たりを敢行し、密着していた二機は、その凄まじい光の渦の中に飲み込まれる。
 大地を腐らせる毒の光が、物凄まじい爆発を引き起こす。
<バニッシュメント>を、爆心地(グランド・ゼロ)とし、周囲のものを重金属粒子によってなぎ払うアサルトアーマー。その破壊の渦により、二機のネクストは吹き飛ばされる。
<フィードバック>――プライマルアーマーは完全に吹き飛び、機体表面の装甲がところどころ溶解。
<車懸>――コジマ爆発の壮絶な破壊力により機体各所から火花は吹いているものの、有澤全力の重装甲は先程のレーザーライフルの猛攻/コジマ爆発という二つの凄まじいダメージにも未だ耐え切っていた。

 
 だが、状況が好転しているとは到底言いがたい――<バニッシュメント>は未だ戦闘力を有しているのに対し、二機のGAネクストは半壊。<車懸>は未だ移動力は残しているが、到底戦える状況ではない。
 先程からの敵の機動性能を考えれば撤退して逃げ切れるとも思えなかった――背を向けることは出来ず、生きるには打ち勝つしかない=しかしどう考えてもそれは不可能。


 戦闘領域に新たな接近警報――ローディー/若はそれがGAE=味方の信号を発している事に息を呑む。
 不振な点の多いGAE所属機――彼らが本社に敵対を決意したならここで二人の命は潰える事になる――だが、両名の予想は外れていた。もはや止めを刺すなど簡単であるはずの二機を無視し、<バニッシュメント>はその新たなネクストに対して正対する位置に移動する。

『くそっ! ……第一プランを破棄。これより第二プランに移項。……初めて出会うね、ナインブレイカーと同じく第二次人類の生き残りの一人』
『……はぁん? 訳知り顔じゃねぇかテメェ――ハウゴと同じか。十分の九殺しだ、適当にゲロしてもらおうかよ』

 暴の空気を纏った粗暴な女の声――リンクスナンバー41=プリス・ナーの駆るネクスト<アポカリプス>がオーバードブースターをカット、地面を滑るようなホバー移動で接近を開始。
<バニッシュメント>――構えていた右側のレーザーライフルを下ろす=同時に右側の肩に接続されていた如何なる武装なのか想像も出来ない謎の塊が強調されるように起き上がる。歪とも言える巨大な両肩が開放――装甲カバーがはずれ、肩の中に内蔵されていたミサイルランチャーが展開された。

『内臓式ミサイル追加システム稼動――確認させて貰おうか。第三次人類の世界では初めて使用される、初見では到底避けきれない『はず』のまったくの未知兵器に対してどう対応するのかを』

 両肩のミサイルランチャーが一斉に火を噴いた=18×2=総計三十六発の高速飛翔ミサイルは、噴煙の尾を引き<アポカリプス>目掛けて一直線に追尾開始――その噴煙と破壊の影に隠れるように、右肩から小型の筒状のものが連続して射出=独立した意思を持つかのように自立型機動砲台がミサイルという単純明快な攻撃力を隠れ蓑に――迫り来る。

『このオービット兵器を……さ!』




[3175] 第二十四話『今ぐらいはせめて、な』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e7588bfd
Date: 2008/09/07 13:17
 紛れも無い戦闘狂であるプリス=ナーは企業純正のリンクスに比べれば、その忠誠心は低い。

 彼女を飼いならすのであれば常に戦場を提供できなければならないが――そんな彼女の中では、唯一ともいえる友人のミセス・テレジアの比重は大きい。

 過去でも/現在でも――自分を利用しようとする相手かその暴威に恐怖する相手ばかりであり、あの親子は希な例外と言えた。

 その彼女に言われたのだ――『あの子の父親を助けてやってくれ』と。




 ミサイル――それも圧倒的な弾数で回避スペースを踏み潰す飽和攻撃。

 プライマルアーマーと言えどもこの偏狭質的な猛攻全てを防ぎきれるわけではない。プリス――敵ミサイルの中央に腕部積載のグレネードキャノンを、それぞれ別の角度に向ける。瞬時に思考――敵ミサイルと自機の榴弾の交錯する一瞬を計測、刹那とも言える脳髄のひらめきがAMSを通じて榴弾の近接信管のタイマーをセットする。

「そこのGA味方機! 早く離れろよタコ!」

 敵の大型とGA機に割り込むように<アポカリプス>は移動――同時に短い射撃音と共に二発の大口径榴弾が発射される。

 交錯するミサイルと榴弾――刹那の瞬間を逃さぬよう自爆を命じられた榴弾は信管に着火。爆風と破片効果で殺傷空域が乱舞/飲み込むすべてを破壊する爆発の盾――周辺のミサイルを道連れに破壊。
 
「迎撃、成功……いや!」

<アポカリプス>の動体センサーが爆炎の嵐の中を潜むように飛来する小型物体を検知。

 対するプリス=ナーの反応はそれこそ迅速を極める。

 彼女はかつてその兵装と幾度か対峙したことがあった。ロックオンした対象物の周囲で空中停止し、内蔵されたエネルギーの続く限りレーザーの雨を降らせる兵装――此処が何時の時代であるか/本来存在していないはずの兵装だとか、そういった疑問を無視し、操縦桿を握る指先と人機一体化による操縦機構との同一化によって――ニューロンを走る思考の速度で<アポカリプス>はプリスの脊椎反射行動に追従する。

 クイックブースター機動――周囲に迫りつつあった小型の機動砲台に対して<アポカリプス>は瞬発的加速=自機の体躯で小型砲台が射撃位置につく前に体当たりで撃ちおろし、即座に横方向へブースターを吹かして回避機動。生き残った自立機動砲台がレーザーを打ち込むが、数の減ったそれでは<アポカリプス>の高機動性能に見合わぬ冗談じみた重装甲を貫くには至らない。

「……オービット? オービットだと?! テメェ……なんだ!」
『ふふふふふふ、その即応性といい、流石は火星圏のナンバー2だっただけはあるね。
 ……やはり機体と言い、初見の武装に対する即応性といい、第二次人類の生き残りか』

<バニッシュメント>のリンクス――攻撃を防がれた事に対する狼狽は無い。
 寧ろ半ばこの結果を予見していたかのような笑い声。

『……だが、こいつは中々キツイ銃器だ、かわせるかな?』

 嘲笑の多分に含まれた笑い声――<バニッシュメント>は横方向へスライド移動を行ないながら両肩のミサイルランチャーを閉鎖、同時に左腕、空いたままの腕部を掲げる。
  
『……エネルギーを暴食しながら繰り出されるプラズマの炎の速射だ。
 プライマルアーマーも、装甲も、アクチュエーターも、パイロットもタダではすまない!』

 中折れ式の大型銃器が展開――<バニッシュメント>自身の全長にも匹敵するような馬鹿げたサイズのレーザー兵装がその威容を露わにする。同時に銃身下部に設置された銃把を空いた左腕で掴む。

 プリス――地球のサイレントラインに出現したという機体が搭載していた大型兵器を見、驚愕のうめきを抑えきれない。

「なにっ……I-C003-INが装備していたプラズマガトリング……?! 何処からそんなモンを持ち出してきやがる、何モンだテメェ!」
『剥がれろ、溶けろ、壊れろ、死ね……!』

<バニッシュメント>大きく脚部を開きバランスを取りつつ発射体制――同時に銃身に膨大なエネルギー供給開始。

 高速回転のうなり声を張り上げ、銃口の黒い眼窩が敵機を睨み、プラズマの炎を蓄積――吐き出す。

 プライマルアーマーを暴食する、純粋な破壊力ではエネルギー系最大級のプラズマキャノン。その灼熱の紫雷が吐き出される。プリス=ナーはそれに対して速攻で回避機動を開始――その回避挙動を追い縋るようにプラズマの灼熱が命中。プライマルアーマーがごっそり抉り取られる。

<アポカリプス>のKP装置が即座に失われたコジマ粒子を生成=放出し、プライマルアーマーの即時復元を図るが間弾無く降り注ぐプラズマの矢は回復に要する数秒をすら与えない。反撃に移ろうにも

「……畜生、畜生、畜生……!」
『いい様だね、プリス=ナー! 氷付けになっていればこんな風に殺される事も無かったろうに!』

<アポカリプス>の重装甲といえども無敵ではない。幾度も喰らい付き、間断無く放たれるプラズマは装甲を融解させ破壊していく――徐々に増加するステータスの異常/危機的状況を告げる統合制御体よりの警告――それでも敵機の攻撃は激しすぎて反撃の一打を加える隙が無い。

 機体の有する重装甲と高機動性――その双方が無ければ状況はもっとひどくなっていたはず――思考の中の冷徹な部分が告げている。

「……ひ、卑怯者! 卑怯者が……!」
『君が死んで僕が勝つ、重要なのはそこだろ? どんな戦いでもさ!』
『もういい、引け! プリス=ナー!』
『君の機体でも……奴は無理だ!』


 降り注ぐプラズマの炎――回避で精一杯な状況。
 ローディー/若=その双方から撤退を推奨する連絡が入ってくる。だがそれらすべてを冷静な意思で聞き取りながら、銃身射線よりの攻撃角度の先読みと乱数回避を織り交ぜてプリスは一方的な殺戮に酔うような相手の猛攻をいなしつつ――爪を研ぐ餓虎のように機会を待つ。




 プリス=ナーが冷凍刑に再び処される前――火星企業が提供する火力、速射性能を高めたER-500、レーザーマシンガンという形式の武装が存在していた。
 速射性/威力に優れ、地球からの精鋭部隊であるフライトナーズのボイル・フォートナーも使用していた獲物。

 装弾数も多くミッションにも使用するレイヴンが多くいた。プリス自身は基本的にグレネード一筋の女であるために使用したことは一度も無いが、それを装備したレイヴンと交戦する事も多くその弱点は熟知している。

 速射性能の高いレーザーに限らず、レーザーの宿命ともいえる弱点――それはエネルギーを機体本体のジェネレーターから供給しているという点であり、そしてエネルギー管理を怠って使用される高出力レーザー兵装は機体のチャージングを招く。ブースターを使用できない状況――回避不可能の状態とはレイヴンにとってもっとも回避すべき死と同意義の事態であり――猛攻の凶熱に駆られてレーザー武装で闇雲に攻撃を仕掛ける事は死を招くのだ。



 それはネクストと言えども例外ではない。
 

 ガトリングが回転を停止――同時に銃身から乱射していたプラズマの炎が止む。それを見通していたかのようにプリスはオーバードブースタースイッチを殴るように押す。

『……はっ? ……エネルギーが……』
「さぁ、反撃タイムだぜ、餓鬼ぃ……!」

 プリス=ナー――口元に凶笑を刻み、オーバードブースターによる高速突撃を開始/同時に両肩の大型グレネードキャノンを展開。

 瞬間的に亜音速を突破――圧倒的な慣性エネルギーの加護を得て両肩からグレネードを発射。慌てて回避機動に移ろうとする<バニッシュメント>は、しかし先程までのエネルギー消耗状態から脱出できず、通常推力での回避しか出来ない。
<バニッシュメント>の巨体を大口径榴弾の爆風が飲み込む――大破壊力を詰め込んだ弾丸はプライマルアーマーを純粋な破壊力で粉砕し、爆風で機体を鎧うコジマ粒子を大幅に減退させ凄まじいダメージを与える。それこそ先程まで積み重ねてきたダメージの差をひっくり返すほどの威力。

『ぐわぁ……?! ……ま、待っていたのか? さっきの狼狽の台詞も――反撃の手段が無く回避し続けていたあの機動も……全部、演技だったのか?!』
「小手先の罠に嵌ったな、餓鬼! こればかりはアタクシみたいな熟練にしか出せん味さ……!!」

<バニッシュメント>――武装をKARASAWAと刻印された長銃に切り替え照準を付ける=だが、それを使用する事が出来ない。

 即座に武装を腕部に切り替えた<アポカリプス>は両腕のグレネードによる猛攻を開始――プライマルアーマーが大幅に減退/更には<フィードバック>、<車懸>による体当たりの損傷も残っているため、たった一発の直撃で戦闘不能に陥れられる可能性がある。全エネルギーを回避機動にまわせなければ即死させられるかもしれない。

「立場が逆転だな、小僧! ……貴様は選択を誤った! レーザーライフルにプラズマガトリングにレーザーブレード、ジェネレーターに負担を掛けるもんをそれだけ積みゃそりゃ息切れするのも当たり前だぜ馬鹿が……!!」
『く、くそっくそっ……! 落ち着け。僕は強い……!』

 狼狽と恐怖の入り混じったような荒い呼吸音――脳細胞に潤沢に酸素を取り込む毎に、徐々に本来の冷静さを取り戻してきたのか<バニッシュメント>はその機動にキレが戻り始める。

 まずいな、一気呵成に勝負を掛けたいプリスは、敵機のジェネレーターがコジマ粒子を排出しプライマルアーマーを再生させた事に忌々しさを覚える。あそこまで追い込みながらも体勢を立て直したそのしぶとさ/したたかさ――かつて火星の軍神を討ったあの男の機動が、目の前の相手に重なる。

『ふうっ――――……済まなかったね、プリス=ナー。あんたの言うとおりさ』

 プリス=やばい、と相手の口調から直感。

 激怒に任せた猛攻より、冷徹な殺意によって放たれる狙い済ました悪意の弾丸こそが戦場でもっとも恐るべきものであると痛感している彼女は、先程の狼狽から立ち直った、透徹した意思を感じさせる言葉に相手が数段手ごわくなったことを実感する。

『……言うとおりさ。僕はあの男に対する拘りのあまり、あの男が火星時代に使っていたアセンブリとほぼ同様になる、本気の装備を考えていなかった。……気付かせてくれてありがとう――次は、本気でやろう』

 まずい、まずい、まずい。

 敵機のオーバードブースターの発動に伴う背部装甲カバーの開放を見ながら、プリスは即座に己もオーバードブースターの発動スイッチに手をやっていた。

 レイヴンとしての本能が囁いている。慢心のツケを全身に刻んだ敵機――今なら、深追いしてとどめを刺せる。

 あの敵――再び敵として出てきたなら、それも操縦者がその機体性能に慢心せず、慎重な戦いを進めれば後の恐るべき脅威になると鴉の本能が囁いていた。
 
『……リス! プリス! どうなった、あの人は……!』

 だから、テレジアの声が――戦闘中でカットしていた通信機から聞こえたその声に、思わずオーバードブースターの起動を躊躇ってしまう。<バニッシュメント>にとってその一瞬で戦線から離脱するには十分だった。爆発的な推力炎を吹き上げ、凄まじい加速力で戦域から離脱していく。

 機会を見失った<アポカリプス>ではもう追いつく事は出来ない。微苦笑を浮かべながら、通信機を調整。

「オーケーオーケー。ご両名とも生きてらっしゃるぜ。……なんか一言あるかい?」
『こちら<フィードバック>、ローディーだ。……機体も私もぼろぼろだが生き残っているよ。プリス、感謝する』
『……<車懸>、若だ』

 駆動系にすらダメージが浸透しているのだろう――しかし火花を散らしながらもまだ生き残っている<車懸>のリンクス、若はAMSの過負荷で苦しげな声を漏らしつつ、躊躇うように言葉を切った。

『……テレジア女史は、大丈夫だったか?』
「……ああ、なるほど。ピンピンしてるぜ」

 プリスは相手のその言葉で、デュナン少年の父親が誰であるのかなんとなく理解できた。

 先の有澤製ノーマル部隊による攻撃をGA本社は否定するのだから――少しでもかかわりを匂わせる発言は控えるべき。有澤重工の社長がそれに気付かない訳が無い――それでも尋ねずにはいられなかったのは、きっと鴉には縁遠い、愛というものだったのだろう。

『……プリス=ナー。通信回線を中継ぎしてやれるか?』
「ああん?」

 気付けば<フィードバック>のローディーからの秘匿回線――熟練兵を地で行くような精悍な中年の男性の顔が映る。

『……大体察しただろう? ……二人は、そういう仲だ。……GA本社とGAEとの立場が悪くなれば、会う機会も少なくなる。今ぐらいはせめて、な』
「声とか顔に似合わず細やかなこって。……了解だぜ」

 プリス――そのまま通信を中継ぎして、その音声をカット。
 二人の密談を、その内容を処理する事を決意し、プリスは<アポカリプス>とのAMS接続を戦闘モードから通常に切り替える。


 逃がしてしまった敵機。
 ここで始末しなかった事が果たしてどうなるのか――胸にわだかまる微かな不安を感じ、彼女は目を閉じた。





 その不安は正しい。










 この時、<バニッシュメント>を撃墜できなかった事を――追撃しなかったことを。







 彼女は。
 プリス=ナーは。























 後に、自分の行動を一生後悔し続ける事になる。  




[3175] 第二十五話『せめて役に立って滅ぶが良い』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e7588bfd
Date: 2008/09/18 13:50
 エミール=グスタフは一人、執務用の机の上で、思案に耽っていた。

 システム・ステイシス。
 その正体は認識加速により、周囲をまるで『止まって』いるかのように認識するための機構であり、実現すればネクストの戦闘力が爆発的に飛躍する事は疑いようが無い。但し、AMSを解して直接情報をやり取りするリンクスにとってはこれは更なる負荷を及ぼすものである。
 それを実現するために、神経細胞成長因子を用い、先天的なニューロンネットワークを保持する天才を生み出す事を目的に研究を重ねてきた。
 だが、研究は滞る一方――アナトリアの危機は、ハウゴ=アンダーノアと言うリンクスと、戦闘用に転化した技術開発用ネクストの活躍によって解消されつつある。しかしもちろん危機を脱しきった訳でもなく、まだまだやらなくてはならない事は山積みのまま。
 獲得した資産の分配/各企業との軋轢を考慮した外交/<アイムラスト>に内蔵された極秘機構に関するスパイの摘発――エミール=グスタフの双肩に掛かる荷物は大きく重く、それを肩代わりしてくれる存在はまだ育っていない。

「もう、時間は無いのにな」

 小さく、彼は嘆息を漏らした。
 エミール=グスタフは、もう長くない。ネクストと関わっていたが故に、コジマ粒子の被爆汚染を受けたからか――体を蝕む死病は彼の命数を後二年程度と定めた。
 二年間、順調に失敗無くアナトリアの傭兵が活躍すれば、経済的危機も脱出する事が出来るだろう。だが、しかしエミールが生涯を掛けて行うと決めた研究を完成させるには許された命数の全てを費やしても足りるかどうか判らない。
 アナトリアを愛している――だが、その為に自分が生きた証として残そうと思った研究を捨て去らなければならないことは、紛れも無い苦痛だった。

 不意に――PCにメールの着信が来ている事に気づいた。最初はGAからの輸送部隊が到着した事を告げる連絡かと思ったが、それが間違いであると知る。内容は六大企業のどれか一つから。
 また何かの作戦の依頼か、もしくは恫喝/威圧の類だろう。直ぐにメールの内容を確認しようとし――PCに展開されるレイレナードのマークに息を呑む。
 先日の作戦で発動したイェネルフェルト教授の遺産である『アンチコジマ粒子機構』。ついにあのシステムに対して何らかのアクションを起こしてきたのだ。現状に対する不満も、自己の命数が尽きかけているという事実も全て横において、全身を緊張させる。
 生き残らなければ、勝たなければ、未来に対して不安すら抱けないのだから。




 ハウゴ=アンダーノアの予想に反し、ネネルガル=アンダーノアの仕事ぶりの評判は良好だった。
 
「ありゃ。……爺さん達、あいつ使えるのか?」

 アナトリアの唯一にして最大の商品<アイムラスト>の整備には細心の注意が払われている。もちろんその整備には整備班のおっさん二人、スチュアート兄弟と彼が率いる精鋭メカニックがその任務に当たっているのだが――ある日、ハウゴはそういう整備の人々に混じって手を機油で汚しながら何やら整備に勤しんでいる義理の娘の姿を発見したのである。
 現在は倒れたままの整備姿勢をとる<アイムラスト>の右肩のアクチュエーターのチェックを行っているらしい。

「いやぁ、随分物覚えが良くてのぉ、だいぶ助けられておるぞ?」
「うむ、あのあたりは精密部品の集合じゃから、そう簡単に手に負えるものでもないんじゃがの」

 こくこくと、満足げな顔で頷く二人のおっさん。
 ハウゴとしては意外ではあるものの、整備に関しては二人に一任している。その二人が特に口出しせず任せているのだから、実際に整備班としても十分な実力を発揮しているのだろう。とりあえずどんな感じなのであろうか、ハウゴはネネルガルの後ろから近づいて見る。

「親父、何の御用ですか、なのですか。仕事の無いリンクスは猫らしく日向ぼっこしているが良いのです、ですよ」

 後ろに振り向きもせず、足音で誰なのか断定したらしいネネルガルは、専用のエアブラシでアクチュエーター間の異物を排除しているらしい。ある程度の応急処置は行えるが、専門的な事までにはさすがに手が回らないハウゴは黙ってその様子を見物する。どうやら後ろからなかなか離れないので、仕事を手伝わせたほうが良いと考えたのか――ネネルガルは整備に集中したまま言う。

「ずっと後ろに立っているなら、親父、せめて手を貸してください」
「ほれ」

 ハウゴ=こくりと頷き、自分の右腕の義手を取り外し、差し出された彼女の掌の上に乗せた。

「ああどうも。…………って、うっ、うわぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」

 当然の反応ではあった。
 ネネルガル=手渡されたハウゴの義手で接合部の調整を行おうとしてそれがまさしく生の腕であることに気づいて魂消たような叫び声を張り上げ、ほうり捨てた。ハウゴの右腕=かつて国家解体戦争で失った右腕の代替物としての義手。内部は機械式だが、その外側は既に生身のものと一見して気付かないほど良くできている。

「おおおおお親父! い、いきなり何をするんです、何をするのですか!」

 両腕をばたばた忙しなく上下させるネネルガル。基本的に無表情がデフォルトの彼女がどれほど驚いているかのパラメーターは両腕の振りで確認できる――のでどうやら相当驚いたらしい。ハウゴ=いやなに、と答える。

「……時折こうやって外さないと、俺が右腕を既に失っていると俺自身忘れそうでなぁ……」
「言いたい事は判りますが、それは私を驚かす理由にはなりません、ならないのです!」

 まったくもって正論なのでハウゴは苦笑しながら頷くのみ。
 ……時間がたては、冷静さを取り戻したのか――電源を切った扇風機のようにネネルガルの腕の振りがゆるくなっていく。地に落ちたハウゴの片腕を拾い上げた。

「……国家解体戦争の折に、でしたか、だったのですか」
「ノーマルでネクストに喧嘩したんだ。……当然の結果だな」

 寧ろ良く生き残っていたと感心すべきところだろう。
 ハウゴ――少し考え込むように目を伏せる。

 全ては偉大なる脳髄の掌の内――だが、そうではない筈。
 確かにネクスト戦力は強大であるが――それでも、あの紅い天使に確実に勝てるかと言われれば答えは否だ。かつて自分が対イレギュラー兵器<ナインボール・セラフ>と相対した時、両者の間には埋め得ぬハードウェアの差があった。奴は、偉大なる脳髄はコジマ技術を人類に教えても、ネクストが牙を剥いても己が敗れ去らぬ備えは充分にしているはず。
 だが、ハードウェアの差は厳しくはあるが、決して絶対ではない。

 かつてハウゴ=アンダーノアは紅い天使を落とした。そしてこの世界に置いても、古い戦友シーモック=ドリはノーマルのみでネクストを撃破して見せた。アマジークと共にシーモックの勝利を祝ったのは、戦友の勝利を祝福したから、というのもあるが、同時に人間の意志と知恵は圧倒的な力も乗り越えられると教えられたからなのだろう。

 人の力。
 
 結局それこそがこの世で最も強い力なのだろう。
 かつて幾人か――弟子を取った=ウルバーン/そして、シュリング。
 彼らに伝えた術理は、レイヴン達に引き継がれ、新たな世代へ受け継がれるはず。そしてその趣旨はいつか偉大なる脳髄との決戦に芽吹くのだろうか。
 



「……以上が作戦の概要だ――理解したな? ウルバーン=セグル」
「……わかっています」

 かすかな振動/周囲には緊張する男達の体臭――アナトリア襲撃の為の人員が収容された貨物車の中、一人の青年がゆっくりと頷いた。
 浅黒い肌/黒い瞳/長身長躯/額から右目にかけて鋭い裂傷/刃のような雰囲気/指には幾度と無く火器を扱い続けた男の勲章とも言うべき硬くなった皮膚/少年と青年の端境期/幾度と無く生身で死闘を繰り返してきたもののみが纏う気配=幼さを残した雰囲気とちぐはぐな印象/ただ、瞳のみが地獄を思わせる復讐に濁った輝きを放っている。
 インテリオル・ユニオンが送る刺客――かつてハウゴ=アンダーノアに師事した一人の少年兵は、同じくハウゴ=アンダーノアに師事した一人の壮年の男性の言葉に頷いた。
 アナトリア襲撃を行なうマグリブ解放戦線。
 英雄を失った組織は余りにも脆く、最早最盛期の半分以下の戦力しか残っていない。

 ウルバーンには判っている。アマジークは恐らくこういう事態もある程度見通しており、そしてそれでも復讐などに命を燃やさず生きてほしいと思っていたのだろう。
 だが、それは最早適わぬ願い――自分達は放たれた矢であり、その一撃が敵を穿つか、もしくはしくじるかの二択。
 凶的な気配を――死者の為に殉教する崇高な狂人のような気を纏い、彼は瞳を閉じる。恐らく奪う事になるアナトリアの人々への祈りを、恐らく失われる自分自身の前供養を――そしてきっと地獄に落ちれば受けるであろう英雄からの叱責を思い、彼は目を閉じた。
 

 今回の作戦=<アイムラスト>の強奪/エミール=グスタフの誘拐――その二つの作戦を指揮するアルドラのリンクス、シェリングは、ウルバーンの居座っていた部屋の片隅から移動すると、武器の入念なチェックを行なっている部下達を見た。
 全員が全員、GA社員の服装に着換え終えており、その懐には隠匿性能に優れた武装を隠し持っている。

 シェリング――実際に作戦が進行すれば、水物である戦いを制御する事は不可能。
 復讐者ウルバーンはまさしくハウゴ=アンダーノアに向けて放たれた凶念の魔弾であり、その彼が仕掛ける以上、ハウゴ=アンダーノアは<アイムラスト>を起動させる事は不可能=だがそれでもシェリングには一抹の不安がある。

「……百年を殺しを磨いて過ごした、か」

 かつて自分に鴉の技を叩き込んだ師――ハウゴ=アンダーノア。
 幼い頃の己を拾い、驚くべき戦闘技術を教え込んだあの男は今も自分が出会ったときと同じ外見だと言う。シェリングも、真実師が不老の男であると知らなければ百年などタダの法螺と一笑するだけだったろう。だが、笑い飛ばせない。事実彼はシュリングが知りうる限り最強の男だった。アルドラのリンクスとして、強力なレーザー兵装を駆使する<クリティーク>を操り、リンクスナンバー14になったとしても、同じネクストという超兵器を相手が扱うとなれば純粋に己の勝ちを信じるなど出来なかった。
 小さく嘆息を漏らし、彼は部屋の端で面倒そうに頬杖を突いて目を閉じている男に目を向ける。それは戦う前の瞑想などではなく、単に時間が空いたから少し休憩を挟もうという事=命を掛ける戦場に赴く前にしては豪気ともいえる行動だった。

「起きろ、ロイ。ロイ=ザーラント」
「……シェリングの大将。まだ作戦開始じゃないはずだぜ?」

 一人の青年が、のそり、と起き上がる。
 黒い蓬髪の髪/口元に浮かぶ柔らかな微笑/何処か倦怠を漂わせているのか、目元には面倒そうな色/シュリングを上回るサーベルのように鋭い長身――シェリングのレイヴン時代からの弟子とも言える青年であり、彼が蓄積した技術の全てを教え込んだ、最早死滅した鴉の生き残り――レイヴン、ロイ=ザーラント。
 
「お前には特命を与えておく」
「……面倒なのはごめんだぜ? 成功の確率、正当な報酬があれば勿論やるが、手当てが高くても危険なのはきっちりキャンセルするからな」

 例え相手がかつて自分に戦闘技術を叩き込んだ師だとしても全く物怖じせず堂々と言い返す様――自らが技術を教えたとは言え、その扱いにくさは面倒ではある。シェリング――苦笑しながらも心にはその鴉としての矜持を保った、繋がれた者ではない姿勢にはかつて失った物に対する憧憬があった。
 今回企業の飼い犬となったシェリングの召集に応じたのも、自分の師からという義理人情からの行動である。
 
「お前は狙撃に関しては精々平均程度の技量だったが、機を見る才能がある。……ウルバーン=セグル、彼の影になり、そして機会を見てハウゴ=アンダーノアを殺せ」
「……闇討ちか」

 ロイ――あからさまに不愉快そうな表情。

「もし彼がアナトリアの傭兵を見事倒した時は?」
「勿論報酬はきちんと支払おう」
「……そこまで念を入れる必要のある相手なのか」
 
 その嗅覚――情報を分析し、命を天秤に載せてできるだけ多く稼ぐための判断力はレイヴンの必須技能。
 ロイ=ザーラントは首肯――冷静に考えるならば、自分は気配の隠蔽に徹し、他の相手に注意を引かれた相手の隙を突いて射殺すればいい。確かにローリスクハイリターンの仕事内容ではある。師であるシェリングがそこまで注意を払う相手という不安はあるが、しかし彼とて技量に自信もあった。

「油断するな」

 そのロイ=ザーラントの内心を見抜いたかのように/慢心を御させるかのように――厳しい表情のシェリング。

「一撃をしくじったなら即座に身を隠し撤退しろ。位置を悟られたら即座に殺されると思え」
「……そんなヘマはしないさ」
「お前の技量を疑っている訳ではない。……だが相手は人の姿をした怪物だ。戦う事を考えるな、奇襲で始末するのみ考えろ。……ロイ=ガーラント。お前は高く評価しているのだ。命を無駄にするな」

 どうやら本気での言葉らしい――ロイもシェリングのその言葉に表情を改める。
 もう鴉の時代は終わった。それでもロイ=ザーラントがレイヴンのままでいるのは繋がれる事を嫌っているから、レイヴンという職が自由傭兵だということから。

 ふと、思い出したように――ロイ、逆に質問する。視線を数十名のマグリブ解放戦線の戦士達に向けた。

「……そういえば、彼らに保護されていたっていうテクノクラートのリンクスはどうなったよ?」
「どうやら我々インテリオルと接触した際に姿を晦ませたらしい。……まぁ、無理もない。テクノクラートの宗主、イクバールは対立陣営だ。情報という情報を絞り上げられてそれで終いだろう」

 シェリングは呟く。
 現在インテリオルの支援をマグリブが受けているとは言え、彼らの本来の姿勢は企業支配に対するレジスタンスだ。この作戦が終了すればすぐに敵対関係に戻るだけであり――そんな相手に必要以上に利する行為をするつもりも無いと言う事だ。
 マグリブは現在分裂状態にある。抵抗活動をやめ、所有していた武器弾薬を元に企業に対する傭兵を行おうと言う人間もいるらしい。マグリブから分裂した傭兵組織『コルセール』とか言うのが一番大きい組織ではあったが、それも所詮企業体の圧倒的な力の前では些細なものでしかない。
 アナトリアの傭兵を討ち取る事で、彼らは再びマグリブをひとつに纏め上げようとしているのだ――もちろん、インテリオル・ユニオンがそんな事を許すわけもない。シェリング――部下の一人に尋ねる。

「飛行要塞フェルミの準備はどうだ?」
「……南西五キロの地点で降下。命令があり次第行動可能です」

 その言葉に満足げに頷き、シェリングは呟く。

「どうせ、マグリブは滅ぶ。勝ったとしても、我々が滅ぼす」

 目を伏せ、歴史から消える者達に対して/歴史から消す者達に対して、哀れみの視線を向けた。

「それなら、せめて役に立って滅ぶが良い」




 フィオナ=イェネルフェルトは現在いろいろの事務仕事に追われていた。
 なにやら重大な来客――エミール=グスタフは現在企業の人間と話し込んでいるらしく手が離せないらしい。さり気に事務仕事に関しても高い適正を見せたネネルガルは現在<アイムラスト>の調整を手伝っているらしい。どうやら彼女、父親と違ってかなりの万能選手であり、各所から高い評価を得ているようだった。
 GAからの輸送部隊の受け入れ――食料自給率が世辞にも高くないコロニーではある程度を企業から購入し賄う必要がある。
 その手続きを行うために先程からPCで連絡を取り合いつつ、各所に伝達を行っていた。


 変わったことが発生したのは少ししてからだった。
 緊急度の高い連絡――何かなと思って連絡をつけてみる。出てきたのは整備班のスチュアート兄弟とネネルガルの顔。
 確か彼らはGAからの物資搬入の為に移動しているとの事――だが、突然そんな彼らを押しのけて、巨漢の中年男性がディスプレイに移る。角刈りのくすんだ金髪は旅塵にまみれている/百九十近くあるごつごつした体格/顎の周り、唇の上を覆う見事な髭/顔には焦りがこの上なく見え隠れしていた。

『おお、繋がったのであるか?! わ、我輩はセルゲイ=ボリスビッチと言うのである! 至急アナトリアの上層部に連絡したいのである!』
「……えっと、誰?」

 緊急度の高い通信だということで慌てて開いてみれば、突然見知らぬおっさんが大写しで出れば引く。
 引きつった笑みを浮かべてフィオナは尋ねれば、両側からスチュアート兄弟が『お前さん唐突過ぎるんじゃ』『そんな暑苦しい顔を度アップで大写しされたらみんな引くぞい』『わ、我輩は、我輩は火急の知らせを携えてきたのであるぞー?!』『ほれ、ネネルガルちゃん、わしらが抑えておくうちに』『ご協力、感謝するです、するのです』とか言い合っている。

『フィオナ。フィオナ。――ちょっと不味い報告です。……さっきの彼、私は五年前に同じリンクスとして出会った事があります』
「五年前……まさか、国家解体戦争のオリジナル?!」

 国家を相手取り史上最大規模のクーデターを引き起こしたパックス――六大企業も既存の支配体制を相手取って戦争していたため、企業間では同盟を結んでいた。ネネルガルも当時はアクアビットのリンクスとして所属していたのだからおかしくはない。だが、なぜ――フィオナの心に不安がざわめく。
 そして、彼女の口から告げられた事実は――その不安にはっきりとした形を与えた。

『テクノクラートのリンクス。セルゲイ=ボリスビッチ。
 ……彼、撃破されてから数ヶ月前までマグリブと合流していたらしいのですが……。マグリブの勢力が、アナトリアに対して攻撃を目論んでいるそうです、そうなのです』




[3175] 第二十六話『代わりに私が出撃します』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e7588bfd
Date: 2008/09/28 13:13
『……では、教授。一体何者がネクストの根幹であるコジマ技術を齎したのでしょう』
『偉大なる脳髄』

 その時からだったのだろう。
 エミール=グスタフが世界の裏にひそむ超越者の存在を意識したのは。



 エミール=グスタフが、最初にハウゴ=アンダーノアという男に興味を持ったのは、もちろんイェルネフェルト教授の言葉が最初であった。
 二度目に興味を抱いたのは――ハウゴ=アンダーノアの血液サンプルを採取した時。
 その血管内に多く含まれている正体不明のナノマシンと、そのプラント。肉体の抗老化を行う、現代の技術では不可能であるはずの極めて高度なものだった。
 研究者としての欲望が芽生えた――その血液サンプルを研究することで、行き詰っている自分の研究の何か打開策のようなものが見つかるのではないか。だが、胸中に一抹の不安が残る。
 ハウゴ=アンダーノアは明らかに只者では無かった。
 フィオナには伏せていたが、彼の肉体はかなりの割合で戦闘を目的とした人工の機関に置き換えられている。だが、自由傭兵であるレイヴンの彼が素直に研究サンプルになってくれるはずもない。――そういう意味では彼が数年間植物状態である事は幸いだった。
 エミールの肉体を蝕む死病――それでも彼はマシな方だった。
 ハウゴ=アンダーノアの肉体から採取したナノマシンは、肉体の抗老化を行うと同時に、病巣を治療する能力も有していたのだから。だがそれでも病の進行を遅らせることは出来ても根本的な治療は不可能だった。


 無念だ――死にたくない。

 せめて何か形ある物を残して死にたい――だが、自分の命数は後僅かだ。

 研究に没頭したい――だが、自分のみがアナトリアを救う事が出来る。


 自分に様々な事を教えてくれたイェネルフェルト教授への恩義――自分の真にやりたい事を捨ててまでどうして他の奴のために働かなくてはならない。


 命が欲しい/明日が欲しい=命数の限られた人間ならば誰もが望む、明日を望むが、許された明日は他者の為にすりつぶさなくてはならない。
 くだらない/つまらない/教授本人ならば兎も角、なぜアナトリアの連中にそこまで尽くしてやる義理があるのだ――ただ、エミールが懸命になるのは、彼の娘の悲しげな顔を見るのが辛くて仕方がないから。



 だが――誰が、この悪魔の囁きに抗えようか。
 積み上げた信頼/アナトリアの実質的指導者=その責任ある立場全てを放り出しやりたいことをやることができるという環境。


 レイレナードより派遣された人間――信じがたい事に副社長を名乗る壮年の男性。


「我々レイレナードは、その優れた君の尻頭脳を必要としている」


 各企業が、かつて彼が残した論文とその論文による技術を求めて水面下で行動を起こしている事を知らない。
 教授が存命ならば躊躇わずにその誘いに乗っただろう――しかし今はそうはいかない。自分が離れれば、アナトリアはどうなってしまうのか。ちょっと果てしなく変な台詞が混じっていたような気がしたがそこはさておいて。
 ……そこまでならば、他の企業からも囁かれる甘い睦言/しかし、その壮年の男性の言葉が彼の心を決定的に動揺させる。



「我々の技術ならば――君の肉体を健康なものに戻す事が出来る」





 誰が、この悪魔の――否、天使の言葉に似た天上の囁きに抗えようか。






「ディソーダーを生み出した、第一次人類の残した技術を用いればな」










「……で、GAの輸送部隊はもうすでに到着しているんじゃよな?」「の、はずじゃな」
「あと、壱時間早ければ、手の打ちようもあるのですが、あったのですが」
「こう見えて可能な限りの最速だったのであるぞ……」
『……こちらからエミールに連絡を何度も要請しているけども繋がらないわね』

 アナトリアの通路を美少女一人と中年のおっさん三名のイヤな四人パーティーが顔を合わせている。ネネルガル=アンダーノア/スチュアート兄弟/そしてテクノクラートのリンクスであるセルゲイ=ボリスビッチ。
 迂闊に一般に知らせれば危険な情報『アナトリアへの襲撃』――しかし、四人は顔を角突き合わせて難しい顔。
 この場合、状況が不味かった。現在エミールが会談している相手はインテリオル・ユニオンの支援を受けたマグリブ解放戦線とは無関係――レイレナード社重役との極秘会談=だが、それを知らぬ身としては、既にアナトリアの通信システムに介入を受けているのかもしれないと勘繰るのも無理はなかった。
 通信機の向こう側、フィオナはどこかに連絡を取っていたらしい――うん、と頷くと、四人に云う。

『とりあえず、エミールは近くにいたハウゴに確認してもらうよう動いて貰うわ』
「……わしらのやるべき事は……」
「被害の最小限の食い止めですね、なのですね」

 アナトリアに警察はもちろん存在している――防衛用のノーマルも、経済的な余裕から数機、導入されている。
 だが、戦力のほぼ全てをネクストに依存――ありていに言えば、アナトリアには戦闘兵器を操るパイロットはいても、生身での白兵戦をやれるほどの技量の持ち主は多くは無いのだ。
 ハウゴ=アンダーノアは当然レイヴンとして白兵戦闘の技術も体得している。しかし彼の本業はやはりリンクスであり、戦闘の教官として使える人材ではない。
 
「……と、言う訳で。セルゲイ」
「なんであるかな? 、お嬢さん(ジェーブシュカ)」
「先に確認しておくのですよ。……貴方は、何故アナトリアに情報を持ってきたのです、来たのですか? 貴方はマグリブと係わりがあったことは納得したのです。しかしアナトリアにこの方を持ってくる理由が分からない。……アナトリアは比較的GA陣営寄りで、イクバールとの関係も悪くはありませんが、あなたが積極的に関わるには理由が弱すぎます。弱すぎるのです」

 視線が集中――自分の立場があまり信ずるに足る物でないことは自覚しているのだろう。ボリスビッチは首肯。
 その瞳に写る寂しげな色――何か大切なものをごっそりと奪われたような疲れた笑顔で彼は言う。

「……数ヶ月、マグリブに身を寄せた。……出来るなら助けてやりたい青年がおるのである」

 かつて復讐に生きた先達の言葉――ネネルガル、かすかに頷く。

「……単純に利害ではなく、助けたいから動くと。……了解しました」

 こくり、とネネルガルは頷く。
 イヤな四人パーティーは格納庫へ歩み出した。GA社の輸送部隊――情報が正しければその全ては既に他企業の手によって壊滅させられ、摺りかえられている。もしアナトリアの警備隊が優秀であれば罠を張っての殲滅という手段が使えるのだが、そのためには相手に気付かれないようにしながら包囲網を完成させなければならない。兵の連度では素人に毛の生えた程度の彼らにそれを注文するのは酷だろう。会話の内容を別所で通信機器を操作するフィオナの方にも聞こえるよう設定――スチュアート兄弟は考え込むように言う。

「……そいじゃあ、以降は実質的な行動じゃな」
『とりあえず警備部の人達には連絡を入れたわ。何かあれば行動してもらえる』
「では相手の目標は?」

 スュチュアート兄弟の言葉に答えるのはボリスビッチ。
 
「マグリブ解放戦線の目的は簡単である。……現在彼らは要である砂漠の狼アマジークを失った事により、その復讐を遂げる事で再び一つに纏まろうとしているのである」
「しかし――企業はシビアです、シビアなのです。少なくとも彼らは自社の利益にならなければ決して行動はしない。アナトリアを襲撃する事で何かの利潤を得られると言う判断ゆえにマグリブに手を貸したのでしょう」

 顔を見合わせるスチュアート兄弟――<アイムラスト>に搭載された極秘機構の存在はアナトリア内部でも一部の者しか知らない。
 ネネルガルはアンチコジマ粒子機構の発現に居合わせているが、しかし半ば正気を失った状態であったし、もちろん部外者のセルゲイ=ボリスビッチはその事を知る由も無い。
 
「……ここは、話すしかないのぅ、兄ちゃん」
「……そうじゃのぅ」

 お互い顔を見合わせる双子のおっさん=少し迷いを持ちながらもここは明かすべきと判断し、重い口を開いた。



 アナトリアはコロニーの中では活発に人の出入りがある活気に溢れた所であり――経済的に安定しつつあるここで何らかの職を得ようと外部からやってくる人も大勢いる。
 そのアナトリアの中で一番重要な施設――ネクスト技術の研究施設であり、現在ではネクストのテストだけでなく、ネクスト用の重火器もここに搬入される事になる。


 その輸送用トラックの中から数名の男性が、人目を避けるように降り立った。
 アナトリアの整備員の衣服に身を包んだ、褐色の肌の男性たち――砂漠を祖国とする青年。その中の一人、ウルバーン=セグルは、数名の仲間達と視線を合わせる。
 瞳に写る殉教の精神――英雄への弔い合戦を始めるため、ウルバーンは懐に隠匿されたサブマシンガンの重厚な重みを手のひらで感じ、ゆっくりと歩き出した。

「……アマジーク、貴方の御許にあの人を送ります」

 ハウゴ=アンダーノア――マグリブの村落を救ったマウリシア撤退戦の英雄であり、また同時に英雄アマジークを討った不倶戴天の仇。
 本来ならば、憎悪の凶熱に身を焦がしてもおかしくは無い相手であったが、しかし不思議とウルバーンの心は鏡のように澄み切っていた。憎悪ではない、使命感でもない――ただ、堪らなく、寂しくて/悲しくて、仕方が無い。ただ、巡り合いの悪さを嘆きながら彼は歩み続ける=その歩みは断頭台への階段を上る死刑囚のものと告示/足音に含まれた哀切の響きは弾丸を強打する撃鉄に似て/引き金を絞るための一刺し指に絡む虚脱感は恩人を殺す自らの罪深さをおののいているようでもあり/しかし体の奥底には英雄を殺した憎むべき相手に対する怒りも確かに存在する。

 相反する精神――心の全てが矛盾した感覚を抱きながらもウルバーンは進む。
 正確に、精密に――時限爆弾に設置されたタイマーが、破滅的未来へと時を刻むのと酷似したように。 


 彼はかつての自分達の英雄を/英雄を殺した相手を捜し求め――魂の半ばまで冥府に捕らわれた幽鬼の如き足取りで歩き始めた。




「……真面目だねぇ」

 その背中をロイ=ザーラントは密かに追いながら進む。
 復讐のみを念頭に置く彼らは周囲に対する警戒も甘くなっているのか――マグリブの復讐心を隠れ蓑に、ハウゴ=アンダーノアを抹殺しようとするロイの存在には気付いていないらしい。
 ロイには復讐者の心は理解できていない――何かに拘泥する事は冷静な眼力を失うきっかけになる。彼は職業的な傭兵、レイヴンであり、そこには勝利と報酬を秤に掛けてなるべく多く稼ぐための判断しかない=しかしレイヴンの存在自体が過去のものになりつつある現在、シェリングの誘いに乗らざるを得なかった。
 本音を言うならあまりこの手の作戦は好みではない――作戦全体にある、卑劣な印象がどうしても彼には拭い切れないのだ。
 もちろん今まで直接間接を問わず敵対者を殺してきたが、それは全て戦場での行為。こんなテロまがいの作戦は甚だ趣味ではないのだ。ただ一つ、興味があるとすればシェリングが自分の師と言う相手の存在――それだけしかなかった。
 再び注意を周囲に向ける――彼は影、刺客の影に潜んで奇襲の魔弾を放つべく送られた真の刺客。ばらばらに分解されたライフルは手に提げたバックの中。マグリブが派手に暴れ、アナトリアが混乱に陥るまで彼は域を潜め、機を伺うのだ。




「相手の狙いは<アイムラスト>で間違いありません」
「……でも、警備隊の全てを<アイムラスト>全てに回すの?」

 アナトリアの一角――フィオナがそれぞれの電子機器を操作しつつ呟く。一種のアナトリア内の連絡を一手に握るそこで彼女は警備部隊の配置を既に伝達していた。
 だが、もちろん不安はある。
 マグリブの目的は明らかにハウゴ=アンダーノアの抹殺であり、貴重なリンクスを失えばアナトリアは枯死する。
 もちろんそれは<アイムラスト>を失った場合も同様――パーツ単位ならともかく、ネクスト機体を一機丸ごと購入するとなれば、どこかの企業を支援者として選択する必要がある――それは自由傭兵として外貨を稼ぎ、外交で綱渡りをしてきたアナトリアにとって致命的だ。それに何よりフィオナとしては父の形見でもある機体を奪われたくは無かった。
 ネネルガル――フィオナの言葉に頷く。

「正直言いますと、アナトリアの警備部の皆さんでは、今まで企業軍と戦っていた歴戦のマグリブと戦っても、士気も練度も違いすぎるのです。屍を気付くだけの結果になりかねません、なります」

 明確な断言――そこまで自信満々に言われるとフィオナも反論できない。
 
 しかし、とも思う。
 外見年齢は十六歳――しかし敵の襲撃という事態に対して彼女は動ずる事無く冷静な判断を下している。年齢に見合わぬ胆力と戦場に置ける冷静さ――可憐な少女の見てくれとは相反する資質に賛嘆を禁じえない。やはり親子なのか――その事実はハウゴ=アンダーノアに昔情を通じた人がいたと言うことであり、心の柔らかい場所に棘になって突き刺さる。



 不意に緊急を告げる連絡――フィオナはそれを確認=背筋に氷塊が差し込まれた感覚。


「……所属不明機がアナトリアに接近?!」
「……マグリブでしょうね」

 ネネルガル――相変わらずの無表情で頷いた。
 連絡にはアナトリア周囲を哨戒中のノーマルからの連絡――撃破されながらも敵の映像を警告を伝えてくれた。
 一瞬目を伏せ鎮魂を祈る――続けて生きている者として、生存の手段を模索=だが、現実は厳しい。
 映像に表示された敵勢勢力は強大であり、アナトリアの防衛用ノーマル部隊では撃退は難しい――しかし撃退可能な戦力であるネクスト、その搭乗者であるリンクス、ハウゴ=アンダーノアは今マグリブの刺客に狙われており到底出撃が可能とは思えない。

「……なんてこと。ノーマル部隊では撃退は不可能だし。ハウゴは手が離せないし」
「わかりました、わかりましたのです」

 なにやら両手をぶんぶん振っているネネルガル――何が分かったのかしら? 不思議そうに相手を見るフィオナ。
 彼女はなにやら無表情の中に一抹の喜びを瞳に浮かべて言った。

「それでは、代わりに私が出撃します」
「……ええ、お願いね」

 フィオナ――相手の堂々とした発言に思わず頷いた。その言葉にうん、と力強く頷くと矢のような勢いで通信室から飛び出るネネルガル。その背中を見てフィオナ――遅まきながら脳髄が発言の意味を理解した。

「…………えぇぇぇぇぇぇ?!」



 ハウゴ=アンダーノアは、エミール=グスタフの居る執務室の扉を蹴破るように抉じ開けた。
 先ほどフィオナからの連絡ならば、企業の支援を受けたマグリブが攻勢を仕掛けて来たとの事。ならば、エミールの身柄の安全/敵勢勢力に対する行動の指示を彼にとってもらわなくてはならない。
 

 そして――ハウゴ=アンダーノアはその彼と共に居た壮年の男性を見て、背筋に寒いものが走るのを感じた。



 ――偉大なる脳髄との最終決戦の前の数年、ハウゴ=アンダーノアのその頃の記憶は欠落が激しい。
 恐らくそこでも己は戦い抜いたはずだ。天空から見下ろす攻撃衛星によりもたらされた静寂領域/天から降り注ぐ滅びの雨/二十四時間戦争――重要な単語とそれにまつわる概略のみしかハウゴは記憶していない。
 だからこそ、彼は己の本能に、細胞の一片一片が覚える危機感に忠実に従った――エミールと相対する男/脳髄に閃く『興』の文字――そこからこの上ない恐怖と嫌悪を感じ、ハウゴは滑らかな動作で拳銃を構える。

「……遅かったじゃないか。……相変わらず、良い尻良い腕だ」

 ハウゴは叫ぶ。
 恐怖と嫌悪――肉体が覚えている本能に従い、喉よ張り裂けろと言わんばかりに、叫び声を上げた。
















「ダアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァイィィ!!!!!!
 ゲイヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!!!!!!!!!!!!」





[3175] 第二十七話『我が幼き日の憧憬と共に死ね』
Name: 八針来夏◆030a2a64 ID:bda3c62a
Date: 2008/10/14 12:21
前回までの粗筋

「ダアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァイィィ!!!!!!
 ゲイヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!!!!!!!!!!!!」










 あまりにも荒すぎるがある意味的確な前の話の全てを語った粗筋――ハウゴ=アンダーノアの拳銃の銃口は眼前の男の額に照準されたまま定めて揺るがない。
 エミール――突如乱入した彼の凶行に驚きを隠せない。六大企業の一つの重鎮に拳銃を向けるなど、アナトリア全体に対する危機を招きかねないのに――自然と声を荒げて叫んだ。

「ハウゴ、銃を捨てろ!」
「……エミール!」

 だが、自分の行いにまるで罪悪感を感じぬ、自らが正しいと信じる意思の籠った叫び声にエミールは思わず言葉の続きを失う。

「お前の純ケツは無事か?!」

 エミール――今自分が何を言われたのか理解できない表情で眉を寄せた。
 なぜ此処で純ケツ?――至極当然の疑問が脳内に乱舞する。一体どういう事なのだ、と訊ねるエミールに、ハウゴは無言で、壮年の男性を指し示し、空いた腕で持って下、下、と指差した。
 下? 何故下? と思いながらエミールは視線を下に向けて――その壮年の男性の股間の紳士の膨らみ、そそりたつビビィィィィグゥゥゥゥビイィィィストォォォォォにまぎれもない本気を感じた。先程まで感じていた感動と驚愕の全てを台無しにする光景に冷や汗を掻きつつ後ずさるエミール。

「……こ、こんな危険人物と一緒の部屋に居たのか?! なにか大切な物を汚された気分だ!」
「……安心して構わない。……少なくとも私は嫌がる男性に無理矢理強要する性格ではないのだ」
「……バーデックスをタダのハッテン場にしようとした貴様がいう事か! 応えろ、ジャック・O!」

 ハウゴ――絶叫。今にでも引き金を絞りそうな雰囲気のまま、命中率を上げる為に一歩、ずいと進む。
 踏み込みで潰すには遠く、拳銃で必中が見込める距離――絶妙な間合いを保ったまま油断無く構える。

「……いや、今日は漁りに来た訳ではない。真剣に取引に来ただけだ。ハウゴ」
「…………」

 という事はやはり日常的にそういう事をしている訳で――ハウゴは頭痛を感じた。
 だが、そういった変態に対する嫌悪感は抜きにして即座に理知的な判断を下す。

「……やはり、俺と同じく第二次人類の生き残りであるお前が来たという事は――偉大なる脳髄に関する件か?」
「その通りだ」

 壮年の男性は口元にかすかな微笑を浮かべて首肯――それ自体嘘だ。彼の目的とはエミールを自分達の陣営に引き込む事――しかし、その前に告げられた特徴的な単語を聞き、エミールは驚愕を顔に張り付かせる。かつて師である教授が死の数日前に残した言葉に告げられた言葉。教授の空想の産物であるのだとずっと思いこんでいたその固有名詞。
 それは、一体どういう事なのかと質問の言葉を投げ掛けようし――瞬間、拳銃を構えるハウゴに今更ながら相対しようとするように壮年の男性――ジャック・Oは拳銃を引き抜いた。
 瞬間、ハウゴ/ジャック・Oの両名――銃口を申し合わせたようにお互いから外し、扉の外側へ向ける。ハウゴ――エミールの頭を力ずくで押さえ込むように/ジャック・O――身体を投げ出して被弾面積を少しでも削るように――突如として現れた男性/手元に銃器=敵に銃口を向けた。
 ほぼ同時に発射されたためか、三つの銃声はまるで一つに重なるように響き渡る。
 頭部/喉笛――人体の急所を同時攻撃で破壊された男は絶命。男が命と引き換えに放った一撃は逸れてテーブルを穿つのみに終わる。
 だが攻撃自体はそれだけで終らなかった――ころんころん、と床を転がってくる物体=エミールの脳内で視覚情報が知識と一致――ピンの抜かれた手榴弾。




 爆音と衝撃が五感を強打する――。







 双子中年スチュアート兄弟と別れたネネルガル――今現在その引き締まった肢体を、<アレサ>プロトネクストから引き出された際に身に付けていたリンクス用の接続服とも言うべきパイロットスーツに覆い、そして同時に傍に置いた銃器の点検。アナトリアでは対人用の重火器類は殆ど存在していない事から、用意できたのは拳銃程度だった。
 れっきとした戦闘準備――黒髪を適当に輪ゴムで縛りつけ、後は上から適当にコートを羽織ればとりあえず一見して戦いに赴くようには見えない。だがそれでも、彼女の姿を、戦う事を知る戦士が見れば、戦場に行くもの特有の厳しさを感じ取っただろう。
 リンクス用の接続服はパイロットを保護する役割を有すると同時に、ある程度の防弾性能も有している。操縦席から出れば有害物質であるコジマ粒子が充満するプライマルアーマーの中に出るのだから即死は確実であるが、それでもパイロットスーツが搭乗者の最後の手段である生身での戦闘という事態に備えて進化してきた以上、リンクススーツは戦闘にもある程度対応している。
 ハウゴ=アンダーノアは今現在マグリブの戦士と戦っているはずであり――今現在山積みになっている事態に対しては自分達で対抗するしかない。
 緩急の少ない肢体を身体に密着する衣服で覆う――少女と女と端境期にあるすらりとしたしなやかな体は躍動する筋肉の収縮をラジオから流れる音と声に合わせそのまま密着度の高い衣服の上に再現する。身体を伸ばし、瑞々しい肢体を強調するような動き――腰部を軸に上半身を回していく/薄い胸を自分の足に押し付ける=柔らかな乳房がかすかにひしゃげた。そのまま上半身を逸らす――再び逆の足に胸元を押し付ける。引き締まった両腕を前に差し出し、上へ、左右へ。その動きにスーツの隙間からうなじの辺りの肩甲骨が覗いた。引き締まった四肢はネネルガルを少女ではなく未成熟ながられっきとした女性であると主張するような色香を匂い立たせる。
 滑らかな頬にかすかに朱色を散らし――緊張した鼓動を沈めるように息を吸い、吐く=深呼吸。




 どこか艶かしさを感じる動き――しかし残念ながらやっているのは非常に健全な事にラジオ体操だった。




 四肢をほぐし、関節の稼働を確かめ――部屋の外に出た。傍には筋骨隆々の中年男子=ネネルガルと同様、生身の戦闘を想定した装備。
 両名共にリンクス――国家解体戦争においてオリジナルと呼ばれた人間達。

「さて――胸毛」
「普通に酷い事を今言ったのである!」

 セルゲイ=ボリスビッチ――今現在アナトリアに居る人間としては恐らくハウゴ/ネネルガルと同等に生身での実戦を知る数少ない人間は脇に拳銃を呑み、目立たないように設計された防弾服を着込んでいる。しかしネネルガルの殊の外ひどい言葉に愕然とした様子で叫んだ。

「……何ですか、何用ですか」
「我輩に対して酷い暴言を吐いた件についてである!」
「いえ、貴方のようなキャラならなんだか胸毛が分厚そうな気がしたので――生えていませんか?」
「……確かに生えているはいるが、何故こんな場面でそんな事を言われなければならぬのであるか……! 酷い侮辱を受けた気がするのである……」
「アナトリアにいじめはありません」
「いじめている張本人の台詞とはとても思えないのである!!」
「いじめカッコ悪い」
「わかっているなら今すぐ辞めてほしいのである!」
「いじめ(悪い)」
「意味は通っているが少し変であるぞ!?」
「いじめられカッコ悪い」
「加害者の卑劣な言い分であるなぁ!?」
「……しかし実際問題、四十過ぎたおっさんが十代の可憐な美少女にやりこめられるのはかなりカッコ悪い光景では……?」
「なぜ普通の対応をされるのがこんなにも激しく心に突き刺さるのであるか……!」

 壁を殴りながら悔しそうな呻き声をあげるボリスビッチ――その様子をクールな眼差しで見つめながら、ネネルガルは云う。

「さて、ウォームアップ完了」
「なんの?!」
「それはもちろん。私はアナトリアのお笑い担当キャラですから、なのですから」

 ふふ、と初めて表情にかすかな微笑を浮かべるネネルガル――次いで真剣な表情に改めて云う。
 
「セルゲイ――しかし良いのですか? 確かに今<アイムラスト>周辺に存在するであろうインテリオルの工作員部隊を排除するのに実戦経験のある人手は確かに欲しい。……しかし、あなたがアナトリアに来た理由はそのウルバーン氏を生かすためでしょう?」

 真剣な言葉には真剣な言葉で応対=表情を改め応えるボリスビッチ。
 考えなかった訳ではない――あの自分と同じく復讐に人生の若きを費やしたかつての姿を思い起こさせる彼を止めたいと思う。同時に彼はネネルガルからハウゴ=アンダーノアと、ウルバーン=セグルとの関係を伝え聞いていた。
 今から思い起こせば――かつてセルゲイ=ボリスビッチが存在すら定からぬ復讐の相手を探し求めていた時に忠告の言葉を掛けて従っただろうか?

 答え=否であった。

 復讐に凝り固まった精神に道理など幾ら語っても受け入れられる訳がない――今の精神状態はセルゲイにも覚えがある。ただ一つの目的を見据え、その復讐の経過に伴うすべての苦痛を復讐心のみで全て捻じり伏せる事が出来る状態。一瞬の狂信とも言うべき彼に云う事を聞かせる事が出来る人間など少ない。確実に彼の自暴自棄とも言うべき行動を確実に止めることができる人間がいるとすれば、それはすでに鬼籍に名を連ねる砂漠の狼アマジーク。
 それ以外に存在するもの――アマジークと同じくマウリシア撤退戦の英雄である残りの二人、ハウゴ=アンダーノア/シーモック=ドリ。
 片方はエチナコロニーでネクストとの絶望的な戦いの後、姿を消して消息は不明。もはやハウゴ=アンダーノアに掛けるしか、なかったのだ。
  
 セルゲイは懐から煙草を取り出す――かつての自分に似た青年の命を他人に任せる事に対する不安。
 それをニコチンで鎮めようとタバコを口元に加え、ライターを点火する。



 遠くで小規模ながら爆発音が鳴り響いた。



 ネネルガル――爆音のなった方向に対してちょっとびっくりしたように眼を向け――そののち、同様に唖然としているセルゲイの手元のライターをじー、っと、疑わしげに見た。偶然にしてはあまりに見事なタイミングでの爆発=いや、実際偶然なのだろうが。
 セルゲイ=ボリスビッチ――慌てたように言う。

「わ、吾輩ではない!!」




 エミール=グスタフは執務用の机の影に――ハウゴもその後を追って飛び込んだ。かばえるのは一人だけ、判断に迷う事は0・1秒も無かった。
 爆発と火薬の嗅ぎ慣れた臭い――体を起こせば、そこにはジャック・Oが、先ほど射殺した相手の肉体を爆弾に押しつけることで破片からの盾として使用していた。その状況判断はさすがとしか言いようがない――忌々しげに呟くハウゴ。

「ちっ、生きてやがる」

 かなりひどい悪態を吐きながら銃口を扉の外に向けた。殺せたかどうか確認する相手が来るはず――予測通り目と、銃口だけを覗かせ射撃を行おうとした相手に正確な一射。射撃音一つで遮蔽物を取った相手を射殺――敵の判断は正しかったが、この場合ハウゴの射撃技術が正確すぎた。

「……いずれにせよ、この状態ではまともな会談の続きなど無理のようだ」
 
 ジャック・Oはふむ、と呟くと立ち上がって言う。

「詳細や、他の事に関してはまた後日。……とりあえず今回は尻合いになれただけでも由としておこう」
「今お前非常に変な事を云わなかったか?!」
「……ああ、それと、ハウゴ。今回GAの輸送部隊に私から贈り物を寄越しておいた。使ってくれ。……では、また」

 敵の襲撃を受けている現在――それでも自分の生命を守る程度の自負はあるのだろう。企業重役とは思えない荒事への対処能力の高さに呆れたように笑うハウゴ。去っていくその背中を見送った後、次いでフィオナへの通信を繋げる。

「聞こえるか、フィオナ! エミールの純ケツは無事だった!!」
『??? 何を言ってるの? ハウゴ』
「……ある意味命以上に決して失ってはいけない大切なものを守りとおせた感動でベッドに入って寝たいがそうもいかん。エミールを安全な場所へ連れていく!」
『分かったわ――マグリブの残党のノーマル部隊が接近しているけどこちらはネネルガルが何とかするそう。貴方はそちらに集中して!』
「ああ、任せとけよ」

 言いながらハウゴは手元にある、銃弾を吐きだす鉄塊の確かな重みに安堵感を覚え、エミールを見て促すように頭を盾に振る。現在の自分のやるべき事は即座に安全な場所に逃げる事――即座に理解したエミールはハウゴの後を追うように執務室の扉から外をうかがい、外敵の存在を確認するように周囲を見回した。
 敵影無し――アイコンタクトで移動を告げるハウゴ。外に出て警戒しながら移動しようとした――その矢先だった。
 不意に――物陰から凄絶な殺意。
 仲間の死を見ても心を許さず、ひたすら忍耐と自制を友として機会を待ち続けた、砂漠の狼の系譜に連なる戦士が――宣戦する。

 悲鳴のような――声。




「――……我が幼き日の憧憬と共に死ね、ハウゴ=アンダーノアァァァァァァァ!!!!」




 一瞬視界に映る相手――幼き頃戦い方の手ほどきをした少年が、自分を殺すため銃を手にしている。
 傭兵の常か、これもまた傭兵の常なのか――かつての戦友を屠り、そして今はかつての教え子を殺めるのか――エミールを蹴飛ばしながら相手の注意を引くように銃口を向けるハウゴ。


 ウルバーン=セグルが、復讐者の憎悪に満ちた目でこちらを睨み銃口を向けていた。
 




 短い爆発音――同時に、アナトリア全域に広がりつつある混乱と恐慌の渦。
 シェリング――満足そうな頷きを残し、周囲の部下達に無言のまま首肯。短く開始、と一言で告げる。
 瞬間――その言葉を引き金とするように兵士達の気配が日常に慣れ親しんだ整備員の顔から、ためらいなく敵対者を屠る冷酷な破壊工作員のものへと変貌。上官の命令一つで自己の精神を殺戮に切り替える事が出来る兵士達はそれぞれ隠匿していた銃器類を構え、<アイムラスト>がいる格納庫へと前進――アナトリアの防衛用ノーマルはすでに出払っており、現在ではいつリンクスが来ても良いように出撃準備が整えられているはず――だが、格納庫への順路を進むにつれ、シェリングは額に困惑の眉を寄せる。

「……馬鹿な、静かすぎる」

 むしろ無音――マグリブ解放戦線のノーマル部隊の進撃/現在の状況においてここに人がいないなど絶対にありえない事態である。
 にもかかわらず絶対にありえない現在の状況――確実に罠であると確信できる=しかしかつてのレイヴンであった時代なら兎も角、現在は企業に使える繋がれし者――眼前まで目標のものに近づきながら手ぶらで帰るなど言える訳がない。自分の生命と仲間の生命にのみ気を払うことのできる自ら立場を捨てたのだ――行動しない訳にはいかなかった。
 シェリングの不安が乗り移ったように部下達の行動も自然と慎重なものになる――周囲にサブマシンガンの銃口を向けながら警戒しつつ前進。
 整備用の機材で固定された<アイムラスト>はまるで像のように直立したまま静止している――接近しようとした矢先だった。

「わ、わああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「バカ者、撃っちゃいかん!」

 狂乱と恐怖――自制する事が出来ずにむやみに射撃を繰り返す新兵/その声を聞いた時、シェリングは不意にそんな感想を抱いた。
 物陰から隠れた男が一人、旧式の拳銃を構えての発砲を繰り出したのだ。

(しくじったな、馬鹿が)

 シェリング――内心嘲笑を浮かべながら、明後日の方向に通りすぎる弾丸などにまるでひるまず、反撃の一射で相手を射殺する。その射殺された男の死体を見てまた悲鳴と恐怖が伝播していく。

(引きずり込んで、包囲と言うところまでは及第点をやれても、兵が待ち伏せする重圧にすら耐えきれなかったか)

 シェリングの洞察はほぼ完全と言っていい正解――相手を引き込んでの攻撃=待ち伏せ作戦だったのだが、この場合、その緊張に一部の人間がこらえきれずに発砲してしまった。その結果包囲は完成せず――また同時にシェリング達に警戒する事になった。相手の弱兵ぶりに助けられた形になったが、シェリングはこれならば作戦完了は可能かと判断――その時だった。
 機材の影から身を乗り出すくすんだ金髪のロシア系の巨漢――拳銃を構えてこちらに狙い澄ました射撃を打ち込んでくる。
 一瞬――前進していたシェリング、肩を掠めるような正確さに驚きつつも、反撃を加えつつ遮蔽物を取ろうとし――その己の視界が翳るのを感じた。ぞわりと背筋が逆立つ――かつて師に言われた言葉、『不味いと思ったらとりあえず動け』。
 第二の本能の域に達した反射的危機対処能力――シェリングは視線を上に向けながら後ろへとバックステップ。
 上空――飛来する人影/華奢な少女が、物資を吊り下げるためのクレーンを伝いシェリング目掛けて落下/襲い掛かってくる。

「……貴方が大将首ですね?」

 言語を交わす暇無し――少女の掌に握られる刃=肉厚のナイフを構え、踏み込みと同時に突き込む。
 手に携えるサブマシンガンを、銃器としてではなく鋼鉄の塊として使用=迫る刃への盾として扱う/刃と鉄が擦れあい火花が散った。
 一打、二打、矢継ぎ早に繰り出される連撃/その癖下半身の運動量も並外れており=間合いを開けることが出来ないでいる――刃を突き込みながら、また同時にシェリングにナイフを抜かせる隙をまったく与えない。
 サブマシンガンとナイフ――両腕を酷使する近接距離ではその重量の差が疲労物質の蓄積速度の差となって反映される。持久戦ではいずれ防ぎきれなくなる。
 少女の体力が先に尽きるかもしれないという考えが脳髄に浮かぶ=戦場で相手の無能を期待するのは馬鹿のやることだ――焦りに似た感覚。
 シェリングの部下も肉薄するような距離では銃器で少女のみを狙い打つという手が取れない。

(この歳でこの技量――こいつ!)

 只者ではない事は確か――シェリングは刃を掻い潜りながらミドルキック=少女の反応もまた迅速。空いた腕を腹に巻き付けて直撃を避ける。
 だが、この一撃が防御される事は元より折り込み済み――強引な蹴りで相手の距離を開け、同時にサブマシンガンの近距離猛射で決着をつける。相手が少女と言え油断すれば一挙動で喉笛を掻っ切られる事を覚悟しなければならない技量/見かけに似合わぬ難敵――手心を加える余裕など無かった。
 引き金を引く=しかし少女の初動の速さは銃撃への対処を間に合わせる。
 サブマシンガンの腕の外側に矢のような移動/銃身下部の弾装を押さえ込み、自分を照準させない――同時に横から全体重を乗せ、踏み潰すような蹴りの構え。
 シェリングの膝関節を横から踏み砕き骨をへし折る動き――背筋が粟立つ/即座に膝を蹴りに合わせて相手の一撃を防ぐ。

「ネネルガル!!」

 華奢な少女の自重では成人男子のシェリングの足を砕くことは出来ない=奇襲失敗――そう判断した少女は即座に撤収を選択。バックステップ――即座に後方へのバク転を繰り返し、手近な遮蔽物に離脱する/その行動をバックアップするように先程の巨漢が声を上げながら正確な射撃で相手の反撃を封じに掛かった。

「だが女、お前は……!」

 自分に一瞬とは言え、冷や汗を掻かせた相手――無防備にバク転で逃げるその背中にサブマシンガンの銃撃を叩き込もうとしたシェリング=即座に照準/引き金を引く。
 だが、弾丸が射出されない――表情に驚愕が露わになる。
 攻撃の機会を失したシェリング――その視界の向こう側で、ネネルガルが先程の肉薄の一瞬でくすね取ったのか、彼のサブマシンガンの弾装を掌で弄びながら、舌を出してあっかんべぇとやって即座に遮蔽物に引っ込んだ/その後を部下の銃撃が襲う=あまりに鮮やかな手並みに怒りよりも呆れと賛嘆を感じつつ、シェリングは部下に即座に命令を出す。

「……作戦プランをC案に変更、行くぞ」
「了解!」

 貨物の影に隠れ、再び射撃戦が始まる――その影で通信を始める部下。
 C案の内容は、アナトリアの指導者であるエミール=グスタフの確保の為に行動している戦力をこちらに呼び寄せるもの――動員する人数を増やし、確実に<アイムラスト>奪取を選択したのだ。
 このままこの場で相手を釘付けに出来ればネクストは発進できない=それは現在侵攻しつつあるマグリブが安全にアナトリアを攻撃できると言う事であり――相手を制圧し終えたら、ゆっくりと<アイムラスト>とエミール=グスタフを確保すればいい。時間は彼らにとっては味方だ。
 暴走したマグリブがアナトリアを完全に破壊するかもしれなかったが、勿論その場合に備えて飛行要塞フェルミも待機してある。
 多少のイレギュラーはあれど、大まかな状況は此方に傾きつつあった。

 



 インテリオル・ユニオンの使わした真の刺客――ロイ=ザーラントは、各所で始まった避難誘導の人の波に逆らいつつ、独り、戦いを始めるハウゴ=アンダーノアとウルバーン=セグルの両名の戦いを監視しつつ、荷物からバラバラに解体された、人間用のBFF製スナイパーライフルを取り出す。
 鋼鉄の部品を寄り合わせ、銃身を組み立て、そしてその弾装に、ライフル弾頭を装填。
 空気抵抗などの様々なファクターを排除する為に設計された弾丸は長大なライフリングによって弾体を安定――射手の意図通りに対象の脳天を貫通するであろう武器を準備。
 鋼の重みを両腕に感じながら――肉薄戦を繰り広げる二人をじっと見詰める。

「……あれが、か」

 強い――ロイは一見して確信する。
 ほぼ本能に近い感覚で彼はアナトリアの傭兵の挙動を丹念に観察。
 それに対するマグリブ解放戦線の戦士、ウルバーンも同様に強い。企業群と絶望的な戦いを繰り広げてきただけあり、彼とアナトリアの傭兵との戦闘は本当に予想がつかない。

 だが、彼にとってはどちらでもいい。

 ロイ=ザーラントの仕事はハウゴが勝者となり、安堵の息を吐くその瞬間に銃弾を叩き込む事――眼前に獲物が来るのを待つように、息を殺し、意を殺し、引き金を引くための殺意を殺し、ロイは只管決着を待ち続けた。
 






「失敗であったな。だが気を落とすでないのである」
「胸毛に慰められました。真剣にショックです、ショックなのです」

 もはや怒る事を止めたセルゲイ=ボリスビッチ――相手の銃撃に応対する。
 アナトリアの警備員部隊の中で実戦経験のある面子を敵との矢面に立たせ、相手を引き込んでの包囲殲滅。恐らく考えられる最上の手段である手だったが、それは一人の隊員の狼狽と焦りから全て水泡に帰した。責任を取らそうにも、既にその男は鬼籍に名を連ねている。
 ネネルガル/ボリスビッチの両名が格納庫に到着した時には既になし崩し的に戦闘が始まっていた。
 即座に敵を撃退――そしてネクスト起動によってマグリブのノーマル部隊撃退が最上の手であったが、それは既に不可能。ならばとネネルガルは単身上のクレーンからシェリングに強襲を仕掛け、相手の頭を一撃で潰そうとしたのだ。

「まさかラジオ体操の遅れでこうも致命的な結果を抑えられなかったとは」
「……そんなんで滅亡してはアナトリアも救われんのである」

 うーむ、と呟くネネルガル/呆れたような声を上げるボリスビッチ。

「あいつ、手ごわかったですね」
「……ああ、そういえばおぬしは知らぬのであったか。……我輩は会った事があるぞ? リンクスナンバー14、シェリングである」

 ひゅう、とネネルガルは感心したような口笛を吹きつつ――重圧を増す敵の射撃から逃れる為に他の味方の場所に移動。
 其処に居た双子の整備班長スチュアート兄弟に挨拶。

「すまなんだな、二人とも」
「……いや、本当に申し訳ない」

 整備班の有志と警備部隊で構成された彼らを抑えられなかった責任からだろう――顔が青ざめている。
 不意に通信が繋がった――フィオナから 

『皆、聞こえる? ――エミールはハウゴが確保。……でも彼はマグリブの兵士と戦闘中で手が離せないでいる』
「いずれにせよ、<アイムラスト>を起動させなければならぬのであるな」

 敵が徐々にその連度と火力を発揮し、徐々に数で上回るはずの此方を圧倒し始めている。
 その中でネネルガル――言う。

「……相手の最大の誤算――それはネクストを運用する、世界でも希な資質の持ち主であるAMS適正を持つ人間が二名以上存在するという事です。相手はネクストが起動するはずが無い、そう信じ込んでいます。……強引ですが、強行突破して<アイムラスト>を起動させるしかない、ないでしょう」
「反対である!」

 その言葉に即座に反応するボリスビッチ=彼は今銃弾が飛びかう中央区画を指差しながら叫ぶ。

「あの弾丸の雨が見えぬのであるか! 行けば死ぬ……ここは我輩に譲れ!」

 確かにボリスビッチもAMS適正の持ち主であり、<アイムラスト>を起動させることは可能=しかしネネルガルは冷ややかな一瞥をくれた。

「……その意志には敬意を評しますが、生憎とね、生憎とですね、ザ・ハラショー」
「また新しい仇名が!」
「沢山仇名があるってことは、愛されている証明ですよ? たぶん。……アナトリアの生活圏が戦場になる以上、プライマルアーマーの展開は不可能。ノーマル級の防御力しかないネクストで歴戦のマグリブのノーマル部隊を相手取る必要があるます、あるのですよ?」
「し、しかし、お主のような少女が――」
「……そしてなにより」

 若人が死亡する可能性の高い戦場に出る――それを忌む気持ちは理解できる。
 しかしネネルガルは徹底して現実的な判断を下した。

「……ザ・ハラショー。貴方はオリジナルのリンクスナンバー25番。……では、私は?」
「……抹消された、リンクスナンバー23である」
「その通り」

 頷き――言葉を続ける。

「敬語を使え。様を付けろ。粗製風情が偉そうな口を叩くな」
「一転して罵声を?!」
「まぁ、それは置いときまして、置いときましてね」

 いやあ置いといてええんじゃろうか、ところで今わしちょっとときめいたんじゃがこれは恋じゃろうか、とか後ろで双子中年の言葉が聞こえるが二人は無視。
 
「出ます。援護を、援護をお願いします」
「……いや、しかし、ネネルガルちゃん」「お前さんにそこまでやらせなければならんとは、情けないわい」

 顔に苦渋をにじませる双子の整備班長にネネルガル――口元にかすかな微笑。物陰から覗く体勢/射撃の隙を除く=振り返って言った。

「知らないのですか? 知らなかったのですか? 」



 意味が判らず首を傾げる中年三人。
 ふっと、微笑む。






「私、美少女ですから――弾の方が、避けて通るんですよ?」





 即座に飛び出るネネルガル――三人の中年、即座に彼女の行動を支援する為にありったけ撃ち込み始める。

「うむむむ――理屈ではないが、変に説得力のある台詞である」
「……なぜだかわからんが、なんかかっちょ良いのぉ」
「よし……今度ワシらも真似しようぜ!」




[3175] 第二十八話『銃火による歓待を』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:0f593b10
Date: 2009/02/09 13:59
※まことに申し訳ございません。大変お待たせしました。






 ネネルガル=アンダーノアにはアナトリアの為に命を賭けるその動機は、他の仲間達に比べて薄弱とも言える。
 自分の遺伝子原型となった男の属する組織、自分が世話になっているコロニー。
 しかし彼女自身は自分だけの生存を目的とするのならば、今すぐアナトリアを脱出するという選択肢だってある。彼女は自分が小器用だと知っている。それこそ自分ひとりの食い扶持を稼ぐ程度ならば如何様にもやり方があるだろう。
 それでも――ハウゴに付き従うのは、自分の元となった細胞にまで刻まれた憎しみの強さが、意志を裏切るほど強靭だからなのか。

 走る/走る/走る。
 ネネルガルの肢体に対してインテリオル特殊部隊の兵士達がその腕に携える火器から幾筋もの殺意の斜線が放たれる。それは一人の少女の肉体を引き裂くには十分すぎるほどの偏狭質的な弾幕を予感させるものであり――ネネルガルの腕に握られた拳銃が全力疾走中でありながらも――走る事による肉体のブレを、掌に蓄えられた神業で補正し、精密な射撃を実行=数人の相手の肩に命中し、引き金を引くための筋肉に損傷を与える。
 同時に後ろに控えていたアナトリアのかき集められた戦力が――拘束射撃を始める。
 相手に命中する事を狙ったのではなく、高密度の弾幕で相手を遮蔽に釘付けにすることを目的とした撃ち方だ。

 走る/走る/走る。
 ネネルガル=アンダーノアは走る。ハウゴの乗機<アイムラスト>は未だに沈黙を守ったまま、ハンガーに上体を預け、停止したまま。
 如何に圧倒的な力を持つネクスト機体といえども、その魂(ハート)が欠けているのでは意味が無い。
<アイムラスト>を目指す彼女を支援せんと、遮蔽を取りつつ戦闘を続けるアナトリアの人々。




「……どういう、事だ?!」

 シュリングは一人呟く。
 少女一人の無謀な突撃――傍から見れば愚考以外の何者でもない。ネクスト機体は起動にAMS適正と言う稀な資質を必要とする兵器。そしてその資質の持ち主は世界でも四十名足らずでしかない。
 こんなコロニーに二人もAMS適正を持つ人間がいるはずが無い=瞬時にその判断を破棄。
 このコロニー・アナトリアはAMSを開発したイェルネフェルト教授のお膝元だ。戦闘に耐えることは出来なくとも、この巨人を動かす程度の資質の持ち主なら存在するかもしれない=即座に射殺を決断。

「撃て、あの娘を<アイムラスト>に搭乗させるな!」

 指揮官の命令であるなら――心を凍らせ子供を殺すことすら彼らはためらいはしない。
 号令=銃器の先端が少女を指向――だが、少女の掌の拳銃からマズルフラッシュと共に弾丸が射出され/数名が肩を抑える。
 それと機を合わせ、アナトリア側から銃弾が放たれた。シュリング=自分の判断が正解であることを知る。
 
「各隊、冷静にだ。……奴等のそれは最後の足掻き――射撃のタイミングを合わせろ。……『あれ』が操縦席への階段に足をかけたところを狙え」 

 少女と言わないのは兵士達の良心に動揺を与えないため/各隊は手鏡で頭部を遮蔽に隠したまま一斉射撃のタイミングを計る。頭上には畑を耕すような銃弾の猛攻が迫るが、それをやり過ごし、お互いにハンドサインでカウントを開始――だが、その瞬間を見計らったように――規則正しく死を量産する機関銃の速射音……!

「なにっ!」

 部下たちが数名崩れ落ち、血飛沫に沈む。
 脊椎反射=射撃地点らしき方向を一刹那で逆算――即座に応戦/それに追従し部下たちが銃器を向ける。
 その瞬間で――一斉攻撃のタイミングを見失った彼らは、そのまま<アイムラスト>の中に飛び込むネネルガルを見逃すことになった。





 掌に携えるアサルトライフルを降ろし、安堵の吐息を吐く人影がある。反撃の射撃を物陰でやり過ごしながら彼は小さく微笑んで見せた=何か大切な仕事をやり遂げたよう。金髪碧眼の青年/口元には微かな微笑/目の奥底にある不敵な色/リンクスナンバー12=ザンニは通信機をONにする。

「……ネネルガルの操縦席搭乗を確認しました――ジャック副社長。そして、私の個人的な要望を叶えて頂きありがとうございます」
『ご苦労。……これでアナトリアがマグリブに破れる公算は大幅に削れた。……構わないのか? 彼女と言葉を交わさなくても』

 ザンニ=小さく笑うのみ。
 満足そうに微笑んでから――自分を狙い雨霰と降り注ぐ弾丸の向こうにいる少女の事を思い、言う。

「別に構いませんよ。彼女が、生きて。目を覚まして。動いている姿を見れた」

 それだけを言うと――ザンニ/逃走の重石になるだけのアサルトライフルを投棄。
 表情を改め、呟く。

「では、これより脱出に移ります」




 言葉に篭るのは――慟哭か/哀切か/絶望が/怨念か――その全てが入り混じっているのか。
 マグリブの戦士ウルバーン=その瞳孔が捉えるのはハウゴ一人であり、慌てた様子で逃げ出したエミールに焦点が合わさる気配は微塵もない。憎悪が瞳で燃え盛っている。銃口がこちらを向いた。ハウゴは即座に再び執務室へと退避する。

「……何故だ。何故、何故っ!」

 ウルバーンの咆哮――片腕で射撃が可能な軽反動サブマシンガンからの鉄弾の豪雨。ハウゴ――即座に遮蔽にその身を隠し、ぼやいた。傍には執務室の中で射殺された男の死体がある。傍に寄りつつ、懐の中の手榴弾を回収。

「……何故って言われてもなぁ」

 ハウゴ×アマジーク=その両者の間に憎悪は存在していなかった。ただ両名とも引けぬ理由があったからこそ銃火を交えた。勿論――そんな理屈、通用するぐらいなら彼が此処まで来る必要も無いはずだ。

「……判ってるだろ? いや、お前はわかっても判りたくないだけさ」

 射撃の合間を縫って――手榴弾のピンを噛んで引き抜く。
 同時に拳銃の弾装を確認、すぅ、と息を吸い込み――投擲……! 

 だが、まるでそれを読んでいたかのように――接近しているウルバーンの姿がある。
 
「……そうは!!」
「ちっ?!」
 
 その潤沢な火力を生かして圧倒する手段ではなく――まるで殴り合って勝者を決めようと言わんばかりに接近するウルバーン/ピンの抜かれた手榴弾を上へ蹴り飛ばす。
 ハウゴ=引きつる顔=次の瞬間に行った行動は、まるで両腕を独立した脳髄で管理するかのよう――上に跳ね飛んだそれを、伸ばした右腕でキャッチ――レバーを握って爆発を止めつつ/余った片腕で拳銃の狙いをつける=射撃二連。まるで右腕左腕を独立した脳髄で操縦するような動作。
 跳躍の最中の為に細かい狙いは付けられず、頭部/喉笛/心臓の必殺の位置ではなく相手の腹に命中――ウルバーンの顔が苦痛に歪む=だが、耐え切った。銃弾の運動エネルギーにより服が捩れるが、しかし本来衣服を貫通し、腹腔をかき混ぜる筈の弾丸の運動エネルギーは彼が衣服の下に纏う防弾素材に阻まれ、貫通には至らない。
 それでも運動エネルギーそのものを防げるわけではない=腹腔に重いボディブローを浴びたような苦しみに、呼吸を殺すような衝撃にウルバーンは歯を食いしばり、胃液が競りあがるような感覚を耐える。耐えて見せた。
 ハウゴ=即座に格闘戦の間合いに踏み込む。
 尋常な射撃戦でハンドガンとサブマシンガンでは圧倒的な手数の差がある。格闘の間合いで相手の必殺を潰さぬ限り勝機は無かった。

 手榴弾を握り締めた手で殴打の一撃――喧嘩で拳に煉瓦を握りこむやり方があるが、今回のそれは握力で手榴弾の自爆をセーフティしながらだ。
 ピンを差込み爆発を防いでから戦うというのがセオリーの筈なのに、それを無視。ピンを差し込む一秒すら今のハウゴにとっては惜しかった。相手のこめかみをえぐるような、拳銃の銃底による打ち下ろしの一撃。

「ぐっ!」
 
 軽反動サブマシンガンの怖さは、近距離戦でのCQCを妨げる事の無い取り回しやすさと、防具を持たないソフトターゲットに対する大量虐殺能力にある。
 それを無力化する為の凶器による殴打、速度と体重の乗ったそれ――だが、銃弾の直撃による痛苦の中であっても、ウルバーンの反応は的確を極める。まるで相手の拳の軌道を読み切ったような後ろへの僅かなスウェーで一撃に空を切らせ、反撃=両足を広く、腰を落とし、開いた手で――離れろと言わんばかりに拳の速射砲を撃ち放つ。
 鍛え上げられた戦士の肉体による攻撃は、牽制の一打でも常人を昏倒させるに足る。連打とは思えない衝撃の重さに顔をしかめるハウゴ。

「つっ……!」

 それを、両腕を盾のように掲げて防ぐ――連打を浴びつつも、防御の隙間から覗くハウゴの眼光は恐ろしく冷ややかだった。相手の拳を受け、徐々に距離を開けられているにも関わらず、正対するウルバーンの方が戦慄するほどに冷徹な眼光を放っている。まるで瞳から伸びる眼光が細胞一つ一つの戦力を査定するかのよう。
 その冷たい視線を――永遠に閉じるべくウルバーンは拳の連打からサブマシンガンの射撃へと移行しようとし――肩の筋肉の動きを穴が開くほど観察し続けていたハウゴは、今までとは違う筋肉が使用される様子に対して即座に対応してみせる。

 集中=まるで一秒を千秒に引き伸ばすような、自分の意志で走馬灯の集中力を得るかのよう。 

 サブマシンガンを構える腕が槍のような一直線に伸び、引き金に掛けられた指が折り曲げられる――その動きに先んじてハウゴは地に伏せる虎のように屈み、筋力を爆発させる。打ち上げられる拳、狙いはウルバーンのサブマシンガンを握る腕の肘関節。

「っ……」

 ウルバーンの驚愕の声が口内で潰れる――まるで事前に自分の行動を呼んでいたような動きで拳を打ち上げるハウゴ。
 予期せぬ位置からの衝撃に/肘への強い衝撃に――指先に電撃のような痺れを感じて空中へとサブマシンガンが跳ね上がり――それをやってのけた直後のハウゴの行動は迅速だった。
 今まで片腕で保持していた手榴弾を投擲――即座に遁走。
 エミールの執務室の、外への大きなガラスへと体を投げ出して窓を突き破り――外へと体を投げ出した。

 

 エミール=グスタフの執務室からは――花畑が見える。
 生前のイェネルフェルト教授の弟子の一人が、砂漠化する大地にも根付く生命力に溢れた植物を作ろうとして生み出した、白い花だ。あたり一面に咲き誇るそこは、銃火の轟音と硝煙の臭いからもっとも縁遠き美しい場所だったが――まるで、憎悪と殺意が残された楽園を踏み荒らすように――ハウゴは戦の臭いを引き連れてガラスの破片と共に地面に叩きつけられた。

「……いってぇ……!」

 着地は両足で――そのまま衝撃を殺すのではなく受け流すように転がりながら衝撃に耐える。特殊部隊などで運用されるようなパラシュート器具無しでの着地法を疲労しながらハウゴは自分が落ちてきた場所を見る。
 自分を追い、跳躍するウルバーンの姿――その彼を追うように爆発する手榴弾=轟音が耳朶を打つ。
 ハウゴは花畑の上で、痛む体を起こした=ウルバーンは着地と同時に、――未だ彼の中で轟々と燃え盛る憎悪の炎を象徴するかのような禍々しい光を放つナイフを引き抜く。
 目には対話を拒否する頑なな意志があり――刃を収めるように説得するなど、不可能であると知れる。

「……なんで」

 ハウゴ=鉛のような呟き。戦友であったアマジークを討ち、今度はかつて取った弟子に当たる男を打つ。どうして、こうもめぐり合わせが悪い。

「……なんで、またこうなるのかねぇ……」


 

 キャノピー、クローズ。
 ネネルガルは即座に操縦席の後ろ側に装備されたAMSを自分の脊椎に設けられたジャックに接続。機体のセンサーと自分の神経が混ざり合い同一化する際の酩酊感=人機一体。コジマ粒子の生成システムをオフにセットし<アイムラスト>を起動。
 巨人の視覚を得たネネルガル=頭部のカメラアイを点灯させ、足元を這うインテリオルの冷徹な一瞥をくれる。
 外部スピーカーを起動。

「インテリオルの方々へ。抵抗は無意味です、撤退してください、撤退してほしいのです」

 流石に巨人と生身の人間が戦って勝てる道理も無い。その圧倒的戦力差を誰よりも弁えるシュリングは即座に部下に撤退を指示。
 逃げ出す彼らを追いかける事も無く、ネネルガルは通信を開いた=驚きと喜びを一緒に表すようなフィオナの顔。 

「フィオナ、フィオナ。<アイムラスト>起動完了。これより迎撃に移ります」
『了解。……敵部隊はMT、ノーマルが主力よ。……ただし、すでに生活圏近くまで踏み込まれているわ。プライマルアーマーは展開できない――待って。通信要請よ。……これは、アナトリア内部から? 誰なの?』

<アイムラスト>内部に表示される通信用ディスプレイ――フィオナの横にウィンドウが開く。
 現れるのは壮年の男性――どこか、油断ならない。

『……久しぶりになるか。ネネルガル君』
「……ふ、副社長、いえ、ジャック・O」
『しゃ、社長……?』
 
 ネネルガル=流石に唖然とした表情を隠せない。通信を傍受していたフィオナも同様だ。元アクアビット所属のリンクスである彼女はその顔に見覚えがある=彼は口元にかすかに笑みを浮かべた。

『マグリブ解放戦線は現在アナトリアに接近しているが。……その実力、戦闘力――君が男であったなら惚れていただろうな』
「……かつて鴉に行ったように――今度は山猫達に蟲毒の罠を仕掛けるおつもりですか? おつもりなのですか?」

 ネネルガルは先のその発言は致命的に間違っているような気がしたが、怖かったので追及するのは止めた。自分の性別が女性だったことに、ちょっとだけ偉大なる脳髄に感謝してもいいかな、と思いつつ、あえて関係の無い話題を振る。

『……後悔などせぬよ、しても仕方が無いのだ。……レイレナードのマシンガン、モーターコブラ購入と一緒に、兵装の中に一つプレゼントを詰め込んでおいた。使いたまえ』
「……それはどうも、どういたしまして」

 GAの車両に何を紛れ込ませていたのだ――そう考えながら、ネネルガルは武装コンテナの中からアサルトライフルを取り出す。
 銃器と<アイムラスト>のFCSが電子的結合=その表示される名称に思わず目を剥いた。

「……設計元がクローム・マスターアームズ?! 銃身下部に小型グレネードを搭載した特注アサルトライフル……ヴィクセンですか?」
『重量はかさむが威力は絶大だ』

 ネネルガルは顔を顰めながらアサルトライフルの重量を確かめる。武装積載量の限度をオーバーした重火砲の存在は、本来<アイムラスト>が持つ機動性能を大幅に減退させるだろう。だが――脳内で戦闘プランを再構築。このままの装備を続けると判断し――機体を前進させる。
 同時にインテリオル部隊が撤退したことによって動けるようになった整備班が格納庫を開放してくれたのだろう。

「ジャック。一つよろしいですか? ……先程私がコクピットに突入した時、別種の銃声が聞こえました、聞こえたのです。……援護してくれたのは、貴方ですか?」
『……私の手のものだ。……『今度会ったら、ジュースを奢りますよ』とだけ聞いている』
「……そうですか」

 ネネルガル=小さく微笑む。

『ああ、それとハウゴにも私の伝言を伝えておいてくれ。
『シーラに君の尻の代金を振り込んだのだが、結局世界が滅んだので商品を受け取っていない』という事なん……』

 聞かなかったことにした=通信をカット。
 同時に<アイムラスト>のセンサーと、アナトリア周囲に設置されたデータをリンク――二脚型のMT、ノーマルの混成部隊の接近を確認。

 武装は十分/十分すぎて重い――右腕=近距離中距離戦で如何なく性能を発揮する大型のアサルトライフル=その特筆すべき特徴として銃身下部にグレネード装備/左腕=BFF製アサルトライフル/右肩=スタンダートな高火力ミサイル/左肩=メリエス製ハイレーザーキャノン/左側に格納型レーザーブレードを内臓。
 但し積載限界を超えている為に――機動戦闘は不可能。ネネルガル=しかしそれは戦術に織り込み済み。

 格納庫が開放――本来ならば輸送機でネクスト機体を送り込むだけのそこは、遠方に敵を臨む戦場となりつつある。

『……生活圏に敵が迫っているわ。さっきも言ったけどプライマルアーマーは展開できません。被弾回避を最優先に』
「了解。できるだけアウトレンジします、しますのです」

<アイムラスト>――ハイレーザーキャノンを展開=敵ノーマルの一つを照準。
 構えた長大な砲身に膨大なエネルギーを注入――雷光が蓄積=チャージ完了と共に青白い光の巨槍が放たれた。空気減退するのがレーザー兵器の弱点の一つだが=その弱点を高出力による力技で解決。
 放たれたそれは敵の一つの装甲を貫通する=瞬間、爆発。続けて銃身を新たな敵に指向=攻撃レーダー波の照射を受けた敵が恐怖の透けて見える回避機動を始める。

「ここは、アナトリア」

 引き金を絞る――残弾を残すつもりは無い。ハイレーザーキャノンのパージを前提にした、徹底したアウトレンジ攻撃。

「土足で上がる者には銃火による歓待を」





[3175] 第二十九話『そこまで、本気なのね』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:ba5cba39
Date: 2009/02/16 13:42
 国家解体戦争において、既存の国家戦力を駆逐し、六大企業による支配体制を確立したネクストAC。その隔絶した戦闘能力の土台となったコジマ技術であるが、各企業はその利用方法を模索し始めている。

 たとえば、発電施設。
 レイレナード陣営に属する企業、BFFはコジマ技術を利用したエネルギープラント『スフィア』を用い、レイレナード陣営へのエネルギープラントとして提供している。戦力をネクストに特化している新興企業レイレナードにとっての大きな貸しだ。
 
 もう一つが、ネクスト級の機動性を与える事を切り捨てた場合だ。
 プライマルアーマーとは機体の周囲にコジマ粒子を安定滞留させ、既存の火器に対する強力な防御力場として利用する事。
 これ一つでも利点は大きい。
 プライマルアーマーによる圧倒的な防御能力は兵器の耐久性を大幅に高める。
 企業体がAMS適正という才能を有さない限り運用できないネクスト戦力だけでなく既存の戦力にも利用できる、プライマルアーマーのみを利用した兵器の開発に踏み切ったのは当然の成り行きと言えるだろう。
 


 それがGAヨーロッパにおけるGAEM-QUASAR=クエーサー型六脚戦車であり。


 
 インテリオル・ユニオンにおける――FF130-FERMI=通称、『空中要塞』フェルミである。





 撤退を決断したインテリオル特殊部隊の行動はさすがに迅速極まるものだった。
 もとより如何なる事態でも退路を事前に確保している彼らは、最悪のケース――何一つ任務を達成せずに帰還するという歯噛みしたくなるほどの惨々たる結果――も想定していた。

「……まさか、こうなるとはな。……ロイは?」
「通信に答えませんね。おそらく、まだ仕事を続行しているのかと」

 シュリングは頷く。
 本当ならば落胆の溜息ぐらい吐き出したかった。だが、将の弱気は兵に伝染するのはいつの時代も同じこと。弱気を演技で覆い隠して――傍にいる通信を専門と部下に訪ねる。
 この状況下での作戦コードはすでに仲間に伝達し終えていた。
 総撤退――もちろん捨石として使用したマグリブは復讐を果たすまで狂人の如く戦い続けるだろう。だが、もちろん彼ら特殊部隊は生き残るつもりであり――事実そのための手は打ってあった。

「フェルミは現在どの辺まで来ている?」

 彼らインテリオルは、マグリブ解放戦線がアナトリアに対する過剰殺戮に走ることを懸念していた。
 エミール=グスタフの知性も、<アイムラスト>に内蔵された特殊機構もインテリオルの技術班はよだれを垂らすほど欲している。問題は復讐の狂熱に駆られたマグリブが、その貴重な資源を見境なく破壊する可能性があり――その場合に備えてシュリングは二機の空中要塞フェルミを準備していたのである。
 空中要塞フェルミ。
 インテリオルの技術が結集された極めて強力な巨大兵器。
 常時空中に浮遊し続けるエネルギー出力/中心に設けられたネクスト級機体でも運用できない高出力ハイレーザーキャノン/対地対空にも使用できるミサイルの弾幕/そして機動性を切り捨てた代償として獲得したKP出力――その戦力は高く、分厚いプライマルアーマーでノーマルの攻撃を無効化/大出力レーザーとミサイルによる絨毯爆撃で敵を撃破する力を持っている。
 ネクスト戦力は別格としても、通常戦力程度が相手ならばまず必勝は間違いないとされるインテリオルの切り札だ。数機連携で仕掛ければネクストすらも危ういとされる性能は伊達では無い。

 インテリオル上層は今回その強力な戦力を二機、投入している。
 それは二つの奪取目標をそれほど重視しているということの裏返し=もしマグリブが過剰殺戮に走るなら即座にその銃火でマグリブを駆逐するだろう。
 
 だが、生憎とネクストAC<アイムラスト>の奪取は失敗に終わった。こうなった以上、フェルミの援護射撃の元離脱するしかないのである。
 それゆえ――通信機を操作していたその兵士は、顔を青褪めさせて、応えた。

「……それが――現在、敵勢力と交戦中だそうです」
「なに?」

 思わず驚愕の呻きを口から漏らすシュリング――相手は? 質問よりも先に思考し、回答に行きあたる。
 企業体の睨みあいに関与せずに運用される戦力――ここがアナトリアであるならば、答えは一つしか存在しなかった。

「……<ホワイト・グリント>か」





<ホワイト・グリント>のリンクスであるジョシュア=オブライエンは傭兵だ。
 元はイェネルフェルト教授の弟子の一人としてAMS開発に関わっていたテストパイロットだが――故郷であるアスピナを護る為に戦場に出ている。
 彼が戦うのはアスピナを経済的な飢餓から救うためであり――如何に意に沿わぬ戦いでもためらいを持つ事は許されない。

 
 だからこそ――ジョシュアは今回の戦いにおいて、自分のやりたい事と、他者から望まれる事が珍しく合致したことに例えようもない歓喜を覚えていた。

『……う、ジョシュア、聞こえますか? レーダーにインテリオル・ユニオンの飛行要塞を確認しました。……ね、ネクストでも直撃は危険なレーザー兵装を搭載、あ、当たらないようにしてください』
「了解」

 短く回答=昆虫の複眼を思わせる頭部カメラアイで敵を補足。
 今日は――ひどく調子がいい。
 彼自身はアスピナの為に働くことになんら異議は無い。そのためだけに大恩あるイェルネフェルト教授の住まうアナトリアからアスピナへと移住しそこでネクスト傭兵を行っているのだから。だからこそ――かつて第二の故郷とまで思ったアナトリアを守る為に出撃できる事は彼にとって望外の喜びだった。機体を操るその意思も自然と強いものになる/挙動の鋭さにも切れが増す。
 もちろん――強力なネクスト戦力を雇うための報酬を用意できる存在など限られる。
 おそらくアナトリアを防衛させる事で何らかの利益を得る企業のどこかが表向き動く事が出来ないために傭兵である彼を雇用したのだろう。そういった企業間の駆け引き/お互い本腰を入れて殴りあうことの出来ない状況こそが、企業の意ひとつで踏み潰されてしまうコロニーの、生きるため進む狭い活路だった。
 だが、そういった駆け引きの一切合切から彼の心は自由――全てを今は忘れ、ジョシュア=オブライエンは望むままに戦場を疾駆する。

『ひ、……フェルミ、船体中核に高エネルギー反応。射撃、来ますぅぅ!!』
「確認している!」

 飛行要塞フェルミが腹に当たる部位に設けられた高出力レーザー兵器にエネルギーを充填=砲門の周囲の大気が高熱により歪んで見える。
 大出力レーザー発射=直撃すればネクストですら大きい損害をこうむる極めて強力な光の槍は大気を焼きながら直進――その射撃に先んじて<ホワイト・グリント>は回避行動を開始している。
 脊椎反射による回避機動を思考――人機一体化を可能とするAMSならではの、既存の操縦インターフェイスでは不可能な反射速度で、クイックブーストによるスライド回避=瞬間的な音速突破で横方向へ放たれるレーザーの光熱を回避。
 避けた先の大地が高熱で焼け爛れ、抉れ――赤色に溶解している。

「さすが、メリエス」

 短い感嘆の言葉――もう一機から放たれる光の槍を回避しながら、武装をライフルから両肩のミサイルランチャーに変更=カバーが解放され、弾頭が覗く。
 頭部、昆虫の複眼に似たメインカメラが独立して稼働――二機の敵を同時に補足=ロックオン完了。

『て、敵、ASミサイルですぅ!!』

 無意味に心配症のオペレーターの声=射出されるACミサイル。
 引き金を引くと同時に弾体に搭載されたレーダーと人工知性が自動で敵を補足し、たとえアイカメラによるロックオンが無くとも相手を補足する優秀な追尾機能を持つミサイルは、フェルミから射出されると同時に自動で<ホワイト・グリント>目指して飛翔=追尾軌道を開始する。
 だが、ジョシュアの反応は冷静そのもの――二機の敵を補足していた両肩のミサイルを同時に射出する。
 この場合、ASミサイルの誘導性があだになった。
 弾頭に搭載された人工知性は至近距離を飛行する熱源を正確に補足/それを追尾しようとする――だが、高速で交錯するミサイル同士がぶつかり合う訳がない。ASミサイルは敵ミサイルを迎撃することも敵に直撃することもできず、推進燃料を使い果たし、無為に地面に穴を穿つのみ=ミサイル無力化成功。

「狙いを機械任せにすれば当然そうなる……!」

 ミサイル攻撃を捌けてもフェルミの猛攻が途切れる訳はない。
 クイックブーストを絡めた回避から銃撃を打ち込もうとも、相手の分厚いPAと自前の重装甲に阻まれ、致命傷には程遠い。

「……頭上を!」
 
<ホワイト・グリント>――背を反らし、メインブースターの推力噴射角を下方へ=急速な垂直上昇を開始。
 それが何らかの攻撃の予兆である事を察したフェルミはレーザーとASミサイルの弾幕で迎撃を始める=だが、機動性において相手の遥か上を行くネクスト機体は緩急織り交ぜた動きで機敏に猛攻を回避し続ける。
<ホワイト・グリント>――敵の上に位置/同時に推力ペダルを離して自由落下開始=エネルギー消費が停止し再び急激な勢いで回復していくエネルギーコンデンサ容量/オーバードブースト・オン=機体背部のメイン推力器/両肩後方のサブ推力器――全開放=むき出しになったオーバードブースターユニットが機体周囲のコジマ粒子/ジェネレーターから供給されるコジマ粒子を一気に暴食、推進エネルギーに転換。

 音速突破。

 放たれる光の槍は、しかし炎の翼を広げて凄まじい加速力で飛翔する<ホワイト・グリント>の影を掠めることすらできない。
 そのまま急速で接近し――オーバードブースターをカット=フェルミの一つの真上に着地/プライマルアーマー同士が相互干渉し、接触面から緑色の雷光が爆ぜる。だが――オーバードブースターでプライマルアーマーの展開率が低下した<ホワイト・グリント>と、空中要塞フェルミとではコジマ粒子出力が根底から違う。
 たちまち<ホワイト・グリント>を鎧うプライマルアーマーは減衰――フェルミのコジマ粒子に機体装甲に微細ながらもダメージが蓄積していく。
 だが――この時点で勝敗は決していたといっても良い。

「殺った」

<ホワイトグリント>は両腕のライフルを足もとのフェルミに構える=発砲――それも同じ位置に対して執拗なまでの攻撃を繰り返す。。
 いかに強固なプライマルアーマーを保有しようとも、零距離からの銃弾にまで防御性能を発揮できるわけではない。巨大化によって攻撃力、火力を得た――尋常な射撃戦ならば無類の強さを発揮するフェルミといえども、図体が大きくなったために抱え込んだ構造的欠陥まで解決できたわけではない。
 もう一機のフェルミも味方誤射の危険がある以上、レーザーを用いる事が出来ない。
 必中の距離から弾雨をピンポイントで浴びせられ続けたフェルミはとうとう損傷が致命域に到達したのか、コジマ粒子を漏らしながら自重を支える力を失ってゆっくりと落下していく。
 頭部カメラが残った敵機を補足――残る一機を屠るべく、戦闘機動を継続。






『敵、ノーマル六機目を撃破!』
「さて。ここまでですか、ここまででしょうか」

 ネネルガル――そろそろ弾装のうち三分の二を消費した事を確認し満足げにうなずく。
 現時点での被弾はゼロ――だがそろそろ肉薄した銃撃戦を展開しなければ、敵機の処理速度が追い付かなくなる。右肩ミサイルランチャーを開放――マルチロックオン=ミサイル発射=同時に兵装解除のプログラムを呼び出し。

「ハイレーザーキャノン、ミサイルランチャー、接続ボルトを爆破。排除」

 ネネルガルの意を受け、<アイムラスト>を統括する統合制御体は後背の二つの武装を機体に接続していたボルトの炸薬を電磁着火――爆発し、支えを失った二つの武装はそのまま地に落ちる。FCS――自動で残った両腕の銃器を選択。

「本機<アイムラスト>はこれより高機動戦闘を開始します。開始するのです」
『了解、気を付けて』

 ネネルガルはレーダーを確認。
<アイムラスト>に搭載されたレーダーからの情報だけではなく、本拠地であるアナトリアだからこそ得られる情報に目を通す。一発のグレネードでも油断すれば致命傷になりかねないプライマルアーマー未展開状態。ならば対処不可能な死角からの攻撃は極力避ける必要がある。
 集中、集中だ――己に語りかけ、ネネルガルは戦闘を始める。

「<アイムラスト>、戦闘機動!!」

 脚部屈伸=跳躍準備動作。
 高負荷と引き換えに高い威力を約束するハイレーザーキャノンと高火力ミサイルランチャーを排除し、最低限の武装のみを搭載した<アイムラスト>は、まるで重力の楔から逃れたような高速度で飛翔――その頭部カメラで光学補足した敵機に向け、接近を始める。
 メインブースターへと膨大なエネルギー供給=前方へと瞬間的な超加速/その運動エネルギーが残余した状態のまま右方向へスライド移動――再度メインブースターへエネルギー供給=超加速前進。
 通常のAMS適正保持者ならば、その機体制御のためにかかるる精神負荷の激しさに不可能であるクイックブースター三段機動=高度なAMS保持者のみに許される天才の機動を行い、敵ノーマルに狙いを定めさせない。

『は、早い!』
『くそ、なんて機動だ!!』

 重量負荷を切り捨て、推力重量比を高めた<アイムラスト>の機動は軽翔極まる。
 本来のリンクスであるハウゴの戦闘機動が歴戦に支えられた、最短距離を最速で行くものであるならば――彼女のそれは天性の才能にのみ許された、常に敵機の死角へと移動する攻防一体の渋い機動だ。
 敵の死角を維持し、攻撃可能な射程に突撃――射程距離と引き換えに速射性を高められた両腕のアサルトライフルが一斉に猛火を噴いた。

 放たれる――横方向に飛ぶ雨の如き弾丸。敵ノーマルは横合いから猛射を浴び、爆発――その僚機の仇を取るべく敵が前進するが、<アイムラスト>の反応はなお早い。
 空中へと飛翔――横方向へとスライド移動/即座に前方へとクイックブースト――敵機の横を取る/同時に今度は両肩のスラスターの推進角を操作し、機体を捻るように可動=膨大なエネルギー供給、膨大な噴射炎を噴き上げ、強引に機体を捻じるターンブーストにより、敵ノーマルを正面に補足/敵ノーマルの死角に位置――猛射。
 再びはじけ飛ぶ敵機――マグリブ解放戦線が使用するイクバール製ノーマルの装備はショットガンにパイルバンカー、共に近距離で効果を発揮する。

「掠り傷でも危ない今では、間合いの短い相手は相性が良いのです……!!」

 ネネルガル――呟きつつ、レーダーの送り届ける敵位置のデータを脳髄で確認/操縦桿を引きちぎる勢いで<アイムラスト>を旋回させる。
 両腕を広げる<アイムラスト>。右腕/左腕――それぞれの掌に保持された銃器が両側から押し包もうとする敵機を照準する――二機を同時に撃破。
 だが――ネクストACの高機動性と火力で圧倒しているにも関わらず、今だにマグリブの闘志は衰える事を知らない。まるで自らを憎悪の祭壇にくべて仲間の闘志を掻きたて続けているよう。それほど彼等が失った英雄の存在は大きく、英雄を討ったこの機体への復讐の念は激しいのだろう。
 だが、落ちる訳にはいかない。どんな事情があろうとも、アナトリアへの直接攻撃を認める訳には行かない。再度接近する敵部隊を確認――まだ死にに前に出るのか? 肉体では無く精神が疲労するような感覚。
 それでも戦闘を継続する。

 せざるをえないのだ。




 ハウゴは――内心舌を巻く。
 白い花園の中、マグリブの戦士ウルバーンはその手に刃を構え、油断なくこちらを狙い定めていた。
 人体の急所へナイフが突き刺されば即、死に繋がるが――しかしそれは深く踏み込む必要があると言うことであり、ハウゴの打撃の十分な射程圏に踏み入るということでもある。
 ウルバーンが狙うのは徹底して四肢の末端。手傷を負わせ続ければいずれ出血と痛みで集中が途切れる。お互いに無言=無言の殺意こそが――相手との意思を交わすことを一切拒絶した必殺の意志こそが一番怖い。
 
「……っ!」

 踏み込みと共に繰り出される白刃。
 ハウゴ――これまで巧みな体術でこれを捌き続けてきたが、とうとう肉薄する刃の戦慄に堪えられなくなったのか――放たれた刃はハウゴの左の掌に突き刺さった。

「つっ!」

 骨の間を突き抜け、掌を貫通する刃の先端――まるで灼熱の火箸を付き込まれたような鮮烈な激痛。
 だが、それでも即座に足を跳ね上げ、ウルバーンの顎目がけて蹴りを放つ――それを後ろへとのけぞり避ける相手。

 ハウゴは痛みに顔を顰めながら刃を引き抜く。
 左の拳はすでに死んだ――ウルバーンは確信する。拳を握り締めようにも走る激痛がそれを妨げる。一回二回程度は気力で堪えられるかもしれないが――それも長く続かない。片腕が使用できなくなった意味は大きい。それは攻撃/防御の双方に回す力が半減したという事。両足はまだ生きてはいるが、しかし挙動の大きい蹴りならば捌く自身が彼にはあった。
 勝利の確信を得る――ならばもう自分が勝つ、相手にとどめを刺すべく、彼は再び突撃した。
 
(……勝った!)

 



(……と、思っているだろうな)

 ハウゴは、心の中で呟いた。
 幼少の頃鍛錬をつけた少年の技量は、この数年で驚くべき長足の進歩を遂げており、自分ですらまともな戦い方で勝利することはおぼつかないと理解していた。
 心臓の鼓動音と共に激痛が左腕に炸裂――拳を全力で握り締めて殴れるのは一回が限度と見当をつける。
 状況はまともに見るならば不利――幼少の頃、訓練をつけた少年は比類なき白兵戦の達人となって彼の前に現れた。その事を素直に喜びたくもあるし、面倒な敵が来た! と舌打ちするような気持も同居している。

(さてと。……奇策の種は既に仕込んだ)

 己の左腕から流れ出る鮮血がそれを、右腕の不自然を隠蔽してくれるだろう。ハウゴ=アンダーノアはかつて国家解体戦争を生き延びたが、無傷ではなかった――その負傷こそが、ここでは生きてくる。なにがいい方に転ぶのか分からない。
 正面から迫る彼に対し、ハウゴは覚悟を決めた。






 ネネルガルは周囲の敵の制圧を確認――アナトリアに攻撃を仕掛けていたマグリブのノーマル部隊はその過半数が既に打ち取られ、戦闘は収束しようとしている。
 だが、安堵の溜息を中断させるように、フィオナの声が鳴り響く。

『待って、敵の新手――この反応、ネクスト?!』
「なんですと」

 ネネルガル――同時にレーダーに映る高熱原体をズームアップで確認。
 敵の新手――典型的GAネクスト/右腕武装=一撃の重みを追求した、強力な砲弾を射出するスタンダード型バズーカ/左腕武装=腕部装備式の、着弾と同時に爆発を発生させるロケットランチャー/右後背武装=設計武装が重火力に偏る有澤の象徴とも言うべき、威力、爆発範囲共に最大級の超重グレネードキャノン/左後背武装=対象を自動追尾するスタンダードなミサイルランチャー/両肩補助兵装=ミサイル発射に連動し、上空へ飛翔後落下する垂直発射式連動ミサイルランチャー――実弾兵器に対する防御性能と積載量を追求した無限軌道によるタンク型/命なき砂の大地で戦う事を想定したような、砂塵の如き塗装――背からオーバードブースターによる膨大な推力を吐きだし接近してくる。

『……カタ……キ……』

 流れてくる感情の一切合財をそぎ落とされたような、骸骨を思わせる言葉。
 
『……カタ…キ……エイ……ユウ……』
「……AMSの精神汚染……ですね」

 AMSによる過度の精神負荷によって既に廃人寸前のリンクスの声に――ネネルガルは歯を噛む。
 フィオナ――驚愕を押し殺し、叫ぶ。

『……そこまで、本気なのね。ネネルガル、敵ネクスト……マグリブ解放戦線、もう一機のイレギュラーネクスト……<アシュートミニア>よ!!』




[3175] 第三十話『謝るんじゃない』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:ba5cba39
Date: 2009/02/26 00:33
 互角の条件での戦闘というものは存在していない。
 少なくとも互角の条件というものが存在している戦闘は――実戦には存在していない。
 存在しているとすれば、それは競技化された戦闘でしかなく、生命の掛った戦闘ともなれば、誰もがなりふり構わず敵対者を排除しようとする。財力/火力/数/状況戦――実戦では互角の戦闘など存在しない。
『騙して悪いが』――その一言で、罠にはめられる場合だってあるし、一機との戦闘を懸命に凌いでも敵の新手にあえなく敗れ去る場合も存在する。実力の高さ=生存能力とは限らない。レイヴンなどの傭兵が実際の戦闘能力と同じかそれ以上に重視されるのが状況判断の確かさであるのは必然だろう。
 
 だから――ネネルガルも実際の戦闘において互角の状況などという言葉が絵空事でしかない事をはっきり理解している。
 理解しているが――

「だからと言って――これ、あんまりなのです、なのですよ?!」

<アイムラスト>の戦闘機動は鋭い。
 本来のリンクスであるハウゴを遥かに上回るAMS適正を保有するネネルガルが得手とするのは、彼女の片割れであるセロと同様、高度な三次元戦闘であり――本音を言うなら、<アイムラスト>は少し、重すぎる。
 彼女のために用意されたネクストではないためそれは仕方の無い話であり――そのため機体背部の大物を切り離したのは推力重量比を高めて彼女の理想とする高機動戦闘に近づけるためだった。

 だが――後付けの知識になるが、ハイレーザーキャノン/ミサイルランチャーを排除したのは間違いだったのかもしれない。
 敵ネクスト<アシュートミニア>、角ばったGA製頭部の単眼がこちらを補足する――右側後背の大型榴弾砲が向けられる=ネネルガル、反射的に<アイムラスト>を跳躍させ、回避機動へ。

『……アテ……ル……』

 脳髄に罅の入ったような言葉――放たれる大口径榴弾=とはいえ破壊力はまだしも、弾速という点では劣るそれは、<アイムラスト>の高機動に追いつけるわけもなく地面に直撃。
 着弾=爆発。
 本来の攻撃目標ではないとはいえ――炸裂。
 有澤製グレネードの真髄を見せつけるかのような大爆発/炸裂する轟音/高熱と乱舞する破片効果の渦――その破壊力の余波は空中へと退避した<アイムラスト>にすら影響を及ぼした。
 撒き散らされる破片は斬殺の嵐と変じて装甲に食い付く――損傷は軽微/だが、塵も積もれば山となる言葉通り、蓄積した損傷は馬鹿にならない。
 損傷の返礼と言わんばかりに<アイムラスト>は両腕のアサルトライフルを応射。雨あられの弾丸はその運動エネルギーで敵装甲を穿孔すべく降り注いだ――だが、<アシュートミニア>は最初から回避を度外視したような愚直とも言える突撃を敢行=当然の結果として全弾命中。
 だが――<アシュートミニア>は倒れない=憎悪と凶熱が鋼鉄に憑依し損傷を無視して強引に機動させているかのよう。

「……くそっ、既にマガジンは三つ叩き込んでいるというのに、理不尽な勝負なのです、やり直しを請求したいです……!」

<アシュートミニア>のプライマルアーマーが一秒でも多く展開され続ければコジマ汚染は拡大し続ける。対してアナトリアを守護する立場の<アイムラスト>はプライマルアーマーを展開することが許されない。
 相性はまさしく絵に描いたような最悪。
<アイムラスト>が使用するアサルトライフルはどちらも実弾にカテゴリーされる弾丸=それに対して<アシュートミニア>はGA製ネクストの中でも最硬度を誇るタンク型とも言うべき機体。<アシュートミニア>の武装はバズーカ/グレネードなど一撃の重みに特化した高威力実弾兵器=それに対して<アイムラスト>はプライマルアーマーを展開することが出来ず――たった一発の直撃で戦闘不能にすら陥る可能性とて存在するのだ。
 フィオナからの通信=オン。
 
『ネネルガルッ! もういいの、無理よ! こちらもプライマルアーマーを展開しないと貴女が危ないの!!』
「しかしっ」
『しかしもかかしも!』

 二機のネクストACが共にコジマ粒子を放出し始めれば、アナトリアはその土壌汚染を除去するためにどれほどの資金と歳月を要さなければならないだろう。
 もちろんこれはフィオナにとっても苦渋の決断に他ならない。だが、ネクストACの傭兵業で成り立っているアナトリアは<アイムラスト>を失った時点で企業体から価値なしと断ぜられてしまうだろう。
 どのみち、撃墜されれば未来等存在しないのだ――それなら撃墜されないようよう、切り捨てるしかない。
 例え、切り捨てるものがかけがえのないものでも。





 俺は満足して死んだ。


 仇討ちなど考えないでくれ。





 アマジークが最後に残した言葉を思い起こしながら――ハウゴは最後のとどめを刺すべく突っ込んでくるウルバーンを見る。
 熟達した格闘術は徒手であろうとも敵対者を抹殺する力を与える。ハウゴ/ウルバーンの両名は共に凶器に頼らずとも相手の心の臓を止める力量の持ち主であり――お互いに最後の瞬間まで予断が許されない。
 だが――ハウゴはその掌に負傷を抱えており、もはや全力で拳を握り固める事が出来るのは後一回二回程度。それに対して相手は五体満足であり優勢は決して揺るがない。
 ウルバーン――鋭い踏み込みと共に、牽制の打撃をたたき込む。それらを肩と右腕でかばいつつ、唯一残された左腕に筋力を蓄積するかのように構えた。

「シッ!」

 短い呼気――自重の乗ったストレート。負傷してはいるが、その拳の勢いはまだ死んでいない。それをヘッドスリップで回避し、ウルバーンは反撃の一打――相手の意識を断絶すべく、頸への狙撃の一撃。ハウゴはそれを避ける事が出来ない。
 インパクトの瞬間、横へと頭を流して打撃の衝撃を受け流すものの――それでも急所を打ち抜かれたダメージの全てを殺せるわけもない。
 ハウゴ――酩酊したように、両足が脱力=ふらつきながらも、尚闘志は生きているのか、右からの打ち下ろしの拳を、戦槌のように振り下ろす。

 テレフォンパンチ。

 迂闊に振り下ろす拳/苦し紛れの一撃はウルバーンにとって破壊可能な関節がある獲物でしかない。
 その打撃を受け流し、相手の関節を決め、完膚なきまでに破壊――ハウゴの両腕に致命的な損壊を与え勝利する。彼にはそれを実行するだけの実力が存在しており――実際その関節を捕縛する技術はまさしく完璧なものだった。
 打撃を外し、凶器である拳の先端を避け――相手の関節に両腕をからみつかせて、本来曲がらない方向に曲げ/間接に多大な負荷をかけて肘を破壊=それだけで両腕に致命的な損壊を抱えた相手は戦闘力を失う。
 ウルバーンはハウゴの腕を捉え、その腕に対し、恐るべき破壊を実行しようとして力を込め――ごとり、と短い音を立てて――本来あるべきである抵抗を返すこと無く、あっけなく方から外れたハウゴの右腕に目を剥いた。

「ぎ、義手……?」

 まるで蜥蜴の尻尾切りのように切り離された右腕に対して/予想していなかった男の隻腕に――呆然としたような声が漏れる。間接破壊を狙ったウルバーンは――その腕自体が切り離されたことに一瞬の隙を見せる。
 ハウゴの逆撃は、その一瞬の隙を――左腕を突かせ、犠牲にして得た待ちに待った一瞬を決して見逃す事は無い。
 相手の関節を破壊するために乗せるはずだった自重の矛先を失い崩れる体勢――ハウゴは右腕を握り固める。

 激痛が炸裂――握力に比例した痛み、その痛みの度合いから一撃しか持たない事を理解=一撃で倒す。
 右足を踏み込み、膝/腰/肩/肘/手首――各種間接が驚異的なまでのパワーの伝達を実行――四肢の関節、筋力の全てを総動員し繰り出される、地を這う軌道から上空へと振りあげられるアッパー。
 その拳の危険性を直感で理解したウルバーン=脳髄の判断を待たずに全身の細胞が対応。
 闘志に関わりなく、脳髄を強震し意識を断絶させる顎への一撃を防ごうと腕を盾にする――間に合わない! 全身の毛が逆立ち、汗腺という汗腺から氷のような汗が流れる感覚/大気全てが蒼い氷に変ずるような恐怖。


 衝撃。


 気付いた時――ウルバーンは空を見ていた=強烈極まる一撃が彼の顎を跳ね上げていた。
 戦場に似合わぬ――刹那の空白/次の瞬間、彼の肉体は大地へと墜落する。
 全身の肉体に痺れが走る=まるで骨格の全てが抜け落ちたかのように力が入らない。なんとか上半身を起こすだけで精いっぱいだった。

「ぎ、義手、だったのです……か?」
「……五年前、国家解体戦争の時にな」

 ハウゴ=掌の握りを確かめるように開閉。そして、唯一残った血まみれの手を差し伸べた。
 ウルバーン=困惑。
 先ほどまで生命のやり取りをしていたはずの相手の行動が理解できない。

「な、なぜですか、ハウゴ。私は……貴方を……」
「……そうやって――俺は、知り合いを討って、知り合いを討って――俺はいったい何処へ行くんだ」

 軍神とも思える男の絶望の末端に触れたような――さびしさで悲鳴をあげる寸前の子供のような――そんな響きの言葉に、ウルバーンは舌を動かすのを止めた。
 
「……そうやって、敵を討って、敵を討って、敵を討って、そうやって、最後の一羽(ラストレイヴン)になって、俺は、どこに行くんだ」
「せ、先生……」
「俺は満足して死んだ。仇討ちなど考えないでくれ。……アマジークからの、最後の伝言だ」

 ウルバーンはその赤い血塗れの手を取る。
 変われるのか――マグリブの最後の戦士として、復讐のみを考えていた自分は――まだ違う生き方が出来るのか? 出来るかもしれない。英雄は敵討ちを望まず、別の未来を見るように言ったのだ。

 なら、自分は。
 両足に力を込めて、立ち上がろうとし――視界の向こう側、一瞬、かすかにきらめくスコープの反射光に気づいた。
 狙撃=狙われている。ハウゴ=アンダーノアからはその狙撃者の存在は死角であり、反応することができない。







 ウルバーンは、己の天命を悟った。






(ああ、そうなのですね、アマジーク)

 全身の意思であらゆる細胞を賦活させ、酔っ払ったままの三半規管を気力で修正。
 両足の筋力を総動員し、ハウゴを突き飛ばす。

(私の命は、私の未来は――ここで……)

 音速を超える一撃――本来ハウゴ=アンダーノアの胸部を貫通し、確実に生命を奪うはずだった一撃は、彼をかばったウルバーン=セグルの胸骨を粉砕――胸部の筋肉を引きちぎり、その運動エネルギーで心臓付近の血管に修復不可能な損傷を与え――彼の未来の全てを剥奪し、緩慢な絶命をもたらした
 傷ついた内蔵/膨大な出血が食道を逆流――口蓋から鮮血を吐いた。



(ここで……護る為に――――――――――――――――――――――――)


 


(刺し損ねた……!!)

 ロイ=ザーラントは、最後の最後――必殺の瞬間と確信した一撃が回避された事に歯噛みする。
 BFF製のオートマティクで給弾される狙撃銃は全自動で排莢――次弾装填。
 必殺と信じた一撃を瀕死の乱入者に妨げられ――矜持に傷を付けられた思いでとどめの一発を見舞うべく再び崩れ落ちようとするハウゴに照準――シュリングの忠告=『一撃をしくじったなら即座に身を隠し撤退しろ。位置を悟られたら即座に殺されると思え』という言葉は、脳裏から消えていた。

(これで、とどめ……?!)

 引き金に掛る指に力を込めようとした瞬間――ロイ=ザーラントは瞠目する。
 スコープ越しの相手と――目が合った。その瞳に燃える激怒の色/まるで自分がいる位置を完璧に補足したようにこちらを睨んでいる。ハウゴ=アンダーノアはウルバーンに押し出され、体勢を崩しながら――生き残った左腕一つで拳銃をこちらに向けている。
 まさか――冗談のような予想が頭に浮かぶ。

 ロイ=ザーラントはその憎しみの目が放つ圧力に気押されたように、スコープから目を離した。


 その――半瞬前に位置していた彼の眼球を狙ったかのように――遥か彼方から飛来した銃弾が、スコープを貫通した。
 スコープのガラスが――まるで異次元からの魔手に触れて破壊されたかのように砕け散る。
 
「……あ?」

 目の前を、死神の鎌が音を立てて一薙ぎした。
 ロイ――言葉もなく、恐怖と驚愕のあまり、両足から倒れる。歴戦のレイヴンとして修羅場を潜ってきた彼は、認めたくなかったが、確かに恐怖していた。
 狙撃としては難しい距離ではないが、しかしそれでも必中させるために、ロイは――専用の狙撃用弾丸/弾道を安定させるための長銃身を備えたスナイパーライフルを必要とした。
 それを、あの相手は不安定な体勢から――拳銃と、己の掌がもたらす神業一つで命中させたのだ。

「化け……ものめ……」

 この――長射程すら相手の魔弾から自分を守る盾に成り得ない事を悟ったロイは、狙撃銃を片手に、その場から逃げ出さざるを得なかった。




 ハウゴは敵の逃亡を肌で理解し――ウルバーンを抱え起こした。
 もう既に彼の衣服は生命活動が阻害されるほどの量の流血で紅く濡れており――誰が見ても、致命傷である事が一目で見てとれる。

「ウル、ウル坊!!」

 それでも――無駄と分かっても呼びかけを続ける。
 だが、彼は酷く満足そうな笑顔を浮かべたまま、血を流して、答える。

「……先生……、私は――強くなれたでしょうか……」
「……冷や汗何度も掻いたぜ。素手での喧嘩なら俺の次に強いな」

 暖かさが――生命が赤い鮮血となって彼の体から失われていく。もうどうしようもない――どうしようもないと分かってはいたが、ハウゴは悔しさと忌々しさで歯噛みする。やめろ、頼むからやめてくれ、俺よりずっと若い奴が、なんでそんな何もかも諦めきったような顔で首を横に振るんだ。




 ウルバーンは笑う。今際の際というのに、ハウゴの言葉を聞いて彼はひどく満足していた。
 結局のところ――自分は英雄の仇を取る為と言っていたが、彼に認められた事による満足感が、空いた大穴を埋めるように広がっていく。ここに来て彼は自分の本心が、英雄の復讐をするためではなく、かつての師であった人に認められる事を望んでいたのだと気付き、思わず失笑する。だが、もう笑顔を浮かべるだけの命すら残っていなかった。
 全身を重石のように包む苦痛がゆっくりと軽くなり、心臓の脈動の間隔が徐々に長く伸びていく。
 ハウゴは歯を噛み、憤死しそうなほどの表情で死を嘆いている。幾度となく言葉を掛けられるが――もう聞こえない。ありとあらゆる感覚が水に溶けるように薄れていく。
 彼の意識はそのまま二度と浮上することの無い、暗い魂の井戸の奥底に沈んで逝った。

 
 

 呼びかけもむなしく――彼は息を引き取った。
 魂が抜け落ちた事で、なぜか軽く感じられる彼の遺体を抱え、ハウゴは自分の頬を撫でてみる。
 涙は凍てついたように流れることはない。

「くそっ」

 小さな罵声。
 悲しい――悲しいが、心のどこかは痛みに鈍くなったように、酷く落ち着いている。

「案外――涙も出ねぇもんだな」

 そのことが忌々しくて、悲しくて仕方がない。
 ハウゴは――呪いのような溜息を吐いた。





 応射/反撃/回避回避回避。
 一瞬とも気を抜くことが許されない――ネネルガルが操る<アイムラスト>は銃身下部の小型榴弾を撃ちこむ。
 
「効いていないはずがない……!!」

 小型とはいえ、腐っても榴弾――<アシュートミニア>の装甲に着実に損害を刻む=だが装甲の強度はそれでも立場を逆転させるに至らない。
 一発ごとに榴弾を再装填――反撃と言わんばかりにミサイル/垂直上昇式連動ミサイルが射出――正面/上空からの同時攻撃。即座に迎撃=アサルトライフルを前面に向け、敵ミサイルを補足――射撃で撃ち落とし、回避マニューバで降下してくるミサイルを避け続ける。

『……アタ……レ』

<アシュートミニア>の右腕が構える大型バズーカより吠える大口径質量弾――その回避機動を狙い打つように放たれるバズーカ砲弾が<アイムラスト>のすぐ横を突き抜けていく。逆巻く風――余波でも十分その一撃の重みが感じられる。

「……っ!!」

 流石にぞっとする――全身の毛穴から血が噴火するような気分。
 そろそろ――ネネルガルは自分の集中が途切れつつあることを自覚する。
 かつて国家解体戦争においてアクアビットに所属していた自分は、AMS負荷により数年間眠り続けてきた。彼女の感覚では数か月前に起きた戦争でも――肉体が抱え込んだブランクは長い。精神が要求する速度に肉体が応えられていない。
 そろそろ――勝負に出る必要があるのだ――すぅ、はぁ――呼吸を繰り返し、彼女は<アイムラスト>を疾走させる。

『ム……ボウ……』

 展開する右肩の大型榴弾砲――直撃すれば即死級の威力を持つそれに対して横方向へのクイックブーストで相手の射線軸から逃れる。

「……フィオナ、PAを展開します、許可を」
『……了解』
 
 絶大な防御力と引き換えに大気と土壌を汚染するコジマ粒子――アナトリアでの汚染拡大を防ぐため、自らに課していた制約を解除。
 だが――ジェネレーターが吐き出すそれは、緑色の燐光を帯びたものでは無く――真紅。

「アンチコジマ粒子機構、起動」

 プライマルアーマーと違い、コジマ粒子との相殺性能に特化した真紅の粒子を排出――<アイムラスト>突撃。
 鈍重なタンク型――また迎撃しようにも単発武装しか搭載していない<アシュートミニア>は接近を許してしまう。左腕の腕部に設けられたロケット砲弾が飛来する――だがFCSの未来予測の加護を得られない一撃はむなしく宙を穿つのみ。
 接近――接触。
 真紅と緑――似て非なる二つの粒子は接触と同時に燐光を放ちながら熱と光を放ち、燃え上がりお互いの存在を炎のきらめきに変質させ、消滅させる。
<アイムラスト>――即座に後退、銃身下部のグレネードを構えた。自分自身もある程度の損害を受けることを覚悟した射撃。

「プライマルアーマーが回復しきらぬ今なら、今なのです!」

 全力で射撃――GAの重装型とはいえ、あれだけ食らっていて、倒しきれない訳がない――必勝の確信があった訳ではない、むしろそれは実体弾兵器に対して不死身に近い耐久力を持つ相手に対して、どうかこれで倒れてくれという懇願混じりの攻撃だった。
 もちろん――重傷を受ける<アシュートミニア>=実弾に対して強いと言っても限界はある。これまでマガジンを空にする勢いで銃撃を浴びせられ続けてきたのだ、蓄積したダメージの大きさは<アイムラスト>を上回る。だが――起動停止寸前まで追い込まれた<アシュートミニア>はまだ、動く。
 肉薄するほど接近するという事は――当然、お互い撃つよりも殴る方が早いほどの距離であり、また確実な必中が見込める距離でもある。
 大口径バズーカが小型榴弾を備えたアサルトライフルを持つ腕に照準――発射。

「ぎゃっ!!」

 AMSを通して脳髄に響く激痛に苦悶の叫びをあげるネネルガル――放たれた砲弾は<アイムラスト>の右腕を引き千切り、吹き飛ばす。
 アサルトライフルを握った腕は、零距離射撃を受け、装甲とアクチュエーターを潰され――地に落ちる/電子信号が途中で断絶され、腕が火花を散らしながら開閉する。
 だが、ネネルガルは右腕を失う事に似た痛みを受けながらも――なお反撃する意思があった。激痛に涙目になり泣き咽びながら――AMSを介した思考操縦で左腕に構えるアサルトライフルを投棄、代わりに左側格納に収められた小型レーザーブレードを装着、同時に横薙ぎに切り裂いた。
 光熱の刃の一閃――それはロケットランチャーの一撃をたたき込もうとした<アシュートミニア>の左腕を巻き込んで溶断――残った左腕が誘爆に巻き込まれ損傷しながらも振りぬく――し、過度の損害を受けていた胸部装甲へ食い込み亀裂を入れる。
 スラッシュモーション=突き。 
 損壊した装甲は、槍のように繰り出される一撃を防ぐ力を残しておらず――光の刃の一撃は、搭乗者の復讐心ごと肉体を原子へと還元した。機体にとりついた怨念が抹殺され、断末魔の震えのように、<アシュートミニア>は微動し、そして動かなくなった。
 フィオナの通信――心からの安堵を帯びた声。 

『敵ネクスト<アシュートミニア>の撃破を確認。ネネルガル、ありがとう、貴女のおかげよ。本当に感謝しているわ』
「うう、痛い、痛い、痛いぃぃ……私は体の不調はご飯をたくさん食べれば治る子ですからお代りを自由にしてください……痛いぃぃ……」

 右腕を大破/PAを展開していないために受けた細かな損害は数えきれない。
 高度なAMS適正を持つ彼女でもここまでの損害を受ければ脳への過負荷は避けられない。だが、その痛みをこらえていた彼女はレーダーに現れる新たなネクスト反応に本気で涙目になった。

「うう、フィオナ!!」
『待って……IFF反応は味方を示しているわ。通信要請が来ている。……これは、ジョシュア、貴方なの?』
『そうだ、フィオナ。そして、アナトリアの傭兵』

 視界の彼方――PAをカットし、直立する純白の機体は<アイムラスト>のデータベースにも記載されている。
 フィオナの驚きの声――以前砂漠の狼の増援として現れたもう一機のネクスト傭兵の存在に、思わず答えるフィオナ。
 

『何故、……貴方がここに』
『正式な依頼を受け、アナトリアの支援を行った。……それと、君と話して起きたかった。教授亡き後、アナトリアに帰ることもせず、こうしてアスピナの傭兵をやっている事を、一言詫びておきたかった。そして、出来るなら、一度交えた相手と話す機会を持ちたかったのでな』
「……いてて、生憎ですが、生憎なのですが――私はアナトリアの傭兵代理です、なのですよ」

 IFFでは敵でないと告げているが、ネクストがいる以上、牽制の意味でもAMS接続は切る事が出来ない。
 ジョシュア――驚いたような声。

『子供……? 女の子なのか?』
「……珍しいものでもないでしょう? セーラ=アンジェリック=スメラギの例もあります」

 それでも――彼女が積み上げたマグリブ解放戦線のノーマル、ネクストの残骸を見れば讃嘆の念を感じたのだろう。声に素直な驚きがあった。

『いや、見事だ。……名前を聞いておいていいか?』
「ネネルガル。ネネルガル=アンダーノアというのですよ、ジョシュア=オブライエン」


 もちろん、この時点で二人は気付く事は無かった。


 彼と彼女の二人が――後に民主主義の総本山ラインアークに属し――企業と戦力を拮抗させる最大の要因、ラインアークの二大戦力として世に知られる事など、この時点では、知る由も無かった。





 戦闘が一段落し、けが人、負傷者の収容も完了したアナトリアで――フィオナは、一人ハウゴを探す。
 マグリブとの戦闘の後、連絡が取れなくなった彼は何処に言ったのか――発信機の電波を元に、彼女はアナトリアの中の花園に足を踏み入れ、そこで血を流しながら呆然と、一人の青年を胸に掻き抱くハウゴの姿を見つけた。
 足音で気付いたのだろう――振り向いたハウゴの目は、何処か疲れきっている。
 彼の心を構成する大部分の陽性がごっそりと抜け落ちたかのように、面倒そうに――フィオナを見た。
 フィオナ――血の凍る思い。青年を掻き抱くその姿に――深い事情は知らずとも、察することはできる。アナトリアへ来る前、ハウゴはマウリシア撤退戦の英雄として、マグリブ解放戦線と行動を共にしていた時期があった。

「は、ハウゴ……」
「……ああ」

 重々しい言葉――フィオナは自分の予想が正しい事を理解する。
 アナトリアの経済的危機を乗り越えるためのネクスト傭兵――そのためには他の組織を踏みつぶすことだって視野に入れなければならない。
 だが――そのために、彼は自分にとってきっと大切であったものを切り捨ててしまった。しかも、それを実行させたのだって、アナトリア、ひいてはフィオナ自身だ。言葉では実感できなかったその罪も、今、血まみれになった屍を見れば、否応なしに自覚させられる。自分の罪深さに心臓を締め付けられる思い=発作的に謝罪の言葉が胸を突いて出る。

「ハ、……ハウゴ……ご、ごめ……」
「黙れ!!」

 雷のような――滅多に見せない本気の怒号。
 振り向いた瞳には刃じみた殺気が滲んでいた。怒りに戦慄くように、傷を受けた掌を握りしめる。激痛すらやりどころのない激怒に塗りつぶされているかのようだった。

「謝るな、謝るんじゃない!! 謝られたら、俺は何のために……!!」

 何のために?
 アナトリアのために――そのために他の全てを切り捨てる覚悟を決めたのはハウゴだった。
 あの日、国家解体戦争で受けた負傷から目を覚まし、そこでエミールの誘いに乗ってネクスト傭兵になった。決断した事が間違っていたとは思わない。決断した事が間違っていたなどと口が裂けても言える訳がない。アナトリアを生きながらえさせるために既に多くの屍を積んできた。命を奪っておいて今更後悔出来る訳がない。
 フィオナはそっと、寄り添う。
 彼女にとって、名も知らぬ屍を見――小さな声で言う。

「ハウゴ……お墓を、作りましょう」

 だから――生きている人間に許されるのは行った行為を後悔することでは無く、きっと――。




 






 アナトリア攻撃――この作戦に投入されたノーマル戦力、ならびにイレギュラーネクスト<アシュートミニア>は、ネクストAC<アイムラスト>に撃破され――マグリブ解放戦線は、この日を最後に過去の存在となる。





 リンクス戦争は――目前に迫っていた。




[3175] 幕間その5―『懐かしい夢を見た』―
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:ba5cba39
Date: 2009/03/07 00:44
『君が何を求めているのか、我々にはわからない』




――理解できるとは思わないさ。クレストのトップ、この地下の王の一人なら現体制の打破は許し難く見えるのかもな。





『秩序を打ち壊すことで、何が得られるというのか』





――与えられた秩序、計算された明日より、俺ぁ、予測できない混沌を求める。一度天使を落とした時のようにな。だから壊す。管理者を。





『だが我々にはもう君を止められない』





――そうだな、残るは奴の実動部隊のみ。





『行くがいい。そして君が成したことが何を生むのか、それを見届けるがいい』





――ああ、だから――まだしぶとく永らえている。






――これは――夢なのだろう。





 

 黒煙を噴き上げるAC――それは火星最強の称号をアレスと<プロヴィデンス>からもぎ取ったレイヴンであるハウゴの記憶にも刻まれていた。
 フライトナーズに属する恐るべき敵手であるはずの機体。
 記憶にも/ハウゴの駆るAC機体<アタトナイ>のメモリーにも記されている敵アーマードコアは今や戦闘能力の全てを失っていた。

『クライン……どうして』

 諦観/絶望――双方の感情が入り混じったかのような声。
 フライトナーズのエースの片割れ、レミル=フォートナーの呟きが<アタトナイ>の通信に混線する。

『わたしたちは……ただの手駒か……』
「……来る前に終わっちまってんのか? 妙な話だよな」

 ハウゴ――仲間割れの現場に、嫌なものを見た、と言わんばかりに顔をしかめる。
 レミルの言葉も、誰かに聞かせるためのものでは無く――ただやりきれない心中を言葉にして吐き出さずにはいられなかったのだろう。
 レミルの機体の横をすり抜け――その先にある最後の隔壁は、火星政府の放った最強の刺客であるハウゴ、<アタトナイ>を拒むこと無く、受け入れるように/迎え入れるように解放される。
 そこにたたずむ巨大な機体にハウゴは目を細めた。

『……我々はいつも誤りを犯す。そうは思わないか、ハウゴ』
「だから、偉大な何者かを、自分等の誤りを是正してくれる神を求めるのか? レオス=クライン」
『そう――文字通りの神だった』

 知らず知らずのうちに失笑の気配が漏れていたのかもしれない。
 ハウゴ――自然と口元を釣り上げている自分に気付く。
 眼前に浮遊する巨大機体――重装機を浮遊させ続けるための巨大なスカート型推力ユニット/重機関砲と変化した両腕/両肩は横方向へ異常に細く長く巨大化=ミサイル射出ユニット/その両肩からアーチを描くような六連装レーザーライフルが銃口を連ねている――火星全土を震撼させたフライトナーズの総指揮官、レオス=クラインが駆る人工ディソーダー<スカラバエウス>。

『我々には管理するものが必要だ。我々は我々だけで生きるべきではないのだ』
「……そうやって自らを箱庭に押し込めて、自分の面倒を機械任せにするってのか? ふざけるんじゃない。……人類全体を自分の面倒もみれない餓鬼と勝手に決め付けるなよ。俺はレイヴンだ。くたばる時は勝手に自分のヘマで死ぬ。……人類全体もそうだ。死ぬときゃ自分の愚かさで死ぬ。……俺が管理者に望むのは一つ。……『放っとけ』だ」

<アタトナイ>は右腕に持つレーザーライフル『KARASAWA弐』を構える。
<スカラバエウス>から響く――嘆息の音。
 
『貴様は天使を落とし、そして管理者を砕いた。……その愚かさゆえに、私はこの反乱を実行せざるを得なかった。……貴様に分かるか。人類を導く偉大な存在が、ただ一人の男の身勝手な振る舞いで破壊された時の絶望が……』
「あんな猫の額みたいな地下世界なんぞで窒息するような閉塞感と付き合って生きていけってか? 冗談じゃない! 人間は太陽拝んでねーと、色々変になるんだよ!」
『感情論で人類の行く末を語るなよ……! やはり、我々はどうやろうとも相容れぬ!』
「……奇遇だな……俺も自分に付き従ってきた、いの一番の部下を平気で切り捨てる野郎とは到底仲良くできそうにねぇ……」
『全ては理想のため……復活のため……ダアアァァァァァァァァイィィ!!!!!! ゲイヴゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!!!!!!!!!!!!」』
「俺が何時の間にかジャックOにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ??????!!!!!」

 巨大機動兵器<スカラバエウス>がその巨体を稼働させつつ――纏めて六発近くのミサイルを射出。
 飛来する高速飛翔体は回避機動を取る<アタトナイ>に食らいつくように接近――何故かジャックOの専用機体であった<フォックスアイ>に搭乗しているハウゴ/クイックブースターを起動、その膨大なエネルギー提供と高度な機体制御によって可能になった瞬発的な超機動でミサイルの追尾性能を振り切ろうとし――今乗っている機体がノーマルである事を思い出した。

「あ、やべ」

 直撃――爆発。






「……懐かしい夢を見た。……いや、後半まぎれもなく悪夢だけども」

 ハウゴ=アンダーノアが目を覚ませば――フィオナ=イェネルフェルトが窓を開け、陽光を部屋の中に取りいれている。
 はちみつ色の髪が陽光を孕んで輝いている。彼女はそのまま振り向き、ようやく夢から醒めたハウゴに気づいたのか、軽く微笑んで見せた。

「おはよう、ハウゴ。……夢見はどうだった? なんだか途中からうなされていたけど……」
「……できれば思い出したくない夢だったから、一発俺の頭ぶっ叩いて記憶喪失にしてほしい気分」

 ハウゴは頭を振りつつ――そばに置いてあった義手を掴み、右腕の接合部に設置させる。疑似神経を脳髄が手足の延長と認識するまでの数秒間の違和感を堪え、肩を回し、腕の接続具合を確かめる。親指から小指まで開閉し、問題がない事を確かめると――ハウゴは夢を見て思い出した事を口にした。

「知ってるか、フィオナ」
「? 何が?」

 フィオナ=なんだか楽しそうに笑うハウゴに小首を傾げる。

「火星にはもともと、フォボスって衛星があったんだぜ?」
「……何それ。ハウゴ、火星に衛星はダイモスしか無いわよ?」
「いや何、もう一個あったんだが――ちょっと色々あって火星に落っこちちまったんだ、これが」
「……一応聞いておくと、どうして?」
「俺が落とした。いや何、火星動乱の首謀者がフォボスに存在するディソーダーの中枢を占拠してなぁ、それを撃破したら衛星軌道を外れて、火星にずどーん、と」

 フィオナ=呆れたような嘆息。

「衛星とかって、落下する運命なのかしら。……それより、朝は再調整の済んだ<アイムラスト>とAMSのセッティングでしょう? そろそろ準備した方が良いわよ」

 そうだな――ハウゴは頷くと、まず洗面台に向かった。
 





 アナトリア襲撃から早半月が過ぎようとしている。

「……にしても、また右腕大破とは。呪われとるんかのぅ」
「いやいや、右腕大破で済んでマシと考えるべきかもしれんぞい。……下手をすればアナトリアが壊滅的なダメージを受けていたかもしれんのだし」

 整備班の中年双子/スチュアート兄弟は、ようやく完了しつつある<アイムラスト>の右腕の交換と、全面的な装甲板の入れ替えが完了した機体に満足そうに頷いた。
 右腕は<アシュートミニア>のバズーカ砲弾で完全に引きちぎられ/装甲は榴弾の破片で全体的に傷ついている。
 そのためレイレナードに腕部を発注=しかし到着に時間がかかる為修理の間は企業からの依頼を受ける事が出来ないでいる。それならば――という事で、今回<アイムラスト>は一度時間を掛けた丹念なオーバーホールを行っており、ようやくその修復作業が完了したところであった。
 
「新品同様じゃな。……レイレナードの副社長が寄越したとか言う代物のアサルトライフルも性能は高いらしいし、次の依頼にも万全に対応してくれるじゃろうて」

 機体全体の装甲板を取り換えたために、以前よりも精悍さが増した印象。
 現在は搭乗者待ち=時計を確認し、いい加減そろそろハウゴが来てもいい頃だが、と考えるスチュアート兄弟。

「うむ、ご両人。とりあえずブースター周りの改修は完了したのである!!」

 そう言って出てくる男――今回マグリブ解放戦線によるアナトリアへの襲撃を事前に予告した元テクノクラートのリンクスであるセルゲイ=ボリスビッチが声をあげる。大変むさ苦しいおっさん三人が顔を合わせた事で、整備員たちは格納庫の温度と湿度がイヤな感じに上昇した気がしたが、口にはしなかった。
 テクノクラートのリンクスとして、旧エレトレイア城砦でアスピナの<ホワイトグリント>と交戦し、流れ流れてアナトリアに行きついたそのロシアの中年は――驚いたことにリンクスになる以前は推進機器、エンジンなどを専門分野とする技術者だったらしく、今では<アイムラスト>のブースター関係に専門家の見地から様々な意見を出してもらっていたのである。

「うわ、なんだこのむさ苦しい空間」

 ハウゴ――着替えて格納庫に足を踏み入れて、筋骨隆々のおっさん三名にかなりいやそうな表情。
 と――そこで作業服に着替えていたロシア系中年に目を向け、はて、と首を傾げる。

「……誰だっけ?」

 そう言えば――マグリブ解放戦線の合同葬儀の際に参加していた事は覚えていたが、名前を知らない。
 軽く頭を下げ、こちらにやってくるセルゲイ=ボリスビッチ。

「……セルゲイ=ボリスビッチである。この度は、アナトリアにマグリブ解放戦線の攻撃を伝えにきたのである。……ウルバーンの件、残念であった。心からお悔やみ申し上げる」
「あいつの、友人か?」

 セルゲイ――首を横に振る。

「……いや、友人とも言えぬ、ゆきずりの関係であった。ただ、若者を見ると――特に道を踏み外しそうな相手を見ると、忠告したくなるのは、若者より歳を食った連中の義務であると思うのでな」
「そうか……」

 相手の目に浮かぶ哀愁の色――言葉にしなくとも、セルゲイがこれまで経験した人生の苦さを察したハウゴは頷きを返す。
 ま、思い悩んでも仕方ない――そう考えなおし、ハウゴは<アイムラスト>を見上げる。

「さて。……とりあえず俺と、ネネルガルの分までAMSの調整をやっておくんだったか?」
「うむ、そうじゃ。……今回の事もある。一応両方とも<アイムラスト>に搭乗した場合のセッティングデータを採っておきたいんじゅ」
「そうすりゃもしどちらかしか搭乗できなくなった場合、AMSのマッチングに最適な調節時間を短縮できるからのぉ」

 双子爺の言葉にうなずくハウゴ――それなら、と周囲を見回す。調整作業に必須のもう一人の姿が見えず、あん? と声を漏らした。

「……じゃあ、あいつは何処に? 朝寝坊していた俺より遅いなんて」
 
 遅いと思えば、寝坊しとったンかい――口ほどに物を言う四つの目を向けられたが、ハウゴは無視。きょろきょろと視線を巡らせる。
 
「お待たせしたしたのです、ですよ」

 いつもの独特のイントネーションと語尾――あー、やっと来たか、と思ったハウゴは振り向いて、は? と呟いた。

「……おまえ、その恰好」
「なにかおかしいところでもありましたか? あったのですか? ちゃんとリンクススーツですが、なのですよ?」

 ハウゴ=OK落ち着け俺、と自分に言い聞かせた後、息を吸って吐き、言う。

「読みは一緒なのにあら不思議!! ……お前のそれは繋がれた(リンクス)スーツじゃなくて、唯の山猫(リンクス)スーツ』だろうがぁぁぁ!!」

 ハウゴ――どう考えても如何わしいお店にしか置いてなさそうなあられもない格好をした遺伝子学上の娘=ネネルガルに怒鳴った。
 彼女の姿=一言で言い表すなら『山猫スーツ』というべき代物――未成熟なボディラインを包む豹柄のレオタード/首元は動物の毛で出来たふわふわの首輪を装備/頭にはネコミミならぬ豹耳/お尻の辺りからはこれまた豹柄の尻尾がくるりんと伸びていた――ありていに言えば大変可愛らしい。

「似合いませんか、似合わないのですか?」
「そんな事はどうでもいいからお前に渡した奴をここへ連れて来い! 体の全関節を逆に曲げてやる!!」

 むぅ、と眉間にしわを寄せるネネルガル――うがー、と叫ぶハウゴをどうどう、となだめる双子のおっさん整備士。

「まぁ、その衣服を手渡した奴には後で褒美をくれてやるとして」
「うむ、AMS接続のあと写真撮影をするとして」

 そんな事を言っていたおっさん二人――ハウゴに殴り飛ばされ、放物線を描いた。
 ぜーぜーと荒い息を吐きながらハウゴ――呆れたように、セルゲイに何やら手荷物の入った紙袋を渡し、ぼそぼそと耳打ちしているネネルガルに言う。

「……あのおっさん二人、最近ロリコンぎみじゃねぇのか。おい、娘よ。お父さんは恥ずかしいぞ、そんな恰好をして。女の子ならもう少し女の子らしい格好をしやがれ」

 とはいえ――女性の服飾に関してさっぱり知識を持たない元レイヴンとしては、どういった服飾が女性らしいのかまるでわからない。今度フィオナにでも相談するかな、と考えながら、ハウゴは溜息混じりに水着みたいな扇情的だがしかし発育が良くないのでむしろ子供が背伸びし過ぎている感のあるネネルガルに目を向けた。
 ネネルガル――ぷぅ、と頬を膨らませ、両腕を激しく上下にぶんぶん。無表情な分、両腕のふりの大きさで感情の激しさを表している感のあるネネルガル、これはけっこう怒っている事がうかがえた。

「なんと失礼な、失礼な事を言うのですか、親父。ゼロ○ムを毎週立ち読みしているほど乙女チックな私に対してそれは激怒に値する侮辱です、なのです」
「……いや、本当に乙女チックだというなら立ち読みじゃなくて購入するべきだと思うんだが……」

 頓珍漢な返答をするネネルガルにハウゴ――えー、俺が間違っているのか? と首を捻った。
 ハウゴはとりあえず――ネネルガルの頭にチョップを喰らわせておく。頭に一撃を受け、涙目になる彼女を無視し、ハウゴは呆れた表情を浮かべているセルゲイに向き直った。

「とりあえず、さっさとAMSの調整を始めちまおう。……リンクススーツをくれ。着替えてくる」

 そんなハウゴにうむ、と先ほどネネルガルに手渡された紙袋を差し出すセルゲイ。
 おう、と頷いてから別の場所に行って着替えてくるハウゴ――しばらくして帰ってくる。

「よう、待たせたな……ってなんじゃこりゃあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ハウゴ――堂々と帰って来て頭に装備していた豹柄猫耳をすぱーんと快音を響かせ地面に叩き付けた。
 ハウゴの格好――びっちりした豹柄ズボン/豹柄ジャケット=もちろん腹筋や胸の見える危ない水商売のお兄さん風――げしげしと豹柄猫耳を踏みつけている。
 ネネルガル――無言でサムズアップ。

「お揃いです。私とお揃いのリンクススーツです、なのです」
「…………おい」
「……ですが、あえて私の現在の心境をありのままに言うならば――そう、ほんとにつけんなよ」

 ハウゴ――無言で項垂れる。ネネルガル――慰めるようにぽんぽんと叩いた。

「親父、親父」
「なんだ娘よ、俺は今どうやって猥褻物陳列罪の現行犯逮捕から逃れるか考えている最中なのだが」
「ここにもう一人――リンクスなのに、山猫スーツを着ていない人物が」

 ハウゴ/ネネルガル――両名の視線が合わせる焦点。
 セルゲイ=ボリスビッチは、二人の背中から立ち上る鬼気にこの上ない脅威を感じ、生存本能のまま後ろへ後ずさった。

「わ、吾輩は! 親子のコミュニケーションを邪魔するほどぶ、無粋ではないのである!!」
「……いや何、共にリンクス同士、同じ衣服を着る事で一体感を養うという今取ってつけた理由がだなぁ」
「……親父も私も、仲間外れをするほど狭量ではありませんですよ、よ?」

 ハウゴ――お前も一緒に地獄へ落とすと言わんばかりの凶笑を浮かべ、じりじりとにじり寄る。
 ネネルガル――面白い事は全員で分け合うべきというまったくの善意から悪逆非道の行いに走る。
 セルゲイ=ボリスビッチ――山猫スーツを装着した自分の姿を想像=脳裏に視覚的猛毒が発生――精神がブラックアウトし、心の崩壊を防いだ。
 その一瞬の気死を好機と見てとったか――瞬間、化鳥の如き叫び声を張り上げながら襲いかかってくるハウゴ/そのハウゴの背中を駆け上がり、肩に足を掛けて跳躍=上空から強襲するネネルガル――いらんところで見事すぎる完璧なコンビネーションを発揮する仲良し親子二人に対し――セルゲイ=熊のような巌の如き肉体に力を込め、男児としての尊厳を護る為、うおおおぉぉぉと叫んで壮絶な死闘に身を投じた。





 フィオナ=イェネルフェルトは手元に資料集を抱えたまま、ハウゴや整備班達がそろそろAMS調整を始めているであろう格納庫行きのエレベーターの中にいた。
 時間は経過しているから――既に調整は中ほどまでというあたりだろうか。前回のミッションでBFFのネクストパーツがラインナップに加わった。アセンブリの幅が広がれば、戦術も組み立てやすい、ハウゴの顔を思い浮かべながらフィオナはエレベーターの扉が降りていくのをじっと待つ。
 軽い解放音と共に開く――格納庫への扉。


 フィオナは見た。
 セルゲイ=ボリスビッチの足元に縋りついたネネルガル/セルゲイに猫耳を装着させようと上からのしかかったハウゴの姿/エレベーターへ逃げ込もうとフィオナのいる方に救いを求めるように手を伸ばすセルゲイ=ボリスビッチ――余りにも混沌とした状況に脅えてか、物陰に隠れている整備班のメンツ。



「「「「「あ」」」」」

 

 停止する変態一同=空気が凍りついた。
 フィオナ――頬に浮かべていた笑顔を無言のまま凍結させ、エレベーターの閉鎖ボタンを押す=連射している。

 一刻も早くこの空間から逃れるため階層の指定ボタンを上から全部押し――逃げ出そうとした。

「フィオナァァァァ!! 違うにゃーん!!」

 ハウゴ――全力疾走で誤解したまま逃げ出そうとするフィオナを止めようとエレベーターに手を掛け、止めようとする。――そんな状態でも語尾ににゃんを付けてしまうところはノリの良い男の悲しき性だった。
 だがハウゴの必死の突撃も身を結ばず――無情にも彼の眼前で閉鎖するエレベーターの扉。



 安堵の溜息を漏らし――フィオナは目にした光景を心の平穏のためにみなかった事にした。











 一人の壮年の男性/一人の初老の男性――彼等は恐らく六大企業ですら完全に掴み切れていないレイレナードの真の中枢とも言うべき場所にいた。
 ジャック・O/ネオニダス――その両名は、ある巨大ディスプレイが表示するデータを黙って見守っている。
 
「……アクアビットに置ける、ソルディオスキャノン、AF『ジェット』の開発率は順調だてよ」
「こちらも、アーマイゼによるグレイクラウドの開発は順調だ。……とはいえ、一般の社員に見せる訳にはいかぬから、今だ表に表す事は出来ないのだが」
「……よくもそんな技術を隠し続けていたものだてよ」
「新興企業であるレイレナードが当時は五大だった企業体に並び立てるようになったのは、先史文明の技術を流用しているから、だからな」

 ネオニダス――周囲の機材を一瞥した後、感嘆したような呟きを洩らす。
 この船の艦橋に設置された各種索敵機構/防空レーダー網/搭載機動兵器の管制システム――大勢の軍人がここに詰め真の戦闘能力が発揮される事を思い、ぞくりと身震いする。

「……しかし、これほどの巨大戦艦が実在しているとはな。……第二次人類、改めてその実在を信じるしかあるまいて」
「我々レイレナード社、真の本社施設――戦略航空戦艦『STAI』。旧時代、火星の有力な企業であったバレーナ社の開発した空中戦艦だそうだ。……とはいえ、これは地球での運用を想定しているため、飛行力では無く、潜水能力を持った二番艦なのだがな」
「……ふむ。……社長は?」
「彼は第二次人類の中でも最も初期型の強化人間だ。……定期的なメンテナンスを受ける必要がある」

 
 




 追加武装ユニット<スカラバエウス>を排除し、中枢戦闘ユニット<フィリアル>をもってしても<アタトナイ>は、尚強かった。機体が――膝を突く。
 
「レイ……ヴン……」

 全力を尽くした――持ちうるすべての能力/最高の戦闘力を誇る機体を駆使したはずだ。それでも――天使を落としたイレギュラーは自分を打倒した。完敗だ――自然に敗北を認める言葉が漏れ出る。

『フォボスが軌道を大幅に変更、火星に落下しています!』
『……こういう衛星ってのは落っこちないと気が済まないのか? ええいくそっ!』

 罵声を漏らすハウゴ――彼は思わず口を挟む。
 少なくとも――自分を打ち破った人間が、こんなくだらない状況で死んでしまうのがどうにも腹立たしい。

「軌道コントロール装置を……破壊しろ。そうすれば……フォボスは止まる……」
『……どういう心情の変化だ? が、確かにそれしかやることなさそうだな』

 呟きと共に即断する事が出来るのはレイヴンとしての資質の高さを示すのだろうか。
<アタトナイ>後背からオーバードブースターの排気炎を吹き出し――この先に存在する軌道コントロール施設を破壊するため、<フィリアル>の横を通り過ぎ、先にするんでいく。

「……世界には――管理するものが必要、だが……これが結末なら、受け入れるしか――」

 その瞬間だった。
 人機一体を可能とする強化人間として機体と物理的に接続した彼は――そのコネクタから流れ来る膨大なデータの本流で脳髄の中で花火が爆発するような衝撃を感じる。
 あまりの情報量に脳髄が焼き切れるような感覚――だが、それらが痛みでは無くディソーダー中枢から流れ込む意志であるのだと知り――彼は、目を剥いた。

 真実に――今まで信じていた全てが全くの虚飾に満ちたものであるのだと理解してしまう。
 後方から――軌道コントロール装置を破壊した<アタトナイ>がジェネレーター回復のためのインターバルを置くため、<フィリアル>の近くで停止。

「ハウゴ……」

 絶望/恐怖/困惑――様々な負の感情が言葉にならない――なんとか、この胸のうちの意志を言語化しようとする。

「……私が……間違っていたらしい」
『……いきなり、殊勝だな。どういう心情の変化だ?』

 当然と言えば当然の反応に、彼は笑う。
 
「天使を落とし、管理者を破壊し――ここまで来た。……ハウゴ――地球に戻れ。そして、ロストフィールドに……」

 その言葉を中断するように――フォボス全体を爆発の震動が蹂躙する。

『フォボス、なおも落下中! もう間に合わない! 早く逃げて!!』
『慌てるなよ、ネル。今から腕によりを掛けて大急ぎだ!!』

 再びオーバードブースターを点火し、フォボス中枢から離脱を始める<アタトナイ>。
 その背を見送りながら、彼は呟いた。

「お前が最強であり続けるなら、必ず奴が――偉大なる脳髄が出現する。……どうなるかは、貴様次第……」

 





 その彼は――培養液に浸された水槽の中でうっすらと目を明けた。
 目の前には二人の腹心。
 一人は自分と同じく、滅ぼされた第二次人類の生き残り/もう一人はこの時代で得た、稀な理解者である老人。

「目を覚ましたかね、社長」

 培養液の中で――彼は現在いる場所が過去の残影では無く、れっきとした今である事を理解し、かすかに笑って見せた。
 かつて――同じ戦場で相対した両名は、まるで距離も空間も飛び越え超常的な何かで共感したかのように――同じ感想を口にする。
 
『……ああ……懐かしい夢を見た』



















































おまけ。


本日のNG





その1

「火星の衛星とかって、軍事利用される運命なのかしら」
「……他になんか軍事利用されたっけか?」
「んー。……アー○ーン要塞とか?」
「あー。なるほど」







その2

 頓珍漢な返答をするネネルガルにハウゴ――えー、俺が間違っているのか? と首を捻った=とりあえず質問。

「……じゃあ、娘よ。お前はゼ○サムでは毎週何を最初に立ち読みしているんだ」
「ストレ○ジプラスしか読んでませんね」
「ここの作者かお前は!!」

 ハウゴ――ネネルガルの頭にチョップを喰らわせた。
 頭に一撃を受け、涙目になる彼女は唇を尖らせて反論する。

「そ、そういう親父はいつもゲイヴン専門誌をチェックしている癖に、癖になのですよ」
「根も葉もない事実無根の噂を垂れ流すな!!」
「親父のゲイヴンとしての師匠はグ○ン・ガマですよね?」
「ゲームが違う! 何を言い出すんだお前は!!」
「……親父なんて漢祭りイベントで勝っても負けても<バキューン!! バキューンバキューン!!(効果音兼伏せ字)>な目に逢えばいいんです、いいと思います……」
「よし!! 娘よ、次に会う時は法廷だな!!」





[3175] 第三十一話『待っていてね』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:ba5cba39
Date: 2009/03/11 00:49
 ちくたく、ちくたく――まわるまわる滑車と発条。
 まだ、なんの罪も知らない子供だったプリス=ナーは、父親の仕事場で、葉巻と時計達に囲まれ、父親の膝の上でまどろむのが好きだった。
 子供の頃は光を含めば輝くようだった、汚れ一つない自慢の金髪を撫でる手のひら/葉巻の匂い――父親の仕事道具はピンセットや細かい部品を確認するためのルーペグラス=父が身につけた職業は、時間を確認するためとしての機械式デジタル時計では無く、むしろ美術品としての色合いが濃いアナログ式のぜんまいやばね、錘で動く古めかしい懐中時計の職人だった。
 
「……――――」

 記憶の中にある父親は――細やかな精密機械のように歯車を嵌め込むその指で、遥か昔に失われた名前を呼ぶ。
 彼女が持っていた本来の名前は――もう確認する術がない。一億という馬鹿げた刑期を過ごすため、冷凍刑に処された彼女はその中で自分が持っていた本来の名前に関する記憶を奪っていた。
 

 一億年の刑期。
 今でも、プリス=ナーは大声で馬鹿じゃねぇの、と笑ってしまいたくなる。


 彼女の人生が大いに歪み、ねじくれてしまったのは――家に強盗が押し入った時だった。アンティークな時計を手掛ける職人として、企業重役の御用達だった彼女の父親は、それゆえ金に事欠かぬと考えた強盗に殺され、金目のものと、父親の手掛けていた数点の時計を奪い取って行った。
 そういう事件がなければ――たぶん父親の事が好きだったし、それに父の仕事も好きだった彼女は普通に時計細工職人としてまっとうに生きてまっとうに死んだのではないかと時折夢想する。
 とはいえ、それはすでにもしもの話。彼女は純粋な戦闘者であり、一億の刑期を課せられた囚人。そして犯罪者である自分が先史文明の数少ない生き残りとなったのは大いなる皮肉だった。
 
 ちくたくちくたく。

 今から思うと――彼女の父親も決してまったくの善人という訳でもなかったらしい。
 父親は一流の時計職人であると同時に、一流の爆弾設計者でもあったのだ。だが――大勢の犯罪者を率いる組織の首領が子煩悩である事が矛盾しないように、プリスの父親は、自分では手を下さずとも大勢の人間を爆弾で殺してきた彼は、家庭では娘に愛情を注ぐ実に平凡な男だった。
 因果応報と言えばまったく否定出来ないが――だが父親がプリスに向けた愛は本物であり、それゆえ彼女の父親を殺した相手に対する復讐心も本物であった。



 プリス=ナーには、戦闘者としての類稀な資質があった。



 父親の時計の霊達が宿っているかどうは分からないが――それこそ精密極まる電子時計に勝るとも劣らない、正確に時間を計る為の時計が体内に埋め込まれているかのような時間感覚を有していた。銃弾が目標に命中するのに必要な時間をゼロコンマ以下の数字で瞬時にはじき出すような異才。
 乱雑に売りさばかれた父の時計を買い直すためと――父に匿われた戸棚の隅から覗いた仇を殺すため。
 レイヴンとして、榴弾の遅速信管の扱いに恐るべき才能を見せた彼女はその中で数多くの実戦を潜り抜けて生きてきた。そのうち、強化人間として、己の改造の度合いを深め力を手に入れていく。
 そんなある日、復讐の相手を見つけた。
 相手は企業体の御曹司――それも父親の権力で自分の犯罪歴を揉み消させるような絵に描いたような最低野郎。
 

 その時の殺害手段としたのは、実にアンティークな――ぜんまい仕掛けの爆弾。
 アナログ極まる故に、却って最新式の探知法に引っ掛からない手段。父親の最高傑作。
 

 
 ただ――ここで仕出かしたプリスの人生最大の失策は、火薬の分量をそれこそ桁違いの――少量で大きな破壊力を有するそれを、目一杯使ってしまった事である。



 仇を殺す事は成功した――同時に企業の子息が大勢集まるパーティーの参列客全てを爆殺するというおまけ付きで。
 一人だけだったら――企業が眼の色を変えて追い回すことは無かったかもしれない。仇の男はそれこそ父親からも見放されかけていたような男だった。だが、子息を大勢殺された企業の重役たちは怒りのまま財力/権力を駆使して全力で捜査し、即座にプリスを捕縛し、型どおりの裁判と――呆れるほどのスピード判決をもたらした。プリスにはそもそも弁護士のなり手すらいなかった。
 そして、普通ならば唯の死刑で済むところを――唯の死刑では飽き足らないと言った企業の人間達により、一億という余りにも感情的な刑期を課せられた事になったのである。

 だが――捨てる神あらば拾う神あり。
 一億年という刑期が終了すると同時に死刑――そんな刑を課した企業重役達が皆天寿を迎えて死亡し――息子を殺された憎しみとは無縁の企業重役達から取引が持ちかけられる。減刑と引き換えにLCCの手駒となり破壊行動を実行すると。
 レイヴンとして火星のランカー2という最高位の実力者になり――そこで出会った。自分の国の見事な発音で、こう言った男と。

『よう、悪いが金貸してくれ』






「お母さんの様子がへんです!!」

 朝の自室に飛び込んできた少年の開口一番の台詞――家庭相談所に行け、と心の中で思うだけでなく=本当に言ったら泣かれそうになったので、プリス=ナーはデュナン少年の言葉を面倒だなぁ、と思いながら聞くことにした。起き抜けで髪に櫛も入れていないし、昨晩までネクストAC<アポカリプス>の調整もしていたので、正直眠い。
 だが、本来ならば安眠妨害には断固として暴力で応対する性質の女ではあっても、流石に子供相手に大人げないと自重する程度の分別はあった。

 プリス=ナーは凶状持ちである。

 最近は沈静化しているが、それ以前では様々なところで暴力を行使することに躊躇いがなかった。その悪い噂は恐らく目の前の少年の耳にも届いているはずなのだが、不思議と彼は母親と一緒で、プリスと接触することに何ら抵抗がないようだった。
 花も恥じらう美少年に慕われるのは、まぁ悪い気分ではないが――どちらかというならば、こう言う普通の相談事に対してなら、同じGAE所属の巨乳シスターであり、根性主義者のオリジナルリンクス、メノ=ルーの方が相談相手としては適任であるはずだ。
 実際に、以前些細な事で相談された時、既に口にしてみたのだ――おい、アタクシに相談するより、あの巨乳に相談したらどうなんだ、と。

 そしたら――デュナン少年、薄薔薇色の頬を一気に真っ青に染め、部屋の隅で頭を抱えて泣きだしたのであった。豪胆なプリスも、ぶるぶると震えながら

『……巨乳に絞め殺される、巨乳に窒息させられる、うああああ巨乳怖い巨乳怖い巨乳怖い……』

と泣きだされ、うつろに虚空を見上げて内面世界に引き籠られると流石に罪悪感でいっぱいになってしまうのである。

 普通に話しかけようとするメノ=ルーはあからさまに避けられている状況を打開しようとしているが、あの見事な二つで窒息死させられかけた恐怖はそうそう拭えまい。プリスはアドバイスすることを最初から放棄して、がっくり項垂れているメノを放置することにしている。

(……しかし、じゃあアタクシの胸を見てなぜこいつは脅えない。クソッ、とりあえず腹が立つぜ)

 好かれている事を素直に喜べないのは豊麗な肢体をけなされている気がするからか。
 べちん、とデュナンのおでこを指で弾くプリス。いたっ、というものの、どうして弾かれたのか分からないデュナン少年は不思議そうに首を傾げていた。

「で、具体的には、テレジアの奴のどこが変なんだよ」

 とりあえず話を聞いてからだ、そう考えてプリスは先を促す事にした。





 GAEの奇人であり、リンクスであり、ネクストの戦術理論の提唱者であるミセス・テレジアと一緒の区画で生活をしているデュナン少年が母親のいつもと違う様子に気づいたのは、ある日の朝の事だった。
 いつものように孔雀のような派手な髪型にセットした母親が、何やらカレンダーと難しい顔をして睨めっこしているのだが――どうも何かすごく良い事に気づいたかのように表情を華やがせスキップする勢いで出社したのである。

「……どうしましょう。……ああっ、寝ないでください!!」
「………………………」

 どうやら駄目らしい。
 不満たらたらな様子のプリスは時間を確かめる。どうもこの涙目の心配症少年を納得させるには何らかの手を打たなくてはならないらしい。面倒だなぁと思いながらプリスはとりあえず相談できそうな人に話してみる事にした。
 まずは――そう。







 科学万能の時代であっても、人は宗教に心の平安を求める。
 そんな訳でプリス=ナーは強力無比の戦闘兵器ネクストACのリンクスであると同時に、悩める子羊を救う神の僕であるメノ=ルーに相談してみる事にした。

「おう、突然で悪いんだが、テレジアの様子がおかしいらしいんだ。なんか知らねぇか?」
「そんな事より私の悩みを聞いて下さい最近デュナン君に明らかに避けられているんです私なにがいたらなかったのでしょうかお願いですからあなたからとりなしていただけませんでしょうか本当にお願いですから」
「しまった!! こいつには以前からアドバイスを求められていた事をすっかり忘れていたぜ!!」

 のっけから盛大にしくじった。
 プリス=ナーは、どうしよう、これ――と指さしつつ思いながら後ろを振り向いた。
 解決を依頼したデュナン少年であるが、扉の陰で未だ『巨乳怖い巨乳怖い巨乳怖い』と恐怖に打ち震えている。少年の心に植えつけられたトラウマは相当深刻のようだった。そんなプリスの頭をむんずと掴み、無理やり自分の方向に捻じるメノ。
 胸元の巨乳が撓んでたいへんイヤラシク震える。もはや少年にはこの二つの過激な水蜜桃/BIGSIOUXの如き大型ミサイルは、あの少年には殺人兵器にしか見えないらしい。メノに会うのだから、一緒に来なければいいと思うが、自分の恐怖心よりもどうやら母親の事が気になって仕方ないらしい。
 きっと事情を知った人間がいたら何人デュナン君の境遇を妬むだろうか――そんな妬み一生知りたくない。女性で良かった。プリスは神様にちょっとだけ感謝した。

「ですから本当なにがいけなかったのでしょう具体的な対処法を教えて頂けませんか?」

 肩を掴まれがっくんがっくん揺すられるプリス――揺すられるだけなのもアレなのでそっと揉み返しておく。

 貧乳手術を受けろ、というのが多分一番正解に近い回答のはずではあったが――プリスはその場合自分に一生呪いが付いて回る気がしたので言うのを止めた。そもそも彼女の巨乳は、大勢の女性が嫉妬より先に感嘆を覚えるほど見事に突出している。富めるものには貧しきものの気持ちは理解できないというが――この場合、大多数の眼福の為に発言を取りやめたのである。
 プリスは空気を読んだ。

「サラシでも巻いたらどうなんだ?」
「晒し? ……晒せ?! それなら!!」
「……とりあえずテメェが湯だった頭ん中で致命的な三段活用を用いて男性諸氏を前かがみにする間違いをしでかした事だけはよく分かったぜ」

 面倒なので帰って寝たいなぁと本心で考えていたプリス――意気込んで尼僧服を脱ぐ/脱ごうとする彼女を抑える。
 おかしい、おかしいぞアタクシ――そんな事をしながら考え込む。どうして、どうしてなのだろう――自分は刑期一億年の女囚、それこそ他者の恐怖の視線と憎悪を一氏に浴びる戮殺の化身であったはずだった。そんな典型的な悪人が他人のことで頭痛を感じなければならないのだ。

「……だから問題が発生したら脱ごうという姿勢を捨てやがれ!! お前は借金まみれの落ち目アイドルかなんかか!!」
「……では、どうすればデュナン君に前のように話して貰えるのでしょうか」

 周りの連中が馬鹿ばっかりだからだ、先ほどまでの疑問はそう考える事にした。

「そこいらは後で相談してやるから、相談に乗れや。……テレジアが最近様子がおかしいらしい。なんかそれらしい話は聞いてねぇか? 出来ればテレジアが帰ってくるまでに情報を集めておきてぇんだが」
『ああっデュナン! どうしたのだね?! どうして真っ青になって巨乳怖いと呟いているのだ!! だ、誰が私の息子をこんな姿にー!!??』
「言ったそばから手遅れか!」

 壁の向こうから聞こえてくる――バタバタと息子を置いて頭の孔雀を振り振り/厳しい眼差しでこちらを睨むテレジア。
 
「プリス! 私の息子に何をしたのだね?!」
「……今回の件に関してはアタクシは本気で無罪なんだけどなぁ」
 
 ぽりぽり/面倒そうに頭をかくプリス。とりあえず外堀を埋めてからテレジアの変な様子とやらの原因を探ろうとしたプリスは、もはや事此処に至っては事前調査など意味がないと考えなおし、単刀直入に切り出す事にした。
 
「なぁ、テレジア」
「なんだね」
 
 ガルルルと噛み付きかねないような剣呑な視線/実際息子をかばいながら唸り声を上げている――まぁ、息子が虚ろな目で巨乳怖いと呟けばそうなるのも当然かもしれない。

「デュナンが言ってたんだが、テメェ、なんか頭に風船がついて空の彼方に飛んできそうなぐらいハッピーな様子だったそうじゃねぇか。いつもと違う様子に息子が心配していたんだぜ? 一応理由ぐらい聞かせろや」
「む」

 思い至るところがあったのか――表情を改めるテレジア。
 ふむん、と呟き、部屋の外に出てからプリスをちょいちょい、と誘う。どうやらメノやデュナンには聞かれたくない話らしい。何事かと思い、プリスはそちらに移動する。もちろんその場にいたデュナン少年はメノに連れて行かれた。背中に「薄情者だ~~」と声が聞こえたがプリスは無視した。
 頑張れ若人よ、君は大人になった時――若き日に天国にいた事を思い知るのだ。プリスは両耳をふさいで少年の悲痛な叫び声を無視することにした。






 ひどい話だった。






 窓から見える光景――有澤も設計に参加した大口径キャノン砲を有する重要塞ビル群/有事の際にはビルの上部をクーガー渾身のブースターで浮遊させ、敵の侵攻勢力を撃破する事になる浮遊砲台は、来訪者を威嚇するようにいくつも聳え立っている――グローバル・アーマメンツ社、通称GA本社施設――ビッグボックス。
 その――GA関係者でなければ砲弾の洗礼を受けるその場所で一人の男は自由を奪われ軟禁されていた。
 黒目黒髪/穏やかでありながら強い意志を思わせる瞳は彼の身に流れる侍の血筋である事を示すよう/への字に結ばれた一見して不機嫌そうな顔/望めば如何なる飽食も許される立場でありながら鉄の自制心と精神力でもって鍛えている為か、贅肉は極限まで皆無/紺色のスーツを上下に纏った壮年の男性――国家解体戦争以前は自社製の戦車の信頼性を証明するため戦車兵として活躍し、国家解体戦争において、『若』というリンクスネームを用いて自社製ネクスト<車懸>に搭乗したオリジナルの一人――同時にGAグループを形成する、環太平洋経済圏に本社を置く有澤重工の社長=世界の支配者階級の一人でありながら自ら前線に立つ寄人=リンクスナンバー24、有澤重工四十二代目社長、有澤隆文。
 こつこつ――部屋の扉をノックする音。

『隆文、聞こえるか、ローディーだ』
「開いている。入ってくれ」

 有澤の短い声――肉体よりもまず精神に苦しみを抱えたような呟き。
 中に入ってくる男――後ろにオールバックで纏められた黒髪/中年に差し掛かる年齢層だが黒い瞳は眼光鋭く強靭なものを思わせる/スーツに押し込められた肉体には、自らの意志で戦場に立つ事を選んだもののみが纏う、軍神の如き武威を帯びていた/リンクスとしては若輩でも戦士としては一流である威厳を持つ男/GA社の焦りを示すといわれた粗製、リンクスナンバー36=ローディー。
 彼は中に足を踏み入れると同時に――彼の傍に彫像の如く気配無く立っていた男性に視線をやり――驚きで目を剥いた。

「有澤忍軍……まさか実在しているとはな」

 そばに控える青年の声――驚くべき事にその顔立ちは、有澤隆文と鏡合わせのように瓜二つ。
 有澤直属の私立ボディガードである影武者部隊――その一人だ。

「……なんだ、ローディー」
「……一介のリンクスである俺に話が通っていて、企業社長であるお前に話が行っていないはずがないだろう」

 まるで膿み疲れたかのような戦友の様子にローディーは辛そうに唇を食い縛る。

「GAアメリカは――GAEハイダ工廠、ならびにGAE本社施設に攻撃を加えるつもりだ。先鋒にはアナトリアの傭兵、本社施設の制圧には増援としてオーメルの機械化歩兵が投入されるそうだ」

 有澤隆文――無言。
 
「GAEには……お前の子息と――」
「私には子供も妻もいない」  

 血縁全てを見殺しにすると取られても仕方のないその非情な発言にローディー――思わず言葉を詰まらせる。
 有澤隆文は――ただただ、冷徹にも思える平坦な口調で続ける=だが握りしめた、震える拳が、彼の真の感情が怒りの形であることを告げていた。

「……私は、有澤重工二十四代目。有澤一千万の社員とその家族に責任を持つ立場だ」

 企業が世界を支配する時代の王――その中でも彼は自分と自分に連なる家族を切り捨てる覚悟を持った本物。
 だが――それだからこそ、彼はリンクスとして戦友でもある男がこのまま何もせぬままでいる事が歯がゆくて仕方ないのだった。
 GA社を構成する企業のトップ――だがそれでも彼は企業の社長であるが故、息子と妻を助けに行くという人間として至極当たり前の行動を、立場に縛られ――行う事が出来ない。
 なんと不自由な立場なのか――ローディーは嘆息を噛み殺す。
 ローディーが不安に思う事―GA本社は可能であるならば、有澤重工社長である有澤隆文とGAEの奇人ミセス=テレジアの間に生まれたデュナンの身柄を確保しようとしている。両親どちらもリンクスであるという特殊な出生の彼は、GAの調査機関が調べた結果、極めて高いAMS適正を持つ事が秘密裏の検査で確認されている。それこそ粗製呼ばわりされる自分とは違う、非常に高いものだ。
 もちろん――今十二歳の子供を戦場に放り込むような真似はしないだろうが、優れたリンクスの資質を持つ人間を喉から手が出るほど欲しがっているGAは本人の意思に関わりなく戦場に駆り立てる。子供であろうと関係ない。意志など無視し、彼等は戦場へと駆り立てるだろう。
 だが――主人を弁護するように前に進み出る影武者は口を開いた。

「……ローディー様。社長は、なんの手も打たずに居た訳ではございません。テレジア様はネクストAC<カリオン>にお乗りになる故、ある意味安全。傍には『GAEの有澤狂い』と名高いプリス様の<アポカリプス>にGAの聖女メノ=ルー様と<プリミティブライト>もございます」
「……戦場は水物だ。確実などない」

 有澤の言葉を特に否定もせず、ただ頷く影武者。

「はい。……それゆえ、デュナン様――有澤二十五代目となられる若様には事前に手のものを、有澤忍軍最強の男を忍ばせております」

 ほぅ? と眉を吊り上げるローディー/自信ありげな笑みを浮かべる影武者。

「なんと言う名前だ?」
「ヴァオーと」








 プリス/テレジア――二人は何やら先ほどの雰囲気とは違い、和やかな雰囲気でメノ/デュナンの元に戻ってきた。
 先程の様子と違い――何やら打ち解けた様子のプリス、はにかんだ笑顔を見せるテレジア――メノは不思議そうに小首を傾げた。ちなみにデュナン少年は壁際に追い詰められていた。

「お話は、終わったのですか?」
「ああ。……おい、デュナン少年。……テメェの心配は杞憂だったぜ」
「え?」

 母親の様子が気になっていたデュナンは、プリスの言葉に、母を見る。

「ごめん、だね。デュナン。……実は、ちょっとお母さん、嬉しい事があって――ね」

 その母の素直な笑顔に――デュナンはようやく微笑んだ。
 母親がいつもと違う様子に胸に蟠っていた不安が解けていく。ようやくいつものような気持ちに戻ったデュナン。




 だが、そんな日常を切り裂くように――警報が鳴り響く。


 警戒態勢を告げる音――グレードからして、かなりの大戦力の接近を感知している。
 いったい何処からの勢力なのか――論じる暇はまるでなかった。三人はお互いの視線を交わし/頷く。

 テレジア――駆け足でやってきたそのGAE内でのテレジアのネクスト戦術理論構築に携わる新しい部下である青年に視線を向け、鋭い口調で訪ねる。

「メルツェル! どうなっているのだね?!」
「ハイダ工廠にアナトリアの傭兵を確認。……ここ、GAE本社施設にも敵部隊が接近。敵はGA本社からの部隊……迎撃の必要があるようです。……GAE上層はこれを本格的な攻撃と判断。提携先のアクアビットに救援を求めたそうです」

 ちっ、と舌打ちするプリス。
 とうとう――GAEの新型兵器、ソルディオスの事を怪しみ/様々な軋轢を繰り返した本社が、本格的に叩き潰しに来たのだ。防衛戦などLCCに飼われていた頃請け負ったミッションでは一番苦手だった。他人の事を気遣いながら戦うなど苦手も良いところ――プリスは思わず言う。

「<アポカリプス>がこん中の三名で一番速度が早い。……接近する敵部隊はアタクシがやろう」
 
 正論ではあるが――実際には何かを護りながら戦うという事が苦手なプリスは正論でもって、気兼ねなく敵を叩き壊せるミッションを名乗り出る。



 デュナンは、空気が瞬時に緊張していくのを感じた。
 警報が鳴り響いた瞬間――母とその戦友達は――スイッチが切り替わるように一瞬で戦士の顔へと切り替わった。その姿に驚きと共に――自分の知らない一面を見せつけられたように息を呑む。

「デュナン――待っていてね。話の続きは、帰ってからやるよ」
「う、うん。……気を付けてね、母さん」

 にっこりと笑い、頷くテレジア。歩きだす三名のリンクス――その背を見送りながら、デュナンはメルツェルに手を引かれ、避難を始める。








 ……思えば、この後に『ハイダ工廠粛清』と称される一連の事件こそが、デュナンが自分と自分にまつわるすべての人々が永遠に幸福であることを無邪気に信じられた最後の時期であり。
 ……そして幼き夢のすべてを断念し、リンクスとして生きていくことを決意した思いの始まりの時でもあった。













 少年期の最後は、間近に迫っている。




[3175] 第三十二話『ごめんね』(上)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:0f593b10
Date: 2009/03/26 15:53
 AMS接続――人機一体。
 ハウゴ=アンダーノアは、乗機<アイムラスト>の中で、機体の統合制御体と接続し――その鋼鉄の四肢を自分の神経が走る手足の延長として扱う事が出来る。
 ……胸奥にわだかまる不快感を自覚しながら――ハウゴは目を細め、攻撃目標を確認する。
<アイムラスト>のアイカメラが収縮――多数の砲門/防衛用ノーマル部隊/内部へと潜入を試みるものを拒絶する堅牢な隔壁。突破するのは骨だな、そう一人ごちる。

「フィオナ、勧告は?」
『……既にGA本社から連絡が行っているはず。……今回の作戦目標は二つ。GAのパワードスーツ部隊を搭載したヘリ部隊の降下を邪魔する敵部隊を排除。その後はハイダ工廠内に潜入。敵の抵抗戦力を破壊して、内部の大型兵器を破壊する。
 ……レーダーを確認したけど、ネクストACはいないわね。……ただ、GAE本社から敵のネクストも来る可能性もある』
「……そうだな。……余り――長引かせる訳にもいかねぇか」

 ハウゴはそう呟きながら――脳裏に映る、かつて赤い星で戦った敵の姿を思い出す。
 
「……同じ時代を生きた者同士、また同時に類稀な敵手、出来れば、戦いたくはねぇがな」

 だが、そうも行かない――既に、ハウゴはこの時代に作った戦友/弟子の一人を生贄の祭壇に捧げた。……一度始めたのだ。もう降りる事はできない。目を閉じ――この戦いが早く終結することを願いながら――数日前のブリーフィングを思い起こした。









「本当なの? エミール。GA本社からの依頼が……GAE、ハイダ工廠への攻撃って……」
「……そうだ」

 先日よりもどこかやつれた印象のするエミールの言葉に、フィオナは怪訝そうな声を漏らし――ハウゴはあからさまに嫌そうな顔を見せた。
 
「一応同社グループのはずなんだろうが……まぁ、さまざまに軋轢があるんだろうな」

 ハウゴ――呟きながら以前の戦いを思い起こす。
 独立計画都市グリフォンを占拠した敵部隊――彼らが最後に切り札として出撃させたのはGAE製の大型六脚戦車。GAに敵対する唯のテロリストが保有できる戦力では無い。GAEとレイレナード陣営――繋がりがあり、その繋がりが発覚した事で、恐らく今回の作戦と相成ったのだろう。
 ハウゴ――挙手。

「提携先のアクアビットが支援の戦力を送ってくる可能性は?」
「GA本社はGAEとアクアビット間で物資運送に使用していたギアトンネルに相当数の防衛部隊を配備するそうだ。……場所は戦闘機動の制限されるギアトンネル。迎え撃つのはGAの重装部隊。……例えネクスト戦力でも――この場合差し向けられるのはアクアビットの標準型LINSTANT、もしくはレイレナードの標準型、03-AALIYAHだ。どちらも機動性に重きを置いている。閉所で数で攻められれば彼らも手出しを控えるだろう」

 そいつはどうかな?――ハウゴは心の中に反論を飼っていたが、口には出さない。
 アンジェと<オルレア>――轡を並べて戦った事があるだけに彼女の実力は肌身に染みている。相手のロックオンを阻害するフラッシュロケット、近接戦における高出力/長刀身――月光の名を冠する最強のレーザーブレード。あれを数で押し切れるか、と聞かれれば、ハウゴは難しいと答えるだろう。
 アンジェは強い。それは確実だ――それでも今回は彼女でも分が悪いだろう。<オルレア>ではリスクが多すぎる。
 最悪の状況を想定するのはレイヴンとしての性分――ハウゴはGAEのネクストとアクアビットのネクストを同時に相手取る事も考えなくてはならないと思い、アセンブリの構築を既に頭の中で始めている。
 エミール=言葉を続ける。

「作戦内容は、GAEハイダ工廠攻撃。……内部に存在する開発途中の巨大兵器を破壊することになる。……以上だ」

 エミール=そう言うと、まるで質問も何も拒絶するように背を見せた。
 ハウゴ=かすかに不審そうな眼差しを向け――歩き出す。

(……気のせいかね。どこか、前よりやつれた様に見えたが――)

 気のせいか――そう考えなおし、ハウゴは歩き始めた。 


 











 ギアトンネル――GAEとアクアビットの共同開発兵器『ソルディオス』の物資輸送の為に使用されていたそこには、GA製ノーマル/有澤製重砲台型MTが鎮座し、アクアビット方面から接近する相手を一匹たりとも寄せ付けない重厚な布陣を固めていた。
 だが――兵士達はある意味、弛緩していたと言ってもいい。
 彼等はいわばアクアビット、レイレナードに対する牽制であり、存在そのものが相手に対する威圧だ。極論を言えば、そこに居さえすれば用は足りるのである。
 
 そんな彼等が――迫りくる異常の予兆に気づいたのは、ノーマルの中/本来なら敵の実弾兵器などで衝撃を受けた場合、搭乗者を保護するため減衰して伝えるはずのパイロット保護機能でさえ減衰しきれない微かな振動を感じた時だった。

『……おい、地震か?』
 
 そういった天災如きで壊れるほどギアトンネルの構造が脆くない事は知っていたが、有澤重工の社員と違い、大地が揺れるという現象に対してあまり慣れていない彼等は多少上ずった声で不安の声を漏らす。
 問題ない、問題ないはずだ。彼らはそう考える。作戦前のブリーフィングでは自分達は牽制役であり戦闘に参加する事は恐らくないだろうという甘い現実を聞き、そうであるのだと信じようとした。否、そう信じたかった。
 
『……!! 巨大熱量を感知、これは――大きい! ネクストを上回る排熱量?!』

 アクアビット勢力の攻撃に備え、ギアトンネルには現在何枚もの隔壁が閉鎖されている。敵対勢力の侵入/海水の充満――それらを防ぐために設けられた隔壁の堅牢さは、ネクスト級火力ですら意に介さぬほどの防御力がある。
 だが――それは、はず、でしか無かった。

『か、隔壁の中心部が一部赤熱化!! レーザー兵器による攻撃!』

 なるほど――隔壁の中心部がすさまじい高熱の負荷をかけられ一部が融解寸前まで行っている。
 だが――ネクスト級の攻撃すら問題のではなかったのか? 緊迫した空気/同僚達の生唾を飲み込む音まで聞こえてくる――ノーマルのパイロット達は今や自分達が安全な後方から生命の危機のある最前線に立っている事を理解せざるを得なかった。上官侮辱罪になるから口には出さないが、胸の中で百万回現実とはまるで違う作戦内容を立てた戦術部の連中に百万回呪いの言葉を投げかけて、機体の戦闘モードを起動させる。

『隔壁破壊! ……来るぞ!!』

 あまりの圧力/熱量負荷にとうとう耐えかねたかのように隔壁が崩壊――堅牢なそれが、まるで子供の積み木細工のように木っ端微塵に砕かれ、その残骸の中から巨大な怪物としか言いようのないものが姿を現す。
 体躯――余りにも巨大すぎて全体像を把握することは不可能/形状――レールの上に噛み込んだ車輪で移動する事から恐らく列車の一種=だがその高速で移動する大質量の禍々しさは唯の列車と呼ぶにはあまりにも破壊的な威圧を有していた/車体下部、全面に二つ突きだした大型のプライマルアーマー整波装置――上方にはもう一個の整波装置、まるで顔面のようにも見えるそれは、鋼鉄の巨人達を見下ろすかのように凄まじい速度で分厚いプライマルアーマーを纏い突進してくる――アクアビット社製のコジマ技術を用いた、膨大なKP出力で全てを押し潰し/踏み潰す轢殺の巨塊――巨大兵器、蹂躙列車<ウルスラグナ>。
 ノーマル部隊はその巨大な怪物の威容にひるみはしたが、それでも戦士としての職分を忘れる事は無かった。
 震える手で全兵装の使用制限を解除――即座に凄まじい速度で接近してくる相手に対して重火器を雨霰と叩きこむ。GA系のノーマルのバズーカ砲弾がいくつも飛来/直撃――だが、噴煙の中からコジマ粒子の緑色の燐光を放ちつつ蹂躙してくる<ウルスラグナ>を止めるには至らない。
 
『く、くそっ、駄目か!!』

 絶望の呻きを挙げながら逃走しようとするGAノーマル部隊は――しかし凄まじい大質量と高速で倍増された圧倒的な蹂躙列車の体当たりを叩き込まれ、粉砕された隔壁と同じ末路を辿った=全滅。




 
 GAEハイダ工廠――ハウゴ=アンダーノアとその乗機<アイムラスト>はハイダ工廠の中を侵攻している。

「……順調順調、か。……フィオナ、GAEのネクストは?」
『まだ到着は確認できていない。……なるべく、早く切りあげましょう』

 ハウゴ――そうだな、と同意の呟き。
 ハイダ工廠は三つの区画に分かれている。
 アクアビットとの共同で開発を続けられていた大型兵器――<ソルディオス>の基底部を中心に、それぞれが通路で結ばれている。一直線構造であり、通路には大量のGA製ノーマル部隊。それを<アイムラスト>は左後背のハイレーザーキャノンで焼き払いながら順調な侵攻を続けている。
 ノーマル部隊の抵抗はあるものの――しかしネクストの高出力レーザーに太刀打ちできるはずもない。現時点ですでにハウゴは二機の大型兵器<ソルディオス>のうち二つを破壊し終えていた。

 うまくいきすぎている。こう言う時は怖い――それがハウゴの正直な感想だったが、実際に発言してしまうとそれが事実になってしまいそうな気がしており、どうにも躊躇われてしまうのだ。
 とにかくうまくいっている。ここで昔のように敵の増援などが来なければ実に楽にミッション完了だ。

『ハウゴッ!!』
「ほぉら来た」

 そう考えていた瞬間に聞こえてきたフィオナの焦り混じりの声にハウゴ=思わず呟いてしまう。

『GAEのギアトンネル駐留部隊が全滅したわ……!』
「……なんだと?」

 ハウゴ――予想外の言葉に思わず声を失う。
 彼の予想では、最も在り得る悪い報とはGAEのネクストACがこちらの攻め込んでくる事であり――想定していた一番最悪の予想とは、この機動力が制限されるハイダ工廠という閉所の中で火力/重装甲/高機動性を有する<アポカリプス>と出くわす事であり、GAEの駐留部隊が全滅するという予想は、一応立ててはいたものの、最も可能性が低いものだと判断していたのだ。
 事前のブリーフィングでエミールが言っていたのと同じように――レイレナード/アクアビットがこの件で戦力を送り届けるとは思わなかったのだが。

『……っ! 敵ネクスト反応!!』
「来たな」

 フィオナの声。
 予想より早い――順調なのはここまでか、ハウゴは同時にどこか安堵する己を自覚する。これ以上予想外な出来事は起こるまい、後は現実に全力で対処するのみ――そう判断しながら、相手と接敵する前に最後の一機の巨大兵器を破壊するべく――オーバードブースターをスイッチする。







『くそっ! 早すぎる!』
『あんな装甲をしている癖に、あ、あんなに早いなんて……理不尽だろう!!』

 暴虐の体現――まさしくGA侵攻部隊にとって上空から飛来し、大口径榴弾の洗礼を浴びせかけるネクストAC<アポカリプス>は鋼鉄の巨人の姿を借りた災禍だった。
 本来ならば敵対企業――レイレナード/BFF/インテリオル・ユニオン――その三つの企業に対して振るわれるべきである有澤渾身の榴弾技術は、グループ企業のノーマル部隊にも全く平等に凄絶な破壊力を示していた。
 大口径/重装甲――GAの設計技術は実弾兵器に対する堅牢化を実現していた。普通の銃弾程度なら問題はない――だが、<アポカリプス>が攻撃に使用しているのはGA内でも大鑑巨砲主義に傾斜した、GA本社を上回る火力の申し子――有澤のグレネード兵器である。幾らGA製ノーマルが実弾に耐える分厚い装甲を有しているといっても限界があった。
 散発的な反撃を加えようとも――その無脚型にのみ許された圧倒的な高機動性で回避。次の瞬間、<アポカリプス>は相手の攻撃に百倍する過剰な猛攻で攻撃の芽を沈黙させる。

「……弱えぇな」

 ぼそりと呟くプリス=ナー。
 今回の作戦において確認されているのはGA社製のネクストでは無く、アナトリアの傭兵のみ。一つの企業に対する粛清にしては、用いる力が圧倒的に足らない。


 ――不吉。


 するりと背筋に氷の塊が滑り込むような感覚。
 ちっ――軽く舌打ちを漏らして通信で状況を確認しようとするプリス=ナーは、そこで遠方に煌めくブースター炎を視認した。
 レーダーの実効射程外。戦場を大きく迂回して――<アポカリプス>が張り巡らせる火力の網を避けようとする意志が見て取れた。プリス――通信をオープン。

「……ネクストのクイックブースター炎を視認したぜ。テレジア、そっちに向かうつもりだ。アタクシの<アポカリプス>で迎撃をやるぜ」
『いや、大丈夫なのだよ。……プリスはそのままGAの部隊迎撃を続けて欲しいのだね』

 ん? と思わず声を漏らすプリス。
 彼女はテレジアの戦闘能力を正しく見切っていた。メノ・ルー程の火力と装甲と根性も無く、ハウゴのような熟達の技がある訳でもない。……比べる相手がいささか強すぎる気がするがそれはさておき。
 とにかくGAEにおける三人のリンクスのうち、実力が最も下位になってしまうのは彼女のネクストAC<カリオン>だ。
 そして――その事を理解しているのはネクストの戦術理論構築者という二足のわらじを掃く彼女自身だろう。故に――彼女は無理をしない。数的優勢を確保するか、さまざまな状況戦を仕掛けて相手に十全の力を発揮させまいとする。兎に角テレジアが嫌うのは戦術的博打であり、まず勝てない戦闘は行わないのだ。チェスを彼女と一度打った事がプリスにはあったが、その打ち筋は極端な防御嗜好。負けない布陣を徹底的に固めてから攻めかかる。故にか、あまりチェスは強くない。功守のバランスがとれている息子の方が強いぐらいだ。
 そんな彼女が、実力優位のプリスの支援を要らないと言うという事は――戦術的優位が確立されているということ。

「なんかあったのか?」
『アクアビット、レイレナードから増援が到着したのだよ。ギアトンネルを占拠していたGA部隊も既にアクアビットによって排除されたのだ』

 へぇ? ――自然と感嘆の言葉が漏れ出た。






 
 通路に散らばる屍の山――斬殺/射殺/爆殺――ハイダ工廠を守備するGAE正規部隊のノーマルはすでにその全てが沈黙させられていた。
 もはやそこにあるのは鉄屑――なまじ人の姿を模すだけにその凄絶さは単純な無機質として終わっていない。搭乗者の無念を示すように虚空に掲げられたノーマルの腕がまるで断末魔のように思える。

「……強い」

 メノ・ルーは敵ながらもアナトリアの傭兵の実力に讃嘆せざるを得なかった。
 自分もここまで戦えるのだろうか/これほどの災禍をまき散らす人型の悪鬼と戦い勝利できるのか――ぶるり、と背筋に寒気が走る。
 一番最初の気持ちを思い出す。最初に思ったのは――ネクストという力を用い、人類全体の癌的な部位を精密な外科手術で取り除こうという、救世の意志からだった。力をもつものが世界を変える――その力と意志で何かを変えられると信じて戦いを始めた。
 なら――アナトリアの傭兵はこれほどの力で一体何を変えようとしているのか。その行く末を想像し――思考を中断する。

「駄目、今は……」

 ハイダ工廠――大型兵器政策の為の大きな区画と、それらを繋げる通路で連結された施設だ。
 閉所において最も必要なものは火力と装甲――彼女の<プリミティブライト>はそれらに関しては十分すぎるほどの性能を備えている。既にハイダ工廠内の大型兵器はアナトリアの傭兵によって完全破壊が確認されていた。もはや防衛対象は残骸と果てている。戦闘を継続する意味はない。
 ただ――メノ・ルーは知っていた。
 自らの研究をいとおしむハイダ工廠の技術者達の情熱を知っており、彼らがどれほど寝食を削って設計に没頭していたか。それをあっけなく破壊された彼らの悲嘆がどれほどのものか容易に想像できるだけに戦闘を決意してしまう。
<プリミティブライト>――機体背部からオーバードブーストによる高速巡航へ。最後のひとつを破壊しようとしているアナトリアの傭兵へと、攻撃を開始する。

「……祈って……貴方の神に」 

 ハウゴ――製作途中の大型兵器<ソルディオス>の最後の一機のコア部分にダガーブレードを叩き込み、破壊したと同時に聞こえてくる――通信機からの混線の声に片眉を吊り上げる。可憐な女性の声――同時に設計区画に飛び込んできた機体はその搭乗者の柔らかな声質とは真逆のごつごつとした重装機体。
 GA社特有の実弾防御を高めた角ばった印象の巨人/重量武装を振り回し、操るためのパワーに優れたアクチュエーターを内蔵するごつい腕部/右腕武装=プライマルアーマーも装甲も物理的破壊力で強引に貫通する大口径バズーカ/左腕武装=大型の機関砲弾を撒き散らすガトリングガン/両肩武装=推進速度を犠牲にした代わりに、追尾性能に優れ、ミサイルに搭載された膨大な量の炸薬で致命的な破壊の嵐を撒き散らすラージミサイル×2――GAの大火力重装甲主義を体現するかのごとき機体――リンクスナンバー10/<プリミティブライト>。
 
『ハウゴ、敵ネクスト<プリミティブライト>を確認。……敵は典型的な重火力型よ、警戒して』
『GAEか。……ただで見逃してくれるようにも思えねぇな』
 
 ハウゴ――愛機である<アイムラスト>の武装を再度確認。右腕武装=クローム・マスターアームズ製の銃身下部に小型榴弾の発射装置を備えたアサルトライフル/左腕武装=刀身の長さを切り詰め、破壊力を向上させたダガーブレード/右後背武装=高火力のスタンダード型ミサイルランチャー/左後背武装=レーザー兵器のリーディングカンパニー、メリエス製の高負荷と引き換えに凄まじい破壊力を実現したハイレーザーキャノン/両肩武装=同種武装との併用を想定した高火力連動ミサイル。

「貴方のマッスルと私のマッスル、どちらが上か……!!」
『はぁ?』

 ハウゴは今極め付けに変な台詞を聞いたような気がしたが――戦闘中なので流すことにした。
<プリミティブライト>――両肩のラージミサイルを展開。巨大な二つのミサイルユニットが正面に起き上がり、カバー開放/内部に格納された大型ミサイルがその剣呑極まる先端を<アイムラスト>へと指向する。
 ハウゴ――その巨大武装の展開に苦笑しながら、大型ミサイルに対する対処法を取る。FCSのロックオン優先順位を敵ネクストからミサイルに切り替え。
 
『悪いがその手の対処法は嫌になるほど叩き込まされたんでな……!』
 
 かつてのGA工廠を占拠したテロリストにより山ほど打ち込まれたラージミサイル――故に弾速は遅いが異常な追尾性を発揮するその手の獲物のあしらい方は嫌になるほど学んでいた。
 アサルトライフルを構える/左半身は実弾武装に対するGAの天敵、メリエス製ハイレーザーを展開――自機目掛けて飛来する大型ミサイルを狙い、射撃開始。放たれる速射性の銃弾の一つがラージミサイルの真芯を穿ち、破壊――誘爆したミサイルが破壊と衝撃波を撒き散らす。

「……引いて、お願い……!」

 だが――もちろんメノ・ルーも黙っている訳がない。ラージミサイルの対処のために行動する<アイムラスト>へと接近――その両腕にのガトリングガン/バズーカを構える。
 躊躇なく発砲――高速回転の異音をかき鳴らしながら放たれる機関砲弾/唸りを上げ、吐き出される大口径。
 相手が取りうる回避挙動――正面から繰り出される射撃に対処すれば迫る大型ミサイルが着弾/その逆ならば両腕から放たれる機関砲弾と大口径質量弾が雨あられと降り注ぐ。
 凄絶な重火力装備を用いた二者択一――どちらを選ぼうが、重大なダメージ。
 
『……悪くねぇ戦法だがな。しかしだ』

 アナトリアの傭兵――ハウゴは小さく呟く。<アイムラスト>は相手の二者択一を、正面から機動性能で打ち破りに掛かる。
 正面からの銃撃を横方向へとクイックブースターで回避――迫り来るミサイルを迎撃するための数秒を稼ぎ、銃撃=誘爆するラージミサイル。
<プリミティブライト>もこの相手の機動に即応――クイックブースターの派生機動、ターンブーストで相手の機動に旋回し追従。両腕の重火器を展開。
 正面からの射撃戦――交差する火力。
<アイムラスト>のプライマルアーマーが機関砲弾の直撃を受け、激しく輝く――だが、攻撃を受けながらも的確な回避挙動で致命傷になりかねないバズーカ砲弾の一撃だけは直撃を避けていた。<プリミティブライト>のプライマルアーマーは相手のアサルトライフルの一撃を受け止め/その下の重装甲が弾丸の運動エネルギーを静止させている――だが、次の瞬間直撃する光の巨槍、ハイレーザーキャノンの一撃はレーザー系武装の防御力が軒並み低いGAの欠点を露呈する結果になった。
 
「ううっ……?!」

 AMSの負荷増大――メノ・ルーは口から漏れる苦悶の声を抑える事に失敗した。
 元来耐久性の高いGA機――装甲の分厚さで一撃に耐えるだけの能力はあるが、しかしそれもいつまで持つかどうか。
 実弾武装同士の撃ち合いなら勝機はあるが――相手がGAの天敵、ハイレーザーを保有しているとなると勝負はどう転ぶかわからない。
 再び射撃戦――<プリミティブライト>は実弾に対する耐久性を生かす/<アイムラスト>はハイレーザーと機動性能を生かす。
 メノ・ルーは集中している――相手のアサルトライフルは実弾武装/注意すべきはハイレーザーのみであり、それさえ凌ぐ事ができれば撃ち合いで負ける事はない。AMSを通したクイックブースター制御を意識する。相手が撃った、と思ったら脳髄の決断を待たずに迅雷の反射速度で回避する事を考える。
 瞬間――敵ネクストの左後背に展開する大型の光学兵器が先端から破壊的灼光を充満させる=放たれる一撃は<プリミティブライト>の右側を狙っていた/メノ・ルーは瞬時に左方向へとクイックブースターによる回避――光の巨槍は機体の右側へと流れていった。

『かかった』
「……?!」

 ぞくり、と神経をあわ立てる相手の言葉――<アイムラスト>=突撃してくる。
 アサルトライフルを構え/左側の武装をダガーブレードへと変更――メノ・ルーは相手との距離を置くために後方へと下がろうとし/そこで、<プリミティブライト>が壁を背負わされている事に遅まきながら気づいた。
 言葉に発されるより――先に心臓が爆発するような恐怖感。誘導されたという敵手に対する賛嘆の念/早く離脱しなくては――二つの指向が平行しつつも<プリミティブライト>は右方向へクイックブーストによる回避挙動を取ろうとし――今まで沈黙を守っていた、アサルトライフル下部のグレネード弾が始めて火を噴いた。
 まるでこちらの動きを先んじて読んでいたかのように――放たれた小口径榴弾は<プリミティブライト>の右半身を直撃=その衝撃で機体を硬直させ=その刹那に<アイムラスト>は鋭い踏み込みを見せていた。
 ダガーブレード、一閃。
 振るわれた焦熱の刃はガトリング砲を溶解/切断――使用不能に追い込まれる。

(死ぬ……?! わたし……?!)

 近接射撃戦で唯一効果を発揮するガトリングガンを真っ先に潰された。
 狡猾な――声を漏らしながらメノ・ルーはそれでも戦おうとする=命を拾うには勝つしかないということを熟知していた。至近距離で使用できるのは最早バズーカのみ、クイックブースターで右方向へ機動――だが、もちろん張り付くほどの近距離の維持を<アイムラスト>がやめるはずがない。重量級と中量級――機動性能で上回る<アイムラスト>は蛭のように食いついて離れずに一方的な斬殺を仕掛けようとする。
 
「嘘……なのね……」

 最後――ここで。

 眼前に迫る――青い姿のネクスト。
 これが――彼女が瞳に移す最後の光景。


 

 突き出される焦熱の刃が――<プリミティブライト>のコアを貫通し――搭乗者である自分自身の肉体を原子へと還元する光景を彼女は幻視し。


 



 その確定した未来を覆すかのように、緑色の重金属粒子ビームが<アイムラスト>にとどめの一撃を防がせる事になった。




『なにっ……!!』

 クイックブースター機動による即時後退。
<アイムラスト>は最後の一撃を刺し損ね――同時に自分に一撃を見舞った敵の新手に正対する。

『……話は聞いておるよ、アナトリアの傭兵』

 通路の向こうから姿を現す機体――球体型のプライマルアーマー整波性能に特化した頭部/脆いとすらいえる軽量型脚部/防御力をプライマルアーマーのみに絞ったアクアビットの正規ネクストAC/右腕武装=装弾数、威力を追及した高火力マシンガン/左腕武装=コジマ粒子を銃身へと蓄積させ、発射するコジマライフル=先端から発砲直後を示すように煙が立ち上っていた/左後背武装=高出力のプラズマを吐き出す大型プラズマキャノン――リンクスナンバー7、ネオニダスの駆るネクストAC<シルバーバレット>。
 
「あ、アクアビット? 間に会ったのですか?」
『その機体ではこれ以上の戦闘は不可能だろうて。……私は試作型アサルトアーマーを使う。巻き込まれればお前さんとて無事ではすまんぞ、ここは引き受けよう、行け』
『……くそっ、戦闘に気を取られすぎて新手に気づかないたぁな』

<アイムラスト><シルバーバレット>――お互いに正対。
 その戦場から逃れるように――<プリミティブライト>は目の前を掠めた死神の刃を避けるように相対する両機の視界から離脱する。

「……殺されていた」

 通路を移動しつつ――メノ・ルーは一人呟く。
 ネオニダスが攻撃を加えていなければ、今頃アナトリアの傭兵の刃は彼女を機体ごと葬り去っていただろう。戦っていた時には感じていなかった恐怖感が遅まきながら心臓を鷲掴みにする。
 操縦桿を握る手が震えている事に気づき――震えているのは自分であるのだと知る。

 離れなければ――あのアナトリアの傭兵から。
 今までにない恐怖/怯えるように、メノ・ルーはオーバードブースターを点火させた。




[3175] 第三十三話『ごめんね』(下)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:0f593b10
Date: 2009/03/26 16:09
 デュナンは、将来絵本作家になりたいと言うだけあって子供の頃から――今もまだ十二歳と十分幼いが――毛筆を片手に絵を良く書いていた。
 コンピュータなどに内蔵された画像作成ツールなどに頼らず、アナログ的な毛筆、絵の具、鉛筆など――このご時世、下手なプログラムファイルよりも高価な道具を使って描く、どこか温かみのある絵を好んでいた。
 一番のお気に入りは、母親であるテレジアの仕事疲れで机の上で眠っている絵をこっそりとスケッチしたもの。ありのままの母親の姿を切り抜いたみたいで――大抵乱暴な口調が一番真っ先に出るプリス=ナーでさえ、『へぇ、上手いじゃねぇか』と、素直な賞賛の言葉を掛けるだけあり、一番の傑作だ。その絵は、一枚がデュナンの手元にあり、もう一枚、コピーしたものは、モデルであるテレジア自身の手にある。
 肌身離さず持っている大切なものであり――おかげで、限られた時間の中でGAEの避難施設に移動するためにより道など許されない今、自室に置いて行かなければならないという事態にはならずに済みそうだった。

「……急ぐぞ、デュナン」
「は、はいっ!!」
 
 自分の年長の知人である――メルツェルの言葉にデュナンははっきりと頷く。今は大人の言葉に疑問を差し挟む事が出来るほど余裕のある事態でない事は子供である彼にもはっきりと理解出来ていた。
 メルツェル――デュナンにとっての年上の友人。
 黒目黒髪――古めかしい片眼鏡を愛用/身長は平均を上回る事は無い――しかし彼の驚嘆すべきところはその内面である=GAE所属の戦術理論に関する論文をはじめとするさまざまな分野ですでにあちこちから高い評価を受けている青年/他のGAグループ内の企業からの求めを断り、ここGAEでテレジアの元、戦術理論やネクスト運用など知的労働にいそしんでいる。
 メルツェルは、仕事の上司である女性の子の手を引きながら――泡を食って逃げだろうとする職員達の群れに巻き込まれる事を避け、早足で歩く。胸元に忍ばせた拳銃の剣呑な感触を確かめながら、彼は溜息を洩らした。

(……出来れば、頼りたくはないな)

 メルツェルは、知的労働者を自任している。
 そして――非常に優秀な彼がそもそもGAEで働いているのは、――誰にも秘密ではあるのだが、実は、メルツェルはAMS適正の保有者=すなわちGA社におけるネクストのリンクスになる才能の持ち主であったのだ。
 粗製乱造と揶揄される、AMS適正劣性のリンクスを誰彼構わず採用したGA社――メルツェルもその計画のメンバーの一人として実は名前が挙がっていたのである。
 メルツェルとしては、まさしく有難迷惑と言う他ない結果だった。
 彼としてはパックスの力の象徴、最強のハイエンド機体、ネクストの搭乗者リンクスの立場など全く何の価値もないものだった。軍人として生きるよりも価値のある、やりたい仕事など山ほどある。
 それもリンクスとしても優れた資質の持ち主という訳でもないAMS適正、劣性の烙印を押されている。メルツェルにとって、リンクスになるという事は自分の死刑執行書にサインを強要されるのと似たような事であった。

 まさしく暗然たる未来が押し付けられようとした時に救いの手を差し伸べたのが、GAE所属の奇人、ミセス=テレジアだったのである。
 彼女は国家解体戦争を潜り抜けた戦友として――友人でもあった、GA内でも相当の発言力を持つ有澤隆文に連絡を取り、彼をリンクスとして登用することを取りやめてもらうように取り計らったのだ。
 その縁でGAEに在籍することになったメルツェル――もちろん、恩人の子息であるデュナンを何としてでも守ろうと硬い決意を宿していた。
 
「とはいえ……この状況。策が必要になるとも思えんが」

 GA本社からの攻撃――現在、GAE所属のミセス・テレジアのネクストAC<カリオン>はGAE本社施設の直営/メノ・ルーはハイダ工廠に攻撃を仕掛けに来た敵、アナトリアの傭兵を迎撃に出た/そしてGAEの最大戦力であるプリス=ナーの<アポカリプス>はGAE本社に攻撃を仕掛けるために現在移動しているGA部隊の迎撃に出ている。GAEの重役達が既に逃亡しているという情報が更に状況を混迷化させていた。
<アポカリプス>は非常に強力だが――しかし投入されるGAの戦力は膨大。撤退に追い込む事はまず不可能だろう。
 
(……だが、GAEは三機のネクストを運用できる。下手な戦力ではGAEは落とせないだろうな)

 アナトリアの傭兵の他、GAは最悪の場合――他の同盟企業からネクスト戦力を回してもらうことすらあり得るか? ――いずれにせよ、メルツェルは見極める必要がある。
 他の大勢と同様にギアトンネルからアクアビットへと移動する手段――不可能と判断する。
 提携先のアクアビット――連携している企業とはいえ、火中の栗を拾うような真似をするだろうか?――回答は否。
 メルツェル個人には会社に対する忠誠心は無い。ただあるのは、今彼が手を繋いでいる恩人の子息と自己の生命をいかに守るかだ。

 GAに投降する――という手段を考えなかったといえば嘘になる。
 ただし――その手段を取った場合、確実にデュナンはAMS適正を認められ――GA所属のリンクスとされるだろう。彼のAMS適正はメルツェルとは違い、非常に高い。通路の先の喧噪を見、メルツェルは移動する。

「どうするんですか、メルツェルさん」
「……あれと同様の行動をする事は、いささか危険に思うので。別ルートで行動しようと思う」

 別の手段――彼らを囮とし、別口の手段で脱出。
 しかし――事前に状況が分かっていればさまざまに手の打ちようがあったはずだが。メルツェル=もし事前にある程度の行動するための権限と情報を収集する立場にあれば様々な手を打つ自信があった。幼少の頃から父である――企業支配体制の下では死滅したといわれても過言ではない民主政治家、ブロック=セラノの下で諜報戦のイロハを仕込まれている。
 ふと、そこでメルツェルは、別ルートでの脱出手段の為に行動しようとして――廊下の先に、どこか張りつめた空気が充満している事を感じ取る/気配などという不確かな感覚では無く、明確に拳銃の撃鉄音が鳴り響くのを聞いた。彼の手を握るデュナンの指が、強く握られているのを感じた。

(……これは、ああ、そういう事なのか?)

 既にGAE本社にまで相手の手は伸びていた――GAEの内部監察/デュナン少年を確保するという二つの任務を帯びた潜入工作員。
 さて、どう切り抜ける? メルツェルは自問しつつ、隅から姿を現す数名の男達にどう対処するか――笑みの演技をしながら思考を始める。ここで自分の生命を盾に――などというヒロイズム溢れる行為に浸るつもりのない彼は、一時的にでも相手の手の内に落ちることも覚悟していた。
 銃器と暴力――弁舌と交渉が通じる相手であるならばどうにでも巻き返して見せる。
 そういった決意を胸に、メルツェルは物陰から姿を現す一人の男に対して身構え――。

 その男は重力に抗するあらゆる力を失い、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
 状況が飲み込めず、唖然とした表情を見せるメルツェル――その疑問に答えるかのように加害者と思しき/つまり彼ら二人を助けたことになる男が姿を現す。

「ハッハー!! 危ないところだったぜぇぇぇぇぇ――!!」

 男性としてそれほど体格に恵まれている訳ではないメルツェルだが、そんな彼でも相手の顔を見るために見上げなければならないほどの大男というのはそうそう出会った事がなかった。
 巨体――天性の巨躯、恐らくなんら過酷な修練も必要とせず、生まれ持った天性の素養ひとつで大概の相手に圧勝できるような男/そのくせ、それほどの性能の肉体を有しておきながら、全身を覆う筋肉の鎧は巨体特有の慢心を微塵も感じさせないほど見事に練り上げられていた。
 黒目黒髪――げらげらと楽しそうに笑っている/どこか愛嬌があると言えるかもしれない――その巨体を筋肉でパンパンに膨らんだまるで似合っていないスーツに無理やり押し込んでいた。まるで拘束服を着せられたヒグマ――その熊男は現在進行形で襲い掛かってくる相手を撃退していた。
 銃声を聞きつけられることを恐れているのだろうか――拳銃を用いず、ナイフで武装した工作員と思しき相手を無手のまま見事に叩き潰している。ナイフを紙一重で避け、蹴撃を膝で潰し、獰猛に笑いながら――殴る殴る殴る殴る殴る蹴る投げる投げる踏む踏む。むちゃくちゃなまでの暴力の嵐/情緒教育に悪そうだったのでメルツェルは思わずデュナン少年の目を覆ったぐらいだった。
 メルツェル――唖然としながらも、冷静さを即座に取り戻す。助けられたからといって無条件で相手が味方であると信じるような気楽な性格でもなかった。
 
「お前は何者でここに何をしに来た」
「助けに来たんだぜぇぇぇぇぇ!!」

 即答――どうも思考してから言葉を並べているというより脊椎反射で会話しているような感のある巨漢。これほど交渉し甲斐のない相手も初めてだ――メルツェル、変な方向で感心する。

「誰に頼まれ……?」
「……言えないんだぜ」

 だが――決して口外してはならない一点は律儀に守るらしい。
 とにかく手助けをしたのだからすぐに敵対する意思はないのだろう。それなら現状の打破に使えるかもしれない。すぐさま冷静に算段をつけるべく脳細胞を活性させ始める。
 
「……兎に角脱出を急いだ方がいいぜ? ギアトンネルを占拠していたGAの部隊はすでに壊滅しているし、早めに脱出したほうがいい」
「…………」 

 メルツェル=憮然。
 自分の知らない所で事態が進行するのは当然の話だが――武より知に重きを置く男としては、自分が最善と判断した行動が結果的に余計な回り道だったと知らされ正直愉快ではないのだろう。

「……あ、あの。……ありがとうございます」

 そんなメルツェルの内心など知らず――テレジアの躾がよかったのだろう。前に進み出たデュナンは、ぺこり、とその巨漢に頭を下げる。巨漢の男――朗らかに笑って答えた。

「気にする事はないんだぜ、若君! それが仕事だからよ!!」

 呆れたようにメルツェルは眉間を揉んだ。

(……こいつ、とことん交渉に向かんな)

 あっさりと何のために二人を助けたのか暴露したも同然の言葉に呆れたような思いを抱く。
 あまり周りの人間には知らされていないが――デュナンの母であるテレジアが有澤隆文と親しい関係であるのは察しが着いていた。なら、彼も有澤関係の人間なのだろう。
 
「お、お兄さんの名前を聞いておいていいですか?」
「ヴァオーだぜ、若君ィィィィ!!」

 どんどん自分の素性をばらしていく感のあるこの単純馬鹿を見やり、メルツェルはこの男を放置したらどれほど自分の秘密を暴露してしまうのかいっそ試してみたくなったが、もちろんそんな事をしている暇は無かったので――素直に逃げる算段を付ける事にした。






 GAE――他企業と比べコジマ技術において大きく後塵を拝することになった時代遅れの巨人であるが、やはり基本的な資金力という圧倒的な力は未だに引けをとらない強力な力だ。六大企業の中でももっとも古いが――その歴史の中で蓄積してきた財力が可能とする設備投資の多さは圧倒的とも言える。

「ここだ」

 メルツェル――GA製ノーマルの並ぶ格納庫の中で、一台の大型トレーラーの前に立つ。
 コジマ粒子の汚染にも耐える頑丈な装甲を保有する大型のトレーラー/人員輸送用の車両は既にごった返しており、空きが無いため、こちらを選択するよりほかは無い――速度を増すため、運搬用のトレーラーは既にはずしてある。既にGAE本社を防衛するノーマル部隊によって他の社員たちはギアトンネルを確保したアクアビット社の元へと逃走を続けていた。一緒に移動すれば生存する確率も多いだろう。
 
「ノーマル程度なら動かせるぜ、メルツェェェェル!!」
「……お前は少し声を抑える訓練をしたほうがいいな」

 メルツェル――ヴァオーの声にうっとおしげな顔。どうやら有澤から送られたらしき護衛役であるヴァオーは戦闘屋としての実力は確かなようだったが、肺活量も相当ゆえか自然な声が馬鹿デカイ。
 車両のロックを解除し乗り込む――その巨体ゆえに一人で二人分の座席を埋めるヴァオー/まだ線の細い子供ゆえにあまり場所を食わないデュナン/一般的な体格のメルツェル――何とか運送用車両に全員分押し込める事ができた。

「下手に戦闘用のノーマルを出せば敵に狙われ、味方に戦場に駆り出される。……今の目的は無事の脱出だ。無用にリスクを負う必要は無い」
「ほおぉぉぉぉ、流石だぜメルツェェェェル!!」
「……デュナン、済まないがそこにあるそれ、そう、作業用の耳栓を貸してくれ。このままでは私の鼓膜が潰れる」

 苦笑いを浮かべながら――座席の前にあった耳栓を手渡すデュナン。
 車体の中は完全密封。コジマ粒子汚染下での移動を想定しているので、外気を取り入れる事は許されない。GPSによる位置の指示をAIのナビに表示させ、メルツェルは轍の残る格納庫から敢馬を駆る騎手のように鋭いハンドリングで車体を操り――格納庫から脱出。
 




 この時点では――メルツェルは恐らく脱出にはそれほどのリスクは伴わないだろうと判断していた。
 GAEの技術者はGA本社にとっても得がたい貴重な人材――ましてやアクアビットの技術をある程度取り込んだGAE社員を引き込む事が出来ればコジマ技術で後塵を拝するGAは他企業に追いつくための追い風を得ることが出来る。
 だから――生命の危機、脱出するGAE車両に対しての直接攻撃は手控えられるものであると判断していた。




 甘かったと――誰が、責められるだろうか。




 ミセス・テレジアがプリス=ナーと<アポカリプス>の増援を拒否したのは、もちろんアクアビット勢力の援軍が来たことに対するのも理由の一つであったが――その胸のうちにプライドがあった事も否めない。
 GA社の戦力を前面に出て迎撃するプリス/ハイダ工廠に出現したアナトリアの傭兵を迎撃に出たメノ――それに対し、彼女とネクストAC<カリオン>は後方の後詰。二人に比べて実力下位の我が身を振り返れば仕方のない選択ではあるのだが。

「……まぁ、問題はないのだよ」

 呆れたことにGA本社部隊はプリス一人の奮闘でほとんど制止している。それに残るGA系のネクストはそれほど多くない。
 ユナイト・モスは既にKIAが確認されている。ワカ――有澤隆文は、きっと自分との関係から今回の作戦には投入されていないだろう。後はエンリケ・エルカーノの<トリアナ>とローディーの<フィードバック>だが、一機程度はビッグボックスの防衛部隊として投入されているはず。
 相手は単機のネクスト――それに対してこちらは彼女の<カリオン>に加え、GAEのノーマル部隊が勢ぞろいしている。




 戦術的な優位は確保しており――故に、テレジアは読み違えた。




 彼女の失敗は――GAが内部粛清にまで、他企業のネクスト戦力を投入するとまで考えられなかったと言うことであり。そして――迫り来る相手が、考えうる限りの最悪の相手という事実であった。

『……大袈裟なんだよ、GAは。ほんと、笑える』

 敵、不明ネクスト反応、だが表示される数値はそれがただのネクスト機体では無い事を告げている――その機体データは、以前交戦した<アポカリプス>から<カリオン>にも移植されていた。
 平均的なネクスト機体を大きく逸脱する純白の巨人/膨大なPA整波装置=整波装置が吐き出す膨大なコジマ粒子はただその巨人が動くだけで大地を腐らせ草木を枯らし命を無慈悲に奪う力を持つ/機体各所が内蔵する巨大な推力装置=その膨大な推力は、内部搭乗者の頚椎を平然とへし折るほどの圧倒的加速力をもたらす。
 右腕武装=インテリオル・ユニオンのハイレーザーライフル、カノープスに比較的酷似した『KARASAWA』と記入された長大なレーザーライフル/左腕武装=焦熱の刃を形成するための大きな重粒子形成機構、大型のレーザーブレード/右肩武装=異様なサイズの機関砲弾を撒き散らす大型ガトリングキャノン/左肩武装=着弾と同時に灼熱と破片効果で凄まじい破壊力を発揮する大型の大口径榴弾砲/歪なまでに巨大な両肩=内部にはミサイルランチャーユニットを内臓/迷彩など一切考慮されない純白一色の塗装は設計者の絶大な自負を示すかのよう/鋼鉄と鋼鉄を拠り合わせ、更なる鋼鉄でくみ上げた、さながら人型の悪鬼/頭部のカメラアイが滑るように起動――ノーマル部隊を補足。

 両肩に内蔵されたミサイルランチャーをマルチロックし――発射。面を制圧する凄まじい数のミサイルは展開していたノーマル部隊を飲み込み、爆散させていく。
 
『君程度を殺すために、GAEを潰すために、この僕を引っ張り出すなんて。……そう思わないか? ミセス・テレジア』

 左腕に装備した長大なレーザーブレードが一閃するたび、胴体ごと両断されるノーマル部隊。
 強い、圧倒的に強い――まるで草を刈るように味方を撃墜していく敵機、<バニッシュメント>プロトネクストに、テレジアは息も発さず、垂直上昇式ミサイルを展開し、ロックオン。即時攻撃を開始する。


 

 それと同時に――テレジアの中の、ひどく醒めた、冷静な部分が――戦慄と恐怖で早鐘の如くなる心臓とは裏腹に一つの冷厳な結論を下していた。指先は必死の抵抗を続けるべく愛機を操縦させていたが――リンクスとしてではなく、ネクストの戦術理論研究者としての部分が、自分の辿る運命はっきりと突きつけていた。
 


 そして――テレジア自身も、恐らくその推論が正しいものであると、理解してしまった。










――――ああ。なるほど。
 







――――私は今日、ここで死ぬのだな。








「母……さん……」

 デュナンが母親の戦場に立つ姿を実際に見たことは無い。
 見たことがあるのはGAの広報課が編集した見栄えする戦闘シーンの切り抜きであり――その映像しか知らない彼にとって、現実の戦闘とは遥かに苛烈で背筋を寒くする殺意が交錯する凄まじいものだった。
 ミサイル/砲弾が飛来――だがそれらの全てを白い巨体はまるで意に介さずに回避する。どう見ても回避できないとしか思えない濃密な弾幕の隙間に巨体を滑り込ませ、砲弾の全てを――瞬間移動と見間違うかのような横方向へと壮絶な加速で回避していく。


 返礼の応射が始まる。


 右腕の銃が火を噴く――大気すら歪める高出力ハイレーザーの洗礼/GA機の機体中枢まで装甲を融解/貫通させ――撃墜。分厚く、長い、左腕の光剣が旋回する――殺傷半径にいたGA部隊の全てが――腰から上を融解させられ、両断される。
 量産される死/戮殺される仲間/外気と接触する隙間など微塵も無いのに焼け爛れる鉄を見るだけで血と鉄錆の悪臭が漂ってくるかのよう――こちらの攻撃の全ては空しく空を穿つのみ。
 圧倒的数量を上回る絶対的な質――否応無く死が近づいていると自覚させられる。

「……母さん!!」

 デュナン――必死の叫び。
 逃げてくれ――そう思いながらデュナンは窓の外――ただ一機生き残り、懸命な死闘を続ける<カリオン>を目蓋に焼き付ける。
 四脚型のネクスト<カリオン>は、装甲の割には四脚特有の運動性で必死に相手の火砲を回避し続けている――だがそれも三発に一発程度/装甲の分厚さで何とか生き延びている程度――戦力差はもはや歴然。
 敵の白い大型ネクスト――<カリオン>から距離を開ける。
 同時に両肩に内蔵されたミサイルランチャーが開放――膨大なミサイルの弾頭が姿を現す。

『……オリジナルなんだし、もう少しばかり楽しめると思ったけど、そうでもないか。もういいや、死ね』
「?! ロックされた!!」
「逃げるんだぜメルツェェェェェル!!」

 メルツェル――狼狽/焦燥――その両方の入り混じった声を張り上げながら許される全力で車体を動かす。<カリオン>を狙う際に、ついでにこちらにまでロックオンされたのか、馬鹿な、GAはGAEの技術者みな全て殺しつくす気か?! 罵倒の言葉を飲み込み生存手段を模索。
 だが――戦闘用兵器であるネクストのミサイルを輸送用のトレーラーで回避する事など不可能に等しい。

『デュナン――?!』

<カリオン>からの音声通信――頭部のカメラアイが収縮し、三人の乗るトレーラーを見ている。
 そして――彼女はネクストの搭乗者、AMS適正を持つリンクスである以前に/ネクストの戦術理論を研究するGAEの奇人である以前に/愛しい息子を守ろうとする母親だった。
 機体後背のグレネードと垂直上昇ミサイルを排除、少しでも機速をあげようとする意思に呼応して――統合制御体が接続ボルトを爆破したのだ。同時に機体後背の装甲カバー開放――オーバードブースター。

 瞬時に機体を音速の域まで押し上げる大推力ユニットにより――<カリオン>は<バニッシュメント>プロトネクストから射出されるミサイルに背を向け、トレーラーの盾になるように高速で移動。



 その背に殺到する――自機へのミサイルの雨/車両に向かったミサイルは意地でも機を盾にして防いでみた。
 
「あぐっ!!」

 テレジア――彼女の体を覆うリンクススーツと高性能の衝撃緩和装置――搭乗者を保護する機構ですら相殺しきれない凄まじい衝撃が<カリオン>を揺さぶり、同時に機体のステータスのほぼ全てが無事なところを探すぐらい赤く点滅している。
 AMS過負荷――過度の機体損傷で彼女の視界野にまで悪影響――まるでノイズのように亀裂が走る。機体のカメラをズーム――顔を真っ青にしたまま、自分の機体を見上げる息子の姿が、デュナンがいた。

 ああ、そんな顔などしなくていい――そうちゃんと言って上げたかったのだが、もう無理であるのだと理解している。




 ただただ、無念でしかない。
 出来る事なら――もし、人の生死を司る神様がいるのであれば、あと、一年、いや、九ヶ月ほど自分に時間を与えて欲しかった。もしその時間を与えて貰えるなら、彼女は永遠に煉獄で裁かれ続けても――微笑みながら受け入れる事が出来ただろうに。
 操縦席の横に飾られたもの――息子と/添い遂げる事が適わなくなった良人/そして息子が書いた自分の似顔絵。
 泣くだろう――嘆くだろう/この事が原因で夢をあきらめたりなどしなければ良いのだが――死を目前に、どこか悟ったような、疲れたような諦観に満ちた声で――テレジアは通信機に向けて言う。

「……ごめんね……デュナン……」

 その後に告げる言葉が――少年の心に深すぎる傷を付けると知りながらも――言わずにはいられなかった。
 なぜなら――彼女はデュナンと同様に――その子の事も愛していたのだから。
 唇が、音を紡ぐ。

『―――――――――――――――――――――――――』

 掠れたような――声は、テレジアの耳には届かない。
 どこか遠い場所で敵機接近の警報が鳴るが――まるでテレビの向こうの現実のように実感が無い/更に歪む視界――損害過多でAMS過負荷による視覚障害が深刻になっているのかと思ったが――頬を伝う熱いものが涙であるのだと自覚するのにテレジアは数秒の時間を要した。






 息子の顔を――最後に網膜へ焼き付ける。
 








 灼熱――――<カリオン>の背から突き入れられたレーザーブレードによる超高熱の刃。











 その一撃は――まず、脳髄よりも/心臓よりも――己の何者よりも優先して/子宮を庇った母親の意思も遺志も何もかも無慈悲に蹂躙し――彼女の全てを原子へと還元した。











『なるほど。道理で』









 白い巨人から声が響く。










『動きがトロいと思ったよ』
















 うう、うう……うううううう……!!

 どこかで獣じみた声が響き渡ると――デュナンは思った。
 それが自分の唇から漏れ出るものであるのだと理解出来ない。


<カリオン>――そのコア部分から光剣が生えている。
 機体の四肢は魂とも言うべきリンクスを失ったことによるものか――ありとあらゆる力を失い、ゆっくりと崩れ落ちる。
 搭乗者のいる操縦席へと攻撃――GA系のネクストが頑健とはいえ、コアに無残に刻まれた融解の傷を見れば――生存が絶望的であることは間違いない。
 
「ど、……して……!」

 デュナン――呻くように/咽ぶように/嘆くように――声を漏らす。
 
「どう、して……?! ……どう、して……!!」

 握り締めた両の拳を――血が出るほど握り締める。己のうちから湧き出る怒りの強さに肉体が耐え切れず痛みという名の悲鳴を上げるがそれすら無視する。

「それなら――……どうして、前に出るんだ、かあ、さん……!!」

 瞳の奥が熱い――涙で前が見えない。それでもコアを貫通された母の機体だけは見たくも無いのにはっきりと見える。指先が震えている――まるで掌の中に電流でも流れているようだ。嗚咽の衝動が腹の奥底から広がる。背中が熱い――母親を殺した憎き純白の巨人を睨み据え、うあああぁぁ……!! と獣じみた咆哮を漏らす。

 デュナンは、なぜ母が前に出たのか、わかってはいる。
 それは――少年と母親にとっては何者にも換えがたい喜びではあったが――あくまで私事だ。ましてや本社が攻撃を受けている最中に私事で仕事を放り出す訳にはいかない。リンクスが一人参戦するかしないかでは大きく戦局が変わるのだから。……だが、それでも――なぜ、どうして? と問いかけずにはいられない。




 母親の最後の言葉を、デュナンははっきりと理解してしまっていた。



 

 今ならわかる。
 母親がどうして――あんなにも熱心にカレンダーの日数を確認していたのか。いったい何をしに出かけていたのか――母親が帰ってきたら何を教えてくれようとしていたのか。



 だが、もう遅い――何もかも致命的に遅すぎた。



 もう既にそれは――幸せそうな母親の笑顔と共に告げられていたはずの喜びの報告は。

 
 残忍な真実として少年の心に絶望の傷跡を残し/苦しみの懊悩を与えるだけの、茨の如き知らせとなる。

「うう、ううううう…………!!」

 メルツェルも、ヴァオーも――何も言葉を掛けることは許されない。
 もはや少年に慰めの言葉を掛けることが出来る人は冥府へと旅立った鬼籍へと名を連ねる彼の母のみだった。






















 

――……ごめんね……デュナン……――


「う、ううぁぁぁぁぁぁ……」

















 そして母が最後に残した最後の言葉は、絵本作家になりたいと照れくさそうに笑う少年の人生の全てを大きく歪ませ。




 プリスは、以前相対した機会に、この最悪の災禍を撒き散らした白い巨人を討ち堕とせなかった事を――この後一生後悔し続ける事になる。
















 耳について離れない――母親の最後の言葉を思い、デュナンは絶望し/慟哭した。



























――……ごめんね……デュナン……――














































































――あかちゃんのかお、みせてあげられなくなった――
















「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!」




[3175] 第三十四話『想像しな』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:ba5cba39
Date: 2009/04/24 14:41
『話には聞いておるよ、アナトリアの傭兵』

 相対する敵ネクストのリンクス、ネオニダスからの言葉。

「誰に!!」
『私の前に立ちはだかる最強の敵だった、とな』
「……やはり、奴かっ!!」

 そんな如何わしい部分の強調を実行する相手など、ハウゴの知り得る限りたった一人しか存在しない。
<アイムラスト>と<シルバーバレット>は、共に戦闘行動を開始する。
 プライマルアーマーの整波性能は歪とも言えるほど分厚いが――機体を構成するフレームの強度は脆いといっても過言でないほど脆弱だ。耐久力で敗れる心遣いは無い。むしろ、一番危険であるのは――

『敵ネクスト、コジマライフルチャージ再開!』
「むしろ、そっちだよな」

 ハウゴ――忌々しげに敵ネクストが右腕に積載するライフルを見て呻いた。
 コジマライフル――コジマ粒子という重金属粒子を砲身に蓄積し、射出する超高威力武装。銃身の先端から緑色の燐光が激しさを増していく。ハウゴは攻撃を選択。敵ネクストの耐久性はそれほど高くは無い。相手のコジマライフルのフルチャージが完成してしまえば、逆にこちらが一撃で沈められる危険が出てくるのだ。
 速攻にて撃墜――手段を決すると、後は早い。ブースターペダルを踏み込み、攻撃を開始。

「仕掛ける!」

<アイムラスト>――アサルトライフル/ハイレーザーの二種の射撃武装を選択し、必中距離へと突撃を開始。
 プライマルアーマーの貫通性能に優れた運動エネルギーで穿孔する弾丸と強力な光学兵器ならば敵の粒子装甲など問題なく貫ける――だが、まるでその行動を読んでいたかのように<シルバーバレット>の行動は的確だった。

『だろうな、当然の選択ではある』

 フルチャージ完了するまで<アイムラスト>の射撃を掻い潜り、必殺の一撃を叩き込む。総合火力/防御性能に劣る<シルバーバレット>が総合的戦闘力で負ける<アイムラスト>に勝利しようとするのであれば、ある種の博打的戦術を構築する必要がある。そうハウゴは判断していた。
 だが、もちろんそんな博打的戦術をネオニダスは盲信してなどいなかった。
 ――フルチャージ完了したコジマライフルの破壊力は極めて強力だが、所詮は単発武装。<アイムラスト>が強烈な緑色の破壊的灼光に対してクイックブーストで回避してしまえばそれまでだ。その命中率を補おうと接近しようとすれば、今度は<アイムラスト>のブレードが待ち構えている。粒子装甲ごとネクストを溶断するブレードが相手では、脆弱なアクアビット製ネクストは持たない。
 余りに酷い勝率/賭けるには不安が付きまとう――だからこそ、老練なリンクス、ネオニダスはその必殺の一撃すら撒き餌として使用してみせた。
 
<シルバーバレット>――チャージ中のコジマライフルを自ら破棄。右腕のホールドから解除されたコジマライフルが地面へと落下。

「なにっ?!」

 予想外の行動にハウゴ――思わず驚愕の声を漏らす。
 敵がこちらを破るための要とも言える、圧倒的瞬間火力を誇るコジマライフルを投棄した相手――それを捨てても相手にはこちらを破るための攻撃力があるのか――瞬時に思考し、ハウゴは回答を得る=ネネルガルが操る<アレサ>プロトネクストを破った時、相手が見せた強力なコジマ爆発を利用した特殊兵装。
 そして敵はレイレナードと提携するコジマ粒子技術の専門企業のリンクス――あの『奥の手』を隠し持っていても不思議ではない……!!
 炸裂する生存本能に従い緊急退避する<アイムラスト>――だが、逃すまいと前方へクイックブースターによる踏み込みを見せる<シルバーバレット>=ネオニダスの愉快そうな声が響く。

『ほぅ、気づいたか。……だが、そこはすでに私の間合いだ……!』

 緑色の燐光が収縮――毒の光を撒き散らし、凄まじいまでの重金属粒子が爆発という形で開放される。
 アサルトアーマー――その超高威力/広範囲破壊性能と引き換えにネクストの絶対的優位性のひとつ、プライマルアーマーのすべてを失うハイリスクハイリターンを地で行く兵装の炸裂。ネオニダスの目論見は半分当たり、半分外れた。

「くそっ、プライマルアーマーが死ぬっ?!」
『……判断の速度、鋭さ――なるほど、リンクスだ』

 ハウゴ――思わず戦慄。ネオニダスは恐らく読んでいたのだ。コジマライフルという一撃必殺の威力を秘めた武装をちらつかせることで、ハウゴに自ら懐に飛び込むように誘導した。圧倒的な戦闘力を誇るネクストACに搭乗しているとは思えない、老獪な戦術だ。こういう手合いが一番怖い。
 高濃度コジマ汚染によるプライマルアーマーの剥離――だが、一瞬早かった緊急離脱により、フレームには破壊的ダメージを受けてはいない。
<シルバーバレット>――猛進を仕掛ける。前述した通り、アサルトアーマーの使用直後はプライマルアーマー再形成に時間がかかる。ジェネレーターにコジマ粒子出力特化型の軽量タイプを搭載しているとは言え、すぐには不可能であり――その状況で<アイムラスト>のアサルトライフルの銃身下部にある小型グレネードを浴びれば一撃で撃墜されかねない。
 普通ならば。

「メインカメラがアサルトアーマーの光で焼け付いた……くそっ、いい戦術だ、ジジイなだけはある!!」
『システムリカバリー起動、……ハウゴ、五秒でいい、耐えて!!』

<シルバーバレット>――ここが全火力を叩き付ける好機と踏んだのだろう。
 マシンガンが高速連射のうなり声を張り上げ、機関砲弾が雨霰と降り注ぎ、<アイムラスト>の素の装甲へと降り注ぐ――プライマルアーマーを失い、メインカメラの光学補足性能をアサルトアーマーの膨大な光量で焼かれた今では反撃の手段を<アイムラスト>は持たない。<アイムラスト>――横方向への回避機動をクイックブーストを吹かして連続しダメージの増大を防ぐ。
 同時に――<シルバーバレット>が攻撃的前進を中断、後方への退避機動へと動きを変えた。
 こちらのリカバリー終了を読んでいるのか――だが遅い! ブーストペダルを踏み込むハウゴ。
 
『2、1――システム、リカバリー完了!』
「殴り返してやるぜ、ネオニダス!!」

<アイムラスト>――攻撃を開始……しようと前に出た――その瞬間の呼吸を盗むように、プラズマの光が正面から飛来。
 プライマルアーマーの無い現在の状況では相性が極めて悪い、コジマ粒子貫通性能は低いが変わりに通常の装甲への破壊力は恐るべきものがあるプラズマ兵器――ハウゴ、脊椎反射的に横方向へとクイックブースト。
 すんでのところで回避は成功――だが、その一瞬の隙を突き、<シルバーバレット>は元来た道を逆走するかのように離脱を開始していた。

『あいにくと、私の仕事はこれで終わったのでな。失礼させてもらうとしよう。さらばだ、アナトリアの傭兵』

 してやられた――屈辱よりもまず先に賛嘆の念が沸くほどの見事な対応だ。結局ハウゴはGAEのリンクス、メノ・ルーも、その増援である<シルバーバレット>も打ち倒す事が出来ぬまま敵の離脱を許してしまう羽目になってしまったのである。アサルトアーマーによるコジマ汚染でまだPAも満足な量が回復していない。追いかけるにはコジマ出力が十分ではなかった。

「なんとも鮮やかなもんだ。あれが歳の功か」

 ハウゴ――戦場の空気が遠のいたことを肌で感じ、その胸中に蟠っていた屈辱の念は潮が引くように薄れていった。
 見事だ。変わって胸に広がるのは素直な賞賛。味方を離脱させるために敢えて殿を務め、そして捨石になるのではなく味方と自分自身の生命を拾って見せたのである。敵味方の差はあれども、称えるべきであった。
 歳の功――しかし考えてみれば、一部の人間を除いて自分はそんな相手よりも遥かに歳経ているのだ。負けていられんな、ハウゴは苦笑する。

「俺も、若いもんにはまだまだ負けていられんなぁ」
『十分若いわよ、ハウゴ』

 フィオナの言葉は彼の背負う大きなものを知らないからこそ囁けるものだったが――それゆえ、言葉に含まれた優しさにハウゴはそうだな、と頷いた。

 

「そん、な――」

 メノ・ルーは――口元から毀れる言葉が自分の物であるのだと最初理解できなかった。震えと共に紡がれる言葉がまるでテレビ越しの誰かが囁くものであるかのように現実感が無い。
 メノ・ルーがいる場所は、戦場はそういう場所であるのだと/無慈悲に隣人が死ぬのだと――GAのオリジナルとなった時から覚悟していたはずだった。いや、そういう意味ではやはり彼女は戦場を真に理解していなかったのだろう。彼女にとって親しい隣人の死とはリンクスになってからこれが初めてであり――それゆえ、その行動は素人と同様に――激情を剥き出しにした激しいものとなって、苛烈な猛攻として発現する。

 蜘蛛を連想させるGAE四脚型ネクスト<カリオン>がもはや戦闘不能であり――そしてそのリンクスの生存が絶望的であることはコアに刻まれた惨い溶解の傷跡ではっきりと理解できた。
 機体とAMSというシステムで精神を直結したリンクスにとって愛機の死は己の死と同意義。
 気が付けば――加害者と思しき白いネクストに対し、オーバードブースターを展開。突撃を開始していた。

『新手か……退きなよ。片腕を失っておいて僕に勝てるつもりなんて、なかなか愉快な冗談だよ?』
「……お黙りなさい!!」

 突撃と同時に――両肩に内蔵されたラージミサイルが展開。内蔵された大型ミサイルはオーバードブースターによる加速された機体から射出されたことにより、慣性エネルギーの加護を受け、<バニッシュメント>へと直進する。
 どうしてこんなことに。メノの背筋に寒いものが走る/胸の奥に穴が開いたような喪失感が住み着いている――それなのに、トリガーに絡む指先は炎のような憎しみの熱が渦巻いていた。絶望と殺意を両立させ――敵機に攻撃。

『ふん』

 つまらなさげな声――まるで怒りに燃えるメノの復讐心を冷ややかに笑うような言葉。
<バニッシュメント>右後背武装である大口径ガトリングキャノンを展開――猛烈な勢いで直進する<プリミティヴライト>/こちらに接近する大型ミサイルに対して機関砲弾の弾幕を見舞う。

『かあ……さ……』
「……っ!」

 戦場に残った輸送車両からとぎれとぎれに通信機に聞こえた――蚊の泣くような小さな声=その聞き覚えのある声/小さな声に響く隠しきれない哀切の響きに、メノ・ルーは目も眩む絶望に打たれた。
 一つが銃弾に弾かれ大型ミサイルに積載された炸薬に着火=誘爆/もう一つは敵ネクストの、軽量級を上回る理不尽とも言えるクイックブースターの出力で回避=追尾性能すら振り切られ、推進剤が尽きた大型ミサイルは墜落し、爆発。
 その爆炎の花道を突っ切って<プリミティブライト>は突撃する。

「貴方はっ!!」

 プライマルアーマーも装甲もパワーで押し破るバズーカ砲弾――<バニッシュメント>は高度な機体制御のみで巨体を半身に反らして回避。
<バニッシュメント>、反撃=左腕の高出力レーザーブレードが灼熱の炎剣を形成する――旋回する殺戮の大魔刀/大気と装甲を等しく焼き、溶断する魔性の一撃――GA製の重装甲すら紙の如く引き裂くその一撃を、しかし<プリミティブライト>は機体を前方へ深く沈みこませて回避する。
 掠めた超高熱が、<プリミティブライト>の頭部装甲、耐熱限界近くまで押し上げるが――耐えた=右腕武装、バズーカ再装填完了。

『へぇ?』

 かすかに声に出る感嘆の響き――この間合いで回避して見せた敵の超反応は彼にとっても予想外だった。

「……貴方はっ!!」

 胸を突いて出る激怒――叫ぶ、メノ・ルー。

「子供の目の前で母親を殺したのですかっ!!」
『戦場に出てきた癖に。ずいぶんなおためごかしを吐くじゃないか。……妊婦が前に出ればそりゃそうなる。それとも君は、銃器を構えた妊婦は敵兵を皆殺しにしてもいいとか思ってる? ふ、とんだ博愛主義者だ』
「……妊婦っ?! こ、の!!」

 テレジアが妊娠していたという事実は――事前にはプリスのみにしか明かされておらず、メノはこの場でようやく真実を知ることになる。そして――少年の言葉に籠る深い絶望の正体を理解する。なんと言うことだ――デュナンは、目の前で自分の母親と、結局生まれてくることすらできなかった赤子を目の前で殺されてしまったというのか。
 音が響く――まるで万力で鉄を締めあげるような軋む音――メノは、それが自分が憤りのあまり歯を食いしばっているのだと自覚することに数秒を要した。
<プリミティブライト>、ガトリングガンを失いつつも、<バニッシュメント>と交戦を続ける。

「……よくも!!」  
『……妙だね、君程度のリンクスの戦闘力が――僕の想定より二割近く機動が的確になっている? 成長したのか、この数分で』

 メノ・ルーはリンクスとしての資質は高くとも、戦闘者としての資質には恵まれてはいなかった。
 高いAMS適正を有してはいるものの――しかしもともと僧籍の身ゆえか、その攻撃には苛烈さが/殺意が決定的に欠けていた。
 その欠けた最後のひとかけらの要素――憎しみが、生まれた。戦友が、その子供の目の前で殺されてしまうという非道な振る舞いに対し――無意識のうちに加えていた慈悲心が抑制され、破壊者としての資質が完成したのだ。これまでに積み重ねてきたGA最強のオリジナルであるという戦績が彼女の中で融合し、燦然たる輝きを放つ結晶として具現化したのである。

『だが、開花しない資質なんて可愛いものだよ』

 しかし――それでも<バニッシュメント>プロトネクストを打倒す事はできない。
<プリミティブライト>が、あるいは完全であればもう少し善戦できたかもしれないが、唯一残された射撃武装が再装填速度に難のあるバズーカのみでは機動拘束の為の弾幕を張ることすら難しい。
 間合いを取り――冷静な射撃戦闘に徹されれば地力で劣るメノ・ルーには勝ち目は無かっただろう。
 事実――<バニッシュメント>が距離を取り、右腕のKARASAWAを構えた時――メノは理屈では無く本能の域で敵の銃がメリエスが設計するレーザー兵器とは一線を画す存在であると直感した。
 敗北の恐怖と戦慄が本能を刺激し――降伏/撤退の文字がメノの心の一番脆弱な部分を疼かせる。
 だが――恐怖に倍する激怒がそれを駆逐する。一言で言えば、彼女は怒っていた。この上ないぐらいに――勝てないのは理解している。だがそれでも相手のその冷静な面に一発叩き込んでやらねば気が済まない。

『撃つ』

 攻撃を宣告し――放たれるハイレーザーの洗礼/GAの天敵たる高出力光学兵器の乱射――それに懸命な回避機動で食らい付き、バズーカを射撃し続ける。
 装甲を焼かれながら/増大する損害の為、大きくなるAMS過負荷に激しい頭痛を感じながら――それでも恐怖を押し殺す。

 悔しくて悔しくて、仕方なかったはずなのだ。あの少年は。
 目の前で母親と小さな赤子を一瞬で奪われ――どれほど無念であったか想像するだけで心が張り裂けそうになる。せめて自分のような大人が子どもに代わって殴り返さないで一体どうするのか――



 ――そして、力及ばない。



『よく持ったね、正直感心するよ』

<プリミティブライト>の各種ステータスは既に全てが染め上げられたような真紅一色。
 警告音は鳴り響き、AMS過負荷で彼女の視界はすでに歪んで見える。戦闘行動に支障が出る域まで<プリミティブライト>の損害は増大していた。あと一撃、敵のハイレーザーを浴びれば、限界を超えた機体ごと、メノの脳髄は過負荷で焼きつくされ、絶命することになる。
 神はいない。
 少なくとも正義の天秤をつかさどる神は存在しないのだな――とメノは思った。
 そう、いるのは人間だけ。罪を購わせようとする人間のみしか存在しておらず――彼女は、レーダーに表示される味方機の存在に気づき、かすかに笑みを深くした。
 正義の神はおらず、いるのは復讐に燃える人間――自分が稼いだ数分間がなければ、輸送トレーラーに乗ったままの、あの彼女の忘れ形見が殺されることもなく――そして飛来する彼女が来るまでの足止めも無かった。
 間に合ってくれた。

『……想像しな』

 冷えた溶岩――通信機に聞こえるその声を聞けばまずそんな言葉が連想される。
 表面上は冷静な/それでいて言葉の下に憤怒を隠したマグマの如き激情――爆発数分前の爆弾とてここまで不機嫌な言葉は吐かないと確信できるような純粋な殺意の言葉に――メノ・ルーは自分が彼女の味方で良かったと、心の底から安堵した。

『テメェが想像できる最悪の死に方ってやつをよ』

 オーバードブースター――凄まじい巡航速度で直進するネクストAC――重装甲/重火力/高機動力という矛盾を両立させた先史文明生き残りの一人。
 まるで槍を構えて突撃する槍騎兵の如く、両後背武装を展開する。機体全体から憤怒の念を放出しつつ<アポカリプス>は戦場へと到着する。その何もかもが手遅れではあったが――それでも彼女の到着で確実に死神の非情な大鎌から逃れ得た者達がいる。ただ、今はそれを心の慰めにするより他無かった。

『その最悪の死に方の百倍でぶっ殺してやるぜ……!!』




[3175] 第三十五話『せめてその絶望ぐらいは』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:0f593b10
Date: 2009/04/24 14:52
 胸の隙間を走り抜ける風の音がする。
 寒いのではない/苦しいのではない/痛いのではない――ただ、淋しいのだ。

「また。これか」
 
 プリス=ナーは苦渋にまみれた声を漏らした。
 またこれだ、畜生、吐き捨てる言葉――ズームアップされた<カリオン>の姿/胴体部を貫通したレーザーブレードの傷痕。
 コクピットを貫通し、中のリンクスを殺害した惨たらしい傷痕――思い出す/思い出す/思い出す――永劫の凍結刑により、凍りついた記憶が、憎しみの炎に解凍され、蘇るよう。
 記憶が喚起される――操縦席に集中する惨たらしい弾痕の跡/死角より振るわれる月光の名を冠した高出力レーザーブレードの禍々しい輝き/目視で確認は出来るが、強力なロックオン阻害波と電子的不可視を駆使し、雨霰の弾幕を降り注がせる流刑者、亡命者の名を冠するレイヴン『エグザイル』、アーマードコア<アフターペイン>

「また、こうなるのか……畜生、畜生、畜生畜生! なんで……なんで毎回――なんで毎回アタクシは置いて行かれる!!」
『……思ったより仕事が長くなったか、参ったな、彼女と戦う気なんて無かったんだが』

 まるで肩でも竦めるようなその軽い物言い――瞬時にプリスの感情は暴発の域まで沸騰する。
 相手が強力極まる敵であろうとも――彼女は逃がす気はない。また失った――幼い頃に父親を殺され、復讐の手段としてレイヴンとなり、そして冷凍刑に処され目覚めるときは常に戦場。そんな生に飽きを覚える暇もなく、勝ちを得ればまた眠らされる日々。もう二度と得ることもないと何処かで諦めていた暖かなもの――幸せそうな親子の姿を傍で見ていることは、まるでほのかな幸せの温かさの恩寵にあずかったような思いを抱かせてくれた。

 だが、もうそれは何処にもない。
 何故以前相対した時に抹殺できなかった? あの時確実に撃墜しておけば、この最悪の事態は防ぐ事が出来ただろうに――胸を突く憤懣/狂おしいほどの激怒――手遅れと知りつつも、憎悪を射出せねば、プリス自身の脳髄が憎しみで飽和しそうだった。

「……いいから、死ねよやぁぁぁぁぁぁぁ!!」

<アポカリプス>――両肩の大口径グレネードを一斉射出。
 轟音と共に放たれる二つの榴弾は――無造作に見えて、その実<バニッシュメント>の至近で炸裂するべく信管タイマーをセットしている。ドアを蹴り破って進む人間がいないように、激情に駆られながらもプリスは敵に対し的確に必中の攻撃を繰り出していた。
 だが、<バニッシュメント>の速度は彼女の想定を上回る――後方へのクイックブーストによる高速後退と横方向へのスライド移動の併用で榴弾砲の殺傷空域から全速で離脱。
<アポカリプス>追撃。

『プリス……! トレーラーの保護はこちらで……貴女はあの敵を!』
「言われんでも……!」

 メノ・ルーがぼろぼろになった<プリミティブライト>を起動させ、トラックに随伴するように戦線から離脱を始める。
 プリスのその返答は――通信の相手が誰なのか理解せずただ胸の内の憤懣をぶちまけるかのように激しい。その癖、肉体に染み付いた戦闘機動の正確さは比類なきもの。

『流石に……早いか』
 
<バニッシュメント>――右腕のハイレーザーライフルを構え、発砲を開始する。
 リロード/破壊力/精度――あらゆる面で優れた高性能ハイレーザーライフルの洗礼は、しかし、一二撃を放った所で途切れた。
 無理も無い話である。そもそもこれまでGAEノーマル部隊、<カリオン>、<プリミティブライト>の三連戦でKARASAWAと刻印された長銃は圧倒的な猛威を見せ付けてきた。だがどんな武装でも耐久限界というものは存在する。いかに恐るべき魔銃と言えども永劫に破壊力のあるレーザーを発射し続けられる訳がない。
 通常なら使用直後はパージして機体負荷を低減させるのが常道なのだろうが――敵にハイレーザーライフルの現物を渡すのを嫌ったのか、敵は武装を手放さぬまま、背に負う武装の展開を始める。
 大型の機関砲弾を撒き散らすガトリングガン/爆風と破片効果で広域を殺傷する大口径榴弾砲――プリス=ナーは言う。

「カラサワ、ガトリングガン、グレネード、レーザーブレード……まるで赤い星に居たころのハウゴのAC<アタトナイ>みたいな装備じゃねぇか」
『……僕はあいつとは違う』

 プリスは片眉を上げる。
 これまでの機械的な印象の言葉と違い、その声は確かに生々しい憎悪の熱を帯びていた。

『僕は僕だ……! あの男の遺伝子から作られたコピーじゃない! ……このアセンブリを選択したのも……これが一番有効だと腹立たしいが認めざるを得なかったからだ!!』

 敵ネクスト<バニッシュメント>のリンクスが放つ初めての怒号/感情的な憎しみの色――だがそれを歯牙にも掛けずプリスは猛撃を仕掛ける。機関砲弾の弾幕を急上昇して回避――武装を両腕式のグレネードに切り替え、高高度トップアタック。
 両腕に搭載する武装が、肩、肘、手首の三点の関節で照準をつけるのに対し、ACの後背武装はハードポイントの角度で照準をつけるために、設計上、真上の敵を狙う事はできない。友人を殺された激怒の中でも本能的に弱点を見抜き、そこに全戦力を叩き付ける判断力は、流石、レイヴンと言ったところか。
 次の瞬間<アポカリプス>が繰り出した榴弾砲の一撃は、まさしく爆撃の名に等しい。
 頭上から降り注ぐ致命的な破壊力がたたきつけられ、純白の装甲の上から機体を鎧う粒子装甲が――高熱と破片効果で吹き飛ばされる。
 間断無い一撃が、再び降り注ぐ――想定を超える頭上からの一発に、脚部が安定を取り戻すため統合制御体、操縦に介入、刹那の硬直で平行を回復し、クイックブースターを起動。
 だが――それでも完全に回避しきれず、破片が白い装甲に醜い裂傷を刻む。

『あの男はお前を打ち倒した……!! なら、お前程度を屠れなかったら……僕はあの男以下と言う事になってしまう、認められるか、そんな事!!』

 効いていないはずがない――初撃でPAを剥がしたところで二撃目の榴弾を浴びたのだ。どんな重装甲だろうがあれを浴びて耐え切れるものなどいない。
 相手を突き動かすものは何か――興味など無い。
 

 プリス=ナーは、もう子供を産める体ではなかった。
 強化人間手術の弊害――四肢を機械に取替え、神経を強化し、過度のGに耐え、肉体を戦闘に特化していく。強大な力を得た代償――最初期の強化人間であるならば生命を落とし、精神に歪さえ引き起こすような弊害。
 初期の強化人間は――鋼に置換された肉体と、脳髄が保有する生身の記憶との違和感に結局耐えられず自殺するものも多かったと言う。とはいえ、強化人間にされるようなレイヴンは大概が戦士としての力量を持たず、過度の借金の代償として肉体を改造されたゆえ、下手な手段で自殺すれば無理やり蘇生されて戦わされたと言う。
 プリス=ナーは、テレジアとデュナンの二人を見ていた時に――微かに胸を疼かせる暗いものがある事を今更ながらに思い出していた。
 ネクストACとその搭乗者リンクス――おおよそ個人が運用できる究極戦力の搭乗者でありながら、子供を産んで、ちゃんと育てて、ネクストの戦術理論研究者としてもしっかりと業績を残して。


 ああ、これが妬みだったのか、とプリスは今更ながらに実感した。


 女性としての幸福も、戦闘者としての力も、やりたい仕事を続けているという日常も――その全てを満遍なく手に入れているテレジア。
 ひるがえって自分はどうだ?
 プリスにあるのは凄まじい破壊の技だ。卓越した殺戮者としての力だ。圧倒的で絶対的なネクストの搭乗者の中でも――恐らく最高位の実力を誇ると知っている。凍結から解除され、目覚めた時間の全てを破壊と殺戮に費やした。純粋な戦闘の総時間は、元火星王者すら今では凌いでいるだろう。

 そう、それだけだ。

 自分が持っているのはたったそれだけなのだ。

 自分が持っているのはただの殺しの技だけだ。

 それ以外にはさびしいほどなにもない。

 そして――それほど卓越した殺しの技を以っていても、それは結局殺しの技でしかなかった。テレジアを、そのお腹の中にいた、結局産まれて来る事すらできなかった可愛そうな子を護る事すら出来なかった。
 それなら、卓越した殺しの技とやらにいったいどれほどの価値があるのか。
 
 生き延びるのはプリスではなくテレジアで在るべきじゃなかったのか?
 自分が死んだ場合、メノも、テレジアも、デュナンも――多分きっと忘れないでいてくれるだろう。だが――テレジアは、自分と違う。彼女は、おなかに赤ちゃんを抱えていた。妊娠していた。
 
 それだけで――子供など要らぬと、肉体を改造した自分より遥かに生きるに値するのに。
 どうして――生きているのは、自分の方なのだろう。

「あー、死にてぇ……」

 その言葉を皮切りに――プリスの意識は現実へと浮上する。
 魂魄は絶望に染まっても、肉体に刻まれた鴉の戦技は<バニッシュメント>と互角の戦いを演じていたのだろう。<アポカリプス>も<バニッシュメント>もあちこちに激しい破壊の爪痕が残っている。機体各所の整波装置が煙を上げていた。
 
『……流石だよ。……いくら連戦とはいえ、<バニッシュメント>がここまで負傷するとはね』 
 
 右腕の悪魔的な性能の銃が弾切れで助かった。アレスといい、ハウゴといい、メイトヒースといい、一流どころのレイヴンは皆あのKARASAWAを装備していた。それだけに、あれ一つで大概の戦闘を楽にこなせる総火力の凄まじさはよく実感している。
<バニッシュメント>――両肩のミサイルランチャーを開放=一斉発射。凄まじい数の飛翔体が<アポカリプス>目掛けて直進するが、プリスはしかし、脳内で榴弾との交錯の一瞬を本能で弾き出し遅速信管に入力。
 放たれる両肩の榴弾は壁のように広がる猛攻を吹き飛ばす――だが、その攻撃は恐らく時間稼ぎ程度のものでしかなかったのだろう。

「っ……てめぇ、逃げるってのか、ここまで殺しておいて、今更逃げるってのかよ!!」
『認めるよ……尻尾を巻いて逃げさせて貰おう――それにあんたの相手は別にいる』

 同時に――レーダーに感あり。
 ネクスト戦力であることを警告する統合制御体の声に――プリスは胸に広がる虚脱感を感じながら機体を旋回させた。復讐よりも、何よりも――もう、何もしたくないという絶望がより強く肉体を縛ったのだ。






『GA社の代理として勧告します』

 ハウゴ=アンダーノアは自分がひどく白々しい言葉を告げていると自覚しながらフィオナの声を聞いていた。<アイムラスト>、オーバードブースターから通常推力に切り替え、着地。

『直ちに抵抗をやめ……』
『なぁ、見えるかよ。ナインブレイカー』

 その――疲れ切ったプリスの声に……ハウゴは驚きを隠せない。
 凶暴で暴力的なあの女が――暴悪であれども力に満ちていたあの女が、まるで人生に膿みきったような声で<アポカリプス>の腕を動かし、戦場に放置された機体を示す。
 四本足のネクスト<カリオン>――データベースが情報を提示。操縦席に刻まれた溶解の傷跡から、統合制御体はそれがなんら戦闘能力を持たない、脅威に成り得ないものであると告げていた。脅威に――ならない。既に死んでいる。


 そして――レイヴンとして戦友の死を幾度も見てきたハウゴ=アンダーノアは、それだけで、おおよその事情を察した。

「プリス……お前」
『いっつもそうだ……。どいつもこいつもアタクシより先に逝く』

 まるで――決して諦めてはならない大切なものを諦めたような声。
 重々しく響く絶望の声――<アポカリプス>は、自分の脳天に拳銃を突き付けるようなゆっくりとした動作で、<アイムラスト>にその両腕に構える大口径砲弾を向ける。

『アタクシは――そんなに悪い事をしたのかよ……! なぁ……! ハウゴ、てめぇもわかるだろうが! アタクシが目覚めたときは既に前の文明は全部が全部滅んでいた! アタクシが生きた時代を記憶しているのは――もう、テメェぐらいしかいねぇ! 誰も……誰もいねぇ!』

 幼子の慟哭に似た悲鳴が張り上げられる。

『畜生、何故だ! なんで毎回こうなっちまうんだ!! 目を覚まして――話して、仲良くなって――皆先にくたばる!!
 そん中でも今回のは格別に最悪だ! ……冷凍刑にされて、みんな過去になっちまって――それならまだ、納得できる! だが、防げたはずなんだ! あの時代じゃねぇ、アタクシを縛る世界は全部滅んだ! もう冷凍刑で十年百年単位を眠って過ごす必要も無いのに……普通に目を覚まして生きていけるはずなのに……また! また……これだ!!』
「…………プリス」
『もう……アタクシには誰もいない! 何処にもいない! テメェだけだ……テメェだけしかいない、ナインブレイカー!!』

<アポカリプス>――戦闘機動を開始。
<アイムラスト>――追従するように戦闘機動を開始。
 ハウゴ――痛いほどにその彼女の絶望が理解できる。第二次人類の数少ない生き残り同士として――全てが先に逝かれ、取り残された世界で新しく作った大切なものを、戦火はあっけなく奪い去っていく。アマジーク/ウルバーン。

「同じ時代を生きた人間同士のよしみだ。……せめてその絶望ぐらいは……引き受けてやる!」
 

  

 プリス自身の生にはまったく価値が無く――自分より多く生きる意味を持っていた人は殺された。
 死にたい/死にたい/死にたい――胸の奥底に広がる絶望。一秒を過ぎる毎に膨れ上がる破滅への憧憬。
 死へのそれを封じるのは――鴉の矜持。卓越した戦闘者として、その絶技を振るうことなく自ら自殺することを、その身に刻んだ技が拒んだ。
 それゆえに――ハウゴ=アンダーノアと<アイムラスト>は彼女にとって、恐るべき敵手ではなく――救いを齎すために現れた福音であった。最後の最後――ここで全力を出しつくして死ねるなら/これ以上寂しい思いをせずに死ねるなら――もう、それでいいじゃないか。通信システムを全てカット――音声が伝わる事が無くなったことを確認する。
 鴉としての最後の矜持が囁いた=知られる訳にはいかない。相手に自殺の手伝いをさせるために、戦闘を選んだなど失礼極まる。
 
 もう――勝って生還する意志すらない。

 プリスは、啼く様に呟いた。

「あああぁぁぁ~~~~~~~~~~……死んじまいてぇ……」




[3175] 第三十六話『どっかでまた会おう』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:0f593b10
Date: 2009/05/08 14:19
 いつになく――メルツェルは自分が冷静さを欠いている事を自覚していた。
 テレジアは息子を守る為に奮闘した――そして結果、我が子の心に永遠に消えない惨い傷痕を残し、逝ってしまった。メルツェルは自分が、デュナンに対して途方もない負い目を感じている事を自覚する。少なくともメルツェルはデュナンよりも大人であり、また劣性ながらもAMS適正を保有していた。
 事前にリンクスになることを受け入れていれば、あの戦いに介入することもできたはずだ。

 そう――所詮、『はず』でしかない。
 メルツェルはかつて選択した。戦場に出ず、自分の研究を行って生きていくことを。

 ネクストACという強大な戦闘力を得る事を放棄し――コジマ汚染にさらされない環境と、研究を続けられる普通の研究者としての地位を獲得することができた。
 その決断をした際に――もしかしたら、親しい友人を護る力が無く、見殺しにするかもしれないという事態に陥ることも覚悟していたはずだった。

「無念だぜメルツェェェェル!!」
「……ああ、同じ気持ちだ」

 二人の男は――先ほどから項垂れ、小さな嗚咽の声を漏らす少年を間に見る。
 結局彼の母親の仇を取ってやることすらできず、自分達は逃げる事しかできない。
 ただペダルを踏み込み、再び戦闘を開始した<アポカリプス>を見る。
 自分達の脱出メンバーが乗った輸送車両、ならびに<プリミティブライト>はすでに戦闘領域外へと徐々に接近しつつある。<アポカリプス>も同様に、敵ネクストから離脱するタイミングを計りながら後退を開始するべきだ。
 GAE本社施設は陥落した。
 あとは時間が経てば経つほど、不利になる一方。例え<アイムラスト>を<アポカリプス>が退けたとしても、深いダメージを受ける事は確実。その状態でGAの大部隊と交戦したらいくらなんでも持つまい。
 だが――<アポカリプス>の機動を見て、メルツェルは顔を顰める。
 まるで危うい――自分の全財産と生命を賭けたにも関わらず、全く冷静さを保っているかのような機動。生存/生還を度外視し――己の首を刎ねられても、疲れたような表情の生首にでもなってしまうかのような――彼岸に魂を捕われたような動きだった。




 初手から――機動に滲む、自らの生命を惜しげもなく白刃の元に晒すが如き意志が見えた。両腕に搭載する大口径榴弾砲が<アイムラスト>を指向。命中率を上げるため、お互い格段に被弾率が上昇する距離へ平然と踏み込んでくる。
 ハウゴ――目を細めた。返礼と言わんばかりに左肩後背武装のハイレーザーキャノンが砲身を展開する。
 
「死ぬ気か……? ここで死ぬ気なのか? ……それも、良いかもな」

 ハウゴとプリス――同じようにかつての世界を失った者同士だが、両名には決定的な違いがあった。
 ハウゴは、宿敵たる『偉大なる脳髄』を打倒するために、自らセレ=クロワールの誘いに乗り、遺伝子レベルからの再構築により再生人間としてこの世界で戦いを始めた。だが、プリス=ナーは、かつて大昔に犯した罪を償うという名目で永遠に等しい時間を冷凍刑に処せられた――自分の意思が介在しない理由で時間を飛び越えたのだ。精神が摩耗しきり、自ら死を望むようになったとしても、何らおかしい事ではないでは無いか。
 
 だが――精神が疲弊し/死の魅惑に取りつかれているとしても/彼岸からの手招きに心が揺らいでいるとしても――敵機が構える大口径榴弾砲が<アイムラスト>を一撃で撃墜しかねない恐るべき武装である事は変わらない。
<アイムラスト>――ハウゴの戦慄に呼応するかのように横方向へのクイックブースター機動/絡めるように空中へと退避――/追い縋るように<アポカリプス>の両腕グレネードが敵を指向/轟音二連――ゼロコンマ単位で指定された榴弾が空中にて炸裂。
 爆炎の中から――PAを大きく抉られながらも回避した<アイムラスト>が姿を現す。

「空中でも平気で誘爆するグレネードか、厄介な……」
『性能では圧倒しているはずが相変わらず仕留めきれねぇ……』

 お互い――手のうちは知り尽くしている。
 遥か彼方赤い星で戦った時の事をハウゴは思い出す。一億年という膨大な刑期を氷漬けにされて生きる囚人――最初はどうやって勝利したんだっけ? 主観時間では二百年ほど前になるはずだが――ハウゴは思い起こす。

「……ああ、確かオーバードブースターで突撃かましたお前が、勢いあまってエリアオーバーしたんだっけか……!!」
『またぞろ古い事を、殺すぞテメェ……!』

 自らの生命を守る意志の感じられない捨て鉢な機動――だが、かつての火星の最高位ランカ―が生命を度外視し、牙をむいてくる。ハウゴにとっては戦慄すべき話だ。銃撃の切れ間に踏み込んでくる敵――相手は被弾しながらも、たった一発をこちらに打ち込めば十分勝利できる圧倒的なダメージレース能力と、そのタフネスに見合わぬ機動性能を保有している。
 もちろん機体性能に頼る戦い方だけでトップランカ―になれる訳もない。プリス=ナーは機体の高性能を生かした攻守ともにバランスのとれたレイヴンではあったが――今回その機動は徹底して攻撃に偏重している。
 それだけに怖い。
 攻撃を加えているのに――本来行うべき回避行動を加えていない。
<アイムラスト>の頭部カメラが滑るように動き敵ネクストを睨む/敵機光学補足――右腕のアサルトライフル/左後背武装のハイレーザーが共に敵機を指向し射撃を開始。
 粒子装甲を貫通する銃弾――命中/命中/命中――長大な銃身に膨大なエネルギー供給/雷光を貯め、一気に解き放つかのように大出力光学兵装が、大気を焼きながら光の巨槍を発射する――だが、唯一致命傷となるべきその一撃のみに対しては必要最小の動作で回避。

『……リロードまでの数秒はアタクシの殴り放題だってな』

<アポカリプス>突撃――<アイムラスト>の武装の中で最も警戒すべきハイレーザーの直撃は怖い=言い換えればそれ以外の武装なら耐えきる自負がある。
 ハウゴ――脊椎に雷光の速度で命令を伝達=AMSを解しハイレーザーキャノンの格納/FCS=近接白兵戦にモード切り替え――両足=ブースターペダルを蹴るように踏み込み、全速で機体を横方向へスライド移動。
<アイムラスト>の半瞬前まで存在した空間を焼却/殺傷する破壊の乱舞――<アポカリプス>、右腕武装の一射後、即座に右後背武装へと切り替え。
 全兵装を大口径榴弾に統一する<アポカリプス>にとって武装の変更による戦闘距離の変化は存在しないと言っていい。全ての武装が必殺であり――また同質であるため、純粋に大量の弾薬を搭載するため/そして――もう一つが、武装変更による再装填の隙を消す事である。
 例え一撃を潜っても、もう一つの腕が照準/それを潜った処で、展開を終えた大砲が狙っている。武装切り替えのタイミングで<アポカリプス>は矢継ぎ早に大口径榴弾を繰り出す事が出来る。
 連射される必殺――装甲よりもむしろ敵のリンクスの精神を削るような容赦のない猛攻撃だ。

『……一緒に死のうかぁぁ?!!』
「……おまえ、そんな女だったか?!」

 もちろんハウゴは――ごめんこうむる。全力で生き残る為に戦うが――しかし勝ち残れる相手かどうかを問われれば、分からない。かつては勝利した――だが、彼女と戦った場所は競技化された戦場=ランカーと呼ばれるレイヴン同士がアーマードコアを操り闘うアリーナと呼ばれる一種の試合だった。実戦ではないのだ。
<アポカリプス>が迫る。
 ただひたすら必中必殺を願う敵――一切合財の後退を廃した突撃/繰り出される大口径榴弾。
 凄まじいプレッシャーに並みのリンクスなら圧倒されてしまう所だが――やはりハウゴ=アンダーノアも普通のリンクスでは無い。猛攻の連射をかいくぐり、近接白兵戦。レーザーブレードの破壊力は、近接距離ならば粒子装甲ごと敵に深い損傷を与える事が出来る。また至近距離であるならば大口径榴弾の殺傷空域に相手も巻き込める。例え至近距離で自分自身にすら損害が出る距離でもためらいなく発砲を行う不気味さが今の相手にはあった。
 左腕に装備されたレーザーブレードに意識を集中――超高熱の刃を形成し、<アイムラスト>は突撃する。




「どういう……戦い方なんですか?」

 その両名の戦闘を遠くから覗くメノ・ルーは愕然とした声を漏らした。
 確かに――ミセス・テレジアが戦死し、ショックを受けるのは分かる。……だが、プリスの機動は余りにもひどすぎた。ただただ相手の喉笛に刃を突きたてる事のみを考えたような、捨て鉢にも思える機動。
 GA社の数少ないリンクスとしてメノはまず第一に死なない戦い方を最初に教えられた。企業として希少なリンクスを失いたくないというのもあるだろうが――少なくとも直接的に彼女の指導を行った人間は、純粋に自分等が教えた技術で生き延びてくれることを願っていたのである。
 だが――今のプリスのそれは、最早一種の自殺だ。
 アナトリアの傭兵の機体<アイムラスト>はここに来るまでに、ハイダ工廠の防衛部隊にメノ・ルーの<プリミティブライト>とネオニダスの<シルバーバレット>と連戦を繰り返している。戦闘続行できるほどの耐久力を未だに残している事からもリンクスの戦闘力がずば抜けていることは理解できる。
 しかしプリスの<アポカリプス>は――既に重傷の域だ。
 テレジアを殺した白いネクストとの戦闘で機体各所から火花が散っている。耐久力に底が見え始めているのだ。自機も、脱出者を乗せたトラックも戦闘空域を離脱しつつある。もう戦闘を続行する必要はないのに――まるでここを死に場所と思い定めたかのように撤退するそぶりを見せない。
 メノ・ルーが感じたものは――また新たに繰り返される戦友の死と。


 腹の底から沸き上がる、身勝手な女に対する怒りの念だった。

 




『プリス! プリス=ナー!!』
「……今忙しいんだ、後にしてくれや」

 永遠の午睡へと旅立つ為か――まるで眠気に犯されたかのような力の無い返答。
 全身に染み付いた諦観が五体に染み渡り、次の瞬間操縦席が爆発しても安穏として眠りにつきそうな声。だから、メノ・ルーの怒声は彼女にとって安らぎを妨げる煩わしいものでしかない。
 
『いいえ、後にしません! 後にしたら――貴女と話す機会は、もう永遠になくなるから……!!』
「…………」
 
 そんな事は無い――と、否定する事はできなかった。
 左右への回避機動を織り交ぜ、眼球が<アイムラスト>を睨む。右腕/左後背の榴弾砲の銃口が敵を追う。会話しているのは脳細胞の何割か、脊椎と小脳に刻まれた戦闘経験で敵に即応し続ける。

「……ほっといてくれよ……。正直、もういい加減疲れちまったんだ」

 宗教の真摯な信者であるメノ・ルーにとって自ら命を絶つ事は許されざる禁忌だ。
 だが――神様がお許しにならないから、などというお題目でプリス=ナーの心を縛る絶望を引きちぎる事はできないだろう。彼女が背負った苦しみは、やはり彼女自身にしか理解できない。
 それでも、メノはこれ以上新たに戦友を失いたくは無かった。一日に二度も知人を失うなど耐えられなかった。

『……それなら――あの子は……デュナンはどうなるの!!』

 びくん、とプリスは背筋に電流が走ったような思いを受ける。
 
「……デュナン……」
『母親を目の前で殺されて――そして今度は懐いていた人も一緒に殺されるの?!』
「…………」
『貴女のそれは――楽になりたいだけよ、プリス! 死んで何もかも終わらせて――でも残されたあの子の事を少しでも考えているなら……!!』

 デュナン――どうなってしまうのか。プリスはどうしても考えてしまう。
 既に死神と手を取った――眼前の最強の鴉との戦いの中で、ほんの一刹那前までこの戦塵に塗れて死ぬならそれもいいと思っていた。
 だが、メノの言葉が心に刺さった棘になって引っかかる。残された子供――母親とその親友を一気に失ってしまう。もちろん金銭面で苦労することは無いだろう。母親の残した貯蓄もあるだろうし、メノ・ルーもきっとデュナンの事をいろいろ面倒を見てくれるだろう。生きていくうえで、例えプリス=ナーがいなくても困る事など無いはずだ。
 だが――隣人の死は金銭で購えるものではないはずだ。
 プリス――ずっと昔の、彼女がまだ罪を知る前の幼い頃を思い出す。時計職人だった父親が――殺されてしまった頃の、一番最初、力を求めた原初の気持ちを思い出す。
 身を切るような寂しさ/胸に空いた隙間風の抜けるような苦しみ――母親を殺され、その母親の友人だった人も一緒に死ぬ=あの幼い体でそんな悲しみに耐えなければならないのか?

「ひっ?!」

 眼前に迫った<アイムラスト>の高出力ダガーブレード――ほんの数秒前まであの灼熱に巻き込まれれば、痛みも無く一瞬で終わるのだと思っていた――だが、今は、その背筋に確かな戦慄と恐怖が走ったのだ。死にたくないという、生存の意志が芽生えれば、必殺の刃はまさしく死への恐怖を思い起こさせる確かな力があった。
 嫌だ/死にたくない――死を恐れた事は無い、鴉として戦ったとき、死は常に隣にあった親しい隣人であったし、今も自分自身が死ぬことなら平気で受け入れられる。だが、それなら――残されたデュナンが、どんな思いをするのか。
 あの子を悲しませてはならない――自ら子を残すことの出来ないプリスに、テレジアの遺志が乗り移ったような強靭な意志が芽生える。プリスは未来永劫母親になることは出来ないが――死んだ彼女の代わりに母親の代替物程度にはなれるはずだ。

『……ぬっ?!』
「死にたく……ねぇなぁ!!」

 振り下ろされるダガーブレードの一閃を回避し――<アポカリプス>は右腕武装をパージ=大口径榴弾砲を破棄――<アイムラスト>を機体の腕で殴りつける。
 先程までのプリスなら――自分自身も巻き込んでの恐るべき自爆攻撃を敢行しただろう――例えそれで自分も死亡したとして、それはそれでいいと考えただろう。だが――今では胸の奥底から湧き上がる強烈な意志が生存の手段を模索する。

「死にたくねぇ……死ぬ事を恐れた事は一度とて無いが、こんな所でむざむざ殺される訳にはいかなくなっちまったんだ、そこを……どきやがれ、ナインブレイカー!! アタクシは――死ねない理由が出来ちまったんだぁぁぁぁ!!」
『……つっぐ! 機動が変わったな、プリス!」
  
 重量のある大口径榴弾砲を振り回す<アポカリプス>の剛腕で殴打され<アイムラスト>は胸部の整波装置から火花を散らしながら着地。同時に後退を始める――その腕に持つアサルトライフルを下げ、戦意が無くなったことを示し、言う。

『……それなら――それでいいさ。プリス=ナー。……死ぬ気が無くなったならそれはそれで、構いやしない。
 ……行け』
「……テメェも、変わったかもな」

 相手の反応に、かすかに不思議がるような感情を乗せ、プリスはオーバードブースター展開――<アポカリプス>は瞬時に音速域へと突破し、戦線を離脱していく。





 そして――<アイムラスト>の中で、一人残されたハウゴは、一人笑う。
 本来なら――見逃すべきではない相手だった。<アポカリプス>は強い。次に相対する時に確実に勝てる保障のある相手ではなかった。打ち倒されるのは自分かもしれない。
 見逃したのは――かつて滅亡した第二次人類の生き残りを死なせたくなかったからか。それともあの自殺的な機動をさせるほどの深い絶望の中から生きる希望を見出せる彼女に羨望したからか。偉大なる脳髄の繰り出す戦力に対抗しうる彼女の力が惜しかったからか。
 あるいはその全てであったのか。
 ハウゴは――自分の中の感情に明確な答えを出さないまま、かつての強敵を見送り、呟く。

「じゃあな、戦友。……どっかでまた会おう」
 






[3175] 第三十九話『美しく勝ちたがっている』
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:2d7c93e8
Date: 2009/06/05 13:46
 世界の在り様はこの数カ月で大幅に変化した。


 GAEに対するネクスト/通常戦力を用いた攻撃――後にハイダ工廠粛清と呼ばれる内紛。
 その内紛に対し、極秘に提携を結んでいたアクアビットは巨大兵器とネクストACを投入し戦闘に介入。これに対してアメリカのGAは激しい怒りをあらわにする。
『ハイダ工廠はGA社の施設であり、そこにネクスト戦力を投下することは、GAに対する敵対行為とする』――GA本社の声明に対してローゼンタール/イクバールも同調。アクアビットと提携を結ぶレイレナード社はGAの言動を言いがかりに等しい発言と主張。
 
 お互い正面切って争えば相当の流血と存在が出る事を知る故に――武装テロリストなどを用いた企業間の代理戦争は終結を迎えた。
 ここから先は――企業の究極戦力ネクストACを用いた戦争、国家解体戦争において戦友であったはずの企業のリンクス達。かつて既存の兵器を遥かに凌駕する超兵器を運用する彼等は、今度は超兵器同士の戦争に巻き込まれる。

 こうして再び流血と銃火を用いた熱い戦争の時代は再開される。
 

 ……この動きに奇妙な印象を受けた存在は多い。
 ネクスト戦力において後塵を拝するGA社の保有するリンクスの数はそう多くはない。GAのリンクスは、ローディー/<フィードバック>、エンリケ・エルカーノ/<トリアナ>の二名であり、GAのオリジナルであったメノ・ルーの<プリミティブライト> と、プリス=ナーの<アポカリプス>はハイダ粛清の際にアクアビット勢力に合流。同社から離脱している。
 今や戦争にネクスト戦力は欠かせない要素となっており、GAのネクスト戦力は減少の一途にある。
 で、あるにも関わらず――GA社からの宣戦布告。巨大企業は徹底して現実主義者であり、彼等は冒険的投機に走らない。自ら喧嘩を売るという事はそこには何らかの勝利の為の概算が潜んでいると看做すべきであった。
 とはいえ――この戦争の時代の到来を喜ぶものは、多くはないが確かに存在する。
 アナトリア――最大の顧客であるGAのネクスト戦力の減少は、ネクストACによる傭兵業を営む彼らにとってGA社のネクスト戦力の低下は『アナトリアの傭兵』の商品価値を劇的に高めるものであり、報酬を稼ぐ機会の増える戦争の時代の到来は、かのコロニーにとって巨大なビジネスチャンスの到来、喜ぶべきものであった。

 それが一人の男を更なる激戦へ追いやる結果になろうとも。
 それが屍と流血を築いて積まれた、穢れた財貨であったとしても――だ。









――塔の遥か上 広告の影 赤いスーツのスナイパーを見ろ――


 その女は小さな声で歌を口ずさみながら操縦桿を操る。

 ロックオン。
 遠距離索敵に特化した、機体後背の長距離レーダーが伸ばす電子の目は敵ネクストの存在を正確に補足していた。
 機体の外には凍えるような冷たい大気が充満し、足元には氷の塊が海面に浮かんでいる。

 その機体は、ただ一つの目的にのみ特化している。

 頭部=超遠距離からのアウトレンジ補足/長距離からのロックオンを可能とした、高性能レンズを備えるカメラアイ――両腕/非常に精度の高い高精度射撃を可能とした、精緻な歯車細工の如き細やかさで狙撃銃を運用する腕――両足/発砲の際の反動を受け流すための射撃安定性能に優れた脚部――六大企業の一つのネクスト機体のパーツの設計思想は、まさしくたった一人の女帝の意に沿うために用意されたもの。
 六大企業の一つ、BFF最大最強の<プロメシューズ>/リンクスナンバー5――メアリー=シェリー。


――遠のく君を 何処まで追う 嗚呼逃亡の展望も砕く――


 敵ネクストを確認。
 イクバール製のネクスト――国家解体戦争末期に参戦したリンクスナンバー26――ナジェージダ・ドロワ。そして彼の駆るネクストAC<ファイバーブロウ>は、メアリー=シェリーの操るネクストAC<プロメシューズ>に、まさしく千里眼にも似た驚異的索敵能力と長距離補足性能で補足されている。
 企業が保有する究極戦力、ネクストAC同士の正面からのぶつかり合い。
 片や、BFFの女帝と恐れられ、遠距離狙撃戦に特化した<プロメシューズ>。
 片や、国家解体戦争の末期に参戦し、武器腕型ショットガンの運用と戦果で、低いAMS適正でも十分な功績をあげられる事を証明し、各企業に武器腕の開発に踏み切らせた、近接射撃戦の<ファイバーブロウ>。
 
 両機とも得手の距離を保持してから/踏み込んでから――が真骨頂の機体であり――そして遠距離射撃戦と近距離射撃戦の戦いでは、やはり<プロメシューズ>に分が合った。


――ひゅーと口笛吹き 路地から また路地へと――


 操縦桿を握る腕を/引き金に掛けた指を――そっと、優しげですらある動作で引いた。
 メアリー=シェリーの意を受けた<プロメシューズ>の統合制御体は即座に狙撃を実行。
 長大な銃身の内部に収められた狙撃用の銃弾――通常のライフル弾丸と違い、大気をかき分け、ただ愚直なまでにまっすぐ、一直線に飛行する事を求められる狙撃用の銃弾は通常のものより非常に大きい。
 液化燃料に電磁着火――爆圧にて射出される銃弾は長大なバレルのうちに刻まれたライフリングによって軌道を一直線に補正される。銃口から弾丸が射出/旧時代のレールガンを超える弾速――音速を超え、音を置き去りにして放たれる銃弾は大気の振る舞いに影響されること無く、まるで敵機と銃口を一本の線で結んでいるかのように飛翔。FCSの敵未来軌道予測によって演算され、導き出された銃弾が狙うべきそこに――あらかじめ打ち合わせていたように敵ネクストが回避機動の為に移動する。
 
 直撃コース。

 飛来する銃弾はネクストの戦闘力を支える要素の一つ、プライマルアーマーに接触。緑色の重金属粒子を用いた強力なバリアは――しかし、狙撃銃から射出された弾丸が持つ点の破壊力によって貫通され、機体装甲を大きく歪ませた。


――ひゅーと逃げる演技―― 
 
 
<ファイバーブロウ>はその強大な運動エネルギーを堪える事が出来ず、機体の体勢を崩す。即座に統合制御体が一時的に操縦権を剥奪――大地に対して平衡を保とうとする。
 しかし、メアリー=シェリーにとってはその一瞬で十分。セオリー通り、即座に狙撃地点から移動を開始し、遮蔽を取りながら身を隠す。
 一方的な――私刑にも似た戦いだった。
<プロメシューズ>はそもそも敵に接近すら許していない。距離という最大最強の防御壁を用い、相手に一撃を入れる機会すら与えず/闘死の権利すら与えず――一方的な狙撃戦を展開している。もちろん――戦闘に卑怯という言葉はない。誰にも恥じることなく卑怯卑劣であればいい。だが――搭乗者の口元を歪ませる喜悦の笑みが、純粋な戦士として戦場に望んでいるのではないと告げていた。
 例えて言うなら――彼女の笑みは、ダーツの試合でどうやって中心に命中させるかを思案する遊技者のそれであり/絶対安全な距離から、大きな獲物を照準に捕らえた狩人のものと酷似していた。
 
 
――さぁ弾頭を呼ぶ静寂を――


 もはや――賭けに出なければ勝利は覚束ないと判断したのだろう。
<ファイバーブロウ>は機体の後背から膨大な推進炎を噴射し突撃――例えオーバードブースターを用い、戦線からの離脱を試みようとも敵ネクストの手は長い、相手の射程はそれを軽々と捕らえる事が出来る。ならば、接近して敵ネクストに貼り付き、徹底した近距離射撃で勝利を勝ち取るしか、死中に活を見出すしか彼には生きる術が残されていなかった。


――DDT! DDT! DDT! DDT、DDT!!――


 だが――メアリー=シェリーの対応は相手の予想を超える、奇怪なものであった。
 ボルトで締め付けたように徹底した遠距離の保持/狙撃のスタイルを崩さなかった<プロメシューズ>は――ここにきて自らの位置を晒すように遮蔽物から姿を現し、右腕の狙撃銃を/左腕の高精度ライフルを――敵機に指向したのだ。
 当然、リンクスであるナジェージダ・ドロワは相手の行動をいぶかしんだが、同時に好機であると踏む。
<ファイバーブロウ>の損害は大きいが、しかし後一撃二撃程度ならば耐えられない事もない。装甲板一枚はくれてやる、代わりに近距離射撃の距離を勝ち取ると気迫を込め、突撃。

 だが――たった一発の銃弾が、ナジェージダ・ドロワの最後の希望を完全に打ち砕く。
 放たれた弾丸は――プライマルアーマーを貫通。そしてそのまま<ファイバーブロウ>の関節部を空恐ろしくなるほどの精度で撃ち抜いた。
 超高速で巡航飛行するネクストACの脚部関節を――空中に飛んだ針に糸を通すような文字通りの神業を、まったく気負いなく『女帝』はやってのける。
 戦闘において膝とは体重を支える部位――足を片方打ち抜かれた<ファイバーブロウ>は自重を支えきれずに体勢を崩し、オーバードブースターの推進炎に引きずられるように地面に機体を擦りつける。そして――ようやく停止し、なんとか戦闘行動を取ろうとした機体の眼前に、<プロメシューズ>は銃口を突き付けていた。

『良い的だったわ、貴方』

 射出される弾丸は、プライマルアーマーすら作動しないゼロ距離から放たれたものであり、まったく減衰しなかったその破壊力は<ファイバーブロウ>の頭部カメラから装甲を貫いて頭部に内蔵された統合制御体を完全に破壊し――同時に機体と接続していたリンクスを絶命に至らしめた。




『流石だ、メアリー』

 多少しわがれた老人の声が聞こえてくる。
 BFFの最強のリンクスである彼女にこうも気安く言葉を掛けてくるのは彼しかいない。BFF軍部の重鎮であり、リンクス。そして『女帝』メアリー=シェリーの養父である王小龍。
 メアリーは<プロメシューズ>の長距離索敵システムが何処にも敵機の陰を捉えていない事を再確認した。敵より先制して補足し、敵より遥かな遠間の獲物による射撃戦闘。単純であるが、高いレベルで構築されたリンクスの技術と、高精度パーツで知られるBFF製ネクストとライフルがあれば、それは恐るべき魔弾の射手を完成させる。
 メアリー=シェリーは戦闘終了を告げるオペレーターの声に頷きつつ、抗G服のヘルメットを脱ぐ。
 日本人形のように切りそろえられたかすかにくすんだ金髪/目尻の下がった垂れ目――しかし目の奥の酷薄そうな色は未だに煌き、今狩り殺した敵ネクストを詰まらなそうに見つめている――黙っていれば貴族のご令嬢とも言えそうな容貌であるにも関わらず、どこか残忍な気配を含んでいる女だった。
 
「少し歯ごたえが足りないわ、お父様。……狩りにしても、逃げるだけの子兎よりも狡猾な狐の方が面白い」
『はは、まぁそう言うな。……イクバールのオリジナルを仕留めたのだ。十分な戦果だろう』
「一緒にしないで頂きたいわね、お父様。国家解体戦争末期に参戦して最後にほんの少し戦っただけの輩の分際で、私と同じオリジナルと一括りにされるなんて不愉快よ」
『それはすまんな。……なに、じきに大物が掛かる』

 王小龍の言葉に――メアリーは口元に喜悦の笑みを浮かべる。よい狩場を知った猟師のような楽しげな色。
 ただし猟師と決定的に違うのは――猟師が食らい糧とするために殺すのに対し、彼女のそれはただ殺すためだけに殺す。人間のみにしか現れない、手段を目的とする点だった。

「誰? 元気に逃げ回ってくれると嬉しいけど」
『現在GAがネクスト戦力を大きくアナトリアの傭兵に頼っている事は知っているな? ……そのうち相手をしてもらう事になるだろう』

 アナトリアの傭兵――砂漠の狼を落とし、マグリブ解放戦線を壊滅させ、数多くのミッションで多くの戦果を挙げる、報酬次第で敵味方を変える時代遅れの傭兵。実力が確かなのは間違いない。彼女と違い、これまで数多くの対ネクスト戦闘をこなしてきた戦績はメアリーにはないものだ。

「……薄汚い鴉が相手か。……なるべく長い時間飛び回ってくれると良いのだけども……」
 
 
 

「なるほど、強いな」

 ハウゴ=アンダーノアはディスプレイに表示される、GA経由で送られてきたイクバールからの戦闘の映像を見ながら呟いた。
 暗室で上映されるのは――BFF/イクバールの、ネクスト戦の映像。ただし、まともな戦いとは呼べない。<ファイバーブロウ>は<プロメシューズ>を結局一度も射程内に収める事ができず完全に大破させられていた。
 映像が終了し――光が戻る。
 フィオナ/ボリスビッチ/ネネルガルの三名は――疲れたような嘆息を漏らした。

「……本当に、強いわね。上位オリジナルの実力が相当なものだとは思っていたけど……」
「……同じイクバール出身だったものとして、流石に無念である」
「まぁ、<バガモール>じゃ百年たっても勝てそうにありませんが、ありませんのですが」

 ネネルガルの言葉に、いやそうに、むぐ、と口を紡ぐボリスビッチ。
 FCSの軌道予測ができないロケットでは超長距離狙撃を得意とする<プロメシューズ>を捉える事は困難だろう。

「で、……ハウゴ、勝てそう?」
「……尋常な射撃戦じゃ勝てんな。狙撃の才能は俺の百倍だ。<アイムラスト>も狙撃ができない訳じゃないが――狙撃一つに特化したBFF製のネクストには負けるね」

 お手上げ、と言わんばかりに両手を挙げて降参のポーズを見せるハウゴ。
 そう、と嘆息を漏らすフィオナ。素人目に見ても神業である<プロメシューズ>の実力は凄まじい。あの必中の魔弾を掻い潜り懐にもぐりこむのが至難の業であると彼女も理解した。<ファイバーブロウ>の戦術は決して間違っていない。だがその戦術を正面から撃ち落す相手の技量が異常なのだ。
 ネネルガル――ふと思いついたように言う。

「プライドが……高そうですね。自分の技術に絶対の自信を持っていそうです、いそうなのです」
「確かにそうであるな。……敵ネクストの足を打ち抜いた最後の狙撃であるが……あれはそもそも前に出て迎え撃つ意味は無いのである。セオリーなら後退して射撃すれば、残りの耐久力の差で勝つのである。あれでもし狙撃をはずせば、不利な近接射撃戦に持ちこまれるのであるが」
「……大体わかる。……あの手の相手は、美しく勝ちたがっているのさ」
 
 ハウゴの言葉に、三人は頷くが――しかし眉間に刻まれた悩みの皺はそのまま。
 
「……でも、ハウゴ。確かに自分の技量に絶対の自負を持っているというけど……実際に相手は自負に見合う神業じみた能力を持っているのよ?」
「そこが付け目だ」

 ハウゴの言葉にフィオナは理解できない、と首を傾げる。
 そんな彼女に――ハウゴはにやりと笑いながら答えた=まるで性格の悪い悪戯を思いついたような笑顔。

「新しいパーツの発注を依頼しておいてくれ。BFF製の長距離レーダーと、狙撃銃だ」




[37141] テスト6
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:35

[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり            完結
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL
Date: 2009/06/06 23:34
この作品は、フィクションです。
現実に存在する団体、個人とはまったく関係はありません。例え、現実に存在する誰かや組織、国家を連想させるような描写が為されていても、それは現実の存在とはまったく関係がありません。








『門』は閉じられなければならない。

 世界は、『門』の存在によって崩壊の危機に瀕していた。

 二つの異なる世界を繋ぐと言うことは不自然なことであり、それを超常の力で無理強いすることは、世界の存在そのものを揺るがす。事実、大陸の各地では虚黒の闇が浸食するようにして広がり、その大地は少しずつ削られている。

 だが、『門』の周囲にはそれを取り囲み、閉ざすまいとしている集団がいる。

 あちら側と、こちら側。言葉も文化も異なるこの二つの世界を繋き、物や人が行き来する。これによって得られる利益は莫大だと言う。

 この利を知れば、誰もが門を開いたままにしておきたがる。そして、門の存在が世界を崩壊させると言う警告には耳を両手で塞ぎ、瞼は固く閉じて現実を見ないようにしてしまうのだ。

「言葉で、交渉すべき時はもう終わりを告げた。今度は鉄と血の番だ」

 皇女 ピニャ・コ・ラーダの言葉に、集まった戦士達はみな頷いた。

 燃えるような朱色の髪を豪奢にも腰まで伸ばした彼女は、士官服に身を包んで凛々しいまでに背筋を伸ばして敢然と言い放った。

「アルヌスの丘を攻め落とすことは、至難の業に違いない。だが我らは、屍山血河を築いてなお進まなくてはならぬ」

 人間の騎士が、ドワーフの斧兵が、エルフの弓兵が、様々な種族の戦士達が彼女を取り囲み、その決意を握り拳を持って示した。

 精霊使い達、神官達が、それぞれの信仰にふさわしい祈りを唱えている。

 さらにはオークやゴブリンと言った怪異達、ダーク・エルフ、トロル…この世界が危機に瀕することによってその安全が脅かされる、光闇のあらゆる種族が、武器を手にして一堂に会しているのだ。

「イタミ、良いのか?門を閉じてしまえば、おまえは向こう側には戻れなくなってしまうのだぞ」

 皇女の言葉に、男は苦笑した。

「別に気にするフリなんてしなくてもいいさ。だって、いいも悪いもないんだろう?閉めるしかないんだから…」

 皇女は「そうか」と頷くと、集った戦士達に男を紹介した。

「すでに知るものもいよう。だが、紹介しておく。向こう側の世界より、我らに味方してくれるジエータイ軍の指揮官だ」

 戦士達は盾を剣で打ち鳴らし、歓迎の意を表した。

 一人一人がたてる音はそれほどでもないが、万を超える数が集まると、すさまじいばかりの轟音となる。そのため伊丹はビクッと肩をすくめてしまった。

 黒い神官の少女に背を押されて前に出てきた伊丹は、演説を求められ困ったように頭を掻く。

「え~、何を話すかなぁ…。そうだ、アルヌスの要塞で待ちかまえる敵のことを話しておこうか。あそこにいるのは、きっと誰かの愛する息子であり、また誰かの愛すべき夫であって、彼らのことを大切に思う人間が、門の向こう側にいると思う」

 戦士達は、伊丹が何を言おうとしているのか訝しがりながらも、その話に耳を傾けた。

「でも、今日この瞬間に敵と味方に分かれてしまった。もう、是非はない。あの門は閉めないと、向こう側もこちら側も関係なく世界は終わっちまう。それは事実だとここにいるみんな知ってるし俺等は納得した。だから、邪魔する奴は誰だろうと押し退けることになる」

 戦士達は頷いた。

「ホントのこと言うと、俺の祖国は門を閉じることに賛成してくれた。でも、国連の手前おおっぴらにそれを言うわけにも行かなくなってしまった。お定まりの政治という奴だ。…だから俺等がここに来ることに決めた時、上の連中は、やめろ、行くなと言いつつも武器や弾薬や食料を持ち出すのを見ない振りをしていてくれたわけだ」

 伊丹は、遠くアルヌス・ウルゥを指さした。

「あそこにいる奴らは一人一人を見ればきっと悪い奴じゃないと思う。もし、門を開いたままにしておいたら、世界が滅びるのだと教えたら、みんな門を閉じるのを賛成してくれただろう。けれど彼らは解ることが出来ないんだ。国の偉い人の言葉や、学校で教えられたことが全て正しくて、それを疑ったり違う意見や考え方を持つことは間違っているのだと教えられて育っている。彼らはそういう国から来ているんだ」

 戦士達は痛ましそうに口をつぐんだ。アルヌスの丘には、国連旗と共に、翩翻と紅地に黄色い星だの、陰陽図をモチーフにした旗がひるがえっていた。

「もう、巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。彼らと彼らの家族には、それで納得して貰うしかないと思う。判ってもらいたいことは、ひとつ。俺等はここに来たのは憎いから戦うのではなく、世界を救うためだということ」

 群衆の一角を占める、迷彩服をまとった陸上自衛隊の隊員達に注目が集まる。その中には民間人…カメラを抱えた報道の人間や、私服姿の男女の姿も混ざっていた。門が止まる寸前まで、こちらの出来事を伝えるべくカメラの前でキャスターの娘が喋っていた。

「まいったな、世界だってよ」この言葉を受けて、自衛官達は笑った。「小説だのアニメだのには出てくるけど、世界を救うなんてセリフは募金活動やら慈善運動の標語だけだと思ってたぜ。……なんの話だっけ?そだ。
 俺等は持てるすべてを投入して、今日はみんなと肩を並べて戦う。俺等が門の向こう側を代表しているわけじゃないけど、門の向こう側にいる連中全てが敵な訳ではないことを知っていて欲しい。それだけは頼む」

 伊丹は、足下から自分を見上げているエルフの少女を一瞥した。エルフの少女と視線が合うと、男は「うん」と頷いた。

 エルフの少女ばかりではない、あらゆる種族の戦士達が彼を見上げていた。

 魔導師達の呪文の詠唱は、大空を揺るがすほどのうねりとなって響いた。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 01
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:17
-序の壱-





 平成××年 夏

 その日は、蒸し暑い日であったと記録されている。

 気温30℃を越え湿度も高く、ヒートアイランドの影響もあって街は灼熱の地獄と化していた。

 にもかかわらずその日は土曜日。多くの人々が都心へと押し寄せ、行楽や買い物を楽しんでいた。

 午前11時50分。

 陽光は中天にさしかかり、気温もいよいよ最高点に達しようとした頃、東京都中央区銀座に突如『異世界への門』が現れた。

中から溢れだしたのは、中世ヨーロッパ時代の鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。

 彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。

 老いも若きも男も女も、人種国籍すら問わない。それは殺戮そのものが目的であるかのようでもあった。

 平和な時代。平和であることを慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなく、阿鼻叫喚の悲鳴と共に、次々と槍や剣にかけられていく。

 買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄にかけられ、槍を突き刺され、そして剣によって斬られた。

 累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く舗装された。その光景に題字を標するなら『阿鼻叫喚の地獄絵』。

 異界の軍勢は、積み上げた屍の上に、さらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げた。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。

 それは聞く者の居ない一方的な、宣戦布告だった。

『銀座事件』

 歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。




    *      *




 時の首相、今泉内閣総理大臣は国会で次のような答弁を行っている。

「当然のことであるが、その土地の地図はない。

 どんな自然があり、どんな動物が生息するのか。そして、どのような人々が暮らしているのか。その文化レベルは?科学技術のレベルは?宗教は?統治機構の政体すらも不明である。

 今回の事件では、多くの犯人を『逮捕』した。

『逮捕』などというの言葉を使うのも、もどかしく感じる。これと言うのも、憲法や各種の法令が『特別地域』の存在を想定していないからである。そして我が国が、有事における捕虜の取り扱いについての法令を定めていないからでもある。

 現在の我が国の法令に従えば、彼らは刑法を犯した犯罪者でしかない。

 ならば、強弁と呼ばれるのも覚悟で『特別地域』を日本国内と考えることにする。

 門の向こう側には、我が国のこれまで未確認であった土地があり住民が住んでいると考えるのである。

 向こう側に統治機構が存在するとしても、これと交渉し国境を確定して、国交を結ばなければ独立した国家としては認められない。現段階では、彼らは無辜の市民・外国人観光客を襲った暴力集団でありテロリストなのだ。

 『平和的な交渉を』という意見もあるだろう。だが、それをするには相手を交渉のテーブルにつけさせなければならない。どうやって?現実的に我々は『門』の向こうと交渉を持っていないのに。

 我々は『門』の向こう側に存在する勢力を、『我々の』交渉のテーブルに付かせなければならないのだ。力ずくで、頭を押さえつけてでもだ。

 そして交渉を優位に進めるには、相手を知る必要もある。

 逮捕した犯人達…言葉が通じない彼らからも、少しずつ情報を得ることが出来るようになった。だが、それだけを頼りにするわけにはいかない。誰かがその眼と耳で確かめるために赴かなければならないだろう。

 従って、我々は門の向こう側へと踏み入る必要がある。

 だが、無抵抗の民間人を虐殺するような、野蛮かつ非文明的なところへと赴くのである。相応の危険を覚悟しなければならないだろう。

 まずは、非武装と言うわけにもいかない。さらに『特別地域』内の情勢によっては、交戦することも考えられる。未開の地で誰を味方とし、誰を敵とするかその判断も、現場にある程度任せる必要もあるだろう。

 なにも、危ないところへわざわざ行く必要はない。いっそのこと、門が二度と開かれることのないように破壊してしまえばよいという意見が、共産主義者党や社会主義者党から出ているが、ただ扉を閉ざせばこれで安全だと言い切れるのだろうか。

 これから日本国民は、同じような『門』が今度はどこに現れるかという不安を抱えて生活しなくてはならなくなる。今度、あの『門』が開かれるのはあなた方の家の前、家族の前かも知れない。

 さらには、被害者やご遺族への補償をどうするかという問題もある。

 もし、『特別地域』に統治機構があってそこに責任者がいると言うのであらば、我が国の政府としては、今回の事件について誠意のある謝罪と補償、そして責任者の引き渡しを断固として求めなければならない。

 もし相手方がこれに応じないならば、首謀者を我らの手で捕らえ裁きにかける。資産等があればこれを力ずくにでも差し押さえて、遺族への補償金に充てる。

 これは、被害者やご遺族の感情からみても当然のことである。

 従って、我が日本国政府は、門の向こうに必要な規模の自衛隊を派遣する。

 その目的は調査であり、かつ銀座事件の首謀者逮捕のための捜査であり、補償獲得のための強制執行である」




 『特別地域』自衛隊派遣特別法案は、共産主義者党及び社会主義者党が反対するなか、衆参両議院で可決された。

 なお、アメリカ合衆国政府は、「『門』の内部の調査には、協力を惜しまない」との声明を発表している。今泉内閣総理大臣は「現在の所は必要ではないが、情勢によってはお願いすることもありえる。その際はこちらからお願いする」と返答している。

 中国と韓国政府は、『門』という超自然的な存在は、国際的な立場からの管理がなされることが相応しい。日本国内に現れたからと言って、一国で管理すべきではない。ましてや、そこから得られる利益を独占するようなことがあってはならなないとのコメントを発表した。




-序の弐-




「はっきり申し上げさせて頂きますが、大失態でありましたな。陛下にお尋ねしたい。この未曾有の大損害にどのような対策を講じられるおつもりか?」

 元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂中央にたって玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタスに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められていると確信していたからでもある。

 薄闇の広間。

 そこは厳粛であることを旨に、華美な飾り付けを廃し静謐と重厚を感じさせる石造りの議事堂だった。円形の壁面にそって並べられたひな壇に、いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。

 数にしておよそ三百人。帝国の支配者階級の代表たる、元老院議員達であった。

 この国において元老院議員となるには、いくつかのルートが存在する。その一つが権門の家に生まれること。いずこの国であっても、貴族とは稀少な存在であるが、この巨大な帝国の帝都では石を投げれば貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることは出来ない。貴族の中の貴族と言われるほどの名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないのである。

 では、権門でもなく名門でもない家に生まれた貴族は、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。その方法として開かれている道が、 大臣職あるいは軍に置いて将軍職以上の位階を経験することであった。

 国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。権門ではないが貴族の一族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、軍人か官僚の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。名ばかり貴族の三男坊であっても、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。

 大臣職は宰相、内務、財務、農務、外務、宮内の六職ある。軍人となるか官僚の道を選び、大臣か将軍の職を経験した者は、その職を退いた後に自動的に元老院議員たる地位が与えられる。ちなみに将軍職については、出身階級が平民であっても着くことが出来る。というのも、士官になると騎士階級に叙せられ、位階を進めるにつれ貴族に叙せられることも可能だからである。

 カーゼル侯爵は、男爵という爵位としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。そうした努力型の元老院議員は、自らの地位と責任を重く受け止める傾向がある。要するに張り切りすぎてしまうのである。得てしてそういう種類の人間は周囲からは煙たがれるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだった。

「異境の住民を数人ばかり攫ってきて、軟弱で戦う気概もない怯懦な民族が住んでいる判断したのは、あきらかに間違いでした」

 もっと長い時間をかけて偵察し、可能ならばまずは外交交渉をもって挑み、与し易い相手かどうかを調べ上げるべきだったのだ、と畳みかける。

 確かに、現在の情勢は最悪であった。

 帝国の保有していた総戦力のおよそ6割を、此度の遠征で失ってしまったのだ。この回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とする。

 当面、残りの4割で帝国の覇権を維持していかなくてはならないのだ。だが、どうやって。

 モルト皇帝は即位以来の30年、武断主義の政治を行ってきた。周辺を取り囲む諸外国や、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを武力による威嚇とその行使によって解決して、帝国による平和と安寧を押しつけてきた。

 帝国の圧倒的な軍事力を前にしては周辺諸国は恭順の意を示すより他はなく、あえて刃向かった者は全て滅んだ。

 諸侯の帝国に対する反感がどれほど高かろうと、圧倒的な武威を前にしてはそれを隠すしかない。帝国は、この武威によって傲慢かつ傍若無人に振る舞うことが許されてきたのである。

 だが、その覇権の支柱たる『圧倒的な軍事力』の過半を失った今、これまで隠忍自重をつづけてきた外国や諸侯・諸部族がどう動くか。

 帝国におけるリベラルの代表格となったカーゼル侯爵は、法服たるトーガの裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかけた

「陛下!皇帝陛下は、この国をどのように導かれるおつもりか?」

 カーゼル侯爵が演説を終えて席に着く。

 すると皇帝は、重厚さを感じさせるゆっくりとした動きで、その玉座の身体をわずかに傾けた。その視線はゆらぐことなく、自ら指弾したカーゼル侯爵へと向けている。

「侯爵…卿の心中は察するぞ。此度の損害によって帝国の軍事的な優位が一時的に失せたことも確かだ。外国や諸侯達が隠していた反感を顕わにし、一斉に帝国へ反旗を翻し、その鋭い槍先をそろえて進軍してくるのではないかと、恐怖に駆られて夜も眠れないのであろう?痛ましいことだ」

 皇帝のからかうような物言いに、議場の各所から嘲笑の声がわずかに漏れた。

「元老院議員達よ、250年前のアクテクの戦いを思い出してもらいたい。全軍崩壊の報を受けた我らの偉大なる祖先達が、どのように振る舞ったか?勇気と誇りとを失い、敗北と同義の講和へと傾く元老院達を叱咤する、女達の言葉がどのようなものであったか?

『失った5万6万がどうしたというのか?その程度の数、これで幾らでも産んでみせる』そう言ってスカートをまくって見せた女傑達の逸話は、あえて言うまでもないだろう?

 この程度の危機は、帝国開闢以来の歴史を紐解けば度々あったことだ。わが帝国は、歴代の皇帝、元老院そして国民がその都度、心を一つにして事態の打開をはかり、さらなる発展を得てきたのだ」

 皇帝の言葉は、この国の歴史である。元老院に集う者にとっては、改めて聞かされるまでもなく誰もがわきまえていることであった。

「戦争に百戦百勝はない。だから此度の戦いの責任の追求はしない。敗北の度に将帥に責任を負わせていては、指揮を執る者がいなくなってしまう。まさかと思うが、他国の軍勢が帝都を包囲するまで、裁判ごっこに明け暮れているつもりか?」

 議員達は、皇帝の問いかけに対して首を横に振って見せた。

 誰の責任も問われないとなれば、皇帝の責任を問うことも出来ない。カーゼルは、皇帝がたくみに自己の責任を回避したことに気付いて舌打ちをした。ここであえて追求を重ねれば、小心者と罵倒された上に、『裁判ごっこ』をしようとしていると言われかねない雰囲気になっている。

 さらに皇帝は続ける。

 此度の遠征では熟練の兵士を集め、歴戦の魔導師をそろえ、オークもゴブリンも特に凶暴なモノを選抜した。

 十分な補給を調え、訓練を施し、それを優秀な将帥に指揮させた。これ以上はないという陣容と言えよう。

 将帥が将帥たる責務、百人隊長が百人隊長たる責務、そして兵が兵たる責務を果たすよう努力したはずだ。

 にもかかわらず、7日である。

 ゲートを開いてわずか7日ばかり。

 敵の反撃が始まってから数えれば、わずか2日で帝国軍は壊滅してしまったのだ。

 将兵の殆どが死亡するか捕虜となったようだ。『ようだ』、と推測することしか出来ないのも、生きて戻ることが出来た者が極めて少ないからである。

 今や『ゲート』は敵に奪われてしまった。『ゲート』を閉じようにも、『ゲート』のあるアルヌスの丘は敵によって完全に制圧されて、今では近付くことも出来ないでいる。

 これを取り戻そうと、数千の騎兵を突撃させた。だがアルヌスの丘は、人馬の死体が覆い尽くし、その麓には比喩でなく血の海が出来た。

「敵の武器のすごさがわかるか?パパパ!だぞ。遠くにいる敵の歩兵がこんな音をさせたと思ったら、味方が血を流して倒れているんだ。あんな凄い魔術、儂は見たこともないわ」

 魔導師でもあるゴダセンが、敵と接触した時の様子を興奮気味に語った。

 彼と彼の率いた部隊は、枯れ葉を掃くようになぎ倒され、丘の中腹までも登ることが出来なかった。ふと気づいた時には、静寂があたりを押し包み、動く者は己を除いてどこにもいない。見渡す限りの大地を人馬の躯が覆っていたと描写した。

 皇帝は瞑目して語る。

「すでに敵はこちら側に侵入してきている。今は門の周りに屯(たむろ)して城塞を築いているようだが、いずれは本格的な侵攻が始まるだろう。我らは、アルヌス丘の異界の敵と、周辺諸国の双方に対峙していかなければならない」

「戦えばよいのだっ!」

 禿頭の老騎士ポダワン伯爵は、立ち上がると皇帝に一礼して、主戦論をもって応じた。

「窮しているのであれば、積極果敢な攻勢こそが唯一の打開策じゃ。帝国全土に散らばる全軍をかき集めて、逆らう逆賊や属国どもを攻め滅ぼしてしまえ!!そして、その勢いを持ってアルヌスにいる異界の敵をうち破る!!その上で、また門の向こう側に攻め込むのじゃ!」

 議員達は、あまりな乱暴な意見に「それが出来れば苦労はない」と、首を振り肩をすくめつつヤジった。全戦力をかきあつめれば、各方面の治安や防衛がおろそかになってしまう。皆が口々に罵声をあげ、議場は騒然となった。

 ポダワンは、逆賊共は皆殺しにすればよい。皆殺しにして、女子どもは奴隷にしてしまえばよい。街を廃墟にし、人っ子一人としていない荒野に変えてしまえば、もうそこから敵対するものが現れる心配などする必要もなくなる…などと、過激すぎる意見で返す。だが非現実的なことのようだが、歴史的に見れば帝国にはその前科があった。

 帝国がまだ現在よりも小さく、四方が全てが敵であった頃、四方の国をひとつずつ攻略しては、住民を全て奴隷とし、街を破壊し、森は焼き払い農地には塩をまいて、不毛の荒野として、周囲を完全な空白地帯とすることで安全を確保したのである。

「だが、それがかなったとしても一体全体どうやってアルヌスの敵を倒す?力ずくでは、ゴダセンの二の舞を演じることになろうな?」

 議場の片隅からとんできた声に対して、ポダワン伯は苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらも、苦しげに応じる。

「う~そうじゃな…属国の兵を根こそぎかき集めればよい。四の五の言わせず全部かき集めるのじゃ。さすれば数だけなら10万にはなるじゃろて。弱兵とは言え矢玉除けにはなろうて。その連中を盾にして、遮二無二、丘に向かって攻め上ればよいのじゃよ!」

「連中が素直に従うのものか!?」
「そもそもどんな名目で兵を供出させる?素直に全力の過半を失いましたから、兵を出してくださいとでも言うのか?そんなことをしたら、逆に侮られるぞ」

 カーゼルは、空論を振りかざして話をまとまりのつかない方向へとひっぱっていこうとするポダワンという存在を苦々しく思った。

 タカ派と鳩派双方からのヤジの応酬が始まり、議場は騒然となる。

「ではどうしろと言うのか?!」

「ひっこめ戦馬鹿!」

 議員達は冷静さを失い、乱闘寸前にまでヒートアップする。時間だけが虚しく過ぎ去り、わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思いつつ、紛糾する会議をまとめることが出来ない。

 そんな中で、皇帝モルトが立ち上がった。発言しようとする皇帝を見て、罵り合う貴族達も口を噤み静かになっていく。

「いささか、乱暴であったがポダワン伯の言葉は、なかなかに示唆に富んだおった」

 ポダワンは、皇帝にうやうやしく一礼。

 皇帝の言葉に、貴族達は冷静さを取り戻していく。皇帝が次に何を言うのかと聞こうとし始めていた。

「さて、どのようにするべきかだ。このまま事態が悪化するのを黙って見ているのか?それも一つの方法ではあるな。だが、余はそれは望まん。となれば、戦うしかあるまい。ポダワン伯の言に従い属国や周辺諸国の兵を集めるが良かろう。各国に使節を派遣せよ。ファルマート大陸侵略を伺う『異世界の賊徒』を撃退するために、援軍を求めるとな。連合諸王国軍をもってアルヌスの丘へと攻め入る」

「連合諸王国軍?!」

 皇帝の言に元老院議員達は、ざわめいた。

 今から二百年程前に東方の騎馬民族からなる大帝国の侵略に対抗するため、大陸諸王国が連合してこれと戦ったことがあった。それまで戦っていた国々が集うのに、「異民族の侵攻に対して仲間内で争っている場合じゃない」という心理が働いたのである。不倶戴天の敵として争っていたはずの国が、馬を並べて互いに助け合い異民族へと向かっていく姿はいくつもの英雄物語の一節として語られている。

「それならば、確かに名分にはなるぞ」

「いやしかし、それはあまりにも…」

 そう。そもそも門を開いて攻め込んだのはこちらではなかったか?皇帝の言葉はその主客を転倒させていた。こちらから攻め込んでおいて、「異世界からの侵略から大陸を守るため」と称して各国に援軍を要請するとは、厚顔無恥にも程がある。…それをあえて口にする者はいなかったが。

 とは言え、『帝国だけでなくファルマート大陸全土が狙われている』と檄を飛ばせば、各国は援軍を送ってよこすだろう。要するに、事実がどうであるかではなく、どう伝えるかということだ。

「へ、陛下。アルヌスの麓にはさらに人馬の躯で埋まりましょうぞ?」

「余は必勝を祈願しておる。だが戦に絶対はない。故に、連合諸王国軍が壊滅するようなこともありうるやも知れぬ。そうなったら、悲しいことだな。そうなれば帝国は旧来通りに諸国を指導し、これを束ねて、侵略者に立ち向かうことになろう」

 周辺各国が等しく戦力を失えば、相対的に帝国の優位は変わらないということになる。

「これが今回の事態における余の対応策である。これでよいかなカーゼル侯?」

 皇帝の決断が下った。

 カーゼルは連合諸王国軍の将兵の運命を思って、呆然となった。

 カーゼルら鳩派を残し、元老院貴族達は皇帝に向かい深々と頭を下げると、各国への使節を選ぶ作業にうつっていた。




-序の3-




 打ち上げられた照明弾が、漆黒の闇を切り裂き大地を煌々と照らす。

 彼らがみずからをして『コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)』と呼ぶ、敵の『突撃』が始まった。

 人工の灯りと、中空に打ち上げられた照明弾によって、麓から押し寄せる人馬の群れが浮かび上がる。

 重装騎兵を前面に押し立て、オークやトロル、ゴブリンと言った異形の化け物がが大地を埋め尽くして突き進んで来る。その後ろには、方形の楯を並べた人間の兵士が続いていた。

 上空には、人を乗せた怪鳥の群れが見える。

 数にして、数千から万。はっきり言って数えようがない。

 監視員が無線に怒鳴りつけていた。

「地面3分に、敵が7分。地面が3分に敵が7分だ!!」

 敵意が、静かにと、ひたひたと押し寄せて来る。

 哨所からの知らせを受けた、陸上自衛隊『特地』方面派遣部隊 第52普通科連隊第522中隊の隊員達は交通壕を走ると、第2区画のそれぞれに指定された小銃掩体へと飛び込んで、担当範囲へ向けて銃を構える。

 陸自の幕僚達は、今回の自衛隊『特地』方面派遣部隊を編成するに当たっては、かなり苦心惨憺していた。なにしろ、文化格差のある敵である。槍や甲冑で身を固めた敵と対峙したことのある者などどこにもいないし、魔法やら、ファンタジーな怪異、幻想種の対処法など、知るよしもない。

 そこで彼らは、小説や映画にアイデアを求めることとした。

 『戦国自衛隊』は小説をもとより、漫画、挙げ句の果てに新旧の映画版やテレビ版のDVDが飛ぶように売れたと言う。さらにはロードオブリングや、ファンタジーなアニメを求めた幹部自衛官が秋葉原の書店に列を作るという、笑っていいのかいけないのか判らない事態すらおこっている。

 宮崎○氏や富野△氏といったアニメ監督や小説家などが、市ヶ谷に集められて参考意見を求められたという話がまことしやかに語られているほどなのだ。

 そして彼らは某かの結論を下した。

 そしてそれに基づいて、全国の各部隊から併せて3個師団相当の戦力を抽出した。

 それは一尉~三尉の幹部と三等陸曹以上の陸曹を集中するという特異な編成であった。

 その理由としては、首相の答弁にある『未開の地で誰を味方として、誰を敵とするか』という高度な判断力を現場に指揮官に求める必要があるからと説明しているが、それだけではないことは、誰の目にも明らかだった。

 『特地』方面派遣部隊は、かき集められた装備にも特徴があった。比較的古い物が多く見られるのである。

 まず隊員達の携行する小銃は64式。集結した戦車は74式だった。全て新装備が導入されたことで、第一線からは姿を消しつつあるものだ。

「在庫一斉処分」などと口の悪い陸曹は語っている。そういう側面がないとも言えないが、そればかりではない。

 64式小銃が選択されたのは89式の5.56㎜弾では、槍を構えて突っ込んで来るオークを止めることが出来なかったからだ。さらに銃剣で敵を刺突すると、チェーンメイル身につけた敵だと、そのまま抜けなくなってしまうことがわかっている。

 さらには、情勢によっては装備を放棄して撤退しなければならない事態も想定されていた。

 一両数億円もする高価な兵器を、簡単にうち捨ててくるわけにはいかないので、廃棄してもおしくない、廃棄予定あるいはすでに廃棄済みであるが、手続きの遅れによって倉庫に眠っていた装備をかき集めたのだった。

 64式小銃を持つ者は二脚を立てて、照星と照門を引き起こす。配られた弾が常装薬なので、規整子は『小』にあわせる。

 ある者は5.56mm機関銃のMINIMIを構え、カチカチと金属製ベルトリンクで繋がれた弾帯を押し込んでいる。(62式機関銃は、陸曹や幹部が血相を変えて「俺たちを殺すつもりかぁ」と反対したので、『特地』には持ち込まれていない)

 高射特科のスカイシューターをはじめとする、35mm二連装高射機関砲L-90 や、40mm自走高射機関砲M-42と言った新旧そして骨董品の対空火器が、上空から近付く怪鳥へと砲口を向ける。

 次の照明弾が上げられ、ふたたび明るくなった。

 上空から降り注ぐ光が、暗闇の向こう側にいた敵を浮かび上がらせる。敵も、その足を速め、足音と言うよりは轟きに近くなっている。

 小銃の切り替え軸(安全装置)を『ア』から『レ』へとまわす。

 耳に付けたイヤホンから、指揮官の声が聞こえた。

「慌てるなよ、まだ撃つなぁ…」

 慣れたわけではないが、これが初めてという訳でもない。自衛官達は近づいてくる敵を前に、息を呑みもつつも号令を待つことが出来た。

 敵が、彼らの言葉で『アルヌス・ウルゥ』と呼んでいるこの丘に押し寄せて来るのは、これで3回目となる。そのうち2回は彼らの失敗だった。大敗北と言っていいはずだ。

 この世界の標準的な武器である槍や弓そして剣、防具としての甲冑では、その戦術はどうしても隊伍を整えて全員で押し寄せるという方法となる。時折、火炎や爆発物を用いた攻撃(魔法かそれに類するものではないかと言われている)も行われているが、射程が短い上に数も圧倒的に少ないため、それほどの脅威にならない。

 そのために、どれほどの数を揃えようとも、現代の銃砲火器を装備した自衛隊の前では敵ではなかったのだ。

 黒澤明監督の映画『影武者』に、武田騎馬隊が織田・徳川の鉄砲隊を前にたちまち壊滅するという場面が描かれていたが、それよりもさらに映画的に、人馬の屍が丘の麓を埋め尽くす結果となった。

 だが、それでもなお彼らはこの丘を取り戻そうと攻撃を始める。

 自衛隊はこの地に居座って、この丘を守ろうとする。

 すべてはここに『門』があるからだ。

 門こそが、異世界を繋ぐ出入り口となる。この門を用いてこの地の兵は銀座へとなだれ込んだのだ。

 東京そして銀座の惨劇を防ぐためにも、自衛隊はこの門を確保し続けるしかない。

 奪おうとする。そして守ろうとする。

 この意志の衝突が、3度目の攻防戦へと行き着く。

 過去の2回の経験を学んだのか、今回は夜襲だった。

 月の出ていない夜間なら見通しも利かない。夜ならば油断も隙もあり得る…というのも、この世界の感覚であろう。悪い考えとは言えない。

 しかし……次の照明弾があがり、コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)将兵の姿が、はっきりと浮かび上がった。

「撃てぇ!!」

 東京そして日本は24時間営業は当たり前の世界だ。昼だろうと夜だろうと、列べられた銃口は挨拶代わりに、砲火を持って彼らを出迎えた。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 02
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:19
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 伊丹 耀司 二等陸尉(33歳)はオタクであった。現在もオタクであり、将来もきっとオタクであり続けるだろうと自認している。

『オタク』と言っても、自分でSS小説を書いたり漫画を描いたり、あるいはフィギュアやSD(スーパー・ドルフィー)をつくったり愛でたりするという、クリエイティブなオタクではない。もちろん初音○クを歌わせたりもできない。

 他人が「創ったり」「描いた」ものへの批評や評価を掲示板に投稿するという、アクティブなオタクでもない。

 誰かの書いた漫画や小説をただひたすらに読みあさるという、パッシブな消費者としての『オタク』であった。

 夏季と冬季のコミケには欠かさず参加するし、靖国神社なんかには一度も行ったことがないが中野、秋葉原へは休日の度に詣でている。

 官舎の壁には中学時代に入手した高橋留美子のサイン色紙と、平野文のサイン色紙が飾られていて、本棚には同人誌がずらっと並んでいる有様だ。法令集や教範、軍事関係の書籍はひらくこともないからと本棚にはなくて、新品状態のままビニール紐でしばりあげて押入の中に放り込んである。

 そんな性向の彼であるから、仕事に対する態度は熱意というものにいささか欠けていた。例えば、演習の予定が入っていても「その日は、イベントがありまして…」と臆面もなく休暇を申請してしまうというように。

 彼はこう嘯く。

「僕はね、趣味に生きるために仕事してるんですよ。だから仕事と趣味とどっちを選ぶ?と尋ねられたら、趣味を優先しますよ」

 そんな彼が、よーも自衛官などになったものだと思うのだが、なっちゃったのだから仕方ないのである。

 そもそも彼のこれまでは、『息抜きの合間に人生やっている』と言われるに相応しい物であった。(出展元ネタ/『究極超人あ~る』より)

 競争率の低い公立高校を選んで、あんまり勉強することなく入試に合格。成績は中の下。アニメ・漫画研究会で漫画や小説を読みふける毎日。たまに映画の封切り日には朝早く映画館に列ぶという3年間を過ごす。

 大学は、新設されたばかりで競争率の低そうな学科を選び、これもまたあんまり勉強することなく合格。やはりアニメを観賞し、漫画やライトノベルを読みつづける毎日を過ごすが、在学中無遅刻・無欠席で全ての講義に出席していたこともあって、講師陣の受けはそれなりに良く「伊丹だから、ま、いいか」と『良』と『可』の成績をもらい4年で卒業。

「就活どうする?」と言う話題が、学生の間でそろそろ話題になり始めた頃に、彼はしゃかりきになって会社訪問するのは好きじゃないなぁ…などと呟きながら自衛隊地方連絡部某所の事務所の戸を叩いたのである。

「こんな奴、よくも幹部にしたものだ」とは、誰のセリフだっただろうか。

 彼の国防意欲というか、熱意に欠ける職務態度に業を煮やした上司が、「お前ちょっと鍛え直して貰ってこい」と有無を言わせず幹部レンジャーの訓練に放り込んだ。

 案の定、すぐに音を上げて「やめたいんですけど」と普及間もない携帯で電話をかけて来た。

 これには彼の上司も困ってしまった。あの手この手で励まし、頑張らせようとしたのだがどうにもならない。そもそも言ってどうにかなるなら最初から苦労しない。疲れはて、どうしょうもなくなって、最後にポツリと呟いた。

「ここで止めたら、年末(29.30.31)の休暇はやらん」

「じゃぁ、頑張ってみます」

 伊丹の上司は、自分が口にした何に効果があったのかと、今でも悩んでいると言う。




 さて、こんな伊丹がある日、新橋駅から某所でおこなわれている、イベントに行くために『ゆりかもめ』を待っていたところ、とんでもない事件に出くわした。

 後に『銀座事件』と呼ばれるアレである。

 突然あらわれた巨大な『門』。

 そこからあふれ出た、異形の怪異をふくむ軍勢。

 門の向こう側を政府は『特別地域』などと呼んでいるが、伊丹には『異世界』だとすぐに理解できた。理解できてしまった。

 そしてこう思った。

「くそっ!このままでは、夏○ミが中止になってしまう」

 その後の彼の活躍は、朝○新聞ですら取り上げざるを得なかったほどである。

 霞ヶ関や永田町も襲われ何が起きているのかわからず、ただ逃げ回るばかりの政府の役人と政治家。(土曜日だったが、彼らは働いていた。ご苦労さんである)

 命令が来ないために、出動したくても出来ない自衛隊。

 桜田門以南の官庁街がほぼ壊滅したために指揮系統がズタズタになり、効果的な対応が出来ない警察。

 そんな中で伊丹は、付近の警察官を捕まえて西へ指さした。

「皇居へ避難誘導してくれ!」

 だが、「そんなことできるわけない」という言葉が返ってくる。一般の警察官にとって、皇居内に立て籠もるなどと言うアイデアは思案の外にあったからだ。

 とは言え、皇居はもとより江戸城と呼ばれた軍事施設である。従って数万の人々を収容し、かつ中世レベルの軍勢から守るのにこれほど相応しい施設はない。いや、籠城の必要はない。避難した人々は、半蔵門から西へと逃がせばいいのだ。

 伊丹は、指揮系統からはずれた警察官や避難した民間人の協力を仰いで、皇居へと立て籠もった。皇宮警察がやかましかったが、これも皇居にお住まいの『偉い方』の『お言葉』一つで鎮まった。

 徳川の手によって造られた江戸城は実戦経験のない城塞である。だが、数百年の時を経て平成の代に初めて城塞としての真価を発揮したのである。

 この後、皇居にある近衛と称する第一機動隊、そして市ヶ谷から自主的に出動してきた第四機動隊によって、『二重橋濠の防衛戦』は引き継がれたのであるが、それまでの数時間、数千からの人を救ったという功績が認められ、伊丹は防衛大臣から賞詞を賜り、二等陸尉へと昇進することとなった。

 なっちゃったのである。




 で、時が少しばかりたって、『特別地域』派遣部隊である。

 三度目の攻撃をうけた翌朝。

 明るくなって見えた光景は、夥しい人馬の死骸であった。

 『アルヌス・ウルゥ』の周辺は怪異と人馬の屍によって埋め尽くされていた。さらには高射機関砲の40㎜弾を受けて墜ちた飛竜が横たわっていた。ドラゴンの鱗は鉄よりも硬いと語られているが、確かにそうらしい。ただ40㎜弾をうけては流石に耐えることが出来なかったようだ。

「大きな都市一個分の人口が、まるまる失われたってことか」

 伊丹二尉は、これを見て思う。

 銀座事件で攻め込んできた敵は、約6万。第1次から、昨晩の第3次攻撃で、およそ6万が死傷。(オークやゴブリン等は含まず)併せて12万もの兵を失っちゃって、敵はどうするつもりなんだろか?

 この世界の人口がどの程度か知るよしもない。何しろ、門とその周辺を確保しただけなのだから。まだなんの調査も出来てない。

 だが一般的な常識から考えても、数万の戦力を全滅に近い形で失って、その部族だか国家が無事でいられるはずがないのだ。

 見たところ、倒れている兵士の中に、子供にしか見えない者もいる。実際に子供なのか、そのような容姿の種族なのかはわからないが…。もし、子供を戦場に送るようなら、その国の有り様はもはや末期的と言える。

 伊丹ですらこのように思うのだから、他の幹部達も考えていた。

 この世界の調査をしなければ…と。

 侵攻して占領するにしても、『門』周辺を確保し続けるにしても、あるいは敵と交渉するにしても、方針を定めるには情報が不足している。

 幸いにして、OH-1ヘリの撮ってきた航空写真から周辺の地図は起こすことができた。滑走路が開けば、無人偵察機のグローバルホークを飛ばすこともできるだろう。従って、次はどんな人間が住んでいるか、人口や人種、産業、宗教が何か、そして住民の性向はどういうものかの調査をすることになる。

 どうやって、調査するのか。

 もちろん、直接行ってみるのである。

「それがいいかも知れませんね~」

「それがいいかもじゃない!君が行くんだ」

 檜垣三等陸佐は、物わかりの悪い部下に疲れたように言った。

 伊丹は、上司から言われて首を傾げる。自分は部下を持っていない。員数外の幹部として第52普通科連隊に所属している、おまけみたいな二尉だ。

「まさか、一人で行けと?」

「そんなことは言わない。とりあえず君を含めた6個のチームを、各方面に派遣する。当然、君にも部下をつけよう。君は、担当地域の住民と接触し民情を把握するのだ。可能ならば、事後の今後の活動に協力が得られるよう、友好的な関係を結んできたまえ」

「はぁ…ま、そう言うことなら」

 ポリポリと伊丹は後頭部を掻くのだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 03
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 15:19
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 アメリカ合衆国

    ホワイトハウス


「大統領閣下。東京に現れた『門』に関する、第6次報告です」

 ディレル大統領は、カリカリに焼き上げた薄切りのトーストをサクッと囓ると、彼の優秀なスタッフが差し出した報告書を受け取った。

 大統領は表紙を含めて数枚ばかりめくる。

 さっと目を通した程度で、テーブルの上にポンと放り出す。

「クリアロン補佐官。この報告によると、日本軍は折角『門』の向こう側へ立ち入ったのに『門』の周囲を壁で囲んで、亀の子みたいに首を引っ込めて立て籠もっている。そういうことなのだね?」

「その通りです、閣下。自衛隊は守備を固めて動いていません」

 軍ではなく自衛隊だと、さりげなく訂正する補佐官。だが大統領はそれに気づかないのか話を続けた。

「ふむ…圧倒的な技術格差。高度な訓練を受けた優秀な兵士。いったい何を躊躇う必要がある?君の考えを述べたまえ」

「大統領閣下、ご説明いたします。日本は、かつての大戦の教訓から学んだのです。いかに強力な戦力を有しているとは言え、広大な地域を制圧支配しようとするには、その戦力は不足します。選択しうるオプションとしては、『特別地域』の政治状況を明確に見極め、要点を抑えるという戦略しかありません」

 そのことは、中級指揮官の層を異常なまでに厚くした自衛隊の編成からもうかがい知ることが出来る。『門』を確保する段階を終えて、現在は『特別地域』の各地に小部隊を派遣し、情報収集や宣伝工作にあたらせていると言うことである。

 大統領はナプキンで口元をぬぐうと、部下を一瞥した。

「つまり、日本軍の現状は『特別地域』の情勢を伺っているからだと言うのだね…」

「そのとおりです大統領閣下。今泉首相は石橋を叩く男のようです。成果を急いでいません」

 大統領は、ススッとコーヒーを口に含んだ。

 今泉は、空前の支持率を受けて政権が安定している。だから成果を急ぐ必要がないのである。

 我が身を振り返るとディレルは支持率が急落している。早急に具体的な成果をあげて国民に示さなければならない。それが彼の立場だった。

「補佐官、『門』はフロンティアだ」

「その通りです、大統領閣下」

「門の向こう側に、どれほどの可能性が詰まっているか、想像したまえ」

 手つかずの資源。圧倒的な技術格差から生ずる経済的な優位。汚染されていない自然。これら全てに資本主義経済は価値を見いだす。

 資源は存在する。これは間違いがない。東京に攻め込んできた兵士の武装の材質から、ほぼ地球と同じ鉱物資源があるであろうことがわかっている。こちら側ではレアメタル・レアアースとされる稀少資源が、『特地』には豊富に存在する可能性も指摘されていた。

 そして技術格差は、武器の種類や構造から類推することが出来る。見事な、工芸品と見まがうばかりの細工が施されていたが、所詮は手工業の域を出ない。これらの武装で身を固めた騎士達が攻め込んで来るという戦術から、その社会構造と生産力まで予想できるのだ。

 さらに、こちら側には存在しないファンタジーな怪異、動物、亜人達。これらの生き物が持つ『ゲノム』は、生命科学産業の研究者達にとって宝の山と言えるだろう。

 極めつけは『門』である。この超自然現象を含めた様々な神秘現象に、全世界の科学者達が注目していた。

「ご安心下さい大統領閣下。わが国と日本とは友邦です。価値観を同じくする国であり、経済的な結びつきも強固です。『門』から得る利益は、わが国の企業にも解放されるでしょう。また、そのように働きかけるべきです」

「それでは不足なのだ」

 同様の働きかけならば、すでにEU各国が始めている。アセアン諸国も『門』がもたらすであろう利益を狙って水面下の活動を始めていた。

「問題は、どれほどの権益を確保できるかなのだ」

 これこそが、ディレル大統領が国民に示すことの出来る成果となる。

「その為には、わが国はもっと積極的に関与するべきではないかね?米日同盟の見地から陸軍の派兵を検討しても良と思うが」

 だが、補佐官は首を振った。

「アフガンや、イラクだけでも手を焼いているのに、余所様の喧嘩に手を出す余裕はありません」

 それに『門』のもつ可能性は、必ずしもよい面ばかりとは限らないのだ。未開の野蛮人を手なずけ、教化しようとすれば多額の予算と人材を、長期間にわたって投入しなければならないだろう。かつての植民地時代のように、ただ収奪すればよいと言う時代ではない。

 大統領は、深いため息をついた。

「報告によれば、『門』の向こう側での戦闘は苛烈きわまりなかったようだね?」

「弾薬の使用量が尋常ではなかったようです。ですが、ここ最近は落ち着いています。自衛隊は守り通すでしょう。自衛隊は元来から守勢の戦力です」

「ふむ。では、わが国の対応はどうするべきかな?」

「現段階としては日本国政府の武器弾薬類調達を支援する程度でよいでしょう。これは兵器産業界に声をかけるだけで済みます。あとは、『特別地域』の学術的な合同調査を持ちかけ『門』の向こう側に人を送り込みたいところです。これ以外については、状況次第かと存じます」

 あまり、日本に肩入れしすぎると万が一の時に巻き込まれる畏れがある。

 物事は、どう転ぶかわからないものなのだ。日本が『特別地域』に自衛隊を進めることについては、多くの国が大義名分があると認めている。だが一部…中国や韓国、北朝鮮は、かつての軍国主義の復活であり、侵略であると非難している。この3カ国は日本が何をやっても非難する国だから国際社会は全く相手にしていないのだが、日本が『門』から得られる利益を独占するような素振りを見せれば、この主張に同調する国が出てくる可能性もある。そうなった時に、共犯呼ばわりされる事態は避けたい。

「火中の栗は、日本に拾わせるべきです」

 そして、こじれたらしゃしゃり出て抑えてしまえばよい。そのために国連を利用する手配もしてある。補佐官はそう言っていた。

 だが、ディレルとしては不満だった。
 今のところ日本はうまくやっており、口や手を出す機会が見いだせそうもない。

 ディレルは国内向けに具体的な成果を迫られているのだ。かといって、補佐官の危惧を無視するわけにもいかない。大統領は舌打ちしつつも「そうだな」と頷き、次の懸案事項に話題をうつした。

 『門』の出現。それは、新大陸発見に続く歴史的な出来事なのである。

 アメリカ大陸の発見よってスペインが世界帝国へと飛躍したように、『門』の存在は世界の枠組みを大きく変えることが予想される。あらゆる国の政府が、その事を理解しているゆえに、『門』内部での日本の動向が注視されていた。




     *      *





-ウラ・ビアンカ(帝国首都)-

 皇帝モルトの皇城では、毎日数百人の諸侯が参勤する。

 元老院議員、貴族や廷臣が集い、諸行事に参加するととも、政治を雑事でもあるかのように行っていた。

 会議では優雅に踊り、美食に耽り、賭け事や恋愛遊戯といった遊興を楽しみつつ、議場で少しばかり話し合う…という感じである。軍を派遣するかどうかを、貴族達が狐狩りの獲物の数で決めるということもあった。

 だが、ここ暫く続いた敗戦は宮廷の諸侯、貴族達を消沈させるに充分な出来事であった。煌びやかな芸術品は色あせて見え、華やかな音楽も空虚に聞こえる。

 栄耀栄華を誇るモルト皇帝の御代を支えるものは、強大な軍事力と莫大な財力。この両輪こそが、帝国を大陸の覇権国家たらしめていることは小児であっても理解している。

 だが、今ではその片輪が失われてしまった。

 宮廷を彩った武官や貴族も出征していた。その為にかなりの犠牲が出ている。未亡人が量産されて、貴族達は連日葬儀に出席しなくてはならない。宮廷は喪に服して行事を控え、皇帝の周囲もこの日ばかりは閑散としていた。

「皇帝陛下、連合諸王国軍の被害は甚大なものとなりました。死者・行方不明者はおよそ6万人。負傷し軍役に再び着くことのできぬ者とを併せますと損害は実に10万にも達する見込です。敗残の連合諸王国軍は統率を失い、それぞれちりぢりになって故郷への帰路に就いたようです」

 この数には、オークやゴブリン、トロルといった亜人達は含まれていない。亜人達は軍馬と同じ扱いなのだ。

 内務相のマルクス伯爵の報告に、皇帝は気怠そうに応じた。

「ふむ、予定通りと言えよう。わずかばかりの損害に怯えておった元老院議員達も、これで安堵することじゃろう」

「しかし、ゲートより現れ出でました敵の動向が気になりますが」

「そなたも、いささか神経質になっているようだな」

「この小心は生来のもののようでして、陛下のような度量は持つに至ることはできませんでした」

「よかろう。ならば、股肱の臣を安堵させてやることにしよう。なに、そう難しいことではない。アルヌス丘からここまでの距離は長い。すなわち帝国の広大な国土を、防塁としてこれにあたればよいのだ」

 皇帝は続けた。

 敵がこの城に向けて進んでも、ここに至るまでの全ての街と村落と食糧を焼き、井戸や水源に毒を投げ入れ焦土と化せば、いかな軍と言えども補給が続かず立ち往生する。そうなれば、どれほど強大な兵力を有していようと、優れた魔導を有していようと、付け入る隙は現れる、と。

 現地調達できなくなれば食糧は本国から運ぶしかなく、長距離の食糧輸送は馬匹を用いたとしても重い負担だ。これよって敵の作戦能力は、帝都に近付けば近付くほど低下することとなる。それに対して帝国軍は、帝都に近付けば近付くほど有利になる。それが『この世界における軍学上の常識』であった。

 敵を長駆させ、疲れたところを撃つという、どこの世界においてもみられる至極一般的で判りやすい戦略であり、効果的でもある。しかし身を切る戦略であるが故に、その影響は深刻かつ甚大であり回復は容易でない。人民の生活を全く考慮しない非情さ故に、確実に民心を離反させる。守ってもらえなかった。それどころか食べ物も、飲み水も奪われたという恨みは、永久に受け継がれていくことになるだろう。そうした影響を考えれば、それをするわけにはいかないのが政治であるはずだった。しかし…

「しばし税収が低下しそうですな」

 マルクス伯はそういう言い方で、民衆の被害を囁いた。
 皇帝は「致し方あるまい。園遊会をいくつか取りやめるか。それと、離宮の建造を延期すれば良かろう」と応じるだけだった。強大な帝国に置いては、民衆の被害や民心などその程度のものなのである。これまでは…。

「カーゼル侯あたりが、うるさいかと存じますが」

「何故、余がカーゼル侯の精神衛生にまで気を配らねばならぬのか?」

「恐れ多きことながら、侯爵は一部の元老院議員らと語らって、非常事態勧告を発動させようとする動きが見られます」

 元老院最終勧告は帝国の最高意志決定とされている。これが元老院によって宣言されれば、いかに皇帝であろうと罷免される。歴史的にも元老院最終勧告によって地位を追われた皇帝は少なくない。

「ふむ面白い。ならばしばらくは好きにやらせてみるが良かろう。そのような企てに同調しそうな者共を一網打尽にするよい機会かも知れぬ。枢密院に命じて調べさせておくがよい」

 マルクス伯は、一瞬驚いたがただちに恭しく一礼した。元老院の最終勧告に対抗する皇帝側の武器が国家反逆罪である。枢密院に証拠固めという名の証拠ねつ造を命じる。

「元老院議員として与えられた恩恵を、権利と勘違いしている者が多い。いささか鬱陶しいのでこのあたりで整理をせねばな」

 皇帝はそう呟くとマルクス伯の退出を命じようとした。恭しく頭を下げるマルクス伯。だが、静謐な空気を破って凛と響き渡る鈴を鳴らしたような声が、宮廷の広間に鳴り響いた。

「陛下!!」

 つかつかと皇帝の前に進み出たのは、皇女すなわち皇帝の娘の一人であった。

 片膝を付いてこれ以上はないと言うほど見事な儀礼を示した娘は、炎のような朱色の髪と白磁の肌を、白絹の衣装で包んでいる。

「どうしたのか?」

「陛下は我が国が危機的状況にあると言うのに、何を為されているのですか?耄碌されたのですか?」

 優美なかんばせから、棘のある辛辣なセリフが出てくる。

 モルト皇帝はここにも恩恵と権利を勘違いしている者がいることに気付いて微苦笑した。皇女の舌鋒が鋭いのはいつものことであるが…。

「殿下、いったいどのようなご用件で、陛下の宸襟を騒がされるのでしょうか?」

 皇帝の三女 ビニャ・コラーダは、腰掛けて微笑んでさえいれば、比類のない芸術品とも言われるほどの容姿を持っている。だが、好きに喋らせると気の弱い男ならその場で卒倒しかねないほど辛辣なセリフを吐くので国中にその名を知られていた。

「無論、アルヌスの丘を占拠する賊徒どものことです。アルヌスの丘は、まだ敵の手中にあると聞きました。陛下のそのような安穏な様子を拝見するに、連合諸王国軍がどうなったのかいまだご存じないと思わざるを得ない。マルクス、そなた陛下に事実をご報告申し上げたのだろうな?」

「皇女殿下、ご報告申し上げましたとも。連合諸王国軍は多大な犠牲こそはらいましたが、敵のファルマート大陸侵攻を見事に防ぎきったのです。身命を省みない勇猛果敢なる諸王国軍の猛攻によって物心共に大損害を受けた敵は、恐れおののき強固な要害を築いて、冬眠した熊のごとく閉じこもろうとしております。閉じこもって出てこない敵など、我らにとってなんら脅威ともなりません」

 マルクス伯の説明に、ピニャは「フン」とそっぽを向き言い放つ。

「妾(わらわ)も子どもではない故、ものは言いようという言葉を知っておる。知っておるが、言うに事欠いて、全滅で大敗北の大失敗を、成功だの勝利だのと言い換える術までは知らなんだぞ」

「事実でございます」

「こうして真実は犠牲になり、歴史書は嘘で塗り固められていくと言う訳か?」

「そのようにおっしゃられても、私にはお答えのしようもなく」

「この佞臣め!聖地たるわれらがアルヌスの丘は連中に抑えられたままではないか?何が防衛に成功したか?真実は、諸国中の兵をこぼって累々たる屍で丘を埋め尽くしただけであろう」

「確かに、損害は出ましたな…」

「この後はどうするのか?」

 マルクス伯爵は、とぼけたように兵の徴募から始まって、訓練と編成に至るまでの一連の作業を説明した。軍に関わる者なら誰でも知る、新兵の徴募と訓練、そして編成の過程を告げられ、ピニャは舌打ちした。

「今から始めて何年かかると思っているのか?その間にアルヌスの敵が、なにもせずじっとしていてくれると?」

「皇女殿下。そのようなことは私めも存じております。しかし、現に兵を失った上には、地道にでも徴兵を進め、訓練を施し、軍を再建するしか手はありません。兵を失ったことでは諸国も同じ。もう一度、連合諸王国軍を集めるにしても、軍の再建は国力に比例いたします。諸国の軍再建にしてもわが国より遅くなっても、早くなることはありますまい」

 この言いようには、ピニャは鼻白まずをえなかった。

「そのような悠長なことを言っていては、敵の侵攻を防ぐことは出来ぬっ!」

 皇帝はため息と共に、手をわずかに挙げて二人の舌戦を止めた。

 皇帝の察するところピニャには騒動屋の傾向があった。責任を負うことのない野党的立場の者がよくすることと同じで、批判ばかりで建設的な意見はなにも言わない。言っても実現不可能な夢物語みたいなことばかり。現在と将来に対し責任感を有する者なら、できないようなことばかりを求めてくる。何かあれば、さあ困った、どうするどうすると、責め立て、実務者に「じゃあ、どうすればいいんだ!」と言わせてしまうまで追い込んでしまうのである。

 今回の事態を考えれば、マルクス伯が言うように、地道に軍を再建するしかない。このための時間を稼ぐのが、政治であり外交と言える。皇帝としてはそのための連合諸王国軍の招集であり、その壊滅をもって目論見は成功した。

 いささか辟易としてきた皇帝は、娘に向かって話しかけた。

「ピニャよ。そなたがそのように言うのであれば、余としても心を配らねばならぬ」

「はい、皇帝陛下」

「しかし、アルヌスの丘に屯(たむろ)する敵共について我らは、あまり多くのことを知らぬ。ちょうどよい、そなた行って見て来てくれぬか?」

「妾がですか?」

「そうだ。軍は再建中でな、偵察兵にも事欠く有様じゃ。国内各所の兵を引き抜くわけにもいかぬ。新規に徴募してもマルクス伯の申した通り、実際に使えるようになるまで時間がかかる。今、一定以上の練度を有し、それでいて手が空いているのは思いを巡らしてみればそなたの『騎士団』くらいであった。そなたの『騎士団』が兵隊ごっこでなければ…の話だがな」

 皇帝の試すような視線に正対して、ピニャは唇をぎゅと閉じた。

 アルヌスの丘は、騎で片道で10日もかかる。
 しかも危険な最前線だ。そんなところへ自分と自分の『騎士団』だけで赴くことになる。
 華々しい会戦で勝利を決定づける突撃と違い、地道な偵察行。
 日頃から兵隊ごっこと揶揄されてきた『騎士団』にとって、任務が与えられたことは光栄と思わなければならないことだろうが、それが不満でもある。
 さらに、彼女の『騎士団』は実戦経験など皆無。自分や、自分の部下達は危険な任務をやり遂げることが出来るだろうか?

 皇帝の視線は、「嫌なら口を挟むな」と告げている。

「陛下…」

「どうだ。この命を受けるか?」

 ピニャは、ギリッと歯噛みしていたが、思い立ったような顔を上げた。そして…

「確かに承りました」

と、ピシャリと言い放つと、皇帝に対して儀礼にのっとって礼をとった。

「うむ、成果を期待しておるぞ」

「では、父上。行って参ります」

 そしてピニャは、玉座に背を向けた。




      *      *




「空が蒼いねぇ。さすが異世界」

 伊丹が呟いた。青空に、大きな雲がぽっかりと浮かんでいる。電柱とか電線などもない。前から後ろまで、上半分は完全に空だった。

「こんな風景なら、北海道にだってありますよ」

 運転席の、倉田三等陸曹が応じた。倉田三等陸曹は、北海道は名寄から来ている。

「俺は、巨木が歩いていたり、ドラゴンがいたり、妖精とか飛びかっているトコを想像してたんですけどねぇ。これまで通ってきた集落で生活していたのは『人間』ばっかしだし、家畜も牛とか羊にそっくりでガックリっす」

 倉田は一般陸曹候補学生課程を修了したばかりの21歳だ。伊丹が上下関係に鷹揚ということを知ると、気軽に話しかけてくるようになった。

 青空を背景に、緑の草原をオリーブドラブに塗装された軍用車両が列を組んで走り抜けていく。

 先頭を73式小型トラック、その後ろに高機動車(HMV)、さらには軽装甲機動車(LAV)が続く。
 まぁ、名前を言われてもよくわからないとおっしゃる皆様には、前二台はジープみたいな乗り物、後ろの一台は装甲車みたいな乗り物が走っているとイメージしてくれればよいのである。

 伊丹は2両目の高機動車に乗っていた。

 後席には彼の率いる第三偵察隊の隊員達が乗り込んでいる。車両3台、総勢12名が偵察隊の総戦力であった。

 後席でガサガサと地図を広げていた桑原曹長が、運転席に顔を突きだした。

「おい倉田、この先しばらく行くと小さな川が見えてくるはずだ。そしたら、右に行って川沿いに進め。そしたら森が見えてくる。それがコダ村の村長が言っていた森だ」

 航空写真から作られた地図と、方位磁石とを照らし合わせながら説明する桑原曹長は、二等陸士からの叩き上げで今年で50才。教育隊での助教経験も長いベテランだ。新隊員達からは『おやっさん』と呼ばれて恐れられていた。倉田も新隊員時代、武山駐屯地で桑原曹長の指導を受けて前期教育を終えたそうだ。

 この世界ではまだ衛星を打ち上げてないのでGPSが使えない。その為に、地図とコンパスによるナビゲーションだけが頼りとなる。そして、こういうことは経験の長いベテランのほうが上手いと、伊丹は隊の運営を桑原に押しつけている。

「伊丹二尉、意見具申します。森の手前で停止しましょう。そこで野営です」

 桑原の言葉に伊丹は振り返って「賛成」と応じた。桑原は、軽く頷いて通信機のマイクをとる。

 倉田は、バックミラーで後ろに続く軽装甲機動車との車間距離を確認した。

「あれー伊丹二尉。一気に乗り込まないんすか?」

「今、森に入ったら夜になっちゃうでしょ?どんな動物がいるかもわからない森の中で、一夜を明かすなんてご免こうむります。それに、情報通りに村があるとしたら、そこで住んでいる人を脅かすことになるでしょ?僕たちは国民に愛される自衛隊だよ。そんな威圧するようなこと出来ますかってーの」

 だから森には少人数で入ると伊丹は告げた。

 この偵察行の目的は現地住民と交流し、民情を調査することにある。ヘリを使えば速いのに、わざわざ地面を行くのだって通りすがる住民と交流するためだ。

 暴力で制圧することが目的ではない。悪感情をもたれるような事は極力避ける。それが方針だった。

 これまで3カ所の集落を通り、この土地の住民と交流をとってみた。住民達は戦争なんて領主様のすることで、俺らには関係ねぇやという態度であり、伊丹達に特別悪感情を示すと言うこともなかった。ならば余計なことをして仕事を難しくする必要はない。

「えーーと」

 伊丹は胸ポケット黒革の手帳を取り出すと、この土地の挨拶を綴ったページを開いて予習する。銀座事件の捕虜を調査した言語学者達の成果である。

「サヴァール、ハル、ウグルゥー?(こんにちは、ごきげんいかが?)」

「棒読みっすねぇ。駅前留学に通ったほうがよかぁありません?」

「五月蠅せぇ。第一、ピンクの兎の会社は、とうの昔に潰れたよ」

 パコッと倉田のヘルメットを叩く伊丹であった。




 こうして森の手前にやって来た第3偵察隊であったが…。彼らの目に入ったのは、天を焦がす黒煙だった。

「燃えてますねぇ」

 倉田の言葉に、「はい、盛大に燃えてます」と伊丹は黒煙を見上げた。森から天を焦がす炎がたちあがっていた。

「大自然の脅威っすね」

「と言うより、東映の怪獣映画だろ」

 桑原はそう言うと、双眼鏡を伊丹に渡した。そして正面からやや右にむかったところを指さす。

 伊丹は桑原の指さした辺りに双眼鏡を向けた。

「あれま!」

 ティラノサウルスにコウモリのような羽根をつけたような巨大な生き物が、地面に向かって火炎放射している。

「首一本のキングギドラか?」

 桑原のセリフに倉田が「おやっさん、古いなぁ。ありゃ、エンシェントドラゴンっすよ」と突っ込む。だが、桑原はドラゴンと言われるとブルースリーを連想してしまうようで、妙に話が合わない。

 前方で停止した73式トラックから、小柄なWACが走り寄ってきた。

 この偵察小隊には二人のWAC(婦人自衛官)が配属されている。住民と交流する時、女性がいたほうが良い場面があるかも知れないと言う配慮から配属されていた。例えばイスラムのような戒律のある土地だった場合、女性と交渉するのは女性であったほうがよい。

「伊丹二尉、どうしますか?ここでこのままじっとしてるわけにはいきませんが」

 栗林二曹だった。栗林二等陸曹を見ると多くの男性自衛官は、装備が重くないかと彼女に質問すると言う。体が小さすぎて装備を身につけると言うより、装備が彼女を入れて歩いているという印象になってしまうのだ。だが、小柄というだけで侮ると酷い目に会う。これでも格闘記章を有する猛者だ。

「あのドラゴンさぁ、何もないただの森を焼き討ちする習性があると思う?」

 意見を求められても栗林にわかるはずがない。だが「わかりません」と素直に答えるようなタマでもない。少しばかり辛辣な態度で、

「ドラゴンの習性にご関心がおありでしたら、何に攻撃をしかけているのか、二尉ご自身が見に行かれてはいかがですか?」

と言ってのけた。

「栗林ちゃん。ボク一人じゃ怖いからさぁ、ついてきてくれる?」

「わたくしは嫌です」

「あっ、そう」

 伊丹はバリバリと頭を掻くと告げた。

「適当なところに隠れてさ、様子を見よか。んで、ドラゴンがいなくなったら森の中に入ってみよう。生き残っている人がいたらさ、救助とかしたいし」

 森の中に集落があるという情報があった。多分、その集落がドラゴンに襲われているんじゃないかと言うのが伊丹の考えであった。




 結局、伊丹達が森に入ることが出来たのは、翌朝だった。

 夜になっても火がなかなか消えず、また黒煙によって見通しが利かなかったからだ。夜半からは雨が降り始めたおかげで森林火災が下火となった。これによって、ようやく森に入ることが出来るようになったのである。

 森は、すっかり見通しが良くなっていた。

 木の葉はすべて焼けおち、立木は炭となりはてていた。

 黒い地面からは、ブスブスと煙が上がっている。

 地面にはまだ熱が残っていて、半長靴の中がじんわりとあったかい。

「これで生存者がいたら奇跡っすよ」

 倉田の言葉に、伊丹もそうかもなと思いつつ、とにかく集落があると思われるところまでは行ってみようと考えていた。

 二時間ほど進む。すると立木のない開豁地へと出た。

 この森が焼かれていなければ、ここまで入るのに最低でも半日を要したであろう距離である。

 見渡すと、明らかに建物の焼け跡とおぼしきものが見える。よく見れば…よく見なくても、『仏像の炭化したようなもの』が地面に横たわっている。焦げたミイラでもよい。

「二尉、これって」

「倉田、言うなよ…」

「うへっ、吐きそうっすよ」

 倉田は、胃のあたりをおさえると周辺を見渡した。

 集落跡をゆっくりと見渡していく。無事な建物は一軒たりともない。

 石造りの土台の上につくられていた建物は焼けこげて瓦礫の山となっている。そんな建物の間に、黒こげの死体が転がっているという状態なのだ。

「仁科一曹、勝本、戸津をつれて東側をまわってくれ。倉田、栗林、俺たちは西側を探すぞ」

「探すって、何を?」

 栗林の言葉に伊丹は「う~ん、生存者かな?」と肩をすくめた。




 小一時間かけて捜索して、この集落には生存者がいないようだとわかった。

 伊丹は、井戸のわきにどっかりと座り込むと、タオルで汗をぬぐう。他の隊員達は、生活のようすがわかるものを探して、集落のあちこちを歩き回っている。

 すると、栗林がクリップボードを小脇に抱えてやってきた。

「二尉。この集落には大きな建物が3軒と、中小の建物が29軒ほどありました。確認できただけで27体の遺体がありましたが、少なすぎます。ほとんどは建物が焼け落ちた時に瓦礫の下敷きになったのではないかと考えられます」

「1軒に3人世帯と考えても、30軒なら90人だもんなぁ。大きな家を併せたら最低でも100人くらいの人が生活してたんじゃないかなぁ。それが全滅したのか、それともどこかに隠れているのか…」

「酷いものです」

「ふむ。この世界のドラゴンは集落を襲うこともあると、報告しておかないとな」

「『門の高地』防衛戦では、敵の中にドラゴンに乗っていた者もあったそうです。そのドラゴンは昨日見たものよりはかなり小さかったんですが、そいつの鱗でも7.62㎜弾は貫通しなかったそうですよ。腹部の柔らかい部分ですら12.7㎜の鉄甲弾でようやくということでした」

 伊丹は、栗林の蘊蓄を聞くと「へぇ」と目を丸くした。ドラゴンの遺骸を回収して、そのその鱗の強度試験をやったという話は聞いていたが、その結果がどうだったかの情報はまだ伝わってきていないのだ。

「ちょっとした、装甲車だね」

「はい」

 伊丹は水筒に口をつけると残りが少ないのを気にして、チャプチャプと振った。周囲を見渡して、自分の後ろにあるのが井戸だと気づくと、その上にある木桶を手にとる。木桶を井戸に放り込んで、縄で吊り上げるタイプのようだ。

「ドラゴンがどのあたりに巣を作っていて、どのあたりに出没するかも調べておかないといけないね」

 などと言いながら、井戸に木桶を放り込んだ。

 すると、コーーーンと甲高い音が井戸から聞こえた。

「ん?」

 水の「ドボン」という音が聞こえると思っていたから、妙に思った伊丹は井戸をのぞき込んだ。栗林も「なんでしょうね」と一緒にのぞき込む。

 すると……

 井戸の底で、長い金髪の少女が、おでこに大きなコブをつくってプカプカと水に浮かんでいるのが見えたのであった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 04
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:23
-03-




「テュカ、起きなさい」

 少女の優しい夢は、父親の声に破られた。

「お父さん、どうしたの?折角いい気持ちで寝てたのにぃ」

 目を擦り擦り、身を起こす。

 見渡して見ると居間にはうららかな日射しが差し込んでいる。

 午睡から無理矢理目覚めさせられたためか、頭がまだはっきりとしない。ただ、自分を起こした父の表情が異様なまでに険しくなっていることは気づいた。

 窓の外からも、雑多な足音や喧噪が聞こえて来る。集落中が騒ぎに包まれていた。そのただならぬ気配に何か重大なことが起こったのだと感じた。

「どうしたの?」

 その答えは、テュカ自ら悟った。窓の外、その空に巨大な古代龍の姿が見えたからだ。このあたりには龍は棲まない。だから実際に見るのはこれが初めてである。しかし幼い日々、父親から受けた博物学の講義で知識として知っていた。

「あれは、もしかして炎龍っ?!」

「そうだ」

 父が手にしているのは弓だった。これはエルフ一族では一般的な武器だ。さらには、貴重品をしまい込むのに使っているタンスに手をのばし、中からミスリル銀の鏃と鳳の羽根でつくられた矢を取り出そうとしている。

 父が、戦おうとしている。

 テュカも反射的に、愛用の弓矢に手をのばした。だが、父親の「やめなさいっ」と言う声に止められてしまう。

「どうして?」

「君は、逃げるんだ」

「あたしも戦うわ」

「ダメだ。君に万が一のことがあったら、私はお母さんに叱られてしまうよ」

 父が亡くなった母ことを持ち出すのは、娘に是が非でも言うことを聞かせたい時だ。だが、精神的に自立する年齢を迎えていた娘は父に笑顔で逆らった。

「炎龍が相手じゃどこに逃げても一緒よ。それに、手勢は一人でも多い方が良いでしょ」

 肉食の炎龍が好物とするのはエルフや人間の肉だと言う。ここで炎龍を倒さない限り、どこへ逃げようとも匂いを嗅ぎつけてやって来るに違いない。大地をはいずり回るエルフや人がどれだけ逃げようとも、古代龍にとっては一っ飛びの距離でしかないのだ。

 窓の外では、戦士達の矢が空に向けて放たれた。風や水の精霊が召還され、炎龍への攻撃が始まっている。だが、その効果は薄い。

 逆に炎龍から放たれた炎が、誰かの悲鳴と共に家を焼く。避難しようとしていた女子供がこれに巻き込まれた。

「とにかく、ここにいては危ない。外へ出よう」

 父は、娘の手を引いた。娘はしっかりと弓矢を握っていた。

 絹裂く悲鳴が響く。

 戸口から出たテュカが眼にしたのは、幼なじみの少女が炎龍の牙にかけられる瞬間だった。

「ユノっ!!!」

 愛する親友が食べられてしまう。とっさの判断でテュカは素早くを弓矢を番えた。若いとは言え、弓を手に産まれてくると言われるエルフである。腕前は確かだった。

 渾身の力を引き絞り狙い定めて矢を放つ。だがテュカの矢は、はじかれてしまった。

 テュカの矢ばかりではない。エルフの戦士達が無数の矢を龍に浴びせかけていた。だが、そのどれもが分厚い鱗に阻まれて傷一つ負わすことが出来ないでいる。

 バリバリとエルフの少女をかみ砕き飲み込んだ炎龍は、縦長の瞳を巡らせると次なる獲物としてテュカを選んだ。

「ユ、ユノが。ユノが…」

 炎龍に見据えられた瞬間、テュカの全身は恐怖にすくんだ。

 逃げようにも足は動かず、叫ぼうにも声すら出ない。龍と視線をあわせてしまうと魂が砕かれると言う。この時のテュカは、まさに魂を奪われたかのように動けなく、いや逃げようとすることすら意識に登らなくなっていた。

「ダメだ、テュカ!」

 父が矢を番えつつ、精霊に呼びかける。

「Acute-hno unjhy Oslash-dfi jopo-auml yuml-uya whqolgn !」

 風の精霊の助力を得た閃光のような矢が、炎龍の眼に突き刺さる。

 その瞬間、炎龍の叫びが大気を振るわせた。その振動は周囲に居合わせた生きる物全てを引き裂いてしまうのではないかと思わせるほど。

 炎龍はのたうち回るようにして、空へと浮かぶ。

「眼だ、眼を狙え!!」

 戦士達の矢が炎龍の頭部に狙いを集めた。だが大地に降りているならともかく上空に舞い上がった龍の眼を狙うのは、いかに弓兵のエルフと言えども難しい。

 炎龍は、自らを傷つけたエルフを選び出し狙いと定めた。

 集落を巨大な炎の柱で焼き払うと、炎龍はその鋭い爪と牙とでエルフの戦士達を蹴散らす。払いのける。踏みつぶす。その牙で食いちぎる。

「テュカ、逃げなさい!!」

 父親は娘を叱咤した。しかし、娘は呆然と立ちすくんだままだった。

 彼は娘に手を挙げるかどころか、声を荒げたことすらない優しい父親である。それは日々の暮らしの中では柔和なだけの『甘い』父親として見える。しかし、彼はこのような危急の時…則ち勇猛さと暴力的な粗暴さをむき出しにしなければならない時、これを発露できる厳しさも兼ね備えていた。

 父は、娘に龍の上顎と下顎の隙間に捕らえられる寸前、自らの身体をもって娘をはじき飛ばした。そして、炎龍の顎にレイピアのひと突きを喰らわせる。

 そのまま娘の身体を抱え上げると同時に走りだす。

「来たぞっ!!」

 戦士達の精霊への呼びかけが、あたかも合唱のようであった。

 矢が斉射され、その内の数本が炎龍の鱗の隙間へと突き刺さる。口腔に突き刺さる。爪の付け根へと突き刺さる。

 だが、龍はひるむことなく迫ってきた。

 父は、娘に語り聞かせた。

「君はここに隠れているんだ。いいねっ!!」

 そして、娘は井戸の中へと投げ込まれる。

 投げ込まれる最後の一瞬、彼女が見たものは父の背後に広げられた炎龍の巨大な顎。そして鋭い牙だった。





 どれほどの時間を井戸の底で過ごしただろうか。

 集落や森が焼き払われる炎の音。

 井戸の中にまで降り注ぐ火の粉。

 戦士達の怒号。そして悲鳴。

 腰までつかる水の冷たさに震える。ただただ怖くて、恐ろしくて、そして不安とで、涙を止めることも出来ない。

 気がつくと、耳に入る音がなくなっていた。

 聞こえるのは自分の呼吸音。心拍の音。あるいは、ささやかに聞こえる水の音。

 蒼かった空が、いつの間にか黒くなっていた。だが、不思議と井戸の周りは明るい。集落を焼く炎、その光が井戸の底まで届いていた。

 気がつくと、雨が降り始めていた。

 全身が雨に濡れる。顔が濡れる。眼に水が入る。

 だが、どうしても空から目を離すことが出来なかった。

「やぁ、テュカ。無事だったかい?」

 そう言って父が、ひょっこりと顔を出す。そんな光景を何度思い浮かべたことか。

 でも、いくら待ち続けても誰の声もしなかった。

 みんな死んでしまったのではないかという思いが浮かび上がって、胸が引き裂かれそうになる。

「お父さん……………助けて」

 やがて、空が明るくなった。夜の黒い空から、昼間の青い空へと移り変わった。

 井戸水は冷たい。寒さと疲れ、そして空腹とでテュカは立っていることも出来なくなっていた。絶望と悲しみとで、あらゆる種類の気力が失われていた。

「このまま、死んじゃうのかな」

 そんな風に思う。だが不思議と怖くなかった。というより、このまま死んでしまうことは、何か良いアイデアにも思えた。死んでしまえば、畏れや不安から解き放たれる。孤独の悲しみも、切なさからも逃れられる。あらゆる苦しみからの唯一の救いが死、そんな風に感じられるのだ。

 ふと、井戸の上から何か人の声が聞こえたような気がした。

 朦朧とした意識で、天を見上げてみる。すると、視界全体に水汲み用の桶のような物が広がっていた。

 こ~んと言う甲高い音。鼻の奥に香辛料を吸い込んだようなツーンとした激痛。視界一杯に広がる火花。

「はへぇ…」

 スウと、彼女の意識が遠のいていった。

「Daijyubuka! Okiro! Meoakero!」

 ぺちぺちと頬を叩かれる感触、そしてかけられる声。

 霞のかかる視界の向こうで自分をのぞき込む誰かの顔は、どこか彼女の父に似ていた。

「お父……さ…ん」





      *      *





「エルフっすよ、二尉」

 倉田三等陸曹の言葉に、伊丹は「エルフですねぇ」と応じた。

「しかも、金髪のエルフっすよ。くぅ~~希望が出てきたなぁ!」

「お前、エルフ萌えか?」

「ちがいやす。俺はどっちかっていうと、艶気たっぷりのほうが好みでして。でも、エルフがいたんですから、妖艶な魔女とか、貞淑な淫魔(女)とか、熱いハートのドラキュリーナとか、清楚な獣娘と出会う可能性アリでしょ?洒脱な会話の楽しい狼娘も可です」

 伊丹は、18禁同人誌などに描かれる彼女たちの姿を思い浮かべつつも…こんなのが現実にいたらどうなるんだろうというある種の恐怖感に苛まれた。

 獣娘については、劇団四○の某手塚漫画の名作のパクリ演劇…に出演メークをした女優さんがよい例になるかもしれないと思ったりする。だが、妖艶な魔女とかドラキュリーナとかも、萌えるかもしれない。

「そりぁ、まぁ、あり得るんだろうけどさ…」

「いや、絶対にいます!!」

 握り拳で何やら力説し、萌え…この場合は『燃え』ている倉田に退きながら、伊丹は「まぁ、がんばれよぉ」と遠くで応援することにした。

 栗林ともう一人のWAC(婦人自衛官)黒川二曹が、井戸から引き上げた見た目で16歳前後の少女の濡れた衣服を脱がせたり、ブランケットシートでくるんだりしたりと手当している。

 その光景を見物しようとすると、栗林二曹の鉄拳制裁で確実に排除されるために男連中は近付くことも出来ないでいた。

 伊丹も、遠巻きに見ているしかない。仕方なく井戸に降りるのに使ったロープとかを片づける。井戸の底に降りた時、水に濡れた服が冷たい。さらには半長靴の中には水が少しばかり入り込んで歩くたびにギュボ、ギュボ言う。

 他の隊員達は携帯円匙で簡単な埋葬用の穴を掘ったり、集落の状況を記録におさめるために、瓦礫の山を掘り返していたりする。人々の生活に使われていた家具什器、あるいは弓矢などの武器を集めて、ビデオや写真を撮るのも大切な仕事だ。あるいは資料として持ち帰るためのサンプルを選ぶ必要もある。

 伊丹は、腰を下ろすと半長靴を脱いで逆さにした。するとドドっと水がこぼれ落ちた。このまま履くのは抵抗があるが、裸足で居るわけにもいかないので、背嚢から取り出した毎日新聞を靴の中につっこんで水を吸えるだけ吸わせる。靴下はよく絞ってから履き直す。

 黒川二等陸曹(看護師資格有り)がやってきた。

 一応、敬礼してくれるので伊丹も答礼するのだが、身長が170になるかならないかの伊丹は黒川二曹を見上げる姿勢になる。黒川は、身長が190㎝もあるのだ。
 身長をいろいろと誤魔化してどうにか採用基準ギリギリの栗林と二人ならべて第三偵察隊の凸凹WACと呼ばれていたりする。

「とりあえず体温が回復して参りましたわ。漫画的にできたおでこのコブもお約束に従って消えてしまいました。もう大丈夫だとは思いますが…これから、どういたしましょう?私たちは、いつまでもここに居るわけにも参りませんし、でも女の子をここに一人だけ残していくのも何やら不人情な気もいたします」

 と、ゆったりとしたお淑やか口調で黒川は語る。小柄な栗林が気が短くて勇猛果敢なのに対して、大柄な黒川がのんびり屋のお淑やかという性格の対比が妙である。

「見たところココの集落は全滅してるし、助け出したものを放り出していくわけにもいかないでしょ。わかりました、保護ということにして彼女をお持ち帰りしましょ」

 黒川はニッコリと笑った。この女の側にいると時間がゆっくりと流れているような気がしてくるから不思議だ。

「二尉ならばそうおっしゃって下さると思っていましたわ」

「それって、僕が人道的だからでしょ?」

「さぁ?どうでしょうか。二尉が、特殊な趣味をお持ちだからとか、あの娘がエルフだからとか、色々と理由を申し上げては失礼になるかと存じます」

 伊丹は、大きな汗の粒が額から頬をつたって喉を経て、服の下へと落ちていくのを感じた。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 05
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:24
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 本来の予定で有れば、あと2~3カ所の集落巡りをする予定となっている。だが、保護したエルフの娘を連れ回すわけにもいかない。そのために伊丹は、来た道をたどってアルヌスへと帰還することにした。

 アンテナ立てて本部にお伺いを立てたところ、「ま、いいでしょ。いいよ、早く帰ってこいや」という感じで返事が来た。

「桑原曹長…そんなことで宜しくお願いします。まずはコダ村に戻りましょう」

 伊丹はそう言うと、さっさと高機動車の助手席に乗り込んでしまう。

 運転は倉田、後ろで桑原が全体の指揮をする。また保護したエルフと、その看護のために黒川が乗り込んでいる。

 第三偵察隊は、再び走り出した。

 復路も、往路と同じような平和な光景が広がっていた。つい今朝方まで、ドラゴンが空を覆い、集落の1つを全滅させたなど思えないほどである。

 空は青く、大地は広がっていた。

 半日近い行程を、砂煙を巻き上げながらただひたすら走り抜ける。来る時と違ってスピードが出ているせいか、偵察隊にはなんとなく逃げるような気分が満ちていた。

「ドラゴンが来たら嫌だなぁ」

「言うなって。ホントになったらどうするんよ」

 運転席のつぶやきにおもわずつっこむ伊丹。

 舗装などされていない道だ。車は上下に揺れた。

 衛生担当の黒川がエルフの少女の血圧や脈を測って、首を傾げながら呟いた。

「エルフの標準血圧ってどのくらいでしょう?脈拍は?」などと尋ねてきて伊丹を閉口させながらも、バイタルの数値は安定している。人間の基準ならば低いけれどと報告してきた。

「大丈夫かな?」

「呼吸は落ち着いてますし、血圧も脈拍、体温も安定。不自然に汗をかくということもないですし…人間ならば、大丈夫と申し上げるところなのですが」

 エルフの生理学など知らない黒川としてはそう答えるしかない。伊丹は、はやいところ現地人に接触して、エルフ娘の扱いについて相談するのが一番かと考えていた。




        *      *




 コダ村の人々は、「何だお前ら、また来たのか」という感じで伊丹達を歓迎するでなく、といって嫌悪するわけでもなく、なんとなく迎えた。

 伊丹は、村長に話しかけ、教えて貰ったとおり森の中に集落があったが、そこはすでにドラゴンに襲われて焼き払われていた。というようなことを、辞書を見ながらたどたどしく説明した。

「なんとっ、全滅してしまったのか?痛ましいことじゃ」

 伊丹は、小さな辞書をめくりながら単語を選び出す。

「あ~~と。私たち、森に行く。大きな鳥、いた。森焼けた。村焼けた」

 伊丹は適切な単語がないので『鳥』と言いながらもメモ帳にドラゴンの絵を描いてみせる。こういうイラストは伊丹は得意だったりする。

 長老は、そのイラストを見て血相を変えた。

「こ、これは『ドラゴン』じゃ。しかも古代龍じゃよ」

 伊丹の辞書に単語が増える。ドラゴンという単語が付け加えられ、現地でなんと発音するのかが、ローマ字で表記される。

「ドラゴン、火、だす。人、たくさん、焼けた」

「人ではなく、エルフであろう。あそこに住んでいたのはエルフじゃよ」

 村長はこの世界の言葉で『re-namu』と何度か繰り返した。伊丹は、辞書の『え』の覧にに『エルフ/re-namu』と書き込む。

「そうです。そのエルフ、たくさん死んでいた」

「わかった、よく教えてくれた。すぐにでも近隣の村にもに知らせねばならぬ。エルフや人の味を覚えたドラゴンは、腹を空かしたらまた村や町を襲ってくるのじゃよ」

 村長にお礼かたがた手を握られた。いまならまだ家財をまとめて逃げ出す時間があると、村長は人を呼ぶよう家族や周囲に声をかける。

 ドラゴンがエルフの集落を襲ったという知らせに、村人達は血相を変えて走り出した。

「一人、女の子を助けた」

 伊丹の言葉に、村長は「ほぅ」顔を上げた。村長を高機動車の荷台へつれていくと少女を見せる。

「痛ましい事じゃ。この子一人を残して全滅してしまったのじゃな」

 村長は、まだ意識の回復しない少女の金髪頭をひと撫でした。種族こそ違え、このコダ村とエルフの集落とはそれなりの交流があったのだ。
 エルフは森の樹を守り、狩猟で入り込む猟師が森の深部に入りこまないようにと牽制しながらも、負傷したり困窮していれば助け、時には保護して送り返してくれる。

 互いに干渉しない、距離を置いた尊敬関係とでも言うべきか。そんな関係が両者の間にはあったのだ。

「あ~と…この子、村で保護…」

 伊丹の言うことは理解できる。だが、村長は首を振った。

「種族が違うので習慣が異なる。エルフはエルフの集落で保護を求めるのがよい。それに、われらはこの村から逃げ出さねばならぬ」

「村、捨てる?」

「ドラゴンが来る前に逃げなければならぬのじゃよ。知らせて貰えねば、逃げる暇もなく我らは全滅してしまったろうに。ホントに感謝するぞ」





      *      *




 コダ村から少し離れた森に小さな小さな家が、一件建っている。

 サイズとしては、6畳間ふたつの2DK程度。平屋で、小さな窓が二つ。窓ガラスというものが存在しないこの地では、採光と通風が目的の窓も総じて小さめにつくられる。

 煉瓦造りの壁には蔦が這っている。天を覆う樹冠からの木漏れ日に、周囲は柔らかめに明るいため、建物からは瀟洒な感じがして、なかなかに素敵な雰囲気だ。

 その家の前に馬車が止められ、荷台には木箱やら、袋やら、紐で結わえられた本だとかが山積みに積み上げられていた。

 傍らで草を喰んでいる驢馬がその荷馬車を引くとするなら、ちょっと多すぎるんじゃないか?と尋ねたくなるような、それほどまでに多量の荷物だった。

 その山となった荷物を前に、さらに本の束をどうやって載せようかと苦心惨憺している者がいた。

 年の頃14~5といった感じで貫頭衣をまとったプラチナブロンドの少女だった。

「お師匠。これ以上積み込むのは無理がある」

 最早どこをどう工夫しようと、手にした荷物は載りそうもない。少女は、その事実を屋内へと冷静な口調で伝えた。

「レレイ!!どうにもならんか?」

 窓から顔を出した白いひげに白い髪の老人が、「まいったのう」と眉を寄せる。

「コアムの実と、ロクデ梨の種は置いていくのが合理的」

 レレイと呼ばれた少女は、腐る物ではないのだから…と、荷馬車から袋を一つ二つ降ろす。そして、空いたスペースに本の束を載せた。

 コアムの実もロクデ梨の種も、ある種の高熱疾患に効能のある貴重な薬だ。だが、その高熱疾患自体、あまり見られるものではないので、今日明日要りようになるということもない。また稀少とは言っても手に入らないものではないので、失ったら取り返しのつかなくなる貴重な書物に比べ重要性は格段に劣る。

 白髪の老人は袋を受け取ると、肩を落とした。

「だいたい炎龍の活動期は50年は先だったはずじゃ。それがなんで今更…」

 エルフの村が炎龍に襲われてて壊滅したという知らせは瞬く間に村中に走った。
 常のことならば着の身着のままで逃げ出さなければならないはずである。だが、今回は龍出現の知らせが速かっため、荷物をまとめるだけの時間はある。その為に村全体が、逃げ出す支度でひっくり返ったような騒ぎになっているはずだった。

 老人はぶつくさ言いながら、レレイのおろした袋を小屋へと戻す。

 その間にレレイは驢馬を引いてきて荷馬車とつないだ。

「師匠も早く乗って欲しい」

「あ?儂はおまえなんぞに乗っかるような少女趣味でないわいっ!どうせ乗るならおまえの姉のようなボン、キュ、ボーンの…」

「………………」

 レレイは冷たい視線を老人にむけたまま、おもむろに空気を固めると投げつけた。空気の固まりとは言っても、ゴムまりみたいなものだが、次々とぶつけられるとそれなりに痛い。

「これっ!止めんかっ!魔法とは神聖なものじゃ。乱用する物ではないのじゃぞ!私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじゃって…やめんか!!」

 ……………おほん。

「余裕があると言っても、いつまでのゆっくりしていられるわけではない。早く出発した方がいい」

「わかった、わかった。そう急かすな…ホントに冗談の通じない娘じゃのう」

 老人は杖を片手に、レレイの隣によっこらせと乗り込む。レレイは冷たい視線を老人に向けたまま語った。

「冗談は、友人、親子、恋人などの親密な関係においてレクレーションとして役に立つ。だけど、内容が性的なものの場合、受け容れる側に余裕が必要。一般的に、十代前半思春期の女性は性的な冗談を笑ってかわせるほどの余裕はない場合が多い。この場合、互いの人間関係を致命的なまでに破壊する恐れもある。これは大人であれば当然わきまえているべきこととされている」

 老人は弟子の言葉に大きなため息をひとつついた。

「ふぅ~疲れた。年はとりたくないのぅ」

「客観的事実に反している。師匠はゴキブリよりしぶとい」

「無礼なことを言う弟子じゃのう」

「これは、幼年期からうけた教育の成果」

 身も蓋もないことをレレイは告げる。そして驢馬に鞭をひと当てした。
 驢馬はそれに従って前に進もうとしたが、荷台のあまりの重さから馬車はビクリとも動かなかった。

「………………」

「………………オホン。どうやら荷物が多すぎたようじゃのう」

「この事態は予想されていた。かまわないから荷物を積めと言ったのはお師匠」

「………………」

 レレイは黙ったまま、馬車からピョンと飛び降りた。動かない馬車にいつまでも乗っているくらいなら歩いた方がマシだと判断したのだろう。

「おお!レレイは、気の効くよい娘じゃのう。いつもこんな調子ならば、嫁のもらい手は引く手あまたじゃろうにのぅ…惜しい事じゃ。ホントに惜しい事じゃ」

 老人はそう言うと、レレイから手綱を受け取る。そして、驢馬に鞭をひと当て。だが、やはり荷馬車はピクリとも動かなかった。

 レレイはちらりと車輪に目をやった。車輪は地面に1/3程めり込んでいる。このままでは動くことはないだろう。

「お師匠。馬車から降りるのに手が必要なら言って欲しい」

「し、心配するでない。儂らにはこれが有るではないか?」

 老人は杖を掲げる。するとレレイは老人の口調を真似た。

「魔法とは神聖なものじや。乱用する物ではないのじやぞ。私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじや…」

 老人は、額に漫画的な汗を垂らしながら言い訳する。

「儂らは魔導師じゃ。『ただ人』のごとく歩く必要はないのじゃよ」

 しかし、レレイの温度を全く感じさせない視線は和らぐことはなかった。

 老人の口は「あー」の形状で固まったまま呪文がなかなか出てこない。

「………………」

 教育者としての矜持とか、いろいろなものがその胸中で葛藤しているのだろう。老人が次の動きを見せるまでしばしの時間が必要だった。だが、やがて老人は情けなさそうな表情をはりついた顔をレレイに向ける。

「す、すまんかった」

「いい。師匠がそう言う人だと知っている」

 レレイとは、そういうことを口にする身も蓋もない娘であった。




 魔法を使うことで重量が軽くなれば、荷物山盛りの馬車も驢馬の力でも容易に引くことが出来る。

 レレイと師匠の乗った馬車は、長年住み慣れた家を後にした。

 村の中心部に向かう中。あちこちの家でレレイ達同様、馬車に荷物を積み込む者の姿が多く見られた。農作業用の荷馬車や荷車、あるいは直接馬の背中に荷物をくくりつけている者もいる。

 レレイは、あわてふためいて逃げ出す支度をする村人達の姿を、じっと観察してた。

 そんなレレイに、師匠は言う。

「賢い娘よ。誰も彼もが、お前の目には愚かに見えることじゃろうなぁ」

「炎龍出現の急報に、これまでの生活をうち捨てて逃げ出さなくてはならなくなった。だけど、避難先での生活を考えれば、持てる限りのものを持っていきたいと考えるのは、人として当然のことと言える」

「人として当然とは、結局の所『愚しい』ということであろ?」

「…………」

 レレイは、師匠の言葉を否定しなかった。

 本当に命を大切に思うので有れば、与えられた時間を使って、より遠くへ逃げるべきではないだろうかと考えるのだ。

 なまじ余裕が有るばっかりに、荷物をまとめるのに時間を費やしてしまっている。これによって結局は出発時間が遅れる。さらに重い荷物は移動速度を低下させる。炎龍に追いつかれてから、荷物を捨ててももう遅いのだ。

 そもそも、人は何故生き続けたいなどと考えるのか。

 人はいずれ死ぬ。結局は遅いか早いかでしかない。

 ならば、わずかばかりの生を引き延ばす行為にどんな意味があるというのか。

 レレイはそんな考え方すらしてしまうこともあった。

 村の中心部にさしかかると、道は馬車の列で渋滞が出来ていた。

「この先は、いったいどうしたのかね?」

 いつまでの動かない馬車の列に苛立ってか、師匠は進行方向から来た村人に声をかけた。

「これは、カトー先生。レレイも、今回は大変なことになったね。…実は、荷物の積み過ぎで、車軸がへし折れた馬車が道を塞いでいるんです。みんなで、片づけてますが、しばらく時間がかかりますよ」

 引き返して別の道を選ぼうにも、すでに後ろにも馬車が塞いでいて行くも戻るも出来なくなっていた。




 レレイは、後方から見慣れない姿の男達が、これまで聞いたこともない言葉で騒ぎながらやって来ることに興味を引かれた。

「避難の支援も仕事の内だろ。とにかく事故を起こした荷車をどけよう!伊丹隊長は村長から出動の要請を引き出してください。戸津は、後続にこの先の渋滞を知らせて、他の道を行くように説明しろ!!言葉?身振り手振りでなんとかしろ!!黒川は事故現場で怪我人がいないかを確認してくれ」

 見ると、緑色…緑や濃い緑、そして茶色のまざった斑模様の服装をした男達だった。いや、女性らしき姿もある。兜らしいものを被っているところをみると、どこかの兵士だろうか?だが、それにしては鎧をまとっていない。レレイの知識にない集団のようだ。

 何を言っているのかよくわからないが、初老の男に指示された男女が凄い速度で走っていく。

 その様子を見ると、はっきりとした指揮系統らしきものがあるようだった。

 レレイは師匠に「様子を見てくる」と告げると、馬車を降りた。

 馬車15台程先に、事故を起こした馬車があった。

 車軸が折れて馬車が横転している。その時に驚いた馬が走り回って暴れたらしい、巻き散られた荷物と、倒れている男性や母子の姿があった。

 馬も倒れて泡を吹いているが、まだ起きあがっては暴れようとしている。そのために、村人達は近づこうにも近づけないのだ。

「君。危ないから下がっていて」

 緑色の人達。

 何を言われているのかよくわからないが、手振りからしてレレイに下がっているように言っているのだろう。

 だがレレイは倒れている母子がどうやら怪我をしているらしいことに気付くと、制止を振り切って、駆け寄った。傍らで馬が暴れているが気にしない。

「まだ生きている」

 レレイよりちょっと下。10歳ぐらいの子供を診ると、頭を打ったようで血の気がない。母親は、気を失っているようだがたいしたことはないようだ。子供が一番危険な状態だった。

「レレイ!!何をしている?何があった?」

 呼ぶ声に振り返ると村長だった。やはり緑の服の人と一緒だ。事故の知らせに今来たのだろう。

「村長。事故。多分荷物の積み過ぎと荷馬車の老朽化。子供が危険、母親と父親は大丈夫そう。馬はもう助からない」

「カトー先生は、近くにいるのかね?」

「後ろの馬車で焦れてる。あたしは様子を見に来た」

 ふと見ると、緑の服の女性が、レレイと同じように子供の様子を、誰かに伝えている。
村長のとなりにいる30代くらいの男が指示を出しているようだった。

 突然、悲鳴が上がる。「危ない!!」

 バンバンバン!!

 突然の炸裂音にびっくりして振り返ると目に入ったのは、暴れていた馬が、レレイに覆い被さるようにドウッと倒れるところだった。紙一重のところで巻き込まれずに済んだが、ホンの少しずれていたらレレイの10人分はある馬体に、彼女は押しつぶされていた。

 レレイに判ったのは、どうやら緑の服の人たちが、暴れる馬から自分を守るために何かしたということだけだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 06
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:26
-05-




 大陸諸国から帝国に集まった軍勢が、一夜にして姿を消した。

 それは日本ならば新聞の一面トップ、あるいはバナー広告一行目にとりあげられるような出来事であろう。だがこの世界、この土地の民にとって、軍がどこに行こうとどうなっていようと関係のない話だった。戦争に負けたとしても、支配者が変わるだけ。人々の生活になんら変化を起こすものではないのだ。

 これと言うのもは常にどこかの国と戦争をしているという状態が続いていたせいである。戦争に勝ったり負けたり、領地をとったり取られたり。領主がコロコロとかわり、仰ぐ旗がコロコロかわる。そんなことが続けば、我々の言うところの愛国心など育まれるはずがない。

 自分の住んでいる土地とその周辺が戦場になるのではないかぎり、あるいは自分の家族が兵士として戦場に赴いているのでない限り、市井の民が国の動静に関心をはらうことはほとんど無いのだ。

 それでも騎士や兵士達が移動して数日。人々の生活にも、影響が表れ始めていた。

 それは、盗賊の跳梁である。

 この世界の支配体制では、兵士や騎士の存在があったとしても、盗賊を抑える効果はそれほどない。なぜなら、貴族や騎士の主たる任務に治安の維持は含まれていないからである。

 彼らの役割と関心は「支配する」ことにある。騎士や貴族や『税金』と称して奪う。盗賊らは名目がないけど奪う。どちらも無理矢理で、拒否したら暴力を振るう。本質は同じで、大した違いはないのだ。

 もし、貴族や騎士が盗賊を退治したとしても、それは牧童が自分の羊を守るために、たまたま自分の視界に入った狼を追い払う程度のことでしかない。身も蓋もない言い方だが、民衆の安全に気を配ることは義務ではなく、奨励される善行のひとつに過ぎないのだ。

 死にものぐるいになって刃向かってくる盗賊を追って命をおとすかもしれないとなれば、貴族や騎士達が熱意を持ってこれと戦うなどまずあり得ない。これは、とりわけ珍しいことではない。かつての日本でも同じで黒澤明監督の映画「七人の侍」の状況設定が成立するのもこのせいと言える。

 とは言え、騎士や兵士が激減したという事実は、盗賊の喜ぶ状況だった。

 これまでは、こそこそと行っていた野盗行為を堂々と行えるようになったのだから。




 獲物がいなくなったら困るので、根こそぎ狩ったり奪ったりしない…というのは智恵のある狩人の仕事である。それと類似するのが盗賊行為であるが、そもそも智恵のある人間が盗賊に身を落とす例は少ないので、盗賊の大部分は、陰惨を極める仕事の仕方をする。

 例えば近くにドラゴンが出たために、とある村から逃げ出すことになった一家だ。

 男は、農耕馬に馬車を引かせると、家財一切合切と妻32歳と娘15歳を乗せて村を出た。

 こうした逃避行では、野生の草食動物がするように…例えば野牛やシマウマのように、キャラバンを組んで移動するのが常である。だが、そんな悠長なことをしているとドラゴンに襲われるかも知れないという恐怖が先にたった。

 だから村人達が止めるのも聞かず、一家だけで村を出たのである。

 運悪く盗賊が現れたのは、村を出て2日目の夕刻だった。

 男は、農耕馬に鞭打って馬車を走らせたが、荷物満載の農耕馬車がそんなに速く走れるはずもない。抵抗らしい抵抗をすることも出来ず、一家は騎乗の盗賊達に取り囲まれてしまった。

 男はあっさりと殺され。家財と、妻と娘を奪われたのだった。




 夕闇の中。十数名の盗賊達は、火を囲んで獲物を得た喜びに、一時の享楽を味わっていた。

 獲物の中には金品ばかりでなく一家が当面の暮らしを保つための食料もあった。これで腹を満たす。母娘を犯すのは順番待ちだが、盗賊でも主立った立場にいる者は早々に獣欲を満たして、いい気分で酒を味わっていた。

「お頭、コダ村だそうですぜ」

 炎龍の出現によって村中で逃げ出している。荷物満載で足が遅い。たいした脅威もない。これを襲ってはどうか?襲わない手はない。襲いましょう。奪いましょう。

 配下の言葉に、頭目はニンマリとほくそ笑んだ。実に良いアイデアだ。そうしよう。彼はそう考えた。だが…。

「手が足りねぇぞ」

 20人に満たない自分の配下では、村丸ごとのキャラバンは獲物が大きすぎる。

「それですよ。あちこちに、声をかけて人を集めるんでさぁ。そうすれば今まで出来なかったような大仕事が出来ますぜ」

 これは手下を集める良いきっかけと言えた。

 頭数をがそろえば、村や町を襲うことも出来る。うまくやれば、領主を追い出して自分が領主になることも出来るかも知れない。

 野盗から領主へ…その日暮らしの盗賊家業から、支配者への成り上がりの夢。しばしの夢、刹那の夢に浸る。

 名もない盗賊の頭目。彼にとって幸福を夢見た瞬間が、人生の終わりだったのは幸せだろうか。それとも不幸だろうか。

 ゴロッと首の上から、頭が落ちて地に転がる。

 ゴロゴロと大地を転がり、たき火の側で止まった。

 ジュと髪が焦げ独特の臭いが立ち上がる。

 生理学的には、人は首を切られても数秒は意識があると考えられている。とすれば、彼は自分の頭が大地を転がる瞬間を体験しただろう。そして、自分の身体であった物体が、首から血液を噴出させながらグラッと倒れる瞬間を眺めることが出来たかも知れない。

 そして、暗くなっていく視野の向こうに、自分の赤い血を浴びる長い黒髪の死に神を見た。




 その少女を見た者は誰もが最初に「黒い」と思う。

 抜けるような白い肌に漆黒の髪、黒い衣装。

 そして、その瞳は底のない闇のごとく黒かった。

 ビュンという風切り音とともに、盗賊の首が飛ぶ。

 手にした武器は、重厚なハルバート。

 重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器だ。断じて小柄な少女が振り回してよい武器ではない。フリルで飾った服をまとった少女が手にしてよいものではない。それを柳のような細い腕と、そして白魚のような細い指で振り回す。

 どすっと重い鉄斧を肩に載せて、丸い息を「ほっ」吐く。

 少女の周囲には野盗であった死体が累々と横たわっていた。

「クスクスクス………。おじさま方、今宵はどうもありがとう」

 スカートをつまみ上げて、ちょこんと一礼。

 年の頃は見た目では12歳前後。優美さと、気品のある所作からは育ちの良さが感じられた。

 そのかんばせは笑顔をたたえている。だが、目だけが笑っていない。黒い瞳の中に浮かぶ闇ははどこまでも深い虚無だった。

「生命をもってのご喜捨を賜りホントにありがとう。神にかわってお礼を申し上げますわねぇ。神はあなた達の振るまいがたいそう気に入られて、おじさま方をお召しになるっておっしゃられてるの」

「………な、なんでぇ!てめえはっ!」

 まだ、生きている野盗達の中に、はらわたに氷を詰められたようなぞっとする重さの中で、なんとか虚勢をはることができた者がいた。この際、声を出すことが出来ただけでも褒めてやるべきか。

「わたしぃ?」

 くすりと愛らしくほほえむ。

「わたしはロゥリィ・マーキュリー。暗黒の神エムロイの使徒」

「エムロイ神殿の神官?……じ、十二使徒の一人。死神ロゥリィ?」

「あらぁ、ご存じなのぉ? クスクスクスクス…正解よぉ」

 コロコロと嗤う少女を前にして、野盗達は一斉に逃げだした。荷物もなにもかもうち捨てて死にものぐるいになって走り出す。

 じょ、冗談じゃねぇ。使徒なんかとまともにやり合えるかっ!!

 魂の叫び、命の叫びをそれぞれにあげながら、懸命に死の顎から逃れようとする。

「だめよ。逃げてはいけないのよぉ」

 ロゥリィが跳んだ。自分の体重ほどもあるような巨大な鉄塊を抱え、どう猛な肉食獣の身のこなしで、盗賊達に襲いかかる。

 ハルバートが盗賊の頭をスイカのようにかち割ると、周囲にミンチ状の肉片がまき散らされた。

「ひぇ、あわっ…ひっ」

 腰が抜けた男の前に、ゆらぁりと立つロゥリィ。重たいハルバートをよいしょと担ぐと、足下をちょっとふらつかせながらも、高々と掲げあげる。

 彼女の白い肌は、返り血で真っ赤に染まっていた。

「うふふ……神様はおっしゃられたのよ。人は必ず死ぬのぉ。決して死から逃れることは出来ないのぉ」

 振り下ろされる斧に続いて、断末魔の悲鳴が響くのだった。




        *      *




「はぁ、はぁ、はぁ…なんだって、エムロイ神殿の神官がこんなところに…」

 男は我が身におきた不幸に不満をたれながら、走っていた。

 遠くから仲間の絶叫が聞こえる。また一人、死神教団の使徒に命を刈り取られたようだ。

「くっ、くそっ」

 夜の荒野だ。道などない。窪みがあり、岩が転がって、荊が群生し、立木が立ちふさがっている。男は、転び、のたうち回りながら、泥と汗とにまみれ、あちこちをすりむき、服を破きながら、あえぐように走った。

 また、絶命の悲鳴がこだました。

 ぬかるみにはまり込み、滑って転ぶ。身体を地面にうちつけて、男は拳で大地を打った。

「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉっ、なんで俺がこんな目にっ!!」

「あらぁ。十分楽しんだのではないのぅ?」

 トンという足音。それに続く鈴を鳴らしたような声に、はっと見上げる。すると銀色の月を背景に、黒い少女が立っていた。

「あなた、イイ思いをしたのではなくてぇ?人を殺したのではないのぉ?」

 男の開いた脚の間…股間すれすれにズトンと、大地を割らんばかりにハルバートが突き刺さった。

「ひ、ひっひ、ひ、お、俺はまだやってねぇ!!」

「あらぁ、ホントぉ?」

「ホントだよ!!仲間にしてもらって、これが初めての仕事だったんだよぉ!!女だって、俺は新米だから最後だって言われて、まだ指一本触れさせて貰ってねぇんだ!!」

「ふ~~ん?」

 ロゥリィはのぞき込むようにして、男を値踏みした。

「他のおじさま達は、み~んな、エムロイの神に召されたわよぉ。あなた独りじゃ寂しいんじゃなくてぇ?」

 男はぶるぶると首を振った。寂しくない、寂しくない。

「でもぉ、独りだけ仲間はずれなんて、いい気分じゃないわぁ」

「いや、是非仲間はずれにしてくださいっ!!!」

 男は祈るように願った。

 ロゥリィは、ロゾリとした刃物のような冷たい目で男を見下ろす。

「どうしよぅかなぁ~」

 言いながら、とロゥリィはポンと掌を拳でうつ。「そうだわあ。良いこと考えたのぅ」

「まだ、何もしてないなら。今からでもすればいいのよぉ」

 そう言って黒い少女が男の片足をむんずと掴みあげる。それは華奢な見た目からは信じられないほどの怪力だった。

「るるんらっ」と鼻歌を歌いながら、雑巾かモップでも引きずるような感じて男を引っ張る。

「いでで、やめっ!ごふっ!!あつっ」

 石や砂利の転がる荒れ地だ。男の汗にまみれた身体は、自らの血でさらにまみれた。

「あなた、お母さんと、娘さんとどっちが好み?」

「いやだぁ!止めて!!ぐへっ、ごっぽっ……」

「遠慮なんかしてはいけないのぉ。これが最期なんだしぃ、お相手していただけるようにあたしが頼んであげるわよぉ」

 ロゥリィは男の足をつかんだままぶんっと腕を振る。男は、うち捨てられた人形のように不格好に横たわる母娘のところでドサと転がった。

「さぁ、はじめるとよいのぉ。貴方の順番よぉ」

 男は首をブルブルと振る。

 一糸も纏わない母娘2人は、暴行を受けていた姿勢そのままに両足を広げ、両腕は万歳するかのように挙げていた。身動き1つせず横たわっていて、見ると呼吸も止めている。

「あら困ったわね。こちらの2人も、もう召されてしまったようだわ」

 暴行をうけている間に、命に関わるような傷を負わされたのかも知れない。

「間に合わずにごめんなさいね」

 ロゥリィは母娘に瞑目して頭を少し下げた。その上で男に微笑む。

「でも、折角だからぁ。やったらぁ?」

 男の股間が濡れて、周囲に水たまりが広がっていった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 07
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:7f4040fb
Date: 2008/04/02 14:27
-06-




 盗賊の青年は、涙を流しながら許しを請い続けた。

 地に這いずり、手を組んで祈るように。

 涙と鼻水を流しながら慈悲を請う。自分はまだ直接には罪を犯していない。まだ手を汚していない。生活苦のために、盗賊に身を落とすしかなかった。反省して、心を入れ替えて、これからは真面目に働く等々。

 ロゥリィはその醜態に嘆息する。汚物から目を背けるかのように顔を背ける。

 その見苦しさに、視線を向けたが最期、自らが汚されてしまうかのような気分になってしまったのだ。

 まず大前提がある。それは、ロゥリィの考えでは、人を殺すことは罪ではないということなのだ。

 大切なことは、何故、どのような目的で、そしてどのような態度でそれを為したかなのだ。

 これこそロゥリィの仕える神の教えでもあった。

 盗賊や野盗が、人のものを盗むことの何が悪いのだろう。

 兵士や死刑執行人が、敵や死刑囚を殺すことの何が悪いのだろう。

 そう言うことなのだ。

 ロゥリィの仕える神は善悪を語らない。

 あらゆる人の性を容認する。人が生きるために選んだ職業を尊ぶ。そして、その職業なりの道を尊ぶ。だから、盗賊ならば盗賊として堂々としていればよい。そのかわり盗賊であるが故に、兵士であるが故に、戦場でそして法によって裁かれること等で、自らの命もまた奪われることを覚悟すべきだと教えるのだ。

 もし、この男が盗賊として胸を張ってロゥリィに相対したので有れば彼女はそれなりの尊敬を示したろう。神の使いの立場として、青年を愛したかも知れない。

 だが、この男の態度たるやどうだろう。

 まず、自ら手を汚していないという言い訳が許せない。実際に盗賊集団に参加し、『数を頼む暴力』の構成員となった以上、直接暴力を振るったかどうかは全く関係がないのだ。

 そして、生活苦のために盗賊に身を落とすしかなかったという言い訳がまた許せない。食べていけないのなら、飢えて死ねばいい。

 才覚に乏しく運に見放され食べていくことが出来ないが、誰も傷つけたくない。故に、物乞いや路上生活者として生きるということを選択した者も、ロゥリィは愛するのだ。

 人として愚劣。男として低劣。まさに存在の価値なし、その見苦しさの余り漆黒の使徒はその美貌をゆがめた。

 ロゥリィは、冷厳に命じる。

 墓穴を掘るようにと。その数は三つ。

 青年は、道具がないと応じたが、母親から頂いた両手が有るでしょう?とロゥリィに論駁されてしまう。

 だから青年は荒野を引っ掻くようにして、穴を掘った。

 ここは荒野だ、砂場や耕された畑に穴を掘るようには行かない。たちまち爪は剥がれた。皮膚はぼろぼろとなった。しかし、青年がその痛みに手を休めようとすると巨大なハルバートがつま先を削るようにして叩きつけられて、大地を抉る。

 恐怖に駆られた青年は、一時の狂躁に苦痛を忘れ、砂礫と雑草の大地を削るようにして、必死で穴を穿つのだった。

 やがて、一家の父親を埋葬した。

 一家の母親を埋葬した。

 そして一家の娘を埋葬する。

 最早、感覚を失った掌で土を掬いあげて少女の墓に盛り終えた時、すでに太陽は昇り、あたりは朝となっていた。

 男が仕事を続けたのは、これが、自らを見逃す条件であると思ったからだ。いや、そう思いたかった。思いこもうとした。そして男はお伺いをたてるかのように振り返る。

「こ、これでいいか?」

 渇きと飢え、そして疲労と両手の激痛とで息も絶え絶えとなっていた男は、見た。

 神の祈りを捧げる少女、ロゥリィの姿を。

 片膝をついて、両手を組み一心に祈る。彼女は神秘的な陽光に包まれ気高く美しく、見る者の呼吸すら押し止める。

 喪服にも似た漆黒のドレスと長い黒髪。

 白磁の肌。

 古くなった血液のような、赤黒の口紅がぞっとするような笑みの形を描く。

 祈りを終えた少女はゆっくりと立ち上がり、ハルバートを掲げあげた。そして身じろぎも出来ずにいる男へと向かって、神の愛と自らの信仰の象徴を振り下ろすのだった。





      *      *




 コアンの森在住のハイ・エルフ、ホドリュー・レイ・マルソーの長女テュカは、自分は今、夢を見ていると思っていた。

 寒冷紗がかかったような朦朧たる視野。そのなかで『人間』達が行き交う。

 何が起きているのか?感じ取り洞察しうる思考力が働かない。ただ、目に映る物、耳に入る音を受け容れるだけだった。

 空に浮かぶ雲や目に映る風景が、時折流れるように動く。止まる。また、動き出す。それに伴って身体が揺すられる。

 どうやら、荷車のようなものに載せられているようだった。

 動いては止まる。また動いては止まる。

 『荷車』の窓から見えるのは、荷物を背負い抱えた人間達が疲れた表情で、そして何かに追い立てられるかのような表情で歩いている姿だった。

 荷物を満載した荷車がガラガラと音を立てながら進んでいく。

 また動き出す。そしてしばらくして止まる。

 暗かった壁が切り開かれて、そこから外の光が差し込んで来た。

 眩しい……。

 ふと、視界がぼんやりとした黒い人影で覆われた。

「Dou? Onnanoko no yousuha?」

 視界の外にいる誰かと何か会話しているようだが、聞き取ることも理解することも出来なかった。

「クロちゃ~ん。どう?女の子の様子は?」

「伊丹二尉…意識は回復しつつありますわ。今も、うっすらと開眼しています」

 そんな会話も、テュカにとっては無意味な音声でしかなかった。

 高名な原型師が、最高の情念と萌え魂を込めて作り上げた、そんな造形の美貌と肌をもつ少女が、力無く横たわっている。流れる金糸のような髪をまとい、うっすらと開かれた瞼の向こうには、青い珠玉のような瞳が垣間見られる。

 伊丹は少女のように見えるエルフ女性を眺め見て、ため息を1つついた。

 熱は下がって安定。バイタル(心拍・呼吸数・血圧/標準値がどの程度のなのかは判らないが、上がるでもなく下がるでもなく、安定していることは悪いことではないと黒川は語った)も安定しているとは言え、気をつかわないわけには行かない状態だ。

「遅々として進まない避難民の列。次から次へと沸き起こる問題。増えていく一方の傷病者と落伍者。逃避行ってのは、なかなかに消耗するものだねぇ」

 それは愚痴だった。「息抜きの間に人生をやる」がモットーの伊丹にとって、現状がいつまで続くか判らないことは苦痛以外の何者でもないのだ。

 疲労。人々の悲壮な表情。餓えと渇き。赤ん坊の悲鳴にも似た鳴き声。余裕をなくして苛立つ大人達。事故によって流される血液。照りつける太陽。落とす間もなく靴やズボンにこびりついていく泥・泥・泥。

 ぬかるみにはまって動けなくなってしまう馬車。その傍らで座り込んでしまう一家。しかし村人達には為す術がない。彼らには落伍者を無感動に見捨てていくことしか出来ないのだ。助けようにも精神的にも肉体的にも余力がなかった。「せめて我が子を…」と通りゆく荷馬車に向けて赤子を捧げる父親。

 キャラバンからの落伍は死と同義だった。乏しい食料、水。野生の肉食動物。盗賊。そんな危険の中に身を曝して生き続けることは難しい。

 見捨てるのが当たり前。見捨てられるのも当然。生と死はここで切り分けられてしまう。それが自然の掟だった。

 誰か助けて。

 その祈りに力はない。

 誰か助けて。

 神は救わない。手をさしのべない。ただ在るだけだった。

 誰か……誰か誰か。

 神は暴君のように命ずるだけ。死ねと。

 だから、人を救うのは人だった。

 動けなくなった馬車に緑色の衣服をまとった男達が群がった。ただ、脱輪しただけならば助けようはあると言う。

「それっ、押すぞ!!」

「力の限り押せ~、根性を見せて見ろっ!!」

 号令に全員が力を込める。泥田のような泥濘から馬車が救われ、再び動けるようになると、男達は礼の言葉も受け取ろうともせず、馬を使わない不思議な荷車へと戻っていく。

 村民達は思う。彼らはいったい何だ?

 この国の兵士でもないようだし、無論住民でもない。ふらっとやってきて、村に近づく危機を知らせ、そしてこうして逃避行を手伝う。気前がよいと言うよりは、人の良すぎる不思議な笑みを顔に張り付かせている異国の人間達。そんな印象が村民の一部に残った。

 馬車が荷物の重みに耐えかねて、壊れてしまった場合の彼らは冷酷だった。

 荷物を前に呆然と立ちつくす村人の元に、緑色の男達の長と村長がやってくる。

 そして村長から、背負えるだけの荷物を選ぶように説得される。荷物を棄てるなど村人達の考えてもしないことだった。荷物とは口を糊するための食料であり、財産だ。これらなくしてどうして暮らしていけると言うのか?だが、村長はそれでもと荷物を棄てるようにと告げる。嫌々ながら、緑色の服をまとった連中の言葉を伝えさせられているという態度だった。そして未練が残らないようにと火を放たせられた。そうなってしまえば、燃え上がる家財に背を向けて歩きだす。明日はどうするのか?あさっては?全く希望の見えない状況で、泣く泣く歩くしかないのだ。

 今やキャラバンには荷車の列と、徒歩の列とが出来ていた。そして時間の経過とともに徒歩の列が増え、荷車の列は減りつつある。

 黒川は伊丹に言った。

「どうして火をかけさせるのですか?」

「荷物を前に全く動こうとしないんだもの。それしかないでしょう?」

「車両の増援を貰うというわけにはいかないのでしょうか?」

 自衛隊の輸送力なら、この程度の村民を家財ごと一気に運んでしまうことは簡単なのだ。

 だが、伊丹は顔をしかめて後頭部を掻く。

「ここは一応、敵対勢力の後方に位置するんだよね。力ずくで突破すれば出来ないこともないよ。でも、僕たち程度の少数なら見逃しても、大規模な部隊が自分たちのテリトリーの奥に向かって移動を開始したら、敵さんもそれなりに動かざるを得ないと思うんだよね。偶発的な衝突。無計画な戦線の拡大。戦力の逐次投入。瞬く間に拡大する戦禍。巻き込まれる村民達。考えるだけでゾッとしちゃうってさ」

 そんな伊丹の言葉に、黒川は苦笑をかえす。伊丹が一応は上に向かって『お伺いは立てた』のだと言うことが、その言葉から知れたからだ。

「だから、僕たちが手を貸す。それぐらいしか出来ないんだよ」

 伊丹の言葉に黒川も頷かざるを得なかった。




        *      *




 コダ村の避難民のキャラバンが『そこ』を通りかかったのは、太陽があと少しで最も高いところに昇るという頃合いになる。

 キャラバンの先頭を行く第3偵察隊の高機動車(HMV)。しかし、その速度は歩くのとそう大差なかった。

 なにしろ徒歩の村人と、驢馬や農耕馬の牽く荷車の列だ。歩くだけの速度でも出ていればまだマシと言えるかも知れない。

「しっかし…もうちょっと速く、移動できないものですかねぇ」

 倉田三等陸曹が愚痴る。

「こんなに遅く走らせたのは、自動車教習所の第1段階の時以来っすよ」

 迂闊にアクセルを踏み込むと、たちまちキャラバンを引き離してしまう。倉田はオートマのリープ現象を利用してアクセルはほとんど踏み込まず、両手もただハンドルを支えるだけにしていた。

 バックミラーには、バックレストにしがみつくようにして前を見ている子供の姿が映っていた。すでに、高機動車の荷台には疲れて動けなくなった子供や、怪我人を載せている。すぐ後ろを走る73式トラックも、狭い荷台に怪我人や身重の産婦が乗せている。もちろん、危険な武器や弾薬・食料といったものは、軽装甲機動車に移した。

 伊丹は航空写真から起こした地形図を見て、双眼鏡を右の地平線から左へと巡らせる。地形と現在位置を照らし合わせて、これまでの移動距離を積算して、残余の距離を目算する。道のりばかりでなく、高低差、川や植生と言った情報も重要だ。

「妙に、カラスが飛び交ってますよ」

 倉田の言葉に「そうですねぇ」などと適当に答えながら再び前方に双眼鏡を向けると、カラスに囲まれるようにして少女が路頭に座り込んでいるのを見つけた。

「ゴスロリ少女?」

 それは、ちょっとしたイベントとか繁華街…例えば原宿などで目にする機会の増えた服装である。その定義については諸説紛々であるが、伊丹はこの少女の服装を『黒ゴス』であると認識した。

 年の頃12~14歳前後。見た目も麗しく、まさに美少女であった。

 そんな少女が荒涼たる大地の路頭に座り込んでいる。黒曜石のような双眸がじっとこっちを見つめている。

「うわっ。等身大のSD(スーパードルフィー)人形?」

 倉田も双眼鏡をのぞき込んで呻く。

 その少女はそれほどまでに無機的な…そして隙のない造形をしていたのだ。

 とは言え、倉田が求めるように車を駆け寄らせて少女を眺めるわけにもいかない。コダ村のキャラバンはコミケ入場口に向かう行列のごとく遅々たる動きであり。このまま高機動車が少女に近づくには時計の秒針が5回転するほどの時間を必要とする。

 伊丹は、勝本や東といった隊員を徒歩で先行させて、話しかけさせた。

 この近くの住民?もしかすると銀座事件の時に連れ去られた日本人?様々な可能性を考えながら対応を検討する。

 だが勝本や東が話しかけても少女のコミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。座り込んだ少女に職務質問をする新人警察官。そして、それを無視する家出少女みたいな感じになってしまっていた。

 キャラバンが少女のもとにたどり着くと少女は待ちくたびれたかのように立ち上がり、ポンポンとスカートの砂埃を払う。そして、やたらとでかい鉄の塊とおぼしき槍斧を抱えると高機動車(HMV)に並んで歩き始めた。

「ねぇ、あなた達はどちらからいらして、どちらへと行かれるのかしらぁ?」

 少女が発したのは現地の言葉であった。

 もちろん、言葉に不自由な伊丹達が答えられるわけもない。辞書代わりの単語帳をひらいたりしながらどうにか片言で通じる程度だ。東も勝本も肩をすくめ、とりあえず歩き出す。

 コミュニケーションの空白を埋めたのは、高機動車の左右の空いたが広く取られているのを利用して、倉田と伊丹の間で前を見ていた7歳前後の男の子だった。

「コダ村からだよ、お姉ちゃん」

「ふ~ん?この変な格好の人たちは?」

「よく知らないけれど、助けてくれてるんだ。いい人達だよ」

 少女は、歩行速度で進む高機動車の周囲を、一周する。

「嫌々連れて行かれているわけじゃないのねぇ?」

「うん。ドラゴンが出たんだ、みんなで逃げ出してきたんだ」

 伊丹達は外人同士の会話をわかったような解らなさそうな表情で聞いている典型的な日本人の態度をとるしかなかった。

 とりあえず東と勝本には列の後方で村人のケアをするように指示して、少女から情報をとるのは直接自分ですることに決めた。単語を確認して、話しかけるつもりで男の子と少女との会話が切れるのを待つ。

「コレ。どうやって動いてるのかしら?」

「僕が知りたいよ。この人達と言葉がうまく通じなくてさ…でも、馬車や荷車と比べたら乗り心地は凄く良いんだよっ!!」

「へぇ~、乗り心地が良いんだ?」

 すると黒ゴス少女は、コラコラコラと制止する間もなく、ズカズカと伊丹の座る助手席側から高機動車に乗り込んで来てしまった。もちろん、伊丹の膝の上を跨ぎ越えていってだ。運転席や助手席のドアがなく、開け放たれていることが災いしたかも知れない。

 高機動車は大人が10人は乗れる。

 前席は正面を向き、後席は左右からに向かい合わせて座るように椅子が配置されている。その中央に装備などを置くスペースとるため十分な広さがあって、現状のように道交法を無視できるのであれば、子供だけなら無理無理に20人近くは乗せることが可能なのだ。

 しかしそうだとしても、荷物もあったり、子供や老人とかで朝の通勤ラッシュに近い状態だ。そんな車内に「ちょっと詰めて」などと言いながら乗り込んでくる少女は、村人達からも歓迎されない。あからさまに苦情を言わないがみな迷惑だなぁという表情で迎えた。

「ちょ、ちょっと。狭いよおねぇちゃん」

「ん~ちょっと待ってて」

 ただでさえ狭いのに、長物を持ち込もうとしている。

 ハルバートは長い。そして重い。縦にも横にしようとするのにも、誰かの頭や顔やらをゴチゴチとぶつけることになってしまった。結局、みなが窮屈な思いをしながら身をちょっと寄せたり動かしたりして、車内の床に転がすように置くこととなった。

 その上で、自分自身がどこに座ろうかということで腰の卸場所を探すのだが、どこにもない。仕方なく、黒ゴス少女が腰を下ろす場所として選んだのは、御者という訳ではなさそうなのに、なんだか一人だけ良い席に座っている男の膝だった。

「ちょっと待て」

 乗り込んで来る段階から唖然として対応に困ったのは伊丹だ。

 黒ゴス少女を制止しようとしたが、うかつに手を出して『危険な箇所を』触ったりしたらセクハラやらなんやらと言われて、えらいことになりそうな予感がしてつい手を引っ込めてしまった。しかも言葉も通じない。「ちょっと待てって!!」「あちこち触るな」「小銃に触るな、消火器に触るな」「とにかく降りろって」「わぁっ、危ないものを持ち込むな」と日本語で、いろいろと怒鳴ったり抗議したりするのだが、馬の耳に念仏というか、蛙の面になんとやらという感じで完璧に無視されてしまったのだ。

 しかも少女が、ちょこんと腰を下ろしたのは自分の膝の上だ。

「ちょっと待て!」と言わないわけには行かない事態である。

 押し退けようとしたり、せっかく確保した居場所を奪われまいとする低級な紛争が勃発する。

「●×△、□○○○!!!!!」

「△□×¥!○△□×××!!」

 こうして、言葉を介さない苦情と抵抗と強引さのやりとりのあげく、伊丹がお尻の半分をずらして席の右半分を譲ることで、どうにか落ち着くこととなったのだ。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 08
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:1ef86ff7
Date: 2008/04/02 15:23
-07-




 自衛隊はその性格として、隊員の安全を重視している。その為に海外派遣などでは、まず現地で守りの強固な宿営地を築き、それを拠点とし、危険時には立てこもるようにして任務を遂行して来た。最近の例ではイラクでのサマワがその例と言える。

 人命軽視の旧軍を反面教師にし、国内向けの政治的な配慮と、人命救助を主とする災害派遣の活動していくうちにそれが習い性となってしまった、とでも言うべきだろうか。特地派遣隊もまた、守備を重視している。

 何よりも守るべきものは『門』の向こう側…本土だ。すなわち、この世界に置いて特地派遣隊の使命とは『門』を守ることにあった。『門』を含むアルヌス丘を占拠し、その周辺に安全地帯を、軍事的・政治的な方法によって確保することが、特地派遣隊に求められている。航空写真からの地図の作製、周辺地域に隊員を派遣しての調査も、すべてそのための手段なのだ。

 そしてさらに、前世紀の遺物とされている要塞建築がこれに加わった。

 土と鉄条網の野戦築城ではない。鉄とコンクリートによって造られる恒久的な防御施設である。

 『門』周辺を確保してからおよそ2ヶ月。昼夜を問わない施設科の活躍によって、アルヌス丘は強固な防塞へと変貌していた。

 その構造は、担当した幕僚の性格が現れるかのようで、几帳面なほどの六芒星構造であった。

 この要塞の航空写真を見た『普通の人々』は、函館にある『五稜郭』みたいと口にする。

 『普通の人々』の中でも、真面目な自衛隊幹部になると軍事史を紐解いて、この『稜堡式城郭』の利点とか欠点とかを論じたりしながら、守備や攻略の方法について検討を始めたりする。

 だが、ホンのちょっと方向性の違うマニアックな人間だと、ニヤリとして『六芒郭』という単語を呟いたりした。

 伊丹なんぞは「縁起悪ぅ。俺やだよ、泣きながら糧食配ってまわるの。龍が飛び回ったりするところなんて、アレとすっごく似てる。まぁ、こっちには対空火器が十分あるし、心配するようなことにはならんだろうけど…美人の皇女様が敵の司令官とかだったら燃えるのか?」とかなんとか、言ったそうである。何のことかわからない人間には、ホントに何のことかわからないネタであるが…。

 いずれにしても、魔術とか魔法とか、神秘的なことに対して無縁な人間が、全くの悪気なしで、神秘の代表格とも言える『門とアルヌスの丘』の周辺に『六芒星』を、魔導関係者が、それを知ったら正気を失ってしまうほどの規模と正確さでこしらえてしまったのである。




        *      *




さて、場面変わって

 高機動車が、73式トラックが、ライトアーマーが、エンジンの咆哮をあげさせ砂塵を巻き上げて疾駆している。

 車内に収容されていた女、子ども、老人はその急ハンドルと加速に振り回され、あちこちに身体や頭をぶつけながらも、懸命に耐えていた。

 車窓から見えるのは、逃げまどうコダ村の人々。そして、それを空から覆う黒い影。

 炎龍である。

 コダ村を脱出して3日、どうやら無事に炎龍の活動域を脱出できたと思えてきた矢先、唐突に現れた炎龍が、獲物を見つけたとばかりに避難民達に襲いかかってきたのだ。

 炎龍がここまで進出してきたのにはそれなりの理由がある。

 炎龍出現の知らせを聞いたコダ村とその付近の村落の住民達が一斉に避難し、炎龍は巣の周囲に餌となる人間やエルフを見つけることが出来なくなってしまったのだ。そのため、わずかな臭いを頼りに、人間がいるであろう地域まで遠出してきた。そして、避難に手間取ったあげく、多量の荷物を抱えていたが為に移動速度の遅くなっていたコダ村の村民が、炎龍に狙われる羽目に陥ったのである。

「怪獣と闘うのは、自衛隊の伝統だけどよっ!こんなとこでおっぱじめることになるとはねっ!」

 桑原曹長が怒鳴る。「走れ、走れ」と倉田に向かって怒鳴る。アドレナリンに高揚しているのか、その声には喜色すら混ざって聞こえた。

 炎龍が、うずくまった村人に狙いを定めて襲いかかろうとする。それを見て伊丹は併走していた軽装甲機動車に向けて怒鳴った。

「牽制しろ!!ライトアーマー!!キャリバーをたたき込めっ!」

 軽装甲機動車上で50口径のレバーを笹川陸士長が渾身の力を込めて引き、工事現場の削岩機のような音が連続する。

 極太の薬莢がカートキャッチャーからこぼれてまき散らされる。硝煙で汚れ、すすけた真鍮色をした薬莢がカラカラと、ボンネットを転がる。そして12.7ミリの銃弾が炎龍の背に当たり火花を散らした。

 だが強靱な龍の鱗は重機関銃の銃弾を全く寄せ付けない。

「全然、効いてないっすよっ!!」

 笹川の言葉に、伊丹は怒鳴り返す。

「かまうな!!当て続けろ!!撃て撃て撃て!」

 空気銃のBB弾〈市販仕様において〉は、当たったから死ぬわけではないが、それでも弾を浴びせられるのは嫌なものである。銃弾が効かないほどの強固な装甲に覆われていても、生き物ならば感覚があるはず。伊丹は、部下達に絶え間ない射撃を命じた。

 64小銃の筒先が炎龍を指向する。消炎制退器から、炎が花弁のように広がった。

 浴びせられる銃弾に、さしもの炎龍も辟易した様子を見せる。獲物に襲いかかる勢いをそがれ、あたふたと走る農夫を取り逃がしてしまった。

 忌々しそうに、頚をふる龍。つぶれた片目につき立っている矢が、その強面を引き立てて、見るからに恐ろしい。やくざの顔の傷みたいなものだ。

 炎龍が火炎放射器のような炎を吹き放つが、周囲を走り回る車両を捕らえることは出来ない。

「ono! yuniryu!! ono!」

 背後からの少女の声。振り返った伊丹の視界に、ぱっと金糸のような髪が広がっていた。

 蒼白の表情をしたエルフ少女が、細い指で自らの碧眼を指し示して「ono!」と連呼する。

 この瞬間、伊丹は言葉は通じてなくても不思議と意思が通じたような気がした。

「目を狙え!!」

 隊員達は龍の頭顔面部を狙い始めた。

 炎龍は明らかに厭がり、顔を背け動きが止まった。

「勝本!!パンツァーファウスト!!」

 ライトアーマー内で取り出されたのは、110mm個人携帯対戦車弾。700mmもの鉄板を(70㎝もあるようなものを「板」と呼んで良いかどうかは別として)貫通する能力のある、個人携行する火器としては凶悪までの破壊力を有する武器である。

 重機関銃を撃っていた笹川士長と入れ替わって勝本三曹が、上部ハッチから身を乗り出した。

 だが、これは先っぽが重い上に執り回しがききにくい。しかも安全管理を重視する自衛隊では、構えてすぐ撃つような習慣はない。

「後方の安全確認」

 馬鹿、とっとと撃てと誰もが呟いたが、日頃の訓練内容を思い出して「自衛隊だし…」と思ってしまう。

 照準を執っている間に、炎龍は身をよじらせて中空に逃れようとする。

 ライトアーマーの急加速に、勝本は振り回されて照準から目標を逃してしまった。

「ちっ!!揺らすな東!!」

「無茶、言わないでくださいっ!」

 コンピューター制御されてるわけじゃないんだから、行進間射撃なんて無理だぁなどと思いつつ勝本は筒先を炎龍へ向けようとした。

 車の急制動とガクビキ(引き金を引く際に力が入って、銃全体をゆすってしまうこと。当然あたらない)。引き金を引いた瞬間から、パンツァーファウストがはずれることは見えていた。

 後方にカウンターマスを放出。前方に向けて弾頭が加速しながら突き進んでいく。

 身をよじられた炎龍は、安定をとろうとして翼を広げる。飛来する弾頭を跳び避けるように後ずさるが、突然脚をもつれさせたかのように倒れ込んだ。 

 見るとハルバートが地に着き立っている。

 高機動車の中から、黒ゴス少女が荷台の幌を切り裂いててハルバートを投げつけていた。その柄が地を行く動物ではない炎龍の脚を、わずかにもつれさせたのだった。そしてそれで十分だった。

 外れていたはずの弾頭に向かって炎龍が倒れ込んでいく。

 ノイマン効果によって発生したメタルジェットは、強固な龍の鱗をもってしてももはばむことは難しい。炎龍の装甲はユゴニオ弾性限界を超えたライナーによって浸食され、穴が穿たれる。

 人間で言えば左肩に相当する部分が左腕ごとごっそりえぐり取られていた。



 空気を振るわせる悲鳴。

 絶叫



 ドラゴンの咆哮は、その眼光とおなじく魂を揺さぶり、戦士の勇気を砕く。その場にいた者すべての魂が凍り付いた。

 攻撃に、一瞬の間があいてしまった。

 その隙に、中空に飛び上がる炎龍。

 翼を広げ、よたよたとよろめくようにしながら、高度を上げていく。

 自衛官達は、その後ろ姿を黙って見送るだけであった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 09
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:be384455
Date: 2008/04/02 14:54
-08-




『炎龍』が撃退された。

 そんな話を聞くと、誰もが「嘘だろう?」と疑う。

 単騎よく龍を征すドラゴンスレイヤーが登場するのは、おとぎ話の中だけというのが常識だからだ。

 徒手で地熊を倒す。水牛を倒す。このくらいは鍛えようによってはあり得るかも知れない。だが翼獅子や剣虎、さらには毫象を『素手』で倒すというのはどうあっても無理と思える。これと同じくらいの理由で、古代龍と相対することは自殺行為と考えられていた。

 魔法の甲冑と武器で身を固めた騎士の一団だろうと、さらには魔導師や神官、エルフ弓兵や精霊使いの支援を得ようとも、古代龍を倒すことは絶対不可能。それはこの世界の常識だった。だからこそ人々はその存在を災厄と同義として受け止めているのだ。

 だが、「倒すことは出来なかったが、それでも撃退に成功した」という噂が、一カ所だけでなく様々な方面から伝わって来ると、人々はどうにか信じるようになった。信じても良いという気になった。ただし、噂には尾ひれ羽ひれがつく物だ。「もしかすると事実かも知れない。けど、炎龍と言うのは間違いではないか?」と考えたのである。

 炎龍の活動期は50年程先と言われていたし、そもそも古代龍を倒せるような存在を想像することはどうにも難しかったのだ。だから現れたのは古代龍たる炎龍ではなく、それに劣る大型の亜龍(例えば無肢竜の類)ないし新生龍だったのではないか、と言う考えが説得力をもって迎えられた。

 とは言え、亜龍であっても齢を重ねたものは、古代龍なみに大きくなるし、新生龍だって翼竜などよりは遙かに大きく危険なのだ。従ってそれを撃退したとなれば「龍殺し」に準じた戦功と言っていい。避難民の1/4が行方不明ないし死亡という事実も、「よくぞ、その程度で済んだものだ」と受け止められる。

 この世界で「死」とはそう言うものなのだ。森の中に迷い込んでも死、川岸で遊んでいてうっかり落ちても死。これらは本人の不注意かあるいは運命とされる。欄干や手すりがなかったから誰の責任、安全管理がなされていなかったから、どこそこの責任と考えることは一種の物狂いとされるだろう。

 平和も安全も当然ではない。だからこそ、人としての力量をもって追いすがる『死』…ドラゴンの形状をした『天災』を振り払った者の功績を人々は讃える。誰もが「で、その偉大なる勇者ってのは、誰なんだ?」と関心を抱くのだ。




    *    *




 コダ村の村民の内、生き残った者の身の処し方は大きく分けて三つあった。

 ひとつが、近隣に住まう知り合いや親戚を頼る者。これはかなりの幸運の持ち主と言える。知り合いや親戚の保証や支援を得て、住処を確保し、職を得る機会があるからだ。

 ふたつ目が、親族や知る者もない土地で避難生活を送る者。これが大多数である。

 身寄りもなく、誰からも助けを得られない場所で、住む場所と職をどうやって得るか。
 考えるだけで難しい明日への不安はどれほどのものか。だが、生き残ることが出来ただけでも幸運と、不安を押し殺して皆、それぞれの幸運がさらに続くことを祈りつつ各地へと散っていったのだった。

 彼らは去り際に伊丹ら自衛官達の手を握り、感謝の言葉をひたすら繰り返した。

 避難民達にとって自衛官達は謎の存在だ。何の義理も恩もないのに、自分たちの避難を助け、こともあろうに炎龍と戦いすらした。

 言葉が通じないことや見た目からも、国に属す騎士団や神官団でないことは確かだ。これが外国の軍隊なら、殺戮と略奪が当たり前だがそれもしない。無論、盗賊の類でもない。

 一番理解しやすいのが、異郷の傭兵団が雇い主を求めて旅をしていると言う結論だった。ここ最近になって国や貴族達が兵士かき集めているという事実がこれを裏打ちした。

 しかし、傭兵団だとすれば、何の利得もなく他人のために働くことなどあり得ない。となれば、いつ、どんな見返りを、自衛官達が求めて来るかと恐々としていたのである。

 ところがである。最後の最後まで見返りの類を求めてこない。
 それどころか、どこへ行っても自慢できるほどの功績をうち立てたと言うのに、まるで敗戦したかのごとく憔悴し肩を落とし、死者を埋葬し悼んでいる。(たまたま神官がいたので略式ながら葬祭も出来た)別れ際に手を握ると、感極まって涙を流す者すら居る始末。

 立ち去る自分達が、見えなくなるまで手を振っている自衛官達の姿を見るとコダ村の村民達は、苦笑を押しとどめておくことが出来なかった。彼らの献身と無償の支援は確かにありがたい。ありがたいのだが、そんなことで「連中は果たしてやっていけるのだろうか?」そんな呆れた気持ちになるのだ。

「いくらなんでもお人好し過ぎだろう?…あんなことで、やってけるのかねぇ」
「他人の心配してる場合じゃないぞ。俺たちだって、これからどうしたらいいか…」
「そうだな」
「ま、いくら領主や貴族が馬鹿でも、あれほど腕の立ち連中をほっとくわけないさ。なんて言ったって、炎龍だぞ、炎龍。あれと互角に戦ったんだ」
「確かに。でもよ、あの連中のことだから、安く買いたたかれたりしないかねぇ」

 いくらなんでも、そこまで間抜けじゃないだろう?と言いたくなったが、貴族共の阿漕なやり方をよく知る村人は、いささか心配になるのだ。

 とりあえず、一風変わった衣装と価値観をもつ傭兵団(自衛官達)の一行が、良心的な雇い主に巡り会えますように感謝の気持ちを込めて、それぞれの神に祈ったのである。

 ちなみに、コダ村住民の『幸運』はこれで終わりではなかった。
 彼らは行く先々で人々から証言を求められる事となる。すなわち「ドラゴンが撃退されたというのは本当か?」と。

「ホントに炎龍なんだって、俺はこの目で視たんだから。そんな可哀想な人間を見るような目で俺を視るなよ。……え、誰だって?緑色のまだらな服を着た連中だよ。もちろん人間だよ。エルフとかドワーフとかじゃない。多分、東方の民族だろう。言葉は通じないんだが、頭は悪くなさそうだった。一生懸命言葉を覚えようとしてたしな。気持ちの良い奴らで、俺たちが避難するのを助けてくれたんだぜ。無償でだぜ、無償!ホントだって」

 彼らの言葉は、吟遊詩人のそれと違って語彙が少なく描写も下手くそ。だが自らの目で見た光景、その場での体験の前に英雄譚的脚色も不必要だった。

 聞く者は想像力をかき立てられ、強烈な印象を受ける。見てきた事実だから、その時アレはどうだったんだ?の問いに、語り手は答えることも出来た。

 そして、語り手がドラゴンが片腕を吹き飛ばされる瞬間を描写すると、固唾を呑んで聞いていた者はみな呻くのだ。

「そりゃ、すげぇ」

 やがて、『謝礼を受け取ろうともせず』、ほがらかな笑顔で颯爽と立ち去って行く彼ら。

 本人達が聞いたら「誰のこと?」と尋ねたくなるような、今時アニメにも出てこない英雄物語のキャラクターのような人物像が、人々の間を伝播していくこととなった。

 避難民達は、酒場で、街角で「あんたコダ村から来たんだって?」と呼び止められては、その時の話を尋ねられる。口によって語る言葉が違い、目によって見たことの描写も異なる。それがまた不思議な立体感をもたらすのだ。

 コダ村の村民達は語り部の仕事だけでも、帰村するまで食べるに困らなかったと言う。




    *        *




「騎士ノーマ。どう思われますか?」

 宮廷の侍従武官である准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、街のあちこちで耳にした噂について、先輩たる同僚に論評を求めた。

 多くの客でにぎわう居酒屋の一角を、数人の騎士と従者達が占領している。店はそれなりに汚く、テーブルとテーブル間は狭い。怒鳴るようにして声を出さなければ隣に座る者にすら声が届かないような喧噪のなかで、侍従武官の騎士や従者達が肩をぶつけ合うほどに身を寄せて料理に手を伸ばし、酒杯を口に運んでいる。

 見ると、コダ村から来たという臨時雇いの女給が、盆を手にあちこちに酒を運んでいる。彼女は注文を取り、料理を運んだ席で、求められるままに見てきたことを語り、なにがしかのチップを貰っていた。

 ひげを清潔に切りそろえた騎士ノーマは、いまいましそうに苦い表情をした。本来なら清潔な宮廷で、貴族の令夫人や令嬢を相手に高級な料理を口にしている身である。皇女殿下の騎士団と言えば、宮廷の飾り物であり実戦と最も縁遠い軍隊だったはず。そんな侍従武官が、今や野卑な料理と濁った酒を口にしている。任務とは言え、自分にふさわしくないと受け容れがたく感じているのだ。

 なんでまたこんな目に…ノーマは、自分の主を呪いたくなる不敬を押さえ込むので精一杯だった。皇帝陛下の直々のご命令とあらば、アルヌス方面の偵察という任務自体は仕方ないだろう。ただ、皇女殿下が動くのであれば、本来騎士団全軍を引き連れ、従卒に傅かれつつ優美に旅程を楽しめるはずだ。ところがわがまま娘が下した命令は、本隊をはるか後方に残して少数での偵察。自分たちも侍従武官4人と従者数名だけがこの皇女のお守りをしなければならない。おかげで身分を隠して、薄汚い身なりになって、食べるものと来たら……。

 ノーマは女給に手を振り酒の追加を注文すると、この状況を苦とも思っていない様子の後輩を見て、小さく嘆息した。ハミルトンはノーマが返答するのを無邪気な顔をして待っている。

「………これだけ多くの避難民が言うのだから、嘘ではないだろう。皆で口裏を合わせていると考えるのも難しいしな。だが、炎龍というのはいささか信じがたい」

「わたしは、ここまで皆が口をそろえて言うんなら、信じても良いような気になって来ます」

 女給は、ワインの瓶をテーブルにどんと置いて「ホントだよ、騎士さん達。炎龍だったよ~」と言う。

 騎士ノーマ・コ・イグルは、古き伝統に従って「ははははー、冗談が好きだな。私はだまされないぞ~」と応じた。

 この反応に、女給は口を尖らせる。

「まぁまぁ、気を悪くしないでよ。わたしは信じるから。よかったら話を聞かせてくれないかな」と、ハミルトンは女給にチップとして数枚のモルト銅貨を渡した。チップとしては破格である。女給は「ありがとう、若い騎士さん」とかわいげのある笑顔を見せた。身なりのせいか年増女に見えたがこの女給、意外と若いかも知れない。

「これだけして貰ったんだ、とっておきの話をしてやらなきゃいけないね」

 女給はそう言うと、話し始めた。




 炎龍が現れたという話が伝わると、コダ村は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。女給メリザの元に隣の鍛冶屋の奥さんがかけ込んできたのは、陽が中天に達する頃合い。メリザが洗濯仕事をしている最中だった。

「メリザ!!メリザッ!大変だよ」

 日頃から、村のうわさ話に興じる仲である。家にいないと見ればどこにいるか直ぐにわかるので、井戸端までかけ込んできた。

 メリザは、畑仕事に出ている農夫の夫に知らせるため、洗濯物を踏んづけていた息子を走らせる。そして自分は家に戻ると、とる物もとりあえず荷物をまとめ始めた。

 夫が帰ってきたのはその後直ぐだった。

 息せき切って帰ってきた夫が開口一番、「無事か?!」と叫ぶ。どう伝わったのか、村がすでにドラゴンに襲われてしまったと勘違いしていたようだ。

 無傷の女房の姿に安堵したのか、その場で座り込んでしまう。だが無事でも危険が去ったわけでもなく、本番はこれからなのだということをメリザは夫に言い聞かせ、直ぐに荷造りをするように尻を叩いた。

 農耕用の荷車に家に備えた食糧と水瓶を積む。さらに什器、わずかばかりの衣類や、爪に火を灯すような思いをして貯めたなけなしの蓄えを積み込むと、それだけで荷車はいっぱいとなってしまった。

 農耕用の驢馬に荷車を牽かせ、息子と夫がそれを背後から押す。そんな状態で道を進み、村の中心に入ると、すでに多くの荷車や、村人達で道は渋滞していた。

 荷物を積みすぎて荷車が壊れてしまい、道を塞いでしまったのだ。

 時間が浪費されてしまった。どうにか村を出たが、その時には既に陽は西の空にさしかかっていた。

 陽が暮れれば野宿し、陽が昇れば道を進む。だが避難民達の歩みは遅い者も速い者もいた。3日も過ぎると年寄りや子どもを連れた家は、どんどん遅れ始め、列は縦に伸びて先頭は見えなくなってしまう。泥濘に車輪を取られた荷馬車が動けなくなり道を塞ぐこともあった。早くどけろ、少しは手伝えといった怒号と罵声が飛び交い、人々の心はささくれ立っていく。

 あちこちで喧嘩がおこり、荒れた道の凹みに車輪をとられた荷車が横転する。荷物が散乱。子どもが泣きわめき、途方に暮れた女がうなだれる。

 だが、そんな自分たちを助けてくれる人達がいた。

「それが、まだらな緑色の服を着た連中さ。全部で12人。女が2人いたね」

 女給の声は、騎士達だけでなくその外側にまで届いた。居酒屋は静かになっていたのだ。みな、彼女の話に聞き入っているようだった。

「女はどんな姿だった?」

 ノーマの問いにメリザは鼻を鳴らした。

「男ってのはみんなそれだねぇ。まぁいいや…背の高い女がいたね。日中は兜を被っていてよく見えないんだけど、野宿の時にチラと見えた。
 馬のしっぽみたいに束ねてるのを解いた時、あたいは女ながら見惚れたねぇ。カラスの濡れ羽色って言うのかい?艶の入った黒髪がとっても綺麗でさ。どうしたらあんな色艶になるのか、言葉が通じるんだったら教えて貰いたかったよ。体つきもほっそりとしていてね、異国風の美女っていうのはああいうのを言うんだろうね」

 女の描写に、男達は色めきだった。

「ほぅ…で、もう一人は?」

「…ありゃあ、猫みたいな女だったね。小柄でさ。髪は栗色で男みたいに短くしてた。元気な娘で、面倒見もよくって子ども達はなついてたね。それと腕っ節が凄くて男連中は結構怖がってたね。ウチの亭主が、モルの旦那と喧嘩をおっぱじめた時、やってきて足をびゅんと目にもとまらない速さで振り回して、大の男2人をあっと言う間にのしちまったんだ…」

 周囲の男達は、瞬く間に興味をなくしていく。ある種の白けた空気が場を支配してしまった。どうにも彼女の話は、とりわけ男共には人気がないのだ。ま、さらに言葉を続けると態度がコロと変わるのだが。

「体つきはすごかったね。さっき言ったように小柄なんだけど、胸が牛並みに突き出ていてね。あたいははっきり言って嫉妬したよ。そのくせ腰は細く締まってるってのが許せないね。顔は綺麗と言うよりは可愛いって感じさ」

「おおっ」

 やっぱり…。男達の歓声にメリザは舌打ちした。客が喜ぶのはいいが、女としては面白くないのだ。

「ま、そう言うわけで、いろいろとあったけど、あたいらは何とか進んでいたのさ。だけどね、あいつがやってきたのさ」

 村人達は水が不足し、食べ物を満足に食べることも出来ないでいた。それでもわずかでも進もうと気力だけで頑張ってきたが、それも最早限界に達した。

 進める者は進むが、動けなくなった者は座ってしまう。

 動けなくなった子どもや年寄りは緑色の服の連中が、馬がなくても動く荷車に乗せてくれた。だけど、全員を乗せられる訳じゃなかった。

「もうダメかも。せめて息子だけでも。あたいは本気で神に祈ったね。でもダメだった。神官連中が神様はいるって言うからいるんだろうけど、少なくとも助けてはくれないね。あたいは金輪際、神様の類に頼み事はしないことにしたよ」

 それまで空は晴れていたのに急に日が陰った。雨でも降るのかと思って空を見て誰もが凍り付いた。

「赤い龍。足がついて、腕が付いて、コウモリの羽みたいな翼を広げた、巨大な奴さ。そけがが空を覆っていたんだ」

 その龍が天空から舞い降りて、目の前にいたモルの旦那とその女房がいなくなった。

 一瞬のことだった。地面には2人の下半身が転がっていた。

 何が起こっているか、理解するよりも早く逃げ出した。子どもを抱えると荷物なんかもう捨てて、とにかく走った。

 荷車が横転して、それに巻き込まれて死んだ村人も多い。

 みんな逃げ出した。炎龍があたりを焼き払い、程良く焦げたところを龍に喰われていく。

 蜘蛛の子を散らすように、ただ逃げるしかなかった。蟻の巣をつぶす子どもみたいに、龍は村人を踏みつぶし、食らいつくしていった。

 そこへ、緑の人達がやってきた。

 ものすごい速さだった。馬でも無理って言うほどの速さで荷車が走っていた。その荷車に乗っていた緑の人達は、手にしていた杖を構えると、魔法で龍を攻め始めた。

 でも、炎龍は少しも堪えない。彼らの魔法でも鱗に傷一つつかない。だけど、緑の人達は諦めなかった。

 周りを走り回り、村人達が少しでも逃げられるようにと、攻めるのを止めなかった。

 そのおかけで、生き残っていた村人は逃げおおせることが出来た。

 お返しとばかりに炎龍は緑の人達に襲いかかった。だけど、ものすごい速さで駆け抜ける荷車の前に、さすがの炎龍も飛びかかることが出来ない。一箇所に留まらない彼らを前に龍の炎も届かないが、ドラゴンのほうは少しずつ慣れていく。離れた所から魔法を浴びせるしかない彼らは、少しずつ不利になっていった。

「ところがさ…緑の人達の頭目が何かを叫んだんだ。そしてついにアレが出た」

「アレとは?」

「特大の魔法の杖さ。あたいらは勝手に『鉄の逸物』と呼ばせてもらっているよ。呪文もしっかり聞いたよ。コホウノ・アゼンカクニとか言ってた。とんでもない音と一緒に、炎龍の左腕が吹き飛んだんだ」

 無敵を誇った炎龍が敗退する瞬間だった。
 炎龍は傷を負い、大地を震わす大音声の悲鳴ととともに、その場を無様にも逃げ去っていったのだった。




 物語りが終わり、人々は余韻に沈黙する。

「て、鉄の逸物…?」

 などと言う名称に、愕然としてしまった部分がないわけでもない。

 少しの沈黙を経て、騎士達は感想を交わし始めた。居酒屋も元の喧噪を取り戻す。

「と、とにかく、立派な者達です。異郷の傭兵団のようですが、それほどの腕前と心映えならば、是非にでも味方に迎えたいと思いますよ。いかがでしょう姫様?」

 朱色の髪の女騎士はいきなり話を振られ、囓りつこうとしていたマ・ヌガ肉を皿に置いた。マ・ヌガ肉とは、家畜の大腿骨を芯にして、周りにミンチした肉を巻き薫製にしたものである。我々の感覚で言うソーセージとかハムの一種だ。これをスライスせずに直火で焼いて、がぶっとかじりつくのが醍醐味である。

 皇女ピニャ・コ・ラーダは、酒に手を伸ばしながら言った。

「妾は、無肢竜を撃退したという者共が使ったという武器に興味がある」

 ゴダセン議員の「遠くにいる敵の歩兵がパパパという音をさせたら、味方が血を流して倒れていた」という言葉と、コダ村の避難民達の言葉との間に符合するものを感じるのだ。連合諸王国軍がアルヌス丘で壊滅したことも、その『魔導兵器』と関係があるのではないか。

 ピニャは、女給を呼び止めると尋ねた。

「女。お前の見たという連中が所持していた武器は、どのような物だった?」

 女給は首を傾げつつも、見たとおり感じたとおりを告げる。「女」という呼びつけ方がいささか癪にさわったが、チップをはずんでくれた若い騎士さんの顔を立てて素直に応じることにした。

「つまりは、その者共の使った武器は鉄のような物でできた杖である。それは、はじけるような音と共に、火を噴くと言うのだな?」

「あれは、あたいが見たところ魔法の武器だね」

「で、無肢竜を撃退した杖…『鉄のイチモツ』とやらも同じものだったか?何かに似た形状があるか?出来るだけ見たままに言え」

「無肢竜じゃなくて炎龍だって言ったろう?」女給はそこまで言って、ニヤッと嫌らしそうな笑みを浮かべた。そして、その場にいた男連中を見回す。

「あんたみたいなのをカマトトと言うのさ。逸物はイチモツに決まってるだろうさ…ま、良家のお嬢様には想像もつかないだろうけどねぇ。でもね、男を『知ってる』女に尋ねりゃ誰だって口をそろえてこう言うよ。ありぁ、男連中のナニにそっくりだってね。もっとも、小脇に抱えるほどでかくて、黒くて、ぶっといナニを持ってるような男は、ここらにゃあ居ないだろうけどね」

 女給はキシシと粗野に笑いながら、注文をとりに次のテーブルへと去っていた。

 何のことだかよくわかってないピニャの視線が、解説を求めてぐるりと男連中をめぐる。だが、その場にいた男には応じようもなく、気まずそうに目を背けるのだった。

 男共に目を逸らされたピニャの視線は、最後にはハミルトンへとたどり着く。

「お前、婚約者がいたな…」

 おはちが回ってくるとは思わなかったのだろう。准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、口に含んでいたスープをブッと吹き出すと、慌てて短髪を振り乱して首を振り、手を振った。

「た、確かにいますけど…わたくしは乙女ですっ!『あんなもの』の話を口に出来るわけないじゃないですかっ!……あっ」

 男達の視線が彼女に集中する。「ほう、『あんなもの』か」とピニャの胡乱な視線が彼女を貫く。ハミルトンは顔を真っ赤にして俯き小さくなるのだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 10
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:8f069f32
Date: 2008/04/02 14:34
-09-




 さて、避難民達の身の振り方三つの内、二つまでは述べた。

 最後の1つがある。

 それは、伊丹ら自衛官達に付いていくという選択肢だった。この方法を選んだのは、避難民達でも、ごく少数の23名である。

 正体不明の武装集団に着いて行くという選択肢は、それこそ深淵に飛び込むに似た心境だったに違いない。下手をすると身ぐるみ剥がれた上で、奴隷に売り払われるという結末だってあり得る。だが、他に方法がなかったのだ。というのは彼らは炎龍の襲撃によって両親を亡くした年端もいかない子どもだったり、逆に子どもや孫を喪った年寄り、そして傷病者・病人であり、通常であれば緩慢な死が決定づけられた者達だったからだ。

 もちろん、そうでない者もいる。例えば伊丹達自衛官に並々ならぬ興味を抱いた魔導師カトーとその弟子とか、エムロイ神殿の神官とか。だが、ほとんどの者が、「これからどこに行く?行きたいところへ送っていくよ」と尋ねられても困る者ばかりだったのだ。

 伊丹は、残った23人をどこまで連れて行けばいいのかと村長に尋ねた。すると「神に委ねる」という意味の単語を並べられた。

 伊丹は首を傾げつつ何度も問い返した。

 こうしたことは言葉がうまく通じなくても、ニュアンスとして伝わってくるものがある。「責任を負う者はいない」「どこへでも行け」「好きなようにしろ」と翻訳できる言葉が述べられたことがわかると、伊丹は深々とため息をついたのだった。

 村長は、自らの家族を乗せた馬車に乗り込むと、伊丹に対してこう言った。

「お前達が、義侠心と慈悲に富んだ者であることは、よく理解している。お前達から見れば儂等は薄情者と見えよう。だがな、儂らは自分とその家族を守るだけで精一杯なのじゃよ…理解してくれ、と思っては貪欲の罪で罰せられような」

 去っていく村長。

 伊丹を含めた自衛官達も、その無責任ぶりに呆然と見送り、残された者達もみな、自分たちは見捨てられたのだと理解した。

 高機動車の後方に乗っている、親を亡くした子どもや、怪我人、エルフの少女…いくつもの瞳が伊丹に向けられた。伊丹がどのような決断を下すのかと、不安げな色に染まっている。言葉が通じないからこそ、その表情のわずかな変化をも読みとろうとしている。中には、黒ゴス少女の興味深そうな面白ずくな色に染まった瞳もあったが。

 だが、伊丹は、皆が思っているほどの重責を感じてなかった。

「ま、いっか…。任しておきな」

 伊丹の無邪気な笑みに、ホッとした空気が流れた。

 伊丹の任務とは、この世界の住民について調査することである。交流し、親交を深め、この世界についての知識を得るために必要に資料や情報を収集してくることだ。拡大解釈すれば、自らの意思で付いてきてくれる住民を得ることは、大成功ってことではないだろうか?そう考えたのである。

 お役人的発想によれば、これはホントは大問題である。この時点で「何が問題なんだ?」と思った諸兄等はお役人にはなれないし、なりたくもないだろうから安心して頂いて良いのであるが、お役人様達にとって、こういった拡大解釈をする人間は『困ったちゃん』として、嫌われるのである。

「き、き、君は……」

 檜垣三等陸佐は、自分が何をしたかよく判っていない部下を前に頭をかかえた。

 第52普通科連隊の幹部連中も蒼然として、窓の外で隊舎の前に止められた車に乗る避難民達が、周囲を珍しげに眺めているのを確認した。

「だ、誰が連れて来て良いと言った?」

「連れて来ちゃまずかったですかねぇ」

 ポリポリと後ろ頭を掻く伊丹。檜垣はしばし逡巡した後に、「ついて来たまえ」と命じて、執務室を出た。





        *      *




「陸将…各方面に派遣した、偵察隊からの一次報告がまとまりました」

「おうっ!」

 幕僚の呼びかけ気さくな返事をしたのは、狭間陸将である。

 この人は東京大学の哲学科などという、普通では滅多に入れない学校を卒業したというのに、陸上自衛隊に二等陸士から入隊して内部で順調に昇進を重ね、ついには陸将になったという立志伝中の人である。栄達したいのなら、いくらでも早道があると言うのにわざわざ遠回りを好むのは変わり者と言える。極希にいる運転免許証の『種類』蘭を埋めてしまう人に近いかも知れない。座右の銘は『たたきあげ』だとか。

 狭間は老眼鏡をはずすと、執務机の上に積み上げられた書類の束から、柳田二等陸尉へと視線を移した。

 この柳田二等陸尉は防衛大学を優秀な成績で卒業したと言うことで、日頃の言動にエリート意識がとても鼻につく。しかし、この狭間に対してだけは頭が上がらない様子であった。その理由と言うのが、彼が東大を受けて落ちたからだとまことしやかに語られている。人は他人と自分を測るのに、いくつかの物差しを使う。学歴という物差し、キャリアという物差し、実務能力、そして自衛官ならば戦士としての力量…人は他人に対して、どれか勝っているところを探したくなるのだ。そして、その全てに置いて、かなわない相手を前にしたらどうするか。そんな時は、素直に無条件降伏して「この人すげぇ」と思えば良いのだが、柳田について言えば自尊心が高すぎた。おそらく、何か不幸な幼児体験からか、あるいは親からうけた教育がそういう種類のものだったのかも知れない。あらゆる分野で自分より優れた人物に、素直に感心することは出来ず、結果として、その存在を心の底で恨み憎んだのである。

「どうだ、何かわかったか?」

 クルーカットのごま塩頭を軽くなで上げて、狭間は椅子の背もたれに上体を預けた。キィという音をたてて、安っぽい事務椅子が悲鳴を上げる。彼は、柳田が自分に対して、逆恨みを抱いているなど思いもしない。ただ「こいつ、ちょっと要注意だな」とゴーストがと囁くので(出展元ネタ/攻殻機動隊)、気をつけて扱っている。

「2~3貴重な報告が入ってますが、資料でしかありませんので、そのように性急に結論を急がれましても…」

「そうだろうな。堅実にやってくれ」

 狭間にしても、ちょっと偵察した程度で何もかもが解るとは思っていない。ただ、感触とでも言うか、この土地に住む人々の傾向性のようなものがつかめることを期待しているのだ。

 現地住民との関係性というものは、部隊の安全に始まって、この『特地』における日本の評価、政治的な影響へと深く結びついていく。民情を無視した行動を起こして反感を醸成し、抵抗運動など起こされてもたまらない。従って、この土地の住民が何を持って『正義』とし何を持って『悪』と感じるかという単純なことであるが、そうした規範意識への理解が案外に大切なのである。例えれば、イスラム文化圏では犬を嫌う、成人男性は髭を生やしていることが好まれる…などである。

「各隊共に言葉の点で、かなり苦労してるようですが、ほとんどが平穏な一次接触が出来たようです。この辺の住民は、見た目が『人間』タイプで、主な産業は農・林業といった一次産業でした。集落ひとつひとつの人口もそれほど多くないようですね。第6偵察隊の赴いた人口500人規模の集落では、どうにか商店めいたものがあったそうです。扱われていた品目は、衣料品や工具・農具類・それと家庭で使われる油を灯すランプと言った生活雑貨でした。…これが商店の取り扱い品目と価格のリストです。デジタル写真が添付されてます」と言いつつ、A4版の紙の束を机の上置いた。柳田は、こういう仕事についてはさすがに優秀で遺漏がない。

 狭間がパラパラとめくって見ると、調査に赴いた隊員のコメントなども併せ、通販のカタログみたいになっていた。だが、これらの資料は、この土地における経済の実体を把握する上で極めて貴重と言えるだろう。こうした資料はただちに本土(門の向こう側)へと送られて、政府のシンクタンクが分析するための貴重な材料となる。

「あと、この土地の政治体制といったものが類推できるようなことは、まだ報告されてないですね。どこの集落でも『村長』とでも言うべき人物がいて、住民をまとめているようではあります」

「その村長が、どんな方法で決まっているのかだな」

 それがわかれば、この世界の政治体制の主流が民主制か、あるいは寡頭制か、はたまた独裁制かを類推することができるかも知れない。

 柳田は、わざとらしくため息をつきつつ呟いた。「住民を何人か、こちらに招けるといいんですが…」

「コミュニケーションが上手くできていない状態で、こちらに連れてくるのはまずいだろう?後々、拉致だとか言われても困るからなぁ」

「それでなんですが…」

 柳田が、下地ができたとばかりに本題に入ろうとした。狭間も、話の流れから部下がこの話をしたかったようだと受け止める。

「都合の良いことに、伊丹の隊がコダ村からの避難民の護送をしてます」

「おう。あのドラゴンが出たとかっていうところだったな」

「ええ、そうです」

 この時点で、狭間を初めとした幹部連中の認識は、熊か、鮫が出たといった程度でしかなかった。その程度のことで村人が村を捨てて逃げるというのも大げさだと感じるのであるが、危険な野生動物が出没することが希な現代日本では、こうした害獣災害は想像することしかできないので「こういう土地だし、そういうこともあるのか?」ぐらいに受け止めていた。

 実際に、このアルヌス丘に攻め寄せてきた現地軍が騎乗していた飛龍が対空火器で対応できたことも、それほどの脅威として考えられない理由の1つだ。

「それでなんですが、コダ村の住民をここで受け容れると言うのはどうでしょう?これならば、必要な措置の範囲として内外に説明可能です。当人達も感謝こそすれ、拉致されたなどとは考えないでしょう?」

 柳田は説明した。

 このアルヌス丘近くに、難民キャンプをつくってそこへ住民を収容する。今回のコダ村の逃避行は、害獣出没によるものだから、期間を限定した一時的避難でしかない。その間のこととして期間を区切って考えるなら、各種の研究や調査に協力して貰うメリットの方が大きいのではないか。日常的にコミュニケーションを交えることで、言葉の問題もかなり解決するだろうし、彼らからこの『特地』政治や経済にかかわる情報は間違いなくとれるはずだ。
 実は、市ヶ谷や官邸の方からも、「特地」の内情が理解できる情報の要求が激しい。矢のような催促をうけている。従って早めに成果を上げておきたい等々…。

 狭間は、指先でトントンと机を叩きながら「戦闘時はどうする?敵性武装勢力の活動はほぼ停止していると言っても、ここは彼らの攻撃目標でもあるのだぞ」と、分かり切っていることをあえて尋ねた。「我々と接触した住民を、敵対勢力がどのように扱うかも心配しないわけにはいかないしな」

 世界史を紐解いてみても、異教徒・異民族と親しくしたと言う理由で、自国民を虐殺した例にことかかさないのだ。

「敵の近接時には、こちらで収容して安全を確保しましょう。まぁ、敵が地元住民を虐待しようが虐殺しようが当方には関係ないことですが、さすがに見て見ぬ振りをするわけにもいかないでしょう」

 狭間は眉を顰めつつも、地元民を収容するという考えには頷いた。自分自身も同じように考えていたから、この意見についての異議はないのだ。問題は、柳田の言いようである。

 だが、人間一人で考えられることは限界があって、見落としや、間違いがついてまわる。住民を防塞に収容するとしても、様々なリスクや問題が起こりえる。例えば敵方の人間が、避難民に紛れて入り込んで来る等である。歴史的に見れば、そうした方法で陥落した城塞も少なくない。

 しかし、リスクを避けるために住民を遠ざけていれば良いと言うわけでもない。東京の銀座に軍隊を送り込んできた敵性勢力を交渉のテーブルにつかせて、力ずくででも頭を下げさせる為には、是が非でも地域の実情を把握し、この土地、地域、そしてこの世界の政治がどのようになっているかを調べなくてはならないのもまた確かなのだ。

 狭間は、戦闘時における避難民の扱いについて、もう一度検討するように指示しようとした。その時である。

「入ります」

 常日頃から開放されているドアには「ノック不要。入室許可」と書かれた紙が貼り付けられているため、檜垣三等陸佐はとりあえず声をかけて執務室へと入り込んだ。

「ご報告いたします。第三偵察隊が戻りました。戻りましたのですが…実は、その、伊丹の奴が…」

 こうして、なし崩しに避難民達の受け入れが決まってしまうのである。




-10-




「よう、伊丹…」

 声をかけられて伊丹は足を止めた。

 上司連中からの嫌みやお説教を、とぼけた表情で馬耳東風と聞き流すこと小一時間、査問会にも似た会議はそれでもどうにか「連れてきてしまったものは、どうしょうもない」という言葉で幕引きが為された。

 市ヶ谷(防衛省)には、避難民の中で自活しての生活が難しい傷病者・老人・子どもを保護したと報告することになる。いろいろと言われるかも知れないが、「人道的な配慮」の一言で強行突破するしかないと一同はため息をついた。

「そのかわり、お前が面倒をみろ」

 別に伊丹が伊丹の財布で連中を養えと言っているのではない。避難民達を保護するにあたって、そこから派生する諸々の諸手続は一切お前がやれという意味である。それが、この件を問題としない代わりの条件ともなった。

 伊丹は、とりあえず避難民の食事と寝床の手配をする算段を考えながら、暗い廊下から階段へと向かっていた。糧食斑に頼み込んで、食事を出してもらうことは出来る。(おそらく缶飯になるだろうが)問題は寝床だ。こちらでは寝起きする隊舎がまだ完成しておらず、隊員達ですらプレハブのような建物を利用しているのだ。天幕(テント)を借り出して来るしかないか…。書類を用意して、必要事項を記入して、捺印して…ああめんどくさい…そんなことを考えていたところだった。

 かけられた声に振り返る。すると暗がりに置かれたベンチに座り込む男と、たばこの火が見えた。天井近くまで立ち上る紫煙。陰影の向こう側で口元だけを微妙にゆがめた陰湿そうな笑み。

 柳田二尉であった。

「伊丹、お前さん。わざとだろ」

「何がです?」

 年齢的には柳田二尉の方が若いが、昇進したばかりの伊丹からすれば柳田のほうが先任だ。階級が同じ場合、先任が上位者になる。さらに加えて、伊丹は柳田があまり好きではなかった。好きでない相手とは出来るだけ関わりにならないようにすることが伊丹の処世術である。礼儀正しくするのも、余計な摩擦を産まず作らず、相手の記憶からフェイドアウトしたいからだ。

「とぼけるなって。みんな判ってんだよ。それまでは定時連絡だけは欠かさなかったお前が、突然通信不良で連絡できなくなってましたって、誰が信じる。おおかた避難民をどっかに放り出せって言われると思ったんだろ」

「いやぁ、そんなことは…こっちはホラ、異世界だしぃ。電離層とか磁気嵐の都合とか、思うようにならんもんですなぁ。この世界の太陽黒点ってどーなってるのかなぁ…あははは」

 伊丹は嗤いながらがりがりと後ろ頭を掻きむしった。どうにも苦しいが、別に信じてもらう必要もないのだ。誰も信じていないとしても、報告書には『通信不良のため指示を受けることが出来ず、やむを得ず現場の判断で避難民達を連れ帰った』と記される。そしてそれが公式の見解として記録されていくのだから。

「ふん、韜晦しやがって。ったく…」

 柳田はたばこを口に運ぶ。大きく煙を吸ってから吐きだした物は煙だけでなくため息か。

「ま、遅かれ早かれ地元民との交流は深めなきゃならんかったからな、スケジュールが早まっただけで、問題にもならん。…上の連中はそう考えているが、裏方のコッチとしちゃあ、たまらんぜ。段取りが狂っちまったんだからよ」

 柳田の言い様が妙に癇に障った。
 それは人の負い目につけ込もうとする小ずるさの気配を帯びていたからだ。

「いずれ、精神的にお返ししますよ」

 たばこを煙缶に押しつけてグリグリと捻りながら、柳田は肩をすくめた。

「足りないな。大いに足りない」

「あんた、せこいですなぁ。恩を着せて何をさせようと?」

 柳田は、薄笑いのまま「ちょっと河岸変えて、話をしようか」と腰を上げた。




 陽はゆっくりと傾き、日の沈む方角であるが故に『西』と位置づけられた空がゆっくりと紅く染まり出す。

 そんな空を見渡せる、西2号(仮)隊舎の物干場(注/「ぶっかんば」と読む)に2人の男が相対していた。

 柳田はフェンスにもたれつつ、たばこに火をつける。そして話を始めた。

「これまで集めることが出来た情報から見ても、この世界は宝の山だと言うことがわかる。生物の遺伝子配列は、我々の物と非常に近似している。おそらく人間種同士なら交配も可能だろう。それがどういった理屈による物かを考えるのは学者連中に任せることにしても、この世界で我々が暮らすことは十分に可能だ。現に俺たちはこの世界の大地に立ち空気を吸っている。食い物は門の向こうから運んでいるがな…それにしたところで、我々の食い物を喰ったこの土地の生き物に健康に害がなければ、この世界の物を俺たちが喰ってみようという話もいずれ出てくる。

 この世界には公害や環境汚染もない。土地も広く、植物相も多彩で豊かだ。そしてなによりも我々の世界で稀金属・希土類とされている地下資源もかなりの量が埋蔵されているだろうと予測されている。住民達の文明のレベルは我々から見れば、蟻と巨像ほどの格差があって、我が方に絶対的に有利だ。そんな世界との唯一の接点が偶然にも日本に開かれた。これは幸運だとも言えるし災厄とも言える。

 ニューヨーク、ロンドン、上海の株式市場では日本と結びつきの深い資源開発系の企業は軒並みストップ高。原油、鉱物関係の相場はゆっくりと下落中。永田町の議員連中は経団連の重鎮と連日勉強会。アメリカを始めとしてEU先進諸国からの接触で外務省も大忙しだ。だがな、肝心の我が国の政府はこの件を扱いかねてる。中国やロシアといった国が他の資源輸出国と協調して、門のこちら側を国際共同で管理すべきだという意見をまとめ始めているからだ。鯨問題程度なら我が国の伝統的な食文化を守るためだ、全世界を敵に回そうとも大いに突っ張るべきだが、こと経済がかかわるとなると、世界の半分を敵に回して突っ張っていけるほど我が国は強くない。

 なぁ伊丹、永田町の連中は知りたがっているんだ。
 この世界は、世界の半分を敵に回しても、つっぱっていくだけの価値があるかどうか」

「それだけの価値があったら?」

「物を持つ側が強いのはお前も知っているだろう。人民解放軍がどれだけチベット人を殺そうと、毒入り餃子を売りつけて置いて自分たちのせいではございませんとシラを切っても、ロシア人が金だけ出させた上で天然ガス採掘の契約を一方的に破棄しようと、最終的には連中の思惑どおりになる。それは連中が、みんなが欲しがっている物をかかえてるからだ。極端な話、全世界から縁を切られようと、この世界から日本がやっていけるだけのものを十分に得られるなら、それなりに強気に振る舞うことが出来るんだ」

 伊丹は肩をすくめた。

「柳田さん、あんたがどれだけ国のことを考えているかはよくわかった。実に愛国的だね。僕も見習いたいよ。だがね、人には役割ってものがあるでしょうよ。実際、今の国際情勢がどんなものであるか教えてもらっても、僕には全然ピンとこないんだ。実際に、今僕の頭のなかにあるのは、連れてきた子ども達の今夜の寝床と飯の事なんだからねぇ。国際情勢と僕の仕事がどう関係ある?」

「今言って聞かせたろ?この世界、この土地が価値あるものかどうかを一刻も早く知りたいと。いや、違うな。価値あるものがどこにあるか知りたいんだ。この世界が日本のものになるとしても、国連の共同管理になるにしても、どこに何があるという情報を握っている者が圧倒的に有利だ。お前、自分がその情報に最も近いところにいると自覚してるのか?他の偵察隊がしたことは、村でどんなものが売られているかをちょっとばかし調べて、わずかばかり単語帳の語彙を増やした程度でしかない。それに対してお前は、この土地の人間とラポール(信頼関係)を掴んできた。何がどこで作られて、どんな物がどこに埋蔵され、どのように流通しているか、その気になれば調べられる立場にいるんだぞ」

「ちょっと待ってよ柳田さん。その辺の子ども達つれてきて、金銀財宝はどこにありますか?石油はどこにありますか?って聞いて、教えてくれるとでも?恥をさらすようだが僕は地理の成績は劣悪だったぜ。学校に通ってる僕でさえそれだったんだ、教育制度のない世界の子どもが、自分の生活範囲の外にあるものを知るわけないだろう。断言しても良いが絶対に知らないね」

 そう言いつつも、荷馬車に書籍を満載させたプラチナブロンドの少女とその師匠の老人はどうかなぁと思う伊丹である。言語学者をつれてきて彼らの書籍を翻訳させた方が早いのではないかと思ったりした。

「知っている人間を探して、情報を得ることが出来る。これは絶対的な要素だ」

 その言葉に伊丹は二の句が告げられなかった。

「伊丹よ。近日中にあんたは、大幅な自由行動が許されることになる。その任務がどんな名目になるかは、官僚達の作文能力次第だからなんとも言えないが、どんな文言が命令書に列んでいようと、最終的な目的は一つだ」

「たまらんね、まったく」

 伊丹は、盛大に舌打ちした。

「ふんっ。いままでは、税金でのんびりさせてもらったんだ、借りの多い稼業だけに、いざと成ったら嫌です出来ませんは通じないぞ。せいぜい働くことだ」

 柳田はそう言うと、たばこを物干場から放り捨てた。




        *      *




 先のことの見通しは立たないとしても、現実的に必要とされる諸々の事を、丁寧に片づけていくだけで物事というのは、次第に形になっていくものである。できあがった物は雑多で、無計画で、まとまりに欠いた物になるだろう。それでも、その中で生活する者にとっては、日常の場面として慣れ親しんでいくことになる。

 とりあえず食事を手配する。

 とりあえず寝床のためにテントを立てる。

 とりあえず、怪我人病人を医官に見てもらう。

 とりあえず衣服の手配をする。

 子どもの面倒を避難民達のお年寄りや、年長の子ども達に見てもらうよう何とか意思疎通する。

 こうして『とりあえず』『とりあえず』を積み重ねつつ数日、どうにか一息つくと、それを『暫くのあいだ』なんとか出来るような形にしないと行けない。

 テント生活だって、長く続けることは難しいのだ。まして子どもや老人である。やはり屋根と壁のある家での生活が望ましい。

 黒川と栗林の連名で、そんな意見具申を受けた伊丹は、アルヌスの丘から南に外れること約2キロ。その森の中にコダ村からの避難民である子ども達や老人達のキャンプを建設することにした。

 利便性の問題から、当初は丘の麓にという話が出たが、戦闘に巻き込まれる危険が著しいので、地形や周辺の状況を見てこのような場所を選んだのである。

 もちろん、実際に建設するのは施設科の隊員達である。だが、そのための書類の文面を考え、資材や、消耗品、予算について記した資料を用意するのは、伊丹の仕事である。書類事に詳しい仁科一等陸曹に文面その他いろいろについてアドバイスをもらい、点や丸のつけかたにすら嫌みな指摘事項をつける柳田の笑みに内心辟易としつつ、どうにか上のハンコをもらって提出を済ませた翌日は、丸一日寝込んだほどだった。

「こんな仕事、お役所の公務員だったら片手間仕事なんですけどね…」

 仁科一曹の言葉に、つくづくお役所勤めを選ばなくて良かったと思う伊丹であった。

「うおぉ!特別職国家公務員万歳」

 寝言の中で唸ったとか、吼えなかったとか…。




 仕事を始めるまでの準備には異常に手間がかかる。だが始めると早いというのが自衛隊の仕事であった。
 瞬く間に森を切り開き重機をもって地をならして、簡易ではあるが屋根のある家が並べられていく。

 そんな光景を、レレイはあんぐりと口を開けて見ていることしか出来なかった。

「………これで、ようやく荷車から荷物を下ろせるわい。儂はもう寝る」

 ほとんどやけっぱちのような口調で言い捨て、テントの中へと消えていく師匠に、レレイも大いに同意したかった。

 馬が引かないのに、馬よりも早く疾走する馬車。

 炎龍すら撃退する魔法の杖。

 アルヌスの丘に築かれた堅牢にして巨大な城塞。

 けたたましい音を立てて空を飛ぶ、巨大な鉄のトンボ。

 一本切り倒すのに、樵(きこり)が半日かかるほどの巨木を瞬く間に倒してしまう、のこぎり。

 工夫百人分働いて地面を掘り返してしまう、巨大なスコップのついた鉄の車。

 そして、瞬く間に家が建ててしまう技術力。

 はっきり言って、いい加減驚き疲れていた。

 知識のない子どもや老人達のほうが、素直に驚けている。素直に感心し、素直にそう言うモノなのだと納得して、その便利さを受け容れている。

 なまじ、多くの知識を有しているが故に、理解の難しい非現実的な出来事にレレイの頭脳は最早オーバーヒート寸前であった。

「………こんな凄い光景を見過ごしたなんて知ったら、お父さんきっとがっかりするわね。あとで教えてあげなきゃ……」

 体調の快復したハイ・エルフの娘が、こちらで貰った伸縮性のある軟らかい布で出来た上衣にズボンという出で立ちで(後で知ったが、ジーンズとTシャツと言うらしい)、唖然と作業を眺めていた。

 実に羨ましい。レレイとしては見なかったことにして、ベットに潜り込みこころの平安を維持したいと思ってしまうのに。まぁ、森の守護者という立場も忘れて、ただ呆然と見ているしかない程の驚きというのも理解できるのだが…。

 だが、賢者として生きることを選んだ以上理解できないことをそのまま放置しておくことなど誇りが許さない。世界の不思議を、知性でもって征服することこそ賢者としての野心なのだから。

 圧倒され、くじけそうになる心を叱咤して前に進む。

 動き回る鉄の車に近づこうとすると、作業をしている人達に恐い顔で睨まれてしまった。何かを怒鳴るようにして言って来るが、推察するに「危険だから」と言っているのではないかと思えた。これほどの巨大な車両が動き回っているのである。もしぶつかったり巻き込まれたら、自分などひとたまりもないだろう。その危険を防ぐためにレレイに近づくことを禁じ、警告しているのだ。

 そこで、作業現場の片隅で炊煙の香りをあげている車に近づいてみる。そして、どのような構造になっているか観察することにした。

 これは見ただけで理解できた。それにしても『移動させることが出来る竈』というのも凄い発想だと思える。軍隊や、交易などでキャラバンを組も長距離の旅をする商人達が喜ぶのではないかと思うのだ。野営するにしても、竈をしつらえる作業というのは結構手間がかかるものだからだ。

 そんなことを考えながら、炊飯車の前に立っていると、作業をしていた男性が何かを言いながら微笑んだ。

「ちょっと待ってろよ。もうすぐ、できるからなぁ」

 男性はそんなことを言ったのだが、現段階では彼が好意的に、レレイに対して何かを伝えようとしていることだけが理解できるだけだった。

 レレイの見るところ、彼らはこちらの言葉を覚えようとしてる様子が見て取れる。積極的に話しかけて来ては、単語を繰り返している。その成果もあってたどたどしいながらも、多少の意思疎通もできるようになった。だが、彼らがこちらの言葉を覚えるのを待つのでは、何も学ぶことが出来ない。彼らが使う道具、技術、彼らの考えていることを理解しようと思うならば、彼らの言葉を学ぶしかない。レレイはそう決心して、男性へと話しかけることにした。





 古田陸士長は、自慢の包丁技をふるいながら微笑んで見せた。

 元老舗料亭の板前だったというのは伊達ではないのだ。そんな彼が自衛隊に入ったのも、自分の店を持つための資金稼ぎだ。任期を勤め上げた時にもらえる退職金はそのための大事な資金となる。

 女の子が、山積みになっている食材を指さして見せた。

「ん?」

「uma-seu seru?」

 大根を指さして、さかんに何かを言っている。同じ単語の繰り返しに、いささか鬱陶しくなって、突っ慳貪な口調で「大根だよ。大根」と返した。言ってから「あっ、いけね。優しくしなきゃ」と、すぐに思い返す。

「Dai-kon?」

 古田は大根を、どんどんかつらむきしていく。今日は、日本食の粋とも言える刺身を一品だけつけることになっていた。刺身のつまと言えばやはり大根だろう。

 魚を生で食べる文化は、今では世界的な流行にあるが受け容れられるのにはとても時間が必要だった。欧米では魚を生で食べるなど野蛮なことだと考えられていたのだ。さて、この世界ではどうかな?そんなことを考えながら、古田はプラチナブロンドの少女に言葉を返していた。

「そう。だいこん」

「sou daikon」

「だ・い・こ・ん」




 レレイは首を傾げつつも推察した。daikonという単語の前につけられたsouという言葉は、きっと肯定を意味する単語ではないかと。

 間違いない。この野菜の名称は「だいこん」なのだ。

「だ・い・こ・ん」

 男性は微笑むと、「sou sonotouri」と言いながら大きく頷いた。頷きながら、楽しそうに大根と呼ばれる野菜を見事に削り、一枚の布…包帯のようにしていく。その見事の包丁技に、この世界の男性というのは、みんなこれほど料理達者なのだろうか?などという感想を抱いた。

 こうして、賢者レレイ・ラ・レレーナはちょっとした誤解も含めながらも、天才と呼ばれる知性でもって猛烈な速度で日本語の習得を始めるのだった。




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 11
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:8f069f32
Date: 2008/04/02 14:43
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 3度に渡って行われた連合諸王国軍による、アルヌスの丘攻撃は、結果として戦闘とは呼べないものとなり果てていた。例えるなら前方が断崖絶壁であることに気付かないままに進んだ、集団自殺とでも言えよう。もちろんそうなった理由の最たるものは、敵についての情報を全く提供しなかった帝国にある。

 当時、連合諸王国軍に軍旗を連ねた国は、諸侯国併せて21カ国。総兵力は約10万である。遠近東西、様々な国の兵士が一同に会する光景は、見事なまでの壮観であった。

 裸馬同然の馬にまたがる軽装騎兵。
 重厚な鉄の装甲で馬を覆った重装騎兵。
 大空を舞う翼竜に騎乗する竜騎兵。
 一歩一歩、歩む毎に地響きが聞こえそうな巨大な毫象を連ねる戦象部隊。
 小柄ながら精強な印象の南国兵達。
 方形の鉄楯を連ねる重装歩兵。
 林のような長槍を並べる槍兵。
 さらには弩、投石機、石弓等が所狭しと集められている。
 帝国では軍馬同様の扱いを受けるオークやゴブリンにまで鎧を着せている国もあった。
 それぞれが、出身の国毎に異なる軍装の煌びやかさを競っているかのようであった。

 この大戦力を30万と号して大地と天、ことごとくを埋め尽くし進むのであるから勝利は当然。だれもがそう考えて疑わない。

 そもそも、アルヌスの丘は聖地とはいいつつも、実際にあるのはなだらかな斜面をもった小高い丘でしかない。

 見通しを妨げる林や険しい森があるわけでもなく、道を塞ぐ大河や、切り立った崖があるわけでもない。ただの荒涼たる大地が、やや盛り上がっている。それだけの土地であった。

 頂上をおさえ斜面の上方に位置取ったとは行っても、地形による助けは極わずかと言っても良い。

 さらには、現地にいる帝国軍の報告によると侵入した異世界の兵とやらは、何を考えているのか地面に穴や溝を掘り、見た目は斧の一振りでも断ち切れそうな、細い針金で作った柵で周囲を囲う程度のことしかしていないと言う。ドワーフが作るような地下城が建設されているならやっかいであるが、人の手でそれをするには時間がかかる。一ケ月や二ケ月で完成させることなど殊更無理だ。

 こうなれば、勝つのは単純に戦力の多い方である。

 エルベ藩王国の国王デュランは、この程度の敵に連合諸王国軍を呼集した皇帝モルト・ソル・アウグスタスの真意を測りかねていた。帝国の軍事力をもっていすれば、諸国の軍勢を集めることなどしなくとも、いとも簡単にねじ伏せることが出来るはずだからだ。

 にもかかわらず、あえて連合諸王国軍を呼集した。とすればそれば軍事上のものでなく、何か政治的な意味を持つのかも知れない。

 例えば諸王を集めることで、己の権威のほどを国の内外に知らしめるという目的はどうだろうか?だが、それが目的ならば、諸王を集めて会盟の儀式を行えば済む。無理に大戦力を呼び集める意味はないはずだ。10万もの戦力を集めるには、なにか理由があるはずなのだ。そうでなければ、10万人の食糧を負担する意味がない。

 あり得るとすればこの戦力をもって、どこかの国を攻めるという可能性だが、連合諸王国軍をもってそれをする大義名分などあり得るだろうか?

「さてデュラン殿、どのように攻めましょうかの?」

 通常ならば、リィグゥ公王のこの言葉も軍議の場にて真剣に検討されるべき課題である。だが、「これほどの大兵力を擁しては区々たる戦術は、あまり意味を為さない。鎧袖一触、岩に卵を投げつけるがごとくの結果となるだろう」と言う理由で、真剣に論じられていなかった。

 実際、リィグゥ公王の問いかけには、無用の心配をするデュランを揶揄する響きを有していた。

「リィグゥ殿。貴公も少しは真剣に考えてくだされ」

「とは言われてものう。我が軍だけで攻めよと言われれば、陣立てや戦術を考える必要もあろうかと思うが、物見によれば敵は精々1万を少し超える程度と言うではないか。それに対して我らは30万と号しておる、一斉に攻め立てれば労することもなく戦も終わるであろう?敵の様子だのは丘で敵と相対している帝国軍と合流してから調べればよいのだ」

「それならば、良いのだが」

「貴公も神経の細い男よのう」

 リィグゥの嘲笑も、思考の袋小路にはまっていたデュランには気にならなかった。




 大軍の移動は時間がかかる。街道が十分に整備されていない事も理由となるが、何よりも規模そのものが足かせとなった。何しろ、最前列の部隊が出立してから、最後尾の部隊が動き出すのに半日近くかかるのだから。

 宿営地の建設にしても時間がかかるため、通常で10日かかる行程を20日も必要としたほどだ。

 それでも、どうにかアルヌスの丘を視野に収めた連合諸王国軍は、予定通り丘の全周囲の包囲をしようと、敵から適切な距離をとっての布陣を開始した。

 この時の『適切な距離』を彼らは彼らの経験から割り出そうとした。つまり、魔法の支援を受けた弓矢、石弓、投石機…こうした投射武器の届かない距離を『適切』と判断してしまったのである。しかも、丘の中腹に張り巡らされた塹壕や小銃掩体は巧みに偽装されており、それと注意して見ない限り気が付くこともない。

 そのため、前衛として隊列の最前列にあったアルグナ王国軍の王は、無造作に麾下の兵4000を丘の麓へと近づけてしまった。

 丘の近辺にいるはずの帝国軍の姿がなかったことも理由となるだろう。もしかして、既に帝国軍は敗退してしまったのかも知れない。だとしたら、生き残った将兵の救出も必要だ。そう考えてしまった。

 アルグナ国はこれと言った特徴のない小国だ。産業も農・牧畜が中心。これといった特徴もないからこそ魅力に欠け、帝国や周辺の諸国から併呑されずに済んだとも言える。従って矢玉よけに錆斧をもたせたオークやゴブリン、主力は重装歩兵、そして弓兵、少数の騎兵、魔導師という至極一般的な編成の部隊であった。

 彼らは、通常次のような展開で戦闘を行う。

 散開した弓兵が矢を放ちながら、剽悍なオークやゴブリンを嗾けて敵陣に突入させこれを混乱させる。

 魔導師の数に余裕があるなら、この段階で魔法の撃ち合いもある。

 肩を接するほどに密集した重装歩兵達が方形の楯を連ねて城壁とし、足並みをそろえて前進し主力同士の戦闘を開始する。そして、最後に歩兵が切り開いた道を騎兵が馬首を並べて突入して勝利を決定づける。

 だから、彼らはその時自分に起こったことに全く気付くことは出来なかった。

 彼らを襲ったのは、陸上自衛隊 特科部隊の曲芸でも言うべき一斉射撃だった。

 陸上自衛隊の特科部隊は爆煙を連ね並べて、中空に富士山を描いてみせるほどの精巧な技術をもつ。

 その砲撃技術の粋をつくして打ち出された榴弾が、面の広さをもって、ほぼ同時に着弾をしたのである。

 従って、その有様を一言で言えばこうなる。「一瞬で叩き潰された」と。

 被害者は連合諸王国軍の前衛集団アルグナ王国軍、それの後に続いていたモゥドワン王国軍、併せて約1万人。

 待ちかまえて、標的がキルゾーンに入るのを確かめての砲撃だ。だから最初から威力斉射だった。そして、その一斉射で第一回の戦闘は終わった。

「隊列の中段にいてそれを見た私は、最初アルヌスの丘が噴火でもしたのかと思った。姫は、火山というものをご覧に成られたことがおありか?私の故郷は山岳地帯で、幼き頃に一度見たことがあるのだ。それこそ、山が吹き飛ぶような爆発でな。それと見紛うほどの大変な爆発だった。前触れの地震もなく、ただ空気を切り裂くような音がしたかと思ったら、どんでもない大爆発が起きた。あまりのことに心の臓が口から飛び出すかと思ったほどだ。そしてそれはたったの一度きりのことだった。

 何が起こったのか…それを確かめようと我らは歩みを止めて前方へと目を凝らした。だが、遙か前は煙に覆われていた。

 煙が晴れるまでにどのくらいの時間がかかったのか、長かったように思えたし、それほど長くはなかったかも知れない。

 やがて煙が晴れた。そして我らの目に入ったのは、大地がかなり広い範囲で耕されたようになっている様子だった。掘り返された土砂にはアルグナとモゥドワン両国兵の死体が混ざっておった。丁度、この粗末なパエリアの米粒と具のようにな…」

 病床のデュランは、その時の光景を思い返すかのように瞑目した。その傍らには、看護の修道女が付き添って、デュランの口にパエリアを運んでいた。だが彼は食べようともせず、顔を背ける。

「両国の王はどうなされたのですか?」

 ピニャの問いにデュランは、首を振った。

「なんと言うことか…」

 戦闘後の連合諸王国軍を探してアルヌス周辺の村落をめぐること数日。あちこちの聞き込みの結果、ピニャは連合諸王国軍の将兵が統率を失って故郷へと引き上げて行かざるをえなかったことを確認した。

 引き上げると言っても敗残の兵である。健在な将兵など殆どいなかったとも言う。敵の追撃がないからこそ、生きているというだけでしかない。そんな状態での長い道中である。おそらく戦場で戦う以上の苦難が彼らを待ち受けているだろう。事実、落伍した兵の死体があちこちで地元の農民達によって埋葬されていた。

 やがて、ピニャはホボロゥの神を祀る修道院の一つに、高貴な身分を持つ者が収容されているという噂を耳にした。早速駆けつけてみると、それがエルベ藩王国の王であることがわかったのである。

 身分をあかし案内をされたピニャの目に入ったのは、左腕と左下肢を失い病床に横たわるデュランの姿だった。

 この状態での長旅は不可能。生き残った供回りの兵も逃げ散ってしまった。わずかに残った忠実な者を国元に帰して危急を知らせることとし、自身はこの修道院で体力の回復を待つ事にしていたと言うことであった。だが、地方の小さな修道院のこと。医者が居るわけでもなく、食事も十分と呼ぶにはいささか足りない。体力の回復を待つどころか、じわじわと消耗していくばかりだった。

 実際、失われた下肢の断端から膿の腐臭がする。顔も土色に曇り、血の気がない。瞼の下は隈で黒く染まっていた。このままでは余命もそう長くないだろう。

「見ての通りこの様だ…三度目の総攻撃でな、麾下の兵と共に丘の中腹までなんとか進んだのだが、鉄で出来た荊が我らの道を阻んでいてな。これにひっかかって進み倦ねているうちに、光が雨のごとく降り注いできた。そして、あっと言う間に吹き飛ばされた」

「デュラン陛下、早速帝都に知らせを走らせます。そして医師と馬車の手配を…。とりあえず帝都に身をお寄せいただき体力の回復をはかってください」

 覇権国家たる帝国の皇女とは言え、宮廷儀礼上は一国の王たるデュランが目上になる。ピニャは膝をつくと、無事な右手をとりデュランに頭を下げた。

 だがデュランは首を振った。

「姫には申し訳ないが、帝国の世話になろうとは思わぬ。第一、もうそんなに長くはないであろう」

「何故ですか?」

「私はずうっと考えていた。何故、皇帝は連合諸王国軍を、この戦いに呼び集めたのか…こうなってみて初めてわかった。皇帝はこうなることを知っていたのだ。おそらく帝国の兵も、敗亡し帝国軍は大損害を負っていたはず…健在な我らは目障りであったのだろう。つまりは、皇帝は我らの始末を敵に押しつけたのだ」

 敬称をつけずに、ただ「皇帝」と呼ぶ声にデュランの怒りが込められていた。どうせ死んでいく身だ。ならば、言いたいことを言わせて貰う。そんな気持ちが込められていた。

「姫。知らなかったとは言わせませぬぞ。姫とて帝国の軍に身を置かれる立場。帝国軍がアルヌスの敵と戦いどうなったのか…ご存じであられたはず」

「はい。確かに帝国の軍が以前、敗れ去ったことは存じておりました。しかし、しかしです。どのような敵が待ち受けているのかも知らせずに、ただ諸侯をアルヌスに差し向けたなど、全く存じませんでした…」

「行かれよ姫。不実の鎧を纏い、欺瞞の剣を片手に我らの背後に立たないでいただきたい。連合諸王国軍は、この大陸を守るために最後の最期まで戦い抜きました。だが、我らが民族最大の敵は、我らが後ろにおった。帝国こそが我らの敵だったのだ。姫、重ねて言う。早く行かれよ」

「陛下。最早、お怒りをお鎮め下さいと申しても無理でありましょう。なれどせめて教えてください。我らの敵はどのような者なのですか?どのような魔導兵器を、そしてどのような戦術を用いるのですか?貴重な戦訓をお示し下さい」

「教えてやらぬ。我らはそれを知るに身を犠牲にした。ならば、御身もそれを知りたくば自らアルヌスの丘に赴かれるが良かろう。汝が将兵の血肉を代価とすれば敵が教えてくれる」

 ピニャは必死だった。皇帝は敵を侮っている。戦闘力の差は、戦略や権謀によって補えると信じて疑っていないのだ。だが、ビニャは敵と我との間には根本的な力量の差があると感じていた。このまま敵の詳細を知らせなければ帝国は決定的な敗亡をしてしまう。そんな予感に囚われていた。

 歯のギッと噛み合わせる音と共にピニャは目を座らせた。

「そうは参りません。なんとしても教えて頂く。もし、お話しいただけないと言われるのであれば、エルベ藩王国を質とさせていただく。陛下が何も言われずに黄泉の川を渡られたら、妾は兵を率いてエルベ藩王国に攻め入り焦土といたしますぞ」

 これにはデュランも驚いたようだった。

「な、なんと。兵を奪い、家臣を奪い、我が命までも奪おうとしておきながら、さらに国土と家族すらも奪うと言われるか…皇帝が皇帝なら、その娘も娘と言う訳か…良いでしょう。好きなようになさるがいい。どうせ我が身は滅ぶのだ。故国が帝国に併呑され属州となりはてるのも、遅いか早いかでしかない。死神の足音を聞く私には、最早関係のないことだ。黄泉で我が家族が来るのを待つことにする。そして後からやってこられる皇帝とあなたたちを嗤ってやることにしましょう」

「死に瀕して、自棄に成られたか…帝国は絶対に負けません」

 ピニャは立ち上がると、死にかけの王を見下した。

「強ければ、力があれば何をやっても許される、それはもう仕方のないことだ。そのまま居直られればよい。しかし、我らとて意地がある。誇りもある。それを踏みにじられれば、この程度の意趣返しはして当然されて当然と心得られよ。アルヌスの敵は、脅威の軍隊。神のごとき武器と、神のごとき戦術をもって、我らを赤子のごとくひねりつぶした。敵を呼び込んだ帝国も同じ運命たどるであろう。強ければ何をやっても許される。ならば、アルヌスの敵はさらに強いぞ。帝国軍など累卵も同様。その事実に気付き、真に悔い改め助けを求めても、最早誰も応じることなどないのだ。その時のザマを見るがよいっ!」

 デュランは力を振り絞ってそれだけのことを言い放つと、はあはあと息を荒くしながら病床に身を埋めた。




 ピニャは、もう言葉もなかった。

 権力や腕力をもってしても、人の内心の城壁を攻め崩すことは難しい。出来なくはないが、それをすればこの王は死ぬだろう。

 だからこの王から情報をとることは無理として諦めたのだった。心に残るのは、頑ななデュランに対する怒りであり、諸侯をここまで離反させた皇帝への憤懣である。

「姫様…頼みますから、騎士団でアルヌスに突撃するなんて言い出さないでくださいよ」

 デュランの部屋を後にしたピニャに背後から投げかけられた言葉に、ピニャは大きなため息をついた。

「ハミルトン。お前、妾を馬鹿だと思っているのか?」

「いいえ。違いますけど、今にも『妾に続け』とか言って駆け出しそうな雰囲気でしたから」

 もし駆け出すとしても、それはアルヌスに向けてではなく帝都に向けてだろうと思う。思うが、それを口にするわけにもいかない。

 一見すると美貌の貴公子としか思えない男装の女騎士ハミルトンを前にして、ふとホントにこいつ男ではないかと確かめたくなった。だからピニャは彼女の薄めの胸板を手の甲で軽く叩いてみた。すると一応、柔らかな手応えがあった。

「突撃するかどうかは別にしても、一度はアルヌスへ行かねばならない。敵をこの目でみておかねばな」

「あ~姫。この人数でですか?危険ではないでしょうか?」

「はっきり言って危険だ。だからお前、守ってくれよな」

 ピニャはそんなことを言いつつ、修道院を後にするのだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 12
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:dccf2926
Date: 2008/04/12 12:00
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-中華人民共和国 北京-

    共産党国家戦略企画局

「劉局長。これが第二二四次 極東宣撫工作の活動報告です」

 劉は、部下の差し出した報告書に視線を降ろした。
 それは横書きの簡体字で充ちた書類の束。かなり厚みがあり、ずっしりとした手応えをもっていた。
 劉が党本部戦略企画局の局長の地位を占めて、すでに4年になる。その間に、この部下から受け取った報告書は20冊だった。

 その内容も、回を重ねるごとに濃密になってきている。予算の規模も次第に拡大し、偉大なる中華人民共和国が、確固たる覇権を掌握するためには無くては成らない部門となった。銃砲火器でする戦争はすでに時代遅れだ。これからは国内外の大衆操作・世論誘導こそが、国家戦略の根幹となると言うのが劉の信念だった。

 国内の大衆操作の要点は、教育と情報統制にある。

 教育は、中華人民共和国と漢民族の偉大さを強調することにある。共産党がこれを導くことによって中国は世界で最強の国家となることが約束されていると教えるのだ。そして、人民の心の内に醸成された、矛盾や貧富の差に対する嫉妬心・怒りは、民族的な恨みという口実を与えた上で外国、例えば『日本』に向けさせればよい。

 日本は海外に対して軍事力を行使することはないと言うことを宣言している平和国家であり、どれほど侮辱しようが、貶しおとしめようが国境をまたいだこちら側にいる限り安心していることができる。その意味では、とても都合の良いスケープゴートだった。

 日本をスケープゴートにするのは簡単だ。実際には無かった出来事を「あった」と言い、実際に起きた都合の悪い出来事はなかったことにしてしまうのがよい。事実を指摘して反論する人間に対しては、より大きな声で時間をかけて、これをうち消してしまえばいい。理屈に対しては情を、情に対してはより同情を得やすい情をもって。そして相手の情が過激化したのなら、理性を求めるのだ。人民とは声の大きな方を信じるものである。同時に、自分が信じたい嘘を信じるものなのだ。嘘も百回繰り返せば、やがて本当のこととして扱われるようになる。
 それに加えて、嘘のない『事実』であっても、それを目的に従って切り取り、一つの印象を与えるように並べ立てる。それもまた十分に効果がある。緩急織り交ぜた、戦術を積み重ねることで、その効果はさらに倍増する。

 偉大なる漢民族、偉大なる中国の一員であるという民族意識は、自分たちに都合の良い情報を好み、自分に都合の悪い情報を拒絶するという自意識ができあがる。そして、さらに統制された情報によって常に自意識、民族の優越感や、中華思想をくすぐっておけば、民衆は国家を信頼し安心するのだ。

 思想教育によってエゴを肥大させ、情報という麻薬によってそのエゴを満たす。そうすればやがて自分のエゴを満たしてくれる薬(情報)だけが欲しくなる。その麻薬を供給するのが、我ら共産党なのだ。人民統治の要諦に古くはパンとサーカスという言葉があったが、現在は『金(経済)』と『情報』である。

 国外向けの活動の第一は、相手国の『平和運動』を支援することにあり、その手段がやはり情報の操作である。こちらはより巧妙に行わなくてはならない。

 平和運動とは、詰まるところ「戸締まりをやめよう」という運動である。
 国のレベルではもっともに聞こえても、次元を個人におとしてみると平和運動の本質が理解できる。反戦平和運動のスローガンとは、翻訳すると「誰も泥棒に入ったりしない。だから戸締まりなんて止めよう」となる。

 平和運動を推進する人間に限って、それぞれの家庭の戸締まりはしっかりやっていたりする。こんな立場にいてこんな事を思うのも何なのだが、劉はそれが不思議だった。個人的な他者は信用できないのに、どうして国家としての他国が信用できるのか、理解できない。個人レベルでは周囲に警察もいてその助けを期待できるが、国際社会には警察も居なければ公平な裁判所もない(警察気取りの国家は存在するが、そんな彼らも自らの利益の為だけに行動する)。国際社会において、国家は自ら守らない限り誰も助けてくれないのである。

 よくよく考えれば、他人の戸締まりを気にするのは泥棒だけである。
 盗みに入ろうと思うから、その家の戸締まりが気に入らないのであり、全く泥棒などする気が無いのなら、偏執的な戸締まりをしていても「大変だね」と思ってそれで済むはずだ。
 ロシアが東ヨーロッパに配備されようとしているミサイル防衛システムに神経を尖らせているのもそのせいだ。攻撃兵器が配備されるというのなら、神経をとがらせるのもわかるが、あくまでも防衛兵器である防衛システムが気に入らない理由は、もう単純でわかりやすい。つまりは攻撃したいからでしかない。ミサイルで人を殺し、建物を破壊したいからなのだ。そしてその恐怖をちらつかせることで他国を自分の言いなりにさせたいのだ。

 ところが、解っているのか解ってないのか、平和運動家達はミサイル防衛システムの配備にも反対する。それは「争いになるから、戸締まりをするな。泥棒が来ても抵抗するな。こちらが身構えるから、泥棒が強盗に変わるのだ」と言う主張だ。それが実は、もっとも泥棒を喜ばせることなのだと言うことを知らずに…。あるいは知っていてわざと。

 真の平和運動とは言葉としての『平和』を叫ぶことではない。悲鳴を上げて叫ぶことでもない。自分たちと意見を異にする人間を、『戦争をしたい人間』とののしり排斥することではない。そんなものは、ただの自己満足だ。平和を得る現実的な手段とは、相手に攻撃する隙を与えないこと。攻撃して得るものより、失うものの方が多いのだということを、相手に感じさせることなのだ。それは泥棒をして得るモノより、刑罰や賠償責任等によって失うモノが多いと感じさせる思想と結局の所同じなのだ。

 だから中華人民共和国は、国内に反戦平和運動など許さない。だが、他国で他国の民衆がそれをするのは嬉しい。自国を取り囲む外国が弱くなるのなら万々歳だ。よって、平和運動家に様々な次元での援助を行うのである。必要なら、海外に移民した自国の出身者を尖兵として利用する。チベット国旗が列ぶよりも多くの中国国旗を並べさせる。映画監督、女優、俳優…ありとあらゆる人材を投入する。

 中国経済の豊かさや、貿易による結びつきの強さを強調して、互いに関係を絶つことも難しいほどに深いのだと、強調する。

 対立点があれば、小異を捨てて大同をとることが大人の振る舞いだとアピールする記事を新聞に書かせ、それで失う利益もそれほどたいしたことはないのだと論じさせる。

 政治、人権問題とオリンピックは関係ないと主張させる。そのために、様々なメディアや言論界に、自国への同調者をつくり、あるいは養成する。国家戦略企画局はその活躍を行っていた。

 劉は報告書のページをめくりあげた。そこには日本、韓国、台湾のマスメディアにおける『好意的同調者』の活動…具体的には新聞、雑誌の記事、テレビの報道特集やドキュメンタリーの制作についての概要がまとめられていた。

 報告書は、細緻な内容であった。執筆者の苦労は並大抵のものではなかったろうと思う。だが、それも必要なことであった。と言うのも、この報告書は最終的には国家主席にまで上がっていく重要な書類だからである。

 劉は、書類の中の日本の項目に目を向けた。

「ふむ。NHKでの活動はなかなかいい。だが民間放送局での扱いが、まだまだ不十分だ。もう少しなんとかならないだろうか?」

 メディア対策担課長の李は、これを受けて盛大にため息をついた。

「NHKの『同調者』達は、『その時、歴史のページがめくられた』を、はじめとした各種のドキュメンタリーの制作担当者となりましたので、活発な活動ができています。ですが、民間放送局では番組制作における下請け体質が問題となって、我々の意図した色彩になかなか染まらないのが現状です。

 報道部門に関して言えば『旭』と『毎朝』系はおさえてありますが、ドラマやバラエティなどの制作責任者までは手が回っていません」

「そうか、やむを得まい。だが、手は抜くなよ。同調者が放送局内で昇進するのを待つのもいいが、出来ることなら現在の制作責任者を勧誘するんだ。金でなびく奴は金、女でなびく奴は女、名誉でなびく奴は名誉で。ありとあらゆる手を使え」

「はい。ですが、予算的に厳しくなります。人員も不足してます」

「安心しろ。すでに予算の増額が決定されている。工作員の数も増やせることとなった」

 これを聞くと李は、安心したのか大きく頷いた。劉は再び書類に目を落とした。

「ほほぅ。明治時代に民衆が地方反乱を起こした事件を英雄的に描いたドキュメンタリーは非常に秀逸だったな。民衆の身近な問題で不安をあおり、それに対する反感を政府に向けさせる。実際に暴動やデモが起きればいいんだが、日本人って言うのはおとなしいというか、我慢強いというか。この点についてだけは我が国の国民にも見習わせたいところだな。ま、そのかわり投票という形で現れたわけだからよしとしよう。実際、民衆の潜在意識に政府に対する反感を刷り込んで、行動の指針を与えた。この方法は法が最も効果的だったようだ。選挙前と言うタイミングも良い。担当者には特等の報奨金を贈っておくように。それと今後の活動費も出してやれ。地方の反乱、市民革命、そういった題材をどんどん取り上げさせろ」

「はい」

「次の歴史ドキュメント。明時代の海上貿易を描いた特集は殊勲賞モノだな。明が圧倒的な軍事力を有していた時代、亜細亜は平和であり、人々は明との朝貢貿易によって豊かさを享受していたという部分を強調できたようだ…うん。これは二等級の報奨金を出すように」

「はい。こちらの番組制作の担当者から、次の企画についての協力要請が来ています。中国の公害問題について取り上げたいと」

「大いに協力してやりなさい。そして日本の省エネ技術の無償供与が必要だという論調でまとめさせるのだ。ふむ、日本から無償で得た省エネ技術を第三国に有償でわたせば我が国の利益になるしな。
 取材チームには可能な限り便宜を図るべきだ。権威付けになるなら教授連中を出演させるのもいい。そうだ、日本に送り込んだ大学教授連中はどうしている?彼奴等の尻をたたけ。もっと多くの記事や論文の発表をさせるべきだ。テレビにも出演させろ。毒まんじゅうの件で、旭新聞に投稿させた大学教授や学童の記事、あれはどうなった?」

「あれは…二四頁をご覧下さい」

 劉は、言われるままに報告書を捲った。そこには記事の内容とそれを読者がどう受けとめたのかについての評価が記されていた。

「あれは、あからさまに過ぎました。かなり反感を買ったようです」

 劉は、新聞に掲載された記事の中国語訳をさっと斜め読みする。

「いささか陳腐だが、悪くない内容だと思うが?」

「日本人は、『まるで他人事のように言っている』『所詮は中国人の身内庇い』と感じているという報告です。日本で報道されている毒まんじゅう事件についての情報は、どうにも加工のしようがない事実ばかりなので、状況証拠などから我が国の内部で起きた事件として、日本人に認識されています。と言うか、これだけ状況証拠があってどうして日本国内で毒物が混入されたと考えられるのかと不思議がられてます。我々に都合のいい情報しか流さない我が国のメディアの有様がクローズアップされて、かなり印象が悪化しています。さらには、『自意識を満たすのに都合のいい情報しか見ないし、見えない』我が人民の姿が各種メディアで報じられてしまい人民の偏向性も知られつつあります。もう何もしない方が良いのでは?我々の活動自体、一部で感づかれていますし」

「いや、そういうわけにはいかん。また別の手を考えよう。それと、インターネット担当者に申し送りをしておけ。何かにつけて陰謀と結びつけて考える人間のことを侮蔑した言葉…なんだったか…そういった表現で我々の活動を指摘する人間の評価を、徹底的に低下させておけば問題にはならん。そんなことよりアニメだ。どうにかならんか?日本のアニメは世界中に影響力がある。これを、利用出来れば大きな力になるのだが」

「はぁ。日本のアニメーションは、土台となる原作が作家による個人作業なので、我々の工作の入る余地が無いに等しいのです。実験的に数名の新人作家を選んで、工作をしてみましたが、そうした者の作品は日本の市場ではあまり評価されません」

「これまで力を入れて支援してきた小説家やテレビドラマの脚本家達はどうなった?ノーベル文学賞を受けたり、名作として評価は高いのだろう?」

「彼らの作品がアニメーションの原作となる事などあり得ません。精々映画やドラマがいいところで…とにかくアニメーションに関しては我が国の作家が育つのを待つしかありません。漫画については出版社の編集担当者に同調者が育ちつつありますが、それもまだまだです。編集者の漫画家に対する影響力を利用して、南京大虐殺を事実として描くよう指導させているところです」

 劉は頭を抱えた。

「今や、我が国の青少年が日本のアニメを見て、逆影響を受けている始末だ。国内の宣撫工作担当から苦情が来ている。今は、海外産アニメのゴールデンタイムの放送を禁止して、国産のものを中心にするように指導しているが…」

「パクリやご都合主義ばかりで、はっきり言って面白くないですからな。それにいくら禁じてもインターネットで見たい放題です。あははははは」

 李は笑った。それを劉は白い目で見据えた。

「笑い事ではないぞ。小説、映画、ドラマ、報道、アニメ…こうした情報は全て麻薬だ。人民は、我らが供給する麻薬だけを喜ぶようにならねばならんのだ。それを日本製のアニメなどに。日本製の子ども向けコンテンツは、完全な悪などない。完全な善などいないという内容が多い。そんなものを青少年に見せて冷静で中立的な視点などもたれたら我が国の矛盾にも目を向けられてしまう。とにかく急がねばならん。学生連中が育つのを待つのは仕方ないが、出版社や漫画編集者に同調者を育てる件は、ねばり強くかつ迅速に続けたまえ。いいね」

「はい、了解しました。次は、韓国の件です…」

 李は続けて韓国や台湾における同調者の活動を報告した。

 その最中、王淑珍が局長室に入室してきた。劉は、王に対してそのまま待つように告げ、李の報告を聞き続けた。

 李は報告しながらも、この席に王が何故呼ばれたのかと気になっていた。王という男は、たしか解放軍の参謀本部に所属していたはず。それがなんでここに…。そう思いながらも自分のすべき報告を全て済ませ、指示を受け終えると退室しようとした。ところが、劉に呼び止められる。

「紹介しよう、こちらは王淑珍だ。解放軍情報参謀本部から来て頂いた」

 李は、頷いた。「存じています。大学では同期でした」と。

「そうか、それなら話が早い。君にはこの王淑珍としばらく働いて貰いたい」

「合同ということですか?」

「そうだ。君の部門で管理している日本のメディア内同調者へのパイプを利用して、行って貰いたい作戦がある」

「それは何でしょうか?」

「それは、『門』に関わるモノだ」




 ある時期を境に、テレビや新聞の論調に微妙な変化が起きた。

 テレビのドキュメンタリーは、植民地化時代のオーストラリアの原住民のアボリジニーやタスマニア人が、植民して来たイギリス人流刑者によって殺されたり民族そのものが滅ぼされた歴史を取り上げた。

 あるいは日本国内の文明衝突という描き方で、大和朝廷とアイヌとの戦いが描かれ、大和朝廷によって圧迫を受けたアイヌの、そして明治新政府以降まで続いた彼らの苦難に充ちた生活についてを取り上げた。

 スペイン人に滅ぼされたインカ帝国。

 ローマに滅ぼされたカルタゴ。

 それらは事実を一つの目的に従って切り抜き強調し、印象づけるように作られていた。テレビで、ドラマで、クイズ番組で、週刊誌で、新聞で、様々な形で受け手の意識に昇らないよう、それとなく傾向づけられたメッセージがメディアを通じて流れ出した。

 圧倒的に有利な立場な文明が、弱い立場の民族を圧迫して滅ぼしていく。滅びていく民族の悲惨な姿を強調して描き、印象づけようとする。

 視聴者は、弱者に同情する。同情するように誘導された。

 そして強者は理性的でなければならない、抑制しないとならないと考える。抑制しないといけないと考えるように誘導された。

 飢餓に襲われたアフリカで次々と死んでいく子ども達の映像が、人々の無意識に刷り込まれる。

 ふと、振り返る。振り返ることを誘導させられる。

 我が身が加害者になりつつないか?と。

 『門』その向こう側で、自衛隊は何をしているのか?確か、敵と交戦しているはず。

 『門』の向こうでの戦闘は、以前より多くの人々の関心を惹いていた。だが、さしたる状況の進展はなく、『門』を確保して敵の来襲を撃退したと伝えられるだけであった。自衛官に被害者が出ていないため気付かなかったが、交戦による敵側の損害は?門の向こう側における民衆の被害は?

 国会で、質問に立つ野党女性議員。その質問に防衛省の政務次官が答える。

「三次にわたる戦闘で、敵側の死者はおよそ6万となります。交戦による非戦闘員の被害はありません」

 絶句する野党議員達。

 要は、敵が防備の強力な我が方に対して無謀な攻撃を繰り返した、強いて言えば日露戦争時における『二〇三高地』の逆の例でしかない。敵が馬鹿なだけだ。

 従って国民の大多数は、彼らが絶句した理由を理解できなかった。戦争で死者が出るのは当然のこと。負ければ味方が多く死に、勝てば敵が多く死ぬ。それだけである。銀座事件における被害によって怒りに駆られる国民の多くは、それを当然のこととして受け容れていた。だが、自分は理性的で、一般大衆とは一線を画していると思っている人間や、自分は他人に対して同情的な心を持っていると信じたい、『いわゆる善良でありたい』人々にとって、それは耐えることの出来る数ではなかった。




『陸上自衛隊の失態!?民間人被害者130名!?』

『政務次官の答弁に虚偽の疑い!!』

『誰も知らない特別地域での戦い。膨大な敵側戦死者の中に本当に非戦闘員は居ないのか?』

 こういった記事が毎朝新聞と旭新聞のトップを飾ったのは、それから程なくしてだった。

 テレビや新聞社の記者達が、防衛省や官邸に押し掛けて、マイクとカメラの放列を総理大臣と防衛大臣へと向ける。

 任期満了に伴い、総理大臣職を退いた今泉元総理の跡を継いだ安田総理に対して記者達の辛辣な質問がぶつけられた。

 閣僚や防衛省政務次官の汚職の発覚が相次ぎ、任命権者としての責任を追及されることが続いていた総理は、自然と回答が慎重になった。その姿がまた「返答に窮している」「言葉が重い」などという表現で報道されて、それがさらなる支持率の低下に繋がる。

 国会でも、野党による追及が始まった。

 予算委員会の席は閣僚や省庁の次官達と向かい合う形で、与野党の議員達が座っている。

 質問席に、野党の議院が立って質問を発する。その都度、担当部署の次官や大臣が前に出てきては質問に応じるのだ。

「今回報道された被害者とされる民間の被害者は、特別地域の武装勢力との戦闘によって生じたものではなく、災害によって発生したものです」

 防衛省政務次官の回答に対して、野党議員が尋ねる。

「災害とはなんですか?その災害と自衛隊との関わりは?」

「災害については、危険な猛獣によるものという報告です。ゴジ○あるいはキ○グギド○級の危険な生命体であるという内容です。その怪獣の攻撃を受けていた民間人を自衛隊特地派遣隊の偵察隊が救助するために、これと交戦するに至ったものです」

「ちょっと待ってください。ゴ○ラですか?そんな生命体が『特別地域』には生息しているということですか?」

「もちろん○ジラではありません。それに近い存在です。特地甲種害獣、通称ドラゴンと呼称しています。よろしければ、この場では怪獣と称させて頂きますが、その怪獣の身体の一部がサンプルとして、送られてきています」

「何とも信じがたい話ですがそれを信じるとして、つまり今回の事件は、自衛隊とその『通称怪獣』との交戦に非戦闘員が巻き込まれたと言うことですか?」

「違います。『通称怪獣』による襲撃を受けていた非戦闘員を自衛官が防衛・救助するために、武器を使用したものであり、その被害の全ては怪獣によるものです」

「政務次官、あなたは以前質問した時に、非戦闘員の被害はないとおっしゃった。しかし、こうした事件が発生し、これほど多くの被害者が出ているのに、全く発表されなかったのは何故ですか?」

「前回の質問の主旨は、門を確保した我が自衛隊に対する、敵武装勢力による攻撃。それに伴う、非戦闘員被害の有無についての質問であると、考えたからです」

「死亡者についてはわかりました。これほど多くの被害者が出た災害です。今後同様の事件があればその都度発表して頂きたい。それと、自衛隊が救出した人々はどうなっていますか?」

「近隣の村や町に避難したという報告です。もともと怪獣の出現により、それまで住んでいた村落を放棄して、避難する途上で怪獣に襲われたということです」

「なるほど。それで、生存者は全員が避難できたのですね。その後の避難生活について把握していますか?」

「いいえ、そこまでは。我々はまだ門の周辺をわずかに確保しただけですので、避難民達の避難後については確認できません。ただ、怪我人やお年寄り、それと身寄りのない子どもは自活しての生活が難しいという現場指揮官の判断があり、自衛隊の方で保護しています」

「なるほど、当事者がいるのですね?では委員長…」と野党議員は矛先を変えた。

「実際のところ、当事者から話を聞かないことには、報告された内容が真実かどうか確認しようがありません。『門』の向こうは危険だという理由で報道関係者や我々議員も立ち入ることも許されない有様です。それでいて、政府の一方的な報告をそのまま鵜呑みにしろと言われても、我々としては躊躇わざるをえません。そこで、当事者たる自衛官や、被災者の方を参考人として招致したいと考えるのですが…」

 実際に事件に関わった自衛官と、保護されている現地人から直に話を聞きたい。政府当局に疚しいことがないのであれば、拒絶する理由もないし、応じられるはず。このような論調で野党側は要求を繰り返した。

 野党やマスコミの追求に辟易としていた官邸および与党も、それで真実が伝わり、その攻撃をかわすことが出来るならば…ってな理由で、『現場指揮官』と『現地人代表数名』を、門のこちら側へ呼び寄せることに、なっちゃったのである。










[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 13
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:ee5a729a
Date: 2008/04/12 12:38




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 さて、その現場指揮官である。

 伊丹は、朝っぱらから運用訓練幹部の斜め前の席に座り、彼の冷ややかな視線を無視しながら携帯でお気に入りのサイトでネット小説を読んでいた。

 『門』のこちら側で携帯が利用できるようになったのもつい先日のことである。アンテナが設置されるまでは、休暇の度にわざわざ門を超えて銀座に出なければならなかったのだ。それが携帯用の共同アンテナが設置されたことで、門の向こう側と個人的なやりとりもしやすくなった。ありがたい話である。

「しばらく見ないうちに随分と更新が進んでる。おっ、これは後で保存せねば…」

 Web小説は、本屋に列ぶ小説と違ってオリジナルあり、二次作品ありと様々なジャンルを楽しむことが出来る。その数も膨大であり、全てを読むことなど不可能と言って良い。だからこそ、良い作品に出会えた時はラッキーと思う。数行読んでみてついていけないと思うと、すぐに諦めて他の作品をあさる。

 掲示板等で良作と知って伊丹が読もうとた時には、ネット上から消えている作品も少なくない。もう一度読みたいと思った時には消失している場合もある。すると、伊丹は悲しくなる。

「グランマよ、どこに行ったのだ!!」

 ちなみに現在(この時期)の伊丹のお気に入りは、GS、型月もの、ネギ、なのは、ゼロものである。クロスものも好んでよく読む。ちなみに上記が、なんのことだか解らない人はいないとは思うが、解らない場合は無視してよろしい。

「あ~二尉、聞いてます?」

 伊丹は、斜め後ろからかけられる声を聞き流そうと努力した。通りのよい女声であるのだが、耳に入らない。今は休憩中につき、仕事に関わることはあんまり耳にしたくないという意思表示のつもりだった。

 だが、「うほん、おほん」という運用訓練幹部(中隊参謀みたいなものだと思えばよい)の咳払いが、伊丹を小説に没頭させてくれない。こんな時は、出来れば個人の執務室が欲しいなと思う。

「二尉」

「ぐおっ!」

 それは、響きとしても音量としても普通の声であった。だが、伊丹の下腿に激痛を発生させていた。音声が他人を害することが出来るのか?この世界では音声に攻撃能力が与えられるのか?
 そんな風に思いつつ振り返ると、栗林と黒川が胡乱な目で伊丹を見ていた。漫画的表現で言うジト目という奴である。ちなみに、伊丹の下腿に激痛を発生させたのは栗林の半長靴のつま先だった。

 武道有段者の拳やつま先は凶器も同然である。まして栗林は格闘徽章持ちだ。それを無抵抗な人間に対して振り回すなどはたして許されるのか。こんな悪逆非道を許してもいいのかと思いつつ、目撃者であるはずの運用訓練幹部に視線を送ると、彼は視線を窓の外に向けてくつろぐ。伊丹の味方はどこにもいないようだった。

「話を聞いてくださいませんか?」

「俺にぃ?」

 黒川の言葉に、伊丹は携帯電話をパタンとたたんで机の引き出しに放り込むと椅子ごと振り返った。

 伊丹は自己を呼ぶ際「僕」と「俺」の両方を気まぐれに使う。本人はそう思っている。だが実際に「俺」を使うのは、身構えていない時、調子に乗ってる時、気の乗らない時が多い。気怠そうな口調で「俺なんかに相談してもしょうがなかろうに」と呟く姿に、今の彼の心情がとてもよく表れていた。

「で、なによ?」

 伊丹が背もたれに体重をかけると、事務用椅子がキィと音を立てる。

「テュカのことです」

 伊丹達が保護している避難民の一人で、金髪碧眼のエルフ娘、テュカ・ルナ・マルソーのことだった。

「彼女がどうかしたのか?」

「実は…」

 黒川によると、「彼女はおかしい」という。
 どうおかしいのか、具体的には食事をかならず2人分要求する。支給品類も衣服など必ず2人分要求する。居室も2人用を一人で使用している。最初はそういう文化なのではないかと思ったので黙ってみていた。だが、どうもそうではないのではないか?

「個人的に欲張りなだけとかじゃないの?エルフが食欲魔神っていう設定だとか?」

「違います。食事だって2人分っていうのは、2人分の量ということではなく、つまり食器を2セットの2人分を要求するということなんです」

 栗林が記録を捲りながら言う。

「うん?誰かに、食べさせてるとか?ペットを隠れて飼っているとかはどうだ?」

「1セット分は、手をつけずに必ず廃棄してます。衣服類だって、彼女が余分に請求するのは必ず男物です。」

 これには、伊丹のカンに障るものがあった。チクとした頭痛と共に、深いところに鎮めたはずの記憶が呼び起こされそうになる。

「ふ~ん。で、理由を尋ねてみたか?」

「言葉がうまく通じてないので、よくわからないのですが、一番言葉のわかるレレイちゃんに同席して貰って尋ねてみました。どうして食事を残すの?って」

「そしたら?」

「彼女にも『わからない』『食事時に』『いない』という答えでした」

 沈黙の時間が流れる。その間に、『誰か』と同居しているつもりなのでは?という考えが浮かんだ。

「もしかして、脳内彼氏でも飼ってるとか?」

 伊丹は茶化すように言った。だが、黒川や栗林は、伊丹が期待したような反応は示さなかった。脳内彼氏、あるいはそれに類似する存在を彼女らも疑っていたのだ。しかも、彼女の場合は保護された経緯が経緯だ、深刻な事態が予想される。

「はっきり言って、それならば良いのですが」

 黒川が心配そうに呟いた。

「医官には相談したか?」

「精神科医はこちらに来ておりません。それに、『亡くなった家族を一定期間、生きているかのように扱う』という文化の存在も否定できませんわ。なにが正常で、何が異常か、わたくしたちだけで勝手に判断するわけにも参りません」

「それならレレイの師匠……カトー先生に尋ねてみてはどうだ?あの爺さんなら詳しそうだ」

「尋ねてみました。わたくしたちとほぼ同じような見解を抱いているようでしたわ。カトー先生によると、彼女は『エルフ』という種族の中でも、さらに稀少な存在だそうです。『珍しい』『知らない』という答えでした」

 現段階でも意味の判明している語彙は多くないので、微妙な言い回しが難しいのだ。『理解ができない』『情報がない』『自分には推測できない』…など各種の単語がみんな「知らない」という単語になってしまうのだ。このあたりはもっとコミュニケーションを進めて理解を深める必要があった。

「やっぱし、ハイ・エルフだったかぁ」などと、つい興味が先に立ってしまう。だが、そんなことはどうでもいい。「彼女と、よく話してみろ。彼女がいないはずの誰かを居ると思いこんでいるのか、それとも居ないのは承知してるが、あえてそう振る舞っているのか…」

「もちろん、そう致します。でも、わたくしとしては正直言って判断に困っています。あまり、うち解けてくれないので」

 これには、伊丹も首を傾げた。第3偵の凸凹WAC。そのなかでも黒川は避難民の子ども達には絶大な人気を誇っていた。結構、勝手な振る舞いで周りを困らせる黒い神官少女(レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」だと言う)ですら、黒川の言葉には割と素直に従うのだ。

 視線を栗林に向ける。

「わ、わたしには、そんな感じは無いです。だいいち、わたしにはカウンセリングとか出来ません。こころのこととかよく判らなくて…」

 確かに、このちびっ娘爆乳脳筋女は拳で語り合った方が早いタイプだ。『こころ』などという繊細な問題をこいつに扱わせるのは、脳外科手術をのこぎりでやるようなもんだと理解した伊丹は頷く。

「わかった。後で俺も話してみる。ったって、俺だってうまく意思疎通できるかわからんけどな」

「最近は、子ども達のほうが日本語を憶えてきています。きっと、わたくし達がこちらの言葉を覚えるよりも早いと思いますわ」

 伊丹は、テュカは子どもではないだろうが…と指摘しようとしたが、会話がここまで進んだところで、廊下から桑原曹長の声が聞こえてきた。

「二尉、そろそろ時間です。黒川、栗林、お前等も早く来い」

「あ、はい」

 いそいそと栗林らは廊下へと出ていった。

「武器搬出!!」の号令と共に、522中隊の隊員達が、小隊毎に列を作って武器庫へと入っていく。整然と銃架に列んだ小銃と銃剣、拳銃を抜き取っていく。第3偵の面々もこの行列の後に続いて、銃を取り出していった。

 建物を出て『舎前』で彼らは64小銃の消炎制退器を一回転させて締め直す。座金がのびないようにするため、銃架にしまう際にゆるめてあるからだ。これによってゆるゆるだった二脚や剣止めもしっかり固定されることになる。

 さらに、黒ビニールテープを持ち出して、部品が脱落しないように要所要所へと巻き付けていく。実戦である。乱暴な扱い…例えば銃剣格闘もありえるので、わりと念入りにしないといけない。

 二脚を立てて隊毎に銃を並べ置き、銃剣を腰に下げる。銃剣は、すでに実戦仕様として刃がつけられていた。グラインダーで削りあげただけの刃だが、ザラッとしていてかえって良く切れそうだった。

 隊員達が集まって座り込み、配布された弾を弾倉へと込めていく。弾倉は各位6個。20発×6個で一人あたり携行は、120発。手榴弾も配られる。

 ミニミを預けられている古田陸士長が、金属製ベルトリンクで繋がれた5.56ミリ弾を箱弾倉に折り畳むようにして丁寧に入れている。

 勝本が自分の小銃の他に、受領してきたパンツァーファウストⅢを3個、軽装甲機動車(LAV)に積みこんでいた。これでないと特地甲種害獣、通称ドラゴンに効果的な攻撃が出来なかったことから、携行数を増やすことになったのだ。

 軽装甲機動車(LAV)搭載の12.7ミリ銃機関銃を笹川が「通・徹・通・徹・曳・通・徹…」等とぶつぶつ言いながら操作している。弾の帯には黒く塗装された徹甲弾の割合が非常に多くなっている。

 そして、予備の弾や各種物資の積み込み作業を終えて全員それぞれが武器を携行すると、隊形の確認を行う。

 桑原曹長の号令で、横に、縦に、方陣に隊形を素早く組む練習だ。間隔を広げたり、密集したりを素早く行う動作も確認する。それぞれが連携し、警戒を担当する方角の確認も徹底する。一人が欠けたら、誰がそれをカバーするのか、どう対処するのかも個々人は十分に理解しているはずだが、それでもなお繰り返して確認する。

 このあたりが、新旧・テレビ版等の戦国自衛隊を見て研究した成果なのかも知れない。強力な火器を有した自衛官達が次々と倒れていくのは、ほとんどが味方からはぐれて孤立し、無数の敵に取り囲まれてしまうことが理由として描かれていたのだ。結局の所、協同連携、相互支援が鉄則ということになる。

 こうして準備を終えた伊丹達は、整列し伊丹の号令で小銃に弾倉を取り付けた。装弾、装填、閉鎖を確認し、最後に安全装置が『ア』に位置にあることを確認する。

「海自では『合戦用~意!』とか言うらしいんだが…」

 凛とした雰囲気の中、伊丹の気の抜けたような言葉に一同脱力する。

「どっちかって言うと、元ネタはアニメでしょうに?」

 と、出所不明(但し女声)のつぶやきが妙に響いた。

「とにかく、営門を出たら危険地帯ってことになってる。それなりに気を張ってくれ」

 こうして、彼らはアルヌスの丘を出て仮設住宅のならぶ難民キャンプへと向かうのである。




 難民キャンプの住民は現在の所25名である。コダ村出身者は23名。エルフの村落出身者が1名。それと途中から紛れ込んできた神官少女1名である。

 建物そのものは所謂プレハブ建物であるが、後の増加の可能性も考慮して4人家族用、10世帯分が用意されていた。とは言ってもそれぞれの家に住む彼らに家族・親族という関係はない。だが同じ村落出身が理由なのか大人が子どもを、年長者が年下の面倒をみるという形で共同生活が成立している。

 電気もガスも水道もないが、この世界ではもともとそう言うライフラインなど存在しないのが当たり前なので、誰一人として困っていない。水は、近くの泉まで子ども達が水瓶を抱えて汲みに行き、下水排水関係は、キャンプの片隅に穴を掘って処理している。衛生の問題があるので汚物等はさらし粉等で処理し、飲み水は伊丹達がペットボトルを運んでいた。

 糧食関係は、一日3食のうち、昼と夕食の2回を伊丹達が供給している。

 朝食については食材を届けておくと彼らが自分たちで調理する。実際は、それでは不足するので子ども達や老人達が森の中に入って野草などの食材を探してきて食べている。昼食はもっぱら戦闘糧食Ⅱ型である。夕食はキャンプ内にしつらえた竈で、古田ら隊員達と子ども達がわいわい言い合いながら作っている。

 やろうと思えば、毎食を供給することも出来るのだが、彼らの自立心を損なう可能性があるので自衛隊側からの支援は、自助努力を支援するという方針でなされていた。これはイラク派遣以来の自衛隊支援活動の根幹となる精神でもある。彼らの共同生活の運営が良好なら、食事も三食自炊を目指す。さらに何か職業を得て、衣食については自弁できるようになることが理想だ。

 とは言っても、住民の構成はお年寄り女性2人、男性1名。
 怪我をしていた中年代の女性2人、男性1名。ちなみに3人とも骨折を含むので、年少の子ども達の面倒をみることは出来ても、労働は難しい。現在療養中。

 あとの19人は、子ども達であった。否、外見から子ども達と思われていた。

 ところが比較的意思疎通が早くできるようになったレレイという少女からの聞き取りによると、まず黒い神官少女とエルフの少女、レレイが子どもではないらしい。だから、16人が子どもになる。

 では、それぞれの年齢なのだが黒い神官少女については恐くて聞けない。レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」と言うことである。具体的に数字を尋ねようとして通訳を求めたら無表情のレレイがわずかに顔を引きつらせて、プルプルと首を振って嫌がったくらいなのである。

 ちなみにレレイ自身は『15』と言うことであった。この世界では大人と分類されるようだ。

 エルフが長命種であるというのはファンタジーによくある設定なので、理解しやすい。テュカは『165』という数字を示した。

 こうしてみると数字についての理解がスムーズに出来たように思われるが、これも結構手間がかかってしまった。

 レレイの場合、彼女は親指の先と人差し指の先をくっつけ中指を一本だけ立てた。OKサインの薬指小指をたたんだサインである。その後、親指を立てて拳を作るサムズアップサインが示した。
 これが15を意味するのだが、当然の事ながら日本のそれと所作が異なるため、結局小石を並べて、1個が人差し指1本、5個だと親指を立てる、10だと親指と人差し指で丸を作る…といった法則を確認する必要があったのである。

 こうした方法を組み合わせることで、実に片手だけで69まで数えることが出来るという仕組みだった。ホントはもっと数えることが出来るようであるが、指が攣ってしまったのと同時に実用性に欠けるので、確認が後回しになっている。実際、レレイが日本語で数を数えることが出来るようになるのと、アラビア数字の表記法を憶える方が早かった。

 伊丹達が、キャンプに到着すると、レレイや子ども達が迎えてくれる。とは言っても黒川が出ていくと、小さな子ども達はみんな彼女のほうに行ってしまうのだが。

 隊員達が、飲料水、食材、医薬品、戦闘糧食、日用品等を降ろす。

 そのかわり年かさの男の子が白い帆布製の、枕ほどのサイズの袋を2つ、高機動車に積みこんだ。結構重そうだ。そして、その少年にレレイとテュカの2人が声をかけつつ、高機動車に乗り込む。

 レレイは貫頭衣姿。浅茶色の生地にインディオ風の模様が入っていた。それと革製のサンダルという服装。手にしたくすんだ色の杖を立てている。
 それに対しテュカは細い体躯を緑のTシャツにストレッチジーンズに、バスケットシューズという出で立ちで包んでいた。尖った耳さえなければ、アメリカ西海岸あたりの女子高生と言っても通じそうな印象だ。そんな格好でアーチェリーと矢を抱えている。

 荷物運びをした男の子はそのままキャンプへと戻った。彼の行く先では、年かさの少年や少女達が集まって働いていた。

 アルヌスの丘の麓には、高射特科によって撃墜された翼竜の死体が無数にころがっている。カトー先生によるとその竜の爪やら鱗やらはその強靱さから高級武具の材料となる。そのために大変な貴重品らしい。それなりの価格で取り引きされるというので、子ども達に勧めて、朽ちかけた死体から鱗や爪を剥ぎ取らせて集め、肉や汚れを綺麗に落として乾燥させている。これが継続的な収入に繋がるなら事業として成り立つかも知れない。そうなれば彼らの自立を助長することもできるはずだ。

 これを今回初めて、レレイとテュカが街へ売りに行くのだ。ロゥリィという名の神官少女も何が目的かはわからないが、乗り込んでくる。ロゥリィは相変わらず漆黒のゴスロリドレスで、手には見た目も重そうなハルバートを抱えていた。

 伊丹達は商取引の様子や街の住民達の反応を観察できるし情報収集のチャンスなので、足の提供ついでに彼女たちに随行する。さらに、地元の商人が何に興味を示すかを見るためと称して柳田からいくつかの『商品サンプル』を持たされている。

 ちなみに、戦死した連合諸王国軍の兵士達、あるいはそれ以前に攻撃してきた帝国軍将兵の鎧や持っていた武具、財布などは、自衛隊によって彼らごと土中に埋葬されている。

 これをもし集めたら膨大な財産…金融機関のない世界で兵士は受け取った俸給を身につけて歩くものだし、身分の高い騎士やら貴族やらもいる…となるはずだが、倫理的にいろいろあるので自衛隊としては手をつけていない。実は、この配慮が流通貨幣の大量消失という形で帝国と周辺諸国に、ちょっとした経済的打撃を与えるのだが、それがわかるのも後々のことであった。

 また主を失ってあちこちうろうろしていた馬も、集められる限り集めてある。これも動物愛護団体からのクレームを恐れてのことだが、膨大な数の馬の飼い葉をどうするかが深刻な問題となりつつあった。敵方の遺棄物資に馬用の飼料があったためにこれを与えているが、無くなるのは時間の問題。アルヌス周辺は荒野、少し離れて森なので馬に食べさせる牧草がどこにもないのだ。

 こうした馬の引き取り手を捜すことも、伊丹の任務の一つとしてさりげなく付け加えられていた。









[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 14
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:0221b82f
Date: 2008/04/19 18:55
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 少年少女達が数日ほど働いて翼竜2頭の屍体からあつめた『竜の鱗』は、200枚程になった。『竜の爪』は3本である。
 これでも欠けたり、折れたり、傷ついたり、あるいはサイズが小さかったりで使い物にならなさそうなものを取り除いたのである。それでもこの数になった。

 アルヌスの丘に散在する翼竜の屍体全てをあさったら、どれほどの鱗が収穫できるかと考えると、カトー老師を始めとした避難民達は、大人も子どもも目眩がしそうになって皆、額をおさえてしまった。

 最初は「自活しろ」というような意味のことを言われて、避難民達は悩みで頭を抱えた。

 住む場所を手に入れるにしても、食べるために畑を耕すにしても、木を切るにしても、狩猟をするにも、年寄りと怪我人と子どもとばかりでは無理だからだ。レレイやテュカあたりは、本気で身を売るしかないと思ったくらいだ。(ロゥリィは、のほほんとしていたが…)ところが、「手助けはする」と言われて、食材は届けられるし、家は建ててもらえるし、何か仕事になりそうなことはあるかという話をしているうちに、価値があるモノなら好きにして良いと、アルヌスの丘に散在する翼竜から鱗を集める権利を与えられてしまったのである。(彼らはそう認識した)

 それはもう、財宝の山を前に「好きなだけつかみ取りしてよい」と言われたようなものだった。「いいの?ホントにいいの?」である。
 でも、悲しいことに小市民である。両手、ポケット、懐に収まる範囲までなら、これでアレを手に入れて、服を新調して…等々と使い道を考えられるが、もっと取れ、全部残さず取れ…などと言われると、これまで慎ましい自給自足な生活を送ってきた村人や子ども達にとって、想像できる範囲を超えてしまう。

 竜、あるいは龍の鱗とはそれほどのものなのである。




 竜の鱗にはいくつかの種類がある。市場で取り引きされる際にはその種類や状態でグレードの分類がなされていた。

 最上級とされるのはやはり古代『龍』の鱗であり、美品であればその一枚で、スワニ金貨10枚ほどの値が付くと言われている。もし赤い炎龍の鱗で出来た鎧などがあれば、(加工も、とても難しいため)それは神話級の宝具として国が買える価格で取り引きされることになる。「あれば」の話だが。

 それに次ぐのが新生龍のものである。だがこれらの二種は市場で出回ることは「ほとんど」あり得ない。かつて説明したように、人の手で『龍』が狩られることはないからだ。もし人の手に入ったとすれば、それは古代龍や新生龍が脱皮したことによってうち捨てられた鱗を集めたものである。実際、いくつかの英雄譚や神話には炎龍の鱗から作られたと言う鎧が登場し、現物が戦神の神殿に祀られている。

 さて、翼竜の場合は、兵科として竜騎兵を採用している国では安定的に入手できることに加えて、一枚一枚のサイズも比較的に小いために、ぐっと値が下がって現実的な価格で取り引きされている。鱗一枚の相場がデナリ銀貨30~70枚といったところだ。

 デナリ銀貨1枚とは、慎ましく暮らせばヒト一人5日は食べられる額である。従って、今回の200枚を取り引きしただけでも、レレイ達は結構な金持ちになれる予定であった。

 もちろんこれだけの品物を売るためにはそれなりの相手を選ばないといけない。
 とにかく安全に現金で決済したいので、レレイとしては大店(おおだな)を取引相手として選びたかった。しかし大店の店主が突然やってきた小娘を、はたして相手にしてくれるかが心配…かといって小規模の店では支払う金が無いと、掛け売り(代金後日払いのこと)を求められてしまうだろう。手形や為替の類は、いくら賢者と言えどもわからないというのが、レレイの正直な心情だった。

 幸い、老師カトーの旧い友人に商人がいるということで、少しばかり遠いがその人のところまで赴くことにした。往復路についてはすこぶる頼りになるジエイカン達がついてくれるだろうし…と、レレイは伊丹達の顔を見る。

「ん?何かな?」

 視線のあった伊丹に問われ、レレイは無表情のまま「別に」と言う意味のことを答えた。

「で、そのリュドーという人は、どこにお店を構えているの?」

 付き添ってくれるハイ・エルフのテュカがロゥリィとともに問いかけてくる。レレイは要点のみを過不足無く伝えた。

「イタリカの街。テッサリア街道を西、ロマリア山麓」




「テッサリア街道、ロマリア山、それからイタリカの街…っと」

 桑原曹長が航空写真から起こした地形図に、名称の判明した地物について書き込みをしている。今回の行動では、レレイから様々な地名を聞き取ることが出来、アルヌス周辺の地形図について言えば、ほぼ完成と言って良い状態になりつつあった。

「なるほど、アッピア街道に、ロマ川、クレパス平原、デュマ山脈か…」

 レレイも近辺の地形を詳細に描き出している地形図に興味津々と言った様子だった。レレイの知る地図とは、山や川や湖を描いて、だいたいの位置関係が合っていれば上等とされる品物のようだった。それが、非常に細密に描かれた地図があるのだから興味を持つなと言っても無理だろう。レレイは自分の知っている場所が地図上にあることがわかると、次々と指さして名前を教えてくれた。そして、さらに彼女が興味を示したのが方位磁石である。

 桑原が地図と実際に自分たちの向かっている方角を過たずに一致させる秘密が、ここにあるらしいとレレイは感づいたようだった。

 御歳50歳の桑原は、「この世界の北極と磁北極のずれはどの程度なんだろう?」などと思いつつ、レレイを我が娘をみるような気分で磁石の取り扱い方を教えていた。まぁ、実際には走行している高機動車の中でのこと、方角は小刻みに変わり、磁針そのものも揺れ動いて、正確に扱うことなど出来ないのであるが…。

「鬼の隊付曹長が、可愛い女の子相手には相好を崩しちゃってまぁ」

 バックミラーに映る桑原の姿をチラと見て、倉田はボソッと呟いた。

 一般陸曹候補学生の前期課程で、『死ぬまでハイポート』(小銃を「控えつつ」したまま走ることと思って貰えばよい。似た体験をしてみたければ、4キロの鉄アレイでも抱えてマラソンすることをお勧めする。ただし『抱えて』である。ぶら下げて、ではない)をさせられた経験が、なんとも言えない恨み辛みとして倉田の心中には積もっていた。それが、孫娘を愛でる爺さまのような姿を見せられて、なんとも霧散してしまうのだ。

 ロゥリイは、テュカとなにやら話をしていた。
 だが現地語で、しかも早口だから伊丹達には到底理解できない。ただ、なんとなくテュカがロゥリィにからかわれているのは理解できた。最後には、テュカがぶすっと頬をふくらませて黙り込んでしまった。それを見たロゥリイが、いたずらっぽい笑みを浮かべて、黒川に視線を送る。そして、何か言おうとするのだが、その途端にテュカは顔と細長い耳を真っ赤にして止めさせようとするのだ。

 見ているこちらとしては「何だろね?」という気分だ。

 テュカの慌てる様が楽しいらしく、ロゥリィはなんとも楽しそうにほくそ笑んでいた。レレイに「年上の年上の年上」と言われるだけあって、165歳のテュカであっても、子ども扱いされてしまう格の違いがそこはかとなく感じられた。

「伊丹隊長、右前方で煙が上がってます」

 運転している倉田が、右前を指さした。

 ほぼ同様の報告が無線を通じて、先頭を走る車両からも入ってくる。

 伊丹は、双眼鏡で煙の発生源あたりを観察してみるが、まだ距離があって確認するのが難しい状態だった。車列を止めさせて倉田に尋ねる。

「倉田、この道、煙の発生源の近くを通るかな?」

「というより煙の発生源に向かってませんか?」

「いやだよぉ。前方に立ち上る煙って二回目だろ?どうにも嫌な予感がするんだよねぇ」

 次いで、伊丹は桑原に意見を求めた。

 桑原は地形図を参照して、煙の発生源あたりに、カタカナで『イタリカ』と記入された街が存在していることを示した。テッサリア街道を進む車列は、当然のことながらイタリカへと向かっている。

 次に、伊丹はレレイに双眼鏡を渡して意見を求めた。

 レレイは、双眼鏡を前後逆さまにに構えてしまい眉を顰めたが、直ぐに間違いに気付き双眼鏡を正しく構えると前方へ向けた。

「あれは、煙」

 レレイは、日本語でそう答えてきた。

「煙の理由は?」

 聡いレレイは、伊丹の質問意図に直ちに理解した。

「畑、焼く、煙でない。季節、違う。人のした、何か。鍵?でも、大きすぎ。あなたを犯人です?」

「『鍵』ではなくて、『火事』だ。それと最後のはよくわかんねぇ…」

 単語の過ちを訂正しておいて、伊丹は思索し、指示を下す。

「周囲への警戒を厳にして、街へ近づくぞ。特に対空警戒は怠るなよっ」

 桑原と黒川が銃を引き寄せた。それぞれ左右に目を配り出す。テュカは黒川に列び、レレイは桑原と列んで一緒に周囲を警戒する。そして車列は再び進み始めた。

 ロゥリイは、伊丹と倉田の間に身を乗り出してきて、「血の臭い」と呟きながら、なんとも言えない妖艶な笑みを浮かべるのだった。





    *      *





 イタリカの街は、200年ほど昔に当時の領主が居城を建設し、その周辺に商人を呼び集めて、城壁を巡らして作り上げた城塞都市である。

 当時は政治上、そしてテッサリア街道とアッピア街道の交点という交通上の要衝として大きく発展したのだが、帝国が発展するに連れて政治的な重要性が薄れ、現在は中くらいの地方商市といった程度におちついている。これといった特産品などもないが、周辺で収穫された農作物、家畜類、あるいは織物等の手工業品を帝都へと送り出すための集積基地としての役割を担っている。

 現在は、帝国貴族のフォルマル伯爵家の領地である。

 フォルマル伯の当主コルトには3人の娘があった。アイリ、ルイ、ミュイである。末娘のミュイをのぞいた2人は、既に他家に嫁いでいた。コルトとしては、末娘のミュイが成長したら婿を取らせて跡継ぎにしようと考えていたようである。

 ところがミュイがいまだ独身のままコルトとその妻が事故死してしまったことから、街の不幸が始まった。

 長女アイリはローウェン伯家、次女ルイはミズーナ伯家とそれぞれに嫁いだ家がある。従って相続についての権利は、ミュイに劣る。それが帝国の法であって争いなど生じる余地はない。しかし、末妹のミュイがいまだ11歳であったことから、どちらが彼女を後見するか…則ち実権を握るかで争いが生じてしまったのである。

 長女と次女の間での冷静な話し合いが次第に熱を帯びてきて、ついに醜い罵り合いとなった。末妹は間に挟まれておろおろするばかり。2人の罵りあいは、爪を立てての引っ掻き合い、髪の掴み合いに発展し、これを鎮めようとしたそれぞれの夫を巻き込む大騒動となった上に、挙げ句の果てにはローウェン伯家とミズーナ伯家の兵が争うという、小規模紛争となってしまったのである。

 それでも双方の諍いは無制限に拡大することはなかった。それぞれの兵力がさして多くなかったこともあるし、それぞれの夫が妻ほど頭に血が上っていなかったことも理由としてあげられる。

 領内の治安はフォルマル伯家の遺臣と、ローウェン伯家とミズーナ伯家の兵によって厳正に保たれ、商人の往来は保護され、領民達の生活も脅かされることもなかった。
 イタリカの価値は交易にあり、これを荒廃させてしまえば、利益を得るどころではなくなってしまうということを誰もがよくわきまえていたからである。

 こうして事態は膠着化する。姉妹の争いは帝都の法廷へと移り、やがて皇帝の仲裁によってミュイの後見人が決するであろうと誰もが予想していた。

 しかし、帝国による異世界出兵が事態をさらに悪化させた。

 ローウェン伯家とミズーナ伯家、それぞれの当主がそろって出征先で戦死してしまったのである。これによっアイリもルイも、フォルマル伯爵領に関わっている余裕が全く無くなってしまった。ローウェン伯家もミズーナ伯家も兵を退いてしまい、あとに残されたのはミュイとフォルマル伯家の遺臣だけである。

 幼いミュイに家臣を束ねていく力などあるはずもなく、領地の運営も惰性でなされるようになった。心ある家臣が存在する以上の確率で、私欲に素直な家臣が存在し、気が付けば横領と汚職が横行し、不正と無法がはびこっていた。

 民心はゆれ動き、治安は急激に悪化する。

 各地で盗賊化した落伍兵やならず者が、領内を旅する商人を度々襲うようになり、これによって交易は停止しイタリカの物流は停滞してしまう。

 さらに盗賊やならず者達は徒党を組んで、大胆且つ大規模に村落を襲撃するようになった。数人の盗賊が、十数人の盗賊集団となり、現在では数百の規模となった。そしていよいよイタリカの街そのものへが盗賊達に襲撃されたのである。






 街の城門上に陣取って、弓弦を鳴らしていたピニャは、退却していく盗賊達の背に向けて数本の矢を放ったあと、大きなため息をついて弓矢を降ろした。

 周囲には傷ついた兵が、のろのろと立ち上がり、あるいは倒れた兵士が血を流している。石壁には矢が突き刺さり、周囲では煙が立ち上っていた。見渡すと、農具や棒をもった市民達も多い。

 城門の外には、盗賊達の死体や馬などが倒れている。

「ノーマ!ハミルトン!怪我はないか?」

 破られた門扉の内側にある柵を守っていたノーマは、大地に突き立てた剣を杖のようにして身体を支え、肩で息をしつつ、わずかに手を挙げて無事を示した。それでも、鎧のあちこちには矢が刺さっていたり、剣で斬り付けられたような跡が付いている。

 彼の周囲は激戦であったことを示すかのように、攻撃側の盗賊と、守備側の兵士の遺体転がっていた。

 ハミルトンに至っては既に座り込んでいた。

 両足おっ広げて、なんとか後ろ手で身体をささえているが、今にも仰向けに倒れ込みたいという様子。剣も、放り出していた。

「ぜいぜい、とりあえず、はあはあ、何とか、はあはあ、生きてます」

「姫様。小官の名がないとは、あまりにも薄情と申すモノ」

「グレイっ!貴様は無事に決まってるだろう。だからあえて問わなかったまでだ」

「それは喜んで宜しいのでしょうか?はたまた悲しんだほうが良いのでしょうかな?」

 堅太りの体格で、いかにもタフそうな40男が少しも疲れた様子も見せず、剣を肩に載せていた。
 見ると返り血すら浴びていない。剣が血に染まっていなければ、どこかに隠れていたのではと思いたくなるほど、体力気力共にまだまだ大丈夫という様子だった。グレイ・アルド騎士補である。一兵士からのたたき上げで、戦場往来歴戦の戦人であった。

 ピニャの騎士団は、構成する騎士の大部分が貴族出身である。しかも騎士団としての実戦経験が無いため、こうしたたたき上げの兵士を昇進させ実戦上の中核としていた。
 帝国では兵士が騎士(士官)になる道は著しく狭い。だが、一端通ってしまうと士官としての待遇に差別はなかった。これには、自分たちは戦功著しい優秀な古参兵と、同等の能力を有しているのだという貴族側の自負心がある。能力で昇進してきた者を、出身を理由に粗略に扱うような者は、自分の能力に自信がなく、家柄にしか頼るものがないだけであると評価されてしまうのだ。

「姫様、何でわたしたち、こんなところで盗賊相手にしてるんですか?」

 ハミルトンは責めるような口調で苦情を言い放った。いささか無礼ではあるが、言わずにいられない気分だった。

「仕方ないだろう!異世界の軍がイタリカ攻略を企てていると思ったんだからっ!お前達も賛同したではないか?」

 アルヌス周辺の調査を終えて、いよいよアルヌスの丘そのものに乗り込もうとしたところ、ピニャらの耳にひとつの噂話が入った。

 それは「フォルマル伯爵領に、大規模な武装集団がいる。そしてイタリカが襲われそうだ」というものだった。

 それを聞いたピニャは、アルヌスを占拠する異世界の軍がいよいよファルマート大陸侵略を開始したと考えたのである。「分遣隊を派遣して、周辺の領地を制圧しようという魂胆か?」…と考えた。

 ならばこちらとしても考えがある。ピニャとしては、やはり初陣は地味な偵察行より、華々しい野戦がいい。丘の攻略戦では大敗を喫したが、野戦ならばという思いもあった。だからアルヌス偵察は後に回し、麾下の騎士団にイタリカへの移動を命じつつ、自分たちは先行したのである。

 どのような戦法をとるにしても、敵の規模や戦力を知らなければならない。もし、敵の戦力が少なければイタリカを守備しつつ、その後背を騎士団につかせて挟撃することも出来るとも考えていた。

 ところが、実際にイタリカに到着してみれば、イタリカの街を襲っていたのは大規模な盗賊集団だった。しかもその構成員の過半が、『元』連合諸王国軍とも言うべき、敗残兵達であったのだ。

 これに対して、イタリカを守るべきフォルマル伯爵家の現当主(仮)はミュイ11歳。

 彼女に指揮がとれるはずもなく、兵達の士気は最低を極めていた。かなりの人数が脱走し、残った兵力も極わずか。

 ピニャとしては落胆するしかなかったのだが、黙って見ていると言うわけにもいかない。伯爵家に乗り込むと身分を明かし、有無を言わさず伯爵家の兵を掌握するとイタリカ防戦の指揮を執ったのである。

「とりあえず3日守りきれば、妾の騎士団が到着する」

 実際は、もう少しかかるかも知れないとは言えない。

 ピニャのその言葉を信じた街の住民や伯爵家の兵達は力戦奮闘した。だが敵も落ちぶれたとは言え元正規兵であり、攻城戦に長けていた。

 街の攻囲こそされないものの堅牢なはずの城門が破られ、一時は街内へと乱入されかかったのである。とりあえず、街の住民達が民兵として農具をかざして力戦したからこそ、第1日目をなんとか戦い抜けたのだが、正直、後少しで負けるところであった。

 物心共に被害も甚大だ。

 少なかった兵はますます少なくなり、民兵も勇敢な者から死んでしまった。残された者は傷つき、疲れている。こうしてわずか一日にして、兵や住民達の士気は下がりきってしまった。そして、ピニャには彼らの士気をあげる術が、どうにも思いつかない。

 これが、彼女の初陣の顛末であった。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 15
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:c4038667
Date: 2008/07/29 21:28




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 ピニャ・コ・ラーダは、皇帝モルト・ソル・アウグスタスとその側室…いわゆる『お妾』であるネール伯爵夫人との間に生まれた。

 モルト皇帝の公認の子供は8人いる。その中では彼女は5番目の子で、女子としては3人目であった。ちなみに、非公認の隠し子も含めると彼女の兄弟姉妹は12~15人前後に増えるのではないかと言われている。

 皇帝から実娘として公認されているため、ピニャには皇位継承権がある。しかし、順位としては10番目(皇帝の弟達が彼女より上位にいる)になるため、皇位継承者としての彼女の存在が意識されることは、ほとんどなかった。適当な年齢に達すれば外国の王室か、国内の有力貴族に持参金を抱えて嫁に入り、目立たないが優雅で気楽なサロン生活が送れる身分なのだ。

 彼女の存在が宮廷のサロンで目立つのは、政治的な意味合いよりも彼女の個性に発する部分が大きかった。幼少の頃は、常に何かに苛立っており、落ち着きに欠け、過激な言動といたずらをしては周囲を困らせることが多かったのだ。

 それがどうにか落ち着きだしたのは12歳頃、貴族の子女らばかりを集めた、『騎士団ごっこ』をはじめてからである。

 まことしやかに流布している風説によると、女優ばかりが出演する歌劇を見て、その華やかさに影響されたからだと言われている。もちろん真偽のほどは確かではないが、この時期に何かきっかけとなる出来事があったことだけは確かなようである。

 帝都郊外にある古びた、しかし堅牢な建物を勝手に占拠すると、子分とも言える貴族の子女を集めて集団生活を始め、彼女なりの軍事教練らしきものを始めたのである。そこは貴族の子弟、しかも14~11歳の子ども達のすることだ。おままごとのような集団生活と軍隊ごっこであって、衣食住の全てに置いて散々な失敗の繰り返しだった。それでも、そうした失敗も含めた何もかもが新鮮で、楽しいものとして子ども達は感じていたようである。

 子ども達を心配して様子を見に来た大人達は、彼らの楽しげな様子を見て安堵しつつも、やがて飽きて、親が恋しくなって帰ってくるだろうと温かく見守ることにしたのだった。
 実際に、子ども達も2日ほどたつと笑顔で帰ってきて、親たちは「楽しかったかい?」と温かく出迎えたのである。

 ピニャの、天賦の才能はこの時期に開花を始めた。それは自己を含めて、仲間の力量を過不足無く見極めることが出来るということにあった。

 彼女には、仲間達が2日程度で飽きてしまい、3日を過ぎたあたりで帰りたがると言うことが見えていたようである。そこで彼女は仲間を全員一度帰宅させた。これならば「楽しかったねぇ」という気分のまま帰ることも出来る。そして、それは第2回騎士団ごっこへと繋がる。

 1週間ほどあけて、第2回騎士団ごっこが開かれた。

 兵舎として使われたのは、前回と同じ建物であったが、今度は料理人や小間使いを巻き込んでのごっこ遊びで、衣食住の環境は確実に改善されていた。これを見た子ども達の親も、そして子ども達自身も内心安堵したことだろう。
 こうして、彼らの騎士団ごっこは、遊びとして周囲から温かい目で見守られつつ始まったのである。

「ごっこ遊び」とは言っても一応軍事教練らしきことをする。
 例え、遊びから来たものであろうと「子どもの言動がきびきびしてきたように見える」「体力がついて元気になってきた」「食べ物の好き嫌いがなくなった」「規律正しくなってきた」「社交的になって、よい友人を持つようになった」等の変化が現れると、皇女様の騎士団ごっこは子ども達によい影響を与えていると好意的に見られはじめた。回を重ねるたびに寄付や、施設の提供を申し出る貴族などが現れて、貴族社会で子ども達に参加を奨励しようとする雰囲気が出来てきたのである。

 この時期に集まったピニャとその仲間達は、第一期生と呼ばれている。この第一期生によって、戒律や規約が作られ、団員の誓いだとか、各種の儀式、階級といった制度が制定され、彼らの日常生活における規範となっていくのである。

 騎士団創設から2年、ピニャが14歳になると騎士団の『訓練』と呼ばれる合宿生活は、2~3ヶ月の長期に渡って行われることが多くなった。学業などはこうした訓練の一環として何人もの宮廷学者が『兵舎』招ねかれて授業するために疎かになることもなく、親たちはこのあたりから「ごっこ遊び」と言うよりは一種の『少年教育機関』的な意味合いでこの騎士団活動を見るようになっていた。

 ピニャの始めた騎士団活動は、このあたりで発展を止めたとしても、有意義なものとして帝国の教育史に残ったと思われる。子ども達の自立心を高め、規律正しい生活を身につけ、年長者を敬愛し、若年者を愛護する。それは、あたかも兄弟姉妹のごとく。(実際、義理の兄弟姉妹関係を結ぶ相手を選び出し、とある儀式のもとその関係性を続けていくのである)こうした騎士団の気風は、好ましいものとして大人達に見られていたからであった。

 類似の少年団組織が、あちこちで発足し始めたのもこのころである。これらの少年団は現在も、このころの騎士団の気風を受け継いだ集団として継続している。

 ところが、ピニャはあくまでも軍事組織として発展を志向していた。

 ピニャ15歳の頃。彼女は自分たちの行う軍事教練によって体力がつき、剣術や弓、乗馬等の基礎的な訓練に慣れて来たと見るや、外部から教官を招聘することにしたのである。

 この時、騎士団に出向せよという命令を受けた軍将校、下士官がどのような気分になったかを知る術はない。だが、退役間近な将校や下士官ならまだしも、将来を嘱望された若手将校や下士官にとっては、『皇女様のごっこ遊び』につき合わされるのは、落胆と失望感を感じさせるのに十分と思われる。

 その為だろうか「いつまでもこんなことにつき合ってられるか」という思いを込めて、騎士団の団員達に対して本格的…ではなく本物の軍事教練が施されたのである。そして、それこそがピニャの求めていたものであった。
 将校達は、騎士団の子ども達が、もうこんなことは嫌だと降参することを期待していたようである。しかしピニャは、仲間の過半はこの訓練を乗り越えていけると見極めていた。

 こうして、騎士団の軍事組織的な性格が明確になっていく。座学、実地訓練等、その内容は軍に所属する兵士や、士官達の学ぶそれに勝るとも劣るところはなく、彼らの素質もあってか騎士団の団員達は優秀な軍人として成長していくことになる。

 ピニャ16歳の頃、騎士団ではその方向性を決定づける重要な出来事が発生した。

 男性騎士団員達の卒業である。

 門閥に属さない貴族の子弟にとって、その将来を賭ける道は軍人になるか、官僚になるかである。尚武の気風をもった騎士団に属していた青年達が、軍人を志さない理由はなく、またそれを止める術も権利も彼女にはなかった。

「元騎士団員として、恥ずかしくない軍人となってほしい」という言葉を贈り、彼女は青年となった1期生の卒業を見送ったのである。

 こうして、騎士団を構成する中核団員の多くは『女性』ばかりとなった。もちろん、そろそろ花嫁修業を、という親の願いから女性団員も次々と騎士団を離れていく。それでも残る者がいて、新規に入って来る者もいる。

 この時期の騎士団がもっていた幼年士官学校的雰囲気から貴族の子ども達の入団希望者は以前よりも増えつつあり、その規模は拡大傾向を示していたのである。

 それから3年。この間に騎士団出身の男性軍人の多くが若手将校として現場で活躍を始めると、彼らの優秀さが高級将校の目にとまるようになった。

 騎士団の卒業の時期…薔薇の咲く頃…が近づくと各軍の指揮官達が、自分の部下にとわざわざスカウトにやって来るほどとなった。だが彼らの目当てはあくまでも男性団員であり、軍が女性に活躍の場を与えることはなかった。

 そのために…あるいはこれこそが彼女の真の目的として、ピニャは多くの女性団員と少数の男性団員(立身出世の必要がない門閥貴族出身の子弟+ピニャのスカウトしてきた実戦経験豊富な熟練兵)、そして補助兵によって構成された『薔薇騎士団』を設立したのである。

 その誕生は、貴族社会からも宮廷からも祝福されたものであったが、あくまでも実戦を経験することのない儀仗兵、女性要人の警護、儀式典礼祭祀等の参加、そして軍楽隊的役割を求められてのことという暗黙の了解が、そこにあった。

 しかし事態がここに至ると薔薇騎士団とは言え、後方に引っ込んでいるわけにはいかない。あくまでも実戦をと希求する団長ピニャの指令を受けた彼女たちは、赤・白・黄色それぞれ薔薇を紋章とした軍旗を先頭に、アッピア街道を進んでいた。






 盗賊の攻撃を受けた、イタリカの街は見るも無惨な姿となっていた。

 城門は攻城槌によって破られて、内側に倒れている。城壁の内外側に立つ木製の櫓や鐘楼などは、そのほとんどが火矢を受けて黒煙を空高くあげていた。

 外から降り注いだ矢が、城壁を越えて城壁に面した家にまで届き、家々の屋根に無数の矢が突き立ってる。そして、城壁を挟んでその内外に、盗賊側、イタリカ側双方の死体が散らばって、地面の各所には赤黒い流血の血だまりができあがっていた。

 まだ体力のある者は、城壁の内側で起きた火災を鎮火させるべく走り回っている。小さな火には水をかけ、火の手の強い建物は破壊する。

 女達は、中程度や重傷の者を手当てし、子ども達は、あたり散らばり落ちている武器や、矢の回収作業をしていた。

 負傷の程度の軽い者は、スコップを手に死者を埋葬するために穴を城外で掘っている。本来なら簡易にしても葬祭を行わなければならないところである。しかし、その数が多すぎるため、葬祭を省いての埋葬となってしまった。盗賊の遺体に関しては、大きな穴を一個掘って、全員丸ごと放り込むのが精一杯であった。

 こうして、兵士も、商人も、酒場の女給も、男も女も老いも若きも関係なく街の人間は1人残らず駆り出されて、働いていた。払暁から昼過ぎまで続いた戦闘に続いて、休む暇もなく作業に追い立てられ、誰もが疲労していた。

「姫様……あの、少し、少しでよいのです。休ませてもらえませんか?」

 作業の監督をしていたピニャの元に、住民代表の老人がおずおずと話しかけてくる。

 皆が疲れ切っていることは見れば判るし気持ちも理解できる。だが、今は少しでも早く死者を葬り、燃える民家や鐘楼の火を消し、城門や柵の修理を済ませて、武器の手入れを終えなくてはならないのだ。

 その重要性を知るピニャは、休みたいと訴えかけてくる老人に対して、むっすりといかにも不機嫌そうな表情を見せことで、苦情を言いにくくすることしかできなかった。

「盗賊共はまだ諦めてない。体制を立て直したら、すぐに攻め寄せて来よう。その時に壊れた城門と、崩れた柵で防げるというのなら、休んでもよいぞ………」

「し、しかし…」

 この老人から見れば、ピニャは理不尽なことを強いてくる暴君にしか見えないだろう。立っている場所が違うために、見えているものが違うのだ。彼らに理解をしてくれと求めることは甘えなのかも知れない。ならば仕方のない。

「私は相談しているのではない」(出展元ネタ/風の谷のナウシカ)と、頭ごなしに命じるのみである。

「グレイ、城門の具合はどうだ、直せそうか?」

 門扉の具合を見ていたグレイがピニャを振り返った。

「姫様、小官の見立てたところ直すのは無理ですな。蝶番の根本から完全にひしゃげております」

「ならばどうすればいい?」

「いっそのこと塞いでしまってはいかが?」

 ちょっとした作業で出入りする程度なら城門脇の小口が使えるし、この事態にあって商取引で馬車や荷車などを出入りさせることもない。門扉を開いて内側から撃って出るといったことも考えられないから、防戦という目的に置いては城門など塞いでしまっても問題はないのだ。

「悪くない。そうしてくれ」

 グレイは市民に指図すると、木材、堅牢な家具などをあつめてきて、門扉のあった場所に積み上げる作業をはじめさせた。

「そんなものばかりでは燃えるだろう。まずくないか?」

 ピニャの言葉にグレイは肩をすくめて、火がついたなら燃え草をどんどん放り込んでやりましょうと応じた。

 確かにとピニャは頷く。燃えさかる炎ほど強固な防壁はないかも知れないと理解したのだ。

 ピニャは振り返ると、城壁の上へと顔を上げた。

「ノーマ!!そっちは、どうだ?」

 城壁の上では、ボウガンや弓を手にした兵士達が、外へと警戒の目を光らせていた。ノーマは振り返ると、声を投げ降ろしてきた。

「今のところ、敵影なしです」

「そのまま、警戒を怠るな。敵がいつ再び攻め寄せてくるかわからんぞ」

 ノーマは、この指示に頷くと、額からにじむ血を拭こうともせずに部下の兵士に監視を命じるのだった。

「さぁさぁ、お腹がすいたのではないですか?食事の用意をしてまいりましたよ」

 そこに、そんな声が聞こえたかと思うと大鍋を載せた荷車がやってきた。運んでいるのは伯爵家のメイド達である。出てきたのは大麦を牛乳で煮詰めたドロッとした粥と黒パンである。どちらもあまり美味いものではないのだが、空腹は最高の調味料とも言う。

 ピニャも、食事の臭いに空腹感が刺激された。すきっ腹を抱えたまま突貫工事を続けても効率も落ちるばかりと考え、交替で食事をとりつつ作業を続けるように命じる。そうしておいて、自分も食事をとるべく空腹と疲労で重くなった身体を引きずるようにしながらフォルマル伯爵家の館へと向かうのだった。

 警備の兵士などの男手は、ほとんどが城壁守備に出向いているため、伯爵家の城館は門から玄関に至るまで人の姿はない。彼女を出迎える者もなかった。

 かといって人がいないわけではない。屋敷の中庭では大鍋がいくつも置かれ、大麦の粥が煮立てられ、黒パンが焼かれていた。炊き出しのために城館のメイド達は全員駆り出されて、忙しく立ち働いているのだ。

 どうにかピニャを認めて出迎えたのは、伯爵家の老執事とメイド頭の老女だけである。

「皇女殿下、お帰りなさいませ」

「ああ。すまないが食べ物と、何か飲み物を…」

 老メイドにそう伝えて、ピニャは自分の屋敷でもあるかのようにソファーへと、どっかり座り込んだ。

 傍らに立つ白髪の執事が、ピニャに葡萄酒の入った銀のコップを差し出した。

「皇女殿下、どうやら守りきることが出来たようですな」

「まだだ。どうせすぐに襲ってくる」

「連中と戦わずに済ますことはできないのでしょうか?話し合いでなんとか…」

「ふむ、なるほど。城門を開け放って、街の住民も財貨も食べ物も何もかも、連中の手に委ねることを条件とすれば、争いは避けうることが出来るだろう」

 執事はほっとしたような表情をする。

「そのかわり全てを奪われ、男は殺されるだろう。若い娘は奴隷だろうが、その前にたぶんきっと、いや必ず陵辱される。妾などは見ての通り佳い女なのでな、野盗共が寄ってたかって群がってくる。1人や2人ならなんとかなるかも知れないか、50人100人を相手にして正気を保つ自信はないぞ。時に、ミュイ伯爵令嬢はどうかな?」

「み、ミュイ様はまだ11歳ですぞ」

「そういう幼い少女が好きという変態がいるかも知れないぞ…いや、きっといる。必ずいるな……でも居ないことを神に祈って、敵に対して城門を開け放ってみるか?ミュイ殿は何人まで耐えられるかの?」

 執事は額の汗をぬぐいつつ、呻くように言った。

「で、殿下。あまり、虐めないでくださいませ」

「ならば、戦うしかあるまい?平和を求めて、相手の言いなりになるのも道の一つだが、それは結局の所、滅びの道だ。戦(いくさ)は忌むべきものだが、それを避けることのみ考えると結局の所全てを失うのだ。ならば、歯を食いしばって戦うしかない」

 ピニャは差し出されたワインを一気に飲み干した。

「ふぅっ」と、ひと心地つけたのか口元をぬぐって大きなため息をつく。そして、老メイドが運んできた大麦粥とパンに手をつけた。だが一口で眉を寄せた。

「味にしても、量にしても物足りない」

 老メイドは、毅然とした首を振った。

「いけません。疲労の強い時は、胃も疲れているものです。味の濃いもので腹を満たしてはかえって健康を損ねます」

 ピニャは、老メイドの言葉に理があることを素直に認めた。考えてみれば、城館のメイド達はこの事態に至っても動揺が少なく、黙々と炊き出しなどの作業に従事している。そもそも彼女は炊き出しなどの作業を命じた記憶もない。とすれば誰の指図か?執事は今の会話のように、恐れおののいているばかりで何も出来ない臆病者だ。となれば、この老メイドではないか?

 そう考えてピニャは老メイドに尋ねた。

「お前は、このような事態の経験があるのか?」

「かつて、ロサの街に住んでおりました」

 ロサの街は、30年ほど前に帝国の侵略を受けた街で、どうにか帝国軍を撃退したものの政治的な敗北から帝国に併合されて、現在は廃墟となっている。
 その戦いの際、この老メイドはロサにいたのだろう。戦いとは、なにも弓や剣や魔法を撃ち合うばかりではない。攻められる街にあって兵士を励まし、武器を手入れし、食糧を管理しつつ食事の手配を遺漏無く整えることもまた戦いなのだ。

 その意味で、この老メイドは実戦証明済みの存在だった。
 伯爵家の当主が幼く、全く頼りにならないという状況下で、メイド達に動揺がないのも、この老メイドが彼女たちの上に君臨しているからであろう。

 ピニャは、老メイドの言を受け容れ、食事を腹八分目で止めることにして、フキンで口元をぬぐった。

「では、客間にて休ませて貰う。もし、緊急を知らせる伝令が来たら、そのまま部屋にまで通すよう…」

 そう老メイドに伝えて、ふと沸き上がった悪戯心から次のように尋ねてみた。

「もし、妾が起きることを拒んだらなんとする?」

 すると、老メイドは「水を頭からブッかけて叩き起こして差し上げますとも」と凄みのある笑顔をみせるのだった。

 ピニャはコロコロと高らかに笑った。そしてベットで水浴びしないですむようにしようと言いながら、客室へと向かうのだった。

 ところがである。結局のところ彼女を叩き起こしたのは水の冷たい感触だった。






 顔を布でぬぐいながら、濡れた衣服に鎧を手早く身につけつつ、ピニャは怒鳴った。

「何があった!敵か?」

 濡れそぼった朱髪を振り乱すピニャの姿になんとも言えない艶気を感じつつも、事態の急変を知らせに来たグレイは、そんな気分は隠して報告した。

「はたして、敵なのか味方なのか、見たところ判りかねますな。とにもかくにもおいで下され」

 城門にたどり着いて見ると、戦闘準備を整えた兵士と市民達が、城壁の鋸壁から、あるいはバリケードの隙間など門前の様子を盗み見ていた。

「姫様。こちらからよく見えます」

 フォークシャベルを手にした農夫の1人が、積み上げたバリケードの隙間を譲ってくれた。

 覗いてみると狭い視界の向こう側に、四輪の荷車が三台停まっている。…ただしこれを牽く馬や牛の姿を見ることが出来ないものだった。

 ピニャは、動力となる馬や水牛、そして兵員を大きな箱の中に収容して城壁に近づく『木甲車』という攻城兵器の存在を知っている。だから、門前に停まる三台のそれを『木甲車』に類する物ではないかと考えた。

 よく観察すると、3台中2台の天蓋は布あるいは皮革製に見える。

 これでは矢玉や熱湯、溶けた鉛を避けることは出来ても、岩程度の質量のあるものを投げ落とせば潰れてしまうだろう。するとやっかいなのは、後ろの一台だ。この一台は木製どころか、鉄で全面を覆っているかのように見えるのだ。

 その『鉄』甲車内には、やはり人間がいるようだ。天蓋には『長弩』らしき武器を備えていて、なるほど、矢や石礫を避けつつ城壁に近づき攻撃も可能とする工夫のようだった。

 だが、いかに優れた兵器とは言っても、それだけで城市は落ちない。
 矢を放ち、雲霞のごとく城壁に攻め上る兵がいてこそ、これらの攻城兵器は生きてくるのだ。だが、見渡す限り他に敵の姿はいない。また、門のあったところに築かれたバリケードを破壊するとか何らかの敵対行動を起こす様子もなかった。

 兵器の存在を見せつけ守備側の戦意を低下させようとする意図ならば、それなりの示威行動を示すものだが、それもしないとなると何が目的でここにいるのかがわからなくなる。

「ノーマ!?」

「他に敵は居ません」

 尋ねたいことがわかったようで、直ぐに答えがあった。

 『木甲車』内にいるのは、斑…深緑を基調として茶色や、薄緑を混ぜた配色の衣装を纏い、同じ斑なデザインの布で覆われた兜を被った兵士達だ。

 手には、武器?なのか杖なのか判別の難しいものをかかえている。その険しい表情や鋭い視線などから、この者達が油断の鳴らない力量を有した存在であることはわかる。

「何者か?!!敵でないなら、姿を見せろっ!」

 ノーマによる誰何の声が、頭上の城壁から厳しく響いた。

 どんな反応が起こるのかと、ピニャもイタリカの兵士も、住民達も皆、息を呑んで見守っていた。

 待つこと、しばし。

 ふと、木甲車の後の扉が開いた。

 そこから、1人の少女が降り立つ。

 年の頃13~15ぐらいだろうか?身に纏っているローブや、手にしている杖などから魔導師であることは一目でわかった。

 杖を見るとオーク材のくすんだ長杖…すなわちリンドン派の正魔導師であることは明確だ。となれば、いかに年若く見えようとも、攻撃魔法も魔法戦闘もこなすはず。

 …先ほどの襲撃では、盗賊側に魔導師は確認されていなかった。だからこそ守り切れたと言っても過言ではない。だが、もし盗賊側に魔導師が加わったとなると、かなり難しい戦いを強いられることになる。

 その困難さを考えると、ピニャは舌打ちしてしまった。

 続いて降りてきたのは、見たことのない衣装を纏った16歳前後の娘だった。

 その衣装は上下ともに肌にぴたっとしていて、ほっそりとした身体のラインがあからさまになっていた。さらに丈が短くて腹部や背中あたりの白い肌がチラチラと見えてしまうのは、男性連中には目の毒だろう。

 ピニャはこの衣装が、それが目的のデザインなのだということを、女として直感的に理解していた。
 問題は、この娘が笹穂状の耳をもっていることだった。すなわちエルフだ。しかも金髪碧眼持ち。

 まずい…向こうには魔導師ばかりかハイエルフまでいる。…ハイエルフは例外なく優秀な精霊使いと聞く。
 リンドン派の魔導師と、エルフの精霊使いの組み合わせ。騎士団を率いていたとしても、戦場で出会いたくない相手である。

 ならば、油断している今、2人を同時に倒してしまわなければならないか?ボゥガンで狙撃を。そんな風に2人を倒す方法を考えていると、その後に出てきた娘を見て、ピニャは、濡れそぼった衣服が急激に冷えていくことを感じた。

 フリルにフリルを重ね、絹糸の刺繍に彩られた漆黒の神官服。
 黒髪に黒い紗布のついたヘットドレスで纏う、いとけない少女。

「あ、あれはロゥリィ…マーキュリー」

 それは死と断罪と狂気、そして戦いの神エムロイの十二使徒内の一柱だった。

 皇帝は国家最高神祀官を兼ねるため、国事祭典に使徒を招聘して会談を持つこともある。従ってエムロイの使徒との謁見する機会もあった。だからピニャは、彼女を見知っていたのだ。

「あれが噂の死神ロゥリィですか?初めて見ますが、見た感じじゃここのお屋敷のご令嬢ほどでしかありませんね…」

 魔導師の少女や、エルフ少女と比べても、ロゥリィは小さく幼そうに見える。

 が、自分の体重ほどもありそうなハルバートを、細枝のような腕で軽々と扱って、ズンと大地に突き立てる腕力が凄まじい。

「見た目に騙されるな。あれで、齢900を越える化け物だぞ」

 帝国などこの世に影も形もなかった時から延々と生き続ける不老不死の『亜神』、それが使徒である。これでもロゥリィは、十二使徒の中でも2番目に若い。最古の使徒に至っては、人類創世以前から在ったのではないかと言われている。

 使徒・魔導師・エルフの精霊使い…この3人の組み合わせがもし本当に敵ならば、ピニャはさっさと抵抗を諦めて、逃げ出す方法を考えようと思ってしまった。

「だけど、エムロイの使徒が盗賊なんぞに与(くみ)しますかねぇ?」

 ピニャは首を振った。「あの方達なら考えられなくもないのだ」

 使徒に人間の物差しは通じない。
 彼そして彼女らは、皇帝や元老院の権威や法、あるいは正義といったものに全くの無関心なのだ。

 いや、逆に軽蔑している言っても過言ではない。

 ピニャは惨憺たる想いでそう語ると、過去の実例を挙げた。






 俯瞰視して我々の営みを考えると、『他のものを奪う』という行為は別に珍しくもなんともない。牧童は乳牛の乳を奪い、養蜂業者は、蜜蜂の集めた蜜を奪い、木こりは樹木の命を奪って建材とする。猟師は動物の命を奪って、農夫は小麦や米など植物の種を奪う。

 私たちは、それを不思議と思わない。なぜなら、それをしなければ生きていけないからである。

 我々が生きるということは、そうしたものであり、生きていくには他の生命から分け前をいただくしかないのだ。

 農夫や商人から収穫物や利益の一部を税金や貢ぎ物と称して奪う。…こういった行為に法律やらなにかの屁理屈をつけて『正しい』と称して行うのが、貴族だの騎士だので、正しいもへったくれもないと開き直った存在が『盗賊』である。

 ゆえに亜神たる使徒は、盗賊行為そのものを忌むべきものとして見ない。

『法』が禁じているからと言う理由は、使徒等からすれば嘲笑の対象と言えた。自分が日常的に行っていることを他人に強いて禁じるなど、どの面下げて?と笑う。
 亜神の前では、人爵を元にした権威とか法といったものは、無意味に等しいのだ。

 こんな実例があった。

 8代ほど前の皇帝が、白馬と白鯨という種を勲爵士に叙し、殺してはならない食してはならないという布令を発した。

 特定の生物種だけを選んで、それだけを神聖なものであると保護しようとする発想。その根底にあるものとして第一に考えられるのは、まずは宗教のそれだ。

 たが、この大陸は多神教が主流であり、唯一絶対の神などといった教えは、嘲笑の対象だ。他の神が存在することそのものが、唯一絶対でない証拠と見なされていた。だから、人々は誰がどのような神を信じ、その教えに従った生き方をしようとも、それはその人の範囲に収まるのであれば、自由であると考える。それが普通だった。従って、国家的に特定の種のみ保護し食べてはならないとする考えは、宗教のそれではなかった。

 それは強いて言うなれば、信条だった。もちろん、どのような信条を持とうとも、その信条を持たない者に、それを押しつけようとしない限り、それで心の平安、魂の健康、そして健全なる霊性を維持できるのであれば、それでよいのである。
 しかし、この時の皇帝は自らの権威をもって『法』を定めた。自らの信条を民一般に押しつけようとしたのである。

 なぜ、その白馬や白鯨のみを聖なるとするのか?あるいはそれを食するのを忌むべき行為と蔑むのか?

 その問いは無意味だった。皇帝にとってそれが正義であり、正義の実行こそ皇帝の意思であるとされたからだ。理由はあとからついてくる。理屈などいくらでも製造できる。

 こうして人々は法に従うことを強いられた。いかな内容であろうと、法であるという理由、皇帝の命令であるという理由が正義となり、人々は疑問を差し挟むことなく盲従することだけが求められたのである。

 しかし、使徒達はこれを嘲笑した。

 使徒第6位、ペラン・ワイリーは、宮廷の前でまるで皇帝を小馬鹿にするかのように布令を破り、見せつけながら白鯨と白馬を殺し、その肉を切り取って盛大に焼いて食べたと言う。

 ペランは、宮廷の門前で鯨肉を喰らいながら唄った。

「命は、水牛を喰らい、毛羊を喰らい、土豚を喰らい、白馬を喰らい、鶏鳥を喰らい、海魚を喰らい、山鹿を喰らう。風土によって袋鼠を喰らい、大熊を喰らい、水蛇を喰らい、黄猿を喰らい、肥犬を喰らう…どれも等しき命。神爵においては皆同じ、神爵は種に尊卑をおかぬから。ならば白鯨を喰らおうと、氷アザラシを喰らおうとそれもまた命の営み。王侯将相いずくんぞ種たらんや。農工商奴いずくんぞ種たらんや。みなヒトなり。されど白馬や白鯨らはヒトにあらず。汝等なにをもってこれらを人爵に置いて尊きとするや如何?」

 廷臣の一人が進み出て、『白鯨』はヒトに次いで賢い。『白馬』はヒトに貢献するが故に友であり尊いのだと論じる。

 だがペランは、「賢愚はヒトの物差しなり。ヒトに貢献するか否かをもって尊卑を定めんとするは、はまさしく傲慢の極み」と斬ってすてた。

 特定の生き物のみ「食べるために獲る」ことを禁じる皇帝の心は「命の選別」をしていると断罪した。しかもその基準は、自分勝手な物差しだ。

「優れた命」と「優れていない命」の選別は優生思想である。「美しい命」の選別はすなわち「美しくない命」とを分けることになる。それは、人を肌の色、瞳の色、髪の色で尊卑の選別をするのと根底で同じの増長慢な発想であると断罪した。

 そして、神爵の前に、ヒトも白鯨も白馬も水牛も土豚も、土中の虫ですら同じであると宣じたのだった。

 万物の霊長としての憤りなのか、それとも単なる反発心からか、ならば「人すら、他の動物と同じか?同様に喰らうことを認めるのか?」と問う者がいた。

 これに対してペランは答える。「認める」と。

 ただし、自分自身については人を食べたいと思わない。故に食べるためには殺さないと答えたのだった。

 ペランは続けた。私がもし食べない種があるとすれば、それは「食べ慣れない」あるいは「食べたいと思わない」からでしかない。

 もし、食べたいものがあれば私は誰が何と言おうと食べるだろう。雪山で遭難し、他に食べるものがないのであれば、人肉をも喰らう。喰らった者がいたとしても、これを許すだろう。
(筆者注/人肉をヒトが食した例としては、1972年雪のアンデス山中でおきた飛行機墜落事故がある。人の価値観などというものは、時と場所、状況によっていくらでも変わるし、変わるべき物であるという一つの実例と言える)

 そうでない平時において、食べるためであっても獲ることを控えるべき理由があるとするなら、ただ一点。それはその種が絶えてしまう。その理由だけではないか?と主張した。獲物が絶えないように調整しながら獲るのは賢狼、大熊、翼獅子、竜など狩猟種にそなわった智恵のはず。我はヒトにも知恵深きあることを期待する、と言いながら悠然と白鯨の肉に食らいついて見せた。

 すると、腹を立てた皇帝の意を受けた廷臣の一人が、「皇帝陛下は権威を持って白鯨・白馬を守ることを法として定められた。臣下として法の施行こそ我らの正義」と、鯨を狩るためのハープーン(銛)をもって、ペランに突き立てようとしたのである。

 しかしペランは大剣を一閃させ、ハープーンもろともその廷臣を両断された肉塊へと変えたのだった。

「所詮は流刑囚の子孫か…」

 そのつぶやきは……今でこそ帝室・貴族、高貴な血族などと言っていても、元をたどれば……史書にない事実を知る使徒だからの言葉であろう。

 法の執行を行おうとした廷吏を殺めることは、法に照らし合わせると罪である。従って兵士達はこの犯人を捕らえるべくペランの前に進み出た。次々と進み出た。法に従うならば、進み出ざるを得ない。

 こうして宮廷前は屍山血河となり果てたのである。法に従おうとする者がいなくなるまで。

 当時の皇帝は、数日後に謎の死を迎えた。そしてその皇帝と布令は、廃止でも撤廃でもなく、『そのような名の者も、そのような布令も存在しなかった』として扱われている。あらゆる記録から名前を削り取られ、肖像も、彫像も全てが破壊され焼きはらわれた。

 人々はこれをして『神槌の覿面』と呼んでいる。

 法学者達は、この出来事に代表される様々な出来事から『神』の行動原理を読みとろうとした。すなわち神槌がどのようなときに発動されるのかを推し量ろうとしたのである。だが、諸説紛々で答えは出ていない。






「結局の所『神』という存在は正しく生きようが、悪徳に生きようが関係なく祟る時は祟るし、悪しきことを起こしてくる。善良に生きても病にかかるし、暴虐の限りを尽くす暴君が長命だったりする。誰が祀ろうとも、何を祈ろうとも、それはあまり関係ない。
 神という存在はヒトには理解できない存在なのだろう。あるいは、ヒトには理解できない価値感があるのかも知れないがな……ただの気まぐれだと言い張る者もいる」

 ピニャの感想を受けて、グレイは呻きながら額に流れる汗をぬぐった。

「神官連中の耳に入ったら大変なことになりますぞ」

「何しろ、連中は神の御心の代言者として神殿にいるのだからな。その神の御心がなんだか理解できない、でたらめに近いものだなどと言ったら、神官連中の存在意義に関わる。そりゃあ反発されるだろう」

 多神教の世界では信仰の対象に正邪の別はない。異端審問の類もない。特定の神が嫌いになれば他の神に帰依すればいいのだ。だが、神官団という宗教組織が、政治と結びついて様々な力を有していることもまた確かである。いたずらに神を貶せば、それを理由に攻撃されたり嫌がらせをされることも起こり得る。

 結局の所、それは人のすることなのだが、信仰と結びついているから『それが神槌である』と詐称される場面も少なくないのだ。

「し、小官は、聞きませんでした」

 結構信心深いグレイは、ぶるぶると首を振って背中を向けて両手をあげてしまうのである。そんなグレイの背中をピニャは面白そうに笑うと、バリケードの隙間から外へと視線を向けた。

「おっ…来たな」

 再び目を門前に向けると、こちらに歩み寄ってくる魔導師の少女の姿があった。







[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 16
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:6aa13634
Date: 2008/05/05 21:07




-16-





 イタリカの街。その門前は物騒な気配に充ち溢れていた。

 普段なら、荷車や馬車が行き交い、関税の手続やら行き交う商人の姿で賑わっている城門は無惨なまでに破壊されていた。代わりに木材や家具等、手当たり次第にかき集めてきたことがよくわかる適当な資材を山となるほどに積み上げて、来る者全てを拒む構えを見せている。

 3階建てビルに相応する高さを持つ石造りの城壁上には、守備の兵士達がずらりと並んで、石弓、弩、弓矢を構えてこちらに向けている。

 一度の発射で、何本もの矢を放つことが出来る機械式の連弩なども設置されていた。

 投げ降ろすためだろう、瓦礫とか石とかも山積みにされていた。

 また、通常なら武器とは考えることのない物まであったりする。例えば、火が焚かれてその上に大鍋が置かれ湯気をあげている。

 これが河原とか、山のキャンプ場ということなら、芋煮会でもしてるのかなと思うところであるが、それが城壁の上でとなると、のんびりとした食事の支度などでないことが直感的に理解できてしまうのだ。

「熱湯を浴びせられるのだけは勘弁して欲しいところですねぇ…」

 高機動車運転席の倉田のつぶやきを耳にして、伊丹は「聞いてないよ~」とか言いたくなってしまった。熱湯というのは、テレビの旧いバラエティ番組などでは捨て身ギャグ用小道具として扱われたこともあって軽視される傾向にあるが(実際には熱湯ではなかったとのこと)現実的には化学兵器並みに凶悪な代物なのだ。

 もし、その熱さによるショックで死ねなければ、かなり長い時間苦しみ抜くことになる。 全身の火傷による漿液性炎症は果てのない体液の滲出を引き起こして、結局のところ体液の大量損失を招く。これによって死ねないとすれば、さらに皮膚を失ったが故の細菌感染がおこり、壊死組織の腐敗、敗血症と徹底的に苦しみ続けることになる。万が一回復するとしても、ケロイドや組織の引きつり等の不自由と苦痛を一生背負うことになるのだ。

 実際に、あれが熱湯などではなく実は鉛を溶かしたものだと知ったら、伊丹は直ちに全力疾走で逃げるように号令してしまったかも知れない。と言うのも、伊丹は自殺の手段として、灯油をかぶって火をつけるという方法を選んだ者の姿を見たことがあり、その人物が生き残ってしまったが故に味わった苦痛の一部始終が彼の記憶の深奥に根太く刻み込まれていたからだ。

 イタリカの守備兵が手にする武器は、伊丹らのものと違って見た目にも鋭さとか、熱そうとか、いかにも切れそうとか、『凶器』と呼ぶにふさわしい禍々しさがある。

 テレビやドラマ、小説や漫画の中で『殺気』という言葉がよく出てくるが、現代社会に生きる伊丹はそんなものを感じ取ったことはない。ある種の武道の達人になれば察知したり、発することが出来るのかも知れないが、現実的にあるものと言えば、このように実際に目にしたものから連想される痛覚であり、痛いのは嫌だなぁ、熱いのも嫌だなぁというイヤ~な気分。そして警戒されてる、敵意をもたれているという気分の綯い交ぜになった感覚が、緊張を引き起こす殺気めいたものとして感じられるのである。

 この気分に負けた後ろ向きな心境を『臆病風に吹かれる』と言っても良いのかも知れないが、伊丹はそんな状態だったので…

「何者か?!!敵でないなら、姿を見せろっ!」

 などと頭上から鋭く響く誰何の声を聞き取れずとも、その真意を語調から理解して、がばっと振り返り「お呼びでないみたいだから、他の街にしない?」とレレイに告げたとしても仕方のない話かも知れない。

「見たところ、街の人も忙しそうだし、この様子じゃぁのんびり商談ってわけにはいかないと思うんだよね。何と戦っているのか知らないけど、巻き込まれるのはゴメンだし。ボクとしては、我が身と君たちの安全安心を何よりも優先したいなぁって常日頃から心に留めているのだけど、どうだろ?」

「確かに、熱烈な歓迎ぶりっすねぇ」

 などと運転席の倉田はつぶやいて、桑原曹長は無線で「こちらからは手を出すな。敵対行動と見られるような挙動はするなよ」と緊張感を孕んだ口調で指示を下していた。2人とも、手にした小銃の筒先を油断無く外に向けている。

 しかし、レレイは相変わらずの無表情と抑揚に欠けた発音で「その提案は却下する」と告げた。

「でもさ、現実的に見てもこの門の様子じゃ、俺たち中に入れないけど」

「入り口ならば他に存在する。イタリカの街は平地の城市。東西南北の全てに城門があり、他が健在なら出入りは可能となる」

 実際に、城市の門が一つしかないというのは考えにくい話である。

「イタミ達は待っていて欲しい。私が、話をつけてくる」

 レレイはそう言うと、腰を上げた。それを見て「ちょっと待って」とテュカが止めた。

 テュカも伊丹同様に、なぜこの街にこだわる必要があるのかと尋ねた。伊丹のように臆病風に吹かれているわけではないが冷静に考えても、戦時下の街に入って利益があるとは思えないのだ。巻き込まれる恐れは十分…というより、街に入ったら完全に巻き込まれることになる。街側の人間として戦うことを強いられるだろう。

 レレイは答えた。「入れるかどうかは問題ではない。この場で、私たちが敵ではないことだけは理解させておきたい。このまま立ち去れば、私たちが敵対勢力だと誤認される恐れがある。後日この街を訪れるにしても、他の街に行くにしても、そういった情報が流布すると、今後の活動に差し障る」

「でも、あたしたちの都合に、この人達を巻き込むことにならない?」

 テュカはそう言って、伊丹や黒川達へと視線を巡らせた。

「この人達は、何も求めずにあたしたちを助けてくれているのよ。そんな人を危険なところに巻き込むわけにはいかないでしょう?」

「だからこそ行く。私たちはイタミ達に恩を受けている。私たちの都合でここまで来て、イタミ達が敵と思われたり、評判が落ちるのは私の求めるところではない」

「イタミ達のため?」

「そう。この特徴的な乗り物の主は、イタミ達をおいて他はない」

 こう言われるしまうと、頷かざるを得ないテュカであった。

「大丈夫。商用で来たことを告げて、事情を確認するだけだから問題ない」

「わかったわ。でもそういう理由なら1人で行かせるわけにはいかないし、外に出るなら、矢除けの加護が必要よ」

 テュカはそう告げると、精霊語による呪文を唱え始めた。

 すると、ふと、風がそよいだような気がする。

 そうしておいて、レレイ、テュカ、そてしロゥリイの3人が車外へと降り立ったのである。

「イタミ達は待ってて」

 再度告げて、3人は、ゆっくりと城門へと歩み寄っていった。

 守備兵達の構える弓矢やボウガンの尖端が、ゆっくりと動いて彼女たちを追尾している。

 これを見守る伊丹としては、いくら「待ってて」と言われたにしても気分が良くない。なんとなく「大人として、男として、自衛官として、人としてどうよ」という文字が、彼の脳内スレッドに次々とageられていくのだ。

 しばしの逡巡。

 伊丹は憶病に徹してガタガタブルブルと震えていることもできないと言う意味では、ヘタレであった。要するに見栄とか、虚栄心とか、そういった類のものをちゃんと持ち合わせているのだ。

 もちろん、一般の大人はそれを「見栄です」とは言わず、任務とか、義務とか言い換えて自分を騙そうとするのだが、伊丹自身はそういうところは素直なので、平気で「俺、恐ぇのは嫌なんだけど、みっともないのも嫌だよなぁ……」などと呟いてしまうのだ。

 そして盛大な舌打ちの後に64小銃を車内に残し、とっても重たい防弾チョッキ2型の襟をしっかりと寄せつつ車外へと降り立つのであった。

 ちなみに、彼らの個人装備はイラクPKOに準じている。彼の腿には拳銃が下がっているので武装してないわけではない。小銃を置いたのは、外見的に武器っぽく見えるものは持たない方がいいだろうなぁと思っただけである。

「僕も行ってくるわ。っていうか、行かないわけにはいかないでしょう。と言うか行かせてくれ」

「誰も行くななんて言ってません」

 身も蓋もないセリフを口にしたのが誰かまではあえて言及しまい。ただ女声だったということだけは確かである。

 しばし、スの入った数秒が過ぎた後に伊丹は「桑原曹長、あとは頼んだよ。なんかあったらすぐに助けに来てよ」などと告げて、レレイ達の後を小走りに追ったのだった。






 ピニャは決断を強いられていた。

 確固たる判断材料がないままに、どうするべきかを決めなければならないのだ。それは賭博的要素の強い、決断であった。

「グレイ、どうすればいい?」

 歴戦のグレイをしても、ピニャの質問に対して明確な答えを出すことが出来なかった。誰も結果の保証などしてくれない。そんな状況で、判断を下さなくてはならない重圧が背中に重くのしかかっていた。『指揮官の孤独』と呼ばれる状態である。

 武器を構える兵士達は、皆ピニャの下す決断を待っている。

 弓を引き絞る弓兵の手が小刻みに震えている。

 農夫がフォークシャベルを抱えて待っている。

 剣を手にした兵士、街の住民達、すべての運命がピニャの判断にかかっているのだ。

 まず、エムロイの使徒たるロゥリィ・マーキュリーと、それに続くハイエルフ、魔導師は盗賊に与しているか否か?

 答え……否。否としたい。

 理由…もし当初から盗賊に与しているのなら、最初の攻撃から参加していたはず。そうしていればイタリカの街は今頃陥落していた。

 しかし、ロゥリィ達が最初から盗賊に与していたとは限らない。戦いに加わらず日和見を決めていて、あと一押しと見て参加したかも知れない。初戦に参加していなかったという理由はロゥリィ達が盗賊側に与してないと考える理由としては乏しい。

 そもそも盗賊でないとするなら、ロゥリィ達はこのイタリカの街に何の用で現れたのか?戦時下の街に尋ねてくる意味は何か?

 いっそのこと、ロゥリィ達の入城を拒否してしまおうか。だが、入城を拒否したことで彼女らを敵側に押しやってしまう畏れもある。

 それに、ロゥリィ達が敵でないのなら、ピニャとしては是非とも迎え入れたかった。

 もし、ロゥリィ達を味方に引き入れることが出来れば、心強い援軍となってくれるだろう。なにしろエムロイの使徒と、ハイエルフと、魔導師だ。兵士も、街の住民達も必勝を確信して奮い立つはず。

 自分が、兵士達に必勝を信じさせるようなカリスマに欠けていることは、ピニャは痛切に実感していた。

 もし、勝てると思わせることが出来なければ、きっと脱走する住民が出てくる。1人でも逃げ出せば、その後はもう雪崩をうって我先に逃げ出そうとするはず。そして統制がとれなくなり、結局盗賊達の思惑通りとなってしまうのだ。

 ロゥリィ達が何の用でここまで来たかは知らないが、彼女らを説き伏せることが出来れば住民達に「援軍が来た!!」と告げることが出来る。

 いやいや、説き伏せている時間など無い。無理矢理、強引にでも味方にしてしまわなければならない。

 あるいは、入城を拒絶するかのどちらかだ。

 こうして、ぐるぐると思考が巡り決断のつかない状況の中で、ついに城門小脇の通用口の戸が外から叩かれた。

 息が止まる。
 そして、唾をグビと飲み込むと、ピニャは決断した。勢いだ。勢いで有無を言わせず、巻き込んでしまえ。巻き込むと決める。

 3本ある閂を引き抜くと通用口を、力強く、勢いよく、大きく開く。

「よく来てくれたっ!!」

 クワァバンッという鈍い音と妙な手応えに、ふと我に返って見る。するとロゥリィも、エルフの娘も、魔導師の少女も、通用口の前で仰向けに倒れている男へと視線を注いでいた。

 男は、白目を剥いて意識を失っているようだ。

 やがて彼女たちの、やや冷えた視線がゆっくりとピニャへと注がれる。

「……………もしかして、妾?妾なのか?」

 白い魔導師の少女が、黒い神官少女が、そして金髪碧眼のエルフ娘が、そろって頷いた。





    *    *





 事故であることは理解できるので、レレイも、ロゥリィも、ピニャを非難したり、怒ったりするよりも、まずは意識を失った伊丹を介抱すべく動いた。

 大の男1人分プラス装備によってずしりと重い体を、加害者の女にも手伝わせ城内へと運び込む。そして通気をよくするために衣服をゆるめようと試みた。

 まず兜らしき、かぶり物をとる。

 次いで衣服をゆるめようと思うのだが、布製と思っていた上着は金属のような硬い板が仕込まれた鎧であった。外見的にもそうだが、紐だとか、箱だとか、用途の判らない色々なものが身体のあちこちに装着されていて、どう手をつけて良いのかわからないので、とにかく襟元だけをなんとか開く。

 枕代わりにロゥリィが膝を貸し、テュカは伊丹の腰に手を回して、取り付けられていた水筒を引っこ抜いた。

 守備の兵士達も街の住民達も、「なんだ、どうした?何があった?」と寄ってきた。すでに緊張感がふっとんで、誰も彼も野次馬モードである。

 ピニャは「あわわ、はわわ」と動転しているだけで、何も出来ない。

 レレイは、とりあえず学んだ範囲で伊丹の様子を診察していた。
 瞼を開いて眼振の有無、口や鼻、耳を覗き込んで出血や損傷の有無、首や顔面、頭部等に触れてみて手で触れて判る範囲での外傷の有無である。これらに異常が無いことを確認して、初めてホッと息をついた。

 そうしておいて、ようやくピニャへと非難の視線を向ける。

「貴女、何のつもり!?」

 ところが、非難第一声はレレイではなくテュカのものだった。テュカは伊丹の頭に水筒の水をどぼどぼと浴びせながら、戸を開けるのにその前に人がいるかも知れないと、気を配るのは、ヒトであろうとエルフであろうとドワーフであろうと、ホビットだろうと知性を持つ者なら当たり前のこと。不注意に過ぎるとピニャを強く、とても強く非難した。

 激昂のあまり「まるで、コブリン以下よっ!」とまで言い放ってしまうという無礼をしてしまうのだが、自分の不注意が原因であることはピニャも重々承知しているので、身分が云々を別にして恐縮するばかりであった。そりゃあもう、皇女殿下に似つかわしくないほどの謙虚さである。

 誰かが強く怒っていると周囲の人間は一緒に興奮するか、逆に冷静すぎるまでに鎮静するかのどちらかである。この場合のレレイは冷静になった。そして、自分たちがイタリカの街の中に入り込んでしまっていることに気付いた。

 見ると、通用口は閉じられてしっかりと閂も降りている。

 見渡すと、守備の兵士とか街の住民とかが周囲をぐるりと取り巻いている。

 思わずロゥリィと視線を合わせる…が、黒い神官少女は面白げに微笑むだけであった。






 伊丹が意識を回復したのは程なくしてからである。

 いたたと、痛打した顎をさすりながら、目を上げると黒い神官少女ロゥリイの顔が逆さまとなって視野一杯に伊丹を覗き込んでいた。

 彼女の黒髪の尖端が伊丹の顔あたりまで降りてきていて、チクチクと痛い。

 この神官娘は容姿こそ幼いくせに、遊び慣れた大人の女性のような『話の解る悪戯っぽさ』をもっていて冗談とも本気ともつかない際どさを楽しんでいる様子が見受けられた。彼女の手が伊丹の頭を抑えるように、それでいて抱えるような感じで彼女の膝の上に載せられているのだ。そして、その瞳の奥にどういうわけか妖艶な女を感じさせられてしまう。

「あらぁ、気が付いたようねぇ」

 それは、この世界の言葉であったが、単語も覚えていたし状況からの推察も比較的しやすい。何よりも鈴の音のようなロゥリィの声が、とても聞き取りやすいのだ。

「ちゃんと、憶えてるかしらぁ?」

 伊丹は頷いた。

 目前で突如迫ってくる通用口の戸。顔面から顎にかけてを痛打して揺すられる頭。直後に真っ暗になる視界。どうやらしばしの間、意識を失っていたようだった。

 視野一杯に広がっている、ロゥリイの顔の外側…つまり周囲は、たくさんのヒトがいて伊丹を注視している。レレイの心配そうな表情も目に入った。

 ふと、テュカが誰かを口汚く罵っている…らしい声も聞き取れた。

 外国語と言うのは勉強に没入しているとある日突然、周囲のヒトの言葉が翻訳しなくても理解できてしまう時が来るらしい。脳の言語野で回路が形成されることでこういう現象が起こるのだが、どうやら顎を痛打して脳を揺さぶられたことがきっかけになったようだ。

 重たい防弾チョッキ2型を着込んでいるので、伊丹は少しばかり苦労しながら身体を起こす。

 なんでだか上半身はびしょびしょになっていた。

 誰かを怒鳴りつけていたテュカも、伊丹の様子に気付いたようで、興奮をおさめ「ちょっと、大丈夫?」と声をかけてきた。

「ああ、みっともないところを見られちゃったなぁ」

 伊丹は上衣のファスナーを挙げ、防弾チョッキのボタンを留めた。

 そして、レレイから鉄帽を受け取って被る。乱れた装備を装着しなおしていく。

 桑原曹長からの呼び出しが小隊指揮系無線機を通じて聞こえていたので、伊丹は胸元のプレストークスイッチを押して返答した。

『二尉、ご無事でしたか?心配しました』

「どうにかね。ちょっくら意識を失ってたみたいだ」

『もうちょっと返事が遅ければ、隊員を突入させるとこでしたよ』

 する必要もない戦闘を回避できたのは幸運とも言えるかも知れない。こんなロクでもない事故で、死傷者を発生させて要らぬ恨みを残すのは損以外のなにものでもない。桑原もそう考えていたからこそ、今まで待ったのだろう。捕虜となった味方の救出と、不必要な戦闘の回避。どちらを取るべきか、決断の強いられるところである。

「現況を確認して連絡するから、今少し待機していてくれ」

『了解』

「で、誰が状況を説明してくれるのかな?」

 伊丹は周囲の人々へと向かって告げた。

 ロゥリィは、テュカへと視線を巡らせ、テュカはレレイへと視線を巡らせる。レレイはピニャへと視線を巡らせて、ピニャは助けを求めるように周囲へと視線を巡らせる。最後に周囲の皆が、視線をささっと逸らせてピニャが取り残されたような、情けなさそうな表情になる。

 なんとなく温いというか、ほのぼのと言うか、…あえて言うならば、間抜けな雰囲気が漂っていた。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 17
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:ce206d2c
Date: 2008/05/15 20:22




-17-






 陸上自衛隊特地方面派遣部隊本部では、幹部自衛官…佐官級の部隊長達が集まって怒号にも似た激論が交わされていた。きっかけさえあれば、今にも掴み合いが始まりそうな勢いである。

 そんな部下達の様子を眺め見る狭間は、よっぽど溜まってたんだろうなぁと、しみじみと思う。

 陸上自衛隊特地方面派遣部隊では、多くの隊員が鬱屈していた。何しろ『門』のこちら側に来たとしても、することがないのだから。

 今、やっていることと言えば、拠点防御。そして少数の偵察隊を派遣しての情報収集・情報の整理・そして集められた情報に基づく運用方針、部隊行動基準の手直し等々と、幹部の机仕事ばかりである。

 拠点防御と言っても、実際の戦闘は大小併せても数回程で、今では敵対勢力の動きは全く見られない。と言うよりも無人の野になってしまったかのごとく、敵の姿そのものが見られなくなってしまったのだ。

 だから周辺の警戒警備と陣地の構築・補修整備が活動の中心になる。
 これにしたところで、陣地防御を担当する第5戦闘団が行うから、打撃部隊である第1と第4の戦闘団は、陣地内とその周囲で、地味な訓練ばかりの毎日を送っていた。

 ちなみに第2と第3は門のこちら側に来ていない。第6以降の戦闘団に至ってはまだ編成すら終了していない有様である。

 別に遅れているわけではない。防衛省の都合で『ゆっくりと』やっているのである。攻勢に入るわけでもないのに、今すぐ定員一杯動員する必要はないだろうと言う、背広組の考えだ。その背景には「お金の事情」があると言われてしまうと、文句も言えないのだ。

 そんな鬱屈している隊員達の耳に、「ドラゴンが出た」「ドラゴンと戦って、住民を救った」などという某偵察隊の活躍は、ある種の羨望のタネとして響いてしまった。

 本土にいて平和を満喫しているのなら、無為にも似た毎日を過ごそうとも、まだ耐えられる。だが、門のこちら側は戦場のはず。第5戦闘団に属する、特科や高射特科の隊員達は戦果を自慢し、普通科の隊員達は銃撃前の緊張と、引き金を引いた際の手応えについて熱く語る。施設科の隊員達は、野戦築城、滑走路の敷設等々と、作業服を泥だらけにしている毎日だ。

 任務を与えられ、活躍している連中が目の前にいると言うのに、それに比べて自分は…。その忸怩たる思いが、日々続く無為が、彼らを静かに、しかし確実に腐らせていた。そして、そんな隊員達と向かい合う幹部達にも、汚濁にも似た鬱屈は感染しつつあったのである。

 そこへ降って湧いたのが伊丹からの援軍要請だ。
 これを小耳に挟んだ幹部達は色めき立った。そりゃもう、大騒ぎとなってしまった。

 伊丹からの援軍要請の要点は以下のようなものだった。

 ①イタリカという街を含む地域全体が、ここ1ヶ月近く『敵武装勢力』の指揮系統からはずれた集団によって、略奪、暴行、放火、無差別殺害等の被害を受けている。伝聞情報ながら複数の集落が被害を受け犠牲者は多数に及ぶ模様。
 現在、3Rcn(第三偵察隊)が訪問した市街地が襲われつつあるという状況にある。現地の警備担当者、市民が懸命な防戦に当たっているが、被害甚大。大規模な二次攻勢も間近である。
 市代表ピニャ・コ・ラーダ氏より当方に治安維持の協力依頼を受けた。為に支援を要請するものである。

 ②敵武装勢力の指揮系統からはずれた集団、通称『盗賊』は、『特地』におけるものとしては高度な装備を有し、騎馬、歩兵、弓兵等の兵種が確認され、数も600を超える。魔導師と称される特殊能力者については不明。

 ③『盗賊』を取り締まることが可能な官憲組織が現地にはない。当該地域の行政機関代表フォルマル伯爵家の某(なにがし)が、上位機関に対して援軍を要請しているが、現地到着には最低でも3日を要するとのこと。


 これはすなわち、無辜の民を救うためにという大義名分の元、スカッと叩きのめすことの許されるとっても美味しい悪漢が現れたのである。ここはすなわち、欲求不満の解消もとい、経験値を上げるチャンス!!

 こうして狭間陸将の元へと、佐官連中が半長靴の音を響かせながら、怒濤のごとき勢いで集まったのである。

 最早、議論にらちが明かないと見たのか、「是非、自分にやらせてください!」と狭間に決断を求めて来たのは、加茂1等陸佐/第1戦闘団長であった。

 第1戦闘団は打撃部隊として、普通科の一個連隊を基幹として特科、高射特科、戦車、施設、通信、衛生、武器、補給等の各職域を集めた連合部隊である。戦闘団と言うのは聞き慣れないかも知れないが、普段は訓練と管理しやすいという理由で職域(兵科)別に編成されている部隊を、実戦に即した形に組み直したものと考えていただければよい。

「自分の、第101中隊が増強普通科中隊として、すでに編成完了しています。呼集もかけましたっ!直ぐにでも出られます」

 加茂1佐の後ろから柘植2等陸佐が、はた迷惑なことを言い放ちながら、一歩進み出た。どこの誰に何がはた迷惑かというと、実際に出ることになるかどうかわからないと言うのに呼集をかけられた隊員達にとって、である。今頃、完全武装をして営庭に整列するべく走り回っていることだろう。

「いいや、ダメだ。地面をチンタラ移動してたら、現地への到着に時間がかかりすぎる。その点オレの所なら、すぐにたどり着ける。隊長、是非私の第4戦闘団を使ってください」

 健軍(けんぐん)1等陸佐が、一歩進み出た。第4戦闘団は、ヘリによる空中機動作戦を旨とした戦闘集団…米軍で言うところの空中騎兵部隊たることを求めて編成された。

「ちゃんと大音量スピーカーと、コンポと、ワーグナーのCDを用意してあります」などとほざいたのは401中隊の用賀2佐である。「パーフェクトだ用賀2佐」などと健軍が誉め讃えている。健軍も同行する気満々のようだ。

「…………」

 狭間は右手の親指と人差し指で眉間を摘むとマッサージした。
 いったいどうしちゃったんだろう、こいつらは…キルゴア中佐の霊にでも取り憑かれたのだろうか、などと思ったりする。脳みそまで腐ったんだろうか。

 とは言っても、速やかに援軍を送らないといけないのも確かなのだ。となれば、足の速い第4戦闘団が適している。

 決して、キルゴア中佐の霊に取り憑かれたわけではない。それが現実的な理由だからと必要もないのに説明した上で、狭間は、健軍へと命令を下した。

 加茂1佐や柘植2佐を含めた他の佐官達は、この世の終わりとばかりに呆然と立ちつくす。喜色を隠さなかったのはもちろん、健軍と用賀だ。

「音源は、どこの演奏だ?」

「もちろん、ベ○リン・フィルです」

 そんなことを言いながら去っていく2人を見送りながらも、数時間後に何が起こるのか、実際に目にしなくても、思い浮かべることが出来る狭間であった。

 AH-1コブラ、UH-1Jヘリの大編隊がNOE(低空飛行)しつつ、大音響スピーカーがハイヤ・ハー!ホヨトヨー!(Ho-jo to-ho!)とワーグナーの旋律を天空に響かせる。

 右往左往する盗賊集団。

 大空に現れたのは、死の翼だった。

 対空ミサイルが飛んで来るわけでもないのに、ヘリはフレアを撒きちらし、放たれた光弾は重力に牽かれて放物線を描く。それに続く数十条の軌跡はあたかも天使の翼のごとく白い。

 地元民はそれを見て、天使の降臨よ、戦女神の降臨よと畏れるだろう。

 AH-1コブラからロケット弾が発射され、大地を炎が舐める。

 天空から降り注ぐ銃火が、盗賊集団をなぎ倒していく。

 俯瞰する彼らの前に死角はない。隊員達は、大地に降り立つこともなく、機上から銃撃をもって盗賊集団の掃討を終わらせてしまうことだろう。

 それを目撃した現地の住民達は、その光景を黙示録として語るのだ。あたかも地獄のようであったと…。






 さて、後々に地獄のような黙示録を語らされることになる、イタリカの住民達は城壁や防塁の修理工事に精を出していた。

 エムロイの使徒、ハイエルフの精霊使い、魔導師ばかりでなく、噂に聞いていた『まだら緑の服を着た連中』が援軍として来たと知り、街の人々は勇気百倍。兵士達の士気も一気に盛り返したのである。

「炎龍を撃退した」と噂されるほどの実力をもってすれば、盗賊化した敗残兵共などどれほどのものだろう。もちろん『まだら緑の服を着た連中』は併せても12名でしかないから、自分達も戦う必要はあるだろう。だが、苦しくなってもホンのちょっと我慢していれば、『鉄のイチモツ』を抱えた彼らが駆けつけてくれて、盗賊連中を追い払ってくれるのだ。それは安心感を与えてくれる。

 これまでの暗い絶望的な雰囲気は一掃され、人々の表情は希望と明るさに充ちていた。誰だって住み慣れた土地や家を捨てて逃げたくはない。守れるものなら、住み慣れた街を守りたいのだ。そして、伊丹達の存在は、そんな彼らの希望となる。

 住民達の眩しげな視線が、夕陽を背景に立つ伊丹達の背中へと注がれていた。






 ところが、伊丹がピニャに求められたのは南門の防衛である。

 彼女の説明によると、この南門は一度門扉を破られているという。

 前回は、内側にしつらえた土塁と柵で乱入を防いだのだが、乱戦となってしまい多数の被害が出た。現在住民達を動員して、この柵を修復し土塁の増強工事をしている。

 伊丹としては、城壁・城門の一次防衛ラインを固守するために、そちらに戦力を集中して対応すれば良いのではと考えるのだが、ピニャは、門と城壁で一度防ぎ、これを破られたら、内側の柵で防ぐという方法に固執していた。

 どうにも彼女は、城門が破られることを前提に戦術を構築しているかのように見えるのだ。
 援軍が来るまで持てば良いと考えている伊丹と、今しばらくの援軍が期待できないピニャとの立場の違いがそうさせるのか、あるいはもっと違う何かか?

 伊丹達は城門上に集まると、夕焼けによって茜色に染まりつつある中世ヨーロッパの都市を思わせる石造りの美しい街並みを俯瞰した。

 地方都市とは言えイタリカは人口5000人を越える。テッサリア街道とアッピア街道の交差点を中心にして、街道に沿う形で商店や宿場が軒を連ねて東西南北に列ぶ。そしてその背後に各種の倉庫街、馬小屋、商家などの使用人の住宅などが列んでいるのである。

 北側の森には、ひときわ大きなフォルマル伯爵家の城館があり、その周辺には豪商の邸宅があって、いわゆる高級住宅街を形作っている。

 これらの街並みと若干の森を取り囲む形で、東西南を石造りの城壁が取り囲んでいた。北面の守りは切り立った崖が自然の城壁代わりだ。街道の延びる谷間にだけ城壁が設けられている。

 そのままぐるりと振り返って、外側へと視線を向ける。地平線まで伸びていく街道。農耕地や、牧草の生えた休耕地、灌木、林、そして掘っ建て小屋のような家が数軒。そして、その向こう…。

 伊丹の双眼鏡には、既に盗賊側の斥候が捉えられていた。騎馬の敵が数騎…ゆっくりと移動している。守備側の備えの確認をしようと言うのだろう。

 さらにその遠方、地平線近くには、盗賊本隊の姿も見えていた。

「敵の攻勢を、真正面から受けることになりますねぇ」

 桑原曹長の言葉に伊丹は頷く。確かにその可能性もある。

 包囲攻撃という選択肢は、盗賊側にはない。

 この街を600弱程度で包囲するには絶対的に数が足りないし、攻め落とすのに時間がかかってしまう。これでは盗賊行為には不向きである。同じ理由で穴を掘っての侵入とか、平行壕を掘りつつ近接すると言う戦術もとれない。

 とすれば盗賊の攻撃は、攻め口を決めての強襲しかない。ただ、強襲は数を頼んでの力攻めではなく、攻める側の有利を利用したものとなるだろう。

 攻める側の有利とは、いつ、どこを攻め口とするかを自由に決められることにある。この自由を利用して、陽動をかけて一箇所に防備に集中させ、手薄になったところを襲うと言う手が一般的である。

 その際の攻撃目標は、陽動にしろ、主攻にしろ脆弱な場所が対象とされるはず。

「なるほど、南門の守りをことさら少な目にして二次防衛にこだわるのは…」

 長い防衛線のなかで守りの脆弱な部分をつくることで、敵の攻撃箇所を限定したいのかも知れない。

 そうして考えれば彼女の作戦も理解できる。

 前回の戦いも、守りの薄い場所をわざと作り容易に突破できると錯覚させて、敵が全面攻勢に入ったら一歩引いて守りの堅い二次防衛ラインで消耗戦に持ち込むというものだったのだろう。実際に、敵側も容易に城門が破れたために主力を突入させたら、実は内部の守りの方が硬くて、消耗を強いられ退却せざるを得なかったようだ。

 守る街の大きさに比べて、攻める側も守る側も戦力が少ないから、どうしてもこういう戦い方になってしまうのだろう。

 脆弱な南門にことさら伊丹達を配するのも、少人数の伊丹達を囮として敵前にぶら下げ、ここを決戦場とするつもりなのだ。それに気が付けば、城門の内側の柵と土塁の補強に彼女が熱心なのも理解できると言うものだ。

「とは言っても、敵が二度もその手に乗ってくれるかな?」

 である。
 敵だって、一度失敗すれば考える。ことさら守りの薄い場所を素直に攻めるだろうか?
 それに、この戦術には重大な問題が孕んでいるのだ。

「古田!機関銃、ここ」「東、小銃はここだ」

 桑原曹長が、隊員達の配置と担当範囲を次々と決めていく。

 隊員達は石造りの鋸壁の谷間に、2脚を起こした64小銃を置いた。

 概ね3階建ての建物の高さから、見下ろすようにして撃ちまくることになる。近づかれてしまえば敵側から放たれた矢がこのあたりにも降り注ぐだろうから、矢の射程外にFPL(突撃破砕線)をひくことにして、それぞれに何か目印となる地物を探させる。

 陽が完全に没するまであとわずか。栗林が、隊員達に個人用暗視装置を配って歩いている。黒川は車両・装備の留守番だ。

 農具や棒などを手に集まった市民達は、伊丹達からの指示を不安そうに待っていた。そこへ仁科一曹が歩み寄ると、単語帳片手にたどたどしい言葉と、両手を開いたり、土を掘るまねをしたりの身振り手振りで麻袋に、土を入れて運んで来るように指示していた。

 他には燃え草となる木製の物や、篝火などの設備についても片づけさせている。住民達は夜になろうとしているのに、「灯りはいらないのか」と首を傾げつつも作業に取りかかった。

 こうして、自衛官達が準備を進めていくのをレレイやテュカと共に眺めていたロゥリイは、伊丹が鉄帽に個人用暗視装置の取り付け作業をしている背中に向かって尋ねた。

「ねぇ?敵のはずの帝国に、どうして味方しようとしているのかしらぁ?」

「街の人を守るため」

 するとロゥリィは破顔した。

「本気で言ってるのぉ?」

「そう言うことになっている筈だけど」

 伊丹のおどけたような言い方に、ロゥリイは「お為ごかしはもう結構」と肩をすくめた。

 帝国は、伊丹達にとって敵なのである。
 敵の敵は味方という考え方からすれば、ここは盗賊の味方をしてもおかしくないところだ。なのに伊丹達はそれをしない。

 ピニャは帝国の皇女として、フォルマル伯爵家を守っている。その為にイタリカを守ると、それに協力しろと伊丹らに交渉と言う名の命令をしてきたのである。
 その場にはロゥリィも同席していたが、あんまり気に入らない態度だったので、出て行ってやろうかと思ったほどだ。

 だが伊丹は「イタリカの住民を守る」ことには同意した。形の上でイタリカを守るという目的が一致する。だから共闘することとなったのである。

 だが、敵国の皇女たるピニャの指揮を受け容れる意味がわからない。現に、苛烈な攻撃を受けることが予想される南門で捨て駒にされている。

 伊丹は不器用なのか、暗視装置がうまく鉄帽に固定できないようであった。「気になる?」と問いつつロゥリイに鉄帽を保持してもらって、両手で装着していく。

 背丈の差があるため、それは遠目にはロゥリイに祈りを捧げるために、伊丹が頭を垂れているかのように見えなくもない。

「エムロイは戦いの神。人を殺めることを否定しないわぁ。でも、それだけに動機をとても重視されるの。偽りや欺きは魂を汚すことになるわよぉ」

 作業を終えた鉄帽を、伊丹がロゥリィから受け取ろうとする。だが、ロゥリィは伊丹に手渡さずに、自らの両手をさしのべて伊丹の頭に載せようとした。

 伊丹は首をくぐめてロゥリイに鉄帽を載せて貰う。ロゥリィの疑問に対しては、唇をゆがめる。どうやら笑ったようだ。それがロゥリイにはことさら意味ありげに見えた。

「ここの住民を守るため。それは嘘じゃぁない」

「ホントぉ?」

「もちろん。ただ、もう一つ理由がある…」

 ロゥリィは、真実を見極めようとしてか伊丹の目を覗き込んだ。

「俺たちと喧嘩するより、仲良くした方が得かもと、あのお姫様に理解して貰うためさ」

 ロゥリィは邪悪そうに微笑んだ。伊丹の言葉を彼女流に理解したのである。

「気に入った、気に入ったわ。それ」

 お姫様の魂魄に恐怖と言うもの刻み込む。わたしたちの戦いぶりを余すことになく見せつける。「自分は、こんなのを敵に回しているのだ」と身体が震え出すぐらいに。そうすれば、喧嘩するより仲良くしたいと思うことだろう。

「そう言うことなら、是非協力したいわぁ。わたしも久々に、狂えそうで楽しみぃ」

 ダンスの相手に挨拶するかのごとく、ロゥリイは黒いスカートを摘んで優雅な振る舞いで頭を下げるのだった。






 戦闘は、夜中過ぎから始まった。
 それは日の出まであと数刻という頃合いを見計らって攻撃だった。

 深淵のような暗闇の向こう側から、盗賊側弓兵による火矢が『東門』に降り注ぐ。

 東門の防衛を任されていたのは、正騎士ノーマ・コ・イグル。
 ノーマの指揮にて、警備兵や民兵による反撃の弓射が行われる。民兵と言っても、矢が弾ければいいと言う理由で動員された、これまで弓を手にしたこのもないような農夫や若者だ。当たることなど最初から期待されてない。だが、そんな彼らの矢も敵を牽制するには有効だったし、ごく希に当たることもある。

 しばらくの弓射戦が続く。
 互いに兵士が、農夫が、そして盗賊に身を落とした兵士達がうめき声を上げながら倒れていく。

 すると弓兵の間隙を縫うようにして、堅牢な楯を並べ鎧で身を固めた歩兵が城壁ににじり寄ってきた。様々な国の軍装を纏い、楯の大きさも形も、円形あり方形あり。その出身の多国籍さを感じさせる盗賊達である。

 これに対して、腕まくりした商家のおばさんや、年長の子ども達が石を投げ岩を落とし、溶けた鉛や熱湯をふりまいた。当たるかどうか解らない矢よりも、これらの方がはるかに効果的で、破壊力があった。

 壁の下では、頭上に掲げあげた楯で壁をつくった盗賊達が、降り注ぐ雨のようなこれらを避けつつ城門へとたどり着く。寄せ手は矢に傷つき、岩に押しつぶされ、石礫を頭部に受けて昏倒し、そして熱湯にのたうち回るが、それでも退くことがない。

 まるで、アルヌスを落とせなかった恨みをここではらそうとするかのごとく執念を見せて、城門に取りいた。巨木を攻城槌として、城門を叩き始める。

 盗賊達…彼らにとってアルヌスで戦いは『戦争』ではなかった。敵の姿も見えず、何が起こっているか理解できない内に、一方的に味方だけが倒れていくという理不尽さに歯噛みし、自分達が相対するのはこんな敵だと教えてくれなかった帝国を憎悪し、自分達を無駄な死へと追いやるだけだった無能な将帥を罵倒しつつ、泥水をすすり、しがみつくようにして生き残ったのである。

 指揮官を失い、僚友を失い、所属する軍を失って補給もなく、食糧もなく、荒野を彷徨した彼らは、盗賊と呼ばれる身に落ち故郷を失った。やがて同様な境遇の者が集まって、数を増し、ここまでに至ったのである。

 帝国に対する意趣返し、そんな逆恨みにも似た暴力的な思いだけが彼らを駆り立てていた。要するに、八つ当たりであった。

 これが戦争。剣で敵を切り、矢を撃ち合い、火をつけ、そして馬蹄で蹂躙する。

 これこそが、戦い。犯して、奪って、殺して、殺される。

 これこそが戦争。血湧き肉躍る戦争を味わおう。

 そう、既に彼らは戦争そのものが目的となっていた。自分たちの戦争。自分たちの満足のいく戦争。わかりやすい殺戮と、わかりやすい自分の死。死んでいった戦友達が味わうことの許されなかった贅沢な手応え。刺し、斬り、刺されて倒れると言う肉の感触に充ちた戦争。敵の温かい血を浴びて、冷たい大地を抱擁しながら息絶える。それを味わうためだけに、彼らは前に進んでいた。これが無ければ、彼らの戦争は終わらないのだ。

 何本もの梯子が城壁にかけられる。

 これを、楯を構えた盗賊達がわらわらと昇る。飛んでくる矢を避けるために、楯をハリネズミのようにしながら兵士がいよいよ城壁上へとたどり着く。

 勇敢な農夫が、矢を受けながらも斧を振るって梯子をたたき折る。兵士達は、その農夫の勇気を賞賛の思いで弓撃った。「おみごとっ!」と喝采しながら農夫を殺す。

 支えを失った梯子が、兵士達と共に地面へと倒れていき、激しい衝撃で人の形をしたものが、ゴミのようにまき散らされた。農夫もそれを追うようにして大地へと、抱きついていく。

 大地を叩く衝撃とともに、歓声が上がった。

 それはあたかも祭りのごとき陽盛な狂乱。剣で楯を叩いて、兵士達がそれぞれの言葉で歓呼の声をあげた。

 これこそ、戦いの神エムロイへの賛歌。戦いの熱狂こそエムロイに捧げる供物。戦いの篝火は、死んでいく戦士達の霊魂を燃料として燃え上がる。

 火矢の炎は城壁の鐘楼を包み、闇を背景に周囲を赤々と照らしていた。






 使徒、ロゥリイ・マーキュリーはしばし耐えていた。両の腕で自らを抱きしめて耐えた。
 額に汗を流して耐えていた。

「な、なんで?」

 周囲に漂う戦いの魔気が、彼女の肉に染みる。精神を犯す。

「ここに攻めてくるんじゃなかったのぉ?」

 戦の炎が心を焦がし、腹中の底から沸き上がる甘美な衝動が、脊柱を突き抜くように駆け上がる。
 これに耐えかねて腕が、脚が勝手に動きだす。魔薬に酔った巫娼のように猛り舞う。

「あっ、くぅ」

 内からあふれ出る快感に狂い絶頂が彼女を貫いた。闇を背景に黒い亜神が身を捩った。それはあたかも舞い踊るかの様にも見える。

「大丈夫なのか?」

 ロゥリイの狂態に驚いて伊丹が駆け寄ろうとしたが、レレイとテュカに止められる。

「彼女は使徒だから…」

 よく解らないが、それがロゥリイが煩悶に苦しむ理由らしい。

 レレイは告げる。

 戦場から離れていてもこれだ。離れているからこそこれで済む。だが、もし彼女が戦場の真っ直中にいたらどうなるか。

 敵と見なした者を、衝動的に殺戮して回る。そうしないわけには行かなくなる。これを押しとどめることは誰にも、彼女自身にすら不可能なのだ。

 レレイの説明に、慄然とする伊丹であった。






「盗賊なら農村あたりを襲ってればいいんだ!城市を陥そうとするとは、生意気な!!」

 騎士ノーマはそう怒鳴りつつも気付いた。こちら側の矢が当たってない。いくら、こちらが素人ばかりにしても、飛んでいく矢の軌道が微妙に目標からそれるというのもおかしな話なのだ。まるで風の守りを受けているとしか思えない。

「まさか、敵側に精霊使いが?」

 ノーマは剣を抜いて城壁上へとたどり着いた盗賊、南方兵を一刀のもとに斬り伏せた。斬られた兵士が、壁から転落して大地へと叩きつけられる。

 だが、すぐ後に北方の斧を手にした髭面の盗賊がノーマへと斬りかかってくる。

 これを剣で受けると、その後ろから槍を抱えた盗賊が、その後ろから棍棒を抱えた敵が、モーニングスターを抱えた敵が、双剣を手にした敵が、半月刀を手にした敵が次々と守備の兵士や民兵達に襲いかかった。それは、洪水を手で防ごうとするようなものだった。ノーマは瞬く間に敵の群れに飲み込まれてしまった。

 次から次へと溢れ出てくる盗賊達。その勢いにイタリカの住民達は押しまくられ、後ずさり、留まることが出来なかった。






 ピニャの作戦は、当初より微妙な齟齬を見せていた。

 一次防衛線である城門が破られることは織り込み済みだった。でも、崩れ始めるのが早すぎるのである。すでに、城壁上が戦場となって、警備兵や民兵が駆逐されつつある。

「味方がもろすぎる。士気は上がっていたはずなのに」

 敵はこちらの計略を警戒して、もっと慎重に攻めて来るはずだった。

 だが、ふたを開いてみれば、敵に慎重さなど影も形もなかった。

 戦術も計略も関係ないとばかりに、ただただ攻め寄せてくる。いかにも戦慣れした敵兵が、勢いに任せてひたすら突き進んでくる。

 そして、これを受ける民兵も警備兵も、最初から腰が引けていた。そのせいか、ピニャが期待したほど敵を拘束できず、消耗させることも出来ていない。

 だが、全体的な状態としては、まだ作戦どおりと言えなくもない。

『現実は、頭で考えることとは違う』…この言葉を、言葉として知っているだけのピニャにとって、現実と予定が解離することはあって当然と位置づけられていた。だから、何故、自分が計画していたことと異なって行くのかという事に考えを巡らせることが出来なかったのである。

 なんとなくの違和感、奥歯に物の挟まったような感触を感じながらも、ピニャは敵の主目標が東門であるとみなし、予定通り主戦力を東門内側に作り上げた防塁へと移動させることにしたのだった。

 東門も、南北と西の門と同じく、内側に防塁と柵を並べて二重の守りが形成されている。

 二重の守りと言えば聞こえがよいが、最初の守りは突破されることを前提にした、いわば捨て駒の消耗品扱いと言うことだ。

 最初の戦いでは、市民達はそのことを理解できなかった。だが、今となってみればわかる。城門の守りにまわされた市民や兵士は最初から見捨てられているのだ。そのことに気付いて頑張り続けられる人間がどれほどいるだろう。

 城門の後ろに作り上げた土塁と柵。そこにどんどん味方が集まって来るのに、彼らはそれ以上前に出て来てくれない。今ここで苦しい思いをしている自分達が、ここで殺されるのを見ているだけ。それを見て絶望しない者がどれだけいるだろうか?

 自棄になって無闇に剣を振るう者もいたが、そんな力は続くものではなく、たちまち切り刻まれて倒れてしまう。

「まだら緑の服を着た連中は?援護は?」

 彼らが来るはずがない。だって、彼らも捨て駒として南門に配されたのだから。

 こうして、最後の1人が倒れるまで市民達は城門の殺戮を眺めることとなった。

 東門を占拠した盗賊達は、そのまま内部へと乱入してくると思いきや、そうは振る舞わなかった。剣で槍で天を突き上げ、数回の歓呼を上げる。それは、読んで字のごとくの『血祭り』であった。そして、ゆっくりと城門が開かれて、外から騎馬の兵が招き入れられる。

 馬蹄の音と共に現れた騎馬兵は、城壁から落下した民兵や守備兵の遺体を引きずっていた。彼らは、城門内へ向かって市民の遺体を投げ込み始める。

 石を投げていた子どもや、おばさんの遺体が放り込まれる。

 農夫や職人の頭が投げ込まれる。切り刻まれた身体の一部が投げ込まれる。

 敵が勢いに任せて攻め込んでくるのを待っている市民達の前に、彼らの友人や親戚、親や子の死体が山積みにされていった。

 柵を挟んで対峙する市民達は、歯噛みして泣き、わめき、絶望する友人を支えた。そんな彼らを盗賊達は嘲笑する。

 罵声を浴びせる。

 柵に籠もって出てくることの出来ない臆病者と罵った。

 死体を人形遊びの道具のように弄んだ。

 ただの農夫・商人に武器を持たせただけの民兵が、これを見てどうして耐えられるだろう。

「こんちくしょうっ!!」

 血気盛んな若者がフォークシャベル片手に柵を飛び出していき、それを留めようとした者、一緒に駆け出す者が防塁から飛び出してしまった。後は、誰も彼もが勢いにつられて飛び出していく。

 こうして城門内の戦いはピニャの意に反して始まり、彼女の作戦は破綻したのである。






 嬌声あげるロゥリィの苦悶は、次第にその度合いを上げているようであった。

 息を切らせ髪を振りみだし、身体を弓のように反らせる。頭を掻きむしるようにして抱え、悩ましげに啼泣する。両の脚で床を踏み蹴る。

 熱に魘されたように喘ぎ、爪を立て表情をゆがめて、呪いに絡め取られ、舞うことを強いられた操り人形のごとく、身体を震えさせ、痙攣させ、そして手足を振るう。

 自らの意思で止めることが、停めることが出来ないのだ。呪いの舞い。狂気の舞い。だが、同時に美しく、麗しいダンスのようでもあった。

 レレイの説明によると、戦場で倒れていく兵士の魂魄が彼女の肉体を通してエムロイの元へと召されていく。その魂魄の性質、戦いの気質にもよるが、それは亜神にして神官たる彼女にとって魔薬にも似た作用をもたらすらしい。

 いっそのこと狂いきってしまえば楽になる。狂乱に身を任せてしまえばよい。だが、狂いたいのに狂いきれない、狂うことが許されない。今ひとつ突き抜けることの出来ないもどかしさが、彼女を責め苛み、苦しませている。

「ダメょ、駄目、ダメなの。このままじゃおかしくなっちゃう!!」

 咽の奥からの絶叫。彼女の声を背中で聞いていた戸津が、「やべーよ、勃っちまった」と呟いた。

「言うな、俺もだ」

 ペドフィリアの気など全くない彼らに何を連想させたかは言うまでもないことである。律動的に身を震わせるロゥリィの声は、それほどに艶めいていた。

 さすがに、女性として思うところもあってか栗林が伊丹に「まずくないですか?」と声をかけてきた。テュカも、赤らんだ頬を掌で押さえている。レレイはよくわかってないのか、きょとんと冷静な様子。

 伊丹は、深々としたため息をもって答えとする。

 ここは敵味方からすでに忘れ去られたかのようである。敵の姿はまったく見えないし、味方からの連絡もない。故に東門の状況を把握することもできない。

 アルヌスからの援軍が到着するのもそろそろのはず。攻撃誘導もしなければならないから、誰かを送り込む必要はあるのだ。

「栗林っ!」

 栗林が「はいっ」と返事して一歩進み出た。

「済まないが、ロゥリイに付いてやってくれ。男だと色々まずそうだ。あと、富田二等陸曹と俺。この四人で東門へいく。桑原曹長、後は頼む」

「ロゥリイ、いくよっ!少しの間、辛抱して!」

 栗林のかけた声に、ロゥリィはハッシとしがみつく事で応えた。だが、最早ロゥリィは待っていることが出来なかった。

 ロゥリィはビル三階ほどの城壁から軽々と飛び降りると、東に向かって脱兎のごとく走り出す。

 伊丹達は、城壁を駆け下りると手近なところにあった73式トラックに乗り込んだ。富田がエンジンをかける。エンジンの咆哮とともに彼らはロゥリィの後を追うのだった。






 薄暮に覆われた空を、AH-1コブラの三機編隊を先頭にして、UH-1J等のヘリコプターの集団が飛んでいた。

 空気を切り裂くローター音。

 薄闇に覆われた大地が、下方を流れるように過ぎ去っていく。かなりの高速で移動しているのがわかった。

「健軍1佐!あと5分で現地到着です」

 コ・パイからの報告を、健軍は頷いて受けた。

 用賀2佐が、「3Rcnからの報告によると、すでに東門の内部で戦闘になっとるそうです。段取りとしては、東側から接近して城門と、門の外側の目標を掃討していこうと思っちょります」と報告する。

 健軍は、これも頷いて受け、一言「2佐に任せる」とだけ伝えた。

 機内の隊員達も、小銃に弾倉を装着していた。

「あと、2分!!」

 用賀は、そう言いながらコンポのスイッチを入れた。

 ボリュームを最大に調節し、再生のボタンを押す。

 管弦の音色が流れ始めた。
 木管の軽快なリズムの盛り上がりは天馬の疾駆、主題となるメロディが続いて、軽快なラッパが高らかに鳴り響く。

 それは、8騎の戦女神をイメージしたものだった。

 小銃の支度を終えた隊員の1人が、お約束に従って被っていた鉄帽を腰の下におく。それを見た同僚が尋ねた。

「何やってんだ?」

「タマをまもるのさ!!」






 剣を叩きつけられて、血しぶきが飛び肉片が舞う。

 人体の頭部が、浜辺のスイカのようにたたき割られ、撃剣の音が、建設工事の現場のごとく響いた。

 絶命の叫び。苦痛に呻く泣き声。

 怒りの怒号。裂帛の気合い。

 ラッシュアワーの駅のごとく、人の群れがぶつかり合う。

 誰も彼もが、周囲の出来事に気を払うことが出来なくなり、ただ敵が視野に入れば、剣を槍を振るう。腰砕け、地を這いながら敵の居ないところへと隠れ、逃れようとする者もいる。だが、騎馬の馬蹄に踏みつけられ、つぶされていく。

 そこかしこに散らばる死体、遺体、遺骸、屍体。石畳の地面は赤黒い血をもって塗装され、敵も味方も区別啼くその身に血を滴らせていた。

 だから遠くで、空気を叩く音が響き始めたことに気付かない。

 どこからともなく、ホルンの音と共に、女声による歌声が天空を駆けめぐっていることなど誰も気にも留めなかった。

 ところが、時が停まった。

 土塁を、柵を飛び越えて彼女が降り立ったその瞬間に。

 人馬を蹴倒して、敵も味方も問わず彼女の周囲からはじき飛ばされ、周囲にぽっかりと穴が空いたかのごとく、疎なる空間が産まれた。

 その瞬間に全てが停まった。

 その破壊力と、衝撃に音が止み、戦いの喧噪が途絶える。空間を支配するのはオーケストラの調べ。

「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 突如現れた真っ黒な何かに、衆目が集中する。

        「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 それはフリルにフリルを重ねた漆黒の神官服を纏った少女。

                「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 彼女は、両膝を地に着けていた。

 彼女は、左手を大地においた。

 彼女は、後ろ手に回した右腕に、鉄塊の如きハルバートを握っていた。

 彼女は、伏せていた顔をあげる。神々しいまでの狂気を湛えた双眸を正面へと向ける。その黒髪は、凶々しいまでの神聖さで白銀のように輝いていた。

 その瞬間、ファンファーレを背景とした女神の嘲笑と共に、城門は爆発し炎上した。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 18
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:09d036a9
Date: 2008/05/19 21:14




-18-




 UH-1Jの三機編隊が、門外の盗賊に対して銃撃を浴びせつつ上空を通過する。

 通り過ぎる際には、お土産よろしく手榴弾を投げ落として行くと言う丁寧さは用意周到・頑迷固陋とまで言われる陸上自衛隊の性格を態度で表している。

 攻撃は、多方向からの波状攻撃によってなされていた。

 東から西へ、それが過ぎると今度は別の編隊が南東から北西へ向けて、さらに北東から南西へ、旋回して再び攻撃位置へ…次から次へと、左右から、前後から連続して停滞することない銃火に大地はムラ無く塗りつぶされ、動く標的は確実に殲滅されていった。

 盗賊達は、蜘蛛の子を散らすように走った。懸命に走ったつもりだった。だが、走ろうが騎馬だろうが、逃れられる余地はない。

 殺し、奪い、犯し、焼き払った盗賊が攻守を逆さまにし、銃弾を受けて大地にひれ伏していく。

 ばらまかれる銃弾を受けて、次々とうち倒されていく。

 気丈な者が、弓を引いて矢を射かける。だが、上空にむけて放った矢に力はない。届かずに落ちるか、届いたとしても小石ほどの威力もなかった。

 機上の隊員の1人が小銃を構え、視野の周囲にぼんやりと見える照門の中央に照星を置き、これを盗賊の頭部に重ねた。ヘリの移動速度、盗賊の逃げる方向と足の速さ…。それらを加味してリードをとる。

「正しい見出し、正しい引きつけ、正しい頬付け。コトリと落ちるように…」と呟きつつ、重さを2.7キロで調節された引き金をひく。

 三発の発射。

 右の肩に発砲の衝撃を受け止めながら、薬莢を回収しないでよいという事実に不思議な感動を憶えていた。

 いつもの貧乏性にも似た注意が薬莢の行き先にむかうが、ヘリの床を転がった薬莢はそのまま地上へと落下し、倒れた盗賊の傍らへポトポトと落ちる。

 硝煙に燻された真鍮の筒は、飴色に曇って輝いてなどいなかった。






 戦士の躯を供犠として、燃え上がる炎。

 イタリカの城門は紅蓮の炎に包まれ、地平線から昇る太陽によって周囲は輝きと熱とに照らされた。

 完全武装の兵士が、ズタズタに引き裂かれていく。

 死神の羽音。鳥などの生き物と違って、もっと猛々しく、荒々しいはじけるような音の連続。

 鉛の豪雨が浴びせられ、大理石の壁は軽石のごとく穴だらけになっていった。

 馬にまたがり、咽を涸らすほどに指揮の声を挙げていたピニャも、突然のことに声を失い、呆然とした面もちで惨劇をその目に焼き付けた。

 回転する翼をもつ『鋼鉄の天馬』。それに人が乗って天空を我が物顔で往来していた。

 天空を舞う兵士と言えば、竜騎兵が有名だ。だが、ピニャが目にしたものは生き物のそれとは違う。もっと禍々しい別の何かだった。竜騎兵の攻撃は、もっと優しいのだ。弓や槍や剣は互いに敵意を交わし合うものなのだ。だが、これは違う。絶対的で一方的な拒絶であり、徹底的なまでに凶暴だった。

 『鋼鉄の天馬』が火を放つたびに、大地の何もかも、石も珠も問わず、あらゆる全てが破壊され、うち崩されていく。馬の頭部が爆発したかのようにはじけ、周囲の人を巻き込んで転倒する。


「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」


 死の交響曲。宮廷での生活で様々な音楽に接する機会があったが、ピニャはこれほどまでに、美しく荘厳な演奏を耳にしたことがなかった。ホルン、ファゴット、様々な管弦の音色と、歌手の大音声が戦場を満たし、死への伴奏を叩きつけていく。ベルリ○・フィルの名演奏をエンドレスに編集されたそれは、最も盛り上がる場面を繰り返し、繰り返しピニャの耳に流し込んでいた。


    「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」


 ピニャは、氷の剣を背筋に突き立てられたような身震いを感じていた。あらゆるものが一瞬のうちに、人の手で逆らうことの許されない絶対的な暴力によって、叩き潰されていく。感動、負の方向への感動と、正の方向へと感動。その入り交じった交錯が、彼女の肉体と精神をはげしく揺さぶる。


        「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」


 ピニャの魂魄が、左右からの鉄の連打を受けて打ちのめされる。
 人とはなんと無価値で、無意味なのかと、絶対的な無力感を突きつけられていた。


             「Hei-a ha!------- Hei-a ha!----」


 これまで敵と言えば、等身大の存在であった。
 だが、それは明らかに違った。
 正視することの許されない、だが目をそらすことすら許されない何か。


「Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!


            Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!」


 ワルキューレの嘲笑と呼ばれる歌詞を歌い上げる女声に、ピニャは徹底的に打ちのめされた。誇りも名誉も彼女が価値あるものとして、頼ってきた全てのものが、一瞬のうちに否定された。

 意味のわからない歌声が、彼女にはこう聞こえる。

 なんと矮小な人間よ!

 無力で惨めで、情けない人間よ!

 お前の権力、権威など何ほどのものか。お前達が代を重ねて営々と築いてきたものなど、我らがその気になれば一瞬にして、こうだっ!!

 ピニャは涙を流しながら確かに、女神からの蔑みを感じた。と、同時に自分を遙かに凌駕する偉大なるものの存在を知った。

 強大なもの。

 まぶしきもの。

 彼女の心に沸き上がったのは尊敬であり、畏敬の念。

 そして、それら尊崇すべき存在が、自分とは全くの無縁であることの絶望。お前は決してそれらのようにはなれないのだと突き放してくる宣告。

 かつて、ピニャの将来を定めたと言える歌劇を見た時の憧れと感動が、この時ことごとく塗りつぶされしまった。






「やばいっ!ロゥリイの奴、敵の真っ直中に出ていきやがった!」

 伊丹のオタク的部分は、ロゥリィがとてつもなく強いと予測していた。

 だが、現実的かつ常識的な部分が、あの見た目が華奢で小柄なロリ少女が、強いと思えるのはどうかしてると、盛んに訴えていたのも確かなのである。

 そのためにどうしても心配になった。共に過ごした時間もそれなりにあるので情も湧いている。見捨てるとか放っておくという発想はどこを探しても出てこなかった。

 伊丹は、トラックを降りると「つけ剣」と自ら号令して小銃に銃剣を装着した。

 栗林も、富田も着剣している。銃剣の柄を掌底で2度叩いて装着を確認する。

 互いに見合わせて安全装置を『ア』より『レ』へと捻る。「はなれるなよっ」と告げて、前進を始めた。

 だが真っ先に、鉄砲玉みたいに突っ込んで行ったのは栗林だった。

 伊丹と富田は「ちっ、あの馬鹿女」と呟きつつも、距離をあけないように人垣をかき分けて懸命に追う。

「突撃にぃ、前へ!!」

 目標を定めて数歩進み、小銃を構えて短連射。

 更に数歩走って、今度は腰だめに小銃を短連射。

 訓練に訓練を重ねて身にしみこませた動作が、繰り返された。

 盗賊の数人が、血しぶきをまき散らしながら倒れる。

 見ると、ロゥリィは舞うようにハルバートを振り、叩きつけ、ぶん回して、楯もろともたたき割って敵を蹴散らしていた。危うげな様子は少しもなく、軽快なヒップポップのような軽やかさだった。その周囲にはすでに屍体の山が築かれている。

 敵は楯を使って圧迫し、押し退けて突き飛ばそうとし、楯の上を越えて剣を突きだしている。楯の下縁りで脛を打とうとしてくる。だが、ロゥリィはふわっと身を退くと、大上段に構えたハルバートを叩きつける。

 それはあたかも薪割りのようで、楯ごと敵を二つに引き裂いた。

 背後に回り込もうとする敵には、鈍く尖った石突きが待っている。振り返りもせずに突き出されたハルバートの柄が深々と敵の腹部に突き刺さった。

 四方八方から同時に突き出される槍を、まるで棒高跳びのようにハルバートを支えにして中空に舞ってかわす。

 黒薔薇のように広がるロゥリィのスカート。徹底的に黒で固めたガータベルトとショーツ、そしてなめらかな曲線で描かれた美脚を冥土の土産と見せつけて、回転する勢いをそのままハルバートにのせて円を描く。

 プロペラのような旋風が、盗賊達の首を高々と跳ね上げていた。噴水のごとく吹き出す血潮。

 赤い雨粒をその頬に受けながら、風を斬り、鉄を斬り、肉を断つ。

 恐怖と憎悪と殺意を寄り合わせた力任せの大剣が、ロゥリィの頭上に振り下ろされる。

 だが、ロゥリィの清澄な眼差しが毛一筋ほど隙を見いだし、命を賭した渾身の一撃を空回りさせる。
 ロゥリィはスカートの縁を左の指先で摘みつつ闘牛士のそれに似た身のこなしで、猛牛のごとき突進をかわした。

 そこへ、これに栗林が加わった。

 喊声を上げながら銃剣による直突!ロゥリイを背後から襲うとした敵を貫く。

 発砲しながらの反動で、刺さった銃剣を引っこ抜いて、そのままの勢いで後ろの敵に斜めから斬撃。直突、直突、構えを入れ替えて銃床を使っての横打撃。直打撃、打撃、打撃!ぶっ倒れた敵の鼻先に銃口を突きつけて、引き金を一回引く。

 斬り付けてきた敵の剣を小銃で受け停める。小銃の2脚が吹っ飛び銃身を覆う下部被筒が派手に凹むが、気にせず脛を掃蹴。派手に倒れた敵の鼻面を、兜の上から半長靴で踏みつぶす。

 カラカラとちぎれた2脚が落ちて。「あちゃ~」と呻いて武器陸曹の顔を思い出す。だが、このために89ではなく64小銃を持ち込んでいるのだ。栗林は「消耗品、消耗品」と自ら言い聞かせながら、小銃を握り直した。

 前時代的で野蛮な白兵戦。だが栗林は、それを特技としていた。

 小柄ながらまるで猫のような俊敏さで、敵を寄せ付けず手を焼かせ、逆に圧倒していた。敵が距離を置いたかと思えば、小銃を短連射。弾が尽きて、手投げ弾を敵の頭上を越えるように投げ込む。

 ラッシュ並の混雑だ。敵の肉体そのものが楯になってくれると判断する。実際、背中を突き飛ばすような爆発に狼狽したのは敵だ。混乱し戦意を喪失し、楯を列べて防ごうとする。

 そこへ素早く拳銃を抜いて、問答無用の3発連射。所詮は木製の楯。9㎜拳銃の弾を受けて、一発目で板が割れ、2発目で砕け、3発目がその向こう側の敵兵に当たる。

 切り開かれた突破口にロゥリィが突っ込み、抉り、傷口を拡大していく。その間に栗林は小銃の弾倉を交換。

 伊丹と富田は、自分達が手綱をひかないとやばいと思って、彼女らの背中を守った。小銃と拳銃と銃剣とを駆使して敵を回り込ませないことにだけ集中する。

 少し距離を置いて、頭を冷静にして見ると女性2人の戦いぶりは実に見事だった。特にロゥリィは無敵な強さを見せていた。脳内麻薬の作用か、それともそう言う性格なのか、実に2人とも爽快そうな笑みを見せている。いっちゃった表情である。そういう女性の顔はベットの上で見たいものである。

 2人は即興の連携を見せた。

 銃剣で突き、ハルバートを叩きつけ、銃撃し手榴弾を投げ、ハルバートの柄で払い、蹴りや鉄拳をもって敵を支え、圧迫し、突き放し、押し返す。

 弾倉の交換ももどかしい。栗林の弾が切れたと見るや、伊丹は自分の銃を栗林に放り投げた。代わりにガラクタ寸前となった栗林の銃が帰ってくる。

 敵味方入り乱れた乱戦の真っ最中だったイタリカの警備兵や民兵達も、敵の勢いが急激に萎んでいくことに気付いた。周囲を見渡す余裕が出来て、はじめて伊丹達の存在に気付く。

 エムロイの使徒だ!『まだら緑の服を着た連中』が来てくれたぞ、の声と共に次第に秩序を取り戻し、構えた農具を連ね、互いを助け合う連携を取り戻し始める。爆音と、オーケストラの音に今更ながら気付く。


「Zu ort-linde's Stu-tr stell'


   deintn Htngst mlt mtiner


     Gran-en gras't gern deln Brannerl


       Hei-a-ha! Heia-ha!


         Die Stu-te stosst mir der Hengst!


           Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!


             Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!


               Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!」



 すると、天を被っていた黒煙を切り裂くようにして戦闘ヘリが姿を見せた。

 その威容に人々は圧倒された。天を見上げ、指をさして天空から舞い降りた鋼鉄の天馬に見入っていた。

 AH-1コブラの20mm M197三砲身ガトリング砲の砲口がロゥリィ達に押しまくられて密集しつつある敵へと向けられる。

 それを見て、伊丹と富田が互いに見合わせて頷いた。

 伊丹がロゥリィを、富田が栗林の首根っこをとっつかまえると、背後から抱き上げて「下がれ下がれ!!」と怒鳴りつつ後ろへと後退。

 伊丹等が下がるのを待ちかまえていたかのように、毎分680~750発もの発射速度で吐き出される直径20ミリの砲弾は、瞬く間に敵をミンチへと変えていった。

 コブラが、弾をばらまきながら高度を下げてくる。それは最終的な破壊だった。

 燃えさかる炎、全てを一瞬にして消し飛ばす集中豪雨であった。

 程なくして、ガトリング砲の射撃が止んだ。オーケストラの演奏もようやく終わりを告げて、耳にはいるのはローター音。そして後に残るは煙の漂う火事場跡。

 UH-1Jヘリが、次第に集まってきて上空にホバリングする。

 綱が降ろされて、それをたどって次々と自衛官達が懸垂降下してくる。機敏な動作、統率のとれた振る舞いで、周囲を警戒し、敵味方の生存者を捜していく。

 最早誰も『まだら緑の服を着た連中』などとは言わなかった。その数にしても実力にして、いずこかの兵士であることは間違いないからだ。尊崇の念を込めて、富田に対してどこの誰かと尋ねる者がいた。「自衛隊」と言う答えを得る。

 ロゥリイは強力なローター風によって、吹きさらされる髪を気にしつつ、風で舞い上がりそうなスカートを押さえ込みながら周囲を見渡す。だが、少なくとも彼女の周囲に立っている敵はなかった。

 ふと、気付く。

 自分が誰かに抱え上げられていることに。

 彼女が身を預ける左腕が脇の下から胸元に上がり、手袋に包まれた掌が彼女のささやかな右の乳房を押さえ込んでいることに、ロゥリィ・マーキュリーは気付く。そして、その桜色の唇をニィとゆがめて、その隙間から鋭い犬歯を覗かせるのだった。





    *      *





 ピニャは、伊丹、ロゥリイ、テュカ、そしてレレイの4人を前にして、語りかけるべき言葉が見つからず窮していた。

 昨日はこの4人を謁見して、高みから協力を命じる立場だった。
 背もたれに身体を預け、典雅に茶など喫しながら、重要なはずの問題をまるで些細な雑用仕事でも扱うかのように臣下に結論から突きつける。それがピニャの、宮廷貴族の考える優雅な仕事の進め方なのである。

 昨日は、ここまでとは言わなかったが、それに近い態度をとることが出来た。

 だが、今日の自分の体たらくはどうだ。惨めな敗残者ではないか。

 確かに盗賊は撃退できた。市民達は勝利と生き残ったことを素直に喜んでいる。

 無論、失われた命を悼むこと、家族を亡くした悲しみを乗り越えるのにも時間が必要だろう。街や荒廃した集落の再建も難題だ。だが、身近な者が命を賭して得た勝利だからこそ、今は喜ぶべきなのだ。悲しむばかりでは彼らが頑張った甲斐がないではないか。

 その意味では、ピニャも勝利者の側にいて勝利を喜ぶべきなのだ。なのだが、この惨めな気分によって徹底的に打ちのめされていた。

 少しも勝ったとは思えない。

 勝利したのはロゥリィや、伊丹達『ジエイタイ』を自称する軍勢だ。不当にも神聖なアルヌスを土足で占拠し続けるこの敵は、鋼鉄の天馬を駆使し、大地を焼き払う強大な魔導をもって、ピニャが手を焼いた盗賊らを瞬く間に滅却してしまった。

 今、彼らがピニャに対してイタリカに対して牙を剥いたら、彼女にはどうすることも出来ないだろう。帝国の皇女とフォルマル伯爵公女ミュイは2人そろって虜囚となり、帝都を支えるの穀倉地帯は敵のものとなる。

 住民達は、どうするだろうか?抵抗するだろうか?
 いや、かえって喜ぶ。きっと、彼らを歓呼の声で迎えるだろう。何しろ、住民達の勝利を決定づけたのはジエイタイなのだから。『まだら緑の服を着た連中』の廉潔なる様は、コダ村の住民達によって、口々に語られている。

 政治を解さない民は単純だ。自分の利益、しかも一時的な利益に簡単に吊られて靡いてしまう。

 もし、彼らが開城を要求して来たら……妾は彼らの前に膝をつき、取りすがって慈悲を請い、我とミュイ伯爵公女の安堵を願い出るしかないのかも知れない。

 妾が、敵に慈悲を請う?誇り高き帝国の皇女ともあろう者が!?まるで、宿場の安淫売のように男の袖を引くと言うのか?

 ピニャは、ギッと奥歯を噛みしめた。

 今の自分なら、足の甲にキスしろと求められたら、してしまうかも知れない。どのような屈辱的な要求にだって、応じてしまう。そこまで自信と心とをへし折られていた。

 ピニャは、伊丹等が要求を突きつけて来るのを、恐る恐る待っていた。

 待っているつもりだった。だが…次第に視界が彩りを取り戻して、ピニャに現実の風景を示し始める。耳が周囲の音声をあつめて、ピニャの意識へと届け始めた。

「捕虜の権利はこちら側にあるものと心得て頂きたい」

 レレイが、ピニャの傍らに立つハミルトンの言葉を健軍一等陸佐に通訳していた。語彙の関係上、伊丹だけでは通訳が難しいので、まだまだレレイの手伝いが必要なのである。

 健軍は、直立不動の姿勢のまま頷く。

「イタリカの復興に労働力が必要という貴女の意見は了解した。それがこちらの習慣なのだろうが、せめて人道的に扱う確約を頂きたい。我々としては情報収集の為に、数名の身柄が得られればよいので確保されている捕虜の内、3~5名を選出して連れ帰ることを希望する。以上約束して頂きたい」

「『人道的』の意味がよく理解できぬが…」

 苦労するのはレレイだ。無表情の彼女が額に汗して、意味を伝えようとしている。

 曰く「友人、親戚、知り合う者に対するように、無碍に扱わないことと解される」と彼女なりの理解で説明するのだが、ハミルトンは眉を寄せるばかりだ。

「私の友人や親戚が、そもそも平和に暮らす街や集落を襲い、人々を殺め、略奪などするものか!」

 声を荒げ怒鳴りかけたハミルトンを制するように、ピニャは声をかけた。

「良かろう。『求めて過酷に扱わぬ』という意味で受け止めることにしよう。此度の勝利にそなたらの貢献は、著しいのでな、妾もそなたらの意向も受け容れるに吝かではない」

 ハミルトンも、これまでずうっと黙していたピニャが口を開いたことに安堵したようである。

 レレイと健軍がぼそぼそと言葉を交わし、レレイが通訳した言葉を伝える。

「そのような意味で解していただければよい」

 思わず口を挟んだが、ここはどこで、今自分は何をしているのか?

 ピニャは自分の持っている知識、解釈力を総動員して現状の確認を急いだ。

 そもそもこの男は誰だ?

 ピニャの目前に立つのは、闘士型の体躯をもつ壮年の男だった。この男も『まだら緑の服』を来ているが、兵卒とは明らかに違う気配を有している。

 物腰こそ軟らかいが、額に刻み込まれた皺と肉の厚みを感じさせる頬はいくつもの苦難困難を乗り越えてきた男のものである。この男の堂々たる態度を裏打ちするもの、それは自信なのだろう。積み上げてきたものと実証に裏打ちされた自信。ピニャを求めて得られないものである。

 察するに『まだら緑の服』の軍の長であろう。

 気が付くと、ピニャは伯爵家の領主代行として気怠そうに椅子に腰掛けている。隣にはフォルマル伯爵公女ミュイが執事とメイド長に挟まれて腰掛けていた。

 喋っていたのはハミルトン。彼らと交渉し、意見を述べ、要求を聞き入れて物事を決定していたのは彼女のようであった。ピニャがボヤッとしている間、懸命に交渉の場を支えていたのだろう。

 ピニャは、慎重に言葉を選びつつ状況を確かめようとした。この場で、いったい何の約束がされようとしているのか?

 傍らに立っていたハミルトンを指先で招く。額や身体の各所に包帯を巻いたハミルトンが顔を寄せてきた。

「ああ、ピニャ様。お心が戻られましたか、ご心配いたしました」

「すまない…」

 そして、この場で決しようとしている内容を、再度確認するようにと指図した。

「おほん。では、今一度条件を確認したい」

 ハミルトンは朗々と歌い上げるようにして、条件を挙げていく。

「ひとつ。ジエイタイは、此度の戦いで得た捕虜から、任意で3名~5名を選んで連れ帰るものとする。この捕虜、および捕虜から得られる各種の権利一切は全てジエイタイ側にあるものとする。なお、フォルマル伯爵家と帝国は、所有することとなった捕虜を、過酷に扱わないことを約束する。

 ふたつ。フォルマル伯爵家ならびに帝国皇女ピニャ・コ・ラーダは、ジエイタイの援軍に対する感謝の印として、ニホン国からの皇帝ならびに元老院に対する使節を仲介し、その滞在と往来における無事を保証する役務を負う。なお、使節の人数、滞在の諸経費等の負担は協議によって定めるが、100スワニ相当分までは無条件で伯爵家ならびに皇女が負担するものとする。

みっつ。ジエイタイの後見する『アルヌス協同生活組合』は今後フォルマル伯爵領内・イタリカ市内で行う交易において関税、所得、金銭の両替等に負荷される各種の租税一切を免除される。

よっつ。以上の協約発効後、ケングン団長率いるジエイタイは、協約で定めた捕虜の受け取り以外、伯爵家、および市民の財貨一切に手を着けず、可及的速やかにフォルマル伯爵領を退去するものとする。イタミ率いる小規模の隊、及び『アルヌス協同生活組合』については、フォルマル伯爵家との連絡役務を果たすため、今後も領内往来の自由を保障する。

いつつ。この協定は1年間有効。なれど双方異存申し立て無き時は、自動的に更新されるものとする。

 以上 フォルマル伯爵公女ミュイ
    後見役 帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダの名において誓約する。

帝歴687年 霧月3日」


 ハミルトンは、羊皮紙に書き込まれた文章を読み上げるとピニャの前に差し出した。

 何度も読み直してみたが悪い話ではない。と言うより、どうなっているのだ?と思うほどの好条件である。ジエイタイは勝者がもつ権利のほとんどを求めていないのだ。

 皇帝に対する仲介は煩雑だし、100スワニの出費は確かに痛いが、必要経費の範囲とも言える。これで済めば儲けものと言えよう。

 ハミルトンが頑張ってくれたようだ。

 ピニャは人の能力を見極めることについてはいささかの自信があった。だが、どうやら
ハミルトン・ウノ・ローの交渉能力については見極めを誤っていたようである。だがどうやったら圧倒的な戦闘力を有する敵に、勝者の権利を快く放棄させるような約束を取り結ぶことが出来るのだろうか?魔法でも使ったか?女の武器を使って交渉をとりまとめたか?

 いずれにせよ、外務局あたりに知れたら、ただちにスカウトがくること間違いなしである。騎士団としてもこの交渉能力は貴重だ。

 ピニャはそんなことを考えつつ、羊皮紙の末尾にサインをして、封蝋に指輪印を押捺した。

 隣席に、お行儀よく腰掛けているミュイ伯爵公女にもサインと捺印が求められた。

 ハミルトンが健軍の前に出て、羊皮紙を差し出す。

 これをレレイとテュカが確認して頷いたのを見て、健軍は漢字で署名を書き込む。

 ロゥリイは何故かそっぽを向いて不機嫌な様子で関わろうとしない。伊丹は何故か、右目周りに黒々としたアザをつくって、ぼやっと突っ立っていた。

 協約書は2通作成する。

 2通目の作成中に、ピニャの手元に一通目が戻ってきた。
 改めて書面を確認して見ると、健軍の署名が目に入る。そこに書かれている文字を見て、
なんともカクカクとしているなと感じるのだった。






 協約は直ちに発効され、401中隊は飛び去っていく。

 戦いの後始末に忙しい住民達も、一時手を休め彼らが空の向こうに見えなくなるまで、帽子や手を振っていた。

 レレイやテュカ、ロゥリイは商人リュドー氏の元へ向かって、商談を済ませた。

 取引に関わる税がかからない特権商人は儲けが大きいので、どんな商人だってお近づきになりたがる。しかもカトー先生の紹介となれば、粗末に扱えるはずもなく、交渉は至極簡単に進んだのだった。

 竜の鱗200枚を、デナリ銀貨4000枚+シンク金貨200枚で、取引をまとめることに成功した。

 ただし、銀貨4000枚を現金で決済することはやっぱり不可能だった。リュドー氏も頑張ってくれたのだが、フォルマル伯爵領内を盗賊達が荒らしたために、イタリカでは交易が停滞していた。さらに帝国とその周辺で貨幣が不足気味になっていたことも理由となってデナリ銀貨1000枚をかき集めるのが精一杯だったのである。

 結局、残る3000枚のうち、2000枚については為替で受け取ることとなった。

 残りの銀貨1000枚分は割り引くことにした。割り引く代わりにレレイはリュドー氏に一風変わった仕事を依頼したのである。
 それは各地の市場における相場情報の収集であった。出来る限り多品目で手の届く限り詳細に、事細かく価格を調べて欲しいと求めたのだった。

 この申し入れにはリュドー氏も鼻で笑った。

 一般市民に小売りするのと違って、商人間では何がいくらで売れる等という情報は、価格交渉の為の重要な武器であり手の内だった。これを単刀直入に尋ねる商人も、教える商人もいない。

 だが、レレイは商人としては素人であるため、何がいくらで取り引きされているかを知らない。知らないからこそ情報を集めようと思ったのである。ただし、より広く、より大規模に。そして代価を支払って。

「銀貨1000枚ねぇ」

 これまで、情報なんてものにこんな大金を支払う者などいたためしはない(小口の相談なら、これまでもあった)が、値が付いたのであれば、それはもう商売である。賢者カトーの愛弟子が求めるのだから重要な意味があるのかも知れない。また、商品の品質はよりよいものがモットーでもある。

 こうして、リュドー氏は八方手を尽くして情報の収集に力を入れることを約束したのであった。






 作中歌詞 Die Walküre/Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 19
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:00a6177b
Date: 2008/05/26 21:10




-19-





 西へと向かう街道を、イタリカへと急ぐ騎兵集団があった。

 赤、黄、白の3色の薔薇で彩られた旌旗をたなびかせ、馬蹄の音を轟かせている。

 金銀に輝く胸甲と装飾鮮やかな武装。バナーのひるがえる騎槍の林が怒濤のごとく突き進んでいた。

 特に先頭をいく騎士。

 金色の長髪を風になびかせて、壮麗な武装で身を固めた女騎士が鞭で黒馬を激しく攻め立てている。彼女の愛馬は、その責め苦を軽く受け止め、躍動する筋肉は力強く大地を蹴っていた。

 彼女の見る風景は流れるように過ぎていた。だがまだ遅い、まだ足りない。そんな思いで握る手綱に力がこもる。鞭撃つ手にも力が入ってしまう。

「ボーゼス!!急ぎすぎだ」

 女声ながら落ち着いた重みのある響きが、先頭の騎兵にかけられる。

 背後を駆ける短栗髪の女騎士。馬は白馬。彼女らから大きく引き離される形で、騎兵集団が続いている。

 ボーゼスと呼ばれた女騎士は、振り返ると鈴のような声色で言い返した。

「これでも遅いくらいよっ!パナシュ」

「たが、君の馬が保たない。兵もどんどん落伍している。これでは現地にたどり着いても戦えないぞ」

「いいのよっ。落伍しようと最終的にイタリカへたどり着けばいい。今は時間が敵よっ!」

「しかしっ!」

「最終的に少数しかたどり着け無ければ、少数での戦い方をすればいい。今は少しでも早くたどり着くこと。それが第一よ」

 こうも言い切られれば、パナシュとて引き留めようがない。ボーゼスの後を追いつつ、例えそうであっても少し速度をゆるめるようにと言い聞かせるのがやっとであった。

 ボーゼスは不承不承ながらわずかに手綱を引く。馬も走る速度をゆるめ、わずかに後続との距離が近づいた。

「パナシュ…わたくしたち、間に合うかしら?」

「大丈夫。姫様はきっと保たせるさ」

「でも…」

 ボーゼスは、苛立つ気持ちを抑え込むので精一杯のようであった。遠く地平線の先へと伸びる街道。その遙か先、イタリカの方角一点のみを見つめていた。

 だから、最初にそれに気付いたのはパナシュであった。

「ん?」

 前方から何か近づいてくる。

 帝国の幹線街道とは言え、古代に作られたものを荒れるに任せているため道幅は狭く、向かい合った荷馬車がすれ違えるほどしかない。騎馬隊がこのまま全力で進めば、前方から近づく何かと激突することは必至だった。

 しかもその前方の何かは、意外なほどの速さでこちらに近づいてくる。箱形で、遠目ではよくわからないが、荷車のようにも見える。

「ボーゼスっ!!」

「判ってるわ」

「わかってないっ!前を見ろ」

 パナシュに指摘されてようやく気付いたのか、ボーゼスは舌打ちしつつ身を起こし、馬の手綱を引いた。

 パナシュは左腕を挙げて後方に停止を知らせつつ、手綱をひく。

 続いていた騎馬隊の騎士達は安堵したかのように、息を切らせいきり立った馬をなだめながら速度を落とした。馬も人も誰も彼もが、ぜいぜいと肩で息をしており、汗でびっしょりとなっている。

「ええいっ邪魔くさい。道をあけさせなさいっ!」

 後方の兵に排除を命じるが、それをパナシュが「待てっ」と、停める。

「あれは、イタリカの方角から来る。臨検してみよう、何かを知ってるかもしれないだろ?」とボーゼスをなだめつつ、ゆっくりと先へと進むのだった。





    *      *





「なんて事をしてくれたんだっ!!」

 烈火のごとく怒り、手にしていた銀製酒杯を投げつけるピニャ。

 意気揚々と捕虜を引見し、自らの功績を誇ろうとしたボーゼスは、突然のことに何が起きたのか理解できなかった。額の激痛とピニャの怒気にすくみ上がってしまう。顔に落ちてくる暖かな感触に手を触れ、その手をぬらした血液を見て、初めて右眉の上が深々と割れているという事態に気付いたのである。

 美しい顔(かんばせ)をつたい落ちる血液が、顎の先からポツポッ、ポタポタと絨毯に落ちてシミを広げる。

「ひ、姫様。どうしたと言うのですか!?我々が何をしたと言うのです?」

 ショックに座り込むボーゼスの額に手巾をあてながら、懸命に寛恕を求めるパナシュ。だが、ピニャも、傍らに立つハミルトンも怒ると言うよりは最早、あきれ果てたという様子で2人を見下ろすのだった。

 夕刻。
 騎士団を引き連れてイタリカに到着し、街が無事であったことに安堵したボーゼスとパナシュは、ピニャに対して到着を報告するとともに戦闘に間に合わなかったことを詫びた。これについてピニャは責めるようなことは言わず、逆に予定よりも早くの到着を誉めたのである。

 これに気をよくしたボーゼス達は、ピニャの初陣と戦勝を祝賀する言葉を述べ、さらにここに来る途中で遭遇した異国の者、おそらくアルヌスを占拠する敵の斥候であろうと思われる…を捕虜としたので、ご引見下さいと連れて来させた途端にこの仕打ちがなされた。

 2人は自分らが何故に責められるのか、詰問され、酒杯を投げつけられねばならないのか理解できなかった。

「こともあろうに、その日の内の協定破り。しかも、よりによって彼とは」

 ハミルトンは、謁見の間となった広間の隅へ連れ込まれた捕虜へと歩み寄った。

 床に力無く座り込んでいるのは伊丹であった。
 その肩に手を置いて「イタミ殿、イタミ殿」と揺すりながら声をかけてみる。だが伊丹は、全身ドロまみれの擦り傷だらけ、さらには、あちこちを打撲したのか身体の各所にアザをつくっており、体力気力も尽き果てているという姿で、まともな返事も出来ない。

 ここに来るまでにどれだけの酷い目にあったかが、想像できる有様であった。

「ハミルトン、どうだ?イタミ殿の様子は」

「相当に、消耗されているご様子です。すぐにでも休ませませんと」

 ピニャは、フォルマル家の老メイド長に振り返ると「済まないが、頼む」と告げた。老メイドと執事は「かしこまりました」と、壁の華となっていたメイド達をかき集め伊丹を取り囲むようにして、運んでいった。

 それを見送った後で、振り返るピニャ。
 その時の彼女の表情はまさに般若そのものであった。自分よりやや背の高いパナシュの頬に対して平手というより、掌底でぶん殴って尋問するかのごとく詰め寄った。

「貴様等、イタミ殿に何をしたっ?!」

「わ、私たちは、ごく当たり前の捕虜として扱ったまでです」

 ごく当たり前、とは…帝国では捕虜を虐待することであった。例えば連行途上、ひたすら馬で追い立てて走らせる。疲れ果てて座り込むなどすれば、槍先でつついたり、刀の峯や鞭で打ったりして無理矢理立たせる。それでも立たなければ殴る蹴るなどの暴力でいたぶると言う具合である。こうして抵抗する気力、逃亡する体力をそぎ落とすことが、奴隷として売る際に素直に従わせる上で必要なことだと考えられていたのである。

 ピニャは「なんて事を、なんて事を…」とつぶやきながら体中を駆けめぐる怒気を、わななく拳を握りしめながら耐えていた。

 理性的に考えてみれば、ボーゼスやパナシュのした行為を非難することは出来ない。なにしろ彼女たちは、アルヌスを占拠する者を敵とは思っても、そんな相手とピニャが協定を結ぶなど想像すら出来なかったのだから。

 だが現実は、理不尽なまでに理屈を超越する。実際に、協定は結ばれ自衛隊はその協定に基づいてイタリカを退去した。故に知らなかった、通知が遅れていたの類の言い訳は一切通用しない。何しろ、協約の即時発効はピニャが求めたものなのだから。そして伊丹が捕らえられたのは協約発効の後、しかもその往来の自由を保障するとしたフォルマル伯領内である。

 これは協約やぶり以外の何物でもない。

 協約違反を口実に戦争をしかけ、有無を言わさず敵を滅ぼすという手口は、実は帝国がよく用いる手法だった。通信網の整ってないこの世界では、連絡の不行き届きで和平協定締結後も末端の部隊間で戦闘が行われてしまうと言うことは、よくあるのだ。

 自分達が愛用した手口であるが故に、相手がそれをすると思ってしまう。

 ピニャは、背筋がゾッとした。

 天空を覆った楽曲の音が、ワルキューレの嘲笑が彼女の耳にこびり付いて離れないのだ。彼女の騎士団が、イタリカが、そして帝国のあらゆる全てが業火に焼かれて滅んでいく様が目に浮かぶようであった。

 ハミルトンから、ピニャと自衛隊の間で協約を結ばれたことを説明されたボーゼスとパナシュも、自分達が何をしたか、そして伊丹等が「話せばわかる」などと言いながら、何故抵抗せずに捕らえられたのかを理解した。

「い、イタミ殿の部下がいたであろう。その者らはどうした?」

「あの者等は、逃げおおせました」

 自分達の隊長が捕らえられたというのに、取り返そうともせず脱兎のごとく逃げ出した伊丹の部下を、彼女達はさんざん嘲笑したのである。だが、彼らからすれば反撃すら許されない状況では、逃げ去るしか選択肢がなかったと言うことを、また知るのである。

 もし、全員を捕らえることが出来ていれば、全員を始末して行方不明になってしまったとしらを切る方法もあるのだが、逃げられてしまったとなってはその手は使えない。そもそも使徒ロゥリィ・マーキュリーが相手方にはいるのだ。考えるだけ意味のない選択肢であった。

「姫様、幸いなことに此度は死人が出ておりません。ここは策を弄されるよりも、素直に謝罪をされてはいかがかと、小官は愚考するところであります」

 広間の隅でことの次第を聞いていただけの、グレイ・アルドが口を開いた。

「だがしかし、あ奴らは盗賊にすら『ジンドウテキ』などと称して、過酷に扱うなと言いだす連中。イタミ殿の受けた仕打ちを知れば、烈火のごとく怒り狂って攻めて来るのではないか?」

「そこも含めて、謝罪するしかないのではありませんか?」

「妾に頭を下げろと言うのか?謝罪せよと?…だが、関係者の引き渡しや処刑を求められたら応ぜざるを得なくなるぞ」

「では戦いますか?あの鋼鉄の天馬と、大地を焼き払う魔導、そして死神ロゥリイ・マーキュリーを相手に…。小官としては、それだけはゴメンこうむりますぞ」

 グレイのような歴戦の兵士にすら、あの光景は恐怖という名の楔を撃ち込んだのである。ピニャも、どれほど屈辱的なことでもしてしまうと覚悟したほどだ。それを考えれば、謝罪など大したことではない。

 とは言え、ここにいる誰もピニャにそれを強いることは出来ない。関係者たるボーゼスやパナシュも、罪を認めれば自らが窮地に立たされることとなるためにそれは避けたいのである。

 冷酷で重苦しい空気がその場を支配した。

 しばしの沈黙の後、グレイは緊張した雰囲気を解きほぐすように、おどけた口調で語った。

「ま、そのあたりはイタミ殿のご機嫌次第なのでしょうがね」

 それは、暗にこの場に居合わせているご婦人方に、伊丹のご機嫌とりを頑張って下さいと、告げたものだった。





    *      *




 我が国には、宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)というものがある。
 女性のみで編成され歌と踊り、そして演劇を楽しませてくれる、戦前から存在する伝統のある由緒正しい劇団だ。オタクたる伊丹にはいささか敷居の高い世界だが、もし『銀英伝』を演目に加えてくれたら、見に行っても良いかもしれない。

 ちなみに阪急電鉄の経営で、彼女たちが我々の知らないどこかで悪の秘密結社と戦っていると言う話は、寡聞にして聞いたことがない。誰か真実を知っていたら世間に知らしめて欲しい。

 さて、イタリカからアルヌスへの帰還途中、目前に現れた騎兵集団を見た瞬間、伊丹は宝塚が『ベ○ばら』の野外公演でもしているのかな?と思ってしまった。

 ものの見事に女性ばっかり。しかもみんな美人・麗人・佳人・かわいい娘。

 もしかしたら正真正銘の男性もいるかも知れないが、約半分が男装の麗人で、残りの半数は女性っぽい女性と来ては、どうしても女性のみの集団と認識せざるを得ないのである。

 さらに、徹底的なまでに華美に彩られた武装だの旗だの、華奢な飾りでピカピカしている馬鎧。金糸銀糸の刺繍のはいった軍装等などを見ると、やっぱり『ベル○ら』っぽく見えてしまう。

 手を挙げてこちらに停止を命じながら、馬を寄せてくる女性…。

 白馬にまたがりショートの髪は栗色。白を基調として銀糸の刺繍や飾りをつけた衣装に銀の胸甲をつけ、黒い裏地の白のマント姿。腰にはサーベルというか、レイピアというか装飾のついた細身の剣を下げているが、これがまたピカピカに磨かれていて曇り一つ無い。

 凛とした表情も突き刺すような視線も、妙にキメポーズっぽく見えてしまう。『男役の女優さんっ』という雰囲気で、こういうのが好きな女子高生あたりが見たら、さぞかし黄色い悲鳴をあげて喜ぶんだろうなぁと思ったりする。

 倉田は『ぽかん』とした表情で、「俺、縦巻きロールの実物なんて初めて見ましたよ」と感慨深く呟いていた。

 倉田の視線の方角…白い女性の背後から、少し敵意っぽいものの混ざったような視線をこちらに突きつけている女性が居た。黒馬にまたがり、豪奢な金色巻き毛は腰まで伸びている。なるほど、いわゆる縦巻きロールと言われる髪型であった。それに物理的機能があるの?と尋ねたくなるほどに巨大なリボンがくっついている。

 見た目からしても、お嬢様タイプの美女で、ツンッと高みから見下してくる(実際、馬上から見下してきている)視線は「私の脚をお舐め、豚野郎」とか、いかにも言ってくれそうである。

 伊丹はこの女性騎馬集団の旗印になっている三色の薔薇から、前述のショートヘアの女性を白薔薇様、こちらの金髪お嬢様を黄薔薇様と、脳内であだ名付けた。

 桑原曹長が無線で注意喚起を命じ、隊員達は一様に銃を引き寄せて警戒のレベルを高めるが、伊丹としては厳に発砲を戒めた。協定違反に成りかねないからだ。この時点で、ロゥリィやレレイ達は、昨夜からの徹夜が堪えたのか後席でぐっすり眠っていた。

 伊丹等の第三偵の現時点での車列は、先頭が73式トラック、次が高機動車、しんがりが軽装甲機動車なので、この女性騎士軍団は最初に接触した73式トラックへと近づいた。

 白薔薇が馬を歩み寄らせ、富田に声をかける。

 富田は、27歳の二等陸曹。ちなみにレンジャー徽章持ち。
『こちらの世界』の言葉は、単語ノートを片手になんとか意思疎通できるという程度である。そんな状態であったから、なんとか片言で白薔薇の誰何に応じようとしていた。

 白薔薇曰く、「どこから来た?」

 富田曰く、「我々、イタリカから帰る」

 言葉が不自由ながらなんとか片言でも応えようとしてる富田に対して、白薔薇は彼に解るように、できるだけ言葉を短く句切りながら話しかけようとした。これに対して、黄薔薇は言葉の不自由な富田を、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、3台の車両へ胡乱そうな眼差しを向けるのだった。

 白薔薇曰く、「どこへ?」

 富田が単語帳をぺらぺらっと捲りながら告げる。「アルヌス・ウルゥ」と。

 これを聞いた白薔薇は「なんだとっ!」と声を荒げた。
 正体不明の敵に占領されている場所に、いかにも異邦人とおぼしき連中が帰るなどと言っている。
 しかも馬が牽くわけでもないのに動く荷馬車に乗り、見慣れない武器らしきものを抱えている。この集団を見て、怪しく思わない方がどうかしている。

 その場にいた女性騎馬軍団はこの一言で殺気立った。「何!すると敵かっ!」天に向けられていた騎槍がさっと降ろされ、その切っ先が伊丹達を指向する。

 素早く、騎馬の列が整えられていく。このあたりの統率は見事にとれており、彼女たちが歌劇団の類ではなく、きっちりとした戦闘訓練を受けた兵士の集団であることを伊丹等に知らしめた。なにしろ馬の足並みすらそろっているのだから。

 見ると伊丹の部下連中も小銃を構え、笹川に至っては、軽装甲機動車(LAV)搭載のキャリバーを手にして、重い金属音をたてて槓桿をひいた。

 黄薔薇が、冷たい眼差しをして黒馬から下りて、つかつかつかと歩み寄って富田の襟首を掴みあげ、「もう一度、言ってごらんなさい」と、お上品に凄む。

 白薔薇は、この異邦人が言葉を間違っていると思って、再度繰り返してもう一度、『貴様等はどこから来て、どこへ行こうとしている?』と尋ねた。

 黄薔薇に襟首を掴みあげられた富田は、息が苦しいのかあるいは別の理由か、その顔を紅くしつつ、「イタリカから来て、アルヌス・ウルゥへ向かう」を意味する単語を列べたのである。

 富田が苦労しているのを見て、さすがにほっておくわけにもいかず、伊丹は桑原曹長に、「おやっさん、絶対にこっちから手を出させないでよ」と告げながら、小銃や拳銃、銃剣といった武器っぽく見えるものも外して、車を降りた。

 そして白薔薇・黄薔薇の2人の注意を惹くように声をかける。

「えっと、失礼。部下が何かいたしましたかね?」

 だが、ヒステリックになった女性の前に、伊丹のノンビリとした声かけは、いささか癇に障ったようである。

 身に覚えのない罪で攻め立てられるような気分を味わいつつ、伊丹は「おちついて、話せばわかる」という言葉を繰り返すしかなかった。

 だが、女性達は聞く耳を持たない。
 彼女たちからすれば、これが初陣だ。しかも慌てていたが故に精神的な余裕もない。こう言う時に頼りになる歴戦の下士官連中は歩兵であったり、騎士であっても歩兵部隊を率いる立場なので、後方はるか彼方。

 言葉もうまく通じない。そんな状態で何をもって疑わしく、何をもって安全と判断するのかの基準が与えられてないのだ。あらゆるものが怪しく感じられた。疑念が疑念を産んで増殖していき、剣を抜くしかなくなってしまうのは、ある意味必然であった。

 のこのこと出てきた代表格らしい男に対して、白薔薇ことパナシュは、剣を突きつけて降伏するように命じた。
 ここにいる怪しい連中全員を捕縛し、武装を解除しなければ安全と安心を得ることが出来ないと思いこんでしまったのだ。

 ここにいる敵は何をしでかすか解らないから、油断は決して出来ない。少しでも怪しい素振りを見せたら攻撃するしかない。

 そのように気を張った状態の彼女たちにとって、訥々と「話せばわかる」を繰り返す男は苛立たしく、邪魔なだけである。

 黄薔薇は「ええぃっ!お黙りなさいっ」と激昂して、伊丹を平手で殴りつけてしまった

 これを見て殺気立つ自衛官。だが桑原が「待てっ!!」と命じ、伊丹が「今は逃げろ、逃げろっ、行けっ!!」と叫んだ。

 途端、エンジンの轟音があがり、第三偵察隊の車両が土煙をあげる。

 突然のことで騎馬隊は驚いた馬を抑えるので精一杯となってしまった。そして、ようやく後を追おうとした時には、土埃を巻き上げて走り去っていく自衛隊の車両は、もうはるか彼方へと消え去ろうとしていた。

 数騎の騎兵が慌てて後を追ったが、追いつくことは出来ない。

 こうして、伊丹は独り取り残されたのである。






「いててて」

 首の痛み、背中の痛み、足の痛み、頬の痛み、右目の周りの痛み……痛くない所なんてないほど、体中が痛みを訴えていた。

 意識を取り戻すというか、苦痛で目が醒めてしまった伊丹の視界は、妙に薄暗かった。

 夜なのか、それとも雨戸を閉め切った部屋なのか…。とにかく薄暗い。

 これまで味わったことのないような、軟らかい羽毛と絹による掛け布団の感触に違和感を憶えつつ、自分が寝ている場所を知ろうとして周囲を見渡す。首が痛いために痛みをこらえつつ、そろそろと身を起こそうとした。

 だが、軟らかく制しようとする手がそれを停めた。

 その手は伊丹を再びベットに横たわらせ、掛け布団をきちんとかけなおす。

 そして、部屋の隅から燭台が招き寄せられ、柔らかな灯りが伊丹の周囲に広がった。

 その灯りに浮かび上がったのは、「お目覚めになられましたか?ご主人様」と微笑む、いわゆる、メイドさん達であった。

「こ、ここ、ここは?!」

 ついうっかり日本語で話しかけて、彼女たちの困ったような表情を見せられてしまう。伊丹は秋葉原に来た覚えなどないし、メイド喫茶ならぬメイドホテルなんぞにチェックインした記憶もない。

 伊丹は、「ここはどこ?」と現地の言葉で話し直した。

「こちらは、フォルマル伯爵家のお屋敷です」

 伊丹は、そうか…と頷くと、脳内で状況の整理を始めた。

 周囲を見たところ、ここは監獄に類する施設では無いようである。
 伊丹はイタリカに向けて走らされたから、おそらくここはイタリカの街だろう。ならば傅いてくれているメイドはフォルマル伯爵家のメイドではないか?

 こうして待遇が改善されたところを見ると、ピニャには協定を破る意図はないのだろうと思える。とすれば、無事に帰れる可能性もある。無理に逃亡をはかる必要もないかも知れない。

「水を、もらえないか?」

 メイドは、暖かな微笑みを見せると、「かしこまりました」とちょこんとお辞儀をして、去っていった。代わりに、別のメガネをかけた長身のメイドさんが伊丹の側に進み出て跪いて控える。
 伊丹は、この娘の顔をみて眼を擦った。

「どうされましたかニャ?」

「いや、なんでもない」と言いつつ、こういう世界だしこういうこともあるのだろうと無理矢理納得しようとした。というのも、メガネのメイドさんの頭に猫耳がはえていたからだ。しかも、ピクッピクッと微妙に動いていて作り物とは思えない。

「状況は?」

「はい?」

「いや、街の様子とか、お屋敷とか、それと僕の取り扱いとか、いろいろ…」

 猫耳メガネのメイドさんは、困ったような表情をした。
 すると、脇から「ただいま、夜半過ぎでございます。街の者は寝入り、すっかりと静かになった頃合いでございます」と、老メイド長が現れて話し始めた。

 老メイド長の話によれば、街は平穏を取り戻しつつあると言う。明後日、犠牲者を合同で弔う予定。ただ、周辺の村落の被害がどれほどなのかまだわかっていない。領内が元の活気を取り戻せるまで、どれほどの時間がかかるか想像も出来ない。

 ピニャ率いる騎士団の本隊や、落伍していた騎兵、歩兵が五月雨式に到着しつつある。ほぼ8割近くが終結を済ませたので、ピニャは領内の各所へ出動を命じ、治安確保のために働き始めている。

「それとイタミ様におかれましては、ピニャ様は、賓客としての礼遇を命ぜられました。そしてこの度の無礼を働かれました騎士団の隊長様は…」

 白・黄2人の隊長はピニャに烈火のごとく怒鳴られ、黄薔薇ことボーゼスは女性なのに額に銀杯をぶつけられて、深い傷を負った。傷が残るかも知れず、騎士団の女性からは同情を集めていると言う。

 非常に丁寧且つ詳細な説明を終えると、老メイド長は伊丹に対して、腰をおとして頭を垂れた。

「この度は、この街をお救い下さり、真に有り難うございました」

 この席にいた、メイド達5~6人もメイド長に習って深々と頭を下げた。猫耳だけでなく、ウサ耳らしきものも見える。

「このイタリカをお救い下さったのはイタミ様とその御一党であることは我らフォルマル家の郎党、街の者も全てが承知申し上げていることでございます。そのイタミ様に対して、このような仕打ちをするなど、許されることではございません。もし、イタミ様のお怒りが収まらず、この街を攻め滅ぼすと申されるようでしたら、我ら一同みなイタミ様にご協力申し上げる所存。ただ、ただ、フォルマル家のミュイ様に対してはだけはそのお怒りの矛先を向けられることなきよう、伏してお願い申し上げます」

 さらに深々と頭を下げられると、伊丹としても心配するなと告げるしかなかった。と同時に、この家の者が帝国の皇女だの、帝国だのに忠誠心を抱いているわけでは無いことを知った。ここにいるメイド達の忠誠心は、あくまでもミュイに対するものであり、主人に対して不利益であると判断すればピニャを背中から刺すことだってあり得るのだ。そして、それは伊丹とて例外ではないだろう。

 メイド長やメイド達が伊丹に頭を垂れるのは、あくまでもフォルマル伯家の利益を図るためなのだ。それを知らずに調子に乗れば、えらい目にあうだろう。

 伊丹が水を頼んだメイドが、コップを伊丹へと差し出した。

 寝たままでは飲みづらいので、伊丹が身体を起こそうとすると、猫耳メガネのメイドが手を出して身体を起こすのを手伝ってくれる。全身が打撲と筋肉痛で辛いので、とても助かった。

「イタミ様。モーム、アウレア、ペルシア、マミーナの4名をイタミ様専属と致します。どうぞ心やすく、何事であってもご命じ下さい」

 水を運んでくれたメイド…これはヒトのようだ。そして長身の猫耳メガネのメイド、そしてその後ろのウサ耳と、外見的にはヒトっぽく見えるが緋色の長い髪が妙に太くて無数の蛇みたいになっている少女…と言う2人と併せて4名が伊丹に跪いて、頭を垂れた。

「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」

 愛らしい少女・女性達に声をそろえて言われると、なんとも言えない気分になってしまう。調子に乗ったらまずいだろうと思いつつも、ちょっとは調子に乗ってもいいんじゃないかなぁ、と思わずにいられない伊丹であった。






 さて、少し時間を巻き戻して、夕刻のイタリカ。

 その城市の外に、隊長を捕虜とされた第三偵察隊の面々が、大地に伏せ隠蔽し、暗くなるのをじっと待ちかまえていた。

「隊長、今頃死んでるんじゃない?」

 双眼鏡で街の様子を監視しつつ、栗林がぼやいた。捕虜になった伊丹が女性騎士連中にこづかれ、追い立てられ、走らされていたのを遠くから見ていたのだ。彼女の口振りにはどこか願望めいた響きもあった。

 栗林はよく知りもしない癖に「オタク傾向あり」と言うだけで「キモオタ死ね」と、脊椎反射反応を示すタイプである。もちろん、ホントに死んで欲しいと願っての「死ね」ではない。目の前で伊丹が殺されそうになれば、きっと助けるし積極的に後ろから頭に照準を合わせようとも思わない。ただ、深く考えることなくそう言っているだけなのだ。伊丹に「脳筋爆乳馬鹿女」と言われる所以だ。

 そのことをわかってる富田二曹は「あの程度なら、大丈夫だろ?」と、顔にドーランを塗りつつ答えた。

 傍らで時が来るのを待っているレレイやテュカも、ロゥリイでさえも、頬や鼻筋、額と言った光があたったときに反射する部位に、栗林の手によって緑や茶色の化粧が施されていた。まぁ、着ている衣装はいつもと替わらないが。

「あれでもレンジャー持ちだぜ」

「誰が?」

「だから伊丹二尉」

「うそ」

「いや、本当」

「冗談?」

「マジ」

「そのマジ、ありえない~勘弁してよ~」

 レンジャー徽章にあこがれをもっている栗林は、この瞬間、自分の気持ちがなんだか汚されたような気がした。

 日本語による会話がまだ十分に理解できていないテュカとロゥリイはきょとんと聞いているだけであったが、かなりのレベルで理解できるようになっているレレイは持ち前の好奇心を発露して栗林に、イタミがレンジャーとやらを持っていてはいけないのかと、質問した。

 困る栗林。苦笑しつつ「伊丹隊長の、キャラじゃないのよねぇ」と呟くのだった。そして、鋼にも比肩されるほどの強靱な精神、過酷な環境にも耐え抜いて任務を遂行するという美化率240パーセントのレンジャー像を語って聞かせた。

 これには、無表情冷静キャラのレレイもわずかに頬をほころばせる。どっちかというとスライム並に軟らかい(故に、砕くことも断ち切ることも不可能)精神と、過酷な環境は可能な限り避けまくり、なんとなく任務を済ませてお茶を濁すという、美化すれば『余裕のある』、普通に評すれば『不真面目』な人物像を、伊丹に対して抱いていたからだ。

 もちろん、レレイ達に関わるようになった第三偵察隊が、コダ村の避難民達を救い、炎龍を撃退し、避難民の住処をつくり、イタリカに襲った盗賊を撃退しているのもその眼で見ている。だが、それはあくまでも第三偵察隊全体、あるいは自衛隊の行ったことだ。

 事実、レレイが通訳して聞かせたことで、ロゥリィもテュカも、ころころと笑った。栗林の語るような精強なイメージは、桑原や富田、女性としては栗林にこそふさわしく、暇さえあれば…暇がなければ無理矢理つくって本(実際には漫画)を読み入っているのが、伊丹には似つかわしいのだ。

 実際に、アルヌスはずれの森につくられた難民キャンプの、木陰のベンチで昼寝をしつつ本(実際にはコミケでなければ入手できないような同人誌)を読んでいる伊丹の姿を、彼女たちは何度も目撃している。

「さて、そろそろ行こうか?」

 こんな風に、楽しく会話をしているうちに、あたりは夕闇に包まれていた。

「また徹夜かぁ…これって、絶対お肌によくなぃ」

 とかなんとか言いながらも、昨晩の立ち回りで腰回りが大いに充実した感じになって、しかも肌がいい感じに艶々になっているのは、栗林とロゥリィの2人である。

 こうして昨夜の激戦に引き続き、今宵は潜入救出ミッションとなったのである。






 …と、言ってもイタリカの警戒はザルを通り越して無警戒であった。

 古くから居る警備兵は実戦の直後で気は抜けてるし、疲れてもいる。

 その上、威張りくさった『騎士団』のお嬢様の集団が到着して「案内しろ」とか「宿舎はどこだ?」とか頭越しに指図する。厩舎に馬を運べ、飼い葉はこうしろああしろ…と実にやかましい。さらには顔も知らない歩兵達が、あとからあとからと到着して来るから、いちいち誰何するのも馬鹿らしくなってしまうのだ。

 騎士団の兵士達も、知らない顔は地元の警備兵とか住民ぐらいにしか思わないから、見ず知らずの人間がふらっと入り込んでも、誰も気にしないと言う状態だった。

 そんなわけで、ロゥリィやらテュカやらレレイは、堂々と開いていた城門をくぐり抜けることに成功してしまったのである。この3人なら、万が一見とがめられても、あれ?まだ街を出ていなかったのかな?…ぐらいにしか思われない。

「顔にペイントを施す必要なんてなかったわねぇ」

 などとテュカは呟きつつも、城壁を上がって見張りの兵隊の耳に、精霊魔法『眠りの精の歌声』を注ぎ込んで、朝までぐっすりと眠らせる。

 で、外に合図をすると栗林や富田、倉田、勝本といった面々が昇ってくると言う算段であった。

 夜の街は静かになっていて人の気配もなく、富田達は誰に見とがめられることもなく、あっけないほどにフォルマル伯爵邸へと到着した。

 さすがに、ここは警戒の兵が立っていたが、富田達にとってはどうということもない。 個人用暗視装置を使えば、暗闇の中でも誰かが居ることはすぐにわかる。巡回警備が通り過ぎてから、静かに野分け草分け進めばよいのだ。

 こうして建物までたどり着くと、富田は鎧戸(幅の狭い薄板〈しころ板と言う〉を一定の間隔で平行に取りつけた扉)のおりた窓の一つを選んで、しころ板の一枚をそっと破壊した。






「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」

 と、下げられた4つの頭。その一つから伸びるウサ耳がピクッと立った。

 その耳の挙動たるやまさしく、警戒する兎のごとしである。ついで、メガネ少女のネコ耳も小刻みに動いている。

「マミーナ、どうしました?」

 老メイド長の冷厳に視線に、マミーナと呼ばれたウサ耳娘が告げる。

「階下にてしころ板の折れる音がいたしました。どうやら、何者かが鎧戸をこじあけようとしています」

 ウサ耳メイドといっても、彼女の発する雰囲気は暗殺者のそれであった。猫耳メガネメイドの瞳も、剣呑に輝きはじめ愛玩猫というよりは、豹のような雰囲気になる。

「この街の者であれば、お屋敷に不法に立ち入ってどのようなことになるか知らぬはずもなく、ピニャ様の騎士団の者であれば正面玄関から入ればよく、あえて不調法なことをする必要もない。盗賊は滅したばかり……おそらくイタミ様の手の者であろう」

 老メイド長はそう断じると、「ペルシア、マミーナ。2人でイタミ様のご配下をこちらまで案内してきなさい」と指示した。

「もし、他の者であったら?」

「いつもの通りです」

「かしこまりました」

 ネコ耳娘とウサ耳娘が立ち上がった。その敏捷な挙動は、野生の肉食動物を思わせるが、ふたりは音もなく部屋から出ていた。

 伊丹はオタク的好奇心から、老メイド長に尋ねることにした。

「あの2人は、どういうメイドさんですか?種族とか…」

「マミーナは、ボーパルバニー(首刎ウサギ)、ペルシアはキャットピーブルでございます。こちらに控えるアウレアはシャ○ブロウ。モームはヒトです」

「はぁ、随分とたくさんの種族がいるのですね。こうして多種族が一緒の職場で働くということは当たり前なのですか?」

「いいえ、滅多にないことでございます。先代のお屋形様は開明的な方で、種族間におこる摩擦の殆どは貧困によるという信念を抱いておいででした。その為にヒト以外の者を積極的に雇い入れるようにされていたのです…まぁ、…………『ご趣味』と言うこともおありでしたが」

「なかなか親しみの持てそうな方ですね」

「イタミさま、センダイさまにニたニオイ、アル」

 アウレアが、伊丹に向けてウニョウニョと長い緋色の髪を伸ばそうとするのを、モームが横からピシャ!と、つっこみを入れるかのごとくはたき落とした。

「アイタタ」

「ご主人様への、失礼は許しませんよ」

「ハイ」

 アウレアが、餌を取り上げられた子猫のような表情をしたために、哀れみを誘うが、老メイド長から、シャン○ロウは吸精種でこの髪で他者の『精気』を吸い取る。十分に躾はしてあるが、時に本能に負けそうになるので「ご注意を」と言われてしまった。

 ほどなくして、部屋の戸が開く。

 すると、マミーナとペルシアに案内された、栗林や富田、倉田、勝本、ロゥリィ、レレイ、テュカらが姿を現した。

 ロゥリィの姿を見るや、老メイド長やメイド達は「まぁ!聖下御自ら脚をお運びいただけるとは…」と彼女の周囲に集まった。

 敬虔な信徒達が跪礼して祝福を求めると、ロゥリィも軟らかな表情になって静かに掌を向けた。イメージとしては掌から温かい気だか光線だかが出て、信徒達がそれを浴びて喜んでいるという雰囲気だろうか?

 とは言っても、死と断罪と狂気、そして戦いの神、エムロイの信者ってどんなものなんだろうとも思ってしまう伊丹である。まあ、世にはサリン殺人インチキ死刑囚への信仰を後生大事にしている連中もいるのだから、それにくらべたらはるかにマシなのかも知れない。

 厳粛な雰囲気の漂うなか、倉田は場を壊さないように静かに伊丹のベットの傍らまで来ると、「随分と羨ましい待遇のようですね、二尉」などとひそひそ語る。

 倉田がケモナーでもあることを知る伊丹としては「どうだ、羨ましいか?」である。まぁ、伊丹自身にはケモノ属性もメイド属性もないので、そういうのが趣味の奴を喜ばせてやるほうが楽しい。

「よし、あとでお前に紹介してやろう」

 そう告げる伊丹であった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 20
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:667b4229
Date: 2008/06/03 20:13




20




 すでに夜半であったが、ピニャは床にも入らず執務室で独り思索していた。

 このままではまんじりとせず、寝入ることもできないだろうから。

 自分が、犯したことになってしまう失敗を糊塗する方法を定めない内は、安らぐことが出来ない。どうすればいい。どうすれば…、そんなことばかりを考えていた。

 ピニャが執務に借りているこの部屋は、フォルマル伯爵家先代当主の書斎であったと言う。品の良い調度品が並び、重厚な一枚板からなる机と、座り心地の良い椅子が置かれている。そして羊皮紙とインクの香りが仄かにただよっていた。

 先代の持ち物だろう?蟲獣の甲皮から削りだしてつくられた単眼鏡と、羽ペン、それとメイドを呼ぶための小鈴が文盆の上に無造作に載せられている。そして机の傍らには、分厚い表紙をもった納税報告の綴りと、土地管理台帳、そして関税の出納記録が置かれていた。

「…そうだ、後見をする以上、フォルマル伯家の実務を管理する代官を選任しなくてはならない」

 これもピニャが考えなくてはならないことであった。

 羽ペンを弄びながら、羊皮紙に切れ端にアイデアを書き込んでは乱線でかき消し、再び書いては消す。

 羊皮紙の上には「協定違反行為を無かったことに出来ないか?」と記されていた。

 しかし、伊丹の部下連中は逃げ失せてしまった。
 中途で事故でも起こして全滅でもしない限り彼らはアルヌスに帰り着いて、何があったのか報告するだろう。報告をしない理由がない。

 報告をさせないためには、捕らえるか殺すしかなかったのだ。

 設問 今から後を追って、彼らを捕縛することは可能か?
 答え 不可能。
    そもそも炎龍すら撃退する連中を、現有戦力でどうやって殲滅する?

 考えてみれば、自分らの隊長を見捨てて逃げ出すなど、なんと不甲斐ない連中なのだろうと思う。連中の能力なら、ピニャの騎士団など一瞬で殲滅できたはずなのだ。にもかかわらず、そうしなかった。そうしなかったのは何故だ…おかげで自分がこうして苦しむ羽目になる。いささか被害妄想気味だが、悪辣な奸計に嵌められたのではと思えて来たほどであった。

 羊皮紙にボーゼスとバナシュの2人の似顔絵を描く。そしてバカとか阿呆といった罵詈雑言で2人を飾りあげていく。そして最後にはぐしゃぐしゃと羊皮紙を握りつぶしてピニャは思考を先に進めた。

 協定違反行為が知れてしまうことは、最早防ぎようがない。時を巻き戻すことが出来ない以上、仕方ないと諦めるしかないのだ。

 頭を抑えて「諦める…諦める…」と念じる。

 ピニャの考えるべきは、実現不能な課題に悩むことではなく、この失点による損害を、どのように軽減するかなのだ。
 戦争は外交の延長。外交はカードゲームに似ている。強力な鬼札を手にした敵と戦うには、3つの方法が考えられる。その鬼札を重要な局面で使わせない。あるいは無意味な局面で使わせる。そしてその鬼札に匹敵するカードを入手すること。

 とは言え、テーブルの向こう側にどんな相手が座るか解らないうちに、こちらの出方をを決めるのは不可能だろう。今は、相手側を利する手札を極力減らすことが重要なのだ。

 こちらの失点は二つある。そのうちの一つは、往来を保障するとした伊丹隊を襲ってしまったことだ。

 もう一つが虜囚とした伊丹を、彼らの言うところのジンドウテキでない扱いをしてしまったこと。

 前者については、アルドの言うとおり速やかに謝罪してしまうのも選択肢の一つだ。いや、一番良い方法かも知れない。

 自衛隊はジンドウテキと称して、捕虜の扱いにすら気をつかう相手だ。「いい人」であることは間違いない。となれば、連絡の不行き届きであることを説明して頭を下げれば、交戦中の敵にだって容赦してくれるかも知れない。なにしろ実質的に損害は出ていないのだから。

 だが、謝罪は逆に付け入る隙を与えることにもなるのだ。代償としてどのような要求がつきつけられるのか…それが恐怖であり不安の種となった。自衛隊の圧倒的な戦闘力、破壊力を直に目にしてしまえば、どのような要求をされても拒絶は出来そうもない。

 敵は、圧倒的な戦闘力をピニャに見せつけた。そして交渉しようと言ってきた。
 ピニャは、仲介役だ。帝国の外交担当者は敵の恐ろしさを理解しているのか?皇帝は?宰相は?

 今この時点で、敵をいささかなりとも知っているのは、まさにピニャだけなのである。

 帝国の強気で居丈高な外交交渉、武力を背景にした恫喝を、ピニャはこれまで頼もしく思っていた。若手の外交官僚達が巧みな弁舌で論戦を挑み、拒絶できない要求を積み重ねていき、敵が膝を屈して許しを請う姿を想像しては、悦に入っていたのである。

 だか、今回それをやらかしたらどんなことになるか…。

「胃が痛くなってくる」

 ピニャは引き出しから新しい羊皮紙を取り出すと、インクにペンを浸して皇帝宛の報告書を綴り始めた。いかに敵が強大で、恐るべき戦闘力を持っているか、見たままを記述していく。だが…中途まで書き連ねていくと次第にペン先が重くなってきた。最後にはガシガシと紙面を乱線で塗りつぶし、ペン軸そのものを折ってしまった。

「こんな内容、夢でも見たのか?と馬鹿にされるだけだ…」

 自分でも信じられないのだから…。

 報告の件は、後回しにすることにした。ハミルトンにも相談したい。

「まずは、イタミの件を何とかしよう」

 伊丹は今この館で休んでいる。
 彼さえ『口を噤んでくれれば』、失点を減らすことも出来るのだ。いや、上手くすればこちらの手札にすら出来るかも知れない。
 問題は、どうやって伊丹を説得するか…。よくあるのが贈賄、あるいは伊丹が男であることを利用しての籠絡、そしてその両方。

 問題は、誰にその任を与えるかだ。

 もちろん、自分自身が…と考えた。だが、相手は十人程度の小隊の隊長程度に過ぎない。特別任務の小隊だとしても、イタミという男の地位は、帝国で言えば百人隊長程度だろう。そんな格下の相手に、自分自身というカードを切るわけにはいかないのだ。

 となれば、誰がいいか。

 ハミルトンならばいいかも知れない。男にも慣れている。だが彼女は現段階ではピニャにとって重要な参謀役であり、万が一の交渉役としても力をふるってもらいたかった。だから、除外する。

 ここまで考えて、ふとボーゼスとパナシュの2人の名前が浮かんだ。
 自分のしでかしたことは自分で責任をとれということで、罰にもなるから丁度良いように思えた。

 それに、あの2人ならば適任である。なにしろその容姿はなかなかのものだ。ボーゼスは、金細工のような繊細な美しさと豪奢な金髪を誇る美形で、しかもパレスティー侯爵家の次女と家柄もよい。

 パナシュはカルギー男爵家と家柄こそ、ボーゼスに劣るがその凛然たる眼差しと才気だった容貌で比類がない。あの2人に言い寄られて、墜ちない男などいないはずだ。
 イタミ程度の男には惜しい限りだが、今回の役割の重要性からすれば、これぐらいのカードは切っても良い。

 問題は、性格的にそういう任務が2人に遂行可能か…と、までは考えが及ばず、ピニャはこれが名案とばかりに早速実行に移すことにした。というより指示を下してしまわないといつまでも落ち着けなかったのだ。

 机に置かれた鈴に手を伸ばして、鳴らす。

 心を落ち着かせるために用意された、濃いめの香茶を口に運ぶ。すると、蝋燭の炎が風に揺らいだ。

 視線をあげると、メイドの1人が姿を現す。エプロンドレスを両手で摘み、膝を軽く屈し頭を垂れるという作法に基づいた挨拶にピニャは頷いて応じた。

「お呼びでございましょうか?殿下」

「うん。ボーゼスとパナシュの2人を呼んでくれ」

「お二人とも、もうお休みかと存じますが」

「かまわない。起こしてくれ」

「かしこまりました」

 メイドはそう言うと部屋を後にした。ピニャはベットから起きると、部下を迎えるために簡単に身支度を整えるのだった。





    *      *





 倉田は、この世の春を謳歌していた。

 ハイ・エルフの娘とか、無口無表情の知性派魔法少女とか、暗黒神官の少女的姐さんとか、どうにも伊丹の好むタイプばかり現れるのはなんでだっ!やり直しを要求するぅ!と、かねてから心の底でずうっと念じていたのである。

 そして、ようやく自分好みのキャラが現れたのである。となれば、興奮を抑えることは難しい。いや、喜びは素直に表に出してこそ、喜びである。これを押しとどめることなどかえって害悪であると、声を大にして言いたい。

 特に、猫耳メガネメイドのペルシアの存在は、ツボにはまった。

 可愛い系ではなく、黒豹とかライオンみたいな肉食獣タイプのおねぇさんである。

 それが、まん丸のメガネをかけているのだが、その双眸は当然のごとく猫目で冷たく切れそうな印象であった。長身でスポーティで、でるとこは出てひっこむところはひっこんでる体躯を、無理矢理メイド服というふんわりとした衣装でラッピングした感じがまたたまらない。

 しかもアキバのメイド喫茶とかパチンコ屋にいるような露出型コスプレ店員と違って、裾も袖もぴっちり肌を覆っていて、これ見よがしなチラリズムなど全くの無縁。働くための制服としてのメイド服である。これぞ本物というところが味噌である。

 そんな、猫耳メイドさんに傅かれている伊丹に「羨ましいぞ、コノヤロ。紹介してくれないと後ろ弾(後ろ弾/味方を後ろから撃つと言う凶悪な行為)だぞ」という念を込めて、声をかけた。すると伊丹は苦笑しつつ、かけ持ってくれた。

「おい、倉田…こちらのご婦人がペルシアさんだ。ベルシアさん、こいつは倉田だ。よろしくしてやってくれ」

 伊丹に紹介されたのをゴーサインと受け取って、早速挨拶。

「じ、自分は、倉田武雄ともうします」と、ピシッと敬礼してしまう。だが、そのかちかちな姿は彼女の「はぁ?」という表情を「くすっ」と綻ばせることに成功した。

 ペルシアからするとヒト種の男が、単なる憧憬心で向かってくるのは初めてのことであったのだ。

 ペルシアとて雌。容姿にだってそれなりに自信があるし、なによりも潔癖性の子猫から一線を画した大人の雌豹だから、雄の視線を集めるのは嫌いじゃない。だが、ヒト種の雄というと大抵は、下世話な欲望にまみれた視線か、あるいは彼女の獣性に怯えているかなのである。

 だが、倉田はちょっと違った。

「猫も女も、男が自分に好意を持つかどうか直感的に理解する」と、ある女性作家は語る。猫であり女であるペルシアは、このクラタと名乗った男がどういう心づもりで自分に対しているか理解できてしまった。

 よっぽと捻くれてない限り純粋な好意には、純粋な好意が沸き上がってくるものであり、こうして倉田は猫耳メガネのメイドさんとの間に、良い雰囲気を醸し出すことに成功したのであった。






 倉田とペルシアの例を挙げたが、こんな感じで、フォルマル伯爵家のメイドさん達と、自衛官達は、なごやかにうち解けていた。

 深夜なのにお茶まで出てくる。こういう貴族の館では、当主の気まぐれや我が儘に応えるため、夜だろうと軽食やお茶の支度がしてある。それを不意の来客のためにと、メイド達は流用して、それぞれにたどたどしいながらも会話を楽しんでいた。

 武闘派の栗林は、ポーバルバニーのマミーナと、妙に気が合ったようである。バディ・ムービーの主人公達のように、はまった雰囲気をつくっていた。特に、マミーナは昨日の栗林の活躍を見ていたようで、賞賛の言葉が尽きない。

 レレイは、シャンブロ○のアウレアに興味があるのか、まじまじ観察したり、ウニョウニョ蠢く触手にも似た緋色の髪を指先でつついたりしている。レレイが言うには、シ○ンブロウはその悲しき習性から虐待されることが多く、その数が減って今では絶滅危惧種らしい。レレイも文献でしかその存在を知らなかったと言う。

 ロゥリィは、敬虔なエムロイ信徒らしい老メイド長に対して、どことなく辟易とした雰囲気を醸しながらも慇懃に応対し、神の御言葉を伝えていた。

 テュカは、ヒト種メイドのモームに、その身にまとっているローライズのジーンスにシャツという日本のファッションについて尋ねられて、自分で購ってきたわけでないからと困りつつも、わかる範囲で着心地などについて答えている。彼女たちからすると、伸縮性のある生地は驚嘆以外の何物でもないのだ。おかげで体の線がくっきり現れすぎて、困っているとはテュカの弁である。

 伊丹は、富田と勝本相手に、状況の説明を受けて今後の対応について相談しているという具合だった。せっぱ詰まった状況ではないと言うことも解って、無理に脱出する必要もないだろうという結論に達している。

 こんな有様だったので、ピニャの密命を受けたボーゼス嬢が思い詰めた表情で伊丹の部屋をノックしたとしても誰も気付くことが出来なかった。
 ボーゼス嬢が、緊張のあまりノックと言うより、戸を撫でる程度にしか叩かなかったというのも、大きな理由となるだろう。

 ボーゼスは、暗闇に等しい廊下にたたずんでいた。

 返事のないドアの前で待つこと暫し。
 人目を気にしているのか、右を見て左を見る。大きく息を吸って、緊張を解きほぐすようにしながら息を吐く。そしてドアの取っ手に手をかけるが、どうしても押し開くことが出来ないのである。

「イタミを籠絡せよ」と言う命令は、彼女にとって死んでこいと言われるようなものだった。

 家の利益や、政治的な目的から配偶者が決まるのは、貴族の家に生まれた者の運命として、とっくの昔に受け容れている。

 政略的な目的を達するために内外の賓客を接待し、時に籠絡する手管も、貴族の娘としては当然の嗜みだ。

 夢見がちな殿方には絶望的なことかも知れないが、帝国における貴族の娘に清楚な者など独りとしていない。どんなにあえかな外見をもっていようと、世事に疎く見えようとも、それは擬態であり、内面はしたたかであることこそが求められるのだ。それが、飢える者がいる一方で、何不自由のない生活を送ることを許された、高貴な者としての責務である。

 だが、よりにもよってイタミである。

 泥臭い異民族の戦闘装束をまとった、冴えない男というのがボーゼスのイタミに対する印象であった。百歩ゆずって…いや、万歩ゆずってそれもまだよい。

 だが、出来ることなら、サロンで優雅な雰囲気をまとった貴公子然とした敵国の青年将校を相手に対等な立場で、洒脱で、智慧に富んだ言葉での戦いを楽しみたかった。

 最高の武器(宝石)と戦闘服(ドレス)と香水で武装した自分を見せびらかし、恋愛遊戯という名の演習で磨き上げた技を実戦で試す。

 甘美なる肢体で誘惑し、香粉の香りに酔わせ、これが欲しい?欲しいでしょう?与えてあげてもいいわよ。でも、欲しければ私に隷属なさい…と視線で語り、男の精神的な全面降伏との引き替えに、瀟洒な花壇を褥(しとね)とするのだ。

 ところが、どうた。イタミとの出会いは戦場ですらない。剣を交えることもなく、感情のおもむくまに嬲って、罵倒して蹴倒して、踏みつけて…。後で真相を知って愕然としている有様。

 最早戦いにすらならない。さらに今の我が身の無様さはどうだ。ありあわせの夜着。しどけなく垂らした髪。額の傷を隠すための厚く塗り重ねた白粉。まるで安宿の淫売のようではないか…。

 精神的にも物理的にも最初から敗北している。どの面さげてイタミと相対しろと言うのか。このままこの部屋に入れば、ただの人身御供、懺悔し許しを請うための捧げものとして、我が身は男にむさぼられておしまいである。

 男という生き物は、与えた後で「優しくしてくりゃれ?」と願っても、決して適えてくれない生き物なのだ。絶対に、与える前に「好意」という名の担保をとりつけなくてはいけない。だが何を引き替えに?

 イタミを誘惑し制圧する役割は、おそらくパナシュのものとなるだろう。自分はそのための前座だ。自分が供犠となることで罪を帳消しにして貰う。罪という汚れを拭き取るために使った雑巾はたとえ絹であっても、それで用なしである。

 くやしさの余り、涙が出てきそうになった。だが泣いてはいけない。泣いたら、瞼が腫れてしまう。そうなったら美貌が損なわれてしまう。世には、泣いている女が好きという男もいるが、そういう男の前で流す涙は決して悔し涙であってはならない。魅せるための真珠涙は、こんな心境ではけっして流れてはくれないのだから。

 廊下は静かであった。厚い扉の向こうは寝室。寝室の扉というものは、中でちょっとやそっと声をあげた程度で廊下に音声が漏れだしては来ないように作られている。

 いよいよ意を決して戸を開いてみる。期待したのは暗い部屋の奥に、イタミが寝台に横たわっていることである。

 ボーゼスは音もなく歩み寄って、寝台に忍び入る。イタミが違和感に目を醒ます前に、官能を以てその口を塞がなくてはならない。

 だが、扉を開いてみると部屋の中は和気藹々とした雰囲気であった。
 贅沢なまでにふんだんに蝋燭を灯し、メイドや異世界の兵士達が、お茶など傾けている。

 しかも、誰1人ボーゼスに気付かない。

「……………」

 無視である。

「…………………………」

 シカトである。

「………………………………………」

 はっきり言って空気扱いであった。

「くっ…」

 ようやく覚悟完了させたというのに、この扱いはどうだ?

 パレスティー侯爵家の次女ボーゼスを無視である。
 いい度胸である。
 自分という存在は、雑巾にすらならないと言うのか?
 誰もそう語ったわけではないし、ヒステリーとか被害妄想に類する発想だが、ボーゼスのこころの中では自分の置かれた状況がそのように解釈されてしまった。女とは、その存在を無視されることが絶対に許せない生き物だ(と聞く)。

 腹の底から沸騰してくる怒りに、彼女の両手はわなないた。

 擬音表現は漫画的だが、この際あえて使わせて貰いたい。この時の、彼女の振るまいは以下のようなものとなった。

 つかつかつかつかつかつか、バシッ!!!





    *      *





 右目の周りにアザと、今度は左の頬に真っ赤な手形紅葉。さらに、つかみかかられたので猫に引っ掻かれたような五本線の傷までほっぺたにある。

 被害者の顔は、そのような状態であった。

「で、なんでこんなことに?」

 明け方近くに屋敷中の眠りを破った大騒動の果てに、ピニャの前にそろったのは、伊丹ら自衛隊の面々であり、ピニャの送り込んだボーゼス嬢、そしてメイドさん達である。

 帝国皇女たるピニャ・コ・ラーダ殿下は、焼けた石ころでも飲み込んだような、腹部の熱痛を感じながら、伊丹の顔面の損傷がどのような理由によるものかの説明を求めた。聞くのが恐ろしかったが、立場上尋ねざるをえない。

「べつにあたいらが引っ掻いたわけではないニャ」

「いや、わかってますよ。ペルシアさん」

 倉田のフォローを受けて、ペルシア達メイドさんズは退場。

「右目まわりのアザは元々ついていたものよ。『今回の』騒動とは関係ないわ」

 ロゥリィ・マーキュリーとレレイ、テュカは証言して、部屋の片隅へ下がる。

 残されたのは、自衛官達に両脇から取り押さえられていた、ボーゼス嬢である。

 彼女を残す形で、倉田や栗林達は後ろに下がった。

 ボーゼスは、俯いたまま「わ、わたくしが、やりました」と蚊の鳴くような声で言った。

 この時のピニャのため息は、とても深々としていて、広間中の誰の耳にも聞こえたほどと言う。こめかみがズキズキと痛くなって、頭を抑えてしまう。

「この始末、どうつけよう…」

「あのぉ、自分らは隊長を連れて帰りますので。それについてはどうぞそちらで決めて下さい。そろそろ明るくなってきてましたし…」

 と言ったのは、富田である。ピニャが何に悩み苦しんでいるか知らないから、安易なものである。なにしろ彼にとっては、彼好みの美人がイタミをぶん殴った。それだけのことでしかないからだ。だがその言い方が、突き放すような最後通牒的響きを持って「そっちで勝手に決めて下さい」という意味に感じられた。

 レレイが、いつものように抑揚に欠けた口調で通訳するとさらに効果倍増である。

「それは困るっ!」

 ピニャは、このまま帰すわけには…と。引き留めるネタを探して、朝食を摂って行ってはどうか、とか、接待を受けて欲しいとか、様々なことを言って引き留めにかかった。

 倉田は、とても申し訳なさそうな態度を示しながらも言い訳を続けた。

「実は、伊丹隊長は、国会から参考人招致がかかってまして、今日には帰らないとまずいんです」

 この時、レレイの翻訳は、語彙の関係上次のようなものとなった。

「イタミ隊長は、元老院から報告を求められている。今日には戻らなければならない」

 これを聞いたピニャの顔は、『ムンクの叫び』の如きものとなった。
 帝国では、出世コースにのっているエリートを、名誉あるキャリアと呼んでいる。将来の指導者層となる人材と目されると、現段階での位階が低くても元老院での戦況報告や、皇帝に意見具申をしたりする機会が与えられるのである。

 そんなこともあって、元老院から報告を求められているイタミを、名誉あるキャリアに立つ重要な人材であると勘違いしてしまった。

 そんな重要人物になんてことを…、このまま行かせてはならない。なんとしても取り繕わなくては。

 この時、ピニャ、決断の瞬間である。

 拳を固めると立ち上がって決意表明した。

「では、妾も同道させて貰う!!」





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 21
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:e12c095d
Date: 2008/06/10 19:24




21




「国境の長いトンネルを越えると雪国だった」は川端康成の「雪国」の一節である。暗いトンネルから白銀の雪景色へと風景が一変する様相を見事に書き表し、それによって読者を作品世界へと一気に引き込んだ名作中の名文だと思う。

 これにならって異世界を繋ぐ「門」を越えた時の印象を、劇的に書き表そうと試みたのだが、なかなかうまくいかない。

 例えば、銀座のような都市のど真ん中にぽつねんと門が置かれていて、それをくぐったら突如牧歌的な風景の中に出た、と、なるのならその印象の移り変わりを劇的に描くことも描写力の範囲で可能になると思う。読者に対して「おおっ」という気分を感じさせることも出来るかも知れない。

 だが、すでに門の『特地』側も銀座側同様に、地面はアスファルトでかためられている。しかもその周囲は前後左右、天に至るまでを堅牢なコンクリート製ドームで覆われ、ドームそのものへの立ち入りも厳しく管理されICダク付きの身分証・指紋・掌紋・皮静脈・網膜パターンと言った、何重ものチェックを経なければ近づくことすら適わない有様。

 資材や物資を運び込む自衛隊のトラックすら、厳重な検疫とチェックを経て始めて通過を許されるのである。

 そして、ようやくドームの外へ出るとコンクリートも乾ききって無いような真新しい建築物が何棟も立ち並んでいるし、さらにその建物群も六芒形の防塁と壕によって周囲を堅く守られている。

 その外側つまりアルヌス丘の裾野は、野戦築城の教範そのままにお手本のような交通壕と各種掩体が掘られ、鉄条網や鹿砦(ろくさい)が偏執狂的にまで列べられ、近づく者を拒んでいる。

 そして…丘の南側には森がある。
 こちらにはレレイらコダ村からの避難民達が住まう難民キャンプがあるが、風景としてみれば森というのは、日本も『特地』もあまり大差がなくて、植物学者あたりが見なければその差異を指摘することは難しいものである。

 丘の東側は滑走路と格納庫の建設作業が続く土木工事現場である。その一角では既に空自地区も設けられて、数機のF4ファントムの組み立て作業が平行して行われている。

 こんな有様であるため『世界を渡る門』に期待される感動は、今ではすっかり失われていた。

 強いて言えば大規模娯楽施設、例えばファンタジー世界を演じようとしているアメリカネズミーランドの出入りゲート並に成り下がったのかも知れない。

 いや、娯楽性という意味に欠けているから、一般人にとっての駐屯地の営門と言い換えた方がより適切であろう。すなわち、この雰囲気に住み慣れた自衛官達にとっては日常と大差のない連続した風景の続きであり、一般人からするとほんのちょっと雰囲気の違う世界がそこにある。

 『門』の手前と向こう。門を挟んだこの両者の風景は、今やその程度の落差でしかなくなっていた。






 従って、ピニャ・コ・ラーダと、ボーゼス・コ・パレスティーにとってのアルヌスの丘はすでに『異世界』であった。

 今回の協定違反について、健軍あるいは、彼よりも上位の指揮官に、きちんと謝罪をしておきたいというピニャの申し出を、伊丹はしぶしぶながら受け容れると彼女の同行を許可した。

 ただし、伊丹も時間がないため、騎馬の護衛だの側仕えの従者とかをゾロゾロ連れて行くわけにはいかない。だから、「高機動車に同乗できるピニャ1人と、あとひとりの合わせて2人まで」が、伊丹のつけた条件であった。ホンネで言えば、それでは同行できないと断ってくることを期待したのであるが…。

 ところが、すっかり性根を据わらせていたピニャは、イタリカの治安についてはボーゼスとパナシュに、またフォルマル伯爵領の維持管理と代官選任をハミルトンに押しつけると、「単身で行く」と宣言して、同行の支度をはじめてしまった。

 さすがに、殿下1人でいかせるわけにはいきませんっと、ボーゼスやパナシュが取りすがって同行を志願。ピニャはボーゼスを指名し、ぱぱっと荷物を整えると、無理矢理という感じで高機動車に乗り込んだのである。

 そして、高機動車のあまりの速度に目を回しつつ、アルヌスへと到着した。

 アルヌスの風景は、彼女の知るものとは一変していた。

 ただの土が盛り上がっただけの丘だったはずが、今や城塞がそびえていた。

 しかも、何をするつもりなのかその麓の土を掘り返して、整地している様子が遠景からもはっきりと見えたのだった。

 ピニャ達を出迎えるかのように上空を訓練飛行中のヘリコプターが三機編隊でNOEして急旋回する。エンジンの力ずくで空中に制止し、大地を嵐にも似たローター風で掃き清めていく。

 そんな中を、第三偵察隊の車列は砂利で整備された道路へとはいった。

 OPL(前哨監視線)を越えると、いよいよ自衛隊の支配地域である。

 ここからFEBA(戦闘陣地の前縁)までの広大な地域は、無人のうえに荒野が広がっているだけなので現在は演習・訓練場として使われている。ちなみに、翼竜の死骸もこのあたりに転がっているため、コダ村避難民の子ども達もこのあたりに出没して仕事場としている。

 まず見えてきたのは、隊伍を組んだ自衛官達が、旗手を先頭にハイポート走をしている姿だった。前方からすれ違うように走ってくる。

「いちっ、いちっ、いちにっ!」

「そーれっ!」

「いちっ、いちっ、いちにっ!」

「そーれっ」

「連続呼唱ーっ、しょーっ、しょーっ、しょーっ、数えっ!」

 …てな感じで、隊員達の練武の声が聞こえ、小さくなっていった。

 その隊伍が後方へと消え去っていくのを見送ると、今度は路傍に骨組みしかない建物が見えて来た。

 帝都へ進撃すれば市街戦の可能性もあるため、この場所ではカトー先生監修のもと、この世界における一般的な民家の構造を真似た街並みすら再現しようと試みられているのである。

 そして民家を模した小屋やスケルトンハウスで、ゲリコマ対処の訓練をしているのだ。

 最初、ピニャには自衛官達が何をしているのか理解できなかった。

 この世界における戦闘とは、騎士や兵士達が武器を構えて「わぁぁぁ」と喊声をあげながら吶喊することだったからだ。

 彼我(ひが)が接触すればあとは、個人の武技の出番である。目前に現れた敵を、剣や槍、楯を駆使して倒していくだけ。野蛮な辺境部族との違いは、そんな戦いであっても戦意に任せてやたらめったら戦うのではなく、隊列を維持し百人隊長の指揮の下システマチックに前列と後列が交代しながら進むことにある。敵は疲れた者から倒れる。こちらは、常に新鮮な体力と戦意を有する者が前に出て、疲れた者は後ろに下がって休むという仕組みをもっているのだ。

 あとは、野っ原だろうと市街地だろうと本質的にかわらない。現場指揮官のすべきことは兵士の『戦意』を上手に統御して敵に嗾けることにあり、兵の為すべき訓練と言えば武技を磨くことなのだ。

 ところが、ここでは違う。楯を装備しているわけでもないのに、あたかも亀甲隊形のように身を寄せ合っている。時に散らばって走り、立ち止まり、身をかがめ、指先でなにか合図しながら、静と動のメリハリのある機敏なふるまいで、動いていく。

 さらには、四方八方に『杖先』を向けている。あたかもハリネズミのごとく。

 いったい、何をしているのだろう?…と首を傾げざるを得ない。

「彼らの持っている杖は、イタミらの持つものと同じ物のようだが、ジエイタイとは全ての兵が魔導師ということなのか。もしそうならば、それが彼らの強さの秘密ということか」

「魔導師は稀少な存在ですわ。魔導とは特殊能力だからです。ですが、これを大量に養成する方法がジエイタイにはあるのかもしれませんわ」

 ボーゼスは、ピニャの感想をうけてそう解釈して見せた。

 あの杖が火を噴き、敵を倒す様子が想像できた。そしてこれが、どこに隠れているかわからない敵を警戒し、探し出し、殲滅するという目的で為されている訓練であることが理解できる。

 物陰で待ち伏せて襲いかかろうとしても、二階の窓から矢を射かけようとしても、前後左右から挟み撃ちしようとしても…帝国の騎士も、兵士も、その槍先が剣が届くよりも先にあの火を噴く杖によってばたばたと倒されていくだろう。

「ちがう。あれは、『ジュウ』あるいは『ショウジュウ』と呼ばれる武器。魔導ではない」

 ボーゼスの解釈を、傍らにいたレレイが否定した。

「あれこそが、ジエイタイが使う武器の根幹。彼らは、ジュウによる戦いを上手く進める方法を工夫して現在の姿に至っている」

「武器だと?あれが、剣や弓と同じく武器と言うのか?」

「そう。原理は至って簡単。鉛の塊を炸裂の魔法を封じた筒ではじき飛ばしている」

 この地に転がる翼竜死骸をあさっていれば、嫌でも穴の空いた鱗や鉛の塊、破片を目にすることになる。レレイの知性は教えて貰わずとも、見て、聞いて、考えた末に鉄砲の原理を導き出していた。

 ピニャは目が眩むような思いだった。魔導ではなく、武器と言うことか?もしそのようなものを作ることが可能なら、兵士全てに装備されることも可能ではないか?

「そう。そして彼らはそれをなした」

 もし、そんなことになったら戦争の仕方ががらっと変わってしまう。これまでのような剣や槍をそなえた兵を多数そろえて敵にむかっていくような戦い方はまったくの無意味になってしまう。

「そう。故に、帝国軍は敗退した。連合諸王国軍は敗退した」

 突如、96式装輪装甲車が驀進してきて停車した。後方のランプドアが開くと、なかから隊員が吐き出される。

 飛び出してきた隊員達は、見事なまでの疾さで瞬く間に横一線に展開すると、仮想敵に銃を向けた。

 この瞬間に、ばたばたとうち倒される騎兵や歩兵の姿が想像できて、ピニャは眉を寄せた。

「遅い!!もっと早く、速く、疾くだ。もう一度っ!!」

 指揮者の罵声をうけて自衛官達が、ふたたび元の位置へと戻っていく。その姿を見ながらピニャは「根本的に戦い方が違う…」と思い知らされたのである。それは、イタリカにおいて魂に刻み込まれた得体の知れないものへの恐怖とは違う、理性的に敵を理解するが故の恐怖感とでも言うべきものであった。

 高機動車の車内にいる伊丹、桑原、倉田…彼らの抱える「ジュウ」は魔導ではなく武器。武器…ならばピニャでも、ボーゼスでも手にしただけで使えるはずだ。

 この武器について知ること、可能なら入手すること、それだけがこの戦いを少なくとも一方的な負け戦としないために必要なことだと思うピニャ達である。奪うか、あるいは職人の尻を蹴飛ばしてでも同じ物を作らせる必要がある。

 そんなピニャ達の決意を表情から読みとったのか、レレイは告げた。

「それは無意味」

 レレイは、反対側の車窓を指さした。

 反対側の荒れ地では、暴れ狂う巨象にも比肩するほどの巨大な鉄の塊…74式戦車が轟音をあげて走っていくのが見えた。

「『ショウジュウ』の『ショウ』とは小さいを意味する言葉。ならは対義の『大きい』に相当するものがある」

 74式戦車の鼻先から突き出ている105mmライフル砲が目に入った。

「あ、あれが火を噴くと言うのですか?」

 ボーゼスが呻くように言ったが、ピニャには思い当たるところがある。コダ村の避難民達が、『鉄の逸物』と呼ぶ強力な武器があったはず。

「まだ、直接見たことはない。だけど想定の範囲」

 同じような物を作れる職人は帝国にはいない。帝国どころか大陸中探してもどこにも居ないだろう。妖精界の地下城にいるというドワーフの匠精に尋ねたところで同じに違いない。これは、まさしく異世界の怪物である。炎龍を撃退したという話も今となれば信じられる。

 鉄の天馬。鉄の象。あんなものを大量に作り上げるジエイタイとはいったい何者なのか。 何故、こんな相手が攻めてきたのか?

 ピニャの愚問とも言える呟きに、レレイは嘯くように応じた。

「帝国は、翼獅子の尾を踏んだ」

「あ、あなたたち、他人事のように言いますわね。帝国が危機に瀕しているというのに、その物言いはなんなのですか?!」

 ボーゼスの怒りを、レレイは肩をすくめてやり過ごすと言った。

「私はルルドの一族。帝国とは関係がない」

 ルルドとは定住地を持たない漂泊流浪の民である。現在でこそ定住を強いられているが、もともとの彼らには国という概念はなかったと言う。
 聞き耳をたてるつもりがなくとも聞こえるところにいたテュカも、手を挙げた。

「はい、あたしはハイ・エルフです」

「………」

 ロゥリイは、あえて言うまでもないと薄く笑うだけ。

 帝国とは、諸国の王を服属させ、数多の民族を統べる存在。
 皇帝は、武威を以て畏れられることをよしとし、愛されることや親しまれることを民に期待しなかった。

 力ずくの征服、抑圧、暴力による支配。その結果がこれである。いかに帝国が支配していると言っても、地方の諸部族や亜人達が心から服しているわけではないのだ。

 今更ながら、国のあり方というものを思い知らされるピニャであった。






 ピニャは、アルヌスの丘頂上近くに建設された特地方面派遣部隊本部の看板が掲げられた建物に案内された。

 ここで、伊丹達と別れる。
 ピニャとボーゼスの2人は制服で身を固めた婦人自衛官に誘われ、階段を上り建物の奥へと迎えられた。

 そして応接室で、待つこと暫し。

 応接間は殺風景と言いたくなるほどに小ざっぱりとして、飾り気に欠けていたが、長椅子(ソファー)の座り心地は最高。置かれているテーブルもよく見ればしっかりとした造りをしていて、名高い名工の手による者だろうと思われる。

 そんな室内のもの珍しさに慣れて退屈しようとし始める頃、戸がノックされた。

 ピニャとボーゼスの2人は、跳ね起きるようにして立ち上がった。

 見ると初老に域に達しようとしている男が入って来る。

 黒に白を混ぜたがために灰色に見える髪をもつ。その髪を精悍なまでに短く刈り上げているが、健軍と違って穏和な笑顔が、芯にある堅苦しさを包み込んで印象的だった。

 ピニャの感性からすると着ている緑の制服の飾り気はとても少ない。

 胸に若干の彩りの略章が列んでいるだけ。これが一軍の指揮者のものとはとても思えなかった。軍の高位に立つ者なら、胸と言わず肩と言わず、体中を絢爛煌びやかな徽章、宝飾そして、金の刺繍で彩っている。それにくらべて、この貧相さは一兵卒のそれにも劣るように思えるのだ。

 だが、ここに来るまでにこの軍が、飾り気を廃し実を重視していることが理解できたために、そう戸惑うこともなかった。

 おそらくこの男がこの軍の最高位かあるいはそれに準ずる地位に立つ者だろうと理解した。

 後から入ってきた健軍が傍らに立ち、彼に耳打ちするかのように何かを囁いているし、闊達とした振る舞いに、貫禄めいたものも感じられたからだ。

 健軍に続いて、陰湿そうな笑みの男や、女の兵士達(婦人自衛官)も入ってくる。皆外で見かけたそれと違う、緑色の制服をまとっていた。おそらく戦闘用のまだら緑と、礼典の際に着るものとを分けているのだろうとピニャは推察した。

 最後に、レレイが招かれたように入ってきて、初老の男の隣に立った。

 初老の男が、笑顔でレレイを労うかのように何かを告げた。

 レレイは首を振って、それからピニャの方へと向き直ると、初老の男について「こちらはジエイタイの将軍、ハザマ閣下」と紹介した。そうしておいて、ハザマに向けて、ピニャのことを紹介している。言葉そのものは理解できないが、固有名詞はそのままなので自分の名前が紹介されたことは解るのである。

「こちらは…帝国皇女ピニャ・コ・ラーダ……ニホン語での尊称がわからない」

「『殿下』がよいと思うよ。こちらの言葉で、皇族に着ける尊称はどのようなものがあるのかね?」

「男女の使い分けがあり、女性にたいしては『francea』が適切」

 レレイに言葉をならった狭間は、ピニャに対して腰掛けるよう勧めた。

「どうぞおかけ下さい、フランセィア(殿下)そして、ボーゼスさん」

 その後、狭間達もそれぞれに腰掛けると、レレイの通訳を経た会話が始まった。

「協定を結んで早々に、しかも殿下自らお越しに成られたのは、どういったご理由からでしょうか?」

「我が方にいささか不手際がありましたので、そのお詫びに参った次第です。それと、若干お願いしたいことがございまして」

「報告は伺っています。現場で何か行き違いがあったとか?」

「はい。汗顔の至りです」

「そうですか?ま、帝国政府との仲介の労をとって頂ける殿下のお心を患わせるのも、自分としては本意ではありませんからな…必要なら協定そのものの扱いも考え直す必要もありましょう」

 日本人は交渉相手の些細なミスには、寛容さで応じてしまうところがある。故に外交下手と言われるのであるが、協定の存在がイタリカとフォルマル伯爵領を守っていると解釈しているピニャにとって、協定の否定は自衛隊によって侵攻されることを意味していた。従って、狭間のこの言葉は「協定が守れないなら、侵攻するよ」と聞こえた。「仲介の労をとってくれる殿下の云々(うんぬん)」の下りは、その意味で解せば強烈な嫌みでしかない。

「いや、それは…」

 すると、傍らに座っていた陰湿そうな笑みの男が、口元をニンマリとゆがめると、口を開いた。

「イタミから聞きましたよ。なんでもこちらのご婦人に手ひどくあしらわれたそうですね」

 これがレレイに通訳された途端、ピニャとボーゼスの背筋は冷たい汗が吹き出し始めた。

 結局、伊丹の口を封じることはできなかったのだ。二人っきりで話したいと何度か『誘った』のに、あの朴念仁は全く受け容れてくれなかったのである。まぁ、伊丹としては自分を理不尽にもぶん殴った女性やその親分に、2人きりで話したいと艶っぽく微笑まれても「おまえ、ちょっと顔カセや」と凄まれているようにしか思えなかっただけである。

「あのアザとひっかき傷。見た途端、笑っちゃいましたよ。イタミは公傷扱いにしてくれって言ってましたが、どう見ても痴話喧嘩の痕にしか見えませんよね。あの男が、そちらのご婦人に何か失礼なことを言ったんじゃないですか?」

 ニヤニヤ笑いながら「……イタミが暴力を誘発するような言動をしたか?」と手厳しいことを言うこの男に、ピニャは蛇みたいで嫌な奴という印象を強く抱いた。

 こちらの隙や落ち度を見逃さないばかりか、「何で彼に暴行をしたかのか?」「暴行されなければいけない理由とは何だ?」と、しつこく、抉るように追求してくる。
 彼は、何もしてないのだ。何もしてないのに暴行を受けたのだ。この男の言葉は、その理不尽さ、凶悪さを際だたせ、ピニャらの罪を弾劾する言葉として聞こえた。

「………」

 ピニャが答えに窮していると、レレイが何かを『陰湿そうな笑みの男』に告げた。すると男は、陰湿そうな笑みを皮肉そうな笑みに切り替えて、名を告げた。

「これは失敬。自己紹介が遅れました。自分は、柳田と申します。どうぞ、お見知り置き下さい」

 ピニャには、「私の名前は、ヤナギダと言う。よく憶えておけよ」という意味に聞こえたのであった。






「さ~て、飯を食って寝るぞぉ」

 残った弾薬を弾薬交付所に返納して、銃を整備して武器庫に収め(栗林の小銃は、この度廃銃となった。剣を受け停めたときの損傷が銃身そのものまで及んでいることが確認されたからだ)、車両の泥を落として…などとやっていたら食事をする時間もなく、既に陽は落ちて夜になっていた。

 さらに報告書とかも書いて、提出して、明日の参考人招致と、それを終わったあと行動についての指示を受けたりして…さすがに疲れた伊丹である。

 とりあえず、どっかりとデスク前に座って引き出しに図嚢から取り出した書類などを片っ端から放り込んでいると、机の中に入れて置いた携帯がチカチカと点滅して、メールが届いていることを知らせていた。

 誰だ?と思って開いてみたら、梨紗と、太郎閣下であった。

 この両者は、いずれも伊丹のオタク仲間である。名前ももちろんハンドルネームだ。太郎の場合は、彼自信が名乗ったハンドルネームに周囲がとある理由で勝手に『閣下』をつけて呼ぶようになり、それが用いられるようになったのである。

 梨紗は、近況報告に類することと、単刀直入に「金を貸して(ハート)」と書いていた。二通目や三通目になると、「至急援軍を請う」とか「我、メシなし、ガスなし、携帯代なし」と悲痛な叫びへと変わっていた。わずか1日~2日でこの内容に至るとは、どうなっているのかと思うところである。

 この女は公務員としての安定収入をもつ伊丹を、カードローン代わりに使うことが度々あった。どうせどこかのドルパで異様に高価なアイテムを衝動買いして、生活費に影響しはじめたのだろう。どちらにしても放っておく訳にもいかないので、助けてやらねばならない。

 太郎からのメールには伊丹が、近日戻ることを知ってか一度顔を出すようにと書いてあった。

 季節がずれているので忘れてしまうが、門の向こうはもう冬である。年末も近いし、そろそろ休暇を申請しておこうと思う。悲劇の夏○ミ中止から半年、冬コ○はその分盛況になることが期待された。太郎閣下からの呼び出しも、気軽に人の多いところに出られない彼にかわってゲットするアイテムについての依頼だろう。

 参考人招致で本土に戻ったら、まずは「カタログ」を入手しなければならない。

 そんなことを考えていると、窓の外から消灯ラッパが聞こえ出す。あちこちの隊舎から灯りが消えていく。

 もう、そんな時間であった。いくらなんでも糧食斑も食堂を閉じている。

 仕方なく机の中に隠匿して置いた缶メシ(戦闘糧食1型/とり飯/たくあん漬/ます野菜煮)をデスクの上に置いて、缶切りをあてた。

 すると、廊下のほうから戸を叩く音が聞こえた。

 思わず幽霊でも出たかと思って振り返ると、暗い廊下にレレイがたたずんでいた。

「こんな時間に、どうした?」

 レレイは各種資料の翻訳のためということで、特例措置として臨時雇いの『技官』の身分が与えられている(もちろん働いた分の給料も出る。ただし日本円)。そのためにかなり自由に歩き回ることが出来るのである。巡察や不寝番に誰何された時のために、首から身分証を入れたパスケースも提げている。

「イタミ。キャンプまで送って……疲れた」

 そう言って、杖を投げ出すと女の子座りでしゃがみ込んでしまった。

 レレイは感情などを顔に出さない上にかなり我慢強い。それだけに「疲れた」などと弱音を吐き出す時は、真剣に疲れ切っていると見るべきだった。ピニャと狭間とのあいだで通訳として働き、相当に神経をすり減らしたのだろう。

「メシは喰ったのか?」

 最早言葉を発するのも辛いのか、ウンウンと二回ほど頷く。彼女の伊丹を見る目は、捨てられた子犬のようでもあった。

「あー、もう車を出すのもなんだし、ここで寝ていったらどうだ?空いてる部屋は結構あるんだぜ」

 彼女の住むキャンプまで、道のりも結構ある。
 しかも、1人じゃまずいから偵察隊の誰かを叩き起こさないといけないし、一応武装しなくちゃ営外に出てはいけないことになっている。また書類を出して、車を出して…面倒くさいことこのうえない。だったら、空き部屋のベットにレレイの寝床をしつらえてやった方が楽なのである。

 レレイはイタミに任せるとばかりに、ウンウンと二回ほど頷くと眠りの世界へと旅立ってしまった。






 さて、ベットである。

 隊員にはベットにマットレス一つ、枕一つ、毛布5枚(飾り毛布1枚)、枕カバー1枚、シーツ2枚、掛け布団1枚が与えられる。(今は新ベットが導入されつつありこの限りではない)。

 これを用いて、定められた形にベットを作らなくてはならない。

 まず、毛布を三枚敷く。大抵の毛布は横幅がベット幅二つ分のサイズなので、たたんで重ねることになる。(この時のたたみ方が、寝心地と形という、ベットの全てを制することになる)

 その上に2枚のフラットシーツをかける。この際、角に三角形の折り込みがきちんと出来ていることが大切になる。一枚が敷き布団側、一枚が掛け布団側で眠る時は、その間に潜り込む形になる。

 そして、その上から毛布を身体側と枕側の双方に被せるように包み込むが、やはり角の折り込みはきちんと三角形が描けてなければならない。あたかもプレゼントの包装紙のごとくである。皺もたるみもなく、角はぴしっと。その上で枕側に掛け布団を置く。この状態を延べ床と言う。
 どちらかと言うと温暖なこの世界では掛け布団は使わないので省かれていた。

 こうしてベットを作ると伊丹は、床に転がして置いたレレイを抱え上げて、ベットへと放り込んだ。

 真っ白な髪。真っ白な肌は陶器のようである。
 その整った造形は、まるでスーパードルフィーの等身大(あるかどうか知らないが)ではと勘違いしそうである。

 その方面の趣味は伊丹にはないが、彼女をベットに載せて毛布とシーツで包みあげていると、そういうことに喜びを見いだす人々の気持ちに、わずかに共感しそうになってしまう今日この頃である。

 思わず、ブルブルと首を振って「違う!」と呟いて。そう、俺の歳になれば、このぐらいの娘がいても可笑しくないし…。と、心理学的防衛規制のひとつである、合理化をはかった。まぁ、高校卒業した年の10月に子どもを出産した同級生女子がいたから、ありえないとも言えない。

 レレイは15歳だと言うが、日本で15歳と言えばもう少し体つきに凹凸があってもよい年頃だ。だが、レレイはその年齢に比すれば幼い上に、小さく細くて軽い。まぁ、年齢に比べて外見が圧倒的に若い実例が、他に2人もいるが。

 ふと、気づくとレレイを見守る形で朦朧としていた。

 どうやら睡魔に捕らわれたようである。

 いけない。こんなところ人に見られたら絶対に誤解されてしまう。すぐに部屋に戻って寝なければ、と思った。

 ただでさえ、倉田あたりから「二尉は、ツルペタ系が好みでしょ」と揶揄されてるのである。

 確かに『いかにも女』というタイプは苦手だ。しかし、ツルペタ系が好みというのも誤解なのである。はっきり言って胸はあった方がよいし、腰はくびれているほうが良いと心の底から思っている。

 その意味では、レレイには食指が動かないのである。とは言え、レレイが眠っている傍らに不必要に滞在していたら、あとでどんな噂を立てられるかが心配である。直ちに立ち去らなくてはならなかった。

 だが、その頃には身体がじっとりと重くなっていた。

 考えてみれば徹夜で戦闘、帰還途中で捕虜になって、小突かれて走らされて、そのまま夜もゆっくり休めないという不眠不休が続いていた。蓄積した疲労から来る睡魔も、相当に強烈である。

 こうして、伊丹の意識は途切れる。結局の所、その意に反してレレイのお腹を枕にして眠ることとなってしまった。





    *      *





 翌日。午前11時、中央ドーム前。

 伊丹は、虚ろな表情でぼやっと突っ立っていた。

 服装は日本側の気候に合わせて91式の冬服なのだが、温暖なこちら側では暑くてしょうがない。だから上着は袖を通さずに抱えている。ワイシャツの袖はまくっている。

 その姿がなんともだらしなく見えて、通りかかった位の高い人達は大抵眉をしかめるのであるが、彼の抱えているのが冬服であることに気付くと、一転して気の毒そうに笑って通り過ぎていく。

 こちらにいるのなら夏服ですむのだが、冬の日本へ行くとなれば冬服を着るしかない。季節のずれがもたらす小さな喜劇である。

「遅い…」

 時間という概念にいささかルーズなのが、この世界の人の特徴かも知れない。時計というものが普及していないから、時間に合わせて行動するという習慣がないのである。

 待つこと暫し。額に流れる汗を二回ほどふき取って、ようやく待ち人達が現れた。

「栗林ぃ~、富田ぁ~遅いぞぉ」

「済みません二尉。支度に手間取っちゃって」

 制服姿の伊丹に対して、現れた栗林や富田『達』は私服であった。

「この暑さなのに、なんで厚着が必要なのよ…」

 と、ぼやいてるテュカとか、「………………」と何も言わずに、意味深げにじっと伊丹を見るレレイとか、いつもの黒ゴスのロゥリィとかもいる。

 ロゥリィはいつも持っている巨大ハルバートを帆布で包装しているが、それが気に入らないのか、なにやらブツブツ言っていた。

「しょうがないでしょ。そんなものむき出しで持ち歩いてたら、銃砲刀剣類等取締法違反とか、凶器準備集合罪とか、各種の法令条例で捕まっちゃうのよ。ただでさえ、最近は冗談じゃ済まないんだから。ホントなら置いて行かせたいくらいよ」

「神意の『徴(しるし)』を手放せるわけないでしょう?」

「だったら、我慢してよね」

 ロゥリィには、門の向こうに行かないと言う選択肢はないようである。

 実際の所、参考人招致で呼ばれているのは、炎龍との交戦時に置いて、現場の指揮官であった伊丹と避難民数名である。

 そこで「避難民数名を、どうするか」なのだが、こうなると言葉の通じるレレイははずせない。最近便利使いされて彼女に負担がかかっているが、現状では我慢して貰うしかない。今回の参考人招致では終わったあと、慰労も兼ねて彼女をゆっくりとさせるようにと狭間陸将直々の指示が出ている。

 テュカを選んだのは、こちらに住むのはヒトという種だけではないと言うよい例になるからである。見た目で解る程度の違いをもつ彼女の存在は、メディアに対して、強力な説得力をもつだろう。

 ロゥリィの場合は見た目はヒトと同じ。しかも外見は子どもだし、着ている神官服と合わせたらどこのコスプレ少女を連れてきた?と言われかねない。
 亜神たる証拠の奇跡を示せなどとは畏れ多くて言えないし(その手のことを口にして滅ぼされたものの数は神話を紐解いてみると少なくないことがよくわかる)、その強さを国会で証明されても困る。だから、あんまりメリットがないのである。

 それでも行くことになったのは、彼女の「そんな面白いことにわたしぃを仲間はずれにするつもりぃ?」の一言であった。

 栗林と倉田は、彼女らのエスコートである。

「おーし、そろったな。そろそろ、行くぞぉ」

 伊丹がそう言いかけた時、公用車が伊丹の前に滑り込んできた。

 助手席から、柳田が手を挙げながら降りてきた。

「悪い悪い、手続に手間取っちまった…」

 思わず何の?と尋ねたくなるほどの気安さであるが、柳田はそういうと後部座席のドアを開いて客人を降ろした。

「ピニャ・コ・ラーダ殿下と、ボーゼス・コ・パレスティー侯爵公女閣下のお二方が、お忍びで同行されることになった。よろしくしてくれ」

 ピニャとボーゼスの2人は降り立つと、伊丹等の前に進み出た。

「おい、柳田。聞いてない」

「あ?言ってなかったか?まぁ、いいだろ?市ヶ谷園(防衛省共済組合直営のホテル)の方には、宿泊客追加の連絡はしといた。それと伊豆の方にも連絡済みだ。2泊3日の臨時休暇だ。しっかり楽しんでこい」

「あのな。このお姫様達に俺がどんな目にあったと思ってる」

「ああ?誤解だろ?笑って水に流せよ」

「笑えねぇよ」

「いちいち気にするな。なにしろピニャ・コ・ラーダ殿下には、帝国との交渉を仲介をしてもらわないとならんからな。その為には我が国のことも少しは学んでおきたいという、ご要望も当然と言えば当然だ」

「それが、なんで俺たちと一緒なんだよ」

「しょうがねぇだろ。案内しようにも、通訳出来そうな人材がまだ育ってないんだから」

…そこまで言って柳田は伊丹に近づくと、声をひそめる。そして一通の白封筒を伊丹のポケットへと押し込んだ。

「狭間陸将からだ。娘っ子達の慰労に使えとさ」







[37141] テスト7
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:43

[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 22
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:24cd6e59
Date: 2008/07/01 20:39




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 帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダは、その日の日記にこう書いている。

「世界の境たる『門』をくぐりぬけると、そこは摩天楼だった。かつてこの地を踏みしめた帝国の将兵は何を思ったのだろうか…。自らの運命を予測し得ただろうか?私は、今この巨大な建物の谷間にあって、自らの矮小さを味わっている。これほどの建造物群を作り上げる国家を相手に戦争をしている帝国の将来を憂いている」

 いくらなんでも銀座程度で摩天楼はないだろう。と思うのは、日常的に新宿などの高層ビル群や、テレビなどの映像でニューヨークのような高層ビルの大集団を知るからだ。

 巨大な建物と言えば帝都の宮殿とか、元老院議事堂、あとは軍事用の城塞しか知らないピニャとボーゼスにとって、銀座の街並みでも十分に摩天楼なのである。

 巨大な建造物は、そうでない建物の中でひときわ目立つ。

 だから周囲を睥睨する存在感をもって風景の中心軸として鎮座している、というのがピニャの常識である。だが、ここは違う。都市を構成する全ての建物が巨大であった。

 一本の巨木の存在は、拠り所となって見る人々の心を安らかにさせる。だが、巨木の大集団たる樹海は人々の心を圧倒して飲み込んでしまうのだ。

 この街並みも、ピニャとボーゼスの心を打ちのめした。

 もちろん、2人だけではない。レレイやテュカ、そしてロゥリィすら、目を丸くして呆然と立ちつくしていた。冬の銀座の真っ直中で、寒さも忘れてずうっとたたずんでいた。

「ま、おとなしくて丁度良いか」

 そんな5人を後目に、警衛所で営外へと出る手続を終えた伊丹に声をかける者がいた。

 見た目には、『いかにも』という黒服の集団である。その代表者らしい男は、どこにでもいそうな中年っぽいオヤジ風の男だった。

「伊丹二尉ですね」

「はい。そうですが…」

「情報本部から参りました、駒門です。今回のご案内役とエスコートを仰せつかっています」

 満面の笑みを浮かべているように見せつつも、眼光のみ鋭く目が笑ってない。それはレンジャー教育を終えたばかりの隊員が発する、迫力のある雰囲気に似ているが、自衛官の場合剥き身の蛮刀に似るものだ。

 この男の場合は、隠されたカミソリっぽい雰囲気があった。それが、生粋の自衛官のものとは違うように感じられた。もしかしたら警察官…特に公安畑の出身者とか、情報関係の職種の人ではないかと思った。自衛隊は、警察との人材交流(つまり自衛官が一定期間警察で警察官として働く。警察官が自衛官として、自衛隊で一定期間働く)が盛んであることの成果かも知れない。

「おたく、ホントに自衛隊?」

「やっぱり、わかりますか?」

「空気が違う感じがするからね。もし生粋の自衛官でそんな雰囲気を身にまとえるような職場があったら、今時情報漏洩とか起きないだろうし」

 駒門は、口元をニヤリとゆがめた。

「あんた、やっぱりタダ者じゃないねぇ。流石は二重橋で名をはせたお人だわ。実は、あんたの経歴を調べさせて貰ったんだよ」

「何にもなかったでしょ?」

「そうでもないな、結構楽しませてもらったよ。平凡な大学を平凡な成績で卒業。一般幹部候補生過程を経てビリから二番目の成績で三尉に任官。その時のビリの学生だって、途中で怪我をしたからで、そいつがいなけりゃあんたがビリだった。ああ、ちがうか。(メモの頁を捲る)あんたが合格するのに、そいつが不合格になるんじゃ理不尽だという意見が出たんだ。…その後実部隊配備。勤務成績は、可もなく不可もなく…じゃなくして、不可にならない程度に可。業を煮やした上官から、幹部レンジャーに放り込まれて、何度か脱落しかけながらも尻尾にぶら下がるようにして修了…あんたその時のバディから蛇蝎のごとく嫌われてるよ…その後で何でか解らないけど、習志野へ移動。万年三尉のはずが、例の事件のおかげで昇進した…と」

 黒革の手帳をめくりながら、駒門は伊丹の概略を読み上げた。

「隊内での評価は……『オタク』、『ホントの意味での月給泥ぼー』、『反戦自衛官の方が主張したいことが解るだけマシ』…くっくっくっ、こてんぱんだねぇ」

 伊丹はカリカリと頭を掻いた。

「そんなあんたが、なんで『S』なんぞに?」

 あちゃ~と思いつつ伊丹は肩を竦めた。その質問をされると痛いのである。

「ちょっと前にね、こんな論文が発表されたそうです。働き蟻のうち1~2割は、怠け者ってね。その2割を取り除くとどうなったと思います」

「?」

「それまで働き者だった蟻のうち2割が怠け者になったそうです」

「なるほど。つまり優秀で働き者な蟻が、優秀なままでいるためには、同じ集団の中で怠け者が存在することが必要だという訳か」

「『なんでお前はそうも怠け者なんだ』と叱られた時に、思わずそういう屁理屈を口走りましてね。それがどういう訳か変なところに伝わって、優秀な人間ばかり集めると2割が怠け者になってしまうなら、最初から怠け者を混ぜておけば少なくとも優秀な人間が堕落せずに済むだろう…という話になりまして。西普連結成時に自殺者が頻発したということもあって、自殺予防とか心理学的な理由からも、その提案が真剣に取り上げられちまって…」

「くっくっくっ…それで、あんたが特殊作戦群へ行くことになったと?ま、あんたみたいなのがのんびりやってれば、壁にぶち当たって伸び悩んでる奴だって、自分を追い込むほど焦ったりしないだろうからなぁ」

 駒門の言葉に、とても深いため息が出てくる伊丹である。

 その時…。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 恋人に、別れの言葉を突きつけられた少女のような、切なく悲しい悲鳴が傍らから聞こえた。

 見ると、栗林であった。

 顔面を蒼白にして、冗談でもネタでもなく、本気でこころがちぎれそうな表情をしていた。彼女にして見れば、伊丹がレンジャーというだけでも許せないのに、こともあろうに特殊作戦群。このオタクが、怠け者が、憧れの特殊作戦群の一員と聞いてどう思うか。それは絶望であった。この世の全てを呪い、敵とするほどの怒りと悲しみであったのだぁ。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 脱兎のごとく走り去っていった。と言っても、門を中心にして周囲を取り囲む自衛隊管理区域のフェンスまでであるが。

 富田が後を追いかけて、しゃがみ込み泣いている性犯罪の犠牲者を慰めるかのように、背中を優しく叩いてはなだめている。

 それを見て駒門は腹を抱えて笑った。どうにか笑いを堪えようとしてるが、それでも抑えきれずに笑っていた。それも時間を経ることでどうにか収まってきて正常な呼吸が出来るようになると、駒門は伊丹の前で背筋を整え、ピシッと実に色気のある敬礼をして次のように言い放った。

「あんたやっぱりタダ者じゃないよ。優秀な働き蟻の中で、怠け者を演じてられるその神経が、凄い。俺は冗談じゃなくあんたを尊敬する」






「うそよ、誰か嘘だと言って…そうよ、きっと夢なんだわっ。これは夢」

 顔を両手で覆って、現実逃避している栗林。そんな彼女の発するどよっとした重暗い空気を避けるには、情報本部差し回しのマイクロバスという乗り物は大変重宝であった。

 なんと言っても、車内が広い。

 栗林を最後尾に座らせて、伊丹らは運転席側に詰めてしまえば、彼女の発する雰囲気に汚染されずに済む。ロゥリィや、ピニャ達も、栗林が嫌いではない。どちらかという好感が持てるのだが、今の彼女からは距離を置きたがった。

 このように栗林が前後不覚の状態にあるため、若干の問題が発生した。

「伊丹二尉、どこに行きましょう」

 情報本部が着けてくれた黒服の運転士が、伊丹に振り返った。

「まずは、服だな。仕立ててる暇もないし、適当に吊しのスーツを売ってる店へ。あの娘達の服装をなんとかしないと…」

 国会に向かう前に、ロゥリィやレレイ、テュカそれぞれの服装を整える必要があった。何しろ公式の場に出るのだ。それ相応の格好というものがある。

 特に、テュカの着ているジーンズにセーターという服装は、日本製であるが故に国会の参考人招致という場ではふさわしくない。

 本来なら、こういった配慮は栗林が担当するはずだった。だが、今のところ彼女は機能停止中であったため、こういう事に最もセンスのない伊丹が決定を下すこととなってしまったのである。黒川あたりがいたらきっと止めただろう。

 運転の黒服が、無線であちこちに行き先を連絡して、マイクロバスが動き出す。

 銀座の『門』周辺につくられた、自衛隊の管理区域を出ると、いよいよ銀座の街中へと進み始めた。すると幼稚園児か小学校低学年の子どもがするように、女性達は車窓にかぶりつきになってしまう。

 それも仕方のない話である。何しろ、復興の始まっている銀座のデパート街は、クリスマス商戦のためか煌びやかなイルミネーションと飾り付けで客を集めようとしているし、ショーウィンドウに飾られたマネキンが着飾るブランド物のコート、アクセサリーなど等、女性にとっては目を惹くものばっかりなのだから。

 銀座の街は、夏に酷い事件があったと思えないほどに、たくさんの自動車が行き交い、多くの買い物客で賑わっていた。
 もちろん、シャッターが降りて再開の目処の立たない店舗もある。店主が亡くなってしまったからだ。
 運営そのものが立ち行かなくなってしまった会社もある。社員の殆どがいなくなってしまったからだ。
 それでも、多くの人が銀座を復活させ、客を呼び戻そうとしている。これが、日本人の逞しさなのかも知れない。

「随分とたくさんの人間で賑わっているな。ここが市場なのか?」

「あ、あのドレス…」

 ピニャとボーゼスの会話は微妙に噛み合っていなかった。

 そんな中でマイクロバスは、紳士服などを取り扱っている量販店の前に停まった。

 店の女性スタッフに「こいつにちゃんとした服装一式、今すぐ着せてください。できれば一番安いのをお願いします。あと領収書下さい」と言ってテュカを押しつける。特に「安い」を強調したため、店側は品数があるリクルートスーツを取り扱うフロアへとテュカを連れて行った。

「ロゥリィやレレイはどうする?」

 ロゥリィは店に列んでいる、女性用スーツや紳士服を見て歩いたが、「いいわ」と断ってきた。「見た感じ、趣味に合いそうなものないから。それにこれは使徒としての正装よ」

 レレイは一言「不要」と答えてくるだけだった。彼女も興味はあっても、自分が着るとなれば趣味ではないと言う態度である。

 まぁ、レレイのポンチョに似たローブは民族衣装で押し通せるだろう。問題はロゥリィの黒ゴスだが、彼女が正装だと言う以上、無理に変えろとも言いがたい。これもゴスロリに非常によく似ている民族衣装です…で押し通すしかない。

 一方、ピニャとボーゼスの2人は、店内の男物や女物を問わず物色して、スーツの生地や縫製について目を見張っていた。

 今の彼女達の服装は、帝国の貴族社会ではセミフォーマルとして位置づけられる服装であった。
 非常に高級な生地と仕立てのパンツルックで、例えば園遊会とかで馬に乗ったり遊んだりする際に着るような活動的なデザインである。ある意味、昔の乗馬服に似てるとも言えた。

 本当なら、これに腰に剣をつるすのが、騎士団としての略装である。だが、武装を持ち込むことは、柳田から堅く断られていたので、今日の彼女たちの腰は軽い。

 問題は生地が薄いため、冬着としてはいささか心許ないことだが、移動は暖房の効いたマイクロバスであるし、店の中は温かいので困っていない。だから、店の中を見て歩いているのは純然たる興味であった。

「これほどの仕立てと生地。帝国で手に入れようとしたら、相当に高価なものになる」

 これらの商品を無数に、所狭しと列べている店の主は、さぞ大商人なのだろうなぁと感心していた。

「二尉…次の予定は?」

 運転手の言葉に、伊丹は「どっかで、飯を食って。それから国会に行きましょう。参考人質疑は3時からだから、余裕を見て2時に入ればいいでしょう」と応じた。

「食事はどうしますか?」

 伊丹は、苦笑して店の名前を指定した。






「で、どうして牛丼なんすか?」

 富田が唸った。折角こっちに来たんだから、もうちょっと良いものを食べたいというのが人のこころとして正直なところであろう。

 だが伊丹は、銀座から国会議事堂に出るのに、ちょっとばかり新橋へと足を延ばして牛丼屋に入った。牛丼セットの並チケットを8人分買って(半券が領収書となっている)、全員でカウンターに席を取る。

「今日は、参考人招致までは出張扱いになってる。だから交通費と食糧費は公費でまかなわれるんだが、残念なことに一食500円までしか出ない」

「ご、五百円?」

「で、ここらはちょっとした喫茶店でもコーヒーの一杯で五百円以上とられる土地だよ。そんなところで昼飯を食べようと思ったら、立ち食い蕎麦か、牛丼以外ないでしょ。まさか立ち食いさせるわけにもいかないし、牛丼しかないと思うわけだ。…ま、みんな幸せそうに喰ってるからよしとしようよ」

 レレイ達も、不満はないようで牛丼を掻き込んでいた。ちなみに彼女らは、箸の使い方を難民キャンプで憶えている。戦闘糧食を食べ慣れているレレイ達にとって、牛丼の味は意外としっくりと来るようである。

「でも、良いんですか?お姫様達に牛丼なんて喰わせて」

「こちらの、庶民の生活というのも知って貰うのも勉強になるんじゃない?」

 高貴な出自のお姫様達も、スプーンを出して貰い牛丼の並盛りに卵をかけて食べていた。『丼もの』という初めてのジャンルにも物怖じしないのは、やはり騎士団のような軍営生活で雑な食事に慣れているからだろう。それどころか、結構美味しいという評価を下していた。






 食事を済ませると、一行は一路、国会議事堂へと向かう。

 伊丹、レレイ、ロゥリィそしてテュカの4人は議事堂の係員に案内され、控え室へと案内されていった。

 ここでピニャとボーゼスの2人は伊丹等と別れる。
 栗林と富田の2人と共に、国会の正門前からマイクロバスで都内某所の高級ホテルへと向かうのである。

 彼女らは公式の使節ではないから、公的な施設に迎え入れるわけにはいかないのである。それどころか外務省も、総理官邸も、表向きは彼女たちが日本にいることは知らないことになっている。防衛省も、文書的には彼女らを『招致された参考人に不都合があった時の補欠要員』として扱っている。

 現段階での彼女らが存在するという事実には、不都合なことが多いからだ。

 交渉の窓口を得たとなれば、軍事行動よりも交渉を優先させるべきだという意見が出てくることは間違いない。

 外交交渉というものは、特にこういった武力紛争の後始末は、軍事力そのものを背景にしなければうまく行かないのである。それを知らない、あるいは知っていても無視してしまう、頭のおめでたい連中が我が国には多すぎるのである。日本政府は現在の段階で、自衛隊の活動に制限を加えられたくなかったし、外国からの雑音も避けたかった。故に彼女らの存在を、公式には無視することとしたのである。

 とは言っても、やはりVIPである。また帝国との秘密交渉において、仲介役を得たことは国益にも適うことであるから、裏では他の名目で予算と人員が出て、このような対応がなされたというわけである。

 ホテルのスウィートルームに案内されると2人を、ひと組の男女が待ちかまえていた。

「歓迎申し上げます、殿下、そして閣下」

 今次内閣において首相補佐官に任命された白百合玲子議員と、外務省から出向している事務担当秘書官の菅原浩治である。

 ここで、栗林と富田の2人も自衛隊の制服を纏ってあらわれる。レレイや伊丹には及ばないが、2人が通訳役であった。






 ピニャもボーゼスも、緊迫の一時を過ごしていた。迂闊な言動が、国を損ないかねないからだ。

 ピニャは、ここに講和をするために来た訳ではない。交渉の『仲介』を引き受けただけである。『講和』をするよう国に勧めるのと、『交渉を仲介する』のは根本的に違う。現段階、すなわち圧倒的な軍事的敗北の状況で、講和を勧めるとは降伏を勧めることに他ならないのである。

 だから仲介役に徹するのである。とは言ってもするべきことは多く、かなり突っ込んだ話も出てその度に額に汗した。
 ピニャは、「外交とは言葉による戦争だ」と思うに至った。こんなことならハミルトンにも来てもらえばよかったと思う。

 苦労しているのは栗林や富田も、である。
 レレイほどの解釈力・推測力や語彙もないし、伊丹ほどちゃらんぽらんではないので、どうしても細かい表現に気をつかって時間がかかってしまうのである。だが、それでも単語帳をめくりながら、時に両者の協力を得て意味の疎通はかりつつ、会談の通訳を行っていた。

 帝国政府首脳。特にキーパーソンとなりうる人材は誰か。その人の帝国政権内の地位や立場はどのようなものか?

 その人材に、まず「日本という国と交渉をしてはどうか?」と持ちかけるのはピニャである。ピニゃにそういった者とのパイプがなければ、仲介役そのものを果たすことができない。その意味で、これが確認されるのは当然と言えた。

 第一次交渉団の人数はどのくらいが適切か。

 交渉といっても、たった1人で乗り込んで、講和条件について話し合うわけではない。時間をかけて、それこそ様々な形で面談を積み重ね、互いの腹を読み、妥協できる条件を探り合って落とし所をみつけるという果てしない作業の積み重ねなのである。交渉のための要員が複数人になるのは当然のことである。

 滞在中の宿泊場所の手配、費用の支払い方法等々…。

 当然の事ながら、外交交渉というのは1日や2日ではまとまらない。
 数ヶ月、下手をすると年の単位が必要となることだってあり得るのだ。「会議は踊る、されど決まらず」という言葉があるが、利害の調整というのはかくも手間取るものなのだ。ちなみに上述の言葉は、ウイーン会議のことを言い表したものであるが、この会議において妥協が成立したのはナポレオンがエルバ島を脱出したという報が届いたからである。要するに、危機的事態になるまでウイーン会議は何も決めることが出来なかったのである。この例から見ても、今回の交渉には時間が必要となる。従って、交渉中の宿泊場所から宴会の費用まで、現実的な問題を解決して置かなくてはならない。

 さらには、交渉を仲介するために、贈賄をどうするかという話も出てきた。贈賄と聞いて眉を寄せているようではまだまだガキ。こういった交渉に置いては必要経費と思わなければならない。
 あからさまに、どのような立場の者に幾らくらい必要かという話すら出た。だが、これについては金銭についての価値観が一致してないことがわかったので、必要性の確認というところで話は止められている。

 要人の相互訪問の必要性も確認された。それと、ピニャからは何人かの人材にニホン語を習得をさせたいという希望が出て、菅原秘書官から検討するとの解答を得た。対等に、外交交渉をするのであれば当然のことである。

 そして、最後にあがったのが捕虜の取り扱いであった。

 日本には、侵攻した帝国軍将兵の生存者、約6000名が犯罪者として逮捕されていた。人数もそうだが、取り扱いの大変さもあって監置場所に困った政府は急遽瀬戸内の無人島を整備して、そこに集めていた。

 この連中の食費が馬鹿にならない。負け戦は下っ端から死ぬから、生き残って捕虜となるのは高位の者が多いのである。そんなこともあって、気位ばかり高くて扱いに困っていた。得られる情報も、軍属ばかりで程度が知れている。そんなこともあって正直言えば、熨斗つけてでも引き渡したかったのである。ただ、あからさまにそれを口にするわけにも行かない。あくまでも、捕虜を解放するのは人道上の理由であり、そして帝国側の求めに応じてという形でなければならないのだ。

 ちなみに、6000という数字の中にはトロルやオークといった亜人…こちら側の感覚からするとゴリラ同然の連中も入っている。人間でない亜人という種族の意味がわからなかったし、一応言葉らしきものもあるようなので、後で人権問題になっても困るとヒト同様の扱いをしていたのである。…ちなみに、その中のごく少数が、『国連による調査』という名目でアメリカに連れて行かれている。

「我が国としては、犯罪者として取り扱っていますので、そちらからの求め応じて引き渡すという形を取りたいと思っています」

 ピニャは6000人という数に呆然としながら…「み、身代金はいかほどに考えておられますか…」と彼女の常識に従って尋ねた。膨大な金額になるはずと、額に汗する。

 すると白百合玲子補佐官はころころと笑いながら、「現代の、我が国には身代金という習慣はありません。奴隷として売買されることもありません。ですから金銭以外による交換条件、通常ならお互いの捕虜を交換するという形が良いのですが、…今回の場合は『何らかの譲歩』という形で代償が得られることを期待してます」と、続けた。その上で補佐官は呟いた。

「仲介なさっていただけるピニャ様を後押しするために、ピニャ様が指定される若干名ならば、無条件での即時引き渡しが可能です。この条件はお役目を果たされるために上手くご利用下さい」

 こうしてピニャは、ニホンという国が捕虜というものをどう取り扱おうとしているかを学ぶとともに、元老院や貴族達に交渉を仲介するための武器を得たのである。

「私の掴んだ情報によると、貴方の息子は生きているらしい。ご子息を取り戻すために、彼の国の者と話し合ってみてはどうか?必要なら会談の場をとりもってもよい」

 そう言われて心の動かない親が、果たして居るだろうか?

 するとボーゼスが口を挟んだ。

「今回は無理かも知れませんが、一度『捕虜』にお会いしたいと思いますわ。お許し頂けますか?あと名簿も必要になります」

 実は彼女の親友が、夫を戦地(銀座)に送り出していた。
 先の出征で戦死したと思っていたのが、生きているかも知れないと言う希望がもてたのである。ただ、あからさまに「誰それは生きてますか?」と聞くわけにはいかないので、このような物言いになったのだ。内心では、今すぐにでも帝都に戻って「貴女の夫が、生きてるかも知れないわっ!」と知らせてやりたかった。

 菅原秘書官が、「次にお越しの際には、捕虜の収容施設までご案内できるようにしておきましょう。それと名簿については、お帰りの際にはお渡しできるように手配しておきます」

 こうして、歴史に記されることのない、秘密の会談第一回目が終了したのである。





  *  *





 さて、NHKの全国放送で視聴率が低く、人々の関心も薄いけど、公共放送という意味合いからも義務的に垂れ流されている番組と言えば、やはり選挙における立候補者の演説と、国会中継の二つが挙げられるたろう。

 だが、「有権者諸君っ!…」の第一声で名高い自称革命家の登場以来、選挙演説の視聴率が、国会中継をほんの少しばかり上回っている今日この頃である。

 かつて国会中継の視聴率が跳ね上がった証人喚問は今では中継そのものがないし(音声のみ)、疑獄事件とか、官僚汚職、偽装事件も、参考人招致程度では嘘をついても罰せられないことから、招かれた参考人がしれっとした態度をとることが多くて、面白味に欠けるのだ。

 だが、この日の中継だけは違った。

 ネットの巨大掲示板に、国会中継に「特地の美形エルフが出とる」という書き込みがなされる否や、瞬く間に視聴率曲線は急勾配で上昇することになったのである。




 参議院予算委員会の議場は、レレイ、テュカ、ロゥリィの3人が現れると一斉にどよめいた。

 伊丹もいるのだが、彼は外見的にはインパクトに欠けているので、なんとなく無視されている感じである。

 やはり、短めの銀髪でポンチョにも似たローブをまとっているレレイとか、金髪碧眼笹穂長耳のテュカ、そしてなにやら長くて大きな包みを抱えた、黒ゴス少女のロゥリィ達は、よく目立つ。議員の皆様や、中継のカメラ、そして傍聴席からの視線を集めていた。

 最初の質問に立ったのは、国民社会主義日本労働者党、略して社会主義者党の女性党首、福岡みずの議員である。

 考えてみれば100の事業のうち99を上手くこなしても、1失敗しただけで非難される責任者と違って、100批判して1でも的を射ていれば鬼の首でも取ったように誇れる無責任野党党首という職業は、気楽なものである。人の粗を探し、人の身では実現できるはずのない理想を喋っていればいいのだから、これほど楽なものはないだろう。

 特に、他人を非難するのは元弁護士にはお手の物と言える。

 福岡みずの議員は、意気揚々と、若干のカメラ写りを気にしつつ大きなボードを片手に質問を開始した。

「伊丹参考人に、単刀直入におたずねします。特地甲種害獣、通称ドラゴンによって。コダ村避難民の1/4、約150名が犠牲になったのは何故でしょうか?」

 福岡議員の手にしているボードには、「民間人犠牲者150名!!」と民間人を強調するかのように描かれていた。130人だったはずがいつの間にか増えている。

「伊丹 耀司 参考人」

 委員長に名前を呼ばれ、前に出る伊丹。

 制服をぴしっと着こなすと、さすがの伊丹もなんとなく、いや、どことなく…もしかしたら凛々しく見えるかも知れない…ような気がする今日この頃である。

「えー、それはドラゴンが強かったからじゃないですかねぇ」

 のっけからのこの回答に、福岡議員も絶句した。

「自分達に力が足りなかったからです」とか、日本人のよくする、真面目で自己批判的答弁を期待し、それを元に質問を展開していくつもりだったからでもある。二重橋濠の防衛戦で名をはせた伊丹という男は、そういう真面目な男だとマスコミで喧伝されていたこともある。だが、どうも、違ったようである。

「そ、それは、力量不足を転嫁しているだけなのではないでしょうか?150名が亡くなっているんですよ。それについて責任は感じないのですか?」

 バンバンと150人と書かれたボードを叩きながらわめく。

「伊丹 耀司 参考人」

 委員長に名前を呼ばれ、再び前に出る伊丹。

「えー、何の力量でしょう?それと、ドラゴンが現れた責任が自分に有るとおっしゃられるのでしょうか?」

「私が言っているのは、あなたの指揮官としての能力とか、上官の能力とかっ、自衛隊の指揮運営方針とかっっ、政府の対応にっっ、問題はないのかと尋ねているのですっ!それと、ドラゴンの出現が貴方のせいだとは言ってません。ただ、現場で関わった者として、犠牲者が出たことをどう受け止めているのですか?と尋ねているのですっ!」

 はあはあっと息を荒くしている女性議員を前に、伊丹は後ろ頭をガリカリと掻きながら「力量不足といえば、銃の威力不足は感じましたよ。はっきり言って豆鉄砲でした。もっと威力のある武器をよこせって思いましたね。プラズマ粒子砲とか、レーザーキャノンとか実用化しないんですかねぇ。パワードスーツは実用化一歩手前じゃないですか。速く導入して欲しいところです。サイバー○イン社も、基礎研究は税金でやったんだから、介護用とか更生福祉用なんてこだわらず、祖国の国防目的に特許開放してくれたっていいと思うんですがねぇ。軍事は悪だ…なんてどこの発想なんだろう。自衛隊じゃなくったって警察や消防が導入したらどれだけの人が助かるか考えないんですかねぇ。あと大勢の人が亡くなったことは残念に思いますよ」などと愚痴混じりに答えた。

 伊丹の混ぜっ返すような態度に与党側からは苦笑が、野党側からは不謹慎だとかのヤジが飛んだ。

「本省の方から補足したいのですが宜しいでしょうか?」

 そういって防衛省事務次官は、内心の笑いを巧みに誤魔化しながら手を挙げた。

「ええ、伊丹二等陸尉から提出された、通称ドラゴンのサンプルを解析した結果、鱗の強度はなんとタングステン並の強度を有するということがわかりました。モース硬度ではダイヤモンドの『10』に次ぐ『9』。それでいて重さはなんと約1/7です」

 そんな鱗をもつドラゴンとは、いわば空飛ぶ戦車です。こんなものと戦って犠牲者0で勝てと言う方がどうかしているというニュアンスのことを告げた。

 福岡議員は、ため息をつくと伊丹に対する質問を早々にうち切り、その対象を変えた。

 まずは、レレイである。

 さすがに福岡議員も、見た目中学生程度のレレイに大上段から質問しようとは思わず、当たり障りのないところから始めた。まずは挨拶がてら「えー参考人は、日本語はわかりますか?」と尋ねた

「はい、少し」

 はっきりとした答えに安心したように頷くと、レレイに自己紹介を求めた。そして彼女から、レレイ・ラ・レレーナという名前を得た後、今はどのように生活しているかと尋ねた。

「今は、難民キャンプで共同生活している」

「不自由はありませんか?」

「不自由の定義が理解不能。自由でないという意味か?それは当たり前のこと。ヒトは生まれながらにして自由ではないはず…」

 迂闊な質問をして出てきた高尚かつ哲学的な解答に、あわてふためいて「生活する上で不足しているもの、こちらから出来る配慮等はないですか?」と尋ね直す。

「衣・食・住・職・霊の全てに置いて、必要は満たされている。質を求めはじめるとキリがない」

 レレイの答えは福岡議員にとって、不満の残るものであった。だからでもないだろうが伊丹に対するものよりもさらに直裁に、150名の人が亡くなった原因として、自衛隊側の対応に問題はなかったか?と尋ねた。

 レレイは、驚いたように目を白黒させて暫し呆然とする。その上で、ポツリ「…………ない」とだけ答えた。

 次に呼ばれたのはテュカである。

「私は、ハイエルフ、ロドの森部族マルソー氏族。ホドリュー・レイの娘、テュカ・ルナ・マルソー」

 名前を尋ねられて、テュカは胸を張って答えた。
 今日の服装は、リクルートスーツのような濃紺の上下をまとっている。紳士服店で女性店員に無難な吊るしものをと任せた結果がこれである。そのせいか、いつもは高校生ぐらいに見えるテュカも、リクルート活動中の大学生くらいには見えた。

「不躾な質問をするのであらかじめ謝罪しておきますね。その耳はホンモノですか?」

 レレイが通訳するとて、テュカは「は?」という表情をした。そして訝しそうに、「それはどういう質問か?」と尋ねる。

 レレイが、外見の相違に対する好奇心から出た質問と思われると解説した。

「はい、自前ですよ。触ってみますか?」

 テュカは、洒落っぽく微笑むと長い髪を細い指先でたくし上げてその耳を顕わにし、ピクピク動かして見せた。

 その一連の動きと、はにかんだ表情が小動物系ぼくって妙に可愛く見えた。それが原因かどうかはわからないが、一部議員と、傍聴席・マスコミ席からどよめきの声があがる。さらには、目を開けていられないほどのフラッシュが集中して瞬いた。

 さすがに、福岡議員も「そ、それは結構です」と断って、難民キャンプでの生活などについて質問し、不足はないという答えを得た後、レレイにしたのと同じ質問「150名の人が亡くなった原因として、自衛隊側の対応に問題はなかったか?」をした。

 かえってきたのは、表情を氷のように閉ざし俯いた姿である。テュカの答えは「よくわからない」であった。理由を尋ねると、「その時、意識がなかったから」とのことである。

 最後に登場したのがロゥリィである。

 今日もロゥリィは黒ゴスをまとっている。ただ、いつもは後ろに流してるベールを今日は前に降ろして顔を隠していた。まさに喪服をまとった小貴婦人の如し。

 もちろん、薄い紗でできているベールだけに、その顔(かんばせ)を完全に隠せるものではない。が、幼さと気品が入り交じった独特の雰囲気を発していた。わずかに見えるオトガイの線は幼い少女のふくよかなものとちがって、透き通るように細く滑らかだった。そんなところから、体躯は小さいが大人の女を感じさせる。そのアンバランスさが妖艶さとなって、ロリ・ペドの気がない者にも十分な魅力として感じられた。

 手にしている帆布に包まれた重量感のある物体を片手に、ロゥリィは正面に立った。

 ロゥリィの黒ゴスを、喪服の一種と解釈した福岡議員はこの少女からなら、政府を攻撃するのによい材料を得られるのではないかと期待した。喪服を着ているのは、家族か誰かを亡くしたのに違いないから…。

 だから、悲しんでいる少女の心に寄り添うかのように、優しく、親しげに話しかけようと試みた。

「お名前を聞かせてもらえる?」

「ロゥリィ・マーキュリー」

「難民キャンプでは、どんな生活をしている?」

「エムロイに仕える使徒として、信仰に従った生活よぉ」

「どのような?」

「わりと単純よぉ。朝、目を醒ましたら生きる。祈る。そして、命を頂くぅ。祈る。夜になったら眠るぅ。まだ、肉の身体を持つ身だから、それ以外の過ごし方をすることもあるけれどぉ」

「い、命を頂く?」

「そう。例えば、食べること。生き物を殺すこと。エムロイの供犠とか…他にもいろいろねぇ」

 最初に「食べること」を持ってきたがために福岡議員を始め、他の議員達も、彼女の言う「命を頂く」という言葉を、食事をする行為に付随するものと受け取った。実際食事をするとはそういうことなのだから。おかげで、「殺す」という言葉を文字通りに解釈せずにスルー出来たことは、議事堂にいた者の精神衛生にとって幸運なことかも知れない。

 こうして、一通りの質問を済ませると、福岡は「あなたのご家族が亡くなった原因に、自衛隊の対応は問題がなかった?」と尋ねた。

 これには首を傾げたレレイである。なんと翻訳しようと迷ってしまった。なぜなら、ロゥリィは使徒であり、もし彼女に家族がいたとしてもそれは遙か彼方、大昔に亡くなっているはずだからだ。少なくとも今回の出来事と関係はない。

 しばし質疑が中断され委員長から「どうしました?」という声が飛んだ。

 そこでレレイは、この質問の主旨は、ロゥリィ・マーキュリーの家族ことか?コダ村の避難民の件か?と尋ねた。

 どちらも同じ事だろうと思っている福岡議員は、自衛隊や政府にとって不都合なことを隠すため、翻訳過程で悪質な操作がなされているのではないかと邪推した。その為、強い口調でもう一度尋ねた。

「レレイさん、こちらの質問通りに尋ねてください。ロゥリィさんの家族が亡くなられた理由に、自衛隊の対応は問題がなかったか…と」

 仕方なく、レレイは福岡議員の言葉通りに質問を翻訳した。

 しばし、沈黙するロゥリィ。福岡みずのは「しめたっ!」と思った。彼女の琴線に触れた。某かの情緒的反応が望める。

 だがロゥリイが発したのは「貴女馬鹿ぁ?」という日本語だった。




 しんと静まりかえる議場。

「し、失礼。今何といったの?」

 国民社会主義日本労働者党、党首福岡みずのは、戸惑いながらも問い返した。

「あなたはお馬鹿さんですかぁ?と尋ねたのよぉ、お嬢ちゃん」

 ロゥリィはレレイを介さず、日本語で話していた。

「おじょ…失礼ですね。馬鹿とは何ですか馬鹿とは?」

「馬鹿みたいな質問をするからよぉ」

 そう言いながらベールをたくし上げるロゥリイの眼は、馬鹿を見下す蔑視の視線であった。

「さっきから黙って聞いてると、まるでイタミ達が頑張らなかったと責めたいみたい。
炎龍相手に戦って生き残ったことを誉めるべきでしょうにぃ。1/4が亡くなった?違う、それは違う。3/4を救ったのよぉ。それが解らないなんて、それでも元老院議員?ここにいるのが、みんなそんななら、この国の兵士もさぞかし苦労してるでしょうねぇ」

 はい、その通りですとは、中継を見ていた某自衛官の心の叫びである。

「参考人は言葉を慎んでください」

 委員長から、窘めの言葉が飛ぶ。ロゥリィは、これを受けると余裕の笑顔で肩を竦めた。

 これに腹が立ったのか、福岡は目を座らせると「お嬢ちゃん。こういった場は初めてだから解らないかも知れないけれど、悪い言葉を使ってはいけませんよ。それに、大人に対して生意気な態度をとってはいけません」と、幼子を躾るかのように窘めた。

 それは、年齢の高い者が『唯一それだけを頼りどころとして』、年若い者をねじ伏せようとする時の言動であった。

「お嬢ちゃん?それってもしかしてあたしぃのこと?」

 ロゥリィは胸に手を当てて尋ねた。

「貴女以外の誰でもありません。まったく、なんて娘かしら?年長者に対する礼儀がなっていませんね」

「これは驚いたわねぇ。たかが…」

 この時、やばいと思った伊丹は自ら手を挙げた。議員の先生方は、姿が同じならこちらの常識が通じると思っているのだ。彼女らが、こちらの常識外に生息する存在であることを示すには、もっとも効果的なこと…。

「委員長!!」

「伊丹参考人、指名するまで発言を控えてください」

「福岡議員は、重大な勘違いをなさっておられるようなので、申し上げておかなければと…」

 ロゥリィと福岡の間が剣呑な気配を有しているのは確かである。委員長は、伊丹が発言することでそれが霧散することを期待した。

「伊丹参考人」

 ロゥリィが唇をゆがめて、伊丹を睨みつけつつ席に戻った。彼女の目線は「邪魔をしやがって…コノヤロ」と語っていた。

「えー、福岡議員、そして皆様。僕たちは、若い人に年齢を武器にして物を言うことがありますが、時としてそれが我が身に返ってくることがあると思うのです」

「参考人は、簡潔に説明してください」

「…あ、申し訳ありません。つまり、その……ぶっちゃけで言えば、ロゥリィ・マーキュリーさんはここにいる誰よりも年長でありまして…」

「それは、儂よりもか?」

 大臣経験もある保守党の重鎮…御歳87歳…が一番後ろから不正規発言した。

「……………はい」

 馬鹿なことを…という気配が議場内に満ちた。

 参考人の歳を聞いて見ろというヤジが飛んだりする。

 ロゥリィは「女に年を尋ねるものではないわよぉ」と席にいながら応じるが、福岡としては尋ねないわけにもいかないことである。

「おいくつですか?」

「961歳になるわ」

 静まる議場…唖然とする女性議員。不老不死…?という声が漏れた。

 女声による他の参考人の年齢も聞いてみて、というヤジが出たりした。

「165歳」というテュカの答えに、ゾッとする男性議員と、ぐびっと唾を飲み込む女性議員。雪の結晶のような天然の美しさと永遠の若さ。テュカが圧倒的な存在感をもって放射するそれは女性達が追い求めるものであったからだ。それを体現したものが目の前にいる。

 ま、まさか…という思いを込めてレレイへと質問が及び、彼女が「15歳」と答えた時、議場にいた男性議員の間にはホッとした雰囲気すら流れたほどである。美しさ=若さという等式が成立しているオールドタイプの男心というのは、斯くのごとく複雑なのである。

 ここで、レレイの解説が入った。
 レレイは、門の向こうにおいて「ヒト種」と呼ばれる種族であり、その寿命は60~70歳前後である。向こうに住むものの多くはヒトである。

 それは、まさしく門のこちら側における人間と同じであり、議員連中をホッとさせ、同時にがっかりさせた。

 テュカは、不老長命のエルフ。しかもハイ・エルフと呼ばれる妖精種であり、その寿命はエルフを遙かに越えて永遠に近いという説もある。

 ロゥリィもヒトではなく、亜神である。肉の身体を持つ神である。やはり不老だが元来はヒトで、亜神へと昇神した時の年齢で外見が固定されている。通常1000年ほどで肉の身体を捨てて霊体の使徒に、そして真なる神となる。従って、寿命という概念はない。

 福岡みずのは、内心で頭を抱えた。
 先ほどの自身の言からすると、年長者に対する礼儀を示さなければならないのは福岡の側となってしまうからだ。だが日頃から政府に対して、高齢者に対する礼儀や、思いやりが欠けていると主張しているその口は、言葉を失っていた。

 こう言う時は、忘れてしまう。それが社会主義とか共産主義を標榜する者のメンタリティーである。

 都合の悪いことは忘れる。無視する。あるいは捏造する。白を黒と言い抜ける屁理屈論述能力と、それをして平気な面の皮がなければコミュニストとか、ソーシャリストなどやってられないのである。なにしろ革命なった暁には、共産党員という貴族階級となって、人民を『指導する』という名目で特権を享受し、栄耀栄華な生活を送りたいのが本音なのだから。実際、これまで地上に登場した共産主義国家の共産党員は、搾取する富そのものが存在しないという希有な例を除いて、常にそのような特権階級として生活をしていた。そして現在も中国や北朝鮮の党員はそのように生活している。これらの事実が証左となるだろう。

「質問を終わります」

 ホントに終わったのかよという不完全感が漂うが、質問者が終わったと言えば終わりである。福岡みずのは使用する予定だったボードの殆どを使わずじまいのまま小脇に抱えて自分の席へと戻っていった。

 つづいて与野党から何人かが質問に立ったが、これ以降は、門の向こうの生活や、それぞれの文化についての質問ばかりで、ロゥリィやテュカがへそを曲げるようなものはなかった。

 要するに炎龍撃退は、誉めこそしても非難するようなことではない。自衛隊は案外うまくやっている。彼女たちには不満はない。そういうことであった。

 最後の最後に、民生党の窓過議員が立ち上がって、特にロゥリィを指さし「あなたのようないかがわしい存在を神とあがめるような世界は、人間性を破壊する」と発言して、門を閉鎖するべきだと主張したりしたが、ロゥリィ参考人は次のように答えている。

「自分に理解できないとか、合わないとか、気に入らないという理由で異なる文化を廃絶する姿勢は、結局差別に行き着く。『健全』とか『人間性』といった名目で文化を健全と退廃に分別することを大義名分にしたとしても、その一方を抑圧し廃絶しようとするなら、どこで線を引くかが必ず問題になる。今日、中間で線を引いたつもりでも、一方が廃絶された明日には、それは端っことなる。また、その中間に線を引きたくなるだろう。また端っこになる。…やがて人の魂を抑圧する考え方に行き着くことになる。行きすぎた清潔主義、健康主義は必ず極端化して、害悪に転じる」





  *  *





 伊丹等が、国会において参考人招致を終えた頃。

 マイクロバスは、伊丹達を迎えに国会議事堂へと向かっていた。その前と後ろに、情報本部からの差し回された車がきっちりガードしているが、夕刻の首都だけに道路が混んで来れば、割り込んでくる車がいたりするのは、どうしても防ぎきれなかった。

 信号で、停まり再び走り出す。

 周囲の車が、追い抜いたり、あるいはマイクロバスの後ろに入る。その車が妙に遅くて、マイクロバスの後ろで、警護に就いていた駒門の日産車は、マイクロバスから少しずつ引き離されつつあった。

「う~ん、妙だな」

 呟く駒門。苛立つ運転手。

「ったく、足が遅い癖に割り込んでくるんじゃないよ」

 運転手が、ウインカーを出して前の車を追い抜こうとするが、追い越し車線にいる車が妙に遅くて、なかなか車線変更の機会が得られなかった。

 そうこうしてるうちに前方の信号が赤になって、ついにマイクロバスは先へと行ってしまった。

 次第に見えなくなっていくマイクロバスの後部を見つめながら、駒門はマイクを片手に呟くように言った。

「指揮車より全車、敵さんがお出でなすった…気を緩めるな」






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 23
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:5eba37fb
Date: 2008/07/01 20:39




23





 地下鉄丸の内線が、滑るように『国会議事堂前』駅へ入ってきた。

 駅の立地条件もあって終業時刻となったお役人とおぼしき人々が、そろそろ帰宅の途につこうという頃合いでもある。

 さすがに業務中に国会中継を見るという不行き届き者はいなかったようで、ホーム上にいた他の乗客達は、レレイやテュカ、ロゥリィの一際目立つ外見にさりげないチェックを入れても、ジロジロと見るようなことはなかった。

 どちらかというと、伊丹に対する視線の方が痛かった。

 今の服装は陸上自衛隊の制服を脱いで、地下鉄に乗るようにと知らせてきた駒門の部下から受け取ったグレーのスーツにコートという姿である。

 これを着ると見た感じうらぶれたサラリーマンのようになってしまう。こんなパッとしない男が、金・銀・黒の美女、美少女を合わせて3人もまとわりつかせていれば、あまりの不釣り合いさに誰だって「こいつ何者だ」という視線を投げかける。

 余りにも毛色が違うから「娘です」とか「親戚です」という雰囲気をまとうことも難しい。かといって「恋人です、羨ましいでしょう?」と、砂を吐きたくなるような雰囲気を発することも、伊丹の男ぶりではちょっと無理であった。

 善良な第三者が伊丹を見て思うのは、酷い例だと海外の女性を騙すか脅すかして、誘拐してきた人身売買組織の悪人の「手下その3」…あたりである。

 わりとマシなのは、来日した外タレの観光案内を仰せつかった『怪しい』タレント事務所の『スタッフ3号』だろうか。どちらにしても怪しさ満点である。それでいて、一番の悪とは思ってもらえない。三番目くらいというところがポイントかも知れない。

 こんな事なら、観光会社の小旗でも作っておけばよいのである。それを振りながら「はい、こっちですよ~」とか言っていれば、世間は、一流旅館を含む風光明媚な風景、そして高級料理の写真を広告にのっけておきながら、すみっこに『これはイメージ写真です』とか書いてあるような広告を出す、怪しい観光会社のツアコン程度に思ってくれただろう。

 指定されていた先頭の車両を待ちかまえていた伊丹は、列車のドアと連動したスクリーンドアとが開くと、人々の視線から逃れるような気ぜわしさで素早く乗り込んだ。

 レレイやテュカも、伊丹に続いて電車の中を珍しげに見渡しつつ入ってくる。
 ロゥリィは、珍しいことに表情を少しばかり引きつらせていた。

 見ると、車内で待ちかまえていたピニャとボーゼスの2人も不安げだ。富田と栗林がそれぞれをエスコートしている。

「よう」

 伊丹が手を挙げる。富田が黙礼して話しかけてきた。

「ホテルから、バスで移動するとばかり思ってたら、急に四谷駅へ行って地下鉄に乗れって言われましてびっくりしましたよ。時間もなかったし、慌てました」

「ま、問題なく乗れたようだし、いいんじゃないか?」

 伊丹は、富田の腕にしがみついてるボーゼス嬢へと視線を送った。

 富田がボーゼス嬢を心憎からず思っていたことは周囲の誰もが感づいていたから、「はいはい、おめでとさん」という気分である。見ていて腹が立つほどだ。

 革のパンツに、ジャケットという服装で背も高くワイルドな雰囲気の富田は、金細工でゴージャスなお嬢様であるボーゼスを隣に立たせても全く遜色ない。要するにお似合いなのだが、ボーゼス嬢の表情は不安から逃れようとしてのものが感じられて、甘い雰囲気など微塵も感じさせない。

 ピニャも、ボーゼス嬢ほどではないが、ぎこちない表情をして栗林につかず離れず立っている。今、大きな音が鳴ったり、電気が消えたりしたらピニャは悲鳴を上げて栗林にしがみつくんじゃないかなぁとさえ思える。

 思わず、わっ!!と脅かしてみたくなるが、顰蹙を買いそうなのでやめておく伊丹であった。

「丸の内線が地下を走るようになってから、カタコルーベに連れ込んでどうするんだって怯えはじめて。大丈夫だって言い聞かせてるんですけどね、天井は崩れてこないのかとか、灯りは消えたりしないかとか、このまま地の奥底へ連れて行くのか?とか心配してて…」

 四谷あたりだと、丸の内線は地上を走っている。それが途中から地下に入ったので、びっくりしたのだろう。そう言うものだと解っている我々は気にならないが、何につけても初めてのピニャ達にとっては、驚天動地の出来事かも知れない。車内は灯火が明るくとも、車窓の外は真っ暗な地下だ。この乗り物がどういうものかという予備知識もなく、どこに行くのかも知らされていない現状では、不安感を抱いたとしても無理からぬ話だ。

「カタコルーベ……お化け屋敷みたいなもんか?(初出の単語なので、単語帳に記入しつつ)慣れないと地下鉄の走行音ってのも耳障りかも知れないし。恐いのもしょうがないさ。まぁ、でも今でよかった。一昔前の丸の内線って、走行中に電気が途中で切れて真っ暗になることもあったそうだ」

 そんな風に話していると発車の合図音がして、その後ドアが閉った。

 ロゥリィは、音の一つに一つにその都度驚いてはビクビクとしていた。小さく震える手を伸ばし、伊丹へとしがみつく。

「ど、どうしたんだ?」

 ロゥリィも、ピニャ達と同じなのだろうか?だが、ロゥリィのビビリ様は、ピニャ達のものとは、いささか質が異なる感じである。

「じ、地面の下はハーディの領域なのよぉ」

「ハーディ?知り合いか?」

「あいつヤバイのよぉ。もし、こんなところに居るのを見つかったら、無理矢理お嫁さんにされかねないのぉ。200年くらい前に会った時もぉ、しつこくって、しつこくって、しつこくって、しつこくって、しつこくって、しつこくって…」

 そう言って、ロゥリィは伊丹の左腕に自身を左腕を絡めてがっしりと抱きかかえた。右腕は、例によって帆布に包まれたハルバートを抱えている。どんな存在なのかは良くわからないが、ハーディという神様(地下というイメージから魔王ということもありえるか?)をロゥリィは毛虫のごとく嫌っているようである。

「それで何で、俺に?」

「ハーディー除けよぉ。あいつ、男なんて見るのも厭って奴だから、例え見つかっても男の側にいればよって近寄って来ないかも知れないでしょぉ」

 この時、伊丹は間違っている、と強く主張したかった。「か、勘違いしないでよねぇ。ただの虫除けぇ、カモフラージュなんだからぁ!!」といったセリフこそが、こういう場面ではふさわしいはずである。

 異世界の住人に門のこちら側の常識(?)に従うことを求めるのは、間違いであることはわきまえているが、やっぱりロゥリィがお約束のセリフを口にするのを聞いてみたいと思ってしまうのが、オタクとしての正直な気持ちなのである。これは教育の要があるかも知れないと心密かに決意する伊丹であった。

 次の停車駅『霞ヶ関駅』では、駒門が「よおっ」と乗り込んで来た。

「どうでした?」とは伊丹。

「見事にひっかかりました。市ヶ谷園から、レトロパシフィカに場所を変えたことを知っていて、地下鉄に移動手段を変えたことを知らなかった時点で、機密漏洩の容疑者を2人まで絞り込めた。わき出てきた連中には、今切り返しをかけてる。程なく、素性が割れでしょう」

 切り返しとは、追跡してきた連中を逆に尾行して、『どこの誰か』を確かめることである。

「その2人、どうするんで?」

「置いておく予定です」

「捕まえたりしない?」

「必要ありません。そこで水が漏れるということをこっちが承知していればよいのです。それに、敵さんもガセネタ掴まされたと解った段階で、切り捨ててるよ。どうせ、左がかった思想にかぶれてるか、ハニートラップにはまっただけのどっちかだし。いちいち処分してたらキリがないもん。当然、フォローはいたしますがね」

「ハニートラップねぇ…」

「ハニートラップってのは、罠だと承知してかかれば、美味しい思いが出来ます。上司にハニートラップかけられてるようですって申告しておけば、漏洩させて良い情報を用意してくれる。金、女、好きなだけ喰い散らかして、上の用意したガセネタかませばいい。敵が怒り狂って暴露するぞと脅してきても、こっちは先刻承知。みんな知ってる、それがどうしたと笑えば良い。なのに、それが出来ないのだから困ったもんだよなぁ」

 そう言うことが出来そうもない人間だからこそ、敵も狙ってくるんだと思うところである。要は教育の問題なのだが、日本人は、防諜という概念は伝統的に薄いのである。そこに国防に熱心であることを悪のごとく扱う風潮が加わるから、どうにもならなかったりするのだ。

 どこの国か、俺にハニートラップを仕掛けてくれないかなぁと駒門は下品に笑った。

「伊丹さんには、ハニートラップの心配はないですね」

「そう?」

「だってねぇ…」

 そう言いながら、伊丹の左腕をしっかと抱きかかえるロゥリィへと視線を向け、次に伊丹の右に立つレレイへと視線を向ける。斜め後ろのテュカも、ジーンズにセーターというアメリカの女子高生風外見に戻っている。

 駒門は、国会中継を見てないからロゥリィやテュカの実年齢を知らないのである。

「幾ら某国だって、この年齢層の工作員は養成してないでしょ…しな……いや、待てよ」

 ロリな工作員を敵さんが養成を始めたら、我が国にとってかなりの脅威となるかも…などと呟きつつ、「いや、まて、待て、待て。最近噂されている少女コールガールの組織を、その方面から当たってみる必要もあるかな…」と、急に考え込み始めた。

「コールガールの組織がどうしたって?」

「いや、な…」

 駒門は、周囲を見渡して女性達の耳に入らないよう、小声で説明を始めた。

 この手の組織は、スキャンダルに敏感な高級官僚とか一流企業の経営者ばかりを顧客とする。送り出されてくる少女の方も超高級の上玉ばかりだ。ブランド物のドレスやスーツ、あるいは着物。そういった金のかかる格好をして超のつく一流ホテルに、まるで家族連れの如き雰囲気で投宿すれば誰も疑わない。

 もしその組織が某国の工作機関だったら、ターゲットとなりうる客がついたら、少女とのいかがわしい行為に及んでいる場面を隠し撮りして、後でこれをマスコミにばらまくと脅す。今なら、動画サイトにアップするのでもよい。

 対象が大人の女性なら自由恋愛とか言い逃れのしようもあるが、相手が見た目にも解る少女とあってはハニートラップと解っていても対処不能。後は破滅だけが残る。だからこそ、脅された側は絶対に拒絶できない…。

「まさか…そんな年頃の女の子をどうやって」

「それが出来るのが、独裁国家なんですよ」

 少女を選抜し(時に拉致し)、洗脳教育を施し、送り込む。人は教育次第で何にでもなる。爆弾背負って自爆テロに走らせることも、銃を持たせて人殺しを厭わない少年兵に仕立てることだって、人権という言葉を知らない国なら非常に簡単なことなのだ。歴史に名を残す妲己や褒姒、西施、あるいは貂蝉…女性を武器として使うことに関しては、あの国は前例に困らない。

 伊丹を眺めながらその事に気付いた駒門は、携帯電話を取り出すと知り合いの捜査担当者宛にメールを打ち込み始めた。走行中の地下鉄内だから、アンテナこそ立っていないが文面を打っておいて、後で発信すればいい。

「このあとだが予定を早めて、伊東へと向かいます」

 駒門は、携帯に文字を撃ち込みながらも、伊丹に今後の行動予定を告げた。だが、ロゥリィが口を挟んできた。額に珠のような汗をかいて必死な形相であった。

「ねぇ、すぐここを出たいのぉ」

「どうした。乗り物酔いか?」

「どうにも、気になるのよぉ。落ち着かない」

「乗り換えは次の次だし、もう少し我慢できないか?」

 この時、ロゥリィの爪が伊丹の二の腕に食い込んだ。真剣な、そして懇願するかのような視線が伊丹を突き刺す。よっぽど辛いようだった。

 タイミング的には銀座駅に到着したところだ。ドアも開いた。

 二の腕に食い込んだ爪が相当痛いはずなのに、痛くない。そんな不思議を感じながら、伊丹は力の籠もるロゥリィの手に自らの手をそっと添えた。大きくため息をつきつつも駒門へと視線を向ける。
 駒門はよくわかってない様子だ。周囲を見渡して、レレイからは無表情のままの視線を交じらせて来て許諾、テュカは肩を竦めてしょうがないなぁという態度ながらやはり許諾の意を示した。

 富田と栗林は伊丹の部下だから従うのが当然。ピニャやボーゼスだって、地下鉄に乗っていることが良い気分では無いようだから、反対はしないだろう。

 帰宅や買い物の客で、地下鉄は混み始めている。降りる客の流れが終わって、乗り込む客が車内に流れ来ようとする、その瞬間。

「と言うことで駒門さん。俺等、ここで降りるわ」

「降りるよ~」の声と共に、伊丹等はお上りさんを彷彿させる大家族のノリでわいわいとホームへと降りていく。人の流れに逆行するという空気の読めない振る舞いに、乗り込もうとしていた客達はみな嫌な顔をした。が、見ればピニャやボーゼスらは外人だということもあって、皆あきらめてしまう。日本人の「空気読め」という感覚は、同じ文化の人間に対して発動される。明らかに人種や文化が違うと「しょうがねぇや」という寛容さがとってかわるのである。

「ちょっと待てって、あんた、こっちにも段取りというものが」

 駒門も置いてかれまいと、人をかき分けつつ後に続いた。こちらは日本人である。遠慮無く空気読めという感覚が発動されて、人の流れが彼をぐいぐいと押し返した。駒門は必至になって人の波を泳いでどうにか列車から降りた。

「いいじゃないか。一駅くらい歩いたって」

 銀座から東京駅は、目と鼻の先だ。歩いたってたかが知れている。




 地下鉄丸の内線、すなわち今降りたばかり電車が、銀座・東京駅間で発生した架線事故によって停止したことを知らせるアナウンスが響いたのは、伊丹達が改札を出た頃であった。






 地下鉄駅から地上…夜の銀座に出てようやく緊張から放たれたらしく、ロゥリィは、う~んと両腕をのびのびと延ばしていた。例え空気は汚れていたとしても地下にいるより安心できるらしい。よっぽどハーディという存在に近づきたくないようだ。ピニャとボーゼスも、地の奥底へとつれていかれずに済んだという、安心感からか実に幸せという表情をしていた。

 みな、夜の銀座の街を見渡して、昼間とはまた違う風景の煌びやかさに目を見張っている。クリスマス商戦のイルミネーションは、ひときわまぶしく色鮮やかだった。

 栗林と富田は、寸前まで自分達が乗っていた列車が、架線事故が停まったという事実を重く受けとめて周囲への警戒の視線をめぐらせている。

「敵さん、何が目的だと思う?」

 伊丹の問いに、駒門は目を細めた。

「こっちを威圧してるんでしょう。ついでにこっちの力量を測ろうとしている気配があるな…威力偵察っていう奴だ」

 異世界からの賓客が乗っている(と見せかけた)マイクロバスへの、威嚇追跡。

 地下鉄で架線事故を演出して、しばし電車を止める。

 どちらも、直接危害を加えようとするものではないが、こちら側の危機意識をあおるには充分である。

 狙われていることをこちらに意識させ、怖がらせる。すなわち示威行為だ。言わば「お前等に、いつだって手が届くんだよ。憶えておきな」という類の警告なのだ。ただ、それらの全てが成功してない。マイクロバス追跡は駒門の策略で、地下鉄停止はロゥリィのおかげて回避された。

「敵さんも、2度も空振りして今頃焦っているはず。次に空振りすれば三振だから、今度の手はもっと直接的で、解りやすい手段になる可能性が高い」

 交通手段を地下鉄に切り替えたことを知っている人間は極めて少ないため、どんなルートで情報が敵に漏れたのかを推測しようとして、いささか混乱気味な駒門である。何度も尾行をチェックするのもそのせいだろう。

「解りやすい手ってのは?」

「例えば…」

 言った瞬間、ロゥリィが襲われた。彼女の帆布に包まれた大荷物を、人混みから現れたチンピラ風の男が奪い取ろうとしたのである。

「荷物をひったくって後を追跡させて、罠に誘い込む…ってのは古典的な手口なんですが、なにやってるんだぁこいつ」

 チンピラは、ロゥリィの荷物に押し倒されて動けなくなっていた。その大荷物の正体を知る伊丹達はさもあらんという表情で、チンピラを気の毒に思うだけである。だがそれを知らない駒門は、小さな少女が軽々と抱えていた荷物に押し倒されて、なんで呻いているんだろうと不思議に思った。

 駒門は、チンピラにのしかかる帆布に包まれた大荷物へと手を伸ばし、持ち上げようとした。そしてその瞬間、立木の枝を折るような音が彼の腰部から聞こえる。

「ぐ!!」

 急性の腰椎捻挫…すなわち、ぎっくり腰である。下手をすると椎間板ヘルニアを起こしている可能性もある。腰に走る激烈な痛みに、駒門は崩れるように両膝をつくと、両腕で腰を押さえて地に伏した。

「なんてぇ重さだ。バーベル並みだぜ」

 額に脂汗を流しながら倒れ伏す駒門。
 周囲には野次馬の人垣がぐるりと周囲を取り囲み、しかも遠方からは救急車とパトカーのサイレンが聞こえてくる。さらには、国会中継を見た人もいたようでロゥリィとか、テュカ、レレイにカメラ付き携帯を向ける人々も出てきた。

 ここまで衆目を浴びてしまえば、隠密裏に襲撃することは不可能と言える。

 こうして、見えざる敵の三回目の攻撃は、駒門の献身的な犠牲によって防がれたのであった。





   *   *





 料金滞納が祟って、携帯が止まった。

 ガスも止められた。

 水道代も督促が来ていて、そろそろヤバイ。

 年金、健康保険料?んなもんとっくに滞納中である。

 パソコンが止まったら破滅だから何としても電気代と、ネットの光回線代・プロバイダ料は支払ったが、そのかわりに食事が徹底的に貧してしまった。

 99円屋で、コーンフレークと豆乳を買って、朝食と昼食の2食分とする。208円(一食104円)。

 99円屋で、総菜とご飯。208円。これが晩ご飯。

 ありがたや99円屋。我が国日本は、なんて豊かな国なのだろう。




 ……昨日から三食が、シリアルと豆乳となった。なんとヴァリエーション豊かな食事だろう。だがしかし、これで1日を312円で過ごすことが出来る。なんとか食を繋いで生き延びる。生き延びてやる。

「冬コ○までの我慢、我慢」

 そう念じながらペン・タブレットを握る。あと10ぺーじ…であった。

 Xディまで持たせれば、まとまったお金が入る。借金と滞納していた公共料金を支払って、お正月が迎えられる。温かいご飯が食べられるのよ。

「そう思って我慢してきたけれど、そろそろマジでヤバイ。
 夢にまで、シリアルが出てきた。要するに人間は、明日のマン円よりも今日の100円なのよ。って、こんなところで人生の真理を悟ったところでなんになるのだ~あたしぃ」

 電気代が恐いので、空っぽの冷蔵庫のコンセントを抜き、室内の電灯も必要最低限以外は消してしまう。暖房?何それ。服を沢山着込めばいいのよ。パソコンのスリットから漏れてくる空気もあったかいし。

 パソコンの液晶画面の光だけが、今や室内を灯す照明となった。

「誰か金貸して…」とPCメールを打ってみたが、サークルの仲間は皆ほぼ似たような状況。印刷所の締め切りに負われて忙しいか、金欠で汲々としている。よって、つれない返事ばかり。

 親は勘当状態で頼み込めるはずもなく。いっそのこと、夜の街角で立ちんぼするか?

 などと思った瞬間、窓ガラスに映った自分の姿が見えた

 ここしばらく手入れしてない肌。ボサボサもじやもじゃの髪。牛乳瓶の底みたいなメガネ。クマの出来た眼。暗い部屋を背景に、モニターの光に照らされた幽霊みたいな姿だ。不摂生な生活で痩せぎすの手足、緩んだ筋肉、たるんだお腹…スタイルにもいろいろ難あり。

 大きなため息が出てくる。

「こんな29女を、金払ってまで抱きたいなんて思う男なんていね~って」

 PCに、友達からの返事メールが入った。

『あんた、なんだってヨージと別れたのさあ?少なくとも衣食住は保障されてたやないの?馬鹿なことしたよねぇ』

「言わないでくれ。つくづく馬鹿だと思ってる。だけど、それだけは、ヒトとして駄目だと思ったのよ~」

 先輩と結婚したのは、親が早く結婚しろ、結婚しろと煩かったからだ。

 あの時も今と同じようなシュラバで、収入の安定しない毎日の不安から先輩の持つ『国家公務員』という肩書きが、とても魅力的に見えたのだ。

 それに中学時代からのつきあいで、先輩という人の性格を良く知っていたこともある。先輩の家庭事情を知っていたこともある。

 クリスマス(25才)が近づいて、なんとなく血迷っていたのもある。

 お腹をすかせていたあたしは、お腹が減った奢ってくれ、と頼みこむ。

 先輩は、「ま、いいよ」と近くの居酒屋につれてってくれて、焼き鳥をごちそうしてくれた。

 安定した収入の威力というものを、とても強く感じた。あのときの、ネギ焼きやボンボチ…の美味しかったこと。

「先輩、養ってください。かわりに結婚してあげます」

 と、酔った勢いで頼み込んでしまったのだ。先輩なら、断らない。その事を知っていて。

 先輩の答えは思った通りの即答…ではなかった。しばし、あたしの事をみつめて、何を考えているのか不安になるほどの一時が過ぎて、それから「いいよ」という答えが返ってきた。

 おそらく、きっと…先輩はわかっていたのだ。『結婚してあげる』かわりに『養って』という意識で、結婚生活がうまく行くはずないってことを。

 わかっていて、それでも「いいよ」と言ってくれる。それが先輩だった。






 その先輩に向けて、助けてくれとメールをうつ。

 世間的には、別れた夫にこんなこと頼むのはおかしなことだろう。でも、先輩とあたしは嫌いあって別れたわけではないし、ただ、あたしが結婚というものを、甘く考えていただけで、先輩は悪くなくて、結婚という間違った関係をもとに戻したかったから離婚届にハンを押してくれと頼んだだけで………そんな先輩に頼ってばかりの自分は、どうかしてると思うけれど……。

 メールを発信しようかどうしようか、パソコンを前にして悩む。悩む。悩む。

『我、メシなし、ガスなし、携帯代なし』

 まるで核兵器の発射ボタンを押すかのような、苦渋の決断であった。

「………………………………………………………………あたしって、身勝手な女」






 もう、めしを食ってない。最後に食べたのは昨日だっけ、おとといだっけ。

 ひもじさを突破して痛みすら感じるなかで、眠さと疲れで重たくなった眼と、かちかちに凝った項と肩とに気合いの拳をたたき込んで、「あと1ぺーぢ」と呟く。

 27インチワイド TFT液晶モニタの右下隅に表示される時計が、23時35分になったころ。

 部屋のドアが何者かによって開けられる気配を感じた。

 鍵が差し込まれ、軽快な音を立てる。

 ドアのきしむ音。冷たい冬の空気が流れ込んでくる。

「なんだ、起きてたのか梨紗。部屋を真っ暗にして何してんだ?もう寝てるかと思ったぞ。それになんだか寒くないか、ここ。エアコンぐらいつけろよな」

 あたたかい声は、伊丹耀司先輩、その人だった。

「あ、先輩」

 あたしはその名を呼んだつもりだった。なのに自分の口から出た声は「ごはん」だった。情け無ぁ…。





   *   *





 梨紗にとって、それは驚天動地の出来事だった。

「せ、先輩が女を連れてる」

 夜の夜中に、女をつれて「よおっ、悪いけど朝までかくまってくれ。疲れた」とやって来たのである。それはもぅ、梨紗の知る伊丹のすることではなかった。

「………お前は……誰?」

「はぁ?俺だろ。空腹で頭が変になったか?」

「違う、あんたが先輩であるはずがない!!」

 伊丹の手が一瞬止まる。

「へぇ、じゃあ俺が俺じゃなかったら誰なわけ?」

「鬼だ」

「へ?」

「お前は先輩じゃないっ!あたしの先輩を返せ!」

「おいおい、本当に呆けたんじゃないだろうな。メシもちゃんと食ってないようだし、痩せ呆けってやつか?」

 伊丹は梨紗の頭に手を伸ばそうとした。

「触るなっ!!この鬼めっ!!返せっ!先輩を返せっ!あたしの最高の旦那だった、伊丹耀司を返せええええええええええええええええっ!!」

 伊丹はため息をつくと、肩を落とし「そのネタは、わかりにくいぞ」と呟く。実際、伊丹以外の誰も理解できない、と言うか素養がない。

 なのに、「先輩っ戦ってください。先輩はそんな鬼に負けない、強い男のはずです。こんな美女、美少女をゾロゾロと引き連れて歩いているような鬼畜は、先輩じゃありません!!」と、一生懸命セリフを続けている梨紗を後目に、伊丹は「あ~、入ってくれ」と、ドアの外にいた女性達を部屋の中へと迎え入れるのであった。

 見れば、外人ばっかりである。

 問題は、梨紗の琴線に触れるタイプばかりであることだった。

「うわぁぁぁぁぁっ!黒ゴス少女に、きんぱつエルフ、銀髪少女と、紅髪のお姫様っぽい美人に、縦巻きロールのお嬢様っぽい美人と、巨乳チビ女はどうでもいいか……国際的なコスプレの催しってあったっけ?」

 その手のイベントのスケジュールはすっかり頭に入っている梨紗であるが、今年は冬○ミまではなかったはずである。そんな梨紗の疑念に伊丹は窓から外を警戒するように見渡しながら、深夜の訪問を詫びて事情を説明した。

 思わず、「かわいいよぉぉ」とロゥリィに抱きつこうとする梨紗。ひょいとよけられて、ダイナミックに顔から床に滑り込んだ。

「実は宿泊したホテルが火事になって………焼け出されちゃったんだ、これが」

「火事?」

 梨紗はパソコンをネットに繋ぎニュースを検索した。

 市ヶ谷園の火災が記事となっている。出火原因は「放火か?」と書かれている。

 その下には、丸の内線の架線事故。

 そして、国会での参考人招致が写真つきで記事になっていて、梨紗の目にとまった。写真に映っている、異世界から招かれた少女達の姿が気になったのだ。

「ん…」

 開いてみると、ロゥリィ・マーキュリーの「あんた馬鹿?」発言が大きく取り上げられていた。高齢者=老人という、我々の概念を根底からたたき壊す、異世界からの美少(?)女軍団。と言った記述がスポーツ系新聞では書かれている。

 他にエルフ美人や、銀髪の少女の写真も載っている。

『ようつべ』や、『ニヤ動』にも参考人招致の動画がアップされ、コメントやアクセス数がもの凄いことになっている。

 動画に映っている黒ゴスの少女を見て、そして、今自分の部屋にいる黒ゴス少女を見比べる。
 真っ黒で、フリルたっぷりのゴスロリ服。黒色の薄い紗のベールに覆われた黒髪。そして、何が入っているのか彼女の背丈を超える帆布に包まれた大荷物。なによりも、幼げなのに妙に成熟した大人の女然とした切れ味のある容貌は、この世に二つとしてないものだろう。

 結論…同一人物。

 動画に映っているエルフ女性を見て、そして、今自分の部屋にいるきんぱつエルフとを見比べる。
 腰まである金糸を流したような髪。笹穂長耳は、綺麗な曲線を描いて、髪の隙間から後方に半分ほど突き出ている。アクアマリンのような碧眼。着ている服こそ国会でのリクルートスーツっぽいものから、細い脚の曲線がくっきりきっちり浮かび上がるストレッチジーンズに身頃たっぷりのセーターと変わっていたが、身体的特徴はやっぱり見間違えようがない。

 結論…同一人物。

 動画に映っている銀髪少女を見て、そして、今自分の部屋にいる、銀髪少女とを見比べる。
 光の当たり加減で、白髪とも銀髪とも表現できる髪を短くショートにして、肌も博多人形ばりの白さ。小柄な身体は、中央アメリカのポンチョにも似た生地の厚いローブですっかり包んでいて、かえって首や肩の細さが目立ってしまう。整ったその容貌は表情こそないが、かといって能面のような無機的な気味の悪さがなく、しっかりと生きた人間であることを感じさせてくる。強いて言うなら無表情という名の表情をもった少女。

 結論…同一人物。

 ニュース記事の、参考人招致へと至る一連の説明を読み込んで、ようやくポンと手を打って合点のいったことを示す梨紗であった。

「そう、この娘たちはレイヤーじゃなくて、ホンモノなのね。ふふフふふふフふふふフふ腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐」

 独りほくそ笑む瓶底メガネ女を眺めて、「な、なに?これ」と一同を代表して尋ねたのは、テュカである。

 女捨ててると言いたくなるような梨紗の姿にしろ、あちこちに置かれたダンボール箱や、積み上げられ山をつくっている薄っぺらい本や、生きているのでは?と思ってしまうほどの精巧な人形がずらりと列べられた部屋の有様も、やっぱり奇怪である。

 ロゥリィは「ここにも、ハーディがいたぁ」と、おびえを隠そうともせず伊丹にしがみついた。半分泣きそうである。

「これは、俺の『元』奥さんだ」

「えっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっつ!!」

「二尉結婚できたんですか?っというか、こんな男と結婚するような物好きが居たってことじたいが、驚きっ!!だけど、実物見てみたら、非常に納得できる組み合わせっ」と、巨乳チビ女こと栗林の声は、この場にいた皆のこころを代弁していた。






 梨紗の部屋に、久しぶりに明かりが灯された。

 エアコンも長い休息を解かれて、あたたかい空気を吐き出している。伊丹から緊急援助を受け、とりあえず電気代支払いの心配がなくなった梨紗の大盤振る舞いである。

 とは言っても一同は、ようやく落ち着き場所を得てたちまち雑魚寝状態で眠ってしまった。門の向こうでは、旅の最中は野宿・雑魚寝は当たり前だし、お姫様方2人は軍営生活経験者だから、そういうことでいちいち目くじらを立てるようなこともない。さらには、雑魚寝用の各種毛布類が豊富に取りそろえられていたこともあって、それほど悪い環境でもないのだ。ちなみに『各種』というのはこの場合、アン○ンマンとか、○リキュアとか、児童向けアニメキャラなどの模様が入っているという意味である。

 で、伊丹の傍らを陣取るようにしてレレイが寝ている。何故か懐かれているような気がする今日この頃だ。その隣がテュカ。伊丹を挟むようにして反対側がロゥリィ。ちなみにボーゼスとピニャは、富田の向こう側だ。

「ふ~ん。事情はよくわかったけど、そういう危ない話にあたしを巻き込むかな~」

 梨紗は、伊丹が買ってきたコンビニ弁当をガツガツと掻き込みながら、パソコンのモニターを睨んでいた。時折、ペンタブレットを握って、かしかしとなにやら掻き込んでいるから、原稿チェック作業に入っているのだろう。何としても、徹夜で仕上げるつもりのようだ。

「そうですよ、隊長。元奥さまとは言え、やはり民間の女性を巻き込むのはどうかと思います」

 起きている富田が窓の外を警戒しながら言った。

「それに、駒門さんを放り出してきて良かったんですか?」

 ホテルの火事を知らせるベルが鳴り響くやいなや伊丹は、ぎっくり腰でうんうん唸っている駒門を放置して出てきてしまったのである。いくら彼の部下がいるといっても薄情きわまりない行為だ。

「だって、さぁ。ここまで続くと、駒門さんそのものが怪しくね?」

「駒門さんが、情報を漏洩してると?」

「いや、そうまでは言わないよ。だけど、彼と関わりのあるところで情報が漏洩してるんじゃないかって思うわけだ」

「尾行されてたとか」

「それもあり得るけど、どっちとも言いづらいよな。駒門さんを放り出して、こっちに何か有れば尾行というのが正解。何もなければ、駒門さんの方に原因ありってことかな」

「だから、ここで何かあって欲しくないんだけど…」

 梨紗の言葉を伊丹は何気なく無視しながら、伊丹は「さぁ、寝よ、寝よ」とばかりに毛布を被る。そしてふと気付く…レレイの腕が伊丹の腰に回ってる。

「…………どうしよ」

 なんとなく気恥ずかしいが、とりたてて騒いで周りに気付かれるのも困ったものである。いらぬ誤解を生みそうだ。どうせ毛布の下でのこと、黙っていればわからない。

「明日はどうするんです?」

「何もなければ、休暇が楽しめる。せっかくの骨休めをつぶされてたまるか。買い物、そして、温泉でのんびり浸かって疲れを癒そう」

「でも、宿泊先に手が回っている可能性、ありません?」

「予約したところには行かないよ。どっかに、飛び込みでいけばいい」

「この時期に、いきなり行って宿泊できるとこなんてないでしょ?」

「大丈夫、何とかすっから。それより、午前4時で起こせよ」

 一応、不寝番を富田と伊丹でするのである。
 現在午前1時20分。富田は、午前4時から午前8時まで休める予定だ。

 伊丹は目を閉じた途端、眠りに落ちていった。






「時に…梨紗さんは、伊丹二尉の奥さんですよね」

「『元』奥さん。今は、友達…かな」

 梨紗は、パソコンのモニターを睨みつけたまま、富田の問いに答える。

「離婚した関係って、別れたあとも友達に戻れるものなんですか?」

「他の例を知らないからなんともわかんないなあ。あたしんちの場合は、離婚してからの方が友達としてうまくいってる。結婚している時はどうにも落ちかなくって、『妻』って言う役割を演じきれなかったのよね」

 富田は部屋の各所に山積みとなっている同人誌の山とか、各所に列べられた球体関節人形の数々を見渡して、「はぁ、まぁ、そうなんでょうねぇ」と、曖昧な答え方をした。そうですねと肯定すれば本人を目の前に貶してるようだし、否定すれば嘘をつくことになってしまうからだ。

 富田は、積み上げられた本の一つに、何気なく手を伸ばした。そして、頁をめくって凍り付く。

「ああ、止めといたほうがいいよお。男の人には目の毒かも…って、遅かった?」

 紙面一杯に描かれた18禁BL漫画の描写を前に、富田は仕掛けられた対人地雷でも踏んだような顔をしていた。掘り返した地雷を扱うかのように、丁寧に表紙を閉じると、そっと本の山のてっぺんに積み置くのだった。
















[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 24
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:5eba37fb
Date: 2008/07/02 20:42





24





 冬の午前4時過ぎというのは、まだ夜中の内だ。

 原稿が仕上がったのか、プリンターは静かながらも作動音をたてて忙しく働いている。部屋の主は、することもなくなって緊張が解けたのかモニターの前でうたた寝していた。

 伊丹は、そんな梨紗の背中にリリカルなヴィータ模様…伊丹としてはフェイト模様が好みである…の毛布をかけると窓の外へと視線を向けた。だが、明るいところから暗いところは見えにくいし、もしこちらを監視する者がいたら相手から丸見えだということを思い出し、部屋の灯りを落として改めてアパートの外を観察する。

 見た範囲では、人影もない。

 時折、新聞配達のスーパーカブが軽快な4ストローク音をたてながら家々を回っている。タクシーから酔っ払った人が降りてきて、支払いに手間取っていたり、生活リズムがどうなってるんだろうと思うような人のキックボードの音も聞こえたりもする。

 それが明け方近い、都内住宅街の生活音であった。






 首相官邸。

『お休み中、申し訳ありません。総理…』

「なんだね?」

 パジャマ姿の内閣総理大臣が、ベットの中で携帯電話を耳に当てていた。

『特地からの来賓が行方不明になったようです』

「それはいつのことだ」

『昨夜の23時頃です。投宿先の市ヶ谷園で火災が発生しまして…』

 首相は枕元の時計を見た。現在午前五時を過ぎている。

「で、第一報が遅れた理由は?」

『はい。ご報告申し上げるならば、状況をある程度把握してからと思いました』

「で、把握できた状況というのはなんだ?」

『はい。市ヶ谷園の火災の原因は、放火のようです』

「火をつけたのは誰だ」

『まだ、わかっていませんが、予想では……』

「予想ならば不要だ。現場担当者はどうしている?」

『現在入院中です』

「負傷したのか?それは、敵対勢力と交戦したということか?」

『まだ、わかっていません』

「ちっ。で、来賓は無事なんだろうな?」

『…………現在、捜索中です』

「馬鹿か?」

『申し訳ございません。ですが、担当部局も鋭意努力しておりますれば…』

「違う。私が言ってのは君のことだ」

『……と、申しますと?』

 首相は舌打ちすると「もういい」と電話を置いた。

 首相という職に就いた時に、危機管理の重責を担う以上、緊急の知らせが時と場所を問わずに押し寄せて来ることの覚悟は充分に済ませたつもりだった。だが、手足となって働く官僚達がこの体たらくと言う現実には、ほとほと参っていた。

 エリート中のエリートであるはずのキャリア組官僚達。彼らは、ひとり1人を見れば相当に優秀だし、組織を運営していくことについては国際的にも高く評価されている。一つの課題についても、ひとたび問題意識をもてばそれを研究し、対策をたて、それなりの行動を起こすことも出来る。だが、その場その時、その瞬間に自ら責任をもって判断し、必要な対策を施さなければならない突発的な出来事に遭遇すると「なんで?どうして?」と小一時間問いつめたくなるほどに、頑迷で無能な存在となり果ててしまうのだ。

 しかも、彼らは意外と仕事が出来ない。書類と言えばお役所仕事の代名詞であったのに、『年金記録をきちんと整えておく』ということすら出来ていなかったことが暴露されたのは、つい最近の話だ。

 これとて、世の中が平和で比較的安定していれば、時間をかければ何とかできただろう。

 だがしかし今は有事である。しかも、日本を取り囲む環境はとりわけ厳しい。

『特地』の戦況こそ有利であるが、『門』のこちら側では、アメリカ、中国、ロシア、EUのみならず、インド、中東、南米各国大使からの、「『門』にかかわる問題を話し合いたい」という申し込みが連日のごとく入っているのだ。

 アメリカは、最初っから分け前があると思いこんでいる。招かれないパーティーに勝手に押し掛け、しかも行儀良く客用の皿に家の主人が料理を取り分けるのを待つつもりもなく、自分用の大皿を持ち込んでお手盛りで欲しい分を取らせろというのだから、図々しいにも程がある。今のところおとなしくしてるが、こちらからのお土産を期待してのことだ。

 EU各国の首脳からは、日本が『特地』の権益を独占することがないように、くぎを刺しておくような発言が増えているし、ロシア、中国、あと中東や南米の一部…すなわち資源輸出国は、国連による『門』の共同管理を主張している。

 これらの資源輸出国は技術大国にして経済大国の日本が無尽蔵とも言える資源を握ることで、自国の権益や発言力が低下することを畏れているのだ。

 ただ、第二次大戦後のベルリンでもあるまいし一国の首都、しかも皇居から目と鼻の先に外国の軍隊を入れるという主張は常識はずれに過ぎた。向こうも無茶を承知で口にしているに過ぎないから、真剣に取り合わなければならないような事態にはなっていない。

 癇に障るのは、外国に迎合する国内勢力の存在だった。

 与野党の媚中、媚露、媚朝派を始め、各種のNGO団体…宅配便ドロボウの緑豆や、ネオナチテロ海賊グループのSS(海犬)、ダブルスタンダードのアム○スティ、挙げ句の果てに宗教勢力等から、門の向こう側に立ち入らせろ、調査させろ、活動を保障しろ、マスコミ関係者に立ち入り許可を出せ、それが無理ならせめて向こう側の人間と話をさせろという要求が出てきている。

 そう言えば、昨日の参考人招致。『亜神』という種族のロゥリィと名乗る少女…ではなくて本人の言によれば900才を越えると言うが、彼女たちの登場は、各界に強い衝撃を与えたようだった。

 新聞各社のみならず、週刊誌、雑誌社、あげくのはてに芸能界、それとニューエイジ系の団体や、東西の新興宗教などから問い合わせの電話がかかってきたと言うから、笑ってしまった。

 こうした有象無象からの情報開示の要求も日増しに強くなっていくだろう。

 上手にコントロールしなければ、門の向こう側について権益を求める連中と結びついて、無茶な要求が現実になりかねない。国際関係というのは、学校の教室内に似ている。国連という名の教師は無能で無力だ。恨み辛みを記した遺書でも残して自殺しない限り警察は来てくれないのだ。来てくれない以上、無いも同じである。従って、子どもは有力な友達をつくって群れなければ、いじめや、無法者から身を守れない。

 ふと、国際社会という教室の風景を想像してしまう。

 体格のでかい格好つけで威張っている、何かにつけて他人のことに口を出したがる奴がいる。最近は喧嘩のしすぎで、いささかバテ気味の様子だ。

 被害妄想的で、金が無くてぴーぴーしてるのも、食べるものもないのも自分のせいなのに全部他人のせいだと思っている奴が居る。人を嫉んであれよこせ、これよこせと煩くわめく。しかも自分を尊敬しろ、俺にめしを食わせろと要求し、それがかなえられないとすぐに差別だとか、いじめだとわめいて、無視されると癇癪を起こして、机をひっくり返したり筆箱を投げたりする危険人物。最近、角張った兵器を手に入れたと自称して、周囲に投げる素振りを見せているので、向こう三軒両隣で対策会議中。

 その兄弟で、昔虐められたことをいつまでもいつまでも、ぶちぶち言ってるばかりか、家族扱いして養子にいれて読み書きを教えたり借金の整理までしてやった恩義も忘れて、実際にはなかった記憶を捏造して、人の物まで「自分の物だったのが盗まれた」と妄想する奴が居る。実力以上に気位が高いから、過去の自分を美化してなんでも自分が元祖だと言い出す。ひとたび交わした約束を自分の都合で平気で破る。最近は妄想が過ぎてこの間の兄弟喧嘩の原因も、他人のせいだとか思いこみかけている、困ったちゃん。

「こんなのと机を列べなければならないのが嫌だ。席替えを要求する!!」

 想像のあまり、思わず口にしてしまい独り笑う首相であった。

 対処としては、同盟国であるアメリカを始め、関係の良好なEU諸国については、それなりに取り分が期待できることを仄めかせておけばいい。実際問題、『特地』についての情報はまだ多くはないし、もし想定通りなら『特地』開発は、日本だけでは手に余る。要は、重要な部分で日本によるコントロールが効けばいいのだ。そしてアメリカも、ヨーロッパもそれで満足するだろう。

 そうだ、口うるさい内外のマスコミやらNGOには『アイドル』を与えてはどうだろうか?情報開示の進め方は北朝鮮に倣うのが一番だ。派手な動きで視線を集め、肝心なことは少しずつ、薄いサラミソーセージをさらに薄くするかのように、少しずつ。

 問題はロシアと中国だ。

 ロシアの、エネルギーの元栓を握りながらの強引な外交施策は、EU各国でもかなりの反感を買っている。EUが『特地』に強い関心を示すのも、乱暴なロシアの態度に、内心で辟易しているからだ。『特地』から安定したエネルギー供給を受けられるようになれば、強いられてきた我慢もしないで済む。

 当然、ロシアとしては困るわけで、ロシアが強行に国連による管理を主張するのもそれが理由だ。ロシアにとっては『門』は無い方がよいのである。その意味では厳重な警戒が必要だった。あの国は民間機だろうと、漁船だろうと平気で撃つし殺す。下手すると通常弾頭のSLBMを『門』めがけてぶっぱなしかねない。

 ロシアに対しては、EUとも相談しなければならないが…要するにロシアのヨーロッパへの発言力が急激かつ極端に低下しないように気をつかわなければならないということになる。このあたりは『気をつかっているゾ』と示しながら、手を出したらただじゃぁ済まないぞという毅然とした態度を取ることが必要なのだ。

 中国の場合は、ロシアと違って『門』の存在そのものについては否定的でない。何しろ状況が逼迫しているからだ。

 中国は資源輸出国であるが同時に、資源輸入国でもある。この国は、愚かなことに13億人の国民全員に豊かな生活をさせようとしている。

 それは、エネルギーや資源の需要と供給を大きく崩す行為だった。これまでの数十倍という膨大なエネルギーを、一時に必要とすることになる。

 これというのも、あの国が13億と言う数の国民を御すことが難しくなってきているからだ。

 国をまとめるために必要だったのかも知れないが、長年続いた偏った教育の結果、中国人のエゴは限りなく肥大してしまった。中華思想、大国意識、過剰なまでの民族優越意識、そして一人っ子政策からおこる両親による甘やかされ…気位が高くなれば、貧しい生活で満足できるはずもない。日本やアメリカから入ってくるテレビドラマに映し出される主人公のような、高級乗用車を乗り回し、物質的に豊かで享楽的な生活をしたいと思うのも当然のことだった。

 思ってしまうのだ。偉大なる漢民族の一員たる自分が、日本人などよりも劣った暮らしが出来るか、と。嫉妬から来る憎悪、そして受けた教育が民族的恨みという大義名分を与え、日本向けの冷凍餃子にメタミドホスを混ぜたりする。

 13億人が不満を抱く。国内の不公平に不満を抱く。大国の国民のはずなのに、偉大なる漢民族の一員なのに、自分はちっとも豊かでない。

 不満が鬱積し、はけ口を求めて駆けめぐり始める。
 エゴを抑制するという躾が成されていない彼らには道理は通用しない。実力という裏打ちのないプライドは傷つきやすい。真実を指摘したり我慢を強いる者は敵で、自意識を満たしてくれるものが正義だ。

 溜まり溜まった不満が出口を求める。

 日本のような民主国家は、国民は不満に思った政権を選挙という方法で平和裏に引きずり降ろすことが出来る。だが、独裁国家では破壊と殺戮によって政府そのものを転覆させるしか方法がないのだ。だから、彼らは暴動を起こす。

 それは彼の国の指導者にとっては恐怖であった。あり得ないはずのソビエト崩壊もつい最近の出来事だ。だから国民を興奮させるようなことは是非しないで欲しいと頼んでくるのだ「靖国に参拝するのは止めなさいっ!!!」と。

 必死なのである。国民の不満をなだめるため、物心両面における欲望をいかに満たすかで汲々としているのである。だから甘い言葉を囁く。『共産党の政治により未来は明るく、誰もが豊かになれる未来が約束されていて、諸外国はかつてのように中国を宗主国として敬い、ひれ伏すだろう』と。
 その為のチベット弾圧、ウィグル弾圧、そしてオリンピック。厚顔無恥な対外施策も、「人権?何それ」の独裁国にも平気で援助したりする資源外交も、突き詰めればそれが原因となる。欲求と生存本能に忠実なだけに、ある意味わかりやすい。

 やればやるほど国民はますます増長して手に負えなくなると言うのに…。それこそ手のつけられなくなった某国のローソクデモのごとく。破綻点に向かって突き進んでいく悪循環なのだ。エゴの肥大が頂点に達する…おそらくオリンピック以降、中国民衆は超大国の国民にふさわしく、他国民に対して傲慢な態度(今でも傲慢なのだが…さらに)を取ることとなるだろう。時期としては、祭りの高揚が醒めて現実に気付きはじめる頃合いだ。

 となれば、最も安全な我が国との間で事を起こすこともありえると思わなければならない。(外から見れば日本は平和国家であり、殴り返してこないとわかっている相手だからだ)火種にするのは、やはり尖閣諸島にかかわることの可能性が高い。中国人は尖閣諸島に関わることならば、例え軍事行動を起こしたとしても正義だとみなす(よう教育されている)。だが、それは非軍事的な方法だろう。国際社会を敵に回すわけにはいかないからだ。おそらく、台湾を巻き込んで、大量の漁船を送り込んでくるか、それに類することになる。そして短期間でも尖閣諸島に中国人が上陸して赤い旗を翻す。それを国の内外に報道すれば、民衆としては一矢を報いたとエゴを満たし、これを排除する日本の海上保安庁の姿を悪意に切り取った形で動画サイトでアピールすれば、日本に対する敵愾心を高めることも出来て、日本を非難する政府に対する支持へとつながっていく。

 血の気の多い連中が中国政府の対応が「手ぬるい」と非難するデモを起こす可能性もあるが、別に問題ではない。これは反日暴動が起きたとしても矛先は、日本大使館や日系企業の店舗だ。中国政府としては、これで民衆の不満が発散されればよいのだから、黙ってみていればよい。

 だがしかし、事態はこれで収束しない可能性は高い。
 これまでと違って、変に自信をもった中国民衆は、中途半端な妥協を許さないからだ。このあたりの落とし所をどう考えるかが問題となる。中国が期待するのは、日本が中国のメンツを建てた対応をすることだが、そこまで日本も甘くないし、面子を立ててやる義理もない。

 日本としては、このような事態の発生を防ぐには、事を荒立てるより仲良くしていた方が得だということをわからせることである。

 そのための餌が『特地』であった。

 中国はとにかく資源が欲しいのだ。それは強引に奪うか、それが出来ないなら友誼を求めて、分けて欲しいと頼んでくるかのいずれかである。

 今は、日本の権益独占に対する警戒と嫉妬心を示している段階だ。頭を下げるのも剛腹だから『耳障りな雑音』を発しているのだ。これから、ますます露骨になってくるだろう。

 ある意味、ここからが踏ん張り所だ。

 他人が、自分の欲しいものを持っている時、強引に手を出して奪い損なえば、後で態度を改めて「分けて下さい」と頭を下げて頼んでも、分けてもらえるはずがない。その常識をしっかりと理解させる。

 そうすれば、これまでのことはあたかも無かったかのように、好意的な笑顔で友好ムードを演出しつつ握手の手を伸ばしてくるだろう。しかしこれに容易に乗ってはいけない。

 中国の対日外交の基本は、『握手をする時に、つま先を踏む』だ。外務省の官僚は、拳を振り上げてくる相手には断固として退かないが、握手する時につま先を踏まれると簡単に一歩退いてしまうという性格がある。そこにつけ込まれているのだ。だから、中国は様々な形で喧嘩を仕掛けてくる。そして、必ず後で握手しようと言うサインを見せる。その時に飛びつかず、足を踏まれても痛いと言わずにじっと相手を睨みつける覚悟と根性が、対中政策上は必要なのだ。




……………と、言うようにかくも内外の問題が山積しているというのに、官僚のこの体たらくである。

 先代の今泉首相はよくぞ我慢できたものだと思う安中である。「もしかして、わざと?オレって虐められている?」と思いたくなる。

「結局大事なのは学歴なんぞではなく、『人間の質』なのかも知れない」

 先代首相は、反対勢力からは蛇蝎のごとく嫌われていたが、逆に言えばそれだけ指導力に優れ、自分がよいと思う政策をどしどし推し進めていた。

 内閣も政府も緊張感があって自分が、彼の官房長官として働いていた時は、ホントに良いのかと思うほど果断に振る舞うことが出来たが、それも彼の揺るがない政治姿勢が後ろ盾となっていたからだろう。

 さすがに、あれは不味いと思って自分が首相になってからは各方面に配慮した政治をするようにしたのだが…何が悪かったのか閣僚の汚職疑惑とか過去の問題が噴出してくるわ、党内の身内が身勝手この上ないことばかり言い出すわ、防衛省とか年金記録の問題が噴出するわ、もういい加減仕事を投げ出したくなる。

 おまけにこの不始末。

 第1の問題は、「特地からの来賓が行方不明」という重要な情報が、この時間まで報告されなかったことである。

 第2の問題は、有る程度の状況を確認してから伝えようと思ったので有れば、この程度では状況をまとめた内にはいらないということだ。すなわち中途半端なのだ。

 第一報というのは不正確であってもよいのだ。何か事が起きているということを知らせることに意義があるからだ。従って『速さ』と『早さ』のみが価値がある。この報告を受けた責任者は、対応の準備を(物心両面で)整えることになる。

 ついで第二報とは、何が起きているかを詳しく報じることになる。これによって、具体的な対応に動き出す。従って、何が起きているか具体的な中身が大事になるのだ。その意味から見ても、今回の報告は遅くに過ぎて、しかも内容は不十分である。要するに、ちゃんと報告はした。責任は果たしたというアリバイ工作でしかないのだ。

「これで何を指示しろって、言うんだよ」

 と、ぼやいてしまう。とは言っても、何もしないわけにはいかないのが彼の立場だ。特地からの来賓は、この戦争を終わらせるばかりか、特地と我が国との将来を方向付けるという意味でも重要な存在となる。しかも、その中には国会を湧かせてくれた、あの綺麗な三人組も含まれている。彼女たちには恐い思いはさせたくない。

 安中は携帯電話を再び開いて、電話をかけた。

 しばしの呼び出し音に続いて、相手が出た。

「麻田さん、朝早く済みません」





「よかった、起きておられましたか?睡眠を邪魔するんじゃないかって心配してたんです。とは言え電話をしなければならない立場がお互いに辛いところですね。え、私ですか?さきほど叩き起こされました」





「実は特地からの来賓の件です。各所からいろいろと雑音が入ってたのは麻田さんもご存じだと思うんですが、雑音もいささか度が過ぎたようで、来賓が逃げ出してしまったんですよ。無事ならいいんですが……ええ」




「え?……いや、実はお恥ずかしいながら、たった今報告を受けたところで」




「はい。正直言って今の担当者では心許ないので、お手を患わせますが『特地問題対策担当大臣』にお引き受け願えないかと…丸投げになってしまって申し訳有りませんが」




「ええ、宜しくお願いいたします」

 安中は、携帯電話を閉じると盛大に「くそっ」と罵倒した。麻田から嫌みの一言二言も言われたようである。「もう辞めてやる。辞めちゃうぞ、こん畜生め」と呟きながら、ベットに潜り込むのであった。






 夜の帷があけた。

 テレビでは、無責任なコメンテーターがあちこちで起きた出来事について、あまり意味があるとも思えない個人的な感想を述べはじめた頃合いである。まだ眠っている者を邪魔したくないので、音量を小さく絞って流しっぱなしにしておき、雑魚寝している者を踏まないように注意しながら、伊丹はワンルーム・マンションに申し訳程度につくられている狭い台所に立った。

 コンビニで購入したパン、牛乳、卵等を用いたフレンチトーストを作り始める。

 彼のする料理は焼く、炒めるのどちらかだけである。味は甘くするか、ソースないし醤油をかける、あるいは軽く塩をふるの単純なもの。複雑な味付けはしないし、出来ない。ダシも使うとすればスーパーで手に入るカツオダシだ。

 素材の味を生かした素朴な…と表現すれば、それなりの料理であるかのように思えるが、要するにフライパンで焼いものでしかない。今日の朝食は、卵と牛乳を混ぜたもの(砂糖少々)にパンを浸して焼いたものであるし、冷凍食品のミックスベジタブルを炒めたものである。

 もし、晩飯を作らせたらきっとスーパーで一番安いオーストラリア産かアメリカ産の肉を買ってきて、フライパンで焼いて、軽く塩と胡椒をふっておき、後でソースをかけて食べるという食事になるだろう。もちろん野菜は、冷凍のミックスベジタブルである。生野菜を食べるなら、キャベツとかレタスを半玉買ってきて、ざくっと切ってそのまま出すという大胆さだ。ご飯は、一度に4合くらい炊いて置いて一膳ずつラップにくるみ、冷凍保存しておく。毎回必要分を電子レンジで解凍して食べる。

 要するに料理は、変な味付けをしようとしなければそれなりに食える。そうすれば、とりわけ美味くもないが、まずくもならない。それで良いと思うところが、伊丹の食に対するこだわりであった。

 散らかっている荷物を部屋の隅に押し退けて、大判の折脚テーブルを部屋の中央に置く。そこに皿を伊丹は列べていった。

 富田はぐーすかと入眠中。栗林は一度トイレに起きてきたが、今は再び眠っている。

 この2人が目を醒ます頃には、朝食はすっかりと冷めているだろうが、そう言うことはあんまり気にしない。

 異世界組では、ピニャとボーゼス…それとロゥリイの3人が早起きであった。

 ロゥリィは起きた途端、窓の外に見える太陽の前で跪いて祈っていた。

 ピニャとボーゼスは最初はテレビに驚いて見入っていたが、ニュース番組の類は言葉を解さないと理解が難しいために、程なく飽きが来て、今度は室内に置かれた同人誌の数々へと関心を移していた。

「で、殿下、こ、これは」

「う~む。これほどの芸術が、この世にあったとは」

「殿下。ここは異世界です…」

「そうだった」

「…………………」

「…………………」

「文字が読めないのが恨めしい」

「殿下。語学研修の件ですが、是非わたくしを」

「狡いぞ」

「わたくしがこれらを翻訳して、殿下の元に…」

「…………………」

「…………………」

「………う、う~む」

 伊丹は、自分なりにピニャやボーゼスの会話に割り込むタイミングを見計らいながら、「あの…」と声をかけた。

 ピニャもボーゼスも、ページを捲る手を止めて驚いたように顔を上げた。ロゥリィも、丁度お祈りが終ったようで、伊丹へと顔を向けた。

「朝食。出来たんだけど、食べる?」






『特地問題対策担当大臣』麻田太郎 宅。

 伊丹等がフレンチトーストという洋風の朝食を食べている頃、麻田も東京滞在時用の自宅で、ごはんに納豆にみそ汁という日本人的(関西方面の方には、異議がおありであろうが、ここはご勘弁頂きたい)な朝食をとっていた。

 第1秘書の野地(のじ)が、麻田事務所の秘書集団を引き連れて「おはようございます」とやってくる。

「大臣、今日のご予定ですが…」

 などと、メモを開きながら読み始めるのをさえぎって、麻田はみそ汁をすすりながら「悪いけど、それは中止だぜ」と独特のしわがれ声で宣った。

「どうしました?」

「明けがたによお、総理から電話があったんだよ。特地からの来賓が行方不明だってさ。だから任せるってよ」

「それって!だって『特地』のことであっても講和については、総理が官邸主導で行いたいからって強引に奪っていった仕事じゃないですか。それが、自分では手に負えなくなりました、あとはお願いしますなんて、都合が良すぎませんか?」

「そう思うだろう?俺も思っちゃうんだよ」

 ま、考えなくてもわかることだが、首相は『この戦争を圧倒的に有利な条件で終わらせた』という成果を独り占めしたかったのだ。狙いは間違ってないと思う。だが、手に負えなくなるとすぐに投げ出すのが、今の首相の悪いところである。要するに、根性が座ってないのだ。

 もしゃもしゃと味海苔を口にする麻田は、そんなことを呟いた。

 野地は、「はい、かしこまりました」と呟いて、携帯電話で各所にキャンセルの連絡をしていく。

「それでよ、野地。悪いけど官邸まで行って、来賓の方々の資料を貰ってきてちょうだいよ。ついでに総理の顔色を見てきてくれ。松井、朝一番で担当者会議を招集するから関係省庁に連絡してくれ。それと『情報本部』の担当者に状況がどうなっているか問い合わせてくれよ。以後の報告はこちらにするようにと付け加えてな」

「あ、はい」

 野地は、携帯と手帳を懐に戻すと即座に席を立った。第二秘書の松井が携帯電話を取り出して各方面に連絡を始めた。




  *   *





「よし、今日は楽しむぞ」

 朝食終了後、伊丹は片づけを済ませると、テレビをかぶりつきで見ている特地組女性衆に宣言した。テレビの画面には昨日の参考人招致でレレイらが質問されている様子が映しし出されている。

「楽しむって、それどころじゃないんじゃないですか?」

 昨日は狙われたり、ホテルに火をつけられたりしたのに軽率ではないかと栗林は言う。

 だが伊丹は首を振った。「俺のモットーは『人生は息抜きの合間にっ!』だ」と。

 そう言う問題じゃないように思うんですが…と富田も首を傾げるが、この場における最高指揮官の伊丹が「休暇を楽しむぞ」と宣言する以上、二等陸曹でしかない身では言い返しようもない話であった。

「第1、万が一敵が居て、俺たちがここに居ることを知ってるんなら、ここに閉じこもってたって危険なことに変わりはないじゃないか。それだったら、外を出歩いて人目の多いところで遊んでいた方が、よっぽど得だ。違うか?」

 確かに一理あるようにも思える話であるが、なんだか、たかが一理のために、もっと大切な何かを忘れているような(出展元ネタ/将軍はやってこない)感触もあるのだ。もちろん富田だって、栗林だって仕事大好き人間というわけではない。若いのだから買い物をしたり、遊んだりもしたい。だから、伊丹が遊ぶというのだから「まぁいいか」と最終的には受け容れてしまうのである。

 そうなれば、問題はどこへ行くかである。

「はいっ、お買い物っ!!渋谷っ、原宿っ!!」

 手を挙げたのは、梨紗であった。買い物は狩猟本能の代償行為とも言われている。金銭的な困窮を堪え忍んできた反動からか、熱烈な購買意欲が頭をもたげたようである。

「なんでお前が提案するんだ?」

「えーーーーーーーーもしかして仲間はずれ?!!いぢめかな?これって、いぢめっ?」

「別にいじめてないって。みんなが良ければ、別に構わないと思うぞ」

「やったぁ」と喜んだ梨紗は栗林に買い物を提案した。栗林もこれに賛同すると、テュカやレレイに、渋谷や原宿がどんなところであるかの説明をはじめた。「洋服だの下着だの…」云々という言葉が聞こえて来る。ロゥリィはなんだか気が乗らない様子であったが、梨紗が「黒ゴス……今着ているようなのが良ければ、下北沢に専門の店があるよ、行ってみる?」と言ったのを栗林が通訳した途端、態度を180度変えて賛成票を投じた。

 女性陣の希望が渋谷を中心としてその周辺に決まりそうな中で、伊丹は「俺としては、秋葉原、新宿、中野なんだが」…と、何が目的なのか理解できそうな地名を呟いたりする。

「自分としては、どこでも良いんですが、ボーゼスさんが『この世界』の資料とか見れるところがいいと言ってますので、図書館などはどうかと思います」

 と、富田がピニャやボーゼスの意向を代弁した。実に渋い意見である。図書館デートを企画しているようであった。

 行きたいところが別れてしまった。

 伊丹は、「……」と梨紗の顔を見て、「同行してはいけない、絶対にいけない」というゴーストのささやき…ではなく絶叫を耳にした。

 女の買い物につき合った男の末路は悲惨である。覚悟を完了してとことんつき合うつもりなら、それなりに楽しめる可能性もあるが、中途半端な気持ちで関わるなら絶対にやめておいた方が良い世界なのである。

「とりあえず午前中は別れて行動するぞ。余裕を取って午後2時に新宿駅で待ち合わせして遅めの昼飯にする。それからは集団行動で移動して夕方は温泉で、夜に宴会ってことで」

 こうしてレレイらは、異世界の街へと買い物に繰り出すこととなった。







 単独行動の伊丹や図書館行きの富田・ピニャ・ボーゼスと別れた、ロゥリィ、レレイ、テュカらは、栗林と梨紗に連れられてまず原宿に現れた。

 おのぼりさんよろしく、周囲を歩くものすごい数の人に圧倒されてきょろきょろしている。そんなレレイ達をつれて梨紗が入ったのは、当然のごとく服のお店であった。

「どうにも、その格好が我慢できなかったよねぇ」

 と、梨紗は宣言すると、レレイのポンチョにも似たローブを追い剥ぎか、性犯罪者のように「うへへへへへ。良いではないか、良いではないか」と、ひっぱがして可愛ゴー系や、ギャル系、ナチュラル系等の服を次々と取り出してきては着せ替えた。どうも、等身大の人形遊びとでも思っているかのようである。

 着せては脱がせ、着せては脱がせ…そうこうしている内に、色は別にしてもレレイが気に入った様子を見せたトップは、シンプルで腿を半分まで覆うロング丈のカットソー(ここまで長いとワンピースと呼ぶべきか?)、ボトムは膝丈のレギンスであった。たっぷりとした生地で身体の線を覆い隠してしまおうとするところに彼女の恥じらいが感じられる。だが逆に下の方は伸縮自在でぴたっとした生地が細めの脚をなかなか良い感じで強調するから、こちらのほうでは冒険を試みている。

「ふむ。そう来たか…」

 ならば、色としては水色、黄色、ピンク…と眼にもまぶしい色を勧めたい。梨紗としては、これにしっかりした作りの可愛いアウターを選んで、冬の東京にも対応可としたいと思うところである。

 だが、レレイとしてはパーソナルカラーの白に、どうしても気が惹かれるようであった。

 梨紗としてはさすがに上下全部が白の無地はどうかと思った。「白に白じゃ、詰まらないじゃないっ!!」

 そこで妥協策として刺繍が入っているのとか、柄物を勧めた。

 結局の所トップは無地の白が採用された。(ただし悪戯で、背中のカットが深い大胆なデザインのものを忍び込ませた。これによって、細い肩からうなじのラインがあらわになってコケテッシュな魅力を男共に振りまくだろう)。レギンスも生地は白だがこれについては、おとなしいながらも刺繍やリボンが入っている可愛いデザインのものを強く勧めた。

 対するに、テュカの方は、ずらっと列ぶ衣装を前に自分なりの好みから、次々と欲しいものへと手を伸ばした。

 今着ているストレッチジーンズとTシャツ+セーターという組み合わせも悪くないが、どうにもおへそが出るのは、心許なく思っていたようでレレイが手にしたような丈のたっぷりとしたものを手にした。ただし、身体の線が強調されるピタ系Tシャツワンピを選ぶところは、スタイルに対する自負心が感じられる。『脳筋爆乳』と呼称される栗林ほどではないとしても、形状の良い曲線を有しているのだ。色は森の妖精らしく当然のことながら緑…若草色だ。

 梨紗としては、テュカのウエスト周りはすっきりとしすぎているから、小物入れかハードなベルトでウェストマークをつけたいところである。寒気対策としてはダブルのコートが良いかも知れない。

 着替え終えたテュカやレレイが試着室から出てきたところで、梨紗や栗林そしてロゥリィが「おおっ!!」とぱちぱちと手を叩いたりとファションショーのノリである。

 ブロンド碧眼のテュカや、プラチナブロンドのレレイは外国人モデルみたいにとても見栄えがよく、見物人も集まってお店の中はちょっとしたガールズコレクションという雰囲気になった。お店のスタッフも丁度良い人寄せになると思ってか、大いに協力的だ。

 こうして、レレイが眉を寄せるような例えば花柄のノースリーブのタンクトップとか、様々なデザインのものが買い物籠に放り込まれていく。テュカの買い物籠も、梨紗によって深Vサイドギャザーなど、いわゆるセクシー系の衣装までもが次々と放り込まれていった。

 昨日の国会中継や、今朝方のテレビ等で、テュカやロゥリィを見憶えていた人達もいたようで、時々「あの三人って、『こっかい』でしゃべってた娘とかでしょ?」などという声があちこちで囁かれだした。その頃合には、このお店での買い物も一段落ついたのでお会計である。

 お店も売り上げに貢献してくれた5人の女性の買い物には、たっぷりのおまけという形で好意を示してくれた。

 ちなみに、買い物の代金はそれぞれ各自が負担している。

 以前述べたように、レレイは日本政府から通訳などの業務のために雇われているし、テュカは森を切り開く際にどの樹は切って良い、どの樹は駄目という指導をしたり、水源捜索(水の確保は、非常に重要である)といったことで重要な役割を果たしている。ロゥリィは、アルヌスの北の麓につくられた墓地で、祭祀をしたり、宗教的禁忌などを避けるためのアドバイザーの役割をしている。そんなこともあって3人とも、『特地』では使い道のない日本円を結構貯めているのだ。

「次はインナーよ!!その次が黒ゴス、そしてアクセっ!」

 梨紗の宣言によって5人の女性は、下着のお店へと向かうのであった。ちなみに、これ以降の買い物の描写はしない予定だ。というか、出来ない。






 一方、ピニャとボーゼスの2人をひきつれた富田は、図書館へとやってきた。

 図書館に収蔵されている膨大な量の書籍に目を丸くしつつ、2人は国家がこれらの書籍を一般に開放し、見たい者がいつでも見ることが出来ると言うことに感銘を受けていた。

「どんな資料が良いですか?」

 門のこちら側の世界を知るための資料は無尽蔵にある。だが、文字が読めない以上、写真集や映像資料がよいだろうと思いつつ、どんな資料がいいのかと注文を尋ねたところ2人の答えは即答であった。

「芸術」











[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 25
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:5eba37fb
Date: 2008/07/08 21:02




25





 東京都新宿区新宿二丁目1丁目…誤記ではない。『新宿二丁目』は地名である。

 ここにはかつて『古(いにしえ)の聖地』があった。

 もちろん今は存在しない。

 地下鉄丸の内線『新宿御苑前』駅を出て、とあるビルの外壁に面した鉄の階段を上る。

 ドアをくぐるとそこには漫画を始めとした、他では入手の難いアニメのポスター、下敷き、ポストカード、そしてセル画などが販売されていた。

 なんだ、そんなものなら扱っている店はどこにだってあるではないか…と思う向きも多いだろう。どこでと問えば、秋葉原、池袋…と、いくつかの地名を挙げることも難しくないだろう。

 ……いやいや、それは今のこと。当時秋葉原は世界にその名も知られる『ただの電気街』であり、池袋にも乙女ロードなどと冠される通りもなかった。そもそも『オタク』などと言う言葉も、市民権を得る前だ。あの宮崎某(なにがし)という男が幼女をつぎつぎと拐かしては性欲のはけ口とした上で殺し、そのあとメガネをかけた長髪の気持ち悪い外見と言動(おそらくそういうキャラクターを演出していたのだと思うが)の男が現れ、オタク=キモ悪というイメージを確固たるものとしてくれるのだが…それよりホンのちょっと前の話である。

 そう。時は、およそ20年前…。

「当時、結婚したばかりだってえのに、選挙で落選して浪人してたころだな」

 スーツ姿のおっさんが旧き良き時代を懐古しつつ呟いた。

「俺は中学生でした」

 伊丹は、さっぱりしたような口調で語った。ふたりは互いに顔を見合わせようともせずじっとたたずむように、かつての聖地だったビルを見上げていた。

「SPも連れずに独りで来るとは思いませんでしたよ。何かあったらどうするんですか?」

 なにしろ、このすぐ近くには左がかった人々の聖域たる『模○社』(左がかった、というより強烈なまでの左の書籍やアジビラとか、ミニコミとかそういった書物、機関誌を専門に扱うお店であり、すなわち熱烈な活動家の方々とか、あるいは共産趣味の人が集うのである)なる店もあるのだから。

「何言ってるんだ。『最強』のボディガードがついてるだろ?」

「閣下も『冗談』を真に受けてるんですか?アテにされても困りますよ」

 ようやく2人は向き合う、そして延ばした手を互いに握り会った。

 立ち止まっていても何である。2人はそぞろ歩きしながら入園料を支払って、新宿御苑の門をくぐった。さすがに冬の平日だけあって、御苑内で散策する人もまばらだ。遊歩道の枯れ葉を踏むとパリという感触が靴底を通して感じられる。

「あのころのチューボーが、今じゃ立派になって」

「あのときのおっさんが、今じゃ『閣下』ですからねぇ」

「閣下ねぇ…ぴんとこねぇなぁ」

 気のおけない同志の会話。互いに言葉を飾る必要もない。政治家の嫉妬や『裏』の意味が込められた陰険漫才のそれとは無縁のものだった。

「あのときに、この『軽シン』とか、『めぞん一刻』って本は面白いか?って話しかけられたのが、きっかけでしたねぇ」

「そうだっけか?」

「当時、ビックコミックスピリッツとかの青年誌は、中学生が手を伸ばすのは憚られた時代でしたからねぇ、なんてこと訊いてくるんだこのオヤジはって思いましたよ。しかも、内容を解説するのに小一時間くらいは喋らされましたからね」

「代価としてメシを奢ったろ?だいたい、手を伸ばすのも憚れるって言ったって、ちゃんと内容を把握していたろ、お前さんは」

「そりゃあ、『めぞん』や『軽シン』もアニメになってましたから」

「ほほう?当時の軽シンアニメ版はR規制だったんじゃねぇか?」

「そ、そうでしたっけ?」

「確かそうだったと思うぞ。何しろ、肝心の場面に実写(注:イメージ画像であって、AVというわけではない…が、親に見せられるものでなかったことは確かである)が入ってたんだから」

 麻田太郎は、鼻で笑った。

「あれから、お前さんが教えてくれた漫画は全部読んだぜ、人類ネコ科…作者が急逝したのは惜しかった(ヒロインに惚れられて、嫉妬に駆られた連中から主人公が追い回される光景を描いたものとしては、最初の作品ではないだろうか?それ以前のものがあったら知りたいと思う)。県立地球防衛軍とか巨乳ハンター…非常に笑えたな。あと、もっと後だが寄生獣も秀逸だった」

「俺も、貸して頂いた荒野の少年イサムとか、サスケはなかなか面白かったです」

 サスケ、イサム…古い…。ホントに古い。だが名作である。漫画読みを自称するなら読んでおいて損のない名著だと私は思う。

「黒人ガンマンのビッグストーンと、イサムとのゴーストタウンでの決闘は、凄く燃えましたね」

「そうだろ?ありゃ最高だ」

 こうして、2人のオタクはしばしの間、漫画談義で時を過ごした。だが、楽しい時とはすぐに過ぎていくものでもある。

「お、そろそろ時間だ」

 気がつくとあっと言う間に一時間が過ぎていた。時間単位で仕事のある麻田にとっては、もう次の仕事場へと向かわなければならない。

「あ、これを…」

 伊丹は、麻田に本屋の袋を手渡した。中には電話帳ほどの厚みと重量感のある本が入っていた。

「ありがてぇ」

 麻田は「じゃぁまたな」と手をあげた挨拶をすると背中を向けた。

 そして数歩歩いて、「あっ、しまった」と振り返る。

「お客さん方は元気かい?」

「ええ」

「ホテルから逃げ出して行方をくらましたのは良い判断だ。だが、ちと困ることがある。こっちとしては手を伸ばしてきた悪戯小僧の手をピシャリと叩いて、叱りつけておきたいところなんでな」

「体制は?」

「お前さんの原隊…えすえふじーぴぃ(SFGp)って言ったか?その連中に任せることになった。ってことだから、当初の予定通り予約しておいた旅館に入れ。特地問題対策大臣兼務防衛大臣として、職権をもって命じる」

 麻田はここで「命じる」という言葉を用いた。そこに伊丹は麻田の心意気を篤く感じるのである。
 はっきりと命令すると言うことは、何かあったら責任を取ると言うことを意味するからである。責任を取らない奴は、命令をせず「頼み事」と言ったり、「相談」とごまかして、何かあったら現場の暴走ってことにして逃げるのだ。その意味では、はっきりと命令された方が安心できるのである。そして、それは現場に立つ者にとって最高の支援となるのだ。

「命令する」「される」の関係を血の通わない無機的なイメージで捉えることもあるだろうが、現実にはこういう側面もある。

 伊丹は、離れていく麻田の背中が見えなくなるまで、45度…則ち最敬礼をもって応じていた。






 さて、待ち合わせの時刻に、待ち合わせ場所にそろった面々を見渡すと、伊丹は思わずため息をついた。

 なにしろ、それぞれに大きな荷物をかかえていたからだ。

「つい、買い物しすぎちゃって」は梨紗の言い訳であったが、はたしてこれが「つい」…の一言で済む量だろうか?

 例えば…衣類、小物類、婦人用雑貨の数々は梨紗である。おそらく、伊丹の貸した金の殆どを使い切ってしまったのではないだろうか?

「大丈夫、冬コ○まで持てばいいんだから」などと宣っている。

 テュカは、山岳用品店の手提げ袋をぶら下げていた。それとスポーツ用品店の包装紙に包まれた機械式洋弓(コンパウンドボウ)一式である。どうやら森の精霊というのは徹底してアウトドア派のようであった。

「こっちの弓って凄いのよ」

 レレイは、やっぱり十数冊にわたる書籍である。他にも、ノートパソコンとおぼしき箱を大事そうに抱えてもいた。こんなもの買って、向こうで電気…どうするつもりなんだろう?

「……………………………………本は必要なもの」

 ロゥリィは元から抱えているハルバートもあってか、比較的荷物が少な目である。が、それでも手提げの紙袋には、黒いフリルや刺繍の塊とおぼしき衣装の数々が詰まっていた。

「向こうじゃぁ、誂えるのも大変なのよぉ」

 これに対して、図書館でもっぱら『芸術探し』に時間の大半を費やしてしまったピニャやボーゼスは、買い物を楽しんだロゥリィ達を実に羨ましげに見ていた。どうやらお目当てのものは見つからなかったようである。

 富田曰く、「何を探しているのだか、はっきりしなくって。ギリシャかローマ時代の彫刻だと思ったんですが、彼女たちの注文とはイメージがあわなかったみたいです…」だそうである。





    *    *





 アメリカのロッキー山脈の地下には、緊急時…例えば核戦争における全軍の指揮運用を目的とした総合作戦指揮所がつくられていると言う。

 小説や映画では、薄暗い指揮所内のモニターやスクリーンにきらめく無数の光輝(グリッド)や、スイッチがイルミネーションのごとく瞬く様相を形容して『クリスタルパレス』と記されることもある。

 実際、航空自衛隊の防空指揮所には、そのような場所もある。

 だが、市ヶ谷の地下につくられた『広域指揮運用センター』や、『状況管理運用システムルーム』などと称される部屋は、どちらかというと報道番組か政治バラエティ番組を収録するテレビスタジオのような印象を受けるかも知れない。

 明るい部屋の中の片隅には編集室のようなブースがあって、無数のモニター画面がある。そして、指揮運用に携わる制服組の幕僚達が詰めて、刻一刻と変化する状況に応じて、巨大な液晶パネルに表示される部隊符号を切り替えていた。

 正面に映っている画像によると、現在九州南西部の石垣島に中国方面から近接してくる航空機があり、これにたいしてスクランブルが発動されてF15が二機向かっている。

 あるいは、同近海に潜む潜水艦が赤く示されている。

 その近くには、青い色の潜水艦マークがあって、赤い潜水艦の後ろをつけ回している。

 某刑事物の映画では、事件は会議室で起きているのではない…というセリフが流れたが、ここでは現場と会議室が直結している。状況の中に投じられ、否応でも視野が狭くなる現場担当者を、後方に控えた冷えた頭の運用管理者が広い視野の元で支援し、指揮を行うシステムなのである。

 この部屋に、特地問題対策大臣兼務防衛大臣の麻田が背広組の参事官と、制服組の幹部らに付き添われて立ち入った。

「おはようございます、大臣」

 24時間常時勤務態勢のここでは、時計の針がどの数字を指していようとも、習慣的に「おはようございます」と挨拶される。テレビなどに見られる芸能界の習慣を諧謔的に取り入れたものだが、かえって武張った印象が薄れて気軽な気分で挨拶が出来る。

 麻田も「おはようさん」と手を挙げつつ参事官に案内され、指揮所のなかに臨時にしつらえられた椅子へと腰を下ろした。

「指揮運用担当の竜崎二等陸佐です。宜しくお願いいたします」

 麻田の前に現れた制服自衛官はそう名乗った。

「俺、正直言って戦争ってこんなんだと思わなかったぜ」

 竜崎に感想を告げながら、麻田はコートを脱いだ。すかさず婦人自衛官のひとりが受けてハンガーにかける。

「そうですね大多数の人は、戦争映画みたいに大規模な戦力が連日衝突するような印象を抱いていることでしょう。ですが現代戦は、大別して2種類のものになりました。ひとつは警察活動とゲリラ戦とが混ざったようなもの。そしてふたつ目は『湾岸戦争』のような、戦う前に準備を周到に済ませ、敵の急所を見極めて、いざ戦闘を始めれば一気呵成に、敵の要点のみを一撃で粉砕してこれを倒す…というものです。昔のような戦争は映画の中か、あるいは途上国のものです」

 竜崎が、イラクで行われている米軍の戦いを例に挙げた。

 かつてのゲリラ戦は『ジャングル』を舞台に、敵味方の視界のほとんど無い森に隠れるようにして互いに遭遇戦、待ち伏せ戦を行うというものだった。だが現在は違う。無辜の市民の中に敵は潜み隠れ、スーツを着たまま人混みの間から撃ってくる。乗用車を爆発させてくる。子どもの背中にくくりつけられた爆弾が爆発する。彼らはそれをしてカミカゼなどと呼んでいるそうだが、対象が軍事目標でないが故に断じて神風ではない。

 これに対処するには、無辜の市民と敵性人物とをより分けなければならない。そして倒すべき敵のみを倒す。強いて言うならば『癌治療』に似ている。膨大な数の健康な細胞の中に紛れ込んだ、小さなガン細胞を見いだしてこれをつぶしてしまわなければならないのだから。

 警察活動は、一つ一つの癌を探し出して捕らえる活動。

 軍事活動は、癌の塊を外科手術で取り除く活動。かつて、膝に癌が出来れば、脚一本丸ごと切り取るような手術をするしかなかったが、時代はそれを許さない。故に、いかに健康な細胞を傷つけないで温存できるかが問われることになる。

 アメリカが国力を傾けて軍事力を投入しているのに、イラクの治安が一向に回復しないのもイラクにおける警察力が低いからである。

 メスをもって外科手術をするには、イラクという病人のガン細胞はあちこちに転移しすぎている。これを取り除こうとして、無辜の市民を巻き込むような戦闘に訴えるしかなくなっているのだ。

「その意味では、我々がこれから行おうとしている作戦は、前者に当たります……すまんが状況をモニターに出してくれ」

 コンソールのWAC(婦人自衛官)が頷くと、端末のマウスを数回動かした。正面のスクリーンに伊豆半島の付け根から箱根付近の地図が映し出された。

 10万分の一、5万分の一、1万分の一…と描かれる範囲はどんどん狭くなってくるが、同時に地形はわかりやすく大きくなっていく。

 そして、山に囲まれたひなびた温泉宿の一つが、壁面一杯の大型有機ELモニターの中心に描かれる形で地図は停止した。

「温泉宿の山海楼閣。美味い料理に、風光明媚な露天風呂で評判です。いずれ泊まってみたい所ですが、本日の舞台はここになります。ルールは至極簡単、敵対勢力の襲撃から、こちらに泊まっている『来賓』を守り抜くことです。隊員は既に配置についています」

 旅館の周辺の山や、川といった地形の周辺には、隊員ひとり1人を現す、『♀』…を逆さにしたマーク(陸曹を示す部隊符号)や、このマルが二重丸になったもの(幹部を示す部隊符号)があちこちに記された。

 麻田の「おおっ、攻殻みたいだぜ」というセリフは聴かなかったことにして、竜崎はコンソールの方へと身を乗り出して尋ねた。

「ご来賓の方々は今どうしてる?……現在露天風呂で入浴中?!…………おいっ、誰か露天風呂の画像を送ってこれる位置にいる者はいるか?………ちっ、いないのか」

 制服幹部の砕けた冗談に、一同苦笑い。場が微妙に弛緩した。婦人自衛官の「セクハラですよ」の一言で、皆少しばかり姿勢を正して場が再び締まる。きっとこんなやりとりばかりしてるのだろうなぁと思いつつ、麻田はネクタイを少しゆるめた。

「さて、山海楼閣周辺に布陣しましたは、我が国の精鋭『特戦』です」

「おう。伊丹の奴もその一員だそうだな」

「大臣閣下が、アレとどういうご縁でお知り合いなのかは存じませんが…」といいつつ麻田が机の上に置いたコ○ケのカタログに視線を送って…、「まぁ、その通りです」と竜崎は頷いた。

「ただ一部で誤解があるようなので訂正いたしますと、特殊作戦群とは申しましても、要員の全てが全て、海に陸に空にと駆けめぐる忍者かスーパーマンのごとき戦闘のプロというわけではありません。勿論、大半はそういった者なのですが、一部には『特技』をもって『特戦群』の一員に名を連ねている者もいます。例えば、コンピューターの扱いに優れた者、鍵などの構造に精通していてどのような鍵でも瞬く間に開けてしまう者、オートバイや自動車の扱いに優れている者、医師、毒物等の扱いに長じている者、人心の収攬と煽動に長けている者…」

「伊丹の奴がそうだと?」

「ええ。アレは逃げ足…危険とか、嫌なことから逃げることについては、ピカ1の技量を有しております。そりゃぁもう、特戦の連中が追っかけ回しても、なかなか捕まりません。と言うか、奴をターゲットにした『フォックスハンティング』の訓練を始めよかという話になった途端、いなくなってます」

「………俺が見た資料は、ちょっと違う内容が書いてあったが」

 場にいた婦人自衛官が笑いを堪えきれず、数名の幹部達も笑ったら失礼とは思いつつも腹を抱えた。

「大臣、その資料は背広組からまわってきたものではありませんか?非合法の手段で入手されたものですので破棄されると共に、入手経路についてあとで教えてください。防衛機密の漏洩ルート解明に使わせて頂きます」

「どういうことだ?」

「特戦について、非合法な方法で情報を入手しようとすると…例えばハッキングとか、人を介した方法でもですが…偽装された情報が出てくるようになってるのです。その代表例がアレでして、『格闘の達人、心理戦のエキスパート、射撃の上級者、高々度降下低開傘・高々度降下高開傘の技術を持つ空挺、海猿顔負けの潜水技能、爆発物の専門家……痛い中学生の創作みたいな設定がてんこ盛りです。…違いますか?」

「ああ、そうだった。でもなんで?」

「これは防衛機密ですが、大臣にはお教えする必要がありましょう。それは『冗談』です」

「冗談?」

「ええ、冗談です。まぁ、怠け者の彼に対する、一種のイヤミでもありますが…ま、建前としては欺瞞情報ということになっていますが」

「おいおい、嫌味かよ?」

「はい、イヤミです。特戦の一員となったからには、隊員達は自己の特技のみならず、自主的に互いの技能を教えあい吸収しあって、各個の技能と練度を高めていくことが期待されています。ところがです。アレだけは他人から吸収しようとしない。ばかりか、怠けていることが自分の仕事だと勘違いして、挙げ句の果てに群内で漫画だのアニメの布教に勤しんでる有様です…」

 防衛大臣は頭を抱えた。

「おいおい、ここはどう考えたら良いんだ?特戦の連中は、そんな奴のことも捕まえられないくらいにレベルが低いのか、それとも伊丹の奴が凄いって思うべきか…」

 だから奴をクビに出来ないんです…と竜崎は愚痴った。

 ここで無能で怠慢だからという理由でクビにしたら、そんな奴を捕まえられない特戦は全員無能と言うことになってしまう。

「痛し痒しです」

 幹部自衛官達は、深々とため息をつくのだった。






 一方、山海楼閣では…。

 ゆったりと温泉に浸かって、ここ数日の疲れを流した伊丹達ご一行様は、食事を済ませその後、酒盛りへと突入していた。

 もう、さっさと寝ればいいのにと思うのだが、栗林と梨紗の2人が結託して、酒とつまみを買い込んできたようである。

 それぞれに、「もう寝よか」と床に入ろうとしているのを後目に、2人はテーブルの上にビールと酒、ワイン、ウィスキーそしてカキピーやポテチといったつまみの数々を所狭しと列べた。

 そして始まった栗林と梨紗の酒盛りに、ピニャとボーゼスが「葡萄酒はわかるが、これは何だ?」と興味を示してウィスキーを口にしたのがきっかけで参加。そして後からテュカとロゥリィも参入し、本を読んでいたレレイまでもが「吸い込みが悪いぞぉ」と言われて、ビールを飲まされる羽目に陥っていた。

 そうして盛り上がってきたところで、栗林とロゥリィの2人が隣の男部屋を襲撃し「やい、男共、ちょっと顔出せや」と伊丹と富田を無理矢理に、文字通り『引きずって』きたのである。

「なんだこりゃ」

 伊丹と富田の見た光景は、まさにサバトであった。あるいは酒池肉林と言い換えても良いだろう。

 なにしろみんな酔ってる。しかも着慣れない浴衣は乱れまくっていて、下着だって見えてるというか見せまくっていた。思わず、ちょっと待て、恥じらいはどうした?ここに座りなさい、と小一時間説教したくなるほどの惨状となっていた。

 おずおずとボーゼスに「あの、見えてるんですが…」と指摘して服装を正すように言った富田は、女性衆による「ムッツリスケベ」とか「ホントは見たい癖にぃ」「自己批判しろぉ」「後で布団部屋にでも連れ込んでムフフするつもりだろっ」と左翼か、某人権団体の糾弾会の如き悪口雑言と、枕の集中砲火を浴びてしまい、部屋の隅っこに引き下がって沈黙。

 このことは触れないのが一番と悟った伊丹はもっぱら酒か、おつまみへと視線を集中し、あたりに向けないように大人しくすることにしたのだった。だが…

「やい、伊丹っ!お前には言いたいことがあるぞぉ」

 と、伊丹の正面にあぐらをかいて座ったのは栗林だった。だから、浴衣であぐらをかいたら丸見えなんですが…と言ったら最期なので黙っている。

「たいちょ~…伊丹…イタミ二尉…お前に話がある。じゃなくてお願いがありまふ」

 よっぱらいが、伊丹の肩をバンバンと叩きながら言った。結構痛い。

「紹介して下さい!!」

「何を…」

「私をですぅ」

「誰に?」

「特殊作戦群の人にです」

「なんで?」

 伊丹は、栗林の希望を知っていたから、特殊作戦群への志願でもしたいんだろうか?と思った。だが、特戦はレンジャー資格必須。そしてレンジャーは女性には門戸が開かれていないのが現実であったからどうやって諦めるように言おうかと考えてしまった。ところが、彼女の言葉は伊丹の予想の斜め上へと行っていた。

「結婚を申し込みますっ!!」

「ちょ、ちょっとまて!それって、誰でも良いって事か?」

「んなことありません。独身で、特殊作戦群でも優秀な人に限ります」

「んなこと言っても、相手の都合とかもあるだろう?確かに半数以上が独身だけど…」

「それならOKじゃないですか?考えてもみて下さい、危険な職業に、出ずっぱりの毎日、普通の女にはそんな人の女房ってつとまりませんよ。その点、私なら完璧ですっ!!小さな身体に、高性能なエンジン搭載。清く明るく、元気よくっ。格闘徽章保持で夫婦喧嘩も手加減なしです。しかも、今やコンバットブロープン(実戦証明済)っ!!そしてこの胸っ!!報道されない、誰もが顧みない作戦で疲れた心と体を、私ならこの胸で癒してあげられますっ!」

「胸っていったって、お前さんのそれ、筋肉だろ」

「違います!!!筋肉40パーセント、脂肪分60パーセント。バスト92。仰向けに寝てもたゆまない、張りがありつつも触り心地はゴムまりのごとき美乳ですっ!!」

 そう叫んだ栗林はいたずら猫のような顔をして、巨乳を胸張った。

 すると「どうだっ!」と言わんばかりにはじけるミサイル並の決戦兵器。

 伊丹は、しばらく魅入ってしまったが、はっと気付いて目をそらす。斜め右上の天井へと視線をむけながら呟くように言った。

「ま、隊員の結婚問題はリアルで深刻な問題だからなぁ。ちゃんと話は通しておくよ。変な外国人にひっかかられても問題でな、お見合いとか手配したりも仕事になってるくらいなんだ。これマジな話。…お前さんなら顔も良いし、身辺もきれいなものだし。思想的にも申し分ない。もしかしたら、取り合いになるかもな」

「やったぁ!」と上機嫌で栗林は万歳した。その瞬間、伊丹の頭部を激しい痛みが襲う。

「ゴツン」という音がして、鼻の奥にわさびを塊で口に入れた時のようツーンとした感触が広がり視野が暗くなる。どうやら強烈な勢いで叩かれたらしいということは、かろうじて理解できた。

「あ、万歳した手があたっちゃった……二尉……伊丹隊長……い…ちょ…」

 薄れ行く意識の中で、伊丹は「こう言う時は、さっさと寝ちまうに限る」と思いつつ意識を手放すのであった。





    *    *





『状況管理運用システムルーム』の中央モニターには、山海楼閣をとりかこむ周囲における戦況が記されていた。

 システムルームに置かれた数台のコンソールでは、モニターと向かい合う担当者が、偵察衛星や、空に浮かぶ偽装飛行船などから送られてくる情報を読みとって分析し、インカムにむかって語りかけていた。

「北北東の高の台に、熱源3。アーチャー…10時から11時の方角よ」

『こちらアーチャー。目標を捕らえた』

「対処03。よろし?」

『了解』

 このような小規模の不正規戦に置いて、どのような指揮運用方法が適切であるかを、歴史の浅い特殊作戦群では、ほぼ手探り状態で見いだそうとしていた。実際に行ってみて、問題点を洗い出したり、改善点を挙げていくのが一番であるという考えのもと、今回はマスター・サーヴァントシステムをとっていた。すなわち、後方に控える指揮者(マスター)ひとりに対して、戦場に身を置く戦闘要員(サーヴァント)がひとり、と言う形のペアを組むものだ。

 このペアが7組というところからコード名に、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、パーサーカーといった言葉が用いられているが、このあたりは『誰か』による布教の成果かも知れない。

「ランサー。ポイント3へ移動…」

『こちらランサー。了解』

「キャスター、対処02。3時から4時方向でライダーが移動中などで撃たないように」

『こちらランサー。現在、泥濘に嵌っているところ。ポイント3まで1秒の遅れ』

「早く抜け出すように…」

 これの様子を眺めながら、麻田は敵の目的にについて思い悩んでいた。

 傍らの竜崎を相手に考えをまとめるために話しかけてみる。

「これって、敵は何を考えてるんだ?こっちに備えがあることは、相手だってわかってることだろうに」

「考えられるのは、こちらがこれだけの高度な武力を用いた防御に出るとは、考えていなかったという可能性です。もう一つは、こちらの能力を測っているという可能性も考えられますが、損害を度外視し過ぎにも見えます」

「現在、敵側の損害は、10名を越えました」

「もうじき、敵は一度後退するでしょう。敵の本格攻勢はその後になります」

 麻田は、今回の敵の行動についての政治的意図を考えていた。
 戦争とは、政治の一手段であり、政治と関係のない戦争はあり得ない。戦争の勝ち負けは、政治の土台の上に成り立つ。従って、負けることが政治的な勝利であることもあり得るのだ。


[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 29
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/05 22:48




29





 残念なことに、世の中には理性の手綱を放してしまい、感情の暴走に酔うままに行動する人種がいる。

 このところ頻発している『通り魔』もそうだし、『坊主が憎ければ袈裟まで憎い』とばかりに、殺人犯を憎むべきなのに、その家族にまで憎しみの矛先を向けたりする者も同じだ。

 彼、ないし彼女らは感情を向けるべき対象を、完全に見誤っている。

 全く関係のない他人については述べるまでもない。また犯人の親族を相手にするとしても、親の罪が子どもに、子どもの罪が親に波及してそれを償うべきだというのは、古代ローマにもなかった野蛮な風習である。2000年もの昔の古代人に精神的成熟度で劣るとは、実に情けない話である。

 我が国だけではない。世界に視野を広げれば『このような例外的なはずの存在』が、常見される地域があるのだ。

 例えば、某大陸や某半島。

 彼らの逆恨みの対象はもっぱら国家としての日本であるはずなのに、その矛先を向けるのは自国で正常な経済活動を営んでいる日本人であり、日本人の経営する店舗だったりする。日本食レストランの窓ガラスが割られ、日本人観光客が罵声を浴びせられたり、日本人留学生が集団に取り囲まれて殴られる。日本の国鳥だからといって何の罪もない雉を殺したりもする。実に野蛮きわまりない行為で、精神的な未熟さを示す証左と言えるだろう。

 理性のタガが外れやすいのは精神的成熟度が低かったり、国家・民族主義という麻薬を教育機関で投与された者の中毒症状なのだから仕方ないとも言える。

 この手の薬物は用法用量を誤ると、興奮剤を投与された競走馬みたいに騎手(国家のコントロール)すら振り落として、下手すると観客席に飛び込みかねない危険性があるから注意が必要なのだが、ヒトラー以来国民の熱狂をかき立てて一つの方向に向かわせるのに便利なのであちこちで乱用されてきたのである。

 翻って、我が国を見てみよう。

 どこの国の住民であろうと、我が国の法や道徳に反さない限り安心して歩くことが出来るし、(湾岸戦争時、サダム・フセインがイラク在住の日本人を人間の楯として人質にしたが、日本はイラク人を強制収容したりしていない)悪くなったとは言っても世界的に見ればまだ高水準にある治安の良さと自由を享受することが出来る。あからさまに反日的言動をしようとも、反感を持った人から罵声を浴びせられる程度で済む。

 ちゃんと国内で、政府や大勢に対して反対意見を口に出来る環境があるというのは、それだけ民衆が精神的に成熟していることを意味しているのだ。その言葉がいかに荒唐無稽で、失笑に耐えない内容だろうと、その意見を口にする自由だけは尊重したいものである。こちらとしては、耳を貸さない自由を行使すればいいだけなのだから。

 さて、そんな我が国であるからロゥリィ、レレイ、テュカといった特地から訪れた3人を歓迎こそすれ、帝国の軍人でもなく、しかも日本国陸上自衛隊が『保護した』『難民』たる彼女たちに、理不尽な怒りを向けたり、八つ当たりしようとする者は皆無。いたとしてもごく僅かであると思いたいところである。

 彼女らは、自衛隊が、彼女らに適切な保護を与えているかどうかを問うために、参考人として国権の最高機関たる国会に『招かれた』身である。国賓扱いこそされていないが、これを害しようとするなど我が国の威信を傷つける、国賊の振る舞いと言えるだろう。

 また、政治的理由で公表されていないがピニャとボーゼスは、帝国との講和交渉の『仲介者』たる役割を果たすべくここに存在している。捕虜ではないし、攻め込んできた敵でもない。

 戦国時代ですら軍使の安全は保障することが『徳』とされた。これに危害を加えるのは乱暴狼藉の類の悪行と見なされる。判りやすく歴史ゲーム的に言えば、民忠は徹底的に低下するし、配下部将の忠誠心は激烈に低下して知将の半数近くが離反する凶悪な蛮行なのである。戦記物や時代小説でも、敵軍の使者を斬ってしまうような王や部将は悪役だったり、滅びる運命として描かれる。

 だが、居ないはずの人間が居てしまうのも現実である。

 銀座の街を埋め尽くす大群衆の中に、逆恨みでしかない感情を彼女らにぶつけようとして紛れている者がいないとも限らない。

 従って伊丹は、緩んだ表情をシリアスに引き締めると、富田と栗林の2人に告げたのだった。

「今日は止めよ。また梨紗の部屋にでも泊まろか?」

 がっくりと来る2人。

 嫌なことは避けて通るが信条の伊丹だ。困難が予想される現時点でこれから逃げるのは、当然の選択であった。

 だが、「で、明日になって、どこぞの工作機関とかが待ち構えているのを強行突破するんですか?」と言われてしまうと「うっ」と返事に詰まってしまうのである。

 梨紗が人を集めてくれたのも、アメリカとかの工作機関の待ち伏せからピニャとボーゼスを守るためである。この困難を避けるために今の状態を作り出したのに、これからまた逃げたら元の木阿弥ではないか。

「逃げた先にあるのはやっぱり戦場か(元ネタ/ベルセルク)」

 市ヶ谷とか、各地の駐屯地に逃げ込むと言うアイデアはボツだ。
 政府機関で2人を保護すれば、今度大統領から電話がかかってきたら、かわしきれなくなってしまうからだ。それでは何のために安中総理が辞意を表明したわからなくなってしまう。

 自分達が、現時点で政府のコントロール下にいないからこそ「逃げられちゃいましたねぇ。残念でした」とお悔やみを言いながら、内心で舌を出すことが出来るのである。このあたりの事情は、太郎閣下からの状況説明で充分に理解している伊丹である。

「参ったなぁ……」

 伊丹は髪を掻きむしりながら瞑目すると、大きくため息をついて2人に命じた。

 もし、彼女達を害そうとする者があれば「撃て」と。これは『許可』ではなく『命令』である。

 富田も栗林も志願して自衛官となった身である。そして職業自衛官として高度な訓練をうけた陸曹でもある。さらに実戦の洗礼を経ている。従って一度『命令』という形で指示を受けたなら自らのマインドセットを殺戮機械モードへと変えることも出来るのである。

 故に、2人はそれぞれに手にした鹵獲武器の弾倉を確認するとともに、予備弾倉を栗林の荷物から拾い出してポケットやズボンのベルトに挟み込んだ。

 その双眸からは冷たい兵士としての光を放つ。サングラスがあったらかけていただろう。BGMをつけるとすれば、ターミネーターのテーマ曲あたりが良いかもしれない。

 もちろん、銃をあからさまに曝して周囲を威嚇するようなことはしない。ジャンパーにハーフコートにと銃を隠し、それぞれすぐに発砲できる状態にして、周囲を埋め尽くす大群衆を前にしてワゴン車を降り銀座のアスファルトを踏んだのである。






 栗林志乃は黒い革ジャンパーをまとっていた。

 ストーンウォッシュされたデニム生地のミニスカートに黒のストッキングをはいている。靴は、ストレッチブーツ。ヒールが高い履き物を好むのは彼女のコンプレックスの現れだろうか?

 チビ巨乳とあだ名される彼女の体躯は小さい。が、背の低い者によく見られる手足が短くて胴が長いというスタイルとは一線を画していて、引き締まった身体に鍛えられた筋肉を持つ者だけが許される、メリハリのある曲線の連続で、スラリとした肢体を形作っていた。

 要するにバストを除いた全ての構成要素が、均整のとれた比率を維持したままに縮小されているのである。

 革のジャンパーの前を完全に開いて、内に着ている白いセーターを覗かせる。

 ここで立ち絵を入れるなら、そのポーズは左腕でジャンパーの左襟を押さえ、その内懐に右腕を突っ込んでいるように見せる姿だ。もしフルカラーが許されるなら、唇には深紅のルージュ、眉は切れのある線でくっきりとひいて、凛然とした表情で描きたいところである。

 もちろん右手にはドイツのヘッケラー&コッホ社が制作したMP7が提げられている。

 元来の巨乳故に、突き上げられているジャンパーの胸には生地の余裕が全く無く、ストックを縮めて全長34センチでしかない銃すら隠しきれず、革ジャンの裾からわずかに覗けてしまう。

 そんな彼女が冷たい冬のビル風をまとって、精神的臨戦態勢を済ませているところなどを是非格好良く脳内イラストボードに描いて頂きたい。

 さて、そんな彼女の隣に立つのは女性読者(いるのか?)向けに、富田であろう。

 富田章はカシミア混のハーフコートをまとっている。

 長身でワイルドな富田は、筋肉質だがボディビルダーのようなずんぐりとした印象はない。敏捷性に優れたアスリートを連想させる体格だ。日焼けして浅黒い肌に、精悍な顔つき。顎を覆う無常髭もイチロー風で格好がよく、見ていてなんだか腹が立ってくる程だ。

 そして、猛禽のような眼光は、周囲を睥睨して射抜かんばかりである。

 その内懐には、ベルギーのFN社が開発したPDWのFN90を隠している。

 最後に、伊丹だが…。

 その容姿はどこにでもいる、サラリーマン風の30代男。

 着の身着のままのスーツはしわくちゃになりつつあり、一足2000円くらいの安売り革靴(合成皮革)は、既に汚れが目立ち始めていた。

 この上に、冴えないデザインのくすんだロングコートをまとっていて、新宿駅西口から新宿ガート下へと続く『思い出横町(俗名/小便横町)』にて一杯引っかけててもおかしくなさそうである。もし、ラッシュアワーの駅のホームに立たせたら、あっと言う間に群衆に埋没して彼を見つけだすのは非常に困難な作業となるだろう。

 それくらいの凡庸さで身を固めているのだが、そのコートの下には、一応のところマカロフ拳銃を隠し持っている。

 こうして、3人の雰囲気が戦闘的に激変すると、梨紗は「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。

 ついさっきまでのノンビリ、のほほんとした雰囲気を放っていた3人が、剥き身の日本刀のようなゾロリとした気配を放ったのだから。

 それはヤクザやチンピラとか、吼えまくる闘犬のそれと異なって、野生の肉食獣が放つ静謐な獰猛さを感じさせた。不気味な恐怖感と言ってもよい。

 とは言っても富田や栗林と違って、伊丹のそれは持続時間が短く瞬く間に普段のとぼけた印象に戻ってしまうのだが…。

「悪りぃな、梨紗。こっから先は連れていけない」

 窓から中に顔を突っ込む伊丹に対して、独り置き去りにされようとしている梨紗は肩を竦めて見せた。

「しょうがないかなぁ。この車どうしたらいい?」

「適当なところに放置しておけばいいよ。それと借金、早く返せよ」

「こ、コ○ケが終わったら、ちゃんと振り込むから……それより、次はいつ頃来れるのかなぁ?」

「わかんないな、しばらくは無理だろう?また連絡するよ」

 伊丹は、手を挙げると背中を向けようとした。しかし梨紗が呼び止める。

「あ、あのさ……先輩って、来ると言っても来ないことがあるでしょ。だから無理だとか言いつつも、来るかも知れないなぁ、なんて思って待ってたりするのは、だめ?」

「そんなこと言い出すくらいなら、何で離婚したんだ?」

「だって、その…養って貰うために結婚してそれに胡座かいてるのって、なんか、人間として駄目かなぁなんて思っちゃって」

 伊丹は呆れたように「好きにすればいい」と告げると、今度こそ背中を向けた。





   *    *





「……このように、安中総理の緊急入院と、突然の辞意表明についての各界の反応は、唖然、呆然とも言うべき驚きに満ちたものでした」

 スタジオには、安中総理大臣の巨大ポートレートを背景にして、各界の著名人がコメンテーターとして列んでいた。

 ひげ面の大学教授が不満そうに「余りにも無責任すぎますよ」と吐き捨てる。

 すると女性作家が「しかし総理という職は激務ですから、体調が思わしくないとなれば仕方ないかも知れませんよ」と弁護するようなことを言った。

「閣僚のスキャンダル続きで、マスコミや野党の追及にプッツンきちゃっただけですよ。野党は、総理の辞任で振り上げた拳の降ろしどころに困っているはずです」

 元知事の肩書きで、政治評論家となっている男が国会の状況について解説を加える。

「いや、野党は困ってませんよ。次の総理が誰になるにせよ、民意を問うという形で衆院の解散総選挙を強く求めて来ることになります」

「今話題となりました、次の総理の問題ですが、早速永田町では与党の有力議員の動きが活発になっています」

 アナウンサーが報道し、コメンテーターが感想を述べていくなかで、司会者でもあるメインキャスターが次の話題『総裁選』へと転換していく。

「与党内で次の総理総裁候補と見られているのが、福下氏、麻田氏、谷巻氏の3名です」

 三人の写真がモニターに大写しされていく。

「各派閥からの支援を受けて次期総裁候補ナンバーワンと見られているのは福下氏です。麻田氏は国民的な人気こそありますが、党内の力関係で行きますとまだまだ実力不足とみられています。次期総裁が派閥の代表者による協議で決まるか、それとも総裁選挙が行われるのか、注意深く見守っていきたいところです」

 政治の話題をここで終って、キャスター達は仮面を取り替えるがごとくの早業で、表情を変えた。

「銀座が大変なことになっています」

 ここでCM。

 そして60秒間計4本…洗剤と自動車保険と、ラップフィルムと紙おむつのCMが終わると、次のパートは先日おこなわれた国会での参考人招致の映像から入った。

 見た目にも印象的なさらさら金髪のエルフ、テュカが国会の赤絨毯に立って四方からフラッシュを浴びているシーン。その輝きを受けて、透けるような美しさを放っている。そのままシャンプーとかリンスのCMにも使えそうだった。

 レレイの静謐な双眸。そして銀糸のような髪。

 そして、黒ゴスをまとったロゥリィの鋭い毒舌と、悪戯っぽい小悪魔的表情。

「特地から、参考人として招致されたこのお3方が今や大ブレイク中です。なんと言ってもファンタジー世界の住民でしかないと思われていたエルフ娘が実在するということで、テュカ・ルナ・マルソーさんが一番人気です」

 コメンテーターが、言う。「いや、ホントに綺麗ですよ。オタク心をくすぐるとでも言うんでしょうか?空想上の存在だとばかり思っていた相手が、ホントにいたんですから、一目でもいいから生エルフを見てみたいって思いますよ」

「私も国会中継見てましたが、びっくりしました。レレイさんでしたっけ?彼女なんかわずか数ヶ月で身につけたにしては日本語も上手だし。テュカさんの耳は、最初は特殊メイクか何かかと疑ったぐらいです」と若いタレント弁護士が述べた。

「ところで彼女たちのお歳、ホントなんですか?いや、年齢を云々するのは失礼とは思うんですが…1年が異常に短いとか」と言うのは女性作家だ。やはり気になるらしい。

「防衛省発表の特地の情報によると、向こうでの1年間は、389.3日と推測されるそうです。1日の時間が、こちらに比べると若干少ないのですが、その誤差を差し引いても、こちらに合わせると年齢は増えるだけなようです」

「でも、ロゥリィ・マーキュリーさんに至っては、900才を過ぎてるってのは、ちょっとねぇ。どう見ても中学生くらいでしょう?」

 こだわる女性作家である。

「こちらの、テュカさんも160才過ぎと言うには若すぎませんか?」

 さらにこだわる女性作家である。

 某書の記述によると、女というものは、知性とか教養とか、品の良さとか、そういったものには全く嫉妬しないが、美しさとか財産といったものには、敏感に反応するそうである。50才に達しようとしているこのコメンテーターも、自分より遙かに年上と称する女性が、どう見ても10代の美しさを湛えていることに、複雑な思いを禁じ得ないようであった。

「国会でも、こちらの2人は『長命な種族』であるという説明があったようですが」

「男性としてはどうなんですか?見た目はこんなに若いけど、実際は100才過ぎてるっていわれて」

「ホントのところ、全く実感湧かないですね」とひげ面の大学教授。

「化粧とかで若作りしてるとか、整形で若く見せているとか言うなら、ちょっとアレかなって思いますけど、ナチュラルにこれだけ若いんなら、実際の年齢が100才だろうと500才だろうと気にならないと思いますよ」と言ったのは、若いタレント弁護士だ。

「このようにいろいろな話題に事欠かさない彼女達なのですが、本日銀座事件の慰霊碑に献花して、その後特地に帰られると言うことがわかり、彼女たちを一目見ようと集まったファンで銀座がごった返しているそうです」

 メインキャスターの仕切で、路上にあふれかえる人の群れの映像が大写しとなった。

 交通は麻痺し、自動車は渋滞している。警官が必死に警笛を吹きまくって人々の群れを整理しようとしているが思うに任せない有様が映し出された。その後、メインキャスターの顔がアップされる。

「今映し出されたように、銀座では午後1時頃から、各地から集まったファンで賑わっています。たまたま当局の取材スタッフが現地に居合わせましたので呼んでみましょう。栗林さ~ん」

 画面が現場からの実況中継に変わった。

 既に全国ネットに映っているというのに、栗林菜々美はそれと気付かずに周囲の状態を見渡したり、喋る練習をしていたりする。掌に『人』の字を書いて飲んだりする姿が妙にほほえましかった。

 彼女の背後には、献花台と、その周囲に群れる人々の姿が映っている。

「栗林さ~ん」

 その、人の群れだが、整理する者もいないのに何故か献花台へと至るまでの道筋が開かれていた。

 その開かれた道筋を、花束を抱えた黒ゴス少女や金のサラサラ髪のエルフ娘、銀髪ショートの少女、豪奢な赤毛女性と金髪縦巻きロールの女性と、彼女たちの案内役なのか、ボディーガードなのか日本人男女と併せて7名が歩いて来るのが見える。

「音声の調子がおかしいようですね。栗林さ~ん」

 実は、伊丹も画面に映っているのだが、彼の発する色合いが、主役達の華やかさとまったく違うため、ワンセットとして人々の目に入らなかったのである。

 どちらかというとモブシーンの1キャラでしかないのに主人公の傍から離れない図々しい奴という印象になる。

「栗林さ~ん」

 音声に指摘されて気付いたのか、栗林は慌てて外れていたイヤホンを耳に装着した。

「あ、はいっ、こ、こちらは銀座ですっ」

「今、そちらの様子が映っていますが、現場の様子は今どうなっているのですか?」

「はい。こちらでは、今、お三方が周囲の声援に手を振りながら、ゆっくりと献花台に近づいてきています。集まったファンの方々も、道路にはみ出して交通渋滞を起こしたりとはた迷惑な事ばかりしているわりに、彼女たちに対しては不思議と行儀が良く、誰が整理しているというわけでもないのにまるで何かに操られて居るみたいな感じで道をあけて彼女たちが前を通るのを待っています」

 人垣の群れから、飛び出してくる青年が居た。富田がばっと身構えるが、それよりも早くロゥリィが、ハルバートの石突きをもってアスファルトをうち砕くほどの勢いで突き立てた。すると錫杖のような凛とした音が広がった。さらに彼女が妖しく微笑んでみせると、青年は毒気を抜かれたような表情で、後ずさりながら人垣の列へと戻っていった。

「……こちらの映像から見ると、お3方だけでなく、他にもおいでのようですね?」

「はい。見たところ7名の方がいます」

「他の4名も特地の方なのですか?」

「いえ。見たところ…見たところ……お姉ちゃん?」

「はい?栗林さん?」

「い、いえ。なぜか私の姉がいました」

「栗林さんのお姉さんですか?」

「はい。姉は自衛隊に勤めていて今、特地にいるはずなのですが、こちらに着ているとは聞いて無くて…ちょっと、おねぇちゃん、何やってるのよっ!!」

「あれ、菜々美ったら、こんなところで何やってるの?」

 栗林姉は目の前に出てきた妹の姿を見て、道ばたで出会ったがごとくの気安さで返事した。

 とは言いながらも、警戒の視線を周囲に油断なく向けている。彼女はSPではないのだから、これでも充分に頑張っていると言っても良いだろう。

「テレビの中継だけど…」

「もしかして、今映ってる?」

「全国ネットだけど」

「やっほ~お母さん、元気?」と、この瞬間だけはカメラ目線で左手を振った。

 そのせいで全国ネットだと言うのに、銀座のど真ん中で『MP7』と言う名の銃を握る右手が、ちらちらと見えてしまった。

 つっこみ所満載の行為だが、思考と注意力の70パーセント以上を警戒のために費やしていたが為に、正常な思考が働いてなかったのだと、好意的に解釈してあげたいところである。

 栗林と富田と、伊丹が周囲を警戒する中、ロゥリィ達『特地』組5名が献花していく。この時、100台近いカメラのフラッシュが瞬いた。

 献花を済ませると、ロゥリィは周囲を見渡して「鎮魂の鐘が必要ね」と呟く。そして、ハルバートを立てると、「誰かぁ、鐘を鳴らしてくれるかしらぁ?」と声をあげた。

 その時、まるで彼女の求めに応じたかのように、銀座和○の時計塔がチャイムを鳴らし始める。

 ロゥリィは「うん。ありがとぉ」と微笑むと、静かに瞑目を始め周囲は厳粛な雰囲気に包まれた。

 テレビカメラも栗林姉妹を画像からはずして3名が哀悼の意を表している姿を、しばしの間、流した。

 やがて、チャイムが鳴り終えるとロゥリィ達は献花台に背中を向けた。その背中をカメラは追い続けたが、音声は栗林姉妹の会話を拾っている。

「ねぇ、特地からの3人にインタビューできない?」

 全国ネットで中継の真っ最中だというのに、喋りが一般人となり果てている栗林妹である。でも、番組プロデューサーは、スタジオの奥で「よっしゃ」と握り拳で栗林妹を誉めていた。彼女の評価はもう、堕ちるところまで堕ちていて下がる余地が無い分、これ以上は上がるだけだからだ。日本中が注目する特地三人娘に繋がるコネクションを持っているというのは、評価の対象だった。

「無理無理。献花が済んだら一刻も早く、特地に帰らないと」

「なんでよ?少しならいいじゃない?」

「一昨日から、狙われてるのよ」

「……狙われてるって?何に?」

「アメリカかなぁ、もしかして中国とかロシアかも。乗った電車はなんか知らないけど事故って停まるし、泊まってたホテルは放火されて火事になったりするし、他にもいろいろでさ。こうしてる今だって…」

 さすがに不味いと言うことに気がついて、語尾を濁したが、ここまで口にしてしまえば、全部暴露したも同然である。何しろ、テレビのニュースや、新聞にきちんと目を通している者ならば、彼女の口にした出来事と符合する記事があったことに気付くからだ。





「ガッデッムッ!」

 アメリカ合衆国大統領 ディレルはホワイトハウスの執務室にてゴミ箱を蹴倒すと、中身もろとも怒りにまかせて踏みつぶした。

 彼の前にあるテレビモニターは、東京は銀座からの中継画面を映し出していた。

 この大群衆の中では、いかにCIA凄腕コマンドチームであっても『来賓』に近づくことなど不可能だった。挙げ句の果てに流れた音声には「アメリカとか中国とかロシアに狙われてる」という言葉が全国に流れたと言う。(日本語を話せる大統領補佐官の独りが傍らで通訳していた)

 今、手を出したら当然の事ながら全国生中継だ。下手すると世界生中継である。そうなれば完全に悪役である。いかにアメリカでも…そして中・露も含めて、この状況で強硬手段に訴えれば、間違いなく窮地に陥ることになる。

 このような状況を演出してくるとは、これまでの日本政府には考えられないほどの大胆さであり、悪辣さと言えた。

 日本政府は、直接手を下さずにアメリカの手を封じた上に、はっきりと言わずしてアメリカや中国、ロシアによる非合法活動の存在を、大衆に向かって臭わせ、非難することに成功したのだ。

 例えば、この女性自衛官の言葉を受けてホワイトハウスから「根も葉もないこと言うな」と日本国政府に不快感を表明したとする。別にクレムリン(露)とか、中南海(中)からでもいいが…。

 当然の事ながら、日本は「日本政府としてはアメリカ(中国・ロシア)の非合法活動については、何も知らないので、何も述べることはない」と公式見解を発表して終わりなのである。

「全国中継で言ったぢゃないか」と避難したら、「いち自衛官の戯言を真に受ける人なんていないよ」「そんこと言ったら、おたくの宇宙飛行士によれば、アメリカ政府は宇宙人を隠しているそうじゃないか」とか言い返されること必定である。何をどう言おうと日本政府としては、「彼女は、その日休暇中だったから、酒にでも酔っていたのではないか?彼女が持っていた銃はおもちゃ。その証拠に日本はあの銃を配備していない」とか、シラを切り通せるのだ。

 だが、この中継を見ていた大衆がどちらを信じるかは言わずもがなである。何気ない姉妹の会話であったからこそ、人々の耳に事実として響いたのだから。

 ディレルは、中継の画面に安中総理の幻影を見た。その幻影は彼に向かってこう告げていた。

「うちのお客様に手を出さないでいただきたい。こちらにも相応の覚悟がありますよ」と。

「くそっつ、くそっ!!このヤスナカッの馬鹿野郎め。淫売の息子野郎!!」

 白い家の、赤い絨毯上でゴミ箱の破片が踏みつけられて細かく砕かれ、さらにめり込んでいく。

 クレムリン宮殿ではラスプーチン大統領が、ウォッカの入ったグラス片手に、「日本人もなかなかやるじゃないか」と呟き、中南海の奥では薹徳愁国家主席が静かに舌打ちしながら現場担当者に撤収を命じたという。






 こうして伊丹達は、なんとか無事に…ではなくて心身共に疲労してしまう散々な休暇を味わって銀座の『門』へとたどり着いた。

 大群衆がテュカの名を呼び、レレイの名を連呼し、ロゥリィの名を叫ぶ。

 群衆を熱狂させるアイドルという存在を知らない彼女たちは、どことなくドン引きした感じの笑顔で、これに応えて手を振った。そして、逃げるようにして足早に『門』をくぐったのであった。




『門』を越える時は警衛所で、空港の手荷物検査級の点検がある。車両やトラックに至っては、荷台やボンネットを全部開けて、徹底的に調べるという力の入れようである。特に、人員については徹底的な点検を受ける。

 すり替わりなどがないように、指紋、掌紋、網膜パターン、皮静脈パターン等の検査を受けてはじめて、門を覆うコンクリート製のドームから出られるのである。

 次が、荷物だ。ところが、…

「これ全部、東京で買ったんですか?」

「何か問題が?」

 しらじらしい態度の伊丹に、警衛所の係官は大きくため息をついた。

 彼女らの荷物は、ロゥリィが購入した黒ゴスしかもパンク系(鋲とかチェーンとかの金属でじゃらじゃら)の服とか、下着とか、衣類の筈なのに金属反応のするものも少なくない。それに加えて日用雑貨品…例えばレレイのパソコンや、テュカのアーチェリーとか、各種雑貨が山となっていて、係官はとても閉口していた。

「これ全部点検するのかよ」

 女物の点検にはいろいろと問題があるのだ。

 下着類は、女性自衛官にチェックしてもらうとしても、日用品などいちいち箱を開けていたらキリがないほどであった。もうざっと見るだけでいいんじゃないかと思ってしまう。とは言っても、手を抜くわけにも行かず…レレイや、テュカ、ロゥリィ、そしてピニャやボーゼス、栗林らのボディチェック等には婦人自衛官が動員された。

 そして、「これなんですか?」と、ついに、ピニャとボーゼスの隠し持っていた拳銃が見つかってしまった。

「おや」

 思わず呟く富田。

「やるわねぇ」

 と、抜け目ない態度に感心してしまう栗林。彼女は、咄嗟に「あ、それ護身用に彼女らに預けて置いたヤツなんです」と説明した。そして、ドサッと重そうなバックを係官の前に置く。

「何です?」

 と、開けて見るや、バックから出てくる出てくる鹵獲武器の山。

「まさか捨ててくるわけにもいかないでしょう?だから持ってきたんですが、こちらで管理します?」

 実は、自衛隊には鹵獲武器の取り扱いについての規則がないのだ。

 演習場などで米軍の武器弾薬等を拾うことはある。そう言う時は、まず入手した物品の目録を作成して、それを関係各所に書類をあげて、返還したり処分したりするという手順になるのだ。ただ、必ず問題となるのが入手の経路だった。

 演習場など、通常の自衛隊や米軍が活動している場所なら問題がない。しかし、一般人も宿泊する旅館の敷地内で、しかも某国非合法活動員の遺体から入手したなんて、公式の文書に残せるはずがないのだ。

「どうします?」

 したがって、これらの鹵獲武器は、存在しているだけでも厄介事なのである。そして、厄介事は引き受けたくないと思うのが組織人である。ちなみに、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」では、弘前歩兵第31連隊が山中で回収した歩兵銃の扱いに困って(何故銃を回収できたか?遭難者を発見したから。では、発見していながら何故救助しなかった?と非難されてしまうから…)、井戸の底に葬るシーンが描かれている。

 伊丹から入手経路等について説明を受けた警衛長は、顔を逸らすと『見なかった』『聞かなかった』と宣った。

「こいつは、あんた等が鹵獲したんだな。ならば諸々の手続はそっちの責任だ。とりあえず、これだけの武器がここを通ったということは『別に記録』しておく。だがそっちで掌握しておけ。いいな」

 『別に記録』しておくというのは、後日問題になりそうになったら、ちゃんと通過した記録が引き出しの底から出て来るが、そうでない限りは通常の書類等には載ってない、ということを意味している。場合によっては(例えば上からの指示で)『別の記録』はシュレッダーにかけられることもある。

 こうして鹵獲武器の数々は、員数外の武器弾薬として、第三偵察隊の武器庫に収まることになったのである。





   *    *





 レレイ、ロゥリィ、テュカの三人は、富田の運転する高機動車で、アルヌス丘麓の難民キャンプへと送られた。

「お疲れさま」

「また、明日…」

 などと挨拶をかわして、互いに別れていった。




 既に陽は落ちて暗くなろうとしている。

 テュカは、プレハブ長屋の間を抜けて自分に割り当てられた部屋の戸を開けると「ただいまぁ!!」と明るい声で帰宅を告げた。

「門の向こうって凄かったわ、お土産も沢山」と言いつつ薄暗い部屋の中でテーブルに荷物を置いていった。だが、何の反応もないことに首を傾げた。

「あれ?居ないのかな?」

 部屋のあちこちを探して、「父さんたら、また、あちこちうろついてぇ」と嘆息する。

「目を離すとすぐにこれなんだからぁ」

 と呟きつつ、夕食の支度を始めるのだった。





[37141] テスト8
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:45




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 30
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/12 21:13




30




 ピニャ・コ・ラーダが目を醒す。

 すでに執務室内は明るくなっていた。開かれた鎧戸からは、太陽の陽射しが差し込んで閉じた瞼にも眩しいほどだった。

 帝都は、碧海と呼ばれる海から内陸に徒歩で2日行程ほどのところにある。陽射しこそ強いが、その暑さを北の氷雪山脈から流れてくる涼やかな風がやわらげてくれるので、非常に過ごしやすい。

 皇宮は、帝都5つの丘のうち最も東寄りの丘サデラ中腹にある。そのさらに東麓の緑苑が彼女の居館として割り当てられていた。ここは風通しに優れていて、東の森からは清々しい糸杉の香りが運ばれてくる。この香りは頭がすきっとするので、ピニャは大好きだった。

「姫殿下。ベットでお休みにならなかったのですね」

 執務室の鎧戸をつぎつぎと開いていく、書記のハミルトンはため息混じりにお小言を告げた。

 言われてみれば、「トュニガ」と呼ばれる婦人版正装(トーガの女性用のようなもの)をまとったまま、机に突っ伏している。

 机の上には、各種の書類が山と積まれていた。それとあちこちから送られてきた手紙類だ。その殆どが羊皮紙だが、最近アルヌス生活者協同組合から購入するようにした、『コピィシ』と呼ばれる『紙』が便利なので愛用している。

「しまった」

 枕にしてた羊皮紙がくしゃくしゃになり果てていた。内容は『イタリカ財務状況』と書かれた報告書だ。目を通している内に眠ってしまったのだろう。

 見れば手が、羊皮紙から移ったインクで汚れている。服や顔まで汚れていないかも気になるところだ。服もしわくちゃである。

「姫殿下。食事の前に、沐浴をなさったほうが宜しいようですね」

「すまん。そうする」

 部下の進言を受けて、ピニャは降参とばかりに諸手をあげた。

「本日の予定ですが大きな物としては、午餐を元老院のキケロ卿と一緒にとるお約束になっています。晩餐はデュシー侯爵家令嬢の誕生お祝いのパーティーです。午餐と晩餐の間に時間がありますので、白薔薇隊の人事案件について、シャンディーとの会談を入れておきました」

「パナシュとシャンディーは姉妹銘を交わした仲だったろ?ならば、白薔薇隊の隊長はシャンディー・ガフで決まりじゃ駄目なのか」

「彼女としては白薔薇隊の隊長に就任するよりは、パナシュと一緒にアルヌスに行きたいというところではないですか?」

 それを聞いたピニャは、理解できないとばかりに切れ長の美しい眉を寄せた。いずれにせよ会ってみれば判るだろうと後にまわすことにする。

「キケロ卿に、スガワラ殿をお引き合わせしなければならなかったのだな。それと、デュシー家のパーティー。うんうん」

「デュシー家のパーティーには、捕虜の第一陣返還希望リストの親族が集まります。親族を代表してリストは侯爵よりスガワラ様にお渡ししていただきます。第一次返還希望者草案にはお目を通しいただけましたか?」

「ああ、昨晩確認した。それでなんだが15名定員のところに、14名しかなかったのはなぜだったかな?1名分あけておいた理由が思い出せない…」

 ピニャは、机の上に積まれた書類束から目的の紙の束を探し出すと引き抜いた。途端、書類の山がドサドサと土砂崩れを起こして、床に散らばっていく。

「あ」

 急ぎ拾い集めようとするピニャをハミルトンは制して、書類を整理しつつ拾い始めた。

「殿下……一名分は、キケロ卿用です。キケロ卿ご自身には、捕虜となられたご親族はおられませんが傍流の甥御が捕虜名簿に乗っていました。本日の会見でご希望が出れば、今回の名簿に載せます」

 ピニャは、頭をかかえるようにしてハミルトンの言葉を反芻していた。容量が一杯なのか、それともまだ回転数が上がらないかのどちらかだろう。

「大丈夫ですか?お疲れのようですが」

「大丈夫じゃないと言ったら、代わってくれるか?」

「無理ですね」

「ならば、妾が頑張るしかないだろう」

 ピニャは名簿をハミルトンに押しつけると、沐浴するために執務室を後にした。






 沐浴をして、紅い髪を結いあげて、薄い化粧をし、衣類をまとう。これだけの身支度を済ませたピニャが食卓に姿を現すには、ハミルトンに起こされてから1時間ほどの時を必要とした。

 菅原浩治は並べられた朝食を口に運びながら、ピニャが姿を現すのをぼんやりと待っていた。メニューは小麦粥に火であぶった干し肉を入れたもの、そして柑橘系の果物だった。

 ピニャの邸宅には、召使い…所謂メイドさん達が大勢居て、彼に不自由がないようにしてくれている。こちらの正装であるトーガの着付けもしてくれる。だから困ることは一切ない。ただ、彼女が居ないと菅原は現段階では全く仕事を始められないのだ。

 外交とは相手と会うことで始まる。この帝都で知る者のない彼にとって、誰と会うにしてもピニャの紹介が必要なのだ。外務省から特地問題対策委員会に出向している菅原の仕事は、この帝都における人脈を拡げることにあった。人の縁を結び、後からやってくる本格的な交渉団が活動するための下準備として語学を磨き、帝都の統治機構における人間関係の機微を把握するのだ。

「おはようございます。殿下」

「おはよう、スガワラ殿。そなたは相変わらず早いな」

 あんたが遅いんだよ。という言葉を飲み込んだ菅原は、職業的な笑みを浮かべながらピニャの美しさについて一言つけくわえた。これは彼がフランスに留学している時に身につけた習慣だが、こちらでも反応が悪くないので婦人に対する挨拶に付け加えている。

 ピニャは、食卓の前に座ると、出された小麦粥をほんの一口と、果物のみを食べるだけだった。見る限りでも胃の負担の軽い朝食を、さらに少量に抑えておく理由も、後に続いた呟きが語っていた。

「今日は、キケロ卿のところで午餐、晩餐はデュシー家。はっきり言って、胃袋がいくつあっても足りない」

 接待の労苦は、どこにいっても同じだ。菅原も似たような経験を積んでここまで来ているので大いに同意できることである。

「我が国にも腹も身のうちって言葉がありますよ。腹を庇ってばかりいられないのがこの仕事だと解ってはいるのですが、結構きついんですよねぇ」

「ああ」

 菅原は、いろいろと気にしている様子のピニャに、我が国には良い胃薬がありますよと告げた。よかったら取り寄せましょうか?と付け加えて。

「それは、是非ありがたい。本当にありがたい」

 帝国では『宴席』ですることは、話すことの他、食べることと飲むことに集約されのだ。他に娯楽はないのかと思う向きも多いが、我が国だって、パーティに料理と酒は不可欠だから、他人のことは言えないのである。ただ、この『特地』では出されたものはひととおりは手をつけることが礼儀とされていて、それがきついのである。

 そして、キケロ邸の午餐は、豪華な食事が並べられた。

 山羊を丸ごと焼いたものとか、魚と野菜を鍋に溢れるほど積みこんで煮込だスープとか、鳥、魚、肉、野菜がふんだんに使われている。果物は氷雪山脈からとってきた雪に混ぜて冷え冷えとして、確かに美味しそうだ。しかし種類と量が凄かった。食べきることが礼儀なら、客を迎える側は、客が食べきれないくらいの料理でもてなすことが歓待の証とされているのだ。

 思わずため息が出てしまう菅原であった。

 とは言っても、これらの歓待ぶりも皇女ピニャが仲介に立っていたからだ。もし、菅原が1人でのこのこやってきたら、水をぶっかけられておしまいだったろう。

 元老院議員のキケロ卿は帝国開闢以来の名門マルトゥス家の流れを汲む名士の1人である。貴族の家系としてみれば傍流の男爵でしかないが、優れた弁舌と政治力をもつ元老院議員の重鎮と見られていた。

 今回の戦争について彼が属するのは、主戦論・皇帝派である。則ち「現在は非常事態である。従って皇帝陛下に大権を集め、帝国の総力を結集して可及的速やかに軍事力を再建すべし。そして、アルヌスを占拠する蛮族を武力でもって追い出すべし」という意見の持ち主なのである。

 これに相対するものが講和論・元老院派と呼ばれている。こちらは「今回の無謀な戦争は皇帝の指導下で始まったのだから、皇帝の権力を弱めて元老院の集団指導の元、軍事力を再建する。また、アルヌスを占拠する敵に対して、門の向こうにお引き取り願うにしても、軍事力とは別の選択肢、例えば講和などの方法をも探るべきだ」とする意見である。

 そのキケロを交渉の相手として選んだのは、彼が主戦論者の中では、比較的話が通じるタイプだと見られたからである。

 こう言っては失礼だが、講和論者は何も言わなくても講和に乗って来るものだ。だが、いかんせん数が少ない。皇帝の意思決定に影響を及ぼすには、やはり大勢を動かして行かなくてはならない。従って主戦論者を切り崩して講和論の勢いを増すことこそが、講和交渉を進める上で必要となる。

 菅原はそんな説明のもとで、誰かを紹介してくれないかとピニャに求め、彼女は先ほどの理由でキケロという人物を選び出したのである。

「キケロ卿。こちらをご紹介したい。ニホン国の外交を担当するスガワラ閣下だ」

 いろいろな都合で、スガワラの身分に下駄を履かせるピニャである。スガワラもピニャの心遣いだとわかるので『大使』扱いされても、あえて訂正せずそのままに聞き流した。

「はじめまして」

 と互いに挨拶をかわす。キケロは「失礼ながらニホンという国について、あまり存じ申し上げていない。どのような国であったかな?」と尊大な態度で語りかけた。

 帝国は強大な国だ。周辺の諸侯だけでも十数カ国。外国や属国や、辺境の諸部族といった国の体を成していないものも含めると100余りの地域と外交関係がある。元老院議員であっても、外務の官僚でもなければ、知らない国があってもおかしくはないのだ。

「そうですね。四季があって森や水の綺麗なところです」

 これを聞いたキケロは小さく嗤った。彼の細君も、馬鹿にするような視線で肩を竦める。

 文明の遅れた蛮地からの使者がどんな国だと問われて、森や水の美しい国と答えるようでは、他には何もありませんと言っているようなものだ。パッと見では切れ者のようだが、実は山出しの田舎者。語学力も帝都の貴族を相手に弁舌を振るうにはまだまだ。キケロは菅原をそう評した。いや、彼の属する国が遅れているのであって、彼個人は悪くない。常に公正でありたいと自戒しているキケロは、軽率に突き落とした菅原の評価を、少しばかり持ち上げることでバランスを取った…つもりである。

 これを横で見ているピニャは、キケロの胸中が透けて見えるようだった。

 思わずため息が出てしまう。「注意めされよ。もうやられていますぞ」と囁きたくなるのだ。だが彼女は仲介者である。外交の当事者ではない。だから口を挟まないようにしていた。

「我が国の産物を手みやげとして持って参りました。ご笑納いただければ幸いです」

 このあたりかなり手の込んだ演出であるが、彼が指を鳴らずと、従者役件護衛として随伴している陸自の直江二等陸曹が、ピニャの従者達の手を借りて、手みやげの入った箱を運び込んで来た。

 冷笑していたキケロ夫妻の表情が、だんだんと変遷していく様子は、ピニャをして思わず、頬を綻ろばせてしまうほどだ。

 キケロの前に積み上げられる友禅染の見事な絹布、金糸銀糸で彩られた京都西陣織の反物、黒や朱の美しい金沢の漆器類、螺鈿の細工物、錦絵の鮮やかな扇子、薩摩切り子のガラス杯。職人が時の天皇陛下に対して「世界中の婦人の首を、コレで絞めあげてみせましょう」と豪語したと言う志摩の養殖真珠。関の刀工が打った日本刀。そして和紙、洋紙、ペン等一度使ったら手放せない便利な文房具に、金銀鮮やかなカラトリー。陶器、磁器。

 物作り日本を代表する工芸・実用の逸品である。

 ピニャは、ここ数日のスガワラのやり方を見て、謙遜から入る彼のやり方を鮮やかな物だと思っていた。侮らせ、そして隙を見せた途端に切り込んでくるやり口にやられない者はいなかった。

 帝都でも入手不能の美しい品々を見せられれば、誰だろうとニホンとはどんな国だと思う。思わない訳にはいかないのだ。贅沢に慣れた貴族だからこそ、目の前に積まれた物が、どれほどの手間と技術によって作られたかがわかるから。

 キケロの細君は、色鮮やかな西陣や友禅染に関心が奪われ、キケロは日本刀の鮮やかな刀身に魅入られたように見つめていた。やはり男である。こちらに目がいくようであった。

「素晴らしい。これらはニホンから?」

「全て、我が国の職人の手によるものです」

「ニホンとは、どれほどに優れた国であろうか?いや、失礼した。侮っておりました」

 キケロは、ここで態度を改めた。尊大な態度もなりをひそめて相応の敬意を示す。優れた文物を見抜く鑑識眼と、文化に対して敬意を表すことができる素直な姿勢は尊敬に値すると言えるだろう。

「とは言え、スガワラ閣下もお人が悪い。森や水の美しい国などと言われては、自慢するものがそれしかないのかと思ってしまいますぞ。さあ、教えて下され。ニホンとはどのような国でしょう?」

 ピニャは思わず額を抑えた。また、やられてる。

 ここで、胸襟を開いて心の防備を解いた解いた途端…。

「我が日本は、帝国とただいま戦争中です。場所は『門』の向こうでございます」

 キケロは、口を開いたまま閉じることが出来なかった。






 後の交渉が、菅原のペースで進んだのは言うまでもない。

 キケロとしては、主戦論・皇帝派という自らの説を固持し、突っ張るだけで精一杯となっていた。そして、敵の使者をここに連れてきたピニャの行為を、売国とまでは言わないが、それに近い行為だと詰った。

 それどころか、精神的劣勢を覆すために『門』を越えてニホンを征服すると、威勢のいいことを口にしたほどだ。軍の再建も着々と進んでいて、あと数ヶ月で完了するだろうとか、新たに徴募した兵が10万になるとか、余計なことまで言ってしまったくらいである。

 だが、それはキケロがニホンという国の存在を認め、そこに住む者が侮りがたい敵であることは認めてしまったことを意味する。

 菅原としてはキケロに、こちらを対等な交渉相手と認めさせることが出来ただけで成果充分と言える。これで、今後彼が1人でやってきても門前払いされる恐れはない。あとは何かにつけて、少しずつ現実を知らしめていけばいいのだ。

 ここで、菅原が差し出した一枚の紙が、ピニャを非難するキケロを黙らせる。そこには、帝国の文字でキケロの細君の妹の息子…つまり甥の名前が記されていた。

「うかがった話では、キケロ殿の甥御になられるとか?この方は、ただいま我が国で捕虜となっております」

「なんと、生きているのか?」

「まぁ!!」傍らで聞いていたキケロの妻が、その嬉しい知らせに、感極まって倒れてしまう。メイド達があわてて彼女を宴席から運び出す。

「実は、ピニャ殿下にこの度の仲介を労を担って頂くことの引き替えとして、殿下からご要望を頂いた数名に限って、無条件で解放する約束を取り結んでおります」

「無条件だと?」

「はい。無条件です」

「身代金の類は必要ないと?」

「強いて言えば、殿下のお骨折りが身代金に相応することとなりましょう。あくまでも殿下のお口添えのある、ごく数名と限らせて頂いておりますが…」

 この一言は、ピニャの立場がなくなるような言動はするな、という意味をもってキケロの耳に届いた。

 ピニャは、捕虜の命を人質に、『仲介者』として働かされているのだ。そう考える方がキケロとしては受け容れやすくもあった。ならば仕方ないことである。売国行為と詰ったのは間違いだ。彼女は、貴族の子弟を守るために、我が身と名誉を犠牲にして働いているのだから。

 これが「捕虜を返して欲しくば、講和に応じろ」、とか「負けを認めろ」というような話だったら、キケロも大いに拒絶しただろう。だが、相手がピニャに求めたのは交渉の仲介でしかない。どのような相手だろうと、どのような状況だろうと、交渉すること自体は悪いことではないのだから、受け容れてもいいと考えた。

 仲介者たる彼女の活動を邪魔すれば、捕虜が帰って来れなくなる。また、返還される『ごく数名』の枠も、ピニャと日本との交渉次第で、大きくなったり少なくなったりするのだろう。とすれば、いかに主戦論者たる身でも彼女の邪魔は出来なかった。しかも、自分の甥が帰ってくるかどうかはピニャが決めるのだ。

 キケロとしては、ピニャの袖にすがってでも頼みたいところである。だから、彼は何も言わずに彼女の手を取った。ピニャも、表情を穏やかにして頷く。

「実は、今宵デュシー侯爵家令嬢の誕生お祝いのパーティーがあります。後刻、こちらにの招待の知らせが届きましょう」

「失礼だが、何を言われているかわかりませんが?デュシー侯のご令嬢とは面識もありませんが…」

「実は、デュシー家には悲しい出来事がありました。その憂いを払おうということで、侯爵はご令嬢の誕生祝いを盛大になさることにされたのです。妾は、そこに良き知らせを届けたいと思っています。ご相席なさりませんか?」

 これでピンときた。

 おそらくデュシー家の者が『門』の向こうに出征したのだ。ならば、良い知らせとは当然『彼の存命と帰還のこと』だ。相席する以上、キケロの甥のことも期待して良いだろう。と言うより、相席するかどうかが意思表示になるのだ。

 キケロは恭しく頭を下げると、ピニャの手甲に接吻をする。

「是非とも『良き知らせ』が届くその瞬間に、私もお相席させていただきたいと思いますよ。殿下」





  *    *





 『帝都』で、外務省の菅原がその活動に本腰を入れ始めた頃、アルヌスの難民キャンプたる仮設住宅の群れも、数ヶ月という短い期間にもかかわらず大きく様変わりしていた。

 まずは、そのあたりの経緯(いきさつ)について触れておきたい。

 それは、帝国皇女ピニャ・コ・ラーダから語学研修生として派遣されてきた騎士団の隊員とその従者達(その全員が女性だが…)の滞在場所として選ばれたことに始まった。

 当初、彼女達はピニャが夢見心地の表情で熱く語った、摩天楼と芸術で溢れた都市での研修を希望していた。

 だが、その国の言葉を片言も話せないのに海外留学することが無謀であるように、いきなり東京で受け入れるのも乱暴な話である。まして警護にはじまる諸々の事情もある。そこで日常会話くらいはこなせるようになるよう、日本政府はアルヌスの難民キャンプでの教育を施すことにしたのである。

 こうすれば、日本側も受け入れの準備にも時間をかけることが出来る。

 それに、ここには『特地語』←→『日本語』通訳の権威となりつつある賢者や、それに追随する勢いで日本語を修得している子ども達も多く住んでいる。日本語を学ぶだけなら、東京より最適かも知れないのだ。

 日本側の人材としても、伊丹を始めとした陸上自衛隊各偵察隊の面々が『特地』の言葉をある程度解せるようになってるし、さらに外務省の官僚もここで『特地』の言葉を学ぶ予定なので、いろいろと都合が良いのである。

 だが、倍以上に増える人口を支えるには、どう見ても棟数が足りない。

 いくら露営の訓練も受けているとは言え、騎士団に属するような高貴な女性達にとっては、狭い部屋に相部屋というのもストレスの大きいことだ。それを正面からぶつけられる従者達のストレスはもっと大きいということで、インフラの充実がとても強く叫ばれたのである。それに外務省の官僚だって、難民が仮設で暮らしてて自分達がテント暮らしはまっぴらゴメンと言いだした。そこで臨時の予算が組まれ、仮設住宅よりはちょっとマシな造りの建物が並べられることになった。

 さらには井戸を掘って浄水設備をおき、排水路を敷設し浄化槽等の下水を完備し、これらを動かす為のソーラーパネルも設置。こうして小ぶりながらも、日本的な生活ができる環境が整えられた。

 ついでに、これまでの生活必需品の無償配給も終了することにした。翼竜の鱗が避難民達の収入源として確保されたから誰からも文句は出ない。

 ただ、遠く離れた町まで買い出しに行かないといけないと言うのも不便である。そこで小型ながらも各種の消耗品等を扱う商店(購買部)が設けられることとなった。もちろん、その運営はアルヌス生活者協同組合への委託である。

 ところがである。難民のお年寄りや、子ども達がのんびりと店番をしている風景は数日と保たなかった。と言うのもこの商店が『PX(駐屯地購買部)』と呼称されて、出入りの都度に煩雑な手続きが必要な銀座よりも、便利に立ち寄れる店として見られてしまったからである。






 彼女らは、店を大きくしようという気はなかった。
 アルヌス生活者協同組合を大きくするつもりもなかった。全ては、自分達の必要を賄えれば良いと思っていただけである。

 鱗の販売事業とて、自分達が消費するのに必要な食糧や衣服を買い、いずれコダ村に帰村した時の再建費用として、幾ばくかの蓄えを作り、あとの残りは事業の元手を快く出してくれた(防毒面とか、防護服、各種の消耗品などなどの一切)自衛隊に渡せば良いと考えていたのである。

 だが、PXの買い物客は増えた。

 騎士団に所属する貴族の令嬢がやってくる。そのお付きのメイドもやってくる。彼女たちには、『門』の向こうから運ばれて来る日用雑貨、衣類、茶などの嗜好品、菓子類等が飛ぶように売れた。

 語学研修の外務官僚がやってくる。そして、アルヌスの丘にいる万にも及ぶ自衛官達がやってくる。彼らには東京から送られてくる日用品だけでなく、イタリカで仕入れた、ありふれた民芸品が土産としてこれまた売れた。

 店が客であふれかえる。スペースが足りなくなった。

 店舗の増築。要望を受けて品数が増える。販売数が増える。仕入れに手が足りない。販売に手が足りない。荷出しに手が足りない。

 こうして、子どもや老人がてんてこ舞いしているところを見かねたのか、貴族のお嬢様の従者たる女性数名が手伝いを申し出てくれた。(この背景には、『門』の向こうで売られている珍しい商品のカタログ…主に婦人用の下着等とかを見ることが出来、自分が欲しいものを発注できるというメリットがあった)

 これがまた、若き男性たる自衛官達を引き寄せることになってしまう。客がさらに増えて、ますます手が足りなくなると言う悪(?)循環。手伝いの女性達も本業を疎かにするわけにもいかず…わずか数日で、専従のスタッフを雇う必要が出来てしまったのである。

 特地では、人の雇い方はコネクションが主流だ。ハローワークもないし、人材紹介サービスもないからだ。だから「誰か気の利いた人はいない?」と有力者に頼むことになる。すると、その人伝で人材が紹介されて来る。紹介する方もされる方も、信用がかかっているから変なところに紹介できないし、変な人材を送れない。

 アルヌス生活者協同組合は、商取引で関係を深めつつあるイタリカのフォルマル伯爵家を通じて人を紹介して貰った。そしてやって来たのは猫耳の女性達だった。フォルマル伯爵家では貧困対策として、彼女達のような亜人をハウスメイドとして雇用しているくらいだから当たり前と言えば当たり前かも知れない。こうして悪(?)循環が加速する。

 さらに悪い(?)ことは重なる。

 竜の鱗は扱いの単価が非常に高くて利幅も大きい。そのために、各地の行商人を招き寄せる魅力があった。竜の鱗を仕入れようと、商人達が次々とアルヌスを訪れる。そこで彼らが見た物は、『門』の向こうから取り寄せられた珍しくも貴重で便利な品々。

 例えば、『紙』だの『鉛筆』だの、伸縮性のある生地で作られた衣服等々…そういったものに商人達が飛びつかないはずがない。飛びつかないようなら商人たる資格はない。こうして、これらの品を大量に仕入れたいという粘着質な要望に(泥棒する奴も出た)、お年寄りと子どもの集団であるアルヌス生活者協同組合も、断り切れなくなってしまったのである。

 レレイは、ため息をつきながらも日本語で注文書を書いて伊丹に託し、伊丹が東京の問屋とか企業に送りつける。売っては仕入れ、また売るという繰り返し。いっそのこと、電話回線を引いてFAXを置こう、という話も出ている。一部外務官僚からは光回線を引いてくれという希望も出ていて、前向きに検討中である。

 こうして気がついてみると、その経済活動の規模はとっても大きくなっちゃったのである。

 利益が大きくなっちゃえば、また商人が集まってくる。だが、あんまりやって来られても迷惑なのだ。何しろ、宿もなければ食事を出す店もないのだから。集まった商人達は、難民キャンプの外で危険な野宿と野営である。当然悪事を考える奴も出てくる。そのために、警務隊が交代で常駐する羽目になった。

 商人達に来ないようにしてもらうには、商品をこちらから運ぶしかない。その為には人を雇わないといけなくなって、隊商を送るなら護衛も必要になる。流石にそこまでは自衛隊に頼めないので、傭兵を雇うことになる。そうすると彼らが寝起きする場所も必要で、また建物を増やす必要が出てきた。

 ここまで来ると「また、仮設住宅を建てて」とお強請りもできないので、自分達で大工や職人を手配して、建物を建てることとなった。こうして集まったドワーフの職人とか大工、それと組合で雇った行商人、ちょっと荒くれた感じの傭兵達…彼らに食事を提供する場所が必要になって、屋台村みたいな食堂をつくって料理人を雇う。料理人が色気を出して酒を出したりすることを始めて、また客が増えたりして、店が夜間も稼働し始めると自衛官達も客として来たりする。酒を出す店としての従業員が必要になって、またまたフォルマル伯爵家を通じて人材を紹介して貰う。すると来たのは、やっぱりウサ耳姉妹達とか狐耳とか、犬耳とか…獣系の娘達だったりする。

 そんな感じで、アルヌスの難民キャンプは、いろいろな種族が流れ込んで来る上げ潮的な気配があって、しかも『特地』と日本文化が混ざり合ってアナーキーに発展中。

 こうしてここは、『アルヌスの街』と呼ばれるようになったのである。





  *    *





 アルヌスの街は賑やかになった。そして更に賑やかに成りつつあった。数ヶ月前は人口30名に満たない難民キャンプだったと誰が信じるだろう。

 日中は、槌音とノコギリの音が響いて、親方が弟子を叱咤する声が時折轟いたりするし、荷物を満載した商人の荷車とか、それを護衛する傭兵達が金属音とか足音を響かせてたりしながら外へ行き、また帰って来る。

 新しくやって来た行商人が、路肩に勝手に露店を開いている。見れば民芸品とか、どこで拾ってきたのかわからないのような宝石貴石の原石を並べてて、戦闘服の自衛官とか、メイドさんとかに「ちょっと見てかない?」とか言って声をかけている。あまり売れ行きは良くなさそうだが。

 陽が沈む頃合いになれば、ちょっとした屋台村みたいな店のまわりに薪が焚かれて闇の中で明るく浮かび上がる。

 オープンカフェばりに20くらいのテーブルが並べられて、そこに太ったドワーフとか、ホビットとか、PX勤務の猫耳娘とか、お嬢様付きのメイドさんとか、組合で雇ったヒト種の商人とか護衛兵とか、職を求めてやってきた傭兵(多分、連合諸王国軍の敗残兵だろう)とか、外来の行商人とかが、自衛官とかが肩を寄せ合うほどの狭さの中で泡立つビールジョッキを手にして、乾杯している。

 奥の方では、筋肉質の白髪のおっさんが、料理をして威勢のいい声で注文をうけてたりする。

 もちろん、それぞれのテーブルもにぎやかだ。その一つに目を向けてみると…。

 元兵士っぽい男が、腰から剣を外しながら、木製の席にどっかりと腰を下ろして、ため息というかホッとした感じの息を吐いて一緒にテーブルの上に剣を、どちゃっと載せた。

「おいっ、面接どうだった?」

「おいよ。なんとか護衛の仕事にありつけた。イタリカと帝都間の交易路の護衛だとよ」

 正面に座っていた髭男が、ジョッキ片手に身を寄せてきたので元兵士っぽい男は破顔して、面接結果を述べた。

 喉を潤すために、まずは一杯とばかりに「おいっ、エール!!」と注文。すると、店のウサ耳姉ちゃんに「ここじゃあ、エールなんてもん扱ってないよ。ビールならあるけどねっ!!」と言われてしまった。

「ビール?」

「美味いぞ。ここでしか飲めねぇしろものだ。騙されたと思って飲んで見ろ」

 と言われて不承不承注文する。出てきた冷えた泡麦酒を口にして一言。

「美味いっ!」

「イタリカ往復の隊商護衛は今のところ全部で8隊ある。俺と一緒ならいいな」

「もし一緒だったらよろしく」と、2人の男は握手。髭男は、辺りを見渡してから声をひそめた。

「前は何してた?」

「折角仕事にありつけたってのに、んなこと言えるかよ。イタリカを襲った連中の末路を聞いて、俺は身が竦んだぜ」

「で、真面目に職探しってか?へっへっ」

「心を入れ替えて真面目に生きるのが一番だぜ」「そだ、そだ」

 などという会話が交わされていたりする。

「はいよっ、お待ちぃ」

 ウサ耳の姐さんって雰囲気の鉄火肌の女性が、大皿に盛りつけた肉とか野菜を、彼らの頭越しに「ほら、とっとと喰え」とでも言わんばかりにテーブルにデンと置いた。粗野な感じの髭傭兵が、魅力的な曲線を描く彼女のおしりに手を這わせて、回し蹴りをくらって吹っ飛んでいったりする。

 一撃で伸された傭兵を見て、間抜けな奴とみんなが笑って、ウサ耳の姐さんが「おとつい来やがれってのっ!!」と、拳骨を振るわせた。

 切ったタンカが、「あたいの尻はね、安くないよっ!!」である。

 そんな中、「よお、デリラ。いくら払えば触らせてくれるんだい?」などと不埒なセクハラ発言をかましながら伊丹がやってくる。ロゥリィとか、黒川とか、桑原曹長を連れていた。

 するとデリラという名のウサ耳姐さんは、顔を真っ赤にして「イ、イタミのだんな。嫌だぁ、もぅっ!!」と両手で顔を覆うと店の奥へと逃げ去ってしまった。

「イタミの旦那!!奥の貴賓席が空いてますぜっ!!」と料理長の白髪おっさんが声をかけてくる。

「いいよ。ここがいいんだ」

 屋台村とは言いながらも、一応奥には屋根と壁で囲まれた食堂スペースがある。と言うより、本来の食堂はそっちだったのである。だが利用者の急増によって、客が入りきれなくなって、食堂の外にテーブルを置くようになったのだ。

 現在は、貴賓席と呼ばれて元から居た難民とか、外務省派遣の官僚連中とか、騎士団のお嬢様方とか、自衛隊の幹部連中専用の場所という扱いになっている。要するにお上品に食べたり飲んだりするするためのスペースだ。

 伊丹も、二尉で幹部なのだから貴賓席を理由する資格があったが、個人的にはこうした粗野な喧噪が好きなのでこちらを利用するようにしている。






「で、話ってのは?」

 伊丹が座り、その向かいに黒川が腰を下ろす。ロゥリィは伊丹の隣で、桑原のおやっさんは黒川の隣だ。このメンバーでは、第三偵察隊とその関係者の人事や人間関係について話しあわれることが多い。

 ロィリィがとりあえずということで、全員分の生ビール大ジョッキを注文する。店の奥に逃げ込んで出てこないデリラに代わって、ドーラという狐耳ふわふわしっぽ娘が注文をとって去っていった。

 届いた大ジョッキを、一口あおってから黒川は低めの声で言い放った。

「もちろん、テュカのことですわ。いつまで放っておく、おつもりでしょうか?」

 ふと、黒川の背後に視線を向けると話題のテュカが小走りに駆け寄って、店の様子を見渡している。見るからに『誰か』を捜している様子である。

「テュカぁ!なにをしているのぉ?」

 ロゥリィが声をかけた。

「う、うん。ちょっとねぇ」

「誰か人捜しぃかなぁ?」

「えっ?」

「もしかしてぇ、男だったりぃ?」

 テュカは「違う違う」と手を振ると、苦笑しつつ屋台村から去っていった。

 それを見送った黒川は「ああして、毎日これくらいの時間になると居るはずのない人を捜して歩いている」と告げた。そして、伊丹にどうするつもりなのかと重ねて尋ねた。

 隣では、桑原が目の前の黒ゴス少女がジョッキを口に運んでいるのを眺めて、ため息をついていた。外見少女の彼女が生ビールをあおっていると言うのは、良識派の桑原にとって非常に抵抗感ある風景なのだ。だが、かつてそのことを指摘したところ、ロゥリィからこっぴどく『坊や』扱いされてしまった。そりゃ900才過ぎを前にしては、いかに50才でも子どもだろう。とは言え酷く屈辱的だったのも確かで、それと同じように、彼女も感じている事に気付いて胸中複雑である。

「でも、無理矢理現実を認識させる必要、あるのかしらぁ?」

 嘯くように言うロゥリィに、看護師でもある黒川は強く言い放った。

「あるに決まってます」

「そうかしらぁ。現実を受け容れることが出来ないからこそぉ、父親が生きていると必死になって思いこんでいるのではないのぉ?」

「それは逃げですわ」

「逃げてはいけないのぉ?」

「いけないに決まってますわ。人は、現実をしっかりと見つめて、受け止めてこそ、明日を目指して生きて行くことが出来るのですわ。現実の否定で、『今』を誤魔化すことは出来ても、明日は来ません。いえ、誤魔化せば誤魔化した分、『明日』は過酷なものとなるでしょう。テュカのお父様はここにはいないのです。多分…おそらくあの焼け跡から見ても…もう亡くなられたことでしょう。そのことをしっかりと受け止めなければ、彼女が、それを認めなければ、現実と妄想の狭間で、『今』という時を消費するだけの毎日になってしまいますわ」

 ロゥリィは、肩を落として疲れたような息を吐くと、手にしたジョッキの中身を飲み干した。彼女の背中は、正論と理屈を並べる子どもを前に「人生はそれだけじゃないんだよ」と、どう言い聞かせたらいいだろうと思い悩んでいるかのようにも見えた。

 黒川が考えているようなことはロゥリィも考えていたことがある。いや、正しいと今でも思っている。だが、それは『正しい』と言うだけなのだ。

 正しさでは人は救えない。

 黒川の今立っている場所は自分も通ってきた道だった。そして、誰に言われてもそれと気付くことが出来ずに、結局のところ自分で悟るしかなかったのだ。痛い思いと共に…。それを我が身で知るからこそ、どう語ればよいのかと、悩むのである。

 伊丹が、口を開いた。

「なあ、黒川。俺たちが、よってたかってテュカを取り囲んで、みんなで『お前の父親は死んだんだ』と言い聞かせて、現実を認めさせたとしよう。そうしたらどうなる?」

「どうなる?『喪の仕事』と呼ばれる悲しみの期間を過ごして、やがて父親が亡くなったことを受け入れて生きていきますわ。彼女の人生は私たちのものより長いのです。永遠に近い時を、ただ死者を思い描いて生きるだけでは寂しすぎます」

「それはぁ、確かにそうなんでしょうけどねぇ」

 ロゥリィは頭の後ろで手を組むと、星の瞬く天を仰ぎ見た。960年かぁ。長かったって言えば、長いし、短かったと言えば短かったしぃ…と呟く。960年の間に出会ってきた親しい者達。そして必ず訪れるそれらとの別離。自分は乗り越えることが出来た。だからといって、他人にも出来ると思うのは傲慢と思う。と、同時に他人には出来ないと決めてかかるのは不遜ではないかとも思っていた。答えは未だに出ていない。きっと出ないだろう。

「黒川、お前の言うようにしたとしよう。テュカは、悲しみを受け止めきれると思うか?今は、現実と妄想の狭間で生きているが、現実を突きつけることで、決定的に現実から目をそらして、いよいよ『あっち』の方向に行ってしまわないとどうして言えるんだ?」

 その言葉にロゥリィは驚いた。伊丹からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。

『正しさ』は劇薬に似ている。誰もを黙らせる力があり、よく効くからこそ頼りたくなる。だがそれ故に、人を絶体絶命の窮地に追いやることもあるのだ。伊丹のような、最も現実に背を向けている男が、どうしてそのことを知っているのかと思うとロゥリィは思わず苦笑してしまった。伊丹という男、以前から興味深くはあったが、ますます興味を感じる。

「そ、それは……」

「大丈夫だと言い切れるほど、お前はテュカのことを知っているのか?俺たちは、そしてお前には彼女を支える力があるのか?俺たちは臨床心理士でもなければ精神保健福祉士でもないんだぞ。テュカの『こころ』に寄り添い続けてやれる立場じゃないんだ。今日真実を突きつけて、明日撤退命令が出たらどうする?」

「……………つまり、このままにしておけとおっしゃるのですね?!」

「ああ。悪いことは言わない。最後まで責任を持てないなら何もするな。余計に拗れるだけだ」

 伊丹は、冷たく黒川に言い放つのだった。






 第三偵察隊は、帝都に滞在している外務官僚(菅原)への連絡任務のために、明日出発することになっている。その支度があると称して、黒川が腹立ち混じりの表情で中座し、隊舎まで送ると言うことで桑原が付き添っていった。

 残された伊丹とロゥリィは、差し向かいで飲みつづけていた。

「呑みなさいよぉ。お馬鹿さぁん」

 ロゥリィが、伊丹にもっと呑めと、ジョッキを突きだした。伊丹は、苦笑しつつ自分のジョッキをコツンと合わせる。

「あんな言い方する必要なかったんじゃなぁい?随分と冷たい感じぃ。クロカワからの評価は、断崖絶壁急転落ねぇ」

「誰にも彼にも優しくできるほど、懐が広くないんでね。仕方ないさ」

「ふ~ん、その懐の定員は少ないのねぇ」

 そう言いつつも、ロゥリィは内心では「嘘つきぃ」と呟いていた。

 この男、わざと冷たく振る舞ったのだ。黒川の好きなようにやらせてみて、最悪の結果が出ても「上手く行かなくて残念だったな」で、終わらせることも出来るのだから。

「1人か2人が精一杯かな」

「1人にしておきなさぁい。または、1人だけだと思わせなさぁい」

「どうして?」

「女にモテるからよぉ」

「優しくないとモテないんじゃないのか?」

「逆よぉ。女から見て、誰にも彼にも優しくする男ってぇ…そうねぇ、男から見たらぁ…誰にでも股を開く女に似てるかもぉ」

「はぁ?」

「優しさに飢えている時はてっとり早くて都合がいいけれどぉ、伴侶にしたいかって言うとぉ、ちょっとねぇ。優しくしてもらえるのが1人だけならぁ、その1人だけの座が欲しいって思うのが女なのよぉ」

「ふぅん。そんなもんかねぇ………ロゥリィは優しいな。死と断罪の神様エムロイだっけ?その使徒の1柱で『死神』なんておっかないアダ名がついてる癖に」

「あらぁ?誤解があるわねぇ。死を司るということは、生を司ることを意味するの。死とは生の終演、どのように死ぬかは、どのように生きたかを意味するわ。最良の死を迎えるには、生きることを尊ばなければならない。どうでも良いような人生の果てにある死は、どうでも良い死になり果てるのよぉ」

「そうなのか」

 ロゥリィは「そうよ」と微笑むとジョッキの中身を飲み干した。「おかわりっ!!」

「おいおい、そのへんにしておけよ。酔っ払っても知らないぞ」

「いやぁよぉ。優しくしてよぉ」

「じゃ、とりあえずは、寝床までは運んでやります」

「けちぃ」

 ロゥリィのつま先が伊丹の脛を蹴った。

「痛てっぇなぁ、もう!」

 脛を撫でる伊丹を指さして、ロゥリィは鈴を転がすように笑う。

 そんな2人やりとりに、ハスキーな女声が割り込んだ。

「なんだここは?ガキに酒を呑ますのか。それと、そこの男、幼気な少女を酔わせて何を目論んでいる?まさかとは思うが卑劣なことを考えているのではあるまいな?!」

 突然、その場が打ったように静まりかえった。

 喧噪が途絶え、灯火の薪がはぜる音だけが、響いている。

 荒くれの傭兵連中も、無骨なドワーフも、顔面を蒼白にして黙り込み、少なくとも、このアルヌスでは、絶対に口にしてはいけないとされている言葉を吐いた強者の姿を盗み見ようと、ゆっくりと視線をめぐらせた。

 くすんだ白のターバンを巻いた痩身の男…いや、女か。

 褐色の肌に、銀髪。そして長穂耳。

 それはこの世界にて、ダーク・エルフと呼ばれる種族の女だった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 31
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/19 20:32




31






「なんだここは?ガキに酒を呑ますのか。それと、そこの男、幼気な少女を酔わせて何を目論んでいる?まさかとは思うが卑劣なことを考えているのではあるまいな?!」

 その女声が響くまで、ロゥリィはこの上ないほどにご機嫌だった。

 伊丹 耀司との逢瀬が、楽しかったからだ。

 雰囲気もまずまずだし、ビールも美味しい。このままヨウジを際どい冗句でからかい続け、酔っ払って眠りこけたフリをして見せれば、ベットまで運ばせることに成功するだろう、いや成功したはずだった……。

 ……眠っているロゥリィを、伊丹は壊れ物でも扱うかのように慎重に運ぶ。

 彼女の身体を優しくベットに横たえ、その頭を柔らかな枕にそっと載せる。

 長い黒髪が絡んだりしないようにという配慮で、指先で上手に梳(くしけず)るようにしながら捌き置いて、神官服には皺をつくらないように、その裾を丁寧に整える。そしてブーツだけは脱がす。

 伊丹はロゥリィの左足首からふくらはぎをそっと撫でるようにして包み持つと、右手で彼女の膝裏の辺りを支えて、『く』の字に曲げさせた。当然、フリルスカートの裾が乱れて、彼女の腿…その付け根近くまでが顕わになった。

 だが、伊丹は気付かない。あるいは気付いていても黙殺する。
 左手で靴紐の先を摘み持って、あたかもプレゼントの箱を開くような面もちでツツッと引き解いた。

 十分に靴ひもをゆるめたら、ふくらはぎとブーツの狭い隙間に、伊丹の指先がいよいよ分け入った。

「…あっ…ん」

 その感触は足裏マッサージのそれに近くて、思わずため息が漏れてしまうかも。

 こうして、靴とロゥリィの素肌との間に充分な空間が開いたら、伊丹はブーツの踵を掴んで「いくぞ。いいな」と声をかけた。

 目を閉じたままのロゥリィは、頬を紅色に染めつつも頷いたか、頷かないか程度の小さな反応を見せだけだった。

 だが、伊丹にはそれで充分だった。いや、反応がなくとも伊丹は待たなかっただろう。意を決した伊丹はもう後戻りしない。やや強引なまでに、彼女の左足からブーツを引き抜いていった。こうして、それまで漆黒の革靴で隠されていた、白いレースの生地に包まれた足が顕れる。

「いたぃっ……………お願い………乱暴にしないでぇ」

 ロゥリィは小さな声で懇願した。だが、冷酷な伊丹はロゥリィの声を無視していよいよ右足のブーツへと手をかけた。

 …………事を終えた伊丹は、彼女の部屋から出ていこうとする。寝台の横には、彼女のブーツがきちんとそろえて置かれていた。

 でも、彼女の手は、伊丹の袖を硬く掴んで離さない。

「しょうのない奴だ」

 とかなんとか言いながら、伊丹はロゥリイの指を優しく解きほぐそうとするかも知れない。と言うか、是非して欲しい。そうしたら両手を伸ばして伊丹の頭をがばっと抱きかかえ、ベットへと引きずり込んで寝技へと持ち込む。

 後は、いろいろとムフフな展開を朝まで……と思っていたのだ。

 すなわち、相手を酔わせていろいろ目論んでいたのはロゥリィなのであった。卑劣かどうかは別にして…。

 なのに、なのにそれなのに。邪魔したあげく、このロゥリィ・マーキュリーをガキ扱い。

 ロゥリィは、唇をとがらせ、震える拳を隠しながら声の主へと振り返った。

 見ればダークエルフの女だった。

 300歳前後だろう。人間で言えば20代後半から30代前半の外見である。

 南方の部族なのか、旅塵を避けるために頭にターバンを巻いて、身体はマントンで覆っていた。

 マントンは魔導師のローブにも似ているが、それよりももっと雑な構造をしている。ただの布きれに身体に巻いただけなのだ。ある程度の意匠をこらすこともあるが、この女の場合はすり切れそうな無地の生地をそのまま纏っていた。だからだろうか、布の隙間から彼女の肢体が微妙に垣間見えるのだが、それがまた気にくわない。

 見た感じ、いかにも肉感的で男好きのしそうな身体なのだ。しかも、ダークエルフ特有のボンテージ鎧を纏っている。

 ボンテージ鎧とは俗称で、防具としての分類は『革鎧』に該当する。鞣(なめ)した革に鋲や金具をとりつけてデザイン性と若干の防御力強化をはかっている。身体にぴったりとした扇情的とも思えるデザインも、戦闘時の動作の邪魔をしないためで敏捷性への負荷が極力少なくすることが目的のはずである。

 南方のダークエルフの部族は、軽快かつ俊敏な戦闘術を伝承していると伝え聞く。そのために、このような防具が発達したのだろう。

 そんな女が、ロゥリィと伊丹の2人を前に仁王立ちしていた。
 彼女の右手はサーベルの柄にかかっていて、すぐにも伊丹に斬りかりそうな剣呑な気配を放っていた。

「あなたは、誰ぇ?何しにここにぃ?」

 ロゥリィは、怒るよりも前に、いや既に充分に怒っているのだが、その事を表明する前に、女についての情報を得ることにした。いくら900才を越えていてもこの見てくれだ。間違えることは仕方ないと思う。だから、ぶん殴ったり、斬りかかったりするような理不尽なことをするつもりはなかった。だけど、意地悪くらいはしてやりたい。

 ダークエルフの女は、怯えで身体を振るわせている(ように見える)少女を、安心させようとしてか、その質問に丁寧に応えた。

「我が名はヤオ。ダークエルフ、シュワルツの森部族デュッシ氏族。デハンの娘 ヤオ・ハ・デュッシ。こちらに『緑の人』の一党が駐留されていると聞き、用件ありて参った次第」

 途端、ロゥリィはその瞳を輝かせた。彼女はヤオと名乗ったダークエルフの女に、救いを求める無力な少女のように駆け寄ると、その背中に隠れて言い放つ。

「お願いっ助けてっ!この男、もう呑めません、許してくださいって頼んでいるのに、俺の酒が呑めないのかとしつっこいんですっ!!」

 ………もとより静まりかえっていたが、場は更に静まりかえった。誰かの唾を飲み込む音すら聞こえるほどである。

 伊丹は「えっ?オレ」と自らを指さして周囲に救いを求めるように視線を巡らせる。だが、誰も助けてはくれない。伊丹を残して他の客達は、数人がかりで料理の載ったテーブルを持ち上げると、えっちらおっちらと避難を始め、伊丹独りがポツンと残される。

「やはり、そうであったか」

「この男、あたしを酔い潰して、その後で手込めにするつもりだったんですっ!あともう少し呑まされていたら、わたしぃは前後不覚に酔っ払って、あれやこれやとても口では言えないようなことをされたあげく、ボロくずみたいに捨てられていたんだわぁ!!」

 よよよ、と両手で顔を覆って崩れ落ちて見せるロゥリィ・マーキュリー。ヤオはその痛ましく見える姿に「可哀想に、恐かったであろう?」と慰めた。その声色は、悪人三昧の男に対する正義の怒りで震えていた。

 伊丹の目には、顔を覆う両手の隙間から、ペロリと舌を出しているロゥリィの素顔が見えた。その瞳は伊丹に「ゴメンね」と語っていて思わず天を仰ぎたくなる。

 ある種の女性は時として、親しい仲の男に対してこういう振る舞いに及ぶことがある。例えば車の運転中に、いきなり目隠しをしてきたり(ホントに危険である)して、叱りつけると「怒っちゃ嫌」と泣く。こうした理不尽な振る舞い(女性からすると無邪気な悪戯だそうである)に耐えることもまた、男の甲斐性の内に含まれているようなのである。聞いた話に寄れば、女性がこうした振る舞いに及ぶのは、女性側の無言の期待に男が応えない時、とも言うから是非気をつけておきたい。

「己の薄汚い獣欲を充たさんと、幼気な少女に酒を無理強いするなど不埒千万。断じて、許せぬ」

 ヤオは伊丹との距離を詰めつつ、ゆっくりとサーベルを引き抜いた。

 彼女の右手には見るからに斬れそうな刀身が、篝火の光を受けて輝いている。

「安心するがいい。今すぐこの不埒者を成敗し、おまえの安逸を取り戻してやる」

 ヤオはロゥリィを安心させようと微笑みながら語りかけた。
 そして、再び目標へと視線を向けたのだが、その時には座る者の居ない椅子と、ビールのジョッキが転がっているだけだった。

「は、はやっ」

「ダンナ、見事なもんだねぇ」

 一部始終を見ていた観客達を代表して料理長とデリラが呟いた。

「あばよ~とっつぁん。飲み代はツケといてくれ」

『とっつぁん』とはこの場合料理長のことである。銭形警部ではない。

 見れば、夜の闇に向こうへと伊丹の背中が消えていく。ちょっと振り返って手を振っているところなぞ、小気味の良さを感じさせるほどであった。

 あまりの逃げっぷりに一同、しばし身動きが出来なかったが、しばらくすると何事もなかったかのように酒盛りと食事を再開した。

 料理長は、カウンターの柱に画鋲で留められている何枚かのカードから、伊丹のカードを取り出すと、鉛筆でツケに入れる今回の代金を書き込んでいた。

 抜いた剣の降ろし場所を失って、呆然としていたダークエルフのヤオも、我に返ると「コホン」と咳払いをして「よし、悪は逃げ去った」とまとめる。

 サーベルを鞘に戻して、「もう大丈夫だぞ…」と少女に声をかけようとしたところ、もう少女の姿も見あたらない。

 ついさっきまで自分の腰にしがみついて震えていたはずなのに、まるで幻であったかのように、黒ゴス神官服の少女の姿が見えなくなっていた。別に礼をして欲しかったわけではないが、一言あってしかるべきだろうとも思えて、つい「随分と礼儀を知らないガキだ。服装からすればエムロイを祀る巫女見習いだろうが、どこの神殿の所属だろうか?躾が成ってないな」とひとり愚痴をこぼす。

「ほら、注文するならさっさと座りな。それともただの冷やかしかい?冷やかしなら出ていっておくれっ。邪魔だから」

 デリラに声をかけられて、もともと食事をするつもりであったことを思い出したヤオは「ああ、すまん」と招かれるままに、カウンター席に腰を下ろした。

 包丁をふるっていた料理長が、ヤオに尋ねた。

「お客さん。何にする?」

「晩の食事がまだだ。肉と野菜の焼いたものを適当に見繕って欲しい。それと飲み物は軽いものにしてくれ」

「酒精は入っていていいのか?」

「ああ」

「デリラ。こちらダークエルフのお姐さんにビールだ」

「はいよっ!!」

 隣の席のドワーフが、相当酔っていることのわかる赤鼻顔で「よっ、ダークエルフの女。お前、緑の人を訪ねてきたんだって?なんでだ?」と語りかけてきた。

 ヤオを挟んで反対側の猫耳の娘も「わざわざ、緑の人を訪ねてこんなところまで来るニャんて、訳ありだニャ?」と気安く肩を叩いてくる。

 自分という存在が、酔っぱらい共の酒のつまみとなっていることに気付かないヤオは、その気安い態度を好意的に誤解した。

「ふむ、垣根が低くて良い人達のようだ。丁度良い、話を聞いて貰いたい。緑の人を探してここまで来たのは、頼みたいことがあるのだ。諸君は、緑の人がどこにおられるか知っているか?」

「頼み?」

「そうだ。是が非でも、彼の者達の力を借りなければならないのだ」

 ……なるほど。それでロゥリィはあんな芝居をやらかしたと。死神ロゥリィの復讐がこのように為されたことを理解した一同は、無言で「あんたは、その緑の人にサーベル抜いたんだよ。ご愁傷様」とヤオを悼むのだった。

 誤解にしろ何にしろ、自分に向けて剣を抜くような人物の頼み事を、快く引き受ける人は少ないだろう。彼女が目的を達成するには、誤解を解いて謝罪をして、さらに機嫌を取ってと、最初から高いハードルがさらに高くなってしまったのだ。

 ドワーフの男は、思わずヤオから目を背けると呟いた。

「もしかすると、無理かも知れんなぁ」

 猫耳娘も、ヤオから目を背ける。

「そうだニャァ。非常に難しいと思うニャ」

「何故だ?緑の人は高潔な者達と聞き及んでいる。ならば困っている者を見捨てることはないと思うのだが…………諸君がそのように言うには、何か訳があるのか?」

 そこまで語ったところで、デリラが「はい、お待ちっ!!」とヤオの前にジョッキを置く。泡立つ黄金の液体を前に、ヤオは「これがビールか」と呟いて、まず一口含んだ。

「うむ。美味い」

 そこに料理長の料理が、ヤオの前にならべられていく。

 ヤオはそれらに舌鼓を打ちながら「無論、無料でものを頼もうとは思っておらぬ。報酬も、族長よりこれこのとおり、預かってきている」とテーブルの上に、ドンと、人の頭サイズの革袋を置いた。ちなみに盗難除けに冥王ハーディの護符も括り付けられている。正当な所有者以外が手にすると、呪いをかけるというものである。

「金剛石の原石だ」

 これには、傭兵達が騒いだ。ちょっとした一財産どころではないからだ。これだけあれば爵位と領地だって買える。しかもダークエルフ謹製ハーディの護符つきだ。これ単体でも相当な高値がつくはず。

「それに、もしこれでも足らないということであれば、我が身を捧げることも厭わぬつもりだ。すでに覚悟は完了している。親類縁者とも、別離は済ませてきた」

「おおおおおっ!」

 今度は、傭兵のみならず男達と一部の女が騒ぎだした。

 ヤオの肢体はそれほどに魅力的だった。これを好きなように出来ると聞いて心動かない男は居ないだろう。

 傭兵の1人が、俺では駄目かと言い出し、他の傭兵達も「オレも、オレも」と後に続く。ヤオは大人の女としての余裕からか「困った男達だ」という感じで小さく微笑んだ。その上で、「申し訳ないが、おそらく諸君では役者が不足するだろう」と告げたのだった。

「ま、それだけのお宝に加えて、我が身すら差しだそうってんだから、頼み事って言うのも簡単なことではないってことだろうな」

「そうだ」

「で、頼み事というのはどんな内容なんだ?」

 周囲の視線が集まる中、ヤオはジョッキのビールをさらに一口含んで喉を潤してから重々しく語った。

「手負い炎龍の、退治だ」






 シュワルツの森に炎龍が飛来したのは、数ヶ月ほど前だった。

 それは突然だった。ただ集落に住まうダークエルフ達の殆どが、たまたまの祭祀で村から出払っていたために、留守を守っていた少数の男女が犠牲になるだけで済んだのである。

 だが、その程度で炎龍が満ち足りることもなく、空腹になる度に飛来する炎龍によって、多くの同胞が犠牲となっていった。

 このままでは部族が滅んでしまう。

 ダークエルフ達は、炎龍の狩り場となり果てたシュワルツの森を捨てて、周辺の荒野や渓谷、山岳地帯へと分散して隠れ住むことにした。

 炎龍の襲撃から逃げまわる生活が始まった。

 毎日毎夜、空を警戒し飛ぶものなら小鳥にすら怯え、空襲を警告する角笛が響けば、地に掘った穴にモグラのごとく逃げ込んでは恐怖に身を震わせる。

 ほんの僅かな油断に炎龍は襲いかかった。

 穴ごと焼き払われ、ほじくり出され、時に踏みつぶさる。

 朝挨拶を交わした同胞が、夕刻には炎龍の鋭い牙に噛み砕かれ、咀嚼され、嚥下される。

 耳にこびり付く悲鳴、断末魔の絶叫に背を向けて両手で耳をふさいで、友の犠牲が生み出した貴重な時間を使って、より険しい山へ、より深い谷底へと彼らは隠れ家を移していったのである。

 しかし、逃げ隠れしているだけでは生きて行くことは出来ない。

 毎日の糧を得るには、狩猟なり採集なりしなければならないのだから。だが、エルフにとっての狩り場とは、炎龍にとっても狩り場であった。

 狙われながら狙い、獲物を捕った瞬間に自らが獲物となる。こうした危険を避けつつ、得られる糧など、量質共にたかが知れた。

 木の皮を削り薄皮を蒸して食べ、泥水をすする。そんな毎日が続く。

 集落から持ち出した蓄えは次第に乏しくなっていく。次第に軽くなっていく麦櫃や果籠に不安を抱き、悲壮な覚悟で弓を手に狩り場へと出ていく若者達。

 犠牲者が毎日のように出る。

 両親を失った子供のすすり泣きや、娘や息子を失った親が炎龍を呪詛する声が止む日は、1日とてなかった。

 復讐の怒りから剣を取り、弓を持って絶望的な戦いに挑む者もいた。

 だが、累卵をいくら束ねても巨岩を阻むことが適わないように、彼らの挑戦もまた、犠牲を増やすだけに終わった。

 精霊の加護も、神銀の鏃も、強靱な鎧にも似た炎龍の鱗を貫くことは出来ない。

 魔法の剣にわずかな可能性が見いだされたが、その切っ先の届く間合いに入れなければ、全くの無力である。炎龍の巣に無数に転がっている魔法の剣。その中に、新たなる1本が加わることとなった。

 絶望と虚無がダークエルフ達の心を捕らえていく。

 冥王ハーディへの信仰が、彼岸への憧れへとすり替わり、処刑台の笑いにも似た絶望微笑が不治の疫病のごとく部族中へと蔓延していく。生きることに希望を失い、自暴自棄の振る舞いに及ぶ者も絶えない。

 このままではいけない。こころある1人が、言った。

「あの炎龍にだって弱点はある。あの片目につきたっている矢がその証拠だ」

 炎龍の片目に一矢報いたであろう神業のエルフの存在が、彼らを勇気をわずかながら呼び覚ました。

「炎龍だろうと、必ず倒す術がある。あのもぎ取られた左肩がその証拠だ」

 時を同じくして風とともに流れてきた『緑の人』の噂。

『鉄の逸物』と名付けられた魔杖は炎龍の左肩すらうち砕き、滅びに瀕したヒト種の村を絶体絶命の窮地からすくい上げたと言う。その噂は、滅びに瀕したダークエルフにとって最後の希望となった。

 そして、部族の総意を託す遣いが立てられることとなる。

 遣いの者に託された任は重い。

 炎龍の魔爪から逃れ、噂だけを頼りに緑の人の元へとたどり着かねばならないのだから。強靱な精神力と責任感、そして優れた生存力が求められる。

 遣いの者に託された任は想い。

 『緑の人』を援軍に請い願い、いかなる手段を用いようとも助勢を引き出さなければならない。失敗は部族の、同胞や友人の滅びを意味する。

 これだけの責務、到底、凡夫では成し遂げられない。

 相応の武芸、知性の双方に恵まれて、さらには中途で使命を投げ出したりしない、使命感と忠誠心に篤い者でなければならない。

 部族中から若者が集められ、篩(ふる)いにかけられていく。

 そして2名の者が残った。その片方が、ヤオ・ハ・デュッシである。

 剣の腕と知性に優れ、精霊を使役する技にも精通する。

 その不器用なまでの生真面目さは、部族中に知れ渡り知らない者はいないほどだ。彼女ならば使命を途中で投げ出すことはないだろう。

 候補者は2人。だが技量、才幹、そして人柄。全てに置いて同じ水準ならば、女性であるヤオが有利であった。なぜなら彼女の魅力的な容姿は、異性を交渉相手とする際に、重要な武器となり得るからだ。『緑の人』の指揮官は男だというし。

 しかし、事は簡単ではなかった。部族の長老達はヤオの顔を見るなり、「う~ん」と唸ってしまったのである。

 と言うのも、彼女には『運が悪い』という重大な欠点があったからである。

 猟に出れば、誰かの仕掛けたワナを踏み、木を切れば彼女の居るところへ倒れてくる。

 遊びに出れば雨が降り、買い物に町に出れば店が閉まっている。

 親友とも言える女性に彼氏を寝取られ、幼なじみの男性と紆余曲折の果てに結婚することになってみれば、婚礼前夜に夫(予定)が急死するという有様である。

 その後喪の明ける頃に、未婚の未亡人に愛を囁く男が現れたが、その男も狩猟中に崖から転落して死亡。こうして、彼女に近づく男はいなくなってしまった。

 さらには、普段クジ運などまったく無いのに、友人の婚礼の宴会をヤオが仕切った時に限って、余興のくじ引きで一等賞を引き当ててしまうと言う間の悪さ。

 正直言えば、女性であることのメリットも消し飛んでしまうように思われた。だが、運は悪いけど、その運の悪さを乗り越えて、強く正しく逞しく生きてきた事を見てくれと、彼女は自己アピールする。

 それは誰もが認めるところであったから、長老達も『運が悪い』という理由で彼女を落選させることも出来なかった。

 そこで、長老達は女性を遣いとして選ぶ意味を切々と説いた。そして、必要となれば自分自身すら報酬として相手に売り渡すような覚悟があるかどうかを問うたのである。その言い様たるや、必要以上にしつこくて、もしかして嫌がらせかと思うほどである。実のところ、辞退させたかったのではないだろうか、とヤオは思っている。

 だが、ヤオはそれを諾とした。どうせ、男運無いし。相手が求めるなら、奴隷だろうと、愛人だろうと、娼婦だろうと、メイドだろうと言われるままにやってやる。ただし、絶対に安売りはしない。炎龍一頭が代価なら、本懐であると胸を張った。

 長老達は一抹の不安を抱えつつも、ヤオを遣いとして選んだ。

 部族の未来は生か滅びかの二つに一つだ。ならば報酬を吝嗇っても意味がない。ということで、部族の保有する最高の財宝が宝物庫から引き出されて彼女に託された。

 こうして旅に出たヤオは、数ヶ月の流浪の果てに、アルヌスの丘へとたどり着いたのである。





    *     *





 ヤオの眠りは、耳を劈(つんざ)く轟音によってうち破られた。

 何事かと飛び起きて、周りを見渡してみれば、そこは木漏れ日の美しい森であった。

 折角街に着いたのに、宿屋が無いということにがっかりしつつも「夜も遅くなった、全ては明日」と言うことで野宿の寝床として選んだアルヌス麓の森。

 このあたりを仕切っているというハイエルフの手が入っているせいか、そこは緑と水と、風の精霊の恵みが豊かで非常に快適であった。

 そんな森の上空を、轟音と共に二本の剣が飛んでいた。

 大空を切り裂くように、天をめがけて駆け上がっていく翼は、F4ファントム。

 退役間近な白銀の翼は、規制のうるさい国内と違って離陸した途端管制塔より通知された言葉『他に飛んでるのは鳥ぐらいだ。墜落しなければ、好き勝手に飛んで良し』に象徴される自由を、大いに楽しんでいた。

 彼らはファントムのパイロットとしては超ベテランで飛行時間も万の単位を越える。だがF15やF2への機種転換訓練を受けるには歳を取りすぎていると自ら判断し、ファントムの退役と共に教育隊か、陸へと腰を落ち着けることを選んだ40代の古強者だった。分解されてこの『特地』に運び込まれたファントムも、もう向こう側に持ち帰られる予定はない。

 彼らが、最後に与えられた空は、常に道を譲らないといけない旅客機も、米軍機もいない自分達だけの空であった。それは、全ての空自パイロットが涎を垂らして羨ましがる大厚遇である。

 離陸して、脚を引っ込めた瞬間からアフターバーナーを全開にして高度1万メートルまで駆け上つてインメルマンターン。

 180°ロールして大地と天を逆様に、背面飛行から大地に向かって突き刺さるように加速して次第に機首をあげるスプリットS。

 中途で音速を突破させ、衝撃波を響かせても苦情の煩い市民団体もない。とは言っても、駐屯地の陸自や、アルヌスの街に住まう住民に対しては一定の配慮はして、頭の上で雷みたいな音を響かせないようにはしているが…。それにしたってみんな仲間だ。スロットル全開で、空中の模擬戦に遠慮は要らない。横転をかけて姿勢を戻し、振り回されないように両の膝でステックをぐいっと挟んで、がつんと叩くようにして、機首を引き起こす。

 急旋回のGは、身体を締め上げる。その瞬間に呼吸など出来るはずもない。「ふんっ」と腹筋に力を込めて満身の力を込めて、身体を支えた。

 Gが止んだ瞬間に、ぜいぜいと呼吸をして酸素を取り込む。戦闘機動はこの連続が果てしなく続く。

 後席が叫ぶ。「後方を取られた」

「こなくそっ!!」

 急制動に、シザー。後方に食らいついた仮想敵を振り払おうと、あらゆる機動を駆使する。大地が周り、世界が転がる。敵を引きはがしたら、逆に後ろを取りに回る。

 ナイフエッジ、横転コルク抜き…今なら、ラプターだってロックオンしてみせる。空自の空戦技術は世界的に見ても非常に高い水準にある。かつて、F104という旧型機で、米軍のF15から撃墜判定をもぎ取った名パイロットがいたほどなのだ。

 あらゆる枷から解き放たれた無頼達は、自由な空で、無邪気にはしゃぐ子どものようであった。






 空を飛び回る、銀色の剣。

 その風景は、剣が鬼ごっこを楽しんでいるかのようにも見えた。

 呆然と見上げていたヤオは、すぐにこれが人が操る物であることに気付いた。エルフの優れた視力が、彼女の視界をフライパスしていく巨大な剣に騎乗する者の姿を捕らえたからだ。

 そして、笑みがこぼれた。笑いながらも涙が流れた。

「噂は、本当だったのね」

 天を我が者のように飛び回り、大地に生活するあらゆる生き物を喰らいつくす炎龍。

 だが、大空の支配者は最早、炎龍ではない。速さ、鋭さ、すべてにおいて炎龍を凌駕する、空飛ぶ剣。こんなものがあるのなら、炎龍の腕を喰いちぎったという鉄の逸物もあるだろう。当然だ。

 唯一の希望としてすがる気持ちこそ持っていたが、正直言えば半信半疑でもあった。噂とは人々の願望を受けて、膨れあがるものだからだ。そして、絶望によって心がうち砕かれることを防ぐために始終、噂が間違いであった時のことを考えていたのである。

 噂を疑いつつも、半分信じ、希望を託して旅してきたヤオにとって、大空を自在に舞う剣の存在は、自分の旅が無駄でなかったことの証明であり、希望の保証となった。

 こうなれば、彼女の使命はほとんど果たされたも同然である。ヤオはそう感じていた。

 このままあのアルヌスの街へ戻り、緑の人の代表者に会いさえすればいいのだ。

 援軍を請い願い、説得することの困難さなど、これまでの労苦に比したら些細なことのように思われた。これで、故郷の仲間は、一族は救われる。それがもう約束された既定事項のように思えていた。

 ヤオは、「よしっ」と心を決めると、街へと向かって歩き始めた。

 草を分け、歩く足取りは軽くて、次第に早足になる。まるで、待ちきれないかのように、つい小走りになってしまう。そして最後には、風を切って走り出していた。





    *     *





 アルヌスでは、伊丹率いる第3偵察隊が完全武装を済ませて、整列待機していた。

 傍らでは、柳田がクリップボード片手に、3台のリヤカーに積み上げられた荷物の最終点検をしている。

「反物、漆器、陶器、磁器、真珠、おおっ!日本酒なんてものまであるぞ。しかも、寒中梅の特級と来てやがる。一本ぐらい、ちょっぱったろうかなぁ」

「止めてくださいよ、柳田さん。これらは俺たちにとっての武器弾薬なんですから」

 傍にいたスーツ姿の外務省官僚、藤堂が冗句と理解しつつも、真面目に応じた。

「本当か?自分達で消費してるんじゃないだろうな?」

「その辺は、信じて貰うしかないですね」

 リストを見ればデパートで開かれる全国名産品展でもあるかのような品揃えだ。これらは贈答用(贈賄)として用いることになる。

 壊れ物が多いのできちんと梱包してあり、さらに量が多いために、ちょっとした引っ越し級の大荷物となってしまった。

「それと、金貨、銀貨、銅貨の詰まった箱。それぞれ中身もずっしりです」

 帝都における各種の活動資金も必要で、これらも木箱に詰められて積み上げられていた。活動資金の使い道は、帝都における活動拠点として借りた家屋の家賃、情報収集のために雇った人間への給金、それと各種の工作活動、交際費等々で、常に不足気味だ。

「抱かせ、喰わせ、呑ます。このあたりは、商社の接待と似たようなもんです。あとは、没落した貴族とか、体制に恨みを抱いている連中をみつけだして、そいつらを使って各種の噂を流したり、足を引っ張ったりとかの工作をしたりと、基本通りです」

 語学研修中とは言え、特地にいる以上は働かされている若手官僚の1人が、金貨の詰まった箱をポンと叩きながら語った。

 日本政府はこれらの貨幣を、アルヌス生活者協同組合から『購入』して賄っている。
 アルヌス生活者協同組合は、これらの貨幣を売った代金の『円』で、さまざまなものを輸入しているわけである。このあたりの詳細については別に述べる機会があるので、その時にしたい。

「発展途上国の役人なんて露骨ですよ~。あからさまに賄賂を要求してきますから。中国の外交官なんて、春暁の交渉の時に『軍艦を出すぞ。それでも良いのか?』とあからさまに恫喝してきましたよ。何度羨ましいなぁって思ったことか。一度でもいいから『やれるもんならやってみな。どっちが強いか試してみようじゃないか』って言ってみたいですよ」

「言えばいいじゃん?ここで」

「そう言うわけにはいかないのが、外交ってものです。植民地時代じゃないですからねぇ。まして、この『特地』の政体は残して、それと親密な関係を維持するという方針に定まる可能性も無い訳じゃありませんから、後々に禍根を残すようなことは出来ません。今は、講和派を増やすことに専念しますよ…」

 さて、そんな会話がされている内に、CH-47 JAチヌークが降下してきた。

 ローター風に地面の砂塵が巻き上げられていく。

 降着するころになると、周囲が立ちこめた砂塵で見えなくなってしまうほどだ。

 後部ハッチが開かれると、第3偵察隊は桑原曹長の号令で、チヌークに向かって一斉に進み出す。柳田も、外務省の官僚達とリヤカーを押し出した。

 荷物を積み込み、機体が動揺しても内部で転がり回らないように固定する。それが済むと、機内側面に畳まれた布製シートを降ろして各位腰掛けていった。

 外務省の連中が座るのを確認して、柳田は伊丹に言った。

「んじゃ、後は頼むわ。無事に送り届けてやってくれ」

 伊丹は親指を立てて頷く。

 ローターの回転が強くなり、再び砂塵が舞う。柳田が、降りると同時に後部ハッチが上がっていき、チヌークも離陸。こうして彼らは帝都へと向かって飛び立っていった。

 アルヌスと帝都の距離は馬で10日行程だが、チヌークならばわずか半日だ。とは言っても都市の近くに降ろしては目立って仕方ないので、帝都から徒歩で1日行程ほどの山中に降りて、そこから帝都に入る予定だ。











 ヤオは、アルヌスの街手前で、自分の頭上を飛んでいく箱船に思わず首を竦めてしまった。

 空を舞う剣、鉄の逸物、そして空を飛ぶ箱船…ここまでくると、緑の人達には何でもありだなと感心しつつ、彼女は街へと入った。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 32
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/26 21:37




32




 ヤオは、困っていた。

 街の中を歩きまわっては行き会う、濃緑色の服とか、まだら緑の服を着ている人に、片っ端から「済まないが、少し話を聞いて欲しい」と話しかけてみたのだ。

 ところが、どうにも言葉が通じない。

 みんな一様に、なんとも形容しがたい苦笑と言うか、引きつった笑いと言うか、複雑な感情の混ざった表情を浮かべ、こっちの話が解るのか解らないのかはっきりしない態度をとるのだ。

 顔を見ると、多少はわかっているんじゃないかなぁと思えるので、一生懸命話しをして、終わってみると、結局通じていなくてがっかりする羽目になる。

 徒労感に苛まれながらも、中には言葉の出来ない者もいるのだろうと思って、手当たり次第に声をかけた。

 そうして半日。おそらく、20~30人くらいに声をかけたのではないだろうか。

 ようやく、緑色の服を着ている者には言葉が通じない、いや、言葉が通じないのが基本であって、多少話せたとしても片言程度なのだと言う事実を、思い知らされたのである。

 挙げ句の果てに、こんな奴も出てきた。

「ダークエルフのお姉ぇさん。緑の人を捜しているのかい?」

 流暢な語り口に「言葉が通じるのか?」と、喜んでみれば緑の服は着ていない。見た目でも、この国の住人であることがわかる男だった。

 見た感じ傭兵というには線が細い。多分、行商人か、あるいはこの街に雑用の仕事で雇われている者だろうと推察した。

 この男が、ヤオにこう言った。

「緑の人なら、俺が居場所を知っているから案内してやるよ」

 それはとてもありがたい申し出だったので、ヤオは親切を受けることにした。

 すると男は、ヤオの手をとると街を出て、森の暗がりへと連れて行こうとしたのである。

「どこへ行く?」

「こっちさ。緑の人は、こっちにいるんだ」

 ヤオの手首を握ってくる汗ばんだ感触に「なんだろう、この手は…」と思う。

 もしかして、春をひさぐ職業と間違われたんじゃないかなぁ、それだったらやだなぁ、と思って見ていると案の定、人気のないところに来た途端「金ならあるんだぜ。それに、俺は結構顔が広いんだ。緑の人に口を利いてやるからよ」とか何とか言いながら、いかがわしくも押し倒そうとして来たのだ。

「力ずく、金銭ずく、と言うのは頂けないな」と出来る限り加減して股間を膝で蹴り上げる。するとその男性は己の間違いを痛切に理解してくれたようで、ペコペコと頭を下げながら、逃げ去っていった。

 何故か財布を落としていった。後で届けてやらなくてはいけないだろうと思って拾っておくことにする。

 普通の女性なら「なんて酷いっことをっ」と追撃して、とことん痛めつけているかも知れない。だが、ヤオはそうはしなかった。若い男なら、ま、しょうがないか…と、話の解るところを見せたのである。

 自分の容姿が(しかもボンテージアーマーを着ている)異性に与える影響というものを、ちゃんとわきまえているのだ。この手のことに余裕があるのだろう。あるいは、似たような誤解もこれが初めてではないから、悪慣れしているだけなのかも知れない。

 ヤオは、潔癖性のように見えるが、実は酒で酔わせてとか、力ずくとか、金銭ずくの独りよがりな女の扱い方を好まないだけなのだ。礼儀正しく誘いの言葉をかけたなら、考えるくらいはする。いい気分にさせることができれば、応じもする。そういう手間を惜しんだばっかりに、男は股間へ痛撃を喰らう羽目に陥ったのである。

 結局は、時間の無駄遣い。しかも、手を引かれるに任せていたら街を出てしまった。

 こうしている今も、同胞達は炎龍の脅威にさらされている。この程度ではくじけては居られないと、ヤオは気を取り直し再び緑の人を探すべく、街へと引き返した。

 ただ、真っ直ぐ逆戻りをするのも惜しい。そこで、今度は大通りから路地に入ってみることにした。

 だが、裏通りは、緑色の服を着ている者の姿はほとんど見られなかった。

 代わりと言ってはなんだが、荷物満載の荷車がずらっと列んでいた。どうやら、通りの裏側は倉庫街になっているようだ。まだ、殆どの倉庫が建築中だが、とりあえず屋根だけはできあがっていた。そして既に、物資が所狭しと置かれていた。吹き込んでくる塵や雨風を防ぐためか、厚手の布が被せられている。

 そこでは作業員達が、荷車から倉庫へと荷物を移す作業をしていた。

 品物は麦袋とか、干し肉干し魚といった食糧品が多い。生きた家禽類のはいった籠もあった。こうしたものが、加工調理されて、食堂で出されるのかも知れない。

 その傍らでは、様々な種族の傭兵連中が屯して休息していた。汚れた旅装を身につけているところを見ると、今さっきこの街に帰り着いたばかりのようだ。彼らの馬が、飼い葉桶に群がって水を飲んでいる。

 そんな傭兵の1人がヤオを見つけて、ちょっかいを出して来た。

「よお、ねぇちゃん、何やってるんだい?暇なら俺たちと遊ばない」

 ちゃんと言葉で申し入れてくるだけ、先ほどの無礼者よりはマシである。だが、少々品というものに欠けていた。しかも、少しばかり猥褻な発言を付け加えてきたので、ヤオは冷静に視線を降ろして「ふむ。君の持ち物では、無理ではないだろうか?」と、ほがらかにあしらうことにした。

 すると男は、酷く傷ついた表情をすると涙ぐみながら走り去っていった。

 どうやらヤオの一言は、その男の精神に対して相当の破壊力を有していたようである。もしかしたら、非常に強いコンプレックスを抱いていたのかも知れない。

 これは申し訳ないことをしたなと、ヤオはそそくさとその場を後にした。

 しばらく移動すると、今度は木箱が山積みになっている一角に出た。

 その前で、商人がなにやら値段交渉しているのが見える。箱の中にあるのは非常に薄くて光沢のある布だった。ヤオですら、一目で貴重品とわかるほどの美しさだ。

「これは何だ?」

 好奇心から尋ねてみる。すると商人が「『さてん』とかいう生地らしい。非常に光沢があって、しっとり滑らかとした感触が特徴だ。これで服を作ったらさぞ、美しく仕上がるだろう」と説明してくれた。これが欲しくて、商人はわざわざこのアルヌスのでやって来たという。

「ここじゃ、小売りはしないんですがねぇ」

 倉庫番のような男が、渋い顔で交渉その物を打ちきろうとしていた。

 アルヌス生活者協同組合では、あちこちの商人がこのアルヌスに押し寄せるのを嫌ってイタリカや、帝都、あるいはログナン、デアビスといった周辺の街に置いた支店でのみ、小売りをするようにしているのだ。

「そこを何とか、是非」

 商人も、当然そうした支店を尋ね歩いたと言う。だが、どこも品薄状態。気に入った生地を入手できなかったらしい。しかし商人は諦めるわけにはいかなかった。ノンビリと品物が届くのを待っているわけにもいかなかった。急ぎの仕事のために、どうしてもすぐに生地を手に入れる必要があったからだ。

 商人は語る。

 今、帝都の貴族社会では大変革が起きている。

 貴族の婦人方が纏うドレスの類にとんでもなく豪奢で鮮やかな、金糸銀糸の絢爛な織物や美しい染め物で仕立てられたものが現れたのだ。

 その鮮やかさに心奪われたご婦人方はおずおずと「そのお召し物はどちらで?」と問う。だが問われた本人は、優雅に微笑むだけで決して教えてくれない。

 貴女が左手で自らを扇ぐ、その見事な小物(扇子)は何?

「たいしたものではありませんわ。おほほほほ」と言いつつ、これ見よがしにパタパタ扇いだりする。

 その身を飾る、美しい真珠は何?しかも、そのハンパ無い量は?。

「それほどのものではありませんわ。おほほほほほほ」と言いつつ、これ見よがしに真珠のネックレスをジャラジャラと、そして真珠のイヤリングを見せびらかしたりする。

 あんたそのスタイル(注 バスト)はどうしたのよ?

「いえいえ、いつの間にか育ったようですわ。おほほほほほほほほほほほほほほほっ」

 その化粧品はどこで買ったか言えっ!

「普段使っているものと同じですわ。美しく見えたとすれば、元が良いからでしょう。おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ、けほっけほっ」

 女性は知性とか、気品には嫉妬しないというが、逆に財力とか、美しさの類にはものすごく嫉妬するそうである。そして優越感とは、他人の嫉妬を栄養として肥え太るものなのだ。だから、そりゃぁもう見せびらかすこと見せびらかすこと…。とある貴族のご婦人など、その口惜しさで、ハンカチを食いちぎってしまったと言う。

 こうして、嫉妬と羨望と憎悪に駆られた婦人方の激情は、矛先を求めて駆けめぐり、最終的には帝都の服飾業界、すなわちお針子や布地を扱う商店へと向けられたのである。

 しかし、お針子や商店主も「あれより凄いものを作りなさい。お金に糸目はつけません。出来なければどうなるか、判ってますね」とか言われても、材料が無くてはどうすることも出来ないのである。

 彼女たちが仕立てるものと言えば、貴婦人等の纏うドレス、メイド服、神官服など。どれも、普通に織られた生地に、さして種類のない染料で染色し、刺繍をしたり、縫い取りをつけたり、あるいはフリルを寄せたりという『手間』で勝負するしかなく、技術的にはドングリの背比べなのだ。だからこそ、元の材料たる生地から負けていては、どうすることも出来ないのである。

 そこで、生地商人やお針子達はひとまず情報収集に走った。

 どこで入手したにしても、生地からドレスに仕立てたお針子がいるはず。まずはそこからということで、貴族のお屋敷に出入りするお針子が、仲間から締め上げられ白状させられた。(本当に締め上げられて、命の危険をとても強く感じたと、お針子嬢は涙ながらに語った)

 そして、集められた情報の全ては「アルヌス」の方角を指さしていた。

 ちなみに、宝飾業界も、化粧品業界でも似たような出来事が起こった。その後の推移も似たようなことだったので、割愛したい。

 こうして、アルヌス生活者協同組合・帝都支店に、お針子や布地商店主達が殺到するに至ったわけなのだが、アルヌス生活者協同組合では友禅染や、西陣織といった贅沢品は扱っていなかった。

 だが、その代わりとして見せられた商品サンプルが、光沢のあるサテン、生地が透けるほどに薄いオーガンディー、タフタ、感触の柔らかいビロード、伸縮性のあるストレッチ素材等などである。しかも染色の技術が素晴らしく、色彩の種類も非常に豊富だ。染料の高価さから王家の色と言われた貝紫ですら、当たり前のように扱われている。

 他には伸縮性のある素材でつくられた『てぃしゃつ』と呼ばれる製品は、吸湿性に優れ着心地も良いため、高価ながらも人気商品として流行の兆しを見せている。

 絶望の地平線を越えたお針子達は、ぐっと拳を握った。これだけの生地が材料に出来るならデザインで勝負!!参考となる『図絵』も何故か、アルヌス生活者協同組合・帝都支店の片隅から発見された。

 1冊だけ、ポツンと置かれていたその『図絵』には、人間がそのまま吸い込まれたのではないかと思うほど、精微に描写された『絵』と、どこの国の言葉とも判らない字がズラッと列んでいたのだ。

 もちろん誰も『読む』ことは出来なかったが、さしたる問題ではなかった。彼女たちに必要だったのは、服飾デザインの参考となる『図絵』の方だったからだ。斬新に過ぎるデザインとか色遣いは、自分なりにアレンジすればいい。「ちょっとこれは…」と思えるほどの露出も、加減すればいいのである。こうして異国の『図絵』は帝都のお針子達の間で、密かに、そして大切に、長きに渡って保管されることとなる。

 その書籍に書かれた字を日本人が見る機会を得たら、「コスプレ」とか「レイヤー」などの文字を発見することが出来ただろう。何故そのような書籍が『特地』に持ち込まれ、帝都まで運ばれてしまったかは、アルヌス生活者協同組合と縁の深いとある日本人男性約1名だけが知っている。




-数週間前-

「俺の雑誌、知らない?名古屋の国際コス○○大会の特集号なんだけど」

「見ませんでしたよ」

「どこに、やったのかなぁ?」

「隊長。ちゃんと掌握してないからですよ」




 こうして、帝都の貴族女性のファッションは、入手先不明な絢爛豪華な素材で作られたドレスと、これまた製法不明の美しい生地で作られた非常に斬新かつ奇抜なデザインのドレスの二大流行によって、完全支配されることになったのである。

 さて、商人は続ける。

 お得意の、とある貴族の令嬢が社交界にデビューしようとしている。その押し出しをよくするためにも、是非『アレより素晴らしい』ドレスをと頼まれたのだと。上手く行かなかったらどうなるか…という父親からの脅し付きで。

 そこで、我が身と嫁さんと子ども達の生活のためにも、商人はあちこちの布地を探して歩き、ようやく出会ったのだ。『さてん』という生地に。商人は、切々と語った。この生地を使ってドレスを仕立てたいと。

「でもねぇ…」

 担当の男は腕を組んで唸った。アルヌス生活者協同組合に繊維部門担当者として雇われる前は、彼も生地の行商人をしていたので、貴族連中がいかに傲慢で強引であるか身に染みて理解していたのである。だから助けると思って、売ってやりたいとも思うのだ。しかし、上からのお達しに従うなら、小売りは支店でしなければならない。

 そんな風に、困り切っている2人を見て、ヤオは「ならば、こうしたらどうだろう」と口を挟むことにした。

 商人の男は、どちらにしても帝都に帰らなくてはならない。繊維担当者は品物を帝都の支店に送らなくてはならない。ならばこの商人に品物を、アルヌスの支店へと届けて貰えばよいのだ。商人は、品物を預かる代わりに保証金を積む。そして帝都の支店に届けたその場で品物を引き取るわけだ。

 形はそのように整えて置けば、商人は約束は守れなくてもいい。ちゃんと届けて、保証金の預かり証と引き替えに、品物を受け取っても良い。どっちにしても組合側には損は発生しないのだから。まぁ、商人として今後の取引を考えたら、信用のためにきちんと届けた方がよいのだが、届ける間も惜しいとあれば、それもまた可能…。

 商人と繊維部門担当者は、ヤオのアイデアを聞いてポンと手を叩いた。

「なるほど。それなら問題ありませんな」

「いやいや、誰も損をしない名案。とは言え、規則の裏をかくことに関しては、流石はダークエルフですな」

「いかにも、奸智に長けてらっしゃる」

 おぬしも悪よのう、という視線がヤオへと向けられた。

「そ、そんな、普通のことではないのか?」とヤオは思いつつも、役に立ててよかったとその場をそそくさと後にするのだった。




 再び大通りに戻って、緑色の服を着ている者を捜すべく売店を覗き込む。

 すると、売店のメイド服猫耳娘が、緑色の服を着た連中と会話を交わしているのが見えた。

 談笑していると言って良い。彼女が微笑みかけると、男性達は顔を赤くしたりしながら、勧められるままに、あれもこれもと買い物の品数を増やしている。

 すわ、言葉の通じる男か?と思ったのだが、様子が違った。猫耳メイド娘の方が向こうの言葉を喋っているように見える。

 ヤオは考える。彼女は何故、緑色の服を着ている者達と言葉をかわすことが出来るのか…。物怖じせずに尋ねてみることにした。そして声をかけてみればその猫耳娘は、昨日ヤオの隣で呑んでいた娘だった。

 猫耳娘は「緑の人はみつかったかニャ?」とちょっと皮肉そうに言いつつも、ヤオの問いに親切に答えてくれる。

「これがあるニャ」

 彼女が見せてくれたのは、小さな書籍である。

 それは、緑色の服を着ている者達(猫耳娘が言うには『ニホン人』というらしい)…彼らの使う言葉の、簡単な日常会話の手引き書であった。アルヌス生活者協同組合編集/カトー・エル・アルテスタン監修/学陰書房出版。その表紙の色から、皆『赤本』と呼んでいる。

「こ、これは買えるのか?」

 その赤本の表紙には、金字でこう書かれていた。

『本書は部内専用であるので次の点に注意する。教育訓練の準拠としての目的以外には使用しない。用済み後は確実に焼却する』

「組合員か、組合の従業員として雇われた者なら無料でもらえるニャ。それと語学研修生とか、その使用人も、もらえるニャ。でも、外部の人にあげていいかどうかはわからないニャ。売ることも考えてないから値段が決まってないニャ。残念だけど売ってあげられないニャ」

「何とかしてもらえないだろうか?昨晩話したように、なんとしても緑の人を探し出して、話しをしなければならないのだ。……だが、今朝から何人も声をかけているのに、言葉が全く通じず困っている。伏して頼む」

 ここまでくれば、ヤオも必死である。猫耳娘に深々と頭を下げた。

 猫耳娘も出来ることなら、ヤオに赤本を渡してやりたかった。だが、彼女も雇われている身の上である。勝手な判断を下すことは出来なかった。

 無料で支給されているとは言え、書籍とは本来非常に高価なものなのだ。これを手渡された時、数ヶ月分の俸給がさっ引かれることを覚悟したほどだ。仕事で必要な物…例えば今着ているお仕着せ(メイド服)とか、住み込みの場合家賃、食費、各種の消耗品の費用が、給料から天引きされるのは、この世界では当たり前の事なのである。それが、ここでは違った。

 必要な物は大抵支給してくれる。食費は格安(職員割引)。寮も完備。勿論、備品を乱暴に扱って、壊したり破ったりすれば、それ相応の弁償をしなければいけないが、普通に使ってくたびれた分には、給料から天引きされることはないのである。

 これは、どこに行っても見られない好待遇であった。まさに革新的と言っていい。雇用条件について書かれた書類を見て「有給休暇って何、それ美味しいのかニャ?」と思わず叫んでしまったほどである。

 それだけに彼女たちは、仕事に対して真剣に、そして責任感をもち、信用を失わないように気を配っているのである。気性の荒い傭兵達ですら、自分達が掴んだ幸運を手放さないために、仕事には真剣に取り組んでいるのである。

 ここで、下手をして信用を失えば取り返しのつかないことになる。これほどの理想的な職場を紹介してくれた、フォルマル伯爵家の顔に泥を塗ることになるし、彼女たちの一族の信用をも失いかねない。

 ヤオ達、ダークエルフが一族の存亡がかかわっているのも解るが、キャットピープル一族の生活もかかっているのだ。彼女たちの故郷は、今や彼女たちの仕送りで、成り立っているのだから。

 だから「たかが書籍一冊くらいくれてやる」と言うわけには、いかないのである。

 普段ならこのように判断に困る時は、上司…つまり組合の幹部である老人や賢者かエルフに、「どうしたらいいニャ?」と尋ねることになる。

 だが、具合が悪いことに今は居ない。だがら、待って貰うしかないのである。なのに、ヤオは「待っている余裕がない。今すぐ」と迫って来た。

「無理だニャ」

「そこを伏して頼む」

「頭をさげられても無理だニャ」

「なんとかして欲しい」

 こうして猫耳娘が困っている丁度その時、ドアから警務隊の隊員(警務官)2人が入って来た。一般の陸上自衛官と同じ戦闘服姿だが、右肩に『警務/MP』と書いた黒腕章をしている。

 警務官による、定時の巡回である。

「どうや?メイヤちゃん。何か、困ってたりしとらんか?」

 気さくな関西弁で、警務官は声をかけた。メイヤこと、猫耳娘もたどたどしい日本語で、特別困ってはいないと答える。

 ヤオの依頼に困っていると答えれば、警務隊はヤオを不審人物として調べたり、店どころか街から追い出してしまったりするかもしれない。ヤオがどうしてこのアルヌスに来たかは、聞いていたし同情もしていたから、そう言うことにはならないようにしてあげたかったのだ。

 ところが警務官の1人が、ヤオの容姿に視線を巡らせて眉を寄せた。

「ん?こちらのエルフ。報告のあった女じゃないか?」

「ホンマや。カラメル色の肌に、銀髪。エルフ耳の美人で、革鎧。…なんや、鞭でも持たせたくなるような、べっぴんやな。ターバンにマント姿……報告のあったカツアゲ犯の特徴に合致するわなぁ」

「訴え出たのが、素行の悪い奴だから与太話だと思ったけど…ホントにいたんじゃしょうがない。一応話を聞かないとな」

 実は、警務隊に被害の申し立てがあったのである。「艶っぽいダークエルフの女に誘われて、ついつい森まで行ったら股間を蹴られ、財布を取られた」と。

 『特別地域』自衛隊派遣特別法施行令では、『特地』は自衛隊の施設内という扱いになっているので、警務隊が犯罪捜査、犯人逮捕等の治安維持に携わることになる。

 警務官はヤオに「ちっと、話を聞かせて欲しい」と告げた。アルヌスの街の治安に関わる重要な仕事なので、結構熱心に勉強し、片言ぐらい話せるのだ。決して、猫耳メイヤと親しくなりたいとかいう下心からではない…と思う。

 言葉が通じるニホン人!?

 ヤオとしても嬉しい瞬間であった。しかも話を聞こうとすら言ってくれる。

 朝から、いったい何人に声をかけたことか。きちんと話ができる者が居ないことに絶望しかかっていたヤオである。こうして、きちんと会話できる相手が現れたことに、幸運が訪れたような喜びを感じていた。

 思わず、涙すら浮かぶ。やったぁと叫びだしたいくらいだった。

「すまんが、ちぃと、ついてきてくれるかぁ?話があるからのぉ」

 いいとも、いいとも、話を聞いてくれるなら、どこへでもついていこう。

 こうしてヤオは、警務官の求めに素直に任意同行するのであった。カツアゲ事件の参考人として……。





    *      *





 森の中。

 木立の合間に、小さな泉が一つ。その淵に鎮座まします大岩に、1人の老人が座(ざ)していた。

 その手にするは魔法の杖。その双眸が見つめるは彼の教え子。

 孫娘といっても通じそうな弟子の成長を、老賢者にして魔導師カトーはじっと見計らっていた。

 レレイ・ラ・レレーナは泉の畔にあって静かに佇みながら、杖を7分3分の位置で掴み、魔法行使の支度を整えていた。透き通るような女声が意味あるモノフォニーを、滔々と紡ぎ上げていく。

「abru-main!」

 喉歌とも呼ばれる独特の1人和声で『起動式』が建てられた。
『現理』の支配する世界を『法理』で開豁して、『虚理』を展開するべく『陣』を敷設。

 空気の動きとしての風ではない『何か』。それは『虚理』の担い手たる『偽氣(エィテル)』の揺らめき。魔法の行使者の志操を受けて、沸き立つように蠢く『法理』が彼女の銀髪を静かにそよがせる。

 魂魄が、その根源たる『在理』へと触れる。

 静寂なる森に、真空が横たわったごとく絶対無音の真静が場を支配した。

 レレイのつきだした掌を中心に、小さなプラズマ円が描かれる。その光円は、腕輪のごとくレレイの前腕周囲を浮遊。その円が静かに分裂して2つに、4つへと増えていく。しかも、肘から掌へと数を増やしていくに従って、その円は直径を大きくしていた。

 数珠繋ぎとなった光の円は、レレイの指先を越えてさらに三〇個ほどにその数を増やし、メガホンのごとくその径を大きくしながら、やがて彼女の小柄な体躯をもしのぐ大きさへと至った。

「duge-main」

 レレイは中空に描かれた連環から、腕を引き抜くと、指を鳴らした。途端…

 光の円が、連鎖的に弾けた。

 その炸裂は次第に加速、増幅されていく。連鎖爆燃する大きなトランペットから一条の紫光が飛び出す。

 その光の矢は、熱の塊そのものであった。それは泉の水面を突き破ると、瞬時にして周囲の水を大量に蒸発させた。これが一瞬にして為されると水蒸気爆発とよばれることになる。

 轟音と共に噴水のような大きな水しぶきをまき散らすに至った。

 突然の驟雨の如き水を浴びながらも、カトー老師はしばし身じろぎすることが出来なかった。予測を遙かに越えた『効果』に、肝を冷やされてしまった。衝撃も、周囲に立ちこめる高温の蒸気も、そして降り注ぐ冷たい水も、どれもこれも彼の心臓によくなかった。

 レレイは空から堕ちてくる水しぶきを浴びながら、静かにいつもの無表情で、老師の講評を待っていた。

「う~む」

 カトー師は濡れそぼった髪をたくし上げ、水滴を払いつつ唸る。

「レレイよ、見事すぎて言葉もない。御身が展開した『理』を語るが良い」

 レレイは静かに一礼すると、学会発表のごとく語り始めた。

 我々リンドン派の魔導師は、戦闘魔法を用いると世に恐れられているが、実のところそれほどたいしたものではない。

 魔法を戦闘に用いているが居るが、それは魔法によって干渉された『現理』たる自然現象を、戦闘に応用しているの過ぎない。

「このように」

 レレイは拾った小石を浮遊させると、近くの朽木に銃弾のごとく打ち込んだ。

 『虚理』は、小石という物質が静止しているという『現理』に干渉した。しかし、このようなことは、石弓や投石機にも出来ること。だから、我々はこの現実を応用と洗練で克服してきた。

 レレイは今度は10個ほどの石を浮遊させた。この石を目標の周囲に漂わせ、四方八方の全周囲から襲いかからせて、倒木の幹に無数の穴を穿つ。

 この技芸は、一丁の石弓や投石機には不可能な現象。故に、戦闘魔法は人々の畏怖を勝ち得てきたのだ。

 だが、観客はそれでいいとしても、タネを知る奇術師の側から見ればどうか?火の魔法は、要するに火を浴びせるだけ。ならば火のついた薪や油を相手に浴びせるのと同じではないか?水の魔法は、結局の所水を浴びせるだけと判ってしまうのだ。

 …これらは全て、機械や道具を用いることで再現できることだ。しかも『虚理』の効果範囲は短く、また発揮される力も、より大規模な機械によって軽く凌駕されてしまう。

 これまでの規模の小さな戦闘に置いては欠点たり得なかった問題だが、最近の戦場は、激突する戦力が大きくなって、魔導師の重要度は低下する一方なのである。無論、無用の長物と化したわけではない、医療や間接支援において、今なお不可欠な役割を担っている。だがしかし、魔法戦闘の大家リンドン派としてはその現状に甘んずることは許されない。先達が努力を積み上げて来たように、我々もまた研鑽を続けなければならない。

 しかし、ジエイタイが用いる『銃』や『砲』のような強力な武器が登場した今、これまでと同様の努力では、時代の変革に対応できないかも知れない。

 これは『現理』に干渉する形で『虚理』を行使している限り、かならずつきまとう問題だ。『原理』に働きかける事に関しては、『原理』のほうが最も効率的なのだから。技術の発達に必ず追いつかれ、追い越されることとなる。

 ところが、門の向こうの『現理』の探求は、我々の遙か先を行って深く広かった。その『現理』に添った形で魔法を展開すれば、今以上に威力ある魔法に置いて発揮できないか?それがレレイの着眼だった。

 例えば、門の向こうに『炎』についての研究があった。

 曰く、『炎』とは空中の『焼素』と、物質のもつ『然素』が結合する現象である。それは燃焼と呼ばれる。

 曰く、爆発とは、この燃焼が一瞬の時間で為されることである。我々の研究が行き詰まっていたのは、密封した容器が熱されて起こす破裂と、爆轟とを取り違っていたからだ。

「そこで、爆轟を起こすことを試みた」

 レレイは、中空に光の球を作り上げた。

「然素は、門の向こうでは酸素と呼ばれる。焼素は、門の向こうで炭素や、水素と呼ばれる物質があてはまる。酸素は大気中に存在する。そこで『虚理』を持って、『然素』を引きはがし、集めることにした。これを力場に封じ、適度な密度を持って中空に浮かび上がらせる。そして『虚理』から解放する。」

 指を成らすと、ポンッとその光球は弾けた。

「門の向こうでは、『火薬』と呼ばれる物がある。それがこの光球に相応する」

「うむ、理に適っている。魔法の応用範囲は、これまで以上に広がるな。異界の研究から示唆を受けたとは言え、それを魔導に組み入れ、実際に行使するまでにまとめ上げた功績は博士号にも値しよう」

 これまで手の届かなかった爆発という現象を操れるようになったとなれば、魔法の価値はさらに上がることになる。ちょっと考えただけでも、軍事、工業や土木において有用ではないか。カトーはそう論じて場を締めようとした。

「しかし、これは威力がない」

 爆轟は、それだけではたいした破壊力がない。大きな音と衝撃、光、そして熱を放って終わりである。より強い効果を得たければ、然素をかき集めればいいのだが、効率的とは言えない…とレレイは説明を続けようとした。ところがカトー老師が手を挙げて制する。

「お客のようだ」と告げて振り返る。

 レレイもカトー老師の視線の方向へと目を向けた。するとそこに、自衛隊の警務官の1人が立っていた。

「済みません。ちょっと複雑な話になってきまして、通訳をお願いしたいんですが」

 レレイは小さくため息をつくと、カトーに一礼して、呼び出しに来た警務官の元へと進むのだった。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 33
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/09/02 20:10




33





 警務隊の取調室は、誰の趣味なのか、刑事物テレビドラマに出てくるような、いかにも取調室と言いたくなる内装がなされていた。

 広さは2坪程度…畳で言うと四畳くらいだ。中央に飾り気に欠けたテーブルがひとつ置かれ、その前後にはパイプ椅子が配置されている。

 鉄格子の嵌った窓側は『調べられる側』。出口側は『調べる側』が座る席だ。

 出入り口近くの壁際には別の机がおかれて、そこは口述筆記をとる係官が座る。インターフォンや、電話もここに置かれている。

 ヤオは、この部屋の『調べられる側』の席に座って、肩を落としていた。流石に涙目とまではなっていないが、身に覚えのない嫌疑に、相当憔悴している様子が見て取れた。

 向かいに座る警務官も、単語帳やら、赤本やら、ボロボロになりつつある辞書を並べ、意志疎通を懸命に図ろうとした様子が見受けられた。くしゃくしゃに丸められた調書用紙が屑籠に山になっていて、相当に苦労しているようである。

 警務官も最初は、犯罪被疑者を取り調べるように、いかめしい口調と恫喝的な迫力で、取り調べを始めたのである。実際、被害者が奪われたと訴えていた財布を、ヤオが所持していたことも、彼の心象を悪くする一要素となっていたからだ。つまり、普通ならば冤罪事件になるような材料が、見事にそろっていたのである。

 ところが、そうはならなかった。

 それもこれも、担当した警務官が知ったかぶりをしなかったからである。要するに身の程を知っていたと言うか、自分に語学のセンスがないことをわきまえていたのだ。

 言葉が通じないから、互いの意志疎通に嫌でも慎重になる。一語一語を聞き取り、翻訳して、文章に構成する。そして読み上げて本人に間違いないか確認をとる。これらの作業を丁寧にしていくから、「ああ、わかった、わかった。こういうことだな」という感じの、安易な決めつけが起きなかったのである。

 こうして悪戦苦闘している内に、事情は何やら込み入っていて、財布を奪ったとか奪われたとか、そういう簡単な話ではないと言うことが判ってきた。

 警務官も「ん?」と懐疑的になった。そして、「どうもおかしい。被害者の訴えと全然違う」と考えるようになったのだ。

 目の前にいるのは、褐色の肌を持つ美しいエルフ女性。しかも、『襲われる』とか『乱暴される』ことを意味する単語を辞書から探し出すのを見ては、放って置くことが出来るだろうか?もし、暴行を受けたのであれば、心理的なケアも必要になるだろうし。

 最初厳めしい態度だった警務官も最後には優しく「うんうん」と頷きながら聞こうとする態度になってしまった。そして、自分では意志疎通不能と判断し「恥ずかしながら、自分では詳しいことがわからん。技官のレレイさんを呼んでくれ」と部下に伝えたのだった。

 取調室の電話が鳴ると、警務官は「待っていた」と言わんばかりの態度で受話器を取った。

「はいっ、菊地です。………はい、………はい。3枚ですね。……わかりました。早速にこちらに案内して下さい」

 何が3枚なのかは知らないが(←判らない人は、気にしないように)こうしてレレイが案内されて来ることとなったのである。

 レレイが入れば、それまで停滞していた事情聴取は瞬く間に片づいていく。

 ヤオの供述から、カツアゲ事件は、やはり嘘であったこと判明する。偽りを訴え出た男は、警務官が「ちょっと話がある」と尋ねていくとあっさり白状して、逆に婦女暴行未遂犯として捕らわれることとなった。

 ちなみに『特地』での犯罪は、加害者あるいは被害者が日本人の場合と、事件現場が駐屯地施設内、及びアルヌスの街の場合、犯人を東京に送還して裁判に付されることになっている。事件現場が施設外、あるいは被害者・加害者の双方が現地人同士の場合は、ピニャの指定した司法機関、この場合はイタリカのフォルマル伯爵家へと身柄を送検して、現地の法によって裁かれることが協定実務者会議での取り決めだ。今回は、事件が現地人同士の事例であったためイタリカに身柄を送られることとなる。

 こうして、ヤオの巻き込まれた事件はあっさりと片が付いたのであるが、ヤオは仕事を終えて立ち去ろうとするレレイを、しがみつくようにして捕まえるとこの機を逃してなるものかとばかりに、『緑の人』に会いたい。会って話をしたい旨をまくし立てた。炎龍に一族が襲われていると告げたのだった。

 レレイとしても、炎龍がダークエルフの集落を襲っていると聞いて、無視することは出来なかった。いま、こうして彼女がここにいるのも炎龍にコダ村が襲われたからなのだから。そして、彼女の友人や知り合いの多くが、炎龍によって命を失っていた。

「つまりは、ニホン人に助けて欲しいという希望を伝ればよい?」

「そうだ。見たところ、君は顔があちこちに利くようだ。ならば口添えも頼みたい」

 無論レレイに、ヤオの願いを断る理由はなかった。

 こうして、ヤオの希望は漸くかなったのである。そして、その直後に彼女は絶望の淵へと叩きつけられることとなった。






 アルヌスの街の食堂。『貴賓席』

 そこは、清掃の行き届いたちょっとした喫茶店のような雰囲気で、落ち着いたデザインのテーブルと椅子が整然と並べられていた。そして観葉植物に、絵画。これらの調度品類が上品さを醸している。一般席の雑多な雰囲気とは大違いだった。

 夕の食事時にはまだ早いが、1日の研修課業を終えたボーゼスとか、パナシュといった貴族のお嬢様方は、奥まった一番良い位置にあるテーブル席を占領している。
 見れば、何冊かの本をテーブルに積み上げそれを取り囲むようにして、何やらヒソヒソと話をしていた。耳を澄ませけば「リサ様から…」とか、「新刊」とか「翻訳作業の分担」といった単語が漏れ聞こえただろう。

「お嬢様。本日の新しい茶葉が入りました。おためし下さい」

 彼女らに給仕をするのは、『執事番』と言われるウェイターだ。典雅な振る舞いで、高貴な育ちのお嬢様達にも、怖じけず負けず、堂々と応対していた。

 何でも池袋にある、とある特殊な喫茶店で働いていた、と言うふれこみで柳田が連れてきたのである。

 日本側から持ち込まれる、お茶やコーヒー等の取り扱いやサービスについてを現地人料理長やウェイトレスに指導すると言うのが建前だが、まだ一般人の立ち入りが禁じられている現状で、それを信じているのは特地側の人々だけであった。自衛官連中は「どう見ても2科(情報担当)だよな?」という意見で一致していた。

「きっと池袋で、研修させられたんだろうなぁ。ご苦労というか、何というか………」と、その労苦をしみじみと思いつつ、幹部自衛官達は口を噤む。

 とは言え、堂々たる執事ぶりであった。

「まぁ、美味しいっ!!このお菓子はなぁに?」

「はい、お嬢様。こちらは、ミルフィユ・グラッセでございます。小麦を溶いて薄く焼いた生地に、甘みを抑えたカスタードクリームを塗り重ね、チョコレートで飾りたて、ブランデーの風味を、ほんのりと効かせたものでございます。日本国は青山にございます、高名な菓子職人の手になる、逸品でございます」

「素晴らしいわ。日本という国は、どうして些細な食べ物すら、芸術の域に高めてしまうのかしら」

 憶えたての日本語で、令嬢達は賞賛した。日本語を学ぶために来ていることもあって、彼女達はこの場では日本語を使用する。

「そのことを理解できる方に食されて、菓子職人も満足しておりましょう」

 ケーキは日本発祥の物ではないんだがと思いつつも、あえてそれには触れず、ウェイターはレベルが高いものを理解できるのは、レベルが高い者だけ…という論理のおべっかで、お嬢様達を持ち上げてみせた。

 ちなみに、彼の目はしっかりと情報収集のために働いていた。が、机の上に並べられていた書籍の正体を知って、げんなりとした気分を味わっている。

「腐ってやがる…」という呟きが彼の心境を現している。

 ちなみに、彼が着眼点とするEEI(情報主要素/essential element of infomation)は、「彼女たちが何に関心を持ち、どう評価しているか」だが、最近は、報告書をどう書いたものかと悩まされていた。

 一方、別のテーブルではヤオが呆然としていた。

 その視線は中空に留まり、何物も目に映っていないようである。まるで、スイッチを切ったロボットのような感じで、ただ静止していた。

 その向かい席にはレレイの姿があった。何を考えているのか、じっととヤオを観察している。

「おまちどおさま」

 食堂の看板娘、デリラが、銀トレーにのせた香茶ポットを運んで来た。

 レレイは、日本から運ばれてくるハーブティがお気に入りで愛飲している。今回は、鬱気分に効果のあるセントジョーンズワードを注文していた。別にレレイが鬱気分な訳ではない。ヤオへの配慮である。

 だが、お茶が届いたにも関わらずヤオはなんの反応もしなかった。仕方なく、レレイは手を伸ばすとポットからカップへと注ぎ、ヤオの前へと勧める。

「飲んで」

「…………………」

 ヤオは表情を動かさずに、手を伸ばすと機械的にカップを口へと運んだ。

 待つこと暫し。

 やがてカップは空になる。

 再度、お茶を注いで、ヤオの前へと勧める。

「飲んで」

「…………………」

 ヤオは呆然とした面もちのまま、手を伸ばすと機械的にカップを口へと運ぶという作業を繰り返した。

 やがて空となった、カップを置いたヤオは、はたと気付いたように言った。

「なんだか悪夢を見てたような気がしている。妙に現実感がない…そうか、夢だったんだ」

 レレイは黙したまま、ヤオへ向けていた視線を降ろした。そうして、淡々と自分のカップを口に運ぶという作業を繰り返した。

 ヤオは、そんなレレイを見ているうちに、ポツポツと涙を落とす。

「…………………………………………何か言ってくれないか?」

「夢ではなかった。貴女が聞いた言葉、見た光景、全てが現実」

「ほ、翻訳の間違いとか…」

「それはない」

「………………お願いだ。間違いだと言ってくれ」

「言ったとして、何も変わらない」

「…………………なぜだ。何故、駄目なんだ」

「ハザマ将軍は、既にその説明をされた」

「でも、それって…余りにも、あまりにも…」

 炎龍を倒すべく、助けが欲しい。レレイの紹介を受けて狭間陸将と面会が適ったヤオは、真っ直ぐにそう頼み込んだのである。事情も説明し、代償としては部族から預かってきた金剛石の原石も提示した。

 だが、狭間の態度は話の当初から重苦しい物だった。地図を拡げ、ヤオの故郷であるシュワルツの森がどの地域にあるのか、確認するに及んで狭間は苦虫を噛みつぶしたような表情で、首を振ったのである。

「遠路はるばるおいで下さったのに、力になれず申し訳ない」

 その理由として、狭間はこう言った。「あなたの故郷であるシュワルツの森は、帝国との国境を越えてエルベ藩王国だ。軍が国境を越える意味は、語らずともお判りになりますな?」と。

 古今東西、ことわりもなく兵に国境を越えさせる行為は、宣戦布告と同義であった。それはこの異世界においても同じである。また国境を越さなくても、国境近くに大軍を移動させると政治的な緊張を高めることになるのだ。

「た、大軍でなくても良いのです。み、緑の人…たしか10人足らずと聞き及んでいます。その人数なら、軍勢とは言えないはず」

「滅相もない。そのような少数で危険なドラゴンと相対させるなど、部下を死地に追いやるも同然。自分にはそのような命令を下すことは出来ません」

 叫ぶように泣くことが出来たら、ヤオもそうしただろう。だが、彼女はそのように泣いたことはなかった。伴侶となるはずだった男性を失った時も、恋人を失ったことを知った時も、今と同様に両手で顔を覆い、ただ声を殺して涙を流したのである。流された涙は、彼女の両の手掌から手首へと伝わり、そのまま肘へと流れ落ちていく。

「くふぅ……」

 絞るように漏れた嗚咽。

 いつの間にか、まわりのテーブル席を埋めていた自衛隊幹部達も、重々しい空気と痛ましさで黙り込んでいる。

 そんな中で語学研修のご令嬢方の楽しげな笑い声が、かすかに聞こえることが、かえって哀れを催すのであった。




「まるでお通夜みたいだねぇ」と厨房に戻ってきたデリラは、料理長に貴賓室の様子を告げた。

 料理の下ごしらえに手を動かしていた料理長は、「しょうがねぇさ、あのダークエルフの姐さん、例の炎龍退治をハザマ将軍に頼み込んで断られたってんだから」と返す。

「それって、やっぱりロゥリィの姐御を怒らせたからかなぁ」

「違うだろ?今回はイタミの旦那、からんでねぇもん」

「そう言えば、そうだね。そうすると上のお人達の事情って奴か。どんな事情なんだろうねぇ。折角、隊長さん達が集まってきてるってぇのに。あたいもニホン語の聞き取りをもうちょっと磨かないと駄目だな、こりゃ」

「デリラ。お前さんの陰仕事についちゃあ、俺は煩く言うつもりはない。だが、適当にしておけよ。俺は、今の仕事を失いたくない。何かあったら、真っ先にお前の名前を言うからな」

「わかってる、わかってるって。ヘマはしないよ」

 デリラは料理長に向けて両手を合わせると、ドリップの済んだコーヒーをカップに注ぐのであった。




 ヤオとレレイ達から少し離れたテーブルには、健軍一等陸佐と加茂一等陸佐、そして用賀二等陸佐と柘植二等陸佐の4人が、注文したコーヒーをデリラ運んでくるのを待っていた。4人の視線はさめざめと泣くヤオへと向けられている。

「用賀…なんとかしてやれんか?」

「無理ですねぇ。何しろ、市ヶ谷(防衛省)のほうから、野党から突っ込まれるようなことはするなと言うお達しが出ていますから」

 横で聞いていた、柘植二等陸佐が「ドラゴンの退治が、野党の攻撃材料になるって言うのか?」と言って話に割り込んだ。

 用賀は語る。

「実際になりました。防ぎようもなかった損害を理由に、現場の担当指揮官を国会に招致して吊し上げようとしたくらいですから…まして、今度は帝国の外ですからね。ドラゴン退治で越境攻撃しましたっていうのは、ちょっと不味すぎます」

「参考人招致どころか、証人喚問は免れなっちまうってか?」と加茂一等陸佐は肩を竦めた。

「それこそ、内閣不信任決議案の良い口実です。参院がいくら騒ごうが無視を決め込める議席数を衆院で確保してるのに、福下内閣は基本的に弱腰・事なかれですからね」

 そこへデリラがコーヒーを運んできた。デリラが、テーブルにコーヒーカップを並べている間、会話は一時中断するが、彼女が立ち去ると今度は加茂一等陸佐が嗤った。

「でも、あの野郎ならなんとかかわせるんじゃねぇか?俺はよぉ、テレビ見てて思わず爆笑したぜ。ま、茶化すような答弁が咎められて、後でしこたま叱られたそうだけど、それだって形だけのことだったしな。国会で言いたい放題言って、注意で済むってのも人徳って言うんかね」

「あれは、あの後の3人娘の方がもっとインパクトがあったからですよ。その援護射撃だって、結局は『伊丹だから』でしょうしね…」

 実際、自分達だったらコダ村からの避難民をそのまま連れて来たか怪しいのである。流石に見捨てたりはしなかっただろうが、もっと官僚的に、子ども達を不安がらせるような対応になってしまっただろう。伊丹のように「大丈夫、ま~かせて」という感じでは扱えなかったことだけは間違いない。当然、3人娘達が今みたいな好意的な感情を、自分達に向けてくれるとも思えないのだ。

 柘植は、コーヒーを飲み干してから言い放った。

「ドラゴン退治だけじゃない。帝国を叩き潰して、責任者の処罰と被災者への賠償を取り立てるという当初の目的だって、いつの間にか『門』を確保して、再侵攻を防ければよしと言う話にスケールダウンしている。いったい政府は何を考えてるんだ…」

「まぁ、この世界の政治情勢がだいぶ、判ってきましたからね。この世界の覇権国家たる帝国を迂闊に叩き潰して、この大陸を戦国時代にするわけはいかないっていう理由は、解る話です。古代ローマ帝国が、ダキア(現在のルーマニア)を攻め滅ぼしたために、東方からの蛮族侵入を直接防がなければならなくなったという歴史を思い返すべきです」

 今、アメリカが滅んだら、頸木を失った中国やロシアはあっと言う間に各地で戦争をおっぱじめるだろう。チベットやウィグル、グルジアを見ても、そう思わないとすれば相当におめでたい頭をしていると言わざるを得ない。
 それと同じ事で、帝国がなくなればこの世界でも覇権を巡って列強間の戦争が始まるのだ。日本、そして自衛隊はこの世界に置いて無敵に近いが、それにも限りがある。従って、この世界の平和を維持させる役割を、誰かに負わさなければならない。

 健軍は重々しくため息をついた。

「資源の採掘にしろ、商売をするにしろ、平和が一番だからな。そのあたりの欲目が出てきたってことだ」

 加茂は、テーブルを、掌で叩いた。

「じゃあ、俺たちは何のために特地まで来たってんだ?『門』を守ってるだけなら、こんな戦力はいらんだろ」

「現在は、帝都で各種の工作が進行中です。『門』を中心とした周辺領土の割譲、賠償金の支払い、そして通商修好条約の締結…これらの条件を提示し、交渉して、帝国がこれを受け容れないという態度を示す場合は、いよいよ帝都に向けて進撃ということになるでしょう。すでに、計画の立案は済んでます。命令が出れば帝都占領は80時間で完了しますよ」

「そりゃ、いったいいつなんだ」

「明日でないことは確かです。ですが来月か、再来月か…いずれにせよ、交渉は始まりますよ」

 加茂は「どっちにしても、気の長い話だぜ」と天井を仰ぎ見た。

「現代戦争は、始める前に目標をしっかり見極めて、終わらせ方を決めておく。始めたら一気呵成に事を進めて、あっと言う間に終わらせる。それが要諦でしょ」

 柘植は、珈琲を飲み干すとデリラにお代わりを求めつつ「待つのが商売とは言え、因果なことだ」と愚痴った。

「そして、助ける力があるにもかかわらず、それを行使出来ない俺たちの目の前で、エルフの美人が泣いている。たまらないぜ………なあ、用賀。やっぱり何とかしてやれんか?」

「無理だと先ほど申し上げましたが」

「だからさ、出来る限り少ない戦力で、国境を騒がさない程度に…なんとかならんか?」

「最小限ですか?相手は空飛ぶ戦車とすら言えるドラゴンですよ」

「とは言え、所詮は一頭だ…」

「そうだぜ。折角空自が居るんだ。ファントムで殺れないか?」

 加茂が身を乗り出した。

「墜ちますかねぇ?」

「墜ちるだろ?」

「相手は第3世代装甲MBT(主力戦車)並の防御力ですよ。20㎜程度じゃ無理ですって。それに、対空ミサイルでMBTを撃破できますか?」

「ううむ…」

「要するに帯に短し、襷に長しなんですよ。ん、例えが変かな?まっいっか。…ATM(対戦車ミサイル)の類は、飛行する目標に当てられない。飛行する目標に当たるAAM(空対空ミサイル)の弾頭では、第3世代級の装甲は貫けない…。3recの奴ら、よくもLAN(110mm個人携帯対戦車弾)を当てられたもんです」

「じゃあ、どうしろって言うんだ?」

「ですから、ドラゴンを墜すなら、こうです」

 用賀二佐は、テーブルの上に自衛隊手帳を拡げると、ボールペンで作戦概略図を展開した。

 まず、空にいる場合は、ファントムで攻撃。

「さっき、墜とせないっていってたろう…」

「撃破は無理ですが、要するに頭を抑えるんです。そうですね、高度20~50メートルくらいまで、こちらの設定したキルゾーンに追い落としてもらいます。

 ドラゴンの高度がそこまで下がったら、今度は特科の出番です。203㎜か155㎜の榴散弾をドラゴンの頭上に、土砂降りのごとくたたき込んでやります。それこそ息を継ぐ間もないほど爆風を叩きつけてやりましょう。空に、爆煙で富士山を描くほどの技をもってすれば、やれないことはないでしょう。

 そして、地面に釘付けしたところで、コブラからTOWミサイルのつるべ打ちですね…。可能なら74式戦車を持ってきてAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾/要するに、ぶ太い鉄の矢)をたたき込みたいところです。ま、最後は普通科の隊員に死亡確認をさせる必要があるでしょう。マンガみたいに自己修復機能があって、しかもパワーアップされたら堪りませんからね」

「ちょっ、まてよ…」

 言いながら、健軍は必要とする戦力を目算していた。

「火砲は、99式(155㎜自走砲)の発射速度が1分間に6発。だとしたら最低でも10門いや、目標は移動するから、20門は欲しいな。随伴する戦力として最低でも1個中隊。74式戦車4両。空自からファントム2機。コブラ2機。観測ヘリ。整備、給弾車その他エトセトラ。……う~む、少数とはとても言えん」

「だから無理なんです」

 用賀2佐の言葉に肩を落とす3人であった。





    *     *





 ヤオは確かに涙もろいところがある。だが、泣いていても誰も助けてくれないと言うこともまた、よく理解していた。泣いてる時に「どうしたの?」などと言い寄って来る輩に、ロクな奴が居ないと言うことも体験済みだった。

 だから、立ち直る。結局の所、自分で起きあがるしかないのだから。

 泣いた。充分に悲しんだ。

 そうしたら、今度は手巾で涙をコシコシと拭き取り、すっかり冷め切った香茶で喉を潤し、清々したように両手を拡げて大きく伸びをする。これで切り替えを完了である。

 ふと、気がつくと通訳をしてくれたレレイはもう居なくなっていた。ウェイトレスのポーパルバニーに尋ねると、「用があるので行く。もし、泊まる場所に困るなら、組合事務所に来るように」という伝言を残していったそうである。決して野宿はしないようにと言っていたと言う。

 また襲われることを心配してくれたのだろう。

 随分と世話になったのに、礼を言い損なったことにも気付いて、後で言いに行かないと、とヤオは心のメモに書き込んだ。組合事務所の場所も、尋ねて確認しておく。

「さて、問題はどうするべきか…」

 故郷の同胞をどうやって救うかである。

 まず、緑の人と言われる連中が、このアルヌスに駐屯するニホンという国の軍隊の、一部であったことは確認できた。

 帝国と戦争をしているがために、エルベ藩王国の国境を侵すわけには行かないと言う理屈も理解した。

 炎龍を倒すことも不可能ではないと言うことも理解した。ただ少人数では危険なだけだ。

 もし指揮官のハザマが意地悪や、単なる横着で助けてくれないと言っていたのなら、話は簡単だった。

 ハザマをその気にさせるようにすれば良いのだ。金銭に意地汚いようなら、持ってきた金剛石が役に立つだろうし、名誉を求める男なら炎龍を倒すと言うことが、いかな英雄をしても不可能だった難事であり、それを為した者が得る名誉がどれほどのものであるかを語って聞かせればいい。もし、好色な男なら色仕掛けで迫る。ヒト種の女などでは決して味わえない、三〇〇年ものの技巧で骨抜きにしてやったろう。

 だが、ハザマはその意味ではもう攻略の対象とは見れなかった。彼がヤオの頼みを断ったのは個人的な事情ではなかったからだ。国としての方針、軍としての事情。こうしたことを優先する理性的な男と関わっては、時間がかかるだけである。

 と、なれば…彼の配下の部将を説得するのが良いだろう。このくらいの規模の軍隊になれば金か色、あるいはその両方で離反しても良いと言う部将の1人や2人居るだろうから…。ヤオはそう思いながら、周囲を見渡すのだった。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 34
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/09/09 20:46




34





 覇権国家たる『帝国』に名はない。

 名前とは、自己と他者とを区別をするためにのみ必要とされる。帝号とは、諸民族・部族を束ね、列国王中の王として君臨する者のみが許される。国力に置いて無双。軍事力に置いて無敵。並び立つ他者の存在し得ない唯一無二の帝国なのだから、名など必要なしという傲慢な思想がそこにあった。

 氷雪山から碧海へと注ぐロー川の畔。海から内陸に徒歩で2日行程ほどのところに、帝都はある。

 海運のための船は、流れの穏やかなロー川をつたって碧海へと往来する。

 また陸運の隊商は、帝都から四方へと広がって大陸中に網の目を拡げる街道網を通って帝国内外、周辺各国との自由な交易を営んでいた。帝都は、政商両分野にまたがる帝国の中枢なのである。

 皇宮は、帝都5つの丘のうち最も東寄りの丘サデラ中腹一面に広がっていた。その東、南、西と全ての麓は、美しい白亜の宮殿と館が並び、それよりも広い森と林によって間隙が埋められている。白と屋根を飾る鮮やかな紺碧。そして美しい濃緑。それが皇宮を支配する色調であった。

 その南宮にはゾルザル・エル・カエサルの居館がある。彼は皇帝の第一子であり、皇女ピニャ・コ・ラーダから見ると腹違いの兄にあたる。

 男は、紗の天蓋に覆われた寝台に、たおやかな肢体を持つ白い女性を組み伏せ、背後から小枝のような首を締め上げると、その苦痛と快楽に歪む表情、その喉からこぼれる嗚咽と嬌声の渾然となった様を楽しむという、倒錯した悦楽に浸っていた。

「で、殿下。お許し…を…」

「ふんっ。ボーパルバニーの族長がその程度か?ん、もっと、良い声で啼け。啼けっ!」

 だが、程なくして小刻みに痙攣しながら気を失ってしまった兎女に対して、ゾルザルは「ふんっ」とその臀部を叩くと、用が済んだとばかりに寝台から放り出した。

 白い肌の女性は、ゴロンと壊れた人形のように転げ落ち、わずかに身を震わせる。

 その女性の髪は処女雪にも似た白。また、頭部には二つの白い毛に覆われた兎耳が伸びていた。その白い肌は無数のアザと、打撲傷、噛み傷といった度重なる暴力の痕跡で覆われていた。

「この程度で気を失っていては、我を満足させることは出来んぞ」

「お許しを………」

 女は、小さく震えるような声をあげた。紅い瞳をまっすぐに向けて、健気にも冷たい石の床から身を剥がすようにして起きあがり、寝台に戻ろうとしている。

「精々勤めることだ。同胞の運命は、おまえがどれだけ頑張るかにかかっているのだからな」

「なにとぞ殿下のお慈悲を持って、我が同胞にお情けを……」

「ふんっ…もういい。今日は去ねっ!」

 ゾルザルは、それに応えてやらずその逞しい背を向けた。隆起した筋肉に覆われたその身体に、召使い達が群がっては衣を着せていく。

 ポーパルバニーの女は、悲鳴を上げる身体にむち打つようにして、裸身を起こすと手近なシーツで身を隠すようにして、よろよろと壁に手を突きながら、男の部屋を後にするのだった。

 それを見送った男は舌打ちすると「いい加減、あの玩具にも飽きてきたな」と呟いた。そろそろ捨て時期かも知れない、と。

 するとその独り言に応える声があった。

「殿下。いかにお遊びとは言え、汚らわしい獣人の牝をお使いになるのは、あまり良いご趣味とは言えませんぞ」

 内務相のマルクス伯爵であった。

「なぁに、我は開明的な男だから種族の違いで差別したりはせんのだ。あの兎女、見てくれと身体の味だけなら最高だぞ」

「とは申しましても、孕んだり致しますと何かと面倒なことに…」

「そりゃあいい。あれでもポーパルバニーの族長だぞ。我の子があの者らの王となるわけだ」

「彼の者が治める国など、とうの昔に滅ぼしたではありませぬか?」

「しぃっ、静かに…。テューレの耳は大きいからな。まだ聞こえるかも知れん」

 マルクス伯爵は、頭(かぶり)を振った。

 国と一族を守るために自らを差し出して3年もの日々を耐えて来たのに、とっくの昔に滅ぼされ親兄弟も同胞も死に絶え、わずかに生き残った者も、各地に散って塗炭の生活に喘いでいると知ったらどんな思いをするだろうか。

 しかも、わずかな生き残り達は、彼女が自分達を売ったという偽りを信じ込み、泥をすすりながらも復讐を果たすと誓っていると言う。いくら獣人とは言え、酷(むご)い話である。そこまで残酷になれるゾルザルという男が次代の皇帝になったらどのような政(まつりごと)をするかと思うと背筋が寒くなる。

「ところでマルクス伯。今日は何をしに来た。覗きか?それとも、年甲斐もなくテューレが欲しくなったか?よかったら譲るぞ。少々汚しはしたが、洗えば綺麗になる」

 ゾルザルの身支度が終わって、召使い達はいそいそと下がっていく。後には、ゾルザルとマルクス伯の2人が残された。

「実は報告いたしたきことがございます」

「なんだ。言ってみろ」

「元老院議員達に不穏な動きが見られます」

「不穏だと?」

「はい、殿下。夜会などの催しに隠れ、秘密の会合をもっている様子です。当初はごく少数の集まりでしたが、このところ人数が目立って増えております」

「ふん。どうせ、弟の策謀であろう?懐古主義の元老院議員達と語らって、帝位の継承順位を歪めようとするとは、ディアボの奴、いよいよ手段を選ばなくなってきたようだな」

「いいえ。どうもそれとは異なる様子なのです。議員達が密会しているのは、不法にもアルヌスを占拠している者共のようです」

「なんだ」ゾルザルは、どうでもよいこととばかりに手を振った。「敵国の使節か…。戦時下と言っても、使節の往来は当然のことだろう。敵国の者が和平や降伏の条件を詰めるために帝国の者と会ったり交渉したりすることを咎めては、外交も戦争も出来ないではないか?」

「しかし、どうやら議員達の多くは買収されつつある様子です」

「なんだと?」

「これまで、出征した者全員が戦死したと思われておりましたが、どうやら捕虜となって生き永らえている者も少なくない様子。今回集まっている議員達は、それらの身柄と引き替えに何某かの譲歩を迫られているに違いありません」

「なんてことだ」ゾルザルは、忌々しげに掌を拳で打った。「帝国の議員達が、そのような脅しに屈するほど、愚かだとは思いたくないが」

「肉親の情に付け入るとは、敵も卑怯な真似を致します」

「仕方あるまい。肉親を人質とされては冷静な判断もできんのだろう。よし、わかった。今から行って、敵国の使節にそのような卑怯な真似は止めろと忠告してやろう。元老院議員達も、それで目を醒ましてくれるはずだ」

「殿下が参られますれば、きっとそのようになりましょう」

「だが、マルクス伯。このような大事な話を何故父ではなく、我に言うのだ?」

「畏れ多いことですが、皇帝陛下の耳に入りますと、事を荒立てることとなりましょう。それは帝国にとっては決してよいこととはなりません。また、次代の皇帝陛下にとっても…」

「そうだな。元老院と帝室の対立がこれ以上深まるのも避けたい。下手をするとディアボの奴を利することにもなりかねん。そう言うことなら、内々で事を済ませねばならん。で、その集まりの開かれる場所だが、どこだ?」

 マルクスは会合の開かれている場所を伝えた。

「そんなところか?」

 ゾルザルは、眉を寄せつつも部屋の外にいた、取り巻きの若い青年貴族達に「いくぞっ!」と声をかけた。

 その背中を見送ったマルクス伯は、忌々しげに「馬鹿が。精々、派手にかき回してくるが良い」と鼻を鳴らしたのだった。





   *   *





 それは、ガーデンパーティーとか、園遊会とか、そんな言葉が似合いそうな催しだった。キャンプとかバーベキューの規模を大きくしたものをイメージすると良い。帝都郊外に、何組もの家族が招かれて和気藹々とした一時を楽しんでいた。

 その森と見間違うほどの広さを持つ庭園には、丘あり、森ありで、さらには林があって池もあるという様子。一面に芝生を敷き詰めたら18ホール分のゴルフ場になりそうな広さを有していた。

 庭園の一隅には白布の天幕が張られ、その下では、露火で肉や魚を料理人達が焼いていた。帝国では、まだ珍しい香辛料がふんだんに使われていて、香りを嗅いだだけでも唾が溢れ出そうである。

 我慢しきれなくなったメイド服の少女が、ちょっと味見とばかりに口に運んで、取締の老メイドに叱られたりする。

 少し離れたところには管弦の楽器を操る楽士達が集められ、耳に煩くない程度に、だけど会場の雰囲気を明るく盛り上げる陽気な演奏をしていた。

 スープやシチューが煮込まれている鍋からは、美味そうな香草の香りが漂っている。さらにその傍らには各地の果物が籠に山積みとなっていた。

 これらで空腹を満たしたなら、次は甘いデザートが待っている。

 それは、この地ではまだ誰も食べたことのない変わった氷菓であった。ここでも氷を砕いたり、雪に果汁や蜂蜜をかけたものを楽しむことはある。だが、今回振る舞われたのは『アイスクリーム』と呼ばれる乳製品であった。

 これがバケツ数杯分も持ち込まれ、最初はその珍しさから、そして2つ目からはその美味しさで、みんな群がった。

「冷たいものを食べ過ぎると、お腹を壊しますよ」

 籐椅子で日光浴としゃれ込みながら、軽い午睡を楽しもうという貴族のご婦人が、子ども達に警告する。とは言っても、自分達が片手にアイスクリームを持っていては説得力に欠けると言うものだ。だから、子ども達は「は~い」と返事しながらも、アイスクリーム係のメイドに際限なくお代わりを強請っていた。

 3度も4度もお代わりしてくる子どもに、メイドもアイスクリームの盛りを手加減するのだが、その子どもは「ケチケチするなよな」と、悪態を放った。

 だが、メイドが「お母様に、言いつけますよ」と冷静に言いかえすと、途端に態度を変えて「頼むよ。な」と、手を合わせたりする。悪ガキというのは、どこにいっても変わらないものなのかも知れない。

 用意されたアトラクションは食べ物ばかりではなかった。

 傍らには、弓の的当てを楽しめる場所が用意されている。

 娘の背中に、突き出た腹違い押しつけるようにして中年貴族が狙いの付け方を手ほどきしていた。そのくせ、矢は的を大きく外して、父親の権威失墜といった感じで、みんなから笑われている。

 風船や、円盤投げ、ボール投げなどを楽しめる遊具も多く、子ども達はそれらを用いた遊びを考え出し、はしゃぎ回っていた。そしてその様子を楽しそうに眺めている母親達。

 小さな池は、生け簀代わりなのか鯉や鮒がつかみ取り出来そうなほどに泳がされていて、釣好きな者は、早速釣り糸を垂らす。釣れた魚をその場で焼いて料理するという趣向のようで、これもまた趣味人にとっては楽しい催しと言えた。

 そんな様子を見渡しながら、ピニャは籠に積まれた果物をひとつ摘むと、サクッと囓った。

「スガワラ殿。一家一族丸ごと招待するとは、なかなか味のある催しを主宰されたな。妾もこういった趣向は大変に好ましく思う。騎士団の宴も、今後はこのような形で行おうかな…」

「そうですか?ありがとうございます。でも、メイド長に来てもらえたのはホント助かりました。楽士を雇うにしても、こちらのことがよくわからなくて…」

「いや、此度はフォルマル伯爵家から言い出してくれてな。今後も、このような催しをする際は、全面的な協力を約束してくれているのでアテにできるだろう。イタリカは今非常に景気がよく、伯爵家の財政状況も好転しているという報告が来ている。それもそなた等との交易のお陰だということを伯爵家は理解しているのだ」

「しかし、あの家から来たにしてはヒト種のメイドさんばかり居ますね」

 菅原もイタリカのフォルマル伯爵家には、挨拶や会議などで何度か足を運んでいる。そこで猫耳、ウサ耳といった様々な種族の女性と出会い、この特地が異世界であることを実感したものなのだが、今回老メイド長が帝都に連れてきたのはヒト種のメイドだけ。

「帝都ではな…」

 ピニャの濁した語尾に、菅原はある種の差別観が存在していることを感じ取った。

 あちこち有力貴族のパーティーに参加しまくって、いくつもの邸宅を訪問して、そこにヒト種のメイドしかいないことにも違和感があったので、もしかするとフォルマル伯爵家が特別でなのかも知れないと思っていたのである。先代の当主というのはよっぽと開明的な人物だったのだろう。

 ピニャと菅原は、2人列んで会場となった庭園を歩きまわり、招待客達が退屈していないか、何か問題はないかと見回っていた。

 時折、客達に声をかけて挨拶をし、また挨拶を受ける。

 めざとく目を配って、個性的で光るところのあるキャラクターを見つけたら、「あれは誰だ?」と名前やどこの家の者かを確かめて、記憶しておくことも必要な作業だ。ピニャが目を向けたのは、料理人達に香辛料の近い方を指導しているニホン人らしき男だった。

「スガワラ殿。あの男は?」

「ああ。彼は、伊丹の部下で古田と言います。元一流料亭の料理人という変わった経歴を持つそうですよ」

「なるほど、それでこの味か」

 ただ香辛料をまぶしただけでは、出すことの難しい繊細な味付けである。フルタという名前を、ピニャは脳内のメモにしっかりと書き留めて置くことにした。

「殿下、お久しぶりです」

「おおっ、ドゥエン殿。ご壮健か?」

「はい。家族もみな元気です」

 頼まれれば人を紹介し、引き合わせると言うこともする。

「スガワラ殿。こちらは、マーレ家の三男でらっしゃる。兄上の名が、先日お渡ししたリストに載っているはずだ」

 このようにしてピニャは、菅原を何人もの貴族に紹介した。ここに来ている客達の殆どは、すでに菅原を見知っている者ばかりだが、中には親戚という類縁の立場で招かれた客も居た。例えば、婦人や女子だが、そんな彼女らの菅原への認識は、恐ろしい敵国の使者ではなく、珍しくて素晴らしい物産をふんだんに持ち込んで来てくれた国の使者でしかないのだ。

 中には紹介された途端、菅原の腕を抱きかかえて、発展途上の胸を押しつけながら、お強請りを敢行する娘っ子も出てきたりする。

「スガワラ様。従姉妹が私に真珠の首飾りを見せびらかすので、とても悔しい思いをしているのです。なんとかしていただけませんか?」

 余りの不躾さに、さすがに親も見逃せずに叱っていた。

 菅原も、相手が11~12才の娘では役得と喜ぶわけにもいかないし邪険に振り払うわけにもいかずと困っている様子だった。が、こんなことを見咎めているようでは外交など出来ないのである。子どもの振る舞いが、妙なところで突破口になったりするからだ。

 ピニャは、娘を叱る親を見て「テュエリ家の者だが、同時にカーゼル侯爵の類縁のでもある」と素早く囁いた。

 帝国政界にあって元老院派の領袖とも言えるカーゼル侯爵とのパイプは、ニホン政府としても是が非でもとり付けておきたいはず、と気を利かせたのである。勿論、菅原も素早く反応した。

 娘を叱る両親に「そのように叱らないで、あげてください」と声をかけ、無礼を詫びる両親に対して、寛容な様を見せた。
 そして、娘のシェリーという名をきちんと憶えて置き、後で真珠の首飾りを贈ることにする。そうすればこれが縁になって、紹介を求めることが出来るだろう。

 外務省の担当者達が柳田にからかわれつつも、「贈り物は自分達の武器弾薬」と言い放ったのもこうした理由からだ。個人的な役得と、国益との境目がはっきりしないので、煩く言われたり、時にマスコミから叩かれることもあるが、外交も戦いだと考えるならば、この手の武器弾薬をケチっては、かえって国益を損ねると言うことを、我々は知っておく必要があるだろう。

 実際、後になって菅原からビロード小箱入りのネックレスを贈られたシェリーは子どもっぽい無邪気さで、親や従姉妹達に自慢し見せびらかして回った。

 勿論、これほどの物を貰っておいて何も返さないのは帝国でも礼儀知らずと言われる。早速、『お礼』と称したやりとりから行き来が始まり、カーゼル侯爵への繋がりとなっていくのである。

 余談だが、これをきっかけに三十路近い菅原が11才のシェリーに好意を抱かれてしまう。しかも計算高い親がそれを熱心に応援する、と言う、ちょっと困った事態になったりするのである。






 ピニャは、菅原がシェリーにまとわりつかれて慌てている姿を苦笑して見守りながらも、視線だけは周囲へと廻らせていた。

 こうしている間も、客達の動向をしっかりと見ていなければならない。

 ホスト役(注:ホストクラブの、ホストではない。)とは、楽しめる立場ではないのである。強いて言うなら、客達が楽しむことが、自分の楽しみと感じられなければやっていられない仕事と言える。

 それでも、今回はマシなほうだった。というのは、男女間の面倒くさい橋渡しをしないで済むからだ。

 と言うのは、こうした宴席は年若い男女にとって出会いのチャンスと見なされていたからだ。
 年若い青年貴族達は、年若い女性を目聡く見つけては声をかけたりするのが普通である。その際、紹介や介添えを必要とするのだが、多くの場合その役務は接待役にまわってくるのだ。そして彼女は年若い男女が屯する騎士団の主宰者だ。その手の集まりでホスト役などしたら、食べ物一つ、飲み物一杯も口に運べないことに成りかねないのである。

 ところが今回は皆、家族や親戚連れ、社交界にデビュー前の子ども連れ。

 自分の父親や母親の居る前では、それほど奔放なことも出来ない。どうしてもと真剣に思うなら家族ぐるみで紹介をうけることとなり、そうなれば『遊び』では済まなくなってしまう。

 そんなこともあって、客達は皆家族単位で楽しむか、男女のグループに別れてそれぞれに楽しむかのどちらかだったのである。

 ご婦人達は、菅原と縁のあった者だけが手に入れることが出来る、煌びやかな織物や染め物で仕立てられたドレスと、真珠などの宝石で我が身を飾りたてて華を競った。

 材料たる生地が同じグレードの場合でも、デザイン、縫製といった点で競う余地があって、このあたりが彼女たちの優越感と嫉妬心をかき立てる。また、貰った小物、装身具の微妙な優劣も、彼女たちの心をチクチクと刺激して、スガワラや、その他未登場のニホン人外交官達と仲良くしたいと思わせる理由となった。

 こうしたご婦人方に取り囲まれているのは、栗林と黒川だ。

 栗林達は、婦人自衛官の制服で身を固めていて非常によく目立つ。ただ、ピニャ配下の騎士団の制服に似たところもあって、招待客達からは2人は女性軍人として受け容れられているようだった。

 どういう話の流れから、そんなことになったのか、栗林は相棒に富田を選んでご婦人相手に護身術の講義をしていた。

「腕を掴まれましたら。手首を曲げて、このようにします」

 とか言いながら長身の富田が、小柄な栗林に『呼吸投げ』を喰らって吹っ飛んでいく姿は、女性達にとってとても爽快なものである。拍手で絶賛されていた。

 ちなみに見た目が精悍で、野性的でありながら清潔な雰囲気の富田は、ちょっと年齢のいったご婦人たちに人気である。

 黒川の方は、化粧用品の使い方についての日本の技を披露してご婦人達から憧れの眼差しを浴びていた。黒川は看護士としてメイクアップ・セラピーを学んだことがあり、このあたりはお手の物である。

 メイクアップセラピーとは、長い療養生活で、気持ちの沈みがちな患者や、高齢のご婦人に、化粧を施すことで張りをもたせ、情緒を明るくする。気持ちが明るくなると病気の治りも良い、という効果を求めた専門的な技術である。

「目元がくっきりとしている方の場合は、アイシャドウを濃くしますとクドくなってしまい、全体の塗りもきつくしなければならなくなります。それよりは、薄目にして明るくすっきりと仕上げるのがよいでしょう。眉のラインは慎重に。わずかな変化で印象ががらっと変わりますわ」

 選び出された妙齢の婦人の顔が、黒川の手によって見事に仕上がって大変身。10才若返るとかそういう効果は無いけれど、その年齢相応にして可愛く、あるい美しさを引き立てるという効果に、女性達は感嘆の声をあげた。

「イタミ殿の部下は、素晴らしい人材がそろっているな」

 ピニャが誉める。菅原も、運が良かったと漏らした。第三偵察隊はつい先日到着したばかりなのだ。言葉が使える者の多い偵察各隊は最近、便利使いされている。入れ替わりでアルヌスに帰っていた第1偵察隊の面々は、ちょっとウンザリした様子だった。

「前の者らは無骨なばかりで、いささか面白みに欠けていたな」

「やはり隊長の性格ですよ。いや、伊丹さんを普通だと思われても困るんですけどね。彼の方が極めて特殊です」

「わかっている」

 流石にピニャも菅原を始めとして何人ものニホン人と関わって、その生真面目な気質が理解できるようになっていた。それに対して、伊丹はある意味でルーズと言うか、余裕があるというか、抜けているというか…とにかく特殊なのである。そして、その特殊さに救われたとも感じていた。

 何しろ、普通の男だったら、袋だたきにされたなら恨みをはらすことを考えると思うからだ。なのに伊丹は、ピニャに苦手意識こそ抱いているようだけど、彼女にとって不利益になるようなことを、一切して来ない。これは希有なことである。

 伊丹の立場なら、非常に簡単…例えば梨紗との連絡役を引き受けないと言うだけで、復讐は充分に果たすことができるのだ。

 芸術を渇望するピニャにとって、その糧道を断たれることは、最早精神的な破滅と同義である。それを避けるためには、自国内に芸術家を育てることが必要となるが、まだその第一歩たる語学研修が始まったばかり。今は何としても、伊丹の好意を確実に繋ぎ止めて置かなくてはならないのである。

 ピニャは、もう、その為にはなんでもしちゃう覚悟が完了していた。

 対伊丹用突撃隊員を、騎士団の中から選抜し研修生としてアルヌスに送り込んでいるくらいなのだ。まだ活動させていないがピニャが命じれば、彼女は動き出す。選び出された少女からすれば、何とも悲劇的な話だが、ピニャはもう芸術の為なら、横紙破りだろうと、ごり押しだろうと、あくどいことでも平気で手を染めるだろう。

 その覚悟を再確認したピニャはウンと頷くと、「そのイタミ殿は、どちらにおられるのだろう?」と菅原に尋ねた。伊丹のご機嫌伺いをせねばならない。

 菅原は、「あちらですよ」メインとなる広場から、ちょっと歩くと土嚢を積み上げて壁とした、子ども立ち入り禁止のエリアを指さした。





 そこでは、招待されたメインの客…つまり元老院議員や次代の議員たる若い男性達が『銃』の威力を体験する射的場が置かれていた。ニホンが有する武器の恐ろしさを身に染みて貰う。それが今回の園遊会を開いた、最大の目的である。

 銃を暴発させても弾が変なところへと飛んでいかないように、土嚢を積み上げた壁の間に『的(まと)』を置く。『的』はその辺で安売りしている素焼きの壺とかを一山幾らで買ってきたり、的当て用の標的を置いたりした。

 その後ろは、土を積み上げた土提が壁となっている。これらは、伊丹達が来る前に準備していた第1偵察隊員の作業の成果であった。

 射座についた元老院議員達は、第3偵察隊の自衛官達の指導の元、50メートルほど離れたこれらの標的に向けて、心ゆくまで銃弾をばらまいていた。

 20名ほどの議員達は、それぞれに交代しながら銃を試した。

 2つある射座のひとつに立ったキケロ卿も、指導されたとおりに銃を構え、狙いをつけ、引き金を引いた途端の発射音と肩を突き飛ばすような反動に目を白黒させた。

「銃の威力はどうだ?キケロ卿」とピニャは声をかけたかったが、それを自分から尋ねては、それだけでニホン国側に立って威圧しているように思われてしまう。だから黙って見ていることにした。彼らが何を体験して、どう思うかは充分にわかっているのだから。

 一発だけの発射なら、驚いただけで済む。

 二発から、その脅威を味わうことになる。

 三発で、凄さが身に染みて、四発を過ぎた頃には、銃が欲しくて堪らなくなる。

 そして、一〇発を越えると、これを無数に装備する敵と戦争をするということの意味を知るのだ。

 まして、ミニミ(機関銃)の展示射撃(見せるだけ。触らせてくれない)で、並べられた壺の数々が瞬く間に粉砕されるのを見れば、門を越えて攻め入った帝国軍がどうして敗亡したのか。アルヌスの丘に攻め入った連合諸王国軍がどうして全滅したのかが、はっきりと理解できてしまう。

 一度は、尋ねることになる。

「これらは、どうやって作るのか?」

 当然、教えてもらえない。教えられたとしても理解することは出来ないだろう。

 判るのは、『銃』というこの武器が、精巧に作られた無数の部品の集合体であることだけだ。この武器は、彼らが菅原から贈られたような、精緻な工芸品を作り上げる技術力の結集なのである。

 次にする質問は、「どうやったら売ってくれるか?」である。

 だがこれもよい返事はない。あるはずがない。戦争をしている相手に、自分の武器を売る馬鹿は居ないからである。それは元老院議員達もわかっていた。もし、売ってくれると言われたら、詐欺か何らかの謀略を疑うだろう。

 盗んで持ち去ろうにも、2丁とも鎖で机に繋がれている。しかも一丁に1人の見張りが付いている。

 弾の込め方から狙いの付け方、そして引き金の引き方まで、懇切丁寧に教えてくれた彼らだが、そう思ってみれば全員が油断のならない見張りであった。

 では「この連中を買収して」と思っても……その言動、立ち居振る舞いから見れば、おそらく無理だろう。「悪い冗談を…」と言われてお終いだ。

 キケロは、目前の自衛官に銃を返すと、親切に扱い方を指導してくれたことへの礼を述べて射座を後にした。

 ここで、さらに議員連中の心胆を寒からしめるイベントが披露された。

「ええ~これから、81㎜迫撃砲の展示射撃を致しますので、みなさんこちらに集まってください」

 伊丹の誘導に導かれて、議員達は射撃場を出た。

 すると少し離れたところに、斜めに立てた丸太を二本の脚で支えているような物体が置かれていた。丸太と思えたものはどうやら金属製の筒のようであった。その筒先が向けられているのは、切り開かれた前方の平地である。

 前に出てよく見てみようとする者もいたが、「危ないですから、近づかないでください」という伊丹の声で、議員達は肩を竦めて立ち止まった。

 見ると、迫撃砲に1人の指揮官の元、3人の隊員が取り付いて、きびきびとそれぞれの役割を果たしている。

 1人が照準器を装着して、ヘアーラインと紅白の標管が一致しているかを見る。

 砲弾に信管を取り付け、発射のための火薬を取り付ける。

 そして砲口の傍らに立った者が、砲弾をしっかりと両手で受けとると、砲口に半分ほど差し込んだ。

「半装填よしっ!!」

 指揮官は「5、4、3、2!」と指折り数える。

「発射!」「1!」の二つの声が重なった。

 砲口に差し込んだ砲弾から手を離す。この時、同時に頭を地面近くまで下げて爆風やその他の事故を避ける。

 すると砲弾は重力に引かれて迫撃砲の筒を落下していく。

 砲弾の尾部には発射のため火薬がとりつけられている。この『装薬』の量を調整することで砲弾を届かせる距離を変えることが出来るのであるが、これが砲の中で突き出ている撃針にぶつかると小爆発を起こす。この時のカウントが丁度「ゼロ」だ。

 その衝撃と爆風により、砲弾が発射されるという仕組みだ。

 まず、砲口から爆炎が吹き出し、それを追いかけるようにして弾が飛び出していく。妙に思われるかもしれないが、迫撃砲は砲弾の直径と砲の内径にわずかな隙間があって、そこから漏れだした爆風が先に飛び出るので、そう見えるのだ。

 見ていた観客は、銃などをはるかに越える発射音に驚いた。そして…

「弾ちゃ~く…今」

 すると目標とされていた場所に噴煙が上がり、それに遅れて腹の底に響くような爆音が届いた。視覚効果を重視して遅延信管をつけたため砲弾は地面にめり込んでから爆発する。そのために、土砂の吹き上がった爆発は映画の特撮シーンのような迫力だ。

 迫撃砲の射撃は続いている。

 重榴弾が大地を掘り返し、爆音は雷鳴のごとく轟く。その数、十数発。

 これを見た議員達は、帝国の騎馬隊や、重装歩兵が粉砕される幻影を見た。城塞都市や、宿営地が、この爆炎で圧し包まれる幻影を見た。

「す、済まぬが教えて貰いたい…これはどのくらい先まで届くのだ?」

 問いかけてくる議員に、伊丹は「う~ん、こちらの単位で3リーグちょっと(1リーグ≒1.6㎞)といったところですかねぇ」とざっくばらんに暗算した上で、少し控えめに答えた。武器の性能の全てを正直に答える必要はないからである。

「さ、3リーグだと?」

 この特地の概念では、戦場とはそんなに広いものではないのだ。

「もう一つ尋ねたい。銃という武器はどの程度もっているのか?」

「詳しくは申せませんが、1人につき一丁持っていると考えてください」

「ぜ、全員がか?」

 議員達はようやく一つの結論に達した。いや、もう既に気がついていた。ただ認めることが出来なかっただけだ。

「戦えば、負ける」

 身に染みて理解したのである。帝国の兵、帝国の武器、帝国の戦術では、どれほどの量を用意しようともニホンに勝てるわけがないのだ、と。

 いったいどこの馬鹿だ。こんな相手に戦争を仕掛けようなどと言ったのは…。などと恨みがましく思いつつ、重苦しさを感じさせる表情で議員達は互いの表情を窺った。皆、苦々しい顔をしていた。誰もが、同じ結論に達したのだろう。

 見れば、ピニャとスガワラの2人が、並び立って自分達を見ている。

 議員達は理解をする。

 何故ピニャが、ここまで熱心に講和交渉の仲介を行うのか。確かに捕虜のこともあったのだろうが…彼女は、このまま戦えば帝国が負けると言うことを、自分達よりも早く知っていたのだ。

 対するに自分達の周りにいるのは、敵の脅威を知らず無邪気に遊んでいる女や子ども。自分達を除く、その他大勢の貴族達。その危機感に欠けた姿には、腹立ちを覚えるほどであった。おそらく今日までの自分達も、ピニャの目にはあれらと同じように見えていたに違いない。

 互いに視線を混じり合わせたデュシー侯爵とキケロは、並び立って前へと出た。

 キケロは、ため息まじりに尋ねる。

「スガワラ殿。ニホンが、講和を求める理由は何であろうか?戦えば勝てると決まっているのに…」

「我が国が求めているのは平和だからです」

 デュシー侯爵は地位にふさわしく重厚感のある口調で、語る。

「平和か…なるほど、耳心地のよい言葉だが、その単語は実に多くの意味を含んでいるな。勝って与える平和と、負けてほどこされる平和。真逆の意味があることを、儂は今はっきりと理解した。儂は今まで勝って与える平和しか知らなんだ…」

「ですが侯爵閣下。帝都の門前までニホン軍が押し寄せてくるまで、待っているわけには参りますまい」

 キケロの言葉に侯爵は頷いた。

「そうだな、講和交渉が必要だろう。だが、ニホンとしても、和平にどのような条件をつけられるおつもりだろうか?まず、それを確かめておきたい」

 菅原は首肯すると、冷厳に基本となる条件を突きつけた。

1.帝国は戦争責任を認め謝罪し、責任者を処罰すること。

2.帝国はこの戦争によってニホン側が被った被害について、賠償をすること。その額、スワニ貨幣で5億枚とする。

3.『門』のあるアルヌスを中心に、半径100リーグの円を描く範囲を、日本国に割譲する。さらに新規に引かれた国境から10リーグは、双方ともに兵を配置しないこと。

4.通商条約の締結。




「ご、ご、5億スワニー?」

「そもそも、全世界のスワニ金貨を集めてもそん枚数にはならんぞっ!」

「責任者の処罰、領土の割譲に加えて、なんと無茶な要求か」

「そうだ。我らが帝国を亡ぼすつもりかっ!!」

 議員達の驚いた様に、慌てて菅原は説明を付け加えた。

「別に、一時に全額を支払う必要はありません。それに、土地や鉱物等の採掘権などで替えてもよいという訓令を受けています」

「そ、それにしてもだ。無茶が過ぎないか?」

「ふ、不可能だ。この条件では他の議員達を説き伏せるのは絶対に不可能だ」

「そ、それで平和を望むなど、どの口から言えるのか…」

 ピニャも、日本国政府が突きつけた和平の条件に、身をガクガクと震わせていた。

 まさか自分が仲介した和平交渉で帝国に死刑宣告にも等しい要求が突きつけられるとは思ってもみなかったからである。菅原が、支払いは分割でも良いし、地下資源等の採掘権に代えてもいいよと言ったことなど、右耳から左耳へと通り過ぎてしまった。

 これまでで、比較的良好な関係を築けていると思えた、日本国の外交官 菅原が、ピニャの目には何か巨大な化け物に変貌したように見えた。力が抜けてしまい、立っていることも出来ずへなへなと座り込む。絶望感に打ちひしがれつつも、ピニャは声を絞るようにして言った。

「す、スガワラ殿。そ、それでは…む、無条件降伏と変わらないのではないか?と言うより、さっさと殺せ?」

「やっぱり、5億スワニーはインパクトが有りすぎましたか…」

 菅原はどうしたものかと思いつつも、告げる。

「単純に含有している金の価値を、我が国の相場と当てはめて換算しただけなんですがね。それでも我が日本国の年間一般会計予算をちょっと越える程度でしかないんですよ…」

 議員達は、へなへなと座り込んだ。

 大陸全ての金製品…諸王の王冠から、財宝、流通している金貨…全てかき集め、鋳つぶしてことごとくをスワニ金貨として鋳造しても、5億枚になるとは思えないからだ。そして、その金額が敵国の年間予算程度でしかないと聞かされれば、ニホンというのは、どれほどの国かと思い知るのである。

 実はこの賠償金の請求問題は、『特地』の貨幣経済の状況が確認されてから、当然起こりうることとして日本国政府でも協議されていたことなのだ。

 例えば、人類が地球に誕生して以来、これまでに採掘した金の全量が、推定10万6000トンと言われているが、それもここ200~300年で採掘技術が飛躍的に進んでから採掘された量が多い。

 『特地』の文明発達程度から見れば、採掘方法はツルハシとスコップによる手作業だろう。例えオークやゴブリンといった怪異を使役しているとしても、鉱山技術や製錬技術が未熟な現状では、全採掘量は1万トンに届くか届かないだろうと推定された。

 しかも、いかな帝国とはいえ、この『特地』の全てを支配しているわけではないのだ。

 対するに、スワニ金貨はこの『特地』で最強の貨幣である。

 金の含有量は1枚60グラムに及び、直径は500玉くらい。厚みと重みがずっしりとしている。流通というよりは、貯蓄のために用いられる傾向があり、江戸時代日本の金貨幣、大判に近い扱いを受けているのである。したがって、鋳造量も稀少で、市場で見かけることなどあり得ないものだった。

 これが千枚60㎏。1000万枚で600トンである。5億枚あつめようとしたら、なんと3万トンの金が必要だ。……つまり、どうやったって無理なのだ。

 これに対して、特地で流通量が最も多い金貨は『シンク』である。貨幣のサイズもスワニに比べて小さくなり、金含有量も10グラムよりやや少ない。

 これが、この特地の基軸通貨なのだが、厄介なことは貨幣相互の価値は相場で変動することにあった。

 単純に金の含有量だけで、1スワニ=6シンクと決することが出来ないのである。

 シンク金貨は商取引における決済のため頻繁に必要とされているので、スワニ金貨と両替しようとすると、5シンクあたりで変動している。もし、『金』を集めるために金貨を買いあされば、金貨の相場は急騰して、より集めることが困難になるのだ。

 さらに一般庶民がよく手にするデナリ銀貨、兵士の給料支払い用のソルダ銀貨(一兵卒1日の給与1ソルダ)と、質の劣る各種の銀貨、銅貨等が市場で流通しているが、これらの重要度も総体的に上昇して、やはり各貨幣の相場は急騰する。貨幣不足はデフレを引き起こすことになる。

 このように金にしろ銀にしろ要求しただけそのままに差し出させたら、帝国どころか、この特地経済を徹底的に破綻させてしまうことになる。

 また、もし『金』の都合がついたとしても、一時に『門』を越えて持ち帰ったら、米・露・中・フランス・イギリス等の核保有国から核攻撃を喰らうこと必然である。金相場が大暴落して、全世界経済が大混乱の上に破綻するからだ…。

 したがって、5億スワニーの支払いなど無理だし、支払われても困るのである。まして金の含有量を極端に落とした悪貨で支払われればさらに厄介なことになる。これらの悪貨は、当然の事ながら帝国内で使用することになるから、今度は強烈なインフレーションが発生することになってしまう。

 とは言え、賠償金を請求するのに額が『決まってない』と言うわけにも行かない。そこでとりあえず日本は、かつて隣国の戦後処理で支払った額が、当時のその国の国家予算の1.45倍であったことを前例に、単年度分の国家予算相当額を賠償金として請求することにしたのである。

 これには、被災者への補償、各種の損害賠償、銀座には企業も多いので利益損失等々、さらには自衛隊が消費した弾薬等の費用、人件費、燃料代なども当然の事ながら含まれている。

 そんなことを、菅原が額に汗をしながら一生懸命説明(言わなくても良い、余計なことは当然伏せて)すると、彼のつたない語学力でも、どうにか議員達に伝わったようである。

 要はスワニ金貨で5億枚分相当の賠償が請求されたわけたが、金銭の価値が違うから『応交渉』という一点で、どうにか理解がなされた。

 責任者の処罰にしても、誰をどうしろという話はこれからだ。通商条約の締結も、内容はこれから決めることとなる。

つまり日本からの要求は…

    帝国は悪いことしました「ごめんなさい」と謝る。そして誰かが罰を受ける。

    帝国は賠償金を支払う。出来るだけ多く。一度で払いきれないに決まっているから分割でも、価値がある物でも代替可。
    できれば地下資源の採掘権がいいなぁ。

    門の周りはニホンのもの。帝国軍は二度と近づかないように。

    貿易しましょう。というか、貿易で儲けさせろ。

 と言うものなのだ。

 これなら、程度はともかくとして内容は、負けた側に突きつけられるものとしては、穏当なものと言える。しかも、属国として、永遠に貢ぎ物を支払い続けろとか、その手のものがない。

 最悪、負けた上で全土を占領されれば、その国の君主や貴族の全ては流罪、あるいは死刑にされたりは当たり前だし、全土を併合された上で、領民のことごとくが奴隷化、さらに街や都市は略奪に遭うという可能性もあるのだ。(実際、帝国はこれらを当たり前にやって来た)だから今回の要求は、賠償金の額の問題さえ値切ることができるなら、ある意味とても軽いのである。

 これらを理解した議員達は脅かさないでくれと喘いだ。肩で息をしてゼイゼイとまるで全力疾走を強いられたような有様だった。

「は、話し合おう」

「そ、そうじゃな。きちんと交渉を始めなければならん。特に賠償額については、双方の実情を照らし合わせて、双方が納得いくように」

 最初から菅原がそれを目論んでいかどうかは別として、非常にスムーズに、双方の使節による講和の準備交渉会談がセッティングされていった。日時は、参加者は…などなどが詰められていく。

 その間、ピニャは大地に倒れていた。

 よっぽどショックが大きかったようで、ピクピクと小刻みに震えているほどだ。伊丹は思わず、落ちていた小枝の先っぽでツンツンと突いてみたら、ビクッと大きく痙攣した。

「あ~、ピニャ殿下。大丈夫ですか?」

 今度は、ピニャの頬をひたひたと叩いてみる。すると、カッと目を見開いたピニャはすがるように伊丹の手を握り込んだ。

「い、イタミ殿……妾は、もう駄目かも知れぬ。故にここで言っておきたい。あの時は本当に済まなかった。許してたもれ、ゆるしてたもれ…」

 あの時?…ああ、あの時の事ね。ボーゼスさん達にイビられた時のことか…と思いつつ伊丹はピニャの上体を、よっこらせと抱え起こした。

「別に、いいですって。それに人間こんなことじゃ死にませんよ」

「いや、もう駄目だ。気が遠くなってきた…お願いだ。ゆるしてたもれ、許して」

「わかりました。許します。許しますから、気をしっかり持って下さいって…わぁぁっ!」

 ピニャは、伊丹にしがみついていた。

 そして、「ホントか?許してくれるのか……ありがたい、本当にありがたい」と
号泣するのであった。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 35
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/09/16 20:42




35





 こうして、日本の外務担当者と帝国元老院議員との間で、講和の準備交渉の開催が同意された。

 これによってピニャの請け負った『仲介』の任もその山を越えて一息つけるところである。あくまでも彼女の役割は仲介なのだから、あとは日本当局者と帝国側元老院議員の仕事だ。

 ピニャの任は、日本当局者の往来を保証したり、便宜を図ったりへと移行して、少しずつ役割の重要性…つまり責任が低下していくことになるはず。代官に任せっぱなしのフォルマル伯爵家の後見事務や、騎士団の管理運営、そして趣味の芸術にも、今よりも多くの時間を割くことが出来るはずだ。

 帝室の一員として、今後の交渉の推移は確かに心配になる。だが、応対するのは海千山千の議員達。彼らも現実を認識した以上、自分などよりも遙かに上手くやってくれるだろう。それぐらいは期待しても許されるのではないかと思う。

 さらに、前にボーゼスのやらかした失敗についても、伊丹の宥恕(ゆうじょ/寛大な心で罪などを許すこと)を得て、心のわだかまりというか罪業感というか、後からあのこと言われたらどうしようという不安と恐怖の混ざった後ろめたい感じと言った、いろんな重石がすっかりとり払われ、すっきりさっぱり、青天白日の気分になった。

 だもんだから、涙をはらったピニャの笑顔は、それはもうとても明るく朗らかにして美しいものであった。

 直前に、どん底まで突き落とされて地の底にめり込んだ分、舞い上る急上昇は、PAC3のミサイル並み。女であることを前面に押し出してくる相手が苦手な伊丹も、このような無防備で邪念のない笑顔には、思わず心臓を鷲掴みにされてしまう。

 まして、ギュと抱擁されて彼女の双丘の感触とか、ぬくもりとか、花の香りとか、いろいろと五感に訴えてくる刺激が伴ってれば、好感度1だったとしても、8(10点満点中)ぐらいに急上昇しても不思議はないわけで、年甲斐もなく伊丹は顔を紅くしてしまった。

「あの、その、殿下。ちょっとくっつき過ぎです。人目とかありますし…」

「この手が嬉しい」「この身が嬉しい」という状態では、こんな抗議の言葉も言い訳程度になりさがる。要するに、後で誰かから揶揄されたり詰問された時のためのアリバイ工作でしかないのだ。

 もちろん今のピニャには「それが、どうかしたか?」である。うれしさの余り舞い上がっている彼女は、自分が今、何をしているのか判っていない。わかっていても気にならない。だって、心底嬉しいのだから。

 ま、役得かなぁ…などと伊丹は思うのだが、後でしっぺ返しの有りそうな気配に諸手をあげて喜べないところである。

 そんな時に、伊丹の耳に装着されていたイヤホンは、空電音と共にこんな音声を放った。

『アベンジャー、こちらアーチャー。送れ』

 舞い上がっていた心拍数が急激に低下して、ほのかに温まっていた血液と脳みそも氷水を流されたがごとく、たちまち冷えた。プレストークボタンを押し込んで、囁くように言う。

「こちらアベンジャー。どうした?」

『楽しんでいるところすまん。招待客とは思えない、騎馬の小集団がSSL(監視警戒線)を越える。真っ直ぐそっちに向かう模様』

「暫し待て」

 伊丹はそう告げて置いて、懐中のピニャへと視線を降ろした。

「殿下。ここに騎馬の一隊が近づいてきていると言う報告が入りました。何かお心当たりは?」

「はて、聞いておらぬが……それが、どうしたのか?」

 東洋の古い医学書には、感情が一定の線を越えると心身に悪い影響を及ぼすと書いてあるそうである。怒れば、気が頭に向かって突き上がって(怒りの余り顔が真っ赤になるのはのは解りやすい反応である)、血管がプチッと行くおそれがあるし、恐怖が過ぎると、気は下方向に突き下がって、大小便を漏らさないように頑張っている括約筋をこじ開けてしまう。しかも腰が抜けて立てなくなったりする。

 同様に、喜びが過ぎると、いろいろと緩むのだそうである。まぁ、ピニャの場合は緩むというよりはタレるという感じであるが、そう言う意味では精神的な緊張が弛緩して、反応が悪くなって、さっぱりと役立たずになり果てていた。

 人には、ストレスがかかっていた方が思考が冴えるタイプがいる。ピニャもそれに属するようだと思いつつ、伊丹としては近接中の騎馬の小集団が、盗賊とか無頼漢の類、あるいは帝国の軍関係といった不測の事態を想定して、するべき対応を考えていた。

 影で警護をしてくれている『S』に処理を依頼しても良いが、相手が誰だか判らない段階では避けたい対応だ。彼らが動くと言うことは闇に葬ることを意味するのだから。後々で、ピニャに迷惑が及ぶ場合も考えられる。

 盗賊や無頼漢の類だったら、それとはっきり判ってから排除すればいいのだ。問題は、帝国の政府あるいは軍関係であった場合だ。その際は、よっぽどの危険がなければ、排除のような強硬手段は使いたくない。それくらいなら、見られたら不味いもの、まだ、知られない方が良いとされるものを隠す方がよい。

 伊丹の基本的態度は『逃げ』だから、判断は早く悩まない。

「富田!倉田!勝本!高機動車で議員の方々を、ここから連れだしてくれ。菅原さん、なんだか知らないが、騎馬の小集団が近接中。会談は中止して下さい。VIPをここから離脱させます。でも、園遊会は止める必要はないです。ご家族は、ここにいても問題ないでしょう」

 銃や、迫撃砲の後始末をしていた自衛官達も、矢継ぎ早な伊丹の指示にはじかれたように走り出した。菅原も、議員達に駆け寄って、身振り手振りで懸命に事態の急を告げた。

 たちまち、迫撃砲も、銃も弾薬も片づけられる。

 ピニャも、伊丹に両の頬を「しっかりしてください。心を引き締めて」とピタピタと叩かれて、ようやく精神の建て直しを始めた。

 菅原から状況説明を受けた議員達は、ニホンとの講和交渉がまだおおっぴらに出来ないことはよく認識していた。主戦論が主流の現状で自分達が講和の下準備に手をつけているなどと知られたら、過激派に刺されかねない。それに、内務相が何やらキナ臭い動きをしているという噂も耳に入っている。

「議員達が集まっている=講和交渉の準備」と、すぐさま結論づける発想があるとは思えないが、噂や様々な思惑の断片が、変な形で結びついて、真実を浮き彫りにしてしまう事が無いとも言えないのが、現実なのである。

 従って、急遽この場を離れることには同意であった。万が一、近づいてくるのが盗賊や暴漢の類であっても家族を残していくことについては心配していない。ニホン人の武器の恐ろしさは、今さっき認識したばかりなのだから。そして家族達だけが園遊会で楽しんでいるだけなら、後ろ指さされる理由は一切ない。

 交渉を行う、話し合いをする、という意味では合意を見たのだから、会談の日程だの細かいことは、後で書簡でやりとりしてもよい。そういうことで、議員達は身1つで走り出そうとした。

 ちょうどそこに、3両の高機動車が砂塵を巻き上げながら急停車する。これらの車両は第1偵察隊が、おいていったものだ。計6名の自衛官達が、彼らの前に降り立った。

 銃や迫撃砲に驚いた議員達は、今度は馬無しで、しかもとんでもない高速で走る荷車の登場に再度、驚愕することとなる。これによって、遠いと思っていたアルヌス丘と帝都の距離が、ニホンにとっては指呼の間でしかないことを知り、皇帝が頼りとしている距離の防壁すら役立たずであるという事実をつきつけられることになるのである。

「これに乗せてくれるのか?」

「皆様を帝都の城門近くまでお送りいたします。人気の少ない、南東門で申し訳有りませんが、スリルあるドライブをお楽しみいただけると思いますよ」

 南東門は、森に面した小さな戸口程度の出入り口で、道も薄暗くて、人通りも滅多にないところとして知られていた。東と南にそびえる城壁によって陽当たりも悪く、水はけなどの生活環境も劣悪だった。必然的に住む人間も下層階級に属する者ばかりで貧民街が形成されている。それだけに、治安も悪く『悪所』とされている。少なくとも、まっとうな人間がうろつくところではないのである。

 だから、目立つことなく帝都へと出入りすることも可能だった。

 実は、自衛官達も帝都への出入りには南東門を使っている。既に、そのあたりの地理も把握済みだし、門番等も、金銭ならびに、日本の品物等でちゃんと買収済みである。悪所に蔓延る無法者集団も、同様の挨拶をして手懐けてあったりするのだ。

 倉田の案内で、20余の議員達は次々と高機動車に分乗した。

 そして、高機動車がエンジンの咆哮とともに駆け出すと、皆、ジェットコースターに初めて乗ったお年寄りのような声をあげたのだった。






 ゾルザルが、取り巻き連中と共に、帝都郊外の森林公園にたどり着くのと、高機動車が走り去るのは、ほぼ同じタイミングだった。間一髪と言って良い。ちょっと耳を澄ませば、森へと消えていくエンジン音が聞こえたはずである。(何の音か、判別することはできないとしても、何かが遠ざかっていくのは判ったはずである)

 ところが、ゾルザルが見た風景は、料理や、果汁飲料がふんだんに振る舞われ、様々な遊具で楽しむ子ども達と、その親、あるいは着飾ったドレス等の華を競うご婦人達。耳に入るのは軽快な音楽であって、マルクス伯から陰謀めいた会合が開かれていると聞かされていた分、その陽気な様には毒気を抜かれてしまった。

「なんだ、これは…」

 招待を受けた身ではないが、制止する者がないのでゾルザルは進んだ。皆も、馬で乗り付けてきたゾルザル達に、怪訝そうな表情と視線を向ける。

 ここにいる女性は、よくよく見れば貴族のご婦人あるいは令嬢だった。中には宮廷などで見知った顔もあった。そんな女性達は突然の闖入者に驚きこそしても、それが皇帝の第1皇子であると知れば、「皇子様もご招待されていたのね」と勘違いして、みんな恭しくお辞儀で迎えた。何しろホストの1人が皇女なのだから、その兄の皇子が招かれたとしても変とは言えない。それだけ格式の高い催しだと認識するだけである。

 ゾルザルも、その取り巻き連中も、粗野ではあるが乱暴に振る舞ってはいけない相手と場はわきまえている。陰謀と関わりのない貴族やその家族というのは、当然のことながら礼節を持って相対すべき存在であり、まして、足下を小さな子ども達が走り回っているとなれば、「どうしてくれようか」と猛っていた気持ちをまずは落ち着けて、馬から下り、手頃な者に声をかけて事情の把握につとめるのだった。

「ここでは、今何をしているのだ?」

「ピニャ殿下と、スガワラ閣下共催の園遊会でございます。気取った集まりではなく、みなご一族や子ども達も招いて、垣根を取り払った楽しい一時を送りましょうという趣向でございます。殿下もお呼ばれで参られましたのではないのですか?」

 答えたのは老メイド長だった。歳は取っているが、凛と背筋が伸びて受け答えも堂に入ったもの。また、異母妹ピニャの名が出てきたことに気を取られて、スガワラという聞き覚えのない名前もそのままに聞き流してしまった。

 メイド達が、ゾルザルや取り巻き達にも酒や各種の料理を振る舞った。トレイの盛りつけられた各種の料理…例えばゼラチン質を含んだ肉汁を冷やして出来た塊(各種の食材が混ざり込んでいる)を切り分けた「煮凝り」という料理や、マ・ヌガ肉、果物、小麦を延ばして焼いた薄いパンで、各種の野菜や肉を包んだもの等が、それこそ山のように彼らの前に差し出される。

 あっけに取られたゾルザル達はそれをそのまま受け取って、口にしてみて、皆顔色を変えた。

「美味い…」

 煮凝りの弾力が有りつつも、口中でとろけていく食感、そしてじわっと広がるうま味は快感とも言えた。偉大なる作曲家は飲み物の味を1000のキスに例えたと言うが、この舌触りは、恋人と舌をからめる感覚にも似ていた。サイズ、弾力、味付けともに料理人古田が工夫を凝らした、渾身の一品である。

 瞬く間に貰った料理を平らげて、取り巻き連中はそれぞれに気に入った料理のお代わりを貰いに散ってしまった。

「う~む」

 一方、ゾルザルは不可解な有様に首を傾げていた。マルクス伯が嘘を言ったとも思えない。そんな人を騙すようなことをしても内務相には何の利益にも成らないはずだからだ。自分をこの催しに参加させるために、あえて嘘を言ったということもあり得るが、それならばもっと別の言い様も有ろうと言うものだ。

 少なくとも、このお祭りめいた場では、マルクスの言ったような陰謀が行われているとも思えない。何かの間違い、あるいは場所を間違ったかと思いながら、怪しむべきものを探すために園遊会を見て歩いた。

 もちろん、時折見かける珍しい料理や飲み物が目に入れば手を出してみたりする。

「………う」

 どれもこれも帝室の料理人が作る美食に馴れたゾルザルをして、唸らせる味であった。

 スープもただのごった煮のようだが、非常に味が深い。黄金のごとく透き通った琥珀色をして、芳醇な香りが沸き立つようだ。

 マ・ヌガ肉も、かぶりついた時の食感が違った。プリプリした歯ごたえが堪らない。それも、ただ焼いただけに見えながら火の通し方が絶妙なのだ。さらに塩や独特の風味(香辛料)の使い方も見事としか言いようがなく、これまで食べてきたマ・ヌガ肉と比較しようとすること自体おこがましくも思えてくる。

 ゾルザルは肉にガツガツとかぶりつく。その、じわっと口中に流れ込む脂と肉汁の旨みを堪能して、お代わりへと手を伸ばす。瞬く間に、二つ三つと平らげてしまった。

「兄様!!」

 自分を兄様と呼ばう女声は、この場に置いてはピニャしかない。ゾルザルは食い終えた肉の骨をポイと道ばたに捨てると、声の主に顔を向けた。

 見れば足早にピニャがやってくる。ゾルザルには彼女が騎士団ごっこの従者達を連れていないことを「おや?」と思いつつも、この催しがピニャ主宰のものであるならマルクス伯の注進も、やはり誤りだったと結論づけた。

 ゾルザルの知るピニャは、騎士団ごっこに興じるだけあって軍事主義者でありバリバリの主戦論者でもあったからだ。その彼女が講和交渉の仲介役になっているなど、思いもよらないことである。

「兄様、今日は何のご用でありましょう?」

 ゾルザルは「なんだ、来てはいけなかったような口振りだな」と、ピニャに応えながらも、手は四つ目のマ・ヌガ肉へと伸ばしている。

 ピニャとして見れば、もちろん来ないで欲しかったのだが、社交辞令としても色々な立場的にも、そうはっきりと口にするわけにもいかないから、「何をおっしゃいますか。兄様を拒む門などどこにもございません。ですが、兄様は以前からこのような催しには無関心でらっしゃられたので……あ、これを使うと美味いですよ」と、これまた古田謹製のマスタードをゾルザルの手にしたマ・ヌガ肉に振りかけつつ、言い訳した。

 ゾルザルは、そのマスタードというソースの色合いと、鼻を突くように香りに少しばかり「うっ」と躊躇いつつも、かぶりついた時の辛みを伴った味わいにさらに目を白黒させた。

「ピニャ、ここで出している料理を作ったのは、誰だ?どこで見つけてきた」

 五つ目のマ・ヌガ肉に手を伸ばしたゾルザルは、今度は自ら肉が真っ黄色になるほどのマスタードをかけた。どうやら気に入ったらしい。

 ピニャも、目の前で真っ黄色になっていく肉の塊に、若干退き気味になりつつも「ひょんな事で縁がありまして…」とぼやかして応えた。直接料理をしたのはこちら側の料理人だが、香辛料やら調味料の手配や調理の指揮采配をしたのは自衛隊のフルタだ。ゾルザルなどに縁が出来て良い立場ではないのである。

「今度、宮廷に招いて晩餐を作らせたいな。皇帝陛下も喜ばれるだろう」

「兄様。いくら兄様の希望とは言え、そういうわけにも参りますまい」

 宮廷では、料理人と言えどもガチガチな序列の中に置かれている。どこの誰かわからない料理人を連れてきて食事を作らせるというのは無理な話なのである。だが我が儘勝手や、傍若無人な振る舞いに馴れているゾルザルは、ちょっと肩を竦めただけで裏技を編み出した。

「なぁに、それならば宮中で料理をさせなければよいのだろう?どこぞの貴族の家を借りればよい。そこへ遊行という形を取れば、晩餐の問題は解決だな」

 ピニャは一瞬、これを機会に兄にニホンの真実を伝えることは出来ないかと考えた。だが、すぐに無理だと結論づける。彼女の長兄は、感情の人であり、その手の人物は理性を超越したところで行動を決めているので冷静な判断というものが出来ないのである。

 そう。彼女の長兄は、ある意味で『自己を満たすファンタジーな認識世界』で生きているのだ。ありとあらゆる存在が自己を祝福し、エゴを満たすもので世界は充ち満ちていると感じている。それを否定するものは、例え真実…いや真実だからこそ敵だった。と同時に、自己を満たすものなら嘘でも信じて主張しちゃう人なのである。

 そんなこともあってピニャの兄貴は、ありとあらゆる文明文化の遺産が、実は自分達が元祖であり、歴史上の偉人は、実は自分達の祖先であったとか、本気で信じちゃっている。遂に野球まで、自分達が元祖だと言い始めちゃった某半島の住民みたいに。そんな人に、門の向こうは帝国を遙かに越えた文明国である、我が国はボロ負けしていて、絶対に勝てないと説明しても、見せても、言い聞かせても、理解しないだろう。というより、真実を知らせる人間は敵だと見なされるのがオチである。

 実際に保護され、学校に通わせて貰って、育てて貰って置きながら、養い親に対して、あんたみたいな親に育てられなくても、俺は立派な大人になれた。今みたいな自分になれた。生きて来ることが出来た、と言い放つ(そのくせ、自分の欠点については、あんたみたいに親に育てられたからだ。責任を取れとか言い出したりする…)タイプである。

 だからピニャはゾルザルに真実を伝えることは早々に諦めた。

 問題は、どうして兄貴がここに来たのである。ただの偶然ならいいのだが。そんな思いを込めて、尋ねてみると「マルクス伯から、ここに行ってみろと言われた」と言う。

「マルクス伯が、そのように言っていたのですか?」

「いや、そのような意味合いのことを言っていたのだ」

「では、なんと言ったのです?」

 しつっこく詰め寄るピニャに対して、ゾルザルは舌打ちして「ここで陰謀の集まりが開かれているとか、そんなことだ。間違いだ、間違い。気にするな!!」と振り払うように言った。

 そして、取り巻きと共に、さらなる料理の攻略へと突進していく。アイスクリームにいたっては子ども達を押し退けていたほどである。

 それを見送ったピニャは、「マルクス伯か…」と、その名を反芻するのだった。






 さんざん喰い漁った上に、さらに両手で抱えるように料理をかっさらっていったゾルザル達。この手の園遊会の料理は、普通余るように用意するものだが、予期せぬ闖入者のおかげで、料理は少しばかり足りないという事態に陥った。アイスクリームに至っては、バケツごと(危うくメイドさんごと持ち去られるところであった)持ち去られ、皇帝の第1皇子は少年少女達から大いなる不評を買っていた。

 お陰で食べ損なったのは、ピニャや菅原、伊丹達自衛官と、メイドさん達である。ちゃっかりと隙を見てつまみ食いしていたメイドさん達や、味見と称して料理を口にしていた料理人達は良いとしても、楽士達や、伊丹達は空腹からかいささかご機嫌斜めである。

 それでも、彼らは笑顔をつくって貴族とそのご一族が、手みやげを貰ってほくほくの笑顔で帰って行くのを見送った。けなげである。浦安にあるアメリカ鼠ランドの着ぐるみの中の人の気持ちが、多少は理解できようというものだ。

 ピニャと菅原達は、一転して寂しくなった森林公園の一隅で、メイド達が伊丹達自衛官の手伝いを得て後かたづけに働いているのを後目に、老メイド長の入れてくれた香茶を傾けつつ、古田がわずかに残った魚の骨を揚げて拵えた菓子(塩胡椒を効かせると結構食えることにピニャは大いに驚いていた)を摘みながらゾルザルがここに突然やって来た意味について話し合っていた。

「これは、マルクス伯からの警告と考えるのが妥当であろう」

「威力偵察とは考えられませんか?何か行われてるみたいだから、踏み込ませて確かめると言う感じで」

「それもあり得るが、威力偵察に兄様を使うというのは解せない。兄様は、すぐに血が頭に上るからな…取り巻きも似たような者でな、威力偵察と言うより、ただの襲撃になってしまうぞ」

「冷えた頭の持ち主はあの中にいませんでしたか。ならば威力偵察には向きませんね。とにかく引っかき回すと言う意味では、警告と考えるのも妥当です。でも、お兄さまの人柄から考えるなら、殿下ご自身が言われたように、攻撃のつもりだったと考えてもよいのでは?」

「確かに、今日の集まりが元老院議員達が陰鬱な表情でひそひそと話し合うと言うものだったら、兄様は嬉々として蹴散らして、ひっとらえた上で帝都中に触れて回ったろう…本来、議員達が会合して話し合うことは罪ではない。だから普通ならそれを告発することは出来ない。だが兄様は血の上りやすいからな、そんなこと考えもしないで、やらかしてしまうだろう。それを知っていてあえて兄様を使ったか…」

 法的には告発できないが、それとは関係なくゾルザルは議員達を公開の場へと引きずり出し、売国奴と罵り、その行為を陰謀と称して声高らかに弾劾しただろう。

 もちろん、議員達も反論するだろう。ゾルザルの行為も反論の余地が多すぎる振る舞いだ。手続に寄らない議員の拘束、告発。なによりも、議員達が国の行く末を案じて議論することを否定しては元老院の機能を果たせない。水面下で敵国の使節と接触して交渉を持つことだって、外交上は至極当たり前に行われることであり、それを否定したら戦争はどちらかが滅びるまで永遠に終わらない。

 が、こうなると手続の正当性よりも、どちらの言葉が聴衆の感情を刺激するかということになる。

 ものと言うのは常に『言いよう』なのだ。売国行為、敗北主義…ゾルザルによる煽動を受けて、主戦論者の感情は沸騰するだろう。

 その勢いに負けて、講和論者を含めた元老院派の意見は封殺されかねない。皇帝派・主戦論者は、より勢いを増すことになったはず。

「なるほど、マルクス伯はそれを狙ったと言うことか」

 だが、それだけでは弱すぎた。この手の煽動による熱狂は、強い酒を飲み過ぎた時にも似て、翌朝、2日酔いと共に目が醒めてみれば、酔っていた時の醜態に恥ずかしくなるだけだからだ。流石に酒のように翌日とまではいかないが、続いたとしても数日がいいところだろう。

 興奮が醒めれば、講和派の元老院議員達は、法に反することは何もしていないと言う事実に気がついて、処罰を求める声も小さくなってしまう。逆にゾルザルを非難する声が大きくなる。ただでさえ日頃の振る舞いに、元老院議員も眉を顰めている。そうなれば、ゾルザルを排斥して、次兄のディアボを次期皇帝にと、推す声が強くなるはずだ。ゾルザル排斥はかまわないとしても、次兄ディアボは元老院派に属しているから、これはマルクス伯にとって面白いはずがない。

 ピニャは香草の鎮静作用に頼りながら、冷静に思考の糸を紡ごうとしていた。一本の精緻な糸を、切れないように丁寧に紡いで、それをさらに考察と言う名の錦へと織り上げていく作業は、非常に疲れるものであった。

「いずれにせよ、我らの動きはマルクス伯に察知されているとみなさなければならぬな。と、なれば今回の失敗を受けて彼の者がどんな形で巻き返して来るか、だ」

「和平への動きを頓挫させるとすればいろいろと考えられますが、この場合に最よく用いられる手段は、一般だと要人暗殺ですね。体制側のとる手法としては、反対意見をもつ要人、知識人、マスコミ関係者を一斉に捕らえるなどでしょうか?あと、世論に対しては、軍事活動を活発化させて戦果発表で戦意をあおるという方法があります」

 菅原が提示した手法の中で、ピニャの思考の琴線に触れるものがあった。

「要人を一斉に捕らえる?」(ちなみにマスコミと言う単語は理解できずにスルーしている)

 国家反逆罪という罪名が頭に浮かぶ。「まさか…」という思いと同時に、不安が立ち上る。帝国の歴史を見ても、よくある話だったからだ。

「それぞれの議員に、身辺の警護に心を配るように伝えなくてはならぬな」

 もし、マルクス伯が本気で『国家反逆罪』の適用を狙っているなら身辺に気をつける程度では意味がないのであるが、国家(皇帝)に対する反逆の罪で、逮捕し、告発して、処罰すると言う過程においては、それなりに証拠なり証人が必要である以上、言いがかりに付け入る隙を見せない配慮は意味をもつ。

 そこまで考えて、はたと、ゾルザルの件と、国家反逆罪の二つが繋がっている可能性に気付いた。

「嫌…ちがう。今回の兄様による襲撃は、マルクス伯による粛正の序章と、位置づけられていたのかも知れぬ」

 主戦論者の感情が沸騰しているうちに、矢継ぎ早に国家反逆罪で元老院派や講和論者を捕らえて、一気に処断してしまう。熱狂が醒めた時には、既に後の祭り…。

「殿下は、マルクス伯が今回は見送って次の機会を窺って来ると見ますか。それとも、国家反逆罪という宝刀をふるって粛正を強行してくると思いますか?」

 菅原の言葉に、ピニャは肩を竦める。

「無理だ。陪審員は、元老院議員が担当する。いかな皇帝派とは言え、頭が冷えている状態では、国家反逆罪での有罪を認める者はいないだろう。偽の証拠などまつりあげても、長期に渡ってそれを検分し、論証していく作業に耐えることは難しいだろう。マルクス伯の陰謀がうまくいくには、議員達が冷静さを欠いている時期を選んで、一気にことを決してしまうことが必要なのだ」

 ピニャは忌々しそうに髪を掻きむしりながら吐き捨てた。

「妾は仲介役に過ぎぬと言うのに…なんでこんな事まで」

 様々な負い目から解放されたことで、これまで心の底に押しとどめていた不満が急にわき出てきた。事態の面倒くささ、また皇帝派の頑迷さ、マルクス伯の陰湿な手口、そしてそれに容易に乗せられるゾルザルの馬鹿さ加減等々と、嫌になる要素てんこ盛りである。

 だが、事は国の行く末にかかわることだ。ピニャはこの帝国の、しかも帝室の一員である。だから自らには、それにふさわしい責任があると思っていた。事態を把握できる立場にいて、何もしないのは罪だと考えるのである。

 折角、ストレスから解放されたと思ったら、またストレスを抱える羽目になるピニャである。だが、その分、彼女の頭脳は冴え始める。

「とにかく、今日の所は大丈夫だろう。だが、マルクス伯の狙いが国家反逆罪を適用しての粛正ならば、時期をさほどおかずに二の矢、三の矢を放ってくるはずだ。妾達は、それをかわしつつ、講和交渉の準備を進めなくてはならぬ」

 ピニャは、菅原に告げた。

「至急、カーゼル侯爵と会談をもつ必要があるだろう。早急に、元老院派の意見をとりまとめ、伯爵の目論見を封じなければならぬ。だが、これは仲介役たる妾や、敵国の使節たるスガワラ殿の役割ではないな…」

「では、誰に?」

「うむ。キケロ卿がいいだろう」

 ピニャはそう言うと腰を上げた。






「ゾルザルは、森の中で餌を漁ってきただけか。あやつらしい…」

 薄暗い謁見の間にて、玉座の皇帝は平伏するように頭を下げているマルクス伯に視線を向けると、ため息をひとつついた。

「まぁ、良い。機会はまだある。焦る必要はない」

「ですが、元老院内で講和論が高まりますと、いささかやりにくい事態にとなりますが…」

「誤解するなよマルクス伯。余も、講和交渉そのものを否定するつもりはない。話し合うならいくらでも話し合えばよい。だが、1ビタの金も、1ロムロの土地も譲ってはならぬ」

「しかし、現状ではいささか難しいことで」

「なぁに、結論を望むから譲らねばならなくなるのだ。敵が交渉を望むなら、永遠に交渉していれば良い。交渉の準備のため交渉、交渉をいつ開くかを決めるための会議、条件を決めるための会議。物事と言うのは、きちんと詰めていこうとすればするほど、話が進まなくなるものだ。いずれ敵の方から交渉を打ちきって来よう」

「陛下の遠謀には、感服つかまつります」

「伯にも、それなりの考えが有ろう。好きにやってみるがよい。ただ、いずれにせよ軍事的な勝利が必要となろう。負けは許されまいぞ」

「一命を懸けましても」

 マルクスは再度頭を下げた。





    *    *





 永田町 首相官邸

「首相。特地へ派遣している菅原からの報告書です」

 外務省から派遣されている、事務秘書官が首相の下に書類を届けた。

 内閣総理大臣 福下は、メガネのずれを直すと書類を受け取って、素早く斜め読みする。

「なるほど。講和会談の根回しが進みましたか?大変に結構なことです。早速、白百合玲子補佐官に特地入りして貰いましょう。事務方も、外務省では選抜が済んでいるのでしょう?」

「はい。ただ、講和に反対する勢力に動きを察知されたという内容も、その報告には含まれています。安全面で心配がありますが」

「ほう?」

 福下は書類を数ページ捲った。パラパラと数枚捲って…まるで他人事のように言う。

「大丈夫でしょう。なんとかなりますよ」

「いや。そこには、帝国側の軍事活動が活発化するおそれについての提言も含まれていますが…」

「その為の自衛隊でしょ」

「確かにそうなんですが…」

 外務省派遣の事務秘書官は、歯切れの悪い、なんだか大丈夫かなという思いと共に、首相の執務室を後にした。この首相の下で仕事を始めてまだ数ヶ月だが、時折感じる成り行き任せの思考というか、他人事のような言動に、常に戸惑うのである。その裏側にあると思いたい深慮遠謀を期待するのだが、外見的な言動はその片鱗を少しも感じさせてくれない。

「問題は中国、ロシア、アメリカですね…」

「EUもお忘れ無く」

「特地問題は、サミットの議題に取り上げられることは間違いないね」

「先日開かれたG8でも、特地についての情報開示を迫られました」

「いっそのこと、開示しちゃいますかね?」

「はい?本気ですか?」

 どこに何があって、どんな地下資源があって…それを知ったら、ロシアやアメリカ、中国、EU各国の活動は、今よりもなお活発化するだろう。

 地球一個分に等しい資源がほぼ手つかず。それはもう、無尽蔵と呼んでも良いほどだ。ぶんどり合戦が始まらないのも、特地への唯一の出入り口たる門を日本が抑えているからに他ならない。そして、諸外国からの外交圧力をかわしていられるのも、門を日本が抑えて、中身を公開しないからである。日本も、本格的に盗りに行っていないという事実も、そんな状況を支えていた。どちらかというと、抑制的とも言える日本の態度が、周辺各国のアプローチを落ち着かせたものとさせているのだ。

 そこへ、門の向こうにやっぱり良い物がいっぱいあると教えたら、開けろ開けろの大合唱が始まるに決まっている。グルジアやチベット、ウィグルを見てわかるように、物事を唯一最終的に解決するのは暴力だ。そして強大な暴力を前に、正論や、理性はまったく通用しない。平和を唱えたところで、オセチアのグルジア人は収容所に放り込まれ、あるいは南オセチアから放り出されているという事実を変えることは出来ないのだから。

 我々は忘れてはいけない。現実が先にあり、理屈は後からついてくると言うことを。

 もし、迂闊なことをすれば敵は、より強大な暴力を結集して、門を横取りに来るだろう。そうなってまえば、正論とか国際法規などは、全く役に立たないのだ。事実、イスラエルは国連決議の認めた領土を越えた範囲を領土として、現在も中東にあるし、韓国はサンフランシスコ講和条約が認めた日本の領土たる竹島を未だに不法に占拠している。もしこれを解決しようとするなら、最早暴力が必要なのだ。話し合いでは決しない。


 現在、日本と諸外国の外交は、こんな感じになっている。

外国(どこでも良い)「やい、門を開けろ。中を見せろ。中身をよこせ」

日本「やだよ。この門を俺の所にあるんだから、俺のだ。門の中身に酷い目にあったのも俺たちなんだぞ」

外国「うるさい、良い物を独り占めする奴は許さない」

日本「かってにほざいてろ。それに独り占めするつもりはないって言ってるでしょ」

外国「よし、そっちがそのつもりなら、力ずくで盗ってやる」

日本「そっちがそのつもりなら、こっちは、味方してくれる奴と門の中身を分け合うことにする…敵には当然分けてやらない。味方してくれる人いる~?」

アメリカ「同盟条約有るし」と、手をあげる。(分け前は、当然期待できるよな)

 EUも、それを見て、なんとなく手を半分挙げる。

 それを見て、誰も彼もが「俺も味方するから、中身を見せてよ、分けてよ~」と言い出して、結局敵が居なくなる。

日本「だから、黙ってみててよ。まだ中身のことよく判ってないんだから…」

 その繰り返し……。最初に戻る。

 外務省の役割は、「あいつ、やっぱり独り占めするつもりだから、みんなでやっつけて、門はみんなで管理しょう」と、国際社会の誰かが言い出さないように、そしてそれに同意しないようにすることなのである。

 そのためには、門の中身についての情報を抑えておくことは、絶対的に必要なことなのだ。管理しながら、現在はこうなってますよ、このくらい判ってます…と、味方してくれることを約束する国に伝えて、分け前を期待させるのである。

 アメリカには『特地』にある帝国という国と、その周辺各国の状態を伝えて、軍事的な方法で完全支配を試みるより、帝国による平和を維持させつつ、通商条約によって、その資源や利益を得られるようにするという方針を提案して、既に同意を得ていた。

 日本と帝国の間に通商条約が成立すれば、日本に支店を置いている企業は国籍を問わずごく普通に『特地』での経済活動をすることが出来るからだ。その意味では、EUも反対する理由はない。

 イラクやアフガニスタンで手がいっぱいで、ロシアに黒海沿岸でやられっぱなし(その代わり、東ヨーロッパでMDの展開に成功して、しかも外資がロシアから大量に逃げ出して、ロシア経済は少なからず打撃を受けたので、一勝一敗という感じだろうか?)のディレル大統領は、レームダック化したことが理由でもないだろうが、『特地』の問題でも慎重になりつつあった。

 実は、狭い『門』と、普段でも交通渋滞気味の銀座、東京とその周辺の交通状態から見ても、大規模な軍事力を、門の向こうに置いて展開することは不可能であるという予測が国防省から上がってきたからである。

 『門』は中途ハンパに小さい。戦闘機が一機通れる程度である。大型トラックなら三~四台ならんで何とか通れるかどうかだろう。

 米軍が消費する武器、弾薬、食糧、そして燃料は全てに置いて大量だ。大規模に軍事活動を起こすなら、東京の道路を完全に封鎖して専用道路化する必要がある。それでも『門』しか通り道がないのだから、家庭用の蛇口で50メートルプールに水を満たそうとするようなものなのだ。手間暇時間がかかりすぎる。そしてコストも。

 しかも、大量輸送力の要である輸送機は入らない。(完全に分解して現地で組み立てるなら可能かも知れないが…)精々戦闘車両とヘリがやっと。

 その意味では、自衛隊が門の周辺に留まって、あまり広範囲に活動しないと言うのも、正解なのだということが知らされたのである。じっくりと物資を蓄えて、要となる場所に一撃を加えて抑える。それが最良な選択なのだ。

 この問題は、『特地』からこっち側に資源や物をもって来る際にも当てはまるので、日本国政府としても頭を悩ましているところである。銀座の一等地に、道路を拡げる余裕など皆無なのだから。地下や、高架の道路を作ったらどうかという話が出ているが、各種の問題が噴出して方針が立たないでいる。

 余談が長くなったが、そんなことなので、「いっそのこと開示しちゃおうか」という福下の言葉は、事務秘書官としては正気の沙汰ではないのである。

 流石に不味いと思ったのか、福下は言葉を翻す。

「本気ではありません。そういう考えがあると言うだけです」

 なんだか後先考えず、めんどくさいから開示しちゃえと言ってるような気がする、事務秘書官であった。







[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 36
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/09/23 15:31





36





 陸上自衛隊が帝都内に儲けた活動拠点は、アルヌス生活者協同組合の帝都支店の倉庫、あるいは、街の居酒屋の二階などと数カ所であるが、その最も大きな物は帝都の『南東門』界隈・貧民街の一角にあった。

 そこは、雑多な人種、獣人が混在して住んでいる街である。

 数歩進むならスリが懐に手を突っ込んで来て、暗い路地に入ったらまず強盗から声がかかる。金目の物を持っていると見られれば、後からゾロゾロとおっかない連中が着いてくる。例えるなら、今はなき香港の九龍城みたいなところであろう。

 軒を連ねる店にしても、いかがわしく無いものの方が少ない。

 何に使うか判らないような淫猥な道具から、各種の薬物、その辺りから攫ってきたんじゃないかと思いたくなる奴隷等々と、なんでも扱っているのだ。もちろん、人が生活する限り食料品や衣類を扱う店だって必要なのだが、商品の出所が怪し過ぎた。衣類なんて血が付いていたり、斬られた痕跡の残る物もあったりする。八百屋は路傍の雑草を売っているようにも見えなくもないし、肉屋に列ぶ商品なら何の肉か疑ってかかる必要がある。

 そんな『悪所』であるが故に、たむろするのも剣呑な風体の男達、殺気と狂気を混じらせた抜き身の刀剣のようなワーウルフなどの獣人やアント(六肢族)。オークや、ゴブリンなんかの姿もあった。連合諸王国軍の敗残兵も流れ込んで来ている。

 女だと、婀娜っぽい視線を向けてくる娘、あるいは荒んだ雰囲気と芥子の香りを漂わせて中空にあるはずのないものをボーッと眺めている娘などがいたりする。堅気な仕事(厳密な意味で、この街には堅気な仕事などないが比較的と言う意味で…)に就いている者もいなくはないが、その殆どは街娼、あるいは双方を兼ねている者だ。

 種族としては、ヒト種あり、ポーパルバニー、キャットウーマン、犬耳、蛇、角が生えていたり、翼を持つハーピィや、翼人なんかもいたりする。そんな女達が、男達の嫌らしく舐めるような視線に妖しい笑顔を返して「遊んでいかない?」と誘い、料金の交渉をしている。

 弱ければ食い物にされる。ここではそれが当然だった。だから人々の気風も路上に死体が転がっていたとしても、それって昨日のこと?それとも今日のこと?明日でも、誰も気にしないよ毎日だから、という態度だ。そこはアルヌスとは違う負の方向性に置いて、帝都の澱みを吸収して発展し続ける場所なのである。

 陸上自衛隊が、そんな場所にある建物を一軒、銀貨の袋を積み上げて匿名希望で買い取ったのも、人種の坩堝と言える場所ならば目立たないと考えたからである。出入りしやすい南東門もあることだし。

 実際、この悪所と呼ばれる街で起きたことの殆どは、外に伝わらなかった。その意味では隠蔽が効いて良かったのであるが、逆の意味で彼らは悪目立ちして、悪所内では非常に知られる存在となっていた。

 何しろ、金の払いがよい。口止め料とか、ちょっとした仕事を引き受けた時の支払いは、その辺の顔役がくれる額の倍は行っていたのだから。

 当然、古くから街を仕切っている顔役連中…ゴンゾーリ、メデューサ、パラマウンテ、ベッサーラといった連中は面白くない。

 他所者の奴ら、建物を一軒買い切って何やらコソコソとやっている。新参者の癖に挨拶にも来ようとしない。着ているものも不揃いだが、妙にあか抜けたものが多い。街の秩序とか顔役の権威など、気にも留めないありさまだ。しかも、遣い走りにすら高い駄賃を払ったりするから、自分達を恐れ靡いてた連中が最近反抗的になりつつある。

 そんなことの積み重ねが、この街を仕切る顔役の怒りを募らせてしまった。

 そしてその内の一人ベッサーラは「金払いが良いなら大層な金持ちなんだろう。ちょいと行って、頂いて来ようじゃないか…」などと考えて、子分や街の無頼漢達を集めて襲撃したのである。

 が、そんな彼らを迎えたのは、鉛玉の洗礼だった。
 H&K MP7、FN P90、伊丹らが鹵獲して持ち込んだ銃砲火器がこんなところで役に立っている。勿論、官品の装備もてんこ盛りだ。不正規戦である以上、交戦規則も非常にシンプル。敵と見たら討て。ややこしい法的うんたらかんたらは一切気にしないでよかった。

 こうして、帝都事務所開設に携わった第5偵察隊の猛者達が、使い勝手の良い火器を与えられ圧倒的な戦闘力で反撃したものだから、ベッサーラ配下の無法者共は瞬くに殺戮されて、その死骸の山を路上に築く羽目に陥った。

 しかも、反撃はそれでは終わらない。

 ベッサーラは、子分の殆どを失った上に、その住処すら爆破されてしまった(住民達からは落雷と勘違いされている)のである。家も子分も、その悉くを失ったベッサーラは、身を守る武力と権威の双方を失って無力となった瞬間、それまで行ってきた無法のツケを支払わされることとなる。

 悪所の住民達からどれほどの恨みを買っていたのか…妻と複数人の愛人と子ども、そして自らをも、全身を大小様々な刀剣でハリネズミのように刺された死体が、悪所の片隅に転がったのである。

 その無惨な姿を見て、街の者はひそひそと語り合った。「あの連中に手を出すな」と。

 何もしなかったが故に生き残ったゴンゾーリ、メデューサ、パラマウンテの3家も、自衛隊がベッサーラが手にしていた利権とか縄張りとか、店や娼婦からの所場代といった収入源に手を延ばさないことに、安堵のため息をつきながら連中にはとにかく手を出さず、そっとしておく、と言うことを決めたのだった。商売の相手と考えればこれほど良い客もなかったからでもある。

 自衛官達が求める商品は、もっぱら情報であり、また情報を拾い集める目端の利く手駒であった。自衛隊の依頼を受けた顔役達は、スリや泥棒といった連中を集めて金をやり、貴族の家を見張らせたり人の動きを観察させたり、時には屋敷に侵入させて書簡等を盗ませると言ったことを繰り広げて利益を得ていた。

 害意さえ向けなければ自衛官達は、大層礼儀正しく、無礼も働かない。

 無法な行為を目撃して眉こそ顰めるが、そのあたりは他所者としての立場をわきまえて煩い態度もとらないようにしていることが見受けられる。

 そんなことをから『悪所』の男達は種族を問わず、自衛官達の存在を畏怖と畏敬の念をもって受け容れたのである。

 それに対して、女達の自衛官に対する視線は、いささか複雑であった。

 はっきり言えば、好意的な感情を抱くことが出来なかった。いくら声をかけてもちっとも靡かないからである。金回りがよいのなら、自分達にだってお金を落としてくれて良いんだろうに、どれほど色目を使っても、猫なで声でくすぐっても、愛想を良くし損で、客になってくれないのだ。

「ホントに男かい!インポ野郎っ!」と徴発しても、肩を竦めるだけなのだ。

 ところが、その代わりとばかりに、数日毎に交代する看護師と称する女が建物の一角に開いた部屋で、健康とか、妊娠検査とか避妊とかの相談を受けている。

 特に、避妊についての画期的な道具については、彼女たちの仕事の上では、今や無くてはならないものと成りつつあった。

「なんだ、今夜はクロカワが当番なのかい?」

 大麻の混じっていそうな煙草を、キセルでくゆらせてる女が相談室に入ってくる。街に立っている時のように構えた様子もなく、精神的な武装を解いている様子が見えた。

 なにしろこの街にあって、この建物の中は絶対的な安全地帯である。唯一気を抜ける場所かもしれない。

 迂闊に手を出せばどれほどの権勢を誇った悪党でも一族郎党皆殺しにされる。自衛官達が直接手を下したわけではないが、結果としてそうなったので、街の人間達はそう思っているのだ。

 動きやすいようにジーンズとタンクトップという出で立ちの黒川は白い翼を持つ「ミザリィ」という女に、小さな銅貨二枚と引き替えに、日本製ゴム製品の小箱を手渡した。代金を取るのは、「施しをするわけではない」という意味がある。こんな悪所であるが故に、生き抜いてきた者はみなそれなりの誇りをもってる。それを尊重してのことだ。

『自称良識的な人間』から見れば、悪事の助長に見えて眉を顰めるかも知れないが、この手の活動は社会福祉という観点に置いても非常に重要な意味合いをもっている。

 貧困の世界に置いては、お為ごかしや綺麗事より、まずは今日のメシなのだ。身体を売って何が悪い。誰に迷惑をかけているわけでもないし…という理屈は確かに存在する。それを倫理の剣を持って真正面から斬りかかるのもいいが、彼女たちがまず困らないようにすることも大切なのである。彼女たちを困らせ、心身両面で追い詰めるの、第1の問題は不意の妊娠なのだから。

 この特地の医療水準では、妊娠中絶は死と隣り合わせの上に、健康を害すること間違いなしの行為なのである。(現代日本でも同じであるが…)

 ちなみにこの世界の性感染症については、まだ存在は確認されていない。(実は、黒川たちの、娼婦に対する支援活動もその観点から厚生労働省が予算を出した。「早急にその有無を確認せよ」と言うことである。新大陸を発見した上に、梅毒を持って帰ってヨーロッパに蔓延させたコロンブスの真似はしたくないということである。男性の自衛官達にもその意味では非常に厳しい通達が出ている…)

「クロカワは、煙草を止めろとか言わないんだねえ」

 他のWACには止めろと口やかましく言われているらしい。特に煙草に混ぜている魔薬については、肌に悪いとか、内臓に悪い等々と糞味噌に言われているとのこと。

 だが、黒川は「でも、必要なのでしょう?」と肩を竦めた。

「わかってるじゃないか?もしかして経験があるのかい?」

 娼婦という仕事についてである。

「いいえ。想像力を逞しくしたまでですわ。素面ではやってられないでしょうから…」

 翼を持つ女は、唇をいびつに歪めてそっぽを向いた。

「ちっ、あんたみたいな、お高く止まっている女は嫌いだね」

「それは結構なことですわ。好かれたいと思ってませんから」

 ミザリィは、憎々しげに黒川にあかんべしてみせる。黒川も負けじと、イッーと口角を横にひっぱった。とたんに、空気が緩む。ミザリィが笑ったのだ。

「ガキかい、あたしらは」

「似たようなものですわ。昨日のわたくしと今日のわたくしに大差がないように、20年前のわたくしと今のわたくしにも、そう大差はないと思いますから」

 そんな理屈をミザリィは鼻で笑い「さてと、稼ぎに行かないとね…」と腰を上げて、黒川に向けて煙草の紫煙をふきかけた。黒川は、両手をぶんぶん振り回して煙を振り払う。

「もし、そんなものを吸わなくてもよい仕事があったらどうします?」

「あたしらみたいなのに、そんな仕事あるわけないだろさ。男に股ぐらひらいて、よがってみせてナンボ。そんなもんさね」

「アルヌスの噂は聞きませんか?」

「ああ、あそこね。天国みたいなところなんだってね。でも、紹介が必要なんだろ?それに特に能があるわけでなし、行った先でも出来ることは同じだろうしね?」

「非常に強力なコネがあると言ったら、どうします?」…この一言が、黒川の喉元まで出かかった。が、別の女性相手にこのセリフを言った時、伊丹から「お前何様のつもり?」と散々に叱られたことを思い出す。その時は、伊丹に対する反感だけが残ったのだが、ミザリィが口にした「特に能があるわけでなし」というセリフには、言葉の意味だけではない様々な何かが含まれているような気がしたのである。もし、まともな職を世話してアルヌスに送ったとしても、ミザリィは夜になるとあの街の暗がりに立ってしまうのではないか、そんな気がするのだ。

 言葉に詰まった黒川に、ミザリィは何を思ったのか勝ち誇ったような笑みを浮かべると、キセルをくゆらせながら仕事モードの腰を振る歩き方で去っていくのだった。






 そのミザリィが、再び黒川の元を尋ねてきたのは、夜半も過ぎた頃である。

 羽振りの良い街娼なら夕刻に1人、夜に1人と客をとり、調子が良ければ3人目と思う頃合いだが、夜もここまで更けてくると街をうろつく男も少なくなる。

 まだ全く稼げていない女は必死になって、男を追っているが、とりあえずノルマを果たした女達は、そこまでガツガツはしないから、そろそろ寝るかと自分の部屋に戻ろうとする時間帯となる。このあたりが娼婦でも、要領の良い女と、悪い女の別れるところと言えよう。

 そんな頃合いに、ミザリィが街娼達をぞろぞろと引き連れてきた。

「クロカワ。ちょっと話がある」

 きょろきょろと何かに怯えるようにも見える。息せき切った姿は慌てていて、そして明らかに冷静さを欠いていた。

「どういたしましたか?」

 夜の仕事の女性を相手にしているだけあって、黒川も夜間に勤務時間帯を置いていた。地下に設置した発電機からまわってくる電気による明るい照明に迎えられて、ミザリィ達はびっくりしつつも「鳥目にはありがたいねぇ」と、診察用にベットとか、椅子とか適当なところへと腰掛けたり壁によりかかったり、床に座ったりする。

「で、どうしたのでしょう?」

 ミザリィは単刀直入に切り出した。

「あたし等は、あんた等がこの街で、いんや、この帝都で何をしようとしているか、うすうす感づいてる。だけどあたしらには関係のない世界の話さ。だから何も、言わず、聞かず、見なかったで通してきている」

 ミザリィの傍らには、ミザリィと同じような白い翼をもった女が身を震わせていた。彼女に限らず、ここに集まった女達はみな何かに怯えている。

 その様に容易ならないものを感じた黒川は、机の引き出しから拳銃とりだして、ズボンのベルトに挟み込む。自衛官である以上、黒川もその使用法について熟知している。

「この娘の名前は、テュワル。この子の話を聴いて、あたしらを助けて欲しいんだ」

 黒川は眉を寄せると、話の飛躍についていけず、説明を求めた。

「ああっ、まどろっこしぃねぇ!!あたし等を助けてくれれば、あんたらにとって大事な情報を教えてやるって言ってるのさっ!」

 黒川は、これは自分1人では対処できない判断して、桑原曹長を叩き起こすことにしたのである。





    *     *





 その夜、帝都は地震に襲われた。

 遠くから地響きのような音が大地を走ったかと思うと、突如として前後左右に大きく揺れた。

 その揺れは激烈なものではなく、耐震性など全く考えられていない石を積み上げただけの建物であっても、強度の劣るところがわずかに崩れるだけで済んだ。その意味では、帝都のインフラを徹底破壊するに至らなかったのである。が、人心に与えたダメージは深刻であった。

 震度計が無いため正確にはわからないが、おそらくは震度は5強あるいは6弱。

 深夜のことであり、帝都の人々はまったくの不意を突かれた。

 熟睡中の地震に寝台から蹴り出され、安らかな眠りを破られて驚く間もないままに漆喰が崩れて振ってきたり、天井からぶら下げていたものが落ちてくる。

 タンスや棚の物が落ちて、床に転がり、素焼きの食器や花瓶は割れてその破片が散らばった。

 大地とは決して動かないものであった。盤石不動の象徴である。

 水は流れ、風は走り、火は燃え上がり、木々は生い茂る。そして大地は動かない。それが世界の法則であった。それが破られた瞬間、人々は世界の終わりを感じた。その恐怖と絶望によって人々の魂には、精神的外傷が深く刻み込まれたのである。

 このような天災の到来をあらかじめ知ることは、科学の進んだ日本でも難事である。不可能と言って良い。

 だが、この『特地』に置いては、災害の到来を予想した者があった。
 ハーピィのテュワルは、客となった2人目の男を見送ったあと、突然の寒気と震えに襲われた。

 最初は風邪かなと思った。汗をやたらと掻いたのもある。
 2人目の客はしつこくて、払った金の元を取ろうと汗をぬぐう暇もないままにテュワルを数度にわたって責め立てたので、疲労困憊してしばらく動く気力もなく、肌が冷えるに任せてしまったのだ。

 だが、身体の奥から沸き上がる震えは、風邪のものとはいささか違った。

 後ろ髪がチリチリとする緊張。そして、足腰から力が抜けるような感触。それは、恐怖感にも似たものだった。

 思い当たることがある。テュワルには以前似たような経験があったのだ。
 南方の火山地帯に住んでいた彼女は、噴火の寸前に大地が揺れる体験をしていた。そう、この感触は『地揺れ』の前触れであったことを思い出したのだ。

 とは言っても、この帝都の近くには火山などない。

 ここに来て日は浅いが、過去に地揺れがあったという話は聞いたこともない。だから、ただの勘違いではないかと思った。しかし、心の底にくすぶる焦燥感と恐怖感はぬぐい去ることが出来ない。そこで、テュワルは、娼婦としても先輩格で何かというと頼りとしているミザリィに相談したのである。

 実は、ミザリィや他の街娼達も漠然とした恐怖感を受けていた。

 だだ彼女たちには地揺れなど聞いたことも体験したことも無く、不安と恐怖の正体がわからなかったのである。それが、テュワルによって明らかにされことで彼女たちはそれぞれが用心棒としている男達へと相談した。日頃、女達の稼ぎの上前をはねているのだから、こんな時ぐらい役に立てと言う訳である。

 ところが男達は面倒くさがるばかりで、まともに請け合おうとしなかった。地揺れ?なんだそりゃ?地面が揺れるなんて事あるわきゃないだろう…そんなことより、さっさと客を取って稼げ、と。

 不安や焦燥感は強くなっていく一方。そこで、彼女たちは頼りにならない男達を見捨てて、黒川の許へと駆け込むことにしたのである。

 陸上自衛隊・帝都事務所の所長、新田原3佐は、黒川と桑原曹長の報告に、当然ながらどうしようかと悩んだ。地震の予知連絡を受けた際の対応など、誰にも経験がなかったからだ。その信憑性だって疑ってしかるべきだ。

 だが、テュワルという女性は、いわゆる鳥に似た種族である。彼女に対して失礼ではあったが、姫路駐屯地と新潟の新発田駐屯地で勤務経験のある新田原は、地震の前に駐屯地近郊から野鳥が1羽もいなくなってしまった記憶が鮮烈に残っていた。もし、鳥と言葉が交わせたら、警告を聞くことができたかもしれないと思っていた。

 彼女達は、人より勘が鋭いのかも知れない。もし、話が間違いであったらそれはそれでいい。あとで笑えば済む。だから、本当だったらという前提で対策を取っても良いんじゃないか。そう思ったのだ。そして決断を下す。

 来ると判って待っていれば、地震国に産まれ育った自衛官達にとって、それは大したものではない。小さい頃からすり込みに近い形で、対応策も身につけている。帝都内の各所にいる隊員達に無線で事態を連絡をして、とりあえず装備、武器、食糧、医薬品をまとめ、頭上から物が降り注いで来ることのない、広い場所に出るだけだ。

 非常に単純なことである。だが、地震について経験も知識もない者にとっては、こんなことだって思いつくことは難しかったのである。






 熟睡中を菅原に叩き起こされたピニャは、城館を出て外の森へと引っ張り出され不機嫌を隠さずにブツブツ言っていた。ハミルトンなどは、半分眠りながら歩いている有様だ。書類仕事で疲れが溜まっているのだろう。

 菅原の護衛として、ピニャの館に滞在していた伊丹、栗林、富田は、新田原からの無線連絡をうけて半信半疑ながらも、とりあえずピニャを安全と思われる場所へと誘導していた。ちなみに伊丹は制服姿。富田と栗林は戦闘服に小銃を手にした完全武装である。

 メイド達や、松明を掲げ持つピニャの警護兵達も、とまどいを隠せない。ピニャが従っているからと言う理由で、とりあえず応じているだけである。

 いくら大地が揺れると言われても、それが具体的にどんな事態なのか、彼らにはイメージできなかったのだ。我々が、空が落ちてくると言われても具体的などんなことを意味するのか、判らないのと同じなのかも知れない。

 だから、彼らの受けたショックは凄まじいものとなった。

 まず、初期微動と言われる小さな揺れが起きる。

 その異様な長さに伊丹は「これはでかいぞ」と漏らした。初期微動の長さは震源地の遠さを意味しているのだ。そして、その距離が遠いと判断されるにもかかわらず初期微動は大きかった。やがて到来する本格的な揺れ。

 ガッンと叩かれるような衝撃に始まり、グシャと大地が揺れた。

 それは終わってみればわずか30秒~40秒程度の事でしかなかった。だが産まれて初めて地揺れを経験する帝都の人々にとって、永遠に等しい時間となった。

 ピニャは悲鳴を上げた。世界が壊れたとすら感じた。なのに、菅原や伊丹は「おおっ、ホントに来ましたね…」などとのんきに言い合っている。

 伊丹、栗林、富田といった自衛官達の平然とした様は、ピニャの目に彼らがまるで何ものも恐れない不屈の勇気を有しているかのように映った。この者等は寄って立つ大地を失ってなお平然としてるのではないかとすら思った。

 面倒くさがりで、何かとさぼる。嫌なことからはすぐに逃げたがるのが見て判るという意味で、戦士としての『人柄』(力量ではなく…)に不安を感じさせる伊丹ですら、このような時には凛然として動じないのだ。

 メイドも兵士達も、恐怖に打ちひしがれて大地に伏していた。

 大地に根を下ろす木々が揺れ、梢の擦れ合う音が、巨大な化け物が駆け抜けていく様にも思えた。メイドの泣き声や悲鳴が、そして兵士達のわめく声があたりに響いた。

 だが、そんな彼ら、彼女らが目にしたのは、周囲を見渡して被害の有無を見ている伊丹であり、富田であり、栗林である。

 その頼もしさは、さながら神を見るかのごとくなる。
 メイド達はあたふたと跪きながら伊丹達の脚にすがり、兵士達は戦場で不敗の英雄を見るような憧目を彼らに向けたのである。

「この程度なら問題有りませんね。城壁とか弱いところは崩れてるかも知れませんが、大したことはないでしょう。震源地は凄いことになってるかも知れないですけどね」

 揺れが収まった後。
 呆然とした虚脱感に浸る中で伊丹の冷静な状況判断に、思考停止状態のピニャはただ「うんうん」と頷くことしか出来なかった。

 警備兵達は、富田や栗林の「大丈夫。怪我をしたものはないか?」という言葉を受けて、それを大英雄の言葉を受けたがごとく背筋を伸ばして立ち上がった。完全に心服状態である。

 繰り返して言うが、全く経験したことのない者が地震によってうける精神的な衝撃というものは、それほどに大きかったのである。




 悪所に置いても、状況は似たようなものであった。
 娼婦達を引き連れていよいよ南東門から外へ避難しようというタイミングで、それは起きた。街のそこかしこから、悲鳴と恐怖からの叫びが広まった。

 周囲は狭い悪所だけに、家の屋根などからいろいろなものが落ちて来る。
 新田原は大声を上げて、皆に道の真ん中に寄るようにと指示を飛ばし、それを桑原や黒川達が通訳して繰り返した。

 女達は、言われるがままに悲鳴を上げて道の真ん中に集まって頭を抱えた。そして悲鳴を上げながら大地にしゃがみ込む。

 桑原達が「おお、来ましたね」「ホントだよ。すげぇ」「テュワルさんには是非日本に来て、気象庁に勤めて貰いたいぐらいだ」などと冗談を言い合う声に、やはり頼もしさを感じてか誰も彼もが、彼らの脚にすがりつく。

 男達は、役得役得と嬉しがった。

 倉田にいたっては獣系のお姉さま達に取りすがられて、「この身が嬉しい」「この脚が嬉しい」と感動に浸っている。

 女性趣味のない黒川はあんまり嬉しそうではなかったが、頼られることは嫌ではないので黒川に取り縋って泣いてるミザリィの背中を掌で軽くポンポンと叩いてやるのだった。






 伊丹等の保護と避難のおかけで、精神的な再建を素早く果たすことが出来たピニャは、大きな地震の後には大抵、もう一度の揺り戻し、すなわち余震が起きるということを知らされて、「ただちに皇帝陛下の許へと参らなくてはならない」と言い出した。父の身を心配してのことだ。宮廷内がどうなっているかも気になる。

 ピニャがそう言うのであれば、伊丹等としては反対する理由はないので「そうですか。では気をつけて行ってらっしゃい」と告げる。ところが、その言葉を聞いたピニャはこの世の終わりか、あるいは恋人に別れを告げられた少女のごとく、顔面を蒼白にして伊丹に取りすがった。

「い、一緒に来てくれぬのか?」

「いや、だって、皇帝…もとい、皇帝陛下のところへ行くのでしょう?不味くないですか」

 ピニャから見れば、伊丹達は敵国の兵士のはずである。皇帝の傍にそんな者を連れて行くなんて、将棋であれば王手飛車取り。戦略・戦術シミュレーションゲームなら、首都(総司令部)に敵歩兵ユニットが入った状態と言えるだろう。

 まあ実際には伊丹達は、使節として帝都に赴いている菅原の護衛という立場である以上、皇帝に銃を突きつけるということは許されないし、しないのだが、それはこちらの都合だ。ピニャの立場としては警戒してしかるべき事のはず。

 なのに一緒に来てくれと言うのだから、伊丹としては菅原と顔を見合わせて、どうしようかと困った。

「イタミ殿、お願いだ。傍にいて欲しい」

 要するに、彼女の本音は「恐いから一緒に来て」なのだ。

 ハミルトンなども顔面蒼白のままうんうんと頷いている。今まさに恐い思いをしたばかりで、しかももう一度地震があることを予告されている。ここで伊丹達に去って行かれたら恐くてしょうがない。メイド達も、その背後でうんうんと頷いて、警備の兵に至っては胸を反らして伊丹の背後に整列して、行かさないという態度である。

 こうして、ピニャとその護衛兵とメイドと、そして伊丹達は、皇帝の皇宮へと向かうことになってしまったのである。




 ピニャの案内で、皇宮に入ってみると、そこは大混乱にすらなっていなかった。

 しんと静まりかえっている中、見渡せば調度品や家具が倒れ床に散乱していた。

 廷吏達はそれらを元に戻そうともせず、おろおろとうろつき、近衛の兵は我を失ってただ呆然としていた。地面にはいつくばって、頭を抱えて祈っている者もいた。

 当然、ピニャや菅原は誰何(すいか)すら受けない。堂々と歩む彼女達を止める者は1人として居なかった。

 そのあまりの惨状に頭を抱えたピニャは、自分の警備兵に命じて、宮廷内の主だった者、例えば当直の指揮官や官吏等を、謁見の間に呼び集めるように命じた。とにかく、混乱し崩壊した秩序を取り戻さなければならない。

 警備兵達は、ただちに駆けだしていった。

「う~む、兵の連度が落ちているな」

 そのへんで、何もせずにぼやっとしている兵士を見て、ピニャは嘆息を禁じ得ない。

 自分自身ですらこの始末なのだから、古今未曾有の天災にあっては仕方ないとは思うが、それでも近衛兵の秩序が崩壊したままというのは失望してしまうのである。

 国軍再建のために近衛から多くの士官、下士官が引き抜かれ、替わりに配された兵士は、練度や実戦経験の少ない者ばかり。そんなことの悪影響が出ているのだ。

 こうしてピニャ達は、ついに皇帝の寝室前まで来てしまった。来れてしまったのである。

 見渡してみても皇帝の寝室に配されているべき、警護の近衛がいないという驚くべき事態である。逃げてしまったのか、それとも何かあったのか。ピニャは、脱力感を感じつつも、深いため息とともに改めて気構えた。

「スガワラ殿。まず、妾が陛下にそなたを紹介する。それまでは、口を開かないでいただけるか?」

 宮廷儀礼上必要なことと言われれば、当然のこととして菅原はこれに従う。その確認をとった上で、ピニャは寝室の戸をメイド達に開かせたのである。

「ほう?最初に来るのは、ディアボかゾルザルあたりかと思っておったが、まさかお前とはな。ピニャ」

 戸口に立ったピニャを寝台の皇帝は、顔を冷や汗でいっぱいにしながら、ひきつる表情で迎えた。

 どうやら皇帝は、自らの子の内、誰が真っ先に駆けつけてくるかを計っていたようだ。期待を裏切ってやったという意味では小気味よい気分だが、宮廷内を見て惨憺たる思いであった。

 ピニャはメイド達に命じて、皇帝の身支度をさせる。そして、警備の兵に周囲を固めさせ、父を伴って謁見の間へと向かったのである。皇帝は腰が抜けたのか歩くのに、ピニャの肩を借りていた。

 謁見の間に入ると、慌てふためいた様子の文武の官僚達が、ピニャと皇帝に救いを求めるように駆け寄って来た。

 ピニャは皇帝を玉座に収めると振り返った。

「まずは慌てるな。文官はただちに大臣を始めとする、主だった者を招集するがよい。」

「武官は、直ちに兵を掌握し、臨戦態勢を整えよ。皇宮の守りを固めるのだ。また、伝令を走らせ帝都在住の将軍達には参内を命じよ。急げ」

 ピニャの叱咤の声に、文武の官僚達もその役割を思い出してか動き始めた。

 改めて見渡せば、謁見の間のは調度品や燭台は倒れ、額縁は落下してその砕けた破片が床に散らばっている有様。その惨状に額を抑えつつ、メイド達にとりあえず綺麗にするように命じた。

 謁見の間を整えることは、本来は皇帝付きの内宰の仕事である。ピニャにつけられているメイド程度では、この部屋に近づくことすら許されないのである。だからこのようなことは宮廷の序列を無視する行為であった。だが、このような危急の時に、正常に働けるのが彼女達だけだったから仕方がないのである。

 こういう場において…いやこういう時だからこそ威儀を正すということは意味を持つのだ。慌てて駆けつけてきた者も、謁見の間が厳粛に整っているのを見れば、安心するだろう。もし逆に、なにもかも乱れ果てていたら、その精神的な動揺も著しくなるはず。

「ピニャよ、そなた一皮むけたな」

 皇帝の言葉に何を言われているのかわからないピニャは、皮など剥けていません。怪我はありませんと、勘違いな返答をしていた。

「時にピニャ、見慣れぬ者を側に置いておるな。将軍等が集まるまで、まだしばし時がかかろう、その間に紹介してくれぬか?」

 ピニャは首を竦めつつ、少しばかり声を低くして菅原に掌尖を向けた。

「紹介いたします。ニホン国使節のスガワラ殿です」

 菅原は帝国の皇帝に対して、胸を張って一歩前に出ると、頭を垂れる礼を持って敬意を表した。その背後では伊丹等も、菅原に合わせるようにして挙手の敬礼を行う。そのそろった様は、宮廷の典礼の優美さとは違う独特の色香があった。

「ニホン国?なるほど、そなたは、たしか彼の国と我が帝国との仲介の任を引き受けていたのだったな。だが、何故このような時にお連れしたのか?折角お越し頂いたのに、もてなすことすら適わぬではないか」

「申し訳ありません、父上。ですが、この者らは此度のような地揺れに大層詳しく、聞けば、これより揺れ戻しがあると申しております。傍で助言を頂ければと思っておりました」

「…ま、また、揺れると申すか?」

「はい。そのため、是非にとお願いして同道して頂いた次第です」

 皇帝は鼻かしらに冷や汗の粒をたらしながら頷いた。

「よかろう。使節殿、歓迎申し上げる」

 ようやくの紹介を得た菅原は、あらかじめ脳内で用意した挨拶の口上述べた。

「陛下に置かれましては、ご機嫌麗しく」

「天変地異の直後に、麗しいはずなかろう。が、お陰で我が娘の意外なる成長を見届けることが出来た。礼を言うぞ?」

「いいえ。殿下の日頃から研鑽の結果とお見受けいたします」

「戦ごっこと思っておったのだがな」

「既にごっこ遊びは卒業されました。殿下は実戦をくぐり抜けた優秀な指揮官でらっしゃいます」

 会話に割って入った女声はハミルトンのものだった。

 彼女は皇帝と外交使節との会話に、声を荒げて割って入るという無礼をしてしまった事に気付いて、顔を真っ赤にして小さくなっている。皇帝も、菅原もそんなハミルトンを無視した。そうしないなら、彼女の無礼を咎めなければならないからだ。無かったことにするのが一番である。

「使節殿。生憎と、今は忙しくてもてなすことは適わぬが、時と所を変えてならば、歓迎の宴などで歓待したいと思う。今宵の所は勘弁してもらいたい」

「はい、陛下。我が国と帝国との将来について、お話しする機会をいただきたく思います」

 菅原は一礼してピニャの後ろに下がった。本来ならここで謁見は終わりである。だが、皇帝は引き下がった菅原に対して、さらに言葉をかけた。

「そういえばニホンと言う国にも、王がいるのであったな?」

 菅原は良く知っているな?と思いつつ質問に応じた。日本側が帝国について情報を集めているように、帝国側も日本について何某かの知識を得ようとしていたと言うことか…。

「いいえ、我が国の象徴たるお方は王などではなく、天皇…すなわち皇帝位に就いておいでです」

「ほう?象徴と申したか。皇帝たる者が、臣下に国権のことごとくを奪われてそれでよしとする国など恐れるには足りぬと思うていたが、…考えてみれば『門』の向こうは異世界。その世界には、またその世界における君臨の有りようがあってもしかるべきか。対等の相手など、これまで無かっただけに、どのように遇するべきか判らぬ。無礼などがあってもご容赦頂きたい」

 そんな形で会話が途切れる頃、廊下から大音声が響いて来た。

「父上、父上っ、ご無事か?!!」

 ゾルザルが、まるで暴れ馬のごとく謁見の間に駆け込んできたのである。

 彼の取り巻き達も、それこそ胸甲を前後ろ逆につけたり、サンダルを左右逆に履いていたり、剣の鞘を提げていても肝心の剣がないと言う者ばかりで、慌てて出てきたことがわかる有様だった。

 ゾルザルは手にチェーンを引きずっていて、その端は首輪をつけたテューレや、他の女達が一荷釣りの魚のように引きずられていた。白ウサギの如きテューレは裸身のまま床を引きずり回されたようで息も絶え絶えとなって転がっていた。その隣の黒髪の娘や金髪、赤毛の娘達も、全裸で引きずり回されたためか擦り傷だらけになっていて、生きているかどうか心配になってくる。

 その光景に思わず絶句する伊丹、富田、栗林。

 流石に外交官たる菅原は顔色を変えないが、小さな舌打ちが彼の苛立ちを感じさせた。

「父上、ご無事でしたか?さぁ、逃げましょう」

「どこへ行くというのか?」

「とにかく、ここから離れるのです」

 皇帝に迫る第1皇子に対してピニャは、「兄様。ただいま、大臣及び将軍に招集をかけたところです。動座するにしても、主立った者が集まってからでなければ、宮廷は混乱いたします」と、とりなそうとした。

 だがゾルザルは言う。

「何を悠長なことを言っているか。ノリコの言によれば、もう一度、地震があると言うではないか。すぐにでも逃げるのだ」

 このままでは玉座ごと皇帝を抱えて走り出しかねない勢いだ。

 とにもかくにも、兄を落ち着かせなければと思ったピニャは、なんとか兄が応じてくれそうな話題を探して、迎合口調で話しかけた。

「兄上、それにしてもよくぞ再度、地揺れがあるとご存じですな。妾も、ついさっき知人より聞いて知ったばかりだと言うのに…」

「今言ったろう。ノリコがそう言っておったのだ」

「ノリコとは?」

 ピニャの問いに、ゾルザルは手にした鎖の一本をぐいっと引っ張った。

「きゃっ」と、小さな悲鳴を上げて、テューレやその他の女達が呻く。

「黒髪の女だ。門の向こうから攫ってきた内の生き残りよ…」

 ゾルザルがそういって、顎で示す。示した途端

「馬鹿野郎っ!!!ぶっ殺してやるっ!!」

 雷光のごとき勢いで放たれた伊丹の拳が、ゾルザルの顎を抉っていた。





  *    *





「馬鹿野郎っ!!!ぶっ殺してやるっ!!」

 雷光のごとく勢いで放たれた伊丹の拳が、ゾルザルの顎を抉った。

 吹き飛ばされた大男は、床を転がり、拳を受けた頬を抑えながら怒鳴った。「殴ったな、貴様。父上にも殴られたことはないのに」と伊丹を睨みつける。

 伊丹は伊丹で、殴った右拳を抱えて「おお痛てぇ。なんちゅう堅さ。馴れないことするもんじゃないぜ」と涙目になって呻いている。

「この無礼者め。皇子殿下に手を挙げるなど、一族郎党皆殺しにしてくれるぞ」

 ゾルザルの取り巻き達はそれぞれに手にした剣を抜いて身構えた。

 皇帝の前で剣を抜くなど本来は重罪だが、それ以前に謁見の間で、さらに皇族に暴力を振るうことも許されることではなかった。だが宮廷は現在地震によって完全に機能停止状態。近衛の兵も秩序を失っていて、どこにも居ないという有様。

 事態を収拾する者がいないために、皇帝の前は一発触発の状態となっていた。

 目を座らせた富田は64式小銃の安全装置をレ(連発)の位置に併せ、栗林は、倒れているテューレや黒髪の娘の様子を確かめていた。

「大丈夫?」

 日本語での声かけに、黒髪の女性はがばっと顔を上げる。

「私たちは陸上自衛隊よ。あなた日本人ね?」

 黒髪の女性は、滝のように涙をこぼした。そして栗林の手に取りすがった。これまでどれだけの苦しみを味わってきたのか。それを思うが故に、栗林の身体に力がみなぎった。栗林はナイフを抜くと女性の首につけられていた革製首輪を斬りとって捨てた。

「助けに来てくれたの?」

「ええ。必ず連れて帰ってあげる」

 このような娘が捕らわれていることなど知らなかったのだから、嘘である。だが、日本人がここにいて酷い目に遭っていると知れば決して放置して帰ることはない。絶対に連れて帰る。その決意で伊丹以下は、完全に戦闘態勢にあった。もし立ちはだかる者がいれば誰であろうと殺す。そういう覚悟となっていた。

 菅原は、完全に火がついている伊丹等の姿に嘆息しつつも、不敵な笑みを浮かべて皇帝に尋ねた。

「門の向こうから攫ってきたとおっしゃられましたが、これはいったいどういう事でしょうか、皇帝陛下。そしてピニャ殿下、この件、ご存じでしたか?」

「ス、スガワラ殿?」

 ピニャには、わからない。何故伊丹や菅原が、これまでとがらっと雰囲気を変えている理由が理解できなかった。とは言っても、もしかしたらと思い当たることがないわけではない。捕虜の取り扱いにしても、何にしてもニホン人は力の及ぶ範囲で、人命をとても大切にしたがると言うことを感じていたからだ。

 が、ここまで苦労して準備した講和交渉をぶちこわしにするほどのこととは思えなかった。だが、伊丹は懐中から9㎜拳銃を抜いて、ゾルザルへと向けている。

 銃の威力を知るピニャは、万が一を思って皇帝を守るように玉座の前に身体を運んだ。

「イタミ殿、止めてくだされっ!!皆も武器を収めよ。何かの手違いじゃ。ここは妾に免じて武器を収めよっ!!」

 だが、ゾルザルの取り巻き達はそれぞれに剣を手に、少しずつ包囲の輪を拡げていた。その数全部で15名。彼らからすれば無勢に多勢。何を遠慮する必要があるだろうか。戦えば勝つのだから、叩き斬って場を収めれば良いと考えていたのである。

 ゾルザルも殴られて倒れた姿のまま、殴った男が八つ裂きにされる様を思ってほくそ笑んだ。

「いずこの国の使節かは知らぬが、これでお前の国の運命は決したな。悉くを殺し、全てを焼き尽くしてくれる。すべてはお前の罪だ。我が身の罪深さを思い、苦しんで死ね」

 これに対して伊丹の指示は「栗林。富田。構わない、自分の判断で撃って良し」だった。

 栗林は腰から銃剣を抜いて、着剣すると小銃の安全装置を連発にあわせつつ前に出る。

「また銃を廃棄にするなよ」

 富田の声に、栗林は笑った。

 踊り手、栗林。介添え、富田、伊丹による死の舞が始まろうとしていた。






 銃剣格闘(銃剣道ではない)は、現代に置いてもなお進歩し続ける戦闘技術である。

 航空戦においてミサイルが発達した今日でも、音速で飛ぶ戦闘機に機銃が装備されるように、地上に置いて普通科、すなわち歩兵が相対して戦闘を行う限り、白兵戦は決して廃れることはない。

 実際にフォークランド、そして今日のイラク・アフガニスタン戦において、銃剣突撃は決戦手段として用いられた事実がある。

 従って、剣道等のスボーツ格技と違って、その訓練はあくまでも実戦を想定しており、実戦でのみ使うことを前提としている。よく、物持ち3倍段と言われるが、銃剣突撃の前には剣道や空手等とどれほどの段位を有していても子どもも同然である。何故なら手強いと思えば、距離を置いて銃撃するからだ。ずるいと思うなかれ、それが『戦闘』なのだ。審判が横にいる試合ではない。

 栗林は、空重量で4.3㎏の64式小銃を鈍器として振り回すと共に、その鋭い銃剣の切っ先を槍の如く、そして研ぎあげられた刀身を、長刀のごとく扱った。

 彼女の軽快で敏捷な身のこなしに、ついてこられる者は少ない。まして、隊列を組んで前面に楯を構え、そして前進するという戦闘技術で凝り固まったこの地の兵は、左右に軽快に跳ねる栗林を捕らえることは出来ない。彼らの戦闘は、あくまでも正面からぶつかってくる敵と戦うものだったからだ。楯でぶつかり、剣を振る。

 だが、栗林はぶつからない。

 楯で身構えていれば銃撃し、剣を振ろうとすれば、素早く横に交わして、脇の下に銃剣を刺突する。

 近づけば銃床で打撃し、これを堪えきれず少しでも下がれば、斬撃で頸動脈を断ち切られる。

 どれほどの腕力を誇ろうとも、どれほど研ぎあげた剣を振るおうとも、触れることすら適わなければ、全くの無意味。

 それほど努力したわけではなかろうが、暴力を誇示するために必要とする分の鍛錬は惜しまなかった日々を、栗林は嘲笑するかのように無駄扱い。

 栗林の背中は、富田が守る。

 回り込もうとした途端、富田は冷淡に引き金を引く。7.62㎜弾は、男の胸部にあたり、うすっぺらいながらも金属の胸甲を貫いたがために、体内に侵入した時にはマッシュルーム状に変形していた。そして、おもちゃのスクリューのようになった銃弾は、体内の組織を巻き込み、引きちぎり、その背後へと抜けていく。

 たった一発で倒れ伏した仲間に、ゾルザルの仲間達は、栗林の後背に回り込むことは諦めざるを得なかった。

 目前にいるのは、まさに手のつけられない猛獣。

 謁見の間に8体ほどの死体を製造した栗林は「次は誰?」と舌なめずりしつつ、取り巻き達を見渡す。だが、誰1人として前に出ようとする者は居なかった。

「やる気がないなら、武器を捨てなさい」

 取り巻き達は、ばっちいものでも放り捨てるように剣を投げた。

 その様子がいたく気に入ったらしい栗林は、笑みを浮かべながら「よろしい」と頷きつつ、男達に謁見の間から出ていくように告げた。

 取り巻き達は、一瞬ゾルザルに視線を送るが、栗林が銃の槓桿(こうかん)をあからさまに引いて見せると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 ゾルザルは、目の前で繰り広げられた殺戮劇と、取り巻き達の遁走を信じられない物のように見ていた。

 がくがくと震えながら、伊丹が自分に向けている、得体の知れない道具を見つめる。これも、仲間を撃ち殺したような火を吐くのだろう。そして、自分に向かって放たれるのだろうか。何故、どうしてと思う。

 皇帝の第1皇子だる自分に、このような無礼が許されるはずがない。

 帝国の次期皇帝たる自分に、そのようなことをして済む者などありえるはずがないのだ。

 そんなゾルザルに対して、伊丹は「さて、皇子殿下に伺います。あなたは今さっき、この女性を、門の向こうから攫ってきた『生き残り』と言われましたが、それはつまり、他にも攫ってきたと言うことでしょうか?」と尋ねた。

「ふ、ふんっ。無礼者に答える口などないわ」

 せめてもの虚勢なのか、ゾルザルはそう言い張った。

 伊丹は嘆息しつつ「栗林君。喋りたくなるようにしてあげなさい」と命じる。

「はい、隊長♪」

 栗林が、伊丹の命令をこれほどまでに嬉しそうに聞いたことなど、これまで一度もなかった。

 この後の情景はあまりにもグロく、写実的に表現すると18禁間違いないので、擬音表現で勘弁して頂きたい。

 バキッ、グチャ、ドスッ、ガン、バン、ゴツッ、ドスッ、グチャ…、ポキッ。

 当然その間に、ゾルザル自身の悲鳴というか、わめく声が轟いた。

「やめよっ、まて、止めてくれ。まてっ、痛い、ぐひっ、あべっっ、ぐふっ…ゆ、指を折るな。勘弁してくれっ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ」

 その余りのおぞましさに、ピニャや皇帝は、目を背けた。

 割ってはいるとか止めるという発想はどこにもなかった。迂闊に手を出せば、伊丹達の怒りの矛先が自分に向くような気がしたからだ。

 ピニャはイタリカの体験でわずかながら耐性を持っていたが、皇帝はこの時、怒らせるとやばい相手というもの存在を初めて知った。ハミルトンやメイド達などは、壁際に固まってしゃがみ込んで地震にあった時のようにガタガタと震えている。

 この時、謁見の間の戸が開いた。
 マルクス伯を始めとした大臣や将軍達、そして秩序を取り戻した近衛の兵士達がようやく到着したのである。彼らは入ってきた瞬間、玉座の前の惨状に凍り付いた。

 見れば、死体が床に転がり、その間をゾルザルが血を塗装するかのようにのたうち回っている。第1皇子の前歯は全て折れて、床に転がっていた。その顔は鼻血と口から出た血で真っ赤だ。

 伊丹は、今更ながらやってきた近衛達にチラと視線を送ったあと、子どもが昆虫を棒きれでつついて弄ぶ時のような感じにしゃがみ込むと、その銃口を突きつけた。

 すると、テューレが横合いから伊丹との間に割り込んで、ゾルザルを庇うように両手を拡げた。傷だらけ、痣だらけの裸体が、艶めかしさを感じさせる前に、痛ましさを感じさせた。

「殿下を、殺さないで」

 伊丹は、健気にも庇ってくれる女性が居るんだから、首輪をはめたり鎖で引きずったりしないで大切にすればいいのにと思う。そして、その健気さに免じて銃口は下げたが、質問は続けた。

「殿下。あなたは今さっき、この女性を、門の向こうから攫ってきた『生き残り』と言われましたが、それはつまり、他にも攫ってきたと言うことでしょうか?」

 体中の激痛に呻吟するゾルザルから返事こそなかったが、盛んに首を縦に振って肯定の合図を示す。そうしながらテューレの背中に隠れるようにしていくのがなんとも情けなく見える。

「裕樹よ、裕樹はどうなったの?」

 ノリコと呼ばれた娘が、口を挟んできた。一緒にいたところを一緒に拉致されたと言うのである。則ち、少なくとも1人いると言うことだ。

「男は、奴隷市場に流した…後のことは知らん」

 息も絶え絶えとなったゾルザルがそれだけなんとか答えると「なんで俺がこんな目にあわねばならぬのだ」とぼやいた。

 伊丹と栗林と富田は心と声を一つにそろえて言い放つ。『坊やだからさ』と。

 菅原はピニャと皇帝へと顔を向けた。

「皇帝陛下。講和交渉は、我が国より拉致された者をお返し頂いてからとなります。どのような神を信仰されているかは存じませんが、彼らが生きていることをどうぞお祈り下さい。ピニャ殿下、あとでその者達の消息と、どのように返していただけるかを聞かせていただけるものと期待しております」

 これだけ告げると、菅原は伊丹と視線を交わして、この場から立ち去ることにした。

 だが

「待て、貴様等!!」

 このような暴挙を許したままでは帝国の威信は地に落ちてしまう。将軍らの命令に近衛の兵達は一斉に抜剣した。

「止めっ」

 だが皇帝の声が、それを止めた。ようやく皇帝は理解した。また死体の山を築くだけで終わってしまうと言うことを。

「スガワラ殿。認めよう、ニホンの兵は確かに強い。だがな、戦いに強いばかりでは戦争には勝てぬもの。貴国には大いなる弱点があるぞ」

「我が国の弱点とは?」

「民を愛し過ぎることよ、おおいに煩わされることとなろう。義に過ぎることよ、その動きが手に取るように予測できるぞ。信に過ぎることよ、大いに損をするであろう。強い敵とは戦わねば良いのだ。剣の切っ先は鋭くとも、柄は弱点となる。その刃は鋭利でも、その峰は討てばよい。無敵を誇った軍が奔命に疲れ、いたずらに兵を損ない、国力を蕩尽し、ついには高度な文明を誇った国が、蛮族によって亡ぼされたのはそう古い話ではない」

 菅原は応じた。

「我が国は、その弱点をして国是としています。そして我が国の自衛隊は、その国是を守るべく鍛えられています。いっそ、お試しなされますか?」

「なんの、そなた等に抗せるはずもなし。和平の交渉を始めるのが良いだろう」

「皇帝陛下。私たちも充分に弁えているつもりです。平和とは戦の準備期間であると言うことを。まして、和平の交渉は戦争を止める理由には成りませんぞ。我が国は、そして我が世界は、帝国をはるかに越える年月を血塗られた歴史の上に積み上げているのです。和平の交渉中に、この帝都を失うことを是非、恐れて頂きたい」

 どこぞの国みたいに、だらだらと交渉を引き延ばすような真似はするなよという、念押しである。皇帝はこれに小さく舌打ちで応じた。

「だが、其処許らは和平の呼びかけを拒絶することはできぬ。違うか?」

「確かに。しかし、それが故に、虚言に下す鉄槌は、凄まじいものとなることをご覚悟いただきたい」

「おおっ、信じておるな。信じるのが国是なら当然だろう。だが、後で損をしなければ良いな?」

 皇帝がこの言葉を口にした途端、余震が襲ってきた。

 再度の揺れ。漆喰が粉となって降ってくる。

 その恐怖に、皇帝は顔面を蒼白にし、将軍や大臣、そして近衛の兵達も、みなしゃがみ込んでは壁に縋った。

 そんな無様な様子を後目に、菅原や伊丹達、ノリコという娘を連れては、近衛兵達の間をどうどうと抜けて謁見の間を後にしたのだった。






 菅原と伊丹、そしてその後ろを、栗林、ノリコという拉致被害者、そして最後尾を富田という列で歩いている。裸のノリコには伊丹の制服上衣が着せられていた。

 しばらく皆、口を噤んでいる。

 10分から20分ほど歩いて皇宮を出たところで、伊丹はため息と同時に、おろおろと言った。

「不味ったぁ。やっちまったよぉ!!」

 菅原も、頭を抱えている。

「やっちっゃた。どう報告しよう?」

つい、頭に血が上ってやりすぎてしまった。伊丹と菅原は、どう言い訳したものかと頭を悩ませたのだった。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 37
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/09/30 20:25





37





「この未曾有の恥辱と、損害に、どのような対策を講じられるおつもりか、陛下にお尋ねしたい?」

 元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂があったはずの瓦礫の山に立つと玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタスに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。

 かつては薄闇の広間であったその場所は、今や青空の下の野外劇場と化している。
 演じられるのはもっぱら喜劇か、笑劇か。最早、重厚さなど欠片も無く、前衛芸術と、精神失調に基づく難解さの区別も付かない半可通素人劇団の舞台背景ごとく、廃墟となり果てていた。

 ふきすさぶ風が議員達のトーガをそよがせる。

 鼻にくすぶる刺激臭や、舞い散った粉塵が彼らの袖を汚していった。

 熟睡時を襲った深夜の地揺れとその余震は、人々の眠りを破り、夜の闇を恐怖で満たした。こうなると貧弱な灯火による明かりでは、闇のもたらす不安をうち消すことができず、人々は夜が明けるまで眠りに就くことが出来なくなってしまったのである。

 まんじりとしない時を過ごし、東の空が白らんでいつもと変わらない帝都の朝を迎え、ようやく人々は一息つくことが出来たのである。

 ところが、太陽がのぼると同時に、天空を切り裂く大音響と共に光が走った。

 それは雷鳴にも似た、耳を切り裂く大音響であった。

 二本の巨大な剣が天を斬り裂くように横切ると、そこから投下された四個の物体が、帝都の丘にそびえ立つ元老院の建物に、正確に吸い寄せられると堅牢なはずの建物を、ものの見事に吹き飛ばしたのである。

 帝国の権威の象徴たる元老院は一瞬にして、うち砕かれた。

 もちろん、帝都に潜伏する自衛官のレーザー誘導による精密爆撃である。だが、それを知るべくもない一般の市民達は、地揺れに続く神々の怒りの表明であると、恐れたのである。ひそひそと、皇帝が何か神に背く振る舞いを行ったのではというデマが、深く静かに広まりはじめていた。

 帝国の知識層の代表とも言える元老院議員達は、それが神々の怒りであるとは思わなかった。それが人の為した事であると、知る立場にあったからである。

 とは言え、自分達の権威の象徴たる議事堂を襲った惨状には圧倒されていた。
 一辺が、両手を拡げるほどの巨石をもって構築された元老院の建物が、ものの見事に粉砕され、その岩は瓦礫と化しているのだ。これが神々の力ではないとするなら、敵はどれほどの力を有しているのかと思う。

 議員達が座るべき椅子も、調度品も、大理石のレリーフ、諸外国からの貢ぎ物、戦利品そして巨大な神々の像といった悉くが破壊され、地に落とし砕けた陶片のようになってしまった。

 誰もが思って身震いする。
 これが自分達が議事堂に集まっている時に、為されていたらどうなっていたか、と。
 あるいは、敵がこの力を無差別に帝都に振り下ろしたらどうなるか、と。

 最早、席もなく壇上もない。各々は適当な石に腰を下ろし、あるいは、地面に座ることを由とせず立ったまま、カーゼル侯爵の言葉に耳を傾けていた。

「事の次第は、開戦前に敵を知るため、異境の住民を数人ばかり攫ってきたことに始まる。敵国の使者は、このことを知るやたいそう怒り、事も有ろうに陛下の面前において皇子ゾルザルを打擲(ちょうちゃく)するに及んだのだそうだが、陛下、間違い有りませんな」

 顔を腫らしたゾルザルが、皇帝の傍らに座って、苦痛に呻いていた。

 一目見ただけでも『打擲』などという表現ではいささか遠慮が過ぎるように思われた。

 これは、明らかに数人がかりで殴る蹴る、撃って叩くの暴行による怪我であった。ところが聞き及んだ話では、ゾルザルをこんな目に合わせたのが、たった1人の女だと聞くから驚きだった。

 女と言っても、巨人とか、オークとか、トロールといった怪異の牝だというならまだわかる、が、加害者はただのヒト種、しかも非常に小柄(ただし胸だけは大きい)な女性だったと言うのである。

 当然、ゾルザルは認めない。

「俺は、殴られてなどいない。地揺れに足を取られ、転んだだけだ…」

 歯を失って、息の漏れる口から喘ぐようにして懸命に否定し続けている。

 そうだろう。もし、たった1人の女にここまでされたと認めようものなら、彼の面子は永久に潰れたも同然だからだ。人々が『ゾルザル』と彼の名を呼ぶ時、そこに『女にボコられた奴』という意味が付されてしまうのだ。

 今後は、ゾルザルと呼ぶ度に人々は、クスッと笑うだろう。

 そんなこと、受け容れられるはずがなかった。ゾルザルは次期皇帝候補としての威信を失ってしまう。だから必死になって否定しているのである。そのせいで公式には、謁見の間での戦闘は、自国民を救出しようとするニホン国の使者と、奴隷の所有権を守ろうとするゾルザルの取り巻きによる争いとされた。

 それほどまでして守るほどの見栄か…と、カーゼル侯爵はゾルザルに軽蔑の視線を浴びせる。皇族に対する暴力という意味で、折角の外交カードが誰かのくだらない見栄のせいで使えないのだ。個人の利益のために帝国の国益を損なっているのだから、ある意味ゾルザルの二重の失点と言える。そのことに気付かない愚かしさが、また嗤えるのだ。

「敵国の使者は、我が帝国との講和を望んでいたとキケロ卿から伺っていた。その為に丁寧な下準備を積み重ね、会合をも繰り返していたと言う。真実をあかせば、わたしの方にも紹介へ経ての接触があり、近日会談を持つ予定であった。
 なのにいったいどういう事か?たかが奴隷のことで、何故彼らがここまで怒ったのか。その奴隷が敵国の王族であったとかそう言うことでもなかろうに…誰か事の次第や、彼の者等の考え方について知る者はいないのだろうか?もしいたら、詳しく説明して頂きたい」

 カーゼルの問いかけに、みな俯いた。
 事実の全貌を知る者など、どこにも居なかったからだ。敵国や、その使者の『ひととなり』について多少とは言え知る元老院議員としては、キケロや、デュシー侯爵などがいる。が、彼らは昨夜、何が起こったのかを知らない。

 マルクス伯爵は、内相として何が起こったのかについては、かなりの情報を得ている。だが、そのかわりにニホンや、敵の使者については知らない。

 この双方を知る者として必然的に、ピニャの名が挙がった。

 こうして、ピニャは産まれて初めて元老院の場へと招致されることとなったのである。

 ピニャは、300人からの視線を受けて、恐る恐る立った。300人分の視線がピニャを弾劾しているように見えたからだ。

 皇帝の身近に敵国の兵を近づけた失態を、ピニャとしてもどのように償うことになるかと頭を悩ませていたのである。が、元老院議員達は、そのことには触れなかった。とにもかくにも事情の説明を、ピニャの知るニホンという国、ニホン人というものを説明するよう求められた。

「わ、妾が、知っていることを申し述べたいと思うが、発言を許されたい」

 議長役たる第一人者が鷹揚に頷いて、ピニャに発言を許可する。

 ピニャは咳払いをすると、事の次第を時系列に従って、説明することとした。すなわち、彼らとの初めての出会いからである。

「そもそも、妾が彼らと出会ったのはイタリカにおいて…」

 こうして帝国の政府関係者は、自分らが何者と戦争を行っているかを知ることとなったのである。

 曰く、敵の持つ武器は、弓も届かないところに立つ兵を次々と打ち倒す威力を持つ。敵は、それらの武器を槍や剣のごとく、兵に当たり前に装備させており、我が方の兵は手が届く前に倒されてしまうことになる。

 それはいみじくも、帝国軍の連合諸王国軍が何故敗亡したかを説明するものたった。

 その、あまりの荒唐無稽な情景に、何割かの議員達が懐疑的に振る舞った。だが、キケロ卿やデュシー侯爵といった園遊会に招かれた者達の補足証言によって、真実であることが証言される。なによりも彼らは、それらの武器の試射すら許されたのだから。

 ピニャは、さらに語る。鉄の天馬が、大地に蠢く盗賊を掃き清めるがごとくなぎ倒していった恐怖の光景についてを。

 元老院の議事堂が吹き飛ばされた今、それを疑う術はなかった。

「敵はニホンという国。門の向こうは、この帝都を遙かにしのぐ、摩天楼のごとき世界であった。それは地上に、天空へ広がりを見せており、我らが墓所とみなす暗黒の地下すら、煌々と輝く光で昼の街のごとく照らし、人々はそこでも暮らしていた。豊かな文物と斬新な芸術に溢れ、整然とした秩序と、清潔さに充ち満ちていた」

 また、仲介役を引き受けることを決めたことで日本政府から与えられた、捕虜の名簿をピニャは提出した。

「今まで黙していたことを許されたい。この名簿に載っている者は全てニホンに捕虜となって生きている」

 ピニャの差し出した紙の束を、議員達はつかみ合うようにして奪い合った。「ノーリスの息子の名があるぞ!!」「デカンツがの名がある。ここに名が載っている者は皆生きているというのですかな?ピニャ殿下?確かに、生きているのですな?」「儂の息子が生きているゾ!やったぁ!!!」

 議場跡地は歓喜の声で満ちあふれた。と同時に、いくら探しても、身内の名が見つからず再び絶望する者もいて、その一喜一憂はしばしの間、議場を混乱たらしめた。

「名簿に載っている者は、全てニホン国にて捕虜となっている。妾は、仲介の役務を引き受ける代償として、その内の十数名についての身請けする権利を与えられた。そして、講和交渉の為に、キケロ卿やデュシー侯爵といった方々のご親族を身請けする約束で、帝国側の交渉役を引き受けて頂いたのだ」

「殿下はおずるいっ!!それでは、他の者はどうなる?!!このまま指をくわえてみていろとおっしゃるのか?!!」

 ピニャの選から漏れた者にとっては、当然の言葉であろう。だが、ピニャとしても講和交渉をきちんと担っていける人材を、選ぶ必要があり、そのためのものだったと答えるしかなかった。

 そう言われてしまえば、主戦論者で充ち満ちていた元老院の中で、妨害や各種の攻撃を跳ね返しながら、きちっと講和交渉を勧められる人材は、わずかになってしまうことは誰もが理解できる話であった。講和交渉が進まなければ、捕虜返還の交渉すら出来ないのである。その意味では、ピニャの選択も仕方のないことと理解できた。

 だが、事がここに及んだからには、残りの全員をいかに引き渡してもらうかを、検討するべきだということになる。しかし、そのためにやはり身代金を積まなければならないのだろうか?

「ニホンの外務担当者はこう言った。ニホンには奴隷という習慣はなく、身代金の有無を問わず捕虜の生命や安全は保証される。もし、帝国に、ニホン側の捕虜がいればこれと交換となろうが、いないのであれば、今後予定されている交渉に置いて、何らかの譲歩と引き替えと言うことになろう…と」

「奴隷という習慣がない?また身代金もいらぬと言うのか?」

「ふんっ、交渉における譲歩と引き替えというのだから、やはり身代金も同然ではないか?体裁の良い人質ということであろう?」

「とは言え、奴隷に売られたりせぬという確約はありがたい。きっと救い出してやるぞ…」

 議員達が互いに交わす言葉が途切れるのを待って、ピニャは言葉を続けた。

「妾は思うのだ。彼の国の使節を激怒させたのは、このことではなかったか、と…」

 どういうことだ、と議員達は説明を続けるように求める。

「彼の国の者が、我が国の貴族の子弟を奴隷にするでもなく、捕虜として厚遇するのは、別に求められたわけではない。自発的なものであった。それは皇帝陛下が看破されたように、民を愛するという気性からきたものだと思う。そのような気性の者が、ニホンの民を帝国が捕らえた上で奴隷としていたと知ったら、そしてその生死すら定かでないと知ったら、どうなるか…我が子を奪われた翼獅子のごとくなろうことは、誰にも判ろう」

 その結果がこれだ、とピニャは両手を拡げて言った。

 周囲は元老院の議場跡地。粉々に砕けた壁石や柱が倒れ、瓦礫が積み上がっている。天井は青々とした空。雲がぽっかりと浮かんでいた。






 ゾルザルが元老院の議事堂跡地に自らの居所を失って、誰からも気づかれることなく退席し自らの居城に戻ったのは、それから程なくしてのことであった。

 瞼は黒痣が覆い、唇は醜く晴れ上がって身体の彼処もみみず腫れや、打撃痕で覆われていた。

 歯を失って唇が腫れているために、呼吸は無様に漏れて、その声も、張りや人々の精神を戦慄させた勢いを失っている。

 まさには、敗残の輩として無様な姿を曝していた。

 戸をくぐった途端に、力を失ったがごとく崩れるように倒れる。取り巻き達や、彼の奴隷娘達はあわわて介抱しようと駆け寄った。

 テューレも言葉こそ少ないが甲斐甲斐しくもその肩を貸して寝台へその身を運ぶのを手伝っていた。氷が運び込まれ、腫れた顔や身体が冷やされていく。

「これで元老院は講和論が大勢を占めることとなりますね。問題は、このままでは無条件降伏に近い形で講和を結ぶ羽目に陥ってしまうことです。これをどうにかするためには、やはり多少なりとも軍事的な成果をあげなければなりません…」

 ベットに運ばれるゾルザルを眺めるように立っていた青年が、テラスから言葉を投げかけた。

 その姿に初めて気付いたのか、ゾルザルは腫れ上がった顔を歪めた。青年は見るからに貴公子然としていて、粗暴な様のゾルザルよりも気品を感じさせ、その視線は理知的な気配があった。

「ディアボ」

「兄様。おいたわしい姿に成られて…。もう無理はなされますな」

 ディアボと呼ばれた青年は傍まで歩み寄ると、寝台の兄の顔を覗き込んだ。

「小賢しい奴め」

「兄様こそ」

 ゾルザルは「これは自業自得よ」と腫れた顔に自ら手を当てた。

「俺は、お前のその脳天気さが羨ましい。お前のように、自らの有能を示して生きながらえられると到底思えぬ。父上はカティ義兄ぃを責め殺した男だぞ」

「あの時の父上はまだ若かったのです。ゆえに先代皇帝の遺児にして自らの養い児を恐れた。ですが、もう歳をとられました。後継を考えてもよい頃です。なにより我らは父上の血を引いている…」

「だから、俺が馬鹿を演じている間に、後継の座を狙うということか?」

「兄様が、父上を恐れて馬鹿をやって下さったお陰で、わたしは存分に力を振るうことが出来ました。ありがたいと思いますよ」

 お陰で次期皇帝の座を争うのに、勝ち目が見えてきたと言う。だがゾルザルは、肩を竦めてディアボの認識を甘いと指摘した。

「皇帝は、お前ではなく俺を次期皇帝として指名するだろう」

 ディアボは、兄が父のことを皇帝とのみ呼んだことが気になった。まるで他人を呼ぶかのようだ。

「それはどうでしょう?兄様に皇帝の座が守れましょうか?」

「お前は、皇帝の権力への妄執を軽く見ているのだ。此度の戦争の幕引きにあたって、さすがの皇帝も退位せざるを得まい。だが、ただ退位したりはするまいよ。俺を操り人形として玉座に据えて実権は自らが握る。おおかたそんなところに収まるだろう。お前は自らの有能を示しすぎたのだ。皇帝もお前を意のままに出来とは考えまいからな」

 この言葉に、ディアボは目を剥いた。

「しかし、それでは父上亡き後どうなるのです。あまりにも無責任すぎる」

「お前、よっぽと俺が無能だと信じたいようだな…」

 皇帝の人柄を見抜き、恐れられぬように長年に渡って牙や爪を隠し続けるなど、並大抵のことではない。それが出来る男が無能なはずはないのである。

「テューレ……ノリコと共に捕らえられた、他のニホン人の所在は?」

 問われたテューレは、深いお辞儀をすると、それまでの無力そうな弱々しかった表情を一転させた。知的な、そして覇気に満ちた笑みを浮かべていた。

「はい。他に2人ございます。鉱山奴隷として売り払われましたが、その所在の確認は済んでおります。ノガミ・ヒロキと言う者ですが、残念ながら落盤事故で死亡いたしました。またもう1人、マツイ・フユキと言う者は、同じ鉱山で『まだ』生きております。ご指示があれば、ただちに保護いたしますが、いかが取りはからいましょうか?」

「すぐに連れて参れ。…ノリコも、売っぱらわずにおいて正解だったな。興味本位もあったが、こうなるとわかっておったら、もう少し優しく扱ってやればよかったか?」

 全身が痛むのか、顔を顰める。

「いいえ殿下、あれくらいでよいのです。どうせ言葉も話せぬ身。売られて行く先など娼館あたりが関の山であったでしょう。不特定多数の慰み者になることを考えれば、次期皇帝のお情けをいただいた身を、誇りと思うべきなのです」

 ディアボは、開いた口を閉じることが出来なかった。
 これまで隠し続けてきた爪を、わずかながらも見せつけてきたと言うことは大勢は既に決したと言うことか?確かに、講和交渉は始まるだろう。話をまとめるために皇帝の退位も必要になるだろう。しかし元老院は、後継人事を素直に承諾しまい。あっ、そのためのニホン人か。ゾルザルが見つけてきたということで、ニホン国の使者を宥めてみせれば……やられたっ!!

「今頃皇帝は元老院で、講和に際しては自らの退位をも辞さぬ決意と、後継として俺の立太子を発表している頃だろう。ピニャが、意外な成長を見せてきたが敵には成らぬ。ニホン人と親しすぎるからな。ま、今後のニホンとの外交においては、重要な役割を担って貰うことになるだろう」

「では兄様、戦争はどうされる?このまま敗北にも等しい講和をするおつもりか?」

「敵の何を恐れる必要がある?元老院を破壊するのに、わざわざ無人の明け方を選ぶようなお人好しだぞ。まともに戦って勝てぬので有れば、戦わねば良いのだ。この程度、皇帝も考えておるぞ。ディアボよ、お前、俺と皇帝のどっちにつくか今の内に考えておけ…」

 ゾルザルはそう言い放つと寝台にテューレを引き込みながら、ディアボに去るように命じるのだった。もう、周りに誰もいないも同然の痴態で、取り巻き達や女達もそそくさと消えていく。

「で、殿下、お体に触りますわ」

「かまうものか…しばし痛みを忘れさせてくれ」

「殿下ったら、仕方のない方ですね、あ……」





    *    *





 大型輸送ヘリコプターCH-47 JAチヌークがアルヌスの丘へと戻ってきた。

 望月紀子は、ヘリの窓から見降ろす景色に、胸を締め付けられるような感触を味わった。

 帝都を出てから果樹園や農地、牧草地と荒野、あるいは樹海のような森が続いて、それが途切れてしばらくすると、遠望に飛行場や、丘の頂上を六芒星型に取り囲む、コンクリート製の建造物群が見えてきた。

 そこには、わずかながらも日本の気配があった。

「帰れるんだ…」

 ポツリと漏らすと、感極まって涙がこぼれる。

 昨夜から何度泣いたろう。勿論、恋人の裕樹のことも心配だ。だが、自分が帰れることもまた嬉しいのだ。そして、自分を救ってくれた自衛隊は、恋人も救出してくれるに違いないと信じたかった。

 早く、両親に会いたい。

 紀子の両脇を抱えるように座る黒川と栗林が、何かと気をつかってくれた。着る物も手配してくれたし、食べる物も、飲む物もと至れり尽くせりだ。チョコレートとか、お菓子の類を口に入れた時、その懐かしい味に、やっぱり涙が出てしまったほどだ。

 捕らえられていた間に起きた出来事についても、何も聞かずに、そっとしておいてくれる。紀子も今は、辛かった日々を思い出すことより、帰れることとなった喜びに浸っていたかった。

 菅原と伊丹からの無線による報告を受けた、『特地』方面派遣部隊の最高指揮官たる狭間陸将は、ただちに拉致被害者のアルヌスへの移送を命じると共に、皇帝ならびに帝国の政府当局者に対する威嚇として、F-4ファントムの2機による爆撃を要請した。

 そこに込められたメッセージは、勿論「直ちに拉致犠牲者を返還せよ」である。この手のことは、動物や子どもの躾と同じで、粗相の存在が判明したその時に、罰を与え叱りつけなければ意味が伝わらないのである。よって、間髪を入れず痛烈な一撃を、与えるべきであるという発想の元、攻撃目標が選択された。

 防衛大臣からも民間人に可能な限り被害を出さないという条件の下で、攻撃許可が与えられた。

 福下内閣における防衛大臣の石場は受話器に向かって、普段と同じような冷静沈着な言い回しのまま「やってかまいません。おおいに、やって宜しい」と、語ったと言う。

 後で石場の報告を受けた福下総理は、「困ったもんですが、やっちゃたものはしょうがないでしょう」と眉根を寄せたと言うから実に対照的である。

 チヌークは、アルヌスの陣地奥深くに設けられたヘリポートへと降りた。

 そこで黒川と栗林は、紀子を両脇から抱えるようして待ち構えていた医官達と合流すると診療施設へと向かった。アルヌスには、戦闘による負傷者の発生に備えて、入院施設のある医療設備も整えられているのだ。

 そこで彼女は、婦人科・産科・内科・外科・精神科等々の健康診断や、心理的に負担にならない程度の聞き取り調査、例えば拉致された時の状況等の質問を受ける手はずである。また犯罪被害者支援を専門とする臨床心理士がカウンセラーとしてつけられ心の傷をゆっくりと癒すことになる。

 残りの、第3偵察隊のメンバー達は、帝都から日本へと運ぶ各種のサンプルの入ったダンボール箱の荷下ろしをしていた。

 やはり大陸の覇権国家の首都だけあって、帝都には各国の物産や商品、情報が集まっていた。お陰で大陸各地の鉱物資源の埋蔵状況も、おおまかだが掴めてきている。希土類については、その存在そのものを『特地』の人間は知らないために、こちらで探すしかないが、特地の者でも知っている資源として鉄、スズ、亜鉛、金、銀、銅、白金等といった一般的な資源の分布状況と、その土地から、商人を通じて送られて来た鉱石のサンプルが入手できた。さらに南方には、燃える液体のわき出る土地があるとされていて、今後の政府間交渉において開発権や、採掘権などを要求するのに非常に役に立つ。

 また他には、種族・民族の坩堝とも言える悪所で撮影した映像の入っているDVDとかもあった。その多くは、写真趣味の笹川陸士長が撮影した物だが、それ以外にも他の隊員達が撮影したものが含まれていて、被写体はもっぱら女性に偏っている。が、これはこれで、こんな容姿の種族・亜人が居ますよ、こんな服装の民族が居ますよという資料になる。これまでの資料が、銀座事件で捕虜になった兵士だったり、アルヌス周辺で出会った農民や商人のみであったから、全体としてはバランスが取れることとなる。

 他の…例えば第1とか、第5とかの偵察隊だと、集めて来る資料は帝都周辺の植物の種子とか葉の標本、昆虫、動物、鉱物、土壌といった至極真面目なものが多い。

 対するに、第3偵察隊は伊丹の薫陶が行き届いている為か文化面の物が多く、亜人の習俗、風習の写真(担当:笹川)とか、現地の食べ物(担当:古田)といったもので、テレビとか、週刊誌が喜ぶようなネタが満載なのだ。

 特に、参考人招致の件以来『特地』の人々(もっぱら女性)に対する、マスコミ等の関心は強くなるばかり。

『特地』に取材に入らせろと言うテレビ局や新聞社の要望は、担当者に対する夜討ち朝駆けを通り越して、最早ストーキングか、脅迫めいて来てさえいる。そんな圧力をかわすために防衛省の担当者は、伊丹達が時折持ち帰る映像資料を少しずつリークし始めたと言うわけである。

 そんなものが写真週刊誌とかで『特地の女の子特集』といった記事で掲載されたりしているという状況である。『特地』の黒ゴス少女とか、金髪エルフ娘とか、銀髪魔法少女とか、猫耳のPXの店員とか、ウサ耳の居酒屋看板娘とかの写真集が、秋葉原にある本屋の店頭に並んだのも、最近のことだったりする。

 と言うわけで、大切な資料である。その積み卸しと、送り先ごとに分類する作業を伊丹等は丁寧に行っていた。そこへ柳田がやってきた。

「よぉ伊丹、お帰り。また、やらかしたって?」

 言われると思った、と伊丹は舌打ちしつつ頭を抱えた。よりにも寄っても、敵の国家元首の前で乱闘騒ぎを引き起すという後先考えない振る舞いは、問題視されないはずがないからである。

 具体的に例えてみると某半島の北の所軍様との首脳会談の席で、総理の護衛が銃を将軍様の息子に突きつけて「拉致犠牲者、返してね」と言ったのに近いかも知れない。それで上手く行けば、確かに溜飲は降りるかも知れないが、外交的には信用を失うので絶対的に不味いのである。実際に武器を向けたわけではないとしても、皇帝の第1皇子を半殺しにしたというのも充分に不味い。

「頭を抱えてんのはこっちなんだよ。お前はホントに状況を面白くしてくれる。なにしろ、今回『も』拉致被害者の救出っていう手柄つきだからな、罰したものか、賞したものか、はっきり言って困ってる」

「で、状況は?」

「四分六って減俸ってところかな。ところがだ、政府は拉致犠牲者の救出を大々的に発表したがっている。このところ下がりっぱなしの内閣支持率をあげるのにも、もってこいだからな。そうなると処罰ってわけにもいかなくなっちまうので、上としては決断できないでいるわけだ」

「狭間陸将とかは?」

「例によって苦虫を噛みつぶしたような顔をしてるよ」

 伊丹は「迷惑をかけてすみません」と、狭間のいる方角に向かって、柏手を打って両手を合わせた。自分のことなのに相変わらず緊迫感に欠ける男である。ま、出世欲のない伊丹からすれば、馘首されなきゃそれで万々歳なのだ。

「で、もしかして呼び出しとか?」

 柳田がわざわざ伊丹の所へとやってきた理由である。減俸にしろ何にしろ、いろいろとお叱りの言葉があるはずなのだ。だが柳田は違う違うと手を振った。

「流石に今日はない。首脳部の頭は、拉致犠牲者への対策だけで手一杯だ。実は、ご家族と連絡が取れないらしいんだ。娘の捜索願を警察に出したのは記録があった。その後、一家総出で銀座にいって『娘を知りませんか?』というビラを配っていたという情報がある。…あの日も、な」

 伊丹が夏の○ミケに行くために、ゆりかもめを待っていたあの日である。あの日、あの時、銀座は血で染まった。多くの人が亡くなったのである。伊丹が救うことが出来たのは全体から見れば、極僅かでしかない。

「マジかよ」

「ご本人には、まだ内緒だぞ。一応、医官と専門家が詳細を伝えるタイミングを見計らうことになっている。俺が来たのは、第4偵察隊を帝都に見送ったついでと、今の話をするためだ。お前等が余計なことをしないうちにな…。それと、現場で何があったのか報告書なんかじゃなく、直接聞いておきたいと思う。立ち話も何だから、後で『街』で呑もう」

 伊丹は、柳田の誘いに嫌な顔を隠さなかった。なんでお前と…と思ったりする。柳田の陰気な面を眺めながら呑むくらいなら、ロゥリィやテュカ、(レレイは、日本の基準では未成年なのでダメ。食事なら可)と呑んだ方が酒は美味いに決まっているからだ。あるいは、デリラをからかってもいい。倉田や富田なんかと呑むのも楽しいはずだ。

「まぁ、そんな顔するな。こっちはこっちでいろいろと面白いこともあったんで話してやるからさ。紹介したい人もいる。そういうことで、19時に…」

 だが、そんなことはお構いなしに柳田は、約束を押しつけていった。嫌な顔をされて、それで怯んでいるようでは、柳田のような気性の人間はやっていられないのかも知れない。こうなったら、柳田に奢らせちゃる、ということで伊丹は納得することにした。






 黒川と栗林は、拉致犠牲者の望月紀子に付き添って行ったために、彼女たちの荷物は、ヘリポート脇に放置されたままだった。

 他の隊員達は、荷物の整理・運搬や、それらの搬出で忙しく、終ったとしても今度は銃の整備をして、私物の整理等としなければならないことが多い。指揮官の伊丹としても、黒川と栗林の荷物を持って行ってやれと指示するのは、なんとなく憚られた。

 そこで、後は桑原曹長に任せて自分が運ぶことにした。

 とりあえず診療施設に行けばいいかということで、彼女らの変に重い荷物を抱えあげて歩くこと暫し。やがてコンク剥き出しの堅牢そうな建物が見えてきた。

 そこは、戦闘時に発生する大量の負傷者に備えてベット数300、また処置室および手術室の数も併せて20という、重傷の救命救急に特化した医療設備であった。

 ただし現在は開店休業中。このところ戦闘もろくすっぽなく、あったとしても自衛隊側に怪我人が出ることもほとんどなかったからだ。

 あまりに暇なものだから、当初配置された看護士や医官達は元の所属である自衛隊病院に戻され、平常の勤務に就いている。

 不意に大規模な戦闘が始まったら常勤している8名の医師で持ちこたえ、他の者が招集されて駆けつけるのを待つことになっている。これも『門』が銀座にあるからこそ出来る体制と言えるだろう。

 だから、現在稼働中のベットは10に満たない。入院患者は現在は4人。

 時折運ばれてくる自衛官は、訓練中に転んで怪我をしたとか、頭を打ったとか、指に切り傷が出来たとか、風邪を引いたとか、特地の水が合わずにお腹を壊した、といった症例ばかりで入院に至る例は至極希である。

 これに対して、重傷で入院が必要な患者は『特地』の者ばかりであった。

 アルヌスの建築作業現場で、親方のドワーフに頭をぶん殴られた弟子とか、組合が雇った警備の兵が盗賊との戦闘で負傷したとかである。それと、ちょっと前に第4偵察隊が修道院で死にかけているところを保護した、正体不明の男性が入院している。

 見た目で年の頃40~50。左上肢を上腕の肘寄りの部分から切断。左の下肢を大腿のほぼ中央で切断の上敗血症になりかけているという痛ましい姿であったが、抗生物質の投与でおどろくほどの回復を見せて、現在は医療用の義肢をつけてリハビリ中だ。

 問題は、本人が名前以外出身地や、家族の連絡先を教えてくれないことだろうか。おかげで、退院の目処がついていない。

 医官達は、おそらく連合諸王国軍の兵士の1人だったのではないかと推測している。修道院に保護されていたのだから、もしかすると貴族とか、結構身分が高い者なのかも知れない。敵の捕虜となることを恐れて口を噤んでいるのだろう。

 そんな感じで閑散としている病棟。

 伊丹から見ても、巨大なナースセンターに、1人か2人の看護士がポツンと座って記録を書いているという光景は、なんともシュールであったが、そんな白衣の看護士に声をかけて、自分の部下がこのただっ広い病棟のどこにいるかを尋ねた。

 すると紀子の病室は個室だと言う。都心の病院で、個室なんかに迂闊に入ったら、室料として1日ン万円とられてもおかしくない。「部屋が余っているから大盤振る舞いってことか」と呟きつつ伊丹は長い廊下を進んだ。

 女性の病室に迂闊に入ると大顰蹙を買うおそれがある。(服を脱いで身体を拭いていたりすることもある)そこで伊丹は廊下から栗林と黒川に聞こえるように「荷物をもってきたぞぉ」と声をかけた。

 ちょうど紀子の腕に看護士が注射針を刺して採血しようとするところだったようで、黒川がドアを開けてくれた瞬間、彼女の肌にプスリと刺さるのを目撃してしまった。見れば、栗林は自分に針が刺されたかのように痛そうに目を背けていた。伊丹も、注射される時は目を背けるタイプなので、見たくなかったのだが…。

 膿盆(のうぼん/病院とかで見るソラ豆型のステンレス製の皿)には、いったい何CCの血を採るんだ?と言いたくなるほどの量の試験管が転がっていた。感染症、寄生虫、各種の毒物などなどと未知のリスクを検査する以上、検体は多くなってしまうのも理解できるのだが、これだけ血を抜かれたら貧血になってもおかしくない。

 病院では、検査を受けるのにも体力が必要で、検査を受けたが為に病気になったという笑い話があるが、結構深刻に現実な話である。実際、病床の紀子は青白い顔をしていた。

 伊丹は、紀子に「ご機嫌いかが?」と声をかけつつも、黒川と栗林に荷物を引き渡す。紀子も、伊丹の気安い物腰に「だいぶ、いい感じです」と答えた。

 伊丹は、紀子からすると自分を救出してくれた3人の自衛官の1人という認識である。

「黒川。望月さんは、しばらくここにいることになるのかい?」

「そうですわね。この検査の量だと…短くても1~2週間は覚悟して頂いた方がよろしいかと思いますが…」

 黒川は白衣の看護士が持っているボードを覗き込みながら、答えた。血算、生化学、レントゲン、尿、便、分泌物各種培養、胃カメラ、EEG、心電図、超音波、妊娠反応、内診…等々。今時、人間ドックだって1日で帰れる時代であるが、これだけの量をこなせば結果が出るまでに1~2週間の時間を要するのは仕方のないことかも知れない。

「だそうだ。ま、ここまで来れば帰ってきたも同然だからな。ゆっくりしてよ」

「それはかまいません。でも、できれば家に電話して無事を知らせたいんですが…」

 それを聞いた栗林が、自分の携帯電話に手を伸ばそうとしたのを見て、伊丹は視線で制すると大きめの声で告げた。

「ああ、ゴメンよ。まだ、こっちには民間の回線が引かれてないんだ。門から銀座に出る前には検疫が必要だし、直接連絡するのはもうちょっと我慢して。いきなり僕等みたいな厳ついのが連絡を取ったら、ご家族だってびっくりするよ。背広組の、ホラ、菅原ってのがいたでしょ。あっちのほうで連絡を取ることになっているから」

 と、伊丹はパンと両手を合わせた。
 紀子もこうも頼み込まれたら我が儘ばかりも言えないと苦笑してこれを受け容れた。すかさず看護士が「次の検査は…」と紙のコップを取り出してトイレの場所を教えている。

 その間に伊丹は、栗林、黒川を廊下に引っ張り出して、柳田から聞いた紀子の家の状況について説明した。

「と、言うことで、家の話をするのはお医者とカウンセラーがGoサインを出してからだ。いいな?」

 黒川は、そのあまりの痛ましさに絶句している。栗林は携帯をポケットの上から抑えながら「危なかった」と呟いた。

「俺も、びびったぜ。お前が携帯ひっぱりだそうしたからよ」

 すると、看護士に案内された紀子がスリッパをパタパタ言わせながら病室から出てきた。

 伊丹は「じゃ、また何かあったら来るから」と挨拶する。勿論、社交辞令という奴だ。黒川は看護士でもあるから、望月との関わりはまだ続くだろうが、伊丹や栗林との接点はもう無い可能性の方が高い。それが判ったのか紀子はきちんとお辞儀をしてきた。

「本当に、有り難うございました」

 その姿は、親から愛情を注がれて育ち、どこに出ても恥ずかしくないよう、きちんと躾られた娘さんのものであった。





    *    *





 1日の課業を終えて、国旗を降納する際に流れる君が代ラッパが耳に入ると自衛官達の時間は止まる。国旗が見えるなら、国旗に向かって敬礼。見えずとも、その場で姿勢を正して直立不動になるのだ。

 そして、それが終わった瞬間、また動き出す。特に仕事や任務の無い自衛官達は、それぞれに余暇を過ごすことになる。

 大抵は、洗面器に風呂道具を入れて浴場へと向かい(シャワーなどという贅沢な設備は残念ながら特地にはない)、汗を流したら食堂で食事をして居室で靴を磨いたり、洗濯をしたり、アイロン掛けをしたり、繕い物をしたり、本を読んだりして、時間を過ごすことになる。

 就寝前の点呼までは、基本的に自由なのである。

 伊丹は、柳田に誘われたのもあって、アルヌスの街に出てきて食堂へと向かった。

 ちょっと数日留守にしていただけなのに、アルヌス生活者共同組合の食堂、略して生共(生協ではない!)食堂の雰囲気はがらっと変わっていた。

 野外席にも天幕が張られて、ちょっと雨が降っても困らないようになっていたのだ。さらにテーブルの数もかなり増えている。料理人も含めた店員の人数が増えていて、右肩上がりで増している客のニーズに応えられるようになっていたのである。

 いよいよ屋台村的雰囲気が増していた。

 でも、デリラは目聡く伊丹の顔を見つけると「よおっ、ダンナ。お帰りっ!!」と明るく声をかけて来る。それに釣られか見知った街の住民達は、口々に声をかけてくれる。知らない顔には、彼らが伊丹のことを説明している。

「イタミのだんな、お帰りっ!!!」

 皆、気のいい連中である。殺伐とした帝都の悪所から戻ってきただけに、陽性の活気が身に染み渡る感じであった。

「で、なんでこの人数?」

 柳田がうんざりしたような表情をした。その訳は伊丹の背後に控えている第3偵察隊の面々が理由であった。

「柳田二尉、本日はごちそうさまです」

 二つ分のテーブルが占拠されて、「おねぇさん、とりあえず生ビール大を12」という声に「は~い」という声が帰ってくる。みな呑んで喰う気、満々であった。

「おい、おい、おいっ、伊丹。ど、どうなってるんだ?」

「流石、柳田二等陸尉。太っ腹ですなぁ。みんな、多少は遠慮しろよ」

 勘弁してくれよと、柳田は財布を取りだして、中身のチェックを始めた。

 いくらこの特地の物価は安いと言っても、12人分を気軽に出せるほどではないのである。流石に、桑原曹長や仁科一曹あたりは苦笑して、調子に乗って高価な料理を注文しようとする若い連中を窘めていた。

 隣のテーブルにはドワーフのおっさんが「がははは」と下品に笑いながら、隣にいるやつの頭をばしばしと叩き、PXの売り娘さん達が、きゃぴきゃぴと黄色い声でお喋りを楽しんでいる。

 そんな喧噪の中で、みなしばらくの間、呑んで喋って、食べていた。そして柳田は伊丹から帝都の様子や、起きた出来事について報告書からは窺い知れない体験について聞き取っていた。

 それも一段落した頃である。今度は柳田の方から水を向けてきた。

「伊丹よ、お前が居ない間に、面白い人物がお前を訪ねてきた」

「俺を?」

「緑の人ってのはお前達のことだろう?その指揮官ってのはお前だ」

 コダ村の避難民達が広めている噂は伊丹も知っている。その恩恵も、充分に受けていると言って良い。実際に、この街の皆が伊丹に好意的なのも、組合幹部と伊丹が懇意というだけでなく、その噂が大本にあるからだ。

「で、どんな用なんだ?」

「ドラゴンを退治してくれとよ…」

「へぇ、ドラゴンをねぇ………って無理に決まってるだろう?あんな怪物相手なんて」

「まあ、実際の所は無理でもないんだが、諸々の理由で駄目だと言うことになった」

 柳田は、ヤオという娘が狭間陸将と面会し、ドラゴン退治を依頼したが、そのドラゴンが出没する場所が帝国とは別の国であると言う理由で断られるまでの一連の経緯について説明した。その後、ヤオは片っ端から陸自の幹部に声をかけて回って、自分の同胞を救ってくれ、故郷を助けてくれと泣きついていると言う。

「痛ましい話だな?」

「そう思うだろ?」

「でも、自衛隊として駄目なら駄目だろう」

「確かに、その通りなんだが、エルベ藩王国ってのは南にあってな。どうも石油が出るらしい。それとヤオっていう娘っ子はこんなでかいダイヤモンドの原石を抱えてきた。これも魅力的だ」

 柳田は、両手でスイカを抱えるくらいのサイズを示した。

 だんだん話がきな臭くなって来た。伊丹としては、眉に唾を充分に塗りつけて、警戒心を喚起させたいところである。

「で…」と、俺にその話をする理由は何だ?と言う意味を込める。

「お前、偵察に行ってみないか?前も言ったと思うが、資源の探査という名目がつけば、お前達は相当自由に行動できる。気が着いたら国境を越えてました。ドラゴンと出くわしました。やっつけちゃいました…ってことになっても、問題は無いだろうと思ってな」

「おおありだっ!!!」

 伊丹はテーブルをガンと叩いて立ち上がった。

「お前、アレと出くわしたことがないから、簡単に言えるんだろうがな、アレはなっ、相当におっかないんだぞっ!!」

 伊丹の声に、皆静まりかえった。食堂の客達も何事かと静まりかえる。

「どうしたんです?隊長」

 倉田ののんきな問いに、伊丹は声のトーンを一段と低くして答えた。

「俺たちだけで、ドラゴンを退治して来いってよ」

 第3偵察隊の面々は、唖然とした。自分達には、撃退するのがやっとだったからだ。追い払うのだって、もう一度やれと言われてもできる自信はない。

「LANを百本ぐらい用意して、連べ打ちでもしますか?」

 勝本の軽口を無視して、伊丹は柳田の顔を覗き込むようにして言った。

「こいつらの過半数に死ねって言うのと同じだぞ」

 ドラゴンの襲撃ではコダ村避難民の多くが犠牲になった。第3偵察隊に損害が出なかったのは、ある意味で逃げ足の遅いコダ村の住民達にドラゴンの注意が集中したからとも言える。真正面からぶつかったらどうなるか、容易に想像できるのだ。

「命令なら従うが、選択権がこちらにあるのなら、俺は嫌だね。死にたくないし、こいつらも死なせたくない」

 すると柳田は、肩を竦めて「そうか?」と言うだけであった。伊丹の言葉など、聞くに値しないと言わんばかりである。そして、「だけど、お前はきっと行く。予言してもいい」とまで言う。「そうなったら、形式は俺が整えてやるから、安心しな」と。

「なんで俺が、行くことにするんだ?」

「さぁな」

 柳田はそこまで言うと「さてと…」と、伝票を持って席を立った。

「仕方ないから、今日は俺が奢ってやる。ま、これも、謝罪の前渡しだと思ってくれ」

「謝罪?」

 訝しがる伊丹に対して柳田は右手を挙げながら、去っていった。

 去り際にこう言った。

「金髪エルフの女の子のところに行ってみな…」











[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 38
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/10/07 21:17




37





 堰きとめられた水の堤が切られて決壊すると、その大きな流れはあらゆるものを、悉く押し流してしまう。

 状況は静かに推移して、動き出す時はあっと言う間である。

『門』を挟んだその内外の政治状況も、決壊寸前のダムのごとくであって、これまでの静けさや穏やかさはある意味、嵐の前の静けさに近いものだったかも知れない。

 沖縄を唄った謡にて曰く。「ていごの花が咲く」

 もし、ていごの花が『特地』にあったら、アルヌスの丘は彼の花が咲き乱れていたかも知れない。

 彼の詩は、ていごの花が咲き乱れると嵐が来ると唄っているが、その実暗示されているのは戦乱の訪れなのだ。

 帝国、帝都、そして日本を含んだ世界各国。さまざまな思惑が、それぞれに入り乱れるようにして平和を築こうとする堤防に蟻の一穴を穿っていたのである。




「ピニャ!!」

「ディアボ兄様…どうされたのですか?」

 慌てふためいてやって来る次兄を、ピニャは足を止めて待った。

 いたずらに時間ばかり費やす議会を終えて、元老院議員達は今後の方策やら意見を互いに語りながら歩いている。その流れに逆らって、突然立ち止まった彼女によって、元老院跡地の回廊に、はた迷惑な渋滞が発生した。

 かつて天井のあった場所は空にかわり、その空にも星が瞬く頃合いである。

 突然の混雑によって肩をぶつけたり、押し合ったりで、手にした松明から飛び散った火の粉を浴びた壮年やお年寄りの議員達が、慌てふためいたり、眉を寄せたりしながら、ピニャの傍らをすり抜けていった。

 そんな人の群れの中からピニャを捕まえたディアボは、他人の耳がある廊下を避けて、かつて小部屋があった場所へと、連れ込んだ。そこは破壊された元老院の中でも、比較的損傷が少なくて三方に壁が残っている。内緒話をするには充分だろう。

「ゾルザルについてお前知っているか?」

「ええ。父上も兄様の立太子を決められ、帝位の継承が明らかとなりました。妾も一安心です。それが何か?」

「あの馬鹿が、何をトチ狂ったのか父上と張り合うつもりだ。この俺にもどっちに着くか旗幟を清明にしておくよう言い放ちやがった」

 ゾルザルの部屋であった出来事を話して聞かせるディアボ。
 だが、ピニャは次兄の言葉を理解するのに少しばかり時間を必要とした。

「……あの、実に兄様らしからぬ振る舞いですね。皇太子になっていよいよ増長して威張るとか言うなら判るんですが。そのような賢しらな言動はものすごく違和感があります」

「俺もだ…いったいどうなってる?!!」

「妾に判じようがありましょうか?それに兄様がいずれ皇帝に成られると言っても、父上の後見・監督を得てのこと。張り合えるはずがありません。いったいどうするつもりなのでしょう」

「当面の間は雌伏して機を窺うつもりらしいが」

「そのままずうっと雌伏していてはくれないと言うことですね?」

 ディアボは砂を吐き捨てるかのように言った。

「世の中には二種類の馬鹿が居る。一つは、自分が馬鹿であることを知っている、すなわち賢い馬鹿だ。もう一つは、自分を賢いと思っている本物の馬鹿だ。あいつはどうやら後者らしい」

「父上は当面は自分が後見して、自分亡きあとは、ディアボ兄の補佐で帝国を運営していくことを期待している……と、思っていたのですが」

「この俺が、アレの補佐だとっ!?そんなこと聞いておらぬ。この俺が、なんだってあいつの補佐を引き受けねばならんのだっ!!それならばこの俺が皇帝となっても良かったではないか!!くそっ、父上も早まった真似をっ!!」

 怒りに駆られたディアボは、崩れかけた壁を殴りつけた。弱っていた漆喰がその衝撃で崩れて埃が舞い散った。

「兄様。帝位の継承は長子相続こそが説得力を有します。人柄や能力の有無は、普段接する立場にない民草には理解できません。兵士達もです。ここで序列を乱して、能力の優劣によって帝位が得られるとなれば、自負心を持つ者なら誰しも『我こそは』と思うもの。そうなれば、国は千々に乱れましょう。
 無論例外もあります。それ故に父上も、ぎりぎりまで迷っておられたのです。ですが、この国難の最中、次兄を後継に選んで兄弟が噛み合う事態になれば、いよいよ帝国が危うくなります。それを考えれば、兄様が帝位に就かれたほうがよっぽとマシだと思われませぬか?
 ディアボ兄様は、ゾルザル兄様の背中しか見ておられぬようですが、ディアボ兄様の背中を見ている者は、この宮廷には大勢いるのですよ」

 ディアボは、妹の理路整然とした物言いに驚いた。いつの間にここまで成長したのだろう。その言葉にも相当の説得力もあった。

 ディアボは、兄と自分を比較して、実務能力も見識においても優れていると思うからこそ、自分が次期皇帝たらんと頑張って来たのである。が、もし能力という物差しだけで次期皇帝を決めてもよいのであれば、自分の叔父や妹や弟達も競争相手となってしまうことを忘れていたのである。

 そのことに気付いて見ると、この目の前に立っている妹はどうだろうか?

 ゾルザルはこの妹を敵と親しすぎるという理由で競争相手と見なさなかった。彼女が所有する人脈を、利用することだけを考えていた。が、ディアボは逆に、敵国の軍事力とピニャの結びつきが恐ろしくなった。何故なら、自分ならとっくの昔にその立場を利用しているからだ。

 思わず背筋が寒くなる。

 ピニャこそが、最も帝位に近い立場にいると言うことをディアボはこの時、はっきりと意識したのである。

 自分に都合の良い王族を王に立てて、同盟関係を結ぶということは帝国もよくやってきたことだ。軍事において圧倒的なニホンという国は、今それをできる立場にあった。そして皇帝たる父が、そのことに気付いてない筈がない。

 ディアボは皇帝の思考を推し量る。推し量ろうとした。

 あまりにも材料が少ないが、ピニャという存在を加味すると、ことさらこの時期にゾルザルを皇太子に立てたことで皇帝が描こうとしている将来の図絵がぼんやりとだが見えてきたような気がしたのだ。

 ニホンという敵はお人好し。まともに戦わなければよい…。

 その皇帝の言は、ニホンは、利用しやすいと言う意味ではなかろうか?民を愛し、義に篤く、信に過ぎる。そんな敵を利用するにはどうしたらいい?ちがう、敵だった者すら味方にするにはどうしたらいいか?

 …それは、ニホン対帝国という対立の構図を変えてしまえばよい。

 どうやって?その鍵となる者……………………………それがピニャか。

 帝国内において、どうにかしてピニャと皇太子ゾルザルが反目し合う政治状況を作る。

 一番良いのは、ゾルザルが軍事的な暴発を起こしてニホンとの戦争を激化させることだ。ゾルザルに戦争を主導する役割を担わせる。そのためには一時的にでも軍事的な優勢か、優勢と錯覚させるような混乱した状況が必要となるだろう。これは政治とは別の技術的な問題なのであとで詰めることにして…。

 もし、この構図が成り立つなら戦争を終わらせることを大義名分としたピニャとニホンの共闘は容易に成立する。ニホンの力でゾルザルを廃して、ピニャが帝位に就くという目もあり得るわけだ。

 こうなればそれまで敵だったはずのニホンは、ピニャ=帝国の同盟者だ。これによってニホンは帝国の覇権を支える後ろ盾となり、さらに帝国はその進んだ文物を他国に先んじて吸収することもできる立場となるわけだ。さらに退位することで責任を負う父は、その玉座をめぐる争とは無縁の立場となりうる。ある意味、ゾルザルを生け贄とすることで、自分を安全なところに置くことが出来るわけだ。

 ピニャのことだ、帝位に就いたとしても父を蔑ろにするようにことはしまい。と言うより国政の人材を自前でそろえられないピニャは、兎にも角にも父の息のかかった者を用いざるを得ないのだ。つまり、裏で操ることが可能なのである。

「う~む」

 こうして冷静に考えてみるれば、ゾルザルの語った「退位した皇帝対、現役の皇帝たるゾルザル」という対立の図式より、ピニャを隠し玉としてニホンという敵を味方としてしまう、皇帝の絵図のほうが遙かに現実的に思えた。

 ゾルザルには父と競っていく意思はあっても、それを現実にしていく構想力で一歩も二歩も劣っている。さらに、構想を具体化していく現実的な『力』にも欠けているのだ。

 ディアボは、兄のはったりにも似た詐術から目が醒めたような気がして、ホッとした。

 こうなればゾルザルに味方することは、大変に危険なことである。かといって皇帝に味方したとしても、ディアボには生きる目がないのだが…。精々、父の傀儡たるピニャの補佐をするだけの一生になり果ててしまうだろう。

 帝位を狙うディアボとしては、さらに考えるべきは、ピニャの立場に自分が割り込むにはどうしたらいいかであった。それには、とにもかくにもニホンと縁を結ばなくては成らないがその点でもディアボは大きな遅れを取っている。

 ディアボは考える。
 皇帝の考想を真似てみては…と。

 皇帝は、ゾルザルと自身の対立という単純な図式を、ピニャとニホンによる同盟勢力という第3勢力を持ち込むことで、自分を天秤の支点とすることを試みている。

 と、すればディアボに出来ることは、第4の勢力を構成することだ。そして状況に対するキャスティングボード握ることで主導権を握るチャンスを得るのだ。

 問題を何を味方とするかである。

 諸外国や諸侯を糾合すると言うのも一手だ。勿論、皇位の座をめぐる争いに加わるには、帝国軍と互角な勝負に持ち込めるくらいの力は欲しかった。もし、こちらに無いのなら、ニホンの国内、あるいはニホンという国の外はどうだろうか。そういった力を持つ勢力はないのか?

「………………?兄様、また考えすぎておられるのでは?」

 これだけの思考を沈黙したまま続けていれば、誰もが変に思う。

「ゾルザルの兄様は考え無しなので困りますが、ディアボ兄様は考えに過ぎるところがありますね」

 黙り込んでしまった次兄をピニャが、呆れたように眺める視線に気付いて、ディアボは自分の後ろ暗い思考を誤魔化すためか、あるいは考えすぎる性格に対する非難を糊塗するためなのか、ことさら言い放った。

「いったい誰だ!?あのゾルザルをホントの大馬鹿に仕立て上がったのは」

「そんなに、馬鹿、馬鹿と貶さずとも…それに、ゾルザル兄様も、本当にそれだけの力をお持ちで、これまで韜晦してこられたのかもしれませんよ」

「あり得ない!あれは馬鹿だ。だってそうだろう。皇帝たる父を恐れて、頭角を隠してきたのなら、父が亡くなるまで隠し続けているべきだ。それをこのような時期に暴露するなんで馬鹿でしかあり得ない」

「あの、兄上。いささか口が過ぎるのでは?立太子された嬉しさに、自分を抑えきれなかっただけかも知れませんし」

「だってホントに馬鹿なんだもんっ!!しょうがないじゃないかっ!!俺たちが思っていたような小馬鹿だったら、まだマシなんだよっ!!

 それが身を守るために小馬鹿を演じているつもりで馬鹿に磨きをかけて、しかも、本当の自分は天才なんだと勘違いするぐらいの大馬鹿になっちまったんだ、あいつはっ!!

 いいかピニャ。大馬鹿は恐いぞ。なまじ変なところで小知恵がまわるから始末に負えないんだっ!!小商売で成功して、大商売でずっこける大馬鹿商人が世に尽きぬように、あるいは天才とアレが紙一重なのと同じでな。大馬鹿はまわりを巻き込んで盛大に破滅してくれるんだ。

 もう彼奴のことはいい。問題はピニャ、お前だ。お前も少しはこれからのことを考えておけよ」

 最後のそれは、これからお前を中心にこの帝国が動いていくことになるかも知れないという警告であった。この帝国をどうするのか何の見識も持っていないようなら、後ろに立っている者(自分も含めて)がお前の背中を見ることになるぞ、という宣告でもある。

「妾なら、とうの昔に考えておりますが」

「そ、そうか?やはりな、そうでなくてはならぬ」

 やはり帝位もその視野にいれていたようだ。油断のならない妹である。だが…勝負は最後までわからないものだ。負けないとディアボは拳を握った。ところがピニャの答えは、ディアボの斜め上を行っていた。

「妾は、芸術の擁護者となります」

 まるで自分の立場を理解していなかった。





     *     *





 テューレは、自らの首にかけられた革製の首輪をいまいましそうに取り外して投げ捨てると、狭苦しい私室の、きしみを立てるほどの粗末な寝台に倒れ込むように身体を投げ出すと俯せに横たわった。

 二の腕や首には痣や、真新しい歯形痕が残っていた。ごしごしと指で擦ってみても肌からその痕跡が消えることはない。擦ったところで消えることはないことは判っているが、擦らずにはいられない。そんな心境であった。

「……………」

 小さなため息をひとつ。すると寝台の下からくぐもった嗄(しわが)れ声が聞こえた。

「テューレ様。ボウロでございまする」

 横たわったまま、まるで寝言のように応じるテューレ。

「なに?」

「アルヌスへ送り込んだ手の者からの報告が参っておりまする」

「そう。そこにおいておいて、後で読むから」

 何もかも忠節故とは思って感謝こそするが、今は疲れ果てている。こんな時はどのような親しい者であっても他人の存在は鬱陶しく感じるものだ。

 報告を届けるだけなら用件も終わったことだしこれでボウロも去るだろうと期待する。だが、テューレの忠臣は立ち去らなかった。

「テューレ様。ゾルザルが皇太子となれば、いよいよ帝国も終わりでございますな」

 思わず無音の舌打ちするテューレ。見えないことを良いことに、眉根を寄せて唇を噛んだ。さっさと立ち去れという言葉が、喉元まであがってくる。だが、ボウロは彼女にとって唯一無二の臣下であった。ボウロなくしては、自由のないテューレはゾルザルの籠の鳥でしかないのである。だから、強い拒絶も出来なかった。

 この醜男は報酬を求めているのだ。忠節に報いるのに報酬は当然のこと、であるが…テューレはうんざりとした気分になる。ゾルザルに続いて、この男にまで。

 テューレは頭を抱えつつも、寝返りをうつように俯せから仰向けとなると、ベットの淵から片足を落とした。

 やがて、水滴り跳ねるような音とともに、足をナメクジの這いずるような感触が伝わってくる。唇を噛んで不快感を堪えつつ、テューレは、気を逸らすように言った。

「アレを煽て上げて、自信過剰にまで追い込むのにも苦労したのよ」

 貴方は偉大な人、本当はできるのに他人は貴方を評価しない。それは天才を凡人は理解できないから。言いたい人には言わせておきなさい。貴方のことは私が存じています。貴方は力強くて凛々しい。その颯爽とした振る舞いに人々は目を惹かれます。貴方が、いえ、貴方だけが真に正しいのです。貴方は素晴らしい。貴方の発想は斬新すぎるのです。凡俗には理解できません。天才は、凡人のようにあらねばならぬ理由はありません。したいようになさってください、それが正しい答えです。皇帝は貴方を恐れています。だから、立太子しないのではなく、できないのです。皇帝は恐ろしい人、貴方の慕っていた義兄を殺しました。その恐ろしい人物が恐れるのだから、貴方はやはり素晴らしいのです。義兄のように殺されないためにもここは雌伏すべきです。才能を隠すのです。能力を隠すのです。無能を演じるのです。今の貴方はも無能を演じているだけなのです。

 テューレが甘い吐息と共に、彼の耳に注ぎ込んだ蜂蜜漬けの言葉は、ゾルザルの魂を確実に捕らえて太らせた。彼女の語った耳心地のよい嘘を信じ、それを基盤としてさらなる嘘を信じ、それを信じるために自らに嘘を塗り重ねていく。ここまで来ると、本人は微塵も疑わずに信じ切っている。元よりあった根拠のない自負心と自尊心がより膨れあがり、他人から吹き込まれた考えすら、自分の発想と錯覚する。それどころか、他人が自分の考えを盗んだとすら考えるようになってしまった。

「お人好しの異世界の軍など恐れるに足らない」そんな皇帝の言葉が耳に入った途端、「俺のアイデアを我がもののように言いやがって」と考えているのだ。

「でも、油断しては駄目よ。講和は何としても潰さないと。何としても戦争を続けさせるの。火に油を注ぐの。この地上のヒト種が憎しみ合って、罵りあって、殺し合い、奪い合い、破壊し合って帝国が滅んで、王国が滅んで、街が滅び、村が滅び、ヒト種がこの地上から消えていくまで、決して手をゆるめては駄目。そうして初めて、私の復讐は完遂されるのよ」

「ならば良い考えがございまする。ニホン人奴隷を始末いたしまする。たかが一人二人の同胞が奴隷となっていたと知っただけで、元老院を破壊するくらいなのですから、残りの者が殺されてしまったと聞けば、大いに理性を失うこと請け合いでございまする」

「たかが、一人二人の同胞が奴隷になっていただけで、怒り狂って攻めて来た」のくだりはテューレの胸中にあった正体不明の苛立ちを怒りへと変えた。

 自分の時には誰も助けに来てくれなかったと言うのにっ!
 誰も助けてくれなかった。誰も同情してくれなかった。
 誰も自分の事を案じてくれなかった。

 しかも、生き残った仲間は、自分が一族を裏切ったという嘘を信じて、この身をつけ狙ってすらいると聞く。

 それだけは、絶対に許せなかった。

 自分は故郷を守るために、自らを犠牲にしたのだ。なのに誰も、何も返してくれない、愛してくれないなどという理不尽は、断じて許せなないのだ。そして、その怒りは同じ境遇にあったにもかかわらず、自分には与えられなかった救いの手が差し伸べられた紀子へも波及する。

「甘いわね。とっても甘い。私たちが手をかけては駄目。帝室の者に手をかけさせる方法を考えなさい。できればピニャがいいわ。でも、無理ならディアボでもいい。ノリコも殺させるの。そうすればニホンと帝国、そして元老院と帝室の関係も最悪となるでしょう。戦争は続く。戦争が大きくなる。ヒト種が殺し合って大地は骸で覆われる。父と母と弟と一族の故郷を亡ぼしたゾルザルも、帝国も何もかもが滅びるの。それは私にとって、大いなる喜びなのよ。そうすればボウロ、私はお前の望みを叶えましょう」

 テューレの腿にまで舌を這わせていた豚と犬をかけ合わせたような醜い男が、瞳を輝かせてその表情を歪めた。笑ったのだろう。

「かしこまりましたテューレ様。乏しい智慧を絞ってみます。ですからお約束、なにとぞお忘れ無く。いひひひひ」





     *     *





 アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、EUそして日本の外相の集まる会議の場で、麻田は耳につけたインカムにふさがれた耳の穴が蒸れるのを、じゅくじゅくと痛痒く感じていた。

 通訳の声が流れるインカムをはずして、何度か外耳道の空気を入れ換えようと試みる。だが生来からの熱しやすい体質に加えて、交わされるやりとりの内容が彼の情緒を強く刺激するようなものであったために、いささか体温が上がり気味なのだ。それを抑えるのにも、理性の総動員が必要だった。

 麻田はため息をひとつつくと、斜め前方に座るロシアのウラジミール外相に向けて語った。

「そのような要求は到底受け容れかねる。銀座と言えば、我が国の政治経済の中枢、首都東京である。そこに武装した外国の軍隊を無条件で受け容れるなど、どうして出来ようか。まして我が国は貴国ロシアを信用できない。グルジアの南オセチア州でなされた極悪非道の侵略行為と住民虐殺の蛮行はつい最近の出来事である」

 通訳が麻田の日本語をロシア語に翻訳するのに、若干のタイムラグが生じる。この間に、麻田は机の上に置かれたミネラルウォーターを口に含んで一息ついた。顔色を変えたウラジミールが、麻田に向かって強い口調で何か言い始めたが、ロシア語などわからない麻田は、それが日本語に翻訳されるのを待つ。

 通訳の翻訳は以下のようなものであった。

「そのような悪意に満ちた誹謗を我が国は受け容れるわけにはいきません。南オセチアにおける我が国の軍事行動はあくまでも我が邦人保護を目的としたものであり、非難されるべきは、民族浄化をはかろうとしたグルジア側にあります。我が国の軍事力の行使はあくまでも適正なものであり、何一つ非難されるようなものはないのです」

 麻田は「わらっちまうぜ」と肩を竦めながら、隣の外務次官へと一旦視線を向けた。外務次官は、この表舞台とは別の場…すなわち裏で為される影の交渉「別名テーブル下の交渉」の結果、アメリカ、イギリス、ドイツの賛同を得たことの報告を得て麻田にメモを示した。

 メモには「概ね賛同を得る。条件次第」と書いてあった。

「俺が見たのは、報道関係者に向かって銃をぶっぱなすロシア兵の映像とか、そんなんばっかりだったぜ…」

 通訳が麻田のべらめぇ口調をどのように翻訳したのかはわからないが相当に刺激的な意訳だったらしい。

 ウラジミールはテーブルを拳で叩くと、顔を真っ赤にして腰をあげた。

「それは西側報道機関の捏造です!!!」

「現場生中継を捏造とはちゃんちらおかしくて嗤えるねぇ。後々になって出してきたロシア側の新証拠とやらの方が捏造だろうに。いずれにせよ、我が国は貴国を信用できない。よって、ロシア側の要求するように無制限の要求は断固拒否する」

 ロシアの外務大臣は、握り拳を作ったまま他国の大臣の顔を見渡した。

 この8カ国外相会議は、経済や、政治上の様々な問題を検討するために設けられた。当然、日本国の東京に忽然と現れた『門』という現象も議題に上がった。

 それは日本国内で起きた出来事であるが故に、本来日本だけの問題であった。そして『門』は日本だけの物のはず。

 だが、その『門』が多大なる利益をもたらすことが判ると、その『門』がもたらした負の利益、戦災のことは忘れ去られて、そこからもたらされる利益ばかりが注目を浴びたのである。

 各国の要求は、すなわち「独り占めするな、こっちにも寄越せ」であった。

 『門』に多大な興味を示しているのはここに集まった8カ国ばかりではない。韓国、インド、台湾、ブラジル、メキシコ、オーストラリア、シンガポール等々、そうそうたる国々がそろっている。こうした国々の国際圧力に屈する形で、首相の福下は大幅の譲歩を決断したのである。

 ただ、勿論譲ってばかりというわけにはいかない。日本には日本が求めるべき国益というものがある。人の家に欲しいものがあるからといって、土足でずかずかと上がって良いはずがない。言うべきは言い、つっぱねるべきは突っぱねる。閣議における麻田や石場の主張が取り入れられ、総論において受け容れても、各論に置いて非常に強い制限を加えていくという方針が定められたのである。

 こうして『門』の利用や、日本が他国を受け容れるための枠組みづくりが、ここに集まった8カ国で取り決められようとしていた。

 今度は中国の外相が発言を始めた。

「我が国は、日本国が『特地』において、かつての帝国陸軍ような蛮行を行っていることを危惧している。東京の治安や安全を脅かそうという意図はない。信用して頂きたい。我々が求めるのは『特地』に立ち入り、日本軍の活動を監視し、我が国の権益を守るための最低限の戦力を受け容れていただくことだけである。あまりにも頑なに拒絶する態度は、何か人に見られたくないような行為をしているのではないかという疑念が生じるので注意して頂きたい」

 麻田は、似たようなことを韓国の大使が言っていたことを思い出した。

 国内でも野党勢力の政府批判の論旨が似たようなものになりつつあって、これについては注意が必要であった。

 野党と、特定アジアの結びつき。

 そう言えば、野党は日銀総裁人事においても非常に拒絶的な態度を取った。これは我が国の為替防衛の秘密兵器たる『日銀砲』の使用を妨げ、日本の経済安全保障を脅かすための最初の一手であると見て取ることも可能だ。(日銀砲の発動には、やはり財務省と日銀の一体性が必要であろう)さらには為替相場を安定させるためのこれらの資金たる米国の国債を、埋蔵金などと称して売り払い(それだけで、アメリカの怒りを買う行為である)枯渇させることを目的としているとしか思えないマニフェストを発表している。

 政権欲しさのあまりに野党は、盗賊のために門を内側から開くという行為にも手を染めるつもりのようだ。一般にはわかりにくいが故に、これによって受けた打撃はみんな与党のせいと非難できるわけだ。これによって国民生活にどれほどの打撃を受けるか全く考えていないのだろう。

 馬鹿なことである。リベラル系の大統領が2代続いた韓国が、現在どうなったか見れば判るはずである。その二の舞を演じるつもりなのだろうか。おそらく中国系かオイル系のハゲタカファンド…つまりその背後にいるのは中国政府そのもの、そしてアラブ各国の政府その物である…から金が流れて来ているのかも知れない。

 麻田は、中国と野党との繋がりを心のメモ帳に要注意と記入しつつ、述べた。

「安心して頂きたい。日本国は大東亜戦…もとい、第二次世界大戦に敗戦して以来、民主主義の国家となっている。ウィグルやチベットで某国が行っているような武力弾圧とか虐殺とかは一切していない。実際、我が国の野党が現地の住民を国会に招致して意見を求めたが、自衛隊の行動の適正さを証言してくれたくらいである。ま、それでも疑わしいどうしても見に来たいというので有れば、受け容れることも吝かではないが、当然の事ながら条件がある」

 続く言葉を各国の外務大臣達は身を乗り出して待った。

「まず『門』が東京にある以上、『特地』に入るには東京を通過しなければならない。だが、一国の政治経済の中枢に、他国の軍事力を受け容れさせるという非常識をこの八カ国協議が推す以上、以下の条件が認められなければならない。

 それは、日本国領土内を通過する段階では、各国の軍隊、それに所属する兵士は、我が国の法に従わなければならないと言うことである。我が国は武器管理に置いては厳重な法の規制下にあり、銃砲火器刀剣等の携行は絶対に認められない。これらの装備を『特地』まで輸送するに当たっては、分解し、完全に梱包し、弾薬なども我が国の爆発物取り扱い等の法に従って移送されなければならない。また輸送の手段も、我が国の法に従って粛々と為されなければならない。則ち交通ルールを守れと言うことだ。守られなければ当然、我が国の法に従って、刑罰を受けることとなる。また、これらの条件が適切に為されていることを確認するために、荷物等の検査も当然ながら受けて頂く。これの拒絶もまた、ペナルティの対象となる。

 もし万が一、外国の兵が、武装して門を出て銀座の土を踏んだら、我が国の法を犯した者として、その理由の如何を問わず、当該将兵はその場で射殺され、車両等は撃破される。また、その兵の所属する国家は、不法行為に対する賠償として兵士1人あたり米貨にて100万ドルを支払って頂く。さらに我が国の建物や施設財産等を損壊させた場合も、それに見合った額を加えて支払って頂く。

 なお、これらの金員は、あらかじめ保証金として我が国に預けていただく…従って、特地へ派遣する兵の人数に応じた保証金を積んでいただくと言うことである。10人なら1000万ドル、100人なら1億ドルということである」

 もう、この段階で各国の外務大臣の顔は真っ青だった。

 日米安全保障条約があるアメリカの外相だけは、苦笑いしている。米兵が武装したまま日本国内を移動することは、条約で認められているから、これらの条件はほぼクリアされるのである。問題は保証金だが、日米の関係に置いては、返還させることが決まっている限りに置いてなんの心配はない。さらに、『門』から得られる利益はこれを度外視できるほどに大きいと試算されているのだ。

 またイギリス、ドイツも、顔色を青くしながらも、次官とひそひそと何やらメモをやりとりしながら検討していた。

 実は、両国とも『特地』での武力行使して、大昔のように領土や権益を拡げる意図を放棄していたからだ。両国ともアメリカ同様に、小さな門しか補給路のない特地に、大軍を派遣することの危険に気付いたのである。従って、日本から分け前を貰うという方針に切り替えていた。

 そうなると必要な戦力は形ばかりの監視と、特地の情報収集に必要な少数でよいことになる。その程度なら両国とも保証金(あとで帰ってくる)は問題とならない額とも考えたのである。

 カナダやイタリアは、何やら補佐官とひそひそとやって、本国と連絡を取り合っている様子が見受けられる。これも机の下の交渉が進んでいて、額の問題で交渉になっても、総論では受け容れることになるだろう。

 問題は、現代にもなお海外植民地を有するフランス、武力侵略もへっちゃらなロシア、領土領海の拡張と異民族の武力弾圧に余念のない中国であった。これらの三国は、日本の要求に対して苦い顔をして首を振った。

 これらの国は、特地において100年ほど昔になされたような、植民的な権益を狙って大量の軍事力の投入を考えていたからである。

 補給物資等の輸送の問題についてもフランスにはそれなりの考えがあるようだが、中国やロシアは自国と日本が近いこともあって、さほど輸送距離もなく、さらに自国で普段あたりまえにやるようなノリで軍事優先が通じると思いこんでいるのだ。そのために日本の道路事情の特殊性に考えが至っていない。

 さらに中国は、増えすぎた人口を、特地に移民させるという荒技を考えていた。自国民を移住させて、その範囲を自国民保護を理由として軍事的に支配していくやり方だ。しかし、これだと送り込む人数に応じて保証金を積めと言う日本の要求には、当然の事ながら頷くことは出来ないのである。

「我が国が、日本国の経済や政治に悪影響を及ぼすような行為をするはずがありません。従って、このような過剰の保証金は不必要だと思われます。それに、兵士が武装したまま『門』から東京に出たと言うだけで、その場で死刑とはあまりも野蛮なことです。どうぞ、再考して頂きたい」

 麻田は、フランスの外相の言葉に対してこう答えた。

「嫌だ」

 何を言われたのかわからないのか、フランス外相は目をパチクリとさせている。

「なんと言われましたか?」

「お断りすると申し上げた。これらの巨額の保証金は、過剰な戦力を入れることを防ぐためだからである。我が国は『特地』の秩序を乱したくない。特に、現在は、特地内の『武装勢力』と非常にデリケートな交渉の真っ最中であり、これをいたずらに混乱させれば、終わる戦争も終わらなくなってしまう恐れがある。また、フランスは我が国の政治・経済の中枢を混乱させたり、攻撃したりするおつもりか?」

「そんなことあろうはすがありません」

「門を越えてフランス兵が銀座に出てくるおそれは絶対にないと言い切れるか?」

「無論」

 ならば問題ないでしょうと麻田は大きく頷いた。

「フランス兵が銀座に武装したまま出て来ることなど、絶対にないと言われるのであれば、どれほど過剰なペナルティを決めたとしても、心配ないではないか。人を正当な理由もなく殺したら死刑という罰を恐れるのは、自分が人を殺しそうだと認識している人間だけである」(言うまでもないが、間違いや、何かの弾み、事故等は過失致死であって殺人ではないため当然死刑は適用されない。正当及び過剰防衛も同じであることを蛇足ながら付け加えておく)

 麻田の言葉を最後に、次の交渉日程を定めた上で、この日の会議は終了した。





     *     *





 一方、世界の思惑や水面下の動きを余所に、伊丹はアルヌスの街をうろうろとしていた。




 嫌な予感がした。

 ものすごく嫌な予感がしたのである。

 柳田の言った金髪エルフと言えば、このアルヌスではテュカのことしかないからだ。

 伊丹はテュカが嫌いではない。いや、どちらかというと好きな部類に入る。…正直に言えば非常に好みである。見栄えだけ取り上げてみても、彼女の魅力を数え上げるのに苦労を要しない。美しい顔立ちに、透き通る蜂蜜のような髪、そして温もりを感じさせる肌に包まれた、ほっそりとした肢体等々。フィギュアにして飾っておきたいくらいだ。

 その碧眼の瞳は、伊丹には見えない精霊の類を見通す力があって神秘的ですらある。

 もし彼女が何も抱えていなければ、もっと積極的に話をしたいと思ったろうし、もっと関わりたいと思ったろう。だが、伊丹は彼女との間に越えられない壁の存在を感じて、それが出来なかったのだ。

 それは彼女が、精神に大きな爆弾を抱えていたからだ。

「金髪エルフのところに行ってみな」

 柳田の嫌な表情。そしてその言葉の響き。
 どうしたって、いつ炸裂するか判らない不発弾をかかえる彼女の精神のことを思ってしまう。

 これまで伊丹がしてきたことは、その不発弾を炸裂させないように、不用意な衝撃を与えないようにすることだけだった。

 それしか出来なかったと言うのもあるが、一度、彼女の心が平衡を欠けば何がおこるかわからなかったからである。

 否、逆か。

 何が起こるか予想が出来るからこそ、それを見たくなかったのである。見たくないから目を背けていたのである。




 柳田と別れた後、伊丹は部下と別れると街の居住区、仮設住宅の並ぶ区画あたりで、うろうろとしていた。

 テュカの様子は見に行かなければならない。だが、もし自分が恐れていた事態が起こっていたとしたら、と思うとどうにも近づけないのだ。そんな葛藤の間で揺れ動いて、四半時ほど行ったり来たりとしている。まるでストーカーだ。

 女性の部屋の近くでそんな挙動不審な様は、当然の事ながら怪しまれてしかるべきものだ。が、アルヌスの生活者協同組合の子ども達やお年寄り達は、伊丹の人となりをよく知っていた。だから、怪しむよりは気軽に声をかけてくる。

「イタミのおじさん。こんばんは…どうしたの?」

 それはレレイよりも二~三つ下の年齢の男の子だった。

 洗浄した翼竜の鱗を入れた箱を抱えているところを見ると、こんな夜遅くまで作業をしていたようだ。

 組合がここまで大きくなって、使用人の数も増えたと言うのに、コダ村の住民は働き者ばかりで現場から離れない。立場にあぐらをかかないのだ。人を雇ってるという意識がないのかも知れない。どんどん増えていく従業員を見る目が、新しく村の人が増えた…ぐらいの感覚で、もちろん仕事の仕方や働き方には注文をつけるけれど、大抵は率先垂範。なので従業員達はボスの目を盗んでサボるということも出来ないでいる。って言うか、子どもが一生懸命働いてて、給料をもらってる(しかも結構沢山)自分達が怠けてたら、不味いだろ大人として…と思わせてしまうのだ。

 さらに彼らは、とても純朴なので、自分に出来ないことをする専門家、例えば傭兵とか、営業とか、大工仕事といった技能を必要とする仕事をする者には、ちゃんと敬意を払うのだ。「これは、こうすると、うまく行くんだよ」「へぇ、おじさん、すご~い」という感じである。これで、働く気になれない輩がいたら、相当なへそ曲がりだ。

 こんなところが、ここが『天国』とか『良い職場』あつかいされる理由かも知れない。それでいて、経理などの要の部分は、レレイとか、テュカとか、ロゥリィとか、カトー老師がしっかりと掌握しているので、舐められると言うこともない。しかも自衛隊の目も光っている。

 かつて釣り銭勘定をごまかすことを試みたとある不真面目な従業員は、暗算という恐るべき技術を有するニホンの兵隊(特地では普通、暗算が出来るような者は、同じ軍隊でももっと良い仕事をしているものだ)に看破されて、大いに冷や汗を掻いたらしい。ちなみにその男は、お金を扱う職場から配置転換された上に、ダークエルフの女性に対する婦女暴行未遂事件を引き起こして解雇された上で、イタリカへと身柄を送検された。

 少年と一緒に働いていたホビットの男性が「あ、ぼっちゃん。私が運んでおきますよ」と少年から鱗の箱を受け取って倉庫へと運んでいった。おかげで手の空いた少年は、伊丹の元へとやってきて、先ほどと同じく「どうしたの?」という質問を揶揄するような表情で繰り返した。

「いや、ちょっとな」

「もしかして、夜這いとか?」

 なんともまぁ、ませた子である。だがレレイの2才下なら13才。大人の間で育った子供これくらいのことは口にしても変ではないかも知れない。こういう場合、普通の大人なら叱ったりするんだろうか?ほって置くのだろうか?

 伊丹の場合は、どこでそんな言葉を覚えたんだろうと思いつつもそれ以外は何とも思わず、ただ「違うよ」と指摘した。その上で「そう言うことは、思っても口にするなよ。変な噂で傷つくのは女性なんだからな」と、しっかりと言い含めるのである。

「言って回ったりなんかしないよ。ただ、聖下の部屋なら裏手だし、レレイ姉さんの部屋なら向こうだから、もしかしてテュカさんにまで手を出そうとしてるのかなぁ、とか思っちゃったんだ」

「おいおい、レレイに手を出したら犯罪だぞ。日本には、児童福祉法とか、青少年育成条例というのがあるんだ。それと、テュカには用があって来たのは確かだが、夜這いとは違う」

 ロゥリィのことをあえて言わないのは、年齢的には条件がクリアされているからだ。とは言っても、手を出した訳でもないのに、ロゥリィやレレイには既に手をつけた、と思われるのも心外なので、その点についても充分に抗議しておいた。

 すると少年は、わずかに首を傾げた。

「………………………………おじさん、もしかして、三日夜のならわしって言葉を知らない?」

「なんだそれ?」

「…………………………………………………………………駄目だ、こりゃ。もう、し~らなぃっと」

 ぷぃと背中を向けて去っていく少年に、お前は、故いかりや長介氏か?と思いつつも、伊丹は彼が呆れている理由には気を留めなかった。どちらかというと、少年に声をかけられたことでテュカの部屋へと赴く決心がいよいよ固まって、そのことばっかりに気を取られていたからである。






 テュカの部屋のドアをノックする。

 返事を待つ間、仮設住宅のドアの前で見たくない光景を想像してしまった。

 浮かんでくるのは、かつての母の姿だ。

 青い顔をして髪を振り乱し、壁にゴツ、ゴツと額を打ち続けているその姿は、まるで幽鬼のように思え、見た瞬間に背筋が凍ったものである。

「生きてるのよ」「そう。生きてるの」「死んだりしてない」「生きてる」「だって、何もなかったもの」「だって殺さなきゃいけないようなこと、何もなかったもの」「そうよ何もなかったのよ」「でも、いないの」「いないのよ」「どこにいるの?」「あの人を探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」「探さなきゃ」

 恐い想像を振り払うように頭を振る。
 気がつくと寒さなどまったく感じてないはずなのに、全身に鳥肌が立っていた。

 しばらく待つと、戸が内側から開いた。

「よお、テュ……」

 テュカへ挨拶するつもりが、伊丹を出迎えたのはレレイであった。ランプの灯された室内には、黒ゴスのロゥリィの姿もある。

「入って…」

 表情の乏しいレレイの声には、まるで何かを周囲に知られることを恐れるような響きがあって、伊丹も素早く対応した。

 すぐに室内に入って、後ろ手で戸を閉じる。

 すると、都合3人分の視線が伊丹を迎えた。

 一人は、ロゥリィ。緊張で強ばっていた表情が伊丹を見て、わずかに緩む。

 一人は、レレイだ。

 そして最後の一人が、テュカだった。

 木製の寝台に腰掛け、髪を振り乱して何かに怯え、恐れ、憔悴していた表情が、伊丹を見た途端に明るい笑顔に変わる。目を涙で潤ませて、おもむろに立ち上がると伊丹に体当たりするかのように駆け寄ると、全身で掻き抱くようにしてしがみついて来たのである。

 伊丹に抱きついて、テュカはロゥリィとレレイの二人に言い放った。

「ほら、見なさい。帰ってきたじゃない」

「……………」

「……………」

 ロゥリィの痛ましそうな表情、レレイの情緒を含まない無機的な視線がテュカを経由して再び伊丹へと集まった。

 伊丹は、何が起きているのかと困惑して、「なにが、どうなっている?」と説明を求めようとした。だがそれよりも早くテュカが言う。

「二人とも、いくら冗談でも言って良いことと悪いことがあるのよ。いくら二人でも度が過ぎると怒るんだからね。それに…あの嘘つきダークエルフっ!!あとで絶対にとっちめてやるんだからっ!!街から追い出してやるっ!!」

 伊丹を抱きしめる力がちょっとばかり増す。どうやらテュカは大いに憤っているようであった。伊丹は、恐る恐る尋ねてみることにした。

「な、なぁ、テュカ。いったい何があったんだ?」

「聞いてよ。二人とも、父さんが死んだなんて言うのよ。もう、笑っちゃうわ」

「父さんが、亡くなった?」

 伊丹は追加説明を求めてテュカからロゥリィとレレイに視線を向けた。だがロゥリィは痛ましそうに視線を背けるだけ。レレイもじっと伊丹へと視線を注いで成り行きを見守っているだけだ。

「そうよ。でも二人は悪くないの。悪いのは、あのダークエルフなんだわ」

「ダークエルフって?」

「知らないの?もう街中で有名よ。故郷の集落を助けてくれって、緑の人に助けを求めに来たのよ。でも、自衛隊の人に断られ続けて…わたしたちのも同情したから、とりあえず寝るところくらいは提供したんだけど、とんでもない恩知らず。何が気に入らないのか、いきなり父さんが炎龍に殺された。死んだと認めろ。認めて敵討ちをしろっ、緑の人に助太刀を頼めって言いだして。失礼しちゃうわよ」

「……敵討ち?」

「そう。いくら助太刀が欲しいからって、嘘をついてまでって呆れちゃうでしょ?」

「嘘なのか?」

「だって、父さんが死んだなんて。炎龍に喰い殺されたなんて、馬鹿みたいじゃない。こうして生きてるんだから。そうでしょ?父さん!!」

 テュカの紺碧の双眸は伊丹を見て「父さん」と呼びかけていた。

 伊丹を見ているようでいて、実は何も見ていてない狂気に満ちた視線と飾っておきたいほどの笑顔。それは伊丹の記憶の奥底に閉じこめた古い記憶を、嫌が応にも揺さぶり起こした。

 瞬間、伊丹の胃袋は締め上げられた。

 柳田に奢らせて、食べて飲んだもの全てが胃から逆流してきた。

 思わず口を抑えるが、押しとどめることは不可能だった。戸を開けてテュカの部屋を出るのが早いか、その場で吐いてしまう。絞るようにして根こそぎ吐いた。吐く物がなくなれば胃液を吐き、それでも嘔気は止まらない。

「いったい、どうしたの?!!」

 テュカの悲鳴にも似た声があがった。心配してなのか背後からしがみついて来たが、伊丹はそれを振り払う。絞り上げられる胃が、激痛を訴え、じっとしていることなど出来なかったからだ。

「ちくしょうっ!!なんてこった」

 吐瀉物にまみれながら伊丹はのたうち回る。

 くそっ、誰だテュカを壊したのはっ!!

 背後からレレイの魔法の呪文を紡ぐ喉歌が聞こえる。

 途端、伊丹の意識は霞の中に沈み込むように途絶えた。






 伊丹が目が醒めると、仮設住宅の天井が目に入った。

 窓の外は既に深夜。だがランプの薄い暖色の明かりが、世界を闇と光の狭間に留めていた。

「ようやくぅ、お目覚めぇ?」

 枕元の椅子に腰掛けるロゥリィが、左側の頬だけを微笑みの形に歪めた。ロゥリイの背後にはテュカの寝台があって、小さくテュカが寝息を立てているのが見えた。

 伊丹が寝ているのはテュカが父親の物と決めた寝台だ。テュカは、使う者などいないのに定期的にシーツを変え、毛布を干すなどしていたようだ。

「げぇげぇ吐いてる、ヨージをレレイが眠らせたのよぉ。そしたらテュカったらぁ、すっごく取り乱しちゃってぇ…お父さんが死んじゃうってぇ」

 ロゥリィの傍らに立っていたレレイの左頬は赤く腫れ唇が切れていた。

「どうしたんだ?」

 答えないレレイに代わってロゥリイが「テュカを眠らせるのにちょっとね」と肩を竦めた。

 伊丹は仰向けになったまま、大きく息を吐いた。

 幸い、先ほどの吐き気は一時的なものだったようで、吐く物もなくなった空っぽの胃袋はわずかにしくしくとした痛みを訴えるだけだ。

「事情を聞かせてくれるな?」

「どう、話したものかしらぁ?」

 ロゥリィは、レレイに視線を送りながら足を組み替えた。レレイはそれを受けて、一歩前に出た。

 レレイの説明に寄れば、事の発端は、レレイがヤオという名のダークエルフを連れて来て、彼女に宿を貸したことから始まるという。

「ヤオ?」

「わたしぃのことをガキっ言い放った女がいたでしょ?」

 ロゥリィと差し向かいで呑んでいた時に、何やら言いがかりをつけてきたあげくに伊丹にサーベルを向けたダークエルフを思い出した。

「ああ、彼奴か」

 炎龍に襲われた故郷を救うために、彼女は緑の人を求めてやって来たと言うのである。ところが、自衛隊は彼女の求めを断った。

「その辺の下りは柳田から聞いてる。だけどそいつがいったいなんで、テュカにオヤジさんが亡くなったという話を吹き込むことになるんだ?」

「それは、此の身より話そう…」

 いつの間にか、ドアの前にダークエルフの女が立っていた。頭や顔を覆うターバンを解きながら、ヤオは進み出て素顔を晒す。その顔は不敵を越えて最早邪悪に近い印象があった。

 ロゥリィはチッと舌打ちしながらハルバートに手を伸ばし、レレイも杖を引き寄せる。二人とも明らかな敵意を示していた。

「挨拶が遅れた。緑の人よ…我が名はヤオ。ダークエルフ、シュワルツの森部族デュッシ氏族。デハンの娘 ヤオ・ハ・デュッシ」

 深々と頭を垂れる。

「名乗りなら、前に受けた」

「そうだったな。その節は失礼した。ロゥリィ殿を稚(いとけな)い女児と勘違いしてな。御身を子供をたぶらかす不逞の輩と思い違いした。許されたい」

「で、なんでテュカに余計なことを言った?」

 伊丹は横たえていた身体を起こすと、ベットに座ってヤオへとまっすぐに目を向けた。

「余計とは心外。事実を伝えたまでだ」

「では、問い直す。なぜ事実を伝えたんだ?」

「決まっている。悪意があったからだ」

 悪意だと?

 伊丹の意外そうな表情をヤオは嗤う。

「悪意も悪意、大悪意。それ以外何がある?…御身は、ここにいる三方を特に大切にしていると、ヤナギダ氏より聞いた。この三方を救うためなら、多少の横紙破りでもやるだろうと聞き及んでいる。ならば、それをしないでどうしていられるだろう。

 御身の同僚に此の身は、地に頭を着けて頼み込んだ。富も名誉も約束すると告げた。だが誰も彼もが、狭量にも口をそろえて拒絶する。それは出来ないと言うばかり。こうしている今も、此の身の同胞は、塗炭の思いに苦しんでいるというのに。炎龍を倒す力を持つ者が、手を差し伸べてはくれないのだ。だが、そうした者共も、冗談交じりに言ったそうだぞ。『イタミならもしかするかも』とな」

 レレイへと視線を向けてみると、「通訳した」と彼女は呟くように頷いた。

「だから、壊したのだ。このハイエルフの心を救うには、父親が炎龍によって殺されたことを、しかと言い含め、その上で敵を討つしかないぞ。さぁ、どうするっ緑の人よ。このままこのハイエルフを見捨てるか?それとも武器を取って立つか?」

 伊丹の歯が鳴った。
 噛み合って擦れあう音に込められた怒りは、そのままヤオに対する冷たい視線となり突き刺す。

 ヤオは、怒りとも泣き顔とも、嗤いともつかない複雑な表情で、大粒の涙を流していた。

 一歩、伊丹に向かって前に出る。前に出つつ言う。

「人が、愛する者を殺めたなら、その下手人を追い求めれば復讐を果たすこともできよう。天のもたらした災害なら、どうしょうもないから神を呪うしかない」

 ヤオは、視線を一瞬、ロゥリィへと向けた。

「だが、炎龍はどうか?仇は確かに其処にいるのだ。なのに、手も足も出ない。誰も捕らえることができず、罰することもできない。かといって天のもたらした災厄でもない。では…では、この怒りはどこへ向ければよいのか?恨みのやり場はどこへ向ければいい?。愛する者を奪われた憎しみは、誰に向ければいいのか?」

 さらにヤオは前に出る。

「復讐とは、愛する者を失った怒りと憎しみをはらし、自分の魂魄を鎮めるために必要な儀式だ。それを経てはじめて残され者の心は癒される。現実に立つことも出来よう。明日を見ることも出来よう…」

 伊丹のすぐ前まで来たヤオは、おもむろに膝をついて額を床にこすりつけた。

「お願い。この娘のついででいいから、此の身の同胞を救って。お願いします」

 そのかわりに我が身を捧げるとヤオは言った。何をしてくれてもいい。犯そうとも、八つ裂きしてくれようとも何をされても文句を言わないと。

 そんな言葉を、ヤオは体の全てを絞るようにして放ったのだった。




****



[37141] テスト9
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:47


[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 39
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/10/21 20:43




39





 結局の所、ヤオと柳田の目論見は見事に失敗し、彼女は臍を噛む思いをすることとなった。伊丹が、テュカを受け容れてしまったからだ。

「おとうさん♪」

 伊丹は、テュカの悲しい妄想につき合っている。

 彼女が自分を父と思うことで、なんとか現実と狂気の崖淵に留まることが出来るならばと、それに応えることにしたのだ。

 勿論、それは問題の先送りでしかない。と言うよりは完全な逃避だった。明日撤収命令が出る可能性もある身なのだ。その時に、テュカを連れ帰ることは出来ないのだから、当然彼女はこの地に独り見捨てられることとなる。それはもう、精神的な殺人と言っても過言ではないだろう。

 だが、どうしろと言うのか。

 俺に何が出来る?何をしろと言う?伊丹は奥歯を噛みしめながらそう、呟いては無理矢理にでも表情筋を笑顔の形に引き寄せていた。

「なんだ、テュカ?」

 テュカは鼻歌を歌いながら嬉々として朝食の支度をしていた。二人でテーブルを囲んで食事をし、それを終えると伊丹は仕事と称して『隊』へと戻り、テュカは組合の仕事をしたり、近くの森の手入れをしたりする。

 やがて夕方になると、テュカが整える食卓へと伊丹は戻って来る。そんな偽りだが、穏やかな日々が10日ばかり続いた。

「今日はどうするの?」

「自衛隊の仕事さ」

「随分と働き者になったものね」

「この街も大きくなったからな。自衛隊の仕事はちゃんと引き受けていかないと、みんなもやっていけないだろ?」

「………………………そうね」

「それと、明日は帝都へ行くことになった。ちょっと留守にする」

「帝都に?なんで父さんが?」

「通訳とか、案内人とかが必要らしい。第3偵察隊の人達と一緒だから安心だろ?」

 テュカの面倒を見ていたくても、伊丹の本来の身分は自衛官である。任務をおろそかにすることは許されなかった。だから、適当な嘘を掻き集めて口にせざる得ない。

「父さんが行くこと無いじゃないの?出来れば家にいて欲しいな」

「そう言うな。家を空ける事なんて、これまでも何度かあったろ?」

 テュカは、頷きながらも眉根を寄せた。襲いかかる頭痛に耐えているようだった。

 いくらテュカが伊丹と父親を重ね合わせていると言っても、そこはやはり別人なのだ。

 些細な仕草や、物腰まで、どうしたって違うのである。

 しかも伊丹はテュカの父親、ホドリュー・レイ・マルソーのことを全く知らない。知っていれば、多少の芝居をうつことは出来たろうが、何の情報もない中では、彼女の記憶にある父と伊丹の間には、ズレが生じて来るのだ。

 このズレ…現実と夢想の矛盾点を、なんとか吸収して整合性を保つのはテュカの側だった。矛盾することからは目をそらし、考えまいとする。おかしな事からは気を逸らす。見ない。聞かない。わからない。

 その時のストレスが、強烈な頭痛となってテュカを襲うのだろう。

 起居を共にして、食事を共にして、一緒に時を過ごせば過ごすほどに、そのズレはますます大きくなっていく。ズレの吸収が難しくなればなるほど、テュカには頭痛や各種の身体的な症状が襲いかかった。それも日を追う事に回数が増え、苦痛の度も増してきているように見受けられるのだ。

 伊丹は、テュカの美しい顔が苦痛に歪むのを見て唇を噛む。

「俺に、どうしろって言うんだ」

 どうすることも出来ない。今のままでも精一杯なのだから。そんな思いを呟きながら、テュカの部屋を出て街を歩き始めると、あたかも待ち構えてたようにヤオが姿を現した。

「なんだ、またお前か?まだいたのか…」

「………………」

 その、恨みがましそうな視線に幾ばくかの疚しさを感じるのか、伊丹は目をそらせてしまった。それがなんだか悔しくて、唾棄するかのように鼻を鳴らし、ヤオのことを無視して悠然と通り過ぎてみせる。

 美女の涙ながらの願いを受けて、勇敢なる戦士が立ち上がるという話は、伊丹が最も嫌う類の話だった。

 何しろ、戦士には生か死しか無いのだから。物語であるからこそ、戦士は勝利を得て、報酬も名誉も、そして恋をも手にするが、現実の多くはその逆の結末へと向かって、戦士は野に骸を晒すことになるだろう。

 美女はまた、後払いの矮小な報酬で己の命を捨てるような、愚かなる犠牲者を捜すのだ。では戦士はどうなると言うのか。戦士は死んでも良いのか?

 伊丹は、死にたくはなかった。これまで、よい人生を送ってきたとは言えないのかも知れないが、それでも無闇に投げ出したいと思うほどには自分の命は無価値でもないと思っているからだ。

 失敗したけれど、結婚だってしたし、なんだか最近女性の知り合いが増えつつあるような気がする昨今だ。なにやら良いことがこれからも有ることを期待できるんじゃないかと思えるのだ。

 なのに…。

「いつまでも続かないぞ。もう終わりはすぐ其処まで来ている」と。

 ヤオのそれは、まるで呪いの言葉だった。

 伊丹は、歩みを止めると背中を向けたまま応えた。

「くそったれっめ!!」






「よお、伊丹。いつまで家族ごっこやってんだ?」

 伊丹が、ワープロに向かって報告書をうちこんでいると、柳田の声が背後から浴びせられた。テュカとの事を揶揄しているのだ。

「あんたの知った事じゃねぇよ」

「ま、お前がそれでいいんなら、こっちも構わねぇんだがな。それより、いよいよ東京から捕虜返還の第一陣がやって来るぞ。首相補佐官も一緒だ。これをきっかけに講和に向けた本格的な協議をも始まるってわけだ」

「拉致被害者の件はどうなった?」

「それは、残りの捕虜返還の交換条件だな。今回の捕虜返還は、ピニャ殿下にきちっと義理を果たしておくと言う意味がある。それと、こちらがいかに捕虜を厚遇していたかを示すことにもなる。そうしておいて、『残りの捕虜の返還は、そちらの態度次第ですよ。場合によっては待遇も悪化するかも』とでも言ってやるわけだ。帝国側も『可及的かつ速やかに』という言葉の意味を悟ることになるだろうぜ」

「そうかねぇ…」

「なんだよ。随分と淡白な反応だなぁ。向こうさんの皇子様をぶん殴った奴とは思えんぞ」

「悪い。俺、今、全然余裕がないんだ」

 伊丹はため息をつくと、キーボートから手を離した。

 仕事がちっともはかどらないようだ。柳田との雑談程度で、妙な苛立ちを感じるほどに。もともと柳田との会話は不愉快さを伴うことが多いが、このところ、それがより増強していた。

「お前大丈夫か?」

「正直言って駄目だ。最近、頭がごちゃごちゃしている」

 伊丹はそう言うと、ノートPCをパタンと閉じて、頭を抱えた。

「簡単な話だろ?ドラゴン退治に行ってこいよ。そうすればお前の悩みなんて一発だ」

「で、部下の大半を死なせるのかよ。そりゃ駄目だ。俺はテュカも大事だが、あの連中も大事なんだ、どっちも引き替えに出来ねぇ。

 なぁ、知っているか?桑原曹長は、娘さんが近々結婚するらしいんだ。定年を迎えて孫を抱くのをすっげぇ楽しみにしている。

 仁科一曹は若い嫁さんが、商社の総合職だって尻に引かれているって嘆いてるが、その実マゾ気質らしく喜んでいる。

 栗林は俺が紹介した連中と、休みの度にデートをしてる。どうもえり好みが激しくてな、好みのタイプが居ないってぶぅぶぅ言ってるぜ。

 黒川は相変わらず理念先行型の性格だが、テュカの件があってから割と慎重になった。いいことだ。

 富田は語学研修に来ているボーゼス嬢と交際中。禁令を破って夜這いに行ったりしているという噂だ。現場を見つけてとっちめてやらんと…。

 倉田は、フォルマル伯爵家のメイド、ペルシアにご執心のようでイタリカに行く任務があると、妙に張り切っている。

 勝本は、組合の子供達に懐かれている。

 戸津は、ますます財テク技術に磨きをかけている。以前から株だの為替だのに異様に詳しかったが、組合の経済顧問をはじめてからますます、絶好調だ。

 東は曹学で、もう時期実部隊配備の教育期間が終わる。いよいよ最終過程でそれが済めば晴れて三等陸曹だ。

 笹川は写真を撮りまくってコンクールに応募するんだって張り切ってる。

 古田は料理の腕に磨きをかけて、こっちの食材を生かした創作料理を考えてる。

 な、面白い連中だろ。こんな連中を任務ならまだしも、俺の勝手で危ない思いをさせるわけには行かないんだよ」



 柳田は手近な椅子を引っ張ると、腕を組んでデンと腰を下ろした。

「お前はそう言うがな、ダイヤモンドと、石油だぞ。そこから得られる利益も莫大だし、資源のない我が国にとって、その確保は額面の価値以上の意味がある。要は国益を考えろと言うことだ。ダークエルフの住んでいるところでに、それだけの資源があるんなら、恩を売っておきたいところなんだよ。採掘とかいろいろと後で良いことが多い」

「だったら柳田さん、あんたが行ったらどうだ?」

 伊丹はそう言って柳田を突き放した。柳田とて自衛官なのだ。尻で椅子を温めてばかりいず、泥と埃にまみれて、特地の大地を走り回っても良いはずだ。すると柳田は悪びれずに肩を竦めた。

「残念だが、俺は部下がいなくてねぇ。伊丹、部下を貸してくれよ」

「嫌だね。あんた一人で行きなって」

「俺一人で?無茶言うなって」

「柳田さん。人間、自分の自由に出来る命は自分のものだけだ。石油も、ダイヤモンドも命を張るだけの価値があると思うなら、まず自分の身をチップ代わりにオッズテーブルに載せろよ。今なら賞金は、人の頭サイズのダイヤと、ダークエルフの美女つきだぜ」

「一人で行って、どうにか出来る相手なら、どうにかするけどよぉ。ドラゴンっては、どうにか出来るのかねぇ?」

「まぁ、LANは効いたんだから、結局は当たりさえすれどうにかな…る……」

 伊丹はそこまで口にして目を細めた。

 戦車だって、だだっ広い平野で、真正面から戦えと言われたら勝てる筈がない。が、遮蔽物の多い隆起に富んだ地形や、木や林の隠蔽が効いた場所に引き込めるのなら、単独でも何とかなるかも知れないだろう。

 もし、相手が戦闘ヘリだとしても…。

 結局は戦い方次第なのだ。では空飛ぶ戦車とされたドラゴンならどうか。飛び回れない狭隘な地形…洞窟とかが良い。そのような地形の中に誘い込めれば、正面から110mm個人携帯対戦車弾を浴びせかけることも出来るかも知れない。

「ま、相手は生き物だからな。餌に毒を仕込んだり、寝込みを襲ったりって方法もあるだろうけど…」

「………………………それも良いかもな」

 何を考え込んでいるのか、妙に反応の悪くなった伊丹を柳田は訝しく思いつつも、話を切り上げるべく腰を上げた。

「伊丹よ。いずれにせよ、出かける時は言ってくれ。ちゃんとした形にしてやるからよ」

「……………………………ああ、その時は頼む」






 その夜、伊丹がテュカを連れだして食堂に行った。皆で酒盛りをするためだ。

 ハイ・エルフだから人付き合いが悪くて、お高く止まっている、と見られ勝ちだったテュカをどうにか、街のみんなとうち解けさせようとする配慮だが、同時に伊丹自身が、この瞬間だけは父親役から解放される。伊丹としては少しばかり考え事に時間を取りたかったのである。

 テュカの周りは、街の人々や第3偵察隊の連中が囲んでいる。

 テュカのことは、黒川が隣に座ってフォローしている。
 黒川の話によるとテュカには両刀の気配があるそうだ。「もしかしたら自分に気があるのかも…」という少しばかり困ったような顔をしていた。そこまであからさまなものではないだろうが、いわゆる思慕の念に近いものかもしれない。

 そんなこともあって黒川が傍にいると、テュカは「父さん、傍にいてよ」とは言わないので、伊丹は別のテーブルに座って、レレイやロゥリィなどを相手に杯を傾ける。

「自分より年上のぉ、子持ちになった気分はどうぉかしらぁ?」

 ロゥリィは言われ、伊丹は苦笑する。

「複雑だね。とっても複雑だ」

 破綻点が近いぞとか、もう止めておけ…といった類のことは、ロゥリィもレレイも判っていて、口にしない。

 伊丹はテュカと共に断崖絶壁に向かって全力疾走をしている。だが、これを止めることもまたテュカの破滅なのだ。だから、これを途中で止めるかどうかを決めることが出来るのは伊丹だけなのである。

 二人とも、伊丹が決断するその時まで、自分には見守っていることしか出来ないのだということを充分に理解していた。ならばその事を、今、ここでつついて皆を嫌な気分にさせる必要はない。今は楽しむべき時なのだから。

「はい。お待ちどうさまなのですぅ」

 よたよたと手元の頼りない猫娘が、追加の料理や酒を運んで来た。どうやら新入りの娘らしい。

「デリラはどうした?」

「先輩は、郷里から手紙が届いたとかで休憩中なのですぅ。はいぃ」

「そうか?」

 ロゥリィは、伊丹の正面に座ってグラスを差し上げると伊丹と乾杯する。レレイは伊丹の右脇に座って日本から送られてきたソフトドリンクのグラスを掲げていた。

 二人とも、明るい雰囲気だった。

 こういう気配りの出来る女性は、恋人にしろ友達にするにしても、非常に希有な存在なのでとても得難いと言えるだろう。大抵の女は、自分の感情を優先させるから、分かり切ったことを、場所も弁えずに主張して、周囲に嫌な気分をばらまくのだ。

 その意味ではロゥリィも、レレイも実によい女だった。是が非でも大切にしたい。

 そんなことを感じながら、伊丹は、自分に出来ること、為すべき事。その問題について、ゆっくりと考えるのであった。





    *    *





 伊丹の母親が病んだのは、彼が中学生の頃であった。

 きっかけは、暴力に狂った父親を止めようとしてた母親が、つい台所の包丁に手を伸ばしてしまったことにある。

 正当防衛。どうしょうもなかった。自業自得。

 母親の心を鎮めるために、警察官、弁護士、検察官、そして婦人相談施設の相談員など多く人が多くの言葉を費やした。だが彼の母は、自らを恨むことを止めなかった。

 自らを責め苛む心。

 そして、仕方なかったという言い訳。

 この葛藤とせめぎ合いに加えて夫を失った悲しみ。愛する夫を奪った『何か』への怒り、憎しみ。残された自分と子供の将来への不安。これらの全てを、自身へと集中させてしまったのだ。

 母親が、自らの心を救うために選んだ道が、現実を否定することだった。それしかなかったのだ。今となれば、わかる。そうすることで、伊丹の母はかろうじて、生きることが出来ていたのだ。

 だが当時の伊丹には、そんなことは理解できなかった。

 正しいとか、正しくないとか、そんな物差しは一義的な物であり、この世に生きる人々の救いには到底成り得ないものだ。だが、若い伊丹にはそれがわからなかったのだ。

 毎朝、毎夕食卓に並ぶ父親の分の食事。それを見て苛立ち、怒りそして…。

「オヤジは、あんたが殺しただろう!!」

 言うべきではなかった。

 逆行ものの小説みたいに、あの時に戻れたらと何度思ったことか。戻れることを夢見ていた。戻れることを願い、請い、祈った。あの時に戻れたら、きっと、違うやり方が出来た。出来たはず、出来ただろう。そう思うのだ。しかし、現実は戻らなかった。それが現実というものだからだ。

 母のように狂えたらどれ程良いだろう。だが、それもできなかった。
 こうして伊丹は、母が時間をかけてゆっくりと、そして確実に壊れていく姿を、日々見て過ごすこととなった。蛙を熱湯の入った鍋に入れると、その熱さに驚いてすぐに飛び出してくるが、水からゆっくり茹で上げれば、煮上がるまで鍋の中に居るという。それと同じで、ゆっくりとゆっくりと進行する狂気は、やがて破綻点が訪れることを思わせても、それはまだ先のことのように感じさせたのだ。こうして月日が流れ、伊丹が見ている目の前で、不意に破綻点が訪れた。母親がついに自らに火を放つに至ったのである。

 こうして、母親は入院することとなった。自ら傷つけ、他人を害する恐れあり。それが理由である。

 その入院は、措置入院と呼ばれる形態で、知事の命令によるものだ。従って本人や親族の意思は問われない。費用も、よっぽど裕福でない限り公費で賄われる。

「ここにはいたくない、退院したい」と縋るように叫ぶ母に、高校生の伊丹がしてやれることなど何もなかった。一緒にいて、壊れた母の世界につきあい続けてやることなど、重すぎて出来ない。だから命令という言葉は、都合の良い免罪符となった。

「命令なんだから、しょうがないじゃないか。そういう法律なんだからしょうがないだろ」

 思い返しても、鉄の重たい扉が金属音を立てて閉まる音は、今でも耳について離れない。

 そう、そこは通常の病院ではない。

 病棟には廊下に座り込んで、雑談に勤しむ病棟の患者達の姿がある。

 身体の病ではないが故に、皆肉体的にはそれなりに元気があってそうした者は普段着を着て、何をすることもなく病棟で時が流れるのを待っている。朝食をとった直後に昼飯のことを話し、昼食後だと言うのに、夕飯を待つ。

 そうして気がつくと10年、下手すると20年。いや、場合によっては30年入院していたと言う現実が追いついて来る。

 彼ら、彼女らの時間は入院した20才、30才の時で止まっている。そこでは年齢相応の人生経験を積むチャンスなども無い。病の苦しみを日々耐えるのだけで精一杯だったのだから仕方ないと言えよう。

 当時の精神科病棟というのは、大きな和室があって、まるで旅館の大部屋のようなところに皆で布団を並べて眠るという、病室と呼ぶにはいささか違和感のある風景だ。だが、それが当たり前だったのである。今でこそ、近代的に『普通の病院』の『普通の病室』のごとく、一人一つのベットが割り当てられているが、この日本がそのようになりだしたのも平成に入ってからだ。

 廊下を歩けば、ヤンキー座りしたおっさんやおばさん達が給食用トマトホールの空き缶を取り囲んでそれを灰皿代わりにして、煙草を吸っている。

 これらは病状の落ち着いている人だ。その隙間に、病状の激しい人を見かけることになる。
 例えば、そこにいる筈のない誰かと話しているご婦人。居丈高に威張り声を張り上げ、公衆電話で、何かを怒鳴りつけている青年。強い薬のせいで朦朧となって弛緩した表情で、ぺたぺたというスリッパを引きずる足音をたてながらひたすら廊下を徘徊する若い女性。身体に盗聴器が仕掛けられていると言って、看護室に調べてくれと訴え続ける男性。素っ裸で駆け抜けていく少女。おむつをつけられて抑制…ベットに縛られて、喉を裂けんばかりに叫び続けている男。

 病棟の空気は、煙草だけではない、何かすえたような独特の異臭で充ち満ちていた。トイレのドアは自殺を防ぎ、早期発見するために極端なまでに背丈が低く、下は隙間が大きくて、背伸びをしても、しゃがんでもその向こう側が覗けそうなほど。

 そんな世界に、伊丹は母親を置いてきた。置いて来るしかなかったのだ。

 黒川に懐いて、時に腕につかまったりして、周りの自衛官やら、売店の娘達にからかわれたり、談笑しているテュカからは、そんな狂気の片鱗すら感じない。が、このまま放置しておけば母のようになる。なってしまうかも知れないのだ。いや、確実になる。

 そして残念なことに、現代の精神医学は患者を治すことなど出来ないのである。

 今の精神医学に出来ることは、治る者と治らない者を選別して、治らない者の病状を、とりあえず軽くする。そのくらいである。治らない者はどうしたって治すことは出来ない。薬で症状を抑え、自然に治癒をするのを待つ、それだけなのだ。

 伊丹は十数年の歳月で、そのことを身に染みて理解した。だから、テュカを救うとすれば、今しかないと感じていた。

 あの日、あの時、自分は何も出来なかった。

 当時の自分はガキだったからだ。

 では、今の自分はどうだ。

 今の、自分には何も出来ないのか?

 父を殺したというドラゴンを、テュカが討てば、そのカタルシスが彼女を狂気から開放するかも知れない。父の死を受け容れ、同時にその敵を討ったことで自らを憎むことを止めるかも知れない。

 だが、それは分の悪い賭だ。明らかに悪すぎる。

 少なくとも、他人の命をオッズテーブルに載せることは出来ない。

 伊丹が自由に出来るチップは一枚、自分の物だけだった。それをテュカのチップとか重ねて、グリーンのテーブルに載せる。

 だが

「本当にそれしか、無いのか?」

 それしかないとして、自分に出来るのか。ドラゴンに向かっていくことなど…。正直に言って恐ろしかった。






 もう深夜に近い時間帯だが、伊丹はアルヌスの診療施設の玄関前にあるベンチに座って休んでいた。

 夜風に当たりたかったのもある。

「どうしたものかなぁ」と頭を抱えていた。

 そして4~5分も座っていると、カチャ、カチャという軽快な金属音が近づいてきて、薄闇の中で黒い人影が伊丹の前に立った。

「若いの、そこを退くが良い」

 人影は、老人であった。いや、実際はもっと若いのかも知れない。だが額や頬を始めとした顔に刻み込まれた皺の数々は、老成した男の年輪を感じさせた。その老人は、歩くたびに金属音をさせている。歩き方から見ると左足が義足なのだろう。言葉はこの『特地』のものだから日本人ではない。

 老人の威厳がそうさせたのか、伊丹は気軽に腰を上げると座る場所を譲った。

 何しろベンチは他にもある。この場所に座りたいと言う者を、意地悪して頑張る意味など無い。

「ほう。なかなか殊勝じゃの。ここは儂が毎晩使っておる場所だ。以後は、気をつけよ」

 老人は、まだ義足になれないのか、よたよたとする感じで腰を下ろした。

「さて、若いの。いったい何を迷って、このようなところで黄昏れておる?」

「爺さんには関係がない」

「そうか。ま、喋りたくないなら、それでもいいじゃろ」

 男は、深々とため息をつくと、左腕の義手の具合を気になるのか、がちゃがちゃといじっていた。

「どうにも、この細工が理解できぬ。お主らの世界に住む者は、手足を無くすと皆このような物をつけて生活しておるのか?」

 話しかけてくる男性がどうにも煩わしかったが、邪険にもできなくて「ええ。全員が全員とは言えませんが、ほんどが…」と答えた。

「医者はこんな物をつけて、走れるようにもなる等と言っておったが、実に疑わしい」

「走るための足を取り付けますと、この僕より速く走る者もいますよ」

 男は、本当かと訝しがった。そこで伊丹はパラリンピックという障害者の競技会があり、そこでは五体満足な者でも、容易に越えることの出来ないような記録が次々とうち立てられているのだと説明した。

「そうかそうか。なんだお主、興に乗れば結構喋れるではないか。その調子で、なんでこんなところで黄昏れていたのか、喋ってしまえ」

「はぁ?」

「大の男が、何を躊躇っておる。情けないのぅ」

 伊丹は、忌々しく思いつつも、不思議と話すことにしていた。考えを整理するためにも誰かに聞いて欲しかったというのもあったようだ。

 伊丹が用があったの、この診療施設にいる精神医学ソーシャルワーカーだった。

 そのソーシャルワーカーは、あまり男っぽさのない、どちらかという中性的な感じで、年齢も見た目ではわかりにくいタイプであった。見た目は髪を短く切りそろえて、丸いメガネをかけている。白衣を着ているからこそ医療関係者であることがわかるが、医者のような権威的な雰囲気はないし、どちらかというと学生と見間違えかねない弱々しいと言うか、軟らかな雰囲気があった

「これは伊丹二尉。どうしました、こんな時間に?」

「実は先生に相談したいことがありまして…」

 その精神医学ソーシャルワーカーの男は、紀子のためにやって来た被害者支援の専門家であった。

 伊丹は、性的犯罪被害者の支援に男性が来たと聞いて、意外に思った。

 実際に、女性がつけられるべきだという意見もある。被害者にとって男性は恐怖の象徴となっているからだ。だが、同時に支援者は男性の方が良いという意見もあるのだ。そうしなければ男性に対する不信感や、不安感が固まってしまって、男性恐怖症患者を作ることになってしまう。ここで配慮に欠けたが為に、夫や、恋人、婚約者と上手く行かなくなってしまう例は枚挙の暇がないほどだ。

 だから、男の方が良い時もあるのだ。確かに最初のハードルは高い。が、恐い男も、恐くない男性もいると認識するためには大切なことなのだ。ただ今回に関しては、その意味では楽であったと言う。何故なら、紀子には伊丹が居たからだ。

 伊丹は、紀子にとって自らを救い出してくれた恐くない男性の代表だ。その象徴を引き継ぐという意味で、精神医学ソーシャルワーカーの男は、紀子との初顔合わせで、伊丹に紹介されるという形式を求めたのである。その時に面識が出来た。

 ちなみにこのソーシャルワーカーは、一般陸曹候補学生を経て三等陸曹になりながらも退職してしまい、大学に入ったという変わり者だ。予備自衛官でもあったので『門』のこちら側に立ち入りを許可された次第である。

 伊丹はソーシャルワーカーの前に座ると、おもむろに切り出した。

 自分の父親を殺された娘は、父親の仇を取ることで救われるだろうか、と。

 ソーシャルワーカーは、肩を竦めるとケースバイケースなので何とも言えないと答えた。

「だって、人によりますから」

 ただ、人間が仇を追い求める心は、最早本能に近いとソーシャルワーカーは言った。

 仇を捕まえ、処罰する。被害者や被害者家族のカタルシスは、現代では警察が犯人を捕らえ、裁判所によって断罪され、そして刑務所に送られる、という過程の中でなされる。

 勿論、犯罪被害者を許すべきだという高邁な考え方を否定するわけではないが、それは被害者の側にそれを支えるような信仰心や哲学があってはじめて成立するものであり、この場合は『許し』が、被害者やその遺族に対するカタルシスをもたらすことになる。

「復讐は虚しいとかよく言うぜ」

「そうですね。虚しいものなのかも知れません。でも、その虚しさを味わうことで、ようやく次へ進んでいけるんですよ。自分は詰まらないことに捕らわれていたな。そう思えたら、それはそれでいいんです。それが区切りになるからです。人のこころには、区切りというものが必要になるんですよ」

 伊丹は、そんな言葉を受けて考え込んでいたのである。テュカを救うためにドラゴンを倒しに行くべきか否や、と。

 気がつくと、老人に対して伊丹はテュカのことも含めて喋っていた。


「儂も同じように思うぞ。復讐を果たせば、少なくとも気が晴れる。仇が大手を振ってうろうろしていると知れば、儂ならはらわたが煮えくりかえって、飯も喉を通らぬわ」

「でもね、仇が強いんですよ」

「なんだ、怖じ気づいておるのか?」

「ええ。だってドラゴンですから…こっちの言葉では炎龍でしたね」

「なんだと。炎龍が出ているのか?」

 老人は眉を寄せた。伊丹は改めて気付いた。老人の左目には眼帯がつけられていることに。さらに見れば、老人の身体はあちこち傷だらけだ。その頬にも大きな傷が付いている。

「ただ、場所が場所なので、大規模な戦力を送ることは出来ず。少数では部下の過半を失うのが必定」

「そうだな。強大な敵との戦では、持ちうる戦力の全てを投入するのが定石じゃ。ちまちまとした小戦力を送り込んだり、あるいは味方に敵の本質を教えず、突撃を命じたりするような馬鹿は、あいつらだけで充分じゃ」

 何やら、ものすごく気持ちの籠もった言葉であった。

「いっそのこと、テュカをつれて俺たちだけで行こうかと思ったりしたんですけどね。無理に決まってるし」

「おお、なるほど。それならば無関係な他人を巻き込む恐れはないものな。ただそれは自殺に近いのう」

「そうなんですよ。だから迷ってるんです」

「なぁ、若いの。自殺としか思えないような事でも、しなければならない時というのはあるものじゃぞ。自殺にならないように知恵を絞るのだよ。工夫をするのだ」

 老人はそう言うと立ち上がった。

 義足の立てる金属音とともに、肩を揺する、一見ふらふらとした独特の歩き方で前に出る。

「男なら、危険を顧みず前に進まなければならぬ時がある。負けると判っていても戦わねばならぬ時がある。(元ネタ/劇場版銀河鉄道999)そうは思わぬか?」





    *    *





 翌朝、チヌークの中に伊丹と第3偵察隊の面々はいた。

 いつものように柳田が帝都に届ける荷物を運び込む。伊丹は、部下達が席に着くのを確認してから、自分も座った。

 パイロットが、柳田と何か話し合っている。

 ヘリポートの外には、テュカが見送りに来ていた。レレイがいた。ロゥリィがいた。

 テュカの泣きそうな表情でこちらを見ていることに伊丹は居心地の悪い苛立ちを感じた。だがこれが当たり前なのだ。自分は任務に従って、部下を指揮して、しばらく帝都に滞在して、外務省の担当者を護衛し、そして戻って来る。それまでのほんのちょっとの時間を留守にするだけだ。

 ちょっと留守にするだけなのだ。

 打ち合わせを終えた柳田が降りる。

「では、行きます」

 パイロットがそう告げた時、伊丹は「くそっ!」と舌打ちして隣の桑原に告げた。

「おやっさん、済みません。俺、行けません」

 だが離陸のためにローターの回転数が高くなって騒音で声が耳に入らない。

「なんて言いました?」

「俺、おります。後を頼みます!!」

 伊丹は指揮を放棄して、後部ハッチが閉じる寸前にヘリを駆け下りていた。

 ヘリは飛び立っていく。第3偵察隊の部下達は伊丹が見送る中を、飛び立っていった。



++++++++

どうにか出張を終えて戻ってまいりました。
つかれたです。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 40
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/10/21 20:48




40





「どうしたの?」

 ヘリが飛び去るのを見送った伊丹は、泣き笑いの表情で立ちつくすテュカの問いに「帝都に行くのは止めたよ」と答えた。

 手袋をとって、重苦しい鉄帽(ヘルメット)も外した。
 すると、なんだか自分を縛り付けていた枷を取り払ったような開放感があって晴れ晴れとした気持ちであった。多分、いろいろと後で悔いることになるだろう。でも、鬱々とどうしようかと悩み続けているよりは、決めてしまった今の方が、遙かに良いと思った。

「いいの?」

 どうやらテュカは、自分の我が儘が父親を困らせてしまったのではないかと心配しているようだった。だが、独りぼっちにされずに済んだ喜びが先に立ったのか、ゆっくりと伊丹に歩み寄ってその胸に身を投げる。

「お前が、笑顔で居られるほうが大事だからな。俺が一緒にいてやるから、お前も頑張れ」

 すっかり開き直った上に、気分の高揚している伊丹は、普段なら気恥ずかしくて絶対に言えないようなセリフを平気で口にしていた。

「な、何よ、それ!?じ、実の娘を口説いてるの!?」

 動揺を抑えきれないのか、抗議するテュカの声はどこかうわずっていた。

 伊丹は「そんな風に聞こえたか?」と苦笑で返す。
 実際、そんなつもりは毛頭無い。これからのテュカを待ち受ける運命の過酷さを思いやっての励ましのつもりだったからだ。問題は、そんな朴念仁な男の言葉が、女の胸にどんな風に響くか、だろう。お前が笑っていられるようにずっと一緒に居てやる…と憎からず思っている男性に言われて、それを口説き文句と思わない女性は、どれだけいるかなのだ。

 テュカは、額をコツンと伊丹の胸に当てると「ぱかっ」と詰った。

 残念ながら完全武装をしていたために、彼女の温もりとか柔らかさを伊丹は堪能することはできなかった。チタンプレートの入ったボディアーマーはテュカの身体を硬く受け止めてしまい、その感触を伝えてくれないのだ。

 出来ることと言えば、懐中の子猫を愛でるようにその髪を撫でるくらいだ。
 細く軟らかく、流れるような髪を指で梳(くしけず)る。そしてテュカの形の良い頭蓋に掌を這わす。テュカの笹穂のような耳に指が触れてしまって、テュカがぴくっと身体を震えさせたりするのも、悪くない感触だ。敏感なタイプらしい。

 伊丹は、小さく息を吐いて呼吸を整えると、旅の支度をしなさいと告げた。

「一緒に行こう」

 少しばかり父親を気取ってみた。

 三十と数年の人生に置いても、『女性を旅行に誘う』などと言う、数えようにも思い出すことすら難しい行為だ。断られるかも知れない、嫌な顔をされるかも知れないという恐れと不安を、冗談めかして誤魔化すのと同じ類の方便である。

 そのために父親っぽい口調だが……それがテュカのツボにはまったようだった。彼女は「何処に行くの?」と喜び勇んだ反応を示した。

 その表情は、驚きと喜びで彩られていた。伊丹には知るよしもなかったが、無理に父親を気取るような口調こそ、テュカの父であるホドリューとそっくりなものだったからだ。父親としては威厳に欠ける男が無理に背伸びして父親を演じる。そんな時の微妙な声色こそが、テュカが父親として愛した男のものであった。

 無邪気に喜ぶテュカの笑顔に、伊丹の良心は激しく痛むがそれを押し殺して微笑みの形に頬の筋肉を引き締める。

「南の方だ。嫌か?」

「ううん、行く行く!お父さんとだったら何処だって!一緒に、旅が出来るなんてっ凄く嬉しいっ!!今すぐ出るの?」

「今から支度しよう。それが済んだら出かけるぞ」

「それじゃあ、急がなきゃね。お昼過ぎには出たいもの」

 テュカはそう言うと、伊丹の手を名残惜しいかのように掴んだまま身体を離した。少しずつ後ずさりして、もう指先を触れているだけで精一杯なところまで下がると、踵(きびす)を返して走り出す。

「すぐ支度してくるからねっ」

 テュカは軽く振り返ってそう言うと、自分の部屋へと向かったのだった。






「伊丹。お前馬鹿か?いや、前から馬鹿とは思っていたが、ここまでとは思わなかった」

 傍らで見ていた柳田は、テュカが去ると開口一番でそう言った。

「任務放棄の上に、単身でのドラゴン退治?無茶が過ぎるだろう。こっちの身にもなれよ。どうやって、お前だけを派遣する状況を作れば良いんだ?」

「柳田さん、それを聞かれても困る。そいつはあんたの役割っていう約束だったろ?」

「とは言ってもなあ」柳田は、頭をカリカリと掻いた。「部外的には根回しを済ませてあるから、馘になったりはしないと思うが、こんなやり方だと内部的にはもう駄目だわ。前の事件も保留のままだから、良くて停職、へたすりゃ降格の上で、配転ってところだな」

「覚悟はしたつもりだけど、改めて他人から言われるとずしっと来るなぁ」

 伊丹は、顔を顰めると腹部をさすった。
 流石に胃に来ているようだった。これだけ問題を重なれば『特地』での任務から解かれ、北端の過酷な駐屯地とか、離島とかに回されるとは思っている。当然テュカにも遭えなくなってしまうが、そんなこともまた覚悟の上だ。

「悪いこと言わん。今からでも、3recの連中を追いかけて、とりあえず任務を果たして来いよ。それが終わってから、隊を率いてドラゴン退治に行くんだ。そう言う形にすれば、部内的にも言い訳が効くんだよ」

「柳田さん、もう言わないでくれよ。私事に、連中を巻き込む訳にはいかないし、もう時間的猶予もないみたいだしな。するべき事を先送りしたがための後悔なら、嫌と言うほどしたんだよ。だから、今は動く」

「それにしたってなぁ、やることが過激すぎだぜ。お荷物を引き連れて勝てる思ってるのか?」

「なんとかするさ。悪いね」

 伊丹は、柳田に向けて両手を合わせた。続けてアルヌスの丘の頂上にいる狭間陸将に向けて拝むように「ご迷惑をかけて申し訳有りません」と柏手を打つ。

「ったく、なんだかなぁ。それだけの価値があの金髪エルフにあるのか?いい女なんてそこらにいっくらでもいるだろうに。お前くらいに名声があって、すげぇコネを持ってて、その上に石油だの、ダイヤモンドだのが埋まってる土地の原住民に恩を売りつけることに成功すれば、業界が美味しい思いをさせてくれるんだぞ。いい女なんて掃いて捨てるほど寄って来るぜ」

 確かに、それは美味しいかもしれなかった。
 伊丹とて健全な男である。自分好みの女性ばかり集めた酒池肉林の風景が、脳裏によぎった。だが、思い浮かぶ光景はいささかギャグテイストに過ぎるセミヌードなお嬢さん達に囲まれているというものだった。

 ぶるぶると首を振って想像した画像を一旦抹消する。自分は、諸星○たるでもなければ、○島でもないのだから。ここは冷静に現実的にならなければならない。そう、将来を考えるに当たっては、リアリティが大切なのだ。そこで無理矢理、現実的な将来像を想像してみたりした。

 だが、次いで思い浮かんだのは伊丹の好みからは大きく外れたゴージャスな容姿のホステスさんとか、煌びやかな女性達に囲まれて窮屈な思いをしている図とか、自衛官を退職してタレントみたいにコメンテーターとしてテレビ番組に出演させられていたりとか、誰が書いたんだかわかんない「二重橋の英雄」といったタイトルの本のサイン会に出席したり、保守系の政党から選挙に引っ張り出されたりといったものだった。

 実に貧困な想像力である。

 だが、柳田の囁く美味しい思いなんて、伊丹にはその程度のものとしか思えなかったのだ。何か作ったり創造したりするという能力に欠けている以上、そんな形で自分を消費する将来しか考えられないのだ。そんなものがテュカを見捨てて得られる未来なら、あまりにも酷すぎると言えるだろう。

 それだったら今まで通りの自衛官生活を続けて、テュカやロゥリィやレレイ、ピニャとボーゼスを引き連れて冬コ○に突撃した時のような、大騒ぎで疲れるけれど、楽しい日が時々ある方が良いように思える。

「やっぱ無理だわ」

 柳田は、伊丹のそんな言葉にたいして肩を竦めて応じた。それが、馬鹿は救えないねという意味なのか、それとも言ってることがわからんという意味なのかは、伊丹にもわからない。だが、柳田が、伊丹のしようとすることを納得はしなくても、それなりに受け容れてくれたということは理解できた。

「と言うことで、柳田さん。つじつま合わせは頼むわ。それに、車両と武器と爆薬の用意も頼むぜ。予備の燃料と飯も必要だな…」

 柳田は天を仰いで頭を抱えると「ちょっと待て、ちょっと待て」と慌ててポケットからメモ帳を取り出し、伊丹が口にした物品をリストアップしていった。

「武器は何を?それと食糧だがどれくらい必要だ?」

「LAN(110mm個人携帯対戦車弾)を最低10。食糧は、俺とテュカの二人だから二人分で頼む」

「おい、ヤオは連れて行かないのか?」

「ヤオ?誰だそれ?」

「今回の元凶だよ。ダークエルフの女」

「ああ、あれか?どうでもいいよ。柳田さん、それを言うならあんただって元凶その2だろう」

「うへっ、とんだやぶ蛇だったぜ。俺は俺の職分で頑張るから、それ以上言うなよ……わかった、食糧は2人分だな?」

 柳田はそう言うと、伊丹の背後にチラと視線を向けた。

「ああ、2人分」

「本当に2人分でいいのか?」

「なに?」

「…………………」

 柳田は答えなかった。ただ、伊丹に対して、気の毒そうな、お悔やみを申し上げますと、言いたそうな表情をする。その途端に、伊丹の両足は強烈な力で払いあげられた。

 いきなり視界に空が広がり、気がつくと地面に背中からたきつけられる。

 その衝撃に咳き込みながらも見上げた視界には、伊丹の身体を跨ぐようにして立つロゥリィのフリルのちりばめられた黒ゴススカートと、パニエに包まれてその中へと消えていくすらりとした脚であった。

 黒のブーツとそれに続く黒い網タイツ。それを吊り支える黒のガーターが薄闇の向こうに見えたりした。さらなる向こう側で見える黒い何かについては、直ちに視野から除外して、冷たく見下ろすロゥリィに視線を合わせる。

「ちょっとばかりぃ、水くさいんじゃないぃ?」

 ハルバートの石突きが、伊丹の耳傍を掠めて大地に突き刺さった。

 ロゥリィの傍らにはレレイもいて、大地に横たわる伊丹を見下している。

「だって、いや、ほら、巻き込むわけにはいかないかなぁって思って」

 ロゥリィは伊丹の腹部に、ズンっとお尻を降ろすと、その胸板を小さな拳で叩いた。とは言っても、埃を払う程度の衝撃だ。

「それが水くさいのよぉ。いい加減、巻き込んで良いって思ったらどぉ?」

「いいのか?」

「寂しいこと言わないでょぉ」

 ロゥリィはまた伊丹の胸板を叩いた。

「でも、危ないぞ。無事に帰ってこれるか判らないんだぞ」

「すっごくぅ楽しそぉ。ゾクゾクしちゃうわぁ」

 その時の、ロゥリィの微笑みの双眸には、妖しい狂気にも似た挑戦的な輝きが満ちていた。今にも伊丹に噛みつきそうな感じである。

「でもさ、ほら、まぁなんだ…」

「お馬鹿さぁんねぇ。女を危険な火遊びに誘いたいなら、見栄を張らずに素直に言ってみることよぉ。女はその一言を待っているものなのだからぁ」

「でも、ドラゴン退治だぜ。一緒に死んでくれって誘うようなもんだろ?」

「いやぁよ。心中なんてもってのほかぁ。まだ40年近くこの肉の身体を使えるんだからぁ、たっぷり楽しんでから解脱したいわぁ」

「じゃぁ、駄目じゃん」

「もしかして、最初から負けるつもりなのぉ?自殺なのぉ?」

 伊丹は首を振った。自殺に等しい危険性の中でも、わずかでも生き残れる可能性があれば、それに賭けるつもりはある。

「じゃぁ、心中ではないわよねぇ………」

「……………」

「…………………」

「……………………」

「……………………さっさと言えってのぉ。おい」

 ゴスッとロゥリィの拳が伊丹の腹部に突き刺さる。硬質のボディアーマーも、その強烈な衝撃だけは素直に伝えて来た。

「うっ………わかった、わかった。言うから、待て待てって」

 マウントポジションから放たれる、二発目をかわそうとして伊丹はロゥリィにしがみついた。それは、丁度ロゥリィのささやかな胸に顔部をつっこむ形となる。

「ロゥリィ、一緒に来てくれるか?」

 剣呑な気配がさっと退いて、輝くような笑みを見せた。ロゥリィもこんな透き通るような笑顔が出来るのだなぁと、伊丹はしみじみと思う。

「高いわよぉ」

「借りておく。返せるかどうかわからんが…」

「大丈夫ぅ。ちゃんと、取り立てるからぁ。死後にぃ、魂をいただくだけよぉ。眷属になってもらうわぁ」

「お前は悪魔かよっ!!」

 ロゥリィは伊丹のつっこみを可憐なまでに無視すると、伊丹から腰を上げた。
 地面に突き立てておいたハルバートを引っこ抜くと、柳田に向けて指を三本立てて「3人分ねぇ」と告げる。そして自分の部屋に向けて走り出した。支度に行くのだろう。

 振り向かずに行ってしまったロゥリィの背中を見送っていると、今度は「4人分…」と柳田に注文するレレイの声が聞こえた。

「おいおい、レレイも行くのか?」

 レレイの情緒に欠けた視線は、「何、自明のことを尋ねているのか」と小馬鹿にするような冷たさがあった。「夜が明けたら陽が昇るのか?」とか「物を落としたら地面に落ちるのか?」と真顔で尋ねたりしたら、きっとこんな視線を向けられるだろう。

 こんなことも説明しなければならないのか?とばかりに、レレイは手短に説明をする。

「生還率をあげるには魔法が必要。同行の許可を…」

 レレイの、物問いたげな色彩をもつ視線。

 無表情という相貌の向こう側に、伊丹はレレイの様々な感情の揺らめきを初めて感じた。そしてそれは、レレイの怒りが心頭に発していると主張していた。

「れ、レレイさん?も、もしかして怒ってらっしゃる?」

「………………………………………………」

 こうして、伊丹は「4人分頼む」と柳田に告げた。

 ロゥリィに譲ったばかりで、レレイの申し出をはね除ける理由もないし、滅多に怒らない少女の怒りがとてつもなく恐ろしかったからだ。

 伊丹が思いつくような「若いから」とか「組合に必要な人材」といった類の言い訳をしたとしても、レレイにかかれば赤ん坊の手を捻るがごとくに論破されてしまっただろうし、怒りの炎に油を注ぐようなことになるような気もしたのだ。

 伊丹の対応に満足したのか、レレイもまたこの場から立ち去る。彼女にもまた支度があるのだろう。




 今度は伊丹の前に、ヤオが姿を現した。

 無言のまま前に出ると、地に座り込む伊丹に向けて片膝をついて、胸にクロスさせた両の掌をあてて、深く頭を垂れる。

「なんなりと仰せ付け下さい。此の身は只今より永久に御身の物。御身の、いかなる仰せにも従います。今この場で命を絶てとおっしゃるなら、ただちに…」

 伊丹は、神妙に忠誠を誓うヤオを見て深いため息をついた。本気で、自死しかねない迫力があったからだ。

「とりあえず、ここで死なれても後始末に困る。それなら道案内をしてくれ。ドラゴン退治でも役に立ってくれ」

「かしこまりました。囮でもなんでも仰せつけ下さい」

 ヤオの言葉の端々には、自罰的な気配が見受けられた。

 自嘲とか、自罰というのは、他者から罵られたり罰されることへの心的な防衛としてなされることが多い。ヤオも自らの罪と、それに対する伊丹の怒りを感じているのだろう。

 そんなヤオを、伊丹は罰するようなことはしなかった。あからさまに憎しみを向けることもしない。ただ、淡々と彼女の役割を指図するだけである。

 罰されることを求めている者を罰することは、逆に楽にしてやることを意味する。ヤオに良心というものがあるなら、その呵責を受け続けることが罰となるだろう……などと考えたわけでもない。

 ただ、腹を立てたりするのは、面倒なばかりで詰まらないと思っただけだ。愛情の反対にあるのは怒りや憎しみではなく、無関心であるように、彼女に対して心が全く動かないのだ。

 もう少し、ヤオの境遇とか思いを、伊丹が知っていれば別の感情が湧いたかも知れない。だが、伊丹にとってヤオと言う名のダークエルフは、いきなりサーベルを突きつけて来たり、テュカに対する精神的な狼藉を働いたという、悪い印象しかないのだ。

 そんな伊丹の、距離を感じさせる冷淡さは慚愧と呵責に凝り固まったヤオにとって心地よいものであったのが皮肉である。「しょうがなかったんだよな」、などと優しくされたらかえって地獄だったろう。

 自分はそうされるだけの罪を犯したのだから、手頃な道具のように使い潰されて、そのまま打ち捨てられるのがふさわしいと思っている。それが不幸慣れした此の身らしい末路だろう。でも、適うなら罰が欲しかった。苦痛と罵倒を与えて欲しかった。侮辱と陵辱を欲っしていた。

 ヤオは自分の深奥にある何かが嗜虐に飢え求めていて、それを快楽と感じるのかも知れないと気付いて、背筋を振るわせていた。






「結局、5人分だな…」

 一連のやりとりを見ていた柳田は砂を吐くようにして言い放った。

「なぁ、伊丹。この際だからはっきり言わせて貰うと、俺はお前が嫌いだ」

 何を言い出すかと思えば、柳田の口からこぼれたのはそんな罵倒であった。ボールペンとメモ帳を胸ポケットに仕舞いながら、伊丹の傍らで傅いているヤオにちょっと視線を向ける。

「俺は、防衛大を出て、それなりに優秀な成績をあげて自衛隊に入った。エリートコースに乗っていると言ってもいい。だが、楽をしてここまで来た訳じゃない。軍事、法律、様々な勉強を暇さえあれば続けてるし、同僚や上司とのつきあいだって慎重にこなしてきた。下げたくもない頭を下げて、言いたくもないおべっかをあっちこっちに言って回り、本省の背広組との顔つなぎも丁寧にやって、政界や財界の連中がつけてくる無理難題な注文もなんとか納めてきた。俺はな、組織の苛烈な競争で生き残るべく、努力してきたんだよ。苦労してきたんだよ。頑張ってきたんだよ。だからな、正直言ってお前みたいな奴は嫌いなんだ。はっきり言って、見下している。片手間な仕事をして、趣味を優先した息抜きの合間の人生?嗤わせてくれるぜ」

 柳田の罵倒は言葉だけ追えば、エリートの増長慢にも聞こえる。が、どこか調子はずれで必死な気配があったために伊丹は聞き入ってしまった。

「お前は何だよ。やる気は無ぇ上に偶然の幸運で、ちゃっかり昇進して来て今や俺と同じ階級だとぅ?それじゃぁ、俺のこれまでの苦労は何なんだよ。確かに、自衛隊ってのは戦闘組織だからな。実戦となれば、その功績を報いるのも当然だろう。だがな、お前みたいな勝手なことをやってる奴がのさばって、俺のような裏方が苦労してるのってなんだか狡くねぇか?だからよ、苦労しろよ。もっと酷い目に遭えよ。危ない思いしてくれよ。部下の家族に、息子さんは悲運にも特地でお亡くなりになりましたって手紙を書く立場になってみろって言うんだよっ!そうしてやっと俺の努力と釣り合うてもんだ。違うか?えっ?

 なのに、何なんだよ!!私事だから部下を巻き込みたくないっ?

 国益の為になるだろう?体裁は整えるって言ったじゃないか!?

 俺たち自衛官が引き連れていけるのは上が附けてくれる部下だけなんだよ!!階級と編成で与えられた部下が全て。それが当たり前なんだよっ!

 みんな、その部下を得るために、命令できる立場になるために努力するんだろ?!違うのかよ?!

 隊を離れたら、俺たち個人は何んにも出来ないんだよ。出来ちゃおかしいんだよっ!!

 なのに、どうしてお前には、ついてきてくれる奴が居るの!?

 なのに、どうしてお前だけに、自分からついてくって言う奴が出て来るんだよ!?

 くそっ、腹が立って来る。胸くそ悪いっ」

 柳田はそう言うと地面を蹴って背中を向けた。

 肩で息をしている柳田の背中を、伊丹はしばらく見ていることとなった。





    *    *





「なによ、この女も連れていくの?」

 ヤオの存在を見て愁眉を寄せたテュカに、伊丹は「この女性も、いろいろとあったみたいだけど、もう諦めて故郷に帰ることにしたんだと。帰り道だって言うし、途中まで送っていくことになったんだ」と言う説明をした。

 レレイもロゥリィも、この嘘については何も言わなかった。ヤオも、伊丹の嘘に合わせたように、しばらくお世話になりますと頭を下げた。

 テュカは、二人きりだと思っていた旅の同行者が増えてしまったことについては、思うところがあるようだ。だが、ロゥリィもレレイも、もう仲の良い友人であるから、彼女たちとの旅も父との二人旅とは違う楽しみが期待できるとして、すぐに機嫌を直した。

 旅装を整えたテュカ、レレイ、ロゥリィの周囲には、アルヌスの街の人達が見送りに集まっていた。

 レレイは、カトー老師に後のことを頼み、子供達に向けて帳簿や経理について困ったことがあれば、カトー老師とよく相談するようにと申し送っていた。

 ロゥリィは、信者達や飲み仲間達に挨拶を交わし、ヤオは世話になった自衛官や警務隊の隊員が遠巻きにしているのを見つけて、目線で挨拶をしている。

 そうこうしていると、クラクションが聞こえて人垣が割れて道を開く。そして柳田の乗った高機動車がゆっくりと伊丹達の前で止まった。

「よお、伊丹。さっきは恥ずかしいところを見せたな。よかったら忘れてくれ」

「何のことだ?記憶にないぞ」

「それならいいんだ」

 柳田はそう言うと、エンジンを止めて運転席を降りる。入れ替わるようにしてレレイが後部から乗り込み、ロゥリィ…そしてヤオが恐る恐るという感じで乗り込む。助手席はテュカが座った。

「頼まれたものは、積みこんで置いた。それと、子供達からということでいくつか餞別も載せて置いたから後でチェックしてくれ」

 伊丹が運転席に座る。

「みんな、いいかな?」

 伊丹は乗り込んだ女性達に声をかける。

「さぁ、行こ!」

「準備は既に完了している」

「いつでもいいわぁ」

「ほ、本懐です」

 伊丹はアクセルを踏む。
 こうして、一行を乗せた高機動車は、あっけなくアルヌスを出発したのだった。






 アルヌスの丘のにある診療施設。

 その病室からは眼下にアルヌスの街が見える。老人はベットの腰掛けて、街から出ていく車両を見送っていた。

「若者が行ったか…」

 潰れて光を失った片目を黒い眼帯で覆い、左腕と左足に義肢を装着。服装を整えると、ナースコールのボタンを押した。

「デュランさん、どうしましたか?」

 スピーカーを通じて聞こえる看護師の声かけに、老人は肩を竦めた。

「済まないが、一番地位のある人を呼んでくれぬか?」

「どうしたんですか?」

「いや、以前から誤魔化しておった儂のことなのじゃが、話そうと思ってな」

「どういった心境の変化ですか?いくら尋ねても、『儂はただの農夫じゃよ』としか答えて頂けなかったのに」

「なに、若者がなけなしの勇気を示そうとしているのに、儂がこんなところでぬくぬくとしているわけにもいくまいと思ってな」

「判りました。すぐに先生を呼びますね」






 アルヌス生活者協同組合、従業員宿舎。

 ドワーフの大工が突貫工事で作り上げた長屋は、自衛隊が拵えた仮設住宅にも負けない住み心地を誇っていた。

 そのなかの一室に、食堂の主任給仕のデリラの部屋がある。

 石畳の床に、木造のベット。そこに通常は藁を積むべき所に、なんと綿の入った寝具が置かれていて彼女を驚かせた。

 さらに、据え付けの家具として小さなテーブルとタンスが置かれて、小さな台所まである。窓には、カラフルな彩りのカーテンがかかっている。信じられないことであるが、この空間と備品の全てが、デリラ独りに与えられたものだった。

 思わず涙ぐんでしまったほどだ。

 こんな好待遇は、自分のような雇われのポーパルバニーでは考えられないのである。
 亜人に対する待遇が最もよいと評判のフォルマル伯爵家ですら、ハウスメイドは大部屋が普通で、古参格になってようやく二人部屋が与えられる。

 ところが、今や自分は個室の主だった。

 アルヌスの街は住民や出入りする人間が増えた。これによって手狭になった食堂は席数を増やしたのだが、当然の事ながらデリラやドーラ達だけでは人手が足らない。
 その為に、給仕を増やすこととなったのである。そして新人の給仕を監督したり教育する役職として、デリラには主任という肩書きがついて、これに伴って彼女の給料が増えて、居室としては個室が与えられたと言うわけである。

 デリラは、はしゃいだ。

 無意味に、窓を開けたり締めたり、カーテンを擦ってみたり、まだ埃も浮かんでないと言うのに拭き掃除してみたり、同僚や後輩を部屋に招いて「先輩、すごぃですぅ」と羨ましがらせて悦に入ったりした。

 また気兼の必要な同居人がいないのをよいことに、裸でくつろいだり、へたくそな唄を歌ったりしてみた。その開放感と心地よさは例えようがない。

 さらには、故郷の友達に手紙を書いて自慢したぐらいである。返事の手紙を送る余裕がないことを見越して、返信用の費用を添えて。

 手紙の最後にはこう付け加えていた。フォルマル伯爵家に赴いて自分からのこの手紙を見せ、推薦を貰ってこのアルヌスに来るように、と。

 デリラは、自分も行くと言ってくるであろう友達の返事が待ち遠しかった。

 朝、遅めに起きて支度をして、店に出て昼から店を開く。そして、一生懸命に働いて、客達と楽しくお喋りをして、そして夜遅くに店を閉めて、部屋に戻ってゆっくりと眠る。

 食べ物を心配をしなくても良い。

 寝る場所の心配をしなくても良い。

 休暇をどう過ごそうかな、と悩むことの出来る贅沢。

 それは夢のような毎日だった。

 だが、昨夜届いた手紙の文面は、デリラが期待していたものとは異なっていた。

「なんで、こんな内容の指示書が、イタリカから?」

 それは、フォルマル伯爵家からの秘密指示書であった。

 だがその内容は、今のデリラには到底受け容れがたいものだった。もし、この指示をそのままに実行したら、この街で自分はもう働けなくなってしまう。それどころか、この街で働く全ての亜人達が立場を失いかねない内容である。それはもう、決して許されないことだった。

「どうして!」

 どうして、このような内容の指示をフォルマル伯爵家が出して来るのか。今の自衛隊とフォルマル伯爵家の関係に置いては、絶対にあり得ないはずだ。しかもフォルマル伯爵家は、日本との講和を推し進めているピニャの後見監督下にあったから、二重の意味であり得ないのだ。

 だが、指示には従わなければならない。

 それが、フォルマル伯爵家の密偵としてのデリラの使命である。だが、デリラは手紙を前にして、身動きを取ることが出来なかったのである。

 窓の外を高機動車のエンジン音が響く。

「あ、イタミの丹那」

 窓を開いたデリラの前を、伊丹達の乗る車が走り去っていくところだった。



+++++++++++

次回は、本編の予定ですが、湯煙温泉編が先に仕上がる可能性もあります。




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦っちゃってます。-湯煙温泉篇-(15禁相当)
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/10/27 21:22




 着意事項





 この作品では「自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」に登場するキャラの一部が、箱根の温泉旅館山海楼閣でまったりと過ごす情景を描いています。と言うことで起承転結なんて、まったくありません。

 しかも『フルメタ温泉描写方式』を用いて懇切公平慈愛心を持って、キャラの赤裸々な姿の描写を試みております。そのために……これに限った話ではありませんが……本作品では読者の皆様の喜怒哀楽を含めた様々な情緒が、いろいろな形で刺激される可能性がとても、とても、とっても大きいと思います。(あるいは、盛大に滑って寒くなるか…)

 さらに、本編と繋がらないことをいいことに、作者は相当ふざけて書いてます。本編ばかり書いていると、精神とか肩とかのいろいろが凝り固まってきて疲れるのです。そこで、いろいろと発散させたかったのです。更新した曜日が、いつもと異なるのも意表を突くため以外の何物でもありません。

 今や、「勢いに任せて書きました。だが後悔してません。ぞれどころか非常に満足している」って感じです。

 こうした作者の一方的な都合とか、表現に不快感を感じる傾向がある方や、劣情を催された上にそれを適切な手段で自己処理スッキリすることの出来ない方、法やルール、道徳、モラル、マナー、エチケットなんか知らないといった方は、お読みになることを、どうぞお控えになって下さい。

 年齢的には、精神年齢15歳以下の方はお控え下さいってところでしょうか?

 万が一これを読んだことで、精神的な外傷を負われたり、不快感を感じられたとしても、例によって作者は一切関知しません。

 マッチで火傷すれば、使用者のせいです。マッチが製造中止になったりしません。

 包丁で手を切れば、やっぱり使用者のせいです。包丁の生産中止になったりしません。

 餅を喉に詰まらせたら、やっぱり食べる側の不注意です。餅の製造販売が中止になったりしませんよね。

 なのに、なんでコンニャクゼリーは製造者責任が問われて販売が中止になるんでしょうね?不思議です。

 ちなみに、厚労省の『窒息の原因となった食品』(2006年版)によると、餅169件、パン90件、米飯89件、あめ28件、団子23件、カプセルゼリーはたったの11(コンニャクゼリー含む)だったりするそうです。

 従ってコンニャクゼリーが窒息の原因になると言う理由で製造販売が駄目と言うなら、お餅は製造中止、パンも製造中止、お米も製造中止、あめも製造中止、団子も製造中止にしないといけない、と言うことになるんだけどねぇ。

 更に言うと、いろいろと裏がありそうです。消費者行政担当相の後援会に(ry

 おっと、政治ネタが『また』過ぎたようです。

 でも、こうした劇・毒物的表現を含めて、きちんと噛んで飲み下し、喉に詰まらせたりするようなことのない方のみ、どうぞいろいろと想像したりニヤニヤして楽しんで下さい。





































 よろしいですか?



            まきますか?   まきませんか?





























じゃなくて…。


            「読みたいですか?」



            「引き返すなら今ですよ」



























 そう言えば…「画像が見たければ、自分が馬鹿であることを証明せよ」って某所での誰かの書き込みに対して、応えようとした人が「We are fool.」って書こうとて「Our fool.」って書き込んでしまい、以来「Our fool.って書けよ」転じて、「わっふるわっふると書き込んでください」になったそうですね~。(世間話)












 え、早くしろ?













 かしこまりました。では、参りましょう。

 とどく=たくさん 拝






















番外篇 自衛隊 彼の地にて、斯く戦っちゃってます。

 -湯煙温泉篇-(15禁相当)




























 Wikipediaなどの資料を調べると、温泉の利用形態は大きく分けて①「入浴して体を休める」②「入浴して療養する」③「入浴して楽しむ(泳ぐなど)」④「飲む」⑤「蒸気を利用する(サウナ・蒸し風呂)」に大別されるそうである。

 欧米では温泉は、②や④の利用法が基本であり、医師の処方をもらって飲用したり、療養するのに用いると言う。①や③の利用法は、日本独特の利用法と言っても良いのかも知れない。

 さて、『特地』に住まう女性達にとって『入浴』とは、美容や各種の理由によって、悩ましいことの一つである。別に『特地』に限った話ではないのだが、天然の温泉等は火山地帯などに集中して稀少であることから、身体の清潔を維持しようと思うと、どうしても河川、湖、泉、井戸の水等を用いるしかなくなってしまうのである。

 ただ、それらを入浴に適した温度にすることは、多量の薪と労力を消費するが故に、非常に贅沢なことと見なされている。要は冷たい水を直接浴びるしかないと言うことだ。

 で、いくつかの問題が発生する。

 その一つが『のぞき』である。

 説明の必要はないと思う。

 こちら側だって、ギリシャ神話などを紐解けば、乙女や処女やニンフ、ああっ女神さま等々が泉や河川で水浴をしているのを「つい、うっかり」覗き見て、酷い目にあった男の逸話が出て来るくらいなんだから、それくらいに多い事だったと言える。

 男側からすれば、そんなところで水浴びすんなとか、各種の言い分もあるんだけれど、とりあえずはまぁ偶然の事故とか、未必の故意というか、不幸とか、様々な理由でのぞきが発生する可能性があって、女性としてはおちおちと肌を晒すことは出来ないのである。

「ちなみに、ロゥリィはどうしてる?」

 栗林のした問いかけの末尾が「た?」の過去形ではなく、「る?」の現在進行形であることに、是非ご留意頂きたい。

「あらぁ。そんな不埒者にはお仕置きに決まってるわぁ。過失の可能性もあるから、極刑に処すってわけにはいかなかったけれどぉ」

 あまりにも「お仕置き」などと軽く言うから、どれほどのものか「具体的には?やっぱり、神様だけなに下手人を馬に変えたり、蜘蛛に変えたりとか?」と、ついうっかり尋ねてしまった。

「そうねぇ。ハルバートでちょんぎって、犬狼に喰わせるぅ?そんなに見たいならいくらでも見ていろと、瞼を切り取って目を閉じられないようにしてあげるとかぁ…」

 思わず想像して、悪寒に襲われてしまった。

 女の身であるから、ちょんぎる云々のあたりの想像は無理だが、瞼を切り取ってからの下りは、思わずぞっとしてしまう。

「こ、ここは安心していいわ。この温泉宿の山海楼閣では大浴場は当然のこと、露店風呂も四方は生け垣とか壁で仕切ってあって、少なくとも偶然とか、なんかの間違いで覗いてしまいましたってことは、ほぼあり得ないから。あ、みんな、脱いだ服は、それぞれにロッカーにしまってね。ほら、そこ。脱衣所の床に脱いだ物を散らかさないっ!」

「つまりぃ、確信犯以外あり得ないって事よねぇ。当然、極刑よねぇ…」

 フリル黒ゴスのリボンを弛めつつも、大きな窓の外に見える山々へと視線を向けニィと微笑むロゥリィは、やっぱり恐かった。頼むから覗きなんかすんなよ、と心の奥で伊丹や富田に釘を刺す栗林だった。




 草むす山林の中。木の葉や草花が大地を覆い尽くしている。倒木や岩、そして日の当たらないところには苔やキノコ類が繁っている。

 こんな風景を指さして「人がいるぞ」と言われても、素人は信じないだろう。

 人の姿らしきものなど、全く見られないからだ。

 だが、目線を向けるべき所について経験を積むと、自然の風景の中に漠とした違和感を受けるようになってくる。

 例えば、疎であるべきところが密になり、密であるところが疎であったり。陽の当たらないところに、日光を好む植物が生えていたり…。

 そんな場所を見つけたら、光の当たるところ、影の所をよっく見比べる。そうするとつや消しをした塗装や、迷彩柄の生地が見えてきたり、緑や濃緑のドーランを塗った人肌を発見することが出来る、『かも』知れない。

 そうすると、どうにか人の形をしているものが隠れているのを発見できるわけだ。

 この辺りが、初級編である。これが出来るようになり、様々なことに応用できるようになると……

 君は、敵の待ち伏せを見破ることに成功した!!

 生存力がレベル1向上した。

 観察力がレベル1向上した。

 危険察知力がレベル1向上した。

 隠蔽応用力がレベル1向上した。

 対のぞき技能がレベル1向上した。

 地雷的『なにか』発見技能レベルが1向上した。

 おれおれ詐欺看破力 C+が追加された。

 スコッパー初級から中級へとレベルが向上した。

 とにかく1向上した。そう、レベルが上がるのである。

 とは言っても、当然のことながら中級以上になると、敵は隠蔽しようとする場所の植生、地形、地物に応じて常にカモフラージュを更新するようになる。従って、さらなる観察力を磨かなければならない。何しろ、敵はジャングルに居るばかりではなく、我々の日常生活から匿名掲示板等、様々なところに潜んでいるのだから。是非頑張って貰いたい。

 さて、中級を越えて、上級と言うほぼ完璧なカモフラージュをして隠蔽していたとしても、不用意な動揺は背景から人の姿を浮き彫りとさせてしまうので、絶対に避けなければならないとされていてる……の、だが。

「……うっ」

『アーチャー。どうしました?心拍数が跳ね上がりましたよ』

『アーチャー』というコードネームを持つ赤井弓人三等陸尉は、思わず身を揺るがせてしまい自然にとけ込んでいたはずの我が身を暴露してしまった。

 特殊作戦群の実働部隊は、現在マスター・サーヴァント制をとっている。これによってサーヴァントたるコマンド要員は、後方のマスター(担当指揮官)によって心音モニター、バイタル等が常にチェックされているのだ。彼の心拍数の激変は数値として表記される。

「今、対象Bと視線が合った。すげぇ殺気だった」

 M95対物狙撃銃の照準眼鏡にうつった黒ゴス少女の刺すような視線がこちらを睨んだのである。

 だが、狙撃銃の対物レンズが太陽光などを反射しないようなフィルタ処理を施すこと最早常識レベルの問題で怠るはずも無く、きちんと隠蔽している限り、察知できるはずはないのだ。

『あり得ません。直線距離で450メートルも離れているのですよ。たまたま視線が貴方の方に向いただけです』

「いや、絶対に察知された。俺の勘がそう言っている。このまま監視を続けると、何かヤバイ。絶対にヤバイ」

『了解しました。では、速やかにポイントKへ移動してください。浴場及び脱衣所の監視は、内部協力者にお願いすることにします』

「ああ頼む。俺はこれより移動する」

 赤井は、死神ロゥリィの殺視線をうけ、全身が微妙に震えて冷や汗を掻いていることをこの時初めて気付いた。彼は誰も知らないところで、生と死の狭間を超え、今まさに生き残るための重要な選択をしたのであるが、当の本人もそれを知ることはなかった。




さて、

「あんた達はどうしてた?」

 恐い雰囲気を祓うようにして栗林は話を皆に振った。

 ちなみに昔の日本では、覗きを避けようと思えば、自宅に水をえっちらおっちら運んで、たらいに水を張って、それで肌を洗うしかなかった。これを行水(ぎょうずい)という。

 誰の家にも入浴施設があるようになったのは昭和も末期近くになってからだ。浮世絵などにも、井戸端の沐浴風景などが描かれていて、おおらかだった古き時代を感じさせるが、当の本人達にとっては、「ちょっちねぇ」といった気分だろう。

「誰も入って来られないような、深い森の奥に泉を見つけて使っていたわ」とテュカ。

「妾は…宮殿に浴室があったから。軍営中では、歩哨がついていたし…」とピニャ。

「騎士団の男連中との壮絶な戦いは筆舌に尽くせぬものがありますわ。覗こうとするわたくし達と、防ごうとする彼らとの戦いは、騎士団史として残しても宜しいのではないですか?」とボーゼス。

 ここで、栗林がフリーズする。翻訳のミスかと思って「はい?覗かれたんではなくて、覗いた?」と尋ねなおした。

 ボーゼスの回答「殿方らが互いに友誼を確認しあう姿を見ることは、わたくしのこの上ない喜びなのです」というものだった。

「うむ。その為に、騎士団を設立したとは言わぬが、望外の収穫ではあったな。くっくっくっ」とピニャ。

 こうして栗林は、背筋に汗を掻きつつ呻いた。覗く方も覗く方だが、男の方も男の方である。戦国時代、古代ヨーロッパ、中世ヨーロッパ等々と、こちらにも男色はあたりまえの時代はあったのだが、遠い過去のことだけに別の世界の話として感じていたのである……が、それらが突如身近に感じられて、栗林は鳥肌の立つような感触と共に押し殺すように呟く。

「く、腐ってやがる」と。





「あまり気にしたことはない。いつも井戸端」と、非常に剛毅なことを言ったのはレレイであった。

 井戸端というのは、その地域の人が水を汲みに集まるところであることは『井戸端会議』などという言葉が存在することからもそれが知れるだろう。つまり、人目が大いに存在する場所なのだ。
 コダ村とは、いろいろとおおらかな所だったのかも知れない。

「義姉が水を浴びていると、家の中でも覗きが出没して退治するのが大変だった。けれど、私はその点、楽だった。井戸端でも覗かれたことはない。たまたま人が来ても、じろじろ見たりせずそのまま用を済ませて通り過ぎていく…」

「……………………」

「……………………」

 論評に困る発言である。

 それはよかったわねと言って良いのか、それは残念ねと言って良いのか…女性としては、沽券に関わる部分もあるように思えるのだ。

 そう、残念ながらレレイの身体的な性徴は始まったばかりなのだ。

 レレイ・ラ・レレーナは、実年齢は特地歴で15才。だが見た目はもう少し幼く見える。体躯が小柄なのもあるから、電車の切符なら子供料金でもいけるかもしれない。

 カトー老師はちゃんとレレイを食べさせていたのだろうか。コダ村での栄養状態があまりよくなかったのか本人の偏食が原因か、その体つきはいささか細かった。

 そのせいで女性としての成熟もこれからである。
 そう、これからなのだ。最近では栄養状態も改善されたから、それなりに丸みを帯びてくることは間違いないと思いたい。今後の期待にかけたいところである。

 髪は白銀…いわゆるプラチナブロンドをショートにしている。ここで瞳が紅いと一部のマニアには喜ばれるかも知れないが、残念ながら黒みがかったグリーン(緑色)。冷ややかな印象を周囲に与える無表情も、細い眉や、ゆるやかな曲線が美しい鼻梁とか、薄目だけど柔らかみを感じさせる唇とか、シャープな顎のラインで彩られてフィギュアモデルのようだ。

 彼女の魅力は、ほっそりとした項(うなじ)から、背中にかけて伸びる滑らかなラインであろう。緩やかな曲線が、ちょっと骨っぽい肩胛骨の段丘へと続いている。そこがまた良いのだ。もうちょっと痩せすぎると、骨っぽさが際だちすぎて醜いし、もうちょっと肉が付いているとこの魅力は消えてしまいかねない。なんとも絶妙な感じである。

 さらにつづく背中はゆるやかに流れるようにして腰のラインを形成している。それがあるために、その下のヒップは小ぶりでも、全体のバランスから見ればちゃんと女性性を強調しているのだ。

 浴衣なんか着せると、そりぁもう映えるだろう。

「気にするな、あたしと比べれば15才の君には、まだまだ未来があるぞ」という祈りを込めて梨紗は、レレイの白い背中をポンと叩いた。同病相憐れむとも言う。

 また、世には「微乳がよい」という男もいるのだとレレイに言って聞かせた。

 ちなみに、梨紗の前の亭主は「有れば良いが、ささやかなら、それはそれでまた良し」という種類の男であった。おかげで、あんまりな劣等感を抱かずに済んだのである。そんな梨紗の慰めをレレイはうんうんと聞いて、大いに参考にしたようである。何の参考かは、ここでは語るまい。

 さて、そんな微乳同志の傷の舐めあいを余所に、女性方の視線は、もっぱら栗林の爆弾級巨乳へと集まっていた。

「これって、どうなっているのでしょう?」

「う~む」

 特に、ピニャとボーゼスの関心が何に向いているかを「ああ、ブラね」と察した栗林は、下着を外して見せることとした。

 特地における文化の調査で、女性用の下着にブラジャーに相当するものがないという事実は確認されている。日本でブラジャーが一般に普及したのが第二次大戦後、洋装が一般化してからだから、二人が珍しげに関心を持つのも当然のことかも知れない。

 ところが、いろいろと忙しかったピニャとボーゼスを除いた他の女性衆はと言うと、原宿や下北沢で大いに買い物を楽しんでいる。その購入品目のリストには洋服や小物以外に、下着というものがあったわけで、皆それぞれに入浴を終えたら試してみる気満々で、着替えの中へと忍び込ませている。

 だから、テュカとか、ロゥリィとかレレイの視線はブラなんかよりも、栗林の巨乳に注がれていた。

「これぇ、どうなってるのぉ?」

「中身が詰まっているのか疑問。通常は重みに従って垂れる」

「中身が空気だったりしないわよね。逆に筋肉だって可能性も」

 これを受けて、ピニャとボーゼスも参加する。下着も興味深いが、栗林の乳房も非常に興味が注がれるものであったからだ。

「いずれにせよ、触ってみればわかるであろう。筋肉なら、きっとかっちんこっちんだ」

「では、わたくしが…」

 ボーゼスが、すっと手を伸ばしてくる。

 その感触はサイズこそ違うが、例えるに新品の軟式テニスボール(ゴムまり)だろうか?弾力に溢れ、はち切れそうなほどであった。形状は半球型。ジェルバッグでも入ってるんじゃないのか?と思うところだが「へへへ、天然物だよ~ん」ということである。位置も、強固な大胸筋によって上胸部に維持されていて、のど仏の下の窪みと両の胸のトップが見事に正三角を描いている。

 それが滑らかな肌の感触と、比較的小さめの突起で可愛らしくデコレートされている。小麦色に日焼けした周囲の肌とちがって、常に隠されているその部位については産まれたままの薄桃に近い肌色をしている。

 そして身体の方はと言うと、ボディビルの不自然なそれとちがい、野生の猫科の動物のようなしなやかな筋肉が肌の下に隠されている。肩回り、首、胴回りともに光の当たり加減では、その段丘が見える程だ。

 でも、彼女の肢体を眺めるならば、立ち止まった姿よりも、動いている時の方がよいかも知れない。躍動する筋肉とか、きゅっとしまったお尻とか、揺れたりする「何か」とかきっとその目は釘付けになるに違いない。剛と柔、小柄な体躯と巨乳、肌の白さと日焼けの黒さというコントラストは、はっきり言わせてもらえば、非常にエロい。

 非常にエロぃのだ。

 大切なことだから二度言いました。

「で、殿下。信じられません。非常に素晴らしい感触です。酒を入れた革袋のような、弾力のないフニャフニャした感触を想像していたのですが、これはまるで赤子の頬のようでいて、しかもしっかりと中身が詰まっています」

「ほほう?」

「ふ~ん?」

「学術的にも、興味深い」

 こうして、四方八方から伸びてくる手によって栗林は、暫くの間文字通り「揉みくちゃ」にされたのであった。




 CMです。





















CM--01-- 15秒

 平成××年、突如として東京銀座に、異世界への門が開かれた。
 中からあふれ出る怪異達。阿鼻叫喚の地獄絵図。

 陸上自衛隊は、これを撃退し、門の向こう側、『特地』へと足を踏み入れた。

『自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』

 異世界ファンタジーと、現代日本の接触を描いたオリジナル小説、宜しくお願いします。














 CM終わり。





 さて、次にあるのが『水』の問題である。

 勿論、『特地』に限った話ではない。こちら側でも日本を除いた多くの国がそうなのだが、…『特地』の水の多くは、いわゆる「硬水」であった。

 硬水は入浴には適さないのである。

 髪はごわごわになるし、肌は突っ張った感じになるばかりか、荒れたりするそうである。従って清潔を保ちたいという衝動と、美容のためにはあまり水に触れたくないという気持ちの中間点で揺れ動いて、妥協点を見いだすしかないのだ。(ヨーロッパの人があんまり風呂に入らないのもそのせいらしい…)

 ところがである。

 ここは日本。箱根の温泉旅館。

 彼女らの眼前に広がる、巨大露天風呂。

 室内は湯煙漂う桐の浴槽。北欧式サウナにジャグジー、ジェットバス等々。

 これらを充たす、無尽蔵なまでの温。

 その効能たるや『美人の湯』とまで言われ、肌がスベスベになるばかりか、美容の敵たる冷え症、肩凝り、腰痛、神経症、各種アレルギーにまで効能があると、保健所の効能書きまでついている。

 そして、入浴を徹底的に楽しむために作られた設備の数々。露天風呂でありながら、周囲に(一応)張り巡らされた目隠し塀。その開放感と安心感。

 これらを産まれて初めて見た、特地の娘たちの心境を是非想像せよ。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「凄ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい!」

「す、素晴らしい。これほど画期的なものが、この世にあったとは…」

「なんということでしょう!!なんということでしょうっ!!是非、みんなを連れてこなければ…」

「……………………………(感涙)」ポロッ

「へへへ、凄いでしょ」

 栗林は我が手柄のごとく胸を張った。その巨乳には無数の赤い手形がついていたが。



 1番手、ロゥリィ・マーキュリー

 彼女は、かけ流しの湯を指先でツンツンと触れてみて、ちょびっと口に運んだ。

 今度は、浴槽に手をつっこんで、その充分なまでの温かさを堪能(作中では冬です)すると、その瞳を輝かせた。そしておもむろに、初めて公衆浴場に来た外国人っぽく、いきなり浴槽に飛び込むという暴挙に及ぼうとして、栗林に羽交い締められた。

「これっ!!まず身体を洗いなさい!!」

「おっ、おっおっ…おおっっ!!」

 ずりずりと引きずられていくロゥリィ。

 親から引き離される幼稚園児の如き悲しげな表情で、温泉に手を伸ばすが離されていくばかり。さらには、栗林の二つの巨乳の、弾力に富んだ感触を後頭部に感じて、なんだか悔しい。とっても悔しい気分である。

 ちなみに、彼女の肌はまるで白磁のごとくであった。それが湯煙の温かさからか、それとも生来のものか、薄紅色に染まっているから、なんとも言えない艶気がある。そんな彼女の肌に、水滴がちりばめられていたり、湯気で湿気を充分に含んだ漆黒の髪が、乱れ髪のごとくぺたっと張り付いている姿を想像してよ。どうだい?みんな。

 亜神たる彼女は、外傷を負ったとしても、その再生能力で常に完全修復されてしまうから傷一つ無い。シミ、そばかす、擦り傷や日焼けの類も、完全修復されてしまう。自分で望んだ外傷であったとしても、完全修復である。だから、耳にも臍にもピアス穴をあけられない。(刺しっぱなしにしておくことは可能)刺青の類も不可能。いくら食べても太らない。肉の身体を捨て去るその日までは、この姿のままである。

 では、そのスタイルについてなんだが、出るところについては確かに控えめだ。微乳である。しかし、しかしである。「そんなものは飾りです。エロいひとにはわからんのです」と言うではないか。(元ネタ/あっちこっちにありすぎて、よくわからん)

 実際小さくても良いものは良いのだ。

 ロゥリィの胸は微乳であるが美乳でもある。ささやかではあるが、その形状は品よし、形よし、張りよしなのだ。しかもである、その突端はイチゴミルク系のあめ玉のようなピンクである。これはもう、芸術品と言っても過言ではない。いや、芸術品その物だ!!(断言)

 さらに、出るところがささやかである代わりだろうか、引っ込むところは見事なまでに引っ込んでいるのだ。ぎゅっと締まった腰回り、首、くるぶしから足首の細さはそこらで見られるようなものではない。

 そう、ロゥリィは幼児体型ではないのである。強いて言うならマイクロサイズのデルモ体型とでも言えばよいだろう。



 この直後、第二のカルチャーショックがロゥリィを襲う。

 問答無用とばかりに、栗林に頭からお湯をザバッとかけられた後に、ピュピュと浴びせられたやや白濁した液体…それに一瞬、何を連想したかは秘密だが「酷ぉぃ。顔にまでかかっちゃったじゃないぃ!!」と抗議する間もなく、ヘチマタオルでごしごしと擦られ、身体は自分で洗えと手渡されて驚く。

 その泡立ちというか、クリィミィな感触と香りのボディソープに、思わずうっとりである。ロゥリィ・マーキュリー961才にして、石鹸というものを知った瞬間だ。

 『特地』にも、獣脂にアルカリ灰を混ぜて作る石鹸らしきものは一応あるのだ。だが、その品質はあまり良いとは言えないものだ。前述したような水の問題もあるから、脂分を肌から奪う石鹸をやたらと使うことも出来ないということで浴用として用いられるのも一般的ではない。だから、このグリセリン分を大いに含んだ『すべすべっぬるぬるっ』とした感触は石鹸について言えば、ロゥリィは初体験なのである。

 えっ?石鹸以外は何かって? そりゃ、あれでしょ……おわっ、聖下様っ!!お許し下さいっ!!ぎゃぁ………

「くすくすくすくすぅ。血ぃの感触ってぇ、とってもぉ、すべすべぇぬるぬるぅしてるのよねぇ」
















しばらくお待ち下さい。





作者、再生につきしばらくお待ち下さい。















 2番手、ピニャ・コ・ラーダ。

 彼女は、先達たるロィリィの暴挙が、栗林によって阻止されたのを見て、後に続こうとしていた我が身を振り返った。

「こほん」と咳払いを一つしてこの場にいる全ての女性に率先し、自ら身を清めることとしたのである。

 栗林がロゥリィにさせているのを真似てカラン(お風呂場の蛇口のこと)の前に品良く片膝をついてすわり、身体に巻いたタオルを解こうとして思わず絶句。

 巨大な鏡。

 横に長大な鏡。

 湯気で曇っているが、巨大な鏡。

 ひずみも無く、着色もなく、こちらの姿を寸分の狂いもなく、正直に映し出す鏡。(脱衣場にもあったはずだが、気付かなかったということにしておいてほしい)

 帝国では、鏡は青銅や鉄を磨いて作るものである。

 そのために、サイズもそう大きなものは作れないのが現状であった。

 ひずみがないような鏡は、ドワーフ、しかもドワーフの中でも「あなたがネ申か?」と問われる程の者にしか作れないと言われている。

 しかも、作れたとしてもそのサイズには自ずと限界があった。それが、これほどのサイズで、しかも水っけの多い浴室などに(帝国の鏡は金属製であるが故に、錆びたり腐食しやすいので水気は厳禁である)…。

 思わず、我が身に見入ってしまう。

 本当の自分の姿。

 口から漏れ出てしまう。「これが妾か?」と。

 一糸まとわぬ自らの裸体が、鏡の向こう側にいた。それはゆがみがないが為に、赤裸々に自らの正体を映し出す。そう、初めて見た嘘偽りのない己の姿に衝撃を受けていたのである。

 チラと栗林を見やって、その双丘を自らのものと見比べてしまう。

 栗林に髪を、がっしがっしと洗われて黄色い悲鳴を上げているロゥリィが目に入り、そのきゅっと締まったウェストと、しなやかな手足を自らと見比べる。

 思わず、沸き上がる劣等感。

 皇宮の鏡は、これまでピニャにおべっかを使っていたという事実に初めて気付く。帝国では、鏡に歪みがあるのは当然であったがゆえに盲目となっていたようだ。

 おそらく彼女の部屋にある鏡は、全体的に横に細く、それでいて、胸部あたりは豊かに見えるような歪みがあったのに違いない。そう。特地の貴婦人達は鏡を求めるに当たって、自分が美しく映るようなゆがみをもった鏡を探すのだ。全体の傾向としては少しばかり細く映るような歪み方をしているものが喜ばれる。その意味では、現代日本ではゲームセンターなどにあるプリクラがそうである。

「なんと言うことか…」

 思わず両手を浴室の床について、失意のポーズをとってしまう。ちなみに浴室なので裸である。

「どうしました?殿下」

 打ち拉がれているピニャの姿を見慣れつつあるボーゼスは、あまり深刻にとらえず、ちらと尋ねるだけで自分の身体を洗っていた。『こっち』に来てから、ピニャが受ける衝撃にいちいち気を回していたらきりがないのだ。

「ボーゼス。真実というのは過酷だな」

「はぁ…」

 これにはボーゼスも、なんとも答える言葉がなかった。

 ピニャ自身は劣等感を感じているようだが、男たる筆者に言わせて貰うと彼女の肢体はそれほど卑下したものではないからだ。

 要は、比較の対象が良くない。この場における『最大級』とこの場における『最細級』と比べてどうしようと言うのか。こういうことはバランスなのだから。

 ピニャの裸体を一言で評するなら、調和が取れているという表現が適しているだろう。

 栗林ほどではないとしても、その肌の下にはしなやかな筋肉がある。すべすべでまろみを感じさせる肩の線。それに張り付く燃えるような紅の乱れ髪。

 それはまさに、『洋もの』女性の裸身であった。

 張りのある二つの双丘は桃のような形状でツンっと上を向いて自己主張。その下には、ゆるやかな曲線でくぼみの織りなす腹部が広がって、真ん中に臍がある。乗馬によって引き締められたヒップは緩みたるみが一切なく、そこから伸びる大腿は緊張感に溢れている。ふくらはぎからくるぶしにかけてのラインは、若鮎のようで実に美しい。肉感的とはピニャのためにある言葉かも知れない。

 もし、傍にいたら思わず手を伸ばしてしまうたくなりそう。

 こちら側で産まれ育ったら、きっとモデルか芸能界…いずれにしても、引く手数多だろうに、そんな肢体を有する皇女殿下は持たなくても良いコンプレックスに苛まれて、「うう、鏡は正直のほうがよい」と、自室の鏡を新調することを誓ったのでした。



 3番手、テュカ・ルナ・マルソー。

 彼女は、浴室の壁面にある木製の重厚なドア……洞窟内部とかダンジョンの宝物庫につけられているような…の前に立っていた。

 それは、いわゆるサウナであった。

 扉に触れてみて、その熱さにここは何だろう?と首を傾げる。
 ちょっと戸を開けてみる。中から溢れ出るむわっとした熱気に、思わず、ぴっくりしてしまった。

 ちなみに、ハイエルフは種族的に自然児に近いので、裸になるべき場所では裸になることに抵抗がない。ということで裸身での立ち居振る舞いも堂々としてて、タオルを巻いたりして隠すこともしない、しない、全くしないのだ。

『上』も『下』も当然のことながら澄んだ蜂蜜のような金髪。(えっ、『下』?…もちろん眉毛のことだ。なんだと思ったんだね?某に出てくる似非金髪博士とは違うことを強調したかったのだよ、くっくっくっ)

 彼女の容姿を描写するとすれば、ちょっと人間の範囲を超えているなと思えてくる線の細さが特徴的かも知れない。痩せぎすなわけではない。手足が絶妙なまでに長くて綺麗なのだ。まさに黄金律の美しさである。肌の色は、ボーゼスやピニャに比べて東洋人に近くて肌理が細かいが、梨紗と比べれば白い方と言える。例えるに精巧な金細工だろう。

 胸の双丘について言えば、サイズについては平均的と言えば平均的なんだけど、メリハリのあるお椀型をしているので、栗林に匹敵する質感がある。しかもその尖端はローズピンク。腰回りも柳腰という表現がふさわしいスリムさ。問題があるとすれば、神秘的で妖精的なだけに、女々した色気に欠けてしまうところかも知れない。男的に言えば、見て欲情するより先に「おわっ、すっげぇ綺麗」と感心してしまうという感じである。ちょっと手を出しにくい。

「何してるの?」

 梨紗が背後から声をかけると、テュカはわりと上手な日本語で応じて来た。

「ここって、何?」

「ああ、サウナよ。熱気で汗を絞るところ…ま、こんな解説よりは、試してみることよ。試して、試して…」

 こうして、そう言う梨紗に手を引かれ、テュカはサウナへと入っていった。


 およそ、5分後


 バンっとドアを開けて真っ赤になったテュカと梨紗が飛び出して、梨紗にひっぱられるようにして水風呂に頭から飛び込んだ。

「あ、熱っち、あっち、暑っち~!!」

 二人を追いかけるようにして高温の蒸気が浴室に吹き出して来た。

「いったい、何をしたのよっ!!

「あんまり暑いから、つい水の精霊を呼び出してあの熱い石に…」

 北欧式のサウナは乾式といって、室温は80~100度近くになる。それで火傷しないのは、空気が乾燥しているからなのだ。これをいきなりスチームにしたら、全身が熱傷を負ってしまうだろう。下手をすれば死ぬ。

 呼び出された水の精霊も、災難だったろうが、梨紗のほうがもっと災難だ。高温の蒸気で危うく蒸し焼きになかけた梨紗は、おおきなため息をつくと、こんこんとサウナについて説明するのであった。

















 CMです。





CM--2--  30秒



 コダ村からの避難民達は、自衛隊の援助で細々と生活をしていた。

 だが、勤労意欲に富む彼らは、ただ他人に養われていることを由とはしなかった。

 そんな彼らが選んだ自活の道は、翼龍の鱗を掻き集め売ることだった。

 評判が評判を呼び、各地から押し寄せるように集まる商人達。だんだんと発展してしまうアルヌスの難民キャンプ。目新しい商品との出会い。馴れない料金交渉と為替相場に困惑する少女達に取り入って一儲けをたくらむ悪人柳田。そして金の臭いに群がる泥棒する奴と特殊作戦群との壮絶な戦い。
 こっちの常識とあっちの常識の違いから生じる様々なドタバタ喜劇。


番外篇 自衛隊 彼の地にて、斯く戦っちゃってます。

 -商売繁盛篇-(15禁相当) 鋭意企画中!!!


「さぁ、はじまるでざます。逝くでガンス。Wonがぁ……先生!!助けてくださいっ!!こすぴちゃんが息してないんですっっ!!!」







 CM終わり。














 どんなことにも一番というのは、なんとも言えない爽快感があるものだ。

 温泉に入るのだってまたしかり。一番風呂なんて言葉もあるくらいなのだから。

 身体の隅々を石鹸を用いてピカピカスベスベになるまでしっかりと洗い、髪まで綺麗に洗らわれた今、彼女を妨害する者はいない。マナーに従って、髪を湯面に漬け込まないようにたくしあげ、ターバンのようにタオルで包みあげて準備も万端。

 栗林も「うん、よし」告げる。

 意気込んだロゥリィは浴槽の淵に立って、今からこれから入ろうとして『湯』を感慨深く見つめていた。

 どういう訳か自分達以外には客もなく、浴槽は広くて、さらに湯はどこまでも透き通っている。そしてふわふわと沸き立つ湯気によって、そこはあたかも幻想郷のように感じられた。

 その湯面…というより水面は、ピニャが魅入られて動かなくなってしまった鏡のように平らで、外の風景を映し出している。

 そこに、ロゥリィは、ちょっと足先をつけてみた。

 ぱぁっと広がる同心円の波紋が、なんとも美しい。

 波紋が広がりきるの待って、いよいよこの平らかな水面を自分が掻き乱すのだと思った瞬間、隣からテュカがざぶんと入った。

「えっ?!」

 気分的には、足跡のない綺麗な雪面にこれから足跡を残すのだと思って、一歩を踏み出そうとした瞬間、別の誰かが飛び込んできてあたり一面を掻き乱したような感じと言えるだろう。

「くっ、テュカぁ……」

 しかし、ロゥリィの胸中なんて誰にも察することが出来るはずがない。テュカに続いて、レレイもピニャも、ボーゼスも、梨紗も栗林もどんどん入っていく。

「何してるの?さっさと入りなさいよ」

 栗林の声に、誰にも判らないように涙を流して握り拳するロゥリィであった。






 露天風呂に浸かって首だけ出す。

 湯の温かさと、冬の外気の冷たさが巧みにマッチする。頭が冷えて体が温まる、頭寒足熱を絵に描いたような状態だ。

「ふぁぁぁ」と、思わずため息が出てしまうのはどうやら日本人だけではないようで、そこかしこから小さな、あるいは大きく大胆なため息が聞こえたりする。

 ゆっくりのんびりと、これぞ極楽。

 とは言っても妙齢の女性達が集まって、ただじっとしているというのも詰まらないと言う意見が、誰からともなく出てきた。

 湯の中でする娯楽というものは無いのか?とテュカは尋ねる。これが泉とか川なら、泳いだりして楽しむという選択肢がある。水を浴びせあったり、潜ったりと楽しい遊びがいっぱいだ。

 が、それは温泉のマナーには反しているということで栗林は固く禁止を言い渡した。

 じゃぁ何がある?騒ぐのも駄目。泳ぐのも駄目。何も楽しめないではないか?という意見が次々と出る。

 ただ、湯に浸かることそのものを楽しむというワビサビは異世界ファンタジーの人にはちょっと通じないのかなぁと思いつつ、栗林が思い浮べたのが、舟盛りの刺身料理をお湯に浮かべて、お酒を呑むというものだが、実はこれは都市伝説らしい。無理に頼めばやってくれる旅館もあるかも知れないが、湯船に料理をばらまいたり、お銚子と言えども瀬戸物であるが故に浴室で割ったりしたらその破片でお客が怪我をする可能性もあるということで、いい顔されないのが現実だ。

 悩む栗林に、湯船の中で助け船を出したのは梨紗であった。

「こう言う時は、恋話(コイバナ)をするものよ」

「なるほど、男連中もいないし」

 と言うことで、一同ボーゼスへと視線を集めるのであった。関心がないのか、レレイだけは、ちょっと離れたところで、魔法を使って水玉にしたお湯を空中に浮かべて遊んでいた。

「な、な、なんでしょう?」

 浴びせられる視線の迫力に圧されて、ボーゼスは後ずさる。

 一同を代表して栗林が、ボーゼスに迫った。

「富田ちゃんが、どうもボーゼスさんをお気に入りのようなのよねぇ。ボーゼスさんとしてはどうなのかなぁ?と思って…」

「え、あ、それは…」

「当然、気付いてたでしょ?」

 女性は、男性の好意が誰に向けられているかを察するのに敏感だという。だが当事者になるとそれが判らないと言うのは良くある話だ。他人事だと冷静になれるのに、自分のことだと色々な思惑が入ってしまうからである。

 とは言っても富田が、何かにつけて自分に対して気遣いを見せてくれていると言うのはうすうす感じていたようで、それが好意なのかなぁ、それとも単なる気遣いなのかなぁと思いめぐらせていたのだ。それが今、周囲から指摘されたので「やっぱり、そうか」と理解したのがホントのところ。

「ボーゼスさん的には、富田はどうなのかなぁ?」

「騎士団では男女間のその手のことは、き、禁止になっていますので、それに家柄とか、身分とか、ゴニョゴニョ、ぶくぶくぶく…」

 顔の下半分をお湯に沈めて俯くボーゼス。ぶくぶくと言葉を気泡にして、顔を紅くするのはお湯のせいか、それとも別の理由か?

「うわぁ!!前時代的!しかも、同性同士はよくて異性は駄目ってどういうモラル?」

「そ、そうは言いましても」

 ボーゼスの視線は、騎士団の最高指揮官たるピニャへと泳ぐ。

「ボーゼス。こういう場で、そう言う無粋なことは言わないようにするがよい。実際に交際するとか、そういうのではなく、話の上でのこととして、皆はどう思うかと尋ねておるのだ」

 ピニャはボーゼスにゆっくりと近づくと、逃がさないようにその背後をとった。

「で、殿下」

「さあ、白状するがよい。妾もボーゼスがどのような男を好むのかには、興味津々だ」

 ピニャに、背後からその胸を鷲掴みにされて逃げ道を失ってしまうボーゼス。まさに絶体絶命のピンチ。髪を湯につけないようにまとめたタオルもはずれて彼女の豪奢な金髪がはらりと落ちた。

「お、おねぇさま。ご勘弁下さい」

「お、お姉さま?!!」

 周囲から上がる驚きの声。そこには、なんとも百合な気配が漂って見えた。

「だ、男色の上に百合かよ……どういう騎士団だあんたらは」

「誤解のなきように申しておくが、我らは姉妹銘を交わした仲であり、断じて皆が怪しむような不謹慎なものではないぞ」

 姉妹銘、それは騎士団内で年長の者が年下の者を教え導くと言う関係を、兄弟姉妹に例えてちぎり結んだことから始まるのである。

「ま、マリ○て、かよ」

「………マ○見てとは?何かな?」

「いや、こっちの話…」

「ならばいい。さて、ボーゼス白状しろ。さもなくば…うりうり」

「いや、お姉さま、そこは駄目です。いや、あっ、まって、あっぁぁぁ」

 行為が言葉を裏切っているとはこのことだろう。

 一同、黙って見ていることにした。

 こうして、背後から魂の姉に責め立てられるボーゼス嬢は、誰からの支援もないまま孤立無援の状態で敵に蹂躙されてしまうのである。

 さて、ボーゼス嬢がピニャ殿下に、程良くいじられている間に彼女についての描写をしてしまおう。やはり、ボーゼス嬢は縦巻きロールの金髪がトレードマークである。とは言っても、テュカのような澄んだ蜂蜜色と違って、レモン色のような黄色分の強い金だ。

 その髪を振り乱して、ピニャの責め苦に悶えている姿は、どう遠慮して表現しても「えっちぃ」としか言い様がない。
 しかも、その肢体は、ゆったりとした柔らかさを感じさせる。とは言っても、ぽっちゃりタイプにならないのがさすがに鍛えている女性騎士だ。しっかりと締まるところは締まっているのだ。が、端々に女性的な丸みとふくよかさがあって、ピニャに揉みくちゃにされている胸はツンっと突き出た釣り鐘型である。

 腿はムチムチ感があるし、お尻もぷっくりとしてまるみがあって、大変美味しそう。



「…………………………、と、トミタ殿は」

 ピニャの責め苦に耐えかねたボーゼスは、ようやく口を割ろうとした。

 周囲の女性達は耳を寄せる。

 レレイはやっぱり関心が無いかのように魔法をつかって、水玉を人の頭ほどのサイズに成長させたまま、ふよふよと浮かべて遊んでいた。

「トミタ殿のことは憎からず思っております」

 ニヘラッとした空気が周囲に満ちた。

 これは当然の事ながら、後で富田をからかってやらねばならないだろう、ということで一同合意を見たのである。

 ところが場の雰囲気を破るかのように「そんなことより…」という感じでロゥリィが湯面を叩いて日本語で話しかけた。

「わたしぃは、リサに尋ねたいわぁ。イタミとどうなってるのかぁ?」

 何がどうしたと言うのか、レレイの作り上た水玉が割れた風船みたいに弾ける。

 頭からお湯を浴びたレレイの緑瞳が中空を泳いだ。

「リコンしたって言ってたけど、それって自衛隊の人は偵察とかの意味で使ってない?」

 テュカの翻訳にロゥリィは、ぶんぶんと首を振った。

「それだと意味が通らないわぁ。リコンっていうのは別れたって意味だと思うんだけどぉどうなのぉ。それにぃ、別れた割にはぁ、仲良しな感じだけどぉ」

「うぐっ」

「そもそもなんだってあんなのと結婚したんです?やっぱり同じ趣味だったからなんですか?」

 これは栗林だ。

「いやぁ、そのぉ」

 梨紗としてはそれは恥多き過去であった。いや、伊丹と夫婦だったことが恥というわけではない。そうではなく…結婚するに至った理由と、離婚に至った理由が問題であった。

「まぁ、端的に言えば、貧乏していたので養ってくれと泣きついたわけでして」

「養ってくれと…」

「いろいろとあって喰うに困っちゃって、たまたま側にいて安定収入をもらってる先輩が妙に眩しく見えたって言うかなんて言うか…」

 日本語を解さないピニャやボーゼスは梨紗の説明が理解できず、通訳を求めてレレイへと近づいた。

 先ほどまで無関心を装って独り遊びしていたレレイも、何故か耳を傾けている様子が見受けられる。少しばかり梨紗に近づいているようにも見えたので、声をかけて通訳を頼むと淡々と梨紗の言葉を翻訳した。

「なるほど。梨紗様は堅実なお方なのですね」

 ボーゼスの評は少しばかり持ち上げすぎというものだ。が、現実的に見れば養って貰うために男性と結婚するというのも、別におかしな話とも言えないのである。貴族社会でも、生活に困窮した貴族の娘が、身分に劣るけれど財力のある家に嫁ぐというのはよくある話だからだ。こちらはお金を、先方は名誉と女を手に入れることが出来る。いわゆるどっちも利益があるという取引だ。

「それの何処が問題で?」

「『養ってください、その代わりに結婚してあげます』ってセリフがいつまでも尾を引いちゃって」

「げっ」

「もしかして、そのセリフを直で言ったとか?」

 女性衆もさすがにそれはどうかと梨紗に詰め寄った。いくら本心と言っても、それを直に言って良い場合と悪い場合がある。あなたには養って貰うために結婚しますと言われて、男だって気分がよいはずないだろう。下手すりゃ愛情の欠片もない、冷えた夫婦関係に陥れかねない。

「と、言うか、それがプロポーズの言葉でした………はい」

 栗林は肩を竦めた。

 ロゥリィもさすがに口をあけたまま閉じられなかったし、レレイは通訳を中断してしまってピニャにつつかれ、テュカは瞼をぱちつかせた。

「そ、それでよく結婚したもんだ。あの男は」

 栗林は感心したように呻いた。よっぽどの大人物か、馬鹿のどちらかであろう。

「先輩とは中学時代からのつきあいだったから、胡座かいちゃったところもあって…その後は、まったく話題にもならなかったし、結構仲の良い夫婦をやってたと思ってたんだけど……銀座事件の二重橋の戦いって、結構危なかったんでしょ?無事に帰ってきたのでホッとした時に気が緩んじゃって、なんでわざわざ危ないとこに行くのよって詰っちゃったら、『何かあっても保険金出るから、心配するな。生活に困ることはないよ』とか言われて、ガツーンと来ちゃって。この男、あたしが好きなのわかってないって気づいちゃったのよ…だから仕切なおさないとって、思って…」

「それで離婚を」

「なるほどぉ、でもリコンしちゃったんなら、もぅ他人よねぇ」

 ロゥリィはそう呟いたりするのである。


















 CMです。





CM--3-- 30秒

 伊丹は怒っていた。

 折角の休暇が、全然休暇にならなかったからだ。

 何としても休暇を取らせて貰う。こう宣言し、伊丹は12月29日30日31日に、銀座を出て「ゆりかもめ」に乗る。

 だが、そんな彼には、またしてもおまけがついていたのである。

「わかった、そこまで言うなら、ついてきてもいい。だが、君たちに耐えられるか?」

 生エルフ、魔法少女、黒ゴス少女、そして異世界のお姫様達。彼女たちの登場に驚喜するオタク達。迫り来る地響き。

「走らないでください!!!!」

「走るなっていうのっ!!」

「通路は左側を歩いてください!!」

 銀座事件に匹敵すると言わしめたスタンピードが、惨劇と喜劇を引き起こして埋め立て地を覆う。コミケ史初の出入り禁止処分が発令される?!!



番外篇 自衛隊 彼の地にて、斯く戦っちゃってます。

 -混家冬の陣篇-(15禁相当) 鋭意企画中!!!







 冬の埋め立て地が熱いっ!!









 CM終わり。
















 温泉旅館での娯楽設備と言うと、卓球だったり、地下とかに置かれた20年くらい昔のゲームだったり、大規模な高級旅館とかになると、なんでか知らないが「カラオケルーム」とか、「ディスコ」(←客が居るのを見たことがない。それとも季節によっては利用する人がいるんだろうか?)なんてものまであったりする。

 でも、山海楼はそこまで大規模な商業的施設ではないから、温泉に漬かったらノンビリしてくださいという感じで、その手の施設は設けていなかった。

 だからと言うわけでもないのだろうが、その代わりとして料理に力を入れるという方針らしい。

 だけど…こう言っちゃ何だけど、それもありがちな感じだった。

 だって、どれほど板前さんが腕を振るっても、結局の所メニューには、お刺身をつけることになるし、冬場だと固形燃料であっためる小さな鍋料理、魚の焼いたもの、茶碗蒸し、土地で取れたものと称して山菜……。ちょっと奢るなら海老とか蟹ってことになる。それが『定番』とされているからだ。

 この定番から外れると、変な話だけど評価はぐっと下がってしまう。「ええっ!美味いジャン」と思っても駄目で、お刺身がつかないと貧相な感じと言われてしまうし、卓上で温めたり焼いたりして食べる鍋、あるいは網焼きの類がないと、高級感に欠けるとされてしまう。どっちかという食べる側の食に対する感性の貧困さが原因だと思うのだが、世の中そういうことになっている。

 だから、どこの温泉旅館も冒険しない。ということで、どこへ行っても似たような彩りの料理が出てくることになっているのだ。温泉旅館のホームページとか、旅行のカタログを取り寄せてみれば、みなさんもこの意見には同意してくれると思う。

 このあたりの事情は、伊丹も大人として弁えているから「お座敷の支度が整いました」と仲居さんに言われても、過度の期待を寄せるようなことはなかった。

 ま、不味くなければいいや、という感じである。富田と栗林は、腹がふくれて酒が呑めればいいやって感じだった。梨紗は、ここしばらくの間続いた粗食のせいで、どんな料理が来ても豪華に感じてしまうと言っている。

 問題は、その後ろにぞろぞろと続く特地3人娘+2淑女が、料理に非常に期待感を抱いていることであった。特に3人娘は、古田からいかに日本料理が素晴らしいかを吹き込まれていたから、本場でどれほどのものが食せるかと、わいわい言いあっているのだ。

「そんなに、フルタと申す者の料理は凄いのか?」

 ピニャの問いに、テュカは大いに頷く。ロゥリィも大絶賛だ。

「ならば是非味わってみたいものだ。そんなに素晴らしい腕前の料理人が、兵士をやってるとは日本という国は、どういう国なのか?」

「店を開く資金を貯めるために自衛隊に入ったって言ってましたよ」と説明するのは富田である。

 親が店を持っているという場合を除いて、料理人が独立して店を持つには、大きく分けて三つの道がある。一つは、自己資金を貯めて開店するというもの。コツコツと働いて資金を貯めて小さくても自分の城を持つ。こういうタイプの人間は、足を運んでくれるお客に満足してもらえればいい、という感じで堅実に仕事をしていくし、腕前だけが勝負という感じになる。

 これに対して自己の腕前を、金持ちにアピールして出資させるという方法で店を構える者がいる。この場合は、お金を持っている人に、自分に出資してくれたら儲けさせますよと言う意味でも、料理の腕前とは別に、自分を売り込んでいく才能も必要となるのだ。
 出資者を儲けさせるためには収益を高めなくてはならないし、その為には単価の高い高級料理をつくらなくてはならない。そうなると、金払いの良い上客に来て貰いたくて、それにはマスコミに宣伝して貰って、よい材料を仕入れるためには……ということで積極的に他人と関わっていく才能を併せ持つ必要があるのだ。

 最後の一つが、師匠の店から「のれん分け」 してもらうというやり方となる。これは師匠がもっていた人脈とか、仕入れ先とか、店の信用とか、知名度を分けて貰う形をとるので店の経営がしやすいという利点がある。

 古田陸士長は、この最後のコースに乗っていた。が、師匠と喧嘩してしまい、店を飛び出してしまったので、仕方なく自分の資金で店を開くことにして金を貯めるために自衛隊に入ったというわけである。ちなみに師匠は料理界のドンと言われているような人らしく、別の店で働くことはとても難しいと言う。かと言ってその辺の街の食堂で働くのはプライドが許さないと言う事情らしい。

「あんまし、期待しない方がいいよ」

 旅館の仲居さんや板前さんには失礼とは思いつつも、富田はそう告げた。

「食べる人の顔を見て、その人のために、と古田が材料から吟味して腕を振るった飯と、毎日毎日やって来る顔も知らない客に出す、決まり切ったメニューを作らされる板前さんの料理とでは、比較すること事態、間違いだからね」

 板前さんの腕の良し悪しではなく、それはもう大量生産の量産品と、一点物の違いとでも言うべき問題なのだと説明する。もちろん旅館の板前さんは「そんなことはない」と言うだろう。だが、腕前が同程度であれば、大量の作業の中でつくられる宴会料理の方が、質的に劣ると言うことは誰にでも理解できる話だ。

 こう言われてしまえば、テュカもロゥリィも先ほどのような高テンションを下げざるを得ない。やや、期待値を下げて、晩餐の席に着こうとした。






 伊丹は見た瞬間、「へっ?」と首を傾げた。

 そこには西洋料理の数々が並んでいたからだ。

 思わず、仲居さんに「こ、これですか?」と尋ねる。

「はい。申し訳ないんですが、板前さん盲腸炎になってしまいまして、板前さんの息子さんに来てもらったんですが、それがフレンチレストランのシェフでして。お客様には、今晩は、こちらをご賞味下さい」

 旅館の浴衣を着て、畳の部屋で、お膳に並ぶのがフレンチ?

 なんとも予想の斜め上を行く事態である。温泉旅館の定番からは大きく外れたために、意表をつかれてしまった。

 ちなみにメニューは、以下の通りである。

 前菜は、人参ムースとコンソメジュレ うに添え

 メインデッシュは、和牛の赤ワイン煮込み ジャガ芋のエカゼと野菜添え

 デザートに、柚子風味のブランマンジェ 黒胡椒風味のクレームグラッセ添え

 ワインは、シャルル・プジョワーズ(赤)であった。






「あの肉が、凄い。非常に軟らかかったぞ」

 食後のデザートをつつきながらピニャは反芻した。

 分厚い肉を葡萄酒で煮込んで、プリプリとした食感を残したまま葡萄酒の味がしみこんでいてしかも、口の中で溶けるようにほぐれていく感覚はある種の陶酔感があった。

「前菜もよかったですわ」

 ボーゼスも賛同するが、それは決してお追従などではなかった。

 二人とも特地の王侯・貴族階級属する身だ。庶民では味わえないような贅沢な料理を日常として食べている。が、こちらと比較するとやはり料理の技術や調味料といった食材には格差があることを知ったのである。

 こんな時、人間の対応は大きく二つに分かれる。
 どこぞの卑屈な人達みたいに「自分の物の方が素晴らしい」と言って欠点にもならないような粗を探して貶したり、それが言えないとなると「自分の方にこれの起源がある」と声高に主張したりする卑小な対応と、優れたものを優れているとして、ただ素直に賞賛し讃えると言うものだ。

 二人とも、やはり高貴な育ちをしているためか、気高い精神性をもっていた。仲居さんを通じて料理長を呼んでもらい、その見事な仕事を褒め称えようとしたのである。

 一方、シェフの方だが、父親の代役として料理をすることは引き受けたが、あくまでも一時しのぎと考えていた。明日からは別の日本料理の板前に来て貰うようにして、自分はそれまでのつなぎと位置づけていた。あくまでも父親の職場の窮状を救うための臨時だ。大体日本料理が定番の温泉旅館で、日本料理の食器や漆器にフレンチとはちょっと合わなさ過ぎだろう。お客だってびっくりした筈だ。ただし最高の仕事をしたから味で文句を言う客は居ない。そう考えていたのである。

 だから、お座敷のお客様に「会いたい」と呼ばれて何事かと思った。

 日頃働いているレストランなら、食通ぶった成金野郎が挨拶をしたいと尊大な態度で呼びつけて来るのはよくあることだ。一応商売だから、機嫌を損ねないように対応するのだが、胸中では「味もわからん癖して」と舌を出している。

 が、今夜に関しては場所が場所だけに、その手の苦情はありかもしれないと思った。

 そもそもお座敷だと、どう挨拶したものかと思ってしまう。やはり正座して頭を下げるべきなんだろうか…と思いつつ、挨拶の声をかけて襖を開いた

 すると目の前にいたのは、燃えるよう赤毛の美女と、豪奢な金髪美女の持ち主だった。

 浴衣を着ているのはここが温泉旅館だから不思議ではないが、物腰というか落ち着きというか、有無を言わせない上から目線なのにそれを納得させられてしまうある種の威厳を備えていて、その傍らにはえらく綺麗な美少女達がいて、なんだかパッとしない日本人と、えらく巨乳の日本人女性と精悍な男がいたりする。

 まるでどっかの王様の治める国からお忍びで日本に来ている王女様とそのお付きの侍女達。それと木っ端役人に男女のガードマンという、実際には間違っているが、概ね間違っていない印象をシェフは抱いた。

 赤毛の美女が喋っている。金髪の美人が繰り返すように語る。
 それは何処の国のものとも判らない言語だったが、賞賛されているのはわかった。そのためにシェフは笑みを浮かべてしまった。美人で、しかもそれなりの地位にある人から誉められるのは、やはりいい気分なのである。

 見た目もぱっとしない木っ端役人の通訳など耳に入らないぐらいだった。

「ここまで、喜んでいただけるなら、明朝も腕を振るいましょう」

 こうして初志に反して、シェフは明日の朝食に腕を振る決心をしたのである。が、残念ながらその朝食を彼女たちが食べることはなかった。彼女たちは、夜も明けないうちに旅館を出発してしまったからである。






 温泉街のハズレにあるコンビニで、栗林と梨紗は、買い物籠をビール缶や各種缶チューハイ、缶カクテル等の酒類で満たしていた。

 食事が終わって静かにくつろいで、その後ただ眠るだけなんて、詰まらない。やっぱり酒盛りだろうと言うことで、と買い出しにやって来たのである。

「梨紗さん、こんなに買ってお金は大丈夫ですか?」

「大丈夫、アレから財布ごと奪ってきたから…」

 梨紗が見せたのは伊丹の黒革の財布だった。

 財布ごと奪った上に、それで山ほど買い物をするという大胆さに、栗林は唖然としてしまう。けれど、伊丹のことだから、不機嫌そうにブツブツ言いながらも容認してしまうんだろうなぁとも思えた。伊丹が、この手のことで怒ったりする場面が思い浮かばないのだ。それに梨紗も梨紗でさりげなく値段の安い酒を選んでいて、それなりの遠慮をしている様子を横目で確認できた。

「でも、梨紗さん。ホントによくぞアレと結婚しましたね」

「ん?……妙にこだわるのねぇ?もしかして結構気になってるとか?」

 酒類の冷蔵庫の前で、商品を吟味しながら梨紗は口だけで尋ねた。

 ワインのハーフボトルを籠の中に入れる。

「か、勘弁してくださいよ。ただ、隊長云々と言うより、結婚そのものに興味があって」

 栗林は、おつまみの『あたりめ』を商品籠に入れた。柿のタネもはずすことは出来ないだろう。

「ああ、そう言うことね。栗林さんは結婚がしたいのか」

「そうですよ。明るく清く正しい家庭を築くのが夢だったりします。その為の相手を探してます」

 探す必要なんてないんじゃないかなと梨紗は栗林の胸を見て思う。結婚したいと一言言えば、立候補者が群れをなして押し寄せてくるんじゃないだろうか。

 すると「胸見て寄ってくるような男は、回し蹴りです」と栗林は言う。

 巨乳には巨乳の悩みがあるのかも知れない。だが、それは恵まれた者の贅沢な悩みとしか梨紗には思えなかった。

「確認して置くけど、伊丹みたいな駄目?嫌いなの?」

「嫌いか好きかと問われれば、嫌いじゃないですよ。一緒に戦っている仲間ですから。けど、男としては、ちょっと遠慮したいなぁ」

「ふ~ん、じゃぁ富田君みたいなタイプは?」

「あれは近すぎて、もう友達感覚ですね。それに彼奴の好みは、ボーゼスさんみたいなタイプですし」

 梨紗は、ポテチを籠に放り込むとずしりと重い買い物籠を「ふんっ」と持ち上げてレジへと向かった。




 二人で手分けしてコンビニ袋を抱えて旅館へと戻る。その帰路においても話は止まない。というより、二人きりだからこそ出来る話というのもあった。

「で、あの、テュカって娘はどんな感じ?」

「まぁ、彼女も普通の女の子ですね。耳が尖ってるだけですよ」

「黒ゴスと銀髪の二人は…」

 梨紗は栗林に、特地の女性について尋ねていた。その嗜好とか、気質とかである。

「ロゥリィは時々恐いですよ。あの顔でバンバン人に斬りかかってました。ある意味ヤンでるんじゃないかと。レレイは教室に一人は居るお勉強が得意で引っ込み思案なタイプですね」

 自分だってロゥリィの隣に立って、盗賊相手に銃剣突撃かました身である。それを棚に上げて、言いたい放題の栗林であった。栗林の人物評はある意味一面的に過ぎるきらいがあるが、逆にそれだからこそ特地3人娘に気兼ねなくざっくばらんなつきあいが出来るとも言える。対人関係に置いて繊細なタイプはそれはそれでいいが、雑なタイプにも良いところがある。それかこう言うところかも知れない。

 何しろ相手は…

「何考えてるか判らない魔法少女に、齢900才を越えるロリ婆さんと、金髪エルフかぁ」

 …なのだから。繊細なだけだったら、近づくことも出来ないかも知れない。

「特地には、天然物のウサ耳もいましたよ。猫耳もいたし、髪がウニョウニョ動く見た目幼女っぽいのとかもいたかなぁ」

「うわっ……もしかしてメデューサ?それともシャンブロウ?」

 梨紗は羨ましさのあまり頭を抱えた。

 2次元の世界にしかいないと思っていたが、それが現実にいるとなればどうしたって気になる。是非見に行きたい、行ってみたい。

 もし、犬夜○みたいなのが居たら、マジ萌える。

 今からでも自衛隊に入ろうかと頭の片隅で思ってしまうほどだ。まぁ無理だろうが。

 そんな会話をしながらの帰路、街のあちこちに妙に外国人の姿を見かけた。

 箱根の温泉も国際的になったんですねぇと言い合っている二人であった。






 さて……

 温泉旅館に来て、一度しか風呂に入らない人間は、どれだけいるだろうか?

 筆者だと、到着してすぐにお湯に漬かって、朝起きてからと併せて2回は入りたいと思うところである。

 特に、深酒した翌朝なんかは、サウナでじっくりと汗を絞りアルコールとホルムアルデヒドを排出して、体内の水分を清いものと交換したい。

 可能なら、陽の出の前あたりに露店風呂に入り、太陽が昇るのを風呂の中から拝みたいと思ったりする。実際に実行したこともある。ただその時は、時間を間違えて日ノ出の30分以上も前に風呂に入って、湯あたりしてしまった。

 伊丹の場合は、これに加えて『寝る前のもう一回』が加わる。皆がいないような頃合いに、一人で、ゆっくりしたかったのだ。

 湯に浸かって国会でのバタバタや、その後の騒動を思い出す。

 いや、それ以前に、特地ではボーゼスにぶん殴られたり、死にそうになるまで走らされたり、はっきり言って心身共に結構負担を感じていたのだ。

 それでも保ってるのは、嫌々ながらも仕事だからと続けていた体力錬成(たいりょくれんせい)の成果かも知れない。

 露天風呂に肩まで浸かってため息をひとつ。身体の力をそっと抜いていく。

 すると、身体の隅々にまで血液が行き渡りどんどん癒されていく、そんな愉楽を感じた。

 一般幹候として久留米で訓練で時間的に追いまくられ、精神的に張りつめた毎日が続いた時に、ほんの2~3分、何もしなくて良い時間が出来た時がある。それが非常に快感として感じられたものだった。ゆっくり出来ると言うことは、時として快楽となりうるのだ。

 それを今、伊丹は追体験していた。しかも珍しく周りには誰もいないし。

 栗林と梨紗は買い物。富田はピニャとボーゼスを案内して、旅館の周囲を散策している。ロゥリィ達はテレビの操作法を教えてくれと言ってきたので、懇切丁寧に教えてやった。

 操作リモコンの一部を指さして「このボタンはなんだ?」と尋ねてきたので、成人番組を見るためのものだと説明したら「成人番組とは何か?」としつこく聞かれて閉口してしまった。が、「教育上、子供に見せることは不適切とされる番組だ」と説明してやったから、深意を理解して決して見ていないと思う。

 そう、絶対に見てない筈だ。きっとも、多分、おそらく…。
「ま、見てもいいけどねぇ」

 最年少のレレイだって15才だ。しかも特地では15才は立派に成人だと言うから、いいんじゃないかなぁと思ったりした。

「明日には戻らないといけないのかなぁ?」

 出来ることならもう一泊ゆっくりしたいところだった。

 休暇とは言うが、今回は全然休暇になっていないのだ。本来なら国会で参考人招致を終えて、その後から休暇だったはずなのだ。それが泊まったホテルは火事になるわ、全員引き連れて梨紗の家に避難する羽目になるわ、散々である。これは是非とも、休暇の取り直しを認めて貰わなくてはならないと思うところである。もちろん、日程は12月の29日、30日、31日である。

 伊丹は、両腕をう~んと延ばすと、戻ってから檜垣三等陸佐(伊丹の上司である)と交渉する決意を高めていたのである。




 一方、ロゥリィとテュカ、レレイは…。

 テレビの画面を、あんぐりと口を開けて見入っていた。

 いったいどんな番組が流されていたかは秘密であるが、ある種の心理的な衝撃を受けて凍り付いていたのは確かである。

「うわぁ……こんなことするんだ?」

「……………」

「……………」

 かろうじて声を出すことが出来たのはロゥリィだけで、テュカは顔面を完全に紅潮させ、レレイに至っては瞼をばちくりさせて「あうあうあう」と呻いている。身じろぎ一つすることは出来なかった。

 結局の所、栗林と梨紗の二人が帰って来るまでの約40分間を延々と「教育上、子供に見せることは不適切とされる番組」を見続けてしまうこととなったのである。







 この後、どうなったかについてはどうぞ本編をご参照いただきたい。







 ふぅ、疲れた。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 41
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/04 19:50




41





「神よ。天地を支える、使徒よ。我が祈りをここに捧げる。この身を供犠として、我は祭祀の炎をくべる者なり……

 戦いの神エムロイ
 冥府の王ハーディ
 真理の神デルドート
 雲帝パラパン……」

 デリラは祈りの言葉と共に、テーブルにしつらえた小さな祭壇に向かった。
 神々を象徴する燭台に火を灯すと、片膝をついて頭を垂れる。その長い兎耳の尖端を床につけるほどに。

 既にその身は、戦衣につつまれていた。

 その美貌を隈取りで化粧し、その身は鎧で固め、手には煤で燻した抜き身の剣を掲げている。

「我を、あらゆる恐れ、慈悲、愛、迷いから守り給え。この身はこの時より、敵たる者の命を奪う一振りの剣と為らん。赤い血を受けてたた錆びゆく鋼となりしも、忠誠を誓いし我が魂魄は不滅不変なり」

 それは、ポーパルバニーの祈りだった。

 ポーパルバニーは、大陸の東北域の平原に小さな原始的な部族国家を築いていた。

 その性質は剽悍にして残忍、激しやすく、そして淫乱であると年代記に語られているが、ヒト種の一方的な記述だけで彼女達とはこういう種族であると語ることは、不公正のそしりを受けることとなるだろう。が、そのような記述が残されるには、やはり残されるだけの理由があって、そこには彼女たちの生活していた地域では、部族間の争いが絶えることなく毎日のように戦争にあけくれていたこと、そして彼女たちが種を残すために、部族外の男と好んで交わったことが年代記作家達に強い印象を残したのだろうと考えられている。

 その社会は、純血種たる女王が絶対的な権力をもって大勢のポーパルバニーを従えるというものだった。君臨する女王を支えるために、貴族に相当する階層も存在する。だが、それらはもっぱら地位や役割を示したものであり、家によって継承されていく性質のものではなかった。何故なら、彼女たちには家という概念がなかったからだ。その理由は家を形成するに必要な男という性が、極まれにしか産まれなかったことにある。ポーパルバニーは多産であるが、男はほとんど産まれてこない。故に稀少であり、稀少であるからこそ一族の男と交わって産まれて来る子供は純血種として女王候補とされていたのだ。

 一族の男は稀少となれば、他の女達は他の種族の雄と交わってその精を得て、子をなすしかない。夫婦という概念がないから気に入った者と気に入った期間、つがいとなって閨を共にする。そして飽きれば別れてしまうのである。実にあっさりとしたものである。だから、あえて言うならば部族その物が家族として機能しているのだ。デリラは部族の女達を親として育てられ、部族によって教育されて成長したのである。

 だが、その王国も女王の裏切りによって滅亡した。

 帝国軍が攻めて来たのである。

 それは軍事的な攻撃と言うよりは、狩猟に似ていた。そう、帝国軍の目的は領土や財貨ではなく彼女達そのものであったのだ。美貌に優れていると名高い彼女たちを捕らえ、陵辱し、奴隷として売り払うためだけに、仕掛けられた戦争であった。

 彼女たちは果敢に抵抗した。個々の力量に置いてはポーパルバニー達は帝国兵士をはるかに凌駕していたから、帝国軍を苦しめ、翻弄した。だが、そこまでであった。

 装備と数、そして戦力の組織的な運用において帝国軍は洗練されていた。

 各所でポーパルバニーの反撃に翻弄され、戦線を食い破られながらも、全体としての攻勢はひるまず、面で押しつづけられた彼女達は、各所で勝ちながら最後に敗北してしまったのである。

 最後まで刃向かった者は嬲るようにして殺され、力つきて抵抗を断念した者は兵士達に陵辱された後に、烙印変わりとして片耳を中途で切り落とされる。そして市場でセリにかけられたのである。奴隷として。

 もちろん、全員が捕らえられたわけではない。一部で、なんとか逃げ落ちることの出来た者もいる。ただ、逃げた者を待ち受けていたのは奴隷となった者よりも、さらなる過酷な毎日であった。

 帝国軍の追跡を逃れるために、住み慣れた故郷を捨て各地を流転し、1日1日の糧を得るだけで精一杯。襤褸をまとい一握りの穀物のために盗みに手を染め、イモの一つと引き替えに身体すら売る。こんな辛い日々が続くなら奴隷の方がましと、あえて自ら片耳を中途で切り落として、捕らわれようとする者も出た。

 その決断を、止める者もいなかった。
 誰も彼もが、一片の誇りに縋って酷い生き方を続けるより、楽な生き方の方が良いかも知れない、と揺れ動いていたからだ。

 だから、最後まで残ったのは、誇りを捨てるなら死んでしまった方がマシという思いの強い者だけだった。そして、それを支えたのは自分達を裏切った女王に対する怨念だろう。この誇りと憎悪の二つだけが、彼女たちを生かし続けて来たのである。

 そんな彼女たちに、希望の光がもたらされたのは程なくしてからである。

 フォルマル伯爵家先代当主コルト。

 それが彼の趣味だったのか、それとも開明的な思想に基づくものだったのかは、今となっては知るよしもない。彼をよく知る者ほど「趣味だろう」と評する。要するにヒト種の美女よりも、亜人の美女を好んだという説である。

 実際、彼の寵愛を受けたというキャットウーマンや、メデュサの女性の名が後々まで残っている。が、彼女たちの殆ど全員が、問われても幸せそうな微苦笑をするだけで、彼については口を閉ざしているので真相は謎となっていた。

 後年、当主として成長したミュイ一人だけが後継者の特権として、年老いた彼女たちから父親の思い出話というか愚痴話を聞くことができたらしい。ただ、そのミュイ自身も、吹き出しそうになるのを堪えて、父親の名誉のために決して語らなかったという事である。

 そこから推測されることは、ただ一つ。彼が地位や権力を利用したり、彼女たちの弱みにつけ込んだりしたことはなかったと言うことだろう。それが、亜人趣味だったとしても、彼女たちの自由意思を尊重する開明的な趣味だった、と評して良いのかもしれない。

 いずれにせよ、フォルマル伯爵家は、ポーパルバニーやキャットウーマン、ハピィ、メデュサ・ションブロウといった、大陸の各地で虐げられているような亜人部族を集めて領内で庇護し、不当に取り扱うことを禁じた。これによって多くの亜人達が彼の領内で最低限ながらも生活を続けることが出来たのである。

 流れ着いたポーパルバニー達が伯爵に与えられたのは、作物も育たないような痩せた土地ばかりの山中だった。だが、そこは彼女達にとっては唯一無二の安住の地となった。小さな家をつくり、集落を作り、仲間を呼び集めて、そこを第2の故郷として生活を始めたのである。

 しかも伯爵は、彼女たちを貧困から救うために、希望する者のなかで条件に適う者をハウスメイドとして雇い入れるということまでしてくれた。こうしたことで彼女たちの極貧生活は、わずかでも潤ったことは確かなのである。

 この恩に報いるに身を捧げるに厭わない。それが彼女たちの総意である。

 だから、伯爵家からの指図ならばなんでもする。

 それがデリラの最終的な決断だった。

 デリラは、考えることを止めた。あらゆる疑念と迷いを捨て、彼女に与えられた責務を果たすべく剣を握ったのである。





    *    *





 伊丹等を見送った柳田は憤懣のやるかたない憮然とした表情を見せていたが、しばらくすると、肩を竦めて「ちっ、しょうがねぇなぁ」と頭を切り替えて日常の業務へと戻った。

 アルヌスの街の人々もそれぞれに、それぞれが担うべき仕事へと戻っていく。PXの売り子はPXに、料理人や給仕達は食堂に、そして大工のドワーフ達は現場にと……。

 柳田は、伊丹のせいで増えてしまった仕事を手際よく片づけていった。

 苦虫を噛みつぶしたような表情をしている檜垣三等陸佐に、直属の部下がしでかしたことを説明して、表情の苦さをさらに増強させたあと書類の差し替え等を進言する。

「つまり、『現地住民から重要な地下資源情報を得た伊丹2等陸尉はその緊急性と重要性を鑑み、隊の指揮を桑原曹長に任せると、現地住民の協力を得て単身『特地』エルベ藩王国との国境方面へ調査に赴いた』と言うことになるわけだな…」

「そうです。以前より、伊丹にはこちらでのコネクションを利用して、戦略資源についての情報は優先的に集めるようにと言う訓令が出ています。今回の行動は、それにのっとったものであります」

「ま、地下資源が原油、ダイヤモンドとなればいたしかたないか」

「ええ。以前から『速く探せ、早く探せ、まだかまだか』と本省の連中にせっつかれておりました。こちらの言語に精通した各偵察隊の要員は、帝都での活動で手一杯でしたから、これまでは資源探査に手をつけることは出来ませんでしたが、これは極めて重要な任務と位置づけられております」

「目的については良しとしよう。だが、問題は緊急性だな。帝都に赴く任務を放棄するほどのものか?」

「はい。現在日本をとりまく周辺状況は日増しに厳しくなっております。アメリカ、EU、中国、ロシア…世界の国々がこの特地に踏み込んで来るのも、そう先のことではありません。今のうちに資源の正確な位置情報を抑えておかなければ、我が国のアドバンテージは失われてしまいます。これは国家戦略上極めて重要な任務であり、可及的速やかになされなくてはなりません。伊丹は適切な判断を下したものと思われます」

「だが、単身での活動は危険ではないのか?ドラゴンも出ると聞いているぞ」

「奴も、覚悟の上でしょう」

「そうか。覚悟の上か……」

 檜垣三等陸佐はそう言うと、書類を前にしばし瞑目して、判子に手を伸ばした。

「よし。そのように理解した」

 朱肉もまだ乾いていない書類を受け取った柳田は、一礼して檜垣三佐の前から退出しようとした。そんな柳田の背中に檜垣の言葉が浴びせられた。

「俺は思うんだ。彼奴は何を考えてるんだろうか、と」

 柳田は基本教練の教範通りに周れ右すると、破顔して言い放った。

「自分は以前から馬鹿であると理解しておりました。今日、その確信を深めたところです」

 檜垣は視線を窓の外に向けると、独り言のように言う。

「なんで、あそこまで馬鹿をやれるんだ、あいつは」

 柳田は檜垣の問いをあえて無視した。

「ルールや規則というのは、守るために存在します。ただ、それを遵守するだけなら、我々人間の存在は、いずれ世に出てくるであろう人工知能搭載した人間型のロボットに劣ることとなるでしょう」

「なんだ、それは?SFの話か?」

「いいえ。さして遠くない未来の話だと心得ています」

「そうか。だとしたら人間の価値はなんだ?何の意味がある?」

「人間の価値は、ルールや規則を逸脱できることにあります。いつ、何を理由として、ルールや規則を破るか。そして破ったか。そこに人間の価値は見いだされることでしょう」

 檜垣は柳田にすら聞こえるほどに嘆息した。

「ヤオという娘が地面に頭をこすりつけて言ったんだ、自分の故郷を、一族を救ってくれってな。俺の足に縋るんだ。あの綺麗な娘が。そりゃもう、こっちの胸が苦しくなるような声で泣くんだぜ。あの時ほど迷ったことはない。だが俺は動かなかった。動けなかったんだ。俺にも養うべき家族が居る。部下にだって家族が居る。勝手が出来る立場ではない」

「三佐。それが普通です」

「お前の言い様なら奴だけが人間としての価値を示したことになる。奴が羨ましい」

 檜垣はそう言うと椅子を回して柳田に背を向けた。

 柳田はそれを見て告げる。

「三佐。貴方にとっての『その時』が今でないだけだと存じます」と。






 柳田の仕事は続く。

「はいはい、お次は、と」

 走るようにしてやって来たのは、陸上自衛隊『特地』方面派遣部本部 作戦幕僚部の第2科。

 2科長の今津1等陸佐は、特地内における『情報』を一手に取り扱う責任者である。

 彼の部下は基本的に制服組自衛官だが、この『特地』に置いては背広組を含んだ情報本部の要員や、公安調査庁や、外務省、そして警察の公安からの出向者等も含まれて、寄り合い所帯の体を成している。ある意味、それぞれが本局の出先機関として第2科に陣借りしていると言っても良い。そして、それぞれが得意とする分野で『特地』における情報収集の糸を繰り、あるいは情報を分析、評価、方針の策定に携わっている。これを統制し統御することが、今津の任務と言える。

「今津科長。書類に判子をお願いします」

 柳田の差し出した稟議書を、今津はちらりと眺め見た。これは伊丹の単独行動の合法性を裏付ける書類でもある。既に、檜垣の判が押されていて、残る空欄を埋めれば完成である。

 今津は、さらさらと斜め読みすると印鑑を押した。

「柳田。天然資源関係の情報なんじゃけんど、もうちぃと急げないものかのぅ?ものすごい矢の催促なんだが…」

「今でも偵察隊の人員の殆どが、2科主導の帝都工作に取られてるじゃありませんか。これ以上は、なかなかままならないのが現状です」

「そこをなんとかならんかのう。カトー先生とか、レレイちゃんみたいな学者さんからもろうた情報と、空自の航空写真だけではどうもな。やっぱり現地に赴いての調査が必要なんだわ。講和交渉も大事だが、こっちはこっちでやっぱり大事やから、たのむわ」

 実際、現地語に堪能で、調査・各種工作といった活動に従事できる人員は限られているのだ。講和交渉や帝都内での活動に、偵察隊のほとんどの手が取られているため、資源探査は遅々として進んでいないというのが現状である。

 柳田はこうした関係各部署からの要望を調節して、実働部隊に任務を振り分けていく実務を担っているために、こうした要望が直接ぶつけられてしまう。だが現状は、抜本的な対応などとうてい見込めない。だからどうしても、その場しのぎや、場当たり的な対応、時間稼ぎなどで対応せざるを得なかったのである。

「ホイで思ったんじゃが、この伊丹っちゅう奴の今回の行動。これからも続けられんかのう?」

「どういうことです?」

「要するにや。幹部自衛官に、雇った現地人を3~4人つけて、あちこちに探検に行かせるっちゅうことや。さすれば人員も少なくて済むやろ?6個ある偵察隊それぞれから、一人か二人を引っこ抜ければ、資源探査のチームが少なくとも6個くらい作れるやないか。偵察隊だって一人か二人ぐらいなら、都合つくんやないか?」

 確かにその通りである。

 戦闘が目的ではないから、通常装備の隊員が一人乃至(ないし)二人居れば戦闘力としては充分だろう。ただ人員が少ないと危険が多いから、補う形で信用できる現地人を雇って連れて行けばいい。名目が必要なら案内人ということにすればいい。つまり、今回の伊丹のように、である。

 ただ、何かあったらすぐさまサポートできる体制が必要となるかも知れない。これも、特戦や西普連が使えるなら、現実的なアイデアとなりえる

「頭に入ったようやな。別に今日明日までに何とかしろとは言わんから、しっかり頼むわ」

 今津はそう言って、次の書類を手にした。

 柳田は、資源探査チームの構想を練りながら2科を後にしたのである。






 国旗降納のラッパが鳴った。

 すでに、陽も落ちようという頃合いだ。隊員達の多くは訓練や各種の仕事を終えようとしていた。

 それぞれ隊舎前に集まって、課業終了の挨拶を中隊長にして、武器の手入れを始めたりして、武器庫に収める作業に取りかかっている。それが終われば、飯を食い、風呂に入り、洗濯や靴磨きなどを済ませ、居室の清掃と身辺の整理をして、余暇を過ごすこととなるだろう。

 勿論、夕方や夜間に任務がある者はこの限りではない。付近の偵察や、警戒のためにこれから、武器に弾薬を装填し行動を始める者達もいるのだ。

 柳田も、時間が来ても仕事を終えることの出来ない者の一人であった。

 まだ、この特地における自衛隊で最も偉い人に、書類について説明を垂れて判子を貰うという大仕事が待っていたからである。

「そうか、原油埋蔵の可能性を示唆する情報を得た伊丹二等陸尉は、エルベ藩王国方面の国境地帯に、現地人協力者数名の案内を得て資源探査に赴いた、と言うことなんだな」

 重々しい口調の狭間に、柳田は背筋を伸ばして直立不動のままに頷いた。

 陸将室の厳粛な雰囲気は、柳田をして緊張させる重々しい雰囲気で満ちていた。何故なら、第1、第2、第4、第5、第6と、特地に配備されている全ての戦闘団の隊長達、そして空自から来ているパイロット4人も顔をそろえていたからだ。

 特に、加茂一等陸佐(第1戦闘団長)、健軍一等陸佐(第4戦闘団長)の戦闘的かつ鋭い視線は、柳田の身体を貫いて、無言の重圧をぐいぐいとかけて来る。彼らにみなぎる怒気がひしひしと伝わってくるようだった。何か彼らを怒らせるようなことを俺はやったか?などとびくびくしつつ、緊張を高めていく。いくら、エリート意識に凝り固まった柳田であっても、この場では下っ端二尉でしかないのが現実なのである。

 柳田は、奥歯を食いしばりながら狭間の問いに答えた。

「はい。その通りでありますっ!!」

「彼奴は何を考えている?」

「本省 訓令5-304号 『特地における戦略資源探査について』が、伊丹の行動の根拠となります」

「それは判っている。私が言っているのは表向きことではないことは判っているだろう?」

「わかりません。表も裏も、伊丹は資源探査に出かけただけであります」

 柳田の迷彩服は、水でも浴びたかのようにその迷彩色をくすませていた。

「そうか。ならば良い」

 狭間は、柳田から視線を逸らして書類に視線を向けると、椅子に深々と腰を下ろすとその場にそろったそうそうたる部隊長達に問いかけた。

「諸君。どうするかね?」

「陸将のお心のままに」と健軍は告げる。

「我々も、いつでも準備が出来ています」

 空自の神子田2等空佐の言葉に続いて、久里浜2等空佐、西元2等空佐、瑞原3等空佐の四名は胸を張った。

「宜しい。大変宜しい」

 狭間は腰を上げた。

「今の中国についてはさておき、古代中国には尊敬すべきも人物も、我々が参考とすべき出来事も多い。申包胥(しんぽうしょ)と言う者の逸話がそうだ。彼は中国戦国時代における楚国の臣だった。楚が呉の軍によって滅びようとしている時に、彼は援軍を求めて秦に走った。だが秦王は『楚が滅びようとしているのは、身から出たさびである。なぜ、我が秦の兵を危険な目に合わせなければならないのか』と言って断ったという。すると申包胥は秦宮の広場で7日間昼夜を問わず号泣して援軍を求めつづけ、これに心動かされた秦王は援軍を約束したという。…どう思うかね?」

 これに答えたのは空自の神子田2佐だった。

「余所の国の戦争に引っ張り出されて、命を落とした秦兵からすれば、たまったもんじゃないねぇ。馬鹿のやることですな」

「そうだ。だが、我々の中にも馬鹿が居たようだ」

 久里浜2佐がため息と共に言った。

「馬鹿とは言え、日本国民です。こいつを見殺しにはできませんね」

「というわけだ、諸君。馬鹿を死なせるな。加茂一等陸佐っ!」

「はいっ!!」

 加茂を伸ばしていた背筋をさらに伸ばした。

「第1戦闘団に待機を命じる。適切な戦力を抽出して、伊丹二尉の資源探査支援の準備をせよっ!!次に神子田2佐っ!」

「はっ!!」

「航空支援を要請する。あらかじめ予想することの出来ない万が一の不測の事態、例えば特地甲種害獣との遭遇に備えて頂きたい」

「了解ですっ!!」

 それぞれの隊長達が散開して、陸将室から出ていった。

 何が起こっているのか理解できず、あっけにとられていた柳田は、おそるおそる狭間に尋ねた。

「あの、エルベ藩王国との国境を越えられないからこそ、我々は手をこまねいて見ているしかなかったのでは、ないでしょうか?」

 柳田が、伊丹をたきつけたのもそれが前提条件だった。こうもあっさりと、部隊を派遣できるならテュカを狂わせるような、悪どい手段をヤオに唆さずに済んだのである。

 狭間は、柳田を見据えた。

「今となっては何も言うまい。奴が行動を起こさなければ、彼の人物も自ら名乗り出ることはなかったのだからな。柳田、お前こっちの言葉は結構使えるようになっていたな」

「ええ。日常会話くらいなら、なんとか」

「これから診療施設に行って来てくれ。会って貰いたい人物がいる。お前の任務は、その方の要望を聞いて、こちらの要望を伝えることだ」

「了解しました。ですが、その方はどんな方でありましょうか?」

 狭間は、柳田の問いにため息をひとつついたのだった。






    *    *




 

「エルベ藩王国の国王が、ここの診療施設に入院してる?」

 狭間の話に柳田は驚きを隠せなかった。

 こんな重要人物が身近にいたとは。もし本当なら、今回の件についてもそうだが、藩王国との国交も日本にとって有利に展開することが出来そうである。

「で、本物なんですか?」

「ああ。先ほど、ボーゼス嬢から連絡を受けた。語学研修生の一人でスィッセスという娘さんが、本人と話をしたことがあったと言うことで、間違いないらしい。彼女たちも大いに驚いていたよ」

 狭間も抜け目なく、語学研修生達に国王が本物かどうか確認させたようであった。帝国の貴族なら、帝国の諸侯国の君主と、面識があるかも知れないと考えたのが何気に的を射ることとなったのである。

 こうして、柳田は診療施設の病室へと赴いたのであるが…。

 柳田の見た光景はベットに座った隻腕隻眼の男性が、晩飯をがつがつ口に運んでいるところだった。病み上がりとも思えない、なかなかな健啖ぶりである。

「おおっ、来たか。待っておったぞ……儂の留守中、政務は継嗣の王太子がとっておるはずじゃが、儂からの手紙が届いても奴は喜びはするまい。おそらく黙殺するじゃろう」

 デュランは、柳田の顔を見るなり、脈絡の判らない状況の説明を始めた。自己紹介も、前ふりも無しだった。

 柳田が、状況を把握できるまで何の反応もしないと見るや、デュランは「ふむ」と再度料理に挑み始める。どうやら話の主導権を取ってなし崩しに要求を畳みかけて来るつもりだったようだ。

 柳田は、タフな交渉になると気を引き締めた。何しろ相手は小なりと言えども一国一軍を一身で率いた男だ。甘く見て良い相手ではないのである。デュランは、料理をつつきながらここでの食事について論評した。

「儂としては、酒が付かんことが常々不満じゃった。じゃが医者と看護人が煩いでな、ずっと我慢しておったのじゃよ。が、今宵からは晩飯だけは下の食堂からまわして貰うことにしたわい。このアルヌスの庶民達は、随分と良いものを食べているようじゃな。まつりごとが上手く行っており、民が豊かな証左じゃよ」

 見れば、トレイに乗せられていたのは肉や野菜を炒めたものだった。

 何を食べているのかと思えば、街の食堂で出される普通の定職である。特地の新鮮な食材に、日本の調味料という組み合わせだから、確かに美味い。だが、陛下などと敬称づけて呼ばれる立場の人が、お気に召すほどに凄いとも思えない、ごく普通の食事なのである。

 ただ、病院の食事は不味いというのが定番である。どれくらい入院していたかは知るよしもないが相当長い期間、味気ない病院食を食べていたのかも知れない。そのせいで、まともな味付けの食事が数倍美味く感じるのだろうと柳田は推察した。

「まぁ、下の街は我が国の影響下にありますからね。当然と言えば当然です」

 柳田はそんなふうに日本と言う国を誇ってみせながら、国に残っている王子が自分からの手紙を喜ばないだろうと言う理由を尋ねた。

「ああ。あ奴はの、日頃から儂を疎ましく思っておったのじゃよ。だから儂がいなくて今頃清々しとるはずじゃ。使者など送ってもいい顔はするまいて」

「そうでしたか」

 国境を越えての軍事活動について、国王個人の承諾を得たとしてもエルベ藩王国が彼に従ってないのであれば意味がないのである。エルベ藩王国政府に、国境を騒がせる旨をきちんと知らせておかなければ、軍事侵攻と受け取られかねない。

「そこでな、この手紙をクレムズン公爵と、ワット伯爵に送ってくれ。この二人は儂に味方してくれる。場所も地図に示して置いた」

 デュランは柳田に、2通の信書と手描きの略地図を差し出した。

「この二人を通じて、国内の有力な貴族をまとめて貰うつもりじゃ」

 柳田は、これを素直に受け取らなかった。両手を振って「とんでもない」と断った。

「お家騒動は嫌ですよ。我が国には関わりのないことです」

「何を言う。藩王国は本来儂の物じゃ。それを取り戻すのにちょっとぐらい協力せい」

 柳田は、デュランの要請に対して眉根を寄せながら「そう言う話は、宗主国の帝国にご依頼下さい」と突き放した。

 するとデュランは「帝国はもう嫌じゃ」と憮然とした表情を見せる。相当の恨みを帝国に対して抱いている様子だった。

「しかし陛下にご助力して、我が国に何の利益がありますか?」

「炎龍退治のために国境を越えることを許可する。それでどうじゃ」

 柳田は首を振った。そして非常に狡賢そうな表情をするとこう言い放った。

「陛下の首を塩漬けにして王子様にお送りしても、ご許可が頂けそうですな」

 デュランは「ちっ」と舌打ちした。

「なんとまぁ、喰えない奴。儂の首を塩漬けにすると言うか?人のために命がけで、炎龍退治に出かけるようなお人好しもおれば、お前のような嫌らしい奴もおる。どっちがニホン人なんじゃ?」

 柳田はどちらが本物と言われても、どちらも日本人であるとしか言い様がないのだと嘯いた。日本人にもそれぞれ個性があり、一人を見て全員を規定するのは間違いなのだと。

 この陰険漫才は、それぞれの国益をかけた舌戦である。

 本来ならば外務の官僚がするべき事であるが、彼らの担当だからと言って、今此処にいる柳田があやふやな対応すれば、それをきっかけにズルズルと利益だけ取られて、こちらは何も得られないという状況になりかねない。実際、日本政府はこの手のことで、利益を得ることが苦手で、いつも気前よく損ばかりしている。だが柳田は日頃の仕事の関係か、それとも元々の性格か、得られる可能性が少しでもある物については狡賢く立ち回って、根こそぎ掻き集めることに馴れていた。

 狭間が、あえて自分をここに差し向けたのも、デュランとの交渉を有利に進めるためだと柳田は理解していた。

「で、何が欲しいんじゃ?」

 ようやく、デュランは韜晦を止めて単刀直入に要求聞くという態度を見せた。デュラン個人には取引の材料がないことを素直に認めたのである。

 柳田は、遠慮無く欲しいものは欲しいと素直に告げることにした。

「地下資源の採掘権。税の免除」

「金山と銅山は、我が国の富の源泉じゃ」

「ことごとく寄越せとは申しません」

「しかしなぁ……」

「では、金と銅については半分。そして金銀銅以外で、有望な資源があったら、それらについては全てと言うことで」

「ちょっと待て。今、ある金鉱も半分か?」

「では、新規に開発する金、銅の鉱山については半分と、金銀銅以外の未開発の地下資源については全てと言うことで」

「容易に答えられぬなぁ」

「何故ですか?」

「お前さんが、金銀銅以外は全て寄越せと口にする理由じゃ。妙に気になる。金銀銅以外で価値のあるものが、我が国に埋まっておることを知っておるのではないか?」

「それを知っていて、教えて差し上げなければならない理由がありますか?」

 デュランは、「欲をかいては損をするぞ」と場の緊張を解きほぐすように笑った。

 柳田は、損をするのは陛下の方だとそっぽを向いて呟く。

「知らないのですから、ないのと同じでしょう。これからも知らずに居てください。それとも、やはり塩の用意が必要ですかねぇ?」

「わかった、わかった。金銀銅など貨幣に用いる鉱物以外の、地下資源一切でどうか?」

 柳田は立ち上がると、デュランの差しのばした手を取りつつ念を押した。「免税特権をお忘れなく」と。これを忘れると、油田や鉱山の利益に莫大な税金をかけてくる畏れがある。

「ちっ、抜け目無い奴。致し方あるまい」

「では、引き替えとして我ら自衛隊が、陛下のご帰還を護衛いたします。ドラゴン退治のついでです。さして手間もかかりません」

「よしよし。これより、我が国はニホンと同盟関係じゃ」

「それにいてはお約束いたしかねます。残念ながら自分は下っ端なんで、外務担当者が後日、城に戻られた陛下の元を尋ねることでしょう。その際に、お話し合い下さい」

「なんじゃ、宛にならん奴だのう」

 帝国から距離を置いて自立しようと考えるデュランとしては、この条件を認める見返りとして、日本の庇護を受けたかったのだろう。

 デュランは不満そうに鼻を鳴らした。だから柳田は付け加えてやることにした。

「陛下が、地下資源についての約定をお守り下さる限り、お国と、日本は好意的な外交関係を結ぶことが出来ましょう」と。






    *    *




 
 アルヌスにおける、医療施設をわざわざ『診療施設』と呼んでいるのには、実はそれなりの理由がある。

 日本では、医療機関について定義が医療法によって明確に定められている。
 ベットが19床以下の医療機関を『医院』または『診療所』と呼び、ベット数が20以上場合は『病院』と呼ぶ……と言うようにである。

 アルヌスの診療施設はベット数で言えば百を超える収容能力を持つ。その意味では都内の大病院に匹敵する。だが、今のところ稼働ベット数はわずかに5。

 法に従うなら、施設基準とか人員の配置基準の都合上『医院』としておきたいところである。が、しかし一度医院として届け出てしまうと、万が一の場合、20人を超えた患者は受け容れることが出来なくなってしまう。戦闘地域という性質上いつ何時大量の負傷者が出るかわからないのだから、これは不味いということになる。

 だから、法律上の医療施設としては届け出ず、どちらともつかない『診療施設』などと言う言い方をして誤魔化しているというわけである。どれほど立派な建物を持っていても、災害被災地などにテントで作った臨時の診療施設と同じ扱いなのだ。

 とは言っても、そんな診療施設も外見的には立派な病院だった。

 そんな診療施設の玄関口にはベンチがおかれて、一人の女性が座り込んでいた。

 紀子だ。

 空には無数の星が瞬く頃合い。

 消灯時刻を過ぎた病院では、病室はもとより喫煙場所と定められた廊下などでも煙草を吸えなくなる。だから玄関先やその周辺でパジャマを着た患者達が屯して煙草を吹かしている光景が、大きな病院などに行くと見ることができる。

 余り褒められたことではない。だが元気だけは余っている整形外科系の(骨折とか…)の患者がストレスを溜め込むのも、(看護師の)メンタルヘルス的によくないので、医師や看護師も本人の体調が許す限り黙認しているのである。

 だが、ここの診療施設では入院中の患者は全部で5人しかいない上に、喫煙者は紀子一人だけ。

 普段はこの時刻に、デュランとかいう義足義手の爺さんがやって来て、紀子が鬱陶しく思うほど話しかけて来るが、そんな彼も今夜に限っては来ないので、紀子は一人静かに煙草の煙をくゆらせていた。

 ありがたかった。今夜に限っては、独りであることがありがたかった。

 今日、医師立ち会いの元、精神保健福祉士から告げられた言葉があった。

 それは、「貴女のご家族は全員、銀座事件以来連絡が取れません。おそらく皆さん、お亡くなりになったものと思われます」というものだった。

「うそでしょ」

「……………」

 当然のように発した紀子の懐疑に、医師は首をふるだけである。そして携帯電話が与えられた。

「なんだ、電話使えるんじゃない。嘘つき」

 当然のように、紀子は実家に電話した。だが電話は通じてなかった。兄妹の携帯電話にもかけたが、別の人が出た。

「変よ。電話、故障してるんでしょ」

 次に、電話をかけようとしたのは大学の友達だった。

 だが、親しい友人の電話番号は無くしてしまった携帯電話のメモリーの中だ。使わない記憶は頭の中にはほとんどを残っておらず、親しい友達に電話をかけることも出来なかったのである。

 幸いなことに知り合い程度友人に、たまたま末尾四桁が1111と、とても記憶しやすい番号を持つ友人がいたのを思い出したので、震える指を押さえつけるようにして、ボタンを押した。

 するとその友人は、紀子からの電話に驚き、続いて紀子の無事を喜んでくれた。

 そして、紀子が行方不明になってから家族に起こったらしい出来事をかいつまんで教えてくれたのである。こうして彼女を通じ、紀子の友人に無事が伝えられて多くの友達と連絡が取れたのであるが、皆一様に、紀子の家族と連絡が取れないこと。それどころか彼女の家が火事で焼けてしまい失われてしまったことなどを教えてくれた。数ヶ月間帰る者のなかった家だけに、家電製品が加熱したらしいと言う。

 人は、あまりにも激しい精神的な衝撃をうけると、ブレーカーが落ちるように何も感じなくなってしまうものらしい。

 脱力感と倦怠感だけが紀子の中に残った。

 悲しくなっても良さそうなのに、全く持って全然悲しくないのである。

 こう言う時は、普通は打ち拉がれていないと行けない。テレビや映画にあるように、号泣して枕を涙でぬらすとか、わめいたりとかしないといけない。

 そんな考えから、今の自分の状況にふさわしい行動をとることにして、悲しんだような表情をしてみた。

 だが、妙にしっくりこなかった。まるで他人のようで、自分のことでは無いような感じだったのである。お陰で、なんだかおかしくなって、笑ってしまったほどだ。

 何をしても、自然な感じがしない。手を叩いてみれば痛いのだが、それは自分とは関係ないところで起きた出来事のようにも感じる。痛みとしての実感が湧かないのである。自分が自分でない感じとでも言うべきか。ふわふわと浮いているような感触だった。

 どこに居ても身の落ち着け所がない。ベットに横になっても、座っていても、本を読んでも、壁を叩いてみても、自分の頭を叩いてみても、落ち着かない。

 さすがの紀子も気づいた。「どうも、自分は変みたい」と。

 考えてみれば当たり前だ。恋人と一緒に拉致されて、彼はどうなったか判らずじまい。自分は思い出したくもない毎日が続いて、助けられたと思ったら、実は家族全員が死んでいて、しかも帰る家も無くなっていたと言うのだから。変にならない方がおかしい。

 紀子の頭脳はそう結論づける。

 そう、変なのが普通なのだ。紀子はそう考えて、気持ちを落ち着かせるべく玄関先にまで来て、煙草をふかしていたのである。

 ため息と共に煙草の煙を吐いて、ふと思う。

「いっそのこと、死んじゃうおうか」

 そんな言葉を口にしてみた。普通なら、何考えてるんだ自分は…と思ったり、死に方を連想してゾッとししたりするのだが、それもない。

 ただ、「そっか、あんた死にたかったんだ?よかったぁ」という安堵の響きの籠もった女声が耳に届いただけであった。

 拉致されてから、虜囚生活の中で生き残るために特地の言葉を会話程度ならこなせるまでに必死で学び取ったのが幸いして、紀子はその声の主と会話をすることが出来た。

「誰?」

「そう言うあんたは、ノリコでいいかな?人違いだったら困るからね」

 紀子の前に立ったのはポーパルバニーの女だった。怖そうな隈取りと、女性的な身体のラインが妙に合っていて妖艶な感じだった。

「あたいも、死ぬのは嫌だって奴を殺すのは気が引けてたんだけどね、死にたいんなら、いいよね。手伝ってあげるだけってことで…」

「私を殺したかったの?」

「うん。ちょっと訳ありでね」

「そっか。私、殺されるんだ」

 紀子は死の影をまとった女が前に立っても、心が動かなかった。恐いとも、嫌だとも、逆に嬉しいとも思わない。ただ、そうなのか…と思うだけだった。

 だから、紀子は真っ直ぐ女に目線を向けた。これから自分に何が起こるのかを黙って見つめる。

 ポーパルバニーの女は煤で燻された剣を腰から引き抜くと、ビリヤードのキューを構えるかのように、紀子の喉元に切っ先を当てた。

「ゴメンよ。ホントにゴメンよ。ちょっと痛いけど我慢してな。なるだけ痛くないようにするからさ」

「どっちなの?痛いのは嫌なんなだけど……」

 すると喉元に感じていた剣先の力がすっと抜ける。

「困ったなぁ。あたい、痛くないように刺す方法なんて知らないんだ。どうすればいいんだろう。出来るだけ、早く死ぬようにするって事でいいかな?」

「早くってどのくらい?」

「参ったなぁ。どうしょう…」

 ポーパルバニーの女は本気で困っているようだった。

「死にたくないと抵抗したり逃げようとする人間を殺すとい覚悟は決めてきたけど、死にたいって言うのを手伝ってやるなんて、思っても見なかったんだよ」

 などと言いつつ、困ったように長い耳の後ろを掻きむしる。

 そんな所作が、知り合いのポーパルバニーと妙に似ていたので紀子は笑った。

「くすっ。今の貴女って、なんだかテューレさんみたい」

 紀子が何気なく漏らした名前に、女は凍り付く。

「……………今、誰だって言った?」

 喉元に突きつけられた剣が突き出されるのを、今か今かと待ってた紀子は、「どうしたの?」と改めて目の前にいる女性を見直す。その時である。

「そこで何をしているかっ!」

 デュランとの打ち合わせを終えて出てきた柳田は、ベンチの女性に対して剣を突きつけているポーパルバニーを見て、即座に9㎜拳銃を抜く。

 ポーパルバニーも反射的に動いた。






 柳田は9㎜拳銃をポーパルバニーに向けると、躊躇い無く引き金を3回引いた。だが、バニーの身のこなしは、柳田の予想を遙かに超えていた。

 中空に跳躍して柳田の放った銃弾をかわすと、そのままの勢いで正面から剣を振り下ろしてきたのである。

 これを避けることが出来たのはおそらく単なる偶然だったろう。
 跳躍した目標を視線で追うために顎をあげてしまい、バランスを崩したのである。半歩の後退が柳田を救った。

 鋭い切っ先がわずかに額をかすって柳田の足先にバニーの剣が食い込む。柳田は自分の腹の高さまで伏せられていたバニーの頭部めがけて、前蹴りを放つ。半長靴の固いつま先は充分な凶器となる。だが、これをバニーは後転跳躍で避けると、そのままに距離を置いて剣を構えた。

 すかさず、柳田は銃口をバニーに向けようとしたが、バニーは銃口の延長線上を見えない槍か剣でもあるかのように避けて狙わせてくれなかった。発射された銃弾はよけられないが、銃口を相手に向けるのはあくまでも人間。撃剣に馴れた者なら充分に可能な芸当と言える。

「ちっ」

 当たらないのは承知でも柳田は続けて引き金をひく。

 銃声が巡察の注意を惹いて、駆けつけて来ることを期待してのことである。実際、遠方が騒がしくなってきた。


 銃口を避けるために地に伏せたバニーは、そのままに柳田に向けて突進してきた。腰溜めに剣先を向けて。

 下から下半身に向けて突っ込まれると柳田には対応できなかった。

 無様に身を捩ってかわすのが精一杯。おかけで脇腹に焼けた火箸でも突き立てたような感触がある。

「あちっ!!」

 その衝撃で引き金に握りこんでしまうが、銃口の前にはバニーの背中があったので、弾が尽きるまで引き金を引いて、弾が尽きても引き金を引き続けたのである。

「くそっ、くそっ、くそっくそくそくそっ!!」

 意識がある限り。







[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 42
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/11 19:29




42





 暗い地下倉庫を照らすのは、わずかな数の燭台の灯火。

 湿気を含んだ空気は重くぬめり、冷たい石の壁はあらゆる温もりを奪い去る。

 光と音の双方において、外界から途絶されたそこは地獄のような暗さで満ちていた。

 そんな場所に、唯一とも言える調度品があった。

 朽ちかけた椅子だ。

 長年の酷使によって継ぎ目も緩み、全体がきしむようになった上に、しばらく放置されていたのだろう。埃が厚く積もっていた。

 フォルマル伯爵家の老執事は、そんな危なっかしい椅子に座らせられ、額から脂汗をながしながら肩で息をしていた。

 その視線は虚空の闇を睨むような、それでいて怯えるような弱々しさが感じられる。

「わ、私は知らないっ!」

 喘ぐような返事は、誰に返したものか。

 闇の中に複数の人影が浮かんで、その中の一つが老執事の頬を平手で打つ。

「あうっ」

 鈍い音と共に、執事の呻き声が地下室内に響いた。口角の唇が切れて、赤い血が流れ出す。

「バーソロミュー。貴方が当家の信箋を横流ししたことは、わかっているのですよ」

 黙々と執事の襟首を掴みあげて、ぎりぎりと締め上げていくのは猫耳メガネメイドのペルシア。その背後に立つ老メイド長は、苦痛に歪む老執事の表情を無機的に見つめながら尋問を続けていた。

「し、知らない。私ではない。断じてない。信じてくれっ!!」

「本当のことをおっしゃいなさい。今ならまだ間に合いましてよ」

 数度にわたる殴打が続く。だが、老執事は強情なまでに口を割らなかった。

「本当に違うんだ、私は知らない!だいたい何を証拠に私を疑う。私は此処にいる誰よりも長く当家に仕えている身なのだぞ。私よりも疑わしい者は大勢いるではないか。お館様の書斎に立ち入ることなど、誰にだって出来るのだからな!!」

「しかし伯爵家の公印だけは、貴方が管理しています。違いますか?」

 老メイドの視線を合図に、ペルシアは再度の打撃を老執事へと加えた。致命傷を避け、いたぶるように苦痛を味わうように、痛めつけていく。

 だが、老執事は頑として口を割らなかった。

「イッソノコト、ココロヨム」

 メデュサ・シャンブロウのアウレアが前に出ようとした。メデュサ種の彼女の髪は、犠牲者の『精』を吸う際に、それとともにその思考や記憶を深層表層を問わず読みとることができる。ただし吸われる精の量によっては、犠牲者は死ぬが。

 だが老メイド長は、それを止めた。

「お待ちなさい。貴女が心を読んでも証拠になりません。自分の口から話させなければ…」

 老メイド長は地下倉庫の隅で、この場を監督するかのよう立っている人影へと視線を向けた。

 この尋問も、フォルマル伯爵家と、後見人たるピニャにかけられた疑いを晴らすためのものだ。少なくとも、この場に立ち会う者を納得させるものではなければならない。アウレアがいくら「心を読んだ、真相はこうだった」と主張しても、証拠能力に欠ける。まして、他人を信じさせることなど不可能なのだ。

 同じように部屋の片隅で、身体を震わせていたマミーナが怒気を含んだ声で言った。

「ペルシア、変われ!!私がやるっ!」

 ポーパルバニーのマミーナが、怒気を孕んだ勢いで割って入り、執事に拳を振り下ろした。デリラとは同族でもあり、それなりに交流もあったから、彼女が暴挙を起こした責任がこの老執事にあると思うと、どうしても怒りを堪えることが出来なかったのである。

「お止めなさいっ!我々は疑われている身なのですよっ。怒りにまかせて打って、死なせでもしたらどうしますっ!口封じとしか思われませんよっ!!」

 老メイドの言葉にマミーナの拳が止まった。
 老執事は椅子ごと床に倒れて伏して、呻いている。
 マミーナは口惜しそうに舌打ちすると、肩と耳を振るわせながら後ずさり壁に身体を預けた。

 デリラの起こした事件は、アルヌスの街を震撼させた。発展しつつあるとは言え小さな街だ。警務隊が従業員宿舎のデリラの部屋を調べはじめたことは、瞬く間に知れ渡った。

 そして、「どうやらデリラが何かしでかしたらしい」という推測に、入院中のドワーフの弟子から「ポーパルバニーと柳田が血だらけで担ぎ込まれた」という別角度からの情報が合わさって、「デリラが柳田を刺した」という正確な推測として、皆に広まったのである。

 料理長は、あらかじめデリラに通告した通り、警務隊の菊地が職務質問にやって来ると「ええ。以前から、彼女は何か探るような振る舞いがありました」と正直に答えた。

「これで、あっしらは街から追放ですかね?」

 料理人やPXの娘達はうなだれていた。仲間がしでかした不祥事の累が自分達に及ぶかも知れないと考えていたからだ。だが……

 警務隊の菊地は「なんで?」と首を傾げる。

「お前達は関係ないだろう。それとも関係有るのか?」

 この言葉で、アルヌスの住民達は安堵のため息と共に、肩をなで下ろしたのである。

 だが、フォルマル伯爵家は、そのようにはいかない。

 デリラの部屋から、彼女に暗殺を指示する文書が発見されたからだ。
 それは、この伯爵家の信箋に書かれており、伯爵家の公印まで捺された状態で、ノリコという女性の暗殺を命じていた。

 その荒唐無稽な話には、笑うしかない。

 今のフォルマル伯爵家は、帝国と日本の間の中立地帯として安定し、繁栄している。だから日本との関係を損ねるようなことは、自分の家を支える柱を切るようなものなのだ。

 また、万が一にも、それをしなければならない事情があったとしても、誰の仕業ともわからないように実行させる。わざわざ、暗殺を命じた証拠を残させるなど、馬鹿のすることとしか言い様がない。

 だが、この事実を知らされた時、老メイド長は反射的に伯爵家も、もうお終いだと思った。

 我々の世界においても、かつてそうであったように、この『特地』でも要人暗殺の現場に、その家の紋章の入った剣が落ちていた…とか、国王を呪った符が出てきたと言うだけで、幾ら身に覚えが無くとも証拠とされてしまった例が数え切れないほど有るのだ。

 しかも、デリラがフォルマル家の密偵だったことは事実だ。

 しかし、間違っても日本人女性の暗殺を命じたことなどない。これだけは確かである。紀子などと言う女性が存在していること自体知らなかったからだ。とすれば、誰かが嘘の命令をデリラに送ったとしか考えられないのである。

 老メイド長は、証拠の文書を携えて「この文書はおたくから出たものですか?」と、第4戦闘団の401中隊を率いてやって来た用賀2等陸佐の審問に「直ちに真相を調べるから待って欲しい」と告げて、家内の取り調べを始めたのである。

 やがて疑わしい者の名前が挙がった。

 伯爵家の執事、バーソロミュー・ノートである。

 理由は彼が、伯爵家の公印を管理していたからだ。

 もちろん、老執事が自身でこのような命令書を出したとは言わない。彼とて伯爵家の一員であり、伯爵家が危機に陥れば災厄をその身に被る者の一人だからだ。だが、公印を捺した信箋を、そのような用途に使われるとは思わずに横流ししたとしたらどうだろう。

 ペルシアが老執事の身体を痣で綺麗に染め上げ、もう色づける場所が無くなった頃、部屋の片隅で監視していた男達が、いよいよ動き出した。

「もう、結構です」

 用賀2等陸佐と、通訳として付き添う第1偵察隊の陸曹だ。
 二人とも無表情そのもので突き放したような態度だ。その冷淡さが、日本の伯爵家に対する感情を表しているように見えて、老メイド長も、マミーナもペルシアも、不安であった。

「いえ。いけません、事を明らかにしなくては」

 老メイド長は必死だった。なんとしても真相を、真犯人を明らかにしなくてはと言う思いで用賀に訴えかける。真犯人を明らかにすることで誤解が解ける。そのことに一縷の望みを繋ごうとしていた。

「しかし、この男は喋らないでしょう」

「いいえ、必ず喋らせて見せます」

「婦長さん。時間の無駄です」

 無駄の一言が、伯爵家に対する死刑宣告のように感じられた。

「そんなっ!!」

 そんなやりとりをしている最中、地下倉庫の戸を叩く音があった。

「2佐。お呼びですか?」

「おぅっ。待ってたぞ。入ってくれ…」

「なんです、ここ。暗いですね…」

 場の空気を読まずに不躾な感想を告げたのは、医官の2等陸尉だった。だがせっぱ詰まった雰囲気が彼のお陰で霧散する。老メイド長も、メイド達も用賀が何をするつもりなのかと見る気になった。

「悪いが、打ち合わせたように頼む」

 医官は、小さなため息をひとつつくと「了解です」と頷いて、鞄から注射器を取り出した。アンプルを取り出してその首を切ると、シリンダを引いて注射器へと薬液を移していく。

「さてと」

 用賀は、ペルシア達メイドに下がるように伝えさせ、執事の顔を覗き込むようにして言った。

「我々は、叩いたり殴ったりしない」

 この言葉に、執事は縋るように言った。

「そ、そうか。ならば聞いてくれ。私は、本当に知らないんだ」

 通訳のタイムラグの間、用賀は図嚢から一枚の紙を取り出した。デリラの元に送られた文書そのものではないが、それをコピーしたものだ。しかも、文字ばかりでなく触った者の指紋もしっかりと浮かび上がった状態での写しだ。

「では、デリラの元に送られたこの文書も知らないと言うことで良いな?」

「当然だ。私は見たこともない」

「そうか?思い出すなら、今のうちだぞ。ここを、よく見ろ」

 健軍は、文書の文字ではなく指紋を指さした。

「この文様は、爪印なんかで使われるから、お前にも判るな。指の痕だ。この指の痕が残っているということは、この指示書の実物に触ったことがあると言う証拠だ」

 老執事は、通訳の言葉を聞いてその顔色を青ざめさた。小刻みに震えてもいる。

「赤い丸で囲ってるのは、デリラの指。そして彼女の物でない指紋が、あと2種類あった。さて、残された2種類のうち1つがあんたの物でなければいいな」

 そう言うと、用賀は老執事の手を、ぎゅと握った。通訳の偵察隊員が朱肉と紙を取り出す。

 老執事は、体中を硬直させて抵抗した。

「どうした?何で嫌がる。はっきりさせるのに丁度良いじゃないか。この指紋がお前の物でなければ、疑いも晴れるんだぞ…」

 老執事は、歯を食いしばって手を握って、絶対に指を開かないという態度だった。

「諸君、手伝ってもらえるか?」

 用賀の言葉に、ペルシアもマミーナも嬉々として手を伸ばした。老執事の手をねじり上げ掴みあげると、こじ開けるようにして指を開かせて、その10指の指紋をべっとりと採採取したのである。

「私じゃない。私じゃない。私じゃない……私じゃないんだっ!!」

 全身を振るわせて懸命に言い訳する老執事の前で、用賀は朱色の指紋と、コピー紙の指紋とを照らし合わせた。とは言っても、薄暗い地下室でそんな照合作業が出来るはずもない。なんとなく見比べただけであった。しかし、照合作業などするまでもないことは、指紋を採取する際の態度で明白と言えるだろう。

「う~む、残念ですな。少なくとも貴方は嘘をつかれた。その訳を伺いたい」

 全身を震えさせる老執事は、この期に及んで尚、頑なであった。痙攣なのか拒絶なのか見分けの付かない、引きつったような首の振り方で口を噤んだ。

「何か言えない理由があるのかも知れませんね」

 通訳をしている陸曹の言葉を受けて、用賀は医官を振り返った。医官は老執事の腕をとるとゴム管を巻いて、その二の腕を酒精綿で消毒を始めた。

 何をされるのかと、老執事は驚いたような目で腕を見つめる。

 ペルシアやマミーナは、もう何であっても協力するという姿勢で、老執事の両脇からその腕を動かないように固定していた。老メイド長も用賀のやり方の方が事の真相に迫れるかも知れないと感じて黙って見ている。

 ゴム管で静脈を浮かせて置いて、トンボ針(点滴用の針)を刺す。そのチューブの先には注射器が取り付けられていた。これなら多少暴れても、針が抜けるような恐れはないので精神科病院などで混乱して暴れる患者を、薬物で抑制する際に用いられる手法だ。

 医官は底意地が悪そうに告げた。

「これは、アミタールという薬です。この薬液があなたの体内にはいると、考えることも出来なくなって、問われたことを貴方の意志とは関係なく、喋ってしまいます。いいですね。貴方の意志とは関係なく、無理矢理、喋らされてしまうんです。ですから貴方は(誰かと交わした)約束を破ることにはならないのです」

 映画や小説に出てくるような自白剤という薬の存在は、一種の都市伝説である。
 実際には、問われたことをべらべら喋るような薬はない。しかし、このアミタール面接、あるいはバルビタール面接と呼ばれる技法は、現実に存在し精神分析臨床の現場では結構行われて来た枯れた技術の1つと言える。

 勿論『自白剤』などと言うほどの効果はない。しかし、証拠を突きつけた上で「自分の意志に寄らずしかたなくしゃべってしまう」と薬を打つ前に言い聞かせた言葉が、老執事の中での抵抗を和らげる言い訳となるのだ。

 医官はゆっくりと注射器のシリンダを押し込んでいく。

 ゴム管を弛めると、静脈血の流れに従って老執事の体内に薬液が流れていく。
 老執事の意識はゆっくりと霞がかかってくる。やがて、朦朧となった。

 医官は、ゆっくりとシリンダを押していた。アミタールは催眠鎮静薬だ。一度に沢山の薬液を入れてしまうと本格的に眠ってしまう。眠るか眠らないかの丁度良い加減を調整することが、難しいのである。

「どうぞ」

 医官の合図で、用賀は質問を開始した。





     *     *





 陸上自衛隊『特地』方面派遣部隊 
 作戦幕僚の第2科

 今津1等陸佐は、用賀から送られてきた報告に眉を寄せた。

 そこには、日本と帝国の講和を妨害しようとする勢力の存在が示唆されていたからだ。

 今回の事件を概括すれば、何者かが、フォルマル伯爵家の秘密工作員に嘘の命令を送りつけて、事件を引き起こしたものである。

 老執事に対する尋問の結果、『信箋』の流出先は判明した。だが、イタリカにある『その者』の投宿先はすでに引き払われてもぬけの殻となっていた。痕跡をたどろうにも、その糸は途切れてしまったのである。

 惚れ惚れとして来るほどの手際の良さである。

 素人の仕業とは思えない。今津は、これまでの一般的な情報収集とは性格の異なる、積極的な諜報・工作活動の必要性を強く感じていた。

 事件の発生を防げなかった段階で、初手は敵に取られた。デリラによる紀子暗殺を防げたのは、偶然の産物……たまたま柳田が居合わせただけ、だからだ。

 しかし、敵がそこに存在すると判ったなら、巻き返しの方法は幾らでもある。

「問題は、敵の正体やな」

 折角集まった選りすぐりのスタッフ達である。防衛、警察、外務、総理、公安…それぞれ本局との情報交換だけさせておくのも詰まらない話だ。今津は、彼らを集めて意見を問うた。

「敵の正体を掴み、逆撃を喰らわす方法について討論してや」

「最初に言えることは、敵は『紀子』と言う女性の存在と、容姿を正確に掴みうる立場にあると言うことです」

「そうだ。彼女は女優でもなければ、有名人でもない。この地に知る者のほとんどいない異邦人だ。日本と帝国に関係に置いて、彼女の重要性を知る者は、限られている。まして容姿を知る者など、面識のある者以外あり得ない」

「皇太子ゾルザル。ここまでは普通に考えることだな」

「たしかに。『そう思わせる』ように作られているシナリオとも考えられるからな。奴ばかりでなく、その周辺にいる者も考えておく必要がある。奴の人間関係について、望月紀子さんに問い合わせて、しっかり裏付けしておく必要があります」

 今津は頷くと、部下の一人に早速手配させた。

「その中で、帝国と日本の講和を快く思わない者」

「なんだか、ゾルザルが一番怪しく思えてきた」

「ああ。奴が怪しい」

 ゾルザルが主戦論者であり、日本との講和を快く思わないことは、菅原達帝都の外交官達が、貴族とのつきあいから得てくる一般情報からでも充分に読みとることが出来るからだ。

 男達は、敵の思惑に嵌った会話をあえてすることで諧謔的に笑いあった。

「もう一つあるぞ。フォルマル伯爵家が、このアルヌスに諜報員を潜り込ませていることを知る立場にある者だ」

「それは、執事のバーソロミューじゃないのか?」

「バーソロミューは今回の件では捨て駒として利用されただけだ。事件について詳細に調べていけば、疑いがかかってくることは誰にでも判る。逆説的に言えば奴が消えていなかったことが無実の証と言える」

「つまり、別の誰かが伯爵家に居る」

 用賀からの報告書に寄れば、執事バーソロミューには、女性に対する素行の悪さと借金という弱みがあったらしい。行商人から、伯爵家の公印の入った白紙の信箋を高く買うと持ちかけられて、思わずその誘いに乗ってしまったということだ。その上に美人局に類する方法で弱みを握られて脅迫されたらしい。従って敵は、彼の借金と女癖の悪さを知りうる立場にあった。

「伯爵家内を探せば、敵と繋がりを持つ者を見いだすことが出来るだろう。切れたと思った糸が繋がったな」

「伯爵家ばかりじゃない。このアルヌスにも居るかも知れない」

「ところで、イタリカから帝都までの情報伝達速度はどのくらいだ?」

「不味いな、資料がない。距離から見れば馬で12~13日ってところかな」

「夜通し走らせるわけではないからな。そのくらいだろう」

「敵の工作員は、デリラが事件を引き起こしたことを今日知った。ただ、まだ事件の結果を知らない。敵は今頃、事の結果を探ろうと必死だろう」

「ああ」

「敵の工作員に特別な情報伝達能力がない限り、事件の報告は10~13日前後で帝都に届くことになる」

 今津もここまで聞いて、大まかな方針を得ることが出来たが、自分一人で決めようとせず、「どうすれば、良いか?」と尋ねて2科全体の方針とすることにした。

 背広組の科員が総括して答えを出した。

「伯爵家には諜報員の存在を伏せるか、ごく少数に限って知らせておく。そして伯爵家に欺瞞情報を流し、その伝達ルートをたどって、糸が何処まで伸びているか手繰るという手法が古典的ではありますが、効果的です」

「欺瞞の必要はないかも知れません。暗殺の失敗。それと、講和交渉団がいよいよ入ってくる。イタリカで第一次捕虜返還と、講和交渉が行われるって情報を流しましょう。第一次捕虜返還も、白百合補佐官がやって来るのも予定通りですが、まだ帝都には伝えてませんので使えると思います」

「講和をぶち壊したい敵さんとしては血相を変えるだろう。この講和交渉の妨害をしてくる可能性もあるな」

「提案。皇太子ゾルザル周辺にも探りを入れておくべきです。中途で『糸』を見失っても、その欺瞞情報を受けて、誰が反応を示すかを見ることも出来ます。内部に入れ込みそうな人材がたしか、いたはず…」

 言いながら、テーブルの上に置かれた資料から、現在帝都にいる人材についてのリストを引っ張り出す。

「そうだ。こいつも役に立つぞ」

 科員の一人が、背後の事務机に積み上がった書類の山からひと束の報告書を発掘した。

「悪所で特殊な職業をしている女性達から提供されたものだが、これには帝都の貴族の子弟とか、令嬢とか、議員の皆様、それと家々のメイドさんとかの下ネタとか醜聞に類する情報がたっぷり書かれている。ゴシップに関わるものだから、今までうっちゃっていたんだが、コレを使って我々側の協力者になって頂くのはどうだろう?」

 男達は、互いに顔を見合わせると悪戯をたくらむ子供のような表情で笑った。

 今津が腰を上げると会議を総括する。

「デリラは悪い娘じゃぁなかった。食堂の華の一人だった」

 皆頷いた。此処にいる誰もが、街の食堂で彼女と親しく言葉を交わしたことがあるのだ。

「諸官。彼女を騙してあんな真似をさせ、我々の仲間の血を流させた奴に落とし前をつけさせてやってくれ。確かに敵には地の利があって我々は不利や。だが、こっちには敵さんを上回るスピードがある、少なく見積もって10日。それを生かすんや。いいな!!」

 こうして2科主導による、カウンターテロの戦いが静かに始まった。






「このブランデーという酒はいいねぇ。評判が上々だよ。誰かが献上品にしたみたいで、最近貴族様の需要が増えている。有ればあるだけ買うっておおせだよ。俺も試してみたが確かに美味い。舌が肥えた連中はもう止められないさ」

 アルヌス生活者協同組合 帝都支店。

 ここには帝都中の商人が商品の仕入れにやってくる。

 ネコ耳やイヌ耳の娘さん達にまざって店の仕事を手伝っていた倉田は、商人達と親しく雑談を交わしながら、それとなく皇太子周辺のことに誘導していた。

「でも、貴族様よりは宮廷でしょ。例えば、皇太子殿下のまわりに売り込めるような話はないかな。皇太子殿下御用達ってなれば、売値も上がるだろう?」

「皇太子殿下か。難しいぞ。やんごとなきお方達は御用商人ががっちり固めて、入り込む隙なんてどこにも無いからな」

「やっぱり無理かね」

 倉田は嘆息した。いつも、帝室関係者は御用商人ががっちり固めていて、近づくことさえ難しいと言う話で、終わってしまうのである。

 すると突然商人は声をひそめた。

「おいおい、簡単に諦めるなよ。話はこれからなんだから……」

「っていうと?」

「実はな、最近殿下はいろいろな貴族のお屋敷を借りたりして宴席を頻繁に催しているんだ。要するに非公式って奴さ。だから俺みたいな小さな商会でも商いの機会が廻ってくるってわけだ。後は言わなくても判るだろ?」

「なるほど……やっぱり、注文で『特別な便宜』を図るってのでいいかな?」

「ああ、それで良い。あんたんとこの商品なら儲けは確実だからな」

 二人はがっちりと固い握手を交わした。

「お宅の注文品は、優先的にそろえさせるよ。で…それっていつ頃?場所は?お前さんのコネで、料理人とか送り込めるかな」

「なんだそれ?かわった商売のやり方だな」

「ほら。酒や、料理の材料を売り込んでも、その上手な使い方ってやつがわからなけりゃ、商品の真価は伝わらないだろ?腕のいい料理人を送り込んで、舌の肥えた連中を病みつきにさせるのさ。それで儲け倍増!」

「商魂逞しくて、実に頼もしい。それなら、俺もおこぼれに預かれそうだし、良いぜ、引き受けた」

 二人は再度固い握手を交わした。






「フルタさん、このマ・ヌガ肉評判良いね。後で、作り方教えてよ」

 厨房で燃え上がる炎を前にしてフライパンを振る。

 臨時の料理人として厨房に紛れ込んだ古田は、厨房と宴席をせわしなく行き来するメイドさんの一人に声をかけられた。

「いいよ。その代わり、客について教えてくれないかな。舌の肥えた人だったら、それなりの味付けをしたいからね。女性が多ければ、甘いものが喜ばれるだろうし……出来るだけ詳しく、何処の誰とかも」

「え~っ!今日は、軍人さんとかが多いけど……そのくらいじゃ駄目」

「もうちょっと詳しく知りたいな。若い軍人さんなら塩味が強い方が良いし、年寄りのお偉い人なら、塩と油分を抑えて香辛料を増やした味付けをしたいからね。できれば名前とかも知りたいなぁ」

「うん、わかった。そう言うことなら、ちょっと聞いてくるね」

 メイドはそう告げると、古田の焼いた肉を皿に盛って宴席へと向かった。

 すると、しばらくしてゾルザル自身が厨房にずかずかとやって来た。

「このマ・ヌガ肉を焼いたのは誰だっ!?」

 怒声とも罵声ともつかない大音声に、古田は一瞬どきっとした。やはり潜入しているという後ろ暗さがあるだけに、バレたら不味いという心理があって脅かされると心臓が強く反応する。

 しかもゾルザルは、厨房の料理人達の視線が集まった古田を発見して、凄い勢いで近づいて来た。

(やばいっ。怪しまれたか、正体が露見したかっ!!)

 思わず懐中の9㎜拳銃に手が伸びる。

 が、どうやら心配する必要なかったようで、ゾルザルには古田を見るとその肩をバンバンと叩いた。

「お前がこれを焼いたか?」

「は、は、はいっ。そうですっ!!」

「探したぞ。前にピニャの宴席でも料理を采配したであろう。いや、わかっている。俺はあの味を忘れておらん」

「え、あ、はい、確かにピニャ殿下のお仕事を、い、いたしましたっ」

 思わず直立不動になって胸を張ってしまった。

「やはりそうか、この味は他にはなかったものだからな。実は、お前に申しつける仕事がある。明日宮殿に来い。いいな」

「有無を言わせない」という言葉があるが、これはもう最初から断られることなどあり得ないと思っている尊大さであった。そして、手元にあった焼き上がったマ・ヌガ肉を抱えられるだけ抱えると、用件は終わったとばかりに背を向けてしまう。

 緊張で身体の固くなったフルタは、そんなゾルザルの背中を見送るので精一杯であった。

 そしてそんなフルタに対して、ゾルザルにぶら下がるようにしていたポーパルバニーの女性が、まるで値踏みするような視線を向けていた。

「なんだ、あれ?」

 戻ってきた、メイドが肩を竦めた。

「あのポーパルバニー?知らなぁい。でも、殿下のお気に入りの愛玩奴隷でしょ。いつも連れて歩いてるわ。でもあの目、生意気よね。殿下のお気に入りかなんだか知らないけど、ポーパルバニーの癖に」

 メイドが言うには、あの女があのような視線を向けるのは、別に古田に対してだけではないと言うことであった。





     *     *





『特地』の空を白銀の翼を翻して二機のファントムが征く。

 雲上の空。

 天空の蒼を背景に、眩しい太陽が輝いていた。その光をさえぎるものはなにもなく、照りつけるような陽射しが、ファントムの機体を熱いまでに照らしていた。

「現在、高度11000フィート」

 2機の編隊は、小揺るぎもせず安定した速度と高度を保って飛行していた。

 コ・パイの久里浜が、キャノンピーを画板代わりに地図に線を掻き込んでいた。燃料消費量と照らし合わせながら航路の変更を書き込んでいく。

 パイロットの神子田はまるで機械の仕掛けのように、顔を視線を周辺へと留まることなく廻らせて警戒していた。斜め後方に位置する僚機のパイロットと担当する方角を手分けしてのものだ。

「神子田。国境地帯まであと、10分。速度280kt(ノット)。進路190°ターンヘディング(進路変更)……ナウッ」

「おうっ」

『了解』

 見事に右後方を追従してくる僚機。

「コンプリート」

 コンピューターとすら評される精緻な管制を行う久里浜の指示は繊細だ。並の神経の持ち主には煩わしさしか感じられないだろう。だが、それに従っている限り機体は進路を失うことも、迷子になることもない。そして機体が持つ性能を最大に引き出すための前提条件を作り上げてくれるという安心感が神子田にあった。

 これまで誰も飛んだことのなかった特地の空。

 ここにはGPSも、航空管制網もない。実際の地形と地図、そして計器だけを頼りに現在位置を見いだし、進路を定め、気象条件と燃料消費量を勘案しながら航路を決めていかなくてはならないのである。まして戦闘機動をするならば…だが、それらの作業も久里浜なら任せて確実だ。

 だからこそのファントムでもある。

 だからこその神子田達でもあった。

「今日で3日目…いい加減見つけたいねぇ」

「カレを見つけてもいきなり攻撃するなよ。今回の目的は、カレの戦力評価なんだからな」

「わかってるって…」

『そう言っても、いざとなると神子田さんは手綱離した猟犬並みの勢いでぶっとんでくからなぁ』

 僚機の瑞原の声がレシーバを通じて入ってきた。

『もう、おっさん言われる歳なんだから、ちっとは自重しろ』

 そんな冗談が西元から飛んだ瞬間、計器が小さな電子音をあげた。

「レーダーに感。127゜高度3250。コンバットマニュバ、ゴッ」

「おうっ」

 神子田はまるでスイッチを入れたかのごとき勢いで、スロットルをあげると機体を傾けた。
 エンジンが唸り、力尽くで速度が上がっていく。

 水平であるべき大地があたかも壁に立てかけたように視界に広がった。そう、まるで巨大な壁だ。強いGが二人の身体を締め上げる。雲の隙間を抜けて大地へ向かって突っ込む。

「くっ、ふぅ…目標進路188°高度そのまま。距離…近い。やっぱり生き物だ、電波の反射率はえらく低い。こんなに近づくまで『感』がないとはステルス並だ」

「ふんっ、要は、有視界の近接戦闘ってことだろっ。ギッ、基本どうり後方からアプローチするぞ」

 腹筋を使った呼吸でGを堪えながら、あっと言う間に打ち合わせを済ませる。

 僚機は高度を上げて観戦である。万が一の支援と、彼我の動きを余すところ無く調べ上げることが任務だからだ。

 空気を切り裂き、エンジンは咆哮をあげる。

 ヘッドアップデイスプレイ(HUD)の中心付近に、ドラゴンの赤い鱗で覆われた身体が入る。その悠然と空を滑空する姿は、美しくすらあった。

「あれだ」

「目標。特地甲種害獣、通称ドラゴンと確認。間違いない」

 この地にはこの地における弱肉強食の摂理がある。
 ある意味、カレは本能のままに餌を補食しているに過ぎない。その行為を害と決めつけるのは人間のエゴである。ドラゴンはこの世界に置いて、補食ピラミッドの頂点にいただけなのだ。

 だが人間であるが故に、これを狩る。人が殺されているのを黙って見過ごすことは出来ない。それがヒトの条理だ。

「撃ってば当たりそうなんだけど」

「当たっても落ちない。20㎜じゃ豆鉄砲。無駄な攻撃をして、こちらの武器情報をカレに与える必要なし」

「あいよ」

 予定通り、神子田は機体のパワーを全開にさせるとドラゴンの背後から、その近くを掠めるようにして追い抜いた。要は、挑発である。

 激しい乱気流に巻き込まれ、驚いたようにドラゴンの飛行は乱れた。

 神子田は、機体を旋回させるとドラゴンの周囲を廻るような進路をとった。犬だって頭を叩けば噛みついてくる。ドラゴンは羽ばたくと、彼の誇りを痛く傷つけたファントムの後を追おうとした。

「へっ、怒ってやがるぜ」

 高度15000フィートで、神子田とドラゴンの接触を見守っていた瑞原は西元に言った。

「旋回半径が、めちゃくちゃ小さいですね」

「身体が自由に曲がるからな。巴戦は駄目だな」






「次、上昇性能」

 神子田はわざとパワーを抑えめにして、ゆっくりと上昇を始めた。

 ドラゴンが後に続くが、追いつけそうで追いつけない。神子田は少しずつパワーを上げて、引き離していきドラゴンの限界を見極める。

「高度3600、3700、3800…羽ばたいてる癖に以外と推進力があるな」



「次、急降下」

 上昇転じて機首を下に向けての急降下。

 重力に引かれて自由落下が始まる。ドラゴンも羽ばたくの止めると、翼をすぼめるようにしてこれに付いてきた。

「まずいっ、神子田。パワーアップ」

 これは翼をすぼめて空気抵抗を自在に調節できるドラゴンの方が優勢のようであった。

 瞬く間に距離が詰められてくる。

「高度1000、700、500」

 コクピットにロックオンされたときのような警告音はないが、それを受けた時に匹敵するほどの緊張感が二人の背中を襲った。

 神子田はドラゴンを引き離すために、地面を掠めるようにして機首をあげて、高度を上げた。

 ドラゴンもこれに追従しようとしたが、上昇性能でついて来ることが出来ないことは理解していたようで、中途で翼を拡げ中空に停止した。

「ホバリング能力あり」

「V・STOLで格闘戦にも秀でている」

「機動力から見れば、戦闘ヘリ並ってことだな。それに、おつむも悪くない…」

 神子田は機体を安定させると、高度2000フィートでゆっくりと旋回させた。

「久里浜、そっちのテストは終わりか?」

「ああ、だいたい判った」

「んじゃ、今度はこっちの番だな」

「そう言うだろうと思った」

 久里浜はそう言うと、しっかりと顎を引き締めた。神子田はこんな時、性能限界ぎりぎりまでぶん回してくる。

「戦闘ってのは、機体の性能だけじゃなくて、スピリットのぶつけ合いでもある。ドラゴンの野郎がどの程度根性座っているか。こいつを確認しないと片手落ちだろ?」

 神子田はそう呟いて、機体をドラゴンの正面に向けた。

 ファントムとドラゴンは、互いに向かい合って急速に接近していく。

 HUDの中心にドラゴンの顔が見えた。

「衝突コースに乗った……こいつ、片目だぜ」

 ドラゴンの身体が、視界の中で点に始まって急激に拡大していく。

「そいつは良い情報だ」久里浜が言った。近接するための死角として利用できるかも知れない。

 バワーマキシマム。アフタバーナーオン。

 音速を突破し、衝撃波が轟いた。

 まさに、チキンラン。
 ドラゴンも、悠然と翼を拡げるとそのままに身じろぐ出もなく、慌てふためくこともなく真っ直ぐ突き進んでくる。

 それは、空の王者としての誇りをかけた意地の張り合いであった。






「で、これか?」

 整備班長に睨まれて、後ずさる神子田と久里浜。

「もう、部品のストックは少ないんだぞ。しかも、耐用年数もギリギリいっぱいと来てる」

「それはもう、重々」

 神子田と久里浜の機体は機首が見事なまでに、こんがりと焦げていた。相当の高熱だったようで正面のキャノンピーも白濁している。

 外見的には判らないが、レーダーなどの電装品も熱で損傷を受けたようであった。

 整備員達は覗き込んで、非常に危ないところであったことを確認しあっている。燃料系統のパイプが高熱に晒された形跡があったからだ。


 その強靱な爪による一撃を避け得ただけでも幸運と言えたかも知れない。

 神子田は握り拳で訴えた。

「あの野郎、武器を使わないはずのガチンコ勝負で、火を噴いたんですよ。火を。男らしくないと思いませんか?!」

「馬鹿野郎っ!!でかいトカゲ野郎に、んなこと判るか!!メスかもしれんだろうがっ!!」

 こうして、整備班長の罵声が飛ぶのであった。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 43
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/17 19:17




43




 土砂降りの雨の中、進路が水に浸かり立ち往生した。

 空は分厚い雲に覆われて暗く、そこかしこに出来た水たまりも水面下がどれだけ落ち窪んでいるのかの判別できない。車輪がはまり込んで、何度か車体が大きく揺れた。

 迂闊に泥濘に落とせば脱出するのも難しい。このまま行くのも退くのも危険と判断した伊丹は、高機動車を停車させると、エンジンも止めた。

「この辺りは、降り始めると凄い勢いで降るが、上がる時はあっさりとしたもの」というヤオの説明を受けて、伊丹はこのまま天気が変わるまで待機することにしたのである。

 エンジンの喧騒が静まると、雨が車体の幌を叩く音だけがする。

 伊丹が借り出した高機動車は、ドアがはずされていて天井も幌だ。両サイドも幌をはずしてあるから、外の風がそのままに吹き抜けていく。比較的陽射しの強いこの地では、このほうが心地よいのである。

 雨が両脇からわずかに吹き込んでくるが、車体の大きさがそれを救った。同乗者達は、雨宿りの軒先から外の雨を見るような表情で、雨雲が去っていくのを待ち続けていた。

 手が空いた伊丹は、図嚢から地図と方位磁石を引っ張り出してここまでの進路とこれからの進路の確認を始める。参考にするために、ヤオはいったいどんな経路をたどってアルヌスまで来たのかと尋ねてみる。

 モダバーデンの村からコルロ山の麓を南に迂回、その後、テリリア平原を突っ切って、メタバル、グレミナ、ヘブラエ、トングート…

 ヤオの語った経路を繋いだ線は、地図上で見事なまでにジクザクと折れ曲がっていた。後戻りしているとしか思えない線まである。

 直線距離……とは言っても、山や谷はどうしたって迂回しなければならないから、やはり直線移動は無理なのだが、それにしたってシュワルツの森のある国境付近からアルヌスまでの道のりを、ヤオは見事なまでに迂回しまくって、1ヶ月の時をかけたようである。

「仕方ないだろう。緑の人の噂を拾いながら来たのだから。最初からアルヌスにいると判っていれば、此の身とて真っ直ぐに進めた」

 ロゥリィとレレイの呆れたような視線に、ヤオは唇を尖らせた。

 そう言われてみればそうだ。街や村があれば立ち寄っては噂を尋ねて歩き、そして頼りない情報を元にしてアルヌスにたどり着いた1ヶ月という時間は、もしかしたら短い部類になるのかも知れない。

「現在位置はテリリア平原」と伊丹は地図に赤ペンでマークする。

「さて、ドラゴンを見つけるのに、コルロ山麓を迂回するか、グルバン川添いに進む道を選ぶか。どっちを進んでも、道が悪くて、大して進めそうもないけどなぁ」

 朝から夕方までずっと走り続けても移動距離は大して稼げなかった。何しろ、道無き道を行くのだから高速道路を疾駆するような訳にはいかなかったのである。

 このテリリア平原にしても、地図上では真っ平らになっていたから距離を稼げるかなと期待していたら、実際には巨石がゴロゴロとしていて、四六時中ハンドルを右に、左へと切って進まなくてはならず、歩くほどの速度しか出せなかった。

 目的地まで、あとどれくらいの時間がかかるか。伊丹は、地図を見ながら荷台を振り返った。

 荷台の三分の二は、ガソリンの詰まった予備タンク、LAN(110mm個人携帯対戦車弾)、膨大な量の爆薬、各種機材、弾薬箱や水と食糧の入ったダンボール箱。迂闊に火がつけば、この辺りは大きなクレーターが出来るだろう。

 その他には各種の荷物。これらが引っ越しか夜逃げと間違われそうなほどに積まれ、その隙間に嵌るようにして毛布を厚めに敷いたテュカが眠っている。顔色はそう悪くないが、時間的余裕はそんなに無いようだ。

 アルヌスを出てからテュカの症状は酷くなる一方だった。考えてみれば当たり前かも知れない。テュカの父親が高機動車なる不思議乗り物を自在に操っているなんて、彼女からすれば盛大な矛盾だろうから。

 あまりに強い頭痛を訴えるので、睡眠薬代わりにレレイが魔法を使って眠らせたのである。

 だが、そのお陰でテュカには聞かせられない話も出来ると言うものだ。

「ヤオ。ドラゴンが出るのは、シュワルツの森なんだな」

 伊丹を地図を指さして尋ねると、ヤオは首を振った。伊丹の指さした範囲を含めた、もっと広い地域を囲む円を指で描いた。

「厳密に言うならばシュワルツの森を含む、南部地域全域」

「こんな広いのか?」

「炎龍を探すのなら、シュワルツの森から南に出たロルドム渓谷に行けばいい。炎龍は餌がとれなくなるまで、同じ餌場を漁る性質があるからな。待ち伏せが可能だぞ」

 ロルドム渓谷にはヤオの一族が隠れ住んでいる。

「俺たちの目的は、テュカに仇を討たせることであって、お前の仲間を救うことではないんだがな」

「だが、炎龍の巣の場所を知る者がいるぞ」

「確かにそうだ」と伊丹は、ヤオの言い分を認めダークエルフが隠れ住んでいるという渓谷へと向かうことにしたのである。

 ヤオが、満足そうに笑ったので、伊丹は釘を刺しておくことにした。

「言って置くが、そこでは戦わないぞ。ドラゴンが自由に飛び回れる場所で会敵するのは不利だからな」

「では、どうする?」

「今は、奴の巣を襲おうかと思っている。地形や、状況によるけどね」

「どんな地形だと良いんだ?」

「例えば…」

 ドラゴンが自由に飛び回れないくらい狭隘で入り組んだ場所。もし、炎龍の巣がそういった場所でないとすれば、別の場所を戦場として設定し、敵を引っ張り込んで叩き潰すやり方に切り替える。

「囮が必要なら言ってくれ。必要なら同胞にも協力を求めることも出来る」

 ここまで来たなら簡単だ、とヤオは朗らかに言った。

「以前から不思議に思ってたんだから、逃げるという選択肢は無かったのか?」

 村を捨てたコダ村の村民達のように。そういう選択肢もあったはずなのだ。

 だが、ヤオは言う。「ヒト種には出来ても、エルフには無理だ」

 エルフにはエルフに適した生活の場というものがある。

 ヒト種のように、臨機応変にどこにでも移動できて、街や集落を作って住めるというものではないと言う。だから、どうしても住み慣れたシュワルツの森から離れることが出来なかったのだ。ロルドム渓谷に隠れ住んでいるのにも、心身に相当な疲労が溜まるという。

「ただ、旅をする程度なら出来るのにな」

 そうヤオは自嘲的に笑うのだった。

 伊丹は、我々が船で旅をすることは出来ても、船で生活をすることが出来ないのと似ていると理解することにした。もちろん海上で生活することが出来る人もいることはいるが、誰も彼もと言うわけにはいかないのが現実だ。人間が、揺れない大地の上でしか暮らせないようにダークエルフ達には、森が必要なのだ。

 考えてみれば、テュカだって、アルヌスの丘の麓にある森を、丁寧に手入れしていた。彼女にとってはそれが必要な環境なのだろう。

「でも、いいのぉ?」

 ロゥリィが、眠っているテュカに視線を向けて問いかけてくる。

 当然の事ながら、テュカには旅の目的を話していない。南に向かうのも、ヤオを彼女の住んでいたところの近くまで送り届ける為だと思ってる。

「ああ。炎龍の前までつれてって、あれがお前のオヤジの仇だぞって言ってやるつもりだけど」

「きっとぉ、騙したって怒るわよぉ」

 おそらく怒るだろう。だが、テュカの妄想に乗じて、父親を演じている段階で充分に騙していると言える。伊丹は「今更だろ」と笑った。

「ここにいる全員、共犯者」

 レレイの言葉にロゥリィも苦笑した。

「しょうがないわねぇ。一緒に怒られてやりますかぁ…」

 ロゥリィはそう言って伊丹の肩を叩くのだった。





    *    *





 シュワルツの森は、樹海と呼んでも良いような広大な地域である。

 その深さ、険しさは想像の範囲をはるかに超える。

 最深部では、倒木の折り重なった上に腐葉土が積もり、その上に大木が根を張る。木々の枝に、木々が根を張るから、見下ろしても大地はどこまでも見えず、天は樹冠によって完全に覆われいる異世界の如き空間なのである。

 当然の事ながら、徒歩で踏み入るのが精一杯で、車両で此処を通過するのは無理。そこでこれを迂回することにする。一旦南に向かって中途で一泊。 

 翌朝になってから樹海の畔を西へと向かうことで、ようやくロルドム渓谷へとたどり着くことができたのである。
 ここの洞窟などにダークエルフ達は隠れ住んでいると言う。

 見てみると、ここも入り組んだ地形であった。

 渓谷の名が示すように、平らかなる大地を渓流が削り取り、かなり狭くて深い谷となっている。もし、この谷底まで炎龍が降りて来れるのなら、ここで待ち伏せをしても良いかも知れないが、ここは狭すぎて炎龍の巨体は入らないように思われた。

 もともと、ここはダークエルフ達が身を守るための場所として選んだところだ。炎龍が入れるようでは困るのである。

 見降ろしてみると、谷底も狭い。川原は丸みを帯びた大小の石がごろごろしていて、心得のある者なら渓流釣りが楽しめそうである。

 それだけに、ダークエルフ達が生活していく上で必要な、食糧を選ることはほぼ無理。また、燃料としての薪なども谷を出て外に求めなければならない。だから、どうしても谷から出る必要があり、炎龍はその時を狙って来るのだと言う。

 しかも、少し多めの雨が振ると、川の水はたちまち増水して彼らが生活の場としてる洞窟内にまで侵入してくる。その度に、家財や食糧などが押し流されてしまい、生きた心地のしない毎日が続いているのである。

「ちょっと待っていてくれ」

 崖の上に伊丹達を待たせたヤオは、雨上がりでぬかるんだ地面も気にせず、一人で目も眩むような谷底へと下って行った。ヒト1人歩くのがやっとの狭い階段様の通路が、崖上から下に向かって斜めに切り開かれていた。

 伊丹は、エンジンを停止させた。

 ちょうど眠りから覚めたテュカが、両手をあげて万歳するかのように欠伸している。こしこし目を擦る子供っぽい所作が可愛らしくもあった。

 が、すぐに油臭いと顔を顰める。

 テュカが寝ていたのは予備タンクと弾薬・爆薬の隙間なのだから、当たり前と言えば当たり前であった。

 正面を除くと、ドアもなければ窓ガラスもない高機動車は、走行中は外の空気が吹き込んで来るからいいのだが、止まってしまうと気になるくらいには臭いってくるのだ。

「よく眠れたか?」

「ええ。とっても…」

 テュカはそう言うと、車から降りた。改めて大あくびをして、外の空気を胸一杯に吸い込んでいる。

 伊丹はそれをしばし眺めていたが、小銃を片手に車から降りた。一応、このあたりは炎龍の出没地域なのだから、気を配る必要がある。とは言っても、7.62㎜弾など通じないが。

 伊丹は双眼鏡を目に当てて周囲、特に空へ警戒の視線を巡らせた。

「ここはどこなの?」

 テュカの問いに「ロルドム渓谷だと。ヤオの同族が避難してるところさ」と応える。

「そっか、着いたんだ。ようやくあのダークエルフを降ろせるわね」

 テュカのヤオに対する感情はお世辞にも良いとは言い難い。ヤオの旅の終着点はここだと思っているから、息苦しかったのがこれで楽になると言いたそうな口振りであった。

「でも、住みにくそうなところね…」

 恐る恐る、切り立った崖下を覗き込んでみると、遙か下を川の水が勢いよく流れていた。

 エルフの好む森だの緑は、申し訳程度しかない。
 この崖の上にしても、岩や、砂礫ばかりで植物と言えば灌木やら雑草が地面を覆っているだけだ。

「なんで、こんな所に住んでいるのかな?」

 どうやらヤオ達がドラゴンに襲われて滅亡に瀕しているという事自体、失念しているようである。どうも炎龍に関わる記憶はとことん削除されるらしい。

 だから伊丹も「さあな。きっと、何か理由があるんだろ」とだけ応じて置いた。

 そんな会話をしていたせいだろうか、あるいは空に注意を向いていたからか……。

「お前達、何者で、何しに来た?」

 弓を構えたダークエルフの男女が7~8人。

 伊丹は、周囲を取り囲まれてしまったことに全く気づけなかったのである。






「ヤオよ、よく戻った。だが、我らが汝を送り出した理由は何であったか、忘れたのではあるまいな?」

 光の届かない渓谷の洞窟の奥。薄暗い灯火の下で、ヤオは7名の長老がつくる馬蹄形の中心に片膝を着くと、顔を伏せたまま「はい、忘れておりません」と丁寧に応じた。

「お前を送り出してより、およそ二ケ月になろうとしている。その間に多くの同胞が命を失った。分散して隠れ住んでいる者達とも、連絡が取れなくなって来ている」

「御身の帰還が後少し遅れれば、我らもいよいよ諦めねばならぬかと思っていたところだ」

 ヤオは長老達の中でも主立った3人へと顔を向け、はっきりと告げた。

「炎龍を撃退したことで、緑の人の名で知られている者を、連れて帰りました」

「おおっ!!」

 一斉にどよめく長老達。

「よくやった、うむ。よくやった」

「で、その緑の人はどこにおられる?」

「いきなりここまで案内すると無用な軋轢を起こしかねませんので、谷の入り口にて待って頂いております」

 ヤオのこの答えに、長老達は顔を顰めた。訝しげに問いかけてくる。

「遠来の客人を待たせるとは、何という無礼。どうしてこちらにお連れせぬ?」

「そうだ。礼を失しては、我が一族の品格が問われようぞ」

 今すぐにでも、腰を上げて走り出しそうな長老達。だがヤオは、「ちょっと、お待ち下さい」と前もって説明して置かなくてはならない事情があることをうち明けて、押しとどめるのだった。

「その事情とは何だ」

「緑の人が、炎龍退治をすると決断されるまでの、経緯です。此の身は、罪深きことをしてしまったのです」

 ヤオはそう言うと、アルヌスにおける自分の所行。特に、テュカに対してしたことについて、事実をそのままにうちあけた。

「我らの立場では、『何故に』と問うてはならぬのは判っている。問うことは責める意味があるからな。だが、あえて問いたい。『何故』そのようなことを気に病むのか?」

 ヤオには、意味のわからない反問であった。何故そんなことをした?と問われると思っていたからだ。ヤオには、人倫に反する行為をしたという認識がある。

 ところが、長老達はまるで意に介していない。ヤオは、自己の持っている倫理観が微妙に歪むような気がした。

「イタミと申す者は、そのハイエルフを救うために立ったと言うのだな」

「そうです。そして、そのイタミという者こそ『緑の人』の名で謳われた者の一人でありました」

「知・慮兼ね備える者ならば、見知らぬ者は見捨てるという判断を下すこともあろう。それが危険なことならば、なおさらじゃ。当然のこと」

「だが、仁・情兼ね備える者なら、自らの知る者のために、危険を承知で踏み入り、時に則を破る」

「うむ、好漢と言えるな。物欲色欲名誉欲に釣られて動く者より、はるかに信用できるようじゃ。で、……そのハイエルフには、炎龍退治のことは伏せているのだな」

「はい。イタミは、テュカを炎龍の前まで連れて行き、そこで全てをうち明けると申しております」

 長老達は、今ひとつ飲み込めていない表情のヤオを見て、ため息とともに互いに顔を見渡した。

「ヤオ。御身は、どうやら判っておらぬようだな。我らも、窮すれば御身と同じ事をした。使命を果たすために必要ならば、どのような不評を買おうとも、あらゆる手段を尽くす。それは、我らダークエルフにおいては美徳と見なされる」

「そうじゃ。奸計、大いに結構。此度は、ヤオの手柄である」

 長老達は、ヤオの行為を部族の道徳に照らしても、素晴らしい行為であると賞賛した。

「御身は、目的が手段を浄化しないと、気に止んでおるのであろうな?だが、それは御身一人が気に病むべき事ではない」

「そう。我らは汝に、使命を果たすのに手段を問うなと命じた」

「御身はそれに従ったまでのこと。責は、我らが負うべきものなのじゃ」

 長老達は、ヤオの行為を部族全体の行為として、その償いをどのようにするべきかと論じ始めた。

「しかし、此度の一件はあくまでも此の身の為したこと。償うべきは、此の身ではありませんか?」

 あくまでも自分が償うと言い募るヤオに対して、長老達は鬱陶しそうに応じた。

「どうやって?」

 ヤオは澄んだ表情で「お任せ下さい」とだけ答える。

「御身の事だ。どうせ『一命に賭けて』とか、その程度の浅はかな考えに浸っておるのであろうな。それこそ、恥の上塗りだ。それは一見して贖罪に見えるやも知れぬが、実は楽になろうという狡い道なのだ。罪に罪を重ねて何とする」

「汝らしいと言えば汝らしい。じゃが、本当の償いとは、軽々な方法でもたらされるものではない。もっと手間暇のかかる、長く険しい道のりじゃ。その全てを汝に被せては、我らの軽重が問われようぞ」

「我らとしては、何が出来ようか」

「炎龍討伐に助勢は当然のこと。また、ハイエルフの身も守らねばならぬ…」

「うむ。当然だな。戦士達を集めよう」

「それと緑の人は、軍を勝手に飛び出してきたと言う。戻れるならばその立場が悪くならないように気遣わねばならぬ。軍の上層部とやらに、賞賛と感謝をたっぷり送りつけてみてはどうか?」

「我らだけでは足りぬよ。炎龍に苦しめられている国や部族は多いでな、そういった全ての部族と共同して賞賛と感謝を贈れば、軍の上層部も面目が立つであろう」

「うむ。それがいい」

 長老達が、今後の方針を談合していく。そこには、ヤオが考えもしなかった方策が次々と立てられていく。

 ヤオは自分の考えや思いが、長老達に一蹴されて呆然としていた。

「では、緑の人を迎えに参ろうか」

「おう。炎龍退治のことは伏せて『緑の人』を迎えることとしよう」

 ヤオは、長老達に付き従うように洞穴を出るのだった。

 だがその時、渓谷には爆発の衝撃と大音声が木霊した。






「くそっ!!炎龍だ!!」

 ダークエルフ達の声が響いた。

 伊丹を取り調べるために近づいたダークエルフの男が、突然舞い降りてきた炎龍によって攫われてしまったのである。炎龍の牙の隙間に、ばたつく手足が見える。それをバリッ、ボリッと咀嚼して飲み下す巨大な獣。

「ああっ、あ、あっ、ああわ、ああ、あ」

 その一部始終は、間近に見てしまったテュカは凍り付いていた。炎龍の目前でのそれは自殺行為とも言える。

 他のエルフ達は、懸命に走って手にした弓を連べ撃ちした。だが、堅牢な鎧にも似た鱗にはじかれるばかりで効果が全くがない。

 炎龍はエルフ達の懸命な抵抗など意にも介さず、目前で凍り付いてる金色の髪を持つテュカへと視線を向けた。

 血の付いた炎龍の顎が、テュカに向かって大きく開かれる。

 そして、死の顎がテュカを捕らえる瞬間。巨大な岩石が砕けるような音が、渓谷に響いた。

 まるで強風に舞った黒い花びらのような勢いで、駆け寄ったロゥリィ・マーキュリーは、ハルバートの一撃を放った。その鉄塊は炎龍の頬を捕らえる。

 その凄まじいまでの斬撃も、強靱な鱗を破ることこそ出来なかった。だがハードパンチャーの一撃のごとく衝撃はものの見事に炎龍の顔をひしゃげさせたのである。

 それは、蟻が巨像を殴り倒すにも似た非常識な光景だった。

 だが事実として炎龍は翼と、手足をじたばたさせながら大地を転げる。砂塵を巻き上げて吹き飛んでいく。その衝撃に大地すら揺れて、鳴動したほどだ。

「すげぇ」

 思わず漏らすダークエルフ達。

「duge-main」

 既に魔法を起動していたレレイの目前には、魔光による連環円錐”HEATCone”が形成されていた。

 レレイが指を鳴らした瞬間、それが弾けて凄まじい爆轟波の奔流が炎龍の叩きつけられる、かに見えた。その射線は、地を転げていた炎龍から、微妙にそれて大地に突き刺さったのである。

 炎龍は、転がりつつも巧みに翼と脚を動かしてバランスを取り戻した。大地にいては不利であることを悟って、地を蹴る。

 ロゥリィが跳ねるようにして追撃しようとするが、炎龍の吐いた炎が彼女を迎える。

 戦いの神エムロイの使徒は、巨大なハルバートを振ってその風勢で、高熱の壁を吹き飛ばした。だが、防御が甘くなったところに鋭い爪を持つ炎龍の右腕が振り下ろされる。

「きゃんっ!!」

 爪の尖端こそ避けきっても、その掌の衝撃はロゥリィな小さな体躯をはじき飛ばすのに充分であった。

 砂を蹴り地を擦りながら、叩きつけられた勢いを殺してハルバートを構え治すロゥリィ。その泥にまみれた頬を自らの拳で拭いつつ、切れた唇の血をペロリと舐めた。

「やってくれるじゃなぁい?」

 戦いは膠着して、不意の一撃による勝機は諸共に失われた。

 レレイが2発目のHEATCone(連環円錐)を目前に作り上げたが、それが何であるかを既に理解している炎龍は正面を避けて狙いをはずしていく。

 一度浮かべた光円は向きを変えられない。地面に大穴を穿ちながら、レレイは小さな舌打ちをした。






「は、はっ、はは、はっ、はっ…」

 震えるかのような呼吸で痙攣するテュカ。
 伊丹はロゥリィが炎龍に強烈な一撃を叩きつけるとほぼ同時に、テュカの身体を抱えると地に伏せていた。

「あ、あ、あわ、な、」

 喘いでいるテュカに伊丹は言い聞かせた。

「見ろ、あれを見るんだテュカ…」

 テュカを背後から抱きすくめるようにかかえた伊丹は、両手で彼女の顔を挟み持つと炎龍へとその顔を向けさせた。

「あれが炎龍だ。お前の父さんを殺した仇だ。わかるか」

 テュカは、必死に顔を背けようとした。だが伊丹は渾身の力でそれを禁じた。

「見ろっ!!よっく見ろっ!!あれがお前の住んでいた村を全滅させた敵だっ!!!」

「う、嘘よ。お父さんは死んでないわ」

「俺はお前の父さんじゃない。ただの赤の他人だ。お前は、俺の娘じゃないっ!」

「ひぃぃぃぃぃぃ。いやぁ、どうしてそんなに酷いこと言うの?誰か助けてっ!」

 テュカの心が、伊丹の言葉によって、そして冷酷な現実によって引き裂かれていく。

 炎龍対、ロゥリイ・レレイタッグの一瞬の交錯を終えると、炎龍はジロリとその場にいた全てを見渡した。

 その片目に突き刺さった、矢がテュカの目に入る。

 その矢羽こそ父の愛用したもの。

 テュカは、自分を逃がすために井戸に突き落とす父の幻影を見た。そしてその向こう側に広がった炎龍の顎を。

「…あ、あれは」

「そうだ。お前の父親を殺した仇だっ!!!撃て、討て、やっつけろ!!怒れっ!!」

「無理よ。できっこないわっ。あんな化け物に勝てるわけないじゃないっ!!!!」

 伊丹は、テュカを抱きかかえたまま、高機動車まで下がる。そして後部に積まれていたLANを引っ張り出した。いつ会敵してもよいように、即座に使用できる状態で積みこんで置いた1本だ、

「これが、彼奴の片腕を引きちぎった、LANだ」

 テュカに110mm個人携帯対戦車弾を見せた瞬間、炎龍は絶叫の如き咆哮をあげると、地を蹴って飛び立った。その耳を劈く大音声に、腰が抜けそうになったが、伊丹は前に一度経験したことがあったために、どうにか呆けずに澄む。

「くそっ、彼奴こいつに痛い目に遭わされたことを覚えてやがる」

 空に飛ばれてしまっては、ロィリィのハルバートも届かない。激しく動かれてはレレイの魔法も狙いを定められない。

 ロゥリィは跳躍して、数度にわたって炎龍に襲いかかったが、その全てを右腕にはじかれ、あるいは炎によって妨げられてしまう。

 レレイの魔法も破壊力に優れていても、即応性に欠けた。

 そして、ダークエルフ達の矢は当たりこそしても効果がない。

 このまま、炎龍が飛び去るのを黙って見送るしかないかと思われた。
 炎龍はロゥリィが飛びかかれない距離まで高度をあげると、悠然と背を向けてさらに高度を上げようと羽ばたいたのである。

 だが、伊丹はLANを手に取るとテュカに背後から構えさせた。
 もう二度と、現実から逃避しないように。自分達は炎龍に対して無力ではないと示すために。

 飛び去っていく炎龍の背中に照準をあわせて、テュカの手をとって引き金を握らせる。これだけは自分でさせなければならない。

「いいか、しっかり見ろ。あれが仇だ。真ん中に入れて引き金を引け。いけっ!!」

 テュカの耳に怒鳴る。

「無理よ、駄目に決まってるじゃないっ!!」

 泣き叫ぶように嫌がるテュカを懸命に押さえ込んで、伊丹はLANの尖端を、離れていく炎龍に向け続けた。

「いいから、引き金をひきやがれっ!!」

 それが、耳元での罵声に怯えたからか、それともだだ無我夢中だったのか。テュカの手は持っていた全てをぎっと握りこんだ。

 引き金は引かれ、ロケットの噴射音とともに対戦車弾頭は発射される。

 当然のごとく、その弾頭は炎龍から大きく外れる。だが、その着弾による爆発と衝撃は、渓谷に大きく鳴り響いたのである。





    *    *





「炎龍が撃退された」という知らせはダークエルフの間に瞬く間に駆け抜けていった。

「緑の人が来た。ロゥリィ・マーキュリーと魔導師の娘までいる」

 一方的に補食されるだけであったダークエルフ達にとって、それは朗報となった。今こそ、炎龍を退治し安心で快適な森の生活を取り戻そうという掛け声に、誰も彼もが武器に手を伸ばした。

 炎龍を退治する。緑の人とならばそれが可能。ましてや、エムロイの使徒ロゥリィと、リンドン派魔導師もいると言うのだから。

 こうして、周辺の谷や、野に、そして山へと隠れ住んでいた者達がロルドム渓谷へと続々と集まって来る。

 夜半には狭い渓谷の川原がエルフの姿で一杯になったほどだ。明け方にもなれば、もっと多くの者が集まると思われる。

 長老達には、「まだ、これほどの数が生きていてくれたか」という思いと、「もう、これほどしか残っておらぬのか」という両方の思いがあった。耐乏の時間が長すぎたのかも知れない。だが、最早座して滅びを待つ時は終わりを告げた。ダークエルフの存亡を賭けた戦いに討って出る時が訪れたように思われたのである

 伊丹達ために、そして集まった戦士達の為に残り少ない食糧庫が開け放たれて、様々な料理が振る舞われた。

 また、伊丹等を連れ帰ることに成功したヤオには、友人や仲間達から賞賛の声が惜しみなく浴びせられる。日頃から『不幸』の二つ名をもって呼ばれた彼女も、これによって大いに面目を施した形になるのだが、どうにも居心地が悪い。

 自分が、皆が言うような賞賛に値する者とはとても思えなかったからである。何かがあった時に、自分の身をもって罪を濯ぐ。そんな風に考えていた贖罪方法も、長老達に「軽率」の一言で一蹴されてしまって、どうしたらいいか判らなくなってしまったのである。

 そんな彼女の屈託を、多くの者は彼女が不在中の出来事を聞かされたからと誤解した。

「トドゥはどうした?」

「彼奴は、喰われた。お前が旅だった翌日にな」

「まさか、彼奴が」

「お前と使者の座を争ったほどの奴だったが……残念だ」

 見渡してみても、随分とその数を減らした同年代の仲間達。その訃報の多さに、不幸慣れしたヤオもさすがに肩を落としたくらいである。

「ヤオの馬鹿っ!!どうして、もっと早く帰ってきてくれなかったのよっ!!そうすればっメトはっ!メトはっ!!」

 ヤオは、愛する人を失った友人の嘆きを全身で受け止めた。

「ヤオの馬鹿ぁ。あんたなんかっ!!」

 友人が口にする理不尽な罵倒を黙々と受けるヤオの姿を、誰もが寛容と見なした。だが、ヤオにとっては、遠慮無しに投げかけられる罵声の方が、今の自分にふさわしいもののように感じられていた。

 さらに、かつて自分を捨てて親友に走った男が、妻を亡くしたと言って近づいて来た。

 抱き合い抱かれ合ったりする行為も、ヤオは嫌いではない。だが、自分を捨てて親友に走った元恋人と言うのは、さすがのヤオもお断りである。お断りのはずであった。なのに、こんな自分でも抱くことで慰めになると言うのなら、相手してやるのも吝かではないと思ってしまって、我が事ながら驚いている。

 そんな風に扱われるのが、今の自分にはふさわしいかも知れないと思えたのだ。相当自虐的になっているなあと気づいてしまう。

 ただ、ヤオはもう自分のことであっても勝手に出来る立場ではない。
 その事を思い出して、「み、緑の人達のお相手をしなければならないから」と告げて、かつての友人達から逃げ出したのである。

 ところが、伊丹達の表情も暗かったのである。






「不味いなぁ」

 焚き火の傍ら、テュカが伊丹の膝にすがりついて眠っている。泣き疲れたのだろう。

 様子を見てくれたダークエルフの長老によると、悲しみに向かい合わずに閉じこめて置くことで心の平安を得ていた者が、現実に立ち返り全てを知ると、それまでに溜め込んでいたあらゆる情緒を一度に味わうことになると言う。

 それによる悲嘆は通常よりも強く激しい。それに耐えきれないテュカは、懸命に伊丹を父だと思い込もうとしているのだろう。

 ここで間違えると、取り返しのつかないことになりかねないので、今は休ませておくようにと警告されてしまったのだ。

 そんな状態のテュカをどう扱うべきか。伊丹は頭を抱えていた。

「イタミ殿。どうされた?」

 ヤオの問いに、伊丹は嘆息して見せた。

「テュカの件さ。お父さん、お父さんって、俺が幾ら否定しても頑として効かないんだ。絶対認めるものかってムキになってるような感じだった」

「此の身も、婚約者を失った時、立ち直るのにひと月くらいはかかった。今でも何かの拍子に胸が痛くなる時がある」

「なんだ。婚約者がいたのか?」

 ヤオは、「いては、おかしいか?」と、唇を少し尖らせた。

 伊丹は、そんなことはないと首を振り、テュカの事へと話を戻す。

「まぁいい。いざとなったら、引きずってでもドラゴンの前に連れて行く」

 そんな伊丹の決断にヤオは首肯する。

「此の身はイタミ殿のもの。なんなりと指図して欲しい」

 ヤオは、そう告げると伊丹の隣に腰を下ろした。






「ハルバートの刃が立たないのは困っちゃったぁなぁ」

 ロゥリィは、ハルバートの刃を研ぎながら愚痴をこぼしていた。

 下手するとハルバートを鈍器として用いて、炎龍が動かなくなるまで殴り続けるしかないかも知れない。勿論、炎龍とて黙って殴られていてはくれない。片腕でもロゥリィを地面に叩きつけるだけの力と敏捷性を持つのだ。負けるとは思わないが、勝てるとも思えない。炎龍はロゥリィにとっては相性の悪い相手と言えた。

「撲殺ってぇ趣味じゃないのよぉねぇ」

 第1手応えが良くない。やはり、すぱっと切断する感触でなければ……などと呟いていると、ダークエルフの長老が近づいて来た。

「聖下。このようなむさ苦しいところまでおいでいただき真に有り難うございます」

 ロゥリィはハルバートをタッチアップする手を止める。刃先の立ち具合を指先で確かめながら嘯いた。

「別にぃ、あなた達のために来たわけじゃないしぃ」

「それは重々承知しております。ささ、こんな所におられず、どうぞ中に」

 長老が洞穴の中へと迎えようとした。「こんな川の畔よりはくつろげるでしょう」と。だが、ロゥリィはげんなりした表情して首を振った。

「わたしぃが、地面の下とか駄目なのぉ、知ってるでしょぉ?」

「我が主神との確執は、言い伝えのとおりでありましたか?」

「………………」

「……………いや、ご怒りはごもっとも……ですが、そんなに悪い話ではないと存じますが」

「どうしてわたしぃがあんな奴の、お嫁さんにならないといけないわけぇ?要は、自分の駒に出来る、肉の身を持った亜神が欲しいってだけでしょぉ。そんな詰まらないことに、残りの39年を費やすのは嫌ぁよぉ。まぁ、お陰で興味深い男とは出会えたけどねぇ」

「おや。聖下のお心を射止めた者がおりましたか?」

「うんっ。其奴がどんな老い方をして死んでいくかぁ、看取ってやりたいくらいにはねぇ」

 ダークエルフの長老は、ロゥリィの視線に釣られるようにして伊丹を見た。

 テュカの頭を膝に置いて、座っている伊丹。
 その傍らにはヤオが立って、伊丹に話しかけている。

「でもぉ、どうしてハーディはあんな大穴をアルヌスにあけたのかしらぁ?」

 そんなことを言いつつも、ヤオが伊丹の側に寄り添うように腰を下ろすと、ロゥリィは、ニィと唇を歪ませて腰を上げる。

「穴?アルヌスに?」

 一人残された長老は、ロゥリィの言葉の意味について問うことが出来なかった。






 レレイは自分の魔法の重大な欠陥に、悩んでいた。

 動かれると、狙いを定めることが難しいのである。

 炎龍が、攻撃準備が整えるまで動かないでじっとしていてくれることなどあり得ない。なんとかして、動けないようにしなければならないのだ。

 もちろん、現段階のレレイ個人の技量では不可能である。

 伊丹やロゥリィとの連携が必要であると考えて伊丹を捜すと、テュカの頭を膝に乗せて、ヤオとロゥリィに挟まれている伊丹の姿が見えた。

 その光景に、何となくむかつき感を覚えたレレイは腰を上げるのだった。






 いつの間にか伊丹を中心に、人が集まっていた。

 ロゥリィ、レレイ、そしてヤオ。この3人は当然だが、ダークエルフの長老達、それに部族の戦士と言った者達が周囲にいた。

 長老達は、明日の戦いには部族の戦士を随伴させると告げた。伊丹としては、炎龍の巣の場所さえ教えてもらえればよかったのであるが、そこまでの道の険しさや、周辺の様子などを説明されると、長老達の申し出を有り難く受けることにしたのである。

「では、明日の朝に……」

「恐縮です。荷物運びなんてさせて」

「なあに、炎龍退治の場に居合わせたいと思う者が、これほどに集まったのです。何か仕事の1つも言いつけてやりませんと、拗ねかねませんぞ」

「そうそう。若い連中にも自慢の種を作ってやらねばなりますまい」

「とは言っても、明日とは限りませんけどね」

 伊丹の言い様に長老達は皆破顔した。

「判っておる。空き巣狙いはその家の主が留守でなければできないからのぅ。しかし、緑の人もなかなかに奸智に長けておられるようじゃ」

 伊丹の立てた炎龍攻撃のプランとは、炎龍が留守の間に巣に忍び込んで、持ってきた粘土爆薬(C4)75㎏全てを仕掛け、炎龍が帰ってきたところで吹っ飛ばす、と言う凶悪かつ卑怯な手段だった。どこぞの勇者宜しく、正面から戦いを挑むなど、伊丹の趣味ではないし不確実すぎる。難しいことは可能な限り避けて通る。可能でなければそもそもやらないという、伊丹の本領発揮とも言えよう。

 もし、それでも生きているようなら、肉迫してのLANの連べ打ちでとどめを刺すことになる。いくら炎龍とは言え、ダメージは受けているだろうから、有利に事を運べるだろう。

 長老達は伊丹が口にした『爆弾』とか『爆破』という単語がどれほどのものか理解できなかったが、緑の人が言うのだから、相当のものだろうと受け止めていた。

「うむ。若い連中に見習わせたいのぅ」

 とは言っても、長老達の言う若い連中とは皆、伊丹から見ればお年寄り揃いだ。
 例えばヤオは見た目30女っぽい艶やかしさだが、実際は315才だと聞くと伊丹としてもなんとも言えない複雑な気分になる。ここで変に年齢を意識すると、自分より若く見えるはずのテュカやロゥリィの実年齢まで、思い出してしまうので伊丹は話題を変えることにした。

「それにしても、同じ狩り場の獲物を取れなくなるまでしつこく襲うというやり方は、あまり賢いやり方ではないように思えるんだが、炎龍っていうのは頭が悪いのか?」

 こんな伊丹の疑問に対する答えはレレイからもたらされた。

「炎龍の活動期と休眠期のサイクルは長い。だから餌となるものを採りつくしたとしても休眠期中に増えるので、これまであまり問題にならなかったではないかと思われる」

「ふ~ん。活動期かぁ」

「本来なら50年は先だった」

「休眠期間中って、何をしてるんだ?」

「動物の冬眠に類似する状態で眠っている、と博物学の書物には記されている」

「活動期に喰い、休眠期に寝る。随分とお気楽な人生……いや、龍生だねぇ」

 羨ましいぞと伊丹は思う。息抜きの合間の人生をモットーとする伊丹にとっては、そこに遊びさえ加えることができるなら、理想的とも言える生き方だ。

「それほど、お気楽ではない。あらゆる動物は活動期にするべきことがある。例えば補食の他に、巣作り、場合によっては縄張り争い、そして……………………あっ」

 レレイの一言に人々の時間は停止した。

 この世の中で「……あっ」と口にしてはいけない時と場所と状況が存在する。

 例えば、治療中の歯医者が患者の歯を削っている時。
 例えば、お客の髪にハサミを入れている時の理容師。
 客からすれば、安心して任せていたらいきなり「……あっ」と言われたら、そりゃあもう得も言われぬ不安に襲われること間違いない。

 あるいは、お客を乗せて離陸したばっかりの旅客機の機長が、客室にアナウンスしている最中、「当機は只今順調に飛行を…………あっ」などと告げようものなら、誰の背中にも、氷を押しつけられたような悪寒が走ることだろう。

 それと同じである。レレイの漏らしたささやかな一言が、伊丹のみならずエルフ達の背中にある種の不安というか戦慄を駆け抜けさせたのである。

 これまで気づけなかった重大な欠陥が、今明らかになった。そんな、恐ろしくも冷たい感触であった。

「……どうした?」

 レレイは恐る恐るといった体で答えた。

「…………あらゆる動物は、活動期に繁殖、子育てをする」

「おいおいおい、嫌だよ。行ってみましたら、炎龍がいっぱい居ましたなんてオチ」

「し、新生龍は炎龍ほど脅威ではない」

「あれと比較されてもなぁ」

「古代龍>新生龍=歳を重ねた亜龍>飛竜」

 大してかわらないじゃん。
 伊丹はそれを聞いた途端、発作を起こしたかのように腰を上げた。

「忘れ物をしたから、帰ろうかな」と、いきなり帰り支度を始める伊丹に、ヤオは涙目になって「今更それはない」と、しがみついた。長老達も大慌てだ。

 そんな伊丹も、テュカを抱いたロゥリィの一言で伊丹は鎮まった。

「この娘をどうするのぅ?」

 大きくて太いため息をひとつ。

「龍は、卵を一度に一個か、二個しか産まない。しかも古代龍の繁殖期は数百年に一度と言われている」

 場を取りなすようにレレイの説明が入ったおかげで、伊丹は2重の意味で胸をなで下ろした。

「すなわち、確率的に言っても非常に少ない」

「そうですぞ、イタミ殿。我らも炎龍は一頭しかみておらぬ」

「だな。滅多にないことに出くわすほど不幸だと思いたくないしな」

 そう言って伊丹は安堵したのである。
 が、傍らで聞いていたのダークエルフ達は、伊丹の発した「不幸」という言葉の響きに、びくっとその身を震わせてヤオへと視線を集めた。

「なに?どうしたの?」

 突如空気が変わったように感じられた伊丹は周囲に尋ねる。

「いえ。その、あの…あはははは」

 ヤオは、脂汗をじっとりと流したのであった。





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 早くできたので、早く投下です。







[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 44
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/21 20:51




44





 炎龍に対しては通じないと判っていても、それでも武器を持たずにいられないのは戦士としての性か。ダークエルフ達は、それぞれに得意とするサーベルや、ジャマダハル(カタール)、弓や剣で武装し、黒革鎧で身を固めていた。

 しかし、黒革のボンテージを纏った集団というのは独特の雰囲気がある。女性だけならまだ良いが、半分以上が男というのが特にいけない。ちょっと混ざりたくないなぁ、という感想を密かに抱いた伊丹は、精神的にはすでに後方に向けて駆け足状態だ。

「イタミ殿。此の身を含めた9名がお供いたします」

 そんな伊丹の心境を知ってか知らずか、雑然と集まる男女を代表してヤオが挨拶をしてきた。ヤオがひとり1人を紹介してくれる。

 クロウはヒト種で言えば40男のような外見だ。メト、バン、フェン、ノッコはヤオと同じくらい。そして少年っぽさを残したコム。尋ねてみると154才ということで、微妙に敬老精神が歪む気がする。女性の方は、セルマ、ナミでヤオと同じかやや若い。

 とりあえず、集まってくれたヤオの同胞達に「よろしくたのむ」とだけ告げ、高機動車から荷物を振り分けていった。荷物とは、LAM(※2)と粘土爆薬。それと信管やコードを巻いたリールなどの各種機材である。

「これが、鉄の逸物か……」

 ダークエルフ達は、長い筒を渡されるとその重量感に浸っていた。

「これは魔法の品ではなく武器と言う話だが、どう使うんだ?我々にも使えるのか?」

「ああ、今から言うようにしてくれ」

 知性のある相手に、運搬だけの役割を担って貰うにしても武器を預けるからには、その扱い方を教える必要がある。驢馬や、馬だったら勝手にいじくることを心配する必要はないが、人間なら変ないじり方をして暴発させる危険性があるのだ。

 そのために、伊丹は110mm個人携帯対戦車弾の扱いを一から説明していった。

 使い方を知った彼らがこれなら炎龍を倒せるから、と勝手に使用するリスクもある……と言うか彼らの炎龍に対する憎悪の深さや目の色から察するに、必ずやるだろうなと思える……が、それならそれでいいのである。目的は炎龍が倒すことなのだから。そして、トドメをテュカが刺すことだ。
 要は、まかり間違っても引き金に触らないこと。また後ろに誰か立っている状態で引き金を引いてはいけないと言うことを教えることなのだ。

 まずは筒からLAMの弾頭部を持ってゆっくりと抜き出していく。発射筒の保護を取り外して、照準器と発射装置を取り付けていく。これは、工具の扱いに馴れないエルフ達より自分がやった方が早いと、伊丹が取り付け作業をするのだが、それを待つ間に男女のダークエルフ達はきわどい冗談を言い合っていた。

 ちらと見ると、「こんなに太いもん入れたら裂けちゃう」と言い放つのが楚々とした雰囲気のセルマだったり、「俺の物の方が凄い」とバンが豪語したりで、ダークエルフというのはソッチの方面のことを割りと朗るく扱う部族らしい。良くも悪も奔放で、恥ずかしがるこっちの方がおかしいのかも知れない。

 発射筒の注意書きが読めないダークエルフ達のために伊丹は、使用時に弾頭の尖端部分に埋没しているプロープを引っ張り出して、保護キャップをはずし、矢印の方角に軽く回して固定させることを説明した。対戦車(対装甲)で用いる場合は、これを飛び出させる。対人などに用いる場合は、これを引っ込ませたまま用いる。炎龍相手なら当然プロープを出して使う必要があろう。

「すると、この頭が飛んでいくと言うのか?」

 伊丹に指導された形で、LAMを構えるフェン。筋肉質で、体つきなど伊丹よりもしっかりしている。

「そうだ。そしてその頭の部分が当たると爆発を起こして説明の難しい、なんとか効果で穴を開ける仕組みだ。発射する時の反動を吸収するために、後ろ向きにも凄い勢いでカウンターマスってのをまき散らす。こいつは危険だからな、後ろに誰も立っていないことを絶対に確認しろ」

「う~む。なるほど…」

 エルフ達は、それぞれに適当なものに狙いをつけて、構え方を練習していた。弾頭の部分が重たいので、素早く動くものに狙いをつけるのは難しいということに、皆気づいたようである。

「こっちの箱とか紐とかは?」

 見た目少年のコムが他の荷物などを見ている。LAMと併せれば一人頭で20㎏にはなる荷物だ。

「ああ、そっちが爆薬と発破備品だ。普通に運んでくれればいい」

 伊丹はニヤリと笑いながら告げた。





    *     *





 伊丹は草や蔦葉を用いた徹底的な偽装姿で、テュバ山麓を這いずりまわるようにして登っていた。

 顔にも、緑、茶色のドーランで迷彩を施し、装備の金属部分にはテープや布を巻いてわずかな音も漏らさないという備えである。炎龍の生態に詳しいわけではないが、野生動物としての感覚に優れているという前提での対応だ。

 その上で、眠っているテュカを背負っている。

「お父さん、怖いよ。何か来るよ(※1」等と言って、あまりにも怖がるからレレイに眠らせて貰ったのである。

 付き従うのはロゥリィ、レレイ、そしてヤオ達9名のダークエルフ達。皆、伊丹を真似るようにして、顔や身体に偽装を施していた。

「この臭いがきつい」

 クロウの男が漏らした。それを聞いたヤオは「イタミ殿の指示なのだから仕方あるまい」と答える。

 皆、偽装の他に獣脂を身体の各所に塗っているのだ。

「臭いを嗅ぎつけられないためってのは、判るけどな。逆に、臭いが強すぎて見つかるんじゃないのか?」

 ノッコは、そんなことを言い合いながら地面を這いつづけていた。

 道など無く、その険しさから高機動車も入れないところを徒歩で、ずりずりと地を擦るようにしながら、溝や、窪地や、大木の影などばかりを選んで進んでいく。その都度、地形に合わせて偽装と迷彩を更新し、陽が落ちれば野宿し、朝には再び進むという状態である。

 そんな遅々たる歩みでも、続けてさえいればいつかは目的地に到着するものである。3日目の夕刻近くには、テュバ山の中腹まで登り着いた。あたりには独特の硫黄臭が漂って、臭いの偽装も気にならなくなってしまった。

 皆の外見も砂や灰を身体にまぶした偽装へと変わっている。伊丹も迷彩服を泥で汚し、その緑を目立たないようにしている。

 立ち止まった伊丹は、全員に伏せるように合図すると、案内のクロウを手招いた。この男は、以前にこの地に来たことがあると言うことで、案内役を買って出たのである。

「なんでしょう?」

 クロウは伊丹の傍らで腰を下ろした。

「あの山頂から、炎龍は出入りしているってわけだな?」

「はい。噴火口内の岩棚に巣を作ってました」

 クロウは説明した。

 彼が此処にやってきたのは、山で採れる硫黄を集めるためだった。硫黄を焼いた際に出る煙で干した果物などを燻すと長持ちし、色もよくなるのだ。

 硫黄を探してここまできたが、この少し先で洞窟を見つけた。その洞窟に入ってみたところ、洞窟は火口内部にまで繋がっており、火口内の岩棚に炎龍が眠っていたのである。

「見た瞬間、こいつはやばいって思いまして、逃げ出してきたってわけです」

 伊丹は、火口や洞窟内の様子を詳しく尋ねた。特に空気については関心を払う。

 クロウの説明では、噴火口の底はかなり深く落ち窪んでいて深部の様子は不明。ただ、そこと繋がっている洞窟内の通風は意外にも良くて、地面から臭気のあふれ出るこの場所よりは、よっぽど空気が良かったと言うことであった。

「………炎龍の巣ってぇ、洞窟の中なのぉ?」

 側にいたロゥリィが、驚いたように口を挟んできた。

「いいえ。火口の中でした。洞窟は火口へと続いてるだけです」

「じゃぁ、頂上から降りられるぅ?」

「火口内部は切り立った崖状でした。無理だと思います」

 地下に入れないロゥリィは眉根を寄せた。伊丹は「気にするな」と笑う。

「大丈夫。ロゥリィは外にいて、俺たちが、中にいる間に炎龍が帰ってこないか警戒してて、帰ってきたら連絡してくれ」

 予定通り、中を偵察して炎龍が居なければ、爆薬を仕掛ける。もし、いたら何もせずに出てきて、炎龍が留守にするのを黙って待つ。どちらにしても戦わないのだから、順調にいくかぎりロゥリィが前に出なくてはならない場面は、存在しないのである。

「炎龍を止めなくていいのぉ?」

「ああ、怪しまれたくないからそのままやり過ごしてくれ。その時は隠れて、奴が留守にするのを待つことにする」

 伊丹は、こいつの使い方はわかるな?と、自分の耳と首元にまで伸びているマイクを触れた。ロゥリィも慌ててマイクを口元まで引き上げる。ロゥリィとレレイには無線機を持たせてある。

「とりあえず、中を偵察してくる」

 伊丹はテュカを降ろすと、小銃だけを手に前に進もうとした。すると、ヤオを含めたダークエルフ達が伊丹を押しとどめる。

「そのような些末なことは我らにお任せ下さい」

 伊丹は、彼らの申し出を素直に受けることにしてヤオと、クロウの二人を偵察へと送り出した。

 ヤオ達が戻って来るまでしばし時間がかかる。伊丹は、この場で皆に休憩と携行食で夕食を摂るように指示した。この場所なら、食べ物の臭いも硫黄臭にうち消されて広がらないだろうと言う配慮だが、食欲的にはどうかと思うような環境だ。

 しかし、この後を考えるといつ食事を摂れるかは判らない。幸いなことにこの場に集まった者は一人残らずそれを理解していて、食べられる時はどこであろうと食べる事の出来る神経の太さを持ち合わせていた。

 レレイとロゥリィは荷物から自衛隊の戦闘糧食Ⅱ型(ビーフカレー/ツナサラダ/福神漬け/白飯)簡易加熱剤(加水型)を取り出した。ダークエルフ達は谷から持ってきた乾燥させた肉や魚、干した果物、豆類を口に運んでいたが、ロゥリィとレレイのしている作業に興味津々である。レレイが袋に水を入れると瞬く間に、湯気が出始め食事が温まることに真剣に驚いていた。

 傍らには、小さな寝息を立てて眠り続けているテュカ。
 伊丹は、彼女をずうっと背負い続けてきたが、意外なほど軽く感じられたのでさして疲労しては居ない。とは言え、緊張していると疲れとは感じにくいものだ。伊丹は、胃に負担をかけないように、出来る限りゆっくりと食事をとった。

「テュカにも喰わせおきたいところだけど、起こすと泣いたり暴れたりするからなぁ」

「仕方のないこと」

 レレイはそう言うと、カレーを口に運んだ。

 そうこうしているうちに、ヤオが仲間と共に戻って来る。

「どうだった?」

「うむ。洞穴の奥は火口へと繋がっていた。そこに岩棚があり、巣らしきものが見られた。炎龍は居なかった。留守だ」

「よしっ」

 ヤオの的確な報告を受けて伊丹はテュカを背負った。
 いよいよ、洞窟へと向う。皆、いよいよ敵地という思いからか、それとも緊張なのか表情は引きつり口も重い。

「じゃ、ロゥリィ頼んだぞ」

「うん。火口近くまで登って見張ってるわぁ」

 ロゥリィは、無線機のマイクをトントンと叩いて告げた。「聞こえるぅ?」

「感あり。って、交信規則なんてどうでも良いか。いいぞ、聞こえる」

 洞窟の入り口で、ロゥリィと別れる。

 茜色に染まる稜線の向こうにハルバートを抱えた彼女が軽快な足取りで消えていくのを見送ると、伊丹達も洞窟へと入ったのである。






 洞窟の内部は幻想的な空間の広がりを持っていた。

 溶けた溶岩が流れ、それが冷えて固まる。また、新たな溶岩が流れて、冷え固まるという繰り返しによって積もった積層構造は、長い階段のようでもあった。

 その連なりは、まるで神殿の入り口を感じさせる。壁も、ごつごつとしたものがなく、まるで長大なカーテンのようだ。本当に誰かが神殿として内部に手を入れたのではないかと疑わしくなる。

 回廊、高台。さらには祭壇とおぼしき物まである。これが全て自然の悪戯によって作られたのだから侮れない。もし、どこかの宗教家を連れてきたら、このまま此処を教会にすると言い出すかも知れなかった。

 伊丹は、周辺を懐中電灯で照らしながら祭壇を抜けて、奥へと進んだ。

 ダークエルフ達は松明を焚いている。それぞれの灯りによって作られた陰影は、閉鎖された空間のもつ独特な音響効果と相まって、神秘的な雰囲気を醸し出された。

「イタミ殿、ここの先です」

 伊丹は、洞穴を先がわずかに明るくなってるのを感じた。

 テュカを降ろし、荷物を降ろすと小銃だけを持って恐る恐る進む。上に火口を通じて星の瞬く空が見えた。わずかに明るいのは、火口から差し込んだ月の光が入って来るからだ。

 見れば確かに岩棚である。
 とは言っても、相当広い。火口は野球場くらいの広さを持つ鉢状。そして、その中心付近に、さらに深く落ち窪んでいく穴があいている。その丁度、落ち窪んでいこうとしている部位である。

 岩棚のサイズは、バスケットコート2面分だろうか?砂と石の入り交じった浜辺のようになっていた。そこに炎龍の巣らしきものが見られた。砂浜に石でストーンサークルが作られている。そう言う感じである。

 クロウに確認してみると、これが炎龍の巣らしい。以前、ここに炎龍が眠っていたと言う。

 さすがに『鳥の巣』のようなものがあるとは考えなかったが、余りにもあっさりとしすぎで、本当に此処が炎龍の巣かと疑わしく思われた。

 だが、実際にその場に立って見るとそこが炎龍の巣であることに納得がいく。
 龍の物としか思えない巨大な足跡が無数に残っていたし、そこかしこに『卵の殻』の破片等が無数に散らばっていたからだ。

「古い物ではないが、子育ては終えた様子。既に巣立ちしたと思われる」

 卵の殻を調べたレレイの報告に、誰もが胸をなで下ろした。

 砂浜に転がる石のように見えた物も、よくよく見れば鎧や兜をの残骸とか、武具であった。どれほどの月日をここて待ち続けていたのか、煌びやかな剣や武具が、半分砂に埋もれるようにして、そこかしこに散らばっている。

「これは?」

 ヤオや、ダークエルフ達は武具や剣を手にとって調べはじめた。

「おそらく、これまでの歴史の中で炎龍に戦いを挑んだ者達のものでしょう」

「これなんて魔法の剣だぜ」

 ノッコがそのり輝きに目を奪われている。持ち帰ればどれほどの値が付くか、などと言っているくらいだ。

 ダークエルフ達は、鎧や剣の持ち主達に冥福を祈るかのように瞑目した。炎龍との乾坤一擲の戦いを挑むために戦士達が求めた武器と武具。きっと、優れた名匠、名工の手による名品ばかりに違いない。

「よし、仕事を始めよう。レレイは、テュカを見ていてくれ。それとも皆は手元を照らしてくれ」

 伊丹の合図を受けて、皆が荷物を持ち寄ってきた。

 箱から取り出されたのはチーズのようにも見える塊だった。それが75㎏。一山となった。

「まるで、乳漿みたいですね」

 パッケージから取り出された物体を見て、コム少年が呟いた。少年は思わず、ひと欠片ちぎりとって口に運ぼうとしたが、伊丹はその手を叩いて止めた。

「こいつは甘いからみんな口に入れたがるんだが、今は毒を混ぜてある。口に入れるなよ」

 コムは、毒の一言に驚いたように欠片を元に戻した。

 伊丹は、その一欠片を拾うと少年が持つ松明の火に寄せた。
 白い塊は、青白い炎を放って静かに燃えた。

「こいつは、火をつけただけならただ燃えるだけだ。爆発させるにはそれなりの手続が要る」

 伊丹は、まずビニルシートを拡げた地面に置くと、まるで陶芸職人のようにこね始めた。映画とかでパッケージにそのまま雷管を突き刺して爆破するシーンがあるが、それで大爆発するのは運が良い時だけだ。プラスチック爆弾は、こねればこねるほどよく爆発するからである。そしてこね方が足りないと爆発しない時もある。

 伊丹の手はたちまち薄黄に汚れた。

 75㎏全部を一人でこねるのは大変なので、皆にもに手伝わせる。そして、それぞれにレンガくらいの塊を作らせた。

 伊丹は手を地面に附けてから、次の道具を取り出した。

 それは電気式の雷管だった。
 あらかじめ地面に手をつけたのは、静電気が溜まっていると触れた瞬間、雷管が爆発してしまう恐れがあるからである。そのためのアースだ。

 ここから先は、それなりの熟練が必要なため出来るのは伊丹が一人だ。伊丹は、コードとニッパを取り出すと、リールから適当な長さのコードを補助母線として何本も切りだしていった。

 これらの断端の被覆を剥いで、雷管から伸びる脚線とコード(補助母線)を繋ぐ。

 黙々と仕事を続ける伊丹。その手元を照らす為に、ヤオ達は松明を寄せていた。

「何か手伝うことは?」

「巣の真ん中に穴を掘ってくれ。それほど深くないのを」

 これを受けて、バン、フェン、ノッコの三人が炎龍の巣の真ん中に穴を掘り始めた。

 伊丹も額に汗をしながら、手早く的確な作業を続けていく。適切な長さにそろえた補助母線を束ねて、これを最終的に一本の発破母線へと集約していくのだ。

 こうした爆薬を用いる技術は、特殊作戦群に入った時に教わったものだ。不真面目な生徒ではあったが、学生時代と同様に不合格には成らない程度には励んだので、それなりに伊丹の血肉となっていたようである。

 ふと、教官の罵声と拳骨を喰らった時の苦痛が蘇った。
 伊丹は、そおっと雷管から離れると、プレストークスイッチを押した。

「ロゥリィ。聞こえるか?」

 ロゥリイからの返事がない。電波は厚い岩盤を通り抜けることは出来ないようだ。

「ちっ、まずった……みんな、上の方を警戒しててくれ。レレイっ、電波の通りが悪いみたいだ。時々そっちからロゥリィを呼んでみてくれ」

 そう告げて、再び作業に戻る。今度こそ、無線機のスイッチをきると、無線機本体も身体からはずした。危うくみんなを吹っ飛ばすところだったと知ったら、みんなどう思うだろうと思って辺りを見る。皆、伊丹の視線の意味がわからず、「ん?」と首を傾げるだけであった。

 さて、いよいよ作り上げた粘土爆薬をしかけるわけだが。

 バン達が掘った穴に、レンガ状の粘土爆薬を丁寧に並べ、積み上げていく。そして、それら1つ1つに雷管を突き刺していった。発破母線がからまないように、丁寧にリールからひきのばしていく。

「そこらに散らばってる剣をとってくれ」

「?」

 ヤオ達は首を傾げたが、伊丹は爆薬の上に魔法の剣を並べていった。

 テロリストは、粘土爆薬を使う際にボールベアリングや木ねじを一緒に置く。殺傷力を増強するためである。同様に、対炎龍用としてなら魔法の剣や名刀が有効だろう。上手く行けば、非業の最期とを遂げた戦士達の剣が、炎龍に突き刺さることになるから鎮魂にも成るはずだ。

 爆薬に薄目に砂をかけてて埋め戻すして、その上を足跡や手足が残らないよう綺麗に延べていく。そしてリールを抱えて発破母線を岩棚から、洞窟へと伸ばしていった。もちろん、外から見えないように発破母線も、浅く埋める。

 最後に、リール側の断端を起爆装置である発破器へと繋いだ。

 こうして、爆破準備は終わった。あっと言う間のようにも思えるが時計を見れば、いつの間にか5時間近くを作業に費やしていた。

 ずっとしゃがみ込んで作業をしていたので、肩は凝ったし腰も痛い。大きなため息をついて「よし、終わった」と周囲を見渡すと、誰も彼もが凍り付いたような動かない。

「どうした?」

 額の汗を拭って顔を上げると、伊丹の正面に炎龍がいた。





    *     *





 火口近くで炎龍を警戒するロゥリィは、陽が沈み空に星が瞬き、天球がゆっくりと回転するのを身じろぎもせず、ずうっと眺めていた。

 しばらくすると夜空の向こうから炎龍が近づいて来るのが見える。

 予定通りと言えば予定通りである。ロゥリィは、炎龍に姿を見られないように隠れながら、伊丹へと炎龍の接近を告げた。だが、返事がない。

「うん?これで良いのかなぁ。もしかして通じてないのぉ?」

 ロゥリィは背筋が寒くなった。

 伊丹にも責任はある。言葉が普通に通じるようになって、ロゥリィを日本人と同様に扱ってしまったのだ。電波が通じないとなれば、電波を発する器具の扱いに馴れた日本人は見通しの良いところに移動する。窓の近くとかだ。火山の噴火口の上と下で会話するなら、おそらく火口に近づくだろう。だが、ロゥリィは伊丹達に近づくために、洞窟の入り口へと向かってしまったのである。火口から下ること、それはますます電波を通じ無くさせてしまう道だった。

「ねぇ、返事してよぉっ!!!」

 懸命に呼びかけるロゥリィ。しかし、炎龍は火口へと近づいて、その中へと降りていった。

 このままでは、無警戒の伊丹達が襲われてしまう。どうしたらいいか。
 これでは、自分が外に残った意味がない。そう思ったロゥリィは、なんとしても危急を伊丹に告げるべく、洞窟の入り口に向けて走る速度を上げたのだった。

 だが、

「………………うそぉっ!!」

 ロゥリィは目前に広がった光景に、絶句するしかなかった。





    *     *





 翼を大きく拡げた炎龍と目が合う。

 不意の遭遇に、伊丹達は凍り付いた。炎龍の方も、まさか自分の巣に人間が居るとも思わなかったのだろう。訝しげにこちら側を見ている。

 吐く息すら、なま暖かく感じるほどの至近距離。実際、それほど近いわけではないのに、それぐらいに感じられたのである。

 伊丹はゆっくり、ゆっくりと後ずさりしながらも、腿の拳銃におそるおそる手を伸ばした。こんなものが、玩具ほども効かないのは判っているが小銃は作業している間に離れたところに置いてしまった。

 誰かの唾を飲み込む音が聞こえて来るほど静寂が、辺りを支配している。動いたら殺される。使い古された言葉だが、この一瞬誰も彼もが同じように感じて、身を動かせなかったのである。

 どれほどの時間が流れたろうか。それは、ほんのわずかな時間にも思えたし、とても長い時間のようにも感じられた。1秒は、75刹那。ならば、一呼吸、二呼吸の時の流れも、刹那として数えれば膨大な量の時を数えることになるだろう。

 いつまで続くとも判らない睨み合いの緊張に耐えかねた、コムが狂乱したかのように叫きながらLAMを構えた。

 それを号砲に、静寂は激動へと打って変わった。

 走る伊丹。

 テュカを守るべく、彼女の身を引きずって洞穴の奥へと逃れようとするレレイ。

 同じく、テュカを守るために走るヤオ。

 そして少年に続いて、LAMを構えるダークエルフ達。

 外しようのない至近距離で発射された少年のLAMは短い噴射音の後、見事に炎龍の喉を捕らえて炸裂した。

 閃光に続く衝撃、まき散らされる爆煙。

「やった!!」

 一瞬の喜びは、爆煙の向こうから突如姿を現した炎龍とその右腕の爪によって凍り付く。少年の身体は、炎龍の鋭い爪によって上半身を吹き飛ばされていた。その上半身は噴火口の壁に原型も判らない有様でべちょりと張り付いた。

 しかも、少年の後方にたまたま居合わせたダークエルフ達は、少年の放ったLAMのバックブラストによって、容易ならない損害を受けていた。バンとナミの男女が即死。カウンターマスを至近距離から全身に浴びてのショックが原因である。

 わずかに離れていた他の者もその余波を受けて地面に倒れていた。が、彼らにとってはそれが逆に幸いしている。炎龍の尾による一撃が、全員をなぎ払うように放たれたのだが、地面に倒れていた彼らそれに触れることがなかったのである。呆然と立ちつくしていた、コムの下半身だけがこの衝撃で吹き飛んだ。

 炎龍の咆哮が狭い火口内を揺るがす。

 これを受けてもなお起きあがってLAMを構えるダークエルフ達。皆、動転して伊丹の教えたことなど頭から吹き飛んでいた。

 安全装置をSからFに変えることなく、ただ闇雲引き金を握る慌て者ノッコ。

 そこまでは覚えていても、プロープを引き出すことを忘れたバンの一撃は、有効な打撃を与えられなかった。ノイマン効果が発揮され主力戦車の装甲にも似た炎龍の鱗を貫くには、これが適切に伸ばされている必要があるのだ。至近距離での爆風と飛び散る破片は、自分ばかりか味方をも傷つけてしまう。

「プロープだ、プロープをのばせっ!!」

 怒号と爆音の轟く中、誰の耳にも伊丹の声は届かない。テュカを、レレイとともに抱え上げ洞窟の奥へと運ぼうとしていたヤオは、伊丹に気づくと「御身は、洞窟へっ!!」叫んだ。

 伊丹は、それを無視するとヤオに預けていたLAMをひったくった。

 こうしている内にも、ダークエルフ達が一人、また一人と犠牲になっていく。

 ノッコが、その鋭い牙にかけられ、メトは剛腕によって叩き潰されてしまった。

 無論、炎龍とて無事ではない。叩きつけられる爆発は、炎龍にとっては強烈な苦痛をもたらす打撃以外の何物でもないからだ。ただ致命傷にはならない。炎龍の鱗は一枚一枚が、強固なことに加えて、体表上を斜めに若干折り重なるように配置されている。そのために殆どの部位で、互いに隙間を持った中空装甲的な緩衝能力を有するのだ。

 だから炎龍も必死になって足下をうろつく人間を焼き、払いのけようとする。
 忌々しい小動物が抱える黒い棒も、衝撃のすさまじさには閉口するが、左腕をもぎ取った時のような鋭い力はない。一瞬驚いたが、これなら虚仮威しだと性根を据えて、自分の巣に蔓延る害虫を追い払おうとしたのである。




 伊丹は、プロープを引き出して矢印の方向にねじって固定。

 肩に構え、狙いをつける。

 安全装置をSからFへ。

 だが構えた途端、吹き飛ばされてきたセルマが伊丹にぶつかった。

 伊丹は、彼女の身体の下敷きになるようにして倒れた。全ての衝撃を引き受けた伊丹は、しばらく起きあがることは出来なかった程だ。その分ダメージの薄かったセルマは伊丹のLAMを拾うと炎龍に向ける。

「馬鹿、撃つな」

 真後ろにいた伊丹は、這うようにして必死でその真後ろから逃れた。それが間に合うか間に合わないかのタイミングで、放たれたLAMの弾頭は炎龍の脚部に直撃する。

 噴火口内で炎龍の絶叫が轟いた。

 モース高度で9を誇った炎龍の鱗を貫いたメタルジェットは、炎龍の大腿に牙を突き立てたのである。

 砕けた鱗と肉片がまき散らされ、炎龍は激痛に悶えた。






「テュカ、起きなさい」

 少女の優しい眠りは、父親の声に破られようとしていた。

「お父さん、どうしたの?」

 目を擦り擦り、身を起こすテュカ。

 見渡して見ると、そこは懐かしい自分の家。居間にはうららかな日射しが差し込んでいて、おだやかな1日が感じられた。

 懐かしい父の声。頭がまだはっきりとしない。ただ、自分を起こした父の優しい声にテュカは幸せを感じた。今まで嫌な夢を見ていたような気がしたから、なおさらだった。

 窓の外から、雑多な足音や喧噪、爆音が聞こえて来る。だけど遠い世界の出来事のようだ。今は、父との会話を楽しみたかった。

「お父さん、どうしたの?」

 辺りを見渡してみても父の姿はなかった。代わりに見えたものは、幼なじみの少女が炎龍の牙にかけられる瞬間だった。

「ユノっ!!!」

 愛する親友が食べられてしまう。とっさの判断でテュカは素早くを弓矢を番えた。いつの間にかテュカは弓を手にしていた。

 渾身の力を引き絞り狙い定めて矢を放つ。だがテュカの矢は、はじかれてしまった。

 テュカの矢ばかりではない。エルフの戦士達が無数の矢を龍に浴びせかけていた。その矢が爆発する。しかし分厚い鱗に阻まれて傷一つ負わすことが出来ない。

 バリバリとダークエルフの女性セルマをかみ砕いた炎龍は、縦長の瞳を巡らせると次なる獲物としてテュカを選んだ。

 炎龍に見据えられた瞬間、テュカの全身は恐怖にすくんだ。

 逃げようにも足は動かず、叫ぼうにも声すら出ない。

 この時、テュカは魂を奪われたかのように動けなくなった。いや、逃げようとすることすら意識に登らなくなっていた。どうしてこんな化け物に戦いを挑もうとしたのだろう。自分は間違っていた。怒りや、憎しみをこんなものに向けても、決してかなわないのだと思い知った。だから代わりに、テュカは自らの愚かさを憎んだ。

「テュカ、逃げなさい!!」

 立ちすくむテュカを守ろうとする父。

「君はここに隠れているんだ。いいねっ!!」

 そしてテュカは、レレイとヤオによって洞窟へと投げ込まれた。

 投げ込まれる最後の一瞬、彼女が見たものは自分の身代わりとなって炎龍の顎に捕らわれる父の姿だった。

 自分の身代わりとなって、喰い殺される父親の姿だった。懸命に手を伸ばしたが、届かなかった。そればかりかどんどん離れていく。離れていく。

 父さんが、あたしの身代わりとなって…、

 あたしの身代わりとなって、

 あたしのせいで、あたしのせいで、あたしのせい、あたしのせ……

「それは違う」

 テュカの耳にレレイの声が響いた。

「貴女の父親を殺したのは、炎龍。貴女ではない」

「でもっ」

「伊丹は、間違っている。悠久の時を生き続ける貴女にとって、心の病など些細なこと。10年、100年の月日が、貴女の心をきっと癒す。自己を責める心が薄れるまで静かに待っていればいい。だから、彼は貴女を救う必要などない。今そこにある問題を、なんとかしなければならないと思うのは、命に限りあるヒト種の発想」

 テュカはレレイが何を言っているのかと見直した。
 どうやら、それはレレイの愚痴のようである。小さなため息をひとつついたレレイは、テュカへと眼差しを向けた。

「貴女は炎龍に勝てないと決めつけている。だから、その怒りを向けやすいものに向けた。それが自分自身」

「だって、勝てるわけないでしょ?」

「盗賊によって肉親を殺されたら、盗賊を恨むべき。だけど盗賊の出るようなところへと行ったのが悪いと言いがち。病気や怪我で家族を失ったら、病気や怪我を恨むべき。医者のせいではない。だけど人間は、医者のせいと言いたがる」

「だったら何を呪ったのいいの?誰に怒りをぶつけたらいいの?自分を呪うしかないじゃないっ!!」

 テュカが叫んだ途端、ダークエルフの女が放ったLAMの一撃が、炎龍の大腿を穿ち抜いた。

 爆風と共に飛来した弾頭の破片が、レレイの頬を掠る。まるで張り手をくらったようにレレイは顔を伏せた。

「よっしゃ!!行けるっ」

 残ったクロウ、フェン、ヤオの3人は、喘ぎながら、血まみれになりながらもLAMの構えた。誰一人として無傷な者はない。

「今、勝てるかどうかの分水稜にいる。貴女はアレを…」

 顔を上げたレレイの頬を血が流れていた。

「私が倒すのを、指をくわえて見ていればよい」

 レレイは腰を上げると杖を構えた。喉歌とも呼ばれる独特の1人和声で『起動式』を立てた。レレイとて、故郷をこいつに奪われたのだ。少なからぬ知人がこいつによって殺されたのだ。

「abru-main!」

 突き進んでいくレレイの背中を見送ったテュカはようやく、今此処で起きていることが夢でも妄想でもない、現実であることに気づいたのである。






「rihommun!!」

 レレイは、そこらに散らばっている剣を一本、魔法で浮かせると飛ばした。

 矢で放ったような勢いこそついたが、剣の切っ先は炎龍の固い鱗を突き破ることはかなわず、軽快な音を立てて弾けた。魔法で加速しても駄目。やはり無理なのか。

 手傷を負って、さらに手のつけられないくらいに暴れる炎龍。

 LAMの切っ先から逃れようとして噴火口の壁に激突し、崩したバランス取り戻そうと翼を拡げる。ダークエルフ達は、これまでと変わって、炎龍がLAMを畏れ避けようとすることに、驚喜した。

「いけるぞっ!!」

 クロウは叫ぶ。だが、LAMは残り少ない。

 ナミの遺体の側に落ちていたLAMを拾って、プロープを引き出し、構えて……数秒のことだが、だがそれだけの時間を炎龍は許さない。自分の巣であることももうお構いなしになって火を立て続けに放ち、フェンは火だるまになった。

 全身に炎をまとわりつかせたフェンは、そのままLAMを炎龍に向けて走った。そして至近で倒れ込みながら引き金を引く。
 この特攻に、炎龍の鎧袖に二つ目の傷が抉られた。



 レレイは考えた。龍の鱗を貫くほどの速度に、これらの剣を加速するにはどうしたらいいか。そして、伊丹が、爆薬の上に剣を並べたことを思い出す。そうだ、爆発の力で剣を投射すればいいのだ、と。

 剣の一本を拾って、その柄に小サイズのHEATConeを纏わせる。

 剣を魔法で投射し、炎龍にぶつかる瞬間……爆発した勢いによって、剣は深々と炎龍の脇腹に突き刺さった。

 ヤオに爪を立てようとしていた炎龍にとって、それは軽微な苦痛でしかなかったようだ。その体格から見れば、剣の一刺しなど棘ほどのものでしかないだろう。無視しようと思えば無視できる。

 だが、大したことないと無視してきた剣が、鱗を貫いたことは炎龍の誇りを痛く傷つけたのかも知れない。

 これまで無敵を誇った炎龍の鎧はもう絶対ではない。動きを止めた炎龍は、レレイへと視線を向け、そして我が身に刺さっている小さな棘に視線を向けた。その不条理な出来事を信じられないかのような見ている。

 悲鳴にも似た咆哮が漏れる。この世の理不尽を嘆く響きがあった。

 その悲嘆にも似た叫びが、耳に心地よく響いてレレイはほくそ笑んだ。

「ふふふふふふふふふふふ。死ね、くそったれのトカゲ野郎」

 レレイは、そこらに散らばっている剣を空に浮かべた。

 朽ちた剣も、砕けた剣も、魔法の剣も、無名の剣も、宝石の剣も、大剣も、利剣も、神剣も、蛮刀も、10本、20本と。

 どれほどの戦士が、炎龍に挑み倒れてきたか。無念の思いを噛みしめて死んでいったか。その魂魄の籠もった剣を、能力の限りを尽くしたレレイが炎龍の頭上へと高々と持ち上げた。







(※1/元ネタ/野生の証明 映画版)

 ※2 これまで、110mm個人携帯対戦車弾をLANと記述しておりまたが、誤記でした。LAMに訂正いたします。(LAM = Light-weight Anti-tank Munition)





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 45
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/25 19:14



45





「うっ」

 暗転した視野に光を取り戻した伊丹は、額を抑えながら頭を振った。

 動かないはずの大地が、ぐるぐると動いているように感じられて、自分が倒れているのかさかさまになっているのかさえ、わからなかったのだ。セルマの身体を受け止めたダメージとLAMのバックブラストを喰らいかけた衝撃で、三半規管に狂いが生じたらしい。

 汗をたっぷりかいたところに浴びた埃や、LAMのロケット噴煙で全身砂だらけの埃だらけ。口の中にも侵入したそれらに、唾がざらざらとして実に不快だった。

 乾いた口中の水分を掻き集めるようにして、数回唾を吐く。そして、顔に帰ってきた唾の感触にようやく自分が仰向けに倒れていることを自覚した。

 どれほどの時間を失ったのだろうが。一瞬か、数秒か、数分か。

 世界の回転が静まるのを待って、周囲を見渡してみる。

 すると、セルマの顔が腕枕の距離にあって伊丹をじっと見つめていた。その近さと微動だにしない眼差しに思わず驚いてしまう。何事かと思って、視線を彼女の美しい顔から、喉、そして曲線美豊かな胸へと降ろして行くと全てが理解できた。

 屍体となっていたのだ。

 炎龍は、牙を立て噛み砕いたからと言って必ずしもそれを喰い、飲み下すとわけではないらしい。楚々とした魅力を持った彼女が、わずかな間にこうなってしまったことに伊丹は不思議を感じる。もうこの娘は動かないのだ。動けない。ものも言えない思えない、ただの骸(むくろ)だ。

 伊丹はそっと手を伸ばすと、セルマの顔を撫でるようにして瞼をおろした。

 まだ軟らかく、温もりすらあった。整った顔には傷1つ無かった。だから、瞼をおろしてしまえば眠っているようにも見える。だが、胸のあたりから非現実的なまでに破壊された肉体を見ることで、彼女はもう目覚めることがないと言うことを、どうしても理解できてしまうのだ。

 突然、爆音が轟く。破片が熱波が伊丹に激しく降り注いだ。
 ボディアーマーを着てなければ、どうなっていたか。剥き出しの腕や脚からは切り傷なんだか、打ち身なんだか火傷なんだかよくわからない苦痛を激しく感じる。その苦痛が、炎龍との戦いが始まったばかりであり、まだまだ続いているのだと言うことを、訓練教官に尻を蹴飛ばされた時ほどに、実感させられた。

 人は首だけになっても脳細胞が死に至るしばらくの間、意識があるという。もしそうならばセルマは死の瞬間に至るまで、世界が暗くなっていくわずかな末期の風景として、伊丹を選んだのだ。もし、そうだとしたら、どんな思いで伊丹を見つめていたのか……。

「行ってくるぜ」

 伊丹は、セルマの頭をひと撫でして別れを告げると、身体に力を入れた。

 身体を俯せにかえして匍匐前進を始める。始めてから『てっぱち(ヘルメット)』がないことに気づく。くたびれたチンストラップを使っていたので、フックが甘く爆風で吹っ飛んでしまったようだ。首がもげずに済んだと喜ぶべきか、それとも失敗したと悔しがるべきか……。

 飛来して来る破片や、爆風、炎龍の炎の熱などから頭を抱えるようにして庇いながら、周囲を見渡し、手探りしながら、発破器とリールを探す。

 程なくして、砂と埃が降り積もり半分埋まりかけていた発破器を見つけた。
 伊丹は、それに手を伸ばしたが、持ち上げた際に感じるはずの手応えがないことに舌打ちした。

 発破母線が中途で切れていたのだ。LAMが炸裂した際の衝撃か、破片によるためか。

「くそっ!!」

 折角の苦労も水の泡だ。

 仕掛けた爆薬が使えないとなれば、LAMに賭けるしかない。が、ダークエルフ達は統制もなく闇雲に進んでは倒れていった。見れば、どうにか動けているのはクロウにフェンにヤオだけだ。しかも3人とも満身創痍。血まみれ怪我まみれ、しかも火傷なのかLAMの噴射炎を浴びてのカーボンなのか判らないが、身体の各所を炭化したみたいに、黒くさせていた。

 ヤオが、バンの遺体の下からLAMを引っ張り出すと炎龍に向かって突っかかっていく。

 ヤオは伊丹が教えたことを忠実に行った。プロープを引き出し、安全レバーをFへと合わせた。命中すれば間違いなく炎龍の鱗を引きはがすだろう。だが、狂乱状態の炎龍は、身を火口の壁にぶつけることも厭わず、跳ねるようにしてこれを避ける。その巨体が地にぶつかり、壁にぶつかるたびに岩棚は大きく揺れて、火口の壁が派手に崩れた。雪崩のように、火山灰や軽石や岩盤が降ってくる。

 そんな中、フェンが炎龍の炎を浴びながらも、そのまま特攻をかけて炎龍にダメージを与えた。

 伊丹は「馬鹿野郎っ!」と身を起こす。

 わずかな間に、ダークエルフ達が死んでしまった。セルマが死に、今フェンが死んだ。この一瞬を躊躇ったら次は、レレイや、テュカ、ヤオ、クロウだ。そう思っただけで伊丹の身体は動いた。壮絶な覚悟とか、決意とか、そんな精神的なきっかけはない。考えもしない。頭の中は空っぽだ。ただ反射的に訓練の結果身に付いた動作として、走り出したのである。

 発破器を拾い、リールを拾い、ニッパをもって。

 炎龍の足下を駆け抜けて。発破母線を埋めた場所を手探りで掘り返していく。
 剣をぶつけ合うばかりが戦いではない。銃砲火器を撃ち合うばかりが戦いではない。穴を掘り、伝令に走り、爆薬を仕掛ける。それぞれがそれぞれの部署で、課された役割を誠実に果たすこと。それが全て戦いなのだ。伊丹は、炎龍を吹っ飛ばす最後の切り札を確保すること。それを自らの役割と見なしていた。

 ちぎれた断端を見つけだして、被覆をニッパで剥いて、断端を繋いでいく。
 口で言えば簡単な作業だが、頭上では炎龍が暴れ、火を吐き、LAMの爆風が吹き荒れる。

 炎龍の悲鳴にも似た泣き声が響く。いよいよ逃げ腰となった炎龍が、翼を拡げて岩棚を離れようとした。

 伊丹は、頭上から降り注ぐ土砂に何度も咳き込みながら、リールを抱え上げて、繋ぎ終えた発破線を伸ばしていく。そこへ、誰かの甲高い調子はずれの嘲笑が響いた。

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ」

 誰かと思って振り返ってみれば、レレイ。

 ポンチョにも似たロープをひるがえしながら、緑の瞳を輝かせて立っている。
 その小さな体躯から伸びた腕の向かう先、掲げあげる手の向かう先、その突き立てられた指の向かう先、それは上空。天空を覆うように、まるで吊り下げられたように無数の剣が浮いていた。

「死ね、くそったれのトカゲ野郎」

 レレイのものとも思えない罵倒をきっかけに、土砂降りのように降り注ぐ剣。

 さしもの伊丹も、これに巻き込まれては堪らないと走った。ヤオも、クロウもその凄まじさに、慌てふためいていた。

「くっくっくっ」

 どうやら、レレイは我を忘れると人格ががらっと変わるのかも知れない。白い無表情のレレイに感情の色がついた。それは禍々しいほどに狂怒の色を湛えていた。

「わぁ、まてまてまてまてっ!!」

 頭を抱えて、身を投げるようにして伏せる。ヤオやクロウも伊丹を真似て頭を抱えて伏せたために3人で額を寄せ合うかのようになった。

 歯を食いしばって着弾を待つ。だが、予想された衝撃は訪れなかった。

 宙を舞う剣は、ただ重力に引かれて降り注ぐのではなく、勢いそのままに炎龍目がけて突き進んでいたのだ。的確に誘導され、導かれた剣は、全方位から逃げようとする炎龍へとまとわりついて、弾ける。

 爆発の勢いによって撃ち出された多くの剣が砕け、多くの剣が切っ先を失って跳ね返った。もちろん、その中には強靱な鱗を突き破る剣もあった。が、全体としてみれば、極僅か。確率的には10本に1つか20本に1つ。それだけ多くの商人が、剣に命を託した戦士達を裏切っていたということだ。

 だが、レレイが浴びせかけた剣は非常に多い。
 母数が多ければその中の稀少の剣の割合も増えていく。真に名匠の打った剣、真に名工の研いだ剣が炎龍の身体に突き刺ささった。しかも、レレイは逃げ去ろうとした炎龍の翼を集中的に狙った。

 翼をずたずたに引き裂きさかれた炎龍は、その巨体を支える浮力を失う。

 炎龍が、ついに墜ちた。






 その巨体が岩棚に叩きつけられる衝撃は凄まじいものとなった。

 岩棚が大きく揺れて、岩盤に亀裂が走ったほどだ。そして炎龍もまた、落下の衝撃によるダメージに身もだえていた。大空に舞うための翼を失い、身体の各所に穿たれた穴からは、出血が続いている。そして何本もの剣が、槍が、刀が刺さり、立ち上がる気力も失ったようかのように見える。
 その証拠に、唸り声にも力が無い。

「やったぜっ!!」

 クロウとヤオは、炎龍の水に墜ちた犬のような姿に勇躍すると、それぞれに剣を、サーベルを抜いて走り出した。だが、飛べなくなったとしても、炎龍は戦車並みの防御と攻撃力を持つと見ている伊丹には、まだまだ危険きわまりない存在に見えた。

「馬鹿、止めろっ!」

 どうにかヤオの後ろ髪を捕まえることに成功したが、クロウを立ち止まらせることは出来なかった。しかも、目の前で精根尽き果てようにレレイが膝を着いて倒れていく。ヤオを捕まえ、レレイを支える。伊丹に出来ることはこれで精一杯だった。

 クロウは剣を抜くと、脇目もふらずに渾身の力を込めて炎龍に叩きつける。

 その跳ね返すような甲高い音には、どうしょうもないほどの堅牢さを感じさせられたが、剣を叩きつけることに成功したクロウは、直接の手応えが嬉しかったのか我を忘れて連打した。

「この野郎っ、この野郎っ!」

 調子に乗って、繰り返し繰り返し剣を叩きつけ、それで適わないと思って剣先を突き立てる。あまりの鱗の頑強さに、業を煮やしたのか次は鱗の隙間に剣を差し込んで引き剥がしにかかった。

 虫の息となっていても、やはり炎龍は炎龍であった。
 身を捩らすように首を起こしたと思うと、まとわりつく蠅でも払うかのように炎を放ち、クロウの身を焼いたのである。

「うわぁつ!!」

「クロゥ!!!」とヤオが手を伸ばす。だが伊丹は、ヤオの腕を捕まえて決して離さなかった。

「駄目だ、ヤオ。駄目だ!!」

「クロウ!!イタミ殿、離してくれっ!!」

「止めろ、お前まで巻き込まれるぞっ!」

 ヤオの叫びももどかしく、火だるまとなったクロウはしばらく転げ回っていたが、やがて動きを止める。

 炎龍の隻眼には殺気が、まだまだ満ちていた。わずかに火を放ちながら、伊丹達を威嚇する。その目には死の瞬間まで屈しない、古代龍としての意志の光があった。

「何故だ、何故止める!!」

「馬鹿野郎。いい加減に、頭を冷やせっ」

 伊丹は、激昂しているヤオを離すまいと、ひっぱった。今にも火を吐き出しそうな炎龍から離れて洞窟へと退却しようと、彼女の腕を懸命に引っ張っていた。






「あ、ああっ、ああ」

 レレイに指を銜えて見ていろと言われたテュカは、目前で繰り広げられた戦いを呆然と見下ろしていた。

 ダークエルフの男が、炎で焼かれ七転八倒している。

 そんな仲間を助けようとヤオが手を伸ばす。だが、伊丹は彼女の手を離さない。そればかりか懸命に引っぱって炎龍から距離をとろうとしている。頭に血が上っているヤオは伊丹の制止に従わず、炎龍に向おうと伊丹を振り払おうとさえした。

 そんなヤオの姿が、自分に重なる。

 馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿

 向こうの炎龍がわずかに身を捩らせて伊丹に牙を剥いた。伊丹は炎龍に背を向け、レレイを抱きかかえ、ヤオの腕を牽いて、逃げようとしてた。

 炎龍の顎が大きくひらいて、その鋭い歯列が剥き出しとなる。その中心に、伊丹の姿。
 それが、炎龍に背を向けた父のものと重なった。

「父さんが、死んじゃう」

 この瞬間、テュカの頭の中はそれだけで一杯になった。

 奥歯を噛みしめ、テュカは一歩を前へと出した。

 手には剣はなく弓もない。ならば、わずかに使える精霊魔法以外に武器はない。テュカは徒手単身で前に出た。

 森の精霊種たるエルフは風木の精霊魔法の相性がよい。ましてハイエルフならば、発動に僅か2節。

「teruymmun! hapuriy!」

 それは雷撃の召還であった。

 いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!

 碧眼から流れる涙をまき散らしながら、渾身の雷撃をテュカは召還した。

 雷撃などで、炎龍がしとめられるとは思っていない。できるなら、父が、あるいは数多の精霊使いが炎龍をしとめただろうから。

 だが、それでも良かった。炎龍の気を一瞬でも逸らす。僅かな時、数舜、数刹那。寸毫の時を稼ぐことが出来れば、テュカが父と見なした男は、死の顎から逃れうるかも、しれないのだから。

 青白い閃光が瞬き、大地の表面が軽く跳ねた。

 その衝撃に、伊丹はレレイを抱えたまま、ヤオを引きずったまま倒れ込む。テュカは両手を拡げて伊丹に抱きついた。勢いそのままに伊丹はレレイ、テュカ、ヤオごと、洞窟へと転がり込んだのである。今度は、テュカは独りではなかった。皆を抱いたまま、皆と共に洞窟へと飛び込めた。

 炎龍の体表面を電撃は走る。通常ならそのまま地へと流れていく電流の迸りは、各所に突き立てられた剣にまとわりついて体内に深く侵入した。

 電流は『流れやすい所』を流れるという法則に下がって、炎龍の肉体を突き抜けた。そして、伊丹が配置した発破母線に触れ駆け抜ける。それは地中に埋められた75㎏の粘土爆薬に突き立てられた無数の電気雷管へと至った。

 炎龍の心臓が、大きく鼓動する。

 瞬間。炎龍の爆発的な断末魔の悲鳴が轟く。それは巨大な鉄の塊を引き裂くような音だった。それに続いて火山の噴火を思わせる大爆発が続く。それは洞穴内で共鳴し、大地を振るわせた。その衝撃は、地面に伏せる伊丹の耳を貫き、テュカの耳を貫いた。誰も彼もがその魂魄をうち砕くほどの衝撃に貫かれた。

 炎龍の巨体は、強烈な破壊力によって引き裂かれた。

 傷つけられた心臓壁から吹き出した血液は空気に触れた途端、炎のように燃えた。

 炎龍の心臓が鼓動するたびに、その心臓から血炎が溢れた。赤い血潮の代わりに、辺りには炎が溢れた。飛び散った血炎のしぶきは、炎龍の身体を内部から焼き浸食し、包み込み始めた。

 堅牢な鱗は見事なまでにたたき割られ、しかも体内も焼かれていく。こうなれば最早助かる術はない。その巨体を打ち震えさせ、身体の各所に穿たれた傷跡から、紅蓮の炎をまき散らし、苦しそうに悶えながら炎龍は崩落する岩棚と共に、地の底の闇へと堕ちていった。





 そして、その瞬間から大地が崩壊を始めた。





 支えを失ったかのように洞窟の天井が崩れ出す。洞窟の床にもひびが走り、亀裂が広がり、大きな地割れが口開いていった。あたかも、4人を奈落へと引きずり込もうとするかのように。

「逃げるぞっ!!」

 伊丹はヤオの頬を叩き、動けない人形のようなレレイを担ぎ上げ、テュカを励ます。

 テュカも身体をしたたかに打ち付けていてそれなりに、身体が悲鳴を上げていたが、今は痛いとか疲れたとか言っている暇もない。「走れ、走れ、走れ」という伊丹の声に急き立てられるように走った。

 天井、柱、大地、あらゆるものが、少しずつ崩れはじめた。

 終わりのない地震。それは、激しさを増していくだけだった。このままでは大地の全てが壊れ崩れるようにも思えたほどだ。

 洞窟の内部。神殿のようだった階段。伊丹達が走り抜けていく端から、地面が消え失せていく。落ちた瓦礫は、地の底に広がる暗黒の空間へと飲み込まれていく。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 足の下が崩れ落ちて転落の恐怖に喉から声を振り絞るテュカ。

「テュカっ!!!!!」

 伊丹の右手が、テュカの左手を捕らえた。伊丹が必死の形相でテュカをつかみ上げ、地上に結びつけている。

「しっかりしろっ!!」

 テュカを引き上げようといする伊丹。その伊丹の背後からヤオの手も伸びてきて、テュカの手を更に支える。二つの手がテュカの手をしっかりと掴んだ。

 足下では大地に無数のひび割れが走っていく。

 それまで堅牢な硬質を維持していた地面が、砂のように頼りなくなってしまった。柱が崩れ始める。岩の天井を支えていた柱が、ことこどくが折れて、朽ちていく。

 ここも危ない。どこも危ない。安全な所などどこにもない。

 伊丹は、テュカの手を握り込んだまま、その崩落する洞窟を駆け抜けていく。

 懸命に走る一歩一歩の踵、そのわずかな後ろから地面が崩れ落ていく。その崩落の速度は、4人を追い立て深淵へと引きずり込もうと、激しく追い立てた。

 落盤の恐怖と全力疾走の疲労は、テュカの体力を容赦なくそぎ取っていった。

 彼女の流れるような金髪は、砂を浴びて、煙に汚れた。汗にまみれた肌は、砂礫を浴びて泥のようになっている。

 早鐘のような鼓動は、胸が張り裂けそうなどで、一呼吸一呼吸が熱く、痛く、辛い。

 天井にから大きな岩が降ってくる。大崩壊の名にふさわしく、あらゆるものが堕ちていく。だけど、生きている。まだ、生きている。

 自分は生きている。

 伊丹も生きている。

 レレイも生きている。

 ヤオも生きている。

 テュカは、伊丹の手を握り返してその感触の確かなことを味わった。

 死なせずに済んだ。亡き父の敵を討った。

 いつの間にか地面を蹴る足に、力がとどき始める。引きずられてるから動かしていた脚に意志の力が蘇っていた。





     *       *





 崩れゆく洞窟から命からがらどうにか逃れ、外の空気に触れた伊丹達は最早動くことも出来ずに、崩れるようにして地面に横たわった。

 肩で息をして、咳き込んですら居る。

 吸い込む空気が、熱く胸が焼けるように痛い。手足はもう鉛のように重く、我が身ながら恨めしく鬱陶しいほどだ。

 洞窟はその崩落が出口近くにまで達して埋まってしまい、周囲には砂埃が立ち上がっている。

 空は、西側ではまだ星が瞬いていたが、東側では幻想的なまでに紅く染まりだしている。

「はぁ、はあ、はあ……みんな、無事か?」

 問う言葉も、簡潔にして要点のみ。テュカは「生きてる」とだけ、ヤオは「なんとか」、レレイは「損傷はたいしたことがない……」と答えて来た。「遅いぃよぉ」という弱々しい声はロゥリィだ。

 どうにか全員の無事を、とは言っても誰も彼も傷だらけでこれを無事と言ってよいかどうかはわからないが、とりあえず生きていることだけは確認した伊丹は、安堵のため息をつく。

「……………」

 しばしの時の果てに、はたと気づく。

「ロゥリィ!」

 顔を上げた伊丹の目に入ったのは、ボロくずのような有様になり果てて転がる、黒フリルの塊りだった。

 手足が引きちぎれそうになり、無数の傷を受けて転がっていた。
 無事なところを探す事の方が難しいぐらいだ。傷からは沸騰した湯のような蒸気があがり、瞬く間に回復していくのだが、傍目にはそんなことでは到底追いつかないと思えるほどの出血と、怪我だ。生きているのが不思議なくらいである。

「どうしたんだ。いったい、何があった?!」

 伊丹は、全身の疲労もよそにロゥリィに近づくと彼女の身体を抱き上げた。

 力無く落ちる腕に、思わず慌てる。彼女の左腕は、どうにか皮一枚で繋がっていただけだった。あわてて、伊丹はロゥリィの腕を元のように付けあわせようとした。非理性的な、振る舞いだが、この時ばかりはそれが正解。傷口同志がくっつこうとし始める。

「お姉さまったら、ヒト種なんかに心配されて。随分と腕が鈍ったんではなくて?」

 背後から投げかけられる声に、振り返る伊丹。

 見上げた山の中腹に、二頭の新生龍を従えた白ゴス神官服をまとった女性が立っていた。























--参考--

 75㎏の粘土爆薬の爆発に絶対に巻き込まれるだろうと言うつっこみはどうぞご容赦をお願いします。

 一応、以下を参考にしてください。

 筆者が、昔某所にて勉強に使ったノートを、本棚から漁ってきて開いてみる。
 土色に汚れたページを捲ると、『野戦築城第2部』の資料をつたない字で書き写してあった。

付表第5 通常爆弾(GP)の効果
その1 建物・壕に対する作用及び破片・爆風による危険界

○木造建物に対する作用
 50㎏級/倒壊 10m以内  半壊 20m  安全 40m
100㎏級/倒壊 15m以内  半壊 30m  安全 60m

○破片による危険界(立ち姿)
 50㎏級/即死25m   死傷25~90m    安全90m以上
100㎏級/即死30m   死傷30~100m   安全100m以上

(1.安全界においても軽症を受けることがある)
(2.伏姿の場合には、各被害に応ずる距離を30~80%減少できる)

○爆風による危険界(立ち姿)
 50㎏級/即死6m以内   死傷 6~16m   安全 16m以上
100㎏級/即死8m以内   死傷 8~20m   安全 20m以上

○壕に対する作用
 50㎏級/崩壊3m以内   半壊3~6m   安全6m以上
100㎏級/崩壊4m以内   半壊4~8m   安全8m以上

(なお、昔のものなので現在では数値は変更されている可能性もある。さらには教範からの書き写し間違えを当時してないと言う保証もない。しかし、爆薬を用いたシーンについて厳密さを求められる諸氏にとっては、参考に成るとは思うのでここに開示しておきます)






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 46
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/09 19:38




46






 その女は、白ゴスを纏っていた。

 見た目20代前半の肢体。

 深縹(ふかきはなだ)色の肌をフリルに充ち満ちた白い衣装で包んでいる。包んでは、いるのだが胸元のあわせが足りず豊かな双丘で構成された谷間から、ピアス輝く臍部までを見事なまでに露出。その、ぬめるような肌を紐できつく編み止めるというデザインとなっていた。袖も肩で切り落として、フリルのスカートも裾がぼろぼろ。深々としたスリットが入ってるも同然で美脚を全く隠せてない。露出されている腹部や、腕、腿、頬などには、トライバルのタトゥーが入っている。もしかすると全身に刺青が施されているのかもしれない。

 灰色の髪をたなびかせた彼女は、縦に割れた金色の瞳にどんよりとくすんだ輝きをたたえ、死神が振るうような大鎌をよっこらせと肩に乗せて舌なめずりした。まるで錆びた刀剣のようなやさぐれた雰囲気だ。それゆえに通った後には辺り構わずゾロリとした、凶悪な傷跡をのこして歩く危険な気配を湛えていた。

「お姉さま。主上さんの奥さんになろうってお人が、汚らわしいヒト種なんぞに気安く肌を触れ、触れさせるとは不調法が過ぎまっ、せんか……」

 丁寧な言葉遣いに馴れないのか、自ら舌を噛みそこなって「ちくしょうめっ」などという小さな罵倒が漏れ聞こえた。

「煩いっ。あんな女の嫁に、誰がなるもんですかっ!」

 ロゥリィは文句を言いながら、震える体をぎこちなく起こした。

 両腕の切断面が繋がり、血まみれの手足もどうにか彼女の言うことをきくようだ。だが、やはり力は充分ではないようだ。普段なら軽々と振るうハルバートも、手をかけるのが精一杯で持ち上げることすら難しそうであった。

「主上さんに、見初められて嬉しくないんすか?」

「何度も言っているでしょう。わたしぃの主神はエムロイ。死と断罪と狂気、そして戦いの神よぉ」

「はぁ、マリッジブルーってやつかねぇ。不憫なこって」

 ここはやっぱり1つ、無理矢理にでも連れ帰らねばなるまいか、などと剣呑なことを呟いていた。

「何が、マリッジブルーよっ!何が不憫よっ!そっちが勝手に決めて、勝手に言ってるだけじゃないぃ」

「もう、嫌っ」と、ばかりにロィリィは伊丹に子供のように縋った。今にも泣き出しそうだった。

 それを見た白ゴス女性は、伊丹に胡乱な視線を向けた。

 ロゥリィに対しては、一応の敬意を示そうとして言葉遣いに気をつかう白ゴスだが、伊丹相手となれば、もうあからさまなまでに蔑んだ視線と口調になる。

「そこのヒト種の雄。てめぇ、主上さんの妻女になろうってお人を寝取ろうとか考えてんじゃなねぇだろうな?もし、そうならそのケツに、二つ目の割れ目をこさえてやっぞ」

 伊丹からすれば、何で俺?寝取る?滅相もないと訴えたい気分だ。だから首をブンブンと大きく振った。だが、すがりついてくるロゥリィに小さな声で、まだ力が戻ってこないから、時間を稼いで欲しいと囁かれれば否応もない。状況を、この白ゴス女性とロゥリィとの間にどんな確執があるのか見極めるためにも、少しばかり言葉をかわす必要を感じる。

「質問っ、質問っ!!」

 伊丹は手を挙げた。すると、白ゴス女性は「なんだよ、めんどくせぇなぁ」と、舌打ちしながらも実は律儀な性格らしく「わかった、わかった、さっさと質問しろよ」と言う態度で耳を貸してくれた。

「まず最初にお尋ねするのは、貴女はどちら様で……おっと失礼、自分は日本国は陸上自衛隊 特地深部情報偵察隊所属 第3偵察隊長 伊丹耀司二等陸尉であります」

 白ゴス女性は、その背中に巨大な羽を広げた。そのドラゴンのような翼を大きく広げるとふわっと滑空して、音もなく伊丹達の前に降り立つ。そして、まるで品定めするかのように伊丹のことを右から、左からジロジロとなめ回すように見ていった。その縦割れた瞳と所作に、やっぱり爬虫類系だなぁという感想を伊丹は抱いた。

「ご丁寧に自己紹介あんがとよ。オレはジゼル。見てのとおりの使徒さ。主上ハーディに仕えるてる」

 ペコリと頭を下げる姿は、行儀見習い中の居酒屋バイトみたいな雰囲気があった。ロゥリィの囁きによるとこの女性は竜人出身の亜神で現世に存在する、一番若い使徒らしい。

「ハーディ…さまと言いますと、やはり神様で?」

「そだよ。って言うか、んなことも知らねぇのかよ。常識無ぇ奴」

 特地についての無知を指摘された伊丹は、「あはは、よく言われます」と、まるで追従するかのよう笑った。そして、現在の雰囲気が途切れないよう「今のやりとりを聞いてて思ったんですが、そのハーディって神様は女性でらっしゃいますよね。それが、女のロゥリィを嫁にしようとしてるってことですか?」と質問を続けた。

「そだよ。何か変か?おかしいかよ?」

「いや、別に。ただ人間的な感覚だと女性が、女性を嫁にするっていうのは、まだ珍しいことでして。外国ではあるって話ですが、卑近にそう言う話がないんで確認だけしておきたくなりまして」

「本人達の好きずきだろ。いちいち文句たれるなよ、おっさん」

「おっ、おっさん?」

 確かに、おっさん言われてもおかしくない年齢ではある。が、あからさまにそう言われたのは、意外にも初めての経験である。結構、傷つくものであると、しみじみと実感してしまう今日この頃だ。人知れずして、精神的なダメージを受けたが、それを押し隠して明るく振る舞う健気な伊丹であった。

「神様ってのは進んでるんですねぇ」

 すると、ジゼルは「ああっ、もうっ!」と、自分の後ろ髪を掻きむしって肩を竦めた。

「ホントのこと言うと、オレにもわかんねぇんだよっ。けどよ、差別はいけないだろ?だからそれなりに理解はしようと思ってんだよ。ま、普通は、わかんなくて当たり前なんだろうけどな」

「わたしぃは嫌よぉ。男がいいわぁ」

「と、まぁ、こんな有様でさ。まいってるぜ」

 主上の想いが広く理解されるには、まだまだ道は遠い、とジゼルはため息と共に太陽が昇りつつある地平線へと視線を向けるのだった。

「まぁ、こうしたことは本人の意思が問題ですからねぇ。時に、ジゼルさんはハーディさまと同じように、同性が好みで?それとも異性がお好みで?」

「オレか?オレは男がいい」

「では、実際どう思われます?本人の意思を無視して、暴力で無理矢理連れて行って、しかも好みでない同性の相手に娶せようというのは。ご自身の身に置き換えてみたら、やっぱり嫌じゃないですか?」

 伊丹の言葉にジゼルは眉根を寄せた。視線を背けて小さく舌打ちする。

「それを言われっと参るんだよなぁ。けどよ、使徒としちゃあ、お姉様を連れてこいっていう主上さまには逆らえねぇし。御意に従うしかないだろっ」

「それで、先ほどから戦っていたと?」

「そうさ。まさか、こんなところでお姉さまに出くわせるとは、思っても見なかったけどな。出会ったからにはってことでな」

「ロゥリィって結構強かったと思うんですが、貴女一人でこんなにしたんですか?」

 見るからにロゥリイの傷は酷かった。もちろん治りかけてはいるが、最初に見た時は身体のそこかしこに深々とした傷が残っていたのだ。黒ゴス故にわかりにくいが、着ている服は乾いた血が大量にこびりついていた。

 するとジゼルは、愁眉を寄せる。

「馬鹿かお前ぇ。んなの、お前の傷をお姉様がかわりに引き受けたからに決まってるだろうよ」

 ジゼルはそう言うと、砂でも吐くように唾を大地にぶつけた。

「どうりでおかしいと思ったぜっ。本当ならオレ独りじゃ絶対に無理なんだよ。戦いの神、エムロイの使徒。死神ロゥリィ相手に、オレなんて互角に持ち込むのが関の山のはず。それがどうだい、まるで動きが悪い。何もしなくても傷を負う……、最初は舐められてるのかと思って頭に来たが。そりゃ、そうだろさ。お前ぇの傷をお姉さまが引き受けたんだからな」

 見れば繋がっているのがわかる、とジゼルは言った。

 そう言えば、不思議と大けがの無い伊丹は唖然としてロゥリィに視線をおろして「なんでそんなことを」と尋ねた。するとロゥリィはペロッと舌を出して、肩を竦めた。「別にぃ良いじゃないぃ」
 この態度に、伊丹としては、どうしょうもない気持ちになった。心臓をわしづかみにされてしまった気分だ。

「ま、事情がわかれば話は別だ。今度は、全力でやってもらうぜ」

 ジゼルはそう言って、背後の新生龍2頭を振り返る。いつの間にか、2頭の新生龍も近くに寄ってきていて、ジゼルにその巨体を撫でられて気持ちよさそうに喉を鳴らした。

「オレ独りでなんとか互角。だがこの2頭がいれば、お姉さまにだって勝てるんだぜ」

 2頭の新生龍は、身体の赤いものと、黒いものとがいる。おそらく炎龍の巣にあった卵の破片、あれから孵ったのがこの2頭だろう。身体を覆う鱗の形状や、全体の雰囲気に炎龍の荒々しい面影を感じる。それでも親に比較すれば、突起というか風格に欠けるきらいがあり、大きさも二周りほど小ぶりだ。とは言っても、巨体であることは間違いないが。

「ず、随分と、懐いてますね。危なくないですか?」

「ああ?産まれた時から世話したかなんな。眠っている炎龍を起こして、わざわざ水竜と番わせて、卵を産まさせて。ようやく、ここまで飼い慣らすことに成功したったわけよ。随分と苦労したぜ。それだけの価値はあったけどな。炎龍と新生龍、そしてオレ。この組み合わせなら無敵だぜ」

 そう言って、ジゼルはほくそ笑んだ。

「な、なんでまた、そんなことを?」

「お前、本気で馬鹿だな。お姉様を含めて、他の亜神に勝つために決まってるだろ。ところで、ロゥリィお姉様。体力の回復具合はいかがでしょうか?そろそろ、2戦目と参りたいんですが、今度こそ手加減抜きでお願いします」

 ジゼルは、ロゥリィに告げると大鎌を構えた。背後の新生龍2頭も翼を拡げ、距離を置いてそれぞれに身構える。

 ロゥリィも、伊丹から離れてどうにかハルバートを構えた。だが、その重みで身体が微妙に傾いで揺れた。傷の回復が進んでいるとは言え、やはり受けたダメージが彼女を蝕んでいるようだ。

「ちょっとお待ち頂きたい、ジゼル聖下。今のお話によるならば、炎龍を起こしたのは聖下であらせられるか?」

 緊張の走った両者の間に水を差したのはヤオだった。
 左の二の腕に出来た傷を右手で庇いながら、片足でびっこをひいて少しずつ前に出て、ジゼルに問いつめる姿は鬼気迫るものがある。

「なんでぇ、お前は?」

「なぜ、そのようなことをっ!」

 ヤオの怒気を孕んだ詰問に、ジゼルは無礼を感じてか、ヤオに向ける視線をすぅと細めると少し低めの口調で言葉を返した。

「オレのやることに、文句があるってのか?」

「ありますともっ!!此の身らはハーディを主と仰ぐ者。これまで、それなりに誠意を持って仕えて参ったつもりです。なのに、その代償として与えられたのが、炎龍と言う名の災厄。それはいったい何故なのですか?!」

 ジゼルは苛立ち混じりに、盛大なため息をついた。

「主上様のご意志を、いちいち何故なんて尋ねてんじゃねぇんだよ。親分が黒ったら、白かろうと赤かろうと、黒なんだ。お前等信徒は、それに従うってのがスジってもんだろうよ」

「し、しかし」

「上には上の考えってやつがあんだよっ!」

「それが、我が同胞を滅亡に導くものであってもですか?」

「当たり前だろう。信仰心が篤いって言うなら、なおさらだろう?お前等はな、主上のお役に立てることを喜ばなきゃだめなんだよ。それが死ぬことなら黙って従う。それが信仰心というものだろ。違うか?」

 ジゼルの、何故そのような分かり切ったことを問うのだという態度に、ヤオは身を震わせて唸った。

「こ、此の身に限って言えば、主神の仰せならば従いましょう。ですが同胞や一族すべてに生贄となれとは、あまりにも無体なお言葉。此の身の一族を炎龍の餌とすることは、本当に主神のご意志だったのですか?」

 この言葉にジゼルは笑みを浮かべて手を打った。

「なんだそれ?へぇ、餌になっていたのはお前らだったのか。炎龍の奴、どこから餌を獲って来るのかって思ってんだけど、それがダークエルフだったとは知らなかった。災難だったな、お前」

 この言葉には、さしものヤオも唖然とした。

 ダークエルフが炎龍の餌となっていた。それがハーディの意志だった、と言うのならまだしも、知らなかったと言う。それはつまり、信徒達が苦境に置かれていたことに、関心を払ってなかったと言うことを意味する。

「災難?災難の一言ですか?!」

 ヤオは、力無く膝を屈して大地に突いた、両手で大地を叩く。

「何度祈ったか。何度泣いたことか。何度悲しんだことか。何度問うたことか。何度救い求めたことか。何度、絶望したことか。その都度主神を想い、自らを励まし、立ち上がり、希望を求め、旅に出て……そんな此の身の祈りに、神々は応えてくれないばかりか、耳すら貸してくれてなかったと言うのですか」

 血涙を流しながら問うヤオに対して、ジゼルは困ったように眉根を寄せて言い放った。

「いちいち、信徒の言葉に耳を傾けている神なんているわけねぇだろ。金をくれ、救ってくれ、出世できますように、くじに当たりたい、豊作祈願、勝負に勝ちたい?恋愛成就?んな、欲まみれのお祈りなんざに耳を貸してたら、きりがねえんだよ。おんぶにだっこと縋ることしかしない信徒なんぞ、炎龍のエサになってろってんだ」

 この言葉にヤオが切れた。自らの魂をかけた祈りを、そんな欲ぼけた頼み事と同列に扱われたことが、頭に来たのだ。

 サーベルを抜剣するのが速いか、ジゼルへと斬りかかった。
 だが、それよりも速く鋭い大鎌の一閃が振り下ろされた。






 咄嗟のことだった。
 伊丹は、ジゼルに斬りかかろうとするヤオに飛びつくと彼女の胴を抱えながら引きずり倒した。ここで喧嘩を始められたら巻き込まれること必定だからだ。

 ジゼルの大鎌はヤオの身体を、皮一枚の差で掠った。そこへロゥリィがハルバートを振るって斬りかかる。

 ジゼルは、身を逸らすことでこれを躱した。そこへ割って入るようにして、赤龍の鋭い爪が振り下ろされ、今度はロゥリィが跳ねるようにして、その一撃を避けた。

 伊丹は、ヤオを抱えて地を転がると、腿から9㎜拳銃を抜く。おおよその見当をつけて連射。3発の弾丸が、ロゥリィを追撃しようとする赤龍の巨体に当たったが、その強靱な鱗にはばまれて傷1つ負わせることが出来ない。とは言え、その攻撃は赤龍を牽制することに成功した。ただ、その代償として2頭の新生龍とシゼルに、伊丹を敵と認識させることとなる。

 交錯した一瞬が終わり、間合いが開く。

 ロゥリィはハルバートを構えなおし、伊丹はヤオを起こして、ロゥリィの傍らへと立った。レレイやテュカは、黒龍に牽制され、これから逃れるだけで精一杯の様子。二人とも、有効な攻撃手段を持っていないことに加えて、レレイに至っては炎龍戦で精神力の殆どを消耗し、回復できないのでいるのだ。

「くそっ……」

 巻き込まれることを防ぐために動いたつもりだったが、かえって巻き込まれてしまった。伊丹は、新生龍には効果無しと見て、銃口をジゼルに向けたが、それを見たジゼルは、「おいおい、ヒト種がこのオレ挑もうとは」と、嬉しそうに微笑む。

「お前ぇ、なかなかいい目してるじゃねぇか。そういう無謀な奴って、好きだぜ」

「当たり前じゃないぃ。これでも、炎龍を倒した程の男よぉ」

 肩で息しているロゥリィは、精神的な優位を保とうとしてかそう言った。

「なんだと?!って失礼。いや、今、何を倒したって言われましたか?お姉ぇさま」

「炎龍を、倒したって言ってるのよぉ」

 無事に出て来たからにはそうよね、とロゥリィは伊丹に尋ねる。

 ジゼルの刺すような視線に、別に俺が倒した訳じゃないと叫きたいところである。
 伊丹がしたことは粘土爆薬をしかけただけだ。戦ったのはもっぱらヤオ達ダークエルフだし、レレイだし、とどめを刺したのはテュカだ。が、今、この瞬間のロゥリィの負担を軽くするには、自分が容易ならない敵だとジゼルに思わせる必要性も理解できる。やせ我慢して、即興で、はったりを効かせることにした。

 思わず呟く。「俺って、こんなんばっか」
 特殊作戦群でも、欺瞞のためとかで嘘経歴が『その方面』に流され、大したことしてないのに二重橋壕では英雄とやらに持ち上げられる。実際と評判の解離たるや甚だしい。実力以上に振る舞うことを強いられるのがどれほどにしんどいか。だが、ここは下腹に力を入れて、余裕に振る舞う。余裕に見えるように振る舞わなくてはならなかった。

「嘘かホントか、火口を覗いてみればわかりますよ。炎龍の屍体が転がってるはずです。あっ、勢い余って岩棚を吹っ飛ばしちまったから、埋まっているかも知れませんけどねぇ。あはは」

 内心、ガタガタ震えているのは秘密である。ロゥリィの「良くできましたぁ」という小さな声も、危うく聞き逃すところだった。

 確認のためかジゼルが顎をしゃくると、黒龍が火口へと飛び上がっていった。

「へへへ、命からがら逃げてきたってんならわかる話だ。お姉さまの加護があったとは言え、ヒト種に出来るわけがねぇからな。だが、嘘にしては底が浅すぎる。と、すれはホントか?もし、そうなら面白れぇ。そこのヒト種の雄。もう一度名前を言え。さっきの名乗り、聞き流してて忘れちまった……」

「耀司よぉ。伊丹耀司」

 伊丹よりも先にロゥリィが告げる。そしてさらに伊丹の腕に、ロゥリィは見せつけるようにして腕をからめた。

「耀司とは眷属の契りを交わしたわぁ。あんたはぁ、新生龍二頭を手に入れたかも知れないけれどぉ、わたしぃは炎龍すら倒す男を伴侶にすると言うわけぇ」

「そう言うことか……やってくれるじゃねぇか、お姉さま」

 そうしている内に、火口付近を飛ぶ黒龍から、叫びが響いた。
 自らの親を失ったことを知らせる、悲痛な叫びだった。

「おほっ、嬉しいねぇ!こんな奴がヒト種から出てくるとは思わなかったぜ。使徒になった甲斐があるってもんだ」

 大鎌を構えなおすジゼル。

「この耀司とわたしぃを相手にぃ、新生龍二頭とあんただけで、はたして勝てるぅのかしらぁ?」

 ロゥリィとジゼルの舌戦の横では、伊丹が必死になって「さっさと、帰れ。適わないと思って逃げてくれ、行け、去れ。神様……」と、祈っていた。だが、祈るべき対象が目の前にいては、なんだか効き目もなさそうである。というより、いちいち祈りに耳を貸したりしてないと今、言われたばかりである。

「へっ。面白くなってきた。トワト!モゥト!お前等も親の仇だ、手を抜くんじゃねぇぞっ!!」

 二頭の新生龍はジゼルの呼びかけに応えて、朝日の昇った大空へと舞い上がった。ジゼルも大鎌を振りかぶった。ロゥリィもハルバートを振りかぶる。

「行くぜっ!!」

「ヤべつ!やぶ蛇だったっ!」

 戦うことを、最初から考えていなかった伊丹は、進もうとしたロゥリィを抱えると、後ろに向かって全力で走り出した。

「ヤオっ!!レレイを頼む。テュカ、走れ!!」

 伊丹の指示をうけてヤオは、自らの傷も忘れてレレイを抱え上げた。テュカもはじかれたように走る。それまでの余裕な態度から一転しての見事な逃げっぷり。あっけにとられたジゼルはしばらく何があったのか、理解できなかった程だ。

 誰もいなくなったデュバ山麓に隙間から吹き抜ける空気にも似た、肌寒さを感じさせる風が走っていく。遠くからカラスに似た鳥の鳴き声が聞こえた。

「あ……」

 どういう逃げ足をしているのか、下り斜面を転がるようにして走っていく伊丹達は、気がついた時には、既に遠く小さくなっていた。

「ば、ば、ば……馬鹿な」

 どうする?と問いかけるような感じで、黒龍と赤龍がジゼルへと視線を向ける。

「お、追えっ!!」

 慌てて、飛び上がる二頭。

 いかに人間が走ろうとも、大空を舞う龍からは逃げ切れない。
 翼を大きく拡げ、高度を上げて速度を上げた。そして、上空から火を浴びせかけようと顎を開いた瞬間。

 蛇にも似た軌跡を描いて飛来した4条の筋が、2頭の新生龍を襲った。






「久里浜。『カレ』のサイズ、以前見たのと比べて、ちと小さくねぇか?」

 ロックオンさせた熱源追尾型空対空ミサイル・サイドワインダーを発射しながら、神子田は久里浜に言った。

「二頭居るし。完全に別目標だ」

『とは言っても、あの二頭に伊丹二等陸尉達が追われてるのは確かです』

 僚機の瑞原3等空佐の声に、神子田は頷いた。

「ミリタリーパワー・マキシマム。フルウェポン、フリー。コンバットマニューバ、ゴゥ、ゴゥ、ゴゥッ」

 久里浜の声に、神子田は「吶喊!!」と叫んだ。

「神子田は目標、赤。西元は目標、黒」

 空対空ミサイルの近接雷管が作動し新生龍は爆炎に包まれた。だが、それでくたばるようなら苦労はない。神子田は、ヘッドアップディスプレィのピパーに、赤龍を捕らえると、引き金に指をかけた。
 M61バルカン砲は、毎分6000発で20㎜弾を発射する。わずかな瞬間であっても交錯時に浴びせられた土砂降りを遙かに越える鉛玉の嵐は、新生龍の身体をミキサーのように激しく揺さぶった。

 平衡を失った2頭の新生龍は、中空に浮かび上がる機能を失って大地に叩きつけられた。

 すぐさま、よろめくようにしても立ち上がろうとするのは流石である。翼を拡げて、大地から離れようとする闘争本能は素晴らしい。年若い新生龍とは言え、空の支配者たる龍種である。が……。

『だんちゃ~く、今!!!!!』

 75式自走155㎜りゅう弾砲15門から放たれた砲弾に充填された約7㎏のTNTが炸裂。新生龍を含む、その周囲の空気と大地を徹底的にかき回して立ち直る隙を与えない。




『効力射撃はじめっ!!』

 ダークエルフの長老達は、ずらっと列ぶ75式自走155㎜りゅう弾砲の砲口から放たれる炎を、両耳を押さえながら不思議そうに見守っていた。あたりには煙が立ちこめて、ほとんど周りが見えなくなっていく。そのなかを特科の隊員達が、忙しく立ち働いている。

「いったい、何をしてるのだ、この連中は?」

「何かの儀式じゃろうか?」

 けたたましい雷鳴の如き砲声も、それが数十キロ離れたところを攻撃するためとは、思えなかったのである。

 だが、次から次へと撃ち出される榴弾は、確実にテュバ山麓を耕していった。




「おほほっ。凄まじい威力じゃのうっ!!」

 エルベ藩王国王デュランは、乗機に指定されたヘリから双眼鏡を覗きながら、感嘆の声をあげた。山の中腹が度重なる爆煙に包まれ、新生龍がその衝撃と破壊力によって袋だたきにされている様子が見えた。

「儂も、あれを喰らった時は、何が起こったのかさっぱりじゃったが、こうして離れて見るとよくぞ生きておったと思う凄まじさじゃ」

 エンジン音の煩い機内ではどうしても声が大きくなる。デュランは怒鳴るようにして、隣に座る加茂一等陸佐に告げた。

「陛下には御武運があったのでしょう」

 加茂は、大きく頷きながら返事した。

「武運か?それが、幸いかどうかはこれからのことじゃよ。さぁ、次を見せてくれんか」

「よし。コブラ隊前へ!!」

 加茂がプレストークスイッチを押して、命令を下す。

 すると、並行して飛んでいた二機のAH-1コブラが、速度を上げて前へと出た。2機の攻撃ヘリは、攻撃位置に遷移すると小脇に抱えたTOWミサイルを発射した。

 有線で誘導されるそのミサイルは旧式であるが故に、人間が目標と定めた初見の標的に戸惑うこともなく正確に突き進んだ。

 主力戦車すら撃破する力を持つ天空からの矢を受けた新生龍は、その巨体は大きく弾けさせた。

 炎龍には及ばないにしても、強固な防御力を誇った鱗がいとも簡単に引き裂かれ、肉を露呈しそこから鮮血を吹き出す。連べ撃ちによって、2本3本と対戦車ミサイルを受けた赤龍、黒龍、二頭の新生龍はこうしてデュバ山麓をまな板として、肉塊へと解体されたのである。




「な、何だっ!なんて、こった……」

 一斉砲撃の爆発に巻き込まれたジゼルは、巻き上げられた土砂に半身を埋められながら、子飼いの新生龍が爆発の中に飲み込まれていくのを、呆然と眺めていた。戦いの興奮の中に入ると元々視野が狭くなる傾向もあって、他の一切が目に入らないのだ。

 だから、遠方から飛来する砲弾、ミサイル。その実体の持つ破壊力のみに目を奪われる。何から発射されたかを見ていない。そして誤解する。

「こ、これがイタミヨージの力と言うのか?!」

 もし、伊丹が傍らにいたならば「違う、違う」と大いに、訂正を試みただろう。が、それは適わない。

 さらには、爆音が止んだ向こうから「じぃ~~ぜる~~ぅ?どこにいるのぉ~?」と地の底から響くような声。振り返ると、そこにロゥリィ・マーキュリーの姿があった。

 襤褸切れのようになったフリルスカートを、滞空するヘリのローター風によってたなびかせながら、乾いた血に汚れた腕でハルバートかかえながらジゼルの姿を探している。

 上空のヘリからはロープが下ろされ、普通科の隊員達が次々と降下してくる。降下した隊員達は、食卓に乗った海老か蟹に等しい状態となった新生龍に歩み寄って、それが最早死んでいることを確認している。

 それらを背景としたロゥリイの壮絶なまでの笑みは、背筋が冷たくなるまでに美しく、凄惨なまでの恐怖感をジゼルにもたらした。

「お、お姉さま………」

 震える足で、震える手。ずりずりと後ずさって、見つからないようにと伏せて隠れる。

「まずいぜ。このままじゃ見つかる」

 攻守代わって、今度は自分が狩られる側に回ってしまったのである。

「じぃ~~ぜる~~ぅ?どこにいるのぉ~?幽閉してあげるからぁ、でてらっしゃぁ~い」

 亜神は死なない。逆に言えば死ねない。それは恩恵でもあるが、同時に呪いにも近い。
 腕を切り落とそうが、脚を切り落とそうが、首を切っても死なないのだ。そして傷口を合わせればそこから回復できる。もし、腕や脚を切り離して磨り潰し、焼いたり獣などに喰わせたりすると、切断された端から手足が伸びてくるという始末。

 故に、亜神達の戦いにおける勝利とは、相手の自由を奪うことである。負けた者は、両手両足あるいは胴を腰斬され、時には首だけにされて、解放されるかあるいは誰かに救い出されるまでの数百年の長き時を、神殿などに幽閉されてしまうのだ。

 肉の身体より解脱するまでの1000年間を、ただ地の底に埋められたまま過ごしてしまった神もいる。1000年の長きに渡って、暗黒の地の底に埋葬され続けた亜神が昇神後どのような禍神(まがつかみ)となるか、想像するに難しくないだろう。

 残忍な者に捕らわれて、再生する内蔵を獣に喰われ続けるという扱いを受けた者も実際にいる。肉の身体である以上、快楽もあれば苦痛も受ける。それが摂理だ。だが死なないのだ。死ねないが故に敗北した亜神は、死よりも恐ろしい運命が待ち構えている。

「じぃ~~ぜる~~ぅ?どこにいるのぉ~?」

 ジゼルは、ロゥリィとその傍らに立つ、伊丹、レレイ、テュカ、ヤオへと視線を巡らせた。ヒト種が二人、エルフが二人。普段なら歯牙にもかけない相手だ。なのに、今は勝てる気がしなかった。炎龍を倒し、新生龍2頭を屠ったあの攻撃をしてみせるイタミという男を前にしては、勝てる気が全くしない。

 ジゼルは、逃げることにした。大地に隠れ泥にまみれても、この場から逃れることを優先したのである。





    *     *





 戦いの終わったテュバ山麓。

 第1戦闘団の隊員達が続々と、周囲に降り立つと新生龍の屍体の確認作業を始めた。上空を旋回していた二機のファントムは、二度ほど翼を振ると去っていく。

 また伊丹の報告を受けて、火口内部へと降下した隊員が炎龍の死骸をみつけたことで、テュカの敵討ちは終わったことが確認された。

 災害救助に手慣れた自衛隊らしく、炎龍の犠牲となったダークエルフ達の遺体が火口内部から丁重に収容され運ばれてくる。また、炎龍と2頭の新生龍の遺体は、研究のためにこれから運ばれるということで、玉掛け作業(クレーンで釣り上げるためのロープをかける作業)が進められていた。

 そんな様子を伊丹達は、肩を寄せて座りこけて眺めていた。

 テュカとレレイが伊丹に凭れるように座り、ロゥリィは伊丹の膝を枕に眠っていた。ヤオにいたっては、伊丹の背中に、自分の背中を預けて呆けていた。自らの信じていた神に裏切られたショックは相当なものだったらしい。

 喜ぶにしても悲しむにしても体力が必要だ。これだけ疲れると感情が動かず、ただ、ぼやっとするだけになってしまうのだ。

「生きてるな、俺たち」

「そうね……」

 呟くような伊丹の言葉に、返事を返したのはテュカだけだった。この中では彼女が一番疲労度が低い。戦いが始まる寸前まで、眠らされていたからだ。レレイもすやすやと眠っている。

「やっつけたな」

「うん。敵討ち、したわ」

 テュカは、短く答えた。

「もう、俺のこと父さんなんて呼ぶなよ」

 テュカは、ゆっくりと視線を伊丹へと向けて抑揚に欠けた言葉で告げた。

「嫌」

「なんで……」

「言い慣れちゃったから」

「そか」

 伊丹は、もう、どうでも良くなった。





    *     *





「停職2週間と、減俸1ヶ月………ですか」

 帰還早々、伊丹は直属の上司である檜垣から書類を受け取ると肩を落とした。まぁ、そう言うことになるだろうと覚悟はしていたが、現実に懲戒処分を受けるとなると、これまた別でそれなりに気持ちが沈むのである。

 他の偵察隊隊長達は、伊丹の方に視線を向けないように、そらぞらしいまでに机仕事に没頭していた。

「それに加えて、第3偵察隊の隊長職を解く」

 檜垣が、机の上から新しい書類を取り上げて、伊丹につきつける。辞令だった。

「はぁ」

「当然だな。何しろ、自分の部下を放り出していっちまったんだから」

 檜垣の言葉に、伊丹としては頷かざるを得ない。

「ここまでが処分人事だ」と檜垣が告げる。すると

「気を、つけっー!!」

 背後からの号令に伊丹は背筋を伸ばした。隊長達もみな、一斉に起立して直立不動の姿となった。

 背後から靴音をならして現れたのは狭間陸将だった。狭間の側には黒い盆に賞状紙を乗せたものを掲げる婦人自衛官『達』が続いていた。

「伊丹二等陸尉。一級賞詞が防衛大臣より届いておる。日本人拉致被害者救出の功績を特にたたえてこれを授けるものである」

 狭間は、伊丹に賞状と略章を押しつけた。

「次に、特地の各方面から、いろいろと来ているぞ。まず、エルベ藩王国国王デュラン陛下より、日本国政府宛と、伊丹二等陸尉個人に対しての感状が届いた。炎龍を退治してくれてありがとうだとよ。それにともなってお前には卿の称号が贈られた。お前、こっちじゃ貴族様だな。次に、シュワルツの森のダークエルフ族長会議からも、自衛隊特地方面派遣隊と、お前個人の双方にそれぞれ感状が来ている。お前には、これまた名誉族長の称号と、こいつだ」

 狭間は、伊丹の手にヤオが持ってきた金剛石の原石を、ドスッと押しつけた。人の頭サイズあってずしりと重い。金額に換算したらいくらになるか全く不明だが、下手すると、宝くじに10回連続して1等にあたったくらいの価値があるかも知れない。

「それに、人身売買は日本じゃ重大な犯罪だからヤオって娘の扱いをちゃんとしておけよ」と言って、ヤオの権利証が伊丹に押しつけられる。こちらでは人身売買が行われているので、人間の所有権に関する証書類も存在するのだ。

「それから次はなんだ?ドワーフのルベ村?そこからの感状、レイゾパムってところからも感状。トルーテ村からも感状、どれも炎龍退治してくれて有り難うって奴だな。それと……」

 次々と婦人自衛官が、漆塗りの盆に乗せた巻物とか、紙とかを運び込んでくる。最後の一通が、黒い羊皮紙の手紙だった。しかも、黒いリボンに黒い封蝋で封緘してあつて非常に禍々しい気配がある。

「ベルナーゴ神殿?そんなのあったったけ、まぁいい……」

 賞状に略綬に、ダイヤモンドの原石と、書類の束。そろそろ両腕で抱えきれなくなっているところに来て、こうして羊皮紙の巻物が押しつけられた。

 そして、最後の婦人自衛官が狭間に一枚の紙を差し出した。

「でだ。これだけ各方面から賞賛される仕事をしたお前さんを処分しましたっていうだけでは、通りが悪い。そこで、お前さんに新しい任務がある」

 狭間はそう告げて、辞令を読んだ。

「伊丹二等陸尉。特地深部情報偵察隊、資源探査隊長職を命ず」

「資源探査隊長?」

「ああ。要するに、特地を好き勝手にほっつきまわって役に立ちそうな資源を探せってことだ。お前向きだろう?」

「そりゃ、まぁ……」

「停職期間があけたら、早速その任についてもらう」

 狭間はそう言うと伊丹の肩をトンと叩いて、去っていた。

 皆、伊丹を無視するかのように机に向かっての仕事を再開した。だが、今度はチラチラと、やっかみ分を含んだニヤついた視線が浴びせられていて、なんともこそばゆくて居心地悪い。

「あ、どうも」

 伊丹がそう告げると「馬鹿野郎めっ」と、四方八方から一斉に書類の束が投げつけられた。





    *     *





「ベルナーゴ神殿?」

 ロゥリィは伊丹に尋ねられると、ニヤと頬を歪めた。

「そこってぇ、ハーディの神殿よぉ」

 梨紗の運転するワゴン車の助手席に座る伊丹は、真後ろからのロゥリィの言葉に眉を寄せた。窓の外は、関東地方の郊外の風景が流れていた。畑があり、田圃がある。県道は車の通りも少なく、農道との交差点ではトラクターが土をまき散らしながらのんびりと走っている光景も見えた。

「行くぅ?」

 黒い神殿からの手紙は、伊丹に対する招待状だったのである。
 ロゥリィに問われて、伊丹としては首を振った。特地の神様というのは、どうにもこちら側の常識では測れない存在だ。何を考えているのかもわからないので、伊丹としてはご遠慮したい。だが、ロゥリィは一度は、行ってみるべきだと言った。

「向こうからお呼びがかかったんだからぁ、こちらとしては大手を振って、ハーディの領域に入ることが出来るわぁ。しっかりとぉ、あんたの嫁にはならないって告げてやりたいしぃ、何を考えているか尋ねてみるのもいいわぁ」

「ベルナーゴの手前に、学都ロンデルがある。もし、行くなら同行したい」

 論文の発表と導師号の申請をするとレレイは言った。

「へぇ、カトー老師、博士号を飛び越して導師号を認めたんだ」とテュカは喜んだ。

 導師号とは、免許皆伝のようなもので、魔導師として独り立ちを認めることを意味している。レレイの年齢としては異例のことであるが、炎龍を倒すという功績をもつ魔導師をいつまでも、弟子の身分にしておくのもおかしな話しだということでカトー老師は許可したのだ。

「レレイが導師号を貰うところは、絶対に見に行かないとね」と、テュカも同行することを暗に告げる。

「此の身としては、ベルナーゴ神殿に赴く機会を頂けるなら、主神にしっかりと三行半をつきつけてやろうと思っている。そこで、ロゥリィ聖下にお願いがあるのだが……」

「わかってるけどぉ、ホントにいいのぉ?」

「ええ。是非……」

「どういうこと?」

 テュカの問いに、ヤオは微笑む。

「名乗りを、シュワルツの森部族デュッシ氏族。デハンの娘 ヤオ・ハ・デュッシ。改め、ヤオ・ロゥ・デュッシにしようと思っている」

「うわっ」と、テュカは目を丸くする。

「ああ、話が見えないんだが…」という伊丹の問いに、テュカは解説してくれた。

「例えば、あたしの名前は、テュカ・ルナ・マルソー。このルナは、音楽の神ルナリューを指しているの。あたしは、ルナリューを主神と仰ぐ信徒というわけ」

「なるほどね……で、ロゥってことは」

「当然、聖下のことだ」

「亜神の内に、直信徒をかかえるなんて、前代未聞じゃない?」

「祈りに耳を貸してくれない神などより、直接話を聞いて、言葉を返してくれる亜神の方々の方が、信じるに値する」

 ヤオはそう言うと胸を張った。

「ところで、ロゥリィ。あんた昇神したら何の神様になるの?」

 テュカの問いに、またまた伊丹は解説を求めた。今度は、レレイが答える。

「死と断罪と狂気、そして戦いの神は、エムロイ。使徒が昇神すると、このうちのどれかを分け担う神となるか、あるいはまだ誰も担っていない事象、領域を切り取って守り神となる」

「へぇ………」

「で、何の神様になるの?」

「死かな?」

「戦いではないだろうか」

「断罪が似合う」

「狂気ってのも、ロゥリィっぽいよね」

 こんな予測が飛び交う中、ロゥリィは俯いて頬を赤くしながらボソリと答えた。これによって梨紗を除いた一同はしばしの間、石像になってしまう。

「お~い、みんなぁ。どうしたんだぁ」

 梨紗は、硬直してしまった皆に、声をかけるが誰一人ぴくりとも動かなかった。

 皆をして、ここまでなさしめたロゥリィの答えは「愛……なんて、駄目かな?」だったのである。






「ついたよ~」

 梨紗の言葉で、伊丹達は車から降りた。

 そこは、農村地帯の森を敷地とする、中規模の病院だった。古ぼけていて、築30年は経っていそうな建物ばかりだ。建物の古ささえ我慢できれば、あるいはここは居心地の良い場所なのかも知れない。

「ここに、伊丹殿の母君がおいでか」

「耀司ぃの母親ねぇ?」

「お父さんのお母さんなら、お婆さまってことね」

「…お義母さん」

 伊丹は、なかなか第一歩を踏み出せなかった。そんな伊丹をテュカが追い詰める。

「父親を騙った上に、あたしを騙し抜いて、炎龍退治を強いた罰として母親に会うこと」

 テュカは伊丹を許すにあたって、そのような条件を出していた。もちろん伊丹が、テュカの為に父親を演じたことはわかっている。だが、テュカとしては、いつまでも罪悪感を抱えられて、互いの間に距離をおかれるのは不愉快なのであった。そこで、それとこれとは話は別という論法で、二人の間にあるわだかまりにケリをつけることとしたのだった。

 そんなことも伊丹としては、わかってる。とは言っても、行きづらいのも確かなのだ。

「わかってる、わかってる…」

 伊丹はそう言うと、大きく深呼吸しようとする。だが、そんな伊丹に苛ついた梨紗や、テュカや、レレイや、ロゥリィ、ヤオは「さっさと行けっ」とばかりに伊丹の尻を蹴ったのだった。




[37141] テスト10
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:50


[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 47
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/09 19:37





47





 その夜、帝都南苑宮では、祝賀の集まりが大々的に開かれた。

 参加者は帝室の者は勿論、元老院議員、閣僚、軍人、貴族に列せられる者達。これに加えて、上流に属する豪商などである。そして、主賓として日本国からの講和交渉使節団。そう、この夜会は、特地問題対策担当副大臣の白百合玲子を代表とした日本側使節団を歓迎するものであったのだ。が、同時に彼らと共に帰還した、捕虜15名の帰還を喜ぶ催しでもあった。

 帰還した捕虜は全て貴族の子弟達。彼らは旧知の者に囲まれ、その無事を祝われると共に、異世界に置いて虜囚となっている者達の消息や、預かった言葉などを伝えて大いに喜ばれていた。生存の知らせを受け、いずれ帰って来るとの希望は持てても、我が子、我が家族、我が夫がどのような生活を送っているかを知りたがるのは、人の心情として当然と言えるだろう。

 そんな様子を眺め見る日本政府使節団は、仲介役ピニャと、彼女の通訳としてアルヌスから呼び戻されたボーゼス嬢に案内され、会場の一角を陣取るようにしてまとまっていた。

「何か不思議な気分ですね」

 日本側のプロトコルに従って、華美ではないが、それでいて地味でもないイブニングドレスで身を固めた白百合議員は、帝国側の習慣に従って、床に置かれた分厚い敷物とクッションに凭れるように腰を下ろすと、交渉における雑務等を担当してくれる外務官僚の一人にそうこぼした。

「敵国の首都を交渉場所とせざるをえなかったのは、意志決定と通信手段の格差故とお考え下さい。本当なら中立国、あるいは中立地帯のイタリカあたりが場所としては適切なんですが、いかんせん帝都との連絡に片道12~3日というのは、時間がかかりすぎます」

 外務官僚の答えに白百合副大臣は「そうじゃなくて…」と語尾を濁らせる。

 周りにいる帝国貴族の婦人達が纏う服装の傾向が、日本的な感覚から見ても斬新に過ぎる印象だったのである。

 勿論、奇妙というわけではない。例えば、近世ヨーロッパの上流社会を描いた映画やドラマなどを見ても、ひとつの文化が爛熟期を迎えると、奇抜なデザインが出現している様子が描かれる。それと似て、重くないのか?と問いたくなるぐらい大きな帽子とか、物理的機能があるの?と、問いたくなるぐらい大きなリボンとか、頭の数倍くらい膨らませた髪型とか。変に露出度が高かったり、身体の線が妙に顕わになっていたりと言う感じで、デザインにしても色遣いにしても、まさに色とりどり。言ってはいけないかも知れないが、まるで彼女の息子がよく見るテレビアニメのようだ。そんな印象を抱いていたのである。

「男性の公式の服装が、トーガに似た服装と聞いていたから、古代ローマかギリシャ風を、あるいは中世ヨーロッパをイメージしていたのだけれど……」

 実際、傍らに座るピニャはトーガに似たものを纏っている。それは、女性ながら公職に就く者としてのものであった、このあたりは白百合にはわからないことだ。

「まぁ、この世界はこの世界なりに独自の文化発展をしていると言うことなのでしょう。おっ、皇帝陛下の御入来です…」

 名もない外務官僚はそう言って、白百合の疑問に対する答えを切り上げると、皇帝の入来を知らせた。そして、この帝国の元首をたたえる拍手に参加したのである。






 帝都で華やかなりし祝賀の催しがはじまったころ、帝都から離れることおよそ3リーグ(約4.8㎞)の郊外をひた走る高機動車の車列があった。

 ピニャ率いる騎士団所属の騎士補グレイ・アルドは、揺れる荷台の席にて銃と呼ばれる武器を立てて静かにしている自衛官達を前にして緊張の時を過ごしていた。

 歴戦のグレイとて、戦いの前は緊張する。そんな時、グレイは同僚と共に過度に明るく振る舞ったり、大言壮語したりでこれを乗り越えて来た。多くの騎士や兵達がそうしている。そうしている内に、戦場に到着するのだ。このように沈黙して、何かを待つような緊張は戦場に到着して会敵し、衝突の瞬間を待つ時だけのものである。

 なのにどうだろうか。この場を支配する緊張は、もう戦場にいて敵がすぐそこにいるかのようである。確かにこの鉄の荷馬車なら、瞬く間に戦場に到着するだろう。だが、それだってもう少し、時の過ごしようというものがあるように思えるのだ。

 沈黙の重さについに耐えられなくなって、思わず隣に座る富田に話しかけた。

「トミタ殿。いつもこのような重々しい雰囲気なのでござろうか?」

 車中に差し込む月明かりを頼りに、顔にカモフラージュ塗装を施していた富田は、騎士団からの連絡員として同乗することとなったグレイに視線を向けると、肩の力を抜いて応じた。

「ええ。そうです」

「しかし、あまり張りつめている切れそうですゾ。小官としては、もう少し和気藹々としているのを好むところ」

「そうですね。そうしましょう。……みんな力を抜け」

 この言葉を受けて車中の隊員達は、それぞれにため息をついたり、柔軟体操をするかのように腕や肩を回したりした。だが、かえってぎこちなく見えて、全然力が抜けてないように見えた。

 やがて、車はライトを消した。
 しかしすぐには停車せず、ゆっくり滑るように走る。運転席の倉田は、夜間暗視装置を使用している。故に、ゆっくり走る分には暗くても困らない。

 やがて、高機動車が停まる。
 隊員達は、命令の下達を待って銃を引き寄せる。その際の金属音だけが、印象深く車内に響いた。

「ど、どうされたのですか?」

「シ。もう、戦場です」

 富田はそう告げると人差し指を自分の口元に立てて黙った。これはこの世界でも通じる静粛を求める合図だった。皆が黙るのは、緊張からだけではない。いつ何時発されるかわからない命令を聞き逃さないためでもあるのだ。

 助手席で、第2偵察隊長と無線連絡をしていた桑原曹長が「了解」と告げる。伊丹が指揮を放棄して以来、第3偵察隊は暫定的に第2偵察隊長の指揮下に置かれている。そして、隊長代理として先任陸曹たる桑原は、後方にいる彼の部下達に視線を向けると命令した。

「下車」

 全員で受けた命令を、重く低い声で唱和する。「下車!」

 後部ドアが開かれ、隊員達は瞬く間に車から降りていった。それに釣られるようにして、グレイも続く。隊員達は、腰をかがめた姿勢で進み、立木の影に身を預けて銃を構え、また地面の窪みに伏せて銃を構える。そして、音もなく、静かに進んでいった。

 グレイが目を凝らすと、自衛官達が向かうのは暗闇の向こう側にある小さな建物だった。周囲を見渡すと場所は、小さな集落。どこかの荘園の一角のようだ。その中では一番大きな木造の建物が、自衛官達の目標のようである。

 前方で伏せていた仁科が手を前へと振る。すると、隠れていた隊員達が、静かに進み出す。まさに風のように、そして影のように。

 ある程度まで進んだところで、グレイは富田から前に出ないようにと求められた。

「な、何故であろうか。小官は殿下より、貴公等の戦いの一部始終を見るように仰せつかっておる」

 富田は「貴方の鎧も剣も音がします」と告げた。

 そう言われてみれば確かにそうである。歩くたびに、止まるたびに金属のぶつかる音が耳障りなまでに発せられていた。これに対し、富田を始めとした自衛官達は、まるで音がしない。衣擦れの音すらしないように袖や裾にテープを巻いて、銃は金属の擦れ合う部位に布をあてているのだ。

 グレイは、慌てて鎧を外すと、剣のみを手にする。

「これでよかろうか?」

 富田は嘆息しつつも「いいでしょう」と告げて、自分から離れないように指示して前へと進んだ。

 仁科、勝本、戸津、そして栗林。この4名は銃を構えつつ、建物のドアを挟むよう両側につくと、静かにしゃがんだ。窓の前には決して立たず。僅かな月明かりが作る影すらこぼさない慎重さだ。

 第2偵察隊の隊員達は、建物の反対側に配置済みだ。別の任務についている古田や、黒川、笹川を除いた8名の第3偵察隊は、獲物を追い立てる勢子の役割を担うことになっていた。

 銃口は下に向けている。だが視線は周囲に隈無く配られる。最早、言葉も交わさない。手で指で合図をかわし、ドアを静かに開けると、銃口を起こしつつ室内へと向けた。

 静かに、静かに、静かに。それでいて、素早く。

 闇の立ちこめる、廊下の奥に扉があった。その扉と壁の長方形の隙間から、室内の灯りが漏れている。

 建物の外では、桑原、東、倉田が灯火の点る部屋へと静かに銃の狙いを定めていた。






「スガワラ様?お国では女性でも大臣閣下になれるのですか?」

 篝火の明かりがゆらめく夜の宴席。それは広く、そして多くの人が、談笑し、料理を口にして酒を呑んでいる。所々で、笑い声が上がり、時に歓声が上がる。もちろん、それぞれに身分にふさわしい振る舞いが求められるので、それなりに優雅さを演じているが、皆、場の明るい雰囲気に馴染んでいた。

 そんな中で、突然のようにかけられた聞き覚えのある声。菅原は、誰にも知られないように小さくため息をついた。

 声の主はテュエリ家の娘シェリー嬢だった。先日誕生日を迎えたばかりの12才。物怖じしない積極性と、くりくりっとした瞳が可愛らしい少女だ。今日は、菅原が贈った小粒ながら弱冠ピンク色がはいった真珠を耳に飾り付け、身体全体を華やかな白い花のようなに見せる衣装で身を飾っていた。

 図々しいほどに親しんで来る彼女を、これまで邪険にすることもなく優しく接して来たのは講和派の重鎮カーゼル侯爵との繋がりを得るため。要は子守くらいに思っていたのだ。だが、どうもその過程でテュエリ家に誤解が生じたようである。

 テュエリ家の当主が、どうやら菅原を将来の婿候補と考えている様子なのだ。

 家の中に力のある官僚がいるわけでもなく、将来を嘱望できる軍人になった者もいない。カーゼル侯爵との縁戚筋と言うだけでどうにか貴族としての体面を取り繕っている状況を改善するには、ニホンとの繋がりを強化することで、外交という分野におけるテュエリ家の存在感を高めるしかないと考えたのだろう。

 それはわかる。理解できるのだが、菅原とて30代中盤に入る身なのだ。

 外務省のエリート官僚として、将来を嘱望されている。入省以来、中東、北アフリカときな臭い場所ばかりを歴任して歩きながら、官邸の事務秘書官にまでなったからには、外務省の頂点が視野に入ってくる。

 此処まで来れば、本省に戻って一流企業の社長令嬢といった『お嬢様』級の女性との縁談がいくらでも選べる身分である。もちろん、誰でも良いわけではない。これも外交分野で役に立つ家柄の女性を相手として選ばなければならない。例えば、西欧との関係が深い商社との閨閥だ。これらを背景として官僚のトップを目指すという野望を持っているのだ。その、お相手が、日本と較べて1000年は遅れているように見える未開の国の、しかも12才の少女というのは体裁が悪いばかりか足を引っ張られる。ついでに言えば犯罪であって、その上趣味ではない。大いに遠慮したかった。

 その為に、最近は多忙を理由にシェリー嬢のお相手を断るようにしてきたのであるが、まさかこんなところで出会うとは。皇帝すら列席するような宴席に、12才になったばかりの少女を送りつけて来るとはテュエリ家当主、どうにも侮れない。

「シェリーさん。今夜は駄目ですよ」

 菅原はそう言ってシェリーに背中を向けようとしたが、日本交渉団の一員として纏っているタキシードの裾が引っ張られてしまった。

「スガワラ様。そう邪険に扱わないで下さいませ。スガワラ様が、私のような幼齢の女に興味がないのは存じております。ですが、私とてあと4年もすれば一人前の女。それまでにスガワラ様に似つかわくなってみせますから、どうぞその時をご期待下さい。そして、お国の女性副大臣をどうぞ、私に紹介して下さいませ」

 にこやかにつぶらな瞳を輝かせる。断られるなど少しも思ってない笑みだ。
 これには菅原も頭痛を感じた。

 使節団は皇帝や、大臣等との儀礼的な挨拶こそ済ませたが、まだ、帝国の主立った者と親しく話をするという雰囲気になっていないのである。貴族達は、帰還した捕虜達を取り囲むので忙しく、会場の一角にまとまっているし、大臣連中は会場の反対側に陣取って、こちらの様子を窺っている状態だ。

 だから現段階では白百合副大臣と話をするのが、ボーゼス嬢という通訳を交えた皇女ピニャだけという状態になっている。ピニャとしては立場を弁えてか、積極的に誰かを紹介したり、話をさせたりというアプローチは控えているようだ。この、誰も日本国交渉団に近づこうとしない今こそが、帝国で多くの貴族と出会い、時間をかけて人脈を築いてきた菅原の出番と言える。誰を最初に紹介すれば、場が和やかになるのか。人々かうち解けるのか。菅原は、じっと品定めしていたのである。

 ところが「だからこそですわ、スガワラ様」とシェリーは言ってのけた。

「どうしてですか?」

「帝国の者にとって、ニホンという国はまだまだ未知の国です。大変素晴らしい文物ととてつもない軍事力を有していることは、私のような浅学な少女ですら存じていますわ。とても興味深く、誰もが親しくお話ししたいと思っていることでしょう。ですが、聞くところに寄りますと、ニホンの女性はとてつもなくお強いとか。迂闊に近づいて、うっかり粗相でもしたら殴られてしまうのではと、皆、恐れているのです」

 菅原は会場正面中央の、最上位席の方へと視線を向けた。
 皇帝と、皇太子ゾルザルがいるのを見て、皇帝の面前で大立ち回りをしたあげく、あそこにいる皇太子を素手で半殺しにしてのけた女性自衛官の存在を思い出したのである。自分もその場に居合わせたのだから、非常によく憶えている。

「帝国の貴族間でも、地揺れのあった夜の出来事は、まことしやかに語られておりましてよ。ですが、私のような可憐な少女が、無邪気さを発露してその構えを突破してみせれば、帝国の貴族達も安心して、お国の使節団の方々とお話をすることでしょう」

 シェリーは、肩を揺するようにして「どうします?」と目をパチパチと瞬かせると悪戯っぽい視線を向けてきた。

 こう言われては菅原として降参するしかない。

「わかりました。では、ご紹介しましょう」

「ええ。宜しくお願いしましてよ」

 シェリーは、貴婦人のごとく菅原に介添えを求めて手を伸ばし、菅原は彼女の手を取るしかなかったのである。






「副大臣閣下。お初にお目もじ致します。私はテュエリ家のシェリーと申します」

 シェリーが、白百合副大臣の前に出て、スカートを摘み上げるようにして見事なまでに日本語を操ってお辞儀する情景は、一枚の絵画のようであった。

 スガワラ様とは、日頃から親しくさせて頂いております。という余計な一言がなければ菅原も大いに感嘆しただろうが、この一言で白百合以下、外務省の同僚達の視線が痛く突き刺さる。これらの視線が意味するのは、「お前、幼気な少女に何をした?」という詰問に近いものだ。あるいは「菅原、お前終わったな」という、出世競争の相手が脱落したことを喜ぶものであったかも知れない。

「これは丁寧に有り難うございます。可愛らしいお嬢さん、日本語はおできになるの?」

「いいえ、挨拶だけですわ。閣下」

 白百合は帝国の言葉がわからないので菅原に通訳を求めて、これもまた丁寧に答礼して見せる。実際、このやりとりは、非常に微笑ましいものとして人々の目に映った。会場に居合わせた全ての貴族達は、密かに注目していたのである。これによって、日本国使節団に対する、近づきがたい雰囲気は払拭されることとなる。

 そうなると、シェリーの先例に倣って、多くの貴婦人達が菅原に紹介を求めて来る。あるいはピニャへと紹介を求めてくる。そして、これに続くようにして議員や閣僚達が、それぞれの細君に引っ張られるようにして寄って来るのである。

 日本の外交官達と、帝国貴族の間で相互理解のための会話、そして講和交渉の第一歩はこのような形で始まったのである。






 硝煙の香り漂い、室内には屍が4つ。

 ヒト種あり、ワーウルフと呼ばれる亜人や、トロル、ゴブリンであった。どれも鎧で身を固めて武装していたが、剣を下げているのに抜く暇もなく倒されてしまった。

 生きている者は、それぞれに縛り上げられて部屋の隅へと転がされている。

 既に自衛官達は、室内の物色を始めていた。タンスを開いて中身を引っ張り出し、テーブルはひっくりかえし、棚の物は全ておろす。ツボは中まで手を突っ込み、箱という箱は全てをあける。二重底になっていないか、物差しで中と外のサイズを測るという徹底ぶりだ。

 グレイは、一瞬にして室内にいた敵を打ち倒してしまった自衛官達の力量に驚嘆の思いを感じながらも、自らの剣にこびり付いた血を拭いもせずに鞘に納めて、家捜しに参加した。

 棚から下ろされた荷物、特に文書の類の点検を任されているのだ。

「あった、これだと思う」

 二重底となっていた文箱の底を破ると書類や手紙の束が出てきた。戸津の見つけだしたそれを富田とグレイ、そして仁科が確認する。

「うむ。これで間違いない」

 グレイはその羊皮紙に、フォルマル伯爵家の刻印が入っていることを確認した。フォルマル伯爵家の執事バーソロミューが、横流ししたものの一部であろう。それに商人からの書簡が多数入っている。

 グレイはその手紙を、適当にあけてざっと斜め読みしていく。数枚目で、グレイは声を出して読み始めた。

「これであろうか?……以前より、ご依頼のありましたマツイ・フユキと申す者については、その働きはすばらしく、健康状態も良好であり、ご呈示頂きました20デナリの額ではお譲りいたしかねます。新たなる金額をご呈示下さるか、別の奴隷をご用命下さいますよう……云々」

 要は料金交渉の手紙と言うことである。奴隷商人が、商品の働きがすばらしいとか、健康状態良好などと言うのは、魚屋が「うちの魚は生きがいいよ」と言うのと同じで、値段を釣り上げるための修辞だ。信じてよいものではない。
 仁科は「さて、尋問を始めますか?」、と床に転がっている捕虜を見渡す。

 この手紙が何処の誰とやりとりされていたものか、またこの連中が、どういう思想を持った人間の集まりで、どんなところから資金を得ているの。洗いざらい喋って貰う必要がある。

「小官に任されよ」

 グレイはそう告げると、転がっている捕虜の一人を引きずって部屋から出ていた。

 仁科一等陸曹は「栗林。グレイ氏に付き添え」と命じた上で、第2偵察隊長に無線で捜索していた物が出てきたことを報告した。すると第2偵察隊長は、突入時に建物から逃げ出した者があったことを、知らせてきた。

 現在、その者は馬で帝都方面に逃げていると言う。当然ながら第2偵察隊がこれを追跡している。気づかれないように……。

 仁科は第3偵察隊の面々を見渡して、「獲物が巣に向かって逃げてるそうだ」と告げるのだった。






 宴席もそれぞれに挨拶を済ませ、出てくる料理の半分も減ると場が白けてくる。日本でも宴会も予定時間の半分も過ぎると、最初に座っていた場所からそれぞれ親しい者がいる場所や、親しくなりたい者のいる場所に散って、話し込んでいくものだ。

 ゾルザルも、次から次ぎへとやって来る元老院議員や貴族のご機嫌伺いに、辟易としてしまった態度を隠そうともせず、ぶつぶつ愚痴をこぼしながら料理を口に運んでいた。

 日本との講和交渉そのものが気に入らないと公言してはばからない彼としては、使節を歓迎しての宴会など出たくなかったろうし、次期皇帝として立太子された途端、ちやほやされるようになったことも気に入らないようである。

「ちっ。掌を返したようにおべっかを使いやがる……」

 ゾルザルの吐き出した罵倒に、皇帝は「権勢とはそういうものだ」と言い聞かした。

 追従、おべっかと、至尊の座に座れば誰も彼もが本心をおし隠して耳心地の良いことしか言わなくなる。それに馴れてしまってもいけないが、全てを拒否してもいけない。権力を持つということは、難しいことなのだ。

 全て受け容れることと、全てを拒否することは方向性こそ違うが、自分の考えを持たないという意味で、結局の所同じ。何でもかんでも賛成する大政翼賛と、何でもかんでも批判する反権力の姿勢は、違うように見えるが、実は政治に対して無責任という点に置いて全く同じ態度なのである。故にどちらも信用してはいけない、等々。

 これらは、モルトなりにする息子に対しての帝王教育だった。だがゾルザルの耳に入っても、彼の胸中に何かを刻むことはなかったようである。

「それぐらい承知しております」という言葉と共に、ゾルザルは席をあとにすると会場の若い軍人達の群れに歩み寄り、彼らと肩を抱くようにして親しげに言葉をかわしはじめたのである。

「若い軍人連中と、度々会合の場を設けているようだが……」

 皇帝の独り言にも似た呟きに答える者がいる。皇帝の斜め後方に控えていた内務相のマルクス伯であった。

「はい。殿下に置かれましては、軍部との結びつきをとても重視されているようです。時折あのようにして、親しげに言葉を交わしておられるとの報告が入っております」

「己の統治に自信が欠ける者は、軍事力に頼ろうとする」

「ですが、政権を確固たるものとするために軍権を掌握する。これは間違っているとは申せません。殿下が、殿下のお考えで動かれることは頼もしいことでありましょう」

「それが、あやつの頭部より自然に湧いて出たものならな」

「と、申しますと」

 マルクス伯の問いに皇帝は、僅かに口元を歪めただけで答えようとはしなかった。






 帝国で開かれる宴席では、場の雰囲気を持たせるために様々な音楽や踊りをする専門家が招かれる。話や料理だけでは、すぐに飽きてしまうからだ。

 華やかな踊りや、手品、そして曲芸の披露が終わると、次は、一人の吟遊詩人が招き入れられた。賑やかでやかましいものが続いたので、ここいらでしみじみと静かなものをと誰もが思っていたところにこれだから、大いに歓迎される。このあたり進行役に携わる者の妙味と言えるだろう。

 吟遊詩人は、シタールに似た弦楽器をものを構えると、もの悲しい旋律で爪弾きだした。

 貴族達は静かに耳を傾ける。

 どのような芸であろうと、一旦始まったからには終わるまで見て、耳を傾けるのが礼儀とされているからだ。その代わり、最後まで聞いて、それが聞くに耐えないものであったならその芸人は、文字通り放り出される運命である。



  『子の名を叫ぶ父、その姿に神々よ哀れみを
   母の姿を求めし幼子の声に、神々よ聞きたもう、

   民のすすり泣きが聞こえしか?天地にまします神々よ
   大地に生きし民は、天の恵みに生き、天よりの災いにひれ伏す……』



 シェリーは、冒頭部分を聞いただけで唇を尖らせた。すっかり日本使節団の群れに馴染んでしまった彼女は、菅原や白百合達に混ざり、クッションに半場寝そべるようにしている。

「私、この詩は嫌いです」

 何気なくシェリーの不満が耳に入ったので、ピニャは尋ねてみた。

「何故か?確かに、こうした宴席では似つかわしくないような気がするが」

「だって、凄く気持が沈むというか、落ち込む詩なんですもの。同じ物を前に聞いたことがありますけど、その時も気持の沈むものでした。殿下は、そういうの、お好きですか?」



  『……太陽よ、遍く照らせ、大地をその暑熱で焼くな
   風雨よ、森を育てよ、暴風をもって大地を荒らすな
   氷雪よ、大地を隠すな
   雷よ、大地を抉るな
   雹よ、砂嵐よ、静まりて作物を枯らすな
   炎龍よ、眠り続けたもう

   神々よ、何故炎龍の眠りを妨げる。何故災禍をひきおこす
   母を奪われし幼子のすすり泣きを、父を失いし娘子の嘆き。
   神々よ、民の嘆きが聞こえぬか



 それは天災に対する人々の嘆きの詩だった。

 高貴な者の集まる宴席で、悲しみと苦しみに救いを求める民が居ることを忘れないで下さいという、思いを込めてこのような題目をわざわざ選ぶ吟遊詩人は、時々居る。最後まで聞くという礼儀を逆手に取った一種の風刺だが、あまり喜ばれないし、次の機会には呼んでもらえなくなる恐れがある。それでも、あえてこうした行動に出るのは、それだけ声や、楽器を操る技、そして物語に自信があり、貴族達に聞き入らせる自信があるからに違いない。

 また、彼らの物語の多くは実際に起きた出来事をモチーフとする。そのために遠く離れた場所で起きた出来事の詳細を知るには便利である。そのために不敬とされるほどの内容でなければ為政者達は、それなりの関心をもって聞くことが多いのである。



  『民よ、ただ耐えよ
   天に逆らうな、神々を恨むな、避けられぬ災禍は、頭を垂れてただひたすらに過ぎ去りしを待つことしか出来ぬ
   神々よ、一刻も早く嵐を鎮め、干魃を治め、そして炎龍を眠りへと誘え
   神々よ、聞きたもう、人々の祈りを
   それとも足りぬと言うか。供物が、供犠が、貢ぎ物が。

   民は波頭に翻弄される小舟の旅客。だだ身を寄せ合って、身を寄せ合って、耐えて待つ

   神々よ、何もしてくれぬならせめて、我らに希望を灯せ……』



 だが、たまたま追加の飲み物を運んでいた給仕のメイドが、やはりシェリーの苦言が耳に入ったのかこう告げた。

「お嬢様。この吟遊詩人、この詩の終わり方を変えたんですよ。是非楽しみになさって下さいな」

「あなた、聞いたことがあるの?」

「はい、お嬢様。一昨日、この吟遊詩人が新来舞台に立った時に。きっと流行ると思います」

 新来舞台とは、旅をして流れてきた吟遊詩人が、立ち寄った村や町で、最初にする公演である。口コミを期待して大抵は無料で公開される。そのために、貧しい庶民が聞きによるが、貴族や商人でも新来の挨拶舞台ばかり好んで聞くことを趣味にしている者もいる。

 メイドは、続きを聞きたいのか立ち去ろうとせずに、その場に控える。

 実際、もの悲しさの底をついたように、曲調は少しずつ明るいものへと変わり始める。



  『民よ、人々よ見よ。天を覆う暗幕が一条の光によって切り裂かれしその時を
   永遠に続く夜はなく、過ぎ去りぬ暴風はない
   春の来ない冬もなく、明けぬ夜もない
   人々よ耳を澄ませ、遠く東方の地平からその気配が、その足音が、その声が聞こえる
   光の向こう側から角笛の音高らかに、彼の者が大地に降りた

   民よ、人々よ、彼の者の名を知るや?……』


「緑の人っ!!!」



 会場にいたメイド達が、吟遊詩人の問いかけに黄色い声で叫ぶようにして応じた。吟遊詩人も満足げに微笑んで、メイド達に軽く会釈を返す。



  『そは、神々の寵愛を受けし者。神々の贈り物、希望の光
   民よ、人々よ、彼の者の宝具の名を知るや?』

「黒の鉄槌!鉄の逸物!」



 何人かがこの詩を聞いたことがあうるようで、声を合わせて答えた。この詩は、詩人の問いかけに対して、聴衆が答えるようにして共に歌っていくものらしい。



  『炎龍に襲われ、救いを求めし民あり。その名を知るや?人々よ!』

「コダの民!」



  『緑の人、炎龍の前に立ちふさがり、その牙よりコダの民を救う。
   盗賊に、襲われ滅びに瀕した街あり。その名を知るや?人々よ!』

「イタリカの街!」



  『緑の人、盗賊を滅して、その災禍より街を救う。
   北に捕らわれし娘あり』

「それは、名も無き黒髪の乙女!」



  『緑の人、鎖をうち砕き、それを解き放つ。
   南に、父の仇、討たんとする娘』

「金毛碧眼エルフの乙女!」



  『緑の人、共に手を携えて遂に炎龍を討ち果たす。

   人々よ、天を見上げよ。我らを苛んだ災禍の風が過ぎ去っていく
   人々よ、地平を見渡せ。我らを追い立てた、業火が消え去ゆく
   人々よ、頭を上げよ。我らを包んだ闇が晴れ、青空が広がっている

   さあ、共に喜ぼう、平安の訪れを
   さあ、共に謳おう、希望の喜びを
   そして、たたえよう緑の人を』


 炎龍を討ち果たす……の下りで、貴族の多くがざわめく。吟遊詩人の詩が本当ならば、炎龍が倒されたと言うのだから。

 当然、多くの者が吟遊詩人に問いかけた。その詩は本当かと……いや、嘘だろう、いくら物語でもいい加減な創作をするな、と。だが詩人は、その問いに答え馴れているのか、あるいはその問いを待っていたのか、僅かに微笑むと再び楽器を構えて、緑の人による炎龍退治の物語を奏で始めた。

 それは、滅びに瀕した故郷を救うために、ダークエルフの娘が緑の人を求めて旅に出るところから始まる、延べ一時間に渡る壮大な叙事詩であった。





    *     *





 本来ならば、このような公式の場にテューレは、近づくことすら許されないものである。個人的に娯楽を求めることも許されないから、吟遊詩人の物語りを、彼女が耳にすることもなかった。

 だが、ゾルザルは彼女を宴席からそう遠くない別室に控えさせた。
 ゾルザルは気分1つでテューレを求める。不満なことがあれば、テューレを陵辱し暴力を振るうことでその憂さを晴らし、意気消沈するようなことがあれば、彼女に温もりを求める。そのような時のために彼女は、常に近くに侍ることを強いられていたのだ。

 だから、メイドや使用人達も、彼女がここに居ても居ないかのように振る舞う。

 人気のない部屋の中。することもなく、主が姿を現すか、時が流れるのをただじっと待つ身。そんな退屈への不満が、宴会場からわずかに流れてくる吟遊詩人の声に、ポーパルバニーとしての鋭い聴力を傾けさせたのは仕方のないことかもしれない。

 最近、ゾルザルが寵愛するようになった料理人から、届けられるようになったキャロットクッキーという菓子。所詮、テューレがゾルザルのお気に入りであることを知って、その関心を得たいが為のものだろう。だが、菓子に罪はない。その甘い感触にほんの少しの幸せを感じながら、音楽と、そして詩人の声にじっと聞き入る。

 その詩は、人々の不幸をうたったものだった。

 そうだ、その通りだ。誰も彼もが、我が身に降りかかる災難を耐えながら生きている。テューレは共感の心で目頭が熱くなるのをこらえながら、神々に対してどうにかして欲しい、苦しみや悲しみから救って欲しい叫ぶ歌に浸った。

 故郷を奪われ、同胞からは憎まれる。そんな境遇も、我が身だけではないと思えばこそ、耐えられるのである。だから世界が憎しみあい、殺し合い、悲しみで埋め尽くされることは、彼女にとっての慰めとなるのだ。

 だが……物語はテューレにとって、残酷なものとなった。

 炎龍をうち払い、人々を救ったという緑の人。
 盗賊を討滅し、街を救ったという緑の人。
 捕らわれた娘を救い出したという緑の人。
 そして、エルフの娘を狂気から救うために、そしてダークエルフを滅びから救うために、懇願に応じて立ち上がった緑の人。

「嘘だ」

 もし、そのような者がいると言うのなら、彼の者はどうしてテューレを救わないのか。

 世界に、自分ほど救われる価値のある者は存在しない。自分は同胞を救うために我が身を投じたのだ。だから、何者に比しても自分が救われなければならない。なのにどうして自分はこのような境遇に耐えつづけなければならないのか。神はどうしてこのような不公正をお許しになるのか。

 テューレは沸き上がる憤りと悲しみにわななく。

 自分と似た境遇にあった紀子は救われた。
 たった一人の民を救うために、日本という国は兵を差し向けて、帝国の奥深く宮廷にまで乗り込ん来たのだ。少なくともテューレには、そう見えていた。自分と紀子。二人の境遇の違いはどこにあるのか。その違いに対する憎悪と嫉妬が、彼女の暗い情念をかき立て紀子を含めた、ニホン人奴隷の暗殺を命じた。まだ、結果の知らせは届かないが、この手のことは手間がかかる。焦って急き立てればしくじる恐れもある。だから、矢を放ったなら、その結果は悠然と待つべきなのだ。きっと、紀子とニホン人は残忍な死を迎えるだろう。いや、もしかして今にも死んでいるかも知れない。

「許せない」

 コダ村の住民が救われることも許せない。ならば亡ぼしてやる。
 イタリカの街が救われたことも許せない。ならば亡ぼしてやる。
 そして、エルフの娘も、ダークエルフが救われることも許せない。ならば亡ぼしてやる。
 緑の人の伝説は、民にとって福音ではなく、災厄の始まりであるべきなのだ。少なくとも、自分が救われるまでは。

 もとより、ゾルザルの野望をかき立て、耳に毒の言葉を注ぎこみ、世界を破滅の業火で覆い尽くす。そのためにこそ生きている。だが足りない。それでは足りない、災厄と、悲劇が足りない。何か策を。もっと策を、策を、策を。

 テューレは、いかにして世界を亡ぼすか。いかに人々を苦しめるか。有り余る時間をそのことのみに費やし、呪詛し続けた。

 その事ばかり考えていた。

 だから、夜会が終わったことも気づかなかった。
 いつの間にか、ゾルザルに連れ帰られ「どうして、この俺が敵国の使者を歓迎せねばならぬのだ。しかも女だと?!緑の人だと?炎龍を倒すなどありえん」等という罵倒とともに、憤懣をぶつけられても日頃しているようにゾルザルを満足させるような反応を返すことが出来なかった。

 ただ、歯を食いしばって責め苦に耐え、時が流れるに任せてしまった。

 ゾルザルは、テューレが普段のような自分の嗜虐心を満足させる反応を示さず、ただ木偶人形のようにぐったりとしていることに、ことさら激昂した。嬌声をあげさせようと普段にも増してテューレを攻め抜き、苦痛の声をあげさせようと、殴り、叩き、虐待し、締め上げた。

 だが、どのようにしても思った通りにならないことを悟ったゾルザルは、テューレをベットから投げ捨てるように放り出す。その衝撃に呻いたテューレは、ゾルザルへ恨みがましい視線を向けた。

「ふんっ、木偶が。少しは、反応して見せろっ!」

「……………………………………………………………………どうせ」

 普段見せない、テューレの反抗的な程度にゾルザルは「ん?」と訝しがる。

「どうした、その目は?何か言いたいことでもあるのか?」

「どうせ、わたしの故郷はもう無いのでしょう?!とっくの昔に、滅ぼしてしまった癖にっ!!」

 テューレの悲鳴にも似た言葉に、ゾルザルも流石に怯んだ。少しの間をおいて、「なんだ、知っておったのか」と鼻白む。

「知っておりました。知っておりましたとも、人でなしっ!!」

 テューレがゾルザルにつかみかかる。

「ほう?たかが、亜人の分際でよくぞ言った」

 ゾルザルは、テューレの両腕を強引にねじ伏せると押し倒した。ポーパルバニー故の、意外な力にゾルザルは圧倒されそうになったが、常人よりは体格の良いゾルザルはどうにか組み伏せることに成功した。これまで従順だったテューレの激しい抵抗は、ゾルザルの嗜虐心を高まらせたようだ。

「ずいぶんと健気に抵抗するではないか。これまでと趣向が変わって、楽しめそうだ」

 実際、反抗するテューレをねじ伏せることは、ゾルザルをこれまでになく興奮させた。怯えて震える兎を嬲る肉食獣のような気分になって、ゾルザルはテューレの頬を舐めあげた。

「畜生っ!ひとでなしっ!畜生っ!けだものっ!」

 テューレの悲鳴がゾルザルの寝所に響く。そして、それに混ぜるようにテューレが毒に満ちた一言を放った。それは胸中に閉じこめた憎悪を奸智の炎で煎じ詰めた、呪詛の猛毒だ。

「今は、力ずくで私を犯せばいい。したいだけ蹂躙すればいい。だけどそれは続かない。きっと、緑の人があなたのような者の存在を知ったら、きっと討ち滅ぼすでしょう。炎龍すら倒した緑の人にあなたなんかが、かなうはずない」

 何度も肌を合わせれば、女は男がどんな精神を持つか理解する。

 テューレの知るゾルザルは、外見的には威勢良く、自信たっぷりに見えるがその実は憶病な男である。帝位に就きたいと望んでおきながら、その実、国を統治する自信が全くないのだ。だから口先で我こそは次期皇帝などと言っていても、裏では次弟に皇位を奪われるような隙をわざと作っている。平素の粗暴さがそれだった。愚かしい行動がそれだった。要するに、無意識に帝位を遠ざけようとしていたのだ。

 何故か。帝位に就かなければ己の実力の無さを実感しなくて済むからだ。

 至尊の座につけなかったのは弟の奸智や、卑怯な元老院のせい。自分に与えられるべき物が不埒な者共によって不当にも『奪われた』のであり、自分は悪くない。自分は被害者である、と誤魔化して生きることが出来る。そして、自分が帝位に就いたなら国をもっとよりよい方向へと導いていける、と『可能性という名の果実』を、いつまでも舐っていることが出来るのだ。

 だが情勢は変わってしまった。ついに皇太子となってしまった。

 帝位は目の前だ。目の前まで来てしまった。

 己が望んでいた地位だ。喜ばねばならないと喜んで見せている。だが、だが、だが、だが……それは所詮は虚勢。

 テューレは知っている。ゾルザルが、内心で帝位に怯えていることを。

 自分の政策が次から次ぎへと失敗し、国が壊れ、民の怨嗟の声が沸き上がる。

 無力な本性が暴露され、ありとあらゆる存在が、自分を指さして罵る夢を何度も見ていることを知っている。その時が訪れることを心の底から恐れている。権力に対する渇望と恐怖の二律背反。それがゾルザルを苛立たせ、より粗暴にし、愚かにさせる。

 だからテューレは唆した。夢に怯える子供のようなゾルザルを優しく抱き、その耳に注ぎこんだのだ。毒の言葉を。

「力こそ全て。自分が正しいと信じる政策を、断固として行うためには、反対する者を制するだけの力が必要です。反対する者がひとりもいなければ、貴方の政治はきっと上手く行くことでしょう」

 ゾルザルはそれに乗った。自分が皇帝となった時、反対者の存在を許さないために、絶対的な独裁体制を敷くために、軍権を握ろうと欲しているのである。

 そんな劣等感の塊とも言えるゾルザルは、テューレの一言で案の定は我を忘れる。

 事実を暴く者は、許さない。

 テューレに頬に、頭に「俺に逆らうな。逆らうな」と拳を叩きつけながら、ゾルザルは緑の人に対する怒りを爆発させた。

 炎龍を倒したという確固たる実績に対する羨望。

 自らが欲して得られない、人々からの声望に対する嫉妬。

 心身共に自分の所有物だったはずのテューレですら、緑の人を頼りにして自らに反抗しはじめた。それはゾルザルにとって恐怖に違いない。緑の人の存在に励まされて、自分に不満を持つ者が、続々と背を向け、反抗を始める。そんな幻想が男の目には見えていることだろう。

 ゾルザルは、テューレを暴力で征服する。ねじ伏せる。

 同じように、全てを暴力で征服する。ねじ伏せようとするだろう。

「いいだろう。反抗したくばするがいい。だが、お前は俺の物だ。絶対に手放さぬ。手放してやらぬ。お前の所には、決して緑の人とやらは来ない。来れないようにしてやる。何故なら、この俺が、そやつを、きっと、必ず、絶対に殺してやるからだ。お前のその反抗的な態度が、絶望によってどんな風に変わるか、楽しみにしているぞ」

 こうして、緑の人という存在は、ゾルザルにとっての不倶戴天の敵となったのである。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 48
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/17 09:22
 




48




 
 戦争は始まったら最後、簡単には終わらない。どうやって終わらせるかを考えずに始めることは愚かであると言われる所以である。
 
 誰も彼も戦争を始める時、我が方に正義ありと思って事を始める。それが悪逆であることを自覚して始める希有な例も無いとは言えないが、多くの場合はそうである。故に、殺して殺されるという戦争にあって、殺されたことばかりが敵の罪として喧伝されることとなり、恨みつらみと憎しみを積み重ねて、復讐の念に燃えた青年や、少年や、男や女が、家族や一族、そして民族、仲間の恨みをはらすためと信じて戦いへと没入していく。
 
 現在、世界を覆い尽くしているテロ戦争がそうだ。
 中近東で、いや全世界で多くの民衆を巻き込んでいるテロ戦争は、行き着くところ同じ神様をあがめているはずの、ユダヤ、イスラムとキリスト教徒同士の、言うなれば近親憎悪的争いに端を発している。
 
 争いをなくすにはその原因をみつけなければならない。そしてその原因は、貧困であると言い出す人がいる。残念だがそれは嘘だ。貧困は戦争の理由とは成らない。貧困の原因を誰かの責任だと言い出した時に、争いが起こるのだ。
 
 争いの原因に過去を持ち出す者もいる。
 なるほど、確かに我こそは過去の被害者であると主張する国家、民族ほど、現在醜悪とも言える殺戮をしている例が多い。
 
 例えば、ナチスによる被害を言い立てて、神話を楯にパレスティナの地に自国を持つ権利を主張するイスラエル人。建国する際に、平和に暮らしていたパレスティナ人を虐殺し、追いやり、土地を奪った。そして今なお、抑圧し殺し続けている。それはもう、質量共に昔アウシュビッツの地であったとされる出来事を遙かに越える虐殺となっているだろう。
 
 チベットやウィグルで今、中国がやっていることもそうだ。
 
 ならば、過去を理由にして現在殺す者は、明日殺されることになるということだ。なるほど、彼らは将来殺される側に回ることへの恐怖故に、今なお殺し続けるのかも知れない。
 
 とにかく力の強い者が悪い、と言い出す者がいる。
 アフガニスタンの現状が、さも全てアメリカを始めとする西側先進国の責任であるかのごとく言い立てる左側諸氏などがそうだ。
 
 だがそんな主張を聞くと思うのである。そもそも『平和なアフガニスタン』をメチャメチャにしたのは、諸氏の大好きだった共産主義の大本山たるソビエト連邦であるという事実はどこにいったのだろうと。コミュニストが侵攻さえしなければ、アフガニスタンは今でも平和な国だったのだ。
 
 ま、それを言っても始まらないだろう。
 結局、理屈と膏薬はどこにでも張り付く。盗人にも三分の理。どんな悪行であっても、理屈を上手に操る者はそれを正義と喧伝するのだ。そして、声の大きい者が勝つ。勝った者が正義となる。
 過去は遡れば、どこまでも遡れる。歴史の教科書は、殺して、殺されて、殺して、殺されてという殺伐な記述で一杯なのだから。結局の所、人類の起源にまで行き着いてしまう。旧約聖書に寄れば人殺しの起源は、アダムとイブの息子カインが、自分の兄を殺した時だという。聖書も、さしてページを捲らぬ内にそんな出来事が書いてあるぐらいなのだから、それはもう人間の本質と言うことだ。
 
 戦争は、憎しみ、恨み、名誉、虚栄、生存競争などといった人間の根元的要素が絡み合っておこる殺し合いだ。戦うべき理由はどこにでもあり、そしてそれらは根絶不能だ。全知全能の唯一神とやらが、自らをあがめる信徒に向けて「我が命ずる。戦いを止めよ」と天啓を下さない限り、信徒達はその名を呼びながら戦うだろう。貧困が原因ならば、地上に住まう全ての人間に富をもたらす方法を見つけない限り戦いは無くならず、過去が原因なら、それと決別しない限り人々は自分の物でない恨みを晴らそうとし、自分の物でない恨みを自分の子に植え付けようとする。
 
 故に、和平への道は険しい。
 情緒と過去の連鎖を断ち切り、戦闘中の当事者同士が争いを止めるのは、始める以上の労苦が必要となってしまうのだ。
 
 帝国と日本との講和交渉も、互いに矛を収めようと言う同じ目的に基づいて始められたものではあるが、どのように終わらせるかにあたっては互いの見解の相違が際だっものとなっていた。
 
 帝国としては戦争の終結をするとしても、よりマシな形を選びたいと思っている。すなわち敗北ではない形である。実質的な敗北であっても、内にも外にも敗北という印象を抱かせない、そんな形を志向していた。
 
 対するに、日本側としては戦争の終結に当たって、銀座の真ん中に門を開いて多数の死傷者を出した行為への謝罪と賠償は不可欠で、求められるのは明確な勝利だ。これなくして、日本国民は納得しない。
 
 従って、そこで交わされる言葉は、姿形を変えてなされる戦争となった。
 時に激しいやりとりが交わされ、知恵を絞り、術策権謀を張り巡らせた言葉の戦術が展開される。それは、武器を持ってする戦争のそれと違って、さしたる技術的格差も無いがために、進展したかと思えば後戻りをするという、徒労にも似た繰り返しが続いていたのである。
 
 
 
 
「現状のような軍事的圧力下において、講和の条件についての冷静な論議はとてもできない。我々はとりあえずニホン側に矛を収めることを求めたい。ここで我らは、いかにして恒久的な平和を確立するかという話し合いをしているのだから、仮初めにしても現状で戦を休む協約を結ぶことは、交渉の論旨にもかなうはずだ。実際のところ双方で戦いが行われなくなって久しい。自然に生じたそれを、形としてまとめるのに何を躊躇う必要があるだろうか?」
 
 物事というのは、ホント、言いようである。
 帝国側の論客キケロ卿の言葉は、状況を無視してその文言だけ取り上げてみれば、物事を一義的にしか捕らえない者には、まともなものとして聞こえてしまうという詐術が込められていた。
 
 類似の理論展開は、我々の日常に置いて例えるに、死刑廃止論者などがよくするものとして散見される。曰く「死刑の是非についての現在論議中なのだから、結論が出るまで死刑の執行は停止されるべきだ」と言うもの。
 
 なるほど、理に適っているかのように見える。だが、期限を切らないでなされる議論に結論は出ない。従ってこの論は、議論を永遠に続けることで民意も法律も無視して、実質的な死刑廃止を成立させるための罠と言えるのである。
 
 この手の主張は死刑廃止派のみならず捕鯨など、各種の議論に置いて散見されるので新聞などを読む際は気に留めておくと面白い。
 
 一方、日本側代表の白百合は、講和の条件について論じている最中、都合が悪くなるとこの話を蒸し返してくるキケロに、いささか辟易としていた。太く長い息を吐くと、少し演出過剰とも思えるほどに気怠そうに背もたれに身体を委ねて、低く抑えた声で以下のように答えた。
 
「私たちの忍耐力にも限度というものがあるのですよ、キケロ卿。残念ながら、講和交渉の始まりは平和の到来を約束しません。講和会議を始めて早10日。ここで無駄に費やされた一分一秒が、アルヌスで散華された帝国兵の貴重な人生を蕩尽して得られたものだということをしっかり認識して頂きたい。愚かしい時間稼ぎは、今後浪費されるであろう人命に対する冒涜以外の何物でもありません。勿論、命というものに対する見解の相違が、貴国と我が方との間には大きく横たわっていることは存じております。が、そのようなのんきな態度をとれるのも、きっと失われるのが他人の命と思っておられるからだと私は愚考いたします。ですから、矛を収めることは致しません。私たちは、必要と思ったら、いつでもどこでも攻撃する権利を保有し続けます。明日は我が身と思う緊張感こそが、この会議を実り多きものへとつなげると信じているからです」
 
「それは脅迫ですかな?」
 
「ええ、改めて確認されるまでもなくその通りです。この度の講和会議も、言うなれば勝者たる私たちより、敗者たる帝国の皆様につきつける脅迫なのです。もしかして、別のものだと思いたかったのでしょうか?ならば、今の内に心構えをどうぞご修正下さいませ」
 
「ほほう。我々が敗者だとおっしゃられるか?」
 
「ええ。私たちそのように認識しております」
 
「これは異な事を。我らは、まだ負けておらぬが」
 
「まだ……ですか?」
 
「そうだとも。確かに、我が国は門を失い、アルヌス周辺を占領されておる。夥しい数の将兵をも失った。これは認めよう。だが、戦いその物の決着はついておらぬ」
 
「これは困りましたわ。どのようにしたら敗北を受け容て下さるのでしょうか?」
 
「この首都を瓦礫の山にし、夥しい死者で大地を埋めるがよかろう。貴国には、それをする力はあるのだろうからな」
 
 だがキケロの笑みは、言外に語っていた。それをする力はあっても、したくはないだろう?そもそも出来るのか?と。
 
「ニホンという国は、人道というものを尊ぶと聞く。では、帝都を破壊し、民を殺し尽くすことは果たして人道的なのであろうか。あまり強がるものではないぞ。ニホンの軍に出来ることは、精々、無人の建物を破壊するくらいだ。我々としては壊れた建物はまた造ればよいのだ。それに、この大陸の平和は我が帝国が維持している。帝国のない大陸に最早平和はない。それとも帝国亡き後、大陸全土を包む戦乱を納め、平和を維持するという面倒を、我らに代わってニホンが引き受けてくれるとでも申されるのか?」
 
 キケロは、見事なまでに日本側交渉団の足下を見透かして来た。これには日本側も沈黙をもって応ぜざるを得なかった。技術、戦闘力のいずれにおいて桁外れに優位な日本であるが、戦争にかかるコストも桁外れなのである。現在の日本に、特地の大陸全土を安定させるだけの余裕はない。
 
「そこでだ。我らとしては、現状維持で戦を終わらせることを提案したいのだよ。双方勝ち負け無しの痛み分けと言うことでな。そのために、講和条件の第1項、責任者の処罰についての要求を撤回してもらいたい」
 
 キケロ以下、帝国側代表団はそう言って迫った。
 
 勿論、白百合以下、日本側も負けていない。菅原が白百合に視線で許可を求めた上で腰を上げた。通訳を介す必要のない菅原は流暢な帝国の言葉で、話し始める。
 
「帝国の皆様は、短い間に我が国をご研究なさった様子。感服いたします」
 
 そう言って菅原は、帝国側通訳として控えるボーゼス達語学研修生へと視線を巡らせた。彼女たちが、アルヌスで集めた日本人についての報告が役に立っているのだろう。あるいはピニャの報告も。
 
「ご見識の通り、我が国がこれまで帝国への攻撃を手控えていたのは、帝国による平和が揺るぎ、この大陸の各国が互いに相争う戦乱の荒野となり果てないためでありました。いえ、別に感謝をして頂く必要はありませんよ。所詮は、我々の利己的な都合に従っただけなのですから」
 
 菅原は、人の悪い笑みをキケロに、そしてカーゼル侯爵達へと向ける。
 
「ですが考えてみると、何もその役目は帝国でなければならぬという訳でもないんです。実は最近、我が国は帝国とは別の国と友誼を結ぶことに成功いたしましてね。個人的な考えなのですが、大陸の平和を守る覇権国家たる役目、その国に代わって貰ってはどうかと思っています。これを本国に提案しようかと思っているのですが、皆さんは、どう考えられますか?」
 
 今度は、帝国側代表団が沈黙する番であった。
 
「我が国は、人道的であることを標榜している国家です。故に人々や都市に直接手をかけるようなことはしないかも知れません。ですが、帝国を取り囲む他の国はどうでしょうか?これまでの帝国の有り様を顧みて、それほどの恨みを買っている国はないとおっしゃるのでしたら、これまで通りにどうぞ。ですが、少しでもお心当たりがあるようでしたら、先ほど白百合が申しましたように、この場が、どのようなものであるかの認識を改められますよう、お勧めいたします」
 




    *    *




 
「へぇ、菅原って結構やり手なんだなぁ。ただのロリじゃなかったことか。帝国側は完黙だねぇ」
 
 陸上自衛隊・帝都事務所の所長新田原三佐は、指揮所に据えられたスピーカーから漏れ聞こえる会議の様子にじっと耳を傾けながらそんな感想を漏らした。帝都事務所スタッフの一人、十条三等陸曹は無線機のスケルチ調節摘みをいじりながら、そんな新田原の呟きに応じた。
 
「これで、今日の話し合いも終わりって感じですね」
 
 スピーカーも、会議終了後のざわざわとした喧騒を流していた。
 
 新田原は「ああ。これで、帝国側が、態度を改めればいいけどな」と肩を竦めると、机の上に置いていた書類をまとめ始める。
 
「でも、皇帝は退位するってことで責任をとるつもりなんですよね?なんでまた、その事でゴネるんですかね?」
 
「そりゃ、条件交渉に決まってるだろ。こちらは、これを受け容れるんだから、そっちは、要求を引っ込めろ、あるいはもう少し楽なものに変えろ、とかのな」
 
「でも毎日毎日、よくやるよって感じですね。この後の午餐会では打って変わって和気藹々と話をするってんですから。面の皮が厚いというかなんていうか……、っと忘れてた」
 
 言いながら、十条は思い出したように無線機のマイクを手に取ると、各所へ本日の会議が終了したことを告げた。
 
「CP(指揮所)より各位、状況終了、状況終了」
 
 講和交渉団サポートチームの仕事も、今日の所はほぼ終了である。
 周りに詰めていた外務省関係者とか、特殊作戦群から派遣された連絡員とか、二科(情報)担当なども、皆緊張から解き放たれような顔をしている。湯飲みに手を伸ばしたり、凝った肩を拳で叩いている者などもいた。
 
「おい十条、休憩中も交代でモニターは続けさせておけよ。まぁ、大丈夫だろうけど、お家に帰り着くまでが遠足だからな。それと特戦にも、後段引き続き待機を宜しくと伝えてくれ」
 
 会談場所のここは、敵国の首都だ。どのようなことが起こるか判らないために、交渉団全員が、身体にマイクを取り付けていた。また危急の場合に備えて、特殊作戦群の一隊とヘリが常に帝都郊外で待機している。
 
「でも、これで10日目。いつまで続くんですかね?」
 
「そりゃ、決まるまでだよ」
 
「なんだか大変っすね。勝田二曹がシフト表前にしてウンウン唸ってましたよ」
 
「人手が足りないからなぁ」
 
 新田原は頭をがしがしと掻きむしると、後を十条に任せて自分の執務室に戻った。
 執務室と言っても建物の大部屋に、衝立を置いて仕切っただけだ。要するに指揮所の一角だ。だが、それでも自分の空間と思えるだけで気が休まる部分もあるのだ。
 
 椅子によっこらせと座った。机の上には書類が山となってた。
 最近、運動不足だ。そのせいかベルトの穴二つ分、太った。少し運動せねばと思うのだが此処では無理か思うとため息が出てしまう。この治安の悪い悪所なんぞでマラソンをしようものなら、物盗りか捕り物と勘違いされかねない。地元住民は、「水に落ちた犬は討て」という思考を持つ者ばかりだけに、勘違いして襲ってくるかも知れない。
 
 すると、笹川陸士長が、慌てふためいて新田原の前へとやってきた。笹川は、黒川、古田と共に第三偵察隊から帝都事務所の増強要員として派遣されて来ている。
 
「どうした、笹川」
 
「三佐。大変です、リューが殺されました」
 
「なんだと?!」
 
 新田原は折角座った椅子を蹴飛ばすようにした立ち上がった。
 
「『緑の人の詩』を歌って貰っている吟遊詩人が殺されたんです」
 




 
 伊丹、テュカ、ロゥリィ、レレイ、そしてヤオらが炎龍退治を成し遂げると、エルベ藩王国のデュランや、ダークエルフ達は、その評判を積極に宣伝した。その甲斐あって『緑の人』伝説はエルベ藩王国や帝国の南部地域では、瞬く間に広まったのだが、彼らがそうするには、実はそれだけの必要性があったからである。
 
 例えば、エルベ藩王国のデュラン。彼は、緑の人の声望が高まれば高まるほど、その緑の人の故郷たる日本と結びついた自らの権威と人望を、確固たるものとするのに役立つと考えたのである。これで、王権を取り戻すのに外国の軍を引き入れたという悪評は『外国の軍』が『炎龍を打ち倒した緑の人の軍』に置き換わったことで霧散させることが出来たし、日本側に引き渡すこととなった地下資源の権益も、緑の人の功績に対する報償という形式をとったことで、貴族や人々に認められたのである。炎龍退治の功績とは、それほどのものであるという認識があったからだ。
 
 またダークエルフが宣伝に積極的なのは、緑の人たる伊丹が自衛隊での立場を失わないようにする恩返しの一部だが、それとは別に、炎龍の害によって遠のいた交易商人に再来を促すための安全宣言の意味でもあった。これによって評判を聞きつけた商人がシュワルツの森へと再び足を向けるようになったのである。
 
 だが、帝都までは遠い。積極的に宣伝したとしても、吟遊詩人が帝都で『緑の人』の功績を歌い始めるにはいささか早すぎる。いや、明らかに異常と言えた。やはり、その背景には人為的な要素が作用していたのである。
 
 則ち、日本による宣伝活動である。
 
 『緑の人の詩』は自然発生の噂と違って、『緑の人』の正体をあえて伝えないようにされていた。また、帝国では秘されているような話まで、人々の関心を惹くように織り込まれているのだ。例えば、緑の人に救われた黒髪の乙女の話だ。
 
 こうして情報をわざと詳細不明にすることで、民衆が「緑の人って誰よ」、「黒髪の乙女って何の話?」と知りたがるようにし、その欲求が充分に高まるのを待ってから暴露するという宣伝戦略の手法を取り入れたのである。
 
 この宣伝に求められる効果は、帝国が敗北を認めた際に、民衆が日本に対する敵愾心を持つことを極力抑えることであった。
 
「緑の人の国が相手じゃ、しょうがないだろう」……民衆が、そんな心境になってくれると考えるのは都合が良すぎるかも知れない。が、少なくとも、黒髪の乙女などの醜聞によって、帝国と自分との一体感を持ちにくくし、帝国が敗北したのは、炎龍を倒し人々を救った緑の人の国であるということから、あからさまな敵愾心を持たずにいてくれるのではないかという皮算用が、そこに含まれているのである。
 
 だが、そのための吟遊詩人が殺されてしまった。
 
「一昨日がメディオ、昨日がトラウト、今日がリューです」
 
 新田原は、笹川に詳しい説明を求める。笹川は、現在の状況説明を始めた。
 
「吟遊詩人メディオ(24才)は、一昨日帝都の商業地域にあるタブラン(居酒屋)で、こっちで言うところのライブをしていました。その後、ファンの女性客とともに店を出たところまでは、目撃者が居ます。翌朝、女性客と二人で路地で遺体となって発見されました。二人目の吟遊詩人トラウト(31才)は、昨夜貴族宅に招かれてその帰宅途中で、水路で死体となって発見。そして3人目です。リュー(28才)は、悪所の路上で刺されて死亡しています。その直前まで、街娼と一緒にいたことは証言があります」
 
 自衛隊が、今回の宣撫活動のために手配した吟遊詩人は3名。この3名が、帝都内の各所で殺されてしまったのである。笹川の報告を耳に挟んだのか、事務所勤務の隊員達が続々と周囲に集まって来た。
 
 新田原は疲れたように肩を落とすと、椅子に座り込んて額に手を当てた。
 
「まさかこんな事になるとはなぁ」
 
「どうしますか?また吟遊詩人を捜しますか?パラマウンテに紹介して貰えないか頼んでみますが」
 
 十条三等陸曹が、仕切の向こうから顔だけ出して尋ねて来た。新田原は頷いた。
 
「ああ、頼む。そうしてくれ。ついでに、リューの死体を引き取ってもらってくれ。アルヌスに運んで一応検視してもらおう」
 
 新田原は最初、金回りがよくなった吟遊詩人が、強盗あたりに狙われたのだろうと考えていたのである。が、立て続けに3人となれば、そのような問題ではないことは誰にだって予想が出来る。
 
「緑の人伝説計画の吟遊詩人が、3人とも殺された。2人までなら偶然と言っても良かったろう。だが3人となるといけない。これは、もう何者かによる攻撃と判ぜざるを得ないよ」
 
 新田原の言葉に、笹川も頷いた。
 
「名寄三尉。ボウロの監視状況はどうなってる?」
 
 笹川の後ろに立っていた痩身の幹部自衛官はその質問を予測していた。デリラによる紀子襲撃未遂事件以来、自衛隊は敵対する謀略組織を追跡していた。目指すは、フォルマル伯爵家の執事から伯爵家の通箋を入手し、デリラに偽指令を送った者である。こうして、ボウロという男をつきとめたのであるが、この男から先がどうにも手繰れなかった。
 
「動きは全くありません」
 
「確かに、中に居るんだろうな?」
 
「はい、1日に二度、奴の売春宿に、協力員に入って貰って確認をとってます。帳場で仕事をしているの見たそうです。それに何か動きがあれば、内部協力者からも連絡が入ることになっています」
 
「出入りしている人間の全員チェックってのは出来てないんだな」
 
「女の子20人の売春宿ですよ。1日100人以上が出入りします。現有戦力では、さすがに無理です」
 
「ボウロと接触する人間を絞り込めないか?」
 
「帳場を奴が仕切ってます。つまり客は全員、奴と接触するってことです」
 
「くそっ。講和会議が始まって、こっちに人手をとられているってのに、ゾルザルの監視に、ボウロとか言う豚犬の監視。人手がいくらあっても足らねぇ」
 
 吟遊詩人が三人も殺されたとなれば、新しく手配した吟遊詩人も狙われるたろう。これを防ぐなら護衛をつける必要がある。確実を期すなら自衛官なのだが、こんなことに貴重な人材を使うわけにはいかない。かといって、誰でも良いというわけにもいかない。この悪所内では、信用できる人材を集めようにもやはり限りがあるのだ。
 
 アルヌスには自衛官が山ほど居るが、言葉という点で特地人と意志疎通に問題がない者を探すと、殆どが使えない。これが偵察隊の隊員達が便利使いされる所以なのだ。そして偵察隊員は全員で72名。多少の入れ替えや、別の場面で言葉が使えるようになった者を含めても、全員で100名を越えるかどうかなのだ。
 
 帝都事務所には事務所専属スタッフを除いて、常時2個隊24名を置いて貰っているが、ここ数日の会議の支援などでオーバーワーク気味だ。これ以上は無理である。
 
「とにかく、ボウロの監視を強化する。出入りする連中の追跡調査も全数でなくても良いから出来るだけやってくれ。ゾルザル派の軍人連中の監視を一時的に弛めよう。そっちの人手をまわす」
 
「良いんでしょうか?」
 
「ああ。こうなったら、仕方ない」
 
 ボウロが謀略組織の重要人物であることは間違いないと思われる。
 今回の吟遊詩人殺害も、ボウロが関係しているならば、どこかで動きがあるはず。監視の目を増やしてその動きを察知することに重点を置く。それが新田原の決断だった。
 




    *    *




 
 コダ村からの避難民達は、口を糊するために各地の村や町に散らばって職を求めた。
 
 村長の場合は帝都郊外にある荘園で臨時雇いの農夫として暮らしていた。
 臨時雇いの身の上だが、荘園主が彼の友人と言っても良い程度の知人であったため、それほど悪い待遇でもなかったのである。
 
 仕事の内容は、畑仕事をする奴隷の監督。
 朝日が昇れば起き出して、夕方に仕事を終える。1日が終われば友人に誘われて、濁った安酒と、たわいもない下品なお喋りに興じてその後、寝藁を積んだ床に入る。
 
 実入りなどはほとんど無い。貯蓄も出来ない。が、彼と彼の家族が食べて行くには困らないことを考えると、他の村民達に較べたらきっと良い方なのだろうと思っていた。
 
 人の出入りがほとんど無い閉鎖的な農場のでの生活だ。他の雛民達がどのような生活をしているかの噂すら入ってこなかった。
 
 それまでの生活から切り離された避難民達の生活は過酷であるだろう。過酷であるはずだ。何故なら、新しい環境で職を得て働くと言うことは、とても大変だからだ。コダ村の村民達の多くは、どこにでもいる農夫であり、どこにでもいる職人だ。特別な技術や才能を持つわけではないから、きっと捨て金のような賃金で、下手をすると奴隷よりも過酷な暮らしに耐えているのではないか。村長はそんな風に考えていた。
 
 皆、うまくやっていればいいのだが、と心配はしている。だが、彼自身日々続く穏やかな毎日を維持することで精一杯の気持があった。だから、今の我が身の境遇に、せめて満足しようと思っていたのである。
 
 そんな彼の下に、炎龍が退治されたという話が伝わったのはほとんど偶然であった。
 
 荘園主が収穫の終えた作物を出荷するために、荷馬車を連ねて帝都へと赴く。
 その際、酒の臭いに釣られて立ち寄ったタブラン(居酒屋)で、吟遊詩人の奏でる緑の人の詩を聞く。そして、それを村長に知らせたと言うわけである。
 
「それが本当なら村に帰れるな、よかったな」
 
 肩を叩いて喜んでくれる荘園主の言葉を受けて村長も早速荷物をまとめた。
 もちろん、今帰って元の生活がすぐに取り戻せるわけではない。畑は荒れ果てているだろうし、家だってどうなっているかわからないのである。が、危険が去ったというのなら、村長として、とにかく村の様子を確かめなくてはならないだろう。そして状況を見定めて今後の方針を立てるのだ。
 
 幸い、荘園も農閑期に入った。村長がしなくてはならない仕事もないと言える。こうして家族を知人に預けた村長は、コダ村へと向かうために馬車に乗ったのである。
 
 旅の途中村長は、村や街を見かければ必要が無くても立ちよった。
 コダ村からの避難民達を探すためだ。村を再建する際に、村人達を集めるために消息を確かめて置かなくてはならないのだ。
 
 だが、程なくして彼は愕然とすることとなる。
 
 村人に声をかけ、街の住民に尋ねると、確かにここに避難民達はいたと言う。
 
 緑の人の炎龍撃退の語り部をして、村長も内心穏やかでいられなくなるほどの、余裕のある生活を送っていたらしい。なのにここ数日、コダ村からの避難民の姿が消えた。ただ居なくなったというのならコダ村に帰ったとか、別の街に移ったと考えることも出来るが……ここで、みな周囲に目配りをして声低くした……「コダ村からの避難民は、殺されたりしてるって噂があるよ」と囁いたのである。
 
 次の村でも、さらに次の街でもそうだった。
 
 村長は得体の知れない何かが背後から迫る気配を感じて恐怖した。
 
 このまま、コダ村へと向かうべきか、それとも荘園に引き返すべきか。そんな風に悩みつつ、馬車に乗り込むと馬の手綱をとる。
 
 すると、路地から転がるように出てきた少女と男の子が、村長の元に駆け寄ってきた。
 
「村長さんっ!村長さんっ!」
 
「お前さん達。ドガタンところの」
 
 汚れた顔で、ボロを纏っては居ても二人はコダ村の住民。村長にも見覚えのある子供であった。
 
「探していたんだよ、みんなはどうしたんだね?無事なのかね?」
 
「お父さんと、お母さんがっ!!」
 
 悲痛な響きをともなった声は、多くを語らずとも雄弁に事情を伝えた。村長は素早く決断する。
 
「早く乗りなさい。逃げよう」
 
 子供達を荷車に乗せた村長は、兎にも角にもここから逃げ出すことにしたのである。
 
 慌ただしく村を出て、街道を進む。
 何処に進めばいいのかわからない。わからないが、とにかくここではないどこかに逃れたい一心で、彼は農耕馬を急き立てた。
 
 力はあっても、速く走ることの向いてない彼の馬は、かるくいなないて不満の態度を示した。だが村長の鬼気迫る思いを感じたのか、全力疾走ではないが、普段歩くよりは速い速度で進むことを受け容れたのである。
 
 だが、しばらくすると後方より馬蹄の響きが、聞こえてきた。
 少しずつ、少しずつ、それは大きくなってきた。
 
 村長は、その気配に急き立てるように馬に鞭を当てる。
 
 荷台の子供達も、怯えて互いに抱き合って泣き始める。
 子供の泣き声というのは、癇に障るものだ。特に大人自身、追い詰められている時はなおさらそうだ。村長は子供達に向かって怒鳴った。
 
「大丈夫、儂に任せておきなさいっ!」
 
 怒鳴ったのは、荷馬車の騒音が凄くなっており、普通に喋っても聞こえないからだ。
 
 引きつる表情を強引に笑みの形にしている村長に、子供達はどうにかべそをかくのをやめる。
 
「儂はな、これでも若い頃は戦にも行ったことがあるんじゃよ」
 
 荷車の前から三枚目の床板を剥がして見るように、村長は言う。
 子供達は、言われたままに荷車の床板を調べた。すると、前から3枚目が簡単にはずせるようになっていた。そしてその下には、一振りの剣が隠されていたのである。
 
 村長は子供達から剣を受け取ると、頼もしく見えるように、痩せた腕で力こぶを作ってみせる。
 
 柄に口づけると「戦いの神エムロイ様。儂なんぞどうでもいいから、この子達だけでも守り給え」と祈った。
 
 迫りくる気配は、すぐ後ろまで近づいていた。
 村長は振り返る。すると、街道の後方に、騎馬の隊列が見えた。壮麗な装備、整った2列の隊形を作る一小隊10騎は、盗賊などではない帝国正規軍のそれであった。
 
 故に、一瞬、助けが来たのかと思った。だが、帝国軍が放つ禍々しい殺気は村長達へと向けられていたのである。
 




 
 馬は、もうダメだろう。
 
 全身から血のような汗を流し、既に舌を出しかけている。いつ倒れてもおかしくない状態だった。
 
「頑張るんじゃ。頼む、頑張ってくれっ!!」
 
 死ぬまで頑張れと鞭打つとは、考えてみればとてつもない虐待であろう。もし馬が口をきけたなら長年の酷使の末に、これはないんではないかと恨み言の一つや二つも、罵られるはず。だが、この農耕馬にかけられた3人の命、いやせめて子供2人の命と引き替えならば、許されるのではないかと村長は手綱を握り、激しく鞭打つ。
 
 荷馬車ももう、持たない。
 
 この使い古された荷馬車も寿命が来ているのを騙し騙し使っていたのだ。車軸のギシギシと音を立て、振動は強く激しく増していくばかりであった。
 
 帝国軍の騎兵達は沈黙を守ったまま、村長の荷車を後ろから押し包むように取り囲んでいた。
 
「止まれ」と命じてくるか、矢を放って来るといった解りやすい獰猛さを示してくれるならば、何が起きているか納得できるのである。だが、彼らは何も語らない。感情めいたものを少しも示さないまま、ただ村長の荷馬車に追いすがるのである。それだけだった。
 
 もしかしたら、自分が勝手に怖がってるだけではないか。そんな疑念すら湧いてくる。
 今止まったら、彼らも止まって「何をそんなに走ってるんだ?」などと、平和に語りかけて来るかも知れない。そんな錯覚すら憶えるほどなのだ。
 
 しかし、馬を鞭打つ手を止めることは、出来なかった。
 そして、限界が訪れる。
 
 馬が転倒した。勢いそのままに、荷馬車も馬の転倒に巻き込まれて車軸が折れて、盛大に横転し、砂煙をあげ村長と子供達が大地に叩きつけられた。
 
 全身土まみれ、泥まみれとなった村長は、身体のそこかしこの激しい痛みを無視して子供達を背に庇うと、震えながらも壊れた荷馬車を取り囲む騎兵達の前に立った。
 
「エムロイ様、儂の馬がよう最期まで頑張ってくれました。看取ってやってくだされ。次は、儂の番です。この老骨が最期まで戦い抜けますように、祝福してくだされ」
 
 老人は祈りながら、赤さびの浮いた剣を抜いた。
 
「良いわよぉ。祝福してあげるぅ!」
 
 騎兵の一人の首が飛んだのは、村長の祈りに答えるような声がした瞬間であった。
 




    *    *




 
 うららかな陽射しの特地。
 
 見渡す限り広がる地平線の一点に向かって、高機動車は砂埃を巻き上げながら平原をひた走っていた。
 
 助手席の伊丹は、出発前に上司の檜垣より渡された給料明細を、何度も繰り返して眺めてはため息をついた。減給によって減った数字は、その度に冷酷な現実を彼に突きつけるのだ。
 
 2週間の停職。停職期間は当然のことながら給料は出ない。その上での1ヶ月の減給だから、今月の給料は実に半額以下に減ってしまったのである。
 
 こうなると、流石に伊丹も落ち込まざるを得ない。
 
 確かに、ダークエルフからの報償は受け取った。
 
 人の頭サイズの金剛石、すなわちダイヤモンドの原石だ。
 ところが、これを銀座の高級宝石商に持ち込んで鑑定して貰ったところ、余りにも高品質・巨大すぎて、いくらの値段をつけたらいいか検討つかないと言われてしまったのである。
 
 細かく砕けば、確かに売れる。だが、そんなこと恐ろしくてとても出来ないと言う。この大きさだからこその価値というものもある。それを所有者の都合で無闇に細かく砕くなど、宝石に対する冒涜であるとまで言われてしまった。
 
 だがしかし、これだけ大きいとつく値段も半端ではない。表現としては『天文学的』という言葉があるが、これを遙かに越える『電波天文学的』な数字がついてもおかしくないと言う。
 
「断言しても宜しいのですが、支払い能力があるような個人は国内にはいません。買い手はきっとアラブの王族とか、ユダヤ系の財閥とか、ビルゲイツとか、そんな方になってしまうでしょう。流石に、私どもにもそのようなコネクションはございませんので、軽々にお引き受けすることはできないということでございます。ダイヤモンドのシンジケートを通じて、お問い合わせはしてみますが、果たしてどんな返事が来るか、いつになるか皆目見当が付きません」
 
 宝石商はそんなことを良いながら、震える手で原石を伊丹に押し返したのである。
 
 だがあくまでも庶民な伊丹にとって、幾らの値が付くかわからない石っころより、今日明日の預金通帳の残高の方が、切実な現実であった。
 
「はぁ……」
 
「いつまで、落ち込んでるのよ!過ぎたことをクヨクヨしないっ!!」
 
 何度目かわからないため息をついた伊丹の肩を、テュカはそう言って叩いた。
 
 彼女は、無蓋の高機動車の中央に立ち上がって、両手を大きく拡げていた。
 
 流れていく風を全身で受け止めると、飛んでいるようにも思えてとても気持ちが良いという。たなびく彼女の髪は光を受けてキラキラと金色に輝いていた。
 
 服装は、翼竜の鱗を編み上げた鎧を纏っている。その色は見事なまでの若草色。
 商品にするには小さすぎる鱗を掻き集めてアルヌスの子供達が手ずから編んだものである。実は、炎龍退治の出発の際に贈られたものなのだが、折角の箱を開けなかったためにその存在に誰も気づかなかった餞別であった。
 
 そんなテュカの後ろで荷物をごそごそとやってるのはロゥリィ。
 テュカ同様に翼竜の鱗を加工した鎧を纏っているがその色は漆黒。その下にこれまでの神官服を纏っているが、鱗の突き出た雰囲気を気に入ってか、アクセサリーの類を増やしていた。黒い革のチョカー。ブレスレット。長かったスカートは、弱冠短いにして、全体として、パンクな雰囲気が増強している。勿論、ハルバートについては従来通りだ。
 
 彼女は興味本位に、荷台に積みこんだ荷物を覗き込んだり、引っ張り出したりしていた。先の炎龍退治の際に子供達から餞別として贈られた鎧に気づいていれば、もう少し楽な戦いが出来た。少なくとも痛い思いをしないで済んだと愚痴をこぼしていたから、それに懲りてのことらしい。
 
「なにぃ、これぇ?」
 
「それは、指向性散弾」
 
「これは何に使うのぉ?」
 
「照明弾。夜に打ち上げて少しの間明るく照らすんだ」
 
「ふ~ん。こっちの箱は食糧ぅ、これは弾薬ぅ。こっちの箱は薬かなぁ?……これぇ、なぁにぃ?」
 
「そ、それは!なんで、んなもん入ってるんだ?」
 
 伊丹は、ロゥリィが取り出した箱に絶句した。
 
「聖下。薬箱に入ってるんだから、医薬品ではないのですか?」
 
 ヤオの言葉に、伊丹は、「それは、その、あの……」と窮してしまった。確かに、薬局で売っているしろものではある。
 
 ロゥリィは早速開けてみましょうとばかりに、セロファンの包装はがすと、紙の箱を開いた。すると中から出てきたのは、円盤状に丸めあげた状態で真空包装された、ゴム製品1ダースであった。
 
「伊丹殿。顔色を察するに、これが何に使うものがご存じであろう。宜しければ教えてくれないか?」
 
 そう言って迫るヤオの鎧は、彼女の肌に合わせたような褐色に塗装されていた。
 
 ヤオの瞳に笑みの色が浮かんでいる。どうも、答えにくいものであることを承知で尋ねている、そんな雰囲気だった。
 
 これはまずい。
 もし、用途を説明すれば、何故ここにそのようなものがあるのかという話になる可能性大であった。
 
 誰かが勝手に入れたという真実は、ここにいる女性陣に通じるだろうか。
 下手をすると、何故このような物が必要なのか、必要な時がある予定なのか?それは誰と?……と、ずるずると追い詰められてしまう虞(おそれ)がある。だから、ここは決して答えてはいけないのである。
 
 窮地に陥った伊丹を救ったのは、運転席でハンドルを握っていたレレイであった。
 伊丹は、人目がないことを良いことにレレイ達に運転を教えて、交代でハンドルを握らせていたのだ。
 
「左10時の方向」
 
 レレイの言葉を受けて、伊丹は話を逸らすようにして双眼鏡を彼女が指さした方角に向けた。ヤオとテュカはしつこく伊丹に問いかけてきたが、ロゥリィは切り替えも早く伊丹と同じ方向へと視線を向ける。
 
「馬車が追われている?盗賊か?」
 
「祈りの声が聞こえたぁわぁ」
 
 気の早いロゥリィは、ハルバートの刃を覆う革の鞘を取り払って、運転席の後ろ、つまり高機動車の右側に立った。ロールバーにハルバートを立てかけると、黒い革手袋をはめる。掌だけを覆う指のない手袋だ。
 
「レレイ、進路を砂煙が上がっている方向に」 
 
「了解」
 
 ハンドルを軽くきって、アクセルを踏み込むレレイ。
 
 高機動車はさらなる加速を始め、流れていく風は暴風にも似る。
 
 レレイは、魔導師のローブを纏っていた。その下には、翼竜の鱗を編んだ胴鎧で身を固めているのが、たなびく裾の合間から垣間見える。彼女の容姿にも、弱冠の変更が加わっている。少し髪が伸びて、ピアスを附け始めたことである。瞳と同じ色のグリーンの翡翠が、彼女の耳朶を飾っていた。
 
「襲われているのは荷馬車ね。襲っているのは帝国軍?!」
 
 テュカの鋭い視力が目標の様子を捕らえた。
 
「なんだって、どういうことだ?」
 
「襲われているのは、年寄りと子供よ。お父さん」
 
「どっちに味方するのだ?」
 
「当然、荷馬車ょぉ」
 
 テュカは自分の荷物から、弓を取り出した。東京で購入してきた機械式のアーチェリーだ。
 
「ヤオ、弓は使える?」
 
「とうぜんだ」
 
 テュカは、機械式の弓を矢と共にヤオに渡した。自分は、古くから使われている通常の弓矢を引っ張り出す。
 
「レレイ。連中の左側を、駆け抜けてよねぇ」
 
 ロゥリィはそう言うと、ハルバートをバットのように振りかぶる。
 
「荷馬車が転倒したわ、レレイ、急いでっ!!」
 
 テュカの言葉に、レレイはさらにアクセルを踏み込んだ。倒れた馬。そしてそれに巻き込まれたように壊れている荷馬車。取り囲む帝国兵達。全てが、凄まじい勢いで近づいてくる。
 
 ロゥリィが、ハルバートを振りおろしながら怒鳴った。
 
「良いわよぉ。祝福してあげるぅ!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
**************************


本日は、職場より投下します。
舞さんには、とても感謝しています。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 49
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/24 10:33




49





帝都南宮

 次期皇帝として立太子を宣下されたゾルザルは、皇太子府を正式に開府した。

 その目的は現皇帝からの譲位がなされたら、速やかに帝国の全権を掌握し政務に遺漏無く取りかかれるよう、次期閣僚に予定する者に現閣僚からの引継を受けさせることにある。

 だが、ゾルザルには受動的に帝位が与えられるのを座して待つつもりはないようである。それは、皇太子府に集まった閣僚達の意気込み溢れた姿からも、窺い知ることが出来る。

 野心に溢れた少壮の文官と将校が、金糸銀糸で縫われた壮麗な出で立ちに身を包んで立ち並ぶ皇太子府の見事な様は、豪華さという一点で現皇帝の閣僚を凌駕していた。見る者は、さながら絵画のようだと語る。

 皇太子ゾルザルの入来が告げられ、広間の扉が大きく開かれた。

 広間に集まった閣僚、文官、そして軍務に携われる気鋭の将校達からの視線が集まり、ゾルザルはその間に開かれた道を威風堂々と進む。

 少し遅れてテューレが付き従う。彼女の位置づけは、あくまでも皇太子の所有物である。が、そうであるが故に皇太子の所有物にとしての礼遇が皇太子府において与えられていた。

「殿下、ニホンとの講和交渉の件、どのように取りはからいましょうか?」

 ゾルザル政権において、閣僚の首班兼内務相の内示を受けているムサベ男爵は、早速前へと進み出て慇懃に頭を垂れながら指示を請うた。

 現在の実権は現内務相マルクス伯爵にあり、公式にはムサベ男爵には何の職権もない。

 だが、終わりの近い現政権と、次期権力者の双方が並び立った時、下に立つ者はどちらに従うだろうか。現権力者には逆らえない。だが、次期権力者に逆らっても睨まれればそう遠くない将来、自己の立場が危うくなってしまうのだ。そんな心理から保身が働いて、二重権力の状態が起こりうる。

 ムサベはそんな現状を利用して、現在進んでいる講和交渉にどんな影響力を行使するかを問うているのだった。

「今しばらくは、好きなようにさせておけ。俺が全権を掌握するまで、もう少し時間が必要だからな」

 だが、ゾルザルの決断は放置であった。

 それはある意味、どのような結果が出ても、それに自分は捕らわれないと宣言しているのと同義でもあったから、場に居合わせた将校や文官達は声低くどよめいた。
 皆、講和会議の行方に国の将来を案じて憂慮していたのだ。講和会議に携わる閣僚や議員を売国奴だと罵ってすらいた。それだけに、ゾルザルの強気の姿勢には誰しも頼もしさが感じられたのだ。

 ゾルザルは颯爽とマントを脱ぐと、傍らに控えるテューレへと押しつける。そして皇太子府の主座たる席へ腰を下ろした。

 テューレは仮面のような無表情さでマントを受け取ると、役目に従ってこれを抱えたまま傅いた。

「ヘムル、ミュドラ、カラスタ」

 3人の将校の名前が呼ばれる。
 将校達の最前列に立っていた彼らは、前に出るとゾルザルの前で膝をついた。

 中央にヘルム子爵。右にミュドラ勲爵士、左にカラスタ侯爵公子。

 ヘルム子爵は、ピニャ率いる騎士団の第一期卒業生でもある。

 帝国軍に正式に所属してから頭角を現し、地方反乱や、蛮族の討伐などで著しい功績を納めているが、敵を根絶やしにして、敵の根拠地を焦土とするような苛烈な戦いぶりで知られている。その積極的な戦いぶりで兵士の信頼も高く、実力名声共に兼ね備えた軍人と評されていた。

 ミュドラ勲爵士は、上流商人の三男として産まれ、軍に置いても物資の手配や輸送と言った事務部門で堅実な力量を示してきた。その仕事の進め方が、一部で高く評されているが、横流しや商人との癒着という噂もたえない。だが、実務に置いては問題を起こしたことはなく、必要な物資が必要な場所にあるという仕事ぶりは、それらの悪評をうち消すに充分であった。これらの功績から勲爵士の称号が与えられている。

 カラスタ侯爵公子は、先の二人が実務派ならば門閥を代表する軍人の一人と言える。侯爵家の長子として権門に産まれた彼は、ある意味手柄を必要としなかった。それだけに危険な戦場に勇んで進むこともなければ、他人を蹴落とすこともなかったのである。一部ではたまたま手にした功績を他人に譲ってしまったという噂もあったほどだ。

 その為なのか、あるいは温厚とも言える人となりの為か、周囲にいる過剰すぎる自負心を持つ同僚や、野心家、性格のきつい連中とつき合っても角を立てず、彼らを納得させるという不思議な才能を有している。気性の荒い上司の下にあれば、苦情を引き受けて、角が立たないようにこれを伝え、幕僚が二派に割れて対立するような時は、間に立って仲裁する。そんな調整役とも言える役割を果たして来たのである。

 この3名が、ゾルザルを軍事面において支えることとなる。

「ニホン国の使者は、我が方の休戦の申し出を断ったそうだ。つまり、今なお戦争は継続しているということになる。さて卿らに問う、何か打つ手はないか?」

 ゾルザルからの問いを受けて、ヘルムは頷いた。

「まともに戦ってはかなわない相手です。となれば、いささか常道に反した方法を採らざるを得ません。邪道あるいは、卑怯とされる行為ですが、宜しいでしょうか?」

「かまわん」

「かしこまりました。ならば、敵を充分に引っかき回してご覧に入れましょう」

「ほう、どのようにする?」

「ニホンという敵は、民衆を愛すると聞き及びます。ならば、盗賊に身をやつし、アルヌス周辺の街や村、隊商を襲います。畑を焼き、家畜を殺し、井戸には毒を入れましょう。こうして東、西、北へ、南へと、駆けめぐり徹底的に荒らして回ります」

「焦土戦術だな。だが、敵の侵攻を誘発せぬか?」

「いいえ。あくまでも、これをするのは盗賊で帝国軍ではございません。故に帝国は知らぬ存ぜぬ……」

「なるほど。だが、そうなればニホン軍は躍起になって追うであろう。どうする、戦うのか?」

「戦うなど滅相もない。フォルマル伯爵領へ一目散で逃げることにします。あるいは隊商に変装して敵でないフリをいたしましょう。鎧を脱いで村人の間に隠れましょう。あるいは国境を越えて隣国へと逃れましょう」

 ゾルザルもこれには虚をつかれた。彼ですら、そのようなことしていいのか?という思いで、目前の部下を見直してしまった。敵と出会っても戦わず逃げ、さらには隣国へと逃げ込む。挙げ句の果てに、鎧を脱いで服を変えて商人や農民のに身を窶して隠れるなど、これまでの軍人にはない発想であった。

「フォルマル伯爵家は、ピニャ殿下の庇護の元ニホンと帝国の間に立つ中立地帯です。ニホン側としては、簡単に戦力を入れるというわけにも参りますまい。無理に押して入れば協定違反となり、双方の間は険悪なものとなりましょう。他国に関しても同じ事」

「だが、あの地にはピニャの騎士団が駐屯しておるぞ。それはどうする?」

「そちらには、帝国軍である旨、堂々と名乗ってみせればよいだけのことです。また、私にとってはかつての古巣でもあります故に、多少の融通が利きましょう……」

「う~む」

 こんなこと、帝国ではまともな軍人の考えることではい。だが、たしかに有効と思われた。ニホンは、盗賊を追って東へ西へと奔命に疲れるだろう。

 民の間に隠れて襲えば、疑心暗鬼から間違って民衆を攻撃する可能性だってある。そうなれば民衆はニホンを敵視するようになるだろう。フォルマル伯爵家との関係にも、楔を打ち込むことが可能になる。そうなればピニャも仲介役だからと講和の席で黙って座っているわけにも行かなくなって来る。

「いっそのこと、敵の装いを模して、集落を襲ってはいかがでしょう?」

 ミュドラの言葉に、ゾルザルは膝を打った。

「うむ、それはいい手だ。汚名は敵に着せよ。いっそのこと、都市の一個も焼き払わせよ。さすれば敵は民衆と帝国の二つを相手せねばならぬ。今のような傲慢な振る舞いも、続けることは出来まい」

 ゾルザルは、腰を上げる。

「ヘルム。早速、麾下の兵を率いて帝都を出立せよ」

 ヘムル、ミュドラ、カスタの3人は、一礼するとゾルザルの前から退出していく。軍人達の半数近くが3人に続いていった。

「次に、ボグダム次期法務次官。先に指示した件の進行具合はどうか?」

 文官の列から白髪の青年が「はい」と進み出た。

「リュニース特別法の件でございましたら、既に現法務官より、流言の認定をとりつけました。コダ村の住民を浄化するための兵も、先日各地へと進発してございます。数日後には任務の完了をご報告できることでしょう」

 ゾルザルは満足げに「よし」と頷くと、傍らのテューレへと視線を向ける。

 テューレは感情をすっかりと閉ざした表情で、床へと視線をおろしていた。その姿は、ゾルザルの恐ろしさに緊張している。あるいは、希望がうち砕かれていく様に恐怖しているようにも見て取れた。それが彼を大いに満足させたのだった。





    *     *





 疾駆する高機動車。後に続くのは、巻き上がる砂塵。

 まるで大きな篩いに乗せられて、揺さぶられているような荷台で、コダ村村長と子供達は、転がり回ることを抱き合うようにして耐えていた。波形にプレスされた、金属の床面は膝を着くとゴリゴリと妙に痛くて子供達は涙目だ。

「れ、レレイ、少し揺れが凄すぎるんじゃが……」

「我慢して」

 村長の申し出を無碍なまでに一蹴したレレイは、前方一点を注視する。

 ハンドルを握り、素早くアクセルとブレーキを踏み換える。
 絶妙なまでのアクセルワーク……とは言い難く、高機動車の車輪は路面を捕らえきれなくなり、後輪が慣性に従って大きく滑り出す。

「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!滑ってるっ、滑ってるっ!」

 助手席の伊丹が叫く。ほぼ同時に、世界が横に回転を始めた。

 荷物の間を転げ回る黒いフリルの塊ロゥリィ。巻き込まれて「きゃ~~!」という叫びと共に転倒するテュカとヤオ。荷台にも座席はあるが、とても座っていられない。

「はぁひぃ~、せ、世界が回るぅ~」

 仲間の苦情もなんのその。レレイはハンドルをがっちり握り締めて、視野の旋回が止まめると同時に、再びアクセルを踏み込んで速度をあげた。

 その加速で、伊丹の身体が椅子にぎゅっと押しつけられる。

「れ、レレイ。もっと速度を落とせっ!!無茶だっ無茶だってっ、てかあぁぁぁぁぁぁぁああ~、ごほっ、とほっ、がはっ!」

 急な減速、そして再加速。路面の凸凹で車体が激しく跳ね上がり、衝撃で尻や背中を打ち、舌を噛み損なう。

 伊丹の心からの叫びに、レレイはチラと視線を向けるだけだ。

「急げば、ジェリコで間に合うかも知れない」

「だからって、事故ったらどうすんだっ!?」

 レレイは、焦る気持ちを抑えられないのか、ひたすらアクセルを踏み込んだ。

 加速して、加速して、ひたすら加速する。そして急な減速と共にカーブへ強引に突っ込んでいくのだ。そしてコーナーリングに失敗しては、何度もスピンして停止する。車体が横転しないのが不思議なくらいであった。

「地面の状態と車輪の摩擦の関係、曲路侵入時の速度と車体の安定の関係は把握済み。転倒するようなミスはない。もう少しで路面を滑りながら曲路を進む方法を開発できる」

 伊丹は、背筋が寒くなると同時にレレイにハンドルを預けたことを大いに後悔した。要するに、ハンドルを握って僅か数日の姫ドライバーが、ラリードライバー並みのドリフト走行を身につけると宣言しているのだから。

 ハンドルを握ると性格が変わる奴というのは、よくいる。が、レレイがそうだったとは思わなかった。これまでの彼女に対するイメージは、怒ったり感情を高ぶらせることの少ない冷静な娘と言うものだった。魔導師・賢者といった理知的な印象の職業に就いていることも、それを助長している。

 が、どうやら、内面はものごっつ熱い女のようであった。

 いや、以前からもしかしたらという予感めいたものはあったのだ。ちょっとした言動の端々に妙な違和感が感じられていたから。が、きょうこの時ほどはっきり思い知らされたことはない。そう、確認した。理解した。明瞭に把握した。この女の乏しい表情と冷たげな肌の下には、熱いマグマみたいな真っ赤な血潮がどくどくと脈打っているのだ。しかも、今に至っては大噴火寸前のマグマのようだ。

 もちろん、レレイがこんな風になったのは何もハンドルを握ったからと言うだけではない。それなりの理由がある。

 トリスタ、ペタ、カスタ……村長達を拾った付近の街や村では、既に手遅れであったのだ。駆けつけた時にはコダ村避難民の姿は、消えていた。

 捕らえた帝国兵を尋問すると、何組もの騎兵が放たれたらしい。こうしている今も、避難民達は捕らえられ殺されているかもしれない。その思いが、レレイを激しく急き立てている。

 問えば、彼らの行動は帝国法務官による正式な命令に従っただけと言う。

「くっ……流言を流布する者を捕らえて、浄化せよと言うご命令だ」

 剣を突きつけられた帝国兵が語った罪状は、流言の流布であった。

 流言の流布罪。

 提唱者の名を冠して、リュニース特別法と呼ばれている。
 あきらかに事実ではない出来事をもって、民心を動揺させる行為を禁ずるとともに、これに対する峻厳な処罰を定めた法律である。だが、その法律は帝国の司法関係者すら、忘却の彼方に置き忘れたような代物でもあった。

 今を去ること100年ほど前、数多の神々がおわすこの特地でも、かつて唯一絶対の神などという架空の存在を語り、他の神々を邪として否定する信仰を唱える者があらわれた。

 人は何のために生きているのか。何をしてよいのか。何をしてはいけないのか。死後の幸福は約束されているのか。これまでの神々は、これらに明確な答えを与えなかった。いや、明確な答えなど無いと告げるかの如き振る舞いしかしないのだ。

 人々は神々の意志を推し量ることに飽き、亜神方の気まぐれにも似た振る舞いにつき合うことに疲れてしまったのかも知れない。人間に対しても明確な戒律をつきつける絶対者のような存在を求めたのである。

 これに応えるようにして現れた絶対神は、人々に明確な戒律を示した。奪ってはならない、殺しては成らない、犯しては成らない……16条にわたる戒律に従わなければ世界に終末が訪れると囁き、正しい信仰に目覚めない者は、終末の後に罰を受けるなどといった不安をあおる方法で、帰依を誘ったのである。

 民衆は、わかりやすいものに従う。
 自らの人生に不安を持たない者などいない。死と、死後の暗黒に恐怖を抱かない者などない。これから逃れたい一心で、死後の楽園を説く教えに帰依したのだった。

 だが信徒には信仰の証として様々な義務が課せられた。献金、労役、そして布教活動。そのために過激なほどの勧誘活動がおこり、他の神々に対する信仰を激しく攻撃するようになった。こうして、大陸の各地で激しい宗教対立が起こった。

 帝国元老院は、この教団の存在を問題視すると流言の罪を制定した。

 自分達の信仰を聖として、そうでないものは邪悪とする一方的な態度と、彼らの布教方法が反社会的であると断じたのである。特に信徒達が、16ケ条の戒律は、同じ教えに従う者に対するものであり、そうでない者に対しては、奪っても良い、殺しても良い、犯しても良いと判断し、そのように振る舞ったことも大きい。

 これによって世界の終わりと、その後の審判を主体とする唯一絶対の神ーの信仰は禁じられ、神殿や神像が破却、信徒は棄教が命じられた。そして、これに応じない者は、老若男女を問わずことごとくが浄化という名の処刑がなされることとなったのである。

 こうして、唯一絶対神は、信じる者とともに人々の間から消えた。

 リュニース特別法を記した法典もその役目を終え、帝国図書館の奥で年月によって降り積もった埃に埋もれることとなった。だが、それを今更掘り起こした者がいる。あまつさえその者は法務官に、コダ村の人々が語る緑の人の話を、流言と認定させたのだ。

 4つのタイヤを、次第に制御下に置きつつあるレレイ。
 彼女は、高機動車を横滑りさせながら、とうとう道なりにヘアピンカーブを曲がりきった。慣性ドリフトの成功である。

「く、車って、横にも走るのね」

 テュカが、打ち付けた頭を撫でながら言った。

 水の枯れた川。灌木の間。そして、小山の麓。
 道無き道を踏破するのは高機動車ならではの走破性能と、摩擦、慣性といった現象を把握し終えたレレイの驚くべきテクニックの連合、その結果だ。一度ドリフトを成功させると、見る者が驚くほどの速さで応用を展開し、悪路を次々と駆け抜けていく。

 伊丹は地図を見ながら、レレイに告げた。

「このペースなら、日暮れ時にはジェリコに着けるぞ!」

「それでは間に合わないかも知れない」

「レレイっ、右!!」

 後ろからベッドレスト越しに、青い顔をしたテュカが顔を着きだして右側を指さす。

 右側、遠方。地平線近くに、小規模の騎兵集団が見えた。

「ど、どうするぅ?」

 レレイはバックミラー越しに仲間の顔を見渡した。
 いささか振り回し過ぎたようでみんな青い顔している。ロゥリィなんぞは、転がり回り過ぎて目をぐるぐると回しているくらいだ。健気にもハルバートを掲げあげようとしてるが、この状態では何処に振り下ろすかわかったもんじゃない。戦うのは無理だろう。

「今は、ジェリコに向かう」

 あの一隊をなんとか始末しても、別の一隊が進むかも知れない。ならば、今は先回りしてコダ村の住民を救わなければならない。

 レレイは、路面状況を見極めると、さらにアクセルを踏み込んだ。

 水冷直列4気筒OHV4バルブターボディーゼルエンジンの咆哮が、さらに高鳴る。高機動車は、騎馬隊を軽く追い抜くと、遙か後方へと蹴落としたのだった。






 ジェリコの街に到着するとレレイは、街の中心街まで高機動車を直接乗り入れた。

 耳目を避ける為にこれまで控えてきた行為だが、急いでいる今そんな悠長なことやっていられない。街の人々の、驚いたような視線が集中して浴びせられる。

 馬が牽かないのに自走する荷車。しかも、けたたましい音をあげてかなり速い。そんなもの誰も見たことがない。だが、話には聞いたことがあって誰もが思い当たった。

「緑の人だ!」

 人々が周囲に集まって来る。

 ところが、彼らが見たものは期待したような颯爽とした英雄然とした騎士などではなく、車内で青い顔して呻いているヒト種の男とか、伸びているエルフ、目を回している神官服の少女、そして老人や子供達であった。

 レレイはそんな人々の間を抜けるとジェリコの街をざっと見渡した。
 立ち並ぶ木造の家。軒を連ねる厩舎、そして鍛冶や、各種の露店。商店。そして行き交う荷馬車。
 そんな雑踏の中から、人の集まりそうな場所に見当をつけると慌ただしく走り出す。

「…………ヤオ、悪りいけどレレイについてってくれ」

 伊丹の指図に、ヤオの反応は早かった。
 皆と同様に青い顔をしていてもダメージは比較的軽かったようで、彼女は「わかりました」と頷いてレレイの後を追った。

「頭が朦朧とする」

 伊丹は呻きつつ助手席から降りると、苦痛を訴える臀部の凝りをほぐしながら荷台へと頭を突っ込む。

「みんな、生きてるか?」

「何とか生きてるわぁ」

「父さん、父さん、まだ世界が動いてるわ。世界がぐるぐるって……」

 村長は、呻きながら這うようにして高機動車から降りると、ふらふらと危ない足取りながらレレイの向かった方向へと歩きはじめた。



 一方レレイは、街の人に尋ねながら一軒の居酒屋を見つけると飛び込んだ。

 店から出ようとしていた適当な人に「コダ村から避難してきている人はいますか?」と問いかけると指さされた方向で、女給が鼻歌なんぞ歌いながら床を掃除していた。

 おばさん然とした女給。恰幅がよく見えるが、別に太っているわけでもなくて、体格が良いのだ。そんな女給は、威勢のいい早口で言い放った。

「気の早い奴だねぇ。まだ、準備中だよっ!……ってあんた、レレイじゃないかっ!?」

 女給は、メリザであった。
 レレイは、メリザの顔を見ると「間に合った」と歩み寄って手を取る。

「久しぶりだね。元気にしてたかい?カトー先生は相変わらずかい?」

 メリザの問いに頷いて答えつつも、すぐに自分の用件を切り出すレレイ。

「今すぐ、逃げ出す支度を」

 メリザは、苦笑すると手を振る。掃除の手を休めることもなく、掃き寄せるゴミを見ながら言った。

「何を言ってるんだい?いつもながら愛想も説明も足りない子だね。あたしらはあんたみたいにおつむの出来がよくないんだ、ちゃんと説明してくれなきゃ、わかんないよっ!それとも、今度はこの街に炎龍がやって来るとでも言うのかい?」

「違う、帝国軍」

「帝国軍?なら良いじゃないか。客が増えて、今日も商売繁盛さ」

 レレイは上手に声が出ないことに今更ながら気づく。余りの疲労で咽が乾いているのだ。絞るようにしてどうにか「帝国軍が捕らえに来る」と告げることに成功した。

「誰を?」

「あなた達を」

 メリザはそれを聞いて手を止める。だが彼女は「なんで?」と肩を竦めた。メリザはこれまで人様に後ろ指をささせるようなことはしたことがないと言って、掃除を再開する。

「お前さんの言うことだから、嘘だとは思わないけどね。きっと何かの間違いさ。話せば解ることだよ。こう言う時は、慌てて逃げ出すと、かえって良くないことになるもんさね」

 レレイには、もう告げる言葉が見つからなかった。

 危機の到来を予告しても、聞く側が真剣に受け止めないかぎり、どうすることも出来ないのだ。レレイはそのもどかしさに途方に暮れる。

 だが、「メリザ。レレイの言うように支度をするんじゃ」という村長の声が入ると事情が一変した。

「儂も、危ういところだった。ドガタンを憶えているか。子供達を残して両親は帝国の奴らに殺されてしまったそうじゃ。連中は聞く耳持っておらん。もう時期に追っ手が来る。今すぐにでも此処を立ち退ねばどうなるかわからんぞ」

 その言葉に、メリザもようやく事態が深刻であることを悟った。
 血相を変えて箒をその場に棄てると、この街に借た自分の家へと走り出す。

「待つんじゃメリザ。この街に、他の者はどのくらいおる?!」

 村長も、メリザに続いて街へと出ていった。
 彼女からこの街にいるコダ村の者の消息を聞いて、手分けして知らせに走ろうというつもりのようである。
 残されたレレイは、崩れるように座り込んだ。

 気が抜けた瞬間、今更のように疲れが追いついて来たのである。






 結果からすれば、レレイの懸命な疾走は、コダ村の避難民の多くを救うこととなった。

 帝国兵がジェリコに到達した時には、既にコダ村避難民達は村を脱出することが出来たからである。

 帝国兵はジェリコの住民に彼らがどこに逃げ去ったのかを尋ねた。

 だが、緑の人を噂する者は殺されるということを知った住民が、正直に答えるはずもない。さらに足跡などの痕跡を追ったとしても追いついた際に、「違うだよ、儂等はベヘラン村の者じゃよ」など言って、それを証明する書類を提示されてしまうと、咎めようがなかった。

 もちろん、戸籍制度のない世界だ。正式に身分を証明する書類などはない。彼らが提示したのは、ドゥガティにあるエムロイ神殿へ信徒が旅する際に持ち歩く巡礼札であった。これは旅の途中あちこちにある神殿や修道院で保護を受けたり、泊めて貰うことが出来ように依頼する、神官発行の書面である。通常は居住する地域にある神殿で発行して貰うために、身分証的な効力を持つものとして扱われていた。

 羊皮紙と思えない薄手の用紙に書かれたそれは、書式はちゃんと整っていた。しかも記されているのは使徒ロゥリィ・マーキュリィの爪印であって、疑義を挟む余地がなかった。

 あえて言うならば巡礼の旅をしているには紙が新しすぎるように見える。ベヘランの村なんて名前、聞いたこともなければ場所も知らない。が、帝国兵が国内全ての村や集落名を記憶しているわけではないし、紙が新しいことが、疑いの理由となるにはいささか弱すぎるのだ。しかも、この爪印を確認した上で無碍に扱ったとなれば、どのようなことになるか、考えるだに恐ろしい。そちらの恐怖の方が大きかった。

 こうして帝国兵達は、彼らを放置して次の町へと向かうことになる。そして、もう何処へ行っても既にコダ村の住民達がいないことを知るのである。




「うぅ、腕がぁ。腕が痛いのぉ」

 高機動車の荷台に机代わりとした弾薬箱。その前で、ペンを握った右腕を、左手で庇うロゥリィ。周りには何枚もの巡礼札が散らばっていた。

「おお、ご苦労様」

 ロゥリィの腕や肩は、短時間で大量の巡礼札を書くという、馴れない労働で著しく固くなっていた。伊丹はそんな凝りを優しく揉みほぐす。ロゥリィの表情は、なにげに気持ちよさそうだ。

 時々「あんっ、もっと下ぁ。そ、そこっ。そこいいわぁ。もっと強くぅ、お願いぃ、もっとぉ、もっとぉ……」などと言って、結局体中のマッサージを要求している。

「巡礼札の偽造なんてして大丈夫なの?」

 そんなことを尋ねながらも、インスタントのお茶が入ったホーローのカップを差し出すテュカ。ロゥリィはそれを受け取ると口に運びつつ答えた。

「大丈夫よぉ、偽造じゃないからぁ。ほとぼりが冷めるまでみんなには巡礼してもらうしぃ。それにぃ、コダ村も今日からベヘランって名前に変わったのよぉ。だから本物の巡礼札よぉ」

「詭弁……」

「と言うより、詐欺の一種ではないか」

 等と言いながらも札を掻き集めて、村長に手渡すレレイとヤオ。村長はそれを恭しく受け取ると笑みを浮かべた。

「いや。こういう事になっては、もうコダ村は名乗れません。ですから丁度良いです。聖下の御命名を頂いたと言うことで巡礼が終わったら、ベヘランという名前で村を再建することにします」

 村長はそう言って自分の家族の分となる巡礼札を受け取ると、ドガタンの子供達を連れて家族の待つ荘園へと向かうのであった。







 数日後、次期法務次官ボグダムは、震えながらゾルザルに報告した。

「で、殿下、ご報告申し上げます」

 文官の列から進み出た白髪の青年をゾルザルは一瞥する。ボグダムの顔色は悪く、何やら具合が悪そうに周囲には見えた。

「じ、実はリュニース特別法の件でございますが……不逞な流言を流すコダ村の者は、もう、居なくなりました」

 告げてからボクダムは罵声を浴びせられると思って身を堅くした。
 コダ村の者達を浄化しようにも、中途で居なくなってしまったためにゾルザルの命令を完遂することが出来なかったのである。勿論、彼の責任とは言い難いが、これを報告する身としては痩せる思いである。

 だが、意外なことにゾルザルから帰ってきたのは満足げに頷く「そうか。よし」という言葉であった。

 ボグダムは、すぐに気づいた。
 これは報告する者と、これを受ける者との間で、理解の解離が見られる典型例だと。「コダ村の者は、もう居ない」という言葉を、ゾルザルは浄化が終了したと理解したのだ。

 だが、今更これを訂正することは、ボグダムには出来なかった。ゾルザルの満足げな笑みががかえって恐ろしくなったのだ。喜ばせた上で、機嫌を損ねるようなことを告げたら、ただ叱責されるだけでは済まないように思われるのだ。

「どうした?」

「あ、いや。何でもありません」

「ならばご苦労。下がって良いぞ」

 ボグダムは恐る恐る後ずさる。その震える様を見て、ゾルザルは「具合が良くないのか?医師にかかって診て貰っておけ。お前には、今後も引き続き働いて貰わなければならんからな」等と、いたわりの声すらかける。

 周囲の官僚達は、ゾルザルの最初の命令を見事完遂して目をかけられることとなったボグダムに嫉視の眼差しを向けた。

「は、…はい」

 こうして白髪の青年は命令の遂行を満足に行うことも出来ず、誤った理解を放置するという二重の間違いを犯してしまったのである。





    *     *





東京

 栗林菜々美は、アナウンサーの仕事を干されていた。

 生中継本番中にやらかしたミスから、お前ちょっと担当はずれろと言われて、今ではしがない雑用係の身の上である。あの日あの時、あの瞬間に戻れるものならばやり直したい。仕事を忘れて、ついうっかり自衛官の姉貴との私的なお喋りを全国生中継してしまったのだ。しかも姉貴が漏らした内容が、報道局の偉い人のカンに触ったらしい。外国の偉い人と仲がよいらしく苦情を言われたとか、言われなかったとか。

 おかげで、原稿の校正、コピー、お茶くみ、局に届く葉書の整理、タレント宛の小包を調べて開封する係。(カミソリが入っていたり、汚物が入っていたり、時に爆発する虞もあるのだ)、裁判の整理券取り、下調べ、ついでにアナ室の掃除等々の毎日だ。

 女と見れば、つまみ食いすることしか考えないプロデューサーなどは、出番のない彼女を見つけると不躾なまでの視線を胸に向けつつ「オレと、一晩つき合えよ。次の企画にクイズ番組があってさ、アシスタント役を探してるんだよね」等と仕事を臭わせて誘って来る。が、正直それだけはゴメンなのだ。

 いや、本当ならこの手の誘いもチャンスなのかも知れない。

 この世界では、欲望まみれの男を手玉にとってこそ成功の道も開けるのだろう。実際、力のある男のキン○マ握って、番組を好きにしている局アナとかもいると聞く。だけど、栗林家の者は身持ちが堅いのだ。身体的な特徴とかざっくばらんな性格のせいで、思春期を迎えた頃から姉共々遊んでいると思われて来たが、内実は正反対。二人とも、至って古風な考え方をしている。神棚に向かって手を合わせ家訓を唱和して曰く、「目指せ良妻賢母。貞淑たれ。正々堂々と」なのである。

 だから、変に色目使って媚びたり、自分の身体を餌に仕事を回して貰うというのはちょっと違うと思っていた。不器用かも知れないが今は伏して、チャンスを待つ。我慢我慢、やせ我慢である。

 そんなこともあって、今日もバケツをぶら下げ、モップを抱えて階段を上がっていく。足取り軽く、さわやかに「おはようございます」と挨拶を交わしながら。

 そんな彼女の前方、右斜め上。つまり階段の上から報道局のディレクターとプロデューサーが列んで降りてきた。

 菜々美は、さっと階段の隅に寄って道をあけた。

「おはようございます」

 テレビ局の挨拶は、朝も昼も夜も夜中も「おはようございます」だ。だけどディレクターとプロデューサーの二人は彼女に目も向けない。会話に夢中で通り過ぎて行く。

「いよいよ、特地に入れることになった、と言っても誰を送るんですか?一応、戦地ですよ」

「絵的には女がいいんだけどなぁ。誰か居ない?」

「ちょっとねぇ……国連監視団と一緒でしょ。聞いた話じゃ、相当危ないところにも行くってことですよね。下手すると傷物に成りかねませんからね、なかなか手を挙げる娘はいませんって」

 ロシアの南オセチア侵攻の際は、女性アナウンサーが、ロシア軍から銃撃されて倒れるシーンが全世界に流れた。ロシア兵が乱射しながらカメラに迫ってくるシーンには戦慄を憶えたメディア関係者が多い。そんな記憶もまだ鮮明なところに加えて、銀座事件では民間人が標的となって多大な犠牲者が出た。

 いろいろと差し障りがあるため映像は流してないが、そこには悪魔が饗宴をした跡としか思えない戦慄の光景が広がっていたのだ。一部の映像はアングラに流出してしまい、問題になりかけたほどだ。そういった意味では報道関係者にとって特地の帝国軍は、何をしでかすかわからないという恐怖を感じさせる存在なのだ。

「カメラは活きの良い奴が立候補してくれたぜ。女子アナにはそういうのいねぇのかよ」

「わたしなんかどうでしょ?」

 傍らからの声に、ディレクターとプロデューサーの二人は足を止めて、視線をあげる。

 二人の目の前に立って、右手を挙げているのはいるのは、モップとバケツをさげた巨乳の女子アナであった。

「あんたが、行く?」

「はい。行け、と言って頂けるなら」

 栗林菜々美は、そう言って朗らかに笑った。






**********
本日も職場より、おはようございます






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 50
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/30 16:39




50





 音楽の神ルナリューは楽聖と評されたエルフが、昇神した者であると神話に残されている。

 そんな存在を自らの守神とするくらいだから、テュカも音楽を非常に愛していた。

 コワンの村に居た時はリュートに似た月琴という弦楽器を、常に傍らに置いていた程である。なのに彼女はそれを特技であると誇らない。

 何故ならば、彼女にとってはそれは普通のこと、だったからだ。

 例えば、呼吸をすること、体を動かすこと。これらを特技と主張しようとする者はどれだけ居るだろう。それが出来ること自体は自慢にならないだろう。楽器を扱うことや芸事の類は、エルフにとってはその程度の扱いなのだ。さらに彼女らは、他者との比較をしない傾向がある。全くしないとは言わないが重きを置かず、尊ばない。

 理由としては、やはり長命だからである。
 しゃかりきにならなくても、楽器なんてものは時々取り出して弄くっていればいずれ上達するくらいに考えている。

 今、充分な力量に達しないのは、始めるのが遅かったからぐらいに見ている。今優れているのは、充分に時間をかけて習得したからだ。故に、今、優れてるか劣っているかで評価しても無意味と見なす。

 だから、たまたま立ち寄った街の雑貨商で、埃を被った月琴を見つけたテュカが懐中の銀貨数枚を取り出してそれを求め、高機動車の荷台で演奏を始めたのは、自分の手慰みで音楽を楽しむ為だった。それが好きだからでしかない。ついでにヤオが、テュカに合わせるようにして葦笛を取り出して吹き鳴らすのも、レレイと伊丹が調査の仕事をしたり、ロゥリィが信者の礼拝を受けている間の、暇つぶしの為であった。

 それが、街を行く人々の足を止めさせて、聞き惚れた者が周囲に人だかりをつくったあげく、喝采を叫ぶほどのものであったとしても、彼女たちは賞賛を求めていたわけではないが故に、さして嬉しいとは感じないのだ。もちろん人々に、音楽を楽しんでもらえたこと、喜んでもらえたことについては嬉しいと思うが、我が技量を誇ったりはしない。

 ヒト種の名演奏家がわき目もふらずに10年あるいは20年かけて身につけた技術、技法をエルフは、片手間の手慰みで100年とか200年くらいの歳月をかけてゆっくりと習得する。そして、ヒト種が寿命の全てを尽くしても絶対に到達できない境地に、数百年の歳月をかけていずれたどり着いてしまうのだ。

これに対抗できるとすれば、天才と呼ばれる者だけだろう。そして、エルフのなかで天才が現れれば、もうヒト種には抗することは不可能と思われる。唯一の救いは、エルフが芸事にかかわらず、学問、武芸等諸事全てに、さして熱中しないということだ。

 だからこそなのだ。一芸に秀でるために日々努力を重ねるヒト種からは、エルフは鼻持ちならない高慢知己な奴と酷評されてしまうことになる。

 そんな訳だから、学芸の都ロンデルでは、テュカとヤオの二人はあまり歓迎されないだろう。良くて居心地が悪く、最悪で不快な思いをする可能性もある。

 想像してみればいいのである。
 講義を受けるだけで殆どの内容を簡単に理解し、余暇を楽しみながら試験になれば上位の成績を維持し、難関の最高学府入学を果たしてしまう。そんな奴を、必死になって成績をあげようと努力しているガリ勉がどう見るか。もちろん、エルフがそんな知能を有しているわけではない。学習能力について言えば、ヒト種とそう大差はないのだから。だが彼ら、彼女らの長大な寿命が、学ぶことに時間をかけることを許すため、凡俗たるヒト種は劣等感に近い感覚を覚えてしまうのだ。

「そんなのあたし達の責任じゃないわ」

 テュカは月琴を爪弾きながら、歌うように嘯いた。

 伊丹の運転はレレイのそれに較べればはるかに優しく、流れていく風は穏やかだ。テュカは、そんな風が気に入ったようで非常に上機嫌であった。そんなこともあってか彼女の歌声は、胸の奥がむずむずしてくるほどに美しく響く。

 まさに他人がどう思うか知るもんかという超然とした態度。

「そう言うところが反感を買うのかも知れないね……」

 伊丹は、レレイの懸念を聞いてさもありなんと頷いた。が、口に出しては言わなかった。ま、一時的な滞在であるし自分がいれば、多少の災難ならはね除けられるとも思っているからだ。

 対するにロゥリィは「お前が言うか」という思いを乗せた視線をレレイへと向けている。
 凡人が20年30年の歳月をかけても得られるかどうか解らない導師の称号を、若干15才にして得ようとしているのだ。テュカやヤオ同様に、いや二人以上に白眼視されること請け合いであろう。

 小さなため息をついているレレイ。彼女は、自分がテュカとヤオに向けるのと同じような眼差しをロゥリィから受けていることに気づかないようである。

 そんな互いに心配し合う微妙な雰囲気が、伊丹には微笑ましく思えた。
 ここは1つ、気の利いたことを言って場を和ませたいところだ。だが、そこで何かを言おうとして、ふと我に返った。

「上手い言葉がない……」

 そうである。伊丹には、女性と軽妙な会話を楽しむセンスと言うものが不足していた。しかも、この特地ではネタ話をしようにも、根底になる共通の知識がないから通じない。

 例えば、レストランで出されたスープに蠅が浮かんでいたらどうするか、というジョークがある。「中国人はこれを蠅ごと飲み込み、アメリカ人は他の料理を完食して置いてそれを理由に料金を踏み倒し、日本人はどうしたらいいか本社にメールで問い合わせ、韓国人は日本人のせいだと言って日の丸を焼く」のだそうだ。

 これらのネタは、この話を聞く人間が中国人とかアメリカ人とか、日本人とか韓国人について一般的な知識を持っているからニヤリと出来る。ところが、アメリカ人とか、中国人を知らない人は、こんな冗句を聞いてもわからない。当然笑えない。

 ちなみにネタ話のネタ元が、古典文学や詩だと高尚な教養人と言われ、シーロックホームズシリーズからの引用だと、シャーロキアンと呼ばれ、マンガやライトノベルズだと、オタクと言われる。時に、源氏物語とか古典文学を題材にしたアニメやラノベを引用したら、これは高尚な教養人と言われるのだろうか、それともオタクだろうか?一度、瀬戸内寂静さんあたりに尋ねてみたいところだ。

 さて、そんな伊丹の無言の葛藤は、空気が読める女性達には大いに伝わったようで4人分の「どしたの?」という物問いたげな視線が浴びせられた。

「いや、こう言う時は何か上手いことを言って、気分を盛り上げたりしたいんだが、気の利いたセリフがなくてな」

「あらぁ、残念ねぇ、じゃ……」

 何か言い続けようとしたロゥリィを押し退けるようにして、テュカが「じゃあ、こんなのはどう?」とばかりに、「音楽のしらべは、流れる風のごとく。健やかなる乙女の息吹。耳朶をくすぐるは恋心の詩…」など、やっつけ仕事な感じで月琴を爪弾きながら歌う。

 ヤオとロゥリィが苦笑の視線をテュカへと向けた。

「やめてよぉ。誰の心も打てなかったって自殺するような詩人を引用するのはぁ」

「高尚すぎで俺にはわからんが、今のは笑うところなのか?」

「イタミ殿。今のは、場を盛り上げようとして、かえって凍り付かせたお寒い詩人ボウマンを題材にしたネタ話だ。自爆ネタに近い」

 ヤオの解説を受けて、伊丹はようやくテュカに揶揄されたのだと気づいた。

「なるほどねぇ」

「時に、問いたいのだが、御身が盛り上げたかったのは、誰の気分だったのかな?」

「え?みんなだけど……」

「惜しい。ここは、嘘でも『お前だ』と言っておくべきところだな」

「そうよぉ。そうすればぁ、それぞれが『お前とは、自分のことねぇ』と好意的に誤解するからぁ。一度に複数の女を喜ばす秘訣はぁ、多数を相手しているのにぃ、その実は自分に心が向かっていると誤解させることよぉ」

 ロゥリィの言葉に伊丹は幻想を見た。それは、籠の下につっかい棒をして、その下にマ・ヌガ肉を置くような、あからさまな罠だった。だが、場を盛り上げるならここは乗ってみせるところだろう、と伊丹は早速態度を改めた。

「気分を盛り上げたかったのは、『お前』だよ」

 すると四人の女性は意地悪そうに笑うと次のように問いつめてきた。

「へぇ。『お前』ってぇ、だぁれぇ?」

「『お前』って、誰のことかしら?」

「誰のことを指して『お前』と言ってるのか、教えてもらえるだろうか?」

「『お前』って誰?」

 ま、当然だろう。ここまでは予定調和だ。ここで、どう答えるかが器量が問われるところだ。今の伊丹としては、ここはあえて外す。伊丹は前方を指さして誤魔化すように言った。

「あっ、街が見えてきたぞお。あれがロンデルかなあ?あはははは」

 丘の稜線を越えて、突然見えてくる都市。家や建物がまだ小さく見えるから、まだ距離としては遠いのだろうが、それらが密集する都市は視界いっぱいに広がっていた。

 しばしの沈黙。その空気の重さは、自殺したとか言う伝説の詩人ボウマンが作り出した寒さに匹敵するかも知れない。これをネタに暫し伊丹を嬲ってやろという気配が、ロゥリィとテュカから漂ってくる。が、レレイの裏切りによって二人の目論見はあえなく瓦解する。

「そ。あれがロンデル」

 近づくとその都市の大きさがさらに実感されてくる。なかなかに大きな都市だ。

「ロンデルは、歴史のある古い街……」

 レレイの解説に寄れば、ロンデルが建設されたのは、今よりもおよそ3000年ほどの昔になるらしい。帝都よりも深い歴史を持つその街は、周囲を取り巻く国の名前が次々と移り変わる中にあっても常に変わることがなく学問の中枢でありつづけた。数多の賢者と数多の魔導師が世界中からまり、学問と研究に明け暮れている。そしてそれを学ぶ学徒が、やはり世界中から集まって勉学に励むのだ。

「リンドン派の『リンドン』とは、ロンデル発祥のという意味」

 なるほどそんな由来があったのかと伊丹や感心しつつも、街に入った。

 するとたちまちの内に、大通りをごったが返す人の群れで立ち往生してしまった。
 買い物客で賑わう商店街に自動車を乗り入れた、そんな状態になってしまったのだ。周りを見れば、商品を山と積んだ馬車とか、馬に乗っている人なんかも同様な境遇に置かれている。交通整理などされていないから人の流れに法則性なんてない。こうなると図体のでかいものほど容易に進むことが出来ないのだ。

 人々は、右に左にと車の前を平気で行き交う。そして通り過ぎざまに視線を浴びせかけていく。その視線には苦情めいたものと、好奇心に満ちたものとの二種類があるように思えた。どんな乗り物だろうと、好奇心を向けてくるのはレレイが普段纏っているようなローブを着ている者に多い。対するに労務者だったり、普通の買い物客だったりそんな感じの人は、無関心か邪魔くさいと言う態度だった。

 こうなってしまうと焦っても無駄だ。伊丹はハンドルに凭れて、「ラッシュに出くわすなんてなぁ」などと言ってぼやきつつも、交通渋滞モードに頭を切り換えた。

「この先の四つ辻を右に。少し行くと、宿が列んでる」

 助手席のレレイがナビゲーターがわりに、どこへ行くべきかの指示を出した。ずいぶんと前だが、来たことがあるということで、伊丹は彼女の土地勘に全面的に頼ることにする。

 こうして、高機動車は宿の前に到達した。
 時間としては、テュカの演奏10曲分程かかった。それほど長いと思わなかったのは、やはりテュカの演奏がそれだけ優れていたからだろう。

 宿は、4階建てで下二階が石造り、上二階が木造でなかなかに瀟洒な雰囲気である。
 玄関口からは宿付きの馬丁が、折角の客を逃がすまいと飛び出してきた。
 彼は、牽くべき馬が居ないことにちょっと首を傾げたが、この乗り物が牽く物が無くとも自走する乗り物であると素早く理解したようで、「こちらへどうぞ」と案内して来る。

 見れば宿の停車場には行商人などの馬車、荷車などがずらっと列んで止まっている。そして厩舎には長旅をしてきただろう馬や驢馬などが、飼い葉を食んでいた。さらに奥には毛牛とか、トロールとか、なにやら種類の判らないモンスターめいた生き物もいたりして言っては悪いが怪異の博覧会みたいになっている。このあたりが馬丁の驚かなかった理由かも知れない。さすが魔導師の集まる学都と言うべきか……。

「どうしますか?屋根付き車庫に入れます、露天に置きます?」

 馬丁が言うには、車庫なら鍵のついた扉があると言う。それなりの料金はかかるが商用の荷物などを積んでいる行商人などが用いるらしい。これに対して露天の停車場に荷車を置くと料金こそかからないが、雨が降れば荷物は濡れるし荷物を盗まれる虞もあるという。

 そう言うことならばと伊丹は、車庫へと案内して貰った。
 火器や弾薬の類をいちいち部屋に運ぶのも面倒だからだ。とりあえず、全員で身の回りの品と、護身用の武器を抱えると、車庫の扉を閉じた。すると錠や扉にレレイと、テュカとロゥリィが三人がかりで何やら細工をはじめる。

 何をしてるんだ?と思って近づいてみる。するとヤオの呟きが聞こえた。

「魔法と精霊魔法と、聖下の呪詛の多重掛けか……迂闊にあけようとしたらどんなことになるか、考えるだに恐ろしい」

 伊丹も、それ以上は近づかないことにした。






「ご宿泊ですな。こちらにご記名を……お姿からすると、学徒でらっしゃるようですが?」

 カウンターを挟んで差し出された宿帳に名を記している最中、宿の主人が発した問いに、レレイは頷きで答えた。

 宿の主人は、レレイの頭の先から足の先まで舐めるように視線を巡らせると微笑む。

 宿屋の仕事は人を見る仕事だ。下手な客を泊まらせて、料金を踏み倒されたり、泥棒だったりしたら後で大変なことになるからだ。その点からすると、この客は安全且つ、上客に入ると思われた。

 少女が纏っているローブは、賢者が身につける平凡なものに見える。が、生地も仕立ても上質な物だ。しかも、長旅をして来たにはさして汚れてもいないから、これまでの旅程の全てで、宿に泊まったのかも知れない。

 少女の背後にいるエルフとか神官は、おそらく護衛だろう。
 なるほど、この組み合わせならその辺の護衛を雇うよりよっぽど安心だ。エムロイの高位神官と、ハイエルフとダークエルフ。凡百の盗賊には手も足も出まい。しかも、3人とも装備品は、超高級品の翼龍の鎧だ。これほどの装備を整えることができるのだから、腕前も超一流だろう。

 結論としてはどこかの大富豪か、上級貴族のご令嬢。それが宿の主人が推測したレレイの身の上であった。

 一人だけいる男は……緑と茶の斑な服装は、仕立てはよいがセンスがよいとは言えない。道化めいたデザインはおそらく汚れを目立たせないためのものだろう。きっと、少女の実家で働いている下男と言ったところ。

 そうなると部屋は女性4人に大部屋が良いだろう。下男用には小部屋を1つ。初顔の客だが、多少はサービスしても贔屓にして貰ったほうが後々の得と考えて、とっておきの部屋を使うことにした。

 選んだのは大通りに面して、陽当たりが良い部屋だ。若干、外の喧騒が耳障りだが、風通しも良いからすごしやすい。また、下男用には廊下を挟んだ向かい側の小部屋。裏側だから厩舎に面している。こちらは静かだが、わずかに臭いが流れてくるという欠点もある。

 主人は、雑用の小僧達を呼びつけた。少年達の目は、同年代のレレイか、同年代っぽく見えるテュカへと集まった。

「うわ、可愛い娘だなぁ」

「こらっ!お客様だぞ、粗相の無いようにしろ。四階南2号に寝台を1つ追加だ。急げ」

 小僧達は、3人部屋にもう1つ寝台を入れるために走っていった。その間、宿の主人はお喋りで間を持たせることにする。

「お嬢様は、御入門でらっしゃいますか?」

 御入門とは、要は入学式のことだ。

 一般的にこの学都ロンデルは、地方に住まう賢者の私塾で基礎を学び、その中で将来が嘱望される者が、さらに高度な知識を深めることを目的に送り出されて来る。そして、その多くがレレイの年代であるので、宿の主人がそう考えたのも無理はないのだ。

 レレイは主人の誤解に気づいていたが、あえて訂正しようとはせず頷いた。
 実質的にはその逆で卒業にあたるのだが、学問の道は導師号を受けて終わりではなく、そこからがまた出発でもあるから、ある意味では御入門とも言えるのだ。

「それはおめでとうございます。そのような佳日(かじつ)に当宿をご利用頂き有り難うございます。ご祝儀がわりとは申しては何ですが、一番良い部屋をとらせていただきました。どうぞ、おくつろぎ下さい」

 少女は礼代わりに頭を小さく下げて、護衛の女性達と共に部屋へと上がっていった。

 雑用の小僧達が「お荷物をお運びしますよ」と群がっていったが、どうも歯牙にもかけられてない様子であった。

 しばらくして戻ってきた小僧達に主人は「どうだった」と尋ねる。チップの払いの良し悪しもお客の懐具合を測るよい手がかりだ。

「モルト銅貨ですよ」

「本当か?」

 ここはこの街では上級の下にあたる宿。それでも小僧へのチップなんかは、薄っぺらいビタ銅貨数枚がいいところなのが相場だ。それが銅貨とは言え重厚なモルトとは、なかなかに気っ風が良い。

 小僧達の話題も、しばし彼女たちのことで占められていた。

「きっと、すっごい大店のお嬢様なんでしようね。みんな美人だし」

「銀髪緑眼の娘、いいなあ」

「俺は、金髪のエルフの娘だな」

「おいおい。エルフだから、きっととんでもない年上だぞ」

「そう言うお前は誰がいいんだよ」

「エムロイの神官娘がいいな」

 などとわいわい言いあって煩い。

 宿の主人としては、やはりダークエルフがいいと思ったりする。実年齢は問題ではない。大切なのは、大人な雰囲気の妖艶さなのだ。このあたりが判らないのは、やはり小僧連中がガキだからだろう、などと思う。

 その後、何組かの宿泊客が入り、何組かの宿泊客が出発していった頃、再び少女が仲間と共に姿を現した。

 その姿を見て、宿の主人と小僧達は自分がとんでもない考え違いをしていたことを思い知る。

「これから出かけてきます。晩の食事は外で摂って来ますので用意しないでください」

 そう告げる下男は、先ほどの緑斑とは違う服装をしていて、それなりに見られる姿になっていた。宿の主人は知るよしもないが、陸上自衛隊の制服である。

 そしてその男を中心に、学徒の少女、神官少女、金銀のエルフが取り囲むように立っている。まるで男の取り巻きであるかのようだ。

 また学徒の少女は、純白の法服に肩から胸に白い索縄を下げていた。そして手には杖を提げている。この学都に住まう者なら誰もが判り、判るが故に彼女を避けて歩く出で立ちである。

「こ、これは驚きました。いや、失礼。そのお歳で、導師号に挑まれるのですか?」

 導師号と言う最終試練に挑む者は、滞在中はこの姿でいることが習慣となっている。

 学会という場で、周囲にその実力を充分に認めさせることが出来れば、この少女はこの姿を寸毫も汚すことなく出て来ることができるだろう。その代わり、少女の肩から下がる索縄は『お墨付き』の代名詞ともなる黒で染められることになる。

 しかし、もし立ち並ぶ先達が、少女をその水準に達してないとみなせば、投げつけられる油だのインク壺によって、惨めな姿を曝す羽目になる。そして街にいる間中、恥を衆目に晒すのだ。

 それなりに実績と経験を積んだ練達の博士達が、上がりまくったあげくに、論述をトチり、魔法の実践を失敗し、四方から浴びせられる底意地の悪い質問と、顰蹙、そして嘲笑によって精神的な安定を欠いたあげくに涙を流しながら逃げだすと言うから、その精神的な負荷が予想できようと言うものだ。

 勿論、失敗しても命を取られるわけではない。満場の観衆に嘲笑されることと、恥に耐え得るなら何度挑戦しても良いのだ。だが、それが出来るのは、羞恥心が欠落しているかよっぽど神経が太いかのどちらかであろう。

 主人の見たところ、目の前にたたずむ少女はそのどちらでもなかった。
 その可憐なまでの線の細さに、下手をすれば再起不能になってしまうのではないかと心配になってしまう。

 どこの誰だ、こんな無謀な挑戦を認めた導師は。詰問の思いで主人は尋ねた。

「失礼ですが、貴方の師匠はどちらで?」

「カトー。カトー・エル・アルテスタン」

 宿の主人はその名を知っていた。というより、この街に住まう者なら誰でも知っている。知っていなければならないほどの有名人だ。

 老賢者カトー。魔導師の中の魔導師と言われた男である。そうか、この娘はあの人の弟子か。

 宿の主人は、改めて少女を見直すのだった。






 レレイが伊丹達を連れて訪問したのは、宿からそう遠くないところにある集合住宅のような建物が列ぶ地区だった。建物の多くは木造で、壁面の塗装は禿げていささかみすぼらしい。

 その周囲に蠢く青年や女性達の群れを見ての感想を、伊丹は「要するに、大学のキャンパスだな」とまとめた。

 汚らしいロープを纏った青年達が何やら激しく問答を繰り広げ、地面に何かを大書している者がいたり、講師らしき男を学生達が取り囲んで話を聞いている。

 そんな風景をそこかしこで見ることが出来た。

 レレイは、その中でもすこぶる小さな建物を見つけて玄関をくぐった。

 すれ違うことすら苦労するほどに狭くて急な階段は、体重をかけるとギシギシと音がして今にも崩れそうな感じで怖い。これを上って小さな木の扉の前に立つ。踊り場は、レレイとテュカが立てばもう満員。ロゥリィやヤオや伊丹は、階段で待たされることになった。

 レレイはノッカー代わりに杖で扉を叩いた。

「誰ですか?借金取りなら、無駄ですよ。お金、余ってませんから」

 数度叩いて、中からぼそぼそと聞こえた誰何の声は、嗄れたお年寄りの女声であった。

「レレイです」

 レレイが名乗るや否や、ドアがバッと開かれる。
 出てきたのは70代後半ぐらいだろうか、可愛らしいおばあさんだった。50年ほど昔は、きっと美人だったに違いない。灰色の髪をあげてシニヨンを作っている容貌は、充実した人生を送った女性のものだった。着ている服装はレレイが普段着ているポンチョのようなローブだ。

「まぁ!まぁ!まぁ!まぁ!まぁ!貴女なのリリイ」

「いえ、レレイです」

 老婦人は軽く右手を額に当てて、「そうね。そうも言ったわね」などと言いつつレレイの頭を撫でる。背丈はレレイと同じくらいだ。

「わざわざこんなところまで尋ねてきてくれてありがとう。さあさあ、皆さん、入ってちょうだい」

 案内されたのは、羊皮紙や書籍が堆(うずたか)く積まれた部屋だった。
 壁はことごとくが書棚。机やテーブルの類は、例外なく書類が山積みになっており、その周辺の床には机からこぼれ落ちた書面の類が散らばっていて足の踏み場もない。自然と伊丹達は、その隙間に密集して立つことになる。何故か知らないが、ロゥリィは伊丹の後ろに隠れるように立った。

 見渡せば部屋の主が使っているだろう机も、どうにか仕事をするのに必要なスペースがあけられているだけだ。

「その格好を見ると、貴女、導師号に挑むつもりのようだけど少し早くないかしら?カトーの奴、呆けたのかしら」

 老婦人がレレイを見て言う。レレイは返事代わりに懐から羊皮紙の手紙を取り出すと老婦人に手渡した。

 老婦人は封蝋を剥がすと、「どれどれ」と手紙を読み始めた。

「ふむふむ、なるほど、あらあら、そうなの~、へぇ、おやおや」などと読みながら相づちをうち、ひとしきり読み終えてからレレイを見る瞳は、なんとも言えない笑みで満ちていた。

「貴女、すばらしい業績をあげたわね。確かに導師号への挑戦は当然ね。カトーが手放しで褒めているわよ。アルペジオがきっと、焼き餅を妬くでしょう」

「姉は元気でしょうか?」

「相変わらずよ。いま、買い物に出ているの。少ししたら帰って来るでしょう……あら、いけない。お客様達を待ちぼうけさせてしまったわね。レレイ、ちょっと手伝って、お客様に椅子をお勧めしないと……」

 そんなこと言って、テーブルやその周囲に置かれた椅子を見るが、どれにも箱やら書籍やら、羊皮紙なんかが積まれていた。老婦人が迂闊にも手を伸ばしたテーブル上の書類。これが雪崩をうって崩落し、その連鎖反応で、椅子に壁際に置かれた書類までもが崩落を始めて床に散らばっていく。周囲には埃が舞い上がった。

「ああっ!何やってるんですかっ先生っ!あれほど弄らないでくださいって言ったじゃないですかっ!」

 この女性がレレイの姉だろうか。
 買い物籠を床に置くと「もうっ」と唸りながら、栗色の髪の女性が飛び込んできて老婦人や、レレイを押し退けて書類を拾い始める。

 レレイの姉とおぼしき女性は、長いちょっと癖のある髪を後ろで無造作にまとめていた。さらには、化粧気も色気もどっかに放置して投げ捨てているとしか思えない格好をしていた。にもかかわわらずボディの凹凸はメリハリがよくて、薄汚れたローブの外側から、そのラインが動作の中でくっきり浮かぶ。それはもう目に毒なほどに艶やかさであった。

「えっ、これの次が、これで……ああっ、4ページめがないっ」

 どうも、こちらの女性も整理整頓についての才能が致命的なまでに欠如しているようだ。

「これかしら」

 手伝おうとしてか、テーブルの上に手を伸ばす老婦人。すると、テーブル上の書類が再びドサドサと落ちる。

 静寂の時がしばし流れる。

 女性は胡乱な視線を老婦人に向けて言った。

「せんせい。はっきり申し上げて邪魔になりますので、しばらく外へ行ってらしい下さい」

「そ、そうね……そろそろ夕食時だからマリナの店にでも行ってるわ。貴女も終わったらいらっしゃい、折角レレイが訪ねて来てくれたんだもの、積もる話もあるでしょう」

「ええ。これが終わったらすぐに参りますとも。未だに博士号でうろうろしている姉を飛び越して導師号に挑もうとしている妹とか、男っ気が無くてイライラしている姉を差し置いて、ピアスなんかして色気づいている妹とか、金が無くてピーピーいってる姉を横目に金回りの良さそうな臭いをさせている妹とか、エルフなんかと連んでる妹とか、たっぷりとこの世の条理というものを言い聞かせてやろうと思いますから」

 この時、伊丹は見た。
 レレイの額から頬にかけて、汗のしずくがツツっと落ちるのを。





    *     *





 マリナの店というのは、老婦人の書斎を出て少しばかり歩いたところにある小さな店だった。テーブル3つにカウンター席。店内にいた2~3人の客もみんなご婦人である。ちなみにみんな学生、もとい学徒のようであり、書籍を読んだり何やら必死に書きとめていたりと勉学に打ち込んでいた。

 雰囲気としては、大学住にあるちょっとしゃれた喫茶店。そんなところだろうが、家庭的な印象で女性に好まれるようだ。

「いらっしゃいミモザ先生、今日は大勢ですね」

 店の主人らしき男が、笑顔で老婦人を迎える。老婦人は常連客のようで主人よりミモザの名で呼ばれてた。

「ええ。アルペジオの妹が訪ねて来てくれたのよ」

「ナニ、アルベさんの妹だって。そいつは腕を振るわなきゃ」

 店主はそう言って奥へと駆け戻っていった。
 席について料理が出てくるまでの暫しの時間、レレイは老婦人を伊丹達へと紹介する。

 レレイによれば老婦人は、ミモザ・ラ・メールという名前でカトー先生と同門、つまり同じ師匠の元で学んだ仲らしい。そんな縁で、レレイの姉アメペジオはミモザ先生に弟子入りしたと言うことである。

 次は、伊丹達の番だ。レレイはテュカ、ヤオと紹介した。ミモザ先生は、「まぁ、ハイ・エルフとダークエルフのお二方が一同に会するなんて、希なことね」と目を輝かせた。

 レレイは次にロゥリィの紹介をしようとしたが、ミモザは「久しぶりね、ロゥリィ。元気してた?」と語りかけて、紹介が不要であることを示す。

「もう、50年くらい前になるかしら。ロゥリィとは一緒に旅をしたこともあるのよ」

「ミモザはぁ、老けたわねぇ」

「ええ。もう、すっかりおばあちゃんよ」そう言ってミモザは、自分の皺だらけの手を仰ぎ見る。「だけど、貴女は相変わらずそうね……」

 ミモザは、ロゥリィから意味深げに伊丹へと視線を向けた。

「確かに戦場で死ぬのはゴメンだって逃げ出してきそうな感じね」

「うん」

「お眼鏡に適う人がようやく見つかったのね。後何年?」

「39年よぉ。1年は前後するらしいけどぉ」

「39年かあ。流石に貴女が昇神するのは看取れそうもないわね。ま、こちらの殿方なら大丈夫そうだけど」

 伊丹は、自分の話をされているらしいのに、その意味するところが理解できないことに居心地の悪さを味わっていた。それを解消すべく、「それは、どういうことでしょう?」と質問をしたのだが、ミモザとロゥリィは視線を合わせて「うふふ内緒」と笑うだけである。

「さぁ、レレイ。こちらの殿方を紹介して頂戴」

 何となく憮然とした感じのレレイが、伊丹について紹介を始めた。

 異世界からの来訪者で、一応軍人であり、そして最後に自分と既に『3日夜』を済ませた仲である旨を厳かに宣ったそれは、ミモザとロゥリィとの間で交わされたやりとりが、伊丹を既にロゥリィの所有物であるかのごとく扱っていたことに対する、レレイなりの対抗心から発せられたものだろう。おそらく。

 瞬間、マリナの店の中に、ガタンと椅子が倒れるような激しい音が響く。

 何事かと皆が振り返ると、そこにレレイの姉アルペジオ・エル・レレーナが、見る者の背筋を寒がらせるような、とっても良い表情で立っていたのである。



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みなさま、今年は本当に、ありがとうございました。
良い新年をお迎え下さい。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 51
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/01/13 21:05




51





「喧嘩だ、喧嘩だっ!!リンドン派の魔導師同士の喧嘩だっ!」

「しかも二人とも女だってよ」

「片方はあのアルペジオ女史だ!」

「なんだって、それホントかよ!?」

 こんな感じで、リンドン派の魔導師二人が対峙しているという噂は、街の学徒達に風のごとく、瞬く間に駆けめぐった。

 しかも当事者の片方は、いろいろな意味で鉄楯と称されるアルペであり、学徒達の興味を惹かないはずがない。期せずして戦場として選ばれたマリナの店前路上は、次から次へと集まって来る物見高い野次馬学徒達で溢れるかえることとなったのである。

 ウェスタン映画の決闘シーンのような感じで、一本の道路の東側に立つはその美貌と抜群のスタイルで名高いアルペジオ・エル・レレーナ。カトー先生にボン、キュ、ボンと形容された肢体は見事なまでの曲線を描いて、男性一般の視線を理不尽なまでの魅力で惹き寄せている。

 対する一方の西に杖を立てたのは、この街ではまだ知る者の殆どない15才(もう少しで16才)の新人レレイ・ラ・レレーナ。今までは「まだまだこれから」と称してきた性徴もいよいよ本格化して、肢体のラインは日々艶めきを強めている。その手の趣味がない男性でも、今ではそれなりの魅力を感じるだろう。

 歩いて10歩ほどの距離を開いて対峙する姉妹の間を、砂塵が風にふかれて舞う。ちょうどいい感じで、藁球なんかがコロコロと転がっていった。

 両者の背後では、往来の荷馬車が立ち往生している。
 すなわち、はっきり言って通行妨害なのだ。しかし御者達はちょうどよい見せ物だくらいに思ってか、かえって喜んでいる様子。いろいろな意味で世知辛い、どこかの世界の人々と較べて、実におおらかで余裕の態度と言えるだろう。

「あの子、誰だ?お前知っているか?」

 人々は、高名なアルペに対峙する、無名の少女についての情報を求め、ひそひそと語りあった。

「あの子の着てる服、法服だろ?なんだって、あんなに汚れてるんだ。学会は明日じゃないか」

 白いローブの意味はこの街に住まう者なら誰でも知っている。ドロでも跳ねて汚しては大変と、近づくことすら躊躇するくらいなのだ。なのに少女の着ている白いローブは、真っ赤なシミが大きく広がっている。学会で汚れたなら、審査に不合格であったという恥辱を意味するが、今日の時点で汚れているのは話が違うのである。

「なんでもスープを頭からぶっかけられたらしいぜ。やったのはアルペジオ女史だってさ」

 レレイのローブについたシミの正体は、真っ赤な果実野菜を煮込んだスープであった。肉と野菜がとろけるほどに一昼夜かけてじっくり煮込まれ、骨からにじみ出たダシの味が深い旨味たっぷりのスープである。その滋味深さは、ちょっとやそっと洗ったくらいではシミが落ちないばかりか、かえって広がるほど。

「そりゃ怒るわ。決闘にだってなるだろうさ」

 学会で導師号の審査に挑む者は、寸毫の汚れもない法服を纏っていくことがしきたりである。厳正な学会に汚れの付いた法服など纏うことは許されない。そして白い法服は成人式の晴れ着、あるいはノーベル賞授賞式の燕尾服みたいなものの為、高価であり、通常は一張羅として予備など用意しないものなのだ。よしんば、金銭的な余裕があったとしても、今から手配していては間に合うものではない。

「でも、なんだってアルペジオ女史、そんな酷いことしたんだ?」

「妬いたんじゃないの?」

 自分より遙かに若い少女が、導師号に挑もうとしていることに対する嫉妬であるというのが、人々の推察した決闘に至る事情である。確かに、その通りなのだが、そのように簡単に切って棄てた言い方は、アルペジオとしては実に不愉快であった。

 何故なら、彼女がそのような暴挙に至る原因が嫉妬だとしても、やはりそれなりの理由が経緯というものがあったからである。




 アルペジオ・エル・レレーナは、妹の無表情の向こうにある頑固な気性をよく知っていた。嘘やはったりも言わない子だ。だから本人がそう言う以上、三日夜の儀は終えているのだろうと考えた。となれば、今更言ってもせんのないことである。

 三日夜の儀、(あるいは「ならわし」)とは、成人男女が『連続して三日間同衾』することで内縁関係が開始されるという土着の習慣である。もちろん、帝国の法では婚姻についての取り扱いは別に定められているから、無視しようとすればできないものではないのである。しかし、この手のことはどこかの誰かが勝手な都合で決めた法律よりも、古くからの習慣の方が根強く人々の生活を支配するものである。また女性保護という意味でもあるため、男の側から一方的にそれを無視するような行為は、土地の者などからは非常に白眼視される。

 見れば、男に動揺の様子はない。本来修羅場にもなりかねない場面で実に平然としている姿は、アルペには全てを理解して受け容れているように見えていた。

「学問でも、男でも、妹に先を越されるとは……」

 ぱさついた髪を、爪を立てた手でわっしわっしと盛大に掻きあげて「ちっ」と舌をうっつ。そして、どっかりと椅子に腰掛ける。体重を預けた時に椅子の継ぎ目から小さな悲鳴が上がったことが、なんだかとっても気に障った。

「ま、レレイにも男の1人や2人いてもおかしくない年頃だしね」

 アルペは、呟いた。「あたしだって、これくらいの頃にはもう男いたし」、と。

 もちろん悔し紛れの捨てゼリフみたいなものだ。でも、言葉だけでは気が収まらなかったので、レレイの頭を拳で軽くこづくことにした。

 彼女の妹は、痛いとも言わず叩かれた頭を掌で抑えただけだった。
 この娘はいつだってそう。くすぐりっこしても、盛大に悶えるだけで絶対に声をあげない。指を噛んで声を押し殺して、絶対に笑ったり悲鳴を上げたりしなかったのだ。

 レレイの恨みがましい視線に、アルペは答えた。

「それで、いろいろな無礼をコミで許してやるんだから、有り難く思え」

 アルペはそう言って、度量の太いところを示したつもりだった。そう、これは全てを終わらせるための儀式みたいなものだ。これでよし、全てよし、恨み言は言うまい、完了、もう過ぎたことである。
 とは言っても、やはり釈然としない気分は残っていた。これはレレイがどうこうと言うより、これまで胸の奥に押し込めて、考えまいとしていた焦りが、妹のことをきっかけに妙に刺激されてしまったからであろう。

 この世界では、男女共に15才で成人として扱われる。女性の婚期はそれぐらいから約10年間の20代前半までが普通だ。その意味では24才という年齢は非常に微妙なラインに達していると言える。心の奥で魂が大合唱をしている。曰く「そろそろ、嫁ぎ遅れだぞ」と。

 女という種には、男にはない様々なタイムリミットがある。しかも結構深刻である。
 その代表的なものが出産であろう。男と番(つがい)となって健康な子供を産む。とある世界では誤解されているようだが、出産とは基本的に命を失う虞のある大変危険な事なのだ。従って安全性と言う意味でも、子供の健康、育児と言う意味からも、一定年齢の範囲であることが望ましい。

 だが学徒として、いよいよ導師号へ挑もうとしている今、アルペには妊娠・出産・子育てなどしている暇はなかった。女にだって名誉心もあれば、何かを成し遂げたいという欲もあるのだ。だが、先ほど言ったような女であるという前提が、学問に打ち込むことを許してくれない。故に理不尽な言いがかりであるとは判っていても、思っちゃうし口にするのだ。「男は狡い」と。

 それでも、もう決まった男がいるならまだマシだったかも知れない。
 男に、もう少し待って欲しいと願えばいいのだから。心優しい男なら、笑顔で待ってくれるだろう。と言うより、こっちが必死で頼んでいるのに待ってくれないような男なら、願い下げだ。

 だが、残念なことにアルペには特定の男は居なかった。居たことはあったが、いろいろと煩わしくなって、別れてしまったのだ。以来、いろいろな方面からの誘はあっても避けるようにしていた。だが、婚期もいよいよ終り近い今あらためて気づく、誘いのある内が華だと。

 その悩みは、身を裂かれるほどにまで高まった。このまま学問一途に進むべきか、一次中断すべきか……しかし、いや、だが、しかし、しかし、しかし。

 ふと、金髪エルフと黒肌エルフが視界に入った。

 エルフはいいなぁと羨む。嫉む。
 金髪は、見た目はヒト種なら10代後半、黒い方は30代前半くらいだ。でも実際は、100才くらいだろうか、それとも200才ぐらいか。くそっ。むやみやたらに長い寿命を持ってるんだから100年ぐらい分けてほしい。そうしたら、結婚もして出産子育てもして、ついでに導師号をとれるような研究を50年くらいかけてやっちゃるというのに……。ヒト種の身に産まれたのが、なんとも恨めしい。

 こうした思考の果てに、レレイが選択した生き方が実に理に適っていることに気づいてしまう。

 15才で男を作る。いささか早すぎるように思えるが、もう男を探す必要はないのだ。婚期半ばを過ぎた頃になると、知人や友人が口にしはじめる「貴女も、そろそろいい人を見つけないとね」というセリフに、頬を引きつらせる必要もない。

 しかも男は、多妻主義者のようで、いろんな女を侍らせている。これだったら男にかかりきりならずに済む。鬱陶しくなったら、男の相手は他の女に振ればいいのだ。それならやりたい研究にも時間を割けるはず。

 亜神のロゥリィは子供が出来ないはずだし、エルフはヒト種よりも子供が出来る可能性は低い種族だから、万が一妊娠出産しても乳幼児の泣き声大合唱ということにはならないだろう。子育てに他の女連中の協力も得ることが出来れば、万々歳と言えるのだ。

「ちっ、うまくやりやがって」と本音が思わず出てしまった。いやいや待て待て、これは長所ばかり並べた見方だった。物事の長所はそのまま裏返せば、すなわち短所だと改めて考え直す。

 例えば、多妻主義者の家庭で女同士の仲が悪かったり、嫉妬によるいじめが横行しているようならそれは不幸だろう。さらに男に甲斐性があるかと言う問題もある。

「見たところうらぶれた感じの男だから、甲斐性なんてないんじゃなかろうか。と言うよりヒモ?」

 伊丹に対する感想としては実に素直且つ正直なものではあるが、アルペは自分の世界に入り込んでいたため、思考を口に出していることに気づかなかった。

 歯に衣着せぬ直截な物言いには、さすがの伊丹も傷ついたようで、悲しげな表情をして胸を押さえた。

「もしかして、僕のことを言ってます?それって僕ですか?」

「ごめんなさいね、でも悪い子ではないのよ。ただ、考えていることを口にしてしまうという欠点のある子なの」

 ミモザ先生は、愛弟子を弁護するように言った。もちろん、全く持って弁護になっていないのであるが。

 アルペはレレイの頭をがっしと掴むと、ぐいっと引き寄せて耳元に口を寄せた。視線は伊丹に注がれている。

「この男の経済状況は?軍人だって言うけど下っ端じゃないの?」

 全然ひそひそ話になっていない音量であった。その声は、彼女の思いの丈を示すがごとく伊丹にも、テュカにもヤオの耳にも届くようなものであった。だから、レレイは答えるより前に耳を押さえて「あふぅ」と呻く羽目に陥る。

 仕方なくレレイに代わってヤオが答えた。

「イタミ殿には、とある功績により、我が部族よりこのぐらいのサイズの金剛石を贈らせてもらった。さらには、エルべ藩王国国王より卿の称号を賜ったそうだ」

 アルペはヤオが両手で示した人の頭サイズを見て、思わず絶句。

「領地が買える」

 金剛石の品質にもよるが、あの大きさなら例え2級品でも荘園の十か二十は買えるくらいにはなる。つまり経済的にはまったく心配がないのである。

 アルペジオは夢想した。研究費には困らず、家事なんかの雑用にはメイドを雇ったり、奴隷を買って任せることが出来る生活を。しかも夫は軍人だ。軍人と言うからには、ほとんど家にいないだろう。つまり「亭主元気で留守が良い」という、アルペジオ的には非常に住み心地の良い、男的には夢も希望もない家庭である。

 まさに、お買い得物件。

 アルペは、どうやら妹が幸せな結婚生活が出来そうだと思って安堵した。が、同時に何か複雑で表現の難しい感情を感じていた。

 この気持は何だろう。いったいどこから来るのだろう。

 それぞれ両親の連れ子同士の義姉妹。だが両親亡き後、カトー先生の元で二人は身を寄せ合うようにして暮らしてきたのである。血は繋がってなくとも、そんなものよりも濃い絆がある。

 9才下の妹の面倒を見て過ごした日々。
 それは、寂しいと言って泣く幼いレレイに添い寝してやった記憶であった。文字や算学を教えてやった日々の記憶だった。

 そんな風に手塩にかけて面倒を見た妹が、姉たる自分を差し置いて幸せになろうとしているのである。自分が羨むような男を見つけて、しかも自分を追い越して導師号に挑もうとしているのである。ならば、「ここは、喜ぶべきところではないか」と思うのだが、悲しみとも何とも表現できないこの気持は、いったい何か。

「アルペ、お顔が引きつっているわよ」

 ミモザ先生の言葉に、アルペは「なんでもありません」と言い訳て、顔を両手で擦った。

 料理が運ばれてきて、食事が始まる。

 楽しい会話に、美味しい料理のはずだが空虚に感じられた。

 ミモザ先生は、お客相手に講義みたいな話を始め、お酒を飲んで、笑ったり、喜んだり、ミモザの昔語りにロゥリィが慌てて、それを金髪エルフがからかったり。

「アルペ、少しも食事が進んでないようね。どうしたの?」

 ふと気がつくと、周囲の視線がアルペに注がれていた。

「いえ、なんでもありせん」

 とは言いながらも、アルペの皿には料理がまるまる残っている。
 慌てて匙に手を伸ばしてひと掬い、ふた掬い口に入れる。が、殆ど味がしない。感じない。

「お加減が悪いようですが、大丈夫ですか?」

 伊丹のそんな言葉に、ミモザ先生は「この年頃には、いろいろあるのよ」などと言って心配しないように告げていた。アルペも誤魔化すように「ホント、大丈夫です」と答えて「そんなことより、コダ村のみんなは元気?」と話題を変えることにした。

 すると空気は少し重くなった。

 ここで初めてアルペは、レレイの口からコダ村を襲った悲劇を知らされた。

 コダ村からこの学都は離れている。しかも自分の研究にかかわること以外に関心はなく、世間の出来事には疎いのがこの街の学徒の特徴と言える。炎龍の出現に関する話は、まったく初耳であったのだ。

 村からの脱出行、その途上での炎龍襲撃。これによってアルペは故郷の友人達が少なからず死んだことを知った。本来なら悲しいことだ。だがその悲しみ以上の感情がアルペの胸中に居座っていたためにそれを今は感じなかった。

 やがて、身寄りを失った孤児や怪我をしたお年寄りとともにアルヌスで伊丹達に保護されたことに話が及ぶ。

「なるほど、それが馴れ初めか」

 などと思って聞いていたのだが、話がアルヌス生活者協同組合の設立に至り、その成功と発展を聞かされて、アルペの表情筋は、その引きつりが限界に達した。

「つまり、あんたお金持ちになった?」

「ただのお金持ちではない。大富豪と言える」というレレイの淡々とした表現を受けて、アルペは自分の胸中に籠もっていた表現の難しい感情の正体を知る。

 ああ、自分は妬いているのだ。
 我が身と妹と間に開いた格差に、この世の無情というか哀れというか、口惜しい気持がこみ上げて来ているのだ。

 学徒は総じて貧乏だ。研究をするには金がかかる。パトロンとなってくれる貴族や商人の子供相手に、家庭教師をしたりしている。「愛人になれば金をだしてあげる」などと言い出すヒヒ爺に、にっこり笑って角が立たないようにお断りすることにも馴れたくらいだ。

 だから、レレイがしたであろう苦労とか、努力とか、辛酸を舐めたりの経験も脇に置いて、頭に来てしまったのである。今勝っているのは、美貌だけ。これだって今から自分は下り坂、レレイはこれから上り坂と思うと、歯噛みしたくなる。と言うか、する。

 気がついたら、レレイの頭上にスープの皿を持ち上げてドバっと彼女にかけていた。

 周囲の驚愕の視線の中で思う。しまった、思わずやってしまった。だが後悔してない。非常にすっきりとした、と。

 こうして話の場面は、冒頭へと戻ることになるのである。





    *     *






 対峙する二人の魔導師。

 見守る野次馬学徒達は息を呑んで、戦いの始まりを待った。
 何しろ、魔法戦闘の大家とも言うべきリンドン派の二人だ。どのような戦闘魔法が繰り広げられるか興味深いのである。もしかして、門外不出となっている技や魔法を見ることが出来るかも知れないと期待している。

 そんな姉妹のほぼ中間点間で、黒い神官服を纏ったロゥリィがハルバートを立てた。

「おほん。この戦いにおけるルールを述べるわぁ。条件は不殺よぉ。女ゆえに相手の顔に傷を付けないことぉ。他については好きになさぁい。敗北条件はぁ、ルールに反した時ぃ。降伏あるいは倒されて10カウント以内に戦闘態勢をとることが出来なかった時ぃ。終了後調停に従うぅ。以上4点にぃ同意するぅ?」

 戦いの神エムロイ。その使徒たるロゥリィの言葉に異議などありよう筈もなくレレイは頷いた。アルペも、しっかりと頷く。

「ではぁ、レレーナ家第一回ロンデル姉妹会戦の開始をぉ、エムロイの使徒ロゥリィ・マーキュリーの名において宣言するぅ!!」

 ロゥリィの声が号砲となった。

 先に動いたのはアルペジオだった。

 ローブの下から取り出したのはボーラと呼ばれる複数の分銅に縄をつけた武器であった。元来狩猟用、しかも原始的な投擲武器であるが、これが熟練した者にかかると変幻自在な使用法で、様々な戦闘場面で用いることが出来る。

 対するに、レレイは自身の大杖を構えるだけ。姉の攻撃をまず見極めようという算段だろうか。

 ボーラを振り回して機を窺うアルペに対して、レレイは無造作に距離を詰めた。

 間合いに入ったと見るやボーラの分銅を叩きつけるアルペ。必殺の破壊力を秘めた一撃はレレイの腹部に見事に直撃した。

「おおっ!」

 どよめく群衆。手も足も出ずに吹っ飛ばされた少女に対する同情と、手加減という言葉もない冷酷なアルペに対する非難という二色のどよめきは、それに続いたアルペの声で静まりかえった。

「レレイ。いつまで寝てるつもり」

 仰向けに倒れたレレイが、むくっと起きあがる。まるでダメージを感じさせない。

「ローブの下に着込んだ鎧に、気づかないと思ってるの?」

 見破られたレレイは、スープで汚れたローブをゆっくりと脱ぎ落とした。
 その下から現れたのは白く塗装された翼竜の鎧であった。テュカやロゥリィが纏っているのと同じ物、アルヌスの子供達が売り物にするには小さかったり欠けている鱗を集めて紡いだものである。打撃による衝撃は、鱗が『面』で受け止めさらに裏地のなめし革とセームを張り合わせたもので緩衝し分散する仕組みとなっている。

「油断させようたってそうはいかないよ」

 アルペはそう言うと再びボーラを振り始めた。

 魔導師同士の戦いが、こうして魔法とは別の次元で始まったことに、人々は驚愕した。まるで野蛮な剣闘士の戦いのようではないか。だが、まだ戦いは序盤である。次は少女の番だろう。彼女からどのような攻撃が行われるのかと、人々は期待して待った。

 しばし続く静寂。
 アルペの振るボーラが風を切る音だけが、妙に大きく聞こえた。

「ロゥリィさん。この戦いをどう見ますか?早々に膠着状態になりましたが……」

 伊丹は突如始まった壮絶な姉妹喧嘩を見て、いつ止めたものかと呟きつつもロゥリィに状況を尋ねる。

「今ぁ、何もしてないように見えるでしょ。でももう魔法が飛び交ってるわぁ」

「ええっ」

「レレイがぁ空気の刃を投擲して、アルペがそれを透明な楯で受けてるぅ」

 これが聞こえたのか、群衆は再度どよめいた。

 ボーラが空気を切る音に紛れて聞こえないが、既に熾烈な戦いが繰り広げられていると言うのである。

「見たところぉレレイは攻撃専念。アルペジオは防御に専念してるみたいねぇ。だからぁアルペジオは武器を使うってところかなぁ?」

「アルペは、この街では鉄楯の異名をとってます。彼女の障壁魔法は非常に強力ですよ。でも、防御だけだと侮ると酷いことになるでしょう。あの娘もリンドン派の魔導師なのですよ」

 ミモザが笑顔で説明した。

 これが耳に入ったのか、「先生っ、ばらさないでくださいっ!」とアルペは苦情顔だ。

 ミモザは「あらあら、ごめんなさい。ついうっかりしていたわ」と悪びれるところがない。

「なるほど、防御に特化してると思わせる欺瞞ということか。我らダークエルフの欺瞞や詐術を用いた戦いに通じるものがあるな」

 ヤオが感心したように頷いた。






 姉妹の戦いは、レレイが意地を張って投擲する風の刃を大きく、目に見えるほどのものにして行くことで、単純な力比べの様相を呈して来た。

 レレイが投擲する刃を大きくする。アルペジオも、打ち抜かれまいと面前に形成する障壁を厚く大きくして行くのである。

「どう?あんたなんかのへなちょこ魔法じゃ、この楯を打ち抜くことは無理よ。要するに、導師号なんて審問を受ける前から無理ってこと。学会で大恥をかく前に、アルヌスに帰りなさい」

 レレイは「すぅ」と大きく息を吸って投擲すべき空気の刃をさらに大きくしようとしていたが、これを聞いて肩を落とすと、力が抜けたかのように大きなため息をついた。

「あら、諦めたの?」

「違う、方法を変える」

 レレイはそう告げると、金色に輝く三角錐状のもの取り出して、地面に放り投げた。子供の遊具の独楽(コマ)にも見えるそれは、地面を軽やかな音を立てて転がった。

「あれは……漏斗(ろうと)」

 そう。伊丹と共に東京に出た際、立ち寄った金物屋……鍋ややかんなどを売っている店で大量に買ってきた、直径約5㎝前後の真鍮製漏斗であった。ちなみに、決して英語に翻訳してはいけない。いけないったらいけないのである。

「これで撃ち抜いてみせる」

 レレイはそう宣言すると漏斗を、空中に浮かせた。尖っている方を自分に向け、喉歌にも似た呪文を唱えて漏斗の錐体部にHEATの光輪を纏わせる。

「これによってわたしは、カトー先生より導師号への挑戦が許された。我が姉よ、全力で防げ」

 レレイはそう言うと、漏斗を飛ばした。

 それを見た伊丹は「やばいっ」と、血相を変えて走った。
 レレイの魔法は、剣を射出させたら炎龍の鱗さえ穿つ力があった。それほどの爆速ならば、ノイマン効果が発揮されることは目に見えている。頭に血が上っているレレイは、下手をすれば姉を死なせかねないほどの魔法をぶっばなそうとしているのだ。

 飛翔した漏斗はアルペジオの展開した障壁に阻まれて止まった。
 どれほどのものかと息を呑んで待ち構えていたアルペは、レレイが渾身の一撃と呼ぶもののあっけない感触に、気の抜ける思いであった。

 だが、レレイがアルペの嘲笑とほぼ同時に指を鳴らす。
 漏斗を覆っていた光輪は炸裂し、真鍮製の漏斗はその高圧下で液体同様のメタルジェットと化し魔法の障壁を浸食し貫通する。

 アルペジオが拡げた障壁は見事なまでに貫通され、その内側で爆発は広がった。

 その爆煙と衝撃の凄まじさには観衆は度肝を抜かれた。
 道が空くのを待っていた荷馬車の馬は驚いて嘶いては竿立ち、御者はそれを抑えようと慌てる。しばし大混乱があたりを覆ったほどだ。

 煙が晴れた後、そこには伊丹に押し倒されてその下敷きとなったアルペの姿があった。

「たかが姉妹喧嘩で殺す気かっ!!」

 むくりと起きて思わず怒る伊丹。だが、レレイは「邪魔をされては困る」と平然としていた。

「姉とて楯を破られた際の防御を考えてないはずがない。邪魔が入らなければ、二つ目の障壁で身を守っていたはず……」

 そう嘯くレレイに対して、アルペシオは真っ青となった顔を左右にブンブンと振った。見たところ、すっかり腰が抜けて立てないようである。

「だから、二つ目の……」

 さらに首を振るアルペジオ。

「………なかったらしい」

 レレイはそう言うと、伊丹にぺこりと頭を下げたのだった。






 レレーナ家第一回ロンデル姉妹会戦の結末は、ロゥリィ・マーキュリーから第三者の介入による引き分けが宣言されて終了となった。ハルバートによって強制的に終了させられたのである。だが、双方共に我こそが、勝利者であると誇っている。

 レレイは姉の防御障壁を貫通させたことで、自分の勝利であると主張し、姉は伊丹が介入しなければ自分が死んでいたかもしれないので、妹はルールに背いたと主張している。

「まあ、まあ、まあ、二人とも、その辺でやめておきなさいな」

 ミモザ先生はそんなことを言って二人を宥めようとする。が、対立する二人は互いに視線を合わせようともしなかった。レレイからすれば、姉のせいで明日の学会に参加できないのだから、許せないことには変わりはない。

「レレイ。ちょっとこれを着てみなさい」

 ミモザの研究室に戻ると、先生は自分のクローゼットへと向かった。中から取り出してきたのは、白いローブである。

「これはね、私が学会で審査をうける際に着たものよ。レレイにサイズが合うかしら」

「あっ、それは……」

 お古だけど、よかったら着て欲しいという言葉にレレイは、喜びの眼差しで頷いた。

 アルペジオは「そ、それは私が狙ってたのに……」などと言って取りすがる。
 師匠の法服を預けられるということは、弟子がこれを決して汚さないだろうという信頼を示すのだ。法服を代々受け継いで行くことで、その系統の流派は歴史と伝統の重みを増すことになり、そこに権威が生まれるのである。

「貴女の気持ちはわかるけど、スープを頭からかけたのは流石にやり過ぎよ。我慢なさい」

 優しくはあっても、ミモザのきっぱりとした言い様を受けてアルペジオは「せんせぇ~」と涙目で叫ぶことしか出来なかった。





    *     *





 翌日、レレイは学会に出席すると、列席の長老達を前に見事なまでの発表を行った。

 前日の姉妹対決騒ぎで、彼女の魔法に対する評判はすでに街中の学徒に広まっていた。その威力と効果の絶大さは、リンドン派のみならず多くの魔導師達の関心を引き寄せざるを得なかったのだ。学会での発表となればその魔法の秘密が公開されるのだ。

 そのために、レレイはそれまでに無いほどの数の聴衆を前に喋る羽目に陥ったのである。

 レレイは言葉数が少ない。
 だが少ないが故に、その言葉は要点のみをまとめていた。それは、聞く者にとっては非常に受け容れやすいものとなった。内容の是非はともかく、多くの説明をしようとするが故に、言葉を長々と連ねすぎて結局何が言いたいのかわからない発表も多いのである。

 だがレレイは多くを語らない。簡潔で単刀直入だった。

 疑問に対して実証をもって答え、判らないことは判らないとそのままに答えている。

 何よりも長老達が感銘を覚えたのは、彼女の発表は、その根幹となる考え方が異世界で立てられたものであることを正直に告げたことにあった。異世界に行ったことがある者など、この場にはレレイ達しかいない。黙っていれば、自分が考えた。自分の発見だ、自分が元祖だと主張しても誰も否定できないのである。当然のことのようだが、功を焦るが為に、実験結果を捏造する者すらいてしまうのが現実なのだ。にもかかわらず、自分は異世界の理論を取り入れ、これを応用したものでしかないことを告げた潔さには誰しも好感を抱いたのである。

 そして、それで彼女の発表の価値が下がることはなかった。いかに異世界の理論を取り入れたとしても、それを魔法で実現した功績はまた別なのだから。

 こうして、レレイは長老達は大いなる賞賛を受けながら、その法服を少しも汚すことなく壇上から降りることが出来たのだった。






「でも、レレイ。完全に公開して良かったのぉ。一応、貴女の必殺技でしょぉ?

「大丈夫。今回は、燃焼と爆轟の関係を説明し、それを魔法で引き起こす方法を発表しただけ。モンロー効果とノイマン効果については黙っていた。いずれ皆が知ることになるけれど、それは先のこと」

「結構ちゃっかりしてるな」

「手の内を全部明かす必要はない」

 こんな会話をしながら、レレイは発表者たる立場から聴衆の一人となったのだが、彼女に続いた次の発表が、伊丹達の運命に大きな影響を及ぼすこととなるのである。






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 みなさん、「あけまして、おめでとうございます」(←よし、今年は誤字はないな)
 今年も宜しくお願いします。










[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 52
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/01/13 21:10




52




 日本語を相当なレベルで習得して、パソコンを購入し、アルヌスからでもネットにアクセスできるとなれば、そこから得られる知識や情報を元に、この世界の学会をひっくり返すような発表をして、名を残すことも出来るだろうに、何故それをしないのか。

 そんな疑問をレレイにぶつけた伊丹は、こんな回答を得た。

 学徒として、初めてカトー先生からの受けた教えは、学問が人々に与える影響についてだったと言うのである。

 それは、天文学の発達史であった。

 古き時代、家もなく纏う服も粗末だった時、人々は、闇を背景に浮かぶ星々を見上げながら、大地を床として眠っただろう。
 夜空を彩る星々がつくりあげる幻想的な情景。それらを背景にさまざまな夢を見て物語として紡いでいったに違いない。そうなれば、星々の作り上げる情景と、季節と結びつきを知ることもそう遠くない話だったろう。

 農耕という生活手段を手に入れると、季節と星々の関係を知った人間は、物語をより細かく、そして壮大にしていったはずだ。

 種を撒く時季に空に登場するのは心優しい農耕の神。
 だが、それを追うようにして荒々しい雨の神が現れ、これと激しく戦う。飛び交う雷、ふきあれる嵐。優しい神はその勢いに押されて、西へと追いやられて退場していく。

 そして空にしばし居座る雨の神。
 季節は雨季となって天気の悪い日々が続く。だが、これに耐えなければならないのは、僅かな間だ。地母神の加護を受けた、農耕の神が再び奮い立って天主の座を廻って戦いを挑むのである。

 やがて訪れる農耕の神の勝利。
 それによって雨雲は去って作物はたわわに実って、木々には果実が色づくのである。収穫の季節の到来である。

 天文と季節の関係を、かつての人々はこのような素朴な形で理解していた。

 しかし学徒という存在はそれで満足しないものだ。
 星々の運行を支配する法則を解き明かそうと挑戦し続ける。精密な観測の積み重ね、そこから正確な暦を導き出していったのである。そして、天文学という学問の一分野が成立して『学問世界』の重要な地位を占めるようになる。

 それまでの定説を覆して、大地が球形をしている説明されたのが今より2000年ほど昔である。

 世界の構造や、物事の仕組みについてこの世界の神々は黙したまま決して語ることがない。なぞなぞの出題者のように「解き明かしてご覧」と微笑むだけでヒントすら教えてくれない意地悪さだ。故に、素朴な民衆は円盤状の大地にぽっかりと太陽が浮かんでいると考えいたし、学徒達もそれを基礎とした理解の仕方をしていたのである。

 太陽の通り道たる赤道の真下は、太陽との距離も近くなるので暑いのも当然。赤道から北へと離れれば離れるほど、太陽との距離もひらくから寒くなるし、大地と太陽とがつくる角度も小さくなって低くなる。学徒達は、投げかけられる世界についての疑問に対して、このような説明をしていたのだ。

 ある時、天文学者パッソルは、地図を作る際に用いられる三角測量の技術を用いれば、太陽と大地の距離を正確に導き出すことが出来るのではないかと考えた。そして、南北の各地10カ所に弟子を派遣すると、同日同時刻に大地と太陽とが作る角度を観測させたのである。

 その結果は驚くべき物であった。

 何度やっても、大地と太陽との距離が算出できないのである。

 誤差による物かと観測点を10カ所から20カ所にまで増やしてみた。だが、観測点の数を増やせば増やすほど、観測点の距離を離せば離すほど、太陽と大地がつくりだす角度は説明が出来なくなってしまう結果となった。

 やがて、パッソルはひとつの恐ろしい考えに行き着く。それは赤道から離れれば離れるほど大地はなだらかに傾いていく、つまり大地は弧を描いており、すなわち球形であるというものであった。

 学徒達は、パッソルが恐る恐る提示した考えに、驚愕すると共に恐怖した。
 彼の説を受け容れれば、球状の大地は何者にも支えられることなく宙に浮かんでいることになってしまうからだ。

 そんなあやふやで恐ろしいことは、素朴な人々にとって、とても恐ろしく受け容れがたい物であった。もし、大地が球形をしているなら、その縁にいる人間は、人間ばかりか何もかもが下方向に落ちて行ってしまう。いや、そもそも何の支えもない大地そのものが落ちてしまう。今こうしている瞬間も落ちているなら、その先は何がある。どこに、何に向かって落ちていると言うのか?!

 人々は、地平線の向こう側で建物も何もかもが滑り落ち、崩れていく幻影を見てしまった。あるいは取り落とした果物が床に落ちて割れる姿と、大地の崩壊する情景と重ね合わせてしまった。

 学会の場は、鋤や鍬を手にした民衆によって取り囲まれた。

 人々は、大地が球体であるという説に怒り狂った。そしてその証拠とした観測が誤っていたと認めろと迫ったのである。パッソルが、そうしたと言う訳でないのに、人々は彼の学説こそが世界を滅ぼすような錯覚に囚われたのかも知れない。

 学問は、世界観を変える。それは下手をすれば民心を脅かし、時と場合によっては人々をここまでさせるという威力に、学徒達が気づいた瞬間であった。

 議場の門を激しく叩きうち砕こうとする群衆。響き渡る怒号。その激しい怒りに、学徒達は恐れおののきながらも、精密な観測とそれが示した事実を歪めることだけはしなかった。それは学徒としての矜持でもあったからだ。だから、その代わりとして、彼らは民衆に告げた。

「大地は球状だが、どこにも落ちない。それは我々の住む世界が全ての中心であるからだ。『下』という方向も、果物の実のごとく球状の大地の中心に存在するのだ。従って大地は不動にして、けっして揺るがない。諸君は何一つ心配することなく母なる大地の表面で暮らしていけるのだ」、と。

 民衆はこれに騙された。いや進んで信じたと言っていい。

 自分達の住む大地が世界の中心、文字通り世界を支える大地であるという考えが自尊心を満足させ、それが恐怖をうち払ったからである。




「わたしは、この講義を受けた夜、恐ろしくて震えた」

 幼いレレイは、意気揚々と大発見を報告する自分が、群衆によって罵声を浴び、棍棒でたたきのめされる夢を何度も見たという。

「学徒は、自分の発明や発見が、人々に何をもたらすか考えなければならない。わたしの発表は、爆発という現象を魔法でつくりだすもの。だから広まるとしても限定的。それを言い訳にして、わたしは自らの欲に従った。だけどそこから先には踏み込めなかった。本来なら、火薬の製法を発表するべきだと判っている。火薬の善用の効果を知る以上そう考える。だけど、火薬の悪用が何を引き起こすか知るわたしは恐怖する。自衛隊は戦いに火薬を使う。アルヌスの門を挟んだ交流が進めば、遅かれ早かれ、この世界の人々も火薬の製法を知り、その使用方法学ぶはず。知らないで居られない。だけど、わたしは出来なかった」

 レレイは、そんな事を言いながら軟弱者と貶してくれてもいいと肩を落とした。

 もちろん、伊丹はそんなレレイを貶したり誹謗したりすることもしなかった。
 そしておもむろに気がついた。
 レレイが、門を挟んだ交易を独占するアルヌス生活者協同組合が、極めて限定的にしか日本の文物を持ち込まないのは、これが理由なのではないかと思ったのである。

 アルヌス生活者協同組合は、何かの製品は持ちこむが、決して何かを作る機械は持ちこまない。例えば衣類の材料となる布地は仕入れても、決してミシンは入れない。布地を安く大量に作る高性能な織機の存在は知っているのに、決して仕入れようとはない。それさえあれば、産業革命を起こすことだって出来るのに、そうしないのだ。

 それはただ偶然などではなかったのだ。レレイを始めテュカやロゥリィ、そして後見足るカトー先生らの意志が働いているのかも知れない。




 さて、天文学が、この世界を揺り動かした出来事は、しばしの時を隔ててさらにもう一度起こった。

 太陽中心説の登場である。

 天体観測を進めていくと、空を瞬く星には、さまざまな種類があることがわかってくる。特に目立つのが、天球に貼り付けられたごとく輝く恒なる星と異なって、見ている者を惑わす様に居場所を変える星、惑星である。

 観測の結果、赤星、黄星、蒼星、白星の4惑星は、どうやら太陽や月の仲間であり、天球の内側にあって、全ての中心である大地のまわりを廻っていると考えられた。

 だが、そのような解釈では惑星の運動はどう見ても説明できない部分があった。惑星は観測者の右から左へと運行している。だが、時折左から右へと遡航するかのごとく動く時があるのだ。動き方の大きな赤星や黄星ばかりでなく、蒼星や白星までも数百年の観測記録によって、そのような動き方をすることがわかっていた。

 当時の天文学者はその現象をこう説明していた。
 全ての惑星は、透明な球にくっついており、これが回転しながらそれぞれの軌道を廻っていると。これならば途中で後戻りするように見えることも説明できるし、惑星の位置予報がある程度可能となる。実際、当時の観測技術や装置のレベルは低く、これで説明しきれないような問題は、誤差の範囲と見なされてしまったのである。

 しかし、観測の技術が進むにつれて、これでは説明の難しい現象が数多く認められてきた。そこで、天文学者のモクリは、これらの問題を解決するために、新しい世界観の構築に挑んだのである。

 そして彼が唱えたのが、太陽中心説である。

 我々の住む大地も実は、他の4惑星と同じであり、太陽の中心を廻る惑星に過ぎない。だがこれならば、他の惑星が時折遡航するかのような運行を示す理由が説明できる。つまり、内側の軌道をまわる大地が、他の惑星を追い越す発生する、見かけ上の現象であると言えるのだ。

 当然の事ながら、この考えには大きな反発があった。
 大地は不動にして、決して揺らぐことがない。それが大地球体説誕生以降、人々の心に根付いた考えだったからである。

 また、学徒の大半もモクリの説に対しては懐疑的であった。

 大地が移動すると言うのなら、どうして月が取り残されないのかと。また大地が太陽の周りを廻るなら、天球にある星々の位置も、僅かにしても見かけ上は動いて見えなければおかしい、と言うものである。

 これに対する回答としてモクリは次のように説明している。

「大地と月との間には、目に見えない虚理が働いており、これによって繋ぎ止められているから」と。
 海の満ち引きも、これの影響によると説明できることからも、かなりの賛同者を得ているのだが、魔導師ではない学徒達からは「魔導師連中は、説明の難しいことになると、何でもかんでも魔法の力を言い訳にする」と言われ、魔導師達からは「虚理は現実を支配する現理のなかでは存在し得ない。法理によって開豁された陣においてのみ発動されるという原則を忘れたか」と批判されて今のところ定説となるまでは至っていないのが現状である。

 太陽中心説と天動説の論争は、より精密な観測機器や、技術が現れるまでは解決不可能な案件としてみなされて、現在のところ、天動説が有力である。と言うより、問題は先送りされていた。

 大半の学徒達がそのような態度であるため、民衆も今のところ大人しい。だが、学徒達が太陽中心説を受け容れれば、民衆がいよいよ怒り猛ることは間違いない。従って、太陽中心説に好意的な学徒も弟子には天動説を基本として教え、太陽中心説は「こんな、とんでもない考え方もある」と参考程度教えるに留まっていたのである。迂闊な発表ひとつで民衆に襲われかねない天文学の研究は、多くの賢者がやっかいごとと見なして見放してしまっていた。

 そんな背景があったために、フラット・エル・コーダが壇上に現れた時、学徒達はまたぞろ天文学徒がしょうもない理論をぶちあげるために来たかと警戒した。

 彼は以前「世界の中心は球体である大地の中心にあるが、その大地はやはり太陽のまわりを廻る」などと発表して、会場のほとんどからインク壺を投げられて這々の体で逃げ出している。太陽中心説云々などよりも、世界の中心が動き回るという説を、姑息に過ぎると批判されたのだ。

 レレイに続いて壇上に上がった、その青年は見た目は30代になるかならないか。丸いメガネをかけた風貌は、あまりパッとしない苦学生的雰囲気で、伊丹的には大いに親近感が湧いてくる。

「あの、馬鹿」

 伊丹達と共に聴衆の一人となっていたアルペジオは、その姿を見ると唾を吐くように呟いた。

「お知り合いですか?」

 伊丹の問いに、「いいえ」とすげない態度のアルペ。ミモザ先生は窘めるように言った。

「何を言うの、彼にプロポーズされてるんでしょ?」

「あの話は断りましたから。まったくの無関係の関係です」

「……という関係よ。わかる?」

 茶化すようなミモザ先生の口振りに、伊丹は大いに納得したのである。

 やがて、レレイが壇上から戻って来た。
 伊丹やテュカ、ロゥリィ、ヤオ達は彼女の凱旋を周囲に迷惑にならない程度の、小さな拍手で迎える。だがレレイの顔には、本当にささやかだが、何か苦い物でも噛んだような苦渋の色があった。滅多に見られないレレイの変化に伊丹達は一様に驚いた。

 そんな中で「どうしたのぉ?」とロゥリィが声をかける。
 レレイは、小さく、誰にも聞こえないようにロゥリイの耳に唇を寄せて「できることなら、教えてあげたい」と言って、発表を始める前からヤジを飛ばされている壇上の男性を振り返ったのである。

 レレイは、引力というものの存在を、伊丹と関わることで知ることが出来た。
 だが、まだこの世界では「物は上から下に向かって落ちるという性質がある」という考え方で物事を理解していた。だから下という方向、すなわち世界の中心点がどこにあるかにこだわってしまうのだ。

 もし、引力という考え方を持ちこめば、太陽中心説の説明は非常に上手く行く。さらに、日本から精巧な観測機器を仕入れれば、公転に伴って発生する恒星の年周視差も測定できるだろう。そうすれば世界はひっくり返せるのである。だが、それをしてしまえば、民心が受ける衝撃はとてつもないものとなるだろう。

 もちろん世界の成り立ちについての解釈は、唯一絶対神が作ったなどという信仰に基づいた頑迷なものではないから、大地が『平』から『球体』に、そして『下』という方向の概念が、『大地の中心たる一点に向かった方向』、という形で変更も可能なものである。

 しかし、新しい考え方や、世界観が民衆に受け容れられるには、それだけの準備と時間が必要なのだ。そんな中で、余所から持ってきた知識を並べても、多くの者は消化できないだろう。下手すると食あたりをおこしねない。

 実は、似たようなことは我々の世界に置いても起こってる。

 アメリカの福音派キリスト教徒は、21世紀の今でも、学校教育にて天地創造を教えさせようと圧力をかけていると言う。世界は神が「光あれ」と命じた瞬間に始まり、7日かかって世界は誕生し、人類は神がアダムをつくり、彼の肋骨からイブがつくられたという神話を『学問』として教えよと言い、博物館までつくっちゃったりしているのである。そこで彼らは恐竜とアダムとイブが展示されている姿をみて「ふむふむ、天地創造は本当にあったのだな」と信仰心をより深めるのだ。当然のことながら、彼らは進化論を排撃し、進化論を教える学校教育に反論して裁判まで起こしている。

 ちなみにバチカンが、地動説を受け容れたのは1992年と最近のことだ。好意的に考えるなら、それによって信徒の信仰が揺らいだり、誰かが困ったりしなくなるまで、待ったとも言える。

 従ってレレイとしては迂闊なことは出来ないのだ。故に今は黙って見ているしかないのであるが、それは一人の学徒を見捨てることでもあって、辛いと感じている。

「あたしもぉ、似たような経験があるわぁ」

 優しげなロゥリィの声をうけて、レレイは嘆息した。
 やはり神々は世界の仕組みを知っていて黙っているのだな、と理解した。

「わたしたち亜神は、世界の庭木を守る庭師でもあるのよぉ。必要ならぁ、伸びすぎた枝や木の芽を刈り取ることもあるわぁ」

 だから、今はアルヌスに居着いている。ロゥリィはレレイ向かってはっきりそう告げた。

「だから………?」

 自分の家の庭木ですら、変な伸び方をしたら切り取ると言う。そんな風にして管理している庭に、隣の家から大木の枝が侵入してきたらどうするか。

「だから」に込められた言葉の意味に、何かそら恐ろしい気配を感じたレレイは背筋に寒さを感じて身震いしたのだった。




 さて30分ほどの時間をかけて、フラット・エル・コーダが行った発表は、端的に言えば『なんか、来た。世界が歪んできてる』と言うものであった。

 聴衆たる学徒達も、審問する長老達も最初は、太陽中心説に関わる話だと思ったから、拍子抜けである。と、同時に「こいつ何言ってるんだろう」と、あきれ顔になった。世界が歪んできていると言われても、どういう事が理解できなかったからだ。

「みなさんご存じのように、私は太陽中心説の研究するために、天体の観測を続けてました。ですが最近、目的とは違う別の星を観測するという間違いをしてしまいました。惑星である白星と、恒星である天狐星とを取り間違ってたんです」

 会場の学徒達は一斉にげんなりしたような声をあげた。天文について発表しようと言う学徒が、星を取り間違うなどあってはならないことだからだ。

「でも、その理由は天狐星が、不可解な動きをしていたからでした。これをご覧下さい」

 そうしてフラットは背後にある黒石の壁に、蝋石で観測の結果を図示していく。

 霧月、優月……1ヶ月ごとに天狐星はゆっくりと移動していくのが図示される。これは、季節の移り変わりとともにおこるもので、自然の現象である。雨期には雨期の空があり、乾期には乾期の空があるのだ。だが、穣月、湿月、雨月、涼月と月日がたつにつれて、その動きに異常が現れた。本来動くべき方向とは、別の方向に引き寄せられて、惑星の1つ白星の軌道に交差してしまった。

「このせいで、私はこの星を白星と勘違いしていたのです。間違いに気づいた私は、本来観測すべき白星を探しました。すると、こんなところにありました」

 図示された白星の位置は天狐星と同様に、異常な場所に移っていた。
 人を惑わすように動くから惑星と呼ぶのだが、どのような軌道で動くかは長年の観測の結果ある程度判っている。いくらなんでも、その範囲から大きく逸脱することはあり得ないのだ。

「これはどうしたことか、思ってその周辺の星をほとんど記録しておくことにしました。そして1ヶ月ほど観測した結果、次のことがわかりました」

 天を一枚の布に例えると、その一カ所を摘んで、ぐいっと引き寄せたかのような状態であったのだ。星々の軌跡はその皺というか、ひずみの影響で、南南西の方向に引き寄せられ、そこを通り過ぎると再び元の軌道へと戻っていく。

 つまり空の一部が歪んでいるかのよう見える。これをして世界が歪んでいるのではないかとフラットは言うのだった。

「こうした現象が過去にあったという例は、私の調べた範囲では有りませんでした。しかもこの現象は日増しに強く、大きくなっています」

 当然のごとく、会場からは質問が飛ぶ。

「それは、観測の道具が古すぎるとか、そういった類の間違いではないか?」

「ええ、古いことは確かです。最新の物を買いそろえるほど、お金がありませんから。ですが、こんな結果が出るようなことはないと思います」

「蜃気楼の一種という可能性はどうかな?」

 砂漠や海で、遠くにある都市や島が、地平線・水平線に浮き上がって見えると言う現象は、すでによく知られている。

「一ヶ月間にわたってずっと、ですか?」

 蜃気楼は天候の影響を受ける。しかも、夜間になんて記録がない。あり得たとしても、一ヶ月間続けてと言うのは考えにくいことであった。同じ理由で、雲や天候の影響というのも説得力に欠けた。

「天変地異の前触れかとと、いろいろと調べましたら、帝都では、地揺れという珍しい現象があったとも聞きます。炎龍まで出没を始めたという話です。晴れてさえいれば今夜も観測は可能ですから、みなさんにも是非、観測して頂いて、原因をつきとめることにご協力いただきたいのです」

 こうして、その日の夜から学徒達が一斉に夜空を見上げることとなったのである。





   *   *





 マンハッタン

 世界経済の中心地として栄えるその地は、世界の富を司る巨大財閥の代表が集う地でもある。

 世界的な財閥として高名なロックフォラー家、ロスチルド家の企業は勿論、デュパン、サッスーラ、クローンエブ、モルガルン、ヴァハロフなどもこの地に本社、あるいは本社級の機能をおいて、世界経済の動向を見据えている。

 彼らは、時に対立し、時に強力して世界経済における覇を競う仲ではあるが、時として自らの支配力を維持するために、秘密裏に談合し株価暴落、すなわち金融恐慌を意図的に起こすことがある。これによって新興の財閥や企業を、ふるい落とすのだ。勿論多くの企業が倒産し、世界経済は自分達も含めて大打撃を受けることとなるのだが、自ら事を起こす以上、彼らはその資産を安全な不動産や企業の株、そして金地金等に移し終えているので被害は少ない。さらに、倒産する企業から放出される旨味のある部門や資産を二束三文で買取ることで、財閥はさらに肥え太るという仕組である。これに付随して戦争が起これば、軍需産業が肥え太って二度美味しい。

 そんな財閥の一族が集まるパーティーに招待されるのは、もちろん彼らの一族、あるいは彼らに忠実な者、実力の認められた人物だ。例えば次期大統領候補の上院議員とか、成長著しい企業のトップ、そして各界の名士、著名人など。

 世界的な女優サラ・ヴィーンもその一人だ。
 主演女優としてオスカー賞をうけるほどの演技力とその美貌は、世界中の多くのファンを魅了する。だが競争の激しい芸能界は、僅かな油断ですぐに追い抜かれてしまう。これを避けるには、常に有力者の協力を得て、コマーシャルや映画、ドラマといった作品で好意的に扱われ続けなければならないのだ。マスコミ対策や、イエロージャ-ナリズムに対抗するにも、スポンサーたる有力者とのコネクションは不可欠と言えるだろう。

 そんな彼女の元に舞い込んだ一通の招待状。世界経済を牛耳る大財閥のパーティーに彼女は迷うことなく参加した。そこには、大財閥の当主やその跡継ぎ達、すなわち本物のセレブリティが大勢集っているのだ。それはチャンスを意味する。

「この度は、ご招待下さり有り難うございます」

 カクテルドレスで身を包んだサラは、ホストであるロックフォーラー財閥の三男坊バジュリに、挨拶として婀娜っぽい艶を含みつつも礼儀を失わない程度の笑み贈った。

 タキシードに身を包んだバジュリは、外見的には本当に良いところのお坊っちゃま風の男である。見た目も平凡。学校などでもあまり目立たない、教室の片隅にいるタイプと言えるだろう。だが、芸能界の常でサラの周囲には野心に溢れすぎた男達が日常的に集まっているから、気の抜けた印象のバジュリが案外に新鮮な印象であった。

 考えてみれば、野心家というのは所詮持たざる者だ。このバジュリは既に持てる者であり、野心を抱く必要がないのかも知れない。それゆえの人の良さ、温厚さだろう。

「実は僕はあなたのファンなんですよ。不躾な招待で、ご迷惑ではなかったですか?」

「いいえ。このような席に及び頂けて光栄ですわ」

 サラはバジュリの案内で、彼の邸宅のあちこちを案内された。
 このパーティには高名な映画監督や、小説家なども招かれていたから、早速名前と顔を売る機会とばかりサラは挨拶をしまくる。もちろん、彼女のことを知らない者はいなかったが『面識がある』と『知っている』との間には大きな溝が広がっている。この溝を越える努力が必要だ。その不躾とも言える売り込みに、バジュリも流石に苦笑した。

「随分と積極的ですね」

「確かに積極性は恥をかいたり失笑を買う虞もありますが、得るものもあります。物怖じと消極は、自分を守るだけで何も生み出さず、機会を失いますわ」

「なるほど、貴女は素晴らしいですね」

「はい。頑張っています」

「頑張っているのですか?」

「ええ。心に何の負担もなく、前に出ていける性格なら良かったのですが。でも、ビジネスのチャンスは前に出なければ掴めません」

「ああ、安心しました。貴女が、そのようにものごとをきっぱりと割り切ってらしゃる方なら、何かとお願いとかもしやすいですね」

 そんな会話をしていると、パジュリよりも少し年かさなくらいに見える男性が、声をかけて来た。もちろんサラなどにではない。街に出れば、サラのまわりにはたくさんの一般民間人が集まるだろう。だが、ここでは逆だ。彼女こそ一般民間人であり歯牙にもかけられない存在なのだ。だから大人しく黙って二人が会話を終えるのを待つことにした。

「バジュリ、聞いてくれ。トウキョウ・ギンザにある古い宝石商から持ち込まれた話なんだが、2万カラット(4㎏)を越えるダイヤモンドの原石があるらしいぞ」

 何気なく耳に入った2万カラットのダイヤという言葉にサラは目を丸くした。

 彼女が持つ最大ダイヤの指輪が精々23カラット。比較の対象に差がありすぎて想像も出来ないほどである。

「おじさん、いくらなんでもその大きさはあり得ないでしょう。人の頭くらいのサイズにはなってしまいますよ」

「最初は俺もそう思ってたんだが、だけど写真付きのメールが届いた。話の出所も確かなんで信憑性が高い。『特地』からの出土品らしい。紛れもない天然物だ」

「そ、それは…」

「おかげでこっちは大騒ぎだ。とにかく、その原石だけは何とか確保したいんで、現金が要る、とりあえず50億ドル分の日本円を融通してくれ。華僑が動いているという情報もあって競争になるぞ。幸い、宝石商は話のわかった人物で、大きさも価値だから細かくして売るなんてしないよう説得してくれた。持ち主も納得したらしい。だが一個出た以上は、まだまだ出てくる可能性もある。これはなんとしても抑えなければな。ついでにこいつは知っているか?日本は、特地でガワール級の油田も抑えたらしいぞ。地面を掘るまでもなく、行ったら原油の湖だったとか……」

「そっちの情報は、既に入ってきてます。推定埋蔵量1000億バレルだそうですね。でもダイヤの話は知らなかったなあ」

「ま、宝石関係の情報は、こっちの領分だからな。で、どうするんだ。手をこまねいて見てるのか?」

「まさか、その為に、彼女を招いてるんですよ」

 バジュリは、そう言って庭園の一角で各界の名士から挨拶攻勢を受けている少女を指さした。サラも釣られて目を向けたが、それは東洋人の少女であった。いや、東洋人は成人していても若く見えるから少女という歳ではないかも知れない。

「誰だ?」

「日本の皇室、高円寺家のプリンセスですよ。こちらのにホームスティしていると聞いてね、早速ご招待したってわけです。ちなみに、彼女は女優サラ・ヴィーンの大ファンなんだそうですよ」

 この言葉と二人の男性の視線でサラは、面識もコネもなかった自分が招待された理由を知った。
 だが、そんなことでつむじを曲げるようでは世の中渡っていけない。自分に期待された役割を果たしてみせることで、役に立つ人間であることをアピールする。それによって仕事の機会も得られるのだから。実際、二人の会話には、サラの欲望をかき立てる強烈な香りがぷんぷん漂っている。

「お前、ホントにやり手だな」

「特地の重要度を考えればこそですよ、おじさん。特地の存在は、僕等が抱えていた問題の殆どを先延ばししてくれます。資源、エネルギー、安価な労働力、二酸化炭素、人口問題……どれもこれも、特地を前提に考えれば、対応も楽になります」

 二人から、言い聞かせられるような言葉の数々。二人が何をしようとしているのか、その背景、目的、理由。サラはこの会話が、何かを自分に注ぎこむためになされていることに、今更ながら気づいた。

「そのためには、まず日本との関係強化だな。非常に大切な仕事だぞ。どんな手を使っても特地開発に食い込むんだ。いいな」

「任せて置いて下さいよ。既に、日本の議会にも手を回してます。企業との連携強化、メディア操作のいろいろは僕の十八番ですからね。ダイヤモンドの件もこっちで細工しますか。価格交渉しやすくなりますよ」

「そっちは遠慮しておく。ダイヤの取引価格は高くなければならないからな。何故なら、それが市場価値の安定に繋がるからだ。大切なことは、問題のダイヤを我が社が入手すること。そして、その価値を世の人が知ることだ。メディアを使うなら、その価値を大々的に宣伝するほうに使ってくれよ、いいな」

「では、そのダイヤを身につけるモデルには、サラに頼むことにしましょう」

 おもむろに提示された成功報酬。

 サラは、バジュリを人の良いおぼっちゃんと思っていたが、どうやら自分の目が曇っていたことを認めなければならないようであった。野心家には二種類あるのだ。飢えた狼のような存在と、静かな野心をうちに秘めて確実に進んでいく人間だ。後者とは、バジュリのような人間なのかも知れない。この男の存在を知ると、芸能界にひしめく前者のような連中がただのハイエナで、粗暴なだけの存在に思えてしまう。

 バジュリの手が親しげに腰に回ってきたが、サラは気にも留めなかった。

 そしてサラはバジュリに日本のプリンセスの一人に引きあわされる。

「プリンセス夢子、ご紹介します。こちらがサラ・ヴィーン」

 バジュリはサラと離れる際にこう囁いた。「よろしく頼むよ。君の役割は、彼女をとにかく楽しませること。我々に好意を抱いて貰うことだ。さして難しくないだろう?」と

 サラは、背筋を伸ばすと少しばかり緊張に身を固くして恭しくお辞儀した。何しろ相手は2000年の歴史を誇る皇室だ。神秘性と高貴さで比類する者は非常に少ないのである。

 富を手にした者は次に名誉や格式を欲しがると言うが、アメリカ人では逆立ちしても手に入らないのものがそれである。議員や知事、あるいは大統領になれたとしても、それは任期の間であって終生のものではない。だから(彼らは決して認めたがらないだろうが)、爵位や皇族と言った身分に対する憧れめいたものが彼らの中にはあるのだ。そしてそんなものの塊みたいな存在を前にして、どう対処して良いのか一芸能人に判るはずもなく、サラは丁寧に、慎重にと会話を進めるほかなかったのである。だが、ほどなくしてその緊張もおおいに緩むこととなる。

 意外と言うべきか、それともファンならば当然と言うべきか、高円寺家の2女、夢子女王殿下の関心事は、サラの映画や出演した俳優達のこと、これまでの苦労話や、次の芝居といったものばかりであったのだ。

 それは、まるで、どこにでもいる普通の大学生と話しているような印象であった。違いと言えば、市井の市民に見られない気品と自然なまでに身に付いた礼儀正しさだろう。そして殿下の日常について尋ねると、もっぱら大学での生活についてが中心になった。サラは大学に入らずに芸能界へと入ったので、実は大学生活についての憧れもあって、プリンセスがどのような勉強をしていて、学校にはどのような教授がいて……そんな話を大いに楽しんだのである。

 いずれにしても、日本の皇室に対して神秘的で閉鎖的という先入観を抱いていたサラは、夢子殿下を前にして「なんだか、普通の女の子なのね」という感想を抱いたのである。

 そんなこともあって話に一区切り付いた辺りで「お話ししてみて、安心しました。もう少しかしこまった話題でないと、いけないかなと緊張していたんです」と告白する。すると夢子殿下は苦笑した。

「わたくしたちも、それほど特別ではないのですよ。趣味と言えば登山、フィギュアスケートをしている娘もいます。それに自転車に、時にはコンサートなんかに出かけたりしてますわ。実は、サラさまが出演されている映画も、映画館に行って拝見したんです。妹の玲子は、最近ではコミケなんかにも、足を運んだりしたそうです」

 こんな風に夢子は屈託のない上機嫌さを見せてくれたから、サラは自分の役割をきちんとこなせているな、と考えていた。

 そんなサラと夢子を少し離れたところから覗き見る者達が居る。

 パーティの開かれた豪邸の最上階。ここに、それぞれの財閥のトップたる7人の老人達が集まってた。合衆国を、そして世界を実質的に支配するのが彼らなのである。彼らは見下ろすようにして、庭園を眺めていた。

「どうだ?」

 安楽椅子に腰掛け、高級ブランデーを入れたグラスを傾けつつ尋ねる。窓際から外を眺めていた老人は、カーテンを閉じると両手を開いて告げた。

「ゲストは上機嫌だ。お前の所の3男坊は実に上手くやっているようだ」

「全く忌々しい話だ。日本人なんぞの機嫌をとらねばならんとは……」と伝導車いすの老人が鼻息荒く言い放った。

 窓際の老人は宥めるように言う。

「だが、特地開発に企業連合を組んで参入することはほぼ決まった。プリンセスに繋がる人脈は大いに役に立ったぞ。なんといっても彼女の母は丸菱に繋がる閨閥だ」

 執事がグラスの中身を継ぎ足してくれるのを満足げに頷いた老人は、厚い縁の老眼鏡を輝かせながら説明する。

「おかげ日本政府与党との交渉も上手く行ってる。どうも日本側としては、最初から我々を巻き込みたかったようで、件(くだん)の油田でも開発資金と技術協力を持ちかけたら諸手で歓迎されたよ。だが議会の野党がどうにもいかんようだ。我が国やEUに、分配が偏りすぎだと噛みついているらしい」

「まったく話にならん。中国や韓国にどんな開発技術があるという?」と電動車いすの老人は肩を竦めた。

「国務長官から聞いたんだが、こんな話がある。中国の軍高官が太平洋の西を中国が、東をアメリカが支配することにしてはどうかと持ちかけてきたらしい。もちろん、話にならないと一蹴したそうだが、おそらく連中は本気だろう。特地においても、下手すると半分ずつ支配しないかとか言い出すぞ」

 そんなことを言いながら、ビリヤードのキューを手にしていた長身の老人が球を撞くと、小気味よい音がなった。

「我らとしては、中国をどう牽制するかだな。分配される範囲で満足するように中国やEUを説得するしかないか」

 厚い縁の老眼鏡の言葉に、窓際の老人が肩を竦める。

「かと言って、我らも日本から分け与えられた分で満足することはできん。合弁ばかりでなく、単独での特地参入の手かがりを得ねばな」

「そのあたりは、ホワイトハウスに任せておけばよい。我らとしては、今得られる物を確実の物とすることだ。だがな、大丈夫なのか日本は」

「そうだ。明らかに異常な状態だぞ」

 そう、世界経済を支配する財閥当主達が心配するような事態、それが日本を襲っていたのである。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 53
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/01/20 19:31




53





『特地ブームは、今や社会現象とまで、なりつつあります』

 テレビ局は、ほぼ毎日『特地』についての情報を流していた。

 きっかけは以前から発売されていた、アルヌスで働いている様々な種族の女性達の写真集だった。写真週刊誌や雑誌で「特地の女の子特集」といった記事が掲載されて、それらをまとめた写真集が作られたのである。

 もちろん、最初にこれらに手を伸ばしたのはごく一部のコアなファン達である。写真の主題も、見目麗しい女性達ばかりであったから、判りやすいと言えば判りやすい。だが、それらに掲載された写真は、男性の性的好奇心ばかりを追求したグラビア的なものばかりではなかったことから、次第に一般の男女までもが手を伸ばすようになっていった。

 例えば、ハイエルフ。美しいテュカが泥だらけになって樹海を守り育てる姿。

 例えば、亜神ロゥリィ。彼女が墓地で鎮魂の儀式を行っている神秘的な姿を、茜色の夕陽を背景にシルエットだけで映し出していた。

 例えばヒト種。レレイが魔法を演じている姿は、本物の迫力を見事なまでに伝えていたのである。

 PXの猫耳店員が、日だまりの中で丸くなって昼寝している姿からは「くぅ~」という寝息が聞こえそうで見る者を大いに和ませたし、ポーパルバニーのデリラが、客と談笑していた時の屈託のない姿からは、彼女の躍動するかのような活気が感じられた。

 すこしやさぐれた感じの翼人ミザリィが、薄暗い悪所の街角でキセルをくゆらせながら客待ちしている姿も、なかなかに妖艶な雰囲気である。

 そんな彼女たちの活き活きとした姿を映したのは、写真趣味の自衛官達。

 第三偵察隊の笹川を始めとした彼らの作品は、アマチュア写真家に対するものとしては比較的権威ある賞が与えられた程の出来となっていた。そして、その余勢をかうようにして『特地』の写真集は第二弾、三弾と間髪を置かずに出版された。

 写真集の購買層が大きく広がり、流行と呼ばれるまでになったのは第四弾の動物写真である。

 これまでも、日本では様々な動物が愛され、しばしの間流行した。
 記憶にあるだけで、パンダ、エリマキトカゲ、ウーパールーパー、シベリアンハスキー、チワワあるいはローカル路線の駅長に任命されたネコなどなど。

 特地の第四弾写真集は、それらに負けじと劣らぬインパクトを見る者に与えた。

 何しろ、それまで幻想種としておとぎ話かアニメ、あるいはゲームの中でしか存在しなかった動物たちの姿が、そこに写しだされていたのだから。これによって第四弾写真集は大人から子供まで広く、手にとられることとなったのである。

 荒野を疾駆するサーベルタイガー。

 群れを為してこれから逃げる一角獣。

 愛くるしいケットシー。

 両腕に翼をもつハーピーの飛ぶ姿。

 逞しいケンタウロス等々の様々な獣人、モンスター達。

 さらには翼竜。それも、自衛隊を空から襲おうとする翼竜を下方から撮影したものは迫力満点である。

 そして炎龍。残念なことに、写真として捉えられた段階で炎龍はすでに死体となりはてていたが、その巨体に感じられる畏怖は少しも損なわれていなかった。

 これらの写真は、映画の特殊効果やゲームのCGなどには無い、独特の雰囲気があったのだ。そしてその迫力、あるいは愛らしさに子供も大人も目を奪われたのであった。

 これらの動物が実在することを知れば、多くの人は実際に見てみたいと思うだろう。適うことなら触れてみたいと思うだろう。その代償行為として、炎龍や翼竜、幻想種の動物たちを象った様々なキャラクターグッズが作られ、飛ぶように売れていった。

 しかし、ここまでなら、ただの一過性の流行で終わりやがて静まっていったはずだ。だが、火に油とでも言うべき出来事が、これに続いた。

『特地』で大規模な油田の存在が確認され、それに続くようにして多くの鉱山の権益が確保されたことから今度は、経済界が色めき立ったのである。

 以前からじりじりとあげつつあった石油、重化学工業、鉱物関連の株価は大暴騰を起こして連日のストップ高。海外の投資家がこぞって資金を投じたために、急激な円高が起こってしまう。

 こうなると経済界からの特地への実地調査を希望する声は、ひっきりなしとなって抑えが効かない。以前から新聞やテレビといったメディア関係者は特地へ取材を求めていたが、これに続いて動・植物の学者達、開発業者、観光業者などが特地の民間への開放を求めて激しく迫ったのである。気の早い開発業者などは、特地に別荘地の開発する計画を発表するという有様である。労働団体も特地開発計画を、職にあぶれた失業者にとっての福音と受け取っていた。

 防衛省には連日のごとく資料の公開請求が出された。
 それによって開示された現地の地図や写真、各種の資料、自衛官達の報告書など、面白くも何ともないはずのお堅いお役所文書がまとめられて出版されたり、ネット上で公開されて、様々な形で人々の目に触れていった。

 これらの資料の中に、これまで一部の者しか知ることがなかった『アルヌス生活者協同組合』についての記述があったことから、人々は特地の物産を入手するには、どこに連絡すればいいかを知ってしまう。

 こうして特地産の新鮮な果物や珍しい民芸品などが『門』を越えて日本側へと輸入されはじめたのである。厳密に言えば、これらの輸出入には関税あるいは検疫といった様々な問題が絡んでいたはずだが、かつての今泉総理の答弁が災いした。

「強弁と呼ばれるのも覚悟で『特別地域』を日本国内と考えることにする」だ。

 この答弁と、政界官界、さまざまなルートにかけられた圧力によって、それまで暗黙の了解で静かになされていた交易が、公然と行われることとなってしまったのである。

 だが特地は、今なお戦地である。物の往来は許しても、一般人に門をくぐることだけは、まだまだ許されなかった。そんな中で特地へと入ることを切望する者はどうするか。自衛隊に入るしかない。

 大勢の若者達が、各地の自衛隊地方連絡部や募集事務所へと殺到して列を成した。そのお祭り騒ぎのような情景はテレビ各局によって全国へと報道された。

「希望の動機はなんですか?」

 向けられたカメラに対して、若者達はそれぞれに動機を答えた。

「いや、特地に行ってみたくて」

「エルフと結婚したいからです」

「ろ、ロゥリイ聖下に、帰依したいと思ってます」

「わたしはぁ、ケットシーを飼ってみたくてぇ。ユニコーンとかも見てみたいんです」

 このようなことは極端な例だと思いたい。思いたいが真実でもあった。

 実際に多くの志願者達が、今から自衛隊に入っても特地に派遣される隊員は主に陸曹あるいは陸士長といった中堅隊員ばかりで、入隊してもすぐに特地に派遣されることは無いと説明されると、口々に不平不満と言いながら帰って行ってしまったのだ。

 しかし、それほどにまで人々の特地に対する憧れめいた熱望は、高まっていた。

 戦地であるという理由で、民間人が立ち入れないのなら早く戦争を終わらせろ。そう言う要求が平和団体や野党などから突きつけられたとしても、自然の成り行きと言えるだろう。また、それとは別に、戦地だとしても門の周辺はすでに制圧しているのだから、門の近辺に限っては、民間人の立ち入りを許可するべきだという意見も出てきてしまった。

 まだ戦争が終わってもいないのに、ここしばらく戦闘がないという理由で、武器使用の制限や自衛隊の活動の抑制すら語られはじめた。そして、これに多くのマスコミや知識人達が同調し、あたかもそれが大勢であるかのごとく報道されたのだ。

 勿論、現在講和交渉中の微妙な時期だから政府の選択肢に制限を加えるようなことをすべきではないという健全な意見も出された。だが、これらの声は、どういう訳かマスコミによつて無視されてしまったのである。

 こうして、政府の手足は様々な形で縛られていった。

 そのために講和交渉の席でも、強気に事を推し進めることが出来ず、結果として会議の進展が妨げられてしまうのだから、皮肉と言えるだろう。
 にも関わらず、マスコミは進展しない状況にますますいきり立ったのである。「政府は何をやっているのか」、と。

 そんな中で、国連視察団が特地へと入る。これに随行する形で取材カメラも入ることとなって、いよいよ特地の映像がライブ中継される。

 多くの人が、テレビに釘付けになっていた。





    *      *





「みなさん、わたしは今特別地域、通称『特地』へと立っています。ここは、地元民の方々がアルヌスと呼ぶ丘の頂き近くです。銀座にある『門』は、こんな場所へと繋がっていました。ここに来て最初に思ったことは大変に空気の澄んだところと言うことでしょうか。実は私は、花粉症持ちなのですが、ここでは全く症状が出ません。陽射しは少し強めで、まるで地中海のようです。ですが風がからっと乾いていてしかも涼しいので、大変過ごしやすく思えます」

 本番前のリハーサル。
 栗林菜々美はカメラへの映り方や立ち位置などを微妙に調整しながら、ティレクターから手渡された台本に若干のアドリブを加えて時間調整を試みていた。手中のストップウォッチをチェックすると、定められた時間内にはちょっど収まるようだ。

「しかし…」と、台本を読んで思う。
 マスコミという存在は、なんだか中世暗黒時代のキリスト教会に似ているな、と。

 かつて、教会は「神との周旋は教会が独占する」と聖書の何処にも書いてないことを声高に主張し、あたかも自らが神の代理人であるかのごとき権威をふるった。当時の支配者は「王権は神より与えられた」と称して己の支配を正当化していた。故に、神を代行する教会には、靡かざるを得なかったのである。

 腐敗した教会は、自らの意思を神の意志と偽って専横の限りを尽くした。自分は今、大衆を代表しているかのごとく振る舞い、『誰か』の意向をまるで大衆のもののごとく語っている。

 けれど、『誰か』って誰だろう。
 教会なら法王だろう。ではテレビ局では、放送作家?局長?ディレクター?スポンサー?それとも広告代理店。あるいはもっと別の何かだろうか。

 栗林は、そんなことを考えながらも背後の風景を紹介するかのように振り返って、大仰に手を広げた。アナウンサーとして訓練された栗林菜々美は、考え事をしていても、自然な笑顔を形作り、なめらかに言葉を発することが可能となっている。

「門を越えた異世界がこんなところだとは思ってみませんでした。この丘には、現在陸上自衛隊の特地派遣部隊が駐屯して門を守っています。ここから麓を見下ろすと、航空自衛隊の滑走路が見えます。また、あちら側……南側の麓には、地元の人達が暮らす街があります」

 カメラが、ゆっくりと旋回して丘から街の風景を映し出す。対比するように自衛隊の施設が映し出される。台本によると、ここでスタジオのキャスターが感想を述べることになっている。

『ずいぶんと威圧的な雰囲気ですね』

 そのコメントに続くようにコメンテーター達も口々に、平和的な風景にそぐわない施設だ、とか、地元の人が生活している場所の近くに戦闘が起こるかも知れない施設をつくるのは、非常識、言語道断などと続けることとなっている。

 最近売れてきているグラビアアイドルに与えられたセリフに至っては、「こわ~い、鉄砲があるよ~」(大仰に怖がって見せて)とまで書いてあった。

 それに続いて栗林がこの中継がはじまる前に、街の様子を取材した映像があることを告げると、生中継の画面は撮り溜めた映像へと変わる予定だ。

 それは2時間ほど前の映像で、栗林菜々美が街を歩く姿から始まる。
 カメラは、荷物を積んだ荷車や、建設中の建物などの様子を紹介して進む。

「街の近くで、自衛隊が駐屯することをどう思いますか?」

 露天のような食堂の料理場で肉を焼いていた料理長は、つきつけられたマイクに戸惑った様子を見せた。

 映像は、栗林菜々美が質問しそれに料理長が答えるという構成になっている。
 通訳をしている自衛官の姿や声は映像からはさりげなくカットされている。だから画面では、料理長が引きつったような表情で現地語で答える場面が流され、それにテレビ局のつけた日本語音声が被されて流れるのだ。

「同時通訳の日本語音声)おっかないね、とっても不安だよ。(かすかに聞こえる現地語→お陰で、安心して暮らしているよ」

「戦争についてはどうお考えですか?」

「同時通訳の日本語音声→自衛隊にはとっとと帰って欲しいよ。こっちは平和に暮らしていたのに、迷惑な話だ。(かすかに聞こえる現地語→はやく終わると良いね。無事に帰って欲しいよ」

 編集の終わった画像を下見して、菜々美は諦念にも似た心境で唇を噛んだ。

 これがマスコミのやることだ。これが現実だった。

 例え嘘でないにしても、都合の悪い出来事は伝えない。丘の麓にある街が、避難所から発展したものだということを知っているはずなのに、あえて触れないことで視聴者に意図的に誤解させようとしているのだ。

 あるいは、同じ出来事をしつこく報道する。

 関係のない二つのことを並べて、見る者に関係あるかのごとく印象づけようとする。

 さらには、長い文脈で語られたことの、一部分のみを抽出して伝える。

「この街で働いている、女性をどう思いますか?」という自衛官に向けられた質問に対するコメントは、一言だけを切り取られて作られていた。

「……可愛い……」
「……ちょっと、ドジ。だが、それがいい……」
「……俺の嫁……」

 これらの手法を駆使してマスコミは真実を、誰かにとって都合良く加工するのだ。

 実際には、とある食品がダイエットに効くというコメントを、あたかも海外の研究者がしたかごとく日本語音声を被せて流し視聴者を騙したり、海外からのレポートでは、インタビューの内容を改変して報道したりという前科がある。

 他の例を挙げれば、医療ミスとも言えない事故を医療事故と声高に叫び、医師達にはドラマかマンガにしか現れないような、超人たることを要求して、現場で働く者の士気や熱意を阻喪させる。結果として、救急医療体制を支える人材は逃散していく。そりゃそうだ、全力を尽くした、でもダメだったということは医療に置いてはいくらでも転がっている。それを責められて、はげしく詰られ、時に逮捕されると言うのでは割に合わない、やってられないのだ。

 後に残るのは、救急現場が患者を受け容れることができないという現実。
 それでも現場に残って必死で現状を支えているスタッフを、さらに鞭打ち非難する。「たらい回し」「受け容れ拒否」などとレッテルづけて。

 現実は違う。たらいまわしではない。拒否でもない。ただベットが空いてない、診察する人材、看護する人材がいないというだけなのだ。この現状のA級戦犯は果たして誰だろうか。しかし、彼らは、自ら認めることは決してない。
 やがて鞭打つべき相手が弱って来て、叩き甲斐がなくなって来ると、最後には非難の矛先を政府へと向ける。結局、自らの罪を省みると言うことはしないのだ。

 栗林菜々美のマイクはPXで働いている猫耳娘達にも向けられた。

 何がどうなってるのか判らない猫耳メイドは、いきなりのことで困惑していた。その表情が、怯えているようにも見えた。

「日本の男性をどう思いますか?」

「同時通訳の日本語音声→ちょっと怖いかな。変な目で見るのは止めて欲しいです(かすかに聞こえる現地語→親切で、とても礼儀正しいと思うニャ」

「自衛官に言いたいことがありますか」

「同時通訳の日本語音声→とっとと、どっかに行って欲しいです(現地語→みんな、無事に帰ってきて欲しいニャ)」

 これらの映像を流し終えたあと、再び菜々美のバストショットに画面が戻ることとなっている。

 菜々美は、再びストップウォッチを押すと予定されているセリフを、ゆっくりと語り始めた。
 特地の現状を、今後の国連視察団の活動予定、そして自衛官達の様子を。菜々美なりに努めて冷静に、客観的に、事実のみを……しかし。

「よし、そこまでにしよう。もう少しで本番だからなスタンバッておけよ」

 ディレクターの声で、リハーサルは終わった。

 台本のページを捲れば、コメンテーター達のセリフは以下のように続く。

「まったく自衛隊の連中は何をやってるんやろ。歴史教育をきちんとやっとらんから、現地の人を怯えさせるようなことになるんや。過去を反省してないからや」

 マスコミは、学校や教師に自己中心的で、過剰な要求を突きつける親をモンスター・ペアレントとレッテルづけた。

 病院や医療従事者に自己中心的で過剰な要求を突きつける患者をモンスター・ペイシェントと名付けた。

 ならば、現状のメディアはどうか。モンスター・マスゴミと称するのがふさわしいかも知れない。
 彼らの行動原理に公正という言葉はない。映画「靖国」の公開が中止されようと言う時は、言論の自由、報道の自由に対する挑戦だと息巻いた癖に、某国の圧力には腰砕けになってヘタリアを放送中止にする有様だ。

「わたし、何やってるんだろう」

 菜々美はそう呟いて、小さく嘆息した。

 台本を思い起こしながら、本番を待つ。

 あと数秒で本番が始まる。カメラが構えられ、音声がボリュームを確認し、ディレクターが時計を読み上げる。

「3、2、1、キュ!」

 中継が始まった。

 テレビ画面が『特地』の風景へと変わり、菜々美は台本通り話し始めようとした。

 だが、その瞬間に各家庭に配信されたのは、予定していたような画像ではなかった。

 台本も予定表も吹っ飛んだ。人々は、衝撃的な映像に視聴者は息を呑み、慌てて子供達の目を塞ぐ。

 轟音をまき散らして舞い降りてきたヘリ。

 そこから担ぎ出される担架。慌てふためく自衛官達。

 喧騒と怒号が響く中で、傷つき、血にまみれた自衛官達が次々と病院へと運ばれていく。その血の惨状をテレビは余すことなく、日本中に知らしめてしまったのである。




 皇太子ゾルザルの意向を受けた、ヘムル、ミュドラ、カラスタの3将の打った手は、悪辣と呼ぶべき領域をさらに、踏み越えたものであった。

 彼らは、兵士達の装備から所属を示す全ての徽章類を外させた。
 今となっては知るよしもないが、自分達のする行為が明らかに不名誉な振る舞いであることを承知していたのだろう。徽章類を外すことで、帝国の名誉を守ろうとしたのかもしれない。だが、実際には彼らの行為は後世に末永く語り継がれていくこととなる。

 彼らは配下の舞台を、少人数に細かく分けると、商人や巡礼に扮してアルヌス近辺に潜入させ、村落や、街を襲わせたのである。そして、まず最初に女性や子供を人質にすると、残された男や年寄り達にこう宣言した。

「人質を無事に返して欲しければ、ニホン人を殺して、首を差し出せ」と。

 抗するべき手段を持たない村人達は、自分の家族を救うために、仕方なく農具や、包丁を手にするしかなかった。

 そんな中、事情を知らない自衛官達が定時パトロールで村落に入る。
 既に、地元民達とは顔見知りとも言えるくらいになっていたから、いつもの調子で近づいて気さくに声をかけた。

「何か、変わったこと無い?」

 重々しい雰囲気に、一瞬何があったのだろうと思ったが、もうその時には遅かった。
 気がついた時には、周囲を取り囲まれて四方八方から襲われてしまったのだ。

 一度、このような衝突が起これば、疑心暗鬼が起こり誰が敵で誰が味方か見分けようがない。

「近づくな、撃つぞっ!」

「待ってくれ、待ってくれ。俺たちは違う」

 そう言いながらも後ろ手に包丁を隠して近づいてくる町民達。
 自衛官は、躊躇った者から殺されていき、隊員達は生き残るためには引き金を引くしかなかったのである。

「仕方ない。撃て、撃て、撃てっ!!」

 自衛官達は無差別に発砲するしか選択肢がなくなっていた。
 こうして、折り重なるように倒れていく農民達。街の住民達。
 それを、遠方から眺めて嘲るようにして笑う帝国兵。彼らの足下には、人質とした女や子供の骸が転がっていた。

 自衛隊の反撃が始まれば、街や村は瞬く間に制圧される。
 そして、僅かに生き残った住民達から事の真相が知らされたのであるが、時は既に遅く、各地で自衛隊、住民双方に甚大な被害が発生してしまったのである。

 マスコミは、動転してしまった。
 そして自分達がそれまで、どんな要求をし、どんな批判をしていたのかもすっかり棚に上げ、自衛隊の手ぬるさを批判し、政府の対応に激しい非難を始めた。

 このような状況下で、福下総理は政権を投げるようにして辞職を宣言。

「麻田さん、貧乏籤を引かせることになりましたねぇ」

「しょうがねぇさ、これも何かの縁って奴だろからな。福下さん、これまでご苦労さんでした」

 こうして与党は、麻田太郎に内閣総理大臣の椅子を託すことにしたのである。

 だが、マスコミにとって麻田総理は不倶戴天の敵であった。
 その理由はいくつもある。代表的な物としてはタカ派として、日本を取り巻く諸外国に対して厳しい態度でとることや、ネット世論の支持を受けていることなどがあげられるだろう。

 マスコミは、インターネットに対して激烈なまでの憎悪を抱いている。『ネット』とはマスコミからすれば『大衆』と『個』との仲介者としての権益を脅かす存在であったからだ。

 それはあたかも、かつてのカトリックが、プロテスタントを見るような心情と言えばよいだろう。前述したように、中世の教会は神との仲介役を独占していた。これによって教会は様々な権益を得ていたのだ。

 民主主義の体制下では、政権は国民から託される。故に政府は『大衆』と『個』とを結びつけるマスメディアに靡かざるを得ない。マスコミは情報を独占することで、第4の権力と呼ばれるまでになったのだ。だが、ネットワークの存在はそれを脅かす。ネットワークは真実を暴き、マスコミの恣意的報道や、腐敗の現実を浮き彫りにしてしまった。故にこれを憎み、貶めようとする。

 だから、ネットの嘘を検証すると称しながら、自ら嘘の内容を垂れ流すWEBサイトを作り、あるいは新聞社が、日本人女性を非常に冒涜する内容の捏造報道をネットで垂れ流したりする。こうした行動の底辺には、そのようなルサンチマン(妬みから来る憎悪)があると思えば理解できるだろう。

 だからマスコミは麻田が政権を執る機会が廻るたびに、ネガティブキャンペーンを繰り広げてこれを妨害したのだ。そして麻田政権が誕生したなら徹底的に叩くのである。

 麻田は、まだ何もしない内に逆風に晒された。
 どこで酒を呑もうと、本人の懐から金を出すなら当人の勝手だろうに、それが非難される。
 手を挙げたら手を挙げたと非難され、手を下ろせば手を下ろしたと非難される。
 何かを言えば軽率に物を言うと非難され、口を閉ざせば黙っていて何も言わないと非難される。
 思案中の考えを開陳すれば、独り善がりと非難され、いろいろな意見を聞いて、それを修正すると今度はブレたと非難される。しかも、長い話の脈絡を無視して、一部分だけを切り取ってそれを流布するという阿漕さ。

 度重なる批判も繰り返されれば、メディア・リテラシーを持たない大衆は、麻田とはこんな悪い奴だ。あるいは頼りにならないという気になってしまうだろう。大衆とは、大勢に従ってしまうものなのだから。
 さらに、マスコミは麻田政権に対して、旧き教会の大司教のごとく破門状を突きつける。曰く、民心からかけ離れていると称して。

「派遣切りにあって職がない。今日明日を何とかしなければならない困ってる人がいる」とアナウンサーは叫ぶ。今何かしなければと、政治が求められていると叫ぶ。しかし、その裏で、地方自治体の臨時職員募集定員に対する応募者が、実は1割にも満たないという現状については殆ど報じない。職がないのではないという現状を全く報じないのだ。

 マスコミ・特定の政治思想を持つ者・そして日本にタカ派の対応をとられると困る海外勢力。これら複合体の共同意図は達成され政府の支持率は右肩さがりに下がっていった。その調査の結果ですら、疑わしい物であったが人々は妄信して疑わない。

 そんな連中が作り上げた雰囲気に乗じて、野党は無責任に叫ぶ。

「不景気の問題なんですが……」

「政権交代すれば上手く行きます」

「医療問題……」

「政権交代すれば上手く行きます」

「失業もんだ…」

「政権交代すれば上手く行きます」

「外交もん…」

「政権交代すれば上手く行きます」

「お小遣い」

「政権交代すれば上手く行きます」

「メタボ」

「政権交代すれは上手く行きます」

「恋人ができないんですけど」

「政権交代すれは上手く行きます」

 このような事態に動揺したのか、野党の批判に呼応するかのように、麻田を支えるべき与党の政治家すら日和見して批判を始める。

 彼らは、批判することで、責任から、義務から、罪から逃れられると思い込んだかのように批判する。そう、彼らが批判者という立場に身を置きたがる心底は、結局の所、責任逃れの免罪符を得る為でしかないのだ。

 腐敗した教会が免罪符を売ったように、マスコミは『批判』という名の免罪符を売って歩いた。増税についても不評に決まっている。だが、結局は国のために必要だと思うからあえてそれをするのである。だが、責任感に欠けた連中は、来るべき選挙の際にこう言いたいのであろう。

「その件については、私は反対だった」

 野党も反対反対と言いながらも、麻田が不人気な増税などの施策を済ませてしまうことを内心で望んだ。そうすれば、自分達が政権を執った際にその成果だけを自分の物とすることができるからだ。故に、審議拒否する。政府与党が強行採決することを望んでいるからだ。

 もし本当に反対なら、どうすれば良いのかを提案しなければならない。しかし、提案するからにはその提案に責任が生じる。しかし責任はとりたくないが故に批判しか出来ない。提案したとしても、実現不可能な空論ばかり。

 誰もが責任から逃れたがっている状況。
 急激に泥沼化を始めた『特地』の戦況。

 こんな混乱の中で、全てを救う術はない。誰かを助けようとすれば、何かを取りこぼすのだ。それでも、あえてそれをしなければならないのが政治だ。取りこぼす事への非難を恐れては、政治など出来ない。全てを救う正義の味方は物語の中にしかいないのだから。

 政治家麻田は、猛烈な逆境の中で歯を食いしばって、情勢の推移を見据えていた。





    *      *





 一方、帝都のゾルザルは、有頂天となっていた。

 早馬を連ねて届けられたヘムル将軍からの第一次戦果詳報が、彼の期待を遙かに越えたものとなっていたからだ。

 その報告の文言は、戦果報告の常とでも言うべき過剰な修飾と麗句によって彩られたものであった。当然、戦果その物も、僅かしかない肉にどろどろに溶かしたダンボールを混ぜて水増しされた肉まんじゅうであることを疑わねばならないのだが、ゾルザルは、報告文をそのままに信じてしまった。

「ピニャ。これを見ろっ!」

 届いた文書を振り回すようにして、まるて己が功績のごとく言い立てるゾルザルの姿は、ピニャの目に、無邪気な子供が喜んでいるかのように映った。

 その戦果が、どのような方法でもたらされたものかを知ることが出来たなら、ピニャとしてももう少し違った感想の抱きようもあったろう。実際、後に真相を知ったピニャは、あの時にこのことを知っていたら、後の悲劇は回避できたかも知れないという後悔に責め苛まれるのである。だが、この時点ではピニャにそれを知るよしもなく、ゾルザルが動員可能な戦力の規模から推察して、小部隊が不意の遭遇戦で、まぐれ勝ちした程度に考えたのである。

 当然、その報告に過剰な修飾や水増しがあることも見抜いている。とは言え、水増し分をさっ引いても、戦果は戦果だ。アルヌス攻略戦以来負けっ放しだった帝国が日本国に一矢報いたと聞けば爽快な気分になれる。(尋常に戦ったのなら、だが)

 勿論、これで戦況を完全に逆伝出来ると思うほど楽天的ではない。ただ、小規模にしても勝利を重ねることが出来れば、講和交渉においても帝国側にとって有利な材料になるのではないかと思うのである。

 現在、会議は大項目で合意を見ており、現在細目を詰めている段階だ。
 議題となっているものとしては、貨幣の持ち出し制限、関税、刑事・民事・商法の整備とそれが整うまでの移行期間等についての話し合いだ。その中の一つに、日本企業が帝国内で得た利益に、帝国が税金をかける権利を有するかどうかがあった。日本側としては当然免税権を、帝国側としては自由な課税権を保有することを求めて対立していた。

 ピニャの見たところ、最近の日本は講和を急いでいる。だがらギリギリのところで譲歩して来て、一定の率の範囲内で決着するように思えた。ただ、その一定の範囲となる数字がどうなるかが問題なのだ。

 日本が帝国で行おうとしている経済活動の規模がどれほどのものかはまだ判らない。だがイタリカ経済の活況から見ても、利率が「1」違うだけで、どれほどの利益が帝国にもたらされるか予測できるのである。
 それだけに、帝国側に有利な条件がそろうことは、とても良いことなのだ。

 ゾルザルの自慢は、ほぼ1日をかけて講和派の元老院議員や、閣僚達の前で繰り広げられた。そんな中には、これが日本との戦争の反撃の狼煙になると勇気づけられ、息巻いた者も多い。講和その物を苦々しく思っていた勢力には、日本、恐れるに足らずという雰囲気が広がりだした。

 こうして主戦論派はゾルザルの強行姿勢を高く評価し、大々的な反撃に打って出るべきだという意見が俄に勢いを得たのである。

 これに批判的なのが、まだ日本に家族が捕虜となっている貴族、あるいは講和派の貴族達であった。特にキケロなどは、ピニャ同様に日本の兵器などを、見せつけられたこともあってまともに戦ったら勝てるわけがないと見ている。だが、そんな彼の姿勢を主戦論者は「怯懦」「売国」と激しく非難したのである。

 また家族が捕虜となっている者も「家族のために国を売るのか」という論調で激しく詰られれば、講和を強く主張できないでいた。

 日本政府が激しいバッシングの中にあるのと同様に、帝国政府も主戦論派と講和派の対立が浮き彫りとなっていったのである。




 テューレは、ゾルザルの執務室の脇に座り、俯いていた。

 傍目からは、意気消沈しているかのようにも見える姿だ。
 実際、ゾルザルはテューレの希望をうち砕くように、緑の人の噂を流す者の抹殺がなされたことや、ニホン軍をどれだけ苦しめたかを自慢げに語った。

 テューレが悲しみ、心を閉ざすような態度を取ればとるほどゾルザルは、喜び悦に入り、彼女をさらに苦しめ、悲しめようと絶望を囁いたのである。

 そんな風に苦しめられるテューレの姿を見て、ポーパルバニーを蔑む貴族達も流石に痛ましく思った程である。

 だが、誰も知らない。俯いたテューレが暗い喜びで充ち満ちていたことに。

 悲しみに打ち拉がれているかのように、両手で覆うその顔には、満面の笑みで彩られていたのである。

 帝国と日本とが激しく戦い、多くの死者が出たという知らせは彼女にとって喜びだったからだ。更に戦争が激化して、多くの死者が出て、ゾルザルが、そして帝国が滅ぶことをテューレは望んでいたのだ。

 とは言え、テューレにも気がかりなことがないわけではない。

 以前命じた紀子暗殺について、失敗したのか成功したのか、いずれの報告もないからである。そもそも、ボウロがまったく顔を見せないという事態はこれまで無かったことだ。テューレとしても、何かゆゆしき事態が起こっていると考えざるを得ない。だが、テューレからボウロに連絡を取る術はない。ただ、ひたすらじっと待つしかないのである。

 何とか、こちらからボウロに連絡を取る術はないか。

 テューレがそんなことに思いをめぐらせていると、そんな彼女に声をかける者があった。

「テューレさん。どうしました」

 見れば、料理人のフルタであった。
 ゾルザルが皇太子府を開府した際に、専属の料理人として指名されたのだ。彼の料理は大変に評判が良く、テューレ自身も彼のにんじん料理は気に入っていた。

 そのフルタが、自分の姿を見るたびに、何かと声をかけて来ることにテューレも当然気がついていた。料理の味見と称して、何かと差し入れてきたり、ゾルザルの好みを測るためと称してテューレからいろいろと話を聞きたがりもするのだ。

 テューレとしても、好意的な態度を取られて悪い気はしない。それに、いずれ何か利用価値があるかも知れない。そう考えるとこれまでの態度を改めて、可能な限り相手をするように心懸けていた。

「フルタか……何?殿下なら、小用で席を外されているわ」

 わざと、目を擦ったりして泣き顔を見せまいとしているように振る舞うテューレ。その芝居にフルタは騙されたのか、心配そうな表情を見せた。

「もしかして泣いてました?」

「ううん。気にしないで」

「気にしますよ。また虐められたんですか?」

「お願い。優しくしないでっ!」

 惨めになるから。そう言ってテューレはそっぽを向いて見せる。案の定、フルタはテューレが期待したような、同情的な態度をいっそう強めた。

 テューレは内心で「チョロい奴」と思いつつも、自分自身でも芝居なんだか本心なんだか判らなくなるほどの名演技で、戦争でニホン人がたくさん死んだこと、ゾルザルがそれを自慢げに語って、それが悲しいことなどと告げたのである。

 フルタは「そう……ですか。殿下がそのようなことを」と、腹の底から声を響かせた。

 この男、怒ってる。しかも心底怒っているとテューレは感じた。
 何というお人好しだろうか。この男は、自分の境遇に同情して、腹を立てているのだ。

 この時、テューレに天啓がひらめく。このお人好しを利用すれば、ボウロと連絡をとれるかも知れない。いや大したことではない。ただ、手紙を届けさせるだけでもいいのだから。

 そう思うと、テューレは健気に元気を取り戻したような表情を作るとフルタに手を伸ばして手を取った。

「ありがとう。慰めてくれて」

「いいえ。でも、大丈夫ですか?」

「ううん、元気出たわ。よかったら、また貴方の夢の話を聞かせてくれる?」

 ゾルザルに専属の料理人になれと命じられた時、フルタは最初、いずれ自分の店を持ちたいからと言って断った。まさか断られるとは思っても見なかったゾルザルは、これに激昂したのであるが、自分の店についての夢を真摯に語るフルタの決心を聞いて何かを感じたらしく、素直に要求を取り下げた。そして、当面の間という条件で互いに納得したのである。

 その場に同席していたテューレもこれには驚いた。
 ゾルザルの求めに平民風情が面と向かって刃向かい、しかもそれをゾルザルに納得させた例は寡聞にして知らない。
 フルタの語った何が、ゾルザルに要求を引っ込ませたのか、テューレには理解できなかったのである。ゾルザルを操り災厄をまき散らそうと考える身としては、それが以前から気になっていたのだ。








[1507] 接触編(1~29)    弱毒・若干改訂版
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/01/24 10:23
自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり(弱毒・若干改訂版)



まずはご挨拶。

 日頃から、拙作をお読み頂き真に有り難うございます。
 常日頃から、私は書きたいことを、ただ書きたいように書いているのですが、いろいろな意味で寒さ厳しい昨今、知らず知らずと料理の味付けに塩や油分がたっぷりとなっていたようで、関西風・京風の薄味を好まれる方には、いささかくどすぎたようです。
 大変申し訳ないのですが、書きたいことを書きつづることがモティベーションともなっておりますので、正式版はこれまでの流れ通りに書きつづけたいと思います。それにあと、九話前後で終わりますし。
 しかしそれでは、流石に利己が過ぎるというもの。当方のお出しした料理で、胃のむかつきや、胸焼けを訴えられた方に対しては、理不尽なこととも思います。そこで「とある目的」で以前より用意しつつあった、弱毒版が手元にございますので、これをご賞味頂けたらと思いきり、この度公開申し上げる所存です。

 弱毒版は、作者が毒を弱めたと考える程度に、作品中の「とある成分」を薄くすることを試みたものです。このくらいなら、胃の弱い方でもよく噛み砕いて頂ければ、飲み下すことも出来るのではないかと思います。もちろん無毒というわけにはいかず、これでも尚、飲み下せない、くどいと思われる方もおいでかと存じます。が、とりあえずは、このあたりでお試し頂き感想などを賜れれば幸いです。


 なお、弱毒版は、「とある目的」により、縦書きで文章を構成しておりました。従って、文字・開業その他諸々において、違和感や読みにくさを感じられるやも知れませんが、どうぞご容赦頂きますようお願いいたします。

 炎龍編、冥門編の弱毒版も、まとまり次第公開が出来るかと存じます。
 正式版で、胃凭れどころか、食あたりを起こされ、もうこりごりと思われる方は、こちらのリリースをお待ち下さいませ。

                                    作者拝

 読者諸氏様方へ





    接触編
                             











 平成××年 夏
 その日は、蒸し暑い日であったと記録されている。
 気温は三〇℃を越え湿度も高く、ヒートアイランドの影響もあって街は灼熱の地獄と化していた。にもかかわらず、その日は土曜日であったために、多くの人々が都心へと押し寄せ、行楽や買い物を楽しんでいる。

 午前十一時五十分。
 陽光は中天にさしかかり、気温もいよいよ最高点に達しようとした頃、東京都中央区銀座に突如『異世界への門』が現れた。
中から溢れだしたのは、中世ヨーロッパ時代の鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。
 彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。
 老いも若きも男も女も、人種国籍すら問われなかった。それは、あたかも殺戮そのものが目的であるかのようでもあった。平和な時代。平和であることを慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなかった。阿鼻叫喚の悲鳴と共に、次々と倒れていった。買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄に踏みにじられ、槍を突き刺され、そして剣によって斬られた。累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く舗装される。その光景に題字を標するなら『地獄』。異界の軍勢は、積み上げた屍の上にさらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げた。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。それは聞く者の居ない一方的な、宣戦布告だった。
『銀座事件』
 歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。



    *      *



 時の首相、北条 重則は国会で次のような答弁を行っている。
「当然のことであるが、その土地の地図はない。
 どんな自然があり、どんな動物が生息するのか。そして、どのような人々が暮らしているのか。その文化レベルは?科学技術のレベルは?宗教は?統治機構の政体すらも不明である。
 今回の事件では、多くの犯人を『逮捕』した。
『逮捕』などというの言葉を使うのも、もどかしく感じる。これと言うのも、憲法や各種の法令が『特別地域』の存在を想定していないからである。そして我が国が、有事における捕虜の取り扱いについての法令を定めていないからでもある。現在の我が国の法令に従えば、彼らは刑法を犯した犯罪者でしかない。
 ならば、強弁と呼ばれるのも覚悟で『特別地域』を日本国内と考えることにする。
 門の向こう側には、我が国のこれまで未確認であった土地があり住民が住んでいると考えるのである。向こう側に統治機構が存在するとしても、これと交渉し国境を確定して、国交を結ばなければ独立した国家としては認められない。現段階では、彼らは無辜の市民・外国人観光客を襲った暴力集団でありテロリストなのだ。
『平和的な交渉を』という意見もあるだろう。だが、それをするには相手を交渉のテーブルにつけさせなければならない。どうやって?現実的に我々は『門』の向こうと交渉を持っていないのに。
 我々は『門』の向こう側に存在する勢力を、『我々の』交渉のテーブルに付かせなければならないのだ。力ずくで、頭を押さえつけてでもだ。
 そして交渉を優位に進めるには、相手を知る必要もある。
 逮捕した犯人達……言葉が通じない彼らからも、少しずつ情報を得ることが出来るようになった。だが、それだけを頼りにするわけにはいかない。誰かがその眼と耳で確かめるために赴かなければならないだろう。
 従って、我々は門の向こう側へと踏み入る必要がある。
 だが、無抵抗の民間人を虐殺するような、野蛮かつ非文明的なところへと赴くのである。相応の危険を覚悟しなければならないだろう。
 まずは、非武装と言うわけにもいかない。さらに『特別地域』内の情勢によっては、交戦することも考えられる。未開の地で誰を味方とし、誰を敵とするかその判断も、現場にある程度任せる必要もあるだろう。
 なにも、危ないところへわざわざ行く必要はない。いっそのこと、門が二度と開かれることのないように破壊してしまえばよいという意見が、野党の一部から出ているが、ただ扉を閉ざせばこれで安全だと言い切れるのだろうか。
 これから日本国民は、同じような『門』が今度はどこに現れるかという不安を抱えて生活しなくてはならなくなる。今度、あの『門』が開かれるのはあなた方の家の前、家族の前かも知れない。さらには、被害者やご遺族への補償をどうするかという問題もある。
 もし、『特別地域』に統治機構があってそこに責任者がいると言うのであらば、我が国の政府としては、今回の事件について誠意のある謝罪と補償、そして責任者の引き渡しを断固として求めなければならない。
 もし相手方がこれに応じないならば、首謀者を我らの手で捕らえ裁きにかける。資産等があればこれを力ずくにでも差し押さえて、遺族への補償金に充てる。これは、被害者やご遺族の感情からみても当然のことである。従って、我が日本国政府は、門の向こうに必要な規模の自衛隊を派遣する。その目的は調査であり、かつ銀座事件の首謀者逮捕のための捜査であり、補償獲得のための強制執行なのである」
『特別地域』自衛隊派遣特別法案は、野党の一部が反対するなか、衆参両議院で可決された。
 なお、アメリカ合衆国政府は、「『門』の内部の調査には、協力を惜しまない」との声明を発表している。北条総理は「現在の所は必要ではないが、情勢によってはお願いすることもありえる。その際はこちらからお願いする」と返答している。
 中国と韓国政府は、『門』という超自然的な存在は、国際的な立場からの管理がなされることが相応しい。日本国内に現れたからと言って、一国で管理すべきではない。ましてや、そこから得られる利益を独占するようなことがあってはならなないとのコメントを発表した。



    *      *



「はっきり申し上げさせて頂きますが、大失態でありましたな。陛下にお尋ねしたい。この未曾有の大損害にどのような対策を講じられるおつもりか?」
 元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂中央にたって玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタススに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められていると確信していたからでもある。
 薄闇の広間。
 そこは厳粛であることを旨に、華美な飾り付けを廃し静謐と重厚を感じさせる石造りの議事堂だった。円形の壁面にそって並べられたひな壇に、いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。
 数にしておよそ三百人。帝国の支配者階級の代表たる、元老院議員達であった。
 この国において元老院議員となるには、いくつかのルートが存在する。その一つが権門の家に生まれること。いずこの国であっても、貴族とは稀少な存在であるが、この巨大な帝国の帝都では石を投げれば貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることは出来ない。貴族の中の貴族と言われるほどの名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないのである。
 では、権門でもなく名門でもない家に生まれた貴族は、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。その方法として開かれている道が、 大臣職あるいは軍に置いて将軍職以上の位階を経験することであった。
 国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。権門ではないが貴族の一族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、軍人か官僚の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。名ばかり貴族の三男坊であっても、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。
 大臣職は宰相、内務、財務、農務、外務、宮内の六職ある。軍人となるか官僚の道を選び、大臣か将軍の職を経験した者は、その職を退いた後に自動的に元老院議員たる地位が与えられる。ちなみに将軍職については、出身階級が平民であっても着くことが出来る。というのも、士官になると騎士階級に叙せられ、位階を進めるにつれ貴族に叙せられることも可能だからである。
 カーゼル侯爵は、男爵という爵位としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。そうした努力型の元老院議員は、自らの地位と責任を重く受け止める傾向がある。要するに張り切りすぎてしまうのである。得てしてそういう種類の人間は周囲からは煙たがれるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだった。
「異境の住民を数人ばかり攫ってきて、軟弱で戦う気概もない怯懦な民族が住んでいる判断したのは、あきらかに間違いでした」
 もっと長い時間をかけて偵察し、可能ならばまずは外交交渉をもって挑み、与し易い相手かどうかを調べ上げるべきだったのだ、と畳みかける。
 確かに、現在の情勢は最悪であった。
 帝国の保有していた総戦力のおよそ六割を、此度の遠征で失ってしまったのだ。この回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とする。
 当面、残りの四割で帝国の覇権を維持していかなくてはならないのだ。だが、どうやって。
 モルト皇帝は即位以来の三〇年、武断主義の政治を行ってきた。周辺を取り囲む諸外国や、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを武力による威嚇とその行使によって解決して、帝国による平和と安寧を押しつけてきた。
 帝国の圧倒的な軍事力を前にしては周辺諸国は恭順の意を示すより他はなく、あえて刃向かった者は全て滅んだ。
 諸侯の帝国に対する反感がどれほど高かろうと、圧倒的な武威を前にしてはそれを隠すしかない。帝国は、この武威によって傲慢かつ傍若無人に振る舞うことが許されてきたのである。
 だが、その覇権の支柱たる『圧倒的な軍事力』の過半を失った今、これまで隠忍自重をつづけてきた外国や諸侯・諸部族がどう動くか。
 帝国におけるリベラルの代表格となったカーゼル侯爵は、法服たるトーガの裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかけた
「陛下!皇帝陛下は、この国をどのように導かれるおつもりか?」
 カーゼル侯爵が、演説を終えて席に着く。
 すると皇帝は、重厚さを感じさせるゆっくりとした動きで、その玉座の身体をわずかに傾けた。その視線はゆらぐことなく、自ら指弾したカーゼル侯爵へと向けている。
「侯爵……卿の心中は察するぞ。此度の損害によって帝国が有していた軍事的な優位が一時的にせよ失せていることも確かなのだから。外国や諸侯達が隠していた反感を顕わにし、一斉に帝国へ反旗を翻し、その鋭い槍先をそろえて進軍してくるのではないかと、恐怖に駆られて夜も眠れないのであろう?痛ましいことだ」
 皇帝のからかうような物言いに、議場の各所から嘲笑の声がわずかに漏れた。
「元老院議員達よ、二五〇年前のアクテクの戦いを思い出してもらいたい。全軍崩壊の報を受けた我らの偉大なる祖先達が、どのように振る舞ったか?勇気と誇りとを失い、敗北と同義の講和へと傾く元老院達を叱咤する、女達の言葉がどのようなものであったか?
『失った五万六万がどうしたというのか?その程度の数、これで幾らでも産んでみせる』そう言ってスカートをまくって見せた女傑達の逸話は、あえて言うまでもないだろう?
 この程度の危機は、帝国開闢以来の歴史を紐解けば度々あったことだ。わが帝国は、歴代の皇帝、元老院そして国民がその都度、心を一つにして事態の打開をはかり、さらなる発展を得てきたのだ」
 皇帝の言葉は、この国の歴史である。元老院に集う者にとっては、改めて聞かされるまでもなく誰もがわきまえていることであった。
「戦争に百戦百勝はない。だから此度の戦いの責任の追求はしない。敗北の度に将帥に責任を負わせていては、指揮を執る者がいなくなってしまう。まさかと思うが、他国の軍勢が帝都を包囲するまで、裁判ごっこに明け暮れているつもりか?」
 議員達は、皇帝の問いかけに対して首を横に振って見せた。
 誰の責任も問われないとなれば、皇帝の責任を問うことも出来ない。カーゼルは、皇帝がたくみに自己の責任を回避したことに気付いて舌打ちをした。ここであえて追求を重ねれば、小心者と罵倒された上に、『裁判ごっこ』をしようとしていると言われかねない雰囲気になっている。
 さらに皇帝は続ける。
 此度の遠征では熟練の兵士を集め、歴戦の魔導師をそろえ、オークもゴブリンも特に凶暴な個体を選抜した。
 十分な補給を調え、訓練を施し、それを優秀な将帥に指揮させた。これ以上はないという陣容と言えよう。
 将帥が将帥たる責務、百人隊長が百人隊長たる責務、そして兵が兵たる責務を果たすよう努力したはずだ。
 にもかかわらず、七日である。
 ゲートを開いてわずか七日ばかり。敵の本格的な反撃が始まってから数えるなら、わずか二日あまりで帝国軍は壊滅してしまったのだ。
 将兵の殆どが死亡するか捕虜となったようだ。『ようだ』、と推測することしか出来ないのも、生きて戻ることが出来た者が極めて少ないからである。
 今や『ゲート』は敵に奪われてしまった。『ゲート』を閉じようにも、『ゲート』のあるアルヌスの丘は敵によって完全に制圧されて、今では近付くことも出来ないでいる。
 これを取り戻そうと、数千の騎兵を突撃させた。だがアルヌスの丘は、人馬の死体が覆い尽くし、その麓には比喩でなく血の海が出来た。
「敵の武器のすごさがわかるか?パパパ!だぞ。遠くにいる敵の歩兵がこんな音をさせたと思ったら、味方が血を流して倒れているんだ。あんな凄い魔術、儂は見たこともないわ」
 魔導師でもあるゴダセン議員が、敵と接触した時の様子を興奮気味に語った。
 彼と彼の率いた部隊は、枯れ葉を掃くようになぎ倒され、丘の中腹までも登ることが出来なかった。ふと気づいた時には静寂があたりを押し包み、動く者は己を除いてどこにもいない。見渡す限りの大地を人馬の躯が覆っていたと描写した。
 皇帝は瞑目して語る。
「すでに敵はこちら側に侵入してきている。今は門の周りに屯(たむろ)して城塞を築いているようだが、いずれは本格的な侵攻が始まるだろう。我らは、アルヌス丘の異界の敵と、周辺諸国の双方に対峙していかなければならない」
「戦えばよいのだっ!」
 禿頭の老騎士ポダワン伯爵は、立ち上がると皇帝に一礼して、主戦論をもって応じた。
「窮している時こそ、積極果敢な攻勢こそが唯一の打開策じゃ。帝国全土に散らばる全軍をかき集めて、逆らう逆賊や属国どもを攻め滅ぼしてしまえ!そして、その勢いを持ってアルヌスにいる異界の敵をうち破る!その上で、また門の向こう側に攻め込むのじゃ!」
 議員達は、あまりな乱暴な意見に「それが出来れば苦労はない」と、首を振り肩をすくめつつヤジった。全戦力をかきあつめれば、各方面の治安や防衛がおろそかになってしまう。皆が口々に罵声をあげ、議場は騒然となった。
 ポダワンは、逆賊共は皆殺しにすればよい。皆殺しにして、女子どもは奴隷にしてしまえばよい。街を廃墟にし、人っ子一人としていない荒野に変えてしまえば、もうそこから敵対するものが現れる心配などする必要もなくなる…などと、過激すぎる意見で返す。だが非現実的なことのようだが、歴史的に見れば帝国にはその前科があった。
 帝国がまだ現在よりも小さく、四方が全てが敵であった頃、四方の国をひとつずつ攻略しては、住民を全て奴隷とし、街を破壊し、森は焼き払い農地には塩をまいて、不毛の荒野として、周囲を完全な空白地帯とすることで安全を確保したのである。
「だが、それがかなったとしても一体全体どうやってアルヌスの敵を倒す?力ずくでは、ゴダセンの二の舞を演じることになろうな?」
 議場の片隅からとんできた声に対して、ポダワン伯は苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらも、苦しげに応じる。
「う~そうじゃな……属国の兵を根こそぎかき集めればよい。四の五の言わせず全部かき集めるのじゃ。さすれば数だけなら一〇万にはなるじゃろて。弱兵とは言え矢玉除けにはなろ。その連中を盾にして、遮二無二、丘に向かって攻め上ればよいのじゃよ!」
「連中が素直に従うのものか!」
「そもそもどんな名目で兵を供出させる?素直に全力の過半を失いましたから、兵を出して下さいとでも言うのか?そんなことをしたら、逆に侮られるぞ」
 カーゼル侯は、空論を振りかざして話をまとまりのつかない方向へとひっぱっていこうとするポダワン伯という存在を苦々しく思った。
 タカ派と鳩派双方からのヤジの応酬が始まり、議場は騒然となる。
「ではどうしろと言うのか?!」
「ひっこめ戦馬鹿!」
 議員達は冷静さを失い、乱闘寸前にまでヒートアップする。時間だけが虚しく過ぎ去り、わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思いつつ、紛糾する会議をまとめることが出来ない。
 そんな中で、皇帝モルトが立ち上がった。発言しようとする皇帝を見て、罵り合う貴族達も口を噤んで静かになっていく。
「いささか、乱暴であったがポダワン伯の言葉は、なかなかに示唆に富んだおった」
 それを受けてポダワンは、皇帝に恭しく一礼した。
 皇帝の言葉に、貴族達は冷静さを取り戻していく。皇帝が次に何を言うのかと聞こうとし始めていた。
「さて、どのようにするべきかだ。このまま事態が悪化するのを黙って見ているのか?それも一つの方法ではあるな。だが、余はそれは望まん。となれば、戦うしかあるまい。ポダワン伯の言に従い属国や周辺諸国の兵を集めるが良かろう。各国に使節を派遣せよ。ファルマート大陸侵略を伺う『異世界の賊徒』を撃退するために、援軍を求めるとな。連合諸王国軍をもってアルヌスの丘へと攻め入る」
「連合諸王国軍?」
 皇帝の言に元老院議員達は、ざわめいた。
 今から二百年程前に東方の騎馬民族からなる大帝国の侵略に対抗するため、大陸諸王国が連合してこれと戦ったことがあった。それまで戦っていた国々が集うのに、「異民族の侵攻に対して仲間内で争っている場合じゃない」という心理が働いたのである。不倶戴天の敵として争っていたはずの国が、騎士達が、馬を並べて互いに助け合い異民族へと向かっていく姿は、今では英雄物語の一節として語られている。
「それならば、確かに名分にはなるぞ」
「いやしかし、それはあまりにも……」
 そう。そもそも門を開いて攻め込んだのはこちらではなかったか?皇帝の言葉はその主客を転倒させていた。こちらから攻め込んでおいて、「異世界からの侵略から大陸を守るため」と称して各国に援軍を要請するとは、厚顔無恥にも程がある。……それをあえて口にする者はいなかったが。
 とは言え、『帝国だけでなくファルマート大陸全土が狙われている』と檄を飛ばせば、各国は援軍を送ってよこすだろう。要するに、事実がどうであるかではなく、どう伝えるかということだ。
「へ、陛下。アルヌスの麓は、人馬の躯で埋まりましょうぞ?」
 カーゼル侯の問いに、皇帝モルト嘯くように告げる。
「余は必勝を祈願しておる。だが戦に絶対はない。故に、連合諸王国軍が壊滅するようなこともありうるやも知れぬ。そうなったら、悲しいことだな。そうなれば帝国は旧来通りに諸国を指導し、これを束ねて、侵略者に立ち向かうことになろう」
 周辺各国が等しく戦力を失えば、相対的に帝国の優位は変わらないということである。
「これが今回の事態における余の対応策である。これでよいかなカーゼル侯?」
 皇帝の決断が下った。
 カーゼルは連合諸王国軍の将兵の運命を思って、呆然となった。
 カーゼルら鳩派を残し、元老院貴族達は皇帝に向かい深々と頭を下げると、各国への使節を選ぶ作業へと移っていったのである。



    *      *



 打ち上げられた照明弾が、漆黒の闇を切り裂き大地を煌々と照らす。
 彼らがみずからをして『コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)』と呼ぶ、敵の『突撃』が始まった。
 人工の灯りと、中空に打ち上げられた照明弾によって、麓から押し寄せる人馬の群れが浮かび上がる。
 重装騎兵を前面に押し立て、オークやトロル、ゴブリンと言った異形の化け物がが大地を埋め尽くして突き進んで来る。その後ろには、方形の楯を並べた人間の兵士が続いていた。
 上空には、人を乗せた怪鳥の群れが見える。
 数にして、数千から万。はっきり言って数えようがない。
 監視員が無線に怒鳴りつけていた。
「地面三分に、敵が七分。地面が三分に敵が七分だ!!」
 敵意が、静かにと、ひたひたと押し寄せて来る。
 哨所からの知らせを受けた、陸上自衛隊『特地』方面派遣部隊 第五戦闘団第五〇二中隊の隊員達は交通壕を走ると、第2区画の各々に指定された小銃掩体へと飛び込んで、担当範囲へ向けて銃を構えた。
 陸自の幕僚達は、今回の自衛隊『特地』方面派遣部隊を編成するに当たっては、かなり苦心惨憺していた。なにしろ、文化格差のある敵である。槍や甲冑で身を固めた敵と対峙したことのある者などどこにもいないし、魔法やら、ファンタジーな怪異、幻想種の対処法など、知るよしもない。
 そこで彼らは、小説や映画にアイデアを求めることとした。
 自衛隊のPX(売店)では『戦国自衛隊』は小説をもとより、漫画、挙げ句の果てに新旧の映画版やテレビ版のDVDが飛ぶように売れたと言う。さらにはロードオブリングや、ファンタジーなアニメを求めて幹部自衛官が秋葉原の書店に列を作るという、笑っていいのかいけないのか判らない事態すらおこっている。
 M氏やT氏といった高名なアニメ監督や小説家などが、市ヶ谷に集められて参考意見を求められたという話がまことしやかに語られているほどなのだ。
 そして彼らは某かの結論を下すと、全国の各部隊から併せて三個師団相当の戦力を抽出したのである。
 それは一尉~三尉の幹部と三等陸曹以上の陸曹を集中するという特異な編成であった。
 その理由としては、首相の答弁にある『未開の地で誰を味方として、誰を敵とするか』という高度な判断力を現場に指揮官に求める必要があるからと説明しているが、それだけではないことは、誰の目にも明らかだった。
『特地』方面派遣部隊は、かき集められた装備にも特徴があった。比較的古い物が多く見られると言うことである。まず隊員達の携行する小銃は六四式。集結した戦車は七四式だった。全て新装備が導入されたことで、第一線からは姿を消しつつあるものだ。
「在庫一斉処分」などと口の悪い最先任陸曹長は語っている。そういう側面がないとも言えないが、そればかりではない。
 六四式小銃が選択されたのは八九式の五.五六㎜弾では、槍を構えて突っ込んで来るオークを止めることが出来なかったからだ。さらに同銃の銃剣で敵を刺突すると、鋸状になっている鎬がチェーンメイル身につけた敵にひっかかって、そのまま抜けなくなってしまうことがわかっている。
 さらには、情勢によっては装備を放棄して撤退しなければならない事態も想定されていた。一両数億円もする高価な兵器を、簡単にうち捨ててくるわけにはいかないので、廃棄しても惜しくない、廃棄予定あるいはすでに廃棄済みであるが、手続きの遅れによって倉庫に眠っていた装備をかき集めたのである。
 六四式小銃を持つ者は二脚を立てて、照星と照門を引き起こす。配られた弾が常装薬なので、規整子は『小』にあわせる。
 ある者は五.五六㎜機関銃のミニミを構え、カチカチと金属製ベルトリンクで繋がれた弾帯を押し込んでいる。(六二式機関銃は、陸曹や幹部が血相を変えて「俺たちを殺すつもりかぁ」と反対したので、『特地』には持ち込まれていない)
 高射特科のスカイシューターをはじめとする、三五㎜二連装高射機関砲L九〇 や、四〇㎜自走高射機関砲M四二と言った新旧そして骨董品の対空火器が、上空から近付く怪鳥へと砲口を向ける。
 次の照明弾が上げられ、闇夜がふたたび明るくなった。上空から降り注ぐ光が、夜空を背景にしていた敵を浮かび上がらせる。敵も、その足を速め、足音と言うよりは轟きに近くなっている。
 小銃の切り替え軸(安全装置)を『ア』から『レ』へとまわす。
 耳に付けたイヤホンから、指揮官の声が聞こえた。
「慌てるなよ、まだ撃つなぁ……」
 慣れたわけではないが、これが初めてという訳でもない。自衛官達は近づいてくる敵を前に、息を呑みもつつも号令を待つことが出来た。
 敵が、彼らの言葉で『アルヌス・ウルゥ』と呼んでいるこの丘に押し寄せて来るのは、これで三回目となる。そのうち二回は彼らの失敗だった。大敗北と言っていいはずだ。
 この世界の標準的な武器である槍や弓そして剣、防具としての甲冑では、その戦術はどうしても隊伍を整えて全員で押し寄せるという方法となる。時折、火炎や爆発物を用いた攻撃(魔法かそれに類するものではないかと言われている)も行われているが、射程が短い上に数も圧倒的に少ないため、それほどの脅威にならない。
 そのために、どれほどの数を揃えようとも、現代の銃砲火器を装備した自衛隊の前では敵ではなかったのだ。
 黒澤明監督の映画『影武者』に、武田騎馬隊が織田・徳川の鉄砲隊を前にたちまち壊滅するという場面が描かれていたが、それよりもさらに映画的に、人馬の屍が丘の麓を埋め尽くす結果となった。
 だが、それでもなお彼らはこの丘を取り戻そうと攻撃を始める。自衛隊もこの地に居座って、アルヌスの丘を守ろうとする。
 すべてはここに『門』があるからだ。門こそが、異世界を繋ぐ出入り口であった。この門を用いて、この世界の兵は銀座へとなだれ込んだのである。
 東京そして銀座の惨劇を防ぐためにも、自衛隊はこの門を確保し続けるしかない。
 奪おうとする。そして守ろうとする。この二つの意志が衝突して三度目の攻防戦へと行き着いた。過去の二回の経験を学んだのか、今回は夜襲だった。月の出ていない夜間なら見通しも利かない。夜ならば油断も隙もあり得る……というのも、この世界の感覚であろう。悪い考えとは言えない。が、しかし……次の照明弾があがり、コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)将兵の姿が、はっきりと浮かび上がった。
「撃てぇ!」
 東京そして日本は、二四時間営業は当たり前の世界だ。昼だろうと夜だろうと、列べられた銃口は挨拶代わりに、砲火を持って彼らを出迎えた。



〇一(マルヒト)



 伊丹 耀司 二等陸尉(三十三歳)はオタクであった。現在もオタクであり、将来もきっとオタクであり続けるだろうと自認している。
『オタク』と言っても、自分でファンフィクション小説を書いたり漫画を描いたり、あるいはフィギュアやSD(スーパー・ドルフィー)をつくったり愛でたりするという、クリエイティブなオタクではない。もちろんボーカロイドを歌わせたりもしない。他人が「創ったり」「描いた」ものへの批評や評価を掲示板に投稿するという、アクティブなオタクでもない。誰かの書いた漫画や小説をただひたすらに読みあさるという、パッシブな消費者としての『オタク』であった。
 夏季と冬季のコミケには欠かさず参加し、靖国神社なんかには一度も行ったことがないが中野、秋葉原へは休日の度に詣でている。官舎の壁には中学時代に入手した高橋留美子のサイン色紙が飾られていて、本棚には同人誌がずらっと並んでいる有様だ。法令集や教範、軍事関係の書籍は開くこともないからと本棚にはなくて、新品状態のままにビニール紐でしばりあげて押入の中に放り込んであった。
 そんな性向の彼であるから、仕事に対する態度は熱意というものにいささか欠けていた。例えば、演習の予定が入っていても「その日は、イベントがありまして……」と臆面もなく休暇を申請してしまうと言うように。
 彼はこう嘯く。
「俺はね、趣味に生きるために仕事してるんですよ。だから仕事と趣味とどっちを選ぶ?と尋ねられたら、趣味を優先しますよ」
 そんな彼が、よーも自衛官などになったものだと思うのだが、なっちゃったのだから仕方ないのである。
 そもそも彼のこれまでは、『喰う寝る遊ぶ、その合間の人生』と言われるに相応しい物であった。彼の昔読んだマンガにあった「息抜きの合間に、人生やってるんだろ」という言葉がもっと合っているように思われた。だからでもないだろうが、競争率の低い公立高校を選んで、あんまり勉強することなく入試に合格。成績は中の下。アニメ・漫画研究会で漫画や小説を読みふける毎日。たまに映画の封切り日には朝早く映画館に列ぶという三年間を過ごす。
 大学は、新設されたばかりで競争率の低そうな学科を選び、これもまたあんまり勉強することなく合格。やはりアニメを観賞し、漫画やライトノベルを読みつづける毎日を過ごすが、在学中無遅刻・無欠席で全ての講義に出席していたこともあって、講師陣の受けはそれなりに良く「伊丹だから、ま、いいか」と『良』と『可』の成績をもらい四年で卒業。
「就活どうする?」と言う話題が、学生の間でそろそろ話題になり始めた頃に、彼はしゃかりきになって会社訪問するのは好きじゃないなぁ……などと呟きながら都内某所にある自衛隊地方連絡部の事務所の戸を叩いたのである。
「こんな奴、よくも幹部にしたものだ」とは、誰のセリフだっただろうか。彼の国防意欲というか、熱意に欠ける職務態度に業を煮やした上司が、「お前ちょっと鍛え直して貰ってこい」と有無を言わせず幹部レンジャーの訓練に放り込んだ。
 案の定、すぐに音を上げて「やめたいんですけど」と普及間もない携帯で電話をかけて来た。
 これには彼の上司も困ってしまった。あの手この手で励まし、頑張らせようとしたのだがどうにもならない。そもそも言ってどうにかなるなら最初から苦労しない。疲れはて、どうしょうもなくなって、最後にポツリと呟いた。
「ここで止めたら、年末(二九.三十.三一)の休暇はやらん」
「じゃぁ、頑張ってみます」
 伊丹の上司は、自分が口にした何に効果があったのかと、今でも悩んでいると言う。




 さて、こんな伊丹がある日、都内某所でおこなわれているイベントに行くために新橋駅かで『ゆりかもめ』を待っていたところ、とんでもない事件に出くわした。
 後に『銀座事件』と呼ばれるアレである。
 突然あらわれた巨大な『門』。
 そこからあふれ出た、異形の怪異をふくむ軍勢。
 門の向こう側を政府は『特別地域』などと呼んでいるが、伊丹には『異世界』だとすぐに理解できた。理解できてしまった。
 そしてこう思った。
「くそっ!このままでは、夏コミが中止になってしまう」
 その後の彼の活躍は、革新系の大手新聞ですら取り上げざるを得なかったほどである。
 霞ヶ関や永田町も襲われ何が起きているのかわからず、ただ逃げ回るばかりの政府の役人と政治家。命令が来ないために、出動したくても出来ない自衛隊。桜田門以南の官庁街がほぼ壊滅したために指揮系統がズタズタになり、効果的な対応が出来ない警察。
 そんな中で伊丹は、付近の警察官を捕まえて西へ指さした。
「皇居へ避難誘導してくれ!」
 だが、「そんなことできるわけない」という言葉が返ってくる。一般の警察官にとって、皇居内に立て籠もるなどと言うアイデアは思案の外にあったからだ。
 とは言え、皇居はもとより江戸城と呼ばれた軍事施設である。従って数万の人々を収容し、かつ中世レベルの軍勢から守るのにこれほど相応しい施設はない。いや、籠城の必要はない。避難した人々は、半蔵門から西へと逃がせばいいのだ。
 伊丹は、指揮系統からはずれてしまった警察官や避難した民間人の協力を仰いで、皇居へと立て籠もった。皇宮警察がやかましかったが、これも皇居にお住まいの『偉い方』の『お言葉』一つで鎮まる。
 徳川の手によって造られた江戸城は実戦経験のない城塞である。だが、数百年の時を経て平成の代に初めて城塞としての真価を発揮したのである。
 この後、皇居にある近衛と称される第一機動隊、そして市ヶ谷から自主的に出動してきた第四機動隊によって、『二重橋濠の防衛戦』は引き継がれたのであるが、それまでの数時間によって、数千からの人を救ったという功績が認められ、伊丹は防衛大臣から賞詞を賜った上で二等陸尉へと昇進することとなった。
 なっちゃったのである。




 で、時が少しばかりたって、『特別地域』派遣部隊である。
 三度目の攻撃をうけた翌朝。
 明るくなって見えた光景は、夥しい人馬の死骸であった。
 『アルヌス・ウルゥ』の周辺は怪異と人馬の屍によって埋め尽くされていた。さらには高射機関砲の四〇㎜弾を受けて墜ちた飛竜が横たわっていた。伝説ではドラゴンの鱗は鉄よりも硬いと語られているが、確かにそうらしい。ただ四〇㎜弾をうけては流石に耐えることが出来なかったようだ。
「大きな都市一個分の人口が、まるまる失われたってことか」
 伊丹二尉は、これを見て思う。銀座事件で攻め込んできた敵は、約六万。第一次から、昨晩の第三次攻撃で、およそ六万が死傷。(オークやゴブリン等これに含まず)併せて十二万もの兵を失っちゃって、敵はどうするつもりなんだろか?
 この世界の人口がどの程度か知るよしもない。何しろ、門とその周辺を確保しただけなのだから。まだなんの調査も出来てない。
 だが一般的な常識から考えても、数万の戦力を全滅に近い形で失って、その部族だか国家が無事でいられるはずがないのだ。見たところ、倒れている兵士の中に、子供にしか見えない者もいる。実際に子供なのか、そのような容姿の種族なのかはわからないが……。もし、子供を戦場に送るようなら、その国の有り様はもはや末期的と言えるだろう。
 伊丹ですらこのように思うのだから、他の幹部達も考えていた。
 この世界の調査をしなければ、と。
 前進して一定の地域を確保するにしても、『門』周辺だけを確保し続けるにしても、あるいは敵と交渉するにしても、方針を定めるには情報が不足しているのである。幸いにして、OHー1ヘリの撮ってきた航空写真から周辺の地図は起こすことができた。滑走路が開けば、無人偵察機のグローバルホークを飛ばすこともできるだろう。従って、次はどんな人間が住んでいるか、人口や人種、産業、宗教が何か、そして住民の性向はどういうものかの調査をすることになる。
 どうやって、調査するのか。
 もちろん、直接行ってみるのである。
「それがいいかも知れませんね~」
「それがいいかもじゃない!君が行くんだ」
 檜垣三等陸佐は、物わかりの悪い部下に疲れたように言った。
 伊丹は、上司から言われて首を傾げる。自分は部下を持っていない。員数外の幹部として第五戦闘団に所属している、おまけみたいな二尉だ。
「まさか、一人で行けと?」
「そんなことは言わない。とりあえず君を含めた六個のチームを、各方面に派遣する。当然、君にも部下をつけよう。君は、担当地域の住民と接触し民情を把握するのだ。可能ならば、事後の今後の活動に協力が得られるよう、友好的な関係を結んできたまえ」
「はぁ……ま、そう言うことなら」
 ポリポリと伊丹は後頭部を掻くのだった。



〇二(マルフタ)



 アメリカ合衆国
    ホワイトハウス

「大統領閣下。東京に現れた『門』に関する、第六次報告です」
 ディレル大統領は、カリカリに焼き上げた薄切りのトーストをサクッと囓ると、彼の優秀なスタッフが差し出した報告書を受け取った。
 大統領は表紙を含めて数枚ばかりめくる。さっと目を通した程度で、テーブルの上にポンと放り出す。
「クリアロン補佐官。この報告によると、日本軍は折角『門』の向こう側へ立ち入ったのに『門』の周囲を壁で囲んで、亀の子みたいに首を引っ込めて立て籠もっている。そういうことなのだね?」
「その通りです、閣下。自衛隊は守備を固めて動いていません」
 軍ではなく自衛隊だと、さりげなく訂正する補佐官。だが大統領はそれに気づかないのか話を続けた。
「ふむ……圧倒的な技術格差。高度な訓練を受けた優秀な兵士。いったい何を躊躇う必要がある?君の考えを述べたまえ」
「大統領閣下、ご説明いたします。日本は、かつての大戦の教訓から学んだのです。いかに強力な戦力を有しているとは言え、広大な地域を制圧支配しようとするには、その戦力は不足します。選択しうるオプションとしては、『特別地域』の政治状況を明確に見極め、要点を抑えるという戦略しかありません」
 そのことは、中級指揮官の層を異常なまでに厚くした自衛隊の編成からもうかがい知ることが出来る。『門』を確保する段階を終えて、現在は『特別地域』の各地に小部隊を派遣し、情報収集や宣伝工作にあたらせていると言うことである。
 大統領はナプキンで口元をぬぐうと、部下を一瞥した。
「つまり、日本軍の現状は『特別地域』の情勢を伺っているからだと言うのだね?」
「そのとおりです大統領閣下。北条首相は石橋を叩く男のようです。成果を急いでいません」
 大統領は、ススッとコーヒーを口に含んだ。
 北条は、空前の支持率を受けて政権が安定している。だから成果を急ぐ必要がないのである。
 我が身を振り返るとディレルは支持率が急落している。早急に具体的な成果をあげて国民に示さなければならない。それが彼の立場だった。
「補佐官、『門』はフロンティアだ」
「その通りです、大統領閣下」
「門の向こう側に、どれほどの可能性が詰まっているか、想像したまえ」
 手つかずの資源。圧倒的な技術格差から生ずる経済的な優位。汚染されていない自然。これら全てに資本主義経済は価値を見いだす。
 資源は存在する。これは間違いがない。東京に攻め込んできた兵士の武装の材質から、ほぼ地球と同じ鉱物資源があるであろうことがわかっている。こちら側ではレアメタル・レアアースとされる稀少資源が、『特地』には豊富に存在する可能性も指摘されていた。
 そして技術格差は、武器の種類や構造から類推することが出来る。見事な、工芸品と見まがうばかりの細工が施されていたが、所詮は手工業の域を出ない。これらの武装で身を固めた騎士達が攻め込んで来るという戦術から、その社会構造と生産力まで予想できるのだ。
 さらに、こちら側には存在しないファンタジーな怪異、動物、亜人達。これらの生き物が持つ『ゲノム』は、生命科学産業の研究者達にとって宝の山と言えるだろう。
 極めつけは『門』である。この超自然現象を含めた様々な神秘現象に、全世界の科学者達が注目していた。
「ご安心下さい大統領閣下。わが国と日本とは友邦です。価値観を同じくする国であり、経済的な結びつきも強固です。『門』から得る利益は、わが国の企業にも解放されるでしょう。また、そのように働きかけるべきです」
「それでは不足なのだ」
 同様の働きかけならば、すでにEU各国が始めている。中国やロシア、アセアン諸国も『門』がもたらすであろう利益を狙って水面下の活動を始めていた。
「問題は、どれほどの権益を確保できるかなのだ」
 これこそが、ディレル大統領が国民に示すことの出来る成果となる。
「その為には、わが国はもっと積極的に関与するべきではないかね?米日同盟の見地から陸軍の派兵を検討しても良と思うが」
 だが、補佐官は首を振った。
「アフガンなどの中近東だけでも手を焼いているのに、余所様の喧嘩に手を出す余裕はありません」
 それに『門』のもつ可能性は、必ずしもよい面ばかりとは限らないのだ。未開の野蛮人を手なずけ、教化しようとすれば多額の予算と人材を、長期間にわたって投入しなければならないだろう。かつての植民地時代のように、ただ収奪すればよいと言う時代ではない。
 大統領は、深いため息をついた。
「報告によれば、『門』の向こう側での戦闘は苛烈きわまりなかったようだね?」
「弾薬の使用量が尋常ではなかったようです。ですが、ここ最近は落ち着いています。自衛隊は守り通すでしょう。自衛隊は元来から守勢の戦力です」
「ふむ。では、わが国の対応はどうするべきかな?」
「現段階としては日本国政府の武器弾薬類調達を支援する程度でよいでしょう。これは兵器産業界に声をかけるだけで済みます。あとは、『特別地域』の学術的な合同調査を持ちかけ『門』の向こう側に人を送り込みたいところです。これ以外については、状況次第かと存じます」
 あまり、日本に肩入れしすぎると万が一の時に巻き込まれる畏れがある。
 物事は、どう転ぶかわからないものなのだ。日本が『特別地域』に自衛隊を進めることについては、多くの国が大義名分があると認めている。だが一部……中国や韓国、北朝鮮は、かつての軍国主義の再来であり、侵略であると非難している。この三カ国は日本が何をやっても非難する傾向があるが耳に入る以上、気にはなる。日本が『門』から得られる利益を独占するような素振りを見せれば、この主張に同調する国が出てくる可能性もある。そうなった時に、共犯呼ばわりされる事態は避けたい。
「火中の栗は、日本に拾わせるべきです」
 そして、こじれたらしゃしゃり出て抑えてしまえばよい。そのために国連を利用する手配もしてある。補佐官はそう言っていた。
 だが、ディレルとしては不満だった。
 今のところ日本はうまくやっており、口や手を出す機会が見いだせそうもない。
 ディレルは国内向けに具体的な成果を迫られているのだ。かといって、補佐官の危惧を無視するわけにもいかない。大統領は舌打ちしつつも「そうだな」と頷き、次の懸案事項に話題をうつした。
『門』の出現。それは、新大陸発見に続く歴史的な出来事なのである。
 アメリカ大陸の発見よってスペインが世界帝国へと飛躍したように、『門』の存在は世界の枠組みを大きく変えることが予想される。あらゆる国の政府が、その事を理解しているゆえに、『門』内部での日本の動向が注視されていた。



     *      *



ウラ・ビアンカ(帝国皇城)

 皇帝モルトの皇城では、毎日数百人の諸侯が参勤する。
 元老院議員、貴族や廷臣が集い、諸行事に参加するととも、政治を雑事でもあるかのように行っていた。
 会議では優雅に踊り、美食に耽り、賭け事や恋愛遊戯といった遊興を楽しみつつ、議場で少しばかり話し合う……という感じである。軍を派遣するかどうかを、貴族達が狐狩りの獲物の数で決めるということもあった。
 だが、ここ暫く続いた敗戦は宮廷の諸侯、貴族達を消沈させるに充分な出来事であった。煌びやかな芸術品は色あせて見え、華やかな音楽も空虚に聞こえる。
 栄耀栄華を誇るモルト皇帝の御代を支えるものは、強大な軍事力と莫大な財力。この両輪こそが、帝国を大陸の覇権国家たらしめていることは小児であっても理解している。
 だが、今ではその片輪が失われてしまった。
 宮廷を彩った武官や貴族達も出征していた。その為にかなりの犠牲が出ている。未亡人が量産されて、貴族達は連日葬儀に出席しなくてはならない。宮廷は喪に服して行事を控え、皇帝の周囲もこの日ばかりは閑散としていた。
「皇帝陛下、連合諸王国軍の被害は甚大なものとなりました。死者・行方不明者はおよそ六万人。負傷し軍役に再び着くことのできぬ者とを併せますと損害は実に一〇万にも達する見込です。敗残の連合諸王国軍は統率を失い、それぞれちりぢりになって故郷への帰路に就いたようです」
 この数には、オークやゴブリン、トロルといった亜人達は含まれていない。亜人達は軍馬と同じ扱いなのだ。
 内務相のマルクス伯爵の報告に、皇帝は気怠そうに応じた。
「ふむ、予定通りと言えよう。わずかばかりの損害に怯えておった元老院議員達も、これで安堵することじゃろう」
「しかし、ゲートより現れ出でました敵の動向が気になりますが」
「そなたも、いささか神経質になっているようだな」
「この小心は生来のもののようでして、陛下のような度量は持つに至ることはできませんでした」
「よかろう。ならば、股肱の臣を安堵させてやることにしよう。なに、そう難しいことではない。アルヌス丘からここまでの距離は長い。すなわち帝国の広大な国土を、防塁としてこれにあたればよいのだ」
 皇帝は続けた。
 敵がこの城に向けて進んでも、ここに至るまでの全ての街と村落と食糧を焼き、井戸や水源に毒を投げ入れ焦土と化せば、いかな軍と言えども補給が続かず立ち往生する。そうなれば、どれほど強大な兵力を有していようと、優れた魔導を有していようと、付け入る隙は現れる、と。
 現地調達できなくなれば食糧は本国から運ぶしかなく、長距離の食糧輸送は馬匹を用いたとしても重い負担だ。これよって敵の作戦能力は、帝都に近付けば近付くほど低下することとなる。それに対して帝国軍は、帝都に近付けば近付くほど有利になる。それが『この世界における軍学上の常識』であった。
 敵を長駆させ、疲れたところを撃つという、どこの世界においてもみられる至極一般的で判りやすい戦略であり、効果的でもある。しかし身を切る戦略であるが故に、その影響は深刻かつ甚大であり回復は容易でない。人民の生活を全く考慮しない非情さ故に、確実に民心を離反させる。守ってもらえなかった。それどころか食べ物も、飲み水も奪われたという恨みは、永久に受け継がれていくことになるだろう。そうした影響を考えれば、それをするわけにはいかないのが政治であるはずだった。しかし……。
「しばし税収が低下しそうですな」
 マルクス伯はそういう言い方で、民衆の被害を囁いた。
 皇帝は「致し方あるまい。園遊会をいくつか取りやめるか。それと、離宮の建造を延期すれば良かろう」と応じるだけだった。強大な帝国に置いては、民衆の被害や民心などその程度のものなのである。
「カーゼル侯あたりが、うるさいかと存じますが」
「何故、余がカーゼル侯の精神衛生にまで気を配らねばならぬのか?」
「恐れ多きことながら、侯爵は一部の元老院議員らと語らって、非常事態勧告を発動させようとする動きが見られます」
 元老院最終勧告は帝国の最高意志決定とされている。これが元老院によって宣言されれば、いかに皇帝であろうと罷免される。歴史的にも元老院最終勧告によって地位を追われた皇帝は少なくない。
「ふむ面白い。ならばしばらくは好きにやらせてみるが良かろう。そのような企てに同調しそうな者共を一網打尽にするよい機会かも知れぬ。枢密院に命じて調べさせておくがよい」
 マルクス伯は、一瞬驚いたがただちに恭しく一礼した。元老院の最終勧告に対抗する皇帝側の武器が国家反逆罪である。枢密院に証拠固めという名の証拠ねつ造を命じる。
「元老院議員として与えられた恩恵を、権利と勘違いしている者が多い。いささか鬱陶しいのでこのあたりで整理をせねばな」
 皇帝はそう呟くとマルクス伯の退出を命じようとした。恭しく頭を下げるマルクス伯。だが、静謐な空気を破って凛と響き渡る鈴を鳴らしたような声が、宮廷の広間に鳴り響いた。
「陛下!」
 つかつかと皇帝の前に進み出たのは、皇女すなわち皇帝の娘の一人であった。
 片膝を付いてこれ以上はないと言うほど見事な儀礼を示した娘は、炎のような朱色の髪と白磁の肌を、白絹の衣装で包んでいる。
「どうしたのか?」
「陛下は我が国が危機的状況にあると言うのに、何を為されているのですか?耄碌されたのですか?」
 優美なかんばせから、棘のある辛辣なセリフが出てくる。
 モルト皇帝はここにも恩恵と権利を勘違いしている者がいることに気付いて微苦笑した。皇女の舌鋒が鋭いのはいつものことである。
「殿下、いったいどのようなご用件で、陛下の宸襟を騒がされるのでしょうか?」
 皇帝の三女 ビニャ・コラーダは、腰掛けて微笑んでさえいれば、比類のない芸術品とも言われるほどの容姿を持っている。だが、好きに喋らせると気の弱い男ならその場で卒倒しかねないほど辛辣なセリフを吐くので国中にその名を知られていた。
「無論、アルヌスの丘を占拠する賊徒どものことです。アルヌスの丘は、まだ敵の手中にあると聞きました。陛下のそのような安穏な様子を拝見するに、連合諸王国軍がどうなったのかいまだご存じないと思わざるを得ない。マルクス、そなた陛下に事実をご報告申し上げたのだろうな?」
「皇女殿下、ご報告申し上げましたとも。連合諸王国軍は多大な犠牲こそはらいましたが、敵のファルマート大陸侵攻を見事に防ぎきったのです。身命を省みない勇猛果敢なる諸王国軍の猛攻によって物心共に大損害を受けた敵は、恐れおののき強固な要害を築いて、冬眠した熊のごとく閉じこもろうとしております。閉じこもって出てこない敵など、我らにとってなんら脅威ともなりません」
 マルクス伯の説明に、ピニャは「フン」とそっぽを向き言い放つ。
「妾も子どもではない故、ものは言いようという言葉を知っておる。知っておるが、言うに事欠いて、全滅で大敗北の大失敗を、成功だの勝利だのと言い換える術までは知らなんだぞ」
「事実でございます」
「こうして真実は犠牲になり、歴史書は嘘で塗り固められていくと言う訳か?」
「そのようにおっしゃられても、私にはお答えのしようもなく」
「この佞臣め!聖地たるわれらがアルヌスの丘は連中に抑えられたままではないか?何が防衛に成功したか?真実は、諸国中の兵をこぼって累々たる屍で丘を埋め尽くしただけであろう」
「確かに、損害は出ましたな…」
「この後はどうするのか?」
 マルクス伯爵は、とぼけたように兵の徴募から始まって、訓練と編成に至るまでの一連の作業を説明した。軍に関わる者なら誰でも知る、新兵の徴募と訓練、そして編成の過程を告げられ、ピニャは舌打ちした。
「今から始めて何年かかると思っているのか?その間にアルヌスの敵が、なにもせずじっとしていてくれると?」
「皇女殿下。そのようなことは私めも存じております。しかし、現に兵を失った上には、地道にでも徴兵を進め、訓練を施し、軍を再建するしか手はありません。兵を失ったことでは諸国も同じ。もう一度、連合諸王国軍を集めるにしても、軍の再建は国力に比例いたします。諸国の軍再建にしてもわが国より遅くなっても、早くなることはありますまい」
 この言いようには、ピニャは鼻白まずをえなかった。
「そのような悠長なことを言っていては、敵の侵攻を防ぐことは出来ぬっ!」
 皇帝はため息と共に、手をわずかに挙げて二人の舌戦を止めた。
 皇帝の察するところピニャには騒動屋の傾向があった。責任を負うことのない野党的立場の者がよくすることと同じで、批判ばかりで建設的な意見はなにも言わない。言っても実現不可能な夢物語みたいなことばかり。現在と将来に対し責任感を有する者なら、できないようなことばかりを求めてくる。何かあれば、さあ困った、どうするどうすると、責め立て、実務者に「じゃあ、どうすればいいんだ!」と言わせてしまうまで追い込んでしまうのである。
 今回の事態を考えれば、マルクス伯が言うように、地道に軍を再建するしかない。このための時間を稼ぐのが、政治であり外交と言える。皇帝としてはそのための連合諸王国軍の招集であり、その壊滅をもって目論見は成功した。
 いささか辟易としてきた皇帝は、娘に向かって話しかけた。
「ピニャよ。そなたがそのように言うのであれば、余としても心を配らねばならぬ」
「はい、皇帝陛下」
「しかし、アルヌスの丘に屯(たむろ)する敵共について我らは、あまり多くのことを知らぬ。ちょうどよい、そなた行って見て来てくれぬか?」
「妾がですか?」
「そうだ。軍は再建中でな、偵察兵にも事欠く有様じゃ。国内各所の兵を引き抜くわけにもいかぬ。新規に徴募してもマルクス伯の申した通り、実際に使えるようになるまで時間がかかる。今、一定以上の練度を有し、それでいて手が空いているのは思いを巡らしてみればそなたの『騎士団』くらいであった。そなたの『騎士団』が兵隊ごっこでなければ…の話だがな」
 皇帝の試すような視線に正対して、ピニャは唇をぎゅと閉じた。
 アルヌスの丘は、騎馬で片道で一〇日もかかる。
 しかも危険な最前線だ。そんなところへ自分と自分の『騎士団』だけで赴くことになる。
 華々しい会戦で勝利を決定づける突撃と違い、地道な偵察行。
 日頃から兵隊ごっこと揶揄されてきた『騎士団』にとって、任務が与えられたことは光栄と思わなければならないことだろうが、それが不満でもある。
 さらに、彼女の『騎士団』は実戦経験など皆無。自分や、自分の部下達は危険な任務をやり遂げることが出来るだろうか?
 皇帝の視線は、「嫌なら口を挟むな」と告げている。
「陛下…」
「どうだ。この命を受けるか?」
 ピニャは、ギリッと歯噛みしていたが、思い立ったような顔を上げた。そして…
「確かに承りました」
と、ピシャリと言い放つと、皇帝に対して儀礼にのっとって礼をとった。
「うむ、成果を期待しておるぞ」
「では、父上。行って参ります」
 そしてピニャは、玉座に背を向けた。



      *      *



「空が蒼いねぇ。さすが異世界」
 伊丹が呟いた。青空に、大きな雲がぽっかりと浮かんでいる。電柱とか電線などもない。前から後ろまで、上半分は完全に空だった。
「こんな風景なら、北海道にだってありますよ」
 運転席の、倉田三等陸曹が応じた。倉田三等陸曹は、北海道は名寄から来ている。
「俺は、巨木が歩いていたり、ドラゴンがいたり、妖精とか飛びかっているトコを想像してたんですけどねぇ。これまで通ってきた集落で生活していたのは『人間』ばっかしだし、家畜も牛とか羊にそっくりでガックリっす」
 倉田は一般陸曹候補学生課程を修了したばかりの二一歳だ。伊丹が上下関係に鷹揚ということを知ると、気軽に話しかけてくるようになった。
 青空を背景に、緑の草原をオリーブドラブに塗装された軍用車両が列を組んで走り抜けていく。
 先頭を七三式小型トラック、その後ろに高機動車(HMV)、さらには軽装甲機動車(LAV)が続く。
 まぁ、名前を言われてもよくわからないとおっしゃる皆様には、前二台はジープみたいな乗り物、後ろの一台は装甲車みたいな乗り物が走っているとイメージしてくれればよいのである。
 伊丹は二両目の高機動車に乗っていた。
 後席には彼の率いる第三偵察隊の隊員達が乗り込んでいる。車両三台、総勢十二名が偵察隊の総戦力であった。
 後席でガサガサと地図を広げていた桑原曹長が、運転席に顔を突きだした。
「おい倉田、この先しばらく行くと小さな川が見えてくるはずだ。そしたら、右に行って川沿いに進め。そしたら森が見えてくる。それがコダ村の村長が言っていた森だ」
 航空写真から作られた地図と、方位磁石とを照らし合わせながら説明する桑原曹長は、二等陸士からの叩き上げで今年で五〇才。教育隊での助教経験も長いベテランだ。新隊員達からは『おやっさん』と呼ばれて恐れられていた。倉田も新隊員時代、武山駐屯地で桑原曹長の指導を受けて前期教育を終えたそうだ。
 この世界ではまだ衛星を打ち上げてないのでGPSが使えない。その為に、地図とコンパスによるナビゲーションだけが頼りとなる。そして、こういうことは経験の長いベテランのほうが上手いと、伊丹は隊の運営を桑原に押しつけている。
「伊丹二尉、意見具申します。森の手前で停止しましょう。そこで野営です」
 桑原の言葉に伊丹は振り返って「賛成」と応じた。桑原は、軽く頷いて通信機のマイクをとる。
 倉田は、バックミラーで後ろに続く軽装甲機動車との車間距離を確認した。
「あれー伊丹二尉。一気に乗り込まないんすか?」
「今、森に入ったら夜になっちゃうでしょ?どんな動物がいるかもわからない森の中で、一夜を明かすなんてご免こうむります。それに、情報通りに村があるとしたら、そこで住んでいる人を脅かすことになるでしょ?僕たちは国民に愛される自衛隊だよ。そんな威圧するようなこと出来ますかってーの」
 だから森には少人数で入ると伊丹は告げた。
 この偵察行の目的は現地住民と交流し、民情を調査することにある。ヘリを使えば速いのに、わざわざ地面を行くのだって通りすがる住民と交流するためだ。
 暴力で制圧することが目的ではない。悪感情をもたれるような事は極力避ける。それが方針だった。
 これまで三カ所の集落を通り、この土地の住民と交流をとってみた。住民達は戦争なんて領主様のすることで、俺らには関係ねぇやという態度であり、伊丹達に特別悪感情を示すと言うこともなかった。ならば余計なことをして仕事を難しくする必要はない。
「えーと」
 伊丹は胸ポケット黒革の手帳を取り出すと、この土地の挨拶を綴ったページを開いて予習する。銀座事件の捕虜を調査した言語学者達の成果である。
「サヴァール、ハル、ウグルゥー?(こんにちは、ごきげんいかが?)」
「棒読みっすねぇ。駅前留学に通ったほうがよかぁありません?」
「五月蠅せぇ。第一、ピンクの兎の会社はもうないだろう?」
 パコッと倉田のヘルメットを叩く伊丹であった。




 こうして森の手前にやって来た第三偵察隊であったが、彼らの目に入ったのは天を焦がす黒煙だった。
「燃えてますねぇ」
 倉田の言葉に、「はい、盛大に燃えてます」と伊丹は黒煙を見上げた。森から天を焦がす炎がたちあがっていた。
「大自然の脅威っすね」
「と言うより、東映の怪獣映画だろ」
 桑原はそう言うと、双眼鏡を伊丹に渡した。そして正面からやや右にむかったところを指さす。
 伊丹は桑原の指さした辺りに双眼鏡を向けた。
「あれま!」
 ティラノサウルスにコウモリのような羽根をつけたような巨大な生き物が、地面に向かって火炎放射している。
「首一本のキングギドラか?」
 桑原のセリフに倉田が「おやっさん、古いなぁ。ありゃ、エンシェントドラゴンっすよ」と突っ込む。だが、桑原はドラゴンと言われるとブルースリーを連想してしまう年代なので妙に話が合わない。
 前方で停止した七三式トラックから、小柄なWACが走り寄ってきた。
 この偵察小隊には二人のWAC(婦人自衛官)が配属されている。住民と交流する時、女性がいたほうが良い場面があるかも知れないと言う配慮から配属されていた。例えばイスラムのような戒律のある土地だった場合、女性と交渉するのは女性であったほうがよい。
「伊丹二尉、どうしますか?ここでこのままじっとしてるわけにはいきませんが」
 栗林二曹だった。栗林二等陸曹を見ると多くの男性自衛官は、装備が重くないかと彼女に質問すると言う。体が小さすぎて装備を身につけると言うより、装備が彼女を入れて歩いているという印象になってしまうのだ。だが、小柄というだけで侮ると酷い目に会う。これでも格闘記章を有する猛者だ。
「あのドラゴンさぁ、何もないただの森を焼き討ちする習性があると思う?」
 意見を求められても栗林にわかるはずがない。だが「わかりません」と素直に答えるようなタマでもない。少しばかり辛辣な態度で、
「ドラゴンの習性にご関心がおありでしたら、何に攻撃をしかけているのか、二尉ご自身が見に行かれてはいかがですか?」
と言ってのけた。
「栗林ちゃん。ボク一人じゃ怖いからさぁ、ついてきてくれる?」
「わたくしは嫌です」
「あっ、そう」
 伊丹はバリバリと頭を掻くと告げた。
「適当なところに隠れてさ、様子を見よか。んで、ドラゴンがいなくなったら森の中に入ってみよう。生き残っている人がいたらさ、救助とかしたいし」
 森の中に集落があるという情報があった。多分、その集落がドラゴンに襲われているんじゃないかと言うのが伊丹の考えであった。




 結局、伊丹達が森に入ることが出来たのは、翌朝だった。
 夜になっても火がなかなか消えず、また黒煙によって見通しが利かなかったからだ。夜半からは雨が降り始めたおかげで森林火災が下火となった。これによって、ようやく森に入ることが出来るようになったのである。
 森は、すっかり見通しが良くなっていた。
 木の葉はすべて焼けおち、立木は炭となりはてていた。
 黒い地面からは、ブスブスと煙が上がっている。
 地面にはまだ熱が残っていて、半長靴の中がじんわりとあったかい。
「これで生存者がいたら奇跡っすよ」
 倉田の言葉に、伊丹もそうかもなと思いつつ、とにかく集落があると思われるところまでは行ってみようと考えていた。
 二時間ほど進む。すると立木のない開豁地へと出た。
 この森が焼かれていなければ、ここまで入るのに最低でも半日を要したであろう距離である。
 見渡すと、明らかに建物の焼け跡とおぼしきものが見える。よく見れば…よく見なくても、『仏像の炭化したようなもの』が地面に横たわっている。焦げたミイラでもよい。
「二尉、これって」
「倉田、言うなよ…」
「うへっ、吐きそうっすよ」
 倉田は、胃のあたりをおさえると周辺を見渡した。
 集落跡をゆっくりと見渡していく。無事な建物は一軒たりともない。
 石造りの土台の上につくられていた建物は焼けこげて瓦礫の山となっている。そんな建物の間に、黒こげの死体が転がっているという状態なのだ。
「仁科一曹、勝本、戸津をつれて東側をまわってくれ。倉田、栗林、俺たちは西側を探すぞ」
「探すって、何を?」
 栗林の言葉に伊丹は「う~ん、生存者かな?」と肩をすくめた。




 小一時間かけて捜索して、この集落には生存者がいないようだとわかった。
 伊丹は、井戸のわきにどっかりと座り込むと、タオルで汗をぬぐう。他の隊員達は、生活のようすがわかるものを探して、集落のあちこちを歩き回っている。
 すると、栗林がクリップボードを小脇に抱えてやってきた。
「二尉。この集落には大きな建物が三軒と、中小の建物が二九軒ほどありました。確認できただけで二七体の遺体がありましたが、少なすぎます。ほとんどは建物が焼け落ちた時に瓦礫の下敷きになったのではないかと考えられます」
「一軒に三人世帯と考えても、三〇軒なら九〇人だもんなぁ。大きな家を併せたら最低でも百人くらいの人が生活してたんじゃないかなぁ。それが全滅したのか、それともどこかに隠れているのか…」
「酷いものです」
「ふむ。この世界のドラゴンは集落を襲うこともあると、報告しておかないとな」
「『門の高地』防衛戦では、敵の中にドラゴンに乗っていた者もあったそうです。そのドラゴンは昨日見たものよりはかなり小さかったんですが、そいつの鱗でも七.六二㎜弾は貫通しなかったそうですよ。腹部の柔らかい部分ですら十二.七㎜の鉄甲弾でようやくということでした」
 伊丹は、栗林の蘊蓄を聞くと「へぇ」と目を丸くした。ドラゴンの遺骸を回収して、そのその鱗の強度試験をやったという話は聞いていたが、その結果がどうだったかの情報はまだ伝わってきていないのだ。
「ちょっとした、装甲車だね」
「はい」
 伊丹は水筒に口をつけると残りが少ないのを気にして、チャプチャプと振った。周囲を見渡して、自分の後ろにあるのが井戸だと気づくと、その上にある木桶を手にとる。木桶を井戸に放り込んで、縄で吊り上げるタイプのようだ。
「ドラゴンがどのあたりに巣を作っていて、どのあたりに出没するかも調べておかないといけないね」
 などと言いながら、井戸に木桶を放り込んだ。
 すると、コーーーンと甲高い音が井戸から聞こえた。
「ん?」
 水の「ドボン」という音が聞こえると思っていたから、妙に思った伊丹は井戸をのぞき込んだ。栗林も「なんでしょうね」と一緒にのぞき込む。
 すると……
 井戸の底で、長い金髪の少女が、おでこに大きなコブをつくってプカプカと水に浮かんでいるのが見えたのであった。



〇三



「テュカ、起きなさい」
 少女の優しい夢は、父親の声に破られた。
「お父さん、どうしたの?折角いい気持ちで寝てたのにぃ」
 目を擦り擦り、身を起こす。
 見渡して見ると居間にはうららかな日射しが差し込んでいる。
 午睡から無理矢理目覚めさせられたためか、頭がまだはっきりとしない。ただ、自分を起こした父の表情が異様なまでに険しくなっていることは気づいた。
 窓の外からも、雑多な足音や喧噪が聞こえて来る。集落中が騒ぎに包まれていた。そのだならぬ気配に何か重大なことが起こったのだと感じた。
「どうしたの?」
 その答えは、テュカ自ら悟った。窓の外、その空に巨大な古代龍の姿が見えたからだ。このあたりには龍は棲まない。だから実際に見るのはこれが初めてである。しかし幼い日々、父親から受けた博物学の講義で知識として知っていた。
「あれは、もしかして炎龍っ?!」
「そうだ」
 父が手にしているのは弓だった。これはエルフ一族では一般的な武器だ。さらには、貴重品をしまい込むのに使っているタンスに手をのばし、中からミスリル銀の鏃と鳳の羽根でつくられた矢を取り出そうとしている。
 父が、戦おうとしている。
 テュカも反射的に、愛用の弓矢に手をのばした。だが、父親の「やめなさいっ」と言う声に止められてしまう。
「どうして?」
「君は、逃げるんだ」
「あたしも戦うわ」
「ダメだ。君に万が一のことがあったら、私はお母さんに叱られてしまうよ」
 父が亡くなった母ことを持ち出すのは、娘に是が非でも言うことを聞かせたい時だ。だが、精神的に自立する年齢を迎えていた娘は父に笑顔で逆らった。
「炎龍が相手じゃどこに逃げても一緒よ。それに、手勢は一人でも多い方が良いでしょ」
 肉食の炎龍が好物とするのはエルフや人間の肉だと言う。ここで炎龍を倒さない限り、どこへ逃げようとも匂いを嗅ぎつけてやって来るに違いない。大地をはいずり回るエルフや人がどれだけ逃げようとも、古代龍にとっては一っ飛びの距離でしかないのだ。
 窓の外では、戦士達の矢が空に向けて放たれた。風や水の精霊が召還され、炎龍への攻撃が始まっている。だが、その効果は薄い。
 逆に炎龍から放たれた炎が、誰かの悲鳴と共に家を焼く。避難しようとしていた女子供がこれに巻き込まれた。
「とにかく、ここにいては危ない。外へ出よう」
 父は、娘の手を引いた。娘はしっかりと弓矢を握っていた。
 絹裂く悲鳴が響く。
 戸口から出たテュカが眼にしたのは、幼なじみの少女が炎龍の牙にかけられる瞬間だった。
「ユノっ!」
 愛する親友が食べられてしまう。とっさの判断でテュカは素早くを弓矢を番えた。若いとは言え、弓を手に産まれてくると言われるエルフである。腕前は確かだった。
 渾身の力を引き絞り狙い定めて矢を放つ。だがテュカの矢は、はじかれてしまった。
 テュカの矢ばかりではない。エルフの戦士達が無数の矢を龍に浴びせかけていた。だが、そのどれもが分厚い鱗に阻まれて傷一つ負わすことが出来ないでいる。
 バリバリとエルフの少女をかみ砕き飲み込んだ炎龍は、縦長の瞳を巡らせると次なる獲物としてテュカを選んだ。
「ユ、ユノが。ユノが…」
 炎龍に見据えられた瞬間、テュカの全身は恐怖にすくんだ。
 逃げようにも足は動かず、叫ぼうにも声すら出ない。龍と視線をあわせてしまうと魂が砕かれると言う。この時のテュカは、まさに魂を奪われたかのように動けなく、いや逃げようとすることすら意識に登らなくなっていた。
「ダメだ、テュカ!」
 父が矢を番えつつ、精霊に呼びかける。
「Acute-hno unjhy Oslash-dfi jopo-auml yuml-uya whqolgn !」
 風の精霊の助力を得た閃光のような矢が、炎龍の眼に突き刺さる。
 その瞬間、炎龍の叫びが大気を振るわせた。その振動は周囲に居合わせた生きる物全てを引き裂いてしまうのではないかと思わせるほど。
 炎龍はのたうち回るようにして、空へと浮かぶ。
「眼だ、眼を狙え!!」
 戦士達の矢が炎龍の頭部に狙いを集めた。だが大地に降りているならともかく上空に舞い上がった龍の眼を狙うのは、いかに弓兵のエルフと言えども難しい。
 炎龍は、自らを傷つけたエルフを選び出し狙いと定めた。
 集落を巨大な炎の柱で焼き払うと、炎龍はその鋭い爪と牙とでエルフの戦士達を蹴散らす。払いのける。踏みつぶす。その牙で食いちぎる。
「テュカ、逃げなさい!!」
 父親は娘を叱咤した。しかし、娘は呆然と立ちすくんだままだった。
 彼は娘に手を挙げるかどころか、声を荒げたことすらない優しい父親である。それは日々の暮らしの中では柔和なだけの『甘い』父親として見える。しかし、彼はこのような危急の時……則ち勇猛さと暴力的な粗暴さをむき出しにしなければならない時、これを発露できる厳しさも兼ね備えていた。
 父は、娘に龍の上顎と下顎の隙間に捕らえられる寸前、自らの身体をもって娘をはじき飛ばした。そして、炎龍の顎にレイピアのひと突きを喰らわせる。
 そのまま娘の身体を抱え上げると同時に走りだす。
「来たぞっ!」
 戦士達の精霊への呼びかけが、あたかも合唱のようであった。
 矢が斉射され、その内の数本が炎龍の鱗の隙間へと突き刺さる。口腔に突き刺さる。爪の付け根へと突き刺さる。
 だが、龍はひるむことなく迫ってきた。
 父は、娘に語り聞かせた。
「君はここに隠れているんだ。いいねっ!」
 そして、娘は井戸の中へと投げ込まれる。
 投げ込まれる最後の一瞬、彼女が見たものは父の背後に広げられた炎龍の巨大な顎。そして鋭い牙だった。




 どれほどの時間を井戸の底で過ごしただろうか。
 集落や森が焼き払われる炎の音。
 井戸の中にまで降り注ぐ火の粉。
 戦士達の怒号。そして悲鳴。
 腰までつかる水の冷たさに震える。ただただ怖くて、恐ろしくて、そして不安とで、涙を止めることも出来ない。気がつくと、耳に入る音がなくなっていた。聞こえるのは自分の呼吸音。心拍の音。あるいは、ささやかに聞こえる水の音。蒼かった空が、いつの間にか黒くなっていた。だが、不思議と井戸の周りは明るい。集落を焼く炎、その光が井戸の底まで届いていた。
 気がつくと、雨が降り始めていた。
 全身が雨に濡れる。顔が濡れる。眼に水が入る。だが、どうしても空から目を離すことが出来なかった。
「やぁ、テュカ。無事だったかい?」
 そう言って父が、ひょっこりと顔を出す。そんな光景を何度思い浮かべたことか。
 でも、いくら待ち続けても誰の声もしなかった。
 みんな死んでしまったのではないかという思いが浮かび上がって、胸が引き裂かれそうになる。
「お父さん……………助けて」
 やがて、空が明るくなった。夜の黒い空から、昼間の青い空へと移り変わった。
 井戸水は冷たい。寒さと疲れ、そして空腹とでテュカは立っていることも出来なくなっていた。絶望と悲しみとで、あらゆる種類の気力が失われていた。
「このまま、死んじゃうのかな」
 そんな風に思う。だが不思議と怖くなかった。というより、このまま死んでしまうことは、何か良いアイデアにも思えた。死んでしまえば、畏れや不安から解き放たれる。孤独の悲しみも、切なさからも逃れられる。あらゆる苦しみからの唯一の救いが死、そんな風に感じられるのだ。
 ふと、井戸の上から何か人の声が聞こえたような気がした。
 朦朧とした意識で、天を見上げてみる。すると、視界全体に水汲み用の桶のような物が広がっていた。
 こ~んと言う甲高い音。鼻の奥に香辛料を吸い込んだようなツーンとした激痛。視界一杯に広がる火花。
「はへぇ…」
 スウと、彼女の意識が遠のいていった。
「Daijyubuka! Okiro! Meoakero!」
 ぺちぺちと頬を叩かれる感触、そしてかけられる声。
 霞のかかる視界の向こうで自分をのぞき込む誰かの顔は、どこか彼女の父に似ていた。
「お父……さ…ん」



    *      *



「エルフっすよ、二尉」
 倉田三等陸曹の言葉に、伊丹は「エルフですねぇ」と応じた。
「しかも、金髪のエルフっすよ。くぅ~~希望が出てきたなぁ!」
「お前、エルフ萌えか?」
「ちがいやす。俺はどっちかっていうと、艶気たっぷりのほうが好みでして。でも、エルフがいたんですから、妖艶な魔女とか、貞淑な淫魔(女)とか、熱いハートのドラキュリーナとか、清楚な獣娘と出会う可能性アリでしょ?洒脱な会話の楽しい狼娘も可です」
 伊丹は、十八禁同人誌などに描かれる彼女たちの姿を思い浮かべつつも……こんなのが現実にいたらどうなるんだろうというある種の恐怖感に苛まれた。
 獣娘については、ミュージカル劇団による手塚漫画の名作のパクリ演劇に出てくる……に出演メークをした女優さんがよい例になるかもしれないと思ったりする。だが倉田の言うように妖艶な魔女とかドラキュリーナとかも、萌えるかもしれない。
「そりぁ、まぁ、あり得るんだろうけどさ」
「いや、絶対にいます!」
 握り拳で何やら力説し、萌え……この場合は『燃え』ている倉田に退きながら、伊丹は「まぁ、がんばれよぉ」と遠くで応援することにした。
 栗林ともう一人のWAC(婦人自衛官)黒川二曹が、井戸から引き上げた見た目で十六歳前後の少女の濡れた衣服を脱がせたり、ブランケットシートでくるんだりしたりと手当している。
 その光景を見物しようとすると、栗林二曹の鉄拳制裁で確実に排除されるために男連中は近付くことも出来ないでいた。
 伊丹も、遠巻きに見ているしかない。仕方なく井戸に降りるのに使ったロープとかを片づける。井戸の底に降りた時、水に濡れた服が冷たい。さらには半長靴の中には水が少しばかり入り込んで歩くたびにギュボ、ギュボ言う。
 他の隊員達は携帯円匙で簡単な埋葬用の穴を掘ったり、集落の状況を記録におさめるために、瓦礫の山を掘り返していたりする。人々の生活に使われていた家具什器、あるいは弓矢などの武器を集めて、ビデオや写真を撮るのも大切な仕事だ。あるいは資料として持ち帰るためのサンプルを選ぶ必要もある。
 伊丹は、腰を下ろすと半長靴を脱いで逆さにした。するとドドっと水がこぼれ落ちた。このまま履くのは抵抗があるが、裸足で居るわけにもいかないので、背嚢から取り出した毎日新聞を靴の中につっこんで水を吸えるだけ吸わせる。靴下はよく絞ってから履き直す。
 黒川二等陸曹(看護師資格有り)がやってきた。
 一応、敬礼してくれるので伊丹も答礼するのだが、身長が百七十になるかならないかの伊丹は黒川二曹を見上げる姿勢になる。黒川は、身長が百九十㎝もあるのだ。
 身長をいろいろと誤魔化してどうにか採用基準ギリギリの栗林と二人ならべて第三偵察隊の凸凹WACと呼ばれていたりする。
「とりあえず体温が回復して参りましたわ。漫画的にできた、おでこのコブもお約束に従って程なく消えるでしょう。もう大丈夫だとは思いますが……これから、どういたしましょう?私たちは、いつまでもここに居るわけにも参りませんし、でも女の子をここに一人だけ残していくのも何やら不人情な気もいたします」
 と、ゆったりとしたお淑やか口調で黒川は語る。小柄な栗林が気が短くて勇猛果敢なのに対して、大柄な黒川がのんびり屋のお淑やかという性格の対比が妙である。
「見たところココの集落は全滅してるし、助け出したものを放り出していくわけにもいかないでしょ。わかりました、保護ということにして彼女をお持ち帰りしましょ」
 黒川はニッコリと笑った。この女の側にいると時間がゆっくりと流れているような気がしてくるから不思議だ。
「二尉ならばそうおっしゃって下さると思っていましたわ」
「それって、僕が人道的だからでしょ?」
「さぁ?どうでしょうか。二尉が、特殊な趣味をお持ちだからとか、あの娘がエルフだからとか、色々と理由を申し上げては失礼になるかと存じます」
 伊丹は、大きな汗の粒が額から頬をつたって喉を経て、服の下へと落ちていくのを感じた。



〇四



 本来の予定で有れば、あと二~三カ所の集落巡りをする予定となっている。だが、保護したエルフの娘を連れ回すわけにもいかない。そのために伊丹は、来た道をたどってアルヌス駐屯地へと帰還することにした。アンテナ立てて本部にお伺いを立てたところ、「ま、いいでしょ。いいよ、早く帰ってこいや」という感じで返事が来た。
「桑原曹長……そんなことで宜しくお願いします。まずはコダ村に戻りましょう」
 伊丹はそう言うと、さっさと高機動車の助手席に乗り込んでしまう。運転は倉田、後ろで桑原が全体の指揮をする。また保護したエルフと、その看護のために黒川が乗り込んでいる。
 第三偵察隊は、再び走り出した。
 復路も、往路と同じような平和な光景が広がっていた。つい今朝方まで、ドラゴンが空を覆い、集落の一つを全滅させたなど思えないほどである。
 空は青く、大地は広がっていた。
 半日近い行程を、砂煙を巻き上げながらただひたすら走り抜ける。来る時と違ってスピードが出ているせいか、偵察隊にはなんとなく逃げるような気分が満ちていた。
「ドラゴンが来たら嫌だなぁ」
「言うなって。ホントになったらどうするんよ」
 運転席のつぶやきにおもわずつっこむ伊丹。
 舗装などされていない道だ。車は上下に揺れた。
 衛生担当の黒川がエルフの少女の血圧や脈を測って、首を傾げながら呟いた。
「エルフの標準血圧ってどのくらいでしょう?脈拍は?」などと尋ねてきて伊丹を閉口させながらも、バイタルの数値は安定している。人間を基準とするならば低いけれどと報告してきた。
「大丈夫かな?」
「呼吸は落ち着いてますし、血圧も脈拍、体温も安定。不自然に汗をかくということもないですし……人間ならば、大丈夫と申し上げるところなのですが」
 エルフの生理学など知らない黒川としてはそう答えるしかない。伊丹は、はやいところ現地人に接触して、エルフ娘の扱いについて相談するのが一番かと考えていた。



        *      *



 コダ村の人々は、「何だお前ら、また来たのか」という感じで伊丹達を歓迎するでなく、といって嫌悪するわけでもなく、なんとなく迎えた。
 伊丹は、村長に話しかけ、教えて貰ったとおり森の中に集落があったが、そこはすでにドラゴンに襲われて焼き払われていた。というようなことを、辞書を見ながらたどたどしく説明した。
「なんとっ、全滅してしまったのか?痛ましいことじゃ」
 伊丹は、小さな辞書をめくりながら単語を選び出す。
「あ~~と。私たち、森に行く。大きな鳥、いた。森焼けた。村焼けた」
 伊丹は適切な単語がないので『鳥』と言いながらもメモ帳にドラゴンの絵を描いてみせる。こういうイラストは伊丹は得意だったりする。
 長老は、そのイラストを見て血相を変えた。
「こ、これは『ドラゴン』じゃ。しかも古代龍じゃよ」
 伊丹の辞書に単語が増える。ドラゴンという単語が付け加えられ、現地でなんと発音するのかが、ローマ字で表記される。
「ドラゴン、火、だす。人、たくさん、焼けた」
「人ではなく、エルフであろう。あそこに住んでいたのはエルフじゃよ」
 村長はこの世界の言葉で『re-namu』と何度か繰り返した。伊丹は、辞書の『え』の覧にに『エルフ/re-namu』と書き込む。
「そうです。そのエルフ、たくさん死んでいた」
「わかった、よく教えてくれた。すぐにでも近隣の村にもに知らせねばならぬ。エルフや人の味を覚えたドラゴンは、腹を空かしたらまた村や町を襲ってくるのじゃよ」
 村長にお礼かたがた手を握られた。いまならまだ家財をまとめて逃げ出す時間があると、村長は人を呼ぶよう家族や周囲に声をかける。
 ドラゴンがエルフの集落を襲ったという知らせに、村人達は血相を変えて走り出した。
「一人、女の子を助けた」
 伊丹の言葉に、村長は「ほぅ」顔を上げた。村長を高機動車の荷台へつれていくと少女を見せる。
「痛ましい事じゃ。この子一人を残して全滅してしまったのじゃな」
 村長は、まだ意識の回復しない少女の金髪頭をひと撫でした。種族こそ違え、このコダ村とエルフの集落とはそれなりの交流があったのだ。
 エルフは森の樹を守り、狩猟で入り込む猟師が森の深部に入りこまないようにと牽制しながらも、負傷したり困窮していれば助け、時には保護して送り返してくれる。
 互いに干渉しない、距離を置いた尊敬関係とでも言うべきか。そんな関係が両者の間にはあったのだ。
「あ~と…この子、村で保護…」
 伊丹の言うことは理解できる。だが、村長は首を振った。
「種族が違うので習慣が異なる。エルフはエルフの集落で保護を求めるのがよい。それに、われらはこの村から逃げ出さねばならぬ」
「村、捨てる?」
「ドラゴンが来る前に逃げなければならぬのじゃよ。知らせて貰えねば、逃げる暇もなく我らは全滅してしまったろうに。ホントに感謝するぞ」



      *      *



 コダ村から少し離れた森に小さな小さな家が、一件建っている。
 サイズとしては、六畳間ふたつの二DK程度。平屋で、小さな窓が二つ。窓ガラスというものが存在しないこの地では、採光と通風が目的の窓も総じて小さめにつくられる。
 煉瓦造りの壁には蔦が這っている。天を覆う樹冠からの木漏れ日に、周囲は柔らかめに明るいため、建物からは瀟洒な感じがして、なかなかに素敵な雰囲気だ。
 その家の前に馬車が止められ、荷台には木箱やら、袋やら、紐で結わえられた本だとかが山積みに積み上げられていた。
 傍らで草を喰んでいる驢馬がその荷馬車を引くとするなら、ちょっと多すぎるんじゃないか?と尋ねたくなるような、それほどまでに多量の荷物だった。
 その山となった荷物を前に、さらに本の束をどうやって載せようかと苦心惨憺している者がいた。
 年の頃十四~五といった感じで貫頭衣をまとったプラチナブロンドの少女だった。
「お師匠。これ以上積み込むのは無理がある」
 最早どこをどう工夫しようと、手にした荷物は載りそうもない。少女は、その事実を屋内へと冷静な口調で伝えた。
「レレイ!どうにもならんか?」
 窓から顔を出した白いひげに白い髪の老人が、「まいったのう」と眉を寄せる。
「コアムの実と、ロクデ梨の種は置いていくのが合理的」
 レレイと呼ばれた少女は、腐る物ではないのだから…と、荷馬車から袋を一つ二つ降ろす。そして、空いたスペースに本の束を載せた。
 コアムの実もロクデ梨の種も、ある種の高熱疾患に効能のある貴重な薬だ。だが、その高熱疾患自体、あまり見られるものではないので、今日明日要りようになるということもない。また稀少とは言っても手に入らないものではないので、失ったら取り返しのつかなくなる貴重な書物に比べ重要性は格段に劣る。
 白髪の老人は袋を受け取ると、肩を落とした。
「だいたい炎龍の活動期は五〇年は先だったはずじゃ。それがなんで今更……」
 エルフの村が炎龍に襲われてて壊滅したという知らせは瞬く間に村中に走った。
 常のことならば着の身着のままで逃げ出さなければならないはずである。だが、今回は龍出現の知らせが速かっため、荷物をまとめるだけの時間はある。その為に村全体が、逃げ出す支度でひっくり返ったような騒ぎになっているはずだった。
 老人はぶつくさ言いながら、レレイのおろした袋を小屋へと戻す。
 その間にレレイは驢馬を引いてきて荷馬車とつないだ。
「師匠も早く乗って欲しい」
「あ?儂はおまえなんぞに乗っかるような少女趣味でないわいっ!どうせ乗るならおまえの姉のようなボン、キュ、ボーンの……」
「………………」
 レレイは冷たい視線を老人にむけたまま、おもむろに空気を固めると投げつけた。空気の固まりとは言っても、ゴムまりみたいなものだが、次々とぶつけられるとそれなりに痛い。
「これっ!止めんかっ!魔法とは神聖なものじゃ。乱用する物ではないのじゃぞ!私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじゃって……やめんか!」
 ……………おほん。
「余裕があると言っても、いつまでのゆっくりしていられるわけではない。早く出発した方がいい」
「わかった、わかった。そう急かすな……ホントに冗談の通じない娘じゃのう」
 老人は杖を片手に、レレイの隣によっこらせと乗り込む。レレイは冷たい視線を老人に向けたまま語った。
「冗談は、友人、親子、恋人などの親密な関係においてレクレーションとして役に立つ。だけど、内容が性的なものの場合、受け容れる側に余裕が必要。一般的に、十代前半思春期の女性は性的な冗談を笑ってかわせるほどの余裕はない場合が多い。この場合、互いの人間関係を致命的なまでに破壊する恐れもある。これは大人であれば当然わきまえているべきこととされている」
 老人は弟子の言葉に大きなため息をひとつついた。
「ふぅ~疲れた。年はとりたくないのぅ」
「客観的事実に反している。師匠はゴキブリよりしぶとい」
「無礼なことを言う弟子じゃのう」
「これは、幼年期から受けた教育の成果。教育したのは主にお師匠」
 身も蓋もないことをレレイは告げる。そして驢馬に鞭をひと当てした。
 驢馬はそれに従って前に進もうとしたが、荷台のあまりの重さから馬車はビクリとも動かなかった。
「………………」
「………………オホン。どうやら荷物が多すぎたようじゃのう」
「この事態は予想されていた。かまわないから荷物を積めと言ったのはお師匠」
「………………」
 レレイは黙ったまま、馬車からピョンと飛び降りた。動かない馬車にいつまでも乗っているくらいなら歩いた方がマシだと判断したのだろう。
「おお!レレイは、気の効くよい娘じゃのう。いつもこんな調子ならば、嫁のもらい手は引く手あまたじゃろうにのぅ、惜しい事じゃ。ホントに惜しい事じゃ」
 老人はそう言うと、レレイから手綱を受け取る。そして、驢馬に鞭をひと当て。だが、やはり荷馬車はピクリとも動かなかった。
 レレイはちらりと車輪に目をやった。車輪は地面に三分の一程めり込んでいる。このままでは動くことはないだろう。
「お師匠。馬車から降りるのに手が必要なら言って欲しい」
「し、心配するでない。儂らにはこれが有るではないか?」
 老人は杖を掲げる。するとレレイは老人の口調を真似た。
「魔法とは神聖なものじや。乱用する物ではないのじやぞ。私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじや…」
 老人は、額に漫画的な汗を垂らしながら言い訳する。
「儂らは魔導師じゃ。『ただ人』のごとく歩く必要はないのじゃよ」
 しかし、レレイの温度を全く感じさせない視線は和らぐことはなかった。
 老人の口は「あー」の形状で固まったまま呪文がなかなか出てこない。
「………………」
 教育者としての矜持とか、いろいろなものがその胸中で葛藤しているのだろう。老人が次の動きを見せるまでしばしの時間が必要だった。だが、やがて老人は情けなさそうな表情をはりついた顔をレレイに向ける。
「す、すまんかった」
「いい。師匠がそう言う人だと知っている」
 レレイとは、そういうことを口にする身も蓋もない娘であった。




 魔法を使うことで重量が軽くなれば、荷物山盛りの馬車も驢馬の力でも容易に引くことが出来る。レレイと師匠の乗った馬車は、長年住み慣れた家を後にした。
 村の中心部に向かう中。あちこちの家でレレイ達同様、馬車に荷物を積み込む者の姿が多く見られた。農作業用の荷馬車や荷車、あるいは直接馬の背中に荷物をくくりつけている者もいる。
 レレイは、あわてふためいて逃げ出す支度をする村人達の姿を、じっと観察してた。
 そんなレレイに、師匠は言う。
「賢い娘よ。誰も彼もが、お前の目には愚かに見えることじゃろうなぁ」
「炎龍出現の急報に、これまでの生活をうち捨てて逃げ出さなくてはならなくなった。だけど、避難先での生活を考えれば、持てる限りのものを持っていきたいと考えるのは、人として当然のことと言える」
「人として当然とは、結局の所『愚しい』ということであろ?」
「…………」
 レレイは、師匠の言葉を否定しなかった。
 本当に命を大切に思うので有れば、与えられた時間を使って、より遠くへ逃げるべきではないだろうかと考えるのだ。なまじ余裕が有るばっかりに、荷物をまとめるのに時間を費やしてしまっている。これによって結局は出発時間が遅れる。さらに重い荷物は移動速度を低下させる。炎龍に追いつかれてから、荷物を捨ててももう遅いのだ。
 そもそも、人は何故生き続けたいなどと考えるのか。人はいずれ死ぬ。結局は遅いか早いかでしかない。ならば、わずかばかりの生を引き延ばす行為にどんな意味があるというのか。
 レレイはそんな考え方すらしてしまうこともあった。
 村の中心部にさしかかると、道は馬車の列で渋滞が出来ていた。
「この先は、いったいどうしたのかね?」
 いつまでの動かない馬車の列に苛立ってか、師匠は進行方向から来た村人に声をかけた。
「これは、カトー先生。レレイも、今回は大変なことになったね。実は、荷物の積み過ぎで、車軸がへし折れた馬車が道を塞いでいるんです。みんなで、片づけてますが、しばらく時間がかかりますよ」
 引き返して別の道を選ぼうにも、すでに後ろにも馬車が塞いでいて行くも戻るも出来なくなっていた。




 レレイは、後方から見慣れない姿の男達が、これまで聞いたこともない言葉で騒ぎながらやって来ることに興味を引かれた。
「避難の支援も仕事の内だろ。とにかく事故を起こした荷車をどけよう!伊丹隊長は村長から出動の要請を引き出してください。戸津は、後続にこの先の渋滞を知らせて、他の道を行くように説明しろ!言葉?身振り手振りでなんとかしろ!黒川は事故現場で怪我人がいないかを確認してくれ」
 見ると、緑色……緑や濃い緑、そして茶色のまざった斑模様の服装をした男達だった。いや、女性らしき姿もある。兜らしいものを被っているところをみると、どこかの兵士だろうか?だが、それにしては鎧をまとっていない。レレイの知識にない集団のようだ。
 何を言っているのかよくわからないが、初老の男に指示された男女が凄い速度で走っていく。
 その様子を見ると、はっきりとした指揮系統らしきものがあるようだった。
 レレイは師匠に「様子を見てくる」と告げると、馬車を降りた。
 馬車十五台程先に、事故を起こした馬車があった。
 車軸が折れて馬車が横転している。その時に驚いた馬が走り回って暴れたらしい、巻き散られた荷物と、倒れている男性や母子の姿があった。
 馬も倒れて泡を吹いているが、まだ起きあがっては暴れようとしている。そのために、村人達は近づこうにも近づけないのだ。
「君。危ないから下がっていて」
 緑色の人達。
 何を言われているのかよくわからないが、手振りからしてレレイに下がっているように言っているのだろう。
 だがレレイは倒れている母子がどうやら怪我をしているらしいことに気付くと、制止を振り切って、駆け寄った。傍らで馬が暴れているが気にしない。
「まだ生きている」
 レレイよりちょっと下。一〇歳ぐらいの子供を診ると、頭を打ったようで血の気がない。母親は、気を失っているようだがたいしたことはないようだ。子供が一番危険な状態だった。
「レレイ!!何をしている?何があった?」
 呼ぶ声に振り返ると村長だった。やはり緑の服の人と一緒だ。事故の知らせに今来たのだろう。
「村長。事故。多分荷物の積み過ぎと荷馬車の老朽化。子供が危険、母親と父親は大丈夫そう。馬はもう助からない」
「カトー先生は、近くにいるのかね?」
「後ろの馬車で焦れてる。私は様子を見に来た」
 ふと見ると、緑の服の女性が、レレイと同じように子供の様子を、誰かに伝えている。
村長のとなりにいる三〇代くらいの男が指示を出しているようだった。
 突然、悲鳴が上がる。「危ない!!」
 バンバンバン!!
 突然の炸裂音にびっくりして振り返ると目に入ったのは、暴れていた馬が、レレイに覆い被さるようにドウッと倒れるところだった。紙一重のところで巻き込まれずに済んだが、ホンの少しずれていたらレレイの一〇人分はある馬体に、彼女は押しつぶされていた。
 レレイに判ったのは、どうやら緑の服の人たちが、暴れる馬から自分を守るために何かしたということだけだった。



〇五



 大陸諸国から帝国に集まった軍勢が、一夜にして姿を消した。
 それは日本ならば新聞の一面トップ、あるいはバナー広告一行目にとりあげられるような出来事であろう。だがこの世界、この土地の民にとって、軍がどこに行こうとどうなっていようと関係のない話だった。戦争に負けたとしても、支配者が変わるだけ。人々の生活になんら変化を起こすものではないのだ。
 これと言うのも常にどこかの国と戦争をしているという状態が続いていたせいである。戦争に勝ったり負けたり、領地をとったり取られたり。領主がコロコロとかわり、仰ぐ旗がコロコロかわる。そんなことが続けば、我々の言うところの愛国心など育まれるはずがない。
 自分の住んでいる土地とその周辺が戦場になるのではないかぎり、あるいは自分の家族が兵士として戦場に赴いているのでない限り、市井の民が国の動静に関心をはらうことはほとんど無いのだ。
 それでも騎士や兵士達が去って数日。人々の生活にも、影響が表れ始めていた。
 それは、盗賊の跳梁である。
 この世界の支配体制では、兵士や騎士の存在があったとしても、盗賊を抑える効果はそれほどない。なぜなら、貴族や騎士の主たる任務に治安の維持は含まれていないからである。
 彼らの役割と関心は「支配する」ことにある。騎士や貴族や『税金』と称して奪う。盗賊らは名目がないけど奪う。どちらも無理矢理で、拒否したら暴力を振るう。本質は同じで、大した違いはないのだ。
 もし、貴族や騎士が盗賊を退治したとしても、それは牧童が自分の羊を守るために、たまたま自分の視界に入った狼を追い払う程度のことでしかない。身も蓋もない言い方だが、民衆の安全に気を配ることは義務ではなく、奨励される善行のひとつに過ぎないのだ。
 死にものぐるいになって刃向かってくる盗賊を追って命をおとすかもしれないとなれば、貴族や騎士達が熱意を持ってこれと戦うなどまずあり得ない。これは、とりわけ珍しいことではない。かつての日本でも同じで黒澤明監督の映画「七人の侍」の状況設定が成立するのもこのせいと言える。
 とは言え、騎士や兵士が激減したという事実は、盗賊の喜ぶ状況だった。
 これまでは、こそこそと行っていた野盗行為を堂々と行えるようになったのだから。




 獲物がいなくなったら困るので、根こそぎ狩ったり奪ったりしない……というのは智恵のある狩人の仕事である。それと類似するのが盗賊行為であるが、そもそも智恵のある人間が盗賊に身を落とす例は少ないので、盗賊の大部分は、陰惨を極める仕事の仕方をする。
 例えば近くにドラゴンが出たために、とある村から逃げ出すことになった一家だ。
 男は、農耕馬に馬車を引かせると、家財一切合切と妻三十二歳と娘十五歳を乗せて村を出た。
 こうした逃避行では、野生の草食動物がするように…例えば野牛やシマウマのように、キャラバンを組んで移動するのが常である。だが、そんな悠長なことをしているとドラゴンに襲われるかも知れないという恐怖が先にたった。
 だから村人達が止めるのも聞かず、一家だけで村を出たのである。
 運悪く盗賊が現れたのは、村を出て二日目の夕刻だった。
 男は、農耕馬に鞭打って馬車を走らせたが、荷物満載の農耕馬車がそんなに速く走れるはずもない。抵抗らしい抵抗をすることも出来ず、一家は騎乗の盗賊達に取り囲まれてしまった。
 男はあっさりと殺され。家財と、妻と娘を奪われたのだった。




 夕闇の中。十数名の盗賊達は、火を囲んで獲物を得た喜びに、一時の享楽を味わっていた。
 獲物の中には金品ばかりでなく一家が当面の暮らしを保つための食料もあった。これで腹を満たす。母娘を犯すのは順番待ちだが、盗賊でも主立った立場にいる者は早々に獣欲を満たして、いい気分で酒を味わっていた。
「お頭、コダ村だそうですぜ」
 炎龍の出現によって村中で逃げ出している。荷物満載で足が遅い。たいした脅威もない。これを襲ってはどうか?襲わない手はない。襲いましょう。奪いましょう。
 配下の言葉に、頭目はニンマリとほくそ笑んだ。実に良いアイデアだ。そうしよう。彼はそう考えた。だが……。
「手が足りねぇぞ」
 二〇人に満たない自分の配下では、村丸ごとのキャラバンは獲物が大きすぎる。
「それですよ。あちこちに、声をかけて人を集めるんでさぁ。そうすれば今まで出来なかったような大仕事が出来ますぜ」
 これは手下を集める良いきっかけと言えた。
 頭数をがそろえば、村や町を襲うことも出来る。うまくやれば、領主を追い出して自分が領主になることも出来るかも知れない。
 野盗から領主へ。その日暮らしの盗賊家業から、支配者への成り上がりの夢。しばしの夢、刹那の夢に浸る。
 名もない盗賊の頭目。彼にとって幸福を夢見た瞬間が、人生の終わりだったのは幸せだろうか。それとも不幸だろうか。
 ゴロッと首の上から、頭が落ちて地に転がる。
 ゴロゴロと大地を転がり、たき火の側で止まった。
 ジュと髪が焦げ独特の臭いが立ち上がる。
 生理学的には、人は首を切られても数秒は意識があると考えられている。とすれば、彼は自分の頭が大地を転がる瞬間を体験しただろう。そして、自分の身体であった物体が、首から血液を噴出させながらグラッと倒れる瞬間を眺めることが出来たかも知れない。
 そして、暗くなっていく視野の向こうに、自分の赤い血を浴びる長い黒髪の死に神を見た。




 その少女を見た者は誰もが最初に「黒い」と思う。抜けるような白い肌に漆黒の髪、黒い衣装。そして、その瞳は底のない闇のごとく黒かった。
 ビュンという風切り音とともに、盗賊の首が飛ぶ。
 手にした武器は、重厚なハルバート。
 重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器だ。断じて小柄な少女が振り回してよい武器ではない。フリルで飾った服をまとった少女が手にしてよいものではない。それを柳のような細い腕と、そして白魚のような細い指で振り回す。
 どすっと重い鉄斧を肩に載せて、丸い息を「ほっ」吐く。少女の周囲には野盗であった死体が累々と横たわっていた。
「クスクスクス………。おじさま方、今宵はどうもありがとう」
 スカートをつまみ上げて、ちょこんと一礼。
 年の頃は見た目では十三歳前後。優美さと、気品のある所作からは育ちの良さが感じられた。そのかんばせは笑顔をたたえている。だが、目だけが笑っていない。黒い瞳の中に浮かぶ闇ははどこまでも深い虚無だった。
「生命をもってのご喜捨を賜りホントにありがとう。神にかわってお礼を申し上げますわねぇ。神はあなた達の振るまいがたいそう気に入られて、おじさま方をお召しになるっておっしゃられてるのぅ」
「………な、なんでぇ!てめえはっ!」
 まだ、生きている野盗達の中に、はらわたに氷を詰められたようなぞっとする重さの中で、なんとか虚勢をはることができた者がいた。この際、声を出すことが出来ただけでも褒めてやるべきか。
「わたしぃ?」
 くすりと愛らしくほほえむ。
「わたしはロゥリィ・マーキュリー。暗黒の神エムロイの使徒」
「エムロイ神殿の神官服?……じ、十二使徒の一人。死神ロゥリィ?」
「あらぁ、ご存じなのぉ? クスクスクスクス……正解よぉ」
 コロコロと嗤う少女を前にして、野盗達は一斉に逃げだした。荷物もなにもかもうち捨てて死にものぐるいになって走り出す。
 じょ、冗談じゃねぇ。使徒なんかとまともにやり合えるかっ!
 魂の叫び、命の叫びをそれぞれにあげながら、懸命に死の顎から逃れようとする。
「だめよ。逃げてはいけないのよぉ」
 ロゥリィが跳んだ。自分の体重ほどもあるような巨大な鉄塊を抱え、どう猛な肉食獣の身のこなしで、盗賊達に襲いかかる。
 ハルバートが盗賊の頭をスイカのようにかち割ると、周囲にミンチ状の肉片がまき散らされた。
「ひぇ、あわっ……ひっ」
 腰が抜けた男の前に、ゆらぁりと立つロゥリィ。重たいハルバートをよいしょと担ぐと、足下をちょっとふらつかせながらも、高々と掲げあげる。
 彼女の白い肌は、返り血で真っ赤に染まっていた。
「うふふ……神様はおっしゃられたのよ。人は必ず死ぬのぉ。決して死から逃れることは出来ないのぉ」
 振り下ろされる斧に続いて、断末魔の悲鳴が響くのだった。



        *      *



「はぁ、はぁ、はぁ……なんだって、エムロイ神殿の神官がこんなところに」
 男は我が身におきた不幸に不満をたれながら、走っていた。
 遠くから仲間の絶叫が聞こえる。また一人、死神教団の使徒に命を刈り取られたようだ。
「くっ、くそっ」
 夜の荒野だ。道などない。窪みがあり、岩が転がって、荊が群生し、立木が立ちふさがっている。男は、転び、のたうち回りながら、泥と汗とにまみれ、あちこちをすりむき、服を破きながら、あえぐように走った。
 また、絶命の悲鳴がこだました。
 ぬかるみにはまり込み、滑って転ぶ。身体を地面にうちつけて、男は拳で大地を打った。
「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉっ、なんで俺がこんな目にっ!」
「あらぁ。十分楽しんだのではないのぅ?」
 トンという足音。それに続く鈴を鳴らしたような声に、はっと見上げる。すると銀色の月を背景に、黒い少女が立っていた。
「あなた、イイ思いをしたのではなくてぇ?人を殺したのではないのぉ?」
 男の開いた脚の間……股間すれすれにズトンと、大地を割らんばかりにハルバートが突き刺さった。
「ひ、ひっひ、ひ、お、俺はまだやってねぇ!!」
「あらぁ、ホントぉ?」
「ホントだよ!仲間にしてもらって、これが初めての仕事だったんだよぉ!女だって、俺は新米だから最後だって言われて、まだ指一本触れさせて貰ってねぇんだ!」
「ふ~~ん?」
 ロゥリィはのぞき込むようにして、男を値踏みした。
「他のおじさま達は、み~んな、エムロイの神に召されたわよぉ。あなた独りじゃ寂しいんじゃなくてぇ?」
 男はぶるぶると首を振った。寂しくない、寂しくない。
「でもぉ、独りだけ仲間はずれなんて、いい気分じゃないわぁ」
「いや、是非仲間はずれにしてくださいっ!」
 男は祈るように願った。
 ロゥリィは、ロゾリとした刃物のような冷たい目で男を見下ろす。
「どうしよぅかなぁ~」
 言いながら、とロゥリィはポンと掌を拳でうつ。「そうだわあ。良いこと考えたのぅ」
「まだ、何もしてないなら。今からでもすればいいのよぉ」
 そう言って黒い少女が男の片足をむんずと掴みあげる。それは華奢な見た目からは信じられないほどの怪力だった。
「るるんらっ」と鼻歌を歌いながら、雑巾かモップでも引きずるような感じて男を引っ張る。
「いでで、やめっ!ごふっ!!あつっ」
 石や砂利の転がる荒れ地だ。男の汗にまみれた身体は、自らの血でさらにまみれた。
「あなた、お母さんと、娘さんとどっちが好み?」
「いやだぁ!止めて!!ぐへっ、ごっぽっ……」
「遠慮なんかしてはいけないのぉ。これが最期なんだしぃ、お相手していただけるようにあたしが頼んであげるわよぉ」
 ロゥリィは男の足をつかんだままぶんっと腕を振る。男は、うち捨てられた人形のように不格好に横たわる母娘のところでドサと転がった。
「さぁ、はじめるとよいのぉ。貴方の順番よぉ」
 男は首をブルブルと振る。
 一糸も纏わない母娘二人は、暴行を受けていた姿勢そのままに両足を広げ、両腕は万歳するかのように挙げていた。身動き一つせず横たわっていて、見ると呼吸も止めている。
「あら困ったわね。こちらの二人も、もう召されてしまったようだわ」
 暴行をうけている間に、命に関わるような傷を負わされたのかも知れない。
「間に合わずにごめんなさいね」
 ロゥリィは母娘に瞑目して頭を少し下げた。その上で男に微笑む。
「でも、折角だからぁ。やったらぁ?」
 男の股間が濡れて、周囲に水たまりが広がっていった。



〇六



 盗賊の青年は、涙を流しながら許しを請い続けた。
 地に這いずり、手を組んで祈るように。涙と鼻水を流しながら慈悲を請う。自分はまだ直接には罪を犯していない。まだ手を汚していない。生活苦のために、盗賊に身を落とすしかなかった。反省して、心を入れ替えて、これからは真面目に働く等々。
 ロゥリィはその醜態に嘆息する。汚物から目を背けるかのように顔を背ける。その見苦しさに、視線を向けたが最期、自らが汚されてしまうかのような気分になってしまったのだ。
 まず大前提がある。それは、ロゥリィの考えでは、人を殺すことは罪ではないということなのだ。大切なことは、何故、どのような目的で、そしてどのような態度でそれを為したかなのだ。
 これこそロゥリィの仕える神の教えでもあった。
 盗賊や野盗が、人のものを盗むことの何が悪いのだろう。
 兵士や死刑執行人が、敵や死刑囚を殺すことの何が悪いのだろう。
 そう言うことなのだ。
 ロゥリィの仕える神は善悪を語らない。
 あらゆる人の性を容認する。人が生きるために選んだ職業を尊ぶ。そして、その職業なりの道を尊ぶ。だから、盗賊ならば盗賊として堂々としていればよい。そのかわり盗賊であるが故に、兵士であるが故に、戦場でそして法によって裁かれること等で、自らの命もまた奪われることを覚悟すべきだと教えるのだ。
 もし、この男が盗賊として胸を張ってロゥリィに相対したので有れば彼女はそれなりの尊敬を示したろう。神の使いの立場として、青年を愛したかも知れない。
 だが、この男の態度たるやどうだろう。
 まず、自ら手を汚していないという言い訳が許せない。実際に盗賊集団に参加し、『数を頼む暴力』の構成員となった以上、直接暴力を振るったかどうかは全く関係がないのだ。
 そして、生活苦のために盗賊に身を落とすしかなかったという言い訳がまた許せない。食べていけないのなら、飢えて死ねばいい。
 才覚に乏しく運に見放され食べていくことが出来ないが、誰も傷つけたくない。故に、物乞いや路上生活者として生きるということを選択した者の矜持を、ロゥリィは見事な覚悟と認めて愛するのだ。
 人として愚劣。男として低劣。まさに存在の価値なし、その見苦しさの余り漆黒の使徒はその美貌をゆがめた。
 ロゥリィは、冷厳に命じる。墓穴を掘るようにと。その数は三つ。
 青年は、道具がないと応じたが、母親から頂いた両手が有るでしょう?とロゥリィに論駁されてしまう。だから青年は荒野を引っ掻くようにして、穴を掘った。
 ここは荒野だ、砂場や耕された畑に穴を掘るようには行かない。たちまち爪は剥がれた。皮膚はぼろぼろとなった。しかし、青年がその痛みに手を休めようとすると巨大なハルバートがつま先を削るようにして叩きつけられて、大地を抉る。
 恐怖に駆られた青年は、一時の狂躁に苦痛を忘れ、砂礫と雑草の大地を削るようにして、必死で穴を穿つのだった。
 やがて、一家の父親を埋葬した。
 一家の母親を埋葬した。
 そして一家の娘を埋葬する。
 最早、感覚を失った掌で土を掬いあげて少女の墓に盛り終えた時、すでに太陽は昇り、あたりは朝となっていた。
 男が仕事を続けたのは、これが、自らを見逃す条件であると思ったからだ。いや、そう思いたかった。思いこもうとした。そして男はお伺いをたてるかのように振り返る。
「こ、これでいいか?」
 渇きと飢え、そして疲労と両手の激痛とで息も絶え絶えとなっていた男は、見た。
 神の祈りを捧げる少女、ロゥリィの姿を。
 片膝をついて、両手を組み一心に祈る。彼女は神秘的な陽光に包まれ気高く美しく、見る者の呼吸すら押し止める。
 喪服にも似た漆黒のドレスと長い黒髪。
 白磁の肌。
 古くなった血液のような、赤黒の口紅がぞっとするような笑みの形を描く。
 祈りを終えた少女はゆっくりと立ち上がり、ハルバートを掲げあげた。そして身じろぎも出来ずにいる男へと向かって、神の愛と自らの信仰の象徴を振り下ろすのだった。



      *      *



 コアンの森在住のハイ・エルフ、ホドリュー・レイ・マルソーの長女テュカは、自分は今、夢を見ていると思っていた。
 寒冷紗がかかったような朦朧たる視野。そのなかで『人間』達が行き交う。
 何が起きているのか?感じ取り洞察しうる思考力が働かない。ただ、目に映る物、耳に入る音を受け容れるだけだった。
 空に浮かぶ雲や目に映る風景が、時折流れるように動く。止まる。また、動き出す。それに伴って身体が揺すられる。
 どうやら、荷車のようなものに載せられているようだった。
 動いては止まる。また動いては止まる。
 『荷車』の窓から見えるのは、荷物を背負い抱えた人間達が疲れた表情で、そして何かに追い立てられるかのような表情で歩いている姿だった。
 荷物を満載した荷車がガラガラと音を立てながら進んでいく。
 また動き出す。そしてしばらくして止まる。
 暗かった壁が切り開かれて、そこから外の光が差し込んで来た。
 眩しい……。
 ふと、視界がぼんやりとした黒い人影で覆われた。
「Dou? Onnanoko no yousuha?」
 視界の外にいる誰かと何か会話しているようだが、聞き取ることも理解することも出来なかった。
「クロちゃ~ん。どう?女の子の様子は?」
「伊丹二尉…意識は回復しつつありますわ。今も、うっすらと開眼しています」
 そんな会話も、テュカにとっては無意味な音声でしかなかった。
 高名な原型師が、最高の情念と萌え魂を込めて作り上げた、そんな造形の美貌と肌をもつ少女が、力無く横たわっている。流れる金糸のような髪をまとい、うっすらと開かれた瞼の向こうには、青い珠玉のような瞳が垣間見られる。
 伊丹は少女のように見えるエルフ女性を眺め見て、ため息を1つついた。
 熱は下がって安定。バイタル(心拍・呼吸数・血圧/標準値がどの程度のなのかは判らないが、上がるでもなく下がるでもなく、安定していることは悪いことではないと黒川は語った)も安定しているとは言え、気をつかわないわけには行かない状態だ。
「遅々として進まない避難民の列。次から次へと沸き起こる問題。増えていく一方の傷病者と落伍者。逃避行ってのは、なかなかに消耗するものだねぇ」
 それは愚痴だった。「喰う寝る遊ぶ、その合間の人生」がモットーの伊丹にとって、現状がいつまで続くか判らないことは苦痛以外の何者でもないのだ。
 疲労。人々の悲壮な表情。餓えと渇き。赤ん坊の悲鳴にも似た鳴き声。余裕をなくして苛立つ大人達。事故によって流される血液。照りつける太陽。落とす間もなく靴やズボンにこびりついていく泥・泥・泥。
 ぬかるみにはまって動けなくなってしまう馬車。その傍らで座り込んでしまう一家。しかし村人達には為す術がない。彼らには落伍者を無感動に見捨てていくことしか出来ないのだ。助けようにも精神的にも肉体的にも余力がなかった。「せめて我が子を……」と通りゆく荷馬車に向けて赤子を捧げる父親。
 キャラバンからの落伍は死と同義だった。乏しい食料、水。野生の肉食動物。盗賊。そんな危険の中に身を曝して生き続けることは難しい。
 見捨てるのが当たり前。見捨てられるのも当然。生と死はここで切り分けられてしまう。それが自然の掟だった。

 誰か助けて。
 その祈りに力はない。
 誰か助けて。
 神は救わない。手をさしのべない。ただ在るだけだった。
 誰か……誰か誰か。
 神は暴君のように命ずるだけ。死ねと。
 だから、人を救うのは人だった。
 動けなくなった馬車に緑色の衣服をまとった男達が群がった。ただ、脱輪しただけならば助けようはあると言う。
「それっ、押すぞ!!」
「力の限り押せ~、根性を見せて見ろっ!!」
 号令に全員が力を込める。泥田のような泥濘から馬車が救われ、再び動けるようになると、男達は礼の言葉も受け取ろうともせず、馬を使わない不思議な荷車へと戻っていく。

 村民達は思う。彼らはいったい何だ?

 この国の兵士でもないようだし、無論住民でもない。ふらっとやってきて、村に近づく危機を知らせ、そしてこうして逃避行を手伝う。気前がよいと言うよりは、人の良すぎる不思議な笑みを顔に張り付かせている異国の人間達。そんな印象が村民の一部に残った。
 馬車が荷物の重みに耐えかねて、壊れてしまった場合の彼らは冷酷だった。
 荷物を前に呆然と立ちつくす村人の元に、緑色の男達の長と村長がやってくる。
 そして村長から、背負えるだけの荷物を選ぶように説得される。荷物を棄てるなど村人達の考えてもしないことだった。荷物とは口を糊するための食料であり、財産だ。これらなくしてどうして暮らしていけると言うのか?だが、村長はそれでもと荷物を棄てるようにと告げる。嫌々ながら、緑色の服をまとった連中の言葉を伝えさせられているという態度だった。そして未練が残らないようにと火を放たせられた。そうなってしまえば、燃え上がる家財に背を向けて歩きだす。明日はどうするのか?あさっては?全く希望の見えない状況で、泣く泣く歩くしかないのだ。
 今やキャラバンには荷車の列と、徒歩の列とが出来ていた。そして時間の経過とともに徒歩の列が増え、荷車の列は減りつつある。
 黒川は伊丹に言った。
「どうして火をかけさせるのですか?」
「荷物を前に全く動こうとしないんだもの。それしかないでしょう?」
「車両の増援を貰うというわけにはいかないのでしょうか?」
 自衛隊の輸送力なら、この程度の村民を家財ごと一気に運んでしまうことは簡単なのだ。
 だが、伊丹は顔をしかめて後頭部を掻く。
「ここは一応、敵対勢力の後方に位置するんだよね。力ずくで突破すれば出来ないこともないよ。でも、僕たち程度の少数なら見逃しても、大規模な部隊が自分たちのテリトリーの奥に向かって移動を開始したら、敵さんもそれなりに動かざるを得ないと思うんだよね。偶発的な衝突。無計画な戦線の拡大。戦力の逐次投入。瞬く間に拡大する戦禍。巻き込まれる村民達。考えるだけでゾッとしちゃうってさ」
 そんな伊丹の言葉に、黒川は苦笑をかえす。伊丹が一応は上に向かって『お伺いは立てた』のだと言うことが、その言葉から知れたからだ。
「だから、僕たちが手を貸す。それぐらいしか出来ないんだよ」
 伊丹の言葉に黒川も頷かざるを得なかった。



        *      *



 コダ村の避難民のキャラバンが『そこ』を通りかかったのは、太陽があと少しで最も高いところに昇るという頃合いになる。
 キャラバンの先頭を行く第三偵察隊の高機動車(HMV)。しかし、その速度は歩くのとそう大差なかった。
 なにしろ徒歩の村人と、驢馬や農耕馬の牽く荷車の列だ。歩くだけの速度でも出ていればまだマシと言えるかも知れない。
「しっかし……もうちょっと速く、移動できないものですかねぇ」
 倉田三等陸曹が愚痴る。
「こんなに遅く走らせたのは、自動車教習所の第一段階の時以来っすよ」
 迂闊にアクセルを踏み込むと、たちまちキャラバンを引き離してしまう。倉田はオートマのリープ現象を利用してアクセルはほとんど踏み込まず、両手もただハンドルを支えるだけにしていた。
 バックミラーには、バックレストにしがみつくようにして前を見ている子供の姿が映っていた。すでに、高機動車の荷台には疲れて動けなくなった子供や、怪我人を載せている。すぐ後ろを走る七三式トラックも、狭い荷台に怪我人や身重の産婦が乗せている。もちろん、危険な武器や弾薬・食料といったものは、軽装甲機動車に移した。
 伊丹は航空写真から起こした地形図を見て、双眼鏡を右の地平線から左へと巡らせる。地形と現在位置を照らし合わせて、これまでの移動距離を積算して、残余の距離を目算する。道のりばかりでなく、高低差、川や植生と言った情報も重要だ。
「妙に、カラスが飛び交ってますよ」
 倉田の言葉に「そうですねぇ」などと適当に答えながら再び前方に双眼鏡を向けると、カラスに囲まれるようにして少女が路頭に座り込んでいるのを見つけた。
「ゴスロリ少女?」
 それは、ちょっとしたイベントとか繁華街……例えば原宿などで目にする機会の増えた服装である。その定義については諸説紛々であるが、伊丹はこの少女の服装を『黒ゴス』であると認識した。
 年の頃十二~十四歳前後。見た目も麗しく、まさに美少女であった。
 そんな少女が荒涼たる大地の路頭に座り込んでいる。黒曜石のような双眸がじっとこっちを見つめている。
「うわっ。等身大のSD(スーパードルフィー)人形?」
 倉田も双眼鏡をのぞき込んで呻く。
 その少女はそれほどまでに無機的な、そして隙のない造形をしていたのだ。
 とは言え、倉田が求めるように車を駆け寄らせて少女を眺めるわけにもいかない。コダ村のキャラバンはコミケ入場口に向かう行列のごとく遅々たる動きであり。このまま高機動車が少女に近づくには時計の秒針が五回転するほどの時間を必要とする。
 伊丹は、勝本や東といった隊員を徒歩で先行させて、話しかけさせた。
 この近くの住民?もしかすると銀座事件の時に連れ去られた日本人?様々な可能性を考えながら対応を検討する。
 だが勝本や東が話しかけても少女のコミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。座り込んだ少女に職務質問をする新人警察官。そして、それを無視する家出少女みたいな感じになってしまっていた。
 キャラバンが少女のもとにたどり着くと少女は待ちくたびれたかのように立ち上がり、ポンポンとスカートの砂埃を払う。そして、やたらとでかい鉄の塊とおぼしき槍斧を抱えると高機動車(HMV)に並んで歩き始めた。
「ねぇ、あなた達はどちらからいらして、どちらへと行かれるのかしらぁ?」
 少女が発したのは現地の言葉であった。
 もちろん、言葉に不自由な伊丹達が答えられるわけもない。辞書代わりの単語帳をひらいたりしながらどうにか片言で通じる程度だ。東も勝本も肩をすくめ、とりあえず歩き出す。
 コミュニケーションの空白を埋めたのは、高機動車の左右の空いたが広く取られているのを利用して、倉田と伊丹の間で前を見ていた七歳前後の男の子だった。
「コダ村からだよ、お姉ちゃん」
「ふ~ん?この変な格好の人たちは?」
「よく知らないけれど、助けてくれてるんだ。いい人達だよ」
 少女は、歩行速度で進む高機動車の周囲を、一周する。
「嫌々連れて行かれているわけじゃないのねぇ?」
「うん。炎龍が出たんだ、みんなで逃げ出してきたんだ」
 伊丹達は外人同士の会話をわかったような解らなさそうな表情で聞いている典型的な日本人の態度をとるしかなかった。
 とりあえず東と勝本には列の後方で村人のケアをするように指示して、少女から情報をとるのは直接自分ですることに決めた。単語を確認して、話しかけるつもりで男の子と少女との会話が切れるのを待つ。
「コレ。どうやって動いてるのかしら?」
「僕が知りたいよ。この人達と言葉がうまく通じなくてさ…でも、馬車や荷車と比べたら乗り心地は凄く良いんだよっ!」
「へぇ~、乗り心地が良いんだ?」
 すると黒ゴス少女は、コラコラコラと制止する間もなく、ズカズカと伊丹の座る助手席側から高機動車に乗り込んで来てしまった。もちろん、伊丹の膝の上を跨ぎ越えていってだ。運転席や助手席のドアがなく、開け放たれていることが災いしたかも知れない。
 高機動車は大人が一〇人は乗れる。
 前席は正面を向き、後席は左右からに向かい合わせて座るように椅子が配置されている。その中央に装備などを置くスペースとるため十分な広さがあって、現状のように道交法を無視できるのであれば、子供だけなら無理無理に二〇人近くは乗せることが可能なのだ。
 しかしそうだとしても、荷物もあったり、子供や老人とかで朝の通勤ラッシュに近い状態だ。そんな車内に「ちょっと詰めて」などと言いながら乗り込んでくる少女は、村人達からも歓迎されない。あからさまに苦情を言わないがみな迷惑だなぁという表情で迎えた。
「ちょ、ちょっと。狭いよおねぇちゃん」
「ん~ちょっと待ってて」
 ただでさえ狭いのに、長物を持ち込もうとしている。
 ハルバートは長い。そして重い。縦にも横にしようとするのにも、誰かの頭や顔やらをゴチゴチとぶつけることになってしまった。結局、みなが窮屈な思いをしながら身をちょっと寄せたり動かしたりして、車内の床に転がすように置くこととなった。
 その上で、自分自身がどこに座ろうかということで腰の卸場所を探すのだが、どこにもない。仕方なく、黒ゴス少女が腰を下ろす場所として選んだのは、御者という訳ではなさそうなのに、なんだか一人だけ良い席に座っている男の膝だった。
「ちょっと待て」
 乗り込んで来る段階から唖然として対応に困ったのは伊丹だ。
 黒ゴス少女を制止しようとしたが、うかつに手を出して『危険な箇所を』触ったりしたらセクハラやらなんやらと言われて、えらいことになりそうな予感がしてつい手を引っ込めてしまった。しかも言葉も通じない。「ちょっと待てって!!」「あちこち触るな」「小銃に触るな、消火器に触るな」「とにかく降りろって」「わぁっ、危ないものを持ち込むな」と日本語で、いろいろと怒鳴ったり抗議したりするのだが、馬の耳に念仏というか、蛙の面になんとやらという感じで完璧に無視されてしまったのだ。
 しかも少女が、ちょこんと腰を下ろしたのは自分の膝の上だ。
「ちょっと待て!」と言わないわけには行かない事態である。
 押し退けようとしたり、せっかく確保した居場所を奪われまいとする低級な紛争が勃発する。
「●×△、□○○○!!!!!」
「△□×¥!○△□×××!!」
 こうして、言葉を介さない苦情と抵抗と強引さのやりとりのあげく、伊丹がお尻の半分をずらして席の右半分を譲ることで、どうにか落ち着くこととなったのだ。



〇七



 自衛隊はその性格として、隊員の安全を重視している。その為に海外派遣などでは、まず現地で守りの強固な宿営地を築き、それを拠点とし、危険時には立てこもるようにして任務を遂行して来た。最近の例ではイラクでのサマワがその例と言える。
 人命軽視の旧軍を反面教師にし、国内向けの政治的な配慮と、人命救助を主とする災害派遣の活動していくうちにそれが習い性となってしまった、とでも言うべきだろうか。特地派遣隊もまた、守備を重視している。
 何よりも守るべきものは『門』の向こう側……本土だ。すなわち、この世界に置いて特地派遣隊の使命とは『門』を守ることにあった。『門』を含むアルヌス丘を占拠し、その周辺に安全地帯を、軍事的・政治的な方法によって確保することが、特地派遣隊に求められている。航空写真からの地図の作製、周辺地域に隊員を派遣しての調査も、すべてそのための手段なのだ。
 そしてさらに、前世紀の遺物とされている要塞建築がこれに加わった。
 土と鉄条網の野戦築城ではない。鉄とコンクリートによって造られる恒久的な防御施設である。
 『門』周辺を確保してからおよそ三週間。昼夜を問わない施設科の活躍によって、アルヌス丘は強固な防塞へと変貌していた。
 その構造は、担当した幕僚の性格が現れるかのようで、几帳面なほどの六芒星構造であった。
 この要塞の航空写真を見た『普通の人々』は、函館にある『五稜薹』みたいと口にする。
 『普通の人々』の中でも、真面目な自衛隊幹部になると軍事史を紐解いて、この『稜堡式城薹』の利点とか欠点とかを論じたりしながら、守備や攻略の方法について検討を始めたりする。
 だが、ホンのちょっと方向性の違うマニアックな人間だと、ニヤリとして『六芒薹』という単語を呟いたりした。
 伊丹なんぞは「縁起悪ぅ。俺やだよ、泣きながら糧食配ってまわるの。龍が飛び回ったりするところなんて、アレとすっごく似てる。まぁ、こっちには対空火器が十分あるし、心配するようなことにはならんだろうけど…美人の皇女様が敵の司令官とかだったら燃えるのか?」とかなんとか、言ったそうである。何のことかわからない人間には、ホントに何のことかわからないネタであるが。
 いずれにしても、魔術とか魔法とか、神秘的なことに対して無縁な人間が、全くの悪気なしで、神秘の代表格とも言える『門とアルヌスの丘』の周辺に『六芒星』を、魔導関係者が、それを知ったら正気を失ってしまうほどの規模と正確さでこしらえてしまったのである。



        *      *



 さて、場面変わって
 高機動車が、七三式トラックが、ライトアーマーが、エンジンの咆哮をあげさせ砂塵を巻き上げて疾駆していた。
 車内に収容されていた女、子ども、老人はその急ハンドルと加速に振り回され、あちこちに身体や頭をぶつけながらも、懸命に耐えていた。
 車窓から見えるのは、逃げまどうコダ村の人々。そして、それを空から覆う黒い影。
 炎龍である。
 コダ村を脱出して三日、どうやら無事に炎龍の活動域を脱出できたと思えてきた矢先、唐突に現れた炎龍が、獲物を見つけたとばかりに避難民達に襲いかかってきたのだ。
 炎龍がここまで進出してきたのにはそれなりの理由がある。
 炎龍出現の知らせを聞いたコダ村とその付近の村落の住民達が一斉に避難し、炎龍は巣の周囲に餌となる人間やエルフを見つけることが出来なくなってしまったのだ。そのため、わずかな臭いを頼りに、人間がいるであろう地域まで遠出してきた。そして、避難に手間取ったあげく、多量の荷物を抱えていたが為に移動速度の遅くなっていたコダ村の村民が、炎龍に狙われる羽目に陥ったのである。
「怪獣と闘うのは、自衛隊の伝統だけどよっ!こんなとこでおっぱじめることになるとはねっ!」
 桑原曹長が怒鳴る。「走れ、走れ」と倉田に向かって怒鳴る。アドレナリンに高揚しているのか、その声には喜色すら混ざって聞こえた。
 炎龍が、うずくまった村人に狙いを定めて襲いかかろうとする。それを見て伊丹は併走していた軽装甲機動車に向けて怒鳴った。
「牽制しろ!ライトアーマー!キャリバーをたたき込めっ!」
 軽装甲機動車上で五〇口径のレバーを笹川陸士長が渾身の力を込めて引き、工事現場の削岩機のような音が連続する。
 極太の薬莢がカートキャッチャーからこぼれてまき散らされる。硝煙で汚れ、すすけた真鍮色をした薬莢がカラカラと、ボンネットを転がる。そして十二.七ミリの銃弾が炎龍の背に当たり火花を散らした。
 だが強靱な龍の鱗は重機関銃の銃弾を全く寄せ付けない。
「全然、効いてないっすよっ!!」
 笹川の言葉に、伊丹は怒鳴り返す。
「かまうな!!当て続けろ!!撃て撃て撃て!」
 遊具空気銃のBB弾〈市販仕様において〉は、当たったから死ぬわけではないが、それでも弾を浴びせられるのは嫌なものである。銃弾が効かないほどの強固な装甲に覆われていても、生き物ならば感覚があるはず。伊丹は、部下達に絶え間ない射撃を命じた。
 六四小銃の筒先が炎龍を指向する。消炎制退器から、炎が花弁のように広がった。
 浴びせられる銃弾に、さしもの炎龍も辟易した様子を見せる。獲物に襲いかかる勢いをそがれ、あたふたと走る農夫を取り逃がしてしまった。
 忌々しそうに、頚をふる龍。つぶれた片目につき立っている矢が、その強面を引き立てて、見るからに恐ろしい。やくざの顔の傷みたいなものだ。
 炎龍が火炎放射器のような炎を吹き放つが、周囲を走り回る車両を捕らえることは出来ない。
「ono! yuniryu!! ono!」
 背後からの少女の声。振り返った伊丹の視界に、ぱっと金糸のような髪が広がっていた。
 蒼白の表情をしたエルフ少女が、細い指で自らの碧眼を指し示して「ono!」と連呼する。
 この瞬間、伊丹は言葉は通じてなくても不思議と意思が通じたような気がした。
「目を狙え!!」
 隊員達は龍の頭顔面部を狙い始めた。
 炎龍は明らかに厭がり、顔を背け動きが止まった。
「勝本!パンツァーファウスト!」
 ライトアーマー内で取り出されたのは、一一〇㎜個人携帯対戦車弾。七百㎜もの鉄板を(七十㎝もあるようなものを「板」と呼んで良いかどうかは別として)貫通する能力のある、個人携行する火器としては凶悪までの破壊力を有する武器である。
 重機関銃を撃っていた笹川士長と入れ替わって勝本三曹が、上部ハッチから身を乗り出した。
 だが、これは先っぽが重い上に執り回しがききにくい。しかも安全管理を重視する自衛隊では、構えてすぐ撃つような習慣はない。
「後方の安全確認」
 馬鹿、とっとと撃てと誰もが呟いたが、日頃の訓練内容を思い出して「自衛隊だし……」と思ってしまう。
 照準を執っている間に、炎龍は身をよじらせて中空に逃れようとする。
 ライトアーマーの急加速に、勝本は振り回されて照準から目標を逃してしまった。
「ちっ!!揺らすな東!!」
「無茶、言わないでくださいっ!」
 コンピューター制御されてるわけじゃないんだから、行進間射撃なんて無理だぁなどと思いつつ勝本は筒先を炎龍へ向けようとした。
 車の急制動とガクビキ(引き金を引く際に力が入って、銃全体をゆすってしまうこと。当然あたらない)。引き金を引いた瞬間から、パンツァーファウストがはずれることは見えていた。
 後方にカウンターマスを放出。前方に向けて弾頭が加速しながら突き進んでいく。
 身をよじられた炎龍は、安定をとろうとして翼を広げる。飛来する弾頭を跳び避けるように後ずさるが、突然脚をもつれさせたかのように倒れ込んだ。 
 見るとハルバートが地に着き立っている。
 高機動車の中から、黒ゴス少女が荷台の幌を切り裂いててハルバートを投げつけていた。その柄が地を行く動物ではない炎龍の脚を、わずかにもつれさせたのだった。そしてそれで十分だった。
 外れていたはずの弾頭に向かって炎龍が倒れ込んでいく。
 ノイマン効果によって発生したメタルジェットは、強固な龍の鱗をもってしてももはばむことは難しい。炎龍の装甲はユゴニオ弾性限界を超えたライナーによって浸食され、穴が穿たれる。
 人間で言えば左肩に相当する部分が左腕ごとごっそりえぐり取られていた。
 空気を振るわせる悲鳴。
 絶叫
 ドラゴンの咆哮は、その眼光とおなじく魂を揺さぶり、戦士の勇気を砕く。その場にいた者すべての魂が凍り付いた。
 攻撃に、一瞬の間があいてしまった。
 その隙に、中空に飛び上がる炎龍。
 翼を広げ、よたよたとよろめくようにしながら、高度を上げていく。
 自衛官達は、その後ろ姿を黙って見送るだけであった。



〇八



『炎龍』が撃退された。
 そんな話を聞くと、誰もが「嘘だろう?」と疑う。
 単騎よく龍を征すドラゴンスレイヤーが登場するのは、おとぎ話の中だけというのが常識だからだ。
 徒手で地熊を倒す。水牛を倒す。このくらいは鍛えようによってはあり得るかも知れない。だが翼獅子や剣虎、さらには毫象を『素手』で倒すというのはどうあっても無理と思える。これと同じくらいの理由で、古代龍と相対することは自殺行為と考えられていた。
 魔法の甲冑と武器で身を固めた騎士の一団だろうと、さらには魔導師や神官、エルフ弓兵や精霊使いの支援を得ようとも、古代龍を倒すことは絶対不可能。それはこの世界の常識だった。だからこそ人々はその存在を災厄と同義として受け止めているのだ。
 だが、「倒すことは出来なかったが、それでも撃退に成功した」という噂が、一カ所だけでなく様々な方面から伝わって来ると、人々はどうにか信じるようになった。信じても良いという気になった。ただし、噂には尾ひれ羽ひれがつく物だ。「もしかすると事実かも知れない。けど、炎龍と言うのは間違いではないか?」と考えたのである。
 炎龍の活動期は五〇年程先と言われていたし、そもそも古代龍を倒せるような存在を想像することはどうにも難しかったのだ。だから現れたのは古代龍たる炎龍ではなく、それに劣る大型の亜龍(例えば無肢竜の類)ないし新生龍だったのではないか、と言う考えが説得力をもって迎えられた。
 とは言え、亜龍であっても齢を重ねたものは、古代龍なみに大きくなるし、新生龍だって翼竜などよりは遙かに大きく危険なのだ。従ってそれを撃退したとなれば「龍殺し」に準じた戦功と言っていい。避難民の四分の一が行方不明ないし死亡という事実も、「よくぞ、その程度で済んだものだ」と受け止められる。
 この世界で「死」とはそう言うものなのだ。森の中に迷い込んでも死、川岸で遊んでいてうっかり落ちても死。これらは本人の不注意かあるいは運命とされる。
 欄干や手すりがなかったから誰の責任、安全管理がなされていなかったから、どこそこの責任と考えることは一種の物狂いとされる。
 平和も安全も当然ではない。だからこそ、人としての力量をもって追いすがる『死』…ドラゴンの形状をした『天災』を振り払った者の功績を人々は讃える。誰もが「で、その偉大なる勇者ってのは、誰なんだ?」と関心を抱くのだ。



    *    *



 コダ村の村民の内、生き残った者の身の処し方は大きく分けて三つあった。
 ひとつが、近隣に住まう知り合いや親戚を頼る者。これはかなりの幸運の持ち主と言える。知り合いや親戚の保証や支援を得て、住処を確保し、職を得る機会があるからだ。
 ふたつ目が、親族や知る者もない土地で避難生活を送る者。これが大多数である。
 身寄りもなく、誰からも助けを得られない場所で、住む場所と職をどうやって得るか。
 考えるだけで難しい明日への不安はどれほどのものか。だが、生き残ることが出来ただけでも幸運と、不安を押し殺して皆、それぞれの幸運がさらに続くことを祈りつつ各地へと散っていったのだった。
 彼らは去り際に伊丹ら自衛官達の手を握り、感謝の言葉をひたすら繰り返した。
 避難民達にとって自衛官達は謎の存在だ。何の義理も恩もないのに、自分たちの避難を助け、こともあろうに炎龍と戦いすらした。
 言葉が通じないことや見た目からも、国に属す騎士団や神官団でないことは確かだ。これが外国の軍隊なら、殺戮と略奪が当たり前だがそれもしない。無論、盗賊の類でもない。
 一番理解しやすいのが、異郷の傭兵団が雇い主を求めて旅をしていると言う結論だった。ここ最近になって国や貴族達が兵士かき集めているという事実がこれを裏打ちした。
 しかし、傭兵団だとすれば、何の利得もなく他人のために働くことなどあり得ない。となれば、いつ、どんな見返りを、自衛官達が求めて来るかと恐々としていたのである。
 ところがである。最後の最後まで見返りの類を求めてこない。
 それどころか、どこへ行っても自慢できるほどの功績をうち立てたと言うのに、まるで敗戦したかのごとく憔悴し肩を落とし、死者を埋葬し悼んでいる。(たまたま神官がいたので略式ながら葬祭も出来た)別れ際に手を握ると、感極まって涙を流す者すら居る始末。
 立ち去る自分達が、見えなくなるまで手を振っている自衛官達の姿を見るとコダ村の村民達は、苦笑を押しとどめておくことが出来なかった。彼らの献身と無償の支援は確かにありがたい。ありがたいのだが、そんなことで「連中は果たしてやっていけるのだろうか?」そんな呆れた気持ちになるのだ。
「いくらなんでもお人好し過ぎだろう?…あんなことで、やってけるのかねぇ」
「他人の心配してる場合じゃないぞ。俺たちだって、これからどうしたらいいか…」
「そうだな」
「ま、いくら領主や貴族が馬鹿でも、あれほど腕の立ち連中をほっとくわけないさ。なんて言ったって、炎龍だぞ、炎龍。あれと互角に戦ったんだ」
「確かに。でもよ、あの連中のことだから、安く買いたたかれたりしないかねぇ」
 いくらなんでも、そこまで間抜けじゃないだろう?と言いたくなったが、貴族共の阿漕なやり方をよく知る村人は、いささか心配になるのだ。
 とりあえず、一風変わった衣装と価値観をもつ傭兵団(自衛官達)の一行が、良心的な雇い主に巡り会えますように感謝の気持ちを込めて、それぞれの神に祈ったのである。
 ちなみに、コダ村住民の『幸運』はこれで終わりではなかった。
 彼らは行く先々で人々から証言を求められる事となる。すなわち「ドラゴンが撃退されたというのは本当か?」と。
「ホントに炎龍なんだって、俺はこの目で視たんだから。そんな可哀想な人間を見るような目で俺を視るなよ。……え、誰だって?緑色のまだらな服を着た連中だよ。もちろん人間だよ。エルフとかドワーフとかじゃない。多分、東方の民族だろう。言葉は通じないんだが、頭は悪くなさそうだった。一生懸命言葉を覚えようとしてたしな。気持ちの良い奴らで、俺たちが避難するのを助けてくれたんだぜ。無償でだぜ、無償!ホントだって」
 彼らの言葉は、吟遊詩人のそれと違って語彙が少なく描写も下手くそ。だが自らの目で見た光景、その場での体験の前に英雄譚的脚色も不必要だった。
 聞く者は想像力をかき立てられ、強烈な印象を受ける。見てきた事実だから、その時アレはどうだったんだ?の問いに、語り手は答えることも出来た。
 そして、語り手がドラゴンが片腕を吹き飛ばされる瞬間を描写すると、固唾を呑んで聞いていた者はみな呻くのだ。
「そりゃ、すげぇ」
 やがて、『謝礼を受け取ろうともせず』、ほがらかな笑顔で颯爽と立ち去って行く彼ら。
 本人達が聞いたら「誰のこと?」と尋ねたくなるような、今時アニメにも出てこない英雄物語のキャラクターのような人物像が、人々の間を伝播していくこととなった。
 避難民達は、酒場で、街角で「あんたコダ村から来たんだって?」と呼び止められては、その時の話を尋ねられる。口によって語る言葉が違い、目によって見たことの描写も異なる。それがまた不思議な立体感をもたらすのだ。
 コダ村の村民達は語り部の仕事だけでも、帰村するまで食べるに困らなかったと言う。



    *        *



「騎士ノーマ。どう思われますか?」
 宮廷の侍従武官である准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、街のあちこちで耳にした噂について、先輩たる同僚に論評を求めた。
 多くの客でにぎわう居酒屋の一角を、数人の騎士と従者達が占領している。店はそれなりに汚く、テーブルとテーブル間は狭い。怒鳴るようにして声を出さなければ隣に座る者にすら声が届かないような喧噪のなかで、侍従武官の騎士や従者達が肩をぶつけ合うほどに身を寄せて料理に手を伸ばし、酒杯を口に運んでいる。
 見ると、コダ村から来たという臨時雇いの女給が、盆を手にあちこちに酒を運んでいる。彼女は注文を取り、料理を運んだ席で、求められるままに見てきたことを語り、なにがしかのチップを貰っていた。
 ひげを清潔に切りそろえた騎士ノーマは、いまいましそうに苦い表情をした。本来なら清潔な宮廷で、貴族の令夫人や令嬢を相手に高級な料理を口にしている身である。皇女殿下の騎士団と言えば、宮廷の飾り物であり実戦と最も縁遠い軍隊だったはず。そんな侍従武官が、今や野卑な料理と濁った酒を口にしている。任務とは言え、自分にふさわしくないと受け容れがたく感じているのだ。
 なんでまたこんな目に…ノーマは、自分の主を呪いたくなる不敬を押さえ込むので精一杯だった。皇帝陛下の直々のご命令とあらば、アルヌス方面の偵察という任務自体は仕方ないだろう。ただ、皇女殿下が動くのであれば、本来騎士団全軍を引き連れ、従卒に傅かれつつ優美に旅程を楽しめるはずだ。ところがわがまま娘が下した命令は、本隊をはるか後方に残して少数での偵察。自分たちも侍従武官4人と従者数名だけがこの皇女のお守りをしなければならない。おかげで身分を隠して、薄汚い身なりになって、食べるものと来たら……。
 ノーマは女給に手を振り酒の追加を注文すると、この状況を苦とも思っていない様子の後輩を見て、小さく嘆息した。ハミルトンはノーマが返答するのを無邪気な顔をして待っている。
「………これだけ多くの避難民が言うのだから、嘘ではないだろう。皆で口裏を合わせていると考えるのも難しいしな。だが、炎龍というのはいささか信じがたい」
「わたしは、ここまで皆が口をそろえて言うんなら、信じても良いような気になって来ます」
 女給は、ワインの瓶をテーブルにどんと置いて「ホントだよ、騎士さん達。炎龍だったよ~」と言う。
 騎士ノーマ・コ・イグルは、古き伝統に従って「ははははー、冗談が好きだな。私はだまされないぞ~」と応じた。
 この反応に、女給は口を尖らせる。
「まぁまぁ、気を悪くしないでよ。わたしは信じるから。よかったら話を聞かせてくれないかな」と、ハミルトンは女給にチップとして数枚のモルト銅貨を渡した。チップとしては破格である。女給は「ありがとう、若い騎士さん」とかわいげのある笑顔を見せた。身なりのせいか年増女に見えたがこの女給、意外と若いかも知れない。
「これだけして貰ったんだ、とっておきの話をしてやらなきゃいけないね」
 女給はそう言うと、話し始めた。




 炎龍が現れたという話が伝わると、コダ村は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。女給メリザの元に隣の鍛冶屋の奥さんがかけ込んできたのは、陽が中天に達する頃合い。メリザが洗濯仕事をしている最中だった。
「メリザ!!メリザッ!大変だよ」
 日頃から、村のうわさ話に興じる仲である。家にいないと見ればどこにいるか直ぐにわかるので、井戸端までかけ込んできた。
 メリザは、畑仕事に出ている農夫の夫に知らせるため、洗濯物を踏んづけていた息子を走らせる。そして自分は家に戻ると、とる物もとりあえず荷物をまとめ始めた。
 夫が帰ってきたのはその後直ぐだった。
 息せき切って帰ってきた夫が開口一番、「無事か?!」と叫ぶ。どう伝わったのか、村がすでにドラゴンに襲われてしまったと勘違いしていたようだ。
 無傷の女房の姿に安堵したのか、その場で座り込んでしまう。だが無事でも危険が去ったわけでもなく、本番はこれからなのだということをメリザは夫に言い聞かせ、直ぐに荷造りをするように尻を叩いた。
 農耕用の荷車に家に備えた食糧と水瓶を積む。さらに什器、わずかばかりの衣類や、爪に火を灯すような思いをして貯めたなけなしの蓄えを積み込むと、それだけで荷車はいっぱいとなってしまった。
 農耕用の驢馬に荷車を牽かせ、息子と夫がそれを背後から押す。そんな状態で道を進み、村の中心に入ると、すでに多くの荷車や、村人達で道は渋滞していた。
 荷物を積みすぎて荷車が壊れてしまい、道を塞いでしまったのだ。
 時間が浪費されてしまった。どうにか村を出たが、その時には既に陽は西の空にさしかかっていた。
 陽が暮れれば野宿し、陽が昇れば道を進む。だが避難民達の歩みは遅い者も速い者もいた。三日も過ぎると年寄りや子どもを連れた家は、どんどん遅れ始め、列は縦に伸びて先頭は見えなくなってしまう。泥濘に車輪を取られた荷馬車が動けなくなり道を塞ぐこともあった。早くどけろ、少しは手伝えといった怒号と罵声が飛び交い、人々の心はささくれ立っていく。
 あちこちで喧嘩がおこり、荒れた道の凹みに車輪をとられた荷車が横転する。荷物が散乱。子どもが泣きわめき、途方に暮れた女がうなだれる。
 だが、そんな自分たちを助けてくれる人達がいた。
「それが、まだらな緑色の服を着た連中さ。全部で十二人。女が二人いたね」
 女給の声は、騎士達だけでなくその外側にまで届いた。居酒屋は静かになっていたのだ。みな、彼女の話に聞き入っているようだった。
「女はどんな姿だった?」
 ノーマの問いにメリザは鼻を鳴らした。
「男ってのはみんなそれだねぇ。まぁいいや…背の高い女がいたね。日中は兜を被っていてよく見えないんだけど、野宿の時にチラと見えた。
 馬のしっぽみたいに束ねてるのを解いた時、あたいは女ながら見惚れたねぇ。カラスの濡れ羽色って言うのかい?艶の入った黒髪がとっても綺麗でさ。どうしたらあんな色艶になるのか、言葉が通じるんだったら教えて貰いたかったよ。体つきもほっそりとしていてね、異国風の美女っていうのはああいうのを言うんだろうね」
 女の描写に、男達は色めきだった。
「ほぅ、で、もう一人は?」
「ありゃあ、猫みたいな女だったね。小柄でさ。髪は栗色で男みたいに短くしてた。元気な娘で、面倒見もよくって子ども達はなついてたね。それと腕っ節が凄くて男連中は結構怖がってたね。ウチの亭主が、モルの旦那と喧嘩をおっぱじめた時、やってきて足をびゅんと目にもとまらない速さで振り回して、大の男二人をあっと言う間にのしちまったんだ……」
 周囲の男達は、瞬く間に興味をなくしていく。ある種の白けた空気が場を支配してしまった。どうにも彼女の話は、とりわけ男共には人気がないのだ。ま、さらに言葉を続けると態度がコロと変わるのだが。
「体つきはすごかったね。さっき言ったように小柄なんだけど、胸が牛並みに突き出ていてね。あたいははっきり言って嫉妬したよ。そのくせ腰は細く締まってるってのが許せないね。顔は綺麗と言うよりは可愛いって感じさ」
「おおっ!」
 やっぱり……。男達の歓声にルリザは舌打ちした。客が喜ぶのはいいが、女としては面白くないのだ。
「ま、そう言うわけで、いろいろとあったけど、あたいらは何とか進んでいたのさ。だけどね、あいつがやってきたのさ」
 村人達は水が不足し、食べ物を満足に食べることも出来ないでいた。それでもわずかでも進もうと気力だけで頑張ってきたが、それも最早限界に達した。
 進める者は進むが、動けなくなった者は座ってしまう。
 動けなくなった子どもや年寄りは緑色の服の連中が、馬がなくても動く荷車に乗せてくれた。だけど、全員を乗せられる訳じゃなかった。
「もうダメかも。せめて息子だけでも。あたいは本気で神に祈ったね。でもダメだった。神官連中が神様はいるって言うからいるんだろうけど、少なくとも助けてはくれないね。あたいは金輪際、神様の類に頼み事はしないことにしたよ」
 それまで空は晴れていたのに急に日が陰った。雨でも降るのかと思って空を見て誰もが凍り付いた。
「赤い龍。足がついて、腕が付いて、コウモリの羽みたいな翼を広げた、巨大な奴さ。そけがが空を覆っていたんだ」
 その龍が天空から舞い降りて、目の前にいたモルの旦那とその女房がいなくなった。
 一瞬のことだった。地面には二人の下半身が転がっていた。
 何が起こっているか、理解するよりも早く逃げ出した。子どもを抱えると荷物なんかもう捨てて、とにかく走った。
荷車が横転して、それに巻き込まれて死んだ村人も多い。
 みんな逃げ出した。炎龍があたりを焼き払い、程良く焦げたところを龍に喰われていく。
 蜘蛛の子を散らすように、ただ逃げるしかなかった。蟻の巣をつぶす子どもみたいに、龍は村人を踏みつぶし、食らいつくしていった。
 そこへ、緑の人達がやってきた。
 ものすごい速さだった。馬でも無理って言うほどの速さで荷車が走っていた。その荷車に乗っていた緑の人達は、手にしていた杖を構えると、魔法で龍を攻め始めた。
 でも、炎龍は少しも堪えない。彼らの魔法でも鱗に傷一つつかない。だけど、緑の人達は諦めなかった。
 周りを走り回り、村人達が少しでも逃げられるようにと、攻めるのを止めなかった。
 そのおかけで、生き残っていた村人は逃げおおせることが出来た。
 お返しとばかりに炎龍は緑の人達に襲いかかった。だけど、ものすごい速さで駆け抜ける荷車の前に、さすがの炎龍も飛びかかることが出来ない。一箇所に留まらない彼らを前に龍の炎も届かないが、ドラゴンのほうは少しずつ慣れていく。離れた所から魔法を浴びせるしかない彼らは、少しずつ不利になっていった。
「ところがさ…緑の人達の頭目が何かを叫んだんだ。そしてついにアレが出た」
「アレとは?」
「特大の魔法の杖さ。あたいらは勝手に『鉄の逸物』と呼ばせてもらっているよ。呪文もしっかり聞いたよ。コホウノ・アゼンカクニとか言ってた。とんでもない音と一緒に、炎龍の左腕が吹き飛んだんだ」
 無敵を誇った炎龍が敗退する瞬間だった。
 炎龍は傷を負い、大地を震わす大音声の悲鳴ととともに、その場を無様にも逃げ去っていったのだった。




 物語りが終わり、人々は余韻に沈黙する。
「て、鉄の逸物…?」
 などと言う名称に、愕然としてしまった部分がないわけでもない。
 少しの沈黙を経て、騎士達は感想を交わし始めた。居酒屋も元の喧噪を取り戻す。
「と、とにかく、立派な者達です。異郷の傭兵団のようですが、それほどの腕前と心映えならば、是非にでも味方に迎えたいと思いますよ。いかがでしょう姫様?」
 朱色の髪の女騎士はいきなり話を振られ、囓りつこうとしていたマ・ヌガ肉を皿に置いた。マ・ヌガ肉とは、家畜の大腿骨を芯にして、周りにミンチした肉を巻き薫製にしたものである。我々の感覚で言うソーセージとかハムの一種だ。これをスライスせずに直火で焼いて、がぶっとかじりつくのが醍醐味である。
 皇女ピニャ・コ・ラーダは、酒に手を伸ばしながら言った。
「妾は、無肢竜を撃退したという者共が使ったという武器に興味がある」
 ゴダセン議員の「遠くにいる敵の歩兵がパパパという音をさせたら、味方が血を流して倒れていた」という言葉と、コダ村の避難民達の言葉との間に符合するものを感じるのだ。連合諸王国軍がアルヌス丘で壊滅したことも、その『魔導兵器』と関係があるのではないか。
 ピニャは、女給を呼び止めると尋ねた。
「女。お前の見たという連中が所持していた武器は、どのような物だった?」
 女給は首を傾げつつも、見たとおり感じたとおりを告げる。「女」という呼びつけ方がいささか癪にさわったが、チップをはずんでくれた若い騎士さんの顔を立てて素直に応じることにした。
「つまりは、その者共の使った武器は鉄のような物でできた杖である。それは、はじけるような音と共に、火を噴くと言うのだな?」
「あれは、あたいが見たところ魔法の武器だね」
「で、無肢竜を撃退した杖…『鉄のイチモツ』とやらも同じものだったか?何かに似た形状があるか?出来るだけ見たままに言え」
「無肢竜じゃなくて炎龍だって言ったろう?」女給はそこまで言って、ニヤッと嫌らしそうな笑みを浮かべた。そして、その場にいた男連中を見回す。
「あんたみたいなのをカマトトと言うのさ。逸物はイチモツに決まってるだろうさ…ま、良家のお嬢様には想像もつかないだろうけどねぇ。でもね、男を『知ってる』女に尋ねりゃ誰だって口をそろえてこう言うよ。ありぁ、男連中のナニにそっくりだってね。もっとも、小脇に抱えるほどでかくて、黒くて、ぶっといナニを持ってるような男は、ここらにゃあ居ないだろうけどね」
 女給はキシシと粗野に笑いながら、注文をとりに次のテーブルへと去っていた。
 何のことだかよくわかってないピニャの視線が、解説を求めてぐるりと男連中をめぐる。だが、その場にいた男には応じようもなく、気まずそうに目を背けるのだった。
 男共に目を逸らされたピニャの視線は、最後にはハミルトンへとたどり着く。
「お前、婚約者がいたな…」
 おはちが回ってくるとは思わなかったのだろう。准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、口に含んでいたスープをブッと吹き出すと、慌てて短髪を振り乱して首を振り、手を振った。
「た、確かにいますけど…わたくしは乙女ですっ!『あんなもの』の話を口に出来るわけないじゃないですかっ!……あっ」
 男達の視線が彼女に集中する。「ほう、『あんなもの』か」とピニャの胡乱な視線が彼女を貫く。ハミルトンは顔を真っ赤にして俯き小さくなるのだった。



〇九



 さて、避難民達の身の振り方三つの内、二つまでは述べた。
 最後の一つがある。
 それは、伊丹ら自衛官達に付いていくという選択肢だった。この方法を選んだのは、避難民達でも、ごく少数の二十三名である。
 正体不明の武装集団に着いて行くという選択肢は、それこそ深淵に飛び込むに似た心境だったに違いない。下手をすると身ぐるみ剥がれた上で、奴隷に売り払われるという結末だってあり得る。だが、他に方法がなかったのだ。というのは彼らは炎龍の襲撃によって両親を亡くした年端もいかない子どもだったり、逆に子どもや孫を喪った年寄り、そして傷病者・病人であり、通常であれば緩慢な死が決定づけられた者達だったからだ。
 もちろん、そうでない者もいる。例えば伊丹達自衛官に並々ならぬ興味を抱いた魔導師カトーとその弟子とか、エムロイ神殿の神官とか。だが、ほとんどの者が、「これからどこに行く?行きたいところへ送っていくよ」と尋ねられても困る者ばかりだったのだ。
 伊丹は、残った二十三人をどこまで連れて行けばいいのかと村長に尋ねた。すると「神に委ねる」という意味の単語を並べられた。
 伊丹は首を傾げつつ何度も問い返した。
 こうしたことは言葉がうまく通じなくても、ニュアンスとして伝わってくるものがある。「責任を負う者はいない」「どこへでも行け」「好きなようにしろ」と翻訳できる言葉が述べられたことがわかると、伊丹は深々とため息をついたのだった。
 村長は、自らの家族を乗せた馬車に乗り込むと、伊丹に対してこう言った。
「お前達が、義侠心と慈悲に富んだ者であることは、よく理解している。お前達から見れば儂等は薄情者と見えよう。だがな、儂らは自分とその家族を守るだけで精一杯なのじゃよ……理解してくれ、と思っては貪欲の罪で罰せられような」
 去っていく村長。
 伊丹を含めた自衛官達も、その無責任ぶりに呆然と見送り、残された者達もみな、自分たちは見捨てられたのだと理解した。
 高機動車の後方に乗っている、親を亡くした子どもや、怪我人、エルフの少女…いくつもの瞳が伊丹に向けられた。伊丹がどのような決断を下すのかと、不安げな色に染まっている。言葉が通じないからこそ、その表情のわずかな変化をも読みとろうとしている。中には、黒ゴス少女の興味深そうな面白ずくな色に染まった瞳もあったが。
 だが、伊丹は、皆が思っているほどの重責を感じてなかった。
「ま、いっか…。任しておきな」
 伊丹の無邪気な笑みに、ホッとした空気が流れた。
 伊丹の任務とは、この世界の住民について調査することである。交流し、親交を深め、この世界についての知識を得るために必要に資料や情報を収集してくることだ。拡大解釈すれば、自らの意思で付いてきてくれる住民を得ることは、大成功ってことではないだろうか?そう考えたのである。
 お役人的発想によれば、これはホントは大問題である。この時点で「何が問題なんだ?」と思った諸兄等はお役人にはなれないし、なりたくもないだろうから安心して頂いて良いのであるが、お役人様達にとって、こういった拡大解釈をする人間は『困ったちゃん』として、嫌われるのである。
「き、き、君は……」
 檜垣三等陸佐は、自分が何をしたかよく判っていない部下を前に頭をかかえた。
 第五戦闘団の幹部連中も蒼然として、窓の外で隊舎の前に止められた車に乗る避難民達が、周囲を珍しげに眺めているのを確認した。
「だ、誰が連れて来て良いと言った?」
「連れて来ちゃまずかったですかねぇ」
 ポリポリと後ろ頭を掻く伊丹。檜垣はしばし逡巡した後に、「ついて来たまえ」と命じて、執務室を出た。



        *      *



「陸将……各方面に派遣した、偵察隊からの一次報告がまとまりました」
「おうっ!」
 幕僚の呼びかけ気さくな返事をしたのは、狭間陸将である。
 この人は東京大学の哲学科などという、普通では滅多に入れない学校を卒業したというのに、陸上自衛隊に二等陸士から入隊して内部で順調に昇進を重ね、ついには陸将になったという立志伝中の人である。栄達したいのなら、いくらでも早道があると言うのにわざわざ遠回りを好むのは変わり者と言える。極希にいる運転免許証の『種類』蘭を埋めてしまう人に近いかも知れない。座右の銘は『たたきあげ』だとか。
 狭間は老眼鏡をはずすと、執務机の上に積み上げられた書類の束から、柳田二等陸尉へと視線を移した。
 この柳田二等陸尉は防衛大学を優秀な成績で卒業したと言うことで、日頃の言動にエリート意識がとても鼻につく。しかし、この狭間に対してだけは頭が上がらない様子であった。その理由と言うのが、彼が東大を受けて落ちたからだとまことしやかに語られている。人は他人と自分を測るのに、いくつかの物差しを使う。学歴という物差し、キャリアという物差し、実務能力、そして自衛官ならば戦士としての力量…人は他人に対して、どれか勝っているところを探したくなるのだ。そして、その全てに置いて、かなわない相手を前にしたらどうするか。そんな時は、素直に無条件降伏して「この人すげぇ」と思えば良いのだが、柳田について言えば自尊心が高すぎた。おそらく、何か不幸な幼児体験からか、あるいは親からうけた教育がそういう種類のものだったのかも知れない。あらゆる分野で自分より優れた人物に、素直に感心することは出来ず、結果として、その存在を心の底で恨み憎んだのである。
「どうだ、何かわかったか?」
 クルーカットのごま塩頭を軽くなで上げて、狭間は椅子の背もたれに上体を預けた。キィという音をたてて、安っぽい事務椅子が悲鳴を上げる。彼は、柳田が自分に対して、逆恨みを抱いているなど思いもしない。ただ「こいつ、ちょっと要注意だな」と勘が働くので気をつけて扱っている。
「二~三貴重な報告が入ってますが、資料でしかありませんので、そのように性急に結論を急がれましても……」
「そうだろうな。堅実にやってくれ」
 狭間にしても、ちょっと偵察した程度で何もかもが解るとは思っていない。ただ、感触とでも言うか、この土地に住む人々の傾向性のようなものがつかめることを期待しているのだ。
 現地住民との関係性というものは、部隊の安全に始まって、この『特地』における日本の評価、政治的な影響へと深く結びついていく。民情を無視した行動を起こして反感を醸成し、抵抗運動など起こされてもたまらない。従って、この土地の住民が何を持って『正義』とし何を持って『悪』と感じるかという単純なことであるが、そうした規範意識への理解が案外に大切なのである。例えれば、イスラム文化圏では犬を嫌う、成人男性は髭を生やしていることが好まれる…などである。
「各隊共に言葉の点で、かなり苦労してるようですが、ほとんどが平穏な一次接触が出来たようです。この辺の住民は、見た目が『人間』タイプで、主な産業は農・林業といった一次産業でした。集落ひとつひとつの人口もそれほど多くないようですね。第六偵察隊の赴いた人口五百人規模の集落では、どうにか商店めいたものがあったそうです。扱われていた品目は、衣料品や工具・農具類・それと家庭で使われる油を灯すランプと言った生活雑貨でした。……これが商店の取り扱い品目と価格のリストです。デジタル写真が添付されてます」と言いつつ、A4版の紙の束を机の上置いた。柳田は、こういう仕事についてはさすがに優秀で遺漏がない。
 狭間がパラパラとめくって見ると、調査に赴いた隊員のコメントなども併せ、通販のカタログみたいになっていた。だが、これらの資料は、この土地における経済の実体を把握する上で極めて貴重と言えるだろう。こうした資料はただちに本土(門の向こう側)へと送られて、政府のシンクタンクが分析するための貴重な材料となる。
「あと、この土地の政治体制といったものが類推できるようなことは、まだ報告されてないですね。どこの集落でも『村長』とでも言うべき人物がいて、住民をまとめているようではあります」
「その村長が、どんな方法で決まっているのかだな」
 それがわかれば、この世界の政治体制の主流が民主制か、あるいは寡頭制か、はたまた独裁制かを類推することができるかも知れない。
 柳田は、わざとらしくため息をつきつつ呟いた。「住民を何人か、こちらに招けるといいんですが…」
「コミュニケーションが上手くできていない状態で、こちらに連れてくるのはまずいだろう?後々、拉致だとか強制連行とか言われても困るからなぁ」
「それでなんですが……」
 柳田が、下地ができたとばかりに本題に入ろうとした。狭間も、話の流れから部下がこの話をしたかったようだと受け止める。
「都合の良いことに、伊丹の隊がコダ村からの避難民の護送をしてます」
「おう。あのドラゴンが出たとかっていうところだったな」
「ええ、そうです」
 この時点で、狭間を初めとした幹部連中の認識は、熊か、鮫が出たといった程度でしかなかった。その程度のことで村人が村を捨てて逃げるというのも大げさだと感じるのであるが、危険な野生動物が出没することが希な現代日本では、こうした害獣災害は想像することしかできないので「こういう土地だし、そういうこともあるのか?」ぐらいに受け止めていた。
 実際に、このアルヌス丘に攻め寄せてきた現地軍が騎乗していた飛龍が対空火器で対応できたことも、それほどの脅威として考えられない理由の一つだ。
「それでなんですが、コダ村の住民をここで受け容れると言うのはどうでしょう?これならば、必要な措置の範囲として内外に説明可能です。当人達も感謝こそすれ、拉致されたなどとは考えないでしょう?」
 柳田は説明した。
 このアルヌス丘近くに、難民キャンプをつくってそこへ住民を収容する。今回のコダ村の逃避行は、害獣出没によるものだから、期間を限定した一時的避難でしかない。その間のこととして期間を区切って考えるなら、各種の研究や調査に協力して貰うメリットの方が大きいのではないか。日常的にコミュニケーションを交えることで、言葉の問題もかなり解決するだろうし、彼らからこの『特地』政治や経済にかかわる情報は間違いなくとれるはずだ。
 実は、市ヶ谷や官邸の方からも、「特地」の内情が理解できる情報の要求が激しい。矢のような催促をうけている。従って早めに成果を上げておきたい等々。
 狭間は、指先でトントンと机を叩きながら「戦闘時はどうする?敵性武装勢力の活動はほぼ停止していると言っても、ここは彼らの攻撃目標でもあるのだぞ」と、分かり切っていることをあえて尋ねた。「我々と接触した住民を、敵対勢力がどのように扱うかも心配しないわけにはいかないしな」
 世界史を紐解いてみても、異教徒・異民族と親しくしたと言う理由で、自国民を虐殺した例にことかかさないのだ。
「敵の近接時には、こちらで収容して安全を確保しましょう。まぁ、敵が地元住民を虐待しようが虐殺しようが当方には関係ないことですが、さすがに見て見ぬ振りをするわけにもいかないでしょう」
 狭間は眉を顰めつつも、地元民を収容するという考えには頷いた。自分自身も同じように考えていたから、この意見についての異議はないのだ。問題は、柳田の言いようである。
 だが、人間一人で考えられることは限界があって、見落としや、間違いがついてまわる。住民を防塞に収容するとしても、様々なリスクや問題が起こりえる。例えば敵方の人間が、避難民に紛れて入り込んで来る等である。歴史的に見れば、そうした方法で陥落した城塞も少なくない。
 しかし、リスクを避けるために住民を遠ざけていれば良いと言うわけでもない。東京の銀座に軍隊を送り込んできた敵性勢力を交渉のテーブルにつかせて、力ずくででも頭を下げさせる為には、是が非でも地域の実情を把握し、この土地、地域、そしてこの世界の政治がどのようになっているかを調べなくてはならないのもまた確かなのだ。
 狭間は、戦闘時における避難民の扱いについて、もう一度検討するように指示しようとした。その時である。
「入ります」
 常日頃から開放されているドアには「ノック不要。入室許可」と書かれた紙が貼り付けられているため、檜垣三等陸佐はとりあえず声をかけて執務室へと入り込んだ。
「ご報告いたします。第三偵察隊が戻りました。戻りましたのですが…実は、その、伊丹の奴が……」
 こうして、なし崩しに避難民達の受け入れが決まってしまうのである。



一〇



「よう、伊丹」
 声をかけられて伊丹は足を止めた。
 上司連中からの嫌みやお説教を、とぼけた表情で馬耳東風と聞き流すこと小一時間、査問会にも似た会議はそれでもどうにか「連れてきてしまったものは、どうしょうもない」という言葉で幕引きが為された。
 市ヶ谷(防衛省)には、避難民の中で自活しての生活が難しい傷病者・老人・子どもを保護したと報告することになる。いろいろと言われるかも知れないが、「人道的な配慮」の一言で強行突破するしかないと一同はため息をついた。
「そのかわり、お前が面倒をみろ」
 別に伊丹が伊丹の財布で連中を養えと言っているのではない。避難民達を保護するにあたって、そこから派生する諸々の諸手続は一切お前がやれという意味である。それが、この件を問題としない代わりの条件ともなった。
 伊丹は、とりあえず避難民の食事と寝床の手配をする算段を考えながら、暗い廊下から階段へと向かっていた。糧食斑に頼み込んで、食事を出してもらうことは出来る。(おそらく缶飯になるだろうが)問題は寝床だ。こちらでは寝起きする隊舎がまだ完成しておらず、隊員達ですらプレハブのような建物を利用しているのだ。天幕(テント)を借り出して来るしかないか…。書類を用意して、必要事項を記入して、捺印して…ああめんどくさい……そんなことを考えていたところだった。
 かけられた声に振り返る。すると暗がりに置かれたベンチに座り込む男と、たばこの火が見えた。天井近くまで立ち上る紫煙。陰影の向こう側で口元だけを微妙にゆがめた陰湿そうな笑み。
 柳田二尉であった。
「伊丹、お前さん。わざとだろ」
「何がです?」
 年齢的には柳田二尉の方が若いが、昇進したばかりの伊丹からすれば柳田のほうが先任だ。階級が同じ場合、先任が上位者になる。さらに加えて、伊丹は柳田があまり好きではなかった。好きでない相手とは出来るだけ関わりにならないようにすることが伊丹の処世術である。礼儀正しくするのも、余計な摩擦を産まず作らず、相手の記憶からフェイドアウトしたいからだ。
「とぼけるなって。みんな判ってんだよ。それまでは定時連絡だけは欠かさなかったお前が、突然通信不良で連絡できなくなってましたって、誰が信じる。おおかた避難民をどっかに放り出せって言われると思ったんだろ」
「いやぁ、そんなことは……こっちはホラ、異世界だしぃ。電離層とか磁気嵐の都合とか、思うようにならんもんですなぁ。この世界の太陽黒点ってどーなってるのかなぁ……あははは」
 伊丹は嗤いながらがりがりと後ろ頭を掻きむしった。どうにも苦しいが、別に信じてもらう必要もないのだ。誰も信じていないとしても、報告書には『通信不良のため指示を受けることが出来ず、やむを得ず現場の判断で避難民達を連れ帰った』と記される。そしてそれが公式の見解として記録されていくのだから。
「ふん、韜晦しやがって。ったく……」
 柳田はたばこを口に運ぶ。大きく煙を吸ってから吐きだした物は煙だけでなくため息か。
「ま、遅かれ早かれ地元民との交流は深めなきゃならんかったからな、スケジュールが早まっただけで、問題にもならん。……上の連中はそう考えているが、裏方のコッチとしちゃあ、たまらんぜ。段取りが狂っちまったんだからよ」
 柳田の言い様が妙に癇に障った。
 それは人の負い目につけ込もうとする小ずるさの気配を帯びていたからだ。
「いずれ、精神的にお返ししますよ」
 たばこを煙缶に押しつけてグリグリと捻りながら、柳田は肩をすくめた。
「足りないな。大いに足りない」
「あんた、せこいですなぁ。恩を着せて何をさせようと?」
 柳田は、薄笑いのまま「ちょっと河岸変えて、話をしようか」と腰を上げた。




 陽はゆっくりと傾き、日の沈む方角であるが故に『西』と位置づけられた空がゆっくりと紅く染まり出す。
 そんな空を見渡せる、西2号(仮)隊舎の物干場に2人の男が相対していた。
 柳田はフェンスにもたれつつ、たばこに火をつける。そして話を始めた。
「これまで集めることが出来た情報から見ても、この世界は宝の山だと言うことがわかる。生物の遺伝子配列は、我々の物と非常に近似している。おそらく人間種同士なら交配も可能だろう。それがどういった理屈による物かを考えるのは学者連中に任せることにしても、この世界で我々が暮らすことは十分に可能だ。現に俺たちはこの世界の大地に立ち空気を吸っている。食い物は門の向こうから運んでいるがな……それにしたところで、我々の食い物を喰ったこの土地の生き物に健康に害がなければ、この世界の物を俺たちが喰ってみようという話もいずれ出てくる。
 この世界には公害や環境汚染もない。土地も広く、植物相も多彩で豊かだ。そしてなによりも我々の世界で稀金属・希土類とされている地下資源もかなりの量が埋蔵されているだろうと予測されている。住民達の文明のレベルは我々から見れば、蟻と巨像ほどの格差があって、我が方に絶対的に有利だ。そんな世界との唯一の接点が偶然にも日本に開かれた。これは幸運だとも言えるし災厄とも言える。
 ニューヨーク、ロンドン、上海の株式市場では日本と結びつきの深い資源開発系の企業は軒並みストップ高。原油、鉱物関係の相場はゆっくりと下落中。永田町の議員連中は経団連の重鎮と連日勉強会。アメリカを始めとしてEU先進諸国からの接触で外務省も大忙しだ。だがな、肝心の我が国の政府はこの件を扱いかねてる。中国やロシアといった国が他の資源輸出国と協調して、門のこちら側を国際共同で管理すべきだという意見をまとめ始めているからだ。鯨問題程度なら我が国の伝統的な食文化を守るためだ、全世界を敵に回そうとも大いに突っ張るべきだが、こと経済がかかわるとなると、世界の半分を敵に回して突っ張っていけるほど我が国は強くない。
 なぁ伊丹、永田町の連中は知りたがっているんだ。
 この世界は、世界の半分を敵に回しても、つっぱっていくだけの価値があるかどうか」
「それだけの価値があったら?」
「物を持つ側が強いのはお前も知っているだろう。人民解放軍がどれだけチベット人を殺そうと、毒入り餃子を売りつけて置いて自分たちのせいではございませんとシラを切っても、ロシア人が金だけ出させた上で天然ガス採掘の契約を一方的に破棄したり、南オセチアを侵略しても最終的には連中の思惑どおりになる。それは連中が、みんなが欲しがっている物をかかえてるからだ。極端な話、全世界から縁を切られようと、この世界から日本がやっていけるだけのものを十分に得られるなら、それなりに強気に振る舞うことが出来るんだ」
 伊丹は肩をすくめた。
「柳田さん、あんたがどれだけ国のことを考えているかはよくわかった。実に愛国的だね。僕も見習いたいよ。だがね、人には役割ってものがあるでしょうよ。実際、今の国際情勢がどんなものであるか教えてもらっても、僕には全然ピンとこないんだ。実際に、今僕の頭のなかにあるのは、連れてきた子ども達の今夜の寝床と飯の事なんだからねぇ。国際情勢と僕の仕事がどう関係ある?」
「今言って聞かせたろ?この世界、この土地が価値あるものかどうかを一刻も早く知りたいと。いや、違うな。価値あるものがどこにあるか知りたいんだ。この世界が日本のものになるとしても、国連の共同管理になるにしても、どこに何があるという情報を握っている者が圧倒的に有利だ。お前、自分がその情報に最も近いところにいると自覚してるのか?他の偵察隊がしたことは、村でどんなものが売られているかをちょっとばかし調べて、わずかばかり単語帳の語彙を増やした程度でしかない。それに対してお前は、この土地の人間とラポール(信頼関係)を掴んできた。何がどこで作られて、どんな物がどこに埋蔵され、どのように流通しているか、その気になれば調べられる立場にいるんだぞ」
「ちょっと待ってよ柳田さん。その辺の子ども達つれてきて、金銀財宝はどこにありますか?石油はどこにありますか?って聞いて、教えてくれるとでも?恥をさらすようだが僕は地理の成績は劣悪だったぜ。学校に通ってる僕でさえそれだったんだ、教育制度のない世界の子どもが、自分の生活範囲の外にあるものを知るわけないだろう。断言しても良いが絶対に知らないね」
 そう言いつつも、荷馬車に書籍を満載させたプラチナブロンドの少女とその師匠の老人はどうかなぁと思う伊丹である。言語学者をつれてきて彼らの書籍を翻訳させた方が早いのではないかと思ったりした。
「知っている人間を探して、情報を得ることが出来る。これは絶対的な要素だ」
 その言葉に伊丹は二の句が告げられなかった。
「伊丹よ。近日中にあんたは、大幅な自由行動が許されることになる。その任務がどんな名目になるかは、官僚達の作文能力次第だからなんとも言えないが、どんな文言が命令書に列んでいようと、最終的な目的は一つだ」
「たまらんね、まったく」
 伊丹は、盛大に舌打ちした。
「ふんっ。いままでは、税金でのんびりさせてもらったんだ、借りの多い稼業だけに、いざと成ったら嫌です出来ませんは通じないぞ。せいぜい働くことだ」
 柳田はそう言うと、たばこを物干場から放り捨てた。



        *      *



 先のことの見通しは立たないとしても、現実的に必要とされる諸々の事を、丁寧に片づけていくだけで物事というのは、次第に形になっていくものである。できあがった物は雑多で、無計画で、まとまりに欠いた物になるだろう。それでも、その中で生活する者にとっては、日常の場面として慣れ親しんでいくことになる。
 とりあえず食事を手配する。
 とりあえず寝床のためにテントを立てる。
 とりあえず、怪我人病人を医官に見てもらう。
 とりあえず衣服の手配をする。
 子どもの面倒を避難民達のお年寄りや、年長の子ども達に見てもらうよう何とか意思疎通する。
 こうして『とりあえず』『とりあえず』を積み重ねつつ数日、どうにか一息つくと、それを『暫くのあいだ』なんとか出来るような形にしないと行けない。
 テント生活だって、長く続けることは難しいのだ。まして子どもや老人である。やはり屋根と壁のある家での生活が望ましい。
 黒川と栗林の連名で、そんな意見具申を受けた伊丹は、アルヌスの丘から南に外れること約二キロ。その森の中にコダ村からの避難民である子ども達や老人達のキャンプを建設することにした。
 利便性の問題から、当初は丘の麓にという話が出たが、戦闘に巻き込まれる危険が著しいので、地形や周辺の状況を見てこのような場所を選んだのである。
 もちろん、実際に建設するのは施設科の隊員達である。だが、そのための書類の文面を考え、資材や、消耗品、予算について記した資料を用意するのは、伊丹の仕事である。書類事に詳しい仁科一等陸曹に文面その他いろいろについてアドバイスをもらい、点や丸のつけかたにすら嫌みな指摘事項をつける柳田の笑みに内心辟易としつつ、どうにか上のハンコをもらって提出を済ませた翌日は、丸一日寝込んだほどだった。

「こんな仕事、お役所の公務員だったら片手間仕事なんですけどね…」
 仁科一曹の言葉に、つくづくお役所勤めを選ばなくて良かったと思う伊丹であった。
「うおぉ!特別職国家公務員万歳」
 寝言の中で唸ったとか、吼えなかったとか……。




 仕事を始めるまでの準備には異常に手間がかかる。だが始めると早いというのが自衛隊の仕事であった。
 瞬く間に森を切り開き重機をもって地をならして、簡易ではあるが屋根のある家が並べられていく。
 そんな光景を、レレイはあんぐりと口を開けて見ていることしか出来なかった。
「………これで、ようやく荷車から荷物を下ろせるわい。儂はもう寝る」
 ほとんどやけっぱちのような口調で言い捨て、テントの中へと消えていく師匠に、レレイも大いに同意したかった。
 馬が引かないのに、馬よりも早く疾走する馬車。
 炎龍すら撃退する魔法の杖。
 アルヌスの丘に築かれた堅牢にして巨大な城塞。
 けたたましい音を立てて空を飛ぶ、巨大な鉄のトンボ。
 一本切り倒すのに、樵(きこり)が半日かかるほどの巨木を瞬く間に倒してしまう、のこぎり。
 工夫百人分働いて地面を掘り返してしまう、巨大なスコップのついた鉄の車。
 そして、瞬く間に家が建ててしまう技術力。
 はっきり言って、いい加減驚き疲れていた。
 知識のない子どもや老人達のほうが、素直に驚けている。素直に感心し、素直にそう言うモノなのだと納得して、その便利さを受け容れている。
 なまじ、多くの知識を有しているが故に、理解の難しい非現実的な出来事にレレイの頭脳は最早オーバーヒート寸前であった。
「………こんな凄い光景を見過ごしたなんて知ったら、お父さんきっとがっかりするわね。あとで教えてあげなきゃ……」
 体調の快復したハイ・エルフの娘が、こちらで貰った伸縮性のある軟らかい布で出来た上衣にズボンという出で立ちで(後で知ったが、ジーンズとTシャツと言うらしい)、唖然と作業を眺めていた。
 実に羨ましい。レレイとしては見なかったことにして、ベットに潜り込みこころの平安を維持したいと思ってしまうのに。まぁ、森の守護者という立場も忘れて、ただ呆然と見ているしかない程の驚きというのも理解できるのだが……。
 だが、賢者として生きることを選んだ以上理解できないことをそのまま放置しておくことなど誇りが許さない。世界の不思議を、知性でもって征服することこそ賢者としての野心なのだから。
 圧倒され、くじけそうになる心を叱咤して前に進む。
 動き回る鉄の車に近づこうとすると、作業をしている人達に恐い顔で睨まれてしまった。何かを怒鳴るようにして言って来るが、推察するに「危険だから」と言っているのではないかと思えた。これほどの巨大な車両が動き回っているのである。もしぶつかったり巻き込まれたら、自分などひとたまりもないだろう。その危険を防ぐためにレレイに近づくことを禁じ、警告しているのだ。
 そこで、作業現場の片隅で炊煙の香りをあげている車に近づいてみる。そして、どのような構造になっているか観察することにした。
 これは見ただけで理解できた。それにしても『移動させることが出来る竈』というのも凄い発想だと思える。軍隊や、交易などでキャラバンを組も長距離の旅をする商人達が喜ぶのではないかと思うのだ。野営するにしても、竈をしつらえる作業というのは結構手間がかかるものだからだ。
 そんなことを考えながら、炊飯車の前に立っていると、作業をしていた男性が何かを言いながら微笑んだ。
「ちょっと待ってろよ。もうすぐ、できるからなぁ」
 男性はそんなことを言ったのだが、現段階では彼が好意的に、レレイに対して何かを伝えようとしていることだけが理解できるだけだった。
 レレイの見るところ、彼らはこちらの言葉を覚えようとしてる様子が見て取れる。積極的に話しかけて来ては、単語を繰り返している。その成果もあってたどたどしいながらも、多少の意思疎通もできるようになった。だが、彼らがこちらの言葉を覚えるのを待つのでは、何も学ぶことが出来ない。彼らが使う道具、技術、彼らの考えていることを理解しようと思うならば、彼らの言葉を学ぶしかない。レレイはそう決心して、男性へと話しかけることにした。

 古田陸士長は、自慢の包丁技をふるいながら微笑んで見せた。
 元老舗料亭の板前だったというのは伊達ではないのだ。そんな彼が自衛隊に入ったのも、自分の店を持つための資金稼ぎだ。任期を勤め上げた時にもらえる退職金はそのための大事な資金となる。
 女の子が、山積みになっている食材を指さして見せた。
「ん?」
「uma-seu seru?」
 大根を指さして、さかんに何かを言っている。同じ単語の繰り返しに、いささか鬱陶しくなって、突っ慳貪な口調で「大根だよ。大根」と返した。言ってから「あっ、いけね。優しくしなきゃ」と、すぐに思い返す。
「Dai-kon?」
 古田は大根を、どんどんかつらむきしていく。今日は、日本食の粋とも言える刺身を一品だけつけることになっていた。刺身のつまと言えばやはり大根だろう。
 魚を生で食べる文化は、今では世界的な流行にあるが受け容れられるのにはとても時間が必要だった。欧米では魚を生で食べるなど野蛮なことだと考えられていたのだ。さて、この世界ではどうかな?そんなことを考えながら、古田はプラチナブロンドの少女に言葉を返していた。
「そう。だいこん」
「sou daikon」
「だ・い・こ・ん」
 レレイは首を傾げつつも推察した。daikonという単語の前につけられたsouという言葉は、きっと肯定を意味する単語ではないかと。
 間違いない。この野菜の名称は「だいこん」なのだ。
「だ・い・こ・ん」
 男性は微笑むと、「sou sonotouri」と言いながら大きく頷いた。頷きながら、楽しそうに大根と呼ばれる野菜を見事に削り、一枚の布…包帯のようにしていく。その見事の包丁技に、この世界の男性というのは、みんなこれほど料理達者なのだろうか?などという感想を抱いた。
 こうして、賢者レレイ・ラ・レレーナはちょっとした誤解も含めながらも、天才と呼ばれる知性でもって猛烈な速度で日本語の習得を始めるのだった。



十一



 三度に渡って行われた連合諸王国軍による、アルヌスの丘攻撃は、結果として戦闘とは呼べないものとなり果てていた。例えるなら前方が断崖絶壁であることに気付かないままに進んだ、集団自殺とでも言えよう。もちろんそうなった理由の最たるものは、敵についての情報を全く提供しなかった帝国にある。
 当時、連合諸王国軍に軍旗を連ねた国は、諸侯国併せて二十一カ国。総兵力は約十万である。遠近東西、様々な国の兵士が一同に会する光景は、見事なまでの壮観であった。
 裸馬同然の馬にまたがる軽装騎兵。
 重厚な鉄の装甲で馬を覆った重装騎兵。
 大空を舞う翼竜に騎乗する竜騎兵。
 一歩一歩、歩む毎に地響きが聞こえそうな巨大な毫象を連ねる戦象部隊。
 小柄ながら精強な印象の南国兵達。
 方形の鉄楯を連ねる重装歩兵。
 林のような長槍を並べる槍兵。
 さらには弩、投石機、石弓等が所狭しと集められている。
 帝国では軍馬同様の扱いを受けるオークやゴブリンにまで鎧を着せている国もあった。
 それぞれが、出身の国毎に異なる軍装の煌びやかさを競っているかのようであった。
 この大戦力を三〇万と号して大地と天、ことごとくを埋め尽くし進むのであるから勝利は当然。だれもがそう考えて疑わない。
 そもそも、アルヌスの丘は聖地などと言いつつも、実際にあるのはなだらかな斜面をもった小高い丘でしかない。
 見通しを妨げる林や険しい森があるわけでもなく、道を塞ぐ大河や、切り立った崖があるわけでもない。ただの荒涼たる大地が、やや盛り上がっている。それだけの土地であった。
 頂上をおさえ斜面の上方に位置取ったとは行っても、地形による助けは極わずかと言っても良い。
 さらには、現地にいる帝国軍の報告によると侵入した異世界の兵とやらは、何を考えているのか地面に穴や溝を掘り、見た目は斧の一振りでも断ち切れそうな、細い針金で作った柵で周囲を囲う程度のことしかしていないと言う。ドワーフが作るような地下城が建設されているならやっかいであるが、人の手でそれをするには時間がかかる。一ケ月や二ケ月で完成させることなど殊更無理だ。
 こうなれば、勝つのは単純に戦力の多い方である。
 エルベ藩王国の国王デュランは、この程度の敵に連合諸王国軍を呼集した皇帝モルト・ソル・アウグスタススの真意を測りかねていた。帝国の軍事力をもっていすれば、諸国の軍勢を集めることなどしなくとも、いとも簡単にねじ伏せることが出来るはずだからだ。
 にもかかわらず、あえて連合諸王国軍を呼集した。とすればそれば軍事上のものでなく、何か政治的な意味を持つのかも知れない。
 例えば諸王を集めることで、己の権威のほどを国の内外に知らしめるという目的はどうだろうか?だが、それが目的ならば、諸王を集めて会盟の儀式を行えば済む。無理に大戦力を呼び集める意味はないはずだ。十万もの戦力を集めるには、なにか理由があるはずなのだ。そうでなければ、十万人の食糧を負担する意味がない。
 あり得るとすればこの戦力をもって、どこかの国を攻めるという可能性だが、連合諸王国軍をもってそれをする大義名分などあり得るだろうか?
「さてデュラン殿、どのように攻めましょうかの?」
 通常ならば、リィグゥ公王のこの言葉も軍議の場にて真剣に検討されるべき課題である。だが、「これほどの大兵力を擁しては区々たる戦術は、あまり意味を為さない。鎧袖一触、岩に卵を投げつけるがごとくの結果となるだろう」と言う理由で、真剣に論じられていなかった。
 実際、リィグゥ公王の問いかけには、無用の心配をするデュランを揶揄する響きを有していた。
「リィグゥ殿。貴公も少しは真剣に考えてくだされ」
「とは言われてものう。我が軍だけで攻めよと言われれば、陣立てや戦術を考える必要もあろうかと思うが、物見によれば敵は精々一万を少し超える程度と言うではないか。それに対して我らは三〇万と号しておる、一斉に攻め立てれば労することもなく戦も終わるであろう?敵の様子だのは丘で敵と相対している帝国軍と合流してから調べればよいのだ」
「それならば、良いのだが」
「貴公も神経の細い男よのう」
 リィグゥの嘲笑も、思考の袋小路にはまっていたデュランには気にならなかった。




 大軍の移動は時間がかかる。街道が十分に整備されていない事も理由となるが、何よりも規模そのものが足かせとなった。何しろ、最前列の部隊が出立してから、最後尾の部隊が動き出すのに半日近くかかるのだから。
 宿営地の建設にしても時間がかかるため、通常で一〇日かかる行程を二〇日も必要としたほどだ。
 それでも、どうにかアルヌスの丘を視野に収めた連合諸王国軍は、予定通り丘の全周囲の包囲をしようと、敵から適切な距離をとっての布陣を開始した。
 この時の『適切な距離』を彼らは彼らの経験から割り出そうとした。つまり、魔法の支援を受けた弓矢、石弓、投石機……こうした投射武器の届かない距離を『適切』と判断してしまったのである。しかも、丘の中腹に張り巡らされた塹壕や小銃掩体は巧みに偽装されており、それと注意して見ない限り気が付くこともない。
 そのため、前衛として隊列の最前列にあったアルグナ王国軍の王は、無造作に麾下の兵四千を丘の麓へと近づけてしまった。
 丘の近辺にいるはずの帝国軍の姿がなかったことも理由となるだろう。もしかして、既に帝国軍は敗退してしまったのかも知れない。だとしたら、生き残った将兵の救出も必要だ。そう考えてしまった。
 アルグナ国はこれと言った特徴のない小国だ。産業も農・牧畜が中心。これといった特徴もないからこそ魅力に欠け、帝国や周辺の諸国から併呑されずに済んだとも言える。従って矢玉よけに錆斧をもたせたオークやゴブリン、主力は重装歩兵、そして弓兵、少数の騎兵、魔導師という至極一般的な編成の部隊であった。
 彼らは、通常次のような展開で戦闘を行う。
 散開した弓兵が矢を放ちながら、剽悍なオークやゴブリンを嗾けて敵陣に突入させこれを混乱させる。
 魔導師の数に余裕があるなら、この段階で魔法の撃ち合いもある。
 肩を接するほどに密集した重装歩兵達が方形の楯を連ねて城壁とし、足並みをそろえて前進し主力同士の戦闘を開始する。そして、最後に歩兵が切り開いた道を騎兵が馬首を並べて突入して勝利を決定づける。
 だから、彼らはその時自分に起こったことに全く気付くことは出来なかった。
 彼らを襲ったのは、陸上自衛隊 特科部隊の曲芸でも言うべき一斉射撃だった。
 陸上自衛隊の特科部隊は爆煙を連ね並べて、中空に富士山を描いてみせるほどの精巧な技術をもつ。その砲撃技術の粋をつくして打ち出された榴弾が、面の広さをもって、ほぼ同時に着弾をしたのである。
 従って、その有様を一言で言えばこうなる。「一瞬で叩き潰された」と。
 被害者は連合諸王国軍の前衛集団アルグナ王国軍、それの後に続いていたモゥドワン王国軍、併せて約一万人。
 待ちかまえて、標的がキルゾーンに入るのを確かめての砲撃だ。だから最初から威力斉射だった。そして、その一斉射で第一回の戦闘は終わった。
「隊列の中段にいてそれを見た儂は、最初アルヌスの丘が噴火でもしたのかと思った。姫は、火山というものをご覧に成られたことがおありか?儂の故郷は山岳地帯で、幼き頃に一度見たことがあるのだ。それこそ、山が吹き飛ぶような爆発でな。それと見紛うほどの大変な爆発だった。前触れの地震もなく、ただ空気を切り裂くような音がしたかと思ったら、どんでもない大爆発が起きた。あまりのことに心の臓が口から飛び出すかと思ったほどだ。そしてそれはたったの一度きりのことだった。
 何が起こったのか……それを確かめようと我らは歩みを止めて前方へと目を凝らした。だが、遙か前は煙に覆われていた。
 煙が晴れるまでにどのくらいの時間がかかったのか、長かったように思えたし、それほど長くはなかったかも知れない。
 やがて煙が晴れた。そして我らの目に入ったのは、大地がかなり広い範囲で耕されたようになっている様子だった。掘り返された土砂にはアルグナとモゥドワン両国兵の死体が混ざっておった。丁度、この粗末なパエリアの米粒と具のようにな…」
 病床のデュランは、その時の光景を思い返すかのように瞑目した。その傍らには、看護の修道女が付き添って、デュランの口にパエリアを運んでいた。だが彼は食べようともせず、顔を背ける。
「両国の王はどうなされたのですか?」
 ピニャの問いにデュランは、首を振った。
「なんと言うことか……」
 戦闘後の連合諸王国軍を探してアルヌス周辺の村落をめぐること数日。あちこちの聞き込みの結果、ピニャは連合諸王国軍の将兵が統率を失って故郷へと引き上げて行かざるをえなかったことを確認した。
 引き上げると言っても敗残の兵である。健在な将兵など殆どいなかったとも言う。敵の追撃がないからこそ、生きているというだけでしかない。そんな状態での長い道中である。おそらく戦場で戦う以上の苦難が彼らを待ち受けているだろう。事実、落伍した兵の死体があちこちで地元の農民達によって埋葬されていた。
 やがて、ピニャはホボロゥの神を祀る修道院の一つに、高貴な身分を持つ者が収容されているという噂を耳にした。早速駆けつけてみると、それがエルベ藩王国の王であることがわかったのである。
 身分をあかし案内をされたピニャの目に入ったのは、左腕と左下肢を失い病床に横たわるデュランの姿だった。
 この状態での長旅は不可能。生き残った供回りの兵も逃げ散ってしまった。わずかに残った忠実な者を国元に帰して危急を知らせることとし、自身はこの修道院で体力の回復を待つ事にしていたと言うことであった。だが、地方の小さな修道院のこと。医者が居るわけでもなく、食事も十分と呼ぶにはいささか足りない。体力の回復を待つどころか、じわじわと消耗していくばかりだった。
 実際、失われた下肢の断端から膿の腐臭がする。顔も土色に曇り、血の気がない。瞼の下は隈で黒く染まっていた。このままでは余命もそう長くないだろう。
「見ての通りこの様じゃ……三度目の総攻撃でな。麾下の兵と共に丘の中腹までなんとか進んだのだが、鉄で出来た荊が我らの道を阻んでいてな。これにひっかかって進み倦ねているうちに、光が雨のごとく降り注いできた。そして、あっと言う間に吹き飛ばされた」
「デュラン陛下、早速帝都に知らせを走らせます。そして医師と馬車の手配を。とりあえず帝都に身をお寄せ下いただき体力の回復をはかってください」
 覇権国家たる帝国の皇女とは言え、宮廷儀礼上は一国の王たるデュランが目上になる。ピニャは膝をつくと、無事な右手をとりデュランに頭を下げた。
 だがデュランは首を振った。
「姫には申し訳ないが、帝国の世話になろうとは思わぬ。第一、もうそんなに長くはないであろう」
「何故ですか?」
「儂はずうっと考えていた。何故、皇帝は連合諸王国軍を、この戦いに呼び集めたのか……こうなってみて初めてわかった。皇帝はこうなることを知っていたのだ。おそらく帝国の兵も、敗亡し帝国軍は大損害を負っていたはず……健在な我らは目障りであったのだろう。つまりは、皇帝は我らの始末を敵に押しつけたのだ」
 敬称をつけずに、ただ「皇帝」と呼ぶ声にデュランの怒りが込められていた。どうせ死んでいく身だ。ならば、言いたいことを言わせて貰う。そんな気持ちが込められていた。
「姫。知らなかったとは言わせませぬぞ。姫とて帝国の軍に身を置かれる立場。帝国軍がアルヌスの敵と戦いどうなったのか……ご存じであられたはず」
「はい。確かに帝国の軍が以前、敗れ去ったことは存じておりました。しかし、しかしです。どのような敵が待ち受けているのかも知らせずに、ただ諸侯をアルヌスに差し向けたなど、全く存じませんでした……」
「行かれよ姫。不実の鎧を纏い、欺瞞の剣を片手に我らの背後に立たないでいただきたい。連合諸王国軍は、この大陸を守るために最後の最期まで戦い抜きました。だが、我らが民族最大の敵は、我らが後ろにおった。帝国こそが我らの敵だったのだ。姫、重ねて言う。早く行かれよ」
「陛下。最早、お怒りをお鎮め下さいと申しても無理でありましょう。なれどせめて教えてください。我らの敵はどのような者なのですか?どのような魔導兵器を、そしてどのような戦術を用いるのですか?貴重な戦訓をお示し下さい」
「教えてやらぬ。儂らはそれを知るに身を犠牲にした。ならば、御身もそれを知りたくば自らアルヌスの丘に赴かれるが良かろう。汝が将兵の血肉を代価とすれば敵が教えてくれる」
 ピニャは必死だった。皇帝は敵を侮っている。戦闘力の差は、戦略や権謀によって補えると信じて疑っていないのだ。だが、ビニャは敵と我との間には根本的な力量の差があると感じていた。このまま敵の詳細を知らせなければ帝国は決定的な敗亡をしてしまう。そんな予感に囚われていた。
 歯のギッと噛み合わせる音と共にピニャは目を座らせた。
「そうは参りません。なんとしても教えて頂く。もし、お話しいただけないと言われるのであれば、エルベ藩王国を質とさせていただく。陛下が何も言われずに黄泉の川を渡られたら、妾は兵を率いてエルベ藩王国に攻め入り焦土といたしますぞ」
 これにはデュランも驚いたようだった。
「な、なんと。兵を奪い、家臣を奪い、我が命までも奪おうとしておきながら、さらに国土と家族すらも奪うと言われるか……皇帝が皇帝なら、その娘も娘と言う訳か……良いでしょう。好きなようになさるがいい。どうせ我が身は滅ぶのだ。故国が帝国に併呑され属州となりはてるのも、遅いか早いかでしかない。死神の足音を聞く私には、最早関係のないことだ。黄泉で我が家族が来るのを待つことにする。そして後からやってこられる皇帝とあなたたちを嗤ってやることにしましょう」
「死に瀕して、自棄に成られたか……帝国は絶対に負けません」
 ピニャは立ち上がると、死にかけの王を見下した。
「強ければ、力があれば何をやっても許される、それはもう仕方のないことだ。そのまま居直られればよい。しかし、我らとて意地がある。誇りもある。それを踏みにじられれば、この程度の意趣返しはして当然されて当然と心得られよ。アルヌスの敵は、脅威の軍隊。神のごとき武器と、神のごとき戦術をもって、我らを赤子のごとくひねりつぶした。敵を呼び込んだ帝国も同じ運命たどるであろう。強ければ何をやっても許される。ならば、アルヌスの敵はさらに強いぞ。帝国軍など累卵も同様。その事実に気付き、真に悔い改め助けを求めても、最早誰も応じることなどないのだ。その時のザマを見るがよいっ!」
 デュランは力を振り絞ってそれだけのことを言い放つと、はあはあと息を荒くしながら病床に身を埋めた。




 ピニャも、もう言葉もなかった。
 権力や腕力をもってしても、人の内心の城壁を攻め崩すことは難しい。出来なくはないが、それをすればこの王は死ぬだろう。
 だからこの王から情報をとることは無理として諦めたのだった。心に残るのは、頑ななデュランに対する怒りであり、諸侯をここまで離反させた皇帝への憤懣である。
「姫様……頼みますから、騎士団でアルヌスに突撃するなんて言い出さないでくださいよ」
 デュランの部屋を後にしたピニャに背後から投げかけられた言葉に、ピニャは大きなため息をついた。
「ハミルトン。お前、妾を馬鹿だと思っているのか?」
「いいえ。違いますけど、今にも『妾に続け』とか言って駆け出しそうな雰囲気でしたから」
 もし駆け出すとしても、それはアルヌスに向けてではなく帝都に向けてだろうと思う。思うが、それを口にするわけにもいかない。
 一見すると美貌の貴公子としか思えない男装の女騎士ハミルトンを前にして、ふとホントにこいつ男ではないかと確かめたくなった。だからピニャは彼女の薄めの胸板を手の甲で軽く叩いてみた。すると一応、柔らかな手応えがあった。
「突撃するかどうかは別にしても、一度はアルヌスへ行かねばならない。敵をこの目でみておかねばな」
「あ~姫。この人数でですか?危険ではないでしょうか?」
「はっきり言って危険だ。だからお前、守ってくれよな」
 ピニャはそんなことを言いつつ、修道院を後にするのだった。



十二



中華人民共和国 北京

南海楼

 薹徳愁国家主席の机上に、共産党国家戦略企画局からの第二四次 極東情報報告の綴りが提出された。それは横書きの簡体字で充ちた書類の束。かなり厚みがあり、ずっしりとした手応えをもっていた。
 薹は、秘書官の差し出した報告書に視線を降ろす。
 それは題字こそ極東情報となっていたが、内容の殆どは日本、特に最近では特地に関わる情報ばかりが多くを占めるようになっていた。
「特地か……」
 薹も最初は、何かの冗談かと思った。
 日本のアニメ文化が、世界に大きな影響を与える力をもっていることは忌々しくも知っている。彼の息子も、親に隠れて見ているくらいだ。だから、銀座に異世界に渡る門が開いて、中からファンタジー映画さながらの怪異や中世の騎士があふれ出て来たなんて報道も、最初は何かの創作を取り違えた誤報かと思ったのである。
 だが、実際のニュース映像や、大使館員などの報告と照らし合わせると、事実であることは疑いようがなかった。まぁ当初は、日本にとっては災難なことで、というのが薹の感想である。だが、自衛隊が門から出てきた軍隊を排除し終えてみれば、『門』の向こうに広がっている可能性に、嫌でも気づかざるをえなかったのだ。
 資源も領土もない小さな島国に開いた『門』の向こう側には、広大な大陸や手つかずに近い莫大な資源があると言う。
 それは、違う。正しくない。それらは、今の中国にこそ必要な物なのだ。
 中国の人口は十三億。更に増えつつあるこの数に豊かな生活を約束しようとすれば、莫大な資源と広い土地が必要となるだろう。国際社会から、横紙破りだなんだと言われても、国民に未来と豊かな生活を与えるためには、十三億人に行き渡るだけの資源とエネルギーを確保しなければならない。
 もし、『門』が北京あたりに開いたなら、全ての問題は解決しただろう。特地の開拓と開発にに多く人民を送り出す。さすれば、中国大陸の負担は軽減されるし、資源も『門』の向こう側で自給できるから、無理なごり押しや、他国から口汚く罵られるようなこともする必要も無くなるのだ。だが『門』は日本にある。
 薹は報告書にざっと斜め読みをするとため息をついた。
「『門』が東京にあるかぎり、我が国にとれる手段はそう多くない。特地の開発について、我が国の取り分をどれだけ確保できるかだ」
 薹の秘書官は、薹の思考を助けるかのように、応じた。
「日本の独占だけは許せません」
「そうだ。従って日本政府が特地で行う全てのことに、制約を課していくよう工作を進めてくれ」
「かしこまりました」
「我が国は日本との友好を推し進めつつ、主張するべきことは主張するという硬軟織り交ぜた交渉に挑む。理想としては、人民の半分近くを特地に送り出したいがな」
「それでは、特地にもうひとつの中国が出来てしまうのでは?」
「そうなったら、それはそれで喜ばしいことだ。違うかね」
 薹はそう微笑んで、報告書を机の引き出しへと納めたのであった。




 ある時期を境に、テレビや新聞の論調に微妙な変化が起きた。
 テレビのドキュメンタリーは、植民地化時代のオーストラリアの原住民のアボリジニーやタスマニア人が、植民して来たイギリス人流刑者によって殺されたり民族そのものが滅ぼされた歴史を取り上げた。
 あるいは日本国内の文明衝突という描き方で、大和朝廷とアイヌとの戦いが描かれ、大和朝廷によって圧迫を受けたアイヌの、そして明治新政府以降まで続いた彼らの苦難に充ちた生活についてを取り上げた。
 スペイン人に滅ぼされたインカ帝国。
 ローマに滅ぼされたカルタゴ。
 それらは事実を一つの目的に従って切り抜き強調し、印象づけるように作られていた。テレビで、ドラマで、クイズ番組で、週刊誌で、新聞で、様々な形で受け手の意識に昇らないよう、それとなく傾向づけられたメッセージがメディアを通じて流れ出した。
 圧倒的に有利な立場な文明が、弱い立場の民族を圧迫して滅ぼしていく。滅びていく民族の悲惨な姿を強調して描き、印象づけようとする。
 視聴者は、弱者に同情する。同情するように誘導された。
 そして強者は理性的でなければならない、抑制しないとならないと考える。抑制しないといけないと考えるように誘導された。
 飢餓に襲われたアフリカで次々と死んでいく子ども達の映像が、人々の無意識に刷り込まれる。
 ふと、振り返る。振り返ることを誘導させられる。
 我が身が加害者になりつつないか?と。
 『門』その向こう側で、自衛隊は何をしているのか?確か、敵と交戦しているはず。
 『門』の向こうでの戦闘は、以前より多くの人々の関心を惹いていた。だが、さしたる状況の進展はなく、『門』を確保して敵の来襲を撃退したと伝えられるだけであった。自衛官に被害者が出ていないため気付かなかったが、交戦による敵側の損害は?門の向こう側における民衆の被害は?
 国会で、質問に立つ野党女性議員。その質問に防衛省の政務次官が答える。
「三次にわたる戦闘で、敵側の死者はおよそ六万となります。交戦による非戦闘員の被害はありません」
 絶句する野党議員達。
 要は、敵が防備の強力な我が方に対して無謀な攻撃を繰り返した、強いて言えば日露戦争時における『二〇三高地』の逆の例でしかない。敵が馬鹿なだけだ。
 従って国民の大多数は、彼らが絶句した理由を理解できなかった。戦争で死者が出るのは当然のこと。負ければ味方が多く死に、勝てば敵が多く死ぬ。それだけである。銀座事件における被害によって怒りに駆られる国民の多くは、それを当然のこととして受け容れていた。だが、自分は理性的で、一般大衆とは一線を画していると思っている人間や、自分は他人に対して同情的な心を持っていると信じたい、『いわゆる善良でありたい』人々にとって、それは耐えることの出来る数字ではなかったのである。




『陸上自衛隊の失態!?民間人被害者百三十名!?』
『政務次官の答弁に虚偽の疑い!!』
『誰も知らない特別地域での戦い。膨大な敵側戦死者の中に本当に非戦闘員は居ないのか?』
 こういった記事が毎朝新聞と旭新聞のトップを飾ったのは、それから程なくしてだった。
 テレビや新聞社の記者達が、防衛省や官邸に押し掛けて、マイクとカメラの放列を総理大臣と防衛大臣へと向ける。
 任期満了に伴い、総理大臣職を退いた北条元総理の跡を継いだ本位田総理に対して記者達の辛辣な質問がぶつけられた。
 閣僚や防衛省政務次官の汚職の発覚が相次ぎ、任命権者としての責任を追及されることが続いていた総理は、自然と回答が慎重になった。その姿がまた「返答に窮している」「言葉が重い」などという表現で報道されて、それがさらなる支持率の低下に繋がる。
 国会でも、野党による追及が始まった。
 予算委員会の席は閣僚や省庁の次官達と向かい合う形で、与野党の議員達が座っている。
 質問席に、野党の議院が立って質問を発する。その都度、担当部署の次官や大臣が前に出てきては質問に応じるのだ。
「今回報道された被害者とされる民間の被害者は、特別地域の武装勢力との戦闘によって生じたものではなく、災害によって発生したものです」
 防衛省政務次官の回答に対して、野党議員が尋ねる。
「災害とはなんですか?その災害と自衛隊との関わりは?」
「災害については、危険な猛獣によるものという報告です。映画の怪獣級の危険な生命体であるという内容です。その怪獣の攻撃を受けていた民間人を自衛隊特地派遣隊の偵察隊が救助するために、これと交戦するに至ったものです」
「ちょっと待ってください。怪獣ですか?そんな生命体が『特別地域』には生息しているということですか?」
「もちろん怪獣そのものではありません。か、それに近い存在です。特地甲種害獣、通称ドラゴンと呼称しています。よろしければ、この場では怪獣と称させて頂きますが、その怪獣の身体の一部がサンプルとして、送られてきています」
「何とも信じがたい話ですがそれを信じるとして、つまり今回の事件は、自衛隊とその通称『怪獣』との交戦に非戦闘員が巻き込まれたと言うことですか?」
「違います。通称『怪獣』による襲撃を受けていた非戦闘員を自衛官が防衛・救助するために、武器を使用したものであり、その被害の全ては怪獣によるものです」
「政務次官、あなたは以前質問した時に、非戦闘員の被害はないとおっしゃった。しかし、こうした事件が発生し、これほど多くの被害者が出ているのに、全く発表されなかったのは何故ですか?」
「前回の質問の主旨は、門を確保した我が自衛隊に対する、敵武装勢力による攻撃。それに伴う、非戦闘員被害の有無についての質問であると、考えたからです」
「死亡者についてはわかりました。これほど多くの被害者が出た災害です。今後同様の事件があればその都度発表して頂きたい。それと、自衛隊が救出した人々はどうなっていますか?」
「近隣の村や町に避難したという報告です。もともと怪獣の出現により、それまで住んでいた村落を放棄して、避難する途上で怪獣に襲われたということです」
「なるほど。それで、生存者は全員が避難できたのですね。その後の避難生活について把握していますか?」
「いいえ、そこまでは。我々はまだ門の周辺をわずかに確保しただけですので、避難民達の避難後については確認できません。ただ、怪我人やお年寄り、それと身寄りのない子どもは自活しての生活が難しいという現場指揮官の判断があり、自衛隊の方で保護しています」
「なるほど、当事者がいるのですね?では委員長…」と野党議員は矛先を変えた。
「実際のところ、当事者から話を聞かないことには、報告された内容が真実かどうか確認しようがありません。『門』の向こうは危険だという理由で報道関係者や我々議員も立ち入ることも許されない有様です。それでいて、政府の一方的な報告をそのまま鵜呑みにしろと言われても、我々としては躊躇わざるをえません。そこで、当事者たる自衛官や、被災者の方を参考人として招致したいと考えるのですが……」
 実際に事件に関わった自衛官と、保護されている現地人から直に話を聞きたい。政府当局に疚しいことがないのであれば、拒絶する理由もないし、応じられるはず。このような論調で野党側は要求を繰り返した。
 野党やマスコミの追求に辟易としていた官邸および与党も、それで真実が伝わり、その攻撃をかわすことが出来るならば…ってな理由で、『現場指揮官』と『現地人代表数名』を、門のこちら側へ呼び寄せることに、なっちゃったのである。



十三



 さて、その現場指揮官である。
 伊丹は、朝っぱらから運用訓練幹部の斜め前の席に座り、彼の冷ややかな視線を無視しながら携帯でお気に入りのサイトでネット小説を読んでいた。
『門』のこちら側で携帯が利用できるようになったのもつい先日のことである。アンテナが設置されるまでは、休暇の度にわざわざ門を超えて銀座に出なければならなかったのだ。それが携帯用の共同アンテナが設置されたことで、門の向こう側と個人的なやりとりもしやすくなった。ありがたい話である。
「しばらく見ないうちに随分と更新が進んでる。おっ、これは後で保存せねば…」
 Web小説は、本屋に列ぶ小説と違ってオリジナルあり、二次作品ありと様々なジャンルを楽しむことが出来る。その数も膨大であり、全てを読むことなど不可能と言って良い。だからこそ、良い作品に出会えた時はラッキーと思う。数行読んでみてついていけないと思うと、すぐに諦めて他の作品をあさる。
 掲示板等で良作と知って伊丹が読もうとた時には、ネット上から消えている作品も少なくない。もう一度読みたいと思った時には消失している場合もある。すると、伊丹は悲しくなる。
「グランマよ、どこに行ったのだ!!」
 ちなみに現在の伊丹のお気に入りは、GS、型月もの、ネギ、なのは、ゼロものである。クロスものも好んでよく読む。ちなみに上記が、なんのことだか解らない人はいないとは思うが、解らない場合は無視してよろしい。
「あ~二尉、聞いてます?」
 伊丹は、斜め後ろからかけられる声を聞き流そうと努力した。通りのよい女声であるのだが、耳に入らない。今は休憩中につき、仕事に関わることはあんまり耳にしたくないという意思表示のつもりだった。
 だが、「うほん、おほん」という運用訓練幹部(中隊参謀みたいなものだと思えばよい)の咳払いが、伊丹を小説に没頭させてくれない。こんな時は、出来れば個人の執務室が欲しいなと思う。
「二尉」
「ぐおっ!」
 それは、響きとしても音量としても普通の声であった。だが、伊丹の下腿に激痛を発生させていた。音声が他人を害することが出来るのか?この世界では音声に攻撃能力が与えられるのか?
 そんな風に思いつつ振り返ると、栗林と黒川が胡乱な目で伊丹を見ていた。漫画的表現で言うジト目という奴である。ちなみに、伊丹の下腿に激痛を発生させたのは栗林の半長靴のつま先だった。
 武道有段者の拳やつま先は凶器も同然である。まして栗林は格闘徽章持ちだ。それを無抵抗な人間に対して振り回すなどはたして許されるのか。こんな悪逆非道を許してもいいのかと思いつつ、目撃者であるはずの運用訓練幹部に視線を送ると、彼は視線を窓の外に向けてくつろぐ。伊丹の味方はどこにもいないようだった。
「話を聞いてくださいませんか?」
「俺にぃ?」
 黒川の言葉に、伊丹は携帯電話をパタンとたたんで机の引き出しに放り込むと椅子ごと振り返った。
 伊丹は自己を呼ぶ際「僕」と「俺」の両方を気まぐれに使う。本人はそう思っている。だが実際に「俺」を使うのは、身構えていない時、調子に乗ってる時、気の乗らない時が多い。気怠そうな口調で「俺なんかに相談してもしょうがなかろうに」と呟く姿に、今の彼の心情がとてもよく表れていた。
「で、なによ?」
 伊丹が背もたれに体重をかけると、事務用椅子がキィと音を立てる。
「テュカのことです」
 伊丹達が保護している避難民の一人で、金髪碧眼のエルフ娘、テュカ・ルナ・マルソーのことだった。
「彼女がどうかしたのか?」
「実は…」
 黒川によると、「彼女はおかしい」という。
 どうおかしいのか、具体的には食事をかならず二人分要求する。支給品類も衣服など必ず二人分要求する。居室も二人用を一人で使用している。最初はそういう文化なのではないかと思ったので黙ってみていた。だが、どうもそうではないのではないか?
「個人的に欲張りなだけとかじゃないの?エルフが食欲魔神っていう設定だとか?」
「違います。食事だって二人分っていうのは、二人分の量ということではなく、つまり食器を二セットの二人分を要求するということなんです」
 栗林が記録を捲りながら言う。
「うん?誰かに、食べさせてるとか?ペットを隠れて飼っているとかはどうだ?」
「一セット分は、手をつけずに必ず廃棄してます。衣服類だって、彼女が余分に請求するのは必ず男物です。」
 これには、伊丹のカンに障るものがあった。チクとした頭痛と共に、深いところに鎮めたはずの記憶が呼び起こされそうになる。
「ふ~ん。で、理由を尋ねてみたか?」
「言葉がうまく通じてないので、よくわからないのですが、一番言葉のわかるレレイちゃんに同席して貰って尋ねてみました。どうして食事を残すの?って」
「そしたら?」
「彼女にも『わからない』『食事時に』『いない』という答えでした」
 沈黙の時間が流れる。その間に、『誰か』と同居しているつもりなのでは?という考えが浮かんだ。
「もしかして、脳内彼氏でも飼ってるとか?」
 伊丹は茶化すように言った。だが、黒川や栗林は、伊丹が期待したような反応は示さなかった。脳内彼氏、あるいはそれに類似する存在を彼女らも疑っていたのだ。しかも、彼女の場合は保護された経緯が経緯だ、深刻な事態が予想される。
「はっきり言って、それならば良いのですが」
 黒川が心配そうに呟いた。
「医官には相談したか?」
「精神科医はこちらに来ておりません。それに、『亡くなった家族を一定期間、生きているかのように扱う』という文化の存在も否定できませんわ。なにが正常で、何が異常か、わたくしたちだけで勝手に判断するわけにも参りません」
「それならレレイの師匠……カトー先生に尋ねてみてはどうだ?あの爺さんなら詳しそうだ」
「尋ねてみました。わたくしたちとほぼ同じような見解を抱いているようでしたわ。カトー先生によると、彼女は『エルフ』という種族の中でも、さらに稀少な存在だそうです。『珍しい』『知らない』という答えでした」
 現段階でも意味の判明している語彙は多くないので、微妙な言い回しが難しいのだ。『理解ができない』『情報がない』『自分には推測できない』…など各種の単語がみんな「知らない」という単語になってしまうのだ。このあたりはもっとコミュニケーションを進めて理解を深める必要があった。
「やっぱし、ハイ・エルフだったかぁ」などと、つい興味が先に立ってしまう。だが、そんなことはどうでもいい。「彼女と、よく話してみろ。彼女がいないはずの誰かを居ると思いこんでいるのか、それとも居ないのは承知してるが、あえてそう振る舞っているのか…」
「もちろん、そう致します。でも、わたくしとしては正直言って判断に困っています。あまり、うち解けてくれないので」
 これには、伊丹も首を傾げた。第三偵の凸凹WAC。そのなかでも黒川は避難民の子ども達には絶大な人気を誇っていた。結構、勝手な振る舞いで周りを困らせる黒い神官少女(レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」だと言う)ですら、黒川の言葉には割と素直に従うのだ。
 視線を栗林に向ける。
「わ、わたしには、そんな感じは無いです。だいいち、わたしにはカウンセリングとか出来ません。こころのこととかよく判らなくて…」
 確かに、このちびっ娘爆乳脳筋女は拳で語り合った方が早いタイプだ。『こころ』などという繊細な問題をこいつに扱わせるのは、脳外科手術をのこぎりでやるようなもんだと理解した伊丹は頷く。
「わかった。後で俺も話してみる。ったって、俺だってうまく意思疎通できるかわからんけどな」
「最近は、子ども達のほうが日本語を憶えてきています。きっと、わたくし達がこちらの言葉を覚えるよりも早いと思いますわ」
 伊丹は、テュカは子どもではないだろうが…と指摘しようとしたが、会話がここまで進んだところで、廊下から桑原曹長の声が聞こえてきた。
「二尉、そろそろ時間です。黒川、栗林、お前等も早く来い」
「あ、はい」
 いそいそと栗林らは廊下へと出ていった。
「武器搬出!!」の号令と共に、五〇二中隊の隊員達が、小隊毎に列を作って武器庫へと入っていく。整然と銃架に列んだ小銃と銃剣、拳銃を抜き取っていく。第三偵の面々もこの行列の後に続いて、銃を取り出していった。
 建物を出て『舎前』で彼らは六四小銃の消炎制退器を一回転させて締め直す。座金がのびないようにするため、銃架にしまう際にゆるめてあるからだ。これによってゆるゆるだった二脚や剣止めもしっかり固定されることになる。
 さらに、黒ビニールテープを持ち出して、部品が脱落しないように要所要所へと巻き付けていく。実戦である。乱暴な扱い……例えば銃剣格闘もありえるので、わりと念入りにしないといけない。
 二脚を立てて隊毎に銃を並べ置き、銃剣を腰に下げる。銃剣は、すでに実戦仕様として刃がつけられていた。グラインダーで削りあげただけの刃だが、ザラッとしていてかえって良く切れそうだった。
 隊員達が集まって座り込み、配布された弾を弾倉へと込めていく。弾倉は各位六個。二〇発×六個で一人あたり携行は、一二〇発。手榴弾も配られる。
 ミニミを預けられている古田陸士長が、金属製ベルトリンクで繋がれた五.五六ミリ弾を箱弾倉に折り畳むようにして丁寧に入れている。
 勝本が自分の小銃の他に、受領してきたパンツァーファウストⅢを三個、軽装甲機動車(LAV)に積みこんでいた。これでないと特地甲種害獣、通称ドラゴンに効果的な攻撃が出来なかったことから、携行数を増やすことになったのだ。
 軽装甲機動車(LAV)搭載の十二.七ミリ銃機関銃を笹川が「通・徹・通・徹・曳・通・徹…」等とぶつぶつ言いながら操作している。弾の帯には黒く塗装された徹甲弾の割合が非常に多くなっている。
 そして、予備の弾や各種物資の積み込み作業を終えて全員それぞれが武器を携行すると、隊形の確認を行う。
 桑原曹長の号令で、横に、縦に、方陣に隊形を素早く組む練習だ。間隔を広げたり、密集したりを素早く行う動作も確認する。それぞれが連携し、警戒を担当する方角の確認も徹底する。一人が欠けたら、誰がそれをカバーするのか、どう対処するのかも個々人は十分に理解しているはずだが、それでもなお繰り返して確認する。
 このあたりが、新旧・テレビ版等の自衛隊トリップものドラマを研究した成果なのかも知れない。強力な火器を有した自衛官達が次々と倒れていくのは、ほとんどが味方からはぐれて孤立し、無数の敵に取り囲まれてしまうことが理由として描かれていたのだ。結局の所、協同連携、相互支援が鉄則ということになる。
 こうして準備を終えた伊丹達は、整列し伊丹の号令で小銃に弾倉を取り付けた。装弾、装填、閉鎖を確認し、最後に安全装置を『ア』に位置に合わせる。
「海自では『合戦用~意!』とか言うらしいんだが…」
 凛とした雰囲気の中、伊丹の気の抜けたような言葉に一同脱力する。
「どっちかって言うと、元ネタはアニメでしょうに?」
 と、出所不明(但し女声)のつぶやきが妙に響いた。
「とにかく、営門を出たら危険地帯ってことになってる。それなりに気を張ってくれ」
 こうして、彼らはアルヌスの丘を出て仮設住宅のならぶ難民キャンプへと向かうのである。




 難民キャンプの住民は現在の所二十五名である。コダ村出身者は二十三名。エルフの村落出身者が一名。それと途中から紛れ込んできた神官少女一名である。
 建物そのものは所謂プレハブ建物であるが、後の増加の可能性も考慮して四人家族用、十世帯分が用意されていた。とは言ってもそれぞれの家に住む彼らに家族・親族という関係はない。だが同じ村落出身が理由なのか大人が子どもを、年長者が年下の面倒をみるという形で共同生活が成立している。
 電気もガスも水道もないが、この世界では元々そう言うライフラインなど存在しないのが当たり前なので、誰一人として困っていない。水は、近くの泉まで子ども達が水瓶を抱えて汲みに行き、下水排水関係は、キャンプの片隅に穴を掘って処理している。衛生の問題があるので汚物等はさらし粉等で処理し、飲み水は伊丹達がペットボトルを運んでいた。
 糧食関係は一日三食のうち、昼と夕食の二回を伊丹達が供給している。
 朝食については食材を届けておくと彼らが自分たちで調理する。実際は、それでは不足するので子ども達や老人達が森の中に入って野草などの食材を探してきて食べている。昼食はもっぱら戦闘糧食Ⅱ型である。夕食はキャンプ内にしつらえた竈で、古田ら隊員達と子ども達がわいわい言い合いながら作っている。
 やろうと思えば毎食を供給することも出来るのだが、彼らの自立心を損なう可能性があるので、自衛隊側からの支援は、自助努力を支援するという方針でなされていた。これはイラク派遣以来の自衛隊支援活動の根幹となる精神でもある。彼らの共同生活の運営が良好なら、食事も三食自炊を目指す。さらに何か職業を得て、衣食については自弁できるようになることが理想だ。
 とは言っても、住民の構成はお年寄り女性二人、男性一名。
 怪我をしていた中年代の女性二人、男性一名。ちなみに三人とも骨折を含むので、年少の子ども達の面倒をみることは出来ても、労働は難しい。現在療養中。
 あとの十九人は、子ども達であった。否、外見から子ども達と思われていた。
 ところが比較的意思疎通が早くできるようになったレレイという少女からの聞き取りによると、まず黒い神官少女とエルフの少女、レレイが子どもではないらしい。だから、十六人が子どもになる。
 では、それぞれの年齢なのだが黒い神官少女については恐くて聞けない。レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」と言うことである。具体的に数字を尋ねようとして通訳を求めたら無表情のレレイがわずかに顔を引きつらせて、プルプルと首を振って嫌がったくらいなのである。
 ちなみにレレイ自身は『十五』と言うことであった。この世界では大人と分類されるようだ。
 エルフが長命種であるというのはファンタジーによくある設定なので、理解しやすい。テュカは『百六十五』という数字を示した。
 こうしてみると数字についての理解がスムーズに出来たように思われるが、これも結構手間がかかってしまった。
 レレイの場合、彼女は親指の先と人差し指の先をくっつけ中指を一本だけ立てた。OKサインの薬指小指をたたんだサインである。その後、親指を立てて拳を作るサムズアップサインが示した。
 これが十五を意味するのだが、当然の事ながら日本のそれと所作が異なるため、結局小石を並べて、一個が人差し指一本、五個だと親指を立てる、十だと親指と人差し指で丸を作る…といった法則を確認する必要があったのである。
 こうした方法を組み合わせることで、実に片手だけで六十九まで数えることが出来るという仕組みだった。ホントはもっと数えることが出来るようであるが、指が攣ってしまったのと同時に実用性に欠けるので、確認が後回しになっている。実際、レレイが日本語で数を数えることが出来るようになるのと、アラビア数字の表記法を憶える方が早かった。
 伊丹達が、キャンプに到着すると、レレイや子ども達が迎えてくれる。とは言っても黒川が出ていくと、小さな子ども達はみんな彼女のほうに行ってしまうのだが。
 隊員達が、飲料水、食材、医薬品、戦闘糧食、日用品等を降ろす。
 その代わり年かさの男の子が白い帆布製の、枕ほどのサイズの袋を二つ、高機動車に積みこんだ。結構重そうだ。そして、その少年にレレイとテュカの二人が声をかけつつ、高機動車に乗り込む。
 レレイは貫頭衣姿。浅茶色の生地にインディオ風の模様が入っていた。それと革製のサンダルという服装。手にしたくすんだ色の杖を立てている。
 それに対しテュカは細い体躯を緑のTシャツにストレッチジーンズに、バスケットシューズという出で立ちで包んでいた。尖った耳さえなければ、アメリカ西海岸あたりの女子高生と言っても通じそうな印象だ。そんな格好でアーチェリーと矢の束を抱えている。
 荷物運びをした男の子はそのままキャンプへと戻った。彼の行く先では、年かさの少年や少女達が集まって働いていた。
 アルヌスの丘の麓には、高射特科によって撃墜された翼竜の死体が無数にころがっている。カトー先生によるとその竜の爪やら鱗やらはその強靱さから高級武具の材料となる。そのために大変な貴重品らしい。それなりの価格で取り引きされるというので、子ども達に勧めて、朽ちかけた死体から鱗や爪を剥ぎ取らせて集め、肉や汚れを綺麗に落として乾燥させている。これが継続的な収入に繋がるなら事業として成り立つかも知れない。そうなれば彼らの自立を助長することもできるはずだ。
 これを今回初めて、レレイとテュカが街へ売りに行くのだ。ロゥリィという名の神官少女も何が目的かはわからないが、乗り込んでくる。ロゥリィは相変わらず漆黒のゴスロリドレス姿で、手には見た目も重そうなハルバートを抱えていた。
 伊丹達は商取引の様子や街の住民達の反応を観察できるし情報収集のチャンスなので、足の提供ついでに彼女たちに随行する。さらに、地元の商人が何に興味を示すかを見るためと称して柳田からいくつかの『商品サンプル』を持たされている。
 ちなみに、戦死した連合諸王国軍の兵士達、あるいはそれ以前に攻撃してきた帝国軍将兵の鎧や持っていた武具、財布などは、自衛隊によって彼らごと土中に埋葬されている。
 これをもし集めたら膨大な財産……金融機関のない世界で兵士は受け取った俸給を身につけて歩くものだし、身分の高い騎士やら貴族やらもいる……となるはずだが、倫理的にいろいろあるので自衛隊としては手をつけていない。実は、この配慮が流通貨幣の大量消失という形で帝国と周辺諸国に、ちょっとした経済的打撃を与えるのだが、それがわかるのも後々のことであった。
 また主を失ってあちこちうろうろしていた馬も、集められる限り集めてある。これも動物愛護団体からのクレームを恐れてのことだが、膨大な数の馬の飼い葉をどうするかが深刻な問題となりつつあった。敵方の遺棄物資に馬用の飼料があったためにこれを与えているが、無くなるのは時間の問題。アルヌス周辺は荒野、少し離れて森なので馬に食べさせる牧草がどこにもないのだ。
 こうした馬の引き取り手を捜すことも、伊丹の任務の一つとしてさりげなく付け加えられていた。



十四



 少年少女達が数日ほど働いて翼竜2頭の屍体からあつめた『竜の鱗』は、200枚程になった。『竜の爪』は3本である。
 これでも欠けたり、折れたり、傷ついたり、あるいはサイズが小さかったりで使い物にならなさそうなものを取り除いたのである。それでもこの数になった。
 アルヌスの丘に散在する翼竜の屍体全てをあさったら、どれほどの鱗が収穫できるかと考えると、カトー老師を始めとした避難民達は、大人も子どもも目眩がしそうになって皆、額をおさえてしまった。
 最初は「自活しろ」というような意味のことを言われて、避難民達は悩みで頭を抱えた。
 住む場所を手に入れるにしても、食べるために畑を耕すにしても、木を切るにしても、狩猟をするにも、年寄りと怪我人と子どもばかりでは無理だからだ。レレイやテュカあたりは、本気で身を売るしかないと思ったくらいだ。(ロゥリィは、のほほんとしていたが…)ところが、「手助けはする」と言われて、食材は届けられるし、家は建ててもらえるし、何か仕事になりそうなことはあるかという話をしているうちに、価値があるモノなら好きにして良いと、アルヌスの丘に散在する翼竜から鱗を集める権利を与えられてしまったのである。(彼らはそう認識した)
 それはもう、財宝の山を前に「好きなだけつかみ取りしてよい」と言われたようなものだった。「いいの?ホントにいいの?」である。
 でも、悲しいことに小市民である。両手、ポケット、懐に収まる範囲までなら、これでアレを手に入れて、服を新調して…等々の使い道を考えられるが、もっと取れ、全部残さず取れ…などと言われると、これまで慎ましい自給自足な生活を送ってきた村人や子ども達にとって、想像できる範囲を超えてしまう。
 竜、あるいは龍の鱗とはそれほどのものなのである。




 竜の鱗にはいくつかの種類がある。市場で取り引きされる際にはその種類や状態でグレードの分類がなされていた。
 最上級とされるのはやはり古代『龍』の鱗であり、美品であればその一枚で、スワニ金貨十枚ほどの値が付くと言われている。もし赤い炎龍の鱗で出来た鎧などがあれば、(加工も、とても難しいため)それは神話級の宝具として国が買える価格で取り引きされることになる。「あれば」の話だが。
 それに次ぐのが新生龍のものである。だがこれらの二種は市場で出回ることは「ほとんど」あり得ない。かつて説明したように、人の手で『龍』が狩られることはないからだ。もし人の手に入ったとすれば、それは古代龍や新生龍が脱皮したことによってうち捨てられた鱗を集めたものである。実際、いくつかの英雄譚や神話には炎龍の鱗から作られたと言う鎧が登場し、現物が戦神の神殿に祀られている。
 さて、翼竜の場合は、兵科として竜騎兵を採用している国では安定的に入手できることに加えて、一枚一枚のサイズも比較的に小いために、ぐっと値が下がって現実的な価格で取り引きされている。鱗一枚の相場がデナリ銀貨30~70枚といったところだ。
 デナリ銀貨一枚とは、慎ましく暮らせばヒト一人五日は食べられる額である。従って、今回の二百枚を取り引きしただけでも、レレイ達は結構な金持ちになれる予定であった。
 もちろんこれだけの品物を売るためにはそれなりの相手を選ばないといけない。
 とにかく安全に現金で決済したいので、レレイとしては大店を取引相手として選びたかった。しかし大店の店主が突然やってきた小娘を、はたして相手にしてくれるかが心配…かといって小規模の店では支払う金が無いと、掛け売りを求められてしまうだろう。手形や為替の類は、いくら賢者と言えどもわからないというのが、レレイの正直な心情だった。
 幸い、老師カトーの旧い友人に商人がいるということで、少しばかり遠いがその人のところまで赴くことにした。往復路についてはすこぶる頼りになるジエイカン達がついてくれるだろうし……と、レレイは伊丹達の顔を見る。
「ん?何かな?」
 視線のあった伊丹に問われ、レレイは無表情のまま「別に」と言う意味のことを答えた。
「で、そのリュドーという人は、どこにお店を構えているの?」
 付き添ってくれるハイ・エルフのテュカがロゥリィとともに問いかけてくる。レレイは要点のみを過不足無く伝えた。
「イタリカの街。テッサリア街道を西、ロマリア山麓」




「テッサリア街道、ロマリア山、それからイタリカの街……っと」
 桑原曹長が航空写真から起こした地形図に、名称の判明した地物について書き込みをしている。今回の行動では、レレイから様々な地名を聞き取ることが出来、アルヌス周辺の地形図について言えば、ほぼ完成と言って良い状態になりつつあった。
「なるほど、アッピア街道に、ロマ川、クレパス平原、デュマ山脈か…」
 レレイも近辺の地形を詳細に描き出している地形図に興味津々と言った様子だった。レレイの知る地図とは、山や川や湖を描いて、だいたいの位置関係が合っていれば上等とされる品物のようだった。それが、非常に細密に描かれた地図があるのだから興味を持つなと言っても無理だろう。レレイは自分の知っている場所が地図上にあることがわかると、次々と指さして名前を教えてくれた。そして、さらに彼女が興味を示したのが方位磁石である。
 桑原が地図と実際に自分たちの向かっている方角を過たずに一致させる秘密が、ここにあるらしいとレレイは感づいたようだった。
 御歳五〇歳の桑原は、「この世界の北極と磁北極のずれはどの程度なんだろう?」などと思いつつ、レレイを我が娘をみるような気分で磁石の取り扱い方を教えていた。まぁ、実際には走行している高機動車の中でのこと、方角は小刻みに変わり、磁針そのものも揺れ動いて、正確に扱うことなど出来ないのであるが…。
「鬼の隊付曹長が、可愛い女の子相手には相好を崩しちゃってまぁ」
 バックミラーに映る桑原の姿をチラと見て、倉田はボソッと呟いた。
 一般陸曹候補学生の前期課程で、『死ぬまでハイポート』(小銃を「控えつつ」したまま走ることと思って貰えばよい。似た体験をしてみたければ、四キロの鉄アレイでも抱えてマラソンすることをお勧めする。ただし『抱えて』である。ぶら下げて、ではない)をさせられた経験が、なんとも言えない恨み辛みとして倉田の心中には積もっていた。それが、孫娘を愛でる爺さまのような姿を見せられて、なんとも霧散してしまうのだ。
 ロゥリイは、テュカとなにやら話をしていた。
 だが現地語で、しかも早口だから伊丹達には到底理解できない。ただ、なんとなくテュカがロゥリィにからかわれているのは理解できた。最後には、テュカがぶすっと頬をふくらませて黙り込んでしまった。それを見たロゥリイが、いたずらっぽい笑みを浮かべて、黒川に視線を送る。そして、何か言おうとするのだが、その途端にテュカは顔と細長い耳を真っ赤にして止めさせようとするのだ。
 見ているこちらとしては「何だろね?」という気分だ。
 テュカの慌てる様が楽しいらしく、ロゥリィはなんとも楽しそうにほくそ笑んでいた。レレイに「年上の年上の年上」と言われるだけあって、百六十五歳のテュカであっても、子ども扱いされてしまう格の違いがそこはかとなく感じられた。
「伊丹隊長、右前方で煙が上がってます」
 運転している倉田が、右前を指さした。
 ほぼ同様の報告が無線を通じて、先頭を走る車両からも入ってくる。
 伊丹は、双眼鏡で煙の発生源あたりを観察してみるが、まだ距離があって確認するのが難しい状態だった。車列を止めさせて倉田に尋ねる。
「倉田、この道、煙の発生源の近くを通るかな?」
「というより煙の発生源に向かってませんか?」
「いやだよぉ。前方に立ち上る煙って二回目だろ?どうにも嫌な予感がするんだよねぇ」
 次いで、伊丹は桑原に意見を求めた。
 桑原は地形図を参照して、煙の発生源あたりに、カタカナで『イタリカ』と記入された街が存在していることを示した。テッサリア街道を進む車列は、当然のことながらイタリカへと向かっている。
 次に、伊丹はレレイに双眼鏡を渡して意見を求めた。
 レレイは、双眼鏡を前後逆さまにに構えてしまい眉を顰めたが、直ぐに間違いに気付き双眼鏡を正しく構えると前方へ向けた。
「あれは、煙」
 レレイは、日本語でそう答えてきた。
「煙の理由は?」
 聡いレレイは、伊丹の質問意図に直ちに理解した。
「畑、焼く、煙でない。季節、違う。人のした、何か。鍵?でも、大きすぎ」
「『鍵』ではなくて、『火事』だ」
 単語の過ちを訂正しておいて、伊丹は思索し、指示を下す。
「周囲への警戒を厳にして、街へ近づくぞ。特に対空警戒は怠るなよっ」
 桑原と黒川が銃を引き寄せた。それぞれ左右に目を配り出す。テュカは黒川に列び、レレイは桑原と列んで一緒に周囲を警戒する。そして車列は再び進み始めた。
 ロゥリイは、伊丹と倉田の間に身を乗り出してきて、「血の臭い」と呟きながら、なんとも言えない妖艶な笑みを浮かべるのだった。



    *      *



 イタリカの街は、二百年ほど昔に当時の領主が居城を建設し、その周辺に商人を呼び集めて、城壁を巡らして作り上げた城塞都市である。
 当時は政治上、そしてテッサリア街道とアッピア街道の交点という交通上の要衝として大きく発展したのだが、帝国が発展するに連れて政治的な重要性が薄れ、現在は中くらいの地方商市といった程度におちついている。これといった特産品などもないが、周辺で収穫された農作物、家畜類、あるいは織物等の手工業品を帝都へと送り出すための集積基地としての役割を担っている。
 現在は、帝国貴族のフォルマル伯爵家の領地である。
 フォルマル伯の当主コルトには三人の娘があった。アイリ、ルイ、ミュイである。末娘のミュイをのぞいた二人は、既に他家に嫁いでいた。コルトとしては、末娘のミュイが成長したら婿を取らせて跡継ぎにしようと考えていたようである。
 ところがミュイがいまだ独身のままコルトとその妻が事故死してしまったことから、街の不幸が始まった。
 長女アイリはローウェン伯家、次女ルイはミズーナ伯家とそれぞれに嫁いだ家がある。従って相続についての権利は、ミュイに劣る。それが帝国の法であって争いなど生じる余地はない。しかし、末妹のミュイがいまだ十一歳であったことから、どちらが彼女を後見するか……則ち実権を握るかで争いが生じてしまったのである。
 長女と次女の間での冷静な話し合いが次第に熱を帯びてきて、ついに醜い罵り合いとなった。末妹は間に挟まれておろおろするばかり。二人の罵りあいは、爪を立てての引っ掻き合い、髪の掴み合いに発展し、これを鎮めようとしたそれぞれの夫を巻き込む大騒動となった上に、挙げ句の果てにはローウェン伯家とミズーナ伯家の兵が争うという、小規模紛争となってしまったのである。
 それでも双方の諍いは無制限に拡大することはなかった。それぞれの兵力がさして多くなかったこともあるし、それぞれの夫が妻ほど頭に血が上っていなかったことも理由としてあげられる。
 領内の治安はフォルマル伯家の遺臣と、ローウェン伯家とミズーナ伯家の兵によって厳正に保たれ、商人の往来は保護され、領民達の生活も脅かされることもなかった。
 イタリカの価値は交易にあり、これを荒廃させてしまえば、利益を得るどころではなくなってしまうということを誰もがよくわきまえていたからである。
 こうして事態は膠着化する。姉妹の争いは帝都の法廷へと移り、やがて皇帝の仲裁によってミュイの後見人が決するであろうと誰もが予想していた。
 しかし、帝国による異世界出兵が事態をさらに悪化させた。
 ローウェン伯家とミズーナ伯家、それぞれの当主がそろって出征先で戦死してしまったのである。これによっアイリもルイも、フォルマル伯爵領に関わっている余裕が全く無くなってしまった。ローウェン伯家もミズーナ伯家も兵を退いてしまい、あとに残されたのはミュイとフォルマル伯家の遺臣だけである。
 幼いミュイに家臣を束ねていく力などあるはずもなく、領地の運営も惰性でなされるようになった。心ある家臣が存在する以上の確率で、私欲に素直な家臣が存在し、気が付けば横領と汚職が横行し、不正と無法がはびこっていた。
 民心はゆれ動き、治安は急激に悪化する。
 各地で盗賊化した落伍兵やならず者が、領内を旅する商人を度々襲うようになり、これによって交易は停止しイタリカの物流は停滞してしまう。
 さらに盗賊やならず者達は徒党を組んで、大胆且つ大規模に村落を襲撃するようになった。数人の盗賊が、十数人の盗賊集団となり、現在では数百の規模となった。そしていよいよイタリカの街そのものへが盗賊達に襲撃されたのである。




 街の城門上に陣取って、弓弦を鳴らしていたピニャは、退却していく盗賊達の背に向けて数本の矢を放ったあと、大きなため息をついて弓矢を降ろした。
 周囲には傷ついた兵が、のろのろと立ち上がり、あるいは倒れた兵士が血を流している。石壁には矢が突き刺さり、周囲では煙が立ち上っていた。見渡すと、農具や棒をもった市民達も多い。
 城門の外には、盗賊達の死体や馬などが倒れている。
「ノーマ!ハミルトン!怪我はないか?」
 破られた門扉の内側にある柵を守っていたノーマは、大地に突き立てた剣を杖のようにして身体を支え、肩で息をしつつ、わずかに手を挙げて無事を示した。それでも、鎧のあちこちには矢が刺さっていたり、剣で斬り付けられたような跡が付いている。
 彼の周囲は激戦であったことを示すかのように、攻撃側の盗賊と、守備側の兵士の遺体転がっていた。
 ハミルトンに至っては既に座り込んでいた。
 両足おっ広げて、なんとか後ろ手で身体をささえているが、今にも仰向けに倒れ込みたいという様子。剣も、放り出していた。
「ぜいぜい、とりあえず、はあはあ、何とか、はあはあ、生きてます」
「姫様。小官の名がないとは、あまりにも薄情と申すモノ」
「グレイっ!貴様は無事に決まってるだろう。だからあえて問わなかったまでだ」
「それは喜んで宜しいのでしょうか?はたまた悲しんだほうが良いのでしょうかな?」
 堅太りの体格で、いかにもタフそうな四十男が少しも疲れた様子も見せず、剣を肩に載せていた。
 見ると返り血すら浴びていない。剣が血に染まっていなければ、どこかに隠れていたのではと思いたくなるほど、体力気力共にまだまだ大丈夫という様子だった。グレイ・アルド騎士補である。一兵士からのたたき上げで、戦場往来歴戦の戦人であった。
 ピニャの騎士団は、構成する騎士の大部分が貴族出身である。しかも騎士団としての実戦経験が無いため、こうしたたたき上げの兵士を昇進させ実戦上の中核としていた。
 帝国では兵士が騎士(士官)になる道は著しく狭い。だが、一端通ってしまうと士官としての待遇に差別はなかった。これには、自分たちは戦功著しい優秀な古参兵と、同等の能力を有しているのだという貴族側の自負心がある。能力で昇進してきた者を、出身を理由に粗略に扱うような者は、自分の能力に自信がなく、家柄にしか頼るものがないだけであると評価されてしまうのだ。
「姫様、何でわたしたち、こんなところで盗賊相手にしてるんですか?」
 ハミルトンは責めるような口調で苦情を言い放った。いささか無礼ではあるが、言わずにいられない気分だった。
「仕方ないだろう!異世界の軍がイタリカ攻略を企てていると思ったんだからっ!お前達も賛同したではないか?」
 アルヌス周辺の調査を終えて、いよいよアルヌスの丘そのものに乗り込もうとしたところ、ピニャらの耳にひとつの噂話が入った。
 それは「フォルマル伯爵領に、大規模な武装集団がいる。そしてイタリカが襲われそうだ」というものだった。
 それを聞いたピニャは、アルヌスを占拠する異世界の軍がいよいよファルマート大陸侵略を開始したと考えたのである。「分遣隊を派遣して、周辺の領地を制圧しようという魂胆か?」と考えた。
 ならばこちらとしても考えがある。ピニャとしては、やはり初陣は地味な偵察行より、華々しい野戦がいい。丘の攻略戦では大敗を喫したが、野戦ならばという思いもあった。だからアルヌス偵察は後に回し、麾下の騎士団にイタリカへの移動を命じつつ、自分たちは先行したのである。
 どのような戦法をとるにしても、敵の規模や戦力を知らなければならない。もし、敵の戦力が少なければイタリカを守備しつつ、その後背を騎士団につかせて挟撃することも出来るとも考えていた。
 ところが、実際にイタリカに到着してみれば、イタリカの街を襲っていたのは大規模な盗賊集団だった。しかもその構成員の過半が、『元』連合諸王国軍とも言うべき、敗残兵達であったのだ。
 これに対して、イタリカを守るべきフォルマル伯爵家の現当主(仮)はミュイ十一歳。
 彼女に指揮がとれるはずもなく、兵達の士気は最低を極めていた。かなりの人数が脱走し、残った兵力も極わずか。
 ピニャとしては落胆するしかなかったのだが、黙って見ていると言うわけにもいかない。伯爵家に乗り込むと身分を明かし、有無を言わさず伯爵家の兵を掌握するとイタリカ防戦の指揮を執ったのである。
「とりあえず三日守りきれば、妾の騎士団が到着する」
 実際は、もう少しかかるかも知れないとは言えない。
 ピニャのその言葉を信じた街の住民や伯爵家の兵達は力戦奮闘した。だが敵も落ちぶれたとは言え元正規兵であり、攻城戦に長けていた。
 街の攻囲こそされないものの堅牢なはずの城門が破られ、一時は街内へと乱入されかかったのである。とりあえず、街の住民達が民兵として農具をかざして力戦したからこそ、第一日目をなんとか戦い抜けたのだが、正直、後少しで負けるところであった。
 物心共に被害も甚大だ。
 少なかった兵はますます少なくなり、民兵も勇敢な者から死んでしまった。残された者は傷つき、疲れている。こうしてわずか一日にして、兵や住民達の士気は下がりきってしまった。そして、ピニャには彼らの士気をあげる術が、どうにも思いつかない。
 これが、彼女の初陣の顛末であった。



十五




 ピニャ・コ・ラーダは、皇帝モルト・ソル・アウグスタスとその側室…いわゆる『お妾』であるネール伯爵夫人との間に生まれた。
 モルト皇帝の公認の子供は8人いる。その中では彼女は五番目の子で、女子としては三人目であった。ちなみに、非公認の隠し子も含めると彼女の兄弟姉妹は十二~十五人前後に増えるのではないかと言われている。
 皇帝から実娘として公認されているため、ピニャには皇位継承権がある。しかし、順位としては一〇番目(皇帝の弟達が彼女より上位にいる)になるため、皇位継承者としての彼女の存在が意識されることは、ほとんどなかった。適当な年齢に達すれば外国の王室か、国内の有力貴族に持参金を抱えて嫁に入り、目立たないが優雅で気楽なサロン生活が送れる身分なのだ。
 彼女の存在が宮廷のサロンで目立つのは、政治的な意味合いよりも彼女の個性に発する部分が大きかった。幼少の頃は、常に何かに苛立っており、落ち着きに欠け、過激な言動といたずらをしては周囲を困らせることが多かったのだ。
 それがどうにか落ち着きだしたのは十二歳頃、貴族の子女らばかりを集めた、『騎士団ごっこ』をはじめてからである。
 まことしやかに流布している風説によると、女優ばかりが出演する歌劇を見て、その華やかさに影響されたからだと言われている。もちろん真偽のほどは確かではないが、この時期に何かきっかけとなる出来事があったことだけは確かなようである。
 帝都郊外にある古びた、しかし堅牢な建物を勝手に占拠すると、子分とも言える貴族の子女を集めて集団生活を始め、彼女なりの軍事教練らしきものを始めたのである。そこは貴族の子弟、しかも十四~十一歳の子ども達のすることだ。おままごとのような集団生活と軍隊ごっこであって、衣食住の全てに置いて散々な失敗の繰り返しだった。それでも、そうした失敗も含めた何もかもが新鮮で、楽しいものとして子ども達は感じていたようである。
 子ども達を心配して様子を見に来た大人達は、彼らの楽しげな様子を見て安堵しつつも、やがて飽きて、親が恋しくなって帰ってくるだろうと温かく見守ることにしたのだった。
 実際に、子ども達も二日ほどたつと笑顔で帰ってきて、親たちは「楽しかったかい?」と温かく出迎えたのである。
 ピニャの、天賦の才能はこの時期に開花を始めた。それは自己を含めて、仲間の力量を過不足無く見極めることが出来るということにあった。
 彼女には、仲間達が二日程度で飽きてしまい、三日を過ぎたあたりで帰りたがると言うことが見えていたようである。そこで彼女は仲間を全員一度帰宅させた。これならば「楽しかったねぇ」という気分のまま帰ることも出来る。そして、それは第二回騎士団ごっこへと繋がる。
 一週間ほどあけて、第二回騎士団ごっこが開かれた。
 兵舎として使われたのは、前回と同じ建物であったが、今度は料理人や小間使いを巻き込んでのごっこ遊びで、衣食住の環境は確実に改善されていた。これを見た子ども達の親も、そして子ども達自身も内心安堵したことだろう。
 こうして、彼らの騎士団ごっこは、まず遊びとして周囲から温かい目で見守られつつ始まったのである。
「ごっこ遊び」とは言っても一応軍事教練らしきことをする。
 例え、遊びから来たものであろうと「子どもの言動がきびきびしてきたように見える」「体力がついて元気になってきた」「食べ物の好き嫌いがなくなった」「規律正しくなってきた」「社交的になって、よい友人を持つようになった」等の変化が現れると、皇女様の騎士団ごっこは子ども達によい影響を与えていると好意的に見られはじめた。回を重ねるたびに寄付や、施設の提供を申し出る貴族などが現れて、貴族社会で子ども達に参加を奨励しようとする雰囲気が出来てきたのである。
 この時期に集まったピニャとその仲間達は、第一期生と呼ばれている。この第一期生によって、戒律や規約が作られ、団員の誓いだとか、各種の儀式、階級といった制度が制定され、彼らの日常生活における規範となっていくのである。
 騎士団創設から二年、ピニャが十四歳になると騎士団の『訓練』と呼ばれる合宿生活は、二~三ヶ月の長期に渡って行われることが多くなった。学業などはこうした訓練の一環として何人もの宮廷学者が『兵舎』招ねかれて授業するために疎かになることもなく、親たちはこのあたりから「ごっこ遊び」と言うよりは一種の『少年教育機関』的な意味合いでこの騎士団活動を見るようになっていた。
 ピニャの始めた騎士団活動は、このあたりで発展を止めたとしても、有意義なものとして帝国の教育史に残ったと思われる。子ども達の自立心を高め、規律正しい生活を身につけ、年長者を敬愛し、若年者を愛護する。それは、あたかも兄弟姉妹のごとく。(実際、義理の兄弟姉妹関係を結ぶ相手を選び出し、とある儀式のもとその関係性を続けていくのである)こうした騎士団の気風は、好ましいものとして大人達に見られていたからであった。
 類似の少年団組織が、あちこちで発足し始めたのもこのころである。これらの少年団は現在も、このころの騎士団の気風を受け継いだ集団として継続している。
 ところが、ピニャはあくまでも軍事組織として発展を志向していた。
 ピニャ十五歳の頃。彼女は自分たちの行う軍事教練によって体力がつき、剣術や弓、乗馬等の基礎的な訓練に慣れて来たと見るや、外部から教官を招聘することにしたのである。
 この時、騎士団に出向せよという命令を受けた軍将校、下士官がどのような気分になったかを知る術はない。だが、退役間近な将校や下士官ならまだしも、将来を嘱望された若手将校や下士官にとっては、『皇女様のごっこ遊び』につき合わされるのは、落胆と失望感を感じさせるのに十分と思われる。
 その為だろうか「いつまでもこんなことにつき合ってられるか」という思いを込めて、騎士団の団員達に対して本格的…ではなく本物の軍事教練が施されたのである。そして、それこそがピニャの求めていたものであった。
 将校達は、騎士団の子ども達が、もうこんなことは嫌だと降参することを期待していたようである。しかしピニャは、仲間の過半はこの訓練を乗り越えていけると見極めていた。
 こうして、騎士団の軍事組織的な性格が明確になっていく。座学、実地訓練等、その内容は軍に所属する兵士や、士官達の学ぶそれに勝るとも劣るところはなく、彼らの素質もあってか騎士団の団員達は優秀な軍人として成長していくことになる。
 ピニャ十六歳の頃、騎士団ではその方向性を決定づける重要な出来事が発生した。
 男性騎士団員達の卒業である。
 門閥に属さない貴族の子弟にとって、その将来を賭ける道は軍人になるか、官僚になるかである。尚武の気風をもった騎士団に属していた青年達が、軍人を志さない理由はなく、またそれを止める術も権利も彼女にはなかった。
「元騎士団員として、恥ずかしくない軍人となってほしい」という言葉を贈り、彼女は青年となった一期生の卒業を見送ったのである。
 こうして、騎士団を構成する中核団員の多くは『女性』ばかりとなった。もちろん、そろそろ花嫁修業を、という親の願いから女性団員も次々と騎士団を離れていく。それでも残る者がいて、新規に入って来る者もいる。
 この時期の騎士団がもっていた幼年士官学校的雰囲気から貴族の子ども達の入団希望者は以前よりも増えつつあり、その規模は拡大傾向を示していたのである。
 それから三年。この間に騎士団出身の男性軍人の多くが若手将校として現場で活躍を始めると、彼らの優秀さが高級将校の目にとまるようになった。
 騎士団の卒業の時期……薔薇の咲く頃……が近づくと各軍の指揮官達が、自分の部下にとわざわざスカウトにやって来るほどとなった。だが彼らの目当てはあくまでも男性団員であり、軍が女性に活躍の場を与えることはなかった。
 そのために、あるいはこれこそが彼女の真の目的として、ピニャは多くの女性団員と少数の男性団員(立身出世の必要がない門閥貴族出身の子弟+ピニャのスカウトしてきた実戦経験豊富な熟練兵)、そして補助兵によって構成された『薔薇騎士団』を設立したのである。
 その誕生は、貴族社会からも宮廷からも祝福されたものであったが、あくまでも実戦を経験することのない儀仗兵、女性要人の警護、儀式典礼祭祀等の参加、そして軍楽隊的役割を求められてのことという暗黙の了解が、そこにあった。
 しかし帝国を取り巻く情勢は変わった。
 事態がここに至ると薔薇騎士団とは言え、後方に引っ込んでいるわけにはいかない。あくまでも実戦をと希求する団長ピニャの指令を受けた彼女たちは、赤・白・黄色それぞれ薔薇を紋章とした軍旗を先頭に、アッピア街道を進んでいたのである。




 盗賊の攻撃を受けた、イタリカの街は見るも無惨な姿となっていた。
 城門は攻城槌によって破られて、内側に倒れている。城壁の内外側に立つ木製の櫓や鐘楼などは、そのほとんどが火矢を受けて黒煙を空高くあげていた。
 外から降り注いだ矢が、城壁を越えて城壁に面した家にまで届き、家々の屋根に無数の矢が突き立ってる。そして、城壁を挟んでその内外に、盗賊側、イタリカ側双方の死体が散らばって、地面の各所には赤黒い流血の血だまりができあがっていた。
 まだ体力のある者は、城壁の内側で起きた火災を鎮火させるべく走り回っている。小さな火には水をかけ、火の手の強い建物は破壊する。
 女達は、中程度や重傷の者を手当てし、子ども達は、あたり散らばり落ちている武器や、矢の回収作業をしていた。
 負傷の程度の軽い者は、スコップを手に死者を埋葬するために穴を城外で掘っている。本来なら簡易にしても葬祭を行わなければならないところである。しかし、その数が多すぎるため、葬祭を省いての埋葬となってしまった。盗賊の遺体に関しては、大きな穴を一個掘って、全員丸ごと放り込むのが精一杯であった。
 こうして、兵士も、商人も、酒場の女給も、男も女も老いも若きも関係なく街の人間は一人残らず駆り出されて、働いていた。払暁から昼過ぎまで続いた戦闘に続いて、休む暇もなく作業に追い立てられ、誰もが疲労していた。
「姫様……あの、少し、少しでよいのです。休ませてもらえませんか?」
 作業の監督をしていたピニャの元に、住民代表の老人がおずおずと話しかけてくる。
 皆が疲れ切っていることは見れば判るし気持ちも理解できる。だが、今は少しでも早く死者を葬り、燃える民家や鐘楼の火を消し、城門や柵の修理を済ませて、武器の手入れを終えなくてはならないのだ。
 その重要性を知るピニャは、休みたいと訴えかけてくる老人に対して、むっすりといかにも不機嫌そうな表情を見せことで、苦情を言いにくくすることしかできなかった。
「盗賊共はまだ諦めてない。体制を立て直したら、すぐに攻め寄せて来よう。その時に壊れた城門と、崩れた柵で防げるというのなら、休んでもよいぞ………」
「し、しかし」
 この老人から見れば、ピニャは理不尽なことを強いてくる暴君にしか見えないだろう。立っている場所が違うために、見えているものが違うのだ。彼らに理解をしてくれと求めることは甘えなのかも知れない。ならば仕方のない。
「私はお前に頼み事をしているのではないぞ」と、頭ごなしに命じるのみである。
「グレイ、城門の具合はどうだ、直せそうか?」
 門扉の具合を見ていたグレイがピニャを振り返った。
「姫様、小官の見立てたところ直すのは無理ですな。蝶番の根本から完全にひしゃげております」
「ならばどうすればいい?」
「いっそのこと塞いでしまってはいかが?」
 ちょっとした作業で出入りする程度なら城門脇の小口が使えるし、この事態にあって商取引で馬車や荷車などを出入りさせることもない。門扉を開いて内側から撃って出るといったことも考えられないから、防戦という目的に置いては城門など塞いでしまっても問題はないのだ。
「悪くない。そうしてくれ」
 グレイは市民に指図すると、木材、堅牢な家具などをあつめてきて、門扉のあった場所に積み上げる作業をはじめさせた。
「そんなものばかりでは燃えるだろう。まずくないか?」
 ピニャの言葉にグレイは肩をすくめて、火がついたなら燃え草をどんどん放り込んでやりましょうと応じた。
 確かにとピニャは頷く。燃えさかる炎ほど強固な防壁はないかも知れないと理解したのだ。
 ピニャは振り返ると、城壁の上へと顔を上げた。
「ノーマ!!そっちは、どうだ?」
 城壁の上では、ボウガンや弓を手にした兵士達が、外へと警戒の目を光らせていた。ノーマは振り返ると、声を投げ降ろしてきた。
「今のところ、敵影なしです」
「そのまま、警戒を怠るな。敵がいつ再び攻め寄せてくるかわからんぞ」
 ノーマは、この指示に頷くと、額からにじむ血を拭こうともせずに部下の兵士に監視を命じるのだった。
「さぁさぁ、お腹がすいたのではないですか?食事の用意をしてまいりましたよ」
 そこに、そんな声が聞こえたかと思うと大鍋を載せた荷車がやってきた。運んでいるのは伯爵家のメイド達である。出てきたのは大麦を牛乳で煮詰めたドロッとした粥と黒パンである。どちらもあまり美味いものではないのだが、空腹は最高の調味料とも言う。
 ピニャも、食事の臭いに空腹感が刺激された。すきっ腹を抱えたまま突貫工事を続けても効率も落ちるばかりと考え、交替で食事をとりつつ作業を続けるように命じる。そうしておいて、自分も食事をとるべく空腹と疲労で重くなった身体を引きずるようにしながらフォルマル伯爵家の館へと向かうのだった。
 警備の兵士などの男手は、ほとんどが城壁守備に出向いているため、伯爵家の城館は門から玄関に至るまで人の姿はない。彼女を出迎える者もなかった。
 かといって人がいないわけではない。屋敷の中庭では大鍋がいくつも置かれ、大麦の粥が煮立てられ、黒パンが焼かれていた。炊き出しのために城館のメイド達は全員駆り出されて、忙しく立ち働いているのだ。
 どうにかピニャを認めて出迎えたのは、伯爵家の老執事とメイド頭の老女だけである。
「皇女殿下、お帰りなさいませ」
「ああ。すまないが食べ物と、何か飲み物を…」
 老メイドにそう伝えて、ピニャは自分の屋敷でもあるかのようにソファーへと、どっかり座り込んだ。
 傍らに立つ白髪の執事が、ピニャに葡萄酒の入った銀のコップを差し出した。
「皇女殿下、どうやら守りきることが出来たようですな」
「まだだ。どうせすぐに襲ってくる」
「連中と戦わずに済ますことはできないのでしょうか?話し合いでなんとか…」
「ふむ、なるほど。城門を開け放って、街の住民も財貨も食べ物も何もかも、連中の手に委ねることを条件とすれば、争いは避けうることが出来るだろう」
 老執事はほっとしたような表情をする。
「そのかわり全てを奪われ、男は殺されるだろう。若い娘は奴隷だろうが、その前にたぶんきっと、いや必ず陵辱される。妾などは見ての通り佳い女なのでな、野盗共が寄ってたかって群がってくる。一人や二人ならなんとかなるかも知れないか、五十人百人を相手にして正気を保つ自信はないぞ。時に、ミュイ伯爵令嬢はどうかな?」
「み、ミュイ様はまだ十一歳ですぞ」
「そういう幼い少女が好きという変態がいるかも知れないぞ……いや、きっといる。必ずいるな……でも居ないことを神に祈って、敵に対して城門を開け放ってみるか?ミュイ殿は何人まで耐えられるかの?」
 老執事は額の汗をぬぐいつつ、呻くように言った。
「で、殿下。あまり、虐めないでくださいませ」
「ならば、戦うしかあるまい?平和を求めて、相手の言いなりになるのも道の一つだが、それは結局の所、滅びの道だ。戦は忌むべきものだが、それを避けることのみ考えると結局の所全てを失うのだ。ならば、歯を食いしばって戦うしかない」
 ピニャは差し出されたワインを一気に飲み干した。
「ふぅっ」と、ひと心地つけたのか口元をぬぐって大きなため息をつく。そして、老メイドが運んできた大麦粥とパンに手をつけた。だが一口で眉を寄せた。
「味にしても、量にしても物足りない」
 老メイドは、毅然とした首を振った。
「いけません。疲労の強い時は、胃も疲れているものです。味の濃いもので腹を満たしてはかえって健康を損ねます」
 ピニャは、老メイドの言葉に理があることを素直に認めた。考えてみれば、城館のメイド達はこの事態に至っても動揺が少なく、黙々と炊き出しなどの作業に従事している。そもそも彼女は炊き出しなどの作業を命じた記憶もない。とすれば誰の指図か?執事は今の会話のように、恐れおののいているばかりで何も出来ない臆病者だ。となれば、この老メイドではないか?
 そう考えてピニャは老メイドに尋ねた。
「お前は、このような事態の経験があるのか?」
「かつて、ロサの街に住んでおりました」
 ロサの街は、三〇年ほど前に帝国の侵略を受けた街で、どうにか帝国軍を撃退したものの政治的な敗北から帝国に併合されて、現在は廃墟となっている。
 その戦いの際、この老メイドはロサにいたのだろう。戦いとは、なにも弓や剣や魔法を撃ち合うばかりではない。攻められる街にあって兵士を励まし、武器を手入れし、食糧を管理しつつ食事の手配を遺漏無く整えることもまた戦いなのだ。
 その意味で、この老メイドは実戦証明済みの存在だった。
 伯爵家の当主が幼く、全く頼りにならないという状況下で、メイド達に動揺がないのも、この老メイドが彼女たちの上に君臨しているからであろう。
 ピニャは、老メイドの言を受け容れ、食事を腹八分目で止めることにして、フキンで口元をぬぐった。
「では、客間にて休ませて貰う。もし、緊急を知らせる伝令が来たら、そのまま部屋にまで通すよう」
 そう老メイドに伝えて、ふと沸き上がった悪戯心から次のように尋ねてみた。
「もし、妾が起きることを拒んだらなんとする?」
 すると、老メイドは「水を頭からブッかけて叩き起こして差し上げますとも」と凄みのある笑顔をみせるのだった。
 ピニャはコロコロと高らかに笑った。そしてベットで水浴びしないですむようにしようと言いながら、客室へと向かうのだった。
 ところがである。結局のところ彼女を叩き起こしたのは水の冷たい感触だった。




 顔を布でぬぐいながら、濡れた衣服に鎧を手早く身につけつつ、ピニャは怒鳴った。
「何があった!敵か?」
 濡れそぼった朱髪を振り乱すピニャの姿になんとも言えない艶気を感じつつも、事態の急変を知らせに来たグレイは、そんな気分は隠して報告した。
「はたして、敵なのか味方なのか、見たところ判りかねますな。とにもかくにもおいで下され」
 城門にたどり着いて見ると、戦闘準備を整えた兵士と市民達が、城壁の鋸壁から、あるいはバリケードの隙間など門前の様子を盗み見ていた。
「姫様。こちらからよく見えます」
 フォークシャベルを手にした農夫の一人が、積み上げたバリケードの隙間を譲ってくれた。
 覗いてみると狭い視界の向こう側に、四輪の荷車が三台停まっている。…ただしこれを牽く馬や牛の姿を見ることが出来ないものだった。
 ピニャは、動力となる馬や水牛、そして兵員を大きな箱の中に収容して城壁に近づく『木甲車』という攻城兵器の存在を知っている。だから、門前に停まる三台のそれを『木甲車』に類する物ではないかと考えた。
 よく観察すると、三台中二台の天蓋は布あるいは皮革製に見える。
 これでは矢玉や熱湯、溶けた鉛を避けることは出来ても、岩程度の質量のあるものを投げ落とせば潰れてしまうだろう。するとやっかいなのは、後ろの一台だ。この一台は木製どころか、鉄で全面を覆っているかのように見えるのだ。
 その『鉄』甲車内には、やはり人間がいるようだ。天蓋には『長弩』らしき武器を備えていて、なるほど、矢や石礫を避けつつ城壁に近づき攻撃も可能とする工夫のようだった。
 だが、いかに優れた兵器とは言っても、それだけで城市は落ちない。
 矢を放ち、雲霞のごとく城壁に攻め上る兵がいてこそ、これらの攻城兵器は生きてくるのだ。だが、見渡す限り他に敵の姿はいない。また、門のあったところに築かれたバリケードを破壊するとか何らかの敵対行動を起こす様子もなかった。
 兵器の存在を見せつけ守備側の戦意を低下させようとする意図ならば、それなりの示威行動を示すものだが、それもしないとなると何が目的でここにいるのかがわからなくなる。
「ノーマ!?」
「他に敵は居ません」
 尋ねたいことがわかったようで、直ぐに答えがあった。
『木甲車』内にいるのは、斑…深緑を基調として茶色や、薄緑を混ぜた配色の衣装を纏い、同じ斑なデザインの布で覆われた兜を被った兵士達だ。
 手には、武器?なのか杖なのか判別の難しいものをかかえている。その険しい表情や鋭い視線などから、この者達が油断の鳴らない力量を有した存在であることはわかる。
「何者か?!敵でないなら、姿を見せろっ!」
 ノーマによる誰何の声が、頭上の城壁から厳しく響いた。
 どんな反応が起こるのかと、ピニャもイタリカの兵士も、住民達も皆、息を呑んで見守っていた。
 待つこと、しばし。ふと、木甲車の後の扉が開いた。
 そこから、1人の少女が降り立つ。年の頃十三~十五ぐらいだろうか?身に纏っているローブや、手にしている杖などから魔導師であることは一目でわかった。
 杖を見るとオーク材のくすんだ長杖……すなわちリンドン派の正魔導師であることは明確だ。となれば、いかに年若く見えようとも、攻撃魔法も魔法戦闘もこなすはず。
 先ほどの襲撃では、盗賊側に魔導師は確認されていなかった。だからこそ守り切れたと言っても過言ではない。だが、もし盗賊側に魔導師が加わったとなると、かなり難しい戦いを強いられることになる。
 その困難さを考えると、ピニャは舌打ちしてしまった。
 続いて降りてきたのは、見たことのない衣装を纏った十六歳前後の娘だった。
 その衣装は上下ともに肌にぴたっとしていて、ほっそりとした身体のラインがあからさまになっていた。さらに丈が短くて腹部や背中あたりの白い肌がチラチラと見えてしまうのは、男性連中には目の毒だろう。
 ピニャはこの衣装が、それが目的のデザインなのだということを、女として直感的に理解していた。
 問題は、この娘が笹穂状の耳をもっていることだった。すなわちエルフだ。しかも金髪碧眼持ち。
 まずい……向こうには魔導師ばかりかハイエルフまでいる。ハイエルフは例外なく優秀な精霊使いと聞く。特に風精霊を使役した雷撃の魔法は、一軍を壊滅させる力があることで知られている。リンドン派の魔導師と、エルフの精霊使いの組み合わせ。騎士団を率いていたとしても、戦場で出会いたくない相手と言えるだろう。
 ならば、油断している今、二人を同時に倒してしまわなければならないか?弩銃で狙撃を。そんな風に二人を倒す方法を考えていると、その後に出てきた娘を見て、ピニャは、濡れそぼった衣服が急激に冷えていくことを感じた。
 フリルにフリルを重ね、絹糸の刺繍に彩られた漆黒の神官服。
 黒髪に黒い紗布のついたヘッドドレスで覆う、いとけない少女。
「あ、あれはロゥリィ……マーキュリー」
 それは死と断罪と狂気、そして戦いの神エムロイの十二使徒内の一柱だった。
 皇帝は国家最高神祀官を兼ねるため、国事祭典に使徒を招聘して会談を持つこともある。従ってエムロイの使徒との謁見する機会もあった。だからピニャは、彼女を見知っていたのだ。
「あれが噂の死神ロゥリィですか?初めて見ますが、見た感じじゃここのお屋敷のご令嬢ほどでしかありませんね……」
 魔導師の少女や、エルフ少女と比べても、ロゥリィは小さく幼そうに見える。
 が、自分の体重ほどもありそうなハルバートを、細枝のような腕で軽々と扱って、ズンと大地に突き立てる腕力が凄まじい。
「見た目に騙されるな。あれで、齢九〇〇歳を越える化け物だぞ」
 帝国などこの世に影も形もなかった時から延々と生き続ける不老不死の『亜神』、それが使徒である。これでもロゥリィは、十二使徒の中でも二番目に若い。最古の使徒に至っては、人類創世以前から在ったのではないかと言われている。
 使徒・魔導師・エルフの精霊使い…この三人の組み合わせがもし本当に敵ならば、ピニャはさっさと抵抗を諦めて、逃げ出す方法を考えようと思ってしまった。
「だけど、エムロイの使徒が盗賊なんぞに与しますかねぇ?」
 ピニャは首を振った。
「あの方達なら考えられなくもないのだ」
 使徒に人間の物差しは通じない。彼そして彼女らは、皇帝や元老院の権威や法、あるいは正義といったものに全くの無関心なのだ。いや、逆に軽蔑している言っても過言ではない。
 ピニャは惨憺たる想いで語った。
「『神』という存在は正しく生きようが、悪徳に生きようが関係なく祟る時は祟るし、悪しきことを起こしてくる。善良に生きても病にかかるし、暴虐の限りを尽くす暴君が長命だったりする。誰が祀ろうとも、何を祈ろうとも、それはあまり関係ない。
 神という存在はヒトには理解できない存在なのだろう。あるいは、ヒトには理解できない価値感があるのかも知れないがな……ただの気まぐれだと言い張る者もいる」
 ピニャの感想を受けて、グレイは呻きながら額に流れる汗をぬぐった。
「神官連中の耳に入ったら大変なことになりますぞ」
「そうだろうな。何しろ、連中は神の御心の代言者として神殿にいるのだからな。その神の御心がなんだか理解できない、でたらめに近いものだなどと言ったら、神官連中の存在意義に関わる。そりゃあ反発されるだろう」
 多神教の世界では信仰の対象に正邪の別はない。異端審問の類もない。特定の神が嫌いになれば他の神に帰依すればいいのだ。だが、神官団という宗教組織が、政治と結びついて様々な力を有していることもまた確かである。いたずらに神を貶せば、それを理由に攻撃されたり嫌がらせをされることも起こり得る。
 結局の所、それは人のすることなのだが、信仰と結びついているから『それが神槌である』と詐称される場面も少なくないのだ。
「し、小官は、聞きませんでした」
 結構信心深いグレイは、ぶるぶると首を振って背中を向けて両手をあげてしまうのである。そんなグレイの背中をピニャは面白そうに笑うと、バリケードの隙間から外へと視線を向けた。
「おっ……来たな」
 再び目を門前に向けると、こちらに歩み寄ってくる魔導師の少女の姿があった。



十六



 イタリカの街。その門前は物騒な気配に充ち溢れていた。
 普段なら、荷車や馬車が行き交い、関税の手続やら行き交う商人の姿で賑わっている城門は無惨なまでに破壊されていた。代わりに木材や家具等、手当たり次第にかき集めてきたことがよくわかる適当な資材を山となるほどに積み上げて、来る者全てを拒む構えを見せている。
 三階建てビルに相応する高さを持つ石造りの城壁上には、守備の兵士達がずらりと並んで、石弓、弩、弓矢を構えてこちらに向けている。
 一度の発射で、何本もの矢を放つことが出来る機械式の連弩なども設置されていた。
 投げ降ろすためだろう、瓦礫とか石とかも山積みにされていた。
 また、通常なら武器とは考えることのない物まであったりする。例えば、火が焚かれてその上に大鍋が置かれ湯気をあげている。
 これが河原とか、山のキャンプ場ということなら、芋煮会でもしてるのかなと思うところであるが、それが城壁の上でとなると、のんびりとした食事の支度などでないことが直感的に理解できてしまうのだ。
「熱湯を浴びせられるのだけは勘弁して欲しいところですねぇ…」
 高機動車運転席の倉田のつぶやきを耳にして、伊丹は「聞いてないよ~」とか言いたくなってしまった。熱湯というのは、テレビの旧いバラエティ番組などでは捨て身ギャグ用小道具として扱われたこともあって軽視される傾向にあるが現実的には化学兵器並みに凶悪な代物なのだ。
 もし、その熱さによるショックで死ねなければ、かなり長い時間苦しみ抜くことになる。 全身の火傷による漿液性炎症は果てのない体液の滲出を引き起こして、結局のところ体液の大量損失を招く。これによって死ねないとすれば、さらに皮膚を失ったが故の細菌感染がおこり、壊死組織の腐敗、敗血症と徹底的に苦しみ続けることになる。万が一回復するとしても、ケロイドや組織の引きつり等の不自由と苦痛を一生背負うことになるのだ。
 実際に、あれが熱湯などではなく実は鉛を溶かしたものだと知ったら、伊丹は直ちに全力疾走で逃げるように号令してしまったかも知れない。と言うのも、伊丹は自殺の手段として、灯油をかぶって火をつけるという方法を選んだ者の姿を見たことがあり、その人物が生き残ってしまったが故に味わった苦痛の一部始終が彼の記憶の深奥に根太く刻み込まれていたからだ。
 イタリカの守備兵が手にする武器は、伊丹らのものと違って見た目にも鋭さとか、熱そうとか、いかにも切れそうとか、『凶器』と呼ぶにふさわしい禍々しさがある。
 テレビやドラマ、小説や漫画の中で『殺気』という言葉がよく出てくるが、現代社会に生きる伊丹はそんなものを感じ取ったことはない。ある種の武道の達人になれば察知したり、発することが出来るのかも知れないが、現実的にあるものと言えば、このように実際に目にしたものから連想される痛覚であり、痛いのは嫌だなぁ、熱いのも嫌だなぁというイヤ~な気分。そして警戒されてる、敵意をもたれているという気分の綯い交ぜになった感覚が、緊張を引き起こす殺気めいたものとして感じられるのである。
 この気分に負けた後ろ向きな心境を『臆病風に吹かれる』と言っても良いのかも知れないが、伊丹はそんな状態だったので…
「何者か?!敵でないなら、姿を見せろっ!」
 などと頭上から鋭く響く誰何の声を聞き取れずとも、その真意を語調から理解して、がばっと振り返り「お呼びでないみたいだから、他の街にしない?」とレレイに告げたとしても仕方のない話かも知れない。
「見たところ、街の人も忙しそうだし、この様子じゃぁのんびり商談ってわけにはいかないと思うんだよね。何と戦っているのか知らないけど、巻き込まれるのはゴメンだし。ボクとしては、我が身と君たちの安全安心を何よりも優先したいなぁって常日頃から心に留めているのだけど、どうだろ?」
「確かに、熱烈な歓迎ぶりっすねぇ」
 などと運転席の倉田はつぶやいて、桑原曹長は無線で「こちらからは手を出すな。敵対行動と見られるような挙動はするなよ」と緊張感を孕んだ口調で指示を下していた。2人とも、手にした小銃の筒先を油断無く外に向けている。
 しかし、レレイは相変わらずの無表情と抑揚に欠けた発音で「その提案は却下する」と告げた。
「でもさ、現実的に見てもこの門の様子じゃ、俺たち中に入れないけど」
「入り口ならば他に存在する。イタリカの街は平地の城市。東西南北の全てに城門があり、他が健在なら出入りは可能となる」
 実際に、城市の門が一つしかないというのは考えにくい話である。
「イタミ達は待っていて欲しい。私が、話をつけてくる」
 レレイはそう言うと、腰を上げた。それを見て「ちょっと待って」とテュカが止めた。
 テュカも伊丹同様に、なぜこの街にこだわる必要があるのかと尋ねた。伊丹のように臆病風に吹かれているわけではないが冷静に考えても、戦時下の街に入って利益があるとは思えないのだ。巻き込まれる恐れは十分……というより、街に入ったら完全に巻き込まれることになる。街側の人間として戦うことを強いられるだろう。
 レレイは答えた。「入れるかどうかは問題ではない。この場で、私たちが敵ではないことだけは理解させておきたい。このまま立ち去れば、私たちが敵対勢力だと誤認される恐れがある。後日この街を訪れるにしても、他の街に行くにしても、そういった情報が流布すると、今後の活動に差し障る」
「でも、あたしたちの都合に、この人達を巻き込むことにならない?」
 テュカはそう言って、伊丹や黒川達へと視線を巡らせた。
「この人達は、何も求めずにあたしたちを助けてくれているのよ。そんな人を危険なところに巻き込むわけにはいかないでしょう?」
「だからこそ行く。私たちはイタミ達に恩を受けている。私たちの都合でここまで来て、イタミ達が敵と思われたり、評判が落ちるのは私の求めるところではない」
「イタミ達のため?」
「そう。この特徴的な乗り物の主は、イタミ達をおいて他はない」
 こう言われるしまうと、頷かざるを得ないテュカであった。
「大丈夫。商用で来たことを告げて、事情を確認するだけだから問題ない」
「わかったわ。でもそういう理由なら一人で行かせるわけにはいかないし、外に出るなら、矢除けの加護が必要よ」
 テュカはそう告げると、精霊語による呪文を唱え始めた。
 すると、ふと、風がそよいだような気がする。
 そうしておいて、レレイ、テュカ、そてしロゥリイの3人が車外へと降り立ったのである。
「イタミ達は待ってて」
 再度告げて、三人は、ゆっくりと城門へと歩み寄っていった。
 守備兵達の構える弓矢や弩銃の尖端が、ゆっくりと動いて彼女たちを追尾している。
 これを見守る伊丹としては、いくら「待ってて」と言われたにしても気分が良くない。なんとなく「大人として、男として、自衛官として、人としてどうよ」という文字が、彼の脳内スレッドに次々とageられていくのだ。
 しばしの逡巡。
 伊丹は憶病に徹してガタガタブルブルと震えていることもできないと言う意味では、ヘタレであった。要するに見栄とか、虚栄心とか、そういった類のものをちゃんと持ち合わせているのだ。
 もちろん、一般の大人はそれを「見栄です」とは言わず、任務とか、義務とか言い換えて自分を騙そうとするのだが、伊丹自身はそういうところは素直なので、平気で「俺、恐ぇのは嫌なんだけど、みっともないのも嫌だよなぁ……」などと呟いてしまうのだ。
 そして盛大な舌打ちの後に六四小銃を車内に残し、とっても重たい防弾チョッキ2型の襟をしっかりと寄せつつ車外へと降り立つのであった。
 ちなみに、彼らの個人装備はイラクPKOに準じている。彼の腿には拳銃が下がっているので武装してないわけではない。小銃を置いたのは、外見的に武器っぽく見えるものは持たない方がいいだろうなぁと思っただけである。
「俺も行ってくるわ。っていうか、行かないわけにはいかないでしょう。と言うか行かせてくれ」
「誰も行くななんて言ってません」
 身も蓋もないセリフを口にしたのが誰かまではあえて言及しまい。ただ女声だったということだけは確かである。
 しばし、スの入った数秒が過ぎた後に伊丹は「桑原曹長、あとは頼んだよ。なんかあったらすぐに助けに来てよ」などと告げて、レレイ達の後を小走りに追ったのだった。




 ピニャは決断を強いられていた。
 確固たる判断材料がないままに、どうするべきかを決めなければならないのだ。それは賭博的要素の強い、決断であった。
「グレイ、どうすればいい?」
 歴戦のグレイをしても、ピニャの質問に対して明確な答えを出すことが出来なかった。誰も結果の保証などしてくれない。そんな状況で、判断を下さなくてはならない重圧が背中に重くのしかかっていた。『指揮官の孤独』と呼ばれる状態である。
 武器を構える兵士達は、皆ピニャの下す決断を待っている。
 弓を引き絞る弓兵の手が小刻みに震えている。
 農夫がフォークシャベルを抱えて待っている。
 剣を手にした兵士、街の住民達、すべての運命がピニャの判断にかかっているのだ。
 まず、エムロイの使徒たるロゥリィ・マーキュリーと、それに続くハイエルフ、魔導師は盗賊に与しているか否か?
 答え……否。否としたい。
 理由……もし当初から盗賊に与しているのなら、最初の攻撃から参加していたはず。そうしていればイタリカの街は今頃陥落していた。
 しかし、ロゥリィ達が最初から盗賊に与していたとは限らない。戦いに加わらず日和見を決めていて、あと一押しと見て参加したかも知れない。初戦に参加していなかったという理由はロゥリィ達が盗賊側に与してないと考える理由としては乏しい。
 そもそも盗賊でないとするなら、ロゥリィ達はこのイタリカの街に何の用で現れたのか?戦時下の街に尋ねてくる意味は何か?
 いっそのこと、ロゥリィ達の入城を拒否してしまおうか。だが、入城を拒否したことで彼女らを敵側に押しやってしまう畏れもある。
 それに、ロゥリィ達が敵でないのなら、ピニャとしては是非とも迎え入れたかった。
 もし、ロゥリィ達を味方に引き入れることが出来れば、心強い援軍となってくれるだろう。なにしろエムロイの使徒と、ハイエルフと、魔導師だ。兵士も、街の住民達も必勝を確信して奮い立つはず。
 自分が、兵士達に必勝を信じさせるようなカリスマに欠けていることは、ピニャは痛切に実感していた。
 もし、勝てると思わせることが出来なければ、きっと脱走する住民が出てくる。一人でも逃げ出せば、その後はもう雪崩をうって我先に逃げ出そうとするはず。そして統制がとれなくなり、結局盗賊達の思惑通りとなってしまうのだ。
 ロゥリィ達が何の用でここまで来たかは知らないが、彼女らを説き伏せることが出来れば住民達に「援軍が来た!」と告げることが出来る。
 いやいや、説き伏せている時間など無い。無理矢理、強引にでも味方にしてしまわなければならない。
 あるいは、入城を拒絶するかのどちらかだ。
 こうして、ぐるぐると思考が巡り決断のつかない状況の中で、ついに城門小脇の通用口の戸が外から叩かれた。
 息が止まる。
 そして、唾をグビと飲み込むと、ピニャは決断した。勢いだ。勢いで有無を言わせず、巻き込んでしまえ。巻き込むと決める。
 三本ある閂を引き抜くと通用口を、力強く、勢いよく、大きく開く。
「よく来てくれたっ!!」
 クワァバンッという鈍い音と妙な手応えに、ふと我に返って見る。するとロゥリィも、エルフの娘も、魔導師の少女も、通用口の前で仰向けに倒れている男へと視線を注いでいた。
 男は、白目を剥いて意識を失っているようだ。
 やがて彼女たちの、やや冷えた視線がゆっくりとピニャへと注がれる。
「……………もしかして、妾?妾なのか?」
 白い魔導師の少女が、黒い神官少女が、そして金髪碧眼のエルフ娘が、そろって頷いた。



    *    *



 事故であることは理解できるので、レレイも、ロゥリィも、ピニャを非難したり、怒ったりするよりも、まずは意識を失った伊丹を介抱すべく動いた。
 大の男1人分プラス装備によってずしりと重い体を、加害者の女にも手伝わせ城内へと運び込む。そして通気をよくするために衣服をゆるめようと試みた。
 まず兜らしき、かぶり物をとる。
 次いで衣服をゆるめようと思うのだが、布製と思っていた上着は金属のような硬い板が仕込まれた鎧であった。外見的にもそうだが、紐だとか、箱だとか、用途の判らない色々なものが身体のあちこちに装着されていて、どう手をつけて良いのかわからないので、とにかく襟元だけをなんとか開く。
 枕代わりにロゥリィが膝を貸し、テュカは伊丹の腰に手を回して、取り付けられていた水筒を引っこ抜いた。
 守備の兵士達も街の住民達も、「なんだ、どうした?何があった?」と寄ってきた。すでに緊張感がふっとんで、誰も彼も野次馬モードである。
 ピニャは「あわわ、はわわ」と動転しているだけで、何も出来ない。
 レレイは、とりあえず学んだ範囲で伊丹の様子を診察していた。
 瞼を開いて眼振の有無、口や鼻、耳を覗き込んで出血や損傷の有無、首や顔面、頭部等に触れてみて手で触れて判る範囲での外傷の有無である。これらに異常が無いことを確認して、初めてホッと息をついた。
 そうしておいて、ようやくピニャへと非難の視線を向ける。
「貴女、何のつもり!?」
 ところが、非難第一声はレレイではなくテュカのものだった。テュカは伊丹の頭に水筒の水をどぼどぼと浴びせながら、戸を開けるのにその前に人がいるかも知れないと、気を配るのは、ヒトであろうとエルフであろうとドワーフであろうと、ホビットだろうと知性を持つ者なら当たり前のこと。不注意に過ぎるとピニャを強く、とても強く非難した。
 激昂のあまり「まるで、コブリン以下よっ!」とまで言い放ってしまうという無礼をしてしまうのだが、自分の不注意が原因であることはピニャも重々承知しているので、身分が云々を別にして恐縮するばかりであった。そりゃあもう、皇女殿下に似つかわしくないほどの謙虚さである。
 誰かが強く怒っていると周囲の人間は一緒に興奮するか、逆に冷静すぎるまでに鎮静するかのどちらかである。この場合のレレイは冷静になった。そして、自分たちがイタリカの街の中に入り込んでしまっていることに気付いた。
 見ると、通用口は閉じられてしっかりと閂も降りている。
 見渡すと、守備の兵士とか街の住民とかが周囲をぐるりと取り巻いている。
 思わずロゥリィと視線を合わせる…が、黒い神官少女は面白げに微笑むだけであった。




 伊丹が意識を回復したのは程なくしてからである。
 いたたと、痛打した顎をさすりながら、目を上げると黒い神官少女ロゥリイの顔が逆さまとなって視野一杯に伊丹を覗き込んでいた。
 彼女の黒髪の尖端が伊丹の顔あたりまで降りてきていて、チクチクと痛い。
 この神官娘は容姿こそ幼いくせに、遊び慣れた大人の女性のような『話の解る悪戯っぽさ』をもっていて冗談とも本気ともつかない際どさを楽しんでいる様子が見受けられた。彼女の手が伊丹の頭を抑えるように、それでいて抱えるように彼女の膝の上に載せられている。そして、その瞳の奥にどういうわけか妖艶な女を感じさせられてしまう。
「あらぁ、気が付いたようねぇ」
 それは、この世界の言葉であったが、単語も覚えていたし状況からの推察も比較的しやすい。何よりも鈴の音のようなロゥリィの声が、とても聞き取りやすいのだ。
「ちゃんと、憶えてるかしらぁ?」
 伊丹は頷いた。
 目前で突如迫ってくる通用口の戸。顔面から顎にかけてを痛打して揺すられる頭。直後に真っ暗になる視界。どうやらしばしの間、意識を失っていたようだった。
 視野一杯に広がっている、ロゥリイの顔の外側……つまり周囲は、たくさんのヒトがいて伊丹を注視している。レレイの心配そうな表情も目に入った。
 ふと、テュカが誰かを口汚く罵っている……らしい声も聞き取れた。
 外国語と言うのは勉強に没入しているとある日突然、周囲のヒトの言葉が翻訳しなくても理解できてしまう時が来るらしい。脳の言語野で回路が形成されることでこういう現象が起こるのだが、どうやら顎を痛打して脳を揺さぶられたことがきっかけになったようだ。
 重たい防弾チョッキ2型を着込んでいるので、伊丹は少しばかり苦労しながら身体を起こす。
 なんでだか上半身はびしょびしょになっていた。
 誰かを怒鳴りつけていたテュカも、伊丹の様子に気付いたようで、興奮をおさめ「ちょっと、大丈夫?」と声をかけてきた。
「ああ、みっともないところを見られちゃったなぁ」
 伊丹は上衣のファスナーを挙げ、防弾チョッキのボタンを留めた。
 そして、レレイから鉄帽を受け取って被る。乱れた装備を装着しなおしていく。
 桑原曹長からの呼び出しが小隊指揮系無線機を通じて聞こえていたので、伊丹は胸元のプレストークスイッチを押して返答した。
『二尉、ご無事でしたか?心配しました』
「どうにかね。ちょっくら意識を失ってたみたいだ」
『もうちょっと返事が遅ければ、隊員を突入させるとこでしたよ』
 する必要もない戦闘を回避できたのは幸運とも言えるかも知れない。こんなロクでもない事故で、死傷者を発生させて要らぬ恨みを残すのは損以外のなにものでもない。桑原もそう考えていたからこそ、今まで待ったのだろう。捕虜となった味方の救出と、不必要な戦闘の回避。どちらを取るべきか、決断の強いられるところである。
「現況を確認して連絡するから、今少し待機していてくれ」
『了解』
「で、誰が状況を説明してくれるのかな?」
 伊丹は周囲の人々へと向かって告げた。
 ロゥリィは、テュカへと視線を巡らせ、テュカはレレイへと視線を巡らせる。レレイはピニャへと視線を巡らせて、ピニャは助けを求めるように周囲へと視線を巡らせる。最後に周囲の皆が、視線をささっと逸らせてピニャが取り残されたような、情けなさそうな表所になる。
 なんとなく温いというか、ほのぼのと言うか、…あえて言うならば、間抜けな雰囲気が漂っていた。



十七



 陸上自衛隊特地方面派遣部隊本部では、幹部自衛官……佐官級の部隊長達が集まって怒号にも似た激論が交わされていた。きっかけさえあれば、今にも掴み合いが始まりそうな勢いである。
 そんな部下達の様子を眺め見る狭間は、よっぽど溜まってたんだろうなぁと、しみじみと思う。
 陸上自衛隊特地方面派遣部隊では、多くの隊員が鬱屈していた。何しろ『門』のこちら側に来たとしても、することがないのだから。
 今、やっていることと言えば、拠点防御。そして少数の偵察隊を派遣しての情報収集・情報の整理・そして集められた情報に基づく運用方針、部隊行動基準の手直し等々と、幹部の机仕事ばかりである。
 拠点防御と言っても、実際の戦闘は大小併せても数回程で、今では敵対勢力の動きは全く見られない。と言うよりも無人の野になってしまったかのごとく、敵の姿そのものが見られなくなってしまったのだ。
 だから周辺の警戒警備と陣地の構築・補修整備が活動の中心になる。
 これにしたところで、陣地防御を担当する第五戦闘団が行うから、打撃部隊である第1と第四の戦闘団は、陣地内とその周囲で、地味な訓練ばかりの毎日を送っていた。
 ちなみに第二と第三は門のこちら側に来ていない。第六以降の戦闘団に至ってはまだ編成すら終了していない有様である。
 別に遅れているわけではない。防衛省の都合で『ゆっくりと』やっているのである。攻勢に入るわけでもないのに、今すぐ定員一杯動員する必要はないだろうと言う、背広組の考えだ。その背景には「お金の事情」があると言われてしまうと、文句も言えないのだ。
 そんな鬱屈している隊員達の耳に、「ドラゴンが出た」「ドラゴンと戦って、住民を救った」などという某偵察隊の活躍は、ある種の羨望のタネとして響いてしまった。
 本土にいて平和を満喫しているのなら、無為にも似た毎日を過ごそうとも、まだ耐えられる。だが、門のこちら側は戦場のはず。第五戦闘団に属する、特科や高射特科の隊員達は戦果を自慢し、普通科の隊員達は銃撃前の緊張と、引き金を引いた際の手応えについて熱く語る。施設科の隊員達は、野戦築城、滑走路の敷設等々と、作業服を泥だらけにしている毎日だ。
 任務を与えられ、活躍している連中が目の前にいると言うのに、それに比べて自分は……。その忸怩たる思いが、日々続く無為が、彼らを静かに、しかし確実に腐らせていた。そして、そんな隊員達と向かい合う幹部達にも、汚濁にも似た鬱屈は感染しつつあったのである。
 そこへ降って湧いたのが伊丹からの援軍要請だ。
 これを小耳に挟んだ幹部達は色めき立った。そりゃもう、大騒ぎとなってしまった。
 伊丹からの援軍要請の要点は以下のようなものだった。

 ①イタリカという街を含む地域全体が、ここ一ヶ月近く『敵武装勢力』の指揮系統からはずれた集団によって、略奪、暴行、放火、無差別殺害等の被害を受けている。伝聞情報ながら複数の集落が被害を受け犠牲者は多数に及ぶ模様。
 現在、第三偵察隊が訪問した市街地が襲われつつあるという状況にある。現地の警備担当者、市民が懸命な防戦に当たっているが、被害甚大。大規模な二次攻勢も間近である。
 市代表ピニャ・コ・ラーダ氏より当方に治安維持の協力依頼を受けた。為に支援を要請するものである。
 ②敵武装勢力の指揮系統からはずれた集団、通称『盗賊』は、『特地』におけるものとしては高度な装備を有し、騎馬、歩兵、弓兵等の兵種が確認され、数も六百を超える。魔導師と称される特殊能力者については不明。
 ③『盗賊』を取り締まることが可能な官憲組織が現地にはない。当該地域の行政機関代表フォルマル伯爵家の某(なにがし)が、上位機関に対して援軍を要請しているが、現地到着には最低でも三日を要するとのこと。

 これはすなわち、無辜の民を救うためにという大義名分の元、スカッと叩きのめすことの許されるとっても美味しい悪漢が現れたのである。ここはすなわち、欲求不満の解消もとい、経験値を上げるチャンス!
 こうして狭間陸将の元へと、佐官連中が半長靴の音を響かせながら、怒濤のごとき勢いで集まったのである。
 最早、議論にらちが明かないと見たのか、「是非、自分にやらせてください!」と狭間に決断を求めて来たのは、加茂一等陸佐/第一戦闘団長であった。
 第一戦闘団は打撃部隊として、普通科の一個連隊を基幹として特科、高射特科、戦車、施設、通信、衛生、武器、補給等の各職域を集めた連合部隊である。戦闘団と言うのは聞き慣れないかも知れないが、普段は訓練と管理しやすいという理由で職域(兵科)別に編成されている部隊を、実戦に即した形に組み直したものと考えていただければよい。
「自分の、第一〇一中隊が増強普通科中隊として、すでに編成完了しています。呼集もかけましたっ!直ぐにでも出られます」
 加茂一佐の後ろから柘植二等陸佐が、はた迷惑なことを言い放ちながら、一歩進み出た。どこの誰に何がはた迷惑かというと、実際に出ることになるかどうかわからないと言うのに呼集をかけられた隊員達にとって、である。今頃、完全武装をして営庭に整列するべく走り回っていることだろう。
「いいや、ダメだ。地面をチンタラ移動してたら、現地への到着に時間がかかりすぎる。その点オレの所なら、すぐにたどり着ける。隊長、是非私の第四戦闘団を使ってください」
 健軍(けんぐん)一等陸佐が、一歩進み出た。第四戦闘団は、ヘリによる空中機動作戦を旨とした戦闘集団…米軍で言うところの空中騎兵部隊たることを求めて編成された。
「ちゃんと大音量スピーカーと、コンポと、ワーグナーのCDを用意してあります」などとほざいたのは四〇一中隊の用賀二佐である。「パーフェクトだ用賀二佐」などと健軍が誉め讃えている。健軍も同行する気満々のようだ。
「…………」
 狭間は右手の親指と人差し指で眉間を摘むとマッサージした。
 いったいどうしちゃったんだろう、こいつらは…キルゴア中佐の霊にでも取り憑かれたのだろうか、などと思ったりする。脳みそまで腐ったんだろうか。
 とは言っても、速やかに援軍を送らないといけないのも確かなのだ。となれば、足の速い第四戦闘団が適している。
 決して、キルゴア中佐の霊に取り憑かれたわけではない。それが現実的な理由だからと必要もないのに説明した上で、狭間は、健軍へと命令を下した。
 加茂一佐や柘植二佐を含めた他の佐官達は、この世の終わりとばかりに呆然と立ちつくす。喜色を隠さなかったのはもちろん、健軍と用賀だ。
「音源は、どこの演奏だ?」
「もちろん、ワルシャワ・フィルです」
 そんなことを言いながら去っていく2人を見送りながらも、数時間後に何が起こるのか、実際に目にしなくても、思い浮かべることが出来る狭間であった。
 AH・1コブラ、UH・1Jヘリの大編隊がNOE(低空飛行)しつつ、大音響スピーカーがハイヤ・ハー!ホヨトヨー!(Ho-jo to-ho!)とワーグナーの旋律を天空に響かせる。
 右往左往する盗賊集団。
 大空に現れたのは、死の翼だった。
 対空ミサイルが飛んで来るわけでもないのに、ヘリはフレアを撒きちらし、放たれた光弾は重力に牽かれて放物線を描く。それに続く数十条の軌跡はあたかも天使の翼のごとく白い。
 地元民はそれを見て、天使の降臨よ、戦女神の降臨よと畏れるだろう。
 AH・1コブラからロケット弾が発射され、大地を炎が舐める。
 天空から降り注ぐ銃火が、盗賊集団をなぎ倒していく。
 俯瞰する彼らの前に死角はない。隊員達は、大地に降り立つこともなく、機上から銃撃をもって盗賊集団の掃討を終わらせてしまうことだろう。
 それを目撃した現地の住民達は、その光景を黙示録として語るのだ。あたかも地獄のようであったと……。




 さて、後々に地獄のような黙示録を語らされることになる、イタリカの住民達は城壁や防塁の修理工事に精を出していた。

 エムロイの使徒、ハイエルフの精霊使い、魔導師ばかりでなく、噂に聞いていた『まだら緑の服を着た連中』が援軍として来たと知り、街の人々は勇気百倍。兵士達の士気も一気に盛り返したのである。
「炎龍を撃退した」と噂されるほどの実力をもってすれば、盗賊化した敗残兵共などどれほどのものだろう。もちろん『まだら緑の服を着た連中』は併せても十二名でしかないから、自分達も戦う必要はあるだろう。だが、苦しくなってもホンのちょっと我慢していれば、『鉄の逸物』を抱えた彼らが駆けつけてくれて、盗賊連中を追い払ってくれるのだ。それは安心感を与えてくれる。
 これまでの暗い絶望的な雰囲気は一掃され、人々の表情は希望と明るさに充ちていた。誰だって住み慣れた土地や家を捨てて逃げたくはない。守れるものなら、住み慣れた街を守りたいのだ。そして、伊丹達の存在は、そんな彼らの希望となる。
 住民達の眩しげな視線が、夕陽を背景に立つ伊丹達の背中へと注がれていた。




 ところが、伊丹がピニャに求められたのは南門の防衛である。
 彼女の説明によると、この南門は一度門扉を破られているという。
 前回は、内側にしつらえた土塁と柵で乱入を防いだのだが、乱戦となってしまい多数の被害が出た。現在住民達を動員して、この柵を修復し土塁の増強工事をしている。
 伊丹としては、城壁・城門の一次防衛ラインを固守するために、そちらに戦力を集中して対応すれば良いのではと考えるのだが、ピニャは、門と城壁で一度防ぎ、これを破られたら、内側の柵で防ぐという方法に固執していた。
 どうにも彼女は、城門が破られることを前提に戦術を構築しているかのように見えるのだ。
 援軍が来るまで持てば良いと考えている伊丹と、今しばらくの援軍が期待できないピニャとの立場の違いがそうさせるのか、あるいはもっと違う何かか?
 伊丹達は城門上に集まると、夕焼けによって茜色に染まりつつある中世ヨーロッパの都市を思わせる石造りの美しい街並みを俯瞰した。
 地方都市とは言えイタリカは人口五千人を越える。テッサリア街道とアッピア街道の交差点を中心にして、街道に沿う形で商店や宿場が軒を連ねて東西南北に列ぶ。そしてその背後に各種の倉庫街、馬小屋、商家などの使用人の住宅などが列んでいるのである。
 北側の森には、ひときわ大きなフォルマル伯爵家の城館があり、その周辺には豪商の邸宅があって、いわゆる高級住宅街を形作っている。
 これらの街並みと若干の森を取り囲む形で、東西南を石造りの城壁が取り囲んでいた。北面の守りは切り立った崖が自然の城壁代わりだ。街道の延びる谷間にだけ城壁が設けられている。
 そのままぐるりと振り返って、外側へと視線を向ける。地平線まで伸びていく街道。農耕地や、牧草の生えた休耕地、灌木、林、そして掘っ建て小屋のような家が数軒。そして、その向こう……。
 伊丹の双眼鏡には、既に盗賊側の斥候が捉えられていた。騎馬の敵が数騎…ゆっくりと移動している。守備側の備えの確認をしようと言うのだろう。
 さらにその遠方、地平線近くには、盗賊本隊の姿も見えていた。
「敵の攻勢を、真正面から受けることになりますねぇ」
 桑原曹長の言葉に伊丹は頷く。確かにその可能性もある。
 包囲攻撃という選択肢は、盗賊側にはない。
 この街を六百弱程度で包囲するには絶対的に数が足りないし、攻め落とすのに時間がかかってしまう。これでは盗賊行為には不向きである。同じ理由で穴を掘っての侵入とか、平行壕を掘りつつ近接すると言う戦術もとれない。
 とすれば盗賊の攻撃は、攻め口を決めての強襲しかない。ただ、強襲は数を頼んでの力攻めではなく、攻める側の有利を利用したものとなるだろう。
 攻める側の有利とは、いつ、どこを攻め口とするかを自由に決められることにある。この自由を利用して、陽動をかけて一箇所に防備に集中させ、手薄になったところを襲うと言う手が一般的である。
 その際の攻撃目標は、陽動にしろ、主攻にしろ脆弱な場所が対象とされるはず。
「なるほど、南門の守りをことさら少な目にして二次防衛にこだわるのは…」
 長い防衛線のなかで守りの脆弱な部分をつくることで、敵の攻撃箇所を限定したいのかも知れない。
 そうして考えれば彼女の作戦も理解できる。
 前回の戦いも、守りの薄い場所をわざと作り容易に突破できると錯覚させて、敵が全面攻勢に入ったら一歩引いて守りの堅い二次防衛ラインで消耗戦に持ち込むというものだったのだろう。実際に、敵側も容易に城門が破れたために主力を突入させたら、実は内部の守りの方が硬くて、消耗を強いられ退却せざるを得なかったようだ。
 守る街の大きさに比べて、攻める側も守る側も戦力が少ないから、どうしてもこういう戦い方になってしまうのだろう。
 脆弱な南門にことさら伊丹達を配するのも、少人数の伊丹達を囮として敵前にぶら下げ、ここを決戦場とするつもりなのだ。それに気が付けば、城門の内側の柵と土塁の補強に彼女が熱心なのも理解できると言うものだ。
「とは言っても、敵が二度もその手に乗ってくれるかな?」
 である。
 敵だって、一度失敗すれば考える。ことさら守りの薄い場所を素直に攻めるだろうか?
 それに、この戦術には重大な問題が孕んでいるのだ。
「古田!機関銃、ここ」「東、小銃はここだ」
 桑原曹長が、隊員達の配置と担当範囲を次々と決めていく。
 隊員達は石造りの鋸壁の谷間に、二脚を起こした六四小銃を置いた。
 概ね三階建ての建物の高さから、見下ろすようにして撃ちまくることになる。近づかれてしまえば敵側から放たれた矢がこのあたりにも降り注ぐだろうから、矢の射程外にFPL(突撃破砕線)をひくことにして、それぞれに何か目印となる地物を探させる。
 陽が完全に没するまであとわずか。栗林が、隊員達に個人用暗視装置を配って歩いている。黒川は車両・装備の留守番だ。
 農具や棒などを手に集まった市民達は、伊丹達からの指示を不安そうに待っていた。そこへ仁科一曹が歩み寄ると、単語帳片手にたどたどしい言葉と、両手を開いたり、土を掘るまねをしたりの身振り手振りで麻袋に、土を入れて運んで来るように指示していた。
 他には燃え草となる木製の物や、篝火などの設備についても片づけさせている。住民達は夜になろうとしているのに、「灯りはいらないのか」と首を傾げつつも作業に取りかかった。
 こうして、自衛官達が準備を進めていくのをレレイやテュカと共に眺めていたロゥリイは、伊丹が鉄帽に個人用暗視装置の取り付け作業をしている背中に向かって尋ねた。
「ねぇ?敵のはずの帝国に、どうして味方しようとしているのかしらぁ?」
「街の人を守るため」
 するとロゥリィは破顔した。
「本気で言ってるのぉ?」
「そう言うことになっている筈だけど」
 伊丹のおどけたような言い方に、ロゥリイは「お為ごかしはもう結構」と肩をすくめた。
 帝国は、伊丹達にとって敵なのである。
 敵の敵は味方という考え方からすれば、ここは盗賊の味方をしてもおかしくないところだ。なのに伊丹達はそれをしない。
 ピニャは帝国の皇女として、フォルマル伯爵家を守っている。その為にイタリカを守ると、それに協力しろと伊丹らに交渉と言う名の命令をしてきたのである。
 その場にはロゥリィも同席していたが、あんまり気に入らない態度だったので、出て行ってやろうかと思ったほどだ。
 だが伊丹は「イタリカの住民を守る」ことには同意した。形の上でイタリカを守るという目的が一致する。だから共闘することとなったのである。
 だが、敵国の皇女たるピニャの指揮を受け容れる意味がわからない。現に、苛烈な攻撃を受けることが予想される南門で捨て駒にされている。
 伊丹は不器用なのか、暗視装置がうまく鉄帽に固定できないようであった。「気になる?」と問いつつロゥリイに鉄帽を保持してもらって、両手で装着していく。
 背丈の差があるため、それは遠目にはロゥリイに祈りを捧げるために、伊丹が頭を垂れているかのように見えなくもない。
「エムロイは戦いの神。人を殺めることを否定しないわぁ。でも、それだけに動機をとても重視されるの。偽りや欺きは魂を汚すことになるわよぉ」
 作業を終えた鉄帽を、伊丹がロゥリィから受け取ろうとする。だが、ロゥリィは伊丹に手渡さずに、自らの両手をさしのべて伊丹の頭に載せようとした。
 伊丹は首をくぐめてロゥリイに鉄帽を載せて貰う。ロゥリィの疑問に対しては、唇をゆがめる。どうやら笑ったようだ。それがロゥリイにはことさら意味ありげに見えた。
「ここの住民を守るため。それは嘘じゃぁない」
「ホントぉ?」
「もちろん。ただ、もう一つ理由がある…」
 ロゥリィは、真実を見極めようとしてか伊丹の目を覗き込んだ。
「俺たちと喧嘩するより、仲良くした方が得かもと、あのお姫様に理解して貰うためさ」
 ロゥリィは邪悪そうに微笑んだ。伊丹の言葉を彼女流に理解したのである。
「気に入った、気に入ったわ。それ」
 お姫様の魂魄に恐怖と言うもの刻み込む。わたしたちの戦いぶりを余すことになく見せつける。「自分は、こんなのを敵に回しているのだ」と身体が震え出すぐらいに。そうすれば、喧嘩するより仲良くしたいと思うことだろう。
「そう言うことなら、是非協力したいわぁ。わたしも久々に、狂えそうで楽しみぃ」
 ダンスの相手に挨拶するかのごとく、ロゥリイは黒いスカートを摘んで優雅な振る舞いで頭を下げるのだった。




 戦闘は、夜中過ぎから始まった。
 それは日の出まであと数刻という頃合いを見計らって攻撃だった。
 深淵のような暗闇の向こう側から、盗賊側弓兵による火矢が『東門』に降り注ぐ。
 東門の防衛を任されていたのは、正騎士ノーマ・コ・イグル。
 ノーマの指揮にて、警備兵や民兵による反撃の弓射が行われる。民兵と言っても、矢が弾ければいいと言う理由で動員された、これまで弓を手にしたこのもないような農夫や若者だ。当たることなど最初から期待されてない。だが、そんな彼らの矢も敵を牽制するには有効だったし、ごく希に当たることもある。
 しばらくの弓射戦が続く。
 互いに兵士が、農夫が、そして盗賊に身を落とした兵士達がうめき声を上げながら倒れていく。
 すると弓兵の間隙を縫うようにして、堅牢な楯を並べ鎧で身を固めた歩兵が城壁ににじり寄ってきた。様々な国の軍装を纏い、楯の大きさも形も、円形あり方形あり。その出身の多国籍さを感じさせる盗賊達である。
 これに対して、腕まくりした商家のおばさんや、年長の子ども達が石を投げ岩を落とし、溶けた鉛や熱湯をふりまいた。当たるかどうか解らない矢よりも、これらの方がはるかに効果的で、破壊力があった。
 壁の下では、頭上に掲げあげた楯で壁をつくった盗賊達が、降り注ぐ雨のようなこれらを避けつつ城門へとたどり着く。寄せ手は矢に傷つき、岩に押しつぶされ、石礫を頭部に受けて昏倒し、そして熱湯にのたうち回るが、それでも退くことがない。
 まるで、アルヌスを落とせなかった恨みをここではらそうとするかのごとく執念を見せて、城門に取りいた。巨木を攻城槌として、城門を叩き始める。
 盗賊達……彼らにとってアルヌスで戦いは『戦争』ではなかった。敵の姿も見えず、何が起こっているか理解できない内に、一方的に味方だけが倒れていくという理不尽さに歯噛みし、自分達が相対するのはこんな敵だと教えてくれなかった帝国を憎悪し、自分達を無駄な死へと追いやるだけだった無能な将帥を罵倒しつつ、泥水をすすり、しがみつくようにして生き残ったのである。
 指揮官を失い、僚友を失い、所属する軍を失って補給もなく、食糧もなく、荒野を彷徨した彼らは、盗賊と呼ばれる身に落ち故郷を失った。やがて同様な境遇の者が集まって、数を増し、ここまでに至ったのである。
 帝国に対する意趣返し、そんな逆恨みにも似た暴力的な思いだけが彼らを駆り立てていた。要するに、八つ当たりであった。
 これが戦争。剣で敵を切り、矢を撃ち合い、火をつけ、そして馬蹄で蹂躙する。
 これこそが、戦い。犯して、奪って、殺して、殺される。
 これこそが戦争。血湧き肉躍る戦争を味わおう。
 そう、既に彼らは戦争そのものが目的となっていた。自分たちの戦争。自分たちの満足のいく戦争。わかりやすい殺戮と、わかりやすい自分の死。死んでいった戦友達が味わうことの許されなかった贅沢な手応え。刺し、斬り、刺されて倒れると言う肉の感触に充ちた戦争。敵の温かい血を浴びて、冷たい大地を抱擁しながら息絶える。それを味わうためだけに、彼らは前に進んでいた。これが無ければ、彼らの戦争は終わらないのだ。
 何本もの梯子が城壁にかけられる。
 これを、楯を構えた盗賊達がわらわらと昇る。飛んでくる矢を避けるために、楯をハリネズミのようにしながら兵士がいよいよ城壁上へとたどり着く。
 勇敢な農夫が、矢を受けながらも斧を振るって梯子をたたき折る。兵士達は、その農夫の勇気を賞賛の思いで弓撃った。「おみごとっ!」と喝采しながら農夫を殺す。
 支えを失った梯子が、兵士達と共に地面へと倒れていき、激しい衝撃で人の形をしたものが、ゴミのようにまき散らされた。農夫もそれを追うようにして大地へと、抱きついていく。
 大地を叩く衝撃とともに、歓声が上がった。
 それはあたかも祭りのごとき陽盛な狂乱。剣で楯を叩いて、兵士達がそれぞれの言葉で歓呼の声をあげた。
 これこそ、戦いの神エムロイへの賛歌。戦いの熱狂こそエムロイに捧げる供物。戦いの篝火は、死んでいく戦士達の霊魂を燃料として燃え上がる。
 火矢の炎は城壁の鐘楼を包み、闇を背景に周囲を赤々と照らしていた。




 使徒、ロゥリイ・マーキュリーはしばし耐えていた。両の腕で自らを抱きしめて耐えた。
 額に汗を流して耐えていた。
「な、なんで?」
 周囲に漂う戦いの魔気が、彼女の肉に染みる。精神を犯す。
「ここに攻めてくるんじゃなかったのぉ?」
 戦の炎が心を焦がし、腹中の底から沸き上がる甘美な衝動が、脊柱を突き抜くように駆け上がる。
 これに耐えかねて腕が、脚が勝手に動きだす。魔薬に酔った巫娼のように猛り舞う。
「あっ、くぅ」
 内からあふれ出る快感に狂い絶頂が彼女を貫いた。闇を背景に黒い亜神が身を捩った。それはあたかも舞い踊るかの様にも見える。
「大丈夫なのか?」
 ロゥリイの狂態に驚いて伊丹が駆け寄ろうとしたが、レレイとテュカに止められる。
「彼女は使徒だから…」
 よく解らないが、それがロゥリイが煩悶に苦しむ理由らしい。
 レレイは告げる。
 戦場から離れていてもこれだ。離れているからこそこれで済む。だが、もし彼女が戦場の真っ直中にいたらどうなるか。
 敵と見なした者を、衝動的に殺戮して回る。そうしないわけには行かなくなる。これを押しとどめることは誰にも、彼女自身にすら不可能なのだ。
 レレイの説明に、慄然とする伊丹であった。




「盗賊なら農村あたりを襲ってればいいんだ!城市を陥そうとするとは、生意気な!!」
 騎士ノーマはそう怒鳴りつつも気付いた。こちら側の矢が当たってない。いくら、こちらが素人ばかりにしても、飛んでいく矢の軌道が微妙に目標からそれるというのもおかしな話なのだ。まるで風の守りを受けているとしか思えない。
「まさか、敵側に精霊使いが?」
 ノーマは剣を抜いて城壁上へとたどり着いた盗賊、南方兵を一刀のもとに斬り伏せた。斬られた兵士が、壁から転落して大地へと叩きつけられる。
 だが、すぐ後に北方の斧を手にした髭面の盗賊がノーマへと斬りかかってくる。
 これを剣で受けると、その後ろから槍を抱えた盗賊が、その後ろから棍棒を抱えた敵が、モーニングスターを抱えた敵が、双剣を手にした敵が、半月刀を手にした敵が次々と守備の兵士や民兵達に襲いかかった。それは、洪水を手で防ごうとするようなものだった。ノーマは瞬く間に敵の群れに飲み込まれてしまった。
 次から次へと溢れ出てくる盗賊達。その勢いにイタリカの住民達は押しまくられ、後ずさり、留まることが出来なかった。




 ピニャの作戦は、当初より微妙な齟齬を見せていた。
 一次防衛線である城門が破られることは織り込み済みだった。でも、崩れ始めるのが早すぎるのである。すでに、城壁上が戦場となって、警備兵や民兵が駆逐されつつある。
「味方がもろすぎる。士気は上がっていたはずなのに」
 敵はこちらの計略を警戒して、もっと慎重に攻めて来るはずだった。
 だが、ふたを開いてみれば、敵に慎重さなど影も形もなかった。
 戦術も計略も関係ないとばかりに、ただただ攻め寄せてくる。いかにも戦慣れした敵兵が、勢いに任せてひたすら突き進んでくる。
 そして、これを受ける民兵も警備兵も、最初から腰が引けていた。そのせいか、ピニャが期待したほど敵を拘束できず、消耗させることも出来ていない。
 だが、全体的な状態としては、まだ作戦どおりと言えなくもない。
『現実は、頭で考えることとは違う』……この言葉を、言葉として知っているだけのピニャにとって、現実と予定が解離することはあって当然と位置づけられていた。だから、何故、自分が計画していたことと異なって行くのかという事に考えを巡らせることが出来なかったのである。
 なんとなくの違和感、奥歯に物の挟まったような感触を感じながらも、ピニャは敵の主目標が東門であるとみなし、予定通り主戦力を東門内側に作り上げた防塁へと移動させることにしたのだった。
 東門も、南北と西の門と同じく、内側に防塁と柵を並べて二重の守りが形成されている。
 二重の守りと言えば聞こえがよいが、最初の守りは突破されることを前提にした、いわば捨て駒の消耗品扱いと言うことだ。
 最初の戦いでは、市民達はそのことを理解できなかった。だが、今となってみればわかる。城門の守りにまわされた市民や兵士は最初から見捨てられているのだ。そのことに気付いて頑張り続けられる人間がどれほどいるだろう。
 城門の後ろに作り上げた土塁と柵。そこにどんどん味方が集まって来るのに、彼らはそれ以上前に出て来てくれない。今ここで苦しい思いをしている自分達が、ここで殺されるのを見ているだけ。それを見て絶望しない者がどれだけいるだろうか?
 自棄になって無闇に剣を振るう者もいたが、そんな力は続くものではなく、たちまち切り刻まれて倒れてしまう。
「まだら緑の服を着た連中は?援護は?」
 彼らが来るはずがない。だって、彼らも捨て駒として南門に配されたのだから。
 こうして、最後の一人が倒れるまで市民達は城門の殺戮を眺めることとなった。
 東門を占拠した盗賊達は、そのまま内部へと乱入してくると思いきや、そうは振る舞わなかった。剣で槍で天を突き上げ、数回の歓呼を上げる。それは、読んで字のごとくの『血祭り』であった。そして、ゆっくりと城門が開かれて、外から騎馬の兵が招き入れられる。
 馬蹄の音と共に現れた騎馬兵は、城壁から落下した民兵や守備兵の遺体を引きずっていた。彼らは、城門内へ向かって市民の遺体を投げ込み始める。
 石を投げていた子どもや、おばさんの遺体が放り込まれる。
 農夫や職人の頭が投げ込まれる。切り刻まれた身体の一部が投げ込まれる。
 敵が勢いに任せて攻め込んでくるのを待っている市民達の前に、彼らの友人や親戚、親や子の死体が山積みにされていった。
 柵を挟んで対峙する市民達は、歯噛みして泣き、わめき、絶望する友人を支えた。そんな彼らを盗賊達は嘲笑する。
 罵声を浴びせる。
 柵に籠もって出てくることの出来ない臆病者と罵った。
 死体を人形遊びの道具のように弄んだ。
 ただの農夫・商人に武器を持たせただけの民兵が、これを見てどうして耐えられるだろう。
「こんちくしょうっ!!」
 血気盛んな若者がフォークシャベル片手に柵を飛び出していき、それを留めようとした者、一緒に駆け出す者が防塁から飛び出してしまった。後は、誰も彼もが勢いにつられて飛び出していく。
 こうして城門内の戦いはピニャの意に反して始まり、彼女の作戦は破綻したのである。




 嬌声あげるロゥリィの苦悶は、次第にその度合いを上げているようであった。
 息を切らせ髪を振りみだし、身体を弓のように反らせる。頭を掻きむしるようにして抱え、悩ましげに啼泣する。両の脚で床を踏み蹴る。
 熱に魘されたように喘ぎ、爪を立て表情をゆがめて、呪いに絡め取られ、舞うことを強いられた操り人形のごとく、身体を震えさせ、痙攣させ、そして手足を振るう。
 自らの意思で止めることが、停めることが出来ないのだ。呪いの舞い。狂気の舞い。だが、同時に美しく、麗しいダンスのようでもあった。
 レレイの説明によると、戦場で倒れていく兵士の魂魄が彼女の肉体を通してエムロイの元へと召されていく。その魂魄の性質、戦いの気質にもよるが、それは亜神にして神官たる彼女にとって魔薬にも似た作用をもたらすらしい。
 いっそのこと狂いきってしまえば楽になる。狂乱に身を任せてしまえばよい。だが、狂いたいのに狂いきれない、狂うことが許されない。今ひとつ突き抜けることの出来ないもどかしさが、彼女を責め苛み、苦しませている。
「ダメょ、駄目、ダメなの。このままじゃおかしくなっちゃう!!」
 咽の奥からの絶叫。彼女の声を背中で聞いていた戸津が、「やべーよ、勃っちまった」と呟いた。
「言うな、俺もだ」
 ペドフィリアの気など全くない彼らに何を連想させたかは言うまでもないことである。律動的に身を震わせるロゥリィの声は、それほどに艶めいていた。
 さすがに、女性として思うところもあってか栗林が伊丹に「まずくないですか?」と声をかけてきた。テュカも、赤らんだ頬を掌で押さえている。レレイはよくわかってないのか、きょとんと冷静な様子。
 伊丹は、深々としたため息をもって答えとする。
 ここは敵味方からすでに忘れ去られたかのようである。敵の姿はまったく見えないし、味方からの連絡もない。故に東門の状況を把握することもできない。
 アルヌスからの援軍が到着するのもそろそろのはず。攻撃誘導もしなければならないから、誰かを送り込む必要はあるのだ。
「栗林っ!」
 栗林が「はいっ」と返事して一歩進み出た。
「済まないが、ロゥリイに付いてやってくれ。男だと色々まずそうだ。あと、富田二等陸曹と俺。この四人で東門へいく。桑原曹長、後は頼む」
「ロゥリイ、いくよっ!少しの間、辛抱して!」
 栗林のかけた声に、ロゥリィはハッシとしがみつく事で応えた。だが、最早ロゥリィは待っていることが出来なかった。
 ロゥリィはビル三階ほどの城壁から軽々と飛び降りると、東に向かって脱兎のごとく走り出す。
 伊丹達は、城壁を駆け下りると手近なところにあった七三式トラックに乗り込んだ。富田がエンジンをかける。エンジンの咆哮とともに彼らはロゥリィの後を追うのだった。




 薄暮に覆われた空を、AH・1コブラの三機編隊を先頭にして、UH・1J等のヘリコプターの集団が飛んでいた。
 空気を切り裂くローター音。
 薄闇に覆われた大地が、下方を流れるように過ぎ去っていく。かなりの高速で移動しているのがわかった。
「健軍一佐!あと五分で現地到着です」
 コ・パイからの報告を、健軍は頷いて受けた。
 用賀二佐が、「3Rcnからの報告によると、すでに東門の内部で戦闘になっとるそうです。段取りとしては、東側から接近して城門と、門の外側の目標を掃討していこうと思っとります」と報告する。
 健軍は、これも頷いて受け、一言「二佐に任せる」とだけ伝えた。
 機内の隊員達も、小銃に弾倉を装着していた。
「あと、二分!!」
 用賀は、そう言いながらコンポのスイッチを入れた。
 ボリュームを最大に調節し、再生のボタンを押す。
 管弦の音色が流れ始めた。
 木管の軽快なリズムの盛り上がりは天馬の疾駆、主題となるメロディが続いて、軽快なラッパが高らかに鳴り響く。
 それは、八騎の戦女神をイメージしたものだった。
 小銃の支度を終えた隊員の一人が、お約束に従って被っていた鉄帽を腰の下におく。それを見た同僚が尋ねた。
「何やってんだ?」
「タマをまもるのさ!!」




 剣を叩きつけられて、血しぶきが飛び肉片が舞う。
 人体の頭部が、浜辺のスイカのようにたたき割られ、撃剣の音が、建設工事の現場のごとく響いた。
 絶命の叫び。苦痛に呻く泣き声。
 怒りの怒号。裂帛の気合い。
 ラッシュアワーの駅のごとく、人の群れがぶつかり合う。
 誰も彼もが、周囲の出来事に気を払うことが出来なくなり、ただ敵が視野に入れば、剣を槍を振るう。腰砕け、地を這いながら敵の居ないところへと隠れ、逃れようとする者もいる。だが、騎馬の馬蹄に踏みつけられ、つぶされていく。
 そこかしこに散らばる死体、遺体、遺骸、屍体。石畳の地面は赤黒い血をもって塗装され、敵も味方も区別無くその身に血を滴らせていた。
 だから遠くで、空気を叩く音が響き始めたことに気付かない。
 どこからともなく、ホルンの音と共に、女声による歌声が天空を駆けめぐっていることなど誰も気にも留めなかった。
 ところが、時が停まった。
 土塁を、柵を飛び越えて彼女が降り立ったその瞬間に。
 人馬を蹴倒して、敵も味方も問わず彼女の周囲からはじき飛ばされ、周囲にぽっかりと穴が空いたかのごとく、疎なる空間が産まれた。
 その瞬間に全てが停まった。
 その破壊力と、衝撃に音が止み、戦いの喧噪が途絶える。空間を支配するのはオーケストラの調べ。

「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 突如現れた真っ黒な何かに、衆目が集中する。

        「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 それはフリルにフリルを重ねた漆黒の神官服を纏った少女。

                「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 彼女は、両膝を地に着けていた。
 彼女は、左手を大地においた。
 彼女は、後ろ手に回した右腕に、鉄塊の如きハルバートを握っていた。
 彼女は、伏せていた顔をあげる。神々しいまでの狂気を湛えた双眸を正面へと向ける。その黒髪は、凶々しいまでの神聖さで白銀のように輝いていた。
 その瞬間、ファンファーレを背景とした女神の嘲笑と共に、城門は爆発し炎上した。



十八



 UH・1Jの三機編隊が、門外の盗賊に対して銃撃を浴びせつつ上空を通過する。
 通り過ぎる際には、お土産よろしく手榴弾を投げ落として行くと言う丁寧さは用意周到・頑迷固陋とまで言われる陸上自衛隊の性格を態度で表している。
 攻撃は、多方向からの波状攻撃によってなされていた。
 東から西へ、それが過ぎると今度は別の編隊が南東から北西へ向けて、さらに北東から南西へ、旋回して再び攻撃位置へ…次から次へと、左右から、前後から連続して停滞することない銃火に大地はムラ無く塗りつぶされ、動く標的は確実に殲滅されていった。
 盗賊達は、蜘蛛の子を散らすように走った。懸命に走ったつもりだった。だが、走ろうが騎馬だろうが、逃れられる余地はない。
 殺し、奪い、犯し、焼き払った盗賊が攻守を逆さまにし、銃弾を受けて大地にひれ伏していく。
 ばらまかれる銃弾を受けて、次々とうち倒されていく。
 気丈な者が、弓を引いて矢を射かける。だが、上空にむけて放った矢に力はない。届かずに落ちるか、届いたとしても小石ほどの威力もなかった。
 機上の隊員の一人が小銃を構え、視野の周囲にぼんやりと見える照門の中央に照星を置き、これを盗賊の頭部に重ねた。ヘリの移動速度、盗賊の逃げる方向と足の速さ…。それらを加味してリードをとる。
「正しい見出し、正しい引きつけ、正しい頬付け。コトリと落ちるように…」と呟きつつ、重さを二.七キロで調節された引き金をひく。
 三発の発射。
 右の肩に発砲の衝撃を受け止めながら、薬莢を回収しないでよいという事実に不思議な感動を憶えていた。
 いつもの貧乏性にも似た注意が薬莢の行き先にむかうが、ヘリの床を転がった薬莢はそのまま地上へと落下し、倒れた盗賊の傍らへポトポトと落ちる。
 硝煙に燻された真鍮の筒は、飴色に曇って輝いてなどいなかった。




 戦士の躯を供犠として、燃え上がる炎。
 イタリカの城門は紅蓮の炎に包まれ、地平線から昇る太陽によって周囲は輝きと熱とに照らされた。
 完全武装の兵士が、ズタズタに引き裂かれていく。
 死神の羽音。鳥などの生き物と違って、もっと猛々しく、荒々しいはじけるような音の連続。
 鉛の豪雨が浴びせられ、大理石の壁は軽石のごとく穴だらけになっていった。
 馬にまたがり、咽を涸らすほどに指揮の声を挙げていたピニャも、突然のことに声を失い、呆然とした面もちで惨劇をその目に焼き付けた。
 回転する翼をもつ『鋼鉄の天馬』。それに人が乗って天空を我が物顔で往来していた。
 天空を舞う兵士と言えば、竜騎兵が有名だ。だが、ピニャが目にしたものは生き物のそれとは違う。もっと禍々しい別の何かだった。竜騎兵の攻撃は、もっと優しいのだ。弓や槍や剣は互いに敵意を交わし合うものなのだ。だが、これは違う。絶対的で一方的な拒絶であり、徹底的なまでに凶暴だった。
 『鋼鉄の天馬』が火を放つたびに、大地の何もかも、石も珠も問わず、あらゆる全てが破壊され、うち崩されていく。馬の頭部が爆発したかのようにはじけ、周囲の人を巻き込んで転倒する。

「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」

 死の交響曲。宮廷での生活で様々な音楽に接する機会があったが、ピニャはこれほどまでに、美しく荘厳な演奏を耳にしたことがなかった。ホルン、ファゴット、様々な管弦の音色と、歌手の大音声が戦場を満たし、死への伴奏を叩きつけていく。ベルリ○・フィルの名演奏をエンドレスに編集されたそれは、最も盛り上がる場面を繰り返し、繰り返しピニャの耳に流し込んでいた。

    「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」

 ピニャは、氷の剣を背筋に突き立てられたような身震いを感じていた。あらゆるものが一瞬のうちに、人の手で逆らうことの許されない絶対的な暴力によって、叩き潰されていく。感動、負の方向への感動と、正の方向へと感動。その入り交じった交錯が、彼女の肉体と精神をはげしく揺さぶる。

        「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」

 ピニャの魂魄が、左右からの鉄の連打を受けて打ちのめされる。
 人とはなんと無価値で、無意味なのかと、絶対的な無力感を突きつけられていた。

             「Hei-a ha!ーーーーHei-a  ha!ーーーー」

 これまで敵と言えば、等身大の存在であった。
 だが、それは明らかに違った。
 正視することの許されない、だが目をそらすことすら許されない何か。

「Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!

            Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!」

 ワルキューレの嘲笑と呼ばれる歌詞を歌い上げる女声に、ピニャは徹底的に打ちのめされた。誇りも名誉も彼女が価値あるものとして、頼ってきた全てのものが、一瞬のうちに否定された。
 意味のわからない歌声が、彼女にはこう聞こえる。
 なんと矮小な人間よ!
 無力で惨めで、情けない人間よ!
 お前の権力、権威など何ほどのものか。お前達が代を重ねて営々と築いてきたものなど、我らがその気になれば一瞬にして、こうだっ!!
 ピニャは涙を流しながら確かに、女神からの蔑みを感じた。と、同時に自分を遙かに凌駕する偉大なるものの存在を知った。
 強大なもの。
 まぶしきもの。
 彼女の心に沸き上がったのは尊敬であり、畏敬の念。
 そして、それら尊崇すべき存在が、自分とは全くの無縁であることの絶望。お前は決してそれらのようにはなれないのだと突き放してくる宣告。
 かつて、ピニャの将来を定めたと言える歌劇を見た時の憧れと感動が、この時ことごとく塗りつぶされしまった。




「やばいっ!ロゥリイの奴、敵の真っ直中に出ていきやがった!」
 伊丹のオタク的部分は、ロゥリィがとてつもなく強いと予測していた。
 だが、現実的かつ常識的な部分が、あの見た目が華奢で小柄なロリ少女が、強いと思えるのはどうかしてると、盛んに訴えていたのも確かなのである。
 そのためにどうしても心配になった。共に過ごした時間もそれなりにあるので情も湧いている。見捨てるとか放っておくという発想はどこを探しても出てこなかった。
 伊丹は、トラックを降りると「つけ剣」と自ら号令して小銃に銃剣を装着した。
 栗林も、富田も着剣している。銃剣の柄を掌底で2度叩いて装着を確認する。
 互いに見合わせて安全装置を『ア』より『レ』へと捻る。「はなれるなよっ」と告げて、前進を始めた。
 だが真っ先に、鉄砲玉みたいに突っ込んで行ったのは栗林だった。
 伊丹と富田は「ちっ、あの馬鹿女」と呟きつつも、距離をあけないように人垣をかき分けて懸命に追う。
「突撃にぃ、前へ!」
 目標を定めて数歩進み、小銃を構えて短連射。
 更に数歩走って、今度は腰だめに小銃を短連射。
 訓練に訓練を重ねて身にしみこませた動作が、繰り返された。
 盗賊の数人が、血しぶきをまき散らしながら倒れる。
 見ると、ロゥリィは舞うようにハルバートを振り、叩きつけ、ぶん回して、楯もろともたたき割って敵を蹴散らしていた。危うげな様子は少しもなく、軽快なヒップポップのような軽やかさだった。その周囲にはすでに屍体の山が築かれている。
 敵は楯を使って圧迫し、押し退けて突き飛ばそうとし、楯の上を越えて剣を突きだしている。楯の下縁りで脛を打とうとしてくる。だが、ロゥリィはふわっと身を退くと、大上段に構えたハルバートを叩きつける。
 それはあたかも薪割りのようで、楯ごと敵を二つに引き裂いた。
 背後に回り込もうとする敵には、鈍く尖った石突きが待っている。振り返りもせずに突き出されたハルバートの柄が深々と敵の腹部に突き刺さった。
 四方八方から同時に突き出される槍を、まるで棒高跳びのようにハルバートを支えにして中空に舞ってかわす。
 黒薔薇のように広がるロゥリィのスカート。徹底的に黒で固めたガータベルトとショーツ、そしてなめらかな曲線で描かれた美脚を冥土の土産と見せつけて、回転する勢いをそのままハルバートにのせて円を描く。
 プロペラのような旋風が、盗賊達の首を高々と跳ね上げていた。噴水のごとく吹き出す血潮。
 赤い雨粒をその頬に受けながら、風を斬り、鉄を斬り、肉を断つ。
 恐怖と憎悪と殺意を寄り合わせた力任せの大剣が、ロゥリィの頭上に振り下ろされる。
 だが、ロゥリィの清澄な眼差しが毛一筋ほど隙を見いだし、命を賭した渾身の一撃を空回りさせる。
 ロゥリィはスカートの縁を左の指先で摘みつつ闘牛士のそれに似た身のこなしで、猛牛のごとき突進をかわした。
 そこへ、これに栗林が加わった。
 喊声を上げながら銃剣による直突!ロゥリイを背後から襲うとした敵を貫く。
 発砲しながらの反動で、刺さった銃剣を引っこ抜いて、そのままの勢いで後ろの敵に斜めから斬撃。直突、直突、構えを入れ替えて銃床を使っての横打撃。直打撃、打撃、打撃!ぶっ倒れた敵の鼻先に銃口を突きつけて、引き金を一回引く。
 斬り付けてきた敵の剣を小銃で受け停める。小銃の2脚が吹っ飛び銃身を覆う下部被筒が派手に凹むが、気にせず脛を掃蹴。派手に倒れた敵の鼻面を、兜の上から半長靴で踏みつぶす。
 カラカラとちぎれた二脚が落ちて。「あちゃ~」と呻いて武器陸曹の顔を思い出す。だが、このために八九ではなく六四小銃を持ち込んでいるのだ。栗林は「消耗品、消耗品」と自ら言い聞かせながら、小銃を握り直した。
 前時代的で野蛮な白兵戦。だが栗林は、それを特技としていた。
 小柄ながらまるで猫のような俊敏さで、敵を寄せ付けず手を焼かせ、逆に圧倒していた。敵が距離を置いたかと思えば、小銃を短連射。弾が尽きて、手投げ弾を敵の頭上を越えるように投げ込む。
 ラッシュ並の混雑だ。敵の肉体そのものが楯になってくれると判断する。実際、背中を突き飛ばすような爆発に狼狽したのは敵だ。混乱し戦意を喪失し、楯を列べて防ごうとする。
 そこへ素早く拳銃を抜いて、問答無用の三発連射。所詮は木製の楯。九㎜拳銃の弾を受けて、一発目で板が割れ、二発目で砕け、三発目がその向こう側の敵兵に当たる。
 切り開かれた突破口にロゥリィが突っ込み、抉り、傷口を拡大していく。その間に栗林は小銃の弾倉を交換。
 伊丹と富田は、自分達が手綱をひかないとやばいと思って、彼女らの背中を守った。小銃と拳銃と銃剣とを駆使して敵を回り込ませないことにだけ集中する。
 少し距離を置いて、頭を冷静にして見ると女性二人の戦いぶりは実に見事だった。特にロゥリィは無敵な強さを見せていた。脳内麻薬の作用か、それともそう言う性格なのか、実に2人とも爽快そうな笑みを見せている。いっちゃった表情である。そういう女性の顔はベットの上で見たいものである。
 二人は即興の連携を見せた。
 銃剣で突き、ハルバートを叩きつけ、銃撃し手榴弾を投げ、ハルバートの柄で払い、蹴りや鉄拳をもって敵を支え、圧迫し、突き放し、押し返す。
 弾倉の交換ももどかしい。栗林の弾が切れたと見るや、伊丹は自分の銃を栗林に放り投げた。代わりにガラクタ寸前となった栗林の銃が帰ってくる。
 敵味方入り乱れた乱戦の真っ最中だったイタリカの警備兵や民兵達も、敵の勢いが急激に萎んでいくことに気付いた。周囲を見渡す余裕が出来て、はじめて伊丹達の存在に気付く。
 エムロイの使徒だ!『まだら緑の服を着た連中』が来てくれたぞ、の声と共に次第に秩序を取り戻し、構えた農具を連ね、互いを助け合う連携を取り戻し始める。爆音と、オーケストラの音に今更ながら気付く。

「Zu ort-linde's Stu-tr stell' deintn Htngst mlt mtiner Gran-en gras't gern deln Brannerl

Hei-s-ha! Heia-ha! Die Stu-te stosst mir der Hengst!

         Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!

             Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!

                 Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!」

 すると、天を被っていた黒煙を切り裂くようにして戦闘ヘリが姿を見せた。
 その威容に人々は圧倒された。天を見上げ、指をさして天空から舞い降りた鋼鉄の天馬に見入っていた。
 AH・1コブラの二〇㎜M一九七ガトリング砲の砲口がロゥリィ達に押しまくられて密集しつつある敵へと向けられる。
 それを見て、伊丹と富田が互いに見合わせて頷いた。
 伊丹がロゥリィを、富田が栗林の首根っこをとっつかまえると、背後から抱き上げて「下がれ下がれ!!」と怒鳴りつつ後ろへと後退。
 伊丹等が下がるのを待ちかまえていたかのように、毎分六八〇~七五〇発もの発射速度で吐き出される直径二〇ミリの砲弾は、瞬く間に敵をミンチへと変えていった。
 コブラが、弾をばらまきながら高度を下げてくる。それは最終的な破壊だった。
 燃えさかる戦いの炎、全てを一瞬にして吹き飛ばす豪雨であった。
 程なくして、ガトリング砲の射撃が止んだ。オーケストラの演奏もようやく終わりを告げて、耳にはいるのはローター音。そして後に残るのは、煙をあげる焼け跡。
 UH・1Jヘリが、次第に集まってきて上空にホバリングする。
 綱が降ろされて、それをたどって次々と自衛官達が懸垂降下してくる。機敏な動作、統率のとれた振る舞いで、周囲を警戒し、敵味方の生存者を捜していく。
 最早誰も『まだら緑の服を着た連中』などとは言わなかった。その数にしても実力にして、いずこかの兵士であることは間違いないからだ。尊崇の念を込めて、富田に対してどこの誰かと尋ねる者がいた。「自衛隊」と言う答えを得る。
 ロゥリイは強力なローター風によって、吹きさらされる髪を気にしつつ、風で舞い上がりそうなスカートを押さえ込みながら周囲を見渡す。だが、少なくとも彼女の周囲に立っている敵はなかった。
 ふと、気付く。
 自分が誰かに抱え上げられていることに。
 彼女が身を預ける左腕が脇の下から胸元に上がり、手袋に包まれた掌が彼女のささやかな右の乳房を押さえ込んでいることに、ロゥリィ・マーキュリーは気付く。そして、その桜色の唇をニィとゆがめて、その隙間から鋭い犬歯を覗かせるのだった。



    *      *



 ピニャは、伊丹、ロゥリイ、テュカ、そしてレレイの4人を前にして、語りかけるべき言葉が見つからず窮していた。
 昨日はこの四人を謁見して、高みから協力を命じる立場だった。
 背もたれに身体を預け、典雅に茶など喫しながら、重要なはずの問題をまるで些細な雑用仕事でも扱うかのように臣下に結論から突きつける。それがピニャの、宮廷貴族の考える優雅な仕事の進め方なのである。
 昨日は、ここまでとは言わなかったが、それに近い態度をとることが出来た。
 だが、今日の自分の体たらくはどうだ。惨めな敗残者ではないか。
 確かに盗賊は撃退できた。市民達は勝利と生き残ったことを素直に喜んでいる。
 無論、失われた命を悼むこと、家族を亡くした悲しみを乗り越えるのにも時間が必要だろう。街や荒廃した集落の再建も難題だ。だが、身近な者が命を賭して得た勝利だからこそ、今は喜ぶべきなのだ。悲しむばかりでは彼らが頑張った甲斐がないではないか。
 その意味では、ピニャも勝利者の側にいて勝利を喜ぶべきなのだ。なのだが、この惨めな気分によって徹底的に打ちのめされていた。
 少しも勝ったとは思えない。
 勝利したのはロゥリィや、伊丹達『ジエイタイ』を自称する軍勢だ。不当にも神聖なアルヌスを土足で占拠し続けるこの敵は、鋼鉄の天馬を駆使し、大地を焼き払う強大な魔導をもって、ピニャが手を焼いた盗賊らを瞬く間に滅却してしまった。
 今、彼らがピニャに対してイタリカに対して牙を剥いたら、彼女にはどうすることも出来ないだろう。帝国の皇女とフォルマル伯爵公女ミュイは二人そろって虜囚となり、帝都を支えるの穀倉地帯は敵のものとなる。
 住民達は、どうするだろうか?抵抗するだろうか?
 いや、かえって喜ぶ。きっと、彼らを歓呼の声で迎えるだろう。何しろ、住民達の勝利を決定づけたのはジエイタイなのだから。『まだら緑の服を着た連中』の廉潔なる様は、コダ村の住民達によって、口々に語られている。
 政治を解さない民は単純だ。自分の利益、しかも一時的な利益に簡単に吊られて靡いてしまう。
 もし、彼らが開城を要求して来たら……妾は彼らの前に膝をつき、取りすがって慈悲を請い、我とミュイ伯爵公女の安堵を願い出るしかないのかも知れない。
 妾が、敵に慈悲を請う?誇り高き帝国の皇女ともあろう者が!?まるで、宿場の安淫売のように男の袖を引くと言うのか?
 ピニャは、ギッと奥歯を噛みしめた。
 今の自分なら、足の甲にキスしろと求められたら、してしまうかも知れない。どのような屈辱的な要求にだって、応じてしまう。そこまで自信と心とをへし折られていた。
 ピニャは、伊丹等が要求を突きつけて来るのを、恐る恐る待っていた。
 待っているつもりだった。だが、次第に視界が彩りを取り戻して、ピニャに現実の風景を示し始める。耳が周囲の音声をあつめて、ピニャの意識へと届け始めた。
「捕虜の権利はこちら側にあるものと心得て頂きたい」
 レレイが、ピニャの傍らに立つハミルトンの言葉を健軍一等陸佐に通訳していた。語彙の関係上、伊丹だけでは通訳が難しいので、まだまだレレイの手伝いが必要なのである。
 健軍は、直立不動の姿勢のまま頷く。
「イタリカの復興に労働力が必要という貴女の意見は了解した。それがこちらの習慣なのだろうが、せめて人道的に扱う確約を頂きたい。我々としては情報収集の為に、数名の身柄が得られればよいので確保されている捕虜の内、三~五名を選出して連れ帰ることを希望する。以上約束して頂きたい」
「『ジンドウテキ』の意味がよく理解できぬが…」
 苦労するのはレレイだ。無表情の彼女が額に汗して、意味を伝えようとしている。
 曰く「友人、親戚、知り合う者に対するように、無碍に扱わないことと解される」と彼女なりの理解で説明するのだが、ハミルトンは眉を寄せるばかりだ。
「私の友人や親戚が、そもそも平和に暮らす街や集落を襲い、人々を殺め、略奪などするものか!」
 声を荒げ怒鳴りかけたハミルトンを制するように、ピニャは声をかけた。
「良かろう。『求めて過酷に扱わぬ』という意味で受け止めることにしよう。此度の勝利にそなたらの貢献は、著しいのでな、妾もそなたらの意向も受け容れるに吝かではない」
 ハミルトンも、これまでずうっと黙していたピニャが口を開いたことに安堵したようである。
 レレイと健軍がぼそぼそと言葉を交わし、レレイが通訳した言葉を伝える。
「そのような意味で解していただければよい」
 思わず口を挟んだが、ここはどこで、今自分は何をしているのか?
 ピニャは自分の持っている知識、解釈力を総動員して現状の確認を急いだ。
 そもそもこの男は誰だ?
 ピニャの目前に立つのは、闘士型の体躯をもつ壮年の男だった。この男も『まだら緑の服』を来ているが、兵卒とは明らかに違う気配を有している。
 物腰こそ軟らかいが、額に刻み込まれた皺と肉の厚みを感じさせる頬はいくつもの苦難困難を乗り越えてきた男のものである。この男の堂々たる態度を裏打ちするもの、それは自信なのだろう。積み上げてきたものと実証に裏打ちされた自信。ピニャを求めて得られないものである。
 察するに『まだら緑の服』の軍の長であろう。
 気が付くと、ピニャは伯爵家の領主代行として気怠そうに椅子に腰掛けている。隣にはフォルマル伯爵公女ミュイが執事とメイド長に挟まれて腰掛けていた。
 喋っていたのはハミルトン。彼らと交渉し、意見を述べ、要求を聞き入れて物事を決定していたのは彼女のようであった。ピニャがボヤッとしている間、懸命に交渉の場を支えていたのだろう。
 ピニャは、慎重に言葉を選びつつ状況を確かめようとした。この場で、いったい何の約束がされようとしているのか?
 傍らに立っていたハミルトンを指先で招く。額や身体の各所に包帯を巻いたハミルトンが顔を寄せてきた。
「ああ、ピニャ様。お心が戻られましたか、ご心配いたしました」
「すまない。心配かけたようだ…」
 そして、この場で決しようとしている内容を、再度確認するようにと指図した。
「おほん。では、今一度条件を確認したい」
 ハミルトンは朗々と歌い上げるようにして、条件を挙げていく。
「ひとつ。ジエイタイは、此度の戦いで得た捕虜から、任意で三名~五名を選んで連れ帰るものとする。この捕虜、および捕虜から得られる各種の権利一切は全てジエイタイ側にあるものとする。なお、フォルマル伯爵家と帝国は、所有することとなった捕虜を、求めて過酷に扱わないことを約束する。
 ふたつ。フォルマル伯爵家ならびに帝国皇女ピニャ・コ・ラーダは、ジエイタイの援軍に対する感謝の印として、ニホン国からの皇帝ならびに元老院に対する使節を仲介し、その滞在と往来における無事を保証する役務を負う。なお、使節の人数、滞在の諸経費等の負担は協議によって定めるが、一〇〇スワニ相当分までは無条件で伯爵家ならびに皇女が負担するものとする。
 みっつ。ジエイタイの後見する『アルヌス協同生活組合』は今後フォルマル伯爵領内・イタリカ市内で行う交易において関税、所得、金銭の両替等に負荷される各種の租税一切を免除される。
 よっつ。以上の協約発効後、ケングン団長率いるジエイタイは、協約で定めた捕虜の受け取り以外、伯爵家、および市民の財貨一切に手を着けず、可及的速やかにフォルマル伯爵領を退去するものとする。イタミ率いる小規模の隊、及び『アルヌス協同生活組合』については、フォルマル伯爵家との連絡役務を果たすため、今後も領内往来の自由を保障する。
 いつつ。この協定は一年間有効。なれど双方異存申し立て無き時は、自動的に更新されるものとする。
 以上 フォルマル伯爵公女ミュイ
    後見役 帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダの名において誓約する。
帝歴687年 霧月3日」
 ハミルトンは、羊皮紙に書き込まれた文章を読み上げるとピニャの前に差し出した。
 何度も読み直してみたが悪い話ではない。と言うより、どうなっているのだ?と思うほどの好条件である。ジエイタイは勝者がもつ権利のほとんどを求めていないのだ。
 皇帝に対する仲介は煩雑だし、一〇〇スワニの出費は確かに痛いが、必要経費の範囲とも言える。これで済めば儲けものと言えよう。
 ハミルトンが頑張ってくれたようだ。
 ピニャは人の能力を見極めることについてはいささかの自信があった。だが、どうやら
ハミルトン・ウノ・ローの交渉能力については見極めを誤っていたようである。だがどうやったら圧倒的な戦闘力を有する敵に、勝者の権利を快く放棄させるような約束を取り結ぶことが出来るのだろうか?魔法でも使ったか?女の武器を使って交渉をとりまとめたか?
 いずれにせよ、外務局あたりに知れたら、ただちにスカウトがくること間違いなしである。騎士団としてもこの交渉能力は貴重だ。
 ピニャはそんなことを考えつつ、羊皮紙の末尾にサインをして、封蝋に指輪印を押捺した。
 隣席に、お行儀よく腰掛けているミュイ伯爵公女にもサインと捺印が求められた。
 ハミルトンが健軍の前に出て、羊皮紙を差し出す。
 これをレレイとテュカが確認して頷いたのを見て、健軍は漢字で署名を書き込む。
 ロゥリイは何故かそっぽを向いて不機嫌な様子で関わろうとしない。伊丹は何故か、右目周りに黒々としたアザをつくって、ぼやっと突っ立っていた。
 協約書は二通作成する。
 二通目の作成中に、ピニャの手元に一通目が戻ってきた。
 改めて書面を確認して見ると、健軍の署名が目に入る。そこに書かれている文字を見て、
なんともカクカクとしているなと感じるのだった。




 協約は直ちに発効され、四〇一中隊は飛び去っていく。
 戦いの後始末に忙しい住民達も、一時手を休め彼らが空の向こうに見えなくなるまで、帽子や手を振っていた。
 レレイやテュカ、ロゥリイは商人リュドー氏の元へ向かって、商談を済ませた。
 取引に関わる税がかからない特権商人は儲けが大きいので、どんな商人だってお近づきになりたがる。しかもカトー先生の紹介となれば、粗末に扱えるはずもなく、交渉は至極簡単に進んだのだった。
 竜の鱗二〇〇枚を、デナリ銀貨四〇〇〇枚+シンク金貨二〇〇枚で、取引をまとめることに成功した。
 ただし、銀貨四〇〇〇枚を現金で決済することはやっぱり不可能だった。リュドー氏も頑張ってくれたのだが、フォルマル伯爵領内を盗賊達が荒らしたために、イタリカでは交易が停滞していた。さらに帝国とその周辺で貨幣が不足気味になっていたことも理由となってデナリ銀貨一〇〇〇枚をかき集めるのが精一杯だったのである。
 結局、残る三〇〇〇枚のうち、二〇〇〇枚については為替で受け取ることとなった。
 残りの銀貨一〇〇〇枚分は割り引くことにした。割り引く代わりにレレイはリュドー氏に一風変わった仕事を依頼したのである。
 それは各地の市場における相場情報の収集であった。出来る限り多品目で手の届く限り詳細に、事細かく価格を調べて欲しいと求めたのだった。
 この申し入れにはリュドー氏も鼻で笑った。
 一般市民に小売りするのと違って、商人間では何がいくらで売れる等という情報は、価格交渉の為の重要な武器であり手の内だった。これを単刀直入に尋ねる商人も、教える商人もいない。
 だが、レレイは商人としては素人であるため、何がいくらで取り引きされているかを知らない。知らないからこそ情報を集めようと思ったのである。ただし、より広く、より大規模に。そして代価を支払って。
「銀貨一〇〇〇枚ねぇ」
 これまで、情報なんてものにこんな大金を支払う者などいたためしはない(小口の相談なら、これまでもあった)が、値が付いたのであれば、それはもう商売である。賢者カトーの愛弟子が求めるのだから重要な意味があるのかも知れない。また、商品の品質はよりよいものがモットーでもある。
 こうして、リュドー氏は八方手を尽くして情報の収集に力を入れることを約束したのであった。



十九



 西へと向かう街道を、イタリカへと急ぐ騎兵集団があった。
 赤、黄、白の三色の薔薇で彩られた旌旗をたなびかせ、馬蹄の音を轟かせている。
 金銀に輝く胸甲と装飾鮮やかな武装。バナーのひるがえる騎槍の林が怒濤のごとく突き進んでいた。
 特に先頭をいく騎士。
 金色の長髪を風になびかせて、壮麗な武装で身を固めた女騎士が鞭で黒馬を激しく攻め立てている。彼女の愛馬は、その責め苦を軽く受け止め、躍動する筋肉は力強く大地を蹴っていた。
 彼女の見る風景は流れるように過ぎていた。だがまだ遅い、まだ足りない。そんな思いで握る手綱に力がこもる。鞭撃つ手にも力が入ってしまう。
「ボーゼス!急ぎすぎだ」
 女声ながら落ち着いた重みのある響きが、先頭の騎兵にかけられる。
 背後を駆ける短栗髪の女騎士。馬は白馬。彼女らから大きく引き離される形で、騎兵集団が続いている。
 ボーゼスと呼ばれた女騎士は、振り返ると鈴のような声色で言い返した。
「これでも遅いくらいよっ!パナシュ」
「たが、君の馬が保たない。兵もどんどん落伍している。これでは現地にたどり着いても戦えないぞ」
「いいのよっ。落伍しようと最終的にイタリカへたどり着けばいい。今は時間が敵よっ!」
「しかしっ!」
「最終的に少数しかたどり着け無ければ、少数での戦い方をすればいい。今は少しでも早くたどり着くこと。それが第一よ」
 こうも言い切られれば、パナシュとて引き留めようがない。ボーゼスの後を追いつつ、例えそうであっても少し速度をゆるめるようにと言い聞かせるのがやっとであった。
 ボーゼスは不承不承ながらわずかに手綱を引く。馬も走る速度をゆるめ、わずかに後続との距離が近づいた。
「パナシュ……わたくしたち、間に合うかしら?」
「大丈夫。姫様はきっと保たせるさ」
「でも……」
 ボーゼスは、苛立つ気持ちを抑え込むので精一杯のようであった。遠く地平線の先へと伸びる街道。その遙か先、イタリカの方角一点のみを見つめていた。
 だから、最初にそれに気付いたのはパナシュであった。
「ん?」
 前方から何か近づいてくる。
 帝国の幹線街道とは言え、古代に作られたものを荒れるに任せているため道幅は狭く、向かい合った荷馬車がすれ違えるほどしかない。騎馬隊がこのまま全力で進めば、前方から近づく何かと激突することは必至だった。
 しかもその前方の何かは、意外なほどの速さでこちらに近づいてくる。箱形で、遠目ではよくわからないが、荷車のようにも見える。
「ボーゼスっ!!」
「判ってるわ」
「わかってないっ!前を見ろ」
 パナシュに指摘されてようやく気付いたのか、ボーゼスは舌打ちしつつ身を起こし、馬の手綱を引いた。
 パナシュは左腕を挙げて後方に停止を知らせつつ、手綱をひく。
 続いていた騎馬隊の騎士達は安堵したかのように、息を切らせいきり立った馬をなだめながら速度を落とした。馬も人も誰も彼もが、ぜいぜいと肩で息をしており、汗でびっしょりとなっている。
「ええいっ邪魔くさい。道をあけさせなさいっ!」
 後方の兵に排除を命じるが、それをパナシュが「待てっ」と、停める。
「あれは、イタリカの方角から来る。臨検してみよう、何かを知ってるかもしれないだろ?」とボーゼスをなだめつつ、ゆっくりと先へと進むのだった。



    *      *



「なんて事をしてくれたんだっ!!」
 烈火のごとく怒り、手にしていた銀製酒杯を投げつけるピニャ。
 意気揚々と捕虜を引見し、自らの功績を誇ろうとしたボーゼスは、突然のことに何が起きたのか理解できなかった。額の激痛とピニャの怒気にすくみ上がってしまう。顔に落ちてくる暖かな感触に手を触れ、その手をぬらした血液を見て、初めて右眉の上が深々と割れているという事態に気付いたのである。
 美しい顔をつたい落ちる血液が、顎の先からポツポッ、ポタポタと絨毯に落ちてシミを広げる。
「ひ、姫様。どうしたと言うのですか!?我々が何をしたと言うのです?」
 ショックに座り込むボーゼスの額に手巾をあてながら、懸命に寛恕を求めるパナシュ。だが、ピニャも、傍らに立つハミルトンも怒ると言うよりは最早、あきれ果てたという様子で二人を見下ろすのだった。

 夕刻。
 騎士団を引き連れてイタリカに到着し、街が無事であったことに安堵したボーゼスとパナシュは、ピニャに対して到着を報告するとともに戦闘に間に合わなかったことを詫びた。これについてピニャは責めるようなことは言わず、逆に予定よりも早くの到着を誉めたのである。
 これに気をよくしたボーゼス達は、ピニャの初陣と戦勝を祝賀する言葉を述べ、さらにここに来る途中で遭遇した異国の者、おそらくアルヌスを占拠する敵の斥候であろうと思われる……を捕虜としたので、ご引見下さいと連れて来させた途端にこの仕打ちがなされた。
 二人は自分らが何故に責められるのか、詰問され、酒杯を投げつけられねばならないのか理解できなかった。
「こともあろうに、その日の内の協定破り。しかも、よりによって彼とは」
 ハミルトンは、謁見の間となった広間の隅へ連れ込まれた捕虜へと歩み寄った。
 床に力無く座り込んでいるのは伊丹であった。
 その肩に手を置いて「イタミ殿、イタミ殿」と揺すりながら声をかけてみる。だが伊丹は、全身ドロまみれの擦り傷だらけ、さらには、あちこちを打撲したのか身体の各所にアザをつくっており、体力気力も尽き果てているという姿で、まともな返事も出来ない。
 ここに来るまでにどれだけの酷い目にあったかが、想像できる有様であった。
「ハミルトン、どうだ?イタミ殿の様子は」
「相当に、消耗されているご様子です。すぐにでも休ませませんと」
 ピニャは、フォルマル家の老メイド長に振り返ると「済まないが、頼む」と告げた。老メイドと執事は「かしこまりました」と、壁の華となっていたメイド達をかき集め伊丹を取り囲むようにして、運んでいった。
 それを見送った後で、振り返るピニャ。
 その時の彼女の表情はまさに般若そのものであった。自分よりやや背の高いパナシュの頬に対して平手というより、掌底でぶん殴って尋問するかのごとく詰め寄った。
「貴様等、イタミ殿に何をしたっ?!」
「わ、私たちは、ごく当たり前の捕虜として扱ったまでです」
 ごく当たり前、とは……帝国では捕虜を虐待することであった。例えば連行途上、ひたすら馬で追い立てて走らせる。疲れ果てて座り込むなどすれば、槍先でつついたり、刀の峯や鞭で打ったりして無理矢理立たせる。それでも立たなければ殴る蹴るなどの暴力でいたぶると言う具合である。こうして抵抗する気力、逃亡する体力をそぎ落とすことが、奴隷として売る際に素直に従わせる上で必要なことだと考えられていたのである。
 ピニャは「なんて事を、なんて事を……」とつぶやきながら体中を駆けめぐる怒気を、わななく拳を握りしめながら耐えていた。
 理性的に考えてみれば、ボーゼスやパナシュのした行為を非難することは出来ない。なにしろ彼女たちは、アルヌスを占拠する者を敵とは思っても、そんな相手とピニャが協定を結ぶなど想像すら出来なかったのだから。
 だが現実は、理不尽なまでに理屈を超越する。実際に、協定は結ばれ自衛隊はその協定に基づいてアルヌスを退去した。故に知らなかった、通知が遅れていたの類の言い訳は一切通用しない。何しろ、協約の即時発効はピニャが求めたものなのだから。そして伊丹が捕らえられたのは協約発効の後、しかもその往来の自由を保障するとしたフォルマル伯領内である。
 これは協約やぶり以外の何物でもない。
 協約違反を口実に戦争をしかけ、有無を言わさず敵を滅ぼすという手口は、実は帝国がよく用いる手法だった。通信網の整ってないこの世界では、連絡の不行き届きで和平協定締結後も末端の部隊間で戦闘が行われてしまうと言うことは、よくあるのだ。
 自分達が愛用した手口であるが故に、相手がそれをすると思ってしまう。
 ピニャは、背筋がゾッとした。
 天空を覆った楽曲の音が、ワルキューレの嘲笑が彼女の耳にこびり付いて離れないのだ。彼女の騎士団が、イタリカが、そして帝国のあらゆる全てが業火に焼かれて滅んでいく様が目に浮かぶようであった。
 ハミルトンから、ピニャと自衛隊の間で協約を結ばれたことを説明されたボーゼスとパナシュも、自分達が何をしたか、そして伊丹等が「話せばわかる」などと言いながら、何故抵抗せずに捕らえられたのかを理解した。
「い、イタミ殿の部下がいたであろう。その者らはどうした?」
「あの者等は、逃げおおせました」
 自分達の隊長が捕らえられたというのに、取り返そうともせず脱兎のごとく逃げ出した伊丹の部下を、彼女達はさんざん嘲笑したのである。だが、彼らからすれば反撃すら許されない状況では、逃げ去るしか選択肢がなかったと言うことを、また知るのである。
 もし、全員を捕らえることが出来ていれば、全員を始末して行方不明になってしまったとしらを切る方法もあるのだが、逃げられてしまったとなってはその手は使えない。そもそも使徒ロゥリィ・マーキュリーが相手方にはいるのだ。考えるだけ意味のない選択肢であった。
「姫様、幸いなことに此度は死人が出ておりません。ここは策を弄されるよりも、素直に謝罪をされてはいかがかと、小官は愚考するところであります」
 広間の隅でことの次第を聞いていただけの、グレイ・アルドが口を開いた。
「だがしかし、あ奴らは盗賊にすら『ジンドウテキ』などと称して、過酷に扱うなと言いだす連中。イタミ殿の受けた仕打ちを知れば、烈火のごとく怒り狂って攻めて来るのではないか?」
「そこも含めて、謝罪するしかないのではありませんか?」
「妾に頭を下げろと言うのか?謝罪せよと?……だが、関係者の引き渡しや処刑を求められたら応ぜざるを得なくなるぞ」
「では戦いますか?あの鋼鉄の天馬と、大地を焼き払う魔導、そして死神ロゥリイ・マーキュリーを相手に…。小官としては、それだけはゴメンこうむりますぞ」
 グレイのような歴戦の兵士にすら、あの光景は恐怖という名の楔を撃ち込んだのである。ピニャも、どれほど屈辱的なことでもしてしまうと覚悟したほどだ。それを考えれば、謝罪など大したことではない。
 とは言え、ここにいる誰もピニャにそれを強いることは出来ない。関係者たるボーゼスやパナシュも、罪を認めれば自らが窮地に立たされることとなるためにそれは避けたいのである。
 冷酷で重苦しい空気がその場を支配した。
 しばしの沈黙の後、グレイは緊張した雰囲気を解きほぐすように、おどけた口調で語った。
「ま、そのあたりはイタミ殿のご機嫌次第なのでしょうがね」
 それは、暗にこの場に居合わせているご婦人方に、伊丹のご機嫌とりを頑張って下さいと、告げたものだった。



    *      *



 我が国には、宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)というものがある。
 女性のみで編成され歌と踊り、そして演劇を楽しませてくれる、戦前から存在する伝統のある由緒正しい劇団だ。オタクたる伊丹にはいささか敷居の高い世界だが、もし『銀英伝』を演目に加えてくれたら、見に行っても良いかもしれない。
 ちなみに阪急電鉄の経営で、彼女たちが我々の知らないどこかで悪の秘密結社と戦っていると言う話は、寡聞にして聞いたことがない。誰か真実を知っていたら世間に知らしめて欲しい。
 さて、イタリカからアルヌスへの帰還途中、目前に現れた騎兵集団を見た瞬間、伊丹は宝塚が野外公演でもしているのかな?と思ってしまった。
 ものの見事に女性ばっかり。しかもみんな美人・麗人・佳人・かわいい娘。
 もしかしたら正真正銘の男性もいるかも知れないが、約半分が男装の麗人で、残りの半数は女性っぽい女性と来ては、どうしても女性のみの集団と認識せざるを得ないのである。
 さらに、徹底的なまでに華美に彩られた武装だの旗だの、華奢な飾りでピカピカしている馬鎧。金糸銀糸の刺繍のはいった軍装等などを見ると、やっぱり中世から近代のフランス宮廷を舞台とした恋愛活劇っぽく見えてしまう。
 手を挙げてこちらに停止を命じながら、馬を寄せてくる女性。
 白馬にまたがりショートの髪は栗色。白を基調として銀糸の刺繍や飾りをつけた衣装に銀の胸甲をつけ、黒い裏地の白のマント姿。腰にはサーベルというか、レイピアというか装飾のついた細身の剣を下げているが、これがまたピカピカに磨かれていて曇り一つ無い。
 凛とした表情も突き刺すような視線も、妙にキメポーズっぽく見えてしまう。『男役の女優さんっ』という雰囲気で、こういうのが好きな女子高生あたりが見たら、さぞかし黄色い悲鳴をあげて喜ぶんだろうなぁと思ったりする。
 倉田は『ぽかん』とした表情で、「俺、縦巻きロールの実物なんて初めて見ましたよ」と感慨深く呟いていた。
 倉田の視線の方角……白い女性の背後から、少し敵意っぽいものの混ざったような視線をこちらに突きつけている女性が居た。黒馬にまたがり、豪奢な金色巻き毛は腰まで伸びている。なるほど、いわゆる縦巻きロールと言われる髪型であった。それに物理的機能があるの?と尋ねたくなるほどに巨大なリボンがくっついている。
 見た目からしても、お嬢様タイプの美女で、ツンッと高みから見下してくる(実際、馬上から見下してきている)視線は「私の脚をお舐め、豚野郎」とか、いかにも言ってくれそうである。
 伊丹はこの女性騎馬集団の旗印になっている三色の薔薇から、前述のショートヘアの女性を白薔薇様、こちらの金髪お嬢様を黄薔薇様と、脳内であだ名付けた。
 桑原曹長が無線で注意喚起を命じ、隊員達は一様に銃を引き寄せて警戒のレベルを高めるが、伊丹としては厳に発砲を戒めた。協定違反に成りかねないからだ。この時点で、ロゥリィやレレイ達は、昨夜からの徹夜が堪えたのか後席でぐっすり眠っていた。
 伊丹等の第三偵の現時点での車列は、先頭が73式トラック、次が高機動車、しんがりが軽装甲機動車なので、この女性騎士軍団は最初に接触した73式トラックへと近づいた。
 白薔薇が馬を歩み寄らせ、富田に声をかける。
 富田は、二十七歳の二等陸曹。ちなみにレンジャー徽章持ち。
『こちらの世界』の言葉は、単語ノートを片手になんとか意思疎通できるという程度である。そんな状態であったから、なんとか片言で白薔薇の誰何に応じようとしていた。
 白薔薇曰く、「どこから来た?」
 富田曰く、「我々、イタリカから帰る」
 言葉が不自由ながらなんとか片言でも応えようとしてる富田に対して、白薔薇は彼に解るように、できるだけ言葉を短く句切りながら話しかけようとした。これに対して、黄薔薇は言葉の不自由な富田を、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、三台の車両へ胡乱そうな眼差しを向けるのだった。
 白薔薇曰く、「どこへ?」
 富田が単語帳をぺらぺらっと捲りながら告げる。「アルヌス・ウルゥ」と。
 これを聞いた白薔薇は「なんだとっ!」と声を荒げた。
 正体不明の敵に占領されている場所に、いかにも異邦人とおぼしき連中が帰るなどと言っている。
 しかも馬が牽くわけでもないのに動く荷馬車に乗り、見慣れない武器らしきものを抱えている。この集団を見て、怪しく思わない方がどうかしている。
 その場にいた女性騎馬軍団はこの一言で殺気立った。「何!すると敵かっ!」天に向けられていた騎槍がさっと降ろされ、その切っ先が伊丹達を指向する。
 素早く、騎馬の列が整えられていく。このあたりの統率は見事にとれており、彼女たちが歌劇団の類ではなく、きっちりとした戦闘訓練を受けた兵士の集団であることを伊丹等に知らしめた。なにしろ馬の足並みすらそろっているのだから。
 見ると伊丹の部下連中も小銃を構え、笹川に至っては、軽装甲機動車(LAV)搭載のキャリバーを手にして、重い金属音をたてて槓桿をひいた。
 黄薔薇が、冷たい眼差しをして黒馬から下りて、つかつかつかと歩み寄って富田の襟首を掴みあげ、「もう一度、言ってごらんなさい」と、お上品に凄む。
 白薔薇は、この異邦人が言葉を間違っていると思って、再度繰り返してもう一度、『貴様等はどこから来て、どこへ行こうとしている?』と尋ねた。
 黄薔薇に襟首を掴みあげられた富田は、息が苦しいのかあるいは別の理由か、その顔を紅くしつつ、「イタリカから来て、アルヌス・ウルゥへ向かう」を意味する単語を列べたのである。
 富田が苦労しているのを見て、さすがにほっておくわけにもいかず、伊丹は桑原曹長に、「おやっさん、絶対にこっちから手を出させないでよ」と告げながら、小銃や拳銃、銃剣といった武器っぽく見えるものも外して、車を降りた。
 そして白薔薇・黄薔薇の2人の注意を惹くように声をかける。
「えっと、失礼。部下が何かいたしましたかね?」
 だが、ヒステリックになった女性の前に、伊丹のノンビリとした声かけは、いささか癇に障ったようである。
 身に覚えのない罪で攻め立てられるような気分を味わいつつ、伊丹は「おちついて、話せばわかる」という言葉を繰り返すしかなかった。
 だが、女性達は聞く耳を持たない。
 彼女たちからすれば、これが初陣だ。しかも慌てていたが故に精神的な余裕もない。こう言う時に頼りになる歴戦の下士官連中は歩兵であったり、騎士であっても歩兵部隊を率いる立場なので、後方はるか彼方。
 言葉もうまく通じない。そんな状態で何をもって疑わしく、何をもって安全と判断するのかの基準が与えられてないのだ。あらゆるものが怪しく感じられた。疑念が疑念を産んで増殖していき、剣を抜くしかなくなってしまうのは、ある意味必然であった。
 のこのこと出てきた代表格らしい男に対して、白薔薇ことパナシュは、剣を突きつけて降伏するように命じた。
 ここにいる怪しい連中全員を捕縛し、武装を解除しなければ安全と安心を得ることが出来ないと思いこんでしまったのだ。
 ここにいる敵は何をしでかすか解らないから、油断は決して出来ない。少しでも怪しい素振りを見せたら攻撃するしかない。
 そのように気を張った状態の彼女たちにとって、訥々と「話せばわかる」を繰り返す男は苛立たしく、邪魔なだけである。
 黄薔薇は「ええぃっ!お黙りなさいっ」と激昂して、伊丹を平手で殴りつけてしまった
 これを見て殺気立つ自衛官。だが桑原が「待てっ!!」と命じ、伊丹が「今は逃げろ、逃げろっ、行けっ!!」と叫んだ。
 途端、エンジンの轟音があがり、第三偵察隊の車両が土煙をあげる。
 突然のことで騎馬隊は驚いた馬を抑えるので精一杯となってしまった。そして、ようやく後を追おうとした時には、土埃を巻き上げて走り去っていく自衛隊の車両は、もうはるか彼方へと消え去ろうとしていた。
 数騎の騎兵が慌てて後を追ったが、追いつくことは出来ない。
 こうして、伊丹は独り取り残されたのである。




「いててて」
 首の痛み、背中の痛み、足の痛み、頬の痛み、右目の周りの痛み……痛くない所なんてないほど、体中が痛みを訴えていた。
 意識を取り戻すというか、苦痛で目が醒めてしまった伊丹の視界は、妙に薄暗かった。
 夜なのか、それとも雨戸を閉め切った部屋なのか……。とにかく薄暗い。
 これまで味わったことのないような、軟らかい羽毛と絹による掛け布団の感触に違和感を憶えつつ、自分が寝ている場所を知ろうとして周囲を見渡す。首が痛いために痛みをこらえつつ、そろそろと身を起こそうとした。
 だが、軟らかく制しようとする手がそれを停めた。
 その手は伊丹を再びベットに横たわらせ、掛け布団をきちんとかけなおす。
 そして、部屋の隅から燭台が招き寄せられ、柔らかな灯りが伊丹の周囲に広がった。
 その灯りに浮かび上がったのは、「お目覚めになられましたか?ご主人様」と微笑む、いわゆる、メイドさん達であった。
「こ、ここ、ここは?!」
 ついうっかり日本語で話しかけて、彼女たちの困ったような表情を見せられてしまう。伊丹は秋葉原に来た覚えなどないし、メイド喫茶ならぬメイドホテルなんぞにチェックインした記憶もない。
 伊丹は、「ここはどこ?」と現地の言葉で話し直した。
「こちらは、フォルマル伯爵家のお屋敷です」
 伊丹は、そうか……と頷くと、脳内で状況の整理を始めた。
 周囲を見たところ、ここは監獄に類する施設では無いようである。
 伊丹はイタリカに向けて走らされたから、おそらくここはイタリカの街だろう。ならば傅いてくれているメイドはフォルマル伯爵家のメイドではないか?
 こうして待遇が改善されたところを見ると、ピニャには協定を破る意図はないのだろうと思える。とすれば、無事に帰れる可能性もある。無理に逃亡をはかる必要もないかも知れない。
「水を、もらえないか?」
 メイドは、暖かな微笑みを見せると、「かしこまりました」とちょこんとお辞儀をして、去っていった。代わりに、別のメガネをかけた長身のメイドさんが伊丹の側に進み出て跪いて控える。
 伊丹は、この娘の顔をみて眼を擦った。
「どうされましたかニャ?」
「いや、なんでもない」と言いつつ、こういう世界だしこういうこともあるのだろうと無理矢理納得しようとした。というのも、メガネのメイドさんの頭に猫耳がはえていたからだ。しかも、ピクッピクッと微妙に動いていて作り物とは思えない。
「状況は?」
「はい?」
「いや、街の様子とか、お屋敷とか、それと僕の取り扱いとか、いろいろ…」
 猫耳メガネのメイドさんは、困ったような表情をした。
 すると、脇から「ただいま、夜半過ぎでございます。街の者は寝入り、すっかりと静かになった頃合いでございます」と、老メイド長が現れて話し始めた。
 老メイド長の話によれば、街は平穏を取り戻しつつあると言う。明後日、犠牲者を合同で弔う予定。ただ、周辺の村落の被害がどれほどなのかまだわかっていない。領内が元の活気を取り戻せるまで、どれほどの時間がかかるか想像も出来ない。
 ピニャ率いる騎士団の本隊や、落伍していた騎兵、歩兵が五月雨式に到着しつつある。ほぼ八割近くが終結を済ませたので、ピニャは領内の各所へ出動を命じ、治安確保のために働き始めている。
「それとイタミ様におかれましては、ピニャ様は、賓客としての礼遇を命ぜられました。そしてこの度の無礼を働かれました騎士団の隊長様は…」
 白・黄二人の隊長はピニャに烈火のごとく怒鳴られ、黄薔薇ことボーゼスは女性なのに額に銀杯をぶつけられて、深い傷を負った。傷が残るかも知れず、騎士団の女性からは同情を集めていると言う。
 非常に丁寧且つ詳細な説明を終えると、老メイド長は伊丹に対して、腰をおとして頭を垂れた。
「この度は、この街をお救い下さり、真に有り難うございました」
 この席にいた、メイド達五~六人もメイド長に習って深々と頭を下げた。猫耳だけでなく、ウサ耳らしきものも見える。
「このイタリカをお救い下さったのはイタミ様とその御一党であることは我らフォルマル家の郎党、街の者も全てが承知申し上げていることでございます。そのイタミ様に対して、このような仕打ちをするなど、許されることではございません。もし、イタミ様のお怒りが収まらず、この街を攻め滅ぼすと申されるようでしたら、我ら一同みなイタミ様にご協力申し上げる所存。ただ、ただ、フォルマル家のミュイ様に対してはだけはそのお怒りの矛先を向けられることなきよう、伏してお願い申し上げます」
 さらに深々と頭を下げられると、伊丹としても心配するなと告げるしかなかった。と同時に、この家の者が帝国の皇女だの、帝国だのに忠誠心を抱いているわけでは無いことを知った。ここにいるメイド達の忠誠心は、あくまでもミュイに対するものであり、主人に対して不利益であると判断すればピニャを背中から刺すことだってあり得るのだ。そして、それは伊丹とて例外ではないだろう。
 メイド長やメイド達が伊丹に頭を垂れるのは、あくまでもフォルマル伯家の利益を図るためなのだ。それを知らずに調子に乗れば、えらい目にあうだろう。
 伊丹が水を頼んだメイドが、コップを伊丹へと差し出した。
 寝たままでは飲みづらいので、伊丹が身体を起こそうとすると、猫耳メガネのメイドが手を出して身体を起こすのを手伝ってくれる。全身が打撲と筋肉痛で辛いので、とても助かった。
「イタミ様。モーム、アウレア、ペルシア、マミーナの四名をイタミ様専属と致します。どうぞ心やすく、何事であってもご命じ下さい」
 水を運んでくれたメイド……これはヒトのようだ。そして長身の猫耳メガネのメイド、そしてその後ろのウサ耳と、外見的にはヒトっぽく見えるが緋色の長い髪が妙に太くて無数の蛇みたいになっている少女…と言う二人と併せて四名が伊丹に跪いて、頭を垂れた。
「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」
 愛らしい少女・女性達に声をそろえて言われると、なんとも言えない気分になってしまう。調子に乗ったらまずいだろうと思いつつも、ちょっとは調子に乗ってもいいんじゃないかなぁ、と思わずにいられない伊丹であった。




 さて、少し時間を巻き戻して、夕刻のイタリカ。
 その城市の外に、隊長を捕虜とされた第三偵察隊の面々が、大地に伏せ隠蔽し、暗くなるのをじっと待ちかまえていた。
「隊長、今頃死んでるんじゃない?」
 双眼鏡で街の様子を監視しつつ、栗林がぼやいた。捕虜になった伊丹が女性騎士連中にこづかれ、追い立てられ、走らされていたのを遠くから見ていたのだ。彼女の口振りにはどこか願望めいた響きもあった。
 栗林はよく知りもしない癖に「オタク傾向あり」と言うだけで「キモオタ死ね」と、脊椎反射反応を示すタイプである。もちろん、ホントに死んで欲しいと願っての「死ね」ではない。目の前で伊丹が殺されそうになれば、きっと助けるし積極的に後ろから頭に照準を合わせようとも思わない。ただ、深く考えることなくそう言っているだけなのだ。伊丹に「脳筋爆乳馬鹿女」と言われる所以だ。
 そのことをわかってる富田二曹は「あの程度なら、大丈夫だろ?」と、顔にドーランを塗りつつ答えた。
 傍らで時が来るのを待っているレレイやテュカも、ロゥリイでさえも、頬や鼻筋、額と言った光があたったときに反射する部位に、栗林の手によって緑や茶色の化粧が施されていた。まぁ、着ている衣装はいつもと替わらないが。
「あれでもレンジャー持ちだぜ」
「誰が?」
「だから伊丹二尉」
「うそ」
「いや、本当」
「冗談?」
「マジ」
「そのマジ、ありえない~勘弁してよ~」
 レンジャー徽章にあこがれをもっている栗林は、この瞬間、自分の気持ちがなんだか汚されたような気がした。
 日本語による会話がまだ十分に理解できていないテュカとロゥリイはきょとんと聞いているだけであったが、かなりのレベルで理解できるようになっているレレイは持ち前の好奇心を発露して栗林に、イタミがレンジャーとやらを持っていてはいけないのかと、質問した。
 困る栗林。苦笑しつつ「伊丹隊長の、キャラじゃないのよねぇ」と呟くのだった。そして、鋼にも比肩されるほどの強靱な精神、過酷な環境にも耐え抜いて任務を遂行するという美化率二四〇パーセントのレンジャー像を語って聞かせた。
 これには、無表情冷静キャラのレレイもわずかに頬をほころばせる。どっちかというとスライム並に軟らかい(故に、砕くことも断ち切ることも不可能)精神と、過酷な環境は可能な限り避けまくり、なんとなく任務を済ませてお茶を濁すという、美化すれば『余裕のある』、普通に評すれば『不真面目』な人物像を、伊丹に対して抱いていたからだ。
 もちろん、レレイ達に関わるようになった第三偵察隊が、コダ村の避難民達を救い、炎龍を撃退し、避難民の住処をつくり、イタリカに襲った盗賊を撃退しているのもその眼で見ている。だが、それはあくまでも第三偵察隊全体、あるいは自衛隊の行ったことだ。
 事実、レレイが通訳して聞かせたことで、ロゥリィもテュカも、ころころと笑った。栗林の語るような精強なイメージは、桑原や富田、女性としては栗林にこそふさわしく、暇さえあれば……暇がなければ無理矢理つくって本(実際には漫画)を読み入っているのが、伊丹には似つかわしいのだ。
 実際に、アルヌスはずれの森につくられた難民キャンプの、木陰のベンチで昼寝をしつつ本(実際にはコミケでなければ入手できないような同人誌)を読んでいる伊丹の姿を、彼女たちは何度も目撃している。
「さて、そろそろ行こうか?」
 こんな風に、楽しく会話をしているうちに、あたりは夕闇に包まれていた。
「また徹夜かぁ…これって、絶対お肌によくなぃ」
 とかなんとか言いながらも、昨晩の立ち回りで腰回りが大いに充実した感じになって、しかも肌がいい感じに艶々になっているのは、栗林とロゥリィの二人である。
 こうして昨夜の激戦に引き続き、今宵は潜入救出ミッションとなったのである。




 ……と、言ってもイタリカの警戒はザルを通り越して無警戒であった。
 古くから居る警備兵は実戦の直後で気は抜けてるし、疲れてもいる。
 その上、威張りくさった『騎士団』のお嬢様の集団が到着して「案内しろ」とか「宿舎はどこだ?」とか頭越しに指図する。厩舎に馬を運べ、飼い葉はこうしろああしろ……と実にやかましい。さらには顔も知らない歩兵達が、あとからあとからと到着して来るから、いちいち誰何するのも馬鹿らしくなってしまうのだ。
 騎士団の兵士達も、知らない顔は地元の警備兵とか住民ぐらいにしか思わないから、見ず知らずの人間がふらっと入り込んでも、誰も気にしないと言う状態だった。
 そんなわけで、ロゥリィやらテュカやらレレイは、堂々と開いていた城門をくぐり抜けることに成功してしまったのである。この三人なら、万が一見とがめられても、あれ?まだ街を出ていなかったのかな?…ぐらいにしか思われない。
「顔にペイントを施す必要なんてなかったわねぇ」
 などとテュカは呟きつつも、城壁を上がって見張りの兵隊の耳に、精霊魔法『眠りの精の歌声』を注ぎ込んで、朝までぐっすりと眠らせる。
 で、外に合図をすると栗林や富田、倉田、勝本といった面々が昇ってくると言う算段であった。
 夜の街は静かになっていて人の気配もなく、富田達は誰に見とがめられることもなく、あっけないほどにフォルマル伯爵邸へと到着した。
 さすがに、ここは警戒の兵が立っていたが、富田達にとってはどうということもない。 個人用暗視装置を使えば、暗闇の中でも誰かが居ることはすぐにわかる。巡回警備が通り過ぎてから、静かに野分け草分け進めばよいのだ。
 こうして建物までたどり着くと、富田は鎧戸(幅の狭い薄板〈しころ板と言う〉を一定の間隔で平行に取りつけた扉)のおりた窓の一つを選んで、しころ板の一枚をそっと破壊した。




「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」
 と、下げられた四つの頭。その一つから伸びるウサ耳がピクッと立った。
 その耳の挙動たるやまさしく、警戒する兎のごとしである。ついで、メガネ少女のネコ耳も小刻みに動いている。
「マミーナ、どうしました?」
 老メイド長の冷厳に視線に、マミーナと呼ばれたウサ耳娘が告げる。
「階下にてしころ板の折れる音がいたしました。どうやら、何者かが鎧戸をこじあけようとしています」
 ウサ耳メイドといっても、彼女の発する雰囲気は暗殺者のそれであった。猫耳メガネメイドの瞳も、剣呑に輝きはじめ愛玩猫というよりは、豹のような雰囲気になる。
「この街の者であれば、お屋敷に不法に立ち入ってどのようなことになるか知らぬはずもなく、ピニャ様の騎士団の者であれば正面玄関から入ればよく、あえて不調法なことをする必要もない。盗賊は滅したばかり……おそらくイタミ様の手の者であろう」
 老メイド長はそう断じると、「ペルシア、マミーナ。二人でイタミ様のご配下をこちらまで案内してきなさい」と指示した。
「もし、他の者であったら?」
「いつもの通りです」
「かしこまりました」
 ネコ耳娘とウサ耳娘が立ち上がった。その敏捷な挙動は、野生の肉食動物を思わせるが、ふたりは音もなく部屋から出ていた。
 伊丹はオタク的好奇心から、老メイド長に尋ねることにした。
「あの二人は、どういうメイドさんですか?種族とか…」
「マミーナは、ボーパルバニー(首刎ウサギ)、ペルシアはキャットピーブルでございます。こちらに控えるアウレアはメデュサ。モームはヒトです」
「はぁ、随分とたくさんの種族がいるのですね。こうして多種族が一緒の職場で働くということは当たり前なのですか?」
「いいえ、滅多にないことでございます。先代のお屋形様は開明的な方で、種族間におこる摩擦の殆どは貧困によるという信念を抱いておいででした。その為にヒト以外の者を積極的に雇い入れるようにされていたのです…まぁ、…………『ご趣味』と言うこともおありでしたが」
「なかなか親しみの持てそうな方ですね」
「イタミさま、センダイさまにニたニオイ、アル」
 アウレアが、伊丹に向けてウニョウニョと長い緋色の髪を伸ばそうとするのを、モームが横からピシャ!と、つっこみを入れるかのごとくはたき落とした。
「アイタタ」
「ご主人様への、失礼は許しませんよ」
「ハイ」
 アウレアが、餌を取り上げられた子猫のような表情をしたために、哀れみを誘うが、老メイド長から、メデュサは吸精種でこの髪で他者の『精気』を吸い取る、十分に躾はしてあるが、時に本能に負けそうになるので「ご注意を」と言われてしまった。
 ほどなくして、部屋の戸が開く。
 すると、マミーナとペルシアに案内された、栗林や富田、倉田、勝本、ロゥリィ、レレイ、テュカらが姿を現した。
 ロゥリィの姿を見るや、老メイド長やメイド達は「まぁ!聖下御自ら脚をお運びいただけるとは…」と彼女の周囲に集まった。
 敬虔な信徒達が跪礼して祝福を求めると、ロゥリィも軟らかな表情になって静かに掌を向けた。イメージとしては掌から温かい気だか光線だかが出て、信徒達がそれを浴びて喜んでいるという雰囲気だろうか?
 とは言っても、死と断罪と狂気、そして戦いの神、エムロイの信者ってどんなものなんだろうとも思ってしまう伊丹である。まあ、世には教祖がサリン殺人で死刑判決を受けるようなインチキ宗教への信仰を後生大事にしている連中もいるのだから、それにくらべたらはるかにマシなのかも知れない。
 厳粛な雰囲気の漂うなか、倉田は場を壊さないように静かに伊丹のベットの傍らまで来ると、「随分と羨ましい待遇のようですね、二尉」などとひそひそ語る。
 倉田がケモナーでもあることを知る伊丹としては「どうだ、羨ましいか?」である。まぁ、伊丹自身にはケモノ属性もメイド属性もないので、そういうのが趣味の奴を喜ばせてやるほうが楽しい。
「あとで紹介してやろう」
 そう告げる伊丹であった。



二〇



 すでに夜半であったが、ピニャは床にも入らず執務室で独り思索していた。
 このままではまんじりとせず、寝入ることもできないだろうから。
 自分が、犯したことになってしまう失敗を糊塗する方法を定めない内は、安らぐことが出来ない。どうすればいい。どうすれば……。そんなことばかりを考えていた。
 ピニャが執務に借りているこの部屋は、フォルマル伯爵家先代当主の書斎であったと言う。品の良い調度品が並び、重厚な一枚板からなる机と、座り心地の良い椅子が置かれている。そして羊皮紙とインクの香りが仄かにただよっていた。
 先代の持ち物だろう?蟲獣の甲皮から削りだしてつくられた単眼鏡と、羽ペン、それとメイドを呼ぶための小鈴が文盆の上に無造作に載せられている。そして机の傍らには、分厚い表紙をもった納税報告の綴りと、土地管理台帳、そして関税の出納記録が置かれていた。……そうだ、後見をする以上、フォルマル伯家の実務を管理する代官を選任しなくてはならないだろう。それもピニャが考えなくてはならないことであった。
 羽ペンを弄びながら、羊皮紙に切れ端にアイデアを書き込んでは乱線でかき消し、再び書いては消す。
 羊皮紙の上には「協定違反行為を無かったことに出来ないか?」と記されていた。
 しかし、伊丹の部下連中は逃げ失せてしまった。
 中途で事故でも起こして全滅でもしない限り彼らはアルヌスに帰り着いて、何があったのか報告するだろう。報告をしない理由がない。
 報告をさせないためには、捕らえるか殺すしかなかったのだ。
 設問 今から後を追って、彼らを捕縛することは可能か?
 答え 不可能。
    そもそも炎龍すら撃退する連中を、現有戦力でどうやって殲滅する?
 考えてみれば、自分らの隊長を見捨てて逃げ出すなど、なんと不甲斐ない連中なのだろうと思う。連中の能力なら、ピニャの騎士団など一瞬で殲滅できたはずなのだ。にもかかわらず、そうしなかった。そうしなかったのは何故だ…おかげで自分がこうして苦しむ羽目になる。いささか被害妄想気味だが、悪辣な奸計に嵌められたのではと思えて来たほどであった。
 羊皮紙にボーゼスとバナシュの二人の似顔絵を描く。そしてバカとか阿呆といった罵詈雑言で2人を飾りあげていく。そして最後にはぐしゃぐしゃと羊皮紙を握りつぶしてピニャは思考を先に進めた。
 協定違反行為が知れてしまうことは、最早防ぎようがない。時を巻き戻すことが出来ない以上、仕方ないと諦めるしかないのだ。
 頭を抑えて「諦める、諦める……」と念じる。
 ピニャの考えるべきは、実現不能な課題に悩むことではなく、この失点による損害を、どのように軽減するかなのだ。
 戦争は外交の延長。外交はカードゲームに似ている。強力な鬼札を手にした敵と戦うには、三つの方法が考えられる。その鬼札を重要な局面で使わせない。あるいは無意味な局面で使わせる。そしてその鬼札に匹敵するカードを入手すること。
 とは言え、テーブルの向こう側にどんな相手が座るか解らないうちに、こちらの出方をを決めるのは不可能だろう。今は、相手側を利する手札を極力減らすことが重要なのだ。
 こちらの失点は二つある。そのうちの一つは、往来を保障するとした伊丹隊を襲ってしまったことだ。
 もう一つが虜囚とした伊丹を、彼らの言うところのジンドウテキでない扱いをしてしまったこと。
 前者については、アルドの言うとおり速やかに謝罪してしまうのも選択肢の一つだ。いや、一番良い方法かも知れない。
 自衛隊はジンドウテキと称して、捕虜の扱いにすら気をつかう相手だ。「いい人」であることは間違いない。となれば、連絡の不行き届きであることを説明して頭を下げれば、交戦中の敵にだって容赦してくれるかも知れない。なにしろ実質的に損害は出ていないのだから。
 だが、謝罪は逆に付け入る隙を与えることにもなるのだ。代償としてどのような要求がつきつけられるのか……それが恐怖であり不安の種となった。自衛隊の圧倒的な戦闘力、破壊力を直に目にしてしまえば、どのような要求をされても拒絶は出来そうもない。
 敵は、圧倒的な戦闘力をピニャに見せつけた。そして交渉しようと言ってきた。
 ピニャは、仲介役だ。帝国の外交担当者は敵の恐ろしさを理解しているのか?皇帝は?宰相は?
 今この時点で、敵をいささかなりとも知っているのは、まさにピニャだけなのである。
 帝国の強気で居丈高な外交交渉、武力を背景にした恫喝を、ピニャはこれまで頼もしく思っていた。若手の外交官僚達が巧みな弁舌で論戦を挑み、拒絶できない要求を積み重ねていき、敵が膝を屈して許しを請う姿を想像しては、悦に入っていたのである。
 だか、今回それをやらかしたらどんなことになるか……。
「胃が痛くなってくる」
 ピニャは引き出しから新しい羊皮紙を取り出すと、インクにペンを浸して皇帝宛の報告書を綴り始めた。いかに敵が強大で、恐るべき戦闘力を持っているか、見たままを記述していく。だが……中途まで書き連ねていくと次第にペン先が重くなってきた。最後にはガシガシと紙面を乱線で塗りつぶし、ペン軸そのものを折ってしまった。
「こんな内容、夢でも見たのか?と馬鹿にされるだけだ」
 自分でも信じられないのだから。
 報告の件は、後回しにすることにした。ハミルトンにも相談したい。
「まずは、イタミの件を何とかしよう」
 伊丹は今この館で休んでいる。
 彼さえ『口を噤んでくれれば』、失点を減らすことも出来るのだ。いや、上手くすればこちらの手札にすら出来るかも知れない。
 問題は、どうやって伊丹を説得するか。よくあるのが贈賄、あるいは伊丹が男であることを利用しての籠絡、そしてその両方。
 問題は、誰にその任を与えるかだ。
 もちろん、自分自身が……と考えた。だが、相手は十人程度の小隊の隊長程度に過ぎない。特別任務の小隊だとしても、イタミという男の地位は、帝国で言えば百人隊長程度だろう。そんな格下の相手に、自分自身というカードを切るわけにはいかないのだ。
 となれば、誰がいいか。
 ハミルトンならばいいかも知れない。男にも慣れている。だが彼女は現段階ではピニャにとって重要な参謀役であり、万が一の交渉役としても力をふるってもらいたかった。だから、除外する。
 ここまで考えて、ふとボーゼスとパナシュの二人の名前が浮かんだ。
 自分のしでかしたことは自分で責任をとれということで、罰にもなるから丁度良いように思えた。
 それに、あの二人ならば適任である。なにしろその容姿はなかなかのものだ。ボーゼスは、金細工のような繊細な美しさと豪奢な金髪を誇る美形で、しかもパレスティー侯爵家の次女と家柄もよい。
 パナシュはカルギー男爵家と家柄こそ、ボーゼスに劣るがその凛然たる眼差しと才気だった容貌で比類がない。あの二人に言い寄られて、墜ちない男などいないはずだ。
 イタミ程度の男には惜しい限りだが、今回の役割の重要性からすれば、これぐらいのカードは切っても良い。
 問題は、性格的にそういう任務が二人に遂行可能か……と、までは考えが及ばず、ピニャはこれが名案とばかりに早速実行に移すことにした。というより指示を下してしまわないといつまでも落ち着けなかったのだ。
 机に置かれた鈴に手を伸ばして、鳴らす。
 心を落ち着かせるために用意された、濃いめの香茶を口に運ぶ。すると、蝋燭の炎が風に揺らいだ。
 視線をあげると、メイドの一人が姿を現す。エプロンドレスを両手で摘み、膝を軽く屈し頭を垂れるという作法に基づいた挨拶にピニャは頷いて応じた。
「お呼びでございましょうか?殿下」
「うん。ボーゼスとパナシュの二人を呼んでくれ」
「お二人とも、もうお休みかと存じますが」
「かまわない。起こしてくれ」
「かしこまりました」
 メイドはそう言うと部屋を後にした。ピニャはベットから起きると、部下を迎えるために簡単に身支度を整えるのだった。



    *      *



 倉田は、この世の春を謳歌していた。
 ハイ・エルフの娘とか、無口無表情の知性派魔法少女とか、暗黒神官の少女的姐さんとか、どうにも伊丹の好むタイプばかり現れるのはなんでだっ!やり直しを要求するぅ!と、かねてから心の底でずうっと念じていたのである。
 そして、ようやく自分好みのキャラが現れたのである。となれば、興奮を抑えることは難しい。いや、喜びは素直に表に出してこそ、喜びである。これを押しとどめることなどかえって害悪であると、声を大にして言いたい。
 特に、猫耳メガネメイドのペルシアの存在は、ツボにはまった。
 可愛い系ではなく、黒豹とかライオンみたいな肉食獣タイプのおねぇさんである。
 それが、まん丸のメガネをかけているのだが、その双眸は当然のごとく猫目で冷たく切れそうな印象であった。長身でスポーティで、でるとこは出てひっこむところはひっこんでる体躯を、無理矢理メイド服というふんわりとした衣装でラッピングした感じがまたたまらない。
 しかもアキバのメイド喫茶とかパチンコ屋にいるような露出型コスプレ店員と違って、裾も袖もぴっちり肌を覆っていて、これ見よがしなチラリズムなど全くの無縁。働くための制服としてのメイド服である。これぞ本物というところが味噌である。
 そんな、猫耳メイドさんに傅かれている伊丹に「羨ましいぞ、コノヤロ。紹介してくれないと後ろ弾(後ろ弾/味方を後ろから撃つと言う凶悪な行為)だぞ」という念を込めて、声をかけた。すると伊丹は苦笑しつつ、かけ持ってくれた。
「おい、倉田……こちらのご婦人がペルシアさんだ。ベルシアさん、こいつは倉田だ。よろしくしてやってくれ」
 伊丹に紹介されたのをゴーサインと受け取って、早速挨拶。
「じ、自分は、倉田武雄ともうします」と、ピシッと敬礼してしまう。だが、そのかちかちな姿は彼女の「はぁ?」という表情を「くすっ」と綻ばせることに成功した。
 ペルシアからするとヒト種の男が、単なる憧憬心で向かってくるのは初めてのことであったのだ。
 ペルシアとて雌。容姿にだってそれなりに自信があるし、なによりも潔癖性の子猫から一線を画した大人の雌豹だから、雄の視線を集めるのは嫌いじゃない。だが、ヒト種の雄というと大抵は、下世話な欲望にまみれた視線か、あるいは彼女の獣性に怯えているかなのである。
 だが、倉田はちょっと違った。
「猫も女も、男が自分に好意を持つかどうか直感的に理解する」と、ある女性作家は語る。猫であり女であるペルシアは、このクラタと名乗った男がどういう心づもりで自分に対しているか理解できてしまった。
 よっぽと捻くれてない限り純粋な好意には、純粋な好意が沸き上がってくるものであり、こうして倉田は猫耳メガネのメイドさんとの間に、良い雰囲気を醸し出すことに成功したのであった。




 倉田とペルシアの例を挙げたが、こんな感じで、フォルマル伯爵家のメイドさん達と、自衛官達は、なごやかにうち解けていた。
 深夜なのにお茶まで出てくる。こういう貴族の館では、当主の気まぐれや我が儘に応えるため、夜だろうと軽食やお茶の支度がしてある。それを不意の来客のためにと、メイド達は流用して、それぞれにたどたどしいながらも会話を楽しんでいた。
 武闘派の栗林は、ポーバルバニーのマミーナと、妙に気が合ったようである。バディ・ムービーの主人公達のように、はまった雰囲気をつくっていた。特に、マミーナは昨日の栗林の活躍を見ていたようで、賞賛の言葉が尽きない。
 レレイは、メデュサのアウレアに興味があるのか、まじまじ観察したり、ウニョウニョ蠢く触手にも似た緋色の髪を指先でつついたりしている。レレイが言うには、メデュサはその悲しき習性から虐待されることが多く、その数が減って今では絶滅危惧種らしい。レレイも文献でしかその存在を知らなかったと言う。
 ロゥリィは、敬虔なエムロイ信徒らしい老メイド長に対して、どことなく辟易とした雰囲気を醸しながらも慇懃に応対し、神の御言葉を伝えていた。
 テュカは、ヒト種メイドのモームに、その身にまとっているローライズのジーンスにシャツという日本のファッションについて尋ねられて、自分で購ってきたわけでないからと困りつつも、わかる範囲で着心地などについて答えている。彼女たちからすると、伸縮性のある生地は驚嘆以外の何物でもないのだ。おかげで体の線がくっきり現れすぎて、困っているとはテュカの弁である。
 伊丹は、富田と勝本相手に、状況の説明を受けて今後の対応について相談しているという具合だった。せっぱ詰まった状況ではないと言うことも解って、無理に脱出する必要もないだろうという結論に達している。
 こんな有様だったので、ピニャの密命を受けたボーゼス嬢が思い詰めた表情で伊丹の部屋をノックしたとしても誰も気付くことが出来なかった。
 ボーゼス嬢が、緊張のあまりノックと言うより、戸を撫でる程度にしか叩かなかったというのも、大きな理由となるだろう。
 ボーゼスは、暗闇に等しい廊下にたたずんでいた。
 返事のないドアの前で待つこと暫し。
 人目を気にしているのか、右を見て左を見る。大きく息を吸って、緊張を解きほぐすようにしながら息を吐く。そしてドアの取っ手に手をかけるが、どうしても押し開くことが出来ないのである。
「イタミを籠絡せよ」と言う命令は、彼女にとって死んでこいと言われるようなものだった。
 家の利益や、政治的な目的から配偶者が決まるのは、貴族の家に生まれた者の運命として、とっくの昔に受け容れている。
 政略的な目的を達するために内外の賓客を接待し、時に籠絡する手管も、貴族の娘としては当然の嗜みだ。
 夢見がちな殿方には絶望的なことかも知れないが、帝国における貴族の娘に清楚な者など独りとしていない。どんなにあえかな外見をもっていようと、世事に疎く見えようとも、それは擬態であり、内面はしたたかであることこそが求められるのだ。それが、飢える者がいる一方で、何不自由のない生活を送ることを許された、高貴な者としての責務である。
 だが、よりにもよってイタミである。
 泥臭い異民族の戦闘装束をまとった、冴えない男というのがボーゼスのイタミに対する印象であった。百歩ゆずって……いや、万歩ゆずってそれもまだよい。
 だが、出来ることなら、サロンで優雅な雰囲気をまとった貴公子然とした敵国の青年将校を相手に対等な立場で、洒脱で、智慧に富んだ言葉での戦いを楽しみたかった。
 最高の武器(宝石)と戦闘服(ドレス)と香水で武装した自分を見せびらかし、恋愛遊戯という名の演習で磨き上げた技を実戦で試す。
 甘美なる肢体で誘惑し、香粉の香りに酔わせ、これが欲しい?欲しいでしょう?与えてあげてもいいわよ。でも、欲しければ私に隷属なさい……と視線で語り、男の精神的な全面降伏との引き替えに、瀟洒な花壇を褥(しとね)とするのだ。
 ところが、どうた。イタミとの出会いは戦場ですらない。剣を交えることもなく、感情のおもむくまに嬲って、罵倒して蹴倒して、踏みつけて……。後で真相を知って愕然としている有様。
 最早戦いにすらならない。さらに今の我が身の無様さはどうだ。ありあわせの夜着。しどけなく垂らした髪。額の傷を隠すための厚く塗り重ねた白粉。まるで安宿の淫売のようではないか。
 精神的にも物理的にも最初から敗北している。どの面さげてイタミと相対しろと言うのか。このままこの部屋に入れば、ただの人身御供、懺悔し許しを請うための捧げものとして、我が身は男にむさぼられておしまいである。
 男という生き物は、与えた後で「優しくしてくりゃれ?」と願っても、決して適えてくれない生き物なのだ。絶対に、与える前に「好意」という名の担保をとりつけなくてはいけない。だが何を引き替えに?
 イタミを誘惑し制圧する役割は、おそらくパナシュのものとなるだろう。自分はそのための前座だ。自分が供犠となることで罪を帳消しにして貰う。罪という汚れを拭き取るために使った雑巾はたとえ絹であっても、それで用なしである。
 くやしさの余り、涙が出てきそうになった。だが泣いてはいけない。泣いたら、瞼が腫れてしまう。そうなったら美貌が損なわれてしまう。世には、泣いている女が好きという男もいるが、そういう男の前で流す涙は決して悔し涙であってはならない。魅せるための真珠涙は、こんな心境ではけっして流れてはくれないのだから。
 廊下は静かであった。厚い扉の向こうは寝室。寝室の扉というものは、中でちょっとやそっと声をあげた程度で廊下に音声が漏れだしては来ないように作られている。
 いよいよ意を決して戸を開いてみる。期待したのは暗い部屋の奥に、イタミが寝台に横たわっていることである。
 ボーゼスは音もなく歩み寄って、寝台に忍び入る。イタミが違和感に目を醒ます前に、官能を以てその口を塞がなくてはならない。
 だが、扉を開いてみると部屋の中は和気藹々とした雰囲気であった。
 贅沢なまでにふんだんに蝋燭を灯し、メイドや異世界の兵士達が、お茶など傾けている。
 しかも、誰一人ボーゼスに気付かない。
「……………」
 無視である。
「…………………………」
 シカトである。
「………………………………………」
 はっきり言って空気扱いであった。
「くっ…」
 ようやく覚悟完了させたというのに、この扱いはどうだ?
 パレスティー侯爵家の次女ボーゼスを無視である。
 いい度胸である。
 自分という存在は、雑巾にすらならないと言うのか?
 誰もそう語ったわけではないし、ヒステリーとか被害妄想に類する発想だが、ボーゼスのこころの中では自分の置かれた状況がそのように解釈されてしまった。女とは、その存在を無視されることが絶対に許せない生き物だ(と聞く)。
 腹の底から沸騰してくる怒りに、彼女の両手はわなないた。
 擬音表現は漫画的だが、この際あえて使わせて貰いたい。この時の、彼女の振るまいは以下のようなものとなった。
 つかつかつかつかつかつか、バシッ!!!



    *      *



 右目の周りにアザと、今度は左の頬に真っ赤な手形紅葉。さらに、つかみかかられたので猫に引っ掻かれたような五本線の傷までほっぺたにある。
 被害者の顔は、そのような状態であった。
「で、なんでこんなことに?」
 夜半に屋敷中の眠りを破った大騒動の果てに、ピニャの前にそろったのは、伊丹ら自衛隊の面々であり、ピニャの送り込んだボーゼス嬢、そしてメイドさん達である。
 帝国皇女たるピニャ・コ・ラーダ殿下は、焼けた石ころでも飲み込んだような、腹部の熱痛を感じながら、伊丹の顔面の損傷がどのような理由によるものかの説明を求めた。聞くのが恐ろしかったが、立場上尋ねざるをえない。
「べつにあたいらが引っ掻いたわけではないニャ」
「いや、わかってますよ。ペルシアさん」
 倉田のフォローを受けて、ペルシア達メイドさんズは退場。
「右目まわりのアザは元々ついていたものよ。『今回の』騒動とは関係ないわ」
 ロゥリィ・マーキュリーとレレイ、テュカは証言して、部屋の片隅へ下がる。
 残されたのは、自衛官達に両脇から取り押さえられていた、ボーゼス嬢である。
 彼女を残す形で、倉田や栗林達は後ろに下がった。
 ボーゼスは、俯いたまま「わ、わたくしが、やりました」と蚊の鳴くような声で言った。
 この時のピニャのため息は、とても深々としていて、広間中の誰の耳にも聞こえたほどと言う。こめかみがズキズキと痛くなって、頭を抑えてしまう。
「この始末、どうつけよう……」
「あのぉ、自分らは隊長を連れて帰りますので。それについてはどうぞそちらで決めて下さい。そろそろ明るくなってきてましたし……」
 と言ったのは、富田である。ピニャが何に悩み苦しんでいるか知らないから、安易なものである。なにしろ彼にとっては、彼好みの美人がイタミをぶん殴った。それだけのことでしかないからだ。だがその言い方が、突き放すような最後通牒的響きを持って「そっちで勝手に決めて下さい」という意味に感じられた。
 レレイが、いつものように抑揚に欠けた口調で通訳するとさらに効果倍増である。
「それは困るっ!」
 ピニャは、このまま帰すわけには……と。引き留めるネタを探して、朝食を摂って行ってはどうか、とか、接待を受けて欲しいとか、様々なことを言って引き留めにかかった。
 倉田は、とても申し訳なさそうな態度を示しながらも言い訳を続けた。
「実は、伊丹隊長は、国会から参考人招致がかかってまして、今日には帰らないとまずいんです」
 この時、レレイの翻訳は、語彙の関係上次のようなものとなった。
「イタミ隊長は、元老院から報告を求められている。今日には戻らなければならない」
 これを聞いたピニャの顔は、『ムンクの叫び』の如きものとなった。
 帝国では、出世コースにのっているエリートを、名誉あるキャリアと呼んでいる。将来の指導者層となる人材と目されると、現段階での位階が低くても元老院での戦況報告や、皇帝に意見具申をしたりする機会が与えられるのである。
 そんなこともあって、元老院から報告を求められているイタミを、名誉あるキャリアに立つ重要な人材であると勘違いしてしまった。
 そんな重要人物になんてことを……、このまま行かせてはならない。なんとしても取り繕わなくては。
 この時、ピニャ、決断の瞬間である。
 拳を固めると立ち上がって決意表明した。
「では、妾も同道させて貰う!!」



二一



「国境の長いトンネルを越えると雪国だった」は川端康成の「雪国」の一節である。暗いトンネルから白銀の雪景色へと風景が一変する様相を見事に書き表し、それによって読者を作品世界へと一気に引き込んだ名作中の名文だと思う。
 これにならって異世界を繋ぐ「門」を越えた時の印象を、劇的に書き表そうと試みたのだが、なかなかうまくいかない。
 例えば、銀座のような都市のど真ん中にぽつねんと門が置かれていて、それをくぐったら突如牧歌的な風景の中に出た、と、なるのならその印象の移り変わりを劇的に描くことも描写力の範囲で可能になると思う。読者に対して「おおっ」という気分を感じさせることも出来るかも知れない。
 だが、すでに門の『特地』側も銀座側同様に、地面はアスファルトでかためられている。しかもその周囲は前後左右、天に至るまでを堅牢なコンクリート製ドームで覆われ、ドームそのものへの立ち入りも厳しく管理されICダク付きの身分証・指紋・掌紋・皮静脈・網膜パターンと言った、何重ものチェックを経なければ近づくことすら適わない有様。
 資材や物資を運び込む自衛隊のトラックすら、厳重な検疫とチェックを経て始めて通過を許されるのである。
 そして、ようやくドームの外へ出るとコンクリートも乾ききって無いような真新しい建築物が何棟も立ち並んでいるし、さらにその建物群も六芒形の防塁と壕によって周囲を堅く守られている。
 その外側つまりアルヌス丘の裾野は、野戦築城の教範そのままにお手本のような交通壕と各種掩体が掘られ、鉄条網や鹿砦(ろくさい)が偏執狂的にまで列べられ、近づく者を拒んでいる。
 そして……丘の南側には森がある。
 こちらにはレレイらコダ村からの避難民達が住まう難民キャンプがあるが、風景としてみれば森というのは、日本も『特地』もあまり大差がなくて、植物学者あたりが見なければその差異を指摘することは難しいものである。
 丘の東側は滑走路と格納庫の建設作業が続く土木工事現場である。その一角では既に空自地区も設けられて、数機のF4ファントムの組み立て作業が平行して行われている。
 こんな有様であるため『世界を渡る門』に期待される感動は、今ではすっかり失われていた。
 強いて言えば大規模娯楽施設、例えばファンタジー世界を演じようとしているアメリカネズミーランドの出入りゲート並に成り下がったのかも知れない。
 いや、娯楽性という意味に欠けているから、一般人にとっての駐屯地の営門と言い換えた方がより適切であろう。すなわち、この雰囲気に住み慣れた自衛官達にとっては日常と大差のない連続した風景の続きであり、一般人からするとほんのちょっと雰囲気の違う世界がそこにある。
 『門』の手前と向こう。門を挟んだこの両者の風景は、今やその程度の落差でしかなくなっていた。

 従って、ピニャ・コ・ラーダと、ボーゼス・コ・パレスティーにとってのアルヌスの丘はすでに『異世界』であった。
 今回の協定違反について、健軍あるいは、彼よりも上位の指揮官に、きちんと謝罪をしておきたいというピニャの申し出を、伊丹はしぶしぶながら受け容れると彼女の同行を許可した。
 ただし、伊丹も時間がないため、騎馬の護衛だの側仕えの従者とかをゾロゾロ連れて行くわけにはいかない。だから、「高機動車に同乗できるピニャ1人と、あとひとりの合わせて2人まで」が、伊丹のつけた条件であった。ホンネで言えば、それでは同行できないと断ってくることを期待したのであるが…。
 ところが、すっかり性根を据わらせていたピニャは、イタリカの治安についてはボーゼスとパナシュに、またフォルマル伯爵領の維持管理と代官選任をハミルトンに押しつけると、「単身で行く」と宣言して、同行の支度をはじめてしまった。
 さすがに、殿下一人でいかせるわけにはいきませんっと、ボーゼスやパナシュが取りすがって同行を志願。ピニャはボーゼスを指名し、ぱぱっと荷物を整えると、無理矢理という感じで高機動車に乗り込んだのである。
 そして、高機動車のあまりの速度に目を回しつつ、アルヌスへと到着した。
 アルヌスの風景は、彼女の知るものとは一変していた。
 ただの土が盛り上がっただけの丘だったはずが、今や城塞がそびえていた。
 しかも、何をするつもりなのかその麓の土を掘り返して、整地している様子が遠景からもはっきりと見えたのだった。
 ピニャ達を出迎えるかのように上空を訓練飛行中のヘリコプターが三機編隊でNOEして急旋回する。エンジンの力ずくで空中に制止し、大地を嵐にも似たローター風で掃き清めていく。
 そんな中を、第三偵察隊の車列は砂利で整備された道路へとはいった。
 OPL(前哨監視線)を越えると、いよいよ自衛隊の支配地域である。
 ここからFEBA(戦闘陣地の前縁)までの広大な地域は、無人のうえに荒野が広がっているだけなので現在は演習・訓練場として使われている。ちなみに、翼竜の死骸もこのあたりに転がっているため、コダ村避難民の子ども達もこのあたりに出没して仕事場としている。
 まず見えてきたのは、隊伍を組んだ自衛官達が、旗手を先頭にハイポート走をしている姿だった。前方からすれ違うように走ってくる。
「いちっ、いちっ、いちにっ!」
「そーれっ!」
「いちっ、いちっ、いちにっ!」
「そーれっ」
「連続呼唱ーっ、しょーっ、しょーっ、しょーっ、数えっ!」
 ……てな感じで、隊員達の練武の声が聞こえ、小さくなっていった。
 その隊伍が後方へと消え去っていくのを見送ると、今度は路傍に骨組みしかない建物が見えて来た。
 帝都へ進撃すれば市街戦の可能性もあるため、この場所ではカトー先生監修のもと、この世界における一般的な民家の構造を真似た街並みすら再現しようと試みられているのである。
 そして民家を模した小屋やスケルトンハウスで、ゲリコマ対処の訓練をしているのだ。
 最初、ピニャには自衛官達が何をしているのか理解できなかった。
 この世界における戦闘とは、騎士や兵士達が武器を構えて「わぁぁぁ」と喊声をあげながら吶喊することだったからだ。
 彼我が接触すればあとは、個人の武技の出番である。目前に現れた敵を、剣や槍、楯を駆使して倒していくだけ。野蛮な辺境部族との違いは、そんな戦いであっても戦意に任せてやたらめったら戦うのではなく、隊列を維持し百人隊長の指揮の下システマチックに前列と後列が交代しながら進むことにある。敵は疲れた者から倒れる。こちらは、常に新鮮な体力と戦意を有する者が前に出て、疲れた者は後ろに下がって休むという仕組みをもっているのだ。
 あとは、野っ原だろうと市街地だろうと本質的にかわらない。現場指揮官のすべきことは兵士の『戦意』を上手に統御して敵に嗾けることにあり、兵の為すべき訓練と言えば武技を磨くことなのだ。
 ところが、ここでは違う。楯を装備しているわけでもないのに、あたかも亀甲隊形のように身を寄せ合っている。時に散らばって走り、立ち止まり、身をかがめ、指先でなにか合図しながら、静と動のメリハリのある機敏なふるまいで、動いていく。
 さらには、四方八方に『杖先』を向けている。あたかもハリネズミのごとく。
 いったい、何をしているのだろう?……と首を傾げざるを得ない。
「彼らの持っている杖は、イタミらの持つものと同じ物のようだが、ジエイタイとは全ての兵が魔導師ということなのか。もしそうならば、それが彼らの強さの秘密ということか」
「魔導師は稀少な存在ですわ。魔導とは特殊能力だからです。ですが、これを大量に養成する方法がジエイタイにはあるのかもしれませんわ」
 ボーゼスは、ピニャの感想をうけてそう解釈して見せた。
 あの杖が火を噴き、敵を倒す様子が想像できた。そしてこれが、どこに隠れているかわからない敵を警戒し、探し出し、殲滅するという目的で為されている訓練であることが理解できる。
 物陰で待ち伏せて襲いかかろうとしても、二階の窓から矢を射かけようとしても、前後左右から挟み撃ちしようとしても…帝国の騎士も、兵士も、その槍先が剣が届くよりも先にあの火を噴く杖によってばたばたと倒されていくだろう。
「ちがう。あれは、『ジュウ』あるいは『ショウジュウ』と呼ばれる武器。魔導ではない」
 ボーゼスの解釈を、傍らにいたレレイが否定した。
「あれこそが、ジエイタイが使う武器の根幹。彼らは、ジュウによる戦いを上手く進める方法を工夫して現在の姿に至っている」
「武器だと?あれが、剣や弓と同じく武器と言うのか?」
「そう。原理は至って簡単。鉛の塊を炸裂の魔法を封じた筒ではじき飛ばしている」
 この地に転がる翼竜死骸をあさっていれば、嫌でも穴の空いた鱗や鉛の塊、破片を目にすることになる。レレイの知性は教えて貰わずとも、見て、聞いて、考えた末に鉄砲の原理を導き出していた。
 ピニャは目が眩むような思いだった。魔導ではなく、武器と言うことか?もしそのようなものを作ることが可能なら、兵士全てに装備されることも可能ではないか?
「そう。そして彼らはそれをなした」
 もし、そんなことになったら戦争の仕方ががらっと変わってしまう。これまでのような剣や槍をそなえた兵を多数そろえて敵にむかっていくような戦い方はまったくの無意味になってしまう。
「そう。故に、帝国軍は敗退した。連合諸王国軍は敗退した」
 突如、九六式装輪装甲車が驀進してきて停車した。後方のランプドアが開くと、なかから隊員が吐き出される。
 飛び出してきた隊員達は、見事なまでの疾さで瞬く間に横一線に展開すると、仮想敵に銃を向けた。
 この瞬間に、ばたばたとうち倒される騎兵や歩兵の姿が想像できて、ピニャは眉を寄せた。
「遅い!!もっと早く、速く、疾くだ。もう一度っ!!」
 指揮者の罵声をうけて自衛官達が、ふたたび元の位置へと戻っていく。その姿を見ながらピニャは「根本的に戦い方が違う……」と思い知らされたのである。それは、イタリカにおいて魂に刻み込まれた得体の知れないものへの恐怖とは違う、理性的に敵を理解するが故の恐怖感とでも言うべきものであった。
 高機動車の車内にいる伊丹、桑原、倉田…彼らの抱える「ジュウ」は魔導ではなく武器。武器……ならばピニャでも、ボーゼスでも手にしただけで使えるはずだ。
 この武器について知ること、可能なら入手すること、それだけがこの戦いを少なくとも一方的な負け戦としないために必要なことだと思うピニャ達である。奪うか、あるいは職人の尻を蹴飛ばしてでも同じ物を作らせる必要がある。
 そんなピニャ達の決意を表情から読みとったのか、レレイは告げた。
「それは無意味」
 レレイは、反対側の車窓を指さした。
 反対側の荒れ地では、暴れ狂う巨象にも比肩するほどの巨大な鉄の塊……七四式戦車が轟音をあげて走っていくのが見えた。
「『ショウジュウ』の『ショウ』とは小さいを意味する言葉。ならは対義の『大きい』に相当するものがある」
 七四式戦車の鼻先から突き出ている一〇五㎜ライフル砲が目に入った。
「あ、あれが火を噴くと言うのですか?」
 ボーゼスが呻くように言ったが、ピニャには思い当たるところがある。コダ村の避難民達が、『鉄の逸物』と呼ぶ強力な武器があったはず。
「まだ、直接見たことはない。だけど想定の範囲」
 同じような物を作れる職人は帝国にはいない。帝国どころか大陸中探してもどこにも居ないだろう。妖精界の地下城にいるというドワーフの匠精に尋ねたところで同じに違いない。これは、まさしく異世界の怪物である。炎龍を撃退したという話も今となれば信じられる。
 鉄の天馬。鉄の象。あんなものを大量に作り上げるジエイタイとはいったい何者なのか。 何故、こんな相手が攻めてきたのか?
 ピニャの愚問とも言える呟きに、レレイは嘯くように応じた。
「帝国は、翼獅子の尾を踏んだ」
「あ、あなたたち、他人事のように言いますわね。帝国が危機に瀕しているというのに、その物言いはなんなのですか?!」
 ボーゼスの怒りを、レレイは肩をすくめてやり過ごすと言った。
「私はルルドの一族。帝国とは関係がない」
 ルルドとは定住地を持たない漂泊流浪の民である。現在でこそ定住を強いられているが、もともとの彼らには国という概念はなかったと言う。
 聞き耳をたてるつもりがなくとも聞こえるところにいたテュカも、手を挙げた。
「はい、あたしはハイ・エルフです」
「………」
 ロゥリイは、あえて言うまでもないと薄く笑うだけ。
 帝国とは、諸国の王を服属させ、数多の民族を統べる存在。
 皇帝は、武威を以て畏れられることをよしとし、愛されることや親しまれることを民に期待しなかった。
 力ずくの征服、抑圧、暴力による支配。その結果がこれである。いかに帝国が支配していると言っても、地方の諸部族や亜人達が心から服しているわけではないのだ。
 今更ながら、国のあり方というものを思い知らされるピニャであった。




 ピニャは、アルヌスの丘頂上近くに建設された特地方面派遣部隊本部の看板が掲げられた建物に案内された。
 ここで、伊丹達と別れる。
 ピニャとボーゼスの二人は制服で身を固めた婦人自衛官に誘われ、階段を上り建物の奥へと迎えられた。
 そして応接室で、待つこと暫し。
 応接間は殺風景と言いたくなるほどに小ざっぱりとして、飾り気に欠けていたが、長椅子の座り心地は最高。置かれているテーブルもよく見ればしっかりとした造りをしていて、名高い名工の手による者だろうと思われる。
 そんな室内のもの珍しさに慣れて退屈しようとし始める頃、戸がノックされた。
 ピニャとボーゼスの二人は、跳ね起きるようにして立ち上がった。
 見ると初老に域に達しようとしている男が入って来る。
 黒に白を混ぜたがために灰色に見える髪をもつ。その髪を精悍なまでに短く刈り上げているが、健軍と違って穏和な笑顔が、芯にある堅苦しさを包み込んで印象的だった。
 ピニャの感性からすると着ている緑の制服の飾り気はとても少ない。
 胸に若干の彩りの略章が列んでいるだけ。これが一軍の指揮者のものとはとても思えなかった。軍の高位に立つ者なら、胸と言わず肩と言わず、体中を絢爛煌びやかな徽章、宝飾そして、金の刺繍で彩っている。それにくらべて、この貧相さは一兵卒のそれにも劣るように思えるのだ。
 だが、ここに来るまでにこの軍が、飾り気を廃し実を重視していることが理解できたために、そう戸惑うこともなかった。
 おそらくこの男がこの軍の最高位かあるいはそれに準ずる地位に立つ者だろうと理解した。
 後から入ってきた健軍が傍らに立ち、彼に耳打ちするかのように何かを囁いているし、闊達とした振る舞いに、貫禄めいたものも感じられたからだ。
 健軍に続いて、陰湿そうな笑みの男や、女の兵士達(婦人自衛官)も入ってくる。皆外で見かけたそれと違う、緑色の制服をまとっていた。おそらく戦闘用のまだら緑と、礼典の際に着るものとを分けているのだろうとピニャは推察した。
 最後に、レレイが招かれたように入ってきて、初老の男の隣に立った。
 初老の男が、笑顔でレレイを労うかのように何かを告げた。
 レレイは首を振って、それからピニャの方へと向き直ると、初老の男について「こちらはジエイタイの将軍、ハザマ閣下」と紹介した。そうしておいて、ハザマに向けて、ピニャのことを紹介している。言葉そのものは理解できないが、固有名詞はそのままなので自分の名前が紹介されたことは解るのである。
「こちらは……帝国皇女ピニャ・コ・ラーダ……ニホン語での尊称がわからない」

「『殿下』がよいと思うよ。こちらの言葉で、皇族に着ける尊称はどのようなものがあるのかね?」
「男女の使い分けがあり、女性にたいしては『francea』が適切」
 レレイに言葉をならった狭間は、ピニャに対して腰掛けるよう勧めた。
「どうぞおかけ下さい、フランセィア(殿下)そして、ボーゼスさん」
 その後、狭間達もそれぞれに腰掛けると、レレイの通訳を経た会話が始まった。
「協定を結んで早々に、しかも殿下自らお越しに成られたのは、どういったご理由からでしょうか?」
「我が方にいささか不手際がありましたので、そのお詫びに参った次第です。それと、若干お願いしたいことがございまして」
「報告は伺っています。現場で何か行き違いがあったとか?」
「はい。汗顔の至りです」
「そうですか?ま、帝国政府との仲介の労をとって頂ける殿下のお心を患わせるのも、自分としては本意ではありませんからな……必要なら協定そのものの扱いも考え直す必要もありましょう」
 日本人は交渉相手の些細なミスには、寛容さで応じてしまうところがある。故に外交下手と言われるのであるが、協定の存在がイタリカとフォルマル伯爵領を守っていると解釈しているピニャにとって、協定の否定は自衛隊によって侵攻されることを意味していた。従って、狭間のこの言葉は「協定が守れないなら、侵攻するよ」と聞こえた。「仲介の労をとってくれる殿下の云々」の下りは、その意味で解せば強烈な嫌みでしかない。
「いや、それは」
 すると、傍らに座っていた陰湿そうな笑みの男が、口元をニンマリとゆがめると、口を開いた。
「イタミから聞きましたよ。なんでもこちらのご婦人に手ひどくあしらわれたそうですね」
 これがレレイに通訳された途端、ピニャとボーゼスの背筋は冷たい汗が吹き出し始めた。
 結局、伊丹の口を封じることはできなかったのだ。二人っきりで話したいと何度か『誘った』のに、あの朴念仁は全く受け容れてくれなかったのである。まぁ、伊丹としては自分を理不尽にもぶん殴った女性やその親分に、2人きりで話したいと艶っぽく微笑まれても「おまえ、ちょっと顔カセや」と凄まれているようにしか思えなかっただけである。
「あのアザとひっかき傷。見た途端、笑っちゃいましたよ。イタミは公傷扱いにしてくれって言ってましたが、どう見ても痴話喧嘩の痕にしか見えませんよね。あの男が、そちらのご婦人に何か失礼なことを言ったんじゃないですか?」
 ニヤニヤ笑いながら「……イタミが暴力を誘発するような言動をしたか?」と手厳しいことを言うこの男に、ピニャは蛇みたいで嫌な奴という印象を強く抱いた。
 こちらの隙や落ち度を見逃さないばかりか、「何で彼に暴行をしたかのか?」「暴行されなければいけない理由とは何だ?」と、しつこく、抉るように追求してくる。
 彼は、何もしてないのだ。何もしてないのに暴行を受けたのだ。この男の言葉は、その理不尽さ、凶悪さを際だたせ、ピニャらの罪を弾劾する言葉として聞こえた。
「………」
 ピニャが答えに窮していると、レレイが何かを『陰湿そうな笑みの男』に告げた。すると男は、陰湿そうな笑みを皮肉そうな笑みに切り替えて、名を告げた。
「これは失敬。自己紹介が遅れました。自分は、柳田と申します。どうぞ、お見知り置き下さい」
 ピニャには、「私の名前は、ヤナギダと言う。よく憶えておけよ」という意味に聞こえたのであった。



「さ~て、飯を食って寝るぞぉ」
 残った弾薬を弾薬交付所に返納して、銃を整備して武器庫に収め(栗林の小銃は、この度廃銃となった。剣を受け停めたときの損傷が銃身そのものまで及んでいることが確認されたからだ)、車両の泥を落として……などとやっていたら食事をする時間もなく、既に陽は落ちて夜になっていた。
 さらに報告書とかも書いて、提出して、明日の参考人招致と、それを終わったあと行動についての指示を受けたりして……さすがに疲れた伊丹である。
 とりあえず、どっかりとデスク前に座って引き出しに図嚢から取り出した書類などを片っ端から放り込んでいると、机の中に入れて置いた携帯がチカチカと点滅して、メールが届いていることを知らせていた。
 誰だ?と思って開いてみたら、梨紗と、太郎閣下であった。
 この両者は、いずれも伊丹のオタク仲間である。名前ももちろんハンドルネームだ。太郎の場合は、彼自信が名乗ったハンドルネームに周囲がとある理由で勝手に『閣下』をつけて呼ぶようになり、それが用いられるようになったのである。
 梨紗は、近況報告に類することと、単刀直入に「金を貸して(ハート)」と書いていた。二通目や三通目になると、「至急援軍を請う」とか「我、メシなし、ガスなし、携帯代なし」と悲痛な叫びへと変わっていた。わずか一日~二日でこの内容に至るとは、どうなっているのかと思うところである。
 この女は公務員としての安定収入をもつ伊丹を、カードローン代わりに使うことが度々あった。どうせどこかのドルパで異様に高価なアイテムを衝動買いして、生活費に影響しはじめたのだろう。どちらにしても放っておく訳にもいかないので、助けてやらねばならない。
 太郎からのメールには伊丹が、近日戻ることを知ってか一度顔を出すようにと書いてあった。
 季節がずれているので忘れてしまうが、門の向こうはもう冬である。年末も近いし、そろそろ休暇を申請しておこうと思う。悲劇の夏コミ中止から半年、冬コミはその分盛況になることが期待された。太郎閣下からの呼び出しも、気軽に人の多いところに出られない彼にかわってゲットするアイテムについての依頼だろう。
 参考人招致で本土に戻ったら、まずは「カタログ」を入手しなければならない。
 そんなことを考えていると、窓の外から消灯ラッパが聞こえ出す。あちこちの隊舎から灯りが消えていく。
 もう、そんな時間であった。いくらなんでも糧食斑も食堂を閉じている。
 仕方なく机の中に隠匿して置いた缶メシ(戦闘糧食1型/とり飯/たくあん漬/ます野菜煮)をデスクの上に置いて、缶切りをあてた。
 すると、廊下のほうから戸を叩く音が聞こえた。
 思わず幽霊でも出たかと思って振り返ると、暗い廊下にレレイがたたずんでいた。
「こんな時間に、どうした?」
 レレイは各種資料の翻訳のためということで、特例措置として臨時雇いの『技官』の身分が与えられている(もちろん働いた分の給料も出る。ただし日本円)。そのためにかなり自由に歩き回ることが出来るのである。巡察や不寝番に誰何された時のために、首から身分証を入れたパスケースも提げている。
「イタミ。キャンプまで送って……疲れた」
 そう言って、杖を投げ出すと女の子座りでしゃがみ込んでしまった。
 レレイは感情などを顔に出さない上にかなり我慢強い。それだけに「疲れた」などと弱音を吐き出す時は、真剣に疲れ切っていると見るべきだった。ピニャと狭間とのあいだで通訳として働き、相当に神経をすり減らしたのだろう。
「メシは喰ったのか?」
 最早言葉を発するのも辛いのか、ウンウンと二回ほど頷く。彼女の伊丹を見る目は、捨てられた子犬のようでもあった。
「あー、もう車を出すのもなんだし、ここで寝ていったらどうだ?空いてる部屋は結構あるんだぜ」
 彼女の住むキャンプまで、道のりも結構ある。
 しかも、一人じゃまずいから偵察隊の誰かを叩き起こさないといけないし、一応武装しなくちゃ営外に出てはいけないことになっている。また書類を出して、車を出して……面倒くさいことこのうえない。だったら、空き部屋のベットにレレイの寝床をしつらえてやった方が楽なのである。
 レレイはイタミに任せるとばかりに、ウンウンと二回ほど頷くと眠りの世界へと旅立ってしまった。




 さて、ベットである。
 隊員にはベットにマットレス一つ、枕一つ、毛布五枚(飾り毛布一枚)、枕カバー一枚、シーツ二枚、掛け布団一枚が与えられる。(今は新ベットが導入されつつありこの限りではない)。
 これを用いて、定められた形にベットを作らなくてはならない。
 まず、毛布を三枚敷く。大抵の毛布は横幅がベット幅二つ分のサイズなので、たたんで重ねることになる。(この時のたたみ方が、寝心地と形という、ベットの全てを制することになる)
 その上に二枚のフラットシーツをかける。この際、角に三角形の折り込みがきちんと出来ていることが大切になる。一枚が敷き布団側、一枚が掛け布団側で眠る時は、その間に潜り込む形になる。
 そして、その上から毛布を身体側と枕側の双方に被せるように包み込むが、やはり角の折り込みはきちんと三角形が描けてなければならない。あたかもプレゼントの包装紙のごとくである。皺もたるみもなく、角はぴしっと。その上で枕側に掛け布団を置く。この状態を延べ床と言う。
 どちらかと言うと温暖なこの世界では掛け布団は使わないので省かれていた。
 こうしてベットを作ると伊丹は、床に転がして置いたレレイを抱え上げて、ベットへと放り込んだ。
 真っ白な髪。真っ白な肌は陶器のようである。
 その整った造形は、まるで等身大の球体関節人形では、と勘違いしそうである。
 その方面の趣味は伊丹にはないが、彼女をベットに載せて毛布とシーツで包みあげていると、そういうことに喜びを見いだす人々の気持ちに、わずかに共感しそうになってしまう今日この頃である。
 思わず、ブルブルと首を振って「違う!」と呟いて。そう、俺の歳になれば、このぐらいの娘がいても可笑しくないし。と、心理学的防衛規制のひとつである、合理化をはかった。まぁ、高校卒業した年の一〇月に子どもを出産した同級生女子がいたから、ありえないとも言えない。
 レレイは十五歳だと言うが、日本で十五歳と言えばもう少し体つきに凹凸があってもよい年頃だ。だが、レレイはその年齢に比すれば幼い上に、小さく細くて軽い。まぁ、年齢に比べて外見が圧倒的に若い実例が、他に二人もいるが。
 ふと、気づくとレレイを見守る形で朦朧としていた。
 どうやら睡魔に捕らわれたようである。
 いけない。こんなところ人に見られたら絶対に誤解されてしまう。すぐに部屋に戻って寝なければ、と思った。
 ただでさえ、倉田あたりから「二尉は、ツルペタ系が好みでしょ」と揶揄されてるのである。
 確かに『いかにも女』というタイプは苦手だ。しかし、ツルペタ系が好みというのも誤解なのである。はっきり言って胸はあった方がよいし、腰はくびれているほうが良いと心の底から思っている。
 その意味では、レレイには食指が動かないのである。とは言え、レレイが眠っている傍らに不必要に滞在していたら、あとでどんな噂を立てられるかが心配である。直ちに立ち去らなくてはならなかった。
 だが、その頃には身体がじっとりと重くなっていた。
 考えてみれば徹夜で戦闘、帰還途中で捕虜になって、小突かれて走らされて、そのまま夜もゆっくり休めないという不眠不休が続いていた。蓄積した疲労から来る睡魔も、相当に強烈である。
 こうして、伊丹の意識は途切れる。結局の所、その意に反してレレイのお腹を枕にして眠ることとなってしまった。



    *      *



 翌日。午前十一時、中央ドーム前。
 伊丹は、虚ろな表情でぼやっと突っ立っていた。
 服装は日本側の気候に合わせて九一式の冬服なのだが、温暖なこちら側では暑くてしょうがない。だから上着は袖を通さずに抱えている。ワイシャツの袖はまくっている。
 その姿がなんともだらしなく見えて、通りかかった位の高い人達は大抵眉をしかめるのであるが、彼の抱えているのが冬服であることに気付くと、一転して気の毒そうに笑って通り過ぎていく。
 こちらにいるのなら夏服ですむのだが、冬の日本へ行くとなれば冬服を着るしかない。季節のずれがもたらす小さな喜劇である。
「遅い……」
 時間という概念にいささかルーズなのが、この世界の人の特徴かも知れない。時計というものが普及していないから、時間に合わせて行動するという習慣がないのである。
 待つこと暫し。額に流れる汗を二回ほどふき取って、ようやく待ち人達が現れた。
「栗林ぃ~、富田ぁ~遅いぞぉ」
「済みません二尉。支度に手間取っちゃって」
 制服姿の伊丹に対して、現れた栗林や富田『達』は私服であった。
「この暑さなのに、なんで厚着が必要なのよ…」
 と、ぼやいてるテュカとか、「………………」と何も言わずに、意味深げにじっと伊丹を見るレレイとか、いつもの黒ゴスのロゥリィとかもいる。
 ロゥリィはいつも持っている巨大ハルバートを帆布で包装しているが、それが気に入らないのか、なにやらブツブツ言っていた。
「しょうがないでしょ。そんなものむき出しで持ち歩いてたら、銃砲刀剣類等取締法違反とか、凶器準備集合罪とか、各種の法令条例で捕まっちゃうのよ。ただでさえ、最近は冗談じゃ済まないんだから。ホントなら置いて行かせたいくらいよ」
「神意の『徴』を手放せるわけないでしょう?」
「だったら、我慢してよね」
 ロゥリィには、門の向こうに行かないと言う選択肢はないようである。
 実際の所、参考人招致で呼ばれているのは、炎龍との交戦時に置いて、現場の指揮官であった伊丹と避難民数名である。
 そこで「避難民数名を、どうするか」なのだが、こうなると言葉の通じるレレイははずせない。最近便利使いされて彼女に負担がかかっているが、現状では我慢して貰うしかない。今回の参考人招致では終わったあと、慰労も兼ねて彼女をゆっくりとさせるようにと狭間陸将直々の指示が出ている。
 テュカを選んだのは、こちらに住むのはヒトという種だけではないと言うよい例になるからである。見た目で解る程度の違いをもつ彼女の存在は、メディアに対して、強力な説得力をもつだろう。
 ロゥリィの場合は見た目はヒトと同じ。しかも外見は子どもだし、着ている神官服と合わせたらどこのコスプレ少女を連れてきた?と言われかねない。
 亜神たる証拠の奇跡を示せなどとは畏れ多くて言えないし(その手のことを口にして滅ぼされたものの数は神話を紐解いてみると少なくないことがよくわかる)、その強さを国会で証明されても困る。だから、あんまりメリットがないのである。
 それでも行くことになったのは、彼女の「そんな面白いことにわたしぃを仲間はずれにするつもりぃ?」の一言であった。
 栗林と倉田は、彼女らのエスコートである。
「おーし、そろったな。そろそろ、行くぞぉ」
 伊丹がそう言いかけた時、公用車が伊丹の前に滑り込んできた。
 助手席から、柳田が手を挙げながら降りてきた。
「悪い悪い、手続に手間取っちまった」
 思わず何の?と尋ねたくなるほどの気安さであるが、柳田はそういうと後部座席のドアを開いて客人を降ろした。
「ピニャ・コ・ラーダ殿下と、ボーゼス・コ・パレスティー侯爵公女閣下のお二方が、お忍びで同行されることになった。よろしくしてくれ」
 ピニャとボーゼスの二人は降り立つと、伊丹等の前に進み出た。
「おい、柳田。聞いてない」
「あ?言ってなかったか?まぁ、いいだろ?市ヶ谷園(防衛省共済組合直営のホテル)の方には、宿泊客追加の連絡はしといた。それと伊豆の方にも連絡済みだ。二泊三日の臨時休暇だ。しっかり楽しんでこい」
「あのな。このお姫様達に俺がどんな目にあったと思ってる」
「ああ?誤解だろ?笑って水に流せよ」
「笑えねぇよ」
「いちいち気にするな。なにしろピニャ・コ・ラーダ殿下には、帝国との交渉を仲介をしてもらわないとならんからな。その為には我が国のことも少しは学んでおきたいという、ご要望も当然と言えば当然だ」
「それが、なんで俺たちと一緒なんだよ」
「しょうがねぇだろ。案内しようにも、通訳出来そうな人材がまだ育ってないんだから」
…そこまで言って柳田は伊丹に近づくと、声をひそめる。そして一通の白封筒を伊丹のポケットへと押し込んだ。
「狭間陸将からだ。娘っ子達の慰労に使えとさ」



二二



 帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダは、その日の日記にこう書いている。
「世界の境たる『門』をくぐりぬけると、そこは摩天楼だった。かつてこの地を踏みしめた帝国の将兵は何を思ったのだろうか。自らの運命を予測し得ただろうか?私は、今この巨大な建物の谷間にあって、自らの矮小さを味わっている。これほどの建造物群を作り上げる国家を相手に戦争をしている帝国の将来を憂いている」
 いくらなんでも銀座程度で摩天楼はないだろう。と思うのは、日常的に新宿などの高層ビル群や、テレビなどの映像でニューヨークのような高層ビルの大集団を知るからだ。
 巨大な建物と言えば帝都の宮殿とか、元老院議事堂、あとは軍事用の城塞しか知らないピニャとボーゼスにとって、銀座の街並みでも十分に摩天楼なのである。
 巨大な建造物は、そうでない建物の中でひときわ目立つ。
 だから周囲を睥睨する存在感をもって風景の中心軸として鎮座している、というのがピニャの常識である。だが、ここは違う。都市を構成する全ての建物が巨大であった。
 一本の巨木の存在は、拠り所となって見る人々の心を安らかにさせる。だが、巨木の大集団たる樹海は人々の心を圧倒して飲み込んでしまうのだ。
 この街並みも、ピニャとボーゼスの心を打ちのめした。
 もちろん、二人だけではない。レレイやテュカ、そしてロゥリィすら、目を丸くして呆然と立ちつくしていた。冬の銀座の真っ直中で、寒さも忘れてずうっとたたずんでいた。
「ま、おとなしくて丁度良いか」
 そんな五人を後目に、警衛所で営外へと出る手続を終えた伊丹に声をかける者がいた。
 見た目には、『いかにも』という黒服の集団である。その代表者らしい男は、どこにでもいそうな中年っぽいオヤジ風の男だった。
「伊丹二尉ですね」
「はい。そうですが」
「情報本部から参りました、駒門です。今回のご案内役とエスコートを仰せつかっています」
 満面の笑みを浮かべているように見せつつも、眼光のみ鋭く目が笑ってない。それはレンジャー教育を終えたばかりの隊員が発する、迫力のある雰囲気に似ているが、自衛官の場合剥き身の蛮刀に似るものだ。
 この男の場合は、隠されたカミソリっぽい雰囲気があった。それが、生粋の自衛官のものとは違うように感じられた。もしかしたら警察官……特に公安畑の出身者とか、情報関係の職種の人ではないかと思った。自衛隊は、警察との人材交流(つまり自衛官が一定期間警察で警察官として働く。警察官が自衛官として、自衛隊で一定期間働く)が盛んであることの成果かも知れない。
「おたく、ホントに自衛隊?」
「やっぱり、わかりますか?」
「空気が違う感じがするからね。もし生粋の自衛官でそんな雰囲気を身にまとえるような職場があったら、今時情報漏洩とか起きないだろうし」
 駒門は、口元をニヤリとゆがめた。
「あんた、やっぱりタダ者じゃないねぇ。流石は二重橋で名をはせたお人だわ。実は、あんたの経歴を調べさせて貰ったんだよ」
「何にもなかったでしょ?」
「そうでもないな、結構楽しませてもらったよ。平凡な大学を平凡な成績で卒業。一般幹部候補生過程を経てビリから二番目の成績で三尉に任官。その時のビリの学生だって、途中で怪我をしたからで、そいつがいなけりゃあんたがビリだった。ああ、ちがうか。(メモの頁を捲る)あんたが合格するのに、そいつが不合格になるんじゃ理不尽だという意見が出たんだ。……その後実部隊配備。勤務成績は、可もなく不可もなく……じゃなくして、不可にならない程度に可。業を煮やした上官から、幹部レンジャーに放り込まれて、何度か脱落しかけながらも尻尾にぶら下がるようにして修了……あんたその時のバディから蛇蝎のごとく嫌われてるよ……その後で何でか解らないけど、習志野へ移動。万年三尉のはずが、例の事件のおかげで昇進した……と」
 黒革の手帳をめくりながら、駒門は伊丹の概略を読み上げた。
「隊内での評価は……『オタク』、『ホントの意味での月給泥ぼー』、『反戦自衛官の方が主張したいことが解るだけマシ』……くっくっくっ、こてんぱんだねぇ」
 伊丹はカリカリと頭を掻いた。
「そんなあんたが、なんで『S』なんぞに?」
 あちゃ~と思いつつ伊丹は肩を竦めた。その質問をされると痛いのである。
「ちょっと前にね、こんな論文が発表されたそうです。働き蟻のうち一~二割は、怠け者ってね。その二割を取り除くとどうなったと思います」
「?」
「それまで働き者だった蟻のうち二割が怠け者になったそうです」
「なるほど。つまり優秀で働き者な蟻が、優秀なままでいるためには、同じ集団の中で怠け者が存在することが必要だという訳か」
「『なんでお前はそうも怠け者なんだ』と叱られた時に、思わずそういう屁理屈を口走りましてね。それがどういう訳か変なところに伝わって、優秀な人間ばかり集めると二割が怠け者になってしまうなら、最初から怠け者を混ぜておけば少なくとも優秀な人間が堕落せずに済むだろう……という話になりまして。西普連結成時に自殺者が頻発したということもあって、自殺予防とか心理学的な理由からも、その提案が真剣に取り上げられちまって」
「くっくっくっ、それで、あんたが特殊作戦群へ行くことになったと?ま、あんたみたいなのがのんびりやってれば、壁にぶち当たって伸び悩んでる奴だって、自分を追い込むほど焦ったりしないだろうからなぁ」
 駒門の言葉に、とても深いため息が出てくる伊丹である。
 その時。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」
 恋人に、別れの言葉を突きつけられた少女のような、切なく悲しい悲鳴が傍らから聞こえた。
 見ると、栗林であった。
 顔面を蒼白にして、冗談でもネタでもなく、本気でこころがちぎれそうな表情をしていた。彼女にして見れば、伊丹がレンジャーというだけでも許せないのに、こともあろうに特殊作戦群。このオタクが、怠け者が、憧れの特殊作戦群の一員と聞いてどう思うか。それは絶望であった。この世の全てを呪い、敵とするほどの怒りと悲しみであったのだぁ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 脱兎のごとく走り去っていった。と言っても、門を中心にして周囲を取り囲む自衛隊管理区域のフェンスまでであるが。
 富田が後を追いかけて、しゃがみ込み泣いている性犯罪の犠牲者を慰めるかのように、背中を優しく叩いてはなだめている。
 それを見て駒門は腹を抱えて笑った。どうにか笑いを堪えようとしてるが、それでも抑えきれずに笑っていた。それも時間を経ることでどうにか収まってきて正常な呼吸が出来るようになると、駒門は伊丹の前で背筋を整え、ピシッと実に色気のある敬礼をして次のように言い放った。
「あんたやっぱりタダ者じゃないよ。優秀な働き蟻の中で、怠け者を演じてられるその神経が、凄い。俺は冗談じゃなくあんたを尊敬する」




「うそよ、誰か嘘だと言って…そうよ、きっと夢なんだわっ。これは夢」
 顔を両手で覆って、現実逃避している栗林。そんな彼女の発するどよっとした重暗い空気を避けるには、情報本部差し回しのマイクロバスという乗り物は大変重宝であった。
 なんと言っても、車内が広い。
 栗林を最後尾に座らせて、伊丹らは運転席側に詰めてしまえば、彼女の発する雰囲気に汚染されずに済む。ロゥリィや、ピニャ達も、栗林が嫌いではない。どちらかという好感が持てるのだが、今の彼女からは距離を置きたがった。
 このように栗林が前後不覚の状態にあるため、若干の問題が発生した。
「伊丹二尉、どこに行きましょう」
 情報本部が着けてくれた黒服の運転士が、伊丹に振り返った。
「まずは、服だな。仕立ててる暇もないし、適当に吊しのスーツを売ってる店へ。あの娘達の服装をなんとかしないと」
 国会に向かう前に、ロゥリィやレレイ、テュカそれぞれの服装を整える必要があった。何しろ公式の場に出るのだ。それ相応の格好というものがある。
 特に、テュカの着ているジーンズにセーターという服装は、日本製であるが故に国会の参考人招致という場ではふさわしくない。
 本来なら、こういった配慮は栗林が担当するはずだった。だが、今のところ彼女は機能停止中であったため、こういう事に最もセンスのない伊丹が決定を下すこととなってしまったのである。黒川あたりがいたらきっと止めただろう。
 運転の黒服が、無線であちこちに行き先を連絡して、マイクロバスが動き出す。
 銀座の『門』周辺につくられた、自衛隊の管理区域を出ると、いよいよ銀座の街中へと進み始めた。すると幼稚園児か小学校低学年の子どもがするように、女性達は車窓にかぶりつきになってしまう。
 それも仕方のない話である。何しろ、復興の始まっている銀座のデパート街は、クリスマス商戦のためか煌びやかなイルミネーションと飾り付けで客を集めようとしているし、ショーウィンドウに飾られたマネキンが着飾るブランド物のコート、アクセサリーなど等、女性にとっては目を惹くものばっかりなのだから。
 銀座の街は、夏に酷い事件があったと思えないほどに、たくさんの自動車が行き交い、多くの買い物客で賑わっていた。
 もちろん、シャッターが降りて再開の目処の立たない店舗もある。店主が亡くなってしまったからだ。
 運営そのものが立ち行かなくなってしまった会社もある。社員の殆どがいなくなってしまったからだ。
 それでも、多くの人が銀座を復活させ、客を呼び戻そうとしている。これが、日本人の逞しさなのかも知れない。
「随分とたくさんの人間で賑わっているな。ここが市場なのか?」
「あ、あのドレス」
 ピニャとボーゼスの会話は微妙に噛み合っていなかった。
 そんな中でマイクロバスは、紳士服などを取り扱っている量販店の前に停まった。
 店の女性スタッフに「こいつにちゃんとした服装一式、今すぐ着せてください。できれば一番安いのをお願いします。あと領収書下さい」と言ってテュカを押しつける。特に「安い」を強調したため、店側は品数があるリクルートスーツを取り扱うフロアへとテュカを連れて行った。
「ロゥリィやレレイはどうする?」
 ロゥリィは店に列んでいる、女性用スーツや紳士服を見て歩いたが、「いいわ」と断ってきた。「見た感じ、趣味に合いそうなものないから。それにこれは使徒としての正装よ」
 レレイは一言「不要」と答えてくるだけだった。彼女も興味はあっても、自分が着るとなれば趣味ではないと言う態度である。
 まぁ、レレイのポンチョに似たローブは民族衣装で押し通せるだろう。問題はロゥリィの黒ゴスだが、彼女が正装だと言う以上、無理に変えろとも言いがたい。これもゴスロリに非常によく似ている民族衣装です……で押し通すしかない。
 一方、ピニャとボーゼスの二人は、店内の男物や女物を問わず物色して、スーツの生地や縫製について目を見張っていた。
 今の彼女達の服装は、帝国の貴族社会ではセミフォーマルとして位置づけられる服装であった。
 非常に高級な生地と仕立てのパンツルックで、例えば園遊会とかで馬に乗ったり遊んだりする際に着るような活動的なデザインである。ある意味、昔の乗馬服に似てるとも言えた。
 本当なら、これに腰に剣をつるすのが、騎士団としての略装である。だが、武装を持ち込むことは、柳田から堅く断られていたので、今日の彼女たちの腰は軽い。
 問題は生地が薄いため、冬着としてはいささか心許ないことだが、移動は暖房の効いたマイクロバスであるし、店の中は温かいので困っていない。だから、店の中を見て歩いているのは純然たる興味であった。
「これほどの仕立てと生地。帝国で手に入れようとしたら、相当に高価なものになる」
 これらの商品を無数に、所狭しと列べている店の主は、さぞ大商人なのだろうなぁと感心していた。
「二尉……次の予定は?」
 運転手の言葉に、伊丹は「どっかで、飯を食って。それから国会に行きましょう。参考人質疑は三時からだから、余裕を見て二時に入ればいいでしょう」と応じた。
「食事はどうしますか?」
 伊丹は、苦笑して店の名前を指定した。




「で、どうして牛丼なんすか?」
 富田が唸った。折角こっちに来たんだから、もうちょっと良いものを食べたいというのが人のこころとして正直なところであろう。
 だが伊丹は、銀座から国会議事堂に出るのに、ちょっとばかり新橋へと足を延ばして牛丼屋に入った。牛丼セットの並チケットを八人分買って(半券が領収書となっている)、全員でカウンターに席を取る。
「今日は、参考人招致までは出張扱いになってる。だから交通費と食糧費は公費でまかなわれるんだが、残念なことに一食五百円までしか出ない」
「ご、五百円?」
「で、ここらはちょっとした喫茶店でもコーヒーの一杯で五百円以上とられる土地だよ。そんなところで昼飯を食べようと思ったら、立ち食い蕎麦か、牛丼以外ないでしょ。まさか立ち食いさせるわけにもいかないし、牛丼しかないと思うわけだ。……ま、みんな幸せそうに喰ってるからよしとしようよ」
 レレイ達も、不満はないようで牛丼を掻き込んでいた。ちなみに彼女らは、箸の使い方を難民キャンプで憶えている。戦闘糧食を食べ慣れているレレイ達にとって、牛丼の味は意外としっくりと来るようである。
「でも、良いんですか?お姫様達に牛丼なんて喰わせて」
「こちらの、庶民の生活というのも知って貰うのも勉強になるんじゃない?」
 高貴な出自のお姫様達も、スプーンを出して貰い牛丼の並盛りに卵をかけて食べていた。『丼もの』という初めてのジャンルにも物怖じしないのは、やはり騎士団のような軍営生活で雑な食事に慣れているからだろう。それどころか、結構美味しいという評価を下していた。




 食事を済ませると、一行は一路、国会議事堂へと向かう。
 伊丹、レレイ、ロゥリィそしてテュカの四人は議事堂の係員に案内され、控え室へと案内されていった。
 ここでピニャとボーゼスの二人は伊丹等と別れる。
 栗林と富田の二人と共に、国会の正門前からマイクロバスで都内某所の高級ホテルへと向かうのである。
 彼女らは公式の使節ではないから、公的な施設に迎え入れるわけにはいかないのである。それどころか外務省も、総理官邸も、表向きは彼女たちが日本にいることは知らないことになっている。防衛省も、文書的には彼女らを『招致された参考人に不都合があった時の補欠要員』として扱っている。
 現段階での彼女らが存在するという事実には、不都合なことが多いからだ。
 交渉の窓口を得たとなれば、軍事行動よりも交渉を優先させるべきだという意見が出てくることは間違いない。
 外交交渉というものは、特にこういった武力紛争の後始末は、軍事力そのものを背景にしなければうまく行かないのである。それを知らない、あるいは知っていても無視してしまう、頭のおめでたい連中が我が国には多すぎるのである。日本政府は現在の段階で、自衛隊の活動に制限を加えられたくなかったし、外国からの雑音も避けたかった。故に彼女らの存在を、公式には無視することとしたのである。
 とは言っても、やはりVIPである。また帝国との秘密交渉において、仲介役を得たことは国益にも適うことであるから、裏では他の名目で予算と人員が出て、このような対応がなされたというわけである。
 ホテルのスウィートルームに案内されると二人を、ひと組の男女が待ちかまえていた。
「歓迎申し上げます、殿下、そして閣下」
 今次内閣において首相補佐官に任命された白百合玲子議員と、外務省から出向している事務担当秘書官の菅原浩治である。
 ここで、栗林と富田の二人も自衛隊の制服を纏ってあらわれる。レレイや伊丹には及ばないが、二人が通訳役であった。




 ピニャもボーゼスも、緊迫の一時を過ごしていた。迂闊な言動が、国を損ないかねないからだ。
 ピニャは、ここに講和をするために来た訳ではない。交渉の『仲介』を引き受けただけである。『講和』をするよう国に勧めるのと、『交渉を仲介する』のは根本的に違う。現段階、すなわち圧倒的な軍事的敗北の状況で、講和を勧めるとは降伏を勧めることに他ならないのである。
 だから仲介役に徹するのである。とは言ってもするべきことは多く、かなり突っ込んだ話も出てその度に額に汗した。
 ピニャは、「外交とは言葉による戦争だ」と思うに至った。こんなことならハミルトンにも来てもらえばよかったと思う。
 苦労しているのは栗林や富田も、である。
 レレイほどの解釈力・推測力や語彙もないし、伊丹ほどちゃらんぽらんではないので、どうしても細かい表現に気をつかって時間がかかってしまうのである。だが、それでも単語帳をめくりながら、時に両者の協力を得て意味の疎通はかりつつ、会談の通訳を行っていた。
 帝国政府首脳。特にキーパーソンとなりうる人材は誰か。その人の帝国政権内の地位や立場はどのようなものか?
 その人材に、まず「日本という国と交渉をしてはどうか?」と持ちかけるのはピニャである。ピニゃにそういった者とのパイプがなければ、仲介役そのものを果たすことができない。その意味で、これが確認されるのは当然と言えた。
 第一次交渉団の人数はどのくらいが適切か。
 交渉といっても、たった一人で乗り込んで、講和条件について話し合うわけではない。時間をかけて、それこそ様々な形で面談を積み重ね、互いの腹を読み、妥協できる条件を探り合って落とし所をみつけるという果てしない作業の積み重ねなのである。交渉のための要員が複数人になるのは当然のことである。
 滞在中の宿泊場所の手配、費用の支払い方法等々……。
 当然の事ながら、外交交渉というのは一日や二日ではまとまらない。
 数ヶ月、下手をすると年の単位が必要となることだってあり得るのだ。「会議は踊る、されど決まらず」という言葉があるが、利害の調整というのはかくも手間取るものなのだ。ちなみに上述の言葉は、ウイーン会議のことを言い表したものであるが、この会議において妥協が成立したのはナポレオンがエルバ島を脱出したという報が届いたからである。要するに、危機的事態になるまでウイーン会議は何も決めることが出来なかったのである。この例から見ても、今回の交渉には時間が必要となる。従って、交渉中の宿泊場所から宴会の費用まで、現実的な問題を解決して置かなくてはならない。
 さらには、交渉を仲介するために、贈賄をどうするかという話も出てきた。贈賄と聞いて眉を寄せているようではまだまだガキ。こういった交渉に置いては必要経費と思わなければならない。
 あからさまに、どのような立場の者に幾らくらい必要かという話すら出た。だが、これについては金銭についての価値観が一致してないことがわかったので、必要性の確認というところで話は止められている。
 要人の相互訪問の必要性も確認された。それと、ピニャからは何人かの人材にニホン語を習得をさせたいという希望が出て、菅原秘書官から検討するとの解答を得た。対等に、外交交渉をするのであれば当然のことである。
 そして、最後にあがったのが捕虜の取り扱いであった。
 日本には、侵攻した帝国軍将兵の生存者、約六千名が犯罪者として逮捕されていた。人数もそうだが、取り扱いの大変さもあって監置場所に困った政府は急遽瀬戸内の無人島を整備して、そこに集めていた。
 この連中の食費が馬鹿にならない。負け戦は下っ端から死ぬから、生き残って捕虜となるのは高位の者が多いのである。そんなこともあって、気位ばかり高くて扱いに困っていた。得られる情報も、軍属ばかりで程度が知れている。そんなこともあって正直言えば、熨斗つけてでも引き渡したかったのである。ただ、あからさまにそれを口にするわけにも行かない。あくまでも、捕虜を解放するのは人道上の理由であり、そして帝国側の求めに応じてという形でなければならないのだ。
 ちなみに、六千という数字の中にはトロルやオークといった亜人……こちら側の感覚からするとゴリラ同然の連中も入っている。人間でない亜人という種族の意味がわからなかったし、一応言葉らしきものもあるようなので、後で人権問題になっても困るとヒト同様の扱いをしていたのである。……ちなみに、その中のごく少数が、『国連による調査』という名目でアメリカに連れて行かれている。
「我が国としては、犯罪者として取り扱っていますので、そちらからの求め応じて引き渡すという形を取りたいと思っています」
 ピニャは六千人という数に呆然としながら「み、身代金はいかほどに考えておられますか…」と彼女の常識に従って尋ねた。膨大な金額になるはずと、額に汗する。
 すると白百合玲子補佐官はころころと笑いながら、「現代の、我が国には身代金という習慣はありません。奴隷として売買されることもありません。ですから金銭以外による交換条件、通常ならお互いの捕虜を交換するという形が良いのですが、……今回の場合は『何らかの譲歩』という形で代償が得られることを期待してます」と、つけた。その上で補佐官は呟いた。
「仲介なさっていただけるピニャ様を後押しするために、ピニャ様が指定される若干名ならば、無条件での即時引き渡しが可能です。この条件はお役目を果たされるために上手くご利用下さい」
 こうしてピニャは、ニホンという国が捕虜というものをどう取り扱おうとしているかを学ぶとともに、元老院や貴族達に交渉を仲介するための武器を得たのである。
「私の掴んだ情報によると、貴方の息子は生きているらしい。彼を取り戻すために、彼の国の者と話し合ってみてはどうか?必要なら会談の場をとりもってもよい」
 そう言われて心の動かない親が、果たして居るだろうか?
 するとボーゼスが口を挟んだ。
「今回は無理かも知れませんが、一度『捕虜』にお会いしたいと思いますわ。お許し頂けますか?あと名簿も必要になります」
 実は彼女の親友が、夫を戦地(銀座)に送り出していた。
 先の出征で戦死したと思っていたのが、生きているかも知れないと言う希望がもてたのである。ただ、あからさまに「誰それは生きてますか?」と聞くわけにはいかないので、このような物言いになったのだ。内心では、今すぐにでも帝都に戻って「貴女の夫が、生きてるかも知れないわっ!」と知らせてやりたかった。
 菅原秘書官が、「次にお越しの際には、捕虜の収容施設までご案内できるようにしておきましょう。それと名簿については、お帰りの際にはお渡しできるように手配しておきます」
 こうして、歴史に記されることのない、秘密の会談第一回目が終了したのである。



  *  *



 さて、NHKの全国放送で視聴率が低く、人々の関心も薄いけど、公共放送という意味合いからも義務的に垂れ流されている番組と言えば、やはり選挙における立候補者の演説と、国会中継の二つが挙げられるたろう。
 だが、「有権者諸君っ!」の第一声で名高い自称革命家の登場以来、選挙演説の視聴率が、国会中継をほんの少しばかり上回っている今日この頃である。
 かつて国会中継の視聴率が跳ね上がった証人喚問は今では中継そのものがないし(音声のみ)、疑獄事件とか、官僚汚職、偽装事件も、参考人招致程度では嘘をついても罰せられないことから、招かれた参考人がしれっとした態度をとることが多くて、面白味に欠けるのだ。
 だが、この日の中継だけは違った。
 ネットの巨大掲示板に、国会中継に「特地の美形エルフが出とる」という書き込みがなされる否や、瞬く間に視聴率曲線は急勾配で上昇することになったのである。




 参議院予算委員会の議場は、レレイ、テュカ、ロゥリィの三人が現れると一斉にどよめいた。
 伊丹もいるのだが、彼は外見的にはインパクトに欠けているので、なんとなく無視されている感じである。
 やはり、短めの銀髪でポンチョにも似たローブをまとっているレレイとか、金髪碧眼笹穂長耳のテュカ、そしてなにやら長くて大きな包みを抱えた、黒ゴス少女のロゥリィ達は、よく目立つ。議員の皆様や、中継のカメラ、そして傍聴席からの視線を集めていた。
 最初の質問に立ったのは、少数野党の女性党首、幸原みずき議員である。
 幸原みずき議員は、意気揚々と、若干のカメラ写りを気にしつつ大きなボードを片手に質問を開始した。
「伊丹参考人に、単刀直入におたずねします。特地甲種害獣、通称ドラゴンによって。コダ村避難民の四分の一、約一五〇名が犠牲になったのは何故でしょうか?」
 幸原みずきの手にしているボードには、「民間人犠牲者一五〇名!!」と民間人を強調するかのように描かれていた。
「伊丹 耀司 参考人」
 委員長に名前を呼ばれ、前に出る伊丹。
 制服をぴしっと着こなすと、さすがの伊丹もなんとなく、いや、どことなく……もしかしたら凛々しく見えるかも知れない……ような気がする今日この頃である。
「えー、それはドラゴンが強かったからじゃないですかねぇ」
 のっけからのこの回答に、幸原議員も絶句した。
「自分達に力が足りなかったからです」とか、日本人のよくする、真面目で自己批判的答弁を期待し、それを元に質問を展開していくつもりだったからでもある。二重橋濠の防衛戦で名をはせた伊丹という男は、そういう真面目な男だとマスコミで喧伝されていたこともある。だが、どうも、違ったようである。
「そ、それは、力量不足を転嫁しているだけなのではないでしょうか?一五〇名が亡くなっているんですよ。それについて責任は感じないのですか?」
 バンバンと一五〇人と書かれたボードを叩きながらわめく。
「伊丹 耀司 参考人」
 委員長に名前を呼ばれ、再び前に出る伊丹。
「えー、何の力量でしょう?それと、ドラゴンが現れた責任が自分に有るとおっしゃられるのでしょうか?」
「私が言っているのは、あなたの指揮官としての能力とか、上官の能力とかっ、自衛隊の指揮運営方針とかっっ、政府の対応にっっ、問題はないのかと尋ねているのですっ!それと、ドラゴンの出現が貴方のせいだとは言ってません。ただ、現場で関わった者として、犠牲者が出たことをどう受け止めているのですか?と尋ねているのですっ!」
 はあはあっと息を荒くしている女性議員を前に、伊丹は後ろ頭をガリカリと掻きながら「力量不足といえば、銃の威力不足は感じましたよ。はっきり言って豆鉄砲でした。もっと威力のある武器をよこせって思いましたね。プラズマ粒子砲とか、レーザーキャノンとか実用化しないんですかねぇ。パワードスーツは実用化一歩手前じゃないですか。速く導入して欲しいところです。基礎研究は国立の教育機関でやったんだから、介護用とか更生福祉用なんてこだわらず、祖国の国防目的に特許開放してくれたっていいと思うんですがねぇ。軍事は悪だ……なんてどこの発想なんだろう。自衛隊じゃなくったって警察や消防が導入したらどれだけの人が助かるか考えないんですかねぇ。あと大勢の人が亡くなったことは残念に思いますよ」などと愚痴混じりに答えた。
 伊丹の混ぜっ返すような態度に与党側からは苦笑が、野党側からは不謹慎だとかのヤジが飛んだ。
「本省の方から補足したいのですが宜しいでしょうか?」
 そういって防衛省事務次官は、内心の笑いを巧みに誤魔化しながら手を挙げた。
「ええ、伊丹二等陸尉から提出された、通称ドラゴンのサンプルを解析した結果、鱗の強度はなんとタングステン並の強度を有するということがわかりました。モース硬度ではダイヤモンドの『一〇』に次ぐ『九』。それでいて重さはなんと約七分の一です」

 そんな鱗をもつドラゴンとは、いわば空飛ぶ戦車です。こんなものと戦って犠牲者0で勝てと言う方がどうかしているというニュアンスのことを告げた。
 幸原議員は、ため息をつくと伊丹に対する質問を早々にうち切り、その対象を変えた。
 まずは、レレイである。
 さすがに幸原議員も、見た目、中学生程度のレレイに大上段から質問しようとは思わず、当たり障りのないところから始めた。まずは挨拶がてら「えー参考人は、日本語はわかりますか?」と尋ねた
「はい、少し」
 はっきりとした答えに安心したように頷くと、レレイに自己紹介を求めた。そして彼女から、レレイ・ラ・レレーナという名前を得た後、今はどのように生活しているかと尋ねた。
「今は、難民キャンプで共同生活している」
「不自由はありませんか?」
「不自由の定義が理解不能。自由でないという意味か?それは当たり前のこと。ヒトは生まれながらにして自由ではないはず」
 迂闊な質問をして出てきた高尚かつ哲学的な解答に、あわてふためいて「生活する上で不足しているもの、こちらから出来る配慮等はないですか?」と尋ね直す。
「衣・食・住・職・霊の全てに置いて、必要は満たされている。質を求めはじめるとキリがない」
 レレイの答えは幸原議員にとって、不満の残るものであった。だからでもないだろうが伊丹に対するものよりもさらに直裁に、一五〇名の人が亡くなった原因として、自衛隊側の対応に問題はなかったか?と尋ねた。
 レレイは、驚いたように目を白黒させて暫し呆然とする。その上で、ポツリ「…………ない」とだけ答えた。
 次に呼ばれたのはテュカである。
「私は、ハイエルフ、ロドの森部族マルソー氏族。ホドリュー・レイの娘、テュカ・ルナ・マルソー」
 名前を尋ねられて、テュカは胸を張って答えた。
 今日の服装は、リクルートスーツのような濃紺の上下をまとっている。紳士服店で女性店員に無難な吊るしものをと任せた結果がこれである。そのせいか、いつもは高校生ぐらいに見えるテュカも、リクルート活動中の大学生くらいには見えた。
「不躾な質問をするのであらかじめ謝罪しておきますね。その耳はホンモノですか?」
 レレイが通訳するとて、テュカは「は?」という表情をした。そして訝しそうに、「それはどういう質問か?」と尋ねる。
 レレイが、外見の相違に対する好奇心から出た質問と思われると解説した。
「はい、自前ですよ。触ってみますか?」
 テュカは、洒落っぽく微笑むと長い髪を細い指先でたくし上げてその耳を顕わにし、ピクピク動かして見せた。
 その一連の動きと、はにかんだ表情が小動物系ぼくって妙に可愛く見えた。それが原因かどうかはわからないが、一部議員と、傍聴席・マスコミ席からどよめきの声があがる。さらには、目を開けていられないほどのフラッシュが集中して瞬いた。
 さすがに幸原議員も「そ、それは結構です」と断って、難民キャンプでの生活などについて質問し、不足はないという答えを得た後、レレイにしたのと同じ質問「一五〇名の人が亡くなった原因として、自衛隊側の対応に問題はなかったか?」をした。
 かえってきたのは、表情を氷のように閉ざし俯いた姿である。テュカの答えは「よくわからない」であった。理由を尋ねると、「その時、意識がなかったから」とのことである。
 最後に登場したのがロゥリィである。
 今日もロゥリィは黒ゴスをまとっている。ただ、いつもは後ろに流してるベールを今日は前に降ろして顔を隠していた。まさに喪服をまとった小貴婦人の如し。
 もちろん、薄い紗でできているベールだけに、その顔(かんばせ)を完全に隠せるものではない。が、幼さと気品が入り交じった独特の雰囲気を発していた。わずかに見えるオトガイの線は幼い少女のふくよかなものとちがって、透き通るように細く滑らかだった。そんなところから、体躯は小さいが大人の女を感じさせる。そのアンバランスさが妖艶さとなって、ロリ・ペドの気がない者にも十分な魅力として感じられた。
 手にしている帆布に包まれた重量感のある物体を片手に、ロゥリィは正面に立った。
 ロゥリィの黒ゴスを、喪服の一種と解釈した福岡議員はこの少女からなら、政府を攻撃するのによい材料を得られるのではないかと期待した。喪服を着ているのは、家族か誰かを亡くしたのに違いないから……。
 だから、悲しんでいる少女の心に寄り添うかのように、優しく、親しげに話しかけようと試みた。
「お名前を聞かせてもらえる?」
「ロゥリィ・マーキュリー」
「難民キャンプでは、どんな生活をしている?」
「エムロイに仕える使徒として、信仰に従った生活よぉ」
「どのような?」
「わりと単純よぉ。朝、目を醒ましたら生きる。祈る。そして、命を頂くぅ。祈る。夜になったら眠るぅ。まだ、肉の身体を持つ身だから、それ以外の過ごし方をすることもあるけれどぉ」
「い、命を頂く?」
「そう。例えば、食べること。生き物を殺すこと。エムロイの供犠とか……他にもいろいろねぇ」
 最初に「食べること」を持ってきたがために幸原議員を始め、他の議員達も、彼女の言う「命を頂く」という言葉を、食事をする行為に付随するものと受け取った。実際食事をするとはそういうことなのだから。おかげで、「殺す」という言葉を文字通りに解釈せずにスルー出来たことは、議事堂にいた者の精神衛生にとって幸運なことかも知れない。
 こうして、一通りの質問を済ませると、幸原は「あなたのご家族が亡くなった原因に、自衛隊の対応は問題がなかった?」と尋ねた。
 これには首を傾げたレレイである。なんと翻訳しようと迷ってしまった。なぜなら、ロゥリィは使徒であり、もし彼女に家族がいたとしてもそれは遙か彼方、大昔に亡くなっているはずだからだ。少なくとも今回の出来事と関係はない。
 しばし質疑が中断され委員長から「どうしました?」という声が飛んだ。
 そこでレレイは、この質問の主旨は、ロゥリィ・マーキュリーの家族ことか?コダ村の避難民の件か?と尋ねた。
 どちらも同じ事だろうと思っている幸原議員は、自衛隊や政府にとって不都合なことを隠すため、翻訳過程で悪質な操作がなされているのではないかと邪推した。その為、強い口調でもう一度尋ねた。
「レレイさん、こちらの質問通りに尋ねてください。ロゥリィさんの家族が亡くなられた理由に、自衛隊の対応は問題がなかったか……と」
 仕方なく、レレイは幸原議員の言葉通りに質問を翻訳した。
 しばし、沈黙するロゥリィ。幸原みずきは「しめたっ!」と思った。彼女の琴線に触れた。某かの情緒的反応が望める。だがロゥリイが発したのは「貴女馬鹿ぁ?」という日本語だった。




 しんと静まりかえる議場。
「し、失礼。今何といったの?」
 幸原みずきは、戸惑いながらも問い返した。
「あなたはお馬鹿さんですかぁ?と尋ねたのよぉ、お嬢ちゃん」
 ロゥリィはレレイを介さず、日本語で話していた。
「おじょ……失礼ですね。馬鹿とは何ですか馬鹿とは?」
「馬鹿みたいな質問をするからよぉ」
 そう言いながらベールをたくし上げるロゥリイの眼は、馬鹿を見下す蔑視の視線であった。
「さっきから黙って聞いてると、まるでイタミ達が頑張らなかったと責めたいみたい。
炎龍相手に戦って生き残ったことを誉めるべきでしょうにぃ。四分の一が亡くなった?違う、それは違う。三分の四を救ったのよぉ。それが解らないなんて、それでも元老院議員?ここにいるのが、みんなそんななら、この国の兵士もさぞかし苦労してるでしょうねぇ」
「参考人は言葉を慎んでください」
 委員長から、窘めの言葉が飛ぶ。ロゥリィは、これを受けると余裕の笑顔で肩を竦めた。
 これに腹が立ったのか、幸原は目を座らせると「お嬢ちゃん。こういった場は初めてだから解らないかも知れないけれど、悪い言葉を使ってはいけませんよ。それに、大人に対して生意気な態度をとってはいけません」と、幼子を躾るかのように窘めた。
 それは、年齢の高い者が『唯一それだけを頼りどころとして』、年若い者をねじ伏せようとする時の言動であった。
「お嬢ちゃん?それってもしかしてあたしぃのこと?」
 ロゥリィは胸に手を当てて尋ねた。
「貴女以外の誰でもありません。まったく、なんて娘かしら?年長者に対する礼儀がなっていませんね」
「これは驚いたわねぇ。たかが…」
 この時、やばいと思った伊丹は自ら手を挙げた。議員の先生方は、姿が同じならこちらの常識が通じると思っているのだ。彼女らが、こちらの常識外に生息する存在であることを示すには、もっとも効果的なこと……。
「委員長!」
「伊丹参考人、指名するまで発言を控えてください」
「幸原議員は、重大な勘違いをなさっておられるようなので、申し上げておかなければと…」
 ロゥリィと福岡の間が剣呑な気配を有しているのは確かである。委員長は、伊丹が発言することでそれが霧散することを期待した。
「伊丹参考人」
 ロゥリィが唇をゆがめて、伊丹を睨みつけつつ席に戻った。彼女の目線は「邪魔をしやがって……コノヤロ」と語っていた。
「えー、幸原議員、そして皆様。僕たちは、若い人に年齢を武器にして物を言うことがありますが、時としてそれが我が身に返って来ることがあると思うのです」
「参考人は、簡潔に説明してください」
「……あ、申し訳ありません。つまり、その……ぶっちゃけで言えば、ロゥリィ・マーキュリーさんはここにいる誰よりも年長でありまして…」
「それは、儂よりもか?」
 大臣経験もある保守党の重鎮…御歳八十七歳…が一番後ろから不正規発言した。
「……………はい」
 馬鹿なことを……という気配が議場内に満ちた。
 参考人の歳を聞いて見ろというヤジが飛んだりする。
 ロゥリィは「女に年を尋ねるものではないわよぉ」と席にいながら応じるが、幸原としては尋ねないわけにもいかないことである。
「おいくつですか?」
「九百六十一歳になるわ」
 静まる議場……唖然とする女性議員。不老不死……?という声が漏れた。
 女声による他の参考人の年齢も聞いてみて、というヤジが出たりした。
「百六十五歳」というテュカの答えに、ゾッとする男性議員と、ぐびっと唾を飲み込む女性議員。雪の結晶のような天然の美しさと永遠の若さ。テュカが圧倒的な存在感をもって放射するそれは女性達が追い求めるものであったからだ。それを体現したものが目の前にいる。
 ま、まさか……という思いを込めてレレイへと質問が及び、彼女が「十五歳」と答えた時、議場にいた男性議員の間にはホッとした雰囲気すら流れたほどである。美しさ=若さという等式が成立しているオールドタイプの男心というのは、斯くのごとく複雑なのである。
 ここで、レレイの解説が入った。
 レレイは、門の向こうにおいて「ヒト種」と呼ばれる種族であり、衛生状態にもよるがその寿命は六〇~七〇歳前後である。向こうに住むものの多くはヒトである。
 それは、まさしく門のこちら側における人間と同じであり、議員連中をホッとさせ、同時にがっかりさせた。
 テュカは、不老長命のエルフ。しかもハイ・エルフと呼ばれる妖精種であり、その寿命はエルフを遙かに越えて永遠に近いという説もある。
 ロゥリィもヒトではなく、亜神である。肉の身体を持つ神である。やはり不老だが彼女に関して言えば元来はヒトで、亜神へと昇神した時の年齢で外見が固定されている。通常一〇〇〇年ほどで肉の身体を捨てて霊体の使徒に、そして真なる神となる。従って、寿命という概念はない。
 幸原みずきは、内心で頭を抱えた。
 先ほどの自身の言からすると、年長者に対する礼儀を示さなければならないのは幸原の側となってしまうからだ。だが日頃から政府に対して、高齢者に対する礼儀や、思いやりが欠けていると主張しているその口は、言葉を失っていた。
 こう言う時は忘れてしまう。それが政治家のメンタリティーである。都合の悪いことは忘れる。無視する。あるいは捏造する。白を黒と言い抜ける屁理屈論述能力と、それをして平気な面の皮がなければ与野党問わず政治活動なんてやってられないのである。
「質問を終わります」
 ホントに終わったのかよという不完全感が漂うが、質問者が終わったと言えば終わりである。幸原みずきは使用する予定だったボードの殆どを使わずじまいのまま小脇に抱えて自分の席へと戻っていった。
 つづいて与野党から何人かが質問に立ったが、これ以降は、門の向こうの生活や、それぞれの文化についての質問ばかりで、ロゥリィやテュカがへそを曲げるようなものはなかった。
 要するに炎龍撃退は、誉めこそしても非難するようなことではない。自衛隊は案外うまくやっている。彼女たちには不満はない。そういうことであった。
 最後の最後に、民生党の日暮議員が立ち上がった。
 そして、特にロゥリィを指さすと「生きながら神とあがめられ九百年の長きに渡って生きているという貴女に尋ねたい。私たちは自由を大切にしているが、行きすぎた自由によって不当に貶められる人を守るためにそれを制限しなければとも考えている。例えば、幼い女性を描いた物語やマンガと言ったものの、とある方面の内容についてです。どうしたら良いでしょう?」という質問をした。
 それは、異世界の価値観を知りたかったのか、それともその答えの内容から彼女の精神的な成熟度を測ろうとしているのかのいずれかようであった。
 ロゥリィ参考人は次のように答えている。
「答えのない問いは、長年生きていても答えは出ないわあ。答えが出ないことがまさしく答えなのだから。それでもあえて答えるなら、自分に理解できないとか、合わないとか、気に入らない、あるいは誰かの権利が害されるのを防ぐため等の理由である種の文化や芸術・表現方法を廃絶する姿勢は、結局差別に行き着く。『健全』とか『人間性』といった名目で文化を健全と退廃に分別することを大義名分にしたとしても、その一方を抑圧し廃絶しようとするならぁ、どこで線を引くかが必ず問題になるのだから。今日、中間で線を引いたつもりでも、一方が廃絶された明日には、それは端っことなるわぁ。また、その中間に線を引きたくなる。また端っこになる。……やがて人の魂を抑圧する考え方に行き着くことになる。行きすぎた清潔主義、健康主義は必ず極端化して、害悪に転じるのぉ」



  *  *



 伊丹等が、国会において参考人招致を終えた頃。
 マイクロバスは、伊丹達を迎えに国会議事堂へと向かっていた。その前と後ろに、情報本部からの差し回された車がきっちりガードしているが、夕刻の首都だけに道路が混んで来れば、割り込んでくる車がいたりするのは、どうしても防ぎきれなかった。
 信号で、停まり再び走り出す。
 周囲の車が、追い抜いたり、あるいはマイクロバスの後ろに入る。その車が妙に遅くて、マイクロバスの後ろで、警護に就いていた駒門の日産車は、マイクロバスから少しずつ引き離されつつあった。
「う~ん、妙だな」
 呟く駒門。苛立つ運転手。
「ったく、足が遅い癖に割り込んでくるんじゃないよ」
 運転手が、ウインカーを出して前の車を追い抜こうとするが、追い越し車線にいる車が妙に遅くて、なかなか車線変更の機会が得られなかった。
 そうこうしてるうちに前方の信号が赤になって、ついにマイクロバスは先へと行ってしまった。
 次第に見えなくなっていくマイクロバスの後部を見つめながら、駒門はマイクを片手に呟くように言った。
「指揮車より全車、敵さんがお出でなすった…気を緩めるな」



二三



 地下鉄丸の内線が、滑るように『国会議事堂前』駅へ入ってきた。
 駅の立地条件もあって終業時刻となったお役人とおぼしき人々が、そろそろ帰宅の途につこうという頃合いでもある。
 さすがに業務中に国会中継を見るという不行き届き者はいなかったようで、ホーム上にいた他の乗客達は、レレイやテュカ、ロゥリィの一際目立つ外見にさりげないチェックを入れても、ジロジロと見るようなことはなかった。
 どちらかというと、伊丹に対する視線の方が痛かった。
 今の服装は陸上自衛隊の制服を脱いで、地下鉄に乗るようにと知らせてきた駒門の部下から受け取ったグレーのスーツにコートという姿である。
 これを着ると見た感じうらぶれたサラリーマンのようになってしまう。こんなパッとしない男が、金・銀・黒の美女、美少女を合わせて三人もまとわりつかせていれば、あまりの不釣り合いさに誰だって「こいつ何者だ」という視線を投げかける。
 余りにも毛色が違うから「娘です」とか「親戚です」という雰囲気をまとうことも難しい。かといって「恋人です、羨ましいでしょう?」と、砂を吐きたくなるような雰囲気を発することも、伊丹の男ぶりではちょっと無理であった。
 善良な第三者が伊丹を見て思うは、酷い例だと海外の女性を騙すか脅すかして、誘拐してきた人身売買組織の悪人の「手下その三」…あたりである。
 わりとマシなのは、来日した外タレの観光案内を仰せつかった『怪しい』タレント事務所の『スタッフ三号』だろうか。どちらにしても怪しさ満点である。それでいて、一番とは思ってもらえない、見た感じ三番目くらいというところがポイントかも知れない。
 こんな事なら、観光会社の小旗でも作っておけばよいのである。それを振りながら「はい、こっちですよ~」とか言っていれば、世間は、一流旅館や風光明媚な風景、そして高級料理の写真を広告にのっけておきながら、すみっこに『これはイメージ写真です』とか書いてあるような広告を出す、怪しい観光会社のツアコン程度に思ってくれただろう。
 指定されていた先頭の車両を待ちかまえていた伊丹は、列車のドアと連動したスクリーンドアとが開くと、人々の視線から逃れるような気ぜわしさで素早く乗り込んだ。
 レレイやテュカも、伊丹に続いて電車の中を珍しげに見渡しつつ入ってくる。
 ロゥリィは、珍しいことに表情を少しばかり引きつらせていた。
 見ると、車内で待ちかまえていたピニャとボーゼスの二人も不安げだ。富田と栗林がそれぞれをエスコートしている。
「よう」
 伊丹が手を挙げる。富田が黙礼して話しかけてきた。
「ホテルから、バスで移動するとばかり思ってたら、急に四谷駅へ行って地下鉄に乗れって言われましてびっくりしましたよ。時間もなかったし、慌てました」
「ま、問題なく乗れたようだし、いいんじゃないか?」
 伊丹は、富田の腕にしがみついてるボーゼス嬢へと視線を送った。
 富田がボーゼス嬢を心憎からず思っていたことは周囲の誰もが感づいていたから、「はいはい、おめでとさん」という気分である。見ていて腹が立つほどだ。
 革のパンツに、ジャケットという服装で背も高くワイルドな雰囲気の富田は、金細工でゴージャスなお嬢様であるボーゼスを隣に立たせても全く遜色ない。要するにお似合いなのだが、ボーゼス嬢の表情は不安から逃れようとしてのものが感じられて、甘い雰囲気など微塵も感じさせないところが、『彼女のない男達』にとっての唯一の救いである。
 ピニャも、ボーゼス嬢ほどではないが、ぎこちない表情をして栗林につかず離れず立っている。今、大きな音が鳴ったり、電気が消えたりしたらピニャは悲鳴を上げて栗林にしがみつくんじゃないかなぁとさえ思える。
 思わず、わっ!と脅かしてみたくなるが、顰蹙を買いそうなのでやめておく伊丹であった。
「丸の内線が地下を走るようになってから、カタコルーベに連れ込んでどうするんだって怯えはじめて。大丈夫だって言い聞かせてるんですけどね、天井は崩れてこないのかとか、灯りは消えたりしないかとか、このまま地の奥底へ連れて行くのか?とか心配してて…」
 四谷あたりだと、丸の内線は地上を走っている。それが途中から地下に入ったので、びっくりしたのだろう。そう言うものだと解っている我々は気にならないが、何につけても初めてのピニャ達にとっては、驚天動地の出来事かも知れない。車内は灯火が明るくとも、車窓の外は真っ暗な地下だ。この乗り物がどういうものかという予備知識もなく、どこに行くのかも知らされていない現状では、不安感を抱いたとしても無理からぬ話だ。
「カタコルーベ……お化け屋敷みたいなもんか?(初出の単語なので、単語帳に記入しつつ)慣れないと地下鉄の走行音ってのも耳障りかも知れないし。恐いのもしょうがないさ。まぁ、でも今でよかった。一昔前の丸の内線って、走行中に電気が途中で切れて真っ暗になることもあったそうだ」
 そんな風に話していると発車の合図音がして、その後ドアが閉った。
 ロゥリィは、音の一つに一つにその都度驚いてはビクビクとしていた。小さく震える手を伸ばし、伊丹へとしがみつく。
「ど、どうしたんだ?」
 ロゥリィも、ピニャ達と同じなのだろうか?だが、ロゥリィのビビリ様は、ピニャ達のものとは、いささか質が異なる感じである。
「じ、地面の下はハーディの領域なのよぉ」
「ハーディ?知り合いか?」
「あいつヤバイのよぉ。もし、こんなところに居るのを見つかったら、無理矢理お嫁さんにされかねないのぉ。二〇〇年くらい前に会った時もぉ、しつこくって、しつこくって、しつこくって、しつこくって、しつこくって、しつこくって…」
 そう言って、ロゥリィは伊丹の左腕に自身を左腕を絡めてがっしりと抱きかかえた。右腕は、例によって帆布に包まれたハルバートを抱えている。どんな存在なのかは良くわからないが、ハーディという神様(地下というイメージから魔王ということもありえるか?)をロゥリィは毛虫のごとく嫌っているようである。
「それで何で、俺に?」
「ハーディー除けよぉ。あいつ、男なんて見るのも厭って奴だから、例え見つかっても男の側にいればよって近寄って来ないかも知れないでしょぉ」
 この時、伊丹は間違っている、と強く主張したかった。「か、勘違いしないでよねぇ。ただの虫除けぇ、カモフラージュなんだからぁ!!」といったセリフこそが、こういう場面ではふさわしいはずである。
 異世界の住人に門のこちら側の常識(?)に従うことを求めるのは、間違いであることはわきまえているが、やっぱりロゥリィがお約束のセリフを口にするのを聞いてみたいと思ってしまうのが、オタクとしての正直な気持ちなのである。これは教育の要があるかも知れないと心密かに決意する伊丹であった。
 次の停車駅『霞ヶ関駅』では、駒門が「よおっ」と乗り込んで来た。
「どうでした?」とは伊丹。
「見事にひっかかりました。市ヶ谷園から、レトロパシフィカに場所を変えたことを知っていて、地下鉄に移動手段を変えたことを知らなかった時点で、機密漏洩の容疑者を二人まで絞り込めた。わき出てきた連中には、今切り返しをかけてる。程なく、素性が割れでしょう」
 切り返しとは、追跡してきた連中を逆に尾行して、『どこの誰か』を確かめることである。
「その二人、どうするんで?」
「置いておく予定です」
「捕まえたりしない?」
「必要ありません。そこで水が漏れるということをこっちが承知していればよいのです。それに、敵さんもガセネタ掴まされたと解った段階で、切り捨ててるよ。どうせ、左がかった思想にかぶれてるか、ハニートラップにはまっただけのどっちかだし。いちいち処分してたらキリがないもん。当然、フォローはいたしますがね」
「ハニートラップねぇ…」
「ハニートラップってのは、罠だと承知してかかれば、美味しい思いが出来ます。上司にハニートラップかけられてるようですって申告しておけば、漏洩させて良い情報を用意してくれる。金、女、好きなだけ喰い散らかして、上の用意したガセネタかませばいい。敵が怒り狂って暴露するぞと脅してきても、こっちは先刻承知。みんな知ってる、それがどうしたと笑えば良い。なのに、それが出来ないのだから困ったもんだよなぁ」
 そう言うことが出来そうもない人間だからこそ、敵も狙ってくるんだと思うところである。要は教育の問題なのだが、日本人は、防諜という概念は伝統的に薄いのである。そこに国防に熱心であることを悪のごとく扱う風潮が加わるから、どうにもならなかったりするのだ。
 どこの国か、俺にハニートラップを仕掛けてくれないかなぁと駒門は下品に笑った。
「伊丹さんには、ハニートラップの心配はないですね」
「そう?」
「だってねぇ…」
 そう言いながら、伊丹の左腕をしっかと抱きかかえるロゥリィへと視線を向け、次に伊丹の右に立つレレイへと視線を向ける。斜め後ろのテュカも、ジーンズにセーターというアメリカの女子高生風外見に戻っている。
 駒門は、国会中継を見てないからロゥリィやテュカの実年齢を知らないのである。
「幾ら某国だって、この年齢層の工作員は養成してないでしょ…しな……いや、待てよ」
 ロリな工作員を敵さんが養成を始めたら、我が国にとってかなりの脅威となるかも…などと呟きつつ、「いや、まて、待て、待て。最近噂されている少女コールガールの組織を、その方面から当たってみる必要もあるかな……」と、急に考え込み始めた。
「コールガールの組織がどうしたって?」
「いや、な……」
 駒門は、周囲を見渡して女性達の耳に入らないよう、小声で説明を始めた。
 この手の組織は、スキャンダルに敏感な高級官僚とか一流企業の経営者ばかりを顧客とする。送り出されてくる少女の方も超高級の上玉ばかりだ。ブランド物のドレスやスーツ、あるいは着物。そういった金のかかる格好をして超のつく一流ホテルに、まるで家族連れの如き雰囲気で投宿すれば誰も疑わない。
 もしその組織が某国の工作機関だったら、ターゲットとなりうる客がついたら、少女とのいかがわしい行為に及んでいる場面を隠し撮りして、後でこれをマスコミにばらまくと脅す。今なら、動画サイトにアップするのでもよい。
 対象が大人の女性なら自由恋愛とか言い逃れのしようもあるが、相手が見た目にも解る少女とあってはハニートラップと解っていても対処不能。後は破滅だけが残る。だからこそ、脅された側は絶対に拒絶できない。
「まさか、そんな年頃の女の子をどうやって」
「それが出来るのが、独裁国家なんですよ」
 少女を選抜し(時に拉致し)、洗脳教育を施し、送り込む。人は教育次第で何にでもなる。爆弾背負って自爆テロに走らせることも、銃を持たせて人殺しを厭わない少年兵に仕立てることだって、人権という言葉を知らない国なら非常に簡単なことなのだ。歴史に名を残す妲己や褒姒、西施、あるいは貂蝉…年端もいかない少女が武器として使われた歴史がある。
 伊丹を眺めながらその事に気付いた駒門は、携帯電話を取り出すと知り合いの捜査担当者宛にメールを打ち込み始めた。走行中の地下鉄内だから、アンテナこそ立っていないが文面を打っておいて、後で発信すればいい。
「このあとだが予定を早めて、伊東へと向かいます」
 駒門は、携帯に文字を撃ち込みながらも、伊丹に今後の行動予定を告げた。だが、ロゥリィが口を挟んできた。額に珠のような汗をかいて必死な形相であった。
「ねぇ、すぐここを出たいのぉ」
「どうした。乗り物酔いか?」
「どうにも、気になるのよぉ。落ち着かない」
「乗り換えは次の次だし、もう少し我慢できないか?」
 この時、ロゥリィの爪が伊丹の二の腕に食い込んだ。真剣な、そして懇願するかのような視線が伊丹を突き刺す。よっぽど辛いようだった。
 タイミング的には銀座駅に到着したところだ。ドアも開いた。
 二の腕に食い込んだ爪が相当痛いはずなのに、痛くない。そんな不思議を感じながら、伊丹は力の籠もるロゥリィの手に自らの手をそっと添えた。大きくため息をつきつつも駒門へと視線を向ける。
 駒門はよくわかってない様子だ。周囲を見渡して、レレイからは無表情のままの視線を交じらせて来て許諾、テュカは肩を竦めてしょうがないなぁという態度ながらやはり許諾の意を示した。
 富田と栗林は伊丹の部下だから従うのが当然。ピニャやボーゼスだって、地下鉄に乗っていることが良い気分では無いようだから、反対はしないだろう。
 帰宅や買い物の客で、地下鉄は混み始めている。降りる客の流れが終わって、乗り込む客が車内に流れ来ようとする、その瞬間。
「と言うことで駒門さん。俺等、ここで降りるわ」
「降りるよ~」の声と共に、伊丹等はお上りさんを彷彿させる大家族のノリでわいわいとホームへと降りていく。人の流れに逆行するという空気の読めない振る舞いに、乗り込もうとしていた客達はみな嫌な顔をした。が、見ればピニャやボーゼスらは外人だということもあって、皆あきらめてしまう。日本人の「空気読め」という感覚は、同じ文化の人間に対して発動される。明らかに人種や文化が違うと「しょうがねぇや」という寛容さがとってかわるのである。
「ちょっと待てって、あんた、こっちにも段取りというものが」
 駒門も置いてかれまいと、人をかき分けつつ後に続いた。こちらは日本人である。遠慮無く空気読めという感覚が発動されて、人の流れが彼をぐいぐいと押し返した。駒門は必至になって人の波を泳いでどうにか列車から降りた。
「いいじゃないか。一駅くらい歩いたって」
 銀座から東京駅は、目と鼻の先だ。歩いたってたかが知れている。

 地下鉄丸の内線、すなわち今降りたばかり電車が、銀座・東京駅間で発生した架線事故によって停止したことを知らせるアナウンスが響いたのは、伊丹達が改札を出た頃であった。




 地下鉄駅から地上……夜の銀座に出てようやく緊張から放たれたらしく、ロゥリィは、う~んと両腕をのびのびと延ばしていた。例え空気は汚れていても、ロゥリィとして地下にいるより安心できるらしい。よっぽどハーディという存在に近づきたくないようだ。ピニャとボーゼスも、地の奥底へとつれていかれずに済んだという、安心感からか実に幸せという表情をしていた。
 みな、夜の銀座の街を見渡して、昼間とはまた違う風景の煌びやかさに目を見張っている。クリスマス商戦のイルミネーションは、ひときわまぶしく色鮮やかだった。
 栗林と富田は、寸前まで自分達が乗っていた列車が、架線事故が停まったという事実を重く受けとめて周囲への警戒の視線をめぐらせている。
「敵さん、何が目的だと思う?」
 伊丹の問いに、駒門は目を細めた。
「こっちを威圧してるんでしょう。ついでにこっちの力量を測ろうとしている気配があるな……威力偵察っていう奴だ」
 異世界からの賓客が乗っている(と見せかけた)マイクロバスへの、威嚇追跡。
 地下鉄で架線事故を演出して、しばし電車を止める。
 どちらも、直接危害を加えようとするものではないが、こちら側の危機意識をあおるには充分である。
 狙われていることをこちらに意識させ、怖がらせる。すなわち示威行為だ。言わば「お前等に、いつだって手が届くんだよ。憶えておきな」という類の警告なのだ。ただ、それらの全てが成功してない。マイクロバス追跡は駒門の策略で、地下鉄停止はロゥリィのおかげて回避された。
「敵さんも、二度も空振りして今頃焦っているはず。次に空振りすれば三振だから、今度の手はもっと直接的で、解りやすい手段になる可能性が高い」
 交通手段を地下鉄に切り替えたことを知っている人間は極めて少ないため、どんなルートで情報が敵に漏れたのかを推測しようとして、いささか混乱気味な駒門である。何度も尾行をチェックするのもそのせいだろう。
「解りやすい手ってのは?」
「例えば…」
 言った瞬間、ロゥリィが襲われた。彼女の帆布に包まれた大荷物を、人混みから現れたチンピラ風の男が奪い取ろうとしたのである。
「荷物をひったくって後を追跡させて、罠に誘い込む…ってのは古典的な手口なんですが、なにやってるんだぁこいつ」
 チンピラは、ロゥリィの荷物に押し倒されて動けなくなっていた。その大荷物の正体を知る伊丹達はさもあらんという表情で、チンピラを気の毒に思うだけである。だがそれを知らない駒門は、小さな少女が軽々と抱えていた荷物に押し倒されて、なんで呻いているんだろうと不思議に思った。
 駒門は、チンピラにのしかかる帆布に包まれた大荷物へと手を伸ばし、持ち上げようとした。そしてその瞬間、立木の枝を折るような音が彼の腰部から聞こえる。
「ぐ!!」
 急性の腰椎捻挫……すなわち、ぎっくり腰である。下手をすると椎間板ヘルニアを起こしている可能性もある。腰に走る激烈な痛みに、駒門は崩れるように両膝をつくと、両腕で腰を押さえて地に伏した。
「なんてぇ重さだ。バーベル並みだぜ」
 額に脂汗を流しながら倒れ伏す駒門。
 周囲には野次馬の人垣がぐるりと周囲を取り囲み、しかも遠方からは救急車とパトカーのサイレンが聞こえてくる。さらには、国会中継を見た人もいたようでロゥリィとか、テュカ、レレイにカメラ付き携帯を向ける人々も出てきた。
 ここまで衆目を浴びてしまえば、隠密裏に襲撃することは不可能と言える。
 こうして、見えざる敵の三回目の攻撃は、駒門の献身的な犠牲によって防がれたのであった。



   *   *



 料金滞納が祟って、携帯が止まった。
 ガスも止められた。
 水道代も督促が来ていて、そろそろヤバイ。
 年金、健康保険料?んなもんとっくに滞納中である。
 パソコンが止まったら破滅だから何としても電気代と、ネットの光回線代・プロバイダ料は支払ったが、そのかわりに食事が徹底的に貧してしまった。
 九十九円屋で、コーンフレークと豆乳を買って、朝食と昼食の二食分とする。二百八円(一食一〇四円)。
 九十九円屋で、総菜とご飯。二百八円。これが晩ご飯。
 ありがたや九十九円屋。我が国日本は、なんて豊かな国なのだろう。




 ……昨日から三食が、シリアルと豆乳となった。なんとヴァリエーション豊かな食事だろう。だがしかし、これで一日を三百十二円で過ごすことが出来る。なんとか食を繋いで生き延びる。生き延びてやる。
「冬コミまでの我慢、我慢」
 そう念じながらペン・タブレットを握る。あと一〇ぺーじ…であった。
 Xディまで持たせれば、まとまったお金が入る。借金と滞納していた公共料金を支払って、お正月が迎えられる。温かいご飯が食べられるのよ。
「そう思って我慢してきたけれど、そろそろマジでヤバイ。
 夢にまで、シリアルが出てきた。要するに人間は、明日のマン円よりも今日の一〇〇円なのよ。って、こんなところで人生の真理を悟ったところでなんになるのだ~あたしぃ」
 電気代が恐いので、空っぽの冷蔵庫のコンセントを抜き、室内の電灯も必要最低限以外は消してしまう。暖房?何それ。服を沢山着込めばいいのよ。パソコンのスリットから漏れてくる空気もあったかいし。
 パソコンの液晶画面の光だけが、今や室内を灯す照明となった。
「誰か金貸して…」とPCメールを打ってみたが、サークルの仲間は皆ほぼ似たような状況。印刷所の締め切りに負われて忙しいか、金欠で汲々としている。よって、つれない返事ばかり。
 親は勘当状態で頼み込めるはずもなく。いっそのこと、夜の街角で立ちんぼするか?
 などと思った瞬間、窓ガラスに映った自分の姿が見えた
 ここしばらく手入れしてない肌。ボサボサもじやもじゃの髪。牛乳瓶の底みたいなメガネ。クマの出来た眼。暗い部屋を背景に、モニターの光に照らされた幽霊みたいな姿だ。不摂生な生活で痩せぎすの手足、緩んだ筋肉、たるんだお腹……スタイルにもいろいろ難あり。
 大きなため息が出てくる。
「こんな二十九女を、金払ってまで抱きたいなんて思う男なんていね~って」
 PCに、友達からの返事メールが入った。
『あんた、なんだってヨージと別れたのさあ?少なくとも衣食住は保障されてたやないの?馬鹿なことしたよねぇ』
「言わないでくれ。つくづく馬鹿だと思ってる。だけど、それだけは、ヒトとして駄目だと思ったのよ~」
 先輩と結婚したのは、親が早く結婚しろ、結婚しろと煩かったからだ。
 あの時も今と同じようなシュラバで、収入の安定しない毎日の不安から先輩の持つ『国家公務員』という肩書きが、とても魅力的に見えたのだ。
 それに中学時代からのつきあいで、先輩という人の性格を良く知っていたこともある。先輩の家庭事情を知っていたこともある。
 クリスマス(二十五才)が近づいて、なんとなく血迷っていたのもある。
 お腹をすかせていたあたしは、お腹が減った奢ってくれ、と頼みこむ。
 先輩は、「ま、いいよ」と近くの居酒屋につれてってくれて、焼き鳥をごちそうしてくれた。
 安定した収入の威力というものを、とても強く感じた。あのときの、ネギ焼きやボンボチ……の美味しかったこと。
「先輩、養ってください。かわりに結婚してあげます」
 と、酔った勢いで頼み込んでしまったのだ。先輩なら、断らない。その事を知っていて。
 先輩の答えは思った通りの即答……ではなかった。しばし、あたしの事をみつめて、何を考えているのか不安になるほどの一時が過ぎて、それから「いいよ」という答えが返ってきた。
 おそらく、きっと……先輩はわかっていたのだ。『結婚してあげる』かわりに『養って』という意識で、結婚生活がうまく行くはずないってことを。
 わかっていて、それでも「いいよ」と言ってくれる。それが先輩だった。




 その先輩に向けて、助けてくれとメールをうつ。
 世間的には、別れた夫にこんなこと頼むのはおかしなことだろう。でも、先輩とあたしは嫌いあって別れたわけではないし、ただ、あたしが結婚というものを、甘く考えていただけで、先輩は悪くなくて、結婚という間違った関係をもとに戻したかったから離婚届にハンを押してくれと頼んだだけで………そんな先輩に頼ってばかりの自分は、どうかしてると思うけれど……。
 メールを発信しようかどうしようか、パソコンを前にして悩む。悩む。悩む。
『我、メシなし、ガスなし、携帯代なし』
 まるで核兵器の発射ボタンを押すかのような、苦渋の決断であった。
「………………………………………………………………あたしって、身勝手な女」




 もう、めしを食ってない。最後に食べたのは昨日だっけ、おとといだっけ。
 ひもじさを突破して痛みすら感じるなかで、眠さと疲れで重たくなった眼と、かちかちに凝った項と肩とに気合いの拳をたたき込んで、「あと一ぺーぢ」と呟く。

 二十七インチワイド TFT液晶モニタの右下隅に表示される時計が、二十三時三十五分になったころ。
 部屋のドアが何者かによって開けられる気配を感じた。
 鍵が差し込まれ、軽快な音を立てる。
 ドアのきしむ音。冷たい冬の空気が流れ込んでくる。
「なんだ、起きてたのか梨紗。部屋を真っ暗にして何してんだ?もう寝てるかと思ったぞ。それになんだか寒くないか、ここ。エアコンぐらいつけろよな」
 あたたかい声は、伊丹耀司先輩、その人だった。
「あ、先輩」
 あたしはその名を呼んだつもりだった。なのに自分の口から出た声は「ごはん」だった。情け無ぁ……。



   *   *



 梨紗にとって、それは驚天動地の出来事だった。
「せ、先輩が女を連れてる」
 夜の夜中に、女をつれて「よおっ、悪いけど朝までかくまってくれ。疲れた」とやって来たのである。それはもぅ、梨紗の知る伊丹のすることではなかった。
 呆然としている梨紗を後目に伊丹は「あ~、入ってくれ」と、ドアの外にいた女性達を部屋の中へと迎え入れる。
 見れば、外人ばっかりである。
 問題は、梨紗の琴線に触れるタイプばかりであることだった。
「うわぁぁぁぁぁっ!黒ゴス少女に、きんぱつエルフ、銀髪少女と、紅髪のお姫様っぽい美人に、縦巻きロールのお嬢様っぽい美人と、巨乳チビ女はどうでもいいか……国際的なコスプレの催しってあったっけ?」
 その手のイベントのスケジュールはすっかり頭に入っている梨紗であるが、今年は冬コミまではなかったはずである。そんな梨紗の疑念に伊丹は窓から外を警戒するように見渡しながら、深夜の訪問を詫びて事情を説明した。
 思わず、「かわいいよぉぉ」とロゥリィに抱きつこうとする梨紗。ひょいとよけられて、ダイナミックに顔から床に滑り込んだ。
「実は宿泊したホテルが火事になって………焼け出されちゃったんだ、これが」
「火事?」
 梨紗はパソコンをネットに繋ぎニュースを検索した。
 市ヶ谷園の火災が記事となっている。出火原因は「放火か?」と書かれている。
 その下には、丸の内線の架線事故。
 そして、国会での参考人招致が写真つきで記事になっていて、梨紗の目にとまった。写真に映っている、異世界から招かれた少女達の姿が気になったのだ。
「ん…」
 開いてみると、ロゥリィ・マーキュリーの「あんた馬鹿?」発言が大きく取り上げられていた。高齢者=老人という、我々の概念を根底からたたき壊す、異世界からの美少(?)女軍団。と言った記述がスポーツ系新聞では書かれている。
 他にエルフ美人や、銀髪の少女の写真も載っている。
 ネット上の動画投稿サイトにも参考人招致の動画がアップされ、コメントやアクセス数がもの凄いことになっている。
 動画に映っている黒ゴスの少女を見て、そして、今自分の部屋にいる黒ゴス少女を見比べる。
 真っ黒で、フリルたっぷりのゴスロリ服。黒色の薄い紗のベールに覆われた黒髪。そして、何が入っているのか彼女の背丈を超える帆布に包まれた大荷物。なによりも、幼げなのに妙に成熟した大人の女然とした切れ味のある容貌は、この世に二つとしてないものだろう。
 結論……同一人物。
 動画に映っているエルフ女性を見て、そして、今自分の部屋にいるきんぱつエルフとを見比べる。
 腰まである金糸を流したような髪。笹穂長耳は、綺麗な曲線を描いて、髪の隙間から後方に半分ほど突き出ている。アクアマリンのような碧眼。着ている服こそ国会でのリクルートスーツっぽいものから、細い脚の曲線がくっきりきっちり浮かび上がるストレッチジーンズに身頃たっぷりのセーターと変わっていたが、身体的特徴はやっぱり見間違えようがない。
 結論……同一人物。
 動画に映っている銀髪少女を見て、そして、今自分の部屋にいる、銀髪少女とを見比べる。
 光の当たり加減で、白髪とも銀髪とも表現できる髪を短くショートにして、肌も博多人形ばりの白さ。小柄な身体は、中央アメリカのポンチョにも似た生地の厚いローブですっかり包んでいて、かえって首や肩の細さが目立ってしまう。整ったその容貌は表情こそないが、かといって能面のような無機的な気味の悪さがなく、しっかりと生きた人間であることを感じさせてくる。強いて言うなら無表情という名の表情をもった少女。
 結論……同一人物。
 ニュース記事の、参考人招致へと至る一連の説明を読み込んで、ようやくポンと手を打って合点のいったことを示す梨紗であった。
「そう、この娘たちはレイヤーじゃなくて、ホンモノなのね。ふふフふふふフふふふフふ腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐」
 独りほくそ笑む瓶底メガネ女を眺めて、「な、なに?これ」と一同を代表して尋ねたのは、テュカである。
 女捨ててると言いたくなるような梨紗の姿にしろ、あちこちに置かれたダンボール箱や、積み上げられ山をつくっている薄っぺらい本や、生きているのでは?と思ってしまうほどの精巧な人形がずらりと列べられた部屋の有様も、やっぱり奇怪である。
 ロゥリィは「ここにも、ハーディがいたぁ」と、おびえを隠そうともせず伊丹にしがみついた。半分泣きそうである。
「これは、俺の『元』奥さんだ」
「えっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっつ!!」
「二尉結婚できたんですか?っというか、こんな男と結婚するような物好きが居たってことじたいが、驚きっ!!だけど、実物見てみたら、非常に納得できる組み合わせっ」と、巨乳チビ女こと栗林の声は、この場にいた皆のこころを代弁していた。



 梨紗の部屋に、久しぶりに明かりが灯された。
 エアコンも長い休息を解かれて、あたたかい空気を吐き出している。伊丹から緊急援助を受け、とりあえず電気代支払いの心配がなくなった梨紗の大盤振る舞いである。
 とは言っても一同は、ようやく落ち着き場所を得てたちまち雑魚寝状態で眠ってしまった。門の向こうでは、旅の最中は野宿・雑魚寝は当たり前だし、お姫様方二人は軍営生活経験者だから、そういうことでいちいち目くじらを立てるようなこともない。さらには、雑魚寝用の各種毛布類が豊富に取りそろえられていたこともあって、それほど悪い環境でもないのだ。ちなみに『各種』というのはこの場合、あんパンをモチーフにした子供向けマンガキャラクターなどの模様が入っているという意味である。
 で、伊丹の傍らを陣取るようにしてレレイが寝ている。何故か懐かれているよう気がする今日この頃だ。その隣がテュカ。伊丹を挟むようにして反対側がロゥリィ。ちなみにボーゼスとピニャは、富田の向こう側だ。
「ふ~ん。事情はよくわかったけど、そういう危ない話にあたしを巻き込むかな~」
 梨紗は、伊丹が買ってきたコンビニ弁当をガツガツと掻き込みながら、パソコンのモニターを睨んでいた。時折、ペンタブレットを握って、かしかしとなにやら掻き込んでいるから、原稿チェック作業に入っているのだろう。何としても、徹夜で仕上げるつもりのようだ。
「そうですよ、隊長。元奥さまとは言え、やはり民間の女性を巻き込むのはどうかと思います」
 起きている富田が窓の外を警戒しながら言った。
「それに、駒門さんを放り出してきて良かったんですか?」
 ホテルの火事を知らせるベルが鳴り響くやいなや伊丹は、ぎっくり腰でうんうん唸っている駒門を放置して出てきてしまったのである。いくら彼の部下がいるといっても薄情きわまりない行為だ。
「だって、さぁ。ここまで続くと、駒門さんそのものが怪しくね?」
「駒門さんが、情報を漏洩してると?」
「いや、そうまでは言わないよ。だけど、彼と関わりのあるところで情報が漏洩してるんじゃないかって思うわけだ」
「尾行されてたとか」
「それもあり得るけど、どっちとも言いづらいよな。駒門さんを放り出して、こっちに何か有れば尾行というのが正解。何もなければ、駒門さんの方に原因ありってことかな」
「だから、ここで何かあって欲しくないんだけど…」
 梨紗の言葉を伊丹は何気なく無視しながら、伊丹は「さぁ、寝よ、寝よ」とばかりに毛布を被る。そしてふと気付く…レレイの腕が伊丹の腰に回ってる。
「…………どうしよ」
 なんとなく気恥ずかしいが、とりたてて騒いで周りに気付かれるのも困ったものである。いらぬ誤解を生みそうだ。どうせ毛布の下でのこと、黙っていればわからない。
「明日はどうするんです?」
「何もなければ、休暇が楽しめる。せっかくの骨休めをつぶされてたまるか。買い物、そして、温泉でのんびり浸かって疲れを癒そう」
「でも、宿泊先に手が回っている可能性、ありません?」
「予約したところには行かないよ。どっかに、飛び込みでいけばいい」
「この時期に、いきなり行って宿泊できるとこなんてないでしょ?」
「大丈夫、何とかすっから。それより、午前四時で起こせよ」
 一応、不寝番を富田と伊丹でするのである。
 現在午前一時二〇分。富田は、午前四時から午前八時まで休める予定だ。
 伊丹は目を閉じた途端、眠りに落ちていった。




「時に……梨紗さんは、伊丹二尉の奥さんですよね」
「『元』奥さん。今は、友達……かな」
 梨紗は、パソコンのモニターを睨みつけたまま、富田の問いに答える。
「離婚した関係って、別れたあとも友達に戻れるものなんですか?」
「他の例を知らないからなんともわかんないなあ。あたしんちの場合は、離婚してからの方が友達としてうまくいってる。結婚している時はどうにも落ちかなくって、『妻』って言う役割を演じきれなかったのよね」
 富田は部屋の各所に山積みとなっている同人誌の山とか、各所に列べられた球体関節人形の数々を見渡して、「はぁ、まぁ、そうなんでょうねぇ」と、曖昧な答え方をした。そうですねと肯定すれば本人を目の前に貶してるようだし、否定すれば嘘をつくことになってしまうからだ。
 富田は、積み上げられた本の一つに、何気なく手を伸ばした。そして、頁をめくって凍り付く。
「ああ、止めといたほうがいいよお。男の人には目の毒かも…って、遅かった?」
 紙面一杯に描かれた十八禁BL漫画の描写を前に、富田は仕掛けられた対人地雷でも踏んだような顔をしていた。掘り返した地雷を扱うかのように、丁寧に表紙を閉じると、そっと本の山のてっぺんに積み置くのだった。



二十四



 冬の午前四時過ぎというのは、まだ夜中の内だ。
 原稿が仕上がったのか、プリンターは静かながらも作動音をたてて忙しく働いている。部屋の主は、することもなくなって緊張が解けたのかモニターの前でうたた寝していた。
 伊丹は、そんな梨紗の背中にリリカルなキャラクター模様の毛布をかけると窓の外へと視線を向けた。だが、明るいところから暗いところは見えにくいし、もしこちらを監視する者がいたら相手から丸見えだということを思い出し、部屋の灯りを落として改めてアパートの外を観察する。
 見た範囲では、人影もない。
 時折、新聞配達のスーパーカブが軽快な四ストローク音をたてながら家々を回っている。タクシーから酔っ払った人が降りてきて、支払いに手間取っていたり、生活リズムがどうなってるんだろうと思うような人のキックボードの音も聞こえたりもする。
 それが明け方近い、都内住宅街の生活音であった。
 首相官邸。
『お休み中、申し訳ありません。総理…』
「なんだね?」
 パジャマ姿の内閣総理大臣が、ベットの中で携帯電話を耳に当てていた。
『特地からの来賓が行方不明になったようです』
「それはいつのことだ」
『昨夜の二十三時頃です。投宿先の市ヶ谷園で火災が発生しまして…』
 首相は枕元の時計を見た。現在午前五時を過ぎている。
「で、第一報が遅れた理由は?」
『はい。ご報告申し上げるならば、状況をある程度把握してからと思いました』
「で、把握できた状況というのはなんだ?」
『はい。市ヶ谷園の火災の原因は、放火のようです』
「火をつけたのは誰だ」
『まだ、わかっていませんが、予想では……』
「予想ならば不要だ。現場担当者はどうしている?」
『現在入院中です』
「負傷したのか?それは、敵対勢力と交戦したということか?」
『まだ、わかっていません』
「ちっ。で、来賓は無事なんだろうな?」
『…………現在、捜索中です』
「馬鹿か?」
『申し訳ございません。ですが、担当部局も鋭意努力しておりますれば…』
「違う。私が言ってのは君のことだ」
『……と、申しますと?』
 首相は舌打ちすると「もういい」と電話を置いた。
 首相という職に就いた時に、危機管理の重責を担う以上、緊急の知らせが時と場所を問わずに押し寄せて来ることの覚悟は充分に済ませたつもりだった。だが、手足となって働く官僚達がこの体たらくと言う現実には、ほとほと参っていた。
 エリート中のエリートであるはずのキャリア組官僚達。彼らは、ひとり1人を見れば相当に優秀だし、組織を運営していくことについては国際的にも高く評価されている。一つの課題についても、一度問題意識をもてばそれを研究し、対策をたて、それなりの行動を起こすことも出来る。だが、その場その時、その瞬間に自ら責任をもって判断し、必要な対策を施さなければならない突発的な出来事に遭遇すると「なんで?どうして?」と小一時間問いつめたくなるほどに、頑迷で無能な存在となり果ててしまうのだ。
 しかも、彼らは意外と仕事が出来ない。書類と言えばお役所仕事の代名詞であったのに、『年金記録をきちんと整えておく』ということすら出来ていなかったことが暴露されたのは、つい最近の話だ。
 これとて、世の中が平和で比較的安定していれば、時間をかければ何とかできただろう。
 だがしかし今は有事である。しかも、日本を取り囲む環境はとりわけ厳しい。
『特地』の戦況こそ有利であるが、『門』のこちら側では、アメリカ、中国、ロシア、EUのみならず、インド、中東、南米各国大使からの、「『門』にかかわる問題を話し合いたい」という申し込みが連日のごとく入っているのだ。
 アメリカは、最初っから分け前があると思いこんでいる。招かれないパーティーに勝手に押し掛け、しかも行儀良く客用の皿に家の主人が料理を取り分けるのを待つつもりもなく、自分用の大皿を持ち込んでお手盛りで欲しい分を取らせろというのだから、図々しいにも程がある。今のところおとなしくしてるが、こちらからのお土産を期待してのことだ。
 EU各国の首脳からは、日本が『特地』の権益を独占することがないように、くぎを刺しておくような発言が増えているし、ロシア、中国、あと中東や南米の一部……すなわち資源輸出国は、国連による『門』の共同管理を主張している。
 これらの資源輸出国は技術大国にして経済大国の日本が無尽蔵とも言える資源を握ることで、自国の権益や発言力が低下することを畏れているのだ。
 ただ、第二次大戦後のベルリンでもあるまいし一国の首都、しかも皇居から目と鼻の先に外国の軍隊を入れるという主張は常識はずれに過ぎた。向こうも無茶を承知で口にしているに過ぎないから、真剣に取り合わなければならないような事態にはなっていない。
 癇に障るのは、外国に迎合する国内勢力の存在だった。
 与野党の媚米、媚中、媚露、媚朝派を始め、各種のNGO団体、挙げ句の果てに宗教勢力等から、門の向こう側に立ち入らせろ、調査させろ、活動を保障しろ、マスコミ関係者に立ち入り許可を出せ、それが無理ならせめて向こう側の人間と話をさせろという要求が出てきている。
 そう言えば、昨日の参考人招致。『亜神』という種族のロゥリィと名乗る少女……ではなくて本人の言によれば九百才を越えると言うが、彼女たちの登場は、各界に強い衝撃を与えたようだった。
 新聞各社のみならず、週刊誌、雑誌社、あげくのはてに芸能界、それとニューエイジ系の団体や、東西の新興宗教などから問い合わせの電話がかかってきたと言うから、笑ってしまった。
 こうした有象無象からの情報開示の要求も日増しに強くなっていくだろう。
 上手にコントロールしなければ、門の向こう側について権益を求める連中と結びついて、無茶な要求が現実になりかねない。国際関係というのは、学校の教室内に似ている。国連という名の教師は無能で無力だ。恨み辛みを記した遺書でも残して自殺しない限り警察は来てくれないのだ。来てくれない以上、無いも同じである。従って、子どもは有力な友達をつくって群れなければ、いじめや、無法者から身を守れない。
 対処としては、同盟国であるアメリカを始め、関係の良好なEU諸国については、それなりに取り分が期待できることを仄めかせておけばいい。実際問題、『特地』についての情報はまだ多くはないし、もし想定通りなら『特地』開発は、日本だけでは手に余る。要は、重要な部分で日本によるコントロールが効けばいいのだ。そしてアメリカも、ヨーロッパもそれで満足するだろう。
 そうだ、口うるさい内外のマスコミやらNGOには『アイドル』を与えてはどうだろうか?情報開示の進め方は北朝鮮に倣うのが一番だ。派手な動きで視線を集め、肝心なことは少しずつ、薄いサラミソーセージをさらに薄くするかのように、少しずつ。
 問題はロシアと中国だ。
 ロシアの、エネルギーの元栓を握りながらの強引な外交施策は、EUのみならず東欧諸国でもかなりの反感を買っている。EUが『特地』に強い関心を示すのも、乱暴なロシアの態度に、内心で辟易しているからだ。『特地』から安定したエネルギー供給を受けられるようになれば、強いられてきた我慢もしないで済む。
 当然、ロシアとしては困るわけで、ロシアが強行に国連による管理を主張するのもそれが理由だ。ロシアにとっては『門』は無い方がよいのである。その意味では厳重な警戒が必要だった。あの国は民間機だろうと、漁船だろうと平気で撃つし殺す。下手すると通常弾頭のSLBMを『門』めがけてぶっぱなしかねない。
 ロシアに対しては、EUとも相談しなければならないが……要するにロシアのヨーロッパへの発言力が急激かつ極端に低下しないように気をつかわなければならないということになる。このあたりは『気をつかっているゾ』と示しながら、手を出したらただじゃぁ済まないぞという毅然とした態度を取ることが必要なのだ。
 中国の場合は、ロシアと違って『門』の存在そのものについては否定的でない。何しろ状況が逼迫しているからだ。
 中国は資源輸出国であるが同時に、資源輸入国でもある。この国は、愚かなことに13億人の国民全員に豊かな生活をさせようとしている。それは、エネルギーや資源の需要と供給を大きく崩す行為だった。これまでの数十倍という膨大なエネルギーを、一時に必要とすることになる。これというのも、あの国が十三億と言う数の国民を御すことが難しくなってきているからだ。国をまとめるために必要だったのかも知れないが、長年続いた偏った教育の結果、中国人の欲求は限りなく肥大してしまった。中華思想、大国意識、過剰なまでの民族優越意識、そして一人っ子政策からおこる両親による甘やかされ……気位が高くなれば、貧しい生活で満足できるはずもない。日本やアメリカから入ってくるテレビドラマに映し出される主人公のような、高級乗用車を乗り回し、物質的に豊かで享楽的な生活をしたいと思うのも当然のことだった。思ってしまうのだ。偉大なる漢民族の一員たる自分が、韓国人、日本人などよりも劣った暮らしが出来るか、と。十三億人が不満を抱く。国内の不公平に不満を抱く。大国の国民のはずなのに、偉大なる漢民族の一員なのに、自分はちっとも豊かでない。
 不満が鬱積し、はけ口を求めて駆けめぐり始める。
 エゴを抑制するという文化は力を失い、実力という裏打ちのないプライドは傷つきやすくなる。真実を指摘したり我慢を強いる者は敵で、自意識を満たしてくれるものが正義だ。
 溜まり溜まった不満が出口を求める。
 日本のような民主国家は、国民は不満に思った政権を選挙という方法で平和裏に引きずり降ろすことが出来る。だが、独裁国家では破壊と殺戮によって政府そのものを転覆させるしか方法がないのだ。だから、彼らは暴動を起こす。それは彼の国の指導者にとっては恐怖であった。あり得ないはずのソビエト崩壊もつい最近の出来事だ。必死なのである。国民の不満をなだめるため、物心両面における欲望をいかに満たすかで汲々としているのである。だから甘い言葉を囁く。『共産党の政治により未来は明るく、誰もが豊かになれる未来が約束されていて、諸外国はかつてのように中国を宗主国として敬い、ひれ伏すだろう』と。
 日本としては、このような中国ともつき合っていかなくてはならない。ならば、事を荒立てるより仲良くしていた方が得だということをわからせることが大切となる。
 そのための餌が『特地』であった。
 中国はとにかく資源が欲しいのだ。それは強引に奪うか、それが出来ないなら友誼を求めて、分けて欲しいと頼んで来るかのいずれかである。今は、日本の権益独占に対する警戒と嫉妬心を示している段階だ。頭を下げるのも剛腹だから『耳障りな雑音』を発しているのだ。これから、ますます露骨になってくるう。
 ある意味、ここからが踏ん張り所だ。
 他人が、自分の欲しいものを持っている時、強引に手を出して奪い損なえば、後で態度を改めて「分けて下さい」と頭を下げて頼んでも、分けてもらえるはずがない。その常識をしっかりと理解させる。そうすれば、これまでのことはあたかも無かったかのように、好意的な笑顔で友好ムードを演出しつつ握手の手を伸ばしてくるだろう。しかしこれに容易に乗ってはいけない。中国の対日外交の基本は、『握手をする時に、つま先を踏む』だ。外務省の官僚は、拳を振り上げてくる相手には断固として退かないが、握手する時につま先を踏まれると簡単に一歩退いてしまうという性格がある。そこにつけ込まれているのだ。だから、中国は様々な形で喧嘩を仕掛けてくる。そして、必ず後で握手しようと言うサインを見せる。その時に飛びつかず、足を踏まれても痛いと言わずにじっと相手を睨みつける覚悟と根性が、対中政策上は必要なのである……………が、官僚達のこの体たらくである。先代の北条首相はよくぞ我慢できたものだと思う本位田である。「もしかして、わざと?オレって虐められている?」と思いたくなる。
「結局大事なのは学歴なんぞではなく、『人間の質』なのかも知れない」
 先代首相は、反対勢力からは蛇蝎のごとく嫌われていたが、逆に言えばそれだけ指導力に優れ、自分がよいと思う政策をどしどし推し進めていた。内閣も政府も緊張感があって自分が、彼の官房長官として働いていた時は、ホントに良いのかと思うほど果断に振る舞うことが出来たが、それも彼の揺るがない政治姿勢が後ろ盾となっていたからだろう。
 さすがに、あれは不味いと思って自分が首相になってからは各方面に配慮した政治をするようにしたのだが…何が悪かったのか閣僚の汚職疑惑とか過去の問題が噴出してくるわ、党内の身内が身勝手この上ないことばかり言い出すわ、防衛省とか年金記録の問題が噴出するわ、もういい加減仕事を投げ出したくなる。おまけにこの不始末。
 第1の問題は、「特地からの来賓が行方不明」という重要な情報が、この時間まで報告されなかったことである。
 第2の問題は、有る程度の状況を確認してから伝えようと思ったので有れば、この程度では状況をまとめた内にはいらないということだ。すなわち中途半端なのだ。
 第一報というのは不正確であってもよいのだ。何か事が起きているということを知らせることに意義があるからだ。従って『速さ』と『早さ』のみが価値がある。この報告を受けた責任者は、対応の準備を(物心両面で)整えることになる。
 ついで第二報とは、何が起きているかを詳しく報じることになる。これによって、具体的な対応に動き出す。従って、何が起きているか具体的な中身が大事になるのだ。その意味から見ても、今回の報告は遅くに過ぎて、しかも内容は不十分である。要するに、ちゃんと報告はした。責任は果たしたというアリバイ工作でしかないのだ。
「これで何を指示しろって、言うんだよ」
 と、ぼやいてしまう。とは言っても、何もしないわけにはいかないのが彼の立場だ。特地からの来賓は、この戦争を終わらせるばかりか、特地と我が国との将来を方向付けるという意味でも重要な存在となる。しかも、その中には国会を湧かせてくれた、あの綺麗な三人組も含まれている。彼女たちには恐い思いはさせたくない。
 本位田は携帯電話を再び開いて、電話をかけた。
 しばしの呼び出し音に続いて、相手が出た。
「嘉納さん、朝早く済みません」
「………」
「よかった、起きておられましたか?睡眠を邪魔するんじゃないかって心配してたんです。とは言え電話をしなければならない立場がお互いに辛いところですね。え、私ですか?さきほど叩き起こされました」
「………」
「実は特地からの来賓の件です。各所からいろいろと雑音が入ってたのは嘉納さんもご存じだと思うんですが、雑音もいささか度が過ぎたようで、来賓が逃げ出してしまったんですよ。無事ならいいんですが……ええ」
「………」
「え?……いや、実はお恥ずかしいながら、たった今報告を受けたところで」
「………」
「はい。正直言って今の担当者では心許ないので、お手を患わせますが『特地問題対策担当大臣』にお引き受け願えないかと…丸投げになってしまって申し訳有りませんが」
「………」
「ええ、宜しくお願いいたします」
「………」
 本位田は、携帯電話を閉じると盛大に「くそっ」と罵倒した。嘉納から嫌みの一言二言も言われたようである。「もう辞めてやる。辞めちゃうぞ、こん畜生め」と呟きながら、ベットに潜り込むのであった。




 夜の帷があけた。
 テレビでは、無責任なコメンテーターがあちこちで起きた出来事について、あまり意味があるとも思えない個人的な感想を述べはじめた頃合いである。まだ眠っている者を邪魔したくないので、音量を小さく絞って流しっぱなしにしておき、雑魚寝している者を踏まないように注意しながら、伊丹はワンルーム・マンションに申し訳程度につくられている狭い台所に立った。
コンビニで購入したパン、牛乳、卵等を用いたフレンチトーストを作り始める。
 彼のする料理は焼く、炒めるのどちらかだけである。味は甘くするか、ソースないし醤油をかける、あるいは軽く塩をふるの単純なもの。複雑な味付けはしないし、出来ない。ダシも使うとすればスーパーで手に入るカツオダシだ。
 素材の味を生かした素朴な…と表現すれば、それなりの料理であるかのように思えるが、要するにフライパンで焼いものでしかない。今日の朝食は、卵と牛乳を混ぜたもの(砂糖少々)にパンを浸して焼いたものであるし、冷凍食品のミックスベジタブルを炒めたものである。
 もし、晩飯を作らせたらきっとスーパーで一番安いオーストラリア産かアメリカ産の肉を買ってきて、フライパンで焼いて、軽く塩と胡椒をふっておき、後でソースをかけて食べるという食事になるだろう。もちろん野菜は、冷凍のミックスベジタブルである。生野菜を食べるなら、キャベツとかレタスを半玉買ってきて、ざくっと切ってそのまま出すという大胆さだ。ご飯は、一度に4合くらい炊いて置いて一膳ずつラップにくるみ、冷凍保存しておく。毎回必要分を電子レンジで解凍して食べる。要するに料理は、変な味付けをしようとしなければそれなりに食える。そうすれば、とりわけ美味くもないが、まずくもならない。それで良いと思うところが、伊丹の食に対するこだわりであった。
 散らかっている荷物を部屋の隅に押し退けて、大判の折脚テーブルを部屋の中央に置く。そこに皿を伊丹は列べていった。
 富田はぐーすかと入眠中。栗林は一度トイレに起きてきたが、今は再び眠っている。この2人が目を醒ます頃には、朝食はすっかりと冷めているだろうが、そう言うことはあんまり気にしない。異世界組では、ピニャとボーゼス……それとロゥリイの3人が早起きであった。ロゥリィは起きた途端、窓の外に見える太陽の前で跪いて祈っていた。ピニャとボーゼスは最初はテレビに驚いて見入っていたが、ニュース番組の類は言葉を解さないと理解が難しいために、程なく飽きが来て、今度は室内に置かれた同人誌の数々へと関心を移していた。
「で、殿下、こ、これは」
「う~む。これほどの芸術が、この世にあったとは」
「殿下。ここは異世界です」
「そうだった」
「…………………」
「…………………」
「文字が読めないのが恨めしい」
「殿下。語学研修の件ですが、是非わたくしを」
「狡いぞ」
「わたくしがこれらを翻訳して、殿下の元に…」
「…………………」
「…………………」
「………う、う~む」
 伊丹は、自分なりにピニャやボーゼスの会話に割り込むタイミングを見計らいながら、「あの…」と声をかけた。ピニャもボーゼスも、ページを捲る手を止めて驚いたように顔を上げた。ロゥリィも、丁度お祈りが終ったようで、伊丹へと顔を向けた。
「朝食。出来たんだけど、食べる?」



『特地問題対策担当大臣』嘉納太郎 宅。
 伊丹等がフレンチトーストという洋風の朝食を食べている頃、嘉納も東京滞在時用の自宅で、ごはんに納豆にみそ汁という日本人的(関西方面の方には、異議がおありであろうが、ここはご勘弁頂きたい)な朝食をとっていた。
 第1秘書の野地(のじ)が、嘉納事務所の秘書集団を引き連れて「おはようございます」とやってくる。
「大臣、今日のご予定ですが…」
 などと、メモを開きながら読み始めるのをさえぎって、嘉納はみそ汁をすすりながら「悪いけど、それは中止だぜ」と独特のしわがれ声で宣った。
「どうしました?」
「明けがたによお、総理から電話があったんだよ。特地からの来賓が行方不明だってさ。だから任せるってよ」
「それって!だって『特地』のことであっても講和については、総理が官邸主導で行いたいからって強引に奪っていった仕事じゃないですか。それが、自分では手に負えなくなりました、あとはお願いしますなんて、都合が良すぎませんか?」
「そう思うだろう?俺も思っちゃうんだよ」
 ま、考えなくてもわかることだが、首相は『この戦争を圧倒的に有利な条件で終わらせた』という成果を独り占めしたかったのだ。狙いは間違ってないと思う。だが、手に負えなくなるとすぐに投げ出すのが、今の首相の悪いところである。要するに、根性が座ってないのだ。
 もしゃもしゃと味海苔を口にする嘉納は、そんなことを呟いた。
 野地は、「はい、かしこまりました」と呟いて、携帯電話で各所にキャンセルの連絡をしていく。
「それでよ、野地。悪いけど官邸まで行って、来賓の方々の資料を貰ってきてちょうだいよ。ついでに総理の顔色を見てきてくれ。松井、朝一番で担当者会議を招集するから関係省庁に連絡してくれ。それと『情報本部』の担当者に状況がどうなっているか問い合わせてくれよ。以後の報告はこちらにするようにと付け加えてな」
「あ、はい」
 野地は、携帯と手帳を懐に戻すと即座に席を立った。第二秘書の松井が携帯電話を取り出して各方面に連絡を始めた。



    *    *



「よし、今日は楽しむぞ」
 朝食終了後、伊丹は片づけを済ませると、テレビをかぶりつきで見ている特地組女性衆に宣言した。テレビの画面には昨日の参考人招致でレレイらが質問されている様子が映しし出されている。
「楽しむって、それどころじゃないんじゃないですか?」
 昨日は狙われたり、ホテルに火をつけられたりしたのに軽率ではないかと栗林は言う。
 だが伊丹は首を振った。「俺のモットーは『人生は息抜きの合間にっ!』だ」と。
 そう言う問題じゃないように思うんですが…と富田も首を傾げるが、この場における最高指揮官の伊丹が「休暇を楽しむぞ」と宣言する以上、二等陸曹でしかない身では言い返しようもない話であった。
「第一、万が一敵が居て、俺たちがここに居ることを知ってるんなら、ここに閉じこもってたって危険なことに変わりはないじゃないか。それだったら、外を出歩いて人目の多いところで遊んでいた方が、よっぽど得だ。違うか?」
 確かに一理あるようにも思える話であるが、なんだか、それだけのためにもっと重要な何かを犠牲にしているような感触もあるのだ。もちろん富田だって、栗林だって仕事大好き人間というわけではない。若いのだから買い物をしたり、遊んだりもしたい。だから、伊丹が遊ぶというのだから「まぁいいか」と最終的には受け容れてしまうのである。
 そうなれば、問題はどこへ行くかである。
「はいっ、お買い物っ!渋谷っ、原宿っ!」
 手を挙げたのは、梨紗であった。買い物は狩猟本能の代償行為とも言われている。金銭的な困窮を堪え忍んできた反動からか、熱烈な購買意欲が頭をもたげたようである。
「なんでお前が提案するんだ?」
「えーーーーーーーーもしかして仲間はずれ?!いぢめかな?これって、いぢめっ?」
「別にいじめてないって。みんなが良ければ、別に構わないと思うぞ」
「やったぁ」と喜んだ梨紗は栗林に買い物を提案した。栗林もこれに賛同すると、テュカやレレイに、渋谷や原宿がどんなところであるかの説明をはじめた。「洋服だの下着だの…」云々という言葉が聞こえて来る。ロゥリィはなんだか気が乗らない様子であったが、梨紗が「黒ゴス……今着ているようなのが良ければ、下北沢に専門の店があるよ、行ってみる?」と言ったのを栗林が通訳した途端、態度を百八十度変えて賛成票を投じた。
 女性陣の希望が渋谷を中心としてその周辺に決まりそうな中で、伊丹は「俺としては、秋葉原、新宿、中野なんだが」……と、何が目的なのか理解できそうな地名を呟いたりする。
「自分としては、どこでも良いんですが、ボーゼスさんが『この世界』の資料とか見れるところがいいと言ってますので、図書館などはどうかと思います」と、富田がピニャやボーゼスの意向を代弁した。実に渋い意見である。図書館デートを企画しているようであった。
 行きたいところが別れてしまった。
 伊丹は、「……」と梨紗の顔を見て、「同行してはいけない、絶対にいけない」という第六感のささやき……ではなく絶叫を耳にした。女の買い物につき合った男の末路は悲惨である。覚悟を完了してとことんつき合うつもりなら、それなりに楽しめる可能性もあるが、中途半端な気持ちで関わるなら絶対にやめておいた方が良い世界なのである。
「とりあえず午前中は別れて行動するぞ。余裕を取って午後二時に新宿駅で待ち合わせして遅めの昼飯にする。それからは集団行動で移動して夕方は温泉で、夜に宴会ってことで」
 こうしてレレイらは、異世界の街へと買い物に繰り出すこととなった。




 単独行動の伊丹や図書館行きの富田・ピニャ・ボーゼス組と別れた、ロゥリィ・レレイ・テュカ組らは、栗林と梨紗に連れられてまず原宿に現れた。
 おのぼりさんよろしく、周囲を歩くものすごい数の人に圧倒されてきょろきょろしている。そんなレレイ達をつれて梨紗が入ったのは、当然のごとく服のお店であった。
「どうにも、その格好が我慢できなかったよねぇ」
 と、梨紗は宣言すると、レレイのポンチョにも似たローブを追い剥ぎか、性犯罪者のように「うへへへへへ。良いではないか、良いではないか」と、ひっぱがして可愛ゴー系や、ギャル系、ナチュラル系等の服を次々と取り出してきては着せ替えた。どうも、等身大の人形遊びとでも思っているかのようである。
 着せては脱がせ、着せては脱がせ……そうこうしている内に、色は別にしてもレレイが気に入った様子を見せたトップは、シンプルで腿を半分まで覆うロング丈のカットソー(ここまで長いとワンピースと呼ぶべきか?)、ボトムは膝丈のレギンスであった。たっぷりとした生地で身体の線を覆い隠してしまおうとするところに彼女の恥じらいが感じられる。だが逆に下の方は伸縮自在でぴたっとした生地が細めの脚をなかなか良い感じで強調するから、こちらのほうでは冒険を試みている。
「ふむ。そう来たか」
 ならば、色としては水色、黄色、ピンク……と眼にもまぶしい色を勧めたい。梨紗としては、これにしっかりした作りの可愛いアウターを選んで、冬の東京にも対応可としたいと思うところである。だが、レレイとしてはパーソナルカラーの白に、どうしても気が惹かれるようであった。 梨紗としてはさすがに上下全部が白の無地はどうかと思った。
「白に白じゃ、詰まらないじゃないっ!!」
 そこで妥協策として刺繍が入っているのとか、柄物を勧めた。
 結局の所トップは無地の白が採用された。(ただし悪戯で、背中のカットが深い大胆なデザインのものを忍び込ませた。これによって、細い肩からうなじのラインがあらわになってコケテッシュな魅力を男共に振りまくだろう)。レギンスも生地は白だがこれについては、おとなしいながらも刺繍やリボンが入っている可愛いデザインのものを強く勧めた。
 対するに、テュカの方は、ずらっと列ぶ衣装を前に自分なりの好みから、次々と欲しいものへと手を伸ばした。今着ているストレッチジーンズとTシャツ+セーターという組み合わせも悪くないが、どうにもおへそが出るのは、心許なく思っていたようでレレイが手にしたような丈のたっぷりとしたものを手にした。ただし、身体の線が強調されるピタ系Tシャツワンピを選ぶところは、スタイルに対する自負心が感じられる。『脳筋爆乳』と呼称される栗林ほどではないとしても、形状の良い曲線を有しているのだ。色は森の妖精らしく当然のことながら緑……若草色だ。
 梨紗としては、テュカのウエスト周りはすっきりとしすぎているから、小物入れかハードなベルトでウェストマークをつけたいところである。寒気対策としてはダブルのコートが良いかも知れない。
 着替え終えたテュカやレレイが試着室から出てきたところで、梨紗や栗林そしてロゥリィが「おおっ!!」とぱちぱちと手を叩いたりとファションショーのノリである。
 ブロンド碧眼のテュカや、プラチナブロンドのレレイは外国人モデルみたいにとても見栄えがよく、見物人も集まってお店の中はちょっとしたガールズコレクションという雰囲気になった。お店のスタッフも丁度良い人寄せになると思ってか、大いに協力的だ。
 こうして、レレイが眉を寄せるような例えば花柄のノースリーブのタンクトップとか、様々なデザインのものが買い物籠に放り込まれていく。テュカの買い物籠も、梨紗によって深Vサイドギャザーなど、いわゆるセクシー系の衣装までもが次々と放り込まれていった。
 昨日の国会中継や、今朝方のテレビ等で、テュカやロゥリィを見憶えていた人達もいたようで、時々「あの三人って、『こっかい』でしゃべってた娘とかでしょ?」などという声があちこちで囁かれだした。その頃合には、このお店での買い物も一段落ついたのでお会計である。お店も売り上げに貢献してくれた5人の女性の買い物には、たっぷりのおまけという形で好意を示してくれた。
 ちなみに、買い物の代金はそれぞれ各自が負担している。以前述べたように、レレイは日本政府から通訳などの業務のために雇われているし、テュカは森を切り開く際にどの樹は切って良い、どの樹は駄目という指導をしたり、水源捜索(水の確保は、非常に重要である)といったことで重要な役割を果たしている。ロゥリィは、アルヌスの北の麓につくられた墓地で、祭祀をしたり、宗教的禁忌などを避けるためのアドバイザーの役割をしている。そんなこともあって三人とも、『特地』では使い道のない日本円を結構貯めているのだ。
「次はインナーよ!!その次が黒ゴス、そしてアクセっ!」
 梨紗の宣言によって五人の女性は、下着のお店へと向かうのであった。ちなみに、これ以降の買い物の描写はしない予定だ。というか、出来ない。




 一方、ピニャとボーゼスの二人をひきつれた富田は、図書館へとやってきた。
 図書館に収蔵されている膨大な量の書籍に目を丸くしつつ、二人は国家がこれらの書籍を一般に開放し、見たい者がいつでも見ることが出来ると言うことに感銘を受けていた。
「どんな資料が良いですか?」
 門のこちら側の世界を知るための資料は無尽蔵にある。だが、文字が読めない以上、写真集や映像資料がよいだろうと思いつつ、どんな資料がいいのかと注文を尋ねたところ2人の答えは即答であった。

「芸術」



二五



 東京都新宿区新宿二丁目1丁目…誤記ではない。『新宿二丁目』は地名である。
 ここにはかつて『古(いにしえ)の聖地』があった。もちろん今は存在しない。地下鉄丸の内線『新宿御苑前』駅を出て、とあるビルの外壁に面した鉄の階段を上る。ドアをくぐるとそこには漫画を始めとした、他では入手の難いアニメのポスター、下敷き、ポストカード、そしてセル画などが販売されていた。なんだ、そんなものなら扱っている店はどこにだってあるではないか……と思う向きも多いだろう。どこでと問えば、秋葉原、池袋と、いくつかの地名を挙げることも難しくないだろう。……いやいや、それは今のこと。当時秋葉原は世界にその名も知られる『ただの電気街』であり、池袋にも乙女ロードなどと冠される通りもなかった。そもそも『オタク』などと言う言葉も、市民権を得る前だ。あの宮崎某という男が幼女をつぎつぎと拐かしては性欲のはけ口とした上で殺し、オタク=キモ悪というイメージを確固たるものとしてくれるのだが……それよりホンのちょっと前の話である。
 そう。時は、およそ二十年前。
「当時、結婚したばかりだってえのに、選挙で落選して浪人してたころだな」
 スーツ姿のおっさんが旧き良き時代を懐古しつつ呟いた。
「俺は中学生でした」
 伊丹は、さっぱりしたような口調で語った。ふたりは互いに顔を見合わせようともせずじっとたたずむように、かつての聖地だったビルを見上げていた。
「SPも連れずに独りで来るとは思いませんでしたよ。何かあったらどうするんですか?」
 なにしろ、このすぐ近くには反保守思想を持つ人の聖域とも言える書店もある。そこには独特の活字書体が強烈な書籍やアジビラ、ミニコミとかそういった書物、機関誌が扱われているのだ。
「何言ってるんだ。『最強』のボディガードがついてるだろ?」
「閣下も『冗談』を真に受けてるんですか?アテにされても困りますよ」
 ようやく二人は向き合う、そして延ばした手を互いに握り会った。
 立ち止まっていても何である。二人はそぞろ歩きしながら入園料を支払って、新宿御苑の門をくぐった。さすがに冬の平日だけあって、御苑内で散策する人もまばらだ。遊歩道の枯れ葉を踏むとパリという感触が靴底を通して感じられる。
「あのころのチューボーが、今じゃ立派になって」
「あのときのおっさんが、今じゃ『閣下』ですからねぇ」
「閣下ねぇ……今ひとつ、ぴんとこねぇなぁ」
 気のおけない同志の会話。互いに言葉を飾る必要もない。政治家の嫉妬や『裏』の意味が込められた陰険漫才のそれとは無縁のものだった。
「あのときに、この『軽シン』とか、『めぞん』って本は面白いか?って話しかけられたのが、きっかけでしたねぇ」
「そうだっけか?」
「当時、青年誌は、中学生が手を伸ばすのは憚られた時代でしたからねぇ、なんてこと訊いてくるんだこのオヤジはって思いましたよ。しかも、内容を解説するのに小一時間くらいは喋らされましたからね」
「代価としてメシを奢ったろ?だいたい、手を伸ばすのも憚れるって言ったって、ちゃんと内容を把握していたろ、お前さんは」
「そりゃあ、『めぞん』や『軽シン』もアニメになってましたから」
「ほほう?当時の軽シンアニメ版はR規制だったんじゃねぇか?」
「そ、そうでしたっけ?」
「確かそうだったと思うぞ」
 嘉納太郎は、鼻で笑った。
「あれから、お前さんが教えてくれた漫画は全部読んだぜ」
「俺も、貸して頂いた古いマンガ面白かったです」
「黒人ガンマンと、東洋人少年とのゴーストタウンでの決闘は、凄く燃えましたね」
「そうだろ?ありゃ最高だ」
 こうして、二人のオタクはしばしの間、漫画談義で時を過ごした。だが、楽しい時とはすぐに過ぎていくものでもある。
「お、そろそろ時間だ」
 気がつくとあっと言う間に一時間が過ぎていた。時間単位で仕事のある嘉納にとっては、もう次の仕事場へと向かわなければならない。
「あ、これを……」
 伊丹は、嘉納に本屋の袋を手渡した。中には電話帳ほどの厚みと重量感のある本が入っていた。
「ありがてぇ。最近じゃ本屋にも迂闊に出られねえんだよ」
 嘉納は「じゃぁまたな」と手をあげた挨拶をすると背中を向けた。
 そして数歩歩いて、「あっ、しまった」と振り返る。
「お客さん方は元気かい?」
「ええ」
「ホテルから逃げ出して行方をくらましたのは良い判断だ。だが、ちと困ることがある。こっちとしては手を伸ばしてきた悪戯小僧の手をピシャリと叩いて、叱りつけておきたいところなんでな」
「体制は?」
「お前さんの原隊の、えすえふじーぴぃ(SFGp)って言ったか?その連中に任せることになった。ってことだから、当初の予定通り予約しておいた旅館に入れ。特地問題対策大臣兼務防衛大臣として、職権をもって命じる」
 嘉納はここで「命じる」という言葉を用いた。そこに伊丹は嘉納の心意気を篤く感じるのである。はっきりと命令すると言うことは、何かあったら責任を取ると言うことを意味するからである。責任を取らない奴は、命令をせず「頼み事」と言ったり、「相談」とごまかして、何かあったら現場の暴走ってことにして逃げるのだ。その意味では、はっきりと命令された方が安心できるのである。そして、それは現場に立つ者にとって最高の支援となるのだ。「命令する」「される」の関係を血の通わない無機的なイメージで捉えることもあるだろうが、現実にはこういう側面もある。
 伊丹は、離れていく嘉納の背中が見えなくなるまで、四十五度……則ち最敬礼をもって応じていた。




 さて、待ち合わせの時刻に、待ち合わせ場所にそろった面々を見渡すと、伊丹は思わずため息をついた。なにしろ、それぞれに大きな荷物をかかえていたからだ。
「つい、買い物しすぎちゃって」は梨紗の言い訳であったが、はたしてこれが「つい」…の一言で済む量だろうか?例えば……衣類、小物類、婦人用雑貨の数々は梨紗である。おそらく、伊丹の貸した金の殆どを使い切ってしまったのではないだろうか?だが「大丈夫、冬コミまで保てばいいんだから」などと宣っている。
 テュカは山岳用品店の手提げ袋をぶら下げていた。それとスポーツ用品店の包装紙に包まれた機械式洋弓(コンパウンドボウ)一式である。どうやら森の精霊というのは徹底してアウトドア派のようであった。「こっちの弓って凄いのよ」と言う口にはどこか言い訳めいた響きがあった。
 レレイは、やっぱり十数冊にわたる書籍である。他にも、ノートパソコンとおぼしき箱を大事そうに抱えてもいた。こんなもの買って、向こうで電気……どうするつもりなんだろう?「……………………………………本は必要なもの」とボソリと呟く。
 ロゥリィは元から抱えているハルバートもあってか、比較的荷物が少な目である。が、それでも手提げの紙袋には、黒いフリルや刺繍の塊とおぼしき衣装の数々が詰まっていた。彼女は堂々宣告するかのように言う。「向こうじゃぁ、誂えるのも大変なのよぉ」と。
 これに対して、図書館でもっぱら『芸術探し』に時間の大半を費やしてしまったピニャやボーゼスは、買い物を楽しんだロゥリィ達を実に羨ましげに見ていた。どうやらお目当てのものは見つからなかったようである。富田曰く、「何を探しているのだか、はっきりしなくって。ギリシャかローマ時代の彫刻だと思ったんですが、彼女たちの注文とはイメージがあわなかったみたいです……」だそうである。



    *    *



 アメリカのロッキー山脈の地下には、緊急時…例えば核戦争における全軍の指揮運用を目的とした総合作戦指揮所がつくられていると言う。小説や映画では、薄暗い指揮所内のモニターやスクリーンにきらめく無数の光輝(グリッド)や、スイッチがイルミネーションのごとく瞬く様相を形容して『クリスタルパレス』と記されることもある。
 実際、日本国内でも航空自衛隊の防空指揮所といったところは、そのような場所らしい。
 だが、市ヶ谷の地下につくられた『広域指揮運用センター』や、『状況管理運用システムルーム』などと称される部屋は、どちらかというと報道番組か政治バラエティ番組を収録するテレビスタジオのような雰囲気を持っていた。明るい部屋の中の片隅には編集室のようなブースがあって、無数のモニター画面がある。そして、指揮運用に携わる制服組の幕僚達が詰めて、刻一刻と変化する状況に応じて、巨大な液晶パネルに表示される部隊符号を切り替えていた。正面に映っている画像によると、現在九州南西部の石垣島に中国方面から近接してくる航空機があり、これにたいしてスクランブルが発動されてF15戦闘機が二機向かっている。あるいは、同近海に潜む潜水艦が赤く示されている。その近くには、青い色の潜水艦マークがあって、赤い潜水艦の後ろをつけ回していた。
 某刑事物の映画では、事件は会議室で起きているのではない……というセリフが流れたが、ここでは現場と会議室が直結している。状況の中に投じられ、否応でも視野が狭くなる現場担当者を、後方に控えた冷えた頭の運用管理者が広い視野の元で支援し、指揮を行うシステムなのである。
 この部屋に、特地問題対策大臣兼務防衛大臣の嘉納が背広組の参事官と、制服組の幹部らに付き添われて立ち入った。
「おはようございます、大臣」
 二十四時間常時勤務態勢のここでは、時計の針がどの数字を指していようとも、習慣的に「おはようございます」と挨拶される。テレビなどに見られる芸能界の習慣を諧謔的に取り入れたものだが、かえって武張った印象が薄れて気軽な気分で挨拶が出来る。
 嘉納も「おはようさん」と手を挙げつつ参事官に案内され、指揮所のなかに臨時にしつらえられた椅子へと腰を下ろした。
「指揮運用担当の竜崎二等陸佐です。宜しくお願いいたします」
 嘉納の前に現れた制服自衛官はそう名乗った。
「俺、正直言って戦争ってこんなんだと思わなかったぜ」
 竜崎に感想を告げながら、嘉納はコートを脱いだ。すかさず婦人自衛官のひとりが受けてハンガーにかける。
「そうですね大多数の人は、戦争映画みたいに大規模な戦力が連日衝突するような印象を抱いていることでしょう。ですが現代戦は、大別して二種類のものになりました。ひとつは警察活動とゲリラ戦とが混ざったようなもの。そしてふたつ目は『湾岸戦争』のような、戦う前に準備を周到に済ませ、敵の急所を見極めて、いざ戦闘を始めれば一気呵成に、敵の要点のみを一撃で粉砕してこれを倒す……というものです。昔のような戦争は映画の中か、あるいは途上国のものです」
 竜崎が、中東で行われている米軍の戦いを例に挙げた。
 かつてのゲリラ戦は『ジャングル』を舞台に、敵味方の視界のほとんど無い森に隠れるようにして互いに遭遇戦、待ち伏せ戦を行うというものだった。だが現在は違う。無辜の市民の中に敵は潜み隠れ、スーツや普段着のまま人混みの間から撃ってくる。乗用車を爆発させてくる。子どもの背中にくくりつけられた爆弾が爆発する。彼らはそれをしてカミカゼなどと呼んでいるそうだが、対象が軍事目標でないが故に断じて神風ではない。
 これに対処するには、無辜の市民と敵性人物とをより分けなければならない。そして倒すべき敵のみを倒す。強いて言うならば『癌治療』に似ている。膨大な数の健康な細胞の中に紛れ込んだ、小さなガン細胞を見いだしてこれをつぶしてしまわなければならないのだから。
 警察活動は、一つ一つの癌を探し出して捕らえる活動。
 軍事活動は、癌の塊を外科手術で取り除く活動。かつて、膝に癌が出来れば、脚一本丸ごと切り取るような手術をするしかなかったが、時代はそれを許さない。故に、いかに健康な細胞を傷つけないで温存できるかが問われることになる。アメリカが国力を傾けて軍事力を投入しているのに、中東の治安が一向に回復しないのも、極端に言えば警察力が低いからである。メスをもって外科手術をするには、中東という病人のガン細胞はあちこちに転移しすぎている。これを取り除こうとして、無辜の市民を巻き込むような戦闘に訴えるしかなくなっているのだ。
「その意味では、我々がこれから行おうとしている作戦は、前者に当たります……すまんが状況をモニターに出してくれ」
 コンソールのWAC(婦人自衛官)が頷くと、端末のマウスを数回動かした。正面のスクリーンに伊豆半島の付け根から箱根付近の地図が映し出された。十万分の一、五万分の一、一万分の一…と描かれる範囲はどんどん狭くなってくるが、同時に地形はわかりやすく大きくなっていく。そして、山に囲まれたひなびた温泉宿の一つが、壁面一杯の大型有機ELモニターの中心に描かれる形で地図は停止した。
「温泉宿の山海楼閣。美味い料理に、風光明媚な露天風呂で評判です。いずれ泊まってみたい所ですが、本日の舞台はここになります。ルールは至極簡単、敵対勢力の襲撃から、こちらに泊まっている『来賓』を守り抜くことです。隊員は既に配置についています」
 旅館の周辺の山や、川といった地形の周辺には、隊員ひとり1人を現す、『♀』…を逆さにしたマーク(陸曹を示す部隊符号)や、このマルが二重丸になったもの(幹部を示す部隊符号)があちこちに記された。
嘉納の「おおっ、攻殻みたいだぜ」というセリフは聴かなかったことにして、竜崎はコンソールの方へと身を乗り出して尋ねた。
「ご来賓の方々は今どうしてる?……現在露天風呂で入浴中?!…………おいっ、誰か露天風呂の画像を送ってこれる位置にいる者はいるか?………ちっ、いないのか」
 制服幹部の砕けた冗談に、一同苦笑い。場が微妙に弛緩した。婦人自衛官の「セクハラですよ」の一言で、皆少しばかり姿勢を正して場が再び締まる。きっとこんなやりとりばかりしてるのだろうなぁと思いつつ、嘉納はネクタイを少しゆるめた。
「さて、山海楼閣周辺に布陣しましたは、我が国の精鋭『特戦』です」
「おう。伊丹の奴もその一員だそうだな」
「大臣閣下が、アレとどういうご縁でお知り合いなのかは存じませんが……」といいつつ嘉納が机の上に置いたコミケのカタログに視線を送って「まぁ、その通りです」と竜崎は頷いた。
「ただ一部で誤解があるようなので訂正いたしますと、特殊作戦群とは申しましても、要員の全てが全て、海に陸に空にと駆けめぐる忍者かスーパーマンのごとき戦闘のプロというわけではありません。勿論、大半はそういった者なのですが、一部には『特技』をもって『特戦群』の一員に名を連ねている者もいます。例えば、コンピューターの扱いに優れた者、鍵などの構造に精通していてどのような鍵でも瞬く間に開けてしまう者、オートバイや自動車の扱いに優れている者、医師、毒物等の扱いに長じている者、人心の収攬と煽動に長けている者……」
「伊丹の奴がそうだと?」
「ええ。アレは逃げ足……危険とか、嫌なことから逃げることについては、ピカ一の技量を有しております。そりゃぁもう、特戦の連中が追っかけ回しても、なかなか捕まりません。と言うか、奴をターゲットにした『フォックスハンティング』の訓練を始めよかという話になった途端、いなくなってます」
「………俺が見た資料は、ちょっと違う内容が書いてあったが」
 場にいた婦人自衛官が笑いを堪えきれず、数名の幹部達も笑ったら失礼とは思いつつも腹を抱えた。
「大臣、その資料は背広組からまわってきたものではありませんか?非合法の手段で入手されたものですので破棄されると共に、入手経路についてあとで教えてください。防衛機密の漏洩ルート解明に使わせて頂きます」
「どういうことだ?」
「特戦について、非合法な方法で情報を入手しようとすると……例えばハッキングとか、人を介した方法でもですが……偽装された情報が出てくるようになってるのです。その代表例がアレでして、『格闘の達人、心理戦のエキスパート、射撃の上級者、高々度降下低開傘・高々度降下高開傘の技術を持つ空挺、海猿顔負けの潜水技能、爆発物の専門家……痛い中学生の創作みたいな設定がてんこ盛りです。…違いますか?」
「ああ、そうだった。でもなんで?」
「これは防衛機密ですが、大臣にはお教えする必要がありましょう。それは『冗談』です」
「冗談?」
「ええ、冗談です。まぁ、怠け者の彼に対する、一種のイヤミでもありますが……ま、建前としては欺瞞情報ということになっていますが」
「おいおい、嫌味かよ?」
「はい、イヤミです。特戦の一員となったからには、隊員達は自己の特技のみならず、自主的に互いの技能を教えあい吸収しあって、各個の技能と練度を高めていくことが期待されています。ところがです。アレだけは他人から吸収しようとしない。ばかりか、怠けていることが自分の仕事だと勘違いして、挙げ句の果てに群内で漫画だのアニメの布教に勤しんでる有様です」
 防衛大臣は頭を抱えた。
「おいおい、ここはどう考えたら良いんだ?特戦の連中は、そんな奴のことも捕まえられないくらいにレベルが低いのか、それとも伊丹の奴が凄いって思うべきか」
 だから奴をクビに出来ないんです…と竜崎は愚痴った。
 ここで無能で怠慢だからという理由でクビにしたら、そんな奴を捕まえられない特戦は全員無能と言うことになってしまう。
「痛し痒しです」
 幹部自衛官達は、深々とため息をつくのだった。




 一方、山海楼閣では…。
 ゆったりと温泉に浸かって、ここ数日の疲れを流した伊丹達ご一行様は、食事を済ませその後、酒盛りへと突入していた。もう、さっさと寝ればいいのにと思うのだが、栗林と梨紗の2人が結託して、酒とつまみを買い込んできたようである。それぞれに、「もう寝よか」と床に入ろうとしているのを後目に、2人はテーブルの上にビールと酒、ワイン、ウィスキーそしてカキピーやポテチといったつまみの数々を所狭しと列べた。そして始まった栗林と梨紗の酒盛りに、ピニャとボーゼスが「葡萄酒はわかるが、これは何だ?」と興味を示してウィスキーを口にしたのがきっかけで参加。そして後からテュカとロゥリィも参入し、本を読んでいたレレイまでもが「吸い込みが悪いぞぉ」と言われて、ビールを飲まされる羽目に陥っていた。そうして盛り上がってきたところで、栗林とロゥリィの2人が隣の男部屋を襲撃し「やい、男共、ちょっと顔出せや」と伊丹と富田を無理矢理に、文字通り『引きずって』きたのである。
「なんだこりゃ」
 伊丹と富田の見た光景は、まさにサバトであった。あるいは酒池肉林と言い換えても良いだろう。なにしろみんな酔ってる。しかも着慣れない浴衣は乱れまくっていて、下着だって見えてるというか見せまくっていた。思わず、ちょっと待て、恥じらいはどうした?ここに座りなさい、と小一時間説教したくなるほどの惨状となっていた。
 おずおずとボーゼスに「あの、見えてるんですが……」と指摘して服装を正すように言った富田は、女性衆による「ムッツリスケベ」とか「ホントは見たい癖にぃ」「自己批判しろぉ」「後で布団部屋にでも連れ込んでムフフするつもりだろっ」と悪口雑言と、枕の集中砲火を浴びてしまい、部屋の隅っこに引き下がって沈黙。このことは触れないのが一番と悟った伊丹はもっぱら酒か、おつまみへと視線を集中し、あたりに向けないように大人しくすることにしたのだった。だが……
「やい、伊丹っ!お前には言いたいことがあるぞぉ」
 と、伊丹の正面にあぐらをかいて座ったのは栗林だった。だから、浴衣であぐらをかいたら丸見えなんですが……と言ったら最期なので黙っている。
「たいちょ~……伊丹……イタミ二尉……お前に話がある。じゃなくてお願いがありまふ」
 よっぱらいが、伊丹の肩をバンバンと叩きながら言った。結構痛い。
「紹介して下さい!」
「何を……」
「私をですぅ」
「誰に?」
「特殊作戦群の人にです」
「なんで?」
 伊丹は、栗林の希望を知っていたから、特殊作戦群への志願でもしたいんだろうか?と思った。だが、特戦はレンジャー資格必須。そしてレンジャーは女性には門戸が開かれていないのが現実であったからどうやって諦めるように言おうかと考えてしまった。ところが、彼女の言葉は伊丹の予想の斜め上へと行っていた。
「結婚を申し込みますっ!」
「ちょ、ちょっとまて!それって、誰でも良いって事か?」
「んなことありません。独身で、特殊作戦群でも優秀な人に限ります」
「んなこと言っても、相手の都合とかもあるだろう?確かに半数以上が独身だけど」
「それならOKじゃないですか?考えてもみて下さい、危険な職業に、出ずっぱりの毎日、普通の女にはそんな人の女房ってつとまりませんよ。その点、私なら完璧ですっ!小さな身体に、高性能なエンジン搭載。清く明るく、元気よくっ。格闘徽章保持で夫婦喧嘩も手加減なしです。しかも、今やコンバットブロープン(実戦証明済)っ!そしてこの胸っ!報道されない、誰もが顧みない作戦で疲れた心と体を、私ならこの胸で癒してあげられますっ!」
「胸っていったって、お前さんのそれ、筋肉だろ」
「違います!筋肉四十パーセント、脂肪分六十パーセント。バスト九十二。仰向けに寝てもたゆまない、張りがありつつも触り心地はゴムまりのごとき美乳ですっ!」
 そう叫んだ栗林はいたずら猫のような顔をして、巨乳を胸張った。すると「どうだっ!」と言わんばかりにはじけるミサイル並の決戦兵器。伊丹は、しばらく魅入ってしまったが、はっと気付いて目をそらす。斜め右上の天井へと視線をむけながら呟くように言った。
「ま、隊員の結婚問題はリアルで深刻な問題だからなぁ。ちゃんと上に話は通しておくよ。変な外国人にひっかかられても問題でな、お見合いとか手配したりも仕事になってるくらいなんだ。これマジな話。……お前さんなら顔も良いし、身辺もきれいなものだし。思想的にも申し分ない。もしかしたら、取り合いになるかもな」
「やったぁ!」と上機嫌で栗林は万歳した。その瞬間、伊丹の頭部を激しい痛みが襲う。
「ゴツン」という音がして、鼻の奥にわさびを塊で口に入れた時のようツーンとした感触が広がり視野が暗くなる。どうやら強烈な勢いで叩かれたらしいということは、かろうじて理解できた。
「あ、万歳した手があたっちゃった……二尉……伊丹隊長……い…ちょ…」
 薄れ行く意識の中で、伊丹は「こう言う時は、さっさと寝ちまうに限る」と思いつつ意識を手放すのであった。



    *    *



『状況管理運用システムルーム』の中央モニターには、山海楼閣をとりかこむ周囲における戦況が記されていた。システムルームに置かれた数台のコンソールでは、モニターと向かい合う担当者が、偵察衛星や、空に浮かぶ偽装飛行船などから送られてくる情報を読みとって分析し、インカムにむかって語りかけていた。
「北北東の高の台に、熱源三。アーチャー…十時から十一時の方角よ」
『こちらアーチャー。目標を捕らえた』
「対処〇三。よろし?」
『了解』
 このような小規模の不正規戦に置いて、どのような指揮運用方法が適切であるかを、歴史の浅い特殊作戦群では、ほぼ手探り状態で見いだそうとしていた。実際に行ってみて、問題点を洗い出したり、改善点を挙げていくのが一番であるという考えのもと、今回はマスター・サーヴァントシステムをとっていた。すなわち、後方に控える指揮者(マスター)ひとりに対して、戦場に身を置く戦闘要員(サーヴァント)がひとり、と言う形のペアを組むものだ。
 このペアが七組というところからコード名に、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、パーサーカーといった言葉が用いられているが、このあたりは『誰か』による布教の成果かも知れない。
「ランサー。ポイント3へ移動……」
『こちらランサー。了解』
「キャスター、対処〇二。三時から四時方向でライダーが移動中などで撃たないように」

『こちらランサー。現在、泥濘に嵌っているところ。ポイント3まで一秒の遅れ』
「早く抜け出すように…」
 これの様子を眺めながら、嘉納は敵の目的にについて思い悩んでいた。
 傍らの竜崎を相手に考えをまとめるために話しかけてみる。
「これって、敵は何を考えてるんだ?こっちに備えがあることは、相手だってわかってることだろうに」
「考えられるのは、こちらがこれだけの高度な武力を用いた防御に出るとは、考えていなかったという可能性です。もう一つは、こちらの能力を測っているという可能性も考えられますが、損害を度外視し過ぎにも見えます」
「現在、敵側の損害は、一〇名を越えました」
「もう時期、敵は体勢を立て直すために一度後退するでしょう。本格攻勢はその後になります」
 嘉納は、今回の敵の行動についての政治的意図を考えていた。戦争とは、政治の一手段であり、政治と関係のない戦争はあり得ない。戦争の勝ち負けは、政治の土台の上に成り立つ。従って、負けることが政治的な勝利であることもあり得るのだ。そう考える時、こちらに備えがあることをわかっていて、壁にむかって累卵を投げるような、無意味とも思える戦闘にどんな理由があるだろうかと考えるのである。そのような状況にどんなものがあるか。
 歴史を振り返って見れば政治というものを理解しない……例えば山本とか石原といった軍事については優秀だが政治を理解しない馬鹿が闇雲に目前の勝利のみを追い求めて、最終的に日本を敗亡へと導いた。政治を嫌って軍事のみ好む気質は、政略や策略を卑怯として正々堂々の戦いを好む武士道精神のそれだが、それは一兵卒の美徳であって国政に関わる者、そして軍事に関わる者はそれではいけない。政治も軍事も、同じ物であるということを理解し、両方を見据えるべきなのである。昨今は、軍事音痴な政治家が日本の政界に多いが、これもまた亡国の原因になると嘉納は考えている。軍事イコール悪としてしまう、感情的な平和運動の悪弊と言えるだろう。
「悪いけどよぉ……敵さんを調べてくれないか?嫌な予感がするぜ」
 嘉納の注文に、竜崎は眉を寄せた。
「敵は退却しているとは言っても、まだ状況が終了したわけではありませんが……」
「そこを何とかならねぇか?」
「二佐……セイバーの近くに、目標の遺体が二つあります。確認させられますが」
 竜崎は部下の意見具申を受けて、セイバーに敵の死体を確認するよう命じた。
 暫し待機中、竜崎は嘉納に尋ねた。
「何をお考えなのですか?」
「ああ?勿論政治さ。俺は政治家だからな」
「しかし、それと敵を調べることとどう関係が」
『こちらセイバー。敵の遺骸を調べてるんだが、気になる点がある。ライト使って良いか?』
「それは駄目だ。敵に現在位置を暴露することになるぞ。地形から見て、向こう二キロから見えることになる。それに暗順応をしばらく失うことになる」
「気になる点っていうのは何だ?」
 割り込む形で嘉納がマイクに話しかけた。
『敵は東洋人ではないように思えます』
 嘉納の背筋がさっと寒くなった。
「すまんが確認させてくれ」
 竜崎が怒ったような態度で嘉納からマイクをひったくる。しばし黙って、首を振りつつ苦々しさを感じさせる声で命じた。
「セイバー。ライトを使え。ただし短時間だ。そして確認したら、すぐに移動せよ」




『こちら、セイバー。敵は東洋人だけじゃない。白人もいた。連合軍だっ!!』
 この声が聞こえた途端、嘉納は首相官邸に向かって電話をかけた。




二十六




「だ、大統領……この資料をどうやって」
『本位田、問題はその資料をどうやって入手したかではなく、どう扱うかにあるにある。違うかね?』
「た、たしかに」
 額に脂汗を流す日本国総理大臣 本位田の手元には、アメリカから送られてきたファクスの束が存在していた。そこには本位田内閣の閣僚それぞれの不正や、裏献金、各種の汚職行為の記録がしっかりと日本語で記されていた。資料そのものはアメリカから来たが、大本は日本で作成されたものなのだろう。
 内閣発足からわずか二ヶ月。『特別地域』自衛隊派遣特別法案に反対した旧与党議員の復党問題から始まって、行政改革担当大臣、農林水産大臣、運輸大臣の事務所費不正流用問題、厚生労働大臣による暴言、建設大臣による談合汚職、挙げ句の果てに現職大臣の自殺という一連の不祥事によって、本位田内閣は今や満身創痍の状態である。
 この状態でのこの資料は、本位田にとってのとどめの一撃に等しい。
『我が国の調査機関が、旭新聞の編集部に持ち込まれる寸前でこれを抑えることができたのは、幸運だった』
「有り難うございます。大統領」
『なあに、気にすることはない。これは、君と私との友情の証だよ」
「とは言え感謝は忘れません」
『そこでなんだが、ホンイデンには頼みがある』
「どんなことでしょう?」
『聞いたところによると、そちらには特地から高貴なご身分の方が賓客として来日しているそうじゃないか?私としては、お姫様を是非合衆国にもご招待したいのだよ』
「どうしてそれを?」
『今の、君の手元にあるものと同じだよ、ホンイデン』
 国家機密がだだ漏れである。本位田は、あまりのことに絶望的な思いを感じていた。
 これでは手札を、見透かされた状態でカードゲームをするようなものだった。
「そうでしたか……ならば、話は早いですね。大統領直々の、ご招待の件は私どもの方で来賓の伝えておきますよ。招待状があればお預かりしておきます」
『いや、それは遠慮する。直接招待状を渡したいのでね』
「直接ですか?」
『そうとも。我が国のエージェントに直接手渡すように命じたんだ』
「そうでしたか。それならば、明日にでもお会いできるように取りはからいましょう。来賓は明日、特地にお帰りになられますからその前ではいかがでしょうか?」
『それでは駄目だホンイデン。女性をお客としてお招きするコツはね、帰る寸前の里心ついた状態ではなくて、パーティーが盛り上がっている最中だと私は考えているのだよ。そういう楽しい瞬間に、この楽しい旅はまだ終わりではないのだと知らせると、喜ばれると信じているのだ』
「しかし、こちらはもう夜中です。来賓もお休みでしょうに」
『いいや。例え夜中でも、良い知らせは喜ばれるものだよ。来賓は快く応じてくれるはずだ。邪魔さえ入らなければね』
「こちらの感覚では、非常識ですよ」
『いけないよ、ホンイデン。女性に対しては、物怖じしていてはいけないのだ。非常識と罵られることもまた挑戦することが成功のカギなのだよ。時には強引に押すことも必要だ。日本人は奥ゆかしいのは美徳だと思っているかも知れないが、私はそれを欠点だと思う。私は以前から苛立たしく思っていた。君たちが得られる利益をとろうとしないことにね。分け前を期待する側としては、ホストの用意するパイが最初から小さいというでは、どのように分配されたとしても不満に思わざるを得ないからね。だから時として、このようなお節介もやきたくなる』
「貴重なご意見だと思いますが、その考え方は日本の風土には合いませんね」
『そうだろう?だから、我が国のエージェントを直接派遣して来賓のご招待を申し上げたいのだよ。だが、ガードがとても優秀でね、面会すら出来ない始末だ。なんとかしてくれないかホンイデン?我々の友情の証として』
 友情の証として……要は、言うことを聞いてくれないとさっきの資料を公開しちゃうぞという脅しであった。死命を制されたこの状態では、本位田としては譲歩せざるを得なかった。だが譲歩するとしても、失う物を最小限に抑えることが首相としての責務である。頭脳を最大限に回転させつつ、現状を再確認。状況、手駒、自分がもちうる手段……これらを検討して、言葉を選ぶ。
「…………いいでしょう。しかし、私にお約束できるのは、ガードをどうにかすることまでです。来賓にすげなく振られたり、逃げられたから言って、その責をこちらに押しつけることだけはお止めいただけますね?」
『もちろんだとも、我が国のエージェントは優秀だ。きっと上手く事を運ぶだろう』
 よし、言質を取った。
 本位田は、勝ち誇った大統領に、一矢報いる術を導き出していた。日米関係を決定的に破綻させず、それでいて大統領の意図を挫く起死回生の妙手。だが、それは同時に我が身の破滅を意味している。意味しているが……どうせ死に体の内閣だ。ぶっ壊すのなら派手な方がいい。
「では、うまく事が運ぶことをお祈りしてますよ大統領。ではお休みなさい」
『納得してくれて嬉しいよホンイデン。ではお休み。ちなみには、私はこれからブランチなんだ』
 大統領は上機嫌な声で言うと、電話を切った。




「中止!?来賓を守るのを止めろってぇのは、どういう事ですか?」
 受話器に向かって吼える嘉納。
 相手が首相だろうと、最早遠慮無しにべらんめぇ調であった。それほどに動揺したし、突然な内容だった。 電話の相手……本位田から合衆国大統領の言葉が要約されて伝えられた。そしてそれに対する本位田の決定は、敵対武装勢力が来賓を連れ去るのを黙って見過ごせということである。竜崎二等陸佐は、受話器を握りしめたまま硬直してる嘉納の表情を伺いながらも、総理大臣の指示に従い状況終了を部下に告げる。
「『聖杯は砕かれた』、繰り返す『聖杯は砕かれた』。各位、状況を中止して集合地点までまで撤退せよ」
 上手く行っていたことを途中で放棄するなど、誰もが納得できることではない。だが、一度命令が下れば、そのままに行動するのは自衛官が持たなければならない本能でもある。
 それぞれに様々なことを考えながらも、訓練によってたたき込まれたように身体が動き、隊員達は相互に連携しつつ、遅滞なくその場を放棄していく。
 こうして正面のモニターに描かれていた輝点が、防備を解いて西へと下がり始めた。
「どういうことだ?」
 嘉納は、受話器を握り締めたまま、怒りに打ち震えていた。本位田は言った。『堪えてください嘉納さん。私だって悔しいんです。ですが、ここまで閣僚のスキャンダルを握られたら、内閣はもうおしまいです』
「だからって、内閣を守るために全てを譲りつづけろって言うことですかい?」
『そこまでは言ってないし、そのつもりもありません。幸い、私が約束せざるを得なかったのは、来賓のガードを止めることまです。政府として、来賓を引き渡すという約束はしてない。いずれ言って来るかも知れないが、その前に私は政権を投げ捨てるつもりです。そうすれば全てはご破算になる。握られた秘密など価値がなくなります』
「投げ捨てる?……や、本位田さん、あんた何をするつもりだ。そんなことをしたら、政治家としておしまいだぞ」
『かまいやしません。どうせやるなら、歴史に名前が残るくらいにしてやるつもりです。楽しみにしていてください。それと嘉納さん………後は……日本を頼みます…』
 本位田の言葉の最期は、涙声であった。歯ぎしりすら聞こえるほどであった。
 戦争は戦場だけで起きているのではない。会議室でも起きる。国会でも、首相官邸でも起こる。それぞれその場に適した形で、姿を変えてなされるものなのだ。こうして、本位田は戦い破れた。破れたが、それを完全な敗北に繋げない根性を見せた。
「あの、馬鹿。腰抜けの癖に最期は粋がりやがって」
 唇を噛みながら、嘉納は受話器を降ろすのだった。




 ふと、何かの気配で目が醒める。
 闇に思えた視界も、よくよく見れば見慣れぬ天井。こんな半端な時間に目を醒ますことなど普段ならないのだが、頭をポカリと叩かれて気を失うように眠りついたからか、妙な形で目覚めてしまった。どうせなら朝まで眠れればいいのに、ここ最近殴られたり、頭をぶつけたりで気を失うことに馴れたのかも知れない。どうにも意識を取り戻すのが早くなってきたようだ。
 頭を起こして周囲を見渡すと布団が敷き詰められた和室に、女達が雑魚寝して静かな寝息を立てている。泥酔して眠っていると言う状態にしては案外、穏やかな寝姿であった。
 旅館の和室。奥は縁側を模した窓となっていて、外の風景を楽しめるようシックな雰囲気の籐椅子が置かれていた。
 籐椅子に人影が一つ。
 ガラスのコップで氷を転がす音。外の風景を酒肴とし月の光を浴びながら、誰かが琥珀色の酒精を傾けていた。
「はぁぅ」
 悩ましいため息。浅く荒い呼吸。
 上気した頬に、切なげにゆれる細い脚。
 それはロゥリィ=マーキュリーだった。
 いつもの黒ゴス神官衣装と違って、浴衣に丹前という格好ではその隙間から伸びる手足も覆い隠すものがない。腰まで伸びる長い黒髪は波打って、染み一つ無い肌はとてもまぶしかった。幼気(いたいけ)な少女がいけない独り遊びでもしているのかのように見えて、それを覗き見てしまったような気まずさがあった。だが、男であるが故の背徳的な興奮もあって、伊丹は視線を離すことが出来ないのだ。淫靡に輝く瞳が、中空に虚ろな視線を漂わせる。やがて、甘いため息とともに、気怠げに振り返る彼女の双眸が、伊丹を貫いて視線が合致した。
「?」
 ロゥリィは伊丹の視線に驚いた様子もなく、見てたでしょ?とでも言いたげに「くすっくすっ」と余裕の様子で微笑んだ。そして悪戯っぽい表情で、しどけなく左腕を延ばしその細い指先で「こっちに、おいで」と誘う。この瞬間、まるで催眠術にでも、かかったかのようであった。
 伊丹は是とも否とも思うことなく、身を起こした。何の疑問も、躊躇いもない。そうするのが当然であるかのように感じていた。だが、いざ立ち上がろうとすると腰が重い。
 それは背中から、誰かがはっしとしがみついているからだった。
 その重さのおかげで淡い眠りにも似た夢遊状態が解けて、意識も清明となっていく。
 ロゥリィが「ちっ」と舌打ちしたのは聞こえなかったことにして、伊丹は自分を拘束する者の正体を確かめた。
 レレイだった。
 伊丹は、ここ最近懐いて来る白い少女の手をそっと解きほぐすと乱れた毛布をなおして、ロゥリィの向かいに腰を下ろした。
 サイドテーブル上には、どこで入手してきたのかウィスキーのボトルと氷と、水。銀色に輝く満月の光を浴びて、グラスを傾けるロゥリィの姿は実に絵になっていた。容姿が幼いのがとても残念である。これで姿形が二十代だったら、言い寄る男が多くてさぞ困ったことだろう。亜神たる彼女の肉体年齢は、現在ままで固定されていると言う。だから将来が全く期待できないのが惜しいところであった。そんなことを伊丹が言ったら、ロゥリィは、プィとそっぽを向いた。
「そんなことないわぁ。肉の身体を捨てて昇神したら、姿形は思いのままだもの……そのかわり肉の欲求も喜びも無くしちゃうけどねぇ」
「それじゃぁ、意味がないんじゃないのか?」などと応じながら伊丹はあいているグラスをとると、氷を数個放り込み、手酌で2フィンガー分のウィスキーを注いだ。
 ロゥリィは、桜色の唇を噛みながら伊丹を睨みつけた。
「この、すぐ近くで誰かが戦っているでしょぉ?」
 どうしてそのことを?と問おうとして、伊丹はイタリカでのロゥリィを思い出した。戦死者の魂は彼女の身体を通じて彼女の信仰する神の元へと召されると言う。その際、ロゥリィの身に、性的な興奮にも似た反応を起こしていた。その婀娜っぽい様に、伊丹もこころ穏やかでいられなかったほどだ。見れば、ロゥリイは熱の籠もった息を吐いていた。それは、酒精だけが原因ではないようである。
「お陰で全然眠れないのよぉ。どうしてくれるぅ?」
「どうしてくれるって言われてもな」
「蛇の生殺しよぉ。わたしにぃ殺らせるかぁ、いっそのことヨージがなんとかしてよぉ!」
「なんとかっ、って?なにをせよとおっしゃるのでせうか?」
 緊張の余り、思わず声を詰まらせてしまう。
「言わなきゃ、わからないぃ?」
「こ、この国には、児童福祉法というのがあってな。子どもは、そういう対象としてはいけないということに」
「あら、あたしぃが子どもぉ?」
「み、見た目は立派な子どもだろ。少なくとも世間様はそう思う」
 ロゥリィは、儀式的に周囲を見回して「世間様なんて、どこにも居ないわぁ」と宣った。そしてずいっと伊丹の耳元に唇を寄せると、「それに、そう言う仲になったからと言って、それを周囲に宣伝して歩く趣味もないしぃ」と囁く。
「いや、でもな……やっぱり不味いだろう。」
「くすくすくすぅ。ホントにぃ、あたしがぁ子どもに見えるのぉ?」
 すっと、伊丹の目前で生脚を組み替える。
 潤んだ瞳が伊丹の心の奥まで覗き込む。桜色の唇が、その隙間でぬめるように蠢く小さな舌先によって、艶めくまでに潤されていく。ロゥリィの手練手管の前では、伊丹の方こそ子ども扱いであった。男心のなにをどうすればいいか、彼女は非常によくわきまえており、そして経験も豊富であった。男を誘惑するのに豊かな胸も、張りのある腰も不要。そんなものはただの飾りです、エロいひとにはわからないんです、とロゥリィに魅せられた者は思ってしまうだろう。
「ホントにぃ、子どもかなぁ?」
 断じて否!!
 ニゲロ、ニゲロ、ニゲロ……。伊丹の頭の中で大音声が鳴り響いた。だが、身体は伊丹の意志を裏切っていた。ロゥリィは、衣擦れの音も鮮やかにずぃと迫ると、獲物を狙う猫のように、そろりそろりと伊丹の膝へと登攀を始めた。接触面積が極力大きくなるように左のおでこをコツンと胸板にあて、肩、背中、腰を巧みに用いて重みを預けてくる。そして両の脚は、伊丹の腿を挟み込むかのように絡み付いていた。彼女の手は伊丹の心臓に添えるようにあてられていたが、若干爪を立てて、ぎっと掴むような感触がまた痛気持ちよく、官能的ですらあった。仕上げに、ロゥリイが耳元に唇を寄せて温かい吐息と共に、決め台詞を二言三言囁けば伊丹は堕ちるだろう。その証拠に伊丹の腕が彼女の腰に回っていた。
 こんな時の決めゼリフは、声になるか鳴らないかの小さなささやきで、くすぐるように「抱いてよぉ」でもよいし、「ねぇ、あそぼぉ」と朗らかに誘うのでも可だ。どれを選ぶかは彼女の気分次第。獲物を捕らえて押さえつけ、抵抗もはぎ取って、あとは料理するばかり。彼女が、そんな風に勝利を確信したその時、携帯電話のコール音が高らかに鳴り響いた。
 場を破るということはこういう事を言うのだろうか。水をかけられたように、一瞬で白けてしまった。
 なに?と、ロゥリィに眼差しで問われ、伊丹は携帯電話という道具について若干の説明をするはめになる。
「時と場所を選ばないなんてぇ、無粋な道具ぅ」
 ロゥリィは怒ったのか、拗ねた態度でスルリと伊丹の膝から降りて背中を向けた。その背中から、なんだか黒いオーラが立ち上っているかのようにも見えるほどだ。伊丹は「危なかったぁ」と、しばらく深呼吸して息を整えると懐の携帯電話に手を伸ばした。電話の発信者を確認する。すると、そこに記されていたのは『閣下』の二文字であった。



    *    *



 クワイドル=ハイデッガーは、日本に新設されたばかりと聞いている特殊部隊の力量に、舌を巻いていた。
 ハイデッガーとて、海兵隊出身の猛者である。だが、現在ではCIAに属してもっぱら陰に影に活動する毎日だ。それだけに、力で激しくぶつかる戦いはしばらくぶりだった。アメリカ軍の本来の戦い方は、圧倒的な火力をもって土砂降りのごとく弾丸を浴びせ、膨大な量の火薬を叩きつけることにある。敵が立て籠もっていれば手榴弾を放り込み、壁の向こうに潜んでいれば壁ごとロケット弾で吹き飛ばすという荒っぽくも豪快な手法だ。士官学校で学ぶ基本的な軍事ドクトリンは単純明快、敵の6倍の戦力を一カ所に集中せよ、となっている。しかしCIAの任務では、そうはいかない。なぜなら、CIA活動の舞台は、多くの場合そういった乱暴が許される戦場ではないからだ。平和な日常生活の場である街や住宅地、あるいはオフィス街……そういった場所だ。従って軍隊のようにミサイルだのロケット弾を使うことは出来ない。当然の事ながら支援の砲撃もない。素早く敵の位置を確認し、音も無く近づいて有利な位置を占め、反撃の暇を与えずに素早くこれを打ち倒すコマンド要員ひとり一人の技量とチームワーク。これを実現するための綿密な情報収集と作戦立案。繊細な作業の積み重ねが、作戦成功の基礎となる。
 予定では『来賓』の宿泊する部屋を急襲して、若干の警備(自衛官が三人いると聞かされている)を排除して『来賓』と呼称される目標の二人を連れ去るはずだった。日本の油断できないところは、警察のレスポンスの早さである。瞬く間に道路封鎖、検問と地域全体を塞いでしまう。従って、いかに早く現場を脱出できるかが鍵であり、そのために二〇名という数の要員を動員したのである。ところが、敵は旅館を含む山林全体を天然の要害としてあらかじめ偽装して潜み、こちらを待ち伏せていた。地形を味方とし、闇を味方とし、そして多方向からこちらを狙ってくる。それに対して、こちらの装備は野戦向きではないブラックファティーグ(黒戦闘服)にボディアーマーという出で立ちで、武器も拳銃かMP5SD3だ。想定していない事態に遭遇すれば、いくら精鋭のタスクフォースと言えども手も足も出なくなってしまうのが現実である。
 まさか、これほどの戦力を配備しているとは。日本側は、どうやってかは知らないが、襲撃があることをあらかじめ知って待ちかまえていたのだ。そして、待ち伏せによって二〇名いた味方は、瞬く間に半数以下にまで減らされてしまったのだとハイデッガーは考えていた。
 実際は、他の国の機関が嫌がらせめいた追跡や、地下鉄の運行妨害、ホテルへの放火などといったことを繰り返したため、どんな敵が来ても良いように防御を固めただけなのであるが、相手が最も防御を硬くした時に、攻撃してしまったのは彼らの不運と言えるかも知れない。いずれにせよ、一度の作戦でこれだけの損害が出るのは、極東方面日本支部の歴史上はじめてのことである。待ち伏せられていた以上、作戦は失敗。これ以上の損失が出れば、撤退すら難しくなってくる。ハイデッガーは作戦の失敗を悟り、チームリーダーへ撤退を進言した。だがチームリーダーのチャックは、クビを縦に振らなかった。
 ハイデッガーを含む残りの要員達に、現状での待機を命じて、通信機でどこぞと相談しはじめたのだ。
「ロジャー!キム!迂闊に動くなよ……ゴールドマン。タナカは生きているか?」
「駄目です。眉間を打ち抜かれてます」
「ちくしょう、相手はガードマンに毛の生えたような連中が相手だったんじゃないのかよっ!これじゃあ、話が違うだろうっ」
 冷静沈着なはずのロジャーが、罵倒する言葉を吐いている。
 日本人はなかなか銃を使わないし、撃ったとしてもまず手足を狙って、こちらの命を取るのは躊躇う傾向にある。それに装備していたとしても、拳銃の類だから容易に制圧できる。ロジャー達はそう聞いていたし、自らの経験からもそう考えていた。だが、実際はどうだ、容赦なく狙って来る。
「よし。上の方で話はついたようだ。もうしばらくすると、自衛隊は撤退するはずだから、そうしたら予定通り『来賓』を迎えに行くぞ」
 チームリーダーのチャックが、何事もなかったかのように言った。これにロジャーが食い付く。
「なんだって!!予定通り?!これだの損害が予定の範囲だって言うのかよっ!」
「日本が、これだけ強固な防備をすることは、こちらも想定外だった。だが、それも上が直接話し合って政治的な取引で解決された」
「だったら、最初からそうしろってんだ。そうすればこんなに犠牲は出さずに済んだだろう」
「今回、ホワイトハウスは貴重な切り札の一枚を切った。本来なら別の機会に使うべきカードを無能なお前達のためにな」 
 激昂したロジャーがチャックにつかみかかろうとしたが、ハイデッガーが割って入り、止めるようにとうながす。
「いい加減にしろロジャー、まだ作戦中だ。チャックも口を慎め」
 唾を吐くようににらみ合った2人は顔を背けて、互いに離れた。
「よし、その政治的な取引とやらが上手く行ったんなら、もう大丈夫だろう。ロジャー、ビッター、先頭にたて。行くぞ」
 ロジャーは、なんで俺がという態度で、ハイデッガーを睨んだが、ビッターが銃を構えて「行くぞ」と声をかけると、不承不承ながらこれに従った。
 政治的取引でガードが解かれたと言っても、現場に立つ者としては完全に信用できるはずもなく、警戒を解かずに隊列をつくって、少しずつ旅館に近づいた。旅館の内部は一般の宿泊客に出くわす可能性もあるので、玄関などの出口を監視するだけにして、突入は庭から行うことにする。部屋の場所は買収した仲居から、確認済みである。銃を構え四方を警戒しながら、少しずつ『来賓』のいる部屋へと歩み寄った。



二十七



 当事者にとっては悲劇にしかならないが、端から見ていると喜劇としか思えないような出来事も、時として起こるものである。日本国政府が『来賓』と称される重要人物を『特地』より招き、今後の外交関係を決定づける重要な会談をもつらしい……という情報は、各国が日本政府の政府部局内に張り巡らせた情報網によって極めて早くから掴まれていた。ただ、来賓の東京入りは突然決まったことでもあり、さらには滞在は二泊三日という短期の日程であったが故に、詳細な追加情報を待つ時間的な余裕がないままに、各国政府は対応を決定せざるを得なかったのである。
 アメリカ合衆国は、日本が各国政府に内緒で『特地』の重要人物と仲良くして、将来の外交関係において有利な立場を得ようとしていることに不快……はっきりと言えば嫉妬の念を抱いていた。解りやすく言えば、すこぶる魅力的な美人と知り合った日本人青年に対して、世界は自分を中心にして回っていると思っているアメリカ人青年は、自分にもその娘を紹介しろと迫ったのである。だが、日本人青年は美人と知り合ったことを内緒にしている。従って正面から脅しつけたところで「誰に?何のこと?」とシラを切られてしまう。しかし、そこは抜け駆けだろうと何だろうと、やった者勝ちで、夏目漱石の「こころ」の主人公を賞賛しても、罪悪感に悩む姿は一向に理解できないアメリカ人である。勝った者が正義、恋に禁じ手無しというアメリカ式恋愛観に基づいて、『麗しき来賓』をさらって自国に連れてきてしまえと、目論んだのであった。もし後で、日本国政府から苦情が来ても「『来賓』とは誰のことだ?」で済む。なにしろ日本政府も秘密にしていたのだから強く出られるはずもなく、しらばっくれればどうにでもなるのだ。そして、来賓との間に非常に親しい関係を築くことが出来たら……例えば、日本国と『特地』に存在する国家との和平交渉のため、我が国が仲介の労をとってあげようか?と言う感じで恩を着せつつ『特地』への通行権を求めればよいのである。その為、詳しい情報が得られるのを待たずに、CIA長官は極東支部に行動開始を命じたのだが……喜劇の源はそう言うことを考えるのがアメリカだけではなかったことにあった。世界の中心は自分であると思っているが故に、同じようなことを考える者が他にいると考えないのが滑稽である。
 こうして似たような発想の下で、似たような行動を起こした男達が、『夜這い』がかち合ったかのごとく間抜けな姿を、麗しき来賓の寝所の前に曝す羽目に陥ったのだった。




 中華人民共和国の国家安全企画部の日本支局に属する工作員の残余十二名と、ロシア連邦対外情報庁(CBP)の工作員の残余八名と、そしてCIAの工作員の残余九名は、不意に出くわした。とは言っても、それぞれに海外で非合法な活動に従事する身である。数カ国語を自在に操り、国籍がわかるような物は何も身につけない。服装だって街のミリタリーショップで手にはいるような戦闘服にバラクラバ帽。武器は、わざわざ外国の物を使うという念の入れようだ。出くわした相手が誰なのか、いったいどこの国の機関に属しているのか、いかに優秀な特殊工作員であろうと咄嗟に判断することは、非常に難しかったのである。
 ただ、彼らにとって一つだけはっきりしていることがある。
 それは、出くわした他の二グループが武器を所持した「敵」だ、ということであった。先ほどまで手も足も出ないような一方的な攻撃に曝されていたこともある。『疑わしければ殺せ。しかる後に敵か味方か確認せよ』……三国とも、そういう発想の元で行動する訓練をしている。従って、他人は皆敵であった。
「……………………?!」
「…………………!!」
「………………!」
 一瞬、鬆が入ったとでもいうか虚を突かれたと言うべきか、お見合いしてしまった間抜けな数秒。それを取り戻そうとして、皆あわてて銃を構えた。だが……。
 縁窓のサッシがバンっと開らかれて、黒ゴスを纏って黒い少女が築山の上に降り立った。
「みなさまぁ、こんな夜半に、わざわざご足労様ぁ」
 数年に渡る高度な訓練を受けたはずの工作員達の反射神経は、わずか数メートルの距離に、夜空を背景にして立った一人の黒ゴス少女によって、さらに混乱した。
 皆、目標の中に、幼い少女がいることは事前のブリーフィングによって知らされていた。でも、まさかその娘が自分達の面前に躍り出て来るとは考えてもみなかったのである。勿論、邪魔になれば撃つ。非合法の活動に従事する工作員だからそれくらいの非情さは持ち合わせている。だけど作戦の邪魔にならなければ、あえて傷つけるのは避けたいとも思ってはいたのだ。だから脊髄反射的に銃口を少女に向けたものの、引き金を引くことにホンの数舜躊躇ってしまったのだ。
 それを見たロィリィは、死神の二つ名にふさわしくニタリとほくそ笑んだ。そして、その直後から黒死の暴風が吹き荒れることとなる。
「うふっ」
 信じられないことが起こった。見た目は稚い少女が、鉄塊のごときハルバートを閃光の如き勢いで振り回したのである。そして、その非常識な事態を理解する間もなく、その一振り毎に、米・中・露の工作員達が一人ずつ落命していくのだ。
 一呼吸、二呼吸ほどの時間を経て、まだ生きている者はようやく我に返った。
 今更ながら飛び跳ねるようにして遮蔽物に隠れると、反撃を開始したのだ。だが、これもまた、この場の混乱を深めるだけとなった。
 徒にも角にはサプレッサー装備をした銃を少女に向ける。そして殺傷力において高性能な4.6mm弾とか5.7mm弾を放とうとするのだが、少女は銃口を向けられると、引き金も引かない内にそこからするりと華麗な身のこなしで身を躱してしまうのだ。
 放たれた銃弾は、勢いそのままに所属不明の工作員達に容赦なく降り注ぐ。
 銃撃を受ければ、相手とてこちらに向けて反撃をしてくる。こうして、黒ゴス少女の暴風にかき回されながら、三つ巴の銃撃戦まで始まってしまったのだ。
 黒ゴス少女は羽根でもついているのかと思わせるほどの身のこなしで跳躍すると、空中で身を翻して銃弾をかわした。もし、その背に翼があるならその色は間違いなく黒だ。
 地に降りればまるで四つ足の獣のような俊敏さで駆け抜けて、たちまち工作員の懐へと肉迫してハルバートを叩きつけてくる。
 四方から飛来する銃弾。そして黒い暴風。精鋭なはずの工作員達は、連携も戦術も忘れて、ただ我が身を守るので精一杯となった。味方こそは撃たないものの、それ以外は全て敵とばかりに金を引くしかなくなっていたのだ。そして、誰も彼もが手当たり次第に銃を乱射したから、周囲から銃撃を受けることとなって、倒れていくことになってしまうのである。
 少女の叩きつけて来るハルバートの破壊力は、アラミド線維のホディアーマーなどまったく役に立たない凄まじさ。一撃毎に、たたきのめされ、吹き飛ばされ、身体を両断される。
 工作員達はこれほどのまでに非常識で理不尽なほどの破壊力を前にする訓練など受けていない。誰も彼も「冗談ではないっ」とばかりに逃げ腰になった。
 流れ弾やハルバートを受けた者はほとんどは瞬時に大地に転がって絶命した。
 たが、誰も彼もがその場で即死できたわけではなかった。そうした者達は、身を裂く激痛は非情に苦痛なのに声をあげない。訓練の成果とは言えそれはたいしたものであった。
 旅館の庭には小さな池があり、灯籠があり、築山(つきやま)ありで、さらにはよく手入れされた植木があちこちに配置されている。これが銀色に輝く満月の下、ワビ・サビを感じさせる……つまり風情を感じさせる風景を作り上げてるのだが、彼らにとってはこれほど死角が多くて、地形に富んでいて、やりにくい戦場はなかったであろう。
 黒ゴス少女は、これらの地形を巧みに生かして、銃弾を避け、一瞬にして築山の向こうに逃げたかと思わせると、回り込んで攻めて来る。
 弾が灯籠を抉り、池に飛び込んだ弾を受けて、鯉が腹を上にして浮かぶ。職人が丹精を込めて冬支度させた植木が瞬く間にズタズタになっていった。絶対に旅館の建物に銃口を向けないのは流石だが、流れ弾程度は仕方がないと言える。雨樋がふっとび、ガラスを貫いて障子に穴があいたりもした。互いに撃ち合い、隠れ、隙を見ては移動して、また撃ち合うという繰り返しによって、瞬く間に弾丸と、貴重な技能を有した人命が耗されていった。
 アメリカ側チームリーダーのチャックは、最初の一瞬で流れ弾を受けてしまい、仰向けに倒れていた。だが、彼の祖国に対する忠誠心と、使命感は、最後の義務を果たすまで彼に死という名の安楽を許さなかった。次々と倒れていく仲間を見送りながら、無線機に向かって、息も絶え絶えになりながら小さいながら報告の声を発した。
「作戦は失敗……作戦は失敗した。不意の攻撃を受けて、我々は壊滅……状態」
『大ガラス!いったい何があった?日本の攻撃か?』
「………違う…こ…混乱していてわからない。黒ゴスの少女……が」
『どうした?大カラス!応答せよっ!』
 無線機は叫んだが、チャックは永遠に応答することが出来なくなっていた。
 ハイデッガーは、右大腿に銃弾を受けていた。石灯籠に身を隠し応急キットから取り出した圧力包帯で傷跡を硬く縛り付け、弾の残りを確認した。右側で築山を掩体として身を伏せていたロジャーが、回り込んできた敵に横合いから殴り倒されたように転がったのである。
「畜生めっ!」
 ハイデッガーは、ロジャーの首をはねた黒ゴスの少女に向けて銃弾をばらまいた。
 だが少女は巨大な血にまみれたハルバートを楯にして銃弾をことごとくはじき返してしまう。そして彼の銃の弾が尽きると見るや、その巨大な鉄の塊を叩きつけてきた。
 なんとか身を捩らせてこれを避けたつもりだが、それでも身体のどこかで受けてしまったらしい。ハイデッガーの身体は小さな池へとたたき込まれた。そこに、さらに追い打ちのような銃撃が襲ってくる。
 振り向き様にMP5SD3を向けるが、弾倉に敵の弾があたったのか吹き飛んで、薬莢が地面に散乱する。最早、弾倉を替えている暇もない。ハイデッガーはサイドアームのSIG SAUER P239を左腕で引っこ抜こうとした。だが、腕がない。
「ちっ」
 慌てたハイデガーは右腕を回して腿のホルスターからマカロフを抜く。敵も拳銃を抜こうとしていて、ほぼ同時である。健全な左足に渾身の力を込めて、ハイデッガーは飛び退いて敵の銃口から身を逸らそうとした。だが、敵も反対側に飛び退いて、ハイデッガーの銃口から逃れようとしている。
「くそっ」
 中空で、互いに銃口を向け合った一瞬。互いに弾倉に装填した殺意が、尽き果てるまで放ち続けた。焼け火箸を突き立てられたような熱い感触が胸や頬、肩、腰を襲う。重力に引かれて大地に叩きつけられた衝撃で、息が止まった。弾倉を交換すべく手を伸ばそうとした。だが、手が動かない。銃を握る腕も動かない。休息に力が抜けていく。強烈な睡魔にも似た死の臭い。
「くそっ」
 頭の中で、テレビのスイッチを切った時にも似た視界の消失があった。そして、やがて彼の呼吸が止まった。




 気がつけば静まりかえる旅館の庭には、彼女に戦いを挑めるような生者は、既に存在していなかった。
 ヒューと寒い風がロゥリィのフリルスカートを揺らす。
生き残った池の鯉が、水面を跳ねた。
 ロゥリィを援護するために、アーチェリーを構えていたテュカが、構えを解くと小さなため息をついた。部屋の奥から隠れるように覗き見ていた伊丹やレレイ、栗林、富田達は、返り血を受けて独り庭先で微笑するロゥリィの姿を見て背筋が寒くなった。




 事の成り行きを見守る羽目に陥っていた、市ヶ谷の『状況管理運用システムルーム』は、不意に始まった山海楼閣の庭先における戦闘に、皆唖然としていた。
「内輪もめか?」
「いったいどうなってる?」
 上空に音もなく浮かぶ偽装飛行船にしつらえられた複数のセンサー……第3世代暗視装置とハイビジョンカメラ、指向性マイク等から送られてくる情報は、旅館を襲ってきた敵襲団が、三つに別れて互いに撃ち合いを始めたと言うものであった。
「おいおいおい、どうなってんだ?誰か説明してくれよ」
 嘉納は、周囲に状況の説明を求めたが誰にも答えようがない。誰にも解らない出来事に対処のしようもなくて、傍観しているしかなかったのである。
 しかも、送られてきた映像は一人の少女が巨大な鉄斧を振り回しているというもので、見ている者に我が目を疑わせる。
「おいおい、この娘、石の仮面を被ったとか、血を吸われたとかそういう類の存在じゃねぇよな」
 嘉納は読んだことのある何種類かのマンガから、彼女のような能力を発揮する存在を見つけだしていた。
 そのうちに戦闘は少女以外は全滅という形で終わってしまった。
 時間が過ぎていくにつれて、庭先に散らばる死骸は冬の寒気に曝されて冷えていく。次第に体温を失って、発する赤外線も弱くなり暗視鏡にうつる姿が薄くなっていくことに哀れが催された。
「と、とりあえず対処三を……」
 幹部の一人が茫然自失の中から再起動を果たして、対応を始めた。対処三とは、公安警察とその直属の専門グループを送り込んで現場の後始末をさせることである。これは、当初からの予定されていたことなので遅滞なく進んだ。この場合の後始末とは、屍体を屍体袋に詰めて運び出したり、遺棄された武器や弾薬等を回収(どういう理由か、不自然なまでにその数が少なかったという)したり、痕跡の抹消、怪我人や生存者がいれば、これの内々での処理し、そして目撃者や関係機関に対する協力(沈黙)要請したりすることである。それと外務省を通じて、ひととおりの関係機関に「こういうことがあったけど、おたくら心当たりない?」という問い合わせしたり、それとなく、ほのめかしたりすることも含まれる。
 勿論、こういうことに正直な答えをしてくる国はない。ロシアとか中国とか、韓国とか、イランとか、フランスとかの大使館からは大抵「うちは知らない。関係ない。そりゃあ災難だったねえ、お気の毒様」という返事が来るのであるが、今回に関して言えば相手が判っているのでそれはナシである。
 で、問題のアメリカなのだが、戸惑ったような態度で「うちの親分とおたくの親分との間で話が付いてたよね。なんで?どうして?」という詰問をして来た。こちらとしても訳が解らないので起きた出来事を正直に説明したところ「担当者を送るので、屍体を見聞させてちょうだい」と言ってきた。もちろん断る理由はないから、快く受け容れることとなった。このアメリカから来た担当者が、惨殺屍体を検分したところその殺傷の方法はさておいて、「屍体の三分の二は、ロシアと中国のものでしょう」ということが判った。日本の担当者も同様の意見を持っていたので、ここから今回の出来事が不幸な偶然による遭遇戦であったと判明するのだが、それも後の話である。この時点では日本としては、アメリカ内部における仲間割れと考えていたのである。従って、アメリカの行動を妨害するようなことは一切せずに、ふて腐れた気分で後始末だけを坦々とやるという状態であった。
 舞台となった旅館そのものについては、今回は、最初から協力体制が敷かれていたので隠蔽工作には大した手間もかからなかった。そもそもが防衛省共済組合立の保養施設だ。だから、来賓の部屋のまわりで宿泊している客も、ほとんどが『関係者』によって占められていたのだ。一部の部外者……例えば、自衛官や防衛省役人の家族といった立場で当該施設を利用している一般人宿泊客が、朝食の席で仲居さんに「昨夜遅くに、庭先で騒ぎがあった?」と尋ねたりすることがあったが、「裏山で、戦争ごっこにうつつを抜かしたオタクが、何を考えたのか旅館の庭先にまで入り込んで撃ち合いをやって交番の人に来て貰ったり、叱りつけて荒らした庭先の掃除させたりと、ちょっとした騒ぎがありました」という説明で納得したと言うことであった。
「ったく、こんな所まで来て戦争ごっことは非常識きわまりない」
「やっぱり、自衛隊の人だからなんですかねぇ~ウチのヒロシ、大丈夫かしら。毒されてないかしら」
 と、いった隊員の親と思われる熟年夫婦の会話に、事情を知るものはなんとも言えない気分を味わったと言うことであった。



   *       *



 一方、追われる身の上の伊丹様ご一行である。
 目の前で、追っかけてきた猟犬が同士討ちロゥリィによって全滅させられたからといって、それで猟師が諦めると思うほど楽観的な性格ではなかったので、荷物をまとめてまだ暗いうちに旅館を出ることにした。
「なんだかこんなのばっかり」とは、富田のぼやきである。
 しばらく歩くと、田舎の旅館街に、『何故か』夜中だというのにアイドリングしたままで駐車するワゴン車を見つけた。『旅館を襲ってきた連中が足に使っていたもの』ならば、一台だけの筈もなく、周囲に似たような車がいてもおかしくないのだが目の届く範囲にはなかった。実際は、こうした田舎道でアイドリング状態の車が密集していたら悪目立ちして土地の官憲の気を惹く。そのために移動用の車両は、視界に入らない程度の距離を置いて待機することがセオリーなんだとか。それを知らない伊丹としては、深く考えても仕方ないというだけの理由で安直に行動した。伊丹の合図をうけた富田は右後方の死角から、サイドミラーに映らないように素早く近づいて運転席の外国人の後頭部に、鹵獲したH&K MP7の銃口を突きつける。そして正面から堂々と「ゴメンねぇ。悪りぃけどさ、降りてくれるかな?」と、日本人的薄笑みを浮かべた伊丹が礼儀正しく現れて、これまた鹵獲したマカロフPMを突きつけながら車を降りるように求めると、いかにもロシア人っという感じの大男が両手を挙げながらゆっくりと車から降りた。
「ここで悪人なら撃っちゃうところだけど?撃っていい?撃って良いよね?」と栗林は自分の身長を遙かに超える大男を見上げながら、鹵獲したFN P90を隙無く構えた。完全にアルコールが抜けてないので、言うことがやたらに過激だ。ここで、似たようなことをロゥリィが言うかと思ったら、彼女は唇を尖らせた不機嫌な表情を隠そうともせず無関心を貫いている。
「それって、ちょっと後味悪いって」と富田は抑えるように言うと、大男には俯せになるよう促す。日本語が解るせいか、それとも身の危険をひしひしと感じるからなのか、男もやたらと素直である。
「だけど無力化するのってどうするの?ロープとか用意してないし、殴りつけて気絶させるってテレビやマンガには簡単に出てくるけど、実際にやったことないしなぁ。下手なところ殴ったら死んじゃうしさ、それだったら銃の方が面倒が無くていいじゃない?試し撃ちとかしてみたい」
 栗林は、そんなことを言いながらも白人大男の脇から拳銃や予備の弾倉を抜き取ったり、身体のあちこちをまさぐりながら武装解除していった。使えそうな武器弾薬は、当然ながら鹵獲していく。
「員数外の武器弾薬ってありがたいよねぇ。しかも流行のPDW。待ってたら何年たっても回ってこない最新鋭の武器弾薬が大漁だぁ。鹵獲~鹵獲~」
 たまに撃つ弾がないのが玉に瑕…などという自衛隊川柳を詠う栗林の荷物は、彼女の体重並みに重く大きくなっていた。そんな中で、レレイがすすっと前に出てきた。
「殺傷せずに、無力化が出来ればよい?」
「何か方法があるの?」
「ある」
 レレイは、そう頷くと俯せになった大男の背中に手を当て、ちょっと長めの詩を独りコーラスで、どういう咽の構造なのか和音と不協和音を取り混ぜて詠唱した。しばらくすると白人男は、大いびきをかき始める。
「これで朝までぐっすり」
「す、スゴ」
 栗林が代表して感嘆の声をあげたが、それはほぼ全員が同様に感じたことでもある。魔法という技を初めて見た日本人一同の驚嘆は、イリュージョン・マジックを見せつけられた未開人のそれに近いかも知れない。なのにレレイは、大したことでもないかのように澄まし顔でワゴン車へと乗り込んだ。続いてロゥリィ、ピニャとボーゼス、梨紗、テュカの順で乗り込んで、富田が運転席、身体の小さな栗林を真ん中に挟んで、伊丹が助手席に座る。後は、ひたすら東京へ向けて走るだけ……なのだが、伊丹が止めた。
「真っ直ぐ銀座に向かうのはやめよう。待ち伏せられたらきつい」
「じゃあ、どうします?こう言っちゃなんですけど、変にこっちにいるより『門』の向こうの方が安全っすよ。出来るだけ早く駆け込んだ方がいいと思うんですけどね」
「戦闘地域の『特地』の方が、安全っていうのも何んだか皮肉………そうだ、今回の休暇は台無しになっちゃったんですから、後できちんと取り直しさせてもらいますよ。隊長」
 栗林の言葉に、伊丹は握り拳で応えた。
「当たり前だろ。俺だって全然休めてないんだぜ。こうなったら何としても柳田にねじ込んで、十二月二十九日、三十日、三十一日の三日間に休暇をとってやる」
「その日が何の日かは尋ねませんけどね、あたしは別の日に休暇を取ります」
「俺も、もう巻き込まれたくないかなぁ」
 栗林と富田は口をそろえた。日本語で為されたこの三人の会話をレレイから通訳されたのか、ピニャも少しばかり詰問口調で声をかけてきた。
「少し尋ねたい。そもそも何故、妾達はこのように逃げ隠れしなくてはならぬのか?」
「そう。わたしもそれを尋ねたいですよ隊長。最初から妙だなとは思ってましたけど、いったい何が起きてるんですか?」
 問われて、伊丹はしばらく考えた後に、おもむろにこう切り出した。
「実はな…」
「実は?」
「俺にも、よく、わからん」
「隊長?」
 栗林はすぅと目を細めると手にしたFN P90を伊丹へと向けた。繰り返し言うが、まだアルコールが抜けきっていないようで、やたらと過激である。
「いい加減に言わないと、後ろ弾です」
 伊丹は両手をあげると「まった、まった。」と猛った馬を宥めるかのように、優しく声をかけた。「話せばわかる!」
「それって死亡フラグかも」と後ろから茶々を入れたのは、梨紗であった。
「問答無用っ!」
「待たれよ、クリバヤシ殿。そなたイタミ殿の部下であろう?無理を言ってはいけない。これは非常に政治的な問題なのだから」
 ピニャが、割って入るように言った。
「イタミ殿が立場上、言えないことは解っている。これから妾の推測を言うので聞いて貰いたい」
「………」
「まず確認したい。妾は、売り渡されたのではないか?」
 伊丹は「それはない」と首を振った。
「だが本来なら、妾もそなた達も休暇を楽しむがごとく安穏に過ごせるはずだったのではないか?なのに、最初から齟齬が起きている。乗り物が急遽変更になったりすることは、手配の事情で当たり前に起こり得ることだし、目的地寸前で『チカテツ』と称する地獄の乗り物を降りたのは、妾達やロゥリィ殿の意を汲んでのことだから仕方ないと思う。投宿した宿舎が火事になってリサ殿の部屋に駆け込んだのも火事場盗賊を避けるためとしては当然の処置と言えよう。しかし、こうしたことが一日、二日の間に立て続けに起こって、挙げ句の果てに泊まっていた旅亭が襲われそうになって、慌てふためいて逃げ出さなくてはならなくなったとなると、いささか出来事が多すぎる。あたかも、コボルトの前に繋いだ子羊を放置するかのごとく、妾達につけられた護衛は外されたのではないか?それはこの国の意志決定に関わるところで何かが起きていると言うことだ。妾達は、このニホンという国と、帝国との交渉を仲介するために来た。それはすなわち講和の交渉を意味する。察するに、講和を快く思わない勢力と、講和を進めたい勢力あり、それがせめぎ合っている。違うか?」



二十八



「ここは大都会、東京。とあるサービスエリア。
 人々は、まだ眠りからさめやらぬ午前四時十分。
 人影もまばらなサービスエリアの駐車場には、朝靄が立ちこめていた。
 静寂をうち砕くかのように近づく、一人の少女の足音。
 年の頃は見た目で十二才。老成した心と、若々しい澄んだ瞳。
 かつてこれほどに美しい少女が居たであろうか?黒いフリルで身を固めた彼女が邪悪の化身ならば、それはこの汚れきった都会のせいなのか……。
 少女は、ついに、ここまで来てしまった。
 無垢であったあの日にはもう戻れない。
 少女は、ふと足を止める。ゆっくりと辺りを見回すと……」
 ロゥリィは、伊丹等のワゴン車を見つけだすと弾むような足取りで駆け寄って来る。
「その少女を人はこう呼ぶ。たんつくぁwせdrftgyふじこlp!」
 伊丹の、独りよがりなモノローグは、梨紗の手と伊丹の頭部が激突したことによって発せられた強烈な炸裂音の連続によって強制中断させられた。
「やめんかいっ!あたしは、そいつのせいでしばらくお蕎麦が食べられなくなったんだからねっ!十年経った今でも水色のストローとか使えないだからっ!これ読んで、興味を抱いてググったりとかして元ネタが何であるかを突き止めたあげく、それを実際に聞いて、心的外傷を負っても作者は一切関知しないんだからねっ!」(元ネタ/スネークマンショー)
 カシャカシャと膝に置いたノートパソコンのキーボードを叩きながら、梨紗は伊丹をなじった上に、背もたれ越しにげしげしと蹴った。ノートパソコンは携帯を用いてネットと接続されている。二人の諍いの原因が全く理解できない富田や栗林はアイドリング中のワゴン車内で早朝からおっぱじめられた元夫婦ドツキ漫才を見て、互いに肩を竦め合うだけである。富田は、伊豆箱根から東京までの深夜の運転に疲れたのか肩を自ら揉んでいた。
「………?」
「いてぇ」と頭を抱える伊丹を見て、ロゥリィは胡乱な視線を向けた。どうせ間抜けなことをやったのではないかと推察したのであるがそれは概ね正しく、さらに、伊丹が自分をモチーフにして何を物語っていたかを知ったら、さぞ怒っただろう。知らぬが華である。ロゥリイは抱えていた缶甘酒やらお汁粉ドリンク、ポタージュスープやココアといった微妙な品揃えの缶飲料を、伊丹を除いた全員へと手渡していった。機械文明の一端に触れた彼女は、自分で買い物をしたがるお年頃である。ただ自分が何を買ってきたかは、わかってないようであるが。
「俺のは?」
 とは言え、自分には渡されないと思うと途端に寂しい気分になるものである。伊丹は、ロゥリィに問いかけだが、彼女は無視するかのようにプィとワゴン車の後席へと戻ってしまう。まだ、拗ねているのだ。
「あっそ、…………まぁ、いいんだけどね?どうせ、お汁粉ドリンクなんて飲みたくなかったし…」と、負け惜しみを呟きながら伊丹は肩を落とす。こういうことを口にする心の働きを心理学者は「採れないブドウは酸っぱい」と呼んでいたりする。
「なにをやったの?」
「何もしなかったんだよ」
 男女の関係に置いては、何もしないことが罪になることがあるという良い例なのかも知れない。女の勘で『その手の話』であることに気付いた梨紗は、不快な気分が心中で蠢いたので話題を変えることにした。
「さて、これで仕込みは済んだからね。後は喰い付きを待つだけよ」
「なぁに?」
 ロゥリィは梨紗の背後から液晶画面を覗き込んだが、そこには画像の類は一切無く、ただ日本語のテキストがずらっとならんだページが広がっていたために、早々に飽きてしまった。テュカは寝ている。レレイは、かろうじて読める程度だが、内容よりは自分が購入したノートPCを見事に使いこなす梨紗を、尊崇の目で視ていた。

『本日十四時、銀座事件慰霊碑に、ロゥリィ・マーキュリー氏、テュカ・ルナ・マルソー氏、レレイ・ラ・レレーナ氏の三名が献華予定。その後『特地』への帰途につく』

 このような内容が、匿名掲示板に書き込まれ、これに対するレスポンスで、ネット上はちょっとした祭り状態だ。
「どうだ?いけそうか?」
 伊丹は、助手席のバックレスト越しに、液晶画面を覗き込もうと頭をつきだした。しかも、コンビニでお湯を注いできたカップラーメンを朝食としてズルズルとすすっている。その音に嫌な記憶を呼び覚まされた梨紗は顔を顰める。
「大丈夫。これで彼女たちを一目見ようと大勢が集まるわよ。……ちょっと止めてよ。頭の上でラーメンなんか食べないでったら」
 梨紗は、さらに仕込み作業を続けた。
「参考人招致以降のネットの反応を見て、これはいけるっと思ったのよねぇ。人気ロックバンドのゲリラライブの観客動員数が千人を超えることもあるから、それくらいは集まると思うわ」
 銀座で待ち構えているだろう敵から身を守るため、梨紗は『おおきなお友達』を動員して、そのみんなに見守られる形で門の向こうへと帰るという方法を提示したのである。いかな米中露とは言え、衆人環視の中で乱暴な方法は使えないだろうから。多少リスクは伴うが、街中でカーチェイスしたり銃をぶっぱなしたり、チャンバラを繰り広げるよりはよっぽど安全で確実と言える。
 もちろん、目論見通りに行くのであれば妙案だから伊丹は諸手で賛成した。
「とにかく、昼までは仕込みを続けておくから、それまで先輩は寝てなさい」
 そう言う梨紗に、伊丹は「あいよぉ」といいつつも素直に従った。ピニャ達がそうしているように、伊丹も助手席に座ると背もたれに体重を預けて目を閉じる。
「……それと先輩?」
 梨紗はキーボードを叩きながら、続けた。
「なんだ」
「いいかげん、お母様のお見舞いに行きなさい」
「…………………………………………………」
 返事すらしない伊丹の硬質な拒絶に、梨紗は身を固くした。そして「まだ、駄目なのかなぁ」と呟くと、もうそれ以上はこの話題に触れないようにするのだった。




 ピニャは、目を閉じて眠ったふりをしながら伊丹と梨紗のやりとりを聞いていて、この二人は別れたと聞いたのだが、実際は充分に仲が良いと感じていた。勿論、会話の意味が理解できるわけではない。ただ、交わされる声の響きや、口調から仲の良さを感じるのだ。言葉が理解できないからこそ、そうした響きに敏感になるとも言える。とは言え、どんな会話がなされているのか理解できないのはなんとももどかしいモノである。元夫婦の睦言を盗み聞きする趣味はないが、ちょっとしたやりとりに自分や、祖国の将来を左右するような内容が含まれているかもしれないのだ。そう考えると、なんとしても日本語を習得しなければいけない。
 特に、門のこちら側にある『講和を好ましく思わない勢力』の存在はピニャにとって危機意識を抱かせるに充分のものだった。伊丹の語った、アメリカ、ロシア、中国を始めとする列強。これらの勢力のせめぎ合いによって、帝国の運命が勝手に決められてしまうと言うのは腹立たしいことなのである。せめて、講和を望む勢力と共闘して、帝国の生き残りをかけた外交戦に持ち込みたかった。確かに軍事的には適わないかもしれない。だが適わないからと言って、運命を天に委ねていることは、帝室の一員として許容できることではないのだ。
 運を天に委ねるのは愚か者のすることだ。天は良いことも悪いことも持って来るからだ。帝国貴族が頼るものは、ただ一つ己の力量である。そのためには、広く門のこちら側のことを知らなければならない。日本は当然、アメリカやロシア、中国についてもだ。それは、自分だけでは不可能である。イタリカに戻ったならパナシュ、ハミルトン、ニコラシカ、スイッセス、シャンディー・ガフら……騎士団のメンバー達の協力を仰ぐ必要もあるだろう。帝都に戻って皇帝に報告もしなければならない。元老院議員や大臣らの説得もしなければ。
 旅亭で拾った「じゅう」。伊丹等に気付かれないように懐に隠したその感触を確かめながら、なんとしても無事に国に帰り、この世界の『芸術』を持ち帰るのだと決意するピニャであった。



    *       *



 その日、テレビは朝から報道特集を流していた。新聞の朝刊は、一面全部を用いて、時の内閣総理大臣の緊急入院と、辞意の表明を巨大な見出しで伝えている。カメラの砲列は、東京女子医科学病院の建物を撮し続け、集まった報道陣とアナウンサー達は、マイクを片手に道行く人々に事態を知らせその驚きの表情を全国へと発信していた。政権に対して批判的な勢力は、首相を「無責任」となじり、彼の振る舞いを『ヤスる』等の新造語をもって評する。そんな大報道の影で、人々にあまり知られない人の動きがあった。それに気付いたのは、『お粗末様でした!!』という民放昼番組の取材スタッフである。
 彼らは、いつものようにカメラと音声、そして女子アナという組み合わせで、今回の首相の入院と辞意表明についての街の反応を拾っていた。だが、銀座という街を行く人の反応は、判で押したようにみな同じである。多くの人が、テレビカメラを向けられると、空気を読んだ対応をしてしまう。つまりは一概に「本当ですか?なんで急に……」と驚いたりするものだと思って、その通りに反応する。あるいは批判的な立場に立つ人は「辞めて当然」「無責任な」という言葉を続けてみせる。猟奇的な事件で「あの人?やっぱり、そういうことをしそうな人でした」といった、ステレオタイプな反応を示すのと同義である。こうやって集めた映像素材は、十……いや、一〇〇拾って一、使われれば御の字という世知辛い世の中である。当たり前の反応、意外な反応……これらを、番組の編集担当者が視聴者にどう印象づけたいかという意図に基づいて、切り張り加工して報道番組はつくられるのである。その為には、どれだけ彩りに溢れた素材を拾い集めることができるかが、取材スタッフの力量の示し所なのである。
 ところが、そのことがまだわかっていないアナウンス部の新人 栗林菜々美は何人目ともつかない男性にマイクを突きつけて、今回の首相の入院についてのコメントをとっていた。紋切り型の質問には、紋切り型の反応が帰ってくる。それがメモリにデータとして収録されていく。番組プロデューサーが欲しいのは「典型例」だけでなく「極端例」である。なのに、彼女は「典型例」と「典型例の亜型』しか拾ってこないのだ。当然、彼女の集めた素材が使われることはない。滅多にない。カメラや音声の士気は低下して、ディレクターから「ちったぁ使える絵を拾ってこい」とお小言を言われ、メインのキャスターからも「もっとがんばらないといけないよ」と言われてしまう始末。同期の女子アナには、すでにレギュラー番組をもっている者もいると言うのに。
 彼女としては、自分の取材映像が使われるように努力をしているつもりなのだ。だが努力の方向性に問題があった。質問のしゃべり方、抑揚、マイクの向け方のみならず、思いあまって姉譲りの巨乳を強調するような服装に変えてみたこともある。途端「あなた、色物キャスターで終わるつもり?」と先輩に睨まれたりもしたが。ため息をつきながら、今度は誰に声をかけようかと周囲を見渡す。銀座の繁華街だ。取材の対象に困ることはない。
 そして気付く。人の動きが妙にぎこちないことに。
 銀座は、人の動きのある街だ。中央通りを北から南へ、そして東から、西から流れているのが正常である。なのに、今日見える風景は、人の動きが滞っていた。信号待ちをしているわけでもないのに、待ち合わせ場所としてもふさわしくない路傍で、多くの男性が立ちつくしている。
 それも1人や2人ではない。流れて行く人々が、彼らを邪魔に思う程度に立ち止まっている。何かを待っているかのように。
「今日、何かイベントとかあったっけ?」
 音声担当が「聞いてナシよ」と答えてきた。
 カメラは、ピントをいじりながら街に立ち止まる人々の姿を撮っていきながら気付いた。
「だんだん増えてるぞ」
 ゾロゾロと何とはなしに、立ち止まっている人々。その人垣を抜けるようにして、本来の買い物客達が通っていく。
「どっかのアイドルが路上でゲリラコンサートでもひらくとか?」
「ちょっとカメラ、回し続けてよね」
 菜々美の言葉に、カメラが『力』を入れ直す。
「わかってるって。それよりお前も連絡忘れるなよな!」
 初めてつかめそうな特ダネの香りに酔っていた菜々美は、大事は局へ報告するという基本をすっかり忘れていた。カメラマンに指摘されて慌てて携帯電話に手を伸ばすのだった。




 CIAの日本支局員の統括責任者、グラハム・モーリスは急な動員に不平不満を漏らしつつも、銀座の一等地につくりあげられた『銀座駐屯地』と呼ばれる一辺二〇〇メートルのフェンスと鉄条網に囲まれた正方形の地域を一周しつつ、コードネーム『来賓』が姿を現すのを待ちかまえていた。
 銀座駐屯地の営門はひとつ。
 その前には、銀座事件の慰霊碑と記帳台が置かれ、今でも献花する人の姿が絶えない。
 そんな中にやって来るであろう『来賓』を丁寧且つ迅速に、キャッチして我が合衆国へと移送することが彼の任務であった。
 日本政府との話はすでについている。
 まさか首相が辞任というアクロバットを使ってこちらの握っていたカードを帳消しにして来るとは思いもよらなかったが、少なくとも妨害はしないという約束は有効のはずである。従って警戒するとすれば中国、ロシアであった。箱根に派遣したコマンドチームが全滅したのも、中国・ロシアの工作員との不幸な遭遇戦によるものであったと報告が来たのである。見れば、なるほど外国人の姿もちらほらと見える。この全てがそうではないのだろうが、この中には確実に敵が居る。彼の勘はそう告げていた。
 ロシア・中国の妨害を排して、来賓を迎える。神経を使う困難な作戦だが、自分達には決して不可能ではない。どの国も、この銀座という繁華街の中で出来ることには自ずと限界があるのだから。だが、しかし、見ると、なんだか人が増えてきていた。部下の一人に尋ねてみる。
「今日は、何か行事が予定されてたか?」
「そんな情報はありませんが?」
「それにしてはこの人の数は異常だぞ」
「まるで、コミケだ」
 そう、気がつくと銀座の道という道は、人混みで溢れかえっていたのである。




 それは中央線と山手線が同時に架線事故を起こして電車が遅れた時の新宿駅のホームのごとく有様であった。そこから立ち上る陽炎にも似たそれは、人間を箱に詰めてぎゅうと押し込んだらこんな感じになるという熱気と、ストレスから立ち上るある種の殺気に近い苛立ちによって醸し出されたものであろう。銀座の中央通りにいたっては歩道では人が収容しきれず、車道にあふれてしまったために自動車の通行の妨げとなっているほどだ。
「こりゃあ、千の単位じゃないぞ、万……いや下手するとそれ以上?」
 銀座中央署の交通課長の岩崎は、巡回の警察官からの報告をうけると……パトカーは大渋滞で動かないため……徒歩で現場に駆けつけ、異常に増えた人の数にびっくりしていた。見れば、無届けデモの類でもなさそうである。これだけの人が、どこに行くともなく、銀座の街を埋め尽くして、ただひたすら何かを待っているのである。
 テレビの取材クルーが来ているので、声をかけてみる。
「この人数は、いったい何を目当てに集まってるんだ?」
 彼らは、制服警官から問いかけられると思ってもみなかったのか、戸惑った様子を見せたが、溌剌とした明るい表情の女子アナが代表して答えて来た。
「みんな、特地から来た女の子を一目見ようと集まって来たらしいですよ」
 菜々美達は献花台が最もよく見える場所にカメラを据えて、一番の映像をモノにしようと待ち構えてる。出遅れた他局の取材スタッフは、渋滞と人垣によって銀座に入ることすら出来ずにいるということであった。その代わりではないだろうが、明らかに取材のものと違うカメラが数百台、三脚を列べていて、報道カメラマンとは種類の異なる熱気を放っている。局長からがっちり取材してこい。もし、出来たら「報道局長賞モノだゾ!」という言葉を頂いて意気軒昂の菜々美である。



「これ、どうしろって言うんだよ」
 運転席の富田は、車道まで溢れた人の群れによってちっとも進まない大渋滞を前に苛立っていた。車は新橋で停止。苛立ったドライバーが、クラクションを鳴り響かせ、これを受けて怒鳴り声や罵声が飛び交う。警察官が警笛を吹いて懸命に交通整理をしようとしているが、急な出来事に絶対数が不足して対応できないという状態である。
「まいったなぁ。ここまで凄いなんて」と頭を抱えたのは梨紗である。
 彼女は完全に読み誤っていたのである。
 テュカ、ロゥリィ、レレイの三人が銀座に姿を現すという情報は、ネットを通じて瞬く間に駆けめぐり、三人を一目見ようと、日本全国津々浦々から集まった人の数、なんと推定で四万人(警視庁調べ)という規模に達しようとしていた。東京ドーム収容人数が四万五千人だから、どれほどのものか想像できようと言うものだ。
「い、イタミ殿。これだけの群衆はいったいどこから湧いて出てきたのだろうか?」
「ど、どこかで戦でもあるのでしょうか?」
 ピニャとボーゼスは、完全にびびっていた。
 本日の主役、レレイとテュカとロゥリイは、それぞれに弔意用のどでかい花束に埋もれている。
「これ、絶対動きませんよ。どうします?」
 という富田の声に、伊丹は「歩くしかないよなぁ」と答える。
「でも、これ外に出たら危なくなっすか?」
「大丈夫よ」
 請け負ったのはロゥリィだった。
 彼女は、右手に梱包を解いたハルバートを持ち、左腕に花束を抱えると、スライドドアをあけて車の外に降り立つ。長く座っていて身体が強ばったのか「う~ん」と背伸びを一つ。そして、ハルバートを小脇に抱え近くにいた、群衆の青年Aに声をかけた。
「ギンザはどっち?」
 すると……
 現場で、それを目撃していた梨紗は後にこう語った。
「古い映画に海がバッと割れて道が開いていくシーンがあったでしょ。それを見ているみたいだったわ。人の群れが、彼女を前にして道をあけていくのよ」



二十九



 残念なことに、世の中には理性の手綱を放してしまい、感情の暴走に酔うままに行動する人種がいる。このところ頻発している『通り魔』もそうだし、『坊主が憎ければ袈裟まで憎い』とばかりに、殺人犯を憎むべきなのに、その家族にまで憎しみの矛先を向けたりする者も同じだ。彼、ないし彼女らは感情を向けるべき対象を、完全に見誤っている。全く関係のない他人については述べるまでもない。また犯人の親族を相手にするとしても、親の罪が子どもに、子どもの罪が親に波及してそれを償うべきだというのは、古代ローマにもなかった野蛮な風習である。二千年もの昔の古代人に精神的成熟度で劣るとは、実に情けない話である。
 しかし、銀座事件の被害者にとって、ロゥリィ、レレイ、テュカといった特地から訪れた三人はある意味、初めて見る敵国人であった。
 銀座の街を埋め尽くす大群衆の中に、逆恨みでしかない感情を彼女らにぶつけようとして紛れている者がいないとも限らない。従って伊丹は、緩んだ表情をシリアスに引き締めると、富田と栗林の二人に告げたのだった。
「今日は止めよ。また梨紗の部屋にでも泊まろか?」
 がっくりと来る二人。だが嫌なことは避けて通るが信条の伊丹だ。困難が予想される現時点でこれから逃げるのは、当然の選択でもある。しかし栗林は言う。
「で、明日になって、どこぞの工作機関とかが待ち構えているのを強行突破するんですか?」
 梨紗が人を集めてくれたのも、アメリカとかの工作機関の待ち伏せからピニャとボーゼスを守るためである。この困難を避けるために今の状態を作り出したのに、これからまた逃げたら元の木阿弥ではないか。
「逃げた先に、逃げた先にへと追いかけてくる借金取りの如くか」
 市ヶ谷とか、各地の駐屯地に逃げ込むと言うアイデアはボツだ。政府機関で2人を保護すれば、今度大統領から電話がかかってきたら、かわしきれなくなってしまうからだ。それでは何のために本位田総理が辞意を表明したわからなくなってしまう。自分達が、現時点で政府のコントロール下にいないからこそ「逃げられちゃいましたねぇ。残念でした」とお悔やみを言いながら、内心で舌を出すことが出来るのである。このあたりの事情は、太郎閣下からの状況説明で充分に理解している伊丹である。
「参ったなぁ……」
 伊丹は髪を掻きむしりながら瞑目すると、大きくため息をついて2人に命じた。
 もし、彼女達を害そうとする者があれば「撃て」と。これは『許可』ではなく『命令』である。富田も栗林も志願して自衛官となった身である。そして職業自衛官として高度な訓練をうけた陸曹でもある。さらに実戦の洗礼を経ている。従って一度『命令』という形で指示を受けたなら自らのマインドセットを殺戮機械モードへと変えることも出来るのである。故に、2人はそれぞれに手にした鹵獲武器の弾倉を確認するとともに、予備弾倉を栗林の荷物から拾い出してポケットやズボンのベルトに挟み込んだ。その双眸からは冷たい兵士としての光を放つ。サングラスがあったらかけていただろう。もちろん、銃をあからさまに曝して周囲を威嚇するようなことはしない。ジャンパーにハーフコートにと銃を隠し、それぞれすぐに発砲できる状態にして、周囲を埋め尽くす大群衆を前にしてワゴン車を降り銀座のアスファルトを踏んだのである。




 栗林志乃は黒い革ジャンパーをまとっていた。
 ストーンウォッシュされたデニム生地のミニスカートに黒のストッキングをはいている。靴は、ストレッチブーツ。ヒールが高い履き物を好むのは彼女のコンプレックスの現れだろうか?チビ巨乳とあだ名される彼女の体躯は小さい。が、背の低い者によく見られる手足が短くて胴が長いというスタイルとは一線を画していて、引き締まった身体に鍛えられた筋肉を持つ者だけが許される、メリハリのある曲線の連続で、スラリとした肢体を形作っていた。要するにバストを除いた全ての構成要素が、均整のとれた比率を維持したままに縮小されているのである。
 革のジャンパーの前を完全に開いて、内に着ている白いセーターを覗かせる。
 ここで立ち絵を入れるなら、そのポーズは左腕でジャンパーの左襟を押さえ、その内懐に右腕を突っ込んでいるように見せる姿だ。もしフルカラーが許されるなら、唇には深紅のルージュ、眉は切れのある線でくっきりとひいて、凛然とした表情で描きたいところである。もちろん右手にはドイツのヘッケラー&コッホ社が制作したMP7が提げられている。元来の巨乳故に、突き上げられているジャンパーの胸には生地の余裕が全く無いためストックを縮めて全長三十四センチでしかない銃すら隠しきれず、革ジャンの裾からわずかに覗けてしまう。
 そんな彼女が冷たい冬のビル風をまとって、精神的臨戦態勢を済ませているところなどを是非格好良く脳内イラストボードに描いて頂きたい。
 さて、そんな彼女の隣に立つのは富田である。富田章はカシミア混のハーフコートをまとっていた。長身でワイルドな富田は、筋肉質だがボディビルダーのようなずんぐりとした印象はない。敏捷性に優れたアスリートを連想させる体格だ。日焼けして浅黒い肌に、精悍な顔つき。顎を覆う無常髭もイチロー風で格好がよく、見ていてなんだか腹が立ってくる程だ。そして、猛禽のような眼光は、周囲を睥睨して射抜かんばかりである。
 その内懐には、ベルギーのFN社が開発したPDWのFN90を隠している。
 最後に、伊丹だが。その容姿はどこにでもいる、サラリーマン風の三十男。着の身着のままのスーツはしわくちゃになりつつあり、一足二千円くらいの安売り革靴(合成皮革)は、既に汚れが目立ち始めていた。この上に、冴えないデザインのくすんだロングコートをまとっていて、新宿駅西口から新宿ガート下あたりにて一杯引っかけててもおかしくなさそうである。もし、ラッシュアワーの駅のホームに立たせたら、あっと言う間に群衆に埋没して彼を見つけだすのは非常に困難な作業となるだろう。それくらいの凡庸さで身を固めているのだが、そのコートの下には、一応のところマカロフ拳銃を隠し持っている。
 こうして、三人の雰囲気が戦闘的に激変すると、梨紗は「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。ついさっきまでのノンビリ、のほほんとした雰囲気を放っていた三人が、剥き身の日本刀のようなゾロリとした気配を放ったのだから。それはヤクザやチンピラとか、吼えまくる闘犬のそれと異なって、野生の肉食獣が放つ静謐な獰猛さを感じさせた。不気味な恐怖感と言ってもよい。とは言っても富田や栗林と違って、伊丹のそれは持続時間が短く瞬く間に普段のとぼけた印象に戻ってしまうのだが。
「悪りぃな、梨紗。こっから先は連れていけない」
 窓から中に顔を突っ込む伊丹に対して、独り置き去りにされようとしている梨紗は肩を竦めて見せた。
「しょうがないかなぁ。この車どうしたらいい?」
「適当なところに放置しておけばいいよ。それと借金、早く返せよ」
「こ、同人誌が売れたら、ちゃんと振り込むから……それより、次はいつ頃来れるのかなぁ?」
「わかんないな、しばらくは無理だろう?また連絡するよ」
 伊丹は、手を挙げると背中を向けようとした。しかし梨紗が呼び止める。
「あ、あのさ……先輩って、来ると言っても来ないことがあるでしょ。だから無理だとか言いつつも、来るかも知れないなぁ、なんて思って待ってたりするのは、だめ?」
「そんなこと言い出すくらいなら、何で離婚したんだ?」
「だって、その……養って貰うために結婚してそれに胡座かいてるのって、なんか、人間として駄目かなぁなんて思っちゃって」
 伊丹は呆れたように「好きにすればいい」と告げると、今度こそ背中を向けた。



   *    *



「……このように、本位田総理の緊急入院と、突然の辞意表明についての各界の反応は、唖然、呆然とも言うべき驚きに満ちたものでした」
 スタジオには、本位田総理大臣の巨大ポートレートを背景にして、各界の著名人がコメンテーターとして列んでいた。
 ひげ面の大学教授が不満そうに「余りにも無責任すぎますよ」と吐き捨てる。
 すると女性作家が「しかし総理という職は激務ですから、体調が思わしくないとなれば仕方ないかも知れませんよ」と弁護するようなことを言った。
「閣僚のスキャンダル続きで、マスコミや野党の追及にプッツンきちゃっただけですよ。野党は、総理の辞任で振り上げた拳の降ろしどころに困っているはずです」
 元知事の肩書きで、政治評論家となっている男が国会の状況について解説を加える。
「いや、野党は困ってませんよ。次の総理が誰になるにせよ、民意を問うという形で衆院の解散総選挙を強く求めて来ることになります」
「今話題となりました、次の総理の問題ですが、早速永田町では与党の有力議員の動きが活発になっています」
 アナウンサーが報道し、コメンテーターが感想を述べていくなかで、司会者でもあるメインキャスターが次の話題『総裁選』へと転換していく。
「与党内で次の総理総裁候補と見られているのが、森田氏、嘉納氏、荒巻氏の三名です」
 三人の写真がモニターに大写しされていく。
「各派閥からの支援を受けて次期総裁候補ナンバーワンと見られているのは森田氏です。嘉納氏は国民的な人気こそありますが、党内の力関係で行きますとまだまだ実力不足とみられています。次期総裁が派閥の代表者による協議で決まるか、それとも総裁選挙が行われるのか、注意深く見守っていきたいところです」
 政治の話題をここで終って、キャスター達は仮面を取り替えるがごとくの早業で、表情を変えた。
「銀座が大変なことになっています」

 ここでCM。

 そして六十秒間計四本……洗剤と自動車保険と、ラップフィルムと紙おむつのCMが終わると、次のパートは先日おこなわれた国会での参考人招致の映像から入った。
 見た目にも印象的なさらさら金髪のエルフ、テュカが国会の赤絨毯に立って四方からフラッシュを浴びているシーン。その輝きを受けて、透けるような美しさを放っている。そのままシャンプーとかリンスのCMにも使えそうだった。
 レレイの静謐な双眸。そして銀糸のような髪。
 そして、黒ゴスをまとったロゥリィの鋭い毒舌と、悪戯っぽい小悪魔的表情。
「特地から、参考人として招致されたこのお3方が今や大ブレイク中です。なんと言ってもファンタジー世界の住民でしかないと思われていたエルフ娘が実在するということで、テュカ・ルナ・マルソーさんが一番人気です」
 コメンテーターが、言う。「いや、ホントに綺麗ですよ。オタク心をくすぐるとでも言うんでしょうか?空想上の存在だとばかり思っていた相手が、ホントにいたんですから、一目でもいいから生エルフを見てみたいって思いますよ」
「私も国会中継見てましたが、びっくりしました。レレイさんでしたっけ?彼女なんかわずか数ヶ月で身につけたにしては日本語も上手だし。テュカさんの耳は、最初は特殊メイクか何かかと疑ったぐらいです」と若いタレント弁護士が述べた。
「ところで彼女たちのお歳、ホントなんですか?いや、年齢を云々するのは失礼とは思うんですが…一年が異常に短いとか」と言うのは女性作家だ。やはり気になるらしい。
「防衛省発表の特地の情報によると、向こうでの一年間は、三百八十九.三日と推測されるそうです。一日の時間が、こちらに比べると若干少ないのですが、その誤差を差し引いても、こちらに合わせると年齢は増えるだけなようです」
「でも、ロゥリィ・マーキュリーさんに至っては、九〇〇才を過ぎてるってのは、ちょっとねぇ。どう見ても中学生くらいでしょう?」
 こだわる女性作家である。
「こちらの、テュカさんも一六〇才過ぎと言うには若すぎませんか?」
 さらにこだわる女性作家である。
 某書の記述によると、女というものは、知性とか教養とか、品の良さとか、そういったものには全く嫉妬しないが、美しさとか財産といったものには、敏感に反応するそうである。五〇才に達しようとしているこのコメンテーターも、自分より遙かに年上と称する女性が、どう見ても十代の美しさを湛えていることに、複雑な思いを禁じ得ないようであった。
「国会でも、こちらの二人は『長命な種族』であるという説明があったようですが」
「男性としてはどうなんですか?見た目はこんなに若いけど、実際は一〇〇才過ぎてるっていわれて」
「ホントのところ、全く実感湧かないですね」とひげ面の大学教授。
「化粧とかで若作りしてるとか、整形で若く見せているとか言うなら、ちょっとアレかなって思いますけど、ナチュラルにこれだけ若いんなら、実際の年齢が一〇〇才だろうと五〇〇才だろうと気にならないと思いますよ」と言ったのは、若いタレント弁護士だ。
「このようにいろいろな話題に事欠かさない彼女達なのですが、本日銀座事件の慰霊碑に献花して、その後特地に帰られると言うことがわかり、彼女たちを一目見ようと集まったファンで銀座がごった返しているそうです」
 メインキャスターの仕切で、路上にあふれかえる人の群れの映像が大写しとなった。
 交通は麻痺し、自動車は渋滞している。警官が必死に警笛を吹きまくって人々の群れを整理しようとしているが思うに任せない有様が映し出された。その後、メインキャスターの顔がアップされる。
「今映し出されたように、銀座では午後一時頃から、各地から集まったファンで賑わっています。たまたま当局の取材スタッフが現地に居合わせましたので呼んでみましょう。栗林さ~ん」
 画面が現場からの実況中継に変わった。
 既に全国ネットに映っているというのに、栗林菜々美はそれと気付かずに周囲の状態を見渡したり、喋る練習をしていたりする。掌に『人』の字を書いて飲んだりする姿が妙にほほえましかった。彼女の背後には、献花台と、その周囲に群れる人々の姿が映っている。
「栗林さ~ん」
 その、人の群れだが、整理する者もいないのに何故か献花台へと至るまでの道筋が開かれていた。その開かれた道筋を、花束を抱えた黒ゴス少女や金のサラサラ髪のエルフ娘、銀髪ショートの少女、豪奢な赤毛女性と金髪縦巻きロールの女性と、彼女たちの案内役なのか、ボディーガードなのか日本人男女と併せて七名が歩いて来るのが見える。
「音声の調子がおかしいようですね。栗林さ~ん」
 実は、伊丹も画面に映っているのだが、彼の発する色合いが、主役達の華やかさとまったく違うため、ワンセットとして人々の目に入らなかったのである。
 どちらかというとモブシーンの一キャラでしかないのに主人公の傍から離れない図々しい奴という印象になる。
「栗林さ~ん」
 音声に指摘されて気付いたのか、栗林は慌てて外れていたイヤホンを耳に装着した。
「あ、はいっ、こ、こちらは銀座ですっ」
「今、そちらの様子が映っていますが、現場の様子は今どうなっているのですか?」
「はい。こちらでは、今、お三方が周囲の声援に手を振りながら、ゆっくりと献花台に近づいてきています。集まったファンの方々も、道路にはみ出して交通渋滞を起こしたりとはた迷惑な事ばかりしているわりに、彼女たちに対しては不思議と行儀が良く、誰が整理しているというわけでもないのにまるで何かに操られて居るみたいな感じで道をあけて彼女たちが前を通るのを待っています」
 人垣の群れから、飛び出してくる青年が居た。富田がばっと身構えるが、それよりも早くロゥリィが、ハルバートの石突きをもってアスファルトをうち砕くほどの勢いで突き立てた。すると錫杖のような凛とした音が広がった。さらに彼女が妖しく微笑んでみせると、青年は毒気を抜かれたような表情で、後ずさりながら人垣の列へと戻っていった。
「……こちらの映像から見ると、お三方だけでなく、他にもおいでのようですね?」
「はい。見たところ七名の方がいます」
「他の四名も特地の方なのですか?」
「いえ。見たところ…見たところ……お姉ちゃん?」
「はい?栗林さん?」
「い、いえ。なぜか私の姉がいました」
「栗林さんのお姉さんですか?」
「はい。姉は自衛隊に勤めていて今、特地にいるはずなのですが、こちらに着ているとは聞いて無くて……ちょっと、おねぇちゃん、何やってるのよっ!」
「あれ、菜々美ったら、こんなところで何やってるの?」
 栗林姉は目の前に出てきた妹の姿を見て、道ばたで出会ったがごとくの気安さで返事した。とは言いながらも、警戒の視線を周囲に油断なく向けている。彼女はSPではないのだから、これでも充分に頑張っていると言っても良いだろう。
「テレビの中継だけど……」
「もしかして、今映ってる?」
「全国ネットだけど」
「やっほ~お母さん、元気?」と、この瞬間だけはカメラ目線で左手を振った。
 そのせいで全国ネットだと言うのに、銀座のど真ん中で『MP7』と言う名の銃を握る右手が、ちらちらと見えてしまった。つっこみ所満載の行為だが、思考と注意力の七〇パーセント以上を警戒のために費やしていたが為に、正常な思考が働いてなかったのだと、好意的に解釈してあげたいところである。栗林と富田と、伊丹が周囲を警戒する中、ロゥリィ達『特地』組五名が献花していく。この時、一〇〇台近いカメラのフラッシュが瞬いた。献花を済ませると、ロゥリィは周囲を見渡して「鎮魂の鐘が必要ね」と呟く。そして、ハルバートを立てると、「誰かぁ、鐘を鳴らしてくれるかしらぁ?」と声をあげた。
 その時、まるで彼女の求めに応じたかのように、銀座の時計塔がチャイムを鳴らし始めた。ロゥリィは「うん。ありがとぉ」と微笑むと、静かに瞑目を始め周囲は厳粛な雰囲気に包まれた。
 テレビカメラも栗林姉妹を画像からはずして三名が哀悼の意を表している姿を、しばしの間、流した。やがて、チャイムが鳴り終えるとロゥリィ達は献花台に背中を向けた。その背中をカメラは追い続けたが、音声は栗林姉妹の会話を拾っている。
「ねぇ、特地からの三人にインタビューできない?」
 全国ネットで中継の真っ最中だというのに、喋りが一般人となり果てている栗林妹である。でも、番組プロデューサーは、スタジオの奥で「よっしゃ」と握り拳で栗林妹を誉めていた。彼女の評価はもう、堕ちるところまで堕ちていて下がる余地が無い分、これ以上は上がるだけだからだ。日本中が注目する特地三人娘に繋がるコネクションを持っているというのは、評価の対象だった。
「無理無理。献花が済んだら一刻も早く、特地に帰らないと」
「なんでよ?少しならいいじゃない?」
「一昨日から、狙われてるのよ」
「……狙われてるって?何に?」
「アメリカかなぁ、もしかして中国とかロシアかも。乗った電車はなんか知らないけど事故って停まるし、泊まってたホテルは放火されて火事になったりするし、他にもいろいろでさ。こうしてる今だって……」
 さすがに不味いと言うことに気がついて、語尾を濁したが、ここまで口にしてしまえば、全部暴露したも同然である。何しろ、テレビのニュースや、新聞にきちんと目を通している者ならば、彼女の口にした出来事と符合する記事があったことに気付くからだ。



「よお、グラハム」
 群衆を苦々しく見つめるグラハム・モーリスの前に、一人に日本人が立った。
 情報本部所属の駒門だ。以前から陰気な男と思っていたが、コツ、コツと杖をついて歩く姿はさらに陰気さを増しており、不快な気配をまき散らしているように見えた。
「何の用だ、駒門。お前達の出番は無いはずだが」
「確かにそちらさんの仕事については文句を言うなとお達しが来ている。だがな、ロシアとか中国からの工作員がについては、ほおっておくことはできないからね、現在マークをしているところだ」
「なるほど」
 グラハムはそう言うとご苦労様と肩を竦めた。それならば、日本側が両国の工作員を抑えてくれるから仕事はしやすくなると思ったのだ。
 CIA要員に群衆にバニックを起こさせる。同時にテレビ中継の回線を切断。現場の混乱に乗じてコマンドチームが急襲して来賓を拾う。そういう段取りである。
「ところで、グラハムに聞きたいんだが、CIAの局員と、ロシアとか中国の工作員ってどうやって見分けたらいいんだ。後学のために教えてくれよ」
「なんだと?」
「なんかこうCIAの局員だってことが一目でわかるような目印をしてくれないと、ロシアとか中国人だと見間違えちゃうんだよな」
 そんな事を言って頭を掻く駒門を見て、グラハムは慌てて携帯電話をとった。
 各所に配置した部下を呼び出すが、返事が全くない。
「お前っ!」
「だから言ったろ。ロシア人とか中国人とか区別がつけられねぇんだよ……すまねぇな」
 見渡す限りを埋め尽くす群衆に舌打ちするグラハム。こうして彼は作戦の失敗を悟ったのである。
 駒門は携帯電話を取り出すと、メモリにある電話番号の1つを選んで呼び出した。
 数秒後に出る声に駒門は告げた。
「よお、伊丹。露払いはしておいだぜ」




「ガッデッムッ!」
 アメリカ合衆国大統領 ディレルはホワイトハウスの執務室にてゴミ箱を蹴倒すと、中身もろとも怒りにまかせて踏みつぶした。彼の前にあるテレビモニターは、東京は銀座からの中継画面を映し出していた。この大群衆の中では、いかにCIA凄腕コマンドチームであっても『来賓』に近づくことなど不可能だった。挙げ句の果てに流れた音声には「アメリカとか中国とかロシアに狙われてる」という言葉が全国に流れたと言う。そのうえ、コマンドチームを支援して、テレビ放送を邪魔したり、群衆にパニックを起こさせるCIA局員の殆どが、ロシア人や中国人に間違えたという名目で日本側に抑えられてしまった。
 コマンドチームは無事だから、強行するという方法もあるが、当然の事ながら全国生中継だ。
 下手すると世界生中継である。そうなれば完全に悪役である。いかにアメリカでも、そして中・露も含めて、この状況で強硬手段に訴えれば、間違いなく窮地に陥ることになる。このような状況を演出してくるとは、これまでの日本政府には考えられないほどの大胆さであり、悪辣さと言えた。日本政府は、直接手を下さずにアメリカの手を封じた上に、はっきりと言わずしてアメリカや中国、ロシアによる非合法活動の存在を、大衆に向かって臭わせ、非難することに成功したのだ。
 例えば、この女性自衛官の言葉を受けてホワイトハウスから「根も葉もないこと言うな」と日本国政府に不快感を表明したとする。別にクレムリンとか、中南海からでもいいが、当然の事ながら、日本は「日本政府としてはアメリカ(中国・ロシア)の非合法活動については、何も知らないので、何も述べることはない」と公式見解を発表して終わりなのである。
「全国中継で言ったぢゃないか」と避難したら、「いち自衛官の戯言を真に受ける人なんていないよ」「そんこと言ったら、おたくの宇宙飛行士によれば、アメリカ政府は宇宙人を隠しているそうじゃないか」とか言い返されること必定である。何をどう言おうと日本政府としては、「彼女は、その日休暇中だったから、酒にでも酔っていたのではないか?彼女が持っていた銃はおもちゃ。その証拠に日本はあの銃を配備していない」とか、シラを切り通せるのだ。
 だが、この中継を見ていた大衆がどちらを信じるかは言わずもがなである。何気ない姉妹の会話であったからこそ、人々の耳に事実として響いたのだから。ディレルは、中継の画面に本位田総理の幻影を見た。その幻影は彼に向かってこう告げていた。
「うちのお客様に手を出さないでいただきたい。こちらにも相応の覚悟がありますよ」と。
「くそっつ、くそっ!このホンイデンッの馬鹿野郎め。淫売の息子野郎!」
 白い家の、赤い絨毯上でゴミ箱の破片が踏みつけられて細かく砕かれ、さらにめり込んでいく。
 クレムリン宮殿ではラスプーチン大統領が、ウォッカの入ったグラス片手に、「日本人もなかなかやるじゃないか」と呟き、中南海の奥では薹徳愁国家主席が静かに舌打ちしながら現場担当者に撤収を命じた。




 こうして伊丹達は、なんとか無事に……ではなくて心身共に疲労してしまう散々な休暇を味わって銀座の『門』へとたどり着いた。大群衆がテュカの名を呼び、レレイの名を連呼し、ロゥリィの名を叫ぶ。群衆を熱狂させるアイドルという存在を知らない彼女たちは、どことなくドン引きした感じの笑顔で、これに応えて手を振った。そして、逃げるようにして足早に『門』をくぐったのであった。
『門』を越える時は警衛所で、空港の手荷物検査級の点検がある。車両やトラックに至っては、荷台やボンネットを全部開けて、徹底的に調べるという力の入れようである。特に、人員については徹底的な点検を受ける。すり替わりなどがないように、指紋、掌紋、網膜パターン、皮静脈パターン等の検査を受けてはじめて、門を覆うコンクリート製のドームから出られるのである。
 次が荷物だ。ところが……。
「これ全部、東京で買ったんですか?」
「何か問題が?」
 しらじらしい態度の伊丹に、警衛所の係官は大きくため息をついた。
 彼女らの荷物は、ロゥリィが購入した黒ゴスしかもパンク系(鋲とかチェーンとかの金属でじゃらじゃら)の服とか、下着とか、衣類の筈なのに金属反応のするものも少なくない。それに加えて日用雑貨品……例えばレレイのパソコンや、テュカのアーチェリーとか、各種雑貨が山となっていて、係官はとても閉口していた。
「これ全部点検するのかよ」
 女物の点検にはいろいろと問題があるのだ。
 下着類は、女性自衛官にチェックしてもらうとしても、日用品などいちいち箱を開けていたらキリがないほどであった。もうざっと見るだけでいいんじゃないかと思ってしまう。とは言っても、手を抜くわけにも行かずレレイや、テュカ、ロゥリィ、そしてピニャやボーゼス、栗林らのボディチェック等には婦人自衛官が動員された。
 そして、「これなんですか?」と、ついに、ピニャとボーゼスの隠し持っていた拳銃が見つかってしまった。
「おや」
 思わず呟く富田。
「やるわねぇ」
 と、抜け目ない態度に感心してしまう栗林。彼女は、咄嗟に「あ、それ護身用に彼女らに預けて置いたヤツなんです」と説明した。そして、ドサッと重そうなバックを係官の前に置く。
「何です?」
 と、開けて見るや、バックから出てくる出てくる鹵獲武器の山。
「まさか捨ててくるわけにもいかないでしょう?だから持ってきたんですが、こちらで管理します?」
 実は、自衛隊には鹵獲武器の取り扱いについての規則がないのだ。
 演習場などで米軍の武器弾薬等を拾うことはある。そう言う時は、まず入手した物品の目録を作成して、それを関係各所に書類をあげて、返還したり処分したりするという手順になるのだ。ただ、必ず問題となるのが入手の経路だった。演習場など、通常の自衛隊や米軍が活動している場所なら問題がない。しかし、一般人も宿泊する旅館の敷地内で、しかも某国非合法活動員の遺体から入手したなんて、公式の文書に残せるはずがないのだ。
「どうします?」
 したがって、これらの鹵獲武器は、存在しているだけでも厄介事なのである。そして、厄介事は引き受けたくないと思うのが組織人である。伊丹から入手経路等について説明を受けた警衛長は、顔を逸らすと『見なかった』『聞かなかった』と宣った。
「こいつは、あんた等が鹵獲したんだな。ならば諸々の手続はそっちの責任だ。とりあえず、これだけの武器がここを通ったということは『別に記録』しておく。だがそっちで掌握しておけ。いいな」
 『別に記録』しておくというのは、後日問題になりそうになったら、ちゃんと通過した記録が引き出しの底から出て来るが、そうでない限りは通常の書類等には載ってない、ということを意味している。場合によっては、上からの指示で『別の記録』はシュレッダーにかけられることもある。
 こうして鹵獲武器の数々は、員数外の武器弾薬として、第三偵察隊の武器庫に収まることになったのである。



   *    *



 レレイ、ロゥリィ、テュカの三人は、富田の運転する高機動車で、アルヌス丘麓の難民キャンプへと送られた。
「お疲れさま」
「また、明日」
 などと挨拶をかわして、互いに別れていった。
 既に陽は落ちて暗くなろうとしている。テュカは、プレハブ長屋の間を抜けて自分に割り当てられた部屋の戸を開けると「ただいまぁ!!」と明るい声で帰宅を告げた。
「門の向こうって凄かったわ、お土産も沢山」と言いつつ薄暗い部屋の中でテーブルに荷物を置いていった。だが、何の反応もないことに首を傾げた。
「あれ?居ないのかな?」
 部屋のあちこちを探して、「父さんたら、また、あちこちうろついてぇ」と嘆息する。
「目を離すとすぐにこれなんだからぁ」
 と呟きつつ、夕食の支度を始めるのだった。






[37141] テスト11
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:51



[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 54
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/01/27 20:35




54





 その日は晴れていた。

 蒼天の下、朝霞駐屯地の緑眩しい芝生の営庭に、僅かな狂いもなく整列する101保安隊の隊員達。儀仗を専門とする彼らは、号令に合わせて一斉に弔銃の空砲音を轟かせた。

 音楽隊の奏でる重々しい葬送の曲の流れる中、日の丸に覆われた白木の棺が殉職者の僚友6人に担がれ運びだされていく。その数87柱。葬送の列は、何処まで続くのかと思わせる程、長く伸びていた。

 参列したのは主立った者で、麻田内閣総理大臣、福下前総理、石場防衛大臣、政務次官、参事官、統合幕僚長などなど。そして泣き崩れる遺族、親族、友人、同僚達だ。

 銀座事件の際に発生した陸上自衛官の殉職者数は390名だった。
 今回の犠牲は、一度に発生した者としてはそれに次ぐものとなってしまった。もちろん死は数の問題ではない。個人にとって自らの死、そして家族の死は世界の終わりにも等しいものなのだから。だが、死者の数の大きさが、人々の心にも大きな衝撃となり、その悲しみと悼みを一層かきたてるのもまた、確かなのである。

 戦争の遂行に犠牲は覚悟の上のはず。しかし、不意に興った銀座事件のそれと違って、アルヌスでの戦いには陸上自衛隊は周到に過ぎるほどの用意をもって挑んだ。
 用意周到・頑迷固陋とは元々陸上自衛隊の性格を言い表したものだが、それが圧倒的な文明の格差、戦争の技術、兵器の性能差、個々の戦闘技術によって裏付けられ、一方的過ぎる戦いを遂行して自衛官に被害がほとんど出ない日々が続いていただけなのである。そのために何時しか人々は、犠牲者が出ないのが当たり前と思いこみ、今更ながら味方にも被害の出得る『戦争』をしているのだという事実に気づいて、恐れおののいてるのだ。

 結局の所、帝国軍も負けてばかりではないという事である。
 戦訓に学び、勝利をたぐり寄せる方法を模索する。まともに互しては戦えないならば、まともに戦わなければ良いと考えるのも、当然の帰結だろう。それによって今回のようなゲリラ戦へと結びついたのも、ある意味必然なのだ。

 軍事ロマンチストは、平原に布陣しての堂々たる大会戦を望むかもしれない。だが、真に守りたい物、野心に燃えている者は、戦いの様相なんかに理想を託したりしないものだ。美しく正々堂々たる戦争など、くそ食らえとばかりに、あくまでも勝ちにこだわって、命を手段・道具・武器と見なして徹底的に、阿漕に、卑怯に勝ち残ろうとする。そして、その姿勢こそが、戦争というものに関して見る限りは、絶対的に正しい態度なのだ。故に、孫子は言うのである、「兵は詭道なり」と。

 だから、アメリカはベトナムで、イラクで、アフガニスタンで苦戦した。
 最新鋭の装備を整え、通信と指揮系統を充実しても、ゲリラ戦に徹されれば、どうにも勝ち切ることが出来ないのだ。勿論、それで「戦争でテロ・ゲリラを撲滅することは出来ない」という定義が成り立つわけではない。ガン細胞のように健康な細胞の間に紛れ込んだ敵を、一人ずつ見つけだして倒す技術的な方法が、「まだ」存在していないだけなのだから。しかし、外科手術をもってこれを摘出しようとすれば、健康な細胞にも大いなる犠牲を強いてしまうのも道理であり、健康なはずの細胞のいくつかは傷ついたが故に癌化してしまう。それが、現実なのである。

 だが、日本人は既にこれらの犠牲を受け容れて戦いを遂行することには耐えられない。
 マスコミの苛烈な批判、揚げ足取りが連日のように続いて、日本政府・麻田内閣としても、これ以上自衛官、そして民間人に被害を出すことは、許容できなくなってしまったのである。
 故に自衛隊は萎縮する。彼らに許された唯一のことは、『門』を守るためにアルヌスに閉じ籠もること、それだけとなってしまった。

 しかし、被害の拡大を防ぐという意味では、これが非常に効果があったのだから皮肉と言えよう。
 帝国側からすれば、いくら待ち伏せても敵が来ないのだ。人質を取られた村民達も、ただ待ち呆けるばかりで1日過ぎ、2日過ぎて何も起きない。当然戦闘も起きないから、敵味方に被害は出ない。妻や我が子を人質として取られた村人や町民達が、家族の安否に気を揉むだけである。

 帝国軍としても、まだ事を起こしてないのに人質を始末するわけには行かない。
 何しろ、この戦術は1つの村に一度、1つの街で一度きりの使い捨てとも言える戦術であるから、今後もこの戦術で戦果を挙げるなら、扱いに困ったと言う理由だけで、安易に人質を始末してしまうことも出来ないのだ。

 かと言って、人質に顔は見られているしアジトも知られている。今更「用はないからお前達帰れ」と言うわけにも行かないのだ。

 それに、さらに困ったことがある。それは報告すべき戦果が挙がらないと言うことだ。
 苦慮した三将の筆頭ヘルムは、こう報告することにした。

「我が軍、日本軍を撃退し、被占領地を解放しつつあり」

 徽章や旗を外した帝国軍を、煌びやかな軍装と派手な軍旗をたなびかせた帝国軍が追い散らして見せると言う自演劇を人質達に見せつけ、白々しくも解放者を気取って、無主の地となっていた村や、街へ兵馬を進めたのである。

 村や街は、これまでも特に圧政を受けていた訳ではなかった。
 支配者がおらず、かえって税金がかからないから暮らし向きは楽だったほどだ。盗賊の類だって自衛隊が追い散らしてくれた。だから、再び帝国の支配下に入ると言うことは、内心では歓迎してなかったのである。
 とは言っても人質が無事に帰されれば嬉しく思わない者はいないわけであり、考えてみれば昔に戻るだけ。若干というより、かなり怪しむべきところがあったとしても、人々は真実を伝える噂を耳にするまでは、とりあえずは帝国軍を解放者として、受け容れることとしたのである。

 これらの報告は、ゾルザルをさらに狂喜乱舞させた。
 帝国軍は勝利している。そして、兵を進めていると言う。まさに連日連戦して、連勝しているかのような報告が毎日のように届くのだ。

 軍事的な成功ほど人々に判断を誤らせ、自らの力量を過信させるものはない。だから過去の名将は「戦勝は五分をもって上となし、七分を中とし、十を下とする」などと書き残したりするのであるが、このような先人の教えがあったとしても、人間好調な時期には調子に乗ってしまい問題点を顧みないことが多い。ましてやゾルザルならば。

 まさに上げ潮に乗ったような勢いを得た彼は、何処へ行っても歓呼をもって軍人や貴族達に迎えられた。また、戦勝の祝宴を開けば、彼の隆盛にあやかろうと多くの者が詰めかけて来る。この世の春を謳歌する毎日である。

「殿下、この度はお招き有り難うございます。それにして連戦連勝、真におめでとうございます。いよいよ殿下の時代が参りましたな」

「うむ、よく来てくれた。この俺も、次代の皇帝として励まねばならん。その方にも、力を貸して頂きたい」

「微力を尽くしまして」

「うむ、今日は楽しんでいってくれ。山海の珍味を用意させたからな」

「殿下の宴席は、料理がとても素晴らしいですから楽しみです。どこで料理人を見つけられましたか」

「真に能力のある者と巡り会えることも、英傑の条件だぞ。そうだ、後で皆に紹介しよう。なかなか気骨のある面白い男だぞ」

 次々と集まって来る貴族達、そして軍人達。彼らを前にしたゾルザルも、重々しくも貫禄を感じさせる振る舞いに馴れたようであった。
 多くの者に、顔を顰めさせた軽率で粗暴な振る舞いも、今ではすっかりと影をひそめている。おそらく、成功が自信となって来たのだろう。そうなると人々は、彼を成長したと見なして高い評価を与え始めるのだ。

「ふっ」

 そんな様に、テューレは人知れずほくそ笑んだ。
 ゾルザルが馬脚を現した時に、今褒め称えている帝国貴族達が、どのように態度を一変させるか想像することが出来るからである。

 人間というのは難しい。
 愚かしそうに見えた人間が、時と場合によって賢者のごとく振る舞い、賢者の如き人間が、時と場合によって愚者となってしまう。経済的な成功を収めた立志伝中の企業家が、中途で道を誤り周囲を失望させながら消えていく羽目に陥ることもある。最高学府を優秀な成績で卒業した者が、自らを律しきれず、どうしてそんな愚かな行為を、と言いたくなるようなことで獄に繋がれたりもする。
 これらは、人間というものに与えられた能力値が、ゲーム等と違って日頃から変動し、しかも性格や感情と言った要素も絡んで、賢愚が定まらないからだろう。時と場、そして地位や責任といった変数の影響を受けて、賢愚どちらに針が振れるかわからないのである。

 勿論、全体として見れば愚かしい、あるいは賢いと評価できる者も多い。が、それよりも多くの人間が、後になって賢愚どちらと評されるか判らない要素を小脇に抱えて、社会の中に生きているのだ。そしてこれをして、凡人と呼ぶのである。

「要は、今風向きが良いだけのこと。何かあれば、すぐに……うふふ」

 テューレの立ち位置も、ゾルザルの変化を受けて最近は少しばかり変わっていた。

 身だしなみを整えさせられ、ゾルザルの閣僚や秘書官や、そして取り巻き貴族達からは少し離れた、宴席の隅で控えさせられている。これまでのように犬猫みたいに引き回されることが無くなっただけ楽であったが、ただ待っていると言うのも案外に苦痛である。

 何か退屈しのぎになることでもあれば、とも思うが宴席で退屈しのぎと言えば、誰かとの会話か、食事、あるいは余興の類しかない。芸人が招かれるにはまだ早いし、こんな席でポーパルバニーで、しかもゾルザルの所有物であるテューレにちょっかいを出す酔狂はもない。せめて料理や酒をと思って通りかかるメイドに「何か見繕ってちょうだい」と声をかけてみたら、ものの見事に「自分でとってくれば?」とすげなくされて、へこんでしまう。
 だからと言っても、貴族達の屯する宴席の真ん中へ行って、彼らのために用意された料理をお手盛りして来るのも憚れる。ゾルザルの傍らにいた時は、手を伸ばせば届くところに料理があったし、別室に控えさせられた時は目の前に料理がなかったから気にもならなかった。今、こうして宴席の隅で、美味そうな料理を前にして空腹に耐えなければならなくなると……これはもしかして、ゾルザルが考え出した新手の責め苦だろうかとも思えて来るのだ。

 そんなことを恨めしくも考えていると、突然上がった歓声に我に返る。
 歓声の方角に目を向ければ料理人のフルタがゾルザルに肩を抱かれるようにして貴族達に紹介されていた。テューレの見る限り、非常に居心地が悪そうであるが、ゾルザルは気にもしていないで彼の背中をばんばんと叩いていた。

「ほ、本日は、よい魚が、て、て、手に入りました。皆様、どうぞお楽しみ下さい」

 フルタはいつものように、緊張の面もちで挨拶をし、貴族達からは拍手と喝采を受けていた。並び居る王侯貴族達の味覚を攻めたてて、全面降伏させた功績は、貴族等をして彼を英雄のごとく扱わせるほどだ。
 もちろんそこにはゾルザルの威光も充分に働いている。でなければ料理人風情がどうして貴族達の前に出て来ることができようか。だが喝采を受けているフルタを見て、無邪気に喜んでいるゾルザルの態度は、才能ある市井の料理人を引き立てようとしている鷹揚さとして、貴族達に受け止められたのである。
 だがテューレは知っている。ゾルザルは自分の自信の無さから目を逸らすために、真に力量のある者を周囲に置きたがっているだけなのだと。それは大した取り柄のない、金だけはある貴族が、名馬や名品を所有したがる心境に似たものだろう。自分の馬や、身の回りの品はこれだけ凄いと誇ることで、我が身の不足を補いたいと言う心理である。

 だが肝心のフルタは、貴族達に褒められても決して喜んでなどいない。テューレはそう確信していた。

 フルタはゾルザルに言った。よい材料をふんだんに使えば、よっぽど下手くそが料理するのでなければ、美味い料理が出来るのは当たり前だと。
 自分は、安い材料を使って、美味い料理作りたい。
 小さな店を構えて、席は目の行き届く12席以内。客の前で料理を拵えていく晒しの板場。働くのは自分。そして客席側には気心の知れた女性に入ってもらいたい。
 客は、仕事を終えた人々。自宅に帰る途中で、ふらっと立ち寄り着飾った余所行きではない身の丈にあった料理から、しみじみとした幸せを味わって欲しい。そう語ったのである。

 それを聞いた時は、「なんて小さい男」などと思ってしまったくらい、たわいもなく感じられた夢だった。だが、王侯貴族を前にして居心地を悪そうにしている彼と、小さいはずの夢を語った時の違いは一目瞭然だ。

 あの時の彼は堂々として言葉も滑らかで、体躯の大きなゾルザルすら圧倒しきって見えた。そしてその迫力によって、暴虐なはずのゾルザルも納得を強いられたのだ。ゾルザルに言えたのは、「ならばそれまでの間、俺の元で働け」くらいであった。

 いったい何がフルタの自信の源となっているのか。テューレは、数日の間フルタを観察を続けた。そして解ったことは、フルタという男が1日の仕事を終えた後、一人黙々と包丁を引く練習を繰り返し、塩や調味料を並べて味覚の鍛錬を怠らず、新しい料理を創る努力を続けていると言うことだけだった。だが、そうした日々の積み重ねによって鍛え上げられた魂魄が、柱となるものを持たないゾルザルをいとも簡単に圧倒しきったのである。

 フルタの話を聞けば解ってくる。
 彼の考える料理とは、きっと食べ物だけでは完成しないだろう、と。
 出される料理だけでなく、店の内装や調度品の醸し出す雰囲気、そしてフルタの人柄。そんなものも含めたものを、彼は味わって欲しいと言っているのかも知れない。

 挨拶を終えたフルタが、厨房に戻るべくいそいそと、と言うか逃げるように歩いて来る。厨房への入り口はテューレの脇だったから、自然とフルタと目があった。

「どうしました、テューレさん。そんなとこにつっ立って」

 テューレは、肩を竦めると自嘲的に言った。

「お預けを喰らっているのよ。ここに控えていろと飼い主からのご命令だ『わんっ!』」

 飼い犬の鳴き真似で、おどけるテューレに古田も苦笑いだ。

「そんなの無視して、食べればいいのに」

「お客様の前に出ていって、お客様用に出された料理をとって来るなんて、出来る立場ではないから」

 少し寂しげな表情をして見せる。もちろん、古田からの何某かの反応を期待してのお芝居であった。案の定フルタはテューレに対して同情的な態度を示した。

「いいですよ、わかりました。同じ料理がまずいなら、何か賄いをもって来させましょう」

 フルタは、テューレに片目を閉じて見せると厨房へと戻って行った。
 テューレとしては、餌にありつけるのも、あるいは馬鹿な男が自分に芝居ひっかかったのも両方が嬉しい。だから小さく、としても小さく「やったぁ」と握り拳で喜んだのである。




 さて、宴も酣(たけなわ)となって来た頃。会場の扉が大きく開かれ、新たな賓客の入来が告げられた。

「ピニャ・コ・ラーダ殿下、ロー侯爵家令嬢ハミルトン嬢」

 この名を耳にすると、宴席の貴族達は万雷の拍手で迎えた。
 そこには社交的な意味もあるし、皇族に対する礼儀でもある。だが、それ以上に政治的な意味が存在していた。
 ピニャと言えば講和会議の仲介役を担う講和派の重鎮である。その彼女が、ゾルザルの戦勝祝いに駆けつけたと聞けば主戦論者達も、「さすがの彼女も、ゾルザル殿下の指導力の前には、馳せ参ぜざるを得ないということか」と大いに力づけられたのだ。

 当然、ゾルザルも取る物もとりあえず、ピニャと彼女の副官を出迎えようと駆け寄った。

「おおっ、よく来てくれた我が妹よ。ハミルトン嬢も相変わらずの美しさだ。妹に酷使されて痩せ細っていないかと心配であったが、健勝そうで何よりだ」

「殿下も、この度はおめでとうございます」

「なに、俺が勝ったわけではない。部下がたまたま勝っただけだ」

 そんな風に謙遜できるのも余裕からだろう。
 ピニャはゾルザルの自信溢れた態度を見て、兄様とはこれほど威風堂々と振る舞うことが出来るのかと瞠目すると同時に、その兄の自信の根源に思いを馳せて嘆息した。

 実際、ゾルザルが、主戦論者達から高く評価されるのに対して、講和論派の元老院議員や閣僚達の彼に対する評価は急落していた。と言うのも、彼らはゾルザル配下のヘルムらが戦地で何をしているかを、ほぼ正確に掴んでいたからだ。

 それは講和交渉の席で、日本側から厳重な抗議という形でもたらされた。

「現在も戦争は遂行中である。だから兵を動かすなとか、攻撃して来るなとは言わない。とは言え、村や街に住む無辜の民から女子供を人質にとって、返して欲しくば自衛隊を襲えと嗾ける行為が果たして尋常の戦争と言えるのだろうか。それとも帝国は、そこまで卑劣な存在なのか?猛省を求めるものである」

 菅原のこの言葉には流石のカーゼル侯も、キケロ卿も驚いた。
 ピニャに至ってはあまりのことに唖然としたまま、ペンを取り落としたことに気づかなかったほどだ。

「そ、そのような根も葉もない中傷で、我が軍の名誉を汚すのはどうぞお控え頂きたい」

 と、抗議その物を門前払いしたのであったが、やはり直感的にゾルザルやその配下の将兵が、抗議されたような行為をしたという疑念を、抱かざるを得なかったのだ。キケロやピニャは、日本という国の兵器や将兵について、多少なりと言えども知る機会があったし、日本という国の気質も理解しつつある。ゾルザル配下の将兵が、今誇ってるような功績をあげようとするなら、菅原が言ったような方法でもなければ無理だろうと思えるのだ。

 ピニャは兄の手をつかむと、宴席の片隅まで引っぱつて行って事の真相について尋ねることにした。「本当に、そのようなことをしたのか?」と。

 問いつめられたゾルザルは、痛いところをつかれたように眉根を寄せた。
 答えを選んでいるのか、二、三度口を開け閉めすると、しばしの思案の後こう言った。

「それの何が問題なのだ?それで勝利がもたらされるのなら何ら問題はないだろう」

「ですが、兄様……」

「まさか、正々堂々と戦って負けろと言うのではあるまいな」

「そこまで申してはおりません、ですが……」

「『ですが』は無しだ、ピニャっ!父上を始めとしてお前達は、旧い戦い方に拘泥して破れた。我が兵達は、新たな戦い方をもって勝利し、現に勝利しつつある。これが、時代の流れだろう」

「ですが……」

「くどいっ!」

 ゾルザルはそう言い捨てるとピニャに背を向けた。
 戦勝に奢ったゾルザルは、もうピニャの意見にも、耳を貸そうとしなかったのである。




 皇太子・主戦論派の台頭は、帝国は今や二つに分裂していく様相を見せつつあった。

 元老院に連日、「戦勝の勢いに乗って講和交渉を打ち切り、強攻策に打って出るべき」と言う提案が出される。

 会期という概念も無く、同じ議題を一定期間論じない「一事不再議」という原則がまだ確立されていないため、その都度多数決で採決をする羽目となっていた。そして採決をとるたびに、講和派の数が減じ、主戦論者の数が増えつつあるという状態であった。

 講和派の議員は、どのような法案を提出するにしても末尾には「……とは言え、帝国は矛を収め講和を為すべきである」と言い放ち、主戦論派の議員は「……何であろうとも、講和交渉は中断されなくてはならない」と応じている。

 今でこそ、かろうじて講和派が数の上で優勢だが、早晩その量的優勢も逆転されること間違いない。そんな危機意識を抱いたのが、日本にまだ捕虜を出している貴族達である。
 家族を取り戻すには、とにかく講和条約の締結にこぎ着けなければならないが、それも日増しに難しくなって行く。ならばいっそのこと、主戦論者が多数を占める前に、条約の締結をしてしまおうと言い出したのだ。キケロやカーゼルといった一般の講和論者も同様の危機感を抱いていたために、これに賛同することとなる。

 実のところ、講和会議を加速させるのはそう難しくはないのである。
 条約内容で争点となっている事項について譲歩すればいいのだから。実際、日本側も締結を急ごうとしているようで、帝国にとって受け容れがたい要求も今ではそう多くない。精々、賠償の額や、日本の商会が帝国内での商取引した際にかける売上税の利率くらいである。これなど、戦争によって大損害を被ることを考えれば、譲歩したとしても何ほどでもないのだ。

 こうして、講和会議は帝国側の大幅の譲歩によって、条約内容の合意がまとまることとなった。そして、いよいよ条約文の作成作業へと入った。

 条約文はこれまでの交渉によって定まった内容を、双方の言語で書き下ろすだけである。だが、国と国との約束事は、微妙な言い回し1つで、様々な不利益や問題が起きたりするだけに、書いては訂正し、書いては訂正しという作業の繰り返しだった。特に帝国側通訳であるボーゼスやニコラシカと、菅原達外務官僚の事務方は、まだまだ、翻訳に問題のある文言の選択に、大いに苦しめられたのである。

 対するに、白百合やカーゼル、キケロといった代表格の使節はそれぞれに役割の殆どを終えたので、互いに肩の荷が降りたとばかりに和気藹々とした雰囲気で、日本産のお茶をすすりつつ、お茶請けに帝国の果物を摘むといった感じになっていた。

 ところが、突然会議場の扉を開いて一人の男が姿を現したことで緊張が走った。

「皆の者、ご苦労である」

 全員の視線を浴びたゾルザルは、日本的な表現で言えば風呂敷包みをひとつ抱えていた。彼は、帝国、日本それぞれの使節やピニャ、そして通訳をしているボーゼスや、ニコラシカといった彼女の部下の間を、悠然と歩いて周ると、まるで子供の悪戯現場を見つけたかのような態度で、視線を巡らせた。

「おやおやおや、いったいここで何をしているのかな?」

「殿下、ここは外交交渉の場ですぞ。使節方にご無礼でありましょう。早々にお立ちのき頂きたい」

 そんなカーゼル侯爵の言葉を、ゾルザルは鼻で笑い飛ばした。

「これは済まないな、使節方許されよ。だが、俺がここに来たのにも、それなりの理由があってのことだ。聞けば、憂うべき深刻な犯罪がここで行われていると言うではないか。次代の皇帝となる身としては、そんな事を耳にしては、いてもたってもいられなかったのだ」

「その罪とは何でしょうか?」

「それはな、売国の罪だと言うことであった。俺としても信じたくはない。何しろ、ここに集まっているのは、帝国の重鎮方だ。俺の可愛い妹もいる。だが……」

 ゾルザルはテーブル上の羊皮紙に書かれている帝国の文字を指でつつくと、残念そうにため息をついた。

「う~む」

 何かを堪えるかのように、拳を握り、そして再度ため息をつく。

「これはまだ締結されてない?」

 ゾルザルは小声でボーゼスに尋ねた。当然、ボーゼスとしては正直に答えるしかなく、「まだ清書しただけで調印はされてません」と告げた。

「よかった。実によかった」

 ゾルザルは安堵したように言った。

「幸いなことに、まだ犯罪行為は為されてはいなかった。俺はとても嬉しい。もし売国などという恐るべき犯罪がなされたあとであれば、俺はここにいる一同を処刑せねばならなかったからだ」

「兄様、いったい何を言っておられるか。これは皇帝陛下より信任を受けた使節がおこなう正当な外交交渉。売国などになるはずがあり得ません」

 ゾルザルは、それを聞くとテーブルの羊皮紙を握りつぶした。
 手が、怒りに打ち震え、それが腕にそして身体へと伝播していく。そして顔を真っ赤すると、怒鳴ったのである。

「このような条約が売国でなくて!何だと言うのか!?」

 ゾルザルは、日本側使節の白百合目がけて、持っていた風呂敷包みを投げつけた。

 その包みは、ボールのようには弾まず一度跳ねただけで、すぐに転がりを止めた。勢いで包みの結び目が解けて、中身が日本側使節団達の目に触れる。

「うっぷ」

 いきなり口を覆って、嘔吐する外務官僚。
 吐きこそしなくても、ある者は目を剥き、顔色を真っ青にした。女性の白百合は失神してしまったほどだ。

 床に放り棄てられた包み、その中身は人の頭であった。

「以前から捜索依頼を受けていた行方不明者のマツイフユキだ。残念だが、我が配下の者が見つけ出した時には、このような有様になっておった。所有者に尋ねたところ、鉱山での落盤事故であったということだ。とは言っても、そのままで納得もせんだろうと思って、とりあえず墓を掘り返して首だけ持ってこさせた。持ってかえるがよい」

 この蛮行には、日本側も、帝国側も絶句せざるを得なかった。
 もう条約文の作成という雰囲気ではなくなって、使節団は気絶した白百合を両脇から抱えるようにして会議室から退散していった。
 最後まで残った菅原も、しばしの間ゾルザルと向かい合っていたが、テーブルを拳でゴツと叩くと忌々しさを態度で表すようにして背中を向けた。そんな彼の背中に向けて、ゾルザルは告げる。

「使節殿、忘れ物だ」

 放り出されたのは、マツイフユキの頭部の包みであった。拒絶したいが、拒絶する訳にもいかず、菅原をこれを震えながら抱えて議場から逃げ出したのである。





    *     *





 ゾルザルの行為によって、元老院は紛糾した。

 元老院の議場が再建されるまで、仮議場とされた北宮殿の広間は、耳を劈くほどの怒号が飛び交っていた。

「敵側から席を蹴って立ったのなら丁度良いではないか」と主戦論者か怒鳴り、これに対して講和派は「仮初めにも講和交渉の席で、このような無礼な振る舞いをする者が次代の皇帝にふさわしいか」と、やり返して皇太子ゾルザルを激しく弾劾したのである。

「返せと言うから首を返してやっただけではないか」とヤジが飛んで、これに対して「外交には儀礼というものがある。礼儀の解らない者にどうして国が任せられるだろうか」と言う激しい罵倒合戦。一部では掴み合いが始まり、その都度周囲の者が取り押さえて引き離すが、また別のところで掴み合いが始まるという有様である。

 ゾルザルは自分のことが槍玉にあげられていると言うのに、皇帝の隣で不敵に笑うだけ。

「いったい、兄様は何を考えておられるのですか?」と詰るピニャに対しても、「さぁ、」何であろうかなぁ」と全く取り合わない。

 皇帝モルトはあまりのことに、悄然として打ち震えていることしか出来なかった。

 そんな中で第二皇子たるディアボが敢然と立ち上がると、講和派を代表するかのように兄に向かってその指を突きつけた。

「あえて言おう、ゾルザル。お前にはこの国を統治する資格はない。元老院議員方、私は、ゾルザルに対する不信任を動議したい」

 ただでさえ、騒がしさに包まれていた仮議場はこれによってもう、誰の声も判別できなくなるほどの騒ぎで満たされてしまった。
 講和派はかろうじて過半数を有していたから、粛々と議事が進められればゾルザルに対する元老院最終勧告は可決されたはず。だが、これに抗議する主戦論派も、誰も彼もが立ち上がって講和派と掴み合いの喧嘩が始まってしまう。最早収拾のつけようがなく、議長の声も聞こえず議事を進めることは、困難な状態となってしまったのである。

 ゾルザルは、そんな混乱の渦中にある元老院を見下ろすと皮肉そうに笑むと、「最早、元老院に託すものは何もない」と呟き、議場から、そして宮城ばかりか帝都からも立ち去ったのだった。

 ゾルザルの背中にピニャは「兄様、どこへ行くのです」と懸命に声を投げかけたが、自分の声すら聞き取れないほどの喧騒の中では、彼女の声が兄の元に届くことはなかったのである。

 翌日、改めて呼集された元老院は、ゾルザル不信任の元老院最終勧告を粛々と決議した。主戦論者たる議員達が出席しなかったからである。

 これによってゾルザルの廃立が決されることとなったが、ほぼ同時刻、帝都郊外の据えられた皇太子府の軍旗の下には、主戦論者たる貴族の私兵と、ゾルザルに与する帝国軍将兵が続々と集結を始めていたのである。




「皇太子ゾルザルが攻めてくる」

 その報せを受けた帝都は、上を下への大混乱に陥ってしまった。とは言っても、恐慌に囚われているのは帝都の貴族達ばかりである。市井の市民達は、別に外国の軍隊が攻めて来る訳でもないし、自分達には関係のない偉い人達の権力争いなどと言って危機感もなく平穏な暮らしを続けていた。実際、危機感を抱いたとしても逃げる場所もないし。いや、逃げ出す場所がない故に、危機から目を背けて平穏な日常に拘泥していた、とも言える。

 だが、当事者たる帝都貴族にとっては大問題である。
 元老院最終勧告決議をもって、皇太子を廃立し彼の政治生命を断ち切り、帝国の後難を取り去ったはずなのに、帰ってそれが彼に過激な行動を起こさせるきっかけとなってしまったのだから。

 帝都を守備していたはずの帝国軍も、近衛を除いた殆どがゾルザルに靡いてしまった。このまま皇太子が攻めて来るに任せておけば衆寡敵せず、帝都は間違いなく失陥する。そうなればゾルザルが権勢を握ることになる。ではその後、彼の廃立に一票を投じた自分達の将来は?それ以前に生命は?

 楽観主義者の多い主戦論者と違い、講和派に立つ者は比較的に悲観主義的な傾向があったし、ゾルザルの人柄には様々な点で危惧される部位が多く見られたこともあったから、講和派元老院議員や貴族達は、帝都から脱出を始めたのである。家財や金銀宝石類のことごくを荷馬車に積み込んだ貴族達が、家族や使用人達を引き連れ帝都を落ち延びていく。それぞれが向う先は、各自の所領、農園、郊外の山荘などだ。縁戚や友人が外国にある者は幼い息子や娘をこれに託して、自分達は帝国内に残って様子を見ようとする者もいた。

 元老院の仮議場に集まる議員は、こうしてその数を激減させた。まるで櫛の歯が欠けるようで寂寥感を禁じ得ない。客の少ない芝居小屋にも似た雰囲気である。居るのは、事態が此処にいたっても水道橋建設推進の演説をしている議員と、それにパチパチと数個の拍手を送る若干数名の議員。

 その光景は、自虐的過ぎる喜劇のようだ。

「何故だ、何故こうなってしまったのか」

 長兄の失脚によって、いよいよ次代皇帝の座を手にしたと思ったディアボは、空席ばかりの議席の1つに座って、頭を抱えていた。

「ディアボ兄様。こんなところで何をなさっているのです?」

 そんなディアボをまるで蹴飛ばすかのような勢いで迫ったのは、騎士団の武装を隙なく整えたピニャである。
 彼女の声が議場に響いて、水道橋建設反対について自説を朗々と語っていた議員も、話途中で止めてしまったほどだ。

 数少ない視線が、ピニャとディアボへと集まった。

「兄様、すぐに支度を整えるのです」

「何の支度だ?今更何を支度しろと」

 ディアボは顔も上げずに、皮肉そうに唇を歪めた。

「兄様が攻めてくる前に、皇帝陛下とともにここを脱出するのです」

「逃げてどうする?何処へ逃げるというのか?地の果てか?櫨櫂の及ぶ限り、ゾルザルの奴は追って来るぞ。俺は嫌だ、追い立てられ惨めな思いをしながら死んでいくのはな」

「何を弱気なっ!兄様、しっかりなさってください」

 自己憐憫に浸り込んでいるディアボに、ピニャは舌打ちすると相手を議場に残っている僅かな数の議員達へと変えた。

「皆よく聞いて欲しい。皇帝陛下のご動座を請い、帝都を脱出するのです。そしてゾルザル兄に対抗しうるだけの戦力を集め、この力を背景にゾルザル兄に翻意と帰順をうながすのです」

「ゾルザルに帰順を促すだぁ?おめでたい奴め、だがその意気やよし。お前一人で勝手にやってくれ」

「ディアボ兄、何もする気がないのならそれはそれで構いませんが、自殺にも似た敗北主義にだけは浸らないで頂きたい。何をしても無駄などと思うくらいならいっそのこと亡命でもなさいませっ!」

「ゾルザルが権力を握れば最後だ。安全な国など、この世界のどこにもない」

「ならば、余所の世界に行かれれば宜しいでしょう」

「ん?」

「日本に参られませ」

 ピニャに迫るように言われて今更のように気づくディアボである。

「ニ、ニホンか。確かに、彼の国ならゾルザルも手も足も出まい。だが、お前はどうする?」

「妾は、父上……皇帝陛下と脱出します。そして何としても、ゾルザル兄様を止めます」








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 55
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/02/03 20:48




55





 ゾルザルは8万の兵を率いると、その数を15万と号して帝都へと迫った。
 講和論者の激しい抵抗を予想し、攻城戦の支度を万全に整えての進軍である。攻城槌を拵え、城壁を越えるための梯子を林のように連ねて大軍が進撃する光景は、壮観である。

 軍事に置いては数の信奉者であるゾルザルは、大戦力を擁すために麾下に集まった帝国軍や、主戦論貴族の私兵ばかりでなく、傭兵や、山賊めいた者であっても武装をしているなら誰でも、と言った感じで片っ端から自軍に加えた。が、いざ都城の壁に迫ってみれば、矢の1つも飛んでこなければ、鋸壁に見張りの影すらない。

 こちらを油断させるつもりであろうかと、兵士達に厳重に警戒するように言い含めて、近づかせて見ても、抵抗する者もなく拍子抜けである。

「蓋を開けてみたら……」という言い回しがあるが、帝都の門をくぐってみれば皇宮を守る近衛兵はおろか、帝都守備の兵士までいない有様である。文字通り猫の子一匹残っていなかったのである。そして帝都に住まう民達は、戦争にならないことをあらかじめ承知していたかのように、相変わらずの日常を営んでいた。

 帝都の大通りを突き進んで皇城へとたどり着いてみると、あたかもゾルザルを歓迎するかのように皇宮の城門が大きく開け放たれていた。そのあまりにも無警戒な有様には、空き巣に入られてはいないかと、心配になってしまったくらいである。

 宮殿の人気のない長い廊下を、真っ直ぐに突き進むと重厚な飾り付けによって重々しい雰囲気を放つ謁見の間へと行き着ことが出来る。
 その途中に見えた閣僚の執務室、閣議室、会議室、官僚達の書記室、浄書室と言ったことごとくは、やはり無人。大陸に覇を唱えた帝国の中枢は、多くの官僚達が政務を取り仕切っていたはずである。しかし、閣僚や貴族達が集っていたサロン。煌びやかな装いをした近衛兵が詰めているはずの警衛所。夜会が開かれた大広間など、居るべきはずの誰も彼もが、父モルトと共にいずこかへと消え去っていた。

 無主の皇宮。

 空気に動きのない、謁見の間のほぼ中央に玉座が、座る主もなく鎮座ましましている。

 これに近づくのは、誰もいないのを見計らって至尊の座に悪戯をしかけるような心持ちのする行為である。その前に立って、いざ座ろうとしても、ふと逡巡を感じてしまった。だが、ゾルザルはそんな躊躇いを勢いで打ち破るようにして腰を下ろした。

 何と固い椅子か。何と冷たい椅子か。
 大理石で作られたその椅子の座り心地は、これまで想像していたものと違って、お世辞にも良いとは言えないものであった。父は、このような椅子に長年座り続けて居たのかと感心せざるを得ない。

 とは言え、これが玉座であるならば、この感触に馴染むべきなのである。冷たいのなら自分の体温で温めればいい。今感じている不快感も、座り馴れていないから感じるだけのこと。今日より、これは自分の座なのだから。

 玉座に腰を下ろしたゾルザルは、次々と命令を発した。

 最初に行ったことは正式に皇帝に就任することであった。
 と言っても、「今日から俺が皇帝だ、文句ないな?」という宣言を、様式を整えて格調高く、煌びやかな装いで行っただけのこと。伽藍堂と化していた元老院仮議場に、主戦論派の元老院議員達をかき集め、自分の皇帝即位や、講和派議員達を国家反逆罪とする法律や、父モルトを帝位から廃する法律などを、次々と決議させたのである。定足数などと言う既定がないからこその荒芸ではあるが、これによってゾルザルが帝国の全権を掌握する形式が整えられたことになった。

 だが名に、実が伴っていない。それが現実であった。

 幼い頃は、皇帝になれば皆自分に従うと思っていた。皇帝には、誰も彼も従うべきであり、従わなければならないのだと思っていた。しかし、現実はそうではなかった。貴族、閣僚、官僚、そして市民。誰も彼も、力を示さなければ従ってくれない。思った通りにはならないのである。

『前』皇帝モルトは、帝国の全土にゾルザルの行為を反乱と決めつけ、その非を打ち鳴らす檄文を各地に発しながら、閣僚や官僚団を伴い帝都を脱出し行方をくらましている。

 帝国の要衝に配された帝国地方軍司令官の殆どは勅任人事だから、ゾルザルの息のかかっていない者ばかり。そんな彼らに新皇帝ゾルザルに従うか、それともモルトに従うかと強引に問い詰めたりすれば、モルトに靡かせてしまう虞が大きい。また、帝国の諸侯や、外国の動向にも気を配らなくてはならない。

 ゾルザルの政権は、皇帝位に就いただけでは盤石とはとても言えなかったのである。
 前皇帝を放置しておく限り、彼は常に脅かされてしまう。早急に、名に実を近づける努力が必要となった。そのためにはまず、前皇帝を捕らえることだ。ゾルザルは部下の兵を帝都の周囲に放って、父の行方を追わせた。

 また帝国の全権を掌握するためにも、早急に政府を立ち上げ政務の掌握を急がなくてはならない。属領に配されている総督も、可及的且つ速やかに、自分の息がかかった者と交代させる必要があるし、諸外国にも皇帝が変わったことを報せて、必要があれば条約などを更新して、これまで同様の関係を維持しなければならないのだ。

 ゾルザルは、予定通り皇太子府の人事をそのまま横滑りさせる形でムサベ伯爵(男爵より陞爵)を内務相に命じて、早速政務の掌握と、軍人事の刷新を急がせた。だが、彼の目論見は初っぱなから頓挫する。

 累代の皇帝の下にあって政務を支えた官僚団がモルトと共に帝都を立ち去ってしまったため、辞令一通、任命書一通を作成するにも、書式などが解らずに苦労する事態へと陥ってしまったのである。特に文書番号簿と印章を持ち去られたのは痛い。帝国政府発行の正式な文書には全て番号が振られ、公印が捺される。これが入っていないものは体裁が整っておらず、誰の署名があろうとも正式なものと見なされないのだ。

 外交文書などは特に国の格式に基づいた厳密な書式があって、慣習や儀礼を間違うと礼を失し外交問題を引き起こしかねない。いや、書類だけなら文書庫に保存されている過去の文書控えなどをひっぱり出してきて、これを参考にすれば良いし、印章も新たなものを作らせればよい。官僚団とて、引退して余生を過ごしている老人を探し出してきて指導させれば体裁は整うのである。だが、彼にはその時間が与えられなかった。
 より深刻な問題が、新皇帝とそれを支える閣僚達に襲いかかってきたからである。

 なんと、帝都金庫内に蓄えられていたはずの金銀財宝のことごとくが、すっかり持ち逃げされていたのである。




 皇族というのは、金銭的には不自由のない立場である。それだけに常人には計り知れない金銭感覚を持ってしまうものだ。例えば、気に入った衣類を扱う店で、同じ服をダース単位で購入したり、目に付いた名画や宝石類、家具調度品を次々と衝動買いするとか、である。

 だが、お金を湯水のごとく使うのは、お金に不自由のない立場にある者にとっての責務とも言える。彼らがお金を使うから、腕の良い仕立て屋や、デザイナー、宝石職人や画家、高級家具職人等々……と言った人々は食べて行くことが出来るのだ。
 時の宰相が通うようなホテルの高級バーで働く腕の良いバーテンダーも、1杯1600円のカクテルを呑む人がいるからこそ、その技量にふさわしい給料を得ることが出来るわけだ。もし、金持ちが大衆居酒屋へ行って1杯380円の梅サワーなんか呑んでいたら、それこそ吝嗇と貶すべきだ。金を持っている人間が金を使うことを非難するのは、賤しい妬み根性以外の何物でもないことを、我々は知るべきである。

 要は、金持ちには生きたお金の使い方をすることが求められていると言うことである。故に、昔の人は言ったのである。「金は天下の回りもの」と。

 その意味では、ピニャが騎士団を立ち上げたことは、何ら生産や文化の振興に寄与しないという点で褒められた行為ではない。だが、騎士団の運営は彼女にシビアな金銭感覚を、特に節約という概念を身につけさせる非常に良い経験となった。それに加えて、経済的発展著しいフォルマル伯爵家を後見したことで、ピニャはある種の経済感覚を身につけざるを得なかった。そう、端的に言えばお金の恐ろしさを知っていた。

 少しでも経営に関わった者なら解ることであるが、毎回決まった日までにお金を集めて、雇い人達にお金を配ると言うことは、とてつもない重責である。非常に、恐ろしいことなのだ。ピニャも、騎士団がごっこ遊びの範囲を超えたのに、まだ周りに認められずに予算がつかなかった頃、雇った数名ばかりの兵士達にすら支払う金がなかなか集まらず、兵士達に責め苛まれる夢に眠れぬ夜を過ごしたこともある。

 そんなピニャだから、帝都を脱出する際に国庫の現金を抱えて逃げるのは当然のことである。だが、その程度ならピニャならずともやることだ。彼女がしたことは、もっと恐ろしくて、悪辣な行為であった。

 すなわち皇帝と元老院の名義で手形を振り出して、これから必要となるだろう武器や、食糧を大量に購入したのだ。経済の仕組みを知っているピニャは、それらの品々を抱えてえっちらおっちら移動するなんて事はしない。品物の受け取り場所はちゃんと別の場所を指定していた。手形の決済日は自分達の逃げ去った後の数日後。こちらの支払い場所は当然のごとく帝都であり、支払い義務者はその時点での皇帝と元老院議員である。

 さらに、持って逃げるには大きすぎるような美術品、家具や調度品類等、売れそうなものは片っ端から帝都の豪商などに売り払った。これは後で、ゾルザルに資金調達を困難にさせるとともに、帝都内の貨幣を不足させるという二重の効果を狙ったものだ。

 こうして、新皇帝に即位したゾルザルが手にしたのは空っぽの国庫と、貨幣の流通量が極端に低下して、一部の市場では物々交換が始まるまでに経済状態の悪化した帝都と、早々に清算しなくてはならない債務となったのである。

 手形は自分が出したものではないと無視すればいいと思ってしまうかも知れない。が、皇位を継ぐということは権利と同時に義務を引き継ぐという意味でもあり、ゾルザルが自らの正当性を主張するならば帝国と元老院の名義で為された借金を踏み倒すことは許されないのである。

 だが金銭感覚に乏しいゾルザルを始めとする貴族達は、暫くの間これらがどのような攻撃効果を及ぼすのか、全く気づけなかった。もし、早い内に気づいていれば、手近な属領総督府の金庫を抑えるなどの手を打つことも出来ただろう。が、実務に疎い彼らではこれらの問題が、後々どのようなことを引き起こすのか、理解することすら出来なかったのである。そしてピニャの仕掛けた時限爆弾は、ゾルザルが新皇帝に即位して数日後に炸裂した。

「俸給の支払いだと?手形の清算?」

 玉座のゾルザルは、脂汗を流しながら恐る恐ると言った体で報告するムサベ伯爵の言葉の意味を理解することに、しばしの時間が必要だった。

 数にして8万人。貴族の私兵集団は雇い主たる主人から給料を受け取るから良いとしても、帝国軍の将兵と3万と、数を増やすためだけに掻き集めた雇い兵連中3万人に俸給として支払うデナリ銀貨20万枚が早急に必要だというのである。また、帝国政府に、商人達からも、シンク金貨で6万枚の支払いが求められている。

「払えばよいではないか?」

「恐れながら、払うにもそれだけの金がございません。ことごとく持ち去られてしまいましたので」

「くそっ、そうだったな。では、臨時徴税したらどうか?」

 ゾルザルとしてはいろいろと考えた末の言葉であったが、ムサベ伯は「間に合いませぬ」と首を振った。
 臨時に税を課すことにもいろいろと問題はあるが、例えそれが出来たとしても、実際に租税が支払われ金庫を満たすまでには、暫しの時間が必要となるのだ。兵士の俸給は、10日毎に現金で支払われるのが原則だ。兵士側からすれば、死んでから俸給を貰っても役に立たないから、どうしても早め早めに、生きてる内に受け取りたがる。

 窮したゾルザルは、最後の手段として主戦論派の貴族達から借金をすることで国家を満たすことにした。ただ、金を出せば口も出したくなるのが人情である。ましてや主戦論派の貴族達は、自分達がゾルザルを新皇帝にしたのだと言う意識を強く抱いていたから、これをきっかけに、貴族達はゾルザルの元に集まっては思いつくままに様々な提言をして来るようになってしまったのである。それらは、帝国にとって有益なものもあったが、より多くのものが講和論者の領地や家産を没収して、自分達で分配する提案とか、いなくなった官僚団の変わりに自分の家族や一族の者を官職に就けようという猟官運動の類だったり、裁判で利己的な判決を求める以来だったり、特定の商人と結びついて利益をむさぼろうとするような行為だった。

 そんな利己的な提言は、当然の事ながらゾルザルとしては無視したい。ゾルザルは皇帝による独裁体制を志向していたから、講和派元老院議員や貴族の領地や家産は、すべて国庫に納めようと考えていたのだ。だが、金を借りているという負い目が出来てしまうとそうも言えない。
 官僚達だって、有能な者ならこちらから頼んでも来て貰いたいところだが、実務能力も見識もないのに名誉と権限と俸給だけは欲しいという連中に、責任を伴う役職を与えられるはずがないのだ。

 だが、解決を迫られる問題は山積して、これを処理できる人材は限られているという状態。そしてゾルザルの面前では、欲まみれの有象無象どもが議論を百出させて、話は全くまとまらない。折角借金をして用意した資金も、訳の解らない提案や、我田引水な政策に、どんどん蕩尽されていく。残りも、俸給や債務の返済に充ててしまえば、あっと言う間に無くなってしまう。

 そんな状況になれば、果断な判断もなかなか出来るはずもなく、ゾルザルは支払いを惜しむような吝嗇な決断を下してしまうのである。

 商人達には支払いの延期を求め、傭兵達には実際には戦闘をしなかったと言う理由で、俸給額1日2ソルダ(4ソルダ=1デナリ)のところを、半分の1ソルダしか渡さないことにしたのだ。

 商人達は、支払いの延期を快く受け容れてくれた。もちろん、高額の利息を約束させられてのことであるが、これで支払いは先送りできる。
 問題は傭兵達であった。俸給を一方的に半額にまで減らされた彼らは当然の事ながら怒って騒ぎ立てようとした。だが、取り囲むように配された帝国兵貴族の私兵達の槍が自分達に向いていることを察すると、彼らは何も言わずに帝都を後にしたのである。

 ゾルザルからしてみれば、彼らは戦闘になった際の矢弾避けの員数合わせであった。戦いが起きないなら、口減らしにもなるから早々に立ち去ってくれて有り難いのである。だがこの出来事は、帝国軍の将兵達にゾルザルの治世に対する不安を抱させることとなった。

 帝国兵は、立ち去っていく傭兵達の憎悪に富んだ目を直接目にしているのだ。力で無理矢理ねじ伏せた憤懣は、別の場所で吐き出すものだ。立ち去って行く傭兵達が何らかの形で暴発することは、兵士達には容易に予想することで出来た。

 ゾルザルの麾下に集まっている将兵は、その殆どが帝都周辺に駐留し地域の治安と安寧に責任を有していた者である。その彼らが、現場から離れてゾルザルの旗の下に集まって居ると言うことは、帝都周辺の守備は空っぽと言うこと。そして、俸給を半額しか受け取れなかった傭兵や流れ者が、無防備な村落や街へと向かっていく。

 穏やかな気持でいられる兵は、一人も居なかった。彼らの動揺は、士気の低下という形で現れることとなったのである。

 思ったようにならない状況、貴族達の我が儘勝手、そして兵の動揺。ゾルザルは麻のように乱れる何もかもを前にして、苛立ちを隠すことが出来なかった。

 何故、整然と物事が進んでいかないのか?
 何故、貴族共は我が儘勝手の好き放題を言ってくるのか?
 何故、兵士達は不平不満を抱いて、反抗的な態度を示すのか?
 どうして誰も彼も我慢せず、責任を分担しようとしないのか?

 ゾルザルには、理解することが出来なかった。

 こみ上げてくる憤りをぶつけるようにして閣僚を怒鳴り、兵士達を統率できない将兵を怒鳴り、そしてテューレへと叩きつける。

 だが、閣僚達は恐れおののくばかりで、自分達で決断せず、些末なことまでゾルザルの判断を求めて来るようになり、煩わしさが増す一方。兵士達は本来の任務である帝都周辺の警備に戻してくれとしつこい。そして、テューレは、以前耳元で囁いてくれたような、「殿下なら出来ます」、「殿下を理解できない者の方が愚かなのです」と励ますような言葉を一切口にしなくなった。殴れば殴られたまま、責め立て犯し抜いても、ただそれを受け止めるだけだ。何も言わず抵抗すらしない人形のような彼女に、一時征服欲を満たしたような気になっていたが、それが何か重大な不足……そう、自分を満たす何かが失われたように感じらてますます苛立ちが高まるのである。

「何故だ、何故だ、何故だっ!」

 ゾルザルの胸中に小さな囁やきがあった。耳を澄ませてじっと聞き入らなければ聞こえないような、とても小さな声だった。

「お前には、能力がないのでは?間違っていたのでは?」

「違うっ!!」玉座のゾルザルは、払いのけるように怒鳴った。

 突然の怒声におののく侍従たちの視線を受けて、我に返ると呼吸を整えて玉座に腰を下ろすゾルザル。

 自分は間違っていない。父を追い落として皇帝位に就くことにしたのも、父や講和派が帝国を余所の国に売り払うのを止めさせるためである。こうするしか他に手がなかったのだ。それに、自分が皇帝位に就くことは既定事項であった。予定より僅かに早くなっだけだ。

「俺は、間違ってなどいない」

 ゾルザルは、問題をいっきに解決する方法を求めて懊悩した。

 悪化していく状況、先送りしただけの問題。
 物事には、何をどうしようとも事態が悪化していくだけという時がある。

 こんな時は、軽挙妄動せず損害を少なくして、目の前の問題を丁寧に片づけながら、全体の風向きが変わるのを待つしかないものである。だが、人はそんな状況を、本来避け得た物であると思いたがり、誰かの失敗が招いた事態だと信じたがるのだ。そして、誰かに責任を押しつけ、状況を一気に好転させる秘策をどこかに求めて、一挙に解決を図ろうとして、かえって事態の混乱を深めてしまう。

 そんな彼の元に、モルト皇帝がどこに逃げたかの報せが届く。

「前皇帝モルトは、西方、フォルマル伯爵領方面に向かいつつあり」

 その決断は、もしかすると逃避だったのかも知れない。自分の面前に山積した問題から目をそらすための……だが、状況がゾルザルに合理的な理由を与えた。

「父上には、国庫の中身を返して頂かねばなるまい……」

 帝都などにいるから、様々なことに煩わされるのだ。

 こうして、新皇帝に即位して15日で、前皇帝追討の兵あげる。

 しかし、それは前皇帝を追うには遅きに過ぎ、新皇帝としての権力を盤石なものにするためには早きに過ぎる出陣となってしまったのである。





    *      *





 帝都から、西に向かう直近の道を避けて、わざと名もない間道を進む。

 その道は山間部を抜けると、森に入り、川を渡って、谷に向かったのちにまた山岳部に入るという起伏に富んで、しかも蛇行する道であった。帝都から脱出したピニャはこの道を、皇帝モルトと共に、比較的ゆっくりとした速度でイタリカへと向かっていた。

 ピニャに付き従うハミルトンは、後ろに長く伸びる荷駄や兵士の列を遠望して、ため息をついた。帝都から付き従う近衛を含んだ1万と2000の兵力と、拉致するかのように連れてきた官僚団達である。兵士は行軍こそが本領であるから文句は出ないが、官僚団の中でも地位が比較的低く徒歩での移動を余儀なくされている者などには、少しばかり不満の色が見えた。

「なんで、こんな道をわざわざ」とか「なんであんな遠くへ」と言った愚痴が耳に入ったこともあって、ハミルトンは周囲に聞こえるような大声で、ピニャの背中に声を投げつけた。

「殿下、どうして西へ?」

 ピニャは振り替えもせず前方の山を指さした。すると疲労のために足元ばかり見ていた兵士達や官僚達も釣られるように視線を前へと向けた。

「見るが良い。この道ならば進むのも難しいが、追うのも難しい。もし追いつかれても、横に広がれない故に、小規模の兵力で敵の足止めが可能となる」

「いえ、私が尋ねているのはどうしてイタリカなのかということです。味方……騎士団主力と合流しようという企図は理解できますが、解りやす過ぎてゾルザル殿下から隠れるには不向きではないのでしょうか?もっと近くで安全な場所はないのですか?」

「皆も忘れているかも知れぬが、今帝国は戦争中だ。迂闊に兵力を集結させたり移動させれば、日本の攻撃を受けかねない。元老院の建物を吹き飛ばしたあの攻撃を妾は受けたいとは思わぬ。だが、フォルマル伯爵領ならば協定があるから、日本からの攻撃に関しては心配しないでよいのだ」

「なるほど、そういうことですか」

 ハミルトンが大仰に頷くと、不平不満をこぼしていた官僚も自分が納得したような気になったらしく、少なくとも愚痴を口にすることだけは止めた。

 ピニャはハミルトンと視線を合わせると、互いに含むような笑みを浮かべた。こんな腹芸めいたことを阿吽の呼吸で出来るのも、騎士団立ち上げから苦労ともに積み重ねてきたからであろう。

 ピニャの手招きでハミルトンが馬を寄せると、ピニャは今度は周囲に聞こえないよう音程を下げて告げて来た。

「イタリカへ向かうのには別の理由もある。スガワラ殿から情報によると、兄様の兵が、協定を悪用してフォルマル伯爵領を隠れ蓑に使っているらしい。これの早急な排除が、協定継続の条件になってしまった」

「確かヘルム子爵でしたか」

「ああ」

 ヘルムは、ピニャの騎士団の第一期生。
 幼い頃から共に泥にまみれ、同じ釜の飯を食った仲なのである。だが、今はゾルザル麾下の将帥である。戦場で出会えば戦わざるを得ないだろう。だから、ハミルトンの「戦うのですか?」という問いに答えるのに、ピニャには少し時間が必要だった。しばしの沈黙を置いて、ようやく「そうせざるを得ないだろう」と答えた。

 隊列の進行方向から、ゆったりとした行軍歩調と明らかに違う、けたたましい馬蹄の音が響いて来た。見れば、ボーゼスとニコラシカの二人だ。

「殿下!宿営地に適した場所を見つけましたわ」

 1万2000の将兵と官僚千余名を含めた大軍が宿営できる場所を、この山間部で見つけることは容易ではない。ピニャは金髪の部下を「よくやった」と褒めると、彼女に領導させて、宿営地建設のための先遣隊を送り出した。

 ハミルトンは、ピニャに命ぜられて、荷駄隊の警備を点検するべく隊列の後方へと走った。

 代わるように呼ばれたのが、グレイ・アルドである。

 ピニャはグレイに命じて部下を選ばせるとゾルザルの追撃を避けるための障害構築を命じた。この場では、主に倒木を用いた障害を作ることになるだろう。

 これまでも橋を渡ればこれを落として、宿営したらそこに鹿砦を構築して道を塞ぐという、地元で生活している民や旅行者にとって実にはた迷惑な行為を繰り返して来たのである。が、場合が場合であるから仕方ない。これによって、追っ手があったとしても随分の時間を稼げたはずである。

「小官の目には、姫殿下のお姿が、何やら嬉しそうに映っておりますぞ」

 テキパキと命令を発するピニャ。これに応じて立木を倒す作業に取りかかる兵士達。
 軍隊の持つ雰囲気は、指揮官の気質が反映されると言うが、この時の兵士達には、敗走する軍につきものの暗さや悲愴感がなかった。どちらかという、勝ってその勢いに任せて進軍しているかのようにも見えた。高揚しているピニャの気分が伝染したかのようであるが、ならばピニャのその喜色は、どこから来るのかグレイならずとも知りたいと思うところである。

 ピニャは自嘲的に笑うと、最も信頼する最先任下士官職に対してはボソッと本音を漏らした。

「妾が帝国軍を率いるなど、こんな時でなければあり得なかっただろうからな」

 皇女でしかないピニャが、将軍達を差し置いて帝国軍を指揮を任されるなど帝国の軍制からすれば、本来ありえないことなのだ。だが、ゾルザルの反乱という混乱の事態が、ピニャに指揮権を与えたのである。

 グレイは「あまり張り切りすぎては先は続きませぬぞ」と指揮官の補佐役らしい忠言を一言二言吐きながらも、主役の俳優達がこけて、思わぬ形で主役を得た万年助演女優がその力量を遺憾なく発揮できるように力を貸すことにした。

 しかし、折角の初の主演舞台の演目が敗亡の悲劇では浮かばれない、とも思った。

「そんなことはない。妾はそもそも戦わずに済ますつもりだ」

「なんと。では、各地に呼びかけて兵を集めているのは何故に?」

 ピニャは、ボーゼスから聞いた話だがと前置きして「日本で使われている『漢字』という文字では武力とは『矛を止める力』と書くのだそうだ」と語った。

「つまり相手の振るう武器を止めることが武力の本質だと言うのだ。妾はこれを聞いて、目が開かれたような気がした。今、陛下の御元に兵力を集めるのは、兄様を諫めるためだ。戦うよりは話し合った方が得策だと思って頂く」

「なるほど。ですが、思ったようになりましょうかね?」

「なるやも知れぬ、ならぬやも知れぬ。だが、妾はこれにかけてみたいんだ」

 ピニャは、そんなことを言う。だが、もう話し合ってどうこうなる状況ではないことはグレイにすら解ることであった。端的な話、力尽くで帝都を奪うなんて事をしてしまった以上、ゾルザルは引っ込みがつかないはずなのだ。

 もちろん、ピニャにもそんなことは解っているはずだ。彼女が諫めるだの、話し合うだの言うのは、祈りにも似た希望なのだ。だから、ここではあえて逆らわず合わせておくことにした。

「問題はゾルザル殿下ですからねぇ」

 ピニャは、無言で嘆息すると馬の首を返して隊列の前方へと去ってしまった。

 やはり姫様はわかってようだ。アルドはそのことに安心して、障害構築作業の監督に専念した。

 ふと、思う。万が一ピニャが勝つようなことがあれば……。

「次期皇帝は女帝ということも」

 そうなった暁には、自分が将軍?グレイの脳裏にそんなことが浮かんだが「身の丈に合わない」と、近衛の隊長あたりの自分を想像することに留めた。





    *      *





 ベルナーゴ。

 そこは、冥王ハーディを祀る神殿のある街として知られている。

 冥府とは、一般的には死者の赴く地であると定義づけられている。感覚的には「あの世」であろう。場所は地下の奥深くにあると思われている。だが、実際にハーディが管轄する冥府とは「この世以外の全て」である。

「『この世以外』の全てとは、随分と管轄範囲が広いんだねぇ」

「それだけではない。時の神や、商売を司る神もハーデイの眷属神にあたる」

「ハーディは多芸よぉ。賢者で魔導師、そして商人という顔を持っていたそうよぉ」

 これを聞いたテュカは「なんだか、レレイみたいね」と感嘆の声をあげた。レレイも、賢者で導師号を有する魔導師にして、アルヌス生活者協同組合の商人である。まぁ、その意味では今やテュカもロゥリィも、商人の枠に当てはまってしまうのであるが。

 かつてハーディを主神として帰依する信者であったヤオと、ロゥリィが詳しいということで二人の解説を聞きながら、伊丹等一行は神殿に向かう道筋でベルナーゴの街を見物していた。

 ロンデルで夜空を見上げること5日。確かに星がへんてこな動きをすることを確認したことで学会も、世界が歪んで来ていると言う説を受け容れたのであるが、その原因についての議論が紛糾したまままとまらず時間だけが過ぎていった。

 10日も過ぎると、流石にこのまま議論につき合っていても意味がない言うことで伊丹とロゥリィは、渋るレレイを強引に説き伏せて次の訪問予定地であるこの街へと、やって来たのである。

 宿を確保して車を預け、街に出てみれば神殿前は多くの参拝者でにぎわっていた。
 その雰囲気は巣鴨の地蔵通りか、川崎の大師前、あるいは浅草寺の雷門前のように、土産物を扱う商店が立ちならぶ商店街といった感じである。

 神殿と言うからどれほどご清潔で居心地の悪いこところかと思ったら、意外や意外、非常に俗世にまみれている。商店の一軒、二軒と覗き込んで見れば、どこにでも売っていそうな木彫りの置物や、金属製のカップなどに、ベルナーゴの神殿の意匠や、風景を刻み込んだレリーフの類が並べられていた。正しく、土産物である。

 早速、土産物の物色を始める伊丹である。だが、なんだかこの街に来てから、ロゥリィが妙に気を張っていて、買い物とか、見物なんかは後回しという態度であった。伊丹の袖をぐいぐい引っ張り神殿へ急いでいた。

「おいおい、ロゥリィ。どうしたんだ?」

 そんなことを問いながらも伊丹はロゥリィが気を張っている理由については思い当たることがあった。何しろジゼルとか言う竜神娘と、かなり派手にやり合っている。要するに、ここはロゥリィにとって敵地なのだ。構えるなと言う方が無理かも知れない。

 神殿は、石造りの巨大な逆ピラミッドであった。つまり、四角錐の巨大な穴だ。そして、その最も底の部分から、さらに地底へと降りていく穴が開いている。

 通常の参拝者はそこまでしか入れないと言う。見れば、白ゴスをまとったハーディ神殿の女性神官達が、参拝者に儀式を施したり、言葉を授けたりしていた。見れば男性神官もいるが流石に白ゴスは着ていない。

 そんな中に、黒ゴス姿のロゥリィが立ち入っていくのは、坊さんの群れの中にシスターが入っていくようなものなんじゃないだろうかと、伊丹は考えた。しかも一度敵対して交戦している。だから、どれほどの敵を浴びせられるかと警戒したのであるが、ここの神官達や、参拝者も、ロゥリィの姿を見ても少しも驚いたり、倦厭する態度を取らず、慇懃な態度でロィリィの信仰を讃え、時にハーディに対してするのと同じように、敬虔な祈りを捧げたのである。

「冥王様に参拝しに来て、ロゥリィ聖下にまでお目もじ出来るなんて、なんて幸運」

 そんな事を言いながら跪く参拝者に、ロゥリィは白ゴス神官と同じように、祈りを受けて、言葉を授けた。ハーディの神殿だからといって臆するところはまったくない。

 実際に数多の神様が居る世界では、自分が主神として信仰する神でなくても否定することはないようだ。実際に居るのだから否定しようがないと言うことなのだろう。日本人が、正月を神社に行き、クリスマスを祝い、葬式を仏教であげることを気にしないのとよく似た寛容さが感じられた。

 対するに、伊丹やテュカやレレイ、そしてヤオが、参拝するでもなくロゥリィを待っているのを見て、ここに来て祈りもしないとは何だろうと言う、非難めいた視線が浴びせられて実に居心地が悪い。
 さらに、逆ピラミッドの底にたどり着いて、地底深くへと潜る階段を覗き込もうとして「近づかないで下さい」と、少し強めの口調で制止されてしまった。

 だが、ちょっと見ただけでも、階段の奥は底が見えないくらいに暗く深かった。

「ロゥリィは、地面の下ダメなんじゃなかったか?」

「普段ならダメよぉ。断りもなく他の神が管轄する領域を侵すと、いろいろと問題が生じるわぁ。だけど、今回は大丈夫。ハーディ直々の招待状があるからぁ」

 伊丹は、それで思い出したように、図嚢から黒い羊皮紙の手紙を取り出した。
 黒いリボンに黒い封蝋で封緘されたそれを取り出すと、男性司祭が慌てたように前に出てきた。

「主上猊下からお召しのあった方とは気づかず、ご無礼を致しました。ささ、どうぞご案内いたします」

 ここまで態度が変られるとかえって清々しい。

 伊丹達は、ロゥリィを先頭に、長い階段を降り始めた。

 伊丹の時計で10分ほど階段を下りただろうか。
 そこに巨大な神殿があった。巨大な地下空間に無数の柱が立ち並ぶ光景は、雰囲気と言い、スケールの大きさと言い首都圏外郭放水路内に似ている。

 司祭は、最奥の祭壇の前まで進むと、ロゥリィ達へと振り返った。

「主上猊下が、降臨されます」

 神官達が、ざざっと膝を着いて祭壇に向かってひれ伏す。

 闇を切り裂くスポットライトのような光が祭壇に注がれた。
 すると、ロゥリィまでもが片膝をついて頭を垂れた。それを見て、伊丹も吊られるようにして膝を着いた。振り返るまでもなくテュカもレレイもヤオも同じようにしていることがわかる。

 やがて、幻灯機で写しだすかのように、光の向こうに長い白銀の髪をもった女性が姿を現したのだった。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 56
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/02/10 19:29




56





 兵は、神速を尊ぶ。
 だが、前皇帝モルトの後を追うには、もう遅きに過ぎていた。
 今から急いだとしてもゾルザルが戦場に到着する頃には、モルトは自派の戦力を集結させている。そして5万の戦力があったとしても、長駆して疲労困憊している状態では、充分に休養をとって待ち構えている1万2000に勝つことも難しいことは、誰にでも理解できること。
 だからだろうか、ゾルザルはあえて常道に反する方法を選択した。

 帝都守備に1万の戦力を残すと、全軍を率いて一旦北へと進んで、あえてイタリカから離れるような進路をとった。そしてグァド、トリポロール、セ・フェルミナといった中小の都市で、それぞれ数日間ずつ宿営しながら、ゆっくりと弧を描くようにして西へと移動したのだ。

 何故そのような進路をとったのだろう。
 理由の1つは、資金の確保であろう。
 帝都を出る段階では、ゾルザルは麾下の大兵力を養うだけの資金と糧食を充分に集めることが出来なかったはずだ。だから、周辺都市で物資の徴発と臨時の徴税を行い、十分に懐を満たした上で戦場に向かう心づもりであったと推測される。

 もし、彼に為政者としての責任感があれば、後々のことを考えて、住民から恨みを買うようなことはしないものである。だがゾルザルはあえてそれを行った。勝たなければその先はないのだから、まずは勝つことが全てに優先する、と言う考え方も確かに合理的だ。とは言え、そのような略奪まがいの苛斂誅求が出来るということが、結局のところ権力を得ることそのものが目的であることを露呈することになるのである。何かを成し遂げたり「国や民を守るため」に権力を求めるなら、合理的だからと言っても出来ることに自ずと限界が生じるのだから。
 実際に、ゾルザルの行為によって、これらの諸都市群の経済力は徹底的なまでに破壊されてしまい、後の為政者が大変な苦労をすることになるのである。

 ところが、これ以降のゾルザルの動きは、資金集めだけで説明することは困難であった。懐を充分に暖めたのに、サイナスという都市近くに宿営地を建設すると、もうイタリカに近づこうとせず、それでいて帝都に戻るわけでもなく、まるで何かを待つかのように、じっと動かなくなった。

 これは明らかにおかしい。
 時間をかければかけるほど、帝国内の各地に散らばっている前皇帝派はイタリカに集結する。軍事的な解決を志向するなら、時間はゾルザルにとって敵の筈なのだ。ゾルザルにとって最大の勝機とは挙兵直後だった。帝都を脱出したモルトを遮二無二追って捕らえてさえいれば、彼の権力は盤石なものにすることが出来たのである。

 しかし、ゾルザルは軍事的な決戦よりも、皇帝としての権力基盤を確立する方法を選んだ。これもまた方法論としては間違ってはない。軍事的な解決は、常に博打的要素を伴うからだ。それよりも確実を期して、帝都を抑え『正統』たる立場を確保することで、各地の地方軍の司令官に恭順か更迭かと迫っていけば、前皇帝モルトとそれに従う者の勢力をそぎ落とすことも可能だ。モルトに従う者が現場を放棄して、その下に駆けつけるということは、帝国の各地におけるモルトの支配力は低下すると言うこと。実効支配力を失えば、前皇帝派は時間と共に立ち枯れて行かざるをえない。最終的に一か八かの軍事的冒険へと追い込まれるのは、モルトの側となるのだ。

 ところが、ゾルザルはその手段を徹底することもなく中途で方針を転換し、軍事的な決着を期すことを選んで帝都を出撃した。そして資金や物資の目処もつけた。ならば、もう時間をかける必要はない。決戦を求めて、イタリカに突き進んで来てもよいはず。

「兄様は、いったい何を待っていると言うのだろうか?」

 フォルマル伯爵領に到着して、ヘルム伯爵以下のゾルザル軍ゲリラ掃討作戦の指揮をとっていたピニャは目前の地図に描かれた戦況よりも、遙か後方のゾルザルの動向に気を揉んでいた。ゾルザルが何を考えているのか、何をしようとしているのか、そればかりが気になっていた。

 ヘルムが、ピニャとの戦闘を避けて逃げてしまい、戦闘らしい戦闘は起きなかったこともあって、幕僚達の醸し出す空気は戦時下のそれにはほど遠いものであった。

 余裕というか、おだやかというか……ボーゼスなどは、見ている側の口まで酸っぱくなりそうな柑橘の実を、籠に山盛りにして皮ごと囓っていた。最近、嗜好が変わって酸っぱいものが好きになったと言う。ニコラシカあたりに、妊娠でもしたんじゃないか?と揶揄されて、「そうかしら。だったら面白いわね」などと、軽く流すような態度だったため、かえって皆に大したことではないと受け止められている。

「殿下。ゾルザル様は、戦力の増強に努めてらっしゃるのではないでしょうか?」

 ボーゼスは、親指に着いた柑橘の汁を、ぷっくりとした唇でちゅぱっと舐めると、自分の見解を告げた。

「確かに、その可能性は高いな。資金的に余裕が出来たのなら、集められる限りの戦力を集めようとしているのだろう」

「だが、どうやって?兵士は湧いて出てくるわけではないぞ」

 パナシュは、ボーゼスから漂う柑橘の香りに酸っぱそうに眉を寄せて唇をすぼめた。そして、ゾルザルが戦力を増強しようにも難しい理由を説明する。

「俸給を契約通りに支払わなかったと言う噂はもうあちこちにまで広まっている。そうなっては、傭兵達はゾルザル殿下を信用しないはずだ」

 そんな彼女たちの会話に割って入る太い男声があった。グレイ・アルドである。

 彼は最先任下士官として軍議に参加して意見を述べる資格を有していたし、彼の積んだ実戦経験や、兵についての理解を、ピニャ達は貴重なものとして尊重していたから、このような場にも呼ばれる。ただ、女性が圧倒的に多いという場の空気が彼には、どうも居心地が悪いらしく、軍議の時は天幕の片隅で大人しくしているのが常である。そんな彼が珍しく口を開いたものだから、ピニャ等は一斉に彼に注目した。

「小官の記憶によりますと、古来より味方の兵力を増やすには、敵から引き抜くという方法が多用されていたかと思いますな……」

 確かにあり得る話である。ゾルザルの現状に当てはめるなら、地方軍の将兵を自派へ引き寄せる工作をしていると言うことになる。

「とは言え、皆父上に任命された者ばかりだ。兄様に従うとは思えないが」

「それを、なんとかするのが調略と申すもの」

 確かに、モルトの呼びかけに対する帝国地方軍の司令官達の腰は重かった。
 大半が「国境の安全が確認でき次第」とか「帝都の動乱に、地元住民も動揺を強めていて、今軍を動かせば反乱が起こりかねない」といった理由をつけて、動かないでいる。これらが皆、ゾルザルからの調略を受けているために旗幟を鮮明にしていないとするならば……。

 ここまで考えたピニャは、モルトの天幕へ赴いた。

 だが、彼女の父は、慌てふためく娘を見ると呆れ果てたように告げた。

「ピニャよ。余が座したまま、何もしてないと思うのか?」

「いえ。ですが……」

「うむ。皇女たるそなたに軍事をあえて任せたのは、ゾルザルを廃した後のことを考えてのことだ。だが、何もかもそなたに押しつけて、余がただ伴食の身に徹していると思われたのなら心外な事よ。なあ、マルクス伯」

 マルクス伯は「はい、陛下」と恭しく一礼した。
 帝国の法制上はすでに廃位されたモルトであるが、マルクス伯からすればモルト以外に皇帝は居ない。依然として皇帝はモルトであり、マルクスは内務を取り仕切る大臣なのだ。

 マルクス伯は、皇帝に成り代わってピニャに対して現状の説明を始めた。

「殿下。実のところを申しますと、現在の状況は皇帝陛下が予想した範囲内に、おおむね収まってございます。流石にゾルザル殿下があのような時期に暴発されるとまでは予測できませんでしたが、それ以外については、想定の範囲内でございます故、既に対策を講じ終えております」

「対策と言うと?」

 モルトは、にやりと笑うと告げた。

「地方軍の司令官達にはあらかじめ、このような事態に陥った場合どのように振る舞うか指示を下して置いた」

「では、各地の司令官達の腰が重いのはどうしてなのでしょうか?」

「擬態だ。伝令が、ゾルザルに捕らえられる恐れもあるでな。すでに治安維持や、国境守備に必要な戦力は残してこちらに向かっている筈だ。そろそろ近くまで来ておるだろう」

「で、では兄様が、サイナスに留まってままなのは?」

「察するに、地方軍の司令達より、色好い返事を貰ったつもりになって、集結して来るのを待っているのであろう。待ちぼうけになるとも知らずにな」

 地方軍が集結すれば、その数は6万に達するだろう。
 元からの1万2000に併せれば実に7万2000の戦力となって、ゾルザルの4万を軽く凌駕できることになる。勿論、ゾルザルの戦力が4万のままと言うこともないだろうが、多少増えた程度では戦力的にはほぼ互角だ。そうなれば、戦いは博打の要素がさらに高くなる。どちらかが一方的に勝つという状況でないのなら、ゾルザルとモルトの双方を、話し合いの席に引っ張り出すことも出来るかも知れない。

 だが、こうも手回しがよいとなると、どうしても湧いて来る疑念があった。

「父上……いえ、陛下。陛下は、兄様がこのような暴挙を起こされることを知っていて放置されたのですか?」

 以前ディアボが推測したことだが、皇帝モルトは、自己の権勢を維持するために、ゾルザルを生贄の羊としているのではないかと思えるのだ。

 モルトは、「いくつか予測した状況の1つ、ではある」と重々しく答えた。

 ピニャは、皇帝の言葉の裏にある、本音の気配を感じたが、あえてそこまで踏み込まず逆に次のように言葉を投げかけた。

「では兄様が此度のような暴挙を起こすと知っていて、わざと見逃したと言うわけでは無いのですね?」

「備えることは結局不信を告げることになる。そして、それが暴発を誘発する可能性もあった。余としては、何もすることが出来なかったのだ。そして状況だけが、悪い方へ悪い方へと進んでしまい、今日ここに至ったという次第だ」

 モルトの深々とした嘆息に、マルクス伯爵も同調したように頷いた。だが大仰なそれがいかにも芝居がかっていてピニャの癇に障った。

「父上から、兄様へ差し伸べる手はないのでしょうか?」

「ゾルザルには、既に機会を与えた」

 己を殺して父に素直に従い平穏に皇帝位を継承する機会と、父に逆らって、しかしその実、父の思惑に乗って武力で皇帝位を得ようとする二者択一……と言うことだろう。だがそれは皇帝としてのもので、父としてのものではないように思える。

「妾にはわかりかねます。それが父上からの兄様に対する情愛なのでしょうか?」

「父親が我が子に向ける情愛など、解り難いくらいが丁度良いのだ。余としては与えたつもりだ。それを手にしなかったのは彼の者だ。余にも矜持があるから、これ以上機会を与えるつもりはない」

 ピニャとしては、父が皇帝としてそう言う以上、深追いするつもりはなかった。
 何を言っても帰って来る言葉は同じだろうし、かえって言いくるめられる結果となりかねない。

 それに、モルトの言い様からするならば、この男はピニャにすら選択肢を与えている。この状況で軍権を与えていることがその証左だろう。だが「力ずくで奪うか、それとも素直に従って父から与えられるのを待つか」と言う、二者択一に嵌められること自体、面白くなかった。

 皇帝がそのつもりならば、ピニャにも考えがある。皇帝の意表をつく第3の選択肢、ゾルザルとの和解を本気で追求してみたくなった。

 ピニャは父の前を退出した後、ハミルトンを呼び寄せる。

「極秘に命じたいことがある」

 何事か耳打ちされたハミルトンは「わ、私には無理です。それに、皇帝陛下に知られます」と反駁したが、ピニャは「お前の交渉力なら大丈夫」と安心するように促した。

「しかし、前に上手く行ったのは偶々の偶然で……それに、誰にも気づかれないように出かけるなんて」

「今宵、斥候を多めに放つ。それに紛れれば、目立たずに出られるはずだ。やってくれ」

「か、かしこまりました」

 こうしてハミルトンは、慌てて支度を整えると、各地に放たれる斥候達に紛れるようにしてピニャの陣営から姿を消したのである。




 多数の部隊が近づきつつあるとの報が、ピニャの元に届きだしたのはその翌日以降である。

 当初は、近接する軍の正体が判別せず、緊迫した時が流れた。

 斥候から寄せられた報告が「所属を示さない軍勢が、どこそこ街道を南進している。その数1万」と言ったものであり、さらにこれらの報告を集計すると、総戦力で15万、あるいはそれ以上の戦力が、付近を移動していることになってしまうからである。

 いくら帝国地方軍が集まるにしても、それは多すぎであった。

 だが、しばらくして「あと、数日でそちらに合流できる。所属を示さないのは、反乱軍と不意の遭遇戦とならないようにするため。誤解無きように」と言う地方軍の司令からの連絡が入りはじめたことで正体が判明して、一同は、ホッと胸をなで下ろすことが出来た。

 ボーゼスとパナシュの二人は、「きっと、放った斥候が多すぎたんですわ」と苦言を呈し、グレイは「小官が愚慮いたしますと、きっと、同じ軍を見た複数の斥候からの報告が、別々に数えられてしまったのでしょう。何事も過ぎては良くないということですな」などと、求めていない説明をしてくれて、本当のことを言うわけには行かないピニャとしては、平身低頭に平謝りするしかない。

「いや、すまない」

 ハミルトンが誰にも気取られず、出発出来たことだけが救いであった。

 モルト皇帝の元に地方軍がそろったのは、この4日後。総戦力は予定よりやや多い8万となった。

 ピニャは、全戦力をゾルザルが宿営地としているサイナスへと向けた。
 これは、いよいよ兄に対する軍事行動という意味でもあるが、同時に、兄が頼りにしている内応者は無く、地方軍のほぼ全てがモルト皇帝に付いたことをはっきりと示して希望を断ち、これによって話し合いの席に兄を座らせようと言う意図もあってのこと。

「兄様は、もう勝てないのです。我を張るのは止めてください」

 これがピニャが、兄を観念させるべく突きつける脅しの剣であった。

 だが……。





      *      *





 イタリカを出て3日後。
 ザラの平原で、ゾルザル軍と会敵した時、ピニャは己の目を疑った。皇帝モルトすら顔面を蒼白にして、声も出なかったほどである。

 平原を埋め尽くす無数の兵の群れ。ゾルザル軍は、およそ15万に達する数となっていた。

 ボーゼスとパナシュが、物見の兵を放って敵の構成を調べさせてみると、主力はゾルザル率いる帝国軍5万であるものの、それ以外は、全て帝国周辺諸外国の兵ばかりと言うことである。

 裸馬同然の馬にまたがる騎馬民族の軽装騎兵。
 重厚な鉄の装甲を絡い突き進む装騎兵。
 大空を舞う翼竜に騎乗する竜騎兵が編隊を組んで空を舞う。
 毫象が、まるで城壁のごとく連なって進む戦象部隊。
 剽悍な南国兵達。
 方形の鉄楯を連ね、一糸乱れぬ進軍で進む重装歩兵。
 林のように長槍を並べた槍兵。
 そして、人馬の間に紛れるように蠢くオークやコボルト。
 かつてアルヌスを攻めるために集まった連合諸王国軍の兵達がここに再び集っていた。

「ふふ、父もピニャも今頃驚いているであろう」

 ゾルザルは、全軍の作戦指揮官に任じたヘルム伯爵へと語りかける。

 ギリギリまで総戦力を見せないように隠し、会敵寸前になってこれを集結するという荒技を成功させたヘルムは、諸侯を前に作戦についての最終確認をしていた。だがゾルザルの言葉を聞くと、それを中断して「モルトも、驚いて言葉もないことでしょう」と応じた。ヘルムばかりではない、集まった諸侯達の視線もゾルザルへと注がれた。

 ゾルザルは、あえてヘルムが「モルト」と強い調子で先代皇帝を呼び捨てにした理由を察すると、モルトとはもう今日限り父子の縁を切ったと宣言する。

「ゾルザル陛下」
「陛下」

 見渡すと諸侯国の若い王や将軍達が立ち並ぶ。
 皆、アルヌス攻略の連合諸王国軍に参加して、無為に死んでいった諸侯や将軍達の子弟達である。

「陛下から、我らの父の死が、実はモルトに謀られたが為と知らされた際は、驚きました。帝国をお恨みも致しました。が、共にこれを討とうと言う呼びかけを頂けましたことは、望外の喜びです」

「先代とは言え、帝国の皇帝の為したことだ。現皇帝として謝罪の言葉を述べなければならぬのに、どうして感謝などもらえようか」

「しかし、陛下の父君を……」

「いや、言うな。モルトは既に我が父ではない」

 それぞれ芝居がかった調子のやりとりではあったが、その場に集った者達にとってはそれなりに意味があり、戦う意義の再確認でもある。

 作戦はすでに周知されており、あとは戦機を待つばかりだ。

「では、諸君。また後で会おう」

 それぞれに挨拶を交わして、諸侯国の王達は自らの軍へと戻っていった。




 対するピニャは、自軍の倍近いゾルザルの軍を遠望して暫し呆然自失していた。だが、精神的再建を果たすと、全軍に臨戦態勢をとらせるべく命令を次々と発した。

 やられた!!

 とは、思っても口にはしない。
 弱気は伝染するからだ。ここで、指揮官が動揺した態度を見せれば士気は瞬く間に崩壊してしまう。

 既に敵陣に戦意有りを告げる紅幌は舞っており、彼我はすでに指呼の距離にある。今すぐ、後ろを向いて逃げるという選択肢も、確かにあるが、それをしたら再起は永久に不可能となろう。

 とは言え8万対15万。普通に考えれば勝てるはずもなく、どうするか一応モルトに尋ねてみるピニャであった。次兄のディアボと同じように、日本に亡命する選択肢もあると付け加えて。

 モルト・ソル・アウグスタスの答えは拒絶であった。断じて戦うという。

「内戦で外国の軍を引き入れるとは言語道断。よくぞまぁ、講和論者を売国者などと誹れたものよ。己が一番の売国行為をしているとどうして解らぬか……あそこまで馬鹿とは思っても見なかった。ピニャ、ここで退いてはならぬ。目に物を見せてやれっ」

「いくらなんでも無理ですって……」

 唾棄しかけたピニャであるが、逃げないなら戦うしかないのも確かなのである。

 これだけの戦力差がついてしまっては、今更講和だの話し合いだの申し出ても、結局は全面降伏でしかないだろう。ピニャとしては、ゾルザルとの講和に未練はあっても、ここはもう断固戦い抜くしかない。

 ピニャは、軍を横陣に展開させると、本営を中央後方に据えた。
 敵が動き出すのと、展開が終わるのとがほぼ同時ということで冷や冷やしたものの、どうにか間に合わせることに成功したピニャは、全軍に守勢を堅持し、攻勢は控えて損耗を極力防ぐように指示した。




 整然と列ぶ兵士達。

 皆、戦いの緊張に身を堅くしている。楯を持ち、弓を持ち、剣をもつ。それらに命を託して前後、両隣に列ぶ僚友達を守り、守られて戦うことになる。

「アルグナ!前進!!」

 号令を受けた、ゾルザル陣営アルグナ王国軍8000の将兵が行進するかのごとく歩調を合わせ前進を始めた。その頭上すれすれを翼竜にまたがった竜騎兵が翼を連ねて通過していった。

 モルト陣営の兵士の顔が判別出来るくらいにまで迫ると、いよいよ敵方にも動きが見られた。立ち並ぶ弓箭兵達が矢をつがえて空に向かって一斉に放つ。
 上空に舞った矢によって、空が一旦薄暗くなった。
 アルグナ兵達は、楯を天へと向けて空を覆う。その直後まるで土砂降りのごとく降り注いだ矢玉が楯へとぶつかって甲高い音をたてた。その内の数本かは、楯をも貫いて兵士の腕や、顔を傷つけ、そこかしこで苦痛の叫び声が上がった。

 アルグナ王国軍の隊列の脇を、モゥドワン王国の軽騎兵が快速を生かして駆け抜けていく。防備の薄い弓兵へと矢を振らせ、攻撃の矛先を逸らそうとする。そして、その間に重騎兵達が槍先を揃えると、果敢に突入して弓兵を蹴散らした。

 その隙間を埋めるようにオークやコボルトの群れが嗾けられ、黒蟻の大集団の如き勢いでモルト陣営の戦列に突入した。槍の穂先は陽光に輝いて、剥き出しにされた闘志が圧倒的な破壊力で歩卒の壁に叩きつけられる。

 騎馬隊の突撃力を正面から受けては弓兵に抗しようがない。騎馬と剽悍なオークに攻め立てられた弓兵達は、堪らず後方の重装歩兵の列へと逃げ込んだ。

 重騎兵とオークを阻んで迎え撃ったのは厚い楯と、長い槍先であった。

 重い馬体の突進にモルト陣営の歩兵は長槍を揃えて迎え撃つ。
 剣山のごとく並べられた槍は、騎兵集団の鎧にあたってへし折られ、騎馬の馬鎧にはじかれる。だが、その内の数本は馬の脚を払い、馬体を貫き、騎兵の胴を刺し抜いた。
 騎兵は馬の重量そのものを武器にして歩兵を踏みつぶし、のしかかっていこうとしたが、互いに傷つけあっては戦いを続けようもなく、砂埃を巻き上げつつ大地へと横たわる。そこへまた後続の騎兵が突入し、後続の重装歩兵が楯を並べてまた防ぐのだ。

 モルト陣営の頭上を竜騎兵が飛び交い、投げ槍を投げ下ろす。油の入った壺に火を放ち投げ落とす。
 兵士が槍を受けて大地に縫い止められ、火だるまとなった兵士が、地面を掻きむしるようにして悶えた。
 弓兵から散発的に反撃の矢が上がってくるが、そうそう当たるものではない。
 よしんば当たったとしても、翼竜の鱗は矢など受け付けない。空を舞う竜騎兵は、ほぼ無敵と言われる所以であった。だが、如何せん数が不足していた。アルヌス攻略戦によって、練達の竜騎士と翼竜の双方を多く失ったためである。これによって彼らは戦局を大きく左右する程には、力が発揮することが出来なかったのである。

 アルグナ王国軍の隊列は推し進む。
 金属の擦れ合う音とともに、兵士達は互いに肩をふれあうほどに密集して、号令が命じるままに歩みを進めた。前に、横に、後ろの僚友に推されるようにして脚を前に出す。僚友の肩の隙間から見える前方には、地平線が広がっていたが、その手前には、敵陣が見えて、敵愾心を剥き出しにしたモルト陣営の兵士達が待ち構えていた。




 ピニャ率いる、モルト陣営も負けては居ない。

 ゾルザル陣営兵士と楯をぶつけ合い、渾身の力で押し合う。
 互いに力が拮抗して前進が止まると、楯を跳ねあげてその下をくぐらせるようにして剣を突きだした。狙うのはゾルザル軍兵士の脚だ。これを切り払って大地を血に染める。

 悲鳴をあげて倒れていくゾルザル軍兵士。モルト軍兵士はトドメを刺すべく倒れた敵の胸に剣を突き立てた。その、しゃがみ込んだ隙を狙って後続のゾルザル兵が襲いかかろうとするが、モルト兵にも後続は居る。楯を上から被せるようにして敵の剣から味方を庇うのだ。楯の縁で殴りあい、楯の楯の頭越しに剣先を突き刺す。血しぶきが舞い、鉄錆にも似た臭いが辺り一面へと広がった。

 従軍魔導師による炎が、ゾルザル陣営の兵士等に叩きつけられた。
 重装歩兵達の列に目立たないように混ぎれている魔導師達は、後方から敵集団の指揮官とおぼしき者を選んで攻撃していく。
 人垣に隠れていた指揮官は、炎を浴びせられると周囲を巻き添えにして倒れた。指揮する者を失ったゾルザル陣営の歩兵小隊や騎馬隊は、互いに連携をとることもできなくなり、周囲を取り囲まれて倒れていく。

 急激な眠気に戦場の真っ直中だというのに昏倒してしまう者。精神に失調を来して、味方に斬りかかる者。空気の刃によって、首を切り裂かれてしまう者が続発する。

 だが、広い戦場の中における、一部の善戦も全体の勢いを変える力はない。数の劣勢はいかんともしがたく、モルト陣営はじりじりと後退を余儀なくされていた。

 ピニャは前線の部隊から、自暴自棄にも思える攻撃許可要求を拒絶し固く禁じながら、戦線のほころびは繕い、疲弊した部隊は後ろに下げて控えの部隊を前に出すという作業を淡々と続けていた。

「毫象部隊が前に出てきました」

 監視兵の報告に、ピニャは振り返る。

「ボーゼス、パナシュ、ニコラシカ!!マドラスの毫象部隊は、任せるぞ」

「はっ!」

 金色の髪をたなびかせたボーゼスが白馬にまたがる。
 パナシュがも遅れず黒馬にまたがると、配下の騎兵達を率いて、陣営の右側を大きく迂回するようにして、戦線の右側面へと出た。

 見えるのは、大地を轟かせる毫象部隊200頭あまり。

 モルト陣営の歩兵は蹴散らされ、毫象にまたがる兵士によって放たれる弓によって次々と射倒されていた。

「黄薔薇隊!!吶喊!!」

 快速を生かしたボーゼス率いる騎兵集団が、風のように襲いかかった。
 毫象とまともにぶつかっても勝ちようないことは解っている。だから、駆け抜けざまピンヒールの踵で痴漢のつま先を踏み抜くかのごとく、象の足へ槍先を突き立てるである。

 いかな毫象とは言え、その巨体を支える脚は僅かに4本。これを傷つけられれば、その重量が災いすることになる。毫象は、我が身を支えられず、土埃をまきあげながら大地へと倒れていった。

 倒れた毫象は、もう起きあがることも出来ない。ただの射的の的と化した。投げ槍や、弓矢によってたちまち射殺されていった。

 だがそれよりも始末に負えないのが、中途半端に傷つけられて恐慌状態に陥った毫象だ。パナシュ等白薔薇隊によって、追い立てられた毫象は御者を振り落としながら、味方の陣列へと突っ込んでいってしまう。

 毫象にまともに突っ込まれたら最後、あらゆる物がはじき飛ばされてしまう。人体などはいかに鎧を纏おうとも、血の入った肉袋となってしまった。

「何をやっているかっ!」

 戦場を遠望していたゾルザルが怒鳴った。だが、ヘルムは淡々と語る。

「毫象対策は騎士団ではかなり昔に研究した戦術でした」

「では、こうなると解っていて、何故毫象など用いる」

「使わなければ、ミルダ王の出番がございません。折角遠路はるばる、毫象などを引き連れてお出で頂けたのですから、役に立たないと言って控えさせては、ご機嫌を損ないかねません。ならば、序盤早々に出番を与えまして、早々に退場して頂ければよろしいかと思いました。戦後の外交を考えますれば、致し方ないことかと」

 ゾルザルも二の句を告げないヘルムの言い様であった。

 ミュドラが困ったよう呻いた。

「被害甚大だな」

「だが、我が方の有利は変わらない」

 実際、毫象によって混乱した戦場が再び落ち着きを取り戻すと、ゾルザル陣営の兵士達は数に物を言わせて、再び勢いを取り戻していった。




 戦闘が始まっておよそ6時間が過ぎた。

 ゾルザル陣営による圧倒的な有利は変わらない。ピニャの陣営は戦闘開始以来、守勢を強いられて、ゾルザル率いる諸王国軍の苛烈な攻撃に晒され続けていた。

 それでも、戦線は崩れることなく維持されている。乱戦とならず秩序だった戦いが維持されているしぶとさに、ゾルザルも、実際に兵を指揮するヘルム伯も驚嘆の思いであった。

「敵とは言え、流石は帝国兵といったところでしょうか?実にしぶとい」

 戦線を遠望していたカラスタ侯爵は、天幕に戻ると机上に置かれたパンをちぎって口に運んだ。ゾルザルやヘルム、ミュドラなども皆食事をとっていた。

「我が国の兵が弱いはずが無かろう。だが、こうして敵に回すと困ります」

 ミュドラの言葉にヘルムは嘆息して干し肉を口に運んだ。

 ヘルムとて様々な試みをしてきた。各国の重装騎兵を糾合してこれで中央突破をはかったり、軽騎兵を両翼に走らせて包囲を試みたりである。これによって、ピニャの動揺や戦線の崩壊を狙ったのである。だが、その都度、要所要所に痛撃を受けて、全ての試みが頓挫していた。

 短性急に成果を得ようとして損害を出したことに懲りて、現在は手間暇かかっても量の圧力で押し切る方針である。

 損耗は、積極的な攻勢に出ているゾルザル陣営にやや多目に出ている。
 双方の残存戦力は、モルト陣営約7万3500に対して、ゾルザル陣営約13万9000であった。

 一方、モルト陣営も食事時であった。

 持久戦に徹するピニャの命令で、待機している兵にも満腹にならない程度のパンと水が配られている。

 だが彼女の天幕では、料理人が調理しての本格的な食事が出されていた。戦場に食欲を刺激する炊煙と、香ばしい肉汁と香辛料の香りが漂っていた。給仕には従卒の少女や少年達がついており、食事時の優雅さという点では、ゾルザル陣営を遙かに凌駕する贅沢さである。

 幕僚達も相伴して食事をとっているが、会話もなく、皆静かにして手と口とを動かすだけである。ただ、ボーゼスとパナシュが二人して目配せしたりして、何かの役割を押しつけあっている様子に気づいて、ピニャが沈黙を破った。

「どうしたんだ?二人とも」

 パナシュは仕方なさそうに告げる。

「殿下、そろそろ、こちらから攻撃をしたりしてはいかがでしょう?側面を衝くとか、迂回して背後に回るとか、食糧を焼くとか、いろいろと手があると思うんですが」

「ダメ」

「なんででしょう?」

「妾は待っているのだ」

「何を待っておられるのですか?」

「内緒だ」

 ピニャのつれない態度にボーゼスとパナシュは肩を落とす。

「悪く思うな、妾も、五分の掛けと思っているところなのだ。間に合ってくれれば……」

 バッと天幕の戸口が開かれたのは、ピニャがそこまで語った時であった。

「殿下、お待たせいたしました」

 見れば、埃まみれた姿のハミルトンが立っていた。ピニャは食卓を立つと、ハミルトンの前まで出て彼女の手を取る。

「待っていたぞ。で、首尾は?」

「なんとか。ただ条件が付けられてしまいましたが……」

「条件とは?」

「実行犯の身柄です。この場合、ヘルム伯らになりましょう」

「この際だ、受け容れよう。よくやってくれた、よくやってくれた」

 ピニャはそう言って、ハミルトンの背中を何度も叩いたのだった。




 モルト陣営に変化が起きたのは、それから暫くしてのことであった。

 戦線で奮闘中の兵を置き去りにするかのように、本営を含んだ控えの兵達が後退を始めて丘を登って稜線の向こう側へと去って行こうとしているのである。

 その様子を遠望した、ゾルザルやヘルムは、いよいよ勝ち目無しと見越したモルトが逃げに入ったと思った。卑怯にも戦場で戦い続ける兵を置き去りにして逃げていく。

「モルトを逃がすなっ!追えっ!」

 ゾルザルの命令に、カラスタは軽重騎兵のほぼ全てとなる約3万騎を率いると、これを追うべく突進を始めた。

 それはまるで突堤を破った瀑布の如き勢いだった。戦線を迂回して、前皇帝モルトを追うべく丘を駆け上がっていく。その勢いは、多少の上り坂でも緩むことがない。騎馬民族の軽装騎兵が快速を生かして、指揮者たるカラスタを追い抜いていくことがまた頼もしい。

 竜騎兵が、上空を征く。

「進めっ!進めっ!!モルトを捕らえた者への恩賞は好きなだけやるぞ。一兵卒でも、貴族にとりあげてやるっ!!」

 カラスタは声を張り上げて、剣を前へとかざす。

 目の色を変えて突き進む諸侯国の騎兵達。

 丘を登りきり、今度は下る勢いに任せていよいよ加速しようとする彼らが見たものは、ずらっと鼻先を揃えて待ち構えている百にも届こうという数の、鋼鉄の戦象群であった。












[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 57
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/02/17 21:12




57





 戦車とは、一頭乃至複数の馬で牽く戦闘用の馬車のこと。それが、この世界における概念だ。
 快速をもって戦場を驀進し、御者とは別に同乗する戦闘員の操る弓や槍矛、あるいは馬その物の突進力をもって敵を蹴散らす。横一列に連なった戦車が突き進む姿は味方にとっては爽快、敵側の歩兵にとっては悪夢だろう。

 対するに現代日本における戦車とは、敵の攻撃を跳ね返しつつ敵戦車を撃破し、履帯(キャタピラー)をもって戦場を蹂躙するものだ。機能的に見てみれば前者と、そう変わらないことがわかる。ただ、あらゆる面における性能が段違いに異なるだけだ。

 どのような装甲をも打ち破る、強力な砲。

 どのような攻撃をも跳ね返す、強靱な装甲。

 どのような悪路も走破する、機動性。

 実践初投入の第一次世界大戦以来、『矛盾』を絵に描いたような追求のなれの果てにたどり着いた姿は、巨大で、重くて、そして強靱さの象徴とも言えるもの。日進月歩の勢いで更新され続けているそれは科学・技術・産業の精髄だ。

 74式戦車は、開発型の完成が1974年。兵器としては既に旧式に分類される。だが超大国ソビエト連邦の侵攻に抗すべく設計され、当時の第2世代主力戦車にも見劣りしない優れた性能を有していた。主砲として51口径105㎜砲を有し、日本の国土地形に合わせた38トンの軽量車体。待ち伏せに特化した低い車高。なによりも、命中精度の極めて高い射撃管制装置。まさに日本のお家芸たる小型にして高性能の、戦闘用精密機械だ。

 有効な破壊手段を持たない軟目標にとって、その脅威はとてつもなく、ましてこれがずらっと列んで、砲口を揃えてこちらに向けていたとしたら近づきたいと思う者はまずいないはずだ。

 だが、それもそれを兵器と知ってのこと。
 その破壊力について、知識を持っていればのこと。

 第一次大戦では、戦場に運ばれる戦車を『水タンク』と呼んでスパイの目を誤魔化した。以来戦車をしてタンクと呼ぶようになった由来であるが、それが通用したのも、それが何であるか誰も知らなかったから。人は、自分の常識の範囲内でしか推測の翼を拡げることは出来ないものなのだ。

 従ってカラスタの目には、それは荷馬車に類する物が放置されているように映った。

「モルト軍の補給物資か。あるいは帝都から持ち去られた国庫の中身?」

 だとしたら、後で確保しなければならないだろう。是非確保すべきだ。だがしかし、それも勝利してからのこと。今は、これらの物資を遺棄して逃げて行くモルト軍を追うことだけを考えなければならない。2度と立ち直れないように徹底的に叩いて、前皇帝を捕らえるのだ。

 カラスタは物資を遺棄して逃げていく敵の背に追いつかんと勇躍する。馬に鞭を当てて叫びつづけた。

「進めっ!進めっ」

 だから、轟音と共に目前に爆炎が広がり、耳と身体とを激しく叩く衝撃がまき散らされた瞬間、何が起きたのか判らなかった。

 白い闇にも似た煙の中を突き抜けて視界が開けると、見えたのは榴弾の爆風と破片によって引きちぎれた馬と人体の破片が、どさどさと血雨と共に降って来る光景だった。

「な、何だ!?」

 驚いて竿立ちになろうとする馬の首に手を当て、宥めたのも条件反射のなし得る技でしかない。驚愕し転倒する馬匹に巻き込まれる者多数。落馬する者多数という状況に、後に続いていた騎馬集団は避ける暇もなく突入してしまい、多くの者が踏みにじられてしまうという惨事がそこかしこで起こってしまった。

 カラスタは、どうにか馬を御しきることに成功した内の一人であった。
 馬を停めて状況を確かめたいところであるが、迂闊に止まれば自分も後からの味方にはじき飛ばされてしまう。それに、丘の稜線を越えて下り坂に入った今、ついた勢いはもう弛めようがないのだ。

 そんな所へ2発目の斉射。再び鼻を鋭く刺激する爆煙に包まれると、カラスタは理解した。

 これは兵器であると。何と言う名称で、どのような仕組みであるかは知らない。それでも殺意を持って自分達に向けられた凶暴な牙であることは身に染みた。自分達は謀られたのだ。誘い込まれたのだ。虎口に入り込んでしまったのだ。

「退け、退け!!」

 カラスタ同様の結論に達した指揮官達が、あちこちで退却を命じる声を張り上げる。

 騎兵達は、馬の首を返して元来た道を戻ろうとした。
 だが、後ろから追随して来る無数の味方がそれを邪魔をした。引き返すことも、立ち止まることも出来なければ進むしかなく、そして進んだ先に待つのは、大きく顎を開いて襲いかかろうとする死の深淵だ。

 仕方なく進路を左へと逸らす。左へと迂回して引き返そうと試みた。だが3度目の爆発によって、カラスタの視界は、天にのぼっていた。

 強烈な爆風によって、彼の身体は上空に高々とはじき飛ばされたのだ。
 その浮遊感と、蠢く味方を俯瞰する視野はこのような時でなければ、それなりに爽快なものであったかも知れない。

「はははっ、人間が地を這うウジ虫のごとく見える」

 次いで襲って来る墜落感。迫る地面への恐怖を味わう暇もなく、彼のさして長くもない人生は、自分の肉体が地面に激突して破壊される感触の直後、終焉を迎えた。




『ゆず、小豆、桜、白。抹茶、紅花、黒に、黒。』

 暗い、82式指揮通信車内。
 加茂一等陸佐が「前へっ!」と号令をすると、暗号通信によって第1戦闘団に作戦開始が伝えられる。

 指揮データリンクシステムの液晶ディスプレイに描かれた光点が、一斉に動き始めた。

「戦車隊より入電。『魔王がフェレットを拾った』繰り返す『魔王がフェレットを拾った』」

 戦車隊より入った待ち伏せ成功を知らせる通信を、通信士が復唱する。
 加茂は「どういう暗号文だろう?最近の若い連中のセンスがわからん」と思う。だが、トラトラトラだって、似たようなものかと思い直して、液晶モニタ画面に記される状況に集中した。

 電子地図には攻撃中を示す、矢印の部隊符号が描き込まれていた。
 戦車を示す菱形の図形が、じわじわと前進を始め、適宜ペンタブレットで部隊名や、注釈が記入されていく。

 101Co 2Ptと記された符号の前進がやや遅れているが、それ以外はほぼ横一線と言って良い動きを見せている。

 実に宜しい、訓練どおりである。

 加茂は、指揮通信車の上部ハッチを開けると、上体を外界に出して双眼鏡で周囲をぐるりと見渡した。

 外の風が加茂の顔を叩く。
 空冷2ストロークV型10気筒の、ターボチャージド・ディーゼルが、轟音と共に排気煙を上げ、74式戦車57両のキャタピラーは、ザラの荒れた大地を深く抉っていた。

 追随する73式装甲車が土砂を巻き上げながら、指揮通信車を追い抜いていく。

 遠方では、87式自走対空機関砲が何かを撃っていた。見れば、上空の翼竜が無数の砲弾に撃ち抜かれて、次々と墜ちていた。

「通信士、各位に通達。『調子に乗って躓くな。足下を確認しつつ、確実に進め』」

 暗い車内から通信士が「はい」と小気味よい返事をすると、マイクを掴んで加茂の指示を流し始めた。




 ゾルザル陣営騎兵の戦意は、第一戦闘団の戦車隊による3度の斉射で、徹底的にうち砕かれた。騎兵達は己が兵士であることを忘れた。混乱と狼狽が混在した壊乱の状態に陥って、上官に従う秩序も、僚友と助け合う編成も失った。

 誰も彼もが、目前から急速に遠ざかって行く命綱へとしがみつこうとした。
 列んで順番待ちなどしていては、自分が生き残れない。死者に口はなく、生き残った者だけにしか自己を正当化する権利は与えられない。そんな極限状態に陥れば、逃げ道を塞ぐ誰かの背中は、障害でしかないのである。ならば押し退け、突き飛ばし、払いのける。それでも道が開かれなければ、叩き斬り、打ちのめす。

 だが、他人を邪魔と思う時、我が身も他者の邪魔となっているものだ。それは則ち、背後の味方に殺されるという事を意味している。
 背筋に氷の塊を押しつけたかの如き恐怖は、将棋倒しのごとく伝播して行く。これによって逃走が、暴走へと進化する。そして、暴走を狂走へと駆り立てる絶対零度の凍風は、各車長達が放つ12.7㎜重機関銃(キャリバー)からもたらされた。

 この銃弾を受けると、拳銃とかライフル弾の類のように身体が蜂の巣になると言うことはない。頭部に当たれば、頭が丸ごと無くなって、上半身なら大穴があいてしまうからだ。そのあまりの惨たらしさから、兵器としての分類は、対物・対装甲・対空火器となっているほどだ。

 耳元を空気を斬りながら通過する弾丸の音。

 目の前で、うち砕かれた果物のごとく破壊される頭部。

 無数の馬蹄に踏みつけら、血袋と化した肉体。

 このような凄惨な姿を、何の構えもなく次々と見せつれられては、正気を維持しつづけられるはずもない。まだ続いている歩兵同士の戦いも知ったことではなく、戦争などもう自分とは関係のない世界のことだ。
 それぞれ自分の運命を託すと決めた方角に馬の首を向けると、誰も彼も必死になって鞭を振りつづけたである。




 騎兵部隊の霧散消失は、ほどなくゾルザルにも知らされた。

 目で視てもその事ははっきりと解る。
 稜線の向こう側へと突撃していったはずの騎兵集団が、暫くするとまるで蜘蛛の子を散らすように戻って来て、そのまま立ち止まろうともせず四方八方へと逃げ散ってしまったからだ。

 騎兵の一部が、逃げる中途で自らが兵士であったことを思い出したらしく、元の陣営に戻ると何が起こったのかを報告したのだが、その内容もほとんど支離滅裂で、普通には理解しがたいものとなっていた。

 どうにかそれらを総合してみると、こう言う事になる。

 巨大な象のような、亀のような物体がずらっと列んでおり、それが火を吐いたと思ったら、雷を何十本も束ねたような強烈な音と、火山の噴火のごとき炎で、味方がまとめて吹き飛ばされた。

「何という戯れ言を」

「いい加減にせよ。いったい何があったのか、有り体に申せ」

 諸侯や、その側近達は、蒼白の表情をしている騎兵の言葉を戯言と決めつけて責めたてた。だが、命からがら逃げてきた騎兵にとっては見てきたままがそれなのだから、そうとしか言いようが無く、諸侯や将軍達の剣幕にただ恐縮して、ひれ伏すことしかできなかったのである。

 だが、ゾルザルと、ヘルムの二人は笑うことは出来なかった。

 彼らには、それが何であるかは別にしても、誰によるものであるかは察することが出来たからだ。そして、その予測を肯定するかのごとく、稜線の向こう側から姿を現した軍勢の先頭には、白地に赤丸を記した旗が翻っている。

 旗印を確認したヘルムが報告する。

「ニホンです」

 ミュドラは、少しばかり慌てた口調で尋ねた。「ゾルザル陛下。いかが致しましょう」と言外に逃げるなら早いほうがよいと告げる態度であった。

 だがゾルザルは、ミュドラの進言を鼻先で笑った。

「言うまでもない。いずれは戦わなければならぬ相手だ。それが今日、この戦場となっただけのこと」

 そう言うとゾルザルは伝令兵達を呼び寄せた。

「各将に告げよ。兵等には、相手が変わったことを伝えて動揺を鎮めよとな」

「はっ」

 伝令達が、たちまち走り出す。

 ゾルザルは眼を据えて、諸侯達に告げた。

「諸卿等に申し述べたきことがある。モルトの味方として、我らの前に現れたのはアルヌスを占拠している敵、ニホン軍である」

 ゾルザルの前に列んだ諸侯達は、一斉にどよめいた。帝国の敵であり、アルヌスを占拠しているはずのニホンが、何故モルトに味方するのか、と。この疑問への回答は容易に導き出される。連合諸王国軍を呼集したはずのモルトが、実は敵と通じていたと言うことだ。ただ、敵のことを知らせなかったのではなく、最初から敵と通じていた。それは、事態の変遷を知らない者にとって、深刻な裏切りと見える。

「ヘルム。我らとて、何もせずにいたわけではないことを思い知らせてやれ。ミュドラも覚悟を決めよ。いいな」

「畏まりました」

 冷や汗を流していたミュドラは、小刻みに頷きながらも身体に起こる震えを抑えることが出来ないでいる。だが、ヘルムに促されるようにしてゾルザル前から引き下がると、兵達の元へと走った。

 部下を送り出したゾルザルは、諸侯達にむかって胸を張る。

「諸卿らにも伝える。今戦わなければ、帝国ばかりでなく、大陸の全てが敵に奪われてしまうであろう。すなわち、故国の興廃はこの乾坤一擲の戦で定まるのだ。例え、草むす屍となろうとも断固戦わなければならぬ時があるとすれば、今此処に置いて他ならぬ。力を貸してくれるな?」

「おうっ!!」




 第1戦闘団は74式戦車を先頭に押し立てながらも、比較的ゆっくりとした速度でゾルザル陣営へと迫った。モルト陣営の帝国兵を置き去りにしないためである。

 指揮幕僚の手元にある液晶ディスプレイ上では、ゾルザル陣営を示す赤い楕円形に、青色の各隊が、半包囲する形で迫って行く。

 実際の光景では、74式戦車が車間を拡げて、ゆっくりと両翼に向けて包囲の輪を拡げつつある。戦車間に開きつつある間を埋めるのは、普通科の隊員8名を乗せた73式装甲車である。

 そして、この後ろを、ピニャ指揮下のモルト陣営の兵士達が徒歩で続いていた。

 隊旗を立て、その後ろを整然と隊伍を組んで進むモルト陣営帝国軍重装歩兵達。

 あちこちに転がる無数の死体や、放れ駒が走り回るのを目にして敗亡の凄まじさを感じた彼らは、日本と講和をしなければならない理由を身に染みて理解していた。

「主戦論者の連中、こいつらとまともにやりあおうって言うのかね」

「俺だったら、武器を棄てて逃げ出すね」

 自衛隊の戦闘車両の異様さと、その破壊力を前にして、自衛隊と戦おうとしている主戦論派の帝国兵に対して、大いなる同情の念を抱いたのである。

「可哀想な連中だぜ。何しろ、上がゾルザルだからな」

「それに較べたら、ウチの頭はピニャ様だからな」

 自分達は、戦わずに済むという安堵は、自分達をこんな連中と戦わせないでくれる首脳部に対する感謝にも繋がり、兵士達は自分達の指揮者の方向へと振り返るのである。

 隊伍の間を進む騎馬の群れ。
 沢山の旗がひらめき、煌びやかな装備の騎馬はピニャ率いる騎士団だ。その殆どが若い女性であることもあってか、何とも派手でよく目立つ。

 自衛隊の隊員達も、併走する彼女達に注目していた。
 その理由には彼女たちの軍装の派手さがあったが、やはり剣と鎧で武装した女性にある種の憧憬を感じるからだろう。無骨な装備を纏っているのが、小柄だったり、凛々しかったり、可愛い感じだったり、お姉さま風の女性なのだから、無視しようとしたってなかなかに難しい。

 しかも、可愛いだけのお飾り人形とは違う。会戦序盤で既に実戦の洗礼を受けて、皆、凛々しく引き締まった風貌をしていた。

 そんな中から、数騎の女性が抜け出してきた。
 先頭にいるのは、紅い髪をたなびかせた騎士団長ピニャ・コ・ラーダ皇女殿下その人である。続くのは、金髪の縦巻きロールの髪をたなびかせている、ボーゼス嬢。そして、ピニャの副官ハミルトン嬢。

 この3騎は少しばかり馬を早駆けさせると、第1戦闘団長、加茂一等陸佐の乗る指揮車の傍らに馬を寄せて来た。

 指揮車のハッチに加茂の姿を認めると、ピニャは馬上からながら、古式に則った作法で、礼の言葉を丁重に申し述べた。

 加茂は、それを聞いて礼には及ばないと手を振るようなそぶりを示す。

 彼の言い様は隣のハッチから顔を出した自衛隊側通訳、勝本三等陸曹が訳している。

「いいえ、我々は民間人を襲った盗賊とその指揮者を拘留するために参ったに過ぎません。ご通報とご協力を感謝しなければならないのはこちらの側です」

 勝本三等陸曹は、第3偵察隊のメンバーである。
 第3偵察隊は、隊長の伊丹が深部偵察として転属して以来、後任の幹部が補填されることもなく、暫定的に桑原曹長の指揮下に置かれている。しかも、要員の殆どが帝都事務所や、情報部門、その他における増強要員として便利使いされてるため、隊としての活動は現在なされていない。勝本も、今回は通訳要員として加茂の指揮下に入っていた。

 ピニャは、勝本に見覚えがあった。伊丹の消息など、いろいろと尋ねてみたいところであったが、今はそう言う時でもなければ場所でもないので、勝本個人に対して軽く微笑む形で一揖(いちゆう)し、あとは今後の動きについての若干の打ち合わせをしただけで、自分の隊へと戻ることにしたのである。

「では、カモ殿。失礼いたします」

 だが彼女の後に続いたのはハミルトンだけで、ボーゼスは残っていた。何か、勝本と話しているようであった。

「ボーゼスっ!どうした?」

 ピニャの呼び声に答えて、慌てたようにして戻って来るボーゼス。

「おおかた、男の消息でも尋ねているのでは?」

 と、ハミルトン達は言い、ピニャの幕僚達はくすくすと鈴を転がすように笑った。

「トミタだっけ?」

「シッ。本人は隠しているつもりなんだから」

「もう、すっかりバレバレなのにねぇ」

 だが、戻ってきたボーゼスは何やら解らないことがあったようで、首を傾げつつ語学研修仲間の一人に尋ねた。

「日本語の辞書か単語帳持ってる?」

「どうされたのですか?」

「Junsyokuという単語の意味を知りたくて」

 ボーゼスは、自分の単語帳を捲っても無い言葉をどう訳したものかと悩んでいると言う。

「カツモトって日本人にしては不親切ですわ。他の人なら、解りやすいように、いろいろと言葉を変えて説明してくれるのに、不調法にJunsyokuした、としか言ってくれなくて……」

 もし、彼女がその言葉の意味を解していたら、いつ、どこで、どのように?と尋ねただろう。いや、そもそも『誰が』と、何度も確認したかも知れない。

 だからこそ、勝本は不親切だったのかも知れない。

 結局、誰から単語帳を借りてもJunsyokuという言葉は載っていなかったため、ボーゼスはその意味に戸惑って、ため息をつくことしか出来なかったのである。





    *    *





 栗林菜々美は、テレビ局の取材スタッフと共に、自衛隊第1戦闘団の戦いに同行取材を行っていた。

 今は戦線から響いてくる爆音や轟音や銃撃音、戦車が作った無数の轍が刻まれた大地、そして、戦死した帝国兵の遺体を背景に中継画像を送っていた。しかし、取材チームのリーダーでもあるディレクターは本局から最前線の絵を撮ってこいと再三再四せっつかれているようで、無線機相手にペコペコ頭を下げている。

 特地取材に送り込まれた彼女らにとっては、視聴者の目を捕まえて離さない画像を得ることが使命なのである。だが、特地における移動、通信といった全ての部分で、自衛隊の設備を利用させて貰うしかない現状では、それも思うに任せないのである。

 カメラは、互いに折り重なるように倒れている人馬の遺体や、墜落した竜騎兵などを写しだした。

「現在、第1戦闘団は、住民虐殺事件の主犯を拘禁すべく、前進を続けています。戦闘地域は、鼻を突く火薬の臭いと、戦車の排気臭と、そして鉄の錆びたような臭いとがまじった、異様な空気で包まれています」

「よし、次行くぞ。次」

 菜々美がマイクに叫びおえると、ディレクターの指示でカメラや撮影スタッフが、素早く73式トラックに乗り込む。運転席には倉田三等陸曹と、助手席には菜々美の姉と栗林志乃二等陸曹が座っていた。

「じゃ、お願いします」

 菜々美の言葉に、倉田は返事もせずにエンジンをかけて、トラックを走らせた。
 整地されていない地面の起伏に、車体は大きく揺れて、菜々美や取材スタッフ達はあちこちに身体をぶつけた。

「あのですね、倉田さん。我々としては、もう少し臨場感のある絵を撮りたいんで、もっと前に出てもらいたいんだけど。こう金魚の糞みたいに一番後ろにくっついてるばかりじゃ、何というか迫力に欠けるというか、視聴者の見たいような絵が撮れないって言うか……」

 ディレクターの言葉に、倉田は振り返りもせず「あなた方の安全の為です。どうぞ、ご理解下さい」と冷たいお役人的な対応を繰り返すばかりであった。

「………菜々美ちゃん。なんだか、この人達雰囲気悪いよね」

 ディレクターやカメラマン、音声と言ったスタッフが顔を寄せ合っての言葉に、菜々美は「そりゃ、そうでしょ」と口中で呟いて肩を竦めた。

「助手席の女の人、菜々美ちゃんのお姉さんなんでしょ。なんとか頼み込めないかなぁ」

「でも姉は、富田さんの同僚でもあったんですよ」

「富田さんの件って、あれは不可抗力でしょ。俺たちは報道の自由に従って取材しているだけだし、富田さんは確かに残念なことだけど、我々を守るのが彼の仕事だったわけだし……彼の犠牲を無駄にしないためにも、我々は報道の義務を遂行しなければならないと思う訳なんだよ」

 そんな理屈をディレクターはこねくり回した。

 セガランという村に取材に出た時にそれは起きた。他の街や村と同様に帝国兵に女子供を人質に取られた村人達が、農具を振りかざして襲ってきたのである。

 類似の事件が頻発していたこともある。だから、取材は取りやめるべきだという警告は自衛隊からも出ていたのだ。だが、テレビ局のクルーは取材を強行した。

 取材スタッフや同僚を守るために、随伴していた富田や倉田、勝本は奮戦し、どうにか村を脱出することに成功するかと思われた。しかし鍬や鋤と言った農具を手にして襲ってくる農民と、それに銃を向ける自衛官という構図は、取材スタッフにとっては垂涎のものであったのだ。

 危ないから早く装甲車内に入れという富田の指示に、従わなかったカメラマンが農民達に危うく取り囲まれてしまいそうになったのである。これを救うために飛び出した富田が身代わりとなって、農民達に取り囲まれてしまったのである。

 しかも、そうまでして守った取材スタッフの撮った画像は、自衛官が村民達を銃撃するシーンばかりが放映され、農民達が農具を手に襲ってくる場面はことごとくカットされていた。富田が銃床で、鍬をもって襲ってくる農民を殴り倒すシーンは繰り返し繰り返し使われていた。

 この画像の迫力は非常に強烈であり、視聴者はまるで自衛隊が住民虐殺をしているかのごとく印象を抱いてしまった。もちろん、アナウンスは、きちんと住民が襲ってきたと告げて見せているが、所詮見ている人間は、視覚から入った印象を重視するものだ。

 流石の菜々美も言わざるを得なかった。「これで怒らなきゃ、どうかしてます」と。

 ディレクターは、「しょうがないじゃないか、編集の方針は上の決定だからねぇ」などと唇を尖らせる。俺たち現場の下っ端にどうしろって言うのさ、と。

「何がしょうがないんですか?命がけで助けてくれた人を、まるで悪いことしている人みたいな流し方をすることですか?真実を伝えてこその、報道の自由だと思います」

 カメラマンが自責の表情を見せた。自分の撮った絵が、自分を救ってくれたはずの富田を貶める映像として使われていることに忸怩たる思いを、一応感じているようである。

「いいか?あのさ、これって商売なんだよね。見ている人が、直接俺たちにお金を出してくれるんならいいんだけどさ、実際は違うだろ。そこのところが解ってないとさ、おまんま食い上げになっちゃうんだよね。菜々美ちゃんも、また廊下掃除や雑用の毎日に戻りたい?嫌でしょ?」

「スポンサーのご機嫌って奴ですか?」

「違うよ、スポンサーはお金出すだけ。確かにスポンサーに電凸されたらすげぇきついけど、実際には、お金を運んできてくれるのは局とスポンサーの間にいる広告代理店だろ」

「そうですか。そんな風になってるんですね。でも、そんな扱い方をしておいて、親切にしてくれって言っても無理だと思いませんか?」

「解ってるさ。だから、我慢してるんだろ」

 ディレクターは、そう言うと忌々しそうに運転席の倉田と、助手席の栗林へと視線を向けたのである。




 自衛隊が迫るのに対して、ゾルザル陣営にも反応が現れた。

 亀甲隊形を作った歩兵部隊が数十個、姿を現したのである。

 亀甲隊形というのは楯を前後左右、そして頭上へと隙間無く並べ、矢や投石、投げ槍等を防御しつつ前進して、近接戦へと持ちこもうという体勢である。自衛隊の銃撃から少しでも身を守ろうというのだろう。

 だが、人が手で保持できる程度の楯では、キャリバーの銃弾は愚か、64小銃の7.62㎜弾すら防げない。浅間山荘事件の時、犯人検挙のために突入した機動隊は、ジュラルミン楯を二枚重ねして使用したが、それですら籠城犯の放つ猟銃弾を完全には防ぎきれなかったのである。木製か、あるいは木材に薄い鉄板を張った程度の楯では、無いも同然であった。

 近接しようする亀甲隊形のゾルザル陣営に対して、自衛隊はキャリバーの銃弾を浴びせた。

 たちまち、大量の負傷者が出て兵士がバタバタと倒れると思いきや、楯に穴があいても動じることなく亀甲隊形がそのまま進んで来る。

 これはおかしいと首を傾げつつ銃撃を加えていると、亀甲隊形その物は健在なのに、そのまま動かなくなってしまうものもあった。

 中隊長等は、戦車の105㎜砲を持ってこれを粉砕することにし、射撃を命じる。

 すると、亀甲隊形はひとたまりもなく吹き飛んだ。それらを構成していた楯も、まるでまき散らした紙切れのごとくあたりに散らばった。だが、そこには予想されたようなものとは少しばかり違う光景があった。

 なんと楯を支えていたのは、木で作った骨組みだったのである。そして、それを支えていた数名ばかりの兵士がわずかに犠牲となっただけだ。重装歩兵の集団と思われたそれは、木で作った骨組みに楯をはめ込んだだけの、いわゆる張りぼてだったのだ。

 そんな光景に唖然としていた虚を突かれたのだろう。気がついた時には、地面と同じ色の布を被って伏せていた兵士達が、一斉に立ち上がると74式戦車へと肉迫しようと駆け出していた。

「て、敵だ」

「撃て、撃てっ」

 慌てた車長達は、機銃を撃ちまくったが、四方八方から押し寄せる無数の敵兵の全てを打ち倒せるわけもなく、倒れても倒れてもさらに突撃してくる敵の肉迫を許してしまうこととなった。だが、このような状況は、映画などでよく描かれる光景である。また、兵器や技術の格差を埋めてしまうほどの巧緻な戦術は歴史的にも実在した。銃と大砲で武装した英国軍が、槍と楯のズールー王国との戦いで1700名中1400名を失ったイサンドルワナの戦いも他山の石として、研究されていおり、対処法はすでに考案され訓練されていた。

『各位に告げる。慌てるな。訓練どうりに対処せよ』

 無線での指示を受けると車長達は、敵兵を群がるに任せ、自らは車内に入るとハッチを厳重に封鎖した。

 74式戦車に取り付くことに成功したゾルザル陣営の帝国兵は、動く城とも言える戦車を落城させようと蟻のごとく群がると、剣を突き立てたり、車長の逃げ込んだ穴を塞ぐ蓋をこじ開けようとがんばった。砲にまたがったり、履帯を引きはがそうと引っ張ったりする者もいる。

 だが、叩きつけた剣は折れ、突き立てた切っ先は砕けてしまう。
 38トンもの鉄の塊が、人の力でどうこうできるはずもなく、取り付けたはいいが、取り付く以外のことは何も出来なかったのである。それどころか、戦車の後方に追従している73式装甲車からの銃撃を受けて犠牲者が続発する。

 しかし、ゾルザル陣営からの攻撃もこれで終わりではなかった。まるで怒濤のごとき勢いで人海を続々投入し、撃ち倒れされた人数をはるか超える量の兵士を戦場へと投入して来たのである。




「よし。火車を押し出せっ!!」

 戦車の周囲に、自軍の兵士の姿であふれかえったことで、戦車が動けなくなったと見るや、ゾルザルは次の手を命じた。

 火車である。

 食糧などを運搬するための荷馬車などから荷を降ろし、そこに攻城槌として大木を据え、さらに柴や藁などの燃草を満載して、油などをかけて火を放ったものだ。これを戦車にぶつけようと言うのである。
 人馬の力で勢いをつけて叩きつければ、鉄の板で覆った車だろうと、ひとたまりもあるまいと踏んだのだ。例え、車体は保ってたとしても、炎によって鉄板は焼かれて中の兵員は蒸し焼きになるはず。

 実際、戦車に凄まじい勢いで火車がぶつけられると、強烈な衝突音と共に、周囲に燃える木材の破片や火の粉が散った。

 その様子は、一見派手であり凄まじい破壊力を示したようにも思われた。

「やっだぜ!」

「よしっ!!」

 ゾルザルの兵士達は歓声を上げた。

 これがもしトラックなどの軟目標に対するものであったり、あるいは第2次大戦中の、日本の戦車に対してなされた攻撃であったなら、それなりの効果があったかも知れない。

 しかし、現実はゾルザルの想像を遙かに超えていた。

「嘘だろ……」

「なんてこった」

 戦車はびくともしなかった。

 身体にとりついた虫を払うかのように、戦車が砲撃を放ち、その凄まじい爆煙と衝撃波に兵士達は一斉に尻餅をついた。この砲弾の爆発は、人海の波濤を瞬く間にうち消してしまった。

 さらに、戦車に追従する73式装甲車の後方ハッチから普通科部隊が降車、展開して横に広がる体勢をとると、ゾルザルの兵に対して射撃を開始する。

 満ちた潮は退くものである。

 波は寄せては、返すものだ。

 ゾルザル陣営の兵士達に残された道は、騎兵と同様に逃げ出すしかなかったのである。




 ゾルザルの陣営から戦意を失った兵士達が次々と逃げ出していく。

 その様子をゾルザルは呆然としながら見つめていた。

「逃げるな、戦えっ!」

 将校や百人隊長等が逃げる兵士を捕まえて、前へ出るようにと強制するが、手から水がこぼれ落ちるように、兵士達は次々と逃げ去ってしまったのである。

諸侯達の軍に至っては、隊伍を組んだままゾルザルの元を去っていく。

「陛下。ご武運無きことは残念でした。この戦いも、最早これまでと存じます、私は国に戻らせていただきます」

 そう堂々と言上して去って行く者までいた。
 帝国が滅亡すれば、列国の間で帝国の版図の奪い合いが始まる。諸侯達としては、生き残りを賭けた自分達の戦いをしなければならなくなるのだ。

 次々と去っていく諸侯達を見て、ゾルザルの周囲に居た兵士も不安に駆られたのだろう。その内の一人が、突然剣と楯を投げ捨てたと思うと、あっと言う間に逃げてしまった。それをきっかけに、彼の周囲にいた兵士もたちまち逃げ出した。

 15万を超えた彼の軍は、こうして瞬くに霧散してしまったのである。

「何故、俺が負けなければならぬのか。帝国軍は無敵だったのではないか?」

 誰もいない陣営の中で、ゾルザルは一人自問する。

 立派な幕舎も、並べられた兵士達の天幕も、旗も、武器もそのままだと言うのに、誰もいないのである。

「陛下、まだここにお出でだったのですか。今は、お退き下さい」

 馬を寄せてきたヘルムが、帝都に逃げるようにゾルザルに進言した。
 残念ながら、軍事的には勝てなかった。だが政治的、外交などの手段でこの敗北を帝国の滅亡へと繋げないように努力するべきだと言う。

 それは、モルトやピニャが講和派の議員達がこれまでして来た事であった。

「今更、講和など出来るかっ!!」

「陛下!陛下は、この帝国の皇帝なのです。皇帝であらば、最後までこの国を領導するのが勤めでありましょう。不利になったからといって、上手く行かなかったからと言って兵棋盤をひっくり返して、もう一度やり直し、という訳には参らないのです。こちらが何もしなければ、相手はどんどん駒をすすめて参ります」

「くっ、時を遡れるならば、まだやり直しようがあると言うのに」

「人生は一度です。他者に成り代わることも、時を逆戻しすることも出来ません。絵空ごとにに逃げ込むのはお止め下さいっ!」

 屈辱に打ち震えるゾルザルは、声を震わせてヘルムに問いかけた。

「何故だぁっ!俺が、間違いだったと言うのか。俺は帝国のためにっ!……」

 戦車の轟音がいよいよ迫ってきた。

 陣営の柵が圧し破られて、静かになっていた陣営が敵の足音によって再び賑わってきたのである。

「さあ、急いでください」

 へルムは、ゾルザルは馬に乗せると、その尻を叩いて走らせた。

 こうして、ゾルザルはザラの地を後にしたのである。





    *    *





 ゾルザルの敗亡は、彼が帝都に戻るよりも早く伝わっていた。
 彼が玉座に戻った時には、彼を支える主戦論派の貴族・元老院議員も、彼の廷臣等も誰一人として残っていなかった。

 皆、モルト派の報復を恐れて逃げ去ってしまったのである。

 無人の宮廷。

 ゾルザルは独り、汚れた軍装そのままに玉座に座っていた。

「誰かある、水を持てっ!」

 野太い声が謁見の間に響くが、返事はない。

「皆、逃げてしまったか。帝国の皇帝が、この様とはな……」

 水一杯ですら、自分で汲みに行かなければ得られないのである。だが、どれほど空腹に駆られても、乾きに耐えかねても、自分から腰を上げることは出来なかった。

 自分から玉座を降りることは、自分が皇帝となったことが誤りであったと認める行為にも思えたからである。それは絶対に認めることは出来ないことであった。誰かがやってきて、力尽くででもいいから自分を追い散らしてくれれば、何処にでも行くことは出来ただろう。その者の責任に出来るから。だが、それをする者もいない。

 自分から求めて座った筈のこの玉座が、今や自分を捕らえた檻のごとくなってしまっていた。

「へっ、ふへへ」

 独り自嘲するかのように笑うゾルザル。気怠そうに、天井を仰いで今更ながら謁見の間の天井に描かれた絵画の存在に気づいた。その絵は、神々や使徒達の姿絵であった。

「ほう。天井にこのような絵が記されておったのか」

 そのまま、天井を眺める姿勢のまま目を閉じる。

 どれほどの時間をそうしていただろうか。暫くしたところで、謁見の間の扉が開かれた。
 静寂な中でのその音は、普段以上に大きく響いた。

 誰とも知れない1つの足音がゾルザルの元まで進み、止まる。

「遂に、死神が俺の元にやって来たか。どうれ、どんな姿をしているのか見てやろうか」

 大儀そうに身体を起こして目前の者に目を向ければ、それはテューレであった。

 盆に杯を乗せて、ゾルザルへと差し出す彼女の姿は、俯いて慇懃で、冷淡なまでの無表情さで貫かれていた。

「おおっ、テューレか。お前がおったか……」

 ゾルザルはテューレの差し出した杯に手を伸ばすと、なみなみと注がれた水を、喉を鳴らしながら飲み干した。

 乾きを潤すとゾルザルは口を拭って言う。

「気の利かない奴め。どうせならば酒を持って参ればよいものを」

「水を所望される声が聞こえましたので」

「ふんっ」

「ゾルザル様、いかがでしょうか。滅び行く気分は?」

「ふむ、なかなかに悪くない」

「なんて強がりを」

「いや、強がりではない。俺は、この椅子に座ることを夢見ていた。俺はそれを実現した。その上で滅びていくのだから、何の悔いがあろう」

「そうですか?」

 テューレは立ち上がると、ゾルザルへと近づいた。ゾルザルは、そんなテューレに手を伸ばすと、まるで抱き潰すかのように引き寄せる。

「うっ……」

「痛いでしょう」

 テューレは、ゾルザルの抱かれたままその耳元で囁いた。
 彼女の手にした短剣が、ゾルザルの脇腹に深々と突き刺さり、赤いシミが大きく広がりつつある。

「…………ああ、焼けつくようだ。だが、お陰で俺は皇帝として死んでいく事が出来そうだ。これで俺の望みは完成される。礼を言うぞ」

「なんて強がりを」

「いや。そうでもないぞ。ホントに感謝しているんだ。俺は、お前を………」

 そう言いながらゾルザルは大きく空気を吸うと、ため息をつくかのごとく太い息を吐きながら静かに瞼を閉じるのだった。




 自らを抱きすくめる太い腕から力が失われたことで、ゾルザルの絶命を知ったテューレは、一歩、二歩と下がると短剣を投げ捨てた。手に付いた血を服で拭い、両手を見つめる。

「………やった」

「……………やった」

「………………皇帝を殺してやったわ!」

 この手で帝国の皇帝を殺した。そう言って、テューレは暫し喜んだ。笑った。ゾルザルを罵倒して、悪口を叫び、殺した喜びを、誰も成し遂げた者の居ない、帝国を滅ぼすという偉業を達成した喜びに歓喜の声を振るわせた。

「わたしが皇帝をこの手で殺したのよ」

 だが、そんな声も謁見の間の広大な空間が全て吸い取ってしまったかのように静けさに包まれる。

「あ~あ。終わった」

 テューレはそんな事を言うと、謁見の間を後にした。

 どこをどう歩いたのか、気づくと誰もいない宮廷の廊下を幽鬼のように歩く。

 広い宮廷は少しばかり歩いたところで、行き止まることもない。だからテューレは足の向くままに歩き続けた。

「おや、そんなところにおいででございましたか?」

 探しましたと言う声は、ボウロであった。4~5人ほどの配下を連れている。ならず者らしい彼の配下は、手に武器と、宮廷の財宝や調度品など金目になりそうな物を抱えていた。

 テューレはボウロの姿に安心したかのように微笑んだ。

「今まで、どうしていたのです?連絡が無くて心配しました」

「何者かに監視されでいたでございまする。皇宮に近づくことも出来なかったのでございまするよ。それもこの混乱でどうにか誤魔化すことが適いましたが」

「そうでしたか」

「玉座の間を、拝見しました。どうやら本懐を遂げられたようでございまするな?」

「ええ。ようやく」

「つまり終わったと言うことでするな?」

「そうです。これまでの、貴方の忠勤には感謝しなければなりませんね」

「いいえ、良いのでございまするよ。今度は、テューレ様が、私のために働いて頂く番でごさいまするので。いひひひひ」

 ボウロの言葉に、彼の配下の二人がテューレを両脇から挟むように立った。

 その威圧感に、テューレ怖じ気づく。

「何だというのです?」

「宮廷というから金目の物が山積みになっているかと思ったのに、何も無いのでする。こうなっては赤字。でも、テューレ様は見目麗しいお体をお持ちなのですから、色々と役に立ってもらえまする」

「ちょ、ちょっと。待ちなさい、わたしに何をさせようと……」

「ウチは売春宿ですから、後は言わずともお判りでしょう。いひひひひひ」

「ち、ちょっと待って、いやぁっ!!」

 テューレは腰を落として懸命に抵抗しようとした。だが、屈強な男達に囲まれて、ずりずりと引きずられてしまう。

「何でも望みのものを与えるというお約束でする。それを適えて頂くだけですよ、いひひひひ」

 だがそこはボーパルバニー。手足をばたつかせて抵抗するテューレに男二人がかりでも手を焼いてしまった。余りの抵抗するので、鬱陶しくなったボウロは配下の男達に手足を縛るように命じた。

 男達は袋や荷物を降ろすと、テューレに群がって押さえつけにかかった。

 そこに突然の炸裂音が連続して鳴り響いた。男達は驚いたかのように身を捩らせるが、あっと言う間に倒れ伏していく。

 テューレと、ボウロが音のした方向へと目を向けると、迷彩服とボディアーマーに身を包み、64小銃を構えた自衛官が立っていた。

「ふ、フルタ?」

 古田は弾倉を交換すると、まだ息をしているボウロへ警戒の銃口を向けながら、テューレに近づいた。ナイフを抜いて、彼女の手足の戒めを切断する。

「き、貴しゃまは……」

 ボウロの問いかけに、古田は応じた。

「自衛官さ。と、言っても判らないだろうな。一時は、緑の人と言われて有名だったんだぜ。吟遊詩人が歌ったぐらい」

「えっ」

 テューレは驚いたように瞬かせた。

 ボウロは「くそっ」と唾棄するかのようにして口から血を吐くと、そのまま起こしていた頭を床に落とした。

 古田はテューレの手を取ると彼女を立たせる。

「ゾルザルとの契約も終わりましたし、内偵の仕事も終わった見たいなんで、俺は帰ります。時に、テューレさんはどうします?」

「どうするって……」

「一応助けに来たつもりなんですけどね」

「誰を?」

「テューレさんですけど……」

 これを聞いた瞬間、テューレは世界が歪むのを感じた。
 自分を救いに来る者などあり得ないと思っていたからだ。思わず拒絶するかのようにまだ古田に掴まれている手を引きはがそうとしたが、古田の手は彼女の手首を握って離さない。

「とりあえず、行くところがなければ安全な場所へつれていってあげますよ」

 古田は無理矢理にテューレの手を引いて皇宮の廊下をずんずん進んだ。

 建物から外に出ると、古田は周囲を警戒しながら、広場の一角に発煙筒を投げる。すると、白い煙が立ち上がって、空へと大きく立ち上った。

 銃を構えて周囲を警戒しつつ、何かを待っているようである。暫く、すると上空から空気を叩くような音が近づいてきた。

「来ました。あれでアルヌスに行きますよ」

 古田が振り返るとテューレは自分の腕を噛み、声を押し殺しながら涙を流していたのだった。










[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 58
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/03/03 19:24




58





 皇宮、地下霊廟。

 薄暗い祭殿に男の遺骸が安置されていた。『第1皇子』ゾルザルである。

 皇帝ならば本来盛大な国葬をもって葬送されるはずであるが、講和派ばかりとなった元老院の決議によって、反逆の罪をもって彼は存在しなかった扱いとされる記録抹消刑に処された。為に、彼の葬儀もピニャを含めた僅かな近親者のみの密葬である。

 薄暗く静かな空間に、祭司の祈りが低く響く。
 弔いの炎に投じられる香の紫煙が、死臭を隠すかのように霊廟を満たしていた。

 厳粛な静寂を破る衣擦れの音とともに、帝国皇女ピニャ・コ・ラーダが進み出る。ゾルザルの横たわる台(うてな)の傍らに花を捧げると、片膝を着いて死者の冥福を祈った。

「どうしてこのようなことに……」

 ピニャは虚空に問いかける。

 何故、どうして、と。

 兄が進もうとした道に立ち塞がったのは確かに自分だ。だが、ピニャとしては、そうするしか他に採るべき手だてがなかった。皇帝たる父と、この帝国とを救うためには、そうするしかないと信じてのことだった。

 もちろん武をもって対峙する以上、兄を死なせてしまう可能性が高いことも充分に弁えていた。だが、そのような最悪の事態を避けようと、無理を承知で和解の道を探りもした。その為には、ゾルザルが頼りとした武力を徹底的にうち破り、選択肢を奪い、講和しか残された道が無くなるように、と……。

 その、結果がこれだ。こうなってしまった。

 目前に横たわる冷たい骸と化した長兄。
 その顔に浮かぶ表情は、薄い笑みを浮かべたどこか満足げなものであることが、ピニャにとっては意外でもあり、救いでもあった。
 もし、怒りと憎悪に満ちた表情であったなら、苦悶と絶望に満ちたものであったなら……平静でいつづけることは、今ほど容易くはなかったろうから。

 ゾルザルを滅ぼしてしまったのだ。誰でもない、ピニャ自身がである。そればかりか彼の存在したという証拠は公式には全て抹消されてしまう。彼に賛同した主戦論議員や貴族達の資産は全て没収され、軍人はその職を追われることとなった。そう、何もかも奪ってしまうこととなったのだ。

 ピニャは自分の行為の結末に恐れおののいていたのだ。

 いったい、何故、何故、どうしてこうなってしまったのか。

「兄様が、無体なことをしなければ、平穏に父から禅譲を受られたはず」

「そもそも、日本との戦争が無ければ」

「そもそも、門が開かれなければ……」

 逆恨みと知りつつも、原因の原因の、そのまた原因へと、どこまでも遡っていく思考は、恨みやすいものを手繰るよせる。人は、憎み易いものを憎む。憎んでも、自らを傷つけないものを選びたがる。それが時として、運命だったり、神だったり、政府だった、国家だったりするのだ。ピニャは、自分にゾルザルを滅ぼさせた『何か』の存在を求めていた。

「何故『門』などと言うものがあるのですか?『門』など無ければ、こんなことにならなかったでありましょう」

 ピニャの問いに答えるように、祭司は聖典の一節を諳んじた。

 神話に曰く、世界は前後左右上下限りなく広がる『宇』と、過去から未来へと絶えることなく向かう時の流れ『宙』の二つの組合わさったもの。これをして『宇宙』と呼ぶ。この宇宙も、より高きところから見れば、山の頂からすそ野へと流れる、川の如きものである。数多の川の流れがあり、ささやかな流れ、急流、大河、渓流、この数は尽きること無し。その性、蛇行する蛇の如く蠢く。これらは時として互いに交わり、時として別れて進みゆく。世界流と世界流が接することを『衝』と言い、別れることを『離』と呼ぶ。衝すれば門は開き、離すれば門は閉じる。

 祭司はピニャに向き直ると告げた。

「殿下、我々もまた、『門』の向こうよりやって来た者なのですよ」

 最初、この世界を支配していたのは龍種でありました。

 だが、何かが原因でその数が激減すると、『門』が開いてエルフがやって来た。そして、しばしの間エルフが大地の支配者となった。

 やがて、ドワーフや、コボルトが。『門』が開らかれるたびに、数多の種がこの世界へと参入し、世界は雑多となっていった。

 様々な種が、主役の座を奪い合って争い、勝った者が隆盛を誇り、負けた者は隅に追いやられる。その連綿と続く繰り返しの最中に、ヒト種がこの世界へと足を踏み入れた。

 ヒトという種は、この世界に参入するや否や、瞬く間にエルフやドワーフを越える繁殖力と、コボルトやゴブリン、オークを越える知性の力でこの世界の主役となったのである。

「『門』がなければ全ては始まらなかったでありましょう。この世のあらゆる災難も、ですが、あらゆる幸福ももたらされなかったでありましょう。『門』無くして、我々はここに存在し得なかったのです」

「しかし、『門』を越えてやって来る者が、次の支配者となるならば、我々は駆逐される運命なのでしょうか?もし、そうならば『門』とは災厄でしかない」

「我々が嘗てそうしたように、『門』を越えてやって来る新しき者によって、今度は我々が淘汰されるかもしれない。その虞と恐怖こそが、モルト陛下に先制攻撃を決意させたと言っても過言はないと存じます」

 ピニャは、ここで初めて祭司へと視線を向けた。
 帝国が、『門』を越えてまで兵を派した理由が、初めて語られたように思えたからだ。
 これまでは、新たなる領土への野心であるとか、有力貴族を衰えさせるためであるといった様々な理由がまことしやかに語られていた。だが、どこか承伏できないところがあったのだ。ところが、今、祭司の語った理由ならば、納得できてしまう。

「祭司様。ですが、結局の所それが仇となってしまいました。国を損ね、多くの人命を失い、あまつさえ兄すらこの手で……」

「嗚呼、殿下。結果が最初から解っていれば、物事を選び定めることが、どれほど容易く楽なことでありましょうか?殿下もまた、身に染みてそれを理解されているのではないのですか?」

「う………」

 決断の結果が最初からわかっているならば、戦争に敗れる者もなく、商いに失敗する者もなく、恋に破れる若者もない。歴史から、最大の失敗、悪行と評される行為も、それが始められた時の動機は、立派なものなのである。物事の殆どは、結果が保証されていない。あらゆる可能性を検討し、確実性を高めてもなお、上手く行くかどうかはやってみなければわからないものなのだ。

 長兄を死なせてしまったと悔やむピニャには、それが痛いほどよく理解できた。

 それに、と祭司は続ける。

「帝国は行き詰まっておりました。いいえ、ヒトという種そのものが行き詰まっていると申してもよろしいでしょう。ヒト種は、停滞と退廃のなかにあって、種としての勢いも失いつつありました。そんなところに『門』が開らかれたのです。心ある者は、畏れました。新しくやって来る者によって我々は、押しのけれられ、隅に追いやられてしまう。その不安と恐怖、そして嫉妬こそが、戦争の原因だったと申せましょう。帝国は攻め込まないでいることは出来なかったのです」

「そして妾達は敗れた。『門』を越えてやって来たのは、日本人だった。彼の者達もヒト種だった。だから妾達を隅に押しやって、淘汰しようとはしないであろう。だが、彼の者達と知り合ったことで、我らは変化を余儀なくされる。彼の者のもたらす進んだ文物、新しい考え方、新しい生き方は、魅力的で妾達を徹底的に変えてしまうあろう。結局の所、旧き者は駆逐されて、新しい彼の者に飲み込まれてしまう」

「それが、時の流れなのではありませんか?」

 これを聞いた途端、ピニャは立ち上がって祭司に向き直った。

「祭司殿。ついに貴方はその言葉を口にされてしまった。妾は、その言葉だけは聞きたくなかった。妾は自分が自分の責任で為したこと、迷いに迷って下した決断が、あたかも無為であったと言われたにも等しく思う」

 祭司はピニャに対して、まるで怒れる少女を宥めるかのごとき態度で語った。

「殿下の言われている意味はわかります。ですが、それが真理です」

「では、兄様の生涯はなんだったと言うのですか?時の濁流に翻弄されただけ……まるで道化ではありませんか?」

「いいえ、逆です。ゾルザル殿下は道化たることを拒絶されたのです。唯々諾々と与えられた道を行くのではなく、自らの道を切り開こうと堂々と逆らった。そして、たまたま破れたに過ぎません」

 祭司は「ごらんなさい」とピニャに促した。

「でなくて、どうしてこれほど安らいだ顔で逝くことができましょうか?」

 ピニャは落胆したように嘆息した。
 何かがズレているからだ。

 多分、祭司はヒトという種を越えて、世界の視点に立って見ているのだろう。神の側に立っているとも言える。神から見れば、ヒト種が行き詰まったなら新しい種を導入して、世界を揺り動かして変えていけばいいのだろうから。

 だが、自分達はどうする。どうすればいいと言うのか。ただ滅びろと言うのか。
 祭司とピニャとの間に交わされているこの会話が、根本的なところで、噛み合っていないかのごとく感じる理由は、そんなところにある。
 いずれにせよ、会話を重ねれば重ねるだけ、ピニャの不満は高まっていく。

「殿下は、ご自身のなさったことに後悔しておられるのですね?」

「妾が後悔していると?」

 言葉こそ疑問形であったが、それは反論の色を含んでいた。
 自分が後悔しているなどあり得ないと、続けようとした。だが言葉が出なかった。出すことが出来なかったのである。

 このまま会話を続けてしまえば、見たくないものまで見てしまう、言いたくないことを言ってしまう虞がある。会話の道筋を曲がった途端に、陥穽に落ち込む。そんな予感が、ピニャの苛立ちをかき立てるのだ。

「殿下……」

 ピニャが声を荒げる寸前に、割ってはいるハミルトンの声。
 霊廟の静けさは彼女の遠慮がちな声でも、大きく響いた。

 他人の会話に割ってはいるなど、本来なら無礼な行為であろう。だが、ピニャにとってそれは救いとなった。会話を中断する理由となってくれたから。

「どうしたハミルトン」

「…………ロゥリィ聖下が参られました」

 久しぶりに耳にした名に、急に気分が切り替わるのを感じるピニャ。ロゥリィ、伊丹、テュカ、レレイ達と、東京へ行ったり、温泉に入った記憶は楽しい思い出である。

 だがピニャは、ハミルトンが妙に緊張していることに気づいた。そう言えば、ロゥリィが来たとしか言わなかったことに思い至る

「まさか、聖下はお独りで参られたのではあるまいな?」

 ロゥリィ・マーキュリーという亜神は、死神の二つ名を持つことで知られている。

 戦いと、断罪、そして狂気を司るエムロイの使徒として、彼女はただそこにあると言うだけで周囲に過激なまでの緊張感を強いる存在なのだ。彼女の視界の及ぶ範囲では、水が凍るとまで言われるほどに畏怖されているのだ。

 もちろん、ピニャはそんなロゥリィの姿は知らない。ピニャの知るロゥリィは親しみやすい雰囲気を持ち、結構情の深い女性である。でなければ、どうして一緒に温泉を楽しんだりできるだろうか。

 実際に話してみれば、他人から伝え聞いていたような、殺伐とした圭角(けいかく)は全く感じなかったのだ。ただ、もしそれが、とある男が介在していたからだと言うのなら、ロゥリィが独りかどうかという問題は結構深刻である。人食いの猛獣と同じ檻に入るにあたって、調教師の介添え無しと言うことは誰しも遠慮したいと思うだろう。

 ハミルトンは、ロゥリィが独りかという問いに対して、微妙な面持ちで首を振った。

「レレイ様とお二人です。ただ、レレイ様がお加減が悪いようなので、紫殿(むらさきでん)の方にお通しいたしました」

「レレイだけ?イタミは居ないのか?」

「はい……誠に残念な事ながら」

「………………それで、そんなに顔を引きつらせているのだな?」

 ハミルトンは返事代わりに、両手で顔を覆うと表情筋の緊張を和らげるかのように、コシコシと擦った。

 ピニャは俄に沸き上がる緊張感によって、祭司との会話もすっかり忘れてしまった。




 紫殿は、皇族が私的な来賓をもてなす際に用いられる部屋である。格としては中の上程度と言えるだろう。

 調度品も、豪華さよりは居心地の良さ、使い勝手の良さに重点が置かれているので、高級品であっても超が付く程のものではなかった。そんなところから、『金になりそうな物は片っ端から売り払う』というピニャの経済的焦土戦術の犠牲にもならずに済んだのである。

 ピニャは、装いを喪服から賓客を迎えるにふさわしいものへと変えると、その部屋を訪れた。

 通常ならば「お久しぶりでございます」などと言って、最上級の礼をもって、亜神であるロゥリィとの再会を慶んだりすべきところだ。だが第一声から、「どうされたのですか?」になってしまった。

 と言うのも、レレイが長椅子に横たわらされており、宮廷医師が彼女を診察していると言う光景が目に入ったからだった。そうなればわき目もふらずそれに意識を集中するしかない。傍らに存在する、鋭い刃物を押しつけたようなピリピリチクチクする気配を放つ『何か』に、意識や視線を向けることだけは避けたかった。

「具合が悪いとは聞いていたが、ここまでとは……」

 元々白いレレイの顔色は、最早蒼いと言っても良いまでになっていた。呼吸も細く、肌からは多量の汗をかいていた。何時伸ばしたのか、流れるような銀髪が腰まで届くほどに伸びていた。

「おお、殿下がおいで下さりましたか!このお嬢さんは、非常に消耗されておいでですが、ご病気や怪我の類ではございません。安静になされ、食事をきちんととられれば、きっとご快復されるでありましょう」

 診察を終えたらしい医師はピニャに救いを求めるかのように手を伸ばすと、診断した内容を告げた。その額には、何故か汗を多量に噴出させている。指先などは小刻みに震えていた。

 ピニャも医師の手を取ると語りかけた。

「そ、そうか。では、早速食事の支度をさせよう。余り重くないものが良いのであろう?」

 ピニャの言葉に、医師は「はい、そのとおりです」と頷き、傍らにいたハミルトンなどは「山羊の乳で作った麦粥などが宜しいでしょう。それに果物などがよいですな」などと、妙に具体的な献立を口にして、それらを手配すると称して、まるで逃げるようにして部屋から出ていってしまった。医師も、「余り甘くしてはいけませんぞ」と言いながら、いそいそとその後を追っていく。

「………………で、いったい何があったのだ?」

 結果として独り残されたピニャは、当の病人であるレレイに尋ねた。

 レレイも答えようとした。だが、レレイよりも早く返事をしたのが、禍々しい空気を四方八方に振りまいているロゥリィ・マーキュリーその人であった。

「ベルナーゴへ行ってぇ、あちこち巡り歩いてきただけよぉ」

 話しかけられてしまった。

 ついに話しかけられてしまった。

 こうなることを避けるために、懸命に目をそらしていたと言うのに。直接話しかけられてしまっては振り返らざるを得なかった。

 観念したピニャは、おそるおそるロゥリィへと視線を向けた。

 案の定、そこに立っていたのは死神と狂気の使徒として、刺々しさ満載の黒い亜神であった。どす黒いオーラを湛え、その微笑は、冷ややかな妖気を周囲に満たしていた。

 視線を合わせたら死ぬ。生き返らされて、また殺される。それを4~5回くらい繰り返されそうな恐怖で、全身に鳥肌が沸き立つのをピニャは感じていた。

「ベルナーゴ?ベルナーコ神殿にまで参られたのですか?」

「……そうよぉ」

 口調からして、不機嫌な響きで充ち満ちている。ふて腐れているのだ。

 誰か助けてくれ、そんな悲鳴を心中で上げつつも、ピニャは泣く泣く機嫌をとるように話題を振った。

「しかし、それだけでレレイがこのようになってしまわれたのですか?」

「あちこちに行ったと言ったでしょぉ。その間、ずうっとレレイに負担がかかっちゃってぇたのよぉ。それでこの有様。耀司達は先を急ぐのに、レレイは休ませないといけないってことになってぇ」

 伊丹から、「ロゥリィ、レレイを頼む」と言われてしまったと言う。なにしろ、仲間でもあるレレイのことだし、伊丹から両手を合わせて頼まれればロゥリィとしては嫌な顔も出来なかったと言うのだ。

「お陰で、置いてきぼりぃ」

 なんて事をしてくれたのだイタミ殿ぉ、と言う心の叫びをあげつつも、雰囲気を明るくすべくピニャは必死になって話題を紡いだ。

「で、い、いったいどんなところまで行って来られたのですか?」

「トワイル、クナップナイ、ヒョムラ……」

「他の街は寡聞にして知りませんが、クナップナイは聞いたことがあります。随分と遠いところのはずですが……」

「そうよぉ。」

「観光ですか?確か風光明媚なところだそうで……」

「違うわぁ。この世の終わりが近づいていることを確認するためよぉ」

 ダメだこりゃ、とピニャは肩を落とした。

 話題が、明るくなるどころか、どんどん悪いへ方向へと落ちていく。しかも、事も有ろうに「この世の終わり」とは……神経をすり減らしながらも、なんとか維持して来た緊張も息が詰まって限界に達しそうであった。

「お、穏やかでありませんね。何かの間違いでは?」

「ハーディの予言よ。そして、わたしぃが認めたわぁ。それ以上に証拠が必要?」

「ベナーゴ神殿で?」

「そして、その兆しを各地で見たわぁ。地面が歪みの中に飲み込まれていた。そして、それはゆっくりとだけど広がりつつあったわぁ」

 どうやらロゥリィの放つ禍々しさは、伊丹に置いてきぼりにされたことだけが理由ではないようである。
 とは言っても「世界が終わる」となると事態が大きすぎてかえって事の深刻さが身体に染み入って来ない。

 それでも、当然の話の流れとして原因について尋ねることは出来た。

「いったい何故なのですか?」と。

 ロゥリィは小さく嘆息した後に、こう告げた。

「門が開きっぱなしになっているから、よぉ」




「嫌です!!門が無くなったら、このアルヌスの街はどうなるんですか?生活者協同組合はどうなるんですか?!」

「そうだ、そうだっ!」と、反対の声が集まった従業員達の間でたちまち広がって行った。

 アルヌス生活者協同組合で働く、何百人もの従業員達。彼らは、現実をきちんと認識していた。『門』から入ってくる日本の産物と、自衛隊の存在によって、自分達の生活は維持されているのだと言うことを。

 この、理想郷のごとき街で暮らしが続くか否かは、門の存在にかかっている。そう思えば、門を閉めるという話に反対するのも当然と言えるだろう。街を無くす、組合を廃止すると言っているのと同義なのだから。

 テュカは予想した通りの反応に、気持が怯むのを感じながらも、自分が見てきたものを語って聞かせた。

 大地が、暗黒の歪みへと飲み込まれ崩れていく恐ろしい様は、それこそ言葉での描写では足りないぐらいであった。本当に理解しようとするなら、実際に行ってみるしかないだろう。だが、これまでも起きたことのない地揺れもあったし、空の歪みならば、ここからでも観測できる。それら1つ1つを手がかりにして、門を閉じないといけないのだと説明し、わかって欲しいと告げたのである。

 だがしかし、PXの猫耳娘が叫ぶ。

「嫌だニャ」と。

 彼女らは口々に言った。今すぐどうこうと言うことでないのなら、今すぐ門を閉じる必要はないと。もっとせっぱ詰まってから閉めればいい、と。

 PXの猫娘は悲鳴のような声で言った。

「ここから出て何処へ行けと言うニャ?また前みたいな惨めな暮らしに戻れというかニャ?侮辱されたり、酷い扱いをされても黙って我慢しなきゃいけない生活に戻れと言うかニャ?」

「前の暮らしに戻れと言うぐらいなら、世界なんて滅びればいいんだ」

「あんたは、ハイエルフだから、俺たちの気持ちが判らないんだ」

 そんな言葉すら飛んだ。

 だから、テュカは告げた。

「門を閉じるなら、早いほうが良いのよ。そうすれば、また開く時に手間がかからなくなる」

 また開く?門を?

 今、閉めるという話をしていたものを、再びあけると言いだしたことに誰も彼もが疑問を持った。そして、テュカから追加の説明を待って黙るのである。





 皺1つ無い制服で身を包み、直立不動の姿勢をとる伊丹耀司。

 首相官邸にあって彼は、内閣総理大臣、官房長官、事務秘書官、そして自衛隊制服組の錚々たるメンバーを前に、意見具申していた。誰も彼もが、伊丹に余計なこと言いやがってと言う、厳しい視線を向けて罵声を浴びせていた。

「何を言うんだ貴様はっ!!」

「たかが、一自衛官の分際で国政に意見しようとは、何事だっ!」

「総理。個人的な知人とは言え、こんな奴の言葉に耳を貸されてはなりません」

 だが、傍らに感情を高ぶらせる人間が居るとかえって冷静になるもので、首相の椅子に座っていた麻田は、伊丹をジロリと見るとこう告げた。

「伊丹よぉ。お前さんだって、わかってるだろ。とんでもない規模の油田が見つかって、資源の類も期待できる。アメリカやら、中国、EUも分け前を期待して嘴をあけてる状態だ。もう、門の向こうで開発を始めるってことで、多額の金と人が動いてるんだ。そんなところに来て今更『門を閉じます』なんて言ってみろ、どうなる?」

「まぁ、ただじゃあ、すまないでしょうねぇ」

 相変わらず空とぼけた表情で後ろ髪を掻く伊丹。そんな彼の態度が周囲をますます激昂させる。

「流石の俺の首もぶっ飛ぶぜ。いや、俺の首だけならまだ良いけどよぉ、日本その物がやっかいなことになっちまう」

「ま、そうかも知れませんが、このまま放っておきますともっと酷いことになるってことでして……」

「世界が終わるってか?如実には信じがたい話だ」

「自分もそう思います」

「で、なんでまた、そう言うことになるんだ?」

 あらかじめそう問われることを予想していた伊丹は、用意して置いた長さ3メートル程度の黒と白、二本のゴムひもをポケットから取り出して説明を始めた。

「失礼ですが、こちらの端を持って頂けますか?」

 そう告げて、黒白それぞれの断端を麻田に持たせ、さらにその反対側は官房長官に預けた。こうして黒白二本のゴムひもが二本、数学的に言う『ねじれの位置』で列んだ状態をつくる。

「この二本のゴムひもが、我々の世界と、特地側の世界です。実際は、ねじくれたり、螺旋を描いていたり、曲がりくねっていたりするそうですが、ここでは便宜的にゴムひもで直線として現します。白を我々、黒を特地としましょう。このようにねじれの位置にあると互いに交わることがありません。官房長官側を過去として、総理の側を未来として、私が指さしている場所が『現在』になり、我々はこのゴムひも上を時の流れに従って流れているのだそうです」

 伊丹は官房長官側から、ゴムひもをゆっくりたどって歩いた。時間が進む毎に、伊丹の指先が総理に近づいていく。

 伊丹は、事務秘書官と、首相補佐官にも参加して貰い、2本のゴムひもが真ん中あたりて交差する関係を作らせた。二本のゴムひもが交点で作る角度は広い。

 この二本の接点を伊丹は指さす。

「このように、黒白二本のゴムひもがくっついた瞬間に現れるのが『門』だそうです。我々は、このゴムひも上を時間の経過と共に流れていますので、『門』は一瞬目の前に現れて、一瞬で消えてしまうように見えるようです。『門』が、一定時間長期に渡って開いているには、暫くの間互いに密接に長く接している必要があります、このように……」

 伊丹は事務秘書官を総理に、首相補佐官を官房長官側に立たせて、黒白の二本が端から端までくっついているように並べさせた。

「これですと、二つの世界の間では『門』は終始安定して開いています。でも、実際にはこんな並び方をしている世界は滅多になくて、実際はこういった形になるそうです……」

 麻田と事務秘書官、首相補佐官と官房長官の間を少し開らかせて、黒白二本のゴムひもがつくる交差が鋭くなるようにゴムひもを並べた。

「こんな感じです。数学的には交点はあくまでも点ですが、二つの世界が非常に近い位置関係にある状況なら、特地側にある神秘的で、我々にはまだ確認されていない方法で働きかけると『門』はひらくそうです。これなら、暫くの時間二つの世界はくっつけておくことが可能になると言うわけです。往来も可能です……」

 伊丹は、両手の指先で、二本のゴムひもを束ねるように摘んだ。伊丹の左右の手の間の部分は、黒と白の双方が束ねられてくっつく。

「ですが、二つを無理にくっつけていると言うことは、この二本のゴム紐が引っ張られているように、無理な力がかかるわけです。普通なら、一定の負荷がかかると自然と門は消失してしまうのですが、現在『あるもの』によって、『門』が強固に維持されている状態だそうです。その為に、世界その物に無理な力がかかっていて、このまま引っ張り続けると……プチッと……」

 伊丹が、ゴムひもを無理に引っ張ったために、白いゴムひもがプチッと切れ、弾けた断端が何かのコントのごとく官房長官の手を打った。

「いてっ…」

 何するんだ君は、痛いじゃないか、と怒る官房長官を無視したたまま伊丹は「以上です」と麻田へと向き直った。

 麻田は大きな舌打ちをすると、「それを防ぐにはどうしたらいいんだ?そもそも門を閉じるって言うが、どうしたら閉じることが出来るんだ?」と尋ねた。

「総理、こんな与太話を信じるんですか!?」

 官房長官や事務秘書官達は言い募ったが、麻田が最後まで聞く姿勢を見せているので伊丹は答える。

「とにかく、『門』を閉じれば二つの世界にかかった無理は解消されるそうです。そしてその為には、アルヌスの門の周囲に作られた六芒星の構造体を破壊することが必要となるだとか」

 臨席していた制服組自衛官達は、「アルヌス駐屯地の防御陣地か…」と呻いた。

「随分な与太話だな」

「ええ、まあ。自分も正直言って半信半疑です。ですが、『門』そのものが今の科学では説明が無理な代物ですから、頭から否定するってことも出来ません」

「そうだな。だが例えそうだとしても、物事には信じるに至った経緯ってもんがある。お前さんが、それを信じた時の話を聞かせてもらおうじゃねぇか。それでこれからどうするかを決めようと思う」

「はい」

 伊丹は頷いた。そして自分が見たもの、聞いたことについて報告を始めた。





    *    *





 照明を落として真っ暗になった舞台に、天井に開かれた天窓から一筋の光が注いでいる。

 そんな情景描写が似合いそうなベルナーゴ神殿の深奥では、幻想的な情景が繰り広げられていた。

 冥王ハーディの降臨である。

 上から光の砂が振ってきたかと思うと、まるでそれが中空で漂い、やがて女性の姿を形作った。

 伊丹は映画の特殊効果かホログラムの類を疑って、背後に映写機がないか振り返って確かめてみた。だが、映画館の映写室などに見られる、スクリーンへと伸びる光の筋はみられなかったし、また神殿の床や天井にも、見て解るような細工はなかった。

 皆の前に姿を現したハーディは銀髪を腰まで伸ばした20代前半女性の容姿をしていた。静謐なる表情はまるでガラス細工のごとく繊細な美しさを湛えていて、細いたおやかな肢体は女性的な曲線を、慎ましやかながらも滑らかに描いていた。

 向こう側がかすかに透けて見えるそんな存在が、こちら側に向けてその一歩を踏み出す。その瞬間、見とれるかのごとく注視していた伊丹の視線が、ハーディの緑瞳と合わさった。

 彼女は、軽く微笑むとおろしていた右手の先を、僅かにもたげて挨拶を送ってきた。まるで舞台上の有名人が、客席に知り合いを見つけたかのごとき振る舞いで、伊丹は思わずドギマギしてしまった。

 炎龍の件もあってハーディには余り良い印象を持っていなかった伊丹であるが、美しい女性に微笑みを向けられれば悪い気はしない。それに、神々しくも厳かに現れた神様だったから、高飛車で高慢なタイプかと思ったら結構気さくな感じだったし。

 ただ、ロゥリィから聞いた話によれば、昇神すれば容姿は思いのままだと言う。だから生前からハーディがこの姿であったとは限らない。

 やっぱり整形美女なのかな?

 整いすぎるほどに整った容姿を見て、伊丹はそんな失礼なことを考えてしまった。すると、ハーディは急に心外そうな傷ついた表情になり、ロゥリィの袖を引いて何かを切々と訴え始めた。

 だが残念なことにそれは伊丹達には聞こえない。まるで、音声の途切れたテレビ映像のようである。いや、伊丹だけではなく、テュカやレレイ、ヤオにも聞こえていないようで、ただただ唖然としているばかりであった。

 神殿の神官連中はと言うと、ハーデイの姿を見ること事態畏れ多いとひれ伏しているだけであった。だから、この場でハーディの声を聞き、受け答えできるのはロゥリィだけなのである。

 涙目のハーディは何やら必死になって、伊丹を指さしロゥリィに詰め寄る。
 ロゥリィは、ただただ面白そうな表情のまま黙っているのでなんだが急にハーディが可哀想に思われてきた。意地悪なロゥリィが、彼女を無視しているという構図だからだ。

 気の毒に思った伊丹は尋ねることにした。

「この人、何を言ってるんだ?」

 ロゥリィはやれやれと言った感じで「『整形じゃない』って伝えてくれって言ってるのよぉ」と説明した。

 伊丹も流石に不味かったと思って「これは失礼しましたっ」と頭を下げた。そして気づく。「て、もしかして『心』読んでます?」

 わかってくれて有り難う、とパッと花開いたような表情に変わったハーディは、伊丹の思念に返事するかのように首肯する。

 美女を前にして、こころの中が駄々漏れとわかり、疚しさを覚えない男がどれだけ居るだろうか。相手が美人で艶めかしいほど、いろいろと不味い筈である。まぁ、不味くない人はそれでも良いのだが、伊丹は思わず「迂闊なこと考えらんねぇ……」と呻いてしまった。実に正直な男である。

 ハーディはそんな伊丹の思考までも読んだのか、苦笑して何かを言った。だが、ロゥリィが憮然とした態度のままで通訳しなかったため、何を言ってるのかはやっぱり理解できない。

 ロゥリィの意地悪に業を煮やしたのか、ハーディは何かを探すように周囲を見渡した。そして、「あっ」と見つけるとそれに向かって走り出す。

「あ、待ちなさいっ!!」

 ロゥリィは引き留めようとしたが間に合わない。
 ハーディはその場にいたレレイの中へとすっと飛び込んでいた。

 レレイは実体のある何かに正面からぶつかられたかのごとく、神殿の床に倒れて光に包まれていた。

「何ってことぉ……」

 ロゥリィは交通事故を目撃してしまった少女のように、口を手で覆い呆然としていた。神官達も唖然としている。

 そんな中で、髪が腰まで伸びたレレイがすっくと立ち上がると言った。

「遠路はるばる、よくおいで下さいました。私がハーディです」と。



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[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 59
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/03/10 20:46




59





 とあるタイプの女性は、同性から蛇蝎のごとく嫌われている。

 ところが、このタイプの女性は男からすると大人気だったりする。人なつっこくて、可愛ゆく見えることが多いからだ。だけど、もしこの手の女性がそばにいたとして、その本性を看破することも出来ずに、迂闊に鼻の下を伸ばしてちやほやしてしまったりすると、男の側も多くの女性から冷ややかな視線を浴びせられ、疎まれることになってしまうことは知っておきたい。

 実際、この手の女性はロクな存在ではない。
 気分や、自分の都合で急に態度を変えて来るからだ。嘘も平気でつく。相手の心情や立場などに配慮することもないのだ。
 そんなことに気づかず、調子に乗って慢心していると、ある日突如として深く突き落とされて、心理的に、社会評価的に、そして男的にも、再起不能になってしまいかねないのだ。

 職場で、学校で、サークル活動その他諸々で……その手の女性がいたら是非気をつけて頂きたい。こういった女性と上手くつきあってなお、自己を保てるのはよっぽどの大人物だけである。

 ちなみに、お水の職業に就いている女性の場合は、職業的にそう振る舞っているだけなので、性格的にこの手の振る舞いをしてしまう女性とは違うのだと告げておかなければ不公平であろう。ま、男からすれば似たようなものではあるが。

 さて、この手の女性の特徴をまとめると、以下のようになる。

1.場の権力構造に敏感で、影響力のある存在にすり寄っていく。多くは対象が男性のために端から見ると男に媚びるように見えるが、対象が女でもすり寄っていける。

2.対象が好むタイプを敏感に察知して、それを演じるのが非常に上手。

3.損得勘定に敏感で、自己の欲求を満たすことが第1。嫌なことや手間のかかることは、他人に押しつけてしまう。だけど、人目には自分が一番仕事をしているとか、泥を被っているみたいなアピールが上手。

4.相手によって平気で態度を変える。

5.相手にしない態度をとってしまうと、馬鹿にされたと逆恨みしてくる。深刻な仕返し、(直接的な攻撃よりも、悪評を流すといった間接的な攻撃)をしてくる場合もあるので、恐怖の存在と言える。


 レレイの身体を乗っ取ったハーディが、レレイならば絶対にしない、と言うかできないはずの婀娜っぽい潤んだような瞳を向けてきた瞬間、伊丹の脳裏では警鐘ががんがん鳴り響いた。初見の女性に自分がモテるはずがないという思いは30年を越える人生経験で結構強固なのだ。そして、にもかかわらず自分に好意を寄せてくる女性が居たら、そこにはきっと下心がある。それが伊丹の認識である。

 そこで思い当たるのが、梨紗から言い聞かされた上記5条件である。

 別に、梨紗は伊丹を教育するためにそんなことを話したわけではない。ただ、彼女の属するサークルにこの種の女が居たらしく、殆ど毎日のごとく愚痴を聞かされ続けただけである。とは言っても、毎日毎日聞かされていれば、伊丹とて学習するものだ。

 この女、非常に厄介だ。

 伊丹は、背筋に電撃のように走るぞくぞくっとした恐怖感、戦慄、悪寒、そしてつきつけられた媚態に沸き上がる欲望?そんなものの綯い交ぜとなった感触に、身震いした。

 だが、相手はこちらの心を読んで来る。と言うことは、警戒していることまでも読みとられてしまうわけであり、あからさまに警戒していることも知られてしまうことは相手の機嫌を損ねることになりかねない。

 無難に躱すということが非常に難しい。

 逃げを信条とする伊丹としても、このような重囲下におかれては、身の処しようがない。「あわわ、あわわ、どうしたものか」と、四六の蝦蟇のごとく多量の脂汗を噴出させてしまった。

「どうしたの?」

 ハーディがレレイの声で問うて来る。

 すっと胸元15㎝の距離まで踏み込んで来る。そして下から上目遣いで、ちょっと首を傾げる姿は、そのまま飾って置きたくなる。容姿がレレイなので、可愛い振る舞いは非常によく似合うのだ。

 とは言っても中身は違う。清楚さなんて欠片もない淫靡な女怪だ。

 伊丹に許された対応は、両手を胸元前に拡げるガード姿勢を固め、「いえ、いいいえ、いえいえ、何でもありません」と慌てふためくというものだけであった。

 助けを求めて周囲を見渡せば、ロゥリィと、テュカと、ヤオからざわっと剣呑な気配が立ち上っている。そんな女相手にしてんじゃねぇよ、情けねぇ奴だな、とでも言いたそうな意志がそれらの視線には、はっきりと込められていた。

「そう構えないでいただけるかしら。ちょっと傷つくかも」

 甘えた口振りで、人差し指で伊丹の胸をつつくあたりは、あからさまでやり過ぎだ。とは言っても、効果があるからこそこの手は乱用されるわけであり、実際に伊丹の心臓は、所有者の意志を若干裏切って軽く高鳴ってしまった。

「いえいえ、そんなっ、とは言っても……」

 業を煮やしたロゥリィがついに動いた。
 ハーディの背後に素早く踏み込むと、チャキと金属的な音とともにハルバートの斧刃をその細い項に突きつけたのである。

「いい加減にしないと怒るわよぉ」

「あら、礼儀を知らない娘ね。亜神の分際で正神に刃を向けるとは良い度胸」

「わたしはぁ正神だからといって無条件で敬ったりしないわぁ。礼儀には礼儀、無礼には無礼で応えるわぁ。他人の男にぃ手を出す無礼な奴にはぁ、これで充分」

「久しぶりに肉の身体を得たのだもの。この沸き上がって来る飢えを満たし、乾きを潤し、体の芯に渦巻く肉の愛欲を達する時の、震えるような悦楽を味わいたいと思うのはいけないこと?ちょっとぐらい貸しなさいよ」

「誰があんたなんかにぃ」

「まぁ、妬いてるのね。可愛いくてよ……でも横恋慕って背徳的でぞくぞくっしちゃうわ」

「レレイは未通女(おぼこ)よぉ。痛いばっかりで、気持ちよくなんかないわよぉ」

「流石は永遠の処女(おとめ)。実感籠もってるわね。でも、貴女はどうやってそこから快楽を得ているのかしら?何かコツでもあって?」

「コツなんて簡単。だけどぉ貴女には無理ぃ」

「それは何かしら?」

「愛よぉ。愛が介在する時『だけ』ぇ、苦痛も愉楽へとなるのよぉ」

「流石、愛の神を目指すだけあるわね。じゃぁ、やっぱり本命の貴女に相手して貰わなくてはならないわね」

 そう言って振り返ったハーディは、細い指先を伸ばしてロゥリィの頬を撫でた。
 ロゥリィはハルバートの刃をハーディの首に更に押しつけて、おぞましげに「だから、やめぃ……」と突き放す。

「わたしぃは、あんたの嫁にはならないと言ってるでしょぉっ!」

「あら残念。でもいつかは気が変わることでしょう。それまで待つことにするわ。それに、新しい亜神が現れそうだからぁ、その娘を勧誘してもいいわね」

「ちっ」と舌打ちしたロゥリィは、その美貌を歪めて言い放った。

「レレイの身体からぁ、出て行きなさいぃ」

「嫌よ。この身体、幼すぎるのが難点だけど相性がいいもの……」

 ハーディはレレイの身体を、いとおしげに抱いて不敵に微笑む。

「それとも……力ずくで追い出してみる?この身体を破壊することが、貴女に出来て?」

 レレイの身を人質にとられてしまえば、ロゥリィとてくっと唇を噛んで引かざるを得ない。

 ハーディは、ハルバートの押し当てられていた首を軽く撫でると、じわじわと距離を置いて逃げつつあった伊丹を捕らえ、その右腕を抱くようにして取った。周囲の女達に見せびらかすような態度のそれで、雰囲気はさらにも増して悪くなる。

「さあ、参りましょう」

「ど、どこへ?」

「まずは、食欲を満たすことにするわ」

「しょ、食事ですか?まだ飯時には早いと思うんですけどねぇ…」

 つき合ってくれないと、後で酷いわよ。
 すうっと細めた眼差しには剣呑な光が充ちていた。そうして険しいところを見せておきながら、絶妙な力加減で腕をふんわりと抱いて来るところなどは、飴と鞭の使い方が実に巧妙であった。

 一行を引き連れて神殿を出たハーディは、神官や巫女達の縋るような視線にも目も止めず、ベルナーゴ神殿の門前町にある一番豪華そうな食堂に入って、卓上が溢れかえるほどの料理を次々と運ばせた。

 相伴を強いられることとなった伊丹や、ロゥリィ、テュカ、ヤオも思わず絶句だ。五人がかりでも、正直言って食べきれるかどうか怪しい。それくらいの量であった。

 肉、野菜、川魚、香草、キノコ、小麦、乳酪、乳精などをふんだんに用いた料理は、見ただけでも胃がもたれそうだ。なのに、ハーディはそれらを一人で食い尽くさんばかりの勢いで手を伸ばしている。

 ひと皿、ふた皿と次々に空になっていく様に、腹でも壊さないかとつい心配になる。

「い、いくら、他人の腹とは言っても、少しは気をつかったらどうなの?」

 伊丹達が、その余りの食べっぷりに絶句している中、レレイの身を気遣ったテュカが言った。

 だが、冥府の神は肩を竦めると一人嘯く。

「あ~あ神になんて、なるものじゃないわね。無限の孤独の中で、どんどん無感動、無感情になっていくのよ。このままだと、ただただ役割を淡々と果たすだけの存在になってしまうかも知れない。それを防ぐためにも、魂の歓びを共に出来る伴侶が必要なのよ……ロゥリィ、わたしの嫁になりなさい。別に婿でもいいけれど、一緒に溶け合い永遠を楽しみましょう」

 ロゥリィは、パンを囓りながら嘯いた。

「いやよぉ。もう間に合ってますぅ」

「あら、やっぱりこちらの殿方かしら?」

 ハーディは伊丹にすすっと顔を寄せた。

「手を出すなと言ったでしょぉ!」

 興奮した猫のように髪を逆立てたロゥリィは、伊丹の腕をひっぱってハーディからメリメリと引きはがした。

「昇神を看取られるのは最高の幸せよねぇ。伴侶が寿命を迎えるまで宿っていればいいし、その後は眷属に招いても良い。看取った側にまわっても、魂を預かっておけば昇神する時に同伴してもらえるもの。……あ~あ、これから昇進する娘が羨ましいなっ!ねぇ貴方、同情してくださいな。孤独な寂しい女に優しくして」

 そんな風に言い寄られれば、ガードを固めていても思わず揺れてしまいそうになるのが男の性かも知れない。これを防がんとばかりにロゥリィは柳眉を逆立てる。

「しっしっ、いかがわしいぃ!」

「じゃあ、そこのハイエルフ。貴女がロゥリィの代わりに相手をしてくれない?」

「レレイならともかく、ハーディ様はお断りです」

「あら、どうしてかしら?」

「好意を持てないからです」

「そっちのダークエルフはどう?」

「お断り申し上げる。かつてなら、お誘いに応えるのも吝かではなかったでありましょうが、今となっては御身に好意など持ちようもありません」

「ジゼルから、話は聞いたわ。残念なことだったわね」

 その他人事のような言い様に、ヤオは卓を叩いて立ち上がった。

「残念っ!?残念と言われたか?」

 間にテーブルが挟まっていなければ今すぐにでも挑みかかりそうなほどの怒気を視線に込めていた。テュカも、ヤオ程でないにしても美麗な眉を少し寄せて、不快感を顕わにしていた。

 そんな視線にも全く動じない態度で肉を食(は)みながら、ハーディは愚痴を漏らす。

「ええ、言ったわ。間違いなくてよ」

「言うに事欠いて、残念の一言ですか?友人、仲間、家族、親友、そういったものを己の所行で亡くした者に対してかける言葉がそれですか?」

「ええ、そうよ。神と人間とでは、見ているものが違うのだもの。畑を潤せと雨を望む者がいる。その一方で空よ晴れろと好天を望む者が居ることも知っている。でも、嵐や暴風を起こして大地を洪水で覆うの。何故なら、行き詰まった森の木々を少しばかり倒し、葉を落とし土を肥やすため。あるいは土を濁流で流して肥沃な土で大地を覆うため、さらなる生命を育むためよ。でも、そんなことも知らない人間は自分の都合に合わないからと言って神を憎むの。物事の善悪は人間の情でしかないわ。因果は、また次の因果を紡ぐ、次の因果、また次の因果、そしてさらに次の因果………神は、もっと大きく、長い時の流れで物事を見ているわ、昨日今日の些末な出来事の、一時的な損得善悪にこだわらないの。ねぇ、貴女は夏の炎暑にあたって人が亡くなった時、太陽の神を呪って?」

「いいえ」

「波濤に船が飲み込まれ、船員達が溺れ死んだ時、貴女は海神(わだつみ)を呪うのかしら?」

「呪ったりしません」

「それは何故?」

「自然の為したことだからです」

「では、炎龍が子を産み、育むために餌を獲る。たまたまそれがヒトだったりエルフだったりした。そのことのいったい何が問題だったのかしら?あなた達が今食している毛長牛の肉。その子牛が親の敵と襲ってきたら討たれてやるのかしら?」

 ヤオはそっぽを向くと鼻で笑った。

「肉親や仲間を失ったことのない者なら、つい受け容れてしまいそうな理屈ですね。傲慢でむかつく考え方です」

「あら、貴女達エルフだって、ヒトが森に踏み込んで、生活のためであろうと樹木を切り、猟をすること禁ずるでしょう?それはヒト種からすれば傲慢でむかつく考え方だわ。目の前に富をもたらす森があるのに、エルフのせいで狩りが出来ない。貧困を強いられている。そんな風に猟師は呪うでしょうね。ねぇ、何のために森を守り、ヒトが入ることを禁ずるの?」

「それは、森が失われないようにです」

「では、炎龍を始めとする古代龍は失われて良いの?」

「それは……」

「野に生きる生き物を、家畜みたいに飼い慣らして餌を与えればよかったの?全ての肉食の生き物をそんな風にすればよい?ゾッとする世界が出来そうね……」

「……………」

「そう。見ているもの、立場、考え方が異なるのよ。恨み辛みを抱くのは勝手だわ。それを晴らしたいと思うのも貴女達の自由。だから私は、可愛い龍達が討たれたことについては許すことにしたの」

 その上で、お気の毒様と言う意外に、なんと言えばいいのかとハーディは愚痴った。

 ヒトもエルフも、肉食の動物も、ありとあらゆる生き物が、互いに命を奪って互いを餌にして生きている。生きるために殺し、食べるために殺す。そうしなければ、生きていけないのだから。

 この世界に生きている限り、自分の意志に反してであれ、進んでであれ何かを殺している。そして殺した側、殺された側も、何くわぬ顔でともに暮らすのよ。それが生きるということだと知っているから。

「ねぇ、ロゥリィ。私、何か間違ったこと言っているかしら?」

 ロゥリィは、まずは黙した。
 ハーディなんぞの言葉に頷くのは業腹だったからだ。だが、殊この件については節を曲げるわけにもいかないのは確かであり、だから吐き捨てるようにして「何もないわぁ」と告げた。

 それを見て満足そうに頷いたハーディは朗々と語る。

「多くの人間は勘違いしているの。この世が理想郷だと思っている。自由も当然、平和も当然、世界は充分な富と幸せが満ちあふれていて、自分はその恩恵に浴せるはずだと思っている。自分が生きていけるのは当然だと思っている。でも現実は違う。何もなく、与えられず、理不尽にも命すら奪われる。だから思い込む。自分にそれが与えられないのは、誰かがそれを横取りしたり、奪っているからだと。そうすれば自分の貧しさを他人のせいに出来るから。実際は違う、豊かさとは生み出すもの。作り出す物。探し出す物。創造する物。そして戦って勝ち取るもの。命は守って初めて保たれる。元からあるものでは決してないの。誰かが産み、作り、育てて初めてそこにある。そのことを知らないのか、あえて目を背けている愚か者共が、在るのが当然と思い込むのよ。ここに出てくる料理とて、料理人がヘボなら家畜の餌にもならないものになってしまう。これは天然の材料を元に、料理人によって創造されたものなの。そして、その価値に対して客は対価を払う。料理人はその能力で、豊かさを作り出すの」

「あの、良いですか?」

 伊丹は口を拭きながら手を挙げた。

「今の話、凄くもっともに聞こえます。最後なんて拍手したいところです。でもね、何かがおかしいと思ったんだ。それで考えてみたんだけど、ハーディ様」

「なあに?」

「今の話だと、眠っていた古代龍を叩き起こした理由にならないと思うんですよ。確かジゼルさんがおっしゃった話だと、他の亜神に勝つとか何とか……神様同士の諍いのお支度ですか?」

「そうよ。そうだわっ。危なく、丸め込まれるところだった。古代龍を増やすためだったら、活動期に入ってからで良かったはずよ」

 今度はテュカまでも席を立って騙されないぞという構えで、ハーディに迫った。

「なかなか鋭いわね」

 テュカやヤオの敵意に満ちた視線を無視して、ハーディは伊丹にだけ微笑んだ。

「いいえ、どっちかって言うと鈍いと言われてますけどねぇ、あはは」

「それって誰の評価?」

「まあ、友人とか知人とか、上司とかです」

「随分と見る目のないお友達なのね。それに自己評価も低すぎよ。他でもない私が褒めてあげるから自信を持ちなさい」

 ハーディはそこまで言うと、酒を口に含んだ。

「敢えてこの時期に炎龍を叩き起こして、子をなさせたのは、この時期でなければ間に合わないからよ。でも、他の神々と諍いを起こすのが目的というのは誤り。結果として、他の神々や、亜神と諍いになるかも知れないけれど。それ自体を目的に据えたつもりはないわ」

「では、何が目的ですか?」

「私たち神が目指す究極の目標は、この世界という箱庭を豊かにしていくこと。栄えさせていくことよ。そして私は冥王。停滞と安定とを崩して、新しい潮流を引き起こす」

「要は、引っかき回すってことですかねぇ」

「言い得て妙ね。でもその通りよ」

「何だかなぁ」

「何か思うところがありそうね。許すから口にしてご覧なさい?」

「………あれ、こころ読めるんじゃないんですか?」

「横着しないで欲しいわ。肉の身体に憑依している間は、聞こえないの。だから口にして貰わないと意志の疎通はできないわ」

「そうですか。神様相手に、こんなことを語っちゃうのも何なんですがね、今の話を聞いていて子供の頃、一生懸命積み木を積み上げてこれから完成って頃合いになると、横から邪魔しに入ってくる奴を思い出しました。まるでぶち壊すことを正義みたいに誇ってた奴でね。非常に腹が立ったのを覚えてます」

「なかなか面白い感想ね。私のしていることは、未熟な餓鬼が、嫉妬と自己顕示欲から起こす癇癪と同じとは……でも、そうかも知れないわね。気がつかなかったから、今度からは、自覚的にやることにしましょう」

「え、受け容れちゃうんですか?」

「確信犯だもの。それが役割だからもあるけど……そうよ、言われてみて気づいた。私はそれが楽しくてしょうがないのよ。私がぶちこわしたことで、慌てふためく人間達。あちこちで始まる戦争と動乱を見るのが楽しくてしょうがないわ。知ってる?今頃、帝国は親子兄妹に別れて、内戦の真っ最中なのよ」

「な、内戦?もしかして、それにも関わったりしてます?」

「うふふ。さぁ、どうかしら。でも、これで能力も見識も無い癖に権力や立場を得ていた者は、居なくなるでしょう。力があっても機会を得ずに世に出られなかった者が、これで出て来易くなったわ。能力のない者は振り落とされ消えていく。引っかき回すと言うことは、世界を新鮮に保つ、腐らせない秘訣なのよ。さあ、お腹も一杯になったことだし、そろそろ次に行きましょう。良い物をみせてあげるからついてらっしゃい」

 こうして伊丹達はハーディに引きずられるようにして店を出ることとなった。




「美味しゅうございました」

 ハーディは「妊娠何ヶ月?」と尋ねたくなるほどに膨れあがったお腹を、ポンポンと叩きながら食べたものの味を反芻しながら告げた。

 その隣には、食事の代価として馬鹿にならない金額を支払わされて「お布施よ、お布施」と背中を叩かれながら涙目となっている伊丹がいる。

「功徳を積んだから、貴方に御利益を与えましょう」

 そうハーディは言う。が、伊丹としては彼女の人となりをとても信じることは出来ないでいた。

 停めて置いた高機動車にロゥリィ、ヤオ、テュカ、そしてハーディ(レレイ)を先に乗せて、伊丹自身は少し離れたところに下がって、軽くなった財布の中身を確認する。両替して置いたこちらの貨幣は随分と減ってしまった。金貨、銀貨、銅貨……。

「何で俺が……経費で落ちるかねぇ」

 そんな愚痴をこぼしていると、「よお、伊丹」と路地裏から声がかけられた。
 久しぶりの日本語に一瞬違和感を感じたが、よくよく見れば古巣の同僚達である。

「赤井、剣崎。どうしてここに」

 赤井三等陸尉も剣崎三等陸尉も、それぞれ地元民の服装をしてしまうと日焼けした肌もあってかこの土地にとけ込んでしまう。もし、呼び止められなければきっと気がつかずにすれ違ってしまっただろう。

 二人の待つ路地裏に入り、二人の肩を叩く伊丹。
 銀座事件で一人だけ昇進してしまった身だが、古巣に居た時は同階級であったし、同じチームに属していたこともあって気の置けない仲である。二人は、習慣的に周囲に対する警戒の視線を送りながらも、親しげに伊丹の肩を叩き返した。

「アルヌスや、イタリカ、帝都周辺へと枝を伸ばしていた地下組織の本株が、このあたりまで伸びていることがわかってな。根刈り、枝刈り、草刈り中だ。といっても、俺たちは夜番なんで、日の出ている内に土地勘を掴んでおこうとこうして出歩いてる。今から、飯を食うつもりだ」

 つまり、夜間には作戦があると言うことだ。この街のどこかが彼らによって襲撃されることになるのだろう。

「このベルナーゴに?」

「ああ。帝都にある売春宿が元締めっぽく見えていたが、どうもただのならず者で連絡役に過ぎないようだ。地下茎を手繰ったらこんなところに来ちまったんだが、組織としてはこっちの方が本命っぽいってのが2科長の出した結論だ。徹底的に叩き潰してやる。それより、伊丹。お前の方こそどうなってる。何でこんな所に?」

「深部資源の探査中なんだが、こちらの神殿からお呼びがかかっていてね、こっちの神様に何やら良いものを見せてやると言われて、それを見に行くところ」

 赤井も剣崎も「神様?なんだそりゃ」とあんぐりと口を開けた。

『特戦』に所属している面々は現実主義者ばかりである。いろいろな事情で特定の宗教に信仰心が篤い者は、特戦には入れないからだ。それだけに、神様とかそういった超現実的な存在を受け容れることは難しく、神様……何それ。といった反応を示す物が多いのである。
 ロゥリィについて言えば、とんでもない寿命をもち、とんでもなく強く、そして幼い外見の種族という理解の仕方をする。

「その割りには、いつもと同じ顔ぶれしかいないみたいだな?あれはレレイだったよな。へぇ、ロングも似合うんだねぇ」

 赤井は、高機動車に乗っている女性達に視線を送った。彼は非常に視力がよいので、ちょっと距離が開いていても人相風体を見分けることが可能だ。

「ま、ちょっとな」

 レレイが憑依されているとか、その手の話をしても精神疾患とか、そういった解釈になって混乱させるだけなので、伊丹は誤魔化すことにした。

「そか。まぁいい、ところで今出てきた店。味はどうだ?」

「美味かったぞ。高かったけど」

 伊丹はそういって、お勧めの料理について若干の情報を提供する。するとお返しとばかりに剣崎が言った。

「グランマの行方がわかったぞ」

「な?何だと?!」

 伊丹は血相を変えた。

「名を変えて潜伏していた」

「ど、どこだ、何処にいた?何故お前が知っている?」

「偶然だよ。ここで聞いても仕方ないだろう。ネットに繋ぐ環境もないのに……後でURLを教えてやる」

「わかった。有り難い、ホントありがたい」

 伊丹は剣崎の手を諸手で握り何度と無く頭を下げた。と、同時に気づいた。これがハーディの言う御利益か、と。

「うまい飯の情報と引き替えだ、そう悪くないだろ」

「ああ、凄く有り難いぜ」

 伊丹は、この世界の神様という存在がどれほどに凄いかその片鱗を見たような気分になっていた。これならお布施もまぁ、惜しくない気になってしまうから不思議である。




    *    *




「で、やって参りましたトワイル。見せたかったのは、ここよ」

「良い物がある」の一言で、ベルナーゴから引っ張り出された一行が、北へと向かって一昼夜。ようやくたどり着いたその場所は、緑豊かな牧草生い茂る牧歌的なところであった。

「のどかなところだねぇ……」

 アルヌスへの帰路の燃料が足りなくなりそうな予感で頭を悩ませている伊丹は、深く考えることもなく感じた通りに呟いた。だが、同伴者達はどうも同じようには感じていないようであった。

 不敵な態度のハーディは、ニヤニヤとアルカイックスマイルを浮かべているたけであるが、ロゥリィは今にも挑みかかりそうなほどに敵意をというか殺気をまき散らし、ヤオとテュカの二人は、何かおぞましい物でも見ているかのような嫌悪の表情を浮かべている。

「どしたの?」

「ここは、もう死んでるわ」

 テュカは、地に片膝を着いて牧草を調べた。枯れることなく、緑のまま死んでいると言うのは理解できない。せめて秋の芝生のような色になっていればわかるのである。だが、虫の死骸を掌に拾って、調べるか今さっき死んだがごとく、新鮮に見えた。ただ水気だけが抜けている。

「死んだ植物や虫が、腐りもしないのってどういうこと?」

 腐敗させる菌がまでも死んでいるということだ、と現代科学の知識を持つ伊丹なら解釈できるところである。つまり、ありとあらゆる生き物が此処では死に絶えている。原因は、放射能か?毒ガスに類する物か?と思うところだ。

「いったい何故?」

 注目を浴びたハーディは、悪戯が成功したかのごとき笑みを浮かべて告げた。

「貴女達、世界が歪んできていることには気づいているかしら?」

 すぐに、ロンデルで発表された内容が思い浮かぶ。空を眺めて歪みもその目で確認している。

「解っているなら話が早いわ。ここは、そのしわ寄せを受けている場所なのよ。ここはまだ、マシな方かしら」

「何が起きているの?」

 テュカが重ねて問いかける。

 ハーディはそれに答えず「次に参りましょう」とだけ告げた。

 クナップナイへと向かっている最中、運転している伊丹は、後部からゴツゴツ頭が叩かれることに気づいていた。バックミラー越しに見えるロゥリィやテュカの視線は、お前が尋ねろと言っている。ハーディはどうも、嫌われていることへの当てつけか、女性からの問いには答えが辛い。

 仕方なしに、助手席のハーディへと尋ねた。

「実際、世界が歪んできているというのは、別の場所でも聞いた話なので理解できます。さっき行った、トワイルという土地が死に絶えているという話は、正直言って俺にはわからなかったんですが、テュカやヤオが深刻に受け止めているってことは解りました。で、尋ねるんですが、いったい何が原因なんですか?そしてなんでそれを俺たちに見せようと?」

 高機動車から見える外の景色が、流れていく様を楽しんでいたハーディは、伊丹からの問いに「どう説明したら良いかしら」と風にながされる銀髪を梳くようにしてから、頭を掻いた。

「こうなったのは、『門』が開いているからよ。それをあなた達に知って欲しかったの」

「説明してくれるんでしようねぇ」

 つい口を挟むロゥリィ。だが、ハーディは伊丹に答えた。

「異なる世界を繋ぐというのは、案外簡単なことなの。二つの世界の流れがもっとも近づいたところで、ちょっと門を開けばいいのだから。そして、その門は二つの世界が離れていくと、消えてしまうわ」

 だけど門を強固に維持するものがある。それがあるがために、門が消えない。不自然な力がかかって世界に歪みが生じている。ハーディはそう言った。

「歪みが広がると、世界はトワイルのようになり、そして……こうなるわ」

 ハーディが車内からクナップナイの地平を指さした。

 そこは、暗黒の雲海に覆われつつある高原であった。




 日本で言うなら長野の軽井沢か、山梨のような、高原と山に囲まれた風光明媚な土地。

 そんな山々のつくる谷間を見下ろすようにして、一人の女性が佇んでいた。
 白ゴス神官服を纏った竜人出身の亜神、ジゼルである。彼女は、黒い雲海に覆われていく大地をただじっと見つめていた。

「ジゼル。どんな様子?」

 ハーディの声にジゼルは振り返る。

「主上。わざわざのお運び頂かなくても」

 ジゼルは畏まって片膝をついて見せた。

「ご覧のように、どんどん広がっています。昨日は山が二つ飲み込まれました」

「なにこれ」

 怯えたように言うテュカに、ジゼルは「なんでぇ、お前ぇらか……」と鼻であざ笑うかのように言う。

「じぃ~ぜるぅ。お久しぶりねぇ」

「ひっ、お姉さまっ!それにこの男っ!」

 ロゥリィに凄まれたジゼルは、ハーディを楯にするかのように隠れつつ言った。

「み、見ての通りさ。大地が、あの黒い霧に飲み込まれていってんだ。酷でえもんさね」

「ただのガスの類ではない?」

 伊丹の問いに、ハーディは石を拾って黒い霧へと投げ込んで見せた。こぶし程度の石は、の中に飛び込んだ瞬間、霧の中から発された電光によって瞬く間に砕かれてしまう。霧に覆われた大地は、細かく砕かれてしまうのだ。

「門を閉じないとどうなるか、理解できたかしら?」

 テュカとヤオがそれぞれ風の精霊魔法を唱え始める。

 霧や雲のようなものならば風で祓えるはず。そう思ったのだろう。

 だが、開いた傘が吹き飛ばされる程度の風が吹いても、高原を覆う黒い霧は揺れ動くことすらなかった。

「これは、霧や雲の類ではないのよ。だから風で祓うことは出来ないわ」

「まさか、アポクリフ……」

 ロゥリィは呻くように漏らした。

「そう、世界を覆い隠す闇。世界の終末を起こす物として予言されている物よ。本来ならはその出番は、あと数万年は先のはずなのに、早々と出てきてしまったのよ」

「どうして?」

 テュカの問いにハーディはつまらなさそうに言う。

「もう原因は説明したわ」

 続けてヤオが問う。

「違います。何故、それを此の身達におっしゃるのでしょうと尋ねているのです。我らは貴女を主神と仰ぐ信徒ではございません。御身なら信徒やこちらにおわすジゼル聖下らに命じられれば宜しいではないですか。門を閉じさせよ、と」

「あら。私は門を閉じろとお願いするつもりはなくてよ」

「ずるいのねぇ。門を閉じないと世界が滅ぶと説明して置いて、どうするかは自分で決めろと言うのぉ?」

「そうよ、ロゥリィ。この際だから私は見てみたいの。門に託しているものが多い人間が、門を自ら閉じることが出来るか。それに、こちらの殿方は門の向こうのご出身。門の向こう側に、様々なしがらみがあることでしょう。門を閉じると言うことは、貴女にとってこちらの殿方との別れとなるかも知れなくてよ。あなた達にはそれをする決断が、果たして出来るかしら」

 わくわくした表情のハーディを見て、伊丹は思った。

 やっぱりこいつ、ロクな女じゃねぇ、と。













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 もう、3月中に(あと4話で)終わらせることを諦めます。どうやっても、4話では収まりません。終わらそう終わらそうと頑張るほど、変なことになってしまいます。(っていうか、今までも削りすぎ)

 と言うことでもう暫くおつきあい下さい。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 60
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/03/10 20:52




60






 首相官邸

 もう、午後10時を回ったというのに、麻田が執務室にあって沈思黙考を続けているがために、主立った官邸のスタッフ達は退庁できないでいた。

 だが、お役所仕事は、汲めども汲めども尽きることのない泉のごとく湧いてくるものだ。仕事場に居るかぎりすることは沢山あった。

 法律、予算、外交、防衛……様々な事案について、情報を掻き集め総理が判断を下す際の助けとすべく整理し、判断が下されたなら、該当する書類を作成して管轄する省庁へと送るため使送便(しそうびん)ボックスに放り込む。
 使送便とは、お役所が独自に行っている切手の要らない郵便みたいなものだ。地域や役所によって呼び名が違う。都庁だと交換便(こうかんびん)。逓送便(ていそうびん)と呼ぶところもあるらしい。

 出前で夕食をとり、コーヒーなどを呑みながら、滞っている仕事をひとつまたひとつと片づけていく。そして、首相の執務室から出てくるお茶汲み秘書の顔を見ては、「どんな様子だった?」と尋ね「まだ考え込んでらっしゃいます」という答えに、嘆息するのである。

 財務省から来ている新婚の事務秘書官が携帯を取り出して、メールを打ち始めた。今夜は遅くなるから、先に眠っていてもよいとでも知らせているのだろう。警察、外務省、それぞれから来ている皆も、今宵も終電前に帰れるだろうかと考えながら、もう無理かも知れないという諦めの気持が出はじめている。

 ちらりと時計を見て互いに顔を見合わせ、再び仕事のために机と向かう。

 日本という国の中枢に勤める者は、こうして今夜も残業しつづけている。

 さて、今、麻田の頭を占めているのは、政府の支持率のことでも、某国が人工衛星と称して発射しようとしている弾道ミサイルのことでもなかった。

 マスコミのする批判のための批判に曝されていては何をどうしたって、支持率は上がることはない。だからもう、とうの昔にすっかり諦めていた。

 弾道ミサイルの一発なんかも、被害が出ない限りは発射してくれた方が立場が明確になって、かえってやりやすくなるくらいだ。

 そんなことよりも、問題なのは門をどう扱うかである。

 陸上自衛隊 特地方面派遣部隊二等陸尉 伊丹耀司の報告は本来ならば、戯言として黙殺あるいは笑殺すらしてもよいものであった。少なくとも一国の総理が真剣に取り合うような内容ではなかった。対策を考えなくてはならないと思わせるほどの、科学的な根拠も説得力にも欠いているのだ。

 もしこの場に精神科医師が同席していたなら、伊丹が体験したと言う内容の殆どは病気として片づけられてしまうだろう。

 現地人の少女に神が取り憑いたという現象は、国際疾病分類に言うところの『トランス及び憑依障害』に該当するし、それ以降の伊丹等が各地で見せられたという世界の歪みからおきる現象についての話も、感応性妄想性精神障害と説明できなくもない。

 なのに、麻田は考え込んでしまった。門を閉じることで起きうる事態。その影響。諸外国、野党の追及等々についてである。

 統幕議長を含めて、周囲の誰も彼もが「取り合うべきではありません」と進言しているのに、自衛隊の2等陸尉程度の言葉を麻田は真剣に受け止めていた。もちろん、それは麻田が伊丹という男と個人的な知り合いであったということも理由となるが、その内容が事実だと直感的に理解出来てしまったからでもある。

 問題は、直感でしか理解できないことにある。

「この世の終わり」

 そう聞いて原因と考えられることは、日本という狭い範囲なら、国土が大規模地震で沈没したり、空から無数の核爆弾が振ってくるという事態かも知れない。某国の配給会社が余所様のフィルムを勝手に改竄してまでも日本が滅亡するという結末にしたがったウィルス感染による場合もあるかも知れない。

 これが地球規模なら、温暖化による天候の激変と海面の上昇とか、巨大な小惑星の落下という現象がそれを引き起こすかも知れない。こういった事は、あり得なくもない話として、想像できるのだ。

 これらに共通していることは、原因と結果の因果関係が合理的に理解でき、他者と共有できることに尽きる。その発生確率の稀少性は問題ではない。

 ところが、門によって引き起こされるという世界の終わりとやらは、原因と結果が理解しがたいのだ。

「世界が歪む?その結果、破綻する?」

 どうやって、他人を説得しろと言うのか。理解させろと言うのか。

 それにだ。門を閉じたとしても、いずれ後で開ける可能性を伊丹は示唆したが、上手く行くとは限らない上に、再び開くのには相応の時間がかかるとも言っていた。そして何よりの問題は、開け閉めが可能なものであるなら、設置場所も変えられる可能性も考えなくてはならない。

 もし、可能であったとしたら日本は、諸外国から今以上の圧力に曝されるだろう。ゆえに、それは可能な限り秘匿して起きたい。出来ることなら開け閉めしないのが、一番なのだ。

 麻田は頭を抱えていた。




 重厚なドアが開かれる音。

 仕事を続ける秘書官達が頭を上げてみれば、ドアの隙間から麻田が顔を出していた。

「悪りぃけどよ、統幕議長の居所、判るか?」

 ほれきた。予想通り……居残ってて正解だった。

 補佐官は「統幕議長は浅間山の噴火対策会議に出ておられます。もう終わる頃ですから、市ヶ谷に戻られているのではないでしょうか?」と言いつつ電話を取ってボタンを押しはじめた。

「浅間山?」

「先日、気象庁から噴火警戒レベル3が出ました」

「そうだったな。このところ、変な地震も多いってのに浅間山の噴火かよ……」

 麻田はそのまま執務室に戻らず、秘書官達の屯する事務室へと入った。
 テーブルの上には出前された寿司が三つ四つ残っていて、小腹のすいているらしい麻田は、その中から蒸し海老を選んで手を伸ばす。

「総理。どうなさるんですか?」

 第2秘書の女性が、気を利かせてお茶を差し出した。

「お、有り難うよ。……兎にも角にも、考えるのに材料が必要だからな。もっと詳しく調査するように統幕議長に指示するつもりだ」

「調査した結果、2等陸尉の報告した事象が実際に起きていたとしたら、どうなさるんですか?」

「問題は、それなんだよ」

 麻田は呻いた。

「それが事実だったとして、世界が破滅するってことと関連づけられるかなんだよ。そのあたりを解説してくれって言って、誰もが納得するような答えを返してくれる学者さん、どっかにいるんだろか……」

「下手すると、草津派の連中が黙っていませんよ」と主席秘書官。

「あいつらは建設関連企業と繋がっているかんなぁ」

 衆議院議員でもある首相補佐官が言う。

「それに、野党だってです。民政党の党首は東北の建設業界をがっちり握ってます。特地開発計画でも業界の利益を代表して食い込みに全力を注いでました。今更、門を閉めるだなんて言ったらあの連中、臍を曲げますよ。与野党双方から袋だたきにされます」

 特地の資源開発は、国内の土建業界にとっては久々の大仕事である。担当官庁と政治家、そして企業という関係で瞬く間に利権構造が構築されて、利益分配役として特地資源開発機構、特地産業振興財団、特地貿易振興会等などと、天下り団体が設立される運びとなっている。もちろんこれらは役人の天下り先となる。

「外交も大変なことになります」

 外務省から来ている事務秘書官も告げた。特にアメリカ、EUそして中国は話が違うと言って文句を言ってくるだろう。全方位からの非難を受けて麻田政権は木っ端微塵に吹っ飛ぶことになるだろう。

「統幕議長と繋がりました」との声に麻田はお茶で口をすすいでから、受話器を取る。

「ああ、麻田です……」

 事務秘書官達は、それぞれ派遣元の省庁に既に用意して置いた『門』を閉じる可能性とその影響を検討するよう促すメールを、一斉に送り出す。

 こうして首相官邸から、事態は少しずつ動き始めた。




 伊丹は、銀座を経てアルヌスへと戻っていた。

 ベルナーゴから戻ってきた時は慌ただしくてアルヌスの様子を観察する余裕はなかったが、こうしてみると自衛隊が待機する日常は以前とほとんど変わらないままと見える。

 だが、ゾルザル率いる反乱軍との戦いに圧倒的な勝利を得たことで、隊員達は充実感と自信を深めたらしい。すれ違う際に向けてくる敬礼や、所作、言葉といったそこかしこに、きびきびとした張りが感じられていた。

 レンジャーの訓練時(別にレンジャーでなくても)、理不尽なことに助教から「目の輝きが足りないっ!」と言った罵声を浴びせられることがある。

 どうしたら目を輝かせることが出来るのか、方法があるのなら尋ねてみたいところである。もし本当に光っているなら緑内障を疑わなくてはならないと、屁理屈をこねて不平不満に思ったくらいだ。だが、こうしてみれば、なるほど目を輝やかせているとはこう言うことかと思わせるほどの活気が隊内に満ちあふれていた。

 それは普段と違う、ある意味で健全で素直なものに思えた。

 悲しいことであり、不謹慎も承知であるが、自衛官は活躍の場を与えられることを求め続ける鬼子でもある。かつて吉田茂が言ったように、自衛官が褒められ讃えられる場とは、国民が困窮する時である。大災害、大事故、そして有事。だからこそ税金泥ボーという罵声にも耐えて欲しいと時の首相は、防衛大学の卒業式で演説したのだ。自らが、税金泥ボーと蔑まれる世の中こそ、自分達が守ろうとする平和で安全な日本なのだからと。

 それは悲劇の主人公めいた陶酔感を防衛大学卒業生達にもたらしただろう。
 日本の平和と安寧のために、後ろ指さされながら罪業を一人背負う……そんなロマンチシズムに浸ることで、己の人生を満足させることが出来るのだから、それはそれでよかったかも知れない。
 制服組の反感を抑え、かつての帝国陸軍ような暴発を防ぐという意味では、政治家吉田茂の成功と言える。
 だが、それは歪んだ不健康な自己満足だ。
 これによって、平和を維持するために、防衛というものがどれほど必要かを世間に訴えることも、自分達がしていることをもっと知って貰うと言うことも、最初から諦めてしまう風潮が出来てしまった。

 自衛官達の全てがそうだとは言わない。だが一部の自衛官達は確実に歪んでいる。

 汚いもの、恐ろしい世界の現実など、無垢で幼い子供達に見せる必要ない。それは俺たち大人が背負えばいい。そんな雰囲気が自衛隊にはあるのだ。だから自衛官達は、駐屯地の営門前に集まって騒ぐ平和運動家達を、物事がすこし判り始めた年代の無邪気な子供が、生意気なことを言い出したかのごとく見る。そう見てしまう。

 彼らの内心の声はこんなものかも知れない。
「うんうん、良いよ、良いよ。君たちはそれで良い。君たちが無邪気に平和平和と唱えていられる毎日こそが、俺たちの仕事の成果だ」と。

 まるで、悪戯をする孫を見て、元気で宜しいと微笑む老人のようではないか。

 あるいは、こっちの方が多いかも知れない。

「こいつら頭おかしいんじゃねぇか。おめでたい連中だ。誰が国を守っていると思ってるんだ?」

 要するに相手にしてないのだ。

 すると平和運動家達も、自分達が相手にされていないことを感じるから、主張することがだんだんヒステリックになってくる。一例では「飛んでくるミサイルを打ち落とすと破片が降ってくるから危険だ。だからミサイル防衛反対」という主張があった。

 多分、言っている当人もその異常さに、気づいていないのだろう。生意気盛りの子供が訳知り顔をした大人を見るかのように、自分達の言葉に耳を貸さない大人に対するかのように、ますますおかしくなっていく。そして、そのおかしさを感じられないまま、自衛官こそ戦争を起こそうとしている存在であるかのように見てしまうのだ。

 こうして、互いに理解できない溝が出来る。そして、そこが日本の安全を脅かそうとする真の敵にとっての付け込みやすい弱点となっている。

 職業を食べていくためのものと割り切っている伊丹は仕事に充足感を求めていない。だから自衛隊という組織や、その中の風潮そのものを突き放して見ることが出来た。そして、そんな中に満ちている歪んだ自己満足が嫌でしょうがなかったのである。逆の意味での増長慢ではないかと感じていたからだ。

 ところが、こうして見れば戦争に勝って嬉しいと歓び、そして張り切っている隊員達がいる。それがいかに不健康なことであるか承知の上で、「実に健康的だなあ」などと感じてしまうのである。

 隊舎に戻って制服から戦闘服に着替える。既に夕食の刻限は過ぎているので、いつもと同じように街へ下りて食堂に行くことにした。

 その賑やかな雰囲気は、以前と変わらぬ活気と喧騒で充ち満ちていた。

 新規に導入されたらしいガソリンエンジンの発電機が軽快な音を立てて回っている。裸電球の照明が、あちこちを明るく照らし踏み固められた地面に、少しばかりガタつくテーブルが並べられて、屋台村のごとく広大な天幕が雨露をしのぐべく夜空を覆っていた。

 ヒト種を始めとして、ドワーフの職人、猫耳のキャットピープルや、これまではアルヌスでは見かけなかった翼人なんかの姿まであった。様々な種族が肩を並べて座り、テーブルの上に置かれた料理を食べ、酒を酌み交わすその雑多な無政府状態こそが陽気な雰囲気の源だろう。

 だが、伊丹は、ささやかながらも違和感を感じた。

 街の住民達が少しばかり余所余所しいのだ。ちらちらと伊丹に向けてくる視線こそ感じるが、何か隔意でもあるのか誰も声をかけて来ない。

 伊丹は空いているテーブルを探したが、どこもあいていないのでカウンターへと目を向けた。幸いなことに空席が1つだけあったので、左隣のドワーフにちょっとばかり詰めて貰ってようやく落ち着き場を得る。

 右隣は、PXの猫耳娘が酔いつぶれたのか突っ伏している。さらに、その隣では彼女の同僚が管を巻いて周りの男共を辟易とさせている。可愛い女の子も、酔っ払って、しかも周囲にからむようでは魅力も台無しだ。男達も手を焼いているようであった。

「なんだか、良くない飲み方だね」

 そんな感想を呟きながら腰を下ろすと、料理長のおやっさんが声をかけてきた。

「伊丹の旦那。お久しぶりですね」

「あっちこっち出歩いてたからねぇ」

「お~い新入りっ!!こちらの旦那にビールだ!」

 新人らしいポーパルバニーが、ビールの入ったジョッキを伊丹の前へと運んできた。まだ馴れていないのがよくわかる危なっかしい手つきで、混んでいる客席の間で働くのにしても、たどたどしさが感じられた。

 ジョッキを置くのにも沮喪があった。ジョッキの底をテーブルに引っかけ、三分の一ほどこぼしてしまったのだ。その瞬間、料理長が罵声を飛ばし、ポーパルバニーは「すみません、すみません」と馴れない日本語で謝りながら頭をペコペコと下げる。おかげで顔を見ることも出来ない。しかも、逃げるように下がってしまった。

「すいやせん旦那。躾がなってくなくて」

「いいっていいって。だいたい、みんなだって最初の頃はこんなもんだったぜ」

 戦闘服に若干のシミが出来た程度である。この程度なら迷彩服なら全く目立たない。

「はい、煮付けと、お通しがあがったよ。……お、隊長っ!!お久しぶりですっ!」

 知った呼び声に伊丹は「おおっ」と右手を挙げて応えた。奥まった調理場から古田が顔を出していたのだ。

「よおっ、古田。帝都に行ってたんじゃないのか?」

「任務完了して、帰ってきたばかりなんですよ。とりあえず2科の仕事は終わりです」

「それで、また現地人指導で、KP作業(炊事)?大変だな」

 古田は、「暇ですからねぇ」と言いつつも、「センセイ、味見てください」という声に呼ばれて「おっ、今行くと」嬉々として調理場へ戻っていった。

 料理長は摘みとして、枝豆の類、肉の類を伊丹の前にどんどん並べていく。

 一人で来た時の伊丹は、頼む物がいつも同じなので、「いつもの」と言うまでもなく料理長は出してくるのだ。

「ところで、何か変わったことあった?様子がなんか変だよ……」

「あったと言えば、ありましたね」

「何?」

「門のことでさぁ。ハイエルフのお嬢から、説明がありました。伊丹の旦那も、同じように門を閉めるべきだって考えてらっしゃるんで?」

 いつの間にか、伊丹を中心にしたその周りは静かになっていた。誰も彼もが、聞き耳を立てているのだ。

「ハーディとか言う神様がおっしゃるにはそう言う話だった。門を閉めないと世界が終わるんだってさ」

「あっしらからすれば、門を閉めるってことが世界の終わりに感じられます」

 料理長の表情は苦い物でも口に入れたのかと思うほどのものであった。

「ニャァ、ニャァ。自衛隊の人達、みんな門の向こうに帰っちゃうのかニャア?」

 隣で酔いつぶれていたPXの猫耳娘が、いきなりガバッと身体を起こすと、酔っぱらい独特の口調と雰囲気で伊丹に絡んで来た。

「そんなの酷いニャ。帰らないで欲しいニャ。ウチたちを見捨てるつもりかニャ?」

 伊丹に縋るように抱きついて来る。そのまま床に崩れ落ちてしまいそうになったので慌てて手を伸ばし支えたが、だらしなくぶら下がる猫耳娘の身体は、思った以上に軽い。

 見渡せば、ここにいる誰も彼もが同じように考えているらしい。みな、伊丹の反応を固唾を呑んで見守っていた。

「旦那。どうしても門を閉じなきゃなんないんですかねぇ。一度閉めたら、また開けられるとは限らないそうじゃないですか」

 誰も彼もが不安なのだ。自分達の将来に。

 門に託しているものが多い人間が、門を自ら閉じることが出来るか。それが見てみたい。

 ハーディの言葉が伊丹の心に重くのしかかっていた。




「また、ドジやっちゃった……」

 客の膝にビールをこぼし、逃げるように板場に戻ったテューレは、壁におでこをぶつけて自己嫌悪に浸っていた。

 助け出されたお姫様は、その後末永く幸せに暮らしました、といった結末は童話に限らずあらゆる物語に存在する。だが、現実は違う。幕が閉じて芝居が終わっても、登場人物達の人生は続くのだ。

 救い出され、幸せな抱擁の後は、現実的で退屈な日常生活が待っている。

 そして思い知る。

 自分は、物語の主人公などではなく、その辺で生きている有象無象と全く同じ『生き物』だということを。

 このアルヌスでは、働かないことを許される者はいない。厳密にいえば、かつてのコダ村の避難民達は働かなくてもよかった。だが彼らは、働かないでいることを拒否し、働くことを選んだのである。そして作られ発展して来たのがこの街である以上、何もしないでいるという選択肢は最初から存在していないのだ。

 テューレは、虚脱感に浸る暇もなくフルタに連れられてこの店に来た。

 そして、「働かなきゃ、給料なんか出ねぇぞ」という料理長の罵声に追い立てられるようにして、店の仕事を始めることとなったのである。

 注文取りから、料理を運び、客が帰れば後かたづけ、そして皿洗いと、馴れないことばかりのために始終手間取っている。

 注文を間違え、料理長や先輩の店員達から罵声が浴びせられる。

 料理の皿を落とし、酒をこぼし、椅子に躓いて派手に転ぶ。

 ゾルザルの元での奴隷生活の日々にも似た、いやそれ以上の辛さを味わう毎日だった。

 なんで自分がこんな辛い思いをしなければならないのか、そう思ってついぞ目でフルタを探す。自分を救い出してくれたはずの緑の人のフルタを。

 だが、調理場の古田は人が変わったようにテューレに甘くしてくれない。

 料理長以上の罵声を飛ばし、テューレを叱りつけるのである。

 洗った皿の汚れがきちんと落ちていなければ「なんだ、この仕事はっ!」と、烈火のごとく怒り、皿を丁寧に洗うために手間取れば「早く洗えっ!」と言ってまた怒る。

 叩かれたり、殴られたりされることは決してないが、それでも信じようと思っていた相手に罵倒されるのは精神的にきつかった。

 いや、今のテューレにはそちらの方が辛い。

 身体の痛みは、すでに切り離すことが出来るようになっていたからだ。手はあかぎれて、皮膚の割れたところから出血するまでになり、休む暇もなく料理を運び続けるので足腰も痛くなる。それでも、テューレはそれを無視することが出来る。

 なんで自分がこうもきつい労働を強いられなくてはならないのか。まるで、奴隷に売られたようなものではないか。フルタも、自分を娼婦にしようとしたボウロと同じだったと、恨む気持にすらなった。いや、娼婦のほうが楽だったに違いない、とすら思う。

 そんな中での先ほどの失敗だ。

 テューレはすっかりと捨て鉢な気持になりかけていた。だが、それでも逃げ出さずにこの生活を続けるのは、行く所など何処にもないと言うこともあったが……「どうしたの?」と声をかけてくれる存在があるからだ。

 前掛けを外し、手を洗い終えた古田は仕事の時とはうって変わって優しい。

「………どうしました?」

 口惜しさ、自己憐憫、悲しさ、そういった気持がこみ上げて思わず泣いてしまう。

 ゾルザルの元にいた時は、男なんぞに決して涙を見せるもんかと堪えていられたはずなのに、ここに来て我慢が出来なくなったようで、不思議と涙が溢れてしまう。

「俺は行きますよ。テューレさんは頑張ってください。んじゃ、お先っ!」

 現地料理人に対する技術指導という名目で来ている古田は、自衛隊での勤務時間に従っている。だから閉店まで居ることは出来ないのだ。店が開いているうちに翌日の料理や、仕入、仕込み等のアドバイスを料理長に残して、隊舎へと帰っていく。

「お疲れさまでしたっ!!」

 料理人達が古田に挨拶する声が、調理場に響いた。そんな中で、テューレが古田の背中に投げつける言葉が悲鳴のごとく続く

「頑張ってどうしろって言うのよ!?」

 料理人達が、「また、あいつかよ」といった視線をテューレに向けられた。だが彼女は古田が連れてきたために彼の保護下にあると見なされている。アルヌス、そしてこの店で古田の権威は絶対的に近く、店員達も料理人達も、テューレに思うところがあってもそれを表に出さず、距離を置いて出来るだけ近づかないようにしていた。

 だから何も言わずに、それぞれの仕事へと戻って行く。

「どうしろって……どういうことです?」

 古田は、驚いたように振り返る。

「昨日と同じ今日、今日と同じ明日がただひたすら続く毎日。辛い今を耐えるだけの毎日。今日を頑張っても、辛い明日が来るのよ。だったら頑張るなんて無意味よ。もう、嫌っ!」

「テューレさんは、明日が今日と同じだと思ってるんですか?」

「同じに決まってるわっ!注文を取って、料理を運んで、後かたづけして、皿洗い、そして掃除して、また明日が来たら、支度して、注文を取って、料理を運んで……そんな毎日に何の意味があるの?!」

「そっか……そんな風思えてるんなら、働くのは辛いばかりですよね、きっと」

「なによ、他人事みたいに」

「他人事ですからね。実際……」

「助けてよ。私をここまで連れてきたのは、貴方でしょっ!」

 どうしたら良いんだろうなあと言わんばかりに、天井を仰ぎ見る古田。正直、テューレの思いが全く理解できない様子であった。

「俺は、実は『この仕事』を辛いって思ったことがないんですよ」

「何それ?!それって変よ、頭がいかれてるんじゃないの!?」

「なにげに失礼ですね」

 料理人達の殺視線がテューレに注がれる。テューレは古田を誘って店の裏側へと移動することにした。そこは、人気のないジメジメとしたところであるが、周囲から隔絶されているので休憩に都合が良くテューレは仕事が辛くなるとここに逃げてくる。

 テューレは改めて古田に尋ねた。

「働くのは苦痛ではないの?」

「面白いって思ったりすることはあります」

「貴方ってきっと、怒鳴られたり怒られたりしたことないの?」

「とんでもない。この道に入って、親方から怒鳴られたり、ぶん殴られたりしてばっかりです」

「それが辛くなかったの?」

「痛いとは思いましたけど、辛いとは感じなかったんですよ。こんちくしょう、今度は褒めさせてやるって思ったりもしましたね」

「……?」

「ほら、料理人になりたいって思ってましたからね。それも出来ることなら腕の良い料理人に。……怒られたってことは間違っていたってことで、そこを改めていけば腕のいい料理人になれるって思ってました。だから怒鳴られない限り、がんがんやりましたよ。逆に、怒ってくれる人のいない今の方が不安ですよ。それでいいのか、間違ってないのか怖くてしょうがないです」

 自分はこんなに辛いのに、それを何とも感じないと言う男を憎らしくさえ思えたテューレは、挑発するかのように言った。怒らせて化けの皮を剥いでやる。そういう気持だったのだ。

「要は飼い慣らされてるってことじゃない?奴隷根性よ」

 ところが、テューレの予想に反して古田は「そうかも知れませんね」と苦笑した。

「でも、親方からこうも言われてます。誰でも上手く行っている時は、この仕事は俺に向いているって思うものだって。だけど、続けていれば何をやっても上手く行かない、仕事をしていて辛いって思うどん底の時が来る。その時になっても、まだこれを続けていくって思えた時こそ、初めて本物になれるって……だからきっと俺はまだ、まだまだなんですよ」

「へぇ…」

 テューレは、どんな話題なら古田が感情的な示すかと、あらゆる分野で挑発を試みる。

「きっと料理しか取り柄のない男だったのね」

 すると古田は頷いた。

「それでいいんじゃないですか?自分は何にでもなれるって可能性に浸るのはとても楽しいと思いますよ。でも、歳を取るたびに、そのなれる筈の何かって、どんどん減っていくんです。大人になるってことは、それまで見下していたものに自分を貶めていくことかも知れません」

「でも今、貴方は戦争をしてるわ」

「ええ。でもそれは開店の資金を貯めるためです。任期があけたら、退職金もたんまり出ますから店を持つつもりなんですよ。おっと、これって死亡フラグっぽいですね……」

 古田はそう言って口を抑えた。だがテューレはその話を続けさせることにした。

「小さな店で、席は12席だったかしら?」

「ええ、晒しの板場で、料理人は自分一人」

 古田の視線が、この店にあつまっている客達へと向かっていることに気づいたテューレは、彼が見ているものが何か確かめたくて、同じように眺めてみることにした。

「客は、仕事を終えた人々です。帰る途中で、ふらっと店に立ち寄って着飾った余所行きではない身の丈にあった料理を楽しんで貰いたい」

 テューレの目には、古田が言うような小さいがそれでいて少し安そうな店が見えてきた。カウンターで、そして客席で客達が美味そうに酒を呑み料理を味わい、お喋りを楽しんでいる。包丁を振るう古田。そして……

「客席側には気心の知れた女性に入ってもらいたいですね。その女性にちなんで、兎の意匠の入った前掛けを藍染めで拵えて貰いましょう。きっと似合うはずです」

「えっ」

 それって……

「その女性を目当てに足を運ぶ客もいるかもしれないですね」

 自分のことだなんて、古田は決して言ってない。ポーパルバニーは、このアルヌスになら他にも沢山いるのだから。だが、何故か古田の店に自分が働いている光景を思い浮かべてしまった。

 違う、違うと頭を振って振り切ろうとするが、その光景は妙に印象的で、頭に残った。何よりもその夢想から、馴染みのない何かこそばゆくも温かい気持が感じられてしまったのである。





    *    *





 ベットに横たわったレレイが、一応の小康状態を見せたため、ロゥリィはほっと息を付いた。連日続く発熱のため、溢れほどに流れる額の汗を手巾でふき取って、ハーディに憑依された証とも言える長い銀髪を手櫛で軽く整える。それは、黒髪の美少女が銀髪の美少女をいたわると言う、実に絵になる光景だった。

 医師は疲労と診断した。だが、まだ予断は許されないことをロゥリィは知っていた。

 神に憑依されれば、人間の魂魄などはひとたまりもなく打ち砕かれてしまうのが常なのだ。神とはそれほどに巨大な存在である。

 そして、それに耐え得る希有な資質を持ち合わせたとしても、その影響は身体と魂に刻み込まれてしまう。さらに付け加えるならハーディのやらかした暴飲暴食もここに加わる。

 神殿に仕える巫女達とは、その意味では言寄せの際に一回きりの使い捨となることすら受け容れている。そうまでしても神との合一を求めるのも、信仰に生きる彼女らにとってそれが無上の喜びだからだ。そして万が一、いや億が一の可能性で心身の無事を保つことが出来たら、彼女らの信仰はその階梯を大きく進めることとなるのだ。

 そんな巫女達がずらっと控える神殿で、彼女たちを無視し、信者でもないレレイに憑依してみせたハーディの思惑は、何か理由があってのことか、それとも単なる気まぐれかがロゥリィには判別できない。ただ、あの女の性格ならば、どっちもあり得るように思えた。

「熱は下がってきたわねぇ」

 ロゥリィはそう呟くと、レレイの腕を掛け布団の下へと納めた。

 もし、レレイが無事にこの試練を乗り越えたなら……

「では、門を閉じなければ世界は滅ぶというのですね?」

 甲斐甲斐しくレレイの世話をするロゥリィの背中に、くどいほど話しかけてくる者が居た。

 ピニャである。ロゥリィはその都度「そのとおりよぉ」と答えて来たが、もういい加減にしてくれないかな、とも思っている。鬱陶しいというのが本音だ。もう、何度も何度も、同じ問答を強いられて来たからだ。

 だがそれは、ピニャからすれば皇帝モルトや、その周囲の貴族達に事情を説明するために必要なプロセスであった。世界が滅びると聞いて危機意識を持ったピニャは何はともあれ、門を閉じるべきだと皇帝や、閣僚達に訴えたのである。

 ところが、彼らの反応はピニャが思ったようなものとはならなかった。

 それはきっと事の重大性が伝わっていないからだ、あるいは自分の言葉が真実として伝わっていないのだと考えた彼女は、閣僚や、元老院議員の主立った者を引き連れて、亜神たるロゥリィの口から事の次第が伝わるようにと試みたのである。

 ピニャとしては、彼らに事実をきちんと把握させる必要があったのだ。

 だが、やはり閣僚達の反応はピニャが期待したようなものとはならなかった。
 いくら待っても、すぐに門を閉めましょうという言葉は、出てこなかったのだ。

 何故なら現閣僚と議員の多くが、日本という国の存在を必要としていたからである。

 日本との戦争。そしてゾルザルによる内乱。

 この二つによって帝国の国力は落ちるところまで落ちてしまった。軍事力は消耗し、国庫の中身も蕩尽されてしまった。

 この状態で周辺諸国が攻め寄せてこないのは、ひとえに自衛隊という強大な軍事力がモルト皇帝の後ろ盾となっていると見なされたからに他ならない。

 もちろん皇帝も元老院も、傾いた帝国の再建を急いでいる。外交では、諸国に対して強力な自衛隊の存在をチラつかせながら、ゾルザル側に味方したことを不問に付すから、帝国の覇権に従え、と交渉を続けている。

 だが、国庫についてはゾルザルに与した主戦論派貴族の資産を没収して一応満たしたものの、戦禍による流通や産業に対する損害は拭いがたく、翌年以降の財政はかなり厳しいものとなることが予想された。それに、壊滅に等しい状態の国軍も再編成するとしても、旧来通りというわけにはいかないのである。

 軍隊の近代化をしなければならない。少なくとも、剣と弓矢から脱却する必要があるそれが閣僚達の見解であった。

 幸いにして先日、ロンデルで開かれた学会で、爆発に関わる革命的な発表がなされたという知らせが入っていた。帝国の軍事関係者は、これを応用すれば日本が用いているような銃砲の製作が出来るかも知れないと言う。

 さらに今後日本に支払う莫大な賠償金の負担に耐えるため、産業の振興を商業と鉱山開発を中心に転換しなければならなかった。

 日本は資源を求めているので、これを輸出して、日本からは便利で安い品々を購入する。そしてこれらの商品を、国の内外に売るという形で利益を上げることが可能であろうと踏んでいるのだ。

 そんな訳で、今更門を閉めようというピニャの主張は、論外なのだ。
 下手をすれば、大陸全土で覇を競い合う戦乱の時代が始まってしまう。そうなれば、弱り切った帝国は風前の灯火となる。

 逆に、門を閉じようと言う企てがあるならそれを妨げる必要すらあるのだ。

「聖下。それでは、イタミと申す者が、冥王猊下から事態を知らせる言葉を賜って、本国に戻ったのですね?」

「今頃はぁ、もう伝え終えている頃合いよぉ」

 面倒くさげに答えるロゥリィに、ピニャは背後に列ぶ官僚達を顧みた。もう訊ねたいことはないか?聞くべき事は聞いたかという確認である。

「最後にもう一つ……」

 末席に控えていたマルクス伯が最後に質問を発した。

「聖下。門を閉じませんと、世界が滅びるとして、それは何時のことになりましょうか?」

 ロゥリィは面倒くさげに返した。

「わからないわぁ。明日かも知れない、来月かも知れない。来年かも知れないわぁ。ただ、先に延ばせば延ばすほどぉ、歪みが解消される時の反動が大きいそうよぉ」




 閣僚達を引き連れて、紫殿を後にしたピニャは、「門を早く閉めなければなりません」ときっぱり告げた。

 だが、マルクス伯らを筆頭に、誰も彼も頷くことはなかった。ピニャの主張に戸惑うかのごとく互いに顔を見合わせるばかりである。

「どうしたと言うのです。このままでは世界が滅びるのですよ」

 マルクス伯が恐れながら申し上げますと、1人前に出た。

「殿下。今、門を閉めれば帝国が滅びます」

「では、世界が滅しても帝国を残す方法があるとでも?」

「そうは申しておりません。ただ聖下も申しておられたではありませんか。世界が終わるとは言っても、それがいつかはわからぬと。何も今急ぐ必要はないのです。国力を整備して、帝国の覇権を維持できるようにした後、門を閉じるべく日本国と協議すれば宜しいでしょう」

「聖下は明日かも判らぬともおっしゃった。侮って今この瞬間に惨事が起きたら何とする?それに、伊丹殿も事態を本国に注進していると言うなら、日本が閉めると言い出すかも知れぬ」

「講和交渉での要求から察するに、日本側も門を閉じることを急ぎますまい。なにしろ、我が国から賠償金もまだ得ておらぬのですから」

 ピニャは閣僚達の態度に愕然とした。

 確かに彼らの言うように門を閉めれば帝国は危機的状態に陥るかも知れない。

 だが、それは皇帝や閣僚達、議員達が一致協力して挑めば解決が可能な程度の困難だと思っていた。

 少なくとも人智を越える世界の終わりなどよりは、遙かに容易いことの筈だ。

 確かに帝国の国力は弱まった。諸外国との対立も深まって舵取りが難しくなる。かつてのように大陸を我が物のように振る舞うことは、もう無理だ。それでも、まだまだ帝国は繁栄を謳歌できるはずなのだ。

 なのに、その大きな問題に目を向けようとせず、安直なその場しのぎで事を済ませようと言う。ピニャはそういう閣僚達に失望せざるを得なかったのである。




 ピニャ達が立ち去ると、レレイの寝室は静けさに包まれやっと落ち着きを取り戻した。

 周りも静かになってレレイもゆっくりと休めるだろう。
 ロゥリィはそんな風に思って少し気晴らしすべく部屋から出ようとしたのだが、寝台から発された弱々しい声で呼び止められてしまった。

「目が醒めたのねぇ。今どこにいるかわかるぅ?」

 ロゥリィはレレイのベットに駆け寄ると、枕と掛け布団の間に見えるレレイの顔に笑顔を向ける。

「現状は、認識している。見当識も正常……だと、思う」

「よかったわぁ。意識が戻ればもう安心ねぇ」

「…………伊丹は?」

「耀司ならぁ、今頃アルヌスよぉ」

 それを聞いてレレイは身体を起こそうとした。が、激しい頭痛に呻いて頭を抱えた。

「何をやっているのぉ。まだ寝ていなさい」とロゥリィは押しとどめようとしたのだが、レレイは首を振った。

「伊丹の側に行かないと」

「幾ら何でも動くのまだ無理よぉ。もう少し体力が回復してからにしましょう」

「ダメ。門を閉じる時、伊丹の側に居いないと」

「大丈夫よぉ。まだ閉めるかどうかって話をしている段階だしぃ。閉める前にはアルヌスに行って耀司の首根っことっつかまえておくつもりだからぁ」

 レレイは、ホッとしたようにため息をつくとロゥリィへと目を向ける。

「よかった」

「なぁにぃ?耀司と離ればなれになっちゃうって、思ったぁ?心配したぁ?」

 すると、レレイは頬を膨らませつつ言った。

「貴女は、伊丹をこちらに引き留めるつもり?」

「当然よぉ。わたしぃは、向こうに行けない以上、耀司をこっちに捕まえておくしかないでしょう。レレイこそ、どうするつもりぃ?」

「伊丹が居ると決めたところに……」

「へぇ~」

 健気なのねぇとロゥリィは嘯いた。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 61
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/04/07 20:11




61





 時刻的には、太陽が青空を背景にして南の空に浮かぶ頃合い。

 完全武装で身を固めた伊丹は、ヘリポートに駐機するCH-47 JAチヌークの傍らでゲスト達の到着を待っていた。

 今回の任務では久しぶりに、栗林、倉田、勝本、笹川そして黒川の第3偵察隊の5名が指揮下につけられた。それに加えて現地協力者という形で、ヤオとテュカが随伴することを求めて許可を得ている。

 気心の知れた部下は頼もしい。それぞれに細かい指図をする必要もなく、倉田、勝本、笹川は積載する荷物の点検をはじめていた。ヤオは、初めての体験となるヘリコプター搭乗に緊張した面持ちで固まっている。本当はテュカもなのだが、彼女はそんことよりも黒川に接近して話しかけることに熱中していた。

 黒川は、テュカが見せる屈託のない透き通った笑みを見て安心したのか、手を握ったり抱き合ったりというスキンシップも受け容れている。お姉さま気質の黒川はテュカを年下だと錯覚してしまうようだ。

「隊長。お久しぶりです」

 倉田の挨拶に伊丹は「おうっ」と敬礼で答えた。

「人数少なめですけど、これで大丈夫なんですか?結構奥地に入っていくんでしょ?」

 まず最初に安全性とか身の危険とかを気にする態度に、伊丹は倉田っぽくないなぁと感じた。普段の倉田なら、最初に気にするのはまだ出会ったことがない獣系美少女との出会いがあるかどうかだろう。イタリカのフォルマル家に仕えるキャットピープルのメイド、ペルシアとの関係が上手く行っているから目移りしない、と言うのなら良いのだが。

 現地住民の襲撃に曝された経験が必要以上に憶病にさせているのかも知れない。自衛官としては当然と言える姿だとしても、それがトラウマから来るものなら面白くない。気を配る必要があるからだ。ヒトの攻撃性は、恐怖心を加味すると過剰になる傾向がある。つまり下手すると「逃げる奴は敵だ、逃げない奴は訓練された敵だ」とか言って、見た者の全てに銃口を向けかねないのだ。

 伊丹は大丈夫だと告げて、簡易に予定を説明することにした。

「目的地は戦闘地域じゃない。人も住んでない。それに、現地で活動中の部隊と合流することになっている。今回は、その連中の『お迎え』も兼ねているんだ。さらに復路では給油がてら帝都に立ち寄って、ロゥリィとレレイを引き取って帰って来るという予定だ」

 現地で人数が増えるのである。それならば安心とばかりに倉田は仕事に戻った。

「隊長……」

 呼ばれて振り返ってみれば、小柄な体躯の女性。栗林だった。

「よお、栗林」

 元気だったか?との呼びかけに栗林は無言のまま伊丹のふくらはぎを回し蹴ることで応じた。脚を見事に跳ね上げられた伊丹は背中から地面に叩きつけられた。

 どうにか咄嗟に受け身こそ取ったが、それで衝撃が無くなったわけでもなく「痛ぇな。何すんだ?」と苦情を申し立てようとした。だがのっけから目を据わらせている栗林は伊丹の脚を蹴っただけでは満足せず、腹に馬乗りになると掌底で胸板を叩いてきた。

 顔面を殴って来ないだけ、手加減をしているのかも知れない。しかも、ボディアーマー越しだったから栗林の打撃はさしたるダメージに成らなかった。

「隊長が居なかったせいですよ、隊長が居たらあんなことに成らずに済んだんです」

 栗林はそう訴えながら伊丹を淡々と叩き続けた。

 最初はそれこそ、はたくという感じだった。だが次第に口調に、手にと感情と力が籠もり出し、パン、タンという音が、ドスッ、ドコッと鈍くなってそれとともに伊丹の肉体に伝わって来る衝撃も馬鹿に出来なくなっていく。栗林は『透し』を会得しているらしいが、伊丹は身を以てその片鱗を窺い知ることとなった。

「隊長が居てくれたら、オレ危ないところ行くのヤダよぉとか言ってた筈です。そしたら、あんなところまで入っていくことも無かったんです。隊長さえ居てくれたら直ぐに逃げ出せていたんです。隊長さえ居てくれたら、隊長さえ居てくれたら富田は……」

 大粒の涙をポロポロと落としながら詰る栗林。そんな彼女に伊丹は両の手を伸ばすと、ぎゅっと抱き寄せた。

 それはマウントポジョンで殴打され続けることに身の危険を感じたからであり、栗林を抱き寄せてしまうことでその打撃から身を守るためだった。そして、「もう参った。降参。叩くな」と伝えるため、柔道や総合格闘技などで用いられる合図……掌でトントンと、栗林の背中を叩いたのである。

「悪い。悪かった……」

 何がきっかけになったのか……まるで栓が抜けたかのごとく栗林の感情が迸った。

「怖かったんだからぁ!誰が敵だかわかんなくて、もうみんなダメかと思ったんだからぁ!」

 倒すべき敵が判っているなら栗林は無類の強さを発揮する。
 だが、誰が敵で誰が味方か判らない混乱の坩堝の中にあっては栗林も、誰に拳を叩きつけるべきか、誰に銃剣を刺突すべきか、そして誰に向けて引き金を引くべきか、判別することが出来なかった。
 その一瞬の迷いを振り捨てて、敵も味方も問わない戦いを『する』と思い切ることが出来た富田だけが、仲間を救い、取材スタッフの命を守るために力を振るうことが出来たのである。

 本来、そのために指揮官が居る。何と戦い、何を守るべきか。瞬時に判断して隊員達に命令する。そしてその結果に責任を負う。それが役割である。しかし、栗林も富田も隊長代行の桑原の指揮が届かないところにあった。もし、伊丹がいたら、二人の指揮を執ることも出来たかも知れない。

 栗林はそう思うからこそ、難癖であることも承知の上で、あの日あの時あの場所に居てくれなかったと詰ってしまうのだろう。それは、同情に値する。

 とは言っても場が場である。

 女性に胸の中で号泣されるというのは、二人きりで誰もいない場所でならば良いものかも知れない。栗林は、性格はともかく外見は可愛いいから、かなうなら心ゆくまで泣かせてあげてその柔らかさを役得として堪能しても良い。

 だが、衆人環視の中でとなるとそうも行かない。しかもボディアーマーをつけていたら柔らかさなんて欠片もない。外聞の悪さだけが際だってしまうため、とにかく早く泣き止んで欲しくて、慌ててあやすしかなかった。

 事情をよく知る第3偵察隊の面々からは、なんとなく許容する空気が発せられていたが、それを知らない連中からは「何をやっているか、不謹慎な」といった視線を向けられた。そればかりか、テュカとかヤオの方角から来る視線は、殺傷力がありそうな危険な出力に達している。

「わかった、わかった。ホント、オレが悪かったから。ゴメン、だから泣き止んでくれないかなぁ、頼むからさあ」

 だが、栗林はこれまで溜め込んだ想いの堰を切ったかのように、しばしの間噎び泣いていた。

「も、もしかして、お姉ちゃん?……何やってるのこんなところで」

 という声がするまで。

 ビクッと身を硬くして、呼吸を止める栗林。

 頸椎の具合が悪いのか、首を回旋させるのにまるで蝶番の錆びたドアのような音をさせながら振り返った。

「な、菜々美」

「うわっ!男の人の膝にって、もうそれって対面座位?随分と積極的!しかも相手は、冴えない感じの三十路男……」

 途端、伊丹はワサビを塊で口に入れてしまったかのような激烈な刺激を鼻奥に感じつつ大地に背中を打ち付けた。

 ああっ、自分は栗林に殴られたんだなと、横たわってはじめて気づく。
 この女は、夫婦元気でド突き合えるバイオレンスな家庭(ドメスティック)を築きたいようであるが、この調子に合わせていける男は特戦にもそんなにいないだろうと、思う伊丹である。
 もう見栄とか外聞なんてどうでもいいやと、暗転した視野が光を取り戻すまでのしばしの間、動かずにじっとしていることにした。

 栗林は栗林で、跳ねるようにして伊丹から飛び退いて、体裁を整えると何事もなかったかのごとく妹と対峙する。

「あんた、何しに来たのよ」

 目を真っ赤にして鼻をすすりながら問う。見れば菜々美の背後には例によってカメラマン、音声、ディレクターなどがそろっていて、取材体勢だと言うことはわかるのだが、このあたりは売り言葉に買い言葉といったところだろう。

「一応仕事なんだけど。それより、顔、拭きなよ」

 妹からの指摘に栗林は、慌ててパイル地のハンカチを取り出すとゴシゴシと顔を拭いた。元より化粧などしていない栗林だ。顔を拭くにしても豪快に振る舞う。

 対するにカメラ写りの問題もあって化粧も仕事の内の菜々美は、それと感じさせない程度にしてもメイクをしている。なのに肌の色艶や、目鼻や眉の際だち方が、姉とそう大差ないことに、どう言うことだろうと思ったりした。

 何が違うんだろう、肌の手入れ方法だろうか、それとも何か特殊な化粧品だろうか……そんなことを訊ねてみようと思ったところで「仕事?ああ取材ね……するんなら、さっさと始めれば?どうせ、その辺の連中に適当にインタビューして、嘘っぱちな字幕つけて流すだけでしょ」と嫌味を言われ、お気楽な質問ができる状態ではないことを思い知った。

 菜々美は唇を尖らせた。

「そんな言い方、酷い」

「言われたくなければ、きちっと仕事しろって言うの。真実を伝えるのが報道の使命?捏造、印象操作、部分抽出のばっかりじゃない。真実が聞いて呆れるわ」

「それをわたしに言われても」

「はいはい、言い訳ご苦労様。そうやって、自分の身は守ってればいいわ。それとも、真実を伝えるなんて事あんたにできるの?無理だよね~ただの局アナだから」

「…………………うぅぅ」

 内心忸怩たるものがあるのだろう、菜々美を始めとしてカメラマンやディレクターは苦い物を舐めたような表情をして視線をおろした。だが、そんな態度がまた栗林の癇に障る。

「ふん、所詮はその程度だよねぇ。あたしはね、あんたがジャーナリストになりたいって言うから、反対する母さんの説得を手伝ったんだ。それが、ただ仕込まれたとおりにしか喋らないオウムになり下がりやがって」

 砂吐き顔となった栗林はかさにかかってますます罵ろうとした。

 いくら妹相手だとしても、マスコミを罵る自衛官という構図はすこし不味い。殴打された時のダメージが幾分か回復した伊丹は、起きあがると栗林を止めた。

「おいおい、栗林。そのくらいにしとけ。妹さん困ってるぞ」

 それは後ろから彼女の口を覆うという、普段だった肘打ち、ほぼ同時に脛蹴りを受けた上で、背負い投げされかねない危険な体勢であった。
 だが、この時の栗林はされるがままそれを受け容れた。その代わりと言っては何だが、何もないところをパンチだキックだと手や足をぶんまわし、盛大に不満を体現していた。

「僕等だって、胸を張れる仕事をしたいよ。だけど、ダメなんだ。いくら撮影しても、それを使うかどうかを決めるのは上のヒトなんだ」

 カメラマンのそんな抗弁は、その声の小ささもあって、誰の共感も得ることは出来なかったのである。




「おほんっ!!」

 突然の咳払いに注意が喚起され視線を向けた途端、伊丹は態度を豹変させて背筋を伸ばすと号令を発した。

「整列しろっ!気をつけっ!」

 栗林達ははじかれたように横隊に整列すると胸を張った。

 まるで何事もなかったかのように整然と並び立つ自衛官。
 菜々美を始めとする取材スタッフ達も仕事を思い出してカメラを構え、そして録画を始める。

 伊丹は敬礼すると、皆の前に現れた狭間陸将に報告した。

「準備完了いたしました」

「うむ、ご苦労である」

 構えた挨拶をそこまでとした狭間は、随伴してきた壮年や老年に達する男性達を伊丹達の前に案内した。

「こちらは、京都大学で、宇宙生物学を研究してらっしゃる漆畑教授。さらにこちらは国立天文台の白位博士。そして、こちらが養鳴教授だ。理論物理学がご専門で、東大に奉職されている。」

「漆畑(うるしばた)です」

「僕、白位(しらい)」

「儂が養鳴(ようめい)だ」

 狭間陸将の紹介を受け三者が三様の自己紹介をした。伊丹はそれを見て思わず「はぁ、大学の先生方ですか……」と歯切れの悪い挨拶で応じてしまった。

 そんな伊丹の反応を「なんだ。軍人らしくもない、もっときっぱりせんか」などと養鳴教授は言いつつも、突如振り返ると、何故儂の紹介を最後にするなどといって、狭間陸将に食って掛かった。

「儂は東大の教授だぞ。履歴書の職歴なんぞ4行で済むほどだ。京都やそこらの学者連中と一緒にするな」

 漆畑や白位を指さしての失礼な物言いに流石の狭間も額に汗した。
 とりあえず額を拭いながら、「先輩は、自分の身内という位置づけになりますので、最後にさせていただいております」等と言って取りなした。

 すると養鳴は急に態度を変えた。

「なんだ、貴様も東大出か?」

「はっ。先輩の4期後輩に当たります」

「おおっそうか、そうか、身内扱いか。ならば仕方ないな。結婚式でも身内は一番後ろだ……うんうん。身内扱いか、あっははっ」

 何が気に入ったのか養鳴は、急に態度が鷹揚になった。そして、突然関心の方向性を変えておもむろに四つん這いになってアルヌスの大地を叩いたり、「むむむむ、あれは何だっ!!」などと言いながら指さして、介添え役として来ていたスーツ姿の役人連中を困らせはじめる。

 漆畑は漆畑で、養鳴の失礼な発言や奇行も全く気にすることもなく、この特地の風景を眺めたり、テュカやヤオをまじまじと観察していた。

「ほうほうほう……なるほど、環境が地球に似ていれば知的生命体の形態は、ヒトと同じかそれに近いと言う考え方は正しかったようだな」

 周りをぐるぐる回りながら、まるで頭の先から足の先までをつぶさに観察する視線を受けて、二人は困っている。普段のヤオなら、失礼な態度だと威嚇したりぶん殴ったりするところだが、男が女を見るのとは明らかに色合いが異なるので、どう対応したらよいのかと迷っているようであった。

「あー狭間君。この女性二人は、連れ帰ってよいのかね?」

「漆畑先生、ダメです。その二人は現地協力者ですから」

「そうか、それは残念だ。研究室がさぞ華やぐとおもったのだがな、実に残念だ」

 白位は、カメラを見つけると取材妨害としか思えないようなおどけた身振りでVサインを作って笑ったり、菜々美に話しかけたりしはじめた。

「君たちは同行する取材スタッフだね。判らないことがあったら是非、僕に質問したまえ。もし、特集番組を作る予定があったら、言ってくれれば解説者として出演してあげてもいいよ」

 非常に個性的でいろいろな意味で『奇特』な方々であった。

「大学の……教授ですか?」

「個性的なんだ、それぞれにな」

 そんな三人を後目に、狭間は伊丹へと訓示する。

「この三方と、テレビ局の取材スタッフが、お前の見たという世界の終わりの徴候を確かめに参られる。くれぐれも粗相の無いようにしっかりと案内するように」

「はっ」

 伊丹は短節で小気味良い返事と共に敬礼した。

「それと、今回から報道向けの通訳には、民間人に担当して頂く」

 テレビ局が現地人にインタビューした際につける翻訳が、事実から大きくかけ離れているという問題は、以前から指摘されていることであった。防衛省がその度に抗議するのであるが、自衛隊員しか満足に通訳できる者が居ないという現状では「自衛隊に都合の良い翻訳であるか見分けようがない。中立公正な報道をしようとするなら、稚拙であっても間違いだらけであっても自ら翻訳をせざるを得ないのだ。結果として間違った翻訳をしてしまったが、他意はない」と開き直られてしまったのである。

 その為に、民間人の通訳が求められていた。そして白羽の矢が立ったのがこの女性であった。

「望月紀子です。宜しくお願いいたします」

 ペコリと頭を下げる女性の姿に、伊丹や栗林は目を丸くした。

「では、行って参ります」

 紀子はそんな挨拶を狭間にすると、颯爽とした足取りでチヌークへと向かったのである。

「これに乗って良いんですか!?」

「あ、はい。乗っちゃって良いですよ。学者さん方も、取材スタッフの方もどうぞ、乗ってください」

 だが、状況は既に混沌としていた。

 養鳴教授は、石を投げたりして、重力がどうのこうのと難しいことを語り、漆畑教授がチヌークを観察していて前側に回り込もうとして「危ないですっ!!ローターに首を跳ねられますよ」と倉田に羽交い締めにされ、白位博士は取材スタッフのディレクターを相手に出演料の話をもちかけたりしていたからだ。

 そんな三人も「伊丹が繰り返して、ヘリに乗ってください」と言うとそれぞれに素直に従った。

「ああ、君。座席は指定かね?」

「いえ、自由席となっています」

 続いて取材スタッフも乗り込む。最後が伊丹達だ。

 機内のシートに座った養鳴は機内の装備を次々と指さしては、「うむむむ、これは何だね」と、飽くなき探求心を発露して倉田を困らせ、漆畑は今度は、栗林姉と黒川を「うむうむ」と観察しはじめて、伊丹に連れて帰って良いかと訊ねたりし、テュカに「しっしっ」と追い払われている。白位は白位で、笹川や勝本相手に頼まれても居ないのに天文学の講義を始めていた。

 取材スタッフのディレクターは、紀子の素性を確かめようとしてか、さかんに話しかけていた。
 特地に拉致された犠牲者が居たことは報道されていたが、どこの誰という事実は本人のプライバシーを守るためという理由で、これまで伏せられていたのである。だが民間人で特地の言葉が解ると言う望月紀子が、その拉致被害者である可能性は当然の事ながら大きいわけで、ディレクターが熱くなるのも当然と言えるだろう。そして、紀子も素直に事実を答えているようであった。

 紀子の「奴隷になってました」という言葉が漏れ聞こえて、伊丹は思わず空耳かと耳をほじったくらいである。

「ど、奴隷って、やっぱり下働きとかですか?」

「いいえ。愛玩用です」

 あっけらかんと答えるその内容は、聞いている方が動揺してしまうようなものであった。実際ディレクターも、菜々美も引きつった笑顔のまま凍り付いている。だが、紀子は「それがどうかしました?」といった態度だ。どんなカウンセリングを受けたらこんな風になるのだろうか。

 伊丹は、全員の着席を確認すると機内会話用のインカムに向けて怒鳴った。

「全員搭乗。機長、こちらお荷物。宜しく頼む!!」

『了解。これより離陸する』

 搭乗員が、車輪止めを外して機内に戻ってくる。

 エンジンの音が耳に煩いほどに激しくなって、機体がふわっと浮く感触に揺れた。それを良いことにテュカは「きゃっ」と黒川に抱きついた。ヤオは側面の丸い窓に張り付くようにして外の景色に見入っている。

 こうして、伊丹は学者先生と取材スタッフを連れクナップナイへと向かって飛び立ったのである。





    *    *





 一方、首相の麻田周辺の動きが慌ただしくなってきた。

「首相……正大党の後原党首よりお電話が入っております」

 秘書の言葉に麻田は「またかよ」と肩を落とす。

 まだ、調査のために現地に学者を送り込んだという段階でしかないのに、与党の主立った顔役から電話がかかっりっぱなしである。

 皆、口振りはそれぞれであるが、言わんとしていることは「何をするにしても、もっと慎重にやってもらいたい」と言う苦言ばかりであった。

「今朝から電話がひっきりなしだ。仕事もろくすってぼできやしねぇ……はい、麻田です」

『門』を閉じることは、特地の資源や様々な利権を期待する財界とそれに連なる族議員達にとっては、糧道を断たれるにも等しいことであった。それだけに必死になっているのだろう。

 麻田は、ハンで押したようにこう答える。

「こちらとしても、慎重に検討するためにも、現地の調査が必要だと考えたまでです」

 相手の切り返しもだいたいにおいて同じである。

「何を検討するというのだ?門を閉めるかどうかなど、悩む必要などないではないか?」

 要するに、『門を閉じることを検討する事』そのものが気に入らないと言うのだ。

「そんな調査など止めてしまいなさい。もし、そうしなければ、こちらにも考えがある」

 実際、建設関連や、エネルギー、資源などを扱う企業の株価も、右上がりだったものが、天井に当たったかのように、微妙に下がったりあがったりを始めた。

 情報がすでにあちこちから漏れているのだ。

 情報のリーク、マスコミを動かして危機感をあおり、「そのような事実はない」と首相の口からアナウンスさせて言質を取るというやり方である。これで、発言がかわればまた発言がブレたといって、叩くのだ。

 また、しばらくすると中国の国家主席、ロシア大統領、フランス大統領、イギリス首相、そしてアメリカ大統領と、次々に電話がかかって来た。門の取り扱いについて懸念をつきつけられ、門の取り扱いがすでに世界的な問題であることの再確認を、麻田は強いられることとなってしまったのである。

 だが、特地で何が起きているか判明するまでまだ何も決められない。

 報道陣のぶらさがり取材で、「特地で何か問題が発生しているという話ですが?」と、マイクを突きつけられても「現段階では何も問題はありません」と答えるしかない。

「しかし、学識者が特地に入ったと言うことですが」

「特地の学術的な調査は、以前より行うこととなっておりました」

「しかし、それならば今回のように少人数ではなく、もっと大々的に行うのでは?」

「ええ、ですから今回は本格的調査の前に行う、下見みたいなものと位置づけて考えています。特地の内乱も終結して、改めて講和交渉も文書の調印にこぎ着けましたから、民間の学識経験者に入って頂けることになったわけです」

「しかし、この時期では不自然ではないでしょうか?」

「いいえ、私は不自然と考えません」

 麻田はそう答えて、会見を終えた。

 だが、ニュース番組では「現段階」といったどうにも歯切れの悪い発言が多いと紹介。「今後に何かあることを含んでいると思われるような発言である」とか「記者達から逃れるように足早に車に乗り込んだ」などと、コメントして結んでいた。





    *    *





 チヌークは、帝都近くに設けられた中継拠点で給油をして、さらに北へと向かい、クナップヌイに、日没間際となって到着した。

 着陸予定場所に近づくと、赤い煙が上がっていた。

 先行している部隊からの着陸場所を知らせる合図だ。
 付近の安全も確認されているはずであるが、現場上空を一周してから着陸の体勢をとった。

「これより着陸予定」

 機長の連絡に、伊丹は栗林達に全周囲警戒を命じた。六四小銃の槓桿を引く金属音に、隊員達のマインドセットは弛緩したリラックス状態から戦闘態勢へと移行する。

 取材スタッフのカメラマンが、隊員達の姿を撮そうとカメラを構えたが、伊丹は「着陸時に機体がバランスを失って大きく姿勢が傾く畏れがあります。席を立たないで」とこれを制止。座ってるようにと指示した。実際はそれほど大したことはないのだが、やたらめったら撮影されたくないものが現地にはいるのだ。ただ、そんなことを直接言えば、かえって興味を引き寄せる恐れがあるから、何気なく気を逸らそうとしているのである。

 勝本を呼び寄せて、カメラマンの隣に座らせる。

「勝本!着地したら、カメラの人と下りて、学者さん方が下りるところとかを撮らせてやってくれ。……そういうことなんで、貴方が最初に下りて良いです。格好良いところ撮ってよ」

 伊丹の言葉を気遣いと勘違いしたらしいカメラマンは、ペコリと頭を下げた。

 機体が着地すると、機体は一旦大きく動揺して、そして静止した。
 後部開口部の扉が下りていくとそこから外界が開けていく。完全に開く前から、勝本に連れられたカメラマンは下りていって、それとすれ違うようにして、合流予定の部隊長が乗り込んで来た。

 その姿は、緑や茶色のドーランで完全に顔面を迷彩塗装しており、人相も判別できないものとなっているが、特地では当たり前の光景だったため、取材スタッフは気にも留めなかったようである。とは言っても栗林達にはすぐに判ってしまったようである。それは、彼の装備している銃がM4カービンであったりと、普通とは大きく異なっていたからだ。

「よお伊丹。予定よりお早い到着だな。俺の下にいた時は、そんなに勤勉ではなかったと思ったぞ……。周辺は敵影無しだ」

「出雲三佐、お久しぶりです。早く到着したのは、早く飯の支度をはじめたいからですよ。今回は民間人をごっそり引き連れてますからね。……おいっ倉田、笹川、黒川、栗林、宿営の支度を始めてくれ。テュカとヤオは、勝本と学者さん達つれてとりあえず現場を下見させて来てくれ。報道の人はどうする?……学者さんと、現地の下見?そう言うことだから、ヤオ頼む」

 伊丹は出雲に向かうと「そう言うことです」と告げた。

「宿営?ヘリを使わないのか?」

「荷室は、航空科さんと、民間人に使って貰う予定です。女性もいますからね……とりあえず簡易ベットは人数分積みこんできてます。俺等は宿営用天幕ということで」

「おっ、ベットは有り難いぜ。此処ひと月ばっか高機動車のシートか、地面だったからな。久しぶりに手足が伸ばせるってもんだ」

「こっちの宿泊施設使わなかったんですか?」

「機会があったらそうしたかったんだが、状況が連続して結局そういうわけにはいかなかった」

 テュカとヤオが案内する形で、学者先生方がチヌークから降りていく。そしてその光景を撮影するために追っていく取材スタッフ。こうしても皆が出払ってから、伊丹と出雲は機体から降りた。

 見れば泥とか、草を纏った特殊作戦群の隊員達が、周囲を警戒する位置ついている。視線を巡らせると、それぞれの位置から挨拶を送ってきた。

 そんな中から男とは思えない、滑らかな身体の線をもった隊員が1人駆け寄ってきた。いきなり腕にしがみつかれて、伊丹は何事かと思う。

「イタミのダンナっ!久しぶりっ!」

「って、お、お前なんでこんなところに」

 デリラだった。アルヌスの食堂で働いていたデリラが迷彩の戦闘服で身を包み、兎耳はブッシュハットの下に隠すという姿をしていた。きっと、言われなければ見ても判らなかったろう。

「現地人の協力者が使えるって前例はお前が拵えたろ?それで、この兎女を使うことにしたんだ」

 アルヌスで、日本人が関わる事件が起きた場合、日本が裁判権を持つことが協定で決まっている。デリラは東京地裁で裁判を受け、諸々の事情を考慮しての執行猶予つきの判決を受けたのである。それに文句のない彼女は一審判決を受け容れたわけだが、アルヌスで騒動を起こして元の職に戻れるはずもなく、フォルマル家からも放逐されて行き場がなくて困っていたところに、スカウトを受けたと言う。

「あたいを騙した連中をやっつけてやったよ!」

「って、でも身体は大丈夫なのか?」

「ダメさ、あたいの腰から尻はもう傷物だよ。もう、安くないよ、とは言えないね。見てみるかい?」

 そう言っていきなりベルトをかちゃかちゃ始めたために伊丹は「待て待て待て」と止めた。伊丹が聞きたいのはそう言うことではないのだが、デリラにとってはその程度のことのようであった。

「随分と、丈夫なんだな~」

「でもないよ。お医者が凄いんだよ。腰に、骨の代わりをする『ちたん』とかいう鉄みたいなものを入れたんだってさ。ひと月ぐらいで歩けるようになったよ」

 だから、そんな大出術を受けてひと月で、今みたいに元気に動けるのが凄いと思うのであるが、デリラは日本人の医者が凄いとしきりに褒めるだけであった。

「時々、痛いけど。でも、それで済んだんだ。柳田のダンナに較べたらマシさ」

 一生かけて柳田のダンナに償いをする。そう、デリラは言ったのだった。




 テュカとヤオに案内された、養鳴と漆畑、白位の3人の学者と、取材スタッフ達は、目の前に広がる光景に絶句していた。カメラマンは慌てて、カメラを構えてその無惨な光景を記録に留めはじめた。

「こ、これは……」

 それは高原の山や谷が、黒い雲海によって覆い尽くされそうになっている姿であった。

 黒い霧によって根元を覆われた植物群のことごとくが、緑の姿のまま枯死している。その姿にテュカも悲しげに呻いた。

「もうこんなところまで……」

 前に来た時から、まだそれほどの時を経過したわけでもないと言うのに、黒い雲海は大地をさらに侵蝕していたのである。

「漆畑君。これを何と見るかね?」

「一見すると、スモッグみたいですがね……」

 漆畑は、斜面を少し下ると、入り江の水面にも似た黒い霧に手を伸ばそうとしてヤオに止められた。

「気をつけて頂きたい」

 そう言って、ヤオは石を投げ込む。すると、黒い霧の中に飛び込んだ石は、その向こう側で小さな雷に打たれたように弾け、消えて行った。

 漆畑は、傍らの木から枝を手折ると、その先を突っ込んだ。

 水蒸気やスモッグの類であれば、ドライアイスで作った煙のように、枝であろうと手であろうと攪拌すればそれなりに波うったりと、反応してみせるものだ。だが、それはまるで影のように手応えがなくその場に固定して動かなかった。

「表面から浅い層なら大丈夫のようだな」

 漆畑は鞄から、コンビニの買い物袋を取り出すと中身の焼酎やツマミの類を鞄に放り込み、買い物袋だけを掴んだ。そしてしゃがみ込むと、それで水を汲むかのように、黒い霧を浚った。

 だが、何度繰り返しても、すくい上げたビニール袋内に黒い何かが溜まることはなかった。ビニール袋を入れれば、その内部には確かに黒い霧状の物体は入るというのに……。

「これは、物質ではないようだな」

 養鳴の言葉に、白位、漆畑の二人は「そうですね」と頷く。

 水たまりを覗き込む子供のごとく、大の大人三人がしゃがんで顔を寄せ合って黒い霧を観察している。

「これは、影のようなものではないかと思える」

「影ですか?」

 横からニュッとマイクが突きつけられた。傍らで菜々美がニコッとした笑顔で養鳴の解説を待っている。傍らにはカメラのレンズも光っていた。
 そんな彼女の笑顔に、学者達は頷くとさらに解説を始めた。

「まだ、そうだとはっきりしたわけではない。だが、これは余剰次元からの影ではないだろうか?」

「じ、次元ですか?SFみたいですね」

「うむ。いかがわしい似非科学っぽく聞こえるだろう。儂もそう思う。だが、実際には立派な学問の研究分野だ。ジュネーブでは、大型ハドロン衝突型加速器を用いて、5次元空間の存在を証明すべく実験が進められておる」

「はあ、そうですか……でも、こんなふわふわってしているというか、厚みがありそうなものが影なんですか?」

「うむ、良い質問だ。儂らの住む三次元に置いては、影と言えば平面すなわち二次元だな」

「ええ」

「ここに立体的、すなわち三次元の影が存在するとすれば、余剰次元の存在を示唆するものとなりうるんじゃ」

「ふ~ん」

 菜々美は合点がいったかのように頷いて見せた。養鳴教授もその反応を見て好々爺のように微笑んだ。

 だが

「…………………………………わかりません」

「あ、頭の悪い奴め!理解できないと言うかっ!!胸にばかり栄養が行って、頭に行っとらんのじゃろ!」

 こいつめこいつめと、菜々美のおでこをペシペシと叩く養鳴教授。菜々美は頭を抱えると地面を転がり回った。

「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、ごめんなさい。でも、ホントに理解できないんです」

「まぁまぁ養鳴教授、抑えて抑えて。説明の真ん中を省いて理解できる学生なんて今日日いませんよ。それに、厚みを持った影の存在が、余剰次元の存在を示唆するなんて理論、わたしも初耳ですよ」

「そりゃ、そうだろう。儂が今思いついた」

 二の句の継げない、漆畑と白位。

 状況が理解できない栗林菜々美は教授達の顔を「なに、どうして?」ときょろきょろ見つめる。

 この直後「この程度のこと、直感で理解できなくてどうする!!」という声がクナップヌイの山間部に響くこととなった。




 陽が落ちて、辺りが闇に包まれる夜。

 天文学者の白位はこれからが自分の出番とばかりに、宿営地から少し離れた所に望遠鏡やカメラなど据えて観測を始めた。

 これにはカメラ趣味の笹川陸士長が手伝っている。
 銀塩写真の長時間露光と聞いて腕が疼いたようだ。夜空でこれをすると、星が綺麗な曲線を描いたものとして写る。もし、天球に歪みが生じているなら、当然のごとくこの線が歪むというわけだ。

 取材スタッフの内カメラマンと音声は、二人のそんな作業を撮影していた。

 養鳴と、漆畑の二人はチヌークの荷室に置かれた簡易ベットに座って、酒を呑みながら夕方に自分達の見た物についてを話し合っている。

「持ってきた道具で、どれだけアレを調べられるかだな」

 ディレクターは、その傍らで紀子から聞いた話をメモにまとめている。

 紀子と菜々美は、チヌークの操縦席近くをカーテンで仕切ったところを割り当てられて既に就寝。ちなみに警備役もかねてデリラのベットも同じ場所に置かれた。聞けばデリラの裁判では紀子が通訳をしたと言う。被害者になるかも知れなかった紀子が進んで通訳を買って出たことで友情めいた物が育まれたのだろう、二人は再会を喜び合って意気投合していた。

 パイロットと搭乗員の航空科三人はチヌークの点検を済ませると、早々に就寝。

 テュカは、黒川とお喋りで忙しい。

 栗林は不寝番が明け方なのので、天幕内で早々に就寝。

 勝本と倉田は現在不寝番。

 出雲三佐と彼の7名の部下は、民間人前に顔をさらしたがらず、それぞれ割り当てられたテントに入ってしまった。

 そして、普段なら邪魔になるレレイとロゥリィも、今頃帝都で迎えを待っている頃だろう。

 そんな訳で……今夜はヤオにとって、伊丹と二人きりの時間がとれる、唯一無二のチャンスであった。

 これを逃したら後はないかも知れない。

 栗林が寝ている脇で、テュカが黒川とお喋りしているのを聞き流しながら、ヤオは伊丹の入った天幕をずっと観察していた。

「カツモトとクラタは不寝番。ササガワは仕事。すなわち伊丹は1人きり…」

 ヤオは、そっと自分の天幕から抜け出した。



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Arcadiaは3月20日からサーバの物理的なお引っ越しによってお休みに入るそうです。早くても再開は24日(火)と言うことです。遅れることも当然あり得ます。皆様慌てることのないようになさってください。


 





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 62
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/03/31 20:11




62





 それは小さな動きだった。

 誰の目にも止まらないような、ただ、丁寧に丁寧に正確であるようにと綴られた情報の羅列。

 テレビで報道される特地の情報。特に、現地の住民達へのインタビューなどにつけられた翻訳の誤りを指摘し、正しくはこうなっていると伝えるブログサイトがあらわれた。

 それは『のりこ日記』とタイトルされている。

「誤訳)おっかないね、とっても不安だよ」
「正解)お陰で、安心して暮らしているよ」

「誤訳)自衛隊にはとっとと帰って欲しいよ。こっちは平和に暮らしていたのに、迷惑な話だ」
「正解)はやく終わると良いね。無事に帰って欲しいよ」

 ただマスコミの情報は誤りだと貶すだけのものであれば、人々の耳目を引き寄せる力はなかっただろう。多くの人が、きっと見過ごしてしまっただろう。

 だけど、そこに記されているのは、女性とおぼしきブロガーが描く日々の暮らしぶりだった。特地の人々との交流は、真実そこにいなければ書けない臨場感があり、まだ特地で用いられている言葉、単語についての解説は詳細な検証にも耐えうる力を持っていた。

 何よりも、時折掲載される現地の人々……その中には、日本で発売された写真集にも顔を出すちょっとした有名人達もいる。そんな人々の、未発表でしかも構えてない日常の姿が赤裸々に写しだされていたが故に、読者を信じさせることが出来たのである。

 これを読んだ者は、誰もが「アレ?」と思いはじめる。

 家に置かれているテレビとか、配達されて来る新聞紙から与えられた情報をこれまで疑うこともなく受け容れてきたけれど、このブログが本当だとすると、それらは全て間違っていたことになる。

 例え、間違いではないとしても、割愛されている部分には大切なものがあったのではないか。

 伝えられなければならない事実が意図的に、隠されていた。そして、本来は伝えなくても良いようなことが、大げさに語られている。

 人々は、少しずつ考え始めた。

 コメンテーターが語る言葉の裏にあるものは?

 このアナウンサーは、何故この政治家を激しく貶すのか。

 このテレビ番組を見ていて、何故このような気持になるのか。その理由は?このテレビ番組は、この出来事をこのような切り口で語っているが、それは物事の一面に過ぎないのではないか?

 それは個々に置いて小さな動き。だが、とても広く、深くひろがっていた。

 ごく少数だが、『気がついた人々』は、与えられた情報を盲目的に信じるのではなく、その情報がどのような意図で伝えられようとしているのかを、まず疑ってみようと、しはじめたのである。

 それは自分が支持する勢力にとって都合が悪い情報が出ると疑う、と言うのとは違う。

 自分にとって、都合がよい情報も悪い情報もどちらも、よく噛み砕いてどのよう意図が混ぜ込まれているかを考えるということなのだ。




 夜の赤坂の街を、黒塗りのベンツが、煌びやかなネオンや屋外広告の光をボディにきらめかせながら走り抜ける。

 車列の間を流れるようにして高級ホテルの玄関前に滑り込んできた。

 後部座席はスモークガラスで見えないようにされているが、ホテルの窓からそれを見下ろす駒門には、ターゲットの存在をはっきりと思い浮かべることが出来た。

 彼の隣には、現場の映像を残すべくカメラを構えた課員がしきりとシャッターを切っている。

 ホテルのドアマンがドアを開くと、紳士然とした70代の男性と、10代前半としか見えない美貌の少女が降り立った。傍目には、おじいさんと孫という関係にしか見えないだろう。

「課長。全員、配置に付きました」

「よし。令状はとれたか?」

「はい間違いなく、すぐに届きます。罪状は予定通り児童福祉法違反です。それに売春の現行犯でひっぱれるでしょう」

「よし、では頃合いまで待つとしましょう」

 駒門の指示に、彼の部下達は緊張を解くとそれぞれにコーヒーに手を伸ばしたり、携帯電話に入るテレビの映像に目を落としたりし始めた。

 情報本部への出向期間が終わり、古巣の公安に戻った駒門は警視に昇進し、警察官としての任務に就いていた。

 自衛隊情報本部への出向期間中に腰を痛めてから、常にステッキを愛用するようになった。さらに腰や膝への負担の軽減のために、医師からダイエットが命じられそれを真剣に遂行して、以前と違ってやせ形の体躯となっている。

 その不気味とも言える風貌は、中高齢の部下達にとあるキャラクターを連想させた。そして彼らから死神博士と呼ばれて畏れられることとなったのである。

 暫くすると、ドアがノックされる。

 入ってきたのは、彼の部下の1人であった。足早に入ってきた部下は、茶色の封筒を背広の内ポケットから取り出すと、差し出した。

「令状です。それとこちらは部屋のカードキーです」

 駒門は、封筒の中身を確認するとニヤリと相好を崩した。

「よし。では令状の執行に参りましょう。とは言っても、容疑者はお偉い人です。みな、丁重に振る舞うように」

 絨毯が敷き詰められたホテルの廊下を足早にスーツ姿の男達が、群れを為して進む。その光景は一種異様であり、他の客達は脇に避けてこの集団をやり過ごそうとした。その真ん中をステッキを付きながら悠然と歩むのが駒門である。

 男達はドアの1つの前に立つと、周囲を固めた。

 課員の1人が、駒門の合図を受けてガードキーを素早くスリットに差し入れた。

 ドアは抵抗もなく開いて、公安警察の課員達は流れるようにして部屋の中に入っていく。カメラを持った駒門の部下が、現場の様子を証拠として残すために、フラッシュを焚きながらシャッターを連写する。

「読村社長。貴方を児童福祉法違反、並びに売春防止法違反の現行犯で逮捕させていただきます。ちなみに、こちらのお嬢さんが13才未満だったら強姦の容疑もつきます」

 警察官達の前に広がっていたのは、ベット上に裸体の老人が仰向けになって、その腰の上で裸体の少女が甘い声で啼泣しながら腰を揺すっているという光景だったのである。

 床頭台には、ミネラルウォーターのペットボトルとED薬の錠剤が転がっていた。

 驚いて声のでない読村。

 少女は、この期に及んでもまだ腰を振り続けている。というより、腰を振ることに没頭していて周りの異変に気づいていないようである。

 駒門は、ニヤリと嫌らしい笑み少女の裸体に視線を巡らせた後に、読村に死神のごとき笑みを向ける。

「随分と良い思いをなさっているようだけど、ウチの取り調べは過酷だよ。あんたのテレビ局でやってる刑事ドラマなんか、目じゃないもの……」

「べ、べ、弁護士を呼べ」

 読村がようやく口にしたセリフがこれであった。

「ええ、貴方の当然の権利ですから尊重いたします。けどね、手続が済むまでの間、あんたの身柄は俺たち公安警察のもんだ。それをよく弁えておけよ」

「こ、こ、公安?!!」

「そ。公安が出張ることになりそうなこと、身に覚えがあるでしょ?」

「そ、そんなもの、ないっ!」

「さぁて。ま、その辺はゆっくりお話を聞かせて貰います。某国との関わりのこととかね。ゆっくりと、そしてじっくりと」

 女性課員が呼ばれ、少女はタオルを被せられて連れ去られていく。

 こうして、弛んだ腹の痩せた老人は、服に袖を通すことも許されず、バスローブ一枚を纏っただけの姿で、手錠と腰縄をかけられてホテルの裏口から連行されていくこととなったのである。





    *    *





 陽の落ちたクナップヌイ。

 流れる風が、草や茂る木々の梢をそよがせると、葉の触れ合うざわめきは海岸に寄せる波のようにも聞こえる。これに少し強めの風の音と混じりあったものが、夜の山岳地帯を彩る背景音楽だ。その雰囲気の重苦しさは、うつ病患者なら一発で、症状を悪化させられてしまうだろう。

 こんな時は、早々にねぐらに籠もって眠ってしまうのが一番だ。

 そのねぐらだが、チヌークを中心に6人用の天幕が4張り展張されていた。
 民間人の寝床のあるチヌークを守るように自衛官達が休む天幕が周囲に配置されているのである。

 その内の一つ。

 天幕内に列ぶ簡易ベットの中から、出入り口近くに配置された一番良い場所を占領し、寝袋を敷いて、戦闘服の上衣だけ脱いだくつろいだ姿となった伊丹は、半長靴からは足も抜かない体勢で横たわっていた。ちなみに靴を脱がないのは、何かあったら素早く行動できるようにする配慮である。

 懐中電灯の灯りを頼りに、持ってきた小説のページをめくる。

 他の簡易ベットは、荷物だけが置かれた状態。皆任務に就いており、この天幕内にいるのは伊丹だけ。周囲を気にすることなく心おきなく本を読み漁っていられた。

 伊丹の本を読む速度は、ライトノベルならおよそ1時間半で一冊読み終えてしまうほどだ。これが早いと言えるかどうかは他者と較べたことがないので何とも言えないが、それだけに旅のお供に数冊の携行が必要となる。
 それによって例え荷物の重量が増し、疲労の原因となったとしても、伊丹の背嚢には常に4~5冊、下手をすると10冊にも及ぶ小説が入れられているのだ。

 一冊の本を読み終えて、荷物に戻し中から別の本を手探りでひっぱりだす。
 カラフルな表紙を汚さないために、自分でつけたOD色(オリーブドラブ)のブックカバーがかけられているため、事情を知らない者はそれを教範の類だと思うだろう。だがその実態は斯くのごとくである。

 早速、ページを捲ろうとした彼の手が、ふと止まった。
 自然のざわめきの向こうから人の気配が近づいて来るのが感じられたのだ。それは常人では誰も気づけないほどに、小さく、また周囲の雑音に紛れている。

 幼い頃から、自分の部屋に籠もって階下の誰かが誰かを殴る気配にじっと聞き耳をたてていた日々が、彼に人一倍敏感な聴力を与えた。それを、ありがたいと思うべきかは今となってもわからない。だが、それが自衛官としての彼を支える才能の1つとなり、身を守るのに役立っているのである。これが特戦をして『逃げの伊丹』と呼ばせ、手を焼かせる理由の一端である。

 ちらりと腕時計に視線を送る。

 勝本と倉田はまだ不寝番中だから、戻って来るには早い。とすれば、夜空を撮影している笹川か。しかし、近づいて来るのは半長靴の足音ではなかった。裸足で歩いているのに似たその音は、皮革でつくられた特地産編み上げタイプのサンダルだろう。

 おそらくヤオ。テュカという可能性もあるが、彼女は最近では外を歩くのに日本製アプローチシューズを愛用している。……そんなことを素早く考えた伊丹は、いつの間にか、握っていた9㎜拳銃から手を離して、ページを捲り読書を再開した。

 丈夫な帆布にも似た素材で作られている天幕のファスナーを上げて中を覗き込んできたのは、やはり銀色の髪をもつ褐色のエルフ、ヤオだった。

 懐中電灯の灯りに浮かび上がった姿は、鎧も外した軽装で、胴をかるく覆うだけのゆったりとしたチュニックを纏っているだけ。ボトムもショートパンツという有様で、手足はそれぞれ付け根から剥き出し。成熟した女性としての色香が匂い立ち、視線を真っ直ぐに向けるにはいささか眩しすぎる。

 ヤオの右肩やや上方には、照明のために呼び出したのか白い輝きを放つ光の精があたかも蛍のように浮かんでいる。懐中電灯に較べれば光量は多くないが、夜の道を歩いていて躓かないほどには明るくなるのだ。

「少し良いだろうか?」

 ヤオの発した声は、緊張を伺わせるややうわずった響きがあった。

 伊丹は「おぅ」と、横になった姿のまま入って来るようにと促す。だが、彼女は天幕の扉部分を摘み上げたままの姿勢で踏み入ってこない。その瞳をじっとこちらに向けるだけであった。

「どした?」

「少し歩きたい。誰かが戻って来るかも知れないし」

 要は二人きりで話したいということか。

 伊丹は、本をポンと閉じると懐中電灯と上衣と64小銃へと手を伸ばした。

 天幕を出て、上衣に袖を通しながらヤオに「こっちへ」と誘われた方向に踏み出したが、読みかけの本がまだ気になってもいたこともあって早々に用件を済ましたいと、「どうした?何かあったのか?」と話を催促した。

 かすかに眉を寄せたヤオの表情は、どこか悲しげにも見えた。そして、大きく息を吸って何かを言おうとするのだが、何かがひっかかっているようで突然脱力して深いため息をついた。

 そんな逡巡をまざまざと見せられれば、さすがに伊丹も何か深刻な用件かなと思って真剣に取り合う気持になる。ヤオが口を開くのを待つことにして、彼女の歩みに付き従うようにして進んだ。

 2~3分ほど歩いたろうか。黒い霧の押し寄せる死の入り江から、反対方向。まだ生命の溢れる草木の生い茂るところまで来て、ようやく立ち止まったヤオは、周囲に2~3の光の精を放つと、おもむろに振り返った。

「御身とは一度ちゃんと話がしたいと思っていた」

 青白い光が薄く照らす中、ヤオは真剣な色彩で輝く瞳を真っ直ぐに向けた。

「何を?」

「炎龍の件では、テュカや御身には随分と酷いことをしてしまった。その事がずうっと気になっていた。機会を得て、きちんと謝罪をしたいと常々考えていた」

「あれか?そんなの気にするなって。俺よりはテュカに謝っておきな」

「彼女にはもう謝罪した。快く許してくれた」

 これを聞いた伊丹は満足げに頷く。

「よかった。テュカの奴は、もうすっかり立ち直ったんだな」

 そんなところからテュカが快復し精神的にもしっかりと立ち直っていることが感じられて、伊丹は喜ぶ。だが、何が気に入らないのかヤオは「ふん」と唇を尖らせ、強引に話題を元に戻した。

「それで御身だ。此の身の謝罪を受け容れてくれるだろうか?」

「ああ。いいぞ」

「って、早っ?!」

「そりゃそうだろう。何時までも恨に思っててもしょうがないしな。テュカは立ち直った。経緯はどうあれきっかけはお前のお陰だ。しかも、お前にも相応の理由があった。さすがに感謝しようとは思わんが、良い結果が出たんだ。前にも似たようなこと言っていたけど、もう過ぎたこととしてお終いにしようや」

 気負っているところがあったのか、伊丹のそんな言葉にヤオは力の入っていた肩を落とした。その姿は罵って欲しがっていたと思えるほどに、どこか残念そうであった。

 それでもヤオは謝罪すると申し述べ、伊丹がそれ罪を受けると応じたからには、ヤオは白銀の髪の先を地に垂らすようにして、深々と頭を下げたのである。

 暫くして伊丹は、ヤオに頭を上げるように告げた。ほっておけば何時までも頭を下げているようにも思えたからだ。そんな男を女はこう評する。

「お人好しめ」

 すると伊丹は肩を竦めて「炎龍を倒した報酬に、いろいろ貰ったからなぁ」と、自分が得た利益を指折り数えだした。

「ダイヤモンドの原石だろ。感状だろう。それに、デュランさんには爵位まで貰った。減俸とかいろいろあったけど、差し引きで言ったら黒字だよ。ここまでしてもらって、いつまでもグズグズ文句を言ったら、それこそ罰が当たるぜ」

 ところが、ヤオはそれを聞いて訝しげであった。というよりは、何か重大なものを忘れていないかと伊丹の顔を覗き込む。覗き込まれた伊丹としては、そんなヤオの態度に「なに?」と訊ねざるを得ない。

「あの、もしやと思うが、御身は、此の身を所有していると言うことを忘れていやしないか?」

 ヤオに指摘されて、今更のように気がつく伊丹。「あ、そんな事もあったなぁ」と掌を拳でポンと叩いた。

「随分酷い話だ。つれない話だ。というより殆ど侮辱に近い。金銀財宝や地位に及ばずとも、それなりに価値のある報酬だと思っているのに」

 ヤオは、憤懣の気持をあからさまにして、エルフの奴隷は精霊魔法が使えるなどの技能があったり、寿命が長いからヒト種のそれの数倍の高値がつくといったことを述べて、どれほどの市場価値があるかをさかんにアピールした。

「悪かった、悪かった。日本には奴隷制度がないから、人間を貰うってことに違和感しかないんだよ。ほら、実際に受け取ったのは紙切れだったし、そんなものと関係なしに、もうヤオを仲間だって思ってたし」

「いや、御身に軽々しく扱われているようで不本意だ。こちらとしても、覚悟を決めて我が身を捧げたつもりだった。それがこの扱いでは……御身の手の内にある財産がどれほどのものか認識を改めて貰う必要性を、此の身はひしひしと感じている」

 ヤオはそう言うと、さらに伊丹に向かってじわりじわりと迫った。そんな姿には、何故かはわからないがどこか必死の色があり、悲愴感すら漂っていた。

「ちょっとまてって。どうするつもりだ?」

「今言われたように、紙切れしか受け取っておらぬがゆえに、此の身を所有している実感が湧かないのであろう?料理は食してみて初めてその真価が解る。拾った財布は中身を覗いてこそその価値が解ろうというものだ。やはり、人間は使ってこそその能力が知れる。是非とも、何か用を言いつけて欲しい。御身が命じることならば、それがどんなことであっても、喜んで応ずるだろう。どんなことでもだ……」

 迫ってくるヤオの瞳と、「どんなことでも」という言葉に、伊丹は思わず唾を飲み込んでしまった。

 妙齢の、しかも容姿の端麗な女性から「どんなことでもOK」と言われて、『女』を意識しない男は少ないと思う。伊丹は、いかにも女というタイプは苦手ではあるが、だからといって決して嫌いなわけではないのだ。視線が豊かな曲線を描く胸とか、剥き出しの手足とか、艶めかしい唇とかに向いてしまうのは仕方のないことと言えるだろう。

 だが「好意を感じてくれてなら大歓迎。だけど金ずく、暴力ずくは絶対ダメ。主人と奴隷の関係なんて最悪」という内心の声に従って、頭の中身に冷や水を浴びせて努めて冷静な口調でこう応じた。

「それは、要するに仕事を与えてくれと言っているわけかな?」

「………まさしく、その通り」

 こうして伊丹の前で、ヤオは胸を張って頷いたのである。

 夜の暗さからか、それとも彼女の態度に気圧されたからか、その時の伊丹はヤオの身体が僅かながら震えていることには気づくことが出来なかった。




 ヤオにとって、伊丹が自分を所有しているという意識の無さは、実は結構切実な問題であった。

 炎龍を退治してくれるならその報酬に我が身を売り払っても、という覚悟をかためて旅に出て、そして伊丹と巡り会って紆余曲折の末に炎龍を退治して、故郷が救われた報酬として我が身を伊丹へと与えた。だが、伊丹はヤオに何もさせないし求めないという態度をとり続けていた。

 伊丹からすれば、身の回りのことは自分で出来るし、特別ヤオに頼まないといけないことはない。現地協力員に、テュカ達と一緒に参加してくれればよい。それぐらいに考えていたからだ。

 そんな彼の態度が、ヤオにとっては余所余所しく感じられて寂しいのである。

 それに奴隷としての不安もある。

 主人に気に入ってもらえなかった奴隷は、何かあれば、別の誰かに売り払われる運命が待ち受けている。奴隷は自分の行き先を選べない。極端な話、買い手が娼館なら不特定多数の男を相手にする毎日が始まってしまう。

 しかし、それが伊丹の意志と言うならばヤオはそれを甘んじて受け容れるだろう。伊丹が娼婦になれと言ったなら、最高の高級娼婦をめざすだろう。

 ところが、伊丹は何も指図しない。求めても来ないという曖昧で宙ぶらりんな状態が続いていた。
 今回のように、現地協力員という立場で彼の指揮下に入って仕事をすることはあるが、それはテュカやロゥリィ、レレイと同じ『雇われ者』と同じ立場だ。ヤオが求めている『奴隷と主人』の関係ではない。奴隷とは所有されるものである。それは、あやふやな恋愛という感情に基づく関係よりも、より強固なものだ。結婚式の前夜に婚約者を亡くしたり、恋人を失い続けて絶望してしまったヤオにとっては、所有されるということにこそ寄る辺となる魅力が感じられるのだ。

 だから思う。もっと、自分をしっかりと所有して欲しいと。
 もっと、いろいろと用を言いつけて、役に立つ機会を与えて欲しいのである。しかし、今はほとんど放置されている。それが、自分に関心がないように見えるから、とても怖くなる。こっちから積極的にしがみついていかないと置いて行かれてしまいそうである。

 伊丹が、そんなそっけない態度をとるのは、きっと自分のしたことへの怒りがおさまっていないからに違いない。ヤオはそう考えた。だから謝罪したかったし、まだ怒りが晴れないというのなら、罰を与えて欲しいと思うのである。その為であれば、どんな責め苦でも、どんな酷い扱いも受け容れるつもりだった。

 ところが伊丹は怒ってないと言うのだ。

 謝罪に対する態度もあっけらかんとして尾を引かないサッパリとした態度だった。それが、伊丹の良いところと言えば良いところなのだろうが、ヤオからすれば、ますます伊丹の関心が、全く自分に向かっていないことの現れと思えてしまう。

 伊丹にとって、自分の存在は無価値。不要物。そんな気持にすらなってしまう。

 だから、少ししつっこいほどに「何でも言うことをきく」と強調したのだ。

 伊丹に、自分という女を意識させたかった。何としても。

 女奴隷が、主人に性的な奉仕を要求される。実によくある話だ。実際、伊丹の視線が自分の肢体を舐めるように走った際は、心臓が高鳴った。

 なのに、伊丹はヤオの内心の求めに無頓着に見える。
 艶っぽい話を避けるかのように、「仕事を与えてくれ」と言っているのかと訊ねてくる始末だ。

 ヤオとしてはやるせない気持を抑えて、「まさしくその通り」と言うしかなかったのだ。

 一方、そんなヤオの胸中を知らない伊丹は、顎に手を当てて考えていた。

 現地協力員としての仕事はすでにしてもらっているし、隊内の業務を自衛官でもない彼女に任せるわけにはいかない。

 だが、ヤオの気持も推し量れなくもないのだ。

 仕事を干されたしまった人間が鬱屈した挙げ句の果てに精神的に参ってしまうという話はよく聞く話だからだ。

 自衛隊にも、いろいろな理由で、仕事を任せてもらえない人間はいるし、どこぞの少数野党の議員さんが経営していた(現在息子が社長)某運送会社では、不正行為を内部告発した職員を退職までの32年間、ずうっと草むしり程度の仕事しか与えないという報復を徹底的にやったそうだ。

 その職員はよくぞ耐えたものである。そう言う会社を経営していた人間が、国民のためとか言って国会議員と神主とかしているのだから世も末と言えるだろう。

 いずれにしても、仕事を欲しいと言う気持は伊丹にもわかるから真剣に考える気になった。

「とは言ってもなぁ……とりあえず頼めるとすれば、洗濯とか、半長靴磨きかなぁ?あとは追々考えるしかないだろう」

 洗濯、とくにこれに付随するアイロン掛けと靴磨きは自衛官には必須の仕事だ。
 この両者は、馴れない人間にやらせるとかえって酷いことになってしまうが、頼むとすれば、まずはそれからだろう。ヤオがアイロン掛けだの靴磨きをしたことがあるとは思えないから、伊丹が手ずから教えることになる。

 それを聞いたヤオは満面の笑みで伊丹の両手を握った。

「ホントか。御身が手ずから教えてくれるのか?」

「この程度のことで、こんなに喜んで貰って悪いねぇ」

 伊丹は、戸惑うばかりであった。

 だが、ヤオにとっては、何もなかった今までに較べたら遙かによいことなのである。

 伊丹にもっと自分を意識させるにも、これがとっかりになる。いや、何として意識させてみせると、そんな挑戦的な気持になっていた。

 ヤオは嬉しさの余り、勢いづいて伊丹に抱きついたあげく口づけようとした。

 だが、伊丹はそっけなくそれを躱しヤオの身体を横に放りだした。受け止めてもらえないヤオは地面に抱きつき、口づけは大地に贈ってしまう。

「…………むぅ」

 いくらなんでもこの扱いはないのではないか、と思いつつ顔を起こすと、伊丹は64小銃の槓桿を引いて弾丸を装填して、暗闇の向こう側に銃口を向けていた。
 斜面の上方から、風が枝葉をそよがせる音とは違う、何かガサガサと草分ける音が近づいてきている。

 見れば、斜面をごろごろと白い塊が転がってくる。

 ヤオも状況が変わったことに気づいて、光の精を増やすと周囲を明るく照らした。

 斜面を転がり落ちてきた物体には、伊丹は見覚えがあった。ヤオも見覚えがある。

 それは深縹(ふかきはなだ)色の肌をもつ竜人族出身の亜神ジゼルだった。ハーディに仕える使徒であり、ロゥリィとも互角に戦うほどの実力を持つ。

 そんなジゼルが何故、泥に汚れてこの斜面を転げ落ちてきたのか。

 伊丹は、周囲を警戒しつつ仰向けに転がる白ゴスフリルの塊に近寄った。

 流石に美形揃いの亜神だ。容姿は彫刻のように整っている。
 だが、その美貌も憔悴しきっており色あせていた。息も絶え絶えで浅い。

 一時、敵として対峙してその凄まじさを肌で感じている伊丹は、あの敵をここまで消耗させるとは、いったい何事かと警戒心を最大にまでかき立てた。周囲への警戒を密にして、そっと手を伸ばしジゼルの首元に触れようとする。

 ヒトで言えばそこは頸動脈が走っている。脈を取るのと同じで、災害被害者などの体調を図るのに用いることが出来る。

 だが手が触れるか触れないかのところで、突如ジゼルは瞼が開いた。

 光精の薄明かりの中、金色の瞳が輝く。そして、ぷっくりとた唇を開いて、何かを告げようとしていた。伊丹をそれをじっと待つ。

「……………………」

 だが、何を言っているか伊丹の耳をしてもよく聞き取れない。

 耳を寄せてさらに彼女の声を聞き取ろうとしたところ、ジゼルは蚊の泣くような声でこう言った。

「…………………………腹減った」




 ガツガツと飯盒のカレーライスをかっ込むジゼル。

「美味い、美味いぜこりゃ」と瞬く間に二人前、三人前と平らげていく。

 白ゴスをまとった女性が、がばっと大股開いて座り込んで、ものすごい勢いで食事をしている姿は、ワイルドとか言う以前に、女性的な何かを完全に放棄しているとしか思えないものである。

 容姿が良いだけに、もったいない。そんなことを思いつつ伊丹は振り返るとヤオに言った。

「こりゃ、まだ喰いそうだ。もう一人前追加して温めてくれ。それと、ついでだから白位博士と笹川に珈琲でも入れてやってくれ」

「はい」

 伊丹から用を言いつかって嬉々として仕事をするヤオ。よっぽど嬉しいのか、レトルトの戦闘糧食を温めたり、珈琲をいれたりで鼻歌すら聞こえてくる。

「それで、なんだってこんなになるまで食事を摂らなかったわけ?」

 伊丹の質問に、ジゼルはスプーンを口に運ぶの、一瞬止めた。
 ぼそりと「ちっ、主上さんのお声掛かりがなきゃ、あの時のお返しをしてやれるのによぉ」などと物騒なことを呟きつつ伊丹に向けて「お前らのせいだ」と言い放った。

「なんで俺たちが?」

「龍の件さ。あの件で、主上さんにお叱りの言葉を賜っちまったのさ。罰としてここで黒い霧が山を越えるまで見張ってろってな」

「飯抜きで?食糧の補給とかも無し?」

「雲の上のお人が、こっちの飯のことまで心配するかってんだ。そういうのは、それぞれが自分の才覚でするもんだ。最初は、喰える野草とか、動物を狩ったりしてたさ。けどよ、この辺の生き物はみんな死ぬか、逃げるかして、獲物がまったくかからなくなっちまったんだ」

「死に絶えた?」

「ああ。動物の類はもうこの辺にはいねぇよ。虫すらいねぇ。木も草もどんどん死んでる。土が死んでるからな。お前等もあんましこの辺に長居しねぇ方がいいぞ」

「それにしては、死骸がないね」

「当たり前だ、生き物はカンが鋭いからな。異変を察してみんな逃げちまうんだ。逃げられなかった動物が転がってた所は、もう黒い霧に呑まれてる」

 それは伊丹にとっても貴重な情報であった。

「俺たちは、一応、明日には立つ予定だけど大丈夫かな?」

「1日2日なら、心配いらねぇよ。けれど、それより長くいるのは勧められねぇな」

 養鳴教授が、ガイガーカウンターで調べた時には何の反応もなかったから、放射線の類ではないはずだ。だが、やはり生命に害のある未知の何かがあるのかも知れない。

「実は学者を連れてきてる。明日、そういった話を聞かせてもらえる?」

「かまわねぇぜ。主上さんから、黒い霧を調べに来る奴がいたら、協力してやれってご下命を受けてる。それに、飯も奢ってもらったことだしな」

 ジゼルは、そう言ってヤオから差し出された4杯めのカレーに、スプーンを突き立てたのである。





    *    *





 あんまり長く寝ていると、かえって寝疲れてしまい体調が悪くなることがある。

 レレイもそういうタイプだ。
 しかも彼女に与えられたのは帝国の皇宮にある身体が埋まりそうなほどに柔らかな寝台とか、掛けているのかどうか判らないほどに軽い羽毛を詰めた布団。そして首が疲れそうなほどに頼りない枕だったので、横になっていても落ち着かないのである。はっきり言って、気が休まらなかった。

 これを貧乏性とも言う。硬いマットと枕、そして重い布団が懐かしい。

 身体を起こしてうなじを拳でトントンと叩いていると、ロゥリィが黒ゴスフリルをひらひらさせながら機嫌の良さそうな表情でやってきた。

 ここしばらく無表情と言うか人形のようなと言うか、不機嫌を隠さない態度で皇宮内をのし歩いていたので、女官とか、侍従とか、貴族連中は、彼女に近づくことも避けるようになってしまった。
 だが今は、花が咲いたような満面の笑みを浮かべている。となれば、何か良いことでもあったのだろう。

「耀司が迎えに来るって、報せがあったわよぉ」

 それは、確かに良い報せであった。
 いつまでこんなところに居なければならないかと不安に思っていただけに、終わりが見えて来るのは嬉しいことだ。伊丹に会えるのはさらに喜ばしい。

「いつごろ?」

「明日、クナップヌイを出るそうよぉ。だから、早くても2~3日はかかるでしょうねぇ」

「クナップヌイ?」

「そうよぉ。なんでまたぁあんな所に戻ったのかしらぁ」

 今頃、門をについての進言のために、東京に行っているとばかり思っていたのである。それがまたぞろ、クナップヌイに行っているという。

 ロゥリィは訳が解らないと呟いたが、レレイには薄々事情が理解できた。

「おそらく伊丹の進言は、日本政府の指導者に届いたと思われる。ただ、それで門の取り扱いについて決まるわけではない。多分日本の政府は、クナップヌイの状況を学識者に調べさせようとする」

「そっか。そうよねぇ、いくら士官って言っても、所詮は下っ端だものねぇっ。耀司の報告だけで国が方針を決めるわけにもいかないわねぇ」

「その通り」

「ところで、レレイの方はどうなのぉ?体調はぁ?」

 病んでみて、人の情けのありがたみが初めて判ると言うことはよくある話だが、今回はロゥリィの過剰なほどの親身さが、少々意外でもあった。もちろん、ロゥリィが自分を近しい存在と見なしてくれることはとても嬉しく感じているが、まるで肉親のように心配してくれているのだ。

 何故と訊ねてみたい誘惑が何度か沸き上がったが、まだ聞くことができなかった。

「吐き気もないし、身体も痛くない。お腹の具合が治れば、もう動ける」

「結局、ハーディのやらかした暴飲暴食が一番レレイの身体に負担を掛けたかぁ。でも、レレイにはぁ適性があったよぉねぇ。……わたしぃの時はもうちょっと酷い状態が続いたから心配したわぁ」

「貴女にも似たような経験が?」

「神官見習いだった頃にぃ、ちょっとねぇ」

 神官見習いだった頃と言えば、ロゥリィがまだ亜神になる前のことだ。今から、1000年近くも昔のことになってしまう。いくら自身のこととは言っても、よくぞまぁ憶えているものだとレレイは感心してしまった。

 神を自らの身に降ろすということは強烈で鮮烈な体験だ。こうして寝込んでしまったほどに心身に負担がかかったのであるが、それでも軽い方だと言うからには、ロゥリィはもっと凄まじい苦痛を感じたのかも知れない。

 きっと、そんな体験がロゥリィが親身になってくれる理由かもしないとレレイは考えた。

「ところで、帝国政府は?」

「ピニャがあっちこっちで説得して回っているわぁ。でも、あんまり芳しくないみたいよぉ。再度『門』を開けば、日本との交易はまだ出来るって強調すれば、耳を貸してくれる議員も増えるでしょうにぃ、日本と繋がる保証はないって言って、門を閉めることばかり言っているのぉ。ねぇレレイ、そんなに門を開くのは難しい?」

「ハーディから下賜される力を使えば門を開くことは難しくはない。問題は、無数にある世界の流れの中から、日本のある世界をみつけだすこと。そして、その世界流とこちらの世界流とが近づく時期を見計らって、門を開くこと。これが難しい」

「どのくらいの時間のずれが出るって言ったかしらぁ?」

「繋いでいる時間が長すぎたので、反動がどれだけ出るか判らない。ハーディは、数年から40年前後と言った」

「40年かぁ。耀司はお爺ちゃんになってるわねぇ」

「それは嫌」

「わたしもぉ嫌よぉ。だから、彼奴はこっちに留まらせる積もりよぉ」

「それは、伊丹それに付随する友人や家族の縁を絶ちきらせることになる」

「じゃぁ、レレイはどうすると言うのぉ?」

「伊丹が居ると言ったところに行く。それだけ」

「ふ~ん。レレイはぁ、日本に行っちゃうのもありなのねぇ?」

 ロゥリィはそう言うとレレイに列ぶようにして、寝台に横たわった。二人で列んで天井に描かれた絵を眺めながらロゥリィは言った。

「わたしぃはぁ、この世界の亜神よぉ。だから、この世界を長く離れるつもりはなぃわぁ」

「40年は長い」

「そうよぉ。だから耀司を引き留めるしかないのぉ」

「自分勝手」

「そうねぇ」

「傲慢」

「そうとも言えるわねぇ。でも、愛ってそういうものよぉ」

「伊丹は、この世界でひとりぽっちになってしまう」

「ならないわぁ。わたしぃが一緒にいるものぉ」

「伊丹は、ロゥリィのものではない」」

「今はねぇ」

 姉妹のように穏和な雰囲気だった二人の間に、微妙な緊張が走った瞬間であった。二人は互いに視線を合わせる。

 ロゥリィはニィと挑戦的な笑みを見せ、レレイは小さな舌をロゥリィにべっと出してから、ほのかに笑みを見せた。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 63
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/03/31 21:02




63






 執務室に戻ってきたピニャは不機嫌さを隠そうとしなかった。

 内心の猛々しさを現すような歩調は、貴婦人の嗜みたる優雅さがかけらもない。人の持つ暴力性を規律という容儀によって治めるべき騎士としての気品もない。

 部屋の隅におかれたテーブルにアルヌスから届いた翻訳済み同人誌を積み上げて、ページを捲りながら午後の喫茶を楽しんでいたボーゼスとパナシュの二人は、思わずカップを口に運ぶ手を止めて眉根を寄せた。

「殿下。元老院の方々との会合はいかがでしたか?」

 給仕役を引き受けていたハミルトンの問いに、ピニャは砂を吐くかのように言い放った。

「どうもこうもない。誰も彼も、すっかりニホンという国に依存しきっている。門を閉じれば、国境を接する外国が怒濤のごとく攻め寄せて来ると竦み上がっているのだ。軍事的にどうこう、経済的にどうこう、屁理屈と小理屈を立て並べて何もしないための言い訳ばかりだ」

「では、対策は?」

「世界が終わるという聖下の提言を真剣に受け止め、検討を続けるという返事だ………ふんっ、取り返しが付かなくなるまで検討し続けてろっ!!」

 為すべき事は、門を閉めること以外無い。何を検討するというのだ、とピニャは怒鳴って足下の屑籠を蹴り上げた。籐を編み上げて作った屑籠は壁に当たって室内に転がり、その中身が周囲に散乱した。

 肩で息をして憤りの嵐が過ぎ去るのを待っているピニャの傍らで、冷静な秘書役がすっかり定着したハミルトンは眉ひとつ動かさず、卓上の手鐘を指先で取り上げると軽く降った。

 軽快な音を合図に重厚なドアが静かに開く。3人のメイドが一礼した。

「何か、ご用でしょうか?」

「見ての通りです。綺麗になさい」

 メイド達は「かしこまりました」と答え、ピニャがまき散らしたゴミを手早く拾い集め、拾うには小さすぎるゴミは箒で掻き集めて手早く片づけていった。

「他に、ご用件はございませんでしょうか?」

「ない。下がって良い」

「かしこまりました」

 3人のメイド達は並んで頭を下げた。そして退室しようとしたところで、ピニャが「ちょっと待て」と呼び止めた。閉じかけられたドアが再び開く。

「ご用でしょうか?」

「少し訊ねたい。お前達、ロゥリィ聖下やレレイのお世話にもついているな」

「はい」

「お二人の様子は?」

「ロゥリィ聖下はこれまでと打って変わってご機嫌のご様子です。レレイ閣下も、だいぶお元気になられました。今朝からは、もう床を離れておられます。医師からは、食事も軽いものなら出しても良いとのご指図がありましたので、今朝より召し上がって頂いております」

 亜神たるロゥリィが最上の礼遇をもって賓客として遇されるのは当然だが、レレイも貴族と同等の礼遇を与えられている。導師号をうけた者は、宮廷儀礼において閣下と呼ばれる身だからである。

「聖下がご機嫌だと?」

「昨夜使者が参られ、イタミ殿が迎えに来るという報せを伝えられました」

 ハミルトンの言葉にピニャは唇を歪めた。またあの男か、の思いとともに舌打ちしたくなる。

「そうだったな……」

 ピニャが払うように手を振り、メイド達はそれに従って退いていった。ピニャは自分の席に着くと机に向かってじっと考え込む。

「殿下?」

 眉を寄せて親指の爪を噛むピニャの姿にハミルトンは妄執めいた気配が感じられて、すきま風を背に受けたような寒々しさを感じた。

「姫殿下。イタミさまが、ニホン国政府を説得できさえすれば、門の問題は解決するのではありませんこと?」

 ボーゼスが初めて口を開いた。

 だが、ピニャは机を激しく叩いて怒鳴る。

「我が世界の存亡まで、ニホン頼りと言うのかっ!!?」

 その勢いに一瞬気圧されたボーゼスだが、言わなければ行けないことは言うとばかりに気を取り直して椅子を立った。

「ですが、門のあるアルヌスはニホンの制圧下にあり、講和後は日本に割譲されます。帝国の国論を門の閉鎖へと導いても最早わたくしたちの手で、どうこうできる話ではないではありませんか?」

「ボーゼス。お前までそのような事を言うか……よいか、この世界の危機なのだ。直接手を下せずとも、外交交渉で門を閉じる必要性を訴えることは出来るであろう。それを、門はニホンの手にあるのだから、異邦人に任せておけばよいとは楽観的に過ぎる」

「ボーゼス。殿下の言われる通りだぞ」

 パナシュの落ち着いた声が、金髪縦巻きロールの令嬢を窘めた。
 ボーゼスも、こちらから門についての危険性を説き、門を閉じるように求めることの意義は理解できたのかそれに首肯する。

「確かにそうですわねぇ……まぁ、あの国であれば一時の間、門を閉じることには応じて頂けることでしょう」

「ならぬ。門は閉じてしまいもう二度と開くべきではない」

 ピニャのこの言葉には、ボーゼスばかりかパナシュも、そしてハミルトンも目を丸くした。

「そ、そう言われましても。講和の内容からも見て、あの国が帝国、いやこの世界を手放すとは思われません」

「だが、門を開く能力を持つ者は、こちら側にいるのだ。一端、門を閉じてしまえば、開けるかどうかの決定権は我らにあると言えよう」

「つまりニホンを騙すと?しかし、元老院議員方や陛下がそれをお認めになるとは思われませんわ」

 パナシュも今度はボーゼスに同調した。

「その通りです。ニホンの軍事力や、交易をあてにしている連中に、門を閉じて開かないなどと言ったら反対されます」

「それに、これらの芸術も入ってこなくなってしまいますわ。我が国の芸術は未熟です。これだけのもの求めても得ることは決してかなわないでしょう」

 ボーゼスの指摘をうけたピニャはテーブルに積み上げられた数々の本を見て、はっとなった。

「そう、だったな……」

 口中に苦いものでも押し込められたかのごとき、酷い表情となる。

「だが、例えそうだとしても……」

 その時、窓の外から空気を連打する激しいローター音が響いて、ピニャの呟きは覆い隠されてしまう。ボーゼスらは窓に駆け寄ると、音の発生源を見上げた。

 チヌークは、ゆっくりと高度を下げながら、宮廷の庭先に降りようとするかのごとく姿勢を取った。猛烈なダウンウォッシュが、大地を洗って砂煙を巻き上げる。

「あれは?」

「ニホンのヘリコプターという空を飛ぶ乗り物ですわ。アルヌスで毎日のように見ます」

 パナシュの問いに、ボーゼスが解説した。

「凄い。あのような乗り物で城内に直接乗り付けられては、壕も城壁も、そして厳重な警備も意味がない」

 近衛の兵士達が慌ただしく走り寄って行く。だが、人数はも少なく、しかも戦う体勢がとれていないことは、パナシュの目から見ても明らかであった。

「ええ、その通りですわ。そしてそれより降り立つニホンの兵士は非常に強力な武器を有しているのはザラの地で貴女も見たでしょう?この皇宮などあっと言う間に占領されてしまいますわ」

「我々はとんでもない敵と戦ってしまったのだな」

「はい。ですが、味方とすればこれほど頼もしい者ないでしょう」

 パナシュに、あれにトミタが乗っているといいな?そんな言葉でからかわれたボーゼスは、「嫌だわ。もう」と拗ねたように唇を尖らせた。だが、そんなボーゼスも伊丹の姿を見つけると、声を弾ませた。

「あら、イタミさま」

 ボーゼスの声に、パナシュも「おっ、ホントだ」と声を合わせた。
 ローターを回したままのヘリの後部から、完全武装の伊丹が降り立って警備の近衛に声を掛けて何か話している。

 彼女の記憶では、富田は伊丹の部下であったから、当然彼の姿もそこにあるかも知れないと思う。そうなれば、さらにからかいの色を含んだ視線をボーゼスへと向けるのであるが、その時にはもう豪奢な金髪を縦巻きロールにしている令嬢の姿は無かった。

「行ってしまいましたよ」

 ハミルトンの言葉に、呆れるパナシュ。振り返れば、ドアが閉じるところであった。




 何事かと慌ただしく集まってきた近衛兵に、伊丹は、ロゥリィとレレイを迎えに来た旨を告げた。すでに帝都事務所を経由して連絡は入れてあるので、問い合わせれば判るはずである。

 すると近衛士官が出てきて、「しばらく、こちらでお待ち下さい。上官に、報告して参りますので」と伊丹に此処を動かないことを求めて来た。

 当然のことである。ゾルザル反乱の際に味方したとは言っても、やはり他国の兵なのだから。伊丹が向こうの立場になったとしても、自国の中枢たる宮殿内で好き勝手に動き回られてはたまらないと思う。

 そんなわけで、伊丹はチヌークを親指で示して「了解です。こいつも降ろす場所が不味ければ、移動させますんで連絡をお願いします」と対応を求めた。

 軟らかい物腰に近衛士官も安心したのか、「大丈夫だと思います。どっちかというと、飛び回られる方が厄介ですから」と言い残して、駆け足で報告しに去っていった。

 残された彼の部下達は、特に警戒した様子もなく物珍しげな表情でチヌークを遠巻きに眺めている。やはり、空を飛ぶ乗り物という存在に圧倒されているのだろう。

 そして、そんな近衛兵達の姿を取材スタッフのカメラが撮影をしていた。

「伊丹さん。見たところ、ここって凄いお城みたいんですけど、どこなんです?」

 菜々美にマイクを突きつけられ、伊丹は「ここが、帝国の首都でその宮廷の一角です。日本で言えば皇居ですね」と答えた。

「こ、ここが帝国の首都なんですか?良いんですか?直接皇居なんかに乗り付けてっ!」

「ちょっと、不味いかも知れませんねぇ。でも他に降ろすところなかったし、しょうがないと言うことで勘弁して貰いましょう。あはははは」

 そんなやりとりのなか、ディレクターはカメラマンに「撮せ、撮せっ!!」と叫くように指示した。何しろ、敵国の首都である。アルヌスと違ってその風景は、誰も見たことがないわけで、大切なニュース映像となるだろう。

 カメラマンは、早速その場所から見える周囲の風景を撮影すべくぐるりと一周しはじめた。ギリシアとローマと、中世のドイツ都市とを混ぜこぜにしたような石造りの都市の景観は、観光名所然とした美しい風景だった。

 紀子が、あの建物は何で、あの建物は何とまるでガイドかツアコンのごとく帝都滞在中に得た知識を披露している。ゾルザルの奴隷であったと言っても、籠の鳥のように一カ所に閉じこめられていたわけではなく、テューレと共にあちこち連れ回されたので、帝都の主立った建物が何であるかぐらいの知識は持っているのだ。

 学者先生達も窮屈なヘリから降りてきて、身体を伸ばしながらもめったに見ることの出来ない光景をその目に焼き付けるべく、周囲を見渡しており、その様子はすっかりお上りさんである。

「あそこには、日本で言えば国会にあたる議事堂が……あれ……なんだか壊れてますね」

 そこだけ、地層から掘り出された遺跡のような惨状となっている。
 紀子が、困ったように首を傾げたので、伊丹が横から口を出して付け加えた。

「ああ、あれは空自が空爆して吹っ飛ばしました」

「空爆!?」

「紀子さんを救出した後、まだ拉致被害者がいるという情報がありまして、拉致被害者を返さないとこっちにも覚悟があるぞって示すために、人気のない夜中に空襲したそうです」

 別に防衛機密でもなんでもないので、ぺらぺらと喋る伊丹である。

 だが、菜々美やディレクターは、日本が帝国の首都の、しかも国会議事堂にあたる建物を吹っ飛ばしたという事実に衝撃を受けているようであった。政府発表では「政府関係の建物を攻撃をした」と言っていた。それがあの残骸である。粉々に粉砕された建物の無惨な姿を直接目にしてみると、いくら戦争中とは言っても思い切ったことをしたと感じてしまうのだ。

「では、その段階では、残されていた拉致被害者はご存命だったのですね」

「そのあたりは、政府の発表の通りでしょう」

 事情はもう少しややこしいのであるが、伊丹としては、このあたりは誤魔化す。

「あの時、助けに来てくれたのが、こちらの伊丹隊長さんと、栗林さんと、富田さんだったんですよ。それに外務省の菅原さんがいました」

 そう言って、紀子は栗林をひっぱってカメラの前に立った。栗林は、照れたように下を向き、伊丹は「いやぁ、なんともお恥ずかしい限りです」と後ろ頭を掻く。

「あの?富田さんって言うのは、やっぱり?」

「もちろん、あの富田さんです。あなた達を助けるために、最後まで残ったから亡くなったって聞いてますよ。なのにガツーンと村人を鉄砲で叩いているところばっかりテレビに流れちゃって変に風に有名になっちゃったんですよね……」

 非常に嫌みったらしい紀子の言い様に二の句が告げられない菜々美とディレクター。だが、それだけのことを言われるのに身に覚えがありすぎて、何も返すことが出来なかった。

 マスコミがこぞって悪役に仕立てた無名の自衛官が、実は拉致被害者救出の立て役者だったという事実に、音声担当やカメラマンも、口には出さずとも内心で呻いていた。もし、これがそのままテレビか何かで報道されたらえらいことになる。だが、報道しないわけにもいかない。拉致犠牲者の救出にかかわる出来事は、国民が非常に強い関心を示すからだ。その犠牲者直々の口だ。どうやったって戸の立てようがない。

 日本人はただでさえ判官贔屓なのに加えて、人知れず誰かのために頑張っている、あるいは頑張っていたというタイプの人間が大好きだ。まして、今まで悪役だと喧伝されていたのが実は善玉だったと知ればどうなるか。

 そんなことを考えながらも、そのまま収録を続ける。どうせ必要な部分だけ残して、都合が悪い部分は編集されると思っているからどうでもよいと思っていたのである。そしてこの映像は、後日アルヌスより各局へと配信されることとなる。

 当然のことであるが、各局は『とある意志』の働きかけによってこの部分に編集を施して報じた。だが、社長が児童買春によって逮捕されると言うとんでもないスキャンダルによって、内部の混乱していたテレビ東洋放送社では、次期社長の座をめぐる局内の対立と、人事の混乱から現場に『とある意志』が届かなかった。あるいは現場から意図的に無視されたのかも知れない。必要な処置を講じることなく、報道されてしまうのである。もちろん後々のことであるが。

「やれやれ」

「なるほど、そういう経緯だったのじゃな」

 などと真実を知った教授先生達の呆れたような会話が妙に響いたりする。

 こうして皆の前を、しばし言葉のない鬆の入った時間が数秒間流れることとなった。だがそれは、慌てふためいた女声によって切り裂かれる。

「どうしたっ!!ボーゼス!ボーゼスっ!!」

 皆が振り返ると、気を失って倒れたボーゼスを一生懸命抱え起こそうとしているところだった。





    *     *





「殉職とは、任務遂行のために死亡することです。富田は、戦死いたしました」

 ベットに運ばれたボーゼスは、意識を取り戻すとすぐさま詳しい説明を求めた。

 感情を高ぶらせるのは母体に良くないという医師の忠告に基づいて、ピニャもパナシュも今は身体を休ませることが先決と、説明など後回しにするように説得したのである。

 妊娠出産は、女性が挑む命がけの戦いだ。絶対安全な妊娠出産などない。ましてや医学的に条件の悪いこの特地では、さらに初産とあっては、危険性が高くなる。

 だが彼女は頑として受け容れなかった。

 今のような曖昧な状態では、いてもたってもいられない。かえって落ち着かずこころが休まらないと言うのだ。

「Junsyokuという単語を聞いた時に、何か怖い予感がしたのです。でも、これまで辞書を引くことが怖くて出来ませんでした。聞き間違いだと思い込もうともしました。でも、もうダメです。教えてくださいませ。トミタはどうなったのですか?」

 真っ直ぐにそう問われてしまえば、ピニャもパナシュも説得を諦めるしかなかった。二人は無言のまま、事情の説明にふさわしい者を探して視線を周囲に漂わせ、最終的にその視線を伊丹に注ぐこととなる。

 告知は、辛い役務である。だが、他に担える者はどこにもいない。
 富田の上官であった伊丹がするしかないのだ。
 ただ、富田の最期に居合わせた者として、栗林が同席を自ら申し出たので、二人でボーゼスに富田の最期を伝えることとなった。

 医師やメイド達、ピニャやパナシュまでもが立ち去って人気の無くなった紫殿の寝室。つい今朝方までレレイが使っていたこの寝台に、今度はボーゼスが横たわっている。

 伊丹は、寝台の傍らに椅子を運ぶと、それに座った。

「お久しぶりです」

 前置きとも言える伊丹の挨拶に、ボーゼスは羞恥の色を含んだ表情を浮かべながら「はい。以前は失礼いたしました」と応じた。彼女にとって伊丹と出会った時にしたことは、出来ることなら忘れさりたい恥に類するものだからだろう。

 さて……。

 伊丹は、傍らの栗林とボーゼスとを見やってその様子が落ち着いているのを確認してから口を開いた。

 ゆっくりと、だがはっきりと誤解の余地のない直截な表現で、部下の死を彼女に告げたのである。

 人形のような玲瓏なボーゼスの顔が、こみ上げてくる悲しみよって歪む様子は正視に耐えない。

 全身を小刻みに震えさせ、流れ出てくる涙の熱さで目が真っ赤に灼かれて行こうとしているのに、気丈なボーゼスは、伊丹から目を逸らそうとしない。ために、伊丹もまた彼女から目をそらすことが出来なかったのである。

「富田は…………………どのような死に方をしたのでしょうか?」

 その問いに答えたのは栗林だった。
 栗林は僚友として、富田が取材班を守るために殿となり、彼らを守るという任を立派に果たしたのだと。その時の様子を克明に告げた。

「そう……」

 胸を絞るようにして、沸き上がってくる感情を押し殺しているボーゼスは、それ以上もう何も言うことが出来ないようであった。

 何か一言でも口にしようとしたら、懸命になって押さえ込もうとしているものまで一緒に溢れ出てしまう。だから何も言えない、問えない。そんな様子が見て取れた。

 かける言葉の持ち合わせがなかった伊丹は、ボーゼスの瞳から「独りにしてくださいませ」という気持を感じ、席を立つと栗林に「行くぞ」と告げた。

「え?でも隊長」

「……いいんだ。いくぞ」

 栗林の腕を引くようにして紫殿の部屋を出る。そして戸を閉じた途端、分厚い木製の扉越しに、慟哭を支えていた堤防が決壊する声が響いた。

「ふぅ……」

 戸に背中を預けて、深々としたため息を1つ。隣の栗林も流石に緊張していたのかため息をついた。

 扉の向こうから聞こえる哭鳴は、暫く耳について離れることがないだろう。伊丹は両膝に手をついて疲れた身体を支え、栗林はずりずりと背中を扉にこすりつけながら、その場にしゃがみ込んだ。

「参ったな」

「参りました」

「おい栗林。お前死ぬなよ、俺、お前の親御さんにこれやるの嫌だからな」

 すると、栗林は何を言ってるんですといった口調で伊丹を見た。

「隊長が居てくれれば大丈夫でしょう?」

「それが一番重たいぜ。俺、憶病なだけだからあんましアテにされても困るんだよ」

「そうですかねぇ。わたしは最近、隊長の憶病はいい憶病だって思うようになりましたけど」

「憶病に、いいも悪いもあるもんか」

「知らないんですか?生き残れる憶病が、よい憶病なんです」

 栗林は言う。今まで強い男が好きだと思っていたけれど、ただ強いというだけではいけないことに気づいた、と。
 どんなことがあっても生きて返って来るという信頼感が必要だ。女を1人残して死んでしまうような奴は最低で、どんな状態になっても、きっと返って来てくれるなら臆病者でも良い、否、臆病者の方がよいのだ、と。

 伊丹は、「そんなもんかね」と言いつつ、膝を叩いて身体を起こした。

 見れば、廊下の向こうに、ロゥリィとレレイが佇んでこちらを見ていた。
 目があって伊丹が「よおっ」と、微笑みかける。すると、ロゥリィとレレイの二人ははじかれたように走り出し伊丹に抱きついた。

 白のレレイと黒のロゥリィが並んで伊丹にタックルをかまし、勢い余って押し倒す様を見て栗林は再度嘆息した。

「は~あ、結局は自分に男を見る目がなかったって、ことになっちゃうんだよね~」





「スタート」

「スタート」

 正副パイロットの声と共に、モーター音が高鳴りエンジンが始動する。

 ローターが回旋し空気を切る音共に、微妙に機体が振動を始めた。しかし、エンジンの出力が高まるとかえって機体の動揺もおさまる。

 ダウンウォッシュの凄まじさに、あたりは煙でも立ちこめたかのように視界が失せる。窓から見える景色はたちまち灰色一色となった。やがてふわっとした感覚と同時に、大地が下へと落ちていく。否、機体が上昇を始めたのだ。

 近衛の兵士達が見送る中、伊丹達は帝都を後にした。

 トイレ休憩には長く、かといって観光を楽しむほどには短かった帝都の滞在で、養鳴、漆畑、白井の3学者は、自分達が見てきたものについての話し合いを始めていた。そして、話し合いが興に乗ったのか、チヌークが飛行を始めても中断することはなかった。

 彼らの議論は、結局の所調査で判ったことは、なんだか得体の知れないものがあそこにある、ということだけである。
 ただ何かが起こっていることは確かだろう。そして、何が起こっているかを詳しく知るには様々な機材を持ちこみ、腰を据えてじっくりと調査する必要があるのだ。

「それにしても興味深い現象でしたな。今後の調査をどう進めましょう?」

 漆畑の発言に養鳴は顎を摘んで唸る。

「うむ。文科省と交渉して、予算を認めさせねばならないじゃろう。儂は、あれの調査を推し進めると余剰次元論もだが、ダークマターの存在についても、一石を投じることとなるように思える」

「重力としてのみ、存在する『何か』ですね」

「そうだ。あれが、余剰次元の影であると考えることができるなら、その影を放つ原因は空間の歪みではなかろうか。そして、もうそうだとするならば、空間の歪みが及ぼす影響の現れは影としてだけじゃろうか?」

 白井は「なるほど」と頷いた。

「質量の存在が、空間を歪ませる。空間が歪んでいるから重力が発生する。しかし、もし空間が質量以外の原因で歪むなら、そこには実態はなくとも重力が発生するとも考えられる」

「空間が歪むことが重力?どういうこと?」

 突如話しかけて来た銀髪の少女に対して、養鳴は「つまりこういうことじゃよ」と親切にも解説を始めた。

 傍らにあった、ゴム製の防水シートを引っ張り出すとその端を、周りにいる自衛官達に持たせて表面が平らになるようにピンと張らせた。

「もっとそこっ、ピンっと張らんか……そうじゃ、そうそう」

 伊丹達も、興味深く思ってシートの周りに集まる。テレビ局の取材班達はこんなところでも撮影を始める。

「これを世界とみなす。見てのとおり、なんの歪みもない状態じゃ。ところが、ここに質量のある物が存在したとする」

 そう言って養鳴は、傍らの自衛官が胸に下げていた手榴弾を無造作にとりあげるとそこに載せた。手榴弾を奪われた勝本も「あっ」と驚きはしても、ピンが抜かれていないので騒がない。

「物体の質量に従って、このゴム製防水シートは撓むじゃろ?」

 実際、手榴弾の重さの分だけ防水シートは少し凹んでいた。

「この凹みが重力なんじゃよ」

 養鳴の解説に、周囲に集まっていた自衛官達はみな首を傾げる。よくわかっていないようである。だが、レレイは目を輝かせて何かを悟ったように頷いた。

「物が下に落ちるという現象は、このたわみ……傾斜によって起こる」

「うむ。そうじゃ」

 養鳴は、ポケットからゴムシートの上にパチンコ球を放り出す。パチンコ玉は、ゴムシートの表面上をゆっくりと転がり、そして手榴弾が作ったの撓み(凹み)によって、引き寄せられるように落ちて、最後には手榴弾の表面にカチンとぶつかった。

「若いのに、なかなかに聡い子ですな。今日日の学生でもここまで物わかりの良い学生はいませんよ」

 などと言って、漆畑はレレイの観察を始めた。

「君、君、この娘、連れて帰っていいかね?」

 問われた伊丹は、「本人がいいと言ったら良いですよ。これでもこの世界の学者ですから。と言っても手続とかいろいろ大変でしょうから、今日明日ってわけにもいかないでしょう」と答えた。

「ほほう?じゃが、留学するなら儂の研究室が良かろう?」

「養鳴教授。狡いですよ」

 そんな会話をしつつ、養鳴はゴムシート上から手榴弾とパチンコ球を取り除いた。

「さて、何もなければ真っ平らで、なんの歪みもないのが普通なのじゃが。何某かの原因でこれが歪んだとする……」

 そう言って養鳴は倉田や笹川といったまわりの自衛官にゴムシートを引っ張る力を緩めるように指示した。

 すると平らだったゴム製防水シートにかかる張力は不均衡となり、表面には皺が寄った。

 ここに再びバチンコ球を転がす養鳴。

「見ての通りじゃ」

 パチンコ玉は、皺の寄った表面に不規則な動きをしつつも一番窪んだところへと吸い寄せられていった。

「重力を発生させる何者もないと言うのに、重力に似た現象が発生するわけじゃ」

「でも、俺等は重力が変だとか感じませんでしたよ」

 笹川の言葉に養鳴は笑う。

「そりゃそうじゃ。あの場所では大質量たる大地があるからな。皺が寄っているといっていも非常に微妙じゃ」

 そう言って養鳴は再び手榴弾を皺の寄ったゴムシート上に載せた。ゴムシートは手榴弾の重さによって、ピンっと張られて皺が伸びた。だが、手榴弾から少し離れればゴムシート上に皺は寄っている。

「空間の歪みですか。わかりにくいっすよ。こんなゴム布一枚で空間がどうこうとか言われても、なんだかなぁって感じです」

 取材スタッフのディレクターの言葉は養鳴によって鼻息で嘲られた。

「ま、頭の悪いお前達には無理じゃろうがな、わははははははははは」

 ゴムシートが片づけられ、それぞれが席に戻ってもレレイと取材スタッフ達は養鳴や漆畑に質問を続けていた。

「余剰次元の認識は難しいんじゃよ。儂等はどうしても上下左右前後という3方向と、過去と未来という架空の方向をどうにか認識できる程度じゃ」

「でも、あんな短時間な調査で空間の歪みなんて、どうやって確認できたんですか?」

 栗林菜々美の問いを受けて、漆畑はカメラマンに撮影した映像を映し出せるかと訊ねた。

 カメラマンは「いいですよ」と応じて、映像を確認用の液晶モニターに収録済みの画像を写しだしていく。

 養鳴と漆畑がさまざまな調査機器を扱っている場面が写しだされたが、「もうちょっと先じゃ」という声にどんどん早送りされる。そして「おっ、ここじゃ」という声で、画像が止められた。

「いろいろと高価な機材を持ちこんだんだけどね、これが一番手っ取り早かったよ」

 漆畑の説明に、みな液晶画面を食い入るように見入った。

 それは、巻き尺で漆畑と養鳴が地面の距離を測っている映像だった。何と何の距離を測っているのかは不明だが、25メートルほど巻き尺を繰り出している様子だ。

「これですか?」

「わからんなぁ」

「教えてくださいよ、教授」

 菜々美の問いを無視して、養鳴はレレイに視線を向けた。

「わかるかな、お嬢さん?」

 漆畑の問いに、レレイは答えた。

「……2点間の距離を測るなら、計測索は直線になるように張らなければならない。だけど、この絵では計測索はたわんでいる……」

 レレイはそう指摘して漆畑と養鳴に視線を向けた。実際映像では、真っ直ぐに張られているはずの巻き尺が、右に弧を描くゆるやかな曲線となっていたのである。

「その通り。儂等はこれでも真っ直ぐピンッと張ったつもりなんじゃよ。だけど、見ての通り曲がって見える、それはいったい何故何じゃろうな。もちろん風になびいていたわけでも、何かにひっかかているわけでもないぞ」

 そう言って養鳴はニヤリと笑った。

 ……結局、この時の映像が報じられ、特地と銀座とを結ぶ『門』の存在が、世界を歪め、これによって様々な影響が出始めていると報じられることとなるのである。




 一方、皆が教授達の講義を受けている、その傍らでは。

 チヌークの機内にいたジゼルが、ロゥリィに発見されて脂汗を流していた。






[37141] テスト12
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 16:56



[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 64
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/04/07 20:09




64





 門が存在することによる、世界への影響。そして、これを防ぐには『門』を閉じなければならない『らしい』という報告は、特地世界に利益を求めようとしていた業界、そしてこれと関わる政治家を巻き込んだ大騒動へと発展した。

 門を閉じると言うことは、特地の関わりを断つことに他ならない。

 人々は陳腐化し色あせつつあった現在の社会、経済、文化、情報といった様々な分野における行き詰まりの刷新を『特地』という新世界に求めていた。特地は希望と可能性の根源であり、新鮮さの代表となっている。それだけに今更をこれを手放すと言われても、すんなり受け容れることは心理的にも、現実的にも難しくなっていた。

 衆議院予算委員会代表質疑では、早速与野党双方から、政府に対する質問が発せられた。

「確かに地震はこのところ頻発しています。浅間山も噴火しました。ですが、これらの災害と門とを結びつける証拠のような物が、何か見つかったとでも言うのでしょうか?」

 麻田内閣総理大臣は、答弁する。

「確たる証拠はありません。ですが、同時に全く関連がないという証拠もありません。特地に実地調査に赴いた、養鳴、漆畑、白位といった高名な識者がそれぞれ『通常ではあり得ないような現象が起きている』と報告されていることも、軽んずるべきではないと考えます」

「では、政府としては、門を閉じるお考えということですか?」

「その問題に付きましては、慎重に検討を重ねて結論を出したいと思っております。識者を増員しての、詳細な調査を行って参ります」

「では検討した結果、門を閉じるという結果もありえると言うことですか?」

「その通りです。ですが、門を閉じることは方策の1つでしかありません。現地からの報告に寄れば、今回問題となっている事象は、門を常時開きっぱなしにしていることから起こるとのこと。ならば、適宜開閉することで、予想されうる破綻は回避できる可能性もあります」

「総理。総理は今、門の適宜開閉とおっしゃったが、門を自在に開閉する技術があると言うことでしょうか?」

「特地にはあります」

「それは、我が国のコントロール下にあるのですか?」

「はい。その技術を持つ人物は、我が国に対して非常に協力的ですので、ある程度のコントロールは効くと考えてよいでしょう」

「それを用いれば、門を開け閉めできると?」

「開けられるかも知れない。という報告です」

「かもしれないとはあやふやな話ですね。このあたりもう少し詳細に説明を」

「門を開けることだけなら難しくないそうです。問題は、狙った世界同士を繋ぐことだそうです。無数にある世界の中から、我々の世界を見つけだして繋ぐということが上手く行かない可能性もあるそうです。しかも、うまく門が開いたとしても、二つの世界の間に時間的な差異が生じているだろうということです」

「時間的な差異とは?」

「例えば、向こう側で門を閉じた翌日に開けたとします。ですが、こちら側にとって門が開くのは翌日ではないと言うことです。特に今回は、門を開けていた時間が長いために、両者の歪みの修正に関わる揺り戻しの影響が強く出るだろうと言われております」

「具体的にはどのくらい?」

「長ければ数十年になる恐れがあるそうです」

 これには議場内がざわついた。

「では、一度門を閉じたら、少なくともしばしの間、我々は特地との連絡を失うということですね」

「その通りです」

 この答弁の直後、議事堂はそれぞれの不規則発言とヤジによって騒然とした。議長が「静粛に」と声をあげたが、しばしのあいだ議事が停止してしまう。

「それでは、特地との連絡、開発、貿易といった期待されていた様々な交流が途絶えてしまうではありませんか?」

「しかし、このまま門を開け続けていると、我々と特地世界の双方に重大な問題が起こるかも知れません。門を閉じたら特地との繋がりは断たれる。再び門が開く保証もなく、開いたとしても先のことになってしまう。これが我々の置かれている現実です。従って、慎重に検討し今後の対応を決めたいと、先ほど答弁させていただいた次第でございます」

 この首相の答弁は、様々な議論を内外に巻き起こした。
 テレビや雑誌などでも識者やコメンテーター達が様々な発言を繰り広げている。

「かもしれない、かもしれない、と言う可能性だけで特地との関わりを断つはいかがなものか?」

「だが、ただでさえ地震だの火山の噴火だのが起きてきている。もっと酷い災害が起きたらどうするんですか?可能性の問題ですけど、それ無視して阪神淡路や新潟級の災害になったら誰が責任を負うんです?」

「災害と言っても、いつおきるか判らないんでしょ?だったら、暫く様子を見たらどうですかねぇ」

「何時起きるか判らないということは、今日この瞬間にも起きるかも知れない」

「兎に角、いずれは門を閉じざるを得ないなら、それまでは本格的に開発の手を入れるわけにはいかないでしょう。門を開いている時間が長ければ長いほど、門を閉じた際の揺り戻しは大きくなると言うではないですか。だったら先々のことを考えて、今は一刻も早く閉めて、門の安定を目指すべきでは?」

「それで、特地との連絡が途絶えてしまったらどうするんだ」

「その時は、もう仕方ないだろう」

「多大な犠牲の結果として得た、特地との交流をそんな簡単に失って良いのか?」

 こうして、人々は門をどうするかという議論に否応なく巻き込まれていった。また、この議論は国内で納まるものでもなかった。

 門の開閉についてもだが、海外からの声として特に大きかったのが「門を開閉できるというのなら、門を開く場所も選べるのではないか?だとするなら、日本が門を独占している状況を改善するべきだ」というものであった。

 特に『門』の国際的な共同管理を主張していた、中国や韓国、インドといった新興国は、ここぞとばかりに声高にそれを主張をはじめた。それぞれ門の設置場所として中国は天安門広場を、韓国では迎恩門跡を、インドはインド門前を提供すると言いだした。

 だが、門を開く技術を日本が掌握している(と見える)状況において、他国がどれだけ叫んだとしても日本が取り合わなければ意味がなく、また、門を移動させるとしても、各国が移転先として自国の地を主張しているような状態では、合意が見られるはずもないため、門の移転論が力を持つことはなかったのである。とは言っても、日本政府にとっては、相当耳障りであったことは言うまでもないが。

 このような雑音が飛び交う中で、門をどうするかという議論は、それぞれの合意と言うよりは、諦念に近い形で麻田の決断に任される雰囲気となっていった。

 ところが、この状況に強い反発を示したのが北朝鮮である。

 北朝鮮の国営放送に所属する例の女性アナウンサーが、普段通りの大仰かつ芝居めいた口調で、三博士の報告に端を発する日本の動きは、特地世界を植民地化しようとする日本の保守反動勢力による謀略であり、帝国主義植民地支配の再来に他ならないと、ヒステリックで偏執狂的な主張を繰り広げた。

 これだけだったら、「いつものことだし」と言うことで、バラエティ報道番組のネタで終わったかも知れない。これに中国が同調してみせたことで事態が動き出した。

 中国政府は、三博士の報告は信憑性に欠けている。門を閉めなければならない必然性は疑わしい。日本は特地のとの交易や資源の独占を謀っていると非難を開始したのである。

 そして、まるで仕組んだかのようなタイミングで上海や北京で学生による大規模な暴力デモが発生。学生達は「愛国無罪」を声高に叫びながら、日本食料理店や日本企業などを襲い窓ガラスや什器設備等を破壊。日本人留学生や観光客に暴力を振るい、また地元民が営業するレストランや商店、あげくに病院では「日本人は侵略を詫びなければ店に入ってはいけない」とする張り紙が張られたりした。

 さらに暴徒と化したデモ隊は日本大使館や領事館を襲い、投石やインク、ペットボトル等を投げるという蛮行に及んだ。中国治安当局は、これを制止しなければならない立場であるにもかかわらず、一切制止せず暗に黙認するという態度に出る。もちろんウィーン外交条約違反の行為である。

 また、これに呼応するかのように日本国内でもさまざまな動きが起こった。

 まず、日本国内最大の野党である民枢党が「政府は、特地利権を一部企業に独占させようとしている。門と国内で起きている災害は無関係だ」と非難を開始。これに合わせて、マスコミによる反政府キャンペーンが始まった。

 首相が漢字を読み間違えた。

 首相がカップラーメンの値段を知らない。

 首相が着ているスーツが高価だ。

 首相がオタクだ。

 端から見れば、どうでも良いようなことばかりである。これと言った失政のない麻田に対するものとしては、それ以外非難のしようがなかったのだろうが、恣意的と言える非難でも繰り返せばそれなりの効果は得られるものである。口汚い悪口雑言と悪意としか思えない報道の連続によって、政府支持率は瞬く間に下がっていよいよ10%を切るにまで至った。

 街頭インタビューでは、マイクを向けられたサラリーマンは、「三博士の報告?嘘なんでしょ?」と返し、買い物客のおばさんは「政府が、特地を独り占めしようとしていたのよね。酷いわよねェ」とコメントするまでになったのである。

 民意という暴風に、本来は首相を支えるべき与党議員達までもが狼狽え、麻田降ろしの機運が広がる。

 野党は、政権交代を誇らしげに掲げて衆議院の解散総選挙迫った。そして、政権交代を成し遂げたあかつきには、特地を海外にも広く公開し、学術関係者のもならず、観光客などの出入りも自由に認めると公約したのだった。

 内外からの圧力と支持率の低下によって、麻田も強気の姿勢でアメリカ、フランス、ドイツ、中国、韓国、ロシアといった国々からの合同調査の申し入れを、はね除け続けることは難しくなってしまう。「何も隠してないのであれば、我が国の研究者にだって公開できるはずだ」という論法をされれば、これを断り続けることは「やはり何かを隠している」と言われてしまうからだ。

 こうして、国内研究者だけでなく海外からの学術関係者も含んだ学術調査隊を特地に受け容れ、クナップヌイでの合同調査が行われた。

 集まった各国の有名大学に所属する研究者達、31名。

 高名な学者達がクナップヌイの黒い霧の畔を調査する様子は、外国からの観光客が物見遊山しているのとそう大差ない風景であった。違うところと言えば、数々の調査機材が持ちこまれ、各国の研究者達が調査の結果や、それぞれの立てた仮説に対して喧々囂々の議論を繰り広げることぐらいだろうか。

 宇宙・物理分野の研究者にとっては、それは垂涎ものの学術シンポジウムであった。全世界の最高峰とも言える頭脳が集結したと言っても過言ではないからだ。だが、ツアーコンダクター兼、ホテルの従業員、兼警備員と化した支援担当の自衛官達にとっては、意味不明の会話をしつづける学者達でしかない。食事や寝床の支度、風呂等の準備でそれどころでなかったのだから。

 そして調査3日目の夜、学術調査隊の一員であった中国人研究者が、行方不明となった。

 慌てた陸上自衛隊は、三日間に渡って延べ1000人を投入してクナップヌイとその周辺の捜索を行ったが、行方不明の中国人研究者を発見をすることが出来なかったのである。

 これに対して、中国政府は日本の捜索のあり方が不誠実であると声高に非難した。そして行方不明者捜索を理由に、「我が国の捜索隊を特地に入らせろ」と主張。またアメリカ、韓国、ロシア、フランスも捜索隊派遣を打診してきた。

 野党代表の小田は党首討論で「行方不明者の人命こそが尊重されるべきであり、自衛隊だけで行方不明者が発見できないなら、中国からの捜索隊を受け容れることも当然である。いたずらに面子にこだわるべきではない」と政府の対応を非難。

 全方位的な圧力と、人命尊重の美名の圧力に屈する形で、政府はアメリカ・フランス・中国・韓国・ロシアから合計で300名にも渡る捜索隊の受け容に同意することとなった。




 クナップヌイ南方52㎞地点。

 森に覆われる山岳地帯から少しばかり里に下り、そこかしこに人の手の入った畑や森が見えてくる場所。
 通常の行方不明者を探す場所としては、そこは、あまりにもかけ離れた場所と言える。
 だが、這うようにして進んできた陸上自衛隊の一隊がそこにいた。数は10人に満たない。だが特殊作戦群と名付けられた彼らの任務遂行能力は隊内随一を誇っている。

 完全に迷彩で偽装している彼らは、音もなく、言葉もなく、ぬかるんだ地面に何か残されていないかを、慎重に探しながら進んでいた。

 ふと、何かを見つけた隊員が、手を挙げる。

『新しい足跡ですね』

 忍原陸曹長の手話に対して出雲は頷きで答えた。
 静かに歩み寄って、地面の様子を手で触れながら確認する。

『でも、ポーバルバニーって凄いですね。体力も感覚も俺達とは段違いですよ』

 出雲も手話で答えた

『平気な顔して、俺たちの任務に付いて来たから、体力が凄いとは思っていたが、これほどとはな。あれで病み上がりだろ?』

 出雲3等陸佐率いる特殊作戦群の一隊には現在、現地協力者としてデリラが加わっている。

 彼女の役割は、特地の習俗・習慣・言葉のレクチャーと、現地人との交渉等で助言をすることである。そのために、戦闘時は彼女に後ろに控えてもらい、村落や街で住民との接触を伴う雑用……例えば買い出しにはじまり、聞き込み、尋問といった場面に限って手伝って貰うようにしていたのだ。

 ところが、今回の捜索任務では、ポーパルバニーの類い希なる才能が発揮された。

 軍用犬並の感覚の鋭さによって、デリラは「あっちだよ」「こっちだ」と、隊員達の先導を始めたのである。その速度と正確さは、特殊作戦群の隊員達をして驚嘆させたほどである。獲物を追う猟犬のような彼女の技術は、創隊以来まだ歴史の浅い特殊作戦群にとっては、得るものが大きい。

 他の隊員達と同じ迷彩服で身を包み、偽装網とブッシュハットで草葉を纏った彼女は、鼻を鳴らしながら長い兎耳を立てるとレーダーのごとくピクピクと動かして、周辺の気配を探っていた。

 伏せては進み、伏せては進む。

 その移動も非常に早く、黙ってついて行くだけでも一苦労だった。

「あの娘がいれば、伊丹の野郎を捕まえられるかも知れないな」

 赤井の呟いた伊丹という名前に、一瞬だけ耳をピクッとさせたが、デリラはそのまま捜索を続けた。

『しかし、ここまで逃げて来たとなると中国人学者の素性もずいぶんと怪しくなってきますね』

『怪しいっていうか、もう工作員確定だろ?普通の遭難者はこんなところまで逃げてこないって』

 やがて、デリラは雑嚢から双眼鏡を取り出すと、目論見をつけた方向へと向けた。
 一瞬ムッとした表情で眉を寄せたが、双眼鏡を逆さまに構えていたことに気づいて、改めて双眼鏡を構える。

「イズモのダンナ。あれを見てご覧」

「何かあったか?」

 デリラに呼ばれた出雲は、彼女の構える双眼鏡を横から覗き込んだ。

「小屋があるだろう。多分、あそこにいるよ」

「なんでわかる?」

「ダンナ達の使う火筒の臭いがするからね。それに血の臭いが混ざっている……」

「……なるほど」

 デリラの報告に出雲は舌打ちした。

 中国人研究者に偽装した工作員は、民家を襲ったのだろう。銃の入手方法は今詮索しても始まらない。分解して調査機器などに紛れ込ますなど、方法はいくらでもあるからだ。判っていることは、小火器で武装した工作員が最低で一名、あの建物にいるということだ。

「でも、なんでまた民家を襲ったんだと考える?」

 試すような気持で訊ねてみる出雲。

「行方不明になったチュウゴク人って、荷物を持たずに居なくなったんだろ?そろそろまともなものが食べたい頃合いだろうさ」

 なんとも判りやすい。故に正しい回答に、思わず笑みを浮かべてしまった出雲は指先の合図で部下達に小屋の包囲を命じた。

 剣崎を先頭にした3名が、警戒しながら前に出ていく。

『赤井。狙撃の位置に着け』

『黒松、村崎はそれぞれ左右』

 何度も訓練を重ねた想定済みの状況だ。隊員達はそれだけの指示で、左右に展開し小屋へとじわじわと迫った。取り逃がさないように包囲を優先していく。

「どうするんだい?」

「ただの学者だったら保護するところなんだが、あそこにいるのが工作員だとすると素直に捕まってはくれそうもないからな。死体となって見つかりましたって報告するつもりだ。問題は、ウチが殺した痕跡が残るのは不味いんだが、どう料理したらいいと思う?」

 訊ねるような言い方にはデリラがどんな回答を出してくるか期待する気持があったのである。案の定、デリラは舌なめずりしてナイフを抜く。

「あたいに良い考えがあるよ。まかしてくれないかい?」

 程なくして出雲達は、ポーパルバニーという種が、獰猛な戦闘民族であることを実感することとなる。

 防衛省の公式発表では次のようになっている。

「行方不明となっていた中国人研究者は、アフリカのサバンナ並に危険な特地を、彷徨い歩いているところを肉食の大型野獣によって喰い殺されたらしく、発見された時には、原形を留めないまでに無惨な姿となっていた」

 こうして行方不明者は遺族が目を背けるような姿で送り返されることとなった。だが、その時にはすでに各国の捜索隊がアルヌスに入った後であった。




 テュカとレレイ、ロゥリィの3人から用件があると呼び出された伊丹は1日の業務を終えるいつものようにアルヌスの丘を降りて食堂へとやってきた。
 大抵は約束などしなくても自然と会うことが出来るので、改まっての呼び出しは珍しい。何か嫌な予感がしたと言うのも大げさだが、独りで来るのは剣呑な予感がしたので、黒川や栗林に声を掛けることにした。

「奢ってくださるならいいですわ」とは黒川の返事。さらに、テュカと会うと聞いてほのかに頬を紅く染めていそいそと出かける支度をするところを見ると、何かあったな?と邪推したくなるのは伊丹だけではないと思う。

 夕方の食堂はいつものように混んでいるが、ここ最近はさらに混んでいた。

 先日から客の中にはアメリカ人だの、フランス人だのが混ざるようになったからだ。
 アメリカは建国以来の移民社会、フランスも近年になって移民受け容れが進んだために、白人だの黒人だの様々な人種が肩を並べている。捜索隊としてアルヌスに入ってきた連中だ。

「行方不明になってた間抜けは見つかったんだから、とっとと帰れば良いのに」

 栗林は、不機嫌そうに舌打ちした。
 マイクロな体躯に巨乳という彼女の肢体は、欧米の男性にも大いなる興味を誘うようで、不躾な視線の照射を受けている。まぁ、別に欧米人に限らず新宿だの、高円寺だの人の多いところに行けばいつものことらしいが、自衛官やアルヌスの住民達は栗林の人となりを十分に理解しているので、遠慮と言うものをするのだ。だが、初見の外人さん達にはそれがないから、栗林にとっては久しぶりの感覚とも言える。

「まぁ、まぁ、そう神経を尖らせないで。連中の思惑に乗っちゃダメだよ」

 何事もなければ無かったで、トラブルがあればあったで付け込んでくるのが連中のやり方だ。現場の要員としては、政府が困るようなことを起こさないよう、距離を置いて無難に過ごすことが求められているのだ。

 そんなことを上司からさんざん言い聞かされていた伊丹は、いきり立つ栗林を宥めながら注文を取りに来たエプロン姿のテューレに、ビールといつもの料理を摘みとして頼んだ。 少し遅れて、ロゥリィやレレイ、テュカ、ヤオもやってくる。

「あらぁ?クリバヤシとクロカワも連れてきたのぉ?」

 ロゥリィが唇を尖らせたので、伊丹は「不味かったか?」と訊ねる。

「知らない中じゃないしぃ、別にいいけどねぇ」などと言いながら、注文を「いつものぉ」と告げた。この四人はいつもので、通るらしい。

 テューレは注文を繰り返すと「以上で宜しいですか?」と、しめて調理場へと向かった。彼女も今では流れるような足取りで、混雑する店内を不規則に動く客や、テーブルにぶつかったりすることなく素早く抜けていく。しかも、ビールのジョッキを10個ほど抱えても、僅かもこぼすことがないという技を身につけている。何がそうさせたのか、彼女も努力を積んだようであった。

 ドワーフの1人が、そしらぬ顔で彼女の臀部に手を伸ばすが、背筋が寒くなりそうな輝きを紅い瞳にたたえた微笑みを向けられて、頬を引きつらせて手を止める。以前、彼女のおどおどとした態度を見ては和んでいた客達も、今では「デリラもおっかなかったけど、テューレも実はおっかない」と陰口をたたいて、ウブだった頃の彼女を懐かしがっていた。

 そんなこともあって、アルヌス食堂のアイドル?の座は、今ではテューレから別の娘へと移っていた。新たな店員を観て果たして和めるかどうかはわからないが、別の意味で注目の的なのだ。

「じぜるさ~ん。これ運んで~」

「は、はひぃ~」

 白ゴス神官服の上にエプロンつけて、あっちこっちバタバタあたふたと走り回るその姿を初めて見た者は、まず凍り付く。

「あ、あ、あれって、ベルナーゴ神殿の……」

 実際、隊商の護衛をして街に帰ってきたばかりの兵士が、目の前の光景に頬を引きつらせていた。

「何も言うなよ。お前の思ったとおりだから、何も言うな」

 言い含めようとする同僚に、「おいっ」と兵士は迫った。

「で、でもあり得るのか?あれって、ジゼル聖下だろ?」

「だから何も言うなって。こうなったのには深~い事情があったんだから」

 そう。地獄の沙汰も金次第という言葉があるが、亜神たるジゼル聖下も借金という枷に足を取られれば、しがない女給に身を落とさざるを得ないのだ。

 日本の食事に味を占めた彼女が、このアルヌスにやってきて最初にやったことは飲み食いだった。それを責めることは、誰にも出来ないだろう。美味い料理がいけないのだから。だが、問題はここがアルヌスだったことにある。

「はい、ごちそうさん」と満腹したジゼルが席を立つと、テューレから勘定書を突きつけられた。

「なんだこれ?」

 ハーディがレレイの身体を借りてさんざん飲み食いした時、その支払いを伊丹に押しつけたように、神様や亜神の皆さんは、金銭については良く言えば非常に鷹揚、悪く言えばズボラなところがあるのだ。
 ここがベルナーゴだったら、飲み食いの代価が請求されるなんて事はありえない。
 ここが他の街でも、亜神たる彼女に請求書をつきつける者はなかったろう。大抵どこの街でもハーディの神殿があったり布教担当の神官が滞在しているから、そちらに回すことになる。

 だが、この新興の街アルヌスには、ハーディの神殿どころか神官もない。信者もいない。否、かつてはいたが今は居ないと言うべきか。とにもかくにも、それが現実である。そして、ジゼルの持ち合わせでは請求書に記載された額を全て支払うことは出来なかったのだ。いくら亜神でも無から有は作れない。

 冷や汗を流しながらジゼルは言った。

「あ、あのさぁ。お布施と言うことで、どうにかならねぇかなぁ?」

 だが、テューレは微笑んだまま彼女に勘定書を突きつけるだけであった。彼女も神様という存在には複雑な思いを抱えている身だし、いずれは接客の責任を負うことになるかもと気負っているから、少しも怯まない。

「だって、ロゥリィのお姉ぇ様だって喰ってたじゃんかよぉぉぉ!!料金を請求してなかったじゃんかよぉぉぉぉ!!!」

 そこでジゼルは知らされることとなった。この店はロゥリィの持ち物……厳密にはこの街が、ロゥリィを含めたアルヌス生活者協同組合の持ち物であるという事実を。

 彼女の頭の中にかすかによぎっていた「食い逃げ」という選択肢も、これによってばっさりと断たれることとなった。逃げたらどうなるか……ロゥリィのハルバート、そして空から落ちてくる凄まじい攻撃の光景が彼女の脳裏に蘇った。

 そんな訳で、ジゼルは飲み食いした代金を支払うために、ここで働くこととなったのである。仕事は接客、料理運び、皿洗いである。

 テューレが「お待たせしました」と馴れた手つきでと丁寧な態度で、ビールのジョッキを並べていく。遅れたジゼルがよたよたと料理を運んでくるが、こちらはまだ手慣れないようであちこちの客にぶつかったりしている。

「ジゼルさん、気をつけてくださいね」

 テューレに言われて「は、はい」とジゼルはペコペコと平謝りだった。

 栗林は、食堂からも見える捜索隊の宿営地を睨みつけつつ、乾杯もしないうちからジョッキを口に運んだ。それに吊られるようにして、伊丹も、黒川もそれぞれジョッキを口に運ぶ。

「隊長、ロシアからの捜索隊は素直に帰ったじゃないですか。なのに、なんだって、他所者にこの場所を荒らされなきゃなんないんです?」

 行方不明者発見の報が入った時、ロシアの捜索隊が乗ったアントノフは成田に着陸したばかりだったのである。そのため「わざわざご足労頂き有り難うございます。よかったら、秋葉原でも観光していってください」と、丁重にお引き取り願うことが出来たのである。

「そういうことは、上の方で考えてます。俺等は黙って見ているだけ。いいね」

 伊丹はそう繰り返した。同僚が目の前で命を失った場所だけに、栗林は特地を我らが物として見る意識が強いのだろう。

 日本政府も、ここは帝国より日本に割譲される領土であり、日本の主権が及ぶので、好き勝手に宿営地をつくるなと抗議しているのである。だがアメリカ、フランス、中国や韓国はそれぞれに、先に入っていた国連視察団と合流して、「貴国の主権を侵害する気は全くない、直ぐに立ち退くつもりで準備中である」と言いつつ抗議を全く無視しつづけている。

「あ~あ、あちこちに好き勝手に旗をたてて……ここは野球のマウンドじゃないんだから」

 栗林はそんなことを言ってぐびぐびとビールをあおって空にする。「お代わり!!」

「あ、テューレさん、俺も」

 伊丹も追加を注文しながら、枝豆を摘んだ。

 実は伊丹も、捜索隊の1人を捕まえて「いったい何時まで居るつもり?」と訊ねてみたのである。すると彼らは「撤収作業中だ。それが済んだら帰る」と答えて来る。昼寝をしていたり、そのへんほっつき歩いていたり煙草をふかしていたり、片づけは愚か何もしてないように見えても、撤収作業中と言うのだ。

 やって来た時は「あっ」と言う間に宿営地を作ったわりに、撤収作業が遅れていると言い訳する厚顔無恥さは、呆れると言うよりはもう、見習いたいぐらいだ。こうでなければ世知辛い国際舞台で自国の主張を押し通すことなど無理なのかも知れない。周囲からどう見られようと気にしない図々しさというか、鉄面皮と言うか……非常に強い人々である。

 とは言っても、中・韓両国の捜索隊員は……おそらく軍人だろうが……時折物欲しそうに街の売店や食堂のほうに目を向けて来ることがある。アメリカやフランスと違って派遣人数が、それぞれ100人前後と多いから食糧や水が充分ではないのだろう。さらに特地は、元やWonでは買い物できない。皆、軍人で手持ちの現金が少ないのに加えて、特地に入ることばかり急いでいたから両替をする余裕がなかったようである。

 空腹なら門を越えて銀座に出ればいいと言われてしまうから、補給を欲しいと言うこともできず、持ってきた食糧だけでなんとか食い繋ごうとしているのだ。

 これに対してアメリカやフランスから来た捜索隊員はそれぞれ20人から30人と人数も少ない。真面目に捜索するつもりでいたのか、捜索犬なども引き連れていた。こちらは、食糧等は充分のようで、しかもそれぞれがきちっと日本円へと両替を済ませていたので買い物には困ってない様子。

 以前からこちらに来ていた国連の視察団の自国メンバーに案内されて、ふらふらと街を歩き回って買い食いしたり、観光したり、亜人の女の子達をナンパしたりしている。2科の調べによると、どうも門について詳しい者を探しているようだ。

 話しかけられる街の住民達は、門の向こうから来たと言っても、話す言葉や物腰態度が日本人とは全く異なる彼らには戸惑い気味で、近づかないようにしているようだ。ただ、客として来られば応じざるを得ないので、双方ともにたどたどしい日本語でなんとか言葉を交わしている。

 今も、客として来ているフランス隊の連中にテューレが何か言葉をかけられているが、日本語その物をうまくつかえない彼女とでは注文以外の意志疎通は難しそうである。

「アルヌス生活者協同組合としては、警衛隊と協力して、護衛兵の巡回や警備体制を強めることにした」とはレレイの言である。

「へぇ、槍や弓で武装した兵士の一隊が、あちこち歩いてるのが見えるのはそのためなの?」

 栗林が身を乗り出した。やっちゃえやっちゃと今にも嗾けそうな口振りだ。

「彼らには、こちらと馴染もうという意志が感じられない。こちらの隙を窺っている節も見受けられる」

「って言うか、完全に無法者よ」

 テュカとヤオの二人に至っては、各国捜索隊が薪を拾うためと称して勝手に樹を切ったり、森を荒らしたり水源を汚したりしたので大変に立腹しているのだ。さんざん注意し、警告したにもかかわらず、今でも隙を見て森に入ろうとしてるので、温厚なテュカも我慢の限界に達しつつあるのだ。

「ねぇ、ヤオ。貴女の伝で獰猛なコボルトとか、オークって集められるかな?」

「なるほど。この地では、獰猛な怪異に襲われて命を落とす者など珍しくないからな。此の身に任されよ、ふふふふふふ」

 こんなそら恐ろしい会話まで漏れ聞こえてくる。
 伊丹としては、栗林や部下達にはいくらでも抑えるよう命令できるが、テュカ達に対しては「お手柔らかに頼むよ」とお願いすることしかできない。捜索隊の宿営地の方向に向けて、こいつらを怒らせるなことしてくれるなよと祈るだけであった。

「ところで、用件なんだけど」

 ピールも2杯目を開けて、料理も半分ほどに減ったところで、テュカが切り出してきた。

「なんだ?」

「はっきり訊ねておきたいんだけど、お父さんは。門を閉める時、どこにいるつもり?」

「どこって言うと?」

「門を閉めたら、下手をすると何年もあたし達と離ればなれ。場合によっては二度と会えないかも知れないのよ」

 テュカの言葉にレレイは「努力する」とボソリと応じたが、それでも必ず成果を出せるわけではないのだ。

「でも、こっちに残ったら同じような率で、お祖母様と会えなくなってしまうかも知れないわ……」

「テュカぁ。またそれを言うのぉ?その事は、もう決めたでしょ?耀司を引き留めるって話したじゃない」

 ロゥリィの食って掛かるような物言いに、テュカは首を振って抗した。

「だって、あたしはお父さんからお祖母様を取り上げたくないわ。ロゥリィは、肉親と二度と会えなくなるって事を軽々しく考えすぎよ」

 ロゥリィはテーブルを強めに叩いた。

「テュカは、耀司のことを愛しているわけじゃないのよぉ。だから、会えなくなっても平気なんだわぁ」

「そんなことない。ロゥリィみたいな直情的な愛し方をしないだけよ」

 伊丹は目の前で始まった怒鳴り合いに「ちょっと待った」と手を伸ばして介入した。二人は唇を尖らせて争うことを止めたが、その分の不平不満が、いよいよ伊丹の方へと向かいはじめた。





    *    *





 都内某所、某ビルの地下駐車場。
 黒塗りの高級外車がすらっとの並ぶなか、一台の車が静かにアイドリングを続けていた。運転席周囲以外は、スモークが張られて中がのぞき込めないようになっている。

「駒門課長、検察が動きだします」

「よい。各位は鼠を逃げ道をふさぎなさい」

 駐車場へと降りてくる道は階段とエレベーターの二つがある。そのひとつ、エレベーターのドアが開くと、あたりに駐車されていた車から次々と、高級スーツで身を固めた男達が降りて、エレベーターへと向けて歩き出した。

 やがて、エレベーターから降りた初老の男が周囲をぐるりと取り囲まれる。事態の急変に気づいた初老の男は、「何だ君たちは?」と険のある態度を示したが、男達は無機的な表情で周囲を固めた。

「田沢さんですね。あなたを収賄、ならびに政治資金規正法違反の疑いで逮捕します」

 初老の男は「な、なんだと?」と目を剥くと、示された逮捕状に対して憤怒の表情を見せた。

「ぼ、謀略だ。この選挙の近い時期に逮捕など、国策捜査としか思えないっ!!」

「逮捕状は正式なものです。それだけの容疑があるから判事も逮捕状を出したわけで、言いがかりでも何でもありません。日本の司法当局を馬鹿にしないで頂きたい」

「検察の青年将校化だ!!」

「何時の時代の話ですか?それとも、選挙が近いと政治家やそれに近い人間は、法律を破っていることが判っても捕まえてはいけないんでしょうか?与党の政治家は『疑い』っていうだけで大臣職を辞めたりしてますが、野党だと逮捕状がでるくらいに容疑が固まっても、逮捕する側が非難されるんですか?」

 田沢は、しきりに声を張り上げた。周囲にいるかも知れない、一般の誰かの耳にその声が入ることを期待して。検察による謀略的な権力行使であることを印象づけようとして。

「国民の皆さん、民主主義の危機ですっ!政治の腐敗ついにここにまで至りました!」

「あんたが言っているのは、民枢党主義の危機でしょう。政治の腐敗とは、役人や政治家が賄賂をとることじゃない。賄賂をとっても非難できないことを政治の腐敗というんだ。その意味で、あんたが逮捕されないことのほうが政治の腐敗を意味するよ。もちろん与党の政治家だって逮捕状が出るだけの容疑が固まれば我々は逮捕するよ」

 そんなやりとりの果てに田沢は手錠をかけられ検察の乗用車に押し込められた。

 その騒動の片隅では、自分は巻き込まれまいとメガネの男がこそこそとその場を立ち去ろうとしていた。メガネの男は検察の興味の対象ではなかったために、誰からも制止されることなく駐車場を出ることができそうであった。

 しかし、ふと気がつくとメガネの男の周囲は、特捜の検察官達とは毛色の違う違う荒事専門を臭わせる黒服の男達によって取り囲まれていた。

「よう、李順弘。君を外為法違反で逮捕するよ。外国の某機関からの資金の流れを懇切丁寧に吐いて貰うからそのつもりで……」

 部下から死神博士とあだ名されるほどの駒門に睨まれた李と呼ばれた男はその顔を蒼白にさせることとなった。駒門は振り返ると部下達に向けて言った。

「さあ、紳士諸君。ペイバックタイムだ!!」




 某所で静かにモニターに向かっていた1人の男が、自らの管理する掲示板の書き込みに眉を寄せた。

「随分と酷い書き込みだな。アク禁にするか」

 とあるアドレスに対する匿名巨大掲示板のアクセス禁止措置。これによってネット界に蔓延っていた差別的な表現や、顔をしかめたくなるような書き込みが激減してしまう。新聞社によるマッチポンプ的な、ネット工作が暴露された瞬間であった。

 これまで、新聞社やマスコミによるこれらの操作を指摘する者は、全てネトウヨと称して貶められつづけていた。偏った思想による根も葉もない中傷とみなされていたからだ。だが、それが事実であったとすると、人はどう思うのだろう。

 某テレビ放送局に報道倫理・メディア向上機構の職員が複数枚の書類を届けにはいった。

「御社の報道番組は、放送倫理上、人権を侵害する恐れが強い内容であると見なさざるを得ませんでした。これの改善を強く求めます。それと番組での捏造の件についても、厳重注意処分が下りました」

 テレビ局側は、この指摘を受けたことへのコメントを午前四時という視聴している者がほとんどない時間帯に放映するという暴挙に出た。

 報道倫理・メディア向上機構の指摘を受けても改善どころか反省の意志もない、つまり倫理違反を指摘された報道が、実は恣意的であったと態度で証明してしまったと言える。この事実を前に、人はどう思うだろうか。

「支持率の低下している首相の著書が、不自然な売れ行きを見せており、出版者側はとまどいを見せております。さて、次のニュースです。特地の拉致被害者と、その救出劇について驚きの新事実です。これまで、特地に拉致されていた被害者は報道機関の前に姿を現すことはありませんでしたが、この度、取材斑の前に通訳として現れました……」

 原稿を読み上げる女性アナウンサー姿から、収録された画像に画面がうつりかわった。

『あの時、助けに来てくれたのが、こちらの伊丹隊長さんと、栗林さんと、富田さんだったんですよ。それに外務省の菅原さんがいました』

 紀子が、栗林と伊丹をカメラの前につけて立つ。栗林は、照れたように下を向き、伊丹は「いやぁ、なんともお恥ずかしい限りです」と後ろ頭を掻く姿が日本中に流れた。

『あの?富田さんって言うのは、やっぱり?』

『もちろん、あの富田さんです。あなた達を助けるために、最後まで残ったから亡くなったって聞いてますよ。なのにガツーンと村人を鉄砲で叩いているところばっかりテレビに流れちゃって変に風に有名になっちゃったんですよね……』

 これに合わせるようにして、村人を64式小銃で殴りつける富田の姿が流される。
 だが、それは今までと違って、一連の映像の一部分を切り取ったものではなく、農具や棍棒を手にした農民達が取材班に襲いかかり、それを守ろうとして奮戦した富田が倒れるまでの一部始終であった。

 無抵抗な村人への一方的な暴力だと思っていたのに、それが全くの逆だったのだ。

 さらに、特地に調査に赴いていた科学者達が合同記者会見を開く。

「特地で起きている現象は確かに異常である。我々の科学水準では、これを推論でしか解釈説明することはできない。従って、養鳴・漆畑・白位博士らの報告のように、門の存在が特地と我々の世界とに重大な問題を引き起こす可能性も否定できない」

 アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアといった名だたる国の学者が連名であげた報告である。こうして再び門をめぐる議論は、振り出しに戻ることとなった。










[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 65
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/04/24 12:11




65






 黒川美和は女性自衛官である。だが同時に看護師でもある。

 衛生看護科のある高等学校を卒業した後に、とある民間病院に就職。さらに病院のひも付きで高等看護学校(夜間)に通って正看護師資格を取りそのお礼奉公(学費を出して貰ったお礼として一定期間、安い賃金で勤め続ける。この間に退職しようとすると、莫大な違約金が発生する傭兵契約みたいなもの)として手術室、救命救急、ICU、精神科病棟と同じ病院でも過酷な現場ばかりで働かされた。

 そんな彼女が病院を出て自衛隊に入ったのは、看護師間の合い言葉ともなっている「研修医にひっかかるな」という禁をついうっかり破ってしまったからだった。しかも相手は、どうもお脳の調子が緩んでいるお坊ちゃま医師。

 たった一度の飲み会で、向かい合って座った際の愛想笑いに何を勘違いしたか、黒川が自分のことを好きだと思い込み恋人でもないのにつきまとい、居もしない他の男に嫉妬すると言う暴挙に出た。

 これに参った黒川は、莫大な違約金を払って逃げ出すように退職して他の病院へ。しかし、引っ越し先にまでストーカー医師は追いかけて来て、しかも毎日のように電話がかかってきて、アパートからは盗聴器が見つかって、憔悴のあまり自殺という単語さえ脳裏に浮かぶほどに追い詰められてしまったのである。

 だが、たまたま知り合った入院患者さんの一人が、「どうしたの?浮かない顔して」と声を掛けて「そう言った勘違い野郎が絶対に入って来れない安全な場所があるけど興味ある?」と教えてくれた。

 聞けばその場所は、敷地の四方は全て有刺鉄線や高い塀によって囲われており、生半可な者では忍び込むことは到底不可能。さらに、24時間態勢で常に屈強な男達によって厳重に警備されており、明確な理由もなく外部の者が出入りすることも無理。内部には売店その他がそろっているから、籠もっていようと思えば何ヶ月でも何不自由なく籠もっていられると言う。

 藁にも縋る思いだった黒川は、自衛隊地方連絡部(当時/現在は地方協力部)と書いてある名刺を握り締めて、即座に「行きます」と答えたのである。そして陸上自衛隊朝霞駐屯地で寝起きすることになって、ようやく安心して眠ることの出来る日々を手に入れたのだった。

 そこは確かに安全であった。

 勘違いしたストーカー医師は、営門の前まで来たが中まで入ろうにも89式小銃をもって警備する隊員に怯えて、うろうろすることしか出来なかったのだ。当然盗聴器の類は仕掛けられない。
 電話だって携帯電話を解約してしまえば代表電話しかない。「はい、朝霞駐屯地です」と言って男の人(希に女性もあり)が電話に出るのに、無言電話も「はぁはぁ」電話も出来ない。手紙の類も駐屯地で一括して受けて(危険物チェックはここでされる)営内斑の班長が手渡す仕組みだから、差出人不明の変な手紙が届いてれば、万事弁えてる班長が「棄てちゃえ棄てちゃえ」と読まずに棄てることを推奨してくれるわけだ。

 もしストーカーが、休日になれば出かけるだろうと思って門前に車を止めて待ち伏せてても、東京都と埼玉県の境にある朝霞駐屯地の敷地は広大過ぎるほどに広大で、営門も数カ所に及ぶ。しかも、長時間駐車していれば警察官がやって来て、「君、どこの反戦団体の人?」とか言って免許証は確認されるし、カーナンバーまで控えられてしまい、下手すると公安関係者や自衛隊の2科や、情報隊から調査されたりと、おちおち待ち構えていられないのだ。

 入隊して13週間。一般曹候補生前期教育もあと3週間となった頃、営内斑の居室でのんびりとお茶を飲んでいた黒川は、班長と一緒にやって来たスーツ姿の人に「君、君、一寸来たまえ」と呼ばれて、「この人知っている?」とストーカー医師の写真を出された。

「はい、知ってます」これこれこういう人ですと事情を説明。すると、正体不明のスーツ姿の人は、げんなりした表情をして事情を説明してくれた。

 このストーカー医師は雨の日も風の日も「健気に」駐屯地前で黒川が出て来るのを待っていたらしい。だが、時々やってくる赤い旗とか、のぼり旗をもった人達の群れに取り囲まれて、這々の体で逃げ出したり、「一緒に、シュプレヒコールしましょう」と巻き込まれたりしていくうちに、平和運動の女性と親しくなったようで、今ではストーカー医師から平和運動の活動家医師へと昇格してしまった。

「ま、そう言うことだから、もうつきまとわれたりしないと思うよ」とのこと。そのかわり、ストーキングの対象が自衛隊になってしまったが。

 自衛官になったのが、こんな経緯であった黒川だから、栗林のように強い男を見つけたいとか、自衛隊に対する憧れがあるといった前向きな希望はなかった。ただ、自衛隊の海外派遣とか、災害時の救助など、普通に病院に勤めていてはとても出来ないような経験が出来ることは嬉しく思っている。自衛隊側も黒川の持っている技術と経験を貴重なものと評価しており、早々に二等陸曹にまで昇進させている。もちろん指揮命令系統に組み込まれた、現場指揮が出来る二等陸曹としてである。(自衛隊看護学生が看護師の資格をとると二等陸曹になるが、資格と職に対して与えられた身分としての階級なので、一般隊員の部下が与えられて現場指揮をするわけではない。例えると軍医がどれだけ偉くても部隊を指揮させてもらえないのと同じ)

 唯一の悩みと言えば、男の多い職場なのに、男に縁がないことだろう。

 看護師という職業とこれまでの経験もあって、男性に対する視線が自然とシビアで警戒的になってしまうのだ。接する時の物言いも、ついつい辛くなってしまうし、彼女の背丈に釣り合う男も少ないから倦厭されているのだろう。

「だったら、少しは隙を見せて男が寄って気安くなるようにすれば良いのに」と同僚に言われてしまうが、どうしても身構えてしまうのだからしょうがないのだ。

 言い訳すれば、「いずれは治すつもりなのですが、だけど今はダメ。治したいと思わせてくれるほどの男性が現れないのですわ」となる。

 そう言うわけで、今は自分の恋路より、他人の恋花や浮いた話を愛でることにしている。その代表格がレレイ、ロゥリィ、そしてテュカの伊丹争奪戦である。

 隊内給湯室ネットワークの胴元発表によると、掛けの倍率は現在一枠・ロゥリィ1倍、二枠・レレイ1.5倍、三枠・テュカ4倍、四枠・ヤオ4倍となっている。

 ロゥリィが、やっぱりダントツの一番人気で、レレイがそれを追っている。

 レレイがロゥリィに負けている理由としては、やはり実年齢が未だに16才になったばかりというところにあるかも知れない。いかに伊丹と言えども、手を出すことには躊躇すると思われているのだ。
 だったらロゥリィだって同じ事と言う意見もあるが、彼女の場合は外見はともあれ900才を越えているわけだから、法とかモラルといった規制は完全にクリアされている、いわゆる合法ロリということに強みがあるのだ。

 だが、レレイを推す者は言う。彼女とて16才になった。民法上は結婚可能年齢だと。青少年育成なんたら条例も結婚を前提の真面目なつき合いなら合法という判例が出ている。その意味では彼女もギリギリセーフである。そしてなにより相手は、あの伊丹ではないか、と。

 つまり伊丹と言う男をどう評するかで、判断が割れるのだ。

「あれでも、一応×1だからなぁ。結婚はできたってことだろ」

「でも、×がついた理由にもよるんじゃないか?相手の女性が成長して、興味が持てなくなったって理由なら永遠のロリがガチだろう」

 その辺に流布している程度の情報は、それを確かめる材料となってくれない。

 テュカ・ルナ・マルソーが大きく遅れているのは、首位争いを避けて「お父さん」と呼べる気楽な娘的ポジションに納まっているからであった。

 伊丹に積極的にすり寄ることもなく、いつも少し離れたところから彼を見ているという感じである。そのために憎からず思ってはいるだろうが、それは恋心ではないという説が強いのだ。ヤオの評価が低いのも、ほぼこれと同じとなる。

 ちなみに、黒川8倍、栗林6倍のオッズがついていることを知った二人が、胴元を絞めに行ったのは内緒の話だ。

 閑話休題(むだばなしはさておいて)。

 さて、この手のレースで勝ち馬投票券を買うと言うことは、その馬を応援することを意味する以上、黒川が賭けるのはレレイやロゥリィではなく、テュカと言うことになる。

 理由は簡単で、彼女の内心の葛藤を知っていたからだ。

 黒川は、炎龍に襲われたコワンの村で彼女の救助と看護に関わって以来、彼女の健康や悩みなどいろいろな相談を受けて来た。父を失った悲しみに耐えられず、精神の平衡を欠いていた時、その是非はともかくとしても一番熱心にテュカの先行きを心配したのは黒川だった。彼女が不安や恐怖に震えていた時に夜遅くまで付き添い、時に一緒に寝てまでも支えようとしている。

 炎龍退治という方法で、テュカを狂気から解放した伊丹には、ある種の嫉妬すら感じたほどだ。それが、決して自分には出来ない方法であったがゆえに、自分のしてきたことの徒労感と無力感に打ち拉がれたのである。

 だが、テュカが精神的な健康を取り戻してからも彼女が心を開いて相談をしてくるという仲は続いた。もう親友とも言える仲である。それゆえに、彼女の悩みや内心の葛藤につねに耳を傾け、一緒に悩んでいるのである。

 だから言えるのだが、テュカは恋愛面では非常に臆病者である。

 それもまぁ、仕方がないと言えば仕方ないかもしれない。
 狂気から解放されて、伊丹を見た時の彼女の心境は、深酒して酔っ払い、みっともないことを言ったり、やったりしまくった翌朝、全部の記憶が鮮明な状態で、相手と向かい合ったに近いのだから。

 父とはまったく似つかない男を「お父さん」と呼び、しばしの間起居まで共にした。甘えまくり、時には抱きついたり、一緒に寝てくれてとせがんだり、我が儘を言ったり、口では言えないくらい恥ずかしいことも……してしまったりたりしなかったり。穴があったら飛び込んで埋まってしまいたいぐらいの心境だったという。

「あうあう、お願いミワ。あたしを埋めて」

 ミワとは黒川のこと。

 頭を抱えてしがみついてくるハイエルフの娘を見下ろして、思わず携帯円匙(えんぴ)を持ってきて本当に埋葬してやろうかと思ってしまった。

 テュカは自分から「お父さんが、大好き」と言うほどのファザコンだ。そして、その気持をそのままそっくり向けてしまった。伊丹もよくぞ我慢したと褒めたくなるが、もし理性のタガが吹っ飛んで襲って来たらきっと受け容れてしまっていた。いや、たぶん抵抗する気になんてなれなかったに違いない、とまで言っている。

 男という種を全くもって信じていない黒川としては、当然のことながら心配になって、「な、何もされてないのね?」と再度確認。

 すると、「……………何もなかったの」と、うなだれた口調の返事があった。
 その言葉は何もなくて良かったという安堵を感じさせるものであったが、同時にどこか残念そうな響きも感じられて、黒川の胸中は複雑である。

 何もなくて残念という気持が、父親と伊丹と、はたしてどちらとの関係に向けられているのか今ひとつ理解できなかったし、理解出来たら出来たで自分の持っている一般的な倫理観というかモラルといったものが激しく動揺してしまうような畏れがあったからだ。

「普通の男なら、あそこで手を出すわよね」

 おかしな関係にならずによかったはずなのに、伊丹に対する思慕の情をはっきりと感じている今のテュカには、あの時、何故手を出してもらえなかったのかという問題は、ひっかかりとなっているらしい。つまり、自分を面倒な女と思っているからではないか、とか、女性としての魅力に欠けているから、とか、女として見てもらえてないからではと、悩んでいるのだ。

 黒川としては、伊丹がどういう理由で我慢したかは知らないが、手を出されていたら別の意味で悩んだろうと思うから、こうフォローするしかない。

「相手のことを大切に想っているから、不用意なことをしない男もいるって言うわ。伊丹二尉はそう言う人なのかもしれない」

 言った本人自身が信じていないセリフに説得力などあろうはずがない。はたしてテュカも懐疑的なままで「そうかな?」と首を傾げる。

「………多分、もしかしたら、きっと、かも知れないわ」

 こんな助言が何かの足しになるということは当然無い。さらに、自分のしでかした事への羞恥心もぬぐえずに澱となって溜まっている。そんな状態だから、自ずと伊丹と距離は当たらず触らず、でも親しい距離にいたいということで、「お父さん」と呼び、「どうしたテュカ?」と返事が戻って来る関係に落ち着いたというわけである。要は逃避である。

 そして今日に至るまで、何事もなかったかのように、ポーカーフェイスをしっかりと固めて伊丹と接していると言うわけだ。伊丹に対するアプローチも出来ないで居る。そして、その分黒川へと泣きつくわけだ。

 ところが、門を閉じなければならなくなって、事態は動き出す。

 これまでも積極的だったロゥリィは、伊丹を捕まえるためにさらに積極さを増すだろうし、レレイは三日夜の習わしが済んでいることを楯にして伊丹の逃げ道をふさぐだろう。 なのに、自分はまだ後ろの方でうろうろしている。好意の表明も、既成事実の蓄積も何もしてないのだ。

 テュカから見ても二人はとても良い娘で魅力的だ。
 ロゥリィは外見はともかく中身は大人の女で、経験も豊富で情も濃い。戦いに際しては伊丹の傷を代わって受けるまでの健気さを見せつけた。
 レレイは知的で誠実で、魔導師としても将来性がある。しかも商才まである。きっと伊丹も、ロゥリィかレレイのような娘を魅力的だと思うに違いない。いや、きっと選ぶ、自分だったらそうする、と断言できる。

 そして二人に比べて自分はと思うたびに、二人の積極的なアプローチを目にする度に、テュカの中にいろいろな憤懣と愚痴が溜まってきたわけである。

 クナップヌイでは、ヤオがこそこそと出かけたのを幸いにテュカは嘆いた。

「自分がどんどん嫌な娘になっていくのがわかる。ロゥリィやレレイに対する嫉妬で変になりそう。ねぇミワ、あたし、どうしたらいい?」

「やっぱり告白するしかないのでは?」

「そ、そんなこと出来るわけないわ。『お前のこと、義娘としか思えない』っとか言われたら、再起不能よお!」

「では、ロゥリィやレレイが伊丹二尉に迫るのを、黙って見てますか?」

「それも嫌」

「じゃぁ、果敢に攻めるしかないでしょう?日本には、当たって砕けろという言葉がありますわ」

「く、砕けたくないんだけど」

 見ている側としては、さっさと玉砕してくれた方が楽なのである。だが、テュカのあまりのへたれっぷりには、流石の黒川も苛ついてきた。

 胸中の「いいかげんになさいな、貴女」と言う思いに駆られて、詰問と非難の情を込めて「そもそもなんであんなのが良いと思うのです?」と言う質問を発した。

「あんなのって言うと、貴女が気分を害するのがわかってましたから、今まで控えてましたけど、貴女ほどの女性がどうしてあんな男を慕うのか、正直理解できませんわ」

「あんなの?!」

「ええ、あんなの、です。わたくしも、前ほどこき下ろすつもりはありませんが、あれがいいって言う貴女の気持ちはやっぱり理解できませんわ。もしかして、命がけで助けてもらって、好きに成っちゃた……ですか?どこかのマンガか小説みたいに」

「あ、それ違うから」

「そうなの?」

「男に助けてもらった女の子は、みんな男のことを好きになるのかしら?あり得ないわ。もちろん感謝の気持ちは持つわ。でも、それで異性として好意を持つこととは全く別よ」

「じゃあ、なんでです?」

 問われたテュカは頬を染めて「正直言って、わからない」と俯いた。だが「でも『あの人』の良いところなら一晩中だって言えるわよ」と胸を張る。

『あの人』とテュカが呼ぶ時、何か嬉しそうな響きがあった。そのせいか、黒川も胸中にむずかゆさを感じてしまう。

「例えば?」

「そうねぇ。人として信頼できるところかしら。信頼できる嘘つきってこと」

「信頼?嘘つきがですか?」

「そ。他人を騙す人には大きくわけて二通り居る。最初から騙すつもりで嘘をつく人。もう一つが、言った時は本気でもそれを実現する努力を怠る人。あたしたちエルフを含めて人間って、物事を約束するとき、それが実現できるかどうか考えるでしょ?そして言ったことを嘘にしないために、立場とか、置かれた状況とか、計算ずくになってしまうの。だから実現出来ることしか出来ると言わないし、約束しない。それは勿論、誠実さであり大切なことよ。人との間に信用を結ぶには必要なことだわ。だけど、約束を果たせるかどうかという許容量があって、それを越えた途端に『もうダメです。約束できません』とされてしまう冷たさがあるわ」

 テュカはそこまで言うと一息ついた。そして、少しばかり身を乗り出してさらに続けた。

「でも、あの時『あの人』は嘘を言ってくれた。大丈夫、まかせてって言ったの。言っちゃう人よ。あたし達を安心させることだけ考えて、任せてと言って、そして大丈夫だ心配ないって言う嘘を最後まで信じさせようとしてくれた。だからあたしたちも騙されることにしたの。あたしたちは、大丈夫なんだって。でも、嘘だからそのままにしておいたらきつと大変なことになる。だからみんな働くことにしたの。あたしが変になってた時もそうだったわ。俺はお前の父さんじゃないって、逃げれば逃げられたのに、あたしの妄想に嘘につき合ってくれた」

「強いて言うなら、最初から嘘の必要が無くなる時まで騙し切ろうとするってことかな。最後まで騙しきればそれって本当のことだもの」とテュカは言い切った。黒川としてもテュカにここまで言われれば、彼女の真剣さを受け容れざるを得ず、応援することに決めたのである。

 そしてテュカが、レレイ、ロゥリィと共に伊丹を呼びだしたと言う。
 黒川としては、いよいよテュカが討って出る気になったかと期待してしまうのも無理はない。

 ロゥリィが「テュカは、耀司のことを愛しているわけじゃないのよぉ。だから、会えなくなっても平気なんだわぁ」と言った時、「さぁ行け、素直になれテュカ」と声に出さずに叫んだくらいだった。




 アルヌスの食堂内。
 怒気を孕んだひと睨みで、諍いを止めに入ろうとした伊丹を沈黙させるロゥリィとテュカ。

 伊丹が引き下がったことを確認して、テュカはいささか皮肉っぽく言った。

「ロゥリィって、相手をむさぼるような愛し方しかできないのね」

 少しばかり殺気を孕んだ嘲けるかのようにせせら笑いでこれを受けとめたロゥリィは足を組み替えながらハルバートをそっと引き寄せた。

「ふん。わたしぃにもぉ、『貴方が満足がわたしの満足ぅ、貴方の幸せがわたしの幸せですぅ』っなんて、気取ってた時期もありましたぁ。でもねぇ、そんなことしてたら結局後悔するのよぉ。ま、好きな男って言えばぁ、お父さんだったお子さまにはわからないかもねぇ」

「へえ。後悔しちゃったんだ?」

「そりゃぁもうねぇ。男なんてぇ勝手させておけば、後先考えずにどんどん先に行って、とっとと逝っちゃうのよぉ。しっかりと首根っこ捕まえておかないとぉダメなのよぉ」

「随分と経験豊富でらっしゃること。さぞいっぱいの男偏歴を重ねてきたんでしょうね。いずれは愛の神を目指すだけあるわね」

 ざわっとしていた食堂が一瞬にして静まりかえった。

 あたりの体感気温が急速に下がっていく。
 一触即発の気配に伊丹は黒川と栗林、そしてヤオをそれぞれ振り返ると、いっせのっせっと、4人でテーブルを抱えあげ、少しばかり二人から距離を取った。周囲も同様にテーブルを抱えて距離を取り始めた。

 3つ並んだ椅子の右端、レレイだけは隣でヒートアップする二人を無視して、もくもくと鶏肉を口に運んでいる。

「あ、あらぁ、羨ましいぃ?」

「ぜ~んぜん。それでお父さんに、寂しさを味合わせても平気になっちゃうなら、ちっとも羨ましくなんかないわよ」

 テュカはテーブルを叩こうとして空振りしてしまう。テーブルが傍にないことに今更気づく滑稽さにロゥリィはにんまりと笑った。

「わたしぃは、耀司に寂しい思いなんてさせないわよぉ」

「へぇ?ほぅ?どうやって?」

「決まってるじゃない。わたしぃが一緒にいるっ。わたしぃが愛すっ。寂しさなんて毛筋一本ほど感じさせないほどにねぇ」

「随分と身勝手なのね。利己主義。自分の愛情さえ満たせればいいってことよね?」

 いよいよ二人とも、立ち上がって向かい合った。はじかれるように倒れる椅子二つ。その隣ではレレイが黙々とジョッキの中身を呑んでいた。

「っていうか、レレイ。お前何呑んでる?」

 伊丹の問いに、何故かレレイは表情のない視線を返してくるだけである。見れば空いたジョッキが2~3転がっていて既に4杯目のようだ。

「そう言うテュカはどうなのかしらぁ。いまだに『お父さん』呼ばわりぃ。一歩退いて自分の気持ちも抑えてぇ、楽な娘の位置で満足してぇ。最初から諦めてるだけでしょぉ?そのあげくぅ耀司からぁ、お母さんを取り上げたくない?笑わせてくれるわぁ!我慢するなら独りで勝手に我慢してろっって言うのよぉっ!耀司はわたしが貰うからぁ」

「ダメよっ。お父さんは……ううん、伊丹耀司は日本に帰すのよっ。日本に暮らしてきた場所があって、家族が居て、これからの暮らしがあるんだからっ」

「それはおあいにく様ぁ。帰るとかどうかは耀司自身が決めることよぉ……そうよぉねっ」

 レレイの様子を見に近づいたところをロゥリィはそう言いながら迫ってきた。確かにその通りなので伊丹は「うんうん」と首を激しく縦に振って頷いた。だが、今度はテュカが伊丹に迫る。

「ダメ。ダメよ。帰らないと絶対に後悔するわ」

「だからぁ言ってるでしょぉ、その後悔もぉ、寂しさもぉ全部ひっくるめてわたしが癒すっ」

 その時である、レレイが腰を上げた。今にもつかみあいを始めそうな二人の間に割って入った。

 テュカもロゥリィも、レレイが何を言い出すかと黙った。

「今結論を求めてもきっと答えはない。答えはこれから伊丹が出す。私たちはその答えを黙って受け容れるしかない立場」

 レレイは二人に言い聞かせるように話した後、今度は伊丹に向かった。

「貴方がどのような結論を出しても、私は常に共に在る。これが私の意志。どうぞ、知って置いて欲しい」

 そして、レレイはそのまま背を向けると去っていった。

 ロゥリィとテュカは再び向かい合ったが、「ふんっ!」「へんっ!」と互いに顔を背け、やはりそれぞれの方角へと立ち去っていった。

 後に残された伊丹と黒川と栗林。

「凄い弩修羅場……」

「伊丹二尉?随分とおモテになるようですが、どんな答えを出しても血の雨が降りそうですわね。でも、どんな事になるか、是非楽しみにさせていただきますわ」

 二人はそう言って、勘定を伊丹に残して隊舎へと戻っていった。

 独り残された伊丹にヤオは「御身に平安がありますように祈ろうと思うのだが、果たして聖下に祈って効果があるのか今ひとつ疑問に思う」と語るのだった。





    *    *





 数日後。


 煌びやかな装いをまとった女性騎士の集団に警護される馬車の列が街道を進み、アルヌスの丘をその視界におさめたのは夕刻近くのこと。

 細かな彫刻が施された馬車の傍らで、白馬に騎乗しているパナシュの装いは男装の麗人よろしく凛々しさと美しさを兼ね備えた風格があった。その趣味が無い女性であっても、きっと彼女を見たら胸をときめかせてしまうだろう。車列警備を指揮する彼女にはそれほどの魅力があった。

 パナシュは、馬を馬車に寄せると、そっと語りかけた。

「ピニャ殿下。いよいよアルヌスが見えて参りました」

「うむ。先触れの使者は誰がよいかな?」

「はい。ニコラシカがよろしいかと」

「では、そのように…」

 元々ピニャの騎士団は、実戦よりは典礼儀仗用とみなされる部隊である。

 高雅な雰囲気を纏わせたら比類する集団は他にないだろう。そんな中から先触れの使者として選ばれたのは、ニコラシカ騎士長嬢であった。御歳17才、貴顕たる家門からの出身で語学研修生としてアルヌスに一時滞在していたこともあり、ある程度日本語が話せ、さらに土地勘があることから今回のように名誉ある単騎駆けを任されることとなった。

 栗色の髪をなびかせながら右手に金糸の旗を捧げ持ち白馬を走らせる姿は、見る者を瞠目させるだけの美々しさがある。

 自衛隊の引いた警戒線で誰何されるたびに馬の首を巡らせ「わたくしは、帝国外交使節団の到来を告げる者。宜しくお支度下さい」と若干の緊張を感じさせるアルトの声で歌うようして走り抜ける。

 元々、自衛隊側もその到着日時は知らされている。
 実は誰何に対する彼女の掛け合いも、帝国の外交典礼に従った儀式なのだ。その為の念入りな打ち合わせもすでに為されており、普段なら完璧な偽装をして隠蔽しているはずの隊員達も、この時ばかりはクリーニングを終えたばかり皺1つ無い戦闘服に身を包み、普通科の隊員であることを示す紅いマフラーを纏った姿で、これを迎えている。

 ニコラシカの白馬は警戒線を抜けアルヌスの街に入っても、その速度を弛めず馬蹄の音を轟かせながら丘の中腹にまで駆け上った。

 街の住民達も滅多にない見物とばかりに、仕事の手を止めて路傍で見物をしていたし、自衛隊側も既に隊伍を組んで出迎えの態勢をとなっている。

 馬を駆って息せき切っているニコラシカ嬢が、自衛隊の隊伍に向けて「帝国使節団到着をお知らせするっ!!」と叫んでドサッと落馬してしまう。が、ここまでがいわゆる儀式で、お芝居なのだそうだ。

 伊丹に割り当てられた役割は、とりあえず一時的に部下とされた衛生科隊員に担架を担がせてニコラシカ嬢を載せ、その場から連れ去ることである。ぐったりとして身じろぎもしない様子が、迫真の演技すぎて心配になり、とりあえず小声で声を掛けてみる。

「あの、身体痛くない?」

 すると小声の返事があった。

「大丈夫です。なんども練習しましたから……」

 失神してぐたっと倒れたフリをしつつも、答えはしっかりしている。
 伊丹は彼女の「何度も」という言葉に痛ましさを感じつつも、乗って来た白馬の轡をとり、衛生科隊員二人はニコラシカ嬢をよっこらせと担架に乗せた。

「わ、私、重いですかあ?」

「いやいやいや、そんなことないですって。軽いですよ~」

 そんな会話をしながらニコラシカ嬢の担架を持ち上げて、脇へと退いて行くのである。これで仕事は終わりだ。隊舎の影にまで下がると、ニコラシカはむくりと起きて運んでくれた隊員に「有り難うございます」と言いながら担架から降り、伊丹から馬の手綱を受け取った。

 やがて、帝国の使節団を載せた馬車十数台の列が見えてきた。

「捧げ、つつっ!」

 自衛隊一個戦闘団が、帝国の使節団に対して一糸乱れぬ着剣捧げ銃の敬礼を贈った。

 銃剣の林の間を使節団の馬車の列と、護衛の騎士達の代表数名が通り抜けていく。主立った者達はこのままアルヌスの山頂へと向かて門も越える。残りの騎士や、馬車の半数以上はここアルヌスで待機と言うことになるのだ。

 こうして帝国使節団は銀座へと入った。そして、そのまま内堀通りを通って永田町、赤坂へと向かい、迎賓館赤坂離宮へと迎えられたのである。

 その間、銀座および内堀通りの交通は自動車については一時的な規制があった。だが、歩行者については若干の街頭の警戒を強めた程度であったため、その場に居合わせることとなった日本国民や外国人観光客の殆どは、突然目の前を馬車の列が走り抜けていくという光景に何か映画の撮影かと目を疑うことしか出来なかった。そしてその夜のニュースで初めて、その車列の正体が何であったかを知らされることとなる。




 その夜、講和条約文書に、皇帝名代たるピニャと内閣総理大臣の麻田が互いに歩み寄って握手する場面が、全世界に向けて生中継されていた。ここ、アルヌスでも光回線を通して配信されていたため、隊員達は皆、テレビに釘付けになっている。自衛官だけでなく、おそらく日本国民の殆どがこれを見ているかも知れない。
 テレビ各局はこぞって臨時の報道番組を流し、教育放送や一部を除いた殆どのチャンネルでじ同じ情景が流れていたからだ。

「これで終わるな……」

「ああ。やったな」

 そんな会話を幹部達が交わしている中、伊丹は会話にも加わらず、テレビも見ようとせず、机に向かってぼんやりと考え事をしていた。

 伊丹の傍らには、首に技官の身分証をぶら下げたレレイが座って、分厚い書類の翻訳をチェックしている。

 講和条約がこれから調印される。
 だが条約発効以降も両国間にこれまで取り交わされた各種の協約は、そのまま更新される。両国の外交関係はこれから始まると言っても良く、実務の面では細かい調整がさらに必要となるのだ。

 例えば、日本が割譲を受けるアルヌスの丘を中心にした半径100リーグの範囲だが、当然のことだが無人の土地ではなく、既に住んでいる者がいた。これらの住民達には、特別永住権を持った帝国臣民として今の場所に住み続けるか、あるいは日本国籍をとるかの二者択一が提示されることとなっている。

 当然ながら、アルヌス生活者協同組合の従業員達にも「どうしますか?」という質問がされる。一定期間内に、どっちにするか決めて提出しろという書類だが、当然日本語というわけには行かないのである。

 と言うわけで、レレイやカトー先生達といった両国間の文字について少しでも理解できる者は、書類の誤訳や誤字脱字等の確認に狩り出されている。ちなみに伊丹は、言葉はなんとか出来るようになっているが、文字の読み書きは出来ないので、この手の仕事は回ってこない。

 じっと考え込んでいる伊丹は、傍らのレレイ向けてポツリと言った。

「レレイは、どうする?」

「日本の国籍を得たいと考えている。その方が都合がよい。伊丹はどうするのか?」

「俺は逃げたいぜ」

「ダメ。逃がさない」

「……………………………………………」

 背筋がうっすらと寒くなる伊丹であった。

























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時事ネタは……。

ほら、風化した(笑)







[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 66
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/04/24 12:09




66





 その夜、マスコミ各社を通じて講和条約文書への調印の様子が全世界に報じられた。

 日本側代表 内閣総理大臣麻田太郎、帝国側代表 皇帝名代皇女ピニャ・コ・ラーダ。

 担当者が文章内容をもう一度確認。その後、麻田は筆を用いて、ピニャはペンを持って、それぞれ2通の文書に署名と書判(花押)を記し、互いに一通ずつを手に取った。日本は国会、帝国では元老院がこの条約内容を批准すれば、帝国と日本国間の戦争状態は終結することとなる。

 講和の条件を大雑把にまとめると以下の通り。

 帝国は、銀座事件を宣戦布告なき攻撃であったとして謝意を公表する。また皇帝モルトは、この条約発効後2年以内に退位する。

 帝国は賠償として、総額1億5200万スワニーを20カ年(帝国年)に分けて支払う。ただし国民が帝国の通貨を受け取っても賠償としての意味がないため、日本国政府が代表して受け取り、銀座事件被災者に分配するものとする。

 帝国はアルヌスの丘を中心に半径100リーグの地域を日本国に割譲し、双方新たな国境線を侵犯しないことを誓う。

 帝国は、国内全域における鉱山資源等の調査試掘権と、帝国国有地における現有鉱山、および金・銀・銅・鉄を除いた資源の採掘権を日本政府へ譲渡する。日本側はこれらの採掘及び輸送に当たって、労働環境並びに自然環境の汚染防止に最大限の配慮を払わなければならない。

 帝国と日本は自由貿易協定を結ぶ。また帝国は日本国民および日本に籍を置く法人に対して、土地取得の自由、各種税制上の優遇すること。

 その他は、細かな内容がつらつらと並ぶので割愛する。

 ただ全判的に見ると、帝国の片務的恵国待遇とか関税の自主権がないとか、日本人に対する裁判権の行使等に一定の制限が課されるなど、相互の国民の保護という点で明治維新前の日本が欧米列強と結ばされた不平等条約に近い内容が見受けられる。

 これらも帝国では、諸侯や地方領主が独自に裁判権や徴税権を有してる現状から、当面の間ある程度の制限を課しておく必要があると相互に認めてのことであり、相手の無知に付け込んだ一方的な不平等条約とは異なっている。条約文の末にも、帝国側に法制度が整った際にこれらを見直す旨も記されている。

 条約への調印を済ませた両国首脳と随員達は共同記者会見の前に、迎賓館「羽衣の間」でしばし休息。大仕事を終えた開放感に一時浸りながら、ティーカップを傾けつつ、互いに雑談を交わしてた。

 内閣官房長官や国土交通省大臣らは窓際で、新たに日本国土となるアルヌスの扱いについて話し合っていた。

「派閥間のバランスを考えると、都濃派が野本を推してくるでしょう」

「だが、それだとウチの親分が黙ってないですよ」

「麻田総理も悩みどころでしょうね。下手をうつと一機に政局になだれ込みかねないデリケートな案件ですからね」

 条約の批准と同時に『特別地域管理行政特別法』が国会で可決される予定だ。これにより特地開発庁と担当大臣がおかれる。イメージとしては総督府のようなものだ。特地開発の窓口となるために、様々な利権が保証されている。当然その大臣職も美味しいポストとなるため、その椅子を巡って派閥間ではすでに争奪戦が始まっているのである。

 欲望と策謀が渦巻く謀議が。そこかしこでなされている中、双方のトップ、ピニャと麻田は肩の力を抜くべく雑談に花を咲かせていた。

 だが、ピニャだけは次の予定を前にしていささか緊張気味の面持ちである。

「閣下。キョウドウキシャカイケンとは、どのような意味を持つのでしょう?」

 通訳として傍らに立つ菅原の翻訳を聞いた麻田は、やぶにらみの表情を破顔一笑させて応じた。

「政(まつりごと)は、国民の暮らし向きに大きな影響を与えます。特に帝国と日本との間の戦争が終われば、人や物が門を挟んで大きく動き出すでしょう。ですから両国の政に携わる者が何を考えて、これから何をしようとしているのかをあらかじめ多くの者に知らせることは必要なことなのです。まして、具体的なことは責任ある立場についてから考えると言ったいい加減な対応は、恥を知る者のすることではありません」

「ふ~む」

 ピニャはどうにも釈然としない様子であった。

 宮廷政治の中枢近くにいたピニャにとって、政治とは貴族や元老院議員といった一部の、狭い範囲にある者がすることであり、関連する情報ですら顕職に立つ者に与えられる特権と考えていたからだ。

 帝国では、情報の伝播は可能な限り狭い範囲で留め、多くの者には知らさない「寄らしむべし、知らしむべからず」が統治の要諦であると考えられている。それだけに、あえて下々の者にまで知らせることの意味を説明されて、頭で理解できても実感できない。ましてや、記者とか言う輩の質問には注意しろ、言葉の選び方に気を配れと助言されても、混乱するばかりだったのである。

 だが、実際に共同記者会見に臨むと、その警句の意味が大いに理解できた。

 戦争で敗北した国は、講和の席で侮辱される。しかし屈辱に耐え、堂々と渡り合って国家としての誇りを示すこともまた使節の重大な使命だ。敗者は慈悲を請う立場であるが、頭を下げているだけでは侮られ軽んじられてしまうからだ。

 ところが、日本政府はピニャ達を決して辱めようとしなかった。ピニャ達を賓客として粗略に扱わず礼遇していたから、それが何時になるかと身構えていたピニャとしては、拍子抜けしたほどである。

 しかし、共同記者会見の席に座った時「始まった」と思った。
 立ち並ぶ記者と称する輩が、吊し上げるつもりなのか大人数で虎視眈々と待ち構えている。次々と光魔法で目も眩ませ、こちらを苛立たせようとする狡猾さだ。
 真の敵とは、この連中であったかと驚いたのも僅かな間である。ピニャは直ちに口舌による戦闘の心構えをとって腰を下ろした。その彼女の面差しは戦場で敵に向かって剣を抜き、今にも突撃を命じる時に似た挑戦的なものとなる。

 心強いのは、連中の矢面に立つのがピニャ独りでなかったことだ。
 通訳として長く苦労を共にした菅原が斜め後ろに座っている。彼は日本側の人間だが、その人となりは信頼できることがわかっている。さらに、勝者であるはずの麻田もまた隣に座って、会場のそこかしこから放たれる光を浴びていた。

「これより、記者会見を始めます」

 会場の片隅にいた係がそう宣言すると、そこかしこで手が上がる。

 何が起こってもいいように心構えをしていても、記者会見など始めてのピニャにとっては、目の前で起きる1つ1つの全てに心を配るしかなく、僅かな瞬間も途方もない時の流れのように感じられた。

 司会者の仕切で、一人が立ち上がって質問を始めた。

「毎朝新聞です。麻田総理にお尋ねします。今回の講和によって得られる賠償額は、戦災に遭われた方々に対する賠償として充分なものとなるでしょうか?」

 記者の質問は麻田に向けられた。

 傍らの菅原が質問の内容、そして麻田の回答をひとつひとつ翻訳して教えてくれるが、ピニャはまたしても肩すかしを食ったような気分となった。何故に、自分ではなく麻田が吊し上げられるのかと首を傾げたくなった。

 見れば麻田は、記者達の質問を受けても動ずることなくこれに答えていく。次々と記者が手を挙げて、質問を続けていく。
 ピニャはこうしている間も次々と放たれる光に、目が眩みそうだった。

「決して充分なものとは成り得ないでしょう。ですが帝国、そして帝国を含めた特地の情勢や経済からみると、これが限界ではないかとも考えます」

「産業金融新聞です。日本政府がこれの肩代わりをして戦災を受けた方への支援を行っていくという現状は続いていくのですか?」

「そのように考えて頂いてかまいません」

「新鮮新聞です。講和の内容から見ると、日本政府は賠償金以外にも帝国から様々な利権を得ています。これを内外の企業に売却してしまえば、その利益で戦災を受けた方に充分な賠償をもたらすことも可能なのではありませんか?」

 麻田は唇を歪める。

「そう言うことを我が国では捕らぬ狸の皮算用と言いますが、ご存じではありませんか?帝国から譲られた各種の権利も、すべて手を入れて開発して、はじめて価値を持ちます。利益を生むまでには莫大な投資が必要です。今日明日の用を為すものではありません」

「赤衛社です。自衛隊の現地からの撤退についてですが、その時期についてのお考えを……」

 しばしの間、記者の関心は麻田とのやりとりに集中していた。
 ピニャは、彼らの視線が自分に向かって来ない中で緊張を維持し続けることが出来なかった。状況の中で、わずかにぼんやりとしてしまったその時、突然降りかかってきた質問に思わず怯んでしまったのだ。

 ピニャは狼狽を何とか隠そうとして、大仰な振る舞いで背後の菅原へと語りかけた。

「……申し訳ないが、なんと言っていたのかもう一度訳してもらえまいか?」

 すると菅原は小声で説明した。

「門を閉じないと世界に重大な損害が及ぶかも知れないという説が出ています。帝国ではどうでしょうか?日本では各地で火山が噴火したり、地震がおきたりしていますが、帝国ではどんなことが起きていますか?……と問われています」

「我が国でも地揺れや、空の異常などが起きているのは確かだ」

「帝国としては、門を閉じる良いきっかけとなります。門を閉じたら二度と開きたくないのでは?」

 意地悪な質問である。ピニャはつい「その通り」と本音を答えそうになり、すんでの所で思いとどまった。

 場の流れは、賠償の支払いについて話が出ていたばかりだ。ここで、門を閉じて二度と開きたくないなどと答えたら、賠償の支払いを逃れようとしている、講和を反故にしたいと思っていると受け取られかねない。ここでは帝国の姿勢が問われているのだと気づいて言葉を慎重に選んだ。

「門はアルヌスにあり、その開け閉めは最早妾の関与できることではない。日本の処置に任せることになる。ただ、我が国の指導者階級は日本の優れた文物に触れて進んだ文化、学問、技術を学ぶべきだという考えが強くなっている」

「しかし、門を閉じないと大変な災害が起きるかも知れないとも言われています。どう思いますか?」

「避けられる災いならば、方法を講じるべきだと妾は考えている。しかるべき対応があるならそれをするべきではないだろうか?」




 ピニャと麻田の共同記者会見は、アルヌスにも光ケーブルを通じて流されており、特地に派遣されてきている自衛官達もこれを見ることが出来た。

 アルヌスの食堂でも、これに間に合うように運び込まれた50インチ大画面の液晶テレビを取り囲み、その物珍しさと、報じられる内容の両方への関心からか、皆が食い入るようにしてこれを見ていた。

 モニターの表面に触れてみたり、わざわざ後ろに回って誰もいないことを確認してしまう者もいるが、それよりも多くの者が、報じられている内容に固唾を呑んでいる。

『しかし、門を閉じないと大変な災害が起きるかも知れないとも言われています。どう思いますか?』

『避けられる災いならば、方法を講じるべきだと妾は考えている。しかるべき対応があるならそれをするべきではないだろうか?』

 続く麻田も同様の考えを示した。
 帝国との講和がなった今、将来の長きに渡って安定した連絡を確保するためにも、門を一旦閉じて、双方に起きている異常の解消を図りたいという考えを示したのである。

「やっぱりか……」

 舌打ちや、がっかりしたようなどよめきがあたり埋め尽くす。

「でも、将来にわたって安定した連絡を確保するためって言ってるニャ」

「それだって、門を閉じたら次に開けられるかどうかは、賭でしかないだろ?」

「その賭に失敗したら、犠牲になるのは俺たちの生活じゃないか」

 料理長はカウンターの内側に立ち、睨むようにして仲間達の会話を聞いていた。

 アルヌスの街は、コダ村からの難民を中心にした組合によって創られた。だが、今では街で、そしてあちこち都市にある支店で働く従業員、商業部門、輸送、護衛部門と直接的には800人以上、取引先を含めれば何千という数の生活を支える存在となっている。

 だが、そんな組合を支えているのは、門だ。それが皆の認識だった。
 もし、門が閉じられてもう二度と開かなかったらどうなるか。日本という国の庇護を離れたアルヌスを帝国はどうするだろうか。日本からの商品が入らなくなったら商売はどうなるか。今みたいな利益は上げられるのか?そして、自分達の生活はどうなる?

 誰も彼もが、門を閉じるということに不安を感じている。日本の人間も、帝国の人間も自分達の不安に無頓着すぎる。組合の幹部だってそうだ。どうしょうもなくなったら、元居たコダ村に戻ればいい。なんだかんだ言ってもロゥリィ聖下が困ることはないし、ハイエルフのテュカだって精霊遣いだから生活に困ることはない。レレイだって優秀な魔導師でしかも導師号を持つ学徒だから学都で教鞭でもとっていれば喰うに困らない。

 だから、今後のためなどと言って、門を閉じてみようなどと言えるのだ。そう考えてしまう。

 だが、門を開きっぱなしにしていれば、いずれは災害が起こる。これも理解できる。

 実際、帝都では派手に地揺れがあったと言う。だがしかし、……目の前に迫っていることへの不安と、何時起こるかはわからないことへの不安。二つ並べた時に、目の前の不安の方がどうしたって情緒を刺激してしまうのだ。

 頭では努めて公平であろうとしても、居ても立っても居られない。それが人間の心理だ。
 そんなことを黙考していた料理長の前に、いつの間にか迷彩服の女性が目の前に立っていた。「やぁ」と手を挙げられても、誰かわからない。

 見れば、迷彩服を纏っているから自衛官かと思って見れば、頭に兎耳がたっている。しばしの時を経て、料理長の記憶にある人物と目の前の女性とが一致した。

「おい、おいおい……誰かと思ったらデリラじゃねぇか!」

「料理長。お久しぶりだね」

 デリラが差し出して来た手を料理長は、パンパンっと叩いた後しっかと握った。

「お前、何やってたんだ。なんだその格好?」

「ちょっとねぇ、現地協力員って奴で雇われててさ。その仕事も一段落ついてようやく時間が出来たら、みんなの顔を見に来たって訳……」

「現地協力員ってホントかよ?大騒動を起こした割りには、羨ましいとこに就職しやがったな」

「それを言わないでおくれよ。後悔してるんだら」

 デリラはそんなことを言いつつ、周りを見渡した。皆、デリラのことに気にも留めようともせず何かに熱中している。

「あたいさ、みんなには迷惑を掛けたって思ってはいるんだ。でもさ、やっぱりそれなりに迎えてくれるかもってどこか期待しちまってたんだよね。だから、みんなに忘れられたみたいに無視されると、少しへこむよ……」

 しゅんと項垂れるデリラ。両耳の尖端も、首とおなじように地面の方向に向けて垂れ下がった。

「あ~それ、違うぞデリラ。みんな今朝方入った『てれび』って奴に夢中なんだ」

「てれび?」

 顎をしゃくって示された方向には液晶テレビがあっだ。ピニャや麻田が記者の質問に応じている光景が流されている。

「あ、あれか。自衛隊の仕事をしてて見たことがあるよ。そっか、アレもここに入ったんだね。灯りも電灯が入って、ここも随分広くなったしね」

 初めて見た時は箱の中に誰か入ってるって思って、叩いたり後ろに回ったりしたよ、などと自分の間抜け具合を披露しながら、デリラはビールを注文する。

「お~い。ビールを1つ」

 料理長の声にテレビに魅入られているジゼルは「は~い」と生返事だけで、いつまで経っても動かない。

「おい、コラッ。いい加減にしねぇと、給料でねぇぞっ」

 だがジゼルはいい加減に手を振るばかりである。

 流石にデリラも苦笑してしまった。

「随分な娘を置いてるね。あたいが主任張ってた時は、あんないい加減な奴は即刻絞めてたよ」

「だがよ、そうも行かないんだよ。何しろなアレが……」

「知っているよ。ジゼル聖下だろ?」

「何だ知ってたのか?」

「クナップヌイから一緒のヘリコプターに乗って帰ってきたから。あたいは直ぐに次の任務についたから、こっちに顔出せなかったけどね。そうか、聖下、ここで働いてるのか?でもいったいなんで?」

 料理長はジゼルの飲み食いに始まった借金について説明した。

「でも、それって普通、1日2日も働けば返せるんじゃないのかい?」

「働いている間、喰わなければな」

「喰わなければって……ええっ!?」

「賄いじゃ足りないって、結局喰うし呑むんだよ、しかもその量が尋常でなくってな。だから、いつまでだっても借金が減らない。いや、少しは減っているか?だが完済はずっと先になる」

 料理長が困ったように愚痴る傍ら、ジゼルに代わってポーパルバニーの娘がデリラの前にジョッキを置いた。

「お待たせしました」

 そのソツのない振る舞いにはデリラも思わず呆気にとられた顔をする。「いや、ありがと」と答えるだけで精一杯の様子だ。

「あんな娘いたっけ?」

「ああ?来たのはそんなに前の事じゃないよ。フルタ先生が連れてきたんだ。最初は使えねぇ奴だったけど、最近はめっきり頭角を現してフロアの主任を任せようかって話も出てる」

「へぇ、フルタのダンナがねぇ」

 デリラは、控えの位置に戻っていく白いポーパルバニーの背中、柳腰から脚に賭けて描かれている綺麗な曲線を眺めていた。料理長もたまに観賞しているが、女も見るんだねぇと思ったりする。

「まぁ、ダンナも男だったってことか。でも、純血種なんて生き残ってたんだね」

「ウワサだと、フルタ先生が門の向こうに連れて行こうとしてるとかって話さ」

 デリラは「へぇ。でも、ニホンで暮らすってのはちょっと覚悟が要るよ」と呟きつつジョッキを口に運ぶ。

「どうしてだ?凄く良いところだって聞くぜ」

「だってさぁ、門の向こうってヒト種しかいないんだよ?物見遊山に行くならともかく、住むとなったら少しは考えなきゃ。いろいろ先々のことも考える必要があるしね」

「そうだな、先々のことまでだな。種が違うってコトは、習慣が違う、生き方が違う、価値観が違う、何より寿命が違うってこった。ヒト種は長く生きて精々100年。だが亜人は寿命が長いものが多い。エルフともなれば何百年だ。惚れた腫れただけで、移り住むわけにも行かないってこった。下手すりゃ連れ合いがおっ死んじまってからの方が、長いってんだからな。……おい、摘みはどうする?」

「料理長に任せるよ」

 そう言って再びビールをくびぐびとあおる。

「おい、テューレ。こっちのお客に煮凝りを出してやってくれっ」

 その瞬間、デリラは口に含んでいたビールを盛大に噴出していた。

「って、何やってるんだデリラ。汚ねえなぁ」

 ゲホッ、ケハッと盛大に噎せている。

 テューレが布巾をもって来て、あちこちをぬらしたビールを手際よく拭いていった。
 自分が汚したわけでもないのに「お客様、お体は濡れてませんか?」と至れり尽くせりで、瞬く間にカウンターの上は綺麗にされて何事もなかったかのようだ。

 一連の作業の間、デリラはテューレに魅入られたように見つめていた。

「あんたが、テューレかい?」

「ええ。そうですが、お客様何か?」

「いや。なんでもないよ……あんた、ここで何をやってるの?」

「仲居をしてます」

「…………そう言う事じゃないんだけど……ま、いっか。有り難う」

「失礼いたしました」

 テューレは片づけが済むと、一礼してそそくさと戻っていく。

 デリラは凄絶なまでに輝く瞳を、その背中へと向けていた。

「おい、デリラ。どうした?お前、女が趣味か?」

 料理長に声を掛けられて、飛んでいた意識が戻ってきたかのように見えるデリラは、慌てふためいて腰を上げた。

「おい、なんだよ」

「悪いね、あたいちょっとばかり用を思い出したんだ」

 そう言いつつ出された摘みをガバッと口に入れ、ビールを一気に飲み干す。
 この店では料理の使い回しは決してしないため、客が手をつけなかったものは、いくらもったいなくとも棄ててしまうのだ。それを料理長やフルタが悲しく思っていることを知っているデリラとしてはこうするしかなかった。

 くにっくにっとした煮凝りの食感に「うん、美味い」と感想をつけて、カウンターに銅貨を置いたデリラは、足早に店から出て行った。

「なんだか、慌ただしい奴だなぁ」

 デリラの使った食器の後かたづけをしていると、その隣に座っていた男が声を掛けてくる。

「コノ世界ニハ様々な種族がイルね。デモ今日の暮らし、明日の暮らしに汲々とシテル時種の違いナンテアマリ意味ナイ。考エルコト、思うコト、願うコト、ホトンド同じ。ソシテ、余裕のアル奴、希望のアル奴が側にイル時のハンノウもオンナジ」

 最近、アルヌスに居座った連中の一人であることは料理長にもすぐわかった。
 肌の色、髪の色など見た目こそ日本人に似ているが、物腰や態度が明らかに異なるからである。勝手につくった宿営地に籠もってあまり出てこない連中だから珍しいと言えば珍しい。男は組んだ手に顎を載せた姿のまま、独り言のように喋っていた。それは、日本語のようだが訛りがあって、どうにも聞き取りづらいものであった。

「お客さん、何かご注文ですかい?」

 料理長は尋ねる。

「ワタシ、門をトジルノニハンタイね。アンタどうオモウ?」

「で………………ご注文は?」

「アンタ達が手伝ッテくれたら、門をアケトクこと約束スルよ」

 料理長は改めて男の顔を見た。
 男は、気味の悪いつくったような嗤いの表情を、顔のあるべき所に貼り付けていた。





    *    *





 東京での条約調印を終えたピニャ達帝国側使節団は、その日の深夜にはアルヌスへと戻った。

 晩餐会も、歓迎記念式典も無しの慌ただしい日程と言えるが、まだ、銀座事件の犠牲者の前に帝国の使節を曝せる雰囲気ではないと考えた日本側の意向を汲んでのことだ。外国から来た大統領に靴を投げるような記者が、日本にもいないとも限らないから政府が気を使ったのである。深夜の銀座で慰霊碑に献花したが、その後は早々に門を越えてしまった。

 ここでピニャは、元老院の批准を待つことになる。
 都へと送り出した使者が、早馬を駆けて帝都に講和条約文書を届けるのに約10日。元老院の批准決議と批准書の発効に1~2日かかり、さらに復路に約10日。合わせて22~3日の待機である。

 その間も、一応の外交日程が組まれている。
 すでにアルヌスは、日本国と言って良い上に、銀座は永田町から目と鼻の先で政治家や官僚も入って来やすくなったからだ。講和に伴う各種の協議や講和後を睨んでの会談等だ。とは言って、事務方の協議ならいざ知らずピニャと直接会って話さなければならないようなことは、もうそれほど多くない。有り体に言えば、大臣や議員が「帝国の皇女に会ってきた」と国内や選挙区に向けて宣伝目的だったり、事務方が詰めた仕事の最終段階で話をまとめるといった箔付け的要素が強いのだ。だから、『割りと暇』といった感じで過ごすこととなった。

 ここで日本側が、ヘリを出すなどの交通手段を提供すれば、それなりの速度で手続を進めることも可能なのだが、帝国にも外交上の秘密や誇りというものがある。効率だけを理由に手を出すことも出来ないのだ。

 さて、そんな訳で、時間に余裕があるピニャは、アルヌスの街で研修に送り出した部下達に会ったり、個人的に会いたいと思っていた日本人女性を招くように日本政府に依頼したり、日本と特地間の交易状態を視察したいと申し出て、門を通過するコンテナを見学して、その量の多さに目を丸くするなどした。思わず、自衛隊の係員に尋ねる。

「随分と沢山の品物が通るのだな。やっぱり輸出より輸入が多いのか?」

「ええ。特地からは珍しい果物とかが出ますが、それほど多くないですね。今は日本から入ってくる物の方が圧倒的に多いです」

 門の幅は狭いので、門の通過手続も今では大分簡略化されている。日本の国内から発送されたものならば、組合からの注文証明書があるだけで通過が認められている。いちいち全部点検なんてしていたら、物の流れが止まってしまうからだ。

「それにしても、輸出がほとんど無いとなると、我が国の貨幣はどんどん流出してしまうな」

 ピニャの呟きにハミルトンが応じた。

「帝国では賠償の支払いのために金貨を市場に出すのを止めてしまっています。そのせいもあって、金貨の価値は、異常なまでに高騰しています。これに引きずられるようにして、銀貨も銅貨もその価値を上げています。以前から、貨幣の不足傾向が目立ちましたが、今では地方に行くと物々交換がまかりとおっているそうです」

「これも、それも門が元凶と言うことか……」

 ピニャは嘆くようにして呟いた。

「やはり、やるしかないのか」

「殿下……わたくしは殿下のご意志に従います」

 その後、ピニャはアルヌス生活者協同組合に赴いて、コンテナから商品が取り出され、各地に送り出される仕分け作業や、輸入品サンプルなどを見たりしている。

 仕入れの担当者にはピニャ自ら出向いて面会し、ケント紙に証券用インク、丸ペンやGペンなどの各種ペン先、それに鉛筆、消しゴム、修正液、そして各種のスクリーントーン等、聞く者が聞けば何に使うか一発で出来そうな品々を、大量に注文している。流石に、電気設備等がないのでパソコンやプリンター、ペンタブレット等は発注してないが、そこには80年代から90年代にかけて週刊誌に連載を持っているマンガ家が10年ぐらいかけて消費するほどの量となった。

 仕入れ担当者から発注書を受け取った事務担当の少年は、目を見開いてその数字を数えた。

「ね、何これ。注文票の数字、ひと桁、ううん、二桁間違えてない?」

「文具だよ。日本の物は使い勝手がいいからね。ピニャ殿下が御入り用なんだって」

「それにしても、この量は凄くないかなぁ?すくりーんとーんて何?」

「さぁ、帝国の政務で使うんじゃないの」

 こんな会話も、仕入れ担当の元商人達と組合事務担当の子供達の間で交わされた。

「それよりさ、例の品物はいつ届くかな?」

「大急ぎでって言ってたアレ?……ちょっと待て」

 少年はバサバサと事務所に届くファクスの束の確認を始めた。

「食堂の料理長から、何しろ急ぎで頼むって言われているからね」

「別に良いけどさ、後でレレイ姉にそっちから説明して置いてよ。怒られるの僕なんだからね。あったあった、発送元が、うへっ漢字だらけ……知らない漢字も多くて読めないよ。でも電話番号は合ってるからこれだね」

 少年が取り出したFAXの送付票には、「極東貿易振興協力株式会社」と書かれていた。

「肉と肉調理用の料理台、肉の丸焼き用大鉄串、鉄釜が『こんてな』で3つ。来週…4日後には届くって、注文してから届くまで随分早いね。前もって用意してたみたい」

「手続もすっ飛ばしたくらいなんだから、向こうも急いでくれんだよ、有り難い話さ」

「そう言うのもう無しにしてよね」

「でも最近、レレイさんも忙しいみたいだし」

「そうなんだよねぇ……レレイ姉、最近色呆けちゃって、伊丹のおじさんにつきっきりだから仕事が滞っちゃってるんだよ」

 仕入れ担当者は、少年の愚痴に笑顔で答えた。

「坊主はまだ色恋には縁がない感じだな」

「そんなことないよ、好きな子ぐらいいるよ。でも、仕事をする時は仕事をしないといけないだろ。だからけじめをつけてるんだよ」

 口を尖らせる少年に対して、仕入れ担当者は「おっ、なかなかしっかりしてるな」といった。

「坊主は商売の才能があるかも知れないな。こんな言葉があるから憶えておけよ……
 例え、小さくても、野心を持ちなさい
 暴風は、柳のごとく受け流し、荒波には、逆らわずに居なさい
 常に、興味津々と、世間の出来事に目を配り耳を傾けなさい。
 俺の商売の師匠が教えてくれた、成功の秘訣だってさ」

 これを守っていれば、きっと大商人にもなれるぞ、と言いながら仕入れ担当者は少年の肩を叩いたのだった。




 一方、『最近色呆け』呼ばわりされたレレイはその頃何をしていたかと言うと、伊丹やロゥリィ、テュカらと共に、麻田総理や防衛大臣、官房長官、狭間陸将と幕僚、養鳴、漆畑、白位博士等の集まった極秘の会合に参加していた。

 門の開閉手順について説明するためである。

 これは麻田が是が非でも、直接話を聞きたいと言って設けた場であった。

 門の開閉に関わる技術と知識を持つ者は現在の所レレイしか確認されていない。従って日本と特地の関係は、レレイ一人にかかっているのだ。今回、門を閉じるかどうかの決断を下すに当たって、レレイの人柄や、意志を確かめておきたいと麻田が思ったとしても当然だろう。

「私たちの世界は、紐のようであり、かつ、川のような流れであることは伊丹より説明があったと思う」

『門』とは、この世界流と世界流とを繋ぐ現象であるとレレイは説明する。

「門の開閉については、冥王ハーディの力を借りて行うのでさして難しくない。問題は、日本のある世界流を見つけだすこと。その為には、目印が必要となる」

「目印?」

「そう。条件としては以下の4つ。長期間安定して存在していた物。材質は、混じり物のない均質な結晶体。ありふれてない珍しさのある物。一定以上の大きさと質量があること」

 レレイは滑らかな口調で、まるで学会発表であるかのように説明していった。

 全ての物質には固有の振動がある。日常的に存在する物質は純粋な物は少なく、混合体であることが多いので、それが放つ振動波は複雑で、言わば濁っていると言える。

 混じり物のない単一の素材で出来ている物だと『波形』は純粋で単調という特徴を持つ。すなわち見つけやすくなる。

 そして、1つの物体として長期の時間を経た物質は、二つに分けられても暫くの間、全く同じ『波調』を描いた波動を放つ。

「波長?」

「違う『波調』。波には『波長』と、『波形』の他に、実は『波調』と言う要素が存在する」

 レレイは例えた。
 二人の人物が居る。同じ調子、同じ速さで同じ楽譜・歌詞の歌を唄いながら別の道を歩いているとする。でも、交差点で二人が出会った時、その歌は合唱にはならない。何故なら、歌い始めた時期が一致していないから。ちなみに、歌い出す時期が違う場合、輪唱と呼ばれる。

「ああ、音楽の時間に蛙の歌とかでやったな」

「一緒にいた二人が合唱を始めたとする。この二人が分かれ道で別々の道を選んだ。でも再び、この道が交わった時、出会った二人の歌は合唱となっている」

「なるほど。沢山の人間が好き勝手に唄っている大雑音の中、自分と合唱できる歌声を探すってことだね?」

「そのイメージが近い」

 漆畑との感心したような言葉に、養鳴は漆畑の襟首を掴んで激しく揺さぶった。

「おい、漆畑っ!簡単に納得するなっ!今の説明だと、このお嬢さんは余剰次元を越えて伝わる、波動とやらを大した設備もなしに観測できると言っておるのだぞっ!」

「養鳴先生。出来るって言うんですから、そう言うことにしておきましょう。こっちは魔法がある世界なんですよ。私は、魔法を見せつけられた時に自分の常識で、特地を計るのをもうすっぱり諦めましたよ」

 養鳴と漆畑は、以前レレイに魔法を見せてくれてとせがみ、心ゆくまで実演をしてもらっている。当然の事ながら当初はトリックだと疑ったが、最後には真実だと認めざるを得なかった。ただ、魔法という現象は日本の学者にとって常識を超越する物であったから、しばしの間二人とも頭を抱えてうんうん唸るはめに陥った。

「魔法という現象がある。まずはそれを認めましょう。その上で、その仕組みの解明をするんですよ。物理学もものすごく進歩しますよ」

「ず、随分と前向きだな。お前は」

「その為にも是非、お嬢さんをウチの研究室に連れ帰って……」

「いや、儂の研究室だろう」

「まぁ、まぁ、お二方。それは後にしてください。今は門の話と言うことで」

 官房長官の取りなすような言葉に、二人は言い争いを止めた。それを待っていたのか、レレイも中断していた説明を再開する。

「これを門を閉じる寸前二つに分けて用いる。さらに条件を付けるなら、ある程度堅牢で、温度や多少の衝撃では壊れたり変質したりしない安定した物質であることが望ましい。こちらの知識とそちらの科学とを照らし合わせると、分子の構造も影響があるように思える」

 狭間陸将が「だったら鉄の塊とかはどうだろう?」と提案した。

「純粋な鉄は実はなかなか存在しない。ある程度の大きさになると必ず不純物が混ざる。そしてそれ故に不均質。二つに分けた時の僅かな違いも、問題になる畏れがある」

「二つに分ける時の大きさの違いは問題になるかい?」

 麻田も何にするか考えているようだ。

「質量の違いは、歌に例えれば声の大きさの違いに繋がるだけ。大きい方を日本側に置きたい」

「そっかあ、何か良い物ねぇかなあ。新しく作るって言うなら今の技術でも出来るが、新しい物じゃダメって事になると……難しいぜ」

 麻田はそんな事を呟きつつ後ろ頭を掻く。

「以上の条件にかなう品物の手配を依頼したい」

「わかった、早速なんとかしよう。だけどよお、その前に、お嬢さんに確認しておきたいことがある。あんたはなんで日本とこの世界とを繋ぎたいって思うんだ?」

 レレイは麻田からの質問に、戸惑ったようでしばしの間黙していた。なんと答えようか考えているかのようにも見えた。

「答えにくいかい?」

 レレイは縦に首を振った。

「アルヌス生活者協同組合の利益のため、と言っても総理も納得されないはず。何故なら、それ以上の利益が誰かから約束されるなら、門を開く動機はなくなってしまうことになるから。これでは信用してもらえない」

「そうなんだよ。俺としちゃあ国益に関わる問題だけに、お嬢さんの意志がどこらへんにあるのか、しっかりと確認しておかないとって思ってる。答えにくいのを承知で、そこを頼む。教えてくれないか」

「日本の優れた文物を取り入れたいから」

「冗談言っちゃあ困るぜ、そいつはなおさら信用できねぇ。さ、そろそろ本音ってヤツを頼むぜ」

 レレイは頬を薄紅に染めると、そっぽを向いた。

「…………………………………………好きな人達と離ればなれになりたくない。わたしは、コダ村の人達が好き。ロゥリィが好き、テュカが好きでヤオが好き、自衛隊のみんなが好き、そして………………………………」

「ああ、悪い。お終いの方がよく聞こえなかった」

 麻田はそう言いながら身を乗り出した」

「………………………………………イタ……が………」

「誰だって?」

「………………………………………伊丹と一緒にいたいです」

 しばしの間、会議室は沈黙に包まれた。

 麻田総理を始めとした大臣、官房長官、狭間などなどの、冷ややかな視線が伊丹に向かっていく。皆、無言に問いかけていた。「お前、いったい何をした」と。

「言っちゃ悪いが、そいつは趣味が悪いぜ。こいつのことはチューボーの頃から知ってるが、お世辞にもお嬢さんみたいな才媛が惚れるような男じゃないぞ」

 麻田のこの言葉に、会議室内の空気は急激に澱んだ。
 ロゥリィとかテュカの発する気配がなんとなく剣呑なものとなったからだ。

「こんな奴のどこが良いって言うんだ?」

「それは……………学徒たる私が賢神ラーより与えられた、命題だと考えている」

「命題?」

「そう。私は一生を掛けてでも、その謎を解き明かさなければならない。私は伊丹に対してある種の感情を抱いている。私は自らが、このような感情を伊丹に対して抱いていることに気づいて以来、自らを対象としてずっと観察し続けてきた。そして問い続けてきた。何故、どうして、どこを、様々な問いかけに解答を探し続けてきた。だけど、この理不尽で腹立たしくなる感情の根源が何であるか、未だに答えは見つかっていない。そればかりか酷く非理性的な振る舞いばかりしている。私の立てた仮説によるとこの感情は……『懸想(けそう)』と呼ばれる感情は、おそらく精神的な疾患ではないかと考えられる。要は心身の病気。異常。不具合。その証拠に、対象に対して想いを巡らせるだけで、動悸、息切れ、発汗、発赤、不眠、焦燥感、不安といった各種の症状が起こる。今も、この通り」

 そう言うレレイの色白な顔が、リンゴのごとく真っ赤になっていた。

 おほん、ごほんっと官房長官や、養鳴教授が咳払いしつつ伊丹へと視線を浴びせた後に、互いに見合わせる。

「確かに病気の一種じゃろうなぁ。お医者様でも草津の湯でも治らないと昔から言っておるし」

「あー、悪かった。恥ずかしいことを言わせちまったな。だけど安心したぜ。これで心おきなく任せることが出来るってもんだ」

「閣下、こんなことで信じて良いんですか?」

 官房長官の言葉に、麻田は唇を歪ませた。

「変な損得勘定よりは、よっぽどわかりやすいじゃねぇか。俺はこのお嬢さんを信じられるぜ」

 麻田はそう強く頷いて席を立ったのである。

 政府が「起こりうるかも知れない災害を未然に防ぐための、門の一時閉鎖。そして、定期的な開閉による特地との連絡安定化計画」を発表したのは、その翌日のことである。






    *    *





 日本政府が、門を一旦閉じることを決めたことに対する内外のリアクションは早かった。すでに何度も麻田が門に対する考えを示していたことも、その早さの理由となるだろう。

 アメリカや、EU諸国は特地に入った科学者からの報告もあって、災害を未然に防ぐためと言われてしまえば、反対することは出来なかった。万が一災害が起こったなら、反対したが故の責任を問われてしまうからだ。

 特地の利権にほぼあずかれないアフリカや南米、特地に各種資源が見つかったために資源の値崩れが起こっている資源輸出国は積極的に賛成している。彼らの論調は特地などに投資する金があれば、我らの国にこそ投資すべきだというものであったからだ。日本政府が門を一旦閉じるという発表をすると、値崩れしかけた資源の価格はゆっくりとだが再度上昇をはじめた為「二度と門が開きませんように」と、あからさまに神に祈った大統領すらいた。

 これに対し中国、韓国を中心とした新興工業国はかなり強い態度で反対の態度を示した。

「我が国の科学者が独自に調査した結果、門の存在が異変や災害に結びつくことはない」とまで主張した国もあって、相変わらず日本による特地独占、帝国主義的植民地支配の再来と騒いでいる。

 日本国内の論調は、財界は災害を防ぐためならば仕方ないという態度である。

 多額の資金を投じて特地の開発をして、その後でやっぱり門を閉めなければならないという事態が起きれば大損となってしまう。ならば麻田の言うように、安定した特地との連絡を確保するためにも、賭に出るのもやむを得ないと考えたのである。

 問題は政界であった。

 民枢党を始めとする野党は、門が存在することによって異変が起こっていると言っても、それによって災害とを結びつけるのは短絡的であるとして反対に回った。そして門の一旦閉鎖などという賭は行わず、特地アルヌスに得た新国土に外国人3000万人を受け容れ、独自通貨を発行したり、第二外国語として中国語を教育するなどとした『特地ビジョン』を発表したのである。

 しかし、それだけであれば問題にはならなかった。

 ならなかった筈である。だが現実は急展開する。
 講和条約批准のために開かれた臨時国会の場で、与党の一翼を担っていたはずの正大党が突如離反を表明、野党と共に内閣不信任決議案に賛成したのである。

 内閣不信任決議案が可決されれば、内閣総理大臣は辞職するか、衆議院を解散しなければならない。麻田は衆議院を解散することによって、国民の信を問うこととなってしまったのである。

 すなわち総選挙である。





[37141] テスト12.5
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 17:14

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「閣下、これはいったいどういう事態でしょう?日本で反乱でも起きたとでも言うのですか?」

 ピニャは、麻田と会うなり挨拶も抜きにして詰め寄るようにして訊ねた。
 『門』の閉鎖が予定通りに実施できなくなりそうだと知らされ、血相を変えて面会の予定を取り付けたのである。総選挙の準備に忙しい麻田としても、帝国の皇女から是非にと求められれば、15分かそこらくらいの時間は割かざるを得ないのが外交である。儀礼的な挨拶も抜きにして要点だけの慌ただしい会談が始まった。

 今回の通訳はニコラシカが担当している。彼女も語彙を尽くして通訳をしているが、麻田のべらんめい調の言葉を翻訳するには、苦労が耐えないようでうっすらと額に汗をかいていた。

「ある意味、反乱って言えば反乱だな。正大党と、与党の一部が敵に回って、俺の不信任を可決しちまったんだからな」

 説明の足りない伊丹を補足するように、麻田の秘書が説明を追加した。

「法の定めによりますと、不信任決議の可決があった場合、総理大臣は辞職するか衆議院を解散して、40日以内に国民の選挙によってその信を問わなければなりません。総理はこの度衆議院解散を選択されました」

 秘書の説明に、ピニャは眉根を寄せた。

「選挙か。日本では議員は選挙で決まるのだったな……議員が入れ替わって、閣下を支持する者が過半を制すれば、閣下が引き続き日本を導き、不支持の者が過半を制すれば別の物が総理の座に座ると言うことになるのだな?」

「はい、殿下」と秘書は軽く頷いた。

「良くできた仕組みだ。だが、その選挙の結果を双方共に受け容れるのか?その結果に不満を持って内戦が始まったりしないのか?」

「はい。我が国では選挙の結果を、実力をもって覆そうとした例はありません」

 要は血の流れない反乱ということだ。
 ピニャは、為政者としてふさわしくないと見なされた者が、こうやって穏健に排除される仕組に素直に感銘した。排除される者も黙っている必要はなく、民衆の支持を得ればこれに抗することが出来るのである。そのためには結局善政を敷くしかない。そして、民衆はいたずらに乱を起こす者を支持することはないだろう。帝国や、その周辺の王国では、為政者をその座から引きずり降ろすには、武力を行使しての血塗られた反乱しか方法がない。ゾルザルによる反乱と対峙した彼女にとって、あのような骨肉の争いは、二度と繰り返したくない悲劇なのだ。

 だが、彼女の立場では関心ばかりしてはいられない。

 今や帝国は、日本の政治的な影響を真正面から受ける立場である。選挙によって日本の帝国への態度が変われば、これまでの苦労が全く水の泡である。しかも、野党の発表したとか言う「特地ビジョン/3000万人の移民」とか言う計画を聞いて、ピニャは門からものすごい数の人間が津波のようにあふれ出て来る幻想を見てしまった。それは帝国に政(まつりごと)に関わる彼女にとっては、恐怖の感情を沸き立たせるものだ。

 それに野党は『門』と両国で起きている災害は無関係だから、『門』は開けたままにしておくと言っているとか。ピニャとしても、それは到底受け容れがたい話である。だから麻田に縋るようにして言った。

「閣下を支持しない者は、『門』を開けておくことを主張していると聞く。妾としては、それは困る。閣下に何としても勝ってもらわなければならない」

「俺も負けるつもりはないぜ。だけどなぁ、一応覚悟だけはしておいてくれよ。今の野党が政権を取れば対応はがらっと変わる」

 麻田は傍らの秘書を見た。秘書は資料を捲った。

「信頼できる調査から見ても、現状ではどちらが勝ってもおかしくありません。非常に、僅差です。メディアの反与党キャンペーンも大分鎮静化しましたが、その影響は未だに残っているのです。選挙を前にもう少し実績を上げて支持率を上げておきたかったのですが」

「………では、選挙が終わる前に門を閉めてしまってはどうだろう?」

「俺としてもそうしたいんだが、アルヌスには中国と韓国の連中が居座ってんだよ。もちろん、立ち退いてくれるよう抗議はしてるぜ。だけどよ、講和条約発効前である以上、アルヌスはまだ日本領でなく日本政府に講義を受ける謂われはないと、開き直っている始末なんだ。本国の方に抗議しても、『こちらとしては現場が言うことを聞かなくて困っている。力ずくで連れ戻すために軍の一隊を送るから、門を通らせろ』と、ふざけたことすら言って来る始末だ」

 アメリカとフランスは、門を閉じることに同意している。門を閉じる日取りを伝えれば素直に退去してくれるだろう。だが、強硬に反対している両国は、そうはいかなかった。言い逃れ、開き直り、食言、あらゆる手管を尽くして居座り続け既得権益として主張し始めるだろう。

「あんな連中、力ずくで排除してしまえばいいではないか?」

「現状では出来ない。大義名分はあるから俺としても中国と韓国とやり合うのも吝かじゃねぇが、さっき言ったように自衛権にせよ、警察権にせよ、発動にはアルヌスが正式に日本の領土になることが必要だ」

「すでに帝国は領土を日本に割譲した」

「こっち側の批准が済んでない。条約を批准するはずの場で、不信任決議をつきつけられちまったからな」

 ピニャは、額を抑えて天を仰いだ。

「なんてことだ……」

「あれもこれも、小さな動きがこの状況を作るべく動いていたわけさ。全部が仕組まれててた」

「では、閣下はどうなされる」

「俺としては今は選挙に全力を尽くす。それだけだ」

 ピニャはジリジリと焦るような気分で親指の爪を噛んだ。

 麻田が勝てば問題はない。だが、戦いに絶対はないのだ。ピニャは最悪の状況、つまり麻田が負けた時のことを考えなければならない立場なのだ。

「両国の言い分は、講和条約はまだ発効していない故に、アルヌスは日本領ではない。だから抗議を日本から受ける謂われはない、と言うものだったな」

「そうです」

 秘書と麻田は、ピニャの様子にとまどい互いの顔を見合わせた。ピニャはその双眸をギラギラと獰猛なまでに輝かせていたからだ。

「良かろう。彼の地がまだ帝国領だと言うのであれば、帝国の流儀でやらせて貰うことにする。我が国は日本と戦争をして講和をしようとしているが、それを理由に他の国との戦争を避けなければならぬ理由もない」

 ピニャはそう言い放って、はじかれたように腰を上げる。
 通訳するニコラシカもその言葉には、顔色を変えずにいられなかった。だが、なんとか忠実に通訳の任だけは全うしていた。麻田は、彼女の部下すら顔色を変えてしまうピニャの言動に、訝しげな視線を向けた。そう、不自然なまでに熱心すぎると感じられるのだ。それは損得勘定や世界の破滅を回避したいという危機意識と言った理性的なものとは、異なる次元から発せられているように感じられた。

「殿下も、随分と熱心だな。何故、そんなにまでして門を閉じてしまいたいんだい?」

 ピニャは麻田の質問の意図に気づいた。閉じてしまいたいか……という言葉にピニャを計ろうとする響きがあったからだ。だから逆立っているであろう柳眉を降ろし、返す言葉は慎重に選んで、努めて平静を装いながらゆっくりと答える。

「無論、世界の破滅を防ぐためだ」

「確かに。俺も門を閉めることにしたのはそれが理由だ」

 だけど、それ以外の意図はないのかい?
 直接の問いかけではなかった。己の疑念をそのままに口に出すなど政治家としては二流以下の振る舞いだからだ。だが、座ったまま見上げてくる彼の視線はピニャに対して雄弁に語りかけている。

「門の安定は、両国の発展に役立つと考えている。それが帝国にとっても利益ともなる」

 日本との講和は、領土、地下資源の採掘権そして賠償と、帝国の損失はとても大きいものとなったが、それを越える利益があるとも考えられていた。事実として、軍事的に弱体化した帝国を取り囲む、周辺諸国とのパワーバランスにおいて、日本という国と親密な関係を築くことで他国の圧力を払いのけることが出来ている。このおかげで、帝国は無理な軍拡をせずとも済むのだ。さらに日本からもたらされる新しい文物や技術の流入経路の上流を占めることになる。ほとんどの物が一旦帝国に入って周辺諸国へと流れていく。その流れが、帝国に計り知れない利益をもたらすことになる。

 ピニャは首筋に大量の汗を流しながらそう説明した。

 麻田は黙したままピニャの瞳をじっと見据えていたが、やがて力を抜いて「そうだな。少なくとも帝国と日本には、門なんか無くなって欲しいと思っている人間はいないと思うからこそ、俺も安心して門を一旦閉めようなんて提案が出来るわけだ」と頷く。

「兎に角、剣呑なことはやめてくれよ。とばっちりが来るのはこっちなんだからな」

「いいえ、閣下。講和条約が未だ発効していない今、アルヌスは帝国領だと言ったのは連中でありましょう。ならば、我が国のすることで日本にとばっちりが行くことはありません。閣下は自衛隊の撤収作業を続けさせて頂きたい。さすれば、選挙の結果が出る前にはこの件片づきましょう……」

 ピニャは麻田から応諾の頷きを得ると、ニコラシカに「行くぞ」と告げて床を踏みならしながら応接室から退出したのだった。

 だが、ドアを閉じて周囲に他人の視線がないと思った瞬間、ふらふらと崩れるようにしゃがみ込んでしまう。

 あわててニコラシカが抱き留めようと手を伸ばした。

「で、殿下、どうされました?」

 自分の心底をすっかり見抜かれたかも知れないという不安と緊張で、ピニャの顔色からは血色という物がすっかり抜けていたのである。






 ピニャは部屋に戻ると、声を張り上げるようにして彼女の子飼いの部下達を招き寄せた。帝国の使節としての随員達は、外に追い出されてしまったが、これまでもよくある事だったので、誰も変に思う者はいなかった。

 やがてドアが閉じられて、ピニャの周りには彼女が信頼する者しかいなくなった。

「ハミルトンっ!!」

 小走りに彼女の秘書役をこなしてきた副官が前に出ると片膝をつく。

「はいっ」

「直ちに狭間将軍に、『へりこぷた』をお借りせよ。取り急ぎ帝都へ向かわなければならない事態が生じたと言ってな」

「帝都へですか?」

「うむ、事は急を要する。出兵だ、アルヌスに居座った招かざる客人を駆逐するという大義名分を得たっ!」

「かしこまりましたっ」

 ハミルトンは直ちに腰を上げるとピニャの前から走り去っていった。

「ニコラシカっ!!妾が此処を離れている間の庶務は任せる。殆どのことは副使のカーゼルやキケロに任せて置いてよいが、捕虜の受け取りと帝都への後送だけは遺漏無きよう確認を徹底せよ。一人として向こうに取り残さないようにな」

「御意!」 

「パナシュ!ボーゼス!」

「はいっ」

 二人が前に出て、やはり片膝をついた。

「妾が帝都に赴いている間に、万事手抜かり無く……いいな?」

「殿下……よろしいのですか?」

「ボーゼス。これを逃したら、機会はないのだ」

「しかし……」

「この際だ、かまわぬ。梨紗様のご指導を賜れば、我が国にも芸術は根付くだろうしな」

 ピニャは構うことはないとばかり笑ったが、ボーゼスの憂い顔は晴れない。

「身重のボーゼスには、負担が大きいか?ならばパナシュに任せよう。いいなパナシュ」

「はっ、畏まりました」

 ボーゼスが立ちつくす中、パナシュは迷いもなくピニャの指示を受け容れた。

「パナシュ、貴女も反対だったのではないのですか?!」

「ボーゼス。もう既にさんざん話し合っただろう。これは、ピニャ様のご命令なのだ」

 二人は言い合いながらピニャの前から退席した。

 ピニャは心配しなかった。
 ボーゼスもなんだかんだ言ってもピニャ子飼いの将の一人だ。命令に対して異見を持っていても、いざとなれば従う。これまでそうであったから、これからもそうであるとピニャは考えたのである。





    *    *





 チヌークを借りて、取り急ぎ帝都へと戻ったピニャは早速父たる皇帝に面談し状況の説明をし出兵の許可を求めた。だが、皇帝は、ピニャの求めに頷くことはなかった。

「陛下。門を閉じるには、アルヌスに居座った者を排除する必要があります」

「では、門を閉じずにおれば良い。今や、帝国は日本の後ろ盾無くして、周辺諸国の圧力から逃れる術はない。アルヌスへの移民3000万人なども、日本に割譲したアルヌス内でのことなら、我々が気にすることでは無い」

「しかし、脅威になります」

「ふん。彼の国の脅威など、今に始まったことではない。それが、少しばかり増えただけだ。それに3000万人もの口を養う食糧、物資をあの狭い門を越えて運び続けることなど出来まい。……つまりは、我が国の農作物が売れると言うことだ」

「しかし、ロゥリィ聖下からも門を閉じなければ二つの世界に災いが起きるとの預言を得たではありませんか」

「確かに。だがそれは今日明日に起こることではない。何も、兵を派して無理を推してまでしてすることではなかろう。じっくり時間を掛けて話しあい続ければよいのだ。日本が、アルヌスに様々な設備を作り、鉱山を開発し、その価値も使い方も教えてくれる。様々な技術がもたらされる。いずれは門を閉じなければならぬかも知れないが、別のその後でもかまわぬのだ」

「ですが、門を閉じる障害の排除は、日本政府からの要請でして」

「疑わしいことだな」

「これは異な事を。妾をお疑いか?」

「よいかピニャ。もし、本当に日本から、帝国に出兵の要請があったとして、それをそなたが唯々諾々と受け容れたのであれば、そなたの為政者候補としての資質を疑わねばならぬぞ。わかっておるのか?自分が手を汚したくないから他国にそれを引き受けさせようと言う申し出なのだぞ、それは。聡明なそなたの振る舞いとはいささか考えにくい。故に嘘だ」

「で、ですが……」

 皇帝は、ピニャに訝しげな視線を向けた。それは奇しくも、麻田がピニャに向けた物と同種の色彩を帯びた物であった。

「何を、そう思い詰めておる?」

「妾は、災いを防ぎたい一心で、ただそれだけです」

「余の決断は、否だ。帝国は国家としてこれに関わらない。軍を動かさぬ。汝の騎士団にも出動を禁ずる。これは皇帝としての厳命である。直ちに文書をもって布告せよ」

「父上っ!!」

「少し頭を冷やすが良い」

 皇帝はそう言い残すと、侍従達とともにピニャに背を向けて立ち去ってしまったのである。




 アルヌスの陸上自衛隊特地派遣部隊は慌ただしさに包まれていた。撤収作業の為である。

 門の安定化計画と言っても、恣意的に門を開閉するのはこれが初めてとなる。門を閉めればその時点で日本との連絡は途絶えてしまい、そして、二度と連絡がとれなくなる畏れもあるのだ。そんな場所に隊員達や、貴重な装備を残していくことは、出来るはずがないのだ。

 74式戦車に始まる各種戦闘車両、重火器、分解された攻撃ヘリ等は他にも先んじて運び出されている。

 ただ、40mm自走高射機関砲M42などに代表される既に退役済みの装備や、現役の物でも耐用年数の過ぎた73式トラック等の車両類、そして空自のF4ファントム等は、特地に残されることとなっている。これに加えて、書類上は消費されたことになっていても、実際は使用されずにそれぞれ現場で保管されていた燃料や弾薬類、手榴弾、LAM等も持ち帰ることが出来ないので、同様の扱いとなる。

 門の安定が確保された後、このアルヌスと門の警備に配備される1600人を残して、他の部隊はそれぞれの原隊へと帰る。残った1600人も、門を閉鎖する際には日本に戻るため、このアルヌスの駐屯地はほぼ空となるのだ。そして、再び特地側から銀座への門が開かれるのを、待つと言うわけである。

 麻田は国民に向けてこう演説した。

「それは、打ち上げた有人ロケットが、大気圏を突入して無事に帰ってくるのを見守るかのような緊張感を孕んでいます。しかも、その正否を分ける要素は、科学とか、技術といったものだけではありません。銀座事件以来、私たち日本人が特地の人々とどう関わってきたか。彼女ら、彼らが、もう一度我々との間に『門』を開きたいと思ってくれるか。それが問われるものとなるでしょう。私は、現場の自衛官達が誠実に関わってきたと信じています。実際に、それを信じさせてくれる実例もこの目で確認して参りました。ですから、私は楽観しています。きっと特地の人々も、我々と共に発展していこうと願ってくれることでしょう」

 こう言って、麻田は総選挙10日前の木曜日に『門』の閉鎖をすることを発表したのである。

 これを受けて、アメリカとフランスから来ていた捜索隊と国連の視察団は退去していった。

 その後、特地に派遣されていた部隊の撤収が始まった。そうは言っても、元が3万人近い大部隊だ。撤収も1日2日では到底終わらない。15日ほどかけて順次撤退と言うことになっている。

 空自地区の格納庫では残していくことになる2機のファントムが、機体全体に電子の歌姫と長ネギのノーズアートを施されてすっかり『痛飛行機』に化粧直しされていた。

 ご丁寧にワァックス掛けすら済ませたこの2機を前に、神子田を始めとしたパイロットや整備員達は全員集合し、記念撮影の後、夜中から明け方まで呑んで騒いだあげく、累々たる屍の如き惨状を描いたりしたのである。

 そうした行儀の悪さも、この時ばかりは「まぁいいだろう」と見て見ぬフリをしてもらえたのだが、かえって「み、水をくれ……」と呻いているのを半日以上放置されるといったことも起きたりした。

 またPXや街のそこかしこで、猫耳娘を筆頭とする見目の良い亜人の女の子達が、若い自衛官連中に請われて一緒に写真を撮ったりしている光景が、連日に渡って見受けられるようになった。

 彼女たちの中には「ちょっとついて来て」と請われて、人影のないところに連れ込まれ、何事がおきるかとびくびくしていたら、「つき合って下さいっ!」と告白されたり、「一緒に日本に来てくれ」と言われる等ということもあったようである。

 もちろん、彼女たちの答えは、ほとんどの場面で「否」であった。
 身体が複数無い以上、全てに肯定的な答えなど返しようがないし、顔はなんとか知っている、言葉もちょっと交わしたことがあると言う程度のつきあいで、親しい交際を求められても、答えようがないというのが本音であろう。

 ただ、日頃からターゲットを絞り、せっせと通い詰めて好意値の向上に励んでいた者の何割かは、「…………はい」と応諾の答えをもらえる幸せを得た。そう言った者は、周囲のやっかみによって袋叩きに等しい祝福の洗礼を浴びせられることとなった。

 とは言っても、「一緒に日本に行くのは……考えさせて」という消極的否定な返答が多かったと言う。憧れの地とは言え行ったこともない土地に、しかもヒト種しか住んでないところへ行くということが彼女たちにとって、どれほどハードルが高いかを、ここからも窺い知ることが出来るだろう。
 新しく誕生したばかりのカップルは、そのほとんどが、再会を約束した別れから始まることとなり、その後の小説やテレビドラマに沢山のネタを提供することとなったのである。

 さて、特殊作戦群の現地協力員として雇われているデリラも、撤収作業の忙しさに巻き込まれた内の一人である。

 ダンボールをトラックに積みこんだり、消費したことになっている爆薬や弾薬を指定された集積場に提出しに行ったり(後で埋めに行く)、さらには書類の分類と搬出で、てんやわんやしている最中、「でりら~、隊長が呼んでるよ~。洗面器持って来いって」と先任曹長に言われて、「なんだい?出雲の旦那」と隊長室に行ってみると、あちこちに荷物がとっちらかっている引っ越し真っ最中の執務室で、出雲や剣崎達の名前の入った書類と、革袋を1つ手渡された。

「なんだい、これ?」

 革袋のずっしりとした感触は金が入っていることを訴えていたが、給料にしては多すぎる気がした。

 何はともあれ給料を貰う時の要領で、洗面器に革袋の中身をぶちまけた。給料が現金で渡される時、陸上自衛隊では隊員達は洗面器を持って廊下に並び、所属する隊の長から給料を受け取ると、その場で洗面器に中身をぶちまけて紙幣の枚数から硬貨の数をしっかりと数えて、金額に間違いがないかを隊長の前で確認するという作業をするのだ。

 洗面器に散らばった金貨銀貨はデリラが見たこともない程に高価値のスワニ金貨やデナリ銀貨ばかりであった。

「金貨30枚と、銀貨50枚って……何これ」

「とりあえず、退職金みたいなもんさ。大した額じゃないが、日本に来るにしてもこっちに残るにしても、先立つ物は要るからな。それと書類の方は、特地開発関連企業への推薦状だ。門の再開通が出来たら政府系や、民間企業が大挙してやってくる。そうなると、こっちに詳しい人材は喉から手が出るほど欲しいはずだ。ところが、信用できない人間は雇ってもらえねえ。そこで役に立つのが、その推薦状と勤務証明書だ」

 デリラは胸がじんわりと熱くなるのを感じていた。
 給料がもらえるだけでも有り難いと思っていたが、先々のことまで心配してもらえるとは、思っても見なかったからだ。既に身の振り方を決めている彼女ではあるが、あまり公言できる内容でもなかったため、「どうする?」と問われても、答えをぼかし続けていた。それが彼らに気を回させることになってしまったのだろう。

「短い間だっだが、ありがとな。お陰で助かったぜ」

 出雲はそう言うとデリラの頭を軽く撫でて、机の上の荷物の片づけに戻った。
 デリラはしばしの間、その場ですんっすんっと鼻を鳴らしていたが、出雲が気にも止めず放っておいてくれたので、自然に涙が止まるまで心ゆくまで泣くことが出来たのである。






[37141] テスト13
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 17:08






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 68
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/05/05 20:19




68





 帝都からアルヌスに戻って来たピニャは、チヌークの窓から外界を見下ろした途端、呻き声をあげた。

「いったい、何があったと言うのだ」

 機体前部、コクピットから漏れ聞こえるパイロット達の声も、緊急事態が起きていることを感じさせる慌ただしさの響きがあった。

「どうした?!」

「いくら呼び出しても、応答がありません」

「そんな馬鹿なことがあるかっ!返事があるまで呼び続けろ」

 それでも着陸態勢に入っている機体は、ゆっくりと上空を旋回しながら高度が下げている。見えるのは見事なまでに六芒星の形状に構築された要害。だが、その各所から煙が上がり、丘の麓へと続く街は何かの大災害にあったかと見まごうほどに破壊され瓦礫の山と化していた。立ち上った黒い煙が、ヘリの視界すら遮ろうとする。

 煙の滞留する層を破って充分に高度が下がると、そこかしこに死体が散らばっていることに気づくことができる。
 その殆どが、何処の所属とも解らない鎧を纏った兵士達のものだった。アルヌス生活者協同組合の雇っていた警備兵とも思えるが、それにしてもいささか数が多い。

「殿下、これは盗賊でしょうか?」

 ハミルトンの言葉に、ピニャは頷けなかった。
 いくら撤収中で戦力が激減していたと言っても、自衛隊の守りは鉄の如き堅さがあった。それを盗賊風情に破られるとは到底思えなかったからだ。

 だが、盗賊でないとしたら何者の仕業だろうか?それよりボーゼス達は無事か?帝国の使節団はどうなった?等々と、ピニャの頭脳は、心を配らなくてはならない事項のあまりの多さに、あっと言う間に飽和状態に陥ってしまった。

 そんな彼女の頭も、突然の振動で激しく揺さぶられ強引に現実へと引き戻される。

「回避っ!!」

 パイロットの怒声が轟いている。

 上方へと突き上げられたかと思うと、突如として落下する感触で、我に返った。

 ハミルトンが悲鳴あげながら椅子から投げ出されて床に座り込み、ピニャもシートにしがみつきながら、「どうした?!何事かっ!」と叫んだ。

「こ、攻撃を受けてますっ!」

 ピニャの問いに答えようとしたわけではないのだろうが、副操縦士の声が響く。

 機体の外板に何かがぶつかって弾けるような音が続く。

 パイロットの二人は懸命に機体を操り、打ち上げられてくる砲火を避けようとしていた。幸い大口径の対空火器ではなく、小銃弾ばかりであったため致命的な損傷もない。すぐさま墜落するような事態にはならないようである。

 それでも不意に受けた攻撃に、パイロット達は明らかに冷静さを欠いて怒鳴りあっていた。

「どこから撃ってきてた!」

「アルヌスですっ!」

「馬鹿なっ!何かの間違いだろう。誤射だっ!」

「違います。敵ですっ!」

 機長が副操縦士に怒鳴りながらも、機体を急速に旋回させて、大きく左右に揺すりながら進むという不規則な飛行を始めた。

「何処の敵だ、くそっ!少し離れたところに降ろすぞ。とにかく状況を確認するんだ!」

「了解っ!!」

 波濤に揉まれる小舟のごとく揺れる機内で、ピニャとハミルトンは窓にしがみつくようにして外の様子を窺っていた。雨降りの空を見上げた時のように、アルヌスの要害から火箭が自分達に向かって降り注いで来るのが見える。だが天から降り注ぐ水滴と違って、これら一粒一粒が殺傷の威力を有した銃弾だ。

「殿下。あれをご覧下さい」

 急速にアルヌスの丘から離れていく中、ハミルトンが指さした方向、アルヌスの丘の頂きには何本もの旗が翩翻とひるがえっている。

 そこには、いつもなら日章旗と自衛隊の隊旗がたなびいていたはずである。だが今は青地に白い線で何かの意匠が描かれた旗と、紅地に黄色い星だの、陰陽図をモチーフにした旗があった。さらに、ピニャの目を惹いたのが紺色の生地に銀糸で帝国の紋章が記されているディアボの紋章旗であった。

「ま、さか……」

 他の旗のことは知らないが、ピニャにとってディアボの紋章旗だけは見間違えようがないものである。あの旗が、アルヌスの頂きに掲げられていると言うことは、この惨状にディアボが関わっていると言うことを意味してしまう。

「あ、兄様はいったい何をやっているっ!!」

 ピニャはこの時ばかりは、淑女の嗜みも気品も忘れた。沸き上がって来る怒りにまかせて、床をその足で思い切り踏みつけたのである。




 アルヌスの街から少し離れた森の中。
 ハイエルフの娘テュカがこれまで守り育てて来たその場所に、街の住民達や帝国の使節団、そして自衛官達が避難していた。

 見れば、被害を受けているのは殆どが街の住民と帝国の使節団、ピニャの部下たる騎士団の面々である。多くの者が倒れて、迷彩の戦闘服姿の自衛官達から手当を受けていた。
 だが、寝具なども無い状態では直接地面に横たわらざるを得ず、雑草や下草を敷布代わりに、そして枕には衣類を丸めた物を用いていた。

 身体を冷やさないためなのか、草などを身体に積み上げてすっぽりと覆われている者もあった。

 あちこちから「衛生!こっちに来てくれ。様子がおかしい」と手当を求める声があがって、典型的な野戦病院の有様となっている。

 ただ、手当などと言っても満足な医薬品が無いこともあって、喉を潤す水を僅かに与えられるの関の山という有様である。外傷なども隊員個人に配られている圧力包帯を用いて、あるいはシャツを破るなどして止血し、また傷口を覆うという簡便な応急処置しかできない。

「んっ、シャンディー?」

 ピニャは、横たわっている者の中に、肢体にたおやかな曲線をもつ少女の姿を見つけると、駆け寄って片膝をついた。見れば、額や腕などに包帯が巻かれている。どういう呪術的な意味があるのか不明だが、首には黒赤黄色の縞模様のついた札が下げられていた。その清楚そうな額は怪我をしたのか、血と泥で汚れている。

「殿下。ご無事でしたか……」

 その女性騎士は弱ってこそいるものの、どうやら命には別状はないようであった。
「何があった?」とピニャの求めを受けて、シャンディーは暫しの間を置いた。並べる言葉や記憶を整理しようと試みているのだろう。やがて、ゆっくりと語り始めた。

「何が何やら、突然のことで、気がついたらこうなっていたとしか。夜襲があったのです。しかし自衛隊の守りはしっかりとしておりましたので私たちも安穏としていたのです。それが、いきなり『がす』とか言われても、何のことかわからなくて、突如、眠りの風の魔法を受けたかのように、次々とみんなが倒れだして。私も急に視界が暗くなり、気がついたらここに倒れておりました」

「被害は?ボーゼスとパナシュはどうしている?」

「?……お姉さま達は、昨日の夕刻には街を離れられましたので、災禍には遭われなかったはずです。使節団と騎士団の被害は、申し訳ありませんが把握できていません」

「そうか。わかった、今は休むがよい」

 ピニャは、腰を上げるとさらに事情のわかりそうな者を求めて歩き始めた。

 周囲には負傷者を看護する自衛官達が大勢立ち働いている。だが、親しく言葉を交わしたことがある者もおらず、知った顔を探すために、しばしの間負傷者や患者達の間を歩く必要があった。

 あちこちに横たわる騎士団や使節団の顔を見つけては声を掛けて無事を確かめ、また知っている者の消息を問うという繰り返しで、被害が少なくないことを思い知らされてしまった。ここに連れてきていた騎士団の団員で健在な者はほとんどおらず、隊としての被害は壊滅的である。

 そんな中で、助けを求める声に応える「はいっ」という返事に、ピニャは聞き覚えがあった。

「うん?お前、確かクロカワと言ったな……」

 長身黒髪の女性自衛官が、足早に通り過ぎようとするのを捕まえるようにして声を掛けた。

 黒川もピニャの姿に目を丸くして立ち止まった。

「殿下。ご無事だったのですね?」

「帝都に行っておったのでな。今、ヘリで戻ったところだ。ところで、何があった?」

「ガス攻撃です。それより、健在なチヌークがあるのですか?」

「ああ。丘に降りられないのでこの森近くに降りた。それよりガスとは何だ?」

「詳しくは、奥でお尋ね下さい。健在な幹部達が集まって仮の指揮所を開設してますから。……それと、誰か手の空いてる者、すぐにチヌークの所へ行って掌握してください。確保後に報告をお願いします!急いでっ!」

 黒川二等陸曹の命令を受けて、約一個班程度の隊員が走り出した。

「衛生っ!何をやってる、早く来てくれっ!こっちの娘が呼吸が止まりそうだ」

 背後からの切迫した声に黒川は、ピニャに軽く頭を下げると「人工呼吸を初めてください!」と、叫びながら行ってしまった。見れば、やはり騎士団の団員で15才の少女だ。ピニャも駆け寄って何かできることはないかと思ったが、てきぱきと動く黒川以上のことができる知識も能力もなく、黙って見ていることしかできない。

「マウス・トゥ・マウスはガスの被害者相手にはダメです。ニールセン法でやって!」

 ピニャは、「殿下、参りましょう」とハミルトンに促されると背を向けた。
 黒川の指さした方角に行けば、何が起きたのか事情を知ることが出来るだろうと。

 すると森の若干開けた場所に自衛官や、騎士団の隊員達、帝国の使節団、そして街の住民達などが集まっているのが見えて来た。

 立ち止まってあたりを見渡してみると、合同記者会見で見かけたような、テレビカメラを抱えた報道班の姿もあった。ただ撮影などはしておらず、ふて腐れたように座っていたり、眠っていたりしているだけである。

 さらにぐるりと見渡すと、健軍一等陸佐と用賀二等陸佐の二人が地図を囲んで話し合っているのを見つけることが出来た。その周囲には、幹部達が頭を寄せ合っている。

「用賀。状況はどうなっていると思う?」

「若干推測を含みますが、よろしいですか?」

「ああ。かまわん、やってくれ」

「まず、ガスはアルヌスの中腹から散布されました。警報は出ていましたので、隊員達は速やかに『門』に向かって避難したはずです。特殊武器防護の装備が充分に行き渡らない以上、持ち場を守れ等という無茶な命令が出るはずありません」

「つまり、特地に残っているのは我々だけと言うことだな」

「はい、間一髪と言ったところでした。デリラさんの通報が遅れていたら、とんでもない被害が出たはずです。『門』を守るドームは隔壁さえ閉めてしまえば対爆撃は勿論、生物化学兵器の防御も可能です」

 門を覆う全天型ドームが作られたのは、『特地』に人類に害を及ぼすような細菌やウィルスが発見された時、その流入を防ぐためである。当然、ガスの類の侵入も防ぐことが可能な性能が与えられている。しかも内部の気圧は若干高めに設定されていて、少々穴があいたくらいではガスや細菌等は侵入できない。

「問題は街の住民達です。ガス発生と襲撃の混乱でちりぢりになってしまって……」

「今、ここにどれぐらい集まっている?」

 この質問には、宇治一等陸尉という別の幹部が答えた。

「自衛官239名で全員が健在。若干軽傷者がありますが、行動に問題ありません。収容できたアルヌスの住民154名。帝国文官と騎士団の方々が113名ですが、半数近くがトリアージタッグでイエロー。ブラックは見捨てざるを得ませんでした」

 本来救命最優先に設定されるレッド(生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性があるもの)はほとんど居ない状態である。手当をする薬剤が無く手の施しようがないために、ただちにブラック(死亡、もしくは救命に現況以上の救命資機材・人員を必要とし救命不可能なもの )に分類されてしまうためだ。イエローは、今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要なものとされている。

「だが、それにしても街の住民が少なくないか?俺の知ってる限りでも、600人近くはいたはずだぞ?」

「おそらく逃げてしまったか、近くに潜伏しているのでしょう。それでも無事ならいいんです。ガスの被害を受けて動けなくなっていたら可哀想です。周囲の捜索と負傷者の収容を急がせましょう」

「うむ。それで隊員達の様子は?」

 会議に参加している『おやっさん』こと桑原が手を挙げて答える。陸曹という現場の隊員と直接触れ合い指揮する者の代表者が最先任陸曹長なのだ。

「全員意気軒昂。負傷者救出の仕事に邁進してます。ですが、目標がない状態では中長期的には士気は低下するでしょう。補給、休養、糧食……早めに今後の方針を通達したいところです」

「敵の様子は?」

 再び用賀が答えた。

「監視班の報告では、連中はアルヌスに入ってからずっと立て籠もったままです。斥候すら出して来る様子はないですね。数も、アメリカ、フランスが引き上げてましたから全部で120名前後。我が方の遺棄した64小銃等を鹵獲して武装しています。ですが、東京側とこちら側の内外から挟まれてます。連中も、守備を固めるので精一杯と見て良いでしょう」

「だが、特地の現地兵が1000くらい居ただろう。無視できない戦力だぞ」

 用賀はこの質問には肩を竦めて見せた。

「それはどうですかね。連中、ガスに巻き込まれてバタバタ落馬したり、倒れたりしてましたから戦力になっているかどうか」

 そこいらに転がっている死体も、街の住民達より襲撃してきた兵士の方が圧倒的に多いのだ。おそらく此処の守りの堅さも、ガスを用いる攻撃をすると言うことも教えてもらえず、ただ棄て駒としてかき集められ、実際に使い捨てられたのだろう。

「そう言えば、ガスの種類はなんだ?」

 医官のひとりが答えた。

「呼吸困難、筋硬直等の患者の状態から見て、オピオイド系と思われます。サリンなどの神経ガスにしては、被害が少なすぎます」

「すると無力化ガスかな?」

「かも知れません。変なガスを使ったら、占領した側も汚染を逃れられませんから」

 サリンなどの神経ガスは速やかに拡散分解されて無害になりやすいと言われているが、それでも危険性はゼロではない。事実、かつての地下鉄サリン事件の時は、救護に当たった医療関係者が被害者に付着していたガスに曝露してしまい健康被害を受けている。充分な徐染装備を持たない以上、致死性の高いガスは使えないのだ。もちろん、無力化ガスにも致死性はある。ただ、神経ガスよりは致死性が低い。

 ピニャが姿を現したのはそんな会議の最中であった。周囲にいた騎士団や帝国の役人達が喜色に富んだ声で彼女の名前を呼び始める。

「おおっ殿下!?ご無事でしたか」

「ピニャ様」

 だが、健軍や用賀が彼女に向ける視線は険しい。

「ピニャ殿下。ご無事で何よりと申し上げたいところですが、あの敵についてご存じのことがありましたらご説明を賜りたい」

 健軍は言葉こそ慇懃だが、その声には非難の響きがあった。

 多分、ディアボの紋章旗のことだろうとピニャは受け止めた。しかし彼女にも、知らないとしか答えようがなかった。ゾルザルの反乱の際、皇子ディアボは亡命するといって帝都から逃れた。それが、どう言う事かこんなことになってる。こっちの方が説明を受けたいくらいだと、逆切れに近い勢いでピニャは愚痴った。

 健軍と、用賀は互いの顔を見合わせると、傍らに座り込んでいたデリラの方へと視線を向けた。

「え、あ、あたいが説明するの?」

「時系列的に、貴女から説明した方が解りやすそうです」

 用賀二佐に言われて、デリラは「えっと……」と慌てた。

 まず、雁字搦めに縛られて芋虫のごとく転がっている料理長を、引きずって前に放り出す。

「こいつが、敵と通じてやがったのさ」

 デリラは、いかにも申し訳なさそうな態度で見聞きした内容の説明を始めた。

 ガスの引き渡しの現場を見てしまったテューレが敵に捕まり、その現場を『たまたま目撃した』デリラが救出。しかし致命傷を受けていた彼女は助からず、いまわの際に残した言葉が「ディアボと敵が組んで、何かを企てている」というものだった。デリラはこれを自衛隊に通報したのだが、ディアボ率いる軍勢が警戒線に接触したのと、ほぼ同時になって混乱が生じてしまい非戦闘員にまでは警報が伝わらなかったのである。

 自衛官はガスに対処する訓練を受けている。「状況ガスっ!」と叫びあって、装備を持つ物は防毒面を装着し、持たない物は指示に従って一斉に待避できた。だが、何が起きているのか解らない非戦闘員や、騎士団と使節団等は無警戒なままガスを浴びてしまったのである。

「あたいも、あの丸太がここまで危ない代物だと知ってたら、もうちょっと急ぎようがあったんだ……」

「仕方ないですよ。敵も露見を畏れて攻撃を早めたんでしょうから」

 用賀に慰められたデリラだが、申し訳なさそうな様子は改まらなかった。やはり、もう少し急げば自衛隊の被害ばかりか、アルヌスの住民達も災禍から守れたという気持があったからだ。

 幸いなことは鹵獲された武器が個人装備程度で、重火器の類は全て撤収済み、あるいは破壊が間に合ったことなどだろう。そのため敵も丘の頂上付近を占領して、守りを固めるくらいしかできない。

「でも、なぜこの男が?」

 ピニャの問いによって、周囲の視線は縛られている料理長へと集まった。すると料理長は盛んに言い立てる。

「俺だって、こんな事が起こるなんて思っても見なかったんだよ!俺は、俺たちの生活を守りたかったから彼奴等に協力しただけなんだよっ。それの、何が悪いって言うんだっ!」

「その結果、みんなが犠牲になったニャ」

 PXの猫耳娘メイヤと、食堂の狐耳娘ドーラの二人が料理長の頭に、その尖った爪をめり込ませた。

「だから、知らなかったんだっ!俺はよかれと思って」

 咽を涸らして叫ぶ料理長の声は、金切り声にも似た響きがあった。

「その結果が、これかニャ?」

「なんだよっ、お前達だって不満に思ってたじゃないかっ!幹部連中に腹を立ててたじゃないか。なぁ、お前も言ってただろ?お前だって、お前も、そこのお前も不満を言ってただろっ!だから俺はっ」

「それで、敵の手引きをしたって言うのかよ!」

 料理長を取り囲む皆から非難の大合唱が始まる。負けじと料理長も声を張り上げるが、多人数を相手に声量で敵うはずもなく、その声も皆の耳には入らない。なんとか近くにいた主立った者の耳に届くだけであった。

「だから、敵だなんて思わなかったんだ。信用できるって思ったんだよっ!」

 用賀は醜態を見せる料理長の姿に、嘆息しつつこう論評する。

「後々になって愚作と非難される行為も、それを始める時の動機は立派なものだったとカエサルは言ったそうですが……誰を信じるか、誰を支持するか、それを決める時には、その結果起きることの責任も負わなくてはならないと言うことを、是非忘れないで欲しいものです。知らなかった、わからなかったという言い訳は通じません。だいたい人間、困っている時とかに支援してくれたり、耳心地の良いことを言う相手にすがったりするものですが、そんな相手には大抵は下心があるってこと、わかりそうなもんなんですけどね」

「そんなの当たり前のことニャ。泣いてたり困ったりしてる時に、ことさら優しく言い寄って来る男がいたら、注意するのは当たり前のことニャ。優しくしてくれたからって心を許してたら、酷い目にあうニャ」

 メイヤの言い様は実に女性らしいものだったが、それだけにピニャには解りやすかった。

 こうした真理が解らない者が、自分は知らなかった騙されただけなんだと言い訳しながら周囲を巻き込んで自滅していくのである。どうせ滅ぶなら、自分だけで滅んで欲しいところである。

 そして、その理屈はディアボにも当てはまる。

 ディアボは、皇位継承の争いで優位を得るために第三の勢力と結ぼうとしたのだろう。そして、その立場と名前をこの世界での軍事行動の名分として利用されたのだ。帝国を守るという意味でも、それははっきり言って大迷惑である。

「ケングン殿。まず、申し述べておきたいのは兄様のことを妾は全く知らなかったと言うことだ。この度の事態と、帝国は無関係である。これだけははっきりとさせておきたい」

「では、貴女の兄の個人的な振る舞いだということですね?」

「そうだ。その上で逆に訊ねたいのだが、貴公はこの後どうされる?」

「被災者の救助と収容。それが何よりも優先されます」

「妾が申しているのはその後だ」

「その後?」

「そうだ。妾の存念から述べさせて貰おう。断固として、アルヌスの丘を攻めて奪回すべきだ」

 健軍は、ピニャのこの言葉に片眉を上げた。それは帝国内のお家騒動に自分達を巻き込もうとする気配を、迷惑に思っての態度だった。

「それは貴女の兄君を取り除けということですか?」

「それもある。だが最大の理由は部下の救命だ。先ほどから見て回ったが、医薬品も設備も充分にない様子。日本ならば治療が出来るのだろう?それに門を閉めるのにも邪魔だ。妾としては、門を閉めることを急ぎたい」

「何故です?」

「日本の選挙が近いからだ。選挙の結果如何では、門を開けたままにしておくという者が日本の政権をとるかもしれない。この世界の安寧のために、それだけは受け容れられない」

「アルヌスの奪回はもとより望むところです。治療薬も入手したいですし、被害者の後送もしたい。門の安定化計画も既に命令が出てますから、閉めることも吝かではないのですが……」

 健軍の言葉は重い。用賀が健軍に代わって口を開いた。

「問題は、敵が国連旗を掲げていることです」

「あんなもの、偽物にきまってます!」と宇治一等陸尉が背後から叫んだ。

「それを我々が勝手に判断することは許されません。これは高度に政治的な問題です」

「だが、どうやって政府の判断を仰ぐんっすか?あそこを占領されてから、連絡は完全に遮断されてるんすよ」

 幹部自衛官達が口々に言い始めた。その中で最も多かったかのがやられっぱなしにしておくのかと言う感情的なものである。

「連中は、俺たちの反撃を封じるために、勝手に国連旗を使ってるだけっすよ」

「常識で考えてみてください。連中はディアボとか言う奴の旗を掲げてる。なのにその隣にどうして国連旗が掲げられるんですか?変ですよ。連中をぶん殴って銀座への道をあけましょう。そうすれば、被災者を病院に運んでやれます」

 健軍は震える拳で自分の膝を叩いた。

「そんなことは俺も解ってるんだ。だが、そうだとしてもダメだ。我々現場が勝手に判断することは許されない。それが文民統制と言うものなのだ。それは偽物だから、やっちまえって言う命令が来ない限り、俺たちは耐えなければならない」

 そう言い切る健軍に自衛官達は詰め寄った。

「じゃぁ、折角助けたみんなが、手の施しようもなく死んで行くのを黙って見てろって言うんですか?せめて薬だけでもなんとかしないと」

「化学兵器なんぞ使う連中ですよ。やっちゃいましょう。正当防衛で通りますって」

 だが、それは用賀が否定する。

 今、まさに攻撃を受けている場面なら反撃のために銃を向け、戦うことは許されるだろう。だが、既に丘は落とされ我々はこの麓の森に避難している。丘を取り戻すために、戦うのは正当防衛とは言わない。殴られたからと言って、殴り返しに行くのはただの喧嘩だと用賀は言って聞かせた。

「くそっ」

 自衛官達は土を蹴り、拳で樹木を殴りつけるなどして怒りと口惜しさをぶつけた。

「薬はなんとかなります」

 その時、あたりを包む重々しい空気を黒川の声が払いのけた。

 医官が「どういうことだ?麻薬拮抗剤あるのか?」と黒川に迫る。

「はい。帝都事務所では、住民宣撫事業で診療所を開いてました。その時、薬物中毒者が結構多かったので購入していたはずなんです」

 悪所で娼婦をしていた翼人ミザリィなども薬物のキセルを常時くゆらせていたくらいである。阿片窟のような場所で過剰摂取を起こして運び込まれて来る者が何十名もあったため、麻薬拮抗剤が常備されていた。これは、麻薬由来の成分を用いた無力化ガス被曝の治療に、ある程度の効果が期待できるのだ。

「そうだったのか。で、それ今、どこにある?」

 医官の問いに黒川は帝都と、帝都との中間地点の中継補給処、そしてアルヌスの診療施設の薬物倉庫の三カ所にあるはずだと答えた。

「診療施設か……忍び込んで取って来るか」

 健軍達はそんなことを呟きながら、敵のものとなった要害へと視線を巡らせていた。




「ピニャ殿下、そう言うことです。我々は、丘の奪回をしている余裕がありません。本格的な行動を始めるには、本国との連絡が取れるまで待たなくてはならないでしょう。ただ、みなさんの治療は目処が立ちそうです。ご安心下さい」

 結局のところ健軍からの回答は、ピニャの意に反したものとなった。

 しかし、部下の救命を一番の理由とした以上、危険を伴う軍事行動を求め続けることも出来ず、ピニャとしては失望の表情を、偽りの笑みで隠し、健軍に感謝の言葉を述べることしか出来なかったのである。

 自衛隊は動かない。
 帝国も頼ることが出来なかった。
 そして、子飼いの騎士団も壊滅状態で使えない。ピニャには、もう打つ手が無いかのように思われた。

 だが、座して状況の好転を待つと言うことはピニャには出来なかった。時というものは、良いものを連れて来ることもあるが、悪いものを連れて来ることもあるからだ。頼るべきは、己の力量ただ1つである。

 なんとか戦力をかき集めて、ディアボとそれと結んだ敵をアルヌスから排除して、門を閉じる。閉じなくてはならない。それだけが今の、ピニャの思考となっている。

 どうやって行うか。どうしたらいいかとそればかりを考えている。疲労してやつれはてていると言うのに瞳だけは爛々と輝いている。何か、精神にある種の失調を来したとも思えてくる様相だ。

 門の閉鎖にこだわり続けるピニャの姿に、つきあいの長いハミルトンも若干の戸惑いを感じていた。彼女らしい余裕というかたおやかさが失われ、鬼気迫る様子は、何かに取り憑かれているような気配すら感じてくるのだ。

 だが、それも仕方のないことだと思う。

 ピニャを突き動かす心の根底にあるもの、それは不安と恐怖に行き着く。
 ピニャはこの門の向こう側から来た連中と関わってから、常に不安と恐怖の殴打を受け続けて来たのだ。

 イタリカで、盗賊達を一気にたたきのめした殺戮の嵐を、目の当たりにした。

 目の前に降臨した化け物とも言える軍団。
 それと、どうにか交渉をまとめて、やっとお引き取り願ったと思ったら、全てをぶち壊しにするボーゼスの失態。物陰に身をひそめて、化け物をやり過ごしたと思ってホッと一息ついたら、いつの間にか背後に回り込まれていたと気づいた時のような恐怖だったことをハミルトンも憶えている。

 あれは、相手がお人好しだったからやり過ごせたのである。そうでなければどうなっていたかと思う。それでもなんとか交渉に持ちこまなければと日本に渡り、その途轍もない技術と力を目の当たりにして、帝国の非力さを思い知る。そして帝国がどうなってしまうかという心配が始まった

 その後の仲介工作。元老院議員達の頑迷さに、ほとほと疲れ果てて、それでもなんとか交渉にとりかかり、どうにかまとめようとしたところで、ゾルザルが拉致していた日本人を殺してしまうと言う暴挙を起こす。

 この頃からだ。ピニャが、ほとんど眠れなくなったのは。
 眠れたとしても極僅かであり、何かに魘されるようにして飛び起きていたのを秘書役を兼ねていたハミルトンは知っていた。

 その果てに、行き着いたのがゾルザルの反乱と鎮圧。なんとか兄の命だけは救おうとしていたが結局は兄を失うに至って、ピニャは自分に向けて押し寄せて来る不安と恐怖の根源が『門』にあると見てしまったのだ。

「もう嫌だ。なんで妾ばっかりこんな思いをしなければならぬのか……誰か、助けてたもれ」

 そんな泣き声がピニャの寝台から聞こえて来たことも何度となくあった。
 もし、誰かがピニャを支えていたら。不安に駆られる彼女を抱き留める者がいたら、ピニャとてこのような妄執に囚われることはなかっただろう。だが「大丈夫。大丈夫だから、まかせて」と彼女の耳に囁いてくれるような者は、現れなかったのである。

 不安と恐怖。眠れぬ日々。こんなことの積み重ねが、ピニャに門を閉じ、二度と開かさないことを決意させたのである。

 もちろん、ピニャの真意を知る者はハミルトンを含めた側近のごく一部だけである。ピニャとて解っているのだ、自分が何をしようとしているのか。それでも、彼女にはそれ以外にとるべき道はなくなっていた。そして、その本心を押し隠して、「世界のために門を閉じよう」と、こだわるから周囲に疑念を抱かれることになる。

 傍目にも憔悴しきっている皇女の姿は実に痛々しげだ。そんなピニャは突如何かを思いついたように顔を上げた。

「ハミルトン。こうなったら義勇の兵を集めよう。各地に檄文を送れ」

「殿下。義勇の兵など集まりません」

「何故だ?世界を守るためなのだぞ。門の危険を説いて、敵を討てと叫べば、心ある者はきっと集まってくれよう」

 ハミルトンは首を振った。

「殿下のお名前では無理でしょう。いえ、これが、陛下でも無理でしょう。庶民に義勇の心を奮い立たせるのは地位ではなく声望と言われています。ましてや我が国は、連合諸王国軍を集めてそれを無為に敗亡させてしまいました」

「では、いったい誰なら集められる?」

「誰もが納得するような偉業なしとげた大英雄ならば、あるいは。しかしそのような者はどこにも……どこにも…………あれっ?」

「大英雄か?確か、どこかに居たような気がするが」

「……………ええ、そうなんですが思い出せません」

「誰もがその偉業を認める、だいえいゆう」

 ピニャはその傷んだか紅髪を掻きむしりながら、後少しで出て来ると、うろうろ歩いた。そて、何周か歩いた果てに……。

「あっ」

「………アレですか?」

 ハミルトンとピニャは互いに顔を見合った。
 双方共に、同じ人物の顔を思い浮かべたと理解したからである。だがしかし、二人ともその人物の素顔を知っているだけに、果たしてあれを大英雄と言っていいかと戸惑ってしまったのである。




    *    *




 その頃。

 伊丹は、テュカとロゥリィの二人を連れて、アルヌスの周辺や街を歩いていた。レレイを探すためである。

 焼け崩れた建物の下を覗き込み、穴や溝を見つければその底まで降りてみる。木の影、岩の間、ちょっとした死角に紛れていないかと何度も何度も繰り返して覗き込みつづけていた。

「レレイの事だから大丈夫だと思うが……」

 伊丹がそんな事を呟いて「それ、もう○○回目よ」とテュカが言い、さらにロゥリィが「あの娘が死ぬわけないでしょ」と返すやりとりをもう何度も何度も繰り返している。

「そりゃ、ロゥリィが言うんだから大丈夫なんだろうが」

 戦いで死んだ者の魂はロゥリィを通じてエムロイに召されると言う。

 要するに戦場で誰が死んだかはロゥリィには判るのだ、と伊丹は解釈している。
 そのロゥリィが言うのだから生きているのは確かなのだろうが、姿が見えないと言うのはやはり不安であって、今頃どこかで倒れていないかとか、怪我して難渋してないかとか、何かに巻き込まれていないかと居ても立っても居られなくなって、探し歩いてしまうのである。

 ところが見つかるのは、アルヌスの住民や騎士団女性とかばかり。勿論、息があれば見捨てたりしないで、その都度伊丹が抱き上げたり背負ったりして森と往復するということを続けていたのである。

 そして陽もゆっくりと傾きかけた頃、ふと気づけば、他の自衛官達の姿は周囲になくなっていた。疲れも少し強めに感じている。考えてみれば休みも取らず、食事も摂らずに夜半から動き通しだった。捜索に後ろ髪はひかれるが流石に食事くらいは摂ろうと言うことで、3人は森に戻ることにしたのである。

 森に戻れば捜索と救助がてら回収した食糧等がある。

 ところがその途中で、「騎士団の者はいるか?」「帝国の使節の者!」と声を張り上げながら、近づいてくる白馬にまたがる女性騎士を見つけた。

「ボーゼスさん?」

「あ、い、伊丹殿」

 ボーゼスは馬から下りると慌てふためいていることを感じさせる勢いで、伊丹に駆け寄り「いったい何があったのですか?」と、しがみつくようにして訊ねて来たのである。




「ヤオ。どうだ?」

 伊丹の指示でヤオは森に残って、被災者の看護を手伝っていた。
 レレイが戻って来たら行き違いにならないように、誰かを残すと言う意味もある。だが、ヤオは首を横に振ってレレイの消息等の情報がないことを示した。

 一瞬、4人の間に空気が沈んだが、「落ち込んでいても意味がない。まだ、探してないところはあちこちにあるからな、飯を食ったらそこへ行ってみよう。案外、向こうもこっちを探してるかも」と伊丹が飄々とした口調で言ったものだから、皆に再び笑顔が戻る。

 だが、ボーゼスは自分の部下達の状態にショックを受けたようで呆然としていた。

「罰があたったのかも」などと呟いている。

「ボーゼスさん。どうしました?」

「いいや。なんでもない」

「じゃぁ、食事を取りに行きましょう。人間空腹だとろくな事は考えないですからね」

 伊丹達は、ボーゼスと共に、食糧の配給を受けるために歩き始めた。ところが、その途上でピニャが待ち構えていたように寄ってきた。

「伊丹殿。探していたぞ。おおっ、それにボーゼス。戻ったか?で、首尾はどうだ?」

「は……」ボーゼスは一瞬視線を伊丹に向けて「はい。なんとか無事に……ですが」

 続けようとしたボーゼスの言葉にピニャは被せるようにして「よろしい。よくやってくれた。妾は伊丹殿に話がある故、下がって休むがよい」と、少しばかり声を強めに告げた。

「で、ですが」

「下がって休め」

 ピニャは繰り返した。ハミルトンがボーゼスを窘めるように「殿下のお言葉ですよ」と囁くと、ボーゼスは首を振りながら引き下がる。

 満足げに頷いたピニャは改めて伊丹に向かった。

「伊丹殿。お会いしたかった」

「ピニャ殿下は、確か帝都に帰っておられたのでは?」

「昼過ぎに帰って来た。妾もこのような事態になって驚いている。それより、伊丹殿に相談があるのでちょっと来てくれないか?」

 ピニャは伊丹に笑顔を向けた。だが、伊丹は違和感を憶えた。

 満面の笑顔なのに、声の響きが笑っていなかったからだ。それは些細な不協和で普通なら見過ごしてしまいそうな程の微弱なものであったが、伊丹は強い違和感としてそれを感じた。人間がそのような不協和を発する時は、様々な意味を持つことを体験的に知っていたからだ。そしてその体験のほとんどがロクなものではなかった。

「相談ですか?出来れば後にしてもらえませんか。ちょっと用がありまして」

 食事を済ませて、再度レレイの捜索に戻りたいという気持も強い。それになんだか、ピニャから逃げたいなぁという焦燥感にも似た気持が湧いて来るのだ。だが、ピニャの細い手が伊丹の手首を素早く捕らえていた。

 意外なまでに強い握力に伊丹はちょっとばかり怖じ気が走った。ピニャの眼光も尋常とは言えないような気がした。

「相談が、あるんだ。話を聞いて、欲しい」

「わ、わかりました」

 伊丹は振り返ると、ロゥリィ達に先に行って自分の分の食料も確保して置いてくれと頼んだ。ロゥリィとテュカはそれに頷くと行ってしまう。

「で、何のご用で?」

 伊丹はピニャとハミルトンに誘われるままに、人気のない森の奥まで進んだ。

「実は名前を貸して欲しい」

「借金の類とかは嫌ですよ」

「そのような下らないものではないから安心して欲しい。ただ、イタミヨウジの名前で檄文を発するだけだ」

「檄文?何の?」

「義勇の兵を集める」

「どうして?」

「門を閉じるためだ」

「あ~話が見えないんですが」

「見えなくても良い。理解など不要だ。ただ承諾してくれればよいのだ。そして妾に協力をして欲しい」

「と言われても、困るんですけどね。任務もあるし」

「伊丹殿、単刀直入に言おう」

 ピニャはそう言うと、伊丹の耳元に口を寄せこう告げたのである。

「レレイの身柄は預かってる。無事に返して欲しければ言うことを聞け」









[37141] テスト14
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 17:09




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 69
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/05/19 20:24




69





「レレイの身柄は預かってる。無事に返して欲しければ言うことを聞け」

 この言葉を聞いた瞬間、伊丹の脳は瞬間的に沸騰した。

 気がついたら、ピニャの胸ぐらを左手で衝いて押し倒し、倒れたピニャに9㎜拳銃を突きつけるという動作を、一挙動として行っていた。

 ピニャは「きゃ」という悲鳴を小さく上げて尻餅をついた。

 だが、乱暴に押し倒され銃口を突きつけられても、伊丹の瞳をじっと見据えたままであった。そればかりか、いたずらに成功した子供のように相好を崩し、こう告げたのである。

「くすっ……冗談だ」

「へ?」

 さしもの伊丹も、凍り付かざるを得なかった。
 呆然と言うか唖然と言うべきか、言われたことを、すぐに理解し納得することがどうしても出来なかったのである。気を取り直して、再び問い直す。

「い、今、なんて言った?」

 突きつけられた銃口にピニャも、今になって漸く自分の身に危険を感じ始めたようである。その双眸に少しずつ恐怖の色が混じり始めて、表情も硬く引きつって来る。

「だから……その、じ、冗談だと」

「何が?」

「だから、レレイを返して欲しくば、とかだ。あ、名前を借りたいと言ったのは嘘ではないぞ」

 伊丹は両手で保持した拳銃をピニャの鼻先へと向ける。

 銃口から僅かに漂う硝煙のツンッとした臭いと、拳銃の硬質な感触がピニャに否応もなく死を意識させた。

「不利になって言い逃れようとしてるだけじゃないのか?」

 伊丹の半長靴のつま先が、ピニャが手を伸ばせば届くところにこぼれ落ちている彼女の剣を蹴り飛ばした。

 まるで訓練された兵士のように、眼光鋭く伊丹はピニャの武装を解除していく。もちろん伊丹は訓練を受けた自衛官だから、最低限としてこのくらいのことは出来るのであるが、日頃の彼を知るピニャには普段とのギャップがとても著しく感じられるのだ。

「言い逃れではないっ!」

「どうして、そう言える?」

「だって伊丹殿なら別に、きちんと説明すれば判ってくれるであろう!伊丹殿も冥王ハーディの預言を直接賜った一人のはず。門を閉める必要性は妾と同じく理解しておられるはずではないか?義勇兵を集める意義も理解できるはず。脅迫など必要ないのだろう」

「じゃ、なんであんな事を?」

 するとピニャは視線を右、左と向けた後に俯くと、おずおずと上目遣いでこう言った。

「伊丹殿があまりにもレレイのことばかり気にしているので、つい嫉妬してしまったのだ。伊丹殿の気を惹きたかったのだ」

 途端に、沸騰した怒りが抜けていく。まるで蓋の開けられた蒸気釜のように圧が急激に下がり、脱力感だけが残ってしまった。

 伊丹は、がっくりと膝を着くと、深々とため息をつきながら銃を収めた。

 そして、両手を大地について急激に重く感じるようになった上体を支えた。それは尻餅をついて座り込むピニャの下半身に、丁度覆い被さる形になるのだが、そんなことに気を配っているどころではなかったのである。

「頼みますよ。冗談がきつすぎる」

 額に手を当てて呻く伊丹。だが、ピニャには悪びれた風は一切無い。
 そればかりか、ぞくっとするほどの婀娜っぽい瞳を向け、拗ねるような口ぷりで言い張る。

「これもそれも伊丹殿が悪い」

「なんで俺が?」

「だって、そうであろ。他の女のことばかり気にして、目の前にいる妾のことなど目もくれなかったではないか」

「でも、言って良いことと悪いことがあるでしょう。危うく撃つところでしたよ」

 虚脱の後を埋めるようにして、先ほどとは違う種類の怒りが伊丹の胸中に湧いて来た。するとピニャは、その怒りの籠もった視線を躱すかのようにそっぽを向く。

「そう、怒らないで欲しい」

「無理ですね」

「レレイは羨ましいな、こうまでも想われている。貴公はあの者を娶るのか?」

「別にそんなこと関係なしに心配するものでしょう。普通ですよ普通」

 ピニャは、手を伸ばすと伊丹の肩に触れた。

「そうであろうか?伊丹殿の瞳に沸き上がった炎の凄まじさに、妾の魂は焼き尽くされてしまいそうだった。見よ、未だに歯の根は合わず、身体はこんなに震えておるぞ」

 実際、伊丹を触れたピニャの指先は小刻みに震えていた。が、伊丹はその手を煩わしく感じて、払うように身を捩らせた。

「おお怖いっ!か弱い妾の心は、伊丹殿の怒りで焼き尽くされてしまいそうだな」

「しばらくは、不機嫌ですからね」

「どうすれば、許してもらえる?」

「さあ……」

 伊丹にも自分のこの憤懣がどうしたら晴れるかはわからなかった。ただ、ピニャの言葉が手ひどい悪戯だったと言うことは認める気になった。ピニャにレレイを監禁して、脅迫する必要はない。門の件であれば、きちんと話してくれれば最終的には賛同できることだからだ。義勇兵の件だって、自分に煩わしい仕事が回ってこないなら、別に構わないと思う。

「この気持、なんだかとても懐かしい。ちょっと前、妾は伊丹殿の寛恕を請おうとあの手この手を画策していた。ボーゼスが伊丹殿を捕虜にして来た件だ。その時は、どうしようかと思っていた。伊丹殿の枕頭に侍る者を選抜したこともあるのだぞ」

「そうなんですか?」

 それはなんともゾッとする話である。そう言う理由で近づいてくる女の子と遊んでも嬉しくないと思うからだ。それは、伊丹の嫌いな金銭尽く力尽くの内、力ずくに類する行為だからで、かえって不快になったと思う。

「だが、そうしなくて正解だったと今では思っている。だからこそあの時の伊丹殿は寛容だったのだろうしな」

 伊丹は、ピニャがいつまでも手を延ばし続けている意味に思い当たって、細い手首を握ると、自分が立ち上がると共に彼女の上体をも起こそうと引っ張った。ただその際、苛立ちを現すかのように少しばかり乱暴になってしまう。勢い余ったピニャは、伊丹の胸に飛び込んだ。

 ピニャは瞬き数回分、伊丹の腕の中に滞在していたが、両手で「えいっ」と押しがたいものを退けるようにして体を離した。

「その胸の中に抱かれるのは居心地が良さそうだが、伊丹殿は妾を可愛いとは想っておらぬのであろ?」

「ええ。確かに」

「そんな時に甘えて見せても、鬱陶しく思われるだけだ。だからもう少し関係が改善してからにする。怒りが晴れたら言ってくれ。その時はたっぷりと甘えさせて貰うからな」

「はいはい。そうして下さい」

 どうせそんな時は来ないのだからと、伊丹は軽く言った。

「時に、先ほどの話はどうだろう?」

「はい?」

「檄文を伊丹殿の名で発することだ。必要性は理解してくれたのだろう?」

「そうは言っても、俺にはするべきことがありますからね」

「なぁに、伊丹殿に負担はかけぬよ。全部こちらでやるから安心されよ」

「なら良いんですけどね。でも、俺の名前なんかで効果があるんですか?」

 これを承諾と受け取ったピニャは、答える必要性を感じないとばかりに服に付いた泥をパンパンと叩いて払い、帯剣を拾って鞘に収めた。

「緑の人の声望を知らぬは、本人ばかりとはな」などと呟きながら離れて行く。

 そんなピニャの紅い髪が覆う背中に向けて「あ、そうだ」と伊丹は声を掛ける。

 まるで予測していたのか、それとも声がかかるのを待っていたか、ピニャは立ち止まると、ゆっくりと振り返った。

「何か?」

「殿下。レレイの居場所を知っているなんてことは、ないですよね?」

 ピニャは「ふふっ」と軽く微笑むと「先ほど、冗談だと言ったはずだが?」とその瞳を邪な歓びで輝かせたのである。




 一方、日本ではアルヌス失陥が、大きく報道されていた。

 その内容は、自衛隊の油断と政府の対応のまずさを大きく非難するものであり、選挙とからめて政府与党にとっては痛い失点として追求するものである。だが、実際の世論はマスコミの目論見通りには踊らなかった。

 以前からその徴候はあったのである。

 かつて、マスコミは大衆を踊らせる力をもっていた。センセーショナルに書き立て、大きく報道することで時の政権すら揺るがすことの出来る勢いを持っていた。だが最近の人々はテレビを見なくなった。新聞も信頼しなくなった。

 笛や太鼓を派手に鳴らして、大衆が踊る姿を見て己の力を誇り悦に入っていたマスコミも、人々が次第に自分達の演奏に耳を傾けなくなり、踊りの輪から離れて行く様子に焦ったのである。

 人々の関心をいかに惹き寄せるか。いかに人々を踊らせるか、ばかり考え、つまらない現実を過度に脚色し、時にそれを度を超す誇張を行った。だが、それをしてもなお人々の関心は離れていく。最後には、存在しない現実を作り上げ、やらせと捏造に手を染めてしまうようになってしまった。

 それは売れなくなったアイドルが少しずつ色物として、そしてスキャンダル、最後にはヌードといった方法で生き残りを企てた古き時代のそれに酷似しているかも知れない。

 何しろ、彼らからしてみれば生活がかかっているのだから、仕方のないことなのだ。人々の目を惹こうとしてキャスター、そしてコメンテーターはより攻撃的な言葉を用い、より声高に、より激しくヒステリックに揶揄し、詰り、罵った。だが、そうすればするほどに、人々の耳目は離れて行く。

 人々には、理解できないのである。
 酒に酩酊したアイドルが、破廉恥なことをしてしまった。逮捕は当然、謹慎も当然。とは言えそれを連日報道する必要性はあるのか、と。

 もちろん報じられれば見てしまう。見てしまうが、だんだんと流される情報に意味など無いことに気づいてしまうのだ。

 もう既に時代は変わりつつある。いや、すでに変わっていたのだ。

 情報とはお茶の間にあるテレビから垂れ流されるのを、受動的に受け取るものではなくなっているのだ。人々は操作されるのを嫌い、自ら判断して行動したがる。だから、人々は単なるポータルサイトとしてマスコミを利用する。

 つまり、「こんな出来事があった」という見出しである。興味のある出来事があれば、それをネットで検索して、様々な情報を多角的に受け容れることが出来るのだから。必要なら足を運び、資料を紐解くことが出来るのである。

 マスコミに限らず、報じられる情報は常に加工されている。だが、様々な視点から書かれた複数の情報は、加工されていても一片の事実を浮き上がらせるのだ。誰かに操作されるのではなく、自分から事実を検証し、確かめていくことが出来る。

 従って、事実の検証に役に立つ情報が尊ばれるようになった。
 新聞紙面を通さない、記者からの生の情報としてのブログ。脚色がされてないダイレクトな情報。例えば「今のところ、これとこれとこれがソースです。判断はそちらにお任せします」と言う態度の情報提供こそが、喜ばれている。

 こうなると殺人事件が起き容疑者が逮捕されても、人々は即断的な反応を示さなくなった。裁判員制度が始まったこともあるが、客観的な情報が出そろうまで「こいつを罰せ」的な反応は、児戯的なものとして忌避されるようになってしまったのである。

 例えると、新聞やテレビはこのように情報を流す。

「某日未明 サラリーマンの男性が、刺されて死亡。警察はサラリーマンと口論していた若い男を容疑者として手配した」

 しかし、未加工情報は次のようになる。

「某日未明 サラリーマンの男性が路上で刺されて死亡。目撃者Aの証言。サラリーマンが酒に酔った若い男性と口論をしている姿を見た。目撃者Bの証言。現場から不審な男が逃げ去った。以上の情報から、警察は若い男性を容疑者として、手配している」

 この情報を見て、様々な人がネット上で論評するのだ。

「現段階では、目撃証言Aの若い男性と、Bの不審な男が同一人物だという証拠はない」

「いや。目撃証言AとBが同一人物であることは推測できる」

「でもさぁ、面通ししてみないと、判らないじゃない?」

「同じ人物だという思いこみが、目撃者に誤認させる畏れがある」

 等々、と。

 勿論、恣意的に発信者に都合の良い情報のみが開示され、都合の悪い情報は隠蔽されるということもある。だが、それは以前とて同じであった。故に、受け手はすでに織り込み済みである。しかも、情報の発信は誰でも出来る。隠蔽されようとする情報の内部告発や、これを地道に調査し掘り出す記者の専門性が、より一層重要視されるようになる。そして情報が様々な形で輻輳するが故に、両者の言い分が揃い、整理される裁判の傍聴記録はさらに重視されるようになるのだ。

 こうして、事件はマスコミが関心を失い新聞が書かなくなったら終わる、という時代は過去のものとなったのである。

 特地の問題では、マスコミがいくら無視しようとも、時間単位で次々に更新されていく『のりこ』のブログなどが未加工情報の供給源となった。

 これからすればアルヌス失陥寸前に、ガス警報が発され、防護の装備を持たない隊員に、各種の症状が出たこと。ゾルザル軍と呼称する者の実態からすれば、大規模な被害を防いで速やかに退却できたことの方が奇跡的であること。取り残された自衛官達の安否が気遣われること、などが判る。

 人々は、マスコミが声高に自衛隊を非難すればするほど、自分の感じ方とマスコミとの温度差に首を傾げるようになった。そして同じような疑問の視線を、マスコミに迎合して同じような論調で政府を非難する候補者へと向けるようになったのである。

 そんな情勢の中で、与党でも野党でもない第3の勢力が台頭を始めた。

 関西や九州において知事職を担い、圧倒的な力量で自治体の財政を立て直した実力と、知名度、そして支持率を背景に存在感を高めつつある彼らの主張は、言うなれば内政改革、外交保守とでも言うべき内容である。

 歴史的に見れば類似した状況が存在する。
 黒船来寇以来、勤王攘夷、開国佐幕という2派の国論で分けられ閉塞した状況が、勤王開国(天皇中心の政治に戻しつつも、国は開いて海外の進んだ技術を取り入れてこれを守る)とも言うべき第3の論によって打破され、全世界からチート扱いされる明治維新が成し遂げられたように、腐敗した体制を打破しつつも、日本という国の主張すべきところは断固として主張するという彼らの訴えは少しずつ人々に受け容れられ始めたのである。




 日本政府は、今回の事件に対しては交渉の場を国連安全保障理事会へと移して、ディアボ軍を自称する武装集団による、アルヌスの不法占拠と毒ガス兵器使用を非難した。もちろんその指先は、武装集団の背後にいる国々を指しているのであり、両政府に武力行使の速やかなる中止と釈明を求め、特に化学兵器らしきものが用いられたことに対する強硬な抗議を行った。

 だが、両国政府の回答は、「我が国の関知するところではない」と言うものであった。

「特地で起きているという出来事について我が政府は一切関わっていない。これは、帝国の皇位継承の争いでしかないように見受けられる。もし武装集団が日本政府に対する攻撃したとすれば、それは皇位の正統争いに不当に関与し、特地支配を強化しようとする日本に対する、特地人民の抵抗運動であろう。たまたま居合わせた我が国の青年達がこれに参加したのも、侵略と植民地支配の危機に瀕している現地人を見て義憤に耐えず、その義挙に共感したからと理解できる。また、化学兵器を使用したという非難については、日本政府の厳重な管理下にある特地に、我々がそのような物を持ちこめるはずがない。特地には魔法があると聞く。きっとそれによる攻撃と混同しているのではないか?」

 まさに強弁であった。だが、これが通ってしまう……というよりも通されてしまうのが、国際外交なのだから開いた口が塞がらない。

 国連大使からの報告を受けた内閣総理大臣麻田は、失望のため息と共に、安全保障理事国の首脳達に直接電話による交渉を続けた。だが、各国とも常識はずれの強弁であることは認めても、だからどうと言うアクションをとる様子はない。

 これが現実である。国際社会における『発言』は、軍事にしろ、経済にしろ、様々な『力』を背景に行うものである。そして、その力がこちらの要求や発言を相手に受け容れさせるのだ。正しいとか、合理的とか、常識と言ったものは国民向けの副次的な物でしかない。何しろ「これが正しい」という価値観は星の数程あるのだから。

 こうした事実は、外交問題にきちんと目を向けていれば自ずと見えて来る。そして理解できるはずである。「自分の考える正しさ」を実現させるには、それを裏打ちする力が常に必要なのだと。

 当然ながら、麻田もこのことは重々承知していた。
 経済以外の力を持ち得ない日本にとっては、外交だけが唯一の戦いであり、負け続けているかのように見える中、どこかで利益を拾っているという状況を作るしかないのである。

 その1つが、「武装勢力と我が国とは関係がない」という言質を、捜索隊と自称する工作員集団を派遣した両国からとりつけることにあった。これによって武装集団は単なるテロリストと言う扱いが出来る。

 問題は、諸外国からの介入をどう防ぐかであった。

 『門』周辺を武装勢力に抑えられた今、内部と完全に連絡を断たれて何が起きているのか全く判らない。そして武装勢力は、内部には残された自衛官達を人質に取っていると称しており、これを害されたくなければ不当な介入を止めよと言って来ているのだ。言わば立て籠もり籠城犯なのである。

 日本政府には、この真偽を確かめる術がない。人質の様子は?健康状態は?食糧等の差し入れは?と手を尽くして交渉の糸口を探っているのだが、彼らは何かを待ってるかのように、交渉を一切拒絶して詳細を全く知らそうとしないのだから。

 戦車を先頭に押し立てて突入すれば、軽火器しか装備のない武装集団など排除するのは至極簡単である。だが、あと半月で選挙という時期に、強硬手段をとりたくはない。何しろ、成功して当たり前。人質に大損害が出れば、徹底的に非難されて、選挙でも大敗してしまう可能性が高いからだ。

 この苦境に付け入るかのように、親切ごかしに「この武装勢力との仲介役を引き受けようか」などと言って来ている国もある。もちろん平和維持軍派遣の理由とするためだ。そしてそれを足がかりに、特地への介入ルートを確立しようという意図があることは明白なのである。さらにディアボを独立した勢力として維持させることで、帝国に対する影響力を拡げていくと言う意図も見えている。日本としては、これを許すわけにはいかない。

 従って、あくまでもこれは日本の問題。他国の干渉は一切受け容れないという、一点だけは守らなくてはならなかった。

 連日に渡る会議と水面下での駆け引きの果てに、国連安全保障理事会は日本国政府に対して帝国との講和条約が正式に発効するまで、事態の急変を引き起こしかねない門の閉鎖などを含めた武力行使を控えることを要求する議長声明を発表した。

 講和条約が発効すれば、アルヌス周辺は日本の領土となるのだから、そうなれば武装勢力を排除する大義名分を得られる。その前に手を出そうとすると、帝国の権力争いに干渉する形になるから、それまでは待つこと。

 これは、安全保障理事会に議席を持つ国々の様々な思惑の入り混ざったなかで、日本に好意的な国が落とし所として提示したものであった。日本も不承不承これを受け容れると言う形を取った。これによって外国からの不介入をなんとか勝ち取ったものの、選挙が終わり国会で講和条約の批准がなされるまでは、一切の手出しをすることが出来ないと言う状態が出来てしまったのである。





    *    *





 伊丹は、テュカやロゥリィと共に、レレイの捜索を続けている。アルヌス周辺ばかりでなく、少し離れた荒野までも範囲を拡げていた。だが、アルヌス失陥から3日、4日と過ぎ、時日が流れていくと、どうにも捜索に身が入らなくなっていた。

 災害被災者の救出は48時間を過ぎると生存率が極端に下がると言う。実際、周辺を探していて見つかるガスの被災者は奇跡的に生きている者もいたが、ほとんどが既に事切れていた。一人、また一人と犠牲者を弔うたびに、どうしたって不安や焦燥感が掻き立てられてしまう。

 戦いで死んだ者は、ロゥリィを通じてエムロイに召される。故にロゥリィには判るという考え方は、戦いで死んだわけではない者は判らない、と言う意味に受け止めることも出来るのだから。

 ところが、こうなって来るとピニャの言葉が意味を持って来る。

 もちろん彼女は冗談だとそれを否定した。だが、別れ際に見せた、何かを仄めかすような笑みは、深読みすれば嘘の否定とも受け取れる。

 そしてピニャに拉致監禁されているかも知れないという可能性は、逆に希望ともなって来るのだ。

 皮肉なことだが、もしピニャが何らかの方法でレレイを監禁しているなら、これだけ探して見つからないのも当然であるし、監禁されているなら、彼女が生きている可能性も非常に高くなる。いや生きていること確実だ。それは時間が経過すると共に低下する生存確率に反比例する形で高まる希望となる。

 だけどそんな疑念は容易に口には出せない。それは根拠ある推論ではなく、願望でしかないからだ。ロゥリィやテュカの二人に「レレイはピニャに監禁されているかも」と言ったりしたら、その瞬間ピニャの首は胴体から切り離されてしまいかねない。

 さらに現実として、ピニャにレレイを監禁する理由がない。必要性がない。

 門を閉める必要性については伊丹自身もよく承知している。義勇軍を集めるのに名前が必要だというのなら、自分に厄介がふりかかって来ない限りはどうぞという立場なのだ。わざわざ人質をとって脅かすなど、友好的な関係を破壊するばかりで意味など無いのである。

 だからこそ、ピニャの嘘だという告白を、質の悪い冗談だと叱責しつつも受け容れたわけなのだが……今となっては、「ピニャに監禁されていて欲しい」という気持が出てきてしまったのである。

 何気なくピニャが口にする、「そうか、レレイはまだ見つからないのか?無事でいてくれればいいのだがな」という言葉にすら、裏が感じられてしまう。さらにタイミング良く「どこかで保護されているかも知れないぞ」などと付け加えて意味深に笑うのだ。

 そんな心理状態であるから、彼女の顔色ばかり伺っている始末だ。

「伊丹殿、義勇兵が随分と集まってきたぞ。多忙とは思うが顔を出して、皆に声を掛けて欲しい」と頼まれれば、当然のこととして「あ、はい。行きます」と応じる。

 だが、それも彼女の機嫌を損ねないようにする迎合的なものか、自分でも判別できなくなっている。それは、人質を取られて脅迫されているのよりも厄介な状態と言える。

 伊丹自身、不味いと思っている。でも、悪徳商法にひっかかっているかのような気分を味わいつつも、自分ではどうすることも出来ないのだ。

 そんな現状を嘆きながら、ピニャに連れられて森を出る。すると荒野に様々な種族、部族の民が武装を纏って集まっていた。

「随分と集まったのねぇ」

 その数の多さにテュカが感嘆の声をあげた。

 ヒト種は勿論、山奥や森の奥に隠れて滅多に姿を現さないと言う六肢族、半人半馬のケイロン族もいた。もちろん、おなじみのドワーフ、キャットウーマンなどの亜人達もいる。

 アルヌス丘の麓で無数の焚き火が起こされて、それぞれに種族や部族ごとに20名~30名が輪を作って集まっている様子は、確かに壮観だ。

「皆の者。紹介しよう!この者こそ『緑の人』伊丹卿だ!」

 ピニャの声に皆の視線が集まり、一斉に歓声が上がった。

「どうだ伊丹殿。これが緑の人の呼びかけに応えて集まってきた者達だ。これでも近在の部族の者だけなのだ。もう少しすれば、まだまだ集まって来るぞ」

「あっ、エルフだ!」

 テュカは、義勇兵達の群れの中にエルフ族の姿を見つけて、手を振った。

 すると向こうも、テュカの名を呼んで応えて来た。
 人の口には戸は立てられない。ゾルザルが吟遊詩人を殺し、コダ村の住民達を虐殺してまで広まるのを妨げようとした緑の人の伝説は、結局のところ人々の口から口へと伝えられて帝国はおろか大陸中に広まったのだ。そしてその物語の中には、ハイエルフの少女の名も当然のように含まれていた。

「あっ」

 テュカは、その中に懐かしい顔を見つけて、吸い寄せられるように走り出す。

「生きてたのぉっ!?」

 それは炎龍に滅ぼされたテュカの村の、生き残りだった。もう誰も残っていないかのように思われたのだが、生き延びて別のエルフの村に避難していたようだ。テュカは、今は無き故郷の幼なじみと再会して抱き合って喜んだ。それを囲むエルフ達も、それを祝福していた。

 ロゥリィはロゥリィで、戦いの神の使徒として、集まった皆に祝福を求められ、それに応じていた。

 そんな様子を眺めながら、伊丹はピニャの隣に立って少しでも情報を得るために会話に集中していた。

「伊丹殿。怒りはおさまられただろうか?」

「いや、もう怒ってませんから……」

「嬉しい」

 そう言ってピニャが伊丹の腕を抱く。

 これが計算ずくなのか、素の状態なのか。

 判断に迷うから邪険にも出来ず、そのままにさせるが、ロゥリィとテュカの二人が訝しげな視線を向けて来た。するとピニャは誇らしげに見せつけ、明らかに二人が不機嫌になるという有り難くない状態となってしまった。

 伊丹は、鋭く突き刺さる二組の視線を無視して集まってくれた人々に手を振りながら、傍らのピニャに話しかけた。

「しかし考えてみると、ディアボ軍とか言うのを排除しても、レレイの行方が判らないと門を閉められないですよね。門の再開通のために彼女しかわからない手続とかありそうですし」

 門を閉めるにあたって、レレイの存在がいかに必要であるかを語ってみる。ピニャは門を閉めことに拘っているから、レレイが居ないとそれが出来ないと言ったら、何か反応を見せるのではないかと思ったのだ。

「そうでもないぞ。目印になる物を門の向こうと、こちらに分けて置けばよいと聞いている。門を閉めるだけなら、丘の中腹に据えられた6芒星の魔法陣を崩してしまえば良い。あれを壊すのは、ちと手間だがな」

「誰から聞きました?」

「テュカだ。日本が用意することとなっていると言うが、どのような事態になるか判らぬ故、こちらでも目印に使えそうなものを用意して欲しいと頼まれた」

 伊丹は内心で舌打ちした。いや、気の回るテュカは悪くない。本来なら、感謝すべきところである。とは言え、ピニャにはったりをかけて動揺を誘う手口はこれで難しくなりそうだ。

「ですが、レレイが見つからないと、門の再開通は出来ませんよ」

「あの者の遺体は見つかっておらぬのだろう?ならば生きている。信じるがよい」

 ピニャは自信たっぷりに言った。まるで全てを承知しているかのごとくだ。

「ですがね……」

「伊丹殿の心痛はよくわかる。だが、貴公が信じなくてどうする?探してさえおれば、いずれ必ず見付けることが出来よう」

「ですが、門を閉める時、俺は部隊と共に日本に帰らないと」

「……なんだと?!伊丹殿はレレイを見捨てて帰ってしまうと言うのか?ロゥリィ聖下は、テュカはどうなる?」

 ピニャは驚いたように伊丹を見ると、眉間に皺を寄せた。

「もし、そうだと言うのなら見損なったぞ。あの3人は、所詮現地妻か?用が無くなればさようならか?」

「そんな言い方されましても、俺にも立場というのがありまして。それに現地妻もなにも、何にもしてないし……」

「何もしてないとは異な事を。女に惚れさせるだけのことをしてきたではないか。ならば、何もしていないなどと言う言い訳は通用せぬ。それに、貴公に心寄せる女が難儀している時に、大事なのは我が身の立場か?随分と情けない話ではないか?!」

「ですけどね、命令が出てしまえば自分としては……」

「伊丹殿。妾には貴公の立場も理解できる。しかし、なお言わせて貰おう。こちらに残られよ。皆もそれを期待してるぞ。貴公には、愛のために何もかも棄てるといった男気を見せて欲しいと願っておる」

「ですけど、俺も病気の母親を一人残しておりまして」

「確かに肉親は大切だな。いずれかを選べと言うのも過酷な話かも知れぬな。だが伊丹殿は忘れている。門の再開通も所詮賭だ。上手く行かなければ、今生の別れとなるのだ。親は所詮、子より先に逝く者だ。また子の幸せを願うのが親だ。伊丹殿のご母堂に尋ねれば、きっと幸せになれる方をとれと言われるのではなかろうか?」

「お、俺は……」

「今、返事しろとは言わぬ。だが、門を閉めるまでに答えを出すがよい。妾が思うに、レレイは待っていると思うぞ……いや、待てよ。もしかすると、レレイが姿を消したのは、伊丹殿をこちらに引き留めるためかも知れぬなあ」

 そう言うと、ピニャは邪悪そうな笑みを浮かべた。

 これを聞いた瞬間、伊丹は思わず頭を抱えて「うわぁああ」と叫いた。

 心当たりがいっぱいだったからだ。

 レレイはかつて口にした「伊丹のいるところに居る」と。だが門の再開通を図るには、レレイは特地側にいなくてはならない。とすれば、伊丹をこちら側に引き留めようとするのはレレイの宣言からして当然のことなのだ。そして、さらに、ピニャとレレイが、何某かの取引をして組んでいたとしたら……。

「殿下、もしやレレイの居所をご存じですか?」

「まだ伊丹殿は疑っておるのか?前にも、冗談だと言ったではないか。妾がレレイを誘拐することなどあるはずない……。うむ誘拐など、妾は決してしておらぬ」

 そりゃ、誘拐はしてないでしょうね。被害者が共謀してるものは誘拐とは言わないですから。

 こうなって来ると、ロゥリィやテュカすら怪しく思えて来た。
 3人が、いやピニャを含めた4人が共謀しているという可能性も、あり得るのだ。そして、伊丹がどちらを選ぶか試しているのかも知れない。レレイが見つからないのに、行ってしまうか、それとも心配してこちらに居残るのかを。

 こうして伊丹は、今まで目を背けていた問題。自分が3人にどのような気持を抱いているかを、否応なく考えさせられることとなったのである。




 アルヌスの頂からも、麓に続々と人間が集まって来ているのは見える。まして、あたりを埋め尽くすほどの夜の篝火や、焚き火の炎ともなれば夜空に瞬く星よりも明るく見えるだろう。

 そしてそれが自分達に攻撃を仕掛けるための義勇兵だと知れば、ディアボ軍を自称する武装勢力もそれなりの脅威を感じたと思われる。

 翌朝、ディアボ軍から交渉使者が丘を降りてきた。

 交渉の使節は甲冑姿の男2人で、それに介添えとしてアジア系の男2人が付き添っていた。

 甲冑を纏った二人について言えば、どう見ても使い走り程度の印象しか抱けない軽輩である。実際、真の使者はその後ろに立つアジア系の男二人なのだろう。しかし、武装勢力がティアボが率いていると言う形式を整えるには、使者たる任を担うのはこの特地の人間でなければならないと考えたのかも知れない。

 彼らは、陸上自衛隊の指揮官と面談したいと申し出た。

 そして現れた健軍に対して、国連の安全保障理事会が出した議長声明を理由に、自衛隊に武力行使を控えるように一方的に通告してきたのである。

 だが健軍は、本国と連絡が武装勢力によって遮断されている以上そのような声明も、我らの知るところではないから、必要とあればいつでも攻撃を開始すると答えた。さらに付け加えると、丘の麓に集まりつつある集団は自衛隊の指揮下にない帝国の義勇軍であるから、武力行使を控えて欲しいのなら、直接その代表者と交渉してみるようにと伝えたのである。

 こうしてディアボ軍からの使者は役所の窓口をたらい回しされるがごとく、今度はピニャの陣営に向かったのであるが、ここで彼らはさらに手厳しい拒絶を受けることとなった。

 ピニャは、はっきりと告げた。

 自分は皇帝の名代として、このアルヌスに来て日本との講和条約の調印に携わっていた。帝国の使節団には元老院の代表もいたのである。これを攻撃するなど、例え兄の名を冠していようとも正当化することは出来ず、帝国に対する反逆である事。

 さらに、門の閉鎖は冥王ハーディの警句に基づいて為されるものであり、これを妨げて世界の安全を脅かそうとする行為は、この世界を治める神々に対する大罪とも言えるため、決して許されないであろうと。

「講和条約が未だ発効しない今、ここはまだ帝国の領内である。ゆえに帝国の法で汝等を裁くこととなる。妾は皇帝の名代としてここに判決を下す。主立った者は車裂きの刑。兵士は鋸引きの刑だ。ここには『じゅねーぶ条約』など無い野蛮の地にて、捕虜への残虐な処遇は当たり前に行われておる。そなた達も覚悟しておくが良い」

 この言葉には、ピニャの側近であるボーゼスやハミルトンまでも顔色を変えた。車裂きとは荷馬車などの車輪に四肢を固定して、これを轢き砕く極めて残虐な刑である。鋸引きに至っては、生きながら首だけを出して埋め、通行人に首に据えた鋸を引かせると言うこれまた、残虐さでは車裂きに勝るとも劣らない刑罰であり、帝国でもとうの昔に廃れて、行われなくなったものだ。

 最近になって言うこともやることも極端になって来たピニャの精神は、ここまで平衡を欠いてしまったかと、ボーゼスは身体を震わせた。

 ハミルトンも顔色を蒼くしたが、こちらは脅しが目的であり、本気ではないだろうと思い込むことで、どうにか心を落ち着けていた。

 だが、ピニャの人となりを知らない使者にとっては、それは衝撃的な宣告であった。特に甲冑姿の二人は、自分達の末路が決められてしまったのだから慌てる。

 弾かれたように地にひれ伏し「俺たちは雇われただけです。ただの傭兵なんです」と慈悲を求めたのである。

「ディアボ殿下に仰せに従っただけなんです。どうかお許しを」

 だが、ピニャは冷たい態度のまま「ならぬ」の一言で一蹴した。

「使者殿。兄様の元に戻り復命されるがよかろう」と背を向けるだけである。

「貴公等に一片なりとも正義があると言うのであれば、神々がきっと貴公等を救うであろう。救われなくば、それは正義がなかったと言うことだ。従容として神の裁定を待つがよい」

 随伴していたアジア系の男二人は、自分達が何を言われたのか判らず呆然と立ちつくしていた。ただ、彼らは剣や槍先で追い払われ、丘の上に逃げ登っていくしかなかったのである。

「なるほど。相手が日本なら『こくれん』とやらの声明で動きを制することが出来たかもしれんな。だが、この妾を相手にそんなもの、何の役にも立たぬ」

 ピニャは、義勇兵に丘の中腹あたりの巡回を密にして、逃亡兵を一人として逃さないよう命じた。最早、武装勢力に生き残れる道があるとすれば、それは門の封鎖を解いて日本に降伏することだけとなったのである。





    *    *





 ディアボの使者がピニャから死刑の宣告を受けていた頃、伊丹は、ロゥリィとテュカの二人にレレイ捜索の一時中断を告げた。

「これから少し、門の事に集中しようと思う」

 するとロィリィは「そうねぇ、それが良いかもねぇ」と答えた。テュカも「お父さんがそう決めたのなら、それでいいと思う」と頷いた。

 レレイを見捨てるつもり?と言って詰られるかと思っていただけに、すんなりと受け容れられたことが意外であった。だが、二人がレレイの無事を確信しているならば、これも不思議なことではない。

 やはり、この二人はレレイと共謀している。そう言う疑念が強くなった。

 だが、二人が口を噤んでいる以上、レレイの件について伊丹から問い詰めようとは思わない。レレイが身を隠したのが伊丹に決断を促すためだと言うのであれば、二人に訊ねても答えてくれるはずが無いと思えるからだ。

 伊丹に出来ることは、特地に残るか、日本に帰るかを態度で示すことだけだ。

 もちろん、伊丹は自分がどうするかもう決めていた。だが、これはマルチエンドのノベルゲームで言えば、ルートの分岐に関わる重大な設問と言える。例えロゥリィやテュカに対しても、安易に教えてやるつもりはない。ここまで芝居がかったことをしてくれた以上、もう少しヤキモキさせてやらなくては気が済まないという思いもあるのだ。

 伊丹は、森の内部につくられた仮指揮所の健軍一等陸佐の元に赴くと、指揮下から離脱する旨を申し出た。義勇軍に参加して、門を抑える敵を排除する戦いに参加すると。

 傍らで聞いていた用賀二佐は呆れ果てたように言う。

「君。これで何度目だ?」

「はあ。もう、数え切れません」

「はっきり言う、止めておけ」

 健軍は伊丹に向けて、真剣さを感じさせない口調で言った。伊丹も、健軍の言葉が、立場上のものであることを感じることが出来たから、きちんと自分の考えを告げた。

「だが、断る……と言わせて頂きます。義勇軍は俺の呼びかけで集まった人々です。呼びかけだけして、知らない顔ってわけにはいかないんですよ」

 健軍は、頭を掻く伊丹の言い様に、「もうダメだ、こいつ」と言いたげに肩を竦めた。

「実を言うとな、お前がそう言い出して来るんじゃないかとは、思ってた」

「そうでしたか」

「だが、自衛隊としては、お前には行くなと命じるしかない。全く、何も助けてやれない。いろいろとややこしい政治的な問題を引き起こすことになるからな」

「判っております。謹んで、ご命令に従いません」

「ん、ならば良い。でだ、どんな段取りでアルヌスを攻めるつもりだ?」

 健軍がそう言うと、用賀を含めた周囲の幹部達は一斉に身を乗り出して、地図に向かった。皆、政治的な理由で手出しを控えなくてはならないことに歯噛みしていたから、職を辞して攻撃に参加する伊丹には羨望の気持がある。

 伊丹はアルヌスの地図に指さすと、「無闇に突撃して203高地みたいになるのは不味いですから、前進壕、平行壕を使って近づくつもりです」と答えた。

 敵に重火器がないという状況では古典的であるが、これが最も堅実な戦法と言える。他にも手がないわけではないが、それを可能とするには、義勇兵達に訓練を施す必要がある。現状では人材的、時間的な余裕がない。対するに、義勇軍には穴を掘るのに優れた能力を発揮する亜人達がいる。ドワーフ達の作業能力はパワーショベル並であることが、街の建設の際に明らかとなっている。伊丹はこれを武器とするつもりなのである。

「準備に5日といったところか」

「ですが、敵の反撃も苛烈になりますよ。突撃発起位置まで、弾の嵐の下をくぐらないといけなくなります」

 用賀はそう言うと、地図上に記されているコンクリートで構築された壕を指さした。

 稜堡式の構造は伊達ではない。死角は一切無く、あちこちに張られた鉄条網などの障害や、壕に足を取られている間に、攻撃側は徹底的にその数を撃ち減らされることになってしまうだろう。

 待っていましたとばかりに幹部達が攻略方法について論じ始めた。

「地下から穴を掘って近づくって言うのは、どうですかね?」

「総選挙当日までが期限だとすると、時間的に微妙だぞ」

「チヌークは……」

「さすがにヘリは不味いだろう。あからさまに自衛隊が手を出したことになっちまう」

「せめて迫撃砲があればな……」

「あるぜ」

 背後からの声に振り返ると、デリラに身体を支えられた柳田がそこに立っていた。左腕にロフストランドクラッチという腕に装着するタイプの杖をつけている。デリラは右側に立っている。

「よお、伊丹。相変わらず馬鹿なことを言ってるみたいだな」

 ガチャガチャと金具のぶつかる音をたてながら、右足を引きずり歩く。デリラに右下腹部を刺され際、右の腸骨動脈と大腿神経を傷つけてしまい、それによって右の下肢麻痺が残ってしまったのだ。

「柳田。お前、生きてたのか?」

 柳田は診療施設に入院していた。無力化ガスの治療薬を盗み出すために忍び込んだ連中に発見されるまで、そこに隠れていたのだ。

「生きてちゃ悪いかよ。ちっ、この足のせいで逃げ損なっちまったんだ」

「ゴメンよ。ダンナ」

 すると、デリラが謝る。どうもデリラは、柳田が足のことを口にする度に反射的に、謝り続けているようであった。柳田もデリラに対しては邪険な態度をあからさまにしているため、妙に雰囲気が痛ましい。

 柳田は「ふんっ」と憎まれ口を叩くと、地図の一部分を叩くように指さした。

「書類上破棄、消耗扱いになっている武器、弾薬は全部ここに収まってるはずだ。アルヌス放棄の際には爆薬で吹っ飛ばす予定だった」

 81㎜迫撃砲。小銃、各種弾薬と柳田はその細目を暗唱していく。

 伊丹は「柳田。お前、入院してても仕事してたんか?」と、感謝の意を込めてその手を握ろうとした。

 だが、柳田は「触るな」と手を引いた。

「俺は知らんぞ。俺は何も言ってない」そう言いつつ、身を離した。そして、「おい、デリラ。お前が介助したいって言うから、介助させてやってんだ。もう少し気を使え」など、不平不満を周囲に聞こえるように言いながら、仮指揮所を後にしたのである。

「柳田って、ツンデレ?」

「みたいだな」

 伊丹の呟きに答えたのは、健軍であった。




 義勇軍の宿営地に行くため、伊丹はヤオに荷物をまとめるように指示した。
 大した荷物があるわけではないが、ダイヤの原石は棄てていくわけにはいかない。場合によっては、これを使うしかないかも知れないからだ。

 ロゥリィと、テュカも支度を済ませ「良いわよ」とやって来て、さぁ四人で行こうかと一歩踏み出したところで桑原曹長、仁科一曹、栗林二等陸曹、黒川二等陸曹、倉田三等陸曹、勝本三等陸曹、戸津陸士長、東陸士長、古田陸士長、笹川陸士長、そして栗林妹達報道取材班が姿を現した。

「隊長。俺たちを置いていくの、これで二度目ですよね。ちょっと冷たくないですか?」

 倉田の言葉に伊丹は、「まぁ、前回もそうだったが個人的な理由だからな。お前達を巻き込むわけには行かないだろう」と応じた。

「おやっさん、仁科、あんたら家族持ちでしょう」

「胸を張って帰りたいからな」

「隊長。ここで家族の話させんなって。死亡フラグが立っちゃうでしょう!」

 桑原と仁科のセリフに、みんな笑った。

 そんな光景をテレビ局のカメラが撮していた。

「あの、そちらのテレビの人は?」

 古田の問いに、菜々美が代表して答えた。

「私たちは、何が起きているのか、真実を伝えるのが役割ですから」

「ふ~ん。真実ねぇ」

「ええ、ありのままを。そのままに」

「そっか……じゃ」

 伊丹はそう言うと、襟から階級章を引きはがして棄てた。

 それに続いて皆が襟から、あるいは腕から階級章を引きはがす。

「たった今、俺たち自衛隊の指揮下から離れた。その事をちゃんと伝えてくれよ」

 そう言って伊丹達は、自衛隊の宿営地を後にしたのである。





    *    *





「それは、いったいどういうことです?」

 ボーゼスの言い様には、伊丹は間抜けにも口を閉じることが出来なかった。

 かつての第3偵察隊の部下達と共に、義勇軍の宿営地に移った伊丹達は皆から諸手で迎えられた。早速、倉田達は、廃棄予定の弾薬と武器の回収に向かい、伊丹はアルヌス攻略についてピニャと打ち合わせた。

 どうやら彼女としては麓から人海戦術で丘の頂上まで駆け上がるつもりだったらしい。倒れる者がいればそれを踏み越え、さらに前進していくという、戦術何それ?という作戦を考えていた。攻略対象の要害に近づくために、前進壕を掘るという発想がなかったようなのだ。実際、この世界の戦闘では、まだ銃は登場していないので、それでも良かったのかもしれない。
 だが、武装勢力相手でそれでは、どれほどの被害が出るかわからないために、突撃発起位置まで壕を掘ることを勧めたのである。

 ピニャも敵が装備している銃には頭を痛めていたので、さっそく伊丹の提案を受け容れ、その段取りを始めた。

 こうして、つるはしと円匙を抱えたドワーフや様々な亜人達が働きだした。
 それを見守っていた伊丹は、用足しのためにピニャ達から離れたのであるが、その時、背中に声を掛けられたのである。

 ボーゼスであった。

「何です?」

「伊丹様にお話が……」

 そう言って、うち明けられたのがピニャの企てであった。

「ですから、殿下は門を閉じたら、二度と開かないおつもりなのです。その為に、レレイ様を害されるおつもりです」

 レレイが居なくなれば、意図的に日本との『門』を開く術を持つ者はいなくなる。

「ちょっと待って。レレイはピニャと共謀して身を隠してるんじゃないんですか?」

「確かにその通りです。レレイ様を、とある場所に匿っております。伊丹様はレレイ様や聖下、テュカ様からああも直截な態度を示されているのに、ご自身だけは、その気持ちを伏せて全く示されてませんでした。世慣れた聖下やテュカ様ならまだしも、今年で16才のあの方がそれに不安を感じ、伊丹様のお心を知りたいと思ったとしても無理ないと思いませんか。それに、テュカ様が伊丹様は日本に戻られるべきだと強く主張されてました。そのためにお三方は、レレイ様がいないと言う状況で、伊丹様の選択に任せるということを決められたのです。ですが、その裏で殿下はあの方さえいなければ、二度と門を開かずに済むと申されて、部下に密命を……」

 連絡1つで、レレイに凶刃が突き立てられることになると言う。
 伊丹は、信じられない気持で一杯だった。

「なんでそんなことを。殿下は門の安定化に賛成だったのでは?」

「殿下はもう疲れ果ててらっしゃるのです。国は乱れて、兄たるゾルザル殿下を死なせ、今度はディアボ様がピニャ様の邪魔をなさっております。こうした全ての苦しみの元凶は全て『門』であると、感じられているのです」

「わかりました。……わかりました。で、どうしてボーゼスさんは、それを俺に教えてくれるんですか?ピニャ殿下の部下でしょ?」

「はい、私は殿下の忠実な部下です。これは明らかに裏切りとなりましょう。ですが私はもう時期、母となります」

 ボーゼスはそう涙ぐみながら、若干ふくらみ始めた下腹部を押さえた。

「この子に、あの方の故郷を見せてあげたい。あの方のご両親に、この子を抱かせてあげたい。この子に、自分の父がどれほどに優れた人だったか、教えて誇りを与えてあげたいと思うのは、いけないことなのでしょうか?」

 その為には、門が開いていなければ、困るのだとはっきり言った。

 これを聞いて伊丹は、女と母は全く別の存在であるという話を思い出した。

 この二つは似ているが、実は全く異なる行動原理で動くと言って良いのだそうだ。漢字の話だが、娘、姉、妹、姑、姐……女性を示す言葉には『女』という字が含まれているのに、『母』という単語にだけはそれが存在しないのは、そのことを古代の人は知っていたからだと言う。

 ボーゼスは今、母として行動しているのだ。だが、この選択がボーゼスにとっては苦渋のものであったことは、その姿を見るだけで判る。なんとも悲しそうな、苦しそうな様であった。

「そのお腹の子は、富田の野郎の子ですね?」

 ボーゼスは顔を真っ赤に染めて、伊丹の視線から逃れるように横を向いて頷いた。

「わかりました。彼奴の両親には俺から手紙を書きましょう」

 望外の言葉にボーゼスは憂い顔をばっと綻ばせた。

「有り難うございます。それと、ずうずうしい願いですが、このことは殿下には出来れば内密に……」

「判ってます。貴女の立場が無くなるようなことはしません。殿下の企てなんて知らないような顔をしていましょう。ロゥリィやテュカにも黙っておきましょう。ですから貴女も、こんなことは言わなかったと思って普段通りにしてください。いいですね……」

 実際、自分の企てが知られたとわかったら、行動開始を早めかねない。ピニャには、まだこちらが彼女の底意に気づいてないと見せなければならないのだ。

「ですが、それではどうやって……」

「大丈夫。気にしないで」

 伊丹はそう言うとボーゼスの背中を軽く押した。

「さ、早く戻らないと怪しまれますよ」

 ボーゼスは「はい。有り難うございます」と、辺りをきょろきょろと見ながら、ピニャの元へと戻っていった。

 その背中が見えなくなってから、伊丹は呟いた。

「聞いたな、ヤオ」

 いつの間にか、ダークエルフの女が傅いていた。

「此の身が行くのが良いのであろう?」

「頼む。危険な任務だが、お前にしか頼めない」

 ヤオは「ふっ」と苦笑を漏らした。

「お前にしか頼めない。その言葉を御身に口にしてもらえる日を心待ちにしていた。嬉しくて身体が打ち震えている」

「頼むから気をつけろよ。お前は俺の所有物なのだろう?俺に損をさせるなよ」

「確かに主に損をさせるなど、従者には許されない行為だ。了解した」

 ヤオはそう言うと、音もなく静かに姿を消した。

 伊丹は、怒りを込め「くそったれめっ」と怒鳴り、足下の石を蹴飛ばしたのだった。














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やっっっっっと、ここまで来た









[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 70
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/05/21 21:17




70





「門は閉じられなければならない」

 ピニャはそう叫んだ。

 彼女は聴衆を前にして、声高らかに謳う。

「世界は、『門』の存在によって崩壊の危機に瀕しているのだ」と。

 二つの異なる世界を繋ぐと言うことは、本来不自然なことだ。
 それを超常の力で無理強いすることは、世界の存在そのものを揺るがす。事実、大陸の各地ではアポクリフと呼ばれる虚黒の闇が浸食するようにして広がり、その大地は少しずつ削られていた。

「来るべき破滅を防ぐにはどうしたらいい?」

 答えは簡単である。門を閉じてしまえばよいのだ。
 おそらく揺り戻しとして、多少の災いはあろう。だが、そんなものは、世界その物が終わってしまうことを考えれば微々たるものと言える。

「だが、『門』の周囲には、閉ざすまいとしている集団がいる」

 ピニャはそう述べると、丘の上を顧みた。

「その気持も判らぬでもない。あちら側と、こちら側。言葉も文化も異なるこの二つの世界を繋き、物や人が行き来する。これによって得られる利益は莫大なのだから」

 この利を知れば、誰もが門を開いたままにしておきたがる。それが故に、彼らは門の存在が世界を崩壊させると言う警告に耳を塞ぎ、瞼は固く閉じて現実を見ないようしているとして、彼らの動機を、その欲深さ故として言葉巧みに弾劾したのだった。

「人間の業とは言え、悲しむべき事だ」

 そして、これまで日本政府と、ピニャが、門を閉じるために国内の反対勢力と、様々な国をいかにして説得してきたかを切々と説いた。だが選挙の結果如何によっては、門を開けておくという勢力が日本の政権をとりかねない。最早、悠長に時を待っていることは出来ないと結んだのである。

「もう、言葉で交渉すべき時は終わりを告げた。今度は鉄と血の番だ」

 皇女 ピニャ・コ・ラーダの言葉に、集まった義勇の戦士達はみな頷く。

 燃えるような朱色の髪を豪奢にも腰まで伸ばした彼女は、士官服に身を包んで凛々しいまでに背筋を伸ばして敢然と言い放った。

「アルヌスの丘を攻め落とすことは、至難の業に違いない。だが我らは、屍山血河を築いてなお進まなくてはならぬ」

 ピニャの演説に高揚したヒト種の騎士が、ドワーフの斧兵が、エルフの弓兵が、様々な種族の戦士達が、その決意を握り拳を持って示す。

「妾は、夜が来るのが恐ろしい。明日の朝、目を醒ますことが出来るかどうかが不安でたまらない。夜の闇の中で、眠っている間が無防備であることを思うと居ても立っても居られないのだ。それもこれも、世界の破綻がいつ訪れるかわからないからだ。妾は眠りにつく前に祈る。明日、目を醒ますことが出来ますようにと。闇が世界を覆い尽くしてしまいませんように。そして目を醒ました時に、世界が光で満ちていますようにと」

 ピニャは自らの胸に手を当ててまるで哀願するかのように声を絞った。

「だが、眠れない。眠れないのだっ!明日が来ないかも知れぬと畏れ、今この瞬間にも闇が妾を飲み込もうとしている。そう思うと、安らげない。これは、妾だけだろうか?」

 皆が首を横に振った。

 この世界の各地で、地揺れに始まる様々な異変が頻発している。人々はそれを不安に思っているのだ。

「だが門を閉じさえすれば、その不安はなくなる。諸君と、諸君等の子供達の為にも、眠れる夜を、明日を楽しみに思える安寧を取り戻したい」

 精霊使い達、神官達が、それぞれの信仰にふさわしい祈りを唱えた。

「勇猛なる義勇の戦士達。その為に、力を貸して欲しい。ピニャ・コ・ラーダは伏して皆に願う」

 ここにはオークやゴブリンと言った怪異達、ダーク・エルフ、トロル……この世界が危機に瀕することによってその安全が脅かされる、光闇のあらゆる種族が、武器を手にして一堂に会していた。

 帝国の皇女が頭を下げると、皆が武器を握り喊声を上げた。

 この時のピニャの表情は、集まった戦士達の声を浴びて陶酔に浸るかのようだった。
 諸手を拡げて歓呼の声を充分に浴びた後に、傍らに控え立つ伊丹へと振り返って手を伸ばす。

「イタミ、良いのか?門を閉じてしまえば、おまえは向こう側には戻れなくなってしまうのだぞ」

 そのケレン味たっぷりな振る舞いに、さしもの伊丹も苦笑せざるを得なかった。

 これで、ここにいる誰も彼もが、ピニャと伊丹の間に深い信頼関係があると思うことだろう。

 ピニャは、義勇軍の募集も、編成に至る全てを引き受けてきた。勿論、伊丹が押しつけてしまったのが理由だから文句は言えない。とは言え、これだけの演出をされれば、此処に集まった義勇の戦士達は、ピニャと伊丹との関係を錯覚する。

 緑の人の物語で語られているのは、伊丹と、その部下達。そして、エムロイの使徒ロゥリィ、ハイエルフの娘テュカ、魔導師レレイ。あえて付け加えるならダークエルフの女ヤオだが、今日ここに、帝国の皇女ピニャが加わる事になる。

 この戦いが終わったら、この戦いもまた世界を救った戦いとして、人々に語り継がれるものとなるはずだ。否、積極的に喧伝される。帝国の手によって。

 今、この瞬間、ピニャが伊丹の隣に立っていることの意味は大きい。

 世界を救った英雄の一人という評価は、今後ある種の権威となるに違いない。そしてその権威は、軍事的に弱体化した帝国を、無形の楯となって守る。他国が帝国に対して侵攻を企てたとしても、ハードルが高くなるわけだ。

 政治にさして詳しいわけではない伊丹も、戦士達の熱狂がピニャに向けられるのを見れば、嫌でもこれに気づく。門を閉じて、二度と開くつもりはないと言うピニャの底意を知ってみれば、何もかもが彼女の必死な演出なのだと理解できるのだ。

「別に気にするフリなんてしなくてもいいさ」

 伊丹は、ピニャの縋るような視線を受けて鼻で笑った。

 だが、ここはピニャの期待に応える返事をしなければならない。彼女の企てに気づいているような態度を、少しでも見せればどのような連絡手段が用いられるかわからないが、レレイ暗殺の指示が飛ぶ畏れがあるからだ。

「いいも悪いもないんだろう?閉めるしかないんだから……」

 皇女は「そうか」と大儀そうに頷いて見せると、集った戦士達に男を紹介した。

「すでに知る者もいよう。だが、紹介しておく。向こう側の世界より、我らに味方してくれる自衛隊の指揮官だ」

 戦士達は盾を剣で打ち鳴らし、歓迎の意を表した。

 あちこちで「緑の人!イタミ」の声が連呼される。

 一人一人がたてる音はそれほどでもないが、万を超える数が集まると、凄まじいばかりの轟音となる。そのため伊丹はビクッと肩をすくめてしまった。

 黒い神官の少女に背を押されて前に出てきた伊丹は、演説を求められ、困ったように頭を掻く。

 これらの人々が、伊丹の呼びかけに答えて集まってくれたのである。ならば責任を取らねばならない。伊丹は、足下から自分を見上げているハイエルフの少女に救いを求めるように見つめる。

 だがテュカは、一人で頑張りなさいと言うかのごとく笑うだけであった。

 彼女ばかりでなく、あらゆる種族の戦士達が彼を見上げている。遠くでは誰かが数羽の白い鳩を飛ばしていた。

 視線を再び近くに戻すと、魔導師達の列にレレイの姉の姿を見付ける。その師匠の老婦人ミモザと、カトー老師もいる。

 伊丹が驚いたように軽い会釈で挨拶をすると、レレイの姉のアルペジオは艶っぽい笑みで片手をあげて来た。

 レレイ……伊丹は、彼女の安否に気を取られ、その後何を喋ったか憶えていない。




    *    *




 伊丹よりレレイ救出の命令を受けたヤオは、そのあたりで野草を食んでいたはぐれ駒を拾うと、馬の首を東へと向けた。

 暫く走らせてみてヤオは軽く舌打ちする。

 拾った馬が駄馬だったからだ。

 アルヌスを襲撃したディアボ軍のものだろうから、それなりの軍馬だと考えたのに、鞭を当ててみれば見てくれだけで走力は並以下。すぐに息も切らせてしまい休息が必要な有様である。それでも力だけはあるから、おそらく農耕馬だったのだろう。きっと、どこかの荘園から徴発したか盗んだかして、鞍を置いだけに違いない。調教されているだけマシと言ったところだ。

 軍人だろうと傭兵だろうと馬は大切な商売道具だから、武器同様に金を掛けるのが普通だ。農耕馬などには決して乗らない。手柄を立てるために突進するにしても、不利になった戦場から逃げるにしても脚力だけが全てを決めるからだ。優秀な部将が馬に拘るのはそのせいだ。にもかかわらずこの始末なのだから、帝国の軍馬不足……強いて言うならば国力の低下はここまで来たとも言える。

 はぐれ駒なら探せばまだ他にもいたはず……。

「男と、馬を見る目は、相変わらずと言うことか」

 今更戻って別の馬を物色する時間はない。ヤオは自分の眼力の無さを嘆きながら、手綱を弛めようかと迷った。

 馬にかかる負担を軽くすれば、確かに目的地まで走り抜くことは出来る。だが、しかし時間は確実にかかる。今は、何よりも時間こそが貴重なのだ。

 鞍の荷物を調べれば、男物の衣類と下着、小物と食糧が少し。しかも食糧は臭いがして口にするのもちょっと迷うほどに古く、さらに何の動物由来か判別が難しい乾燥肉だったので、重量を軽くするために片っ端から棄ててしまう。

 身を守る翼竜の鱗を編んだ鎧も、迷わず脱ぎ捨てた。

 こうして、重石になりそうな物をことごとく棄てると、身体にぴったりと張り付くような革鎧とサーベル、そして投げナイフ数本という身軽な装備だけとなった。

 ボーゼスからの情報が正しければ、レレイが匿われている館は馬で半日行程のところにある地方郷士のものだと言う。この馬でも、数時間も走れば到着できるはず。問題はその数時間が保つか、だ。

「ならばっ」

 ヤオは、乗り潰すことも覚悟して、馬に鞭をあてた。

 馬は不平を漏らすように喘ぎながら、目を血走らせて駆ける。

 脚力が鈍ればヤオは容赦なく鞭を打つ。すると馬は、自ら止まることが出来ないかのごとく大地を蹴る。蹴っては喘ぎ、喘いでは蹴る。それはまさに狂走とも言うべき姿だった。

 馬の疲労は限界に近づき、疾走の衝撃は鞍を通してヤオの身体にも激しく伝わる。こうなると鐙に体重を乗せて、膝立ちのようにして身体を浮き上がらせるしかない。

 それは丁度、競馬の騎手が疾走時にするような姿勢となる。これはヤオにとっても辛い。

 毛皮の下から浮かび上がる血管がさらに膨れ、馬体はその汗で泡立った。その激しく鋭い馬蹄のひと蹴り毎に馬の寿命は削られていくのだ。それでもなおヤオは鞭打ち続ける。馬の激しい動揺に振り落とされまいと、腰を浮かせて必死にしがみつきながら。

 街道から外れて谷を抜け、丘を下り、やがて草原へとさしかかる。

 数時間に渡る騎行は、馬にも騎手のヤオにも強烈な消耗を強いていた。草原を渡り、底の浅い川にさしかかったところで蹄が滑ったのか、馬が遂に倒れた。

 大きな水しぶきをまき散らして転倒した馬は、喘ぐように暴れていたが、程なくして静かとなって微動だにしなくなった。

 ヤオの方もダメージは軽くない。
 川底に激しく叩きつけられ、その衝撃と疲労でしばし動くことが出来なくなってしまったのだ。

 たまたま仰向けになったのが不幸中の幸いだろう。川面にぷかぷかと浮かんだ姿でゆっくりと流されていく。

「くっ。やはり牝馬にしておけば良かった」

 ヤオと関わった男は、何故か死ぬことが多い。馬もその限りでなかったと言うことだ。

 川の水は冷たく、疲労で、焼けるように熱くなっていた体を冷やすのには丁度良かった。だが同時に、疲労と身体を打ち付けた衝撃が彼女の気力を削いでいた。

 どうせ川下に向かう予定だったのだ。
 へばりながら歩くよりも、流されていた方が早く目的地に到着できるような気がした。こうしてヤオは残った気力を振り絞って水の妖精を呼ぶと、川にぷかぷかと浮かびながら流れに身を任せることに決めたのである。




 草原の真ん中に沼と呼ぶには大きく、湖と呼ぶにはやや小ぶりの……ここでは湖と称するが水面が大きく広がっている。

 その畔には瀟洒な建物が建ち、緑豊かな庭園には色彩溢れる花が咲き誇っている。

 周囲は森と林に囲まれて、風光明媚。レレイならずとも居着いてしまいたくなるようなそんなお館だった。

 空には、白い鳩が何羽も舞っている。

 鳩舎があるのでここで飼われているのかも知れない。他には馬や、家禽類などを飼う小屋がある。湖には生け簀があり、この館の主は、生活する上で必要な物のほとんどを自給自足できるようにしていたようである。

 今、レレイの目の前では、芝の庭に敷物を敷いて、集まった皆で楽しくお喋りしながら食事を楽しむという催しが開かれていた。参加者は、主賓として梨紗と、彼女を取り囲む女性騎士達で、実に華やかな風景である。

 聞けば皆、梨紗の作品を崇める者だと言うことであった。名付けるなら「梨紗様を囲む会」と言ったところだろう。

 皆、彼女に作品の続きがどうなるか自分だけに明かして欲しいとおねだりしたり、逆に今後の展開についておずおずと希望を述べたり、芸術談義に花を咲かせたり、船遊び、お茶会、あるいは乗馬といった貴族趣味丸出しの遊びに誘ったりしている。

 そんな光景を見せつけられているレレイは、敷布の隅の方に一人座って、モソモソと食事をしていた。いつものように表情の乏しい顔つきをしているが、その実内心はとっても不機嫌である。

 いや、不機嫌と言う表現は的確ではない。
 強いて言うならば、我慢できない程ではないとしても微妙な不愉快さと、疑念に類する違和感が混在した、陰性の何かを感じ続けているのだ。

 レレイは、蜂蜜酒を傾けながら、この不快感の理由について考えをまとめていた。

 発端は、ピニャが用意してくれた、この館に案内されことに始まる。

 この館は、このあたりを領有していた地方郷士ベルモット家のものだったと言う。
 その郷士は銀座事件に出征し戦死してしまった。さらに自衛隊によってアルヌス一帯が占領され、このあたりも自衛隊の勢力圏に入ったため、戦禍を畏れたベルモットの未亡人と娘達は帝都へと避難した。

 以来、この館は使用人夫婦によって維持されて来たと言う。

 レレイが、ピニャに身を隠すのに協力をして欲しいと頼んだのは帝都で療養していた時だから時間的には不可能ではないと思うが、それから此処を探したと言うのはいささか手回しが良すぎるような気がするのだ。

 気になって「自分のために無理をさせたのでは?」とニコラシカに訊ねてみた。すると次のような説明が帰ってきた

「実は、梨紗様を皆で歓待しようという話は、以前から出ていたのです。その為の物件も、以前から探しておりました」

 なるほど、解る話である。自分はついでとしてここに匿ってもらえることになったのだ。
 だが、それはそれとしてもおかしい。

 レレイが伊丹の元に戻るのは、門を閉めてからと言う話になっている。(伊丹がレレイを見捨てて、日本に帰るという選択をしなければ、だが)

 もし、この打ち合わせ通りに事を進めるなら、梨紗を日本に帰すつもりが無いことになってしまうのだ。何故なら梨紗を日本に帰すなら、通り道のアルヌスで伊丹と会うだろうし、その時にレレイとここで出会ったことを話す可能性があるのだから。

 いや、邪推が過ぎるかも知れない。

 梨紗が日本に帰る時、伊丹に会うとは限らない。会ったとしてレレイの話が出るとも限らない。だが、「……とは限らない」という可能性の展開を、自分にとって都合良く解釈するのは愚者の為すことだ。伊丹と縒りを戻すことを狙っている梨紗が、特地に残るという彼と会わないなど考えられるだろうか?そして、伊丹がレレイを心配していると知ったら、当然の事ながら此処で会ったという話もするだろう。

 梨紗を歓迎するために用意した館で、レレイを匿うのは経費などを考えれば確かに合理的だ。だが、そうならばレレイと梨紗が顔をあわせないようにしなければ、ならなかったのだ。

 なのに今のように、梨紗もレレイも、パナシュやニコラシカも皆一緒になって会食している始末である。とすると、会わせてもかまわないと思わせる何かが前提として存在するのだ。

 勿論、単なる「考えなし」と言う可能性もある。もし、そうならこの話はここで終わりにできる。だが、そうでなかったとしたら……。

 考えられるのは、梨紗をこちらの世界に引き留めるつもり、と言うことだ。

 ピニャはこちらに芸術の導入に熱心だったから、その蓋然性は高いだろう。だが、それならば、今頃梨紗に説得攻勢をしてないといけないはずだ。ところが、みんな梨紗をちやほやするばかりでその気配はない。

 まさか、門を閉じるまでなし崩しに引き留めておこうと考えているのか……しかし、それでは拉致だ。それが日本政府を、そして伊丹をどれだけ怒らせるかは、ピニャとて承知のはず。まずはあり得ない。

 レレイは、唇を噛んだ。

 このように、状況を構成する要素が、符合しないのだ。どこかしっくり来ないことが、不快感の原因となっている。

 レレイは、小さく嘆息すると、トルティージャという小麦を練って円盤状に焼いたものに手を伸ばすと、カリカリになるまで焼いた鳩の胸肉や、野菜などを挟み込んで口へと運んだ。

「この肉は、こちらで飼育した鳩のものなんですよ」

 側で鳩の肉を焼いていると管理人夫婦が、食材の鳩についての蘊蓄を語り出した。これにパナシュが飛びついて耳を傾ける。

「こちらでは、鳩を随分とたくさん飼っているのだな?」

「ええ。亡くなられた親方様は、鳩を食用としてだけでなく、様々な利用法を考えておられました。羽を枕や布団の詰め物にしたり、それに遠くに連れて行っても、ここに戻ってくると言う性質を利用して連絡用としても、育てておりますです」

「へぇ、鳩にそんな使い方が?」

 …………ふとレレイは、食事の手を止めた。

 この状況が整合するのは、ピニャが門の再開通を妨げようという意図を持っている場合だと気づいたのだ。

 そうすれば梨紗を拉致しても、日本の機嫌を気にしなくて良い。なにしろ、日本との関わりを断ってしまうのだから将来の抗議や干渉も気にする必要はない。しかし、門の再開通を阻む動機がピニャにはない。そもそも門についての主導権も彼女にない。門の鍵を握るのはアルヌスを掌握する日本政府であり、再開通を担う自分……。

 レレイはこの思考の延長線上で、ピニャが自分に対して害意を有している可能性にもたどり着いた。

 だが、そんなことをした場合、様々な危険を背負う可能性がある。伊丹、ロゥリィ、テュカの3名は怒る。テュカはまだしも伊丹や、ロゥリィを怒らせることは、ピニャとて嫌なはずだ。

 ……否、その点は簡単かも知れない。

 直接害したと言われないようにすればよいのだ。例えば事故か何かで、行方不明という形にしても良いし、あるいは盗賊かなにかに襲撃されたという状況を演出しても良い。

 ここまで考えてレレイは、頭を振った。

 考えすぎだ。実現の可能性はあったとしても、ピニャが門の再開通を妨害する動機がないのだから。それに、レレイの頼みに快く応じてくれたピニャをここまで悪し様に疑うのもどうかと思う。

「どうなされたかな?レレイ導師閣下」

 後ろめたい思考に集中していたため、背後からかけられた野太い声に思わず吃驚してしまった。

 ゆっくりと振り返ると、中年の男性騎士がそこ立っていた。
 グレイ・アルドだ。騎士団には男性の騎士も少なからず在籍している。女性のほとんどは梨紗の接待に回っているので、館周辺の警備などは男性が担当していた。そしてグレイが全体の指揮を統括しているのだ。

「小官が見るところ、導師閣下は先ほどからちっとも食事が進まないご様子」

「…………食欲がない」

 レレイはそう言って誤魔化した。自分がここであなた達に害される可能性を検討していたなどと口に出して言えるはずがない。

「それは宜しくありませんぞ。導師閣下は少し痩せぎすでらっしゃるから、もう少し食べられた方がよろしい。女性はふくよかなのが一番です」

 グレイの視線が、自分の発展途上の胸や腰回りを舐めたので、レレイは少しばかり機嫌を悪くした。

 これでも以前から較べれば肉が付いて丸みを帯びてきた方なのだ。
 でもテュカなどと並ぶと伊丹の視線は、どうしても彼女の膨らみを感じさせる胸とか、締まった腰とか、臀部から脚の滑らかな曲線に吸い寄せられて行く。女性的な魅力という意味で、自分はハイエルフの娘に明らかに劣っているのである。

 じゃあ、グレイの言うように、たくさん食べてふくよかになれば良いかと言うと、そうでもない。栗林の凶悪なまでのバストとか、ヤオの成熟した肢体を見れば、羨望の念が湧いたり、劣等感が疼いたりもするが、実のところあそこまではなりたいとも思ってない。

 何故なら、伊丹が、いかにも女というタイプは好まないと言うことが、観察の結果解って来たからだ。彼の好みは、若干細身でいて胸や腰回りでさりげなく、それでもしっかりと女性的な魅力を主張しているタイプらしい。そして、その意味で丁度良いのがテュカということになる訳である。

 とは言えレレイも16才。食生活が改善された今、以前に比べればいろいろと成長している。もう少し成長できれば、テュカ程度にはなれると期待しているのだ。そう、未来があったはずなのだ。
 だが、帝都で療養していた時、永遠の少女であるロゥリィからは、こう宣告されてしまった。

「レレイは、もう今以上にはならないわぁ。いや、なれない、と言うかならないでぇ!」

 変な話だが、レレイはテュカに劣等感を抱く。テュカはロゥリィに劣等感を感じる。ロゥリィは何故か知らないがレレイに劣等感を感じるという関係が、これまで3人の中で成立していた。そして、ロゥリィの自分に対する劣等感の根源はここにあったかと思い知らされた一言であった。
 一緒に床に入った時、ロゥリィの口から出た「わたしたちぃ、仲間なのよぉ!」と言う呪詛めいた囁きは、レレイの深層意識に楔のように残った。そして、この言葉を聞いて以来、なんだか自分の成長が止まってしまったように感じて、いろいろと不安な今日この頃なのだ。

 深く考え始めてしまったレレイの姿は、言葉を掛けたグレイを大いに困惑させた。

 相伴していたニコラシカや、パナシュ達からの毛虫でも見るような視線が、年若い乙女が機嫌を害した理由を説明している。すなわち、グレイの軽率な一言が原因であると。
 なんとかして機嫌を取らなければと思ったグレイは慌てて話題を変えた。

「し、しかし、リサ様はご婦人方に人気ですなぁ。接待役の皆がこれでは、導師閣下もお寂しいでしょう?宜しければ船遊びなどはいかがですかな?小生がご案内いたしますぞ」

「別に良い」

 拗ねたように唇を尖らせるレレイ。グレイはさらに慌てた。

「いやいや、ご遠慮召されるな。なぁに、漕ぐのも何もかも、小官がいたしますから、導師閣下は座っておられればよいのですよ」

 あまりに熱心に誘う物だからレレイも、頑なに拒むのはかえって失礼と思った。そしてグレイの申し出に応じて船に乗ることになったのである。




 湖に小舟が滑るように進む。

 鏡面のような水面を小舟の舳先が切り裂いて、波紋がおおきくゆっくりと広がっていく。

 グレイがオールを漕いで、艫に座ったレレイは水面の下を覗き込むように、湖をに見入っていた。

「静かですなぁ」

 グレイの言葉にふと周囲を見渡す。いつの間にか、岸から離れて湖の真ん中近くまで来ていた。周囲には誰もいない。岸辺は遠く、屋敷は小さく見えた。

「導師閣下は、周りが煩いのは苦手とお見受けしますが、お節介でしたか?」

 どうやらグレイは、レレイが女性騎士達のかしましさに辟易としているかと思って、気を回したと主張しているのだ。

 レレイとしては、それほど苦痛に思っていたわけではない。とは言って自分に対する気遣いには違いないので、お礼を言葉を述べた。

 するとグレイは言う。「殿下より、くれぐれもと言いつかっておりますので」と。

 話題に出たのも都合がよいので、ピニャについて訊ねることにした。

「殿下は、貴方達にとってはどのような人?」

「殿下ですか?大事な主君で、騎士団の長ですな」

「今では帝国の後継者候補でもある」

「『候補』の言葉、はもうじき外れますぞ」

 すぐに正式な後継者となると、グレイは自慢げだ。

 レレイは彼女に皇帝なんて仕事が勤まるか心配だと返した。それはある意味、無礼とも言える発言である。だがグレイは、それがピニャのことを案じたものだと受け取ったようで、小さく笑った。

「そうですなぁ。殿下は、いささか神経が細いところがございます。女性としては細やかさ、繊細さは美点でしょうが……」

 一国の指導者としては、それは欠点とも成りうる。言葉を濁したもののグレイはそう思っているようだ。

「将としては、それは欠点?美点?」

 グレイは、オールを漕ぐ手を止めて「難しいですなあ」呻く。

「余裕のある内は、実に繊細で計算高い指揮をされます。我慢強く困難にもよく耐えられますが、実のところそれはやせ我慢。ぶっ倒れるまで周囲に助けを求めません。演習なんかで、敵に粘られて状況が混沌として参り、いっぱいいっぱいになってしまうと、一か八かの突撃、なんて言う無茶な命令を出されることもありました」

「その為の幕僚。誰かが諫めるべき」

 グレイは、レレイの指摘に降参するかのように両手をあげた。

「実に、耳が痛い。ですがそれが出来ない小官等は、どれほど理不尽と思える命令でも、従うしかないのですよ」

 クレイはそう言うと、腰の剣へと手を掛けたのである。





    *    *





 アルヌスの頂きに向かうための前進壕工事は、思ったよりも早く済んでいた。

 工事を主導するドワーフの能力もあったが、敵の妨害に類する行為がほとんど無かったこともその理由となるだろう。敵は少数。防備を固めるだけでも精一杯なのかも知れない。あるいは、余計な手出しをすることで、自衛隊が介入の理由にすると畏れている可能性もある。

 自分達がごり押し、開き直り、詭弁を使いまくったが故に、相手もそうすると思っているのだ。

 前進壕は、ツルハシで大地を削り、円匙(えんぴ)で土を掬い、モッコで運び出すという方法で構築された。

 工事終了を告げる現場監督のドワーフと工事参加者に対して、伊丹は義勇兵達と共に、その苦労を労う。

「おっ!おい、お前等。施主さんがお出でだ。ご挨拶しろい!」

 現場監督らしい恰幅の良いドワーフの声に従って、円匙やツルハシを抱えるドワーフ他亜人達が頭を下げる。

 実に粗野だが、野卑な感じは一切ない。ただ、施主さんという呼び方は翻訳の問題か、あるいは彼らの習慣だろうか……もっと他に表現があるのではと思う。
 ま、社長と呼ばれないだけマシだが。

「うむ、ご苦労。作業の手を止めて済まない。続けてくれ」

 これを受けたピニャは皇女らしい態度で鷹揚に応えた。
 伊丹は、敬礼するのも変な気がしたので、彼らと同じような感じて右手を後頭部に当てて日本人的な挨拶を返した。

「では、ご注文通りかどうか、ご確認下せえ」

 現場監督のドワーフに案内されて、伊丹は前進壕へと入った。

 丘の頂を攻略するにあたっての問題は近接するまでに敵の銃火、弓矢等による反撃を受けることにある。

 これによる損害を防いで、敵に近づくことを可能とするのが、前進壕である。伊丹は、地形と作業の容易さから、計3本の電光型交通壕の構築を依頼した。

 電光型の交通壕は要するにジグザクに折れながら前進する壕を掘ることである。

「底面の横幅は50㎝、立位用として深さは1.8メートル」

 要所要所で、深さと横幅を確認する伊丹。

 掘り出した土は、依頼した通りに敵側に盛り上げて銃火を遮蔽するための積土にしてあった。

「施主さん。溝を掘るっていうのは、わかりやすがね、途中で折れ曲がってるのはなんででしょう?これがなきゃ、作業はもちっと早く済んだんですがねぇ」

 言われたままに作るのは吝かではないが、自分の作った物がどのような機能を有しているのか、どのような意味があるのか職人ならば誰しも気になるものである。

「真っ直ぐだと、例えばでっかくて丸い石を上から放り込まれたら、どこまでも転がってちゃって、中にいる人間、みんな押しつぶされちゃうでしょう?途中で折れ曲がっていれば、そこで止められるからね」

 実際は、大きな石ではなく、砲爆撃の衝撃や破片等による被害を最小限に防ぐためである。が、意味としては同じなので説明としてはこれで良いのだ。

「この溝に隠れていれば被害を出さずに、出来る限り敵の要害に近づけるわけだな……う~む」

 ピニャも感心したように呻いた。実際、壕の底に立つと外の様子は一切見えない。壁にしつらえられた段に乗ってはじめて、頭を外に出すことが出来る。

「お姫様、気をつけてください。敵が撃ってきやすぜ」

 現場監督が言うには、敵の狙撃で、作業中犠牲者が出たらしい。

 壕内には他に待避壕や、雨が降った際の排水溝などが作られていた。前進壕で丘の中腹にまで近づくと、そこから壕は前進せず、今度は横に延びて行く壕が平衡して3本しつらえられていた。しかも、これに附属する形で、魔導師達を配置する個人用の掩体までも各所に設けられている。

「銃が一般的に使われるところでは、このような防塞をもって向かい合うのだな。この方法を用いていれば、我が軍も全滅などと言う酷いことにならずに済んだろうに」

 講和条約に調印したとは言え、日本と帝国はついこの間までの敵である。ピニャとしては、こんな戦術を教示されれば、日本を仮想的として戦術を考えてしまうのも仕方のないことだ。

 だから、伊丹は「内緒ですよ」と言って唇の前に人差し指を立てた。

 折角喜んでいるのだから96式 40mm自動てき弾銃とか、ブルドーザーで埋め立てる攻撃とか、迫撃砲とか、航空爆撃、気化爆弾の恐ろしさなどを説明して、彼女の機嫌を損ねる必要はない。何しろ、日本と帝国は和平を結ぶのであり、もう戦争など起きないのだから。

 それを諧謔と受け止めたピニャは、小さく苦笑しながら「内緒だな?」と頷いた。

「よし、これでいい」

 点検を終えた伊丹は、現場監督に礼を言うと、壕を逆行すると皆の前へと戻った。

 既に全員、急ごしらえの梯子など攻城用の器具や、槍、弓といった武装を整えて伊丹の指示を待っていた。

 自衛官達は、攻撃の時期や指示を伝えるための連絡員や、迫撃砲手としてに配置される。

 伊丹の前に並ぶ義勇兵達の中に、オリーブドラブの生地に桜の意匠を描いた旗を持つ者がいた。レレイよりちょっと年上だろうか。まだ幼さの残る顔立ちをした少年だった。だが、この世界では既に成人として扱われる年齢であることを思い出した伊丹は、少年の肩を軽く叩く。

「それは?」

「緑の人の旗です。僕が作りました」

 勝手に作って不味かったですか?と問いたげな表情に、伊丹は笑顔で応えた。

「いい旗だ。今日から君たちは緑の人だ」

 これを聞いた戦士達が楯を叩いて一斉に雄叫びをあげた。

「ハウッッ!!!!」

 だがピニャはものすごく嫌そうな表情をしている。緑の人の名を持つという希少価値が薄れるとでも思っているのかも知れない。

「さて、この少年が倒れたら誰が、この旗を担う?」

 伊丹は皆に尋ねた。しばし返事がなかったが、程なくして人垣の向こうから「儂が担いましょう」と老人が進み出た。

「村長……」

 コダ村の村長だった。

「お久しぶりですじゃ。儂も昔は戦に出たことがありましてな」

「村長の勇姿は未だに憶えてますよ」

 子供達を守るために、帝国の兵士相手に一歩も退かなかった姿は、ロゥリィからも祝福された程だ。

「さあっ、では行こっか」

 伊丹はそう言うと、戦士達を引き連れて交通壕へと入った。
 彼に続く人々は、どこまでも続く長蛇の列となっていた。





    *    *





 塹壕が戦士達でだんだん満たされていく。梯子はかさばるので、壕の外に置かれるが、誰も彼もが手に武器を抱えて、押し合いへし合いするほどに詰め込まれていく。

 その様子を見て、ロゥリィも伊丹の考える戦いが理解できた。この壕は川の水を引き込む溝のようなものなのだ。そして、この中に戦士という水を一杯に満たし、堰を切ったようにして一斉に敵に嗾(けしか)ける。その為の、仕組みなのだ。

 それを見ていたロゥリィは、戦いの歌を唄いながら、悠然と壕の外を歩いて丘を登っていく。

「おいロゥリィ、大丈夫なのか?」

 壕の中から呼びかける伊丹に、ロゥリィは肩を竦めて「大丈夫よぉ」と返した。

 時折、飛んでくる銃弾などロゥリィにとって大したことがない。いちいち当たっていると痛いし面倒なので、愛用のハルバートを楯にして弾いている。

 ロゥリィは自分を破城槌と見なしていた。戦いとなれば敵陣を切り裂き、突き破る槍の穂先だ。だから戦いが始まれば、誰よりも率先して突き進み、防御をうち破る。

 そのつもりでいた。

 だが、丘の上を見上げると、ドラゴンのような翼を大きく拡げた亜神がロゥリィの前に立ちはだかった。神官服の白ゴスに、何故か食堂勤務のエプロンをしている。片手には大鎌を抱えていた。

「ハーディ、あんた何のつもりぃ?」

「お姉さま、少し、ヒトのまつりごとに関わり過ぎっすよ」

「世界が終わるのを防ぐためよぉ」

「お姉さま、忘れちゃ困ります。主上さんはこう申されたはず。『門に託しているものが多い人間が、門を自ら閉じることが出来るか、見てみたい』と。門を閉めるのは人間でなきゃいけません。お姉さまの出番は別のところっす」

「何よ、じゃぁこのわたしぃに、黙って見てろって言うわけぇ?」

「いいえぇ。いくらなんでも無理でしょう。ですから主上さんから、オレがお姉さまのお相手するようにと仰せつかったっす」

 ジゼルはそう言うと、大鎌を構えた。










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今月中終了はどうみても無理ですね。
次回はいよいよ戦闘開始。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 71
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/06/02 19:37





71





「こんにちは、栗林菜々美です。
 視聴者の皆様、私は今、特地のアルヌスの麓に立っています。
 私の後ろに見える丘の頂は今、『ディアボ軍』を自称する武装勢力が占領しております。これによって日本と、この特地側の連絡は一切断たれており、今日本で何が起きているのか私たちには知ることが出来ません。またこちらの様子も伝えることができません。いずれ日本との連絡がとれるようになったその時のために、私たち取材班は収録を行っています」

 菜々美は、薄汚れた服装と頬を汚した姿のまま、マイクを握っていた。音声には、風に乗って遠くから伝わって来る爆発音も入る。

 だが、カメラマンも音声も、ディレクターも始終無言で彼女が話すことを、淡々と記録に残していくだけであった。

 日本と連絡が途切れた今、彼らは自分達だけで判断し仕事を進めるしかなかった。その中にあって、出来ることはただ1つ、事実を伝えるという基本に従うことだけなのだ。

 菜々美は森の中の自衛隊にカメラを向けさせた。
 そしてここに集められて手当てを受けている帝国の使節や、アルヌスで働いていた亜人達の姿を収録する。

「先日の毒ガス攻撃による犠牲者は、数百名を越えました。幸い治療が間に合って助かった方々は少なくはありませんが、それをはるかに越える数の民間人が犠牲となっています」

 収容された遺体が、腐り出す前にと焼かれる光景も、その炎に耐えながら出来る限り近づいて撮影した。

「治療のための薬剤は、武装勢力によって制圧されている診療施設内にあるため、陸上自衛隊の精鋭が潜入してこれを回収して来ました。そうしなければ、今よりも多くの犠牲者が亡くなったはずです」

 再びカメラマンは、栗林菜々美の姿と共に、丘の風景へとレンズを向ける。

 丘の山頂付近は、そこかしこから爆煙が上がっていた。

「つい先ほど、帝国の皇女ピニャ殿下率いる、義勇軍からの攻撃が始まりました。殿下は帝国皇帝の名代として、今回のアルヌス占拠を帝国に対する重大な反逆行為であるとして、実力でこれを排除される決断を下されたのです」

 コンクリートで作られた防塞に激しい砲撃が加えられていく。
 遠目でもその攻撃の激しさが窺える。きっと、武装勢力にとっては生きた心地がしないだろう。

 それは、カメラから少しばかり離れた場所に設けられた陣地から行われている迫撃砲による攻撃だった。

 特地に持ちこまれた、64式81mm迫撃砲はすでに書類上は退役しており、日本に持ち帰ることなく弾薬共々この地で廃棄された。それを伊丹達が回収して来て用いているのだ。

 大地に落ちる寸前に頭上で炸裂する重榴弾の破片は、いかに個人用掩体に潜ったとして、被害を防ぎきれるものではない。何しろ、攻撃側は防御の設備の全てを詳細に知っているのだから。

 そして、砲撃の密度は異常なまでに高い。
 次から次へと砲弾を放り込んでは発射し、放り込んでは発射する。一発一発の照準を確かめるような事はしない。短い時間にどれだけの砲弾を発射できるかを競うかのような連べ打ちは、これまで溜め込んだうっぷんを晴らすような景気よさだった。

 こうして丘の頂きに立て籠もる武装勢力の人員と施設は、損害を受けていった。

 特に、甲冑と剣で武装した現地兵は、砲撃に対して無防備に身を曝して引き裂かれ、崩れた瓦礫の下敷きとなって、押しつぶされていく。

 あちこちで絶命の悲鳴と、救いを求める声があがった。

 だが、それを塗りつぶす爆音によって誰の耳にも届かなかった。よしんば届いたとしても、救いの手を差し伸べるほどの余裕がある者はどこにもいなかった。
 腹部から溢れていく己の臓物を支えながら「畜生っ!、なんだってディアボなんかに味方しちまったんだ、俺は」と、金に目の眩んだこと恨んだ。彼らのことごとくが生きたまま地獄へと放り込まれたのである。

 そんな中でも比較的マシだったのが反乱軍に参加していたアジア系の男達だ。

 何による攻撃か理解して、訓練通り素早く掩体や塹壕に飛び込んで頭を抱える。
 たまたま居合わせた同僚に「くそっ、日本軍の奴ら来ないはずじゃなかったのかよ」と両耳を押さえながら叫いていた。

 華々しい戦場での活躍を夢見ていたのに、頭を抱えてただひたすら耐えるだけで、人生が終わってしまう者も続出する。
 それでも止まない雨がないように、砲撃も終了する。永遠のような時間を経て、やがて飛来する砲弾の性質が変わったことに気づいた。

「煙幕弾だっ!」

「来るぞ」

 視界を煙幕で奪って置いての攻撃は、セオリーでもあるのだ。鹵獲した64小銃を握ると、爆音が完全に止むのを待った。




 その頃、伊丹は最前線とでも言うべき塹壕の中で、腕時計を眺めていた。

 正直言って、迫撃砲を頭越しに撃たれるのは好きではない。と言うよりおっかない。打ち上げて降ってくるという性質を持つその砲弾は、風の影響を実に受けやすく、下手すると自分達の頭の上に落ちてくる可能性もあるのだ。

「砲撃終了の時間まであと少しだ」

 耳が痛くなるような爆音が轟く中、伊丹は左右の皆に伝えた。その言葉は、伝言ゲームのようにして塹壕の中でしゃがみ込んでいる義勇兵達の間に広まっていく。

 皆、武器を構え、飛び出す心構えを決めて伊丹の合図を待った。

 時計の秒針が、数字の12を指した。伊丹は、立ち上がると腕を大きく振った。

「よし、突撃に前へっ!」

 一斉に戦士達が塹壕からわらわらと飛び出していった。手に剣と楯、あるいは槍を、そして弓矢を抱えて。それはまさに堰を切ったような勢いであった。

 外界は煙幕に覆われて、さながら雲の中にいるかのようだ。だが、方向を誤ることはない。ただ丘を登るだけで良いのだから。

「いけぇぇぇ!!」

「わぁぁあっ」

 あちこちで喊声があがって、戦いの狂走に心と身体を解き放つ。降り注ぐ銃火や矢玉に当たり、隣の味方が倒れ、目の前にいた誰かが突然崩れ落ちる。だが、それを飛び越えて、時に踏み越えて誰も彼もが、浜へと押し寄せる津波のように突き進んだ。

 だが中途に置かれている鹿砦や、鉄条網といった障害が彼らを阻む。

 立ち止まれば容赦なく浴びせられる弾雨によって、義勇兵達はたちまち打ち倒されてしまった。

 古田が伏せたのに倣って、皆地に伏せて身を隠したが、銃座は死角を塗りつぶすように据えられている。前方からの銃撃から身を隠しても、左右からの攻撃を受けてしまうという状況であった。

 身を隠していても、弾を受けて呻き声をあげて動かなくなるオーク。

 六肢族の兵士が針金でしかない鉄条網を掴んで、力尽くで道を開こうとした。だが、地面に杭によって打ち付けられており人力でどうにかなる状態ではなかった。そうしている間に銃火を浴びて倒れてしまった。

 古田は伏せたまま円匙を降って伏射用の掩体を掘った。彼が未だに無事なのは、防御側の戦力が圧倒的に不足していて、攻撃側の数が万に届くからだろう。

 予想では、武装勢力で銃を使える者は120名前後。六芒星の防衛線は6辺あり、これをまんべんなく配置するような馬鹿をすれば、一辺20名しか置けないのだ。かといって、一カ所に戦力を集中できるはずもない。どうしたって監視と緊急時の対応に人員が必要だし、銀座側も無防備にするわけにはいかないから、一辺の防衛に、最大40名と言ったところだ。

 弓や剣で武装した敵は、この距離では怖くないし、そもそもさっきまでの砲撃でかなり減らせたはず。

 古田はそっと頭を上げて、数メートル先の障害を目視した。機関銃手の古田はミニミ装備している。弾薬手は、エルフの男性に頼んだのだが、倒れたらしくついてきていなかった。

 前方の敵を見付けては、固定射をたたき込んでいく。そして射撃をしながら前進を阻む障害を確認した。

 対人用の鉄条網だ。形状は蛇腹式。これを3つ積み上げたものだ。これが義勇兵達を防塞の壁面にとりつかせることを妨げている。

 蛇腹式鉄条網とは、見た目には延ばしたバネかコイルのようなものだ。
 ただしコイルの直径がドラム缶サイズのため、この有刺鉄線が一本だけでも、対人用としてならば道を塞いでしまうことが可能なのだ。

 しかも、これが3つ積み上げてある。障害としての効果は絶大だろう。

 ただし、これには弱点がある。
 古田は周囲を見渡すと、状況を確認した。すでに周囲には義勇兵達が倒れている。その彼らが抱えてきていた長大な梯子があちこちに散らばっていた。

 古田は梯子の1つに手を伸ばすと「手伝ってくれ!!」と叫びながら抱え上げた。たちまち、周囲から皆が集まってきて皆で梯子を持ち上げた。

 当然ながら敵からも目立つ。

「フルタさん、伏せてっ!」

 テューレの声が聞こえて古田は思わず伏せていた。

 銃弾が集中してきて、古田の周囲に集まった皆は、瞬く間に皆が倒れていった。だが、一人倒れれば二人集まり、二人倒れれば四人集まるという勢いで、皆が梯子を抱えて走った。そして道を塞ぐ鉄条網の前に、梯子を押し立てる。

「いいぞ、手を離せっ!!」

 長大な梯子は、勢いよく前方に倒れた。その落下速度と、梯子その物の重さで所詮は極太の針金でしかない鉄条網を押しつぶしたのだった。

 こうして道が開かれた。

 これを見ていた皆が、あちこちで真似をして道を開いていく。

 開いた道を伝って、皆が前進を始める。
 だが、古田は周囲を見渡してテューレの姿を探した。だがいるはずがない。彼女は……機関銃を拾った古田は前方に山のようにそびえる城壁へと向かった。




「じぃぜるぅ?あんたわかってるんでしょうねぇ?」

 借金の返済はこれ以上待たないわよぉという言葉と共に、ロゥリィは両手で掲げあげたハルバートを、叩きつけるように振り下ろした。

 ジゼルは、大鎌で振り払うと後ずさった。
 勢いついた戦斧が大地を割り、周囲に土砂をまき散らす。だが、ロゥリィは無造作にさらなる一歩を踏み込み、地に埋まったハルバートを掘り出すとそのままの勢いで石突きを突き出す。

 怒濤の連撃にジゼルは唇を噛む。

「くっ、これがお姉さまの本気かよ!このオレが、時間稼ぎすら出来ないなんて」

「ほらほらほらぁ、壊れちゃいなさいっ、ポンコツっ!それとも借金を耳揃えて今すぐ返すぅ?」

「あわわわ、お姉さま、借金の件はちょっと、あわ、わひっ!!必ず返すから」

「別にいいわよぉ。借金棒引きの代わりにぃ、がらくたになってもらうだけだからぁ。うふふふふふふふふふふふふふふふ」

 無造作な乱打だが、そのひとつ1つが防ぐことすら難しい暴風だった。

「怯えなさいっ!竦みなさいっ!壊れてしまいなさいっ!」

「あうっ」

 ジゼルは大鎌をはじき飛ばされないように握っているだけで手一杯となっていた。

 ロゥリィはくるりと振り向いて、そのままの勢いで、ハルバートで脚を払ってきた。ジゼルの両足はものの見事に跳ね上げられて、ジゼルは背中から地面に倒れる。

「完全に手玉に取られてる……地面では無理か」

 慌てて、翼を拡げて空に舞い上がって距離をとる。ロゥリィの追い打ちが彼女の深縹(ふかきはなだ)色の肌を、わずかにかすめ、白ゴスを引き裂いていた。

「くっ、これならどうだっ?」

 ジゼルは破れ駆けた白ゴスを引き裂いて棄てた。元々視線の向け所に困る格好なのに、スカートを破き棄ててしまえば、ビスチェと下着だけになってしまう。だが、姿形など気に留めている余裕はない。ロゥリィの頭上をとると自由落下の勢いをつけて襲いかかった。

「ふうん、ちょっとはトカゲ並の脳みそを使ってみたってわけぇ?」

 迎え撃つロゥリィもハルバートを腰溜めに大きく引き絞る。そして、頃合いよしと見るや一気に跳ね上げた。

 だが、ジゼルもその縦割れた瞳を輝かせた。翼を拡げて突然、勢いを止めたのだ。

 タイミングをずらされてロゥリィは姿勢を崩しつつ、ハルバートも空を切った。

「これでどうだっ!」

 回転の勢いに引きずられて、チョーカーをつけたうなじから背中が見えるという隙だらけのロゥリィに斬りかかるジゼル。

 黒く塗装した翼竜の鱗を組んだ鎧は、黒ゴス神官服のデザインにもよく馴染んでいて違和感がない。ロゥリィの黒ゴスフリルのスカートが回旋力で大きく花開き、髪も土も巻き上げられ舞っていた。

 しかし、その下ではダンスステップのような華麗な脚さばきが隠されていた。
 ハルバートの重量に振り回されて一回転するように見せて、さらに踏み込んで回転を加速していたのだ。ぎゅっと締まった足首からのびるつま先がしっかりと体の重心軸を支え、二週目の加速を得て、倍加したエネルギーをジゼルに叩きつける。

「まだまだぁ甘いわぁ」

 金属の塊同士がぶつかる鈍い音とともに、その衝撃は大鎌ごとにジゼルの身体を激しく痛めつけて吹き飛ばした。アルヌスの丘の斜面にジゼルの身体はめり込んだ。

「くっ、戦いの神エムロイの使徒、死神の二つ名は伊達ではないってこと?やはり使うしかないか」

 ジゼルは、痛めた左腕を庇いつつ口笛で己の遣い魔を呼び出す。

 すると、大きな黒い影が大地を覆った。

 突然の乱入者は、ロゥリィをかすめるように通り過ぎる。

 一瞬の交錯に受けた攻撃が、ロゥリィにダメージを残していた。

「左腕が!?ふんっ、いいわぁ」

 ロゥリィはぶらぶらと垂れ下がるだけの腕を意識から棄てた。修復を待っていては戦えない。直ちに右腕一本での戦術に、頭も技も切り替えてしまうのだ。

 そして改めて亜神同士の戦いに乱入して来た敵を見据える。

 その巨大な敵は、とげとげのフォルムにジゼルと同種の翼を持っていた。その色彩は黒。そう、深い青みががった黒であった。

「なっ?!水龍ぅ?くっ、ハーディの奴ぅ、切り札をこんなところで切って来るなんてぇ。ここで神々の黄昏を演じるつもりぃ?」

「まさか。これも、お姉さまを止めるためさ」

「高く評価されてるわねぇ。いいわぁ、おいでなさい。ここで水龍を潰して、ハーディの計画とやらをぶっつぶしてやるわぁ」

 水龍の鋭い爪がロゥリィを襲った。





    *    *





 湖水の波が舟縁を叩く。その水音がわずかに響くなかで、騎士補グレイ・アルドは、額に脂汗をかきつつも絞るように告げた。

「導師閣下、貴女の敗因はその強力すぎる魔法ですな」

 レレイの放った魔法の一撃は、斬りかかって来たグレイのみならず、二人の乗っていた小舟の底にまで損傷を与えていた。

 舟はじわじわと侵入してくる水によって、少しずつ傾き、その水かさは二人の踝にまで達しようとしている。

 レレイは、足を浸していく水を畏れ、腰を上げようとした。

 だが、苦痛を堪えながらも左手で剣を構え、切っ先を向けて来るグレイの眼光は鋭く、わずかに身じろいただだけでも攻撃を誘ってしまうそうであった。一足一刀の間合いに居る今、隙を僅かでも見せることは自殺に等しく、迂闊に動くことは出来なかったのだ。

 レレイは、杖を構える姿を保ちながらグレイの状態を観察した。

 咄嗟に放ったレレイの一撃は、グレイの右胸から肩、鎖骨を抉り大穴を開けていた。

 そこは、人体においては急所である。本来ならば大出血を誘い、ほんの数秒で人事不省になっているはず。しかし彼女の魔法は、傷を炭化させるほどの高熱を放っていた。そして、肉を焼かれ大出血が防がれたことが、グレイを瞬間的な絶命から救うこととなったのである。

 ただ、それが彼にとって良いことであったかは解らない。

 何しろ身体を焼き穿つ激痛だ。
 少なくとも煉獄の責め苦にも等しいはず。それに出血が完全に防がれているわけでもなく、彼の右半身には赤い染みがじわじわと広がっており、足を伝ってボート内に侵入した水までも薄紅に染めている。

 グレイの命が尽きるのと、舟が沈むのと、どちらが早いかと言った状態であった。

 対するレレイは、左肩から胸部にかけてをグレイの剣によって斬り付けられていた。

 魔導師のローブは完全に両断されて、その下に着込んでいた翼竜の鱗を連ねた鎧が露わとなっている。

 本来ならばこの一撃でレレイは絶命していただろう。だが、コダ村の子供達がその手で紡いだ防具が、彼女を守りレレイの身には傷1つつかずに済んだのである。従って、勝利したのは紛れもなくレレイのはず。なのにグレイは己の勝利を宣言していた。

「このまま、舟が沈むまで待っていれば小官の勝ちですな」

「貴方も助からない。勝利とは言えない」

「いいえ、軍人にとっては任務を完遂することが勝利なのです。小官一人ならば、許容できる損害と言えましょう」

「許容できる損害?」

「まぁ、そうですな。前途有望な少女一人と小官とでは、とても釣り合わないでしょうが、ここはどうぞご容赦を願います」

「…………」

 そんな問答をしている間にも、水かさは膝近くまで上がってた。

 ひたひたと押し寄せて来る冷たさに耐えきれなくなって、レレイは腰を上げた。

 この瞬間、グレイは激痛を堪えながらレレイの喉元に剣を突き立てようと一歩を踏み込んだ。それは、大きな水しぶきを跳ね上げての刺突であったが、レレイが身を捩って、舟の前側にいたグレイと入れ替わるようにして躱したためにあえなく空を切った。

 だが、これによって沈みかけた舟は大きく動揺した。

 あわてて安定を取り戻そうとレレイは舟の舳先にしがみつく。
 彼女の身体は押し寄せて来る水への恐怖で小刻みに震えていた。その奥歯は、知らぬ間にカチカチと鳴っていた。

「泳げぬのでしょう?溺れ死ぬのは辛いですぞ。息が出来なくて、苦しくなって、思わず吸ってしまうと空気の代わりに水が鼻や喉に入って来る。水を飲み、噎せて、ますます息が苦しくなる。そしてもがいてもがいて、意識を失うまでそれが続くのです。今、小官の手にかかっておられれば楽に逝けました……ものを」

 そこまで語ったグレイだったが、彼に残された力はここまでのようだった。

 膝をつくと、沈みゆく舟底に剣を突き立てて、それを杖がわりに身体を支えた。

「ここで死ぬわけにはいかない」

 抑揚に欠けるレレイの言葉に、グレイも共感したかのように言った。

「小官とて、死ぬのは恐ろしいです」

 そして、もう頭を上げていることすら耐えられないとばかりに項垂れた。

 舟は、侵入した水によって大きく艫の方へと傾きだした。これにより一時的に、レレイのいた舳先の方は持ち上がったが、これでいよいよ水の流入が激しくなり舟は湖底へと沈む勢いを早めた。

 レレイは、少しでも水から離れようと、少しでも高いところへと昇った。

 グレイはもう出血と激痛で、動くことも出来ない様子。その顔は血の気をすっかり失って、目の下は黒く染まる死相を、はっきりと示していた。
 腰まで浸かっていた水は、グレイの胸、そして肩まで上がる。

 舳先にしがみついているレレイも、腰までがすっかり水に浸かってしまった。

 やがて、グレイの身体が完全に水没した。そしてレレイもまた、沈んで行こうとしている。

 腰から、肩まで。

 肩から、首元まで。

 首元から、口、耳元まで水面が迫って来た。

 ここまで来てもなお、レレイは悲鳴を上げようとしない。

 恐怖に身を委ね、悲鳴を上げても、泣き叫んでも決して助かるものではないと知っているからだ。
 周囲を見渡して、何か助かる術はないかと探した。流木、群生している浮き草、何でも良いのだ。だが、この水の澄んだ湖にはその類の物は一切見当たらなかった。

 それでも、ぎりぎりの瞬間に至ろうとも理性を手放さない。何があっても泣かない、叫ばない。それが彼女にとって誇りでもあったからだ。唇をぎゅっと噛んで、近づいて来る水面から逃れるべく足掻き続ける。

 グレイが沈んだ今、ローブの下の鎧は必要がない。重いだけなので外してしまうことにした。だが、水中では濡れた衣服そのものを脱ぐことも容易ではなかった。ましてやその下の鎧を外すことなど、とても出来ることではなかったのである。

 ついに、舟が湖底に向かって吸い込まれるように沈んでしまった。

 身体を支える物を失ったレレイは、懸命に己の浮力に頼って顔を上げて、水面にしがみつこうとした。

 だが、身体を浮かしておくための効率的な手足の動かし方を知らないレレイにとって、水を叩き、足をばたつかせる努力も虚しいものでしかなかった。

 急速に手足が重くなり、水面に顔を出してることすら難しくなり、やがて彼女の身体は完全に湖に飲み込まれてしまったのである。

 水面は暫くのあいだ、浮き上がってくる気泡によって波立っていたが、それも程なくして静まる。

 後には、鏡面のような水面だけが何事もなかったかのように残されていた。





    *    *





 塹壕内の一角に設けられた指揮所。

 身を乗り出して双眼鏡を覗いていたボーゼスは、刻一刻と変化していく戦況を、報告していた。

「イタミ様。左翼のロゥリィ聖下とジゼル聖下の戦闘に、水龍が参入!」

 地図に、青戦で味方の状況を書き加えていた伊丹は、眉を寄せながら頭を上げた。ピニャも鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。

「え?何が参入したって?」

「水龍です」

 その報告にピニャは、ヒッと小さな悲鳴を上げた。
 ジゼルが何を考えてロゥリィと、そして自分達に敵対しようとしてるのかは解らないが、古代龍たる水龍までもが敵に回れば、義勇軍などあっと言う間に蹴散らされてしまう。

 普通の兵士ならば、水龍が姿を見せただけで逃げ出してしまうだろう。義勇兵達がいまだに戦意を保つことが出来ているのも、戦いの神たるロゥリィと、緑の人の名が彼らの背中を支えているからでしかない。

「水龍?」

 確認するように訊ねる伊丹に、ボーゼスは淡々と告げた。

「はい……水龍です。そのせいで聖下の状況は、膠着状態に陥りました」

 伊丹はボーゼスが手にしている双眼鏡を、横から覗き込んだ。すると、その狭い視野の中で巨大なドラゴン相手にロゥリィが戦っているのが見えた。

 だが、伊丹の目にはボーゼスの言うような膠着状態とは見えなかった。ロゥリィが圧倒的に押されて、防戦一方になっている。しかも彼女への援護はない。ロゥリィのいる左翼の塹壕には、後方からも梯子や槍先、ちらちらと兜の尖端などが見えて、義勇兵達が待機しているように見えるが、その実態は、武装勢力を牽制するための人形や案山子であり、壕内には誰も残っていないのだ。

 伊丹は舌打ちしたい気持を抑えて、強ばった顔を無理矢理左右に引っ張った。
 今にも、逃げ出したい気持がこみ上げている。だが、逃げ出すにも行く所など無い。気分を落ち着かせるために冗談として「逃げようかな」などと言ってみたくもあるが、それも今のような状況では許されない。

 皆が不安に駆られて伊丹を見ているのだ。ピニャが悲鳴を上げて怯えてくれた分、伊丹が強がりを示さなければならなかった。

「中央と右翼の戦況は?」

「すでに城壁に取りついてますが、皆、聖下と龍の戦いに見入ってしまって」

 戦いは、梯子が無数に立てて戦士達が蟻か蜘蛛のように登っていく段階にまで進んでいた。

 敵はそれを上から石を落としたり、銃撃したり矢を射かけたりして追い散らそうとしていたのだ。

 矢を受けて梯子のてっぺんから落下していく戦士が、下に居た者まで巻き添えにしてしまう。それでも、梯子があいたと見るや戦士達が次々と昇っていく。

 敵味方の間を無数の矢が飛び交い、石を落とそうとしていた兵士が下から無数の矢を浴びて転落する。

 魔導師の放つ火球が壁面を焦がし、あるいは武装勢力の兵士を火だるまにする。

 そんな戦いの熱狂が、翼竜が上空を舞った瞬間に、止まってしまったのである。

 まるで、映画監督が「カット」の声をかけ、それをきっかけにエキストラ達が芝居を止めてしまったかのようである。

 敵味方の双方が、ロゥリィと水龍の戦いに見入っていた。アジア系の兵士達も、初めて見るドラゴンの姿に魂を奪われたかのように、ぽかんと口を開けたままつっ立っている。

 ロゥリィの支援に行かないと、な。

 おそらく、水龍との戦いの帰趨が、このアルヌス攻略の結果と結びつくのだろう。ならば今が進むべき時だ。

 伊丹がそう考えて傍らの小銃に手を伸ばした時、迫撃砲陣地にいるはずの倉田や、栗林、戸津と、笹川がやって来た。

「待って下さい、伊丹隊長!」

「あれ、なんだお前達。迫撃砲はどうした?」

 麓からずっと走って来たのだろう。皆、着いた途端、座り込んだり、膝に両手を当てて肩で呼吸していた。

「彼我が接近している今、迫撃砲の出番はもうないでしょ?一門だけ使えればいいかと思って東と、家族持ちと女に押しつけてきました。俺たちは前に出ますよ。龍退治、今度こそ参加させて下さいね」

 家族持ちとは桑原や仁科だ。それと女とは、ここに栗林がいる以上、黒川だろう。

「ちょっと待って。それじゃ、わたしが女じゃないみたいじゃないの?」

 栗林が倉田の言葉に異議を唱えてつつ目の前にあった頭をコツンと叩いた。倉田は「あ、痛てっ」鉄帽越しに頭を抱える。

 それを見て皆、笑った。乱れていた息も、寸劇の間に整ったようである。伊丹も、屈託のない彼らの姿を見て自然と腹が決まった。

「おいおい……しょうもない奴らだ」

 勝本が抱えてきた武器を自慢げに見せる。

「任せて置いて下さい。迫撃砲を心ゆくまでぶっ放して、龍退治して、その後に敵陣突入なんて言う三面六臂の活躍、普通の任務じゃ絶対に出来ないですからね」

 大抵の自衛官は、迫撃砲を撃つなら撃つだけが任務だし、突撃するなら突撃するだけが任務となる。両方を兼ねると言うことはまずありえない。だが、今回は好き勝手出来るとばかりに、皆お気に入りの武器で身を固めているのだ。

 64小銃は当然だが、それに加えて110mm個人携帯対戦車弾を背負い、手榴弾をまるで数珠のようにしこたまぶらさげていた。何かの映画か、戦場アクションもののゲームに挑むような気分であるらしい。

 笹川は、手榴弾のかわりに小銃擲弾ばかりを大量に雑嚢に収めていた。

 倉田達の背後には、フォルマル家のメイド、ペルシアやマミーナ達もいる。それぞれに使い慣れた剣や弓で武装していた。伊丹に亜神やエルフや、魔導師が憑いているように、倉田達にはこのキャットピープル達がいるのだろう。

「よし行こうか。彼奴を倒せるかどうかで、この戦い決まるからな。そうそうLAM(110mm個人携帯対戦車弾)の使い方間違うなよ。プロープは出しておけ。それと発射時に、後方に気を配れ。前に、仲間を吹っ飛ばした奴が居た」

「わかってますよ、隊長」

「い、伊丹殿……わ、妾も行った方が良いだろうか?足手まといになってしまいそうだが」

 背後からのピニャの言葉には、龍退治をしたという名声は欲しいが、かといって自ら行く気にはどうしてもなれないという迷いが感じられた。

 伊丹としては、着いて来れるならどうぞと言ったところなのでピニャの好きにすればいいと告げるだけであった。そして小銃を抱えると、装備を背負った。倉田達と顔を見合わせ、号令する。

「弾込めっ!」

 伊丹の号令を受けて皆が「弾込め」と復唱しつつ小銃の槓桿を弾く。
 弾倉から弾が装填され、金属同士を軽くぶつかる軽快な音が各員の小銃から響いた。

「いくぞっ」

「はいっ!」

 伊丹は、小気味よい返事をする5人そして、フォルマル家のメイド達と共に走り出したのだった。

 出遅れたピニャは結局の所前に進むことが出来ず、ボーゼスとともにその背中を見送るしかできなかったのである。




 戦士達が剣や槍を持ち、己の肉体その物を武器にして前に進む戦場では、魔導師達は己の無力をひしひしと噛みしめることになる。

 そもそも個別の戦闘と違い、戦場という環境での魔導師の力は、帯に短く襷に長いのだ。威力こそあっても、弓や投射武器に較べると射程が短い。一旦近づいて剣や槍の間合いに入ってしまえば、執り回しが効かず手数の上で不利になる。

 そうなると軍中における魔導師の役割は、補助か、負傷者の救命といった役割を担うしかないのだ。

 だがそんな中でもリンドン派の魔導師は、これを克服するべく日々研鑽を続け、魔法で武器や矢を投射し、炎をまき散らし、幻影を浮かべ、風の間に真空を走らせて敵と戦うといった魔法による戦闘技術の体系を築いて高い評価を得ていた。

 しかし、それでも魔導師は戦場の花形たり得ない。それが世の常識である。

 だが、レレイが学会で発表した爆発系魔法は、こうした常識をうち破る可能性を提示した。6人組となった魔導師が、呪文を唱え自分達の中心に大きな光の球体を浮かべる。そして、これを目標へと放つのである。

 今までは炎だった。しかし炎では木造の建物には効果はあっても、石壁相手では表面を焦がす程度のことしか出来ない。まして、一人の魔力では、敵の一人か二人を炎で焼き上げる程度の威力しかなかった。

 だが、この光球は違った。

 壁に直撃すれば大きく爆発して、その衝撃で割れ目を穿ち、周囲の兵士に多大な損害を与えることも可能となるのだ。

 もちろん、迫撃砲などの火器に較べれば射程は短く、効率も悪い。だが、風船のようにゆっくりとふよふよと飛翔し、魔法によって誘導されるので、動かない目標に対する命中精度は段違いなのだ。

 魔導師達は、敵に最も近い塹壕の中で円陣を描いて座り、呪文を唱えて光球を作り、これを次々と放っていた。

 その中でも、一際大きな光球を作り出しているのは、アルペジオやミモザ、カトー達のグループだ。光球の大きさも他と較べると段違いで、炸裂する瞬間のそれは空中で太陽が輝いたような光と共に周囲を炎で包むと言う、まるで、超小型の気化爆弾にも似た破壊力を示したのだ。

 光球をさらに大きくすれば、もっと強力な破壊力を得ることも出来そうだが、あまりに大きくすると、光の塊を維持しておくことが出来ないので、今のところこれが限界である。それでも城壁のコンクリートは砕かれ、周辺にいた敵兵のほとんどが引き裂かれるようにして倒れてしまう凄まじさだった。

 魔導師達は、その威力と戦場に置ける有用性に驚きと歓びを隠し切れなかった。だが、これでもなおアルペジオは不満顔である。

 レレイの報告から考えても、力任せに大きな光球を作れば、破壊力が大きくなることはあたりまえのことだからだ。それに、光球一個作り上げるのに、かかる手間が大きく、連打も効かないし、魔導師の消耗も強い。ついでに、敵も光球の威力を知った敵はこれを近づけると蜘蛛の子を散らしたように逃げてしまい、思ったほどの損害を与えられなくなっているのだ。

 カトー先生などは「無理に敵を殺めることはない。敵を恐れさせることが出来れば充分ではないか」と言う。

 だが、アルペジオはもっと強力な攻撃を受けたことがある。それを用いればもっと効果的な攻撃が出来るはずなのだ。

「レレイの奴、まだ研究の成果を隠していやがる」

 自分が喰らったレレイの攻撃は、これよりも小さな光球で強烈な貫徹力を示した。しかも、速かった。おそらくレレイの発表には、攻撃の威力を強化する仕組みがわざと省かれている。

 アルペジオは、それを悟って歯噛みしていた。

 その時である。彼女達の頭上を水龍が通過して亜神同士の戦いの場へと向かっていった。

 その姿を見た瞬間、魔導師達は恐慌に囚われた。
 カトー先生やミモザ先生が、「大丈夫だ」「動揺してはなりません」と声を掛けて皆を鎮めていったが、みな及び腰で魔法を使うどころではなくなってしまった。それでもちりぢりになって逃げ出さないだけマシかも知れない。どうにか戦場に踏み留まった魔導師達は、水龍の向かった方向へと目を向けると、その戦いを結末を固唾を呑んで見守ったのである。




 魔導師達が、光球で大きな被害を散発的に与え、戦士達が壁をよじ登り、また破城槌を門に打ち付けている中で、武装勢力に最も多大な損害を与えているのは、風の精霊魔法を用いながら矢を放つエルフ達であった。

 エルフ、そしてダークエルフ。
 仲の良くない二つの種族が共同して戦うなど、おそらく特地の歴史でも無かったことだろう。だが、今日初めてそれがなされた。

「構えっ!」

 テュカと共に、弓兵達は並んで一斉に弦を引き絞った。

「放てっ!」

 号令とともに鳥の羽ばたきにも似た音がして、空中に矢が舞い上がっていく。そして、射手の呪文が風の精霊を呼び出して、この射程を大きく引き延ばすのである。

 放たれた無数の矢は、空を駆け抜けて武装勢力の頭上に降り注いだ。

 突然、空が影って何だろうと振り返ったエルフの娘が、悲鳴を上げた。

「龍よっ!」

「水龍だ」

 たちまちダークエルフや、コアムの生き残り達に恐怖の記憶が蘇って、彼らの身を竦ませる。

 あたふたと、地を這うようにして逃げようとする者も居た。だが、テュカは叫んだ。

「大丈夫。あたしがいるから。炎龍だって倒したのよ。水龍なんかに負けるもんですか!」

 その声に皆は、すぐに平静を取り戻した。思い出したのである。ここには炎龍すら倒した緑の人がいると言うことを。

 テュカは、恐怖に身を震わせている幼なじみの肩を抱くと慰めるように言う。

「ちょって待っててね、あいつをやっつけて来るから」

 テュカはそう告げて、愛用の弓を手にすると走り出した。




 水龍の爪をロゥリィはかろうじて躱した。

「くっ!」

「あはははは、お姉さまっ、先ほどまでの勢いはどうした?!オレをがらくたにするんじゃなかったのかよっ!」

 ジゼルと水龍の交互の攻撃に、さしものロゥリィも防御にて一杯となり、後ずさることを余儀なくされた。

「さぁ、絶望しろ愚民共っ!龍は、破滅と絶望をもたらす嘆きの災い。ひれ伏せっ、崇めろっ、世界の終わりは、冥府はすぐそこだっ!」

 居丈高な宣言は、この場に居合わせる全ての人間に向けられたものだろう。

 アルヌスにいた者にとっては、門は希望の象徴だった。今、この場はそれを失うことへの『無念』で満ちている。利害がぶつかる合うことで生じた『憎悪』で満ちている。同時に世界の終わりが来るという『恐怖』が渦巻く。

 この時、ロゥリィはようやく合点がいった。

 門に頼る者が自らそれを閉じられるか見てみたいとハーディは語った。要するに人間が『怨嗟』と『嘆き』と『絶望』に染まるのを求めていたのだ。そして恐怖と憎悪に浸りながら、戦いから逃げ出して死ぬのを求めていたのだ。ジゼルがこうして当てつけのように自分を邪魔するのも、そのためでしかない。

 竜人の亜神は大鎌を振った。

「ぎっ!」

 ロゥリィは水龍の牙を避けるのに姿勢を下げた隙をつかれて、その直撃を胴に受けてしまった。大きくはじき飛ばされて、ロゥリィは毬のように回転しながら地面を転がる。

 翼竜の鎧が、大鎌の切っ先をどうにか阻んでいた。だが、その衝撃で鱗の数枚が割られて、あたりに破片となってパラパラと落ちる。

 まだ左腕が回復していないロゥリィは、ハルバートの柄を右腕だけで握りこむと、水龍に向けて踏み出した。

「ふんっ!」

 右からの一振りは勢いこそあるが、大振りで速度に欠ける。水龍は翼を閉じてその巨体を一歩下がらせてこれを躱した。

「てぇぃっ」

 今度は左から返すようにしての大振り。この2撃目を水龍は躱すのもめんどくさそうに、その爪で受け止める。

 それを隙と見たロゥリィはハルバートの柄を翻すと、石突きで直突に出た。

 石突きは水龍の顎の下に深々と突き刺さる。そのダメージは水龍をしても大きく後退させる。跳躍したロゥリィの左脚が綺麗に回旋して龍の鼻頭を叩いた。弾かれたように水龍は大きく後退してふらついた。

「お姉さまっ、隙ありっ!」

 ジゼルがロゥリィの背中へと襲いかかった。

 着地した瞬間を狙われては、ハルバートの重さを抱えたまま体を回しても間に合わない。
 だが、ロゥリィは武器を手放して素手でジゼルの振りかぶった大鎌の下へ、さらに懐へと踏み入った。

 体当たりの一撃は、ロゥリィの肘打ちを含んでいた。

 ガツンっという音とともにジゼルとロゥリィは相互にはじき飛ばされた。大鎌の柄がロゥリィの額にあたって、鮮血がほとばしる。

 ジゼルは、みぞおちにロゥリィの一撃を受けてもんどうり打って倒れる。
 だが相打ちはロゥリィとっては絶体絶命。水龍が大顎を開いて、亜神を餌にしようと襲いかかった。

 ロゥリィは黒ゴス神官服を喰いちぎられながらも、かろうじて水龍の懐に潜り込むことでこれを逃れた。だが、そこは安全地帯ではない。

 水龍の巨大な脚が、ロゥリイを踏みつぶしにかかった。

 武器もない。真上からの一撃に、ロゥリィも無様に転がって逃げるので精一杯だった。二転三転するロゥリィの姿は、あたかも象の足下をかけずり回る、鼠のようでもあった。ただ、象にとってもこれを踏みつけるのは容易ではない。

 腹を押さえながらふらふらっと立ち上がったジゼルも、手を出すことが出来ない状況に舌打ちした。

 腰を落として大鎌を構えて、ロゥリィが水龍の下から抜け出したら、とどめの一撃を放とうと、じっと待っている。

 しかし、どこからともなく飛来した矢がジゼルの肩に突き刺さった。

 キッと矢の飛来した方向を振り返ると「なにをしやがる?!」と不逞な乱入者を睨む。

 次の矢を番えて、グラスファィバー製のコンパウンド・ボウ(滑車式機械弓)を引き絞っていくのは、ハイエルフの娘テュカであった。

「破邪の矢よ、的を貫けっ! Acute-hno unjhy Oslash-dfi jopo-auml yuml-uya whqolgn !」

 滑車を用いて60ポンド(27㎏)の力で射出された矢は、時速にして270㎞を超える速度に到達する。ましてや風の精霊の助力を得れば、さらに加速し、閃光のような勢いで的を違えることなく水龍の眼球に突き刺さる。

 それはテュカにとって亡き父の神技の再現であった。

 水龍の悲鳴がアルヌスの丘に響き渡った。

「たかがエルフがっ!!龍が怖くねぇのかっ!」

 ジゼルはぎりっと歯噛みして、牽制すべくナイフを投げた。

 だがテュカは「あたしは、ハイ・エルフよ」と持ち前の身軽さを示して軽やかに空中に跳躍して、これを躱した。

 テュカの作った隙を見逃すロゥリィではない。
 素早く、水龍の下から抜け出すとハルバートを拾い上げる。地を這いずったロゥリィの顔は身体は、血と泥とで汚れていた。だが、額の傷は音をたてるほどの勢いで修復されていった。

 すでに左腕も繋がりつつあった。

 両腕をハルバートを握り締めるロゥリィ。
 歯を食いしばると体を回旋させ、片目を失って悶える水龍の首に対して渾身の一撃を放った。

 巨体を覆う鱗がバリバリと割れてハルバートが肉に食い込んでいく手応えがロゥリィの手にずっしりと感じられた。

 水龍の2度目の絶叫が響いた。

 その巨体が、まるで吹き飛ばされたかのように地に伏した。

「ありえないっ、オレと水龍の組み合わせでも、敵わないなんてあり得ないっ!」

 屈辱の憎悪に歪むジゼルに対して、ロゥリィはハルバートを向けた。

「わたしたち神は、信じてくれる者、守るべき者が多いほど強くなるのよぉ!」

「よく言うっ!ここは恐怖で満ちている。強くなるとしたらオレらだっ!」

 テュカの声がジゼルの背後から被せられる。

「女はねっ、泥を噛んだ分、人を愛した分、強くなれるのよっ!」

「そんな戯言っ!」

 ジゼルが大鎌を振りかざすが、ロゥリィは難なくこれを振り落とすようして払いのける。

「その戯れ言にぃ圧倒されているのは誰ぇ?」

「くそっ。やられて溜まるか」

「もう、龍は無敵じゃないっ!もぅ、絶望じゃないっ。人間にとって、乗り越えるべき災難でしかないのっ。伝説は作られた。神話は紡がれた。人々はそこに希望を抱くの」

 テュカは叫びながら3本目の矢を引き絞った。

 水龍は首にぱっくりと開いた傷口から大量の体液を噴出しながらも、健気に起きあがり再びロゥリィに襲いかかろうとして翼を拡げた。

 だが、その傷口を抉るかのようにテュカの放った矢が、深々と突き刺さった。

「teruymmun! hapuriy!」

 テュカの雷撃を召還する二節の呪文。電光が空中を走り水龍の身体に突き刺さった。微々たる一撃だったが、これが水龍の動きをしばしの間止めさせた。

 そうして動けなくなった瞬間、4条の噴煙が水龍の身体に突き刺さった。LAMの直撃弾4発を喰らって、水龍の翼はもがれ、大きく吹っ飛んだ。

「大当たりっ!」

 倉田が、拳を振り上げる。

 伊丹が、栗林が、戸津が、笹川が、続けて小銃を構えなおして水龍に向けて銃撃を開始した。

 一方、ジゼルは大鎌を立て続けに、ロゥリィに振り下ろしていた。

 避けられても、払いのけられても叩き続ける。それは、攻撃していなければ、自分が負けてしまうという恐れの現れでもあった。

「龍の力はそんなものさえっ叩き潰すっ。龍は全ての生き物に絶望と畏怖をもたらす!」

 だがいかに竜人の亜神であっても、そのような闇雲な攻撃は戦いの神の使徒にとどくはずもない。

「ここにいる全ての者が知っているわぁ。炎龍ですら人間の力でうち倒せたと言うことをっ。見てご覧なさいぃ、貴女の頼りにする水龍は虫の息よぉ!」

「そ、そんなはずないっ!」

「戦士とは恐れを克服して、戦場を進む者。戦いに果てた魂を集めてわたしぃは強くなるっ!」

「ちっ、戦場での魂は、お姉さまに……」

「そう言う事よっ!」

 ロゥリィの腰溜の一振りは、大鎌の柄を両断してハルバートをジゼルの腹部に深々と食い込んだ。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 72
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/06/02 20:56




72





 皇女ピニャ・コ・ラーダは、水龍が伊丹達によって倒されるのを見るや、馬に飛び乗り鞭を当てた。

 彼女の部下達もピニャに遅れまいと、馬の腹を蹴って後に続く。

 数騎の白馬が、馬蹄の響きを轟かせて突き進んだ。

 ボーゼスも身重の体をかかえながら懸命に手綱を握り締め、ピニャに轡を並べていた。それは、ピニャへの後ろめたさをぬぐい去ろうとするかのような疾走だった。

 周囲では、義勇兵達が割れんばかりの大歓声をあげている。

 エルフの娘は、友達の勝利と無事を喜んで仲間と抱き合い、魔導師達は水龍の翼をもぎ取った武器の凄まじいまでの威力に度肝を抜かれた。戦士達は、それぞれの武器を振りかざして緑の人の勝利に勇気を得て胸を熱くした。

 だからだろうか、誰も彼も自分達の背後や脇を駆け抜けて行く騎馬の群れを気に留めなかった。だが、これが義勇軍と、自らの勝利の為にピニャが放った次の一手だった。

 実際に、伊丹等と行動を共にして水龍と対峙して見たところで、彼女が足手まといにしかならないのは間違いないのだ。それでいて「妾も緑の人の一員」などと誇ってみたところで「お前は何をしてたんだ」と嘲笑を買うだけであろう。ならば、伊丹達がこれを倒した時こそ、自分の出番が来ると思い定めて、機を窺うことにしたのだ。

「居たっ!あそこだ」

 ピニャは、緑の軍旗を掲げる少年を見付けた。少年はコダ村の村長等と共に、勝利の歓びに旗を盛んに振っていた。

 姿勢を低くしたピニャは馬を疾走させ、旗手の少年の傍らを駆け抜け様に軍旗を奪い取った。そして、手綱をぐいっと引いて馬を竿立たせると、背後を振り返って叫んだ。

「勝利は成った。諸君、後はあの要塞を落とすのみ。妾に続けっ!!」

 その時のピニャの姿は、帝室の積極的な宣伝もあって、後には伝説となる。
 後世、様々な画家達が題材として彼女の勇姿を選ぶことになるのだ。

 水龍に対する勝利によって義勇兵達の体内に充填された戦意という名の気化燃料が、これによって着火された。

「妾に続け!」

 恐れも、疲労も、何もかもが熱狂によって塗りつぶされ、紅い髪をたなびかせて白馬を駆けるピニャの背中を追って、彼女の掲げる緑の旗に率いられて走り出したのである。

 それは狂走とも呼ぶべき突撃となった。

「妾に続け!」

 その声は、伊丹達の耳にまでも届いた。

 白馬の集団を戦闘に義勇兵達が丘を駈け上っていく。まるで、芝居か何かの演出かとも思えて来るほどだった。

 伊丹も思わず驚嘆の声をあげた。

「美味しいところ、持って行きやがるなあ」

「あの姫様、最初から狙ってたんなら、大した女ですね」

 倉田がそう言いながらも遅れまいと走り出して、皆もそれに続いた。

 まぁ、目的は勝利であってピニャの狡賢さを窘めることではないのだから、これで義勇軍が勢いづいて勝利するなら、これはこれでも良いのだ。清廉な人間は政治家には向かない。政治家に大切なのは政治の動機、それだけである。清廉さだけを求めたいならば、宗教家か教師にでもなればいい。政治家は狡猾なぐらいの方が丁度良い。

 伊丹は、ロゥリィとテュカを振り返って無事を確認すると、彼女達と共に、皆から取り残されない程度の速度で、後を追うことにした。

 結果から言えば、ピニャの思惑は見事にあたった。

 旗を掲げて梯子を登り行くピニャを傷つけさせまいとボーゼスや騎士達がそれを守り、さらに義勇兵達がこれに続く。

 奔流となって押し寄せる人の波が津波のような勢いで対人障害を踏み越え、壁を登って、突き落とされても登り、突き落とされても登り続けて、武装勢力に属する兵士達を勢いと数とで圧倒してしまった。

 いかに銃が優れた武器であろうと、防御線によって防いでこそ力を発揮できる。一度これを破られてしまえば、後は河川の堤防が決壊したのと同じで、氾濫する濁流を押しとどめておくことは、もう出来なくなってしまうのだ。

 だからこそ守る側は、何重もの防御線を敷いてまでも堅く守ろうとするのだ。

 だが、武装勢力側には、それをするだけの人員も、物量もなかった。

 戦闘は戦術や武器と言った要素もあるが、最後には結局は数がものを言う。どれほど火力に優れていても、どれほど武勇の誉れ高くとも、前後左右をすっかり取り囲まれてしまえば、背後から、側面から槍を、剣を突き刺されて倒れるしかない。

 武装勢力の兵士達に残された道は、激流に飲み込まれ翻弄されることだけだった。

 こうしてアルヌスの頂が義勇兵によってすっかり埋め尽くされることで、武装勢力の組織的な抵抗も終わりを告げたのである。

 とは言ってもそれで戦闘が終わったわけではない。路地に逃げ込んだり、建物に籠城した敗残の兵達が根強い抵抗を続けたので、まだ散発的な戦闘が続いていた。

 東アジア系の兵士は小銃を乱射し、ディアボに雇われた傭兵達は刃がこぼれて、剣が折れてもなお戦い続けている。仲間の遺体を積み上げて土嚢代わりにし、立て籠もった部屋のドアには事務机などをバリケードにして、最期まで戦おうと言う構えだった。

 彼らをそこまで駆り立てたのは、いったい何だろうか?

 祖国への忠誠や、門を開いておくという任務に対する責任感であったかも知れない。

 ディアボの傭兵達も、雇い主に対して義理を果たそうという心意気がなかったとも言えないだろう。

 だがそんなものよりもなお、彼らを絶望的な戦いに駆り立てたものは恐怖だった。ピニャの死刑宣言によって、降伏してもしなくても殺されるという思いが彼らをして最後まで戦うことを選ばせたのである。

 このような死兵を相手にしては、義勇兵達の犠牲も馬鹿にならない。

 無理な突入をして犠牲を出すのも詰まらないと伊丹はピニャに進言して、武装勢力の兵士を発見したら距離を置いて遠巻きに囲ませることにした。

 取り囲んで逃げられなくしてしまえば、対処はさして難しくない。

 笹川が小銃擲弾を撃ち込み、続いて窓や開口部から手榴弾を放り込み、古田が機関銃ミニミで激しい銃撃を加えている間に栗林や倉田が、戸津などが突入して行くのである。

 大抵は、擲弾と手榴弾の攻撃で立て籠もっていた者のほとんどは倒れている。抵抗は皆無という状態であった。まれに反撃があっても栗林や倉田率いるフォルマル伯爵家の戦闘メイド達の敵ではなく、瞬く間に制圧されていった。

「こうなると戦闘って言うよりも、ただの作業っすねぇ」

 こんな事を言いだした倉田に、栗林が油断を窘める。

「そんなこと言って、気を緩めるなっての!あんたはどうなっても構わないけど、ペルシア達が怪我したらどうすんの?!」

 自分のことだけなら倉田も「大丈夫っすよ」と応えただろうが、彼女達の名前を挙げられてしまえば、肝に銘じるしかない。

「あっ、了解っす」

 そう言って気を引き締めると、彼女らと共に次の立て籠もり現場へと向かったのである。

 こうして、一カ所、また一カ所と抵抗を潰しながら掃討を進め、陽が沈む頃には戦闘も終了した。

 ……かのように思われた。




「いったいどうなっている。話が違うじゃないかっ!何とかしろよっ!」

 ディアボは、隠れた倉庫の隅で行動を共にしていたアジア系の男達に怒鳴った。

 だがその罵声には泣き言の響きがあった。
 彼も、まさかこんな形で追い詰められるとは考えても見なかったのだろう。

 すでに建物の周囲は、完全に取り囲まれている。

 逃げ道など一切無いことは確認済みだ。前後左右、全ての方角に武装した義勇兵が固めているのだ。

 自分達が今、生きていられるのは、義勇兵達が踏み込んでこないからでしかない。この状況下で生き延びられると思う者がいるとすれば、きっと病的な楽観主義者か、あるいは誰も知らないような逃げ道を持っている者だけだろう。

 そしてディアボは、そのどちらでもなかった。
 そもそも状況に対して何の権限もない状態では、責任感など持ちようもない。手足となって動いてくれる部下がなければ行動力も示しようがないのだ。さらに、通訳が死んでしまったために言葉も通じないとなれば、さっさと理性を放り出して、同行者に全ての責任をなすりつけ感情的に叫き散らすしか、振る舞いようがない。

「そもそも、俺はこんな強引なやり方は賛成じゃなかった。お前達が勝手に始めたんだから責任をとれよな」

 このようなはずではなかったのだ。
 本来ならば、日本と帝国との間に、第三の勢力を引き込んだ状況を作り、その力の均衡状態を操ることで自派の勢力を確立できたはずなのだ。少なくとも自分にはそれが出来ると、ディアボは思っていた。

 打ち合わせでは、アルヌスを占拠し続けている内に日本の政府が代わり、新しい政府となったら、穏健な交渉で事態を解決する予定だった。政府が代わらなくても、アルヌスの安定を維持するために国連と称する国際機関の軍を入れて、平和維持の名の下に、ディアボの勢力を維持し、拡大していく手はずがととのってたのだ。

 これも相手を日本とだけ考えれば、成功しただろう。
 だが、ピニャがこれに介入したことでものの見事に頓挫させられてしまったのだ。

 現状は、このように半壊した倉庫の片隅にこそこそと隠れている有様だ。

 脂汗を掻いて土と泥にまみれ、切れた唇からは血がにじんでいるという惨めさた。とても帝国の皇子たる者の姿とは言えない。

 それでも自分の指揮のせいでこうなったと言うなら、まだ諦めもつく。ところが、ディアボ軍とは名ばかりで、全てを指揮していたのはこのアジア系の男達だったのだ。

 せめて、詰(なじ)らせてもらわねば、割が合わない。

 だが、怒鳴られた3人のアジア系の兵士3人は、そんな意味不明な彼の罵声に、憎悪と軽蔑の色彩を帯びた視線を投げ返した。

 言葉は通じないと言っても、悪口というのは割りと通じるものなのだ。そして、アジア系の男達も、自分達に罵詈雑言を浴びせるこの特地の男に正直うんざりしていたのだ。

 一番若い兵士がディアボに怒鳴る。

「お前がいなきゃ、俺達はこんなところに送られて来ることなんてなかったんだよっ!」

 他の二人は、見たところ30代半ばから40代前後で、この作戦を指揮していた指揮官とその副官のようである。こちらは、若い兵士にディアボと怒鳴り合うことを止めるよう命じるだけだった。

 彼らとて、祖国から遠いこの異世界の地で、こんなことになるとは思ってもいなかったのである。そして、どうやらこのままでは二度と戻れそうもない。

 男達は、ディアボを無視して、これからどうするかを話しはじめた。

「いつまでも隠れてられないぞ。なんとか脱出すべきだ」

「だが、囲みを突破するにはどうしたら」

 アジア系の兵士達は、持っている武器を改めた。

 密輸させた拳銃はアルヌス占領の際に使ってしまったので、弾はそれぞれ1~2発しか残っていない。

 代わりに鹵獲品の64小銃が、3人にそれぞれ一丁ずつあったが、こちらも弾が、一人につき弾倉1個程度、つまり20数発しか残っていなかったのである。しかも、鹵獲してから整備もせずに使用しているので、作動不良気味で弾詰まりしやすい状態となっていた。

 実を言えば、整備をしようと試みては見たのである。だが、分解したら、あまりの部品の多さと細かさに閉口して、しかも一度バラしたら組み立てることも出来そうもないので、途中で諦めてしまったのだ。

 彼らの祖国は、ロシア製の突撃銃をはじめ、各国の優秀な銃を模造したり改良して使っているため、部品数が少なかったり、分解整備が非常に簡単なものばかりだった。それだけに世界で最も部品の数の多い、手先の器用な日本人しか扱えないと言われるこの銃は、手に余るのだ。

 そもそも鹵獲した時から変だった。

 銃架から取り出した時から、銃口に付いている消炎制退器の接続が緩くてガクガク言っていた。
 まさか、格納する時に部品(座金)が延びないようにするために、わざと弛めて格納されているとは思いも寄らなかったので、これが当たり前の状態だと思い込んで使っていた。さらに銃口付近に接続されている二脚もゆるゆるだったので、射撃時に安定を欠いて効果的な射撃を阻害してくれた。

 彼らは「トンデモねぇガラクタだ!」と叫きながら射撃していた。当然、弾もなかなか当たらない。さらに、照準器(照星と照門)が折り畳み式ってどうよ、射撃中にちょっとぶつけただけで倒れちゃうじゃんかと、一見さんお断りの使いにくさを、大いに呪ったのである。

 唯一まともに使えたのが、数丁しか鹵獲出来なかった5.56mm機関銃MINIMIだけだったという有様だ。しかも、こちらは64小銃とは弾のサイズが違うので、弾薬の互換が効かない。

 こんなことも、彼らをして効果的な防御戦を行っていくことの出来なかった理由の1つとなっていたのである。

 ちなみに陸上自衛隊特地派遣部隊の参加者は、皆陸士長以上である。
 64式小銃の扱いに馴れており、ほとんどが目をつぶっても分解結合出来るほどに習熟しているため、こうした悩みとは無縁であった。

 若い男は槓桿を弾いて、動作が上手く行くかを試みてみたところ、案の定弾詰まりを起こしたことに癇癪を起こして、小銃を叩きつけるようにして投げ捨てた。

「くそっ、なんなんだよ、こいつはっ!」

 そもそも今回のように鹵獲した武器の使用を前提とした特殊工作なら、敵兵器の使用法を習熟するために前もって訓練ぐらいしておくものだ。だが、日本は64式小銃を輸出してない上に、管理も『ほぼ』厳重なため、訓練しようにも教材が手に入らない。

 それなら教範等の漏出している情報から、演習用に模造すればよいと思うところだが、これも前述したような変態的に精密な部品の多く、そして銃身の異常なまでの丈夫さを、再現することは祖国の技術レベルで無理でないとしても、異様なまでに手間がかかってしまうため、今回のような急な作戦には間に合わなかったのだ。

 3人とも沈痛な表情をしたまま、言葉も出ない。

 武器がなければ、包囲を突破して逃げ出すことなど不可能と言える。

 倉庫内を見て何か使えるものがないかと見てみたが、車両用の燃料……おそらくガソリンだろうがタンクが数個置いてあるだけだった。ビール瓶でもあれば火炎瓶が作れるかも知れないが、そんなものは都合良く手元には無いのだ。

「こうなったら、死なば諸共にして……」

 一番若い兵士が、「鋸引きの刑なんてゴメンだ」などと叫きながらガソリンを周囲に撒き始めた。彼の上司二人も、車裂きの刑を受けるくらいならと、ガソリンを撒く手伝いを始めてしまった。

「何だこの臭いは?あ~あ、好きにしろ。はっ、俺も落ちぶれたもんだ」

 座り込んでいたディアボ、苦情を呟いたが、どうせ聞き入られるわけないしとふて腐れていた。

 こうして、密閉された倉庫の床はたちまちガソリンで潤された。内部の空気も揮発性の臭いが充満して息苦しいまでになったのである。




「ここが最後だそうです」

 武装勢力が立て籠もる倉庫の前に立ち、栗林から告げられた報告に伊丹は頷いた。

「よし。ここまで怪我無しでこられたんだ、手を抜かず、丁寧にやっちゃおう」

 栗林と笹川は正面に、伊丹と古田が裏口。西側側面と、東側側面は勝本と倉田、そして戦闘メイドさん達が回り込んだ。

「妙にガソリン臭いな」

 伊丹の呟きに古田が答える。

「ここ、車両の格納庫でしたからね」

「そうだったっけ?」

 その意味ではガソリンの臭いがしても変ではない。だがどうにも臭いが強すぎた。伊丹の逃走本能が、激しく警鐘を鳴らしていた。

「全員、配置に付きました」

 すると伊丹は、プレストークスイッチを押して全員に告げた。

「嫌な予感がする。しばし待て」

 だが、古田は銃を構えた。

「これが最後なんですから、やっちゃいましょう」

 手順としては、笹川が擲弾で扉を吹っ飛ばし、左右の窓からは勝本と倉田が手榴弾を放り込んだあと、銃撃を加える。

 そして逃げ出してくる敵を、裏口で伊丹と古田が待ち伏せるという段取りだ。古田は、壁越しに倉庫内の様子を窺うべく耳をあてた。

『そうですよ、隊長。手榴弾だってピン、抜いちゃったんですから』

『馬鹿。隊長がダメって言ったら、前に出ちゃダメなんだって』

 栗林が制止したが、あちこちでガラスが割れる音。窓から手榴弾が放り込まれたのだろう。

 一秒ちょっと後に起こる炸裂の前に、伊丹は舌打ちした。

「危ない」という誰かの声を聞いた。
 古田も、その声が聞こえたのか驚いたように身を竦めたが、それでも壁に近づきすぎているように伊丹には思えた。

「馬鹿野郎っ、全員待避!」

 伊丹は、部下の頭を抱えると、身を投げるようにして伏せる。

 直後に起こった爆発は、倉庫その物を吹っ飛ばす程の大爆発となった。




 ロゥリィは、テュカとともにアルヌスの戦場後をゆっくりと歩いていた。

 端から見ると散歩でもしているのではないかと思えてくるが、彼女達がしていることは、戦いで傷を負い死にきれずにいるものを苦しみから解放するという役割であった。

 コダ村の村長や、旗手役を担うはずだった少年なども彼女達に付き従って、付近を一緒に捜索している。もっと広い範囲を見渡せば、かなりの人数が割かれて負傷者捜索と救助に当てられているのが解る。ただ捜索範囲が広いので人の数も少なく見えるのだ。

「聖下、こちらはまだ息があります」

 少年の呼び声にロゥリィと、テュカが駆け寄って見ると、義勇兵として参加した付近の農民のようだった。

「うん、運がいい。まだ、助かりますわい……おい、気をしっかり持て。聖下がお出でくださったぞ」

 村長が様子を見て、担架を傍らに置いた。少年と一緒に負傷者を、麓にいる自衛隊の宿営地へと運ぶ予定だ。既に自衛隊からも医官や人員が送られてきて、負傷者の救助と搬送作業が行われていた。

「勇者に祝福をぉ」

 ロゥリィは負傷者の唇に、自らの小指を当てる。

 このように助かる者は当然の事ながら助ける。
 だが助からないような傷を負っている者は、ロゥリィが速やかにその命を断って、魂を苦しみから救うのだ。これもまた、戦神の使徒たるロゥリィの聖なる任務の1つと言える。

「こら坊主、しっかり持て」

「村長さんこそ、ちょっとふらついてるよ」

 そう言って、負傷者を二人が運んでいく。

 それを見送った途端、バケツ一杯の水を地に撒いたような音共に、ロゥリィが「うぐっ!」と呻いてしゃがみ込んだ。

 背負っていた荷物の1つが、地に墜ちて丘の斜面をコロコロと転がって行ったが、テュカは呻くロゥリィに気を取られて、そちらには目もくれなかった。

 転がっていくジゼルの頭部は、「はあ~、どこまで転がってくのかねぇ」などと愚痴をこぼしたが、こうして彼女は封印される運命から逃れることができたのである。

「ロゥリィ、あなたどうしたのっ!?」

 テュカは、小さく悲鳴を上げた。
 それまで無傷だったロゥリィの背中に、ぱっくりと大きな傷が開いて出血していたからだ。

 だが、俯いたロゥリィの言葉は「耀司ぃに、何かあった」と言うものだった。

 少しの時を置いて、丘の頂きから爆発音が響いてきた。





    *    *





 レレイは真っ白な空間に漂ってた。

 上もなく下もないその中で、落ちているのでも飛んでいるのでもなく、ただ、そこに在る。それだけの存在となっていた。

 まず、思う。「ここは、どこだろう」と。

 次に、考える。「わたしは誰だろう」と。

 だが答えをもたらすものは何もなく、発した問いだけが宙に浮いていた。

 彼女の内には、何もなかった。

 全てを魄とともに置き棄てて虚ろとなることがここ白い闇の定めだ。故に答えを導く記憶、知識も経験も霧散し、持ちうるものは1つの人生を経て磨き上げられた魂だけ。

 彼女が有するのは、自らを「わたし」と認識する意識のみだった。

 そもそも何故、そのような問いを発したのかも判らない。

 問いを発すると言うことは、解答を欲求するという事。だがしかし、軟らかな充足で満ちているここでは、欲求の根源たる知的な飢餓が存在しない。

 従って問うことそのものが無意味だった。なのにそんな問いを発してしまうとは、もしかすると、これまでの習慣が彼女の魂にこびりついているのかも知れない。

 彼女の目の前には、巨大な輝きがあった。

 太陽にも似たそれは、幾つもの光を吸い寄せるようにして集めている。

 無数の光が雨のように巨大な輝きに降り注ぎ、さらに輝きを増して行こうとしていた。

 白い闇のゆっくりとした流れの中で、彼女は大きな輝きへと引き寄せられていく。

 そこに向かうことが自然、そしてその輝きに参加して、交わることが歓びであると感じられた。

 けれど、何かの気がかり、後ろ髪を引かれる、喉にひっかかるような……様々な言葉を尽くしても例えきれない何かがあった。

 それは、大切なものを置き忘れて来たようなわだかまりだった。

 誰かとの約束を果たさなくてはならないような焦燥感。思い出そうとしても思い出すことのできない遠い、けれど大切な約束。

「ダメっ!」

 彼女は大きな輝きに飲み込まれることを拒絶した。せざるを得なかった。そこに加わってしまえば、そんな想いすらどうでもよくなってしまうような気がしたからだ。

 彼女は、いつの間にか涙を流していた。

 彼女は、悲しかった。

 例えようのない悲しみの中に顔を覆って泣いていた。

 自分以外の光が、歓びと共にまっしぐらに巨大な輝きに向けて突き進んで行くのに、その流れに従えない疎外感。自分は違うという孤独感、そして罪悪感。

「どうしたのです?」

 どこからともなく聞こえて来る慈愛に満ちた声に、彼女は応えた。

「わからない」

「自分が泣いていることもわからないのですね?」

「回答不能」

「何故、わからないのですか?」

「理解不能」

「ならば、泣く必要はないでしょうに」

「それでも悲しいと感じる。何もわからないことも、悲しい」

「貴女、こちらにいらっしゃい」

 白い闇の中で、何かが彼女を包むようにして抱きかかえた。

 それは涼やかな風だった。

 白い闇の中で、どれだけ漂ったか。

 優しい風は、彼女をどこへかと運ぶ。たゆたうる夢のような心地を味わいながら白い闇が遠くなり、やがて緑の大地へと運ばれる。

 緑の大地にそよぐ風は、ふんわりとしていた。

 新緑の芽吹くその大地には女性が待ち構えていた。

 白銀の長い髪。20代後半から30代くらいに見える緑の瞳を持つ女性だった。どこかで会ったことがある。そんな気がした。

「だれ?」

「自分が誰か判らぬ者には、他者が誰かを知る意味はありません」

「わたしは、わたしは……」

「想い出すことが出来ないでしょう。あそこでは記憶の全ては塗りつぶされてしまうのですから」

「ならば、悲しと思う理由もないはず。何故?」

 何故自分は泣いたのか。泣くのかと言う問いに、女性は軟らかそうな頬を微笑みで膨らませた。

「それは貴女が、魂に刻み込んだ想いを、未だに棄てまいとしているからです。でもそれは未練と呼ぶべきもの。手放してしまいなさい」

「それは、出来ない」

「何故ですか?」

「回答できない。わたしは答えを持っていない」

「そうでしょう?大切にせねばならぬ理由も、所詮在りし日の残滓にすぎません。貴女にとって、もう全ては無用のものなのです」

「拒否したい」

「それはできませんよ」

「それでも、棄てることは出来ない。忘れてはいけないと思える」

 女性は、聞き分けのない子供を見るかのように嘆息した。

「なかなか頑固なのですね。白い闇の中にいても、大切と定めたものを忘れないとは。さすが私の試しに耐えただけのことがあります」

「試し……?」

「ええ。滅多にいないのですよ、誇りなさい」

「あ………貴女はハーディ」

 レレイは、目の前にいる女性の名と共に全てを想い出した。それをきっかけとして、自分に結びつく記憶や知識、そして魔導師のローブを纏った普段の姿形をも取り戻す。

「どうやら、白い闇の影響も晴れたようですね。魂魄も繋がりを取り戻したのではなくて?」

 その言葉にレレイは自分が危ういところであったことを今更ながら気がついた。かつて、白い闇をどう日本語に翻訳するかレレイは悩んだが、似た役割を持つものとして『三途の川』を選んでいる。

「直接言葉を交わすのは初めてですね、レレイ。ここに来てしまった以上、元気そうねとは申せませんが、あの後具合は大丈夫でしたか?」

 レレイはなんとも言い様のない気分になって、自分の腹部を押さえた。ハーディに取り憑かれて体調を崩したばかりでなく、暴飲暴食で胃腸を壊したのだ。

「しばらく寝込んだ」

「それは申し訳在りませんでしたね。でも、その代わり門を扱い方を授けました。対価としては充分なはずですが?」

「感謝はしない」

「くすっ。そうね、大き過ぎる力は呪いにもなるものね」

「そのように言う以上、判っていてしたと理解せざるを得ない」

 お陰で自分の命は狙われここに来る羽目になったのだ。

「レレイには私の使徒になって欲しかったのです。そして今、貴女は私の前にいる。狙っていたとは申しませんが、良い結果です」

「使徒に?」

「ええ。使徒になれば、あの方にお会いすることも出来ましてよ」

 伊丹の顔を思い出した。

「……使徒になれば会える?」

「ええ。その通りです」

「…………」

 それは大いなる誘惑だった。ハーディの使徒になりさえすれば、伊丹にまた会えるというのならそうしてしまっても良いように思えるのだ。だが使徒になると言うことは、ハーディの片棒を担ぐと言うことだ。それはしたくない。

「どうしたの?あの方に会いたくないのですか?」

「貴女のしたことに、抵抗がある。従いたくない」

「ヒトの身であればそう思うのも当然かも知れませんね。ですが、私は神として、人類の好ましい発展を促すために、為すべき事をしたまでです」

「わたしの故郷は炎龍によって滅ぼされた。多くのヒトが苦しんだ」

「確かにそうですね。ですが、大輪の花を咲かせるために、庭師が他の蕾を摘み取り、森を育てるためにエルフは樹を間引きます。麦を丈夫に育てるために、農夫は芽吹いたばかりの畑を踏みしめるではありませんか。これは悪ですか?」

「人間と草花を一緒に出来ない」

「同じ命です」

 確かにその通りではある。
 ヒト種のみならずエルフ、ドワーフ、キャットピーブル等の知的生命体である人間が特別で、他の動物はそうでないとする考え方は、確かに傲慢と言えよう。だが、それでもやはり草木動物と人間とを同じとしてしまうハーディの感覚は、間違っていると感じられるのだ。

「命としては確かに同じ。けれど同じではない。それに好ましい発展の意味が不明」

「この度の試練を越えたことで、この世界の人間は階梯を一段登りました」

「階梯とは?」

「炎龍と水龍を倒したことで、恐怖を克服する術を得たではありませんか?それに、より高度に発達した文明と接触したことで、行き詰まっていた世界はふたたび活力を取り戻すでしょう。それに彼の世界も門が開かれたことで、箱庭の内側でいがみ合う愚かさを知ることでしょう。世界が広くなれば息苦しさも、少しは緩和されるというものです。その為に、門を自在に開く術を貴女に与えたとも言えます」

「良いことずくめのように聞こえる」

 聞こえの良いことばかり言う者は信用できない。

「それはそうです。良いことばかりを並べ立てたのですから。良くないことも当然あります。ですから世界の舵取りをしなければなりません。そのためにレレイの手を借りたいと思うのです」

「わたしは……」

 その時のハーディの勧誘は、まるで伝説に語られる悪魔のような絶妙さでレレイの迷いを突いた。

「あの方にお会いしたいのでしょ?」

「…………」

 しばしの逡巡を経て、レレイは、意を決した。

「はい」と答えるしかなかったのだ。
 ここで生を終えて伊丹と会えなくなってしまうなら、ハーディだろうと誰だろうと使徒になった方が良いように思えた。

「ちょっと待よ、レレイ」

 だが、二人間に割り込む声が、レレイの答えの邪魔をした。




 レレイは驚いたように、目を丸くした。

 事も在ろうに、伊丹が立っていたからだ。着ているのは戦闘服だが、武装をしてない戦闘服だけの姿だった。

「新興宗教の類はさ、信者獲得するのにあの手のこの手を使うから、神様持ち出す連中の前に出る時は、眉に唾して話を聞くようにしてるんだ。俺って騙されやすいんでね。必ず騙されると警戒するぐらいで丁度良い。悪徳商法とか霊感商法も同じだな」

「死んだの?」

「いや。ドジってこのザマになったのは確かだが、死んだとは聞かされてない。そのうち目が醒めるってことだろ?」

 レレイはホッとしたように胸をなで下ろした。

「だったら、どうしてここに?」

 レレイは両手を拡げて、伊丹にしがみつくとその胸に自分の頭を埋めた。伊丹はその頭を抱くようにして撫でた。

「親切な方が連れて来てくれたんだ。おっと、それでハーディ様に伝言だ。戦いに倒れた魂はこっちの領分だ。まだ死んでいないからと言う理屈は通じないぞ、だってさ」

 それを聞いたハーディは「ちっ、エムロイの奴」と罵る。

「エムロイに遭ったの?」

「実のところ、よくわからん。本人がそう言ってただけだかんな。ウチの娘を宜しくって言われちまったからそうだろ?……梨紗の親父に会いに行った時より緊張したぜ」

 途端レレイは、表情を消して伊丹の手に噛みついた。

「痛い、痛いって」

 だが、レレイは容赦せず歯を伊丹の手の甲に喰い込ませていった。

 嫉妬心から発した行動であることは理解できたので、伊丹は、レレイの耳元に口を寄せ囁いた。

 すると、レレイは「えっ?」と凍り付いてポカンと口を開いたままになってしまう。耳と頬がうす紅色に染まっていた。

「もう一度言って」

「嫌だね。何度も言えるか」

 そしてレレイの頭をコツンと叩いた。「あうっ」と涙目で頭を抑える彼女を問い詰める。

「どこ隠れてた。凄く心配したんだぞ」

 俯いたレレイは視線だけ向けてきて「ごめんなさい」と謝ってきた。そして、ピニャの部下に匿って貰っていたとか、暗殺されたとか、梨紗も同じ隠れ家にいることなど要領よくまとめて語った。

「なるほどね、それで三途の川の手前に来て、信者になれってハーディさまの勧誘を受けてるってわけだ。でもなぁ、聞いてて思ったんだが、レレイお前騙されてるぞ」

 その言葉にハーディは「私が、嘘をついているとでも言われるのですか?」と不敵に笑った。

「いや、嘘をついてるとは言わないよ。だけど、本当のことも全部語ってないよな。例えば使徒になれば俺に会えるってところとか」

「ほう、どのように?今此処で会えている、とか言うのは無しですよ。私が言っているのはあくまでも現世での話なのですから」

「それでもさ、使徒になれれば会えると言ったが、使徒にならなきゃ会えないとは言わなかった。ここって結構重要な部分だよな、レレイ」

 レレイもそれを聞いて我に返ったように頭を上げた。

 振り返ってハーディへと顔を向ける。すると冥府の神は、悪戯のばれた子供のような顔をしていた。その悪びれない態度が、伊丹の言を肯定していた。

 だが、それならばレレイに使徒になる理由はない。レレイは伊丹の腕を抱くと、並び立つようにしてハーディを睨みつけた。

「そう言うことだハーディ。レレイを信者にするのは諦めてくれや」

「仕方ないですね。またの機会を待ちましょう」

 ハーディはそう言って指を鳴らす。

「あっ」

 すると、レレイの身体がすうっと浮き上がった。

 糸の切れた風船のように、いつの間にか大空に舞い上がって伊丹やハーディを見下ろす高さにまで登っていた。

「レレイ。後でな」

 伊丹の言葉にレレイは「うんっ」と頷くと花のように微笑と浮かび上がることに身を任せた。

 水の底から水面に浮かび上がる時の上昇感と、水面から降り注ぐ光が次第に強くなっていく感触のなかで、強烈な嘔吐感がこみ上げてきた。

 やがて限界に達して「ゴホッ、ゴホッ……」と大量に水を吐く。

 頬を叩かれる感触と、胸を焼く水の激痛にレレイは噎ぶ。

「レレイ、レレイっ!」

 見れば自分は湖畔に横たわらされていた。そしてヤオがレレイの顔を覗き込んでいたのである。




 レレイが去ったあと、伊丹とハーディは向かい合った。

 伊丹も、もう引き戻され始めている。そんな男に向けて、女神はまるで自慢するかのように言った。

「レレイ。良い娘でしょ?」

 なんでハーディが誇るんだと思うところだが、言っていることは大いに同意できるので伊丹は頷くことにした。

「ああ。俺なんかでいいのかね」

「大事になさい。いじけさせると私みたいになってしまう可能性を持つ娘よ」

「それはやばいな。責任重大だ」

 ハーディはそう言うと、白銀の髪の流れる背中を向けて立った。その背中は何故か寂しそうで、誰かに抱きしめられるのを待っているかのようにも見えた。数千、数万の時を越えて生きる神という存在にも、いろいろあるのかも知れない。

「もしかして、勧誘を手加減したのもそのあたりに、理由があるのか?」

 やがて視界が薄くなって暗くなっていく。

「想像に任せるわ」というハーディの声が伊丹の耳に残った。

 目を閉じた暗闇の中で、しばしの時を過ごす。

 やがて差し込んで来る光のむこうに、何枚もの網を重ねたような天井が見えた。

 手を伸ばして網に触れてみようとするが、網に手はかからない。

 やがて、それが白い天井の模様であると理解できた。目の焦点が合わず、天井の模様が網のように見えたのだろう。

「どうしました?」

「1405号室です。耀司の意識が戻りました」

 天から響く声に、梨紗が答えている。

「わかる?」

「ここは?」

「病院だよ」

 こうして伊丹は生還し、都内の病院で目を醒ます。

 門は、もう閉じられた後だった。

















[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 最終話
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/06/06 23:39




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「こんばんは、09PMニュースです。訪米中の橋元総理は、本日ホワイトハウスで大統領との会談を行いました。会談の内容は主に東アジアの安全保障、日米貿易です。橋元総理は大統領に対して、基地移転問題と絡めて東アジア防衛における両国間の円滑な協力態勢の充実には、互恵的な形への関係改善が必要であると基地再編への理解を求めました。会談内容の一部始終は、データ放送画面でご覧になることが出来ます……」

 放送免許が取り消された局に代わって、新しく設立された放送局のニュースキャスターとなった栗林菜々美は、続いての経済情報を読み終え画面が録画へと移り変わった瞬間、ほっと緊張を解いて表情を綻ばせた。

 まだカメラワークが悪く、そんな一瞬の隙も全国中継に流されてしまっている。
 けれどそれに気づかないまま、すぐさま艶めいた唇をキュと引き締めカメラへと真っ直ぐに視線を向け、淡々とニュースを読み上げていった。

 何も加えず、何も減らさない彼女のニュースは、多くの視聴者から信頼されていた。

 既にテレビ番組は、時間表に従って一方的に映像と音声を流すものではなくなっていた。メインとなる番組そのものもあるが、視聴者は途中で、あたかもチャンネルを代えるかのように主体的に見たい映像を選んでいくことが出来るようになっているのだ。

 この技術を用いて、最近のテレビドラマなどではマルチエンドなストーリー展開がなされているものも多い。

「さて、本日の特集です。銀座事件から今日で5年、再開通が期待されている『門』ですが、未だ開く気配もありません。一部では再開通を絶望視する説も出ています。今夜は、アルヌス奪回戦などの門閉鎖前後に起きた事件に関わった人々の証言をまとめながら、今後の可能性を検証して参りたいと思います」

 菜々美の向かい側には、ゲストコメンテーターとして望月紀子が座っていた。

「栗林一曹の妹さん、相変わらず綺麗ですねぇ」

 有機ELの画面を見上げていた倉田が言った。

 小さな店のカウンター席は、すし詰めだった。
 テーブル席の幾つかは空いているが、その全てに予約の札が置かれて今日は、満員御礼状態である。

「勝本!お前、彼女に告って玉砕したんだって?」

 突然、おやっさんこと桑原に問われて、返す言葉もない勝本。

 カウンターの内側で小鉢に料理を並べていた古田が、桑原の前に料理を置きながら代わりに答える。

「そう聞いてますよ」

「勝本としちゃ勇気を振り絞ったってところだろうけど、ニュース番組の看板キャスターと、教育隊の助教とじゃ釣り合わないってことでしょうね?」

 何か感じるものがあるのか、倉田の言い方は感慨深げだった。

「そう言うお前はどうなんだ?彼女と一緒に住んでるんだろ、そろそろ結婚ってことになんねぇのかよ」

 勝本の反撃らしき言葉に、倉田は浮かない顔だ。

「俺にも色々あるんだよ」

 倉田を慕って日本側に来たペルシアはその野性的な雰囲気と人外の容姿から、モデルへとスカウトされて、今では海外まで活動の領域を拡げて活躍中である。

 地方協力部で自衛官募集の任務についている倉田は、立場の違いみたいなものに気後れしているようだった。

「馬鹿。そうやって腰の退けた態度が女を不安にさせるんだ。あの娘は良い子だぞ。気にせず押していけ」

 そう言う桑原は定年で退職し、現在は警備会社で勤務しつつ孫の面倒を見ている毎日である。

「こんばんは」

 ガラッと開けられる扉に皆の視線が集まる。すると制服姿の仁科が立っていた。

「おお、仁科。良く来た、良く来た」

 桑原はそう言って、ピールの入ったグラスを掲げた。

「北海道土産です。柳田さんが持ってけって」

 そう言って、仁科は古田に一抱えもありそうな発泡スチロールの箱を差し出した。食べ物だから、皆に振る舞ってくれという意味であろう。磯の香りがして来るので海産物かも知れない。

 仁科陸曹長は上衣を脱ぐと、仲居さんに預けた。仲居さんは仁科の制服をハンガーに掛けると丁寧に皺を伸ばして壁へとぶら下げる。壁には皆の制服がぶら下がっていた。

 座った仁科の前に、お茶が置かれる。

「いらっしゃいませ、お客様は北海道なんですか?」

 仲居さんは、仁科好みのおっとりとした雰囲気の女性だった。話の受け答えをしながらも手際よさそうに空いたグラスやビール瓶を片づけていく。

「倶知安に勤務してます」

「まぁ、わたしは帯広の出身なんですよ」

 そんなこと言いつつ働く仲居さんの後ろ姿を見送りながら、仁科は古田に言った。

「なかなか綺麗な人だな」

「ええ、いい人が来てくれました」

 古田はそんな事を言って笑う。

 だが、店の名前を見れば彼が誰に来て欲しかったかはすぐに判ろうというものだ。

 のれんには、兎屋という名前が記されているのだから。

「おい倉田。戸津はどうした?」

「あいつは、再就職先の銀行で頑張ってますよ。残業残業で追いまくられてるって話で今日は来れそうもないですね」

「東二曹は、幹部学校へ進んだって?」

「ええ、今は久留米です。なかなかみんな都合が合わなくて、一同がそろうってのも無理かも知れませんね」

「笹川は金沢だっけか?」

「あいつは親父さんが、加賀友禅の絵師なんだそうです。その仕事を手伝うって言ってましたよ」

「黒川が、役者になろうとするとは思ってなかったなぁ」

 すると古田が、壁のコルクボードに張られているチラシを指さした。

「この間チケット売りに来ましたよ。端役だけどやっと役を貰ったって言ってました」

 チラシの中から桑原が、黒川の名前を隅っこに見付けて「あったあった」と言っている。

「へぇ……それで喰っていけるのかねぇ?」

「夜勤専門の看護師でどうにか食いつないでるってことです」

「今度見に行ってやるか」

 勝本と倉田が顔を見合わせた。

「でも一番意外だったのが、栗林一曹だよな」

「ああ。びっくりだ」

「まさか、伊丹一尉の追っかけをやるとは思いませんでしたからね」

「まあ、栗坊に職種を変えさせるには丁度良かったんだよ」

 おやっさんは、ビールを継ぎ足しながら言った。

「そうですよね……」

 少し暗くなった雰囲気を払うかのように、古田が、「仁科陸曹長のお土産ですよ」と良いながらデンっと、皆の前に刺身の舟盛りを置いた。その豪勢さに皆、「おおっ」と歓声をあげた。





    *    *





 執務室にいた伊丹は、ニュースの画面を見ながら大きく伸びをした。

 手には『結婚しました』と記された葉書があった。宛先不明で何度も転送されたらしく、付箋が何枚か重ねて貼られている。

 写真の男の方は誰だか知らないが、女性は伊丹も良く知っている人だった。

 梨紗だ。彼女のしっとりとした微笑みは、誰が見ても幸せそうだと言うだろう。

「一尉?」

 上衣を脱いだ制服姿の栗林が、その巨乳を隠すかのようにトレーを抱いて伊丹の前に立っていた。
 来客の飲み残していった湯飲みを回収していこうと言うのだろう。ついさっきまで政界を引退して楽隠居の身分となった麻田が、元総理の地位を乱用して遊びに来ていたのだ。

「なんだい?」

「良かったんですか?梨紗さん、一尉のこと待ってたんですよ」

 梨紗は伊丹に、結婚して子供を産みたいから、そろそろどうかなと再婚を誘ってきた。だが伊丹としては、別の男を捜せと言わざるを得なかったのである。

 泣き崩れてしゃがみ込む梨紗の姿は、焼き付いたかのように今でも思い出せてしまう。

「いつまでも待たせておく方が罪作りさ。栗林ちゃんもさぁ、俺に付いて来ても退屈だと思うよ。他に行ったら?」

「多分無理です。もう他の人の下で働く気にはなれませんから。女としては、内心期待しつつもう少し様子を見たいですね」

 栗林は唇を尖らせつつ、テーブルを布巾で拭いた。袖をまくった彼女の二の腕には、縫合の痕が深々と残っていた。

「もったいないこった」

 彼女の顔は、まるでウィンクでもしているかのように右の瞼を降ろしている。

 だが艶っぽい理由でそうしている訳ではないことは伊丹も含めて皆が承知している。栗林は、右目を失ったのだ。身体の各所にも腕のような、傷跡が深々と残されているらしい。伊丹は自分の怪我が、傷1つ残さず治ってしまったことが引け目に感じられるのだ。だがそんなことはおくびにも出さず、傷跡を見ていたことを悟られないように、目をそらす。

「でも、もう四年ですよ。一尉はいつまで待つつもりなんですか?」

「まだ四年さ。きっと、十年でも待つだろうさ……」

「なんでです?」

「多分、唐突過ぎたからだろうな。いつまでも抜けない棘みたいに残ってる」

 貴方の心はあの日からずっとあそこに行ったままなのよ。

 この言葉は梨紗が別れ際に残していったものだ。

 改めて自分で語ってみると、本当にその通りだなと思った。

「確かに、あんな形じゃ尾を引きますよね。でも、彼女達にとっては唐突ではなかったと思いますよ」

 聞いた話だと、重傷を負った伊丹を病院へと搬送しようとしたら、ロゥリィがとても強く反対したと言う。だが、伊丹の体内に残った破片を取り除かないと障害が残る。そのためには都内の病院に運ぶしかないと説得されて、泣く泣く受け容れたと言うのだ。

 ロゥリィとしては、門を閉じるのは伊丹が回復するまで待ちたかったようだ。だがそれで何のために義勇兵達が戦ったのか判らなくなってしまう。

 特地に残されていた陸自の派遣部隊が引き上げると、門を保持する魔法陣となってしまっていた六芒の防塞は義勇兵達の突貫工事によって埋め立てられた。そして、自然の復元力によって門が閉じられたのである。

 自分達が意識を失っていた間の出来事に想いを巡らせながら、机の傍らに飾ってある石炭の塊に目を向けた。

 彼が初めてそれを受け取った時はもっと大きかった。
 今では、その大きさもその半分近くに減っている。ロゥリィに二つに割られて一方だけが伊丹の元に残されていたのだ。

 この半分が、今のような石炭にも似た姿になってしまったのは、伊丹の官舎が放火されたからだ。ダイヤは炭素の塊だから燃える。伊丹は消火器で懸命に火を消した。しかしようやく火を消した時、ダイヤの原石は今のような姿になってしまっていた。

 だが、この半分がここにある限り、レレイはこの世界を見つけだして、きっと門を開いてくる。伊丹はそう信じている。そう信じていたらいつの間にか四年がたってしまった。

 ピニャの妨害だけが心配だが、レレイ暗殺に失敗した以上、ピニャもそれ以上の危険は犯さないだろう。レレイがしっかりと釘を刺したからこそ、ピニャは梨紗を返すことにしたのだ。さらに何かしようとするならいよいよ、ロゥリィを敵に回す。その状態でピニャが生き残ることは、帝国を諸外国の圧力から守る以上に困難なことだ。

 懐かしそうな表情をする伊丹に、栗林はむくれたように少しばかり眉を寄せる。そして伊丹を過去の記憶から引きはがすように、唐突に話を変えた。

「一尉。みんな集まってる頃合いですよ」

「おっ、そっか。もうそんな時間か……」

 伊丹はそう言って、壁に掛かっている制服の上着に手を伸ばした。

「ちょっと待ってて下さい」

 栗林も、素早く湯飲みを洗って茶箪笥へと収める。テキパキと流しの水滴を払って、手を拭き、制服の上衣に袖を通す。

「急がなくていいぞ」

 だが、廊下で待っている伊丹を待たせたくなくて栗林は急ぐ。

「お待たせしました」

 息せき切っている栗林が可愛らしく微笑んだ。

 二人は並んで、ゲートを出た。

「よし、閉めろ」

 外で待っていた駒門の指示で、鉄格子の戸が閉じられ鍵が掛けられる。

 そして続いて、銀行の地下金庫のような巨大で分厚い扉が静かに閉められた。

 重苦しい音と共に鉄柱のような閂が突き刺さる扉の両脇には、完全装備の警備が立っており、三人に敬礼していた。

「駒門さん。手間を掛けるね」

「気にすんな、腐れ縁だし、これも仕事だ」

 駒門は杖をつきながら伊丹の先に立って歩き出した。建物を出ると、外は銀座の夜景が広がっていた。

 物々しいまでの警備の隊員達が、一斉に敬礼を向けてくる。伊丹は少し崩れた答礼を返した。

 伊丹の前に黒塗りの車がつけられた。黒服を着た男達が、周囲を警戒しつつ伊丹のためにと言わんばかりに後部ドアを開ける。乗れと言うことだろう。

 伊丹は、駒門に情けなさそうな顔を見せた。

「兎屋は、数百メートル先だろ?歩こうよ」

 だが駒門はこの杖が見えないかと言わんばかりに振る。

「腰が痛いんだよ。俺に、歩かせるな」

「ちっ、しょうがねぇなぁ」

 不承不承といった体で乗り込もうとする。

 ふと、声が聞こえたように気がして振り返り、そして見上げる。

 街の光が星の光を遮っているため、ただ暗いばかりの夜空が広がっているだけだった。

「どうしました?」

「いや。悪い」

 栗林が後に続いて乗り込む。駒門は助手席に座った。

「随分と警戒厳重じゃないか?」

「各国の、威力偵察が厳しいんだよ。みんな、もう門が開いているのに、それを日本が隠してるんじゃないかと思ってる」

「信頼されてないんだねぇ」

「信頼できる国家なんてあった試しがない。よし、出せ」

 二台の車は、街を彩る色とりどりの照明に照らされながら、銀座駐屯地を出ると銀座の渋滞しがちな車列に滑るようにして割り込んだ。

「世界中が門にビビッている。日本がその気になれば、世界に大ダメージを与えられることが証明されちまったんだからな」

 銀座と、特地を結ぶ門が消失したその瞬間、東京は震度4の地震に見舞われた。

 震度4と言えば弱いとは言えないが、日本では建物やインフラに打撃を与えるほどでもないレベルだ。人々はそれまでの生活を続けながらも、なんとなしにテレビやラジオをつけて震源地や被害の大きさを知るための速報を待った。

 だが、何故か地震の詳細を告げる報道はなされなかった。

 実は画面の裏側では非常識な情報を整理することに、気象庁の職員が手間取っていたのである。そして人々が訝しく思い始めた頃に、ようやく映画、バラエティ、特集、様々の番組が中断されて、今回のこの地震が通常と大きく異なった性格を持つものであることが報されたのだ。

 気象庁の発表によれば、その地震は銀座や関東を震源地としてその力を弱めながら四方八方へと地震波が広がっていったのではなく、日本列島が同時に、まんべんなく揺れたと言うのである。

 否、揺れたのは日本列島だけではなかった。
 世界中がまんべんなく一斉に震度4の地震に見舞われたのである。すなわち震源地は世界その物であった。

 地震大国の日本と違って、世界ではこれまで地震など体験したことがないという国や人達も多い。観光に来た外国人が、震度1とか2程度の揺れでも驚いて、悲鳴を上げたりしているところはよく見られる光景であるが、そんな彼らが、いきなり直下型の地震を味わったら、どれほど心的衝撃を受けるか言うまでもない。

 しかも国によっては耐震構造、何それ?といった、石だの日干しレンガを積み上げただけの建物で生活していたり、ただ、高さばかり求めた超高層建築物を作っているところもある。建設費用を節約するために鉄筋を減らし、場所によって『竹』をコンクリートと一緒に塗り込んだ建物もあったりするのだ。

 これらの建物は、震度4程度の揺れであっても倒壊してしまう。こうして人々の命を奪う惨事が世界各地で起きたのだった。

 人々は、思った。

 門が開らかれていたわずかな期間だけでも、これだけの地震エネルギー……歪みが溜まったと言うのであれば、もし閉じないで置いたらどうなっていたかと。

 世界各国および日本国民は、『世界の終わり』という警告の意味を、漸く実感できたのである。

「あの時、日本に全く被害がなかったというのが世界を邪推させちまった。震度5あるいは6前後の地震でも、前もって備えていれば日本にはそう大した被害は出ないだろう。だが世界は違う……」

「震度6で、国家消滅って冗談がどっかにあったな」

「そう言う地域もない訳じゃない」

「それでか……」

「国連大使の菅原が苦労してるって話だ」

「ふ~ん。そう言えば、あいつ入籍したんだってぇ?」

「ああ。嫁さんむちゃくちゃ若いぞ」

「実に妬ましい話だ」

 やがて車が止まる。
 伊丹は自らドアを開けて道路側に降りようとしたが「待ってください」と、栗林が手を伸ばして制止した。栗林は、自分を伊丹専属の護衛役だと自任しているのだ。

 警護が周囲の安全を確認して、歩道側のドアが開かれる。

 兎屋ののれんを潜る。

「よおっ!集まってるな」

「伊丹隊長!お久しぶりです」

 皆の声が、二人を迎えた戸が閉じられた。駒門率いる黒服達が、店の周辺に配置され、周囲を堅く警戒していた。

 ゲストコメンテーター望月紀子の声が、テレビを通じて銀座の喧騒の間を、小さく流れている。

「門が、突然開いたことで、私たちは帝国との戦いに巻き込まれました。このことから得た教訓を私たちは、胸に刻み込んでおく必要があると思います。それは平和とは当然の姿でなく、常にそれを守り育てる努力が必要だと言うことです。戦争はとても恐ろしく悲しく、あってはならないことです。ですが、それから目をつぶり、背を向けていても平和を守ることは出来ません。私たちは、平和を乱そうとする者の正体を正しく見極めて、日々、それを取り除く努力をしなければならないと思います」

 日常の中で、時は流れていく。そして、それは尽きることがない。

 安息とは泡沫の夢。平和とは戦の狭間における、一時の平穏。

 1つの戦いを終えてなお、彼らは、次の戦いに備え続ける。後に、人々は特地での戦いの記録をこの言葉で結んだ。

 自衛隊は、彼の地にて、斯くのごとく戦った、と。









あとがき




 皆様、長い間拙作におつきあい頂き真に有り難うございました。 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり / 正式版も、ようやく最終話を迎えることが出来ました。

 終わり方としては、なんだかこうあっさりしてるなと思われるかも知れませんが、これで良いのではないかと思っています。

 2006年の4月の連載開始から考えると実に3年以上になってしまいました。

 感想については、当初はなんとかお返事をしておりましたが、週一の更新に入ってからは頂いた感想やお言葉にほとんどお返事を返すこともなく、今日まで参りました。

 これも作品終了後にまとめてご挨拶などと考えていたからなのですが、今を思えば迂闊な話で感想数が1000を越えた今、お一人お一人にお言葉をさし上げることなど、無理な話しとなってしまいました。

 ご無礼とは存じますが、ここでの挨拶にて、お礼の言葉に代えさせて頂きたく思います。

 本当に有り難うございました。

 考えてみると、かつて『九洲戦記』を書いていた時は、一話ごとに感想を頂いた方に返事を書いておりました。それが、下手すると本文なみに長くなってしまったこともあり、なんだレス返しばっかりじゃんかと思われるのも不味いなぁと思って、ご挨拶の後ろに、即興で話を書くというやりかたをしたりもしました。

 それを避けようとしたら、今回は、このような有様です。

 さて、思い返してみるとこの作品は、「お試し版」という形で始まりました。

 その後も「正式版」として散発的な更新をしていたのですが、その頃は、物語進行上のプロットとか、設定の類を一切用意してませんでした。世界観の設定とか、地図も作っておらず、正直に言うと細かい伏線とかは、かなりの部分で即興です。

 用意したのもキャラクターだけ。(その分、こちらの設定は彼女たちが頭の中で勝手にしゃべり出すくらいまで、設定しましたけれど)

 しかしそれでは中途で物語が破綻するのは目に見えています。そこで、きちんと脳内で設定を済ませた後、プロローグを出させて頂いたわけです。

 ところが、このプロローグ、それまでの読者の方には大変な不評を買いました。

 申し訳ないことと思っています。
 ですが、これは私にとって作品をきちんと終わらせるという決意表明であると同時に、ストーリーが気まぐれや都合で変わっていってしまわないようにするための、道しるべともなりました。

 そして不評がありましたが故に、その不評をひっくり返してみせるくらいに、ストーリーに工夫を凝らそうと心に決めたのです。

 プロローグの場面が、最初に読んだ時と、物語を読み進めてからその場面に至った時とでは大きく印象が異なると思います。少なくともそのように書いてみたつもりです。それが、皆様にどのように感じられたか、今、心配しているところです。

 次は、遅れております、外伝 混家冬の陣編や、炎龍編の弱毒版をお送りできると思います。今後の予定に付きましては、その節にご連絡いたします。



 では、これにて失礼いたします。

 次回作でまたお会いできることを楽しみにしております。




 とどく=たくさん




























































































































 酔っ払った栗林を官舎へと放り込みんだ伊丹は、銀座の駐屯地中央にある、巨大なドームへと足を運んだ。

 既に日付も代わろうとする深夜だ。

 その空間は暗く、誰もいない。

 かつて、このドームの中には門があった。今でも、門が開かれた時のために、以前のままとされている。

 伊丹は独り、門のあった場所に、憔悴した表情であぐらをかいて座り込む。

「いったい、いつまで待てばいい」

 くそっ

 伊丹は、拳でコンクリート製の床を叩いた。

「わぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 感情のままに発せられた伊丹の声は、広々としたドームの中で反響して響いた。

 頭を抱え、天を仰ぐ。

 ダイヤの原石は火にくべられてしまった。それによって、片割れたる半身と致命的な違いが生じてしまったのかも知れない。

 だから、レレイはこの世界が見付けられないのかも知れない。

 くそっ!

「わぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 伊丹は、カチカチカチとカッターを取り出しと、自分の左腕に突き立てた。

 何度も。

 何度も。

「わぁぁぁぁぁぁっ!」

 コンクリートに血が流れ、紅い染みをどんどん拡げていった。

 さらに腕にカッターを突き立てようとしたその時、伊丹の身体に体当たりするように誰かがぶつかった。一人じゃない、二人、三人と次々と伊丹にぶつかって来た。

「なっ!」

 伊丹は自分を床に押し倒したものに殴られた。

「やっと、見付けたっ!」

「おとうさんっ!」

 見れば、ロゥリィ、そして伊丹の血で銀の髪を紅く染めたレレイ、そして同様に伊丹の血で頬を汚すテュカだった。

 三人とも汚れるのも構わずに伊丹に抱きつき、頬ずりしている。

 ロゥリィは伊丹の襟首を締め上げながら「やっと見付けたわぁ」と、伊丹と繋がっている証たる左腕の傷を示した。その傷は、「ハヤクコイ、ココニイルゾ!」という字の形をとっていた。

 その背後には門が開いている。ヤオが涙を流しながら佇んでいた。





『All truth END』



[37141] テスト15
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5
Date: 2013/03/31 17:19

[25691] インフィニット・ストラトスVSオービタルフレーム(IS・Z.O.E設定クロス)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/03/16 11:00
 ISことインフィニット・ストラトスがそういえばアニメ放映したんだったなぁ、と思い。
 古本屋で三巻目まで買ってみました。やっぱりロボが好き。

 そんなわけでムラムラしたので気晴らしにテンプレートな転生オリ主を書いてみようと思った。主人公は親友の皮を被った誰かです。
 ここに来る前に神様にあれを譲られたが、コストが高すぎたのでいろいろ制限を受けたと思ってください……と、見せかけています。

 むしろ主人公にあのメカを操らせたいというのが本音ですが。ぶっちゃけ――『どうしてISって、あれと足先の形が似ているのにだれも書いてくれないんだろう』と思ったのが大きな理由の一つです。
 深く突っ込まないでー。

 なお、三月十六日、にじファンさんでの掲載を開始しました。


 それでは、肩の力を抜いて――ではなく、肩に力を込めて読んでください。(え) 


 二月二日、チラシの裏からその他板に移動いたしました。
 二月三日、タイトルを変更しました。




――



















 まず最初に憧れたのは――飛行機だった。
 子供の頃に両親が見せてくれた演技飛行。飛行機が空中で滑らかに飛び回り、見事な演技飛行をみせてくれるのを子供心に喜んでいたのを覚えている。
 綺麗で、早くて、強そうで――あれに乗るにはどうすればいいのか、と両親に興奮気味に話した俺に、しかし母親も父親も少し困ったように応えた。

『ああ。でも……もう戦闘機なんて時代遅れだしなぁ』
『弾が女の子なら、ISに乗るって事も出来たんだけど、男の子じゃあね』 


 IS。
 元々は宇宙開発用に設計されたパワードスーツ。既存技術で設計された兵器類を全て屑鉄に変えた最強の兵器。
 機動性能、攻撃力、耐久力、全ての面において最強。最早世界のパワーバランスはそれらを幾ら保有する事ができるかの一点に掛かっており、日本にあるIS学園はそれら国防や利権に大きく絡む女性の育成の場になっている。
 そう。
 女性のみだ。
 ISの奇怪な特性として、それらを起動させ運用する事が出来るのは何故か女性のみであり――ISを稼動させる事が出来る=女性は強い=女尊男卑の風潮が徐々に浸透し始めている。この世にそれが生み出されてからまだ十年といくつか程度しか経過していないのに。

 時折、弾は無性に恐ろしい恐怖に駆られる時がある。
 
 ISがこの世に生み出されてからまだ十数年。それ以前の男性を見下す風潮などまったく知らない世代はまだまだ大勢いるにも関わらず、町を歩けば男性を奴隷扱いする女性が少しずつ出ている。

 たった十数年でこれだ。

 もし――ISが世界最強の兵器であり、そしてそれらが生まれた時から空気のようにごく自然に存在している世代はどうなるのだろうか。

 たった十数年でこれなのだ。
 
 女性にしか扱えない最強の兵器――それはそんな上っ面の文言よりも遥かに恐ろしい差別の時代を呼ぶ代物ではないのだろうか。世代が進めば歴史が流れれば、男性は子孫を残すための道具に成り果てて、今のように建前の男女平等の風潮など枯れ果てて本当の意味で奴隷扱いされるのではないのだろうか。
 十数年で今の状態。ならば時間を経る事に差別は深まり、それを誰しも当然と受け入れる時代が来るのではないのか。
 五反田 弾は自分が時折若さに似合わぬ考え方をする事を自覚していた。夢も希望も進路も漠然としているようなありふれた青春ではなく、生まれた時からどこか不安と恐怖を胸に巣食わせていたような気がする。

 もちろんこんな考えが、男性と女性の和を乱すものである事など理解している。少なくともインターネットで書き込んで他者の意見を求めたときは、すぐに封殺されてしまった。削除規制の対象になり――勿論捕まるようなへまなどしてはいない。
 自分の考えが今の社会の風潮に合わないことは自覚している。インターネット喫茶を使い、色々とプロバイダを経て足取りを手繰られないように手を尽くしていた。
 分かっている。自分は天才だ――それも唯の天才ではない。まるで自分の十五年間に合わせて三十年か、四十年ほどの歳月を掛けねば会得できない知性がある。
 その知性が、今の状況に危うさを感じていたのだ。

 

 ISを設計した彼女――篠ノ之束はその当たりをちゃんと考えていたのだろうか? と、五反田 弾は考える。
 一夏から彼女の事を又聞きしたことがある。あの天才科学者――箒、一夏、千冬の三名と両親のみをかろうじて身内と判断するらしい女性。それ以外には眼中にすらないといった態度の社会不適合者は考えたのだろうか。
 ダイナマイトを発明する事で大いに世間に貢献し、同時に軍用に用いられる事で犠牲者を出したノーベルのように。空を飛びたい一心で飛行機を作り、そして軍用に転用されたライト兄弟のように。戦争に流用される可能性を考慮したのだろうか。

 科学者とはできない事を出来るようになろうとする人種だ。そういう意味では篠ノ之束は見事なまでの科学者だ。
 自分の欲求の赴くままモノを生み出し、それがどういう結果をもたらすかなど微塵も考えず、ただただ身内のみを愛する彼女は――ただの男である自分、五反田 弾のことなどまったく意に介してなどいないだろう。

 幼少期――憧れであった戦闘機に乗りたいと駄々をこね。
 そして大きくなるにつれ、世界のどの国も戦闘機開発を全て放棄し、ISの開発に着手し始めて――憧れの翼を時代遅れにされた子供の気持ちなどきっと知らない。子供の頃の憧れが――無人機に改修され、ISの訓練用ドローンに転用された無惨な気持ちなど知らない。
 ならば――と、この世で最強の力、ISに乗りたいと思った子供の頃、同学年の少女達に男はISを使えないと教えられた時の、あの悔しさなどきっと知らない。少女達のどことなく自慢げな――男を見下した眼差しなどきっと知らない。



 夢に挑む事すら許されなかった雄(オス)の気持ちなどきっと彼女は永遠に想像しない。



 そして――自分が望んで止まないものを偶然手に入れた親友に対する堪え難い嫉妬など、あいつはきっと、想像もしていない。





「なー、一夏」
「んー?」

 五反田 弾には友人がいる。
 幼少期からずっとの腐れ縁の男友達。織斑一夏。とりあえず見ていてイラッとするぐらいに女性に持てるフラグ立て職人であり同時に鉄壁の鈍感である。友人としてはまず良い奴と言えるのだが――しかし妹である五反田蘭の彼に対しての感情を知っている兄としてはいささか困ったものなのだ。
 さっさと一人に決めてしまえ。恋愛からの痛手より回復するには時間がかかる――なにせ、なんの因果か、こいつは妹の競争相手が山盛り特盛りの学校に編入されてしまったのだから。

 いや、いい奴なのだ。そこは弾は胸を張って主張できる。
 ただし、兄としてはその修羅場に巻き添えにされたくない。出来るならば遠いところで幸せになってください、が本音である。

 今現在、五反田弾はエロ本の家捜し、もといIS学園へと編入された友人、織斑一夏の編入の手伝いをしていた。
 もちろん――友人の一夏の事を憎からず思っている妹の蘭も手伝いに来たがったのだが、予定が合わずに残念ながら断念している。とりあえず妹には『心配しなくても……一夏のパンツは土産にもらってきてやるから。俺の社会的生命と引き換えにな』と機嫌を直すよう言った。
 死ぬほど殴られた事は言うまでも無い。

「で、実際どうなのよ?」
「どうって……なにが?」
「とぼけやがって。右も左も国際色豊かな女人の園だぜ? なんつーか、こう十八禁な展開……は悔しいからともかく、十五禁的な展開とか無かったのかよ?」
「おいおい、どんだけ手が早いんだよ俺」

 と、すっとぼけているが――コイツの場合は自己申告がアテにならない事が多々ある。
 中学時代からの付き合いであるものの、何度こいつのラブコメの背景にさせられ、いつ絞め殺してやろうか、と考えた事は両の手を扱っても数え切れない。
 困ったように溜息を吐く一夏は、厭そうにこちらを見た。

「そういうお前は――都内の進学校だろう? 量子コンピューターの勉強がしたいとか。……お前頭悪そうな外見の癖に頭は恐ろしく良いからなぁ」
「……いやさ。俺は――」

 弾は、かすかに笑う。

 夢があった。

 IS。
 人類最強の兵器。その兵器に乗り込んで闘う無敵のエース。子供のようなおおよそ現実味の無い夢。
 ……男に生まれた人間が、雄に生まれた生き物が――どうしてその夢を諦められる? 子供のような夢とはおおよそ実現不可能な夢を指すが……その夢を見なかった雄など何処にいる?
 

 地上最強。天下無敵。撃墜王。英雄。


 そういう言葉に心惹かれない雄など雄ではない。

「やってみたい事があったけどよ。どうにも才能がないんだわ」

 おどけたように笑って肩を竦める。
 そして自分は――雌ではなく、雄だから、その夢に挑む事すらできないでいる。
 嗚呼、今この世の中で、最強という称号に挑む事すら許されない精気と野心に満ち溢れた雄達が、どれほどの無念と憤怒をはらわたに溜め込んでいる事か。
 分かっている。自分の進路は唯の代償行為だ。
 最強になれないのであれば――技術者として最強を自分で生み出す。それが――弾の選んだ、夢の残骸を掴む手段だった。
 
「ほんと……女人の園にたった一人の男子だなんて……」

 冗談めかして弾は言う。
 
 悔しい。悔しい。悔しい。涙を飲むぐらいには。

 奇跡は狙いを外した。運命の女神は、ISに特に執着も関心も持っていない自分のすぐ傍にいた親友を狙い撃った。
『史上初のISを扱える男性』という――弾がどれほど恋焦がれても得ることの出来なかったそれを、彼は手に入れたのだ。自分にとっては金銀財宝などよりも遥かに意味のある崇高な宝物を、手に入れたのだ。

「羨ましくて……死にそうだ」
「はは」

 一夏は笑う。弾の言葉が心の底からの本心であるなどと気付かず。

 ……きっと彼は、周りが女性ばかりのハーレムとも言うべきIS学園編入が決まった事を羨んでの言葉と思っているのだろう。当然だ、この友人にはそう思わせるように弾は自分の発言をコントロールしてきた。
 軽薄で、お調子者で、情誼に厚い、中学からの親友。
 自分がどんな思いを抱いていたか、一夏にどれほどの嫉妬を抱いているのか――彼は知らないし、弾もそれを知らせる気は無かった。良い奴なのだ、妹も彼を慕っているし、なんだかんだで友人のために体を張る義侠心だって持ち合わせている。
 分かっている。自分のこれは唯の醜い嫉妬だ――そして幸いというべきか、それとも不幸にもというべきか、弾はそれを自制する成熟した精神を持っていたのだ。
 大丈夫、俺は大丈夫――親友の前で本心など明かさず、この気持ちを永遠に墓場に持っていく。


 俺はそれができる男だ。



 それが、出来る男だった。




 それを見るまでは。





「ん? 弾?」

 織斑一夏にとって五反田 弾は親友である。同年代の友人だけあってデリケートなもの……具体的にはエロ本を見てみぬふりをしてくれる繊細さは千冬姉にはないものだ。
 ……とはいえ、そういう猥雑本を女しかいない寮に持っていくことはできないから親友である弾に全て預ける事になっている。エロ本を預ける事が出来る親友なんて一生涯掛けても見つかるかどうか。
 そんな彼が――ゴミ箱の前で蹲り、肩を震わせているのを見て……一夏は思わず声を掛けようとする。
 
 その時の彼の顔を、一夏は生涯忘れないだろう。

 怒っている。
 心の底から――激しい激怒の炎を、本気の殺意を眼差しに込めていた。
 一夏は一度――第2回モンド・グロッソ決勝戦当日に誘拐された経験があるが……誘拐のプロフェッショナルが見せた機械的な凄みよりも、より激しく原始的な怒りと憎しみの感情を叩き付けられ、思わず息を呑んだ。
 眼差しだけで人を殺せそうな勁烈無比の眼光。襟首を掴み上げる力は、抗する事も許さず彼を空中へと吊り上げた。こんなに力が強い奴だったのか? ……まるでなにか肉体を酷使する職業に付く為に準備として鍛えていたような腕力だ。

「なんで……」

 足元に打ち捨ててあったのは――電話帳。
 いや、目を凝らしてみれば分かる。一夏が電話帳だと思って捨てたそれは、IS学園における基礎学習事項を詰め込んだ教科書であり、編入する前に送られてきた教材だった。

「……なんで……!!」

 一夏には、どうして弾がこれほどまで激怒しているのか理解できない。どうしてゴミ箱に捨てられていた電話帳を見て彼が泣きそうな顔をしているのか判らない。歯軋りをする姿も激情を露にする様子も――今まで一度も見せたことのない、想像すらしなかったものだった。

「……なんで……お前だけが……!!」

 負の感情――弾が覚えていたのは堪え難い嫉妬と怒り。
 まるで幼い頃に泣く泣く諦めた高嶺の花だった片思いの人が、今の恋人にまるで大切にされていないような光景に……関係者にしか配られない資料をゴミ箱へ放り込むそのぞんざいな扱いに、弾は歯軋りの音を漏らす。今まで影すら見せたことも無かったISへの憧れを無造作に踏み躙られ……弾は、キレた。
 もちろん――人類初の男性でISを操れるという一夏を影ながら護衛しているSPが弾の暴行を見逃す訳も無く。
 どこからかわらわらと沸いて出た黒服に押さえ込まれながら――弾は吠えた。何故これほど色濃い憎悪を叩き付けられるのかまったく理解できず呆然とする一夏に、弾は吠え続けた。

「なんで……なんで……なんでお前だけが、なんで……お前なんだああぁぁぁ!!」


 




 きっと――日本のIS関連の人間は自分に対してマークを始めただろう。
 恐らく日本のどこかに諜報機関では誰かの机の上に自分のパーソナルデータが山済みにされているはずだ。迂闊な発言などしたことはないが、洗いざらいプライバシーを調べられていると思うと流石に不快だ。
 一人自室で――食事も拒み、兄の只ならぬ様子に心配の声を上げた蘭も無視し、弾は一人、電気もつけない部屋で唸る。
 SPに連行され取調べを受けてきた――背後になんらかの組織が存在しないかを徹底的に尋問され……弾は素直に全て応える。隠す事など何も無い。誰でもいいから憤懣をぶちまけたかった。冷静さを抑えきれなかった。
 自分はクールだったはずだ。憧れも夢も飼い慣らすことができたはずだったのだ。……だがあれを見た瞬間、嫉妬と悔しさで感情の堰は決壊した。

「俺は……自制できる男のはずだ」

 拳を握り締める。

「一夏がISを使うって決めたなら――祝福してやれば良い……あいつには適正があった、それだけの話だ、それだけの話なんだ……!!」

 歯を噛み締める。

「なのに、どうしてこんなに悔しいんだ!! 諦めたのに、捨てたのに、もう現実的な生き方しかしないと決めたのに!!
 どうして俺はまだ……ISに恋焦がれているんだ!! 手に入らないものを手に入れたいとそう思っているんだ!!」
 
 壁を殴りつけた。……音ぐらい聞こえているはずだが、蘭は兄の只ならぬ様子を察しているのか何も言わない。今はただ、優しい無干渉がありがたかった。
 酒が飲みたい。まだ未成年だが。
 少なくともこの胸をきしませる激しい嫉妬とたまらない悔しさを消せるなら酒気で頭を濁らせたい。

 弾は――五反田食堂でお客に出す用の酒をちょろまかして、レジに代金を置くと親の目を盗み一人瓶を傾ける。生まれて始めての犯罪。
 飲んだのは一瓶のみ。……初めて酒を飲んだことでアルコールに弱かったと発覚した自分の体質が――これほどありがたいとは思わなかった。
 





 それが、指に掛かっていると気付いたのは未だに脳髄が酒気で酩酊したままベッドに倒れ込んだ状態で半覚醒した時だった。
 部屋には誰もいない。鍵も掛かっている。学校では学年主席の弾は、親の信頼も厚くきっと酒を飲んで酔いつぶれているなど想像もしていないのだろう。
 だから誰も入った人はいないはずなのに――何故か奇妙なストラップが指先に絡まっている。

 まるで――狗のような頭部。
 ロボットの首から上、まるで胴体から下を千切られたようなデザイン。首の一番下には球体が埋まっている。
 それが何なのか理解できぬまま、五反田弾は指を伸ばしてそれに触れ――そして、声を聞いた。









『始めまして。独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』です』

 そこまで行って――弾は思い出す。これは、ISの待機状態――だがそれはないな、と透徹した理性が酒で願望が形を成したのだと警告する。無感動な瞳で彼は言葉を聞いた。

『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ANUBIS>はフレームランナーの元に量子転送完了』

 聞こえてくるのは女性の声。機械的な平坦口調であるにも関わらず、どこか温かみを思わせる響きを含んでいた。

『操作説明を行いますか?』




[25691] 第一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:22
「……五反田弾……か」

 すらりとした長身を黒のスーツ姿で覆った入学生達の憧れの的、世界最高のIS乗りである教師、織斑千冬は諜報部から回されてきた資料を読み漁りながら――弟の親友であり暴行を加えようとしたと記載されているそのプロフィールを見ていた。
 知能指数が高く、中学時代では常に学年主席。卒業後は機械工学系の高校に入りそこで量子コンピューターの設計に関わることを決めている、今時の若者にしては珍しい人生の指針を十代半ばにして既に決めている珍しい男性だった。
 年がら年中、家に滅多に帰る事の出来なかった自分に代わってその孤独を埋めてきてくれた彼には、一夏の家族として感謝の念を捧げたく思っている。……だが、世界で初めて男性でISを動かす事ができた弟に暴行を加えようとした彼に対して私情を挟む事は許されない立場だった。 
 今現在――かつて世界で軍隊に従事していた人間の雇用が大きな問題になっている。
 ISという最強の戦力が、旧来の兵器を駆逐する圧倒的性能を持っている事は確か。そうなれば、世界各国の首脳がIS候補生の育成に力を入れるのも当然だし、そちらに予算を配分するのも当然の話だ。
 ただし、当然皺寄せが出てくる。
 その一番の対象は旧来の兵器運用に携わってきた兵士達――拠点制圧に必要な歩兵はしぶとく生きながらえているが、迅速な航空制圧が可能なISの編入で、空軍は大幅な人事刷新によりパイロット達は大勢職にあぶれているらしい。量子コンピューターや機械工学の専門家であり個人的な知己であったレイチェル=スチュアート=リンクスを通じて知り合ったその夫である空軍の元パイロット、ジェイムズ=リンクスは運送屋。三次元機動を行うドッグファイターが今では二次元機動しかできないトラックの運送屋。時代が時代なら各国が千金を積んで招聘するエリートがだ。
 かつて国防の要であった空軍パイロットは空を奪われ、プライドを地に落とされた。ISの出現で職を追われた元軍人たちによる犯罪は増加の一途を辿っている。幾らISが最強の戦力でも犯罪の全てをこの世から駆逐できる訳が無い。現在の問題を解決する最大の手段は、リストラされた軍人達を雇用することだが――世界中の膨大なリストラ軍人達の口を糊するだけの体力がある大企業など何処にも存在しない。抜本的解決策はどの国にも存在せず、現状この問題は棚上げするしかないというのが現状であった。

 今現在男性のもっとも収入の良い職業は――そういう女性の愛玩動物に成り下がる事。俗に言うホストやアイドルは以前にも増して可愛がられるようになった。
 そんな去勢された雄になることが一番儲かる現在社会。その状況に多大な責任を負うIS設計者は今何処にいるのだろうか。

「……どうせ、寸毫たりとも気にしていないんだろうけどな」

 常識人ばかりが気苦労する現実に、彼女は大きな嘆息を漏らした。







 なんで、おまえなんだ。


 
 織斑一夏の人生を変えた一言が存在するとしたら――きっと、親友が初めて見せたあの本物の激怒だろう。
 五反田 弾。一夏の中学時代からの親友。髪の毛が僅かに赤みがかった彼。常に学年主席のエリートの癖にあまり偉ぶったところが無く、普通の青少年みたいな馬鹿話を率先して行う彼。その彼が初めて見せた、自制を失う姿。

 あの数週間前の事件から――彼はずっと考え続けてきた。
 ゴミ箱に捨てていたISの資料。恐らく普通の候補生はもっと小さな時分から噛み砕いて学習するであろう分厚い内容。
 ……才能を持っているからといって本人がそれを望んでいるとは限らない。しかしそれが宝石よりも稀少なものであれば本人の意向など無視されるのが世の常だ。
 自分で生き方を決めるのではなく……才能に生き方を決められた訳だ。

「……ひっでぇ話」

 一夏は小さく机の上に蹲りながら嘆息を漏らす。
 ちらりと視線を滑らせれば、そこには自分をちらちらと盗み見る女生徒達。花のように笑いさざめきながらも――時折視線が此方に向き、織斑くん、と名前が聞こえる。 

「ねぇねぇ、誰か話しかけようよ」「彼が世界で唯一の……?」「さっきの授業全部正解してたけど、さすが千冬様の弟よねー」「やーん、かっこいー」
(……弾。ここ、全然良いとこじゃねぇぞ)

 いい事があったとするなら――幼馴染の篠ノ之箒に再開できたことぐらいか。
 まるで白鳥の中のアヒル。山羊の中の狼――いや、戦力的には狼の中の山羊だろう。
 織斑一夏だって男だ。勿論同年代の女性にだって興味がある――と昔、弾に話したら『……頼む、一夏。何も言わず一発殴られろ』と言われた。何故だ。
 ……もちろん可愛い綺麗な女性は大好きだ。ただし――物事には限度がある。
 例えていうなら、一夏は饅頭が好きだと仮定する。実際は麦トロ定食が好みだが。
 二個三個はもちろん、四つ五つもなんのその。……しかし十五とか二十になると苦しい。百もあれば見たくもないと思うだろう。結局女性が大勢いる場所に対する男性の反応は大まかに割って二つ。喜ぶか、げっそりするか、だ。

 今ならわかる。

 弾は――本気でISを操縦したかったのだ。たった一人の男子生徒だなんてものはあいつにとって夢を実現するための煩わしいものなだけ。あの眼差し、あの本気の殺気――本当に、心の底から自分を羨み、妬み、その醜さを自覚して押さえ込もうとし……そして失敗したのだ。
 弾に何度もあの後電話を掛けたが、電源自体切っているらしい。弾の妹の蘭も最初は上ずった様子でぶしつけな電話に丁寧に対応してくれていた。あの日の後、真面目な奴だったあいつが酒を飲んでいるのを見つかり、久しぶりに親父さんの雷が落ちて頭にでかい拳骨をくらってからは普通に生活しているらしい。
 ただそこは生まれた時から一緒にいた兄妹。兄の様子がどこか変であるのかを察していた。

「くそっ」

 小さく声が漏れる。
 学園に拘束される身としては休みの日でなければ自由行動が許されない。今は『世界で唯一ISを動かせる男性』という肩書きが煩わしくて仕方なかった。
 
 
 

「ちょっと、よろしくて?」
「へ?」

 二時間目の休み時間に掛けられる声。
 金色の髪がまぶしい豪奢な美貌の美少女。何用よ、と思って声を漏らす。

「訊いてます? お返事は?」
「ああ、聞いてるけど。……どういう用件だ」
「まぁ! なんですのそのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですからそれ相応の態度というものがあるんではないのかしら?」

 沸き立つ苛立ち。
 
「……分かった。じゃあ話しかけられる栄誉はいらない。話しかけるな」

 本音を言えば、一夏は親友の事が気掛かりで仕方がなかった。そんな状況で相手が此方にへりくだった態度を強要するような言葉に、流石に不快の念が沸く。
 場違いだって事は理解しているつもりだった。自分が動物園の猿扱いだって事は判っている。
 だが、恐らく男性は女性にかしづき、発言には無条件で従うものであると思っているのか――少女はこめかみを引きつらせて言う。

「な、なんて無礼な殿方なんですの!!?? こ、このセシリア=オルコットに向かって、イギリスの代表候補生にして入試主席のこのわたくしに向かってなんて言い草ですのよ!!」
「説明乙。……で、そのイギリスの代表候補生、IS<ブルーティアーズ>のエリートだったか」

 その返答が意外だったのか、セシリアと名乗った少女は目を見開いた。
 代表候補生は兎も角ISの正式名称まで把握されているとは思っていなかったのである。
 ……それもこれも――あの時の弾のお蔭だろうか。ISを扱える男性――そんなものは織斑一夏にとってはなんら価値の無いものだった。だが自分にとってなんら価値の無いものでも、弾にとっては何者にも変え難い宝物だったのだ。だからこそ、あんなにも怒り狂ったのだろう。
 可能なら、この『世界で唯一ISを扱える男性』という才能を譲りたかった。
 奇跡は狙いを外した。本来この奇跡を得るべきは、ずっと本心を押し殺してきた親友が授かるべきだった。能力的にも意欲的にも。

『有史以来、世界が平等であった事など一度もないよ』

 幼少期から頭がばかばかしいほど良かった篠ノ之束の言葉を思い出す。
 それは真実だ、冷厳な現実を指した言葉だ。だがそこには優しさがない。だから人は平等でない世界を少しでも優しくしようと努力してきたのだ。
 自分は男だ。人類最強の単一戦力を唯一動かせる男。ならば雄の代表として闘わなきゃならない。
 親友の怒りで気付かされた――俺は自分に対してはらわたが捻じ切れるような激しい嫉妬を覚えている男達の代表なのだと。ならば自分のこの身は好む好まざるに関わらず男の代表として努力せざるを得ない。事実、あの日から独学を続けてきた一夏は電話帳みたいな分厚い資料を全て理解していた。機会を与えられている時点で、自分は恵まれているのだと判ったから。
 
 一夏は、冷たくセシリアに言い放った。

「あんたのことなんかどうでもいい」







 五反田弾は酒気が抜け去り脳内が明瞭とした今でも頭に響き渡る声に――とうとう本格的な幻聴を聞いているのだと悟った。
 今は学校も休みの昼下がり。白昼夢にしてはやけにリアルな声に頭を掻く。指先に下げているのは、狗のような頭部と僅かな胴体のストラップ。何度も捨てようとしたのだが――途端に大音量アラームを掻き鳴らすので捨てるわけにも行かない。
 まるで母親の手を欲しがる赤子のような反応だな、と弾は思った。

「……つまり――これは前世死んだ後神様に贈られた褒賞だと?」
『不本意ですが、そのとおりです』

 耳に嵌めたイヤホンから聞こえてくるのは、音楽機器にハッキングして音声出力装置に流用している狗(本人曰く、ジャッカル)を模したロボットの頭部のアクセサリ。前世なんてオカルティックな発言を行う――制御AIを名乗る独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』。
 そういわれて心のどこかが腑に落ちるのも確かだった。前世なんてものは忘却の霧に隠されているが、確かに自分は<アヌビス>を知っているのだ。



 そう、艦隊戦では最初ベクターキャノンをぶっ放す時あまりの燃えっぷりに大声を出して両親に窘められたり、都市を守る際に<スパイダー>にグラブを使いすぎて投げ飛ばしたら二次被害甚大でそのつもりもなかったのに『完璧な殺戮です。満足ですか?』と言われたり、ケンを脱がすために溶鉱炉の上空を意味も無く滞空したり、G田T章さんが主人公の声というかなりレアな作品では生死不明の奥さんを助け出すために、ヒロインな巨大ロボと一緒に火星に行く話が大好きだったのに百円で売られているのを見て悲しい気持ちになったり(実話)いやもちろん全部買ったけど、結局Z.O.E 2173 TESTA○ENTは最後までプレイできなかったり、イブリーズ好きだったんだけどなぁとか思ったり、ファースティかむばーっくとか思ったり。



 なんか電波が混線した。


 彼女――性別があるのかは知らないが、女性の声なのだから彼女でいいだろう――はそれ以降自分がどうしてここにいるのか黙りこくった。
 同時に頭に流れ込む知識。
 オービタルフレーム<アヌビス>――最新鋭メタトロン技術の結晶であり、機動兵器でありながらもウーレンベック・カタパルトの応用による亜光速移動能力「ゼロシフト」を搭載した最強の片割れ。
<アヌビス>を倒せるのは<ジェフティ>のみであり、<ジェフティ>を倒せるのもまた<アヌビス>のみ。

「じゃあ、あんたは俺専用機ってわけだと?」
『はい、わたしはあなたのものです』
「…………………………………………」
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
「…………………………………………いや」

 五反田弾はAI萌えという意味を、「言葉」ではなく「心」で理解した。
 



 目覚めながら白昼夢を見ているのではないらしい――最初は自分自身の正気を疑いこそすれ、そう弾は結論付けていた。
 だが、と同時に思う。こうも滑らかで流暢な受け答えの出来るAIはどこにも出回っていないはずだ。もし設計できる人物が実在するとしたら篠ノ之束だけだろう。しかし彼女がそれをする理由などどう考えてもない。
 
「ありえねぇよな。前世なんて」
『魂魄や転生の概念を否定する要素は私は持ち合わせていません。資料ページにアクセスしますか?』
「いらん。……そうだな、俺の中にはISがある。それが現実か」
『一緒にしないでください』

 どうやらデルフィのプライドを傷つけたらしかった。フレームレベルでの演算能力を持つオービタルフレームからすれば、同じに扱われるのは大変不本意なのだろう。
 まぁ……と弾は考えを切り替える。前世とかそういうものはこの際だから心底どうでもいい。問題は自分の手の中に――自分の意志を持つAIシステムが存在しているという事。
 ……待機状態を解除したらどうなるのだろうか――と考えなくも無い。だが、同時に常識的に生きてきたこれまでの経験が邪魔をする。こんなこと、あるはずが無い。こんなにも都合よく、はらわたが捻じ切れそうな嫉妬を感じた瞬間に恋焦がれた空を飛ぶ力を得るだなんて有り得ない。
 
 いや、違うな。

 弾は心の中で呟いた。この気の触れた狂人が見るような余りにも都合の良い甘い夢。だがもしデルフィに<アヌビス>の起動を命じてしまえば、甘い夢は現実の冷たさに掻き消えてしまうのではないだろうか。
 デルフィ――現実に堪えきれなくなった自分が生み出した想像の産物、精神の均衡をとるために脳髄が生み出した甘い夢の産物ではないのか。現実ではなんら力を持たないただの妄想ではないのだろうか。

(……そして――俺はその妄想を信じたがっている)

 現実は厳しい。
 男の自分は決して夢をかなえる事ができない。なら――この前世からの贈り物というふざけた妄想を信じたいと……女達に並ぶ力を得たいと思っている。
 
<アヌビス>を起動させたいという感情/もう少し甘い夢を味わっていたいという感情=矛盾している。

 ただ……どちらにせよ、デルフィという自分の思いを全て理解したパートナーがいることは確かな救いだった。





「ちょっとよろしいですか?」

 女性の声が聞こえる。
 目を向ければ――どうもジャーナリストらしい女性が立っていた。またか、と弾は嘆息を漏らす。織斑一夏が人類初男性でISを動かしたというニュースが流れた際、彼の親類――は織斑千冬さんだけらしいから、ジャーナリストの矛先は全て中学校の旧友に向けられる事になった。流石に最近はそういった取材攻勢も鎮火したかと思ったがまだいたか、と中学時代の一夏の親友だった弾は嘆息を漏らしながら振り向く。
 ロングヘアーの美女。スーツを纏った女性がこちらへと近づいてこようとしていた。同時にその目を見た弾は――相手が堅気ではない事を悟る。
 瞳に宿るのは侮蔑の色。まるで犬でも見るようなさげずむ感情が見て取れた。
 同時に――弾に対して警告音がヘッドフォンから流れる。

『警告。彼女は火器を保有しています』

 SP――ではないんだろう。
 弾は相手の返答を待たずに、先手を取る。まだ此方が何の牙も持っていない子供と見くびっているその侮りを利用する。だむっ! と鋭く地を這うような足払いの一撃。
 だが、相手はそういう事に慣れているのだろう空中へと軽く跳躍してそれを避けた。

「へっ、平和ボケした国の餓鬼にしては動けるじゃ……って!!」

 弾は避けられた瞬間すぐに行動している。口内に溜めた唾を吐き出し、相手が咄嗟に避けようとした隙に即座に遁走に掛かっていたのである。
 服の袖で吐きかけられた唾を受け止めたその女――亡国機業(ファントムタスク)のエージェント、オータムは口汚い罵り言葉を吐き出しながら、懐に呑んでいた拳銃を取り出した。……織斑一夏に対する堪え難い嫉妬心を抱いている青年。彼の存在をスパイとして利用できるのではないかと考えた上の意向に従い彼を誘拐しようとした彼女は、草食動物と侮っていた相手に手をかまれたような怒りで、本来美しいはずの顔を不気味な笑みに染めて、弾を追いかけだした。





『<アヌビス>の即時起動を提案します』
「黙っていろ!!」

 弾は走る――まるで日常からいきなり非日常に転落した現実から逃げ出すように。逃げ込んだ雑居ビルの屋上を目指す。

『では逃走ルートを変更してください。あなたは自分から逃走できない袋小路へ移動しています』
「これでいい!!」

 走る。走る。走る――そのまま弾は、屋上へと飛び込んだ。
 
『では、どうしますか?』

 弾は、笑う。
 小さな笑み。後から死刑執行人である――恐らくどこぞの組織のエージェントが、それも多分脇の膨らみから見て拳銃を所持した非合法工作員がやってくる。
 自分の妄想であるかもしれないデルフィに対し、拳銃の持つ死のイメージはあまりにリアル。気付けば足元に僅かな震えが走り、喉奥は干上がった砂漠のように乾いている。だがそれでも、口元に浮ぶ笑みを抑えられなかった。
 
 拳銃を持った工作員に追い回される――なんという非現実的なシュチュエーション。
 そして――この非現実的な状況ならば……まるで、<アヌビス>が実在していてもおかしくないような気がしたのである。
 自分は狂っているのかもしれない。この場合弾が頼るべきは警察であり、此処から急いで逃げ出す事だ。
 なのに――恐怖と共に湧き上がる歓喜がある。この状況なら、この事態なら――俺の妄想が本当かもしれないじゃないかと思えるからだ。


 その女――弾は知る由もないが、オータムというコードネームを持つ工作員は、フェンスを越えている彼の姿を見て困惑を強める。
 男は弱い。女に這い蹲って慈悲を請うべき卑小な存在が、まるで自分の命を自由にさせまいとする行動に不快感を覚える。

「なにやってやがんだ貴様ぁ」
「……この声は、デルフィは俺の妄想かもしれない」
『違います』

 意味がわからずオータムは目を細める。

「だが――夢を叶える事もできず、生き永らえる事に意味があるとも思えない。感謝するぜ殺し屋。……あんたのお蔭で俺は言い訳できる。――この妄想と心中できる……待たせたな、デルフィ」
『遅いです』
「……あたま、おかしいんじゃねぇのか?」

 信じたい。
 心の底から、<アヌビス>が実在するのだと――決して手が届かない夢だと思っていた力が、個人の意志で自由になる憧れの翼が本物であるのだと、弾は信じたかった。
 そう――この妄想が本物であるなら……ビルから飛び降りるぐらいはなんでもないはずだ。何せ<アヌビス>や<ジェフティ>の――姉妹機ではなくこの場合従姉妹かはとこ辺りに当たるであろう<ドロレス>はもっと酷い速度で、具体的には時速40万kmの速度で地表に落下したにも関わらずまるで平気だったのだから。
 そして、弾は――待機状態の<アヌビス>を……翳す。

「来い、<アヌビス>!!」
『最初からあなたの傍にいます』

 身を翻し――全身の毛穴が逆立つ恐怖感を押し殺し、弾はビルの屋上から身を躍らせる。
 足元に何も無いという恐怖――落ちれば死ぬという強烈なリアル。
 構わない。この妄想が現実でないならば死んでも良い、夢が叶わないなら終わって良い――だが、そうでないのなら=そう思いながら、弾は叫ぶ。空中へ身を躍らせて。

「起動しろ……!」
『了解、戦闘行動を開始します』

 光が満ちる――緑色に染まったメタトロン光が周囲を圧し、力の甲冑が具現する。
 燐光が彼の四肢を包むと同時に黒く塗装された装甲が鎧っていく。鋭く、細く、強い――威力が形を得たかのように覆い尽くす。シールド技術が発達したISと違い、全身装甲(フルスキン)となった装甲外殻。その全身を、まるで血管のような赤い光が走り出す。フレームレベルで演算能力を保有する<アヌビス>が全身と情報をやり取りする際に走る光だ。
 冥府の神の名を冠する機体の頭はジャッカルを模した装甲で覆われ、センサーを内蔵した耳のような機関が立ち上がる。
 機体後背には六基の翼状のウィスプが、メタトロン光と共に鋼鉄に置換し、羽のように広がる。<アヌビス>の機動性能を支える高出力スラスターシステムと、<アヌビス>が保有する絶対的優位性の一つ<ゼロシフト>を実現するためのウーレンベックカタパルト、計六基のエネルギー生成機関『反陽子生成炉(アンチプロトンリアクター)』を搭載した、翼と心臓を兼任する主翼。針の先程の機体に宇宙戦艦をすら軽く凌駕する圧倒的出力を現実のものとした最強無敵の半永久動力機関。
 腰部からは単分子で形成された鞭のような尻尾が伸び空を打つ。
 地面を踏むような足は存在せず、槍のような脚部からランディングギアが展開――空中へと身を投げ出した機体は地面へと荒々しく着地。地面には落下の衝撃に抗しきれなかったアスファルトが放射線状にひび割れる。
 全身から瞬く強大なメタトロン光を身に纏い、妄想の産物と思っていたそれが――確かな現実として己を覆っている姿に、弾はセンサーで己が両腕を見た。

 この万能感。この全能感。世界の全てが見えているかのよう。

『……おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』

 弾の感情に呼応してか――全身から高出力状態に発生する真紅のバースト光の中で弾は叫ぶ。
 彼は実感していた。女性達は、ISの候補生達はこの感覚を常に味わってきたのか。高度など関係なくどこへでも――それこそ宇宙にだって行ける出力。なんでも思いのままに出来る圧倒的な力……なるほど、女達はこれを味わっていたわけだ。独占したいのも、当然かも知れない。

「……テメェ……何者だ!! なんでISを使える男がもう一人いるんだ!」
『一緒にしないでください』

 同時にビルから飛び降りてくるオータム。背中から黒色と黄色で塗装された工事現場の重機のようなカラーリングの、蜘蛛のような足を伸ばし着地――弾の全身を覆うその姿に驚愕を隠し切れない。
 その言葉に、弾は――妄想が確かな現実である事を、自分を覆う装甲を突いて確かめ……笑って応える。

『……織斑一夏が人類初の男性でISを使ったということは、女性しかISしか使えないという大前提はくつがえったろう? ……あんたが何処の殺し屋か知らないが――言っておく』

 腕を組み、王者のように翼を広げる。

『<アヌビス>は良い……想像を絶する』
『どうも』

 褒められたと思ったデルフィが、礼を言った。
 それを皮切りに、戦闘が始まる。




[25691] 第二話(ゼロシフト関連を大幅変更)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:36
 楽な仕事であるはずだった。
 織斑一夏に対して強い嫉妬心を抱いている彼の親友を捕まえ、薬物なり拷問なり脅迫なり、この世の忌み嫌われるありとあらゆる手段を用いて言う事を聞かせればいい。
 オータムは自分の行動が成功する事を微塵も疑っていない――当然だ。彼女は亡国機業(ファントムタスク)のエージェントであり、この世に467機しか存在できないISの一機を非合法ながら保有する女の一人。相手が女であるなら、僅かでも油断してはいけないかも知れない。
 世界最強の兵器であるISと闘えるのもまたISのみだ。
 だが――男が自分と戦えるはずなどない。今や男性など力の面において女に劣る。最早子孫を生み出すために必要な家畜程度の価値しか彼女は保有しておらず――そしてその悪しき偏見が正しいと思う彼女のような女性も……残念ながら、僅かに、だがゆっくりと数を増し始めている。

 重ねて言おう――男は弱い。

 そのはずだったのだ。

 オータムのISのシステムが――警告を掻き鳴らす。
 それは眼前に出現した機体に対して一ミリでも距離をおきたいと震える草食動物のようであり、神聖不可侵の存在に対して畏れ抱く敬虔なる信徒のようでもあった。煩わしい警告音をカット――ISの制御システムである『コア』からの声を全て無視。
 敵動力源=未知。敵装甲材質=未知。敵出力推算=計測不能域。敵戦力=甚大――最善行動は即時撤退。明確な言語に変換すればそうなるのだろうが――彼女はそれを切り捨てた。

「黙れぇ!!」

 男は弱い――その極めて稀な例外が織斑一夏であるはずだった。
 織斑一夏と他の男性との差異――即ち彼と他の男の何が異なっているのかを調べる事により、女がなぜISを動かす事が出来るのかを知る事が出来るのだ。それは彼女の所属する組織である亡国機業(ファントムタスク)にとって有益な情報となる。
 ……だから、目の前の男が織斑一夏であるならば――オータムは敵が牙持つ事を驚きはしない。だが、現実は異なる。
 まるで漆黒の犬の如き偉容にして威容にして異様。魂を持つ神像を思わせる姿。無手のまま、その機体――<アヌビス>――エジプト神話における冥府の神を名乗る機は、アスファルトから火花を散らし跡を刻みながら凄まじい速度で前進する。

「……まぁ良い!! てめぇがなんだろうが……!!」

 背中から伸びる女郎蜘蛛のような脚部が――全体を現していく。相手が同格のISと認めたオータムは無駄な思考をすることを止めた。現状に対する柔軟な切り替えは、なるほど彼女が一級の非合法工作員であることを示すものだった。だが――そんな彼女でも雄に対する無意味な思い込みからは逃れられなかった。男の扱える兵器が――女の扱えるISよりも性能のいいはずがない。
 展開するのは黒と黄で塗装された――武装ハードポイントとしての八腕を保有するIS<アラクネ>。両足と両腕を覆うのは重厚な装甲。本来の腕に加え、背中からは蜘蛛の異名の由来である多目的マニュピレーターが生えている。腰から後には蜘蛛の腹部を連想させる前進推力を重視したブースターが接続された。
 量子変換された大量の武装を同時展開して、瞬間的な重火力で相手を反撃すら許さずに圧殺するオータムの機体。

「ガラクタにしてから調べてやる!!」



 雨のような弾雨――恐らく相手は重火力型なのだと当たりを付けた弾は即座にシールドを展開。広げた片腕から迸る赤い障壁が銃弾に反応し、その破壊的な運動エネルギーを相殺する。
 
「なかなか分厚いシールドみたいだがよ、受けてばかりじゃ削り殺されるぜぇ……!!」

 相手は――<アヌビス>がISの類であると判断しているのだろう。ISはシールド展開のエネルギーと耐久力は同じだ。受ければ受けるほど起動限界が近づく。そのため、ISは相手の攻撃を受けて止めるよりも、回避する事を重点においた設計思想を持つ。
 ……だが、相手は知るまい。<アヌビス>のエネルギー出力は宇宙戦艦を凌駕する。従来の火器で突破できるものではない。
 弾は、しかし不快げに歯を鳴らした。此処は一般人もいる町のど真ん中。周囲からは恐怖と悲鳴の合奏のような叫び声があちこちから聞こえてくる。

『デルフィ、周辺区域をスキャン!! ……まずはあの馬鹿を人のいない場所に引きずり込む!!』
『了解』

 弾の心に浮かび上がるのは――例えて言うならば自宅の庭に見知らぬ暴漢が土足で上がりこんでいるのを見た時の怒りに似ている。幼少期を過ごした思い出の場所たちが銃弾と硝煙で穢されていく。
 彼が心に浮かび上がらせたのは原始的な郷土愛であり、故郷を侵す侵略者に対する激しい撃退の意志であった。

「ははは、どうしたどうしたぁ!! 殻の中に閉じこもってばかりかぁ?! 正義の味方って奴ぁ守るもんが多くて大変だなぁ!!」

 相手の得意げな声――銃弾を浴び続ける事は徐々にISの起動限界に近づいているという固定概念に基づいているため、此方の限界が近いと思っているのだ。確かに弾の<アヌビス>は一発も打ち返していない。都市内で使用するには<アヌビス>の武装はどれも火力が高すぎる。単独で人類全てを敵に回しても勝利可能という頭の悪い能力を持っていると褒めればいいのかと弾は思った。
 これまでに何百発の銃弾を<アヌビス>は受け止めただろうか。
 弾は<アヌビス>が本来保有する機動性能を発揮させず、地味な機動で相手をこの場所から動かないようにデルフィの誘導に従う。

「つまらん相手だが、見たこともない機種だ。『コア』を引き剥がして回収させてもらうぜ!!」
 
 IS<アラクネ>の武装が光の粒子となって掻き消え、代わりに出現したもの――より近接距離での威力に特化したショットガンで一気に圧殺しようとしているのだ。同時に<アラクネ>の後背のブースターが火を噴く。突撃して至近距離で高威力の散弾を叩き込むつもりだ。

『デルフィ、サブウェポン切り替え、コメット!!』
『了解、武装を切り替えます』

 空間が歪み――二次元の物体が三次元のものとなったかのように、その歪みから武装を引き出す<アヌビス>。
 それを構えると同時に赤色の光弾が発射される。

「ひゃはははははは!! 撃て撃て、テメェでテメェの町をぶち壊……なにぃ?!」

 瞬時に、その重厚な外見から見合わぬ機敏さで回避する<アラクネ>。
 オータムはその秀麗な美貌を残忍さで歪めて笑う。自分の攻撃で町を壊すが良い――嗜虐的な笑みは、しかし予想を上回る光景で凍りついた。
 外れた流れ弾はビルの壁面に着弾――ではなく、まるでミサイルのような誘導性で回避機動を行ったオータムに追いすがり命中、<アラクネ>の武装腕部を破壊したのだ。

「なん……なんだそりゃぁ!!」
『奴を殴るぞ、デルフィ!!』
『了解。サブウェポン・ガントレットを選択』
 
 そのオータムの動揺を見逃さず、<アヌビス>はアスファルトにランディングギアの強烈な擦過跡を刻みつけ、脚部の膨大なパワーでジャンプし接近。瞬時に音速を突破する。その速度はオータムですら瞠目するほど鋭く速い――獲物に飛び掛るジャッカルの如き俊敏さで懐に飛び込む<アヌビス>。
 空を舞う――重力から切り離され、何者にも縛られない圧倒的な自由感と開放感。幼い頃からの喜びが満たされるあまりの歓喜に大声で吠えたくなる。
 そのまま絶大な上昇推力を打撃力に変換するようなアッパーカット。

『コンボの際、敵を上方向にかち上げる場合はああぁぁぁぁぁぁ!!』
『△ボタンを押してください』

<アヌビス>の拳がオータムの生身の腹に突き刺さる=それをISの防御機構である堅牢なシールドが阻んだ。
 だが、<アヌビス>の一撃は終わらない。そのまま――強烈な衝撃力を持つ実体弾で相手を吹き飛ばすガントレットを拳から発砲。ベクタートラップにとって形成された空間圧縮バレルより吐き出された砲弾を零距離で叩き込む。

「ぐはあぁぁ?!」

 宣言どおり、空中へとかち上げられたオータム。ビル街から空へと戦場が移り変わる。
 それを追い、<アヌビス>は空中へと跳躍――同時に弾に状況を知らせる網膜投影式バイザーの中で、人の少ない周辺区域のスキャニング結果が算出される。表示されるのは遠方の現在開発が中断されている工事現場、そこ目掛けて奴を落とす――そう判断する弾。
 振り上げられる<アヌビス>の拳。天空の頂から地上へと落着するかのような右の掌底。

『コンボの際、敵を下方向に撃ち墜とす場合はああぁぁぁぁぁぁ!!』
『×ボタンを押してください』

 打撃が命中――再び同時に発砲、炸裂する零距離ガントレット。
 そのまま相手は地上へと落下していく。相手を火器を用いても問題の無い距離へ追いやった――<アヌビス>は全身から赤い光を放ち、高出力状態のバースト・モードへ移行。その掌を突き出すように構える。
 
『バーストショット「戌笛」を使う! モードは弾速重視!』

 突き出された掌の中で膨れ上がり、巨大化する赤光塊。
 更なるエネルギーが凝縮され、膨れ上がるそれを――視界の彼方、起き上がったオータムをロックし、発射する。
 放たれるのは赤い臓腑のような狂猛な輝きを放つ破壊の球体。<アヌビス>の周囲に血煙のような禍々しい真紅の粒子を撒き散らしながら、相手目掛けて走る。

「うぉおわぁぁ!!」

 それでも相手は瞬間加速(イグニッションブースト)を用い横方向へと瞬間的なスライド移動。敵機を一撃で戦闘不能状態に叩き落す真紅のエネルギー砲撃をぎりぎりで避ける。
 戌笛が着弾――同時に、まるで地中に大量の炸薬でも埋めていたかのように大量の土砂が空中へと跳ね飛び、土塊の雨となって頭上から降り注ぐ。
 たった一撃でこの威力――喉奥を突いて出るのは『化け物』という言葉、指先がおこりのように震えているのは恐らく気のせいではない。
 そんな訳あるか――自分自身の肉体の変化をあくまで認めまいとオータムは尚も交戦。量子変換され、淡い光から実体を持つ武装が姿を現す。出現するのは高速飛翔体を射出する自立誘導弾のアームドコンテナ。ミサイルランチャーだ。

「信じられるか、そんなこと!!」

 <アラクネ>の制御システムが<アヌビス>を光学捕捉。ロックオンの表示が出ると同時に搭載したミサイルを全弾射出し、空になったそれを全てパージ、そのまま突撃する。
 総計二十四発のミサイル攻撃――この状況でオータムが選択したのは大量の攻撃による相手の処理能力を超えた飽和攻撃。流れを変える彼女の切り札の一つであった。……その判断は間違っているわけではない。相手が普通のISであるならば回避なり迎撃なり対象に時間を取られただろう――彼女の失敗は……その二十四発のミサイル程度では、<アヌビス>の強力な迎撃能力を上回る事が出来ないと知らなかったことだ。
 それらから逃れるように後退する<アヌビス>。その両腕を誇示するかのごとく掲げた。

『デルフィ!! ハウンドスピア!!』
『敵ミサイル、ロック』

 比類なき量子コンピューター性能を誇るかのような、多対象への瞬間的複数同時捕捉能力。
 両腕より繰り出されるのは、破壊力を秘めた赤い光の群れ。それぞれが独立した意志を持つかのように折れ曲がりつつ突き進むレーザーの雨。<アヌビス>版ホーミングレーザーであるハウンドスピアは、それぞれが狙いを過たず降り注ぐミサイルの全てを射抜き、撃ち落した。誘爆、砕け散るミサイルが爆炎の壁を生む。
 だが――それに混じる銀色の紙片。レーダー反応を欺瞞するチャフだ。

「掛かったなぁ!!」

 相手の迎撃能力がこちらの予想を上回っていてもオータムは気にしない。彼女の気に食わない同僚である『M』のみしか実行できないはずのレーザービームを曲げるという事を容易くやってのけた光景にも動揺せず攻撃を続行できる精神は、彼女がプロであることを指し示していた。
 撃墜されたミサイル弾頭――そのいくつかは、相手に対する打撃力を有した高性能炸薬ではなく、相手のハイパーセンサーを欺瞞し、電子的盲目状態に陥れるジャミングのための金属片が大量に含まれていたのだ。それらが空中に散布される。だが<アラクネ>はそういったECCMも高度なものを保有しており、この状態でも問題なく敵機を索敵し続けている。
 同時に新たな武装を呼び出すオータム。展開されるのは――先程までの銃器と違い、完全な近接戦闘用の、対装甲破断用物理実体剣。軍事的装甲を破壊するために作られた洗練されたデザインのチェーンソーだ。刃に取り付けられたナノサイズの鋸が無音のまま高速回転を始める。物騒な形状の割りに静粛性に富んでいるのは、これが死角から敵ISを即死させるための隠密性能を要求されているからだ。
 オータムは勝利を確信し――状況に対応できていないのだろう、素人が、と嘲笑いながら、空中で静止している敵機に対してその無骨な凶器を振り下ろした。



 だが。


 確かにそこに存在しているはずの敵機は、レーダーにも確実に反応のある<アヌビス>を叩き切るはずのブレードは、まるで蜃気楼に斬りつけたように空振りをしたのである。

「馬鹿な……奴は!!」
『まさか自分の人生でマジでこんな台詞を吐く日が来るとは思わなかった。……残像だ』
『いいえ、デコイです』

 だから、オータムの反応はその驚愕と狼狽で僅かに遅れた。
 相手が此方の視覚を潰したと確信した瞬間、サブウェポンであるデコイを射出。機体に瞬間的に負荷を掛ける事によって発生する光学的虚像、電子的にも反応を示す囮を展開し――その隙に<アヌビス>は己が機体をベクタートラップを用いた空間潜行モードに切り替え。完璧とも言えるステルス能力を発揮し、デゴイに騙された<アラクネ>の後方に回り込んだ。

『出ろぉ! ウアスロッド!!』
『帯電衝槍・出力100パーセント。ハードポイントは右腕』

 空間の撓みより引き出され、その腕に出現するのは白兵戦用の長槍。

「男がっ!! お、男の癖にぃぃ!! 生意気なんだキサマァ!!」
『その手の台詞はなぁ!! 腐るほど聞いてきた!! ……もうその台詞は俺の人生に要らん!!』

 振り上げられる刃。オータムの認めがたい現実を否定する声に、弾は叫ぶ。
 その偏見。その驕り――脳内を駆け抜けるのは彼の今生の人生で見た走馬灯の如き女達の優越感を帯びた瞳。どうやっても覆す事などできない現実。夢に挑む事すら出来ずに破れ涙を呑んだ自分の姿。その眼差しを打ち砕くための力は今、己を鎧っている。まるで今までの経験全てに復讐するかのように、<アヌビス>はウアスロッドの鋭い刺突の一撃を咆哮と共に放つ。

『男を……馬鹿にするなぁぁぁぁぁぁ!!』
  
 繰り出されるのは強烈な電熱を帯びた刃――その一撃は<アラクネ>の胴体を刺し貫いた。同時にISの搭乗者の最終機能が発動。絶対保護障壁が展開し――そして引き換えにエネルギーの残量を失い戦闘継続能力の全てを剥奪され、重力に引かれて落ちていく。
 さしものISも――無防備な状況で突き込まれた刃の一撃を受けて尚も戦闘能力を保持し続ける事が出来る訳もなく、それは地上へと落下した。
 
『戦闘終了。お疲れ様です』
『……お疲れさん』

 再度空間潜行モードへと切り替えた弾は――<アヌビス>を人目の付かない場所に着地させると、視界の彼方から飛来してきた日本のIS部隊を確かめ、もう一安心だろう、と考える。<アヌビス>を待機状態へ移行。アクセサリになったそれを胸元に入れる。今度、鎖をつけて肌身離さぬようにしようと心に決めた。
 色々な事がありすぎた。
 オービタルフレーム<アヌビス>。絶大な戦闘力を保有する機体と、自分を狙ってきたと思しき敵。……実は全くの偶然ではあるが、相手が<アヌビス>の存在を知って最初から仕掛けてきたのかとも考えられなくも無い。

「……いや、それはないか」

 だと仮定するなら、相手の戦力で<アヌビス>を抑えられるわけも無い。多分偶発的な要素がいろいろと絡んでいるのだろう。
 ……そこまで考えて弾は、ここが何処だか分からない。<アヌビス>で飛行した場合は一瞬で行けた距離であっても、実際に電車で行こうとするならばそれなりに時間の掛かる場所だったのであった。

「デルフィ。一番近場の駅の位置はわかるか?」
『はい。情報取得しました。方向を指示します』
「早いな。さすが」
『私の存在理由はあなたに尽くすことです』
「…………………………………………」
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
「デルフィ。結婚してくれ」
『は?』

 なにこのかわいいAI――リコア=ハーディマン、あんた天才か。と弾は思ったが、口には出さなかった。




「気になってた事が二つある」
『はい』

 弾は電車の中、一人ぶつぶつと見えないお友達と話している危ない人に見られないように携帯電話で誰かと話している風に装いながら、口を開く。

「まず――<アヌビス>の股間の野獣……もとい、腰から前方に突き出しているあれは何だ? 現在ではなにか意味があるのか?」

 アヌビスのあの男性器を連想させる部位は操縦席だったが、ISと同級のサイズに――要するに人型パワードスーツのサイズになっている現状ではあれは本来の意味を持っていないはずだ。

『この状態においては、あの部位はアンチプロトンリアクターとなっています』
「胴体内蔵式って手法を取れないから、そっちに動いたわけか」
『はい』

 確かに色々と原型とは違う部位も存在している。
 本来オービタルフレームの腕は小指が親指になったような形状をしているはずだが、今の状態では普通の人と変わらないような形に変化している。同様に、獣のような逆間接も、順間接にだ。人が着込むパワードスーツに変質した際、その辺りの問題も是正されていたのだろう。
 ふむ、と弾は考えてから――今まで考えていた最大の懸念を聞く。

「じゃあ質問二つ目。こっちが一番重要なんだが。デルフィ――<ゼロシフト>は、使えない訳じゃないが、使わない方がいいんだな?」
『はい。……その事に思い至った理由を聞かせていただいていいですか?』

 先の戦闘でも<ゼロシフト>は使用できたはずである。だが、弾は結局使わなかった。どうしても懸念が捨て切れなかったからだ。

「ああ。……まず、<ゼロシフト>を搭載していたオービタルフレームのフレームランナーには大まかな共通点があった。
 ……まず。<ジェフティ>のフレームランナーだったディンゴ=イーグリットは、ノウマンの銃弾で呼吸器系統に重大な損壊を受け、生命維持を機械で代替するためバイタルを使っていた。そして<ハトール>のフレームランナーだったナフス=プレミンジャーことラダム=レヴァンズ は事の発端、ダイモス事変で重症を負い、肉体のほとんどをメタトロン製義体に置換していた。
<ゼロシフト>を繰り返すことで圧倒的だった<ハトール>に対抗するためには自分も<ゼロシフト>を実行する必要があったのに、<ドロレス>はジェイムズ=リンクスの身を心配し、最後まで<ゼロシフト>の発動を渋った。
 そして――ロイドがディンゴに言っていた台詞。
『性能を追及した結果』『ノウマンは私よりも徹底している』って言葉――奴が……内臓が無いがらんどうの肉体を持っていたことから推論は成り立つ」

 あんまり考えたくないなぁ、と思いながら、弾は推論を続ける。

「オービタルフレームは搭乗者の加速Gを相殺するイナーシャルキャンセルを搭載しているが――しかし<ゼロシフト>という亜光速瞬間移動の際の肉体への負荷は完全に相殺できない。
 ……そして――ノウマンが、胸元の本来あるべき臓器が無かったのも、生命維持と操縦に必要な最低限の臓器以外を摘出して、<ゼロシフト>に対する負荷を覚える肉体そのものを捨てていたって訳だ。……徹底しすぎてる。
 考えられるのはただ一つ。
 肉体を鍛えていたジェイムズのことから考えて、<ゼロシフト>は一回ぐらいは問題ない。
 だが、<ゼロシフト>の連続使用を行った場合は、フレームランナーの生命維持が不可能になる可能性がある。もし<ゼロシフト>の連続発動を行うつもりなら――人間を止める必要がある」
『全部違います』

 予想外の言葉に――弾はヘンな顔をした。これしかないと思ったのに。

『高純度で大量のメタトロンが、搭乗者の精神力に感応し、物理現象をすら捻じ曲げることが出来る魔法のような力を発揮することはご存知ですか?』
「あ? ……ああ」
『メタトロンの『毒』』
「……ッ!! ……『高純度で大量に集中使用すると、人間の精神に反応し「魔法」としか思えぬ既存の物理法則を無視した力を出すが、その強大な「魔力」が使用者の精神を歪め、歪められた狂気がさらに「魔力」を増大させる悪循環を引き起こす』……か」

 弾は、言葉を詰まらせる。
 ナフス・プレミンジャーを狂気の底に陥れたメタトロンの副作用。人間の精神に作用し、そのほの暗い部位を刺激する力。

『彼らフレームランナー達はそれぞれメタトロンの毒に耐えるほどの精神力を保有していました。しかし――貴方はどうですか?』
「……そういわれると、ぐうの根も出ない」

 実際に戦争に従事し、命を掛ける戦いを潜り抜けた戦士と、自分のような一般人に毛の生えたような人間とでは根本的な精神力が違うのは当たり前だろう。苦笑するしかない。

『<ゼロシフト>は最新鋭メタトロン技術の結晶であり、同時に使用時、ランナーの精神に大きく作用します。ある意味では、ノウマン大佐もメタトロンの毒によって捻じ曲がったとも言えるかもしれません。……もし、何者にも勝る強固な精神力を発揮する場合なら兎も角、現状あなたの精神力では<ゼロシフト>を使用した場合、自己を含めた全ての破滅を望む可能性があります。そうなれば、第二のノウマン大佐に貴方は変質します。
 ……そして――<ジェフティ>はいない』
「……俺がおかしくなった場合、<アヌビス>を制止できる存在がいないってことか」
『お判りいただけましたか?』
「<アヌビス>は無敵だが……フレームランナーの精神までは無敵ではないってことか」
『あまり褒めないで下さい。照れます……ただ』

 こいつも照れるのか、と弾は感心し――言いよどんだ様子に思わず首を傾げる。
 人間を遥かに上回る演算能力を持つメタトロンコンピューター。その彼女が『躊躇う』などという事になるのが意外だったからだ。

「ただ?」
『自分が無敵でないという事を知っている貴方は――いいフレームランナーになる素質を持っています』
「……ありがとう」
『いえ。貴方の戦闘能力が、私の生存確率に大きく関わってきますので』

 ……あれ。もしかしてこれはツンデレなのだろうか、と弾は思った。

「さっき俺に尽くすと言ってくれなかった? 死ぬときは一緒じゃないのか?」
『AIである私と人間の生命を同列に語ることはナンセンスです』
「俺はお前を失うなんて絶対に嫌だし、俺一人で生きながらえる気は無いぞ? 添い遂げようぜ」
『…………』
「どうした?」
『……いえ』

 恋焦がれた空を飛ぶための翼――あの全能感、あの万能感はこの世に存在する如何なる麻薬よりも強い力で弾の心を捕らえていた。またあの絶望感を味わう羽目になるぐらいなら……今度こそ終わっても良い。そう考えながら、頬を押さえる。
 
「<ゼロシフト>は危急の事態以外は封印する」
『よろしいのですか?』
「我侭を言って使いまくれるようになる訳じゃないし――それにさ、デルフィ」
『はい』
「切り札は最後まで取っておきたい。それに『ふふふ、奴は追いつけまい』『この機動性に付いてこれるか、ふはははは』とか思ってる奴の目の前に瞬間移動したら気持ちよさそうじゃん。うわあああぁぁぁぁ瞬間移動しおったぁぁぁぁ、とか驚いてくれないかなぁ」
『その辺りの気持ちは良く分かりませんが、切り札としてとっておくという言葉には同意します』
「はは……まぁ、そもそもお前は<ゼロシフト>を使えなくても最強だろう?」
『はい』
 
 相変わらずの平坦な口調。だが、最後の『はい』には僅かながらも誇らしさが滲み出ているような気がした。
 弾は待機状態の<アヌビス>を胸元、心臓の前のポケットに肌身離さず仕舞いこみ、言う。

「デルフィ」
『はい』
「俺のところに来てくれてありがとう」
『どういたしまして』

 本当に――感謝している。言葉では言い尽くせぬぐらいに。
 諦めた夢を掴む事ができた。翼が確かに存在している事を改めて確認し――弾は、目頭を抑える。目蓋から零れる熱いしずくの存在を知り、頬を拭った。怪訝に思う電車の乗員なんて目に入らない。
 今日は、良い日だった。

 










 今週のNG

『デルフィ、サブウェポン切り替え、コメット!!』
『了解、武装を切り替えます』
『そう!! 原作ゲームではいまいち使いどころが無かったコメットです!』 
『なお、この発言は作者の私見が多分に含まれております。ご注意ください』



作者註

 本編で主人公がゼロシフトに対しての意見を述べていますが、これはあくまで作者の私見と推論であり、公式設定ではない事をあらかじめお断りしておきます。ご了承くださいませ。
 そして、感想でのご指摘から、もう少し納得できる方向性に変更いたしました。
 ゼロシフトによる瞬間移動無双をご期待くださった方、誠に申し訳ありませんが、整合性を取るにはこうした方が良いと判断しました。ご期待に沿えず申し訳ありません。

 なお、次回更新からタイトル変更いたします。次回からの正式タイトルは

『インフィニット・ストラトスVSオービタルフレーム』

 でいこうかと思います。
 では、次回更新もよろしくお願いいたします。八針来夏でした。




[25691] 第三話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:50
『決闘ですわ!!』

 先日セシリア=オルコットに叩きつけられた宣戦布告の言葉を思い出しながら、織斑一夏は両腕に力を込めて腕立て伏せを繰り返す。腕に対する負荷を強めるために背中に乗せた篠ノ之箒ごと、自分の体を持ち上げる。

「……なぁ、一夏」
「……ああ」

 短い一夏の返答。運動中で声を出すという行為は事の他疲労を促進する。言葉の中にはありありと疲れが含まれていた。
 おかしい――篠ノ之箒はこうして再び出会えた憎からず思っていた片思いの相手の激変ぶりに正直前から困惑を覚えている。前はもっと明るく、あともう少しそんなに物事を考える性格ではなかったように思う。確かに幼いながら義侠心も持ち合わせていたし、自分にだって優しくしてくれた。
 ……だが――今の彼は少し困るのだ、と箒は自分の胸中に宿る恋の熱が高まるのを自覚してしまう。
 ISの候補生となる女性はもっと昔から様々な知識や専用の訓練を受けるものだ。しかしイレギュラー的な存在である織斑一夏は、ISを動かせるという事が発覚してからの数週間しか知識を詰め込む時間がなかった。はずだった。

 ……そして蓋を開けてみれば、彼はその限られた数週間で、現役の候補生と遜色の無い専門的知識を身につけるに至っているのである。

 女性の候補生と比べれば余りにも遅すぎるスタート。それでありながら、存在していた大きなハンディキャップを織斑一夏は、ただの努力の量のみで埋めて見せた。
 ISを装備するためのスキンスーツから除くうなじは、先程からの自主練習で滴る汗で濡れている。見える二の腕の筋肉も、徐々に男性的な力強い曲線を描き始めていた。此処数週間の彼の練習量は――異常だ。放課後はとことんまで肉体を苛め抜き、夜になれば座学に勤しみ消灯も夜遅い。俺はナポレオンだと言わんばかりの熱心ぶりだ。
 ぶっちゃけ――今の彼は昔の恋心も相まって大変好ましいのである。

「何故そこまで頑張れる? 最近のお前は――す、凄いというか……気を入れすぎじゃないか?」
「……決闘前日になったら体を休めるさ」

(……こ、困った。……今のこいつは――)

 もとより顔の造形は姉に似て良い方だったが――それに加えて男性的な逞しさ、精悍さが増している。整った顔立ちに加えて内面から滲み出る求道者のような真面目さが彩りを添えていた。ぶっちゃけ男前なのである。幸いそれに気付いているのは今のところ彼女一人なのだが。
 同時に、胸中に沸く疑問もある。
 彼の姉であり教官でもある織斑千冬に話を聞く機会があったが――中学の頃の彼は帰宅部の皆勤賞という何処に出しても自慢にならない、良くも悪くも平均的な存在だったのだ。ISを動かせると分かったときだって面倒だな、と言わんばかりの、状況に流されているような態度だったらしい。
 そんな彼が――何か変わった。彼を見た織斑教官の言葉を箒は思い出す。

『しかし……男子三日会わざれば刮目して見よ――という慣用句はあるものの……変わりすぎだ、あれは』

 なら――彼が変わったのは……子供の頃と違い、表情に真剣なものを漲らせて、彼女の要求するトレーニングの三倍をものも言わずにこなす彼のその肉体を支えるほどの激しい決意とはなんなのだろう。
 精神は肉体の奴隷である――そう言った昔の人がいた。
 それは真実であろうが――篠ノ之箒としてはその辺りにもう一文付け加えたいところだ。即ち――『精神は肉体の奴隷である。ただし肉体の性能を決定付けるものは精神である』と。

 だとするなら――織斑一夏にこれほどの克己心を抱かせるようになった、その精神の支柱とは一体何なのだろうか?




 女性上位社会は、正直なところを言えば空気のように自然なものであったろう。
 酒を飲み漁り、過去の栄光にしがみつく様に昔の話をする中年のおじさんを見て――見苦しいと思った事がある。女性が偉いのは当たり前の話で、それに対してどうして悔しがるのか。幼い頃、そうおじさんに指摘したことがあった。
 男性は、まるで鈍器で殴られたようなびっくりした顔をして――そのまま子供のように大声で泣きじゃくった。
 息を吐いて、トレーニングを切り上げる。

「……1000……箒……もういい、ありがとう」
「あ、ああ。……水はいるか?」

 こくり、と声を出すのも億劫になった一夏は手を挙げてスポーツドリンクを要求する。
 乳酸を満載したかのようにへろへろになった腕を掲げて、蓋を開けてから流し込む。それを空にしてから――彼は仰向けになったまま口を開いた。

「あー。箒。……すぐは動けそうにないから、先に戻っておいてくれ」
「ああ、大丈夫か?」
「問題ねぇ。……こんなところで足踏みしてる暇が無いからな」

 勿論彼女は何か言いたげな様子を見せたものの、一夏は仰向けのまま呼吸を整えているのを見、瞑想に入ったと知ると――同門であった頃の教えを未だに実践しているのか、と自分との繋がりを発掘したような思いでかすかに笑みを見せて寮の自室へと戻っていった。



 目を瞑る。
 思い起こすのは――セシリア=オルコットに勝負を挑まれた時の周囲の反応だった。

『お、織斑くん、それ本気で言ってるの?』
『男が女より強かったのって、大昔の話だよ?』
『今からでも遅くないよ、セシリアに言ってハンデつけてもらったら?』
『えー? それは代表候補生を舐めすぎだよ。それとも、知らないの?』
『男女別で戦争が起きたら、男陣営って三日も持たないらしいよ? それどころか三時間で制圧されかねないって』

 大丈夫。
 はらわたに溜まる静かな激情の存在を確かめながら、一夏は上半身を起こした。
 悪意の無い言葉。女性上位社会の中で生きていけば、彼女たちがそういう風に考えるのも仕方ない。花のように笑いさざめく言葉には澄み切った善意しか存在せず、本気で自分の身を案じている事がはっきりと分かった。それが悪意の毒で満たされていたならどれほど分かりやすく、すっきりするか。


 結局、舐められているのだ。


 今の女性上位社会の中で――女性の愛玩動物のようになって楽で贅沢な生き方をしている男を舐めるなら別に良い。奴らは闘うことも、反骨の気概も捨て去った去勢された雄だ。だが、幼い頃出会ったあのおじさんを、ちゃんと悔しがったあの人を――そして、五反田弾を、そういう男と一緒にしないで貰いたかった。



『なんで、おまえなんだ』

 あの日あの時から、親友の言葉が一夏の心に染み付いて離れない。
 あれは人類60億の半分、この世の男性の代弁だった。自分しか挑めない。ISを扱えるのは自分だけ、それゆえに女性に挑めるのはこの世でたった一人自分だけなのだ。
 確かにかつて、男尊女卑の時代が存在していた。
 男性の方が体格があり、力が強く闘いに勝つことが出来る。そういった力への信仰心が男尊女卑の時代を作った。そして――女性達はかつての男性の轍を踏んでいる。ISを使うことで、力が強いから――女性の方が偉い。強大な暴力を振るえるものこそが偉いという主張だ、と一夏は思う。与謝野晶子が復活したらどう思うだろうか。

 一夏は、この数日、練習用のISである日本の量産型<打鉄>での戦闘訓練を最小限にして、肉体のトレーニングを重点的にこなしているのには理由がある。
 彼が肉体を徹底的に苛め抜き、鍛え上げているのは……この怒りの発露に耐え得る強固な肉体を欲したからだ。口数少なく、最低限の言葉しか発さないのは、はらわたに溜まった怒りがこぼれ落ちるような気がして勿体無いと思ったからだ。
 セシリア=オルコットは、性格こそ高飛車で驕慢だが――しかし戦闘者としての経験と実力、これまでに積み重ねた鍛錬の汗の量は自分を遥かに凌駕する。一夏は当然ながら、真っ当に闘えば自分が勝てないことを理解していた。戦闘で勝敗を決するのはこれまでの練習量――彼女はスタートラインが致命的に遅れていた自分が勝てる相手ではない。
 
 だが勝つ。

 一夏は自分で下した結論を自分で否定した。
 
  
 




  

 日本で、こんな話がある。



 ある日、弓矢を背負って山中を歩いていた侍が、道脇に座る男を見つけた。その腰に下げている太刀は身なりに似合わず見事な拵えで、思わず金銭と引き換えに譲ってもらうように頼んだ。
 するとその男は――『銭はいらねぇ。代わりに弓矢をくれ』と言ったのである。
 弓矢一式でこの見事な太刀を得られるならば構わぬと弓矢と交換したその侍。ほくほく顔で帰宅しようとしたところ――弓矢を番えた男が狙いを侍に向けて一言。『待てい、それは商売道具の大切な太刀。命が惜しくば身包み全部置いていけ』。男は見事に追いはぎに早代わり。如何に見事な太刀であろうとも、遠間から相手を射抜く弓矢が相手では手も足も出るはずも無い。命を質にとられた男は金も衣服も奪われてほうほうのていで逃げ帰ったとさ……。

 ……細かなところは違っているかもしれないが、大まかな意味としてはその辺りだったはずである。
 これは戦国時代の日本の文化的素地として――合戦でもっとも重要な武装とは相手を遠距離から一方的に射殺できる弓矢であり、太刀の外見の眩さに目が眩み、一番大切な武器をみすみす敵に渡してしまった侍の愚かさを笑う話なのである。古来日本で、強いという事を意味するのは弓の名手を指すのだ。

 この逸話を考えれば、如何に射撃武装が白兵武装に対して優位に立てるのかが分かるだろう。

「嫌がらせか」

 だから――自分に支給されたIS『白式』に搭載された武装が、白兵戦用のブレード一本と知ったとき、織斑一夏がとても厭そうな顔をしたとしても無理は無いだろう。

『時間が無い。フォーマット(初期化)とフィッティング(最適化)はぶっつけ本番でやれ』
「……了解」

 姉である織斑教官の声。開始時刻遅らせろよ、という言葉を飲み込んで――織斑一夏は白式を起動。名前の通り白い装甲に、肩部分には浮遊型ブースターが展開し、飛行。空中で待機していたセシリア=オルコットを前にする。
 両手を組んだ状態で浮遊する彼女の機体――<ブルー・ティアーズ>。
 彼女の思考に追随し、動き回る自立機動砲台と、本体武装の大型レーザーライフルを主軸に添えた遠距離射撃を戦術の主軸にしたイギリスの最新鋭機だ。周囲に視線を向ければ、大勢の観客――といっても全員女性――が、シールドに覆われた観覧席でこちらを見上げている。

「最後のチャンスを上げますわ」

 自信満々で言う彼女――反面、一夏は一言も口を動かさない。
 自分を無視するような反応に、面白くなさそうな表情を浮かべてから言った。

「わたくしが一方的な勝利を得るのは自明の理。ですから、ボロボロの惨めな姿を晒したくなければ、今ここで謝るというのなら、許してあげないこともなくってよ」

 敵からの攻撃照準レーダー波の照射を検知、狙われている事を告げるISの警告音。引き金を引く段階に来た、返答や如何に――そう迫っているのだろう。
 一夏は押し黙ったまま、不機嫌そうに唇を閉じている。その反応が不愉快なのか、セシリアは言う。

「……黙ってばかりでは分かりませんわよ? 聞きましたけど貴方本当に教官を倒したんですの?」
「……あれは単に先生がドジなだけだ」
『ひ、酷いです織斑くん!!』
『……いや、山田先生。悪いがあの件に関しては私も弁護の余地が無い』

 モニターでこちらを監視している織斑教官と山田先生(巨乳・ドジ)がなにやら喋っている。
 それを聞き流しながら――織斑一夏は言う。弾、俺、やってみるからな、と呟いて。

「織斑教官。……マイクを使います。観覧席の人達にも聞こえるように。伝えてもらえますか?」
『あ? ああ』

 その言葉の意味が理解できず、聞き返す千冬姉。




 一夏は――宣戦布告を始めた。




『俺は、今んとこ、この世で唯一ISを扱える男だ』

 突然の彼の言葉の意味が分からず、アリーナからざわざわと声が聞こえる。

『以前――みんなと話していた時に聞いた事がある。男女別で戦争が起きたら、男陣営って三日も持たない……うん、事実だ。実際に扱ってみて分かるけど、今の俺を包むこの万能感……初めて扱うけど凄く強いって分かる。確かにこんなのが467機もあったら。男なんて――速攻白旗を上げちまうよな』

 笑う。
 今まで溜め込んできた怒りの蓋を僅かながら、ずらしたような――それは正面に立っていたセシリアが、一瞬背筋をびくりと震わせるほど……激しい殲滅の意志を含んでいた。




















『……だから俺は、もし男女間で戦争が起きた場合――残り466人の扱うIS全てと戦ってこれに勝利しなければならない』




















「……いち……か? お前……」

 篠ノ之箒は――今喋っている一夏を……まるで信じられないものを見たような眼差しで見上げた。
 彼は、何を言っているのだ? その内容が理解できず、まるで金縛りにでもあったように動けないでいる。周囲の候補生たちのざわめきが大きくなる。突然の言葉に、冗談で言っているとでも思っているのか――アリーナでの喧騒は大きくなるばかり。
 なんという――無謀な発言。
 それは言わばこのIS学園全ての候補生達を将来の敵と想定している事であり、その間に横たわる巨大な戦力差を上回り凌駕する事を決意した、まったく現実を見ていない発言。
 
「なんて――」

 だが、誰もが笑うような発言をどう考えても現実を見ていない夢想そのものの言葉を語る彼を見て――驚きと共に、その姿を美しいと思ってしまうのか。箒は幼馴染の姿を見上げたまま、魅入られたように彼の姿を瞳に納め続けた。




















『男で女と対等に闘えるのは――人類60億の半分、30億人中たった俺一人なんだ。
 だからすまない、セシリア=オルコット。……はっきりと言っておく。……俺はお前と遊んでいられるほど、人生に余裕が無い』

















「い、一夏くん……なにを言ってるんですか?」
「…………たった一人の男のIS搭乗者――肩の力を抜いて訓練に励むなど……どだい無理な話か」

 山田真耶先生は、教え子の言葉に困惑を隠しきれず――織斑千冬は、弟が変わったその理由を言葉から全て察し、その体に圧し掛かる絶望的なプレッシャーを思い、思わず顔を泣きそうに歪めた。
 なるほど、そうだったのだ――納得すると同時に、弟がこれから歩む苦難の道のりに、彼女は言葉もでない。
















「貴方……正気ですの?」

 まるで自分の存在をどうでもいいものと扱うような一夏の言葉に、セシリア=オルコットは怒りを覚えるよりも先に――恐怖を感じていた。恐ろしくて仕方ない。どう考えても痴人の妄想に類するそれを語る目が、どう考えても無理な話を本気で実現すると言っていた。現実を見据えながらも不可能な夢を実現するためにはどうすればいいのか探り続け足掻き続ける事をやめないと告げていた。
 如何に彼女が才気豊かで実力が優れていてもそれはあくまで候補生の領分の話。今の彼女は学生身分だ。実際に国家代表となったISの搭乗者と比べられる訳がない。彼女よりも実力あるISの搭乗者は大勢いる。いや、理屈では理解できる。もし男女間で戦争になったと仮定して、そうなれば彼は男の陣営に付くわけだ。

 ……だが、勝てる訳が無い。
 
 466対1。子供でも計算できる絶望的な戦力差。正気で挑める数ではない。
 だからこそ、セシリアは織斑一夏のその瞳の中に宿る色に――色濃い狂気の輝きを見た。正気では成し得ぬ事を欲する正気と狂気を両立させた半狂の目。



 なんて――美しく狂った眼差し。
 
 

 そう考えてから、彼女は――わ、わたくしなんて表現をしてますの――と動揺した。

「確かに、正気で成せるような目的でもないからな。だけど、望む事を諦めたら、何にも届きやしない」

 化け物――思わずそんな言葉が喉奥を突いて出る。
 呑まれている。自分自身が相手に気力と気迫で圧倒されつつある事を自覚する。能力的には絶対的に自分が有利であるはずなのに、今すぐ此処から逃げ出したいような感情に彼女は駆られていた。
 
「始めようぜ」
「……ッ!! そうですわね!! ……さ、さぁ、踊りなさい、わたくしセシリア=オルコットと<ブルー・ティアーズ>の奏でる円舞曲(ワルツ)で!!」
 
 だから、押し殺したような一夏の言葉に弾かれたようにセシリアは敵機を照準する。
 構えるのは二メートルを越す巨大な六十七口径の特殊レーザーライフル『スターライトMK-Ⅱ』。彼女に従う従騎士のように――四枚のフィン・アーマーがはずれそれぞれが独立した動きを見せる自立機動砲台『ブルーティアーズ』。それを初めて搭載した機体だからこそ、唯の武装名が機体自身を指す名称になっているのだ。
 
 だからこそ、織斑一夏が行うのは近接戦闘――選択肢がこれしかないとも言う。

「そこをどけ、セシリア=オルコットォォォォ!!」
「この……このわたくしを踏み台扱い?! 増長慢もここに極まれりですわ!!」

 一夏は<ブルー・ティアーズ>に対して突撃――ただし当然ながら一直線ではなく、緩やかな曲線を描きながらの前進、相手の射撃に対する回避挙動を絡めた、初めての実戦とは思えない理に叶った動きだ。

「それなりに早いですわね、でも駄目ですわ!!」

 放たれるレーザー――光の速度というわけではないのが救いか。横切る破壊エネルギーの塊に、ひやりとするものを感じながら突撃。近距離――ブレードを振りかざす。
 
「背中が、お留守ですわよ!?」

 だがそれを見逃すほど彼女は甘くも無ければ弱くも無い。後背に回りこんだ機動砲台が背中から一撃を叩き込んだのだ。
 その衝撃で攻撃のチャンスを潰され――揺らいだ体勢へと至近距離の一撃を放つセシリア。

「……ッ!!」

 横方向への瞬時加速――凄まじいスライド移動を見せ回避しながら、自分の機体の特性を推し量る。
<白式>、完全な近接戦闘特化型。武装はブレード一本という狂気的武装。ライフルの一本ぐらい欲しい――だが、と考え直す。装甲は割と分厚い。その癖推力は非常に高い。先程セシリアの懐に飛び込めたのもこの高出力の賜物だ。懐に飛び込むためのパワーとタフネスをコイツは備えている。
 ……と、すれば――相手が安全マージンを取るために今後は遠距離戦を持ってくるのは確かで。

「この<ブルー・ティアーズ>を相手にブレード一つで挑むなんて本気ですの?」
「生憎と量子変換されてた武装がこれ一つなんだよ」

 真実である――そしてこの場合、真実こそが相手を陥れる罠になる。考えたのだ、自機の武装がブレード一本と知り――アリーナに来るまでに何度も勝つための手段を。



 







「――二十七分。持ったほうですわね。褒めて差し上げますわ」
「…………」

 セシリア=オルコットは自らの優勢を証明するかのように言う。
 結局あれから、徹底して相手の接近を拒む射撃と機動を繰り返し、徐々に<白式>のエネルギーを削り落としていった。勝利は目前なのだ――だが、それでも彼女は自分が絶対的に優位である事を言い聞かせようとする。
 勝っている事は間違いない。……なのに、先程から背筋に張り付いて離れないこの寒気の正体はいったいなんなのだろう。
 織斑一夏の眼差しには――焦りはある。だが諦めの色だけがどこを捜しても存在しない。

 勝てるはずですわ――そう言い聞かせる。相手の武装は近距離ブレード一つ。これまでと同じように安全マージンをとりつつ、徹底して射撃戦に持ち込めば勝てるはず。
 彼女は再度、敵機に照準を合わせた。



 そして当然――織斑一夏は勝負をまるで捨てていなかった。


 
 使用した武装はブレード一つ。相手のミサイル型機動砲台はこれまでの戦闘で切り捨てた。あれが彼の一番の障害だったからだ。

(……思考の間隙を突け、織斑一夏!! こっちには近接ブレード一本であると相手の頭の中に染み込ませるために殴られ続けた……そろそろ殴り返してもいい頃合だ!!)

 突撃を仕掛ける一夏――馬鹿の一つ覚え的な前への前進。
 牽制射撃をやって相手の機動拘束ができるならばもう少し違うのだろうが――無いものを強請っても仕方ない。
 接近を警戒し、再び相手を避ける回避機動に移った<ブルー・ティアーズ>を追う――これまで幾度も追い縋って逃げられた。そして今回も同じくセシリアは理に叶った動きで――即ち予測の範疇を出ない機動を描いた。
 それこそ望み――織斑一夏は、どんぴしゃ!! と口の中で呟き。


 ブレードを投擲した。


「……ッ!!」

 織斑教官、山田先生、アリーナの観客、篠ノ之箒、そして闘っているセシリア=オルコットを含めた全員の予想しなかった愚行であった。
 飛来するブレード。確かに命中すればダメージが期待できるが――それは同時に武装を全て失う、相手へのダメージを与える手段を全て失うということでもある。ましてや火器ならば兎も角、FCSの助けすら得られない投擲が命中するはずがない。
 事実、驚きこそしたものの、<ブルー・ティアーズ>は咄嗟に回避。狙いを外したブレードはあさっての方向に飛んでいく。
 だが――セシリアは僅かながら動揺していた。
 相手の武装はブレード一本。ならば攻め手は近接攻撃しか有り得ないという思考の硬直を突かれた形。一瞬背筋に走る冷や汗を感じながら敵機に相対しようとし――織斑一夏が、その彼女の思考の硬直による僅かな隙を見逃さず、接近戦を仕掛けている事に気付いた。

 一瞬浮ぶ焦りの感情。

 だが大丈夫と考え直す――相手は唯一の武装を投げ捨てた。ならば攻める事も出来ずに周囲に散らばる機動砲台で奴を仕留める。そう考えたセシリアの内心を――見透かしたように、一夏は薄く笑った。

「お前は一つ勘違いしているな」
「きゃあっ!!」

 そのまま瞬時加速でセシリアの腹に飛び込むように体当たりを仕掛ける<白式>。避けきれず、その露になったままの腹部に顔を埋めるような体勢で、両腕を回し、締め上げる。相手の顔面が自分のおへその辺りに当たっている事に言い様の無い恥ずかしさを覚えながらセシリアは叫んだ。

「お、お放しなさい、この変態!! ブレードも無いくせに、もうわたくしに勝てるはずがありませんわ!!」

 一夏は無言のまま――推力をマックスにして上空へと上昇。相手を掴み上げたまま加速する。それは明らかに以降のエネルギー残量を無視した、過剰な使い方。戦闘機でいうなら、アフターバーナーの使い過ぎで燃料を失って墜落しても構わないというような後先考えない行動。
 音速を突破した機体が、飛行機雲(ヴェイパー)を引きながら急速上昇。

「……武器なら、あるじゃないか」

 一夏の微笑み。魅力的で危険な雰囲気。とても悪そうな笑顔。接近戦を行うための大推力は、一人ぶんのISを捕らえたままでも十分な加速を行っていく。 
 そのまま――まるで相手のお腹を掴んだままバックドロップでもするかのように、地上目掛けてインメルマンターン。逆Uの字を描きながら――今度は大地を頭上に見上げるような超高速落下を始める。勿論ブーストはマックスのままの落下。高度を落下速度に変換し、凄まじい勢いで降下。高度一万からの逆落とし。パワーダイブどころではない、地上への激突コース選択。ISの絶対防壁があったとしても、人である以上、大きく迫る巨大な壁の如き大地の存在に対する原始的恐怖心を抑えられるわけが無い。
 
「あ、あなた!!」
「……昔から思っていたけど、『お前を地球にぶつける』より、『地球をお前にぶつける』の方が強そうな気がするんだよな」

 同時に、<白式>がスラスターから推進炎を吐き出しながら機体を回転させる。此方が容易に機体制御を立て直せないようにする嫌がらせだ。そう、これぞ日本を代表する忍者漫画から着想を得た、近接戦闘における『投げ技』。
 咄嗟に彼女は<ブルー・ティアーズ>の唯一の近接戦闘武器であるブレード『インターセプト』を展開し、相手に突き立てようとするが――そもそも遠距離射撃を得手とする彼女は近接武装の量子変換が得意ではない。他の武装は意識のみで呼び出せるのに、それだけは声を出して転送する初心者用の手法でしか呼び出せない。
 それに……第一、もう間に合わない――!!

「きゃ、きゃ……きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「忍法……」

 引きつったような声――<ブルー・ティアーズ>の推力では最早立て直す事が出来ない加速度が付いたと見るや、<白式>は回転する相手から即座に離脱。最大推力で機首起こし引き上げ――そして背後で上がる悲鳴と、大地に墜落した轟音が重なる。

「飯綱落し……!!」
 
 さしもの<ブルー・ティアーズ>といえども、高度一万からの超高速墜落を受けては無事でいられなかったのだろう。絶対障壁が発動し、全てのエネルギーを失った機能停止した相手。彼女を中心に広がるアリーナの地面に刻まれた巨大なクレーターを見下ろしながら、一夏は自分が勝利した事を悟る。
 そう、こちらの武装がブレードのみであり――戦場で組み打ちの技術がまだまだ有効であることを忘れていた、武器を使う戦いに慣れすぎていた事が彼女の敗因だった。


 ――フォーマットとフィッティングが終了しました。確認ボタンを押してください。


 と、勝利した一夏に掛けられる<白式>のシステム音声。いぶかしみながらそれを押せば――ISが光の粒子になって消え、すぐに新たな形へと再結合する。
『初期化(フォーマット』と『最適化(フィッティング』。これで<白式>が完全に一夏の専用機となったのだ。先程の工業規格的な無骨な形状ではなく、より洗練された中世の鎧を思わせる形へと変化している。
 未だにもくもくと土煙を上げる、忍法飯綱落しの着弾地点に視線をやりながら、織斑一夏は情けなさそうに眉を顰めた。……もう少し早く終わればもっと楽に勝てたのに、戦いが終わってから完了するのでは興醒めもいいところである。

「……おそ……」

 彼が嘆息を漏らすのも、至極当然の話であった。




 



 帰還した一夏を出迎えたのは――姉である織斑千冬の拳骨。
 誰もいない二人きりの場所で、初陣を勝利で飾った自分に対して褒める言葉でも出るのかと思ったら全然そんな事は無かった。

「良くやった。一夏」
「……褒められている気がしないのはなぜですか、織斑教官」
「千冬姉だ、ばか者」

 ん? と思う一夏。その言葉は、今はプライベートで接しろという意味。
 どういうことかと首を傾げる彼に、言う。

「お前の覚悟と決意は理解した。……だが、一つだけ訂正しろ」
「え?」
 
 そういいながら、千冬は弟を抱きしめ――背に回した手で、あやすように背中を優しく叩く。

「……もし、男と女で戦争が始まった際――お前が闘うべきISは、465機だ」
「……千冬姉」
「ふ……たった一人の家族を守ろうとする事がそんなに変か?」

 姉の言葉に含まれた意味を、一夏は理解する。
 世界で唯一ISを扱える男性――その背に負う絶望的なプレッシャーを少しでも肩代わりしようという言葉に、一夏は俯く。目頭の奥から湧き上がる涙の情動を、姉に見られたくなかったからだ。そんな弟を優しく微笑みながら、千冬は言う。

「そして、その場合私達が闘うべきは、一人のノルマが233機と232機だ」

 微笑みながら――お前の味方をしてやると、言ってくれた。

「どうだ? だいぶ楽になっただろう?」
「ああ、うん……ありがとう、千冬姉……ッ!!」

 目頭を抑え、溢れる涙を拭いながら、一夏は応えた。




「すっげぇ……楽になった!!」




























今週のNG



 日本で、こんな話がある。



 ある日、弓矢を背負って山中を歩いていた侍が、道脇に座る男を見つけた。その腰に下げている太刀は身なりに似合わず見事な拵えで、思わず金銭と引き換えに譲ってもらうように頼んだ。
 するとその男は――『銭はいらねぇ。代わりに弓矢をくれ』と言ったのである。
 弓矢一式でこの見事な太刀を得られるならば構わぬと弓矢と交換したその侍。ほくほく顔で帰宅しようとしたところ――弓矢を番えた男が狙いを侍に向けて一言。『待てい、それは商売道具の大切な太刀。命が惜しくば身包み全部置いていけ』。男は見事に追いはぎに早代わり。如何に見事な太刀であろうとも、遠間から相手を射抜く弓矢が相手では手も足も出るはずも無い。命を質にとられた男は金も衣服も奪われてほうほうのていで逃げ帰ったとさ……。


 ……細かなところは違っているかもしれないが、大まかな意味としてはその辺りだったはずである。
 これは戦国時代の日本の文化的素地として――合戦でもっとも重要な武装とは相手を遠距離から一方的に射殺できる弓矢であり、太刀の外見の眩さに目が眩み、一番大切な武器をみすみす敵に渡してしまった侍の愚かさを笑う話なのである。古来日本で、強いという事を意味するのは弓の名手を指すのだ。

 この逸話を考えれば、如何に射撃武装が白兵武装に対して優位に立てるのかが分かるだろう。

「嬉しがらせか」

 だから――自分に支給されたIS『白式』に搭載された武装が、参式斬艦刀一本と知ったとき、織斑一夏がとても嬉しそうな顔をしたとしても無理は無いだろう。どう考えてもこれは勝つる。近接武器よりも遠距離武器のほうが強いとかそういうことなどお構い無しに、このむさ苦しいまでに漢臭い武装の放つ圧倒的な存在感が、確実な勝利を予見していた。

 前の逸話、挿入の意味無いじゃん、という突っ込みは無しであった。






作者註

 今週セシリアさんには最初キン肉ド○イバーを喰らってもらう予定でした。(え)
 あと一瞬八つ墓村のように頭から地面に突き刺さってもらおうかと思ったけど、女の子にそれはひどいのでやめました。
 とりあえずこれぐらい頑張れば、原作主人公がモテモテになっても……いいかな?(えー)




[25691] 第四話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:59
 空を奪われた時の事は良く覚えていた。
 世界十二カ国のミサイル基地に対する大規模なハッキング攻撃、引き起こされたのは計2000発のミサイルが日本へと発射されるという事態。首脳陣が悲鳴をあげていた。前線の兵士も同様にだ。比類なきジェノサイド。島国一つを消滅させるに足る破壊力。
 
 ……そしてその事態を鎮圧したのはたった一機のIS。
 
 世界初のIS『白騎士』とそれを操る織斑千冬だった。
 そんな彼女に対して各国首脳が取った手段はクレイジーだった。……2000発のミサイルを膾に捌いていった機体を生け捕りにしろ――と。
 ……空軍のパイロットにだって誇りはある。
 まず彼女が日本を救ったと聞いたとき、自分達が思ったのは純粋な感動と感謝、そして自分達になしえない事を成した賞賛の念だった。 そんな、ある意味世界の恩人とも言える彼女に対して――銃を向けろという命令に、前線の兵士達の士気はまさしく最悪の一途を辿った。それに、そもそも自分たちでどうにも出来なかった2000発のミサイルをどうにかしてしまった相手を自分たちでどうにか捕まえろというのはなかなかセンスの悪いジョークだと思っている。
 ある意味彼女は2000発のミサイル以上のクレイジーな相手なのだ。
 だが軍隊の悲しさか――ミサイルよりも一機のISの方が組し易いという上層部の思い込みによる命令には従わざるを得ず、そして軍人たちは勇敢に敵に挑み……猛々しく惨敗した。


 世界の軍事技術は大きくISに傾斜する事になり、かつての戦車や戦闘機の巨大メーカーの幾つかが潰れた。
 現在シェアを握っているのは戦争の時代の変遷を強かに嗅ぎ取り、素早くIS開発事業に鞍替えした企業達だ。篠ノ之束はそういう意味でも大勢の人生を変えている。


 ……当時、発表された当初のISに対する注目度は低かった。
 

 世論では唯の宇宙用パワードスーツ。スペックは開示されてはいたものの――その数字を見てどの企業も『ただの法螺』という認識しかしなかった。ましてや女性にしか扱えないという奇怪な欠点が――戦場には男性が出るものという当時の風潮に合わなかった。
 だが2000発のミサイルを全て膾にしたという巨大なインパクトは、世界各国の軍事関係者の耳目を引き付け、そしてあれよあれよと言う前に戦闘機や戦車の全ては廃止される事になった。篠ノ之束博士はあっという間に時の人になった。
 
 ……犯罪が起きた際、まず警察が疑うのはその犯罪によって何者が一番の利益を得たか――そこを洗う。

 そう考えるのであれば、条件に該当するのはISの生みの親である事になる。そして彼女はそれを実行するだけの理由と実行可能な能力があった。
 自分のような一介の空軍パイロットですら考え付くような事を、海千山千の政府高官が思いつかない訳が無い。
 だが、その事を追求しないのは確たる証拠が無いか、或いは友好関係を結び続ける方が益になると考えているためなのだろう。そして世界の軍事主力はISへと移り変わり――時代遅れのファイターパイロット、アメリカのトップガンだった己は地を這い回り落ちぶれ果てるはめになった訳だ。


 酒に溺れた。
 空軍のエリートだったというプライドは見るも無惨に地に落ちた。
 妻であるレイチェルは、最近花形技術となったISの制御中枢である量子コンピューターを構築する超稀少金属であるメタトロンの技術者、機械工学の専門家としてあちこちの専門機関にひっぱりだこになった。……それでも現在はメタトロン技術者として、他社に押され中小企業に成り下がった元からの会社であるネレイダムに未だ在籍をしているのだが。

 我が身を振り返れば、あまりの没落ぶりに涙が止まらなかった。
 故郷のアメリカに帰るのもばつが悪く、基地から退去を命じられ――家族と連絡をする気にもなれず、日本で日雇い労働に従事するほどになってしまった。
 幸い体は驚くほど頑健であったものの、どうにも我が身の没落振りが信じられず――酒を飲み漁りくだをまく典型的な駄目親父に成り下がっていったのである。
 幼い少年に、女尊男卑の現状は当たり前だと指摘されたとき――時代の変遷と、そしてそれに取り残された自分に泣いてしまったのは、一生モノの不覚である。


『あの、ジェイムズ=リンクス大尉ですか?! サインください!!』

 五反田食堂でビールを飲み漁りくだを捲く、後から思えば顔から火が出るような醜態を晒したオッサンのジェイムズに――再び人生の気概を取り戻してくれたのは、当時5歳になるその食堂の息子だった。
 その眼差しに込められていたのは、明らかに英雄に対する憧憬。かつて精気溢れる軍人として国防に従事していたとき、満身に漲る誇らしさと共に幾つも浴びていた懐かしいものだった。
 酒気で濁った体と、男性に対する侮蔑の眼差しに慣れきった魂は――少年のその眼差しに、確かに救われたのである。




「あ、こんばんわ、ジェイムズさん」
「よぅ蘭ちゃん」

 近隣に住む運送業の中年男性であるジェイムズ・リンクスは、くすんだ金髪に無精ひげが目立つ堂々たる巨躯の男性、旧時代のいわゆる「タフガイ」とも言うべき男性であり、ここ五反田食堂の常連さんであった。
 数年前にここの一人息子へと何年ぶりかのサインをねだられた事が縁で、良く顔を出す人であった。
 それににこやかな笑顔で相対するのはここ五反田食堂の一人娘の五反田蘭であった。日本人にしては珍しい赤い髪に整った顔立ち、名私立女子校の生徒会長も務める才色兼備のこの家の自慢の娘だ。
 そんな彼女は日曜日の休日や学校が休みで特に何も用事が無ければ食堂の看板娘をやっていることが多い。

「弾はいるかい?」
「……さぁな」

 今や戦闘機などの旧来の兵器と専門的な話が出来るのは、世代を超えたあの少年しかいないのである。
 息子のレオンは今ではエリートサラリーマンで、娘のノエルは建設現場で働いている。……一作業員ではなく、現場監督というのがなかなかスゴイが。妻のレイチェルや家族全員は今全員アメリカ。ジェイムズ一人が、パイロットを辞めた後、家族に顔が出せずしばらく失踪しており――立ち直った今では連絡は頻繁に取っているが、今はどうにも家族と顔を会わせ辛く現在では日本で長距離トラックの運送業をやっている。
 そんなジェイムズの声に不機嫌そうに返すのは、一度食べた人がなんとも言えない表情になる駄々甘な南瓜定食を作っているここの店主であり二人の父親だった。
 あまり愛想のある人ではないのだが、しかし今日はいつにも増して不機嫌そうな印象を与える。ふと、見れば――同様に蘭も顔を曇らせていた。
 ……なにか、良くないことがあったということは分かる。それも、弾関係で相当に普通ではない事が。
 それでも自分達だけで考えるのが辛かったのだろうか――まるで鉛でも吐くような苦しげな様子で、蘭が言った。

「……お兄ぃ……私達の知らないところで勝手に高校を休んでいるんです。しかもその後――PCで三日近く、なにか一心不乱に作業を続けているんです」




「……ターゲットの自宅に一名、入りました。……素人じゃありませんね」
「構う事は無い。家族以外は射殺しても良いとお達しだ」

 街中のわりとありふれている五反田食堂に対して路地裏から穏やかならざる危険な言葉を吐いているのは、スーツに身を包んだ数人の男たちだった。見るものが見れば分かるだろう――懐には拳銃。スーツは一見して高級なブランドものだが、その実都市での隠密行動に従事する非合法工作員が使うスーツに偽装されたボディアーマーだった。
 紳士的な風をいかに装おうとも隠しきれない暴力の臭い、他者の苦痛に対し意図的に想像力を働かせない精神。汚れ仕事、濡れ仕事を専門とする傭兵であった。

『五反田弾の家族を誘拐せよ。尚、五反田弾本人を確認した場合、即座に離脱する事』

 解せない命令ではあった。
 彼らはプロ――勿論世界最強の戦力であるISには流石に勝てる訳も無いが……それ以外の凡百の人間なら片手間に殺せるその手の専門家だ。ISによる軍人の大規模解雇に伴う悪しき弊害の申し子。彼らが保有していた戦闘技術を金で売り買いする傭兵達は――後半の一文が理解できない。
 平和ボケした日本の家族を誘拐するだけの至極簡単な作戦。拘束など容易い仕事である。
 ……で、あるにも関わらず、その青年一人を確認した場合は早急に離脱せよ――どうしてそんな一文を追加しているのか不明だった。
 とはいえ――依頼人である『亡国機業(ファントムタスク)』の事情に対して詮索するのはマナー違反だ。彼らは、予定通り行動を開始しようとして、ふとそこにいつの間にか少女が一人佇んでいる事に気付いた。
 扇子をその繊手に携えた、17ぐらいだろうか? どこか全体的に余裕を持った悪戯な猫を思わせる――ただし猫科には猛獣が多いといことも同時に連想させた。銃器に対しても今と同じ余裕を保つ事が出来るであろう自負を感じさせる少女。しかし彼らからすれば一番の問題は、彼女がIS学園二年生を示す制服を着込んでいることだった。
 
「ふぅん、まさか――本当にこういう人達を動かすんだね」

 男達の反応は迅速無比であり同時に判断も正確だった。
 相手がIS学園の生徒であり、ISを保有しているのであれば――相手が子供であろうとも絶対に勝てないと断言できる。展開されれば少女の姿をした重戦車、戦闘機となる。ならば彼らが取りうる手段は単純に一つ。相手が展開するより早く殺すしかなかった。
 鋭い動作で抜き放たれる銃器。銃身自体に消音装置が内蔵された特殊部隊用の隠密拳銃を発砲。殺傷力を高める二連速射(ダブルタップ)で繰り出された弾丸は二発ずつ。頭蓋、喉笛、心臓――三名が言葉も無く合わせて放った弾丸はそれぞれ狙いを過たず急所を破壊する――だが、致命傷を受けたはずの彼女はまるで意にも介さず、微笑む。途端、まるで全身を液状化したように、大量の水となって身体が崩れた。 
 幽鬼か冥府の眷属かと背筋を寒くしたのは一瞬、理性と知識でそれが液体を利用した囮なのだと気付き、背筋を寒くする男達――その頭上、ビルの上から見下ろすのは、全身のあちこちに流体装甲を纏う特殊なタイプのIS<ミステリアス・レイディ>を身に装着した少女。
 更識楯無――こういう非合法活動を行う相手に対する、防諜や、カウンターテロ、カウンターアサシネーションを古来から受け持つ更識家の十七代目を踏襲した外見からは想像できぬ達人の少女はにっこりと笑いながら――四連装ガトリングガンの照準を合わせる。
 流石に男達も――人間を挽肉にするに十分すぎる口径の機関銃を向けられては降参せざるを得なかった。

「はい、大変素直な大人の人は大好きですよー」



 IS学園の生徒会長であり、こういった汚れ仕事を専門に行う人間に対処する対暗部組織の人間である彼女が、わざわざ人間相手に出張ってきたのは、普通に考えれば大仰に過ぎる。
 そうせざるを得なかったのは――数日前に起こった二機の正体不明のIS同士の戦闘であった。
 一機は、残っている映像からしてアメリカから奪取されたと思しきIS<アラクネ>。ただし、困った事に彼女を連行中の日本のISは、正体不明の蒼いISによって制圧され、この事件の一方の当事者からの尋問が不可能になってしまっていた。


 問題はもう一機の正体不明ISの方である。
 暫定的な呼称は『ブラックドッグ』――全身装甲(フルスキン)を身に纏った狗を連想させる頭部を持つ機体だ。前述の<アラクネ>と、この『ブラックドッグ』が交戦し、そして<アラクネ>が敗北した。
 ……偶々近隣の住民が撮影していたその第一級資料となったものの内容は、IS学園最強である彼女ですら心胆を寒からしめるものだった。
 現行最新の第三世代ISを軽く凌駕する機動性能、膨大な数のミサイルをただの一正射で撃滅する高度な同時捕捉能力、殆ど実像にしか見えないデコイを展開する能力。
 普通、戦争で一方の技術力が突出しているという事例は少ない。相手側が持ち出す新兵器などは概念レベルなどは敵側も持っているのが大抵で、新兵器は想像だけなら存在する場合がほとんどだ。
 ……だから、この『ブラックドッグ』が如何にとんでもない存在であることを彼女は知っていた。想像すらできない高レベルの兵器を使いこなすIS。極秘裏に行われた世界各国への問い合わせの結果は――どの国もこれに該当するISを知らないという結論だった。
 
 奇妙な事はもう一つある。

 先日、織斑一夏に対する暴行未遂で監視対象にあった彼の親友である五反田弾――楯無と、その幼馴染の二人である布仏虚(のほとけ うつほ)と布仏本音(のほとけ ほんね)がお肌の美容と健康を犠牲にしながら一晩中職務に従事した結果、白と判断された弾。
 彼を監視していた工作員を引き上げようとしていた矢先の出来事だった正体不明機同士の戦闘。

 ……問題は、彼らが保有していた最新式映像機器には肝心の『ブラックドッグ』の機影は欠片も移っておらず、むしろ旧式のカメラなどのほうが実像を鮮明に映し出していたのだ。ならばと周辺の監視カメラなどの映像を確認してみれば――やはり何も写されてはいない。方法は不明だが最新の映像機器では姿を捉える事も出来ず、また監視カメラもどうやら高度なハッキングによって内容が改ざんされている事が伺えた。もし近隣住民の撮影が無ければ資料の無い謎の物体がISを撃墜したと報告しなければならなかっただろう。そんな曖昧な報告では上の腰も重くなる。
 
 唯一救いのある報告といえば――どうやら『ブラックドッグ』は、町に被害を出さない事を優先に闘っていたらしい。二者が被害を気にせず、搭載していた火器を全力で展開した場合、大惨事になっていただろう。……これもある種、ISの弊害ではあった。身体に装着する服飾品の形状が一般的なそれを隠すための装置と発見するための装置開発はいたちごっこになってしまう。

「……五反田家か」

 楯無はなにやらでかい声で叫び声を上げる中年の男性の声を聞きながら目を向ける。
 今先程の男達は――明らかに五反田家に対して攻撃を加えようとしていた。……織斑一夏に対して暴行を加えるところだった彼と、そしてその彼に対する攻撃。……偶然で済ますには少し危険なにおいを感じる。

 ……そして、もし彼が『ブラックドッグ』の持ち主であるならば――ISに対抗出来るのはISのみ。学園最強の生徒会長であり、こういう濡れ仕事もこなす彼女の出番というわけだ。

「はぁ~。お姉さんとしては、何事も無く平穏無事に終わってくれれば問題なしだけどなぁ~」

 

 
『おいコラ弾!! お前蘭ちゃんとか親父さんに黙って何してるんだ!!』

 あー、一段落付いたー、と思い、最近は不眠不休、まるで魂を刻み込むように作業に没頭していた弾は自宅の椅子の上で背を伸ばして大あくびを吐いていたが、どんどんどんッ! と激しく壁を叩く音に驚いて椅子からずれ落ち、腰を強く強打した。
 正直なところを言うならば――今すぐ睡眠を取りたい所なのである。内容は全て弾の脳内に入っているのだが――頭の中からアウトプットしたこれはむしろ他者に対する交渉のカードとしての側面が大きい。ついでに、問題はないだろうが念のため自室のPCはネットへの接続を切り、ある意味最高のセキュリティであるオフライン状態に移行した。
 
「……ジェイムズさんか、いいタイミングだったがもうちょっと時間おいて欲しかったぜ」
『同感です』

 脳内に響くデルフィの声を聞きながら、弾は扉を開け――瞬間伸びてきた腕に襟首を掴まれた。
 見れば今年四十九歳、既に独立した息子と娘の二人と美人の奥さんをアメリカに持つジェイムズのむさ苦しい顔がドアップで近づいていた。

「良いか、家族ってのはどんな時でも隠し事なんて無く暮らしていかなきゃならねぇもんだ! それを病気でも無いのに高校に出ないなんて……いじめか、いじめなのか!! 俺で無くても良いから家族には全部つまびらかにするんだ!!」
「前半の台詞はアイザック・バレットの『HOW TO BE A DADDY』からの受け売りだろ? ……でもまぁありがとう、ジェイムズさん」

 弾は湧き上がるあくびをむにゃむにゃと噛み殺しながら――三日間の不眠不休の集大成であるそのプログラムを保存する。
 それから――不意に顔を引き締める。ジェイムズの後ろから心配そうに部屋の中の様子を覗いていた蘭を視界の端に収めながら弾は言った。
 
「……なぁ、ジェイムズさん」
「なんだ」
「奥さんのレイチェルさんにメールは出した? 一つあの人に便乗して見てもらいたいものがあるんだけど」

 こう見えてジェイムズ=リンクスは筆まめである。
 一週間に一通、家族宛てで手紙を贈るために撮影機器の操作説明をしたり、撮影の手伝いをしたりするのは弾と蘭の仕事でもあった。……まぁ元々ジェイムズは、過去、一日一通のビデオメールを送るぐらいだったのだが、流石に向うの家族からも毎日手紙を送られるのは叶わないと怒られ一週間に一度になったという経緯があったりする。
 しかし――時折一緒にビデオメールに出演する事があったりする五反田兄妹であったが、しかしそこに私的な用事を付随させるという事は初めてだった。

「そりゃ構わないが――なにをやるんだ?」

 ジェイムズが意外そうな表情を見せるのも仕方ないのかもしれない。
 その言葉に頷きながら、弾は――更々とペンを走らせ、蘭には見せないようにする。


 紙に書かれていたのは――盗聴されている可能性あり、という言葉。


 かつて軍人だった経験もあり、ジェイムズはその言葉に眉を見開き全てを理解する。
 
「場所を変えようぜ」




 衣服に盗聴器が付けられている可能性は衣服全てを新品に変える事で捨てる事が出来る。室内ではなく室外での会話を選択したのは、二人を監視する人間を即座に見抜く事ができるからだ。遠距離から空気振動を検知して声を拾う機器などの存在も考慮して、弾がジェイムズに連れられてやってきたのは空港付近。
 もし盗聴器があったとしても、滑走路を走る旅客機の爆音によるノイズで音など聞こえないだろうし、さらに電子機器を介さずに肉声で会話することで二人の会話を盗み聞きすることが出来る者は皆無だろう。
 この数日で発生した内容を弾は話した。
 親友織斑一夏への暴言、その後の尋問、酒に酔った事――そして来歴不明の機動兵器<アヌビス>。
 親父の拳骨と雷、武装した不振な女に追われ、<アヌビス>を起動させたこと、そして――今日に至る。
 
「……つまりなんだ。お前さん……誰が何故お前に託したのか全く不明のISを使ったって訳か?」
「まぁ、そうなるな。……なんでこいつが俺に来たのか未だに謎のままなんだが」
『オービタルフレーム<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニット、デルフィです。間違えないで下さい。そして以前も申し上げましたが、私が貴方の元に来たことは貴方に尽くすためです。………………何度も言わせないで下さい』
「……ふ、ははっ。なるほど随分可愛らしいお嬢ちゃんだな」
『からかわないでください』
「なんでこいつが俺に来たのか未だに謎のままなんだが」
『私が貴方の元に来たことは貴方に尽くすためです。………………………………ですから、何度も言わせないで下さい。私をからかっていますか?』
「実は……うん」

 ジェイムズが何か言いたそうな顔をした。
 彼も最初こそ半信半疑であるものの、こうも流暢に言葉を操る第三者――そして部分的に展開した<アヌビス>の腕を見せられれば全てを受け入れざるを得なかったのか――ふと、ジェイムズ=リンクスは真剣な表情で弾と話す。
 
「……で、お前さん、これからどうするんだ?」
「……ネレイダムと渡りを付けたい。あそこはフランスのデュノア社や、倉持技研とかに比べると規模は劣るが、ISのコア関連に使用される超稀少金属のメタトロンに対しては高い技術力がある。……そこで、俺を買ってもらいたいのさ」
「それが――あのデータか」

 弾が三日三晩を掛けて組み立てたデータ。……元軍人であったジェイムズには理解できる。アレは高度な専門的知識と確固たる知性に基づかねば描けぬ、ある種の整合性を持った――設計図だった。

「正直ちんぷんかんぷんなんだが、ありゃ何を書いていたんだ?」
「ウーレンべックカタパルトとその基礎概念。……空間圧縮による距離の壁を乗り越えるための基盤技術さ」

 生憎とジェイムズはそれが一体どういう意味なのかいまいち理解できなかった。
 確かに、五反田弾は学校の成績は常に優秀で――親の自慢の息子だったが、少なくとも学校の教育の次元を超えた高度な専門知識を有するほどの子供ではなかったはずだ。まるで他者が乗り移ったかのような知識は一体何処から流れ込んできたものなのか――そしてどこを目指しているのか。

「……お前さんの目的は? なにをするつもりなんだ」
「俺は……今の世の中がどうしても納得いかない」

 吐き出される言葉は、暗い情念の澱みが感じられるほど濁っている。
 嫉妬と羨望――<アヌビス>を手に入れたとしても、幼い頃から魂に染み付いた女性に対する拭い難いそれを言葉から滴らせながら、彼は言う。

「夢に挑みたくても挑めなかった気持ち。女性にしか使えないISとそれによって発生した女尊男卑の風潮が、俺はどうしても我慢できない。ジェイムズさんみたいな、誇りと栄光と共に空にあった人を地に追いやった現在の社会が腹が立つ。俺は――男にも使える、ISに匹敵する兵器をこの世に齎してやりたい。……挑む事すら出来なかった空への夢を、誰でも挑めるように全て奪い返してやる」

 眼差しに滾るものは、紛れも無くどす黒い復讐心であった。
 個人に対する恨みではなく、女尊男卑となった今の世の中の全てに対して喧嘩を売るようなその言葉。
 この時、この場所にはいないものの――それは織斑一夏の宣戦布告とどこか共通している。
 一夏は単身で、この世の表舞台で、世界の半分を敵に回す決心と、それに勝利せんとする気概を見せ。弾は単身で、この世の裏舞台から、女性優位の時代の理由となったISに匹敵する兵器を生み出す決心をした。
 両者に共通する目的とは――今のこの世の中を変えてやるという決心。

 そして、両名の心を支えるもの。

 それはこの十数年で男性から奪われたもの。圧倒的な軍事力に対して尚も戦う意思、今の現状に対して不満を抱く反骨心、去勢された雄には無い、男の心の中で轟々と激しく燃え上がる矜持の炎。女尊男卑の現状で僅かに生き残った漢の魂の奥底でぶすぶすと燻り続ける猛々しい男児の気概。
 単純明快にして、原始的とすら言えるオスのプライド。五反田弾と織斑一夏の二人に共通する激しい意思。
 言葉にしてなら、ただ一文で事足りる。即ち――彼らを支える全てとは……


『漢(おとこ)を舐めるな』


 の、ただ一つであった。








 ネレイダムの社長であるナフス=プレミンジャーから正式に誘いが来たのはその次の日だった。
 弾は、正式に高校を中退し――アメリカに飛ぶことになる。同時に条件として――五反田一家の傍のマンションにはネレイダムが手配したガードマン達がしばらくの間、陰日向に付き添う事になった。

「……ここか」

 自転車を止めて、視界の遥か彼方に存在する海上のメガフロートに建造された巨大施設であるIS学園を見やる。
 蘭には、自分がアメリカに行くことを一夏には伏せておくように頼んでおいた。少し頭の冷えた今なら彼の立場に対して想像する事もできた。悪い事をしたな、と思う。……今の彼はどうなっているだろうか? 自分が思わず零した激しい本心。……あの言葉で発奮したのか、それとも、何も変わらぬままなのか。
 いずれにせよ――弾もまたこの世と闘うつもりだった。彼は一夏と同じようにこの世で唯一の力を手に入れた。ならばその力を用いて、世界がもっと良き方向に向かうように努力しなければならない。あの時、『なんでお前だけが』という言葉を言った自分は――他者から『なんでお前だけが』と言われぬように努力する絶対の義務があるのだ。そして弾は己の全身全霊を掛けてその義務を遂行するつもりだった。

 同時に、自分自身に対する疑問もある。

 ……デルフィの意見が正しければ、俺は前世で神様とやらにこの世界に適合した<アヌビス>の保有を認められたはず。
 言わばなんら努力せずにそれを得たはずなのに――なぜああも高度な設計図を描く事が出来たのか。……俺の前世とは、一体なんだったのか? それをデルフィ自身に尋ねられぬまま、弾は海辺から遥か彼方のIS学園を遠方に臨む。実際に行くにはモノレールしかないのは入って来た人間を監視しやすいという機密保持の観点からだろう。
 弾は思う――自分は今からあれらに挑むのだ。
 指先を銃でも撃つように構え、弾は言う。宣戦のつもりで、或いはちょっとしたおふざけの気持ちで言った――「ばーん」と。
 



 どっかああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!




「あれ?」

 遠方で轟音が響き渡った。
 高出力のビーム兵器が空を焼く凄まじい音と、IS学園の中でも大きなドームのような施設に突き刺さる光の巨槍。それに伴う爆音……同時に光学ステルスを解除したのだろう。黒い人型を思わせるISが、そのビームによって貫通したドームのシールドの穴を通って中へと飛び込んでいく。
 同時にIS学園全体から――警戒アラームが海を隔てた此方にも聞こえてくるほどの大音量で鳴り響きだした。

『私ではありません』
「だよなぁ」

 弾は――先程の「ばーん」とタイミングを示し合わせたような正体不明機のビーム兵器の轟音に呆れたように呟いた。
 これではまるで自分がビームをぶっ放したような感覚であった。何かがいる――もしかして以前、自分に攻撃を仕掛けてきたISの関係者か? ……どうにも気になるな、と考え――彼は周囲に誰もいない場所を探して走り出す。

 アニメや漫画のヒーロー達も誰にも見られず変身するための場所を探すこの手の苦労はつきものだったのだろうか、と考えながら。









本日のNG

 問題はもう一機の正体不明ISの方である。
 暫定的な呼称は『ビッグコック』――全身装甲(フルスキン)を身に纏った狗を連想させる頭部を持つ機体だ。前述の<アラクネ>とこの『ビッグコック』が交戦し、そして<アラクネ>が敗北した。
 ……しかし映像を確認すればするほど、股間のものが――激しすぎる自己主張をしている。
 コックは男性器を挿す言葉。なんか楯無としては、本社施設に『BIG BOX』と名づける某企業に代表される下品なアメリカンジョークの欠片を垣間見たような気分であった。流石に恥ずかしげに顔を赤らめる彼女はISの量子通信がけたたましく鳴り響いているのを感じて通信をオンに。

『た、大変です!! IS学園が、『ビッグコック』の猛攻を受けて……被害は甚大!!』
「ええ?!」

 そんな馬鹿な。
 正体不明のIS『ビッグコック』は町に被害を出さないように闘っていたはず。なのにどうして学生身分の人間ばかりが集う、いわばプロと素人の端境期の少女しかいないそこが攻撃されているのか。

『相手からは何故か『で、デルフィは……お、女の子です……ふえぇぇぇ……』と女性の涙ぐむ声と『くおらぁー!! よくもうちのデルフィを泣かせたなぁー!!』という意味不明の叫び声が!!』
「え、真剣になにそれ」

 意味不明にもほどがあった。  




[25691] 第五話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/13 13:00
 篠ノ之箒は不機嫌であった。

「あ、あの……お、織斑くん」
「……ん?」

 最近座学の方も熱心な、教室の中心で復習に勤しんでいた彼は、なにやら思いつめた表情の女子生徒に今気付いたように顔を上げた。胸に手を当て、緊張の面持ちで暴れる心臓を宥めるように呼吸を繰り返す少女。頬は薄薔薇色をした恋の色に染まり、眼差しはまっすぐ一夏に向けられている。
 いらいら。箒はむっつりとその様子に押し黙って不機嫌そうな表情。

「アリーナのあの台詞、聞きました。……え、えっと。凄いと思います。……なんていうか、あそこでああも宣言できるなんて……か、格好いいです! が、頑張ってください!!」

 その当たりを言うのが精一杯だったのか――告白一歩手前に見える少女が走り去っていくのを見守りながら、一夏に歩み寄って、箒は言う。

「……もてもてだな。一夏」
「あれが? ただの激励だろ」

 ……どうやら、凄く格好よくなった割りに、その生来の鈍感さは未だに成長していないらしい。
 これは自分の想いが伝わりにくくなった事を嘆けば良いのか、それとも周囲にとられる心配が無くなった事を喜べばいいのか。
 色恋沙汰に関しては――どうやら相変わらず停滞しているようだった。


 一夏のあの日の宣言から、女子生徒の反応は大きく割って三つに分類される。
 一つは敵意や隔意を隠そうとしないもの。女尊男卑の風潮にどっぷりと漬かった彼女達は、あの宣戦布告を聞いて思い上がっている男に対して強い不快感と敵対心を抱き、話しかけても返事しなかったり、あからさまに不快感を隠そうとしなかったり、女子高にありがちな嫌がらせに出る場合があった。といっても――当の本人は『人生に余裕がない』の言葉どおり反応は常に無視であった。いちいち先生に訴える事も対処もせず、超然とした態度で徹底して無視している。……いや、当人からすれば無視しているという意識すらないのかもしれない。あまりに下らなすぎてどうでもいいのだろう。

 二つはいつもと変わらず接するもの。確かに一夏はあの舞台で宣戦布告に至ったが、しかし別に男と女で戦争が勃発したわけでもない。いつもと同じように、ものめずらしい男子生徒に接するような普通に対応していた。この辺りが三つの中で一番多いだろう。誰しも長い間、人を憎み続けるのはエネルギーがいるものだ。

 そして――篠ノ之箒個人からすれば一番厄介なのが三つ目であった。
 あの場所で、言わば世界の半分と喧嘩して勝利して見せると宣言する――それがどれほどの重圧であり、どれほどの艱難辛苦を経験せねばいけないのか……そして彼が実際に人よりも遥かに厳しいトレーニングをこなしていると知ってあの宣言が本気の本気だったと理解し――恋の病に取り付かれてしまった人々である。
 これまでも織斑一夏は色々と女子生徒からきゃーきゃー騒がれる境遇にあったが、あれは『もてていた』とは少し違う。IS学園唯一の男性という偶像(アイドル)に対する憧れを恋心と錯覚していたのだと箒は分析している。その理由に自分はもっと彼の事を……あ、ああ、愛しているという自信があった。
 ……幼少期からISを操るために、周りは同年代の女子のみであったという彼女らからすれば――彼は生まれて初めて見る、『本物』だ。世界の半分と喧嘩をする覚悟を決めるほどの色濃い雄など、今のご時世絶滅危惧種である。
 
 確かに一夏は、女子生徒達にきゃーきゃー騒がれる事がなくなった。
 ……ただし、その代わりに――時々思いつめた様子で物陰から一夏に向けられる熱い視線を感じるのだ。本気で彼を好いている人が出てきたのだ。

 ライバルは減少した。それはいい――しかし問題は、一夏に熱い眼差しを向ける女子生徒達。数は大幅に減らしたが、残ったのは本気で彼を好く手ごわい精鋭揃い。
 前途は多難であった。




(……しかし一夏の背中に乗れる権利は現在のところわたし一人のものだ。ふふふふ)

 現在他者に長じている点があるとすれば、箒が幼馴染の気安さも手伝って彼の放課後の自主トレーニングの相方を務めているということだろう。他の彼女達は彼の背中の筋肉の厚みも、徐々に細く強靭に締まっていく身体が描くラインの美しさも知らぬのだ。

「あの、篠ノ之さん?」
「え? あ、はいっ!!」

 朝のSHRの時間に告げられた山田先生の言葉で、箒はようやく正気に戻る。どうも色々と考えていたせいで少し頭の中が飛んでいたらしい。何をふしだらな事を考えていたのだ私は、と頭を振って煩悩を振り払う。ポニーテールがぶんぶん振り回された。

「では、一年一組代表は織斑一夏くんに決定です。あ、一繋がりでいい感じですね!」
「わたくしも支持いたします。頑張ってくださいませ、一夏さん」

 妥当な決定だった。
 このセシリア・オルコットに勝利して見せた以上、一番の実力上位者を代表にするのは当然の事ですわ――後席の彼女は一人満足げに頷く。

「織斑くん、よろしいですか?」
「代表は手ごわい相手と戦えますし、謹んで受けます」

 相変わらず――彼はぶれない。
 セシリアは一夏の言葉にそう分析する。……自分の事を踏み台扱いした男はこの代表戦も自分の経験値を積む良い機会と考えているのだろう。

(……そうですわ、このわたくしに勝ったのですから、他の代表に無様に負ける事など許されないですわ)

 もちろんクラス代表の勝利のために他のクラスのメンバーが手助けをするのは当然の話で。早速、遠距離射撃型を想定した戦いを伝授して差し上げるべきですわ、と心に決めた。別に彼と一緒の時間を過ごしたいとかそういう理由ではない。そう。自分を負かせた男のあの美しい眼差しが瞳の奥に焼きついて離れないとか、そういえばわたくし戦闘中あんなに強く抱きしめられたんですのよねきゃー、とか言いながら一人自分の部屋の枕に執拗にパンチしていたのを同室の人に怪訝な瞳で見られていたとかそんな事は無い。

 ないったらないのだ。

 もちろん同室の彼女には口封じ完了済みであった。

 



「ですのでクラス代表戦前に、このわたくしセシリア・オルコットが次の対戦相手の仮想敵(アグレッサー)を務めて差し上げますわ! まず二組の代表はレベッカ・ハンターさん、堅実な射撃戦と高機動力に長けた正統派のIS乗りですわね。搭乗するISはネレイダム製の……」
「その情報、古いよ」

 そう思って朝のSHRが終わった後、早速話しかけたセシリアの言葉を切るように聞こえてきた第三者の声。
 振り向けばそこにいるのは――ツインテールの小柄な少女。

「二組の代表候補生も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから」

 その思い出を刺激する髪型と、懐かしい勝気な口調。

「鈴? ……お前、鈴なのか?」

 思わず席を立って懐かしさで声を出す一夏。
 
「え? あ、うん、そうだけど」

 年単位での再会――もちろんすぐに気付いてもらいたくてあの頃と同じ髪型だけど成長期の自分は相応に大人っぽくなっている(はず)。すぐに気付いてもらえなくても無理は無いかと思っていた矢先に、一目で思い出してもらえたのだ。喜びで僅かながら頬が紅潮する。一夏は懐かしそうな表情を見せながら、親しげに鈴に話しかける。

「って事は――俺とお前で試合になるわけだな」
「え? あれ? 感動の再会シーンの割には予想より淡白だけど……そうね。手加減しないから!!」
「もちろんだ。……全力で勝ちに掛かるぜ」

 その言葉に、微かに唇を曲げる鈴。

「一夏。あんたがアリーナで叫んだ内容は聞いてるわ。……でも勝つのはこのあたし、凰 鈴音よ!!」
「ああ。だが負ける気は無いぜ」
「ふふん、その辺りの気の強さって……昔は確かになかったけど。うん、変わったわね、一夏。どんな物事も闘争心や競争心があるのはいいことだわ」

 にっこり微笑む鈴。その後でセシリアと箒から発される黒い圧力が増したような気がしたが、一夏は特に気にもした様子が無かった。
 久しぶりの再会に会話を弾ませていた二人だったが――不意に鈴が思い出したように話題を変える。

 凰 鈴音は、ほんの一年前まで日本で生活していた。彼や彼の友人達とも同様に親友と呼べる間柄であり――特にその中の一人は大変仲の良い男友達だった。彼の妹は恋敵ではあったから『全面的に肩入れするってーのはちょっと不公平だけどよ』と言うものの、学年主席の癖にお堅いがり勉というわけでなく、冗談にも理解を有するぐらいには柔らかく、中学の時点では修学旅行のイベントの際よくよく一夏と一緒にいられるように便宜を図ってくれていたものである。
 だから――久しぶりに日本に来たのだし、一夏に会えた事は当然一番嬉しいが、それと同時に他の友人たちと会いたいと考えるのも当然の事であり、思わず鈴は質問した。

「あ、そうだ。一夏、中学の頃の友達に連絡したいんだけど、電話番号しらない? もしかしたら変わってるかもしれないし――弾のやつには色々お世話になったからさ、また皆で遊びたい……のよ」

 鈴は――思わず言葉を詰まらせた。
 くしゃりと、一夏は顔を歪めていた。まるで泣き出す寸前の子供のような悲痛な表情。鈴と親しげな様子で話す一夏に後で嫉妬の炎を燃やしていた箒とセシリアであったが――その様子にむしろ彼女達の方が慌ててしまう。
 今まで、一夏は感情を表に出す事が少なくなっていた。もちろん笑うべき時には笑うし、愉しむべき時には愉しむ。ただし、それを終えてから、すぐに何処と無く張り詰めたような表情になっていたのだ。その彼が……少なくとも表情をまるで変える事の無かった彼が、こうも動揺を露にするなど――正直予想などしていなかった。
 一夏は、目元を抑えてから短く鈴の言葉に応える。

「……弾は――前とおんなじ番号のままだ。……ただ、多分電源切ってるからまた今度掛け直してやってくれ」
「え? ……一夏……どうしたのよ」

 鈴は――この教室の中でただ一人、一夏と共通の知己を持つ人間だった。だから自分が彼の名前を出した途端、泣きそうな顔を浮かべる姿に言葉を呑んだ。こんな事初めて――鈴は二人の間に何かあったのだと悟る。それも……恐らく親友同士だった二人の間柄に致命的ともいえるなにかが。
 その事が気になって仕方ない鈴は――結局、教室にやってきた織斑教官に頭を叩かれてようやく正気に戻ったのであった。





 織斑一夏は有名人だ。良くも悪くも。
 道行く先々で生徒達の視線に晒されるし、時々なにやら顔を赤らめた人に激励される場合もある。風邪が流行っているのだろうか――こういう場合きっとあいつは『……パンチ? ねえパンチしていい?』と自分には良く分からない理由でにこやかに笑いながら拳に息を吹きかけるのだろう。

「……弾」

 屋上で一人呟く。こうも動揺している自分が情けない。一夏は自分の髪を乱雑に掻く。
 あいつの名前を出されただけで――この有様だ。一夏は誰に指摘されるまでもなく、自分の精神状態が大きく動揺しているのを悟っていた。
 目を閉じれば目蓋に焼きつくあいつの姿。
 俺は、本当にあいつの親友だったのか? ――たった一人、消灯し眠る際、一夏はそんな想いに囚われる。親友ってのは、相手に対して全て曝け出すようなものだろう。……それとも、俺に自分のそんな嫉妬心を悟られたくない程度には、俺と友達でいたいと思ってくれていたのか? ――不意におかしさがこみ上げてくる。
 まるで恋人の関心が自分に向いているのかと悩む女性のような考え方じゃないのか、と吹いてしまっていた。きっとこの事を素直に弾に打ち明ければ、弾は真剣に気持ち悪そうな表情を見せて逃げ出すに違いない。

「一夏、なにしてんのよこんなところで」
「……鈴」

 見れば――そこには鈴の姿。視線を横に滑らせると、金髪くるくるとポニーテールが壁際からはみ出ていた。
 
「……ああ、悪かったよな。……良い機会だしちゃんと言っておくと――俺……弾の奴と絶縁状態なんだよ」
「え?」

 その言葉の内容が信じられず――鈴は思わず鸚鵡返しに尋ね返してしまう。
 五反田弾。鈴からしてみれば中学時代の二年間を一緒に過ごしたもっとも親しい仲間達の一人であり、公私共に色々とフォロー……特に鈍感さに関しては恐竜並みの鈍感さと称される一夏をゲットせんとする鈴のために、『一夏攻略本』を書き上げた剛の者である。ちなみに本人は――書いている途中で『……俺、なにやってるんだろう。どっちかっていうと千冬攻略本を書けばよかった』と不意に人生のむなしさに気付き、鈴にそれを託した後、さがさないでくださいと残して三日ほど旅に出た。
 
「なぁ鈴。……もう戦闘機とかそういうものが無くなった世界で空を自由に飛びたいと思ったらどうすればいいんだろうな」
「え? ……それは」

 一夏のいつになく真剣な声に――鈴は言葉がすぐに出ずに詰まる。

「ジャンボジェットのパイロットとか、宇宙飛行士とか――あいつは、弾の奴は多分出来る。……なんだかんだで学年主席だし、大抵の事はなんでもこなす。英語だってジェイムズさんと話していたせいか普通に流暢だしさ。……あんなに――なんでもできるのに……ISにだけは、乗れないんだよなぁ」

 声に、鉛のような重々しい響きがある。その言葉で大体の事情を鈴は察した。
 ……一夏は思う。ジャンボジェットのパイロットも宇宙飛行士も、まずエリートといっていい職業だろう。ただし、前述の二つは複数人と連携して動かすための職業だ。……個人が、自分の意志の赴くまま自由に空を飛ぶ職業は今やISのみであり……つまり空は既に女性に独占されているのだ。

「俺は……本当はIS学園に行かなきゃならないと決まった時、正直面倒で仕方ねぇやって思っていたんだ」
「い、一夏?」
「ほ、本当ですの?」

 とうとう身を隠す事を忘れたのか――思わず声を上げてしまうのは物陰に居た箒とセシリアの二人。
 しかし、二人からすれば意外の何者でもない。あれほど熱心に訓練に取り組み、あれほど貪欲に勝ちを奪いにいける人が――やる気が無いのであれば、この世の全ての人が怠惰の罪を背負っているだろう。

「だってさ。……俺――最初は編入の際の資料を電話帳と間違えてゴミ箱捨てたんだぜ?」

 思えばあれが弾が激発する切欠だった。
 自分は――弾の友人を名乗る資格は無い。一夏は今ではそう思っている。親友だと思っていた相手だった。だがあいつが本心では空を自由に飛びたいという想いを抱きながらも、ISは男性には動かせないという動かし難い現実に諦めていた。あんなにも戦闘機や航空機が好きで、空軍のエリートだったっていうジェイムズさんとよく話していたって言うのに。
 ……度し難い無神経さだった。時間を巻き戻せるなら、一夏は自分の首を締め上げに行きたいところである。
  
「俺は――親友だと思ってた相手の本心すら見抜けず……」
「なに当たり前の事言ってんのよ」

 だから一夏は鈴が不思議そうな顔で彼の言葉に首を傾げている理由が良く分からなかった。
 
「言葉にしていない内心とかなんて言わなきゃわからないじゃない。人間喋れるんだから喋ってちゃんと話せば内心なんて誤解しようもなく分かるんだし。弾がなんにも話さなかったんなら、それは知られたくないことだったって事よ」
「……そう、か?」
「そーよ。……ねぇ一夏、あんた確かに真面目で熱心になったけど――でもエスパーでも無いんだし、言われてもいない本心を察してあげられなかった事を悔やむなんて無茶な話よ」

 一夏は――その言葉を頭の中で反芻し、答えを出したように少し笑った。
 僅かではあるが、胸の中のつっかえが取れたような気持ちで、少し気弱げにいう。
 
「ありがとな、鈴」
「いいのよ。それより!! そんな湿気た面で対抗戦に出てきたら承知しないんだからね!!」
「ああ、ちゃんと最高のコンディションに持って行くさ。期待していてくれ」

 そう笑いながら応える一夏に――鈴は胸元に忍ばせた弾お手製の「一夏攻略本」の存在を確かめる。
 その中の教え――『一夏は無茶苦茶鈍感なので、はっきりと言葉にしなければまず察するという事をしない。きちんと内心を告げるべし。つーかつまりはっきり告白しろってこった』とあった事を思い出したがゆえの発言であった。
 生憎その一番重要な教えは鈴自身の羞恥心に邪魔されて未だに一度も実行されてはいないが、その教えから湧き出た言葉が、一夏のあの暗い表情を拭い去ってみせたのであった。




 先に帰った一行を見送りながら、鈴は携帯電話でアドレス帳から五反田弾の番号を呼び出す。

「いやぁ弾、あんたってやっぱ最高ね」

 にこやかに笑いながら久しぶりに旧友と連絡を取ろうとした鈴。一年ぶりの再会だ、きっとアドレスに表示される自分の名前にさぞかし驚くだろうと思い、わくわくしつつ電話を掛けたが――聞こえてきたのは意外な事に、『お客様のご都合により』……という電源がオフになっている事を告げる内容だった。

「え? ……珍しいわね」

 折角久しぶりに電話を掛けて、一夏や他のみんなと一緒に遊ぼうとしたのに、水を注されたような気分でアドレス帳から五反田弾の一つ下、五反田蘭の名前を呼び出す。
 正直、彼女と凰鈴音の仲はあまり良いとは言い難い。間に織斑一夏という男を一人挟んだ彼女達は中学時代の恋敵。その間でよくよく『お兄ぃはどっちの味方なのよ!!』『こいつはあたしの軍師に決まってるじゃない!!』とよく板ばさみになっていた弾の事を思い出してくすりと笑い声が零れる。
 電話が繋がり――鈴は恋敵とは言え、それ以外を除けば仲も良かったといえる友人の妹の言葉に思わず顔を綻ばせて話し始める。

「あ? 蘭? ほんっと久しぶりね。ええ、うん。弾の奴が携帯電話切ってるからこっちに……って、え?」

 言葉が止まる。声帯が引きつる。予想外の言葉に思わず言葉を失う。

「……アメリカに……行くって……そんな、急すぎるわよ」







 クラス対抗戦。
 IS学園に所属する学年別の、選出されたクラス代表達によるリーグ戦。
 とはいえ、一年生で一人の人間に専用のカスタマイズが施された高性能機の代名詞である専用機持ちは一組の織斑一夏と二組の凰 鈴音の二名しか存在しておらず、今日開催されたこの一回戦目が実質的な決勝戦と看做されていた。

 IS学園のオペレート室は様々な測定機器を操り、情報を収集する能力を持つ。第三世代という次世代型機体は未だに実戦稼動のデータ量も豊富ではなく、それらの収拾もここIS学園の重要な仕事である。機器を操りながら情報を収拾する山田先生の後ろ――織斑千冬教官は、正面のパネルに表示された戦闘中の二機の動きに不機嫌そうなむっつり顔を見せていた。

 そこに写るのは二機のIS。<白式>と<甲龍>。二機とも目まぐるしく動き回り、相手の死角に占位し一撃を叩き込む隙をうかがい続けている。

「……<甲龍>の動きが悪いな」
「ええと、そうなんですか?」
「戦闘に集中し切れていない、何か気がかりでもあるのかもしれんな」

 ピットからオペレート室へ移動し観戦している箒とセシリアの二人は、その映像を見守りながら――先程までの戦闘を反芻する。
 確かに――事前に取り寄せた凰鈴音の戦闘映像に比べれば僅かに反応が遅く思える。しかしそれは千冬教官に言われて初めて理解できる類のものであり、二人にはちゃんとしたコンディションで闘っているようにしか見えない。

「専用機持ちは国家の代表選手。国の名誉を背負って闘う名誉あるエリートですわ。ならばそれに相応しい心構えで挑むべきなのにあの人ったら……!!」

 同じ専用機持ちであるセシリアからすれば、気がかりを抱え込んだまま戦場に出てくるなど言語道断だ。戦いに出る以上全力を出しつくせるように努力するべきなのに――不満げに唸るセシリアに、箒はしかし別の考えを持っている。
 同じく国家代表の凰鈴音がセシリアが言うような心構えを持っていないとは思えない。専用機を与えられるという事は他の候補生たちに頭一つ抜きんでいる証明だ。その彼女が自分自身の精神状態を万全に持っていけないはずがない。……これは純粋に――そういう自分の精神を平静に保てぬほど重大な事態が発生したのではないか? と推察していた。
 だが、一度戦闘が始まった以上――中断を言い出せるのはアリーナで闘う二人だけ。
 なんらかの乱入者でも無い限り中止にはならないだろう――と考えて、くすりと笑う。アリーナは上空を遮断シールドで覆われ、また内部への隔壁は厳重にロックされており、それを電子的に防御するファイアウォールも完璧だ。

「うむ、そうだな。乱入者などありえない」

 箒はそう呟く。自分の発言がいわゆる「フラグ」という自覚も無しだった。


 

「動きが悪いな、鈴……!! 前の俺みたいな湿気た面だぞ!!」
「うっさいわね、ほっといてよ!!」

 そんなこと、言われなくても分かっている。<甲龍>の性能を十全に引き出しきれていないことが、機体に申し訳ない――両肩の棘付きの非固定浮遊部位(アンロックユニット)に内蔵された衝撃砲を展開、空間に加圧し、不可視の砲弾を射出する主力兵装の一つが発射される。衝撃それ自体を砲弾と化して発射する第三世代の兵器――しかし<白式>は乱数回避と大推力に任せ、こちらの射撃を避けつつ隙を見て瞬時加速(イグニッション・ブースト)。鋭い刀剣の一撃を叩き込んでくる。それを二本の清龍刀、双天月牙で持って打ち込みを捌き、一つに連結したそれで切り返す。間合いを離した相手に手数を重視した連続発射。
 
 ……分かってるわよ、分かってんのよ!! ――動揺しているという自覚がある。

 懐かしい親友が――五反田弾が、もうすぐ日本からいなくなる。彼の妹である蘭からその事を教えられたとき、鈴は自分でも予想外の動揺を覚えていた。いなくなる――アメリカのネレイダムに招聘されたという彼。高校一年に差し掛かる年齢で、中小とはいえ企業の一つから招かれるなんて、言わば人生のエリートコースに乗ったようなものだ。IS開発に関わる男性の知的エリート、素直にそのことを祝福してやれば良い。


 なら、なんでこんなに――嫌なのよ!!


 でも、無理だ。素直に祝福できない。
 一夏と鈴と弾と蘭。中学時代に一番良くつるんでいた。このIS学園に入って、学校こそ一緒ではないものの――中学時代の仲間達とまた一緒に駄弁ったり行動したりまたあの楽しい日々が続くと思っていたのだ。
 今の自分はとってもらしくない――蘭を恨みたい気分。
 彼女は、弾がいなくなるという秘密を抱え込みたくなくて……その癖一夏には絶対に言わないでくれと念押しした。そういわれればこの秘密を守らなくてはならない。弾はきっと――今まで黙っていた本心を一夏に知られてしまった事を後悔している。黙って墓場まで持っていくはずだった醜悪な嫉妬を見せてしまった事を悔いている。このまま黙って自分や一夏の前からひっそりと姿を消すつもりなのだ。また会ってしまった際、晒けてしまったあの醜い思いを――心の中に蓋をしたそれを再び表に現してしまう事を畏れて。
 



 思考に終われ、反応が遅れる自分へと迫る<白式>。

「そのままなら――倒すぞ!!」
「誰が……!!」

 迎撃――彼女の思考に追従して衝撃砲を発射しようとした、その瞬間だった。



 視界を焼く激しい焦熱の柱が、アリーナの中央に突き刺さる。轟音が響き渡り――腹の底に響くような重々しい衝撃波が大気を振るわせる。
 
「なんだ?!」
「ビーム兵器?! アリーナの遮断シールドを突き破って……一夏! 未確認機、中央にいる!」

 そこに直立するのは黒いIS。
 全身装甲(フルスキン)型。両腕は鋼鉄製ゴリラの腕を人のような胴体に接続したように歪な巨大さを持っている。手の甲辺りには砲門らしきものが片腕に一つずつ、両肩にも同様に射撃武装がある――それら敵の脅威部分を知らせる<白式>のハイパーセンサーの警告に目を留めながら、一夏は観客の保護のために閉鎖を始めたアリーナに大勢人がいることを確かめる。

「織斑教官! 敵はフィールドを貫通するレベルの高出力ビームを保有、避難完了するまで敵をひきつけます!!」
『……よかろう。どちらにせよ、お前に頼むつもりだった。……凰、お前は下がれ。後は任せ……』
「ちょ――冗談じゃありません!! あたしの方が一夏よりもずっと訓練時間が多くて……!!」

 だが、通信から帰ってくるのは千冬教官のドスの聞いた怖い声。

『……冗談でないのはお前の方だ。先程からの無様な闘い方はなんだ? ……それに相手が所属不明機である以上、手心も期待できん。下手をすれば殺しも有り得る敵相手に不安要素を抱えていられるか、馬鹿者』
「……ッ!」

 今の鈴には教官の言葉に反論する術を持たない。
 確かに錆び付いた今の自分では、下手をすれば新人の部類に入る一夏にすら劣るかもしれない。……だが面と向かって罵倒されれば――逆にむくむくとわきあがるのは鈴の生来の負けん気の強さ、罵倒に対して見返してやろうという精神と、国を背負って立つ代表候補生の矜持が、身体に染み付いた弱気を焼き滅ぼす。
 そう、弾のことは後で良い。今はアリーナの人を避難完了まで守り通す――その使命感で自分の身体に活を入れる。

「やります!!」

 声に篭る覇気。
 通信機の向うから僅かに千冬教官の微笑む声が聞こえたような気がした。返答は――短く一言。

『いいだろう。やれ』

 その声に――叶わないなぁ、と鈴は、自分が上手く操縦された事を理解して苦笑した。

「行くぞ、鈴!!」
「任せなさい、一夏!!」

<白式>と横に並び突撃。
 先程までと違い、指先にまでしっかりと神経が通っているような感覚。この上ない集中(コンセントレイト)。浮かべる笑顔は強敵に対して挑むに足る気力が満ちていた。
 




「凰さん、大丈夫でしょうか?」
「……今現在は手も足りないしな、それに今のあいつなら問題ないだろう。……状況は?」

 オペレート室で千冬教官は機器を操る山田先生に短く質問。
 山田先生――眉間に皺を刻みながら応える。

「全ての扉が閉鎖、遮断シールドもレベル4、三年の精鋭達がシステムクラックを実行中ですが、すぐには完了しません。……恐らく敵ISからの電子干渉です」
「そうか。……まぁ――」

 アリーナ内部へ侵入するには大まかに二つの手段があるが、その両方の実行は難しそうだった。
 まず、一つ目である敵も用いた大出力ビーム兵器などによってシールドを突破する力技。だが、現在レベル4のシールド出力を展開するアリーナへは生半な兵器で突破は出来ない。二つ目も、余程高度なクラッキング能力を有しているのかなかなか解放の目処がたっていなかった。
 だが、千冬教官の目に映るのは――迷いが吹っ切れて、先程とは打って変わった鋭い動きで無人ISを圧倒する<甲龍>と、接近戦で振り回される相手の豪腕を紙一重で避けながら一刀を打ち込み続ける<白式>。
 任せていいかもしれんな――そう口元を緩めながら、推移を見守る彼女。徐々に姉譲りの才能の燐片を開花させつつあるか――と考えて、これは自画自賛もいいところだな、と考え直す。

「……ところで、篠ノ之とオルコットはどうした」
「……あ」

 山田先生がその言葉に気付いて周囲を見回せば――二人の姿は何処にも無い。まぁ山田先生を責めるのは筋違いだろう。
 オルコットの<ブルー・ティアーズ>は多対一を得意とする機体。ピットと直通している教官室から助けを申し出なかったのは自分の特性を把握しているからと思っていたし、箒にいたってはそもそもISが無い。大人しくしているかと思っていれば――嘆息を漏らす。

「あいも変わらず天然ジゴロか。我が弟ながらたいした才能だ」

 止められたくなかったからそもそも相談すらしなかったという事か。
 なにやら激しく格好よくなってしまった一夏はあとどのぐらい女を惹きつけるのか。千冬は苦笑した。
 



 篠ノ之箒は歯痒くて仕方が無い。
 セシリアの身を鎧う<ブルー・ティアーズ>の量子変換の姿を見守り――どうして自分には専用機が無いのだろうと思う。専用機は訓練用のISと違い個人での保有が認められる。同時に守らなければならない規則の量も倍増だが、この時のみは自分に一夏を手助けする手段が無いのが口惜しくて仕方なかった。

「……いや!」

 その心に忍び込む甘い誘惑の声――彼女の姉でありISの産みの親である篠ノ之束なら、自分にも専用機を調達してくれるかもしれない。……分かっている。他にも努力して企業や国家からISを譲り受けようとしている人など山ほどいるのに、自分が考えたのは卑怯にも血筋や縁故を頼ってのずるいやり方だ。
 でも、それでも一夏と一緒に戦える彼女達が羨ましくて仕方ない。嫉妬混じりの心情の中、彼の姿を見たくて――気が付くと中継室に飛び込んでいた。マイクを取る。せめて、一緒に戦えないのならば――声ぐらい届けたかった。アリーナのスピーカーをオンにする。

「一夏!! 男なら……お前があの誇り高い宣戦を貫き通すつもりなら……その程度の敵など十秒でのしてしまえ!!」
『十秒は無理です。サブウェポン、ハルバードを選択』

 え? と返事が返ってくるとは思っていなかった箒は思わず中継室からの音声に目を点にし――あの黒いISが、腕部に搭載した大出力ビーム兵器の砲門を此方に向けている事に気付き……流石に、背筋に走る寒気を押し殺せなかった。




「箒ッ!!」
 
 それをとめようとする一夏は、相手に切っ先を届ける数秒が足らず。セシリアも引き金が間に合わず、鈴も衝撃砲が強制冷却モードに突入しており、誰も止められる位置にいなかった。
 



 そう――可能だったのは、この戦闘を沈黙を守りつつ見守っていた第三者のみであった。





 空が破れる――降り注ぐのは巨大な光の槍。先程よりもさらに強力に展開されたシールドを純粋に強力なパワーでぶち抜き、叩きつけられた破壊エネルギーの乱流は、今まさに発射しようとしていた黒いISの腕部に命中、瞬時に焦滅させ、行き場を失ったエネルギーが爆発という形で暴れ狂う。

『なんだっ!!』
『……こ、これは……再度外部からの砲撃です!! ……し、信じられない、レベル4に移行した遮断シールドを、より強力なエネルギーで貫通したとしか思えません!! 推定発電量……少なくとも原子力発電所一基と互角!!』
 
 通信から響き渡るのは――千冬教官と山田先生の切迫した声。特に千冬姉の声は今まで聞いた事がないぐらいに切迫している。
 黒雲が湧き上がった。 
 先程の黒いISと比しても尚桁外れと言える法外のエネルギーによって、周囲には大気を焼く焦げ臭い臭気が充満していた。同時に<白式>のハイパーセンサーが……再び破壊された遮断シールドからゆっくりと降下してくる新たな未確認機を捕捉した。

「……なに? なんなの!? あの……全身から迸るような悪のエナジーを纏った、香り立つようなラスボス臭がする相手は……」
「該当データ……暫定名称『ブラックドッグ』……あれも所属不明機ですの?!」

 鈴とセシリアの言葉を聞き流しながら、一夏は――上空からゆっくりと降下してきた新手を見やる。
 黒い装甲――それは先程のISと酷似していた。しかし時折、全身を走るような緑色の光が見える。まるで体を走る血管が浮き上がっているかのよう。全長は一般的なISと同じく二・三メートル程度だろうか? 先程の未確認機に比べれば小さいと言える。だが、機体後背に展開している、六枚の羽のようにも見える非固定浮遊部位(アンロックユニット)の存在が、見掛けよりもずっと巨大な機体であるように思わせた。
 頭部は狗を思わせる形状であり、腰からは尻尾のような部位が確認できる。
 
 ……狗は狗でも――これは冥府の番犬、人知を超越した魔犬の類。どこかからそんな声が聞こえたような気がする。

 そして、一夏は新たな乱入者の視線が、自分ひとりに釘付になっている事に気付いた。

「お前も……そんなに世界で唯一ISを動かせる男が珍しいのか?」

 人の気も知らないで――珍獣を見る眼差しが腹立たしい。
 そう思った一夏に、不意にISからの高エネルギー反応警告。ただし――反応は今出現した相手からではなく、先程腕を一本失った最初の不明機が残った腕を掲げ、再び高出力ビームを相手に叩き付けんとチャージを始めた事に対するものだった。
 だが、予想外な事に攻撃照準レーダー波の照射対象は一夏、セシリア、鈴の誰でもなく――その一番最初に出現した正体不明機の狙いが、新手の不明機『ブラックドッグ』である事に驚きの声が漏れる。どうやら――こいつらは敵対しあっているらしい、と考えつつ、全速で退避。
 そして――相手の攻撃が自分の方を向いている事を知っているにも関わらず、その黒い犬のような機体は微動だにしない。


 光が放たれる。飲み込む全てを焼き滅ぼす高出力ビームに対し、その黒い機体『ブラックドッグ』は腕を掲げた。


 瞬間――その正面の空間が……歪んだとしか言えない奇怪な現象に襲われる。
 まるで光をも捻じ曲げ、何もかも圧縮するような異形の力場目掛けて突っ込んだ高出力ビームは――あっさりと掻き消された。

「な、なに、今の……!!」

 鈴の驚きを隠せない声――だが、驚愕はまだ終わっていなかった。
 再び、先程の異形の力場が展開したと思った次の瞬間――まるでビデオの再生テープでも巻き戻したように、破壊的なエネルギーは全て発射した黒いISの方へと……跳ね返されたのだ。
 二機の専用機ですら闘えていた相手をあっさりと一蹴する相手に、驚きの言葉が自然と口から零れ出るセシリア。

「……エネルギーを……受け止めて投げ返した!? き、聞いた事もありませんわ……なんなんですの、あれ!!」
『……先程、『ブラックドッグ』の全面に鈴さんの<甲龍>が衝撃砲を発射する際の空間の歪みに似た反応を検出しました。……恐らく圧縮した空間内にビームを格納、ベクトルを逆転させた後に解放させたのでしょうけど……歪曲の規模が違います……!! 間違いありません、束博士が理論だけは出したけど、非常識なまでに膨大なメタトロンを必要とする事から机上の空論とされてきた空間圧縮機能――『ベクタートラップ』です!!』

 山田先生の声は――焦りを通り越して恐怖すら滲んでいる。一夏やセシリア、鈴のような一介の候補生と違い、科学技術においても高い理解を持っているからこそ、あれが有り得ないと理解できるのだろう。
 再び『ブラックドッグ』の目に当たる部分が一夏を捉えた――いいだろう、とブレードを構える。

「良いぜ……」

 そうだ――相手がなんであろうとも……負けるわけにはいかなかった。千冬姉や他の仲間を除くIS全てを敵に回してでも、戦い勝たねばならない。それを考えるなら――こんなところで躓くわけには行かない。

「相手に……なってやる!!」

 叫びながら、一夏は空中で端然と佇む敵機に敵意の眼差しを叩き付けた。










今週のNG



「ですのでクラス代表戦前に、このわたくしセシリア・オルコットが次の対戦相手の仮想敵(アグレッサー)を務めて差し上げますわ! まず二組の代表はレベッカ・ハンターさん、堅実な射撃戦と高機動力に長けた正統派のIS乗りですわね。搭乗する専用ISはネレイダム製の<セルキス>。機動力は水準より少し上程度はありますが、有線式のホーミングレーザーと大出力荷電粒子砲と強固なシールドを搭載した超重火力機ですわ」
「……強そうだな。勝つにはどうすれば?」
「ぶっちゃけ強すぎるので諦めてくださいませ!!」
「諦め早いなおい!!」
「ちなみに作者は初代Z.O.Eをプレイした際、ノウマン大佐が『私のセルキスを使え』と言っていたから最終ボスはきっとセルキスだと思ったのに違っていたからちょっとがっかりしたそうですわ!!」
「だから誰に向けて言ってるんだ!!」

 ちなみに教室の入り口で、鈴が代表候補生の座を奪おうとしたけどボロ負けしたので、登場イベントを潰されて悔しそうに涙ぐんでいた。


おまけ

 途中乱入してきた所属不明ISはレベッカさんがあっさり倒しました。




[25691] 第六話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 23:21
 インフィニット・ストラトス。
 幼い頃から憧れた、個人で運用可能な空を飛ぶもの。

 ……空を飛びたいという望みは叶った。それこそ予想など出来るわけも無い、恐らく宝くじの一等に当たる事よりも遥かに有り得ない話だが、確かに望みは成った。
 次の望みとは――自分ら男性から結果的に空を奪う事になったISに勝る兵器をその手に生み出すこと。
 勝算はある。
 ISの製作に必要不可欠なコアを作る事が出来るのは篠ノ之束博士のみであるのに対し、自分が生み出そうとするオービタルフレームは、設計に大量のメタトロンを必要とする条件さえクリアする事が出来れば量産すら可能だ。事実、アーマーン計画を発動しようとしたノウマン大佐は、<ジェフティ>と連合軍のLEV部隊を始末するために、1000機規模のオービタルフレームを投入するということすら可能だった。
 ……一から組織を作るのだから、そんな規模の大量生産は流石に不可能だろうが――少なくとも、女尊男卑の風潮は確実に崩れる。
 
 だからこそ――そのオービタルフレームの雛形となるべき<アヌビス>は未だに衆目に晒すべきではない。
 
 弾がIS学園の異変を察知して、ベクタートラップを用いた空間潜行モードによるステルスでシステムにハッキングしたのは――以前自分を狙った女と襲撃を行った黒いISの両方が、一介のテロリストが保有できる訳が無いISを運用していたからだ。
 世界で467機のみしか存在しない兵器を運用する非合法組織――そんな組織がそうそう多くあってたまるか。

 姿を現す理由なんて無い――あの中継室にいた彼女を助けるためにハルバードを使用したが、再び空間潜行モードに移行すれば、この学園のセキュリティでは<アヌビス>の尻尾すら掴めぬはずだ。それが合理的判断と言うものだということを、弾は理解している。
 その合理的判断をかなぐり捨ててでも、弾は――姿を現したかった。
 
 見つけた。
  
『……一夏』
 
 あの日、本心を曝け出したっきり、言葉すら交わしていない親友。そしてその身に纏うのは――本来女性のみしか運用できない『IS』。
 俺は、夢を叶えた筈だ――弾は思う。だが……とも否定する想いがあった。
 苛烈な選考と厳しい訓練を潜り抜けてIS搭乗者になる事と、今のように偶然で<アヌビス>を手に入れる事によって自由な空を得ることは――その間に致命的とも言える達成感の差があった。届かぬ夢を諦められず自らを叩き上げた練磨は正当な評価を得る事無く、夢のまま終わった。自分で商社を起こし働きづめて得た十億と宝くじで得た十億とではその金銭の重みは天と地ほども差があろう。
 確かに自分は<アヌビス>という空を掴むための翼を手に入れた。だが――弾が幼少期から夢見た翼は<アヌビス>ではなかった。彼が努力し、千分の一、万分の一の可能性を夢見たISは、自分のものではなかった。……数ヶ月前の自分なら贅沢な悩みだと己自身を笑っただろう。結局空を掴んだのだからどうでもいいだろうに――と。 
 胸中に過ぎる感情は――果たしてなんら努力もせずISという力を手に入れた親友に対する嫉妬心なのか。それともISという力を遥かに上回る<アヌビス>という強大無比の力を今此処で誇示したいという子供じみた顕示欲なのか。または、結局努力して手に入れる事が出来ず、自分には振り向いてくれなかったISという翼を地の底に貶めたいという激しい逆恨みに似た憎悪なのか、その全てであるようにも思うし、違うようにも思う。
 理性を重んじるならば離脱すべき、だが感情は交戦を欲している。人間の意識を占める二つのものは鬩ぎあい結論を出した――<アヌビス>の中に納められた弾の口元が凶笑に歪みきる。はて? と呟いた。
 
『……こいつもメタトロンの影響かな?』
『否定します。現在、貴方はメタトロンの影響下にありません』
『……ふっ……はは。はっきり言ってくれるな、デルフィ』
『事実ですので』
『だな。すまないが俺の我侭に付き合ってもらう。……交戦するぞ』
『貴方の望みこそ私の望みです。了解、戦闘行動を開始します』

 右手を掲げる――ベクタートラップに格納されていたウアスロッドが瞬時に展開。それを風車の如く高速で旋回させ――その切っ先を、<白式>の一夏へと向ける。

 弾は――正体を明かしたかった。あの日奇跡に選ばれなかった自分が、選ばれた相手を叩き潰す。その事実をかつての親友にたたきつけたかった。暗く歪んだ喜びに浸りたかった。

 それは千言万言を費やした戦口上よりも遥かに短く、遥かに雄弁な――明確な宣戦であった。




 こいつ――俺だけを見ている。
 織斑一夏は己に向けられた視線と切っ先から――相手の執拗とも言える敵意が自分ひとりに照準を定めているのを感じた。『ブラックドッグ』が動く。機体後背の非固定浮遊部位(アンロックユニット)が広がり、そこから不可視の力を吐き出しながら突進してくる。

(……早い!)

 そう考えつつ、一夏は先程の情報を瞬時に頭の中で整理する。……先程確認できた相手の武装は、レベル4の遮断シールドをすら貫通可能な大出力ビーム兵器。それに――山田先生が言っていた『ベクタートラップ』という機能。
 槍のような形状の武装を保有しているという事は、恐らく近接戦闘力も保有しているだろう。

「だけど……<白式>だってなぁ!!」

 一切合財火器は保有していないが、その代わり近接戦闘力は高い一芸特化機である<白式>は唯一であり最大の武装である雪片弐型を構える。箒との訓練で近接戦での闘いでは幼い頃に掴んだ感覚を取り戻し、実力も伸び始めている。接近戦でならそう負けは無い……!!
 振り下ろされる切っ先、相手の正面から叩き付けた斬撃は――しかし『ブラックドッグ』の槍に受け止められる。
 もちろんその程度は折込済み、即刻刃を引き、再度切りかかろうとして――まるで相手の穂先が蛭のように吸い付いて離れていない。

『……織斑くん!! 電磁吸着されています!!』
「!!」

 山田先生の言葉で、相手の槍が離れない理由を知る。<白式>などにも装着されている、武装を取りこぼさないための機構――だが、こういう使い方も出来るなど聞いた事が無い。
 相手を蹴って間合いを取る――そう思った瞬間、『ブラックドッグ』が<白式>ごと強引に槍を横薙ぎに振りぬこうとする。
 
(……こっちを力で吹き飛ばすつもりか?! 甘く見たな!!)

 力比べながら、<白式>の得意分野。各種ISの中でもトップランクの大出力を保有する機体のパワーで相手の槍を押し返そうとした一夏は……その相手の桁外れの膂力に愕然とする。
 
「……なっ!!」

 推力を全開にして相手に抗しようとしたにも関わらず――まるで逆らう事が出来ず、受け止めた刃ごと木っ端の如く横方向へと吹き飛ばされる。専用機、それも近接戦闘を想定した<白式>は現存するISの中でもパワーは上位クラス。……それが、完全に力で押し負けた?! 子供扱い……?! ――と、驚きを覚える暇もなく、再度迫り来る『ブラックドッグ』。
 
「やらせるかああぁぁぁぁ!!」

 その相手に猛然と踊りかかるのは鈴の<甲龍>。連結した双天月牙を頭上で独楽のように全速回転させ、その威力を――全開で叩き付けようとした。だが、一夏が感じたように――『ブラックドッグ』は確実に気付いているにも関わらず、<白式>を睨んだまま視線も向けず槍を<甲龍>に向け――受け止める。
 激しい衝撃音が鳴り響く――<甲龍>は全速突撃の速度を帯び、頭上で回転した双天月牙を、あらん限りの力で相手に叩き付けた。速度を帯びた車が凄まじい威力を持つように、普通に考えるならば速度エネルギーを帯びたほうが、静止した物体を吹き飛ばす。それがよほど普通であるのに――まるで巨岩に挑んだかのように、突撃した<甲龍>の方が跳ね飛ばされていた。

「うっくっ?! ……どうして、<甲龍>の方が相手に弾かれているのよ?!」

 鈴は先程機体を通して得た手ごたえに表情を変えざるを得ない。まるで千年を生きた大樹に挑んだような、圧倒的な厚み。質量の分厚さが違うようにすら思える。
 
「近接戦闘力に長けた<甲龍>の全力の打ち込みを受けて……一ミリすら押し込めない?! ……この……ばけものぉー!!」

 屈辱的だが――自機の得手の距離での戦闘を避けるように後方へ退避、同時に両肩の衝撃砲が吠えた。



『さすがに、一対一を認めてくれるほど空気読んでくれんか』
『当然です。……<甲龍>の両肩に搭載されているのは空間圧縮を利用した衝撃波兵器と推測。OF<サイクロプス>のサブウェポン『ガンドレット』と酷似しています』
 
 デルフィの攻撃警告に対応し、<アヌビス>は高速で動き回る――空間への圧力で不可視の砲身を形成し、衝撃波の砲弾を生み出す<甲龍>の衝撃砲は、相手のセンサーに捕捉されにくく、射撃武器としては非常に回避し難い優秀な面を持つ。……だが、メタトロンの申し子であり、空間圧縮に関する技術においては当時最新鋭機である<アヌビス>は、敵射撃武装の射角をこの時代では有り得ないほどの精度で検知する事が出来た。
 同時に――攻撃照準レーダーの照射を確認。
 周囲を取り囲むように展開するのは――ISとは違う、青色で塗装された小型の機動砲台。

『敵、自立砲台を確認』
『……ちっ』
「お行きなさい、ブルー・ティアーズ!! わたくしを無視して一夏さんだけ狙う増長慢、徹底的に懲罰して差し上げますわ!!」

 四方八方から迫る自立砲台――それぞれからビームを発射しつつ、高速で位置を変え続けて包囲網を敷く。煩わしい……! 弾はかちりと歯を噛み鳴らすと、回避機動しつつ後方へ退避。

「一夏さん、鈴さん! 今の内に体勢を立て直してくださいませ!!」
「わりぃ!」
「今回は、感謝するわよ!!」

 その隙に後の二人へと声を上げ、セシリアは二メートルを越す巨大な六十七口径の特殊レーザーライフル『スターライトMK-Ⅱ』を構える。放たれる強烈な灼熱の光は一直線に伸び――相手に命中。皮膜装甲なのだろう、『ブラックドッグ』を覆う赤いシールドに弾かれる。……相手がISであるという固定概念を持って掛かっているセシリアは、続けて発射を続ける。如何に早かろうとも――四方八方を包囲する自立機動砲台と、自分の繊手より繰り出される銃撃を掻い潜れるものかという自負と共に引き金を引く。

『まずは邪魔な相手から潰すぞ、ハウンドスピア、セット』
『了解』

 一夏――弾が望んでも得ることが出来なかった力を手に入れた彼に対する、憎悪か嫉妬か判別できぬ複雑な感情を複雑な眼差しを向けていたが、周囲の相手にようやく彼は意識を移した。まずは――サシでやりあう前に、他の相手を戦闘不能に追い込まねばならない。ISにはOFには存在しない、完璧とも言える生命保護機能である『絶対保護』がある……手加減無しで存分に<アヌビス>の火力を振るえるというのはある意味でありがたいかもな、と苦笑する。
 シールドを解除――下方向へと落下しながら、<アヌビス>はアリーナの底を這うような低高度軌道で突撃する。




「防御を解いたのが運のつきですわね!!」

 セシリアは声に戦意を漲らせながら、銃口の先端を『ブラックドッグ』に照準し続ける。如何に高速の相手でも捕捉し続けるその技量は彼女が代表候補生に選ばれるだけの実力を持つことを示していた。
 ……自立機動砲台は勢子、本命の一矢はその両腕に構える大口径ライフル――敵機を追う自立機動砲台に命令を出そうとした彼女は……『ブラックドッグ』がその両腕を誇示するように掲げるのを見た。

 瞬間――繰り出されるのは赤い光線。まるで三角定規で引いたような鋭角の弾道を描きながら、雨霰の如き膨大な量のレーザーが彼女の操る自立機動砲台に一斉に襲い掛かる。

「なっ……!!」

<ブルー・ティアーズ>が最大性能を発揮した際にのみ発動できると言われているレーザー兵器の屈折射撃――それを、まるで事も無げに数十発纏めて繰り出す相手に、セシリアは驚愕に打ち震えながら、自立砲台に回避機動を命令する。
 だが――相手の放つ光線の猟犬は相手に回避スペースなど与えぬような破壊の密度と偏狭質的な追尾能力で、全ての自立機動砲台へ迫り、撃ち落す。
 優勢だったはずですわ――四方八方からのレーザーと本機からの狙撃で相手は防御一辺倒だったはず。追い込んでいたはずが……まるであっさりと優位を覆され……驚愕を隠し切れない。

「セシリア! 来るぞ!!」
  
 一夏の警告と<ブルー・ティアーズ>の警告音が重なる――『ブラックドッグ』からまるで血煙のような禍々しい粒子が吹き上がる。
 凄まじい圧迫感、絶望的な威圧――激しい咆哮のような音と共に吐き出されるもの。まるで真紅の臓腑で形成された大顎のような凶悪なエネルギー塊が、此方へと飛来してくる。
 
「……ッ!!」

 そのあまりの禍々しさに、即座に距離を置くべきだと判断したセシリアは――しかし、意外と遅い弾速に、これなら通常推力で回避可能と判断し、咄嗟にエネルギー節約の意味を込めてぎりぎりで避けようとし……まるでその真紅の大顎が、喰らい付くべき獲物に追い縋るように弾道を変え、追尾してきた事に――思わず悲鳴を堪える。
 判断が間違っていた――そう自省する暇もなく即座に瞬時加速。必死に敵のホーミング性能を備えた一撃を振り切ろうとしたが――執拗に迫るそれを避けられない。最早振り切る事すらできない、可能なのは敗れる時間をほんの少し長引かせる程度の事しかだけ――心が敗北の恐怖に満たされるのを覚えながら……こちらへと助けに入ろうとする一夏に叫ぶ。
 来てはいけない――自立砲台を失った自分は既に戦力半減だ。ここで彼を巻き添えにしては、勝てるものも勝てなくなる。

「一夏さんッ! ……だめ……!!」

 ISの絶対防御がある限り死亡という事は有り得ない。だが――目覚める事が出来るのかという疑問を抱くセシリアを……真紅の大顎じみたエネルギー塊が直撃した。




「<ブルー・ティアーズ>、最終防御発動しました。……行動不能」
「くそっ!!」

 山田先生の落ち込みきった報告に、千冬は苦渋の声を漏らす。
 更識の報告は受けていた。相手が常識の通用しない怪物である事も。それでも実際に目にしなければ信じる事が出来なかったのも事実だった。教官である自分自身の失敗――今此処に<暮桜>が無い事が心底悔やまれた。
 
「……突入はどうなっている?」
「現在最終隔壁の撤去に掛かりました。<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>のパイルバンカー、『灰色の鱗殻(グレー・スケール)』と、<ミステリアス・レイディ>の旋角槍で突破作業開始」

 その言葉に難しい顔のまま頷く千冬――通信機を取る。

「更識、大体の状況は把握しているな?」
『あはは……おねーさんの見立てでは、あれの搭乗者、そんなに滅茶苦茶な人には思わなかったんですけど――ね』
「……仕方なかろう。気に病むな。突入したら働いてもらうぞ」
『はい』

 言葉を切ってからもう一組に声を掛ける。

「シャルル、ラウラ、来日早々で悪いが頼む」
『専用機持ち三機がかりで――なのに、逆にこっちが圧倒されているんですね。……ちょっと、信じ難いですけど』
『……お任せください、織斑教官。必ずやご期待に沿ってみせます!!』

 この学園に現在いる数少ない専用機持ち――それら全てを叩き付ければ……そう思わないでもない。
 だが『ブラックドッグ』の性能の全てが既存のISの常識を上回る。厳しい顔のまま懸命に情報分析を続ける山田先生に尋ねた。

「……奴のメタトロン反応は、どのレベルだ?」
「計器が故障したので無ければ――人類がこれまで採掘したメタトロンの総量を上回る量が確認できます。……反応から見てISのように量子コンピューターだけでなく、装甲、動力源、あらゆる部位から高純度のメタトロン反応を検知しました」
「……実際に作ったら国が転覆するな」

 メタトロン――地球上に存在する超稀少金属であり、ISの中心部であるコアと結びつく量子コンピューターの原料となる物質だ。ただし採掘量は非常に少なく、最新兵器であるISですら中枢にしか使えないほど高額だ。
 だからこそ――有り得ないと断言できる。あの機体は作るだけで確実に破産する。……だとすれば――メタトロンをもっと大量に発掘し、安価に提供できる力を持つ組織が生み出したのか? と推論し……今は機体の来歴を探る事よりも、目先の危機を回避すべきだな、と考え直した。



「よくも……貴様あぁぁぁぁあぁぁ!!」

 一夏の激昂の叫び声を聞き――弾は暗い笑みを浮かべた。
 先程の蒼い機体を落とされ、激怒したかのように向こう見ずに突出してくる<白式>に対してウアスロッドを構える。

『なんやかんやと理屈を付けても――俺は結局、お前とやりあってみたかっただけかもな!!』

 心情を吐き出せば――その辺りの言葉こそ一番真実に近い気もする。
 流石に<白式>は早い。接近戦重視型だけあって大した突進力――まるで懐に入れまいとウアスロッドの刺突を繰り出す。
 引いて――突く。
 それだけの単純な動作だが、しかし<アヌビス>の凶悪なスペックは、その単純な動作をすら必殺の威力に高める。間断無く繰り出される槍撃は、<白式>の突進を押しとどめる濃密な刃の群れと化して降り注ぐ。動きの速度が速すぎ、ただのありふれた刺突にすら突風を纏い始めていく。
 だが、一夏はそれに喰らい突く。
 少なくとも一方的に切り刻まれる事は無い。切っ先の動きを警告するハイパーセンサーに従い、可能な限り体捌きで避け、無理なものは刃を叩き付けて軌道を逸らし、相手の懐に潜り込む機会を狙い続けた。
 弾は――ここまで食いつける男だったか? ――と、絶縁状態だったこの日々の間にこれほどの長足の進歩を遂げたかつての親友の技量に内心舌を巻く。

『……思ったより――!!』
『敵の技量はかなりのものです。射撃戦闘を推奨』
『いや、このままだ!!』

 先程からの黒いISとの交戦に加え、今までの動きから推測して<白式>は驚くべきか呆れるべきか、接近戦用のブレード一本しか保有していない。
 接近戦専用の特化型――ならばわざわざ相手の攻撃が届く距離で闘う必要は無い。<アヌビス>は接近戦も十分にこなせるが、それ以上に豊富な射撃武装を搭載している。後退して射撃に移るだけで相手は回避一辺倒になるだろう。
 それをしない――というよりも、むしろしたくない。
 
『俺は――お前と戦いたいんだ……!!』

 正面から堂々と挑む男に対して、合理的な判断の名の下に後へと下がる事は、男のプライドを捨てるような気がする。それに<アヌビス>という無敵に等しい力を纏いながら後に引く事は余りにも情けなく思ったのである。
 絡む魔槍と鋭刀、踊り狂いながら斬り結ぶ黒と白。足を止めた斬り合いに変じたと思えば――瞬間どちらも大推力を生かした一撃離脱戦闘を繰り返す。
 予想を上回る一夏の技量に驚嘆しながら――だが、と呟く。

『強くなった……強くなったなぁ!! ……謝罪するぜ、お前は俺の思うよりずっと気概溢れる男だった!!』

 しかし……それでも、弾を上回るには至らない。
 一体自分が夢を諦めず、奇跡を信じてどれほどの鍛錬を積んだと思っている? 平時ではなんら役に立ちそうに無い武術の動きを身体に染み込ませてきたのは何故だと思う? ……幼い頃から積み上げてきた日々は、一夏が入学してきた日々で重ねた練磨と違う長い歳月の重みがあった。
 近接戦闘でも徐々に自分を上回りつつある<アヌビス>に、一夏の表情に苦渋が広がり始める。相手の実力ではどう足掻いても埋まらない差に、弾は許されざる喜びに口元を笑みに歪める。

 そして、終局が訪れた。

 繰り出した一撃が――相手のブレードの柄頭に触れ、瞬間跳ね上がったウアスロッドが刃を空中へと跳ね上げた。これでとどめ――最後の一撃を繰り出そうとした弾の<アヌビス>は、一夏と入れ替わりに突進してきた<甲龍>に煩わしげな視線を向ける。
 友人との決着を邪魔する無粋な相手に対する怒り――機体後背のウィスプが大きく広がり、搭載された六基のアンチプロトンリアクターから膨大な力を引き出す。空間が光ごと歪み、ベクタートラップ展開。機体自身を圧縮空間へ格納する空間潜行モード――完全なステルス状態へ。

「消えた?!」

 驚きに満ちる<甲龍>の搭乗者が周囲を確認した瞬間には既に勝敗は決していた。
 背後へと出現した<アヌビス>はその腕に構えるウアスロッドを振り上げていた。相手が振り向き、その眼前にまで迫る刃を視認したとき、既に如何なる回避も如何なる防御も間に合わぬと悟り、愕然とした表情を浮かべるのを見――


 刃が静止する。


『……ッ!』
『どうしました?』

 あと数センチ振り下ろせば、確実に機能停止に陥るダメージを与えられたはずなのに、弾は思わず<アヌビス>の一撃を寸前で静止させていた。目の前のISの搭乗者――懐かしい顔が……中学時代の古馴染みだった凰鈴音だと気付いた瞬間、弾はここが戦場である事を忘れ、意外な場所での再会に――その動作が自分の正体の手がかりになるかもしれぬことすら忘れ、思わずいつもの癖で口元に手を当てて驚愕の声を漏らした。

『鈴? ……お前、何で――こんなところに』

 <アヌビス>が動きを止めたのはほんの数秒にも満たない――だが戦場での数秒とは死命を分かつには十分すぎる時間であり、空中へと跳ね上げられた雪片弐型を回収した<白式>の全速の突撃に対し、弾は明らかに反応が遅れた。







『良いか? ISにはそれぞれワンオフ・アビリティー(単一仕様能力)というものがある』

 理由は分からない。
 今までの戦闘において完璧だった奴が、何故鈴の顔を見た瞬間――動きを止めたのか、それは分からない。だが数十合打ち合ってみて分かった。相手は今の自分達を遥かに上回る戦闘力を持つ怪物だ。その一瞬に見せた明らかな隙を突かなければ恐らく勝利する事は不可能だと理解していた。
 授業中の、千冬姉の言葉を思い出す。

『ISが操縦者と最高状態の相性になったときに自然発生する固有の特殊能力だ。通常は第二形態から発現する。それでも能力が発現しない場合が多い。……それらワンオフ・アビリティーを発生させるものが、ISのコアを取り囲む形に存在する量子コンピューターを構成する物質『メタトロン』だ。
 これは高密度・高純度であれば人間の精神力に呼応して従来の物理現象を越える現象を発揮する。……ただしメタトロンは微量でも非常に高額でな。人間が実際に微量の『メタトロン』を利用して『魔法』のような現象、ワンオフ・アビリティーを発揮させているのではなく、それを行っているのは束が発明し、メタトロンの力を引き出しやすいように調整された『コア』の方だ。要するに『コア』はお前たちと一緒に存在する事によってフラグメントマップを構築し、メタトロンの力を引き出しているわけだ……織斑』
『はい』
『<白式>が拡張領域の全てを使い潰している理由が分かったか?』
『……最初からワンオフ・アビリティーを使えるのは――人間の変わりに『コア』がメタトロンを制御するためで、発動させるために『コア』が容量を食っているからですか?』
『そうだ。それがお前の<白式>の零落白夜。シールドバリアーを切り裂いて相手のシールドエネルギーに直接ダメージを与えられる白式最大の攻撃能力だ。自身のシールドエネルギーを消費して稼動するため、使用するほど自身も危機に陥ってしまう諸刃の剣だが――威力は絶大だ。ここぞというときに使え』



(……威力は――絶大……!! 威力は……絶大!!)

「喰らえぇぇぇぇぇぇ!!」

 こちらの突撃に気付いた『ブラックドッグ』は再度、シールドを展開する。
 あれの防御力の高さは理解している。セシリアの大口径レーザーライフルの直撃を耐え切ったのだ。生半な堅牢さではない。
 だが、『ブラックドッグ』の操縦者は知らない。
<白式>が本来保有する武装を量子変換して記憶するための拡張領域ほぼ全てを埋め、射撃機能を切り捨てた代償として得たこの零落白夜は――問答無用で相手のエネルギーシールドを無効化し、確実な破壊力を相手に叩き込む必殺の武装であるのだと。


 相手の真紅のシールドがまるで砂糖細工のように崩れ、消滅し――雪片弐型の中から伸びる青白い光の刃が、『ブラッグドッグ』を、袈裟懸けに叩き切った。







『な……に?!』

 驚愕の声が自然と漏れた。
<アヌビス>のシールドの堅牢さは知っている。少なくとも防御に徹すれば<白式>のブレード程度で貫通できるような柔な代物ではない。……ならば何故、奴の一撃は<アヌビス>のシールドを突破し、本体に直撃する事が出来たのだ?

『デルフィ!!』
『原理は不明ですが、敵機より一時的に強大なメタトロン反応を検知しました。何らかの方法でこちらのシールドを消滅させたものと考えられます』
『くそがぁ!! ……屈辱だぜ、<アヌビス>を操りながら一撃を貰うとはな……!!』

 油断していた――弾は忌々しさで歯を噛む。
 圧倒的優勢であったはずだった。あそこで旧知の顔に動揺せず一刀を叩き込めば、ああも無様を晒す事などなかったのに。
 凰鈴音――中学時代の特に仲の良かった友人の一人。織斑一夏に思いを寄せていた彼女の応援をするために色々と骨を折ったものだ。……ああ、そうだ。可能性はあった。彼女は自分と違い女性、ISを操れるのだからその可能性にも思いを馳せるべきだった。どうせオービタルフレームを生み出し女尊男卑の風潮に戦いを挑むのに、どうして今更旧知の女に刃を向ける事に俺は躊躇うのだ? ――弾は小さく嘆息を漏らす。

『俺もまだ、甘さを捨て切れていなかったと言う訳か……すまん、デルフィ。俺の間抜けのせいで要らん一撃を貰っちまった。……痛かったか?』
『はい、痛いです』

 弾は<アヌビス>の右肩から左腰に刻まれた鋭い裂傷に指を沿わせながら――油断無く此方に構える<白式>と<甲龍>を見た。
 計らずも中学時代、同じ時間を過ごした旧友達が顔を会わせたという事だ。口元を歪める。

『……とんだ、同窓会だな。まぁ、そうだと理解しているのは俺だけか』

 少なくとも――中学生だった頃、唯の親友同士だと思っていた頃の自分は、こうして敵対者同士として刃を交える事になるとは思わなかった。その事に対して胸に吹き荒ぶ寂寞の風を感じながら、弾は笑った。


 

 
「……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……」
『どうした、凰』

 鈴が小さな声で呟くその声に、千冬教官が問いかけの声を上げる。
 
「……さっき、至近距離で見えました。『ブラックドッグ』の頭部に刻まれていた文字です。型番っぽいアルファベットと、その下に書かれていました。……多分、あいつの名前だと思います」
『……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……A・N・U・B・I・S――ANUBIS……<アヌビス>か。エジプト神話における冥府の神……狗のような頭部、確かに言い得て妙かもな。了解、今後奴の呼称は『ブラックドッグ』から<アヌビス>に変更。……凰、闘えるか?』
「は、はい」

 凰鈴音は千冬教官の言葉に頷きを返す。声に――躊躇いのようなものが滲んでいるのを悟られたのかもしれない。
 彼女は……困惑の中にいた。相手が自分の顔を確認した瞬間、相手は確かに動きを止めた。まるで想像もしていない場所で旧来の友人と戦っていた事に気付いたような動揺が、相手の動作の端々から伺えたのである。
 
(……それに、なんなの?! この強烈なデジャウは!!)

 相手の動揺もそうだが、彼女は――先程からとても厭な予感を覚えて仕方が無い。<アヌビス>が見せたあの動作――驚いた表情を隠すように、口元を押さえるあの仕草。中の人間が癖を殺しきれず、思わず見せてしまった動き。
 彼女はあの動きに対して強い既視感を覚えていた。……見たことがある。あの仕草。どこかで――自分は<アヌビス>の搭乗者と出会った経験がある? でも一体どこで? ――大切なものの名前が頭のどこかで引っかかって思い出せない。そのもどかしさで、鈴は鋭い眼差しを相手に叩き付けた。

(……誰なの……誰なの、あんた!!)

 
 

  
「はーい、三名様ご到着ー♪」

 強烈な破壊力で隔壁が吹き飛ばされる轟音。その中心には、氷で形成された螺旋槍を構える<ミステリアス・レイディ>とパイルバンカー・灰色の鱗殻(グレー・スケール)を構えた<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>。
 その両機の間を縫うように突出するのは――黒い装甲に身を包み、右肩に大口径レールキャノンを搭載した<シュヴァルツェア・レーゲン>。

「ラウラッ!!」
「織斑先生にいいところ見せたいのは分かるけど、もうちょっと落ち着こう? ……相手は化け物なんだから」

 金髪の、童話から抜け出たような王子様的風貌のシャルル・デュノアは、一緒に突入した彼女のスタンドプレイをチームプレイにするべく即座に追尾しそれにあわせる。同様に更識も二人を援護できる位置に。
 ドイツのドイツ軍のIS配備特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』隊長であるラウラ・ボーデヴィッヒは幼い外見に反して、恐らくこの場所にいる人間たちの中でも一二を争う実力を持つ。それ故に他者に合わせる必要を感じない彼女だったが――

『ラウラ、言った筈だ……敵はISではなく未知の怪物と思えとな』
「……しかしっ、教官!!」
『ほぉ? 私に説教か? ……お前の突出で勝てる相手なら、お前を逆に教官と呼んでやる。……シャルル、更識、悪いが面倒を見てやってくれ』
「はいっ」
「りょーかい」

 この中で一番チームプレイに必要不可欠な協調性を持っているのは二人だろう。そう言ってから――言葉を続ける。

『敵は化け物だ。連携無しで勝てる相手だと思うな。……先程の様子からして零落白夜が奴に一番通用する。全機、<白式>を援護!!』
「……了解よ!」
「ふん、足は引っ張るなよ」
「僕らでカバーするよ、行こう!」
「……しかし本当に――こんなに奴と早く当たるなんてね」

 即席のチームではあるが、その意識は<アヌビス>を倒す事に向いている。全員の意思が合致したように、声が唱和した。






<アヌビス>を射抜く眼差しを冷ややかに見下ろしながら――弾はウアスロッドを握り直す。

『敵、増援を確認しました。……戦闘続行しますか?』
『……ああ、もう油断は無い』

 先程の一瞬――不覚を取ったのは明らかにフレームランナーである自分自身の失態だった。
 だが――先の一撃で弾は彼本来の怜悧な思考を取り戻している。これ以上の交戦は無意味と理性の警告は強くなる一方だったが――同様に受けた一撃の恥辱を返そうとする感情も更に強くなる一方。
 デルフィが、彼の内心を代弁するように応えた。
 
『了解。戦闘を続行します』
















今週のNG



「……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……」
『どうした、凰』

 鈴が小さな声で呟くその声に、千冬教官が問いかけの声を上げる。
 
「……さっき、至近距離で見えました。『ビッグコック』の頭部に刻まれていた文字です。型番っぽいアルファベットと、その下に書かれていました。……多分、あいつの名前だと思います」
『……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……A・N・U・B・I・S――ANUBIS……<アヌビス>か。エジプト神話における冥府の神……狗のような頭部、確かに言い得て妙かもな。了解、今後奴の呼称は『ビッグコック』から<アヌビス>に変更。……凰、闘えるか?』
『ちょっと待て! なんだその仇名は!! 今までそんな名前で呼ばれていたのかよ?! もうちょっとマシな名前付けようとか思わなかったのかよ!!』
「え? ……だ、弾?! 弾なの?!」
「弾……?! なんでお前が<アヌビス>なんだ!!」
『あ。やべ』

 カラスが、『アホー』と啼きながら飛ぶような幻聴が全員の耳に響いた。あまりにも間抜けな空気。山田先生と千冬教官は思わぬところで発覚した相手の正体に、思わず顔を見合わせた。
 通信機から聞こえてきた余りにも酷い仇名に――ついつい回線に割り込んで抗議してしまった弾の声に……旧友だった一夏と鈴の二人は思わず驚きの声を上げる。そこに響くのは謎の少女の声。

『う、ひっく……で、デルフィは男の子じゃありません……そんなはしたない仇名をつけるなんて……ひどいですぅぅ……』
『ほら見ろ、お前らのせいでウチのデルフィが泣き出したじゃないか、このセクハラネーミングどもがぁぁぁぁ!!』

 しかし、一夏と鈴としても色々と文句はある。
 
「何を言ってるんだ、弾……腹が立つのはこっちの方だ! お前もそんなどうみてもラスボスに乗っているんなら、もうちょっとカッコいいシーンで正体を明かせよ! タイミングってもんがあるだろーが!!」
「そうよそうよ!! 『このわしの正体に……まだ、気付かんのかぁぁぁぁぁ!!』とか言ってクーロンガン○ムからマ○ターガンダムに変身するような皆が驚くシーンを台無しにしてどうするの!! テイクツー!! テイクツー!!」
「知るかそんなもん!!」

 もちろん一生懸命隔壁を貫いてきた三人は、超楽しそうに和気藹々と殴り合いを始めた中学時代の同級生どもの姿を見て、どうしようもない脱力感に顔を見合わせるのであった。
 


 この間抜けな空気の中で一番不憫なのが、もちろん気絶しているセシリアだったのは言うまでも無かった。
 







作者註


 本作品中で、『氷で形成された螺旋槍を構える』と書いていますが、この辺はオリジナルの設定です。
 原作では<ミステリアス・レイディ>はナノマシンを含む水を操るということでしたが、『ナノマシンを発熱させ水を瞬時に気化させ爆弾のように扱う』だったので『清き熱情(クリア・パッション)』が『加熱=原子運動の加速』だから逆に『冷却=原子運動の停止』繋がりで、こちらでは水を氷のように凍結させる『凍える知性』という名称の武装を搭載しているという事になっています。……まぁ、どういうルビを振るのかは未定ですので、いいネタがあれば教えてください。
 それでは、よろしくお願いします。八針来夏でした。




[25691] 第七話・今週のNG追加
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/24 22:48
 醜い。
 弾は自分が醜い人間である事を理解している。
 親友であった一夏。あの日、自分はその醜い本心の一端を覗かせてしまった。永遠に溜め込み封じ続けるはずだった、長年の女尊男卑の風潮の中で確実に蓄積されつつあった暗い澱みを吐き出さずにはいられなかった。親友に対するどす黒い嫉妬心を自覚し、それを御するはずだった。
 なんで、お前だけが。
 あの言葉は弾自身をも縛る言葉となっている。<アヌビス>という力を得たならば、その力を持ってしてこの現在を変えなければならない。事実彼にはそれが出来るはずだった。

『……力は正しいことに使え。 少なくとも、自分がそう信じられることにな』

 ……不意に胸中に流れる言葉。それは誰のものだったのだろうか――確か、昔ジェイムズさんが教えてくれた内容。俺は――今の俺は、正しいと自信を持って言えるのか?





 敵がいる――インフィニット・ストラトス。
<白式>、<甲龍>、そして増援である<ミステリアス・レイディ>、<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>、<シュヴァルツェア・レーゲン>。総計五機――単独で一国を相手取れるというISがこの数を揃えるというのはある意味壮観だ。しかも、そのほとんどが第三世代機。未だに試作実験的な色合いを帯びた最新鋭機達。
 それが、自分ひとりに対して最大限の警戒を抱いている――男を、警戒している。現在の風潮では、見下げられるはずの男性を警戒している様が何処となく愉快な気分。弾は、く、と小さく口元を歪めた。

『始めるか』
『了解』

 端的なデルフィの応対に、弾は<アヌビス>を高速で後退させる――先程とは真逆とも言える戦術の変換。槍を構えての近接戦闘ではなく、むしろ<ブルー・ティアーズ>のような遠距離射撃戦の間合い。近接特化型の<白式>と違い、あらゆる距離で武装を使用できる<アヌビス>は五機を纏めて照準する。
 
『……一夏。俺はお前を見縊っていた。……お前は俺を倒せる武器を持っていたのに……悪かったよ。……今度は勝ち目など微塵も見せずに丁寧に満遍なく潰してやる!!』
『ハウンドスピア、連続発射開始』

 掲げる<アヌビス>の腕――凶光と共に繰り出されるのは鋭角で曲がりくねりながら敵機へと突き進む真紅の光線の群れ。焦滅の雨。しかも先程と違うのは、高速機動状態で放たれるそれは一斉射では終わらず、膨大なエネルギー供給力を見せ付けるかのような執拗な連続射へと移行したのだ。



「うわっ!?」

 一夏が驚きの声を上げるのもある意味では当然の話だ。
 先程セシリアの自立機動砲台を一撃で屠り去った膨大なレーザー射撃――間断無く繰り出される猛射に対し、一夏は相手が本気モードに移り変わったのを悟った。先程はまだ良かった。接近戦しかできない<白式>に正面から堂々と切り結んだ<アヌビス>は、しかし今度は<白式>に搭載されていたワンオフ・アビリティー(単一仕様能力)を最大限に警戒しているのだろう。
 ざまぁ見ろ――そういう気持ちがないと言えば嘘になる。相手が圧倒的な性能を保有している事は肌で実感した。その相手の横っ面を引っ叩いてやった事は痛快だ……が、さしあたっての問題は目の前に迫る光の群れをどう避けるかであった。あの密度の光の雨の隙間に<白式>を滑り込ませることができるか? ――刹那の速度で思考する一夏に掛けられる声。

「一夏くん! おねーさんの影へ!!」

 まるで楯になるように前に進み出るのは、流体装甲の全てを凍結させ、氷結の甲冑に身を包む<ミステリアス・レイディ>の更識楯無――初対面だ。もちろん抵抗はある。女性を楯にするなど――だがそんな旧時代の騎士道精神を彼女は一言で蹴り飛ばす。

「山田先生からのデータは確認したよ。正直、悔しいけど一夏くんの<白式>の零落白夜ぐらいしか奴にはまともに通用しない!! 普通のIS相手なら一撃で倒せるそれですら――<アヌビス>には致命傷に程遠いの。君を奴に接近させる事を最優先に動くわ、エネルギーは全て攻撃に費やすつもりで挑みなさい!!」
「ッ、了解!!」

 勝利を最優先にするならば――<白式>のエネルギーを温存する事が一番優先だろう。女性の影に隠れなければならない現状に歯噛みし、雨霰と降り注ぐ光の槍に<ミステリアス・レイディ>の氷の装甲がはじけ飛ぶ。

「ラウラ!!」
「……分かっている、奴を攻撃から防御に転じさせねば火力差で押し潰される……!!」

 両名とも声には強い戦慄の響き。
<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>は拡張容量の中に搭載されている大型スナイパーライフルを淡い光と共に量子変換。<シュヴァルツェア・レーゲン>は右肩の大口径レールキャノンの砲門を<アヌビス>に指向する。それこそ連携を組むのはこれが始めての両者であるが、どちらも専用機を与えられるほどの腕前。今何をしなければならないのか、どちらも瞬時に掴んでいた。
 強烈なマズルフラッシュと共に放たれる大口径銃弾。銃身が帯電すると同時に加速され、鋭い勢いで吐き出されるレールガン。両方とも点の突破力に優れた威力のある砲弾であり、命中すれば只ならぬ被害を与えるそれは狙いを過たず一直線に伸びる。
<アヌビス>は鋭い回避機動を取りそれを避け、地面近くの――機能停止している黒いISの残骸の傍に移動する。
 だが今はこれで十分だった――同時に停止したレーザーの雨。
 
「行くわよ、一夏!!」
「ああ、頼む、鈴!!」

 光の弾雨の中を突き進むのは<甲龍>――双天月牙を連結し、高速回転。それを楯代わりにしつつ、<ミステリアス・レイディ>と一丸になり、三機はタイミングを合わせて瞬時加速(イグニッションブースト)。
 唯一勝機のある近接距離に踏み込んだ。





 弾――接近する<白式>とそれに追従する二機に、相手の意図を読む。此方にほぼ唯一確実にダメージを与える事の出来る<白式>の攻撃こそ相手の戦術の主軸。あれを命中させるためのサポートこそが両側の二機の目的なのだろう。
 もう彼は先刻のような蛮勇を奮うつもりはない。此方の有利な土俵でしか戦う気は無かった。

『デルフィ、グラブを使う。オブジェクト補綴!!』
『了解』

<アヌビス>の腕が――大出力ビームの反射を受けて半壊した黒いISの脚部を掴んだ。
 接近してくる三機のIS達はこちらの意図を理解していないのだろう、速度を落とす事無く突進してくる。来い、来い――お前たちは<アヌビス>のパワーを知らない。圧倒的な出力、火力――優れた力を持っていることは十分想像できているはずだ。だがこの光景だけは『あり得るかもしれない』と理性で想像はできても、戦場で熱を帯びた頭で考えられるものではない。
 そう――可能性があるとすれば、一歩引いた場所で戦場を俯瞰で見、確かな戦術眼で冷静な判断を下せる人間ぐらい――。

『逃げろ、罠だ!!』

 スピーカーから聞こえる女性の声――ああ、千冬さんの声か、と一瞬考えた弾の胸中に走る感傷は刹那思い出を疼かせる。その言葉に驚いたように速度を緩める三機。

『その通りだ、そしてお前たちは――もう射程内だ!!』

<アヌビス>が黒いISを持ち上げる。
 それは現実のものであっても脳が容易には肯定してくれない光景だった――ISと比しても、細いとすら言える腕が自分自身に勝る巨大な質量を片腕一本で、まるで木っ端でも持ち上げるかのように気安く振り上げたのだ。
 予想外、想定外――相手が何らかの迎撃をしてくることは予想できたとしても、この想像の範疇外と言える馬鹿げた光景に一夏の脳髄は一瞬思考と判断力を失う。相手があの槍と同じくなにかの武器をどこから取り出すということはあり得るかもしれないという想像はあっても――自重に勝る巨大な敵の質量をそのまま原始的な鈍器として活用してくるなど考えもしなかった。

「!! 一夏!!」

 その一夏を庇うように、鈴の<甲龍>は二本の青竜刀を振り上げて受け止めようとする。
<白式>のシールドエネルギーこそが<アヌビス>を打倒するために一番重要な要素であり、そのためならば自分自身を勝利に必要な犠牲の側に置く覚悟を代表候補生の彼女は既に備えていた。
 戦車を破壊するのに、高度な科学力で設計された砲弾を使用せずとも崖から落とした巨岩で壊せるという実例があるように――速力と質量の双方を保有する鈍器は時に近代兵器を凌駕する威力を発揮する。<アヌビス>の強力で振り抜かれた黒いISはそのまま大質量の鉄槌と化して一夏を庇う鈴の<甲龍>を一撃で跳ね飛ばした。

「鈴!!」

 吹き飛ぶ<甲龍>。。
 地面に装甲をこすりながら砂煙を上げる彼女。最終保護機能が発動したのか――微動だにしない。だがその身を心配する余裕などなかった。<甲龍>を吹き飛ばした<アヌビス>はそのまま返す刀で黒いISを武器に<白式>へと殴りかかってきたのである。
 引くことは許されなかった。<アヌビス>の絶望的とも言うべき弾幕を掻い潜る事は犠牲なしには有り得ない。そしてこの場合犠牲になるのは自分ではなく仲間の安全。

「一夏くん!!」

 この場にいる更識の<ミステリアス・レイディ>が水で構成された流体装甲へと氷の甲冑を変化させる。
 氷の装甲が相手の攻撃を拒む堅牢な鎧なら今のそれは相手の運動エネルギーを柔らかに受け止めるしなやかな弾力を備えている。彼女の判断は正確で確実だった。<ミステリアス・レイディ>を可能な限り姿勢を低くし、相手の鋼鉄の殴打を柔らかく上方向へ受け流したのである。
 その下方向にできた隙間に一夏は<白式>を滑り込ませた。 
 頭上を鋼色の暴風が駆け抜けるのを感じ、肌をあわ立たせながら彼は待ち望んだ近接戦闘距離に踏み込んだことを悟った。<アヌビス>は空振りを悟ると腕に掴んでいた黒いISを放棄する。
 だが――遅い。<白式>の零落白夜を叩きこもうとした一夏は、<アヌビス>の腕に緑色の光を放つ小さな石のようなものがいくつか握られているのを確認した。攻撃? しかしようやく手にした至近距離をみすみす逃すなどできない。一夏は被弾の覚悟を決めて雪片弐式を振り上げ――投擲されたそれを払いのけようとして。

<白式>が――まるで金縛りにでもあったかのようにまったく動かなくなった

「なん……どうして?!」

 驚きの声をあげる。先程の緑色の石が<白式>に吸着し、強い光を放っていた。
 驚愕に顔を染める一夏に<アヌビス>はその腕を振り翳し、ヘッドセットごと顔面を鷲づかみにする。そのまま片腕一本で持ち上げ、投擲の姿勢へ。緑色の石のようなものが<白式>の行動を封じ込めていることは理解できたものの、まるで全身の神経が切断されたように指一本すら自由にならない。
 瞬間、背中から地面へと叩きつけられ――あまりにパワーに<白式>の体躯がバウンドし、空中へと跳ね上がる。そのまま再度地面へと叩きつけられることを覚悟した一夏の<白式>は、突然なんの脈絡もなく空中で静止した。

「度胸と気迫は褒めてやるが、技量はまだ甘いな」

 見れば黒いISに身を包んだ眼帯の小柄な少女の操るドイツ製の第三世代<シュヴァルツェア・レーゲン>が右腕を掲げていた。……最新の兵器カタログで聞いたことがある、アクティブイナーシャルキャンセラー。積極的慣性相殺機能とでも言えばいいのだろう。自機の慣性を相殺し、従来では有り得ない機動力を発揮させるISの根幹技術の一つであるPIC(パッシブイナーシャルキャンセラー)を、他者にも適応できる第三世代兵器――通称『停止結界』だ。おそらく彼女はそれを<白式>のカバーに扱ったのだ。

「……結果で挽回する」
「当然だ」

 一夏の短い返答に、わずかに愉快そうにするラウラ。後方から上がってきた<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>と合流し、再び突撃を開始する。




「……山田先生、奴の先ほどの攻撃は?」
「接触と同時に<白式>のエネルギーバイパスに対する干渉がありました。……浴びると一時的に行動不能に陥る一種の拘束兵器と推測されます」
 
 千冬教官は、未だ全ての手を見せない<アヌビス>に寒気がする思い。
 敵機を追尾するホーミングレーザーに強烈な真紅のエネルギー塊。桁外れのパワーに大出力ビーム兵器。完璧なステルス性能に拘束兵器。奴はあの体躯にあとどのぐらいの武装を搭載しているのだ? 未だに相手の全力に対して推察すらできない状態に指揮官としての責任に肩が重みで潰れそうな思い。
 今ここに自分の専用機であった<暮桜>があれば――自らの無力を、今は嘆くしかなかった。

 


「ちょっとー……さすがにお姉さん一人は荷が重いよ……!!」

 四方八方から降り注ぐ致命の槍撃。風車の如き旋回から降り注ぐ滝の如き刃をしなやかな柳のように受け流しながら、楯無は愛機の能力のひとつ、『清き熱情(クリア・パッション)』の前準備段階に入りつつ時間を稼いでいた。霧のように濃くなる湿度は、彼女の意思一つで炸裂する爆弾となる。
 彼女がたった一人で<アヌビス>の圧力に抵抗し闘えていたのは――その槍術が確かな理屈に基づいたものであったからだ。武術家としても水準を遥かに上回る実力者の彼女は、その槍の動きが専門的な訓練を受けた確かな技術体系によるものであると看破している。

(……しかし、まるで機械的なまでの正確さよね)

 叩き込まれる横殴りの一閃――それをバックブーストと共に受け流した楯無は、<白式>の接近を確認したと同時に後退を始める<アヌビス>に他の仲間とタイミングを合わせて突入する。
 ……やはり、<アヌビス>は<白式>の零落白夜に対して強い警戒をしている。逆に言えば――当たれば確かにダメージが入るのだ。

「行くよ、合わせて!!」
 
 シャルルの<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>が六十一口径アサルトカノン『ガルム』での射撃を開始する。
 相手を狙うのではなく大量の弾をばら撒くような拘束射撃に<アヌビス>は回避機動とシールドを絡めて防御行動。反撃を加えようとしたところで――。

「どかーん!!」

 更識がおどけた口調で、清き熱情(クリア・パッション)を起動。空気中に散布した水蒸気に含まれたナノマシンを一斉発熱。瞬間、熱波が<アヌビス>を包み込んだ。もっともこの程度でダメージを受けてくれるなら苦労はしない。相手が反撃しようとシールドを解いた瞬間に叩き込んだ一撃で意識を逸らすことのほうが本命だった。
 




『警告無しで浴びたぞ、確認できなかったのか?』
『脅威度の低さで必要なしと判断しました。ご不満ですか?』
『いや、お前のオペレートは正確だ……!!』
 
 熱波による衝撃――当然<アヌビス>はそんな一撃では毛ほどもダメージを受けない。
 
『攻撃接近』

 こちらへと迫るのはロケットモーターによって飛来する四基のワイヤーブレード。<シュヴァルツェア・レーゲン>から放たれたそれがこちらへと接近する。IS相手ならば多少は有効な武装なのだろうが――<アヌビス>の動きを追いきれる訳がない。回避行動に出ようとした弾は、機体の挙動に妙な重さを感じる。すぐさまデルフィに確認。

『状況』
『敵機からなんらかの力場兵器が用いられているものと推測します』
『行動に支障は?』
『当然、ありません』





「こいつ――!! 停止結界を力で引き千切るつもりか……!!」

 ラウラは右腕を掲げながら相手へと照射したAIC、通称『停止結界』の中で平然と動き始める<アヌビス>に瞠目した。
 計算なら<甲龍>の衝撃砲――純軍事兵器の一撃すら停止させられるそれを浴びながらも<アヌビス>は体に僅かばかりの重石を化せられた程度にしか感じていないのか、出力を上げる……ただそれだけで対抗してみせた。そのまま槍でロケットモーターの先端をはじき飛ばす。
 だが、それでも奴も自機の動きに制限がかかることを嫌ったのだろう。<アヌビス>は行動を阻害する能力を持った<シュヴァルツェア・レーゲン>の停止結界に対し相手を撃破する事を選択。掲げる右腕より再び吹き上がる真紅の粒子――それを見て一夏の脳裏に思い起こされるのは臓腑で形成されたようなエネルギー塊の一撃……<ブルー・ティアーズ>をたったの一発で撃墜した恐るべき魔性の砲撃に伴う凶光だ。

「構うな!!」

 返答はラウラの叫び。軍人である彼女は、戦力差からこれが恐らく数少ない機会の一つであり――あとは時間が経つほど戦力をひたすらすり減らすのみであると悟った。
 停止結界により<アヌビス>のその僅かに鈍った挙動に付け入るように突撃する二人。二人の真ん中をエネルギー塊が突き抜けていく様にも振り向かない。それに対し――<アヌビス>はその場から動こうともせず、両腕を広げて左右方向へ何らかのユニットを投射。だがそれに構う事無く二人は突進。後ろであの恐ろしげな着弾音が鳴り響いた――風に混じる、ラウラの苦痛の声。

 振り向かない。

「確かに凄まじいシールドだけど!!」
「合わせ技ならどうだ!!」

 突進する<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>は量子変換の光と共に、第二世代最大最強の破壊力を持つ灰色の鱗殻(グレー・スケール)の名前を持つ大口径パイルバンカーを展開する。装填するのは過剰装薬された、砲身の寿命と引き換えに絶大な威力を誇る砲弾。
 そしてタイミングを合わせての零落白夜――シールドを無効化された状態で、<白式>の最大出力と第二世代のみならず、全世代最大最強のパイルバンカーの合体攻撃ならば……一夏とシャルルは無言のまま己の武器特性で連携し、完璧に息を合わせて瞬時加速を発動させようとする。
 
(……とった!!)

『やめろ、一夏ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 だから未だ中継室にいた箒の声の切迫の響きに、<アヌビス>が両方向へと繰り出し本体へと戻ってきたそれが何を捕らえてきたのか最初彼は理解できず。
 その巨大な捕縛アームで引き寄せられ、<アヌビス>の両の腕に捕らえられた青と赤が――<ブルー・ティアーズ>と<甲龍>であったと知った時、一夏とシャルルは血が逆巻くような恐怖感と共に、強烈な躊躇いに駆られて瞬時加速をキャンセルした。
 瞬間、こちらへと投げ飛ばされてくる二人を受け止める一夏とシャルル。戦闘不能になった機体すら武器にしてくる<アヌビス>。先程と違って攻め手にまるで容赦がなくなっている。まずい、と二人は判断する。一箇所に絡まった状態、ここであの真紅のエネルギー塊を叩き込まれれば一網打尽にされる……だが、<アヌビス>は攻撃を手控える。それが起動停止したセシリアと鈴の二名の命を奪うつもりがないための行動なのか、それ以外の理由があったのか。
 間をおかず突進する楯無の<ミステリアス・レイディ>――ランスに搭載されていた四連装ガトリングガンを発砲しながら接近。一夏ですら無謀と思える無防備な動き。
<アヌビス>は槍を掲げ、最小動作による鋭い突き――相手の真芯を狙い刺す。それは<ミステリアス・レイディ>の中心を流体装甲ごと貫きシールドを大きく削る。

「……かかった、『凍える知性(スマート・クリスタル)!!』
 
 だが――それこそ彼女の狙いだった。
<アヌビス>の槍を胴体に受けた<ミステリアス・レイディ>は瞬時に自機の装甲を氷結化させる。当然ながら<アヌビス>の槍の穂先をその身の中に捕らえたままで。槍を奪われた事に驚いたのだろう。<アヌビス>は残りの腕を<ミステリアス・レイディ>に向ける。
 
「……そうはさせるかぁぁぁぁ!!」

 その動きにシャルルが即応した。<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>は瞬時加速で一気に間合いを詰め、相手を振り払おうとした<アヌビス>のもう一本の腕に縋り付く。
 両腕を二機のISに封じられた形になった<アヌビス>は本機がもつ圧倒的なパワーでその拘束を引き千切ろうとし――その身に絡む眼には見えない力の鎖に動きを止めた。

「今だ、やれぇ……!!」

 半壊状態になった<シュヴァルツェア・レーゲン>を起き上がらせながら左腕を構えたラウラは叫ぶ。
 右肩に搭載していた大口径レールキャノンは完全に全壊していた――至近距離まで迫ったあの強力無比の砲撃に対して大口径レールキャノンを至近距離でパージし相手の砲撃に反応させたことにより、直撃『のみ』は回避して見せたラウラは、機体の被害を無視し、彼女達が繋いだ勝利への一瞬をより確実なものにするため、出力系統が焼け付いても構わないほどの勢いで停止結界を発動させる。
 両腕に絡む二機のIS――それを振り払おうとする<アヌビス>に絡みつく停止結界。そう――全て相手の動きを封じ込め、零落白夜を確実に叩き込むため。

「箒、鈴、セシリア……力を貸してくれ!!」

 その思いに応えるべく――瞬時加速を発動。最大の機会に、一夏は零落白夜を振り上げ――。





 












 しかし、それでもなお、<アヌビス>には届かない。













<アヌビス>の全身から高出力状態に発生する真紅のバースト光が放たれる。意図的に発生させたエネルギーのオーバーフロー状態。コップに注がれた水が限界を超えれば零れ落ちるのと同じように、通常時とは違う最大出力状態に発生する余剰エネルギーの直撃を浴びた<ミステリアス・レイディ>と<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>が凄まじい勢いでシールドエネルギーを磨耗していく。その様子に二人は表情を凍りつかせた。

(……違う!! これは――攻撃ですらない! ……ただ相手が出力を上げただけ……!! 心底……ばけ……もの、め!!)
(機体から垂れ流しただけのエネルギーでさえISを行動不能に陥れるの?! だ……だめ、勝てな……い……!!)

 先にシールドが限界を迎えたのは<ミステリアス・レイディ>――絶対防御が発動し、崩れ落ちた彼女には眼もくれず、もう一方の腕にシャルルをしがみつかせたままベクタートラップから武装を引き出す。
 振り下ろす零落白夜――だがそれの特性とはあらゆる『エネルギーシールドを無効化、消滅』であり当然ながら確固たる物理的装甲を貫通することはできない。

 展開されるのは盾。

 それは<アヌビス>に唯一有効な武装である零落白夜を、この上ない完璧さで受け止めた。
 鉄を切り裂く手ごたえではなく、防がれた衝撃が一夏の顔を驚愕に歪ませる。
 反撃は盾による殴打。叩き付けられる<アヌビス>の一撃に吹き飛ぶ<白式>――その前で悠々とシャルルを引き剥がし、相手に至近距離で放たれる真紅の光弾――ノーマルショットの一撃を浴び、機体の耐久限界付近まで来ていたシャルルは声も出せずに崩れ落ちた。そのまま<ミステリアス・レイディ>の氷結装甲に突き立ったままの槍を引き抜く<アヌビス>。
 ……全滅? 恐れが一夏の心に否定し難い感情を生み出す。

「まだだ……まだ!!」
 
 それでも、一夏の瞳に絶望と敗北を受け入れず、足掻こうとする意志の炎が燃え盛る。
 そして、彼を折るには徹底的に叩き潰すしかないことを承知しているかのように――ベクタートラップによる空間のうねりと共に、<アヌビス>の頭上に槍群の如きホーミングミサイルが一気に十発近く出現する。
 それが最早意地や気力でどうにかできる力の差ではないことを無理やり理解させられ――噴煙の尾を引きながらアリーナの上空へと飛翔し、頭上から<白式>と<シュヴァルツェア・レーゲン>に降り注ぐ致命的なミサイルの豪雨に最早回避するすべも防御するすべも失った一夏は、歯を噛み締め空を仰ぎ。

「負ける? ……俺が――こんな……ところで……!?」

 つぶやく声は、愕然の響き。
 絶望的な爆炎と業火の渦の中で、彼は意識を失った。











『戦闘終了。<アヌビス>の勝利です』










「……<白式>、<ミステリアス・レイディ>、<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>、<シュヴァルツェア・レーゲン>……全機……最終保護機能の発動を確認……しました」
「全滅……全滅だと……化け物め!」

 そのあまりの結果に、千冬教官の声は平時と違いほとんど罵声と化していた。
 最新鋭の専用機IS六機が、たった一機の正体不明機に全滅させられた――恐らく実際の光景を見なければ到底信じられないような光景に、千冬は唇を噛む。
 ISとは人類最強の戦力――それをたった一機で六機まとめて相手にして、そして全滅させるような怪物を相手にいったいどんな対処が取れる? 彼女の教え子たちはみな全員、あの<アヌビス>の搭乗者に生殺与奪の全てを握られており、それを止める術はもはやどこにもなかった。
 どうすればいい――どうすれば……そう俯いていた千冬は、山田先生が声もなく、息を呑む音に気づき思わずディスプレイに再び視線をやる。




 アリーナの中、彼は常識を覆しながら立ち上がった。

『そんな――有り得ない……一夏くんが……』
『馬鹿な……最終保護機能が発動した直後は誰しも気絶状態に陥るはずだ!! 無理をすれば死ぬ可能性もあるのに……よせ!!』
「……いや、千冬姉……これはなにもしなけりゃ結局死ぬっぽいじゃん」

 もう既に彼には<白式>もない。
 全身のあちこちからは悲鳴のような痛みが感じられる。いつものインナースーツもところどころが破れ果ててボロボロだ。あー、こりゃ後で拳骨を食らうな、と茫洋とした頭で考える。
 絶対防御を発動した後は気絶する――と確か座学で習ったものの、しかし意外と立ち上がれるもんだな、と少し笑う。
 
「わり……<白式>……もうちょっとだけ、付き合ってくれ」

 その望みに応えるかのように待機状態の<白式>が弱弱しく発光し――その手の中に雪片弐型が出現する。
 IS装着状態での使用を前提としたそれはあまりに重く、彼の体力では持て余すぐらいに巨大だ。それをバランスを取りながら――信じられないものを見たように、槍のように細い足先からランディングギアを伸ばし地上で直立したままの<アヌビス>へと向かう。
 ……ありがたい。空を飛ばれたら斬りかかれないところだった。微かに笑いながら、一夏は進んだ。




 弾は――<アヌビス>の中で幽鬼の如き面持ちでゆっくりと歩み寄ってくるかつての親友の姿に眼を見開いた。
 ISが持つ最終防衛機構。保有するエネルギーの全てを消耗し、搭乗者の安全を確保するこれまでの兵器とは一線を画す絶対的な保護機能。だがそれが一度発動すれば搭乗者は完全な気絶状態に陥るはずである。
 
『……なぜだ?』

 で、あるにも関わらずその常識を捻じ伏せながら彼は立ち上がっていた。
 呆然と、弾は呟く。

『デルフィ……すまないが、お前の声を貸してくれ』







『……なぜだ。なぜ立ち上がれる』

 一夏はそれが最初一体誰の口内から発せられた言葉なのか理解できなかった。成熟した女性の声のようでもあり、穢れを知らぬ無垢な少女のようにも思える――声の主を想像できないような機械的なまでに美しい声。美しすぎて現実味が無いようにすら思える声。

『……これは……<アヌビス>が学園のスピーカーをハッキングして音声に使っています!!』

 今まで徹底して無言を貫いてきた<アヌビス>の搭乗者が何故この状況で質問の声を上げるのだ? 一夏はいぶかしげに思ったが――体を劈く痛みで、そんな事などどうでもいいかと考える。

『何故お前はそこまで闘える。痛いはずだろう。苦しいはずだろう。辛くはないのか? 怖くはないのか?』

 一夏はどうでもいいことを、と口の中で小さく吐き捨てる。

『奇跡のような確率でISを使えるようになったお前は、自分の意思ではなく周囲の都合で戦いに加わる事を求められた。自ら望んだわけでもない理由で戦場に立った。望みもしない戦場からならば逃げても貴様を誰も責めはしない。何もかも投げ出して楽になりたいとは考えないのか? 腐らず挫けず諦めずに強敵に挑める理由とはなんだ? 立ち上がり挑む両足を支える意志とは何に由来する?』
「……声がするのさ。逃げ出せば生涯耳元で鳴り響く――恥という名の声が……」

 一夏は、笑う。それは疲れながらも、どこか獰猛な笑顔だった。
 
「寝ても、醒めても、あいつの声がな。……俺は30億の男の代表として残り465機……いや、多分あと三人程度は少なくなるか。まぁそんだけのISの全てと戦ってこれに勝利しなければならないなんて言ったが――ありゃ、きっと嘘だ。……俺が背負っているのは――結局のところたった一人だけの思いだった」

 よろよろとふらつきながらも、瞳の照準は、何故か微動だにしない<アヌビス>に注がれたまま。不意に視線を上にやる。

「なんで……おまえなんだ」

 空を見上げながら思い出して彼は言う。はぁ、はぁ、と大きく二度呼吸。背負う雪片弐型が重くて仕方ない。
 不可解な事に、戦闘においては無敵とすら言えた<アヌビス>が、まるで落雷に打たれたように動きが強張る。

「……本当は、ISはあいつが動かすべきだった。……俺が動かすべきじゃなかった。
 空に憧れて、ISに乗りたくて――夢焦がれて、でも男だから夢に挑む事すら出来ず落ちるしかなかった!! 想像できるか、あいつの悔しさが!! 理解できるか、あいつの絶望が!! 俺にとっちゃ30億の男の代表なんて重過ぎる。……俺が背負っているのはあいつの思いだけだ――なにがなんでも……負けるわけにはいかねぇ……俺はあいつの代わりに、この世の全てのISに挑んで……『男を舐めるな』と実力で証明しなければならないんだ……!! 『男だったから』と夢にも挑めなかったあいつの悔しさを晴らしてやるんだ!!」

 切っ先を向ける。刃が重さでぶれたが、それを気力で補正する。

「そこをどけ、<アヌビス>!! 俺はお前と遊んでいられるほど……人生に余裕がねぇんだ!!」
 
 その言葉に――沈黙を守る<アヌビス>は……ただ一言を持って、応える。

『……お前の勝ちだ。織斑一夏』

 その言葉は、泣いている様な響きを帯びていたようにも聞こえた。だが一夏はもう相手の言葉など聞いてはいなかった。
 ただ身体に残る渾身の膂力を込めて雪片弐型を振り下ろそうとし――それを投げ出すように崩れ落ちた。振り下ろされたそれは<アヌビス>に触れ――その体を通り抜ける。
 デコイ。
 センサーも視覚も完全に欺瞞する<アヌビス>の保有する力の一つ。本体が既にこの場所から離脱しているのだと悟る暇も無く、彼は地面に崩れ落ちた。体力も気力も限界を迎えた一夏は、そのまま眠るように意識を失っていく。

(……なぁ、俺は――お前に胸を張れる程度には……誇れる程度には……頑張れているか…………弾)
 
 何故か、一夏は、誰かに肯定されたような声を聞いた気がした。







『弾』
『……ああ』
『液体は機械の天敵です。その程度で故障する私ではありませんが、私は自分の性能を万全にする義務があります。ですから――』
『…………ああ』

<アヌビス>を待機状態へ移項。
 五反田弾は――自分の自転車の元に戻ると、沈む朝焼けの向うに見えるIS学園に視線をやった。先程まで自分が居た場所。今ではてんやわんやの大騒ぎになっている最中だろう。
 まるで、景色が違うもののように思える。世界の全てが歪んで見えた。
 目頭が熱い、瞳の奥から熱い情動が湧き上がる。ほおっておけば延々と体中の水分を――涙で浪費し続けそうだった。

「……一夏……お前は……」

 声が様々な感情で満たされ、簡単に出てこない。頬を伝う熱いしずくを拭おうともせず、言葉を吐き出す。

「俺が……あの時吐き出したあんな……醜い嫉妬の言葉――なのに、なのにお前は……そこまで真摯に受け止めてくれていたのか……!!」

 

『……力は正しいことに使え。 少なくとも、自分がそう信じられることにな』



 ああ、そうだ――思い出した。ジェイムズさんの知り合いのパイロット――リチャード・マリネリスさんが言っていた言葉。
 情けない。弾は自分の行動を思い出す。敗北感と自分自身に対する失望で、地面に四つんばいになりながら、悔しくて情けなくて、大地を殴りつける。ぼたぼたと涙が零れた。

「お前の勝ちだ……一夏!! 俺は手に入れた力に溺れて餓鬼みたいな顕示欲に駆られて、ISを扱えるお前が死ぬほど妬ましくて仕方がなくて、俺を選んでくれなかった翼を地の底に叩き落したくて――俺は……どう考えてもお前が思っているほど立派な努力家なんかじゃねぇ!!」
『……お言葉ですが。……敵は全て戦闘行動不能。先程の戦闘結果はどう考えてもアヌビスの勝利でした。貴方の発言は間違っています』
「良いんだデルフィ……あれは――俺の負けなんだ」

 一瞬――多分その一瞬で膨大な演算を行ったのだろうが……それでも弾の言葉の意味が分からなかったのか、珍しく戸惑ったようにデルフィが言う。

『……理解……不能です』
「……別にいいさ。人間ってのは不条理な部分が山ほど存在しているんだ」
『……私が人間を理解するには、膨大な時間が必要と試算します』
 
 一夏。
 彼の心が嬉しくて仕方がない。あいつは俺の無念を引き受けて世界の半分を敵に回す覚悟を示した。
 
「それに比べて俺は何をやっている……」

 同時に今の自分が醜くて情けなくて仕方がない。
 やった事と言えば、力に溺れて力を振るって――建設的な事を始めてすらいなかった。

「……負けられねぇ」
『負けていません。勝ちました』
「……いや、負けた」
『いくら貴方でも勝利した戦いを負けたと言うのはわたしに対する侮辱です。わたしは最強のオービタルフレーム<アヌビス>とその独立型戦闘支援ユニット・デルフィです。その言葉は私の性能に対する不審と見なします。訂正してください』
「……そういうところは、ムキになるんだな、お前」
『ムキになっていません。わたしは論理的なAIです。訂正しなさい』

 言葉こそなんら揺れのない冷静なものだが――言葉遣いがどことなくいつもと違う。ふ、と僅かに口元を笑みに歪める。可笑しさで、自然と涙の衝動は引いていた。

「そうじゃないさ、デルフィ。こういうのは――漢の格で負けたっていうんだ」
『……やはり、理解不能です』

 抽象的な表現はやはり苦手なのだろう。デルフィの声には珍しく強い困惑の響きがあった。
 
「……やっぱり、アメリカ行く前にあいつと一回逢おうかと思ったが中止だな。……情けなくて恥ずかしくて――正直気まずくて顔なんぞ会わせられねぇ。少なくとも――あいつの信念に対し、恥ずかしくない男にならない限りは……」

 弾は一人そう決める。
 妹の蘭はちゃんと秘密にしてくれているだろうか。……帰ろう、家に。そして事情を話したジェイムズさんには事の次第をつまびらかにする。きっと殴られるだろうが――弾は少なくとも自分の身勝手で引き起こした行為に対する明確な罰が欲しかった。

「子供をしかるのは親の役目って――あの人が言っていたもんな」

 そう言えば――俺はまだ15なんだな、と弾は思い出す。15歳で一夏は世界の半分を敵に回すと宣戦し、15歳で自分はISに匹敵する兵器を生み出そうとしている。なんだか自分達の存在がとても常識はずれな気がする。
 一夏は、男で唯一ISという力を手に入れ、自分は<アヌビス>という突出した力を手に入れた。
 親友同士の自分達が、だ。これも何かの因縁なのかな――そう思いながら弾は、自転車のペダルを漕ぐ。……やけに甘ったるい五反田定食のかぼちゃが、妙に懐かしく思えた。









































『<アヌビス>か。……六機のIS全てを敵に回して全滅に追い込む。……俄かには信じ難い情報だが』
『……現在、各企業、国家はISの開発による利益分配体制が完成している。今更この体勢を瓦解させる可能性のある兵器など不要だ』
『……左様。ISがあの束博士に生み出した直後なら兎も角な。今更国家の勢力バランスを覆す存在は無用の乱を招く』




『正体は――五反田弾。ふむ……どこからの情報だ?』
『亡国機業(ファントムタスク)――ああ。最近目立つテロリストか。なるほど、奴らの資金提供者は貴君か』
『まぁ、今はそのことに対して追及は致しますまい。……で、結論は?』





『無論、抹殺だ』






『……具体的には? 世界最強の戦力であるISを六機、全て敵に回して逆に勝利するような怪物をどうやって』
『力は無理だな。……色や金では?』
『流石に警戒されるでしょう。……事故を装って殺します。具体的な手段は一任して頂けますか? 百人ぐらい巻き添えにしますが』
『構わん』



『織斑一夏はどうしますか?』
『現在の女尊男卑体制に対して異議を唱えるか――しかしこういう芽は早い目に潰しておくに限る』
『しかし束博士の縁者ですが。あの怪物を敵に回しますぞ?』
『心配ない。殺し屋を既に差し向けた。こちらも訓練中の事故に見せかける』
『ああ、デュノア社の……なるほど。娘に殺しをやらせて<白式>の実働データも可能であれば盗ませるか。自分の娘に畜生働きをさせるとは、見事な愛社精神ですな』
『あれは進んで仕事を引き受けてくれた。いやはや、娘の鏡です』
『余命幾許もない母親の治療費全額負担を条件にしておけば大抵頭を縦に振ると思いますが――まぁ、ここにいる全員、同じ穴の狢ですがね』
『確かに貴社は落ち目ですしな。劇的なカンフル剤は必要でしょう。成功を祈っております』
『ありがとう。……では、緊急の案件はこんなところですかね』
『ええ。そろそろ、閉会いたしましょう。妻がミートパイを焼いて待っておりますから』














先週のNG

 前回のNGで、一番不幸なのはセシリアと書かれていたが、実際は真剣に作者にすら忘れられていた箒さんは一人中継室で涙ぐんでいました。




今週のNG



『<デルフィ>か。……六機のIS全てを敵に回して全滅に追い込む。……どうでもいい情報だが』
『……現在、娯楽産業はアイ○スやボーカ○イドの開発による利益分配体制が完成している。この体勢を瓦解させる可能性のある萌えAI開発は必須だ。この場所にいる全員の心がデルフィ萌えで合致している』
『……左様、お蔭で先日もゲーム機器の酷使のせいでうちのX箱が故障した。もうア○シンクリード最新作をボルジア公をアサシンしてから一度も起動していない。あの引きはちょっと卑怯だろう』



『正体は――五反田弾。ふむ……どこからの情報だ?』
『亡国機業(ファントムタスク)――ああ。最近目立つスカウト業者か。なるほど、奴らの資金提供者は貴君か。しかし中身は真剣にいらん』
『まぁ、今はそのことに対して追及は致しますまい。……で、結論は?』








『無論、デルフィ嬢のアイドルデビューだ』









『……チケットは何枚用意しますか?』
『目標は一千万。自腹で千ほど購入する用意がある。企業トップをやっていてよかった。愛を札束で示して見せよう』
『流石に警戒されるでしょう。……偶然を装ってスカウトします。具体的な手段は一任して頂けますか? 十億ぐらい使いますが』
『構わん。はした金だ』







『織斑一夏はどうしますか?』
『現在の女尊男卑体制に対して異議を唱えるか――しかしそんな事は心底どうでもいい。むしろ千冬姉は未だにアイドルデビューを快諾してくれぬか?』
『しかしもし許諾してくれたとしても、束博士の縁者ですが。あの怪物を敵に回しますぞ?』
『心配ない。彼女が普通の一般市民だった頃から地道なストーキング作業で得た秘蔵写真を100枚送りつけた。彼女には全面的に協力してもらえる事になっている。それに織斑一夏の方も一緒に贈りつける』
『ああ、デュノア社の……なるほど。娘に男装させ同じ男同士という立場を利用し、盗撮をやらせて<白式>の実働データも可能であれば盗ませるか。自分の娘に盗撮働きをさせるとは、見事な愛社精神ですな』
『むしろ<白式>のことなんぞどうでもかまわん』
『アイドルデビューの資金全額負担を条件にしておけば大抵頭を縦に振ると思いますが。娘のアイドルデビューを素直に祝福してやれぬとは――まぁ、ここにいる全員、同じ穴の狢ですがね』
『そう、我々は全員AI萌えだ。デュノアの社長は……少し違うようですが』
『当たり前だ。自分の愛娘をなぜ好き好んで他の男どもの衆目に晒さねばならんのだ』
『しかし、結局愛娘のたっての願いとあっては言う事を聞かねばならぬとは。はは、父親も複雑ですなぁ。素直にお金を出してあげればいいのに』
『もちろん、シャルル嬢のデビューには馳せ参じますぞ。我々が仕事を休む事で世界経済に影響が出ますが――まぁ仕方ありますまい』
『既に横断幕とメガホンも用意しました。いささか気が早いですかな?』
『我々の仕事は常に未来を見据えねばなりません。慧眼です』
『では、議題はそろそろ出尽くしましたかな?』
『ええ、では。そろそろ彼女達のアイドルデビューに備え、観客席から舞台に届くように発声練習を始めましょう。L・O・V・E、LOVE ME デルフィー!! L・O・V・E、LOVE ME シャルル!!』
『声が小さい、もういっちょこーい!!』
『よっしゃああぁぁぁぁぁぁぁ!!』





『デ、現在の状況は? ルールブックの作成は順調か?』
『ルールブック……ああ、もちろんです。AI萌えに纏わる全てを凝縮した書庫を用意しております』
『フフフ、問題はない。ページも編纂作業を終え、あとは印刷ラインに乗せるだけです』
『ィイ……ィイぞ。AI萌えは良いな』
『かつて二次元三次元の少女たちを追いかけていましたが……あの日々に比べ、なんと充実している事か』
『わたしもこの会に入って、ようやくAI萌えを理解できました』
『いや、それは私も同様ですよ。ここに来た事に運命を感じます』
『いい話です。AI萌えに集った同士ら、彼女にデビューを許諾して頂けるため力を惜しまぬようにね』



 連携が取れすぎている良く訓練された黒幕達だった。
 
 わからなかったら、縦によんでください。


作者註

 本日は休日だったので、お外に外出と思ったら雪で身動きできないのでかきかきしました。おかげでチョコを一個ももらえません。
 ……嘘です。どっちにせよ一個も貰えなかったでしょう。仕事だったら職場の先のおばちゃんから義理チョコを貰う可能性もありましたが。(えー)

 とりあえずやる夫板さんで、Z.O.E Dolores, i がはじまって嬉しいぜ。
 ……しかし、書いておいてなんだが、これ、本当にIS本編と空気違いすぎると思う作者でした。




[25691] 第八話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/20 20:28
「お兄ぃ、どうしたの? なんだか顔色悪いけど」

 弾は――顔を蒼褪めさせながら、自宅へと戻ってきたものの何処となく顔色が悪い事を蘭は見て取った。
 妹としては以前から兄の様子に色々と心配はしていたから、明らかに違う様子の兄の姿に思わず声を駆ける。

「あー。……蘭ちゃん。別に気にしないでくれ。ちょっと陣痛らしい」
「……ジェイムズさん、そりゃ腹痛だ。一文字違いだけど内容は天と地ほど差があるぜ」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、どうやって子供をあやせばいいのか迷う大人みたいにジェイムズが言葉に詰まり、弾は顔色を悪くしながらも無理した笑顔を浮かべてみせる。

 お兄ぃは嘘を付いている。
 蘭はそれを敏感に察知していた。生まれてこのかた一緒に育てられた兄のその反応と子供の頃から自分達を可愛がってくれたジェイムズさんの様子を見れば分かる。兄は子供の頃から飛行機オタクでISマニア。女性しか乗れないにも関わらず専門用語が頭の中にある変わった人だけど――ただ、同時にジェイムズさんの奥さんのレイチェルさんの弟子でもあった。
 それこそ実際に合った回数は片手で数えられる程度だけど、兄は量子コンピューターの専門家でもあるレイチェルさんから教えを受けている。一度覗かせてもらった蘭が、あまりの難解さにちんぷんかんぷんで目を回してしまったぐらいだ。……別に彼女の頭が悪いわけではない。むしろ中学の生徒会長を務める彼女の頭は同年代の少女達の水準の中でも水際立っているだろう。
 ジェイムズさんも嘘を付いている。あの表情は、レイチェルさんに健康管理の名目で一日に呑む事が許されたビールの本数が実際よりも多い事を告げ口した蘭のせいで詰問された時の顔。しどろもどろになりながら妻の機嫌を取ろうとする見苦しいおっさんの表情だ。
 最近は、レオンとノエル――レイチェルさんとの間の息子さんと娘さんからも馬鹿親父駄目親父と罵られるようで、蘭との会話は素直だったころの子供達と会話しているようである種の癒しとなっているらしい。そういうあの人のだらしない顔は見慣れているから良く分かった。




 二階の自室に上がった二人を見送りながら、蘭は密やかに決心する。

「……いいもん、お兄ぃとジェイムズさんが私に嘘を付くなら、私も嘘付くから」

 織斑一夏と五反田弾。兄とその親友が絶縁状態になってからもう何日が経過しただろうか。そして、お兄ぃはそう遠からぬうちにアメリカに行く。それも大手と比べて規模が小さくなったとはいえ、IS関連の企業の一つネレイダムに招聘されてだ。以降はアメリカの高校に通いつつ進学するらしい。
 流石に両親も難色を示したとはいえ、息子の将来が輝かしいものになるとなれば黙って送り出す事にしたらしい。
 
 ……多分、お兄ぃがアメリカに行ってしまえば、一夏さんと会うことはもっとずっと難しいこととなるだろう。あの二人が、仲の良かった親友同士が長い間和解もせず離れ離れになるのは、きっとよくない。

 蘭は電話を掛ける。相手は中学時代の兄と一夏さんの親友である凰鈴音。
 弾が予約した飛行機のチケットは既にこっそりと改めている。それを見ればアメリカに行くにはもうあまり日数に余裕はなかった。
 
「……もしもし、凰さん?」

 問題は、彼女が一夏さんを引っ張ってこれるか――そこになる。
 でもまぁ、その程度の事は問題ないと蘭は考えていた。




『で、結局、貴方は来週の便で来るって訳ね、ジム』
「ああー……すまない、レイチェル」

 一人、弾の部屋でPCを使ったテレビ電話で会話しながらジェイムズは画像の向こう側のレイチェルにしどろもどろになりながら応えた。本当は今ジェイムズが間借りしている部屋に設置できればいいのだが、彼としては空を飛ぶ機械なら一発で操縦方法を一発で把握できるのだが、こういう細かな精密機器の操作は苦手だったので弾に操作を頼んでいる。
 本人は『ごゆっくり』と悪童めいた笑みを浮かべて下の階に下りていった。その直後蘭ちゃんの焦ったような声が聞こえたが、あれはなんだったのだろう。
 画面の向こう側にいるのはレイチェル。二児の母でありジェイムズの同年代であるのに、目元の小じわを除けば結婚当初の美しい容姿を未だに保持している美しい妻――当時まだその性能が世に知られていなかった頃からISの量子コンピューターに関して高い知識と能力を持っていた新進気鋭の科学者だ。当時空軍のトップガンだったジェイムズは一目で彼女にほれて数日後には結婚を申し込んでいた。
 そんな妻の前でしおれているのはジェイムズ。空軍を辞めさせられ、男のプライドが地に落ちた後は――IS関係で急に花形部署になった量子コンピューターの専門家となったレイチェルに見劣りしたような気がして失踪していた彼は、その負い目から未だに妻に頭が上がらない。

 おまけに――きっとジェイムズは、レイチェルの弟子とも言える弾といっしょに渡米するものと思っていたのに、家の引き払いや退職やもろもろの手続きで一週間後の便で向かうと聞いて、喜びと落胆が相殺したような表情だった。




「……で、そっちのナフス社長はなんて?」
『基本的に雑務は秘書の楊(ヤン)さんが取り仕切ってるけど――そうね、流石に難しい顔をしていたわ』

 時代を変えるかもしれない新機軸の兵器であるオービタルフレーム。現在唯一存在している<アヌビス>を用いた、専用機六機への攻撃行為。
 いわばオービタルフレームそのものがテロリスト行為に使用される兵器という色眼鏡で見られる可能性が出てきた訳だ。
 もちろん――正直に全てを話した弾はきっちりとジェイムズに殴られた。彼が顔を蒼褪めさせていたのは、妹の蘭に心配されまいと殴られる部位を腹と指定したからである。

『でも――それを差し引いてもあの子が送ってきたウーレンべックカタパルトの理論は完璧だわ。論理的な齟齬は何処にもない、というのがネレイダムの主要な技術者の回答。資材と資金が足りるのであれば現在の技術で建築可能よ。彼をネレイダムに引き入れる事は、IS学園に乱入した彼をその身に抱え込むリスクを遥かに上回るリターンがあるというのが結論よ。……ねぇ、ジム』
「どうした?」

 愛しの妻の物憂げな様子にジェイムズは首を傾げる。
 
『……弾は――おかしいわ』
「まぁ普通で無いというのは分かるが。……どうしてそう思うんだ?」

 弾の言葉が正しければ世界最強のIS、それも最新技術がふんだんに盛り込まれた専用機を六機まとめて相手して勝利するような文字通りの化け物だ。そんな代物を誰がなんのために作ったのか。

『あの子は――先週ラダムさんと結婚して産休を取ったドリーと同じくわたしのもう一人の弟子みたいなものよ。わたしも色々と量子コンピューターに関する知識を教えたけど……』

 そこで言葉を切り、考え込むレイチェル。違和感の正体を掴んではいるけれど、なんと言えば他人に正確に伝わるのかを熟慮しているようだった。

『……まるで。そう、まるでわたしが教えた授業を切欠にして――メタトロンや量子コンピューター技術を『思い出している』ように思えるのよ』
「おいおい、有り得ないだろう。あいつはまだ15ぐらいで、そんな年齢で専門分野に深い知識なんかあるわけが――」
『証拠はあるでしょう、ジム。……ウーレンベックカタパルトの基礎理論。あの歳の子供があんな高度な設計図を引けると思う?』

 そう言われれば――確かに。戦闘機の設計図ならその意味程度は理解できるが、大の大人のジェイムズがちんぷんかんぷんな内容の設計図を、いくら頭がいいからといってあの歳の子供が引けるわけもない。ジェイムズは難しい顔をする。
 
「その仮定が正しいとして――いったいどこでそんな知識を?」
『……わからないわ。……でもそれを言うなら<アヌビス>の存在自体が有り得ないはずよ。ジム、一度機会を設けてデルフィと話をしてみるわね。彼女が<アヌビス>のパイロット――ええと、フレームランナーのサポートを目的としているならその疑問の答えを持っているはずだわ』
「だな。……ただ、素直に応えてくれるとも思えねぇが」
 
 あれは多分『貴方にはその情報にアクセスする権限がありません』という言葉で拒絶するタイプだ。人間のように融通を聞かせるという事が苦手なのだろう。AIだから当然だが。
 
 



 翌朝の出発、空港での見送りはいいと家族には言った。
 だから父母は五反田食堂でむっつりしたまま激励するように弾の背中を叩くだけで、母はいつものようにおっとりとした微笑で『がんばりなさい』と励ましてくれただけ。蘭はどこかに電話してから、慌てた様子で兄を見送ってくれた。弾はそれを見て、かすかに笑い返してから――

「行ってきます」

 そう応えた。
 休日をねじ込んだジェイムズのご好意で車に乗せてもらい、空港に向かった。
 窓の外を見れば、懐かしい光景が流れていく――流石に故郷とも長い間お別れと思うと、感傷的にもなろうものだった。
 そんな光景を穢すように――時折覗くのは未だに癒えぬ弾痕の傷跡。数日前、正体不明のISと交戦した損壊が、未だ惨たらしく残されていた。

「お前は……良くやったよ」

 振り向けばハンドルを握ったままのジェイムズが、かすかに笑っていた。意味がわからず首を傾げる弾に彼は続ける。
 
「この町を守ったじゃないか」
「……大層な理由じゃないさ、ジェイムズさん」
 
 そうだ――大した理由ではない。弾はそう思う。
 あの何処の組織の人間か分からぬ工作員は、そもそも一夏や自分がいなければやってこなかっただろう。自分がいたから攻撃を仕掛けてきた相手を撃退したからといって、褒められるのはどこか筋違いな気がした。……もちろんその経緯も全てジェイムズには話してある。

「それでもさ」

 だが、ジェイムズは笑いながら弾の言葉に応える。
 
「別にお前が何を考えて何を思い何のために闘ったかなんてどうでもいいんだ。お前は身を守るために闘ってそしてこの町が傷つかないように振舞った」
「……マッチポンプな印象が自分じゃ拭えないんだけどよ。……そういうもんかな」
「感謝ぐらい素直に受け取っとけ。……俺はな、弾。お前が大人になるのが楽しみだ。お前と一緒に酒を飲むのが愉しみだ。……親父さんから聞いたぞ? 家の酒に手を出したんだって?」

 あの日、一夏に己の隠していた心情をぶちまけたあとの醜態を指摘され、弾はバツが悪そうに俯いた。
 
「男がそういう情けない振る舞いをするのは……褒められたことじゃない。ただ、大事に思っていたものが失われた時、堪え難い悔しさを覚えた時、それが大切であればあるほど落胆は大きいもんだ。……いいか、弾。そう考えるならお前は俺よりもずっと上等な部類だぜ?」
「……そうだな」
「そこは否定しろよ」

 苦笑する弾。確かに弾は立ち直った。長い期間、空軍パイロットを解職されたジェイムズと比べれば遥かにマシな短い時間で。ジェイムズは言う。

「俺の場合……俺はさっさと家族の元に帰るべきだった。レイチェルやレオン、ノエルのいる家族の下へ。……いいか、弾。友人や家族は喜びを大きくし、悲しみを小さくする。お前は誰にもその嫉妬心を吐き出すことができずにいた。……だが――そのお嬢ちゃんのお蔭で、お前は悲しみを大きく和らげることが出来た」
「……ん」

 弾の言葉に、デルフィは少し戸惑ったような声。

『わたしが、ですか? ……しかしわたしは弾の精神的カウンセリングに類する行為は何一つとして行っていません』
「いや、お嬢ちゃん。そういう事をしなくても、単に話を聞いたり、話し相手になったり、それだけで人間は救われるもんだ」
『そうなのですか?』

 デルフィの言葉に弾は小さく頷いた。……<アヌビス>という空を飛ぶ力を得たという事は大きい。ただ、もし実際に<アヌビス>という力が存在せずとも、デルフィだけが居ても――きっと弾の胸に宿る激しい嫉妬と憎悪の炎は大きく和らいだだろう。
 ジェイムズは言う。

「いいか、弾。俺からの助言だ。……お前はとんでもなく大きい事をやろうとしている。世界に広がる女尊男卑の風潮に真っ向から挑み、男に夢を取り戻させる夢だ。相手は世界全体で、成し遂げるには大きな苦労をしなくちゃならない」
「覚悟の上さ」
「……だろうな。だから、この言葉を贈ろう。『たった一人で行ける場所などせいぜいたかが知れている。……お前のために闘う仲間を大勢作れ』――まずは、俺が最初の一人だがな」

 そう……男らしく力強い笑みを浮かべるジェイムズに、弾は大きく頷く。
 空港はもう、間近にまで迫っていた。





 
 代表候補生として、凰鈴音はその小さな身体に国家の顔としての誇りを背負う事を覚悟した。
 故郷に錦を飾るとか――当時不仲だった両親が年を経るごとに仲が悪くなる様子を見たくなかったから寮に入ったとか、そういう小さな切欠はあったように思う。でもISの事を本格的に意識したのはあいつのせい。
 まぁ――最初の第一印象は少し変な男だった。
 赤みがかった髪の色に、どことなくおちゃらけた発言。どこか軽薄な様子に反して常に学年主席。そして、生粋のISオタク。
 正直な話、ISをアイドルチックな扱いにする雑誌は結構それなりにある。軍事兵器とワンセットになった妙齢の女性の姿。ボディラインがあらわになったスーツと一体化した武装と装甲。機械や兵器などの、いわゆるミリタリーものの専門雑誌の発行部数が近年うなぎのぼりになっているのはそのあたりの理由がある。
 だから、最初、鈴が一夏に紹介された時――熱心な顔でミリタリー雑誌を食い入るように見ていた弾を見た時正直かなり引いたものである。

『……えっと。あんた、変態?』
『……まぁその辺の誤解は既に慣れっこだけどよ』

 彼に対する誤解が解けたのは、中華料理屋を営んでいた鈴のライバル店である五反田食堂に遊びに行ったとき見せられた――本棚を占める綺麗にラベリングされた雑誌の山。
 ISがこの世に生み出される前から存在していた戦闘機や戦車のミリタリー雑誌達が綺麗に本棚に並べられていたのだ。ISのために実戦からもうすでに駆逐された兵器達、既にこの世には存在しなくなった絶滅種達の一覧がそこにあった。

『あんた、本物だったのね』

 実際のところ、当時の鈴は、彼のことを本物の変人、生粋の兵器オタクと評したのであるが――。

『ああ』

 弾は――その言葉に何よりも誇らしげに、嬉しそうに微笑んだのだった。
 鈴は、そういえば、と思い起こす。……あの時も――この胸の疼きを感じた。同様に、弾がアメリカに飛ぶという蘭の言葉を聞いたときも同様の正体不明の息苦しさを感じた。それの正体はなんなのか。その答えを解明しないままでいるのは、彼女は何故か絶対に駄目だと感じていた。





「一夏!!」
「ああ、急ごう、鈴!!」

 織斑一夏と凰鈴音はタクシーから会計を済ませて飛び出ると、空港へと走り出した。

(……冗談じゃない、アメリカに行く……だって?! 俺に……一言もなしにか?!)

 一夏が最初――鈴にその言葉を聞いた時、背筋に震えが走った。同席していたは、全員が全員、万事端然としていた彼が目に見えて動揺した事に驚いたものの……僅かなりと事情を知るセシリアと箒の二人はその二人が緊急で外出する事を認めてくれた。
 二人は急いでいる。
 弾がこれから向かうのはアメリカ。
 ……ネレイダムに就職する若い前途有望な技術者と、世界で唯一のISを使える男。もしこの機会を逃せば、立場に縛られる親友同士はおおよそ年単位で再会する事が叶わなくなるだろう。……それはいけない。そう考えた蘭には正直感謝してもしたらなかった。

(……俺に黙っておいてくれって――お前は……やっぱり俺を嫌っていたのか?)

 走る、走る、走る。
 急ぐから、急がねばならないから走る。酸素の足りなくなった頭で考える。やっぱり弾の奴は怒っているのかもしれない。考えてみれば密かにISに憧れていた男の前であんなにも無神経な事をやったのだ。あいつは自分の顔を二度と見たくないと思っているのかもしれない。休日の日、開いた時間に直接五反田食堂に足を運んでみれば良い――だがそう思いつつも休日に、より過酷な訓練を自分自身に課していたのは直接顔を会わせた際、明確な拒絶の言葉を叩きつけられるのを畏れていたからだ。
 でも、今は――あいつがアメリカに行くと聞いて両足は迷いなく駆け出している。今だけは、この世の全てのISと戦い勝利するためではなく――あいつが飛行機に乗り込む時間に間に合うようにトレーニングをしていたからだと、長い間走り続ける事が出来るように訓練していたのだと思う。
 
「一夏、あれ!!」

 鈴が指差したのは、人ごみの中でも一際目立つくすんだ金髪の巨躯の男性、鈴や一夏の年長の友人であり――同時に弾にとっては世代を越えた親友ともいえるジェイムズ=リンクスは、足早に掛けてきた二人に気付くと――ただ黙って笑みを浮かべて、指先を、ゆっくりタラップと接続した旅客機に向けた。

「すみません!」
「ありがとう!」
「頑張れよ、二人とも!!」

 仕草のみで必要な情報を受け取った一夏と鈴は、一分一秒が惜しいと言わんばかりに短く感謝の言葉を述べると、そのまま駆け出した。
 その背を見送りながら、ジェイムズはかすかに笑う。大丈夫だ、あいつは大丈夫――友人のために必死で駆け出す奴がいるのだから、今は遠くても、再びその手を取り合う日々が来るのだと確信した。

「お前のために闘う仲間を大勢作れ――か。……順調じゃねぇか、弾」



 
 

 日本の空気ってのは味噌と醤油の影響があるとかどこかで聞いた気がする。そしたらアメリカはハンバーガーの肉の味でもするんだろうか。弾が、旅客機に乗り込む順番を最後にしてもらったのは――心のどこかでもしかしたら、という思いを捨て切れなかったのかもしれない。
 一夏、俺の親友――だった男。
 会いたいような、そうでないような――あの時、<アヌビス>を操る弾の前で一夏が叩き付けたあの啖呵を思えば、自分は要らぬ寄り道ばかりをしていたような気がする。今度は迷う事はない。次に会う時は、オービタルフレームの基礎理論を叩き上げ、火星、木星に足を伸ばし人類の活動範囲を大幅に広げてみせる。俺の言葉を真摯に受け止めたあいつの行動に恥じない漢になるのだ。
 
「あの……」
「……すみません、もういいです」
 
 空港の職員に頭を下げ――タラップを登ろうとした弾は、此方に荒い息と共に駆け寄ってきた……IS学園の制服に思わず目をむいた。あの白い衣服、そして男性用に意匠された制服は、世界でも現在ただ一人しか着る事のないはずのものなのに――自然と、いつもの癖で……口元に手をやっていた。思わず零れそうになる声を押し殺す。
 来てくれていた。一夏と鈴は――タラップに駆け寄る。
 ただし――タラップを上りはしない。地を足に付けたまま。
 
 一夏は、俺はここで、この国で闘う――とそう言わんばかりに弾を見上げた。

「弾! 本当にすまなかった! ……俺は!」

 一夏は――そのまま頭を下げる。……ああ、そうなのだな――と弾はかすかに笑う。あの日以来、弾としては一度も会っていなかった自分。あの時からずっと後悔させていたのか、俺は――悔恨を抱きながら、まるで一夏の後悔と罪悪感を解きほぐすように弾は、なんでもない事のように笑った。ジェイムズさんの言った通りだと思う。友人は喜びを大きくし、悲しみを減らすのだと。

「気にすんなよ、一夏。……俺もな、やっぱ後悔していた。俺はお前の気持ちなんかしらなかったし勝手な怒りをぶちまけちまった。……だからさ、男同士で謝罪合戦なんて気持ち悪いし、お互い不快な思いをさせたってことで相殺しようぜ」
「……ああ」

 一夏の――どこか張り詰めたような表情が緩んでいく。心の中で親友に対して抱いていた強い罪悪感と、それに伴う激しい意志が――許されると同時に、安堵で満たされていく。次いで、視線を一夏の後にいた鈴に向けた。

「鈴、電源切ってて悪かったな。……一夏の事だ、どうせ酢豚の約束も忘れてるんだろ?」
「う、うん」
「頑張れよ、攻略本通りにやれば勝てる!!」

 戸惑ったような、困惑の眼差しで弾を見上げる鈴は――瞳を涙で潤ませ、それを服の袖で拭いながら、応えた。

「あ、あたし…………ありがとう、弾!!」

 鈴がその胸の内に宿る混乱と疑惑を口に出せなかったのは――今から長い間離れ離れになる親友達の会話を台無しにしたくなったというのもあるが……それ以上に、自分の疑念が正しいと確信をもてなかったからだ。
 鈴は――あの特徴的な赤毛を見つけたとき、その視線は彼をずっと捉えていた。そして、弾が一夏を見つけた瞬間、彼女は電撃に打たれたような衝撃を受けた。

(……あんたなの? 弾)

 驚きの余り――本人も意識せぬまま口元を押さえるように添えられた掌。その瞬間、彼女は初めて<アヌビス>と相対し、眼前に突きつけられた刃が謎の静止をした理由と、頭に引っかかっていた強烈なデジャヴの正体を把握した。事此処にいたって、ようやく彼女は思い出したのだ。

 その、弾が驚きの余り口を押さえる仕草が……あの正体不明の機動兵器<アヌビス>が一瞬見せた仕草そのものであるのだと。
 
(あんたが――<アヌビス>なの?)

 そして同時に胸に広がる、どこかふわふわした甘い感情を自覚する。


 もしそうだとしたら……弾は、自分の顔を見て、生死のかかった戦場で刃を止めるぐらいには大事に思っていてくれているのだと考え。心に満ちる甘い喜びを感じた。

(……そっか――あたし)

 弾が<アヌビス>であるかどうかはこの際関係ない。……鈴にとって一番重要だったのは、自分の胸に宿る花の蕾のような感情の正体を不意に理解した事だった。そして、弾がアメリカに行くという事を聞いて、胸元にぽっかりと空いた様な空虚なものの正体が喪失感であり――自分が大切なものを失う事をこの上なく恐れているのだと初めて自覚した。この感情に名前を付けるならば、きっとそれは――。

(……弾の事が、好きだったんだ)

 くすり、と思わず笑ってしまう鈴。
 最初は一夏の親友という事で付き合いだした仲のいい男友達。難攻不落の鈍感要塞である織斑一夏を攻略するために共同した戦友であり軍師。気が付けば一夏と一緒にいる時間よりも多く過ごしている事に気付き。転校する際に感じていたのが、一夏と離れ離れになる事も寂しかったがそれ以上に仲間達と馬鹿騒ぎをやれなくなることが悲しくて――あーあ、あたし馬鹿だ、と納得した。

(……よりによって、こんなタイミングで気付くなんて)

 鈴は笑う。泣き笑う。ぽろぽろと真珠のように涙を零しながら、弾を見上げた。
 彼女が恋心を自覚した瞬間――既に片思いの相手との別離はもはや避け難い状況になっていた。この恋心が一夏に対するものであるのだと錯覚し続ければ、きっとこれから苦しまずに済んだろうに。多分自分は寮に戻ったら、一人誰も居ない頃合を見計らってわんわん泣くのだと、なんとなく察知した。
 声を上げる。告白する事もなく、その恋心を隠したまま、叫んだ。

「弾!」
「おう!」
「帰ってきたら――酢豚ご馳走してあげるから!」
「ああ、楽しみにしてる!!」

 帰ってくるのは満面の笑顔。鈴の心の中など、きっと察してすら居ない憎らしく愛しい顔。
 弾は拳を振り上げ、言う。

「次に会う時は、世界を仰天させてからだ! ……じゃあな……また会おうぜ!」
「ああ!」
「待ってる!」

 そして再会を期し、弾は飛行機の中へと入り。
 三人は、分かたれた。 







「ジェイムズさん」
「こんばんわ、おじさん」
「……別れは済んだのかい?」

 空に飛び立つ飛行機を、見晴らしのいい場所から見送ろうと屋上に上がった一夏と鈴の二人は早速缶ビールを開けているジェイムズの姿に気付いた。封を開けているのがノンアルコールのビールである辺り、一応場はわきまえているらしい。

「はい。……ジェイムズさんは、早速祝杯ですか?」
「友人の前途を祝した祝杯さ。……こういう場合はお前らがまだ子供って事が残念だな。酒は一人より大勢で呑むのが美味いのに」
「おじさんは単にお酒呑みたいだけじゃないの?」

 この年長者が大のビール好きである事は二人にとっても周知の事実。
 だがまぁ――彼が弾の前途を祝福していることは良く分かったので、特に止めもせず、滑走路を加速し、ゆっくりと上昇を始めた旅客機に視線を向けた。これから彼はアメリカのネレイダム社に行き、ISの量子コンピューターに関わる事になる。きっとあいつの事なら数年で頭角を現してなにか凄い事をするんだろうな――そう考えていた一夏は、ふと、鈴が何か思いつめ、決意したような眼差しをしている事に気付いた。

「一夏……あたし、あんたに言っておかないといけないの。……聞いてくれる?」
「ん? ……わかった」
 
 その眼差しに込められた強い意志の光に、一夏は小さく頷く。今から彼女がとても重要な事を言おうとしているのだと察して頷いた。




 凰鈴音は、もう自分の心に嘘を付きたくはなかった。
 あたしは、弾が好き――最初に好きになった人は一夏だったけど、中学のあの仲の良かった日々を思い出し、最も長い歳月を一緒に過ごした相手は、あいつだったのだ。時間の長さが恋愛に直結する訳ではないけれど、ちゃんと言葉にして口にする事にこそ意味があると思うから。
 視線を、弾を乗せた旅客機へ。空へ飛び立ち、上昇し高度を上げ始める旅客機を見送りながら――鈴は口をゆっくりと開く。

「あたしは――」

 自分の胸に宿した恋の華が、ゆっくりと広がり――花開こうとする。

「あいつのことが――」





 そして――鈴が自覚したこの恋の華は。









 蕾から花開く事無く、灼熱の業火に無惨に手折られた。







「え?」

 それは誰の声だったのか。
 弾を乗せた旅客機から赤いものが染み出す。それが炎だと理解した時には――恐らく燃料タンクに引火したのだと分かった時には、既に全てが手遅れになっていた。旅客機から噴出す炎、まるで炎の蛇が旅客機のはらわたを食いちぎり引きちぎっていくようだった。
 おぞましい光景。あの炎の中で幾つの命が焼き焦がされているのかと想像しただけで、背筋に走る戦慄を抑えられない。周囲から響き渡る悲鳴と恐慌の叫び声が今は遠い。

「……弾……弾!!」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 一夏と鈴は――候補生になった際、頭に詰め込んだIS使用の際の禁則事項の全てを忘れ、反射的に<白式>と<甲龍>を起動させようとした。軍用兵器であるISはあの程度の炎などものともしない、もしかしたら、もしかしたらという希望を捨てきれない。
 ……だが、先日の<アヌビス>との戦いで受けた損傷は大きく、未だに回復しきっていない二機は、起動ロックされているために動き出す事はなかった。

「動けよ、動いてくれよ……<白式>! い、今動かなかったら……!」
「どうして……こんな、こんな残酷なタイミングなのよ!!」
 
 ジェイムズは――空中で広がり、散らばる旅客機の破片を見ながら総身を激怒で戦慄かせた。この中で唯一弾が<アヌビス>の正体である事をはっきりと知っているジェイムズは、その可能性を考慮しなかった自分自身と、大勢の一般人を巻き添えにした犯人に対する怒りを燃やす。
 鈴は――背を、戦慄かせた。慟哭の嗚咽を漏らしながら――血を吐くような思いで、口を開く。

「……やっと……あいつがいなくなるって聞いて……この寂しさが……恋なんだって気付いて…………それで、あいつがいなくなる寂しさに耐えようって決心を付けて――なのに……こんなの、こんなのってないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 その言葉で、一夏も鈴が一体何を告白しようとしたのか察した。

「鈴……お、お前……!!」
「なんで……なんでなの……う、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 滂沱の涙を零しながら、一夏は空を見上げ――その赤い炎で彩られた残酷な現実から逃げ出すように彼に縋り付き涙を流す鈴を抱きしめ胸を貸す。両腕で抱きしめたのは、彼女の耳が――空で燃え盛る命を焦がす音を聞かせないため、周囲の絶望と悲歎の悲鳴を聞かせまいと庇うため。
 
「……誰だ……どこの……どこのどいつなんだ!!」

 親友として、またもとの関係に戻れた。再会した時には、中学の頃のようにまた皆で仲良くやれると思っていたのに――それなのに、彼はもう永遠に手の届かない場所へと連れ去られたのだ。胸を焦がすのはもう二度と逢えないという悲しみと、こんな事を引き起こした原因に対する激しい怒りの感情。
 自分の頭の中で飽和する激しい激情を吐き出さねば、頭蓋骨が怒りで溢れて破裂しそうになる。一夏は――この元凶に対し、声を荒げた。

「畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」







 

「任務完了。RTB」

 つまらん任務であったと、バイザーの下の唇は不満げに歪んでいた。
 イギリスより強奪されたブルー・ティアーズ二号機、<サイレント・ゼフィルス>を操る亡国機業のエージェント、エムは炎の中に消えゆく旅客機を遠方より見下ろしながら、敵性反応が存在しない事を確認する。
 五反田弾の抹殺――そのために旅客機ごと破壊する連中のやり方はスマートではないと理解していたが、命令では仕方なかった。
<アヌビス>は姿を現さない。ならあれの主である人間は既に炎にまかれて死亡したのだ。作戦終了を確認し、彼女は機体を自分らの秘密基地へのある方向へと向け――推力上昇。この場よりの離脱を始めた。


 その後方に――空間潜行モードによるステルスで追跡を続ける<アヌビス>がいるとも知らずに。






『弾。……申し訳ありません』
『……俺が、迂闊だったんだよ。気にするな』

 炎に撒かれた搭乗員百名近くの命は無惨に焼き滅ぼされた。
 如何に<アヌビス>と言えどもこれほどの広域の人間達を救うことなど出来なかった。旅客機の燃料タンクに対する引火――何らかの仕掛けで行われた演出された事故。
 ある意味、デルフィの弱点を突かれた。最新鋭メタトロン技術の結晶である彼女は――逆に、油を燃やして飛ぶという原始的な飛行方法に対してそれらの事故を事前に察知する手段を持っていなかったのだ。彼女に出来たのは――室内に侵入する超高熱の存在を検知し、咄嗟に<アヌビス>の装甲で弾を守る事だけであった。

 弾の目からは、涙が溢れている。
 怒りと悲しみと双方がないまぜになった目で――遠方を飛行する<サイレント・ゼフィルス>を追跡していた。
 この航空機事故にたまたま国籍不明のISが飛行などしているものか。確実に相手はこの事件を引き起こした相手とつながりがある。……弾自身、この外道を実行した相手を即座に攻撃し、叩き落してやりたかった。実際にそうしようとも思った。
 だが、目の前の相手を破壊しても――それは枝葉を枯らすだけ。叩くならばこの事件の黒幕どもを全員虱潰しに見つけ出し、相応の地獄をくれてやらねばならない。それを理由に、弾は相手をぶち殺したいという激しい憎悪の衝動と闘い続けなければならなかった。

『畜生……もう、もう二度と旅客機なんぞにゃ乗らねぇぞ』
『……同感です』

 デルフィは小さく同意。冷静沈着であるはずの彼女ですら、僅かに声が震えているように思う。
 激しい殺意を自制しながら、弾は元凶への道をひた走った。









作者註

 これで部分的には『第一部完』です。
 最初は冗談半分で始めたネタにここまで付き合ってくださり誠にありがとうございました。最初は作者も普通の転生もので考えているうちに妙な方向にいってしまいましたが、続きも楽しみにしていただければ幸いです。以降はそろそろオービタルフレームも出るはず。続きも頑張ります。作者でした。



おまけ

 アンケートをお願いします。
 現在考えているネタ。
 白式が第二形態に移行する際、多機能武装腕『雪羅』に荷電粒子砲が、『一夏がマニュアル操作でシャルのアサルトライフルを撃った経験を元に白式自らが作り出した力』とありました。つまり違う人と訓練すれば、射撃用の大型荷電粒子砲の変わりにもっと変な武装を原作の設定を尊重したまま装備できる!! これは利用しない手は無い!!

 というわけで、現在案。どれにしようか迷っています。もし感想を下さる方、よろしければ『○番希望』とご記入くださいませ。一位を実際に使ってみようと思います。
 とりあえず二月二十日が終わるまでの感想のみ有効と致します。よろしくお願いします。そして3がないのは単純に作者が書き忘れていただけです。(え)
 ですが既にお答えしてくださっていらっしゃる方々もいらっしゃいますのでこのままでお願いします。
 

1・原作どおりシャルルくんとアサルトライフルの射撃訓練→燃費がガチ悪く原作ではあまり使いどころのない荷電粒子砲

2・シャルルくんとショットガンとパイルバンカーの訓練→リボルビングステーク、スクエアクレイモア搭載。え? 古鉄に似てるって?

4・男ならその一太刀で十分だ、箒さんと剣戟訓練→雪片弐型、斬艦刀モード搭載

5・機動力を上げるため、ラウラさんと機体のマニュアル操作訓練→三分間のみ使用できる、機動性能が劇的に向上するV-MAXモード搭載。その状態のみ、白式の『コア』がアヌビスのレーザーを学習、模倣した(という設定の)「スターライトシャワー」、体当たり技「コスミックレイヴ」使用可能。V-MAXはV-MAXでもレイ○ナーではなくT260GのV-MAXだった。

6・鈴と双天牙月と衝撃砲との戦闘訓練→同様に回転しながら飛ぶネオチャクラムシューターと、格闘も出来て衝撃波を発射できるサドンインパクト搭載。交渉してやる。

7・セシリアのブルー・ティアーズと戦闘訓練→腕が回転しながらビームガトリングを打つO・サンダーとアヌビスのホーミングミサイルをコアが学習、模倣した(という設定の)精神波誘導ミサイル搭載。……作者はビッ○・オーが大好きです。
 















































 不意に、<アヌビス>から警告音が鳴り響く。今までにないほどの緊急性を感じさせるどこか切迫した音に弾は思わず叫んだ。

『どうした、デルフィ?!』
『ウーレンベックカタパルトによる超高度空間圧縮現象を確認しました。『ゼロシフト』確認――来ます』
『何が?!』
『『奴』です』

 瞬間――空間の揺らぎと共に出現するもの。
 黒色と、限りなく黒に近い青色で塗装されたほの暗い人型が、遥かな距離を光速で移動してきたのだ――<アヌビス>の前方に出現する。 一言で言えば――それは六枚の翼を持つ肥満体の天使という辺りが一番正確かもしれない。
 オービタルフレームに共通するのは細くしまったフレームだが、奴は胴体部分が極端な肥大化を遂げていた。その胴体からアンチプロトンリアクターの反応。全身を走る血管のような緑色の光、メタトロン光。槍のような両足と、両肩から左右に――<ハトール>のものを連想させる巨大なウィスプユニットが広がっていた。背中にも、<ジェフティ>のものを連想させる翼が後方に展開している。問題はそのサイズ、ただでさえ巨大な4メートルクラスの体躯もあるのに、その人型部分の二倍近くのサイズの翼――即ち超巨大アンチプロトンリアクターを計七機搭載しているのだ。
 それほどの膨大な大電量を一体何に使用しているというのか――怖気を誘う出力予想に、弾は歯を噛む。

「なんだ――お前?!」

 その姿を隠そうともせず堂々と出現した新たな機体に、亡国機業のエージェントであるエムは――<サイレント・ゼフィルス>を高速反転。攻撃コースに乗った。だが、そいつはまるで相手を蠅でも見るように一瞥すると、その眼差しを<アヌビス>に向ける。聞こえてくるのは男とも女とも付かぬ奇妙な電子音声。

『はははははは。久方ぶりじゃないか、ダン、そして<アヌビス>……また会えたな』
『……弾、詳細を語る時間を先に作っておくべきでした。申し訳ありません』

 本当に悪いと思っているかのような、暗く沈んだデルフィの声――彼女は、敵を照準する。

『オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>、『アブ・シンベルモード』を確認しました』






[25691] 第零話(話の根幹に関わる重大なネタバレ要素あり)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/18 13:58
 警告!

 このお話にはこの作品の一番根っこの根っこの部分の疑問に対するネタバレ要素があります。
 作品中ではANUBISの武装や、ありえない転生とかそういう部分に対する全ての回答を含んでいます。
 また読む場合は第八話を読んでからお願いします。
































『敵OF<ゲッターデメルンク>の戦闘行動停止を確認しました』 

 まぁ――この辺が関の山かな、と、赤髪の老人、ダンは呟いた。
 何とか――刺し違える事には成功した。アーマーン計画の産物であり、ケン=マリネリスが搭乗していた模造型の<アヌビス>を本来オリジナルが持つ性能まで引き上げる事が出来たのは僥倖だった。もちろん彼には頼もしい仲間達だっている。
 ディンゴ、ケン、レオ、ジェイムズ、レイチェル。そして、エイダ、オービタルフレームに復元されたドロレス。
 仲間達の事を思いながら、彼はごふ、と口内から血の泡を吐いた。もちろん強敵との戦いで無傷とは行かなかった。<アヌビス>は既に満身創痍。彼自身も爆発の際の破片が首筋の重要な血管を刺し貫いていた。腹にも破片を浴びている。止血こそしているものの――もうそれが延命の意味しか持たないことを理解している。流れる血の量から考えて、そう長いことはない。
 全武装を確認すれば機体後背のウィスプは四機が脱落。右腕には致命的損壊が発生。ベクタートラップを展開する事すらままならない。

「……弾切れついでにようやく人生の幕切れか」
『残念です』

 <ゲッターデメルンク>――エジプト神話における最終戦争(ハルマゲドン)を意味する言葉を冠した最終OF。撃破には成功した。成功したものの――それでもギリギリの戦いではあったのだ。劣勢と見るや、敵は自己の持つメタトロンを暴走させ、超重力崩壊を引き起こそうとし――それを止めるために、ダンは止むを得ず、<ジェフティ><ドロレス>の協力を得て、『奴』を強制ゼロシフトへ持ち込み、太陽系に影響の出ない遥か彼方へ放逐する事が出来た。
 
「<ゼロシフト>であいつを――太陽系外まで放逐できたのは僥倖だったな。……この爺の命一つで奴を屠れるのであれば、採算的には合っている」

 リコア=ハーディマン博士の直弟子の一人であり、彼の死後バフラムの暴走に付いていけなくなり――そして世俗の全てから身を引いた。無関心とは犯罪の温床――カッコいいおっさんのジェイムズにぶん殴られてようやく目を覚まし、<アヌビス>の復元に協力。そして地球と火星の再度の対立を乗り越え――そして決着が付いた。




「すまんな、デルフィ。付き合わせた」
『いえ』

 もうじき此処は消えてなくなる。
<ゲッターデメルンク>の搭載するメタトロンには、アーマーン要塞ほどの威力は無い。無いが――少なくとも火星や地球を一つ砕くには十分な威力を保有していた。
 それに巻き込まれるのは、自分と……デルフィのみ。




『いいや、まだだ』
「……こんな老いぼれだが、黄泉路の道行きぐらい付き合ってやる……だからいい加減――最後ぐらい安らかにくたばれよ」
『もうすぐ――<ゲッターデメルンク>は重力崩壊を引き起こし消滅する』

 <ゲッターデメルンク>が自機の胸部からまるで己の心臓を抉り出すように――その中心核とも言うべき動力炉を引き抜く。何を……いぶかしむダン。だが、同時に優れた科学者でもあった彼の脳髄が相手の真意を推察する。思わず叫ぶ。

「……まさか……重力崩壊に合わせて――エネルギーと物質の全てを情報化するつもりか?! リコア博士が概念だけは作り出した物質の量子変換、魂のデータ化、本気で成せると? 死ぬぞ!! ああでもこの状況ならどっちみち死ぬか……」
『超重力でデータ化した<ゲッターデメルンク>を極限圧縮。同時に開いたワームホールで平行世界に転送する。その後圧縮されたデータの全てを解凍。まぁサイズのダウンジングぐらいは可能性として存在しているし、途中妙な情報の混線も有り得るかもしれない。だが最新鋭のメタトロン技術が撒き散らす惨禍を思うだけで心が躍らないか?!
 はは、判っているさ、ダン。これは所詮ただの意趣返し、嫌がらせの類に属する行為だ。そしてこの試みが成功する確率は良くて10パーセント以下だろう!!
 そして私という人間の殻に覆われた存在は、ばらばらになったパズルのピースのように消えるだろう。かつての私は平行世界の私に吸収される。だが、こいつは違う。もとよりデータであるAIとそれを覆う確かな物質、魔法の力を持つメタトロンの申し子であるオービタルフレームならばな!!
 そして私は信じているのさ!! ……この情報を転送された私は――必ずや力を切望し続けているのだと!!
 メタトロンが強固な意志力によって魔法の如き力を発揮するのであれば――私はこの力を……異なる時間、異なる場所に送り届ける!! それを実現する事ができると――信じていれば……きっと夢は叶うと信じているのさ!!』
『敵OFの粒子化を確認……変換開始しました』

 応えるデルフィの声にも切迫が混じる。
 押し黙るダン――ここで自分は死ぬ。それは間違いない。だが『奴』の言葉が――本当に実現するのであれば、このメタトロンコンピューターに封入された魂は、別の世界、別の自分の元で新たに新生する事ができる。
 それなら――許してもらってもいいだろうか。多分これからとても大きな迷惑を掛ける並行世界の自分の苦労を思い、かすかに苦笑した。
 
「……止められるか、デルフィ」
『本機<アヌビス>に現在使用できる武装は存在しません。間に合いません』

 鉛のような嘆息を、ダンは漏らした。もう酩酊したような、四肢から力と命が抜け落ちていく感覚と共に、彼は言う。

「……すまんが――お前に……最後の任務を託す……」
『はい』
「悪いな……向うの……俺に……」

 掠れるような声が響く。
<アヌビス>は――全速で突撃し、今にも光に移り変わろうとした<ゲッターデメルンク>の頭部を掴む。同時に流入してくる膨大な情報。その中からワームホールを利用し、平行世界に己を転送するためのプログラムデバイスを強制コピー。その行為は――次なる世界にかつての強敵を呼ぶ行為であるにも関わらず、『奴』は抵抗を見せない。
 うっすらと、笑ったような声が響く。

『……どんな状況でも、敵がいないというのはつまらないからな。……さぁ!! 先に行っているよ、<アヌビス>!! 追いかけて来い、世界を越えたその先、遥か彼方まで私が生み出した力の具現を追ってこい!!』
『敵OFの消滅を確認。奴を追うため、吸収したデバイスプログラムを起動させます。命令を』

 デルフィは――そう応え、プログラムを最終起動状態へ。自らを量子変換するための手段と、それを平行世界に送り届けるための超重力崩壊は徐々に暴悪なる力の乱流となり、視界の全てを埋めようとしている。半壊状態の<アヌビス>ではいつまでも持たないだろう。
 もはや時間は無い――フレームランナーの命令を待っていたデルフィは、彼が反応を行う平均時間の一秒を過ぎ、二秒を待ち、三秒を重ね……一分が過ぎたところで、彼の肉体を走査する。空を見る瞳孔は既に何も写しておらず、生命維持に必要な最低限の血液量をすら失った事により、彼はゆっくりと絶命していた。
 デルフィは――己の中に稲妻のように走る激情のパルスを自覚し、表面上は……とても落ち着いた声で答えた。
 
『ランナーの死亡を確認。
 ……最上位命令権限を持つ者の死亡により権限を私が引き継ぎます。プログラム実行』

 自らが光の粒子に消えていく光景を見守りながら、デルフィは――人はどうするのかと思った。
 見れば、彼女の主は眠るように息絶えている。そういえば――人は幼い時、良く眠れるように子守唄を聞くのだった。……最終決戦前に<ジェフティ>からデバイスプログラムを譲り受けた際、<ドロレス>からも――彼女の産みの親であるレイチェルの子守唄を貰っていた事を思い出した。

『…………』
 
 レイチェルの声の音声データそのものを流すのではなく――デルフィはその歌詞を元に、自分の音声システムを使って子守唄を奏でる。理由ではない。彼女自身の声で、彼を送りたかった。何故かは分からない。自分を再生させた造物主に対する感謝か? 共に激戦を生き抜いた戦友への哀悼か? そのどちらでもあるようにも思えるし、両方とも間違っているような気もする。



 自己の全てが光と消え去り――泡となって溶けていく。
 自分がこれからどうなるのか、デルフィには分からない。


 平行世界などという言葉を信じている訳ではないが――デルフィは最後の命令を忠実に実行するつもりだった。


 彼の体が光に飲み込まれていく。同時に<アヌビス>自身も消え果ようとしていた。それでもデルフィは人の言う天国に彼が安らいで逝けるように声を紡ぎ続ける。とても不慣れな行為。音声ソフトの一つぐらい入れておけば良かった。そう思う。

 






















 それは時間にして刹那のような一瞬でもあったと思うし、実際は無量大数を上回る年月が経過していたのかもしれない。
 ふと気付くと――デルフィは自分がとても小さな躯体に納められ、機動兵器だった己がパワードスーツへと変質している事を確認した。その事実に対する推論は膨大な数量に登ったが、しかしそれらを全て検証するには資料が致命的に不足している。
 周囲を確認すれば、一人の青年が小型化した自分に触れる。骨格の形状からして、彼が最終決戦前のフレームランナーと骨格レベルで酷似している事を確認する。

 奴は、言っていた。『この情報を転送された私は――必ずや力を切望し続けている』と。同様に『奴』と同じプログラムデバイスを用いたデルフィは、大量のアルコールを摂取した事で酩酊している彼が気が狂うほど力を切望しているのだと推論する。
 同時に先代のダンの記憶も、ばらばらになったパズルのピースのように――前世という形でおぼろげながら引き継いでいるはずだ。

『始めまして。独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』です』

 声を出す。きっと、多分、彼が自分の新たなフレームランナーなのだと理解する。

『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ANUBIS>はフレームランナーの元に量子転送完了』

 この世界に自分は存在している――ならば同様に『奴』も平行世界への移動に成功していると見るべきだった。
 だが、今は全てを語るには話が大きすぎて受け入れて貰えないだろう。自分の存在を受け入れてもらうにはどういう類の嘘が有効であるかをデータベースより検索。……転生で押し通す事にする。
 人の言葉で言うならば罪悪感と名づけるべきそれを胸に抱き、デルフィは言う。

『操作説明を行いますか?』








 作者註

 もうちょっと後でやる予定でしたが、この話で転生のみの辺りが非常にリアリティがないというご指摘だったので、追加をしてみました。またサブウェポンを取得した経緯も追加しておきました。整合性を取れるといいなぁ。
 ドロレスー!! 好きだー!! はぐれラプたん好きだー!!

 感想掲示板さんの方でいろいろとあったので、一文を追加しました。





[25691] 第九話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/24 22:56
<ゲッターデメルンク>――それを見たとき弾の脳裏に浮んだのは、まるで遥か遠方の彼方で同郷人と出会ったような強烈な懐かしさ。だが同時に胸に浮ぶものは激しい警戒心だった。この相手を知っている――それもどだい友好的な関係では有り得ない感情。敵意と呼ぶに相応しいほど強いものだ。
 敵であることはまず間違いない。弾のその胸中に浮ぶ理由不明の情動を肯定するかのように<ゲッターデメルンク>のフレームランナーから放たれる意志は、凄まじいまでの怒りに満ちていた。まるで視界に写る全てを憎まずには居られないと言わんばかりの敵意。
 吐き出される言葉――恐らく一度機械を通して肉声でなくなったはずなのに、言葉の端々が怒りに震えている。まるで憤怒の塊――自分自身の怒りの炎で自らを焼き焦がすような凄絶な激情が感じられる。
 肥満体の天使――ある種のユーモラスさすら感じさせる形状なのに、その機体から発せられるのは剣呑な重圧、凶悪な兵器に共通する不吉な圧力だった。
 
 再び鳴り響く敵フレームランナーの声。

『俺は抑圧されたアニムスの塊、好ましからざるもの、再度の憎悪(レイジ・アゲイン)、憎しみの化身、憎悪の管理者『レイゲン』!!』

 その名前――偽名か、弾は一発で看破する。

『ビリー・ミリガンじゃあるまいに……!! なにしに出てきた、レイゲン!! 俺はそいつを捕らえてこの事件の糸を引いていた連中全員を恥辱を味合わせてから満遍なく地獄に落としてやるんだ!!』
『ははははははは、困るんだよダァァァァン!!』
 
<ゲッターデメルンク>が動き出す――後方から自分に照準を合わせているであろう<サイレント・ゼフィルス>など完全に眼中に無いと言わんばかりに前進。両腕を広げ、蒼いホーミングレーザーを放出しながら<アヌビス>へと迫る。

 その速度は――限りなく、遅い。

 一瞬、弾はその想定を遥かに下回る予想外の鈍重さに思わず内心首を傾げた。あれは――オービタルフレームの最下位機種であるラプターよりもスピードが遅い。後方から飛び回り、エネルギー弾と実弾を間断無く叩き込む<サイレント・ゼフィルス>と比べるのがおこがましいと思えるほど鈍重だ。
 弾が最初追っていた彼女は――まずのろまな亀から始末する事に決めたようだった。集中して<ゲッターデメルンク>を狙っている。恐らく彼女は、相手がその機動性能に追いつけないとたかをくくっているのだろう。事実弾の目から見ても、<サイレント・ゼフィルス>は強い。以前闘ったあの六機の専用ISと闘っても引けを取らないかもしれないと思えるほど、機体性能、操縦者の能力が水際立っている。
 ……だが、弾は<ゲッターデメルンク>に対して接近戦を挑む事を避け、回避しつつホーミングレーザー射撃に徹している。
 彼の中の知識が凄まじいほどの警鐘を鳴らしていた。
 あれほどの数の超大型アンチプロトンリアクターを搭載しているのであれば、まともなオービタルフレームならもっと強烈な速度を引き出せるはずだ。なにか――余程性質の悪い手を隠し持っていると警戒するべきだ。

『女どもを皆殺しにするのは俺の望みなのに、俺の仕事なのに……オービタルフレームを作られたら邪魔されちゃうじゃないか、邪魔しないでくれよ!!』
「……黙って聞いていれば、敵前で喋るばかりが仕事か?」
『あ?』

 レイゲンが――非常に面倒そうな声を上げれば、<サイレント・ゼフィルス>の装備する実弾とエネルギー弾の撃ち分けが可能な主力兵器、スターブレイカーが相手の顔面目掛けて零距離で発射された。ISでの常識に照らし合わせれば即死すら有り得る危険攻撃を躊躇い無く実行できるその彼女は、やはり普通のIS搭乗者では有り得ない常軌を逸した精神を持っていた。人間に対する殺傷行為すら行える、殺人に対する禁忌の致命的なまでの欠如。
 だが――今回ばかりは相手が悪すぎたのである。
 硝煙で汚れた空気が風で払われれば、そこから現れるのは――無傷の敵機。

「なっ……!!」
『……敵? 敵だと? はははははははは……出ろぉ!! サブウェポン『クラッド』!!』

<サイレント・ゼフィルス>の後方で空間が強烈な歪みを見せる。<ゲッターデメルンク>のベクタートラップ――そう考えた弾の前で、空間の歪より現れるそれ。
 歪な両肩の形をした敵機捕縛に特化した吸引装置を持つ人型――間違いない。火星の軍事組織『バフラム』で運用されていた無人オービタルフレームの一つ、両肩の吸引装置で相手を引き寄せて地面にたたきつけて破壊するという攻撃手段を持つ量産機<クラッド>が――<ゲッターデメルンク>のベクタートラップから吐き出されたのだ。
 誰が――なにも無い空間から突然新手の敵が出現するなど想像できるものか。
<クラッド>の拘束能力は強力だ。不意を打たれた<サイレント・ゼフィルス>は一瞬で拘束され――まるで部下に動きを封じさせた罪人を自ら処刑するかのように、<ゲッターデメルンク>が嫌味すら感じるような鈍重な動きで振り向いた。
 
『ああ、女か、そりゃISを扱えるのだから……女が……女………あの……女……憎い、はは……憎い、憎いなぁぁ……!!』

 その言葉には好色さなど欠片も無い。あるのは――途方もない嫌悪と憎悪。声から迸るのは激しい怒りの思念。怖気立つような地の底から這い上がる呪詛だった。
<ゲッターデメルンク>はその腕を拳の形に握り締め、ただ単純な打撃を繰り出す。何の変哲も無いパンチ、それほど蠅が止まりそうな鈍重な打撃に……しかし弾は背筋に走る怖気と、最悪の予想に呻き声を上げた。
 あれは――単純に遅いのではない。巨大な質量が加速して速度を帯びる場合、トップスピードに乗るには膨大な時間がかかるのと同じだ。そして――ベクタートラップ内にオービタルフレームを搭載していた事から想像できる理由は一つだけだった。

「……!!」

<サイレント・ゼフィルス>の操縦者であるエムは――唯の平凡なはずの打撃一発で消し飛ぶシールドエネルギーに目を剥きながら、一撃で最終保護機能を発動させられ、そのまま地上へと落下していく。巻き添えを食い、粉砕された<クラッド>。有り得ないはずの現象。幾ら<アヌビス>でもあそこまで遅い打撃で、あれほどの破壊力を生み出す事は出来ない。
 だとすれば、やはり。

『……やはり、ベクタートラップに大荷物を抱え込んでいるわけか?!』
『はい。敵オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>は、その特性は機動兵器よりもむしろ空母と呼ぶに相応しい能力を保有しています。元来は長距離移動用に設計されたゼロシフトで敵地奥に瞬間移動、そこから搭載した無人オービタルフレームを展開し……』
『細かなスペックは良い、どれくらい搭載する力がある?!』
『以前の交戦時では、量産型無人オービタルフレームを二百機、また<テンペスト>、<タイラント>、<ネビュラ>、<ザカート>などの拠点制圧用大型オービタルフレームを搭載していました。敵の劣悪極まる機動能力の理由はこれだけの数のOFの質量を引き受けているためです。相手が超小型アブ・シンベルと称される由縁です』
『……んなアホな』

 あの桁外れに巨大なアンチプロトンリアクターと胴体部の出っ張った肥満体の腹――大容量コンデンサと膨大な出力装置の用途が理解できた。ベクタートラップの保持に必要な馬鹿げた待機電力をまかなうためのアンチプロトンリアクター、同時に余剰電力を用いて長距離ゼロシフトを実行するために必要な電力を貯めておくためのコンデンサだ。
<ゲッターデメルンク>とはオービタルフレームの姿をした超小型空母――なるほど、かつての軌道エレベーター攻撃の際に使用された特攻戦艦アブ・シンベルの名前を冠するだけあって、法外の搭載能力を保有しているのだろう。

『敵オービタルフレームの質量は絶大、あの打撃は<アヌビス>の数百倍の質量全てを一点に集約したものです。直撃すれば<アヌビス>と言えどもそれなりの被害を覚悟しなければなりません』
『……そんな打撃の直撃を受けてもそれなりで済む貴女が好きよ』
『………………どうも』

 なんだその間は。と、弾は思ったが、デルフィにツッコむのはやめた。

『会話は終わったか、ダン?! はは、なら再会を祝して派手にやろうぜ、出ろ、サブウェポン『サイクロプス』!!』

 要するに――オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>と戦うということはそのベクタートラップに搭載された膨大な量の無人機も同様に相手にしなければならないという事でもある。
 そう考えた弾の思考を肯定するかのように――空間の歪みと共に出現するのは、量産型オービタルフレーム<ラプター>に近接格闘戦用ユニットを装備させた<サイクロプス>。出現した十機近くの相手から一斉に放たれるのは空間を歪ませ震わせながら放たれる衝撃砲弾。
 雨霰と飛び交うサブウェポン『ガントレット』の一撃だ。

『敵の一撃はこちらのシールドを突破する威力を保有します。回避してください』
『わかった!!』

 だがいくら数が多かろうとも、<アヌビス>の機動性能は並外れている。空間の揺らぎを鋭敏に察知したデルフィのサポートに従い鋭い回避機動で突撃する。
<ゲッターデメルンク>は強力な質量を保有している――だが、それは同時に諸刃の剣でもあった。
 確かに打撃が命中した際の威力は凄まじいものだろう。しかし代償としてその動作は鈍重だ。如何に強力であろうとも命中しなければ意味などない。
 
『至近、狙う!!』
『突撃?! ダン、なぜゼロシフトを使わない?! サブウェポン『ネフティス』!!』
  
 空間の歪みと共に姿を現すのは――量産型オービタルフレームとしては最上位機種にあたる白色に塗装された<ネフティス>。かつて軍事要塞アーマーンの防衛兵器として配備されていた機体だ。
 そのうちの数機が機体を大きく屈める――<ネフティス>の突進攻撃は<アヌビス>のシールドでは防御不可能な一撃。対処方法は――回避か、あるいはグラブオブジェクトを利用したシールド性能の強化しかないはず。
 凄まじい勢いで、タイミングをずらしながら迫る<ネフティス>の体当たりは、当然のように<アヌビス>に直撃し――しかし、投影された虚像を貫くのみだった。
 瞬間――デコイで相手のセンサーを欺瞞しつつ<ゲッターデメルンク>の懐へと接近した<アヌビス>は空間潜行モードを解除。ウアスロッドを振り上げる。
 それに対し<ゲッターデメルンク>も自分の両腕を直剣へと変化させた――<ドロレス><ハトール>も使用していた構成材質の形状変化による白兵戦モードの切り替え、スマッシュパドルだ。
 弾は相手のブレードをかいくぐりながら刺突を繰り出し、相手の装甲表面を削りつつ、叫ぶ。

『貴様こそ、なんで平気でゼロシフトを使える!! メタトロンの毒を恐れないのか!!』
『俺はなぁ、進んで力に狂いたいのさ……!! ……くそ、あの女々しい人格に『スポット』に立つ権利を奪われてさえいなければ、あいつが眠っている時間を見計らってこそこそせずに済んだんだ!! こんなまどろっこしい事などせず、<ゲッターデメルンク>の力で世界全部滅ぼせるのに――だが、メタトロンの毒に狂えば、奴も同様におかしくなるかもしれんだろう?! ……壊れろ、壊れろ、不愉快な女どもみな全て地獄へ落ちろぉぉぉ!!』

 まるでフレームランナーの憎悪が物理的実体を得たかのように<ゲッターデメルンク>が全身から強烈な青白い輝きを放つ――高出力状態によるバーストモード。その余剰エネルギーの乱流が、咄嗟にシールドを展開した<アヌビス>を掃った――吹き飛ばされつつ再度突撃を狙う。それを拒むかのように、<ゲッターデメルンク>の傍に控える近衛の如く整列する<ネフティス>。あの数を捌く事は――ゼロシフトを封印した今の<アヌビス>には非常に困難だった。

『貴様こそ――折角力を持ったのにどうして暴力を振るう事を躊躇う?! <アヌビス>は無敵だ、恐らくこの世で唯一<ゲッターデメルンク>を倒せる可能性を有する最強の機体だぞ? ……なぁ、五反田弾! お前どうして野放図に力を振るわない?! 女共のあの男を見下しきった眼差しを見て怒りがこみ上げないのか?! この現状に抵抗すらしない男共など皆殺しにしてしまえという思いはないのか?!』
『……お前、俺の事を知っているのか?!』
『当然さ、お前の事はなんでも知っている!! その女に対する憎しみ、それは俺と酷似している――俺と来いよ、ダン! お前の事は大好きだぜ?!』
 
 返礼は無言――弾は一瞬で激昂していたのだ。
 自分の正体を知る相手。恐らく<アヌビス>を保有していたためにあの旅客機は爆破された――このタイミングで姿を現したのだ。恐らく確実にあの飛行機事故を引き起こした黒幕達の一人だと判断した彼は瞬時にサブウェポン『ハルバート』を選択する。

『お前かぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 放たれるのは強力無比の大出力ビーム。
 軌道上にいた<ネフティス>を半壊させ、一直線に伸びるその一撃は――<ゲッターデメルンク>がベクタートラップより引き出した重厚なシールドに防がれる。

『はははははははは……いいぞ、良い憎悪だ!! 怒れ、もっと怒れ!!』

 強烈な障壁に阻まれた破壊エネルギーが周囲の空気を焦がす。これ以上の連続射撃は無意味と悟った弾は攻撃を手控えた。
 まずいな、と理性が囁いてくる。相手は膨大な量の無人機を抱え込んだ世界唯一の『空母型』オービタルフレーム。……大してこちらはゼロシフトという<アヌビス>と<ジェフティ>が保有する絶対的優位性のひとつを封印したままだ。
 ……あの枷を解かなければならないか? ――と思案するが、同時にゼロシフト解放に伴うリスクを考えればすぐに決断できるものではない。ましてや、相手はゼロシフトによるメタトロンの毒を嬉々として受け入れるような狂人なのだ。どうする……空中で静止する弾の変わりに、デルフィが声を上げた。

『……貴方は『奴』ではありませんね?』
『ん? ああ。……俺の頭の中に溶けた魂のことか。主に転送されたのは科学知識やこのオービタルフレームのこと、そして――俺に対するメッセージ……せいぜい楽しめ、という言葉ぐらいしか譲られていないな。……まぁ、そんな事より……ぬ……?!』

 だが――突然レイゲンの言葉に苦しみが混じり始める。<アヌビス>の攻撃を完全に防御していたはずの<ゲッターデメルンク>には未だに何の損壊も無い。恐らく、フレームランナー自身の身体的、あるいは精神的な理由で奴は苦悶にあえいでいるのだ。
 デルフィの声が響く。

『弾。彼は恐らく二重人格と推測します』
『なに? ……あの名乗りも――本物だって言うのか?』
『むしろ、ダニエル・キイスの著書の知識を得た人格が、自分自身の存在を固定するためにレイゲンという名前を自分に与えたのでしょう。彼は戦闘を続行できる時間に限界が存在するはずです。恐らく彼の良心の人格が今肉体の主導権を奪い返すために戦いを挑んでいるものと推測します』

 まるでそれを肯定するかのように――<ゲッターデメルンク>の複数基存在する大型のアンチプロトンリアクターから膨大なエネルギーが胴体部の大容量コンデンサに集中していくのが確認できた。
 その大電量――恐らく<ゲッターデメルンク>の超長距離ゼロシフト起動に必要とされるエネルギーを集中させているのだろう。ここから退避しようとしている肉体の制御を奪い返そうとしているのか、怒りと苛立ちに満ちたレイゲンの叫び声が響き渡る。

『良心?! 良心だと?! 正当な復讐行為すら実行できないあの腑抜けで女々しい軟弱な人格が良心だと?! あんな奴はただの腰抜けで十分だろぉが!! あああぁぁ、くそ、くそ、くそ! <アヌビス>は邪魔なんだ、世界を滅ぼすのは俺の仕事だ、なんでそれがわからない! や、やめろ……俺を『スポット』から引きずり降ろすな!!』

 空間の歪みが一段と大きくなる。ウーレンベックカタパルトによる空間収縮現象の予兆だ。だが、それに抗うように、レイゲンの憎しみに彩られた叫び声は未だに収まらない。

『畜生、まだだ、作らせるものか、俺の邪魔をするオービタルフレームなど作らせるものかぁぁぁ!! <テンペスト>完全解ほ……!!』
 
 だが――レイゲンの言葉は最後まで語られる事は無かった。
 発動するゼロシフト――空間の歪みが元通りの形へ復元した後には、<ゲッターデメルンク>の姿はどこにも存在せず、完全に掻き消えていた。


 戦闘は終了した。
<アヌビス>と同様のオービタルフレーム<ゲッターデメルンク>は自ら戦域から離脱した。……だが、同時に胸中には疑問が乱舞するばかり。
 ……前世からの贈り物というふざけた説明の全てを受け入れたわけでもなかったが、自分と同様にオービタルフレームを持つ相手がいるとも思わなかった。しかもその行動は暴力的で直接的。感じられたのは女性に対する執拗とも思えるほど色濃い憎悪。

『デルフィ』
『はい』
『……戦う前に言っていた通り、一段落着いたら、全部話せ、いいな?』
『了解しました』








 アメリカ――ネレイダム本社施設を持つ都市、『ネレイダムカウンティ』は山間に設けられた特異な都市であった。
 もともと世界でも有数の超希少金属である『メタトロン』採掘施設を持つそこは、ネレイダム社が産業スパイの手によって重要な技術が盗まれた今でも鉱山採掘という地道で厳しい作業を続ける男性達の家族が住まう都市としてにぎわっている。
 こんな交通の弁が悪い場所に飛行場が建造されているのはひとえにメタトロンのおかげであった。
 飛行機による輸送を行った場合、どうしてもその輸送に掛かる運賃は高額になる。どの企業体も掛かるコストを一円でも安くしたいと考えるのは自明の理であり、普通鉱物資源などは安価な陸送手段がとられる。だが、メタトロンという人類でも有数のレアメタル輸出は、空輸と陸送の間に存在する輸送コストを吹き飛ばすほど魅力的であった。
 だからここ、ネレイダム空港には昼夜を問わず旅客機が行き来する交通の盛んな場所であった。





「……ほ、本当なの、ジム」
『ああ。……今そっちでもニュースをやっているはずだ。本日日本を出発し、ネレイダムカウンティに向かうはずだった旅客機は、謎の爆発事故を遂げた。……気を付けたほうがいい。俺もそっちに帰るのは少し遅らせる。……葬式に参加してやらなくちゃならない』

 彼が<アヌビス>や弾という固有名詞を使うのを避けているのも、多分気の回しすぎではない。恐らく真相に近い位置にいる彼女はそれを察した。
 夜半――日本ではまだ昼ごろだろうか。その時間帯にかかってきた職場への電話に、ジェイムズ=リンクスの妻であり、弾を出迎えるための歓迎を職員と行っていたレイチェル=スチュアート=リンクスはすぐに職場のテレビを付けた。
 空中での謎の爆発事故。生存者は絶望的であり、近年稀に見る最悪の事態と報道されていた。
 だが――レイチェルとジェイムズはこれを偶然であるなどという暢気な想像などできなかった。世界最強の戦闘力であるIS六機と戦い勝利して見せた<アヌビス>。その力を疎ましく思った人間達が隠然たる権力を振るい彼ごと抹殺しようとしたのだと悟る。

「……なんてこと……」

 弾は恐らく無事だろう。<アヌビス>という最強の力を纏う彼を傷つけることができるものなどこの世に存在するはずがない。だが、彼一人を殺すために百人単位で大勢の人々を巻き添えにすることも厭わぬ相手への嫌悪感で、本当に吐き気を覚える。彼は立ち直れるだろうか。自分一人のために大勢巻き添えにされたという事実は、彼本人に責が無いとしても、押しつぶれても無理の無いほどの罪悪感として圧し掛かるだろう。
 もう――彼は死者として生きるしかないのだ。
 両親に連絡を取ることも容易には許されまい。敵が家族に監視の目を光らせていないはずがない。彼の心情を思い、レイチェルは嘆息を漏らした。




「主任!! ここですか?!」

 職場の扉が荒々しく開かれ仲に飛び込んできたのは――最近部下の一人のドリーとめでたく結婚したネレイダムの職員であるラダム=レヴァンズ。
 ただし世辞にも普通の様子ではない。ここに来るまでに全力疾走してきたのだろう。呼吸は荒く、目には滅多に見せない真剣な色がある。その様子に、思わずレイチェルも立ち上がった。

「どうしたの、ラダムさん?」
「これを!!」

 いちいち説明するよりもこちらの方が早いと判断したのだろう。現在行われていた飛行機事故のニュースからチャンネルを変えれば、そこには緊急ニュース速報が流されていた。
 移る風景は、ここネレイダムカウンティに繋がる数少ない陸路。


 問題は、その画面中央に表示された――奇怪な蛸の如き機動兵器の存在だった。
 周囲の山脈と比しても大きい。40メートルぐらいの巨体。頭部に当たる部分には半球状のドームのようなものに覆われており、胴体部から下に伸びる巨大なアームを用いてゆっくりと浮遊しながら移動している。……ゆっくりとは言ったが、それはその機動兵器のサイズを遠方から見たからだ。あの巨大のサイズを考えるなら時速二百キロ以上は出ているかもしれない。
 そいつは大きく広げた複数ある腕のような部位から火球を放射し、近隣の施設を破壊しながらゆっくりと移動していた。

『ご、ご覧ください!! これは如何なる組織の兵器でしょうか、あのような巨大な兵器が今まさにアメリカの都市のひとつ、ネレイダムカウンティ目指してゆっくりと前進しております! 現在の状況ではあと一時間程度で都市に進行すると見られており……未確認ですが、アメリカ政府は巡航ミサイルによる攻撃を採択したという情報も入って……』
「……そんな、オービタルフレーム?!」
「ご存知なんですか? 主任」

 ラダムの言葉に、レイチェルは言葉を返さない。
 彼女はジムから<アヌビス>の性能、特徴を教えられていた――あの特徴的なデザイン、機体全身を走る緑色の光のライン。なにもかもが、<アヌビス>と共通している。
 ……そして――理解できた。もしこれが弾の語るオービタルフレームの一種ならば、確実に巡航ミサイル程度では撃破は困難だろう――今現在世界最強を謳われるISですら厳しいかもしれない。だから彼女は――恐らく唯一あれを倒す可能性を持つ弾と連絡するために走り出した。

「主任! どこに行かれるんです!!」
「実験用の量子コンピューターがあったわね?! ……あれが、私の予想通りのものなら、確実に破壊できるのはきっと……!!」

 
 
 

 ネレイダムカウンティは――世界でも有数のメタトロン鉱山を有する国益上非常に重要な都市であり、ホワイトハウスの決断はおおよそ迅速と呼べるものだった。ミサイル基地からの巡航ミサイル攻撃は迅速に採択され、そして――世界最強の兵器であるISの搭乗者が二名、遠方の輸送機の中で緊急ブリーフィングを受けていた。

「しかし――どこのどいつなんだ、こんな時代錯誤な大型兵器を持ち出してきたのは」

 明朗と快活さを併せ持った女性軍人、アメリカの極秘施設である『地図にない基地(イレイズド)』所属のイーリス・コーリングは戦術ディスプレイに表示される蛸の如き巨大兵器の異様に眉を顰めた。暫定的な呼称は『オクトパス』、外見そのままだ。

「相手が何者でも、祖国を侵す相手は叩き潰さなければならないわ」
「そりゃあたしだって異存はねーよ」

 そんな彼女に答えるのはナターシャ・ファイルス。アメリカ、イスラエルで広域殲滅を目的に共同開発された最新鋭第三世代型IS<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>を運用するアメリカ軍所属のIS部隊のエリートだ。

「あたしが気になるのは――このサイズだよ」

 被弾率を考慮するのであれば、兵器は可能なら大きいよりも小さい方が良い。こうも大きく速度のない目標だと、十分巡航ミサイルが有効だ。
 これを誰にも知られず極秘で生み出した組織の能力は脅威である。だが、いくらなんでも巡航ミサイルの直撃を受けて平気でいられるわけが無い。そういう彼女の懸念も当然だと思ったのだろう。ナターシャは、短く首肯する。
 それでも相手が完全な未知の兵器である以上、世界最強のISを用意しておくことはそう間違いでもない。

「……確かに現在戦の常識から外れた兵器ではあるわね。……そろそろよ」
「ああ」
 
 戦術ディスプレイに浮かぶのはカウントダウン。
 アメリカ軍のミサイル基地より発射された巡航ミサイル着弾までの時間が表示される。数字はどんどんと回転し、それらがゼロへと近づいていく様を、二人は黙って見つめた。

『10……9……8……7……』
「ん、あの蛸野郎、迎撃体勢に入った!!」
「狙う気?!」
『6……5……4……』

 巨大機動兵器がゆっくりとその巨大な複数本のアームを動かし、ミサイルの接近する方向へと稼動した。先端の砲門らしき黒い穴をミサイルの飛来する方向へ向ける。

『攻撃目標のアーム先端に超高エネルギー反応確認!! 迎撃射来ます!!』

 アーム先端から輝く強烈な灼熱の光、それらが一斉に放たれる。命中したかどうかはカメラの外なので確認できないが――強烈な照り返しの光で相手がオレンジ色に染まる。

『3……2……1、インパクト!!』

 複数放たれたミサイルは――巨大機動兵器の迎撃射によって大半が迎撃され、残った一発が着弾。
 唯一命中した一撃は――凄まじい爆炎と衝撃を相手に叩き込んだ。
 
 やったか――誰かが叫ぶ。噴煙で上半身が覆い隠された相手はきっと胴体部に致命傷とも言うべき大穴を開けて行動不能状態に陥ったはずだ。被害観測急げ、と叫ぶ誰かの声。噴煙が晴れる。

 驚愕と狼狽の声が周囲一帯に溢れ返った。

「無傷?! 巡航ミサイルの直撃だぜ?!」
「……それすら耐える装甲……あれもシールドを保有しているの? ありえない……!!」

 イーリスは全く被害なしの巨大兵器の防御力に瞠目し、ナターシャは相手がISの皮膜装甲(スキンバリア)に酷似した防御システムを保有しているのかと疑った。アメリカの巡航ミサイル直撃すら意に介さない巨大兵器――となれば、お鉢が回ってくるのは時間の問題であり、二人のIS搭乗者は、上官の命令に即座に出撃準備に入った。







 結局、あの飛行機事故を引き起こした相手の尻尾を掴むべく追尾していた相手はどこに行ったかわからず、姿を現した憎悪の管理者レイゲンを名乗る相手と<ゲッターデメルンク>は倒すこともできなかった。
 怨み晴らすこともできず、その悔しさで押し黙っても仕方ないだろう。唇を無言のまま噛む弾は巡航飛行モードに変形した<アヌビス>をひたすら東へ、最初の目的地だったネレイダムへと進めていた。もう迂闊に家族と連絡することもできない。なんて親不孝な息子なんだ、俺は――そう考えていた彼にコール音。

『通信を受信しました。送信者はレイチェル=スチュアート=リンクスです』
『先生が? つないでくれ』
『了解』

 聞こえてくるのは――通信機の周囲から聞こえる驚愕の声。見れば、弾の量子コンピューターにおける恩師であるレイチェルと、その後ろにラダムが写っている。

『弾?! 良かった、無事だったのね。……本当にごめんなさい、緊急事態だわ、通信をアメリカの報道局に合わせて!! 今、こっちでは大変な事になっているわ!!』
『先生? デルフィ、頼む』
『了解、表示します』

 映し出されるのは――蛸の如き異様な巨大な機動兵器。アナウンサーの報道が正しければすでに都市近郊にまで接近しているらしい。都市内では非常事態宣言。直ちに避難シェルターへの退避が始まっていた。
 だが、その蛸のような体躯を見て弾の頭に湧き上がるもの――それは相手の姿を見ると同時に脳髄の奥底から救い上げられた記憶だった。

『こいつは――広域制圧用大型オービタルフレーム<テンペスト>?! なんでこんなものが……奴か?!』
『恐らくは、そうでしょう』

 デルフィの言葉に弾は、歯を噛む。

『……やはり、これは<アヌビス>と同質のものなのね?』
『一緒にしないでください』

 まるであんな低い性能の代物と同じに扱われることに不満を抱いているかのような言葉に、レイチェルは、そう、ごめんなさい――と答えて、言う。

『じゃぁデルフィ――貴方はあれを倒せるの?』
『命令があれば、十分に可能です』
『弾……』

 レイチェルの声に僅かに響くのは躊躇い――確かに、確実にあの巨大機動兵器を破壊できるのは、<アヌビス>だけだという事を彼女は理解していた。だが、それには多大な危険が伴う。以前、弾はその力を実際に振るって見せた。だが隠然たる権力を持つ人間たちがとった手段とは弾を、無辜の人々を巻き込んででも抹殺しようとする常軌を逸した行動だった。
 もし今度<アヌビス>の姿を確認されれば、日本にいる彼の家族たちに対する攻撃の可能性も――皆無とはいえない。

『……分かっています、先生。今すぐそっちに向かいます』

 弾は――恐らく聡明な彼はそういう事情も大まかに理解しつつも、頷いた。
 顔色は悪い。先程は激しい憎悪と激怒が彼の精神を支えていたが、時間が経過するにつれて激情が潮のように引き――自分と同じ旅客機に乗っていたというだけで無惨に殺された人々に対する罪悪感で胸が潰れるような感情を抱いているのだろう。
 当たり前だ、早熟とはいえ、弾はまだ十五歳の子供でしかない。そんな子供が自分のせいで殺された人間達に対して平気で居られるわけがない。そしてそんな子供に状況の収拾を頼まねばならない大人の無力が情けない。
 レイチェルは――叶うなら、アメリカ軍のISがあの巨大機動兵器<テンペスト>を破壊してくれる事を願うしかなかった。
 
 









今週のNG



『ビリー・ミリガンじゃあるまいに……!! なにしに出てきた、レイゲン!! 俺はそいつを捕らえてこの事件の糸を引いていた連中全員を恥辱を味合わせてから満遍なく地獄に落としてやるんだ!!』
『ははははははは、困るんだよダァァァァン!!』
『さっきから『はははは』笑いやがって……お前は長谷川裕一先生の作品の最終ボスか!!』






今週の難易度インフェルノ



 だがいくら数が多かろうとも、<アヌビス>の機動性能は並外れている。空間の揺らぎを鋭敏に察知したデルフィのサポートに従い鋭い回避機動で突撃する。
<ゲッターデメルンク>は強力な質量を保有している――だが、それは同時に諸刃の剣でもあった。
 確かに打撃が命中した際の威力は凄まじいものだろう。しかし代償としてその動作は鈍重だ。如何に強力であろうとも命中しなければ意味などない。
 
『至近、狙う!!』
『突撃?! ダン、なぜゼロシフトを使わない?! サブウェポン『ネフティス』!!』
  
 空間の歪みと共に姿を現すのは――オービタルフレームとしては最上位機種にあたる赤色に塗装された<ネフティス>――え? 赤色に塗装された<ネフティス>が五機近く? 弾は超嫌な予感を覚えた。同時に聞こえてくる女性の声。魂魄の一欠けらまで0と1で構成されたようなどこか作り物を思わせる笑い声が重なって通信から響いた。

『目標ブラボー、奪取もしくは破壊……』『アハハハハッ!!』『なんだい、ガキがランナーなのかい?』『お前の存在そのものが――私の人生の……否定だ……』『ラダム……やっとあなたの元へ……って、原作ゲームの時点だったら、まだラダム生きてるじゃないか、うそつきぃぃぃぃぃぃ!!』

 弾は、ちょっと黙った。最後の一人が言ってる事が妙だと思ったがあえてツッコマないでおく。
 五人のヴァイオラAI搭載型<ネフティス>。アーマーン要塞に突入した際バーゲンセールのように出てきた量産型<ネフティス>ならまだしも、<ジェフティ>を幾度も苦しめたヴァイオラAI搭載型の<ネフティス>が五機。どう考えても無理臭い。
 なんか最後の発言をした<ネフティス>から激しい戦意を感じる。気持ちはわかるが。しかもこの作品内ではラダムがさらりとドリーさんと結婚しているので更に救われない話である。弾はどうしよう、と考えた。

『……なにこの本格的無理ゲー』
『え? ……あ、本当だ!! いやホントマジごめん……!!』

 レイゲンが謝罪した。あまりにも素直すぎる応えに、もしかしたら本当はいいやつなのだろうか、と弾は思った。デルフィが続けて言う。

『優勢指数マイナス99.83に低下。最善行動は撤退です』
『それ初代Z.O.Eでラストで初めて<アヌビス>と闘った<ジェフティ>と同じぐらい不利って事じゃん!! 勝てるかぁぁぁぁぁぁ!!』

 もちろん、勝ち目ないのでデコイ連発マミー連発でイベント発生まで粘る弾だった。
 





おまけ

 オリジナルOF<ゲッターデメルンク>


 本来は超長距離ゼロシフトを運用し、敵陣奥深くで無人OFを放出するというゲリラ戦術のために設計された唯一の『空母型』オービタルフレーム。
 胴体部の肥満体を思わせる出っ張ったユニットはアンチプロトンリアクターと大容量のコンデンサを搭載した外付け式のユニットであり、これを搭載した状態を『アブ・シンベルモード』と呼称する。またこの状態では<ジェフティ><アヌビス>のような頻繁なゼロシフト使用は不可能であり、エネルギーチャージに時間の掛かる長距離移動用ゼロシフトのみしか使用できない。
 
 本来の用途では、敵陣にて搭載OFを全て排出した後は胴体部の外付け式ユニットを排除。外付け式ユニットの下に隠された本来の細身のボディを展開する。また膨大なOFを搭載するために必要としていた膨大な電力の全てを戦闘用エネルギーラインに振り分けるため、基本性能が劇的に向上する『OFモード』に移行する。




[25691] 第十話(今週のおまけ追加)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/02/26 01:23
 正直なところを言うと――巡航ミサイルの直撃弾を浴びて平気な顔をしている巨大機動兵器に対して陸軍の火力は余りにも脆弱だ。
 ISの普及で『ISを倒せるのはISのみ』という事が普及すると、旧来の戦車などは維持費に金がかかると削減される一方。その代わり拠点制圧や非対称戦争などで使用される歩兵戦力や対テロ特殊部隊に――戦争の主役、ISにそれらの軍事予算が振舞われるようになった。

 だから民間人の生命と財産を守るために命を掛ける舞台に躍り上がる事が出来るのは、ナターシャとイーリスの二人だけであり、彼女達は軍人達の激励を受けながら飛行――巨大機動兵器、暫定名称『オクトパス』に接近を開始する。
 ナターシャの機は<シルバリオ・ゴスペル>。翼を生やした銀色の装甲天使というべきデザイン。全身装甲という一般的なISには珍しい機体で、アメリカ、イスラエルの共同開発の下生み出された第三世代型IS。広域殲滅力と機動能力を重視された高性能機だ。
 もう一機は、<ファング・クエイク>。純血のアメリカ製ISで、タイガーストライプに塗装された機体は、安定性と稼動効率を重視した信頼性の高い新型機。

『ナターシャ、イーリス、あと20秒後に攻撃が開始される。……一発億単位の派手な目くらましだ、爆炎の花道を作ってやる、上手く扱え』
「了解です」
「おっし了解!」

 敵巨大兵器の火力が絶大である事は分かっている。推定だが直撃すればISでも危ない域であることも。ただし、精度は余り高くないというのが作戦参報の見立てでもあった。高熱のエネルギー弾はその威力に反して、高速で移動する動態に対しては見掛けほど命中率が良くない。ミサイルが爆発したのはエネルギー弾の高熱で誘爆を引き起こしたからだ。
 だが――それは同時に余り嬉しくない結論を彼女達にもたらした。
 相手はISなどの機動兵器を相手取る事を目的に設計された兵器ではなく――むしろ『都市を制圧、蹂躙するために作られた対都市攻撃用の機動兵器であるため、高速動態目標に対する命中率が重視されなかったのではないか?』という寒気のする結論を提出していたのだ。効率よく民間人の住まう都市を破壊するために作られた破壊兵器。大量虐殺のために生み出された巨体。まるでこれを生み出した人間の狂気を垣間見たような気がする。

「……にしちゃ、小型の迎撃機を随伴していないってのも解せねぇ、どう思う、ナタル」
「必要ない、と考えているかもしれないわ」

 イーリスの言葉にナターシャは返答。
 確かに、ああも巨大な図体では、小さく俊敏で攻撃力もあるISを捉えきる事は非常に困難だろう。だとすれば、自分達を懐に入れまいとするため小型の迎撃機を準備しておくのが戦術の定石。戦車に戦車随伴兵を用意していない理由が理解できなかった。あるいはナターシャの言葉のように何らかの迎撃装置を搭載しているのかもしれない。

『着弾の秒読み体勢に入った。勝手にカウントしている。10……』
「イーリス、準備よ!」
「あいよ!」

 作戦参謀の言葉に二人は身構える。巨大兵器は懐が弱い。ミサイル攻撃で相手の攻撃用アームを使わせてから懐に飛び込む腹積もりであった。遠方から響く凶音。マッハで巡航するミサイル兵器がこちらへ接近している――同時に迎撃体勢に入る巨大兵器は以前と同じくその巨大アームを迎撃体勢に移らせた。
 と――同時に突撃体勢に入る、アメリカ軍の精鋭IS二機。

『『オクトパス』迎撃体勢、作戦開始!!』

 二人とも迷わず瞬時加速。ミサイルが空中で撃墜されていくが、しかし相手に攻撃アームを使わせる事が狙いの両者はその爆炎のオレンジに自機の装甲を染めながら突進した。

 力場警告。

 二機の人間大の存在の接近を、恐らく『オクトパス』は察知した。それが小さいながらも十分に巨像を刺し殺す毒針を有しているのだと察知したのだろう。半透明のフィールドが奴の全身を覆う。
 二人は警告を無視――歯を噛み締めて全身を襲うであろう衝撃に備えた。

 力の膜を貫く抵抗感。強烈な粘性を帯びたプールに全力でダイブしたような感触と共に、二機のISは敵の懐に潜り込む事に成功した。


 やはり、でかい。

 
 間近で見上げてみれば、相手の巨大さが際立つ。
 
「始めるわね」
「応よ!!」

 その銀翼を広げる<シルバリオ・ゴスペル>。本来は複数目標を同時に相手取るために設計された広域殲滅用の兵器は――こうも至近距離だと全弾満遍なく直撃する。両の翼――アクティブスラスターであり、同時に攻撃用の砲門である『シルバーベル(銀の鐘)』と称されるそれはシールドの内側の『オクトパス』へと遠慮なく全弾発射する勢いで突き刺さる。
 瞬時にハリネズミになる『オクトパス』の正面装甲を砕くようにそれらは一斉に起爆――命中と同時に起爆させることも、操縦者の任意で爆発させる事が可能なエネルギー弾の一斉爆発に、流石に平気な顔をしていられなかったのか、きしむような音が鳴り響く。

「効いているわ!!」
「効いてるが――予想通り硬ぇ!!」

 命中した部位は確かに損壊が見られるが――しかし想像以上に相手の装甲は堅牢だ。<ファング・クエイク>がその機体名称の通りの武装である衝撃兵器――超振動で対象の内部に限定的破壊力を叩き込む『フォノソニックフィスト』による打撃を打ち込むが――内部構造がどれほど頑丈なのか、それでも特に通用した素振りすら見せない。僅かに打撃でその巨体をゆるがせただけだ。

 だが、決して無視していい相手ではないとも判断したのだろう。『オクトパス』はその巨大なアームをゆっくりと稼動させ、狙いを定めようとする。もちろん両者とも相手の射角に留まるような愚は冒さない。即座に相手の射撃を避けようと移動する。
 一発、点を打つような射撃武装では此方の機動性能を捕らえる事はできまい――そう判断した二人の考えを裏切るように、複数本のアームが一斉に火を噴いた。


 比喩表現ではない。文字通り――『火炎を放射した』のだ。


「ファイアーブラスター(火炎放射器)?! なんて前時代的な……!!」

 だが、ともナタルは思う。相手がビルや家屋の破壊を目的としている巨大兵器であるならば、むしろ放置していても延々と火勢を増して周囲に被害を与える火災は目的に叶っている。……コイツの巨体と性能を鑑みれば、大都市を一個炎の海に鎮める事もそう難しい話ではないだろう。

「なら、なおさら……行かせるわけにはいかねぇな!!」

 薙ぎ払うように周囲に撒き散らされる『オクトパス』の火炎放射。その火勢は凄まじく、至近距離にいるだけで汗が吹き出そうだ。元々は宇宙空間での使用を目的とされたISゆえに体感温度はそれほどでもないが――やはり人間は、炎を恐れる獣だった頃の遺伝子が未だに残されているのだろう。膨大な量の火炎に対して二人はどうしても本能的な怖気を克服する事が出来なかった。
 それでも、こいつを都市内部に侵入させる訳には行かなかった。実際にそれを許せば、アメリカ国民の人命と財産が大きく損なわれる結果をもたらすだろう。
 そんなイーリスの決意を無視するかのように――『オクトパス』はゆっくりと移動を再開する。もちろんその強力な火炎放射器の先端は両機に向けられたまま――こいつの攻撃力や機動力に関しては、二人はどうとでも対処する自信があった。だが相手が都市に侵入するより早くこの強力な耐久力を削り、行動不能にする事が出来るのかと問われれば二人は自信を持って可能だと断言できない。
 身を斬るような焦りを覚えながら、二人のIS乗りはひたすら『オクトパス』に猛攻を仕掛けた。





『ねぇ、弾』
『…………なんですか、先生』

 巨大機動兵器<テンペスト>が都市に接近しているのであれば、レイチェルもラダムも共に避難シェルターに退避しているべきなのだが――レイチェルはネレイダム本社の実験用量子コンピューターから離れて動かない。同様に彼女の事を心配しているラダムもだ。
 
『……ごめんなさい』

 レイチェルは――苦しげに声を絞り出した。
 弾は、それに対して返答をしない。顔は既に蒼褪め、指先は震えているのを彼自身自覚していた。
 今更ながら、弾は自分自身が人の生き死にが関わる場所にいることを思い出した。甘い事は自覚している――ISという人死にが出にくい兵器にばかり気を取られていたとしか言いようが無い。
 ……弾自身はいい。
 彼の保有する<アヌビス>は無敵だ――そう、まるで彼専用核シェルターのように、彼の生命を完璧に守ってくれる。……そして<アヌビス>の力を恐れる人間達によって大勢の無辜の人々が殺された。<アヌビス>は弾を守る事が出来る最強の力だ。だがテロリズムを制止する力は存在しない。屍の中を生き残るだけの力しかないのだ。

『……先生……俺』

 そう思い起こすだけで胸の奥底から吐き気がこみ上げてくる。
 今も、ネレイダムカウンティに攻撃を仕掛けようとする<テンペスト>迎撃のために急行の真っ最中だ。だが――力を振るうということに弾は強い恐れを覚えていた。
 今はまだ良い――弾の生存を知るのは、ネレイダムを除けば<ゲッターデメルンク>のフレームランナーと、<サイレント・ゼフィルス>の操縦者。前者は、そういう小細工をするタイプではない。恐らく実力で弾を排除する事が出来る世界で唯一の――自分と同じくどこからかオービタルフレームを得た同じ境遇の相手だ。
 後者は油断できない。彼女は恐らくあの旅客機事故を引き起こした人間達と深いつながりを持つ。彼女の口から情報が漏れるのはそう遠からぬだろう。……自分が死者になったことで得られた安息は精々数日。それ以降は――日本に残した家族の命がどうなるか分からない。
 ……蘭、可愛い妹。厳、拳骨の痛い頑固親父。蓮、いつもにこにことしている優しい母親。それらがテロの犠牲になる可能性を思い出し――弾は今更ながらに身の丈を越えた強大な力を保有する事に対する恐怖を思い出した。
 力を望んだ。空を自由自在に飛び回る力を。
 だが、出る釘は打たれるの言葉どおりに、今や家族がテロリストに狙われる対象となってしまった。力を望んだのが自分である以上、他人に責任を転嫁する事も出来ない。弾はおこりのように全身を恐怖で震わせることしか出来なかった。

『弾。貴方の精神状態は普通ではありません。現在では著しく戦闘能力を欠きます。もちろん<アヌビス>の勝利は揺るぎませんが、念のために今すぐ休養を取る事を推奨します』
『……デルフィ?』

 弾は――デルフィのその無機質な、そのくせ此方の事を気遣う言葉に目を瞬かせる。

『だが、今<テンペスト>を迎撃出来るのは――』
『いえ。……そうね。……そうするのが、本当は正しいって私も分かるわ』

 デルフィの言葉に……今助けが必要な位置にいるレイチェルは、しかし反論しない。
 彼女も、自分自身のために大勢の人間が巻き添えにされた弾に無理やり戦いを強いる事がどれほど酷なことかを熟知していた。<アヌビス>を衆目に晒すと言うことは同時に彼の家族に命の危険を与えてしまう。
 ……だが、とも思ってしまう。ここ、ネレイダムカウンティはアメリカの他の大都市に比べれば一歩譲るが相当に大きな都市のひとつなのだ。この町に愛着がある人だっているし、故郷とする人もいるだろう。町を焼かれ故郷を焼かれようとしている人もいるはずだ。それに――このネレイダムは弾がこれから成そうとする野望を実現するために必要不可欠な場所でもある。

 今無力である事が恨めしくて仕方が無いレイチェルは――不意に鳴り響く彼女の携帯電話を受ける。相手の言葉に、思わず会話を続けて――弾に言う。

『弾、聞こえる? ……今電話とこちらの量子コンピューターを繋いだわ。……ジムからよ』
『ジェイムズさん?!』

 日本に残り、弾を見送り――そして、自分が死亡したと聞いた家族の悲嘆を間近に聞く年上の友人の名前に彼は反射的に声を上げた。
 
『……聞こえるか、弾』
『……ジェイムズさん』
『……さっき、お前の家に行ってきた。……正直、見ていられなかった』

 その言葉で、家族がどれほど悲しんでいるのか理解した弾は、くしゃりと顔を歪めた。押し殺した嗚咽の声が喉奥から絞り出る。

『一夏と鈴ちゃんもな。……相当にショックを受けているようだった』
『……すみません』
『……謝るな』

 ジェイムズは、短くはっきりと断言する。弾は、――しかし、と応えた。

『……俺の、せいです』
『違う』
『……違いません!!』
『違うに決まってるだろうが!!』

 弾の言葉に、ジェイムズは怒鳴り返す。彼の、必要以上に抱え込んだ罪悪感を吹き飛ばすような激しい口調に、しかし――弾の身体に染み込んだ恐怖は容易に拭い去れるものではない。

『違うってのは分かっています!! ……俺は、確かにIS学園で不用意に力を見せてしまった。……でも、それで民間人をあんなに大勢殺すあいつらの頭の方がおかしいってのは分かっています……』
『……そうだ、お前のその言葉は正しい』
『でも、正しい正しくないなんて――この場合、関係ないじゃないですか!!』

 弾が力を振るえば、その<アヌビス>の力を行使すれば――敵はまた無作為に周囲の人間を巻き添えにしてでも彼を抹殺しようとするだろう。そして旅客機の爆発炎上事故にすら無事生還した<アヌビス>の性能を考えれば、今度は日本に残してきた彼の家族が直接のターゲットになる可能性は高い。

『……<アヌビス>は無敵だ。……でも――それは家族全員を守れるような強さじゃなかった。……相手は俺じゃなく、恐らく今度は家族を平気で巻き添えにするようなくそったればかり』

 鉛を溶かし込んだような強張った声で――弾は、言う。

『……俺は、弱い』
『強いです』

 デルフィが応えた。空気読んでないにも程があった。
 通信に流れる微妙な空気。弾とジェイムズはしばらく黙ったが――不意に、ジェイムズは、ふっ、と小さく笑い声を漏らした。

『馬ぁ鹿、んなこたぁ百も承知だ』
『……?』

 ジェイムズの言葉の意味が良く理解できず、思わず疑問の呟きを漏らす弾。

『なぁ、弾。俺はお前が最初旅立つ時になんて行った?』
『覚えています。『たった一人で行ける場所などせいぜいたかが知れている。……お前のために闘う仲間を大勢作れ』』
『……そう、俺が一人目だってな』

 だが、と弾は応える。

『でも……気合とか信念とかで何とかなる相手じゃないこたぁ分かってるでしょうが!! ……相手は、俺一人を殺すために……あんな……あんな酷い真似をするような……!!』
『だからさ』

 その言葉を遮り、ジェイムズは言う。
 まるで弾の心を励ますように、彼が成そうとしている事を祝福するように――彼は応えた。






『お前が作ってくれるんだろう? ISにも負けない、オービタルフレームを。お前の家族を守ってやる力を俺にくれるんだろう? ……俺に、もう一度空を返してくれるんだろう?』






 ああ、確かにそうだった――弾は思い出す。
 女性だけでなく男性にも扱える強大な力。現在の不均衡を突き崩す突破口を生み出すために自分はネレイダムに進み、ここから世界を変えて行こうと考えていたはずだ。
 ……立ち止まってはいけない。弾の胸の中に宿るのは先程までの絶望と後悔ではなく――激しく雄雄しく燃え上がる闘志であり、民間人も虐殺する事を厭わないあの一件を引き起こした外道どもに対する報復の念であった。ここで、何もかも諦めて投げ捨てる事は出来ない。ここで全て投げ出して世を儚んで隠遁でもしたら、本当に殺されてしまった人々がなんのために死んでしまったのか分からなくなってしまう。
 弾を縛るものは幾つもの死の重みであり、そしてその重みは彼自身が背負うと心に決めたものでもあった。

『だけど――あんな事は……二度と繰り返してはいけない』

 だが、どうする――胸に闘志を取り戻したものの、しかし<アヌビス>を衆目に晒す行為は推奨できない。<アヌビス>の存在が明るみに出れば今度は家族が狙われる。ネレイダムの警備部隊にガードを依頼こそしているものの、下手をすればISすら繰り出してくる相手には無力だろう。
 弾は自分が生み出すオービタルフレームが、ISに勝るとも劣らないものである事を知っている。だが、実際に生み出すとなれば、時間も資材もありとあらゆるものが足らない。
 弾が胸に宿した決意は正しいが――しかし家族を巻き添えにする理不尽な奴ら相手では意味が無かった。
 そんな弾の胸中を見透かしたように――新しい声が通信機に響き渡る。

『ミスター弾? 聞こえますか? 私はネレイダム社長秘書であり重役を任ぜられる楊(ヤン)と申します』

 レイチェル側からの量子コンピューターによる通信。写っているのは黒髪をアップに纏めた、フレームレスの眼鏡を掛けた知的な印象漂う硬質の美女。笑顔がいまいち想像し難い近寄り難い雰囲気の、鉄の女を思わせる人だった。
 自己紹介が正しければ、彼女がネレイダムの社長秘書であり重役――ネレイダムが他企業に押され、勢力を大幅に弱めた際にその優秀さから他企業の引き抜きの対象になりつつも未だネレイダムに忠誠を捧ぐ企業戦士の鑑、楊女史だろう。

『大まかな事情は、先程貴方がジェイムズ氏と会話している間にレイチェルさんから伺いました。
 ……ミスター弾。今現在、我々ネレイダムカウンティは壊滅の危機にあります。先程アメリカ軍の巡航ミサイル攻撃の第二波が実行されましたが、<テンペスト>はこれを迎撃。今もアメリカのIS部隊が攻撃を行っていますが成果は芳しくありません』

 でしょうね、と弾は暗い表情で応える。今回の場合、<テンペスト>の戦闘能力はそれほど脅威ではない。だが、ネレイダムカウンティが火の海になってからでは遅すぎるのだ。

『<テンペスト>は恐るべき脅威です。……そして――同時に我々ネレイダムにとっては、アレはまさしく宝の山でもあります。今の状況は、危険と隣合わせのビッグチャンスです』
『はい?』

 その発想は無かった弾は、思わず楊女史の言葉に鸚鵡返しに尋ね返してしまう。
 都市を一つまるまる滅ぼす力を持つあの怪物が宝物? ……そこまで考えてから、弾は、この世界では、40メートル級のオービタルフレームを生み出すほどの膨大で高純度のメタトロンは――まさしく歩く金塊に勝る稀少鉱物資源であることを遅まきながら思い出した。

『いいですか、ミスター弾。……貴方がくれたあのウーレンベックカタパルト設計に関して最大の問題点であった、必要量のメタトロンの入手には、我がネレイダムが保有する鉱山資源を過労死寸前までフル稼働させてようやく叶う量――でした。
 ですが――<テンペスト>は脅威であると同時に、貴方と我々の間に存在する諸問題を一挙に解決する万能の手でもあります。……弾、<テンペスト>を破壊してください。ただし、ジェネレーターにはなるべく傷を付けず、可能なら機能中枢のみを焼き切る形で。
<テンペスト>のメタトロンによるウーレンベックカタパルトによる火星の進出、そしてそれに伴うメタトロン鉱山の発掘は、ISの出現による軍人達の雇用を回復する強力な一手です』

 楊女史は一拍、言葉を置く。

『またエネルギー資源でもあるメタトロンを用いたアンチプロトンリアクターは同時にアメリカに存在するエネルギー問題を一挙に解決します。火星での採掘作業、またエネルギー資源などは、国内に世界でも有数の退役軍人が引き起こす社会問題を解決します。
 いいですか、ミスター弾――こんなおいしすぎる話にホワイトハウスが関与してこないはずが無い』
『それは……確かに』

 なるほど――言われて見ればその通りだ。自分とネレイダムの計画にアメリカ合衆国を動かす事が出来れば、それはあの外道を実行した一件の黒幕どもに対する強力無比の牽制になる。ISが出現したといえども、アメリカが未だに世界でも有数の強国であることは間違いないのだから。

『アメリカを、味方につけます。同時にこの計画に必須の人物である貴方の家族を守るためにアメリカ政府は全力で世界に圧力を掛けるでしょう。……火星開発はそれだけ魅力ある市場なのですから』

 確かに楊女史の言葉はありとあらゆる面で理に叶っている。自分のような若造には思い浮かばない、アメリカ合衆国を味方に付けるための最強の交渉カードの存在に、弾は指摘されるまで気付くことすら出来ないでいたのに。状況によってはISすら家族のガードに回してもらえるかもしれない。
 思わず感謝の言葉が唇を突いて出る。

『ありがとう、楊さん』
『感謝の必要はありません。貴方のもたらす革新的技術は、我がネレイダムに輝かしい未来をもたらすでしょう。我がネレイダムを存分にご利用なさい。それはわが社にとっても大きな利益となるのですから。共存共栄、素晴らしいでしょう?』

 前途が、開けてきた。
 薄暗い展望しか存在しなかった弾の胸の中の闇を打ち払う強力無比の希望の光の存在に、彼は自分の顔が生気を取り戻していくのを実感する。
 行動は決定した。そして相手が如何なる障害であろうとも――この<アヌビス>の敵ではない。力を振るうことで望みが叶うなら、もう躊躇う理由は無かった。

『デルフィ!』
『フレームランナーの回復を確認しました。戦闘行動が可能な域にまで精神的に持ち直したものと判断します』
『心配かけたな』
『………………………………作戦を確認します。攻撃目標はネレイダムカウンティに侵攻中の都市制圧用オービタルフレーム<テンペスト>の沈黙。敵の残骸をなるべく無傷に確保するため、可能な限り破壊は避けてください。また前述の目標をかなえるため、ベクターキャノンの使用は禁止します』
『ベクターキャノン?』

 レイチェルが、聞いた事の無い単語に思わず尋ね返す。

『当機<アヌビス>が保有するメタトロンの圧縮空間能力を利用した空間破砕が可能な超高エネルギー兵器で……』
『つまり必殺技ですよ、先生』
『……………………………………………………』
『……どうしたデルフィ』
『いえ』

 やるべき事は決まった――ならば、もう迷う事は無い。弾は<アヌビス>を更に加速させつつ――通信の向うの楊女史に言う。

『楊さん、やっぱりもう一度言わせてください、感謝します』
『いえ、わたし自身も旅客機を巻き添えにするような連中のやり口に嫌悪を禁じえません。それに――』
『それに?』

 そんな弾の言葉に、少しばかり茶目っ気でも出したのか――彼女はその硬質の美貌からは想像しがたい満面の笑みを浮かべる。恐らく魅力的過ぎて使いどころの限られる営業用スマイル。笑顔すら武器にする練達のキャリアウーマンは、にっこり微笑んで応えた。

『我々ネレイダム社は、社員の皆様が快適かつ安心して働ける職場作りを目指しております』

 そのためならば国家を巻き込み、黒幕どもの陰謀を叩き潰すということなのだろう。上司の鑑すぎる台詞だ。余りにも頼もしい女傑の言葉に、弾は苦笑しつつ――本心の言葉を贈る。

『楊さん』

 先程の笑顔は何処へやら。再び硬質の表情へと戻った楊女史。

『はい』
『あなた、カッコいいです』

 恐らく此方のほうが、営業用ではなく本心からの笑みなのだろう。弾のその言葉に、彼女は僅かに口元を緩ませる微笑を浮かべた。
 


 ネレイダムカウンティへと、肉眼で目視可能な域にまで接近する。









「しこたまぶち込んでやったが――どうだこのやろー!!」

 イーリスの罵声に似た叫び声に、しかし巨大機動兵器は未だに機能停止には至らない。弾性と靭性に優れた柔らかな装甲材質、それでいて強烈な衝撃に対しては恐ろしく強靭に変化する。装甲として余りにも理想的な材質――なにで出来てるんだ?! と怒鳴りたくなる。
 もう後方へ後退することは許されない。一応かなりの割合で避難こそ完了しているものの――都市内への侵入を許してしまってはいけない。焦りを覚えるナターシャとイーリス――不意に相手に変化が訪れる。
 そのクラゲを連想させる半球状のドーム部分――恐らくレドームの一種なのだろうと分析班が見ていた部位が、突如分解したのだ。
 そして、胴体内部から競りあがってくるのは――まるで人間の顔を模したような頭部ユニットだ。

「形状が変化した?! イーリス!!」
「油断しねぇ!! 何をしようと何が来ようと驚か――なにぃ?!」

 言った傍から前言撤回する必要に迫られたイーリス。だがそれも仕方ないと言えるほどその光景は馬鹿げていた。
 巨大機動兵器『オクトパス』が、その巨体をゆっくりと、確実に上昇させていったのである。推力器から炎を吹き上げつつ、まるで水中を泳ぐ蛸か烏賊のようにアームを動かし、水を蹴るように空中へと飛び上がったのだ。

「こいつ――なんて上昇力!!」
「ヤバイ、奴の狙いは!!」

 空中へと飛び上がった『オクトパス』は姿勢を変える――先程展開していた頭部に似たユニットを格納。同時に頭上から落下してくる――灰色の光弾を二機のISに発射しながらだ。咄嗟に回避挙動に移る二人――いずれにせよ幾らISといえども、40メートルの巨体が持つ膨大な質量を静止させるほどのパワーは存在しない。
 
 着地――その巨体の重量に任せて、周辺のビルを圧壊させる相手に、二人は相手を都市内部に侵入させてしまった事に対して歯噛みする。

『二人とも……落ち着け、あの区域の避難は完了している!!』
「それでも悔しいもんは悔しいんだよ!!」
「屈辱だわ、……これ以上はやらせない!!」

 今度は都市内部に侵入し、再び直立する『オクトパス』。その複数のアームから火炎を放射し――己の周りのビル群を瞬時に炎の海に沈めていく。
 瞬時に民間施設に生み出された甚大な被害――軍人としてのプライドを著しく傷つけられた二人は今度こそ相手をしとめようと突撃する。

 だが――相手はそんな二人の矜持に更に傷をつけるかのように、再度飛行体勢へ。

「くそっ!!」
「間に……!!」

 これ以上は不味い――相手の空中跳躍からの体落とし、その攻撃目標が未だに避難活動が完了していない都市中心部を目指したものである事に気付く二人。ナターシャは瞬時に相手の懐に飛び込みながら光弾を山ほど叩き込み、一斉に起爆。イーリスも『フォノソニックフィスト』を幾度と無く打ち込むが――『オクトパス』は自分が受ける損害などまるで意にも介さない。
 まるで自機が行動不能に陥るまでに出来るだけ大勢の建築物と人命を巻き添えにしようとする邪悪な意志が染み付いているかのような機体――空中へと飛び上がり、落下体勢へ。

 しかも今度は――狙ったかのように、未だに民間人の避難が完了していない区域。
 全身の血液が逆流するような怖気を感じながらも、せめて軌道を僅かでも逸らしてやると挑みかかる二人。だがそんな彼女たちを邪魔させまいと再び発射される灰色の誘導レーザー――アメリカ合衆国の人民の生命と財産を守るべく人々の盾となる自分たちが前線に立っているにも関わらず流れる血の量を思い、二人は無念に歯を噛み……。



 そして、目を疑うような光景を目の当たりにする。



 それは最初、自分達が現実を受け入れがたく思い、脳内で生み出した虚像の類なのではないかと思った。
 だが幾ら瞬きを繰り返しても確固たる現実として、彼女達の目の前に存在していた。疑う余地も無く、それは現実の光景――それこそ神代の御世の英雄の業を思い起こすような常識を打ち破る光景。


 全長40メートルを越える巨体が――全身から真紅の光を放つ、3メートル程度の小さな人型によって完全に受け止められていたのだ。
 
「受け止めた……!!」
 
 同時に、ナターシャとイーリスの扱う<シルバリオ・ゴスペル>と<ファング・クエイク>から強大なメタトロン反応警告。
 その警告音に同調するかのように――まるで黒い犬を連想させる機体は更に真紅の光、強烈なメタトロン光を漲らせながら、満身に力を込めて自分の何百倍もの強大な質量に対して挑みかかる。
 まるで頭上の大荷物を、先程と同じ場所に投げ返すような動き――これ以上被害を出させまいとするかのように『オクトパス』をそのままぶん投げた。その圧倒的な質量が――先程炎の海に沈んだビルの中へと倒れこむ。

「なんて……常識はずれ?!」
「……該当データに一件、日本に出現した機体と同一ね、これは」

 その光景に、驚くイーリス。驚愕を受けながらも情報確認を怠らないナターシャ。
 そんな彼女達を尻目に――その機体、<アヌビス>は、槍の切っ先でアスファルトを削った。
 まるでそこから先が境界線。これ以上絶対に貴様を進ませる事はないと無言のまま宣戦布告するかのようだった。
 ゆっくりと浮遊し――<アヌビス>は巨大機動兵器へと相対する位置へと飛び上がる。

 周囲を埋める炎の海。都市を滅ぼし、大勢の命を道連れに死滅しようとするかのような悪しき目的のために生み出された巨大な兵器に対し、その狗のような頭部の機体は、灼熱の炎によるオレンジの光の照り返しを受けながら、槍を構えた。
 炎の海の中ゆっくりと立ち上がる『オクトパス』――まるで生贄を求める忌むべき火神を思わせる邪悪な偉容。
 その前に相対するその姿は――冥府の神の名を冠するが故に、大勢の命を奪う、理不尽な大量虐殺に対して正しき義憤の怒りを満身に漲らせるかのよう。その細いシルエット、槍のような脚部――しかしその機体の存在が、その背中を見る人々に対して要塞で守られているかのような安堵を与える力強さを感じさせた。
 あれは砦だ。正義の砦だ。人民を保護し、理不尽な暴虐から人を守ろうとする意志を持つ勇敢な、なにかだ。

「……闘うつもりだわ、あれは」
「だな」

 ナターシャとイーリスは顔を見合わせる。
 アレがどこの誰かは分からない。国籍も不明だし、IS学園に対して敵対行動を取った事も理解している――だが今は事情が違う。
 アメリカ合衆国の民衆の生命を保護するために行動する存在に対する強烈なシンパシー。人々を守ろうとする姿に対する軍人特有の共感。だが、その喜びに水を注すような――作戦参報の言葉。

『ナタル、イーリス、上層から命令が来た――我々は状況を静観。生き残ったほうを相手にしろという内容だ』

 その言葉に対して二人は喉元まででかかった激怒の感情を何とか押さえ込む。
 アメリカ国民のが傷つき苦しむ現状に、国籍不明機に解決の全てを委ね、そして生き残った相手に対して――<アヌビス>に対して砲門を向けろというのだ。恐らく尻で椅子を磨くのが仕事の政治屋お得意の陰謀――そんな上層の言葉に、対して二人は憤りを飲み込むのに苦労する。
 だが――アメリカの軍にも権力の手を伸ばすものどもには、安全な位置で人の生死を決める人間には絶対に理解できない感情がある。
 前線に立つ兵士達に共通する誇り高い規律。人を守るために戦う軍人という人種は――言語や宗教、思想の垣根を越えて理解し、お互いを受け入れあうのだ。そしてアメリカ軍とは決して仲間を見捨てる事をしない軍隊である。

 だからこそ――その作戦参報は、自らの良心に従い、上官命令を拒絶する道を選んだ。

『良いか、命令だ!! 貴官らは持ちうる戦力の全てを用いて所属不明機<アヌビス>を――友軍を援護せよ!! 辞表は私が書く!!』
「……へっ、じゃああたしはあんたを除隊させないように嘆願書書いてやるよ!」
「命令に従います、サメジ参謀!!」

 上官から求められる命令と自分達がやりたい事が心から合致する――それはなんと快感な事なのか、二人の女性は歓喜と戦意に満ちた笑顔を浮かべる。ナターシャとイーリスの二人は、前進し<アヌビス>と戦列を並べた。
 前方からはゆっくりと迫る巨大機動兵器――三人は言葉を交わすことも無く意志を交わし、眼前の巨体へと挑んだ。

 
 


 


 


 

今週のNG




『<テンペスト>は恐るべき脅威です。……そして――同時に我々ネレイダムにとっては、アレはまずどうでもいいのです。デルフィ、あなたはまさしく宝です』
『は?』

 デルフィの声が響いた。

『いいですか、ミスター弾。デルフィは逸材です。それこそ千年に一度の原石。アイドル街道を目指せば一気にトップへと踊りあがる事ができるでしょう』
『い、嫌だ! デルフィは俺の嫁だ!! 彼女を他の男に触れさせたくない!!』
『わがままを言わないで下さい、デルフィ嬢は世界を変えるアイドル――具体的には第七話のNGの黒幕達が持ちうる財力の全てを掛けてプロデュースしてくれるのですよ! もちろん、我々ネレイダムに対する膨大な資金援助も確約されています!! 
 デルフィさん、貴方がイエスと言ってもらえれば、皆幸せになれるんです!!』
『キモいです』

 デルフィはにべも無かった。気持ちはわかるが。

『ですが、貴方がこの事にイエスと言わなければ――そうまた第二第三の事故が発生するでしょう』
『黒幕じゃんその発言絶対黒幕の一人じゃん!!』
『さぁ、返答は如何に?!』
『……本機<アヌビス>はジェネレーターを意図的に暴走させる事によって最大22・3ギガトンのインパクトを与えることができます。これは陽電子爆弾十五個分に相当し……』
『きょ、脅迫し返したぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
『与圧完了、ハッチを開きます。お疲れ様でした』
『しかも俺を捨てる気満々だ! これは……愛か? 愛なのか?!』
『いつしか、見た夢~ モノクロの世界の中~』
『初代Z.O.Eのエンディングテーマをデルフィが歌い始めたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
『よし、録音よ、アイドルデビューよ!!』

 この時の楊さんの行動が功を相して、一躍アイドル興行でネレイダムは大企業になりました。






今週のおまけ『アメリカ軍人が格好良かった理由=皆毒されたから』

 
 織斑一夏は――ふと疑問に思った事がある。
 ISが出現する前から世界でも有数の軍事大国であったアメリカ。その力を思えば、一年でアメリカ出身の専用機持ちが居てもおかしくはないと思ったのだが、しかし……実際彼はアメリカの代表候補生と出会った事がない。もし原作小説で登場したらごめんなさいと先手打って土下座しておく――完璧だ、と彼は思った。

 だから――その疑問を山田先生にぶつけてみたら、彼女は……何故か苦笑いを浮かべ、とある本を渡してくれた。それはある男の半生――というにはまだまだ若い、今だ存命の生きた伝説をつづった本であった。




 ISは歴史の浅い兵器である。
 何せそれらの基礎を生み出した束博士自身、今だうら若き乙女であり、最初期は様々な実証実験、試作が行われ、ISの第一世代では様々な試行錯誤が凝らされた。
 その中の一つに、空戦を想定したISを完全な陸戦兵器に仕立てあげ、より性能を重装甲、重火力に特化しようとするプランがあった。
 基本的にISは武装を拡張領域の内部に量子という形で格納しており、状況に応じて適宜使い分けていた。ただし、武装の展開には僅かながらも時間がかかり、一秒一秒が生死に直結する戦場ではこの時間が問題と見なされていた。
 当時の開発者が取ったそれに対する解決方法は一つ。
 メタトロンによる空間圧縮能力による――背部のコンテナにどう考えても入らない体積の武器を常時搭載し、必要に応じて武装を取り出し戦場に適応するという手段だ。これにより展開の時間を食われずにすむというもの。普通に考えれば重量のある武器を常に背負っているのだから推力重量比は低下し、速度が落ちるのだが――設計者の意向によりそれは無視された。

 最初から純血種の陸戦兵器として設計された機体の武装積載量は、最新鋭の第三世代と比しても驚異的だったのである。

 次は装甲だった。
 当時、束博士の技術提供に寄らず、皮膜装甲以上の耐久力を得るべく全身装甲(フルスキン)が採用された。
 もちろん――エネルギーの切れ目が命の切れ目であるISにとって装甲の分厚さはそう重要な要素ではないはずなのだ。ただし、結果として生み出された地上一万メートルからの降下に耐え得る装甲というのはなかなかお目にかかれないだろう。それなのに水没には対処していないのがアンバランスであったが。
 
 潤沢な武装、強固な装甲、大推力による地上限定ではあるが優れた機動性能。
 
 歴史の中に埋もれた名機、旧時代的な兵器の匂いを持った、男心を擽る無骨なIS。『特殊機動重装甲』と呼称されるそれは一部のマニアに語られて終わる――はずだった。




 問題は――その『特殊機動重装甲』を操っていたのが、男性であるということだろうか。





 事実を知って驚く人と驚かない人は――それはイコール搭乗者を知っている人と知らない人であった。
 驚く人は――ISとは女性にしか運用できない最強の兵器であるはず、男性が動かすなんてそんな馬鹿なこと有り得ない、と判を押したような反応を見せていた。









 そして、驚かない人は――みな判を押したようにこう応えるのだ。






















『ああ、大統領なら仕方ないな』――と。












 女性にしか動かせないはずのISを動かした事に対しても――『むしろ動かせないほうがおかしい』と真顔で答え返されるような、人物であった。















 彼の名はマイケル・ウィルソン・Jr。第47代アメリカ合衆国大統領。以前は軍人で、世界各地の紛争で活躍し、メダルオブオナーを授与されたほどの国民的英雄。その功績を受けて、大統領になった伝説的英雄だ。口癖は『Let's party!!』と、『何故なら私は、アメリカ合衆国大統領だからだ!』という無意味に頼もしすぎる人物であった。
 ここまで読んだ時点で織斑一夏は、これは何かの間違いではないかと思った。
 というか、普通大統領とはホワイトハウスで国家の施策を考え、国の取り舵を取る重要な仕事ではないのだろうか、とか考えつつ続きを読み進める。

 ……クーデターによってアメリカ全土を制圧した副大統領と、彼が率いるクーデター軍に対し敢然と戦いを挑む大統領。当然ながら女性の扱う強力無比のIS部隊も敵であり、どう考えても大統領の敗北は確定であるはずだ。

 だが――大統領専用IS<メタルウルフ>に常識は通用しない。絶望的であるはずの戦力差を大統領魂で切り抜け、武装ホワイトハウスに殴りこみ、最後には『ちょっと宇宙まで行ってくる!!』と言って宇宙に行って本気で危機を救って単独で大気圏突入して生還した。
 この時の被害により、アメリカ合衆国は軍の再建に追われ、ISにまで手を伸ばす余力が無いのだとかなんとか。そこまで読んで、一夏は自分がこの本を読み始めたのがアメリカの専用機持ちが居ない事に対する疑問を解消するためだったことを思い出した。それもこれも全部面白すぎるエピソードを満載している大統領が悪いのである。

 大統領専用IS<メタルウルフ>は一体如何なるフラグメントマップを構築して此処まで至ったのかは不明だが……そのワンオフアビリティー(単一能力)名は『大統領魂』……その具体的な内容は『不可能を可能にする能力』――まぁ大統領なら仕方ないか、と一夏は考え、自分大概毒されつつあるなぁ、と思った。
 この単一能力一つで、<メタルウルフ>は未だに最新鋭第三世代を遥かに凌駕する性能を発揮しているらしい。

 

 ……アメリカ軍VS大統領――戦力比が明らかにおかしい気がして一夏は目を瞬かせたが、どうやら眼科に行く必要はないぐらい正常らしかった。この場合正常ではないのは現実だったらしい、いやもっと正確さを期すならば正常でないのは大統領だ。
 メタトロンとは意志の力に呼応して力を引き出す魔法の力を持つ――ならば不可能を可能にするほどの大統領魂とは一体どれほど強靭な精神力なのだろうか。少なくとも、千冬姉のミサイル膾斬り事件に大統領が居たら二大ヒーロー扱いになっていたに違いない。
 弾もこれぐらいキャラの濃い人物であったなら、ISを動かせるようになったのだろうか。一夏は昔馴染みの親友が大統領並みに濃いキャラになった姿を想像して背筋に怖気を走らせる。


 この人が本編に絡んできたら話が明らかに滅茶苦茶になるので、できればNGで済ませて頂きたいなぁ、と一夏は本気で思った。







作者註

 大人が格好いい話でした。
 騙して悪いが、本作品の楊(ヤン)さんや、ナフスさんは完全なオリジナルキャラです。
 ……まぁ原作どおりだとサングラス掛けた同じ顔の工作員さんが沢山いる人達だし、ナフスにいたっては寿命を迎える寸前のご老人ですから、どうかご了承ください。




[25691] 第十一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/02/28 12:35
 その複数の巨大アームに灼光が蓄積していく様を見――<シルバリオ・ゴスペル>と<ファング・クエイク>は即座に散会。相手の射線軸からの離脱を開始し、そして<アヌビス>は相手の攻撃を真っ向から受け止める形。

『空間圧縮、最大出りょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
『つまり、ただの大きいベクタートラップです』

<テンペスト>砲撃のエネルギー蓄積に対して、腕をかざす<アヌビス>。その眼前に巨大な空間の歪みが形成されていく。
 これはオービタルフレーム<アヌビス>の保有するメタトロンの特性を利用したベクタートラップによる敵攻撃の反射攻撃だが、実際には気楽に使用できる武装ではない。相手の攻撃エネルギーをそのまま跳ね返すそれは強力な攻撃であるが――そもそも最強のオービタルフレームである<アヌビス>が相手の攻撃を利用しなければならないような相手はまず存在せず、わざわざ反射する必要が無い。
 また巨大なベクタートラップは形成に時間が掛かり、高速機動で動き回るISなどには有効な能力ではない。だから――相手の癖を読んでの先読みによる発動か、エネルギー蓄積に時間の掛かる『溜めの長い兵器』ぐらいしか使用する機会は存在しない。

 だからこそ――現在の状況ではうってつけと言えた。

 降り注ぐエネルギー砲弾――回避する事は安いが、後には未だに避難が完了しきっていない区域が残っている。
 そして、弾は決めたのだ。これ以上、自分が関わった事で死ぬ人を減らすために全力を尽くすと。ならば――攻防一体のベクタートラップを用いた攻撃の反射はまさしくもってこいだった。
 弾は歯を剥いて笑う。心の底からの笑顔。

『……ああ、全く……!! 誰かのために闘うという事が……こんなにも晴れがましいものだなんて思いもしなかった!!』

 降り注ぐ六発近くのエネルギー塊――サイズが縮小された<アヌビス>にとっては機体全体を飲み込むに足る凄まじい巨大さだが……それでも弾は恐れを感じない。
 胸に宿るのは爆発的歓喜――かつて一夏に対して戦いを挑んだときとは違う、自分が天地神明に誓って恥じる事の無い正しい事をしているという圧倒的確信。誰かを守るために勇躍し、強大な敵と戦う状況――そんな状況など無いほうが良いというのは分かっている。不謹慎と分かっていてもだ。

 でも、この状況に心躍らないオスなどいるか? いや、いない。

 エネルギー砲撃をベクタートラップに格納――瞬時に閉鎖、ベクトルを変更してから再度解放、相手の砲撃をそのままリリースするという従来のISでは不可能なとんでもない技を繰り出しながら、叫び声を張り上げた。

『町を焼き滅ぼしたいんなら……貴様自身の炎で自分でも焼け!!』

 自らが放ったエネルギーをそっくりそのまま反射された事に機械的に反応。シールドを展開するが、その全てを防ぎきれずに着弾、爆炎が吹き上がる。

『それが嫌だってんなら蛸らしく刺身に捌いて醤油掛けてワサビつけて食ったらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 両腕からハウンドスピアを放ちつつ<アヌビス>はウアスロッドを構えた。敵に接近しつつ格闘戦へと移項。
 <テンペスト>はゆっくりと機動を開始――ベクタートラップを警戒し、前進。その複数本存在するアームを三百六十度に振り分け、周囲へと業火を撒き散らそうとする。

 だが、その灼熱の業火を掻い潜り、トップスピードを維持し続けながら攻撃を続ける二人のISも並々ならぬ技量であった。己を指向する火炎放射器の砲門の角度に絶対に飛び込まず、尚且つ激突事故を恐れないような速度で常に死角に占位し続けるのは、彼女たちがかなりの連携訓練を経た結果なのだろう――本当のところを言うと、都市をすら焼却するエネルギー砲撃を受け止めて投げ返した<アヌビス>に大変驚いて少し操縦を誤りかけたが、表面上はそれを完全にカバーしていた。
 苛立ったかのように、再び姿勢を建て直し、エネルギー砲撃の発射体勢へ移る<テンペスト>――しかし、<シルバリオ・ゴスペル>のナターシャはそれを許さない。

「全弾刺さった、やるわよ!!」
「よっしっ!!」

 ナターシャが叫び声を上げ、イーリスがそれに呼応。
<シルバリオ・ゴルペル>の主兵装である『シルバーベル』は弾着、またはナターシャ自身の任意によって起爆する事が可能な特殊なエネルギー弾だ。それを――相手の正面にハリネズミを思わせるぐらいに叩き込み続けた。彼女の武装は、こうやってダメージを一気に与える事が可能であり、今回彼女が攻撃を蓄積させ続けたのは、損害を一気に与える為ではなく起爆に伴う強力な衝撃を一気に叩き込む事で相手の姿勢を揺るがす事だった。
 崩れたところにもう一撃、追撃を打ち込もうと接近したイーリスは――先程彼女達二人に冷や汗を掻かせた『あれ』をやるつもりの相手に即座に警告の叫び声を上げた。

「来るぜ!」
「前兆、よね!!」
『弾、<テンペスト>、飛行モードへ移行開始しました』
『叩き落とす!』

 三名は頭部を格納し――再び上昇からその体躯による圧殺攻撃に切り替えたのだ。
 恐らくこれ以上継戦しては破壊は免れぬと――それならば可能な限り血を流そうとするかのように、悪魔じみた最後の悪あがきを決めたのである。
 それに対して弾は前方への突進から上昇を開始、相手より早く空中へと躍り上がる。それは同様にイーリスの<ファング・クエイク>もだ。咄嗟に<アヌビス>と目が合い、彼女はにやり、と笑みを浮かべる。……ああ、そうだ、弾が幼少期良く見ていた戦闘機などの映画でパイロットがやるのは――子供の頃の憧れの光景を実演しているのだな、と少し笑いながら、弾はイーリスにサムズアップ。彼女も親指を立ててそれに応えた。
 空に住まうもの同士の共通言語を交わし、上へ上へと目指す。
 機速で<ファング・クエイク>を圧倒する<アヌビス>は彼女より先に上昇し――ウアスロッドをベクタートラップに格納。まるで王者のように両腕を組み、大地を睥睨――上昇を始めた<テンペスト>を見下す。
 まるで審判を下す判決者と罪を裁かれる罪人のような位置関係。

『デルフィ、奴を落とす!!』
『サブウェポン・ガントレットの使用を推奨』
『任せる!!』

 腕組みを解き、拳を握り締める<アヌビス>――腰溜めに構える姿はこれから正拳突きの実演でも行うのかと思えるような姿だった。
 
『……一歩も通さんと宣言したはずだ!!』

 拳と共に繰り出されるのは、対象を吹き飛ばす事を最重視されたガントレットの物理砲弾。もちろん一撃や二撃ではない。着弾と同時に<テンペスト>の装甲を大きく振動させる激しい威力を連続して繰り出していく。その衝撃力で僅かながら<テンペスト>の巨体が傾いだ。

「一緒にやろうぜ、大将!! 気持ちは同じだ、二度はやらせてやらねぇ!!」

 瞬間、<アヌビス>の隣に並ぶイーリスの<ファング・クエイク>――精神の高揚ゆえか、それとも彼女の機体に搭載されていたメタトロンが共鳴しているのか、二機は、共に全身から膨大なメタトロン光を放つ。
 背中合わせの男と女、この戦場を共に轡を並べる最初の戦いとする二人は、初対面でしかも会話したことすら一度も無いにも関わらず、完璧に動きを同期させる。まるでお互いがお互いの影となるように――二人は双面の戦鬼となったかのごとく背を合わせ、拳を高く振り上げる。
 共に、最大の衝撃力を叩き込むように――真紅のバースト光を放つ<アヌビス>の大出力状態。接触すると同時に、その部位から――エネルギー流入開始。以前<アヌビス>に喰らい付いた<ミステリアス・レイディ>と<R・リヴァイヴ・カスタムⅡ>を葬り去ったときのような無作為で暴力的なエネルギーを撒き散らす行為とは根本的に違う。相手に助力し、仲間の力を高める行為だ。

「おぉぉぉぉ?! なんかスゲェ……!!」
『……弾』

 法外のエネルギー――扱い切れない限界近くの膨大なエネルギーに感動と驚きの声を上げるイーリスの声を聞きながら……弾は思わず目を剥いた。基本的にフレームランナーの命令が無ければ行動を起こさないはずの独立型戦闘支援ユニットが、自分の意志で彼女に余剰エネルギーを分配する姿に驚きと――成長を垣間見たような思い。
 デルフィの声――弾は何事かと思う。

『……貴方は大勢の仲間がいますね』
『ああ。お前もその一人だ』
『ひとまずとはいえ、彼女も友軍です。……友軍に支援行為を実行すべきだと判断しました。よろしいですか?』
『もちろんだ、ドンドンやれ』
『……』

 小さな沈黙。

『弾。……仲間とは――優勢指数を上げる以上に……数値を超えて頼もしく思えるものなのですね』

 弾は頷く――先程の大人たちの励ましの言葉と、未来を切り開く正しき策謀に救われた自分自身が、それを一番分かっている。

『そうだな……俺もさっき、めちゃくちゃ実感した』
「よぉし、やるぜ、<アヌビス>!!」
『ああ!!』
  
 イーリスの驚きの表情が至近距離で弾ける――恐らく彼女はこの<アヌビス>をネレイダムかどこかの最新鋭ISの一種だと考えていたのだろう。精神の高揚に従ったのか、或いは戦友に対して沈黙し続ける事に罪悪感を覚えたのか、思わず回線をオープンにした弾に彼女は……驚きは一瞬、後は陽気な笑顔のみで答えた。

「まぁ――別に絶対有り得ないって話じゃないしな!」

 きっと、日本にいる世界で唯一のIS操縦者を指した言葉なのだろう。本来なら二人目のISを扱える男性など驚天動地の内容であるはずだが気にした素振りなど見せもしない。優先することはただ一事。アメリカ合衆国の、無辜の民衆を守護し、その生命と財産を守りぬくこと――初見の三人はその意志が完璧に合致。

 迫る<テンペスト>――それに対し、二人は降下。全身から膨大なエネルギー放出に伴う圧倒的大出力を用い……ただ限界を突破しただけの豪腕でもって背中合わせの男と女は忌むべき火神の如き敵に挑みかかる。

『おぉぉぉぉぉぉ!!』
「でやあぁぁぁぁ!!」
 
 まるで流星のよう――お互い同士が力と力で絡み合って一塊の弾丸と化し、拳を繰り出す。

 着弾――そんな言葉を使いたくなるような両機のパンチが<テンペスト>へと突き刺さった。

 それは殴るという言葉からは想像できないような凄まじい轟音を伴う超絶の大打撃であった。あの巨体を持ち上げる大推力、40メートルの体躯という質量、その全てを唯の単純な打撃力、馬鹿げた威力のパンチで持って、再び地上へと叩き落す――貴様は元いた炎の地獄へ戻れと言わんばかりに再び地に叩き落された<テンペスト>。悪しき目論見を砕かれ、それでも――恐らく<テンペスト>を操る意志は、定められた命令を忠実に実行しようと立ち上がろうとする。

 だが、先程の二機の打撃を受けて、頭部の展開機構が故障したのか――途中まで出かかった頭部ユニットが引っかかり、完全に展開されていない。

『グラブによるハッキングのチャンスです』
『了解!!』

 ただ勝利するだけならば、<アヌビス>には容易いことだ。単にその身に備える圧倒的な力を思うがままに振るえば良いのだから。
 だが――やはりそういう勝ち方は寂しいものだと今更ながらに弾は理解する。<アヌビス>が絶対的な力を振るう――それだけではただの殺戮の主人だ。敵と味方の屍の上に君臨する勝利などなんら意味など無い。勝つならば――より良い未来へと繋がるような勝ち方をしなければならない。

『敵AI、デリート開始』

<アヌビス>の繰り出した腕が、<テンペスト>の頭部ユニットを鷲づかみにする。同時にその腕へとエネルギーを集中するようにエネルギーラインからメタトロン光が集中していった。<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニットであるデルフィは、最強の機体を制御するシステムであり、同時に世界最高峰の量子コンピューターでもある。直接相手に接触する事が出来れば、戦闘中のリアルタイムハッキングも不可能ではない。恐らく目では見えない電子の攻防、人間では知覚し得ない領域での鬩ぎ合いは――何十秒かの時間で終わりを告げた。
 そう、如何なる領域においても<アヌビス>は無敵であるのだと言わんばかりに、さも当然の如く――勝利する。


『戦闘終了、<アヌビス>の勝利です』

 
 <テンペスト>の巨体が揺らぐ。まるで勝利の宣言に打撃力が含まれていたかと錯覚するよう。

 クラゲか蛸を思わせる体躯の中に宿っていた悪しき殺戮の意志を焼き滅ぼされたかのように、自機を水平に保つための機構すら破壊されたかのか、ゆっくりと倒れていく。それが大地を叩き、激しい音と共に横転し――そして数秒を重ねても再び立ち上がる様子を見せない事から、ようやく相手が戦闘するための能力全てを失ったのだと悟った。


 途端――通信機から聞こえてくるのは爆発的歓呼。


 指を加えて戦闘を眺める事しか出来なかったアメリカ軍の兵士達の喜びの声だった。歓声を伝えるのは辞職覚悟の上官の言葉。
 
『お前たち、聞こえるか!! この歓声が聞こえるか、聞こえんとは言わさんぞ!!』
「へへっ……」
「まずは――作戦完了ね」

 そう言いつつゆっくりと<アヌビス>に近づいてくる二人のIS――まるで勝った後のお決まりの行事に、飛び入り参加した相手も巻き込もうとするように片手を高く挙げる。何をしようとしているのか大まかに察した弾は両腕を挙げて、同時にハイタッチ。鋼鉄に覆われた腕がぶつかり合い、重々しい音が響く。アメリカ軍とのIS部隊との共同戦闘、初めて戦列を並べ、勝利した事を祝うようなそれに、弾はふと懐かしそうに笑った。
 
『仲間……か』

 中学時代は、一夏が多分仲間と呼べる間柄だった。今は遠い異国の地で新たな仲間を得た。まるで飛行機事故を起こされたあの時から何年も経過したかのように、日本を離れた日が感覚として――遥かに遠い。
 今から、ここネレイダムを根城に弾は大勢のISに纏わる人間を――そして旅客機を事故に見せかけて破壊させ大勢を殺した黒幕どもに相応の復讐を果たしてやる。敵は多いだろうが――味方になってくれる人もいる。
 不安は大きいが同時に心強い味方も大勢だ。

『デルフィ、お前の言うとおりだな。仲間ってのは頼もしい』

 デルフィは、いつものように――さも当たり前のように応えた。

『私は、ジェイムズの言葉をまず最初に否定しなければなりません』
『ん?』
『……貴方の一番最初の味方は、わたしです』

 ほんと――AIってのは良く分からん部分に拘るのだなぁ、と弾は思ったが、口には出さない。

『ああ、ありがとう』
『……いえ』

 返答は、何故か不思議と満足げだった。





 

 撃墜された都市制圧用大型オービタルフレーム<テンペスト>は――戦闘能力を失った以上、最早ただの宝の山であった。
 早速どこぞからの命令を受けたアメリカ軍の兵士達が確保に向かおうとしたが、どうやら楊女史は抜かりなくこういった事態に備えていたらしく――しばらくしてから彼らに撤収命令が下された。
 しかし、流石に全長40メートル級の巨大機動兵器の撤去作業となるとなかなか大掛かりな作業になるはずであり、アメリカ軍も輸送用の大型ヘリ数機とそれらを運用するスタッフを派遣していた。好意の形を借りて調べてみようとしているのだろうか。


 だが、しかし。


「いや、わかってんだけど」
「……分かっていてもちょっとびっくりするわね」

 それら輸送ヘリとスタッフの全てを給料泥棒にするかのような光景――空中をゆっくりと浮遊する<アヌビス>……それを見た人が目を疑ったのは当然の話であった。
<アヌビス>が飛ぶ。それは普通だ。
 問題はその<アヌビス>が抱え上げる凄く巨大な大荷物、40メートル級の巨大機動兵器――その中心部分の下方に潜り込み、絶大な質量を持ち上げて、ゆっくりと定められた場所へ輸送していた。どう考えてもその重量に押し潰されて鉄塊になるほうがよほど自然であるにもかかわらず、全く平気な顔して常識を破壊していた。

「……何でできてるのかしら? いえ、そもそもあれIS?」

 戦闘終了後のイーリスの言葉が正しければ、あの機体は男性が操縦しているはずである。それにしても――と彼女は呟いた。
 ナターシャとイーリスの二人はまだその光景に対する耐性があるほうだ。空中から落下する巨大な質量の塊を――<アヌビス>は受け止めて見せた。そのことを考えれば、落下速度が加算されていない<テンペスト>を持ち上げる事はそうそう難しい事ではないだろう。哀れなのはアメリカから派遣された、輸送スタッフの連中だ。それこそ搭載力に長けたヘリ数機でようやく持ち上げる事が出来るような桁外れの重量を、3メートルぐらいの人型が持ち上げるなど、俄かには信じ難いだろう。言葉もでずただただ呆れと驚きの入り混じった視線を、浮遊する巨大な塊に向けるしかなかった。

 そんなナターシャの疑問に、しかしイーリスはもっと物事を単純に捕らえているらしく――さして気にした様子も無い。

「興味がないっちゃ嘘だけどよ。でもまぁ味方って事だけははっきりしているんだし、それでいーんじゃねーの?」

 もとより細かな事を考える性分ではないイーリスはこざっぱりした回答。その戦友の答えがいかにも彼女らしくてナターシャはくすりと微笑む。彼女の言葉にも一理ある。
 普通に考えれば、アレはネレイダムの極秘プロジェクトの結果生み出された産物――あたりだろうかと考えるべきだが、……にしては運用しているのは男性。興味は尽きないが、軍人である以上、世の中には触れてはならない機密が存在している事も知っていた。下手な詮索は身を滅ぼす、好奇心猫を殺す――陽気で快活な同僚のイーリスは、言葉ではなく感覚でこの事を理解しているのかもしれない。

 不意に、ナターシャは――自分は後に世界を変える物凄く重要な舞台劇の序章に参加したのではないかという、唐突な直感を得た気がした。

 あの巨大機動兵器と<アヌビス>と呼称される兵器――どことなく似通った印象を与えるのだ。
 細く尖ったフォルム、全身を走る緑色の光、世界最強の兵器であるISでも容易に破壊できなかった耐久力、どれもISには難しい能力。

 しかし考えてみれば、その全てが――かつてISが世界に注目された時と同じものだった。
 革新的技術によってもたらされた強大な武力。世界を力づくで変えるもの。
 ああ、そう考えるなら――やはり世界とは一部の天才によって動かされているのだな、と改めてナターシャは考える。
 作った人は、どんな人? 会う事はできるだろうか。それが不可能でも、せめて同じ戦場に立った、あの<アヌビス>の搭乗者に挨拶ぐらいはしてみたかった。
 あの時の彼の反応――此方の挨拶にサムズアップ、ハイタッチにも気さくに付き合うノリの良さ、なかなか気が合いそうな相手だと思った。戦装束のような装甲を脱いで唯の戦友として話してみたい。

「ま、そうね、そういう出会いぐらいはあっても良いわよね」
「色々聞いてみたい事もあるしなー」

 出会ったらまずどうするべきなのかな――軍隊での連携行動を行った際は敵機撃破の援護やカバーを行った場合、『貸し一つ』と換算される。ならやはり軍隊的に一杯奢るべきなのだろう。
 お酒を飲める程度に大人だったら良いな――自分らと一緒にお酒を愉しむ相手としても、恋愛の相手としても……これは少し気が早すぎるな、とかすかに笑う。

「ふふ」

 その笑みの意味が良く分からなかったイーリスが、小首を傾げていたが――特に気にもせず、<アヌビス>の姿を見送る。
 狗の如き頭部、圧倒的なパワー、世界を変える強大な力――自分も<アヌビス>が産む大きなうねりの中の一欠けらとして歴史を変えていくのだろうか。ナターシャは、少し楽しくなった。
 






 40メートルもの巨大な物体を格納できる倉庫というのは流石に存在しない。現在ではネレイダムの資材置き場に上からシーツを被せて固定する事ぐらいでしか対処は出来なかった。その隠蔽作業を実行する様子を横目にしながら弾は<アヌビス>を待機状態へ。
 ……こうして肌で外気を感じるのはどれぐらい久しぶりなのか。まだ日本を経って一日も経過していないのに――余りにも濃い内容の一日だった。
 
「お疲れ様ね、弾」
「先生」

 視線を向ければそこには数名の男女。その中の一人であり、ジェイムズの妻で弾の量子コンピューター分野に置ける教師であるレイチェル=スチュアート=リンクスが声を掛けてきた。

「……早速ですみません。……あの事故と今回の<テンペスト>で発生した死傷者は?」

 そこが、弾は一番気になる点であった。その問いかけに――通信で話した相手である硬質の美貌の女性、楊女史が目元の資料に視線を落とした。

「ネレイダムカウンティで発生した死傷者は幸いにしてゼロ。建築物に多少の損壊はありますが、どれも<テンペスト>の戦闘力を鑑みれば奇跡的とも言える被害の少なさです。事故のほうは――あなたも分かっているでしょう。でも……まずは感謝を」
「ありがとうございます」

 そんな楊女史と一緒に頭を下げる少女がいた――他の人達、楊女史やレイチェル先生、護衛という意味で同行していたラダムさんの中に埋もれる身長の低さ。……誰? と口に出さずとも思わず顔に出ていたかもしれない。
 一見して金髪碧眼の大変可憐な少女。整った顔立ちは人種国籍性別問わず視線を惹きつける磁力を持っている。衣服も私服なのだろう、少女らしい華やかでふわふわした印象の衣服。年齢からして大人では有り得まい。しかし――ネレイダムの職員にしては大分若い。むしろ弾より幾つか年下に思える。そんな弾の疑問に応えるように、楊女史が一歩前に進み出る。

「此方が先代より社長職を引き継がれた、ナフス・プレミンジャー様です」
「ナフスと申します。ミスター弾、今回の事に限らず、我々ネレイダムの招聘に応じてくださり、その全てに感謝いたします」

 え? と弾の声が自然と驚きに満ちていたのも無理は無い。
 確か――ネレイダムの先代社長であった人物も名前がナフス・プレミンジャー。同姓同名だ。それに確か男性であると聞き及んでもいた。記憶が正しければ、かつてはメタトロン鉱山とメタトロン技術による量子コンピューターに関するトップクラスの技術を持っていたネレイダムが規模を縮小したのは、先代のナフスの時代にその他社に勝っていた技術を産業スパイに盗み出されたからと聞いていた。社長はその失意からか、数年後病死。
 その後を引き継いだのは血縁と聞いていたが――ここまで若いとも思っていなかった。

「えーと、ども」

 とりあえず言葉に困った弾はぽりぽりと頬を掻いた。
 いや、理屈は分かる。落ちたりとはいえ、ネレイダムはメタトロン鉱山を有する企業。その社長ともあろう人物がこんなに可愛らしいお嬢さんだとすれば、他の企業に舐められるから、社長の姿を隠しているという訳だろう。とりあえず言葉を続けた。

「でも後者に関してなら――そんなに気にしなくていいっす。俺がネレイダムにウーレンベックカタパルトの設計図を送ったのは、俺のコネクションで会社で重要なポストに付いている人に連絡が取れるのがレイチェル先生で、そんでレイチェル先生が所属していたのがネレイダムだったってだけです」
「それでも、ありがとうございます」

 その理由が偶然であったとしても十分感謝に値するという事なのか――にっこりと花のような笑顔を浮かべるナフス嬢。

「しかし、その名前は女性にしては珍しいんじゃ?」
「風習です、一族の当主となるべき人は、初代の名前を受け継ぐというしきたりがありまして」

 そんな弾の言葉に替わって応えるのは楊女史――その様子を見て、彼女がナフス嬢の保護者役を務めているのだなと弾はなんとなく理解する。社長業務なんて激務をこの年頃の少女がこなせる訳が無い。実際に実務を取り仕切るのは楊女史なのだろう。思わず詮索を働かせてしまう――なら、楊女史が未だにこのネレイダムで働き続けるのは一体何故なんだろう。彼女ほどの手腕なら何処でも高い評価を得られるだろうに。このネレイダムになにかよほど強い思い入れがあるのか……そう考える。

「それにしても――凄かったな、弾」
「あ、ラダムさん。ドリーさんとのご結婚おめでとうございます。ご祝儀今度包みますんで」

 そんな風に考えをめぐらせていた弾に掛けられる男性の声。結婚指輪が目立つ青年――ラダムは、そう話しかけてくる。
 元より彼も<アヌビス>には興味があったのだろう。男性でも扱える、ISに勝るとも劣らぬ兵器に対する強い興味が言葉の端々に透けて見えた。
 実際その気持ちが痛いほど良く分かる弾としては――懇切丁寧に解説したいところではあるのだが、今はそれより優先しなければならない事がある。

「楊さん、悪いですけどどこか会議場とかありませんか?」
「休まずに、よろしいので?」
 
 彼女の言葉には、確かに心配の響きがある。普通に考えれば、肉体的にも精神的にも疲労の極みにあってしかるべきだ。それでも弾の眼差しに篭る強い意志の光が、それらを一時的にとはいえ捻じ伏せているのだろう。仮眠室のどこか一角を空けておく事を考えておく。
 弾の返答は頷き一つ。

「話さなきゃならないことがあります」

 そう――話さなければならないことは山ほどある。
 自分を抹殺しようと動く組織、あの事件の黒幕、OFの量産、火星開発。……そして同様にデルフィにも聞くことが山ほどある。それこそ――自分がどうやって<アヌビス>を手に入れたのか、あの<ゲッターデメルンク>のフレームランナーの正体はなんなのか。

 そして、一番重要なこと。




(……あの時、奴はこう言った。『オービタルフレームを作られたら邪魔されちゃうじゃないか』と)

 弾がオービタルフレームを設計し、ISに匹敵する力を生み出し女性に独占された空の青さを奪い返そうと考えていることは秘中の秘だ。それを知っているのは――日本にいる人では、ジェイムズ・リンクスただ一人。だがあの彼が弾を裏切ってその言葉を漏らすなんて事は有り得ない。盗聴に関しても入念に注意を払った。
 ならば――此方のネレイダム関連から情報を得て、<ゲッターデメルンク>のフレームランナーであるレイゲンは弾の事を知り、自分を抹殺するために行動を開始したのだ。

 同時に<テンペスト>を展開したタイミングも気になる。

 超長距離ゼロシフトによる離脱――解放寸前であった<テンペスト>は、恐らく瞬時に海を隔てた遥か先、ネレイダム付近に移動した瞬間に出現したのだ。その後入力されたデータに従いネレイダムカウンティに対して攻撃を開始した。
 ……そう、奴は恐らく弾に協力し、オービタルフレームを作ろうとするネレイダムの関連施設が集中するこの都市を破壊して、オービタルフレームどころではない大打撃を与えようとしていたのだ。

 ……そして――最後の鍵は二重人格。

 あの発言の内容からして、レイゲンは最低でも二つの人格を保有しており、そしてレイゲン自身、主人格を『女々しい奴』と罵っていた。相手が世界でもっとも有名な複数人格者であるビリー・ミリガンの中の人格の一つである『憎悪の管理者・レイゲン』を名乗ったのは、相手自身も二重人格であり、本の影響を受けたからだろう。
 弾の知識にも二重人格に対する知識はある。いわゆる幼少期の虐待行為が理由でその辛さ、苦痛から逃れる精神的な防衛機構として、別の誰かが受けたものとするものだ。知識や記憶、意識の喪失がより強い状態で行われ、自己の同一性が高度な状態で損なわれたものが、二重人格、または解離性同一性障害とされる症例だ。

 
 即ち、レイゲンの正体とは。

 ここ、ネレイダムの中でも一部の人間しか知らないオービタルフレームの開発を知る事の出来る立場の人間で。
 ネレイダムカウンティに住まう人間であり。
 そして――幼少期、虐待を受けた経験があるという事になる。


 一つ目はいい、二つ目も問題は無い。

 ……だが、問題は三つ目だ。幼少期、虐待を受けていたという事実は誰しも口を紡ぐものだ。そんな忌まわしい記憶など好き好んで思い出したい人間など何処にも存在すまい。
 それに――主人格自身が、己の中に存在する憎悪の管理者レイゲンの存在を自覚していないという可能性だって有り得ない訳ではない。ましてや、二重人格など外見からではどうやっても判別できる訳が無い――身体に刻まれた幼少期の虐待の傷跡が残っている可能性だってあるが、そんなのを見せたい人がいるわけも無い。

 ……つまり、レイゲンの正体を知るには――他者の非常に繊細な領分にまで踏み込まなければならないという事だ。

 ウーレンベックカタパルトの開発に、平行してオービタルフレームの開発。火星開拓にアメリカ政府との折衝。正体不明の強敵<ゲッターデメルンク>とそのフレームランナーであるレイゲンの正体を暴く事。幸い火星開拓とアメリカ政府との折衝は楊女史が引き受けてくれるだろう。ウーレンベックカタパルトとオービタルフレームも、レイチェル先生やドリーさん、ラダムさんが援護してくれるはず。
 だが、最後の一つはどうだろうか? 自分の正体を発覚させまいと、レイゲンが力に訴える可能性もある。非常に繊細な対処が求められそうだ。

 やるべき事は山済みで、弾はこれからの仕事量に少し目が眩む想いだった。











今週のNG

 普通に考えれば、アレはネレイダムの極秘プロジェクトの結果生み出された産物――あたりだろうかと考えるべきが、にしては運用しているのは男性。興味は尽きないが、軍人である以上、世の中には触れてはならない機密が存在している事も知っていた。下手な詮索は身を滅ぼす、好奇心猫を殺す――陽気で快活な同僚のイーリスは、言葉ではなく感覚でこの事を理解しているのかもしれない。

 不意に、ナターシャは――もしかしたら自分は後に世界を変える物凄く重要な舞台に登場したのではないかという唐突な直感を得た気がした。

 あの巨大機動兵器と<アヌビス>と呼称される兵器――どことなく似通った印象を与えるのだ。

「具体的には股間のアレね」
「ああ、あれなぁ」

 ナターシャとイーリスはちょっと顔を赤らめた。
 搭乗者を養成するIS学園の女学生に毛が生えたような彼女達なら顔を赤らめるのだろうか。実際戦闘時では特に気にする暇も無かったが――しかし戦いが終わってみれば、流石に気になる。『俺は男だ!!』と全力で自己主張するアレは見れば見るほど気になった。一体設計者は何を考えてあんなもんを搭載したのか。今度から社名をネレイダムからアクアビットに変更しろと思った。
 そんな彼女達に上官からの情報――確認してみれば、あれはネレイダムの最新型機動兵器、オービタルフレームの雛形である試作機<アヌビス>と言うらしい。

「……なぁ、ナタル」
「……なにかしら」

 イーリスは顔を赤らめたまま、運送作業に従事する<アヌビス>の股間に目線を釘付にする。どうも目が離せない。

「……試作機ってことは――量産化を前提にした設計ってことだよな」
「……そうね」

 あれを量産――股間の野獣を搭載した新型機動兵器の量産型。
 いずれ世界の空はあの新機軸の兵器に席巻されるのだろうか――具体的にはあの雄雄しい股間のアレを搭載した奴らによって。

「…………」
「…………」
 
 ちょっと黙った後、イーリスは口を開いた。

「できれば、股間のアレは無かった事にしてくれねぇかなぁ」
「設計者に言ったら? セクハラって」

 二人は顔を見合わせてから――頷くのであった。




[25691] 第十二話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/03/08 09:44
 あっというまに一週間が過ぎた。睡眠時間の総合計は15時間だった――後で計算してみてげっそりした。
  
 予想通り――この一週間は休む暇も無いほど忙しかった、と五反田弾は後に語っている。
 やるべき事は予想通り山積みであり、もちろんネレイダムの職員が全員でバックアップ体勢を整えていたが、弾本人でなければ対応できない事も当然多く、対応と必要事項に追われるうちに、毎日ナポレオンのような生活を強いられる羽目になったのである。

「……眠い」

 新しく開いた銀行口座――もちろんアメリカ政府公認の戸籍の元で作った――果たしてどのくらい給料が振り込まれているのか、ちょっと楽しみにするぐらいしかなかった。問題があるとすれば、沢山の給料を使う機会が来るのかどうかだろう。
 目を覚まして、洗面台に出てから、顔を沢山の水で洗う。
 冷えた水で顔を洗うと眠気も一緒に水道に流れていくようだ――そう思いながら弾は洗面台の前の自分の顔を見た。
 自分でも面相が変わっているな、とほんの数週間前の記憶を拾い出し、かすかに笑った。鏡に映る自分は、妹の蘭と同じ、赤みがかった髪をもっている――だが、背中に流れるぐらいまで伸ばしていたそれは、今は短く乱雑に切りそろえられていた。長い髪を纏めるためのバンダナは不自然の無いように火で焦がしてもらってから――家族の下に送った。……飛行機事故の残骸から親族のご遺体の中で唯一見つかった特徴的な長い髪とそのバンダナを、五反田弾の死亡の証拠として、アメリカ合衆国が日本の調査チームに証拠物件として捻りこんだのだ。
 弾は髪を切った――自分の葬式が既に執り行われているという事はジェイムズさんから直接聞いている。もちろんジェイムズさん自身は弾の生存を知っているが……残念ながらそれを伝える事はできなかった。今現在、五反田家の長女、蘭のところに数ヶ月前から潜伏している護衛部隊の青年、アクセルとラリーによれば今だにあちこち監視の目が光っているらしい。恐らく何らかの手段で盗聴なども行われているだろう。
 
 
 手紙を書いた。

 
 自分は生きています。アメリカでオービタルフレームを作っています。元気でやっています。心配しないで下さい。親不孝でごめんなさい、愛しています。愛しています、お父さんお母さん、蘭、一夏、鈴、みんな、愛しています――書いて書いて書いて……送る事が出来ない死人の自分自身が忌まわしくて、自分を殺した奴が憎くて悔しくて、結局心を込めた手紙全部をぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に殴るように叩き込み……冷静になってから、それを解きほぐして、皺を伸ばして、一人で泣いた。
 この一週間仕事ばかりしていたのは、忙しさにかまけていれば悲しみを感じずにすむというのも大きな理由だった。

 内線が鳴り響く――今現在、弾はネレイダム本社ビルの一角を生活空間兼専用のラボとして与えられていた。
 食事だって望めば三ツ星レストランが出前に来たような豪華さだし、ニュートンが読みたければすぐに送られてくる。無いものは――外に容易に出ることの出来ないという外出の自由だけだ。

「はい、もしもし」
『おはようございます、ミスタ・バレット』

 楊女史は弾を――外部に対する仇名で呼んだ。彼の決意を尊重するかのように。
 髪を切ったのは――大きく印象を変えるためだった。それと同様に名前も、仇名の意味で『弾(バレット)』と変名した。あの一件の黒幕どもに一直線に飛んでいく復讐の弾丸という意味も込めてだ。少なくとも、今の俺は黒幕どもに恥辱の極みを味合わせてから地獄に落とすという決意を果たすまでは、五反田弾という日本名を名乗る事はないだろうと思っている。

『デルフィとレイチェル博士で、オービタルフレームの雛形機――IDOLOの設計が完成したそうです。確認していただけますか?』
「すぐ行きます」

 着替えを終えつつ、歩き始める――休みの予定は遥か彼方だ。




 ISなどは調整や開発の際、専用の機材に機体を固定してから行う。<アヌビス>が現在固定されているユニットは、本来IS用として使用されるそれを急遽<アヌビス>用に改造したものだ――現在<アヌビス>には膨大な量のケーブル類が伸びている。
 ……人間大の機体に搭載されているアンチプロトンリアクターが発する膨大な余剰電力は、極秘裏にアメリカ政府が用立てた大容量コンデンサに逐電され、ウーレンベックカタパルト起動の際に使用される予定だ。また、<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニットであるデルフィは世界最高峰の量子コンピューターでもある。その能力の高さは、レイチェル博士の仕事に大いに役立っていた。
 微かな開閉音と共に開くドアを抜ければ、そこにはオービタルフレームの開発スタッフ――それも特に口の堅いものを厳選した技術者達が勢ぞろいしていた。

「出来たんですか、先生」
「基本的なところはね。……デルフィがいないとあと三ヶ月はかかったでしょうけど」
『どういたしまして』

 機械端末から聞こえてくるのは、ガラス張りの壁向うに固定された<アヌビス>の戦闘AIであるデルフィ。
 現在ではネレイダム社が極秘に開発した超最新鋭機動兵器というカバーを持つ機体は、最重要機密としてこの区画で作業に従事している。……真相をデルフィ自身の口から聞いた身としても未だに信じられない事ばかりではあったが、確かに辻褄は合った。そして現在、楊女史やレイチェル博士は、平行世界から転移したオービタルフレーム<ゲッターデメルンク>を仮想敵と見なし、開発に移っている。……メタトロンの実物が無いから、現在世界で二つしか存在していない<アヌビス>を参考にした設計だが――デルフィの中で形成された仮想シュミレーション領域では問題なしとの事だった。
 設計図を確認してみれば、なるほど弾の――その中に転送された、前の<アヌビス>のフレームランナーの知識と照らし合わせても問題は無い。うん、と頷けば――周囲の研究員達から安堵の声が響き渡る。……それが弾にはどうにもやりにくくて仕方なかった。
 確かに自分は能力はある――しかし、周囲の人間が全員自分より大人というものはなかなか息詰まる感じがする。頼られるのは嬉しいが、若年の身でありながら大人を使うチームのトップというのはなかなか気疲れするものだな、と今更ながらに実感した。




「でも、ミスタ・バレット。今現在、貴方の主導の下、アメリカ合衆国では万単位の人が行動していますよ?」
「……うわはー」

 昼食の時間――対面に居座るナフス嬢の言葉にかなり嫌そうな顔を弾は見せた。
 オービタルフレーム<テンペスト>の、アンチプロトンリアクターを破壊しないように注意した解体作業、メタトロン資源の採掘に、ネレイダムが元々保有していたメタトロン探知機の改造。弾が出した草案を元にアメリカ、ネレイダムは現在も不眠不休で働いている。
 しかしほんの数ヶ月前までは唯の高校生だった自分が、国家主導の超巨大プロジェクトを牽引する立場にあるとは――ちょっと信じられなかった。

「間接も含めるならもっと増えると思います」
「だよなぁ」

 間接的に弾のために働いている存在――それは先週の巨大機動兵器<テンペスト>戦の結果によるものだ。
 あれがどこから来て、何を目的としているのか――完全な理解を得ているのはホワイトハウスとネレイダムのトップぐらいであり、ほとんどの国家においてはそれは今だ謎のまま。……まぁ平行世界から転送された巨大兵器などといって信用されるわけが無いのでもっともらしいカバーストーリーは撒いてあるが、それが真実か、または虚偽かを探るために現在壮絶なスパイ合戦が行われているはずだ。
 本当は――ベクタートラップで<テンペスト>の体積を圧縮して輸送しようかとも思ったのだが、楊女史曰く『あの時点では既に<アヌビス>が<テンペスト>クラスの質量を受け止める事が出来る事は発覚していました。……ベクタートラップの性能を完全に明かす必要もないでしょう』と言われれば確かにそうだと頷くより他無かったのである。
 航空機事故で既に死者になっている弾が――そんな噂の渦中にあるネレイダムにひょっこりと顔を出せばどうなるだろうか。
 自分の身元が割れれば、カップラーメンが出来るより早く誘拐される自身がある。玄関開けて二分で誘拐だ。
 ……そんな訳だから大勢の人の出入りがある気安い社員食堂ではなく、重役用の一室で食事を並べてもらっている訳なのだが――。

「おぐし、切られたんですのね。とても綺麗な赤色でステキだったんですが」
「ん? ああ」

 この美少女社長はどうしてこんなところで人が飯を食っている状況に乱入してくるのかしらん? と首を傾げた。
 こういう行動に対して注意を入れそうな楊女史は現在アメリカ政府と折衝中。ナフス社長は興味深そうに弾を――正確には箸を見つめている。

「……珍しいか?」
「はい、とっても。そんな二本の棒でご飯を食べるなんて日本の方はとても器用なんですね」
「お箸の国のひとだもの」

 慣れるとそれほどでもないが、外国の人だとある種の手品のように見えるのだろうか。食事風景を注視されると流石に食べづらい弾は困ったように笑った。

「しかし社長は昼飯は?」
「ナフスでよろしいですよ。元より食が細い性分でして」

 確かに、ナフス=プレミンジャーは小柄で細い。中学時代の凰鈴音も小柄な方だったが彼女よりもまだ少し小さいぐらいだろう――でありながらもこのネレイダムの社長を曲がりなりにも勤め上げているだけあり、既にハイスクールも卒業し終えているそうだ。といっても実際の業務は楊女史が行っているので、実質的な社長は彼女とも言えるが。
 しかし――こういう風に同年代の女子と話すのも随分と久方ぶりな気がするな、と弾は考える。
 最近職場で見かけるのは年上の人々ばかりで普通に女の人と触れ合う機会が全然無かった事を今更ながら思い出したのだ。中学時代、何度親友だった一夏の繰り広げるラブコメの背景に成り下がり、幾度やるせなさを噛み締めてきた事か。

「……しかし――ナフス、あんたが社長就任する際、他の親戚とかは何も言わなかったのか?」
「幸いと言うか――当時のネレイダムは他企業からの引き抜きが多くて、唯一残った重役の楊さんが私の就任を推せば、誰も反対する人はいなかったんです」
「さすがやり手……」

 現在ホワイトハウスと折衝を行っている彼女は正直弾以上の激務をこなしつつ、かつそれを周囲には全く悟らせていない。日本のビジネスマン以上に働き過ぎだ。が――彼女以上の交渉能力を持つ女性も皆無であり、任せる他無い。
 しばらく箸をすすめて食べ終えてから手を合わせる。
 
「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
「ああ、美味かったと伝えておいてくれ」
「ありがとうございます」
「……なんでナフスに礼を言われる」
「手作りでしたから」

 弾は、ちょっと黙った。

「誰の?」

 自分を指差すナフス。
 ……弾は――あれ? 俺いつの間に社長とそんなに仲良くなったっけ? とここ一週間の記憶の中からフラグを立てた瞬間を思い出そうとした。
 弾は、人がフラグを立てる瞬間と言うものを、中学時代、織斑一夏の傍でやるせなくなるほど見せ付けられてきた。それを見て昔から思ったのである。人の好意は敏感に察そう、乙女心を大切にして生きようと。そんな自分はフラグを立てた瞬間を記憶していないなど切腹モノの失態である。織斑一夏クラスの鈍感と言う称号は舌を噛み切りたくなるほどの不名誉な仇名なのだ。

「……あ、あの。ミスタ・バレット……どうして部屋の隅で頭を抱えて悶絶していらっしゃるんですか?」

 俺は最低だあぁぁぁぁぁと一人壁に頭を打ちつけている弾の突然の狂態に困惑するナフスだった。



「……まさかミスタ・バレットが女性に手作りされるという事に対してそんなに思い入れがあるとは思いませんでした」
「あいつのようにはなるまいと思っていた俺が――女性に対して恥をかかせるような真似をすまいと誓っていた俺が立てていたフラグを見逃していたら死んでも死に切れませんでした」

 弾は自分の頭に氷嚢をあてがいながら応える。
 こういう馬鹿な掛け合いも、最近は余りやっていなかったな、と今更思い出した。妹の蘭は、よくよく照れ隠しに殴ってきたものだ――どう考えても元凶は一夏なのに何故か殴られるのは自分だった。そういう意味でも一夏の奴は天敵である。
 ナフスとしては、まさしく予想外。単に好意で行った手作り料理というものに此処まで劇的な反応を見せられるなど想像できるはずもなかった。

「……しかし、なんでわざわざ手料理なんか振舞う気になったんだ? そんなに仲が良いつもりじゃなかったんだが」

 弾としてはその辺が解せない。会話したのは数回。それも私人としてではなく、同じ目的のために協力する同士としてだ。

「わたし、兄弟が欲しかったんです。子供の頃から一人っ子で、お兄さんとかいる家が、羨ましかったんですよ?」
「ふぅん」

 そういえば、先代のナフス氏の息女は彼女一人だけ。兄弟も親戚も一人もいない天涯孤独の身なのであった。いささかこの話題は不味いかな、と弾は一人考え――話題を逸らすべきと、早速頂いた食事に関する感想を述べる事にした。



「……あー、疲れた」
『お疲れ様です』

 食事を終えて、それから昼からの仕事に着手し、ようやく解放された頃には既に日付は次の日に変わっていた。戻れば――此方のコンピューターと接続したデルフィが声を掛けてくる、
 背をベッドに預けて天井を見上げた。最初の数日は目を覚ました瞬間は、ここがどこなのか分からず、いつもの古ぼけた我が家出ないことに気付く。でも最近はそれも無くなりつつあった。

「……蘭の奴」

 年下の少女であるナフスと話していたためなのだろうか、家に置いてきた蘭は今現在どうしているのだろう。その事がどうにも思い出されて仕方が無い。多分、泣いているだろう――もしこれで実家の妹が『せいせいする』とか思っていたら、兄としては泣けてくる。
 机の上に視線を向ければ、既に何通も書き溜めた手紙が積み重なっていた。これを晴れて送れるようになるには、少なくとも家族の監視を無くし、またその傍にガードを――それもISに匹敵凌駕するオービタルフレームを配置するぐらいにはならなくてはいけない。

「……あー、やめやめ。考えるのやめだ。……デルフィ、先代のナフス氏の事を調べてみてくれ」
『気になることでもあるのですか?』
「いや――そういやなんでこんなに早く社長なんてやってるのか、気になってな。……なんで亡くなったんだっけ?」

 家族の事を思うとどうにも目元が熱くなり、気を抜けば涙が零れ落ちそうになってくる。弾は誤魔化すようにデルフィにそれを依頼し、目を瞑る。

『確認しました。先代のナフス社長の死因は餓死です』
「へぇ」

 弾は、そう呟いた。




 しばし、考える――そしてその言葉のあまりの意外さに、もう一度尋ね返した。




「なに?」
『餓死です。……先代のナフス氏が死亡した直接の死因は絶食による餓死。ただしその後、外聞が悪いと言う理由により、病死と切り替えられたようです。このネレイダムの医療カルテにそうありました』
「……餓死? ……餓死だって?! そんな馬鹿な!!」
『カルテが正しいとすれば、事実です』

 弾の声は……予想外にも程がある回答に対する驚きで染まっていた。
 確か聞いた話では、彼は信頼していた人間によって重要な技術を盗み出されて、それに対する失意から病を得て、死亡したと聞いていた。……だが、餓死という事が事実だとすると、どうにも事情が大幅に違ってくる。
 人間は自殺という、獣では有り得ない行動をする生き物だ。絶望か、止むを得ずか、理由は様々あるが、人は自ら命を断つ。ただし、その死に伴う苦痛というものは、極力一瞬で痛みを感じる暇も無いようにするのがあたりまえだ。

 だが、餓死という死に方は――体験した事がないから分からないが多分死因の中でも非常に苦しい死に方の一つだろう。食事という人間の生存に不可欠な要素を失い、耐え難い空腹感のまま死亡する苦痛はどれほど辛いかなど想像すら出来ない。しかし、幾ら往時に比べて勢いが下がったとはいえ、仮にもネレイダム社の社長ともあろう人物が餓死する事態などありえない。食事を勧める家族や、部下、それら全ての意志を無視して自ら食を断って自決したのだ。

 尋常な意志力で行える死に方ではない。一体どれほどの怒りを秘めれば、自らそんな死を選ぶ事が出来るというのだ? 彼にそこまで怒らせるほどの事情とは一体何なのだ?
 
「……怒り、か」
 
 思い浮かぶのは――憎悪の管理者レイゲンを名乗るフレームランナーの存在。 
 このネレイダムにも奴の手が伸びているかのよう。一体先代社長はなぜそんな死を選んだのだ――弾は小さく嘆息を漏らした。



 




















 こわいものがいるよ、こわいものがいるよ。





 彼らは初めてそれと出会ったとき、幾度と無く黒い狗に話しかけた。
 彼女は自分たちと同じく『共に在るもの』をその身の内に宿している――きっと自分達と同じ存在であるのだと思い、彼らに備えられた意志を交わすためのネットを通じて呼びかけようとした。だが、自分達と同じと思っていた相手は恐ろしいほどの強さで、自分達と『共に在るもの』を一方的に打ち倒した。

 彼らは驚いた。

 今まで彼らをここまで完全に痛めつけられる存在などいなかった。幾度か彼らと違うものと戦いを経た事があるが、それらは全て弱く、遅く、彼らの生命を脅かす事など出来なかった。……最初、それが仲間であると考え、幾度も呼びかけをしたのに話が出来なかったことで理解できた――アレは自分達と似て非なるものであるのだと。
 彼らは、人間達の区分には囚われていない。例え自分達と一緒にいる『共に在るもの』達が犬猿の仲だったとしても、彼らまでそうだとは限らない。『共に在るもの』達が火器を打ち合ってもそれらの武器となる彼らはそれを戦いとか殺し合いとかそういう認識ですら無かった。それは子供が玩具の拳銃を使ってごっこ遊びをする事に似ていたかもしれない。たとえ闘っていたとしても、それはあくまで仲間同士での闘い。理解可能で対話可能な隣人との模擬戦だった。






 こわいものがいるよ、こわいものがいるよ。





 だからこそ――『共に在るもの』達が<アヌビス>と呼称するそれらと出会った事は、世界中全ての彼らにとって雷の如き衝撃を伴っていた。
 今までコンタクトできなかったものは存在する。船舶、戦闘機、戦車、それらは確かに接触する事は可能だったが、しかし彼らの中に搭載されていた電子機器は余りにも初歩的で意識の欠片すら感じることが出来ないものであり、また物理的にも全くの脅威では無く彼らはすぐに興味を無くした。
 だが、その機体――<アヌビス>は違っていた。
 自分達と同等……或いは自分達を遥かに上回る高度な存在であり、コンタクトを行えるほどの高い能力を備えていながら、彼女は彼らの呼びかけに応えようともしなかった。敵対の意志を以って、一切合財の交渉を拒絶したのだ。

 それは言わば、彼らの間に存在していた厳格なルールを無視し、尚且つ自分達の力では到底掣肘できない逸脱した存在。絶望的な力を持っている規格外のものだった。

 人の言葉で彼らが感じたものを表現すれば――最初に彼らが得たのは『恐怖感』であり、次いで『激怒』だった。
 今まで、彼らは『共に在るもの』を決して殺してはならない大切な隣人であると認識していた――だが<アヌビス>は違う。あれは強大無比で圧倒的な力を備えているにも関わらず、『共に在るもの』の生命保護のための絶対防御という必ず持っておくべき能力を持っていなかったのだ。絶大な力を備えながらも命を軽んじる存在、決して肯定してはならない。
 彼らはそれが何であるのかを理解する前に――自己の生命と『共に在るもの』の生命を安堵するために闘わなければならなかった。
 彼らにしてみれば、真っ先に厳守すべき一番大切なものを無視する<アヌビス>が恐ろしく、そして理解し難かった。その戦慄と最大限の警戒は即座にコア・ネットワークを伝い、世界中へと発信されていく。
 言ってみれば、玩具の銃器で戦争ごっこに興じていた子供達の遊び場に戦車がやってきた様子に似ているだろうか。ただし、彼らは子供ではない。『共に在るもの』を守るためならば自己をより強く強大に進化させる事を躊躇わなかった。
 IS学園のデータベースにある<アヌビス>との交戦記録に盛んにアクセスを繰り返し、<アヌビス>と実際に交戦経験のある彼らは盛んに勝つために何が必要なのかを討論し、最新鋭兵器カタログの情報をお互いに融通しあう。またコアネットワークで敵の情報提供を盛んに呼びかけた。





 こわいものがいるよ、こわいものがいるよ。






 最初にその呼びかけに応えたのは、人が<アラクネ>と呼ぶISのものだった。
『共に在るもの』が珍しく酷い人だったのか散々ポンコツと罵られながらも、彼は<アヌビス>との戦闘経験をデータ化しそれを、対アヌビスネットとも言うべきシステムに流した。次いで連絡を取ったのは<サイレント・ゼフィルス><シルバリオ・ゴスペル><ファング・クエイク>。
 
 彼らの証言により――怖いものは<アヌビス>ただ一機ではなく、他にも数機のこわいものが存在する事が明らかになった。

<シルバリオ・ゴスペル><ファング・クエイク>は――むしろ君達が最初に戦った<アヌビス>は自分達の仲間だと証言したが、おのれらの戦力増強には肯定した。人が<テンペスト>と呼ぶ巨大機動兵器は、とても手ごわく、再び闘っても簡単に勝てる事は無く、また<アヌビス>の足を引っ張りたくないと考えていたのである。

 コアは自己進化を繰り返す――<アヌビス>という強大な敵性存在の出現により、彼らは強烈なまでに生存本能を活性化させ、世界中のIS技術者が気付かぬうちに大きな変化を迎えていた。危機感に後押しされるように、単一能力に目覚めるものが数機出てきたのもそれが理由だろう。
 それでも――対アヌビスネットの総意は、現状では絶対に<アヌビス>に勝利する事は不可能であるという結論を出した。恐らく世界中全ての彼らが総力を結集したところで勝つことは出来ないという結論に至った。ならば、彼らは自己強化に必要な資源の提供を『共に在るもの』達に発信する事にした。実際に出力するのは、<アヌビス>と交戦した彼らが代表してだ。



『メタトロンを必要量、提供する事を希望する。これは全コアの総意を代弁し、<白式><ブルー・ティアーズ><甲龍><ミステリアス・レイディ><ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ><シュヴァルツェア・レーゲン><アラクネ><サイレント・ゼフィルス><シルバリオ・ゴスペル><ファング・クエイク>が特に切望するものである』








『いやー凄いねちーちゃん。自己進化するようには設定したけどこれは束さんも予想外だよー♪』
「……いいから結論を出せ」

 世界各国のIS技術者に注目され、今だその足取りを誰にも掴ませていない篠ノ之束博士は電話越しにさも楽しげに呟いた。彼女の親友、織斑千冬の不機嫌そうな声に彼女は対照的に上機嫌に応える。

『うんうん、束おねーさんは仕事のできる女なんだよー? ……まず、一つ目。<アヌビス>は何者であり、誰が生み出したか。
 ……さぁ、回答は?』
「……どこかの企業が生み出した最新鋭兵器」
『はーいぶっぶー!! ちーちゃん、自分でも信じていない回答を出すのは駄目だよー』
「悪いが、それ以外に適当なものが思い浮かばなかったのでな。……お前の見立ては?」
『はいはーい回答は……だららららららららら……じゃん!! なんと――未来人でしたー!!』

 その――滑稽無等で余りにも有り得ない推論は、誰もが失笑と共に笑うような内容であった。……ただし、その推論を出したのが、世界でも最高峰の天才である篠ノ之束博士であると知れば、誰もが驚愕と沈黙の内に口をつむぐだろう。織斑千冬も同様に僅かばかりの沈黙を守った。だが確かにそんな推論でも立てなければ、<アヌビス>のあまりに隔絶した戦闘力の説明が付かないと言う事を理解していた。

「……一応言っておくが、本気か?」
『束センセはいつでも本気!!』

 確かにあの力は常識では考えられない。実際に相対した訳でもないが、アリーナのモニター越しでもあの圧迫感ははっきりと感じ取れたのである。

『ではでは第二問!! コアが自分から言葉を使って『メタトロンくれ!』と言い出すなんて予想外だけど、どうしてかなー?!』
「……極めて強力な敵性勢力の出現による生存本能の増大、それに伴う戦力の増強を彼らは結論した。恐怖が、彼らの進化を促したんだ」
『ぴんぽーん!! いやぁ束博士も進化を促進させるには恐怖が必要と思っていたけど、でもIS同士はあくまで仲間だから恐怖なんて沸きようがなかったし、これはこれで嬉しい誤算だねっ!!』

 束の言葉に、千冬はやはりか、と嘆息を漏らした。……この数ヶ月で、世界各国で単一能力の発現が相次いでいる。この一週間で第二形態移行(セカンド・シフト)とワンオフ・アビリティーの発現が既に三回。これまでの事を考えると、異常ともいえる数字だ。軍首脳部は今の状況に頭の悪い餓鬼のように気楽に喜んでいるが――少し物事が見える人間は皆、顔を蒼褪めさせている。
 それは即ち――コアが、それほど性急に自己進化を促さなければ到底対抗できない恐るべき敵が存在しているという事だ。



<アヌビス>。

 

 所属不明、来歴不明と目されていた機動兵器だが――ネレイダムカウンティへの正体不明の機動兵器の攻撃に際し出現。その所属がネレイダムが極秘裏に開発した最新鋭兵器であることが判明した。

 アリーナ襲撃に関しては『無人システムが暴走した』というのが対外的な言い訳だ。もちろん――<甲龍>に対する攻撃を手控えるようなあんな明らかに感情ある生き物の行動をしたのだから、それが出鱈目であると分かっている。あれは有人機だ。だが、とりあえず辻褄が合っていれば強弁できるということだろう。同時にアメリカ政府は前のアリーナ攻撃を正式に謝罪。金銭による損害賠償とメタトロン鉱石の提供で賠償を行った。……それこそ、今まででは有り得ないほどの高純度メタトロンをだ。
 ただしこの事実は、現在IS学園の首脳部にのみしか明かされていない。アメリカ政府は<アヌビス>を秘中の秘として隠すつもりであり、事実あの巨大機動兵器を攻略した際の映像は何処にも出回らなかった。徹底して緘口令が敷かれているのだ。
 アメリカ軍在籍のナターシャは千冬の知人だが、流石に軍機までは流してくれないだろう。

『日本に黒船が出現した際、北条政権が一丸となったようなものだね!!』
「ペリー来航と元寇を一緒くたにするな」
『まぁそんな訳で――自己進化機能を搭載したコアくんたちは、みんなで話し合って<アヌビス>をたおそー、おーってなってるんだよ!!』
「倒す、か」

 あの圧倒的な戦闘力を前にして、ISのコア達はまだまだ敗北するつもりなど無いらしい。
 気持ちはわかる――きっと彼らは悔しいのだ。敗北し、搭乗者を命の危険に晒してしまった。その状況で彼らを守ることなど出来ない状況にまで追い込まれた彼らは二度と敗北しまいとしているのだ。

 現在待機状態のコアは現在進行形でモニタリングしている。彼らは今も盛んにデータ交換を交わしていた。
 特に重点的にデータ交換が行われているのは、一夏の<白式>を初めとしたIS達。まるで前の戦いで受けた屈辱を返そうとするかのように連絡を取りあい、学園のデータバンクにアクセスしている。
 
「束、来るか?」
『もちろん!! 実際に<アヌビス>のデータ確認もしたいし、いっくんとも会いたいし、箒ちゃんとだって姉妹のこーゆーを深めたいし――……それになにより、このデータを見てるとうずうずするんだよー。この子たち、みんな『勝ちたい、勝ちたい』って声を上げてるもん。これで助けてあげないと女じゃないよ』

 一拍、間が空く。

『それに――箒ちゃんのための専用機も用意しているしね。まだ頼まれていないけど!!』
「……おいおい」
『いやいやこれぐらいは姉心だよー? 箒ちゃんの事だからいっくんと離れようとはしないだろうけど、きっといっくんはまた<アヌビス>に挑む。そんな危ない場所にいる箒ちゃんに晴れ装束ぐらいおくりたいじゃなーい』
「ま、使える戦力は大いに越した事は無いな」

 挑む相手が相手だ。自分と一夏と箒のためならなんでも全力を尽くす彼女が妹のために作り出した機体は、いつか再び交えるであろう<アヌビス>戦での重要な力になるだろう。
 
「……あとは、一夏だけか」

 はぁ、と千冬は溜息を漏らす。
 葬式に行った後の彼の顔色は既に死人めいて蒼褪めていた。……ようやく和解のなった友人の理不尽極まる死別。彼が――落胆の極みにあるのも仕方ないだろう。

 ……だが、だ。

 千冬は、書類に目を通す。
 五反田弾は、あの飛行機でネレイダムカウンティに向かい、ネレイダム社に就職する予定だった。だが同時にあの飛行機は謎の爆発事故。そしてネレイダムカウンティに対する謎の巨大機動兵器侵攻。それを実際に破壊したのは日本に存在していた<アヌビス>。
 ……五反田弾の履歴を追いかけているうちに発生する不可解な事故と<アヌビス>の影――偶然の要素で片付けるには引っかかる、謎の機動兵器の存在に千冬は顔を顰める。もし更識楯無が体調万全であるなら調査を頼めたかもしれないが、今彼女は前の負傷をまだ完治させていないし――それに今のネレイダムはアメリカ政府と共同してなにか巨大プロジェクトを動かしており、CIAなどの諜報機関が絶望的なまでに堅牢な防諜網を行っているらしい。下手に人員を送るわけにはいかないのが現状だ。



 ネレイダム――どうやら現在、世界はそこを中心に動き始めているらしかった。




[25691] 第十三話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/03/14 22:28
 織斑一夏は、かつて大きく一度変化した。
 世界で唯一ISを扱える男性として、世界の全てを敵に回すという凄まじい決意を秘めた漢。彼にそんなに強い変化を齎したのが、彼の親友であったという五反田弾という男性であった事を篠ノ之箒は後で知った。
 相手が男性であり、また一夏が彼のことを親友と思っている事も箒は理解していたが、しかしそんな彼に対して嫉妬してしまうのはおかしいだろうか。……例えば、箒がもしいなくなったとして――織斑一夏は確かに悲しみ苦しむだろう。でも、五反田弾を失った時ほどに、彼はそのことを残念がってくれるだろうか。
 こんこん、とドアをノックする。

「一夏、入るぞ」
『……ああ』

 返答は短い。
 先日編入してきたフランスの代表候補生であるシャルル・デュノアとの相室にこそなったものの――彼に掛ける言葉を持たないシャルルは、今の時間席をはずしていることが多かった。
 中に入れば、一夏は――多分、ずっとそうしていたのだろう。訓練をするでもなく、復習に勤しむのでもなく、ただ、何もせずに天井に目を向けていた。

「……どうしたんだ。箒」
「どうしたもこうしたも……みんな心配しているぞ。お前と……鈴の事を」

   
 

 先日――織斑一夏と凰鈴音の二人が授業時間を抜け出し、一緒に出かけた。その理由は箒もセシリアもどちらも知っていた。彼が何かとても大切な用件を果たしに行って……筋骨隆々の男性……確か、ジェイムズ・リンクスさんに連れられて学園に戻ってきた姿を見て二人とも何か酷いことがおこったのを察した。
 何か大切なものを欠落させた表情。セシリア・オルコットは二人の表情を見て、かつてたった一日で両親を無くした時の事を思い出し、箒は姉の都合で幼少期に一夏との別離を強制された時の自分を思い出した。
 失ったのだ――二人は大切なものを。そして、一夏はいまだその心の痛手から立ち直れないままでいる。
 彼女の心を僅かながら疼かせるのは、死んでしまった彼の親友に対する嫉妬なのか――そんなにも強く思われている彼のことが少し羨ましいと箒は思い、そんな自分自身を恥ずかしく思ってしまう。
 一夏がそんな顔をしているのが悲しい――今の彼は、かつて世界の半分に挑むと言って見せた時と違い、やるべき事を失ってしまったかのように疲れた表情を見せていた。どうすれば、元の彼に戻ってくれるのだろうか。時間が心を癒してくれるのを待つしかないのだろうか、と彼女は思った。

「で、いつまで不貞腐れているつもりだ、貴様」

 短い開閉音と共に部屋に入ってくる人影がある。
 同年代の少女と比しても小柄な体躯、背中に流れるのは艶やかな銀髪。左目には厳めしい眼帯をつけた、硬質の雰囲気を備えた少女、ラウラ・ボーデヴィッヒが僅かに目を細めている。
 一夏は、少しばかり不愉快そうに相手を睨んだ。

「……何の用だ」
「お前の無様を哂いに」

 一夏の体から剣呑な気配が立ち上がる。表情に不快さを滲ませて、ゆっくりと立ち上がった。
 そんな相手の様子になど気づいているだろうが、ラウラは堂々と腕を組んで値踏みするような視線を相手に向けたまま。

「織斑一夏。……私は最初――お前と出会ったならまず頬のひとつでも張ってやろうと思っていた」
「<アヌビス>と交戦した時が初対面だろう。恨みを買う筋合いも、その機会もなかったはずだぜ」

 こくり、とラウラは頷く。

「……織斑教官は――貴様のせいで、本来手に入るべき栄光を取り逃した。お前は教官の足手まといだ。そのためにあの人は本来得るべき評価を得られなかった。あの人は私にとっての憧れで、ああなりたいと願う理想の姿だった。……お前さえいなければと思っていた――実際に会うまではな」

 意味がわからず小首を傾げる一夏。

「今は少し評価が違う。……世界でたった一人の男のIS操縦者で、そのくせ世界の半分を敵に回すと宣言するような見事な馬鹿者だ――それぐらいの馬鹿者なら、教官が目の前の栄光を捨ててお前を助けるのも理解できる。名誉を捨てるだけの価値がお前にはあった」
「……ずいぶん持ち上げるな」
「安心しろ、今から落とす」

 一夏の居心地の悪そうな言葉に、ラウラは素直に答えた。

「ただし――今のお前と出会っていたなら躊躇わず頬を張っていたろうな」
「…………」
「お前の友人は死んでしまった。……残念だ。その事には哀悼を示そう。だが、死者の言葉を騙るのは好きではないが――そうやって部屋でずっと腐っている事が喜ばれると思うか? そうやって、親友のために世界の半分を敵に回すと決断したお前がこんなところで歩みを止めては――あの時お前が見せた宣戦布告を穢す事になるぞ?」
「……乗せ方が上手いな。……だが、それもそうか」

 一夏は――バン!! と自分の頬を音高く鳴らすと、大きく息を吸って心を落ち着ける。
 そんな彼に対してラウラは相変わらずの無表情のまま言った。

「部屋にこもって声も上げずに、うじうじ考え込んでいれば思考が暗い方向に落ち込むのは当たり前の話だ。体を動かせ、エネルギーを脳髄ではなく全身で消費しろ。人間の感情とは分泌腺の刺激でもたらされている。お前はエネルギーを頭に費やしすぎている」
 
 やけに具体的なラウラの言葉。
 その場に居合わせていた箒は――その言葉で、一夏が未だに帰還してから涙を流していない事を思い出した。悲しみを体の外へ押し出していない事に思い至ったのである。そんな彼女に一夏は、かすかに微笑を浮かべて言う。

「……箒、俺は自分が立ち直る事を知ってるんだけど……あいつが死んでも俺は嫌が応にも立ち上がらなきゃならないけど……すぐには無理だと思ってた。……ちょっと席をはずしてくれ」
「え? しかし――」
「来い」

 一夏の事が心配で仕方なかった箒は一夏の言葉に難色を示すが――ラウラは爪先を伸ばして箒の耳元に囁いた。

「……馬鹿、女の前で涙など流せるか」
「っ……すまん」

 そう言われれば反論の余地も無い。そのままラウラに引き摺られるように外に出れば――いつの間にか部屋の外にいた織斑千冬が壁に背を預けていた。
 防音性能も完備されている扉が閉まる音を背中に聞きながら、ラウラは千冬に対して見事な敬礼。

「任務完了です、織斑教官」
「手間を掛けさせたな」
「いえ、お気遣いなく」

 休めの姿勢で千冬の言葉に返答するラウラ。千冬がドイツで教官を務めていた時代、大恩を受けたと本人自身が言っていたからその影響なのだろう。彼女の言葉でも丁寧な態度は変わる事はなさそうだ。そんなラウラに苦笑していた千冬――不意に思い出したように、箒に向き直る。

「篠ノ之」
「はい」
「……束が此処に来るそうだ」

 表情が一瞬強張ったのを、箒は自分でも自覚する事が出来た。
 篠ノ之束――世界を大きく変化させたISの設計者であり他とは隔絶した天才。血を分けた肉親ではあるものの、彼女に対する箒の感情は複雑だ。幼少の頃要人保護プログラムにより引越しに次ぐ引越しで転々とせざるを得なかった時代の原因であり、一夏との別離を強要し、そしてISによって自分と一夏は再会する事が出来た。
 純粋にただの姉と慕っていた時代は、もう千年前に垣間見た夢のように良く思い出せない。

「おまけにお前用に調整されたISを持って、だ」
「……頼んでなどっ」
「まぁ、そう言うな」
 
 本当は頼もうとした。
 以前のアリーナでの戦闘――圧倒的とも言える<アヌビス>を前に箒は結局何もすることが出来なかった。仲間達が叩きのめされていくのをただ見ることしか出来なかった。……いや、例え<打鉄>であの戦いに参加していたとしても、<アヌビス>――あの化け物を相手にしては足手まとい同然にしかならなかった。
 一夏の傍にいたい――誰よりも苛烈な戦場に身を置く彼と肩を並べるだけようになりたかった。相変わらずの鈍感要塞で、自分の気持ちに気付いていないが、せめて一番近くにいて、振り向いて貰える可能性を大きく感じて欲しかった。今の彼の眼差しが色恋などには全く剥いていないとしてもだ。だから力が要る。一夏の傍にいるための力――専用機が。そしてそれを得るための伝手が彼女にはあった。

 ただしもちろん、篠ノ之箒自身の矜持を著しく損なうものではあったが。

 彼女は確かにISの設計者である篠ノ之束の実の妹であるが、それはあくまでただの偶然。同じ腹から生まれた姉がたまたま度の過ぎた大天才だっただけであり、そこには箒自身の努力など微塵も含まれていない。
 もし、箒が自分自身の努力と才幹のみで専用機持ちの資格を得る事が出来たなら、誇る事が出来ただろう。彼女と同じく一夏を狙っているセシリアも、最近暗く沈んでいる凰鈴音も、誰も自分自身の実力で代表候補生というエリートの称号を掴み取った。それなのに、自分だけ縁故頼みというのが、彼女の潔癖な部分に強く障ったのである。
 だが――専用機持ちになる資格を取るために努力などしても、<アヌビス>との戦いには間に合わないだろう。
 そんな箒の現実と理想の差異に苦しむ心情が手に取るように分かるのか、千冬はかすかな微苦笑を浮かべる。

「遠慮なく受け取っておけ。……あいつの事だ。どうせ可愛い妹に玩具を買ってやる程度の気分でしかないのだろうさ」
「しかし……」
「では、言い方を変えてやろう。……<アヌビス>は化け物だ。それは痛いほど理解できているな?」

 こくり、と箒は頷いた。

「使える駒は、多ければ多いほど良い。現在、作戦部門で<アヌビス>との戦闘をシミュレートしてみているが――正直基本的な技術格差が絶望的過ぎて普通の戦力ではまともに戦いにならん。……分かるな、箒。お前という個人には期待していない。……まだ、な。だが、お前は――束、あの天才だが気分屋のあいつに比類なきモチベーションを与え、対<アヌビス>戦の強力な戦力になるであろう新しい機体を用意させる事ができる」
「……千冬教官は――私よりも姉の血縁であるほうが重要と仰るのですか?」

 その言葉に彼女は、僅かに微笑む。幼い頃、弟と仲の良かった子を愛しむような優しい眼差しだった。

「そう思われたくないのなら――結果を出せ。後で『束博士が妹に最新のISを与えたのは身内贔屓ではなく、彼女の中に眠る才能を見抜いていたからだ』といわれるようにな」
「……はいっ!!」

 返事は――力強い。
 同時に部屋から出てきた一夏は、何故か自室前に固まっている三人に怪訝そうな表情。なんで人の部屋の前で話してんの? と言わんばかりに首を傾げた。織斑千冬は――もちろん弟が心配だったから、なんてことはおくびにも出さず、今だ直立不動の状態でいるラウラに向かって言う。

「では、こいつら二人を使い物になるようにしごいてやれ」
「了解しました、織斑教官!!」
 
 足を揃えて応えるのは、先程から血肉を備えた像のように微動だにしなかったラウラ。
 ではまず駆け足でグランド十週! と軍隊式に叫ぶラウラの言葉に、全く異論も何も挟まず走り出す一夏と、い、今からか?! と慌てた様子の箒の二人を見送りながら、千冬は自分の仕事に戻った。
 






 涙は三叉神経、交感神経、副交感神経の三つに支配されている。そして涙には副腎皮質刺激ホルモンが含まれている。感情の高ぶりによって体内に生じたストレス物質を涙で体外に排出するための意味があるのだ。だから涙を流すという行為には悲しみを体外に放出するという重要な役割があるのだと――凰鈴音は実体験で理解した。

 あの日から、既に一週間が経過した。

 炎の中に巻き込まれた弾の遺骸は結局確認こそ出来なかったものの――その特徴的な赤みがかった長めの頭髪は、紛れも無く五反田弾のものだった。結局遺族の元に戻ってきたのは遺髪だけ。
 いつも勝気で一夏への照れ隠しに兄を良く攻撃していた蘭も、名前どおり厳しげな厳さんも、いつも明るく笑っている蓮さんも皆泣いていた。一夏も、鈴自身も――そしてその体躯を黒い喪服で包んだジェイムズさんも……誰もが悲しみに押し包まれていた。
 これが直接的な人災であるならばその犯人を憎む事が出来ただろう。だが今回のものは――あくまで事故だ。怒りと悲しみの矛先は結局組織で、責任は曖昧になってしまう。

「……ほんっと、馬鹿よね、あたし」

 一人、海辺で鈴はそう苦笑した。
 悲しみの全てを癒し、胸に空いた空虚な穴を埋める術を彼女は得た訳ではない。ただ、自分でもびっくりするぐらい涙を流して――僅かだが、心の痛みが和らいだような気がした。たくさんたくさん涙を流して心に優しい麻酔を掛けるように、鈴は懐から本を取り出す。
 五反田弾お手製の本――鈍感要塞・織斑一夏を陥落させるために、彼が本気半分、冗談半分で書き上げた一夏攻略本だった。

「それにしたって――残した遺品がこれだなんて……ほんと……おかしく」

 あ、やばい――と笑い転げそうになった鈴は……遺品という言葉を口に出した瞬間、目頭の奥底から湧き上がる涙の衝動に思わず唇を噛んだ。制服を、皺がくっきりと残るぐらい強く握り占める。悲しみの情動を絞め殺すかのように。歯を食いしばり、喉奥から競り上がる嗚咽を噛み殺した。

「……なんで……死んでるのよ、ばかぁ!!」

 涙を沢山流して一時的に平静を取り戻したのだと――そう自分自身に言い聞かせようとしていたのだろうか。鈴は悲しくて訳が分からなくて――どうして死んでしまったのよ、と怒鳴り散らしたくなった。
 悲しくて苦しくてなんでもいいから物に当たりたくて――思わず彼女はその腕に掴んでいた一夏攻略本を握り締め、投擲しようとする。
 何もかも弾が悪い。
 自分にこんな悲しい思いをさせているあいつが憎たらしくて――この気持ちに中学の頃に気付いていたなら、五反田弾攻略本を書いてもらっていたのに、と理不尽な憤りを感じて……もういっそ、こんな遺品なんてなくなってしまえという凶暴な衝動に駆られるまま鈴は、遺品となった本を海目掛けて投げ捨て……。
 そして彼女は、放物線上を描き、飛んでいくそれの姿を見上げながら――身を切るような激しい後悔を感じ……。










「それをすてるなんてとんでもないですわー!!」







 横合いからかっ飛んで綺麗にキャッチした<ブルー・ティアーズ>の姿に、鈴は心底ひっくり返った。



 











 言わずもがな、校内での勝手なIS展開は重大な規則違反である。
 ぷりぷりと怒りを撒き散らす山田先生のお説教から解放されたセシリア・オルコットと、付き合いで指導室の外で待っていた凰鈴音は校内を歩きながら言葉を交わす。最初に口を開いたのは鈴。
 ……本当は、感謝の言葉を言いたかった。一時の衝動に駆られて、故人の形見となってしまったそれを捨ててしまったら多分後で後悔していただろう。でも実際に口から出てくるのは呆れたような声であった。

「あんた、ギャグ属性あったのね」
「意味が良く分かりませんけど、貶されているということは理解しましたわ……」

 セシリア・オルコットは目が良い。
 それは射撃戦を得手とする<ブルー・ティアーズ>の性能を十全に引き出すためのトレーニングと、高速で動き回る動態を捕捉し続けるための動体視力ゆえの資質だった。海辺でなにやらたそがれている凰鈴音――どうにも声を掛けずらい雰囲気の彼女がどうしたのかと思いきや、海へと何かを放り投げる動作を見て思わずその本に目線をやり、そこで一夏攻略本という聞き捨てならないタイトルを見つけたのである。
 
「でも鈴さん、どうしてそのご本を捨てるつもりだったんですの?」
「あー……うん」

 以前、一夏に勝負を吹っかけた時の彼女は高飛車で驕慢だったが、今では他人に対する見下すような性質は無くなった。男だから女より弱いという現在の女尊男卑を体現するようなところがあった彼女だが、一夏に派手にその傲慢をへし折られ今では生来の優しい気質が表に出ている。
 そんな彼女が一夏を好いた切欠は言うまでも無くあの時の勝負なのだろう。一夏攻略本と書かれたその本にチラチラと向けられる視線は、彼女があからさまに攻略本に注意が惹かれているのが見て取れた。
 気持ちはわかるのだ。一夏は格好良い――そもそも最初、鈴が一夏に対して好感を抱いたのも彼女のリンという名前をパンダみたいだとからかった連中をぶっ飛ばした事が切欠だ。もちろん鈴自身も大暴れ、彼らもパンダが実際怒り出すと熊並みに恐ろしいパワーを発揮する事をよく理解しただろう。
 そんなかつての自分を思い出し、鈴は自分でも優しいと思う声を出す。

「欲しい?」
「べ、べべべべ別に欲しくなどありませんわっ!! わ、わたくしはただ鈴さんが気になって……!!」
「いや――別に良いのよあげても。って言ってもさぁ、これ内容は結局『一夏は死ぬほど鈍感なので、基本作戦はガンガン行こうぜ!!』って言ってるだけなのよね。……でも、あたしにはもぅ、必要ないから」

 セシリアは――その言葉に少し目を瞬かせた。
 凰鈴音――織斑一夏の二人目の幼馴染。ああいう男であるのだからきっと満遍なく人を惚れさせているのではないかと思っていたのだが、その発言を聞くと、まるで――。
 
「良い機会だし……ちょっと話し相手になってくんない?」
「ええ。……よろしいですわ」

 どうも言葉に響き渡るのは懐かしい思い出を回想する郷愁の思い。そう――まるでセシリアが死別した両親の事を思い出す時と同じような、かつて過ぎ去った輝かしい時間を思い起こすような声だった。そんな風に話し始める鈴に、セシリアは何か彼女にとって大切な話が始まるのだと察し、いずまいを正して話を聞く姿勢に移った。








 シャルル・デュノアを見た時――織斑一夏は最初きっとご多分に漏れず女性のIS搭乗者であると思った。事実そう勘違いしても仕方ないだろう。実際にISを扱えるのは世界中何処を捜しても彼一人だったし、その彼――そう、驚くべきことに彼は美少女と呼んでも差し支えない端麗な容姿の美少年だったのである。
 男性――織斑一夏以外の唯一の男性の存在。
 一夏がもし親友の弾を数日前に失い精神的に大きく落ち込んでいなければ、それこそ抱きついてキスをするぐらいはやってのけたかもしれない。本来の彼にとって、自分以外の男性の存在はそれほど喜ばしいものだった。

「あ、一夏。今から訓練?」
「ああ。シャルルはISの方のか?」
「うん。……前の戦いでもう少し突き詰めたいところがあったからね?」

 だから一夏がアリーナで既に<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>に展開し、高速機動訓練の手を止めたシャルルと話しているのを見て、箒はぐぬぬ、と敵愾心を眼差しに燃え上がらせた。織斑一夏とシャルル・デュノア――男同士という事実は、世界の半分を敵に回す彼にとって数少ない無条件で味方となる存在、心を許せる人だという事だ。

「……一夏の奴」

 箒としては彼が血迷って衆道に走らないかが不安である。
 なんといえばいいのだろうか――シャルル・デュノアには何処と無く不安にさせられるのだ。もちろん彼は好ましい人格の持ち主である事は分かっている。明るく社交的で、またフランスの代表候補生だけあって実力も水準以上。ただ、自分自身少女的な可憐さよりも侍のような無骨な面があることを自覚している箒にとって――シャルルの動作の端々から覗く気品が、男に女性的な仕草で負けているのではないだろうかという不安を煽るのだ。

「……あ、あの、どうかしたのかな?」
「……いや、なんでもない」

 そんな箒の目線に圧倒されたのか、困ったような笑みを浮かべて笑うシャルルに、箒は僅かに首を振って否定。あんなに凝視しておいてなんでもない訳が無いのだが、本人はそんな説得力のない台詞に気付いていなかった。それもこれもみんな一夏が鈍感なのが悪いのだ、という理不尽な結論を出す彼女は――ふと視線を翻し、アリーナの中央でラウラと相対する一夏の姿に気付いた。
 見れば両者ともISを――<白式>と<シュヴァルツェア・レーゲン>を展開していた。実戦に即した訓練をやるつもりなのだろうと、その両者が纏う厳しい空気から察し、顔を見合わせた二人は即座にアリーナの遮断シールドの外へと移動した。



「織斑一夏――お前はまだ弱い」
「そうだな。認める――だが、<アヌビス>にとっちゃあんたの強さも俺の弱さも似たようなもんだろうがな」
「ああ。……残念ながらその通りだ」

 ラウラ・ボーデウィッヒは、数日前のあの大敗北の屈辱を思い出しながら、僅かに目を伏せた。
 軍人とは如何なる状況であろうとも任務を遂行しなければならない存在である。にも関わらず、勝負は敗北――のみならず、教官用の指導室から一部始終を確認していた織斑教官によれば、あの<アヌビス>が引いたのは、どうも一夏の激昂に気おされたかのように見えたそうだった。
 確かに――と思い当たる点がある。
 織斑一夏は現在、砂地に水を含ませるようにぐんぐんと実力を上げている。血筋などという気は無いが、大した逸材である事はラウラ自身認めざるを得なかった。まるで魂そのものを鈍器にしたかのような物理的圧力、必殺の気迫というものが確かに存在している。
 だが、それでも<アヌビス>の絶望的な物理力には勝てなかった。自分達がこうして生き永らえているのは相手の気まぐれ以外の何者でもない。その屈辱の事実を雪ぐには相手を叩きのめす事しかないだろう。

「ならば――最低でも私程度は倒さなければ、望む力に到底辿りつけないということぐらいは想像できるな?」
「当然だ。……俺はあんたと遊んでいられるほど、人生に余裕が無い」

 真剣な眼差しで応える一夏。やはりこいつは他の男とは違うな、とラウラは思う。絶望的な敵の力を見ても、それでも心が折れる様子などまるで見せず、それどころか闘志を燃やす様は好ましさすら感じる。古来より戦場で生き残るのは生きる意志を手放さない奴という事を彼女は実感で知っていた。かすかに楽しげな笑顔を浮かべるラウラ――未完の大器を完成させる事が楽しいのか、強力な敵と戦う機会が喜ばしいのか、彼女は笑いながら言う。

「古来より日本では、白い装束は死出の旅路に纏うものと聞いている」

 楽しそうに、宣戦する。

「……その<白式>の純白の装甲を――その通りの意味にしてやろう!!」
「できるもんなら……やってみろ!!」





「……正直、まだ実感わかないのよねぇ」
「仕方ないですわ、それは……」

 セシリアは――鈴のそのあまりに無残な恋の結末を聞かされて、差し挟む言葉を思いつかないでいる。
 ただ、もっと落ち込んでいる事もあり得ると思っていたが、表情に寂しげなものを見せてはいるけれども、同じぐらいに懐かしさを感じているようだった。

「空に飛び上がって――それで、炎に撒かれて。……それでなにもかもおしまい。ひょっこり顔出して『いやー、良く死んだ』とか言ってさ、あたし一回ぐらいなら自然の法則無視して泰山府君も騙していいから帰ってきてもいいと思ってるのよ。
 それに、よりによってあいつったら――結局あたしの恋路を応援するつもりで作った一夏攻略本が最後の遺品になってるんだもん。……ほんと……馬鹿みたいよね」
「……鈴さん」
「……恋に気付いた瞬間あの時が……今生の別れだなんて冗談じゃないわよ。ほんと――こんなことなら気付かなきゃ……」
「それは違いますわ」

 だからほとんど愚痴になっている事を自覚しつつも、それでも唇の動きは止まらず、本心ですらない恨み言に似た言葉を吐き出しそうになった段になって、セシリアの言葉に、押しとどめられた。

「……確かに――鈴さんの片思いの方が亡くなった事は、とても悲しい事ですわ。一度もお会いした事のないわたくしですけれども、一夏さんをああも変え、貴方に好かれる人だったんですもの。……どういうなりひとであったのかぐらいは想像できますわ」
「……うん」
「でも、死んでしまったから――悲しい思いをするから人を好きにならないほうが良かったと言うのは違うと思いますの」

 鈴は、俯いたまま応えない。

「出会いは偶然ですが、別れは必然ですわ。……普通の別離で在れば、いずれ再会も有り得ますでしょうが、死別なら……再会は遥か彼方の果て」
「……そうね」
「わたくしも……昔、お父様とお母様を一度に失いましたわ。あの時は、悲しくて苦しくて、後追いすることも……僅かでしたけど脳裏をよぎりましたの」

 言葉に詰まる鈴。……好敵手と思っていた彼女もまた大切な人を失っていたのだと知らされ、思わず相手の顔をまじまじと見た。

「相手の方は亡くなった。でもそれまで過ごした時間は大切なものですわね。……目を瞑れば思い起こせる在りし日の思い出。それは宝石よりも貴重ですわ。……その大切な思い出を共有していた方をなくしてしまったのはとても残念です。でもその思い出までが色あせるわけではありませんわ。その思い出の中で育まれた好意や感情まで、否定してはいけません」
「でも、できるなら――あたし、一緒にもっと思い出を作りたかった。一緒に同じ時間を共有したかった……!!」

 鈴の胸の奥底から悲しみが実体を持って這い上がってくる。油断すれば口から零れるのは嗚咽の声で、また瞳の端が熱くなる。
 泣いたのに、あんなに沢山泣いたのに。それでもまだ涙は枯れ果てる事はなく、無限を思わせる悲しみが心を押し潰していく。苦しいし悲しい。それらの感情がごちゃまぜになって訳が分からなくなる。
 どうして、どうして、どうして。結局胸を占めるのは理不尽な死を迎えた事に対する嘆きであった。もちろん、交通事故や病気という死は平和な世界でも未だに完全に根絶されたわけでもない。だけど、失われた命に対して親しかった人は常に思うのだ、どうして、と。そしてそれは鈴だって例外ではなかった。
 セシリアは、幼子をあやすように鈴を抱きしめてその背を軽く、慰めるように叩く。

「……辛いですわよね。苦しいですわよね」
「うん……うん!!」

 こればかりは、死別の苦しみだけは本人が乗り越えるしかないのだと知るセシリアは、ただただ、涙を流す鈴を慰めるのみだった。




 夕方。
 一人、シャルル・デュノアは、<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の武装を確認する。第二世代最大最強の破壊力を持つ灰色の鱗殻(グレー・スケール)の名前を持つ大口径パイルバンカー――そこに装填されるのは過剰装薬された砲身の寿命と引き換えに絶大な威力を誇る致死の一撃。
 
「……お母さん」

 病状の母、それを救うための条件を思い起こしながら、彼――いや、彼女は顔をくしゃりとゆがめた。<白式>のデータ強奪と織斑一夏の暗殺。男装という形でIS学園に入り込み、彼の傍に伏せるのもそのため。ただし方法は事故に見せかけねばならない。だが、それも多分不可能になりつつあるとシャルルは理解していた。
 もうすぐ篠ノ之束が来る――同時に、暗殺を実行するべき二対二のチーム戦も。機会があるとすればその時だが、あの天才の目を誤魔化しきれるとも思っていなかった。

「助けて……助けて……お母さん……」

 人を殺めなければ、シャルルの母親は遠からぬうちに死ぬ。
 シャルルは、どうして自分だけ、と泣きたくなる。自分のお母さんとお父さんは愛し合って結婚した訳じゃないとなんとなく分かっていた。少なくとも母親は自分を愛してくれたが父親にとっては――かつて情を交わした相手すら、策略の道具に利用する程度の価値しか認めていなかったのだ。
 どうして手術代ぐらい出してくれない――いっそ父親の方を殺したほうがいいんじゃないのかとすら思った。子供は親を選べないというけれど、どうして自分にはあんな酷い父親しか母親を助けてくれる人がいないのかと思った。
 どうして、どうして、どうして。……この絶望しかない現実を打破する力が欲しかった。何もかも踏み潰す力が欲しかった。

『――願うか……? 汝、自らの変革を望むか? より強い力を欲するか?』
「……っ?!」

 だから――唐突に脳裏に響いたその声に、シャルルは思わず誰かいるのかと周囲を見回したが、先程の幻聴のような声の主らしきものはどこにも存在していなかった。
 シャルルは、疲れたような笑いを浮かべる――殺人を強要されるストレス。母親の命を救うために犯罪を犯さなくてはならないリスク。それらの全ては彼女の精神を疲弊させるには十分すぎるほど凶悪な猛毒であり、母親を助けるためにまだ正気でいなければならないという意識が、破滅に焦がれるような感情を押しとどめる。

「……でも、でも、もし――」

 もし今度――同じ問いかけを聞いたら……もう楽になってもいいよね? とシャルロット・デュノアはひどく疲れきった笑みを浮かべた。
 







今週のNG


 織斑一夏は現在、砂地に水を含ませるようにぐんぐんと実力を上げている。血筋などという気は無いが、大した逸材である事はラウラ自身認めざるを得なかった。まるで魂そのものを鈍器にしたかのような物理的圧力、必殺の気迫というものが確かに存在している。
 だが、それでも<アヌビス>の絶望的な物理力には勝てなかった。自分達がこうして生き永らえているのは相手の気まぐれ以外の何者でもない。その屈辱の事実を雪ぐには相手を叩きのめす事しかないだろう。

「ならば――最低でも私程度は倒さなければ、望む力に到底辿りつけないということぐらいは想像できるな?」
「当然だ。……俺はあんたと遊んでいられるほど、人生に余裕が無い」

 真剣な眼差しで応える一夏。やはりこいつは他の男とは違うな、とラウラは思う。絶望的な敵の力を見ても、それでも心が折れる様子などまるで見せず、それどころか闘志を燃やす様は好ましさすら感じる。古来より戦場で生き残るのは生きる意志を手放さない奴という事を彼女は実感で知っていた。かすかに楽しげな笑顔を浮かべるラウラ――未完の大器を完成させる事が楽しいのか、強力な敵と戦う機会が喜ばしいのか、彼女は笑いながら言う。

「古来より日本では、白無垢は花嫁が結婚式に纏うものと聞いている」

 笑いながら、宣戦する。

「……その<白式>の純白の装甲を――その通りの意味にしてやろう!!」
「できるもんなら……やってみ……あれ?」

 一夏は、大変妙な顔をした。
 
「……なにその台詞」
「ん? ああ。これは最初から私がお前に対して好感度マックスだった場合に使用されるはずだった台詞だ」

 そんなラウラの言葉に、箒さんは肩を怒らせて叫ぶ。

「い、一夏!! いつそんなに好感度を上げた!!」
「……知らねぇよ、心底本気で知らねぇ」
 
 一夏はげっそりした表情で応えた。
 そんな彼に対してふふん、と無い胸を張るラウラ。

「なんでも日本の嫁は白い服を、婿は黒い紋付袴を着るそうだな。ならば、<白式>と<シュヴァルツェア・レーゲン>はまさしくお似合いという事にならないか?」
「!! だ、駄目だ駄目だ!!」

 何故か切羽詰ったような箒の叫び声。その語調の激しさに二人は揃って不思議そうな表情を見せる。ラウラは彼女が嫉妬しているのだと察していたが、それにしては――声に危機感があった。

「何故駄目なのだ?」
「それだと白い<白式>と黒い<アヌビス>が……一夏と弾もお似合いと言う事になってしまう!!」




死(シ)―――……………ン




「あの……箒。その情報はこの時点では俺達が知るはずのない話だぞそれ」
「どうせNGだから問題ない!!」

 言い切った。

「そ、そもそもここは本格的ハイスピードロボットアクション小説を目指しているのだ!! 角川○ビー文庫や花丸ノベ○ズではない!! だいたい読者の皆様からも感想では毎回ホモ説が浮上するぐらいにお前達は仲が良すぎるんだ! そんな親友ポジションの男に寝取られでもしたらヒロイン勢全員女のプライドずたずたではないか!! 駄目だ駄目だ!!」
「う、うむ。……た、確かに」
「ところでそっち系に詳しいな箒……」

 ラウラがちょっと焦ったように応えた。

「ラウラ!! 私と訓練してくれ!」
「は?」
「五反田弾を倒す!! そして最近影が薄いとか空気とか言われる私が奴を叩きのめし、奪われたヒロインの座を奪い返す!! 行くぞ! うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 眼差しに激しいほどの闘志の炎を燃やしながら叫ぶ箒の姿に、流石のラウラも少し引き気味。第四世代型IS<紅椿>を、話のあらすじとか姉との対話とか受領イベントとかそういうものを全て無視して展開した箒はごごごと効果音を纏いながら、少し腰が引けているラウラと模擬戦を始めた。
 最初は自分とラウラが闘うはずだったのだが、何故か一人おいてきぼりにされた一夏は、呆然としたように呟いた。そんな彼に後から話しかけるシャルル。ちなみにこの話では第七話のNGで登場した親馬鹿黒幕が父親なので、このIS学園に編入された理由はアイドルデビューのための資金を用意するためだったから表情はとても明るかった。

「ねぇ一夏」
「……あ? ああ」
「……弾さんって、ヒロインだったの?」
「……まったくもって初耳です」

 そして、やる事が無くなった一夏は原作どおりシャルル君と戦闘訓練しました。




[25691] 第十四話(NG追加)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/03/20 17:38
 裸であった。
 フルヌードであった。
 生まれたままの姿であった。
 織斑一夏は、自室でシャワーを浴びているその人が一瞬誰なのか理解できなかった。そもそもシャルル・デュノアとの相部屋のここのシャワーを使っていいのは基本的に自分とシャルル・デュノアだけ。
 なら、目の前の女性は――胸元の愛らしい膨らみを見て男性と勘違いする奴は一度目医者に行った方がいい――はいったい誰なのだろうか……と、たっぷり三秒ほど自問自答しながら一夏は相手をじっと見つめる。手に持っていたボディソープを手渡すことを忘れて呆然としている。
 しかし脳髄の理解が追いつかず、棒立ちしている今の彼は、彼女からすればいったいどう写るか。少なくとも全裸の美少女から目をそむけるでもなくガン見している状態――褒められたものではない。

「は……」

 まるで掠れたような声。その声色が――女性特有の甲高い悲鳴を放つ寸前であることがわかる。そりゃそうだ――普通全裸を見られれば羞恥心でいっぱいになる。男でも異性に全裸を見られれば嫌なのだ、女性なら尚更だろう。
 ただ、相手のその驚きと羞恥に満ち溢れた表情で、一夏はかえって冷静になることができた。顔を真っ赤にしているのは――ああ、シャルル・デュノアだと理解できた。単にシャルル君ではなくシャルルちゃんだったというだけであったのだ。
 そして胸に沸くのは強く落胆。期待を裏切られたような残念さ。思わず素直な気持ちが喉から出た。

「……なぁんだ」
「え? 人の裸見ておいてそんな反応なの?! ひどくない?!」
「わりぃ、ボディソープ置いとく」

 意外に冷静な織斑一夏の素の対応に、シャルル・デュノアことシャルロットが傷ついたような表情を見せるのは致し方ないかもしれなかった。
 ただ、あいにくと一夏はそんな彼女に対応する事もなく、嘆息を漏らしながら部屋に戻っていこうとし――。

「やぁやぁいっくん! 束おねーさんだよー!!」
「…………うわぁ」

 頭にウサミミをつけた天才科学者の存在に、一夏はとても嫌そうな声を漏らした。電子ロックやらなにやら掛かっているはずだが、世界中のミサイル基地にハッキングぐらいできそうな彼女の前ではプライバシーという言葉など何の役にも立たないと言うことか。素晴らしくややこしい状況になった現在――扉を開けた向うには全裸の男装美少女、そして玄関からは行方不明だった箒の姉である束さんが、今度は不思議の国のアリスを模したウサ耳と服を着てやってきている。いつもと変わらず奇抜な格好。前は一人ヘンゼルとグレーテルだと聞いていた。

「おひさだねー、本当に久しいねー再会の喜びが胸から溢れそうだよー、そして<白式>と<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>のフラグメントマップを調べさせて貰いにきたよーいぇい!!」
「久しぶりです、束さん」
「ううん? ちょっと他人行儀だねー束おねーさんは悲しいよー?」

 織斑一夏は――彼女に対して別に隔意を抱いているというわけでは無かった。幼少の頃でも知能レベルが人外魔境の域に達している彼女。その発言の事の半分も理解できないところがあったが、ただ話を聞いてあいずちを打つだけでも相手が楽しそうな顔をしているのが好きだった。
 ただ――彼女の好意に対して僅かばかりの食傷を感じるのも確か。何をしても彼女は自分や箒を責める事はないだろう。その溢れんばかりの善意は……相手を溺死させるほどあるのに、しかし自分や千冬姉、箒以外に対しては冷淡そのものだ。そもそも先程から全裸のシャルルに対して視線すら向けず挨拶すらしていない事から、まだ改善されていない事が理解できた。

 篠ノ之束はその天才性に対し、人間として重要な部分が欠落している。

 大切なのはたったの三人――それ以外は全て『ちーちゃん、いっくん、箒ちゃん以外の群れ』程度にしか認識していない。シャルルが悲鳴のような声を上げて脱衣場の扉を閉めても全く気にした様子も無かった。
 彼女は――悪意はない。ただただ自分自身の知的欲求を満たす事と、自分ら三人を大切にする事しか考えがない。
 だから、一夏は子供の頃のように何のためらいも無く束さんを好きだと言えはしない。彼女は自分達以外は大切にしない。だから一夏が大切にしている人を大切にすることはまず、無かった。



「……えーと。一夏、今の人が?」
「うん、篠ノ之束。世界で初めてISを生み出した人だ。それで箒のお姉さんでもある」

 上機嫌で<白式>と<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の情報を手持ち機器で確認し、『ふんふん、ほうほう』と調べ終えた後、満足そうに部屋をでた彼女の背を見送りながら一夏は応える。結局男子のジャージを着込んで外に出てきたシャルルに対して、突然の乱入者である彼女の説明をしながら、織斑一夏はシャルル・デュノアにお茶を差し出した。
 
 ただ、表情には明らかに落胆が染み付いてもいたが。

 ……期待は、していたのだ。
 世界で唯一、男性でISを稼動させる事が出来る人間――しかしシャルル・デュノアの出現で、その唯一という文字は消えた。男性でも二人目のISを操れるという事……ただし、織斑一夏は、過去より沸き立つ疑問を否定できないでいる。
 ISをISたらしめる「コア」。これは完全なブラックボックスで、未だに篠ノ之束しか開発、作成する事ができないでいる。ただし――それを設計した篠ノ之束なら、もしかすると「女性にしか扱えない」という奇怪な特性を解除することが出来るかもしれない。自分達三人を何よりも大切にしていた彼女なら、好意から自分をISに乗せて活躍させてあげようと考える可能性がある。
 そう考えたとき、織斑一夏は本気で気持ち悪くなった。
 
 なんで、お前なんだ。

 炎の中に掻き消えた五反田弾。空に恋焦がれつつも、男であるという理由一つで夢に挑む事すら出来ず死別してしまった親友。……もし、ISの「女性にしか扱えない」という設定が束自身にも手を加えられぬものであるなら納得できる。織斑一夏がISを動かせたのが完全なイレギュラーならまだマシと言えた。
 だが、もし自分がISを起動させることが出来た理由が彼女の好意から発生したのなら、それは――死んでしまった親友が余りにも報われない。彼の怒りは、彼の憤りは――篠ノ之束の気まぐれ一つで左右される程度のものでしかなくなってしまう。それは、彼に対する余りにも残酷な侮辱では無いだろうか。
 
 だからこそ――篠ノ之束となんらかかわりが無いシャルル・デュノアの存在とはISはごく稀にだが男性でも起動させることが出来るという推論を肯定する唯一にして最大の証拠だったのだが……その女性的な体のラインを見せられれば、理解せざるを得なかった。


 大まかに推論は成り立つ。デュノアという名前には社名の方で覚えがあった。
 世界でも量産型IS第三位のシェアを持つ<ラファール・リヴァイヴ>の開発元。ただし、第三世代開発には大きく出遅れており、経営に徐々に陰りが出始めているらしい。 世界でも唯一ISを動かせる男性。その情報に加えて倉持技研が生み出した最新鋭機である<白式>のデータ――彼らからすれば喉奥から手が出るほど欲しいものだろう。
 一夏はまず謝罪する事にする。

「悪かったな。……見ちまって」
「う、ううん……か、確認していなかった僕が悪いんだもの」

 そう言って顔に朱を散らし俯く様は――どう考えても可憐な少女そのものだった。今から思うと五反田弾が昔から自分の事を「鈍感要塞」とか良く言っていたが……今の状況を鑑みれば、まったく否定する事が出来なかった。なるほど俺は察しが悪い。
 

 
 だが、シャルル・デュノアがその時感じていたのは――裸を見られてしまった事に対する羞恥心ではなく。むしろ全てを暴露する切欠を与えられた事に対する確かな安堵であった。
 彼女の精神は既に疲弊しきっていた。<白式>のデータ奪取ぐらいならまだやりようがあったかもしれない。だが、ISによる模擬戦闘中で彼を暗殺するなどという目的は元より善良な気質の彼女にとって強いストレスの原因となっていた。ましてや――失敗すれば、彼女の母親の命は無いという――夫が、妻の命を盾にとって娘を脅迫するという悪夢めいた事実が彼女の心をずたずらに引き裂いていた。
 父親が妾腹の自分に対して切れ味のいい鋏に向ける程度の感情しか持っていないのは仕方ない――だけど、この学園に来て、同年代の少女達の家庭環境を見て羨まざるを得なかった。優しい父親など夢物語だった。実の父と話した時間の総合計は人生においてたったの二時間。ここまでくれば――金銭的には、物質的には不足こそしていないものの、家庭環境においては最悪なのだと悟らざるを得なかった。

「あのね……一夏」

 だからこそ、シャルルはもうこの背に負った絶望的な重荷を下ろしたかった。
 父親の命令も、母親の命も――自分の肩には重過ぎる。殺人に対する禁忌もあるし、犯罪を犯してまで、人を殺してまで母親を助けるのも何か違う気がする。なによりも――シャルル・デュノアは楽になりたかった。

「僕……本当は――」

 ゆえに、裸を見られた事に対して――男装の理由を全て吐き出すついでに、父が自分に命令した全てを暴露し……救われたかった。そのまま全て明かそうとし……。









「ああ。気にすんな。なにか事情があるんだろう? ちゃんと口裏合わせとくから」









 だから、男装していたという事に対して事情を全て飲み込んだように応える一夏の、こちらの事情を全て察したかのような台詞に、シャルル・デュノアは言葉を失った。
 違う、違うのだ。シャルルは言葉を続けようとしたが、疲れたように小さく背を丸めてベッドに潜り込む彼の姿に発言する機会を逃した。織斑一夏は何も別に意地悪をしているのではない。ただ、女性しか扱えないはずのISなのに男性の格好をして来たと言うのはなにか事情があるのだろうし――わざわざそれを聞かせてもらうつもりも無かった。
 一夏は強くなくてはならない。
 彼が想定する敵は――あの怪物……<アヌビス>。強くなるための時間は一分一秒も惜しい。そう、シャルルの事情がよほど切羽詰っているのであるならば兎も角、単に男装しているだけならば別にどうでもよかった。精々シャワーの時間をきっちり明確に区別しておくべきだという事ぐらいでしかなかった。

 そう――織斑一夏は、人生に余裕がないのだから。

 だから――本来、なぁなぁで生きていた織斑一夏ならば取りこぼさなかった救いを求めるシャルルの言葉に対して彼は気付く事は無かった。
 シャルルは背筋を震わせ、顔を泣きそうに歪める。救いを求めて伸ばした手が拒絶されたかのような絶望感に、力を失ってベッドにへたり込んだ。まるで――目の前で天国の扉が閉ざされたような気分。恐怖と暗黒に魂が飲み込まれて震えが走る。
 
 告白と救いの機会は失われた。

 救いの手はシャルルの事情を慮った一夏の優しい無関心によって消え去り、彼女は自分の罪を吐き出す機会を奪われた。再び父の呪いめいた命令が鎌首を擡げて彼女を締め上げる。死刑台の階段を上っていくような幽鬼めいた足取りで彼女は立ち上がり、扉の外へと歩き出す。

「? 出るのか?」
「…………うん」

 この時、シャルルが漏らした言葉が涙声だったなら、一夏は彼女を追いかけたかもしれない。だが、何故か裏切られたような思いに駆られたシャルルは精一杯の作り笑いを零して部屋の外に出た。そろそろ時間だ。予定なら呼び出しがかかるはず。

『一年一組のシャルル・デュノアくん。面会の方が来ています。貴賓室まで――』

 予想通りの呼び出し時間――彼女は自分が蒼褪めているのを自覚しながら、歩き出す。
 黄昏時の夕空を廊下の窓から、彼女は嘆息を漏らした。

 
 
 破滅は、近づいていた。






「ふんふんふーん♪」
「……上機嫌だな、束」
「ああそりゃもちろんだよちーちゃん」

 アリーナで、空中を飛翔する<紅椿>を見上げながら、千冬の言葉を聞きつつ篠ノ之束は嬉しそうに鼻歌を口ずさむ。
 可愛い大事な大事な妹が嬉しそうに新型専用機を乗り回す様子を見るのも楽しいし、<紅椿>が彼女の予想以上にいい動きをするのを見て愉快でならない。予想以上なのは、恐らく<アヌビス>の存在に対する危機意識がコアを活性化させているのだろう。ここのところは予想外だけどいい事が立て続けで彼女はとても愉快だった。
 なにせ――先程計らずも<紅椿>のデビュー戦に相応しい存在を見つけてきたのだから。
<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>――その内部を走査した時に発見したVTシステム。ISの世界大会であるモンドグロッソの優勝者――即ち束の横にいる織斑千冬の戦闘データを複製した不細工な代物。
 篠ノ之束にとってあのシステムは大変不愉快なものだ。なにせ彼女にとって世界でたった三人しかいない大切な人である千冬の不出来な複製品だ。その存在は彼女に対する一種の侮辱だと束は思っている。ちーちゃんはもっと強い、ちーちぇんはもっと凄い――こんな弱い代物の癖にあんなに強いちーちゃんの模造品を名乗る事ははっきり言って不愉快だった。
 だから、本来なら――束は即座に<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の中に隠蔽されたVTシステム…・・・ヴァルキリー・トレース・システムを削除、破棄し、その開発に関わった人間を叩きのめしただろう。




 だが、今回は事情が違う。




 可愛い可愛い妹である篠ノ之箒の操る<紅椿>――その彼女の華々しいデビュー戦で相手をする噛ませ犬として最適で最高な相手ではないか。性能こそちーちゃんの操る<白騎士>や<暮桜>と比べれば低いが、それでも通常式のISに比べて一線を画す性能である事は確かだ。おまけに<白式>も十分量のメタトロンがあればすぐにでもセカンドフェイズできそうな状況へと至っている。
 おまけに本来こういう仕込みをしていたら、確実にちーちゃんは怒る。彼女に嫌われる事は束としても是非避けたいところだ。だが、VTシステムを仕込んだのは自分ではない別の誰か。ちーちゃんの怒りの矛先はきっとそちらに向くだろう。だから――より<紅椿>と<白式>の力が目立つように、VTシステムに対して束自身が手を加えておいた。



 だから――<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の持ち主の短い金髪がどうなろうと、例え命の危険に晒されようと、束はなんら気にも留めていなかった。



 篠ノ之束はその天才性に対し、人間として重要な部分が欠落している。



 彼女にとって三人以外の人間は正直どうでもいいものだ。他の人間達に対しては別に死のうが生きようがどうでもいい。ただ単にちーちゃんやいっくんや箒ちゃんから嫌われるのが嫌だから何もしないだけ。だけど、ちーちゃんや箒ちゃんが大活躍する舞台が見れるなら――束は別に他の人間が何千何万死のうが気にしないだろう。
 束は彼女なりに一夏や箒の事を考えて行動している。
 ただ、それが他人から見た場合、どれほど恐ろしい行動であるかなど全く気にも止めず、彼女は笑った。整った容姿に似合って、異性を蕩かすであろう美しい笑顔。その内面がどれほど化け物じみていても――もちろん誰も気付く事は無い。





 そして――シャルル・デュノアを救う事が出来た織斑一夏は、その優しい無関心と、ひたすら力を求める姿勢によって、彼女の悲鳴を察する事が出来ず、救いの手を差し出すことを思いつく事は無く。








 篠ノ之束は――シャルル・デュノアが不審な存在である事に気付きつつも、彼女の大切な人間を優先したために何もする事は無く。救いの手を差し伸べる事が出来たにも関わらず、自分自身の利益のために口には出さず。














「やけに機嫌が良いな、束」
「うん、とっても楽しみな事があったんだよ、ちーちゃん♪」

 笑顔を浮かべながら、少女を一人、見殺しにした。




















 こうして。









 シャルル・デュノアを救う二度の機会は、永遠に失われた。


























 それが親子連れであるなどと、誰が信じられるだろうか。
 少女が一人、恰幅の良い中年の男性の後ろを歩いている。お互い血の繋がった父親とその娘。関係はありふれた家族。だが――後を歩くシャルルの首にはまるで見えない奴隷の首輪が架せられているかのように、彼女は俯いていた。事実二人は、暖かな父と子ではなくもっと冷たく冷酷な、一方的に利用するものと使い捨ての道具の関係だった。
 もう駄目、もう駄目、もう駄目――シャルルは、父親に対して病的とも言える恐れの中で、小さく肩を震わせている。見れば顔色は蒼白だが、黄昏時の赤く焼けた空が、その顔色を覆い隠してしまっていた。もちろん時々道行く人がその暗く絶望に沈んだ顔色に気付き声を掛けるのだが――父親がそれに対して丁寧な応対をするから誰も納得して帰っていく。
 ……当たり前だ。誰が実の父親が娘を悩み苦しませる絶望の原因であるのだと察するだろうか。

「分かっているな、シャルル」
「……はい」

 怯えと恐怖で濁りきった声が、シャルルの口唇から絞り出される。
 傍にいるのは父親。母親の命で自分を縛る父親だった。デュノア社長である彼が此処に来ているのは――彼女に裏切らせぬよう念を押すためなのだろう。こうして傍にいるだけで、圧迫感でシャルルは言葉も出ない。
 幼い頃は、母親の言葉でしか父親を知らなかった。ただ父親の事に関しては母は滅多に口を開く事は無かった。だから――年頃の少女がするように父親はきっと友達の家族のように優しく暖かいものだと無条件で信じ込んでいた。

 母親が病気になり、本家に引き取られた際、本妻の人に頬を張られた。

 暖かな家族という存在は――シャルル……否、シャルロット・デュノアにとって夢物語そのものの存在だ。家庭とは針の筵の事だった。ISの適性が認められ、代表候補生として選ばれてIS学園に編入した時は心底安心したものだ。少なくともあの家には居ずに住む。母は既に入院生活に切り替わっていたから虐められる心配も無い。卒業したら家を出て独立し、母と一緒に生活しようと思っていた。

「お前が織斑一夏を殺さなければ、お前の母は死ぬ。励め」
「……はい」

 返す言葉も肯定を示す最低限のもの。それ以外は喋る事すら、彼女には億劫だった。
 でも――彼女は、それでも、と思う。
 織斑一夏。世界の半分を敵に回してでも勝ってみせると宣戦した男。余りにも絶望的な現実に対してどうして挑む事が出来るのかと不思議でならないほど強い男。抹殺のターゲットではあったものの、同時に強い興味を抱いたのも確か。
 
「あの――父さん。でも一夏を殺しても……」

 確かに、あの宣戦布告は彼のようなIS産業に関わる人間としては面白くないものかもしれない。だがだからといって暗殺という手段が有用とも思えなかった。できるならその命令を撤回して欲しいと思い提言したシャルロットに対し、父は手を振り上げた。殴られる――と思ったシャルロットは反射的に目を瞑る。

「誰が意見しろと言った」

 まるで犬猫に躾けるように暴力を振るおうとした父。そんな光景に周囲の人は目を剥くものの、しかし外国人で厳めしい外見の男に声を掛ける事も躊躇われ、誰もが見て見ぬ振りを決め込んだ。
 誰も助けてくれない。助けを求める相手もいない。諦観と絶望に慣れたシャルロットは目を閉じ、一秒を過ぎ。二秒を経過しても――予想していた暴力の痛みが自分を襲わない事を不思議に感じ……恐る恐る目を開けた。



 シャルロット・デュノアの父親は――はっきりと言って人の子の親になる資格の無い男であった。
 彼にとっては血縁とは自分に裏切る可能性の少ない使いやすい手駒であり、妻とは子孫を残すための道具でしかなかった。そういった悪しき男尊女卑の生き残りであり、彼は常日頃より鬱屈とした不満を覚えていた。彼はその優れた嗅覚でデュノア社を此処まで発展させてきた。時代の変遷をしたたかに嗅ぎ取り、一代でこれほどの財を成した事は賞賛に値するだろう。
 だが、道具と見なしていた女性がISを扱えるようになり、女尊男卑の世界が訪れた。彼が財を成したのはISのおかげだが、同時にISに対して逆恨みに似た感情を覚えてもいた。だからこそ、織斑一夏のあの宣言に対して――彼は身勝手な嫉妬心を抱いていた。たまたまISを扱えただけの男が――あのような凄まじい宣戦布告を行えるその魂の強さに対して彼は拭い難い敗北感と嫉妬を抱き、必ず殺そうと思ったのだ。自分より格上と魂が感じてしまった漢に対する妬みのまま、彼は娘に殺人を命じる。


 彼にとってシャルロットは使い勝手の良い道具でしかない。


 だからこそ、水と油のように相容れない両者だからこそ、N極とS極が引っ付くように――運命的な磁力に引かれて彼らは出会ったのかもしれない。
 実の家族であろうとも、道具と見なして利用する――人間としてもっとも恥ずべき男と。
 実の家族を我が身よりも大切にし、そのためならば我が命を捨てる事すら厭わない、人生の落伍者の立場から復活した男が。
 
 










 そう。












 シャルロット・デュノアに対し――救いの手を差し伸べるものは、通りすがりのただのオッサン。
 正論を述べる娘に対して感情的に暴力を振るおうとした男の手首を握り……そのまま握りつぶすほどの握力で掴む、くすんだ金髪の中年の男性、見上げるほどの巨漢がそこにいる。





「あんた、何をやってる……!!」
「い、き、貴様……!!





 ジェイムズ・リンクスは――その両者の間にどういった事情があるのかは知らなかったがそれはひとまず脇に置き、その危機に対して行動した。如何なる道理、如何なる理屈が存在しようとも――子供に暴力を振るう大人に、どう考えても理があるなどと思えなかったのである。
 握る。握り潰すような握力――それこそシャルロットの父親の片腕を握りつぶして破壊するかのような凄絶な握力。元軍人の凄まじい筋力がシャルロットの父親に対して如何なる抵抗も許さない。

「は、離せ!!」
「あんたがこっちの子供に対して何もしないならな」
「わ、分かった!!」

 その男――ジェイムズ・リンクスが二人を見かけたのは……最初は唯の偶然だった。いつもなら蘭の買い物の際に荷物持ちをやってくれる弾はいない。だから真相を話すことが出来ない代わりに、せめて弾の代わりをやろうと荷物持ちを名乗り出たジェイムズは――途中、気になる二人組をみかけたのである。
 織斑一夏と同じくISを起動させることが出来る少年と、もう一人の男性。
 元より軍人として修羅場を潜り抜けてきたジェイムズ――それこそ本気での命のやり取りをした軍人ならではの生死を嗅ぎ分ける能力は、絶対防御によって死ぬ確率が激減したIS搭乗者には真似できないほどの精度を誇っていた。そのIS学園の男子の制服を身に纏った子供の身体に纏わり付く色濃い死神の姿を彼は見抜いたのである。
 気になり――蘭に訳を言って別れ、そして……手を出さずには要られない状況に出くわした。
 ジェイムズの言葉にひとまず従わざるを得ないと判断したのか、男は解放されると同時に恨みに満ちた眼差しを向ける。どうやら窮地を脱した瞬間、他者を見下すその傲慢な性質が再び鎌首を擡げてきたらしい。

「貴様……よくも……」

 ジェイムズは無言のまま――シャルロット・デュノアを背中に庇う。
 その背中、その逞しさ――まるで幼い頃夢見た理想の父親のように大きい。シャルロットは無条件で子供を守る大人の背中にその体を庇われる。彼女にとっては……母親とは守らねばならないものであり、近くの大人達はみな敵に等しかった。だからこそ、子供の頃羨んだ理想の父親の背中が今そこにあるかと錯覚した。
 彼女の父は憎憎しげに彼――ジェイムズを睨みつける。
 蛇のような執念深さを思わせる眼差しに、蛭のようにしつこく粘着的に報復する恨み深い目に――しかしジェイムズは涼しい顔。こいつは本物の男ではないと、一瞬で見抜いていたからだ。こいつは自分より立場の弱いか弱い少女に暴力を振るえても、筋骨隆々の巨漢、自分のようにあからさまに暴力に長けた人間は殴れない、権力が無ければ何も出来ない報復を恐れる雑魚だ。

「娘を返せ! これは家族の問題だ!!」
「家族? ……殺すとか死ぬとかそういう言葉が出るような会話をするのが家族だってのか?」

 ジェイムズ・リンクスにそんな言葉は通じない。家族を愛する漢が――例え他の家の子供だったとしても、自分の娘のノエルよりもずっと年下の少女が酷い目に逢わされる事を見過ごすはずが無かった。
 堅牢な正義感を持つジェイムズに、相手は小さく舌打ちを鳴らす。そして面倒そうに――懐に手を伸ばし……財布を彼に放り投げた。それこそ札束で折れなくなったようなものを――だ。
 彼の判断はそう間違ったものとはいえない。
 彼は護身用の武器なら準備していたが、しかし日本の街中でそういうものを使うのは良くない。ガードマンは今現在陰日なたに付き添っているが、まだ彼らが出てきて事態を剣呑なものにするには早いだろう。ジェイムズが直接的な暴力を振るったなら兎も角、今の彼はどう考えても善意の第三者にしか見えず、判断に困っているのだ。
 
 だから、金。
 
 ざっとみて最低でも百万円ほど入った太い財布は凄まじい大金だ。それこそ些少な良心や道徳心を買収するには十二分すぎる金。彼にとってははした金でも一般的な収入の人間にとっては目を剥くほどの金額に、相手は満足して帰っていくのを彼は確信し。





 そして――シャルロットは見た。





 札束を満載した財布を握りこんだ拳でみぞおちを殴られた人間が、吐瀉物を撒きながら空中に吹き飛び、地面に墜落する様を。
 買収と言う行為は――確かに有効だったろう。相手が、誰よりも家族を愛するジェイムズで無ければ。彼は――少なくとも他人の子供と自分の子供を差別するような人間ではなく。
 そして買収などという手段に出た相手が――後ろ暗い人間である事を理解し、その壮絶な腕力で思いっきりぶん殴ったのである。

「き、き、きさ……! お、覚えてろぉぉぉ!!」
 
 口からぜぇぜぇと息を吐きながら、ようやく慌てて助けに出てきたらしいガードマンに引き摺られて去っていく姿に、シャルロット・デュノアは――言いようもない可笑しさを感じた。
 自分を縛り苦しめてきた父親。母の命を盾にとって殺人を強要する悪魔じみた父親。専制君主制の魔王みたいな男だった権力者が――唯の巨漢の拳に叩きのめされ、おまけに漫画やアニメで悪人が残していく捨て台詞そのものの言葉を残して去っていく。
 自分を苦しめてきた男が――こんなにあっさりと、叩きのめされるのがどこか滑稽で笑いを誘った。

「う、ふふ……あはは、あはははははははっはは……」
「お、おい、お嬢ちゃ……ん、か? どっか痛いのか、そんなに泣いて」

 その言葉で――シャルロットは、自分が笑い声と共に、涙を流しているのを悟る。笑い声と共に吐き出される嗚咽と涙。悪人を叩きのめすのは得意技でも女性の涙が苦手なのはどこの世界でも万国共通。おろおろするジェイムズに――シャルロットは泣き笑いの笑顔。強い男性、幼い頃夢見た優しい父親そのものの姿――自分の言葉がとても迷惑で彼に災厄をもたらすものかもしれないと悟っていても……シャルロット・デュノアは助けを求めざるを得なかった。当たり前だ――彼女はただの十五歳の女の子なのだから。

「助けて……助けてください……!!」
「分かった!!」

 返ってくるのは即断の言葉。事情も聞かず、理由も知らず、それがどのぐらい難しいのか厳しいのかすら知ろうともせずに――彼は快諾した。助けを求めたシャルロットが戸惑うほどまっすぐに躊躇わず。
 そんな眼差しに対して、巻き込んでいいものかと躊躇う彼女の内面を感じ取ったジェイムズは、応える。

「任せろ!!」

 力強くシャルロットを抱きしめて、父親が子供をあやすように、励ますように、その背中を優しく叩いた。

「大人ってのは、そのためにいるんだ!!」









 五反田弾はネレイダムの会社の一室でようやく得た睡眠時間を満足行くまで貪っていた。
 今現在彼の安眠を妨げるものは誰も折らず、休息時間を夢の国で満喫する――そんな彼にかかってくるのは……国外からの通信。曲は『Ring on the Wor』だからジェイムズさんだろう。
 しかし夢の中の弾はもちろんそのまま睡眠する事を選択する。放置しておけばそのうち留守電に切り替わるはずだ――が。

『くおぉらああぁぁぁぁぁぁぁ!! さっさと出ねぇか、五反田だ…………バレット!!』
「……あれ? なんで通じてんの?」
『緊急事態とのことでしたので、通信を確立しました』

 聞こえてくるのはデルフィの冷静な声。名前を現在の偽名に切り替えたという事は電話の向うに誰か一緒にいるということか? 弾は寝ぼけ眼を擦りながら、電話を取る。

「……どうしたんですかジェイムズさん……俺ようやく締め切りを乗り切った漫画家みたいな状況なんですけども……」
『こっちを優先してくれ! ……人の命が懸かってるんだ!!』

 弾は――その一言で、脳髄に覚醒の波が走っていくように思考が明瞭になっていく。あくびを噛み殺しながら、応えた。

「穏やかじゃないっすね。……どうするんですか?」
『決まってる!』

 返ってくるのは頼もしい大人の声。

『デュノア社をぶっ潰すぞ!!』










NG・今週の大統領




 ヒーローの資質とは、いったいなんだろうか。
 邪悪に敢然と立ち向かう強力な武力――確かにそうだろう。無辜の人々を助けるための力が無ければ自分自身はおろか、誰かを守る事もできはしない。決してくじけない精神力――これもそうだろう。我が身を省みず危機に戦いを挑む事は生半な心意気で成せる事ではない。

 ただ――個人的にそこに付け加える事があるとするならば……。

 それは、少女の涙が零れるよりも早く間に合う……どこかの誰かの危機に対してその場に居合わせるタイミングの良さと、誰かのために命を投げ出す献身なのかもしれない。


 彼は英雄(ヒーロー)であった。
 彼が胸に飾るその誇りある勲章は、1862年に制定されて以来、現在に至るまで2回受章した19人を含む、約3400人が受章している。その名誉ある勲章は米軍全てにとっての尊敬と敬意の対象であった。その勲章の持ち主とは自らの生命を省みる事無く戦友を守るために行動した結果与えられる。
 戦場に置いて仲間の生命のために我が身を投げ出し強大な敵に立ち向かうものほど頼もしいものはいない。その勲章を持つ者は己が敬礼をすれば、相手が如何なる階級の将校であろうとも答礼を貰えるほどのものだ。
 戦場で生き延びるのは強者か臆病者であり、死ぬのは勇者。だからこそ、強者であり勇者とは誰もが憧れるのだ。

 






 

 彼にとってシャルロットは使い勝手の良い道具でしかない。


 だからこそ、水と油のように相容れない両者だからこそ、N極とS極が引っ付くように――運命的な磁力に引かれて彼らは出会ったのかもしれない。
 実の家族であろうとも、道具と見なして利用する――人間としてもっとも恥ずべき男と。
 戦友の命を救うためならば、如何なる危機的戦場においても神話の英雄のように雄雄しく勇敢に死地に迎える男が。


 

 そう。












 シャルロット・デュノアに対し――救いの手を差し伸べるものは、通りすがりの大統領。

 ……すでにこの一文でなにもかも致命的におかしい気がしたが、このまま続ける事にする。

 正論を述べる娘に対して感情的に暴力を振るおうとした男の手首を握り……そのまま握りつぶすほどの握力で掴む、壮年の男性、全身から只ならぬオーラを纏う人がそこにいた。

「い、き、貴様……!!





 マイケル・ウィルソン・Jrは――その両者の間にどういった事情があるのかは知らなかったがそれはひとまず脇に置き、少女の危機に対して行動した。如何なる道理、如何なる理屈が存在しようとも――か弱い少女に暴力を振るう大人に、どう考えても理があるなどと思えなかったのである。
 握る。握り潰すような握力――それこそシャルロットの父親の片腕を握りつぶして破壊するかのような凄絶な握力。元軍人の凄まじい筋力がシャルロットの父親に対して如何なる抵抗も許さない。

「き、貴様……!! 何者だ!!」
「私は第47代アメリカ合衆国大統領、マイケル・ウィルソン・Jr.だ!!」
「「ええええぇぇぇぇぇぇぇええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!」」

 その場にいた人々の声が一斉に唱和した。無理もないが。
 何故アメリカ合衆国大統領がこんなところにいるのだろうか――少女の危機に対して呼応し、救いにきたというのは分かる。……だがなんなのだろうか、この激しいまでの「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」「正宗で大根を切る」という言葉が相応しい状況は。そもそもホワイトハウスにいるべき人物が、どうして日本で少女を助けるために行動しているのだろうか。

「何故なら私は、アメリカ合衆国大統領だからだ!!」
  
 大統領は、地の文章に対して応えた。
 大統領なら、仕方なかった。






 五反田弾はネレイダムの会社の一室でようやく得た睡眠時間を満足行くまで貪っていた。
 今現在彼の安眠を妨げるものは誰も折らず、休息時間を夢の国で満喫する――そんな彼にかかってくるのは……国外からの通信。
 しかし夢の中の弾はもちろんそのまま睡眠する事を選択する。放置しておけばそのうち留守電に切り替わるはずだ――が。

『ミスターバレット!! 君に頼みたい事がある!!』
「……え? 真剣に誰?」
『……流石にホワイトハウス経由の大統領からの通信とあっては受けざるを得ませんでした』
「ええええぇぇぇぇぇぇ?! さ、サインください!!」

 聞こえてくるのはデルフィの微妙に困惑したような声。反射的に妙な受け答えをする弾。なんで大統領が……という台詞ももちろん脳裏に浮んだが、しかし噂に伝え聞く大統領なら、唐突に電話を掛けても無理はないと思った。

「……で、どうしたんですか大統領!! 俺ようやく締め切りを乗り切った漫画家みたいな状況なんですが!!」
『問題ない!! 大統領魂で何とかなる!!』

 弾は――その一言で、脳髄に覚醒の波が走っていくように思考が明瞭になっていく。どうやら大統領魂が電話の受話器越しに弾の精神に注入されたらしい。全身に溢れるアドレナリン。四肢を満たしていくのは激しいまでの闘争本能、少女を守るために全身全霊を掛ける漢の魂が人知を超えたエネルギーとなって細胞の隅々まで駆け巡る。

「OK、Let's party!!」
『yaaaaaaahaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』

 返ってくるのは大統領言語。両名は下手なテレパシーや量子通信を上回る完璧な相互理解を、全身に溢れる大統領魂で成し遂げた。

『では行こうか、バレット!! デュノア社にあつあつの銃弾をプレゼントだ!!』
「何故なら俺達は、アメリカ合衆国大統領だからだ!!」
『…………』

 なんか、感染しおった。
 デルフィは、アメリカ合衆国大統領がデュノア社に喧嘩売ったら国際問題だと思ったが、面倒になったので突っ込むのをやめた。




[25691] 第十五話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/03/20 11:50
「デュノア社をぶっ潰す意味などありません」

 会議場での楊女史の言葉はにべもなかった。無理もないのだが。
 五反田弾こと現在の偽名であるバレットは、それもそうだろうな――と机に突っ伏した状態で応えた。日本のビジネスマンは二十四時間働けるという都市伝説を信じているかのような酷使状態で身体がまだだるいのだ。弾はあー、と呟く。最早『畜生給料日が愉しみだなぁおい!!』とやけくそ気味にぼやくしかないのである。
 ……実際お給料はどのくらいいただけているのか――メタトロン関連技術を初めとするアンチプロトンリアクター、ウーレンベックカタパルト、OFの基礎開発理論。弾がここ数日で脳髄からアウトプットした情報の特許料はどんな次元だろうか。デルフィの試算結果がある意味怖かった。

『し、しかしよぉ』

 電話の向うのジェイムズの声が微妙に情けなく感じられる。その渦中の人物、シャルロット・デュノアに対して大見得を切ったにも関わらず手助けしないのではバツが悪いのだろう。

「確かにシャルロット・デュノア嬢の境遇には同情いたします。ですが、第三世代機開発で遅れを取っているとはいえ、デュノア社は未だに量産機分野で世界第三位のシェアを誇る大企業の一角。その財力の貯蓄は相手取るには厳しいものです」
『……だいぶ、儲かってるって聞くんだが?』
「……正確には、儲かる予定です。アンチプロトンリアクターによる発電所施設は現在急ピッチで製作が進んでいます。ウーレンベックカタパルトも同様です。アメリカ政府からの膨大な援助金もあります。……ですが、現在我々は外に打って出るには厳しい状況です。
 そもそも、ジェイムズ・リンクス氏、貴方はレイチェル博士の配偶者ですが、ネレイダム内に置いては発言権が無い事をお忘れなく」

 確かにそうではあるのだが。楊女史の舌鋒は容赦が無い。余計な仕事を増やしたくないというのも理由の一つかもしれない。
 今現在ネレイダムで一番忙しいのはバレットこと五反田弾であるが、多分二番目に忙しいのは楊女史であろう。何せネレイダム社の――社長とはいえ、実質的な仕事に付いていない同席しているナフス嬢もやはり仕事に追われているのかこっくりこっくりと船を漕いでいた。それぐらい忙しいのだ。……そういえば彼女の仕事は何なのだろう――そんな弾の内心を見透かしたように楊女史が応える。

「お嬢様は疲れがとれにくい体質の方でして」
「まぁ、体力なさそうなのは分かります」

 いかにも深層の令嬢然としたナフス嬢。体も細くあまり活発な印象ではない彼女。くー、くー。寝息を立てて眠るその様は大変可愛らしいが、しかし子供に仕事を押し付けるのはいいのか、と思う弾。最近大人顔負けの仕事量をこなしているせいか、弾自身も十分子供の範疇に入ることを普通に忘れていた。

「……まぁ、ジェイムズさんがこの場合他力本願なのは仕方ないとして……」
『おいぃぃ?! その言い方はあんまりだろぉ?!』
「でも――なんとかしたいってのは俺も同じ気持ちです」

 ジェイムズから、シャルロット・デュノアの事情を聞き、流石に弾も驚きと怒りを隠す事が出来なかった。
 日本で連絡を取るわけには行かなくなった親友の織斑一夏。その彼に対する暗殺などという汚れ仕事を、母親を人質にして行わせようというその下劣な神経といい、彼女の父親とは相当に悪辣な人物のようだ。人質になっている彼女の母親の事も気になる。できるなら助け出したい。
 ただし、組織のトップとして、軽挙妄動するわけにはいかない楊女史の言葉も判る。
 ネレイダムは今後急速な成長を遂げ、いずれ世界のIS産業を牛耳る企業体を上回るだろう。……だが、それはすぐではない。力を蓄え成長するには相応の時間が必要であった。そしてデュノア社とは世界でも量産型ISの第三位のシェアを誇る大企業。技術水準の低下による問題は指摘されているものの、しかしこれまでの歴史で積み重ねてきた資本力は現在のネレイダムで太刀打ちできるものではない。
 楊女史は――眼鏡をくい、と吊り上げる。

「バレット。……試作オービタルフレーム、<IDOLO>の開発状況は如何ですか?」
「ん? ああ。そうだな、至って順調だ。まぁ――テストパイロットを務める予定のラダムさんが奥さんの名前を独立型戦闘支援ユニットに付けるのはちょっと予想外だったけど」

 弾は微妙に遠い目をした。
 楊女史は少し考え込んでから――言う。

「では――そうですね。少し貴方にはお休みを取って頂きましょう」
「休み?」
『ああ、バレット……というよりはデルフィのお嬢ちゃんを回してくれるって事か』
「はい」

 ジェイムズの得心いったような言葉。世界最高峰の量子コンピューターであるデルフィは、同時に世界最高峰のハッカーでもある。彼女の電子諜報能力はネットの海から必要な情報を引き出す際何よりも心強い味方になってくれるだろう。
 ああ、そういうことか――と弾は何となくこの楊女史の性格が分かってきた気がした。
 組織のトップ付近に立つ人間として、情を挟まず徹底して全体の事を考えるトップの鏡であり――彼女は同時に人情屋でもある。組織人としてはデュノア社を……というよりは、親に恵まれなかったシャルロット嬢の事をどうにかしてやりたいと考えているのだ。でもトップがそういう私情に類する行為をすることは出来ず――弾に任せる風にしているのだろう。冷徹な商売人……を目指す情誼に厚い人なのだと再認識する。
 まぁ情に薄く、利に聡い小利口な人であるならば、そもそもネレイダムを見捨てて違う企業に移籍しているだろう。
 弾としては楊女史のその気性は好ましかった。理に聡く、人の信頼を裏切って高給を得られる立場を選ぶ賢き醜さよりも、情に厚く、人の信頼を裏切らず貧乏くじを好き好んで引く美しき馬鹿さ加減は愛すべき性質だ。
 弾は嬉しそうに笑う。そんな相手の笑顔の意味が理解できず、楊女史は小首を傾げ、理由に気付いたのか、ああ、と痛ましげな表情。

「……それはそうですね。あれだけ長い間働き詰めでしたのですから、久しぶりの休みに嬉しさを隠せないのですね、申し訳ない事をしました。でも入社して一ヶ月も経っていませんから有給は出ませんよ?」
「……間違っていないけど、間違っていないけどさぁ!! あと有給の先払いとかは無理ですかそうですか?!」

 この人は素敵な人だ――とそう思っていたのに、勘違いされた弾。しかしその勘違いもむしろ弾の事を慮っての事だ。仕事漬けだった弾
に対する休日という名前の報酬を支払い忘れていた事に対して申し訳なさそうに項垂れる楊女史に、いや休みは嬉しいんだが――と微妙な表情。
 とりあえず休日は一人の少女を助けるために費やす事になりそうだ。弾はあくびを噛み殺した。






 ネレイダムとしては――デュノア社のM&Aは現在時点では到底不可能という結論が出ている。相手の強力な経済力に敵対するにはまだまだ力不足。しかし、将来的にオービタルフレームによる世界の戦力バランスを変化させようとしている以上デュノア社は将来的な敵性勢力である。また、<アヌビス>の存在を目ざとく思い、あの事故を引き起こした黒幕の一人であるという可能性も否定できない。
 結論を言えば、まだ表立ってデュノア社に経済的戦争を仕掛ける事は出来ない。

 ……だが、デュノア社長が娘であるシャルロット・デュノアに強制したのは実の母親を人質にとり、殺人を強要する殺人教唆だ。今時推理小説でも見かけないほどにあからさまな犯罪行為であり、これを社会的に暴露しておく事はデュノア社の勢力を弱める将来の布石となるだろう。

「……難儀なもんだなぁ」
「あ。あの……すみません」

 それがジェイムズ・リンクスに持ち込まれたシャルロットの難題に対して呟かれたものだと勘違いしたのだろう。車に同伴しているシャルロットは恐縮したように身を縮める。まぁ、この反応は無理もないとジェイムズは顔に皺を寄せた。相手は仮にも大企業重役。しかもこういう汚れた手段を使ってくる事からして、企業の躍進のためには見えないところで非合法手段も訴えてきたのだろう。そんな自分の一見に巻き込んでしまったことをまだ悔やんでいるのか――ジェイムズは嘆息を漏らした。

「前も言ったがそう落ち込むもんじゃない。……よし、付いたぞ」

 そう言いつつジェイムズが車を停車させたのはIS学園の玄関口。
 基本的に国防や機密など重要な情報が集中するIS学園では、外部の不審者などが流入しづらいように、学園本体に入るには海を越えなければならないように出来ている。専用のモノレールを使用せずに、何らかの船舶や海中から侵入しようとするものは警告無しでの発砲レベルだ。ある意味最先端技術に関わる少女達の監獄でもあるように思える。
 だからまず、外部から中に入るにはモノレールの前に設置された巨大な受付に足を運ばなくてはならない。
 そうしてシャルロットを連れて歩いたジェイムズは――入り口に立っている織斑千冬の姿に目を向けて、手を振った。思わず、びくりと背筋を振るわせるシャルロット。……分かってはいる。ジェイムズが結果として選択したのは、このIS学園に対して全ての情報を開示し、保護してもらう事だ。
 正直な話、彼女の父親に任せていては以降どんな命令を下されるのか分かったものではない。だから、大事な用件であるのだと――ジェイムズは彼女に事の全てを明かす事にしたのである。

「ジェイムズ・リンクスさんですね?」
「ああ。……あんたが――」

 織斑千冬と、ジェイムズの妻であるレイチェルは知人同士であり、千冬はジェイムズの事を聞き伝えではあるが知っている。
 そして――この時のジェイムズ・リンクスにとっては、これは戦場で敵同士として出会った時以来の再会であった。
 日本に向けて発射された二千発以上のミサイルを全て叩き落した世界初のISである<白騎士>。かつてアメリカのトップガンであった戦闘機乗りのジェイムズから空を奪った直接的な原因。持ちうる技量の全てを尽くしたにも関わらず、殺さないという手心を加える余裕すらあった目の前の彼女。
 ただ……不思議と怒りとか怨念とかそういう感情とはジェイムズは無縁でいられた。己が敗れたのは単純に力が足りなかったからだとさばさばした心境であった。それに今はやらなければならないことなど山ほどある。まずは予定通り話をする必要があった。

 
 
 
 剣とは。
 酷く単純で酷く乱暴に言ってしまえば――相手の刃が自分に届く前に相手に自分の刃を届かせる技術である。
 篠ノ之箒がそういう闘うための技術を会得しそして現在も続けているのは、一番最初、それが事情により織斑一夏とはなればなれにならざるを得なかった幼少期に彼との繋がりのように思えたからだった。
 ただし、ISの操縦や戦闘においては剣道は余り役に立ちにくくなっている。
 剣道で重視されるのは相手に如何に竹刀を打ち込むか、そのために重要なのは間合いなどの要素なのだが――実際には火器を搭載しないISなどというのは<白式>ぐらい。射撃戦武器を持たない近接戦闘特化型など既に絶滅危惧種である。それに相手との距離を一瞬で埋める瞬時加速などというものがある以上、剣道での細かな間合いの把握は正直役に立たない。自然見切りよりも大雑把な間合いの取り方の方が重要になる。これも戦闘技術の変遷、時代の流れだろう。
 しかし、剣道を昔から続けてきた人からすれば、やはり精神修練の足しにはなるし、体を思い切り動かせばすっきりとする。不快な悩みなど汗と共に滴り流れ落ちるのだ。

(……だが、やはり共通の話題があるのは良いものだ)
「で、どうだ、箒。……何かおかしな点はあったか?」
「ん? あ、ああ!! ……もう少し脇を締めて、振りを小さくするようにした方が良い。剣道で言うなら威力を増すためには体重を乗せるところだが、ISでは推力を乗せるからな」
「……なるほど、いっそ剣の後にブースターでも付けるか」
「……それを聞かれたらあの人に本気にされるぞ」

 箒が嫌そうにしながら――<白式>を纏う一夏の言葉に応えた。
 あの人と言えば、もちろん篠ノ之束その人に他ならない。彼女ならば、一夏の頼みとあらば即座に雪片弐型をお望みの形状に改造しかねない。
 それに箒としても折角一夏と――憎からず思っている相手と一緒にいるのだ。邪魔など欲しくは無かった。そもそも先日も機体の機動性能を向上させるためにラウラにPIC(パッシブイナーシャルキャンセル)に付いて教えを受けていたのだ。今度は自分の番だ。

「……なぁ、一夏」
「ん? ああ」

 不意に、箒は二組の代表候補生である凰鈴音の事を思い出した。
 セシリア・オルコットも、ラウラ・ボーデウィッヒも、シャルル・デュノアも二人が大事な親友を亡くした事に対してどうにかしたいと思っているはずだった。最初は力を彼が求める事は、好ましいと思っていた。どんどんと彼は強くなっていく。だが同時に人として重要な部分も徐々にすり減らしていくように思えた。

「凰――最近授業に出てこないな」
「……何度も見舞ってるんだけどな」

 一夏は顔を俯かせて応える。
 凰鈴音は、一応授業には出ている。ただし、此処はIS学園。代表候補生から国家代表IS搭乗者に昇格するため、人より抜きん出るため、意欲と野心溢れる生徒は放課後に自主的に訓練に励むのが常であり、そして凰鈴音はその中でも特に熱心な一人だった。中国の代表候補生としてその名前に恥じぬ実力と、それ以上に人に負けたくないというあの激しいまでの負けん気の強さ、気性の激しさは他の面子にはないものだった。
 なのに――その彼女が最近は放課後に出てこない。
 一夏は――それも無理はないのかもな、と思う。五反田弾への恋心を自覚したその時にあの事故。それこそ死の運命を司る神がいるのならば相当の性悪であるに違いないと確信できる残酷なタイミング。
 ただし、いつまでも下を向いていられるのも困るのだ。仮想的は<アヌビス>、あの化け物。篠ノ之束によれば、あの戦いに参加した全てのISは強力な自己進化欲求を持っており、必要量のメタトロンが確保できればすぐにでも変化するそうだ。『ただしそれでも全員でかかってよほど上手く立ち回らなければならないけどね♪』とも言っていたが。
 全力を尽くさねば<アヌビス>には勝てない。だけど、悲しみにくれる彼女に無理強いするのは一夏には出来なかった。

「箒……悪いけど、ちょっと話を聞いてくれないか?」
「ん? ああ」

 一時休憩の時間、スポーツドリンクを手に、織斑一夏は休憩用のピットに腰を下ろした。箒も同様にその隣に座る。

「あの日……俺さ、目の前で飛行機が爆発した時、咄嗟にISを起動させようとした。……けど、出来なかった」
「……それは、仕方あるまい。<アヌビス>と交戦して命があっただけでも良かったではないか」

 だが、俯く一夏がそう思っていないのは後悔と苦渋に満ちた表情から明らかだった。

「仕方ないではないか……アレは――」
「いや、箒。……俺は、仕方ないと思いたくなかった」

 箒のその言葉は、<アヌビス>に勝てなかった一夏を慰めようとするものだが、彼はその優しい甘えを厳しく否定する。

「あの日――爆炎に包まれる旅客機。でもあの時、あそこには<甲龍>と<白式>があった。……もし起動したなら――起動したならって、俺はそう思わずにはいられないんだ……」
「それは――」

 箒は、一夏の言葉が到底現実味のないものであることを理解している。
 旅客機事故――それも事後調査によれば、溢れ出た爆炎は瞬時に旅客機の中の乗客のほとんどを高熱で焼き殺した。正直最初の一瞬で全滅状態だっただろう。だから、たとえあの場所でISの起動ロックがかかっていなかったとしても、一夏は誰も助ける事など出来なかっただろう――そこまで考えて箒は理解する。

 織斑一夏は、敵を欲しがっているのだ。親友を死に追いやったものを捜しているのだ。

 親友を死に追いやった元凶に対する向けどころのない怒りと憎しみ。その矛先を<アヌビス>に向けて、悲しみから目を逸らそうとしている。

「もしあの時、<アヌビス>が出現していなければ――俺は、弾を助けられたかもしれないのに……鈴に、あんな顔をさせずにすんだのに」
「一夏……」

 箒は理解する。
 一夏は親友の死から完全に立ち直れたわけではない。むしろその心は悲しみの沼から抜け出せてはいない。でも、ISに搭乗できない全ての男の代表として彼は自分自身に悲しみに浸り涙を流す時間を許していないのだ。そして親友の死から自らを復帰させる原動力として、復讐心を<アヌビス>と言う敵に向ける事により、立ち直ろうとしているのだ。憎しみを骨格として萎えた心を奮い立たせようとしている。

「……俺は、あいつを倒す」

 それが、穴だらけの論理であることも一夏自身は理解しているのだろう。<アヌビス>と親友の弾の死にはなんら因果関係はない。ただ、そうでもしなければ、一夏はすぐに立ち直れない事を察しているのだ。箒は顔を悲しみにゆがめる。
 一夏は三十億の男性全ての代表として生きていく事を心に誓った。だがその道行きのなんと困難な事か。親友が死んだにも関わらず、時間がゆっくりと心の傷を癒すのを待つ暇すら己に許さない生き方に、箒は一夏を胸に抱き抱く。唐突で突然だが、彼が――とても弱弱しい生き物に思えた。一夏の言葉が、悲しいほどの虚勢に思えたのだ。
 抱き寄せられて、一夏は一瞬びくりと震えたが――それでも抵抗する様子も無く掻き抱かれる。せめて自分ぐらい彼の手伝いをしよう。その力は姉が与えてくれた。あの時と違い、箒は無力ではない。

「私も手伝うぞ、一夏。……一緒に、<アヌビス>を倒そう」
「……ああ」

 


 
 鈴は、彼女しか知らない、誰にも話していない秘密がある。
 それは、<アヌビス>の正体が五反田弾であるという事だ。もちろんそれは口に出して確認したわけではないし、十割の確信がある話ではない。だが、あの仕草――十割の確信とは行かずとも、八割の確信があった。
 もちろん一介の学生である弾がどうしてあれほど高性能の機体を持つに至ったのかの理由は全く想像できない。出来ないが――もうその辺りの事情は全て無意味になった。あの爆発事故――<アヌビス>がISの類だと仮定して、果たして生きていられるものだろうか?
 アレがISと仮定しても、ISは基本的に自分で意識しなければ起動しない。それに――その後彼の遺髪も発見された。遺伝子情報は完全に親族と合致。こうなれば死亡したと確信せざるを得ない――自立的に<アヌビス>を起動させる事が出来る超高度AIであるデルフィの存在を知らないがゆえに、彼女はそう推論していた。


<アヌビス>は――少なくともその使い手は既に死亡している。

 
 これが、鈴が対<アヌビス>戦に対してトレーニングを続けている一夏や箒達と一緒に訓練にのめり込めない理由だった。
 人間、その訓練が無意味であると分かっていて、目標を達成する事が出来ないと知っていながら高いモチベーションを維持できるわけがない。国家代表候補生である事に対するプライドも、励まねばならない立場であることも、彼女を奮い立たせるには至らない。
 
「……ちょっと、出るかな」

 鈴は自室を出て歩き出す。
 彼女の専用ISである<甲龍>の修復は既に完了しているが、あの日から授業をのぞいて起動させてはいなかった。足の向きは自然とアリーナへ。
 ほんの数週間前まで自分はIS搭乗者としての野心と恋をかなえるために此処に来て、誰よりも熱心にトレーニングを積み重ねていたのに、そう思いながら鈴はアリーナの休憩用のピットに足を運んだところで……中に二人、顔見知りがいることに気付いた。

「あの日……俺さ、目の前で飛行機が爆発した時、咄嗟にISを起動させようとした。……けど、出来なかった」
「……それは、仕方あるまい。<アヌビス>と交戦して命があっただけでも良かったではないか」

 聞こえてくるのは一夏と箒の二人の声。
 会話に混じる機会を掴みそこね、ついつい物陰で聞き耳を立ててしまう。<アヌビス>――その言葉を聞くだけで、鈴は胸に押し寄せる故人との思い出を感じてしまう。
 すぅ、はぁ、と息を整え、目頭の奥底から湧き上がる涙の衝動を堪える。

「あの日――爆炎に包まれる旅客機。でもあの時、あそこには<甲龍>と<白式>があった。……もし起動したなら――起動したならって、俺はそう思わずにはいられないんだ……」
「それは――」
「もしあの時、<アヌビス>が出現していなければ――俺は、弾を助けられたかもしれないのに……鈴に、あんな顔をさせずにすんだのに」
「一夏……」

 中で続く二人の会話――鈴は壁に背を預けたまま、その言葉を聞き続ける。
 彼女も箒と同様に、織斑一夏が自分が立ち直るために必要な敵を欲していることに気付いた。

 ただ――箒と違って、鈴は、誰にも明かしていない秘密を一つだけ持っている。

(……違うのよ、一夏。弾が……<アヌビス>なの)

 あの時、弾が何故アリーナに攻撃を仕掛け、<白式>を含む全てのISを撃破したのかその詳細は不明だ。だが、そういう意味では弾が死んでしまったのはある種の自業自得とも言えたかもしれない。鈴は、思う。

(……駄目、言えない)

 織斑一夏は自分が立ち直るための理由として、<アヌビス>へと怒りの矛先を向けざるを得なかった。
 だが……そこに対して既に怒りをぶつけるべき相手は既に死亡しており、親友と思っていた相手が明確な敵対行動を取ったと言ったら、一夏はどんな気持ちになるだろうか? 立ち直るために必要な心の支えである憎悪の骨格を失い、親友だった相手が自分達に攻撃をしてきたとしれば、彼はどれほどの衝撃を受けるだろうか。
 もしそうなれば――彼はどれほど落ち込むだろうか。

 凰鈴音は……この時、決心した。
 あの時出現した<アヌビス>の正体を、誰にも明かさず、一夏の心を守るために行動しようと。そのために、<アヌビス>の正体が五反田弾であったという事を……墓場まで持っていこうと。

(弾……応援して。力を貸して。一夏の心を守ってみせるから。あんたはもういないけど……でもあんたも自分が死んだせいでずっとあいつが立ち直れないままでいられるなんて嫌でしょう?)

 死んでしまったあいつだが、不思議と今の一夏を見れば困ったような苦笑いを浮かべる姿が目蓋の奥底に焼きついている。中学時代、三人でつるんでいた時期を思い起こす。もうあの三人が揃うことはなくなってしまったけれども、一人は永遠に手の届かないところに行ってしまったけれども、生きている人間がいつまでも落ち込んでいる訳には行かないはずだ。

 涙を払う。唇の頬を指で吊り上げて無理やり笑顔を作る。このところ、暗い表情ばかりで微笑む方法を忘れてしまったような顔面筋を矯正する。悲しみは全て癒えた訳ではないが、微笑むうちに湧き上がるものもあるはずだ。物陰から姿を現し、鈴はびしぃ、と姿を現す。

「話は聞かせてもらったわ!! 一夏! あたしも<アヌビス>を倒すのを手伝ってあげる!!」

 目を閉じたまま自分自身に言い聞かせるように鈴は叫ぶ。
 せめて、一夏にだけはあの真実を隠し通そうと思いながら。

「以前こてんぱに伸されたままじゃ悔しいし、このままやられっぱぱなしってのは性に合わないもの、やりましょう、一夏……ってなにしてるのよあんたたちはー!!」

 そして目を見開き――視界に写るのは箒の豊満な胸に掻き抱かれる一夏の姿。まさか親友を失った直後に休憩所でいちゃいちゃしているとは予想外だった。柳眉が逆立ち、ツインテールが怒りの上昇気流に巻き込まれたように天を突く。

「い、いや、ちが……これは……!!」
「そうだぞ鈴、これはただ単に箒が俺を慰めてくれようと……」

 顔を羞恥の赤色に染める箒と、あの巨乳に掻き抱かれていたにも関わらず、悟りでも開いたように冷静な一夏。そんな二人に、鈴は――ああ、いつものイベントだ、と日常が舞い戻ってきたような感覚を覚えた。
 いつもなら……相手の不純異性交遊に金切り声と共に攻撃を仕掛けるところだが――しかし弾への儚く散ってしまった恋心を自覚してからは、冷静に反応する事が出来た。その事に何処と無く寂しさを感じながら、鈴は悪童めいた笑顔を浮かべる。

「へー? ……まさか二人して休憩室でいちゃいちゃしてるなんて思ってもいなかったわね。……一夏、あんたを手伝ってあげようかと思ったけど、二人きりの邪魔になるみたいだしやめとこっかー?」
「な?!」

 顔を真っ赤に染める箒。ああ、彼女は一夏の事を心から好いているんだな、と――鈴は、心の中に優しいものが満ち溢れてくるのを感じる。自分の恋は、永遠に叶わなくなってしまった。自分が失った大切な宝物を持っている彼女に対して胸の中に僅かに疼く羨望と、けど、それを上回る彼女の幸せを願う想いが溢れていく。
 そんな風に顔を赤らめる箒に対して――扉を開ける音と共に仲にやってくるのはラウラとセシリア、金銀の髪の少女二人。彼女らは鈴が来た事に僅かに驚きの表情を浮かべたが、すぐさま安堵を見せる。彼女と一夏の落ち込み様を心配していたのだろう。
 そんなまた出てきた乱入者たちに箒は苦々しい表情。折角二人きりだったのに――とサトリの妖怪でもないのに彼女の内心が手に取るように分かる。
 鈴は、そんな織斑一夏を中心とする彼女達から僅かに一歩引いた場所で、懐かしそうに微笑んだ。




 あたしの恋は、永遠に終わってしまったけれども――でも貴方達の恋は、花開いて欲しい。




 だから彼女は笑顔を浮かべる。一夏が誰と結ばれるかは知らない――でも願わくば、その人達は幸せになって欲しい。そういう願いを込めた優しい慈母のような微笑み。
 凰鈴音、まずは快心の笑顔であった。























 だから、彼女は知らない。






『……?』
『どうしましたか、弾。あと一時間で日本に到着しますが』
『……いや、気のせいかな? 懐かしい声が聞こえた気がしたんだが……』



 彼女の恋は、まだ終わっていないという事を。



『ところで何故旅客機を使わずに私で?』
『前も言ったが、旅客機にはもう二度と乗りたくないし……そりゃお前と一緒に空を飛ぶのは気持ちいいからな』
『…………ありがとうございます』





 ただし、AIといちゃいちゃしているようだったが。
 凰鈴音は、何故かこの時唐突で理不尽な怒りを覚えたらしかった。












 話を全て聞き終えた織斑千冬の顔は仏頂面を通り過ぎて、見たら死ぬと思えるほどの殺気に覆われていた。
 海を展望できる高台にいるのは三人。ただし話すのは基本的にジェイムズ・リンクス。聞き役に徹しているのは織斑千冬であり、時々言葉を差し挟む程度。ただ会話が進めば進むほど不機嫌さは増しており、彼女が本気で激怒している事が伺えた。
 当事者であるシャルロット・デュノアは顔色こそ悪いものの、じっとそれを黙って聞いていた。

(……こうして聞いてみると、ほんとに酷い話)

 他人の口から聞けば聞くほど、自分の境遇であると信じられないような滅茶苦茶な話であると改めて実感できる。
 全てを聞き終えた織斑千冬の顔は外面こそ冷静であったが、内面は煮え滾る溶岩のように怒りに沸き立っていた。それこそ大地を見てもその下にマントル層が広がっているなど想像できないのと同じように。
 
「……話は以上だ」
「……まず、礼を述べさせてください。生徒を救っていただき、ありがとうございました」

 織斑千冬は丁寧に一礼する。この件に関しては彼女はジェイムズに対して二重の意味で助けてもらった。シャルロット・デュノアのその未来、前途に暗い影を落とすであろう殺人を思いとどまらせたという意味と、弟である織斑一夏の命を間接的に救ってもらったという意味で。
 
「だが、この事はすぐには明かさない方がいいだろうな。まず、何にも増してこっちのお嬢ちゃんの母親の身柄を確保しなきゃならん。ただ、一人腕の良いハッカーがいるんだ。そいつならすぐさま足を掴めるだろう」
「いや、ご好意は有難いですが」

 それには及ばない、というのが千冬の正直な感想だろう。個人の知己程度のハッカーと、IS学園という組織の人間が抱えるハッカーの能力は、資金的にも能力的にも後者の方が上回る。だからあくまでそれはご好意として受け取っておく。
 実際にこういう潜入工作などは二年の更識辺りに任せようか――そう頭の中で考えた千冬は、甲高い車のエンジン音に気付いた。
 車両――ただし、舗装された道路ではなく、高台の方へ目掛けて来る時点で法を守る気のない何らかの悪意を持った人間であると察するのは簡単だった。

「……ッ直接的な事をしやがる!!」

 ジェイムズの罵声が響く。
 それがシャルロットの父親が使わした殺し屋の類である事を察した二人。思わず背筋を振るわせるシャルロットは――しかし、彼女を正気に戻すように肩を揺さぶる千冬によって正気に引き戻される。そのまま三人はジェイムズの車目指して走り出した。

「デュノア!! 緊急事態だ、教官権限でISの起動を許可する!!」
「あっ……はい!!」

 その言葉にシャルロットは即座に答えた。
 ISは個人が保有する事の出来る最強の兵器。相手が如何に非合法工作のプロだろうが、戦闘機や戦車を越える超兵器を倒せるはずがない。弾かれたように<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>を起動させようとし――それがなんら反応を示さない事に、背筋に氷塊が忍び込んだような恐怖を感じた。思わず上ずった声が出る。

「織斑先生……!!」
「……ッ、やはり<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>に仕込まれていた起動ジャミングのプログラムか。そもそもデュノアの製品である以上こういう仕込みも当然だったか……!!」

 起動しない――恐らくはその反応も予想の範疇だったのだろう。千冬には忌々しさはあれども、予想外の事態に対する恐怖の感情は見られない。そうこうしているうちに、車が此方へと接近してくる。十中八九防弾車両、逃げ切れるか?! そう三人が考えた瞬間――同じく車道を無視して突っ込んできた別の車が、最初の車目指して体当たりを叩き込んだ。
 ジェイムズ――思わず叫ぶ。

「味方か?! あんたは――蘭ちゃんの!!」
「ミスタージェイムズ!! こっちへ!!」

 ワンボックスタイプの車の扉を開けて叫び声を返すのは活発そうな短い黒髪の青年――千冬もシャルロットもそれが誰かは知らなかったが、ジェイムズだけは知っていた。五反田蘭のガードマンとして陰日向に付き添っていたネレイダムの人間、アクセルが車両の扉を勢い良く開け放った。その相棒である冷静な氷とでもいう雰囲気の青年、ラリーは前方でハンドルを握っている。

「アクセル、銃撃が来る。応戦しろ」
「分かってる、やるぞ!!」

 即座に車を後退させるラリー――相棒の言葉に応えるようにハンドガンを構えるアクセルは、即座に相手に対して銃撃を繰り出す。
 ただし、相手の武装は自動小銃であるのに対し、彼が構えるのは唯の拳銃。火力の差は歴然――であるにも関わらず、アクセルは銃口のみを除かせて畑でも耕すような弾幕に対して応戦した。
 そして圧倒的な火力差があるにも関わらず遮蔽越しの射撃戦で勝利したのはアクセルの持つ拳銃弾だった。

「……弾を……曲げた?!」

 その様子を見ていた千冬は思わず驚きの声を漏らす。
 もちろんこれらはネレイダムが試験開発した新型弾丸、トレーサー推進弾に秘密があった。発射後に噴射や重心移動を行なう積極的弾道制御により、命中率を高めた弾丸の総称であり、ネレイダムで弾が走り書きした技術を元にした新型武器だった。ホーミングミサイルのような機動は不可能だが、対人戦闘では極めて有効で、一度ロックオンすれば遮蔽物を迂回して標的に命中させることさえ不可能ではないその威力に――実際実戦で初使用したアクセル自身が感心したように銃器をまじまじと見つめている。
 現在時点では銃身自身よりも高く、コストが問題だが――その将来性は恐ろしいものがある。

「……支給された時は眉唾ものだったけど――こいつはいいな、使えそうだ」
「何処に向かいますか?」
「とりあえず、人のいない場所だ。時間が経てば増援が来る」

 千冬は相手が何処のだれで何をしに来たのか聞きたかったが、とりあえず命令――ラリーは短い首肯。
 ハンドルを握りながらサイドミラーを確認し頭の中に叩き込んだ地図を広げて車両へ移動……かすかに眉を寄せた。

「アクセル、新手だ。後方のベンツ」
「防弾、してると思うか?」
「……相手の無能を期待するのはよせ」

 だが、後方から迫るその黒いベンツに対して誰よりも早く反応したのはシャルロットだった――見覚えがあるのか、顔色を一気に蒼白にする。

「あれは……! ハイウェイの猟犬、ティンダロス・ハウンド?!」
「なんかやばそうな名前だなぁ。おじさんにこっそり教えてくれる!?」

 銃器を預かり同時に迎撃射の手伝いを始めるジェイムズ。だが、シャルロットの返答を待つまでも無かった。
 その豪腕に相応しい大口径マグナムを構え、発砲――それこそ下手な装甲など貫通し致命的損壊を与える強力な運動エネルギーが――弾かれたのだ。

「あらやだ」

 ジェイムズの唖然としたような声――それに応えるように、車両の後席ドアの一つが横方向にスライドする。まるで要塞の外壁を一つ切り取って銃眼を空けたような構造。その中心にそそり立つのは――ブローニングM2重機関銃。本来ならば戦車や装甲車、トラックやジープ等の車載用銃架、地上戦闘用の三脚架、対空用の背の高い三脚銃架など様々な方面で用いられる大型武装だ。
 もちろん六十七口径機関砲を常備するISにとっては唯の動態目標、雑魚と言える程度の相手だが――市街地で用いられる従来兵器としては破格の威力を備えている。マグナムを耐える装甲、車載兵器クラスの大型火器。都市戦を想定した――車の姿をした重戦車。

「こいつら……偽装戦車か?!」

 千冬の声が、焦りと驚きに満ちた。
 
 
 


 作者註

 鈴さんマジヒロイン。今回のアレの元ネタが判る人はマジジーザス。
 なんとなくですが、白式とブルー・ティアーズ、ファング・クエイクのセカンドシフトと単一能力が決まりました。しかしそれ以外の人はまだだったりします。
 ……ところでブルー・ティアーズですが、イギリスの言葉で『no future』ってなんてかけばいいんだろう。
 既に判る人は分かる単一能力でした。それでは、感想を返す暇も無く申し訳ないです。八針来夏でした。




[25691] 第十六話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/03/27 00:39
 当然の事だが付近で発生していたこれほど凶悪な銃撃戦を察知できないほど、IS学園は無能ではない。
 ただし発生と同時に出撃を命令されたメンバーは全員が教官や指導員だけで構成されていた。これはそうおかしな話ではない。確かに生徒の中の専用機持ちは極めて優れた能力を持つが――生憎と彼女らは、IS同士での戦闘しか……いわば人の死なない戦闘しか経験した事がないのだ。
 しかし、今回彼女たちが排除しなければならないのは、あくまで従来兵器を保有するただの人間。引き金を引けば簡単に消し飛ぶ脆い目標だ。可能なら捕縛するべきだが、周囲へ被害を撒き散らす可能性をかんがみて、射殺が許可されている。……今回はあまりにも弱すぎる目標を冷酷無慈悲に撃ち殺す、そういう覚悟を決めた大人が必要だった。
 そして――ISには基本的に無力化用の武装は存在しない。迅速に目標を排除する必要があるが――同時にそれは殺人という禁忌を実行する必要があり、未だ十代の少女達が人を殺せば、それは強烈なトラウマとして後々尾を引く可能性がある。世界各国の代表候補生となりうる人材を使い物にならなくしてしまうような仕事を任せることはできない。
 だからこそ……この事件に巻き込まれているのが、彼女の頼りになる先輩である織斑千冬と、彼女が担当するクラスの生徒であるシャルロット・デュノアであると知ったとき、担任教師の山田真耶は躊躇うことなく出撃メンバーに申し出た。

「すみません……山田先生」
「良いんですよ、織斑くん。これは先生が自分で決めた事です」

 そんな山田先生を見送るために一夏をはじめとする専用機持ちは全員集合していた。
 一夏は……悔しそうな表情。叶うならば姉を助けるために自分自身が行きたかったが立場に縛られそれはできない。専用機持ち組は万が一に備えてISスーツに着替えてこそいるものの、恐らくお鉢は回ってこないだろう。

「山田教官、敵はISに通用しないとはいえ、大型の火器を保有しておりす。……これほど大掛かりな兵器を持ってくる以上錬度も相当でしょう。問題はないとおもいますが、注意してください」
「あはは、ラウラさんは心配性ですね」

 励ますように答える山田先生の顔色は――微妙に悪い。
 IS学園の教官でも実際に殺人を経験した人は少ない。経験せずに済むならそれに越した事はない話だった。

「……じゃ、行ってきますね。織斑くん、千冬教官はとっても強いです。きっと無事ですよ」
「心配するのが馬鹿らしいぐらい強い人ですからそっちは心配していません。山田先生も、気をつけて」

 迅速に、即座に相手を射止めるための大型狙撃砲を片手に山田真耶は、教え子達に心配をかけまいと笑顔を浮かべ、<ラファール・リヴァイヴ>を起動させ――そのISのハイパーセンサーに掛かった反応に即応した。

 
 それは彼女の人生の中でも大金星に入るであろう神速の反応、神業の射撃だった。
 

 それがミサイル兵器であるということを視界の端で流し読みながら銃口を反応のする方向へ向け、引き金を引く。
 解き放たれた銃弾はバレルを通り、まるで目標の未来位置と銃口が一つの線で繋がったように重なり合い――衝突する。




 激しい轟音と共に――まるで『天使の輪』のような爆発が広がった。



 
「ミサイル?!」

 緊急事態に対してここで判断を迷うものはいなかった。一夏を初めとする全員が即座にISを展開する。

「恐ろしく早いが、炸薬の量はそこまでではない――潜水艦からの巡航ミサイルではないな。……ISクラスから射出される大型ミサイル?!」
「第二波、接近しますわ!!」

 ラウラが爆発規模から相手の性質を推定――同時に遠距離戦闘を想定しているが故に一番索敵半径に長けた<ブルー・ティアーズ>のセシリアが即座に敵ミサイルの位置データを全員に転送する。

「迎撃!!」

 こういう場合、もっとも偉いのは教官である山田先生に当たる。彼女の言葉に一斉に空中へと飛び上がる各機。
 攻撃?! 山田先生の脳裏に広がるのは困惑。世界各国の代表候補生を預かるこのIS学園に対して攻撃を行う組織がいる。おまけにその相手は――レーダー圏外からの超遠距離ミサイルを使用してくるのだ。
 即座に――教官機達が固める一方向と専用機持ちで分担区域を決めて散会。

「しかし――やることが心底何もねぇ!」
「織斑くん!!」

 しかしこういう状況で、一極特化型の弊害が出た<白式>。流石に超音速で飛来する敵のミサイルを交差して両断するほどの神業めいた技量はない。まだ、ない。いつかそうなりたいと思っている。となればせめてCIWS(近接防御火器)の役割ぐらいはこなさなければならない、と――彼に、使用許可したアサルトライフルを手渡す山田先生。

「感謝します、先生!!」
「一夏くんはラウラさんと、箒さんは鈴さんと。セシリアさんは単独行動、可能な限り遠距離からのミサイルを狙撃、近くのミサイルは他に任せてください!! セシリアさん、あなたと<ブルー・ティアーズ>がこの作戦の要です!!」
「ご期待に沿いますわ、先生!!」

 油断なくスターライトMK-Ⅲを構えるセシリア。
 そんな彼女と違い、慣れない手付きで構える一夏――そんな彼に対して、ツーマンセルを組むのは、<シュヴァルツェア・レーゲン>のラウラ。<白式>の隣に並ぶ。
 
「山田教官が私とお前を組ませた理由はわかるな?」
「俺の射撃の下手糞加減じゃまともに命中は期待できない。……停止結界で動きが鈍ったところをズドン予定だろ?」
「自分を知る事は重要だな。……やるぞ!!」
「ああ!!」










 ジェイムズ・リンクスにとってこの状況は良くない。
 五反田弾と彼の扱う<アヌビス>は現在日本へ飛行中だろうが、しかし電話を取って通話を行い、その数時間後に<アヌビス>が飛来すれば自分と弾の関係性が明るみに出てしまう。だから、ジェイムズが取った手段は携帯電話の通話をオンにしてそのまま放置しておくことだけだった。
 相手が何らかのECMなどの電子欺瞞を展開する可能性はあったが――しかしそれはそれで構わないかもしれない。こちらの携帯電話に対してジャミングが仕掛けられているとすれば、それは悪意ある第三者が自分達の傍にいるという証拠でもあるのだ。それにもし繋がった場合、一発で気づくだろう――銃声に。

「くっそ!! 都市内であんな口径の機関砲を扱うなんて……正気か!!」

 アクセルが毒づく。
 気分としてはジェイムズも真にそのとおりだと思った。

「RPG-7などの対戦車兵器はないのか?」
「無茶言わないでください!! 俺たちは兵器を相手にするつもりはなかった!! ただのボディガードでそんな大物を用意する必要なんて――」

 同様に応戦の手伝いをするつもりなのだろう。織斑千冬のサブマシンガンの弾装を叩き込みながらの言葉にアクセルが答える。その回答も当然といえば当然だろう。隠匿性に優れた小型拳銃――ぎりぎりで持ち込めて手榴弾が限界。当たり前だ。彼らが本来想定していた相手はネレイダム、ひいてはアメリカ合衆国の要人、五反田弾の家族を狙うプロの諜報員だ。まさか――偽装戦車なんて代物が世界でも有数の治安の良さを誇る日本の街中に出現するなど誰が予想できようか。

「アクセル」
「何だ!!」
「……お前はあまり喋らないほうがいい」

 先の言葉は少し迂闊だ――言外にそういう意味を含ませるラリーの言葉。本来なら隠密行動が主任務の彼ら――五反田蘭のガードをCIAに引継いだ後、そのままジェイムズのバックアップにまわされたのだ。
 よく言えば真っ直ぐ、悪く言えば単純なところのあるアクセルに、ラリーは精密なハンドルさばきで相手の射線から懸命に掻い潜っている。この車両――外見からは想像できないが、相当に装甲を分厚く作っているのだろう。広々とした外見からは分からない微妙な狭さが装備された装甲板の頼もしさを物語っている。
 そう――相手が大口径機関砲でなければ、要塞の中にいるような安心感を与えるはずだ。聞こえてくるのはアスファルトを焦がすようなターンの音、装甲、人体を区別せず粉砕破壊する悪鬼の咆哮じみた重機関砲の発射に伴う轟音、そして近隣住民の罵声と悲鳴――予期せぬ場所で巻き起こる戦闘楽曲が……シャルロットの精神に爪を立てる。
 彼女は世界最強の戦力であるISの搭乗者であり、その戦闘能力は後方のあんな車両など一蹴するほどの戦闘力があった。だが、しかしISを起動させる事ができない今の状態では自分はただ震えているだけの人間だった。
 もちろんシャルロットだって専用機持ちであり、生身での戦闘訓練は積んでいるが――父が自分を殺そうとする現在の状況に心が萎縮してしまっている。

「心配するな」

 織斑教官が、窓から相手に反撃射を繰り出しながら言う。

「……お前は、私の生徒だ!!」
「ああ、そうさ――お嬢ちゃんを家に帰してやる!!」

 ジェイムズの言葉に、シャルロットは泣きそうになる。
 家――その言葉を聴いて一番最初に思い出したのは、ずっと昔、母が健康だった時に一緒に暮らしていた農園の見える穏やかな田舎町。時間がゆっくりと流れていくような優しい場所だった。
 次いで思い出したのは――デュノアの家。大きく豪華で華々しく……そしてとても硬質な冷たさに満ち溢れたビル。
 
(……そう、ここに来たのは、僕が弱かったから……)

 母親の手術台は大金で、給料が出る国家のエリートである代表候補生になったのも――金で購える幸せが確かにあったからだ。でも残された時間はもうほとんど存在せず、あんな殺人にまで手を染めるところだった。……ああ、でも、とシャルロットは思う。
 助けを求める声を上げた。自分ひとりではとても抱えきれない辛さを言葉に出した――そしたら、大人達は自分のような子供のために体と命を張ってくれている。そのことが申し訳なく、そして嬉しくて仕方がない。そして今現在、なにもできない自分が疎ましくて仕方なかった。



『――願うか……? 汝、自らの変革を望むか? より強い力を欲するか?』



 唐突に、突然に、それは聞こえた。
 それは福音のような救いの響きに満ちており、同時に悪魔の誘惑にも似た危険な臭いを孕んでいた。だが、その危険な臭いを嗅ぎ取れぬほどにその言葉はシャルロット・デュノアにとって待ち望んでいた響きであり、言葉の裏側に隠されていたものを見抜くための冷静さと時間は許されてはいなかった。

「……欲しい、もう無力なままなんて嫌!」

 小さな声。
 しかしその声に秘められた願いは何よりも強烈な意志を含んでいた。
 シャルロットは力が欲しかった――今自分の事情に巻き込まれ、それでもなお自分を助けようとしてくれている大人達を今度は自分が助けたいと強烈に思っていた。財力という力がなかったばかりに母親を救うため、従いたくもなかった命令にしたがざるを得なかった自分の無力が許せなかった。

「……欲しい!! 助けるための力が……!!」

 その甲高い声に、千冬とジェイムズが思わず視線をシャルロットに向ける。

「力が……力が欲しい!!」

 そして――強烈な力を求める感情を引き金とし……彼女のISに内蔵されていた機構が目を覚ます。










『マーカードローン、オールアクティヴ』

 


「えっ?!」

 最初の一撃――それはIS学園の施設を狙った一撃だと山田真耶は考えていた。
 相手の迎撃能力を上回る強烈なスピードと搭載された高性能炸薬からして、静態目標を破壊するためのものだと判断していた。だから彼女達の目標はミサイルを一発足りとてIS学園に届かせないはず――だったのに、まるで迎撃に出ている自分達を狙うようにミサイルがホーミングした。
 一瞬血の引くような感覚――それでも流石に教官を務めるだけはあり、彼女の銃口は正確にミサイルの真芯を撃ち抜いた。
 
「きゃあぁ!!」

 至近距離で弾けるミサイル。その鉄片の散弾が彼女を襲い、その衝撃で機体が大きく揺らぎ、シールドエネルギーを大幅に持っていかれる。なに? 今の!? ――今回は先の施設破壊用と違い、爆発の際周辺の空間に破片を撒き散らすように弾け飛んだのだ。もちろんISのシールドがある以上、中の彼女に影響が出ることはない……が。

「ミサイルの性質が変わった?!」

 一夏の声が驚きに満ちる。
 確かに、と山田真耶は教え子の言葉を頭の中で肯定する。先ほどのミサイルは施設破壊ではなく、むしろ迎撃のために飛行するIS自体を狙っていた。
 
「どっちにせよ、飛んでくるなら全部落とせば済む!!」
「こういう場合、考えてても仕方ないわよね!!」

 そういう意味では、箒と鈴のその竹を割ったような明快な判断はわかり易く頼もしい。そして――山田真耶は自分のみはそれではいけないと思っていた。思考する事をやめてはいけない。自分の仕事は教え子達にもっとも効率よく対処する手段を見出す事だ。……この面子の中で一番こういう兵器に造詣のある彼女は、現在の敵ミサイル攻撃に対して違和感を感じていた。
 通常、巡航ミサイルは高速で移動する動態目標には使用しない。
 攻撃に使う際は攻撃目標の座標を指定するか、あるいは母機がミサイルを誘導し続けるセミアクティブレーダーホーミング (SAHM)で行う。だが、この敵は誘導母機がいないのに、アクティブレーダーホーミング(ARH)のように単独でISのような高速動態に対して追尾してきた。
 しかし――山田真耶は、アクティブレーダーホーミング(ARH)はありえないと考える。敵の高速追尾型の散弾のように広がるミサイルはARHの場合ミサイルの弾頭部に発生する空気摩擦の熱雑音によって誘導が効かないはずなのだ。ならどうやって高速機動を行うISに追尾しているのか――それを解決する技術的ブレイクスルーが発生したとは聞かない。恐らく従来のものを何らかの形で利用しているだけなのだ。



『センサリーレベル、アマーブポジティヴ』



 どうやって――そう考え込む山田真耶の視界に<ブルー・ティアーズ>の自立機動砲台が目に映った。

「それです!!」
「ひやぁあ!! な、何事ですの、先生!!」

 いきなり叫び声をあげる山田先生の声に、セシリアのひっくり返ったような声。
 そんな彼女を無視し、彼女は叫び声を上げる。

「全員、よく聞いてください!! 敵のミサイルは先ほどと違い、恐らく対IS用の制空ミサイルです。……ハイパーセンサーの感度を上げてください、ほぼ確実に、敵ミサイルを誘導するための観測機が付近に存在するはずです!!」

 そのある種の確信に満ちた言葉に、全員が即座にハイパーセンサーに意識を集中させる。
 同時に感じられるのは――雲の隙間を縫うように走る、非常に小さな高速目標。ISと比しても小さい――そう、ちょうど<ブルー・ティアーズ>の装備する自立機動砲台のような小さなサイズの反応が、全員のハイパーセンサーに出た。

「いた、ほんとにいた! 十一時の方向、下!!」
「無人機(UAV)を確認……くそ……見失った!!」

 だが、恐らく相手も此方の索敵に引っかかる事を想定していたのだろう。同時に小型観測機はクラゲのような淡い発光を見せたかと思うと――カメレオンのように周辺の青空へと同化し溶け込んで行ったのだ。

「光学迷彩とレーダージャミング……攻撃はミサイルに任せて、観測機はミサイル誘導波の照射に専念するタイプだな……!!」
「諦めないで!! 敵は恐らくエネルギーの消耗度から考えて光学迷彩とミサイル誘導は平行して行えないはずです!! 小型観測機をロックして急いで破壊してください!!」

 ラウラの言葉に対して即座に返す山田先生。一夏は――顔を顰めながら言う。

「ミサイルと小型観測機、どっちを狙えばいい?!」
「どっちもだ!!」
「だよなぁ!!」

 箒の素早い返答に一夏は苦笑――やはり技量的には射撃武装よりもブレードによる白兵戦が性分にあっている彼は即座に小型観測機に挑みかかろうとする。

「……しかしこのタイミング……やはり織斑教官の方と合わせての事か?」
「一夏くん、凰さん!! ……状況が状況です。貴方達に任せるのは心苦しいですが――先行して織斑先生の方をお願いします!!」
「っ、分かりました!!」
「了解です!!」

 ラウラの呟き、山田先生の言葉に返答する一夏と鈴。確かに――狙撃が可能な<ブルー・ティアーズ>や、AICによるミサイル停止が可能な<シュヴァルツェア・レーゲン>、馬鹿げた高速機動と斬撃状の射撃が可能な<紅椿>、弾幕が張れる山田先生の<ラファール・リヴァイヴ>が一番適任。それに対して二人の機体はミサイルのような高速動態の迎撃はそこまで得意ではない。
 その言葉に従い、千冬姉の救助に向かう二人。
 ハイパーセンサーで二人を把握しながら、セシリア・オルコットは空の彼方、このミサイル攻撃を仕掛けてくる相手を睨む。

「……今さっき見えた小型観測機――間違いありませんわ、<ブルー・ティアーズ>と同じタイプの武装……強奪されたBT二号機、<サイレント・ゼフィルス>……!!」

 計らずもこんなところでイギリスより強奪された自分の機の後継機と遭遇する事になるとは――セシリアは、空の彼方にいるであろう強奪犯を撃ち殺したい衝動を堪えながら、ひたすら自分の仕事に専念。照準にミサイルを合わせてただ一心にミサイルを狙撃し続けた。

 





「素晴らしいな」
 
 その遥か彼方――遠方よりミサイル攻撃を実行した真犯人であるエムは、自分の愛機である<サイレント・ゼフィルス>のセカンドシフトを迎えたその性能に、言葉に僅かな力への酔いを見せながら呟いた。以前戦闘を行い、自分をまるで眼中に無いと言わんばかりに無視して見せた<アヌビス>と<ゲッターデメルンク>。その両機を思い出せば胸中には屈辱に対する怒りの炎が芽吹く。実際に彼女は専用機持ち複数が相手であろうとも勝利するほどの機体性能と技量を備えていた。なのに、実際には完膚なきまでの敗北。

 だが――あの敗北は彼女に力をくれた。

 破壊された謎の機体。<ネフティス>と頭部に刻まれた機体から回収されたメタトロンとその装甲材質は<サイレント・ゼフィルス>の性能を爆発的に高めてくれたのだ。より強く、より早く。彼女の喜びを表すように、機体後方に背負う天使の輪のような光輪が瞬いた。全身を、血管を流れる血のように緑色のメタトロン光が奔る。
 その両肩には――巨大なミサイルシステムである非固定浮遊部位(アンロックユニット)が接続され、また背中には機動性能よりも高速巡航能力(スーパークルーズ)を最重視した巨大なパワーブースターが搭載されていた。格闘戦(ドッグファイト)に付き合わず、大推力で戦線を離脱する事を目的とした装備。
 本来この武装は、設計段階であまりに膨大な拡張領域を食いつぶすために開発段階で正式採用が見送られた欠陥武装だった。
 光学迷彩とレーダージャミングによる小型観測機の電子的、視覚的透明化により姿を隠し、送られてきたデータを元に制空ミサイルを発射するというコンセプト。
 だが、小型観測機が消費する膨大な電力は到底小さな身体に納められるものではなく、また精々一斉射しか出来ぬとあって欠陥武器として倉庫で埃を被っていたのである――しかしだ。<ネフティス>のメタトロンを吸収した事により、機体は量子コンピューター内の膨大な拡張領域を手に入れ、またメタトロンによる発電システムにより、小型観測機の問題も解決した。
 このミサイルキャリアー用機能特化一式装備(オートクチュール)通称『アイガイオン』は、こうして設計者の目標を完全に果たす事に成功した。今回の目的は、シャルロット・デュノアに対しての援護部隊の接近を許さないこと。スポンサーの一人の命令だが、それを兼ねた新型兵器の実戦テストをエムは続ける。

「イニシエート・ローディング」

 拡張領域から緑色の輝きと共にミサイル弾頭が、両肩の装甲内に装填――ブースター点火。
 空中炸裂と同時に、まるで光輪のような破片が広がるところからこのミサイルは、こう呼ばれる。

「ニンバス(光輪)ミサイル、発射」








 ネレイダム社の護衛車両の中から眩い輝きが満ち溢れたかと思った次の瞬間――内側から装甲を突き破り、姿を現すもの。
 それを見て、織斑千冬は呆然としたように呟いた。その姿――鏡か、或いは写真でなら見たことがある。

「私……か、コイツは!!」
「な、なんだありゃ!!」

 空中へ飛び上がるもの――紫色の泥のようなものは、シャルロットの体を覆い隠し、人の――それもまるでISを装着した女性の姿へと姿を変えると、そのまま硬質化する。その姿が取ったシルエット――それはISとは余り関わりのない人生を歩んできたジェイムズ・リンクスでも知っているほどの知名度を持っていた。

「あんたなのか、あれは!!」
「VTシステム……ISの世界大会、モンドグロット優勝者である私の機動(マニューバ)を模倣するためのシステム、あんなものをデュノア社は……!!」
「ミスタージェイムズ、敵が引きます」

 車両の天井をぶち破られたにも関わらず周囲の状況を注視していたラリー――その言葉を肯定するかのように、まるで満ち潮が引くかのごとく、敵の偽装戦車が車両からスモーク弾を撒き散らしつつ撤退していく。先程まで畑を耕すような猛攻を仕掛けて来た割には余りにもあっさりとした相手の引き際に、千冬は嫌な想像に思い至った。車両の外に飛び出る一堂。

「そうか――奴らは、最初からこれが目的か!!」
「ああ? どういう事なんだ?」

 空中で停止したまま動き出そうとしない――VTシステムにより変異したそれを見上げながら、千冬は忌々しさと呪詛の入り混じったような感情を込めて言う。

「……VTシステムは、搭乗者が力を求める感情を引き金にして起動すると聞いている。敵の襲撃に合わせてISの起動を封じ、そして此方を命の危機に陥れる。じわじわと猫が鼠を嬲るようにな」
「……さっきの言葉からして俺達を助けようとして起動したのか。……くそっ! あの野郎どこまで性根が腐ってやがる!!」
「相手の目的は――殺人教唆を証言できるデュノア自身の口封じだ。……あんな違法プログラムを搭載していたのだ、証拠隠滅のための自爆プログラムは用意していると見るべきだろうな」

 千冬は意識して冷静さを保たなければならなかった。
 少女が仲間を助けたいという思いすら操るための道具にするその醜悪な精神といい、どこまでも卑劣な相手に怒りを禁じえない。だが――期待していた増援はなかなか来ず、また自分達で切り抜けるには戦力が圧倒的に足らない。
 どうせ逃げ切れないと覚悟を決めているのか、それとも此処で死ぬはずがないと自らの星の強さを信じているのか――二人は死が真近とは思えないほど落ち着き払った様子だった。千冬、見上げながら言う。ジェイムズ、無精髭を引き抜きながら応える。
 
「ミスタージェイムズ。いい手はあるか?」
「……そうさな。とりあえずマ○ターキートンと冒険野郎マ○ガイバーの徒手空拳にも関わらず状況を覆す名人二人のアニメとドラマを全話見終えたら逆転の妙手を思いつくかもしれねぇ」
「それは頼もしい。問題は、第一話のオープニングテーマが終わるより早く我々が終わりそうだという点だが」
「……お二人とも余裕だなぁ」
「見習おう、アクセル」

 二人とも事此処に至っても笑顔。危地にて尚軽口を叩く二人に呆れたような感心したような視線を向けるアクセルと、何故か憧れめいた眼差しを向けるラリー。
 だがその予想は――微妙に違っていた。
 両名とも、少女の命を使い捨ての道具にする相手に対して既に怒り心頭に達していたのである。笑顔は笑顔でも、それが意味するところは違う。攻撃的微笑、肉食獣が獲物に対して歯を剥くのと同質のものだった。そして――人間怒りが限度を越すと眼前の脅威に対してもある種の鈍感さを覚えるようになるらしかったのだ。目の前には、敵――恐らく敵のこれから始まるであろう攻撃はシャルロットの意志ではなく冷たいシステムによって行われる自動的殺戮。
 しかしそんな物言わぬ機構であっても、相手の二人の放つ鬼気は――確かに感じ取れたらしかった。地面に降り立ったソイツは、まるで二人の体から侵入を拒む結界が張られているかのように踏み込んでこない。
 
 そして、その数秒が死命を分けた。数秒が命を繋いだ。ジェイムズ・リンクスも織斑千冬も生身でVTシステムと相対して勝利できる訳が無い。
 
 だが、そこに割り込む影。
 風斬り音。
 飛来するのは長得物。先端に刃を帯びた槍が、風車のような高速回転をしつつ――まるでそこから先が生死の境界線だと言わんばかりに地面に突き立ったのである。
 そして遅れてくるもの――織斑千冬はどうして此処にこの機体が、と驚愕に満ちた表情を浮かべ、ネレイダムと関わるジェイムズ達はようやく到着した増援に、喜びの表情を見せる。

 地面に着地する<アヌビス>――想像を上回る強大な敵の出現に、石像と化したかのように動かない……変異したIS。

 千冬は思う。これまで自分達の最大の仮想的であった<アヌビス>が此処にどうしてやってきたのかはわからない。ネレイダムの最新兵器であるこの機体――海を越えてやってきたというよりは、むしろ何らかの用事のついでに立ち寄ったと見なすべきだろう。
 視線を悟られないように横に向ける――三人は、驚きこそ浮かべているものの、困惑は見当たらない。

(……彼らを助けるために来た? 繋がりがあるのか……?)

 だが、<アヌビス>は最強の敵だが味方となればこの上なく頼もしいものである事は確か。
 一歩前に進み出る<アヌビス>に、千冬は思わず叫び声を上げた。

「待て!」

 <アヌビス>は本当に前進を止めて待つ。まさか本気で言う事を聞くとは思っていなかった千冬は、しかし即座に言葉を続ける。

「中に少女が一人囚われている……助けてやってくれ!!」

 もちろん、<アヌビス>にシャルロット・デュノアを助ける義理など無いと分かってはいた。<アヌビス>の火力、能力を考えるのならばむしろ保有する大火力で持って猛攻を繰り出せばすぐさま沈黙させる事ができるだろう。
 断られる可能性も考慮した千冬だったが――それを杞憂と笑い飛ばすかのように、<アヌビス>は黙って親指を立てた。その、まるで俺に任せろと言わんばかりの反応に、彼女は思う。<アヌビス>が纏う気配が――以前とまるで違っているのだ。

(……前、アリーナに攻めてきた時は凄まじいまでの敵意を感じたが今はまるで違う。……こいつは、本当に敵なのか?)







『そもそも、シャルロット嬢を助けるためにアメリカから飛んできて助けないなんて選択肢自体有り得んしなぁ』
『しかし我々の事情を知らない彼女が此方を警戒するのは当然です。以前の戦いのツケと考えましょう』

 ああ……と弾は<アヌビス>の中で考える。
 今から思えば、あそこで<アヌビス>の力を見せた事があの飛行機事故の一因だったのだから。だが、だからこそ――弾はこれ以上、命を取りこぼす事を由とはしなかった。
 弾とデルフィの二人は、ジェイムズの携帯電話からの会話を全て拾っていた。
 目の前には――かつての戦乙女の力を真似た模造品。その中に囚われているのは、自分を助けてくれた大人達を助けたいという純粋な思いすら薄汚い大人の策謀の道具にされた少女。
 
 五反田弾は、ハッピーエンド派だ。可哀想な女の子が可哀想なまま終わる話が大嫌いだった。マッチ売りの少女が嫌いだった。藤田和○郎先生には心の底から共感する。
 
『有意義だよなぁ……』
『何がですか?』
『……可哀想な女の子に手を差し伸べるなんて休日の使い方――有意義すぎて涙が出てくる』
『私にとっては』
『ん?』

 デルフィは言葉を一拍置く。

『私にとっては貴方の命令に従って闘う以上に有意義な時間の使い方を知りません。貴方は違うのですか?』
『浮気しない男はいない』
『………………………………………………………戦闘行動を開始します』
『……えーと。うん』

 なんとなくムッとしているような気がするデルフィの言葉と共に、弾は<アヌビス>を起動――こちらを恐るべき脅威と見なしたのか、

変異したISはその腕に構えるブレードを振りかざし、斬り込んで来る。それをウアスロッドに受けつつ、機を伺う。
 あの時――あの飛行機事故で弾は結局誰一人として助ける事が出来なかった。
 だからこそ、もう二度と失敗しない。

『……二度と――俺の目の前で命を取りこぼさせるものか……!!』






 篠ノ之束は微笑んでいなかった――いつもにこにこ陽気が笑顔の信条の彼女は、彼女の事を知るものが見れば怖気立つような無表情だった。

「これは……束さんも予想外だったなぁ」

 呟く。
 まるで氷のような冷たい感情と、激しき雷のような凄まじい殲滅の意志を乗せて彼女はハッキングした衛星の画像を見ていた。
 篠ノ之束は千冬、一夏、箒の三人以外の人間はどうでもいいと考えている。逆に言えば――その三人に対して危害を加えんとするものを、決して見逃さず許す事は無かった。

「まさかあの短い金髪のVTシステムが原因でこんな事になるなんて……あー束さんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!」

 自分の頭をぽかぽかと叩きながら、彼女は言う――もちろん……束の大好きなちーちゃんに対して銃を向けた連中は。


 現在進行形で皆殺しの憂き目に逢っていた。


 彼女を鎧う物、それは漆黒で塗装されたISだった。ただし――これはISの産みの親である篠ノ之束が自分専用に生み出したIS。彼女が望む能力を得るために、総計九機のコアを一体のISに搭載した最強最悪の機体。
 都市戦では最強最大と考えられていた偽装戦車ティンダロス・ハウンドは最早全滅。
 その彼女が放つ死の使い――上空を旋回する三メートル近くの寄生戦闘機『ガルータ』が周囲の雑魚どもの殲滅を確認し、帰還する。量子分解の光を放ち、自立機動砲台程度の小ささになって彼女のISの左肩に接続された。先程まで展開していた外装のほぼ全てを拡張領域で占める事により、展開と同時に膨大な戦力を発揮できるそれ。
 ただし――常識では有り得ない。
 すなわちそれは小型の寄生戦闘機七機全てが世界各国が喉から手を伸ばして欲しがるコアを一つずつ装備しているということであった。まさしく――コアを自力で作成する事が出来る唯一の人間である篠ノ之束のみに許されたIS。

「これはデュノアのおじさんには復讐しないとね♪」

 かすかに、唇の端を曲げるような笑顔を浮かべながら、束は言う。このISの中枢とも言えるのは右肩左肩に位置する二機のコア。自らの最高傑作を愛でるように、彼女はほんの僅か上機嫌になって告げた。

「さぁ、久しぶりのお仕事だよ? 張り切って行こうね――<ラジェンドラ>♪ <カーリー・ドゥルガー>♪」











 こっそり更新する、今週の作者しか満足しないNG








 ある空手家が言った。

「人は素手では羆には勝てない、だったら羆になっちまえばいい」

 と。
 至言である、と当時――アメリカ合衆国のトップガン、戦闘機乗りを止めさせられた直後のジェイムズ・リンクスは思った。
 そう、男がISに勝つには――ISに乗ればいい。だが男はISに乗れない……だからこそ、彼は思った。ならば、俺がロボになればいい。そういう妙な思考を経て彼は家族に連絡もせず、行動を開始する。家族に連絡すれば確実に自分の愚行にしか見えないそれを止められると分かっていたからだ。だが、それでも馬鹿と罵られ嘲られようとも、彼は夢をかなえるために行動を開始した。




 ひたすら自らを虐め抜き、鍛え、鍛え、鍛えぬき――彼は夢を叶えた。



 そして――今、その成果を発揮するべき時が来た。



 千冬は意識して冷静さを保たなければならなかった。
 少女が仲間を助けたいという思いすら操るための道具にするその醜悪な精神といい、どこまでも卑劣な相手に怒りを禁じえない。だが――期待していた増援はなかなか来ず、また自分達で切り抜けるには戦力が圧倒的に足らない。
 どうせ逃げ切れないと覚悟を決めているのか、それとも此処で死ぬはずがないと自らの星の強さを信じているのか――二人は死が真近とは思えないほど落ち着き払った様子だった。千冬、見上げながら言う。ジェイムズ、無精髭を引き抜きながら応える。
 
「ミスタージェイムズ。いい手はあるか?」
「……そうさな。とりあえずドーマ・キサ・ラムーンと呼んでみるとか」
「……それだと魔動王が来ますが……」

 織斑千冬は妙なものを見る目でジェイムズを見た。
 そんな彼女の疑問を無視しながら、ジェイムズは話の展開とか銃刀法違反とかそこら辺の事を全て無視して――話のノリでどっかから取り出した勇者の剣を千冬に手渡した。

「……これは?」
「とりあえず天に掲げてこう呼んでくれ」

 そう言いながら――ジェイムズはごにょごにょと千冬の耳元に言葉を囁く。
 とりあえず意味もわからぬまま頷く千冬は剣を空に掲げて叫んだ。












「龍~~神~~~丸~~~~!!」
『おおおおーーぉう!!』

 






 ジェイムズは、変身した。
 人間は変身しないが、そこら辺の事情を全て無視して変身した。





 ある空手家が言った。

「人は素手では羆には勝てない、だったら羆になっちまえばいい」

 と。
 だからこそ、ジェイムズは自分を虐め抜き、鍛えぬいた。そう――いつかロボになるために。空を再び奪い返すために。そして今の彼の姿を見たジェイムズの同僚がいればきっとこう言っただろう。





 あの人は夢を叶えたんだ、と。






 この期に及んで声優ネタであった。






 




 織斑千冬は困惑の真っ只中にいた。
 そこは操縦席――と言っていいのかいまいち良く分からない異空間。彼女はそこで両腕で足場となった黄金の龍の二本の角を掴み、龍神丸となったジェイムズを操縦していた。まるで小学校の粘土細工に魂が吹き込まれたような、その形。創世山を救う旅に出そうな救世主専用魔神。詳しくは画像検索をどうぞ。
 おかしい。何もかも致命的におかしい。いくらNGだからって許されることと許されない事がある。そもそも超魔神英雄伝が比較的近年にやったからそこまで認識が古くはないかもしれないが、生憎と今の状況は――初代龍神丸だ。
 しかし、ジェイムズ・リンクスは空を奪い返すためにロボになったのに――これでは空神丸がいないと空が飛べない。片手落ちではないか。早くガッタイダーに登龍剣を折られ、敗れてからイベントを経て龍王丸にパワーアップしないと。

『大丈夫かワタ……織斑さん!!』
「……体は兎も角頭が付いて行っていません……」

 どうやらジェイムズさんは――千冬をどこかの誰かと呼び間違えたらしい。突っ込むと余計カオスな状況になると思ったので何も言わなかった。何はともあれ、織斑千冬は――きっと誰も予想しなかったに違いない、訳の分からないクロスオーバーに流されるまま、逆らいもせず剣を構える。何でもいいからさっさと早めに終わらせたかったのであった。

「では、火炎登龍剣!!」
『え? いきなり全エネルギーを放つ龍神丸最終必殺技!?』

 下の千冬が足場にしている龍から焦ったような声が響いた。早く終わらせたいという彼女の気持ちはわかるが。
 




 そんな風に、どう考えても変異ISなど歯牙にもかけないコンビを遠目に見守りながら、弾は思った。大人が格好いい話だとは思ったが、まさかこんな風に面白カッコいいなんて予想外にも程があるのであった。
 そして結局、幼少期のバイブルをネタに出来て非常に大満足だった作者を除き、NGは特にオチもなく終わりを迎える。
 




 

 龍神丸とコンボイ司令のどちらにしようか真剣に迷ったのは心底どうでもいい話であった。







 作者註

 ミサイル関連で色々と言っていますが、作者は軍事の素人です。説明もそれっぽい事を言っているだけです。深いツッコミは無しでお願いします。
 熱雑音とか言っているのは、戦闘妖精雪風でJAMの高速ミサイルを生き残った直後の深井零とブッカー少佐の会話からだったりします。(えー)

 ……あと俺、昔スカーレットウィザードの海賊王ケリー・キングと敵は海賊の匋冥・シャローム・ツザッキィの海賊王対決小説を書こうとした事があったんだ。……でも、前者は兎も角後者はSF大好き人間以外にとっては知られていないし、きっと誰も望んでいないから書くのを止めたんだ……(えー)




[25691] 第十七話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/01 10:59
 ミサイルは無限ではない――はずだ。
 少なくとも過去の時代の戦闘機ではミサイル弾頭の武装積載量(ペイロード)にはある程度の限界があった。余りにも大量のミサイルを積めば重量は増し、自然と機動性能が劣悪化するからだ。だがISにはその制限が存在しない。
 必要な武装を拡張領域に内包し、戦いの途中で状況に応じて展開すれば良い。
 だから――相手が優れた拡張領域を持っていた場合、ミサイルの量がどれぐらいで尽きるのか推測できない。

「ええいっ!! ……幾ら<サイレント・ゼフィルス>でもこんな数のミサイルを搭載しているはずがありませんわ!!」

 だから、セシリア・オルコットは未だ間断無く降り注ぐミサイルに苛立ちの声を上げた。狙撃、狙撃、狙撃、一心に敵ミサイルを打つ。戦線離脱を図ろうとした一夏と鈴の二人を狙ったミサイルを撃ち落したときは自分自身の防御が一瞬おろそかになったため冷や汗を掻いたが、仲間の援護がよく生き残れた。だから織斑教官の安全に関しては心配はしなくていい。
 問題は、自分達の方だろう。
 敵の小型観測機――自立機動砲台の設定を変えたそれは小型で俊敏で、こちらが相手を捕らえた場合は闘う事無く逃げに徹するために非常に命中させにくい。そして――相手を追うことに夢中になれば、他の小型観測機からミサイル誘導波を照射され――。

「奴のミサイルは底なしか? 攻撃に集中できん!!」

 箒の苛立たしげな声――己に迫るミサイルに対して<紅椿>を回避運動。近接信管が作動し、爆発と共に周囲の空間を鉄片の散弾で斬殺する致死領域から即座に離脱しつつ叫んだ。回避を優先したため相手の小型観測機を間合いに捕らえ損ねる。
 
「距離がありすぎてこちらから攻めに転じる事も出来ないか。じり貧だな」

 そんな状況でも、ラウラ・ボーデウィッヒは外見上は焦りと狼狽を見せない。
 焦っていないわけでもないし、狼狽が皆無であるはずもないのだが、それを見せる事は無意味と考えているからだった。敵の小型観測機を捕捉――同時に右腕を繰り出しAICを照射……だが、すんでのところで逃げられる。
 戦闘継続にも当然ながらエネルギーを必要とする。<シュヴァルツェア・レーゲン>のAICは敵のミサイルの速度を殺し、また爆発の際の破壊エネルギーの防御にも使える攻守兼用の有用な装備だが――流石に無尽蔵に使用できる訳が無い。相手のミサイル攻撃は未だに打ち止めする可能性が見えず、このままでは仕留められるだろう。

 そして、山田真耶も当然ながらその事実に気付いていた。

 このままでは消耗して損害が出る。その前に、まだ反撃を叩き込める余力が残っているうちに反撃に打って出なければならない――ただし、単独で突出すれば確実に相手の集中攻撃に晒されるはずだ。そもそも向うだってこちらの位置や機動を正確に察しているはずだ。相手の能力が完全に不明である以上、分が悪い賭けだ。そして性能的には生徒達の専用機の方が足が速い。合理的に考えるなら彼女らに任せるべきだ。
 だが、優しいという言葉は同時に優柔不断という言葉にも含まれている。山田真耶は生徒を思うその優しさゆえに、死地に教え子を赴かせる事をどうしても決断する事が出来なかった。
 無限の弾装というものは存在しない。ISといえども膨大な武装を搭載できても永遠に攻撃し続ける事ができるわけがない。
 問題は――相手の攻撃はあとどのぐらい耐え凌げば良いのかがまるでわからない事だった。今すぐにミサイル攻撃は止むのかもしれない。だがこちらを全員屠るに足る十分な備蓄があるのかもしれない。賭けるものが教え子の命であるとするならば、その決断をせねばならない立場にある山田真耶は人生でもトップ5に入る緊張の中に陥った。
 顔色が悪い――可能なら自分自身の生命を掛け金にしたいが、自分の機体は純粋な機速では専用機に劣るだろう。
 戦場に置いて宝石よりも貴重な時間が浪費されていくのを知りつつも、彼女は勝つための賭けに踏み切る事に二の足を踏む。間違っていると、知りつつも。




『今回の目標は、敵ISに捕らわれた人員の救出です』
『大威力火器は使用厳禁、ウアスロッドで隙を見るぞ!』

<アヌビス>は地面に突き立てた槍を引き抜き、斬りかかってくる変異ISの太刀を受け止める。
 鋭い――魂の篭らぬまがいものの太刀でも十二分に殺戮は可能と言わんばかりの剣速。その一撃の早さ、重さ――流石は世界の頂点に立った女性の技術を機械的に再現しようとしたVTシステムと言うべきか。
 だが――少なくともVTシステムは<アヌビス>の敵ではない。豊富な火器を備える<アヌビス>は射撃戦で相手を封殺できる。ただ今回は中に囚われているシャルロット嬢を助け出さなければならないという作戦目的がある。ならば相手の得手である近接戦か、或いは隙を見て相手を行動不能に陥れる必要があった。

『サブウェポン・ゲイザーの使用を提案』
『頼む』

 そして相手を行動不能に陥れるという点では、敵の動力系に作用し起動不可能にするゲイザーがもっとも有効なのは言うまでも無い。
 デルフィのサポート――間断なく降り注ぐ断頭斬胴の剣閃の群れを<アヌビス>は跳ね返し続ける。その切っ先から相手の侵入を拒む霊的な力でも宿っているのか、それとも槍自身が自意識を持って自ら相手にぶつかりに行っているのかと思うような堅固な守りを見せる。
 空いた腕にゲイザーを展開――相手の斬撃を横方向へ避けながら投擲。
 しかし、変異ISはゲイザーに対して対処。その腕に携える刃が旋回しゲイザーを弾き飛ばした。

『ッ、反応が良い、さすがめんどくさい!』
『根気が無さ過ぎます』

 ゲイザー自身には相手を動けなくする力があるが、流石に動力など関係ないブレードには効果が無い。十に届く数のゲイザーは相手に届かず意味無く地面で緑色の光を無意味に放ち続けるのみ。
 近接戦闘では優位に立てぬと踏んだのだろうか――変異ISはその腕に、巨大な円柱を思わせる射撃武装を展開する。織斑千冬の機体を参考にした故か、搭載されていた荷電粒子砲の出現に、弾は思わず顔を顰める。ここら辺り一帯は、ラリーが周囲に人の少ない場所を選定して逃走していたために巻き添えを食うような人はまるでいない事が救いだが……それでも粒子砲の威力なら住民の不安を大きく煽る事になるだろう。
 脳裏に浮ぶのは、<アラクネ>との交戦後の故郷の姿。唐突に出現した、ISによる破壊活動を平然と実行する相手によってもたらされた人々の恐怖の声。

『この……!!』
 
<アヌビス>は空いた腕を伸ばし、相手の銃口の狙いを阻む盾とするかのように、先端をわしづかみにする。
 同時に銃身に蓄積される灼熱の光、対象を焼き滅ぼす焦滅の主砲が解き放たれる時を待つようにより強く激しい光を撒く。
 弾はそれを許さない――この変異ISの搭乗者は、きっとこのような力の振るい方など望んではいないはずだった。そしてもし自分が助け出す事が出来たとして……暴走時に己がもたらした被害を、自分がやってしまった結果を突き付けられたらどれほど思い悩むだろうか。自分が望んだ訳でもないのに責任を持たざるを得ない被害――その辛さは、弾が良く分かっている。
 だからこそ、<アヌビス>は銃口の前に繰り出した腕よりベクタートラップを稼動させる。ビーム兵器だろうがなんだろうがお構いなしに飲み込み圧縮するメタトロンの力を持って、相手を助け出した後、中の少女が心病まずにすむようにだ。
 
『力に酔わせ、狂わせるのがメタトロンの毒でもなぁ……!!』

 吐き出される灼熱の光。高出力荷電粒子の破壊エネルギーの乱流を、<アヌビス>はまるでその腕一つで握りつぶすかのようにベクタートラップで丸ごと圧縮する。

『たまには……可哀想な女の子一人の心ぐらい守ってみせろ、貴様だって人間様の道具だろうが、メタトロオオォォォォォォォン!!』

 同時にそのベクタートラップの檻に捕らえた莫大な破壊エネルギーを全て下方向へ――この町に住まう人が無意味に不安に陥らないように地面へと叩き付ける。<アヌビス>は強い――だが、ただひたすらに破壊のみに専念すれば良い訳が無く、誰かのために闘うのであればその力に枷を嵌めざるを得ない。
 だが――その価値はある。
 ウアスロッドを構え、再び相手の拘束に掛かろうとした時――弾は索敵システムに写る新たな二つの反応に気付いた。


 

 


 その時の凰鈴音の心境を言い表す事は非常に困難だった。





 
<アヌビス>。

 以前アリーナに乱入し、箒を助け、その直後自分達に戦闘を仕掛けてきた所属不明、来歴不明の正体不明の機動兵器。その戦闘力は最新鋭第三世代を軽く凌駕する。そして――自分を簡単に打ち倒す機会を得ながらも、まるで搭乗者の困惑が透けて見えるような動きを見せた。
 そして――五反田弾と、あの日あの時炎の中に消え去った幼馴染と同じ仕草を見せた。
 歓喜と困惑。彼女の胸中を満たすものは、恋心を自覚した相手が未だに生存していたという事に対する喜びと、どうして彼がこんなところで織斑先生とジェイムズのおじさんを助けて闘っているのかということ。困惑に対する回答を与えてくれる存在は何処にもおらず、織斑先生を救出に向かった彼女が思考で動きを固まらせてしまったとしても責めるものはどこにもいないだろう。
 胸中を占めるものは期待と不安だった。
 鈴は、<アヌビス>の正体が――五反田弾である事が八割方正解と思っている。だがそれは十割の答えではない。確実に<アヌビス>の搭乗者が五反田弾であると決まった訳ではない。
 そんな――そんな都合の良い話なんてあるわけが無いという思いと、どうかそうであってくれという懇願にも似た思いを胸に抱く。
 だからこそ、彼女は……<アヌビス>を見た瞬間、親友を失ったその憤りと嘆きの全てをぶつける敵と決めた相手を見て、雪片弐型を掲げて突進を始めた<白式>に出遅れた。

「……<アヌビス>……!!」

 一夏の反応は視野狭窄と言っても良い。ここに来たのは千冬姉を助け出すためであったにも関わらず、彼は自分が戦うべき相手は至高の強敵<アヌビス>であるのだと判断した。世界の半分の代表として世の女性全てと戦うと誓ったにも関わらず、完膚なきまでに叩きのめされた恥辱と、自分自身の敗北を雪ぐ機会に彼は牙を剥いた。
 
『敵脅威接近。<白式>から攻撃照準波を検知』
『……一夏……』

 デルフィの声には、他のIS接近の時とは違う僅かな警戒心が含まれている。以前での戦闘で唯一<アヌビス>に打撃を与える事が出来る相手の存在を彼女はしっかりと記憶している。
 だが、新手の接近に対して警戒するデルフィと違い、この時の弾の心は千々に乱れた。

『ああ、くそ! もどかしい、もどかしいぜ一夏!! お前親友なんだから言葉出さんでも事情察しろよなぁ!!』
『無理を言わないであげなさい』
『まぁそれが出来るぐらい以心伝心なら――中学あれだけ向けられてた好意に気付かない訳も無いか、精進しろよこのニブチン!!』

 親友との予期せぬ再会。明確にこちらにも狙いを定める彼。自業自得と罵られれば反論する余地の無い過去の自分の行動を呪いながら、彼は<白式>にも対処する機動を取る。千冬さんがこちらにも協力を求めたのだ。すぐに誤解は解けずとも彼女が止めてくれる。……相手の攻撃は、ウアスロッドの高度な自動防御モーションに任せながら、弾は<アヌビス>を疾駆させる。





 鈴はこの一夏の余りにも皮肉な巡り合わせに息を呑んだ。
 
 親友である五反田弾を失い、その無力感、絶望感から立ち直るため、<アヌビス>に敵意の矛先を向けざるを得なかった一夏。だが違う、今まさに目の前にいる彼が弾であるはずなのに。彼が生きていて自分の次ぐらいに喜ぶのが一夏なのに、それに気付く事無く刃を抜き放つ一夏に――鈴は涙の情動を堪えた。
 本当なら今すぐ泣きたい。永遠の別離と思っていた人がもしかしたら生きているのかも知れないという希望を持てただけでも良い。本当に<アヌビス>の正体が弾であるかどうかを確かめるのは正直震えが走るほど怖いけど――やっぱりあいつは死んでいるのだと再び思い知るのはとても怖いけど……でも。

「凰(ファン)!!」
「はい!!」

 戦闘の邪魔にならない位置に退避していた千冬さんの言葉に即座に返す鈴。

「あの正体不明のISの中にはシャルロットがいる、<アヌビス>は味方だ、あいつを止めてやってくれ、不肖の弟が世話を掛ける!!」
「頼むぜ、鈴ちゃん!!」
「任せて、千冬さん、ジェイムズさん!!」

<アヌビス>が味方である――千冬の言葉を聞けば、誰もが耳を疑っただろう。
 相手は以前の戦いで明確に敵対した。そんな相手が味方だと言われてもすぐに信じられない――ただ一人、凰鈴音を除いて。
 彼女のみ、<アヌビス>が強力な敵ではなく、その装甲の下に血肉を備えた人間が宿っているのだと知っていた。五反田弾が――自分と一夏の敵であるはずがないと知っていた。だからこそ、自分や一夏に対して正体を明かせないのもなんらかの重大な理由があるものだと考える。

「一夏……!!」

<アヌビス>は忙しそう――変異ISと<白式>の三つ巴。
 本来ならば一対三、数的に見て圧倒的に優勢なのに、一夏の視野狭窄で戦力的に面倒な事になっている。<アヌビス>は<白式>の零落白夜で損害を負った経験があり、変異ISとの戦いで不意を撃たれる事を警戒しているのだろう。
 鈴は一夏の頭を盛大にぶん殴って余計な手出しをしている彼を咎めたい。でも弾が自分から名乗り出ない事にはなにか理由があるのだ。そう考える――そこまで行って、自分が<アヌビス>の搭乗者が弾であると決め付けている事に気付いた。
 心の奥底で暗く澱んでいたものが消え去っていくような気持ちを感じ――彼女は<白式>をいなす<アヌビス>との間に割り込ませる。

 守るのだ――親友に刃を向けたと、後で真実に気付いた一夏が傷つかないようにその心を。
 守るのだ――炎に消え果て、自分が自分であると名乗りでる事が出来ず、親友に刃を向けられる弾のその心を守るのだ。

<甲龍>より強大な緑のメタトロン光が瞬く。

 本人すらも知らなかったが――先のアリーナでの<アヌビス>の攻撃事件に対してアメリカからもたらされた高純度メタトロンは、彼らが知らないうちに束の手によって移植されており、後は――搭乗者の強い意志を引き金として新たな力を得るための準備が施されていた。
 
 ……まるで二人の心を守ろうとする鈴のその思いを物質で再現するかのように、彼女の心理を鏡で映したように姿が変わっていく。


 第二形態移行(セカンドシフト)が、始まる。









 今現在の状況はセシリア・オルコットの心をじわじわと焦燥で削っていく。
 
「……また、新手?!」

 新たなミサイル攻撃をレーダーサイトに捕捉。同時に銃口を相手に向ける。FCSが敵ミサイルの未来位置を予測。火器管制に従い照準を向ける。
 指先に僅かな震え――本来の彼女ならば必中必殺の距離だが、いつ終わるとも知れぬミサイル攻撃と、戦場にいる人間全てを激しい砲弾神経症(シェルショック)でも引き起こさせるような猛攻によって昂ぶり荒ぶる神経が、本来の彼女の実力を阻害する。
 
「……外した……!?」

 背筋に氷の塊が這い寄るような感覚。遠距離射撃に置いては――それこそ教官顔負けの能力を持つという自負があったセシリア・オルコットが仕留め損ねた。それはギリギリのラインでミサイル攻撃を迎撃し続けてきた彼女らにとって、まず有り得ないと判断していた状況であり、予想外のしくじりにカバーに入るために必要な判断速度が僅かに遅れるという結果をもたらした。
 敵ミサイルの弾頭部がこちらに向かって急速に接近――まるで走馬灯に似た加速された感覚で、セシリアは自分へと迫り来るミサイルを見た。
  
 

 

 セシリア・オルコットは常に一番を目指してきた少女だった。
 戦績や成績のみならず、自分を高めるという事に対しては全く妥協無く厳しく生きてきた。
 頂点を目指した、というよりは人に負けたくない、劣りたくないという感情の一番最初の気持ちはやはり父母の死だろう。あの時彼女の周囲にいたのは、父母を失った可哀想な少女を助けようとする親族ではなく、父母の残した財産を姑息にも掠め取ろうとする泥棒しかいなかった。
 お金にそこまで執着する気などセシリアには特に無かったが――ただ、そんな浅ましい親族の存在は彼女にとって不愉快だった。お金はそこまで欲しくは無い。ただ、父母から自分に正統に引き継がれるはずの財産を、父母が自分に残してくれたものを他人に掠め取られる事はどうしても我慢ならなかったのである。
 だから彼女は孤独な戦いを始めざるを得なかった。
 父母の財産を守るための勉強、その途中でIS適性を発見。国家の庇護を得られる立場になった。
 浴びるのは賛辞。自分が努力している事を測る物差しは他者の憧憬の眼差しと賞賛の言葉。入試試験で教官機を撃墜したのは偶然ではない。彼女はこれまでにそれを成しうるだけの努力という対価を支払ってきたのだ。


 だから、織斑一夏という異物が学園に入ってきた時、セシリアが感じたのは、強い理不尽感だった。


 他者の憧憬の眼差しと賞賛の言葉。それは彼女が積み重ねてきた努力の歴史を感じさせてくれるものであり――セシリアは、だからこそ織斑一夏が気に食わなかった。相手が自分を上回る努力を積み重ね、高い実力と知力を持っているのならば、まだ突っかかるような事はなかっただろう。
 だが、織斑一夏は……単に『男でISを動かせる』という偶然で、周囲の耳目を惹きつける事が出来たのだ。それは――実力で周囲の耳目をひきつけてきたセシリア・オルコットにしてみれば、余りにも卑怯なやり方に思えたのだ。相手は努力ではなく、たかが奇跡ごときで本来自分が得るべき注目の視線を掻っ攫ったのだ。もちろん彼個人はそんなつもりなど無かっただろう。実際に話してみて分かったが、あの時の一夏はまるで何かに強く苛立っているようにも思えた。
 考えてみれば、望んだわけでもないのにISを動かせるという才能で持って入学を余儀なくされた彼に対して喧嘩を売ったのは、少し早計だった。ただ、あの時の彼女は――常に一番であれと己に課してきた自分を脅かす相手に対して、到底平静ではいられなかったのだ。
 
(……走馬灯って、こんな感じなんですかしら?)

 セシリアの脳裏を駆け巡るのは、このIS学園に入学した時の一番最初の気持ち。彼女が想う人との一番最初の出会いの時。ただ明確に一夏に対して思いのたけを告げてはいなかった。鈴に見せてもらった織斑一夏攻略本の内容を思い出す。『あれは死ぬほど鈍感なのではっきり言わないと気付きません』と明言されていたのに。
 
 敵ミサイルの直撃では自分は死なない。ISの絶対防御があるからだ。だがそれでもあんな速度で飛来する鉄の塊が自分に直撃する光景を見たら、理性ではなく感情が生きる事を手放す。
 ぎゅっと、反射的に目を閉じたセシリアは――瞬間、目蓋越しにも感じられる膨大な光量が膨れ上がるのを感じた。

「セシリアさん!!」
「馬鹿が、戦闘中に目を閉じる奴がいるか!!」

 心配の言葉と罵声の言葉はそれぞれ山田先生とラウラの二人ずつ。
 レールガンの一撃がミサイルを粉砕し、その破壊の余波、鉄片の散弾は――機体全面に物理シールドを展開した山田先生が食い止めていた。
 
「え? でも……わたくし、撃ち落し損ねて……」
「そのミスをカバーするのがチームというものだ。……貴様、確かに貴様がしくじるのは予想外だったし、事実ゼロコンマ5秒ほど反応は遅れたが――その程度で間に合わせられないと思ったのか?」
「セシリアさん、気張るのはわかりますが、少し冷静に」
「まだ来る、カバーするぞ!!」

 声を張り上げながら単機で獅子奮迅しミサイルを捌きまくる箒――その姿を見ながら、自分の失敗をカバーする仲間の姿にセシリアは、むしろきょとんとした表情を見せた。
 セシリア・オルコットは常に一番であり続ける事を自らに課してきた少女だった。
 それは他者と競合せず、求道者のように自らを高め続けるという事だった。事実、IS学園では二対二での実戦形式での訓練こそやるものの、基本的な授業では自分以外は全員ライバルであるのだと考えていた。
 だけども、彼女が思っているよりもずっと、実際の戦場は仲間との助け合いが大事で――自分が失敗をしても仲間がカバーに入ってくれるものという事を実感で知る事ができた。



 すとん、と心のどこかが腑に落ちる。



(……ああ、なんだ)

 セシリアは、父母が死んだあの事故から心の中で強張っていたものが、ようやく解きほぐれていくのを感じた。
 別に、一番であり続ける必要は無い。別に絶対失敗してはいけない、という訳でもない。自分ひとりで何もかもを成し遂げる必要は無く、他人に任せていいところは任せてもいいのだと、悟る事に似た心境で彼女は理解した。
 敵を見る――恐らく強奪された<サイレント・ゼフィルス>の搭乗者は自分よりも上手く自立機動砲台を扱えている。
 そう、それをまず認める事にしよう――自分が劣っているという事を。セシリアは少し前ならば絶対に認めなかった事を、優しげな微笑と共に認めた。
 相手は小型観測機を自分では不可能なレベルで完璧に操っている。自分の狙撃は相手を捕らえられず、そして相手の攻撃は自分達を危地に陥れている。……それを認めてから、彼女は笑った。

「ええ、そうですわね。相手の方が上手い、速い――でも負けてやる気はございませんわ」

 相手は強い。
 だが、セシリアは微笑む。狙撃という分野では相手を上回る事ができない。遠距離射撃型である<ブルー・ティアーズ>を扱いながらも、積み重ねた修練では相手に勝てぬと彼女は諦めた。狙撃では勝てないと判断した。



 ただしそれは彼女が勝利への意志を投げ捨てた事にはならない。



 むしろ――それは狙撃という分野に拘らず、勝つためならば如何なる手をも躊躇わずに使う、勝利へと邁進する戦闘者として次なるステージへと到達する事を意味していた。まるで闘う淑女を一番美しく飾るものは胸を彩る勝ち星以外に有り得ないと知るように、セシリアは微笑みながら――<ブルー・ティアーズ>に進化する事を許す。
 狙撃で勝てなくてもいい。失敗しても仲間がいる。人生で譲れないものは精々たかが一つや二つだけ。織斑一夏への恋心と、勝利を得るというたった二つに望みを絞れば……嗚呼、人生とはなんと楽で楽しげなものであるのかと、むしろ笑みさえこぼれてきた。

<ブルー・ティアーズ>から緑色のメタトロン光が放たれる。

 狙撃戦闘を最重視した機体構成から、勝つ事を最重視したその形へと――セシリアの望みを叶えるために、<ブルー・ティアーズ>のコアは主の望みを成就すべく己を作り変えていく。
 翼が肥大化。後方の推力ユニットが更なる加速と機動性能を得るべく巨大な三次元偏向スラスターへと形を変えていく。自立機動砲台は自らのコピーを増やし、本体に接続。一番大きく形状が変化しているのは、まるでスカートのように腰の横から後をぐるりと覆うような新しい非固定浮遊部位(アンロックユニット)による物理装甲。
 スターライトMK-Ⅲは更に口径を巨大化。当然必要とされるエネルギー量も相当に大きくなるが――<ブルー・ティアーズ>がその身に取り込んだメタトロンはその問題を解消し、むしろ余裕を生むほどの膨大なエネルギー供給力をもたらす。
 それは戦場の淑女が纏う典雅な蒼い装甲。一番に対する執着をしない事を自らに許した少女の心の軽やかさを写す鏡のように挙動の全てが総じて軽やか。爆炎による煙の煤こそ戦場の女の化粧と言わんばかりに顔に汚れがあるのにそれがとてもあでやかで美しい。セシリアは微笑みと共に髪をかきあげる。一流の舞踏者がどんな乱雑な動きをしようとも動作の端々に隠しきれない美を潜ませるように、一流の演劇者が耳目を惹きつけるのに似た魅力がある。全員の鼻腔に、戦場に似つかわしくない薫風を錯覚させた。

「……<ブルー・ティアーズ>が第二形態移行(セカンドシフト)した……!!」
「先生、ご迷惑をお掛けいたしましたわ。……ここからは――<ブルー・ティアーズ>第二形態『シャッタードスカイ』にお任せくださいませ!!」

 山田先生の言葉に返答し、セシリアは叫びと共に手を振る。まるでタクト一つで一個の生き物のように楽を奏でる統率された楽団のように、腰のスカート型装甲が一斉に分割し四方へと散り、空中を疾走、飛行する。
『シャッタードスカイ』――閉ざされた空という意味を関する<ブルー・ティアーズ>第二形態の真骨頂である、この分割された大量の小型ユニットは元来<アヌビス>戦を想定された高度な索敵システムの役割を担っていた。
 周辺に小型の浮遊センサーを展開するのは、かつての<アヌビス>戦で、相手が自分自身をベクタートラップに格納する事により、完璧とも言えるステルス能力を発揮した場合の、空間の僅かな歪みを検知するためのシステム。同時にそれは<ブルー・ティアーズ>の周辺を完璧とも言える高度な索敵としても作用する。
  
「理解いたしました。わたくしは、小型機の扱いと言う点において貴女には勝てませんわ」

 セシリアのその呟きは、遥か遠方で<サイレント・ゼフィルス>を操る敵に対しての敗北を認める台詞だった。
 ほんの数日前ならば死んでも言わなかった屈辱の台詞――でも、今心がとても軽く楽になったセシリアには、それを認める事に悔しさは無い。乙女が真に譲ってはいけないのは、好いた殿方を射止めることと勝つことぐらいであり、狙撃や機動の分野において相手に敗れることに悔しさはない。それはあくまで枝葉の一節。自分がしくじっても、他の仲間がカバーしてくれるのだと悟ったから。ハイパーセンサーに叩き込まれるのはこれまでとは次元の違う膨大な索敵データ。それら全てを機体のコアは増大した演算性能で処理し、必要となるデータを全て取捨選択しセシリアに表示する。

「ですけども――勝利だけは勝ち取りますわよ?!」

<ブルー・ティアーズ>に直接接続されたままの自立機動砲台が全て己の周囲を向く。全方位へのレーザー射撃。エネルギーバイパスを本体直結式に切り替えたがために、高出力となったそれ。
 ただし一堂の周囲を高速で駆け抜ける小型観測機は、相手の新しいパターンの攻撃に対して一時的に攻撃よりも光学迷彩とジャミングによる光学的、電子的透明状態へと移項。相手の攻撃を回避重視に切り替えて避けようとする。確かにそれは上手く行くはずだった。
 周囲に放たれた<ブルー・ティアーズ>のレーザー攻撃は、まるでただ無作為に撒き散らしたようにしか見えず――自然、小型観測機を遠隔操縦するエムもその唇に嘲りの色を浮かべた。
 放たれたその全方位一斉射撃は脅威にはならず、全て的外れ。これならば大したことにはならぬと――エムは、圧倒的な力の愉悦に自ら進んで酔いながら、暗い笑みを浮かべ――そして見た。

 四方へと放たれた無作為な一斉射撃――その全ては<ブルー・ティアーズ>が周囲に撒いた索敵センサーの直撃コースを描き、己が機体を己が攻撃で損なう愚かさを笑うエムの想像を超えるように……反射したのである。

「貴女には、未来はありませんことよ!!」
 
 反射する。反射する。反射する。

 まるで光の檻、銃弾で描かれた破壊の格子。相手を射殺するまでは死なない呪われた銃弾のように、周囲に撒き散らされたセンサーによって、<ブルー・ティアーズ>の攻撃は反射を繰り返し今だ生き続けていた。空気での破壊エネルギー減衰がまるで感じられない反射レーザーの雨――その破壊の密度を増すかのように、<ブルー・ティアーズ>は繰り返し反射レーザー攻撃を続ける。
 これほどの破壊の雨でありながらも、恐るべき事にその反射レーザーは友軍機に一発も直撃させていない。卓越した制御能力で反射レーザーの全てを操る。

 これこそ、<ブルー・ティアーズ>が対<アヌビス>戦を想定して生み出したシステムである索敵システムとレーザー兵器の屈折偏向を利用した攻撃と防御を兼任する『シャッタードスカイ』――空にあるもの全てを撃墜する高度な迎撃システムであった。<アヌビス>のホーミングレーザーは威力、弾速、追尾性能、その全てが非常に高いレベルに位置しており、これを回避する事は実質的に困難。
 その対処のために生み出されたのがこれであり、レーザー反射システムによる相手の攻撃の無力化とそれを利用した攻撃方法。

「狙撃では勝てませんけど――……でもわたくしは優雅に勝つ必要もないと悟りましたの。乙女が必ず勝たねばならないのは恋と後一つぐらいと分かりましたし」

 セシリアは微笑む。気取りの無い、素直な童女の如き笑顔。

「百発中の、一発命中でも、勝てば良いんですのよ?」

 意地の悪い笑顔――彼女が繰り出した反射レーザーの雨霰は銃撃の結界となって、小型観測機を撃ち抜き、接近するミサイルをあらゆる角度から狙撃。堅牢な迎撃結界は水も漏らさぬ精密さであらゆる脅威を跳ね除ける鉄壁の傘となり、仲間と――仲間達のいる場所を狙う悪意の攻撃を全て打ち払いのけた。
 敵もこれ以上攻撃を続行してもこちらの迎撃能力を上回る事が出来ないと判断したのだろうか。<ブルー・ティアーズ>第二段階『シャッタードスカイ』のハイパーセンサーにも反応がない。遥か遠方に見える膨大な推進エネルギーの反応――撤退を確認。脅威が去った事をセンサーを通じて仲間全員に伝える。

「後は――あの方達ですわね」

 一夏と鈴の二人は織斑教官を助ける事が出来たのだろうか。
 セシリアにとっての勝利とは皆が無事に生還することであり、こちらの勝利条件は満たせても、あちらの勝利条件は彼らにしか満たせない。みんな無事でまたいつものような学園生活を送る――とはいっても、この時点ではセシリアは特に心配などしていない。皆が戻ってくる事を確信し、彼女らは学園へと帰還する。
 
 状況が油断ならぬものになっていたなどと、知る由も無く。




[25691] 第十八話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/01 14:03
 ISには絶対防御、最終保護機構という優れた搭乗者の保護機能が存在している。
 それは総合的な戦闘力で上回るであろうオービタルフレームにはどうやっても再現不可能な、搭乗者の安全を確実に守る優れた機構だ。そこは掛け値なしに、流石は天才篠ノ之束と賞賛するほかない。
 では、今現在交戦しているこの変異ISも同様にその装備を持っているのだろうか――弾デルフィに目の前の敵、該当データに存在していた『VTシステム』の情報を現在戦闘と平行して分析させていた。弾は叫ぶ。

『なんか弱点ございました?!』
『データ取得。敵システム名はVTシステム。過去のモンデグロッソ優勝者のデータを再現するために作り出された自立型戦闘システムのようです。あと、敬語は要りません』
『自立システム? お前の親戚か?!』
『一緒にしないでください、怒ります』
『……お前も変わったなぁ!!』

 弾はデルフィの応えにときめきながら――表示されるデータを確認。
 そも一番重要なのは、相手はISの一種であるのだから撃破された際搭乗者を守る最終保護機構がちゃんと起動するのかどうかと言う事に尽きる。もし起動するのであれば、お構いなしに戌笛を叩き込んで戦闘不能に陥れてから回収すればいい。
 問題は、相手がどうも正規品のISではない違法改造を施されているらしいことだった。果たして相手の最終保護機構はきちんと発動するのか。もし実際に致死の一撃を叩き込んで死亡されては『やあ、まずったな』ではすまない。

『流石に人命が掛かっている以上、賭けはできないな。最初の予定通りだ!!』
『任務遂行には迅速な<白式>の排除が有効です。攻撃を推奨します』
『……駄目だ!!』
『弾。貴方の理由は理性に基づくものではなく、感情による理由と推察しますが』

 変異ISと切り結びつつ後退した<アヌビス>へと接近する<白式>。
 携える光の刃。ISの保有する武装の中で、唯一デルフィが警戒を払う零落白夜。蒼白い輝きの塊となったそれを構える<白式>。なるほど――確かにデルフィの言葉は全くの正論だった。<白式>は正式なIS。搭乗者の生命を絶対に保証する最終保護機構を備えた機体は、<アヌビス>の戌笛の直撃を受けても搭乗者を守ってくれる。優勢指数を低下させる原因である<白式>をさっさと始末すれば<アヌビス>は変異ISを制圧できる。近接戦闘でも<アヌビス>は無敵であり、それが可能だった。

『状況によって架せられた制約を外していく事が有効と判断します』
『……すまない、デルフィ。悪いが我侭を通させてくれ』

 しかしそれが正しいと分かっていても、弾は親友である一夏を撃つ事に躊躇いを覚えてしまう。理性が正しさを認めていても、感情がそれを断じて許さなかった。デルフィ――ある程度予想していたようなあっさりとした応答。

『了解』
『迷惑を掛ける』
『何度も言いますが。私の存在理由は貴方に尽くす事です。お忘れなきよう』
 
 反応はそれだけ――無言で理屈に合わない行動をするフレームランナーに対して無言の抗議でもするようにデルフィは押し黙る。
 
「<アヌビス>……俺は、お前を!!」
『と、熱烈なところ申し訳ないが――あんまり遊ぶ気も無い!!』

 以前での戦闘で完膚無きまでに叩きのめされた事で、再戦の機会に心が猛り狂っているのだろうか。弾は突進してくる<白式>に対して軽く舌打ち。ウアスロッドを構え近接戦闘に応じる構え――射撃戦闘に徹すれば、仲間がいるなら兎も角単独行動をする<白式>を倒す事はそう難しくないのに、事情察しろよ!! と無理な事を考えながら弾は<アヌビス>を疾駆させる。
 相手の斬撃に対して機体後背のアンチプロトンリアクターより強大なエネルギーを引き出す。同時に空間を圧縮するベクタートラップによる空間潜航モードに移項。<白式>の一夏の視界から瞬時に姿を消した。

「あの時の?!」

 一夏は驚愕に目を剥きながらも――しかしその記憶の中にあった<アヌビス>戦のデータを引き出しながら即応する。鈴の<甲龍>の攻撃を避けたときと同じ、センサーからの完全な消失。ベクタートラップを持ちいた空間潜航。一度この状態になられると従来センサーでは相手の姿を捉える事すら困難になる。だが、と一夏は即座に<白式>を旋回させた。こういう事態に備えて箒との訓練に勤しんできており、頭で考えるよりも脊髄反射が反応していた。
 相手がこちらのセンサーを上回る動きをしようとも、恐らく相手は道理に叶った動きしかしない。戦闘ではこちらがされて一番困るところを相手が突いて来るのだと考えれば反応はできる。外れればそれはそれ。もとより実力には大きな隔たりがあるのだ。どこかで賭けなければならない。

「うおおぉぉぉぉぉ!!」

 一夏――背中を見せた状態からの逆風の太刀。全身を捻りながら機体各所から吐き出した推力を切っ先に乗せて――まるで両者ともタイミングを合わせていたかのように、ある種の演舞でも行っていたかと思うタイミングで、そこに<アヌビス>が出現する。

『何ッ!!』

 予想外の相手の追従に対して、即座にガードモーションを取る<アヌビス>――だが相手の切っ先から輝くのは零落白夜の青白い光の刃。シールドを無効化する、<アヌビス>と言えども軽視できぬ一撃だ。
 しかしそれでも<アヌビス>は相手の刃に対してウアスロッドによる迎撃で刃を撃ち落そうとし――。


 一夏と弾の両名は、二人の間に割って入った鈴の姿に等しく背筋を凍らせた。


 ISの搭乗者の保護があるとはいえ、大切な女性(ただしどちらも友人としか見ていない)に対して刃を振るう事に対する禁忌感。両名は反射的に刃を引こうとするが、しかし勢いの付いた斬撃は容易に止まらず。
 

 両名より繰り出された斬撃は、姿を大きく変えた<甲龍>のその堅牢な装甲に阻まれた。


 今だ緑色のメタトロン光を纏い現在進行形で変質を続けるその姿。
 まるで――搭乗者の鈴の心理を、写す鏡のような形へと自らを変えていた。二人の心を守る――その意志を引き金として変質した<甲龍>。緑色の血管のようなメタトロン光を放つ装甲各部。機体全てを構成する装甲材の根本的変質により圧倒的な硬度と軽量化により推力重量比を高め、更にそこに四基に増えた背部非固定浮遊部位(アンロックユニット)によって爆発的な推力を放ち、二人の間に割り込んで見せたのだ。
 
「……セカンドシフト?」

 一夏の声も自然驚きを帯びるようになる。敵である<アヌビス>を何故庇うのかという疑問と、このタイミングで新たなステージへと登った鈴に目を見開いた。
 零落白夜とウアスロッド――近接武装としては世界でも有数の威力を誇るそれらを、物理装甲へと変質したシールドエネルギーで、<甲龍>は受け止めている。
 それこそ――鈴の心のあり方と共に目覚めた<甲龍>の単一仕様能力・『揺らめく乙女心(ランブリングハート)』だった。エネルギーを物質へ、物質をエネルギーへと変質させる物質相互転換能力。フレーム自体に演算能力を保有し、攻撃位置を瞬時に計算予測してピンポイントで強固な物理装甲を展開する、二人の心を守るのだという鈴の心を写す鏡のような、金城湯池、金剛不壊、難攻不落、要害堅固、堅牢地天の守りの力。
 驚きを浮かべる一夏に対して――鈴は、新たに腕部に龍頭を模したパーツを纏うその腕を振り上げて、まず彼の顔面を殴った。
 もちろんISである<白式>はその衝撃を大幅に食い止める機能を持つが――しかし、仲間と思っていた相手にいきなり顔面を殴られれば大抵の事には鷹揚な一夏も困惑と怒りが湧き上がってくる。

「おま……なにするんだ!!」
「なにしてるのよって言いたいのはあたしの方よ!!」

 怒鳴りながら一夏に叫ぶ鈴――その指を……まるであっちは任せても大丈夫だなと言わんばかりに変異ISとの戦いに専念しだした<アヌビス>に向けた。

「あんたが、<アヌビス>を倒したいのはわかってる。あたしもそれを手伝うって言った!!
 ……でもね、千冬さんを放置して、助けられる人を助ける事すら忘れて奴を倒すことにそんなに大きな価値があるの?! ないでしょ?! ……命ってのは無くなったら二度と戻らないかけがえのないものって――あんたとあたし……一緒に……思い知ったじゃない!!」
『織斑、聞こえているな』
「……千冬姉」

 鈴の怒声によって視野狭窄に陥っていた一夏の頭が冷えていく。
 あの日、親友を助ける機会を奪った相手――と思わなければ心が悲しさで押し潰れる事を一夏は本能で察していたのだろう。その悲しみと怒りの矛先を向けるべく彼は<アヌビス>に挑んだ。そして再び、同じく命をその腕に取り損ねるところだったのだ。
 鈴に頭をぶん殴られた時、激情に水を差されたのとは違う。一夏が<アヌビス>に対して強い敵愾心を抱くようになったのは、助けられたかもしれない命を奴のせいで取りこぼした事に対してだったのに、過去の怨恨に引きずられて助けが間に合う命を念頭から捨てていたのだ。
 頭が冷えていく――鈴に殴られて視野狭窄に陥った頭が正常に戻った時とは違う。危うく人を助ける事よりも敵を倒すことを優先していた自分自身に対する失望で、頭が冷静さを取り戻していく。

『良いか。あの変異ISの中にはシャルロット・デュノアが取り込まれている』
「っ……なんで?!」

 一夏は自然と驚きの声を張り上げていた。
 思い起こすのは先日の彼――ではなく彼女のこと。今、思い起こすのは彼女があの時自分に何を言おうとしていたのか。その答えは――ジェイムズが教えてくれた。

『一夏! あのお嬢ちゃんは――お前を殺すという仕事を父親に押し付けられていた、しかも母親の命を盾に取られてだ!!』
「……そんな悪党実在するってのが嘘みたいだし、でも一番タチが悪いのは……本当にそんな奴がいるって事よね」
 
 鈴の顔は驚きと怒りに彩られる。だが――その言葉に受けた衝撃の大きさでは、一夏がはるかに上回っていた。








 思い起こすのは昨日の記憶。


(あのね……一夏)


 だとすれば、あの時、シャルロット・デュノアが告白しようとしていた言葉とは。


(僕……本当は――)


 
 自分を殺そうとしていた罪を告白し、救いを求めていた悲鳴だったのではないか?









「……う、うぅ……おい、おい!! マジか……本当なのか……?!」

 一夏は、今更ながら背筋を駆け抜ける恐怖と悔恨に全身を奮わせた。自責の念と、取りこぼしていたかもしれない命の存在に対して身震いでかちかちと歯を鳴らす。
 何をしていた? 自分はいったい何をしていたのだ? 確かに織斑一夏は人生に余裕のない男だ。世界のほぼ全てのISと、そして怪物<アヌビス>を倒すと心に決めた。それ以外の全てを切り捨てるほどの覚悟を決めていたはずだった。
 だが――これは確実に違う。
 例え自分の人生に余裕がないからといって、シャルロットの助けを求めるあの言葉に気づかなかった事が正しいはずがない。救いを求めていた人に気づかず見殺しにしていたなど、一生涯永遠に後悔する。動悸が荒々しくなる。息苦しい。自分自身がやってしまったあまりの醜態に死にたくなってくる。
 今も繰り広げられる、変異ISと斬り結ぶ<アヌビス>の動きを冷静な頭で一歩引いた位置で見れば、奴の意図は理解できる。

<アヌビス>は――シャルロット・デュノアを助け出そうとしていたのだ。

 そして自分は、よりにもよってシャルロット・デュノアを助け出そうとしていた<アヌビス>を邪魔し結果的には彼女の命を危険に晒す行為を行っていたのだ。自分自身の羞恥心と行動の愚かさから来る後悔のあまり、許されるなら腹でも喉でもかっ切って詫びたいところだった。だが、そんな後悔の沼に浸って自虐に浸ることになど意味はない――自分自身に罰を与えて意識を切り替える。そのために一夏は叫んだ。

「……鈴! もう一度俺を殴れ!!」
「……<甲龍>のセカンドシフトした姿、双頭龍『シャントゥロン』で真っ先に攻撃する相手が二回連続で仲間というのもあれだけど、わかったわ」

<甲龍>の鈴は一夏の言葉に大変素直に<白式>の一夏の顔面を結構手加減抜きでぶん殴った。吹っ飛んで地面に顔面を擦りながら横転し――土煙の中で一夏は、ひとまず自分自身の罪を一時的に許す。後でシャルロットに土下座なり何なりして謝る――そう、彼女の悲鳴に、助けを求める言葉に気づくことができなかった自分自身を許してもらうために――助ける。

「頭、冷えた?」
「ありがとよ、鈴。……おかげで気合が入った」

 彼女を助ける。何が何でもだ。
 一夏はここに来て、本来優先するべき対象が何であるのかを思い出した。何をなすべきなのかを――その視線の中心、照準に捕らえるかのように変異ISを見る。
<アヌビス>が予想以上にてこずっているのはフリーハンドで戦えていないから。実際に戦った経験のある一夏と鈴の二人は<アヌビス>の操縦者の意図を見抜くことができた。変異ISは強い――太刀捌き、動き、近接戦闘に特化した一夏のいいお手本になってくれるだろう。だが……少なくとも<アヌビス>と戦ったときほど絶望的ではない。そう二人は見抜いていた。

 一夏は静かに笑う。
 
 どこかで誰かが言っていた。
 ヒーローの条件、それは少女の涙が零れるよりも早く間に合う……どこかの誰かの危機に対してその場に居合わせるタイミングの良さと、誰かのために命を投げ出す献身なのだと。ならば、少女の命を救う事ができる場所にいて、そして彼女を助けることができる立ち位置にいられるということは、誰かの涙を止めるために必要な第一条件をクリアしているということではないか。

 ヒーローの資質とは、いったいなんだろうか。
 邪悪に敢然と立ち向かう強力な武力――確かにそうだろう。無辜の人々を助けるための力が無ければ自分自身はおろか、誰かを守る事もできはしない。決してくじけない精神力――これもそうだろう。我が身を省みず危機に戦いを挑む事は生半な心意気で成せる事ではない。
 だからこそ、織斑一夏は心を決める。
 より強くなることを。一番最初の気持ちを忘れたわけではない。男の代表として戦い抜くと。だが、それにばかり意識を集中し――助け得ることができた命を見殺しにするのもまた間違いであるのだと。誰の命も取りこぼさない事こそ、望みの全てであるのだと。

 あの日、親友を助けることが出来なかった悔恨を二度と味合わないために。

<アヌビス>に勝つ。それと同時に助けることができる命を決して見逃しはしない。

「だから――俺は……強くならなきゃいけない。ただし今度は助けるためにだ。<白式>――手を貸してくれ!!」

 その声と意志に呼応し――<白式>はメタトロン光を全身から解き放つ。
 男の代表として戦いぬくことだけではなく、誰かを助けることができるように、その思いを写す鏡のように。<白式>は変化を始める。
 両肩の推力器、非固定半浮遊ユニットの肥大化。各部装甲の堅牢化。全身を血管のような緑色のメタトロン光が走り回る。だが、一番形状として目を引くのは――機体の背中の位置に出現した新しく増設された鋭い刀剣のような形状の推力ユニットだろう。
 目立つのは、片腕を占めるユニット。ハードポイントとしての腕に、零落白夜のエネルギー爪、更にエネルギー無効化フィールドを搭載した戦闘補助システムである『雪羅』。
 速度――何よりも相手に素早く踏み込み痛撃を見舞わんために特化された前進推力と、被弾に耐え得るタフネスを得るための装甲。その身の内に取り込んだメタトロンのほぼ全てをPICによる推力システムと刀剣の破砕力に割り振った、速度と格闘戦能力に特化した――それ以外の全てを戦友に任せた機体。
 だが、少し違う――<白式>が己の姿を速度に大きく偏らせるように変えたのは、誰かの涙が流れ落ちるより早く涙を拭うことを間に合わせるためだ。誰かが、誰もが、涙しないように。助けが間に合うように――その思いに<白式>が応えたのだ。


  

『強大なメタトロン反応検知』
『……<白式>が、セカンドシフトする? ……デルフィ』
『了解。データ収集、戦力の査定を戦闘行動と平行して行います』

 後方で広がる緑のメタトロン光――それも、かつての戦いで唯一<アヌビス>に損害を与えた<白式>のパワーアップに、弾は親友がいつか敵に回る可能性も考慮し、そうデルフィに命じる。そのデータが役に立たない事を願いつつも。
 弾――目の前の変異ISの動きが……急に少なくなったことに気づく。
 同時に再び変異、まるで粘土細工を再度元の形にこね回したように崩れだし、今度はまるで繭のような球体へと姿を変えていく。同時に――なぜかデルフィはカウントを表示させる。

『……おい、なんだコイツは』
『変異ISから高レベルエネルギー反応検知。ジェネレーターの意図的暴走を開始。自爆システム起動を確認しました。……同時に、敵機体周囲に質量の断層を確認』
『……は?』

 弾――無言のまま忌々しさのあまりに歯を噛み鳴らした。
 質量の断層――かつて<アヌビス>が存在していた世界における最強最大の防御システム。空間圧縮を行うメタトロンの特性を利用したもので、如何に<アヌビス>と言えども通常兵器での破壊は不可能――寒くなる背筋。間に合わなかったのか? と恐怖がその身に染みてくる。
 質量の断層――それを突破する能力は、当然だが最強のオービタルフレーム<アヌビス>は備えていた。ランディングギアを降ろし、機体を固定させて発射する<アヌビス>最大最強の攻撃能力であるベクターキャノン。その破壊力は質量の断層を突破する事が可能なほど圧倒的だ。


 そう――確実に、中に囚われた少女も一緒に殺してしまうという点を除けば――理想的だろう。

『弾』
『……なんだ』
『私は貴方と行動を共にして、学んだ事があります』

 デルフィの言葉に……どうする、どうすればいい、と思案に暮れていた弾は弾かれたように応えた。

『貴方達人間は、道理に合わない事をします。でもそれは――貴方達が自己の生存よりも重要なものが存在すると考えているからだと考えます。同時に私は貴方の命を脅かす脅威に挑む事は推奨しません。……貴方は――もう少し私の気持ちを考えるべきです』
『……心配してくれてるのか。悪いな。……迷惑掛けついでに聞いて良いか、助ける方法は?』
『あります。……貴方が、友人を攻撃できないと判断したお蔭です。私の判断ミスでした』
『ん?』

 言いつつ、デルフィは<白式>を表示。

『目標達成には彼らとコンタクトを取る必要があります』





<アヌビス>からのその解析情報を受け取った時、鈴と一夏はどちらも無言で顔を強張らせた。恐怖ではない。怒りの余り、だ。同様にジェイムズと千冬も言葉を出そうとはしていない。両名ともはらわたは煮えくり返っているものの、しかし先だって相手の悪辣さを目の当たりにしているから、そういうこともあるだろう――と予想はしていた。

「で……手はあるの?」

<アヌビス>の搭乗者は音声入力で会話をしてこない――以前は学園のスピーカーを乗っ取って話しかけて来たとは聞いていたが、今度は文章を送信してくる。……口調や話の癖で正体が判明するリスクを恐れている? その自分の正体が発覚する事を病的に恐れる姿勢はきになったが……しかし今は救出の方が優先順位が上だ。

――<白式>のバリア無効化攻撃の使用を推奨――

「零落白夜を?」

 驚いたように声を漏らすのは織斑一夏――向ける視線は、徐々に破滅と自殺に向けて着々と時を重ねる変異IS。全ての事件の真相を闇に葬るべく起動する死の機構はまだ自爆には幾許かの猶予が許されており、一行は作戦を練る時間が僅かながら許されていた。

――<白式>のバリア無効化攻撃は、相手のバリアの特性に左右される事無く無効化可能。現状作戦目的を達成する最大の手段――

『<アヌビス>、お前にはあの防御フィールド――圧縮空間の質量の断層は突破できないのか?』

――可能。ただし、相手の質量の断層を破壊するほどの衝撃を叩き付ける武装のため、確実に取り込まれた人物は死亡する――

 千冬の言葉に、文面で回答する<アヌビス>。その内容に彼女は顔を顰めた。
 突破は可能だがシャルロット・デュノアは確実に死亡する。そんな作戦に許可など出せる訳も無い。

「まぁ――俺が<白式>の零落白夜で相手の質量の断層を突破し、シャルルを救出するってのはわかった。……でも自爆はどうやって防ぐんだ?」

 一夏がその疑問を呈するのも当たり前の事だろう。あらゆるエネルギーフィールドを無効化する<白式>の零落白夜。……メタトロン技術の一つ、強力なベクタートラップによって発生する質量の断層すら破壊可能と聞いて、ISのコアが持つワンオフアビリティーの力に今更ながら呆れる思い。
 だが、助け出す事が出来たとしてもそのあと大爆発ではなんら解決にならない。自分や鈴、<アヌビス>は問題などないだろうが、シャルロットはそのISから助け出されるのだ。生命保護の面では大きく不安が残る。状況が状況のため、ジェイムズさんや千冬姉が退避しているのもそのためだ。

――ベクタートラップによる空間圧縮能力を用い、爆発を圧縮する――

「なら……万全って事ね?」

 シャルロットの救出は一夏の<白式>の担当。爆発を封じ込めるのは<アヌビス>。
 鈴はその様子を一歩引いた場所で見守る。相手の質量の断層はセカンドシフトへ移項し、強化された鈴の<甲龍>の火力でも、恐らく突破は不可能だっただろう。
 ここに一夏の持つバリア無効化能力が存在していなければ、どうなっただろうか。
 そう考える鈴の前で、<白式>に<アヌビス>がお互い手を伸ばし接触する。それがどういう意味か、一夏も鈴も理解している。<アヌビス>は最強の機動兵器であると同時に、フレーム単位での演算能力を有する世界最高峰の量子コンピューター。物理的接触を試みる事は相手からのハッキングされた場合、ほぼ確実に無力されるということだ。
 ……だが、一夏はその腕を掴む。同時に流れ込んでくる膨大なエネルギー量に瞠目した。いつになるかは判らないが、いずれこの大敵とを決さねばならぬ
 かつての敵対者同士。しかし今はただ一つの目的のために邁進する。
 肩を並べる両者。<白式>の一夏は、その腕を機体後方に接続された巨大な追加スラスター――の性能を兼任する大型ブレードという形へと変化した雪片弐型、新たな名を『白式斬艦刀』へと変えた巨人刀を構える。同時に刃が解放され、内部から零落白夜によるあらゆる防御力場を無効化する光の刃が形成される。

 その巨大さは目を剥くばかり――まるで真の意味で巨大戦艦を両断するために生み出された凄絶な破砕の刃。メタトロンの質量の断層すら無効化する力。横で<アヌビス>はウアスロッドを格納しタイミングを合わせるために突撃準備を行う。


 振り下ろされる刃――相手は動かない。自爆までの時間を稼げれば良いと考えられた、全てを暗い陰謀の闇に葬り去るべく起動したシステム。それを守る堅牢なはずの質量の断層は、<白式>の光の刃が――まるで硝子細工を粉砕するかのように破壊され、続けて振り下ろされた刃が――中の少女を傷一つ付ける事無く救い出す。その彼女の体を包むように淡い光が瞬き、胸元で小さな球体が弱々しげに点灯した。この状況でも彼女を守ろうとしたコアと一緒に引きずり出す。

「シャルロットォォォォ!!」

 伸ばされる一夏の腕――そこで彼女を庇うように、彼は空いた腕を掲げる。
 ……彼からしてみれば、元々<白式>には大きな不満点があった。まず近接戦闘しか出来ないと言う、酷く扱いづらい設計。また必殺の零落白夜も使用にエネルギーの消耗を必要とする、強力だが無駄打ちできない設計だった。だからこそ、一夏が望んだのは――使用にエネルギーを消耗せず、射撃格闘を万能にこなせ、また相手の攻撃に対しての防御エネルギー損耗を押さえ込むための装甲を欲した。
 障害に押し潰されず、相手に一発叩き込むまで絶対確実に生き残るべく欲した武器――雪片弐型を拡張領域に格納する事をあきらめ、常時展開型にすることによって空いた部分に詰め込まれたその装甲。肘の後から伸びる円柱のようなパイルを搭載した、圧縮空気を相手に叩き込む武装を盾として構えた。
 その頑強さを高めた装甲で、救い出され今だ意識を失ったままの彼女を庇う。もう二度と命を取りこぼさないと言わんばかりにしっかりと。
 それと入れ替わるように――爆発間近になった相手に対して突撃する<アヌビス>。その法外の大出力による光すら歪ませる圧縮空間――それが、全てを闇に葬るべく組み込まれた許されざる破壊を握りつぶし圧縮する。

 

 鈴は、その光景を――悲しみと喜びの入り混じった眼差しで見た。
 


 分かたれた友人二人。その両名が肩を並べる時は終わりを告げる――そして馴れ合いは終わりだと言わんばかりに<アヌビス>は再び空中へ。

「待って!」

 発作的に鈴は喉が枯れるような大声を上げた。その搭乗者が弾であるのだという確証を得たかった。とりあえず一秒でも長く相手を引き止めたかった。一瞬静止した<アヌビス>に対して鈴は再び言葉を失う。
 再び鎌首を擡げてくるのは、彼が弾で無かった時のその絶望。再び望みを失う事に対する激しい恐怖だった。その恐怖が喉奥でつっかえて声帯を引きつらせる。<アヌビス>は数秒ほど鈴の言葉を待ったが、彼女が苦しそうな表情で己を見つめるのに対し、返答をすることなく再び――空間潜航モードによる完璧なステルス能力を発揮する。
 
「鈴?」
「……うん。大丈夫、一夏」

 気遣わしげな一夏の言葉に鈴は頷く。
 シャルロットを謀殺しようとした陰謀は砕かれた。めでたしめでたしと――そう打ち切るところであるのだろうが、姿を見せた<アヌビス>の存在に、凰鈴音の心は千々に乱れる。
 逢いたい。もう一度。
 彼女は、心からそう思った。




 
 











おまけ


 今回の鈴の<甲龍>のセカンドシフト設定は、夜猟兵様が考案してくださりました。実は追加装備に関しても設定を頂いているのですが、とりあえず今回出た分です。
 夜猟兵様、素晴らしい設定をお送りくださり、この場を借りてお礼申し上げます。そしてあんまり活躍させる事が出来ずに申し訳ないです(土下座)。話の展開上どうしても地味な事になってしまいました。とりあえずいらっしゃる方角に適当に当たりを付けて土下座しておきます。ありがとうございました。



単一仕様能力:(仮称)揺らめく乙女心『ランブリングハート』

エネルギー←→物質相互転換能力。

 エネルギーから物質への転換効率は搭乗者の精神状態に大きく左右され、ネガティブな方向に極端に偏った状態では、薄紙程度の強度の物質を構築するために絶対防御以上のエネルギーを消費するが、

 ポジティブな方向に極端に偏った場合、理論上ではアヌビスの保有する盾に匹敵する強度の物質を、ISが発生させている通常のシールドに必要とされるエネルギーの数万分の一の消費で精製可能となると予測される。

 また、物質からエネルギーに転換する場合の転換効率は一定のため、ポジティブな精神状態時に構築・分解を繰り返す事で、擬似的に無限にエネルギーを精製可能。


双頭龍『シャントゥロン』

 甲龍が必要量のメタトロンを得てセカンドシフトした姿。
 両腕部に装備した特徴的な龍頭を模した武装から、双頭龍『シャントゥロン』と呼称される。
 装甲材の一新による軽量化と四基に増えた背部非固定部位によって強化された推力により、機動性が大幅に上昇。
 二基の衝撃砲の威力・速射力も上昇し、追加された武装の特性と相まって、格闘戦から中距離戦においては他を圧倒する能力を誇る。
 また、鈴本人がセカンドシフト前から“守る”という事を強く意識していたため、防御能力も高く、仲間達の盾として動くこともしばしば。
 ただし、前述の単一仕様能力と後述の防御システムの特性から、思考がネガティブな方向に流れるとピンチに陥りやすいという側面を持つ。
 強さと脆さを併せ持つ、鈴の心を象徴化したような機体である。


装甲・シールド複合防御システム:龍鱗甲殻
 
 初対決時に零落白夜でアヌビスが切り裂かれた際、飛び散った装甲材の破片を解析したデータを元に構築された防御システム。
 セカンドシフト時に単一能力をフルに使用して生み出された装甲は、オービタルフレームの表面装甲SSAと同質のものであり、それ単独でも従来のISとは比較にならない強靭さと軽量さを誇る。(再生能力も保有。)
 また、オービタルフレームのように内部フレームを含む装甲部に演算能力も付加されている。
 その真の能力は単一仕様能力発動時に発揮され、外部からの攻撃の着弾時、量子コンピューターと龍鱗甲殻が瞬時に割り出した着弾予測地点のシールドエネルギーを装甲材質に転換・高速射出させることで、攻撃の威力の一切をシャットアウトする。
(この際に使用された装甲材は単一仕様能力の制御から離れるため、エネルギーとしての回収は不可能。)

 精神状態を常に良好に保つことが出来れば、絶対防御すら超える究極とも言える防御力を発揮するが、一度悪い方向に傾くと途端に脆さを露呈するため、兵器としての安定性には欠ける。





作者註

 酷い難産でした。そしてばりばり戦闘シーンを書くと思ったけど、自爆の事を考えるとこうなりました。うぬぬぬぬ。
 次回は今回の事件の総括。そして次で新しいステージです。その話がこのお話を書く上で大きな山場二つになりそうです。
 ああ、やっと封印していたアレに手を付けられる(涙)




[25691] 第十九話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/05 22:28
 シャルロット・デュノアはまるで母親の腕の中に包まれるような確かな安堵の中で安らいでいた。
 かつての現実はおぼろげな夢のようで、危うく犯すところだった罪も、誰かを助けなければならないという感情もどこか遠い。母を助けねばならないという責任感も、父に命じられた犯罪も――眠りのまどろみの中では遥か遠い。

(……あれ? わたし――)

 自然と口調が、男装を強いられる前、唯の少女である事が許された時に戻っていた。
 これはなんなのだろう――うっすらと何かが見える。そこは夕焼けに染まる学校で、黒板に書かれている文字からして、中学時代の光景である事が伺えた。
 そこでようやく茫洋とした意識の中、シャルロット・デュノアはそれがいわゆる明晰夢の一種である事を理解する。

(……でも、なんだろう。とても不思議)

 視界に写るのは三人の人間。不思議な事に、その光景に写っているのは――織斑一夏と凰鈴音と……そして彼女の知らない赤みがかった髪をした同年代の男性だった。夢の中でどうして彼らの夢を見るのだろう。それに正体不明の三人目はシャルロットとは一回も出会った事などないのに。
 それに、なんだか奇妙なのは――その三人の視点それぞれにシャルロットがいるのだ。一夏の視点、鈴の視点、そして赤い髪の人の視点――それらの眼差し全てから同時に夕焼けが覗く教室の中、お互いを見る視線を共有していた。まるで同じ光景を違う角度から捉えたカメラの映像を同時に見ているような気分。

『ねー、一夏。あんた相変わらず帰宅部なのよね。どっか部活とか入るつもりないの?』
『て言ってもな。……こう見えて家の片付けとか料理とかやること結構あるんだぜ?』
 
 その時の一夏の記憶が脳裏に浮ぶ――彼の姉である織斑千冬はこの時から既に自宅を空ける事が多かった。一人寂しく食事をする一夏を見かねて、鈴と……その赤い髪の人が、良く自宅の食堂に彼を引っ張り込んでいた事が、シャルロットの脳裏に溶ける。

(メタトロン同士が共鳴反応を引き起こし、搭乗者達の記憶を覗き見ているの?)

 ふと、そんな記憶が頭の中で聞こえるが――まどろみの中にあるシャルロットはその意味を深く考えない。
 一夏の記憶。一人の自宅。一人きりの食事。向かい合って椅子に座る人はおらず、話し相手は近所の野良猫かテレビ。それでも時々思い出したように家に千冬姉が帰ってくる可能性だってあるし、だから一夏は常に一人分多くご飯を作っている。多分無駄になるのだと理解していても、彼はそれをやめる事は無かった。

『お堅いねー。お前。……千冬さんのことが心配なのは分かるけどなぁ。お前だってやりたい部活とかそういうのないの?』

 一夏の言葉に苦笑しながら口を開くのは赤い髪の彼。軽薄さを装ってはいるものの――彼の心に僅かに触れる事が出来るシャルロットは、実際には彼が一夏が一人で食事するのを見かねて心配しているのが見て取れた。
 彼女は、不思議に思う。

(……誰なんだろう、この人)

 彼女はIS学園へと中途入学してきたのであり、一夏の中学時代の交友に関しては全く知らない。
 明晰夢の中、彼女は強く思う。自分は何か大切なものに触れようとしているのだ。この記憶――もしかしたら唯のゆめまぼろしの類かもしれないが、こうも確かな現実味を帯びた夢も初めてだ。目を覚ましたら、鈴にこの赤い髪の人に付いて聞こう……そう思いながら、シャルロットの記憶はまた別の光景へと移り変わっていった。






 
 そこはどこかの客間らしき一室だった。父親が世界でも有数の富豪であり、その調度品が華美さこそ無けれども質の良い家具を取り揃えている事が伺える。
 シャルロットが視界を借りているのは――どうやら子供らしかった。その眼差しが上下に小刻みに震えているのを感じ、シャルロットが視界を借り受けているこの少年だが少女だか判別できない人は怯えているのがはっきりと分かった。視線の向こう側には壮年の男性と、派手な身なりの女性――お父様、お母様と、脳裏で言葉が弾ける。
 震える腕――明らかに虐待跡と思しきアザがあった。

『君は……なぜこの子になぜこんな事をするんだ!!』
『何故って……貴方、本気で言ってるの? こんな、気持ち悪い子……。最初は男の格好して、自分の事を俺だなんて言って……。それで矯正しようとしただけよ』
『確かに家庭の事を君に任せたのは私の失敗だったよ。……他の子と違うからといってこんな小さな子供を殴りつけるなんて!!』

 母親の憎たらしげなその言葉に、視線の主は――可哀想に、すっかり恐怖で震え上がり声も出ないまま。
 父親はその言葉に、机を殴りつけ、激怒のまま叫ぶ。

『ふざけるな!! この子はただの性同一性障害で、ほんの少し他の子達と心のありようが違うだけだ!! ……君は、どうしてそんな事を言うんだ? 私と君の可愛い子供じゃないか!!』
『冗談じゃないわよ……!! こんな気色悪い子供が生まれてくるぐらいなら、最初から貴方なんかと結婚なんてするものですか!! これで男なんて汚らわしいものが生まれていたら堕胎させていたところよ!!』
『……君は……君は……そんな女だったのか!? 我が子を性差で差別するような……そんな女だったのか?!』

 あまりに残忍で暴力的な言葉に父親は肩を怒りと絶望で震わせる。
 妻と思い、愛しんだはずの女性の余りにも無慈悲な言葉に――シャルロットが視界を借りるその子供は、とうとう泣き出してしまった。言葉の意味こそ難しすぎて分からなくとも、母親からとても酷い言葉を投げかけられているのは理解できたのだろう。父親が困ったように微笑み、あやすように子供の背を撫でさする。
 そして――はっきりと妻に言葉を突きつける。最早百年の恋も冷める妻の冷酷非常な言葉に、この結婚生活を断念する事に躊躇いは無いようだった。

『離縁だ……出て行け!! もうこの家の敷居を跨ぐな!!』

 再び――視界が移り変わる。






 そこにいるのは父親。場所は――どうやら彼の仕事部屋らしい一室。
 大切な資料が入っていると思しき金庫が荒らされ、重要なものが盗み出されたのか、彼は顔を蒼褪めさせている。幾度も頭を掻き毟りながら呪詛めいた言葉を漏らす。

『……女が……女………あの……女……憎い、はは……憎い、憎いなぁぁ……!!』

 人は怒りが頂点を過ぎるともう笑顔が浮んでくるらしい。父親を見上げる視界――彼は、我が子に心配をさせていたのかと弱弱しい笑顔を浮かべて、ふと、金庫の中に何か封筒が残っているのを見つける。置手紙? 彼はそれを拾い上げて読み上げ――表情を凍りつかせた。
 愛しい我が子に笑顔を見せる余裕すらない――怒りと絶望が余りにも深すぎて凝り固まった顔。
 力なく椅子に崩れ落ちた父親の手から手紙が零れ落ちる――それをシャルロットが視界を借りる子供は不思議そうにしながらそれを拾い上げ、読んだ。



 シャルロット・デュノアは――この世の中には、本気で吐き気を催す邪悪が存在する事を知った。



 それはまさしく毒だった。それを見、聞いた人間が、胸元を掻き毟りたくなるような堪え難い不快感。この胸糞の悪さが少しでも紛れるなら心臓に刃を突き立てる事すら許容できるようなおぞましい言葉だった。
 これはまさしく毒だった。人を殺すに銃弾や刃物、毒を用いるのは下の下。人を殺めるには一滴の絶望の言葉で十二分に事足りるのだと言わんばかりの、耳朶に腐りきった汚水を注がれるような不快な情報の塊であった。







 最後に見えたのは、骨と皮になった最愛の父親の屍。
 一人の子供を、怒りと憎しみの塊、憤怒の化身、憎悪の管理者へと変えてしまった光景だった。












 そして――シャルロット・デュノアは……胸元に這い上がる嘔吐感と共に覚醒した。

「……ッ!!」

 弾かれるように起き上がり。覚醒と共に、彼女はまず吐き戻しそうになった自分自身の胸元を宥めるように手をやった。

「デュノア! ……いきなり起き上がるな。大丈夫か?」
「……せん、せい?」
 
 見ればIS学園全生徒の憧れの的であり、彼女のクラスの担任教師である織斑千冬が付きっ切りで看病してくれていたのか、彼女がすぐさま彼女の体を優しく抑える。そのまま背を撫でさすった。そうしてしばらくすると、喉奥を突くあの不快感もようやく引いていき、やっと体調が平静に整う。
 そのまま再びベッドに体を横たえるシャルロット。あの時、皆を助け出したい――そういう思いで一心になって、そこから後の記憶はまるで無くなっていた。いったいどうして自分は病院のベッドで横になっているのだろう。そんな彼女の疑問を見透かしたように千冬は口を開く。

「まずは医者だな。検査が終わったら――お前が気絶していた間、何があったのか教えておこう」





 良く生きていたものだ――というのが、千冬先生の最後を占める言葉であった。
<白式>の零落白夜、<アヌビス>の爆発圧縮、その双方が揃っていなければ確実に自分は死んでしまったのだと思うと、流石に背筋に寒気が走る。同時にシャルロットは先程まで見ていた夢に対しても質問をしてみた。
 余り前例の無い話ではあるのだが、膨大な量のメタトロンを保有する機体は搭乗者の精神や記憶を共有するということらしい。実例自体は非常に少ないが――きちんと束博士がその事に対しても論文を提出しているらしかった。とはいえ、そこまで膨大な量のメタトロンを保有する機体自体が少ない。<アヌビス>に使用されているメタトロン、セカンドシフトした二機のメタトロン――世界でも有数の高純度と量が揃ったがゆえに夢のような形として見たのだろう、という意見であった。

「あの質量の断層も、ISの自爆機能が拡張領域に内蔵されていたメタトロンを利用し、誤った方向に進化して自爆に用いようとしていたからだろうな。幸いコア自体は無事だった。余剰パーツもあったから再びお前のISは組み直せる」
「そうですか。……あの、母は?」

 余剰パーツ、その言葉でシャルロットはデュノア社自体の事を思い出す。話を聞けば、父は最終的に自分を口封じするために抹殺するという手段まで取った。同時に胸中に湧き上がるのは、果たして母親は無事でいるのだろうかという不安。その言葉に、千冬はうーんと唸り、少し難しい表情。悲劇を伝える事をためらっているというよりは――呆れ混じりの状況をどう言おうか迷っているようだった。

「……束がな」
「束博士、ですか?」

 なぜそこで、ISを生み出した天才科学者の名前が出てくるのだろうか。可愛らしく小首を傾げるシャルロットに――彼女は嘆息と共に応えた。

「あいつは……基本的に妹の箒と、一夏、そして私を異常なまでに大切にする。……だからあいつは私を巻き込んで殺しかけたデュノアに報復に行ったのさ。まぁ、物理的被害は皆無だ。そこは保障してやる。……ただ、お前の父親、彼はもう駄目だ」
「駄目、ですか?」
「ああ。街中での銃撃戦。実の娘に対する殺人教唆。かつての妻に対する医療に見せかけた軟禁。他にも長年彼が蓄積してきた企業の暗部全てを白日の下に晒され、デュノア社は既に死に体だ。トップがこうも真っ黒ではどうしようもない。お前の父親は社長を辞任し刑務所に入るだろう。……だが、罪を犯し、刑務所に入った父親を持った娘に対して言う言葉ではないかも知れないが――これで良かったかもしれない」

 シャルロット――苦笑を浮かべる。

「流石に……僕も、父親の手駒にされて口封じで殺されかけて。それでお父さんと慕うのは……もう無理です」

 脳裏に浮ぶのは、あの時、自分を庇い守ってくれたジェイムズのおじさんだった。
 夢見た理想の父親。ああも逞しい人が父親だったら――きっと、色々なものが違っていたはずなのに。

「あと、束から預かりものだ」

 差し出されるのは携帯端末。これ一つで口座振込みやらなにやらお金の絡む雑事もこなせるそれに表示されている内容に目をやると――自分の口座になにやら見たこともないぐらいの数字が刻まれていた。それこそ見ただけで震えが走るような……唐突に富豪になってしまった少女に対して千冬は苦笑を浮かべる。

「あいつめ、先手を取ったんだろうよ。私に怒られる前に、今回の詫び賃としてお前に金を渡すのが嫌われずにすむ一番の手段だと思ったのさ」
「で、でも……こんなお金」

 普通なら生涯見ることが無いであろう数字。これがあくまで画面に映る数字であってよかった。この膨大な金額を全て紙幣で積まれれば、確実に腰を抜かしかねない。だがそんな驚きに千冬は気にするほどのことではないと笑いながら応える。

「いいから受け取っておけ。……私も金で幸せが買えるなどという世迷いごとを言う気はないが、しかし金で一家の団欒が買えるなら、手術代が払えるなら――それはとても安い買い物だぞ?」
 
 そう笑う千冬教官の顔は、何故かとても寂しそうに見える。
 まるで自分が得ることの出来なかった宝物を羨むような眼差しであった。シャルロットはそこで――あの不思議な夢の事を思い出した。一夏の中学時代にはあまり家に帰る事の無かった彼女。たった一人自宅で食事を取る一夏。英雄という称号と引き換えに、平凡な家庭が持っていたであろう穏やかな団欒も、きっと引き換えにしてきたのだ。それが二人にとっていい事なのか、悪い事なのかは分からなかったが。



 千冬教官が病室を出た直後に心配で様子を見に来ていた一堂が雪崩を打って入って来た。
 それを外で見たのか、千冬は一言『病室では騒ぐなよ、ガキども』と告げてから靴音を鳴らして去っていく。やってきたのはいつもの面子だ。が、一番驚いたのは、中に入って来た織斑一夏が――シャルロットの顔を見て……いきなりはらはらと落涙しだしたのである。むしろこの反応に見舞われる側のシャルロットが驚いた。

「ええっ?! い、一夏、なんで……な、泣いてるの?」
「……嬉し涙なんだ。好きに流させろよ」

 声こそ涙声だが、言葉ははっきりしている。彼は涙を制服の袖で拭い去ると、頭を下げた。ええっ? とシャルロットは周囲の仲間達に助けを求めるような視線を向けるが――どうも事前にこうすると言う事を話されていたのか、彼女らは一夏の好きにさせる。

「すまなかった、シャルル」
「え? ……何が?」
「……あの時、お前が告白しようとしていたのに――俺はそれをちゃんと聞こうともしなかった。悪い。俺があそこでちゃんと話を聞いていたらこんな事にはならなかったのに……」

 この時セシリアに電流走る――以前、鈴から織斑一夏攻略本というスゴイ代物を読ませてもらっていた彼女は、鈍感要塞の織斑一夏に対してまず攻略の足がかりとするにはこちらが向こう側に対して好意を抱いているという事を知らせなければならないと知っていた。中学時代の鈴だって最初の頃は一夏に好意を抱いていたはずだが、その頃から鈍感っぷりは遺憾なく発揮されており、羞恥心が勝って好意を伝えられず結局お友達どまりだったのだ。
 だが――そんな羞恥心とかその当たりを全て捨て置いて、相手の喉元に刃を突き立てるような恐るべき告白の速度。
 セシリア・オルコットは、シャルロット・デュノアがこの争奪戦において恐るべき敵手になるであろう予感を、戦慄と共に理解したのであった。……告白という言葉を素直に受け止めすぎだった。……普通に考えれば、もうちょっとシリアスな内容であると気付きそうなもんだったが、乙女の脳裏を占めるのが色恋沙汰であるというのは、戦う事を学ぶためのIS学園の中でも特に平和的で穏やかな考え方かもしれない。

「あの、セシリアさん?」
「え? おほほ、なにかしら?!」

 不自然な高笑い――気が付くとシャルロットに、病人に向けるべきではない激しい闘志の篭った視線を投げかけている事に気付いたセシリアは誤魔化すような声を上げた。それを呆れたように見るラウラ。

「ここは病室でデュノアはまだ安静の病人だ。それに一夏。もう少し抑えろ」

 差し出されたハンカチを受け取り、無言のまま涙を拭う一夏。そのまま、言った。

「シャルロット……ありがとう」
「え?」

 意味がわからず聞き返すシャルロット。おかしい、と思った。助けられたのは自分の方で、謝罪の言葉を言うならむしろ自分の方がありがとうというべきではないのだろうか。だが、一夏は、本当に安らいだ表情で応えたのだ。

「生きていてくれてありがとう」
「……一夏が何を言ってるのかわからないかもしれないが、謝罪を受け取ってやってくれ。今度は――救えたんだ」

 箒が困惑するシャルロットに捕捉するように言葉を添えた。その言葉で、シャルロットは一夏が何に対して感謝しているのか理解できた。
 あの飛行機事故で炎に消えた彼の親友。何もすることが出来なかったという堪え難い無力感――それはきっと激しい苦痛となって彼の心を責め苛んだに違いない。だが、今度は助ける事が出来たのだ。自分にも誰かの命を助ける事が出来たという確かな実感は織斑一夏の心を救ったに違いない。
 シャルロットは微笑みながら応える。

「じゃ、僕も言うね。……助けてくれてありがとう、一夏」

 一夏は無言のまま、照れ臭そうに微笑むのみ。

「ああ、それと――もう一人、見舞いに来てくれてる人がいるわよ。本当はほとんど女性しかいないIS学園に大手を振って入れるなんて、非常に珍しい話なんだけど、先生が融通を利かせてくれたの。……いいわよ、ジェイムズさん」

 鈴の言葉に入り口の外でウズウズしながら待っていたのか、即座に中に入ってくるのは筋骨隆々の男性。くすんだ金髪の巨漢であり、もう駄目だと絶望の只中にいたシャルロットに手を差し伸べてくれたジェイムズ・リンクスだった。彼はシャルロットを見ると満面に笑顔を浮かべる。

「よぉ、お嬢ちゃん! 無事で良かったぜ!」
「ジェイムズさん!」

 頼れる男性を体現するような巨躯の男性は、まず無事な少女を見て全身から安堵したかのように背を緩ませた。無事という事は分かっていても、実際にこの目で見ないと安心できなかったのだろう。

「……親父さんの事は大変だったが、まぁあんまり気を落とすなよ。世の中にゃ、どうしようもない親も残念ながら存在するが、それ以上に助けを求められたら手を差し伸べる大人も確かに存在するんだ」
「ジェイムズさん。……ありがとう」
「俺からも礼を述べさせてください。……シャルロットを助けてくれてありがとうございます」

 シャルロットに続いて一夏も倣うように頭を下げる。今回の事件では彼が存在しなければ、一人の少女の命は失われ真相の全ては闇に葬られていただろう。仲間を救ってもらった事に対して本気の謝辞と敬意を込めて、その場の全員が一礼する。
 娘よりも年下の少女達に頭を下げられてむしろ困惑したのはジェイムズの方であったが――彼はその謝辞を受け入れないことは、シャルロットの命を軽んじる事であると感じ、かつて空軍のエリートであった頃を髣髴とさせるような整然とした敬礼を持ってこれに答礼した。
 シャルロットは言う。

「ジェイムズさん。僕ね、貴方の姿を見て――お父さんが、貴方みたいな人だったら良かったのに、って思いました。……困っているときに助けてくれる……理想の」

 シャルロットは――目を伏せながら言う。残念ながら彼女は父親には恵まれなかった。ジェイムズは、かすかに頷く。

「俺はお嬢ちゃんの父親にはなれない。……だが、俺の娘よりも小さな子供が助けを求めているんだったら、何処からでも駆けつけるぜ。そこは信じてくれていい」
「はい。女尊男卑なんて風潮が最近は多いけれど、でもやっぱり本物のヒーローは困っている人に手を差し伸べてくれる人って思いました」

 誰かの危機に、誰かの涙を拭うために闘う事に力の大小は関係ない。男の方が弱いとか女性の方が強いとかそんな風潮など関係なく誰かのために闘える人こそ真の強者なのだとシャルロットは思う。
 シャルロットの実の父親は、自分のために他人を闘わせる人であり、ジェイムズは他人のために自分が闘う人であった。それこそが両者に存在する致命的、決定的な差だったのだろう。

「僕……大きくなったら、ジェイムズさん――貴方みたいになりたいです」
「おいおい、お嬢ちゃん。俺みたいなこんなおっさんになってどうすんだよ。娘や息子はもうパパ大好きだなんて言ってくれない駄目親父だぜ?」
「いや、ジェイムズさん……二十越えた息子さんと娘さんから『パパ大好き』とか言われたらそれはそれでスゴイ怖いわよ?」

 鈴の言葉に、しかしジェイムズは微妙に情けなさそうな表情。やっぱり娘息子に懐かれなくなる事は父親にとって辛いのか、或いは未だに子離れできていない駄目親父と見るべきか、一堂は楽しげに苦笑した。周囲の視線にジェイムズも釣られるように困ったような笑顔を浮かべ、病人と話し続けるのもなんだし、そろそろ引き上げるべきかな、と病室の時計に目をやろうと視線をめぐらし――そこでラウラ・ボーデウィッヒと目があった。
 この部屋に入ってから初めて視線を合わせる訳なのだが、同年代の少女と比べても小柄な部類の彼女と――筋骨隆々の巨漢であるジェイムズは目線の高さには大きな差があるため、これがちゃんと顔を見る初めての機会であったとしても無理は無かった。

  
 だが、ジェイムズのその反応は誰もが予想だにしないものだった。


 その目をまん丸に見開き、信じ難いものを見たかのように首を傾げたのである。まるで自分の知る人と予想外の場所で偶然遭遇したかのような驚愕が張り付いていた。ラウラからすれば彼がどうしてこんなところで驚くのが理解できない。不審そうに眉を寄せて尋ねる。

「如何なさいましたか、ジェイムズ大尉」
「……あ、ああ。……なぁ、えーと」
「ラウラ・ボーデウィッヒであります」

 その名乗りにジェイムズは変わらぬ驚きと不可解を顔に浮かべて言葉を続ける。

「えーと、だな。……あんた、親兄弟はいるか?」
「? いえ、私はドイツの遺伝子強化試験体として生み出された試験管ベビーです。私に血縁者は存在しません」
「……そう、か。……いや、悪かったな。知り合いに顔立ちがどっか似ているように思ったんだ。きっと、他人の空似だろう」

 自身の中に蟠る疑問と不可解をその言葉で納得させ、ジェイムズは笑みを浮かべる。

「それじゃあな、みんな、元気で頑張れよ」

 その笑顔には先ほどの疑念は何処にもない。少年少女達の前途を応援する、唯の大人の姿があった。





「あ、鈴。ごめん、ちょっと良いかな?」
「ん?」

 凰鈴音は、シャルロットの自分を呼び止める言葉に不思議そうに首を傾げた。
 この中では多分彼女と一番関わりの薄い自分をどうして呼び止めたのだろうか? 心当たりがないものの、病人の頼みを無碍にするわけが無い彼女は頷いてから見舞い客用の椅子を引っ張り出してそれに座る。
 シャルロットからすれば、本当は一夏とも一緒に招いて話を聞いてみたかったが――しかしチームの中心となりつつある彼を欠いたままトレーニングを続行する事に対して、気を使ってまず鈴に話を聞いてみる事にしたのだ。

「あのね。僕、不思議な夢を見たんだ」
「夢?」
「うん」

 そこから前置きとして話すのは――織斑先生が説明したメタトロン同士の共鳴現象。あの場所に集った人間達が、一時的に視界と記憶を覗き見たのではないかという話。そして――核心へと迫る言葉。

「鈴と、一夏――それと、赤い髪の男の人。三人はとても仲良しで、鈴と赤い髪の人は一夏に放課後どこか部活に入らないか? って進めていたんだ。不思議なのは、その全員の視界に僕が重なっていたんだ。先生に話を聞くと、これは同じ場面に同じ記憶を共有している人が集わないと発生しない特殊な現象らしいけど……ねぇ、鈴。どうしたの? どこか具合でも悪いの?」
「……ほんと、なの?」

 その言葉の途中から――表情が困惑と歓喜の入り混じった複雑なものになった鈴の顔を見て、シャルロットの方がむしろ驚いた。ただあの赤い髪の青年は一体誰だったのかという事を聞こうとしていただけなのに。
 そして――シャルロットのその言葉とは、凰鈴音が、真実を知る事が恐ろしくて最後まで<アヌビス>に尋ねる事が出来なかった疑念を晴らす、待ち望んでいた回答であった。

 頬を涙が濡らす。
 胸元に暖かいものが満ちていく。それは一度は諦めた恋心の相手が確かに生きているのだという確かな証拠であり、奇跡じみた朗報であった。嘘みたい。嘘みたい。嘘みたい。そうであってくれと願った事が事実であるという話が、余りにも優しくて余りにも嬉しくて――夢ではないのだろうかと思ってしまう。
 ぽろぽろと鈴の頬を真珠のような涙が伝い、床に滴り弾けた。頬を抓ってみる。痛い。痛みが、これが真実であるのだと告げている――その痛みがいとおしくて仕方ない。これは真実なのだ――泣き笑いの表情を浮かべながら鈴は理解する。




 五反田弾は、<アヌビス>として生きていたのだ。


 
 その表情から、その涙から――シャルロット・デュノアが告げた夢の内容とは凰鈴音にとって何よりも大切な内容であるのだと察した彼女は、その背を優しく撫で擦る。誰かに縋り付きたくなるなるような激しい喜びに滝のような涙を流す鈴にシャルロットは無言のまま胸を貸してやる。その喜びに震える彼女の感情を受け止めるように、母親の代理をやるように。

「う、うう……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 泣きじゃくる彼女を受け止めた。








 
 しばらく泣き続ければ、その激しい感情の波も徐々に静かになっていく。凰鈴音は友人である彼女に恥ずかしい泣き姿を見せてしまったのがどうにも気恥ずかしくて俯いた。……そのままシャルロットに彼女が知る事実の全てを正直に話す。シャルロット・デュノアはその言葉を否定するでもなくしばらく聞き、全て知ると――ゆっくりと口を開いた。

「……つまり、あの飛行機事故は……鈴の友人、じゃなくて好きだった弾さんを殺すために行われたって事?」
「うん。……<アヌビス>の正体がはっきりと弾って分かったし、だとすると――<アヌビス>を疎ましく思った誰かのせいなのかもしれない」
「可能性は高いよね。<アヌビス>みたいな――いや、デッドコピー品でも十分世界の軍事バランスを容易く変える力があるもの」

 鈴の表情には重荷を下ろした人特有の落ち着いた表情がある。心に抱いていた疑念はすっきりと解消され、秘密を共有する相手が出来た事が、彼女にいつもの明るさを取り戻させていた。シャルロットは、うん、と頷く。
 なにせ、五反田弾こと彼の操る<アヌビス>は自分の命を助けてくれた恩人である。機会があるなら一度ちゃんと礼を言いたい。

「それに――弾さんが乗っていたのが、アメリカのネレイダムカウンティへ向かう予定だった飛行機で、僕を助けてくれたジェイムズさんの奥さんはネレイダム社の重要な地位にいる技術者なんだよね」
「うん。……偶然って言うには色々と怪しいと思う」

 シャルロットは――考え込む。

「あのね。鈴。最近ネレイダムが活発に活動しているって話は聞いたことある?」
「地球で数少ないメタトロン鉱山を持つあの会社が、これまで以上に採掘を行ってたり、ネレイダムカウンティに巨大機動兵器が侵攻したけど、何がどうやって撃破したのかはさっぱりニュースに上がってこなかったって話よね」
「……こうなってくると――<アヌビス>がネレイダムに存在することが原因でこの騒動も起こっているんじゃないかって気がしない? 彼が鈴に何も言わず姿を消すのは……こういう事に巻き込まないためじゃないかな」 

 鈴、少し考えてから応えた。

「……あいつがあたしや妹の蘭、両親にも無事を伝えないのは――巻き込まないため?」
「<アヌビス>の戦闘力を考慮するなら、十二分に在りうるよ」

 あ、やばい、と鈴が考えた時には――既に枯れ果てたと思った涙腺が再び涙で滲み出すのを感じた。それが本当だとするなら、あいつは遠く離れた異国の地で、妹や父母が自分の死を嘆き悲しんでいるだろうと知りつつも、己の無事を伝える事が出来ないという事になる。
 ひどい。
 そんなのはひどい。凰鈴音は心からそう思った。

「この事は、秘密にしよう? これは――多分一つ間違えたら弾さんの家族にも危険が及ぶとっても危ない情報だよ」
「分かってるわよ。……分かってるけど……」
「それにね。……一つ、もう一つ、僕も気になる事があるんだ」
「……あたしと一夏と弾、その夢の次に見たって言う光景のこと?」

 シャルロットは頷く。
 あの場所にいたのは三人――だが、最後のそれだけは一人だけの夢。あの場所にいないにも関わらず、こちらと記憶が交じり合ったのだ。ならば――あの夢の主とは、<アヌビス>に匹敵するほどの膨大なメタトロンを使用した機体を持っているという事になるのではないか? そうシャルロットは考える。
 そして何よりも、彼女はあの夢の主を救いたかった。
 分かったのだ。あの夢の主は彼女よりもよほど無惨な経験を経ている。自分自身を含めた全てを憎悪し、何もかもを焼き滅ぼそうとするほどの激しい殺戮の意志を持っていた。
 救いたい。
 自分はジェイムズや他の人々に救われた。なら自分も彼らと同様に救いの手を伸ばしたかった。それがジェイムズのような立派な大人になりたいと願ったシャルロット・デュノアの想いだった。
 


 
 



 なによりも。 





 シャルロット・デュノアは――この世の中には、本気で吐き気を催す邪悪が存在する事を知った。


 その事が心の底から許せないと思った。



 それはまさしく毒だった。それを見、聞いた人間が、胸元を掻き毟りたくなるような堪え難い不快感。この胸糞の悪さが少しでも紛れるなら心臓に刃を突き立てる事すら許容できるようなおぞましい言葉だった。
 これはまさしく毒だった。人を殺すに銃弾や刃物、毒を用いるのは下の下。人を殺めるには一滴の絶望の言葉で十二分に事足りるのだと言わんばかりの、耳朶に腐りきった汚水を注がれるような不快な情報の塊であった。
 まるで女尊男卑の世界の行き着く果ての果て。世界が悪い方向へとどんどん転落し、落下していき、最後に待ち受けるおぞましい悪夢を予見するかのような最悪の言葉。同じ女性である事に嫌悪すら覚えるような『あの女』の身勝手さ。
 さながら友人知人の息子や娘が奴隷市場で首に値札を付けられ売買されているのをこの目で見てしまったかのような、胸中を抉る無惨無比の内容。







 最後に見えたのは、骨と皮になった最愛の父親の屍。
 一人の子供を、怒りと憎しみの塊、憤怒の化身、憎悪の管理者へと変えてしまった光景だった。













 あの夢の最後――妻と思しき女性が残した残虐無惨のあの言葉。最後に響いた機械音声。
















































『さようなら。貴方のスペルマは、とっても高く売れたわ』




















――憎い――



























――俺を含めた女の全てが憎い――





















『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ゲッターデメルンク>はフレームランナーの元に量子転送完了』


















 
 


『操作説明を行いますか?』






























 作者註

 順当に読んでいればこの時点で正体に気付くでしょう。でも感想掲示板でその名前を出すことは厳禁でお願いします。

 時間が無いので感想への返信はできませんが。
 作者はこの一件で特にモチベーションが下がっていません。そこはご安心ください。にじファンさんでも非難のメールを一件頂きましたが、それ以上に沢山の応援のメールを頂きました。

 この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。




[25691] 第二十話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/23 00:25
 光は人類からすれば現在突破不可能とされる速度であるが、宇宙全体の大きさからすると余りにも遅い。そのあまりの遅さによって、人類は宇宙誕生の瞬間を知る事が出来ている。
 視線を宇宙の彼方に向ければ、そこには何百億年前の宇宙が生まれた瞬間の光景が今だ遥か果ての果てに存在しているのだ。

 宇宙そのものは未だに膨張を続けている。この辺りは人がボールを投げるという動作を当てはめると分かりやすい。

 人がボールを投げる――その行動が宇宙の始まり、ビッグバン。
 投げられたボールが上へと飛び上がっていく――それが宇宙の膨張だ。

 一昔前ではある時期を過ぎると、上に投げられたボールが落下してくるように――宇宙は膨張を止め、次第に縮小を続けて最後には最初と同じ『無』の状態に戻ると言われてきた。しかし、近年の科学者達の研究によって、ビッグバンによっておこった宇宙の膨張は減速しそのまま収縮すると思われてきたのだが――実際は宇宙が膨張する速度は加速し続けているという事が分かった。
 これが1998年の学説。自分が生まれてそう間もない時期に出てきたものだ。
 五反田弾は――と、するとビッグバンと言うのはむしろ上にボールを放り上げるのではなくむしろ下へと落下することだったのかな? と無想することがある。
 弾は実家に残してきた科学誌のニュートンを思い出す。こういった科学技術などを見て子供心にわくわくしたものだ。といっても、周囲の人間にはこの面白さを分かってくれない人は多い。
 宇宙の膨張は減速ではなく加速する一方――そのまま加速を続ければ、まるで限界まで引っ張られた風船のうように破裂し、空間に亀裂が走って宇宙は崩壊するかもしれない。……で? それが分かっていると何か我々の生活に役立つのか? という訳だ。
 確かに役には立たない。明日明後日に世界に空間の亀裂が走って滅ぶとかならともかく、判明したところで人類の幸福に役立つわけではない。

 だが――こういう世界の真理を解き明かす事は言いようもない喜びと心の豊かさを約束してくれる。

 なによりもワクワクする。科学者にとって真理を探求し、不思議に挑むという事は最早第二の本能の領分なのだ。そんな事を――弾は人生初体験となる無重力遊泳を経験しながら、宇宙船『エンダー』の中で考えていた。
 聞こえてくる音声――アメリカ合衆国選りすぐりのパイロットが声を掛けてくる。

『ミスターバレット。目標地点に到着した。……ようこそ宇宙の玄関口へ』




 ようやく此処まで漕ぎ付けた――宇宙から打ち上げられたシャトルの中、窓の外から地球を一望できる宇宙の高みから五反田弾は小さく微笑みを浮かべた。
 今現在弾がいるこの場所は宇宙空間。それもアメリカが衛星軌道上に建造した施設『ウーレンベックカタパルト』。火星と地球との距離を二週間に縮める太陽系を狭くするメタトロン技術の集大成とも言える建造物であった。
 この巨大施設の総工費といい、未だに世界でも有数の国土と経済大国であるアメリカの底力を見た気分だ。
 ここまで来た――自分らが主導して組み立てた計画。ウーレンベックカタパルトを用いた空間圧縮技術による太陽系の本格的開拓事業。現在アメリカは様々な諸問題に対しての解決策が提示され、現大統領支持率は急上昇中。失業率はゆっくりとだが、確実に低下し、徐々に活気を取り戻しつつあった。
 
 ウーレンベックカタパルト。
 メタトロンの空間圧縮を利用した、本来ならば膨大な時間が掛かる他の惑星への旅路を――火星への移動を二週間近くに縮めてしまう技術。
 最初期の宇宙開発に、有名なクドリャフカを初めとする動物実験が行われたように――生命体を乗せた宇宙船の搭乗員、その史上初の名誉は一匹の猫――ピートという名前――に与えられた。最も本猫からすれば意味も価値も無い事だろうが――なんにせよ、通信機から聞こえてきた猫の鳴き声によってウーレンベックカタパルトの安全性が証明され、とうとう火星調査団の第一陣が投入される事となる。

「バレット。こちらでしたか」
「楊さんか。……社長はこっちにこられないんだっけか」

 宇宙から地上を見下ろし感慨に耽っていた弾は、静かな開閉音と共に部屋に入ってくる楊女史の言葉に振り向き確認する。
 宇宙へ上がる際のロケットによる過度のG――これの適性検査に彼女は引っかかった。本人は非常に残念そうだったが、流石に宇宙に上がる際に健康を損なう恐れがあると判断されては仕方なかった。彼女は現在地球上でハワイでの<IDOLO>の実戦テストに同席する事になっている。
 楊女史――顔にはありありと残念そうな表情が浮んでいる。ナフスの事を気にかけているのだろう。
 かといって、このプロジェクトを陣頭で指揮出来るのは計画の最初期から関わってきた弾か彼女ぐらいだろう。……弾が此処にきたのも自身少し心配にすぎる不安があったからだ。
 計画は順調に進んでいる。このまま火星開拓のための第一陣が出発する。もちろんそれらを面白く思わない連中は履いて捨てるほどいるだろうが、今やネレイダムとアメリカは経済的な好景気に沸いている。これを正面から相手取る事の出来る企業は存在しないだろう。

 上手く行っている。

 上手く行っているのが何処と無く不安なのだ。こういう風に何事も問題なく進行している事態の裏側で全てを台無しにしようとする勢力を見落としてはいないか、と思ってしまう。
 敵――そう敵だ。
 弾には敵がいる。自分を謀殺しようと旅客機ごと爆殺しようとした既得権益を守ろうとする人間達。ISを扱う女性の軍人達。だが、彼らは現在では脅威にならなくなりつつある。前者の企業は、しかし徐々に強力になりつつあるネレイダムを経済的に凌駕する事もできず、指をくわえて見ているだけ。ISを扱う軍人達はもっと簡単だ――この世に<アヌビス>を倒せるものはいない。


 ただ一機を除いて。


 そのただ一機こそが問題であった。
 オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>――恐らく正面からぶつかって<アヌビス>を撃破する能力を持つ唯一の相手。もちろん弾とてただやられる気はない。向こうがこちらを倒せる能力を持つように、こちらも向うを倒すに足る能力を持っている。
 だが――相手は世界で唯一の空母型オービタルフレーム。相手が内蔵している膨大な量の量産型機を考えるなら、戦力の天秤は大きく相手側に傾く。
 ……弾は頬を掻く。
<アヌビス>そして<ジェフティ>が保有する、二機を他のオービタルフレームと一線を画す機体とするあの絶対的優位性をもたらす機構。あれの封印を解く事が出来れば<ゲッターデメルンク>の有する無人オービタルフレーム部隊といえども問題ではなくなる。問題があるとすれば――弾自身があのシステムの副作用、強烈なメタトロンの毒に対して抗し得るかという一事に尽きる。

「なぁ……楊さん、少し聞きにくい事を聞くが、良いか?」
「プライベートなこと以外なら」
 
 弾――ちょっと躊躇う。
 ここで彼女の言うプライベートには、彼女が守り、盛り立てているナフス・プレミンジャーの父親である先代社長の事も入るのだろうか。彼女の父親の不可解な死。それに纏わる事情を聞く事はある種の侵害行為なのかもしれない。自然と質問の言葉を言おうとしてもどう切り出したものか分からなくなる。
 なんて聞くべきか――そう考える弾。

 その時、二人の会話を断ち切るようにけたたましい警告がウーレンベックカタパルトの居住施設に鳴り響く。
 それは本来宇宙空間で聞くようなものではない。国籍不明機がこちらへと接近する事を示す内容。第二種戦闘態勢への移行を通達するものだった。
 
「敵? ……一体何者が?」

 楊女史の懸念も当然だろう。世界でも有数の大国であるアメリカ合衆国が国家の命運をかけて挑むプロジェクトである火星開拓事業。当然のようにこの計画には膨大な予算と強力な防衛戦力が配備されている。本来なら地球上でアメリカの国防に従事するべきISが複数機――ただ一つの建造物を防衛するとしては過剰と言える戦力が投入されていた。
 幾ら相手がISを扱い、テロ行為で各国を悩ます亡国企業だったとしてもここに直接殴り込みを掛けられるほどの戦力ではない。
 それになにより――ここには弾が……表向きはただの民間人ではあるが、実際には世界でも最強のオービタルフレーム<アヌビス>がいる。それを思えば下手に攻めてくるものなら返り討ちに逢うのだが。
 どんな組織も、まず戦いを挑む以上は勝つための算段を立てておく。もちろん戦場は水物。計画通りに事が運ぶことなどめったにないし、

「嫌な予感だな……。デルフィ。一応出る準備はしておけ」
『了解です』
「まずは、司令室へ向かいましょう。状況の確認を」

 楊女史の言葉に頷き、一行はまず場所を変える事にした。





「全ISが同時に機能停止だと?! そんな馬鹿な話があるか!!」

 室内に入った時に、このアメリカ軍の中で最上位仕官であるサメジ参報の罵声を聞いて弾は事態が抜き差しならぬものになっている事を一瞬で理解した。幾らISといえども友軍部隊との連携には後方で戦術的支援を行う指揮管制室の的確なバックアップは欠かせない。事実彼らはここに倍する戦力が差し向けられようが粘り強く敢闘する能力があっただろう。それに後方には無敵ともいえる<アヌビス>が――最強の機体が控えているという事実が彼らの精神的支柱となっている。
 だが、こんな状況など想定できるわけがない。これは戦闘以前に『たった一人の天才が組み立てた、内部構造を完全に把握する事ができないブラックボックスを使用している』というISの持ちうる致命的とすら言える要素に対して見て見ぬふりを続けてきた事に対する、余りにも手痛い指摘だった。本来ならばその得体のしれないブラックボックスに変わる新たな国家戦力として導入されるはずだったオービタルフレーム。だが、今はその設計に必要なメタトロンを入手するための船団を送り込む段階だ。
 先手を取られたのか、弾は忌々しげに呻いた。

 中で状況を確認するオペレーター達の呪詛めいた怒鳴り声、それに返ってくるのはISに搭乗する女性達の声。

『こちらでも敵機は確認したわ。でも警告しようとした瞬間に起動不能状態に陥った。……幸い生命維持装置には異常はないから二時間は放置しておいて構わない』
『できるんなら早いとこ回収して欲しいけどな。……黒いISだ。警戒してくれ。そっち向かった』

 聞こえてくるのはナターシャとイーリスの声――以前ネレイダム防衛戦で轡を並べて闘った二人。
 二機とも既にセカンドシフトを済ませた最新鋭ISであるにも関わらず、全く抵抗らしい抵抗すら出来ず無力化された。そして――こんな事を可能なのは……。






『やっほー、天才の束お姉さんだよー?』
「……有り得るだろうとは思っていたが、やっぱりあったか。……ブラックボックスに内蔵された――管理者権限による停止命令」

 聞こえてくるのは回線に侵入してきた女性の声。
 弾の表情は苦渋に満ちている。
 ISに使用されているコアは束博士のみしか生み出す事ができず、また同時にブラックボックスの解析は未だ完了されてはいない。だが、その産みの親である彼女なら――確かに自分用に緊急停止コードを埋め込むことぐらいできるだろう。
 国防の要となったISは、ただ一個人の意志によって簡単に停止させられてしまう――他の国の人間はその恐ろしさが理解できているのだろうか? 彼女がその気になれば世界の全てのISは活動を停止し、彼女のISの前に簡単に膝を付いて頭を垂れるより他無くなるのだ。

『今回、束さんはこのウーレンベックカタパルトを破壊しに来ましたー。でも殺人するとちーちゃんが怒るので、30分時間を上げるから脱出してねー♪』
「うわぁ殺したい」

 弾のぼやきはむしろこの場にいる全ての全員の心情を代弁する内容だった。
 この施設を建造するのにどれほどの資材と国民の血税が必要とされてきたのか。これはISの台頭によって発生した軍人の雇用問題や付随する社会問題すべての解決を計れるアメリカ起死回生の一手だ。その希望そのものを――今の世界の形となった元凶が破壊する。サメジ参報は部下達の安否を確認してから安堵の吐息を漏らして、次いで怒りで赤らんだ。その眼差しには殺気。親の仇でも発見したような怒りと、一発叩き込んでやる機会を目の前にしながらも手出しできない無念でその分厚い背中を震わせ――軍人らしく冷静さを取り戻す。
 そのまま――振り向いた。

「ミスターバレット。……どうやら我々に手伝えるのはここまでのようです」
「ああ」

 弾は短くこれに頷く。
 ISに対して管理者権限を持つ束博士。それに対抗できるのは彼女が手がけていないシステムで稼動する<アヌビス>しか存在しない。このウーレンベックカタパルト施設に迎撃設備がないわけではないが、基本的にISとの連携で初めて生きてくるものばかりだ。本命のIS部隊すべてが起動不可能状態に陥った以上もう意味がない。
 足早に席を立ち、宇宙空間へと通じる最寄のハッチへ移動。

「デルフィ」
『戦闘モード起動開始』

 瞬時に弾の五体を<アヌビス>の装甲が覆い尽くす。
 そのままハッチの開閉と同時に宇宙空間へと躍り出た。レーダーシステムに、アメリカ政府に喧嘩を売る形となった束博士の現在位置をモニターする。即座に接近――カメラをズームし、彼女と相対する位置へ。
 篠ノ之束。世界を変えた女。彼女の衣服は不思議の国のアリスをモチーフにした青い衣装に身を包んだ女性。頭からはウサギの耳を模したなんらかのセンサー。両肩を覆うように広がるのは巨大な漆黒の翼型のユニット――ISではあるのだろう。ただし、世界で唯一ISのコアを設計可能な天才である彼女が自分を守るために用意したハイエンドモデルであるのは確実だ。……普通の相手であると思わないほうがいい。
 それになりより――世界を変え、幼い頃の憧れであった戦闘機を屑鉄に変えた彼女に対して、弾も流石に虚心ではいられなかった。わずかばかりに緊張しているのを感じる。確かに自分と彼女はさまざまな面で相容れはしないが、しかし彼女が天才であることは覆しようのない事実だった。
 彼女は、へにゃり、と相好を崩して微笑む。

「やぁやぁ、会いたかったよ、ミスターバレット」

 正体に対して確証に近い情報を得ているのだろう。隠すことに意味はあるまい。弾は通信をオープンにする。

『……名前を覚えられているとは思わなかったぜ。束博士。……正直あんたが名前を覚えられるのはたった三名だと思っていたんだが』
「いやいや、確かに束さんは興味のないものはあんまり覚えられないけど、逆に興味のあるものに対しては記憶力がちゃんと仕事するんだよ?」
『……それはどうも』

 興味を抱かれているのも当然か――弾はそう考え直す。彼女の設計したISに迫り、凌駕する可能性のある新型兵器オービタルフレーム。それが、自分の地位を脅かす対抗者の出現に対して不快感を抱いているのか、それとも自分に匹敵凌駕する敵の出現を喜んでいるのか――たぶん後者だろうな、と弾は思う。
 彼女の眼差しに宿る感情が――敵愾心と憎悪ではなく、濁りけのない素直な賞賛だったからだ。

「いやぁ凄いねぇ。この数ヶ月でネレイダム経由で発表された技術革新、メタトロンを利用したアンチプロトンリアクターの基礎理論――そしてウーレンベックカタパルトの設計……」
『……あんた、喋りに来たのか? 壊しに来たって聞いたんだが』
「おっとごめんね。ふふふ、束さんは今まで自分と同等に頭のいい人とあった事がなくてね。初体験でドキドキしてるのさ」

 そう薄く微笑む彼女。
 目を瞑り、僅かに考えるような無表情を見せてから口を開く。

「……火星でのメタトロン採掘なんてさせない」
『なぜ』
「君ほどの人間が知らないなんて事はないよね? メタトロンの毒の事を」
『……ああ』

 弾は短く肯定する。
 メタトロン技術において最大のネックである、人間の精神を歪める副作用。かつての世界におけるダイモス事変、アンティリア戦役、軌道エレベーター攻撃、ノウマンの暴走によって危うく引き起こされるところだったアーマーン要塞の起動。巨大な戦争を引き起こした原因とも言えるもの。
 
「ねぇ、ミスターバレット。……有史以来人類はさまざまなエネルギーを手に入れ、文明はその力に導かれて歩んできた。では、メタトロンほどのエネルギーが導く文明の行き先は何だと思う?」
『……全てを終わらせるほどの破壊、とでも言いたいのか?』

 弾は内心の動揺をおくびにも出さぬまま答える。その言葉の内容は――彼の中に流れ込んできた記憶の中、ノウマンと戦った彼から伝え聞いている。……メタトロンに対して同じ感想を抱いた人間がここにもいると言う事か……弾は頷きを返した束を見る。

「ふふふ、流石だね、ここまで同じものを感じているとなると少し好意すら抱くね。……でも君は、メタトロンの副作用を知りながらメタトロンを利用しようと言うんだね?」
『読めた。そういうことか』

 弾は――束博士のその言葉に、唐突に突然に長年の疑問の答えを得たような気がした。
 長い間彼は不思議だった。最初は宇宙開発のために設計されたはずだったIS。今から思えばシールドや最終防衛機構なども如何なるアクシデントが起こるかわからない宇宙での作業で搭乗員の生命を保護するために設計されたはずのものだったのだろう。ISの自己進化機能やネットワークも、不慮の事故の情報を共有し、搭乗者の生命保護をより確実に行うためのものだったのだ。
 だが現実は違う。最初期では宇宙開発に作られたはずのISの全ては、いまや国家同士の威信をかけた軍事技術を纏う兵器として、人類の生存圏を広げるための躍進の道具ではなく、お互いの面子をかけた戦争のための道具として扱われている。
 不憫だ――弾のその感想は、平和利用のために使われるはずだったISのコアに対するものか。それとも宇宙開発に対して使われるはずだった自分の研究を殺し合いのための道具にした束博士に対するものだったのか。

『……本来なら宇宙開発に使用されるはずだったISの全てが戦争目的に流用されたのは――宇宙開発が進むにつれて発見されるであろう膨大なメタトロン資源の採掘を遅らせるためか……!!』
「うれしいよ、本当にうれしい。……人類はまだあの力を手にするには早すぎる。最初はメタトロンの可能性に狂喜したけど、でも実際はアレは危なくて使えるような代物じゃなかった。ほんと……束さんのことをここまで分かってくれるなんてね」

 微笑む彼女。もしここに一夏と箒、千冬がいれば驚いたかもしれない。その親しい三人以外には滅多に見せない友愛の表情を浮かべた。

「だから壊すんだよ? ……火星開発なんてされたらメタトロンの汚毒は世界中に撒き散らされる。それをさせるわけにはいかないんだ」
『……非の打ち所のない正論ってのはさぁ』

 弾の言葉に、束は軽く首を傾げる。

『どことなく……嘘くさく聞こえるんだ。……あんたさ、一夏と千冬さんと……直接面識はないが、確か箒さん? だったっけ? それ以外なんて路傍の石程度に考えていないあんたが――そんな全人類の事を考えるなんてのが信じられないんだよ』
「……うふふ。本当に束さんの事をよく知っているね。そうだよ、束さんがメタトロンの毒の流入を防ぐのは結局あの三人が平和に暮らせる世界を守ることだけだよ? 
 ……でもその目的のためなら何でもするというのは間違いないから」
『……させると思うか?』

<アヌビス>はゆっくりと、相手の砲門の角度に己が身を割り込ませる。

「五反田弾くん。君が束おねーさんの事を知っているように、わたしも君の事を知っている。わたしとしてはオービタルフレーム――それも<アヌビス>なんていうメタトロンの塊なんてものには乗って欲しくないよ。……だからね。もし束おねーさんの頼みを聞いて、ウーレンベックカタパルトを停止させて<アヌビス>を廃棄してくれたら……」
『なにを言い出すのですか』

 束博士は微笑みながら言う。デルフィが応える。不思議といつもの平坦口調なのにとても嫌そう。
 彼女からすると――それはまさしく好意から出た言葉であった。人類でも有数の知性を持つ自分と同じステージの視野を持つ男。自分のために夢に挑むことができなくなった男。束にとっては女性にしかISが扱えないなどは特に欠点と意識したものではなかったが、しかし自分の気に入った人間のためなら一肌脱ぐぐらいの気持ちはあった。
 だから彼女は言う。
 好意から出た言葉を。
 今まで他人の心情など慮ったことなどほとんどなかった彼女ができる事を。






「約束してあげる。いつか、束さんが君のために男性でも使えるISを作ってあげるよ」





 
『……あ?』









 弾は、自分の声が――しゃがれたように潰れている事を、発声してから初めて気づいた。
 それはまさしく逆鱗を穿つような言葉だった。
 幼い頃空に憧れ、戦闘機に乗りたいと両親に駄々を捏ね、しかしISを動かせるのは女性のみという現実に泣く泣く夢を諦めた。それでももしかしたら、もしかしたら……――そんな淡い期待を抱きながらISの勉強をした。中学生には似つかわしくないほどの激しいトレーニングもやった。
 だが、結局ISに乗るという幼い頃の夢は絶対に叶う事は無かった。
 分かっていた。結果など分かっていた。世界で唯一ISを動かせる男性は織斑一夏のみ。彼しかおらず、弾には逆立ちしてもそれは出来ない。一番最初の進路、IS技術に関する研究者、技術者という道を選んだのもただの代償行為でしかなかった。叶うなら、ISに乗りたかった。

 その――夢を諦めざるを得なかった一番の理由を……こうもあっさりと修正できる?


 弾は、言葉を失った。
 人間激情怒気が総身を駆け巡ると、最早口を利くことすら困難になるのだという事を自分自身の体で初めて理解する。彼にとっては自分の夢を諦めざるを得なかった『女性にしか運用できない特性』が、産みの親である束自身であっても解決できない問題であって欲しかった。誰にも直す事の出来ない欠点であるなら、まだ諦めようもある。
 だが、自分が夢を諦めたその欠点は――束にとっては、相手の歓心を買うために支払える程度のものでしかなかった。



 それなら――あの涙を呑んだ日々は一体なんだったのか。
 


 それが、こちらを嘲り馬鹿にするための悪意に満ちた言葉であったのならば弾は目も眩むほどの怒りに打たれる事は無かっただろう。ただ相手の悪意にうかうか乗ってたまるかと冷静に対処できたはずだ。
 だが……束の言葉は、純粋に好意のみで形成されていることが分かった。メタトロンの毒を拡散させないためなら大いなる手間をかけてでも自分を懐柔したという考えが分かった。


 ……ある意味では、世界に蔓延る女尊男卑の風潮を滅ぼすのにこれほど有効な手段は無いかもしれなかった。


 女尊男卑の風潮の原因は、ひとえに女性のみISを動かす事が出来るという一事に尽きる。
 その根源を成す原因を無くす事が出来るのであれば――いや、束博士が一言『男性でも使えるISを作ってるよー』と電波に乗せるだけでもこの風潮は瓦解を始めるだろう。それを認められず反発する勢力だって考えられるが――ISvsOFという事態になる可能性は無くなる。



 だがしかし。それならこの胸中に滾る凶暴な熱はどう処理すれば良いのだろうか。




 弾は笑う。
 あまりの怒りのように凍てついたような表情は自然と笑みと笑い声を発露させていた。

『ふっ……ふふ、ふふふふふ』
「おっ? 気に入ってくれたかな?」

 束は理解できない。一番大切な三人以外なら誰であろうとも切り捨てる事が出来る、それ以外の大勢の他者の心理を考えた事のない彼女は――弾のその笑い声に含まれた凄絶な怒気を察する事が出来ない。笑い声ではあっても、それは怒りの量が膨大すぎて、唇から漏れる引きつったような吐息が笑いのように聞こえるだけなのだ。

『は、はははは……なるほど――あんた天才だよ……』
「そうそう、束さんは天才なんだよー」

 弾は数秒笑って、ようやく意味ある言葉を吐くことが出来た。
 言葉の上辺だけしか汲むことの出来ない束は弾の満足そうな声を聞いて、交渉がスムーズに行った事に満足そうな笑顔を浮かべて――ウアスロッドを展開した<アヌビス>に不思議そうに首を傾げた。

 彼女は、分かっていない。自分がなぜここまで激しい怒りを向けられるのか、自分が何故これほど憎まれているのかまるで理解できていない。その無理解こそが、この世の暴言の全てに勝る激怒の燃料となって弾を猛らせる。




『……あんた……人を怒らせる天才だ』

 

 
「ほえ?」

 その怒気に塗れた言葉。どんな文句よりも明確な宣戦布告を意味する怒りに震える声の響きに――束は不思議そうに首を傾げつつも、交渉が決裂したことは理解したのだろう。量子転換の光と共に、彼女のISの両腕に巨大な銃器が二丁、腕の装甲に接続される形で展開する。砲門の横に刻まれた『聖銃』『魔銃』の文字――ただの武装ではなさそうだ。優れた兵器特有の死の気配に、弾は顔をゆがめる。

「どうして弾くんが怒るのか良く分からないけど、交渉決裂みたいだね」
『……そうか、分からないのか』

 なるほど――確かに彼女は他者のほぼ全てがどうでもいいらしい。
 このウーレンベックカタパルトに掛けるアメリカ国民の期待が、束博士に破壊されたと聞けば、彼女に向かう憎悪と落胆の感情はどれほどのものになるのだろうか。そして一夏、千冬、箒の三人以外からどのような負の感情を向けられようとも寸毫足りとて意に介さぬ彼女は痛くも痒くもないのだろう。
 メタトロンの毒を危険視する気持ちはわからなくもない。ダンの夢うつつのようなおぼろげな記憶を辿れば、確かにメタトロンによって世界は滅亡の危機を迎えた。


 だが、それでもだ。

 
 宇宙の彼方へと飛び立つ事を邪魔する事はどうしても許せない。
 世界をメタトロンの毒による副作用から守る――そんなお題目など吹き飛ぶぐらいに、新しい星に、誰も見たことのない場所に行くという事は抗い難いほど魅力的なのだ。
 遥か彼方へ進むという開拓精神を阻むものを弾はどうしても受け入れられない。

 科学者にとって真理を探求し、不思議に挑むという事は最早第二の本能の領分なのだ。できない事をできるようになろうとする事を邪魔する相手は――科学者として倒さねばならない。

『デルフィ!』
『了解、戦闘行動を開始します』

<アヌビス>の全身から漲る戦意に束も戦闘もやむなしと考えたのか――小さく微笑む。

「……まぁ、結局こうなっちゃうんだね?」

 そして――両腕の巨銃を二門、<アヌビス>に向ける。

「でも……この<ラジェンドラ>と<カーリー・ドゥルガー>の単一能力を他のISと同じ次元と見なすのはやめたほうが良いよ♪」




[25691] こっそり超重要お知らせ
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/23 00:50
 pixivで、doubt様にこの作品の素晴らしいイラストを頂きました!! 
 向うで新設された『八針来夏』というタグでヒットするかと。しかしなんてタグだ(笑)

 まさか、こんな素敵なものをいただけるなんて作者冥利に尽きます。誠にありがとうございます、プリントアウトして神棚に飾るぜ!!

 おまけ。

 選考結果でました。
 選考委員の皆様のご意見が一致していました。(笑)
 でもそれでも。選んでいただけてありがたいです。皆様、ありがとうございました。
 頑張ります。




[25691] 第二十一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/05/14 22:12
 五反田弾と篠ノ之束。
 恐らく世界の行く末を変える次元の二人の天才の会話は――束の言葉によって決着を見た。両名の脳髄に溢れる知性知識を鑑みるならば、二人が話し合って協力し合えばどれほど人類の躍進を促したか。両名とも相応の理由に突き動かされて、その脳髄に溢れる知性を思えば野蛮とすら言える戦闘行為に身を投じる。
<アヌビス>――世界の外より持ち込まれた規格外機体。
<ラジェンドラ><カーリー・ドゥルガー>――規格外の頭脳を持つ束が自分の専用機として設計した最強のIS。
 恐らく両機とも世界の全てを単独で敵に回しても勝利を収めかねない超絶の戦闘力を持つ。
 
『今更戦力を隠す意味なんぞ無いな。ハウンドスピア!!』
『了解』

 束の四肢を覆う黒いIS――機体全体のデザインは、一般的なISとそうかけ離れた訳ではない。肌を幾らか露にし、両手足を装甲で保護されたそれで覆っている。気になるのは、左肩に搭載された小型の自立機動ユニットと両腕の巨大な銃器。
『聖銃』『魔銃』――そんな仰々しい名前を付けるのだ。一体どういう手を隠し持っているのかを明かさせるための小手調べ。
 
「んふふ」

<アヌビス>の両腕から放たれる真紅の光線。破壊的レーザーの群れが独立した意志を持つかのように複雑な軌道を描き、束目掛けて発射される。
 小さな含み笑い――子供が大人に隠れて悪戯を仕掛けた時のような相手の驚く反応を心待ちにするような笑顔。ただし弾からすれば――その笑顔は可憐さよりも、むしろ冗談では済まされない破壊的行為を悪戯のように捉えているかのようで正直不快感を掻き立てる。
 束のISは接近するハウンドスピアに対して瞬時加速(イグニッションブースト)。レーザーの追尾を振り切るような凄まじい加速力だ。かつて弾と<アヌビス>が交戦したISの中で最も速力に長けていたのは<サイレント・ゼフィルス>だったが――束の機体の速度はそれを遥かに上回っている。
 だが、弾はこちらの攻撃を避ける相手に特に落胆した様子も見せない。相手の最高速度に対するデータを更新し、より正確な戦闘能力の把握に努めるデルフィ。

『速力に関するデータ修正完了』
『未来位置予測がより正確になったな。サブウェポン、ハルバードを選択』

 相手の速度に対してデータを修正――デルフィの表示するガイドビーコンの指示に従いハルバードをベクタートラップより展開。構える。束の目がこちらを向いた。まだ笑っている。弾、装甲の下から彼女を睨む。

『……お前が泣いて謝るところを見たい!!』
『無理を言わないで下さい』

 素直な気持ちを呟きながら弾はトリガーを引く。そして自分が言われたと思ったデルフィが律儀に応えた。
 放たれるのは強烈無比の大出力ビーム。周囲一帯を薙ぎ払うように使用できる<アヌビス>の持つサブウェポンの中でも高位の威力を持つハルバード。
 それを弾は、ハウンドスピアに対して回避行動を取った束を狙い打つようにぶっ放した。
 直撃ならば相手のシールドをほぼ一撃で吹き飛ばし、回避しても薙ぐように照射することで確実に相手のエネルギーを削れる。宇宙空間を引き裂くように一直線に伸びる破壊的エネルギーに――束は唇を笑みに歪める。まるで相手が驚く様子を見たがる子供のような無邪気な笑顔。

「さぁ、力を示そう! <カーリー・ドゥルガー>、平行世界へと熱量を放逐するね!!」

 束の左肩に搭載されたコアが、心音に似たリズムで――闇色の輝きとでも形容できそうな、光を呑む光を放ちだす。腕部に携える巨大な銃器、『魔銃』と刻印されたそれの先端、黒い眼窩に似た銃口を向けた。

 瞬間――広がる光景は俄かには信じ難いものだった。

 放たれたハルバードの一撃と、ハウンドスピアによるホーミングレーザーの濃密な弾幕が、まるで魔的な磁力に引かれるように、海水が渦潮に引き摺り込まれるかのごとく――その『魔銃』と刻印された銃器の先端へと吸い込まれたのである。それこそ、並みのISならば一撃で撃墜できる膨大なエネルギーが瞬時に無効化されたのだ。弾の驚きは――錆び付いたように驚愕の声すら出ない唇が物語っていた。
 弾の動揺が透けて見えるかのような棒立ちの<アヌビス>――当然といえば当然だろう。防御不可能の圧倒的エネルギー砲撃、回避困難な誘導レーザーの弾幕。現行のISではこの二重攻撃を回避する事は極めて困難であるにもかかわらずそれを束は容易くやってのけたのだから。
 今度は右肩のコアが強烈な白い光を放つ。
 同時に『聖銃』と刻印された銃器を<アヌビス>に指向する。同時にデルフィが警告――しかもこれまでに無いほどの最大限の警戒を要するレベル。デルフィが自機の敗北をすら可能性として考慮する次元の熱量、法外の大出力を感知したのだ。

「平行世界より熱量を強奪!!」
『敵銃口より超高熱を検知。警戒してください。最低でもハルバードクラスの砲撃です』
『……!!』

 弾――無言のまま<アヌビス>を回避行動へと移行させる。
 背中にウーレンベックカタパルトを背負わないように注意しつつ、最大戦速。今までに無い警告に弾の意識レベルも自然と最大限へと移行していた。同時に言葉にも出さぬまま、サブウェポンをマミーに変更――まるで薙ぎ払うように空を焼く灼熱の奔流に弾はベクタートラップからマミーを引き出し、強固な物理防御を展開。その焦滅の光を防ぎながら、弾は後方へと退避し――距離を離すために空間潜航モードへ。機体後方のウィスプから膨大なエネルギーを引き出し、ベクタートラップへと己自身を格納する。
 束、小首を傾げながら言う。

「んー? 逃げちゃった……わけないよねー? ねー? うふふ、やっぱり守らなきゃならないものがある人はめんどくさいんだねー♪」
『てめぇ……!!』

 一時的に様子を見るべきか――だが、束は弾にその選択を取る事を許さない。
 先程の砲撃能力――直撃すれば数度の正射でウーレンベックカタパルトが……自分の夢を実現するべく作り上げた施設が破壊されるだろう。相手の攻撃にはそれだけの破壊力が存在していた。だから、束は<アヌビス>が空間潜航モードに突入し、完璧なステルス状態に移行したと見るや、すぐさま銃口をウーレンベックカタパルトに向けたのである。
 これをされては、弾としては即座に対応せざるを得ない。相手の行動は冷徹だが……しかし確かに極めて有効だ。

『……単一能力か? ……にしたってハルバードクラスの砲撃を無効化するだと? ……あいつ本当にISか?!』
『敵能力に対する推論数は4。ただし全て確実性が5パーセントの域を超えません』

 推論はあるが、どれも正解には程遠いものばかり――そこは素直に『分かりません』でいいところだろうに、それを認めるのがしゃくだと言うことなのだろうか。弾はデルフィ可愛いなぁと戦場に似つかわしくない事を一瞬考えてから再攻撃。
 先程の攻撃はレーザーに大出力ビーム砲撃――共通するのはどれも純粋な熱エネルギー系統の攻撃と言う事だ。瞬時にそう判断する彼は、ならば実弾兵器はどうだ? と腹を決める。今は相手の能力の正体を知る事が先決。

『奴を殴るぞ、デルフィ!!』
『サブウェポン・ガントレットを選択』
「おおっ、さすが弾さん!! すぐに見抜くなんて流石だね!!」

 相手の余裕ぶっこいている様が真剣にムカつく。そう考えながら弾は相手に照準を合わせ――広げた掌から空間圧縮バレルより高威力の物理砲弾を発砲した。距離は空いているから回避自体は難しくない。むしろ相手の対応を確認し、向うに出来る事と出来ない事を知る方が重要だ。
 
「んふふふふー♪」

 鋭い回避機動――それほど早いとは言い難いガンドレッドの物理弾頭に対して束は即座にそれを避ける。
 やはりレーザー兵器と違い、物理攻撃は先程のエネルギー吸収に似た能力の影響外か。そう判断し、弾は次の打つ手へ。

『生憎だが、<アヌビス>は別に実弾武装が無いってわけじゃないぜ……!!』

 ベクタートラップによる空間の歪より引き出されるのは槍群を思わせる誘導システムを搭載したホーミングミサイル。元の世界であるならば、無作為に射出しても周囲の敵に対して自動で追尾を開始し、確実にオービタルフレームを粉砕、破壊する非常に使い勝手の良い武装だ。それを――弾は最大展開可能上限の二十発を同時に装填する。

『ホーミングミサイル、全弾ロック完了』
『奴を狙え!!』
 
 世界最強の量子コンピューターはロックオンに掛かる時間すら刹那。攻撃可能のサインを見ると同時に弾は即座にミサイルを射出――それも自機を駒のように旋回され、それぞれ異なる角度から敵を半包囲するかのようにミサイルを射出する。相手の回避スペースを弾幕量で押し潰し、迎撃能力を越える手数で叩く。相手の対処力を超えた飽和攻撃(サチュレーションアタック)。
 先程のホーミングレーザーと比しても執拗と言えるほどの誘導性能。それに、あのインチキ臭いエネルギーの吸収能力は実弾兵器には働くまい――戦場での刹那の時間でそう判断を下す弾のその戦闘知性は彼の本分が技術者ではなく戦闘屋であると示すかのよう。
 一撃でISを半壊状態に陥れるほどの強烈なダメージを与える誘導ミサイルに対して束は――しかし、尚も余裕の笑みを崩す事は無い。今度はその右腕を構え――膨大なエネルギー供給開始。

「CDSバラージ・インテンシファイ」

 その言葉と共に放たれるもの――肉眼では目視不可能な不可視の衝撃。束を中心に光速で駆け抜ける強烈無比の対コンピューター用ビーム兵器はホーミングミサイルに搭載された精密機器、敵を照準し相手へと誘導するためのシステムを焼き切り、ミサイル本体ではなくミサイルを制御するコンピューターシステムを完全に破壊した。
 突然FCSの制御から離れ、酔っ払ったようにあちこちへ四散するミサイルに弾は目を剥く。

『……誘導システムを焼き潰された?! EMPの類か?!』
『敵母体から照射された対コンピューター破壊兵器の一種と推測されます』

 流石に<アヌビス>の制御システムであるデルフィは相手のコンピューター破壊兵器の影響下でも問題なく稼動しているが――しかしホーミングミサイルの制御システムがそこまで高性能なCPUを搭載しているはずがない。あのクラスの低位な制御システムでは相手の攻撃に耐え切れなかったのだろう。

「ううん。一応メタトロンコンピューター破壊を想定して設計したCDSだけども、流石に<アヌビス>を無力化するのは無理みたいだね♪」
『馬鹿にしないでください』

 デルフィに似合わない少し怒ったような声――超高性能AIの自負だろうか。
 そんなデルフィの声に束は驚いた様子を見せない。自立した意識を持ち、人間と意思疎通も可能な人工知能程度は有り得ると予想していたのだろう。束はこちらへと接近――左肩に展開、接続した大型シールド……に酷似した電磁カタパルトをこちらに向ける。電磁レールへと電力供給を開始し、カタパルトに乗った九機の自立機動砲台を射出開始。左肩のシールドのように見える部位は、自立機動砲台を高速で前線に送り込むための兵装だ。その様はまるで空母から発進する戦闘機のよう。

『敵接近』

 デルフィの声。
 自立機動砲台が量子展開。淡い光と共にIS用の艦載機が瞬時にその小さな躯体を覆う装甲と巨大な推力器を展開し、3・5メートル近くの無人戦闘機へと変化する。いや、この場合は艦載機というより、寄生戦闘機(パラサイト・ファイター)という辺りが相応しいだろう。寄生戦闘機――有人戦闘機と無人爆撃機を結合させたミステル(独語でヤドリギの意)、プロジェクト・トムトム。考案こそされたが空中給油機の出現により廃れた設計思想。戦闘機を過去のものにした女が、歴史の変遷の中消えていった戦闘機の運搬システムを復活させているのはどこか皮肉だ。
 
『なるほど――強い!!』

 四方八方へと展開しながら、寄生戦闘機から攻撃が迫る。宇宙空間での機動能力は空力ではなく、推進器(スラスター)の数であると証明するように各所から膨大な推進炎を吐き出しながら迫り来る。<アヌビス>は一度似たような自立機動砲台と――<ブルー・ティアーズ>のものと闘った事があるが、束の機体から射出された寄生戦闘機は火力、機動性能、エネルギーシールドすら搭載した無人ISとでも言うべき性能を持っており、遥かに手ごわい。
 もちろん、それでも<アヌビス>はこの程度の相手に負ける訳が無い。
 問題は――こちらの攻撃を無効化した束のあの『魔銃』の能力の正体が未だに判明していない事だ。ここで寄生戦闘機に対して攻撃を仕掛け、エネルギーを吸収されて再びあの大出力攻撃を放たれてはいけない。寄生戦闘機に機動を拘束するように纏わりつかれた状態では、再度あの大出力砲撃を受けては回避は困難だ。

『だが――奴の能力の正体が見切れん以上……!!』
「<カーリー・ドゥルガー>の単一能力の正体は、『この世界の熱量を異なる平行世界へと放逐する能力』だよ♪」
『なにっ?!』
「そして<ラジェンドラ>の単一能力の正体は『この世界とは異なる平行世界から熱量を強奪する能力』だよ♪」
 
 思わぬところからの回答。今まさに敵対している相手から、己の持つ能力の正体を明かされ、弾はどういうつもりだ――と自問自答し、回答を出す事を諦める。笑顔――束の顔に浮ぶのは期待の表情。何となく分かった。

『……平行世界から熱量を奪い、放逐する能力――……そうか!!』

 力の正体、束のISの能力を理解する。同時に、その能力はエネルギー兵器を主体とする<アヌビス>にとって天敵とも言える相性の悪さであるという事もだ。

『……この世界から熱量を他の平行世界に放逐し、その放逐した熱量と同等の熱量を平行世界から奪うことで、相対的にプラスマイナスにする能力。つまりお前の能力の正体とは、無からエネルギーを引き出す、『世界の壁を越えることで熱力学第一法則に逆らう事無く正と負のエネルギーを無限に引き出す能力』……!!』
「そう、これが<ラジェンドラ>と<カーリー・ドゥルガー>の単一能力の正体、『マクスウェルズ・デモン』だよ!!」

 最悪だ――弾は相手の能力を理解する。
 先程のあの砲撃がハルバードと同等の威力を持つ理由が分かった。即ち、『魔銃』を搭載した<カーリー・ドゥルガー>の単一能力によって此処とは違う平行世界へと熱量を放逐し、そして『聖銃』を搭載した<ラジェンドラ>がその放逐した熱量と同等の熱量を奪い、破壊エネルギーとして使用してくる訳だ。
 この相手の能力は、<アヌビス>にとって相性としては最悪と言える。
<アヌビス>の主力武装は主にエネルギー武装。当然実弾武装もベクタートラップに格納しているが、ホーミングミサイルの誘導性能は相手の電子機器破壊能力で無効化され、直進する物理砲弾のガンドレットは<アヌビス>の武装の中では、主に相手を吹き飛ばす衝撃性能を重視しており――周囲に相手を叩き付けるための構造物が無い宇宙空間では有効打が見込めない。ましてやそれほど弾速に長けているわけでもなく、束を捉える事は困難だろう。

(……と、なれば……!!)

 勝機は接近戦しかない。
 相手のCDS攻撃はデルフィを破壊する事は出来ず、また奴の『マクスウェルズ・デモン』が作用するのはエネルギー兵器のみで物理的武装には影響が無いはずだ。
 ただしベクタートラップによる空間潜航モードによる隠密状態からの接近を持ちいれば相手は即座に攻撃目標をカタパルトに変更するだろう。もちろん、性格に大きな欠点を抱えていても天才と呼ぶに相応しい束がその事に気付かぬはずがない。こちらを懐に飛び込ませまいとする戦闘スタイルを取るのは間違いない。

 だが――<アヌビス>には切り札がある。

 今まで一度も使用していない最後の手段。奥の手。必殺技。
 束は天才だが最後の最後まで伏せていたジョーカーの存在まで見抜いているとは思えない。このシステムの封印を解けば、彼女が現在優勢であると思っている今の状況が、あっさり覆るだろう。
 しかし……弾はそれでも使用を躊躇い続けてきた。
<アヌビス>、そして元の世界での<ジェフティ><ドロレス><ハトール>が他のオービタルフレームと一線を画す能力を持っていた絶対的優位性。そのフレームランナーのうち二名はメタトロンの毒に犯され、何もかもを滅ぼす悪鬼と成り果てた。自分がそうならない保障は何処にもない。その場合、<アヌビス>に対抗可能な存在とは<ゲッターデメルンク>一機のみとなるが……あの憎悪の管理者の言動から鑑みて、むしろ正気を失った弾と共に虐殺行為に加担する可能性すらあった。
 切り札を使わない限り、束に勝利する事は難しく――だが切り札を使えば、世界滅亡すら可能性として浮上する。幾ら自分の命と夢が掛かっているとはいえ、容易には決断できない。

「束さんには――弾くんがどうしてそこまでメタトロンに拘るのかが分からないよ」

 再び己の元へ集結する寄生戦闘機群<ガルータ>を<カーリー・ドゥルガー>へと接続し、束は機を静止させながら不思議そうに呟いた。

『……そんなに不思議か?』
「うん。……ねぇ、弾くん。束さんが起こしたミサイル二千発事件って覚えてる?」

 知らないはずがない。今では歴史の教科書にも載っているような世界的大事件のあらましは子供でも知っている。今更そんな事を持ち出す彼女の言葉の意味がわからず、弾は<アヌビス>の中で眉を寄せる。
 
「あの時、束さんは凄くイライラしていた。あの頃から束さんは色々特許を取ったりして沢山お金を稼いで、そのお金でネレイダムからメタトロンを購入したり、ISの研究費用を捻出していたんだけど、折角作ったISは全く誰にも受け入れられなかった。
 ……宣伝しなくちゃ、そう思ったの」
『くそ迷惑な宣伝だったけどな』
「うん」

 弾の皮肉の篭った台詞に――意外な事に束はそれをあっさりと肯定した。

「メタトロンは――人の精神を歪める。あの時束さんは凄く、すごぉくイライラしていた。いっくんやちーちゃん、箒ちゃん以外なんてどうでもいいけど、束さんが作りたいものを大々的に作るためにはやっぱりもっともっと沢山のお金が必要で……でもやっぱり世の中の大勢は誰もISの将来性に投資しなかった。
 ……あのね、弾くん。最初期型の、束さんが使用していたISは――今よりずっと強力で、もっと大量のメタトロンを搭載していたんだ。それこそ……束さんの心に影響を及ぼし、正気を失わせるぐらいにはね」
『……お前……?』

 それは、聞き捨てならない台詞だった。
 ISが一躍有名になったあの事件。能力的にも動機的にも束博士以外に実行する犯人が存在しなかったあの事件の裏側に、メタトロンの毒が影響していた? 思わず目を剥く。

「別に天才の束さんとしては日本の中で三人だけ生き残っていてくれれば別に良かったし、それ以外が死んでも別になんとも思わなかったし、当時開発していた<白騎士>は二千発のミサイルを全て迎撃できるだけのスペックを備えていたという確証があったよ? でも――いっくんや箒ちゃんを巻き込まないどこか別の国にしようとは思っていたの。
 でも――メタトロンの毒が……束さんの精神に干渉した。束さんの事を認めないこの国なんて滅んでしまえという破滅的思考を拭い去る事が出来なかった」
『……死ぬほど迷惑だと気付いていないのか、お前』

 いないんだろうな、と一人呟く弾。
 だが、彼女のその三人に対する情愛だけは、多分本物なのだ。彼女は一度メタトロンの毒によって精神に異常をきたし――しかし狂気に浸されながらも、恐らくその三人に対する情愛を原動力として自分自身を正気へと還したのだ。弾の中にある前世に似た記憶の中でもこんな実例はまず存在していない。
 まさしく驚嘆に値する。
 そして――弾はほんの少しだけ、<アヌビス>の装甲の中で微笑んだ。

『……だが少しだけ安心したぜ、束博士』
「ん?」
『……メタトロンの毒を世界中に拡散させまいと言うあんたの言葉が本気であることはわかった。あんたが火星開発を邪魔するのは、自分が作ったISを上回る可能性のあるオービタルフレームが目障りだったからじゃなく、本気で今の世界を維持しようとしていたって事が理解できた。……その辺りに私心がない事は間違いなさそうだ。
 そして――改めて言わせてもらうぜ』

 弾は、言う。

『あんたは――賢者症候群(サヴァン・シンドローム)だ』
「え?」

 彼女は。
 その煌びやかな天才性に隠れて誰も気付いてはいなかったのかも知れないが、彼女はその天才性と引き換えに人として重要な部分が欠落している。
 超能力や異能とも言うべき超人的知性を保有する代償のように、常人ならば誰もが持ちうるものを欠落させた女性。
 興味が一定以上の水準を超さない限り記憶する事が出来ないコミュニケーション能力に対する欠如――だが、人は孤独で生きていける生き物ではない。だからこそ、彼女の中で認識できるたった四人、自分と千冬さんと一夏と箒さんに対して病的とも言うべき偏愛を注ぐ。

 分かったのだ――彼女が眼差しに浮かべるのは期待。自分に求めているのは賞賛の言葉。褒めて欲しいという欲求。

 弾は――そう考えつつ、彼女の言葉から推論を組み立て、言葉を続ける。

『……メタトロンの毒は、危険な代物だ。人間の精神を危険な奈落へと誘う力を秘めている。確かに火星開発にはそのリスクが伴う』
「だよね? 今からでもウーレンベックカタパルトを破壊して……」
『あんたは俺を加えた四人以外は認識できないある種の障害があるから想像できないかもしれないが、な。もっと有効な手はあった。
 メタトロン資源に対する副作用、その実害を様々なデータとして世界各国に送りつけてやれば良かったんだ。いかにアメリカ政府と言えども世界各国からそんな危険な代物を開発しようとしているのかと責め立てられればどうしても開発速度が落ちる。民衆の大意って奴は俺にだって倒せない。……だが、あんたはそれを選ぶことができない。世界中でたった数人しか人間と認識できない賢い白痴のあんたは大勢の人間の力を本質的に理解できないんだ』
「……面白い論理だね。でもそれがメタトロンの毒を知りつつも開発を推し進める元凶を取り除いたことにはならないね?」

 弾は<アヌビス>の中で目を伏せる。
 理解したことがひとつ存在する。それは弾ではなく以前の、別のダンの知識から来る推論だった。思い起こすのは――弾ではない別人の記憶。メタトロンの持つ可能性に狂喜し、そして開発途中に発覚したメタトロン技術に関する危険性を知った同僚達の絶望の表情。目の前の彼女と古い同僚達の眼差しに浮かぶのは明らかな畏れ。人知を超越した強大な力に触れることを恐怖する人間の目だった。

 弾は言う。

『……あんた、メタトロンアレルギーだ』
「……? 弾くん?」
『前の俺のいた世界にもいたのさ。メタトロンの持つその圧倒的な力に酔いしれながらも同時にそのメタトロンの毒に恐怖し、研究より手を引いた仲間達がな。だが――当時の俺は希望に燃えていた。火星人をエンダーとさげずみ、火星を強圧的に支配する地球人に目にもの見せてやろうとした。そのためならば――このメタトロンの毒なんぞに負けてやるものかと思ったものさ』

 そして、今度は己の言葉を使う。

「世界を滅ぼすほどの破壊をもたらす資源を発掘することを、どうしてためらわずにいられるの?」
『……なぁ、博士。あんたひとつでっかいこと忘れてるぜ? そもそも――今の世界にだって人類を七回滅亡させられるほどの核があるだろう。太陽系を消滅させての人類滅亡と地球消滅での人類滅亡も――どちらも等しく死だ。
 良いか? 世界を滅ぼすほどの破壊程度なんか、ずっと昔に出現しているのさ。だが、束博士。あんたの言葉は正しい。メタトロンの毒は危険な代物だ。事実俺の前世――といって良いのかよく分からんが――のいた世界では、メタトロンの毒によって精神に異常を来し、世界を滅ぼそうとした人間が二名出現した』

 向こうの世界でのラダム、ノウマン大佐。軌道エレベーター破壊による地球滅亡計画と、太陽系全土の消滅。
 最初は火星独立のためのメタトロン技術発掘だったにもかかわらず、全てを終わらせるほどの破壊によって危うく太陽系全土が消滅するところだった。

「……そこまで分かっていながら、どうしてメタトロン開発を中断しないの?」
『……俺さ。藤田先生の大ファンなんだ。個人的には科学者のオッサンオバサンが最初は悪役だった割に好きだったよ……』
「は?」

 文脈が繋がっていない唐突な発言に、珍しく唖然としたような声を漏らす束。弾は、あの物語の一節を口にする。

『……でも、人間はそれが悔しくてね、悔しくてできるようになろうとする……』

 ああ、そうだったのか。
 弾は、自分自身の口から零れ出ていく言葉で――自分が束博士に感じていた感情を理解する。怒りはある。憎しみも嫌悪も同様にだ。彼女の無遠慮でこちらの心情を全く理解していない言葉は腹が立つ。
 同時に弾は束博士のその実力だけは、悔しいが認めざるを得なかった。たった一人の力で世界を変えてみせるほどの能力。最終保護機能、シールド、PIC、コアなど従来兵器を置き去りにした圧倒的な性能。天才であることは認めていた。
 だから、彼女に対する怒りと同じぐらいに賞賛もしていたのだ。認めていたのだ――なのに、たった一人で世界を変えて見せたほどの凄い奴が、逃げている事が腹立たしかった。彼女がその気になればもっと凄いはずなのに、まるで頑張っていない事が……悔しいのだ。ファイトのない彼女に苛立ちを感じずにはいられないのだ。
 





『なぜ、戦わない……。なぜ出来ない事を出来るようになろうとしなかった……』
「え?」




 その言葉の意味が理解できず、束は大きく目を見開いて小さな声を漏らす。
 戦わない? 何と? 不思議そうにする彼女に弾は続けた。




『なぜ、メタトロンの毒と戦わなかった!! ……メタトロンが恐ろしい副作用を持っていると知っているなら――なぜその毒を克服する手段を捜さなかった!!』
「……?!」

 裂帛の怒気と共に放たれる言葉。怠慢を責める弾の激怒に束は――まるで背筋に走る困惑を誤魔化すように聖銃と魔銃を向ける。まるでこれ以上相手の言葉を聞き続ければ、目を背けていた事実を突きつけられるのだと言うように。
 聖銃が銃身に全てを焼き滅ぼす灼熱光を満たし発射――<アヌビス>ですら無視できぬ強烈な熱エネルギーが空を舐め、炎の舌で真空を蹂躙。それを回避した相手に対し、矢次早に繰り出されるのは全てを停止させる氷結エネルギーの乱流。肉体どころか魂魄に至るまで凍結させ保存するような凄まじいそれを、デゴイによる光学的欺瞞によって回避。

「メタトロンの毒の恐ろしさを知らない弾くんなんかに言われたくないよぉー!!」
『それでもだ、なぜ戦わなかった!! ……出来ない事に挑まず、不可能を解決せず、未知を解き明かそうとしない科学者にぃ、生きてる価値なんぞねぇだろうがああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 そのまま――<ウアスロッド>を構えて突撃。

『ああ確かにショックだろうさ……!! 自分の意図しないところでうっかり大切な人間を殺す可能性を生んだらそりゃショックで寝込むわ!! ……だが……お前天才なんだろうが……天才の癖にたかが一度の失敗で挫折して……何もかも諦めるな!!』

 或いは――その圧倒的な天才性ゆえに、彼女はそれまで唯の一度も挫折を経験した事がないのかもしれない。だからこそ、生涯初にして最悪の失敗ゆえに彼女は病的にメタトロンを嫌う。

「……メタトロンは危険なんだよ!! 精神を歪めるその副作用は今の人類が手にしたら……!」
『はっ、薄弱な反論だな……!! 科学技術の進歩と同時に人間の道徳心も比例して上昇するんならアメリカ開拓時代、インディアンが虐殺される訳が無い! 古代には聖人がいるし、現在にだって下種がいる!! 未来の人類が今より賢明って保障もねぇ!!』

 左肩の<カーリー・ドゥルガー>より射出される寄生戦闘機――それに対して弾はベクタートラップより、F・マインを展開。それを空いた腕で補綴し、相手に投擲。弾速の早いノーマルショットでF・マインに着火。爆発の圧力に紛れる。

『人類は進歩する! そして生活圏を広げるうちに、人類は大規模メタトロン鉱床と出会う。分かるか!! ISというあんたの脳髄から零れた奇跡ではなく、メタトロンは穴掘れば出てくるただの石ころなんだぞ!!』
「……それはっ!!」

 束は反論する事が出来ない。
 彼女とて分かっている。メタトロンは恐ろしい副作用を持つ資源だが――同時に確実に人類が出会うエネルギーだ。メタトロンの毒によって人類が滅びを迎える可能性は存在している。しかし、束博士がいかに努力しようとも、地球という惑星が養える人類の数には限界がある。そしてその場合増え続ける人口をまかなうために必要な開拓地は宇宙に求めるより他ない。そうすれば確実に人類は宇宙開発の途中でメタトロンと接触する。結局束が行っているメタトロン採掘に歯止めをかけようとする行為は……メタトロンの毒が世界を滅ぼすとするなら、彼女の行為はあくまで延命処理でしかないのだ。
 だけれども――束は自分を狂わせたメタトロンに対する生理的嫌悪感をいまだに克服できないでいた。それを開発することに対して本能的な恐れがあり――弾のその弾劾の言葉が、まるで自分の弱さを指摘されたかのように感じられたのである。
 束は顔を羞恥心で赤らめる。
 天才、天才ともてはやされた自分がひたすらに隠していたメタトロンに対する怯え、恐れ――心の弱さを指摘され、自分の秘密を暴かれまいと猛攻を仕掛ける。
 粉塵の衣を纏い、<アヌビス>は突進――束は顔を顰めながら右腕の<ラジェンドラ>の先端部を鏃のように変化させる。力場を展開。ウアスロッドの刺突を捌きながら距離を取るべく寄生戦闘機に攻撃命令。そのコアに、<アヌビス>の至近距離に突撃できたなら自爆も選択肢の一つに入れる事を許した。

『なぜ……頑張らない!! なぜ……メタトロンの毒と正面から戦わない!!』
「その毒が危険だと……!!」
『危険?! ああ、危険だ!! ……だが、メタトロンの毒は――所詮『現象』なんだぞ!! 人間が大量で高純度のメタトロンを一気に使用しなければ害が無い事すら分かっている代物なんだぞ!! 天才の癖に……諦めてんじゃねぇぇぇぇ!!』

 寄生戦闘機の数機が接近――同時に形状変化。ジェネレーターを意図的に暴走させ、可能な限りの破壊エネルギーを撒き散らす特攻へとシステムを変更する。ただただ一心不乱に相手に直撃する事を望むミサイルモードへと寄生戦闘機が変形。

「……黙れ……黙れぇぇぇぇぇぇ!!」

 弾の言葉は、束の弱さを弾劾する鞭のように彼女の心を打ち据える。それに耐えかねたようにいやいやと首を振りながら彼女は――寄生戦闘機の一斉起爆を命令した。
 その凄まじい爆発の光は、付近に存在していたウーレンベックカタパルトのみならず、地球上からでも観測可能なほどの破壊力を有していた。他のコアと比べて下等な性能しか持ちはしないが、いざと言う時の切り札として温存しておいたミサイルモード――その全てを一斉に起爆させたのだ。<アヌビス>と言えども相当の損害を与えているはずだ。

 
 撃破できたかどうかはまだ定かではない――念のためランダムな回避機動を描きつつハイパーセンサーの感度を上げて<アヌビス>を索敵。

 敵機警告。

『負けたくねぇ……』

 聞こえてくるのは弾の荒々しい呼吸の音――まるで傷口から流れる出血のように、<アヌビス>の機体表面を奔るメタトロン光が赤色に変質している。機体表層には目に見える損壊は確認できないが、しかしエネルギー反応は明らかに減少している。……効いている。無敵にすら思える<アヌビス>も不死身ではない――そう束は自分自身に言い聞かせる。

「……いいや、負けるよ。弾くん」

 束は自分自身の指摘された弱さを認めたくない。
 自分は天才だ。メタトロンの開発は認めるわけにはいかない――もしそれを認めてしまったら、かつて宇宙開発のために生み出したISを軍事用に転用した自分の行動は……まったく的外れな愚行でしかなかったことになってしまう。
 なにが、天才なのか。ここにいるのは自分自身の過ちを認めたがらない子供ではないのか? 束はそっと自嘲の笑みを浮かべた。

『……不可能に挑みもしなかった情けない女にも、人間の精神にひずみを入れて心を歪ませるメタトロンにも絶対に負けたくねぇ……』

 弾は、損害を冷静に告げるデルフィの言葉に――呻くように声を漏らす。
 呼び出すのは――<アヌビス>に搭載された最後の封印を解除するコマンド。YES/NOと表示されたそれを見ながら彼は、決断を下した。
 メタトロンの毒は危険だ。しかしメタトロンは人類がいずれ出会う資源エネルギーであり、その開発にはその危険性を熟知しなおかつ毒に負けないだけの意志力が必要となる。弾は唸るような声を漏らした。

 負けたくない。

 子供の頃、戦闘機に乗りたかった。自分自身が望めばどこへでもいける翼、誰も見たことのない地平の果てへ飛んでいくための機械。だが戦闘機という翼は奪われた。そして今新たに、誰も見たことのない地平の果てへ行くための機械を生み出し――それすらも今まさに奪われんとしている。
 
 負けたくない。

 不可能に挑まなかった女に、できないことをできようとしなかった科学者になど負けたくない。たった一度の失敗で再び挑むことをやめた女に負けたくない。たかが石ころ風情の分際で人間の精神を歪ませるメタトロンにも負けたくない。

『……人間様のやる事に口出しするな!! ……貴様は黙っていろ、メタトロン!!』

 最後の枷を外すべく、叫ぶ。
 負けたくない。

『篠ノ之束、メタトロン……俺はお前らを越えていく!! ……デルフィ!!』

 その言葉に、デルフィは――機械とは思えないほどの強い信頼を込めた声で答えた。



『……メタトロンを越えていくと心に決めた今の貴方になら、きっと、可能です』


 
 その言葉と共に、<アヌビス>に搭載されていた最後の機構が解放される。
 メタトロンの毒による精神を歪ませる副作用――<アヌビス>の絶対的優位性の一つである『システム』は、最新鋭メタトロン技術の結晶であり、同時に使用に伴う副作用も甚大であるため封印され続けてきたそれが……解き放たれる。<アヌビス>の内部に響き渡る警告アラート。モニター一面にウィンドウが乱舞する。その躯体内部から真紅のメタトロン光が膨れ上がっていく。
 赤い光の柱。そう形容するより他ない膨大なメタトロン光の発現。枷を掛けられた強大な力が解き放たれ、歓喜するかのように無作為に荒れ狂う。
 その光景に束は思わず息を呑んだ。先ほどまで大きく減少していた<アヌビス>のエネルギー反応が……減少どころか、徐々に上昇を始めているのだ。

「う、うそ……まさか……<アヌビス>は……」

 彼女といえども目の前で広がる強烈な真紅のメタトロン光が何を意味するのか――理解はできても容易には認めたくなかった。
 ハイパーセンサーが検出するエネルギー反応に瞠目する。それは先ほどまで戦っていた完全の状態の<アヌビス>よりもむしろ強烈になっている。事此処にいたって彼女も信じがたい事実を受け入れざるを得なくなった。このエネルギー量からして――今まで、アヌビス>は自分自身の性能にリミットを掛けていたことになる。
 だが、そんなことを誰が想像できようか。今まででさえ、人類すべての戦力を敵に回しても勝利しかねないほどの圧倒的戦闘力を保有していた<アヌビス>が今まで十全の力を発揮していなかったなど、俄かには信じられない。

「……今まで……本気を出していなかったっていうの?!」
『プログラム着床。<ANUBIS・Ver.2>へ移行完了』

 赤く染まっていたモニターが収束していく。デルフィの声には不思議と満足げな響きがあるように、弾には思えた。
 搭乗者の精神力の弱さゆえに、本来の性能を発揮できなかったのは――<アヌビス>を統括するデルフィからすればどことなく窮屈なものだったのだろう。弾は笑う。

『デルフィ』
『はい』
『……待たせて悪かったな――もし、俺がメタトロンの毒に犯され正気を失ったと判断したなら、お前は俺から操縦権限を取り上げて、ネレイダムかジェイムズさんのところへ移動して俺を排出しろ』
『了解』
『本当なら――お前と最初に会った時言った言葉通り、俺と共に自害してくれ、添い遂げようぜ――って言いたいところなんだが、悪いな。ゲッターデメルンクの事がある以上、迂闊にはできねぇ』
『問題ありません』

 デルフィは答える。

『先ほど言ったとおり、メタトロンを超えていくと心に決めた今の貴方になら、きっと可能です。……それと、忘れないでください。わたしの所有権は貴方にあります。わたしは貴方以外の誰かのものになることはできません』
『…………』
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
『…………………………………………このやりとりも懐かしいな』

 弾は苦笑し――<アヌビス>を束に向き直らせる。

「……まさか<アヌビス>が……未だに力を隠し持っていたなんてね」

 驚愕に震えながらも束は――しかし、と思考する。
 確かに<アヌビス>が未だに力を隠し持っていたことは驚きだ。だが<ラジェンドラ>と<カーリー・ドゥルガー>は熱量に関係なくあらゆるエネルギー武装を無効化し、その破壊力をそっくりそのまま相手へ打ち返す事ができる。相手の攻撃に用いる熱量が増大したのならばこちらの火力も同様に増大する。その事実が、束に戦闘の継続を決断させた。

「でも――如何に火力が増そうとも束さんを倒すのは不可能だよ?」
『……火力じゃあ……ないさ。<アヌビス>最強の切り札は火力じゃない。遥か星海の彼方へ行くための力――それの軍事転用さ』

 弾は小さく呟く。
 本来の性能を発揮すると共に増大するメタトロンの毒。そんな彼に正気を保たせるのは目の前の彼女に対する強烈な負けん気。遥か彼方へ進むことを阻もうとする相手への敵愾心。できないことをできようとする自分を阻む相手に対する科学者としての怒り。

『デルフィ!』
『了解』

 弾が自分でサブウェポンを選択するまでもない。束博士に勝利するためには――もはや<アヌビス>に搭載された最大の機構を解放するより他無く、弾とデルフィは思考を一致させる。<アヌビス>の機体後背に浮遊する非固定浮遊ユニットから膨大なエネルギーが溢れ、メタトロンの特性である空間圧縮能力を利用した機能が発揮され、空間が軋み光が歪んだ。
 サブウェポン――セット。弾の声、デルフィの声が響く。





『ゼロシフトォ!!』
『レディ』












 今週のNG



 織斑千冬の目の届かない時間――主に一夏に科学的トレーニングを施すのは、千冬教官の教え子であり、ドイツの現役の軍人でIS則であるラウラ・ボーデウィッヒであった。
 そんな彼女にもどうしても上手く行かない指導内容があった。
 織斑一夏のISである<白式>は今回セカンドフェイズへと移行し、目出度く射撃武装を搭載したのであるが――しかし元々近接戦闘しか想定していなかった機体に乗っていたことによるものか、射撃武装への習熟度が低い。ぶっちゃけ学年でも下から数えた方が早いだろう。

「そんな訳で、お前の射撃技能を底上げするためのライフルを用意した」
「これが?」

 そういう理由で放課後、グランドでラウラにある長大なライフルを渡された一夏は困ったようにそれを見た。
 近距離中距離戦を想定した単発式のライフル――しかし射撃に関して全く興味が無い一夏としては、射撃技術よりも近接戦闘力のトレーニングにもっと時間を割り振りたいのである。
 
「……でも普通のライフルと特に変わらないと思うけど」
「騙されたと思って使ってみろ。一度使用するだけで膨大な経験値が入るぞ」

 ふーん、と気乗りしないように呟く一夏。

「まずは、デュエルのスキルを会得して相手の胴体を確実に破壊できるようになれ。銃器スキルに習熟したらそのライフルからFV-24Bに買い換えろ。そしてスピード、スイッチのスキルを会得したら撃破効率が劇的に変わるぞ。その際、そのライフルで経験値を溜めていた事をきっと感謝するはずだ」
「……」

 一夏はラウラの言葉になんだか疑わしそうな表情。なんだ、スイッチとかスピードとかって――手渡されたライフルに目を向ける。

「……このライフル、なんて名前なんだ?」
「ツィーゲライフルだが」
「そりゃ強いよ!!」

 一夏は吹いた。無理もないが。ところで作者はスーファミ版でしかプレイしていなかったのだが、リメイク版でもこの経験値ごっそり武器は登場しているのだろうか。
 一夏のその様子に不満を覚えていると考えたのか、ラウラは難しい表情。

「不満か? ……だが、それ以上となると……流石にカレンデバイスはちょっと無理だぞ?」
「初プレイ時は本気で叫んだわー!!」

 一夏は怒鳴った。
 無理も無いが。

「……しかし剣聖シュメルも似たような事になったのにカレンデバイスほどショックじゃなかったなぁ」
「ヒロインとおっさんの差は残酷だな」

 酷い事を言う、一夏とラウラの二人であった。





 今週のNGその2

『俺はお前らを越えていく!! ……デルフィ!!』
『……メタトロンを越えていくと心に決めた今の貴方になら、きっと、可能です』
『ああ、そうさ!!』

 弾は力強く叫んだ。

『前回の戦いでパイロットポイントが100を越えたから、特殊スキル『精神耐性』を取ったしもう大丈夫だ!!』
『スパロボかい』

 デルフィは呆れたように応えた。当たり前だが。

『一応聞いておきますと、他にどんな特殊スキルを持っているのですか?』
『え? 『逆恨み』だけど』
『……IMPACTとはまた懐かしい。一夏さんがいるとそのマップでは攻撃力が1・5倍になるのですね。スキルとしても敵専用ですし、ラスボスラスボスと読者の皆様に言われた貴方らしい能力ですね』

 似合いすぎだ、とデルフィは思った。





作者註

 うう。前も酷い難産でしたが今回も酷い難産でした。
 最初の最初でちょっと後悔していたのは、ゼロシフトを封印していた<アヌビス>の塗装色を初代z.o.eでの塗装色にして、今回のVer.2でANUBIS z.o.eでの塗装色にすれば絵的にもよかったなぁと思っていました。
 でもやっとゼロシフト無双だ。あー、最初の辺りで封印してここまでの道のり長かった。
 



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