<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

オリジナルSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[8422] 百年戦争史・シャルルマーニュ伝
Name: サザエ◆d857c520 ID:36bef52c
Date: 2009/07/20 01:47
ここの数々の名作に触発されて筆をとりました。

処女作ですので色々と未熟とは思いますがよろしくお願いします。

また、こうした方が、そこは違うだろ、などのアドバイスもぜひお願いします。

更新は遅くなるでしょうが完結させる気はありますので生温かい目で見守っていてください。


  *注意*

・この作品は転生人物による歴史改編ものです。

・所々、都合主義なところがあります。

・歴史上の人物を独断で弄りますので気に入りの人物の扱いがひどくても許してください。

・ネットの世界は広いのであまりにも似た作品がありましたらご指摘ください。削除いたします。
 







[8422] プロローグ
Name: サザエ◆d857c520 ID:36bef52c
Date: 2009/06/07 03:41
転生っていいことだと思うだろ?

知識や経験を持ったまま第二の人生を送る。

転生した先が裕福なら最高。そうでなくても子供のときから大人並みの能力だ。

いくらでも成り上がれる。

それが世間の持つ一般的なイメージだろう。

オレもそう思っていた。

でもな、どんなに裕福で権力があっても幸せとは限らない家ってのがあるんだ。

それは王族だ。

宮殿における人間関係のドロドロさといったら昼ドラなんて甘いもんじゃない。

嫉妬、憧憬、名誉、劣情、自己顕示に劣等感。

宮殿とはありとあらゆる感情やエゴが渦巻く伏魔殿だ。

その頂点に立つ王族には腹に一物を抱えた無数の人間が近付いてくる。

権力が、財力が、誘蛾灯のように人を惑わし引き付けるのだ。

だから彼らは常に周囲に怯え、警戒し続けなくてはならない。

利用されないように、騙されないように、そして殺されないように。

白鳥みたいなもんだ。

外面は優雅にしていても中を覗けば必死であがいてる。

オレはそんな王族に、百年戦争の時代のフランス王弟の子として転生した。



最初はそりゃ嬉しかったさ。ダンディな親父に美人な母親。

そこから導き出されるのはオレも美形になれる、って希望だった。

名前だってシャルル、いかにもフランスといわんばかりの高貴な名前だ。

しかも王族。これはアレだね。勝ち組ってやつだね、とか調子にのって色々妄想したさ。

日本生まれ現代育ちのオレにとって、王族ってのはいつもニコニコしながら手を振って仲の良さをアピールしてる存在でしかなかった。

だから中世の王族もそれに毛が生えた程度だろ、転生者の特権いかしてバリバリ活躍してやんよ!!

なんて、考えてたさ。今思えばあの頃の幼い自分が微笑ましくも憎たらしいよ。

甘かった。ワイルドレッドベリーよりも甘かったんだ。


そもそも頭のいない組織は纏まらない。

両雄並び立たずというように頂点が二つだともっと悪い。

だが、何事にも上には上がある。

そう、オレの生まれたフランスはトップが機能せずナンバー2と3が争うという最悪の状態だった。

この不幸は現王シャルル6世が精神異常状態に陥り政務を執ることが不可能となったことに端を発する。

残されたのは実質的な指導者の座、そしてそれに最も近い一人の有力者。

となると権勢に敏感な貴族達が派閥を作り、対抗馬を担ぎ上げるのは必然であった。

片や莫大な財力と兵力を持つ王の叔父、片や王の弟であるオレの親父と宮廷は真っ二つに割れた。

そして身内同士の血で血を洗う壮絶な暗闘を始めたのだ。

そんな政争の真っ只中に王弟派の後継者、つまりオレが誕生は誕生した。

客観的に見て、オレの立場は敵を作りやすい危ういものだ。

しかし、赤ん坊に過ぎないオレにその事を知る術はなかった。

オレは無邪気にも優秀さを示すべく頑張った。

一歳にして走り回り二歳にして大人のような話し方をするなど周囲の度肝を抜くような行動をとり続ける。

オレの努力は見事に花開いた。そう、ラフレシアという花を。

多くの味方、そしてそれ以上に多くの敵を得てしまったのだ。

オレは敵派閥の一部から潜在的脅威と認識され、嫌がらせを受け始めた。

年を重ねる毎にそれはエスカレートし、三歳の頃にはついに直接消しにかかってくる奴らが出始める。

今では暗殺や誘拐騒ぎが起きることが日常の立派な王族となってしまった。

正直これはないと思う。絶対に子供への対応ではない。



そんな心ささくれる日々を送るオレの唯一の癒しは我が母上だ。

母上は王宮の中にいて奇跡のような存在といえる。

人を疑うことを全く知らず誰にでも分け隔てなく接する、その性格は尊敬に値する。

何よりも宮廷においてオレに純粋な笑顔を向けてくれる唯一の人というのが大きい。

それに容姿も群を抜いて素晴らしく極上の典型的金髪美人だった。

この人の子供でよかったと思う一方で普通の男女として出会いたかった、と葛藤することも少なくない。



「シャルル。庭園を散歩しますよ。いらっしゃい。」


「はーい。母上。」




そんなわけでオレは確実にマザコンの道へと歩みつつある。

この国は腐ってる。どいつもこいつも他人を利用することしか頭にない欲望の化け物ばかりだ。

そんな国で生きるためには力がいる。

誰にも利用されない、何者にも屈さないだけの力が。

オレは別に誰かの上に立とうとかそんなことは思っていない。

イングランドとかフランスとか国のことなんてどうでもいい。

ただ自分の大切な人々と穏やかに生きる、そしてその人達の願いを叶える。

オレが何故転生したのかはわからない。

でもこうして大きなアドバンテージを持って第二の人生を歩むことになったのだ。

自分に誓ったことくらいは守ろうと思う。





[8422] 師匠
Name: サザエ◆d857c520 ID:36bef52c
Date: 2009/06/07 03:42
あれから2年たち、オレは5歳になった。

前世では意識しなかったがこの時期の子供の成長には目覚しいものがある。

身長が月に1センチ伸びるのは当たり前。

オレもご多分に漏れず2年で25センチ以上伸びた。

身体能力も半年もたてば別人のようなもので戸惑うことや加減を間違えることも少なくなかった。

しかしそれ以上に驚いたのは自分の学習効率の良さだ。

幼い子供はその成長の過程において大学生が学ぶことと同じくらいの量を学ぶ、と聞いたことがある。

実際子供になってみてわかるが、前世の受験勉強で一杯一杯だった自分が哀れになるくらい幼児の能力は高い。

どんなことでもすぐに覚えられるし決して忘れないのだ。

何かを学ぶ上でこれほど重宝する能力はない。

今ならばわかる。

子供は無限の可能性をもっている、そして勉強することは楽しいのだ、と。

実際に学んだ分だけ確実に成長できるというのは実に楽しいものだ。

オレは幼児の持つ能力に夢中になった。

ありとあらゆる学問ありとあらゆる書物に挑み、制覇する。

それがこの2年の間での最大の娯楽だった。

そしてそれは一つの結果を生んだ。

オレはリベラル・アーツを制覇したのだ!!


といっても、当時のオレはその凄さを全く理解していなかった。

オレにとってそれは無我夢中で学んだ結果に過ぎなかったからだ。

しかし、オレの反応の薄さに業を煮やした家庭教師からそれを成し遂げる困難を力説されるにつれて徐々に事態を理解する。

そしてオレは改めて幼児の能力の高さを実感したのだ。

リベラル・アーツとは文法・修辞学・弁証法算術・幾何・天文・音楽の三学四科で構成される教養を指す。

要するにギリシア・ローマ以来の諸学の集大成なのだ。

そんなこんなでオレは自分が手に入れた能力を十二分に楽しんでいた。

次は何を学ぼうか、そんなことを考えながら浮かれる日々。

しかし、それは珍しく父から下った命令によって乱されたのだ。


「そろそろ勉学はいいから馬術をやりなさい」


父のまるで使用人に簡単な雑用を言いつけるかのような口調と満面の笑み。

その軽さと内容のギャップに言葉もないオレを置き去りにして父の言葉は続く。


「先日ウィスコン卿と会談したんだが10歳になる彼の令息は実に巧みに馬を乗りこなすそうだ」


そんな前振りと共にその少年がいかに馬に愛されているか、そしてそんな息子を卿がどれ程誇りにしているかを父は謡うような調子で長々と語る。

そして立ち尽くすオレを一瞥して徐に本題を切り出してきた。


「シャルル、君の学問における才能は確かに素晴らしい。

 しかし卿の話を聞いて思ったんだ。

 貴族とは戦うもの武芸をこそ尊ぶべし、とね。

 もう学問は十分だろう?

 これからは貴族の本分である武芸に専念しなさい。そう、まずは馬術からね」  

 
シャルルなら容易いだろ、そう気軽に言われたオレは目の前が暗くなるような思いだった。


さすがのオレも前世で未経験のものに対しては一般人と変わらない。

まして馬術は技術だ。

初心者がこなせるものではない。

それを何を勘違いしたのかあのくそ親父は二ヶ月後にお披露目会まで予定してるらしい。

いくらなんでも無理だ、オレはそう怒鳴りつけそうだった。

しかし、オレは父の言葉に頷くほかなかった。

この時代には子供の権利など概念すら存在しない。

子供とは親の所有物。

子にとって父の命令は絶対、それが常識なのだ。

それはもちろんオレにも適用される。

残念ながらオレには父の期待に応える義務があったのだ。

だが、ここで一つ問題があった。

当り前のことだがオレの練習風景は相当ひどいものとならざるをえないだろう。

誰でも初心者のうちは無様なものだ。

別に卑下されることでもないのだが、オレに関しては事情が異なる。

世間とは実にやっかいなもので普段出来るやつが失敗すると容赦なく扱き下ろす。

それは今も昔も変わらない世の常というものだ。

ましてやその姿を見たのが無様をさらした人物を嫌う連中だったら……。

結果は押して知るべし、だ。

いや、たとえ噂になっただけでもマズイ。

オレは「頭でっかち」のレッテルを貼られる共にその評価をぐっと落とすことになり、以前の評価を取り戻すには数年かかるだろう。

そのような事態を防ぐためにも内密に訓練する必要があった。




そういった事情でオレは早朝、口の堅い少数の護衛を供にコッソリと郊外に練習に来たはずだった。

しかし現実はいつも人の意表をついてくる。


「ぶわーはっはっはっは。なんだ、その無様な乗り方は?オレを笑い死にさせる気か!?ひ――ひっひっひっひ」


(なんでオレは見知らぬ爺さんに指さして笑われてるんだ?くそ、護衛はどうした!?)


誰も知らないはずの訓練場でオレは見知らぬ老人にこれでもか、と笑われていた。

オレに対する暗殺の試みは現在も続いている。

それを警戒して腕利きを揃えたはずだったのだ。

あり得ない筈の事態。

焦燥と不審、わずかな恐怖が入り混じるオレの視線を老人は手を振りつつ制した。


「あぁ、護衛ならそこらで寝てるぜ。なんだ、そう驚くなよ。顔見りゃ考えてることくらいわかるさ」


思考を読まれた動揺を悟られたオレは努めて平静を装いつつ相手に尋ねた。

なにわともあれこの老人は不審者なのだ。

威厳をもってその真意を問いただす、オレはそう教育されてきた。


「何が目的だ?私の命か?」


オレがそう問うと老人は不機嫌そうに顔をしかめた。

そうするとただでさえ醜い顔はますます醜くなり、伝説のトロールさながらである。

しかしその返答はその容姿からは想像もできないものだった。


「ガキを襲うのは騎士のやることじゃねぇ」


予想だにしない意外な言葉、騎士という単語が老人の口から出て初めてオレはこの奇怪な人物に興味を覚えた。

猪のような体型に醜い顔。

髪も髭も伸ばし放題で一見すると浮浪者にしか見えないが、何かがひっかかる。


「そんなに笑うんだ。貴公は余程の馬術の達人なのだろう。是非ともご教授願えないだろうか?」


オレは老人を試すような言葉と共に老人をねめつけた。

内心では無理だろう、そう考えながら。

目の前の老人はどう見ても馬術に優れているように見えない。

足が短すぎて騎乗できるかどうかすら疑問なのだ。


「ガキが貴公なんてちゃらちゃらした言葉を使うんじゃねぇ! まぁいい。どれ、馬を貸してみな」


そう言うと老人は荒っぽく手綱を受け取り、熟練の動きで騎乗した。

正直驚いた。老人の機敏な動きに対してではない。

騎乗した老人の印象の変化に、だ。

先程までの醜い惨めな老人は消え、そこには一人の武人が居た。

全身から溢れ出る覇気は老いを払拭し、その存在を何倍にも巨大なものに見せる。

そして、髪から覗く鋭い眼には確かな知性と何者にも屈しない「力」があった。

朝日を背に立つ馬上の老人の姿を見てオレは直感した。

これ男こそは英雄である、と。

この男の持つ「力」こそがオレの求めるものだ、と。

オレは無意識のうちにこの老人を敬い、頭を垂れていた。


「名前を…。御身の名前を伺いたい」


オレの言葉に老人は万の軍勢を統括する大将軍のような口振りで答える。

その口調はこの上なくこの老人に似合っており、実に堂に入っている。

そう、まるで何十年もそうして生きてきたように。


「ふん、オレの名か? そうだな…オレのことはUne personne morte(死人)とでも呼びな」


それがオレの人生の師モルト老との出会いだった。





[8422] 王族
Name: サザエ◆d857c520 ID:d71e2d66
Date: 2009/10/25 20:47
あの出会いからオレは密かにモルト老の下に通い、様々な教えを請うことを日課としている。

モルト老の教えはときに馬術や剣術などの武芸、ときに戦術や政治などの知識と実に多岐にわたっていた。

そしてそのどれもが彼の長い人生経験に裏打ちされた実戦的で即物的なものだった。

彼の教えを受ければ受けるほどオレの思考は新風に吹かれたように蒙を啓かされる
のだった。

そうして過ごすうちにオレはモルト老を尊敬を込めて老師と呼ぶようになっていた。

しかしモルト老の方では小僧、あるいはお前としか呼んでくれずたまにしか名前を呼ばない。

それがまるで未熟と言われているようでたまらなく悔しく、認められたい一心でオレは彼に意見し続けた。

そして怒鳴られつつも更なる教えを受けるのだった。



彼の教えはどれも厳しいものであったが馬術に関しては一際厳しかった。

というのもオレが習っていた馬術とモルト老の教える馬術とではその根本が全く異なっており、それを矯正する必要があったからだ。

今までオレに指導をしていた騎士は馬をコントロールする術を教え込んだ。

つまり鞭や手綱などを駆使して人が馬を支配する術、それが馬術であると。

確かに馬を大切にすることも教わった。

しかし、それは武具を大切にするのと同じく自分の身を守る道具である馬を大切にしろという意味にすぎなかった。

この教えをモルト老はひどく気に入らなかったようだった。

それはオレが今まで教わった内容を伝えたときに5分に亘って盛大についた悪態や、その教えを全て忘れるようにという厳しい口調に表れていた。

さて、一方のモルト老の教えはというと全くの反対であった。

老師の馬術の極意はに馬に身を委ねる、ということにつきた。

馬は武具とは違い共に戦場を駆ける友である。

乗り手は大まかな意思を伝えるのみでよい、それが老師にとっての馬術だった。


「いいか、お前を指導した騎士は確かに優秀かもしれない。

 だが、そいつのやり方ではいつか命を落とす。何もかも自分でやっているんだからな」


そう、騎士を批判するとモルト老は馬に身を委ねる利点を説いた。


「そもそも馬は走ることに特化した生き物だ。

 こと走りにおいてその能力は人の及ぶものじゃねぇ。

 それが戦場において統制を乱すのは臆病な性質もあるが、乗り手の指示通りに走ることしか教えてねぇからだ。

 馬に戦場の走りを教え込む。

 そうすりゃあ、あとは馬に任せた方がずっとうまくいく」


「それにそいつの教えだと戦場で馬の動きにも気を配る必要がある。

 そいつはいけねぇ。

 武器を振るい、相手の剣を捌くだけでも忙しいんだ。

 任せられることは任せなきゃ死ぬことになるぜ」


そう言って最後に老師はこう強調した。


「何より獣には人とは比べ物にならない鋭い勘がある。

 そいつのやり方じゃ馬に乗っても足の速い人間にしかなれねぇ。

 心を通じ合わせた馬ってのは人にないその勘を補ってくれるんだ。

 戦場ではその勘ってやつが意外と重要だったりする。

 現にオレは何度もそれに救われててきた。

 いいか、馬を信じろ。そうすりゃあ馬もこっちを信じてくれる」



この様にオレに武芸を教える一方で老師は繰り返し王族というものについて叩き込んだ。

ともすると武芸よりも熱心に、そしてどの教えよりも根気よく。

思えば手が出たことも王族についての授業が一番多かったように思う。



その日も厳しい武術訓練を受け、オレは老師の老人とは思えぬ力で吹き飛ばされた。


「小僧、騎士道とはなんだと思う?」


一方的に打ちのめされて倒れこんだオレに問いを投げかける、それが武術訓練終了の合図だった。


「邪まな者の悪意を砕き正義を守るために剣を使うこと、そう教わりました。
 
 守るべきは教会であり弱者である、とも」


オレは這いつばった状態でよどみなく、しかし教科書通りの答えを返した。

それが騎士の在り方であると教え込まれていたからだ。


「だから、お前はアホなんだ!教本の答えなんざ聞いてねぇっていつも言ってんだろ!!」


怒鳴りながらモルト老は拳を振り下ろす。

手加減を知らないのかまたしてもオレは吹き飛ばされた。

誰にも殴られたことがなかったのに彼と出会ってからは殴られない日がない。

率直に言って彼の口の悪さと手の速さは異常だった。

前世含めてここまで短気な人物はいない。

オレの年齢を考えると幼児虐待も甚だしかった。

オレは痛みに呻いた後、憤然と言い返した。


「教本にのるということは広く信じられているということ。現実的かどうかはともかく、一理はあるはずです」


そして、どうだと睨みつける。

しかしオレの反論をいつもモルト老は鼻で笑って切り替えすのだった。


「教本なんてのは小奇麗なことしか書いてねぇんだ! だからお前は頭でっかち、てんだよ。現実ってのはもっと泥臭いもんなんだ」


現代人的マニュアル思考に縛られたオレは彼の言葉が年寄りの説教に思えてならなかった。

年寄りが現実うんぬんを語ると若者はことさらに苛立つ。

オレは反発心から挑むように更に反論した。


「しかし、人はある程度皆が信じるものに妥協し、従うべきです。でなくば、集団は成り立たない」


オレの答えはどこまでも現代人の考え方に基づいていた。

憲法が絶対でその内容に疑問なんて抱かない。

オレにとって規範とはまだ与えられるものに過ぎなかったのだ。

モルト老はそれを察したのか口調を諭すような穏やかなものに変えた。


「小僧、お前の名を言ってみろ?」


「……シャルル・ド・ヴァロワです。それが今の質問と何の関係があるんですか?」


オレがそう訝しげに答えた瞬間モルト老は怒声を発した。


「違う!お前はフランス王族のシャルル・ド・ヴァロワだ。凡百の貴族とは基準が違うんだ!

 王族はな、人から規範を与えられる存在じゃねぇ。規範を作り、それを人に課すんだ!そこんところを間違えるな!!」


あまりの覇気に体が震えてくる。

しかし、モルト老はそんなオレに覆いかぶさるようにしてさらに怒鳴りつけた。


「騎士道にしたってそうだ。貴族の騎士道と王族の騎士道は根本が同じでも大きく異なるんだ。

 そもそもお前、教会が守るべき存在だなんて大間違いだ!

 王族と教会の奴らとはこの数世紀の間ヨーロッパの権威の頂点を争ってんだぞ。

 その王族の一員であるお前が教会の坊主共に都合のいいように弄られた騎士道なんて信じるんじゃねぇ!」


オレは老人の威圧に耐えきれなくなって叫ぶように教えを請うた。


「では、私は何を信じればいいんです!?何を規範に生きればいいんですか?」


するとモルト老は大きく息を吸い、たっぷり間をとったあと厳かに告げた。

その声は彼の醜い容貌に反して託宣を告げる賢者のモノのようでオレの心奥深くにしみこんでくる。


「お前が正しいと思う信念、正しいと思う行動がお前の規範だ。

 それを正しいと大衆に認めさせるのだ。己の武力で、権力でな。

 それが王族の、つまりお前の務めだ。
 
 一般的な倫理、慣習を気にするな。良き君主と聖人とは両立しない。

 他人の評価もいちいち気にするな。王族の評価とはその行動の結果が全てだ。過程は問題ではない。

 名誉を守ることにも拘ることはない。お前が結果を出したとき、それは自ずとついてくる」


オレは何かに打たれたかのように震えながらその言葉を心に刻んだ。

と、同時にこの一人の英雄の騎士道とはどんなものかが気になって彼に尋ねた。


「モルト老にとっての騎士道はどのようなものなんですか?」


彼はオレの質問に虚を突かれたような表情をした後、何かを懐かしむような顔をした。

そして胸をよぎった何かをかみ締めるように答える。

その声には限りない親しみと誇り、僅かの悔恨がにじんでいた。


「貫くことだ。自身がたてた誓い。仕えた君主への忠義を、な。まぁいつも守れたわけじゃねぇが……」


そう苦笑しながらモルト老はオレの髪を荒っぽくかきまわした。


「いい君主になれ。ありとあらゆる手段で目的を成し遂げろ。お前にはその素質がある」


こうして日々モルト老の薫陶を受けたオレは現代人の自分を中世の王族として作り変えていった。

しかし、それはオレの長所である現代人的思考を失わせるものではなかった。

モルト老は熟練の芸術家がするように繊細にそしてときに大胆に長所はそのままに短所である庶民的、楽観的思考を矯正したのだ。

オレは武人として、政治家として、なにより人間として確実に成長していた。

良き母に良き師、オレの幼少期においてこの時期が最も幸せだったといえよう。

しかし、幸福は長くは続かなかった。

1400年、オレが6歳のとき事件が起こったからだ。

オレの日常は音をたてて崩れ去った。











今回の話はマキャヴェッリの君主論を独自解釈していますが、wikiの知識のため実際に読んでません(汗)

ですので、解釈が間違っていたりしてもお許しください<(_ _)>

では今後とも執筆頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします



[8422] 外伝1.シャルル危機一髪
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/05/04 21:06

(シャルル3歳)

思えば朝起きた時からおかしかったのだ。

頭が重く、常に倦怠感が付きまとって何をするにも億劫だった。

前世なら体温計で熱を測り自分の状態を把握したところだが……、ない物ねだりをしても仕方がない。

それに、少々体調が悪くても勉学を休むわけにはいかない。

スケジュールが狂うし、なにより家庭教師は既に屋敷に着いて自分を待っているのだ。

庶民的感覚が抜けきらないので来てもらう、という状況だけでも引け目を感じてしまうのに追い返すなんてできるわけがない。

既に十分も遅刻している。急がなくちゃ……。

そう思って走り出そうとした瞬間、今までにない強烈な目眩が襲ってきた。

周囲の景色がピカソの絵のように歪み、オレはいつのまにか床にキスをしていた。

転生人生で初の風邪だった。



「シャルル、大丈夫ですか? シャルル?」


母の鈴の音のような声で目が覚めた。

頭はボウッとして体全体が熱っぽい。完全に風邪の症状だ。


「シャルル気が付きましたか? 先生をお呼びしましたからね」


先生?……今まで見たことがなかったが医者がいるのか?なんにせよありがたい。


「あ、先生。シャルルが熱を……。宜しくお願いします」


「ご安心ください、公爵夫人。」


どうやら来たようだ。

オレはどんな人物か確認しようと霞む視界を先生の方へ向けた。


「おお。シャルル様。お初に御目にかかります。ロウラと申します」


神父?……何で?

そこにいたのはいかにも金のかかった衣装を身にまとった初老の神父だった。

体はでっぷりと肥え、甲高い声が頭に響く。


「御安心ください。私が全てお世話いたします。さぁ、始めましょう」


そう言うと神父は何を思ったのか説教を始めた。


「そもそも神の愛というのは…」


やばい、こいつ愛から始めやがった。絶対長くなる! ていうか、オレは風邪なんだ。

病んでるのは体であって精神じゃない!


「ロウラ殿。私は病なのですが、神の愛と関わりがあるのでしょうか?」


オレは遠まわしに立ち去るように要求した。

しかし、神父は満面の笑みで頬肉を揺らしながら答えた。


「勿論でございます。病とは体内に悪魔が入り込み、誘惑せんとしている状態であります。
 
 快癒するにはあなた様がより深く神の愛を理解し、誘惑に打ち勝つ必要があるのです。

 私はその手助けをするまでのこと。さぁ、続けましょう」


ダメだこいつ、早く何とかしないとorz


「ロウラ殿、お話はわかりました。しかし、悪魔が誘惑しているというのならば私は自力でこれに打ち勝ちたく存じます。

 これは神が私に与えたもうた試練。神の使いたるあなたの手助けがあっては私は神への愛を証明できません」


どうだ、この屁理屈は!?

神父を見ると何やらプルプル震えている。ヤバい、怒らせたか?


「素晴らしい心がけです。このロウラ、殿下を見くびっておりました。

 その年でそこまで深く神の御心を理解していようとは……。感動しました!! 」


感極まった神父は甲高い声で叫び、オレを抱きしめて去って行った。

潰れるかと思ったぞ、くそ神父め!! あぁ、やばい、熱が上がってきた。


「母上、母上。医者をお呼びください。お願いします」


オレは神父の退室と同時に部屋に入ってきた母に頼んだ。

しかし、母は訝しげな顔をしている。何でだ……?


「シャルル、医者なぞ呼んでどうするのです?」


どうするって、治療してもらうに決まってるじゃないか。

しかし、母にはそれがわからないらしく聞き分けのない子に対応するかのように接してくる。

オレは努めて冷静に繰り返し母を説得した。


「そこまで言うのなら呼んできますが……。少々お待ちなさい」


二十分程して、ドアが控えめにノックされた。

ああ、これで楽になる!! オレは入室を許可し、医者を見た。





……そこには熊のような大男がいた。腕は太く、何故か斧を持ってる。

白いエプロンを着けてはいるものの、それには血が飛び散り殺人鬼の衣装のようだ。

そして、極めつけはその匂いだ。全身から明らかに腐臭を発している。

オレは恐怖から思わず立ち上がって叫んだ。


「貴様、何の真似だ?何をしに来た!?」


男は斧の柄でこめかみをかきながら戸惑うように答えた。


「何って、医者でごぜぇますが。お呼びになっていると伺ったんですがね……」


こ、これが医者?馬鹿な!!


「くっ、もういい。出て行ってくれ!!」


オレは薄れいく意識のなかでなんとか退室を促し、ベッドに倒れこんだ。

そして、一つの決意をした。


もはや勉学は二の次だ。医者の実態調査と可能な範囲での改善、これをしなくては今後のオレの命が危ない。

しかし、今はこの極限まで悪化させられた風邪が問題だった……。。



[8422] 追放
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/06/07 03:43
その知らせは昼過ぎに訪れた。

初めオレは伝令役の男の言葉が理解できず呆然とした。

それ程オレにとってその知らせは青天の霹靂だったのだ。

次に襲ってきたのは激しい恐怖。

しかしその恐怖はすぐに込み上げてきたいまだかつてない怒りに取って代わり、オレは伝令役を詰問した。


「どういうことだ?……もう一度、言ってみろ」


唇を噛み締め、搾り出すように発したオレの問いに目の前の男は震えながら伝令を繰り返した。


「お、オルレアン公爵夫人ヴァランティーヌ様、宮中を騒せし疑いこれあり。

 王妃イザボー・ド・バヴィエール様はこれに激怒、公爵夫人はパリから追放……」


オレは男の言葉を最後まで聞くことなく部屋を飛び出した。

あまりの怒りに目の前が真っ赤になるようだった。

事の次第を父に確認しなくてはならない。


「父上、一体どういうことですか?」


部屋の扉を開けると同時にオレは父を問いただした。

しかし、感情的なオレとは対照的に父はやけに落ち着いている。

それどころかまるでオレを宥めるような口調で話し始めた。


「シャルル、冷静になりなさい。お前の母は王室への反逆を企てたのだ。

 私も非常に驚いているがこれは事実だ。

 未遂とはいえ謀反は謀反。

 王の弟であり第一の側近である私の妻としてあってはならない大罪を犯したのだ。

 本来ならば厳罰を与えられてもおかしくないだろう。

 だが、王妃様は慈悲深いお方だ。

 パリを追放し二度と帰らぬのであればそれ以上咎めぬ、との仰せだ」


ありえない! 何かの間違いだ!! オレはそう叫びたいのを堪えて重要なことを問うた。

そう、当人の自白である。


「母は、なんと?」
 

あの優しい母がそのようなことをする筈がない。

オレはそう信じていたが、それ以上に母に出来る筈がないと感じていた。

母は信じられないほど純粋で世間慣れしていないのだ。


「本人は認めておらぬらしい」


やっぱり誤解だ!!勢い込んでオレは父を説得にかかる。


「父上、これはなにかの間違いです。再度の調査を要求し……」


しかし父はオレの言葉にかぶせる様にして更に言葉を続ける。

それはオレが父に望んだ言葉とは全く違うものだった。


「確たる証拠があってのこと、だ。

 もはや苦し紛れに言い逃れているにすぎまい。

 お前も王妃様の格別のお計らいに感謝し差し出た真似をいたすな。

 これは王の決定なのだ!!」  


(馬鹿な、貴族にとって名誉は命より重い。その名誉をズタズタにされて感謝せよ、など看過できるものか!!だいたい父上はなぜ納得できる!?)


疑問に感じたオレの脳裏に恐ろしい予想がよぎる。

普通であるならありえない。それ以上に信じたくない。

しかしこの世にありえないことはないのだ。

そう、あの噂が真実だったなら?

うろ覚えの知識であったこの時代の歴史。

その知識の中にはオレの父親に関する醜聞もあった。

しかし、オレはそれを後世の下世話な創作であると切り捨てていた。

夫婦の仲も良いようであったし、何より子として事実であればあまりに悲しくまた母が哀れだったからだ。

自分の迂闊さ加減に頭にくる。

この事を問いただせば確実に父の不興を買うだろう。

しかし、言わずには居られなかった。


「王がご病気の今、父上は王妃様のご信頼が格別に厚いと聞き及んでいます。

 特に最近は二人で頻繁に面会し、何やら重要な国事を相談されていると専らの噂でございますが……」


穏やかだった父の表情が一瞬、無表情に変わる。

思いがけず自身の秘密を突かれたことによる防衛反応であった。

それは一瞬のことで父はすぐにいつもの貼り付けたような笑みを浮かべる。

オレはその表情の変化から噂が真実であると確信し始めていた。


「何が言いたいんだい?」


相手を激昂させないように慎重に、しかし確実に煽るような言葉を選ぶ。


「いえ、王妃様に並々ならぬ信頼を寄せられ常にそばに侍っている父上ならば母の動きにも気付けたのではと疑問に思ったまででございます」


言外に知っていて止めなかったのでは、というオレの不審を匂わせる。

だが母の謀反が冤罪であった場合、オレの言葉は父に違った意味で聞こえたはずだ。

あんたも母に無実の罪をきせる片棒を担いだんだろう、と。

父はしばらくの間表情を動かすことなく黙りこんだ後、不自然なまでに穏やかな口調で話した。


「そのことに関しては父の不徳の致すところだ。

 しかし、それ以上にあれになかなかの才があったということだろう。

 夫である私にすら密事を隠しきれる程の才がな」


オレはそのときの父の些細な仕草を見逃さなかった。

父の組んだ腕はわずかに、しかし明らかに力が込められ眼は微かにその憤怒を示していた。

飼い犬に手を噛まれた、そう言わんばかりに。

これで決定的だ。


「なるほど、納得いたしました。

 礼を失したことをお許しください。では、失礼します」


オレは完璧な礼をした後、退室した。

廊下を歩くオレの頭の中では次々と情報が組み合わされ、事件の全容が明らかになっていく。

やはり母は無実なのだ。

追放の理由は王妃に疎まれたからという点につきるだろう。

王妃は母がオルレアン公爵夫人である、ということが気にくわなかったのだ。

父と王妃は不倫の関係にある!

王が政務を執れない現在の王宮は王妃を中心に回っている。

父は王妃の嫉妬からその寵愛を失い、今の地位を危うくする事を恐れたのだろう。

恐らく陰謀にも積極的に加担し、王妃への忠誠と愛情をアピールしたはずだ。


「下衆共が……」


今回の件でオレの心から「父親」という存在は消えた。

そもそもオレはオルレアン公ルイという人物が嫌いであった。

確かに父は端正な顔立ちに素晴らしい体躯の持ち主だ。

それに洒落物として宮廷でも有名であり婦人達の憧れの的である。

地位も権力もあり容姿も優れる、世間ではそれを誇れる父親というのだろう。

しかしオレは父のオレに向ける視線が気に食わなかった。

まるで自身を飾る勲章の一つを見るような、あるいは所有する宝石を愛でるようなその視線が。

母が無条件の愛情を注いでくれただけにその視線に対するオレの嫌悪は強かった。

生んでくれたことに感謝はしている。だから今まで従ってもきた。

しかし、今回の件は我慢できない。

オレは母の名誉は回復させたい。

今やこの世界でオレが愛するのは母だけなのだから。

しかし、今のオレにはそのための力がなかった。

オレはまだ次期オルレアン公爵に過ぎず、それさえも父の胸先三寸次第なのだ。

こういうときに頼りになるのは一人しかいない。

オレはモルト老の下へ急いだ。






[8422] ブルゴーニュの陰謀
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/06/07 03:43
ブルゴーニュ公国首都ディジョン。

そこはフランスで最も栄える都市の一つであると同時に国内屈指の大貴族の本拠地であった。

豪胆公フィリップ、彼こそ現王の叔父にあたりフランスを二分する勢力の旗頭となっている男だ。

当年とって58歳。

常に柔和で温厚そうな表情を浮かべているところは好々爺ぜんとしている。

一方で黒々とした髪、張りのある肌は彼が若さを保ち続けていることも示していた。

若さと老いの絶妙が絶妙に混じり合いそれが余人と隔絶する威厳を作り出す、彼はそんな人物であった。

また、非常に逞しい体躯の持ち主であり、豪胆公と畏怖されるようにあらゆる戦場での活躍した武人でもある。

それは約半世紀前、イングランドに大敗を喫したポワティエの戦いで最後まで王の傍に侍り奮戦したという逸話があるほどだった。

若かりし頃勇猛さで知られたその気質は年齢を重ねることで丸みを帯び、老獪さをも備えた。

現在の彼は狐の如き奸智と獅子の心でもってその威光を国内外に轟かす当代屈指の傑物である。

フランス東部からドイツ西部に及び、オランダ、ベルギーにも及ぶ広大な領地。

さらに経済・文化の中心であるフランドルも有する財力。

フィリップ公はまぎれもなくフランス貴族筆頭であった。

しかし、彼の領地は当初、ブリュゴーニュのみしかなかった。

そんな彼に訪れた転機は兄シャルル5世の結婚政策であった。

この時代の婚姻は領地拡大や関係強化のための重要な手段である。

智謀で知られたシャルル5世はこの政策によって親イングランドのフランドル伯を味方につけるべくフィリップに白羽の矢をたてたのだ。

結婚によって彼の領土を大きく拡大した。

これに学んだフィリップ公はその後も周囲と巧みに婚姻政策を重ねることで一大勢力を築き上げることに成功したのだ。

そんな彼にも悩みがあった。






「ワシはあまりに強大になりすぎた」

自室で己の半生を振り返っていたフィリップ公はそう呟いた。

事実、宮中が二分し互いにいがみ合う事態になった原因の一端は彼にあった。

急速な勢力拡大が周囲との軋轢を生み、彼に対抗しべくオルレアン公は担ぎあげられたのだから。

しかし、この状況は彼の本意ではなかった。

フィリップ公は亡き兄シャルル5世を尊敬していた。

兄の治世中は共に国の柱石を担うことが己の誇りだった。

フィリップ公は国を愛していた。

イングランドによって危機にさらされていたからこそ彼の愛国心は強かった。

そんな彼としては兄の後を継いだ息子達にも自分なりに力を貸し、共に国を守るつもりでいたのだ。


「世の中思い通りにいかぬものよ……」


不本意な対立。

それが栄光に満ちた人生を歩んできた彼が晩年になって抱えた悩みのうちの一つであった。

この世の無常を感じ沈む彼の思考は唐突に破られた。


「父上、失礼いたします」


フィリップ公は入室した人物を一瞥して密かにため息をついた。

彼のもう一つの悩み、それは目の前に立つ己の後継者である無怖公ジャンであった。

三十歳のジャンはまさに今が肉体の全盛期。

頑健な肉体と武人としての資質を父から十分に受け継いだジャンは強力無比な突撃を得意としていた。

しかし若かりし頃のフィリップ公がそうであったように武断に走る節があった。

更に思慮に欠けて迂闊な行動をとることがしばしばあり、、それがフィリップ公の悩みの種だった。

ジャンのあだ名である無怖も勇気を称えるというよりその軽率さを揶揄してつけられたのだ。

また、性格に関してもどこか陰湿で相手を陥れる陰謀を好む。

そのこともフィリップ公が息子を忌避する理由の一つであり、彼と相対して不機嫌になる一因であった。


「……何の用だ?」

「父上、お喜びください! オルレアン公爵夫人が反逆罪の咎で追放されました」


気だるげに問う父に対してジャンは満面の笑みでそう答えた。

事実彼はそのことを心の底から喜んでおり、そのことが分かるだけにフィリップ公は一層気分を害した。


「それで……?」

「はい、このことでオルレアン公を攻める大義名分ができました。これを機に奴めを一気に倒すことが可能です。

 それが無理でも奴の息子に嫌疑をかけることも可能でしょう。さらに…」


なんとか甥と和解したい彼の意思とは裏腹にジャンは父親の苦悩を一切理解していなかった。

そればかりか自身の従兄を仇敵とみなし、常に何かしらの陰謀画策している。

現に今もオルレアン公を追いつめる方策を熱弁していた。

フィリップ公は内心苦々しく思いながらも息子を諌めるべく言葉を発した。


「それで、甥を倒してどうしようというのだ?」

「は?」


ジャンは父親の発した甥が誰を指すのか一瞬わからぬようだった。

彼にとってオルレアン公は親戚などではなく権力を争う政敵に過ぎなかったからだった。

フィリップ公はそれを察し改めて問い直した。


「オルレアン公を失脚させて何がしたいのだ、と聞いているのだ」


ジャンは父の思いもよらぬ質問に戸惑ったようだったがすぐに己の野望を答えた。


「それは、更なる領地の拡大です! 奴を排除すれば我が公国の権威は間違いなく高まります!! そこで…」

 
(またこれだ! )


息子の考えを聞くたびにフィリップ公は頭を抱えたくなる。

常にフランス王国の行く末を案じるフィリップ公に対してジャンはブルゴーニュ公領をのことのみしか考えない。

彼は公国を独立した国と考えており、王国の行く末など歯牙にもかけていないのだ。

まして自分たちのの権威拡大がイングランドに付け入る隙を与えかねないことなど考慮すらしていなかった。

いや、下手をしたら己の利益のためにイングランドと手を結びかねない。

ジャンにはそういった危うさがあった。

フィリップ公は痛む頭を押さえながら息子の言葉を遮った。

ジャンの演説は留まるところを知らず、既に空想の領域にまで達している。

強引にでも行動を制限した方がよさそうだった。


「もういい、ジャン。此度の件には干渉せんことにした。オルレアン公にも手を出すな。わかったら部屋を出て行け」


驚いたジャンが何か言い募ろうとしているが聞く気はなかった。


「出て行けと言っているのだ!!」


渋々出ていく息子を見ながらこれで軽はずみな真似はしないだろうとフィリップ公は思っていた。

彼は息子を過小評価するあまりその短所が長所にもなり得ることを見落としていたのだ。

ジャン無怖公の持ち味、それはその決断力と行動力だった。
















部屋から追い出されたジャンはいい加減父の態度に嫌気がさしていた。

そもそもジャンとフィリップ公では視点が違うから意見が噛み合うはずがない。

フィリップ公はフランス王族の視点から国全体のことを考えている。

しかし、ジャンにとってフランスは既に瓦解した王国だった。

狂人を王に据えている時点で国として機能していない以上、イングランドによって征服されるのは時間の問題である。

そうなるとどちらと手を結ぶべきかは自明の理だった。

彼にとって優先すべきはブルゴーニュ公国の利益のみなのだ。

だから国を思う父の深謀遠慮は彼には優柔不断と映ったし、慎重な姿勢は弱腰に見えた。

確かに父は優秀だがもう年だ、それがジャンの意見だった。

しかしフィリップ公の権力は絶対的である。

ジャンもまたシャルルがそうであるように父に逆らうことは許されないのだ。

ただ決定的に違うこともある。

それはジャンは既に成人であり独自の部下を持っていることだった。

この絶好の好機を見過ごすことなどジャンからすればありえないのだ。


「確か、奴の息子はなかなかの評判だったな……」


息子に手を出すな、とは言われていない。

ジャンの頭の中では既に計画の成就と悲嘆にくれるオルレアン公の姿が見えていた。

熱烈な愛国者が反逆の徒の子を襲った、そんなどこにでもありそうな話だ。

計画の成功を確信して思わず笑みがこぼれる。

その表情はゾッとするほど冷たく、まるで蛇のようだった。

筋書きはでき、あとは実行するのみ。

常に即断即決のジャンが計画を指示したのはシャルルが知らせを受ける5日前であった。






[8422] 初めての諸々
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/06/07 03:44
オレは馬を使いつぶす勢いで鞭を振るっていた。

頭の中では母との思い出が泡のように次々と浮かんでは消える。

愛する人を守れない無力感がオレを襲っていた。

まだ間に合うかもしれない、後悔と諦念に押しつぶされそうな自分を叱咤してさらに馬を急がせる。

ぐちゃぐちゃに乱れたオレの心はモルト老というかすかな希望にのみ支えられていた。






修行場にはいつものように酒を飲んでいるモルト老がいた。

こちらに気づいた彼は使いつぶされた馬を見て血相を変えて近寄ってくる。


「バカ野郎!! 馬を大事にしねぇ奴は最低だとあれほど……」

「母がはめられました」


簡潔にして明快なオレの言葉と切羽詰まった態度はモルト老の怒りを覚ますのに十分だった。

彼は倒れこんだ馬に手を伸ばしながら静かに問いかける。


「詳しく聞かせろ」


オレは事情の全てと自分の思いの丈を話した。

父の裏切りと王妃の悪徳、そしてそれがいかに卑劣な所業かを。

自分がどれ程に母を愛し、助けたいかを。

オレは全てを話し終え、モルト老をすがるような目で見た。

この偉大な老人にも不可能ならもはや誰にも母を助けることは叶わない。

オレにとってモルト老はまさしく最後の希望だった。

彼はしばらく考え込んだ後、難しい顔つきで話し始めた。


「母の名誉を回復することは不可能ではない。が、時間がかかる……」


それではダメだった。オレは今、母の名誉を回復したいのだ。


「私は母がいわれなき罪に貶められることなど我慢なりません。
 
 母もまたそれに耐えられないでしょう。

 一刻も早く母の名誉を回復する方策はないでしょうか」


オレの口調はは懇願するような調子だった。

それが可能ならば何を差し出してもかまわない。

しかしオレの願いはモルト老の言葉によって退けられた。


「今すぐは無理だ」


モルト老の答えは予想していたものだった。

そう、魔法でも使わない限り不可能なことはわかっていた。

それでも諦めきれず更に言い募ろうとするオレをモルト老は手で制する。


「まぁ、聞け。お前の母はパリ追放になったにすぎん。

 貴族はまず離縁はできないから恐らくオルレアン公領の適当などこかに住むことになるはずだ。

 これはまず間違いあるまい。

お前は母の心が傷つくことを防ぎたいのだな?」


オレは勢いよく頷いた。

それこそがオレの望みだ。


「ならば話は簡単だ。母を説き伏せてしばらくの間ミラノに行けばいい。

 口さがない連中にとやかく言われるだろうがそんな連中は無視して強行しろ。

 奴らはお前が権力を握れば手のひらを返す。

 そしてミラノだが、あそこはお前の爺さんガレアッツォの本拠地だ。

 その支配力は絶対的だから少なくとも表だって非難されることはないだろう。

 それに故郷でならどこよりも心穏やかに過ごせるはずだ。」

「しかし、それは逃げであって何の解決にもならないのでは?」

「そこさ。とりあえず母親を安全な場所に移してこっちで色々やればいいんだ。

 事の原因は王妃が宮廷内の権力を握っていることにある以上その権威を失墜させれば色々と打つ手は見えてくる。

 それにお前が成長してその影響力を増大させればその母親を悪く言える奴も減ってくるさ。

 とにかくこれからの動き次第でやりようはいくらでも……!?」


顔をしかめたモルト老は瞬時に剣を抜くとオレを突き飛ばし、勢いよく振りぬいた。

そしてすぐに体勢を立て直したオレを怒鳴りつける。


「伏せてろ!!」


見ると次々と飛んでくる矢をモルト老が熟練の剣技で斬り払っていた。

その動きはとても老人のものではなく、あまりの早さに腕がみえない程だった。


「木を盾にして周囲を警戒しておけ!」


彼はそう命じるや否や周囲の自然を巧みに利用して射手に斬りかかって行った。

襲撃者は全部で15人程で中には鎧を着込んだ者もいる。

モルト老は恐ろしい雄たけびを発して真っ先に鎧姿の一人を渾身の力を込めて突き刺した。

彼の一撃はその剣を代償にして厚い鎧を貫き、襲撃者の一人の命を絶ち切る。

モルト老の真の恐ろしさは猪のような風貌から想像できるようにその力にあった。

倒れいく男の背から長大なバスターソードを奪うとそれを射手の集団めがけて投げつる。

回転しながら勢いよく飛んだそれは密集して動きの取れない射手達を巻き込んで彼らの命を刈り取った。

そして混乱した彼らに追い討ちをかけようと猪そのものの勢いでモルト老は突進する。

わずか10秒の早業。その短時間で既に4人の敵が葬られていた。


「す、すごい……」


それはどこか空想じみた光景だった。

モルト老の恐ろしい笑い声が響く中、次々と殺されていく刺客達。

彼らの姿はまるで自分から剣に刺さりに行っているようで、どこか予定調和じみた劇のような感覚すらオレに抱かせた。

初めて見たモルト老の実力はそれ程までに圧倒的だったのだ。

強さとはわかりやすい形で心に訴えてくる。

オレはモルト老の力に魅せられていた。


「!?」


第六感が働いたのか何かを感じたオレは大きく横に飛んだ。

次の瞬間そこに矢が突き刺さる。

慌てて飛んできた方向に目を向けると一人の男が剣を振りかぶって突っ込んでくるのが見えた。

結局、自分の命は自分で守ることになりそうだ。





剣を握りしめながら考える。

相手は大人でこちらは6歳児。

まともに斬りあっては力負けすることは確実だ。

手持ちの武器は二振りのナイフと剣一本。

しかもオレの剣は体格に合わせて少々長い短剣程度しかない。

となるとリーチの差は絶対的だ。

こういう大人と子供の勝負で子供が勝つためには相手が侮ってくれる必要があるが、標的である以上全力で殺しにかかってくるだろう。

さらに武器に毒を塗っている可能性があるために「肉を切らせて骨をたつ」という作戦も使えない。

残された道は……相手の意表をつき、小回りの利く小さな体を最大限に利用するしかない!!

それに相手の武器は刺突剣。

ならば的の小さいこの体は有利に働くはずだった。


オレはそこまで考えたあと相手に向かって剣を大上段に振りかぶって全力で走った。

刺客は一瞬驚いた顔をしたがすぐに表情を引き締め、走りながら剣を構える。

互いの距離が近づく。

その瞬間オレは剣を相手の足もとに向けて投げつけ、自分もスライディングをした。

重荷を捨て去ったことによって動きに緩急をつけたオレはギリギリで突きを避ける。

さらに通り抜けざまに懐からナイフを取り出し、膝裏に突き刺すと同時に全速力で離脱した。



今更ながら冷汗が流れてくる。

まさに薄氷の上を歩くような賭けだった。

成功したのは運以外のなにものでもない。

しかし、まだ安心するには早い。

相手の息の根を止めるまで決して油断するな、モルト老が繰り返し教えたことだ。

オレは懐からもう1つのナイフを取り出すと慎重に相手の背後に回り込み、それを投げた。

そして、それが首筋に刺さったことを確認して初めて大きく息をつく。

向こうからは2人の刺客を捕えて引きずってくるモルト老が見える。

どうやら助かったようだ……。



「おい、誰に頼まれた」


モルト老は捕らえた刺客のうち、より軽傷な方に向かって尋ねた。

当然ながら口を割る気配はない。


「誰に頼まれたかって聞いてんだよ」

「知らんな。我々は単なる雇われだ。さっさと殺せ」

「雇われねぇ……」


モルト老は笑いながらそう呟くとオレの方を向いた。


「知ってるか?戦士には二種類ある。

 兵士タイプと傭兵タイプだ。

 傭兵タイプの剣は戦場で培ったもんだ。

 自由気ままで臨機応変。人の数だけ流派がある。

 一方、兵士タイプはその逆だ。

 兵士ってもんはまず型を習得してそれから実践を積み自分なりの技を身に着けていく。

 だが、根底にあるのは同じだ。見るやつが見れば一発で分かる」


そこまで言って捕虜を殴り飛ばした。


「てめぇの動きからはよく知った型が見えるんだよ!! 」


看破された兵士は顔を青ざめつつもさらに口をつぐむ。


「だんまりか。……ところで何で二人捕まえたと思う?情報を聞き出すには一人で十分なのに」


確かにそれはオレも疑問に感じていた。

その疑問は次のモルト老の言葉で氷解する。


「おい、小僧。これから拷問についてのレクチャーだ。滅多にできるもんじゃんねぇからよく見とけ」


それから2時間、辺り一帯に悲痛な叫びが響き渡り、結局、兵士は口を割った。

しかし、その重要な情報はしばらくオレの耳に届くことはないだろう。

オレはスプラッタすぎる映像によって嘔吐にいそしむことになったからだ。

唯一のケガの功名は初めての殺人の罪悪感を遥かに上回るショックによって麻痺させられたことくらいだった。







母を守る方策でしたが無理やり過ぎだったでしょうか?

母追放に関しては歴史的事実なのですがシャルルとガレアッツォを本格的に

絡ませるために利用させてもらいました。

今回の話は受け入れられない方もいらっしゃると思います。

とりあえずこれからイタリア方面に行く方針なのですがそれに対するご意見が

ありましたらお待ちしております。

では、ご精読感謝します。



[8422] 説得
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/06/07 03:45
あれから30分ほどたったがいまだに吐き気は治まらない。

しかし、いい加減出る物も出尽くし吐くこともできない。

なんとも奇妙な二律背反にオレは苦しめられていた。

そんなオレを死体の後始末を終えたモルト老が容赦なく叱責する。


「情けねぇなぁ、小僧。

 オラ、シャキッとしやがれ!! これから忙しくなるんだ」


そう言って乱暴にオレの背中を叩き活を入れる。

オレもまた精神力を総動員して体を整えた。


「いいか、これまでのことをまとめるぞ」


そのモルト老の言葉に頷き、二人だけの戦略会議が始める。


「暗殺を指示したのは無怖公ジャンのようだ。二人とも同じ名前を吐いたからまず間違いあるまい」


無怖公ジャン。確かブルゴーニュ公の子息のはずだ。

となると懸念すべきことが一つある。


「ブルゴーニュ公は関わっているのでしょうか?」


それ如何によって今後の対応は大きく変わってくる。

公の力は強大だ。もし関与しているならこちらも腹を括らざるを得ない。

しかしモルト老はオレの懸念を一蹴した。


「いや、やっこさんはこういう手は好かなかったはずだ。

 それに世間で言われているほど豪胆公はお前達を敵視していない。

 あれでけっこう一族を重視する奴だからな」


オレは何気なくもたらされた意外な情報に驚き、同時に安堵した。

少なくとも豪胆公は敵ではない、このことを後々になってきっと生きてくるはずだ。


「と、なるとジャン殿の独断専行でしょうか?」

「そんなところだろう。だが、首謀者がジャンってのが厄介だ」

「何故ですか?彼も私と同じく次期継承者の立場である以上その力も知れているのでは?」


オレの意見にモルト老はゆっくりと首を振った。


「成人しているんだ。ある程度の裁量権はある。

 それにジャンとは面識こそないが話には聞いている。

 奴は事がうまくいかないと意地になって執拗に仕掛けるタイプらしい。

 成功すると思っていた計画の場合は特に、な。

 そしてまだ幼いお前ではそれを防ぎきれまい」


ここでもオレの年齢がネックになっている。

この日ほど早く大人になりたいと感じた日はなかった。

しかし、人は現在の力をやりくりして生きる他ない。


「では、どうすればいいのです?」


モルト老はオレの目をジッと見つめる。


「いいか、オレの言うことをよーく聞け」


そう言って言葉を切ったあと、オレに策をさずけた。










翌日、オレは再び父の部屋の前に来ていた。

正直、気は進まない。

しかし、モルト老の策には理があり成功すればオレは助かる。

説得するためのアドバイスももらった。

オレは大きく息を吸ってドアをノックした。


「失礼します。シャルルです」

「……入れ」


つい昨日喧嘩を売ったも同然の相手におもねるなんて妙な気分だった。

(いいか、ガキのお前はどうしたって親の庇護がいる。とりあえず親父を敵にはするな)

モルト老の言葉を思い出し、反発する心を自制する。


「何の用だ?ヴァランティーヌのことなら聞かぬぞ」


父の声音は予想通り冷たいものだった。

当然だろう。オレの行動はこの時代においては埒外のことだったのだから。


「その件に関しては謝罪いたします。

 何分、ただ一人の母のことゆえ取り乱しました。

 全ては私の未熟。駄々をこねるような言動をしてしまい申し訳ありませんでした」


オレの180°違う態度に不審そうな顔をした父は続きを促した。


「もうよい。それで?」


言葉とは裏腹にその目はまだオレを疑っている。

本当に目は口ほどに物を言う人だ……。


「母が追放となったことは悲しいことですが仕方ありません。

 ですが父上、母の追放先についてはいかがお考えですか?」


いかにも母思いの子供らしい質問に気を緩めたのか、父はその表情を柔らかくする。

しかしこれだけでは駄目だ。

オレが自身を飾る最高の装飾であることを改めて父に認識させなければならない。


「そのことならオルレアン公領内のどこかにしようと考えている。そうだな……ブロワ辺りになるだろう」


ドンピシャだ。ここまではモルト老の読み通り。

後はオレの腕次第だ。


「その件ですが、どうでしょう?母を一時的に故郷であるミラノに置くことにいたしませんか?」

「なぜだ?」


オレの言葉がさぞ意外だったのだろう。

訝しげに理由を尋ねる父にオレは精一杯母を案ずる子の気持ちを訴える。


「母も心身共にお疲れでしょうから故郷で静養してもらいたいというのが一点。それに……」


少しの間を置いて徐に口を開く。ここからが本番だ。


「今回の件で祖父であるミラノ公との同盟に齟齬をきたすのは確実です。

 ローマ皇族でもある彼との関係を切ることは些か問題があると思います」


そこまで言ってオレは父の目を見つめその言葉を待った。

これでオレに政治的感覚もあることを示せたはずだ。

腕を組んだまま暫く考え込んでいた父はやがてその言葉を肯定する。


「確かにその通りだ。しかし、私がヴァランティーヌを庇いきれなかった以上それも仕方あるまい」


ここだ。父は明らかにミラノ公との同盟に未練がある。


「私もミラノに行かせてはもらえないでしょうか?

 母をミラノに帰し、父が心から母の身を思っていることをミラノ公に伝えると共に関係修復の一助となりたく思います。

 それにミラノの相続権は私にもあります。

 将来継承する可能性がある以上訪れることに意義はあるはずです」


オレの言葉に父は迷っているようだった。

この提案の肝は父に損がないことにある。

もしもオレがミラノ公に気に入られれば儲けもの、というレベルの話にすぎない。

拒否する理由は少ないはずだ。

しかしまだ弱いか……。

オレはモルト老の指示に従うことにした。

(お前の親父ルイは良くも悪くも凡人だ。妻を利用して陥れたことに多少の引け目を感じている。奴の罪悪感をあおれ) 

これが最後の一手だ。


「付け加えるならば母の追放が知れ渡って以来、私に対する暗殺未遂などの数が増加しています。

 罪状が反逆罪である以上歪んだ正義感に突き動かされた者が母を襲わないとも限りません。

 そうである以上ある程度ほとぼりが冷めるまでは安全な地へ送ることが賢明だと思います」


ジャンに直接的な襲撃をされたことは隠さねばならない。

父がここぞとばかりにそれを追及し両陣営の確執が深まることは想像に難くないからだ。

むっつりと黙りこみ考え込んでいた父はようやく結論をだしたようだ。


「よかろう。

 確かにお前はミラノに行ったことがない。

 いい機会だ。母と供に行ってくるといい。

 その間にこちらでヴァランティーヌに関してのイメージアップはやっておく」


オレは賭けに勝った。

思わずほくそ笑みそうになるのを我慢しながら父に丁重に礼を言って退室する。


「まずは第一段階クリア、か」


これでしばらくは命の危険にさらされることはない。

オレはそのことに安堵しつつモルト老に報告に行くことにした。




こうしてオレは運命の地、ミラノに行くことになる。

その旅にはオレ付き従者の一人としてモルト老も忍び込んでいた。









ちょっとミラノ行きがこじつけっぽかったかと反省しています。

しかし現在の実力ではこれが限界でした……。

楽しんでいただけたら幸いです。

またアドバイスなどがありましたら是非お願いします



[8422] 大都市ミラノ
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/06/07 03:46
初めて見たミラノの繁栄は想像以上だった。

はるか昔ローマ帝国よりもさらに古くから続く街。

幾度もの破壊と再生を経験し、その度に更なる発展を遂げ繁栄し続けてきた街。

ロンバルディア同盟の一角として神聖ローマ皇帝と対立しこれを退けた街。

北部イタリアの雄ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが支配するミラノはそんな街だった。

長きに渡る戦争によって疲弊したフランスと違い、イタリアは地中海貿易によって莫大な富を築いている。

オレの乏しい知識ではその富を原動力としてルネサンスが起こったと記憶している。

ルネサンス。それは中世的キリスト世界からの脱却によって西洋世界の在り様を大きく変えた時代の転換点。

オレはその時代のうねりを今まさに肌で感じていた。


「すごい熱気だな……」


ミラノには異国の商人も多数訪れていた。

彼らの中には確実に異教徒がいる。

しかし、ここではそんなことは些細なことのように誰もかれもが取引に熱中している。

その光景がどこか現代の日本に似ていてオレはふいに泣き出したくなるような郷愁にかられた。


「すごいでしょ? ミラノは?」


母はどこか誇らしげにオレに笑いかけた。

やはり父に見捨てられたことがショックだったのか出立当初の母はどこか元気がなかった。

オレは非常に気をもんだがそれも故郷が近づくにつれて解決した。

影のあった表情は豊かになり声にも張りが出てきた。

そして今ようやく笑顔を見せたのだ。

それは久しぶりに見た作り物ではない母の本当の笑顔だった。






馬車の向かった先には多くの人が待っていた。

その中で一際目立つ大柄の男が両手を広げて歓迎を示す。


「久しいなヴァランティーヌよ。よく来た」


ジャン・ガレアッツォの印象は大きい、という一点に尽きた。

腕も背も顔も体を構成する全ての要素ががっしりと大きく、そして鍛え上げられている。

ただそこにいるだけで周囲に圧力を発するような人物だった。

垂れ目気味の顔は整えられた顎鬚によって威厳に満ちており、全てを征する王者の貫禄を備えている。

カエサルの再来を名乗るだけのことはあった。

ガレアッツォはその大きな体で包み込むように母を抱きしめると優しく声をかけた。


「お前が謀反を起こすような人間ではないこと、ワシが一番よく知っておる。

 かわいいヴァランティーヌよ。もう安心おし。ワシが全てから守ってあげるから」


父親の言葉に糸が切れたように母が泣き崩れる。

母が泣くのを初めて見たオレはいささか驚いた。

やはりまだどこか無理をしていたのだろう。

母は故郷に戻って初めてようやく気を抜くことが出来たのだ。

その光景はオレの選択の正しさを証明するものだった。

暫くの間ガレアッツォは母の背中を撫でていたが不意にオレに対して目を向けた。

その視線は母への好々爺然としたものとは異なりこちらの全てを見透かし、値踏みする君主のものだ。

どうやら後継者候補には考えてもらえているらしい。


「お初にお目にかかります、御爺様。シャルル・ド・ヴァロワにございます」


自己紹介とともに礼をする。

軽く見られるわけにはいかない。


「ふむ……。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティだ」


名を告げると同時に圧力がぐっと増した。

モルト老とはまた異質の押しつぶさんばかりの覇気。

それは支配する多くの者達の命を背負う君主の覇気だった。

試されている!!

そう直感して相手の目をにらみ返す。

気力が秒単位で削られ冷汗がじっとりと背をぬらすが、眼だけはそらさない。

じわじわと時間だけが過ぎる。

そうしてオレが何時間も対峙しているような錯覚を覚え始め、崩れ落ちそうになったところでふっと圧力は消えた。

見上げるとガレアッツォが笑っていた。


「よく来たシャルル。お前もここでは安心して暮らすといい」


とりあえず及第点はもらえたようだ。

大きく息を吸ったオレは第二段階のクリアに安堵した。










夜中ガレアッツォの執務室の窓を叩く音がした。

三回、一回、三回、五回、二回。一定の間隔を開けて窓が鳴る。

ガレアッツォは呟くように次々と言葉を発した。


「Aurelius」

「Ogni istante di tempo è una puntura di spillo dell'eternità」


「Aristotole」

「Le impossibilità probabili saranno preferite a possibilità improbabili.」


「Caesar」

「Il dado è gettato.」


返ってきた言葉が全て正しいことを確認すると窓と鉄格子を開け、旧友を迎える。


「久しいな。今はなんと名乗っとるんだ?」

「Une personne morteだ」


モルト老の返答にガレアッツォは苦笑した。


「相変わらず不吉な名を選ぶ」


二人の出会いは二十年も前にさかのぼる。

二十年前、仕えていた主の死を切っ掛けにモルト老は全てのしがらみを捨てて放浪の旅に出た。

旅は全ヨーロッパから小アジアにも及び、その途中でミラノにも訪れたのだ。

そのときモルト老と若き日のガレアッツォは出会った。

互いに衆に抜きん出る人物、二人は意気投合して年齢を超えた友情を結んだ。

当時、ガレアッツォは父の領土の全てをようやく継承し領土拡大に乗り出そうというとしていた。

そんな彼にとって旅をしてきたモルト老の話は重要な情報を多く含んでいたのだ。

それ以来二人はモルト老が旅人の利点を活かして各地の情報を伝え、ガレアッツォが路銀を融通するというもちつもたれつの関係を築いていた。


「それで、今日はどんな話を持ってきてくれたんだ?」


酒を出しながらガレアッツォは楽しそうに尋ねた。

モルト老の旅は広範囲に及んだので話を聞くだけでも十分に楽しめる。

その中には思いもよらぬ貴重な情報が含まれていることもままあり、その意味でもガレアッツォは楽しみにしているのだ。


「いや、今回は何も無しだ。ここしばらく一つ所に留まってたんでな」


ガレアッツォは意外な言葉に驚いた。

彼と会ってからそんな言葉を聞いたのは初めてだったのだ。


「実に珍しいこともあるものだ。一体なにがお前を引き止めたんだ?」


興味を覚えたガレアッツォはからかう様に尋ねた。


「お前の孫ン所だよ。まぁ弟子ってところだ」


その答えにガレアッツォは驚愕した。

彼が弟子をとったこともそうだが、よりにもよってそれが自分の孫であることに。

そして何より自分の孫が乱暴であるだろう彼の訓練に付き合いきれることにだ。


「ふむ……。アレはどうなんだ?」


モルト老は楽しげに酒をあおった。


「悪くはねぇな。少なくとも覚えはいい方だ。

 これから次第だがそこそこの人物にはなれるはずだ」


予想以上の高評価だ。どうやら相当入れ込んでいるらしい。


「羨ましい奴だ」


そう呟くとガレアッツォもまた酒をあおる。

しばらく無言で飲んでいたが唐突にモルト老が口を開いた。


「近々戦をやるんだろ?」


極秘のはずのことを突かれ、ガレアッツォは溜息をついた。


「どうしてわかった?」

「気配だ。戦を控えた街は独特の気配がするからな」


こともなげに答えられる。

どうやら隠しても無駄のようだ。


「そうだ。今年はシエナを攻めるつもりでいる。凱旋したら次はボローニャだ」


その言葉を聞いたモルト老は身を乗り出して尋ねた。


「手伝ってやろうか?」


意図の読めない申し出に眉をひそめる。


「何が目的だ?」


彼とは長い付き合いであるがこのような提案は初めてだった。

不審気なガレアッツォをよそにモルト老は茶目っ気たっぷりに言葉を続ける。


「な~に、ちょっとした頼みごとを聞いてくれればいい」


ガレアッツォは顎を突き出し先を促した。


「シェナに遠征する間、ちょっことだけオレの弟子に好きなことをやらせて欲しいのよ。

 あとはそうだな……。ボローニャ遠征であいつを同行させるかな。

 戦場の空気を感じるには手頃な戦だろう」


モルト老の提案にガレアッツォは呆気にとられた。

しばらく言葉も出なかったが、呻くように言葉を絞り出す。


「本当に入れ込んでいるのだな……。しかし何故だ?」


モルト老は苦笑しつつ説明した。


「実際のところ修行が手詰まりなんだよ。

 知識に関してはある程度教えたし武術に関してはもうちょい成長しなきゃどうしようもねぇ。

 だから政治のおままごとをさせようかと思ってな。

 あいつもそろそろ今まで詰め込んだことを活かしたいと思う時期だ。

 だが今まで残念ながらその機会がなかった。

 そこでミラノ公であるお前さ。

 どうせしばらくはミラノにいるんだ。

 ある程度の金を与えて色々試させればいい経験になるだろうさ。

 お前の所の行政官はなかなか優秀だから無茶ことは止めてくれるしな」


ガレアッツォは暫らく考え込んでいた。

昼に見た孫の姿、幼いながらも自分の威圧に耐えてみせた以上凡愚ではない。

麒麟児との噂もこいつがここまで肩入れするのならば真実であろう。

6歳児に裁量権を与えるのは躊躇われるが自分の部下ならばそれも御せる。

ガレアッツォの心は決まった。


「よかろう。たったそれだけでお前と長期契約を結べると考えれば安いものだ。

 しかしそれだけの頼みをきくんだ。精一杯こき使わせてもらうからな」


モルト老を最大限に活用すれば征服事業もより進む。

彼の指揮官としての力を考えれば多少の金など安いものだ。

シェナ、ボローニャは落ちたも同然。

そのあとはいよいよ念願のフィレンツェだ。


新たに加わった戦力を計算し戦略を練ることに没頭するガレアッツォを見ながらモルト老も薄く笑った。

彼のたてた計画ではシャルルには敵の多いフランスよりミラノ公国に暫く滞在し、そこで様々な基盤を築いてもらうつもりだった。

確かにオルレアン公領は魅力的だが公爵はまだ若く今回の事件で声望も落ちている。

その点ガレアッツォは年だし何より力があった。

一刻も早く確固たる地位を得なければならないシャルルがどちらで己をアピールした方がいいかは明白だ。

彼の征服に力を貸すのもそれを継承できるならば結果的にシャルルの利益につながる。


(さて、第三段階も終了だ。あとはお前次第だぜ、シャルル )


弟子のために友を利用するモルト老と己の覇権のために友を利用するミラノ公。

二人の関係はどこまでも、もちつもたれつだった。












やっとシャルルに内政をやらせることができそうです。

やはり過去に転生した人物が最大限活躍するのは内政パートでしょうから

早くここまでもってきたくてしょうがありませんでした。

しかし急ぎすぎて展開に無理が生じていないかが心配です……。

ご意見、ご感想をお待ちしています。



[8422] 出会い、そして内政①
Name: サザエ◆d857c520 ID:3f718da1
Date: 2009/06/07 11:44
宴はその人物の力を見せつける役割もあるという。

その観点からするとこの食卓を見るだけでミラノの繁栄ぶり、そしてガレアッツォの力がわかるというものだろう。

地中海を経由して世界中から集められた食材は現代でもなじみ深い物が多い。

それを使った料理はオレとってどこか懐かしいものだった。

現代の食のレベルを知るオレは中世の食生活などあまり満足できるものではない。

そう、彼はミラノに来て初めて美味い飯にありつけたのだ。

思わず夢中になって貪ってしまう。

そうしていると宴の主であるガレアッツォが立ち上がり注目を集めた。


「さて、宴の途中ではあるが皆ににワシの孫を紹介するとしよう。

 ヴァランティーヌの息子、シャルルだ」


名残惜しいが勤めを果たさなくてはならない。

オレは口元を拭い、身なりを整えて立ち上がると可能な限り優雅に一礼した。

第一印象は極めて重要だ。


「そしてシャルル。これがワシの息子たちだ。

 ジョヴァンニとフィリッポ。挨拶せよ」


ガレアッツォの言葉とともに二人の少年が立ちあがる。

こいつらがオレの競争相手か……。

将来敵対するであろうこの兄弟をオレは仔細に観察した。

長男ジョヴァンニ。

年はオレより5歳上の11。そろそろ初陣の話も出るころだ。

容姿はガレアッツォ譲りのがっしりとした体格が早くも目をひく。

顔立ちも悪くはない。

しかしオレはこいつをライバル足りえない、と判断した。

余程母親が甘やかしたのだろう。

その表情には全てを無条件に与えられてきた者特有の傲慢さが張り付いていた。

このまま成長してもおそらく大成はしまい。

オレの目を引いたのは2歳上の二男、フィリッポの方だ。

色白でガリガリの体。

ネズミのような醜い顔。

その容姿にはガレアッツォと似通った部分は全くない。

しかし目が違う。

端正な兄と比べられ続けてきたことから育まれたのであろう。

その目には強烈な意志と自身へのコンプレックス、そして周囲への憎悪が渦巻いていた。

敵に回せば厄介な人物になりそうなのは間違いない。

そう、敵に回せば……だ。

オレは兄弟に近付きわざわざ弟のフィリッポから握手を求めた。


「シャルルだ。宜しく」


わざわざ兄を飛ばして自分に握手を求めるオレに不審を感じたのだろう。

その目が探るような色あいを帯びる。

そして恐る恐る手を差し出してきた。

その反応も悪くない。

その後もオレは盛んにフィリッポに話しかけ、露骨にジョヴァンニとの扱いに差を演出した。

ジョヴァンニの方も見た目ガキのオレに興味はないらしく気にした様子はない。

一方のフィリッポは初めて自分に好意的に接してくるオレに戸惑っているようだった。

しかしその態度も時間がたつにつれ変化する。

いつしかその警戒心はなりを潜めオレの話に熱心に耳を傾け始める。

そして、宴が終わる頃には親を慕うひな鳥のようにオレを信頼するようになっていた。


「また明日も会えるかい?」


そう言って目を輝かせるフィリッポを見てオレは敵が一人減り、味方を得たことを確信した。











宴の翌日、オレはフィリッポを引き連れて酒造業者と面会した。

オレは3年前の恐怖をまだ忘れていない。

この時代の医学は激しく間違っている。

そもそも医者のイメージが「なんだかうさんくさい連中」なのだ。

オレが考える現代医療とは全くの別物と考えていい。

その上、医者は教会に睨まれている。

病や死は教会の管轄であり、信仰を集める手段の一つである。

医者に治されては困るので手を出させない、というわけなのだ。

しかし、自分の命に関わる以上そのような事を気にしてなどいられない。

オレは自前で医師団を組織、教育することにした。

そしてその準備の第一段階としてアルコール消毒に目をつけたのだ。

面会場所に行くと数人の爺さんが深刻そうな顔をして待っていた。

入室したオレに気付いた代表らしき禿頭の爺さんが手揉みしつつ情けない声を出す。


「貴族様、私達に何か落ち度でも御座いましたでしょうか?」


どうやら難癖をつけて処罰されると思い込んでいるようだ。

ミラノでガレアッツォは圧政をひいているため相当恐れられている。

そのとばっちりを受けたらしい。

オレは努めて優しい声で語りかけた。


「いや、実は新しい酒を造って欲しいのだ。もちろん金は払う」


オレの言葉が余程意外だったのか顔を見合せて尋ねてきた。


「どのような酒をご所望で?」

「度数の高い酒が欲しい。そうだな……70度といったところだ。できるな?」


たしか消毒用アルコールの度数がその程度だったはずだ。


「造れと仰られるのならお造りいたします。
 
 しかし、とてもじゃありませんが飲めませんよ……」


商人がそう忠告するや否やフィリッポが癇癪を起した。


「シャルルの頼みが聞けないとでも言うのか!?」


どうやら薬が効きすぎたらしい。

震えあがる商人達を見て溜息をつきつつオレはフィリッポをなだめる。


「別にいいんだ。とにかくそういった酒が欲しいんだよ。

 期間は別に設けないから出来次第持ってきてくれたまえ。今日の用事はこれだけだ」


オレは急いでそう言いいわたすとフィリッポを伴って退出した。

用件を告げた以上フィリッポを注意することが先決だ。

こんな調子で他人に噛み付かれてはこれからまともな話し合いすらできそうにない。


「フィリッポ。商人が脅えていたじゃないか。

 ちょっと口答えをしたからってああいう態度をとるな」


オレに叱られたフィリッポは不安そうに言い訳した。 


「だって、あいつらシャルルに……」


その様子は親に叱られた子供そのものだった。


「いいんだ。萎縮されてはまともに話し合えすら出来ないじゃないか。

 今度ああいう態度をとったらもう連れて行かないからな」


気落ちするフィリッポにフォローを入れながらオレは次の面会場所へ移動する。

そこには頭にターバンを巻いたアラブ人商人がいた。


「お呼びに預かり光栄で御座います。何なりとご言いつけ下さい」


この商人は公爵お抱え商人になるチャンスと思っているのだろう。

必要以上に仰々しい態度でオレに接してくる。

その目にはどんな要求にも応えてみせる、といわんばかりの気合いが見える。


「イスラムの民の中から若くて知識欲旺盛な医者と科学者を数人ずつ、紹介してもらいたい」


ヨーロッパにおける学問や文化は教会によってことごとく破壊され、キリスト教一色にされてしまった。

その過程において優れた有用な知識の多くもまた失われてしまったのだ。

それらは全てイスラムから逆輸入する形でヨーロッパに戻っている。

そう、この時代における文化の最先端地域はイスラム圏なのだ。

これから医師団を結成する以上その初期メンバーはイスラム圏から募るべきだった。

頭を下げ承諾する商人のやる気をあおるためにオレは甘いアメを与える。


「優秀な者達を多数集めたならば君に更に交易品を注文しようと考えている。

 期待に応えてくれたまえ」


オレの言葉に眼をギラつかせる男を残してオレは退室した。

その際、フィリッポに今度はよくできたと褒めるのも忘れない。

6歳にしてオレの気分はすっかり育児パパだった。






医師団設立と並行して進めたい事業がオレにはあった。

それは大公衆浴場の建設だ。

ローマ帝国以来の大衆浴場文化が廃れた原因はペストだった。

人々は感染を恐れて大衆浴場を利用しなくなり、いつしか公衆浴場は消えて行ったらしい。

しかし現代人のオレからすれば不衛生こそ様々な感染症が蔓延する土壌だった。

ペストが怖いオレとしては感染のリスクを少しでも減らしたい。

それにはこの計画は重要な要素の一つだった。

加えて街が臭いことがいただけない。

ずっと我慢してきたがこの機に安価で利用できる公共の大浴場を建設したかった。

だが、これはオレ個人の裁量で実行できる範囲を明らかに超えている。

シェナ遠征まで約2ヵ月。

それまでにガレアッツォを説得するだけの段取りを取る必要があった。

更に感染に関する正しい知識を広め公衆浴場のイメージを改善しなければならない。

とてもじゃないが手に余る。


「……というわけなのですがどうでしょうか? カーネ殿」


そう、オレは自分に付けられた補佐の人を頼ることにした。

このファチーノ=カーネという人物は本来シェナ遠征においてガレアッツォに同行する予定だった。

しかしモルト老も参加することから急きょオレのお目付け役をすることになったのだ。

口髭を生やしたダンディな容姿と裏腹に凄まじい強さを誇り、また実に辛辣な突っ込みをしてくる。

オレの立案した計画もその8割はこの男によって廃案となった。

「無理だ」「ダメだ」「非現実的だ」の三拍子の前に何度泣かされたかわからない。

このように彼は実務に長けた生粋のリアリストであり目的を遂げるためにあらゆる行動をとる。

それは傭兵達の支持を得るために略奪を許した、というエピソードにも表れている。

その行動からいま一つモルト老と反りが合わないようだったが、実力は互いに認め合う程だった。


「衛生的なことはいいことだが金をかける価値があるのか疑問だ」


そう言って彼はオレをじっと見つめた。

説得してみろ、というサインだ。

オレは傭兵出身の彼にもわかりやすい例を用いて清潔さの重要性を説いた。

それは都市での感染症の発生と戦場での発生の比較だ。

一般的に戦場で感染症が発生した場合深刻な被害が出ることが多い。

疫病は古今東西、軍を統括する立場にいる者を悩ます要因の一つなのだ。

更にオレはユダヤ教徒にペストの被害が少ないことに言及した。

彼らはペストにかからないのことで悪魔の使いとみなされ、迫害を受けている。

しかし、彼らにペストの被害が少ない理由はもちろんそんなことではない。

先祖から入浴の習慣を受け継いでいてそれを実行しているからだ。

この身近な例とユダヤ人の例はリアリストの彼にとって受け入れやすいものだったらしい。

ペストが伝染病である都合上、都市での発生を抑えることは君主をペストから守ることにもつながるという説得も効いたようだ。

オレは久しぶりにカーネ殿から検討してくれると言われたのだ。

ついでにネズミの大駆除作戦も立案して同意してもらった。

彼を説得することは骨が折れたがこれも自分のためである。

ペスト撲滅にかけるオレの熱意はすさまじかった。











内政ターンその1です。

様々な方の意見を参考にさせてもらいました。ありがとうございます。

またご意見、ご感想をお願いします。

ところで兄弟の容姿などは全くの創作です。弟は醜かったらしいですがその度合い
は不明です。

ご了承ください。

あとそろそろ部下としてオリキャラも出そうか、と悩んでいます。

そのことに関してもご意見がございましたらお寄せ下さい。

内政はさじ加減が難しいので批判もかくごしておりますが楽しんでもらえたなら

幸いです。



[8422] 蠢き始めた獅子
Name: サザエ◆d857c520 ID:ad8976a0
Date: 2009/06/07 04:07
腹が減っては戦はできぬ、という言葉がある。

現代においては場を和ますための冗談の一つにすぎない。

しかし、この格言は実に的確に戦の真理を付いている。

大兵力を誇る軍が破れる要因は疫病、奇襲、指揮系統の混乱など様々ある。

その中でも寡兵の軍が最もとることが多い作戦は補給線を付くことだ。

兵糧なくして戦争はできない。

優秀な指揮官であればある程それを痛感している。

そして年中征服戦争に明け暮れているガレアッツォもそれは同様だ。

オレという存在をアピールする上でこれ程打ってつけのものはないだろう。

そこでオレは携帯食を開発した。

着目したのは米だ。

ミラノに来て驚いたことの一つは食卓に米が出てきたことだ。

イタリアにはリゾットという料理がある。

オレの好きな料理の一つであったが、それがこの時代にもう存在するとは思っていなかった。

しかもポー川流域での栽培にも成功している。

これを利用しない手はない。

日本の戦国時代に盛んに利用された非常食に糒(ほしいい)というものがある。

その保存期間は20年以上。

そのまま水と共に食べてよし、茹でて戻してよし、粉末にして甘味の材料にしてよし。

加えてヨーロッパで米が普及してないので自国でこの技術を独占しやすい。

作り方も実に簡単で炊いた飯を水で軽くさらしてから天日で乾燥させるだけだ。

これはいける、オレはそう確信した。

まだ準備段階だが完成図は見えているのだ。

試みの成功も遠くはないだろう。

完成品を見ればきっとガレアッツォも気に入るだろう。





オレは携帯食とは別に自分が将来率いる軍について考えていた。

この時代、戦の担い手は傭兵と騎士だ。

この二者は全く違うようだが一つ共通することがある。

軍として率いるにはまるで信用できないのだ。

まず、騎士は己の武功にしか興味がない。

彼らは名誉や勇気を尊び、それぞれが独自の美学を持っている。

自意識が強いゆえに命令無視も珍しくなく、また己の名誉のためならそれをよしとする風潮さえある。

傭兵はもっと最悪だ。

彼らには倫理も規律も期待できない。

傭兵と盗賊は表裏一体、時と場合によって最も恐ろしい略奪者になる。

その上、報酬とは別に敵有力者を誘拐した身代金なども彼らの重要な収入源であり、戦争を長引かせるためのヤラセすら行う。

オレとしてはそのような連中を率いて戦いたくない。

現状はともかく将来的には指揮官に忠実で規律正しい軍を抱えるべきだ。

そう、天下をとった徳川家康の三河武士のような忠誠心、「犬のよう」と言われるほどに苛烈な心を持った兵が。

しかしそれは一族を基礎とした日本の武士だからこその在り方だ。

個人と個人の契約に基づいたヨーロッパではそのような軍を作ることは難しいだろう。

オレはずいぶん悩んだ。

そして、ふとイェニチェリ軍団のことを思い出した。

イェニチェリはオスマン帝国の親衛隊、全ヨーロッパで恐れられた軍隊だ。

その団員は戦争捕虜などから選び抜かれ、エリート教育を受けた優秀な者ばかり。

幼いころからの刷り込みによって強烈な忠誠心を植え付けることも可能だ。

オレはイェニチェリをヨーロッパ流にして取り入れることにした。

そして、その構成要員候補は2つ。

1つ目はアルプス山脈近辺、スイスの住人だ。

山の民は戦に強いという。

日本でも険しい木曾山脈に育った木曾義仲や隼人の民などが有名だ。

そのことからも兵の強さに出身地が関係するという推測は一面の真実があるのだろう。

その法則でいくとミラノ公国の南に位置するアルプス山脈に暮らす人々は精強な兵となる素質があるはずだ。

長引く戦争で荒廃した今のヨーロッパでは戦争孤児や口減らしのための捨て子も珍しくない。

そういった子供を引き受けたならば民は喜び、オレの評判もあがる。

まさに一石二鳥だろう。

2つ目は黒人だ。

現代のスポーツで圧倒的強さを誇るのは黒人である。

そのバネ、持久力、体力、センスは群を抜いている。

間違いなく強兵となるはずだ。

こちらは残念ながら奴隷貿易に頼らざる得ない。

現代人としては心が痛むことだがその後の生活は必ず保障するとしよう。

それにオレの軍が活躍した場合、その構成人員の評価も高まることになる。

そうなれば後世になっての極端な差別も緩和、上手くいけばなくなることも期待できるはずだ。



オレは試作段階として前者を50人、後者を50人くらい集めることにした。

この試みが成功すればオレの命令によって1個の生命体として動く軍を作り出せる。

強大な軍事力はいつの時代も地位向上への最短距離だ。

確かに時間はかかる。

しかし5年、10年先にその効果はボディーブローのようにじわじわと活きてくるに違いない。

オレはそう信じて部下に手配を命じた。











ヴェネツィア共和国。

La Serenissima(最も高貴な国)や「アドリア海の女王」とも呼ばれる地中海の覇者である。

元首であるドージェ、最高裁判所と元首の顧問を兼ねるシニョリーア、大評議会と十人委員会とその権力は分散されている。

更に各々の選出方法も複雑を極め、たとえどのような名門の者や権力者であろうと独裁を許さない政治体制を布いていた。

ヴェネツィアの独裁に対する予防策は憎悪すら感じられる徹底したものだ。

ドージェは外国の公文書を開封する際に官吏の立会いをせねばならず、また国外に私有財産を保有することを禁じている。

死亡したならば生前の職務に不正がなかったか厳しい調査が行われ、私有地すらも例外ではなかった。

また、この時代においては珍しく完全な法の支配が徹底している。

信教の自由すら認められ、法を犯せばたとえドージェの息子といえど処罰の対象だった。

ヴェネツィア、一都市でありながら最も先進的な政治体制と黄金の玉座、多くの植民地を有するヨーロッパの強国。

その中心では海千山千の17人の政治家が共和国の方針について話し合っていた。


「ジェノヴァは片付いた」

「うむ、あそこは実に手強かった」

「しかし、もはやかつての力はない」

「キオッジャの戦いで下してからその衰退は著しいからな」

「栄枯盛衰は世の倣いなれどああはなりたくないものじゃのぅ……」


それぞれが次々と発言をする。

彼らの年齢は様々であるがその様子から互いに上下関係は存在しないことが感じられた。


「そう、衰える者あれば栄えるものが出てくる」

「犬、か……」

「いかにも。我等の犬であるうちはその繁栄も許せた。

 犬が狼と勘違いして飼い主に牙を剥くとあればそれなりの対処をせねばなるまいて」

「狂犬は叩き殺すほかない」


彼らの語る犬、それはミラノ公国のことである。

ジェノヴァとヴェネツィアは地中海の覇権を巡って長年争ってきた。

いずれも強大な二カ国。

休戦の仲介にもそれなりの格が必要とされる。

ガレアッツォはその仲介役を巧みにこなすことによって両国と中立を維持、己の領地拡大を有利に推し進めてきたのだ。

しかしジェノヴァの凋落によって事情は変わった。

両国の利害関係は消滅、それどころかガレアッツォの存在はもはや無視できない。

今ではジェノヴァすらその影響下に治めてしまっている。


「太陽は二つもいらん」

「カエサルを嘯くならその通りにしてやろう」

「独裁を極めた人生の絶頂期に思わぬ掣肘。突然の転落か……」

「元老院が務めた役目、ローマから共和国の理念を受け継ぐ我等こそ相応しかろうて」

「さて、ブリュータスに値するは何処かの? 」

「それよ。奴めの兵力は侮りがたい」

「虎こそ相応しかろう。

 張子とはいえ虎は虎。弱った所を突かれれば狼とて一溜まりもあるまい」


イタリアの覇者は一つ。

そしてそれはミラノにあらず、我等なり。

強国ヴェネツィアが静かにその鎌首をもたげ始めた。










約1ヶ月ぶりの投稿になります。

私としてはこんなに間隔を置くつもりはなかったのですが、思いがけずパソコンが故障してしまい……。

全くの個人的事情であります。

その上外伝しか追加していません。

楽しみにして下さっている方がいましたらこの場を借りてお詫び申し上げます。

本当にすみませんでした<( _ _ )>


さて、私もパソコンのないこの3週間の間せっかくなので図書館に行って色々と調べました。

その過程で改めて自分の知識不足を実感いたしたのですが……。

どうしても当時の貴族達の領地区分の詳細が見つかりませんでした。

田舎とはいえ図書館は図書館、と多大な期待をよせていた身としては全くの予想外でした。

つきましては厚かましいことは重々承知でお願いします。

当時のフランスについて詳しく書かれている書籍やサイトなどございましたら可能な範囲でご紹介願いませんでしょうか?

私の不徳の致す所ではありますが正直フランスに進んだ先の展開がお手上げです。



また、全話において加筆・修正を致しました。

というのも最初の頃と明らかに文体が異なったり矛盾がチラホラ見られましたので
いい機会ですので実行しました。

改悪になってなければよいのですが……。

それでは長々と後書きを失礼しました。

ご批判、ご感想、ご意見をお待ちしております。

つい先日厳しいご意見を下さった皆様には本当に感謝しています。

これからも未熟な作者を導いてくだされば幸いです。



[8422] 外伝2. 母の思い
Name: サザエ◆d857c520 ID:ad8976a0
Date: 2009/06/07 04:12
息子が腹を壊して寝込んでしまった。

何でも炊いた米をわざわざ外に放置してから食べたそうだ。

一体全体何でそんなことを、と思う反面この子ならやりかねないかなとも思う。

この子を産んで6年。

振り返ってみれば様々なことがあった。

普通の子供はまず取らない突飛な行動を取ることに苦労させられたり思わず笑ってしまったり。

笑われたことに拗ねて、それを宥めて抱きしめて。

日々伸びる身長に一喜一憂したり転んで戸惑っている様子は年齢相応でとても可愛かった。

勉学を始めてからは毎日のように学んだことを話に来てくれた。


「母上。今日は天体の運動とそこから読み取れることについて学びました。

 獅子座は……」


その得意気な様子は実に微笑ましかった。

その内容は間違っても可愛らしいものではなかったが。

話し終わったあとのあの子犬のような顔は今でも忘れられない。

「褒めて、褒めて」とシッポが主張するように目がキラキラしていた。

その様子に思わず笑ってしまって、拗ねてしまったこともある。

そんな子供らしい様子を見せる一方で息子は不意に大人びた様子を見せるのだ。

特に見知らぬ貴族に対してはそれが顕著ですっぽりとその可愛らしさを仮面で隠してしまう。

そして別人のように振舞うのだ。

才能溢れるオルレアン公の後継者として。

素晴らしい才能に子供とは思えぬ行動力。

母としては息子の才が誇らしい反面どこか悲しかった。

その才ゆえにこの子は3歳にして人の醜い部分に触れなければならなかった。

常に周囲は過剰な期待を寄せ、いつしかその期待を超える成果を出し続けることが半ば義務のようになっていた。

それが悲しかった。

こんな幼い子にどこまでさせれば気が済むのか、と。

どこか無理をしているのではないかと心配だった。


私はこの子を愛しいと思う。

そして、だからこそ息子のはらむ危うさが気懸かりだった。

目の前で安らかに眠るこの子は気付いていないだろう。

自身が生まれたのが戦乱のこの時代、この状況でなかったならば間違いなく悪魔の子として排斥されたであろうことを……。

息子は独特の価値観の下に生きている。

共に暮らした私にはそれがよく分かった。

この子は合理的なことが正しいことだと信じている。

この子は人は基本的に平等であると感じている。

この子は宗教そのものを否定している。

恐らく無意識なんだろう。

少しの付き合いでは分からない些細な違和感。

この子の言葉に行動にそれらが見え隠れするのだ。

ミラノに向かう道程の会話からもそれは感じられた。



「母上は父上の此度の行動をどうお考えでしょうか?」


あのとき、私の様子を伺っていた息子は恐る恐るそう切り出した。


「どう、って? あの人のどの行動のことかしら?」

「全てです。父上が王妃と関係を持ったことも母上を見捨てたことも、全て。

 私は許せない。

 母上はこのように悲しんでおられます。

 母上はこのように名誉を汚されました。

 私はそれを招いた父が許せません。そしてその原因である方も……」


今まで溜め込んでいたのだろう。

私がミラノに行けるように、唇を震わせて許せないと語るその父親におもねって説き伏せて……。


「ありがとう、シャルル。

 でも、いいのよ。仕方なかったんですもの」


そう言って一目で作り物と判るであろう笑顔を浮かべる。

納得していても悲しいものは悲しい。

けれど、この子の示してくれた愛情に私が返せるのは笑顔しかなかった。


「あの人は弱い人なの。分かってあげて。ね?」


そう、夫は弱い。

とてもフィリップ公と対抗できる人物ではない。

かといって、自分を担ぎ上げようとする哀れな弱小貴族達を切り捨てることもできない。

見栄っ張りで自信家で臆病でとても弱くて少しだけ優しい。

そんな夫にはきっと選択肢なんて存在しなかった。

だからこれは必然。

それに……


「あの人は確かに私を助けなかったわ。でもそれは愛がなくなった、という理由ではないでしょう?」


私の言葉に息子は渋々頷いた。


「それはそうみたいです。

 父は母を愛している、これは間違いないでしょう。

 でもだからこそ解せないし許せないんです」


そこまで言って息子は口を噤む。

何か躊躇しているようだったが、意を決したのか叫ぶように言葉を発した。


「それに母上はもっと怒っていいと思います

 私が口を出すべきではないでしょうが、言わずにはいられません。

 母上には父上に愛想をつかす権利があります」


私は息子の問いに答えた。


「でも愛し続ける権利もあるでしょう?」


余程意表をつかれたのか珍しく間抜けな顔をした息子に語りかける。


「女は結婚相手を選べないわ。

 だから恋人は別に作ったりするしそれは暗に認められている。でも私はそんなの嫌だった」


女は結婚相手を選べない。

その身は全て父親の最も貴重な財産なのだから。

息子は私が政治について何も知らないと考えているようだが私だってあのジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの娘なのだ。

自身の持つ価値も父がそれをどう効果的に使うかも分かっていた。

そしてそのことに納得もしていた。

けど望まない相手に嫁いだからといって他に恋人を探すのだけは嫌だった。

それは女に生まれた運命に対する敗北のように感じられた。


「だから決めていたの。

 何があっても夫を愛そう、って。
 
 あの人には欠点の多い人だったけど同じくらい魅力的なところがあったわ。

 恋をするにはそれで十分だった。

 理屈じゃないのよ。私はあの人を愛してるの」


私の答えは納得のいくものではなかったのだろう。

それでも私がそう考えているならば、とは感じくれたみたいだった。

そう、この子は人間の感情を軽く考えている。

理性は感情を駆逐する、そんなの戯言だ。

理屈では正しくても感情がそれを認めないことがある。

そんなとき人は常に合理的なことに従うわけではない。

むしろその逆。

感情のままに振舞うことの方が多いのだ。

そしてそれは宗教的情熱において最も顕著に表れる。

この子が軽視している人間の感情にいつか足をすくわれるのではないか。

私はそのことが心配だった。






母親視点でした。

主人公の今後についてフランスに戻るれるのかを心配する感想をいただきましたが一応の展開は考えています。

個人的には無理のない展開かな、と思っていますがその際に批評をお願いします。

といってもまだまだ先の話ではありますが……。

ではご批判、ご感想、ご意見をお待ちしています。




[8422] シャルルの軍
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/10/25 20:48
今オレの前にはアフリカ、スイスから集められた100人の少年達がいる。

その年齢は最年少で2歳にもなっていないだろう。

最年長でもせいぜい14歳程度。

どの子も初めて見るミラノ公の居城を珍しげに眺め、その威容に萎縮している。

だが商人に厳しく言い付け、たっぷり後金を弾むことで約束させたことは守られたようだ。

奴隷貿易で最も悲惨だったことは売られた先の扱いではない。

交易品である人を運ぶ際の扱いだ。

薄暗い船倉にすし詰めにされ、ろくな食事も与えられずに何週間も過ごすことを余儀なくされる。

その過酷な環境こそがその悲惨さを象徴するものであり、また最も死者の出る期間なのだ。

この時代ではまだ貿易というレベルでない細々とした交易に過ぎないようなので杞憂であったかもしれない。

しかし彼等は皆オレの股肱の臣となる大事な身なのだ。

間違っても粗略な扱いをされ、恨みを買ってはいけない。

それでは全ての計画が台無しだ。

彼等にはその旅の途中で十分な食事と衣服、寝るのに十分なスペースを与えさせた。

また、不安を緩和するために若い女性を世話人としてあてがわせる。

その扱いで彼等も自分が恐ろしい目にあうという危惧をなくせたはずだ。

そうして彼らがミラノに到着して3ヶ月。

ようやく全員がフランス語を理解できるようになり、対面となったのだ。

オレはこの対面のために専用の部屋さえ用意した。

一際大きな窓を用意して、そこから街を見渡せるように工夫した特注の部屋だ。

その窓には今は布をかぶせさせている。


「フランス王族にして次期オルレアン公、シャルル・ド・ヴァロワ様、御入室です」


いかにも身分の高そうな男にオレの名を呼ばせて入室する。

まぁ実際は単なるダンディな一般兵に服を着せただけなんだが。


(しかし、この兵士テンション上がりすぎだろ……)


あまりに演技過剰な男に呆れつつ、堂々とした姿に見えるように意識して足を進める。

オレは予定した位置に着くと立ち止まり、一人一人の目を覗き込むように見渡した。

そして十分に注目を集めたと判断した段階で話し始める。


「諸君、君達は選ばれた者達である」

「世界は混乱の中にある。

 弱き者は明日を生きるためのパンを得ることさえ出来ない暗黒の世だ。

 私はそれを正す使命を神に与えられて生まれてきた。

 そしてその使命を与えられたのは諸君達も同じなのだ」

「君達を求めたのは私だ。

 だが私は君達個人をそれと知って求めたわけではない。

 皆それぞれの事情、それぞれの経緯を経てここに集められた」

「ならばそれは必然だ。

 神は全てを支配し、導き給う。

 気高い使命を背負う諸君。

 諸君達は生まれも育ちも皆違う。

 しかし、宿命を同じくする点では皆同じなのである」


オレはその後、身振り手振りを交えて延々と話し続けた。

世の中にはびこる悪について、貧困、差別、戦争。

それを正すことの重要性とその行為の気高さ。

ここに集められた幸運と将来得られる栄誉。

勝ち取る平和が結果として家族の幸せとなるという家族への奉仕。

演説を始めてから1時簡程たっただろうか。

どこからか勇ましい音楽が聞こえてくる。

オレはその音楽に合わせてラストに入った。


「諸君、見たまえ。

 悪に裁きを下し、凱旋する無双の軍勢を。彼等の栄誉を」


オレの言葉と共に振り下ろされた手を合図としてカーテンが取り払われる。

そこにはミラノ公ガレアッツォと彼に付き従う数万に及ぶ軍の姿があった。

シェナを攻略し、更にその版図を拡大させた自らの主に熱狂する市民。

その歓呼の声を悠然と受けて進むガレアッツォの姿には人を惹きつけてやまない華があった。

勝利し、得た富に湧く兵士の熱気。

家族の帰りに喜ぶ家族の熱気。

更なる事業の成功の予感に喜ぶ商人達の熱気。

その熱気を身に纏い、煽り、自身も発するガレアッツォ。

その光景はこの部屋の100人の少年達の心に点りつつあった火を煽るのに十分すぎた。


「あの勇者達。

 民衆に歓喜の声で迎えられる英雄達。

 あれは10年後の諸君達の姿だ。

 今この時、この場所をもって君達は我が軍勢の中核をなす英傑への道を歩み出したのだ」


まさにオレの言葉に呼応するかの如きタイミングでガレアッツォが手を挙げて市民に応えた。

それに市民達は更に熱狂する。

そしてそれはこの部屋にも伝わった。

突如1人の少年が雄たけびをあげる。

燃え広がる火のように次々と伝播する熱気。

いつしか全ての少年がいきり立ち、声を涸らさんばかりに叫んでいた。


「おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「オレはやるぞ。母ちゃん、見ててくれ!」

「オレもやる。英雄にオレはなる!!」

「だぁ!!」


オレはその姿を見て初めての演説の成功に安堵した。

これで自分だけの軍隊、その土台ができたのだ。



この日、全ヨーロッパで恐れられる軍団がその産声をあげた。

まだ小さく幼い集団に過ぎない彼等は後にその精強さと鉄の規律、そして強烈な忠節心で知られるようになる。

そう、この日こそシャルルにとっての大きな転換点の一つであった。













27歳のフランチェスコ=フォスカリが命じられた役目は大抜擢といっても過言ではなかった。

その任務の重要性を鑑みれば本来彼のような若輩が務めるはずのものではない。

しかしヴェネツィア首脳部はあえて彼を派遣した。

ミラノ公ガレアッツォの情報収集能力は侮れない。

彼が戦争で取った作戦の中には知りえないはずのことを知っていたとしか思えないものがあった。

故に首脳部は何よりも隠密性を重視した。

その為に外国では無名な若者、その中でも最も優秀なフランテェスコに白羽の矢が立ったのだ。


「いかがでしょうか? バイエルン公様」


バイエルン公ループレヒト。

彼は部族大公の伝統を引き、長い歴史を有する南ドイツの有力諸侯である。

代々公位を継ぐヴィッテルスバッハ家は名門であったが一族内の争いが絶えず、そのことから他の有力諸侯に遅れを取ることが多かった。

ループレヒトもその事にはかねてから頭を痛めており、統治に手を焼いている。

そんな彼にとってもヴェネツィアの提案は実に魅力的だった。


「全ての資金は我々が提供いたしましょう。

 今の神聖ローマ皇帝に対する諸侯の不満は明らかです。

 そう、公さえその気でしたらすぐにでも……」


神聖ローマ皇帝。

それは全ヨーロッパの至尊の座だ。

後に「神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国でもない」と揶揄される神聖ローマ帝国。

だが、形式上は中世西ヨーロッパにおける世俗の最高支配者なのだ。

その座につく。

実に魅力的な提案だった。


「その代わりミラノを攻めよ、そう申すのだな」


ループレヒトの言葉にフランチェスコは恭しく頭を下げる。


「征服した結果につきましては全て公の物にございます。

 領土、財産、その他全て我等は望みません。

 そもそも我がヴェネツィアの自治権は300年前の神聖ローマ皇帝アレクシオス1世が認めしもの。

 我等はそれを脅かすミラノ公から故国を守りたいだけなのでございます」

 
これもまたループレヒトにとって魅力的なことだった。

皇帝就任と同時に行う華々しい征服。

その勝利と振舞われる恩賞は皇帝となったループレヒトへの支持を強固なものにするはずだ。

そしてそれはいがみ合う一族を統合する大きな助けにもなる。


「よかろう。そち達にも他の貴族への根回しは手伝ってもらうぞ」

「かしこまって御座います。
 
 ミラノ公は情報戦の妙手としても知られています。

 事はくれぐれも秘密裏に水面下で行うよう、ご注意ください」


その言葉に頷くループレヒトと下げた頭の下で笑うフランチェスコ。

両者の利害は一致し、ここに同盟は成った。

獅子は蛇のように密かに狼を捉えんとしている。

そしてミラノ公の手品の種であるモルト老は旅をやめてしまっていた。

ヴェネツィアの策がミラノに、そしてシャルルに迫っていた。





久しぶりでしたのでなるべく早く投稿しました。

次回は今回よりも間隔が空くかも知れませんがなるべく早くお届けできるように頑張ります。

それではご意見、ご感想、ご批判をお待ちしています。




[8422] 内政②通信革命と傭兵の集い
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/06/21 22:40
この時代に来て改めて思い知ったことがある。

それは人類が歴史の中で積み上げてきた知識の偉大さだ。

特に化学がそうだ。

一人の天才が為した偉大な発見。

それは無数の先人、研究に人生を捧げた者達の努力無しにはあり得ない。

例えば彼が使った実験器具。

あるいは実験の手法。

もっと言えばその発想さえ、先人の研究に基づいているのだ。

オレはここに一つの悲しい結論を出さざるを得なかった。

オレの知識、化学肥料や鉄の製法などの有用な科学知識は全く役に立たない、という結論だ。

現代では誰もが甘受している基礎教育。

その知識を活用することができれば実に様々なことができるだろう。

食糧生産の増大、ガラスや鉄の質の大幅な向上とその大量生産。

得られる恩恵は測り知れない。

そう活用できれば、なのだ。

例えばアンモニアを得るハーバー法。

これを行えれば化学肥料を開発することも可能かもしれない。

しかし、それを可能とするためにはまず触媒と高温高圧反応装置も開発しなければならない。

そして高温高圧反応装置を開発するためにはさらに別の発明をせねばならない、というようにイタチゴッコになってしまうのだ。

そう、研究結果のみしか知らないオレでははるか500年以上先の技術の数々を再現することができないのだ。

知識を利用した政策を考えるときは、いつもこの結論につまずかされた。

その度に落ち込んだ。

しかし、ある日オレは結果のみを知ることだけで有用な学問を思い出した。

物理だ。

アイザック・ニュートンが確立した近代物理学は人類に多大な貢献をした。

中でも事象の正確な予測を可能としたことは大きい。

オレはこの知識を大いに活用することにした。

幸いイタリアでは眼鏡が実用化されている。

つまり、レンズが既に存在するのだ。

だが、望遠鏡は存在しなかった。

しかし、それはレンズを組み合わせるというアイデアが存在しないからにすぎない。

技術的には不可能ではないはずなのだ。

オレの知識と職人の試行錯誤の努力を合わせれば製作できる、そう思い立ったのは1年前だった。

そして今日、完成品を手にしたオレはそれをガレアッツォに献上しに向かった。









「はははは、見よ見よ。

 アリの様に小さき者がまるで目の前に居るようだぞ。

 おぉ、笑うとる顔までよく見えるわ」


ガレアッツォは上機嫌であった。

それはそうだろう。

初めて使う人にとってはまるで魔法のような代物なのだ。


「シャルル、この長筒はなんと申したかの?」

「望遠鏡でございます、お爺様」

「そうそう、望遠鏡だったな。実に素晴らしいな、これは」


そう言いながらガレアッツォは望遠鏡を撫でている。

これ程いい笑顔の祖父は初めて見た。

余程気に入ったのだろう。


「お前が作ったのか?」

「アイデアを出したのは私です。しかし試行錯誤をした職人抜きには完成しなかったでしょう。

 是非とも恩賞をお与えください」


ガレアッツォは遠くを覗きながらオレの言葉に頷いた。


「良い働きをした。望みの物を与えてやれ。

 ところでシャルル、発案者のお前のことだ。何かこの道具の使い道も考えているのだろう?」


悪戯の企みを持ちかける子供の様な顔で笑うガレアッツォ。

最近ではこの様な問いかけが多くなった。

それは政務官として認めたというわけではなく、まだまだ面白い着眼点をする者という扱いでしかないようだが。

かといって、何もできないガキという扱いでもなかった。

オレは祖父の言葉に得たり、と頷いた。


「腕木通信というものを考えました」

「まず長さ数メートル、3本の棒を組み合わせた構造物を造ります。

 そして、その棒をロープで動かすことで様々な形を表し、その形それぞれに意味をもたせるのです。

 それを別の地点から望遠鏡を用いて確認することで情報を伝達します」


ガレアッツォはオレの言葉を吟味している。

その顔は先程とは異なり真剣なものだ。

それもそうだろう。

英邁な君主であればあるほど情報の重要性は痛感している。

ときに情報は戦の勝敗どころか国家の明暗をもわけるのだから。

それにこの腕木通信の有用性は確かなものだ。

要するに、この通信は大型の手旗信号だ。

現代でも使われることからも手旗信号がいかに優れているかははっきりしている。


「検討しよう」


そう呟くガレアッツォ。

その表情からは彼の頭の中で実現に向けた段取りが次々と構築されてることが読み取れた。













ミラノ市内のある酒場。

そこはシャルルが消毒用アルコールの研究を命じた酒造業者達が共同経営する店だ。

シャルルはその研究に並行して現代にあった多くの酒の研究もさせていた。

特にカクテルの研究は盛んだ。

この時代は既に酒を混ぜるという概念は存在している。

しかし、それは味の悪い酒を飲める代物にする、というレベルでしかない。

シャルルはそこに莫大な金脈を見出した。

娯楽の少ないこの時代、酒は全階級の人々に愛されている。

修道士さえワインを神の血と称して飲んでいるのだ。

軍隊は金食い虫だ。

その上、シャルルの軍はこれから教育し成長させねばならない。

莫大な金が掛かると予想されるし、将来を考えても金はあればあるほどいい。

金策を講じる必要があった。

その点でカクテルを出す酒場というのは打って付けだったのだ。

単に酒を研究するには時間がかかる。

しかし配合を試すだけのカクテルならば研究期間ははるかに短くて済むのだ。

既に数種類のカクテルが再現されており、現在も様々な酒を試作している。

この店はそれを市民がどの程度好意的に受け入れるかを調査するための店なのだ。

そして、この店はモルト老御用達の店でもあった。

なんといってもオーナーの師匠である。

酒代も料理代も全てタダなのだ。

そういうわけでこの店が開店して以来モルト老は毎日のように通っていた。

といっても彼はタダ酒を飲んでいただけではない。

各地の酒を飲み歩き、舌も肥えているモルト老は最も辛辣な批評家として店側からも重宝されていた。

そうして今日もまた新たな試供品を味わっているのだった。

そんなモルト老の後ろに一人の男が立った。

目深に被ったフードからその年齢は伺えない。

身長は高くもなく小さくもなく人込みに混じるとすぐに見失ってしまう気がするほど影も薄い。

そんな怪しい男だった。

だが、モルト老は男に気付いていないのか相変わらず酒を飲んでいる。

それを油断と見て取ったのだろうか。

男はふいに腰元から木の棒を取り出すとモルト老に向かって振り下ろす。

その動きは熟練した戦士そのものであった。


「爺さん、今日こそ貰ったぜ―――っぐはぁぁぁ」


しかしモルト老の方が一枚上手だったようだ。

抜け目なく腰元に置かれていた腕は勢いよく剣の柄を押し上げ、最短ルートで男のみぞおちに突き刺さる。

振り返ったモルト老は蹲った男の首下に鞘を突きつけた。


「これで158連敗だ。まだまだ修行が足りんな、え? ガッタメラータ」


そう言って笑うモルト老。

その顔には懐かしい知己に会ったときに浮かべる悪戯気な笑顔があった。


「随分強くなったじゃねぇか。後ろに立つまで気付かなかったぜ。

 だが、襲撃のときちょいと気負いすぎたな」


そう批評しながら男を助け起した。

その際にフードが外れ、顔が露わになる。

若い男だった。


「だろ?これでも結構自信あったんだぜ? 全く、いい加減勝ちをくれてもいいのによぉ」


そう言って笑うガッタメラータの顔にもモルト老に対する親しみに溢れている。

そこには先程までの影が薄く怪しげな人物はどこにもいなかった。

陽気そうで男臭い、笑顔の似合う青年がいた。


「10年早ぇよ。……で、ちゃんとお遣いはしてきたんだろ?」

「あぁ、ちゃんと全員に伝えて来たよ。全く類は友を呼ぶとはよく言ったもんだ。

 どいつもこいつも爺さんそっくりの偏屈な野郎ばっかだったぜ」

「ふん、傭兵ってのは腕勝負なんだよ。まぁ、飲めや。奢るぜ」


男は通称ガッタメラータ、本名エラズモ・ダ・ナルニ。

彼とモルト老が出会ったのは10年以上前のことだ。

彼はまだ駆け出しの傭兵。

あまりに幼く無鉄砲で、元来目立ちたがり屋であった彼は戦場でもそうだった。

ただ我武者羅に名乗りをあげて強そうな者に挑む日々。

綱渡りのような戦いを若きガッタメラータは続けていた。

そんなある日、彼は酒場で他の傭兵達と諍いを起した。

多勢に無勢、それでも彼は少しも恐れていなかった。

腕に自信があったからだ。

しかし、その鼻っ柱はその日に折られた。

他でもない、モルト老に相手ともども叩きのめされたのだ。

衝撃だった。

負け知らずだったガッタメラータ、無敵と自惚れた自分に初めて土を付けたのがこんな老人。

屈辱だった。

汚辱を注ぐべく今度はモルト老を付回して挑み続けた。

何度も何度も叩きのめされた。

這い蹲るガッタメラータを嘲るように欠点を笑われた。

いつしかその勝負は稽古のようなものになり、彼はモルト老の弟子のような立場になっていた。

そう、ガッタメラータは云わばシャルルの兄弟子なのだ。

そんなガッタメラータへの依頼。

それは引退した傭兵仲間への連絡だった。

ある時は敵として、ある時は味方として戦った歴戦の古強者。

その培われた技術はダイヤよりも貴重なものだ。

シャルルに少年軍の鍛錬を相談されたモルト老は、真っ先にそんな技術を持った戦友たちに繋ぎを取ることにしたのだ。


「で、何人ぐらい来てくれるんだ?」


酒をあおりながらの質問にガッタメラータは笑いながら答えた。


「ほぼ全員だとよ。酔狂な爺い達だぜ」


モルト老はその答えに満足気に笑った。

連絡した相手はそのほとんどが戦場を離れざるを得なかった者達だ。

ある者は怪我のために、ある者は年齢のために。

戦場に膿んで引退した者には一人も連絡しなかった。

渡りを付けたのは生粋の戦士、戦争屋のみ。

彼等にとって平穏な日々は毒と変わらない。

緩やかに近付いてくる死、徐々に失われていく己の誇りたる技術。

それをどうすることもできずに煩悶し、諦めているはずだ。

少しでも戦と関われると知れば飛びつく、そう思っていた。

確証はなかったが成功した。


「そうだ、ガッタメラータ。お前もガキ達に稽古つけろや。

 たまには懐の心配をせずに済む生活もいいもんだぜ」


モルト老の言葉に考え込むガッタメラータであったが、不敵に笑って答えた。


「いつでも相手してくれるんならな」


その挑戦の言葉にモルト老は酒をあおりながら答えた。

いつでも来い、と。

そこには王者の風格があった。






本当に申し訳ありません。

書く順番を間違えてしまったため今回は前回投稿した前の話となります。

混乱なさる方もいらっしゃると思います。

全て作者のミスです。改めて深くお詫びいたします。

望遠鏡については一応調べて書いたつもりではあります。

しかし、知識のおありの方から見て実現できない、と判断された場合は

ご批判をお寄せください。修正いたします。



[8422] イングランド政変
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/06/13 21:56
この時代、イングランドの行政機構はフランスの数歩先をいっていた。

国家としてはコモン・ロウの下に統一王国を形成し、地方に行政官網を行き渡らせる。

中央には上院と下院で構成される議会すら存在し、その権限をもって司法、行政、政治、公共財産など様々な面に介入する。

法治国家の雛形がそこにはあった。

そして、このような制度は国王にとって毒にも薬にもなりえた。

国王が暗愚で諸侯の跳梁を許した場合はその暴走のストッパーとして機能したし、英邁な君主であったならば強力な後ろ盾として国家の意思統一の一助を担う。

敵にも味方にもなる無視できない目の上のコブ、国王にとっての議会はまさにそんな存在なのだ。

そして、それはリチャード2世にとっても同じだった。

リチャードは自身に多くの権力を集めたいと考えており、その点で議会は邪魔以外の何ものでもなかった。

リチャードにとっては諸侯や民衆の干渉を受けないヴァロワの君主制は憧れですらあったのだ。

折りしも、当時はシャルル6世まだ正気であり親政を開始したばかり。

そして彼もまたイングランドとの抗争よりも魅力的な計画がいくつも存在した。

教会大分裂に決着を着け、イタリアに支配の手を伸ばすことである。

国内での権力拡大を目指すリチャード2世とイタリアに楔を打ち込みたいシャルル6世。

両者の利害はここに一致した。

約30年にわたって停戦の終結を延期することとリチャードがシャルルの娘を娶るという条約が結ばれたのだ。

こうして昨日の敵を味方としたリチャード2世は力ある諸侯の力を削ぐことに邁進することになる。

そのやり口は極めて悪辣であった。

それは1386年に起こった宮廷闘争に如実に表れている。

彼はノッティンガム伯トマス・モヴレーや叔父グロスター公トマス・オブ・ウッドストックらが側近の追放を要求するとこれに応じた。

しかしその10年後、事態が沈静化すると両者を逮捕したのだ。

このようなリチャードの一貫性のない裁定はその信望を失わせるのに十分だった。

徐々に高まる諸侯の不満。

それは諸侯と国王の仲裁役であったジョン・オブ・ゴーントの所領没収を機に頂点に達した。

リチャード2世には大きな誤算があった。

長きに渡る抗争によって国民の間に生じたフランスへの強い嫌悪と恐怖である。

イングランドとフランスとの戦争はこの当時で既に60年にも及んでいる。

戦争開始当初はイングランド優勢であり、国民にとって戦争とは余所の土地で行われるものでしかなかった。

「フランス恐るるに足らず」という安心感すら蔓延していたのだ。

だが、賢明王シャルル5世とその腹心デュ・ゲクランの登場によって始まった失地回復戦争はそれを駆逐した。

フランスを弱敵と侮る者は消えた。

いつ自分達の土地に上陸してくるかわからない、国民はそんな恐怖を覚えていたのだ。

そして、その感情を巧みに利用する者がいた。

ゴーントの子、ヘンリー・ボリングブロクである。

彼は反対勢力を纏め上げ、一大勢力を築くことに成功する。

その上でアイルランド遠征から帰還途中のリチャード2世を破り、逮捕。

ロンドン搭に幽閉し、獄死させたのだ。

父の死によって不当に相続権を奪われ、パリに追放されて全てを失ったヘンリー。

彼から全てを奪ったリチャード。

二人のの立場はここに逆転したのだ。

そしてヘンリー・ボリングブロクはヘンリー4世として即位する。

より好戦的でより強大なフランスの敵対者の誕生。

この王位簒奪劇はフランスに大きな影響を与えずにはいられなかった。














自前の軍の原型をつくりあげたオレは気合に満ちていた。

さぁ、どんな軍にしようか。

どう鍛えようか、編成はどうしようか、武器はどうしようか。

毎日そんなことを考え計画を練っていたオレの行動は出足から挫かれてしまった。

急遽フランスに戻ることになったのだ。

というのも父から至急戻るように、という手紙が届いたためだ。

何よりも優先するように、そう書かれている手紙を見たときのオレの気持ちは察するに余りあるだろう。


「お久しぶりにございます父上。シャルル、ミラノより帰還いたしました」


およそ1年振りに会う父。

何かいいことがあったのかその姿は喜びに満ちていた。

暫くお互いの近況について話していたが、それも一区切りついたところで父の顔は急に真面目なものとなる。


「さて、いい話と真面目な話の2つがあるんだ。

 まずはいい話からしようね。

 イングランドの件については知ってるね?」

「リチャード王が廃位され、ヘンリー4世がたったという程度のことでしたら存じております」

「事は極めて重大だよ。けれど、それはフランスにとってで君にはまだ関わりない話だ。本来ならね」


何か含みを持たせたような言い方だ。

一体どんな無理難題がオレに押し付けられるのか、内心冷や汗を流しつつ続きを促す。


「リチャード王には我が国の王女イザベラ様が嫁いでいた。両国の友好を結ぶ象徴として、ね」

 しかし今回の政変によって事情が変わった。彼女の夫であるリチャード王は獄死し、寡婦となったわけだ」


父はそこで言葉を切ってオレの眼をじっと見てきた。 

まさか……。

今まで父と対峙したときに何度も感じてきた嫌な予感。

それが今回もオレの脳裏によぎる。


「実はイングランドとの協議でイザベラ様の御帰国が決まった。

 そこでその進退について王妃様と話し合ったんだ。

 彼女には新しい夫を娶わせることになった。

 此度の政変でイザベラ様は大変苦労なされた。

 自身も幽閉され、夫の死を知ることも許されず、まるで用済みのようなこの扱い。

 11歳の幼い心にいか程の傷を負われたことか……。

 王妃様は大切な娘にもはやそのような苦労をさせたくない、と仰せであった。

 だから婚約者は国内の有力な誰かの中から選ぶこととなったんだ」


父の言葉は続く。

オレの予感はいつもそうであるように確信へと変わっていた。

結婚、人生の墓場、オレはまだ7歳。

そんなフレーズが頭の中を駆け回る。


「選ばれたのは君だ。

 君はイザベラ様と年も近く、その年で既に優秀と評判だ。

 地位も次期オルレアン公と申し分ない。

 まさに誂えた様だとは思わないかね?

 まぁ、一先ず婚約、正式な結婚は5年後だろうね」


それでも12歳だよ、そう言いたかった。

しかし、素晴らしいだろうと言って小鼻を膨らませ、誇らしげに胸を張っている父に言えるはずもなかった。

それに政治的な観点からも断れるものではない。

なんといってもシャルル6世にはまだ嫡子がいなかった。

となると死後に選ばれる新王には王族の中から誰か、ということになる。

この結婚がその選出に際して大きなアドバンテージになることは間違いない。

さらにオレは王の義理の息子にもなるのだ。

これでオルレアン公の後継者という地位は揺ぎ無いものになる。

そう、良縁であることは確かなのだ。

たとえ出戻りでも年上でも従姉妹でも、そして何よりあの憎い王妃の子であっても。


「またとない婚約者にございます」


オレに出来たのは頭を下げながらそっと涙をぬぐうことだけであった。




「では、真面目な話だ。これもイングランドの政変に関係している。

 実はヘンリー4世が追放された1年、その間に彼はフランスにいて1人の女性を見初めたらしい。

 厄介なことにブルターニュ公爵夫人ジョーン・オブ・ナヴァールをね。

 そして彼女は娘を連れて王となった愛人の下へと行ってしまった」


「これは争いの火種になるには十分だ。

 ブルターニュは20年前にやっと落ち着いてフランスの影響下にいれた土地だ。

 それを壊したくないんだよ。

 幸いブルターニュ公は息子達の後継人にクリッソン元帥を指名していた」


「僕達はクリッソン元帥を交えて話し合った。

 そして、遺されたブルターニュ公の子供達をパリに迎えることにしたんだ。

 万が一イングランドに連れて行かれることのないように、ね」
 
 
「話というのはね、シャルル。

 その兄弟の1人アルチュール・ド・リッシュモンの後見のことなんだ。

 協議の結果、後見人は君とブルゴーニュ公が務めることになった。

 わかるね、シャルル?

 彼はブルターニュ公の弟であり君とクリッソン元帥とブルゴーニュ公の後見を受け、イングランド王の義理の息子となるんだ」

 
確かにその縁戚だけ見ても彼の重要性は計り知れない。

長じた後、宮廷で高い地位を既に約束されているのだ。


「しかし一つ問題があるんだ。

 それはどちらの後見人の下で彼を育てるか、ということ。

 順当にいけばブルゴーニュ公になってしまうだろう。

 けれど、それは非常にまずい」


アルチュール・ド・リッシュモン。

通称「正義の人」。

オレが知ってるこの時代の数少ない人物にしてジャンヌ・ダルクと並ぶ英雄だ。

確かに、彼そのものの能力を考えてもブルゴーニュ公に渡したくはない。

人は己が育った土地、育ててくれた人物に対して愛着をもつ。

まして共に育った友ならばなおさらだ。

父上は宮廷に於けるパワーバランスについて考えているのだろう。

しかし、オレの認識は違う。

これは将来どちらがリッシュモンという大英雄を味方とするか、という一つの分岐点なのだ。


「つまりこういうことですか?

 後見人でない以上父上ご自身がブルゴーニュ公と交渉することはできない。

 そこで同じ立場である私が公と交渉して譲歩させよ、と」


父はオレの言葉に頷く。

そこには自分では何ともできないというもどかしさが感じられた。


「そうだ。
 
 正直、君には余りに荷が重い大役だと思う。

 だが君でしかできないんだ。

 たとえ失敗しても責を問うことはしない。頑張ってくれ」


父の言葉にオレは恭しく礼をした。

なるほど、これはオレを呼び戻すはずだ。

オレはそう納得すると同時に父に感謝した。

己の将来を切り開くための大きな味方、長きに渡って共に戦うであろう友を得るための交渉。

それを自らの手で行うことが出来るのだから。






やっとここまで漕ぎ着けました。

正義の人の登場。

主要登場人物を1人出すまでに大分時間をかけたものだと思います。

次回は豪胆公との初対面です。

その件に関してご意見やアドバイスがありましたらお寄せください。

非常に助かります。

それでは、感想、ご批判をお待ちしています。



[8422] 交渉準備
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/06/28 12:58
ブルゴーニュ公との会談まであと2週間。

準備期間としては決して長くはない。

だが、人は常に与えられたものの中で最大限尽くすしかないのだ。

まずオレは、準備の第一段階として交渉条件と状況を確認することにした。

今回の交渉の目的は一つ。

英雄リッシュモンを傍に置く権利を獲得することだ。

オレは将来の仮想敵として次期ブルゴーニュ公、無怖公ジャンを設定している。

オレの父とブルゴーニュ公は政治的に対立しているに過ぎない。

だが、息子の無怖公とは感情的にも対立していると聞いていた。

それは宮廷内でも知れ渡っている。

まず二人は性格からして正反対らしい。

父は弁が立ち、明るく派手好き。芸術を愛し雅を好む、というかつてのオレが抱いていたフランス貴族にイメージそのもの。

一方の無怖公は寡黙でどこか陰惨。質実剛健の武人、とのことだから馬が合うはずもない。

それでいて権力拡大という目的や年代といった点では一致しており、そのことから互いを強烈にライバル視しているようなのだ。

特に無怖公の方では側近に暗殺を仄めかしたという噂まであり、父に対する敵意の深さがうかがえる。

それはオレへの暗殺を目論んできたことからも明白で、いずれオレとも本格的に対立することになるだろう。

その点でもこの交渉は重要なのだ。

交渉の成功には敵の潜在戦力を削いでこちらの戦力を増大させる一石二鳥の効果が見込める。

オレにとっては真剣に命が掛かっているのだ。

だが、この会談が重要であることはブルゴーニュ公にとっても同じだろう。

彼も本腰を入れてくるはずだ。

一筋縄ではいかないだろう。

次にオレが切れる交渉カードについてだが、残念ながらそれほど多くはない。

それはフランス国内におけるオレの地位は高くないことに起因する。

父ならば対立している案件について譲歩するといったカードがあるのだが、今のオレはあくまでも次期オルレアン公であり王女の婚約者。

将来約束されている輝かしい権力も何の役にも立たない。

となるとオレ個人で有するもの、望遠鏡の技術や新酒の製造法を交渉材料にするしかないのだが、これもうまくない。

まず望遠鏡は情報戦で圧倒的アドバンテージをとれることから、敵となるであろう者に渡すことは躊躇われる。

新酒の製造法は要するに金銭で譲歩を迫るということだ。

国内屈指の富豪であるブルゴーニュ公には通じないだろう。

となると、残された選択肢は限られてくる。

援軍だ。

ブルゴーニュ公の兄であり彼に意見できる数少ない人物、ベリー公。

そして亡きリッシュモンの父から後見人として直接指名されたクリッソン大元帥。

この二人を味方につけた上で会談に臨み数で押す、それがオレの取りうる最大限の策だろう。

オレはさっそく二人に対して会談を申し込む手紙を送った。













ブルゴーニュ公との交渉まであと9日。

オレはベリー公と会談の約束を取り付け、彼の下へ向かった。

ベリー公ジャン1世。

偉大なる賢明王シャルル5世が弟の1人にしてフランスの重鎮。

彼の存在なくして今のフランスは語れない。

ベリー公がいるから国が決定的に割れる様な事が起こらない、それは衆目の一致する所だ。

オレは彼本人を目の前にしてなるほど、と納得した。

ベリー公は調整役として傑出した人物だ。

丸々として小柄な体躯。

丸眼鏡を鼻の上にちょこんと乗せた愛嬌のある顔つき。

挙動もどこか親しみを湧かせるもので敵意を受けにくい。

笑顔も相手を和ませる穏やかなものだ。


「よく来たね、シャルル。ジャン1世だ」


その声は親族としての親しみに溢れていた。

驚いた。

まさかベリー公ほどの地位にいる男がこの様な人間的な、生の感情を露わにしてして接してくるとは思わなかったのだ。


「お初に御目に掛かります、ベリー公。

 オルレアン公ルイが一子、シャルルに御座います」


友好的に始まった会話。

それに続く親しみに満ちた雑談。

彼自慢のコレクションの紹介。

その時間を通して、オレは事前に得た情報と実際に触れた感触からベリー公という人物像を把握しつつあった。

要するに彼は趣味に生きているのだ。

その華麗公という通称のように美々しいコレクションを語るときの口調、眼つき。

それは全てを趣味に注ぎ込んだ者特有のものだ。

彼は俗世に興味を抱かない。

宮廷での権勢、領地の拡大。

それらを巡って争う弟や甥のことをベリー公は理解できず、現状を憂いて心から嘆いてる。

その一点を見るとベリー公は清廉な人格者のようだろう。

だが、ベリー公は自分の趣味に対して彼等が向けるそれ以上の尋常ではない情熱を傾けている。

現に、彼の領地はその趣味のために国内で最も重い税を課せられ、抱える負債も莫大なものとなっている。

それでも彼は己の破滅も犠牲にする者も省みることはない。

趣味こそが彼の全てだからだ。

オレは内心歓喜していた。

これならば持参した手土産は最大限の効果を発揮する。

当初、父への土産品としてミラノから持ってきた物。

ガレアッツォのシエナ遠征の成果。

ゴシック期シエナ派を代表する画家シモーネ・マルティーニの絵画。

それがオレの持参した物だ。


「素晴らしい芸術作品の数々をお見せ頂き感謝の極みに御座います。

 世界広しといえどこれ程の質、量を誇る蒐集家はおりますまい。閣下は真に文化の保護者でいらっしゃる」


「いやいや、文化を保護するは富める者が務めの一つ。私は己の使命を全うしているに過ぎないよ」


オレの言葉にベリー公はそう言って謙遜する。

だが言葉とは裏腹に、彼は小鼻を膨らませ眼を優越感で溢れさせている。


「美術品にとっても閣下の手にあることが幸せでしょう。

 これほど大切に愛されているのですから。

 ときに閣下。私が今現在ミラノに居ること、そしてミラノが昨年シエナを降したことはご存知でしょうか?」


「イタリアは芸術が盛んな地で御座います。

 特にシエナは50年前までフィレンツェと並ぶ、美術の中心地であったことは周知のこと。

 実は閣下。

 私が彼の地で手に入れた絵をコレクションの一端に加えて頂けないでしょうか?」


そう言ってオレは同伴した者から包みを受け取ってベリー公に手渡した。


「友好の証にと持参しました。是非お受け取りください」


ベリー公は慎重な手つきで包みを開き、じっくりと鑑賞する。

その顔は徐々に喜びに満ちていき、眼は輝きだしていた。


「こ、これはシ、シシモーネ・マルティーニの作品だね。

 いいのかい、受け取っても? こ、これ程の絵はなかなかないよ?」


喜びのあまり少々挙動不審になるベリー公。

それを見てオレは会談の成功を確信した。


「勿論で御座います。

 閣下の芸術への情熱に私は感動しました。

 全ての物はやがてあるべき場所にたどり着くもの。

 この絵もまた閣下の手にあるが幸せ、閣下の御手にあるべきものなので御座います」


オレの言葉は歓喜するベリー公には届いていないようだった。

貪る様に絵に見入っている。

これ程の執着、本当に美術を愛しているのだろう。

ベリー公はそのまま10分ほど鑑賞を続けていたが、やがて深く満足気な溜息と共に顔を上げた。


「ふぅ、実に素晴らしい絵だ。

 さすがはシシモーネ・マルティーニだ」


そう言った後ベリー公は居住まいを正した。

そうするとやはり王族。

威厳と貫禄を感じさせる。


「望みを言うといい、シャルル。何でも叶えよう。

 たとえ私の手に余りそうな事案でも、な」


オレはベリー公の言葉に驚いた。

まさかこれ程オレにとって都合のいい言葉を貰えるとは思わなかったのだ。


「何でも、で御座いますか?」


思わずそう呟いたオレにベリー公は厳かに答えた。


「そう、何でもだ。この絵にはそれだけの価値がある。

 私はね、シャルル。報酬を払いたいんだよ。 

 それが大きければ大きいほど私がこの絵へ愛を示したことになるのだ。

 さあ、何でも言うんだ。

 名誉と誇り、芸術への愛にかけて私は君の願いを叶えよう」


凄まじいまでの威に思わず唾を飲み込む。

オレは先程までこの人を見くびっていた。

ベリー公は後世にまで伝わる国際ゴシックの傑作、最も豪華な装飾写本として知られる「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を完成させた人物。 

そう、彼は史上最大の蒐集家の一人なのだ。

それが単なる気のいい人物であるはずがない。

一流の蒐集家としての美学、哲学を持っていて当然だ。

オレは改めてこの偉大な文化の保護者に尊敬の目を向け、報酬を口にした。


「私の後見人となってもらえるでしょうか?」


ベリー公はオレの言葉に頷いた後、更なる言葉を促した。


「それだけじゃないだろう? 君の目はまだ引き受けて欲しいことがあると言ってるよ。

さぁ、遠慮は無用だ。

 私の愛を疑うのかい? 望む事を言うんだ」


オレは彼の言葉に応えた。


「9日後にブルゴーニュ公と会談を行います。
 
 どちらがブルターニュ公の弟達を養育するか、についてです。

 私はこの会談に全てを賭けています。

 なんとしても成功させたいのです。

 私の後押しをしてくださいますか?」


ベリー公は微笑みと共に承諾した。 

そしてそれは、オレが交渉に向けて立てた策の一部が完成したことを意味した。

いや、予定以上の成果だ。

オレはベリー公に深く頭を下げ、彼の下を辞した。













ベリー公との会談は成功した。

しかし、人生は全て上手くいくとは限らない。

クリッソン大元帥からは会談を拒否する旨が伝えられたのだ。

クリッソン大元帥は騎士道精神の体現者として知られている。

その高潔さ、公平さは国中に轟いており、それは元々敵対していたリッシュモンの父が息子の後見人とすることからも伺えた。

だからこの結果は予想はしていたのだ。

だが、理性と感情は別物でオレは落胆せずにいられなかった。

クリッソン大元帥から届いた手紙にはこの様なことが書かれていた。


「会談を受けることはできない。

 自分は今は亡きブルターニュ公ジャン4世からその子である兄弟達の後見人として直接指名された。

 今回の争点であるリッシュモンもその兄弟の一人である。

 その事情を考えると自分がどちらに加担するか、またどのような発言をするかは結果を大きく左右するだろう。

 自分が事前にどちらかと会談をすること、それは公平さを欠く行いである。

 騎士としてそのような行動を取ることはできない。 

 自分にはジャン4世の示した信頼に応える義務がある。
 
 それはリッシュモンに最も良い環境を与えることであるが、次期オルレアン公とブルゴーニュ公。

 両者の財力、地位、将来性を比較したとき、どちらの下で育つ方がより良いかは優劣つけ難い。

 自分は両者のどちらに決まってもリッシュモンにとって益となりと確信するものである。

 しかし、両者としては己の下に彼を招きたいであろう。 

 そのために両者が自分を味方にしたい、と考えることは当然である。

 両者の会談には多分に政治的な意味合いが含まれる。

 両者もそのような意図をもって臨むであろう。

 自分はそのことに強く意見するものである。

 どうか今回は両者の間にあるしこりを忘れ、幼いリッシュモンの将来を第一とするよう強く要請するものである」


まさかクリッソン大元帥がこれ程頑固な人物とは思わなかった。

言っていることが全て正論であるだけに手に負えない。

オレはクリッソン大元帥という援軍を諦めざるを得なかった。

過ぎた望みは人を狂わせる。

ベリー公を味方とすることが出来た、それだけで満足すべきだろう。

ブルゴーニュ公との会談まであと5日。

オレは後ろ向きな思考を止め、会談に向けて入念なシミュレーションをすることにした。





交渉準備でした。

ブルゴーニュ公との交渉まで含めると長くなってしまうので分けて書くことにしました。

次話もなるべく早く書き上げるようにしますのでご容赦ください。

ところで前回の望遠鏡について批判がなかったのはやりすぎではない、と判断していただいたと思っていいのでしょうか?

少し心配でしたがご批判がないのであればこのまま進めようと思います。

それでは、ご意見、ご感想、ご批判をお待ちしています。



[8422] 会談・大貴族ブルゴーニュ公
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/10/25 20:48
ブルゴーニュ公との会談当日、オレは部屋の中で一人、相手の到着を待っていた。

場所はベリー公の屋敷。

事前協議で取り決められた場所だ。

これはオレの方から強く打診したものだった。

ベリー公の協力を取り付けた以上、それを最大限活用せねばならない。

その為に会談場所をベリー公が直接ブルゴーニュ公へと働きかけられる様にこの屋敷にしたのだ。

ブルゴーニュ公はベリー公が今回の件に関して何の利害関係を持たないこと、仲介役に相応しい人物であることからこれを受け入れた。

しかし、無条件で承諾されたわけではない。

会談をオレと二人だけで行うこと、それを交換条件として突きつけてきたのだ。

オレは悩んだ。

予定ではベリー公にも後見人として同席してもらい、二対一の状況を作ることで優位に立つ筈だった。

この提案を呑めばそれは不可能となる。

ブルゴーニュ公ほどの実力者と単独対決は避けたい、それがオレの偽らざる本音だった。

だが、オレは結局この提案を受け入れた。

後見人を伴わねば会談できぬ者に誰かの後見となり、これを養育する器量があるのかと問われたからだ。

オレには頷くしか選択肢はなかった。


「まず、ここまでは一進一退。いやベリー公の分こちらが有利、か……。

 あとはオレがブルゴーニュ公に太刀打ちできるか否か、だな」


オレがそう独白し、心を落ち着かせているとブルゴーニュ公到着の知らせが届いた。

いよいよ本番だ。

この二週間、やれるだけのことはやった。

その全てを、いやオレの人生そのものをぶつけてやる。


「ブルゴーニュ公フィリップ様、御入室です」


その言葉と共にブルゴーニュ公は入ってきた。

既視感を感じた。

それはガレアッツォと相対したときのような、あるいはモルト老と相対したときのような感覚。

それでいてその二つがない交ぜになったような感覚。

武人でありながら政治家。

それは相反する要素を併せ持つ当代屈指の傑物、ブルゴーニュ公が放つ威風だった。


「妙な気分だな。孫と変わらぬ幼子と交渉など……」


第一声がそれだった。

嘗められてる。

オレがあれほど相手を警戒し、成功に導くため苦心したこの会談、それに臨む態度がそれか……。


「まぁ、よい。ブルゴーニュ公フィリップだ」

「オルレアン公が長子、シャルルです」


会談は険悪な雰囲気で始まった。

ブルゴーニュ公は尊大な態度で腕を組み、傲然として口火をきった。


「さて、ブルターニュ公の弟リッシュモンを養育するのは誰かであるが……。話し合う必要などあるまい」


「どういう意味ですか? 」


オレの言葉にブルゴーニュ公は答える。

その様子はいかにも面倒くさげで、決まりきったことをわざわざ言うことへの不快感すらにじませていた。


「そのままの意味だ。

 養育する者よりも幼い保護者など聞いたことも無い。

 はっきり言おう。御主では力不足だ」


あからさまな挑発、露骨過ぎる嘲り。

オレとしてもここまで努力し、練磨してきた己に対して自負がある。

そのまま言わせてはおかない。


「確かに私はリッシュモン殿よりも年下ではあります。

 しかし、曲りなりにも私は彼の後見人であり、この交渉の全権を担う者です。

 それは父オルレアン公から認められています。

 恐れながら力不足は口が過ぎるのではありませんか」


ブルゴーニュ公の威圧感が強まる。

ここまでは前哨戦といったところか。


「大人ぶる態度は自分が子供であると主張しているも同然だぞ。

 まぁ、よい。では、御主は保護者としてどのような教育を施せるというのかな?

 御主もまだ様々なことを学んでいる途上であるというのに」


搦め手できたか。だが、その問いは想定済みだ。


「私には優秀な師が数多くおります。

 その質はブルゴーニュ公が用意される方々に決して劣るものではないと確信しております。
 
 教養の点は何の問題もありません。

 これでも私はリベラルアーツを習得しておりますので」


ブルゴーニュ公は一瞬引くとみせてさらに攻勢をかける。


「なるほど。幼いとはいえ素晴らしい教養を備えているわけか。

 確かに教育する器量はあるようだ。

 だが、御主は日頃からミラノにいるというではないか。

 はたして保護者としての役目を十分に果たせるものかな?」


その問いもまた想定済みだ。


「今回リッシュモン他、兄弟達がパリに連れて来られたは何の為でしょうか。

 イングランドに近きブルターニュ、そこに居る彼等の母に近き者から引き離すことこそが目的のはず。

 ミラノはその目的に反しましょうか。

 また、ミラノ公は私の祖父。

 そして私はその後継者の一人です。いわばミラノは我が領地も同じ。

 ミラノで育てることに何の不都合がありましょうや」


ここからはオレの番だ。さっきまでの借りは返させてもらう。


「私の方こそお尋ねいたします。

 国内が二つに割れ、互いに争い反目している原因の一つにブルゴーニュ公の強大さにあることは周知の事実。

 急速な領土拡大、莫大な財力に諸侯が恐れを抱いていることも事実です。

 この上更にリッシュモン殿の保護者となれば国内の亀裂を決定的なものとしてしまうのでは?」


ブルゴーニュ公はオレの言葉に笑みを浮かべる。

飢えた狼のような危険な笑みだ。


「そこに抗いがたい程の差があれば却って国は纏まるのではないかな」


鋭くなる眼光。

オレもそれに負けじと睨み返す。


「窮鼠が猫に挑むは生き残るためにございます。

 そしてこのフランスに坐して屈服する軟弱な貴族はおりますまい」


オレがそう言ったあと、不意にブルゴーニュ公からの圧力が消えた。

それなのにオレは先程よりも恐怖している。

抜き身の刀を突きつけられる、まさにそのような感覚だった。


「……よいのか?」


暫くしてブルゴーニュ公が何か言葉を発した。それは聞き取れない程に低く、小さな声だった。


「は?今なんと?」


強まる恐怖に逃げ出したくなる気持ちを抑えて尋ねる。


「よいのか、そう申しておるのだ」


ブルゴーニュ公が呟くように発した言葉。

その声は墓場から吹き付ける風のように不吉で、シベリアにいるように冷たかった。

嫌な汗が背中を濡らし、咽喉がカラカラに渇く。


「……何がよいのでしょうか?」


「…………」


意を決して尋ねるも沈黙しか返ってこない。

その沈黙が叫びたくなるほど苦しい。

まだ罵倒されているほうがマシだった。

オレは遂に耐え切れなくなり、何か場を繋げる言葉を発しようとする。

しかしブルゴーニュ公はそれすら許さず、オレの言葉に被せる様に呟いた。


「手綱を手放してもよいのか?」


その言葉の真意がはじめはわからなかった。


「――――!!」


だが、気付いたときは震えずにいられなかった。

まさかここまで露骨に脅迫してくるとは……。

ブルゴーニュ公は要するにこう言っているのだ。

万一オレが引かなかった場合、ジャン無怖公が暗殺を仕掛けてくるだろう。

ブルゴーニュ公はそれを止めないでいいのか、そう聞いている。

いや、むしろブルゴーニュ公本人が刺客を放ってくるかもしれない。

オレが死んだならば、当然リッシュモンはブルゴーニュ公国で育てられることとなるのだから。

会談を二人っきりにしたのはこの為だったのか。


「どうなんだ。何か言ったらどうだ?」


ブルゴーニュ公はさっきまで沈黙していたことが嘘のように饒舌だ。

歯軋りしつつ、この脅迫への対抗策を考える。

ミラノまで辿り着きさえすれば問題ない。

いかにブルゴーニュ公といえどガレアッツォの膝元まで刺客を送り込むことはできないだろう。

ならば、道中が最も危険だ。

あいにく今回の旅にモルト老は付いて来ていない。

彼にはミラノで軍を訓練する段取りを頼んだからだ。

彼さえいれば百万の軍に守られているように安心できるものを……。


「さぁ、返事をしたまえ。それともこれで会談は終わりかね?」


どうやら腹を括らなければならないらしい。

人生には命を賭けて勝負しなければならない時というのがある。

オレはそれが少し早かった、それだけだ。

オレとブルゴーニュ公国とは今後、長い付き合いになる。

これはその最初の決戦なのだ。

それが脅しに屈する等という形で決着すれば相手に侮られ、調子づかれるのは必至だ。

刺客さえ送れば震えて意に従う、そう認識されても困る。

示さなくてはならない。

オレは敵に回すには手強い者だ、と。一筋縄ではいかない者だ、と。


「どうぞ。お好きになさればよろしかろう。

 では、リッシュモン殿は私の下で養育する。そう決まったと思ってよろしいですね」


そう言って睨み返す。

やってみろ、タダではすまさない、そういった決意を視線に込める。

オレの視線とブルゴーニュ公の視線がぶつかり合う。

どちらも一歩も引かず、じりじりと時間だけが過ぎていく。


「ふん、その年でなかなか豪胆なことだ。

 もういい。力を抜いて睨むのを止めろ。会談はここで終わりだ」


ブルゴーニュ公はやけにあっさりと引いた。

言ってはなんだがオレの決意の視線など海千山千のブルゴーニュ公にとって何てことも無い筈だ。

今度は何を考えてるのか、まだ油断はできない。


「そう不審気にこっちを見るな。

 何もする気はない。刺客も送らんし、送らせん。

 この決着は会談前から決まっていたことだ。兄ベリー公と取引が為されていたからな」



ベリー公との取引、その言葉を聞いて警戒心を緩める。

あの人はオレのためにそこまでしてくれたのか。


「兄に目を付けたのはなかなか良かった。

 しかもその年でここまでの胆力を備えているとはな。麒麟児との噂も頷ける」


「なぜ、ベリー公との取引に応じたのですか?

 ブルゴーニュ公ならば押し切ろうと思えば押し切れたでしょうに」


それが疑問だった。

冷静になって振り返ってみれば、この会談は所々に違和感があった。

最初の挑発やブルゴーニュ公の言動。

圧迫面接を受けた、そんな印象があるのだ。


「途中で御主の言った通りだ。

 ブルゴーニュ公国でリッシュモンを育てることになればワシの力が強くなり過ぎる。

 今でもそうなのだからな。

 御主が何の力も意思も無いガキなればそうしていた。

 ワシの力をどこまでも高め、諸侯を押さえつけて力で国を纏めるつもりだった。

 だが、それは諸刃の剣だ。

 ワシはもう59歳。まだまだ若い者には負けんが年だ。いつ死ぬかわからん。

 そうなれば息子に強大過ぎる力を遺してしまう。それはマズイ。フランス王国が滅亡しかねん」


それはブルゴーニュ公の内心の吐露だった。

あまりにも開けっぴろげに語られたそれだが、その内容は重い。

他人においそれと話すことではなかった。


「私にそのようなことまで話して宜しいのですか?」


オレがそう言うと、ブルゴーニュ公はオレの目をじっと見据えた。


「よいか、自身の立場を自覚せよ。

 王太子がおらず、国王があのように錯乱している今、御主が王になる可能性も無い訳ではない。

 そうでなくても御主はいずれ国の柱石を担う。そういう立場にいるのだ。

 ワシの息子も御主の父も、いや全ての貴族が自分の利益の為のみに生きている。国への、王への忠誠心を失ってな。

 よいか、10年先を想像してみよ。

 仮にワシも兄も死に、王太子が産まれるもまだ幼い、そういった状況となったならばこの国を支える人間は御主しかいないのだ。

 自覚せよ。御主は望む望まないに関わらず、国を背負うという使命があるのだ」


オレは驚愕した。

まさか自分がブルゴーニュ公に期待されているとは思わなかった。


「それはブルゴーニュ公の子を敵に回しても、ですか?」


ブルゴーニュ公は大きく頷いた。

そこには重責を担い、国を憂い続けた一人の男がいた。


「ワシの子を敵に回しても、だ。ワシはこの国を愛している。決して滅ぼしたくない。

 兄と共に守ったこの国がイングランドに蹂躙されるを見過ごせすことはできん。

 だが、もはやワシ一人の力ではどうしようもない。若い力が必要なのだ。

 ヘンリー4世は必ずフランスに牙を向く。御主が盾となり矛となって国を守れ。

 それがワシが今回譲歩する条件だ」


オレはブルゴーニュ公に深く頭を下げた。

きっとこの人はずっと悩み続けてきたのだろう。

麻のように乱れる国、それを憂いている一方で自分がその原因となっていることに。

家のため、子孫のためと努力した結果が周囲を巻き込んで肥大化し、いつしか己の手を離れ暴走してしまったことに。

オレとしてもイングランドは避けることのできない敵だ。

今後、百年戦争はますます激しさを増す。

それは英雄リッシュモンがまだ子供であることからも明らかだ。

次期オルレアン公である以上オレはそれから逃れることはできそうにない。

ブルゴーニュ公が言う様に望む望まないに関わらず、だ。

いずれにせよ今回の交渉でリッシュモンを傍に置くことができた。

力を増し、財を蓄え、人材を育成する。

今はそれだけを考えていれば良い。それが将来につながるのだから。 





ブルゴーニュ公との会談とリッシュモン獲得でした。

やはり今のシャルルではまだまだブルゴーニュ公に太刀打ちできない、そう思ってこんな話にしました。

一応、5話との流れから無理は無いようにしたつもりではあります。

ですが、自分でもご都合主義かな~、と思ってはいます(汗)

ご批判覚悟です。それではご意見、ご感想お待ちしています。



[8422] 祭りの後の地団駄
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/07/13 02:24
百年戦争初期、形勢は圧倒的にイングランド優勢だった。

それはクレシーの戦い、ポワティエの戦いといった歴史的勝利によって確固たるものとなる。

両戦闘でフランスが受けた被害は甚大だった。

数万の死者に加え王を捕虜とされ、国土の三分の一と多額の身代金を取られることとなったのだ。

この勝利にはイングランド軍のロングボウ隊が多大な貢献をしている。

当時、野戦における騎士の優位性は常識ですらあった。

完全武装の装甲騎兵が行う膝を交える程の密集隊形。

それによる突撃は心理的効果も相まって、ときに矛を交える前に敵を潰走させる。

フランス軍は絶対の自信と共にイングランド軍に突撃したのだ。

しかし、現実は無情であった。

鋭くとがらせた杭の後ろにいたイングランド軍は戦闘開始前に何万もの矢の嵐を射掛けた。

馬は杭の列に自ら飛び込むことを拒み、その多くが降り注ぐ矢によって傷つけられる。

馬は元々臆病な動物だ。

恐慌をきたす馬、倒れる馬、立ち尽くす馬と統制は乱れに乱れ、隊形は崩壊した。

そうなると優位は機敏な歩兵に大きく傾く。

彼等にとって統制を失ったフランス軍を料理することは実に容易かったのだ。

フランス軍はこの戦闘から戦術の転換を余儀なくさせられた。

伝統的騎馬戦術の放棄。

指揮官ですら下馬して徒歩で戦わざるを得なくなったのだ。

だが、この戦闘で打ち砕かれたのは軍だけではない。

騎士の抱いた幻想もまた木っ端微塵にされたのだ。

騎士とは貴族である。

そして、戦争とは貴族の義務であり、彼らにの許された嗜みだった。

民兵の矢などは勝敗を決する要素になり得ない、多くの者が信じたその信仰が砕かれたのだ。

また、戦争は貴族的な義務の遂行、個人的名誉の獲得を追求する場でもあった。

幻想の崩壊は戦争に対する認識をも変えたのである。

しかし、それは騎士階級のヒロイズムを失わせるという意味ではなかった。

彼等の情熱は実戦ではなく馬上試合や騎士的な武器の習熟に注がれるようになったのだ。

オレは今それを目の当たりにしている。

古代ローマのコロッセウムを彷彿させるような熱気。

己の名誉と強さへの誇りを賭けた騎士達の祭典。

ジョスト(Jousting)だ。

ジョストとは、一対一の馬上槍試合。

80メートルほどの距離を取った2人の馬上騎士が、武器を構え、互いに向けて突撃していく競技だ。

勿論、安全のため各種処置は行われている。

ランスは木製の折れ易い物だし、先端にはソケット、防具もジョスト専用のものとなっている。

しかし競技とはいえ一騎打ち。

怪我は勿論のこと、命を落とす事故も少なくない。

そして、それすらも観衆を魅了する要素となる。

そう、ジョスト会場とは異界。

ここには古代ローマとヒロイックサーガの世界が広がっているのだ。


「シャルルはジョストを見るのは初めてだったね? どうだい、素晴らしいだろう?」


父はまるで自慢の玩具を見せびらかす子供のようにはしゃいでいる。

それもそうだろう。

事実、この大会はオレの帰還に合わせて父が開いたものなのだから。

王族がジョスト大会を主催することは珍しいことではない。

多くの人が集う大会は主催者の権威を見せる格好の場だ。

豪華な賞品に賞金、富裕な者達は趣向を凝らして盛んに大会を開く。

それは政治活動の一環でもあるのだ。

当然、派閥の領袖たる父も熱心な主催者の一人として知られていた。

だが、大会が行われるのは政治的な理由だけではない。

ジョスト大会は祭りだ。

貴族達は刺激に飢えているし、騎士達もまた己の力を誇示する場を求めている。

出世や生活のために参加する騎士も多い。

多く人の利害が一致して求められる、それが人々がジョストに熱狂する一因なのだ。


「おぉ、見たまえ。あの騎士の槍を」


これだからジョストはいい、そう呟く父が指差した騎士を見ると槍に布の切れ端を刺していた。

それはこの戦いを貴婦人に捧げる、という印だ。

まさに騎士的行動。人々が思い描く騎士像そのものの姿に観衆が沸く。

父もまたそれに熱狂していた。


「父上、少々落ち着かれては……」


とはいえ現代人的価値観を持つオレとしては周囲との温度差を感じずにはいられない。

確かに粋な行動だろう。

だが、元日本人のオレとしては女性に対してそこまでできる彼等がさっぱり理解できなかった。

もっと言えば、あまりに気障すぎて鼻につくのだ。


「何を言うんだシャルル。これで盛り上がらないなんて男じゃないよ。

 一人の女性のために命を、名誉を捧げる。

 それこそ騎士の誉れというものじゃないか。君ももう少し勉強すべきだね」


父はしたり顔でそう言った。

自分は母上を裏切ったくせによく言う、そう思っても言えないのがつらい所だ。

ますます盛り上がる父とオレの姿は対照的だった。

頬杖をつき、椅子に寄りかかる姿勢を取る者などこの会場でオレだけだろう。

これには理由があった。

オレは貴賓席が好きではないのだ。

確かに貴賓席は試合が見やすい特等席だが、同時に祭りの喧騒からは隔離された空間だ。

祭りの醍醐味は一体感にある、それがオレの持論だった。

特殊な空間の中で大勢の人と一つのことに夢中になる、だからこそ楽しめる。

ところが、この席に座っていると、まるで一人取り残されたような感覚に陥る。

それは、夜の学校の何とも言えない寂しさにも似た感覚だ。

形容できない思いが泥のようにあふれ、オレにまとわりつく。

この場を立ち去りたくても出来るわけも無く、オレの気はますますめいっていった。

だが、暗い時は長くは続かなかった。

来客を告げられたのだ。

貴族にとってはジョスト大会も社交の場、ひいては政治の場だ。

気を引き締めなければならない。


「オリヴィエ・ド・クリソン様に御座います」


その声と共に一人の老人が近付いてくる。隻眼の男だ。

片目のクリソン、で知られる男。

クリソン元大元帥だ。


「お久しゅう御座いますな、オルレアン公」

「クリソン殿こそお元気そうで」


そう返答する父からは先程までの狂乱っぷりはうかがえない。

それどころかどこか冷たい印象すら抱かせる完璧な微笑を浮かべていた。

綺麗に猫を被ったようだ。

こういった面はさすがは公爵といった所だ。

二人が雑談や政治の話をしている間オレはクリソン元帥を仔細に観察する。

彼に対する評価はすぐに決まった。

狸、それも名うての古狸だ。

実際、クリソン元帥の経歴を見ると彼がいかに上手く立ち回ってきたかがわかる。

彼は軍人でありながら官僚とも個人的友誼を結び、大元帥となった。

やがて軍事貴族の指導者となり、失脚した後も華麗に且つ巧みに、中央から辺境の政界を渡り歩く。

それでいて官僚や父オルレアン公とも密接な関係を保ち続ける。

これらの行動は彼に高度な政治的バランスが備わっていなくては為しえない。

彼はガレアッツォやブルゴーニュ公とは全く種類の異なる、しかし一流という点では同じ政治家だ。

先日、オレに肩入れすることを断った理由も騎士道精神だけが全てではあるまい。

最も大きな理由は父とブルゴーニュ公の政争に必要以上に巻き込まれるのを避けるためだったのだろう。

オレは父に紹介され、クリソン元帥と向き合った。


「お初にお目に掛かります。オルレアン公が長子、シャルルに御座います」


クリソン元帥はリッシュモンの後見人でもあるのでなるべく友誼を結びたいところだ。

まずは様子見。


「先日は無理を言ってしまい申し訳ありませんでした。

 ご存知かとは思いますが、リッシュモン殿は私がお預かりすることとなりました」


オレの言葉にクリソン元帥が応える。

低いバリトンの声。さすが元大元帥、威厳がある。


「いえ、某の方こそ御力になれず申し訳ない。

 某は貴族である前に一人の騎士でありたいと思っておりましてな。

 これも騎士道ゆえのこと、決して他意はなかったことをご承知願いたい。

 だが、ご助力できなかった事は事実。

 今後リッシュモンのことで何か御座いましたらまず、某をお頼りください。

 同じ後見人としていかような事も致す所存に御座います」


成る程、騎士道を前面に押し出してくる。

今まで信念に忠実な頑固者で通してきたわけだ。

上手いな、オレは素直にそう思った。

人は綺麗事には反論しにくい。

それを利用して言質を取り、後でフォローすることで敵意を持たれないようにする。

言うは易し、行なうは難し。

これを実行できるのもクリソン元帥の実績と人格があってこそだ。

余人には真似できまい。


「その時はお世話になります。

 リッシュモン殿と私は年齢も1歳違い。

 互いに競い合い、実の兄弟のような関係を築いていければ、そう思っております」


クリソン元帥はオレの言葉に僅かに驚きの表情を浮かべた。

まだ会ってもいない8歳の少年を破格の待遇で迎える、オレはそう明言したからだ。
 
確かに普通ではない。

だが、少なくともオレはリッシュモンが英雄の資質を備えていることを知っている。

現在がどうであろうと優秀に育てればいいのだ。
 

「それは、亡きジャン4世も喜ぶことでしょう。

 ときにリッシュモンとの対面は何時になさるおつもりでしょうか?」


「リッシュモン殿の都合に合わせようかと思います。幸い特別な予定もありませんし」


クリソン元帥は顎に手を当て考え込む様子を見せている。

その仕草とは裏腹に、目に何かを狙うような感じがある。

一体なんだ?


「ふむ、2ヵ月後に開かれるイザベラ王女の帰還祝いの前には行いたいものですな。

 では、1週間後ということにいたしましょう」


オレは返事をすることすらできなかった。

心底その言葉に驚愕し、固まっていたからだ。

イザベラの帰還祝いなど聞いていない。

婚約者である以上、オレの出席は絶対であるのにも関わらずだ。

すると、父が笑いながら話に入ってきた。


「いや、さすがはクリソン殿。王女帰還祝いを知っておられるとは御耳が早い」


一体どういうことだ、と非難の眼差しを父に向ける。

しかし父はそれに気付きもしない。


「すっかり私の楽しみは奪われてしまいました。

 せっかく息子を喜ばせようと隠していましたのに……」


このクソ親父はいつも余計なことを!!

込み上げる怒りと罵声の言葉を必死で押し留める。

初対面のクリソン元帥の前でその様な醜態を見せるわけにはいかない。


「これは失礼いたしました。父としての楽しみを奪ってしまうとは……。このクリソン、人生最大の失敗でしたな」


いまだ現実に復帰できないオレを余所に二人の会話は続く。


「対面の際に正式な婚約をさせるつもりでいます。いや、本当にめでたいですよ」


「またとない縁談。これ以上の喜びも御座いますまい」


「後日、招待状を送らせていただきます。趣向を凝らしてお待ちしておりますので、どうぞお楽しみください」

 
「これは忝い。まぁ、何はともあれこれにて正式に御婚約。おめでとう御座います」


そう言ってオレに頭を下げるクリソン元帥。

オレが彼に返せたのは引きつった笑いだけだった。

彼が立ち去った後ですっかり手玉に取られたことに気付き、地団太踏んだのは別の話だ。








チラシの裏から清水の舞台から飛び降りる心境で移動して来ました、サザエです。

話数も増えたので、向上のため自分に発破を掛ける意味で移動しました。

これから宜しくお願いします。

それでは皆様からのご意見、ご批判、ご感想をお待ちしています。





[8422] ギヨーム恋愛教室
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/07/06 14:55
騎士道、それは騎士が従うべきものとされている行動規範のことだ。

この時代、軍は主に貴族出身の騎士と傭兵達によって構成されていた。

彼等は戦士であるという点では同じ存在である。

だが、世間の認識は全く異なっていた。

それは騎士には強さだけではなく、道徳心も求めらることに由来していた。

元々、騎士の称号はその資格ありとみなされた者全てに与えられるものであった。

だが、その存在は武具を自費で賄わねばならないことから必然的に金持ちに限定されるようになっていく。

このことから騎士階級が一つの身分とみなされるようになり、世襲のものへ、支配階級へとなっていったのだ。

そして、騎士道精神の形成には十字軍が密接に関わっていた。

十字軍とは西欧全体が異教徒という共通の敵に対して結束した、中世を象徴する出来事だ。

この活動には多くの騎士達が参加している。

中世において、親の遺産は長子が相続するのが普通であった。

次男、三男は己の生きる糧を己の力で切り開かねばならない。

それゆえ、多くの青年が十字軍に己の未来を賭けたのだ。

この活動は各国騎士の相互接触、キリスト教諸騎士団の結成を通して、騎士文化の形成と展開を促した。

同時に、その活動のキリスト教的性格から、騎士が備えるべきものとして徳目が加えられるようになる。

奉仕、敬虔、謙譲、弱者保護といった精神だ。

やがて、騎士の世襲化が進み、支配階級の末端をなす貴族的な身分として固定されてくると宮廷文化への精通も求めらるようになった。

こうして現在の騎士道精神が形作られていったのだ。

すなわち、武勇と勇気、気高さと美しさ、教会への擁護と信仰心、誠実さと寛容さ、気品ある振る舞いと宮廷文化への習熟、

清貧さと気前のよさ、そして、弱者の保護と婦人への崇拝。

これらを以って騎士道とされたのだ。

勿論このような理想論を遵守できる者などほとんどいない。

現実にはしばしば逆の行動、裏切りや略奪、残虐な行為が行われていた。

しかし、だからこそ騎士道精神の体現者は尊いものとされ、周囲の尊敬を得たのだ。

だが、オレからすれば騎士文化は厄介な物もまた生み出していた。

そして、今それによって未曾有の苦しみを味わっているのだ。


「よいですか、シャルル様。一端の男であるのならば女性を賛美するのは当然のこと。

 それは貴族、平民、匹夫に至るまで誰もが致すことです。

 だが、騎士である以上それだけでは不足。あまりに不足!!」


オレの前で熱く語る男の名はギヨーム・ド・エノー。

先日のジョルト大会でランスに貴婦人への誓いの印を施していた者だ。

彼は強かった。

あの試合だけではなく、全ての試合で圧倒的強さを見せつけ優勝の栄冠を得たのだ。

その姿と観衆の惜しみない賞賛を今でも覚えている。

その強さ、人を惹き付ける行動、華やかな装いはまさに人々が抱く騎士像そのものだった。

そんな彼を父がオレの教育係に抜擢したのだ。


「高貴な貴婦人への献身、自らの命すら犠牲にした奉仕の心、それこそがまことの愛なのです。

 それは見返りを求めぬ茨の道。

 報われぬ恋は騎士の心を鑢で削るように徐々に蝕んでいくでしょう。

 それでよいのです。その試練を乗り越えてこそ真の騎士。

 そうした恋を通じて騎士は精神を鍛え、人格を洗練させ、立派な者となれるのです」


ジョルト大会のオレの様子から、父はオレの騎士文化への理解が不十分だと感じたらしい。

婦人に対する徳目については特に。

彼はそんなオレに、宮廷風恋愛について教えるため父によって遣わされたのだ。

宮廷風恋愛とはギヨームが語るように高貴な貴婦人へ無償の愛を捧げるものだ。

こう言えば聞こえはいいが、要するに不倫のことである。

まさかフランスが600年も前から不倫は文化だ、を地でいく国とは思ってもみなかった。

そう、文化だ。

不倫は立派な騎士文化と認知されているのだ。
 

「もちろん彼女達はやんごとなき方々。

 接するにも然るべき態度といったものが必要とされます。

 宮廷の習慣や礼儀作法についていまさらシャルル様に語る必要はないでしょう。

 しかし、良き雰囲気をわがものとして女性を賛美することに関してはまだまだ改善の余地があります。

 この騎士ギヨーム・ド・エノーが僭越ながらそれを伝授いたしましょう」


心底余計なお世話だ。

だいたい王族であるオレにそのような作法は不要ではないのか。

私生児を大量にこさえた結果、相続問題で禍根を残したりするなんて愚行でしかない。

そもそも不倫が法で規制されている現代的価値観に慣れたオレは、宮廷風恋愛なんて詭弁にすぎないと感じている。

どう言いつくろうと良い行動ではないだろう。

だが、ギヨームの面子を潰すわけにもいかない。

彼には何の悪気もなく、与えられた栄誉を精一杯つとめようとしているだけなのだから。

恨むべきは父なのだ!!


「良いですか、詩的な言葉遣いは極めて重要です。

 直接的な表現で賛美してもしらけるだけ。

 詩的に、美しくかつ雄弁に女性の美徳を讃えることが慣わしなのです。

 それでは、そうですな……まずは簡単に花に例えましょうか」


オレが脳内で父を断罪し続けている間に話は進んでいたようだ。

何やら実地訓練にまで到っている。


「花、であるか、ギョーム殿」


オレの言葉に彼は大きく頷いた。

いたって真面目なようだ。


「花で御座います、シャルル様。

 いささか陳腐すぎますが、まずは定番のものから練習することが良いでしょう」


彼はそう言うとさあ、と促してくる。

その眼はどこまでも純粋で無駄に澄んでいる。100%善意のみしかない。

くそ……やるしかないのか!?


「そ、そナたはまルでば、バ、薔薇のヨうだ。そなたのウツくしさを……」


喋れば喋るほど恥かしい。

こんな辱めを受けたのは初めてだった。

清水の舞台から飛び降りる、真剣にそんな思い出しゃべっているのだ。

しかしオレの決死の思いをギョームは無情にも打ち砕く。


「シャルル様、それでは駄目です!!

 もっと堂々と、身振りを交えて心から感動しているように言わねば。

 それにあまりに率直すぎます。

 手など細やかな部位も褒めて、気持ちをもっと積極的に伝えなくてはばりません。

 さぁ、もう一度です。道はまだまだ長いですぞ」


好き放題言いやがって。

そんな真似できるわけないだろう。


「ではギョーム殿、お手本を見せて頂きたい。なにぶん初めてのことゆえな」


後になって振り返ればオレはこのとき気が動転していたのだろう。

稽古の時間は決まっている。

ギョームに喋らせておけば自分が喋らねばならない時間は短くなる、そう考えたのだ。

よくよく考えてみれば、この特訓はオレが言葉遣いを完璧に習得するまで続くというのに……。

だが、このときのオレにとって、目の前の恥辱から逃げることだけが全てだった。

はっきり言おう。このときのオレは頭が死んでいた。

オレの言葉にギョームもそれもそうですな、と同意した。

そして片膝を突き、左手を胸に、右手を宙に向かって何かを求めるように伸ばす。

その表情は美を目にした限りない喜びと、それを手に入れられない僅かな悲しみを絶妙に表現している。

一瞬でよくこんなことが出来るもんだ。


「おお、いと尊き御方よ。その麗しき御手を私めに差し出していただくことこそ我が喜び。

 その美しさは白魚のごとく、たおやかさは白百合のごとし。

 願わくば我に笑顔を向けたまえ。それは太陽の如く我が心を照らさん。汝なくば……」


ギョームの貴婦人を讃える様は確かに立派なものだった。

歯が浮くどころか抜け落ちそうなセリフを堂々と言えるだけでも大したものだ。

最初は彼の低い美声もあってオペラを観賞している気分だった。

それが10分続き、20分たっても止まないというのでなければオレは心地よく聞いていられたであろう。

30分過ぎてもいっこうに終わる気配が無い今、オレの気分は二日酔いの朝のようだ。

まるで催眠術にかけられたように頭がクラクラしている。

さらに時間がたつと、何故だろうか。

段々ギヨームがこの世で最も素晴らしい騎士のように感じられ、目の前には一人の美しい貴婦人が見える気がしてきた。

しかもオレはそれを当然のことのように受け入れているのだ。

そして、時間の概念があやふやに感じ出した頃やっとギヨームの愛の見本劇は終わった。


「初めてですのでこのくらいにしておきましょう。さぁ、私が今言った通りに真似てください」


オレは自ら片膝を突いて胸に手を当てる。

このとき、オレは絶対に正気ではなかった。

普段ならば口が裂けても言わない言葉を嬉々として言っていたのだから。


「もっと感情を込めて」

「抑揚をつけるのです。それ一つで相手への伝わり方が違います」

「まだまだ。もう一度です」

「その部分は囁くように言うのです。ムードを大切に」


その後ギョームの熱く厳しい指導は予定を繰り上げて四時間続いたそうだ。

オレには全く記憶にはない。

だが、気障な言葉への忌避感が薄れているというのはそういうことなのだろう。

そして、今日もまたギョームが来る……。

この日、オレの恨み帳簿父の項に新たなページが加わったのだった。









臭いセリフが今回最大の難物でした。

あのような事を素面で言える人は尊敬してしまいます。

騎士について書かせてもらいました。

ギヨームの扱いは今回はこの様になっております。

お気に入りの方がいらしましたらこの場を借りてお詫びしておきます。

次回はいよいよリッシュモンとの対面と出来れば宮廷模様を書きたいと考えています。

それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしております。




[8422] 少年リッシュモン・英雄の原点
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/07/19 03:49
アルチュール・ド・リッシュモンは複雑な背景を持った少年だった。

その背景は少年の母がイングランド王の下へ走ったということだけではない。

彼にはもっと歴史が長く、根深い事情があったのだ。

それはリッシュモンがブルターニュ人であることだった。

ブルターニュ地方とはフランスの北西に位置する半島とその周辺を指す。

そこはイングランドとは海峡を隔てているだけで、フランスとイングランドの中間に位置していた。

住人はケルト人をその起源に持つ者達だ。

彼等の先祖はアングロサクソン人の圧迫を受け、イングランド西端、コーンウォールから海を渡ってブルターニュに移住した。

当然、その風俗習慣にはケルト人のものを多く残している。

そういった地理的、文化的要因からブルターニュ地方はイングランド、フランスのどちらに帰属するべきかということが明確でなく、半独立状態が長い間続いた地域であった。

その曖昧な形で放置されていた問題は百年戦争初期、ブルターニュ継承戦争という形で表れた。

25年もの長きに渡って行われたこの戦争は、ブルターニュ公の継承を巡ったものだったが、イングランド王とフランス王の介入の結果、実質上両者の代理戦争となっていた。

この戦争は始まりも複雑であれば、終わりも複雑だった。

代理戦争としては賢王シャルル5世率いるフランスに軍配が上がったが、真の勝者となることは出来なかったのだ。

ブルターニュ公となったのはイングランドが支援していたジャン4世だった。

彼は封建的臣従の礼を取ることでフランスと和解する一方で、イングランドとも秘密同盟を結んでいた。

フランス王と繋がりの強い有力領主を抑えるためだった。

戦争は独立性を維持しようとするブルターニュ公と、屈服させたいシャルル5世の駆け引きへと形を変えたのだ。

そして、最終的な勝者はブルターニュ公であった。

シャルル5世ですら、激しい抵抗運動によってブルターニュの王領併合を諦めざる得なかった。

ブルターニュ人の独立心はそれほどに強かったのだ。

少年リッシュモンを巡る数々の政争、協議にはこうした経緯があってのことだった。

やっと落ち着いたブルターニュを騒がせたくない、イングランドに介入する隙を見せたくない。

そうした意向が働いた結果だったのである。













街道を走る一台の馬車。

その中に件の少年、アルチュール・ド・リッシュモンと彼の後見人クリソンはいた。

Arthurという伝説の騎士王と同じ名をもらった少年である。

それは偶然の一致か、英雄となることを神に約束された必然か。

その姿からは幼いながらも貴人の風格を感じさせていた。

幼くとも鷹のように尖った鼻と鋭い目を有する精悍な顔。

かつては少年らしい魅力的な笑顔を浮かべていた顔だ。

しかし今、その顔には深い懊悩の皺が刻まれていた。

そう、母が去った運命の日より癖となっていた表情だ。

彼は常日頃、黒髪を弄りつつ何かを考え込んでいた。


「いつも何を考え込んでおるのだ? そのように難しげな顔をして陰気が過ぎるぞ」


彼の陰気にはクリソンも手を焼いていた。

以前は闊達で人好きのする人柄だった少年はすっかり変わり果てていた。

無理もない。

8歳という若年の彼にとって、母に捨てられるという事態はそれ程の重大事だったのだ。

クリソンはそのことに殊の外心を痛めているのであった。


「ほれ、今日はシャルル殿との対面の日だぞ。

 今後世話になる相手じゃ。もっと愛想よくして損はあるまい。
 
 そうじゃ、ちょっとここで練習してみよ。笑え、笑え」


老人の精一杯の心遣いも少年の固く閉ざした心には届かない。

クリソンは深い溜息をついた。

繊細な年頃の子、彼をしても扱いかねていた。


「御主の気持ちも分かる。さぞ、つらかろう。

 だが、酷な事を申すようだがこの戦乱の世にあって、悲劇はそこら中に溢れておる。

 口減らしのために産まれたばかりの我が子を捨てる親は多い。

 年老いた親を殺す子もじゃ。

 この世こそが地獄、人とは罪深きもの、それを嘆いても仕方ないではないか」


リッシュモンはじろりとクリソンに目を向けた。

その顔には老練なクリソンを圧する程の得も知れぬ迫力が備わっていた。


「私は徒に己の不幸を悲しんでおるわけではありませぬ」

「では、一体なにをそんなに悩む?」

「………」

「御主はそうやって己の心中を語りたがらぬ癖がある。

 それは悪癖じゃ。人は他人の心を察することなどできはせん。

 兄君も御主を気にかけておったぞ。

 もしワシらに話しづらいのであれば、誰でもいい。話してみよ」

「………」


黙秘を貫くリッシュモンにクリソンもそれ以上言葉を重ねることを止める。

そう簡単に解れるようなら人は悩みはしないのだ。

果たしてどうすればこの少年をより良い方向へ導けるか、最近のクリソンはその事ばかりを考える。

振り返るとクリソンの人生は戦いの連続であり、それを代表するのが宿敵ジャン4世との戦いであった。

それほど彼の人物との日々は濃密だった。

だからリッシュモンに対する思い入れも強い。

期待してしまう。執着してしまう。心配してしまう。

互いに認め合った宿敵の子である。

どうにかしてやりたい、せねばならない、それはクリソンの偽らざる本音だった。

そうして物思いに沈むクリソンに呟くようなリッシュモンの声がかかった。


「シャルル殿は……どのような御仁でしょうか?」


ようやく喋ったリッシュモンに安堵すると共に一つの事実に気が付く。

リッシュモンが自分の預け先となる人物に関心を示したのはこれが初めてであった。


「ん、シャルル殿か。

 先日御目にかかったが、なかなかの器量ではあった。

 不測の事態が起こった際の対応も垣間見れたが、それも悪くなかったしの。 

 経験を詰めば一角の人物にはなるかもしれん、そういう御仁じゃな」
 

クリソンはそう言った後で少年の様子を観察した。

同年代の者の話をすることで変化を期待したのだ。


「学問が得意と、そう聞きましたが」


リッシュモンが他人に興味を持っている、クリソンはその事実に歓喜した。

何とかこれを突破口にしたい。

その一心で彼はシャルルについて様々なことを語って聞かせた。

脚色されている市井の噂話も含めて、だ。

もしシャルルがクリソンの語った通りの人物であったなら、とんでもない偉人になってしまうだろう。

曰く、1を聞いて10を知り、5人の人と同時に話すことが出来る。

曰く、異国の言葉を一週間ほどで習得してしまう。

曰く、慈悲深く敬虔な神の僕であり、正体を隠して街の悪漢を裁いている。

その話のどれもが100倍に誇張されたもので、中には有りもしない嘘すらあった。

シャルルが聞けば恥ずかしさのあまり縮こまって、隠れる穴を探し出すだろう。

クリソンにしてもやり過ぎている気はしていた。

しかし、リッシュモンが気の無い姿を装いながらもこちらの話に耳を傾けている以上、止めることは出来なかった。

こうして馬車が目的地に着くまで、クリソンはひたすら偽りのシャルル像を語り続けることになったのである。













オレはリッシュモン一行の到着の知らせを受けて、面会室に向かっていた。

本当は未来の大英雄を待たせるなど気が引けるし、自分から迎えに行ってこちら側に引っ張り込めた喜びを確認したかった。

だが、何事にも様式というものがある。

格上の立場であるオレがそのように軽々しい行動を取るわけにはいかないのだ。

これはあのギヨーム講座で学んだことの一つだった。

現代と違って、トップのフットワークが軽いことは必ずしも良いことではない。

王族はときに幻想をまとって君臨することも必要だからだ。

かつての天皇がそうだ。

謁見する者からは天皇の姿は御簾の向こう側にうっすらとしか見えない。

それが良いのだ。

人々はその影を通して、日本の神話と歴史の体現者を感じる。

そうすることで等身大の人間が現人神になるのだ。

面倒な使用人が来訪を告げるのを待ってから入室する段取りも必要なこと、オレはそう割り切れるようになっていた。


「お初に御目にかかります、アルチュール・ド・リッシュモンと申します。

 シャルル様におかれましては私の養育を引き受けていただき、誠にありがとう御座います」


「シャルル・ド・ヴァロワだ。よく来てくれた」


オレはこの会談を二人だけのものにした。

クリソンという親役の者がいては、ありのままのリッシュモンを見ることは出来ないと考えたからだ。

それにあの喰えない老人がいては、そちらに警戒心を割かなくてはならない。

オレはこの会談をリッシュモンを観察するという一点に絞りたかった。

そしてオレの第一印象は、暗い目をした奴、だった。

目は口ほどにものを言う、とはよく言ったもので人は視線に対して酷く敏感だ。

オレは部屋に入ったときからリッシュモンの値踏みするような暗い視線を感じていた。

それを当然と受け止める自分と違和感を感じる自分が居る。

どうも取り入る相手の力量を測る視線とは毛色が違う気がするのだ。

オレはこの感覚に多少自信を持っていた。

権謀術数の中心で育ったことによって培われた感覚だ。これのおかげで命が助かったこともある。

取り敢えずは当たり障りのないことから会話を始めよう。


「リッシュモン殿は何を学ばれたいとお思いかな?」

「私はまずは武人として己を高めたいと考えています」

「学問をされる気はないと?」

「もちろん学問を疎かにするわけではありません。ただ、この戦乱の時代において私は武を重視したいと思います」

「知識の重要性は低いと?」

「勝たなくては知識を活かすことすらできませんから」


上っ面だけの薄い会話だ。

互いに優等生な内容ばかり言って手の内を見せない、そんな遣り取りだ。

オレが望んでいるのはこんな会話ではない。

そろそろ少し踏み込んでみるか。


「リッシュモン殿、何か言いたいことがあるのであろう?」


オレの言葉にもリッシュモンは動じない。

何のことか、と惚けてみせる。

内心を吐露される、それには2通りの方法がある。

1つは信頼されるのを待つこと、もう1つは抉り出すことだ。


「誤魔化すことは無い。宮廷で育った私にはわかる。

 君の目が私の心を探っていることは、な。

 そしてその目の光、それは何か1つの事を深く思索する者が持つものだ。

 哲学者の目、そう言ってもいい。何か知りたいことがあるのだろう?

 私がその答えを知っているのか、それ程の人物なのかを探っていたのだろう?」


オレの言葉を聞いてリッシュモンは沈黙した。

あの暗い目は考えても答えの出ない何かへの憤りと苦悩の目だった。

それに気付いたならば、そこを突けばいい。

オレはリッシュモンの目を真っ直ぐ見ながら彼の言葉を待った。

暫くしてリッシュモンは静かに語りだした。


「……正義とはなんだ?」


その声はマントルの底に押し込められたマグマのような熱を孕んでいた。

仮面を脱ぎ捨てたリッシュモンはまさに別人だった。

いつしか彼は太陽がプロミネンスを纏うように熱気を身に纏っていた。

どこか不安定で頼りない、しかし膨大なエネルギーの塊のような少年。

それがリッシュモンの真の姿だった。


「母が去ったときに考えた。

 親が子を守り育てる、それは神の定めた摂理の如く当然のことだ。まして貴族であるならば、な。

 だが母は我々を捨てた。私は1人世界に放り出されて考えた。

 正義とは何か。

 高潔な騎士の鏡と言われるクリソン殿すら保身のために他人を蹴落とすことがある。

 神の地上代理人である教皇すら金で罪は贖われると説く。

 教えてくれ、シャルル殿。リベラル・アーツを修めた者よ。
  
 正義とは何なのだ!!

 神が唯一人であるように絶対の正義という存在はこの世にあるのか?」


それは解答の存在しない命題だった。

きっとリッシュモンも認めたくないだけで理解しているのだ。

絶対の正義などこの世にはない、と。

リッシュモンは幼さゆえの一途さでそれを探し、持ち前の潔癖さからそれが存在しないことに苦しんでいたのだ。

そして、彼が正義を探し始めたのは母に捨てられたからだ。

母が己を捨てたことに正当性や事情を見出したい、という心に端を発したものだ。

これはオレの手に余る。オレでは彼の心を癒すことは出来ない。

彼を癒せるのは似た境遇を味わってそれを乗り越えた者だけだろう。

オレに出来るのは対処療法的なことだけだ。


「リッシュモン殿、一つ東洋の歴史をお話しよう。まずはそれを聞いてくれ」


これで納得してくれるとは思わない。

けれど何かを掴む切欠になって欲しい。


「かつて宋という国があった。この国が今のフランスのように危機に陥った際、一人の英雄が現れた。

 名を岳飛。彼は義勇軍の一参加者の身から己の軍功のみで将軍にまでなった男だった。

 彼は外敵を幾度も打ち破った。彼は強く、学もあり、若かった。

 民衆に絶大な人気を得た彼は主張した。失われた領土を取り戻せ、誇りを持って夷敵に屈するな、と。

 彼は正義と思うか?」


リッシュモンは頷いた。

祖国のために身を呈して戦う、それは一つの正義の在り方だ。

騎士の誉れといってもいい。


「同じ国、同じ時に一人の宰相がいた。

 名を秦檜。彼は和平推進派だった。

 敵国との国力差は圧倒的で、岳飛の唱える領土奪還は非現実的なものだった。

 王の意思も和平に固まっていた。

 秦檜は主戦派を抑えこんで和平を結んだ。その過程で英雄岳飛も謀殺した。
 
 だが結果的に有利な講和を結んで国を救った。

 失ったのは屈服したという体面のみで実利を得た。

 彼は多くの非難を浴びたが、戦を避けることで多くの命を救ったのも事実だった。

 彼は悪であると思うか?」


リッシュモンは考え込んでいた。

秦檜の行いは正義ではない。だが、悪でもない。

結果的に国に利益をもたらしたのは秦檜であり、彼の行いによって失われなかった命もあるからだ。


「リッシュモン殿、私は正義とは人それぞれによって違うものだと思う。

 物事は単純に二極化して分けることは出来ない。視点が変われば物事への見方も変わるからだ」


リッシュモンはそれでも承服しかねる、そういう表情をしていた。

今すぐ受け入れることは無理だろう。

彼の受けた心の傷はそれ程に深い。


「リッシュモン殿はミラノで暮らしてもらうつもりでいる。

 そこには私の母もいる。

 ご存知かと思うが、母も結果として父に切り捨てられた身だ。

 最愛の人から裏切られた、そういう点でいえば貴殿と似通った境遇にあるといえよう。

 私では貴殿の悩みをなくすことはできないが、母ならば共感するところがあると思う。

 是非とも母に会ってくれないか」


結局、母に問題を丸投げする形になってしまった。

しかし、こうしてオレの話を吟味しているリッシュモンの姿を見ると少しは影響を与えられたように思う。

リッシュモンに必要なのは母親に代わって愛情を注いでくれる女性だと思う。

母は情の深い心優しい方だ。

きっとリッシュモンを包み込んで傷を癒してくれるだろう。

彼女の抱擁と笑顔はオレだけの特権だったが、貸すことも吝かではない。

こうしてオレとリッシュモンの出会いは終わった。

現実のリッシュモンは英雄の片鱗は感じさせるものの、年相応の少年だった。

失った母の愛を求める孤独な子供だったのだ。






悩める少年リッシュモンについてでした。

母親に捨てられたらどうなるのだろう、という想像の下に書きました。

なるべく説教臭くならないように気を付けたのですがどうでしたでしょうか?

少々心配です。

ご批判も真摯に受け止めさせて頂きたいと思います。

それでは、御意見、御感想をお待ちしています。



[8422] 婚約と社交会
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/07/20 01:39
華やかに彩られた会場。

典雅な衣装と煌びやかな宝石で着飾った人々。

皆が競うようにして美麗に装う中、オレは一際人の目を引く格好をさせられていた。

その衣装はオレには華美を通り越して滑稽ですらあるように思える。

現代の美的感覚からすると狂気の沙汰ともいえるこの衣装は、目立つというただ一点についてのみ追求した派手な仕立だ。

名誉のために言っておくが、断じて自らの意思で着たわけではない。

目玉商品を分かりやすい位置に展示するように、誰から見ても主役と分かるためという余計な配慮なのだ。

そう、この式典の主役はオレとフランス王女イザベラ。

その正式な婚約を祝うパーティーだった。

そして、オレことシャルル・ド・ヴァロワにとっては社交会デビューの場でもある。

周囲より一段高い位置にある天蓋付きの上座に座る者は全部で4人。

オレと王女イザベラ、ホストである父オルレアン公ルイ、そしてその横に当然の如く座るフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールだった。

この会場に母の姿は無い。

パリ追放の身である母は会場に入ることすら叶わなかったのだ。

周囲もまた、それを当たり前のことと認識していた。

母が本来座るべき場所を奪った王妃イザボーもその事実を気にしてもいない。

そのの佇まいはオレの目に、自分こそオルレアン公の妻であると主張しているように、

さらにはこの宴の真の主役、ひいては現在のフランスの主は自分であると誇示しているように映った。

そして、ある意味でそれは事実であった。

宮廷において、イザボーの歓心を買うことが出世に繋がるということは周知の事実だ。

イザボーに文句を言う者は誰もいない。

父オルレアン公ですらその寵愛を維持することに汲々としている。

そういった貴族の態度がイザボーの権勢を示していた。

そして、彼女はそれをいいことに莫大の金銭を己の快楽に注ぎ込み、国庫を圧迫し続けている。

その規模の大きさは、幼い王子王女は食事にすら窮乏していたと噂される程であった。

口さがない者は、そのために王子が夭折しているのだとさえ揶揄する。

そんな状態がフランス宮廷の現状だった。

そんなイザボーは現在、女盛りの30歳。

彼女は14年前、16歳でシャルル6世に嫁いだ。

意外なことに、紛れもない政略結婚であったにも関わらず夫婦仲は相当よかったそうだ。

その理由は至極単純なものだった。

シャルル6世がイザボーに惚れ抜いていたからだ。

実際、イザボーは類なき美女だった。

厳選された職人の手による芸術レベルの衣装、その中から更に選び抜かれた一品によって閉じ込められた豊満な肢体は最高級の香油によって磨きぬかれている。

オレの知る最も美しい女性は母であるが、イザボーの美貌も母に劣ってはいない。

色気という点ではむしろイザボーの方が上だろう。

リリスの如し。

そんな例えが浮かぶ妖艶さ。

イザボーは衣服を纏っていてですら、男の劣情を刺激する女だった。

しかし、それはイザボーの方が女として母より勝っているということではない。

美しさにも種類がある。

母の美が清楚で男を癒すものであるのならば、イザボーの美は華美で男を惹き付けるものであるということだ。

そして、娘である11歳のイザベラは母の血を見事に受け継いでいた。

将来の美貌を伺わせる顔は母と瓜二つで、体は既に幼いながらも薄っすらと色気を備えている。

だが、この親子には決定的な違いがあった。

それは育った環境からくる気質の違いで、奔放で陽気と言われるイザボーに対してイザベラは一目で内気な女性と見て取れた。

今もオレの横で伏し目がちに座り、人の多さに怯えている。

わずか7歳で敵国に嫁ぎ、その中で孤独に過ごした日々がイザベラの人格形成に大きな影響を与えたのは疑いようもなかった。

それを哀れとも思う。

だが、それ以上にオレにとってイザベラという存在は母を貶めたイザボーの子、という認識が強かった。

心の中では分かっている。

イザベラも王族の宿命に振り回された被害者なのだ、と。

オレが気遣わなくてどうすのだ、と。

だが、オレのイザボーへの憎しみが、本人を目の前にしてマグマのようにふつふつと湧き上がって邪魔をする。

オレはそれを抑え込むのに必死だった。

とてもじゃないが、イザベラを気遣うだけの余裕がない。

イザベラの姿がイザボーと重なって見える。

そして、その向こうに母の泣き顔がちらつくのだ。

今のオレは必死に己を律し、気を逸らさなくては逆にイザベラを傷つけかねなかった。

後で必ずフォローを入れる。

そのために心の平静を取り戻すべく、オレはじっと前を見据えて儀典官のぶら下げる大きな金の鍵を見つめ続けた。

そんな風にオレに活用されている儀典官とは宴の進行係のことだ。

彼は先程から出席者の間を歩き回り、宴の第一段階である乾杯の歌を皆に奉げている。

この時代の宴は芝居がかったエンターテイメントであり、示威活動であった。

平民であろうと貴族であろうと有力者である者は無駄な行動はしない。

一挙手一投足には何らかの意味があり、宴を主催する場合はそこに複数の効果を狙っている。

今回の婚約式典もそうだ。

オレがすぐに思いつく限りでも最低3つの効果は期待できる。

中立派にオルレアン公の財力と権力を見せ付けること。

王妃イザボーとの信頼関係を知らしめることによって、ブルゴーニュ公の陣営を動揺させること。

自分の派閥の更なる結束を図ること。

この他にも側近を集めて何らかの計画を話し合ういい機会でもあるし、敵陣営に内応者を作っているならその者と堂々と接見することもできる。

饗宴は立派な政治活動なのだ。

また、この時代の式典は一種の儀式でもある。

そして、儀式である以上決まった段取りがある。

まず、今行われているように乾杯の歌を歌う。

この歌は出席者達を讃え、場を盛り上げるためのものだ。実際に乾杯を行うのは少し後になる。

次に行われるのは塩の献上だ。

この時代、塩は大変貴重で高価なものであった。

それは東西問わず同じで、中国では塩を国の専売として財政の基礎の一部にしていた程だ。

それゆえに塩は身分の高さや高貴さの象徴でもあった。

塩の献上の後はトレンチャーの支給を行う。

トレンチャーとは長方形または円形に焼いた大きなパンを2、3日おいたものだ。

非常に固いこのパンはなんと皿として使われる。

料理をその上に置いて、手掴みで食べる。それがこの時代の常識だった。

もちろんパンであるのでやがては水気で柔らかくなり、皿としての役割を果たせなくなってくる。

貴族は当然、それを食すなどというはしたない真似はしない。新しいトレンチャーと取り替える。

非常にもったいないと思うが、オレもかつてそれを食べてひどく怒られてからは泣く泣く交換していた。

このパンの儀式が終わると、今度こそ乾杯だ。

毒見係が飲んだことを確認してから、儀典官が乾杯の言葉を大きな声で述べ、列席者も口々に乾杯を唱和する。

楽師たちが盛大にファンファーレを鳴らし、やっと料理が一皿ずつ運ばれてくる。

食事中にも演奏は続けられ、様々な余興や劇が行われる。

ここが主催者の腕の見せ所で、各人とびっきりの趣向をこらす。

主催者自ら余興をすることもあるのだ。

現に王であるシャルル6世も「野蛮人の踊り」と称して人々を楽しませたことがあった。

このように中世の饗宴は複雑な式典だ。

それは政治の場であり、エンターテイメントの場であり、儀式であるという一見矛盾した重要な行事なのだ。













宴も半ばを過ぎ、享楽の時は終わった。

今からは社交の場。

剣ではなく言葉で争う闘争が始まる。

その主役は式典の主催者である父だ。

オレはこのとき始めてオルレアン公ルイの真価を知った。

父は劇場型の人間だった。

180センチの長身にすらりとした体型。

それを包むのは流行の最先端の衣装だ。

実は現代の人々が想像する中世貴族の典型的服装、足全体をタイツで覆うファッションは最近になって生まれたものだった。

体の線を強調してしまうその服装は着るものを選ぶ代物だが、父は見事に着こなしている。

為政者にとって見た目は重要な要素だ。

見目の良さが大衆からの人気やカリスマ性に寄与する所は大きい。

この点で父は大変有利であった。

そして、その父を囲むのはいずれもフランスの重鎮たちだ。

フランス大提督、オルレアン公元帥と兄弟で軍事を極めたブラクモン。

国王の顧問会議の構成員であり、ノルマンディーの名家出身であるトルシー。

下ノルマンディーにおける国王代理として活躍したモーニー。

国王の「切れ者の執事」と呼ばれた侍従ダンジェンヌ。

いずれも名だたる実力者たち。

オレの知るいつもの父ならば見劣りしてしまいかねない者たちばかりだ。

だが、今の父は違った。

派閥の象徴として振る舞う父には「華」があった。

周囲を巻き込み、惹き付け、魅了する。

バラのように艶やかで惹き付け、食虫植物のように相手の心を絡めとる。

成る程、父がブルゴーニュ公の対抗馬として担がれるはずだ。

オルレアン公ルイは社交の場では無敵なのだから。

この華は身につけようとして身につくものではない。

生まれ持っての才能だからだ。

オレは改めて父を見直し、自身も会場へと乗り出した。

オレも父に負けてはいられない。

まず最初に接近したのはベリー公だ。

オレの後見人となったベリー公を仲介すれば、様々な貴族と渡りをつけることができる。


「先日は誠にありがとう御座います。ベリー公のお力添えがなくては私の望みは叶いませんでした」


オレの礼を受け取ったベリー公は実に上機嫌だった。

ベリー公には会談後にも改めて美術品を送っており、その関係は極めて良好だ。

小柄な体を揺らして宴を満喫している彼の目にはオレに対する親しみに満ちている。


「おぉ、シャルルか。先日もらった石像も大変素晴らしかった。

 君の贈り物はどれもこれも私の心を捉えて放さない一級品ばかりだ。一日中見ていても飽きないよ」


ベリー公はオレの贈り物について手放しで褒めちぎった。

やれあの像の背中のラインとその力強さは素晴らしい、だの。

あの絵のタッチは独特で初めて見たときは3時間も見つめていた、だの。

これほど喜んでもらえるなら贈りがいがあるというものだ。


「しかし、君はあれだね。まるで私の嗜好を私以上に知っているようだね。
 
 どれもこれも実に的確に好みをついてくる」


ベリー公はそう笑ってからかうが、その言葉は的を射ていた。

オレはかつて目にした「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」からベリー公の嗜好を分析して贈り物をしているのだから。

彼の芸術活動の集大成を思い出し、その内容をお抱えの芸術家に話してベリー公の好みそうな作品を探す。

そうすれば高確率で御目に適う作品を贈れるというわけだ。

もちろんオレはそんな裏事情を馬鹿正直に伝えない。


「ベリー公のことを思い、慕う。そうすると自然と御身の好みも分かるようになったのです」


そうしたり顔で言うだけだ。

一頻りベリー公と交わった後、オレは様々な貴族との面通しを行った。

顔の広いベリー公が紹介してくれた者はかなり多岐にわたったが、その中でも最も驚いたのは目の前の男だ。

ジャン2世・ル・マングル。

生粋の武人であるこの人物を生粋の芸術家であるベリー公から紹介してもらえるとは思わなかったが、これは思わぬ幸運だった。

オレはジャン2世・ル・マングルと是非話をしたかった。

彼はヴェネツィアを牽制するためジェノヴァに駐在している。

こういった大きな催しでなければ知り合うことはできないのだ。


「お初にお目に掛かり光栄の極み。ジャン2世・ル・マングルに御座います。世間にはブシコーで通っておりますれば、そうお呼びください」


そう挨拶をするブシコーはオレの想像していた通りの人物だった。

彼は馬上試合やプロシア十字軍で勇名を馳せ、元帥の地位を賜っている。

その経歴からオレはギヨームと似通ったタイプであると推測していた。 


「高名な騎士、あらゆるか弱き者の盾、最も有力な女性の擁護者であるブシコー殿と知己になれる。

 これも神の思し召しであろうか。

 私も同じ騎士の道を志す者、貴殿のことはかねてより険しき騎士の道を駆け抜ける偉大な先達として尊敬しておりました。

 一つ私に正義の道について御教授願えないだろうか?」


こういった人物はとかく煽てに弱いものだ。

案の定、ブシコーも恐縮しながらも満更ではない様子で己の武勇伝を語り始めた。













オレとブシコーはベリー公の下を辞し、二人だけで話をしていた。

ベリー公も一通り紹介したい人物には紹介し終えたらしく、またオレが少年らしく武勇伝に夢中になっていると受け止めて快く送り出してくれた。


「私は一人の女性の名誉を賭けて決闘に及びました。

 彼女の甥は、無分別にも夫の死の悲しみに暮れるか弱き貴婦人に対して相続権を主張したからです。

 彼女を崇拝していた某はこの不義に怒り、卑劣漢を公の場で挑発しました。

 貴婦人相手にしか凄めない男とそれを諫めもしない友人たち。この地には騎士といえる者がいないようですな、と」


酒も入ったブシコーの舌はますます滑らかになり、彼の口からは絵本の物語が次々と飛び出てくる。

ブシコーの人生は吟遊詩人の語る騎士物語そのものだった。


「相手は10人、こちらは1人。多勢に無勢と止める者に某は言い放ちました。

 不義なる者が蔓延るはそれだけで某の恥辱なり。これを見過ごす者は騎士に非ず、と。

 決闘は勝ち抜き方式で、最初の相手は標的たる男でした。 

 私は愛馬を駆り、不用意に突き出された彼の槍をかわしざまに一突き、えいっと突き出しました。

 某の放った渾身の一撃は鎧を割り、体に突き刺さり、一瞬で彼を絶命させるに十分でした。

 目的を果たした某は震え上がっている9人を優しく突き落としてやりました。

 そして勝者の権利を得た私は彼等から何も受け取らず、ただ婦人の保護を命じたというわけです」


ブシコーはそう言って話を締め括った。

これで彼の決闘話は6つ目だ。

よくもまぁ、これだけ戦って無事なものだ。それだけブシコーは強いのだろう。

だが、オレがブシコーと話したいのはこんなことではない


「いや、素晴らしい活躍ぶりです。噂では聞いておりましたがこれ程とは」


酔いも手伝ってブシコーはかなり気が大きくなっているようだ。

先刻までは賛辞に対して謙遜していたのに、今では女性を保護することこそが某の使命である、などと息巻いている。


「ところでブシコー殿。不躾なことを尋ねる私を許して欲しいのだが……」


オレはいかにも言いづらそうな演技をする。

そのオレの様子にブシコーは胸を叩いて応えた。


「なんですかな?某の人生に恥ずべきものなど欠片もございません。どうぞ遠慮なくお尋ねください」


彼の言葉を待ってから、いかにも言いにくそうに尋ねる。


「それほどまでに強いブシコー殿ですら捕虜になったことがあると聞いています。相手は異教徒だったとか」


オレの言葉にブシコーの顔がかすかに強張る。

酔いも一気に醒めたようだ。

その反応はオレの予想していたものだった。


「はは、いや思わぬ不覚をとりましてな」 


そう笑って酒を注ぐ手も震えている。

この手のタイプは誤魔化すのが下手だから楽でいい。実に分かりやすい。

それに小奇麗な言葉に弱いことも……。


「ブシコー殿、敗北という果実はいつも苦い。

 だがそれを喰らい、味わい、噛み砕く者こそ真の勇者であり勝者になる者だ。

 そしてその果実は後世に分け与えることができる。

 教訓としてな。

 私にそれをくれないか。

 全ヨーロッパを脅かしている異教徒の脅威を肌で感じた貴殿の経験、それは何よりも貴重なものだ」


勇気、勝利への貢献、奉仕、自己犠牲。

クリソンのような政治家を兼ねていない、純粋な騎士にこれらの言葉が友好なことはギヨームから学習済みだ。

三つ子の魂百まで、教育は人格の根幹を形成する。

多様な価値観を認められていない時代で、騎士道と言う教材で育った者たちが共通する性質を備える確率は高い。

教育とはそれ程に重要なのだ。

オレの言葉は狙い通りブシコーの心を刺激したようだった。

彼は静かに語り始めた。


「あの時、全ヨーロッパが異教徒討伐のために結束しました。

 動員された兵力は数万を越え、イングランドもフランスもあらゆる遺恨を捨てて参加したのです。

 十字軍、そう呼ぶに相応しい規模でした。

 神のために立った我等の前に必ずや異教徒は屈する、誰もその未来を疑っていませんでした」


それは恐怖の記憶。

雷帝と呼ばれた王によって刻まれた爪痕。


「我々は敵よりも早くニコポリスに到着し、そこに布陣しました。

 前面に馬防柵を設置し、前段にフランス騎兵、後段にハンガリー王ジギスムント率いるドイツ・ハンガリー・ポーランド兵と並び、

 左右にワラキア公やスイス兵・イングランド兵・マルタ騎士団他を、

 更にニコポリス後方のドナウ川にジェノヴァとヴェネツィア海軍を配置した我々の陣構えは必勝を期したものだったのです」


それは後に最強を誇る国の軍隊。

ビザンツを滅ぼし、地中海を支配する大帝国。

オスマン帝国の原型。 


「何が起こったのか分かりませんでした。

 轟音に曝され、騎兵に蹂躙され、嵐の海に浮かぶ小舟のように翻弄されたことだけは覚えています。

 某は生き延びるため必死で槍を振るいました。唯ひたすらに、一心不乱に。

 どれほどの時をそうやっていたのでしょうか。

 気付いたときは味方は壊走していました。我々フランス騎兵だけが取り残されていたのです。

 完敗でした。正義を信じ、神のために戦った1万人近い兵士が捕虜となりました」


ブシコーはグラスを傾け、一息に酒を流し込んだ。

恐怖を振り払うように。恐怖に飲み込まれないように。

それでも彼の体は震え続けていた。


「某は奴等と二度と野戦はしたくありません。轡を並べたブルゴーニュ公子ジャン殿もそう言うでしょう。

 オスマンはそれほどに圧倒的でした。

 私を臆病と謗りますかな?大きな口を叩いて、戦ではなんの役にも立たない男と幻滅しましたか?」

 
オレはゆっくりと首を横に振り、否定した。

敗北の思い出を他人に話す、それがどんなに勇気のいる行いかをオレは知っている。

ブシコーは真の勇者だ。


「感謝こそすれ、謗るなど……。

 今のブシコー殿のお話には黄金以上の価値があります。他の誰かにこのことをお話になられたことは?」


ブシコーは寂しげに笑って、首を振った。


「できよう筈もありません。

 騎士とは悲しいもので虚勢を張り、恐れるものなど何も無いと声高に叫び続けねばならないのです。

 ましてその代表のように持て囃されている某がこのような話をするなど……」


許されない、そう呟いたブシコーの姿からオレは男の悲哀を感じた。

彼は現実の自分と偽りの自分の狭間で押し潰されている。

そして、彼にはそれをどうすることも出来ないのだ。

  
「何故オレには話してくださったのですか?」


自分で聞き出しておいてこの言葉はないと思う。

オレは彼の心の傷を抉り、切り裂いて無遠慮に覗き込んだのだから。

それでも聞いておく必要があった。


「知って欲しかったからです」


それは力強い言葉だった。


「いずれオスマンはヨーロッパに侵攻してくる。私はそれを肌で感じました。

 奴等の脅威を、強さを、殿下に伝えねばならない。

 そうしなければならない気がしたのです。

 それだけがニコポリスで敗北し、心を折られた某にできる唯一のことでしょうから」


真摯なブシコーの言葉。

しかし、オレはその「心を折られた」という言葉が不満だった。

彼にしかできない仕事がある。

ブシコーにはそれを自覚してもらわねばならない。


「ブシコー殿の御心、確かに受け取りました。

 だが、貴殿はお心得違いをなされている。貴殿にはまだまだやれることがおありになる筈だ」


そう彼はオスマンという怪物を知る数少ない人物なのだ。

その貴重な人材が恐怖に押し潰されていては困る。


「貴殿は働かなくてはならない。全ヨーロッパのために、全キリスト教徒のために。

 貴殿には異教徒の脅威を知るものとして働く義務がある。

 貴殿にだけがこなせる仕事がある。

 それを行わずしてどうします。か弱き者を守らずしてどうします。男子たる者が自らに課された試練から目をそむけてどうします」


オレはブシコーの肩を強く、強く掴む。

彼の体を揺さぶり、心を揺さぶる。


「見張るのです。
 
 港町ジェノバで東洋の情報を集め、その動向を探るのです。

 警戒する、それは敵の脅威を知るものだけができること。

 例え何があろうとも貴殿が、オスマンの恐怖を知る貴殿が警戒し続けるのです。

 そして何か異変あらばいち早く皆にそれを伝えるのです。

 それこそ今の貴殿に課せられた使命ではないですか」


ブシコーの目に光が戻り始める。

戦うだけが能じゃない。情報を集めるならば今の自分にでもやれる。

彼の心がオレの言葉によって揺れ動いているのを感じる。

そう、元帥ブシコーにこそやってもらわねばならないのだ。

オスマンがさらに東の大英雄に打ち負かされた後も見張り続ける、警戒を緩めずにその動向を注視する。

それはオスマンの恐怖を知る者にしか出来ないことだ。

安心してもらっては困る。

細心の注意を払い、なるべく争わずにすむように事を動かす。

そうしなければミラノもオスマン戦争に巻き込まれるは必定だ。

冗談ではない。

あの怪物と戦うことだけは何としても避けねばならない。

少しずつ、確実にオスマンへの警戒心を周知させる。戦うことの恐ろしさを染み込ませる。

それがオレのとった対オスマン戦略だった。

ブシコーにはそのためにも働いてもらわねばならない。

そして、そのオレの目論見は叶いそうだった。

自身の役目を見つけ意気込むブシコー。

オレはその姿に満足し、またパーティー会場に戻るのだった。

 







シャルル婚約話でした。

結構な長さとなってしまい、話をまとめることに苦労しました。

どうだったでしょうか?

御意見、御感想、御批判をお待ちしています。

また、登場人物も増え、話も長くなってきました。年表や人物表が欲しいという方がおられるかもしれません。

その場合はお知らせください。



[8422] 外伝3.薔薇の少女イザベラ
Name: サザエ◆d857c520 ID:41c524de
Date: 2009/07/20 01:47
イザベラは思う。
どこで私はこんな人間となってしまったのだろう、と。
本来の自分は陰気とは程遠い性格だった。
幼い頃はよく笑っていたように思うし、何事にも積極的であったと思う。
薔薇のような笑顔、そう例えられたものだ。
しかし、イングランドから戻って来た自分はすっかり変わってしまっていた。
まるで精気そのものをあの地に吸われてしまったかのように。
22歳も年上の夫はイザベラを見向きもしなかった。
宮廷でも誰一人として自分の味方はいなかった。
王も貴族も侍女も、周囲全ての人がイザベラではなくフランス王女としてしか自分を見なかった。
所詮は敵国から来た王女、外様としてしか扱われなかった。
そんな生活が次第に自分を歪めていったのだろう。
そして、その歪みが決定的になったのは幽閉されてからだ。
それまでは自由があった。
気が滅入ったときには、外に出て花を愛でたり夕焼けを眺めたりといった慰めがあった。
それらの僅かな希望、重苦しさから解放してくれる自由という羽すら奪われたときイザベラは死んだ。
生まれ変わった少女は陰気で臆病で笑うことを忘れていた。
命からがら故国に帰り、そんな風に変わってしまった自分を発見したときイザベラは一人部屋で泣いた。
自分はもう二度と他人から愛されない。
自分でさえもこんな陰気な己が嫌いなのだ。
まして他人から愛されるなどあろう筈もない。
そのとき、イザベラは幸せを諦めた。













故国に帰っても暖かく迎えてくれる人はいなかった。
母ですら、いや母が最も辛辣であった。
お気に入りの者に玩具を与えるようにあっさりと自分をオルレアン公に与えたのだから。
それでも不満を表すことはなかった。
だってどうせ幸せになどなれない。
どこに嫁いだって同じ。
愛されることなどありはしない。
ならば不満を抱いたとて無駄ではないか。
だから母に婚約のことを告げられたときも反抗しなかった。


「分かりました。妻として精一杯夫に尽くします」


そう無表情に言うだけだ。
帰国以来、母はあからさまに自分を避けていた。
笑顔をなくし、可愛げのなくなった自分に対して母が愛情を抱けないでいることをイザベラは感じていた。
子は親の感情を敏感に感じ取る。
イザベラは母の自分への嫌悪感を肌で感じていたのだ。
侍女がそのすまし顔の裏で自分のことをどう思っているかも知っていた。
人形娘、いつも無表情で気味が悪い。
故国にイザベラの味方は残っていなかった。
いつしかイザベラは庭園に逃げ込むようになった。
花はいつでも自分を受け入れてくれる。
特に昔から薔薇の比類なき美しさには心を惹かれていた。
今でも大輪の薔薇の花は、昔の自分を伺わせて心を棘で突き刺すけれども、その美しさに癒される。
イザベラは自然が好きだった。
イングランドでも自然に慰められた。
フランスでもこうして自分を支えてくれる。
イザベラにとって、今や自然が母であり父だった。
決して自分を拒絶しない。
大いなる腕で包み込んでくれる。
人のエゴによって壊された少女は人の手の及ばないものを愛するようになっていた。


「私また結婚させられるのよ。ひどいと思わない?」


そうやって花や鳥に話しかけることが日課になった。
イザベラにとって、自然は最高の聞き手だった。
鳥の囀りはイザベラのどんな愚痴にも相槌を打ち、同意してくれる。
そしてその音楽的な鳴き声で気にするなよ、と歌って慰めてくれるのだ。


「フランスに戻ったら全てうまくいく。何もかも元通りになる。
 
 そう思ってた頃もあったんだけどね。

 神様は万人に平等って教わったけど私にだけは冷たいみたい」


そう寂しげに笑う。
イザベラはこの大いなる父母の前でだけは笑うことが出来るようになっていた。
孤独でいることを受け入れたからだ。
それでも儚げで陰気な笑顔ではあったが。













婚約式典の最中、イザベラは早く終わってくれることのみを願っていた。
参加者たちの不躾な視線、母の存在、全てがイザベラの心を責めさいなむ。
そして何より横に座る婚約者の少年の発する感情がイザベラを悩ませていた。
顔には全く表れていない。
表情は穏やかそのものだ。
でも、感じる。
エネルギーの塊のような憤怒。
自分に向けられていないとはいえ気持ちのいいものではなかった。
だから宴の中盤の余興であるダンスの際もその手を取らなかった。


「申し訳ありませんが、気分が優れないのです。私のことはお気になさらずにどうか楽しんでください」


顔を青ざめてそう言えば無理強いもできない。
それに気分が優れないことも本当だった。
何年も孤独に過ごしてきたイザベラにとって、このような大勢の人と同じ空間にいることは本当に久しぶりのことだ。
人に中てられてしまうのも無理はなかった。
立場上気遣わざるを得ない婚約者に言葉を掛ける。


「シャルル様、申し訳ありませんがこれで失礼させてもらっても宜しいでしょうか?」


倒れてしまっては興が醒めてしまい、宴が台無しになってしまう。
それでは主催者であるオルレアン公の顔に泥を塗ることにもなりかねない。
そういったことを言い訳にしてイザベラは会場から逃げた。
でも、自分でもそれが本当の理由ではないことは分かっている。
楽しげに笑い踊る人々、陽気な音楽。
そういったものを見せ付けられることが苦痛でならなかっただけなのだ。
光が眩しいほど影は濃くなる。
それと同じようにこの会場にいることで自分の陰気さが際立つような気がして、それが嫌だったのだ。
イザベラは侍女たちも下がらせ、一人部屋にこもった。
どうしようもない自己嫌悪を抱えながら。



時が過ぎ、宴も終わった。
静かな闇の中に響く参加者たちが帰る馬車の音が、それをイザベラに教える。
もう夜も更けた。
そろそろ寝よう、イザベラがそう思い始めていたときノックの音が聞こえた。
こんな時間に自分に取り次ぎを求める者は珍しい。
母であろうか、そう思って侍女に入室を許す。
ゆっくり開かれるドアに目を向けると、思わぬものが目に入った。
薔薇の花束だ。
侍女の手に抱えきれないほどの大輪の薔薇。
驚いて固まっていると、贈り物だと言ってそれを手渡される。


「私にですか?」


思わずそんな間抜けなことを尋ねてしまう。
もう長いこと誰かに何かを贈られることはなかった。
信じられない思いでそれを受け取る。
部屋中に満たされるその芳しい香りを胸一杯に吸い込むと心まで軽くなる気がした。
この時、イザベラは自分の心が数年ぶりに高鳴るのを感じていた。


「一体誰からの贈り物ですか?」


そう尋ねると、庭園でお待ちになっております、という答えが返ってくる。
柄にもない。
他人に期待する心など死んだはず。
薔薇一つで浮き足立って、なんと安い女だ。
そんなにはしゃいで馬鹿を見るぞ。
そう自分を戒めるが、それでも庭園に向かう足が速くなるのを抑えきれない。
庭園に着くとそこには幻想的な景色が広がっていた。
数百のキャンドルで照らされた花々。
大理石の像。
それらの中に一人の少年がいた。


「シャルル様?」


そう呼びかけるとこちらを振り向いて穏やかに笑いかけてくる。
イザベラはそれに驚いた。
怒気の発するシャルルしか知らなかった彼女にとって、その姿はあまりに意外だった。
自然体のシャルルとはこういう人物なのか。
イザベラはこのとき初めてシャルルを発見した気がした。


「その、あの、薔薇をいただきまして……」


御礼を言おうとすると、シャルルは驚いた顔をした。
何故だろう、当たり前のことを言おうとしているのに。
そう思っていると、得心した顔で近付いてくる。
そして薔薇を抱えるイザベラの手を支えて、花束の中を指差した。
そこには指輪があった。
気が動転して気付かなかったなんて、そう恥ずかしがっているとシャルルが優しく語り掛けてきた。
背が小さいから見上げるようにして話す様子が行動とチグハグでどこかおかしい。


「オルレアン公子シャルルではなく、唯のシャルルとして贈りたかったんだ。

 王女イザベラではなく唯のイザベラに婚約指輪を」


子供のくせに気障なことを、そう思っても嬉しいと感じてしまう。
でも同時に警戒心が芽生える。
何か目的があるはずだ。
私を利用する気なのだ。
そうでなければおかしい。
私に優しくする者などいるはずがない。
そう言えば彼は式典で何かに怒っていた。


「なんであんなに怒っていたの?」


我知らずそう尋ねていた。
その言葉をシャルルはすぐに否定する。
何のことか分からない、見間違いではないか、と。
その表情はどこまでも自然で誤解を解こうとするものだ。
それだけを見ると誰もが勘違いだと思い直すだろう。
でも私には分かる。
他人と接するとき、無表情で心を隠す私とどこか似ているから。


「なんで私の母にあんなに怒っていたの?」


そう、彼の視線は母から執拗に逸らされていた。
それに母から離れたときは穏やかになっていたように思う。
間違いない。
彼は母に憎しみを抱いている。
だから彼と私は似ているのだ。
私は母に憎しみを抱く前にその原因を自分に求めた。
愛されない原因は自分にある。
母が悪いわけではない、と。
けれど恨んでいないわけではない。火種は私の心に燻っている。
何故かばってくれないの、何故包み込んでくれないの、母親なのに。
子供染みた無垢な信頼を裏切られた私の母への感情、それがシャルルが抱く憎しみに共感したのだ。
だからシャルルのことがわかる。
戸惑った演技を続けるシャルルに重ねて尋ねる。


「ヴァランティーヌ様のことで母を恨んでいるのでしょう?

 だから式典のときに平静じゃいられなかったんでしょう?」


私だって何も知らないわけではない。
侍女の噂話は品性に欠けるぶん遠慮がなく、その話題も多岐にわたる。
自然と耳に入ってきたそれらから、シャルルの母親が追放されたことも聞いていた。
それらの情報からシャルルの憎しみを推測する。
7歳の少年がこれほどの意思をもって、自分の母親を陥れた者を特定し、憎んでいるとは思わなかった。
子供のはずなのに子供とは思えない婚約者。
同じ人物を憎むその心に親近感を感じた。


「私と同じね。私も母上が大嫌い」


私はシャルルに笑いかけていた。
それは私が浮かべた数年振りの笑顔で、私が初めて母への憎しみを認めた瞬間だった。
私の笑顔を見たシャルルの驚いた表情が年相応に可愛くておかしかった。



それから二人でお互いのことを話し合った。
取り繕うことを止めたシャルルはびっくりするほど大人びていた。
憎しみを受け止めてあげよう、そう考えていたのにいつのまにか私が愚痴を言っていた。
そういえば人間に愚痴るのは初めてだな、そんな取り留めのないことを考えながらいつまでも二人で話をした。
私が寂しいと言うと共にミラノに来ればいい、と言ってくれた。
その言葉が嬉しくて泣いてしまった。
静かな時間が流れる。
その静けさが心地いい。
私はこのとき安らぎを得ていた。
するとシャルルが唐突にゴメン、と謝ってきた。


「イザベラにイザボーの娘というレッテルを貼っている自分がいた。君は関係ないのに」


そう言って頭を下げるシャルルに今はどう、と尋ねると彼は大きく首を振った。
そしてゴメン、とまた頭を下げる。
私はわざと怒った振りをし続けた。
そうして頭を下げ続けるシャルルを焦らしてから、もったいぶって許すための条件を出す。


「私に嘘はつかないで。私をずっと見ていて。もう一人でいるのも、仮面を被った人と接するのもイヤなの」


夫婦になるんだから、そう言うとシャルルに抱きしめられた。
誰かに抱きしめてもらうのも久しぶりだな、そう思いながら私は心地よさに身をゆだねた。
この日、イザベラは生き返った。
シャルルの腕の中で浮かべた笑顔は大輪の薔薇を思わせるものだった。









イザベラの話は分けるつもりだったのですが、扱いが酷いとのご指摘が多かったので修正したうえで、書き上げさせていただきました。
一応フォローをした上で救済しているつもりです。
また、読みにくいとのご指摘があったので変えてみました。
前回とどちらがいいか御意見をいただけると幸いです。
その上で、今回の方式がよいとなった場合、全話修正いたします。
それでは御意見、御感想、御批判お待ちしています。



[8422] 外伝4.その頃イタリア・カルマニョーラ
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/10/13 00:22
一人の少年が室内で訴えていた。
勝気そうな顔をした少年だ。太い眉が意思の強さを伺わせ、自然と逆立っている髪が見る者に活発な印象を抱かせる。
大人顔負けの体格でありながら、目にはある時期特有のきらめきがある。
大人でもなく子供でもない、そんな曖昧な世代だけに見られる輝きだ。
そういった世代の者には一つの共通点がある。
自分ならばどんなものでも乗り越えられる、そういった思いだ。
それはなんの根拠もない自信に裏打ちされたものではあるが、その爆発力は侮れない。
時に大人達が仰天するような力を発揮する。
現にこの少年、カルマニョーラはシエナ遠征に参加して確かな戦果を挙げていた。


「なぁ、いい加減オレのこと認めてくれよ。
 シエナじゃあ、それなりに働いただろ。正直オレのいた隊でオレと同じ位腕の立つ奴はいなかったはずだ」


カルマニョーラは農民出身である。
子供の頃から体が大きく、力も強かった彼は何をやっても人より上手くやれた。
早くから大人の手伝いに駆り出され、将来どれほど役に立つ働き手になるかと期待されるそんな少年。
だが、カルマニョーラはそんな大人からの期待が不満だった。
自分はこんな所で農民として終わる器ではない、そんな漠然とした思いがあったからだ。
その思いが確信へと変わったのは、偶然見に行った騎士の決闘を見たときだ。
この程度か。
まず浮かんだのはそんな落胆だった。
次に、自分は騎士といって偉ぶっている連中よりも強いという自信が生まれた。
やはり自分は農民で終わるような男ではない。
そう確信した彼は、夢を現実にすべく家を飛び出した。
後ろを顧みず、先立つ物も何一つ持たない。
ただ身を焦がす激情駆られるままに、幼いその身一つで社会の荒波へと飛び込んだのだ。
だが、世の中はカルマニョーラが考えていたよりはるかに冷たかった。
彼は栄達への入り口、傭兵となることさえできなかったのだ。
雇用者の立場で考えれば当然のことだろう。
如何にカルマニョーラが自身の強さを訴えたところで、彼は幼い子供だった。
誰であっても同じ給金を出すのならば、一定年齢を超えた者、出来れば経験豊富なものを雇いたい。
まして志願した先は破竹の勢いのミラノだ。
カルマニョーラが傭兵に憧れる童としか扱われなかったのも仕方なかった。
だが、そんな彼を拾い上げた者がいた。
それはファチーノだった。カルマニョーラは彼の下にいわば徒弟のような形で住み込むこととなった。
ファチーノのこの行動は彼にしては珍しく、完全な気まぐれからのもであった。
反りの合わないモルト老が育てたシャルルが意外に出来のよい少年であったことから、妙な対抗意識を燃やしたのかもしれない。
あるいは天気がよく、気分が高揚していたからかもしれない。
野心溢れるカルマニョーラの目に何かを感じたからかもしれない。
いずれにしろ、捨て猫を拾うも同然にファチーノはカルマニョーラを迎えたのだ。
しかし、生来面倒見がよく仕事に対して真面目な気質のファチーノは、才能ある少年の育成に対しても手は抜かなかった。
何くれと気を配り、己に比肩する一流の武将となるように養育してきた。
そうして約2年の月日が経ち、カルマニョーラは現在15歳となっている。
武人としてはファチーノから見てもそれなりのものに成長した。
そして、そのことをカルマニョーラも自覚している。
だからこそ、こうして正式に傭兵契約を結ぶことを求めるという行動に踏み切ったのだ。


「ほら、オレを見ろよ。背だってかなり伸びた。力も今じゃ敵なしだ。
 もう立派に一人前の傭兵だろ?
 だいたいオレと同じ歳でオレより弱そうな奴が雇われているじゃねぇか」


ミラノ軍を束ねる傭兵隊長ファチーノ=カーネは声を枯らして訴えるカルマニョーラを敢えて無視していた。
関心のない振りをして本を読み続ける。
その態度がカルマニョーラを更に苛立たせることも承知の上だった。
この時代において本は貴重で高価な物だ。
それを手にしているだけでもこの傭兵隊長がどれ程の報酬を貰っているかが伺える。
そして、その事を知っているカルマニョーラの目には読書をするファチーノの姿が全てを手に入れた未来の自分のように映るのだ。
実際、ファチーノはそこらの田舎貴族より金持ちであった。
だが、彼とて決して楽に現在の地位を築いたわけではない。
今の自分に決して満足しない。
武を極めたならば知恵も極める、というように現状に甘んじることなく己に更なる修練を課し続ける姿勢。
その貪欲をもってガレアッツォの腹心にまで上り詰めたのだ。
そんなファチーノの目には、今のカルマニョーラが慢心しているように見えた。
そこでこのような態度を取ってカルマニョーラの様子を観察しているのだ。


「本なんて読んでないで少しはオレの話を聞けよ」


そう言ってカルマニョーラは机に手を叩き付ける。
その表情からは、何もかも思い通りにならないもどかしさが感じられた。
そういった感情はファチーノもかつて経験したものだ。
それは誰もがかかる、はしかのようなもの。
だが、才能のある者にとっては最も危惧すべき落とし穴だった。。
周囲よりも飛び抜けていることから生じる驕り、肥大化した自信。
そういった病気をどう治療するかによってカルマニョーラの器が、将来が決まる。
扱いには慎重を要した。
観察の結果、ファチーノはカルマニョーラが見事にその病にかかっていることが分かった。
井の中の蛙大海を知らず。
商人であれば教訓となる経験は傭兵にとっては命取りとなる。
人の生は一回限り、戦場で己の未熟を知ったときは己の最期でもあるのだ。
一兵士として生涯を終えるのであればファチーノも契約させただろう。
だが、ファチーノはカルマニョーラをそのような小粒にする気はなかった。


「貸し与えた書物は読んだのか?」


本から顔をあげてポツリと、何気ない挨拶をするようま調子で言葉を投げ掛ける。
だが、カルマニョーラには無視しがたい響きを伴っているように聞こえただろう。
後ろめたい者はあらゆる物事に意味を見出すものだ。
案の定カルマニョーラは一瞬ひるんだようだ。
それに追い討ちをかけるように更に言葉を重ねる。


「そんなことより、オレの……」

「読んだのか」

「傭兵契約を……」

「読んだのか」

「認めて……」

「読んでいないんだな」

「くれよ!!」


室内に沈黙が満ちる。
互いに相手を見据え、目を逸らさない。
特にカルマニョーラからは並々ならぬ気合が伺えた。
その視線は力に満ち、ファチーノを貫かんばかりだ。
その年齢からは想像もできないほどの威圧感だが、ファチーノの鉄面皮を崩すにはいたらない。


「書物なんてどうでもいいだろ。オレは傭兵だ。腕っ節と度胸、それさえあれば十分じゃねぇか。
 戦場でものをいうのは力だろ。
 ああ、オレはあんたの言いつけを守らなかったさ。最初の10ページくらいで投げ出したよ。
 だが、それが何だってんだ。
 オレは学者になりたいんじゃない。傭兵に、戦士になって自分の身一つで成り上がりたいんだ。
 確かにあんたは凄い。部下からの信頼もピカ一だ。
 だが、みんなが信頼しているのはあんたの持つ知識じゃねえだろ。
 何よりあんたが強いから、誰よりも強いから皆が従っているんじゃないか」

「……」

「だからオレは戦場で自分の強さを見せ付けた。皆の信頼を勝ち取るためにだ。
 誰より働いたし、誰より手柄を立てたさ。
 でも誰もオレのことを認めない。
 理由は一つさ。契約もされてないただの小僧だからだ。あんたの従僕に過ぎないからだ。
 それだけで誰もオレのことを一人前として扱ってくれないんだ。
 だから頼むよ。傭兵契約を結ばさせてくれ」


ファチーノとてカルマニョーラの気持ちが分からないわけではない。
認められたい、そういう思いは少年期特有のものでカルマニョーラがそのために焦燥感に駆られるのも当然だ。
だが、彼は一つ勘違いをしている。
カルマニョーラが所属していた隊の傭兵は彼を認めていなかったのではない。
15歳ともなれば立派な大人だ。
おまけに腕が立つとなれば、そこは実力主義の傭兵達だ。
立派な戦力として計算する。
今回その事情が異なったのは、ただ彼等は知っていたためだ。
カルマニョーラがファチーノの身内同然の弟子で将来を嘱望されている男だということを。
要するにカルマニョーラは傭兵流に可愛がられたのだろう。
だが少年にそういった分かりにくい愛情表現は伝わらず、額面通りの言葉だけを受け取ってしまったのだ。
ファチーノは溜息をついてカルマニョーラに語りかけた。


「力はいずれ衰える。だが知恵は衰えることはない。むしろ経験という糧を得ることで更に研ぎ澄まされていく。
 豪勇で知られた若造がベテランの老兵に手玉に取られる、そういった例は珍しいことではない。
 御前が傭兵として成り上がりたいのであれば書物を読むことは必ず役に立つ。
 書物は知識だけでなく先人の経験も教えてくれる。あらゆる人生の哲学が詰まっている。
 だが、口で言ったところで理解はできまい。しようともしないだろう。」

「あぁ。確かにそういう話はよく聞くが、信じられないな。
 どうせ油断しただけだろう。オレならそんなへまはしない。現にシエナじゃあ、そういった手合いは何人も殺した。
 なぁ、もういいだろ?オレは、オレと同じ歳でオレより弱い奴が雇われているのにオレが雇われないのがもう我慢ならないんだ」


だからオレを一人前として認めろ、契約をしろ、カルマニョーラの目はそう言っている。
確かにカルマニョーラの強さは本物だ。
彼の言うことも納得できる。
だが、ファチーノはそれを認めることはしなかった。


「増長が過ぎる」


そう言ってファチーノは立ち上がった。
付いて来い、と仕草で示し歩き出す。
カルマニョーラはそれに無言で付き従った。
彼は元々ファチーノの説得に骨が折れることは予想していた。
恐らくこれから向かった先で何らかの試練を課されるのだろうことも。
カルマニョーラにとってファチーノの試練はチャンスだ。
それを乗り越えさえすればファチーノも訴えを認めざる得ないことになる。
むしろ好都合だ、そう思っているカルマニョーラは基本的に前向きで自信家な少年だった。













辿り着いた先は錬兵場だった。
そこはシャルルが自分の軍のために作ったもので、かなりの広さがある。
ここには通常、傭兵達が近付くことはない。
シャルルの軍があからさまに優遇されていることへのやっかみ、年端もいかない子供達しかいないことへの侮蔑を感じているからだ。
酒の席で冗談を言いながら馬鹿にする、傭兵達にとってこの錬兵場はそういった対象だった。
もちろんカルマニョーラもシャルルの軍のことを馬鹿にしていた。
貴族の道楽で集められた者達が使いものになるはずがない、お遊戯のようなぬるい事をやっているのだろう、それが傭兵達の認識だったからだ。
だが、目の前の光景はその考えとは全く異なっていた。


「何してんだ、ありゃあ……?」


それは初めて目にする訓練だった。
幼い子供達がその背丈の倍程の棒を持ってひたすら案山子を打ち据えている。
その表情は真剣そのものだ。そして、それが余計に訓練の異様さを引き立てていた。
抵抗できない者を幼子が甚振る図、思わずそう錯覚しそうなその光景。
それは豪胆さが自慢のカルマニョーラをして背筋を冷たくさせるものだった。。


「人はその性として人を傷つけることに対しての忌避感を持つ。
 戦場において、それを取り除くことができるか否かが最後に生死を分ける、そうシャルル殿下が主張し、実践された訓練法だ。
 適用されているのは歩兵だけではない。向こうをみてみろ」


ファチーノが指差した先ではカルマニョーラと同じ歳ほどの者達が弓の鍛錬をしていた。
その無駄のない動作、放たれる矢の精密さから相当の訓練を受けてきたことが伺える。
だが、それだけだ。そこまではカルマニョーラの見知ったものである。
異様なのはその的だった。
的は歩兵や騎兵の型をしており、所々にマーキングが施されている。
その部位は鎧の隙間や急所となる位置ばかりだ。
これもまた遠目からは実際に人間を的にしているように見える。


「シャルルって野郎、頭がいかれてるんじゃねぇか……」


思わずそう言ったカルマニョーラにファチーノの言葉が掛かる。
己の常識が全て正しいと思うな、と。


「理には適っている。理論上は、な。
 殺人を是とするのは戦場だけだ。そんな環境に慣れた者が初めて戦場に立たされたとき役に立つかどうか疑わしい。
 それを避けるための訓練、だそうだ。いかなる時も躊躇することはなく、最も効率よく敵兵を葬ることができる。指揮官が理想とするものだ」

「だからって、年端もいかないガキにやらせる訓練じゃねぇだろ」

「死ぬよりはマシだ」


確かにシャルルという人物は兵士にとって必要な要素を最も効率よく身につけさせている。
戦争に感情の入る余地など無い。
名誉、武勇譚、誇りといった貴族の謳うものなど存在しないのだ。
そこに在るのは、互いの生を削り合うという残酷な真実のみ。
カルマニョーラはこの光景からシャルルの戦争観を感じ取っていた。


「こんなの夢見がちな貴族連中の考えることじゃねぇ」

「そうだ。我々傭兵の考え方だ。シャルル殿下はモルト老から徹底的に鍛えられている。
 武芸だけでなく戦術、思考法までな。傭兵流に染め上げられているんだ。もっとも、少々突き抜けてはいるが」


モルト。その名はシエナ遠征においてカルマニョーラに刻み込まれたものだ。
ファチーノの代わりに指揮官となった老人。
カルマニョーラの目に小汚い浮浪者のように映ったその老人は、騎兵を率いてシエナ軍を思うままに蹂躙した。
自軍を己の手足のように操り、敵軍を策略をもって己の指揮下の如く誘導する。
古参の兵もその力に感服していたものだ。


「この訓練の総監督もまたモルト老だ。
 まぁ、そんなことは御前には関係ないがな。付いて来い」


ファチーノは錬兵場の更に奥に進んでいく。
行く先々で何かを尋ねていることから誰かを探しているようだった。


「あぁ、ダントン殿。少々宜しいか」


そうして辿り着いた先は、歩兵の訓練場だった。
ファチーノはそこの責任者である監督官に用があるらしかった。
その間暇なカルマニョーラはファチーノが話している男をしげしげと観察した。
壮年にさしかかろうかという年齢の男だ。
戦いを生業とする者だ。本来であればその武技は円熟の域に達し、最も稼げる時であろう。
何故こんな所で子供相手に監督官をしているか、その全てを男の片足が物語っていた。
義足である。行動の自由を奪われた以上、傭兵として生きることはできないのだ。
面構えを見れば、さぞかし強い男だったろうに惜しいことを。
そう思っていたとき、カルマニョーラは一つの事実に気が付いた。
ここまで来る間に見かけた監督官達は皆、手強そうな者達ばかりだった。
そして、その全てが老人であったり障害を負っていることで傭兵としては働けない者ばかりであった。
傭兵としては役には立たない彼等は、教師としてなら立派に働けるのではなかろうか。
カルマニョーラがそうして考えているうちにファチーノの話は終わったらしい。
己の下に戻って来るファチーノにカルマニョーラは話しかけた。


「一体何を話してたんだ?」


ファチーノはそれに事も無げに答えた。
そのあまりにも唐突な内容に反して、実に軽い口調で。


「なに、大したことじゃない。この中で一番強い奴と御前を戦わせてくれって頼んだだけだ」

「なっ!? オレとこいつらとか!?」

「そうだ」

「冗談じゃねぇ。どんだけ訓練しているか知らねぇが、オレは実際にシエナで戦ったんだ。
 身分は違うが、実質的にはプロの傭兵も同然だぞ。
 こんな奴等相手にまともに戦えるか。馬鹿馬鹿しい」


カルマニョーラはそう言って拒絶した。
確かにシャルルの軍は相当の訓練を受けているのだろう。
これまで見てきた様子から、軟弱な箱入り集団というイメージは拭い去られた。
だが、それでも自分の相手になるかどうかは別問題だ。
ファチーノの言葉はまるでカルマニョーラの力を侮ってのもののように感じられた。


「やってられるかよ。そんな下らない事のためにわざわざこんな所まで来たのか?」

「心配するな。得物は棒だ。斬られて死ぬ心配はない」


ファチーノの言葉はカルマニョーラを怒らせるのには十分だった。
地を這うような低い声で抗議する。


「……何が言いたいんだ。まさか、オレが負けるとでも言うのか」

「いつも言っていたはずだ。相手を侮るな、油断は死を招く、とな。今の御前はどうだ?
 戦う前から相手を格下と決め付けているじゃないか。それが油断でなくてなんだと言うんだ?」

「これは情報から導きだした妥当な判断ってやつだ。油断じゃない」

「ならば、それを証明しろ。御前が判断したように圧勝することが出来たなら、何でも思う通りにしてやる」


安い挑発だということは分かっていた。
それもあのファチーノの挑発だ。その先にどんな罠があるか知れない。
今のカルマニョーラではとても太刀打ちできない、そう踏んだ相手を用意してある可能性もある。
だが、敢えてのる。
ファチーノの思惑も、現在の自分への評価も凌駕してこそカルマニョーラという存在を認めさせることができるのだ。


「これが終わったら一人前と認めて契約してくれよ」


ファチーノが頷くのを確認して、前に進み出た。
向かった先には対戦相手がいる。
夢の階がいる。
カルマニョーラは自分の心が沸き立つのを感じていた。






半径10メートル程の円、そこが闘争の場だった。
周囲は見物人で溢れている。
そこにはシャルルの軍に所属する者全てが集められていた。
見取り稽古という言葉があるように、格上の者達の戦いから学び取ることは多い。
それも自分達の中で最も強い者の戦いだ。
少年達の目には学習への意欲だけでなく、純粋な興味があった。
監督官の方はすっかり観戦態勢をとっている。
元々が傭兵だった者達である。彼等はこういった騒ぎが大好きだった。
既に酒を片手に賭け事も行われている。
そして、その中心にいるカルマニョーラは今まさにコロッセウムに立つ剣闘士の気分を味わっていた。
見世物になっているという事実はあまり気持ちのいいものではないが、同時に観衆の熱気に当てられて込み上げてくるものも感じる。
周囲全てが自分に注目している。
その事実ははカルマニョーラの自己顕示欲を程よく満たしてくれていた。


「両者、中央へ」


審判を買って出た老監督官の声に従って進み出る。
相手はカルマニョーラと同じ歳ほどの少年だった。
黒い男だ。
ちぢれた髪も肌も夜よりなお黒い。
噂で聞いたことはあったが、まさか本当にこのような者がいるとは思わなかった。
その背は大柄なカルマニョーラよりもさらに大きい。手足も異様に長い。
一方でひょろひょろに痩せて、力強さとは程遠いように見える。
カルマニョーラが初めて相手にするタイプだった。


「カルマニョーラだ。まぁ、宜しく頼む」


そう言って睨みつけると、相手も負けじと睨み返して来る。
どうやら気骨はあるようだ。


「イーヴだ」


低く、かすれた声だった。
素っ気ないようでいて、決して無礼な態度に見えないのが不思議だった。
静かに闘志に燃える目にカルマニョーラは好感を持つ。


「怪我はさせないように手加減してやるから、まぁ安心しろよ」

「私は自分の最善を尽くすだけだ。だから、怪我をさせないという約束はできない」

「おいおい。オレに勝つ気か? 戦場に出たこともない坊ちゃんなんだろ?」

「負けるつもりで勝負をする者はいない」


挑発にのるでもなく、言葉を無視するでもない。
真面目で堅実なタイプ、カルマニョーラはそうイーヴを分析した。
戦いにおいても不用意な隙を見せてはくれないだろう。
手強い性格だが、そういった手合いは予想外の事態に弱いことが多い。
わずかな情報からでも相手を分析し、勝率を上げる。
いつでも戦術を組み立てる。だが、決してそれに囚われない。臨機応変に戦う。
全てファチーノから教わったものだ。

――悪いが、完勝させてもらう。

気合を入れて棒を構えた。


「準備はいいな。―――はじめ!!」


審判の声が発し終わらないうちに、カルマニョーラは相手目掛けて駆け出す。
そして最速、最小限の動きでイーヴの中心、鳩尾めがけて突きを放った。
並みの相手ならば反応すら出来ない一撃。
それにどう対処するかで実力を測ろうという目論見だった。

――まともに当たれば勝負は終わり。かわせたところでこの速攻、体勢は崩れる。

受け止める、という選択肢は最初から除外していた。
力では勝っているという自信がある。
そうであるならば、イーヴの取る行動は回避しかない。
己の有利に働くよう計算された一撃だった。
そして、予想通りイーヴはカルマニョーラの攻撃を身をひねることで回避した。
カルマニョーラはすかさず体を切り替え、体当たりに持ち込もうとする。
全て計算通りの展開だった。
頭の中に倒れたイーヴの咽喉下に棒を突きつけて降伏を促すまでの流れが浮かぶ。
だが、カルマニョーラの予定は狂った。慌てて行動を修正する。
既に体勢を整えたイーヴが棒を振りかぶり攻撃体勢に入ってたのだ。

――!?

頭を狙った一撃を危ういところでかわす。
追撃してくる棒をかろうじて受け流すと力任せに吹き飛ばした。
イーヴは力に逆らわず、距離をとる。
その武技はまさに柔のものであった。

――なんてバランス感覚だ……。

カルマニョーラを驚嘆させたのはイーヴの脚に備わったしなやかな筋肉だった。
天性のバネとしか言いようがない。
それによって極めて安定した重心と素早い移動を可能にしている。
少々のことではその体を崩すことはできないだろう。

――オレと正反対のタイプ、か?

力のカルマニョーラに速さのイーヴ。
そういう図式であるように思われた。
しかし、その思考もイーヴの攻撃をまともに受けて一変した。

――重い!!

確かに腕力ではカルマニョーラに分がある。
それをイーヴは長い手による遠心力と速度で補っていた。
結果としてカルマニョーラと遜色ない一撃を獲得しているのだ。
受ける手が痺れる、それ程の威力。
だが、活路はある。
クロスレンジならばかえってイーヴの長い手は邪魔になり、思うような攻撃は出来ない。
一方、カルマニョーラはその腕力を十二分に活かすことが出来るだろう。
そこまで思考して、行動に移した。


「せあっ!!」


裂帛の気合と共に懐にもぐりこむ。
イーヴもカルマニョーラの行動は読んでいる。
己の得意な間合いを保つべくその脚力、速度を活かし、最良の一撃を放つ。
カルマニョーラはその一撃に自らの全力を叩き付けた。
狙いは握り手の近く、剣でいうところの柄のすぐ上付近だ。

――ここを強く叩けば直接手に衝撃がいく。隙ができるはずだ。

一種の賭けだった。
それさえも読まれていたら敗北は確定する。
敗北を覚悟しつつも己を信じて突き進んだカルマニョーラの賭けは成功した。
決死の攻撃はその意図する所に吸い込まれていく。


「おぉぉ!!」

「……!!」


互いに渾身の力を込める。気合が自然と口から迸っていた。
獅子の咆哮に観衆の誰もが息を飲む。
ぶつかり合う木の棒。
その衝撃に二人の腕が軋む。
そして、木の棒もまた軋んでいた。
いかに訓練用に選ばれた物とはいえ、両者の渾身の一撃に耐えられるはずもなかったのだ。
棒は炸薬が破裂するような甲高い音とともに弾け飛ぶ。
カルマニョーラとイーヴは得物が無くなったことを悟ると示し合わせたかのように飛びのいて間合いを取った。


「ブラボー……」


カルマニョーラの口から我知らず賞賛の言葉がこぼれた。
純粋に力を信奉してきたカルマニョーラにとって最も分かりやすいものとは力である。
力にはその人物の努力、才能、頭の回転、ひいては人生が表れる。そうカルマニョーラは考えていた。
だからこそ己と互角以上の力を見せたイーヴに対して、素直に敬意を表したのだ。


「いや、大した腕だ!! かなり危なかった。何度もひやっとさせられたぜ。
 ブラボー、そうブラボーだ! この言葉しか浮かばねぇ。イーヴ、あんたは凄い奴だ」

「君も強い」

「あたぼうよ、これでも自信があったんだ。そのオレと互角ってことはイーヴもかなり強いってことさ」


カルマニョーラはそう言って無邪気な笑顔を浮かべると、乱暴にイーヴを抱きしめた。
同年代で自分のライバルたる者などいなかった。
自分より強い者はファチーノや彼に長年付き従ってきたベテランの傭兵ばかり。
目標にはなっても互いに鎬を削る関係とはなりえない。
そんなカルマニョーラにとってイーヴは長年探し求めた恋人に等しかった。


「もう一回やろう! こんなに楽しいのは初めてだ!!」

「あぁ、やろう。私も楽しかった」


そう言って二人は笑いあう。
展開に付いていけず呆然とする観客や賭け金を独り占めした胴元と殴りあう監督官達を置き去りにして笑いあう。
そんな彼等をファチーノは満足気に眺めていた。


「計画通りって顔ですぜ、旦那」


ダントンが話し掛けてきてもファチーノは顔がにやけるのを止めなかった。
この傭兵隊長にしては珍しく人前で喜びを隠せないでいるのだ。


「まさに計画通りさ。カルマニョーラは図体はでかいが頭の方はガキのままだ。ライバルという餌を与えたら夢中になるのは分かりきっていた」

「勉強の方も?」

「分かるか?」

「そりゃあ、ね。あれは根っからの武人。暴れることしか興味ない面をしてますからね」

「あいつは興味のあることは信じられないくらい覚えがいい。その反面、興味を抱かなければ見向きもしない。正直困っていた」

「イーヴは勉学でも一番ですからな。それに面倒見もいい」


そう言って意味ありげに笑いかけるダントンを余所にファチーノの笑顔はますます明るくなる。


「オレが育てた以上ただの傭兵で終わらせるわけにはいかん。
 ライバルから受ける影響は大きい。単純なあいつはイーヴに負けたくない一心で変わっていくだろう」

「狙い通りに、ですな?」

「あぁ、狙い通りにだ」


そういって笑っている大人達の頭の中には更にもう一つの考えがうずまいていた。
この軍隊の状況を考えると、シャルルはガレアッツォから私兵を持つことを許されているに等しい。
その上、政治の一角にも参加を許している。
自らの叔父すらも打ち倒した彼が己の孫だからといって甘い顔をするはずがない。
ガレアッツォは用心深い男だ。
たとえ子であろうと反乱する可能性があることを考えれば、シャルルの扱いは破格といっていい。
更に次男のフィリッポがシャルルに心酔しているといっていい状態だ。
こういった事を統合すると一つの推測が見えてくる。
すなわち、ガレアッツォは後継者にシャルルを考えているのではないか、ということだ。
ファチーノはそうなった場合に備えてカルマニョーラをイーヴに接近させた。
シャルルの行動を見れば、彼が傭兵を主体としない軍を目指していることが分かる。
彼が後継者となった場合、間違いなく傭兵の規模は縮小するだろう。
それを見越してファチーノは行動した。
シャルルの軍最強の者に近しいということはシャルルに近しいということに等しい。
実力主義のシャルルに抜擢される可能性もある。
万一、長男のジョバンニが跡を継いでもカルマニョーラの身分は自分の部下だ。害は及ばない。
どちらに転んでもカルマニョーラにとって吉となる。
今回のファチーノの行動はそういった一石二鳥を狙ったものだったのだ。
そして、ダントンもファチーノのそういった思惑を読んでいた。
先程から笑っているのも普段の冷徹な仮面の下に隠された親心を感じて、にやにやと笑っていたのだ。
ファチーノが自分でどう思っているか知らないが、随分と過保護なことだ。
そういったからかい半分のダントンの笑いに気付かずにファチーノはカルマニョーラを見つめている。
その様子から考えれば、ファチーノは確かに過保護なのかもしれなかった。


「うるせぇなぁ。何の騒ぎだ?」


笑い声の五月蝿さに、喧騒に気付かず木陰で寝ていたモルト老も起き出す。
シャルルが不在でもミラノの時は流れ続けていた。











随分間隔が空いてしまいました。
個人的事情のためで、本当に申し訳なく思っています。
やはりブランクがあると書くのに梃子摺りますね……。
久しぶりの戦闘シーンでしたがどうでしたでしょうか?
上手く緊迫感が伝わっていれば非常に嬉しいです。
また、少し会話の書き方を変えてみました。御意見をいただけたら幸いです。
今回も外伝ですが、次回は本編を書く予定です。
それでは、御意見、御批判、御感想をお待ちしています。



[8422] ミラノ帰還~リッシュモン編~
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/09/06 21:44
街道を走る馬車。物々しい警護の兵。盗賊が目の色を変えそうな土産が詰まった荷台。
それらを伴ってオレはミラノへと帰還していた。
そう、『帰還』。
既にオレの認識する帰る場所はミラノとなっていた。
母が卑劣な罠に掛かったあの時、オレとモルト老は話し合いミラノに拠点を置くことを決めた。
その理由はミラノの支配者が祖父ガレアッツォであり、その庇護下に入ることで身の安全を図ろう、という消極的なものだけではない。
将来、己の勢力を築く上で重要なものを考えた上で決めた先、それがミラノなのだ。
現在のフランスは外部にイングランドという敵国、内部に国内貴族の対立を抱えている。
内憂外患という言葉に相応しい状態にあるこの国は、今後ますますその戦火を燃え上がらせるだろう。
それは未来を知識として知っているオレでなくとも分かるほどに明らかな事だ。
そして、その騒乱の中心から離れ、かつ確固たる戦力を保持していることがどれほどの利になるかも聡い者なら気付いているだろう。
三国志の董卓のように、大難から身を引き、力を蓄え、期を計る。
時を見て、王家の血を引くという大義名分の下に全ての利を貰い受ける。
その目的のためにオレが選んだ地がミラノなのだ。
フランスから離れ過ぎず、ルネサンスの中心であるイタリアに位置し、強大な国力を持つ。
ミラノ公国は、まるでオレの目的に誂えたように当てはまっていた。
そうして、ミラノに来て約二年。
オレは様々な手を打って、将来に備えてきた。
提案した政策、作成した道具、それらを祖父に献上することで己をアピールし続け、許可を獲得した軍。
無駄な行動は一つとして無く、必死に駆け抜けた日々。
その成果が今オレの前にある。


「シャルル殿下の御帰還である」


その声を合図に響き渡る歓呼の声。
出迎えたオレの軍隊、エンファントのものだ。
その声に応じながら彼等の姿を見渡した。
未熟な子供のみで構成されたエンファントは、僅か数ヶ月でもその印象を大きく変える。
少し見ただけでも、オレにははっきりと感じ取れる。
オレが居ない間に彼等はその身を大きく成長させ、更に精悍に、精強に、英邁になった。
この軍の正式名称はenfant de Charles。
この名にはオレの彼ら愛し子の母となって育て、父となって指揮するという考えが込められている。
家族同然に育ち、鉄の結束を培ってもらいたいという願い。
それとは他に、もう一つ現実的な意味がある。
戦争の担い手である貴族は、平民で構成された軍を大抵馬鹿にしている。
共に轡を並べることを忌避する者さえおり、戦力として扱われないことも多い。
そういった現状を考えると、エンファントが他の軍と諍いを起すことは容易に予想される。
連携における齟齬、指揮権の所在、想定される問題を挙げれば切りが無い。
それを解決するための名称なのだ。
エンファントは我が子同然、平民とはまた違った身分である。
少々無理のある主張ではあるが、そう宣言した上でなお無碍に扱える者も少ないだろう。
この世は言ったもの勝ち、成果が伴えば後はなし崩し的に受け入れられていく。
そういった計算も込められた名なのだ。
成長したエンファントの錬度に勝る軍はそうないはずだ。
エンファントにはそれだけの潜在能力があり、それだけの訓練を施しているのだから。
オレはエンファントの成長具合にひどく満足していた。
思わず素の笑みがこぼれるのを止められないほどに。
そうして悦に入っると、不意に誰かが袖を掴むのを感じた。
イザベラだ。


「あの……凄いですね」


そう言ってすぐに顔を伏せてしまう。
オレは彼女が話し掛けてきたことに少し驚いた。
イザベラは見知らぬ人がいると一言も話さない。
パーティーであれば話は別だ。
物心付いた時から叩き込まれている社交術がイザベラに微笑の仮面を被せ、会話に興じることさえ可能にする。
その反面、パーティー以外では臆病な少女になってしまうのだ。
誰も信用できずに育ったことから、極度に警戒心の強い少女に育った弊害の一つだった。


「不安になることはない。目の前の全てが私の味方、つまり君の味方だ。
 いや、それだけではない。ミラノ市民全てが君の味方なんだ。ここは私のホームなのだから」

「……はい」

「たとえ誰かが君を害そうとしても、ここでは叶わない。
 屈強な護衛が常に傍に侍り、忠実な侍女が身を挺して君を守る。だから安心おし」


オレは彼女を安心させるように手を握って語りかける。
そして、そのままエンファントの声に応えた。


「久しぶりだ、我が忠実なる子供らよ」


高まる声を感じてイザベラの身が震えるのを感じる。
このような経験は初めてだろうから、無理もない。
オレは大丈夫だと伝えるように、より強く彼女の手を握った。


「私は嬉しい。旅立つ前には幼子であった者が兵士となり、少年であった者が戦士となり、青年であった者が勇者となった。
 諸君等がこの数ヶ月いかに過ごしたか、その姿を見れば一目でわかる。
 それが嬉しい。
 練達の日は近い。研鑽を忘れず、その身を研ぎ澄ませ。私と共に栄光の道を歩もう」


そう言って彼等を慰撫したオレは次にイザベラを指し示した。


「私の妻となる者を紹介したい。フランス王女イザベラだ」


オレがそう言うと、人の視線が一斉にイザベラに向かう。
人は相手の肩書きに圧倒されやすい生き物だ。そうでなくても身分の高さは好奇の対象になる。
王女であるイザベラの身分はオレよりも高い。
彼女はエンファントが今まで見てきた中で最も高貴な女性であり、人物なのだ。
身分の差が絶対的なこの時代において、平民から見た王女とはまさに雲の上の存在といっていい。
エンファントの視線に様々な感情が含まれていても仕方のないことだった。


「笑って手を振って」


オレはエンファントの視線に戸惑い、緊張するイザベラにそう囁いた。
身を寄せ、手を更に強く握ることでオレという存在が傍にいることを彼女に意識させる。
それで安心してくれたのか、イザベラは見事にオレの期待に応えてくれた。
見本として教科書に載せたくなるような笑顔。
花のようなという言葉が似合うそれは確実にエンファントを魅了した。
オレの狙い以上に。
彼女を讃える歓呼の声が響きわたる。心なしかオレに対するものよりも大きい……。
確かにエンファントがイザベラを受け入れることは予想していた。
エンファントの皆は性に対する意識が芽生え始めた年頃だ。
今まで見たこともない程に美しく、高貴なイザベラは崇拝の対象になるだろうという目算はあった。
自分を支持する者達を見ればイザベラもより安心するだろう、その程度の考えだったのだが……。
ここまで熱狂的な反応を示すとは思っていなかった。
オレに対する信仰ともいえる忠誠、それを刷り込むために施した教育の効果を明らかに上回っている。

――やはり男は下半身で生きているということか

そう思うとひどく切なくなる。
同時に、横で先程より機嫌良く手を振っているイザベラに微妙な敗北感を感じるのだった。













ガレアッツォに帰還の挨拶をしたオレは、共にミラノに来たリッシュモンを伴って錬兵場に向かった。
そこではエンファントが既に日課の訓練を始めている。
軍事訓練はリッシュモンの将来に最も関係する要素だ。
また、大人びているとはいえ少年である彼が最も興味をもちそうなことでもある。
そういったことからオレはリッシュモンにまず錬兵場を紹介することにしたのだ。
そして、リッシュモンを見るに、その選択は正解だったらしい。
いつも無表情で冷静な彼が、心持ち浮ついているように見える。
オレの中での彼は冷徹な仮面を被った激情家であり、常に何かに義憤を抱いている人物というイメージがあった。
そういったイメージや日ごろの態度が、リッシュモンを年齢以上に大人びて見せていたのだ。
だからこそ、こうして年齢相応の姿を晒していることが微笑ましい。
見ているこちらまで嬉しくなる程に。
もっともオレがそう感じるのも、旅を共にすることで多少距離が縮まったことも大いに関係しているだろう。
少なくとも、くだけた口調で話しができる程度には打ち解けたと思う。


「リッシュモン殿もやはり武芸に心躍るのか?」

「男子たる者が皆そうである程度には、な」

「というと?」

「男として生まれたならば誰もが強くありたいと願うものだ。まして貴族であれば強くあることは義務といっていい。
 領地と領民を守る、法を遵守させる、富を増やす。貴族の為す事は全て力あってのものだ」

 
リッシュモンの言うことは真理であった。
はるか昔、ギリシャの時代からヨーロッパ人は戦う力のある者を市民と呼んだのだから。
そして、貴族という身分が平民の上に位置づけられているのも元々は力があるからであったのだ。


「それに力なくして、正義は正義足りえないと思う。
 理想に燃えたグラックス兄弟が敗残者として歴史に名を刻んだように、力が無くては正義は行えない」


リッシュモンの話す内容からは、オレと出会って以来数ヶ月の彼の努力が伺えた。
オレは彼に何冊もの歴史書を貸し与えた。
オレ自ら記憶と照らし合わせて比較検討し、より精確で客観性に優れたものを選び抜いた上でだ。
歴史から学ぶことは多い。
それがオレが王族に生まれ変わってから強く認識したことだったからだ。
いかに文明が発達しようとも人の営みは変わらない。
歴史は繰り返す、との言葉の通り過去の事例には今の苦境を脱する鍵があるのだ。
戦史からは謀略とはどのように用いるべきか、事前の準備がいかに大切かが見えてくる。
ローマの歴史からは統治とはどのようにすべきかが見えてくる。
そして、人物史からは感情がいかに人の行動を支配しているか、それによってどれだけの者が滅んだかが見えてくる。
オレはそういったことをリッシュモンに学んで欲しかったのだ。
勿論まだ幼いリッシュモンが完全にそれらを理解できるとは思っていない。
今の段階では表層的な知識に過ぎないだろう。
だが、成長に合わせてゆっくりと咀嚼すれば血肉となって活きてくるはずだ。


「では、力こそ正義と結論付けたのか?」


歴史を読み始めてからのリッシュモンは正義の本質についてより深く考えることができるようになっていた。
オレに自分の考えを話して、討論することもある。
その年齢ゆえの純粋な意見は、純粋だからこそ論破するのに難しく、彼との討論はオレの密かな楽しみになっていた。


「いや、そこまでは言わない。ただ必要不可欠なものである、というだけだ」

「つまり弱者には正義を為すことはできないと?」

「だからこそ力を持つ者、貴族が為さねばならない」


そう言って頷くリッシュモンは並々ならぬ気合が入っていた。
力持つ者、つまり自分が正義を為すということだろう。
彼らしい考えだと思う。
いつになく浮かれていたのも、正義を為すために必要な力を身につけられるということもあったのだろう。
強大な軍事力は強大な権力に繋がる。
そして、その二つが揃えば正義を行うに何の障害もない。


「というわけで急ごうではないか。早く行かねば訓練が終わってしまうかもしれない」


だが、それ以上に軍人というものに対する憧れの方が強いらしい。
錬兵場が見え始めてからは、彼が楽しそうなことがはっきりとわかる。
前を進んでいるから見えないが、その顔は嬉しそうに笑っているかもしれない。
そわそわして、足を速めるリッシュモンはやはり微笑ましかった。






錬兵場に着いたオレはまずモルト老を探した。
堅苦しいことが嫌いなあの老人は式典といったものも嫌いであったため、先程の集まりにも当然参加していなかった。
思えばモルト老と出会って以来、こんなに長い間離れていたのは初めてのことだ。
オレがまず錬兵場に来ることにしたのも、あの老人のあけすけで飾らない、それでいて親しみのこもった口調が無性に懐かしく、
リッシュモンのためという目的以上にモルト老に会いたいという気持ちが大きく働いたのかもしれない。
彼の前だけでは、自信に満ちた麒麟児という自分を演じなくてもいい。
あるがままの弱い自分でいられる。
偉大な大樹に寄りかかる若木でいることができるのだ。


「――モルト老!!」


木陰に座る彼をようやく見つけて、気持ちが弾むのを自分でも感じる。
退屈そうに酒を飲んでいた彼はオレの声を聞いて笑いの形に顔を歪めた。
不敵で悪戯を思いついた悪ガキのようなその表情。
たった数ヶ月というのにこんなに懐かしい。


「よう、小僧。元気にしてたか?お痛はしなかったか?」

「モルト老こそ元気でしたか?」

「オレは変わらねぇさ。酒っていう妙薬もあるしな」

「では私も飛びっきりの薬を献上するとしましょう。最高級のワインです。楽しみにしていてください」

「いつもながら気が利くな。へへ、これで後30年は生きられるぜ」


モルト老はそう言って機嫌良さそうに酒をあおった。
相当高齢のはずだが、あと30年も生きたら一体何歳になるのだろうか。
もっともこの破格すぎる老人なら100歳まで生きても不思議ではなかったが。
そんなモルト老は景気付けのように一気に酒を飲み干すと、リッシュモンを一瞥して尋ねた。


「それで、そいつはどこのどいつだい?」


リッシュモンは自分に対するモルト老のぞんざいな扱いに驚いているようだった。
それでも単純に怒りを表さないのは、オレがモルト老への敬意を示しているからだろう。
その分、オレに対して不審の眼差しを露骨に注いでいる。


「彼はブルターニュ公弟、アルチュール・リッシュモンです。
 同時に、イングランド王の義理の息子でもあります。
 このたび私が後見人を務めることとなり、ミラノに同行させました」
 
「ここに連れて来たってことは、こいつにも訓練を受けさせる気か?」

「はい。私には後見人として彼を一廉の人物にする義務がありますので」


オレの言葉を聞いたモルト老は、リッシュモンを上から下まで観察した。
じろじろと、そう表現される通りの視線にはさすがのリッシュモンも腹に据えかねたらしい。


「御老人。何者かは知らぬが無礼が過ぎるのではないか」


そう言ってモルト老を睨み付けた。
鷹の如きリッシュモンの顔は、そういった表情を浮かべるとより一層凄みを増す。
その高貴な肩書きも相まって並みの大人では尻込みしてしまう迫力だ。
だが、今回は相手が悪すぎた。


「……ほぅ」


まるで新しい玩具を見つけたように笑ったモルト老は次の瞬間、強烈な殺気を叩きつけた。
向けられていないオレでも肌があわ立ち、歯の根が合わなくなりそうになる。
まして、直接浴びせられたリッシュモンは如何ほどの恐怖を感じていることか。
一気に蒼白になった表情を見ても察するに余りある。
だが、彼は流石に未来の英雄であった。
体を震わせながらも決して目を逸らさず、睨むのをやめようとしない。
それを可能としたのが、貴族である矜持か恐怖を知らぬ無知かは定かではない。
いずれにせよリッシュモンはモルト老に屈しなかったのだ。
それを確認したモルト老は、いきなり立ち上がってリッシュモンに飛び掛る振りをした。
突然の動作は萎縮させられたリッシュモンの脳裏に、死をイメージさせる。
彼は大きく後ろに飛びのいてオレの後方に下がった。
咄嗟の判断にしては上出来の部類だ。
オレを盾にしているといってもいいこの位置関係は、リッシュモンにとっては最上のものだ。
オレとモルト老の会話を聞いていれば、モルト老がオレに危害を加えないことはわかる。
モルト老がリッシュモンを攻撃するには、彼の前に立つオレを怪我をさせないようにどかせなければならない。
そして、そのオレはリッシュモンを守る義務がある。
リッシュモンは己の命を守るために、そこまでのことを瞬時に判断することができたのだ。
その事実はモルト老を更に楽しませるのに十分だった。


「げははははは、おいシャルル。この小僧、武人としての器は御前より上だぞ!!」


そう言って楽しそうに笑う。本当に楽しげに、まるで砂丘から宝石を見つけたように明るく、高らかに。
オレはモルト老のその笑いに満足気に応えた。


「そうでしょう。私の王宮での働きも大したものだと思いませんか?」

「あぁ、わざわざ行った甲斐があったってもんだ。げははは、なんて拾い物をしたんだ。
 こいつはいいぞ。頭の回転も、体のつくりも悪くない。何より気骨が最高だ。いい仕事したな、シャルル」

「いい将になりそうでしょう?」

「そいつは育て方次第だな。だが、可能性は高い」


オレとモルト老は笑い合う。
オレの遠征の成果を祝いあう。
一人取り残されたリッシュモンは威圧からいきなり解放され、呆然としていた。
安堵のためだろうか、その左目からは一筋の涙が流れている。
へたり込む彼の下にモルト老は歩み寄った。


「オレの名はモルト、これから御前を鍛える連中の一人だ。
 もっとも暇なときに、だがな。とりあえず宜しくと言っておくぜ」


無造作に頭を撫でられながらそう言われて、ようやくリッシュモンの脳は再起動したようだ。
その目には徐々に理解の光が広がり、表情に聡明な思考の冷たさが戻る。
そう、リッシュモンは理解した。
自分が絶対的強者によって選ばれたということを。
同時に、オレがモルト老に会ったときに感じたことと同じことを感じたに違いない。
目の前の老人に師事することが力を手に入れる近道だということを。
リッシュモンの顔に喜びの色が広がり始めると、モルト老はその手を離してオレに話しかけた。


「おい、シャルル。取り敢えず強くすればいいんだろ?」

「えぇ。もっとも、彼は勉学もエンファント以上にしてもらわねばならないので武術だけをさせることは出来ませんが」

「その辺は御前に任せるさ。オレが言いたいのは、身分を気にせず鍛えてもいいんだろ、ってことだ」

「勿論です。彼もそれを望んでいますよ。そうだろう、リッシュモン?」


オレにいきなり話しかけられたリッシュモンは、少なくとも見た目の上ではいつもの冷静な彼だった。
この短時間で平静さを取り繕える辺りはさすがといえる。
オレの質問にも即座に答える。


「はい、私の望みは正義を為す力を手にすること。そのためにはいかなる苦痛であろうといといません」


毅然として己の覚悟を宣言したその姿からは、並々ならぬ決意が伺えた。
その答えにモルト老は満足気に笑う。
だが、オレは天を仰いで嘆息せざるをえなかった。
リッシュモンの答えはあまりに迂闊すぎたのだ。
いや、無知ゆえのことだ。その答えにはオレも好意が持てるし、仕方のないことでもある。
手加減を親の腹に置いてきたようなモルト老にいかなる苦痛をもいとわないとまで言ってしまうとは……。


「いい覚悟だ。よし、オレに着いて来い。今の御前の力を測ってやる」

「はい!」


意気揚々と走り出すモルト老とリッシュモンははるか遠くへ行ってしまった。
オレが声をかける間も無く。
先の展開が予想出来たオレは溜息を吐いて気持ちを切り替えた。
リッシュモンを置いて母へ挨拶に行くことにしよう。
そこには既にイザベラが行って、女同士で様々な事を語り合っている。
イザベラは一人で会うことにひどく緊張していたが、オレは母の性格を知っているし、母を信じてもいる。
今頃はイザベラの心をその母性で包み込み、彼女が求めていた母の温もりを与えてくれているはずだ。
これからボロボロにされるだろうリッシュモンは、鍛練が終わった頃に迎えに行けばいいだろう。
身も心も傷ついた後なら意地を張る気力もあるまい。
大人しく母に癒されてもらい、更に打ち解けてもらえば結果オーライというやつだ。



三時間後オレがリッシュモンの所へ行ったとき、予想通り彼はボロボロになっていた。
よく見るとその辺の木の根元に吐いた跡もある。
まさに息も絶え絶えといった有様だ。
モルト老が実に生き生きとしているのと対照的なのがなんとも痛ましい。


「おぉ、シャルル。やっぱりこの小僧は筋がいいぜ。極限状態からの粘りもよかったしな」


そう言って陽気に笑うモルト老はオレの予想と違うことを言い出した。
オレはモルト老の機嫌が良くなり過ぎることを考慮していなかったのだ。
あるいは考えたくなかったのかもしれない。


「よし、次はシャルルだ。久し振りに稽古を付けてやる。どうせ政治ばっかで肩が凝ってるんだろう?」


そう言って楽しそうに手招きする師に、弟子であるオレが言えることは一つしかなかった。
オレは引きつりそうになる顔を抑えながら答える。


「……宜しくお願いします」


結局この日の夜、オレもリッシュモンも母に癒されることとなった。
イザベラは健気にオレの世話をしてくれ、二人の絆はより一層深まったと思う。
そして、何より共に苦痛を味わったオレとリッシュモンの間に妙な仲間意識が芽生えたことは特筆せなばならない。
そう、見事に結果オーライとはなったのだ。
全身に走る痛みと極限の疲労と引き換えに……。










祝10万PV!!
節目でありますし、改めて皆様に御礼を言わせて頂きたいと思います。
拙作をここまで続けられましたのも、読者の皆様方のおかげです。
本当にありがとう御座いました。
未熟な作者ですが、これからも宜しくお願いします。
それでは、御意見、御批判、御感想をお待ちしています。



[8422] ミラノ帰還~ガレアッツォ・イザベラ編~
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/25 04:21
ミラノ公ガレアッツォは政治家である。
戦場に直接赴くことは殆どない。
勿論、彼は武将としても一級品の実力があると自負している。
しかし、ミラノ公という立場がガレアッツォに戦場での働きを許さないのだ。
戦争をしている間にも時の刻みが止まることはない。
人の営みは続いている。
それ故、ガレアッツォは一つの戦場に囚われることなく世界を俯瞰し、方々にその眼を向けなければならないのだ。
そうでなくては第三者に後背を付かれ、全てを奪われてしまう。
戦乱の世とはそういうものだ。
だから、ガレアッツォは戦場に出ない。
後方に身を置き、兵站を揃え、補給線を構築し、敵の離間を誘い、情報を集める。
戦争の準備をすることがガレアッツォの仕事だった。
実際に戦うのはファチーノ率いる傭兵である。
戦争の前こそ、最もガレアッツォは忙しいのだ。
ボローニャとの戦いが間近に迫り、フィレンツェとの戦争が視野に入り始めた今もそうであった。
シャルルが帰還の挨拶に訪れるギリギリまで、ガレアッツォはファチーノと執務室で今後の戦略を話し合っていた。






オレがこの時期、ミラノに帰って来たのは、ボローニャとの戦いが近付いているからだった。
ボローニャ戦はオレの初陣となる戦いだ。
実際に戦うわけでなく、戦場に出てその空気を感じ取るという実地訓練のようなものではあるが、初陣には違いない。
ガレアッツォとの対面でも、その事についての話があるだろう。
戦争をできるように様々な準備をしてきたが、いざその時が近付いているとなると感慨深いものがある。
不安、緊張、期待。
初めての事に立ち向かうとき、人が考えることは幾つになっても変わらない。
旅の途中では意識していなかったことが、ガレアッツォの執務室を前にして一気に溢れてくる。
いつになく気負う自分を自覚しつつ、それを横のリッシュモンに気付かれないように注意しながらオレは目の前の扉に入った。


「ただいま戻りました、御爺様」


入室したオレ達をガレアッツォは温かく迎え入れた。ファチーノは彼の後ろに影のように侍っている。
ガレアッツォはつい先程までファチーノと会議をしていたようだ。
机の上には二枚の羊皮紙が広げられた状態で置かれたままになっている。
一枚はイタリア地図、もう一枚はヨーロッパ地図。
それらを見るに、来るボローニャ戦のことを話し合っていたのだろう。
どうやらオレ達は本当に貴重な時間を割いてもらったようだ。
帰還の挨拶は通過儀礼といってもよく、必要なことなのだが、どこか申し訳なさを感じずにはいられない。
戦争前のガレアッツォは猫の手も借りたい程の殺人的スケジュールをこなしているのだ。
恐らく疲労の極致にいるであろうガレアッツォは、それを全く表に見せずにオレの挨拶に答えた。


「よく戻ったシャルル。そして、ようこそリッシュモン殿。ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティだ」


ガレアッツォの言葉に応え、リッシュモンは一歩前に進み出て挨拶をした。


「この度シャルル様の後見を受け、この地で養育されることとなりましたアルチュール・リッシュモンに御座います。
 ミラノ公におかれましては、その件に関する礼が遅れましたことをお許しください」

「シャルルが後見を務めるとなれば、間接的にこのガレアッツォも世話をすることとなる。
 いわばワシもリッシュモン殿の後見人同然。
 何も気にすることはない。このミラノで何の憂いも無く学問に、そして武術に励むと良い」
 

一通り挨拶を済ませたガレアッツォは、リッシュモンに何の応対も出来ないことを詫びて退室を促した。
オレとガレアッツォの会話には機密が含まれる可能性もあり、リッシュモンには聞かせられないからだ。
彼の退室を確認したオレ達は、改めて挨拶を交わした。


「活躍の程は聞き及んでおるぞ。中々骨の折れる滞在だったようだな」


そう言って笑いかけたガレアッツォにオレは苦笑するしかなかった。
成果だけから判断すると、オレが大活躍をしたように見える。
だが、その成果は全て与えられたもの、相手の温情に因るものだからだ。


「いい勉強をさせてもらいました。成果も経験も得られ、大成功であったと思っています。
 それと同じくらい更なる努力の必要性を感じさせられましたが」

「いや、ワシから見てもよくやったと思うぞ。相手が譲歩してくれたことも御前の働きがあってのことだ」

「労いありがとう御座います、御爺様」

「さて、挨拶はこの程度でよかろう。互いに時間の無い身だ。必要なこと、為すべきことを話し合うとしよう」


そう言ってガレアッツォは、その腕を広げた。
そういった動作をすると大柄な彼が更に大きくなり、迫力が増して見える。
もっとも、オレがこれから話し合う内容に気後れしているからなのかもしれない。
握り締めた手に力が入るのを感じる。


「緊張しているな。無理もない。初陣とはそういうものだ」


オレの抱いている感情は呆気なくガレアッツォによって見透かされた。
彼の後ろに立つファチーノもまた同じだろう。
一瞬、恥ずかしさを覚える。
その心の動きもまたガレアッツォに予測されていた。


「そのことを恥じることもない。今まで全てを完璧にこなして来た御前だ。
 初陣も完璧にこなそうと気負っているのだろう。
 また、完璧にこなせなければならない、という考えに取り付かれてもいるのだろう」


そう、オレが緊張しているのは恐れているからだ。
今まで必死に演出してきた自分が、天才児シャルル・オルレアンという人物が崩れ去ることをオレは恐れている。
悪人が善行を為せば過剰に褒められるのに対し、善人が悪行を為せば必要以上に貶される。
その論理がオレにも働き得る。
だからといって、世間の評価を気にしてはいるわけではない。
大衆の評価とは流動的で、真偽が入り混じったものだ。
そんな不確かなものに一喜一憂してもしょうがない。
オレが気にしているのはガレアッツォの評価だった。
オレとモルト老の計画は、オレがミラノ公になることが前提となって作られている。
彼の評価はオレの将来を大きく左右するのだ。


「御前がなるのは為政者であり政治家だ。武将ではない。
 完璧となることを目指すのはいいが、完璧であることに囚われては本末転倒ではないか」


その言葉を聞いた途端オレは自分の心が軽くなるのを感じた。
まさに憑き物が落ちたようだ。
同時に、先程とは別の意味で恥ずかしくなってくる。
こんな簡単なことに気付かずに、まるで歳相応の子供のように緊張していたなんて……。
本末転倒。
ガレアッツォの言う通りだった。
そうして落ち着いてみると、自分が感じていた不安や恐怖も肯定的に受け入れることができる。
戦争をするのだ。
前世を含めて初めての戦争をするのだ。
不安を感じても仕方ない。
いや、平和な前世の記憶を持っているからこそ、恐怖を感じて当然ではないか。
オレはそう考えることができるようになった。
開き直り、ともいえる。
現実逃避かもしれない。
いずれにせよ、気の持ちようが変わっただけでオレの頭はいつになくクリアになった。
ひょっとすると、ガレアッツォはこの事も見越していたのだろうか。
片方が思考硬直に陥っていては、まともな話し合いなどできないのだから。


「すみません。妙な気合の入れ方をしていたようです。お気遣いいただき、ありがとう御座います」


オレは素直な気持ちで頭を下げた。
ガレアッツォが祖父としての顔を見せていたからだ。
こんなとき位は甘えてみてもいいかな、そう思ったのだ。


「いや、ワシも同じ経験をしたことがあったゆえな。では、改めて今後のことを話し合うとしよう」


そう言ってフォローまでしてくれた後、ガレアッツォはその顔を真面目なものに戻した。
纏う空気も為政者としてのそれになる。
オレもそれに応じて、気を引き締めた。
オレ達の話しはまず、決定事項の確認から始まった。


「ボローニャへの遠征は49日後ということでよろしかったでしょうか?」

「うむ。指揮官はモルト、御前の目付けはガッタメラータとなっておる」

「ガッタメラータ殿、ですか?」


聞いたこともない名に、思わず聞き返す。
オレの目付けである以上、その実力の程は把握しておきたい。
ガッタメラータとは何者なのだろうか?


「モルトからの推薦だ。名を知られてはおらぬが、抜きん出た勇者なのであろう」


モルト老からの推薦。その情報だけでガッタメラータが信頼するに値する実力を持っていると判断できた。
武人を批評するときの彼は相当な辛口だからだ。


「そうであるならば戦いについてはその者に一任するとしましょう。ところで、エンファントを同行させてもよろしいでしょうか?」


エンファントの中には、とっくに初陣を済ませていて然るべき年齢の者もいる。
オレとしては、この機に彼等に実戦を経験させたかった。


「ふむ、その件に関してはモルトと話すがよい。ボローニャ戦における一切の裁量はあやつに任せておるゆえな」


事実上の了承を得て一息吐く間もなく、ガレアッツォから一つの命令が下る。


「それより、シャルル。御前にはやってもらうことがある」
 

厳しい表情でそう言ったガレアッツォはこれから行う戦争の概要を語り出した。


「そもそも、今回の戦争は次の戦争のための布石。
 そう、強大な敵を倒すための準備の一つに過ぎない。
 戦いに絶対はないとはいえ、それがボローニャ戦に対するワシの認識だ。
 我等とボローニャでは力に開きがあり、指揮官はモルトだ。
 勝利は動かないだろう。
 だが、勝敗の行方のみに腐心してよいのは将兵のみ。
 為政者たるワシは勝利の先のことを考えねばならない」


ガレアッツォが語るは、戦争を行う上での為政者の心得。
そう、今オレはガレアッツォに教育されているのだ。
オレはそれを残さず吸収するべく精神を研ぎ澄ませる。


「戦争は始めるに容易く、収めるに難い。
 故に、戦い始める前に道筋を立てておかねばならない。
 巡らした策略、一つ一つの戦場。一見バラバラに見えるそれらは全て繋がっていなければならないのだ。
 そう、木の根一つ一つが太い幹に集まっているようにな。
 今回のボローニャとの戦は根の一つに過ぎん。
 ワシは他の根を疎かにすることはできんし、まして肝心の木の幹に目を向けんわけにはいかん。 
 ここまで言えば御前が何を為さねばならないか、分かるな?」

 
そう問われたオレは、頭の中でガレアッツォの話を整理しオレの為すべきことを考えた。
これはテストだ。
オレがこれまでの政治活動の中で、どれだけ学んできたかを問うている。
ガレアッツォはボローニャとの戦いを木の根と例えた。
布石に過ぎない、とも言っている。
そして勝利の先を考えるという為政者の役割。
それらからガレアッツォの思考を推測する。
オレの役割はガレアッツォのサポートだ。
そうである以上、この問いに答える鍵はガレアッツォが何をしたいのか、ということに尽きる。
ガレアッツォがしたいこと。それは太い幹、つまり次の戦争の準備に集中すること……のはずだ。
ならば、ガレアッツォがオレに求める答えはこれしかあるまい。


「……ボローニャの戦後処理、ですか?」


オレの答えに対するガレアッツォの反応は微笑だった。
それを見て安堵する。
どうやら正解だったらしい。


「そうだ。御前にはボローニャ戦における戦後処理の統括を命じる。
 細かい仕事は同行させる文官に任せればよい。
 御前がこの一年半でワシに見せてきたもの、創造力と実行力、統率力をボローニャで示すのだ」


ボローニャにおける戦後処理。
それは更に大きな政治舞台への参加であり、これまでのままごととは違い本格的に政治を学ぶ第一歩だ。
文官達の統制を通じて、オレは彼等から様々な知識を学ぶことが出来るだろう。
エンファントの中で、特に頭脳の優れた者に文官としての教育を施させてもいい。
更なる成長への期待に心を弾ませたオレは謹んでその命令を受けた。
話しが終わり、退室する前にオレは一つ気になることをガレアッツォに尋ねることにした。


「ところで御爺様が狙っている敵とはどこなのですか?」


あのガレアッツォに強大とまで言わしめる相手となるとその数は限られてくる。
一体どこなのだろう、そんな純粋な興味から発した言葉だった。
だが、ガレアッツォの反応は強烈だった。
一気に膨らむ覇気と発せられる怒気。表情はどこか忌々しげだ。
初めて見る感情を露わにしたガレアッツォの姿。
ガレアッツォがその敵にどれ程の思いを持っているかが分かる。


「……フィレンツェだ」


その一言には屈辱と憤怒と並々ならぬ決意が込められていた。
その名を聞いただけで常ならぬガレアッツォの態度も頷ける。
フィレンツェ共和国。
二度に渡ってミラノの侵攻を妨げた商人の国。
後にルネサンスの中心地として栄えるその国の名は、来るべき戦争が如何に困難かを予感させるに十分なものだった。













シャルルがガレアッツォに帰還の挨拶をしている頃、イザベラはヴァランティーヌの部屋に向かっていた。
その顔は緊張と気合によって引き締められている。
シャルルは案ずることは無いと言っていたものの、イザベラがヴァランティーヌにとって仇敵の娘であることに変わりは無い。
心無い害意によって傷つけられたとき、人は相手を憎まずにいられない。
そのことは、母であるイザボーを憎むイザベラにとってよく分かることだった。
そして、憎しみが人を変えてしまうことも。
イザベラは心を凍てつかせた。
ならば慈愛に満ちた、とシャルルが評したヴァランティーヌが豹変していないとどうして言い切れるだろうか。
彼女が不安を感じ、緊張するのも道理といえた。

――でもシャルルは母を信頼していると言っていた。

シャルルが信頼している相手に過剰に不安を感じるのは、彼も信用していないということになるのではないか。

――シャルルは私に優しくしてくれた。

イザベラの中にあるシャルルへの思いは愛情ではない。だが、友情以上のものであるのも確かであった。
恋というにはまだ幼すぎるその思いが彼女の背中を押していた。

――私の母になる人だし仲良くしたい。……でも怖い。

そうして悩みながら歩いているうちにもヴァランティーヌの部屋までの距離は縮まっている。
とうとう踏ん切りが付かないまま部屋の前に到着し、侍女が入室を告げてしまった。
そのことにはたっと気付き、あたふたとしたところで後の祭り。
彼女の思いを置き去りにして、時間は進んでいるのだ。
それを理解した彼女の行動は素早く、そして悲しいものだった。
慌てたイザベラは咄嗟に仮面をかぶることを選択したのだ。
浮かべた微笑、楚々とした動作、優雅な振る舞い。
王女として完璧な姿ではあるが、同時に偽りの姿でもある。
だが、イザベラに出来ることは長年使いこなし、身に染み込んだこの仮面をかぶる事しかなかった。
シャルルの母の前で自分を偽ることの心苦しさを感じながら、イザベラは部屋に入った。


「お初にお目に掛かりますお義母さま。イザベラに御座います。
 王妃イザボーとの間に生じた諍いは私としても望むところでなく、非常に悲しいものと言わざるをえません。
 何をしようと償えるものではないと思います。ですが、せめて私に出来る限り尽くすことをお許しください。
 夫であるシャルル様とお義母さまに献身を奉げさせていただきとう御座います。どうか宜しくお願いします」


イザベラはそう言って頭を下げた。
仮面をかぶった上での言葉だが、その内容に偽りは無い。
彼女は心底イザボーのした事を悲しんでいたし、ヴァランティーヌの身の上に同情していた。
共感していた、といってもいい。
イザベラは頭を下げたままヴァランティーヌの反応を待ち続ける。
仇敵の娘を目の前にして平静でいられるとは思えない。
それがわかるから、彼女はヴァランティーヌの反応をじっと待ち続けた。

――罵倒されるだろう。拒絶されるかもしれない。嫌だけど、それが当たり前だもの。

頭を下げながらイザベラは改めて母を呪った。
どこまで自分の邪魔をすれば気が済むのだろうか。

――でも、私はお義母さまと仲良くしたい。

イザベラはその一心で頭を下げ続けた。
どれ程の時間が立っただろうか。30秒かもしれないし、5分かもしれない。
いずれにせよ審判を待つイザベラにとって無限にも等しい時間が立った後、ヴァランティーヌが立ち上がった。
そして、歩み寄って来る。
イザベラはそれを感じてより一層不安になった。

――打たれるかもしれない。

今まで誰にもされたことのないことだ。

――怖い。

そう感じてもイザベラは我慢した。それがイザボーの子であるという罰のような気がしたからだ。
そして、ヴァランティーヌには自分を裁く権利がある、そう思った。
体が震えそうになるのを堪えながら、イザベラはヴァランティーヌを待っていた。
しかし、イザベラにもたらされたのは裁きではなく優しさだった。
不意に体が引かれる。
予想外の事態に抗うこともできず、イザベラは温かい何かに包まれた。
どこか懐かしい、はるか昔に感じた気がする温かさ。
陶然としてされるがままになり、その身を任せようとする寸前でイザベラは自身の状態に気付いた。
彼女はヴァランティーヌに抱きしめられていた。


「あの……、その……」


思わず素の自分が出てしまう。
何故抗うことも出来ないのか、何故こんなに心地よいのか。
そもそも何故抱きしめられているのか。
生じる疑問と混乱も頭を撫でられただけで消し飛んでいく。


「可愛い子。でも哀れな子。
 そんなに震えて、怖がって。それすら我慢して。
 でも大丈夫。私はあなたを恨んでいないし、あなたに危害を加えるつもりもない。
 ここでは何かに気を遣う必要もないし、云われ無き害意に怯える必要も無い。
 だから安心していいの」


耳元でそう囁かれて、体から力が抜けていく。
心の表面では信じられないと否定していても、その裏ではこの声の持ち主に身を任せたいと思うことを止められない。
それ程にこの温かさは心地よかった。


「可愛い子」


そう言って頭を撫でられる。
それだけで心が温かくなることをイザベラは驚きと共に認めた。
そして、心が温かくなればなるほどヴァランティーヌの抱擁から逃れたくなくなる。
いや、ずっと抱きしめていてもらいたくなるのだ。


「可愛い子」


いつしかイザベラはそう言って抱きしめられることを受け入れていた。
自らもヴァランティーヌの背に手を伸ばし、彼女を抱きしめる。
そうする事でより一層の心地よさを感じられることをイザベラの体が覚えていた。
穏やかな時が流れ続ける。
時の流れを置き去りにして、二人は互いの温もりを感じていた。。
温かな光の中抱きしめ合うその姿は、慈愛を象徴するかのように尊い。
それは完成された一個の母子像のようで、二人はこの上ない一体感を感じていた。


「シャルル様がお見えです」

「……シャルル様がお見えです」

「…………シャルル様がお見えです」


シャルルの訪れに暫し気付かない程に。









初の前後編で、時間軸が分かりづらくはなかったでしょうか?
これでミラノ帰還は終了とし、これから戦争編へと突入していきたいと思います。
イタリア戦争編は多少長くなる予定です。
筆者と共に根気よく付き合って頂ければと思います。
また、当時の戦争に関しての資料についてアドバイスが御座いましたら是非お寄せください。
私も集めていますが、より多い資料があればそれにこしたことはありません。
個人的なお願いで恐縮ではありますが……。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしています。



[8422] フィレンツェの事情・戦争の開幕
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/25 04:21
戦争前の街は独特の空気に包まれる。
近付く闘争に気持ちを昂ぶらせる若い男達の喧騒。
永遠の別離に慄く家族達の悲嘆。
兵士に憧れる子供達の声。
酒場は最後になるかもしれない宴に身を任せ、酒の味で恐怖を誤魔化し、騒ぎ狂う者達で溢れている。
街全体が常ならぬ雰囲気にある中、ミラノ公ガレアッツォの執務室だけは静寂を保っていた。
机に座って執務をする公国の絶対的支配者。
その姿はこの街の変わらぬ繁栄を象徴しているかのようだった。
この夜、彼の執務室に表れた変化といえば唯一つ。
ガレアッツォの相談役として、ファチーノの他にモルト老がいたことだけだ。


「それで、フィレンツェにはどう攻め込むつもりなんだ? 御前さん二回も失敗してんだろ」


モルト老が酒を煽りながら口火を切った。
その言葉遣いは、とてもではないが雇い主に対するものではないが、この場にはその様なことを気にする者はいない。
全員が実力主義の傑物ばかりだからだ。
ただし、内容に関してはひどくガレアッツォを刺激したようだ。


「此度は失敗せん」


ガレアッツォはそう憮然とした表情で吐き捨てる。
彼にしては珍しく率直に感情を表していた。
親しく、信頼がおける者のみの集まりであったからだろうか。


「おぉ、おぉ、むきになって。そんな感情的で勝てるのかい?」


モルト老はそうからかうと、ひひっと笑って更に酒をひっかける。
これでまともな話し合いをできるというのだから、つくづくこの老人は規格外であった。
そんなモルト老のにファチーノに内心で呆れながらも、表面上は鉄面皮を保って問いに答えた。


「以前より戦力は充実している。油断はできんが、勝つ可能性は高い。それに……」

「フィレンツェは火種を抱えている」


ファチーノの言葉をガレアッツォがそう引き継いだ。
その顔には獅子の如く獰猛な笑みが浮かんでいる。
ファチーノもうっすらと笑っていた。


「……サルヴェストロ・デ・メディチの残り火、か」


モルト老の呟きにファチーノとガレアッツォが頷く。
サルヴェストロ・デ・メディチ。
この場にいる者全てがその名を知っていた。
それほどサルヴェストロが起した騒乱は有名だったのだ。
そう、未だにフィレンツェ市民の間に軋轢を残すほどに。


「チョンピの乱は相当な騒ぎになったからな。アルビッツィ家の連中が今でもびびっているのも仕方ねぇか」


モルト老もまた笑った。
ガレアッツォの考えを理解したのだ。
わずかな言葉のやり取り、それだけで全員の頭の中に対フィレンツェ戦略が共有されていた。
互いの力量を知り、互いの実力を信頼し合うそんな彼等だからこそ最低限の会話だけでこと足りる。
だからモルト老も計画の骨子を聞いてだけで、自分の領分である戦闘に集中できるのだ。
フィレンツェ戦の話を一段落させた三人は、次の話題に移った。


「ところでよぅ、シャルルにボローニャの処理を任せてよかったのか?
 確かに知恵は回るし、仕事は文官にやらせればいい。だが、あいつはまだ7歳だぜ。
 とてもじゃないが一つの街を仕切れる歳じゃねぇ」


モルト老の目には、はっきりと非難の色が浮かんでいた。
シャルルは陰謀渦巻く王宮で育ったが、まだ直接的に人の想念の脅威にさらされてはいない。
あくまでもオルレアン公の息子として狙われる立場だった。
だが、ボローニャ統治という大任を担うとなるとそうはいかなくなる。
幼いシャルルを侮って傀儡にしようと企む者も出てくるだろう。
馬鹿にして指示を聞かない文官も出てくるかもしれない。
シャルルはそれらを阻み、屈服させなければならないのだ。
確かに初陣をボローニャで、と望んだがその後の統治までも、となるとモルト老の考えていた事態を超えている。
ガレアッツォはそう非難するモルト老を宥めた。


「仕方なかろう。ボローニャ統治などという手柄をやれるほど信用できる者がおらんのだ。 
 親族から出すしかないではないか。
 本来なら長男であるジョヴァンニの仕事なのだが……、あいつは頼りない。
 次男のフィリッポはまだマシではあるが、今のあいつでは器量が不足だ。失敗するのが目に見えている。
 ならば、幼くとも実績を見せているシャルルに任せるしかないではないだろう」


それでも不機嫌そうな顔をしているモルト老を、今度はガレアッツォが非難した。


「大体御前は過保護がすぎる。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、というではないか。
 ワシの後継者となるのであれば、この程度の試練があって当然。
 むしろ手柄が転がり込んできたと喜んでもいいくらいだ。
 それにワシも御前も、もういい歳だ。いつまでも守ってやれるわけではない。
 自分の力だけで大きな仕事をやらせる必要がある。違うか?」


ガレアッツォの言葉にモルト老はわかっているさ、と短く答えて酒を飲んだ。
その姿はどこか寂しげだが、機嫌は直っているようだ。
いや、むしろ先程よりもいい。
ガレアッツォがはっきりと後継者となるならば、と言ったからだった。


「それよりモルト。御前こそボローニャ戦の準備は大丈夫なんだろうな?」


ガレアッツォは、モルト老の機嫌がいいうちにと聞きにくい質問をした。
モルト老の毎日は木陰で酒をチビチビとやりながら寝るか、シャルルの酒場で浴びるようにように酒を飲んでいるかのどちらかだ。
それ以外には、リッシュモンに稽古を付けることしかしていない。
信頼はしているが、確認の意味でもガレアッツォはそう尋ねずにはいられなかった。


「心配すんなよ。御前さんの事情も承知してるさ。ボローニャに日にちを掛けられねぇってんだろ」

「なんだ、わかっておるではないか」

「後にフィレンツェなんて大物を狙っているんだ。即行でボローニャを落とさなきゃあ、今後に差し支える。そんなことくらい馬鹿でも分かるさ」


ガレアッツォの不安を感じ、モルト老はそれを吹き飛ばすように答えた。
これまでの二回にわたる敗北がガレアッツォの心にしこりを残している。
彼の心に巣食うフィレンツェへの苦手意識をモルト老は敏感に感じた。
だが、モルト老は内心それでいいと思っていた。
慎重すぎるほどに慎重に行動する。
厳しいものとなるであろうフィレンツェとの戦にはそれが必要であり、そのためにはガレアッツォの心中の苦手意識はちょうどいいと思ったのだ。


「オレ様がついているんだ。それに御前さんも言っていただろ。フィレンツェは火種を抱えている、ってよ。大丈夫。今度は勝てるさ」


けれども、必要以上に臆病になられても困る。
そう思ってモルト老は殊更に快活に笑って見せた。
珍しいモルト老の気遣いにガレアッツォとファチーノも応える。
ミラノ首脳部の戦闘に向けて好調な発進をしていた。













フィレンツェ市内にその建物はあった。
特別華美というわけではない。
貴金属によって装飾されているわけでもなければ、目を惹くような奇抜な形をしているわけでもない。
しかし、人々はその建物に黄金の輝きを見る。
財貨で築き上げた玉座。
その主の名はをジョヴァンニ・デ・ビッチという。
銀行業で成功したメディチ家の男であり、ガレアッツォが火種と言った男であった。
ジョヴァンニは富豪であるにも関わらず質素な服を着ており、誰に対しても腰の低い小男だった。
四角い輪郭と互いに大きく離れた目を有しており、出目金そっくりの顔をしている。
見る者に強烈な印象を残さずにはいられない顔だ。
その顔をある者は親しみやすいと評し、ある者は不気味であると評する。
相対した状況、相対する者によって万華鏡のように印象を変える、ジョヴァンニ・デ・ビッチとはそんな男であった。
当年とって41歳。
脂ののりきった年頃だ。
充実した体力を維持し、若い頃にはなかった知識と経験と地位を得ている。
あらゆる分野で活躍できる、そんな年齢である。
フィレンツェに銀行の本店を移して4年。
彼は住民から慕われ、理想的な人間関係を築いていた。


「やぁ、ジョヴァンニさん。おはよう御座います」

「おはよう御座います、ジョヴァンニ様」

「おぉ、ジョヴァンニ様。おはよう」


彼は早朝の散歩を日課としていた。
街が目覚めた頃、護衛に囲まれて歩く彼に多くの者が声を掛ける。
ジョヴァンニはその一人一人に丁寧に頭を下げておはよう御座います、と答えることにしている。
富豪にありながら謙虚なその物腰が周囲との関係を円滑していた。
声を掛ける者の素性は様々だ。
一廉の商人もいれば小間使いもいる。
その中でも、中小階級の者がジョヴァンニを見る目には特別な光があった。
メディチ家のジョヴァンニ。
彼等はジョヴァンニのことをそう見ている。
彼の背後にサルヴェストロ・デ・メディチの影を見ているのだ。
チョンピの乱。
23年前、そう呼ばれる動乱が起きた。
原因はどこにでもある有り触れたものだった。
格差と不況、疫病による社会不安。
時代、場所を問わず存在し続けるこれらの問題は虐げられる者達の心にいつも同じ闇を灯す。
理不尽に対する憎悪、天上に輝く者達への嫉妬。
それに火を点け、業火にして燃え上がらせた者の一人がサルヴェストロ・デ・メディチだった。
反乱の中心となったのは、参政権もない最下層労働者であるチョンピ、そして彼等と結託した中小労働者達だった。
サルヴェストロが反乱を扇動したのは、自分が権力を得るためであったのかもしれない。
義憤ではなく私心、弱者のためではなく己のための行動であったのかもしれない。
しかし、扇動された者達にとって、サルヴェストロの思惑などどうでもよかった。
フィレンツェを支配するアルビッツィ家と一部の大商人に敢然と立ち向かった。
その事実だけが彼等にとっての真実であり、その事実を以ってサルヴェストロは彼等の英雄となったのだ。
確かにサルヴェストロの反乱は失敗に終わった。
体制は変化することなく、労働者の地位が向上することもなかった。
それでも、中小労働者達にとってメディチの名は特別なものとなった。
それでも、サルヴェストロ・デ・メディチ英雄の名となったのだ。
だから彼等はジョヴァンニを慕い、そして期待している。
いつの日か彼も自分達のために立ち上がってくれるのではないか、そんな目で見ずにいられないのだ。


「おはよう御座います、ジョヴァンニ様」


そんな視線を痛いほど浴びているにも関わらず、ジョヴァンニは露ほども気付いている素振りを見せない。
ただ今日も温厚そうな顔で、誰にでもわけ隔てなく挨拶をし続ける。
その姿に人々は僅かな失望と大きな希望を見出しているのだ。






街が静まり返り、誰もが夢の世界に旅立つ真夜中もジョヴァンニにとっては貴重な仕事の時間だ。
誰も仕事をしていない時間だからこそ仕事をする。
その分、他人よりも一歩先んじることが出来る。
それがジョヴァンニの哲学だった。
そして、真夜中は闇夜に紛れて密会をする絶好の機会でもあった。


「遅かったじゃねぇか」


そう言ってジョヴァンニを迎えた男の手には既に酒が握られている。
部屋の中には、情事の後特有の匂いも篭もっていた。
二人がいつも待ち合わせる酒場は娼館も兼ねている。
金さえ払えば客の素性も事情も一切尋ねないし、誰にも漏らさない。
商人の街であるフィレンツェの奥にある大物御用達の店だった。
その店に、男は待ち合わせよりも早めに来て一戦したようだ。
聖職者であるにも関わらず。


「また女か……。神が知られたら罰を下さずにおれないだろうな」


ジョヴァンニがそう大げさに嘆いてみせると、男はそれを笑い飛ばした。


「大丈夫さ。オレは枢機卿、下々に天罰を下す立場だぜ」


聖職者とは須らくどこか傲慢なものだ。
第一の身分とされ、王侯貴族ですら礼を持って遇する。
その特別扱いゆえか、神に仕えているという意識がそうするのかは分からない。
いずれにせよ一種独特の、清廉な優越感の混じった笑みを浮かべる。
だが、このバルダッサレ・コッサの笑みは違う。
世俗的というよりも野卑。
まるで街のゴロツキのような笑い方をする、そんな男だった。


「また悪い顔が出ているぞ。教会でそんな表情を浮かべてみろ。すぐに素性がばれて地位から転落するだろうな」

「おっと、いけねぇ。なんたって今のオレは忠実にして無欲な神の僕だからな」


そう言って顔を揉み解し、おどける様も板に付いている。
その姿を見れば誰も彼のことを聖職者とは信じないだろう。
だが、実際に彼はローマキリスト教会の枢機卿なのだ。
枢機卿とは教皇に次ぐ高位である。
その彼が何故ゴロツキ同然の男なのか。
その問いの答えは実に簡単だ。
バルダッサレ・コッサはもともとゴロツキだった。
正確にいえば彼は海賊であったのだ。
強盗、殺人、強姦。ありとあらゆる悪行に手を染めた大悪人。
本来なら犯罪者として縛り首となり終わる筈の男だ。
だが、バルダッサレは普通よりも頭が切れ、幸運な一つの出会いを得ていた。
たったそれだけで悪人の運命が変わった。
ジョヴァンニと知己だったことが彼の人生を変えたのだ。


「実際あんたには感謝してるぜ。こんなにいいべべを着て、こんな美味い酒を飲めるのも、みんなあんたのお陰だからな」

「なに、利益の一致というものだ。私も御前の権力には助けられている」

「それを言うならオレに権力をくれたのはあんたじゃねぇか」

「金を用立てたに過ぎんさ。それを活かしたのは御前の才覚だ。見込み通り大した男だよ、御前は」


そう言われて煽てられると、だらしなく顔を緩める。
酒を飲んだバルダッサレには枢機卿らしさなど欠片もない。
だが、それは酔っているときのみだ。
素面のバルダッサレは違う。
聖職者の見本のような笑みで粗野な本性を包み、穏やかな物腰と滑らかな弁舌で周囲の尊敬を集めている。
誰も彼の素性の不透明さを咎めない。
多少ジョヴァンニとの黒い関係が噂されても、邪推と嫉妬によるものと片付けられる。
バルダッサレは教会内でそれ程の政治力と影響力を築き上げていた。
そして、だからこそジョヴァンニがパートナーとしているのだ。


「おい、いい加減飲むのを止めて酔いを醒ませ。これではまともに話もできん」


ジョヴェンニはそう言って水を差し出した。
悪いな、そう言ってバルダッサレはコップを受け取るとそれを一気に飲む。
更に二杯、三杯と飲んで最後に顔にかけるとバルダッサレの目に理性の光が戻ってきた。
異常に酔いが醒めるのが早い。
突発的な戦闘が多い海賊生活で得た、彼の特技の一つだった。


「すまん、すまん。教会の中は窮屈で仕方なくてな。外に出るとついつい飲み過ぎてしまうのよ」

「もうよい。それより定期報告に入るとしよう」


その言葉と共にバルダッサレからジョヴァンニへの報告は始まった。
彼等はジョヴァンニを主、バルダッサレを従とする関係だが表の身分関係は逆だ。
枢機卿であるバルダッサレの下には、本来ジョヴァンニが知りえるはずも無い多くの情報が入ってくる。
特に上流階級の情報が。
ジョヴァンニはその情報を利用して己の商売を拡大し、バルダッサレはジョヴァンニから金を貰って教会内での地位を確立する。
そして、その地位の向上が更なる情報をもたらす。
二人はそのようにして互いの利害を一致させ、理想的な循環関係を築いていた。


「それと近々イングランドの方で一波乱あるかもしれんな。どうもきな臭い感じがする」

「不確かな情報だな」

「一応の報告さ。知らないよりはマシだろ」


ジョヴァンニの成功には、この慎重さが大いに貢献していた。
彼が銀行家として大成したときもそうだ。
多くの銀行がイングランド王への金貸しで焦げ付きを出し、倒産していく中で、地道に経営を行っていたジョヴァンニだけが助かった。
それが、メディチ銀行が大銀行へと躍進する契機となったのだ。
これは単にジョヴァンニの運がよかったということだけではない。
現在の自分の財力と周囲の状況、持てる情報からその案件を危険とみなし距離を取ったジョヴァンニの慎重さと判断力が功を奏した結果の成功なのだ。
そして、今もジョヴァンニは自分の置かれている立場というものを誰よりも理解していた。
中小労働者からの支持が厚い自分とそのことによって有力者達から危険視されている自分。
その支持とて、ジョヴァンニ自身への信頼ではなく、彼等が抱える不満の裏返しにすぎない。
金持ちである自分とそのことから周囲に嫉妬されやすい境遇にある自分。
その財力とて、経済大国であるフィレンツェの中ではまだ有り触れた程度にすぎない。
そう、まだ、だ。


「報告ご苦労。いつも助かる」

「いやいや、これがオレの役目だからな。あんたにはもっと、もっとでかくなってもらわなきゃ困るんだ」

「御前が教皇になるために……か?」

「そしてあんたがフィレンツェを抑えるために、さ」


ジョヴァンニは慎重だ。
どの有力者からも距離を取り、敵を作らず、争いが起きても相手に譲る。
しかし、それは野心がないからではない。
むしろ誰よりも大きく、強烈な野心を秘めている。
ジョバンニ・ディ・ビッチ。
彼もまた天上に立たんとする一人の虎狼であった。













オレの眼前にはエンファントから選抜された20人を含む、4000人もの人々が蠢いている。
いずれも歴戦の勇士、金のために命を賭けた兵達。
そんな男達が4000人も揃っているのだ。
その迫力は如何程のものか。
平和に浸りきっていた頃の自分には想像もできなかったものが目の前にある。
これが軍隊というものか。
オレはそんな驚嘆と興奮、僅かな恐怖と共にこの戦闘集団を見ていた。
一方、横に立つガレアッツォとモルト老は慣れたもので彼等の熱気を受けても揺るぎもしない。
モルト老にいたっては心地よさげな笑みすら浮かべている。


「決して無茶をしてはいけませんよ、シャルル」

「無事に戻ってください」

「シャルルなら活躍できると信じているからな」

「初陣で迷惑はかけないようにな」


母上、イザベラ、フィリッポ、リッシュモン。
それぞれが、それぞれらしい言葉を掛けてくる。
オレは安心させるように笑顔で答えた。


「出来る限りのことをするよ。行ってきます」


それでもなお心配そうな表情をしている母とイザベラをガレアッツォが嗜めた。


「出陣前にそのような顔をするでない。シャルルが安心して出立できないではないか」

「シャルルはまだ7歳なのですよ」

「貴族である以上、いつかは通る道だ。オルレアン公も承知のこと。これ以上文句を言うでない」


叱責されても母は不服そうな表情を崩さない。
あっさりと初陣を認めた父と違い、母は最後の最後まで反対している。
オレがどんなに安全をアピールしようとも母は聞き入れなかった。
それどころか母とすっかり仲良くなったイザベラを味方につけ、連日のようにオレを説得し続けるという攻勢に出た。
二人の見せる涙にひるむオレ、仲裁に入ろうとするフィリッポ、それを冷たい目で嘲笑うリッシュモン。
混乱はガレアッツォが鶴の一声で母を黙らせるまで続いた。
それでもまだ諦めきれず、出陣前に今も母は文句を言っているのだ。


「オレが大将なんだ。シャルルには傷一つ付けねぇから安心しろよ」


モルト老が力強くそう言うと、母とイザベラはその手を握り締めて懇願した。


「「お願いします」」


その鬼気迫る様子にさすがのモルト老も気圧されながらも、おう、と返事をする。
どこで知り合ったのかも何故かも分からないのだが、モルト老は二人から絶大な信頼を得ていた。


「では、シャルル。そろそろ出立の時間だ」


ガレアッツォにそう促されたオレとモルト老は軍勢の前に立ち、騎乗した。
それに合わせて全軍が静まり返り、こちらに注目する。
馬上のモルト老はその視線を十分に引き付けると、三界に響き渡るような大声で語りかけた。


「いいか、此度の獲物はボローニャ。歴史も古く、かつては繁栄した大都市だ。
 だが、それも昔の話。
 今は疫病と内輪もめでボロボロの老人に過ぎねぇ。
 オレに付いて来い。共に勝利の栄冠と栄誉、そして震え上がるような富を味わおうじゃねぇか」


そう言ってモルト老は腰の剣を抜き放ち、天に向かって掲げた。


「全軍出陣だ。臆病者にオレ達ミラノの強さを見せ付けに行くぞ」


軍神の化身の如きその姿、勇ましい口上に兵士全てが応える。
勝利への期待に目をぎらつかせ、雄たけびをあげるその様は恐ろしく、そして味方であるからこそ限りなく頼もしい。
一歩、一歩踏みしめる度に揺れる大地を感じながらオレ達ボローニャ遠征軍はミラノを出発した。
そう、この日、この時を以ってオレの初陣が始まったのだ。
オレは浮き立つ自身の心を抑えることができずにいた。







戦争出発編となる今回、いかがだったでしょうか。
お気付きの方も多かったでしょうが、シャルルが直接関係しない場面は三人称で書いているつもりです。
戦争編ではそうようなことが多くなると思います。今回みたいな感じです。
その際、視点の切り替えで読みにくくないか心配です。
そうでなければいいのですが……。
読みにくかった場合は御意見ください。
また、次回更新時に史実における人物紹介を追加しようかと考えています。
それでは、御意見、御批判、御感想をお待ちしています。




[8422] ボローニャ攻略戦
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/09/26 03:23
イタリア半島を縦貫するアペニン山脈。
アルプス山脈からアドリア海までイタリア北部を横断するように流れるポー川。
その二つの間、ポー川谷にボローニャは位置している。
この都市は偶然の一致かローマ帝国、キリスト教会とヨーロッパを支配する勢力の興隆とその繁栄を共にしていた。
古代、ローマ帝国が栄えた頃にはイタリア第二の都市。
まだ教皇の権力が強かった100年前には欧州で5本の指に入る大都市であった。
学問の街としてヨーロッパの英知の中心地でもあり、1088年創立のボローニャ大学は欧州最古の大学としてその名を轟かせている。
歴史、文化、地理的重要性を兼ね備えた要衝の地。
それがボローニャなのだ。
しかし、栄枯盛衰は世の習いである。
この大都市もその例に漏れず、度重なる対外戦争や内部抗争、追い討ちをかけるかのように大流行した黒死病によって衰退。
全盛期には7万人いた人口も今では半減してしまっている。
飛ぶ鳥を落とす勢いのミラノ公国にとって、ボローニャは熟した果実同然の存在であった。
そしてついに、餓狼が老いた獅子の咽喉下にその牙を突き立てんとしていた。













ボローニャに向けて行軍する最中、オレは改めてガレアッツォの戦略眼の凄さを感じていた。
彼の打つ手には全く無駄が無く、戦争を開始する段階で全ての段取りが整えられている。
ミラノからボローニャまで行軍中とは思えぬほど楽な旅をして来ることができたのがその証拠だ。
というのも、既にミラノ公国の勢力圏はボローニャの咽喉下にまで達しており、その間の都市は全て支配下にあるからであった。
ピアチェンツェでポー川を渡り、パルマ、レッジョ・エミリアといった都市を経由して快適に進んで来た。
傭兵達がその凶暴性を発揮する状況は二つ。
獲物を目の前にしたときか、不満が溜まったときだ。
その点、ガレアッツォが用意したルートは最短距離かつ快適で、まだに最高のものであったといえよう。
進軍による疲労、兵站の心配、そういったマイナス要素が一切無いのだ。
オレは、ボローニャに辿り着く前に勝利を確信した。
始まる前に終わっている、ガレアッツォの戦争は芸術的ですらある。
その事を感じたからだ。


「楽なもんだぜ。何もかも揃えてくれて、さぁ、働いて下さいって感じでよ。こんな戦争ばっかしてると勘が鈍っちまうんじゃねぇか?」


どこか暢気な兵士達の表情を見て、オレの横に並んで馬に乗る男がぼやいた。
お目付け役であり、指南役でもあるガッタメラータだ。


「いいか、殿下。これが戦争だなんて勘違いしちゃあ、いけませんぜ。
 今回はかなり特殊な例外程度に考えておいた方がいいでしょう。
 まぁ、だからこそ初陣にはもってこいの戦争といえますが」


だから殿下も気楽にな、そう笑いかけてくれるガッタメラータにオレは随分助けられていた。
そんな彼との初対面は出発の1週間前のことで、実に奇妙なものであった。
ガッタメラータはオレだけでなくエンファントの監督も任せることになっている。
そこで、オレは彼と対面する場所に今回同行する者を30人ばかり連れて行くことにした。
それが指導を受ける上での礼儀であろう、と思ったからだ。
オレはエンファント全員に来る戦争のために用意した鎧を着せ、自分も同じ物を身に着けて待ち合わせ場所に向かった。
制服は連帯感を高める効果がある。
普段からエンファントにはオレとの身分差を意識させ、上に立つ者が誰かを徹底して教育している。
だからこそ、戦争時には敢えて同じ境遇に立ちつことで彼等からの更なる支持を狙えると考えたのだ。
しかし、オレのこの試みは思わぬ失敗を生んだ。
他ならぬガッタメラータとの対面のときに、だ。
予定されていた場所に着くと、ガッタメラータがひどく険しい表情で立っていた。
そして、オレがそれを疑問に思い尋ねる間もなくこちらに詰め寄ってきたのだ。


「貴殿がシャルル殿下でしょうか?」


口調こそ丁寧であったが、斬り付けるかのような語調で彼が話しかけた相手はオレではなかった。
ガッタメラータが離しかけた者の名はロイ。
眩いほどの金髪を持つ13歳の美少年だ。
華奢な見た目からは想像できないが、弓に関して驚くほどの天分がある。
近距離ではイーヴ、遠距離ならロイという具合にエンファントの双璧を担うであろう少年だ。
極貧の寒村出身であったが、見本のように貴族的な容貌をしているから間違えたのかもしれない。
ロンは気圧されながらも違う、と答えた。
それを聞くや否やガッタメラータは俺達に目を走らせ、次の者に話しかけた。
またしても別人に。


「それでは貴殿でしょうか?」


今度の相手はダンテスだった。
15歳という年齢を感じさせないほど大きな体を持つエンファント一の怪力の持ち主である。
自信家で負けず嫌い、と実に扱いにくい少年であるが意外なほどに義理堅い。
借金ために売り飛ばされた彼は、破格の待遇をしているオレに対して絶対の忠誠を誓っている。
戦闘においてはイーヴに一歩及ばないが、ゆくゆくは主力を担うであろう人物だ。
洒落者である彼も、伸ばした黒髪を気障に束ねていることから間違われたに違いない。
きっとそうに違いない。 
それはともかく、この様子だとガッタメラータはオレの身体的特徴を全く聞いていないようだ。
というよりも、そうとしか考えられない。
そう考えたオレは、ガッタメラータがこれ以上恥をかく前に自分から進み出ることにした。


「私がシャルル・ヴァロワです」


オレがそう言ったときのガッタメラータの顔は大層見物だった。
呆然。
その一言に尽きるだろう。
人って本当に驚いたときは口が開くのだな。
オレが彼の顔を見ながらそんな益体も無いことを考えていたら、ガッタメラータはどもりながら確認してきた。


「え、てめ、いや貴殿がシャルル殿下であらされますでしょうか?」


口調が全く定まっていない。
何故これほど驚いているのかわからないが、取り敢えずオレは頷いた。


「モルトの爺さんの弟子の?」

「そうです」

「まだガキ……いや、幼くていらっしゃるのに?」

「モルト老から教えを受け始めたのは5歳からですよ」

「武術を?」

「武術は基礎だけです。主に教わったのは馬術と戦術の思考法、諸々の生活の術というところですね。いわば人生の師といっていいでしょう」


オレと問答すればするほど、ガッタメラータから気力とか精気といったものが抜けていくのがわかった。
怒気すら発していたその表情もどこか煤けている。
こうしてオレとガッタメラータのファーストコンタクトは終わったのだった。
最初から最後までグダグダなままで。
後から話を聞いてみたところ、ガッタメラータはモルト老から弟子の世話を頼むとしか言われていなかったらしい。
エンファントの教師を集めるという依頼の際も、オレのことは一切聞かされていなかったそうだ。
ただガキを集めて最強の軍を育てる、それだけしか言われていなかったのだ。
だから、ガッタメラータはミラノ公に雇われたモルト老が酔狂を始めたのだろう、という程度に考えていたようだ。
直情径行で思い込みの激しい性格もあって、その誤解は解けることなく今まで続いていた。
しかし、今回真相を知ってこのような事態になったというわけだ。
自分はそんなどこの誰とも知れない奴のために駆け回っていたのか、という怒り。
師匠同然のモルト老が貴族のボンボンにそこまで骨を折っている、という嫉妬。
そういった複雑な感情がガッタメラータの心の中で荒れ狂い、件のシャルル・ヴァロワという人物像を膨らませていた。
モルト老がそこまで入れ込む相手はきっと大層な奴に違いない。いや、そうであってくれ。
先程もその思いがあったから、余りにも幼いオレは無意識に視界から外していたのだ。
成る程、自分が対抗意識を燃やしていた相手が7歳児であるとなると呆然ともするだろう。
実際、あの瞬間ガッタメラータは情けないやら物悲しいやらで、深い自己嫌悪に陥ったという。
そして、ようやく自分を持ち直した後は何故か強烈な庇護意識が生じたそうだ。
きっとそうすることで己を保ったのだろう。
そういうわけで、ガッタメラータはオレの兄貴分という立場に収まったのだ。
勿論、私的な場所でだけではあるが。






ミラノを出発してから16日目、オレ達はボローニャに到着した。
ボローニャ軍の襲撃や第三者からの横槍といったことも起こらず、予定通りの行程である。
オレとエンファント、そしてガッタメラータは軍の後方に配置された。
戦全体の様子が分かるように小高い丘に陣を構える。
ミラノ軍は約2500人。
投石器を4基運び込み、トレビュシェットを3基組み立てるという万全の体勢を布いていた。
トレビュシェットとはより正確に、より遠くまで攻撃できる固定式の投石器のことだ。
眼下では、それが工兵によって急ピッチで組み立てられている。


「終わりだな。もはやボローニャに出来ることは何も無い。この戦は結末まで分かりきった劇みたいなもんだ」


横に立つガッタメラータの呆れるような言葉にロイが反応した。
疑問に思ったなら質問を許す、そう言ってあるためすぐにガッタメラータに発言の根拠を尋ねている。
オレも興味があったので、ガッタメラータの答えに耳を傾けた。


「まず大事なのはボローニャには援軍が無いってことだ。
 ミラノ公がそのように追い込んだからな。
 そして、援軍の無い攻城戦ってのは詰めチェスみたいなもんだ。こっちも相手もやれることが限られている。
 拠点の攻め方は大きく分けて2つ。
 城壁を打ち崩す、梯子をかけて乗り込む、といった力技。
 内応を誘う、奇襲をかける、士気を落とす、といった搦め手。
 攻め手はこの2つを効率よく使って攻略するわけだが、ここでポイントとなるのは攻城戦ってのは不確定要素が少ないってことだ。
 妙手なら100やれば100勝てる。それが攻城戦だ。
 一方、野戦はそういかない。野戦は生き物だ。
 指揮官の首を取られて勝てる戦に負けることもある。寡兵と侮って窮鼠に噛み切られることがあるんだ。
 ボローニャが勝ちたかったら一か八かで打って出るしかなかったのさ。
 それをせず篭城を決めた時点でこの戦いの勝敗は決したも同然、というわけだ」


唄うように締め括られたガッタメラータの説明はわかりやすく、論理的だった。
豪放磊落、大雑把を形にしたような行動をこの2週間あまり見せられていた身としては、彼の意外な面に驚くほかない。
師に似たというべきなのか、もともと似た性格だったのかガッタメラータはモルト老にそっくりだった。
普段はだらしないが、いざとなるとガラリと性格が変わる。
頼りになる男、とはこんなタイプの男のことをいうのだろう。
ロイを見ると、ガッタメラータの説明にすっかり感心してしまっていた。
キラキラ光る目と紅潮した頬が『すごい、尊敬します』と主張している。


「すごく分かりやすかったです。尊敬します」


声にも出して褒め称えた。
ガッタメラータはそんな風に褒められ慣れていないのか、それほどでもねぇよ、と言いつつも顔をにやけさせている。
若干、顔が赤いのを見るに照れているのは明らかだ。


「何故、敵は何もしない」


そう呟いたのはイーヴだ。
視線の先には組み立て中のトレビュシェットがある。
さずがは我が軍のエース。目の付け所がいい。


「確かに妙だな。組みあがったら更に危機的状況になることが分かっているのに敵は動こうとしない」


ダンテスもイーヴに同意する。
トレビュシェットの周囲には工兵と僅かな兵がいるのみ。
市を囲むように軍を展開していること、組み立てのためにかなりのスペースを要することからだった。
ダンテスが言うとおり襲撃の絶好の機会に見える。
チャンスとはなかなか巡ってこないもの。そして、逃したら取り返しのつかないものだ。
そのことはボローニャ軍とて知っているはず。
ならば何らかのアクションがあって然るべきなのだ。


「まぁ、普通ならそう思うわな」


そう言ったガッタメラータは、だが見ろ、とトレビュシェット周りを指し示した。
その指の先にはまだ組み立てられていないトレビュシェットのパーツがある。
一見雑多に置いてあるそれらのパーツの山。
その中にひっそりと大きな盾が隠されていた。
トレビュシェット周りの兵も、よく見ると一際大柄で頑丈そうな鎧を着込んだ者ばかりだ。


「あんな風にあからさまに罠です、と主張されると迂闊に突っ込めないもんなのさ。
 果たして相手はどこまで考えているのだろう。
 見たままなのだろうか? 自分が罠と看破することこそ相手の狙いなのではないか?
 考えても考えても結論は出ない。堂々巡りするだけだ。
 そうして考えているうちに時間だけが過ぎていき、取り返しの付かないとこまでいってしまう。
 心理戦の一つだな」


それに、と今度はトレビュシェットから微妙に離れた所に配置されている兵士を指差す。


「あそこの兵士達は弓で武装しているだろ。そして、あっちは騎兵だ。
 そして歩兵はトレビュシェットを中心にして半円を描くように展開している。
 万一襲撃があった場合は、弓兵が牽制し、騎兵が撹乱。
 トレビュシェット周りの兵士が時間稼ぎをしている間に歩兵で包囲殲滅をする。
 罠としても立派に機能する。いわば二重の効果があるわけだ」


ガッタメラータはそう話を締め括った。
真剣な表情で聞いていたエンファントはそれぞれ何かを考えている。
かくいうオレもまた、モルト老の策の周到さに感心し、その手法を研究していた。
人の心の隙を突く。
そういったものは、知識として知っていたところで身に付くものではない。実践で鍛えるしかないのだ。
戦場に出てきてよかった、改めてそう思う。
戦いが始まる前でもこんなに様々なことが学べる。
オレは初陣の段取りを付けてくれたモルト老に感謝し、更なる思考の海にその身を沈めていった。












ヴァローサ・コンスティはボローニャに数多くいる貧乏貴族の三男として生を受けた。
およそ200年前からボローニャは内部抗争を繰り広げてきた。
その証拠が市内にそびえ立つ150以上に及ぶ搭だ。
街の有力者達は競うように搭を建て、己の権勢を誇示せんと躍起になって建てた塔。
互いに争い、相手の搭を攻撃し、破壊しては自分の搭を建て直す。
この搭はボローニャにおける抗争の象徴だった。
そして、かつてはコンスタンティ家も多数の搭を所有していた。
争いの数だけ敗者はいる。
コンスティ家も60年前までは隆盛を誇る一族であった。
抗争に破れ、地位から転落し、取り巻き達もいなくなって貴族という名前だけが残った。
それでもかつての栄華が忘れられずに見栄を張り続け、哀れな権力者の末路と成り果てた。
そして、36歳のヴァローサが産まれた頃には、借金で首が回らず見栄も張ることが出来なくなっていた。
ヴァローサはそんな実家が心底嫌いだった。
ボケて権勢を誇った時代のままに振舞う祖父。
現状を認められず、周囲に当り散らす祖母。
プライドばかりが高く、中身が伴わない父。
泣いてばかりいる母。
全てが彼の神経を逆撫でした。
とにかく家にいるのがつらくて嫌で堪らなくて、街に繰り出して終日外で過ごした。
そんな少年時代を送ったヴァロッサは人一倍郷土愛が強い男に育った。
本来、家族に向けられる愛情は全て街に向けられたのだ
そして貧乏貴族の子供が行き着く先、傭兵となったヴァロッサは今ボローニャの防衛隊長として故郷にいた。
城壁から街を包囲しつつあるミラノ軍を眺める。
後ろには彼の雇い主、ゼブロがいた。


「すまんな。負け戦に付き合わせることになった」


そうヴァロッサに謝罪したゼブロはここ数ヶ月でめっきり老け込んでいた。
彼とヴァロッサは子供時代からの付き合いである。
同じ没落貴族という境遇。
かつては共に街を駆け回り、悪戯しあった仲であったが、ヴァロッサは傭兵に、ゼブロは家の再興にとその道を違えた。
その道が交わったのがこのような事態とは。
ヴァロッサは運命の無常さを感じずにはいられなかった。


「いや、いいんだ。故郷を飛び出した身だが私もボローニャを愛している」

「もはやボローニャの独立は保てない。市民の誇りはどこにいってしまったのだろうな……」


そう寂しげに笑うゼブロにヴァロッサは何も言えなかった。
そんなものとっくの昔に消えてしまった、などと言える筈も無い。
降伏論者を封じ込め、篭城するだけでも一苦労だったのだ。
非戦闘員と共に市外へと追いやるまでの暗闘は壮絶なものだった。
その際にゼブロの弟は頓死してしまっている。
篭城するまでの間に犠牲を払い過ぎた、ヴァロッサはそう臍を噛んだ。
守備兵はともかく、首脳陣は疲労の極みにあるのだ。


「しかし敵の司令官はすごいな。打つ手に無駄が無い」


老獪で意地が悪い。そんな顔が想像できそうなそつの無さだ。
せめて一泡吹かせてやろう、そう思っていたがそれすら叶うまい。
組み上げられていくトレビュシェットを見つめながらヴァロッサは諦めの溜息を吐いた。
その瞬間、無意識のうちにヴァロッサの心は折れ、敵に屈した。
諦めが人を殺す。
諦めないからこそ奇跡が起こり得るのだ。
最早ボローニャの敗北は決してしまった。
幼き日々の残滓に突き動かされる亡霊と化したヴァロッサが気付かぬうちに。。






ヴァロッサ達が城壁で最期の語らいをした翌日、ミラノ軍の攻撃が始まった。
響き渡る投石の轟音、攻めての兵士の怒号が守備兵の心を揺さぶる。
ヴァロッサは必死に兵を鼓舞し、士気を保とうと努めた。
厭戦気分が蔓延したとき、それが敗北のときだ。
幸い、重要な箇所の守備に付いているのは、ボローニャ出身で故郷を見捨てられなかった愛すべき馬鹿達である。
だが、兵士の中には逃げる機を逸して仕方なく戦っている他所者もいる。
そういった手合いは士気の低下と同時に裏切りかねない。
それを知っているヴァロッサは必死で声を張り上げた。


「敵を寄せ付けるな。侵略者から自分の故郷を守るんだ」


部下達もその声に応える。
彼等の目はまだまだ気合に満ちていた。
一矢報いてやる、そんな思いを感じたヴァロッサはそれに勇気付けられ更に声を張り上げる。
そうだ、ボローニャは負けない。
その思いが1日耐え切れる要因となった。



攻撃が始まって3日目。
篭城用のワイン樽が保管してある倉庫で異変が起こっていた。
降伏論者はヴァロッサ達が思っているよりも多く、老獪だったのだ。
元々ボローニャは内部抗争が激しい。
そのことを知っているモルト老がそれを利用しないわけがない。
密かにボローニャ市内の大商人、それと結託している司祭と接触し、予め兵を忍ばせていた。
この大商人、ヴァロッサ達を裏から最も積極的に支援していた人物である。
表立って助けることは出来ない。だが、自分もボローニャを愛している。
その言葉と惜しみない援助から深い信頼を得ていた。
だが、実際はガレアッツォがパルマを攻略した頃から内応を考えており、自分の身の安全を図っていたのだ。
それだけでなく、ヴァロッサを利用してライバルを始末することにも成功していた。
ボローニャは既に体内に猛毒を仕込まれえていたのである。
潜入した兵はこういった作戦を専門にしている者達ばかり。
市内10ヶ所に兵を分けて潜伏していた。
全部で50人。
ワイン倉庫の5人が各方面でリーダーとなり、手分けして仲間に作戦の開始を知らせる手筈となっている。
その予定通り彼等は無言で散らばり、ボローニャを落とすべく行動を開始した。



嫌な予感がした。
背中が妙にべとつき、口の中が乾く。
前方にのみ集中していたヴァロッサは、何かを感じて振り向いた。


「!?」


街の各所から火の手があがっている。
そして、そのうちの一つはよく見知った場所だった。
ここ数ヶ月毎日のように通い、酒を酌み交わし、議論し、ときに喧嘩した場所。


「……ゼブロ」


裏切りだ。
そう悟ったときにはもう遅かった。
呆然とするヴァロッサの体から何本もの矢が飛び出ていた。
30人程の集団が門番を襲っている。
思わぬ奇襲。
それは戦争の行方を一気に決めるに十分過ぎた。
隊長、そう叫ぶ部下の悲鳴を人事のように聞きながらヴァロッサの意識はゆっくりと落ちていく。

―――ボローニャ。我が故郷、愛する街。あぁ、ゼブロ。私は……オレは……

彼の体が崩れ落ちるのと合わせる様に味方が崩れ始める。
指揮官無き今、ボローニャ軍に混乱を収拾できる者はいなかった。
そして、ヴァロッサが倒れてから30分後。
首脳陣の中で唯一生き残っていた司祭が降伏を宣言した。













結局、この日の戦闘は3時間足らずで終わった。
あまりに呆気ない落城にオレもエンファントも驚きを隠せない。
だが、ガッタメラータにとってはそうでなかったようだ。


「内応をさせる。奇襲を仕掛ける。蓋を開けてみれば定石通りの展開だったな」


そう言って笑っている。
確かに定石通りだ。
だが、それをこうも鮮やかに行える者が果たしてどれ程いるだろうか。
オレ達がひたすら感嘆していると、城門から一人の司祭が出て来た。
聖職者が敵に恩寵を請い、降伏を受け入れるように嘆願する。
受け入れられたなら守備兵は懺悔服を着、自由民は首に剣を吊るし、不自由民は首に縄を吊るして敵の指揮官の下に向かう。
それが降伏の作法だった。
儀式がどんどん進行していく中、ガッタメラータが今回の戦の説明をしてくれる。


「モルトの爺さんの狙いは最初から奇襲だったみたいだな。
 投石器も、これみよがしの罠も、陣の展開も全部ブラフだ。
 敵の目を前方に惹き付けるためのな。
 その証拠に城壁を見てみな。普通、城壁を壊そうと思ったら一箇所に集中して攻撃する。
 ところが被害は拡散しているだろ。
 占領後、修復に時間が掛かるのを嫌ったんだろうな」


そんなこと、言われて初めて気付いた。
自分の視野の狭さを痛感する。
全てがモルト老の掌の中だった。
それを実感した瞬間、モルト老に会いたい、会って戦術の話をもっと教えて欲しい、という気持ちが湧いてくる。


「私達もモルト老の本陣へ行くぞ」


オレはそう言うと、馬に跨って駆け出した。
こうしてオレの初陣は終わった。
命の危険、戦場の狂気、そういった負の面は一切見られなかった。
ただモルト老の熟練の手腕に魅せられる、そんな初陣であった。








本格的な戦争を初めて書かせていただきました。
もっとも、派手な合戦シーンではありませんでしたが。
どうだったでしょうか?
また、今回視点変更があります。わかりにくくなかったでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
次回はボローニャ戦後処理となると思います。
それでは御意見、御批判、御感想をお待ちしています。



[8422] 戦後処理
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/10/09 16:51
ボローニャの街は陥落した。
歓喜と悲嘆が混ぜ合わさった空気が街を包む。
往年の大都市は今や傭兵の掠奪の対象に成り下がっていた。
残された旨みを少しでも多く獲得せんとなだれ込み、街中から金目のものをかき集める。
そんな傭兵の姿は実に醜く、あさましいもので、オレに人間の業の深さを見せ付けた。
だが、誰にも彼等の掠奪を止めることはできない。
掠奪は傭兵に認められた権利であり、掠奪無しに傭兵の生活は成り立たないからだ。
この地獄の中、わずかに幸いなことがあったとすれば、強姦や誘拐がなかったことだろう。
敵軍の指揮官は敗戦を覚悟していたようだ。
非戦闘員は全員隔離され、街の外に建てられた修道院に集められていた。
そして、降伏と同時にモルト老の下へ直接引き渡されたのだ。
降伏の条件として司祭は彼等の安全を要求し、モルト老もそれに同意した。
ゆえに傭兵も手出しすることはできなかったのだ。
しかし、命は助かっても彼等の心に恨みは残るだろう。
住んでいた家、蓄えた財貨、腹を満たす食物。
全てが奪われる様をまざまざと見せ付けられているのだから。
戦闘中には見ることのなかった戦争の狂気と悲惨さ。
その一部をオレは戦闘後に見ることができた。
オレはこの光景を決して忘れないだろう。
これから先、数限りない戦争を行う者として、この罪から目を逸らすことは許されないのだ。













何事もそうであるが、始めるより終わらせることの方が難しい。
終わりよければ全て良し、という様に戦後処理の如何によって住民の恨みはかなり変わってくる。
色々あったけど生活は豊かになったし、あの戦も神様の試練だったんだな、となるか
この恨み末代まで忘れぬ、とばかりにレジスタンス活動をされるかはこれからの働きによるのだ。
その重要な働きを任されたオレはかなり気合が入っていた。
そう、気合だけは十分だったのだ。


「書類はここにまとめて置きました。決済も既に済んでおりますが、一応殿下ご自身の目でご確認ください」


気合があっても仕事が無くてはどうしようもない。
オレの仕事は慇懃に頭を下げるこの男によって全て奪われていた。
ボローニャ副総督であるラング・ギュール。
37歳の官僚である。
マッチで組み合わせた人形にも似て、ガリガリに痩せた体。
青褪めた顔に禿げ上がった額、と不健康の塊のような男だが、その頭には叡智と確かな経験が渦巻いている。
少なくとも極めて優秀な男であることは確かだ。
しかし、オレの補佐としては最悪だった。
彼はこの任を受けるにあたって、ガレアッツォからオレと同程度の裁量権をもぎ取っている。
オレに仕事をさせないためにだ。
ラングはその持てる能力の全てを使って業務を片付け、オレにその確認を依頼する。
そして、ミス一つない書類を延々と読ませている間に次の仕事を終わらせてしまう。
もう一度言おう。ラングは優秀だ。
オレに介入の隙を全く見せず、それに対する非難すらさせない程に。
まぁ、ラングの言い分も分かる。
戦後処理などという重要な案件に7歳児を関わらせるなど以ての外。
しかし、完全に何もさせないとなるとミラノ公に差し支えるし、何よりオレに恨まれる。
苦慮した結果、毒にも薬にもならないことをさせておいて、後は言いくるめよう、というところだろう。
想像してみて欲しい。
今まさに破竹の勢いで業績を伸ばす会社に就職した青年。
その心には風雲の志が灯る。
オレは今日からここで働くんだ、そう思った初出勤。
迎えた上司が7歳児だったら。
激しく不安になるだろう。やってられるか、という気分になるだろう。
それが当たり前の反応なのだ。
だから、オレはラングに対して怒っていない。この扱いも予想していたことだ。
だが、現実としてこうあからさまに封じ込められると、ふつふつと込み上げてくるものがある。
そこでオレは、いつしか読み流すようになった書類の山をもう一度掘り返し、自分にできることを探すことにした。
ボローニャ統治が始まって1週間。
オレはようやく動き始めた。



まず、都市の治安だ。
現在、ボローニャに入城した折は、約2400人の傭兵がいた。
平時の傭兵は盗賊と変わらない。
その仕置きはどうなっているのか?
それを記した書類は3日目の山、その3/4辺りにあった。
見過ごしていたのだ。
初日、気負っていたオレはいざ仕事をせんとした所で肩透かしをくらった。


「細々とした雑事、殿下の御手を煩わせるまでもありません。
 殿下はの仕事は全体を見渡し、采配を揮っていただくこと。
 しかし、そのためにはあるボローニャの現状などを調査し、何を為すべきかを知らねばなりません。
 浅才な我々に今暫くの猶予をお与えくださいますよう」


と言って下手に出られ、頷くほかなく1日目、2日目とオレはまんじりともせず執務室で過ごしたのだ。
そして、3日目。
朝になって目の前に積まれた山を呆然と見ることとなったのである。
確かにオレは政務に携わっていた。
しかし、それがお遊戯レベルに過ぎなかったことをオレはこの時思い知らされたのだ。
まず量が多い。そして、表現がいちいち難しい。
修飾語が3枚も続いた後に、本題が書かれ、その説明に15枚もかかっていたときなど純粋な嫌がらせを疑わずにはいられなかった。
そんな書類をただ延々と読み続けさせられたのだ。
初めての経験ということもあって、後半になると書類の内容はほとんど頭に入ってこなくなっていた。
その件の内容であるが、実にあっさりとしたものだった。
『近隣の都市から呼び寄せた兵と交代で帰還することとする』
他のどうでもよさげな案件はあれ程長大だったにも関わらず、この処理だけは一枚のみであったのだ。
この瞬間、オレの中でラング嫌がらせ説は確定した。


「あの野郎……。さぞかし立派な仕事をしているんだろうな」


独り言をして怒りを抑えながら書類に目を走らせる。
どこかに不備はないか、配慮が欠けていないか。
目を血走らせて探すが、欠点はどこにもない完璧な仕事だった。
都市制圧後4日間の休息を与える。
その後、負傷無き者についてはミラノに帰還。
補充は各都市から呼び寄せた者とボローニャで志願した者で充てることとする。
要約すると、そのような内容であった。
オレが考えていた処理も同じようなもので、ラングに文句を付けられそうにない。
この件に関しては素直に負けを認め、オレは次の案件について考えることにした。







あれから2週間、オレは打ちのめされていた。
思いつく限りのことは全てラングに実行されていたのだ。
何だろう。こう、掌の上で玩ばれる感覚というか。
全てお見通しなんだよ、ガキめと嘲笑われる感覚というか。
そんな悪意を書類越しにビシビシと感じる。
それでいてオレに付け入る要素を一切与えない、という辺りにラングの優秀さと嫌らしさが伺えた。
ボローニャは幾度も疫病によって衰退しているため、それを防ぐ衛生対策としての上下水道の整備。
今回の征服によって、ミラノ公国の経済圏に組み込まれたことよる各種調整、街道の整備、税金の上げ下げ。
城壁の補充、といった防衛設備の充実。
市内各所にある搭を確保し、外部からの防衛に役立てるよう建て替える。
ラングはこういった活動を迅速かつ確実に進めていた。
その手腕はガレアッツォからボローニャ総督を実質的に任されただけのことはある。
オレはラングによって完全に封じ込められていた。
そう、もはや政治的なものでオレに出来ることはない。
ならば政治以外のことでオレはオレらしさを発揮するとしよう。
そう考えたオレは錬金術師を集めて、化学薬品と金属粉をそろえた。
花火を作ることにしたのだ。
まずは、酸化剤と各種可燃剤を篩にかけて異物を取り除いたうえで、一定の割合になるように計量し、配合する。
錬金術師達一人一人に細心の注意を払って作業させて出来た薬品、それは一般的に「和剤」と呼ばれるものだ。
次に割薬を作る。
過塩素酸カリウムを主剤とした配合薬。
精白した餅米を蒸し、ローラーでせんべい状に伸ばして乾燥し、挽いて粉末にしたみじん粉。
この二つを混ぜ合わせて水で泥状にし、モミ殻などに塗りつけて乾燥させる。
爆薬の一種といってもよいほどの破壊力を持つ危険なもののため、扱いには慎重を要するが、幸い怪我人は出なかった。
そして、最も重要な星づくりに入る。
小さな砂粒を芯として、そのまわりに和剤を何重にもまぶして次第に大きな球形にしていく。
和剤には割薬の場合と同様、糊と水を加えてあり、それを芯に掛けては乾燥し、また掛けては乾燥という作業を繰り返す。
和剤の種類によって効果が違うため、本来ならば様々な工夫を施すのだが、素人作業であるため同じ種類の和剤を組み込むことにした。
下手なことをして歪な出来になるよりはいいだろう。
この作業はタライに入れてガラガラ回すという重労働でありながら、全部の星が同じ大きさの真球形にしなければならない。
これがなかなか苦心の為所で、協力させた者には何度もやり直しをさせることとなった。
最後に容器となる玉皮と導火線となる親導を作れば、準備は全て終わりだ。
あとは組み立てるだけだ。
玉皮の内側に沿って星を整然と隙間なく並べていく。
さらにその内側に薄い紙を敷いてなかを割薬で満たし、板で軽く圧して、玉皮の高さになるよう平らにならす。
こうして2個の玉皮に必要なものが詰まったら、両手に持ち、すばやく左右をピタリと合せる
静かに外側をたたいてなじませたら、合わせ目に短冊形の丈夫な紙を貼って閉じてしまう。
そして、紙で全体を包み込めば完成だ。
本当は紙で包み込む圧力を均一にするとか色々な工夫を施して、花火が真球形の花を描くようにするのだが、
その技能は熟練の職人技であり、秘伝である。
今回はあくまでも打ちあがって夜空に花を咲かせてくれればいいので、そこらへんは目をつぶる事にした。
ところで、何故オレが花火を計画したかというと、人民の慰撫ということに尽きる。
治安が回復し、街が復興しつつあるとはいえ、住民達は財産や家族を少なからず失っている。
そうでない者も、敗戦という事実が未だに心を曇らせていることだろう。
悲しみを癒すのはいつだって時間だ。
如何なる言葉も、利益も、心の傷は癒せない。
理性が現状を肯定しようとも、感情が否定するのだ。
だからオレはそのネガティブな感情を払拭するための方策を考えた。
それは祭りだ。
一種のシャーマン的儀式である祭りは、参加した者達の間に特殊な空間を形成する。
原始的であればあるほど人間の本能を剥き出しにし、理性や感情といったものを駆逐するのだ。
毎年死者が出るにも関わらず危険な祭りが毎年行われるのには理由があるのである。
そして、だからこそ花火なのだ。
祭りが儀式的側面を持つ以上、象徴となる存在や締めとなる存在が必要となる。
それは御輿であったり、巨大な傘焼きの火であったり、力自慢の男によるぶつかり合いであったりと祭りによって違う。
しかし、祭りである以上は必ずそういう存在がある。
花火もまたそういった存在であり、それには和製花火が望ましい。
現在のイタリアにも花火は存在する。
そうであるにも関わらず、オレがわざわざ和製花火を作成したのには理由がある。
ヨーロッパの花火は貴族専用のものだ。
パーティーなどの余興としてしか使われず、一方向から観賞されることしか想定されていない。
全方位から見られる庶民の文化としての花火とは全く違うのだ。
オレが求めているのは街のどこからでも同じように見える花火だ。
そうでなくては象徴としての意味が無い。
オレは祭りの持つ特殊性を利用して、占領軍と住民のわだかまりを軽くしようとしているのだから。






祭りの布告は行政府の下、大々的に行われた。
危惧されたラングの妨害も全く無く、むしろ嫌がらせともいえる書類が減り、オレは心置きなく祭りの準備に集中できた。
準備費用はオレのポケットマネーから出され、公的資金を費やすことが無かったことも大きいかもしれない。
なにはともあれ祭りの準備は滞りなく進んだ。
オレがしたことは宣伝のみ。そして、それだけで十分だった。
あとは利に聡い商人達が我先にと集まり、準備をしてくれたからだ。
祭りには財布の紐を緩め、常であったら絶対に買わないような粗悪品や高級品を買ってしまう恐ろしい効果がある。
売る側からすれば濡れ手にあわ状態、仮説店舗もこちらで用意するので元手もかからない、ということから
皆競うようにして祭りの演出を手伝ってくれた。
雰囲気を出すにはどうすればいいか、空間の演出、店の配置、盛り上げるための余興。
三人集まれば文殊の知恵とはよく言ったもので、次々といいアイデアが出てくる。
更にオレは近隣都市に一つの噂を流した。
今度ボローニャで開かれる祭りには金貨の掴み取りがあるらしい。
様々な競技大会を開いて上位に入った者が参加する権利があるそうだ。
騎士ならば仕官の道も開けるかもしれないぞ、と。
真しやかに流されたその話を信じる者は少なかった。
しかし、色々な筋から同じ話が聞こえてくるので次第に皆信じるようになっていく。
狙い通りだ。
オレが今回出した資金は先行投資だ。
今のオレの仕事はボローニャに活気を取り戻し、発展させること。
それには商人に儲けさせればいい。
都市の活気とは商業活動の活気だ。
商人達に元気が無くては何も始まらない。
それに彼等に早く立ち直ってもらわなくては税収もみこめないのだ。
そして、今回の祭りでオレが出資をしたことでオレは民衆から一つの評価を得られる。
シャルル殿下は太っ腹だ、儲けさせてくれる。
人はある程度まで利で動く。
オレはこの先行投資で商人の心を釣るのだ。













ラングは、ガレアッツォが征服活動を開始して初めて落とした都市の出身である。
若かりし頃の彼は世の中を斜めから見るひねたガキだった。
振り返ってみて恥ずかしくなるような態度。
自分以外の全てを見下し、馬鹿と断じていた言動。
どれ一つとっても赤面ものだった。
当時のラングは蛙だったのだ。
大海を知らず、完結した狭い世界しか見ていなかった。
根拠も無く輝ける未来を妄信していた。
実際、ラングの家は上位の中級貴族である。
己の才覚を以ってすれば、都市の支配者として君臨することもできる。
ラングはそう考えていた。
ガレアッツォがやって来るまでは。
あの日、あの時のことをラングは忘れない。
自分の箱庭を破壊し、現実を見せ付けられたあの日。
ラングは悠々と乗り込んできたガレアッツォの威風に圧倒され、魅せられた。
己の卑小さを強制的に自覚させられたのだ。
傲慢な自分は消え、全てを失い真っ白になった一個の人間だけが残される。
ラングのガレアッツォへの思いは刷り込みに近いものがあった。
その後、親を説き伏せ都市の中でも真っ先に恭順の意思を示した。
信用を得るため他の有力貴族の調略を自らこなし、その成果を献上した。
そうして10年。
憧れは比類なき忠誠となり、偽りの自信は確かな実力と実績に裏打ちされたものになった。
ラングはミラノ公国でも有数の文官の一人となったのだ。
そんな彼にボローニャ総督補佐の任が下ったことは必然だった。
要衝ボローニャを任せられる者への条件は多い。
無私の精神、卓越した処理能力、先見性と戦略眼。
最低でもこれだけ備えていなければ任せることは出来ない。
間違ってもシャルルのような若輩に任せられる都市ではないのだ。
それを知悉しているラングは、遠征前ガレアッツォに命を賭けて諫言した。


「シャルル殿下を総督として派遣なされるとか」


確認することなく断定したラングの口調は厳しいものだった。
その声には隠しようもない非難の色がある。


「その通りだ」


いつしか貼り付いていた鉄面皮をこんな時も崩さない臣下の言葉をガレアッツォは事も無げに肯定した。
その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
ラングとの付き合いも長い。
忠誠篤き彼が何を言うかも予想していた。


「お止めください」


ガレアッツォは暴君である。
円滑で穏やかな統治と市民にもたらす利益によって誤魔化されているが、彼は多額の税を課し、己の欲のために突き進んでいる。
その性を暴と言わずして何と言おう。
命を賭けてという表現は誇張ではない。
ただ幸いにもガレアッツォには諫言を受け入れる度量があった。


「何故だ?」

「おわかりの筈です。ボローニャは要衝。シャルル殿下に任せるわけにはいきません。
 彼の地の統治の失敗はフィレンツェとの戦の障りとなり得えます」

「それを防ぐための御主だろう。決定権は御主にも与えるのだ。シャルルは名目上の統治者に過ぎん」

「殿下はお飾りであることに気付く程には聡明であると推察します。そのような扱いに甘んじるでしょうか?」


ラングの脳裏にはかつての己の姿が浮かんでいた。
才のある者が才に溺れることをラングはよく知っていた。
そして、そのようなときいかに目が曇り、道理がわからなくなるかも。
ラングの抱く危惧は当然のものだった。


「シャルルは身の程を弁えている。御主の方が優秀であることが分かれば我も通すまい。
 それに御主を副総督にするのは御主のことも考えてのことだ。己の立場、察せぬわけではあるまい」


ガレアッツォの言葉にラングの顔が僅かに歪んだ。
袖下で握り締められ震える拳がその内面を表していた。
ラングは外様である。
どれほど功を積もうと、いや功を積めば積むほどその立場は悪くなっていく。
下の者からの嫉妬や同僚からの妨害は地位の向上に伴ってますますひどくなっている。
この上ボローニャ総督になればどのような事態が起こるか予測できない。
無分別で過激な行動に出る者がいないとも限らないのだ。
フィレンツェとの戦を控えるミラノに内部抗争を許す余裕はない。
その点、副総督はラングにうってつけの地位だ。
手柄は総督であるシャルルのものとなるので旨みは無く、妬みを買うことも無い。
そうでありながら総督並みの権限を与えることも可能で、ボローニャを実質的に切り回すことが出来る。
そのガレアッツォの気遣いは嬉しかった。
滅私を旨とするラングにとって純粋に職務を真っ当できる環境こそが求めるものだからだ。
同時に悔しかった。
自分以上にガレアッツォに忠誠を誓い、役に立っている者はいないという自負がある。
それを薄汚い欲で邪魔されることが我慢ならなかった。
そして、そのせいで主君を煩わせていることも。
申し訳なくなり、無言で頭を下げる。


「よい、気にするな。シャルルの扱いは御主に一任する。放置するもよし、叩くもよし、育ててもよい。
 恨みを買う心配はするな。そうであった場合はその程度の器と判断の材料になる」





ラングのシャルルへの対応は封殺と放置だった。
政務に携わろうとするなら邪魔をし、そうでないならば監視に留める。
シャルルは気付いていなかったが、書類に忙殺されている様子も書類のあらを探していたことも全てラングは把握していた。
その上で、書類に施した細工にシャルルがどの程度、どの段階で気付いたかでその能力を測る。
ラングはシャルルの能力が低いようなら容赦なく切り捨てるつもりだった。


「殿下が錬金術師を集めて何かをしているだと?」


ラングの下にシャルルの奇行が伝えられたのはシャルルの能力を把握し終わりかけていた時だった。
シャルル殿下は奇行が多い。
それはミラノ公国の文官の間で広く知られていることだ。
やろうとしていることはわかる。効果があることも認める。
だが、シャルルの行動が常識に外れていることは事実であり、そのことから文官からの受けは悪かった。
次に何をするか予想できない。
それが文官達が最も嫌うことだからだ。
シャルルの言い出したことでどれだけ仕事が増えたことか。
ガレアッツォからの許可が出ている上に、一定の成果も挙げていることからその行動を否定できないことも腹立たしい。


「早急に調べろ」


そう命令してラングは苛立たしげに髪を掻き毟った。
無能であることも問題だが、行動力があり過ぎることも同じくらい問題である。
信頼し、放任できる程ラングはシャルルの人格を知らなかった。



シャルルの考えていることが祭りで準備しているものがその余興だと知ったときラングは困惑した。
如何にも貴族の考えそうなことだと侮蔑すればいいのか、祭りによる効果を狙ってのものなのか判断が付かなかったからだ。
何れにせよ祭りを行うことに否やはなかった。
ラングもボローニャの街に漂う暗い空気は払拭したかったし、活性化させるための梃入れを考えていた。
シャルルが多額の金銭を出資しているため政府の金を使わずにすむこともいい。
今回の件をどう切り回すかでシャルルの器量もわかる。
ラングの下した決定は消極的な協力だった。



祭りの1週間前からボローニャは大変な賑わいだった。
職人の技量を問う大会や馬上試合の予選に多くの人が押しかけて来たからだ。
職人は貴族のお抱えになれるかもしれない、という希望があるし、騎士も仕官の道が開ける。
娯楽の少ない時代であることもあって、貴族、商人、農民と多種多様な人々がボローニャに集まったのだ。
ラングは街の風紀を保ち、快適に祭りを回れるように警備を各所にひっそりと配置した。
素性も分からぬならず者や血気盛んな騎士が多数入ってくるのだ。
治安の悪化は避けられないが、それを最低限に防ぐことで人々が安心して金を落としてくれる。
ラングもシャルルも基本的に考えていることは同じだった。
唯一違ったことはシャルルが顔役として祭りに出て、積極的に関わっているのに対し、ラングはいつも通り執務を執っている。
祭りによって予定が大幅に変わったからだ。
街が賑わい、喧騒が耳に届いてもラングの姿勢は変わらなかった。
轟音が響き渡るまでは。
最初聞いたときは大砲による敵襲か、と勘違いしラングは慌てて外を見た。
シャルルの開発した花火は既存の花火とは規模が違ったからだ。
夜空に咲いた一輪の花。
色とりどりで華やかで、それでいながら儚い。
あのラングが惚けてしまう程、その花は美しかった。


「殿下の奇行には苦労させられたが…」


急に祭りをする、となって文官達に追加させられた仕事は膨大なものだった。
シャルルが行っていた以上のことをラングは処理していたのだ。
しかし、労働の報酬としてこの美は十分だった。
いつまでも見ていたい。それなのに一瞬で消えてしまう。
だからこそ鮮烈に記憶に残る。
さすがに感じ始めていた疲労も吹き飛び、ラングは改めて机に向かった。








大スランプ中の作者です。
なんかgdgdで薄くて、自分でもこんな気持ちのまま投稿してしまい本当に申し訳ありません。
初心者ですので何気にスランプは初体験だったりします。
作品に関係ないネタは浮かぶのですが…。
主人公がお利巧過ぎて魅力薄くないかな、と自分で感じてしまったりとか。
そのせいで更新が遅れてしまい、二重の意味で申し訳ないです。
愚痴っぽくなってしまいましたが、御意見、御批判、御感想をお待ちしています。






[8422] フィレンツェ戦前夜
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/10/13 00:22

フィレンツェに出入りする商人の間で一つの噂が囁かれ出したのは1401年の始め頃であった。
始めは誰もが一笑に付し、やはり噂など当てにならないと言う。
だが、人は誰しもゴシップが大好きで停滞よりも混乱、あるいは刺激のある話題を望む。
ましてその話題が実現した場合、世相にただならぬ影響を及ぼすとなれば人の口が閉まることなどあり得ない。
そして、その噂にはひょっとすると、という真実味があった。

ジョヴァンニ・ディ・ビッチはアルビッツィ家によるフィレンツェ寡頭支配に叛意を抱いている。

フィレンツェの街にサルヴェストロ・デ・メディチの遺し火が静かに燃え広がり始めた。



その話を息子リナルドから聞いたとき、マーゾ・デリ・アルビッツィは言下に否定した。
馬鹿馬鹿しい、と。
ジョヴァンニとは公私に渡って付き合いがある。
彼は己の素性を誰よりも理解し、下手な噂が立たぬように気を付けていた。
それでも口さがない者はいる。
今回の噂もそういった手合いが吹聴しているのだろう、そう考えたのだ。


「無闇矢鱈とそのようなことを言うでない。何か証拠でもあるのか?」


マーゾの目から見て、リナルドは優秀な子であった。
その器は自分を越えていると認めていたし、だからこそ家の将来に安心していた。
それだけに迂闊な行動をとったことに腹が立つ。
アルビッツィ家の跡取りが騒げば噂は更に真実味を増してしまう。
ジョヴァンニの真意を確かめる者、煽り立てる者も出てこよう。
火の無い噂に自ら火を付ける結果にもなりかねなかった。


「何を暢気なことを。情報は複数から入ってきているんだ。父さんはどうしてジョヴァンニを信用しているんだ。
 彼はそんなに欲が無いのかい?
 そんなわけないだろ。商人はみんな強欲だ。可能性を検討もしないなんて愚か者のすることじゃないか」


リナルドの言うことも正論であった。
それにリナルドには噂を確信させることがある。
ジョヴァンニの目だ。
凡庸なマーゾと違ってリナルドは注意深い性格で、常に気を抜くことなく他者を観察している。
リナルドは確かに見たのだ。
いつも気のよい振りをして公の権力には興味がない、今は銀行業で手一杯だと笑うジョヴァンニが浮かべた蛇のように陰湿な光を。
あのとき確かにジョヴァンニはマーゾの様子を伺い、父が自分の言葉を喜んでいることを感じて嘲笑っていた。
気のせいかもしれない。
当時はそう否定した出来事だったが、あのとき生じた疑念が今になって膨れ上がってきている。
その出来事がリナルドにジョヴァンニならあり得る、と思わせたのだ。


「ジェノヴァのストロング商会からもパドバの貴族からも話を聞いている。噂はそれほど広範囲に広がっているんだ。
 事実であろうとなかろうと、放置してはアルビッツィ家の沽券に関わる。
 ジョヴァンニを公開諮問会にかけるべきだ。」


リナルドの言葉は衝撃を以ってマーゾを打ち据えた。
自分の知りえぬ情報にむくむくと不安がもたげてくる。
まさか、とも思う。
しかし、真実であった場合全てを失うのだ。
一方で、噂に過ぎなかった場合は面目を失う。
どちらもマーゾにとって耐え難く、マーゾは一考するとだけ言ってこの場は収めた。
考えることから逃げたのだ。



半ば追い出されるような形で部屋から出されたリナルドは苛立たしげに廊下を歩き、自室に向かった。


「おい、部屋にワインとつまみを持って来い。それからお前、酌をしろ」


そう使用人に怒鳴りつける。
リナルドには癇癪癖があり、酒乱の傾向も少しある。
それを知るメイドの少女は、自らに降り懸かるであろうことを悟って一瞬身を竦ませた。


「なんだ、貴様。嫌なのか?」


それを見咎めたリカルドの不機嫌そうな声を聞いて、慌てて態度を取り繕った。


「いえ、喜んでさせていただきます」


ここで少しでも逆らおうものならリナルドの怒りは更に高まることになる。
リナルドは計算高く、手荒に扱って問題の無い使用人とそうでない者を区別している。
少女は自分に何の後ろ盾も無く、消してしまっても問題がないことを知っていた。
現に。以前泣き叫んでひどく痛めつけられた者がいた。
その者は命は助かったものの、その後に身一つで放り出されたのだ。
少女には黙って己の運命を受け入れることしかできなかった。



一頻り鬱憤を晴らして頭を冷やした後、リナルドは改めてジョヴァンニへの対策を練ることにした。
忌々しいことにジョヴァンニはフィレンツェ市民の支持を得ている。
しかし、支配層の支持は未だにアルビッツィ家の方が上である筈だとリナルドは考えていた。
だからこそ今すぐに問答無用で諮問会にかけ、財産没収の上で追放してしまうのが最善なのだ。
だが、父マーゾがそうしないことをリナルドはわかっていた。
父マーゾは優柔不断である。
そのような過激な決定を即断できるような人物ではない。
では、暗殺するか……。
ジョヴァンニは用心深く護衛を絶やすことはないが、不可能ではない。
子のコジモは12歳と幼く、成功すれば長期に渡って禍を遠ざけることができる。
ただ問題は確実にアルビッツィ家の仕業である、という噂が立つことだった。
ただでさえ中流階級以下の者達にアルビッツィ家は人気がない。
この上、彼等の希望の星であるジョヴァンニを暗殺したとなれば暴動も起きかねないだろう。
それは避けねばならなかった。
ミラノ公がボローニャを制圧したという情報も入っている。
ミラノのフィレンツェ包囲網は狭まっているのだ。
近い将来、再びフィレンツェに直接牙を剥くだろうガレアッツォに徒に好機を与える愚は避けねばならない。
いくら考えても有効な手が思い浮かばなかった。
そもそもミラノの圧力が高まっており、迂闊な動きが出来ないことが最大の問題であった。


「くそ!!」


思わず悪態を吐いて壁を殴る。
その音を聞いて横たわった女がビクつくのを感じ、自分でも制御できない怒りが再び膨れ上がってきた。
振り返ってみて初めて、ジョヴァンニの厄介さが分かった。
奴は処世術が嫌味な程に巧みだ。
世間の評判は完璧。
上流階級への媚も怠らない。
金を持っていても嫉妬されないように気を配り、慈善活動をしたりもする。
欲がない者は信用されないので、ある程度の欲深さを垣間見せる。
更に暗殺への警戒はその辺の王侯並みときた。
思うにジョヴァンニはフィレンツェに来る前からこのような噂が立つことを予期していたのだろう。
後手に回ったリナルドに出来ることは余りに少なかった。


「とりあえず諮問会に向けて根回しをするとするか……」


結局リナルドは場当たり的な結論を出して思考を止め、再び鬱憤晴らしに取り掛かることにした。
リナルド自身は気が付いていないが、そういった逃げに入りがちな所は実に父親に似ていた。













ジョヴァンニの下にも自身の叛意の噂は当然届いていた。
それもジョヴァンニの頭を悩ませるほどに。


「一体誰だ。このような真似をしおって」


深い怨嗟の声を漏らし、噂の出所を呪う。
幾ら調査しようと発信者に辿り着けないこともまたジョヴァンニを苛立たせる原因だった。
幾つもの人を経由しており、もはや辿ることも不可能な上、果たして元はどのような内容であったか推察することもできない。
確かにジョヴァンニは叛意を持っている。
いずれは自身がフィレンツェの頂点に立つ気ではいるのだ。
しかし、それは今ではない。
機会があったら、あるいは機会を自ら作り出してからの話なのだ。
現在のジョヴァンニには、フィレンツェを支配する気などさらさらなかった。
コッサを利用して教会から金を引きずり出し、もっともっと富を蓄えなくてはならない。
商人の街フィレンツェにはジョヴァンニと同格の富豪がまだまだいる。
彼等を追い抜き、単独で支配するだけの力はまだジョヴァンニにはなかった。
中小階級の支持の下、反乱を起こすという方法には多大なリスクを伴う。
加えて、権力の基盤を被支配者の人気などという不確かなものにしてしまっては、破滅は目に見えていた。
だが、状況はもはやジョヴァンニのそういった思惑を許してはくれない。
既に中小階級の間にも噂は広がり初めているのだ。
日に日に彼等の期待は高まり、早朝の散歩の際に熱い眼差しを投げ掛けるようになっている。


「……エヴァンズを呼べ」


ジョヴァンニは暫く考え込んだ後、裏事を任せている部下を呼んだ。
現れた小柄で労働階級そのものといった風体の部下に固い顔で命じる。


「よいか、今から言う言葉を密かに街に流せ。多少の誇張は構わん」


無言で頷いた部下が退室した後、深い溜息を吐いて椅子に身を沈める。
ジョヴァンニの目には強い決意が宿っていた。
その後、間もなくしてフィレンツェ下層階級の間に一つの噂が広がり始めた。

ミラノの侵攻は近い。アルビッツィ家は形勢の不利を見て、フィレンツェを売る気でいるらしい。

その噂の広がりと共にますますジョヴァンニへの支持は高まっていく。
フィレンツェに燃え広がった火は遂に業火となってこの街を焼き尽くそうとしていた。













ミラノ公ガレアッツォの下にはフィレンツェの情報が逐一報告され、その様子が手に取るように分かっていた。
フィレンツェ攻略はガレアッツォの長年の悲願である。
そのため、長い時間をかけて内部に多数の密偵を仕込んでいる。
故郷愛が強いフィレンツェ市民を買収したり、近所の信用を得るまで潜り込ませるのは実に大変だった。
しかし、その苦労ももうじき実を結ぶとなれば良い思い出だ。


「幸先良い征服に乾杯」

「乾杯」


そう言ってファチーノと杯を交わす。
ファチーノはボローニャと同時並行でルッカを制圧して来た。
先立って制圧したピサ、シエナと合わせて遂にフィレンツェ包囲網が完成したのだ。
ガレアッツォが祝いたくなるのも無理はなかった。


「しかし、ジョヴァンニを出汁に使ってよろしかったのですか?」

「問題ない」


ガレアッツォは余裕ある様子でワインを飲む。
その機嫌はここ10年来で一番よかった。


「ジョヴァンニは優秀な男です。追い詰めるような利用の仕方をすると思わぬ行動をされて邪魔となるのでは?」


ファチーノの懸念への答えは獅子の如く獰猛な笑みだった。


「むしろ好都合よ。確かに打ち手としてはマーゾよりも厄介な相手だ。しかし、内紛が起これば国力は必ず落ちる。
 どんなにジョヴァンニの頭が回ろうがこの状況、この圧倒的戦力差を押し返すことは出来ない。
 それにアルビッツィも容易くやられはせんさ。
 ワシに負けようがジョヴァンニに負けようが、末路は変わらないのだからな」


そう、アルビッツィ家にとってフィレンツェでの権力争いで敗れることもミラノとの戦争に敗れることも同じ意味を持つ。
どちらも権力を失うことに変わりはないのだから。
フィレンツェもまたボローニャと同じく内憂外患を抱えさせられたのだ。


「今度こそ、今度こそワシの勝ちだ」


高笑いし、勝利を確信するガレアッツォ。
しかし、ガレアッツォは見くびっていた。
ジョヴァンニ・ディ・ビッチの力は財力と知力だけでは無い。
もっとも強き力、切り札は伏せられているのだ。



ガレアッツォがミラノで高笑いをしている頃、シャルルはボローニャで泣いていた。


「次はこの件です。何故この決定なのか、他の案では何故駄目なのかを3時間でお考え下さい」


差し出された山にシャルルは顔を歪ませた。


「少し、少しでいい。休まないか」


シャルルの前に積まれた書類は百科事典並みの厚さである。
3時間で終わるかはギリギリであった。
シャルルとて常ならばこの様なことで根をあげたりはしない。
しかし祭りの翌日から1週間、有力者との会食と謁見の時間以外は延々とこのような宿題をやり続けていたため、彼は疲労の極みにあった。


「時は金なり。将来のためです。それに、相談も無く大規模な祭りをされて瀕死の思いをした文官を思えばこの程度」


それを言われればシャルルは弱かった。
シャルルは今回初めて自分の命令で多数の部下が迷惑を被ってきたことを知ったのだ。
確かに祭り大成功であった。
だが、代償として文官は死屍累々の有様となり、行政に支障をきたす寸前である。
ラングは下手にシャルルを放置することの愚を学んだ。
そこで、シャルルの能力とコントロール法を把握した彼はシャルルを勉学に忙殺させることにしたのだ。
これは文官の能力の限界を学ばせる意味もある。
無茶な要求を度々出すような君主は暗愚だ。
部下の能力は部下以上に知る、それが名君の条件なのだから。


「では、また3時間後にお会いしましょう」


鉄面皮でシャルルを降したラングは政務を執るべく部屋を立ち去った。
敗者である上司、シャルルを残して。


「あいつ絶対地獄に落ちるな。いや、落ちろ」


誰にも聞こえないようにぼそっと愚痴り、シャルルは20秒間目を瞑って頭を休ませた。


「はぁ……。書類読むか」



それぞれの思惑を抱えながら時の流れは進んでいる。
フィレンツェ、ミラノ、ボローニャ。
それぞれの場所でそれぞれの営みが行われ、一つの大きな流れへと収束していく。
大戦は目の前に迫っていた。







今回気付きました。
自分、内政パートが苦手なんだな、と。
書いてみないと得意不得意というのは分からないものですね。
間章的な感じで少し短くて申し訳ありません。
次回はいよいよ戦争に突入する予定です。
温かく見守って下さい。
それでは御意見、御感想、御批判お待ちしています。

<アンケートめいたもの>
戦記ものである都合上史実という縛りがあることから溜まったストレスの解消のため、自由に書ける作品を少し執筆してしまいました。
もちろん本作品がメインですが、息抜きの作品を全く日の目を見せないのも寂しい感じがするのです。
息抜きですので更新は遅くなりますが投稿しようか迷っています。
複数作品を抱えるのは不義理でないか、という思いがあるためです。
そこで質問です。
読者としてはどう思いますか?
やはり読者の意見を聞いてから投稿すべきか、と思い質問しました。
忌憚のない御意見をお聞かせ下さい。




[8422] 急転する世界
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/25 04:22
フィレンツェにミラノからの使者が訪れたのは、朝焼けがやけに美しい日の早朝だった。
戦乱が激化するにつれて文書化され、形式だけのものとなっていった宣戦布告を古式めかしく使者による口上によって執り行い、
それを以ってフィレンツェとミラノは戦争状態に突入したのである。
日の光の下、勇ましく堂々と読み上げる使者の姿は強国ミラノの余裕と並々ならぬ決意を伺わせた。
そして、その衝撃はフィレンツェ市民全てに伝わっていく。
ミラノが攻めて来る。
ある者は言う。2度も負けてまだ懲りないのか、今度は散々に打ち負かしてミラノまで攻め込んでやる。
ある者は言う。此度こそ我等の負けやもしれぬ。妻と娘だけでも避難させねば。
そんな中、一人の老人が呟いた言葉は楔のように人々の心に喰い込んだ。


「アルビッツィ家は本当にフィレンツェの盾となって守ってくれるのだろうか?」


それを聞き、皆が表情を曇らせる。そして、老人に追従するようにある壮年の職人が囁いた。


「やはりジョヴァンニ様でなくては此度の戦争は勝ち抜けないのではないか?」


不安が伝播していく中、小柄な労働者が周囲に聞こえるように声をあげた。


「オラの娘はジョヴァンニ様の家で奉公しとるんだが、最近ジョヴァンニ様は難しい顔を為されているそうだ」


それでは、おぉやはり、という声が次々にあがる。
抑圧され続け、膨れ上がっていたジョヴァンニへの期待が更に高まっていく。
興奮する人々に手振りで落ち着けと示し、秘密を打ち明けるようにこっそりと男は囁いた。


「手紙を読んで憤りの声をあげることや深く憂悶しておられることも多いらしくてな。
 その様子から察するにアルビッツィ家の噂は事実らしい」


あぁやはり、と女は嘆く。裏切り者、と男は罵る。
その感情の高まりこそ男の望むことであった。


「それで、だ。ジョヴァンニ様は何やら重要な決断を為されたとのことだ」


待ち望んでいた言葉に歓声をあげる人々を押し留め、男は大衆に指示を出した。


「いいか、これは極秘情報だ。下手に騒いでジョヴァンニ様の邪魔をしちゃぁなんねぇ。
 オラ達はじっと準備をしながら待って、いざというときに働こうじゃねぇか」


皆で集まって目立つ真似も避けよう、という男の言葉に一様に頷き人々は散り散りとなって家へと帰って行った。
その人込みに混じって先程の男、扇動者たる男も溶けるように消え去っていく。
帰宅した後、この場に居た者が取った行動は皆同じであった。
話してはいけない。しかし、この興奮を誰かに伝えたい。
誰もがそう思っていたのだ。
思いの分だけ話に熱が篭もり、家族にも同じ思いが伝わっていく。
こうして密やかでありながら加速度的にジョヴァンニへの協力体勢は整えられていった。













ミラノ公国はルッカ、ピサ、シエナの3方向から18000もの大軍を以って進軍した。
アペニン山脈を挟んだ位置にあるボローニャにも3000の軍勢を終結させ、フィレンツェの後背を脅かす。
この3000の軍は云わば遊軍であり、不測の事態や電撃戦に備えるためのものであった。
率いる将はそういった作戦を得意とするモルト老で、全軍の指揮官はファチーノと磐石の体勢である。
今回の戦いにシャルルは参加を許されていなかった。
ボローニャは占領して間もなく、その統治の責任者を動かせる程には安定していない。
名目上とはいえボローニャのトップはシャルルであり、有力者の懐柔や新たに参入する商人との会談は連日行われているのだ。
応対はラングがするとはいえ、シャルルが全く顔を見せないというわけにはいかなかった。
シャルルを次期ミラノ公となる可能性が高い、とみた者は特に誼を通じたいと申し出るためなおさらである。
そうはいっても、フィレンツェにしてみればボローニャ方面にも防衛戦力を割かねばならないことに変わりはなく、牽制の役割は十分に果たしていた。
ミラノ軍は決して急ぐことなく、その進軍速度はむしろ緩慢といってもいいものであった。
速度よりも確実性を取ったのだ。
大軍は打ち崩すには奇襲か兵站を攻めるしかない。
ミラノ軍の兵糧はそれぞれの都市に備蓄されており、フィレンツェを覆うような形の包囲網は各都市を連携させて有機的な兵糧線を形成している。
そのためフィレンツェが取れる戦術は奇襲しかなく、ミラノ軍はそれを警戒した態勢を取っていた。
これに対し、フィレンツェは一か八かで野戦に打って出る。
かき集めた傭兵の数は10000。
それを2つに分け、ルッカ方面軍とシエナ方面軍に充て各個撃破し、返す刃でピサ方面軍を押し包むという方針を立てた。
3方向から進軍して来るミラノ軍はその軍勢を各6000と分散させている。
18000対10000では勝ち目は薄いが、6000対5000なら勝つ可能性は十分にあった。
確かにフィレンツェ上層部は戦争の準備段階、長期的な戦略では敗北した。
取った作戦もいくつもの綱渡りを要求し、確実性に欠ける。
各々の戦いで負ければ成立しないし、ピサ方面軍が先にフィレンツェを落としても敗北する。
しかし、フィレンツェ上層部は諦めていなかった。
フィレンツェは自由都市である。
その自由都市としての長い歴史が強い誇りと郷土愛を生んでいる。
なるほど兵士の数では負けた。
だが、フィレンツェ市民はその全てが防衛要員となり、市民皆兵の精神でこの国難に当たるだろう。
上層部はそのことを疑っていなかった。
そう、彼等にとってその市民が最大の敵となっていることに気付いていなかったのだ。



ジョヴァンニは情報操作によって市民をコントロールし、その暴発を抑えていた。
決起するか否かはミラノ軍の行方次第。
圧倒的不利な状況でフィレンツェのトップになっても待つのは破滅だけだ。
それならば敗戦後真っ先にミラノ公に接触し、中小階級が喜びそうな譲歩を引き出して地位を堅持した方がマシである。
もちろん不測の事態に備えて手は打っているが、出来れば使いたくはなかった。
だが、ジョヴァンニの思っていた以上に市民の彼への期待は大きかった。


「おい、ミラノが遂に攻めてきたぞ。兵士も皆街から出て行った」

「どうなるかの……」

「略奪されるだろうな。娘だけでも逃がさなくてはならんの」


フィレンツェの街角で、ジョヴァンニがさせまいとしていた集団での話し合いが行われていた。
高まっていた上層部への不満が不安となって表れたのだ。


「やはりアルビッツィ家では駄目だったんじゃ」

「ジョヴァンニ様ならこの困難も跳ね除けてくれようものを」

「だが、ジョヴァンニ様はアルビッツィ家に睨まれて身動きが取れないからの。ほれ、最近メディチ銀行の周辺をうろちょろしとるだろ」

「味方を警戒してどうするんだ!!」


不安は容易く怒りへと変わる。
ミラノへの恐怖はアルビッツィ家への今までに無い激しい怒りとなって燃え上がった。
そもそも支配者の存在意義は外敵からの守護にある。
守ってくれない者に何故服従せねばならないのか。


「こうなったらオレ達の手でジョヴァンニ様をお助けしよう。幸い兵は出払って警備は手薄だ。皆で一斉にやれば上層部を排除できる」

「そうだ、動けぬジョヴァンニ様に変わってオレ達が動くんだ」

「皆を集めて兵舎を襲うんだ。武器を奪ってしまえばこっちのもんだ」


ジョヴァンニが恐れていたことが起きようとしていた。
寄り固まり大集団となったとき、人は過激な行動に走りやすい。
少数の勇ましい意見が穏健な考えを駆逐し、膨れ上がった数が逆らうことを困難にする。
集団には意思がある。
ときにそれはトップや個々人の意思を置き去りにして、思わぬ方向へと走りだす。
もはやジョヴァンニという個人の思惑は問題ではなくなってしまった。
集団の意思にジョヴァンニも取り込まれてしまったのだ。



市民が市庁舎に雪崩れ込んだとき、上層部に連なる者はちょうど会議のため集まっていたところだった。
端々では密かに街を脱出し命と資産を確保する方策が話し合われていたりと足並みは乱れていたが、マーゾ一人は意気盛んにミラノへの抵抗を主張していた。


「どうした!? 何か意見はないのか? 手を拱いていては待つのは破滅しかないんだぞ」


戦いで勝てないならば外交で封じ込めるまで。
そのマーゾの方針は良かったが、マーゾ自身に有効な案は無かった。
そのため皆に意見を求めるも、他の者がマーゾに向ける目は冷たい。


「御前が恐れているのは自分の破滅であろう」


そして、遂に一人がマーゾを糾弾した。


「ワシ等と違って御前は命を取られる可能性が高いからな。何といってもガレアッツォと敵対してきたのはアルビッツィ家だ」

「さよう。そもそも斯様な事態を招いたのは御主の無策が原因。それが支配者面をして怒鳴るとは面の皮が厚いにも程があるというもの」


フィレンツェは寡頭体制である。
完全な独裁をひいているミラノと違って、上層部は複数いることの欠点がここにあった。
三人寄れば文殊の知恵というように複数で統治に当たるメリットは大きい。
だが、互いに牽制し合い個々人がより多くの権力を得ようと画策するといったデメリットもあった。
彼等はアルビッツィ家に従属しているわけではない。
ただ今最も強勢なのがアルビッツィ家である、というだけなのだ。


「この期に及んで何を! 今は一致団結して困難に当たるときではないか!?」


マーゾの叫びは正論である。
だが、いつも正論が受け入れられるとは限らない。
要するに彼等はマーゾに責任を被せたいだけなのだから。
会議室に緊迫した空気が流れ始めたとき、轟音と共に扉は開け放たれた。


「誰だ。会議中だぞ」


思い通りにいかぬ状況に苛立ち、怒鳴ったマーゾが見たのは槍を持って殺気立つ市民の姿だった。


「貴様等、一体何を!?」


マーゾが問い質しても、市民は答えない。
彼等は市庁舎に乱入する際の攻防で人を殺し、既に血の狂気に囚われていた。
抗弁も聞かない。容赦もしない。
フィレンツェの支配者として君臨していたマーゾの最期は被支配者によって為された。



同時刻、市内各地で有力者の屋敷に市民が押し入り、殺戮の限りを尽くした。
その中には当然アルビッツィ家の邸宅も含まれ、リナルドもまた凶刃に倒れる。
ここにフィレンツェの名門貴族アルビッツィ家は途絶えたのだ。



怨敵を討ち果たした市民達は槍でその死体を突き刺し、持ち上げてジョヴァンニの下へと運んだ。
その目は殺戮の悦楽に濁り、顔には無邪気な笑みが浮かんでいる。
集団の意思が狂気となって個々人に伝播していた。
異変に気付き、外へ出たジョヴァンニが見たのは自分に供物を差し出す市民の姿だった。


「ジョヴァンニ様。アルビッツィの野郎は地獄に送ってやりましたぜ」

「ジョヴァンニ様こそフィレンツェの頭領だ」

「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」


熱狂とは熱く狂うと書く。
狂気には熱が伴うのだ。
人の根源的恐怖を呼び覚まさずにはいられない狂熱はジョヴァンニの背を凍らせずにはいられなかった。
ジョヴァンニの名を呼ぶ声が、ジョヴァンニを見つめる目がジョヴァンニを打ち貫く。
ここで彼等の期待に応えねば歓声はすぐに刃へ変わるだろう。
裏切り者、と。
もはや理屈ではないのだ。
どんなときもジョヴァンニを助けてきた彼の冷徹な頭は、瞬時にそのことを計算した。
選択肢は残されていない。
黙って手を上げ、市民に応えるしかないのだ。


「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」「ジョヴァンニ様」


こうしてジョヴァンニは望まぬ時に望まぬ地位へと押し上げられた。
ミラノの宣戦布告から僅か6日、フィレンツェ軍が出発してから2日の出来事であった。













狂乱による事態を収めたジョヴァンニはすぐさま市民に指示を出した。
死体を市外に捨て、疫病が蔓延すること防ぎ、適当な者を小集団のリーダーとし、組織だった行動をさせる。
粉々になるまで壊された防衛体勢を一から構築し直す必要があった。
更に、出発した軍に使いを出し、市内へと戻らせる。
万一の事態に備え、ジョヴァンニはジョヴァンニの対ミラノ戦略を考えていた。
出来ることなら活きること無く終わって欲しかった戦略である。
だが、もはや是非もない。
賽は投げられたのだ。
幸い市民はジョヴァンニをリーダーとし、その指示を聞いてくれている。
奇しくもフィレンツェ上層部の考えていた市民皆兵が、ジョヴァンニの下で行われていた。
死んだ有力者の財産も没収出来たので資金もある。
傭兵達は報酬さえ払われれば働いてくれる。
彼等はフィレンツェ市に雇われたのであって、アルビッツィ家や上層部の私兵ではないからだ。
こうして混乱はあるものの、フィレンツェはミラノと同じく独裁体制へと移行した。
独裁の利点は早さにある。
決断は一人の人間の頭脳で行われ、会議という通過儀礼を必要としない。
果断な決定、容赦の無い改革。全て個人の裁量に任されるのだ。
そのため、トップが優秀である場合に限り独裁は理想的な統治体制となり得る。
今フィレンツェはジョヴァンニという頭を抱き、一個の生命体として動き出した。













ファチーノは違和感を感じていた。
フィレンツェは間違いなく打って出る。
何故なら、フィレンツェに残された選択肢がそれしか無いようにファチーノが追い込んだからだ。
相手の行動を把握することが勝利の鍵である。
そのためには相手を思い通りに誘導することが最も有効であり、それはファチーノの得意とするところであった。
それなのに、フィレンツェ軍の姿は無い。
開けた平地であるため、森に隠れているというようなこともない以上、前方に軍勢が見えていなければならない。
各方面軍からも接触の知らせは無く、一切の抵抗は無いという。
あり得ざる事だった。


「篭城を選んだか……」


そう呟いてすぐファチーノはその考えを打ち消した。
ボローニャと違って、フィレンツェには十分な傭兵を雇う資金がある。
入念な準備をしていたミラノには及ばないものの、最低でも8000は集めるだろう。
18000対8000。
約2倍の差だが、自分であれば十二分に勝機を見出せる差だった。
フィレンツェの国力ならファチーノの予想を上回ることはあっても、下回ることは絶対にない。
何らかの策を講じたとみるべきだった。


「おい、大将。何を考え込んでんだ」


カルマニョーラが陽気に声を掛けるのを無視して、ファチーノは思考の海に没していった。
現在、ミラノは3つに軍を分けている。
その1つにフィレンツェが全軍を差し向ければ6000対8000だ。
数の劣勢は覆り、各個撃破も可能であるがミラノ軍はそれほど弱くはない。
開戦すれば狼煙をあげる手筈になっており、持ちこたえている間に援軍を間に合わせられる。
それに今のフィレンツェに強力な指揮官が雇われているとは聞いていない。
そのような策は、余程自分の力に自身のある者でなければ取れない策だ。
一体フィレンツェの思惑はどこにあるのか。
よもや政変によって全軍が引き上げられたとは思っていないファチーノは、ありもしないフィレンツェの策を警戒していた。


「なぁ、大将。そんな辛気臭い顔じゃ運が逃げていくぜ」


何も考えていないようなカルマニョーラの声が鬱陶しく、叱責の意味を込めてファチーノは問い質した。


「おい、フィレンツェは何を考えていると思う」

「どういう意味でだい?」


暢気に鼻をほじり、質問の意味を尋ねるカルマニョーラにファチーノもさすがに怒りを覚えた。


「もうフィレンツェも目の前だというのに何の行動も起こしていない。どういう思惑があるのか、御前は考えないのか。
 慎重過ぎるほど慎重であれ、命が惜しければ。
 そう教えただろう。その無警戒な態度は何だ」


兵士達の手前怒鳴るわけにはいかないが、それでも厳しく放たれた声にカルマニョーラは身を竦めた。


「大体御前はいつもそうだ。無思慮、無分別、無自覚。
 イーヴに影響されて書物を読んだかと思えば小賢しい知恵ばかり身につけおって。そんなのだから御前は……」


ヒートアップしてきたファチーノにさしものカルマニョーラも悲鳴を上げた。


「わかったよ。わかった、ってば。オレだって何も考えてないわけじゃないさ。
 ただ奇襲に備えてわざわざ臨機応変に動ける陣形にしたんだろ。
 そりゃ戦争だから不測の事態はあるし、それに備えるのは当然だけどこれ以上どう備えるんだ。
 石橋を叩いて渡るのはいいけど、叩きすぎて橋を壊したり警戒し過ぎて渡るのに臆病になってちゃ本末転倒じゃねぇか。
 大将はいつも考えすぎなんだよ」


そう言われて自身でも慎重に過ぎることが美点であり欠点でもあると自覚しているファチーノは言葉に詰まった。


「それにオレの役割は斬り込み役なんだ。
 そりゃ、大将の言う通り考えることは大事だけどそれにはイーヴみたいに向いてる奴がいる。
 オレはただ我武者羅に軍の勝利を切り開くのが性に合ってるんだ。
 それに全員が全員考え込むタイプだったら軍は成り立たないじゃねぇか。
 オレみたいな奴も必要だろう」


それはカルマニョーラの言う通りなのだが、斬り込み役はその役割上危険度が最も高い。
必要性は認めるが、息子同然のカルマニョーラにそうなってもらいたくないというのがファチーノの本心だった。
だが、傭兵としてのファチーノはカルマニョーラにその方面での多大なる資質を認めている。
何にせよ才能があることは喜ばしいことであるが、なるべく生還率の高い役に付いて貰いたい。
ファチーノは複雑な親心に囚われ、煩悶することでいつのまにか思考の渦から脱していた。


「取り敢えずどん、と構えててくれよ。大将は臨機応変が得意なんだからよ」


無限の信頼が込められた言葉をファチーノに掛けながらカルマニョーラはまたしても暢気そうに鼻をほじる。
その姿を視界に捉え、また文句を言いたくなるファチーノであったが、何を言っても無駄だろうと遂に諦めた。
こういった自然体で緊張しないところもカルマニョーラの美点ではあるからだ。
しかし、リラックスしてもファチーノはフィレンツェの動向に一抹の不安を感じずにはいられなかった。
長年の勘が彼の胸に疼く様な感じを与えている。
何とも嫌な感じがするのだ。
そして、そのファチーノ不安は的中した。


「ローマ教皇の停戦要請だと!?」


フィレンツェ近郊まで進軍したミラノを待っていたのはローマ枢機卿バルダッサレ・コッサであった。
こうなると事態はファチーノの手を越えていた。
知らせを受け、怒り狂うであろうガレアッツォの下へと使いを走らせる。
思わぬ勢力の介入によってフィレンツェ戦役は予期せぬ方向へと進んでいく。
その行方は誰にも分からなかった。




[8422] 事変後の世界
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/10/19 09:32
ミラノに到着し、震え上がりながら報告した古参の伝令兵が見たのはガレアッツォのしてやったりといった笑みであった。
怒り狂うどころか上機嫌で、労いの言葉すらもらった兵士は首をひねりつつも己の身の安全を喜んだ。
逆上するあまり手近な生贄で鬱憤を晴らす貴族は珍しくない。
兵はガレアッツォがそのような君主でないことを知ってはいたが、フィレンツェ遠征は今回で3回目であり、ガレアッツォがどれほど気合を入れていたかも知っていた。
それ故に思わぬ横槍の存在はガレアッツォを刺激せずにはいられないだろう、と思っていたのだ。
しかし、ガレアッツォの思考は一般兵やファチーノが考えているよりもずっと深かった。


「これでいい……。いや、これがいい」


手許のワインを回しながらそう独り言ちると、満足気に香りを味わう。
ジョヴァンニの反乱。
教皇の介入。
これ等が一括りに連なった事象であることは明白だった。
策略を以って敵を陥れる以上、自身の策が為す結果は予測して然るべきこと。
市民が暴発し、ジョヴァンニを頭に押し上げるという過程は予想外であったが、そうなるであろうことを検討していなかったわけではない。
そして、ジョヴァンニがミラノに敵するとしてどの様にすれば勝利が見えてくるか。
それを考えれば相手の打ち手も見えてくる。
どうすればその手を打ち崩すことができるか、も。
ガレアッツォは早速筆を取り、大量の手紙を書き上げた。


「ジョヴァンニ・ディ・ビッチ。貴様は優秀な打ち手だ」


しかし、自分もまた非凡な策士である。
強烈な自負心と共にガレアッツォの策謀が動き出した。













凄惨な殺戮劇の跡をようやく拭われたフィレンツェ市庁の一室に経済大国フィレンツェの支配者となったジョヴァンニの姿はあった。
教皇の停戦要請から3日。
彼はかろうじて混乱を収め、ある程度の命令体系と防衛態勢を整えることが出来た。
一連の急転直下の出来事は鉄人ジョヴァンニをしても動揺せずにはいられず、
その衝撃から立ち直る間もなく過酷な政務を執ることになったジョヴァンニの顔には隠し切れない疲労がにじんでいる。
しかし、事前の備えと事変後の冷静な対処によって一先ずの危機は去ったものの、未だフィレンツェが亡国の瀬戸際にあることに変わりは無く、
ジョヴァンニには安穏としていられる時間は無かった。


「随分お疲れだな」


ジョヴァンニに声を掛け労わるコッサの顔にも疲労の影が窺える。
それは教皇を動かすために要した多大な労力によるものであった。
ローマ教皇ボニファティウス9世。
権力志向が強く教皇権威の復権を目指す彼が教皇だからこそコッサが動かせたのであり、彼だからこそこれ程の労力を費やさねば動かせなかったのだ。
バチカン宮殿を要塞化し、ローマ市の支配権を握る。
ローマ巡礼者と贖宥状の購入者に特別の赦しを与えるという聖年を2度も行い、大量の資金集めをする。
ボニファティウス9世の行ってきた活動はルネサンス期の教皇特有のものであった。
すなわち、世俗君主的性格が強いのだ。
しかし、それには理由があった。
そもそも現在のキリスト教世界には2人の教皇が存在する。
頂点が2つあるという異常事態。
それは1309年、時のフランス王フィリップ4世によって教皇庁がアヴィニョンに移し、自身の影響下に置いたことに端を発していた。
教皇のバビロン捕囚と云われたこの出来事である。
以来65年間、教皇の地位はフランス人が独占し、多くのフランス人枢機卿が誕生した。
ヨーロッパにおいて至尊の地位にある教皇すら手中に収めた当時のフランスは絶大な国力を誇ったのだ。
だが、百年戦争が起こりフランスの国力が低下したことから事態は大きく動くこととなる。
1377年、グレゴリウス11世がローマに帰還したのだ。
このことは現状を憂いていた教会関係者を大いに喜ばせた。
教会にとってローマという場所は矢張り特別な場所であり、教皇はローマに在るべきものであるという意見が多かったからだ。
グレゴリウス11世の死後選出されたウルバヌス6世も当然教皇庁をアヴィニョンに戻す気はなかった。
しかし、それは大勢を占めていたフランス人枢機卿にとって認められることではない。
彼等は独自にクレメンス7世を擁立、ウルバヌス6世が選出された選挙の無効を宣言することになる。
こうしてアヴィニョンとローマに教皇が存在するという現象が生じたのだ。
両教皇は互いに権威を誇示し、自身こそ唯一の教皇であることを証明せんと凄まじい闘争を繰り広げた。
ボニファティウス9世の活動もまたそのためのものであり、今回の介入も己の権威拡大を目的としたものなのである。
ジョヴァンニボニファティウス9世に頼ることを厭うていたのにはそういった理由があった。
諸々の事情はあるにせよ、ボニファティウス9世の強欲振りには目に余る所がある。
聖年を2度も執り行ったことなどにボニファティウス9世の手段を選ばない性格が強く表れているし、それに反発したコロンナ家の反乱への処罰も陰惨を極めた。
利用しようとして潰されかねない。
まさに鬼札なのである。


「教皇猊下の機嫌はどうであった?」


ジョヴァンニはその事が最も気懸かりであった。
相棒としてコッサの観察眼には絶対の信頼を置いている。
そのコッサから見てボニファティウス9世はどういった思惑を持っていると判断したのか。
それを聞いておく必要があった。


「隠し切れない喜び、ってやつを感じたね。あれはマズイ。ろくでもないことを思い付いた匂いがしたぜ」


コッサの答えにジョヴァンニは頭が痛むのを感じた。
懸念事項が増えた瞬間というのはいつも憂鬱になる。
ボニファティウス9世の思惑は見え透いていた。


「やはり保護都市にしようとしてくるか……」

「そりゃあ、そうだろ? 今回の件で自力での独立は無理だと宣言したようなもんだ。猊下はあらゆる手段を用いてもここを支配下に置くつもりだろうよ」


保護という名の支配。
それはミラノに下ることと変わりは無い。
フィレンツェの頭領となったジョヴァンニにとってみれば、それは敗北であった。
これが一個の私人、銀行家ジョヴァンニとしては歓迎すべき事態である。
これまで以上に教皇庁との関係を親密にし、連携をとって財を増やしていくことが出来る。
しかし、公人となってしまったジョヴァンニはそういうわけにはいかない。
ジョヴァンニの脳裏に哀れなアルビッツィ家の末路が浮かぶ。
もしフィレンツェの自治を放棄するような真似をすれば、同じ未来が今度はジョヴァンニの身に降りかかってくるだろうことは確実だった。
フィレンツェ市民はジョヴァンニを支持しているようで、実は違う。
彼等は理想的な指導者の幻想をジョヴァンニに見ているだけなのだ。
如何なる困難も乗り越え、フィレンツェを更なる発展へと導く英雄。
そんな者は存在しない。
だが、ジョヴァンニにはその幻想を壊すことは出来かった。
その瞬間、期待は裏切りへの激烈な怒りに転化し、ジョヴァンニに牙を剥くからだ。


「どこで間違えたのやら……」


力無く己を嘲笑ったその言葉は、紛れも無くジョヴァンニが吐いた弱音だった。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。


「あんたは間違えなかったさ。ただちょいとばかり運が悪かった、ただそれだけでよくある話だ。今は一先ずの時間を稼げただけでよしとしようや」


努めて明るく振舞うコッサにジョヴァンニも随分救われる。
コッサとジョヴァンニは一蓮托生、何所までも、たとえ地獄の果てまでも共に行くしかないのだ。
ならば覚悟を決めるしかあるまい。


「その通りだな。すまん、気を遣わせた」

「いいってことよ。むしろあんたの珍しい姿を見れて得した気分だ」


軽口に笑みを返したとき、ジョヴァンニの顔にはいつもの余裕が戻っていた。
同時に頭の回転もまた平時のものを取り戻す。
そう、教皇の介入はあくまでも時間稼ぎ。
ミラノ公ガレアッツォならば跳ね除けるであろう障害に過ぎない。
ジョヴァンニが為すべきことは外交によってミラノを封じ込めることにある。
そう、手許にあるこの手紙とその相手を利用し、ガレアッツォが手を出せないようにすればいいのだ。













神聖ローマ帝国内の某所に集まった面々。
それはそうそうたる顔ぶれであった。
ドイツ騎士団長コンラート・フォン・ユンギンゲン、バイエルン公ループレヒト、ブランデンブルク辺境伯ヨープスト・フォン・メーレン。
そして、ヴェネツィア大使フランチェスコ=フォスカリ。
彼等はループレヒトとヴェネツィアの間で取り交わされた密約について話し合っていた。


「勝手な真似をしてくれたな」

「これ程の重要事、我等に何の相談も無く進めるとはどういうつもりじゃ」


コンラートとヨープストは両者共に渋い顔でそう告げた。
現皇帝ヴェンツェルの廃位とミラノへの電撃的奇襲作戦。
その計画は密かに進められ、半ばまで成ろうとしていた。
ループレヒトは既に南部諸侯連と聖界諸侯であるマインツ大司教、トリーア大司教を買収あるいは説得。
コンラートとヨープストが同意したならばすぐさま実行できる段階まで進めてしまったのだ。


「確かに礼を失した形になったことは謝る。しかし、この計画の重要性は貴卿等も承知しておられるだろう。
 何よりも機密が大事。あのヴェンツェルやミラノ公に洩れるわけにはいかなかったのだ」


ループレヒトが弁解の言葉を言うも、両者の表情は冷たい。


「それは理解する。じゃが、今帝国を取り巻く状況を知らぬわけではあるまい」

「さよう。日に日に対決姿勢を強めているポーランド王にしてリトアニア大公ヴラディスラフ=ヤギェウォの存在を忘れたわけではあるまい。
 奴に対抗するため我等ドイツ騎士団は動くことが叶わぬ。下手に動けばそこに付けこまれる。
 それはブランデンブルク辺境伯も同じだ」
 

ポーランド・リトアニア連合は神聖ローマ帝国の東方に位置する欧州において1、2を争う大国である。
現代のイメージと違い、この時代の東欧は先進地域だった。
むしろ西欧の方が土地が荒廃し、文化も遅れていたのだ。
ドイツ騎士団はその脅威に抗するも、終始圧倒されており、予断を許さない状況が続いている。
それは帝国東部に位置するブランデンブルク辺境伯も同様で、そういった事情から彼等は援軍を頼まれても派遣することができない。


「私とて貴卿等の苦境は知っておりまする。しかし皇帝ヴェンツェルの弱腰、優柔不断さを知っておられるでしょう。
 先のローマ教皇選出に際し、あの皇帝がどんなに無能で無策であったか。この予断を許さぬ状況だからこそ、新たな皇帝が必要なのです」


確かに皇帝ヴェンツェルの対外姿勢は弱気なもので、それに対してドイツ諸侯の不満は高まっていた。
更にボヘミア王を兼務する彼は、ドイツ全体よりも自身の領地であるボヘミアの統治に熱をあげている。
ループレヒトがこれほど迅速に事を運べたのも、諸侯の間に反感が高まっていたからなのだ。
その事はコンラートもヨープストも承知していたし、彼等自身もまたヴェンツェルに対して苦々しい思いを抱いている。
だが、それとこれとは別儀。
何と言われ様と無い袖は振れないのだ。


「僭越ながら私共の立場を説明してもよろしいでしょうか?」


室内に広がった沈黙、意見の膠着を切り裂くようにフランチェスコが口を挿んだ。
無言でヨープストが首肯したのを確認し、控えめながらもはっきりと意見を述べる。


「我々ヴェネツィアはミラノ公の征服活動と専横を危惧しています。その勢力化の拡大速度は凄まじく、野心は留まることを知りません。
 正直に言いましょう。我々は恐れている。
 果たして彼はどこまでいけば満足するのか?
 ロンバルディアか、イタリア全土か、ヨーロッパ全体か。いやいや、かの大王アレクサンドロスの如く遥かアジアの果てまで己が版図にせんとしていいるのか。
 いずれにせよ彼がロンバルディアを制した場合、イタリア全土と神聖ローマの領域に食指が動くことは確実です。
 ならば、今しかない。
 今の段階でミラノ公を制し、封じ込めねばなりません」


フランチェスコはそこで言葉を切り、聞き手の反応を観察して決定的な一言を言い放った。


「我々ヴェネツィアはそのための労を惜しむつもりはありません。
 もし帝国全体としてミラノ公と対峙してくれたならば、そのための費用は全て我々が持ちましょう」


フランチェスコの発言はコンラートとヨープスト、両者に衝撃を与えた。
費用の全額負担。
そこにはヴェネツィアの本気が表れていた。

 
「全額……かね?」

「はい、全額です」


思わず、といった感じで問い直したヨープストにフランチェスコは躊躇いも無く答えた。
そして、フランチェスコに続いてループレヒトが畳み掛けるように説得する。


「私はお二方に無理な願いをしようというのではないのです。
 軍の派遣を要請し、困らせようなどという気は毛頭ありません。
 ただ私の為すことを支持して欲しいのです」


それは宣言であった。
ミラノは自分の力で制してみせる。
このアピールは強烈に効いた。
何といってもコンラートとヨープストには損がない。
ただループレヒトの行動を黙認しさえすればいいのだ。
それだけでループレヒトに大きな恩を売ることができ、ループレヒトの試みが成功した場合はその恩恵を得ることができる。
一方のループレヒトも新生皇帝の威を知らしめ、その権勢を磐石なものにできる。
それも、他人の金銭でだ。
三者の利害は一致していた。
しかし、そうなると一人わりを食うのはヴェネツィアである。
戦費の全額負担と簡単に言うが、その額は莫大なものになるだろうことは想像に難くは無い。
この世に片方だけが得をする話はあり得ない。
一見すると慈善のように取れる行為も、別の視点から見れば何らかの思惑が隠されているというのはよくある話だ。
果たして、ヴェネツィアの狙いはどこにあるのか?
フィレンツェと同じく商人の国である彼の国が損得勘定を間違える筈が無い。
ミラノを制することで、それにかかった経費以上の利益を得られるとみた上での行動のはずなのだ。
その疑念を解決しないことにはコンラートとヨープストも返答しかねた。
ヴェネツィアには一体どんな利があるのか、敢えて率直に聞いたヨープストにフランチェスコは一言で以って答える。


「安全を」


商売の根幹は安定した情勢にある。
ヴェネツィアという国家の安全なしには、そこに所属するフランチェスコを含む商人も商売をすることは出来ない。
故に、国家の安全は万金にも勝る。
謳うように告げたフランチェスコの言葉にコンラートは納得し、ヨープストは疑いながらもその言を受け入れた。
そして、二人はループレヒトへの消極的支持を約束したのである、
合意を得てコンラート、ヨープスト、ループレヒトは互いに握手を交わし、その姿をフランチェスコはうっすらと笑みを浮かべて見守る。
こうしてフィレンツェ、ローマ教皇、ヴェネツィア、神聖ローマ帝国から成るミラノ包囲網が密かに形成された。
それぞれの思惑、それぞれの狙いを持って。
時代の波は容赦なくミラノに襲い掛かろうとしていた。











前回後書きを消して投稿してしまいました。
そのため、複数投稿に関する御意見への御礼も消えてしまいました。
改めて御礼を申し上げます。
皆様の御意見を聞き、この作品一本に絞ることにしました。御手数を掛けて申し訳ありませんでした。
次回は教皇との謀略合戦ということになります。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしております。



[8422] 謀・その大家と初心者
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/10/25 20:46
シャルルがフィレンツェ停戦を知ったのは、ミラノのガレアッツォの下にその報せが届いてから僅か3時間のことであった。
この驚異的な情報伝達速度は以前オレが考案した腕木通信によるものだ。
腕木通信はガレアッツォによってその有用性を認められたあとすぐにミラノ支配圏全域に張り巡らされた。
そして今回、手紙のように複雑で多量の情報を送ることはできないが、圧倒的スピードで要点を伝えることが出来るこの通信手段の長所をいかんなく発揮し、
ボローニャまで憤懣やる方ない情報とガレアッツォからの指示を伝えたのだ。
自分の脳から直接生み出されたものではないとはいえ、自身の提案がこうして役立っている所を見るのはシャルルとしても感慨深いものがあった。
同時に、敵の思惑を上回ることができるということに笑みをこぼす。
腕木通信のコードは機密となっている。
そのため他国に情報が読み取られることはないし、そもそも存在を知らない者には通信施設は奇怪なオブジェにしか見えない。
だが、この施設は謀略戦でこれ以上ない働きをしてくれるのだ。
謀略は時間との戦いともいえる。
相手の対応時間を考慮し、先手、先手を打っていく。
詰め将棋のように怜悧な計算がものをいう世界。
そこで重要となるのは個々の要素に対する認識だ。
腕木通信の存在はその中でも時間という要素を誤らせ、計算を大きく狂わせる。
想定していた対応の早さ、想定していた行動に掛かるロス。
それらが尽く思惑から外れるのだ。

(情報とは力なり、とはよくいったものだ)

これもまたシャルルの功績となる。
そのことに一先ず喜びを見出したあと、シャルルは懸念していることを思って顔を曇らせた。
事態は混迷を深めており、未熟なシャルルでは予測もつかない状態となっている。
様々な要素、様々な思惑が複雑に絡み合ったイタリア情勢は霞のように不確かで捉えどころが無い。
これはまずいものを発見した、とシャルルは思った。
自身にまだ備わらぬ資質、国際情勢を把握する能力の欠如を認識したのだ。
これは将来ミラノ公となりオルレアン公とならんとするシャルルにとってどうしても補っておかねばならないことである。
そこでシャルルは半ば政治の教師となった副官ラングに教えを乞うことにした。


「それは殿下がまだ眼をお持ちになっておられないからです」


シャルルの欠点の本質をラングは遠慮呵責なく指摘する。


「確かに殿下は優秀であられる。
 宮廷で育ち、腹に一物抱えた狐狸共の罠を掻い潜って今まで生きてこられたことを見ても殿下の聡明さが伺えます。
 しかし、殿下には毒が無い。
 慎重に振る舞い、部下に守られながら謀から逃れる。
 その姿勢は守勢。
 そこには相手を攻めるという意思が存在しない。
 己を陥れんとする輩の首を掴み、這い蹲らせ、屈服させる。
 あるいは、その首を断ち切って憂いを無くす。
 そういった意思。
 手を汚してでも、汚濁を被ってでもという強烈な決意があなたには足りない」


ラングとシャルルは既に数ヶ月を共に過ごし、その期間ずっと政策についての問答をしてきた。
ラングが問い、シャルルが答える。
こういったやり取りを通してラングは極めて正確にシャルルという人間を把握したのだ。
政策には様々な個性が表れる。
それは政策にその者の分析力、思考力、先見性、そして何より性格が反映されるからだ。
だから政策について議論すればある程度は相手の事が分かる。
それをラングとシャルルは100回以上してきたのだ。
ラングがシャルルの事をシャルル以上に把握していてもおかしくはなかった。
そして実際、ラングはシャルルの分析を完了し、その欠点を発見した。
シャルルは穢れを嫌う。
最大の成果を得られる代わりに唾棄すべき手段を取らねばならない方法と
次善の成果を得られる清らかな方法ならばシャルルはほぼ100%後者を選ぶ。
勿論、それは美点である。
清廉なることは賛美の対象となりこそすれ、それを理由に詰られることなどあり得ない。
しかし、政治の世界となると話は別だ。
常に汚い手段しか取らぬ相手は信用されない。
常に綺麗事しか言わない者では相手にもされない。
大切なのは使い分けなのだ。
そう……


「清濁併せ持った者でなければ君主足ることは出来ないのです。
 あなたは謀略を以って敵を陥れることを無意識に避けている。
 汚らしい、卑劣である、そういった思考に囚われて己の牙を己で折ってしまっているのです。
 それでは陰謀渦巻く国際情勢を分かるはずがありません。
 陰謀を嗅ぎ取る嗅覚。誰がどのようなことを考えているかという推論。各国の主の抱く感情への洞察。
 そういったものは自身も謀をする身であるからこそ分かるもの。
 あなたはまず謀に慣れ、自身でも巡らせるようにならなくてはならない」


そうでなければ望みは叶わない。力無き王には誰も従わない。
言外に匂わされたラングの警鐘がシャルルの胸を打つ。
言われて初めて自覚したのだ。
だが、これは仕方の無いことだった。
シャルルにある前世の記憶。
それは今生きる世界とは比べ物にならないほど穏やかで平和なものだ。
今までシャルルはその時代の高水準な教育によって培われた知識によって助けられてきた。
しかし、シャルルの欠点もまたその教育によるものなのだ。
教育とは洗脳である。
人間は幼い頃教え込まれた内容によってその思考体系を確立していく。
意図する、しないに関わらず教育にはその国その時代の色が出ており、人はその色に染まってしまうのだ。
その色は人格の根底に関わっており、普段は意識することもないが、決定的に生き方を左右してしまう。
戦地に育った子供と大都市に育った子供がその価値観を共有できないように。
そしてそれはシャルルにも同じことがいえるのだ。
いかにこの時代の価値観に染まろうと、魂に刻まれたものは消えることはない。

『人に優しくしましょう、人は話し合えば分かり合えるのです』

思想統制のレベルでそんな幻想を教え込まれたシャルルに、その考えは呪いの如く染み込んでいる。
ラングはそれをシャルルを徹底的に分析することによって暴き出したのだ。


「そのためには慣れが一番です。
 幸いミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが現在巡らす謀という最高の教科書があります。
 それを感じ取って学ぶことですな。
 同時に、これから殿下には汚れ仕事も多少こなしてもらうことにします。
 正直今までの殿下は箱入りであることは否めなかったですし、この期に一皮剥けていただきたい」


淡々と告げたラングの眼は蛇のように陰湿な光を放っている。
敢えて謀略家そのもののような表情をすることでシャルルに奮起を促しているのだ。
こうしてこの日からシャルルは裏社会にその身を浸していくことになる。
シャルルにとって心が辛い日々の始まりだった。
だが、その経験は後に活きることになる。
艱難辛苦なくして大成なし。
真の君主教育の始まりであった。













ガレアッツォが教皇に対して打った手は2つ。
硬軟織り交ぜた使い古された、だからこそ強力なものであった。
すなわち買収と脅迫である。
キリスト教会は教皇を頂点とする縦社会ではあるが、決して一枚岩ではない。
組織を構成するのは人間であり、そこには利害があり、感情があり、対立があるのだ。
それは教皇庁が2つに分裂していることからも明らかであり、その点もガレアッツォの狙い目であった。
教皇ボニファティウス9世は焦っている。
アヴィニヨンの教皇よりも権威を高め、自分こそが唯一の教皇であると証明するべく彼は奔走してきた。
その功績は万人の認める所であり、彼の下でローマ教皇庁の力は大分回復したといえよう。
だが、彼はあまりにやり過ぎた。
そのあまりに露骨なやり口は次第に周囲の眉を顰めさせる程になり、反感を買い始めている。
数ヶ月前に起きたコロンナ家の反乱が大規模なものであったこともそれを象徴しており、ボニファティウス9世の権力に陰りが生じている証であった。
その焦りが今回の停戦要請に繋がったのだ。
彼がフィレンツェにくちばしを挟んできたのは、分かりやすい形の功績を欲してきただけであり、フィレンツェそのものへの執着は全く無い。
それよりも大きな報酬やこちらにかまけていられない程の危機が生じれば教皇はあっさり手を引くだろう。
そうガレアッツォは読んでいた。
そのために枢機卿会議のメンバーに金銭をばら撒き抱き込み、相手の内部を切り崩す。
そして、次にローマ市内の有力者にある噂を流した。

ナポリ王ラディスラーオが再び教皇領に侵攻して来る。今度は15000の軍勢らしい。

名目上のエルサレム王、シチリア王、プロヴァンス伯、ハンガリー王であるラディスラーオは若く野心家として知れ渡っている。
名実共にハンガリー王とならんとしたが事破れた彼は、次に教皇領に目を付け虎視眈々と狙っていた。
ガレアッツォはその野心を利用せんとしたのだ。


『我と汝とでイタリアを2つに分かち、北を我の南を汝のものとせん』


そういった主旨の打診を内々にラディスラーオに送りつける。
勿論、ガレアッツォはラディスラーオが南イタリアだけで満足するような人物であるとは思っていない。
また、ラディスラーオの方でも額面通りにガレアッツォの言を信じたりはしないだろう。
ラディスラーオはまだ24歳で血気に溢れており、領土獲得への執念は異常ともいえるほどだし、ガレアッツォはガレアッツォで「カエサルの再来」を自認する野心家である。
つまり、この打診は「遠友近攻という外交政策の基本から一先ずは手を結ぼうではないか」という休戦協定に近いものに過ぎないのだ。
ガレアッツォとしてはこの申し出によってラディスラーオの野心を刺激し、教皇領の後背を脅かしてくれるだけで十分であり、戦力的な期待は全くしていない。
ボニファティウス9世の優先度は一に教皇領であり、そこが危険に曝されればフィレンツェにちょっかいをかけるだけの余裕はなくなる。
そうなれば枢機卿会議に嗅がせた鼻薬によって停戦要請を有耶無耶なものに出来る、そうガレアッツォは踏んでいた。
そしてこの打診のいい所は、それが教皇の耳に入っただけでも効果があるという所にある。
ラディスラーオが乗ってこようが、こまいが、ガレアッツォにとっては関係ないのだ。



一方のラディスラーオはボニファティウス9世に北を向いていて貰いたい。
なるべく自分への警戒を薄くしてもらい、油断したところを一気に攻め込みたいのだ。
そのためには教皇の意識がフィレンツェにいっている今は絶好の機会であり、ガレアッツォの打診は教皇の意識をこちらに戻してしまう余計な事だった。
これもまた、ガレアッツォの狙いである。
ガレアッツォにとってみれば、南に野心ある若き国王がいることは好ましくない。
教皇領という防波堤が無くなって一番困るのは実はガレアッツォなのである。
つまりガレアッツォは、この打診によってナポリ王と教皇の対立を先鋭化させ、南の脅威を全て取り払おうとしたのだ。
そして、その目論見は成功した。

ナポリ王ラディスラーオ、イタリア中部に向けて進軍

ボニファティウス9世が迎撃態勢を整える前に、という意図の下ラディスラーオが電撃戦を仕掛けたのだ。
噂は現実になった。
これによってボニファティウス9世のフィレンツェ干渉計画は頓挫せざるを得なくなったのだ。
ボニファティウス9世にとってみれば、根拠地ローマを失っては元も子もないからだ。
こうしてガレアッツォは南の憂いを2つ同時に断ち切ったのだ。













「よいですか、殿下。ここで肝心なことは自分では直接手を下さずに利を得ていることです」


ラングは手でVの字を作りながらシャルルに今回の謀について説明する。
その仕草は彼の鉄面皮に全く合っておらず、どこかシュールだった。


「軍を動かせば金も掛かりますし、鍛えた兵を失えば訓練に要した時間が無駄になります。
 その点、今回のように噂と言葉だけで済む謀は実に経済的。
 邪魔をする敵と将来立ち塞がる仮想敵国を争わせることで両方の力を削ぎ落とすことができて一石二鳥です。
 謀をする以上、この一石二鳥の精神というのは大事ですね。
 一つの動きで幾つもの効果を狙う。
 無駄なく、効率的に。
 それが謀略の基本ですから」

「しかし、ラング。
 教皇猊下もナポリ王も自分達の動きが誰を利することになるか分かっている筈ではないか。
 それなのに何故動く?」


合理的ではない、そうシャルルは疑問をぶつける。
自分なら動かない。
そう思ったのだ。


「それは殿下が神が天空から見渡すように事象を客観的に見ているからです。
 謀とは外から見ると不合理で、引っ掛からなそうなものばかり。
 当事者にならねばその恐ろしさは分かりません。
 教皇猊下には焦りがあった。
 功績を狙ってフィレンツェに手を出したのに、そこをナポリ王に付け込まれては逆に失点になる。
 先の反乱を招いたことで猊下は信望を落としています。
 この上領地を失ったとあっては、その権威は地に落ちてしまう。
 そういった事情が猊下の視野を狭め、思考を鈍らせたのです」


ラングはそこで言葉を切ると、シャルルが咀嚼するのを待って更に解説を続けた。


「一方のナポリ王は、自分の動きがガレアッツォ様の思い通りのものであることは分かっている筈です。
 しかし、今の状況が教皇領に攻め込む絶好の機会であることも確かであることもナポリ王は理解しているでしょう。
 ならばそれが他者の思惑によるものでも、ナポリ王は敢えて果断な決断をして虎穴に入っていく。
 ガレアッツォ様はそう読んだのでしょう。
 何といってもナポリ王は若い。
 そういった無鉄砲ともいえる行動を取りやすいですから」


そう言ったラングは冷たく薄っすらと笑う。


「人の感情を利用してこそ謀。
 殿下は様々な経験をして、人というものを理解せねばなりません。
 感情は最大の敵であり、味方であることを肝に銘じて下さい。  
 焦りや恐怖、嫉妬といった負の感情は判断力を失わせます。
 勇気は行動の後押しをしてくれますが、容易く蛮勇へと変わります。
 感情を知ることは謀を仕掛けられるだけでなく、謀を防ぐことにも繋がるのです。
 というわけで、殿下。
 ボローニャ市内で上の下程度の貴族が不満を抱えているそうです。
 幸い高齢でいち亡くなってもおかしくはないのですが、周囲を煽って統治の邪魔になっております。
 この人物を何とかしたいですね」

 
イタリア各地で巨大な陰謀、小さな謀略、ちょっとした謀が行われている。
人と人の争いの中で最も密やかで恐ろしい戦い。
この日、シャルルはもう一つの戦場に身を躍らせた。







久し振りの主人公登場です。
そして、割とあっさり教皇を流しました。
どうだったでしょうか?
やはり戦記パートは三人称が書きやすいのですが、読みにくかったりしませんでしたか?
御意見、御感想、御批判をお寄せ下さい。



[8422] 外伝5.軍師~謀・その陰と陽~
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/07 22:19
ボローニャ戦において内応した大商人ヨブ・ポプランを通してシャルルはコロネ家の当主を陥れた。
ポプランは戦後もミラノ政府の手先となり、貴族の懐柔や切り崩し工作を担っていた。
彼はボローニャ有数の商人で、その人脈、能力、共に裏方として働くに十分なものを持っている。
ラングにそれとなくポプランを紹介されたシャルルは、コロネ家の次男ジョゼットを懐柔する。
父と兄である長男を排除する代わりに立身をを約束した。
ただでさえ将来の不安を抱える次男という立場であるのに、このままでは実家を取り潰され後ろ盾を失ってしまう。
そのジョゼットの未来を閉ざされる恐怖を利用し、父と長男を幽閉させる。
というのがシャルルの考えたシナリオであったが、事態はその斜め上をいってしまった。
穏便に済ませるつもりだったにも関わらず、ジョゼットは父と兄を殺害してしまったのだ。
どこにでもある権力闘争が一変、凄惨な殺戮劇となったコロネ家は醜聞に塗れて没落。
悲嘆に暮れたジョゼットは自害する。
こうして関係者全てを不幸のどん底に突き落としてシャルルの初謀略は終わった。













パーティーの席で群がる貴族に笑顔で応対するオレの気分は最悪だった。
コロネ家の思わぬ結末がオレの心に暗い影を落としていた。
まさかあのようなことになるとは思っていなかった。
そのような言い訳じみた思考が頭をよぎるほどに、今のオレの心は弱っている。
謀略で以って相手を殺してしまうのは、直接手を下すのとは別種の罪悪感があった。
もっと汚らわしく、罪深いような。
卑劣で、許されざる行いをしてしまったような。
オレの心にはコロネ家の結末を聞いたあの日から小さな棘が刺さり、終始苛んでいる。
はっきり言って向いていないののだろう。
自分だけが安全な高みにいて、他者を陥れる。
そういった謀略というものにオレはどうしようもない嫌悪感を抱いてしまったのだ。
こればかりは性質なのだからどうしようもない。
人には向き不向きがあり、オレには向いていなかった。
ただそれだけなのだが、現実問題としてはそれだけで済まされない。
ラングの言うように謀略は為政に不可欠だ。
だから、オレは割り切らなければならないのだろう。
それがどれほど難しいことでも……。


「シャルル殿下、御紹介したい者がおるのですが」


またか、そう思って声を掛けてきた方に振り向く。
今日だけで一体何人の人間を紹介されただろうか。
常ならばともかく、このように精神状態最悪なときは少々きつい。
それでも表情に笑みが張り付いているあたり自分でも大分貴族の世界に染まったな、と思う。
そんな自分がますます汚らしい存在な気がして、ますます憂鬱になりながら、オレは話しかけてきた老貴族に応対をすべく身構えた。


「これなるはロートブーム男爵家が四男フリッツ。
 将来有望な若者です。是非ともお引き立てのほどを」


老貴族が紹介した男は10代半ば程の青年だった。
痩せてガリガリの体に不健康そうな顔色をしているが、口元に浮かんだ微笑がその印象を柔らかなものにしている。
体の弱い文学少年といった風体だ。


「フリッツ・ロートブームと申します」


そう挨拶する姿にも品があった。
しかし……とても大成するような人物には見えない。
毒にも薬にもならない。
人が良さそうなのでよくて留守居役、下手をすれば一生閑職で終わるだろう。
中級貴族の家に生まれた長男でない者の将来は非常に不透明だ。
実家には新たな家を興してやれる程の力はなく、飼っていてやる程の財力もない。
だから彼等の多くは騎士となって、自らの未来を自らの力で切り開いていくことになる。
だが、見るからに体の弱いフリッツにはそれは無理な選択だったのだろう。
彼は文官として生きるため、オレに渡りをつけてもらったに違いない。
これはオレにとっても喜ばしいことだった。
正直オレが個人として持っている手駒は軍事力であるエンファントしかない。
確かに彼等の中には文官としても使える者もいるが、その本質は軍人。
文官としての専門教育を施されていない。
今後のことを考えた場合、専門職としての文官は何人か揃えたい。
ちょうどいい機会だ。フリッツを手許に置き、使えるように仕込むことにしよう。
このときのオレは目の前の青年のことをその程度にしか考えていなかった。


「シャルル・ド・ヴァロワだ。フリッツは幾つになるのか?」

「17になります」

「私のおよそ倍、生きているわけか。ならばおよそ倍の知識、経験を持っているといってもいい。
 愛読している書物も幾つかあることだろう。
 一冊、私に紹介してくれないだろうか」


ここで何を答えるかでフリッツの能力が分かる。
何を読んでいるか、と聞くということはフリッツに軍人の能力は期待していないという示唆。
それを感じ取ってどのようなアピールをするか。
もし軍記を答えるようなら残念ながらフリッツはそこまで使えない。


「ローマ法大全は非常に興味深いと思います。
 1000年も前の法ですが、統治の天才と呼ばれたローマ帝国の法。
 その完成度は十分参考になります」


オレの求めていた回答だ。
法を勉強している、というアピールは自分に求められるものをフリッツが理解している証。
だが、満点の回答ではない。
ローマ法大全は完成度は高い法典であるが、その分難解だ。
その内容はどうか、といった突っ込んだ事を聞かれて拙い回答を返した場合、却って失望を買う。
勿論、優れた答えを言えればそれは逆の結果となるが。


「ローマ法大全なら私も一通り読破した。どうだろう、向こうで私と語り合わないか」


オレはそのことを見越してフリッツが答えたのか気になり、彼と語り合うことにした。
いい拾い物をしたかもしれないと喜び、これで憂鬱も紛れると考えながら。
この時点でオレはフリッツの思惑に嵌まっていたのだ。













フリッツとの応答は謀略によって曇ったオレの心を紛らわせるに足るものだった。
彼の知識は17という年齢を考えると十分に深く、法への理解もかなり明るい。
頭の回転もかなり早く、話し相手を喜ばせる術も知っている。
オレは思わぬ知遇に頬を綻ばせていた。


「ところで殿下。先の謀は実に不細工なものでしたね」


最初、オレは何を言われたか分からなかった。
先程までの礼節にかなった態度からは考えられないフリッツの暴言。
更にオレの傷口を狙い撃ちするようなタイミング。
それによって生じたオレの意識の空白に付け込むように、フリッツは悪意を流し込む。


「少し頭が回る者なら、あの事件が誰によって仕組まれたものか分かるでしょう。
 コロネ家がミラノ政府に反逆していることは周知の事実。
 だが、その拙さからラング副総督の手によるものではありえません。
 ならばあの拙い謀は誰によるものか?
 副総督が謀を任せるとしたら誰か?
 コロネ家程度ならその結果がどう転ぼうが政府に傷が付くことはないでしょう。
 その事と今の殿下の御様子を考え合わせると自ずと答えが出てくる。
 コロネ家は殿下の練習台に使われた、と」


瞬間的にオレの心は沸騰した。
 

「無礼な!!」


そう怒鳴って杯の中身をかけ、席を立つ。
オレは逃げ出した。
フリッツに自分の罪を突き付けられたような気がして逃げたのだ。



不快なパーティーから数日。
平静を取り戻したオレは無礼を働いたフリッツを罰することよりも、彼が何故あのような行動を取ったのかが気になっていた。
あのときまでオレの中でのフリッツの印象は良好なものだった。
あのまま大人しくしていれば極めて良い条件でオレの下へ来ることが出来た筈なのだ。
利がない。
普通に考えて命を賭けるだけの価値があの言葉にはなかった。
オレはフリッツに以前以上の興味を抱き始めていた。


「フリッツ・ロートブームを呼んでくれ」


気が付けばオレは召使にそう言っていた。



召し出されたフリッツは以前とは全く異なる空気を纏っていた。
冷たく燃える炎のような矛盾した不気味さ。
痩せたガリガリの体に纏うオーラがフリッツを幽鬼のように見せる。
どこが文学少年なのか。
オレは自分の見る目の無さを罵った。


「お呼びがあると思っていましたよ」


初めてフリッツが発した言葉はそんなものだった。
わざとオレの神経を逆撫でするような。


「何故あのようなことを言った? 殺されるかもしれないのに」


オレの問いにフリッツは事も無げに答える。


「興味を持っていただけたでしょう。私に」


淡々とした様子が逆にその異常性を際立たせていた。
オレには理解できない考えだ。
リスクとリターンが釣り合っていない。
確かにオレはフリッツに個人的な興味を抱いたが、それはあくまで結果論。
オレの興味を引く、ただそれだけのために命を賭けたフリッツがオレの目には異質な何かに見えた。


「あの状況では身分という壁があって腹を割って話せなかった。
 でも今なら?
 今、殿下は無礼を承知で私と話しておられる。
 殺すなら私の話を聞いてからでも遅くはないでしょう?」


オレは無言で続きを促した。
命を賭けたフリッツの話に興味が湧いた。


「殿下に謀は向きません。
 たかが2人が死んだ程度で痛むような柔な心で何千の人が死ぬような国家間の巨大な絵図は描くことはできない。
 それどころか、海千山千の狐狸が巣食う宮廷でも生き残れるか怪しいものでしょう。
 殿下の持つ欠点。
 それが次期ミラノ公、次期オルレアン公として致命的なものであることは殿下もお分かりでしょう」


フリッツの言はオレも感じていたことだった。
この世界で上に立たんとする以上、謀略を使わざるを得ない。
それを理解しているからこそオレは、それを毛嫌いする自分に焦燥感を覚えていたのだ。
フリッツはその悩みを的確に突いて来た。


「謀の基本は情報。その収集と操作です。
 情報無くして謀を為そうなど、10万の軍勢に目隠しで突っ込むようなもの。
 此度の失敗、殿下は情報収集があまりお上手ではなかった」

フリッツは淡々と語る。
オレの未熟さを、オレの拙さを。


「殿下はポプランを通してコロネ家を陥れた。
 ポプランだけを通して。
 それは愚策。
 成否を他人に委ねてしまっている。
 今回の失敗、それはポプランが殿下の策謀を自分の都合のいいように利用したことが原因です。
 殿下はポプランに情報操作を任せるべきではなかった。
 策略とは仕掛けられた者にも周囲にも分からないように、密やかに進めるものです。
 それを第三者に委ねるなど愚の骨頂。
 正直言って、殿下にはセンスが御有りにならない」 


他人から、それも負の感情を抱いている相手から欠点を指摘されることほど不愉快なことはない。
オレは思わずフリッツの言葉に反発した。
ほとんど脊髄反射的に、深く考えることなく。
このときオレはフリッツが自分に無いものを持っている、ということを認め始めていたのだろう。
そのことがオレから平静を奪い、フリッツの掌の上で踊らされる結果を招いていた。


「待て。それは私がまだ謀に疎かっただけでセンスとは関係ないだろう」


オレの反論を聞いてフリッツは笑った。
無駄な足掻きをする虫けらを嘲笑うように冷たく、薄っすらと。
その笑みを見たオレは背筋が凍るのを感じる。
オレはフリッツに圧倒されていた。


「そうでしょうか?
 将来謀の大家となる者ならば、例えばミラノ公ならば初めての策謀でもそれを知っていたでしょう。
 謀は経験がものをいいますが、それ以上にセンスがものをいう。
 才無き殿下ではどれほど努力しようとミラノ公の頂には至れないでしょう」


ガレアッツォなら、あの稀代の謀略家ならばそうだろう。
フリッツの言葉には説得力があった。
その説得力の分オレの心を切り裂いていく。


「殿下の狙いは反抗勢力の弱体化だったはずです。
 そのために殿下が取った策が抵抗勢力の長、コロネ家の取り込みだった。
 悪くない策です。
 私から見れば生ぬるい気もしますが、悪くは無い。
 ですが、殿下の策は結果として失敗に終わっている。
 コロネ家は没落しましたが、派閥は無傷。それでは意味が無い」


では何故ポプランに任せたから失敗したのか、そう言ってフリッツは指を一本立てた。


「ポプランはコロネ家と同じ派閥でコロネ家に次ぐ力を持つサルール家と繋がりがあります。
 だからポプランはコロネ家の属する派閥に崩壊されたくなかった。
 それは商売相手であるサルール家の没落でもあるからです。
 そこでポプランは考えた。
 コロネ家が粛清ではなく醜聞によって没落したなら派閥に影響はない。 
 それどころかサルール家がより権勢を握ることが出来、結果として自分にも利益が出る。
 そう考えたポプランに利用された殿下の策はポプランの意に沿うような形に変質された。
 それでは殿下の狙った結果になるはずがありません。
 全く違う策に変わってしまっているのですから」


フリッツの言う通りだ。オレの失敗はオレ自身のミス。
情報収集を怠った結果がこの様だ。
オレの心はフリッツの言葉を認めていたが、表面にこびり付いた最後のプライドが抵抗を試みる。


「だが、ポプランはラングの紹介で……」


オレの足掻きを嘲笑うようにフリッツは頬を吊り上げた。


「だから殿下は謀に向かないというのですよ。
 何故、他人から与えられたものを鵜呑みにしてそのまま使おうとなさるのですか?
 ポプランを紹介したのは副総督の試練。
 手助けなどではありません」


そうだ、何故オレはラングの言うがままにポプランを使ったのか!?
常のオレ、独立の気概を持って事に望むオレの精神はどこに消えていたのか。
怯み。
忌避することをせねばならない、という心の竦みがオレを鈍らせたのだ。


「副総督はとにかく殿下を鍛えようとなさっているのでしょう。
 適正など関係なく。
 副総督の理想の君主、ミラノ公に近付けるために。
 ラング副総督の傾倒振りは有名ですからね。
 その行動自体は忠誠心の発露といっていいでしょう。
 だが、殿下とミラノ公は明らかに別のタイプです。
 意識しているかどうか知りませんが、副総督はその事実から目を逸らしている。
 殿下は謀に向かない。
 何故なら殿下は何所までも陽の人間だから」


フリッツは謳うように自身の言葉を締め括る。
その頃にはオレの心に敗北感のようなものが芽生えていた。
自分には無い、自分が求める才能を持っているフリッツへの嫉妬。
それによって失いかけた心の均衡を何とか保ちながらオレはフリッツに問いかけた。


「何故そのようなことを私に話した。命を賭けて私に謀の才が無いことを説いた御前の目的は何だ」


そう、今までのフリッツの話は本題ではない。
謂わば前口上。
本当に話したいことのための補強にすぎない。
オレが真に聞くべきはフリッツの本題だ。
だから無闇に心を揺らすべきではない。
冷静さを取り戻したオレは、未だ答えぬフリッツの目を覗き込みその真意を探ろうと試みる。
すると、濁った沼のように見通せなかったフリッツにかすかに光が浮かんだ。
この日初めてフリッツから感じた陽の気配に驚く。
そして、その驚きはフリッツが跪いて頭を垂れたことでますます大きくなった。


「殿下の幕下に私を加えていただきたい」


先日までオレは請われるまでもフリッツを配下とするつもりだった。
その感触はフリッツも感じていたはずで、オレの困惑はより強まる。
その疑問を問いかけると、フリッツは首を振りつつ答えた。


「あのままですでは殿下は私を一文官として扱われたことでしょう。
 それは私が望むことではなかった。
 私は軍師として仕えたいのです。
 戦略を廻らし、戦術を以って敵軍を追い散らす。
 謀略を廻らし、主に害なす者を引きずり落とす。
 主の影として生きる、それが私の望み。
 文官として仕えた場合、私の欲する仕事が出来るまでどれだけ待つことになるか分からない。
 あるいは一生望まぬ仕事をし続ける可能性もある。
 そんなことは嫌だった。
 だから賭けたのです。
 殿下相手に自分の命を代償として策を仕掛けた。
 軍師とは人の感情を操る者。
 その一端は殿下自身が御覧になったはずです。
 どうぞ私の才が御目に適わぬならばこの首をお落とし下さい。
 しかし、殿下が私に僅かでも才の片鱗を見出したのならば、軍師として御傍に置いていただきたい」


命を賭けた嘆願。
これ程の気概を持ってオレに相対した者はフリッツ以外にいなかった。


「命が惜しくないのか?」


死ぬ、ということへの恐怖。
一度経験したからであろうか。
オレはそれが人一倍強かった。
転生出来たのだからどうせ死んでも次があるじゃないか、そう思う者もいるだろう。
だが、自分が消えていくようなあの感覚を味わったならばそんな科白を吐けるはずがない。
だからオレにはフリッツの考えが理解できなかった。
何故あえて死に近付こうとするのか。


「望まぬ環境に身を置き、停滞した生は死と同義。
 それならば危険を冒してでも本懐に手を掛けるべきです。
 それで命を落としたならば私に見る目が無かっただけのこと」


考え方がオレとは全く異なっている。
オレはますますフリッツに興味が湧いてきた。


「何故、私なのだ?
 御前は何人もの候補を用意していたはずだ。その中から何故私を選んだ」


要するにフリッツは芸術家肌の人間なのだろう。
自分の仕事を披露する場、何の遠慮もなく能力を発揮できる環境を何よりも欲している。
そんな人間が深い思慮もなく一点賭けするなどあり得ない。
相当数の中から選びぬいたはずだ。
だから何故自分なのか分からない。
確かにオレは自分でもなかなか上手くやっているし、その自負もある。
しかし、それでもまだ子供。
持っている力は全て借り物に過ぎない。
だからこそ側近が少ないという利点があるが、同じような条件の者は幾らでもいる。
何故オレなのか。
その答えを聞けば、フリッツの思考を更に深く理解できる気がする。


「殿下が歪だからです。
 貴方の才は陽のものに偏っている。
 異質ともいえる発想力と人を惹きつける風靡の才。
 失敗を恐れぬ決断力と成功を支える行動力。
 これらはどれも得難き資質です。
 ですが、人を圧する狂気と恐れさせる冷酷さ、人を陥れる才能とそれを悪びれない心。
 殿下にはそういった云わば陰の才が欠けておられる。
 もし殿下が世界に影響を与えることもなく、覇を唱えることもない凡百の者であるならばそれで十分でしょう。
 しかし、殿下のようなお立場におられるならばそういいわけにはいかない。
 必ず後ろ暗い陰の働きが必要になる。
 今回の事で殿下はそれを学び、謀略の大切さと苦労をお知りになられたはずです。
 なればこそ私の有用性、私の価値も正確に評価いただけるでしょう。
 私は殿下の影となり、殿下の欠けた部分を補いたいのです」


フリッツの求めている立場はオレの右腕だ。
生半可な者を据えられる様な位置ではない。
だが、今まで見た限りフリッツは確かにオレに無いもの、オレが求めているものを備えている。
それに為政者はときに苦い言葉を吐く者を傍に置くべきである、と古くから言われている。
オレはフリッツを好きになれそうにない。
先日の言による怒りも未だ胸の中に燻っている。
しかし、そういったことを押し殺してでもフリッツのような者は抱えておくべきだと思う。
オレの心は決まった。


「よかろう。フリッツ・ロートブーム、御前を我が幕下に加える。存分に働き、その力を示せ」


オレの言葉にフリッツは叩頭して応えた。
それを見ながらオレは一つ気になっていたことを尋ねた。


「ところで私の他に候補に挙がっていたのは誰なのだ?」


フリッツが仕えるに足る、と判断した人物。
その名を聞いておくことは何らかの役に立つだろう。


「私は下級貴族の出です。
 普通に生きていては私の望みは叶わないことは分かっていました。
 だから私は父に与えられた僅かな金を増やし、それを元手に情報を集めました。
 私の理想の主を探すために。
 求めた条件は3つ。
 若年であること。
 出自に関らず人を使う度量があること。
 仕えるに足るだけの才を持っていること。
 殿下がお考えになっているよりもこの条件はずっと厳しいのです。
 条件を満たした者はたった2人しかいませんでした」


2人ということはオレ以外にあと1人しかいなかったということだ。
オレはますますその人物を知りたくなった。

 
「1人は無論、殿下。
 もう1人はイングランドの王子。プリンス・オブ・ウェールズです」


イングランドの王子。
つまり、将来干戈を交える可能性の高い人物ということだ。


「プリンス・オブ・ウェールズは一言で言うと完璧な人物です。
 豊かな知性、強靭な肉体、揺ぎ無い心、その年齢からは想像も出来ない卓越した政治力。
 彼は君主として求められる資質を全て兼ね備えていました。
 だからこそ私は彼に仕えたる気がしなかった。
 彼の下では如何なる者も輝かない。
 主が完璧であるが故に補う所も、支える甲斐も無い。
 これほど悲しいことはありません。
 だから私は殿下を選んだのです。
 完璧なプリンス・オブ・ウェールズよりも歪な殿下を。
 主を支え、高みまで押し上げる。
 それこそが軍師の本懐である、と私は考えておりますので」


フリッツの言葉を聞きながら、オレは心に沸き立った感情と戦っていた。
プリンス・オブ・ウェールズという名に言い知れぬ不安を覚えたのだ。
得体の知れない怪物の名を聞いたような感覚。
それは予感だった。
その男が巨大な敵となって立ち塞がるであろう、という予感。
然もあろう。
他ならぬプリンス・オブ・ウェールズこそ史上最も偉大なイングランド王ヘンリー5世、後にオレの最大の宿敵となる男だったのだ。
オレが彼の名を聞いた最初の瞬間だった。






覇業に軍師は付き物、ということで軍師をやっと出せました。
オリキャラですが。
しかし官兵衛と半兵衛を足して2で割った感じのキャラになってしまったような……。
個人的なイメージは名前のまんまなのですが、どうだったでしょうか?
御意見、御感想、御批判をお寄せ下さい。



[8422] 大乱の幕開け
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/07 22:18
フィレンツェの打ち手はガレアッツォによって即座に無効化された。
しかし、その事実はジョヴァンニをなんら打ちのめすものではない。
教皇は時間稼ぎに過ぎなかったからだ。
ジョヴァンニは教皇が使い物にならないと判断した瞬間、そこに注ぎ込んでいた金銭を即座に転換し、戦力の確保に充てた。
まず、大規模な募兵を行って兵力を増やす。
そして、傭兵都市ウルビーノの支配者アントニオ・モンテフェルトロを将として迎え入れた。
今のフィレンツェは金があっても人がいない。
それがジョヴァンニを最も悩ませるものだった。
この時代、軍の強さは指揮する者の力量に大きく依存していた。
極端な話ではなく、軍が一個の生命となるか烏合の衆になるかは頭の存在に依っていたのだ。
貴族は兵士であり指揮官でもある。
フィレンツェはその貴族を軒並み殺してしまったのだ。
指揮官不足に悩むことは必然であった。
防衛の要を担っているのは、そこ等の鍛冶屋の親方やパン屋の亭主などである。
彼等が戦闘の訓練等を受けたことがあるはずもなく、武器の扱いに習熟しているはずもない。
先の戦いの際に雇っていた傭兵隊長はまだ残っていたが、どう贔屓目に見ても二流の上の男で、ミラノとの戦を任せるには不安が残る。
はっきり言って、今のフィレンツェ軍の戦力は最盛期の半分以下といってもよい程であった。
だが、歴戦の将ウルビーノ伯が加わるならば状況は好転する。
少なくとも、坐して死を待つ身から戦って勝ちを見据える身になることができるのだ。
ジョヴァンニは三顧の礼の気持ちでウルビーノ伯をかき口説くべく手紙を送った。
そして、決死の覚悟のジョヴァンニの思いからすれば実にあっさりとウルビーノ伯は参戦を了承する。
停戦状態のため手出しができないミラノ軍の勢力圏を通って悠々とウルビーノ傭兵隊1600はフィレンツェ入りしたのである。


「よくぞ来て頂いたウルビーノ伯。いや、ありがたい。ありがたい」


ジョヴァンニは集団の先頭に駆け寄ると、涙を流さんばかりに礼を言った。
その馬上の偉丈夫こそ傭兵都市の支配者、ウルビーノ伯アントニオ・モンテフェルトロだ。
御年38歳。
体力も充実し、経験も十分に積んだ脂ののりきった年齢である。
彼を彼たらしめている最大の特徴は、矢張りその出生からくる凄みであろう。
都市国家そのものが巨大な傭兵組織であるウルビーノ。
その当主として生を受けた生粋の傭兵である。
灰汁の強い彼等を纏め上げてきたその血筋に備わる独特の風格がアントニオにはあった。
アントニオ率いる兵が歩を進めるにつれてフィレンツェ市民からの歓迎の声が高まる。
この日のためジョヴァンニは市民に対して盛んに助力者ウルビーノの喧伝を行っていた。
暴発的粛清が行われたフィレンツェは極度に排他的な性格になっていたからだ。
それだけでなく、血の味を覚えたことで暴力的にもなっている。
支配者層を打ち倒したという自信が全能感にも似た錯覚を生じさせていたのだ。
そのためジョヴァンニは今まで対外折衝よりも内部の調整に比重を置かねばならなかった。
そして、今回フィレンツェを完全に掌握してやっと外部から助力を招き入れることができたのだ。


「頭をお上げくだされ。我輩達は雇われれば誰とでも戦う。感謝される云われは御座らん」


強大なミラノを恐れぬアントニオの言葉にフィレンツェの市民はますます尊敬の念を強める。
ミラノ軍の威容を目の当たりにした分、それを何とも思っていないかのようなアントニオは彼等の目に殊の外頼もしげに映ったのだ。
こうして頭を失っていた蛇はより強大な牙を備えて復活した。
フィレンツェの対ミラノ態勢は完全に整ったのだ。






歓呼の声で迎えられたアントニオは市民に手を振り、顔見せを終えるとジョヴァンニに招かれ、市庁舎へと向かった。
ジョヴァンニはワインを開けると自ら先に杯を煽り、同じ杯に再度注いでアントニオに差し出した。
アントニオもそれを受け取って一気に飲み干す。
そして、先程のやり取りについて互いに礼を言い合った。


「茶番劇に付き合ってもらい助かりました」

「必要なことだった。気にするな。こちらも気遣ってもらって助かる」


そう、アントニオの堂々たる態度もジョヴァンニの感激も全ては演出だった。
アントニオが如何に優れていても兵が言うことを聞いてくれなければその力を発揮することはできない。
そのため市民にはっきりとアントニオの存在を知らしめ、リーダーとして認めさせる必要があったのだ。


「こちらこそ1600しか連れて来れず申し訳ない。済まぬがこれが精一杯なのだ」


勿論、ウルビーノの動員兵力はその10倍以上はある。
傭兵都市の異名は伊達ではないのだ。
しかし、アントニオとしてはフィレンツェと運命まで共にするつもりは毛頭なかった。
イタリア半島の情勢を考えれば防衛力を残していくことは当然であるし、敗戦まで見据えて戦力を残しておく必要があった。
息子のグイダントニオは都市に置いてきたし、経験豊富な古参兵や実力者も殆んど残してきている。
その代わりとして当主であるアントニオ自ら参戦したのだ。


「いえいえ、私が求めているのは優秀な指揮官。ウルビーノ伯にさえ来て頂ければ文句などあろうはずもありません」


ジョヴァンニとてアントニオの事情は察しているし、その思惑も当然のことと思っている。
両者は一時的に手を結んだだけで、本来味方同士でも何でも無いのだ。
互いにはそれぞれ求める利益があり、抱える事情があり、描いている思惑がある。
それは商人であるジョヴァンニにとって当然の常識であった。


「さて、確認しよう。先の戦でフィレンツェが用意した傭兵の数は11000、貴族の私兵が合わせて5000。
 そして粛清の際失われた兵と新規に雇い入れた兵を換算すると、兵の数は全部で約19000。これは間違い御座らぬな」


戦いをする上で、己を知ることは敵を知る以上に重要なことだ。
アントニオはその確認を疎かにするほど愚か者ではなかった。


「えぇ。それに戦える市民を加えれば軽く40000はいくでしょう」


ジョヴァンニの言葉にアントニオは首を振って答える。


「市民兵は防衛戦にしか使えぬ。だが、城壁がそこまで堅固ではないこの都市では防衛戦を強いられた段階で詰みだ。
 我々が取れる手段は野戦しかないのだ。
 だから市民を戦力に数えることはできぬ。野戦では邪魔にしかならない」


戦闘のプロではないジョヴァンニはアントニオの意見を聞き入れるしかなかった。
市民の前ではあのように振舞ったが、アントニオはミラノの力を決して見縊ってはいない。
十数年も征服活動を続けてきたミラノ軍の兵士は何れも歴戦の強者揃い。指揮官にも粒が揃っている。
現在トスカーナで最強の軍であることは間違いないのだ。


「まぁ、戦争は我輩に任せておけ。貴殿は外交でミラノを圧迫することのみ考えておけばよい」


アントニオはその最強の軍を迎え撃つことをあっさりと了承した。
その背景には矢張りアントニオの打算が働いている。
フィレンツェが落ちた場合ウルビーノが征服されるのは時間の問題となるだろう、そうアントニオは読んでいた。
だが、現状トスカーナ地方でミラノに抗い続けることができるのはフィレンツェだけであり、今回の危機を乗り越えれば均衡状態が作り出される、とも思っている。
そういった状態こそが傭兵都市が望む稼ぎ時で、アントニオの理想はその状態を作り出すことであった。
しかし、物事は何もかも上手くいくとは限らない。
フィレンツェが敗北した先のことも考えねばならないのだ。
今回の戦でミラノが勝った場合、アントニオは息子に条件付で降るように言い含めていた。
その条件とはウンビーノ軍を解体することなくミラノ軍に組み込むこと。
要するにミラノ公国内の一派閥としてモンテフェルトロ家を存続させようという魂胆であった。
つまり今回の参戦はミラノ公国への掣肘であり、ウルビーノ軍の売り込みでもあるのだ。
ここでアントニオが奮戦すればするほど後の降伏の価値が上がり、条件を呑んでもらえる可能性が上がる。
合理主義であるガレアッツォならば必ず無傷で戦力を確保できる選択を選ぶはずとアントニオは読んでいた。
フィレンツェにおける戦はアントニオ・モンテフェルトロにとっても一家の存亡を賭けた戦いであるのだ。













傍から見ればウルビーノ傭兵隊の通過を歯軋りして見逃したように思われるミラノ軍であったが、その内情は正反対であった。


「好きにやらせておけ」


ガレアッツォにも兵士達にもそう言って笑っていられるだけの余裕があった。
その態度を諫める者もいたが、ガレアッツォは泰然としたまま平然と答えるのみである。


「真の強者は如何なる時も慌てず、どっしりと構えているものだ。悪戯に騒げばフィレンツェの思うつぼぞ」


一見、油断とも取れるこのガレアッツォの態度は実は政治的判断によるブラフである。
フィレンツェがどう足掻こうと、トスカーナの覇権を巡る今回の騒乱、その軍配がミラノ公国に上がっていることは明白な事実だ。
雌雄が決したというわけではないがそれも時間の問題であろう、という認識を持っていることは決して単なる驕りではない。
少なくとも世間は今のミラノ公国をそのような目で見ていたからだ。
事実、トスカーナ地方全体でガレアッツォが支配者であるという空気が流れ始めており、今まで距離を置いていた者や反抗的だった者がその態度を翻しつつあるという現象が起きている。
こういった気運は統治がスムーズに進む、というメリットがあると同時に、行動を縛られるというデメリットがあった。
もし、ここでガレアッツォがフィレンツェの動向にいちいち反応するような行動をした場合、世間はフィレンツェにまだ勝利の目が残されていると見做すだろう。
そうなればフィレンツェに助力しようとする者が必ず出て来る。
沈み行く泥舟に手を貸す行為は非常にリスキーだが、リターンも大きい。
世の中には、そういったギャンブルを好んでやる酔狂な者が居るものなのだ。
予測される事態はそれだけではない。
そういったガレアッツォの態度を弱気や焦りと見て、好機とばかりに攻めかかってくる輩が湧いてくる可能性もある。
多方面作戦を出来ないわけではないが、戦力の一極集中が定石である以上、そのような事態は避けたいところだった。
そういった訳で、今のガレアッツォは勝利を手中に収めた者としての対応を取らざるを得ないのだ。
だからといって、彼の余裕が全くの偽りであるわけではない。
フィレンツェがどのような策を取ろうと勝ちは動かない、いや動かさせない。
そういった自負、自信をガレアッツォが抱いていることもまた事実であった。
そんなガレアッツォの心中を遠くボローニャから見通し、シャルルに語った者がいた。
軍師フリッツである。


「……斯様な次第でミラノ公は動くに動けない状況にあるわけです。
 実より名を取った、ということですね」


フリッツは知れば知るほど不思議な青年であった。
一体どんな人生を歩めばこれ程まで人という種族を理解できるのか。
彼は人の単体としての分析に長け、集団としての性質を把握し、国柄としての性格を熟知していた。
必要以上に自分を知られるということは不愉快なものである。
それゆえ、フリッツは多くの者から嫌悪されていたが、それを全く気にすることは無く、むしろそんな状況を故意に作り出しているかのようであった。
謎めいていてフリッツを理解できない、という点では主たるシャルルも同じ立場にある。
そして、多くの者がそうしたようにシャルルもその来歴を尋ねるのだが、微笑の壁と巧みな話術によって話を逸らされるばかりだった。
フリッツの話の転換は、シャルルが懸念していることや疑問に感じていることの解説であるため、シャルルとしても話題を変えざるを得ないのだ。
しかし、その背景の不透明さを除けば、フリッツは忠誠心も能力も群を抜いている。
自害しろ、と言われれば躊躇いも無く実行するほどの滅私振りは誰もが悔しがりつつも認めるところであった。


「このような対応は、実利に比重を置く殿下には不合理なものに見えるかもしれません。
 しかし、名声というものは殿下が考えている以上に重要であるということは覚えておいて下さい」


ちくり、と針で刺すようなフリッツの物言いに顔を顰めながらシャルルは反論した。


「私も名を高めることの大切さは理解している」


命を惜しむな、名を惜しめ。
近代以前、どこの地域であろうと人々の根底にその考えがあった。
シャルルにだけあるもの、それのせいでシャルルにだけ無いもの。
それが名声の重要性を理解する、という段階で止めてしまっていた。
実感していないのだ。


「だから殿下は歪だというのです。
 騎士の教育も受けている筈ですのに何故そうなられたのか興味は尽きませんな。
 まぁ、だからこそ仕え甲斐があるというものでもあるわけですが」


そう言ってうっすらと笑ったフリッツは、息を吸い込んで背筋を伸ばす。
これは彼が独自の人間学を語りだす際の癖だった。


「よいですか」


抑揚の無い淡々とした、それでいて奇妙に心地よい声音にシャルルはまたか、というように溜息を吐いた。
フリッツの話はどれも為になるし、シャルルと全く違う感性から見られた世界の話は大変興味深い。
だが、その興味も時折話を聞けばのこと。
フリッツには少々、いやかなり説明好きの性格をしているという欠点があった。
毎食どころか間食にまでこってりとしたステーキを出されれば、誰だってうんざりとした気分になるというものだ。


「名声は力です。
 信頼、恐怖、尊敬、侮蔑、好悪。
 ありとあらゆる感情を人に抱かせる純粋な力の塊、それが名声というものの正体です。
 戦において敵に倍する兵数を誇りながら、高名な武将の突撃によって雑兵が恐慌状態に陥り敗北してしまう。
 誰も寄せ付けぬ権勢を握りながら、思わぬ醜聞が漏れ出たことによって信望を失い、凋落してしまう。
 このように名声は時勢を動かす強力な力となります。
 それを知識として知っているから、殿下は理解していると仰られた」


そこまで話すとフリッツはちらり、とシャルルの方に目をやった。
これは聞き手の理解を確認しているのだ。
この細かい気配りが、聞き手にフリッツの話を興味深いと思わせる秘訣であり、シャルルを悩ませる種であった。
聞き流していると、フリッツの話が際限なく長くなっていくのだ。
それが嫌なら、否が応にも耳を傾けなくてはならない。
そのことを学習したシャルルは、フリッツが語り出したらどんなときでも真剣に聞くことにしていた。
 

「人は他人を見るときにフィルターを通して見ます。
 肩書き、容姿、性別、声望。
 そういったものによって本質を歪められているのです。
 だから不必要に怯えたり、逆に蔑んだりする。
 それは仕方のないで、重要なことではありません。
 大切なことは、自分が人と接するときに無意識にそうしていることを知ることなのです」


フリッツの人間学はこの時代の数世紀先をいく異端の考えである。
だが、それは数世紀先の人間であるシャルルには実に馴染み深いものだった。


「かつて出会ったミンの老人は言いました。
 ソーンス曰く、敵を知り己を知れば百戦危うべからず。
 これはキリストが生まれるよりもはるか昔、2000年も前の偉人の言葉だそうです。
 中々深い言葉だと思いませんか。
 己を知る。
 それは自分に何が足りないのか。今やるべきことは何なのかを知るということです」


微妙に間違っている、シャルルはそう突っ込みたいところを必死で堪えた。
ここは真面目な所、真面目な所、と自分を落ち着かせる。
だが、およそ10年振りに聞いた懐かしい言葉はシャルルの笑いのツボを意外な程に刺激した。


「……殿下?」

「――ック。孫子だ」

「何ですか?」


シャルルは笑いを噛み締めながら訂正したが、フリッツには聞き取れなかったようだ。


「だから、ソーンスじゃなくて孫子だ」


完璧とも思えたフリッツの間違いが妙に可笑しく、またそこに人間味を感じてシャルルはついに爆笑した。
ミラノに来てから初めての感情の決壊。
それは止めようとしても止められない。
思わぬ失態にフリッツの頬が微かに羞恥で染まる。
その年齢相応な様子がますます可笑しかった。


「そのように他人の失態を笑うことは礼儀に反すると思うのですが」


鉄面皮の奥から憮然とした表情を覗かせているのを見たシャルルは、フリッツも人間であるということをようやく理解した。


「御前もそのように感情を露わにすれば敵が減るだろうに」


そう、ちょうど今のシャルルがそうであるかのように。
完璧である、ということは他人との間に想像以上に厚い壁を作っている。
ところが、少しでも疵があると分かれば途端に親近感が湧くものだ。
不思議なことだが、人間にはそういった性質がある。
しかし、シャルルの忠告をフリッツは跳ね除けた。


「軍師は嫌われるのが仕事ですので。
 私が嫌われていれば、殿下がどんなに残酷な決断をしてもどんなに残酷な策を用いても、その非難を私のせいにできます。
 だから私は嫌われているべきなのです」


それは人を陥れる以上非難は全て受け入れるべき、というフリッツの信念であった。


「話が反れましたな。そう、声望の怖さを知り―――」


気を取り直し、話を続けようとするフリッツをシャルルは遮る。


「いや、もういい。
 つまり、御前はこう言いたいんだろう。
 未だ何の権限も持たない私ができることは、名声を獲得して近隣諸国に轟かせること。
 そして、それを実行するのに今の情勢は絶好の機会である、と」


説明を遮られたフリッツは少々残念そうな素振りを見せつつ、シャルルの言葉を肯定した。


「その通りです。
 フィレンツェとの戦はミラノ公が前面に押し出てきているにため、活躍の機会は無いでしょう。
 殿下が狙うべきなのは戦後です。
 フェラーラのニッコロ3世デステ、マントヴァのフランチェスコ1世ゴンザーガ、パドヴァのフランチェスコ・カッラーラ。
 フィレンツェを飲み込んだ後、必ずこの3者との対立が先鋭化するはずです。
 特にパドヴァはミラノと長きに渡って争ってきた経緯があるため、敵意も強い。
 そのため、ミラノ公も次の征服先として考えていることでしょう。
 そしてその際、前線基地となるのは地理的にも機能的にも、ここボローニャでまず間違いありません。
 それはラング副総督も御承知のはず。
 恐らく副総督がここに赴任なされた理由の一つに次の戦の準備というものもあるのでしょう」


パドヴァはミラノの勢力圏から見て、マントヴァとフェラーラを挟んだ所に位置している。
その都合上、パドヴァと事を構える場合は両国のどちらかを抑える必要があった。
そして、ボローニャはフェラーラの目と鼻の先にある。
ボローニャが次の戦で重要な役割を果たすのは確実であった。

 
「そして、そのボローニャの総督は私。
 つまり、私は前線都市の総責任者となるわけか。
 なるほど、功績を稼ぎ名を轟かせるにはいい機会だな」


シャルルは訪れた幸運に奮い立つような笑みを浮かべた。
まるでお膳立てられたような展開。
その裏にはガレアッツォの意向が働いているのは明らかだった。
それはシャルルが期待されている証拠でもある。
喜ばないはずが無い。
その様子を満足気に眺めたフリッツは更に意見を具申した。


「尽きましては、その戦のための戦略を練っておくべきかと。モルト様をお呼びし、近々話し合うべきでしょう」


その提案にシャルルも頷く。
これで一つの話題は終わった。
フリッツの話は次の案件に移る。
それは先程とは違って、あまり喜ばしくないものだった。


「神聖ローマがきな臭いです」


神聖ローマ帝国出身であるフリッツは、帝国内にそれなりの情報網を持っている。
それはフリッツが元々国内の者であるため形成された、ガレアッツォとはまた違ったルートのものだ。
そのため、フリッツはヴェネツィアやバイエルン公の情報防衛を潜り抜け、騒乱の気配を感じ取ることが出来た。
皇帝廃位という一大事は、国外はともかく国内に完全に隠し通すことはできない。
特に今回のように諸侯内の不満を利用する交代劇は根回しが重要となるため、多くの者の耳にその話が入ることになるのは必然であった。
その立ち昇った煙がフリッツの情報網に引っかかったのだった。


「きな臭い、とは?」


シャルルが問い返すと、フリッツは申し訳なさそうに答えた。
不確定な情報を伝えねばならない、ということはあまり気持ちのいいものではなかったからだ。
しかし、その重要性を考えれば伝えないわけにはいかない。


「どうも最近、帝国内の情報が押さえつけられている印象があります。
 貴族間の動きが活発な割には妙に静かですし、どうも一波乱起こりそうな気がしてなりません。
 その場合、こちらもある程度の影響を受けることになるでしょう。
 御指示があれば、向こうに目を光らせておきますが」


シャルルは僅かに考え込んで、一応監視をしておくように言った。
処置をしないよりはいいだろう、そんな安直な発想であったが、これが功を奏すことになる。
そもそも情報が隠し切れない段階まできたということは、根回しが大分終わっているということだ。
つまり、この時点でヴェネツィアの計画は最終段階まで進んでいたのだ。
シャルルの下に皇帝廃位の報が届くのは、その僅か12日後のことである。
ヨーロッパに走る激震。
それは中央ヨーロッパ全土を巻き込む戦乱の幕開けであった。








----後書き----

腰を痛めてしまい、パソコンの前に座ることさえ出来ない日々。
そのため、更新が遅れてしまいました。
皆様も運動不足を甘く見ないでください。
そろそろ地図がないと理解できない物語になってきた気がします。
努力はしていますが、ネットで地図を開きながら見ていただけるとより理解しやすいと思います。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしています。

今回、後書きはわかりやすく分けてくれというご要望があり、このような形にしました。
不満があった場合は出来るだけ応えたいと思いますので、御遠慮なさらずにお申し付け下さい。




[8422] 皇帝廃位
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/19 14:07
その報を総督室で受けたとき、シャルルが最初に思ったのは嘘だ、という疑いの念であった。
それ程までにその報せは突拍子も無いもので、予想だにしていないものだった。


「……誠なのか?」


虚偽であれば許さない、そんな圧力を込めてシャルルはフリッツを睨みつける。
そこには嘘であって欲しい、という気持ちも少なからずあった。
しかし、フリッツは無情な現実を突きつける。


「複数の経路から齎された情報に御座いますし、状況もこの情報が真であることを示しております。
 間違いありません。
 神聖ローマ皇帝ヴェンツェルは廃位させられました。
 新たに皇帝の座に昇るであろう人物はライン宮中伯であるバイエルン公とのことです」


至尊の地位にある筈の皇帝が、その地位から力尽くで引き摺り下ろされる。
それは力無きは罪、というこの時代を象徴しているかのようだった。


「直ちにラングを呼べ。通信兵もだ。時は一刻を争うぞ、急げ!!」


シャルルの号令が下り、召使が慌てて主命を果たさんと走り出す。
その様子を意識の外で眺めながら、シャルルは事態の変遷に思考を巡らせた。






報せを受けたラングは大急ぎで執務室に訪れた。
その顔には隠しきれない動揺が浮かんでいる。
ラングの顔色を変えずにいられない程、皇帝廃位という事態は重いのだ。


「詳しい説明を願います」


ラングは手短にそう切り出した。
誠であれば直ちにガレアッツォに報せ、その判断を仰がなくてはならない。
だが、もし情報が偽りであった場合、その罪はラングの首どころでは済まされない。
値千金の情報だけに、扱いには慎重を要した。
迅速に、されど精確に。
情報を扱うということは、背反する二つの要素を両立させねばならないのだ。


「この報を届けてくれた者は私が以前から懇意にしている帝国北部の貴族、それと西部に拠点を置いている商会、それと帝国内を巡回している行商人です。
 何れも信頼できる者ばかりですし、誤情報を流して益を得る立場にもいません。
 また、市場の動きも情報の正確性を裏付けています。
 ここ数ヶ月の間に帝国領域内、それもバイエルン公の本拠地である南部において釘の価格が高騰しているそうです。
 軍備の増強をしていることは間違いないかと」


フリッツの語る帝国内の情報からラングは事態が最悪の方向に動いていることを悟った。


「これは……、来るかもしれませんね」


難しい顔色で呟いたラングにシャルルも頷く。


「あぁ。可能性は決して低くない」


バイエルン公ループレヒトが新たに皇帝として立つために絶対必要なことが一つある。
それがローマ教皇からの戴冠であった。
皇帝が皇帝として立つためにはローマ教皇の手によって直接戴冠させられなければならない。
それが800年カール大帝が当時の教皇レオ3世によってローマ皇帝となって以来の伝統であり、名目上キリスト世界全体の支配者となる論拠であるからだ。
だから、ループレヒトはローマまで行かなくてはならない。
問題はどう行くか、なのだ。
前皇帝ヴェンツェルが強制的に廃位させられたことによって、皇帝の権威は傷付いている。
至尊の地位は偽りのものに過ぎない、とループレヒトが示してしまったのだ。
その傷を糊塗する方法は一つしかない。
皇帝の権威は揺るがない。廃位させられたのはヴェンツェル個人に問題があっただけなのだ。
その証拠に自分が皇帝となって、その権威は高まっているではないか。
そう主張できるだけの成果を出すことだ。
そして、それは戦果しかない。
ドイツ諸侯のヴァンツェルへの不満、周辺国への消極的姿勢を利用したループレヒトは自分はそうではないと示さなくてはならないからだ。
そういった状況を認識し、互いに共有したシャルルとラングはそれぞれの為すべきことをすべく動き出した。


「殿下は通信兵に指示を出し、ガレアッツォ様の御指示を仰いで下さい」

「では、ラングは防衛のための準備を頼む」


互いの仕事を確認して、部下に指示を出す。
神聖ローマ帝国の求める戦果。
それがミラノ公国とは限らなくとも、備えなくてはならない。
ローマに行くためにはミラノ公国の領域内を通過しなくてはならないのだ。
前皇帝ヴェンツェルはミラノの同盟者であった。
しかし、次の皇帝もそうなるとは限らない。
用心するに如くは無いのだ。
こうして、ミラノ公国は新たな潜在的脅威を抱えることになった。
戦乱は次なる段階へと移ったのだ。













その書簡を受け取ったジョヴァンニは歓喜の渦が心に巻き起こるのを抑えきれないでいた。
待ちに待った起死回生の機会が訪れたのだ。
両手に宝物を抱えるようにして、アントニオの下に向かうジョヴァンニの表情はここ数ヶ月で一番明るいものだった。


「お喜び下さい、ウルビーノ伯。帝国で政変が起こりました。
 これで予てからの約定通りヴェネツィアと帝国の軍がミラノに襲い掛かることになりますぞ」

「おぉ、誠か!? それは重畳」

「これで勝利の芽が出て参りました。ここが頑張りどころですな」


ジョヴァンニとアントニオは吉報を喜び合う。
頼もしい援軍の到来である。
喜色を露わにしてしまっても無理はなかった。
一流の商人であるジョヴァンニは、フリッツに先んじて市場の変化を感じ取っていた。
何かある。
そう見越して動乱前から神聖ローマ帝国の政治に目を光らせていたのだ。
政変には巨額の金銭が動く。
それもその動きを察しているかいないかが商会の浮沈に関るほどの額の金銭が。
ジョヴァンニは当然の事として帝国に注意を払っており、それが今回功を奏したのだ。


「ところで、ヴェネツィアにはちゃんと言い含めておるのであろうな?
 援軍が第二の敵となっては目も当てられぬぞ」


アントニオが当然の懸念を口にする。


「いえ、それはないでしょう。
 皇帝にはヴェネツィアを通して既に恭順の意思を示しておりますし、遠征費用の一部を肩代わりする約定も結んでいます。
 そして、その見返りとして自治権を頂けるという書状も手にしました。
 勿論ある程度の束縛はあるでしょうが、それでも滅亡するよりはずっといい」


そう言ったジョヴァンニは先程とは別の書状を懐から取り出し、アントニオに見せた。
それには確かにループレヒトのサインが描かれている。
だが、確かな証を見せられてもアントニオの疑念は晴れなかった。
アントニオの目的、勢力の拮抗状態を作り出すためにはフィレンツェに一勢力として周囲に認められるだけの力が無くてはならない。
そのためには例え援軍でも警戒しないわけにはいかなかった。


「しかし、代々の神聖ローマ皇帝はイタリア支配の野望に取り付かれておった。
 そのために幾度もイタリアに遠征を行ってきたし、教皇と対立したことも少なくない。
 その野心を新皇帝となるループレヒトも抱いておるのではないか?
 少なくとも手放しで歓迎するわけにはいかんだろう」


神聖ローマ皇帝はドイツ王、ブルグント王、イタリア王を兼務している。
当然これは名前だけで実効力は皆無なのだが、歴代の皇帝はその名目に踊らされてきた。
それは領土がドイツにあるにも関らず、名前にローマを冠していることが生んだ悲劇であった。
皇帝となった者は誰もが思うのだ。
かつて地中海を支配した世界帝国ローマ。
その栄華を取り戻したい、と。
そして、そのためにまず発祥の地イタリアを支配しようとするのが歴代の倣いであった。
アントニオの懸念は決して実現し得ない絵空事ではないのだ。
貴様とてそれは分かっているだろうに、という非難すら込めてアントニオはジョヴァンニを見据えた。


「それならそれで良いのですよ。
 降る相手が皇帝なら市民も納得しますし。
 亡くなられた貴族達と我々とでは考えが違います。
 我々は何かを支配したりしたいわけではない。他を仰ぎ見るなど我慢ならない、などという傲慢を抱いているわけでもない。
 ただ安心して商売が出来さえすればいいのです。
 ミラノに征服されれば、ミラノに居を構える商人達に我々の市場を奪われるでしょう。
 しかし皇帝に帰順するなら、取引次第で以前と同じように商売ができる。
 皇帝にとって、誰が税を納めるかなど興味の対象外なのです。
 要は、どれだけ税を納めるか。
 その点を考えれば皇帝は、きちんと税を納めさえすれば領土が広がったことに満足して頂けるのですからミラノ公よりもずっと扱いやすい」


そう言ってジョヴァンニは肩を竦める。
こういった意識の齟齬は、二人の感覚の違いに因るものだ。
アントニオは傭兵であり、ジョヴァンニは商人。
その違いは限りなく大きい。
ジョヴァンニにしてみれば、むしろ其方の方が無理矢理押し付けられた役目を放り投げることが出来て嬉しかったりするのだ。
今のフィレンツェを支配しても、大した益は出ない。
むしろ、本職である銀行業が統治に割く労力によって圧迫されて疎かになっている分、不利益になっているといってもいい。
ジョヴァンニにとっての勝利は戦に勝つことではない。
利益をあげることなのだ。


「ヴェネツィアの方々も私と同じ考えをするでしょう。彼等も商人ですから」


そう言いつつもジョヴァンニは内心ヴェネツィアは別の対応を取るだろうと思っていた。
自分と彼等では状況も力も違う。
そうなれば辿り着く結論も違うのは必然である。
それなのにアントニオに偽りを述べたのは、そう言えばアントニオが納得するだろうと思ったからだ。
商人とはそんなものなのか、と。
ならば仕方が無い、と。


「つまり、皇帝が裏切った場合は降るのか?」


確認の意味を込めた問い掛けにジョヴァンニは頷く。


「心配いりません。
 ウルビーノ伯との契約はあくまで対ミラノのもの。
 何が何でも我々を守れ、などという無体な要求はいたしませんよ」


ジョヴァンニがわざわざ念押しをしたのには理由がある。
ジョヴァンニにしてみれば、戦の指揮は任せてもその行く末まで任せたつもりは無いからだ。
落とし所は自分が決める。
フィレンツェと共に沈むか、切り捨てて逃げ出すか、危機を脱して更なる栄華を求めるか。
何れを選択するにしても、ジョヴァンニは自身の意思で選択そたいのだ。
アントニオは雇われた身分であり、依頼された内容だけこなしてくれればよい。
そういった意思を伝える必要があった。
粛清の苦い経験から、ジョヴァンニは他人に主導権を握られる恐ろしさを味わった。
二度と同じ轍は踏まない。
この会話はジョヴァンニの決意の表れでもあった。


「そうか。我輩は傭兵故、依頼された以上のことをしようとは思わぬ。
 それ故、貴殿等の望みがどの程度なのか知りたかったのだ。
 いや、そういうつもりであるならば此方もその様に考えておこう。煩わせて済まなかったな」


アントニオもその気概を感じ取ったのか、下手に出る。
依頼人を尊重した形で場を収める事にしたのだ。


「いえいえ、契約ですからな。条件を何度も確認して当たり前です。
 まぁ、それはともかく今後について話すとしましょう」


互いにこの話はここまで、という合意に達した所でジョヴァンニは話題を切り替えた。


「バイエルン公の計画はかなり以前から進められていたもの。
 そのため、準備は万全です。
 前皇帝を廃位させてからミラノに向けて進軍するまでを一セットとしているため、すぐに進軍できるとのことです。
 目的は奇襲同然の侵攻。
 大軍を以って一気に攻め落とす……という様に手紙には書いてありました。
 この戦略について、ウルビーノ伯はどのように御考えになりますか?」


ジョヴァンニの問いを聞いたアントニオは、顎を手で撫でながら答えた。


「随分簡潔な戦略であるな。
 確かに現在のミラノはフィレンツェを囲うような形で各地に軍を集結させておるから、あながち間違った作戦とは言えんが……。
 果たして、そう旨く事が運ぶかの?」


敵はあのミラノ公ぞ、そういったニュアンスが含まれた言葉の裏に隠された警戒をジョヴァンニは切って捨てる。


「まぁ、帝国の作戦が成功するか否かはこの際置いておきましょう。要は我々がそれをどのように利用するかなのですから」


ジョヴァンニの割り切りにアントニオも同意した。


「確かに、完全に包囲されたこの状況を如何にかすることが先決ではある。
 緩やかとはいえ、交易や輸送の面では遮断されておるからな。
 即効性は無くとも、数年がかりで続けられば確実に力を削ぎ落とされる。
 この機会に一角だけでも切り開かねば、敗北は濃厚となるからの」


今のフィレンツェはルッカ、ピサ、シェナによって西と南を固められ、ボローニャによって北を押さえ込まれていた。
そして、残された東はフォルリによって遮断されている。
彼の都市は教皇と熾烈な争いを続けた歴史を持っており、教皇と近しいフィレンツェとの折り合いも悪い。
故に、今回の戦争を敵を減らす絶好の機会としてミラノに協力していた。
東西南北。
フィレンツェはまさしく全てを抑えられているのだ。


「崩すとしたら、南のシェナじゃな。南が開けば教皇と連携を取れる」


アントニオの提案にジョヴァンニは渋い顔をした。


「教皇はナポリ王に散々攻め込まれております。
 金銭の催促も矢のように来ていますし、救援要請を暗に要求してくる程です。
 頼みになりますかな?」


ナポリ王ラディスラーオはガレアッツォの申し出に乗り、烈火の如き勢いで教皇領に攻め込んでいた。
彼はガレアッツォが北イタリアを征する前に教皇領を制圧したいのだ。
経済的に豊かな北に対して、南は貧しい。
少しでも多くの領土を獲得し、ボローニャとフィレンツェを手に入れたミラノに対抗するだけの力が欲しいのだった。
ラディスラーオもガレアッツォも互いの目的のために手を結んだだけであり、戦後その対立が先鋭化することは明白である。
ローマまで領土に組み込んだラディスラーオが更なる拡大を目指すならば、ミラノと敵対することは避けられないからだ。
そういった事情もあって、教皇は危急にあるフィレンツェの援軍が欲しい程の大攻勢に曝されているのであった。


「頼みになりはすまい。
 だが、藁をも欲しい教皇は一度握ったフィレンツェとの糸が裁たれないようにするであろう。
 そうすれば南方の安全は確保できるし、川を使った輸送も出切る。
 一先ずの危機は脱することが出来よう」


兎にも角にも包囲網を崩さなくては如何しようもない、という点ではアントニオもジョヴァンニも一致していた。
そして、そのためには帝国の侵攻が絶好の機会であるという見解も一致している。
この時代の常識では電撃的侵略を受けたミラノは最初の攻勢で少なからぬ損害を受けると見込むのは当たり前であった。
ミラノが腕木通信によって驚異的な対応をすることなど予測できるはずも無い。
そして帝国が壊滅的打撃を受け、事実上崩壊に追い込まれることも。
戦争は水物である。
想定しない事態が起きることなど珍しくもない。
ループレヒトが遠征軍を組織し、意気揚々と出立したその頃。
フィレンツェが好転する事態に喜び、危機を脱するための算段を練っていたその頃。
東の大王がその刃を振り上げんとしていたのだ。




------後書き------
腰痛のため更新が遅れ、また薄い内容になってしまい、申し訳ありません。
必要なことなのですが、遅々として展開が進みません。
未熟を感じる次第ですが、温かい目で見て下されば幸いです。
もう少しテンポを早めた方がいいのかな?
御意見があればお願いします。
それでは、御感想、御批判をお待ちしています。



[8422] シャティヨンの戦い
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/25 11:12
ループレヒトは貴種である。
長い歴史を有するヨーロッパ有数の名家、ヴィッテルスバッハ家に生まれ、完璧な教育を受け、輝かしい足跡を辿って来た。
誰もが羨む地位、誰もが羨む権力、誰もが羨む財力。
それらは全て当たり前のようにループレヒトの手に在るものであったし、そうであることを疑うなど考えもしないようなものであった。
そんなループレヒトにとって皇帝の座は悲願だった。
至尊の地位は自分にこそ相応しい。
ヴェンツェル如き青ビョウタンに傅くなど到底許容できない。
ループレヒトは長年そう思い続けていたし、自分の物である筈の冠が他人の頭上にあることに対して並々ならぬ憤りを感じていた。
世の不条理を嘆き続けてきたのだ。


「……神は矢張り見ておられるのだ」


眼前の軍勢を眺めながらループレヒトはひとりごちた。


「在るべき物は在るべき者の手に。それが世の理なのだ」


古の勇者、神話の英雄が馳せ参じたかのような光景に感激を抑えきれない。
総勢4万の大軍勢。
大都市の住民を越える程の圧倒的な兵が自分に従っているのだ。
これぞ皇帝の威光というものであろう。
今日のループレヒトはまさに幸福の絶頂にあった。
彼等の頂点に立つ自分の姿もまた皇帝足るに相応しい。
黄金をあしらった美々しい鎧に宝石で彩られた剣。
この日のためにヴェネツィアに特注した武具はこの晴れがましい日をこの上ないものにしてくれている。
この偉容、己は軍神アレクサンダーの生まれ変わりなのではないか。
そう確信してしまう程に彼は浮かれていた。
最もそう思っているのは本人だけであったが……。
実際のループレヒトは、けばけばしい具足と本人の地味な容貌が全く合っておらず、それどころか却ってその貧相さを際立たせていたし、
鍛え上げられているというには程遠い身体つきと仰々しい装いは見る者に頼りなさを感じさせるという演出効果しかもたらさなかった。
似合っていると思い込んでいる顎鬚も縮れてひょろひょろになっており、見っとも無さしか感じられない。
だが、そんな姿もループレヒトの目を通せばこの上なく立派なものに変わってしまうのだった。


「陛下、そろそろ出陣の刻限です」


馬廻である親衛隊員ルビーンの耳打ちによって現実に立ち返ったループレヒトは仰々しく頷いた。
承認の仕草を受けて、伝令兵が各隊に出立を告げるべく駆け出す。


「出陣ぞ。世界に我が威光を知らしめるのだ」


口上と共に馬を走らせたループレヒトの人生は何所までも開けているように思えた。













帝国軍はアルプス山脈を越え、ミラノの咽喉下へと一気に突き進む作戦を取った。
そのためにはスイスを通過しなければならなかったが、その段取りは全てヴェネツィアが付け、八州同盟も皇帝の行軍を黙認していた。
行く道は数ある峠の中から後にグラン・サン・ベルナール峠と呼ばれることになるものを選んだ。
古来より多くの商人、巡礼者、軍隊が利用してきた道である。
そこはハンニバルのアルプス越えもこの峠を使ったたものであると伝わる行路の定番であった。
スイスのマルティニーとイタリアのアオスタを結ぶその峠を越えると、トリノとミラノの中間に抜けることができる。
そうすると都市の付近に4万の軍勢が突如現れるという事態になるのだ。
ミラノにとっては完璧な奇襲となるだろう。
もちろん定番の行路だけに待ち伏せされる可能性もあったが、ヴェネツィアと共同で情報封鎖を掛けているミラノの情報収集能力は落ちている。
ループレヒトの予想では、ミラノは今頃皇帝廃位の真偽を確認している最中である筈だった。
これ程の重大事である。
情報の錯綜によって並大抵の者は右往左往して混乱してしまうし、多少心得のある者も軽挙妄動を避けるために慎重になる。
行動は萎縮し、対応するために態勢を移行しようとして中途半端な状態が生まれるだろう。
それに乗じて本拠地を突けば如何な強敵とて陥落する。
そして、それはミラノ公とて同じ筈だった。


「このままミラノを落とす。
 そして、危機を救われたフィレンツェに歓呼の声で迎え入れられながら通過するのだ。
 降伏兵を吸収しながら、残存勢力を駆り立て、ローマへと進軍しよう。
 そうだな、教皇への手土産にナポリを攻めてやってもいい」


決して不可能なことではない。
ミラノはガレアッツォによる独裁、ワンマン体制だ。
その頭がいなくなれば結束は乱れ、バラバラになってしまうのは容易に想像される。
それらを各個撃破すればいい。
そうすれば北イタリアの雄の力がそっくりそのまま自軍に加わることになるのだ。
その兵力は一気に倍となることだろう。


「これぞ皇帝の親征。
これぞ皇帝の威光。
 これにて我が施政は磐石なものとなるのだ」


北部及び中部イタリアの併呑。
ループレヒトの求める成果としてこれ以上のものはない。
新皇帝の名と共にその輝かしい戦果は久遠のものとして語り継がれるだろう。
ループレヒトは己の栄華を夢想し、その身を震わせた。
この険しい道を越えた向こうに栄光の未来が待っている、そんな気がしたループレヒトは更に行軍を急がせるよう指示を出す。


「もっと急ぐのだ。これでは遅すぎるぞ」


叱責を受けたルビーンは恐る恐る諫言した。


「しかし、陛下。あまり御急ぎになられますと隊列を乱すことになります。
 それに兵士が疲弊し、士気が低下してしまう恐れがあるかと……」


心中ではこの馬鹿が、と怒鳴りつけたいのを堪えているのだろう―これが部下や同僚なら彼は間違いなくそうしていた―握り締められたその手が憤懣で震えている。
それでも何とかして主君を思いとどまらせるべくルビーンは頭を捻った。
しかし、どう頑張っても目の前の主の意を翻させる知恵は浮かんでこない。
浮かれ、舞い上がっている人物を冷静にさせるというのは難しいものだ。
ましてそれが皇帝とあっては殴りつけて正気付かせるわけにもいかず、ルビーンはほとほと困り果てた。
そうやって間誤付いている部下を見たループレヒトの癇癪は爆発した。


「何をしている。
 皇帝が急げ、と命じているのだ。
 疾く実行するが貴様の勤めであろう」


叱責を受け、またそれに対する有効な抗弁も思い浮かばなかったルビーンはその言葉に従うほか無かった。
慌てて辞去を告げ、伝令兵に指示を出すべく走り出す。
ループレヒトはその様子を満足気に眺めながら鼻を鳴らした。


「もっと親衛隊の教育を徹底せねばな。
 まったく、皇帝の仕事は多過ぎる。これは戦後忙しくなるぞ」


愚痴めいたことを嬉しげに語るその様子からは敗北への不安など微塵も感じられなかった。
満願成就を目前に控え、限界まで膨れ上がった自尊心と虚栄心がループレヒトから分別というものを奪ってしまったのだ。
ループレヒトは進む。
高らかに、嬉しげに、急ぎ足で。
すぐ傍に開いている地獄の穴に気付くこともなく……。













ループレヒトが妄念によって目を眩ませていたその頃、ミラノ公国軍は逆奇襲の準備を終え、敵軍の到来を待ち構えていた。
モンジョヴェとシャティヨンの間に潜み、敵の斥候を始末しつつその牙を研ぎ澄ます。
この辺りはアオスタからシャティヨンまで真っ直ぐだった道が曲がりくね始めたところで、坂になっているため退却をすることも容易ではない。
道も狭く、大軍にであればある程身動きをとれなくなるという危険地帯であった。
そこにフィレンツェ包囲のため動けないファチーノに代わり、モルト老からの推薦を受けたガッタメラータが4000の兵を率いて駆けつけたのだ。
腕に自信のある志願兵のみで構成された精鋭の奇襲部隊である。
その中にはカルマニョーラの姿もあり、彼等は肥え太って鈍重となった羊を狩るべく闘志を滾らせていた。
腕木通信によって帝国の政変を知ったガレアッツォの対応の早さ、その成果がこの奇襲である。
信頼するラングからの情報ということもあって、ガレアッツォはすぐさま身軽な特殊部隊を作り上げた。
人数は集められない。
不測の事態に備えて各拠点には一定数以上の兵力を駐屯させておく必要があったからだ。
昨日の敵が味方となるように、今日の味方が明日の敵となる。
そういった戦乱の倣いを熟知しているガレアッツォにとって、もはや当座の同盟関係などは勘定に入らない。
ヴェネツィアも神聖ローマ帝国も仮想敵国として対処する。
そういう決定をガレアッツォは即座に下したのだ。
実際、ヴェネツィアはともかく帝国は敵に回る可能性が高かった。
皇帝位に就くためには、新皇帝のローマ遠征が不可欠であることは誰もが知っている常識であるからだ。
そして、そのための進軍ルートは二つ。
アルプスを迂回してヴェネツィア方面からイタリア半島に入るか、アルプスを越えて来るか、である。
前者ならボローニャに集結させた軍で対処すればよいし、一気に首都を落とされて滅ぶようなことはない。
後者なら逆に待ち構えて、少数によるゲリラ戦を行えば撃退できる。
冷静に下したガレアッツォの読みが的中したのだ。


「来たぜ野郎共、獲物がよ」


岩陰から敵軍の接近を覗き見たガッタメラータは獰猛に笑った。
そう、獲物だ。
敵はアルプスという険しい地形を大軍でのろのろと進軍している。
それも見た所、長旅で随分疲弊しきっていた。
兵士達にとって帝国軍は純金の山そのものであった。
ガッタメラータが都合よく奇襲の準備を行えたのには勿論理由がある。
彼は近隣に住む猟師を金で掻き集めたのだ。
人間よりも遥かに敏感な獣を相手取っている猟師達は、山中で気配を殺す術も敵を発見する眼もハイレベルで兼ね備えていた。
更に、彼等は道なき道を踏破して最短ルートで互いに情報を伝え合うことができる。
彼等山のエキスパートの助力によって、ガッタメラータは帝国の進軍ルートと奇襲に最適な場所を知ることを可能にしたのであった。


「見ろよ、野郎共。奴等のあのへたり具合をよ。
 足が生まれたての小鹿みてぇに震えてやがる。
 間違いねぇぜ。
 奴等は行軍で疲れ切っている。きっと碌な抵抗もできねぇに違いねぇ」


事実、帝国軍はループレヒトの命令のせいでその疲労を倍にしていた。
その様子を見たミラノ軍の間に弛緩した空気が流れる。
楽な獲物だ、と侮ったのだ。
それを敏感に感じ取ったガッタメラータは即座に制止した。


「気を抜くんじゃねぇ!!
 折角の儲けを不意にする気か。
 いいか、雑魚には目もくれるな。指揮官は殺せ。
 今回に限っては生け捕りも無しだ。
 狙うは馬鹿みてぇに着飾った皇帝陛下唯一人。
 100人の貴族よりずっと価値のある獲物だ。抜かるんじゃねぇぞ」

  
厳しい声で命じる。
言うことをきかない者は斬り捨てる、そういった威圧をこめたガッタメラータの視線に兵士達の気も引き締まった。


「よ~し、それでいい。
 それじゃ、行くぜ野郎共。弓を引け!!」


ガッタメラータの掛け声、密やかでありながよく通るその声と共に兵士達は弓を構えた。


「まだだ。まだ、放つな。
 よ~く、狙え。
 五人一組になって指揮官格の奴一人を狙うんだ。いいな。
 それと皇帝は狙うな、いいな。
 よし、待てよ。待て。辛抱しろよ」


じりじりとした緊張感が兵士の間を漂う。
少しの刺激で暴発しかねないそれをガッタメラータは懸命に押し留めた。
力は蓄えた分、我慢した分だけ強くなる。
一息に解放する瞬間、最も効果的に爆発させる瞬間を見極めるのだ。


「……今だ。放て―――――!!」


4000の兵士が一斉に矢を射る。
空高く飛び上がったミラノ軍の牙は風を切り裂き、天を穿って、標的へと殺到した。
完全なる奇襲。
予想だにしない一撃が敵指揮官達の体に突き刺さる。
一瞬にして生じた指揮権の空白。
それによって収集不可能になった混乱に乗じるようにガッタメラータは次なる命令を下した。


「第二射、放て!
 続いて第三射。矢が尽きるまで射ちまくれ――――」


次々と放たれるミラノ軍の矢が敵兵の命を狩らんと襲い掛かる。
帝国の兵士達は盾を構えようにも、その兵力が邪魔をして叶わない。
身動きも取れず哀れな的と化した兵士は、その命を無残にも噛み砕かれていく。


「射て。射って、射って、射ちまくれ――――」


ガッタメラータの檄が谷間に木霊し、反響した音が帝国軍にその位地を悟らせず、その兵力を何倍にも大きく見せる。
帝国軍の中には自身に倍する兵に襲われているという錯覚起こす者すらいた。
その動揺を逃さん、とガッタメラータは突撃を命じる。


「よし、射ちかた止め。
 総員、突撃だ! 腰抜け共の首を狩りに行くぞ」


その言葉を合図に待ってました、とばかりに猟犬達が飛び出した。


『おぉぉおおぉぉおおおおおおぉぉおお!!』


腹の底から声を出し、敵を威嚇する。
屠殺場と化した渓谷にバーバリアンの雄叫びが響き渡った。
狂戦士の集団の中から一際大柄な影が抜きん出て、大剣を以って一番乗りを果たす。
黒影は全身を使い体で巻き込むように武器を振り回すと、次々と敵兵を薙ぎ倒し、先陣を切り開いていった。


「皆、オレに続け」


影の主、カルマニョーラの呼びかけに応えるように次々とミラノ軍の兵士が続く。
彼等は錐で貫くように敵集団に喰い込むと、その傷口をどんどん広げていった。
業火の如き勢いに抗することも出来ず、帝国軍は瓦解していく。
それを収めるべき者達は屍を曝し、味方によって無残に踏み荒らされ、残された者も事態を把握しきれずにいた。
奇襲を受けたぞ。
何所からだ? 被害は如何ほど受けた?
撤退すべきか? 交戦すべきか?
指揮系統をズタズタにされた結果、それぞれがそれぞれの意思で対応を余儀なくされたが故の混乱であった。






奇襲を受けたとき、ループレヒトは隊列の中央にて馬を走らせていた。
彼は絶対者の余裕をその身に纏い、顔にはだらしない笑みを張り付かせていた。
もうすぐミラノに着く。
ループレヒトが思う栄光の日々の始まりはもうすぐ傍まで来ていた。
故に、突如襲い掛かった凶弾が何を意味しているのかループレヒトには分からなかった。


「……ぇえ?」


貴族らしくないそんな言葉が口から漏れていることを他人事のように感じながら弧を描く軌跡を見つめる。


「陛下!!」


周囲の兵の悲鳴が耳に響き、衝撃と共にループレヒトは馬上から押し出された。
親衛隊員に抱えられながら盾に守られてやっとループレヒトの思考は浮上した。


「何者だ?」


分かりきった質問である。


「恐らくミラノによる奇襲かと」


そんな質問をしてしまった自分と分かりきった答えを返す部下に怒りが湧き、ループレヒトは相手を叱り付けた。


「そんなことは分かっておる!」


混乱している己を自覚し、そのことがますます苛立ちを募らせる。
それは恐怖の裏返しだ。
ループレヒトはあまりの感情の落差に正常な精神を奪われていた。


「何をしておる。4万の兵ぞ。寡兵など相手にならぬ筈だ」


不甲斐ない、そう怒鳴り散らすも状況は変わらない。


「恐れながら陛下、一時撤退なされませ」


馬廻のルビーンは退却を進言した。
たとえ無礼と叱責をうけようとも、大将を討たれ壊滅するよりはマシである。


「何を言っている。此方は4万、大軍ぞ。すぐに押し返せる」
 

ループレヒトは退却など認められなかった。
それは栄光という珠に傷が付くような気がした。
しかし、ルビーンにとっては皇帝の感傷など些細なことである。


「退くも勇気です。この場は損害を最小に抑えることこそが最善。どうか御決断を」


叩頭せんばかりに退却を願う。
だが、ループレヒトは受け入れようとしなかった。


「何を言う。どうせ纏まった軍の奇襲では無い。
 恐らくこれは最寄の街に駐屯している兵が独自の判断で行っていること。
 目的は我等を一時撤退させての時間稼ぎであろう。
 ミラノ公が軍を集結させるために、という忠義の策よ。
 ここで撤退しては相手の思う壺ではないか」


ループレヒトの推測はあながち的外れでもなかった。
そもそもこの山越え自体がミラノ公が状況を把握しきっていない、という前提の下に成り立つもの。
そして、この時代の情報伝達手段が人力であることを考えればこの前提を立てることも間違っているとはいえない。
それ故ループレヒトの反論には力が篭もっていた。
しかし、状況はそのように悠長な議論を許してはくれない。
風切り音と共にループレヒトの頬を掠めた矢が敵の接近を報せたのだ。


「――ヒッ!?」


情けなくも悲鳴を上げたループレヒトは失態に羞恥で顔を染めた。
そして、気付かぬ振りをして頭を垂れ続ける親衛隊に先程とは真逆の意見を言う。


「撤退だ。撤退するぞ」


それは恐怖ゆえの決断であった。
だが、どんな感情に起因したものであろうと意見を聞き入れられたのだ。
大将を捕えられては戦は終わる。
ルビーンを含めた親衛隊の間にほっとした空気が流れた。


「よし、周りの兵を集めつつ撤退する。
 伝令兵には臨時の指揮任命権を与える。即座に散って混乱を収め、撤退を進めろ」


ループレヒトに代わってルビーンが指示を出す。
親衛隊長を押しのけての指示は越権行為も甚だしいが、事態が事態である。
ルビーンはこの後、如何なる処罰も受ける覚悟で命令を発した。
そして、全ての指示を終えるとループレヒトに騎乗を促す。


「参りましょう、陛下」


ループレヒトはそれに無言で頷くと、馬に鞭を打って逃げ出した。
これは退却ではない。戦略的撤退である。
誰に言うでもなく自分の心にそう言い訳をするものの、その実態は誰よりも己の心が痛感していた。
ループレヒトは死の恐怖を感じ、そこから遠ざかりたかったのだ。






馬を走らせるループレヒトの周囲には50騎程の護衛しかいなかった。
そもそもループレヒトが走らせているのは帝国中から選りすぐった駿馬である。
それに付いて来れるのは同じく駿馬に乗っている親衛隊員しかいないのは道理であった。
また、帝国軍の殆んどは雇われの傭兵で構成されていたという事情もある。
彼等に組織だった撤退を期待する方が無理な話だった。
傭兵は何よりも自分が大事だからだ。
下手をしたら皇帝を敵に差し出し、恩賞に預かろうという不心得者も出かねない、傭兵とはそんな存在なのだ。
ループレヒトは疲労で息切れしながら何故このようなことになっているのかと自問していた。
輝ける未来が待っていたのではないのか。
それがこの様は何だ。
神は自分に更なる試練を与えようというのか!?
そう理不尽を嘆いた。
ループレヒトは野心家である。
領土の拡大、権威の増強。
そういったことに腐心し続けてきた。
欲していた皇帝の地位はその終着点である。
しかし、ループレヒトは心底それらが欲しくて動いてきたたわけではなかった。
かといって一部貴族に見られるような惰性による行動でもない。
ループレヒトにとってこれらの行いは死からの逃避なのだ。
自分の力が増せば増すほど、死という逃れざるものから遠ざかっている気がする。
安心できるのだ。
この衝動は強烈であった。
ループレヒトが旨い話に乗りやすいのも、危険に過剰に反応してしまうのも、この衝動によるもの。
死から距離を取れる、それを感じ取っただけでループレヒトの思考は正常に機能しなくなってしまうのだった。
そして、それ故にループレヒトの精神は脆かった。
その起点を逃避という後ろ向きな情動に置いている者に強靭な精神など望むべくもない。
尊大な態度も神に縋ろうとする心も全てはループレヒトの防衛衝動。
逃避の表れであった。
そして今、ループレヒトはかつて無い程の死の恐怖を味わっている。
彼は逃れられぬ死神の冷たい顎を感じていた。
全力で逃げているのに、遠ざかっている筈なのに背筋が震えるような感触はますます強まるばかりだ。
もっと、もっと速度を上げなくては。
衝動に突き動かされるままにループレヒトは鞭を振るった。


「陛下、もう少し速度を御落とし下さい。このままでは馬が潰れてしまいます」


ループレヒトの乗馬は険しい道を無理矢理走らされたことでかなり消耗していた。
今にも泡を吹いて倒れそうなその様子を危惧したルビーンはループレヒトに忠告をする。
しかし、視野の狭まったループレヒトにはその忠言を聞く余裕は無かった。


「陛下、どうか速度を―――!?」


ルビーンが再度忠告しようとしたとき、それは来た。
ループレヒトはそれが来ることを誰よりも早く感じ取る。
そして、先程から自分を脅かしていた感覚の主が現れたということを悟ったのだ。
次々と飛来する矢が馬を射抜いていく。
崩れ落ちる馬から飛び降りながらルビーンは自分達が敵の網に掛かったちう事実に歯噛みした。
逃走手段から奪うというこの手口。
相手は自分達の動きを完全に読んでいた、いや自分達が掌で踊らされたのだ。
木陰から続々とミラノ兵が出てくる。
30人程であろうか。
彼等が何れも一騎当千の強者であることは一目で感じられた。
その先等に立つ獅子のように獰猛な笑みを浮かべた男が桁違いなことも。


「お迎えにあがりましたぜ、皇帝陛下。
 覚悟を決めてミラノまで来てもらいましょう」


男はガッタメラータであった。
彼は慇懃無礼なその態度を裏付けるような強烈な剣気を全身から発している。
あの男は危険だ。他の兵を合わせたよりもずっと。
ルビーンはガッタメラータを見た瞬間にそれを直感した。


「御下がり下さい、陛下」


そう言って槍を構える。
刺し違えてでもこの男だけは、そんな気概を込めたルビーンはガッタメラータを睨み付けた。
このとき、ルビーンは己の命を捨てた。


「いい眼だ。じっくり戦り合いたくなる、覚悟を決めた者だけが持つそんな眼をしている。本当に残念だ」
 

心底悔しそうに嘆いたガッタメラータも剣を構える。


「悪ぃけどあまり長く付き合ってはやれねぇんだわ」


叫ぶようにそう言うとガッタメラータは一気に間合いを詰めて行った。
ルビーンはその突進に合わせる様に槍を突き出す。
絶妙のタイミングで為されたその一突きは裂帛の気合と共に空を切った。
身を伏せるようにしたガッタメラータに交わされたのだ。
それを悟ったルビーンは薙ぎ払い、距離を置こうと試みる。
しかし、ガッタメラータは万力のような腕力によって槍を掴むことでそれを防ぐと、逆手による突きを鎧の隙間、脇に向かって繰り出した。
体が開いている所を狙った必殺の一撃。
その軌跡を他人事のように見ながらルビーンはその人生の幕を閉じた。


「いい突きだったぜ」


飛び散る血を拭いもせず相手を賞賛したガッタメラータは周囲を見回し、護衛を粗方片付けたことを確認すると、放心したように座り込むループレヒトに近寄った。
ループレヒトは震えていた。
その様子に呆れながら嘆息すると、ガッタメラータは皇帝の肩に手を回して引きずり起こした。


「さぁ、行きましょうや」


こうしてループレヒトは死の顎に捕まった。
項垂れるその姿からは諦めすら漂っている。
死を具現した様なガッタメラータを前にして抗う気力も無くなったのだ。






こうして後にシャティヨンの戦いと呼ばれる奇襲戦は終わった。
ミラノ軍が僅か4000で帝国軍4万を壊滅に追いやったこの戦はミラノ公国躍進の始まりと言われている。
死傷者はミラノ側600に対して帝国が1万以上。
更に皇帝という最高の戦利品を手にするというミラノにとっては大勝利であった。
次なる時代の波がまた押し寄せてきている。
斜陽の神聖ローマに皇帝捕虜という大打撃。
この事件がまた一歩時代を押し進めることになるのだった。





------後書き------
祝20万PV&感想数200突破!
えぇ~、一人で喜んで済みません。節目ですし、祝わせてもらいました。
ここまでこれたのも皆様方、読者一人一人のおかげです。
本当にありがとう御座いました<( _ _ )>
まだ少年時代で完結まで何話かかるのかというノロイ小説ではありますが、これからも宜しくお願いします。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしています。




[8422] 外伝6.屍が蘇った日
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/11/30 21:36
妙に暑い、魘される様な熱帯夜になるとモルト老は決まって陰鬱になる。
ましてそれが豪雨となれば彼の気分は降下線を辿り、余程嬉しいことがない限りその日は酒を浴びるように飲むのが常であった。
そうなると誰も口出し出来ない。
そのときの彼は余人を寄せ付けない何かを漂わせているからだ。



こんな日はいつも思い出す。
あの日の絶望、あの日の嘆き、あの日の後悔。
その全てを。
あれからもう20年も経ち、世界はすっかり変わり果て、かつての己を知る者もめっきり減ってしまった。
だが、それでも忘れない。
忘れることはできない。
かつての主への思い、その深さ故に。



目を覚ましたとき、まず視界に入ったのは暑苦しい男達のくしゃくしゃになった顔だった。
戦の右腕モーニ。
交渉担当のエマヌエル。
他にも怪我で、あるいは病で、老いで去っていったかつての仲間達。
それらが一斉に集まり、自分を覗き込んでいたのだ。


「懐かしい顔が並んでいるじゃねぇか。
 一体どうしたんだ?
 大の男が揃いも揃ってめそめそ泣いてよ。何かあったのかい?」


そう言って皮肉気に笑おうとする体に力が入らなかった。
モルト老にとっては今の状況全てが不可解の一言に尽きる。
喧嘩別れして顔も見たくない、と出て行った者がいることも頑強で病気知らずの体が言うことを利いてくれないことも、何もかもが唐突で理解が及ばなかった。
そもそも彼等は何故こんなに嬉しそうに泣いているのか。


「おい、エマヌエル。いい加減泣くのは止めてオレ様に説明しろ。
 何がどうなっているんだ?」


自身の弱々しい声音に苛立ちを感じながら発した問いにエマヌエルが涙をぬぐいながら答えた。


「あなたはもう3ヶ月も寝たままだったのですよ」

「何だと!?」


なるほど、そう言われてみると自分がここまで衰弱していることにも納得がいく。
しかし、今度は何故そんなに長い間眠っていたのかが分からなかった。
疑問に思ったことはすぐに聞かねば気が済まない。
昔からそんな堪え性のない気質だったモルト老はすぐさま今に至った原因を尋ねた。


「……」


しかし、誰もが言いにくそうな顔をして答えるのを躊躇うばかりだ。
その尋常ならざる様子がますますモルト老の疑問を深める。
やがてモーニが気遣うように話し始めた。


「なぁ、大将。あんたが疑問に思うことは最もだ。
 オレだってそんな状態になったら何故そうなったのか知りたいと思うさ。
 だが、だがな大将。あんたは今起きたばっかりでひどく疲れている。
 だから取り敢えずその疑問は棚上げにして今はゆっくり休んだらどうだ?」

「棚上げだと」


柳眉を逆立てたモルト老の様子を見たエマヌエルも加勢に加わった。


「モーニの言う通りですよ。そうですな……1週間、いや2週間。
 それ位は安静にして体力回復に専念して貰わなければ。
 いかにあなたが人間離れした頑丈さを持っていても、3ヶ月という時間はそれだけ重いのですから」


そう言ったエマヌエルに同調するかのように周囲も頷く。
それに短気なモルト老は反発した。


「らしくねぇじゃないか、モーニ。御前はそんな柄じゃねぇだろ。
 それにエマヌエル。オレの体はオレが一番よく分かっている、といつも言ってるだろ。
 いいから答えろよ。オレは今、何故こうなってるのかが知りたいんだ」


この時のモルト老は非常に不安定な状態にあった。
意識ははっきりとしているのに思考力は乱れ、記憶もはっきりしていなかった。
共に歩んだ仲間や仕える主といった強烈に刻みこまれた記憶以外は全て忘れ、靄がかかったようにはっきりとしない。
そんな自身の状態がモルト老は不快であった。


「でもよ、大将。エマヌエルの言う通り休んでた方がいいと思うぜ」

「そうだ。珍しくモーニが心配してるんだ。ここは顔を立ててやんなよ」

「別に急ぐこたぁないだろ?」


口々に休むよう促し、更には寝かしつけようと手を伸ばしてくる連中にとうとうモルト老の癇癪は爆発した。


「いい加減にしやがれ!!
 一体どうしたってんだ手前ぇ等。まるで人を生まれたてのガキみたいに扱いやがって。
 おまけに気持ち悪い猫撫で声まで出してよ。
 それじゃあ、オレに何か隠してるって言ってるようなもんじゃねぇか!
 バレバレなんだよ。
 ぶっ殺されたくなかったらさっさと話しやがれ。
 どうせ誰かがへまをやらかしたとかなんだろうが」


怒鳴り散らされて観念したのだろうか。
彼等は互いに顔を見合わせ口篭っていたが、やがて意を決したようにエマヌエルが進み出た。


「あなたは毒を洩られたのです」

「毒だって!?」


その答えは全く予想もしていないものだった。
モルト老は職業柄全く恨まれていない、とは言えない身であったが、かといって毒を洩られたことはなかった。
栄達と共にその可能性が増していたにも関らず無頓着だったモルト老に呆れ果てた周囲が人一倍気を付けていたからだ。
その護りをモルト老は完全に信頼していた。


「ははん。誰かがミスしたんだな。それで言いずらそうにしていたんだろ。
 気にするな、気にするな。
 今オレは生きてる、それでいいじゃねぇか」


故にモルト老はわざと見せ付けるように快活に笑った。
ミスは誰にでもある。
それに本来自分で気を付けるべきことを他人に押し付けていた己にも責任はあった。
そういった意味を込めた笑いだった。
これで場は和み、全て解決だ。
そんなモルト老の思惑とは裏腹に彼等はますます暗い雰囲気になってしまった。


「それが……身内の犯行なんです」


エマヌエルの言葉は思いもよらぬものだった。
言葉も出ない程に。


「実際そうとしか考えられないんですよ。
 あの時も毒見はちゃんとしましたし、異常はなかったんですから」


あまりの衝撃に気が動転したモルト老は何とか声を絞り出した。


「一体……誰が?」


鉄の結束を誇る、そんな仲間達だった筈だ。
それを疑ったことは一時もなかった。
それだけに、モルト老の受けた悲しみは大きかった。


「思い出して下さい。あのとき、あなたに皿を渡したのは誰だったですか?」


そう言われたモルト老の記憶は一気に3ヶ月前へと飛んだ。
あの日、珍しく配膳役をしていた男。
御前がやる仕事じゃないだろ、そう言ったモルト老にいいじゃないかと苦笑してみせた男。


「オリヴィエか」


それは怪異な容貌に生まれたモルト老とは似ても似つかぬ美貌を持った弟の名であった。
幼少の頃からそりが合わず、互いに嫌悪していた弟の名であった。
壮年に差し掛かってやっと和解し、近年は右腕同然に扱っていた弟の名であった。
すっかり信頼しきっていた弟の名であったのだ。


「そんな、まさか……」


端的なこの言葉にモルト老の思い全てが込められていた。


「信じられん」


呆然として呟いたモルト老の頭の中は混沌として荒れ狂っていた。
周りの者はそれを痛ましげな様子で見詰めている。
そんなモルト老の混乱を収めたのは主への忠誠だった。


「そうだ。あのときオレは攻城戦の真っ最中だったじゃねぇか。そっちはどうなったんだ?」


奇しくもモーニが言った通り、モルト老はこの問題を棚上げした。
そうすることでしか心の均衡を保てなかった。


「あぁ、そっちはオレが引き継いでおいた。
 まぁ、大将に比べれば御粗末なもんだったかもしれんが、きっちり落としておいたさ」


そのモーニの言葉に安堵したモルト老はすぐさま起き上がろうとした。


「おいおい、寝てなきゃ駄目だろう」


そう言って止めるモーニの手を振り払う。


「何言ってやがる!! 城を落とした報告と今後の方針を聞いて、長い間寝ちまっていたことを詫びる。
 それをしなきゃあ、忠臣とはいえんだろうが」


モルト老がそう叫ぶと目に見えて皆の顔が引き攣った。
その様子に不吉な予感を覚えたモルト老が問い質す前にエマヌエルが告げる。


「陛下は1ヶ月前、亡くなられました」


静かに告げられたその言葉は未だかつてない衝撃で以ってモルト老を打ち据えた。


「何だって」


信じられない言葉に思わず問い返す。
エマヌエルは努めて平静を装い、もう一度繰り返した。


「陛下は亡くなられたのです。もはや報告すべき主はいないんですよ」

「性質の悪い冗談を言うじゃねぇか、エマヌエル。殺されてぇのか?」


そう凄んだモルト老を見詰めるエマヌエルの目は哀れみに満ちていた。
それを見てエマヌエルの言葉が真実であると知る。
今度こそモルト老はへたり込んだ。
世界が崩れ去るような感覚を覚え、全身に力が入らなくなっていた。


「出て行ってくれないか」


呟くようにそう言うと大きな顔を手で覆う。
そして、恥も外聞も無くモルト老は泣き出した。
幼子が亡くした親を求めるかのように。
声を枯らし、ただ只管泣き続けた。







三日三晩泣き叫び、やっと部屋から出て来たモルト老の姿は見るに耐えない痛ましいものだった。
いつもは醜さの中に陽気さ含み、愛嬌すら感じさせていた彼の顔はすっかり変わり果てている。
目元が腫れ上がり、げっそりと頬がこけたその顔は陰気で不気味ですらあった。
鍛え抜かれ、3ヶ月の昏睡にも衰えなかった体も皮膚を涸らし、生気が失せてしまっている。
そして、何よりきらきら輝いていた目に宿った暗い影が彼を襲った絶望の深さを物語っていた。


「大将」


気遣うようなモーニの声に反応して顔を向けたモルト老は切り付けるような口調で言った。


「オレは旅に出る」


断固たる決意の篭もったその言葉に皆慌てた。


「ちょっと待って下さい。旅に出るとはどういうことですか?」

「そのまんまだ。主を失った以上、もはや今の地位に意味も無ければ未練も無い」

「祖国を捨てるのですか」

「オレは国に仕えたんじゃねぇ」


エマヌエルは何とかモルト老を引き止めるよう知恵を絞った。
今の不安定なモルト老を旅にだすわけにはいかない。
それに彼はまだ病み上がりで体が弱りきっているのだ。


「オリヴィエの処罰はどうするのです」


熟考した結果、エマヌエルは怒りを利用することにした。
裏切りへの報復。
単純だが効果的な気の逸らし方である。
主を失った悲しみを卑劣漢に思いっきりぶつければいい、エマヌエルはそうかき口説いた。
しかし、モルト老の答えは否だった。


「そんなことはどうでもいい」


信頼していた弟の裏切り、その怒りさえもモルト老の乾いた心には響かない。
だが、そんなモルト老の言葉はモーニの怒りに火を点けた。


「どうでもよくねぇよ!」


モーニは泣いていた。


「オリヴィエの糞野郎はあんたが倒れたらすぐに都であんたが死んだって吹聴したんだぞ。
 それで下らない演説をぶちまけてよ。
 あの男は死んだ。しかし、我々は嘆く前にすることがある。
 遺産の継承を行わなければならない。
 そして、彼に嫡出子がいない以上、その権利は弟である自分にこそある。
 奴はそう言ったんだぞ。
 オレはそれが悔しくて、悔しくて。
 あんたを殺そうとした奴があんたの遺産を掠め取ろうとしてるのに、それを指を咥えて見てることしかできなくて……。
 けどあんたは本当に死んだように眠っててよ。
 なぁ、あんたは悔しくないのかよ。
 裏切られて、何もかも取られそうになって怒りは湧いてこないのかよ」


そう叫んで泣き伏したモーニの肩をモルト老は優しく抱きしめた。
訴えたモーニも分かっていたのだろう。
もはやモルト老にとって弟の裏切りなど大した問題ではないのだった。


「モーニ、オレの為にそんなに怒ってくれてありがとよ。
 だがな、もういいんだ。
 オリヴィエが死んだことにしているんならそのままにしておけばいい。
 何もかも捨てて旅立つにはちょうどいいさ。
 なぁ、モーニ。
 この国はあの方が創った国だ。
 この国の何所にもあの方の息吹が残ってる。
 オレにはそれがつらいんだ。
 それだけであの方の死を認められなくなっちまうんだ。
 情けないとは思うが、仕方ねぇ。あの方はオレの全てだったんだ。
 それを失ったオレはもう空っぽさ。
 すかすかで、何もやる気が起きねぇ。
 だからな、モーニ。黙ってオレを見送ってくれや。
 また心の整理が付いたら会いに来るからよ」
 

もはやモルト老を引き止める者はいなかった。
全てを失った男は何も持たぬ赤子になって生まれ変わる。
悲しみを癒すにはそれしか無い、と皆が感じ取ったからだ。


「済まねぇな、みんな。後の処理のことはいつも通りエマヌエルに任せるよ。
 旨い具合にオレを死んだことにしてくれや」


この日一人の英雄が死に、一人の死人が生まれた。
全てを失くした生ける屍が。













それからモルト老はヨーロッパ各地を放浪した。
老境に差し掛かってからの旅は驚きの連続で、心の痛みを誤魔化すのには丁度良かった。
新たな友との出会いは心を広げ、傷を相対的に小さくしてくれた。
しかし、それでも癒えぬ傷はじくじくとモルト老を苛み続けた。
そんなある日だった。


「おい、オルレアン様の御子息は凄ぇらしいぜ」

「あぁ、オレも聞いたことがある。何でも豪い頭が良くてなんたらっていう難しい学問を5歳で修めたらしいじゃねぇか」

「これでオルレアン家も安泰ってわけかね」

「いやいや、案外頭でっかちのひょろひょろかもしれねぇぜ」

「ひょろひょろでもいいじゃねぇか。前の王様だって体は弱かったらしいしよ」


そんな会話を酒場で聞いた。
傭兵というのは情報通である。
どの陣営に付けば楽に儲けることが出切るのか、それを知るために日々耳を研ぎ澄ませているからだ。
特に貴族間の力関係は最重要情報であった。


「これでオルレアン派は力を盛り返すかな」

「いやいや、ブルゴーニュ公は手強い巨人だ。当分趨勢は変わるまいよ」


モルト老は不意にその少年に興味が湧いた。
新しく出来た友人ガレアッツォの孫だったからなのか、それとも天才という噂に惹かれたのか、それは自分でも分からない。
何れにせよ、実に数十年振りに彼の心は滾っていた。


「その話、詳しく聞かせてくれよ」


気が付いたらそう言って傭兵達に酒を突き出していた。













シャルル・オルレアンについての噂は荒唐無稽なものだった。
それにも関らずその話を馬鹿馬鹿しいと否定しなかったのは、モルト老の中に一つの考えが浮かんでいたからだ。
月日が経つに連れて次第にモルト老のシャルルへの興味は高まっていった。
そして遂に実際に自分の目で見てみよう、と思い始めるまでに至ったのである。
モルト老はその目立つ風貌に似合わず、潜入作業に秀でている。
どんなに強固な警備であろうと突破できるという自負も実績も彼は持っていた。
若い頃捕虜となり、厳重な監視を受けながらもそこから難なく脱出したこともある。
シャルルへの接触などは容易であった。
流石に屋敷にまで侵入する訳にもいかなかったモルト老は、シャルルが馬術の稽古を始めたという話を聞いてその時を利用することにした。
この辺りで馬術の稽古に使いそうな場所は決まっている。
モルト老は朝早くからそこに向かうと、酒を片手に待ち人の到来を待った。



初めてシャルルの姿を見たときモルト老は心底驚いた。
その姿は仕えていた主にそっくりだったのだ。
勿論、細部は異なっているし、モルト老は主の子供時代を知っているわけではない。
だが、シャルルの容貌はもし主が健康に育ったならばその子供時代はこのような感じなのだろうな、という漠然とした想像そのものであった。
いつしか胸の内に巣食っていた考えが急激に膨らむのをモルト老は感じた。
主を失ったあの日、最も悲しんだことは誓いを守れなかったことだ。
主に勝利を奉げ続ける。
何十年も前にモルト老はそう誓い、その誓いを果たし続けてきた。
そして、毒を洩られた際の戦のときもモルト老はいつもと同じく誓いをして出立したのだ。
今でも思う。
せめてもう一度勝利を奉げたかった。
これであの城もあなたのものです、そう言って人生の最期まで勝利の栄光で彩って差し上げたかった。
モルト老の絶望を更に深めていたのは、己の粗忽さのせいで忠誠を奉げ尽くせなかったという後悔だったのだ。
今目の前にその挽回の機会があった。
別人ではある。
しかし、モルト老は主に出会った日と同じくシャルルに引き付けられるような感覚を覚えていた。
それを運命というのならそうなのだろう。
出会うべくして出会った。
自然とそう思えるそんな感覚を覚えていた。


「ぶわーはっはっはっは。なんだ、その無様な乗り方は?オレを笑い死にさせる気か!?ひ――ひっひっひっひ」


だが、目の前の小僧はまだまだ未熟。
自分が剣を奉げるだけの器ではない。
ならば鍛えればいい。
武辺者だった自分が主から伝え聞いたこと、その全てを叩き込めばいい。
いや、自分の武の全ても教え込もう。
今度は自分で理想の主を育てるのだ。



それは必然の出会いだったのかもしれない。
その日、屍だった男は生き返ったのだ。






------後書き------

タイミング的にここで入れるしかなかったモルト老の回想話。
もはや隠す意味皆無な気もしますが、一応正体は最期まで伏せさせてもらいます。
まぁ、結構な方が分かっているのでしょうが……。
何の毒だよ、とか何ですぐに動けるんだ、とかいうツッコミはあると思いますがそこら辺はお目こぼしして下さい。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしております。






[8422] 戦火の後に
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/12/25 17:37
帝国進軍の報は激震となってイタリア半島を駆け巡り、直後に訪れた壊滅の報は更なる衝撃を以って人々を震撼させた。
誰もがミラノ公国伸張の停滞を予想し、それを裏切られたのだ。
ミラノはその強勢を世界に知らしめた。
ヴェネツィアに、帝国に、そして勿論フィレンツェにも。


「馬鹿な!?」


件の報を聞いたジョヴァンニの第一声はそんな在り来りな科白だった。
人は感情を強く揺さぶられた時、一定の反応を示す。
ジョヴァンニが示した在り来りな反応は、彼が心底驚いたという証拠であった。


「何かの間違いではあるまいな」


問い直すその言葉の裏には、嘘であってくれという願望が込められている。


「確かなことです。帝国軍はミラノ公国によって壊滅いたしました。
 恐らく皇帝陛下も捕虜となられたかと……」


ジョヴァンニは無言で呻いた。
皇帝の身柄がどうなろうと、フィレンツェには関係ない。
重要な事実はただ一つ、もはや破滅は避けられないということだ。
分散される筈されたミラノの意識。迫り来る帝国の大軍。
その状況を利用して危機を脱する、というのがフィレンツェに残された唯一の道だったのだ。
しかし、迅速な対応によってミラノが帝国を撃退した以上、もはやその作戦は実行できない。


「ウルビーノ伯を呼び戻すのだ」


策の練り直しをしなければならなかった。
立ち去る部下の姿を眺めながら思考の海にその身を沈めていく。


「諦めん。諦めんぞ。もはやワシには後が無いのだ」


諦めが人を殺す。
その点で云えばジョヴァンニはまだ生きている。
しかし、その足元は忍び寄った鎖によって絡めとられていた。













神聖ローマ皇帝ループレヒトは用意された馬車に放り込まれ、道々の都市に逗留しつつミラノまで運び込まれた。
馬車はガレアッツォが急遽拵えた美々しい物で、黒毛が凛々しい巨馬を3頭に轢かせている。
内装も豪奢なもので、まるで主を迎え入れるかのような丁重振りであった。
敗軍の将となり、あらゆる虚飾を剥ぎ取られたループレヒトにとってみれば、却ってこの扱いはつらいものであった。
貴人の身代金はその身分によって加速度的に上昇する。
シャルル5世の父、フランス王ジャン2世の場合で300万エキュであった。
これは王家の年収の10倍、金塊に換算して5トンという莫大なものなのだ。
形式上はフランス王よりずっと身分の高いローマ皇帝ならば一体どれ程途方もない金額になるのか。
想像しただけでも眩暈がする額になることは間違いない。
そうかといって自分から格下の扱いを要求するわけにもいかないのが貴族のつらい所であった。
何といっても見栄が全てに優先する世界である。
口が裂けてもそんなことは言えないし、また身代金の減額など言えるわけもない。
それは自分で自分の価値を下げることを意味するからだ。
今のループレヒトに出切ることは、ふんぞり返ってせいぜい皇帝らしく振舞うことだけであった。


「あと如何ほどで付くのだ」


声が震えないようにという必死の努力の甲斐あって、ループレヒトはその身分に相応しい語調で問いかけることができた。
馬車の中には護衛と称した見張り役のガッタメラータが居て、二人きりである。
これは戦場で悪鬼の如き戦い振りを見せられたループレヒトにとっては拷問に等しかった。
獅子の檻に裸で入れられている。
ループレヒトはまさにそんな心境であった。


「もう、間もなくといった所です。御辛抱下さい」


ふむ、と気の無い返事を返す。
ループレヒトは何も到着までの時間を知りたかったわけではなかった。
単に緊張に耐えられなくなったのだ。


「いや、別に急いているわけではない。ゆるりと行ってよいぞ」


ループレヒトのこの言葉は本心である。
ガレアッツォに会う前にせめて心の準備をしたかった。
殺される心配は無くとも、ガレアッツォの思惑次第で今後の人生が決まるのだ。
下手をしたら一生幽閉され、飼い殺しにされる可能性もある以上、覚悟を決める時間が欲しかった。
しかし、現実は何所までも無情なものだ。


「言ったでしょう、間もなくだって。もう着きましたよ」


悪戯気な表情のガッタメラータの言葉にループレヒトは愕然とした。
ここでもまた奇襲である。
こうしてループレヒトは精神的にも不利な状態でガレアッツォの下に引きずり出されたのだった。






ループレヒトは最高級の貴賓室に通される。
そこには既にガレアッツォが待機しており、ループレヒトの到着を待ち構えていた。


「御足労、痛み入ります。何か不便な点は御座いませんでしたでしょうか?」


自身を格上に扱う、と宣言したも同然の言葉にループレヒトは無言で首を振った。
あぁやはりか、という諦観すら込められた態度である。
ガレアッツォは自分を骨の髄まで利用し尽す気で、自分はそれに抗うことすら出来ないのだ。
ループレヒトは虜囚の惨めさを感じていた。


「早速ですが、陛下。御身が帝国を出立してからここに到着するまでに些か時が過ぎました。
 その間に起こった出来事をお伝えしてから身代金についての話をするとしましょう」


ガレアッツォのこの言葉はループレヒトにとって渡りに舟であった。
彼としても現在の帝国の状況は気になる所であったからだ。
大軍を率いて出立したあの日から4ヶ月程の時が過ぎている。
時勢が移り変わるには十分過ぎる期間である。


「宜しく頼む」


そう言ったループレヒトに頭を下げつつ、ガレアッツォはドイツに起こった変事を告げた。


「陛下が出陣されている間、帝国も未曾有の大乱にみまわれました。
 ポーランド王ヴワディスワフ2世がドイツ騎士団領に侵攻。
 迎え撃った騎士団は敗戦。
 多数の騎士が討ち取られ、騎士団長ユンギンゲン殿も行方知れずとなっております。
 その後、散り散りとなった兵を狩りつつ、ポーランド王は進軍。現在はドイツ各都市を落としておられるようです」


淡々としたガレアッツォの言葉をループレヒトは震えながら聞いていた。
ガレアッツォの言葉を信ずるならば、まさに未曾有というに相応しい損害であろう。
自分の敗戦も古今稀に見るものであったが、遠征での敗北であった。
しかし、ドイツ騎士団の敗北は敵に攻め入られてのものであり、今も領地を切り取られ続けている。
神聖ローマ帝国にとって、愁眉の急がどちらにあるのかは明白であった。


「これに対し、ハンガリー王ジギスムントが諸侯を束ね、防衛体制を強化しつつあるようです。
 残念ながら陛下。既に諸侯の間では御身の即位は無かったことのように扱われているようです」


ループレヒトは首を絞められたかのように苦しげな声を出して呻いた。
想定し得る内で、最も最悪な事態だった。
皇帝となるためにはローマ教皇による戴冠が必須であり、ループレヒトは未だそれを済ませていない。
今のループレヒトの正式な身分はバイエルン公なのである。
ループレヒトは諸侯から見捨てられたのだ。
ガレアッツォはその絶望につけ込んだ。


「しかし、私は御身こそ皇帝であると考えております」

「何と!?」

「御身は既にドイツ王、イタリア王、ブルグント王の地位にあられます。
 残すは教皇による戴冠のみ。
 それも我等の手に掛かれば容易きこと。すぐに叶いましょう」


ガレアッツォは毒を流し込む。
寄る辺を失い、正常な判断力を鈍らせた男を手玉に取るなど老練な彼には容易なことだった。


「このままではジギスムントに御身の全てを奪われることになりましょう。
 許せるのですか?
 正当な地位は正当な者の手にあるべきなのではないですか」


奪われる。
20歳近くも年下の若造に全てを。
その事実を認識したとき、ループレヒトの心に激烈な怒りが込み上げてきた。


「許せない!!
 そのようなこと、あってよい筈が無い」


その様子を冷めた目で眺めつつ、表面上だけはにこやかにガレアッツォは話し掛ける。


「御身と私の利害は一致しました。
 では、私も正当な権利。御身の身柄の代償について話すといたしましょう」


ガレアッツォはそこで言葉を切ると、はっきりと要求を告げた。


「ブルグント王の地位。
 そして御身が治めるバイエルンと等しい領土、あるいはそれに見合った金銭を要求いたします」

「そ、それは……」


これにはループレヒトもたじろいだ。
広大な領土である。
おいそれと渡すには大きすぎる。
かといってそれに見合った金銭など払える筈も無い。


「皇帝の身代金と考えれば、決して高く無いと思いますが」

「確かにそうである。だが、しかし……」


躊躇うループレヒトをガレアッツォは宥めすかし、意識を誘導する。


「お受け頂けるならば、責任を持って私が御身を正当な地位に就ける御手伝いをいたしましょう。
 我が国の力は御身自身がよく御知りの筈。
 それに御身の為すべきことを、皇帝の位を取り戻す、そのことを考えれば戦力はいくらあっても足りないのでは」


ガレアッツォは、既に皇帝の地位はジギスムントのものとなってしまったかの様に話している。
実際は、物事はそう単純に進まず、ジギスムントに反目している者もいるのだが、
情報源をガレアッツォのみしか持たない今のループレヒトにとってみれば、ガレアッツォの語ったことが真実であった。


「御身を名実共に皇帝にしてみせましょう。ミラノ公である某の名に賭けて」


ガレアッツォは頻りに皇帝、という言葉を使った。
ループレヒトがその地位に執着していることは一目で分かる。
何といっても、その言葉を聞くだけで反応が違うのだ。
これ程分かりやすい交渉相手はいなかった。


「う~む。少し、考えさせてはくれぬか」

「勿論に御座います。しかし、時は過ぎ行くもの。
 時機を逸すればそれだけ望みは遠くなりましょう。決断は御早めになされませ」


玉虫色の回答を受けてもガレアッツォは小揺るぎもしない。
最後まで丁重に接し、恭しい態度で辞去する。
しかし、部屋を出てからはその態度をがらりと変えて、嘲笑を浮かべながらこうのたまった。


「さてさて、何とも俗な男だ。あれでは率いられた兵が哀れでならん」


しかし、そんな男でもガレアッツォにとっては大事な身であった。
北イタリアを手中に収めつつある今、ガレアッツォが考えるべきなのは今後矛先を何所へ向けるかであった。
更に北へ進むか、南に行くか。
ガレアッツォは北に広げることにしたのだ。
さしものガレアッツォもローマ教皇領を征服することは躊躇われた。
人々の心に巣食う宗教への畏敬を慮ったといってもいい。
何はともあれ、北へと拡大すると決めた以上口実が必要となる。


「まぁ、大人しく従ってくれればワシに文句は無い。
 本当に皇帝にしてやってもよかろう」


ループレヒトはそのための大義名分なのだ。
ループレヒトが有する三つの王位の中でブルグント王を欲したのも今後を思ってのことなのである。
イタリア王を称してラディスラーオを刺激することを避けるためであるし、ドイツ王を名乗ってドイツ諸侯を警戒させ、結束されないための計らいであったのだ。
ガレアッツォの野心。
それは北イタリアでは満足していない。
更なる雄飛へ。
次に向けてガレアッツォは動き始めていた。













ポーランド王ヴワディスワフ2世。
彼こそ今代の東欧における英雄であった。
元々の彼は名をヨガイラといい、リトアニア大公の地位にあった。
その地位とて安穏と継承したわけではない。
即位当初、ヨガイラは叔父のケーストゥティスと共同でリトアニアを統治していた。
知識も経験も上の叔父との共同統治。
それが如何に困難なことかはヨガイラの辿った末が証明している。
ヨガイラは大公位を奪われ、追放された。
並みの者ならば地位を回復することも出来ず、失意の底でその身を終わらせるだろう。
しかし、ヨガイラは違った。
彼はリトアニアと争っていたドイツ騎士団の助けを借り、翌年には大公に返り咲いている。
更に、ポーランド王に就いた経緯も彼の優秀さを証明している。
ポーランド王国は先王ルドヴィクの死後、末娘のヤドヴィカが跡を継いだ。
ポーランドは早急に新たな指導者を迎えねばならなかった。
バルト海沿岸部に陣取るドイツ騎士団がポーランドへの圧迫を加えており、ポーランド貴族はこれに対抗するために強力な指導者を求めたのだ。
それに選ばれたのがヨガイラなのだ。
その後ヨガイラは、ヤドヴィガが死に、彼の王位への正当性が無くなった後も引き続きポーランド王に君臨している。
この事実こそ、ヨガイラが優れた統治者として支持を集めていたという証拠だろう。
ヴワディスワフ2世とはそんな人物であった。


「感無量である」


ヨガイラはシレジアを貫くオーデル川を眺めながらそう呟いた。
彼に付き従ったツィンドラムの目にも光るものがある。
彼等は長きに渡ってこの地を欲してきたのだった。


「誠、これまでの苦労が報われるようですな」

「うむ」


ヨガイラは寡黙な男であった。
尖った鷲鼻と蓄えた口髭が特徴的な厳しげな顔付きの通りの人格で、必要な時以外に口を開くことはない。
そんな彼が我知らず感動を口にした。
そこにポーランドの悲願の達成、その喜びが表れていた。


「この地も我等の帰還を喜んでいることでしょう」


手放しではしゃぐツィンドラムをヨガイラは無言で戒めた。


「これは、一人先走り過ぎましたかな。御許しを」


謝辞する部下を見るヨガイラの目には負の感情はなかった。
シレジア地方はポーランド王国発祥の地である。
ツィンドラムのような純然たるポーランド貴族にとって、この地の回復がどれ程の喜びなのか、それを察せないヨガイラではなかった。
ヨガイラ自身、王となって以来シレジア回復の機会を待ち続けてきたのだ。


「しかし、陛下。私は嬉しいのです。
 これまで幾度、あの横柄な騎士団に苦渋を嘗めさせられてきたか。
 それを思えばなおさら、私は此度の勝利が嬉しいのです」


ドイツ騎士団。
彼等は騎士団にして騎士団ではなかった。
それは選挙で選ばれる総長を統領とした宗教的共和国であり、東方の異教徒を征服し、多数の貿易都市を抱える一大勢力であった。
そんな彼等とポーランドの戦乱の歴史は長く、3世紀にも及んでいる。
騎士団は神聖ローマ皇帝の権威を後ろ盾にポーランド国王の権威を蔑ろにし、その領土に野心を剥き出しにしてきた。
ポーランドの歴史はその魔手からの防衛の歴史だったのだ。
それに終止符が打たれた。


「……ワシもだ」


さしものヨガイラも感慨深いものを感じずにはいられなかった。
勿論、ヨガイラは始祖の地を回復するだけで満足するつもりはない。
今この時も従兄弟であり、右腕でもある現リトアニア大公ヴィータウタスが北部ドイツの経済都市リューベック目指して進撃中であるし、
少なくとも帝国の1/3は切り取るつもりである。
しかし、今この瞬間だけは込み上げる情動に身を任せていたかった。













海の女王ヴェネツィアもまた件の変事によって打撃を受けていた。
いや、最も打ちのめされたのはこの国であったといってもいい。
事前準備も含めれば足掛け4年以上にも及ぶ労苦が水泡に帰したのだ。
そのために使った莫大な資金も全て無駄となった。
その上ポーランドが進駐してきているとなれば、これはもう泣きっ面に蜂というようなものであった。


「さて、如何にせん」

「まさか斯様な事態となるとはの……」

「如何様。まさか皇帝がここまで不甲斐ないとは思いもせなんだ」


これはヴェネツィアの紛れも無い本音であった。
あれ程お膳立てを整えてやったのにしくじるとは、まさに思いもしないことであったのだ。


「こうなっては我等が表に立ち、ミラノと敵対する他あるまい」


一人の者が静かな決意と共に言い放った言葉に皆が頷いた。
ヴェネツィアが裏方に回り、ミラノと直接対決することを避けたのには理由がある。
ヴェネツィア軍の本領は海戦にある。
勿論、陸戦でもイタリア屈指の実力を有しているが、矢張り海戦程に得手ではない。
そして、ミラノは陸戦こそ得意としていた。
負けはしなくとも尋常でない被害を受けるだろう。
そんな予測がミラノとの対決を躊躇わせたのだ。
それに戦が長引けば折角降したジェノヴァがまた息を吹き返す可能性があった。
かといって今ミラノを掣肘しなくては手に負えなくなってしまう。
そんなジレンマの末の策であったのだ。
しかし、それが破れた以上、自ら打って出なくてはならない。
フィレンツェを今にも降さんとし、皇帝を捕虜としたミラノはそれ程の脅威であった。


「しかし、誰を主将とする?」

「生半な者では務まるまい。敵は強大じゃ」

「だが、悩む暇はないぞ。時が経てば経つほどミラノは大きくなる」


これは真実であった。
ミラノは僅か2年でその領土を倍加させている。
もうすぐフィレンツェを降し、帝国から身代金として領土を切り取った場合、更に倍となろう。
攻めるなら今しかないのだ。
急激な伸張は歪みを生む。
ガレアッツォは必ず内政に腐心しなければならなくなるだろう。
そこを突くしかない。
その時機を逃せば、ミラノの勢力は揺ぎ無いまでに磐石となり、逆にヴェネツィアを脅かすことになるのだ。


「カルロ・ゼンしかおるまい」

「そうじゃ、カルロ・ゼンじゃ。彼ならばミラノを落とすことが出切る」


カルロ・ゼン。それはヴェネツィアが誇る英雄の名であった。


「いや、カルロ・ゼンにはジェノヴァを完膚なきまでに叩きのめし、立ち直ることが出来んようにするという重大事を任せてある。
 この上でミラノまで、とはいくまい」

「何を言う。ジェノヴァなど風前の灯火、捨て置いても大勢は変わらぬ。
 今ミラノに最大の戦力を当てねば必ず後悔するぞ」

「しかし、我等の本分は貿易にあるのだ。 
 制海権を確固たるものにすること、それを疎かにするわけにはいかん」

「では、どうするのだ!?」


各々が意見をぶつけ合う中、ドージェであるミケーレ・ステーノが重い口を開いた。


「カルロ・ゼンにはミラノに専念してもらおう。
 商売をするにしても我等の故郷が戦火に曝されてはどうしようもあるまい。
 今は目前にせまるミラノの脅威を取り除く、それに我が国の全てをかけようではないか」


ヴェネツィアにおいてドージェの権力は絶対ではない。
しかし、その発言には一定の敬意が払われるのが慣例であった。


「フェラーラ、マントヴァ、パドヴァに使いを出し、結束してミラノに当たるのだ。
 彼等とてミラノに脅かされている身。
 利害を超えて手を取り合うに躊躇いはない筈だ」


ミケーレの発言は多くの者の心を動かし、会議の大勢を決した。



こうして密かにヴェネツィアからの密使が三都市の長へと送られることになる。
イタリア半島を襲う大乱。
それが収まるまで今暫くの時が必要なようだった。







------後書き------

ヴワディスワフ2世やっとの登場であります。
紛れも無い大英雄ですので扱いに苦慮しました。
登場人物全員喰われかねないので……。
戦争も新たなステージに突入していきます。
主題から遠く離れておりますが、必ず辿り着かせますのでお付き合いください。
それでは、御意見、御批判、御感想をお待ちしています。





[8422] ブルグント王国復興の宴
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/12/11 18:57
馬車に揺られながら考える。
人の罪深さ、業の深さを。
オレが改めてそれを認識する出来事があったのだ。
ミラノ公国はブルグント王国へと生まれ変わる。
オレはその戴冠式に出席するため、ボローニャからミラノへと向かっていた。
随伴しているのはフリッツのみ。
貴族から嫌われているラングは、ボローニャに残り新たに増えた領土を整備するべく書類と格闘している。
窓から物憂げに外を眺めていると、フリッツがオレに話しかけてきた。


「フィレンツェの事を御考えで?」

「あぁ」


オレはそれに御座なりに答える。
フィレンツェは落ちた。
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ最大の宿敵であった彼の国の終端は実に呆気なく、オレにとっては衝撃的なものであった。
ミラノに奇襲を仕掛けた帝国軍に呼応するようにフィレンツェは打って出た。
シエナまで迫り、一息にこれを占領しようとしたのだ。
だが、失敗した。
元々フィレンツェとシエナの二つの都市はライバル同士であった。
シエナ市民はミラノの支配下となった今でも長年争った過去を忘れていない。
フィレンツェの誤算がここにあった。
シエナの頑強な城壁と兵民一体となった防衛は、数に利する攻め手を撃退し撤退を余儀なくさせた。
ファチーノに防衛を任されていた傭兵隊長は即座にこれを追撃。
ウルビーノ伯が巧みな指揮によって甚大な被害を与えたものの、衆寡敵せず捕虜となった。
このシエナ戦の失敗がフィレンツェ陥落の遠因となった。
いや、もっと言えばウルビーノ伯の不在がフィレンツェを破滅させたのだ。


「人の心理とは恐ろしいものだ。
 だがな、フリッツ。
 私は何もあそこまでする必要はあったのか、と思うのだよ。
 あの様な事態になる前に止めることが出来た。少なくとも我等にはその力があったのではないか、とな」


伝え聞いただけでも怖気が走るようなフィレンツェの惨状は、オレの心を憂鬱にさせるに十分なものだった。
こういったとき、自分の心の弱さを実感する。
何かにつけ人道が重視された現代を知るだけに、この時代の戦争観は受け入れがたいものだった。


「お優しいのは美徳ですが過ぎると悪徳です。
 フィレンツェ市民は我々の敵でした。
 それも貴族を殺し、上に立つことを覚えた者達だったのです。
 彼等は無条件に従う羊ではなくなってしまった。
 ならば排除する他無かったではないですか。
 それを最小の労力で行ったファチーノ様の判断は間違ってはいなかったと思います」


フィレンツェの最後は自滅。
ファチーノがやったことは、戦に負けボロボロになって帰ってきた傭兵は素通りさせ、中からは誰も出れないように街を囲んだだけだった。
それだけでフィレンツェは内部崩壊していったのだ。
切っ掛けは些細なことだったらしい。
逃げ帰った傭兵に心無い市民が罵声を浴びせた。
役立たず、これだから余所者は、自分達の街を守るのは矢張り自分達だけなのだ、と。
元々対立の下地はあったのだ。
しかし、ウルビーノ伯とジョヴァンニという二つの重石がそれを塞いでいた。
その片方が除かれたとき、亀裂は一気に深まり、傭兵と市民は激突し始めた。
冷静に考えれば益の無い抗争だ。
だが、ジョヴァンニにはそれを止めるだけの力が無かった。
理由は一つ。
ジョヴァンニは市民に選ばれたリーダーだったからだ。
市民の意識、その根底にはジョヴァンニは自分達が選んだ、という考えがあった。
その考えはジョヴァンニと自分達は対等である、という認識に繋がっている。
抗争を止めるには強烈なリーダーシップを発揮するしかなく、ジョヴァンニにその力は無かった。
そして、ミラノ軍は疲弊し防衛力の低下した都市に一気に雪崩れ込み、傭兵も市民も諸共に虐殺した。
男も女も、老いも若きも関係なく。
戦闘は二時間も掛からなかったそうだ。


「殺しを覚えた市民は人肉の味を知った犬と同じです。
 危険すぎて、放置してはおけない。
 彼等は事あるごとに力に訴えるでしょう。
 最も簡潔で、最も分かりやすい手段を知ってしまったのですから。
 治安を維持する上でも、そんな連中が居てもらっては困るのです。
 殿下、これは仕方の無いことでした。
 それに非戦闘民は街から出して隔離するのが戦の常識です。
 都市内部に居た以上、殺されても文句は言えません」


フリッツの言葉にオレの理性は納得している。
そう、必要な措置ではあった。


「……そうだな」


それでも遣る瀬無い感情を持ってしまうことは否めず、オレはそんな気のない返事をした。













オレの祖父ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティがブルグント王になったことでオレの計画は大きな変更を余儀なくされた。
最も、嬉しい変更だ。
ブルグント王国の復興。
そして、神聖ローマ皇帝を戴いての北征。
もはや教皇派や皇帝派といった枠組みを超越した新たな段階にガレアッツォは進んだのだ。
これを継承すれば、オレは大きな地盤を手にすることが出来る。
ブルゴーニュ公も越える、フランス王妃イザボーですら問題とならない巨大な権力を有することが出来るのだ。


「だが、障害となる者もいる。そうだな」

「御意」


戴冠式も終わり、開かれた盛大なパーティーを抜け出して、オレとフリッツは二人だけで密談をしていた。
フリッツにはオレの目的が、ミラノで力を付け母の名誉を回復することであることは告げてある。
ここ数ヶ月、彼とは寝食を共にするも同然に過ごしてきた。
その間の言動やちょっとした仕草、報告されたオレの前に居ないときの行動等から、フリッツは信頼に値すると結論付けたのだ。
正直、ここまでしないと他人を信用できないのはどうかとも思う。
だが、転生後の短い人生を顧みると、ここまでしなくては足下を掬われかねないということをオレは分かっていた。


「ジョヴァンニ・マリーアとカテリーナ王妃。
 立ち塞がるのはこの二人だろう。
 ジョヴァンニは凡夫だ。
 彼個人は大した敵ではない。
 問題は甘言を弄し、ジョヴァンニを操らんと画策する者だ。
 そう、ガレアッツォの強権に抑え付けられてきた大貴族達とかな。
 だが、そのような連中が打てる手は限られている。
 真に警戒すべきはカテリーナ王妃の方だ」


ブルグント王妃となったカテリーナはガレアッツォの従兄弟であり、二番目の妻だ。
一人目の妻はオレの母を産んだ一年後に亡くなっていた。
カテリーナとの結婚はガレアッツォがまだ若く力の無かった頃、権勢を揮っていた叔父から無理矢理押し付けられたものだった。
それは若き日のガレアッツォにとって、どれ程の屈辱であっただろうか。
一方のカテリーナも、やがて力を付けたガレアッツォによって父を討ち滅ぼされている。
これで仲睦まじい夫婦になれというのが無理な話だ。
二人の夫婦生活は最初から破綻していた。
現に、ジョヴァンニもフィリッポも愛人の子である。
オレの言葉にフリッツも頷いた。


「ジョヴァンニ様が王位を継いだ場合、カテリーナ様は摂政として権力を握ることが出来ます。
 だが、殿下の場合はそうはいかない。
 ヴァレンティーヌ様とカテリーナ様は血の繋がりも無く関係も希薄ですし、間違いなくオルレアン公が文句を付けるでしょう。
 カテリーナ様にとって、殿下が王位に就くことは都合が悪い。何としても阻止したい筈です」


これは推論ではない。
確信だ。
二時間ほど前、パーティー会場でオレはカテリーナの敵意を肌で感じたのだ。 






オレがミラノに来て約3年。
宴にはそれなりに参加してきたのだが、驚くことにカテリーナと会うのはこれが初めてだった。
相手が避けていたのか、偶然なのかは分からない。
少なくともカテリーナが母に友好的ではないことは確かなようだった。
カテリーナに会った時、オレは母とイザベラと一緒に居た。
そのときオレは、はっきり見た。
頭を下げ、挨拶をする母とオレに向けたカテリーナの暗い眼差しを。


「お久し振りに御座います、お母様。
 体調が優れぬとのことで長く御目にかかることは御座いませんでしたが、こうしてお元気そうな姿を見ることが出来て嬉しう御座います」


そう言った母の横で、オレはそれとなくカテリーナを観察していた。
軽く頭を下げながら母に返答する祖母の態度を窺う。


「本当に久し振りだこと。心配して下さって有難う」


穏やかな口調と言葉とは裏腹に、オレ達を見るカテリーナの目は真逆の感情を伝えていた。
今年でカテリーナは42歳。
その容貌は、従兄弟だから当然なのかもしれないが、ガレアッツォとよく似ている。
母はカテリーナの冷たい視線を感じていないかのように振る舞いながら、オレとイザベラの背に手を回すとカテリーナに紹介した。


「こちらは、息子のシャルル。
 そして、その婚約者でシャルル王の娘であるイザベラです」

「初めましてお婆様。シャルル・ド・ヴァロワに御座います」

「初めまして。イザベラ・ド・ヴァロワです」


オレ達は前に進み出ると、それぞれ自己紹介をした。
伏せた頭越しに降り注ぐ視線の圧力を感じ、イザベラは僅かに居心地が悪そうにしている。
この時点ではカテリーナの態度は、友好的とはいえないといった程度だった。

 
「ブルグント王妃カテリーナ・ヴィスコンティです」


カテリーナがそう言ってからやっと、オレ達は顔を上げた。
ここまで彼女に気を遣うのは、ガレアッツォがブルグント王の座に昇ったからだ。
身分の上下というのは厳格なもので、公の場においてはどんな時でもそれを意識した対応をしなくてはならない。
例え戦場で捕虜となろうとも、戦が終わってしまえば身分の上下がものをいう。
敗者の捕虜の身分が高ければ、勝者が敗者に頭を垂れるという事態が生じるのだ。
現代の感覚でいえば奇異に映る慣例であるが、それがこの時代の常識であった。
無論現実としてその者が捕虜の立場にあり、その身が勝者の一存に預けられていることには変わりない。
だが、建前としてそのように扱わねばならなかった。
そして、ブルグント王の格付けはフランス王よりも上である。
フランス王女であるイザベラといえど、今やブルグント王妃となったカテリーナに頭を下げる立場であった。
挨拶が終わると、カテリーナがオレに話し掛けてきた。


「シャルル殿は利発であると聞き及んでいます。まだお小さいのに政務に参加して実に立派なことですね」

「御爺様の名を汚さぬよう、努力する日々です」

「聞けば、此度の勝利にも大きく貢献なされたとか。何といいましたかね……、そう腕木通信とかいうものを御考案なされたとか」

「私は案を出しただけに御座います。真に称せられるべきは、それを実用段階までこぎつけた御爺様でありましょう」


オレとカテリーナは表面上穏やかな、実情は限りなく寒々とした会話を展開させていた。
鍔迫り合いのように互いの出方を窺う。
ちょっとした言葉が命取りになりかねない。
社交界は貴族にとってもう一つの戦場であった。
そこには男も女も、大人も子供も存在しない。
一人一人が兵士であり、一人一人が将師。
各々が己の名誉のために戦う、それが社交である。
オレはカテリーナが優しげな言葉の影に潜めるであろう刃を見極めんと神経を集中させた。


「御爺様は地方都市であったミラノを公国に、そして王国にまで発展させました。
 その功績は古今の英雄と比べても遜色ないものでしょう。
 こうして王国誕生の宴に出席し、私もその孫として恥ずかしくないようにせねば、と思いを新たにする次第です」


カテリーナの内心がどうであれ、オレも彼女もガレアッツォを立てなければいけない身であることに変わりはない。
ブルグント王国はミラノ公国である時から変わらずガレアッツォの独裁体制にある。
その成り立ち上、王権が強く政治体系は後年の絶対王政に近かった。
取り敢えずガレアッツォの名を盾にしておけば大抵の攻撃は交わせるのだ。


「感心な心掛けです。シャルル殿は幼いのに臣下としての心構えが出来ていらっしゃる」


オレとカテリーナの会話に、周囲の貴族は耳を欹てている。
王妃と王位継承者、それも互いに接点の無かった者同士の会話だ。
今後の立ち回りを考える上でも、彼等はオレ達の遣り取りを無視できない
そのことをオレもカテリーナも意識していた。
注目を集めているというこの状況は、攻撃において大いに利用できるからだ。
先に仕掛けたのはカテリーナだった。
彼女の言葉はどのようにも取れる微妙な言い回しをしていた。
露骨に王位への野心を見せるわけにはいかない。
かといって全く興味がないと示すわけにもいかない。
ここで素直に頷けば、ジョヴァンニかフィリッポに臣従するつもりであると吹聴されかねないからだ。
子供の言を誇張して、と眉を顰める者はいない。
子供という立場を利用するには、オレは些か功績をあげ過ぎていた。


「いえ、御爺様への尊敬の念があればこその心構えです」


オレはここでもガレアッツォを盾に取り、自身の立場を明確にすることを避けた。
ブルグント王国は成立して間もない。
大胆な行動をするには早すぎる、そう判断したのだ。
カテリーナは鷹揚に頷いてオレの態度を褒めてみせつつ、切り口を変えて攻撃してきた。


「ところでシャルル殿は国本を離れ、ミラノに来てもう3年になりますね。
 それだけの期間、外国にいると誰しも寂しさが募るもの。
 そろそろ故郷や父君が恋しくなられたのでは?」


カテリーナはオレがフランス人であることを突いて来た。
これはオレの弱点だ。
まだ民族意識が確立していないとはいえ、外国人に対する壁というのは確かに存在する。
カテリーナは貴族達の意識にオレが外国人であることを植え付けるつもりなのだ。
フランスを故国と言い、あくまでもオレは外国人であると匂わせているところにカテリーナの巧みさと嫌らしさがあった。
オレは返答に窮した。
ここにはフランス貴族も大勢いる。
もはや自分はミラノの人間だ、などという下手な返答をすればフランス社交界に飛び火してしまうだろう。
次期オルレアン公がフランス人であることを捨てた、と受け止められかねない発言は絶対に出来なかった。
かといって外国人であることを認めてしまうのも不味い。
いくらガレアッツォの独裁体制とはいえ、貴族を全く無視して王位継承レースに参加することは出来ないからだ。
追い込まれたオレを救ったのは母だった。


「息子への温かい心配り、本当にありがとう御座います。
 シャルルは母思いで、私に付いてミラノまで来てくれました。
 私もシャルルが住み慣れたフランスから離れることに対し心配の念がありましたが、お父様の格別の御計らいでそのように寂しい思いをさせることはなかったと思います。
 様々なことを体験したこのミラノは、シャルルにとって第二の故郷となったことでしょう。
 故郷とは生まれ育った地のこと。
 その意味で二つの故郷を持てたこの子は幸せだと思いますわ」


そう言った母は御機嫌よう、と告げてオレの背中を押して立ち去った。
オレは機転を利かせてくれた母に感謝しつつ胸を撫で下ろしたのだった。






このようにカテリーナはオレに対して牽制をしてきている。
露骨なものではないにしても対応を誤れば傷になりかねないものだっただけに、先程のパーティーは実に神経を磨り減らすものだった。


「フリッツの方はどうだった?」


オレはフリッツにパーティーの成果を聞いた。
フリッツはミラノに来てから日も浅く、人脈を築ききれていない。
今日という日は、そのための絶好の機会だった。
貴族としてのフリッツは決して身分が高くない。
だからこそフリッツは鏡となり得る。
フリッツにオレという後ろ盾がいることは衆知のこと。
そのフリッツへの対応で、その者のオレへの感情が分かるのだ。


「下級貴族は問題ありませんでした。
 むしろ向こうから積極的に繋ぎを取ろうとしてきた位です。
 中級以上となると流石に慎重でしたね。
 ある程度距離を置いて様子を見ようというのが7割、今の内に派閥に入ろうとするのが1割、既に他の王子に付いているのが2割といったところでしょうか」

「他の王子といっても殆んどはジョヴァンニに付いているのだろう」

「まぁ、そうですね。
 ジョヴァンニ様は扱いやすそうな人物ですし、大貴族にとっては実に有り難い王になってくれそうですから。
 一方のフィリッポ様は警戒心が強く、気難しいときています。
 ジョヴァンニ様は兄でもありますし、そちらに取り入ろうとするのは自然でしょう。
 それに、フィリッポ様が殿下贔屓なのは有名ですから」


貴族の対応は予想通りのものだった。
若くないとはいえガレアッツォが死ぬまでもう暫くの猶予がある。
多くの貴族にとって、今は中立を保ち情勢を見極める時機だった。
王位継承レースはオレとジョヴァンニの直接対決という形でほぼ決まりかけている。
ミラノの大貴族が支持し、嫡子という強みのあるジョヴァンニ。
功績があり、オルレアン公である父が背後にいるオレ。
互いの勢力は拮抗していた。


「殿下の方はどうだったのですか?」


今度はフリッツがオレの成果を尋ねた。
オレが担当したのはフリッツが話しかけることも憚られる大貴族や馴染みのある者達だ。


「サヴォイア伯との接触に成功した」


サヴォイア伯はオレがこのパーティーで繋ぎを取ることを熱望していた者の一人だ。
現在の当主は早逝した父の後を継いだアメデーオ8世。
20歳という若さの俊英である。
サヴォイア家は400年前のブルグント王国崩壊以来からなるブルグント貴族であり、欧州屈指の名門だ。
その領土の大部分がミラノ公国西方に接しており、フランス東部辺境からアルプスを跨いでイタリアのトリノ周辺までを有している。
歴史的経緯からも、地理的にも決して無視できない存在であった。
しかし、オレからすればそれ以上にサヴォイア伯はブルゴーニュ公の派閥であるという事実が大きい。
サヴォイア伯領はブルゴーニュ公の領土とも接していて、彼はその娘を娶っているのだ。
何れフランスに戻り、政争に参加しなくてはならないことを考えると、ブルグント王位継承者の地位を利用して彼を取り込んでおくことは必要なことであった。


「感触としてはまずまずといった所だな。
 あくまでブルグント王国の復活をそれに連なる貴族として祝福する、という領分から出て来てはくれなかったが友好的ではあった。
 ファーストコンタクトとしては上々というものだろう」


ガレアッツォはナポリ王に攻められていた教皇に助力し恩を売りつけると同時に、ループレヒトを正式に皇帝として戴冠させるなどここ数ヶ月政治的な活動を精力的に行ってきた。
更にかつてブルグント王国であった地域の領有権も獲得したことで、今後の征服活動の大義名分も得ている。
ブルグント王国は成立して間もないにも関らず着実に地盤を固めつつあった。
サヴォイア伯としても、オレと友誼を結ぶことは大きな意義がある筈なのだが、やはりブルゴーニュ公の威勢も考慮すると慎重にならざるを得ないのだろう。
オレの意見にフリッツも同意した。

「殿下がまだ王になられると決まったわけではない、ということもあるのでしょう。
 ブルグント王国は様々な機会を手にしている代わりに火種も抱えています。
 皇帝を懐に入れていることなどはその最たるもの。
 大貴族である程、慎重な対応にならざるを得ないということは必然でしょう。
 今後はガレアッツォ様の勢力安定を応援すると共に、確実に地歩を築いていかなくてはなりません」


フリッツの考えはオレと一致するものだ。


「わかっている。
 下級貴族に関しては今後も御前に一任する。
 あまり好き勝手するわけにはいかないが、王国の利益になるのならある程度御爺様も裁量を任せてくださるだろう。
 大貴族に関しては……御爺様の手腕に期待する他ないな。
 下手に手を出してはお叱りを受けかねない」


ブルグント王国の安定と拡大。
それが直接オレの影響力の強化に繋がる。


「本当に御爺様には頑張って頂きたいよ」


そうぼやいたオレにフリッツが釘を刺した。


「殿下もボローニャを任されている以上、重い責任を負っております。
 そのことを常に自覚し、行動なされますよう。
 それが王座へと繋がっておりますれば」


オレはその忠言に分かっている、と頷いた。
引き続き要衝ボローニャの総督を任されたということは、これまでオレがボローニャで過ごした日々が認められたということだ。
それだけ期待されているということでもある。
大きな期待は容易く失望に変わることを考えれば、気を抜くわけにはいかなかった。


「暫くはボローニャで過ごすことになりそうだな。
 今度はリッシュモンとフィリッポ、エンファントの全員もボローニャに連れて行くとするか」

「それが宜しいでしょう」


政務を間近に見ることはフィリッポとリッシュモンにとっていい勉強になるだろう。
それにモルト老に扱かれるのなら、共に地獄を見てくれるリッシュモンは精神的にも一緒に居て欲しい人物だ。
オレはボローニャに戻った後の日々を思って、その目まぐるしさにぼやいた。


「これから忙しくなるな」


今度は口を挟むこともなく、フリッツも恭しく頷く。


「御意」


復活した古の王国。
誕生したミラノ側の皇帝ループレヒトと帝国側の皇帝ジギスムントという二帝時代の到来。
様々な火種を生み出しながらブルグント王国は発進した。
不安はある。
だが、そこにはそれ以上に発展への気概があった。
王国誕生記念日となるこの日、オレの心も未来への決意に満ち溢れている。
決意の杯を腹心と交わしながらミラノの夜は更けていった。






------後書き------
少し時間軸を飛ばしすぎたかな……。
そんな心配もありますが、だらだら続けるのもどうかと思うので思い切ってみました。
どうだったでしょうか?
今回はシャルル編ということで、周辺諸国の変化は次回以降に描写したいと思います。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしています。



[8422] 塗り換わった勢力図
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/12/16 18:39
ボローニャに戻ったオレを待っていたのは大量の書類……ではなく、モルト老による熱烈な鍛錬であった。


「オレは御前を鍛えるのを止めたわけじゃねぇ。
 ただ御前の体がまだ小せぇもんだから、これ以上続けても効果が見込めねぇと思って中断していただけだ」


青天の霹靂とはこのことだ。
今までも継続して稽古を付けて貰っていたというのに、それは修行ではなかったというのだ。
では、この3年余りの稽古は何だったのか。
そう問うとモルト老は事も無げに答えた。


「あれは力量を維持するためのものだ。技も筋肉も、使わなければ錆付いちまうからな」

「しかし、私も政務を執らなければ……」

「安心しろ。ガレアッツォに話は通してある。
 そもそも、御前が政治の真似事をしていたのは武術修行の代わりだっただろうが」


それはそうなのだが、政治の勉強というのも始めてみれば実に興味深く、最近は結構楽しんでいたのだ。
それに個人的には、同じ地獄のような苦しみなら精神的にきつい座学の方が肉体的にきつい修行よりもずっと好みだ。
しかし、オレの趣向などモルト老には関係ないらしい。


「いいから、ぼさっとしてねぇで仕度しやがれ。
 どんなに頭良くても戦で討ち取られれば御仕舞いだっていうのは、手前も分かってるだろうが。
 心配しなくても、今ブルグント王国は増えた領土の整備で一杯一杯で、どっかに戦争吹っかけることも新しい何かを始めることもできやしねぇ。
 御前がやれることは御前じゃなくても出切ることばかりだし、学べることもボローニャを落とした後に学んだことと同じだ。
 わかったか。今が修行の、絶好の機会なんだよ。
 くだくだ言ってないで表に出やがれ」


そう怒鳴りつけられて、オレは従容としてモルト老の後に続いた。
ふと、肩を落としたオレの背を誰かが叩くのを感じる。
力無く振り向くと、そこには実にいい笑顔を浮かべたリッシュモンがいた。


「諦めろ」


生き生きとそんな事をのたまってきたことにむっとしたオレは、反射的にリッシュモンの弱点を突っついた。
正義に過剰反応する彼の特性。
それを利用して一太刀浴びせようとしたのだ。


「力に屈するのは正義の在り方としてどうなんだ?」


今までのリッシュモンならばこのフレーズを聞いただけで少しは動揺した筈だ。
しかし、人は常に成長するもの。
リッシュモンもその御多分に漏れずこの2年で成長していた。


「長い者に巻かれることも時にはあるさ。
 私は学んだんだ。
 圧倒的力の前には思想も理想も意味を為さない、ということをな。それに……」

「それに、何だ?」

「地獄に落ちるなら一人より二人がいい」


きっぱりと言い切ったリッシュモンの表情は全てを受け入れた聖者のようだった。
清々しく爽やかなその様子は、やっと修行仲間が増えたことへの喜びに満ちている。


「そういえば御前は一人だけ付きっ切りで面倒見てもらってたんだよな」

「あぁ。御蔭で強くはなれたよ。その分きつかったがな」


実感の篭もった科白に、リッシュモンの2年余りの苦節と努力が透けて見える。
モルト老は嬉々として才能溢れるこの少年を鍛えたに違いない。
掛けられる期待が大きい分、リッシュモンに課せられた鍛錬はさぞきついものだっただろう。
意気揚々と前を歩くモルト老を見ながら、オレは深い溜息を吐いた。


「安心しろ。暫くは一緒だ」















ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ。
数百年振りにブルグント王の地位に就いたこの老人は執務室に腹心を集め、今後の戦略を練っていた。
重厚で大作りな台の上に地図が二枚広げてある。
片方は精巧に書き込まれたものだが、もう片方は疎らで白紙に近い。
前者は動乱以前の地図、後者は動乱後用に作成中の地図だった。
彼等はここ数ヶ月の戦乱によって書き換えられた勢力図を確認しているのだ。
文官が立ち並び、それぞれが調査した内容の書類を持っている。
ガレアッツォはそれを音読させながら、自らの手で地図に情報を書き加えていた。
そうすることで変化した情勢を整理しているのだ。


「まず、我が王国はバイエルン領の半分を獲得いたしました。
 領域はミュンヘンを含む南部、更にノイマルクトからホーフ以東です」


ミュンヘンはバイエルンの公都にあたる都市だ。
それを割譲したということは、ループレヒトは己が領土の中枢を明け渡したということを意味する。
彼の行動には理由があった。
バイエルンには三つの大都市がある。
ニュルンベルク、ミュンヘン、そして帝国自由都市アウグスブルク。
ガレアッツォはループレヒトのこれ等の内二つの領有権を要求したのだ。
実際にはループレヒトに選択肢は存在しなかった。
アウグスブルクは皇帝直轄と銘打たれているものの、自治都市である以上ループレヒトの統制下にあるわけではなく、明け渡そうとしても渡せるものでない。
アウグスブルクを要求したのはガレアッツォが征服の大義名分を欲したに過ぎず、ループレヒトとしても割譲して全く問題のない都市であった。
この問いはニュルンベルクとミュンヘンのどちら選ぶか、という二択だった。
この選択は非常に難しかった。
都市としての重要性は勿論公都であるミュンヘンが上である。
だが、政治的意味合いとしてはニュルンベルクの方がずっと上だったのだ。
ニュルンベルクは、カール4世の公布した金印勅書に皇帝即位後に第一回目の帝国議会を開催する地と明記されている都市であり、
更に歴代の皇帝が好んで居館に選んだことから『皇帝の街』と呼ばれている。
そう、ニュルンベルクは皇帝の象徴なのだ。
お飾りの皇帝と化したループレヒトにとって、ニュルンベルクの領有は最後の砦だった。
たとえ公都を失おうとも、皇帝の証となるものならば一つでも確保しておきたい。
皇帝であることは、敗れ去り虚脱したループレヒトの生命線だった。


「ミュンヘンを得たことは大きい。
 あそこはアウグスブルクにも近いからな。軍を集結させるにも適しているだろう」


ガレアッツォから見れば、ミュンヘンの方が発達していて旨みもある。
経済的にはアウグスブルクを征服すれば十二分なものが得られるし、強いてニュルンベルクに拘る理由もなかった。
こうしてガレアッツォはミュンヘンとアウグスブルクの領有権を得たのだ。


「しかし、ミュンヘンは長きに渡りバイエルンの公都として機能してきました。
 それ故、住民達の我々に対する強い反発が予想されます」


早くも次なる征服戦争について触れるガレアッツォに文官か注意を促した。
ミュンヘンは今までガレアッツォが征してきた都市、分裂し互いに独立したイタリア都市とは違う。
そこには帝国領土であった歴史があった。
これまでのように容易く飼いならせるとは限らない。


「分かっておる。
 ただでさえ領土が凡そ三倍となり、未だ各地域の把握も出来ておらぬのだ。
 少なくとも今後3年は戦争をしたくはないし、出来ぬ。
 これ程に領土が不安定では思わぬ落とし穴に嵌りかねないからな。
 今やるべきは誕生した王国を揺るがぬものにすることだ。
 それは分かっておる。
 だが、何れはアウグスブルクも完全に手に入れるのだ。
 その事を視野に入れてドイツ方面は整備しなくてはならぬ。
 それは確かなことであろう?
 各々もそう心得よ」


ガレアッツォがそう締め括った所で新たに増えた帝国領域についての話題は終わった。


「次はイタリア方面で拡大した領土です。
 まずこの度征服したフィレンツェと直後に帰順を表明したウルビーノ。
 そして、王国成立後に帰順したフォルリが増加した地域となります。
 また、フォルリに関しましては在住ユダヤ人が保護を申し出ておりますことをご報告いたします。
 これ等を以って、我が王国は北部イタリアの過半と中部イタリアの3/7を支配したことになります」

「重畳である。
 イタリア方面への拡大はこの程度にしておくとしよう。
 これ以上南へ進んでも旨みがあるまい。
 もし狙うとしたら東進し、パドヴァなどを攻めることとする……が、それも暫く後だ。
 先も言った通り、今は国内の安定が第一故な」


ガレアッツォの言葉に文官達が深く頷いた。
これから彼等にとっての戦争が始まるのだ。
その表情には、やっと来た大仕事への気概が宿っていた。


「さて、我が国についての話はこれ位にして次なる話に移るとしよう。
 ポーランドは最終的にどこまで来た?」


ガレアッツォが皇帝を捕虜とし、それを以って領土を大幅に増やしたのと同時期に、ポーランドもまた神聖ローマ帝国領に侵攻し破竹の勢いでその領土を削り取っていた。
しかし、ブルグントとポーランドには決定的な違いがある。
それはブルグントが自衛のために撃退し皇帝という身柄への代償として領土を得たのに対し、ポーランドは侵略によって領土を拡大したことだ。
一般的に、例え勝者となったとしても侵略の過程で支配した領域全てを得ることは出来ない。
それは戦後の外交によって幾分返還されるからだった。


「ドイツ騎士団領は完全に併合した模様です。
 我々が皇帝を捕虜としたことによって帝国内に少なくない混乱が生じ、そこに付け込んだのでしょう。
 更に、帝国北部はハンブルク、リューベクも含め全て獲得。
 辛うじてベルリンは死守したようですが、帝国領が大きく削られたことに変わりはなく、凡そ1/3がポーランド領となったことになります。
 尚、これによってポーランドは北欧連合王国と領土を直接接することになりました」


北欧連合王国。
それは1397年カルマル同盟によって成立したデンマーク、ノルウェー、スウェーデンから成る北方の雄である。
国王はエーリク7世であるが、実質的支配者はその伯母で女傑マルグレーテであり、北欧連合王国は『女王』と呼ばれる彼女が取り仕切る大国であった。
この国は、北方ドイツ諸都市から成る経済連合ハンザ同盟とバルト海貿易の主導権を巡って激しく対立しており、ハンザ同盟を征したポーランドとも引き続き対立することが予想された。


「さて、北欧とポーランド。その何れかとは結ばねばならぬ。
 我々は国内安定の暁には、皇帝を戴いて帝国領を切り取りにいく。
 横槍を入れられては困るからな。
 そして、ワシはポーランドと結ぶことにした。
 近々同盟の打診をするのでそのつもりで準備をしておけ」


この言葉によって、ブルグント王国の方針は定まった。
ガレアッツォはこれまでとは打って変わって、数年は内に篭もるという内政重視の姿勢を打ち出した。
国内安定化。
それがブルグント王国の至上命題であったからだ。
そのためには戦争はむしろ障害であった。
しかし、そんなガレアッツォの思惑に反して戦争は起きる。
操り師は未だ健在で、その牙を収めていなかったからだ。
  












シャルルが訓練場で扱かれているその頃、フリッツは動けない主に代わって蠢動していた。
王座。
唯一人のみしか得られぬその座を巡る暗闘は、例え現王が存命中であろうとも激しく行われる。
あるいはそれが人の性なのだろうか。
農民は塵芥に等しい財産を巡って、商人は商会の主の座を巡って、貴族は当主の座を巡って、王族は王位を巡って。
身分の高低、国の大小。
それらの区別無く繰り広げられる戦い、人の上に立たんと行われるその争いは何れも陰惨で醜く、そして浅ましい。
しかし、フリッツはそんな人の闇部を決して嫌っていなかった。
むしろ……


「この暗闇こそ我が住処である」


と豪語出来る程、フリッツは薄暗い活動に染まりきっている。
それは風采の上がらない貧乏貴族の四男、というややもすれば農民以上に惨めな地位に生まれついたフリッツが進んで被った泥であった。
身一つで家を出た少年が、王族に仲介してくれる程高位な者に辿り着くまでにどれ程の苦労があったか。
最初に行ったのは盗みだった。
次に手を染めたのは詐欺だった。
やがて殺しにも手を染めた。
そうして、その日のパンを手に入れるために始めた所業を続けているうちにフリッツは気付いたのだ。
己の適正、才は何処にあるかを。
反社会的活動。
一般に罪悪と捉えられる行いにおいて、フリッツは並々ならぬ才を持っていた。








「おぉ、ローワン。息子よ。何故死んだのだ!?
 死ぬのであればこの老いぼれで良かった。
 まだ若い御前には未来があったのに……。
 神よ何故息子をその御手に召された!!」


そう叫んで泣き崩れた老人を眺めるフリッツの顔は痛ましげなもので、目の前で起こった悲劇に対する同情に満ちていた。
誰もがこの男は心底胸を痛めているのだろう、そう思う表情をしている。
しかし、よく見ると目だけは冷たい光を放っていた。
それは彼が事象を観察し、脳裏で怜悧な計算を行っていることを示していた。
そう、哀れなローワン。
老人が抱きすくめている青年を殺したのはフリッツだった。


「何と言ってよいのか……ただ御悔やみ申し上げます、エッセル伯。
 私が御見かけしたときには既に手遅れで。何も出来ませんでした」


フリッツは沈痛な口調で声を掛けた。
その声を聞いたエッセル伯は、人前であったことを思い出したのか慌てて涙を拭った。
そして、実も世も無く泣き叫んでしまったことに罰の悪そうな素振りを見せながらフリッツに礼を言った。


「見苦しい所を見せましたな。
 何分一人息子であったもので……少々取り乱しました。
 さぁ、顔を上げられよ。
 己を見付けて頂いた恩人にそのような事をさせたとあっては息子に叱られまする。
 どうか御気になさるな。
 これが神の御意思であったのでしょう。
 例えどんなに残酷なものであったにせよ、それが運命であったのなら受け入れる他ありますまい」


エッセル家は武人で馴らすドイツ貴族であった。
その格は高くもなければ低くもなかったが、歴史だけは古い中流貴族である。
ローワンはその唯一の跡取りであった。
エッセル伯は前妻との間にも前々妻との間にも子に恵まれず、年を取ってから迎えた後妻との間にやっと生まれた子であった。
エッセル伯はローワンを溺愛した。
例え重度の喘息持ちで周囲の貴族から軟弱と馬鹿にされようとも、エッセル伯にとっては待望の我が子であったのだ。
その愛情は、妻が産後に健康を崩し他界したことで更に強まった。
ローワンはエッセル伯の全てだった。


「息子はな、せめて乗馬だけでも人並みにと言って練習しておったのだ。
 この様なことになるのであれば止めるべきであったわ」


ローワンは暴れ馬と化した乗馬と共に行方知れずとなっていた。
およそ半日、エッセル伯は部下の失態を叱りつつ、その安否に気を揉み続けていた。
まさか最悪の結果になろうとは……。
伯の顔はそんな絶望がありありと浮かんでいた。


「居合わせた者として残念でなりません。
 将来有望そうな、利発さを感じる顔立ちをした青年でした。
 改めて御悔やみ申しあげます」


フリッツは最後まで傷心のエッセル伯を労わり、その下を辞去した。
その様子からは悪意が欠片たりとも感じられない。
見事なまでの演技であった。






後日、フリッツは再びエッセル伯の下を訪れた。
出迎えたエッセル伯の姿は痛ましいものだった。
憔悴し痩せ衰えたその佇まいからは、老いてなお盛んな騎士として知られた様子はない。
そこに居たのは希望を奪われた一人の哀れな老人であった。


「おぉ、よくぞいらっしゃいました。
 何の御構いも出来ませんが、どうぞお掛けくだされ」


張りのない声でそう言ったエッセル伯にフリッツは一つの提案をするつもりでいた。
慎重に、距離感を測るように言葉を紡いでいく。
全ての所業はこの提案のためであった。


「エッセル伯。私がシャルル殿下に御仕えしていることは御存知でしょうか?」

「勿論ですとも。
 残念ながらローエンブーム家と親交は御座いませんので貴殿を見知り置きはしませんでしたが、
 如何に社交に疎くとも貴殿がシャルル殿下の腹心であると噂されていることは知っております」


そう、だからこそ見ず知らずのフリッツをエッセル伯は信用した。
背後にあるシャルルの名声が、フリッツへ疑いを持つことすら考えさせなかった。


「実は、先日殿下にエッセル家で起こった悲劇について御話したところ、殿下はいたく同情なされまして。
 何か手助けが出来ないかと申されたのです。
 そこで失礼とは存知つつも、御家の財政状況を調べさせてもらいました。
 借金がおありですね?」


確認を込めた問いに、エッセル伯は怒気を見えることもなく認めた。
彼には怒りというようなエネルギーを要する行為をする力は無かったのだ。


「恥ずかしながら私には領地経営の才が無かったようでして。
 いや、代々の当主にもそういった能力はありませんでした。
 武門の家柄。
 そう誇りつつも、その実我が家は頭の鈍い武辺者の家だったのです。
 だからこそ私はローエンに期待していた」

「ですが、ローエン殿は失われてしまった。
 御家には最早跡取りは無く、家を存続させることは出来ない。
 そうですね?」

「えぇ。領地は返済のために売り払うこととなるでしょう。
 この様なことで父祖の地を手放すことになろうとは思いもしませんでしたが……」


商人に貴族の地位と共に奪われる。
老人の未来は何処までも暗かった。


「そこで、殿下から提案があるのです。
 どうでしょう?
 同じ手放すのであれば、いっそシャルル殿下に譲られた方がずっといいとは思いませんか。
 殿下は借金を肩代わりし、年金も払って下さると仰っております。
 領地の中心であるこの館からは引き払って頂かねばなりませんが、過ごし易いミュンヘンの街にでも屋敷を御用意しましょう。
 そこで芸術に親しみながら静かに老後を過ごされてはどうですか?」


破格の提案であった。
厚遇過ぎる。
喜びよりも先に立ったエッセル伯の疑問をフリッツは先んじて制した。


「実はこの提案は我々としましても益のあることなのです。
 この領地はアウグスブルクに近い。
 王が彼の地の領有権を手に入れられたことは御存知でしょう。
 何れアウグスブルクとは干戈を交えることとなります。
 殿下はそのための準備を為さろうとしており、そのためにこの地が丁度良かったのです。
 我々は目的のために貴殿の事情に付けこんでいるのです。
 どうかお気になさらず、我等の提案を受け入れて頂きたい」


フリッツはエッセル伯の精神に逃げ道を用意した。
真から武人である伯に、戦争の準備のためという分かりやすい理由付けと誇りを傷付けないための配慮をしたのだ。


「しかし……」


それでもまだ躊躇うエッセル伯にフリッツは更なる攻勢を掛ける。


「先祖の思いを御考え下さい。
 王家に献上した、という形にすれば彼等の名誉も守られるのですよ。
 御返事は急ぎません。
 ゆっくりと御検討下さい」


その日は提案だけしてフリッツは立ち去った。
時間が掛かろうともエッセル伯は受け入れる。
そんな確信があったからだ。






フリッツがシャルルの居室に入ると、部屋の主は椅子に座って呻いていた。
その様子から、本当は横たわってしまいたいという思いがありありと伝わってきたが、いつ誰が面会を申し出てくるか分からない身がそれを許してくれなかった。


「フリッツか。どうした?」

「エッセル伯が領地を献上したいとのことです。その代わり借金を払ってもらいたい、と」


シャルルはフリッツが持ってきた急な話に驚く素振りすら見せなかった。


「大した額でもあるまい。任せる。
 どうせ御前が献上するように仕向けたのだろう?」


フリッツはシャルルの言葉に薄っすらと笑うだけで答えなかった。


「エッセル伯領か……。どの辺りの土地であったかな」

「アウグスブルク近郊の小さな領地です。
 特産品も無く、農地として特別優れているわけでもない。
 そんな土地ですが、位置がいい」

「獲物の近くに領地を持っていればオレが討伐を任せられる可能性も高まる、か」


シャルルの言葉にフリッツは恭しく頭を下げた。


「アウグスブルクは経済と交通の要衝。
 ボローニャを支配していることには大きな意義があります。
 ですが、これから我が国がドイツ方面に侵攻していくことも考えますればドイツにも、一つ拠点が欲しいかと思いまして」


そう、エッセル伯への申し出はそのための布石だった。
勿論狙った効果はそれだけではない。
歴史のあるエッセル家は、その家格に関らず一定の敬意を払われている。
彼に慈愛の手を差し延べれば、自然とドイツ社交会にシャルルの名声が響き渡るだろう。
そんな計算も働いてのことだった。


「成る程な。いや、よくやった」


シャルルから掛けられた労いの言葉はそれだけだった。
されど、それだけでフリッツにとっては十分過ぎた。
シャルルは過程を問わない。
報酬も与えない。
それがフリッツへの信頼の証であり、フリッツへの理解の証左だった。
フリッツは報いなど求めていない。


「裁量は任す。私が動けない分、御前が動け」

「御意」


主への献身、主からの信頼。
フリッツの望みはそれだけであった。






------後書き------
フリッツが外道になってしまったかな……。
やり過ぎていないか心配です。
しかし、自分の中で彼は裏事担当ですしこれ位は許容範囲かと。
敢えて殺害シーンやその詳細は記述しませんでしたが、そこの所どう感じましたでしょうか?
御意見・御批判・御感想をお待ちしています。



[8422] 同盟締結
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/12/22 00:05
後年、動乱の年として知られる1403年も秋が深まり、冬が近付いていた。
秋は収穫と蓄えの季節として知られる。
農民達はその2、3ヶ月を働くことのみに費やし、厳しい冬に備えなければならない。
身を切るような寒さ、不毛の季節を人々は家に篭もりひたすら春を待ち続ける。
かつて、冬はそんな『待ち』の季節だった。
必然的に秋はその準備に追われ、農民達は雑事にかまけていられなくなる。
数万という規模で掻き集められたポーランド軍が秋の近付きと共に引き揚げざるを得なかったのも、その大部分を構成する農民達のそういった事情にあった。
そういう訳で、貴族にとっての秋は戦をすることもできず領地で狩りに夜会にと道楽に耽る、そんな季節なのだ。
だが、今年ばかりはそうはいかなかった。
ヨーロッパの地図が大きく塗り変わった動乱の影響で、貴族達も交友関係を刷新させる必要に迫られたのだ。
庇護してもらっていた大貴族が凋落してしまった者も少なくなく、連日開かれるパーティーには悲壮な面持ちで臨む中流貴族の姿が後を絶たない。
一方で勝者となった筈のブルグント貴族、ポーランド貴族もまた勝利の美酒に酔いしれる間を手にしていなかった。
彼等は互いに、同盟締結に向け段取りを整えるべく東奔西走するという非常に忙しい日々を送っていたからだ。
動乱の年。
1403年は外交によって暮れようとしていた。













オレは新たに得た旧エッセル伯領に来ていた。
広く開けた平野部に位置するこのエッセル伯領は軍事演習にはもってこいの場所。
そういう触れ込みを聞いたこともあり、オレはエンファントと傭兵隊の一部、そして大勢の人足を引き連れてこの地に訪れたのだった。
エッセル伯の居城はその身代に見合ってこじんまりとしたものだったが、生活観の滲み出た温かい住居はどこかほっとさせる空気がある。
打ち壊さねばならないことが勿体ないような気もする。
しかし、こうして人足も連れて来たしまった以上、予定を変更するわけにもいかない。
オレは旧エッセル伯城を大幅に改修し、ついでにエンファントに城の構造を実地で学ばせようと思ったのだった。
城の成り立ちを知っていれば思わぬ攻め手を思いつくかもしれない、という実に安易な思い付きである。
尤も、一つ所でひたすら訓練ばかりして気が滅入っていた彼等にはいい息抜きにもなっているようで、
彼等は年相応の無邪気な表情を浮かべて走り回っていた。


「さて、私達は彼等のように遊ぶことを許されていない。早速だが改修の打ち合わせをするとしよう」


話し合うのはモルト老とリッシュモン、そしてガッタメラータの三人だ。
フリッツはいない。
自分は謀は得意だが戦は経験が浅く門外漢である、といって辞退したのだ。
今はオレの代わりにエッセル伯領を見回り、その実態を調査していた。
最初に口火を切ったのはリッシュモンだった。


「大砲です。これからの時代、必ず大砲が活躍する時が来ます!!
 今こそ、対砲防御を兼ねた城というものが如何なるものなのかを試行すべきです」


いつになく熱く語るリッシュモン。
彼は大砲に魅せられていた。
それは先日のことだ。
オレは現在の地位を利用し、イスラム世界から多くの書物を取り寄せている。
昔と違って世間から注目されているのでイスラーム商人と直接顔を合わせるにはいかない。
書物の収集はそれ故の代償行為であった。
この時代の最先端であるイスラーム世界を無視するというのは愚行である。
リッシュモンもまたオレのそういった考えに共感し、翻訳された物を片っ端から読んでいる。
そして、リッシュモンが読んだ大量の書物の中に大砲に関して詳細に記述したものがあったのだ。

『天を突き穿ち轟き渡る轟音。それが私の耳を貫いたと思った次の瞬間、眼前に聳える大きな岩にヒビと深い穴が生じていた。
 固い岩に穴を穿つ。
 信じられない力である。
 常識を超えた現象に仰天した私がこの兵器は何と言うのか尋ねると、砲と教えてくれた』

国家機密であるため製造法など詳しい記述はないものの、その書物には数十ページに渡って大砲という兵器に対する筆者の感激が書かれている。
その余りの絶賛振りに、リッシュモンもすっかり感化されてしまったのだった。
この時代のヨーロッパにおいて、大砲という兵器は未完成で実験の域を出ていない。
先見性のある大貴族が物珍しさから造ってみることもあるが、とても実用に耐えれる代物ではなく、珍品扱いしかされていないっもが実情だった。
それ故、イスラーム世界で実用兵器となっているという記述にリッシュモンは深い関心を抱いたのだろう。


「想像して見て下さい。
 発射される弾丸。砕け散る城壁。轟音に怯える敵兵。 
 これまでの戦を全く別のものに変える新兵器を。
 我々は一刻も早く、この大砲を取り入れるべきです」


そう熱弁を振るうリッシュモンの表情は、かなり妖しいものだった。
思い込みの激しい人物というのは想像力も豊かなものだ。
リッシュモンの脳裏には、大砲が思う様に敵を蹂躙する様子がまざまざと浮かんでいるに違いない。
現代から来たオレとしても、その見解に否やはなかった。


「大砲ねぇ……。
 別にその書物を疑うわけじゃねぇがよ、実際どんな代物なんだ?
 こう、造りとかよ。
 イスラームの秘密兵器だ。
 そこら辺の所は一切分かっちゃいないんだろ」


しかし、モルト老とガッタメラータは否定的だった。
懐疑的、といってもいい。
それは戦争に関する深い造詣があるが故のものだった。
特に一回大砲を見たことがある、というガッタメラータは大砲の有用性にかなりの疑いを持っている。


「ありゃぁ、使い物にならないぜ。
 そりゃあ、目の前でぶっ放されたときは驚いたけどよ。
 一回ドカン、とやっただけで壊れちまったんだぜ。
 そんな柔な兵器、揃えた所でどうってこたないだろう」


彼等二人が保守的であるという訳ではない。
ヨーロッパ世界では、それが大砲に関する一般的見解だったのだ。
しかし、この時代以降兵器が辿る歴史を知る身としてはリッシュモンの先見性に同意する他無い。


「私もリッシュモンと同じく、大砲の時代が来ると思う」


オレの言葉に眉を顰める二人と顔を輝かせるリッシュモン。
それは次の瞬間逆転した。


「だが、それは今ではない。まだまだ先の話だ。
 確かにヨーロッパ各地で大砲めいた物が作られているが、実用化には程遠い。
 今強いてその戦術を練る必要がどこにある?」


オレの考えに当然ながらリッシュモンは反発した。


「皆がそう考える時期であるからこそ、新たな戦術を取り入れるべきなのです。失礼ながら殿下の御考えは保守的に過ぎるのでは?」

 
確かにオレには若さ故の無鉄砲さはない。
リッシュモンには保守的に映るだろう。
しかし、オレにはオレで言い分があった。


「大砲の研究などという大掛かりで金の懸かるものが私の一存で出来る筈がなかろう。
 王に上申し、国家として取り組むべきだ」


そう、金が無いのだ。
大砲の鋳造には鉄が要る。
その研究となればもっともっと大量の鉄が必要になるのだ。
なにせ研究は失敗の連続だ。
数多の失敗の末にやっと成功が見えるかもしれない。
研究とはそんなあやふやなもの。
その効果に疑いはないとはいえ、幾ら金が掛かるか分からない物に個人で手を出せる筈が無かった。
はっきり言って、大砲の研究はオレの手に余るのだ。


「それに論点がずれているぞ。
 今論議すべきなのはこの城館をどのように改修するかであって、大砲を研究するかどうかではないだろう」


オレは建設的議論をするべく、リッシュモンを窘める。
それにも関らず、リッシュモンは諦めない。
あくまで食い下がろうと抵抗を試みる。
その頑固さと執着振りはある意味で彼らしく、ある意味で彼らしくなかった。
きっとリッシュモンはオレに大砲研究をするよう進言する機会をずっと待っていたのだろう。
彼からはここで説得を、という気合が感じられた。


「ですから城館を対大砲用のものに、と提案して……」

「大砲を使う敵もいないのにか?」

「何れ必要となります」

「だが、今ではない」


平行線を辿る遣り取りに決着を付けたのはガッタメラータの呆れ声だった。


「そもそも政治的イニチアシブを取るために改修するんじゃなかったのか?」


その声を聞いたオレとリッシュモンは、ぴたりと言い合いを止めて耳を傾ける。


「実験とかそんな事をするよりもだ。
 誰にでも分かりやすい形の前線基地にした方がシャルル的にもいいんじゃねぇのか。
 アウグスブルクの咽喉下に突き立てる感じで、軍勢を集結させられるように大きくしてさ。
 攻められても援軍が来るまで耐えれるように堅固な城塞都市。
 そういうのを作れば自然とここが対アウグスブルク拠点になるし、その持ち主であるシャルルの発言力も無視できないものになる。
 そういう主旨で改修する、って決めたじゃねぇか。
 二人ともそれを忘れてどうするよ」


そうだった!!
大砲という重要案件にオレは目が眩み、最初の目的を失していたのだ。
オレは込み上げる羞恥心を抑え、ここぞとばかりにガッタメラータに同調した。


「そうだ。
 オレが聞きたいのはどうすればここが前線基地として申し分のないものになるか、だ。
 大砲の話題はまた次に、いつか別の機会を設けて集中的に話し合うべきだろう?
 何といっても次世代の主力兵器だからな」


リッシュモンの機嫌をくすぐるように配慮しつつ、オレはやっと軌道修正を行えたのだった。


「私はやはり大きな城壁を建造し兵を多数収容できるようにすべきだと思うが、どうだろう?」


オレのコンセプトはとにかく大勢の兵がを入れる都市、というものだ。
オレにとって、エッセル伯領はあくまでアウグスブルクまでの繋ぎに過ぎない。
本格的な城砦整備をするのなら、アウグスブルクでやればいい。
オレはそう考えていた。
だが、モルト老の見解は違うようだ。


「もっと戦後を睨んだ形にした方がいいんじゃねぇか。
 どうせここは御前の物なんだからよ。
 でっかい搭を建ててよ、周辺を監視するための都市にしたらどうだ?
 勿論、これは御前がアウグスブルクを任されるのが前提の案なわけだがよ」


モルト老の意見を聞き、ガッタメラータがその概要を問う。
それに地図を広げつつモルト老は答えた。


「まず、アウグスブルクが中心だ。
 んで、その周囲に幾つもの都市がある。
 オレが言いたいのはだ、この都市一つ一つを砦にしてアウグスブルクと連携させようってのさ」


モルト老の言葉にリッシュモンが手を打った。


「つまり、複数の都市で為る要塞を作り上げるというわけですか?」


モルト老は頷きながらミュンヘンを指し示す。


「確かにこの辺りで一番でかい都市はミュンヘンだ。
 何たってバイエルンの公都だからな。
 けどよ、交通と経済の中心っていったらどうだ?
 間違いなくアウグスブルクだろ。
 オレが言いたいのはよ、ここを完璧に抑えちまうことが重要ってことさ。
 絶対に落とされねぇ鉄壁の街にすれば商人も今以上に集まる。
 そのために周辺都市も改修して防衛網を作ろう、とつまりはこういうことだ」


モルト老の提案は、今後ブルグント王国が北に拡大していくことを睨んでのことだ。
実に理に適っている。
加えてオレはこの提案に政治的な意味合いを見出していた。
来るべきガレアッツォの死後。
王位継承の内乱が起きると仮定してみる。
その場合、ミラノはジョヴァンニ派が抑えるだろう。
理由は簡単だ。
残念なことに、ミラノ貴族の支持はガレアッツォの嫡子であるジョヴァンニにあるからだ。
そのことを見越した上で、オレは所謂シャルル派のための拠点を作らなければならない。
ミラノに匹敵する大都市。
それもジョヴァンニと対峙するための拠点。
そういった面で考えた場合、ボローニャでは駄目なのだ。
何せボローニャはミラノに近過ぎる。
おまけに位置が悪い。
未だ屈していない北部イタリア諸都市のすぐ側にあるのだ。
ボローニャが安定して地盤を築くには適さない地であることは明白である。
その点、アウグスブルクならアルプス山脈という天然の要害がミラノとの間に横たわっているし、北は属国同然の皇帝領だ。
まさに誂えたかのような都市であった。


「そうなるとアウグスブルク周辺の貴族全てからも土地を貰わねばならないですね」


オレは腕を組んで唸った。
これはなかなか難しい。
しかし、そうしなければ城の改修は出来ない。
何かいい考えがないものか。
オレがそう考え込もうとすると、ガッタメラータが事も無げに言った。


「買えばいいだろ」


と。
余りにも何でもないことのように言うガッタメラータに批判気な視線を投げ掛けると、彼は宥めるように手を振って続きを言う。

 
「自分の金で、とは言ってないさ。
 いいか。
 オレ達にはアウグスブルク攻略への足掛かりのためっていう名目があるんだ。
 王様から金を引き出すのは難しくない」

「そうでしょうか?
 王は今後内政に力を入れると公言しています。
 その方針に反するような提案は受け入れられないのでは」


リッシュモンはガッタメラータの楽観に疑問を呈した。
その懸念をガッタメラータは一蹴する。


「オレはそうは思わないね」


何故これほどまで自信満々なのか。
オレもガレアッツォから資金を貰えるか怪しいと踏んでいるのに、ガッタメラータは可能であると断言するのだ。


「国王陛下は根っからの征服者だ。
内政に専念? 無理さ。
口先ではそう言っていても心の奥底で陛下の関心は次の征服地に飛んでいる。
 そんな陛下にアウグスブルクの話題を振ってみろよ。
 間違いなく乗ってくるね。
 適当な名分を付けたところで、実際は攻略への地均しなんだ。
 陛下もその事をすぐ見抜いて利用しようとなさるさ」


そう言って獰猛に笑うガッタメラータ。
オレは彼に何故そんなことが分かるのか、と尋ねた。


「同属間のシンパシーってやつさ。
 まぁ、陛下と顔合わせしたのは一回こっきりだが……まず外れちゃいまいよ。
 そうだろ、爺さん?」


水を向けられたモルト老もまた、歯切れ悪くも同意する。


「そうだな。ガレアッツォにはそんな節があるっちゃぁ、ある。
 なんせその半生を征服活動に奉げて来た奴だからな。
 そうそう切り替えることができるものじゃないさ」


二人の大人が同じ見解に達したことで、口数少なかったリッシュモンも賛意を示した。


「アウグスブルクも我等といずれ干戈を交えることは承知しているでしょう。
 ならば、と先制攻撃をしてこないとも限りません。
 彼等を牽制する意味でもモルト老の案は適していますし、一刻も早く実行に移すべきではないでしょうか」


遂に三人の意見が一致したことでオレも決断を下した。


「分かりました。陛下に上申するしましょう」


オレはそう言って、リッシュモンの方を向く。


「それと大砲のこともそれとなく触れるとしようか」


それを聞いたリッシュモンの顔が輝くのを確認して、オレは席を立った。
人足頭に指示を出さねばならない。
窓から見えるエンファントの楽しそうな声を羨みながら、オレは部屋を後にした。













ミラノへとやって来たオレは、ガレアッツォに謁見を申し出ると共に情報収集に邁進した。
ポーランドとの交渉は佳境を過ぎ、終わりに近付いている。
耳聡い者ならば既に概略を掴んでいる時期だ。
オレはそれを知るべく探りを入れていた。
未だ身分が低くミラノでの人脈も未完成なフリッツはこういう時役に立たないことから、自分自身の力量だけが頼りとなる。
とは言っても、オレとて何も闇雲に行動したわけではない。
オレには当てにする人物がいた。


「それで同盟の条件はどのようなものとなったのだ?」


ミラノ貴族といえど一枚岩ではあり得ない。
今回起こった情勢の変化によって排斥された者もまた存在する。
フランチェスコ・バルバヴァーラ。
彼もまた先の動乱の煽りを受けた人物の一人だった。
ブルグント王国は皇帝を戴いている。
経緯や実態はどうあれ、そのたった一つの事実はミラノ社交界に大きな影響を及ぼしていた。
イタリアには皇帝派と教皇派という二つの派閥がある。
この派閥は貴族や民衆問わず、広くイタリア半島に存在しており、ミラノとて例外ではない。
そんな彼等はミラノで不遇の地位にいた。
ガレアッツォの豪腕によって等しく押さえ込まれていたのだ。
二つの派閥に優劣はなく、強大な君主によって牛耳られる現状を耐え忍ぶ、ミラノでの彼等はそんな存在であった。
ところが、動乱の結果事態は大きく動いた。
今やミラノ社交界は皇帝派の天下となったのだ。
何せ主君であるガレアッツォが皇帝を戴いているのである。
皇帝派貴族はお墨付きを貰ったかのように振る舞い、教皇派を次々と追い落としていったのだ。
フランチェスコもまた、そういった勢力争いに敗れた者。
オレはそうして凋落していった者達を積極的に取り込んでいた。
教皇派と言われているからといって、何も彼等が教皇に絶対の忠誠を誓っているわけではない。
一昔前とは状況が違う。
教皇庁の権威失墜に伴って、教皇派や皇帝派といった括りは派閥の区別といったものに過ぎなくなっているのだ。
優秀な者を囲い込むのに不都合なことは存在しなかった。


「どうやら殿下にとって不味い事態になりそうです」

「どういうことだ?」


オレが問い返すとフランチェスコは深刻な口調で答えた。


「どうも先方が同盟は婚を以って通ずべし、と言ってきたようでして……。
 ヴワディスワフ2世には子がいない。
 故にその従兄弟であるリトアニア大公ヴィータウタスの娘をヴワディスワフ2世の養女とし、その上でそちらに嫁がせよう。
 と斯様に申してきたとのことです。
 そうなりますと、恐らく婚約の相手はジョヴァンニ様ということになるかと」


オレは思わず呻き声をあげた。
最悪の展開である。
間違いない。
ブルグント王国はポーランド王国との外交に負けたのだ。
娘を嫁がせるというのは人質を寄越すということではない。
むしろ逆。
ブルグントへの支配権、ポーランドは嫁を送り込むことでそれを主張できる権利を有しようとしているのだ。
これはブルグントにとってだけでなく、オレにとっても非常に不味い事態だった。
ジョヴァンニとポーランド王女が結婚する。
それはオレの競争相手の背後にポーランド王が控えるということを意味しているのだ。


「断る、という可能性はないな」


搾り出すように言った言葉。
愚痴同然のそれにフランチェスコは律儀に返答する。


「彼我の国力差を鑑みますれば、これで決まりでしょう」


オレは歯を食い縛り、憤怒の叫びをあげるのを堪えた。
最早形振りなど構ってはおけない。
早急にブルグント国内の地盤を固める必要がある。
オレの計画はまたしても修正を、それも大幅な修正を余儀なくされた。
なだらかに思えた道は突如険しい山道となったのだ。
オレは眼前に横たわった障害を切り拓かねばならない。
しかし、その道は厳しいものとなりそうだった。


「私に付くと言い切れる者を調べておけ」


オレはフランチェスコに手短に命令を下すと、足早に部屋を立ち去った。
急がねばならない。
差し掛かる暗雲をオレは振り払うべく走り出した。






------後書き------
寒くなってきました。
寒さと共に背中もしくしくと痛み出し……。
皆様、健康には本当にご注意下さい。
さて、話がどんどん進んでいますが勢力の変遷は分かりにくくなかったでしょうか?
地図を見たりして補完頂ければ、と思います。
読者任せで申し訳ありませんが……。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしています。




[8422] 外伝7.最期の望み
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/12/25 17:40
3月16日。
その日に限ってモルト老の酒乱はなりを潜める。
彼は夕方から明け方まで、一人イングランドの方角を向き静かに酒を飲む。
その傍らには誰も手を付けることのない酒盃が一つ。
弔いの酒である。
この行事は彼がここ数年になって急に始めたことであった。
モルト老はもう十分過ぎる程の時を生きてきた。
重ねた年月は常人を遥かに上回り、経験も人並み以上に積んでいる。
彼はその長い人生で多くの友と出会い、別れてきた。
戦場で散った友。
病に倒れた友。
何処とも知れぬ場所で倒れ、手紙でその死を知った友。
彼等友の死に様は、今でも全てモルト老の心に刻み込まれている。
そして、3月16日はそんな多くの友の一人が没した日だった。
モルト老はここ数年、事ある毎にその友の死に様を振り返るようになっていた。


「オレも年かな……」


そいつが死んだ当時はこんな風に命日を酒で悼むようなことはしなかった。
その事実に今更ながら気付き、モルト老はらしくもない感傷的な科白を呟いた。
それだけその者の死に様はモルト老に何かを考えさせるものであったのだ。


「ホークウッド。御前はどんな気持ちで逝った?」


今は亡き友を思いながらモルト老は一人酒を煽った。













フィレンツェの郊外には広い空き地がある。
かつて栄華を誇った屋敷は既に打ち壊され、そこは一等地として競売に懸けられていた。
ガレアッツォはフィレンツェを征服した後、ある人物の痕跡を真っ先に消し去った。
この屋敷もまた、そうやって消し去られた男の遺産なのだ。
ジョン・ホークウッド。
かつてガレアッツォのフィレンツェ攻略を頓挫させた男。
ロンバルディアに攻め入り、本拠地ミラノにあと16kmのところまで迫った男。
フィレンツェ救国の英雄。
イタリア最強の傭兵。
数多くの異名で呼ばれ、あらゆる名声を欲しいままにした男。
そして、今その名声を消し去られようとしている男。
この地はその男が晩年を過ごした場所だった。






1394年。
シャルルが産まれたその年、モルト老はフィレンツェに滞在していた。
今でこそガレアッツォの下に身を寄せ、その征服の大きな助けとなって働いている彼だが、元々は旅の傭兵である。
特定の主も無く、街から街へと渡り行く根無し草だ。
ガレアッツォと親交を持ちながらフィレンツェの者とも交わる。
彼にとってそれは別段おかしなことでもなければ、不義理なことでもなかった。
この当時、モルト老は数少なくなった友の下を訪ね歩く生活を送っていた。
それぞれがもういい年齢の老人ばかり。
いつ逝ってしまってもおかしくない。
だからこそモルト老はそんな友を渡り歩き、死を看取ったり、無事な顔を見て笑いあったりする旅をしていた。
フィレンツェに滞在していたのも、そんな友の一人を訪ねるためであった。


「病人の癖にガボガボ酒を飲みやがって。そんなに死にてぇのか?」


モルト老は寝台で酒を煽る男を見ながら呆れた声をあげた。
それを受けた男――ホークウッドは力無く笑いながら杯を差し出す。


「死にかけだから飲むのさ。
 もうすぐこれともお別れだ。その前に思いっ切り味わいたい。
 ほれ、そこに座って今日も付き合え。
 一人で飲むより二人。
 オレを思うならこの酒の味がもっと旨くなるよう一緒に飲もうや」


震える手で渡された杯。
それをモルト老は無言で受け取ると、努めて明るい顔をして飲み干した。
彼とて無類の酒好きである。
しかし、痩せ衰えて杯すら持ち上げるのに苦労する。
そんな友の前で無神経に飲める程、彼の情は薄くなかった。
例えそれが友が望んだことだとしても、日に日に死へと近付いていく友にはきちんと療養してもらいたい。
やはり人の子であるモルト老は、そんな当たり前のことを考えてホークウッドを心配していた。


「医者からも止められているんだろう。ちょっとは加減したらどうだ?」 

「ふん、自分でも出来ないことを言うな。
 御前だって以前高熱でふらふらなのに、酒は薬だって叫んで飲んでたじゃないか」


鋭いツッコミにモルト老もうっ、と詰まる。
それを見てホークウッドは薄っすらと笑った。


「ほ~ら、反論できないだろうが」


そう言ってホークウッドは大声で笑おうとした。
殊更楽しげに、モルト老を笑い飛ばそう。
そんな茶目っ気を出そうとする。
だが、それは叶わなかった。
突如込み上げる咳。
胸元に熱を感じ、全身の力が抜けていく。
彼には最早声を出して笑う力も残っていなかった。


「やっぱりオレが正しいじゃねぇか。言うことを聞かないからこうなるんだぜ」


モルト老は憎まれ口を叩きながらも、ホークウッドの吐き出した汚れを拭ってやった。
髭に絡まったものまで一つ一つ丁寧に落としてやる。


「すまねぇな」

「いいってことよ。気にすんな」

「そうもいかねぇ。
 あんたはこんな下人のみたいな真似をしちゃいけない英雄様だ。
 それなのによ・・・・・・。
 オレはな、本当にすまないと思ってるんだぜ」


ホークウッドの目には光るものがあった。
体の自由が利かない。
身一つでのし上った男にとってこれ程つらく、情けないことはなかった。
ましてその世話を大丈夫にさせるなど・・・・・・。
ホークウッドはモルト老に対して身を斬られる様な申し訳なさを感じていた。


「気にするなって言ってるだろ、友よ。これはオレが好きでやってることだ」

「・・・・・・ありがたい」


ホークウッドはそれしか言えなかった。
そしてモルト老にはそれだけで十分だった。






モルト老がホークウッドの屋敷に来てからおよそ3ヶ月。
その間、ホークウッドの体は目に見えて衰弱し続けた。
病だけではない。
長年の戦場生活と激しい戦闘による体の酷使。
ホークウッドの状態はその反動が一気に表面化してのものだった。


「今でもあの戦いは忘れねぇ。
 長い傭兵生活、オレは色んな戦場を渡り歩いてきた。
 けどよ、御前さんをはじめて見たあのときのことをオレは何よりも鮮明に覚えている」


この頃になるとホークウッドの意識は終始朦朧として、あやふやなものになっていた。
そんな状態にありながらも彼は、繰り返しモルト老に同じ話をするのだった。


「革なめし職人の次男だったオレがエドワード殿下の下で戦って、戦って、戦って。
 それでやっと認められてさ。騎士になって有頂天になってたときだった。
 常勝無敗。
 今日も軽く勝って帰るんだろう。
 そんな空気が全軍に流れ始めていたときだった。
 御前は火の玉のような勢いで突っ込んでこっちの陣を掻き乱した。
 御前の奇襲でこっちはズタズタ。
 神のように敬愛していた殿下が震え上がるのを見て、心底驚いたのをオレは覚えてるよ」


震える声で、しかし一言一言はっきりとホークウッドはモルト老に語りかけた。


「こんなもんか、あのときオレはそう思った。
 完璧と思っていた殿下は完璧などではなく、敗北もするし恐怖もする単なる人間で。
 その殿下に醜態を曝させた御前は単なる傭兵でよ。
 身分の差とか血筋の尊さなんて結局はこんなもんかってオレは思ったんだ。
 御前のおかげでオレは呪縛から解き放たれたんだ。
 イタリアで一旗揚げてやる!
 オレとそう変わらない年の奴にやれて、オレにやれないわけあるか!!
 そう奮起してオレはオレの傭兵団を結成した。
 その契機は御前だったんだ。
 だからよ、こうして友達付き合いしてるけどオレは御前に感謝してるんだぜ」


モルト老の知るジョン・ホークウッドという男は意地の塊のような男だった。
灰汁が強く、決して心情を吐露したりしない。
内面を曝け出す弱さを好まない、そんな男だった。
その彼がこうして全てを明らかにしている。
そのことがモルト老に衝撃を与えた。
やがて話が一段落した後、ホークウッドは久方振りに意思を鮮明にしてモルト老に話しかけた。


「なぁ、頼みがあるんだ。聞いてくれるか」

「なんだ? 何でも言えよ。オレに出来ることなら何でもするぜ」

「すまんな」


ホークウッドはその目に強い意志を込めてモルト老に望みを伝えた。


「オレを鍛錬場に連れて行ってくれないか」

「それは・・・・・・」


鍛錬場は外にある。
真冬の風吹き荒ぶ中、病床のホークウッドを連れ出すのは自殺行為に近い。
さしものモルト老も躊躇う様子を見せると、ホークウッドは再度強い口調で繰り返した。


「頼むよ。オレの最後の願いだ。鍛錬場に連れて行ってくれ」


モルト老は押し黙った。
ホークウッドの声に宿った彼の意思を感じた。
恐らく最後となるであろう友の願いを踏みにじる。
モルト老にはそんな真似はできなかった。
心残りなく逝って欲しい。
決心したモルト老はホークウッドの小さくなってしまった体を抱え上げた。


「死んでも恨むなよ」


わざと悪戯な口調でそう言ったモルト老にホークウッドは静かに微笑んだ。






途中諫める親族をホークウッドは断固たる口調で拒絶した。
モルト老も彼の意思を代弁するように引き止める手を振り払った。
ホークウッドが何を望んで鍛錬場に行くのか。
それを推察することは出来ても、真に解するのはホークウッド自身しかいない。
だからモルト老はただ友の望みを叶えるために押し進んだ。
最早誰にも止めることは出来ない。
そう悟った親族達もまた、彼の後を付いて鍛錬場に向かった。


「さぁ、付いたぜ。御望みの場所だ」


モルト老は鍛錬場に着くと、その中央に静かにホークウッドを下ろした。
壊れ物を扱うように繊細に、細心の注意を払って。


「武器を取ってくれ」


そう頼まれて扱いやすく軽い短剣を渡してやる。
しかし、ホークウッドは首を振って別の物を求めた。


「オレの愛槍がいい。ほれ、そこにあるやつだ」


そう言ってホークウッドが指し示したのはがっしりと大きな豪槍だった。


「いや、さすがにこれは・・・・・・」


モルト老は再度躊躇う。
今のホークウッドに持てる代物ではない。


「頼むよ」


しかし、そう懇願された以上叶えないわけにもいかない。
モルト老はしぶしぶそれに手を伸ばした。
重い。
戦場で多くの命を叩き潰すために鍛え上げられた大槍である。
その重量は並みではない。
だが、それだけではなかった。
伝説にまでなった傭兵ホークウッド。
その彼を支え続けた歴史、彼が愛用の武器に預けた信頼が重かった。


「ほらよ」


軽い口調ながら手付きだけは丁寧に、宝剣を手渡すように恭しくモルト老はホークウッドに槍を手渡す。
ホークウッドはそれを杖のように地面に突き刺すと、槍を抱え込むようにして立ち上がった。


「・・・・・・友よ。最後まで迷惑をかけるオレを許せ」


そして厳かな口調でモルト老に告げた。


「オレと決闘をしてくれないか?」


余りにも意外で埒外な申し出にモルト老の眉が跳ね上がり、親族から悲鳴が上がる。
それでもホークウッドは揺らぐことなく決闘を申し込んだ。


「決闘だ、友よ」


馬鹿なことを言うな。
モルト老はそう怒鳴りつけたかった。
しかし、死に行く者に道理を説いて何になろう。
それに最後までその望みを聞くと決めたではないか。


「構えな。せめてもの手向けだ。構えるまで待ってやる」


そう言う他あるまい。
親族の非難の叫びを聞き流し、モルト老は戦う姿勢を取った。
構えはない。
剣も抜いていない。
しかし、あらゆる状況に対応できるよう全身の力を抜いた姿勢は紛れも無く彼の戦闘体勢であった。


「ありがとう、友よ」


ホークウッドは僅かに頬を吊り上げ笑うと、全身に力を込めた。
それは奇跡としか言いようが無い。
瀕死の重病人の手によって豪槍の先は持ち上がりつつあった。
ゆっくりと、確実に出来上がっていく構え。
必殺の姿勢。
その姿は在りし日の勇姿が蘇ったかのようであった。


「行くぞ」


ホークウッドがそう呟いた瞬間、モルト老の背筋は総毛立った。
死の幻影。
空を切り裂き己を貫く槍をモルト老は確かに見た。
侮っていた。
心の何所かで出来るわけが無い、そう断じていた。
舌打ちと共に飛び退る。

しかし、次の瞬間ホークウッドの体は静かに地に伏せた。

全てを出し尽くしたかのように。
羽が地に落ちるように。
ホークウッドは倒れた。


「ホークウッド!!」


モルト老が駆け寄ったとき、ホークウッドの息はもうなかった。
その表情はひどく満足気で、死んでいるというのに輝くような笑みを浮かべていた。
1394年3月16日。
稀代の傭兵ジョン・ホークウッド永眠。













あのとき、ホークウッドが死に行くことを理解しながらも決闘を望んだとき。
モルト老はその気持ちを理解することは出来なかった。
それを解するには、彼の人生は生命に満ちすぎていた。
充実し過ぎていた。
己の死など考えもしない程に。
だが、今なら分かる。
モルト老はそんな気がした。


「・・・・・・」


酒盃を置き、微かに震える手を見つめる。
岩のようにごつく、年輪のように深い皺が刻まれた手。
この手が彼の強さを支えてきた。
頼もしき相棒。
しかし、今年になって急にモルト老はその己が手に陰りを感じ始めていた。
老いとは思いたくない。
ただ確実に衰えている。
勿論、今までも自分が弱くなっていると自覚したことは何度もあった。
他人からはっきりと指摘されたこともある。
それでも、ここまで確かなものとして実感したことはなかった。
頼りなさ。
モルト老は自分の手の中にはっきりとそれを感じ取った。


「オレも焼きが回ったな」


そう自嘲する。
そして、そんな弱音を吐いた自分にモルト老は仰天した。


「・・・・・・参ったな。ホークウッド、御前もこんな気持ちだったのか?」


まだ死ぬわけにはいかない。
シャルルの計画は道半ばで、その先行きも決して明るくはない。
リッシュモンの才も磨ききれていない。
エンファントの連中にも伝えてないことがたくさんある。


「けどま、しょうがないわな。20年遅れで時間切れがきちまったんだ」


そう、自分は主と共に死ぬ筈だった。
それなのに、今もこうして生きている。
死んでいるはずなのに。
死人のはずなのに。
それは極めて不自然なことだ。
灰は灰に、塵は塵に。
死人は土へと帰る、それが摂理なのだ。


「それでも神よ。願わくば・・・・・・」


願わくば、望み得る最高の死を。
きっとそれがホークウッドの望みだったのだろう。
約10年遅れで辿り着いたホークウッドの答え。
似通った人生を歩んできたモルト老とホークウッドが出した最後の答えは同じものだった。






------後書き------
少し時系列が先になってしまいますが、先に完成したので投稿させてもらいました。
ホークウッドの扱い、決して格好よくはありません。
初っ端から死にかけてますし。
けど、自分なりにモルト老との交流を書いたつもりです。
どうだったでしょうか?
クリスマス更新という寂しさを感じつつ、このSSが皆様を少しでも楽しませることが出来たのなら幸いです。
それでは御意見、御批判、御感想をお待ちしています。
それと、年表を作成しようと考えております。
要らないよという方もおられるかもしれませんが、個人的には必要かと思いましたので完成まで今しばらくお待ちください。



[8422] 黒い年末
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2010/05/30 17:44
ブルグント王国とポーランド王国。
現在ヨーロッパで最もその動向を注目される二国の婚姻は、雪が降り積もる12月に行われた。
片やジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが嫡男ジョヴァンニ。
片やヴワディスワフ2世ヨガイラが養女フローラ。
思慕もなく情愛もない両者の結婚は、偏に両国の政治的妥協によって為されたものだ。
そこには庶民が思い描く様なロマンもなければ、親が子を思うといった情念もない。
色で表すなら漆黒。
ただ利害の一致によって為されたもの。
この婚姻はそういったものであった。
しかしそういった裏事情に目を瞑れば、ジョヴァンニとフローラの結婚式はこの上もなく素晴らしいものだった。
東方から取り寄せた珍味。
目を惹かずにはおれない純白の陶器。
宴にはそういった目を剥く様な貴重品が並べられた。
世界が断絶していたこの時代において、アジアの物品はそれだけで神秘の対象である。
それらは嵐や荒波に翻弄される大海を越えて、盗賊が跋扈し異教徒が支配する大陸を越えて運ばれてくる。
その道程が如何に厳しいものか想像することは容易いだろう。
そこに存在することが既に奇跡。
そういった品々なのだ。
参列した貴族達が二大国の誇る力の程を感じ取るには、その一事だけで十分過ぎた。
もはや時代の中心はローマに非ず。
この結婚式は両国がそう宣言し、我こそ次代の覇者であると示す絶好の機会であった。













一歩引いた立場から宴を眺めると様々なことが見えてくる。
例えば、向こうでは周囲に紛れて腹に一物を抱えてそうな者同士が密談をしている。
あちらでは騎士に叙任されたばかりの若者と貴婦人がひっそりと出て行っている、といった俗物的な秘密。
人々は一定の集団を形作っており、そこに対立の図式が露骨に表れているといった政治的なこと。
等など宴から見て取れることは様々であるが、何れにせよ多くの者が集う席は絶好の観察の場である。
この結婚式でオレは脇役であるという立場を利用し、周囲を観察し続けた。
その中で富に注目されたのは、ミラノ貴族達の振る舞いだ。
一言で表すなら傲慢。
彼等は明らかに驕り昂ぶっていた。
イタリアという地域は、他の地域とは隔絶した様々な特性を持っている。
それは都市国家という極めて小さなコミュニティーによって醸造されたものなのだろう。
イタリア貴族は同国人意識というものが、他国に比べて早く形成されていた。
連帯感と言い換えてもいい。
彼等にとっての戦争とは常に故郷を守るための戦いであり、故郷に利益を齎すための戦いであった。
だからいつも必死だった。
死力を尽くせた。
それが度重なる神聖ローマ帝国の圧力にイタリア諸都市が抗い続けられた理由だった。
だが、その連帯感は同時に内輪意識というものも生み出していたようだ。
ミラノ人であるか否か。
彼等はそれだけを判断基準として他を排斥し始めていた。
急速に膨れ上がった結果誕生したブルグント王国。
その内部は様々な問題を抱え込んでいた。


「まずいな」

「ええ。非常に憂慮すべき事態です」


オレとフリッツは壁の花となって人々から身を離し、互いにひっそりと囁きあった。
宴の脇役であるからこそできる行為である。


「あのにやけ切った顔を見ただけで連中の頭の中身が分かろうというものだ。程度が知れる」


ポーランドに見縊られるわけにはいかないというのに、自分達がここまで大身になったということに喜んでばかりいる。
さすがに年を取った貴族達は老獪で鉄の表情を保っているが、若い者達の有様は目に余るものがあった。


「ですが、指標としては役に立っております。彼等の背後に控える老人達の考えも大体において大差ないでしょうから」


フリッツは彼等の行状をそう皮肉った。
言いえて妙である。
オレはうんざりとした顔で王妃カテリーナとその取り巻き達の得意顔を眺めた。
近視眼的な考えしか持たない者達。
ガレアッツォと比ぶれば、同じ血族とは思えない愚か者共だ。
この婚姻が外交で押し切られた結果であることすら忘れ ――あるいは気付いてすらいないのか―― 自らの現状にただ喜んでいる。


「・・・・・・忌々しい」


土台となっている王国がポーランドに飲み込まれては元も子もないというのに、侵略の橋頭堡を築かれてはしゃいでいる者がいることに。
あんな連中に計画が邪魔されていることに。
オレは二重の苛立ちを感じていた。


「しかし、彼等の勢力は馬鹿にできません」


フリッツが言う通りであった。
ミラノは征服先の富を奪い、既得権益を己のものにすることでその勢力を拡大してきた。
その利益を最も多く享受したのは当然ガレアッツォであるが、ミラノ貴族達もそれなりの利益を得てきているのだ。
特に住民ごと殲滅したフィレンツェでは、少しでもその権勢の名残を掠め取ろうと禿鷹のように集り莫大な富を掠め取っている。
彼等がその浅ましさの分だけ力を付けたことは確かであり、ミラノ貴族連は決して無視できる勢力ではないのだ。


「それに比べればむこうは慎まやかだな。好感が持てる」


そう言ってオレが目をやったのはブルグント王国内で割りを喰っている者達だ。
彼等は謂わば外様の貴族である。
略奪され、組み伏せられた者達。
それでも精一杯虚勢を張り、今の自分に出来る限りの装いで権勢を維持していることをアピールしている。
その一種悲壮な様子が尚更彼等の窮状を表していた。


「増長した者共との対比でそう見えるだけなのだろうがな・・・・・・」

「実際好ましい者達でしょう。いずれ殿下の味方となるのですから」


オレはフリッツの合いの手に薄っすらと笑った。


「その通りだ。彼等は私の熱心な支持者となってもらうのだからな」


そのための席は既に用意してある。


「今は彼等を観察するとしよう。狩りを成功させる秘訣は獣の習性を知ることだ」


フリッツに笑いかけてからオレは人間観察に戻った。
外様貴族の集まり、会話、表情。
それら一つ一つを頭に刻み付けるように。








「皆に集まってもらったのは他でもない。
 この度めでたくポーランドとの同盟も成り、我がブルグント王国は磐石の体勢を築きつつある。
 戦火は治まり、一先ずの平穏が訪れたわけだ。
 そこで今後どうようにすれば王国の発展に尽くすことが出来るかを話し合おうではないか。
 諸君等は一人一人、ブルグント王の下へ降った経緯、時期が違う。
 失ったもの、得たものもそれぞれあるだろう。 
 しかし、は共に一つの王を戴く同国人である。
 そこに優劣はない。
 どうか忌憚のない意見を述べ合い、より良い未来を語り合おうではないか」


そう言って音頭を取ったフランチェスコ・バルバヴァーラは、傍らに座るオレを指し示すと皆に再度語り掛けた。


「皆よ、喜びたまえ。
 シャルル殿下が我等と語り合うべくいらして下さった。
 殿下はこれまで数多くの進言をなされ、陛下にそれを取り入れられておられる。
 正に王国の柱石。
 次代を担うに相応しい御方だ。
 そして、殿下は先立って私にこう仰られた。
 今宵の我等の意見に有用なものがあれば進言し奉ろう、と。
 これはまたとない機会ぞ。
 さぁ、皆よ。その幸運を無駄にせず、大いに意見を出し合おうではないか」


フランチェスコの大仰な演説は盛大な拍手で迎えられた。
仕込んでおいたサクラの拍手だ。
場をオレに好意的な雰囲気にするための演出である。
こういった小細工が意外と効いてしまうのは人の心の弱さ故なのだろう。
何れにせよオレは有効な手立ては全て打つつもりでいた。
今夜の狩りは成功させねばならない。
この会合は未だオレに靡かない貴族の心を射止めるため態々開いたのだ。 
集められているのはミラノ以外の外様貴族達ばかり。
彼等は皆、既得権益を掠め取られ戦火で疲弊し、寄るべき大樹を探している。
ならばオレがそれになろうではないか。
それが互いの利益のためになる。
オレはそのことを彼等に分からせる必要があった。


「諸君」


オレは徐に立ち上がると、両手を広げ皆に語り掛けた。
注目を存分に集めるまで姿勢を維持し、息を溜める。
会場の空気、一人一人の表情。
無数の要素を全身で感じ取り、最良の機を待ってオレは口を開いた。


「諸君。ここに集いし貴き血に連なる者達よ。
 君達は支配者であった。
 君達は統治者であった。
 父祖より受け継ぎし土地を治めるべく腐心し、苦心し、その上で良き領主として君臨してきた。
 今、窺い知れない神の御心によってその領土を召し上げられたとしても、君達には今まで統治を為してきた歴史と誇りがある筈だ。
 私はそれを買いたい。
 幼き時はその身で駆け回り、成長してからは親の背中越しに覗き見、長じて後は自らの手でそれを切り盛りしてきた。
 自信を持っていい。
 君達は誰よりも己が領土に詳しい。
 その点に措いて君達はあらゆる賢人をも上回る。
 賢者たる者達よ。私にその知恵を貸してくれないか」


オレの言葉には彼等が強烈に欲しているものが込められている。

『私は君達を粗略には扱わない。むしろ君達を買っているのだ』

この演説にはそういったメッセージが含まれているのだ。
彼等は間違いなくそれを嗅ぎ取るだろう。
自己保身に長け、機に敏感な者。
貴族とはそんな人種だからだ。


「おぉ、殿下。
 このエッセル伯、領地を献じたりと雖も心は彼の地の領主。
 領民を安んじる義務を忘れたことは片時もありませぬ。
 浅薄なる我が知恵がその役に立つというのならば、どうか殿下。
 このワシをお使いください」


それに彼のような純な人間もいる。
全くの本気で理想論を語り、空気を作り出してしまう。
エッセル伯はそんな貴重な人材であった。
彼の言葉に後押しされ、次々にオレに賛同する声があがる。
最初に声を出したのは案の定サクラ役の貴族だ。
全て計算通りに進んでいる。
彼等の心を掴む、その切欠をオレは手に入れた。
あとは有力な者を一人ずつ落としていけばいい。
偏屈で一本気のある者はオレ自ら篭絡しよう。
派閥の構築。
そのスタートがここに始まったのだ。













室内に二人の男がいた。
立派な身なりをした壮年の男にもう一人が話し掛けている。
その声は密やかで、ともすれば音を発せずに会話をしているかのように見えた。
それ程に男は用心深く行動していた。
これは外交官である男の習性である。
相手の情報を掴むことは交渉を極めて有利に運ぶ。
何を目的としているのか、それだけを知っているだけでも交渉が大分楽になるのだ。
故に男は盗聴を警戒する。
外交官たる者は敵地で一時も心を休めない。
それが男の常識だった。
現に、この部屋の壁には仕掛けが施され会話は筒抜けになるようになっている。
それを踏まえて偽の情報を掴ませる、といった駆引きが行われるのもまた外交の常であった。
尤も、今の彼等の会話を聞いたとしても何の益にもありはしないだろう。
一人の親が延々と愚痴っているだけなのだから。


「ワシとて分かってはおるのだ。
 全ては国のため、ポーランドの発展のためだと・・・・・・。
 だがな、一人の親として心に痛みを持つことをワシは止めることが出来ん。
 御主も見たであろう!!
 あの坊主の締りのない顔を。
 あれはきっと盆暗だ。ろくでなしだ。間違いない。
 おぉ、フローラ。可愛いフローラよ。
 苦労をかける父を許せ」


そう言って壮年の男は頭を抱えている。
立派な身なりも相まって、その姿はかなり情けないものだった。
今の彼を見てリトアニア大公ヴィータウタスその人であると分かる者はいないだろう。
そこに居るのは娘可愛さに嘆く一人の親であった。


「いい加減気持ちを切り替えたらどうですか、大公。
 出立以来、延々と同じことを嘆いて・・・・・・。
 あなたも納得しての婚姻でありましょう」


そう言ったパウルス・ヴラジーミリの声は苛立たしげなものだった。
彼はポーランド王の腹心として縦横に活躍する外交官である。
今回の婚姻を取り纏めたのも彼で、事前交渉でミラノを屈した凄腕であった。
パウルスは出立以来、延々とヴィータウタスの愚痴に付き合わされていた。
彼も本心では無視を決め込みたい。
だが、身分上そうもいかない。
そこでヴィータウタスの感情に整理を付けるべく切りの無い問答に明け暮れているのだった。


「貴様は人事だからそんなに平然としていられるのだ。
 フローラの身にこれから降りかかる不幸を思えば・・・・・・、ワシはいくら謝っても謝りきれん」

「心配せずとも我が国が強大である限り粗略に扱われることはありませんよ。
 10年余りの辛抱です。
 ブルグント王が死にさえすれば、我が大帝が岳父としてこの国を支配するのも難しくないでしょう。
 それを思えば盆暗で大いに結構ではありませんか。
 むしろ望むところですよ」


肩を竦めて嘯くパウルスの言い草は素っ気無かったが、その内容は実に物騒なものであった。
ポーランドの狙い。
それはシャルルの読み通りブルグントへの外交的侵攻であったのだ。
ヴィータウタスが愛娘を嫁に出したのもその大事のためだった。
パウルスはいい加減付き合いきれず気を逸らせることにしたのか、真面目な話題を振った。


「問題は件の少年です。大公は彼をどう思いましたか?」

「オルレアン公子シャルルか」


パウルスが出した話題は今回の旅の重大事であった。
さしものヴィータウタスも表情を引き締まったものへと変える。
その顔はさすがヨガイラの従兄弟と言える精悍さで、彼が一筋縄ではいかない人物であることを伺わせた。
実際、ヴィータウタスはその有能さを買われ実力でヨガイラの右腕となった人物であった。


「奴はいかん。御主の方でも確認は取ったのであろう?」

「新たな通信技術開発の提案者。
 それが少年であるなど、単なる噂だと思っていたのですがね・・・・・・。
 残念ながら事実のようです」

「それだけではないぞ。
 彼の公子は自前の軍と資金源を持っているそうだ。
 既にある程度の力を持っておると見ていい」


ヴィータウタスが付け加えた情報にパウルスは辟易とした様子で首を振った。


「大帝陛下の読みは当たったようですね。シャルル公子は実に厄介な少年だ」

「味方であれば良かったのだがな」

「冗談ではありません。危うくて却って始末に負えませんよ。・・・・・・しかし、これで決まりですね」


彼等はヨガイラから一つの蜜命を帯びて来ていた。
それは新型通信技術とその開発者と噂されるシャルル公子の調査である。
ポーランド上層部では、先の大乱におけるミラノの異様な対応に多大な関心を寄せていた。
現在の常識では考えられない早さ。
その秘密をヨガイラは数年前から設置された奇怪な施設に見ていた。
これを通信施設であると推論し調査を進めていたのだ。
その結果辿り着いたのが、シャルル公子が開発したという噂であった。
正直、情報の真偽はかなり疑わしかった。
パウルスなどはっきり偽りであると思っていたのだ。
しかし、ポーランド王ヨガイラは真であるとした。
情報の機密さが噂を真実であると訴えている。
そう主張したのだ。
ならば確認せねばならない。
ヨガイラにそう感じさせたのは、ポーランドが抱える内患にあった。
嫡子の不在。
それが大国ポーランドの抱える唯一の欠点だった。
二代続けて王を余所から迎えるわけにもいかない以上、なんとしても子を生さねばならない。
だが、ヨガイラは今年で52歳である。
子を生せたとしても、その子が長じるまで庇護することは難しいだろう。
それ故、彼は周辺国の後継者に一際関心を抱いていた。


「ブルグント王国はこれからも伸び続けるでしょう。
 フィレンツェの経済力。
 皇帝という大義。
 更にアウグスブルクを征服した暁には、銀山まで手にしてしまいます。
 大国となる要因は整っている」


ブルグントとポーランドは手を結んだが、それは一時的なものだ。
同時に互いを最も警戒すべき相手と考えてもいる。 
所詮、何れは相まみえねばならない敵同士なのだ。


「それを継承する者は無能であった方がいい。
 いえ、そこまで贅沢は言いません。
 有能でなければいい。
 シャルル公子。彼がブルグント王となることは我等にとって望ましくない」


パウルスは厳しい表情で断じた。
それはヨガイラの腹心としての最終判断であった。


「ならば・・・・・・」

「ジョヴァンニ王子への援助を大々的にします。
 同時にミラノ貴族を尽く味方に付け、彼等の勢力拡大を手助けするとしましょう。
 この国はその成り立ち上、少々王権が強過ぎます。
 梃入れをしなければ危ういことになりそうですし」


強固な王権。
それがガレアッツォの征服を支える大きな要因である。
王権の弱体化はブルグントの国力低下に直結していた。
パウルスは既にその鋭い洞察力でブルグントへの攻め手を見付けていたのだ。


「ヴェネツィアにも影から手を貸しておいた方がよかろう。
 彼の国は此度の戦で直接の被害は被っておらぬが、少なくない損害を出したであろうからな。
 せいぜい頑張ってブルグントを抑えておいてもらわねばならぬ」


ヴィータウタスは間接的にブルグントを苦しめる戦略を即座に提示した。
ヨガイラがガレアッツォを上回る英傑ならば、ヴィータウタスとてガレアッツォに匹敵する傑物である。
彼も一国の王の器なのだ。
この層の厚さが、ポーランドを東欧屈指の大国たらしめる最大の要因であった。


「シャルル公子が如何に優秀であっても所詮は一人の幼子です」

「何程の事やあらん・・・・・・か」


そう言って両者はにやりと笑いあった。
その笑顔はどこまでも頼もしげで、確固たる実力に裏打ちされた自信に満ちている。
シャルルの前に立ち塞がる壁は果てしなく厚く、険しかった。













会合は大成功の内に終わった。
感触は極めて良好。
貴族連をホクホク顔で帰宅させたということは、彼等がオレの掌で踊ってくれた証拠といえよう。
現在の彼等を結び付けているのは一つの感情に過ぎない。
即ち、反ミラノである。
敗北し、故郷を荒らされた恨み。
栄華を誇っている者への嫉み。
そういった負の感情でのみ彼等は繋がっている。
オレはそこに手を加え、一つの集団へと昇華させねばならない。
王位継承者シャルルを頂点とする派閥。
その一員であることを彼等一人一人に自覚してもらわねばならないのだ。
そのために一番いいのは戦争だ。
外敵を用意し、一つの目標に一丸となって当たる。
これ程人々を纏めさせるものはない。
何せ命が懸かっているのだ。
そして、そのための手は既に打ってある。
オレはその結果を聞くため、自室にて吉報の訪れを待っていた。


「殿下」


フリッツの声を聞いたオレは入室を促すとすぐさま成果を尋ねた。
その成否が策の成否に繋がる。
重要な報告だった。


「アウグスブルクへの流言、完了致しました」


それを聞いたオレは身を乗り出して続きを促す。


「首尾はどうだった?」

「上々です。
 今は小さな火ですが、直に劫火となって広がることでしょう」


フリッツの報告にオレは満足気に頷いた。
流言は古来より使い古された戦の常套手段である。
その効果は類を見ない程に絶大。
使い様によっては、それだけで敵を滅ぼせる恐ろしい武器だ。


「発信源は特定されることはないな」

「複数の者を経由していますし、元々が大した内容でもないので心配はないかと」


オレが最も恐れているのはガレアッツォの方針に故意に反して戦を起こしたことを知られることだ。
ガレアッツォにのみ知られるのならまだ構わない。
彼は結果を出しさえすれば黙認してくれる目算が高いからだ。
しかし、オレを疎む貴族に知られたら目も当てられない。
そうなった場合、彼等はオレを糾弾するだろうし、ガレアッツォもオレを処罰せざるを得なくなる。
だからこそオレは火元の特定されない間接的手段、流言を用いた。
流言とは噂のことである。
それは極々身近なものであるが実際に戦で戦術として用いられる立派な策だ。
その代表的な特徴は二つ。
拡散性と情報の変質だ。
火のような勢いで伝播し、人の口を通る内に尾ひれが付き、全く別の内容へと変わっていく。
この性質は噂の内容が不吉なものであればあるほど顕著で、それが他人に教えて回避させてあげようという善意の行動からのものであったりする分性質が悪い。
そう、『旧エスト伯領に兵が集まっている』という程度の噂でいいのだ。
それが軍勢が集まっているとなり、ブルグントがアウグスブルクに攻め込む準備をしているになり、もう間もなく戦争が起こるという噂へと変じていく。
そして、現在の情勢がその信憑性を高めてくれる。
何せブルグントがいずれアウグスブルクに攻め込むことも、旧エスト伯領に兵が集まっていることも事実なのだ。
オレがエンファントを集結させて演習をさせているのだから。


「さて、後は結果を待つだけか・・・・・・」


人事は尽くした。
次は天命を待つだけだ。


「ここからは賭けですからね。
 アウグスブルクが暴発して攻め込んでくれないことには噂を流した意味がありません」

「そう分の悪い賭けではないはずだ。
 アウグスブルクを支配しているのは都市貴族の集団で、その中に強烈なリーダーシップの持ち主はいない。
 先の見える者が血気に逸る者達を力で押さえ込むといったことは起きないだろう。
 となればフィレンツェのように打って出て来る可能性は高い」


アウグスブルクを取り巻く状況。
細部は違えど、それはかつてフィレンツェが陥った事態に似ている。
時が過ぎれば過ぎるほど状況は悪くなり、詰んでいく。
ならば取る行動も酷似したものになる筈だ。
そう、フィレンツェが未来を切り開くべく自ら攻勢に出たようにアウグスブルクも自ら攻め込んで来る。
その場合の目標は間違いなくミュンヘンだ。
ニュルンベルクは未だループレヒトの直轄領であり、そこに攻め込むとは考えられない。
それは皇帝より認められた自治権を自ら否定するに等しいからだ。
だからアウグスブルクの標的をミュンヘンと断定できる。
恐らく彼等は一直線にミュンヘンに駆け込み、最短でこれを落とそうとするだろう。
だが、そうはいかない。
アウグスブルクとミュンヘンの間にはオレの領地、旧エッセル伯領が存在しているからだ。


「簡素な砦を作って防衛に備えておけ。
 最初は守勢に徹し、侵攻の名分と許可を取るぞ」

「既に工事を始めております」

「よし。一次侵攻を押し返したら駆けつけるドイツ諸侯を組み込んで一気に攻め入る。
 諸侯への根回しはフランチェスコ・バルバヴァーラに一任しているが、奴がジョヴァンニ側の回し者である可能性は捨てきれない。
 御前も目を光らせ、必要ならば介入しろ。
 だが私がフランチェスコを疑っていることは決して悟らせるな」

「御意」


アウグスブルクを落としたら本格的にオレの陣営を構築することが出来る。
教皇派の強いアルプス地帯、オレが総督を勤めるボローニャ、そして南部ドイツ諸侯。
いかにミラノ貴族が強勢を誇っていても、これ程の勢力を築けば決してオレを無視できない。


「これから忙しくなるな」


激動の1403年も終わりが近付いている。
来る1404年。
ガレアッツォはそれを平安の年、治世の年と定めた。
しかし、オレにとって来年は更なる動乱の年となるだろう。
ブルグント王位を手に入れ確固たる地位を得るまで、オレに立ち止まることを許されないのだ。






------後書き------
新年あけましておめでとう御座いますm(_ _)m
年末、年始と病を得て更新が遅れてしまいまして申し訳ありませんでした。
こんな作者でありますが、今年も温かい目で見て下されば幸いです。
少々病気がちなのでこれ以降、更新が遅れる可能性があります。
前もってお詫びしておきます。
それでは改めまして、今年も宜しくお願いします。



[8422] 外伝8.エンファントの日常
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2010/01/12 18:12
エンファントは俗に言うエリート集団だ。
確かにその出自は定かでなく、一般的に見ても卑しい。
だが、高度な教育を受け、将来シャルルの近衛兵となることを約束された彼等は、十分にエリートと呼ばれるに足る集団である。
そのことは彼等自身、深く自覚していた。
筆頭イーヴを始めとする団員全てが、高い意識とシャルルへの激烈な忠誠心の下に統一され、一個の生命として行動する。
エンファントは結成以来4年にも及ぶ厳しい訓練によって、自らをそれ程の軍集団にまで昇華させていた。
・・・・・・表面上は。
その皮を一枚剥ぎ取れば、そこにいるのは思春期の少年達。
身に付けた技術を除けばそこ等で悪戯に興じる悪ガキと変わりはない。
そう、一歩踏み込んでみれば彼等の間でこんな会話が飛び交うのを目撃することも当然のことなのだ。


「なぁ・・・・・・」


夕方、集団訓練が終わった後。
鍛錬場に残り各々が自主鍛錬に明け暮れる、そんな時間帯に一人の少年が口を開いた。
彼の名はミラン。
お調子者でエンファントのムードメイカー的存在の少年である。
ミランは先日開かれたジョヴァンニの結婚式に参列した者の一人であった。
ある程度以上見目が良く、行儀作法まで修めている。
先の宴は、その条件に合致した極僅かな者のみが特別に参加を許された。
その中に含まれるということはエンファント内でもトップクラスにいる証左である。
ミランはそんな少年だった。


「なんだ」


改まった様子で喋りだしたミランに周囲の者も何事かと振り向いた。
ちょうどいつも休息を入れる時間ということもあって、誰もが皆その手を休める。
イーヴ、ロイ、ダンテス。
エンファントの中核を担う面々だ。
彼等を代表してミランに応じたのはダンテスであった。
悪ふざけの多いミランに付き合うのはいつも彼の役割だった。


「あのさ、オレこの前のパーティーに出て思ったんだけどさ・・・・・・」


神妙な顔付きで話し始めたミランは急に相好を崩して叫んだ。


「ソフィア様って無茶苦茶かわいかったよな!!」


手を握り締めてそう力説した。


「百合のような顔(かんばせ)。折れそうに細い腰。
 可憐っていうのはああいう娘を言うんだろうな~。
 くそっ、あの子がジョヴァンニなんかのものになっちまうなんて世界の損失だぜ。
 神の試練、ここに極まれりっていうかさ~。
 せめてシャルル様に嫁いでくれたんなら納得がいくのによ」


口から飛び出たのは、そんな不敬極まる発言であった。
また始まったよ、という視線がミランに注がれる。
それにも関らずソフィアの素晴らしさを捲くし立てる彼をイーヴが咎めた。


「口に気を付けろ、ミラン。
 一応でも様を付けねばシャルル様に累が及ぶ」

「分かってるさ。うっかりしてたんだ」

「それに・・・・・・シャルル様にはイザベラ様という許婚がおられるだろう。そのような発言は失礼極まりない」


静かな、しかし断固たる口調でイーヴはミランを叱り付けた。
エンファント内にジョヴァンニへの反感があるのは事実である。
何せジョヴァンニは敬愛する主、シャルルの障害となる人物だ。
悪感情を持たないわけがない。
しかし、それとその感情を露わにするのとは別問題である。
イーヴはそう言ってミランを注意したのだが、ダンテスはそう受け取らなかった。


「なんだ、イーヴ。イザベラ様を蔑ろにされて怒ったか?」


にやにやと、そう表現するに相応しい人の悪い笑みを浮かべながらダンテスは茶化した。
それを聞いたイーヴの黒い肌が薄っすらと濃くなる。
それは彼が赤くなっている証拠だった。


「別にそんなつもりはない。ただ不敬だと思ったから注意したまでだ」


生真面目な彼らしい返答。
しかし、付き合いの深いダンテスはイーヴの変化を見逃さなかった。
ミランもだ。


「おやおや、イーヴさん。早口になってらっしゃるよ」

「それに口調がどもりがちだぜ。これは動揺してる証拠だ。なぁ、ロイ」


急に振られたロイはリーダーに気遣いながらも、年上の二人の意地の悪い顔を見て躊躇いがちに同意した。


「えぇ、まあ。イーヴさんはそんな癖がありますよね」


こうなった二人に逆らえば自分に累が及ぶ。
経験談からくる防衛意識は、信頼するリーダーをあっさりと見捨てさせた。


「ほら、ロイもこう言ってるぜ。あのロイがだ」


ミランが得たりとばかりに騒げば、ダンテスもまたここぞとばかりにイーヴに詰め寄った。


「認めちゃいな、イーヴさんよ。イザベラ様を差し置いてソフィア様を嫁さんに、なんて言ったから怒ったってさ」


そうすれば楽になるよ、そう言って笑う二人をイーヴは心底忌々しげに睨んだ。
しかし、そんな苦し紛れの視線などダンテスやミランにとっては心地よいだけだ。
イーヴは覚悟を決めた。
一時の恥などモルト老の剣戟に向かうのに比ぶれば如何ほどのものであろう。


「あぁ、そうだよ。敬愛する方が蔑ろにされたからムッときたよ。これで満足か!!」


そして、返す刀で相手に同等の痛痒を与えんとする。


「そういう御前はどうなんだ?」


そうダンテスに問うた。
自分がやられて嫌なことは相手も嫌なんだよ。
脳裏にモルト老のそんな声が聞こえた。
ありがとう御座います、老師。あなたの教えの御蔭で今日も相手に切り返すことが出来ました。
イーヴは心の中でモルト老への感謝の念を奉げたが、状況が悪かった。
あるいは違っていたというべきか。


「勿論、イザベラ様を敬愛してるさ」


ダンテスは胸を張りそう宣言したのだ。


「あの美しさ。
 薔薇に例えられる華やかな御顔は、最近富に磨きがかかってきたし、身体つきも実に素晴らしい。
 こう・・・・・・、出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいるってやつ?
 正直言わせてもらえば堪らないね。
 そんじょそこらの女性では太刀打ちできない高貴な美、っていうのを感じるよ」


ダンテスは飄々とそう語った。
何ら痛痒を感じていない、堂々とした語り口はいっそ清々しい。


「何をしてるのかな、ロイ?」


ダンテスが目を向けた先には、射手らしく風向きの変化を読んで逃げだそうとするロイの姿があった。
このままでは巻き添えを喰う。
そう判断したロイの直感は極めて正しかったが、あいにくダンテスの方が上手であった。
その長い腕と怪力で以って小柄なロイを引き寄せると、この上ない程にこやかに尋ねる。


「で、ロイ君は誰がいいのかな?」

「君だけ逃げられるなんて考えが甘いぜ。きりきり吐いてもらおうか」


締め上げるダンテス、にじり寄るミラン。
目元を光らせたロイは、エンファントの良心へと救いを求めた。


「・・・・・・ロイ。御前は誰なんだ?」


しかし、現実は無情である。
救いを求める手をばっさりと切り捨てたイーヴの目には冷たい光がはっきりと浮かんでいた。
さっきはよくも見捨ててくれたな。
そんな科白をまざまざと伝えてくるイーヴの眼光にロイは全てを諦めた。


「ぼくは、その・・・・・・。ヴァランティーヌ様がいいかな~と」


消え入りそうな声でロイはそう呟いた。


「お、御前。年上趣味か!?」

「いくら何でも上過ぎるだろう」

「予想外だ」


三人は口々に驚きの声をあげる。
その顔は心なしか引き攣っているようだった。
明らかに引いた三人の反応を見て、ロイは慌てたように腕を振った。


「いや、別にそういうわけではないんですよ。
 ただヴァランティーヌ様を見てると国に残した母を思い出すというか。
 安心するというか。
 温かくなるというか。
 ほら、分かるでしょう。
 こう・・・・・・、甘えたくなる感じが」

「いや、分からねぇよ」

「分かりたくもないぜ」

「理解不能だ」

「ひどいです!!」


ロイは周囲のあんまりな反応に叫んだ。
なんたる無理解。
憤然として己の正当性を主張する。


「皆さんだってヴァランティーヌ様を慕う心はおありでしょう?
 あんなに良くしてくださったじゃありませんか。
 生まれの卑しい僕達に優しくしてくれる貴族なんてそういないことは、僕達自身が一番身に沁みていることでしょう」


確かにエンファントに対する風当たりは相当強いものだった。
戦争は貴族の領分。
彼等はその不文律を破り、犯したのだ。
シャルルがどれ程心を砕こうともその事実に変わりはない。
反発が起こることは必然であった。


「ヴァランティーヌ様だけは他の人と違いました。
 優しくしてくれました。
 甘いお菓子をくれました。
 本当に良くしてくれたじゃないですか」


イーヴ達の頭に温かい記憶が蘇ってきた。
モルト老を始めとする老傭兵団のつらい扱き。
倒れる限界を見極められた早朝ランニング。
素振り5000回。
常に死を意識させられる掛かり稽古。
地獄の責め苦に等しい日々だった。
頭を痛ませるだけの座学がどれだけ嬉しかったことか。
勿論訓練である以上、本当に死ぬことはない。
しかし、一皮剥けるためと称して死の臨界に触れさせられることは日常茶飯事であった。
そんな筈は無い。いや、でもまさか!?
そう思わされるだけの恐怖がモルト老の訓練にはあったのだ。
そんな日々の中で、ヴァランティーヌという存在がどれ程の癒しになったことか。


「泥に塗れて倒れこんでいたあの日。
 僕はまさに女神を見た思いでした。
 皆さんはそう思わなかったのですか?」


ロイにしては珍しく強い口調で非難する。
恩知らず。薄情者。
そういったロイの主張は傍から見れば正当なものに映った。
非難された側の三人を除けば。
彼等の顔には、はっきりと困惑の色が浮かんでいた。


「そうは言っても・・・・・・なぁ」

「ああ」


魂の言葉に対する周囲のあまりに薄い反応にロイは更に眉を顰める。


「なんですか。僕の言っていることは間違っていますか」


顔を見合わせた三人を代表してダンテスが口を開いた。


「ロイ、御前の言っていることは間違っちゃいねぇよ。
 オレ達がつらい訓練を耐えれたのはヴァランティーヌ様の御心遣いのお蔭。
 それを認めるのは吝かではないさ」

「そうでしょう」


ダンテスの肯定にロイは得たりと頷いた。


「・・・・・・けどよ、同じ場所にイザベラ様もいただろ」


訓練場に気まずい、じとっとした空気が満ちる。


「そりゃあ、ヴァランティーヌ様にも感謝してるよ。
 だけどオレ達位の年だったら普通年齢も近いイザベラ様に憧れるだろ」

「そうでなくても年が近い方に目がいくのは普通だと思うぜ」

「語るに落ちたな」


反攻に転じた三人の前に、ロイの勢いはみるみるうちに失速していった。


「大体おかしいと思ったんだ。御前がヴァランティーヌ様を見る目が妙に熱っぽいからよ」

「いや、オレはかなり前から疑っていたぜ」

「信じたくはなかった」


それぞれ好き放題に言いたいことを言うと、三人は無言でロイを見詰めた。
眼の奥にはありありと好奇の光が宿っている。
これから自分に降りかかる未来をロイははっきりと察した。
絶対からかい尽くされる。
そう判断した彼の判断は素早かった。


「そんな、僕の純粋な心を邪推するなんて。みんなの・・・・・・バカ――――!!」


そう叫ぶとロイは一目散に逃げ出す。
電光石火の逃走は誰もが予想だにしない、完全に虚を付いた見事なものだった。


「あっ、待て。ロイ!!」


獲物を逃がした先輩達の声を遥か後方に置き去りにして、ロイは見付かりにくい林へと逃げ込んだ。
十分に距離を取った上で、木によじ登って周囲を見渡す。
そして、追跡されていないことを確認するとようやく幹にもたれて溜息を吐いた。


「まさか、こんなことで僕の嗜好がバレるなんてな~。失敗したよ」


そうぼやいたロイは、経験豊富な教官の間で既に自分の年上趣味が事実として広まっていることを知らなかった。
そんな抜けた所のある彼の名はロイ。
エンファント随一の射手にして、後に銃による狙撃手の先駆けとなる男。
そして、輝くような金髪と少女と見紛えんばかりの容姿を最大限に活用してマダムキラーの名を欲しい侭にし、ヨーロッパ社交界で恐れられることとなる男である。






------後書き------
部屋に篭もるとついつい書いてしまう。
いけないと思いながらも・・・・・・作者は誰しもそんな経験があるのでは?
というわけで、非常に短いですが外伝です。
日常の一コマを膨らませるのに挑戦したわけですが、意外に難しかったです。
短編であんなにたくさん書けるプロはやはり凄いな、と思いました。
テンポよくまろやかな話を目指したのですが、どうだったでしょうか?
こういった話はあまり書いてこなかったのでアドバイスを頂ければ嬉しいです。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしています。



[8422] 派閥の贄
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2010/01/24 00:18
旧エッセル伯領の要塞化は順調に進んでいた。
世の中何が幸いするか分からない。
今回の領内整備で、オレはその事をつくづく感じさせられた。
人としてはともかく、領主としてのエッセル伯は無能と断ぜざるを得ない。
少し前まで、この地にあったのはもう何年も人が通っていないのではないかという荒れた街道と好き放題に生えた木々だった。
明らかに整備を怠っていた痕跡の数々。
武人肌のエッセル伯は、馬のための牧草地や騎士の鍛錬場の充実にばかりかまけ、領地の整備に頭が回っていなかったに違いない。
彼の領地の惨状は、はっきりとした形で残されたエッセル伯の無能の証拠であった。
通常であったならば、目の前に横たわった大仕事にオレも眩暈を覚えたことだろう。
だが、こと防衛のことを考えれば手付かずの自然と舗装の剥がれた道は願ったり叶ったりの代物であった。
これならば敵の行軍速度は落ち、その進路も限定される。
防衛計画を立て、アウグスブルクの襲来に備えることをエッセル伯の怠慢が容易な作業にしてくれたのだ。
そこで、オレは領内の視察と防衛態勢の整備をフリッツとガッタメラータに任せ、自身は以前から考えていた計画を実行に移すことにした。
帝国領周辺を活動拠点としている傭兵隊長の発掘。
つまり、新たな戦力の獲得に動くことにしたのだ。
このタイミングでオレが戦力の拡大に踏み切ったのには大きな理由がある。
それは敵に備えてのことではない。
味方を威圧し、掌握するためであった。
現在、オレはドイツ貴族と教皇派のイタリア貴族を纏め上げ、自分の派閥を作り上げようとしている。
ジョヴァンニを推すミラノ貴族に対抗するためだ。
そして、派閥の形成に成功すればそれは十分可能であろうと予測された。
しかし、だからといって単に派閥を作ればいいというものではない。
事はそう簡単ではないのだ。
派閥の領軸となる上で何よりも重要なことがある。
それはオレが彼等に担ぎ上げられる存在となってはならない、ということだ。
利用される分には構わない。
だが、取り込まれてはならないのだ。
ガレアッツォのように、確かな力で以って彼等の上に君臨しなくてはならない。
そうしなければ例え政争に勝ったとしても禍根を残す。
勝利の結果が王権の縮小では元も子もないのだ。
派閥の主導権、それはオレが握る必要があった。
そして、それを解決する方策がオレ個人に雇われた経験豊富な傭兵を手に入れることなのだ。
要するに指揮官を補充しようというのである。
というのも、オレの軍は上層部に不安要素が多いのだ。
ガッタメラータは雇い主がガレアッツォなのであまり自由に動かすことは出来ない。
内乱でガレアッツォが静観を決め込めば、戦力外となってしまう。
モルト老の方も年齢的な問題があった。
かなりの老齢である以上、いつまでも頼りにするわけにはいかない。
いざという時に倒れる、という可能性も考えられる。
そういった理由で、新たな戦力の確保は今後の政争のために不可欠な作業であった。






森に轟音が鳴り響いた。
この時代には存在しない、少なくともヨーロッパでは未だ実用化されていない。
それは、つい先日までそう思い込んでいた筈の音だった。


「これが砲というものです」


オレの盲を取り払った男、ヤン・ジシュカは振り返りながら言った。
記憶にある物とは違い、それは無骨で余りに大きく兵器として未だ洗練されていない。
だが、それは現実としてジシュカの傍らで煙を上げている。
大砲。
それはその原形であった。


「私はこれをあるルートから手に入れました。以来、ひっそりと隠し持ち、危急の時のみ使用しております。
 その効果は御覧の通り。
 岩をも穿つという、イスラームから伝え聞いたままのその威力。
 御満足頂ける土産でしたかな?」


特徴的な隻眼を笑みの形に崩してジショカは笑んだ。
オレの隣りでは護衛の兵が耳を押さえて悶絶している。
片方に至っては、尻餅をついて腰を抜かしていた。
砲撃の音は質量を伴っていると錯覚する程すさまじかった。


「ほう、豪胆でいらっしゃる」


知識としてその音の凄さを知っていたことが幸いし、オレは護衛の二人に比べ平然としていられた。
驚きはあるものの、それは大砲が存在することへのものだ。
そんなオレの様子を見て、ジシュカは感嘆の声をあげた。


「砲というものを実感してもらうため、わざと前知識も注意も与えなかったのですが。
 そうして泰然としておられるということは以前どこかで御覧になられたのですかな?」

「いや、初見だ」

「では、さすが王家に連なるお方と賞賛するとしましょう」


ジシュカの都合のいい勘違いをオレは敢えて正そうとはしなかった。
肝が太いというのは美点だ。
そう思ってくれるのならばそれに越したことはない。
ジシュカが唇を吊り上げ送った拍手をオレはポーカーフェイスで受け流した。
このヤン・ジシュカという男は、歴戦の傭兵という言葉を形にしたような男である。
年齢は三十半ば程。
長い戦場暮らしにも関らず、彼からはその過酷さからくる疲弊は感じられない。
むしろ張りのあるしなやかな身体つきを維持していた。
一目見て只者ではない、と感じさせる体躯である。
引き締まった顔付きは厳しさと怜悧さを兼ね備え、目を惹く隻眼が不気味に光る。
特徴的なその隻眼が彼に独特の風格を与えていた。
あらゆる荒事を経験してきた老人と血気盛んな武人の光を瞳に同居させている。
その光がジシュカという男の在り方を語っていた。
彼は元々ボヘミアの没落貴族であったという。
そのような身の上の例に漏れず、ジシュカは傭兵となり自分の腕だけで道を切り拓き地位と名声をその手にした。
各国の宮廷にも名を轟かせる、正しく一流の戦闘家である。
そんな彼がオレの招きに応じてくれたのは、正に天上の幸運と呼べる奇跡であった。
胸中の喜びを押し隠し、オレはジシュカという人物を把握することにした。


「しかし砲は未だ実用段階にないと思っていたのだがな・・・・・・」


最初に口にしたのは、そんな当然の疑問であった。
戦場で使われても効果を発揮しない。
せいぜい守備側が使う程度で、それも威力に期待してではなく音で威嚇することを目的としてのもの。
それがオレが考えるこの時代の大砲であった。
だが、今目の前にあるこれは違う。
この大砲は明らかに野戦で使用可能な段階に達した『兵器』だった。
貴族の道楽の段階というオレの認識は大きな誤りであったらしい。
ジシュカはオレの問いに当然である、と頷いた。


「軍事機密です。そうそう表に出るわけが無い」


確かに無闇やたらと漏洩するようでは機密とはいえない。


「そんな重要な兵器を私に提供していいのか?」


オレがそう問うとジシュカはニヤリと笑い、飄々とこうのたまった。


「この砲、直に高く売れなくなってしまうでしょうから。せいぜい今が潮時と判断したまでです」


ジシュカは人を喰ったような、それでいてどこか小気味いい笑顔で続ける。


「私の故郷、ボヘミアは早くからこの砲という兵器に着目し、研究してきました。
その甲斐あって他国に先んじ、こうして実用化まで漕ぎ着けた訳ですが・・・・・・。
 世の中というのはそう何もかも旨くいくものではなかったのですよ」


遠回しに示された事実にオレは腕を組んで唸った。


「先を見据えていたのはボヘミアの者だけではなかったというわけか」

「その通り。そして、それが私が殿下の招きに応じた理由なのです」


ジシュカは謎かけをしている。
当ててみろ、と言っているのだ。
大砲を実践段階まで開発している地域。
そこはどうやらオレと関係があるらしい。
これまでの遣り取りから分かるように、ジシュカは相当な食わせ者だ。
相手を煙に巻きつつ、尻尾は必ず見せて興味を絶やさせない。
彼は交渉上手で自分を売り込む術に長けていた。
ならば答えはオレと利害が衝突する相手なのだろう。
ポーランドではない。
彼の国がその技術を持っているなら、先の戦で使用していた。
ポーランドにとって対帝国戦はそれ程の一大勝負だった。
もし秘密兵器があったのなら、それを投入した筈だ。
それに答えがポーランドだった場合、売り込む相手として選ぶのはオレではなくガレアッツォだろう。
だから、ポーランドではない。
大砲を開発できる程の財力があり、それを周辺国から隠すだけの諜報能力を持っている者。
それでいてオレと敵対している、あるいはその可能性が高い者。


「・・・・・・ブルゴーニュ公国、か」


オレの呟きにジシュカは口笛を吹いて答えた。


「正解です」


そう言ったジシュカの目はこれからのオレの反応を予測し、面白がっている。
オレは彼の思惑通り動転した。
予想だにしない情報を得て一瞬我を忘れ、それを恥じて慌てて平静を取り繕う。
その一部始終をジシュカは黙して見守っていた。
あるいは観察していたのかもしてない。
危急の際、人の真価は問われる。
貴重な情報というカードを切ることで、ジシュカはオレの器を測ったのだろう。


「ブルゴーニュ公が既に砲を実用化していることは事実なのか?」


オレの確認にジシュカは自信を持って頷いた。


「若かりし頃、各地を転戦していた折にこの眼で見ましたからな。これ程信用の置ける情報源は御座いますまい。
 ひどく原始的でありましたが、あれは紛れも無く砲でした。
 あれから10数年。今ではより進歩していることでしょう」


なるほど、それは何よりも確かな情報源だ。
ジシュカが真実を話しているのならばという仮定の話ではある。
だが、信憑性は低くはない。
少なくとも、べらべらと機密情報紛いの内容を喋られるよりは信用できた。


「いいだろう。信じるとしよう」


オレがそう言うと、ジシュカは眉を僅かにあげて笑みを深くした。


「そんな簡単に私の言葉を信じてもいいのですかな?」


初対面であるのに、ジシュカは皮肉気にそう付け加えた。
意地の悪いジシュカの言葉に、オレは即答する。


「構わん。少なくとも今、私の目の前に実用化された砲がある。
 それは事実だ。
 そして、一先ずはそれでいい。
 ブルゴーニュ公の件は枝葉に過ぎん。
 確かに重大な情報ではあるが、それは私の頭の隅に留めて置けばよいだけのことだ」


そこで言葉を切ると、今度はオレがジシュカにニヤリと笑いかけた。


「真に重要なこと、それは貴殿が砲という兵器を携え私の下へ訪れてくれたというその一事だ。
 砲は予定外のことで、謂わばおまけ。
 ブルゴーニュ公の件と同様、今回に限っては枝葉だ。
 私が求めたのは優秀な武人であり、指揮官である貴殿なのだからな」


大砲はジシュカの手土産であり餌だ。
余りに魅力的な贈り物に惑わされ、贈り主を置き去りにして物にかまけるようでは愛想を尽かされて当然だろう。
それと同じで、大砲という『物』に目を奪われジシュカという『人』を見ないようであればジシュカはオレに見切りを付けるつもりだったに違いない。
本義を忘れ、あらぬ方向に逸れる者には如何なる事業も達成できない。
人を顧みない君主の先に待つのはいつだって破滅だ。
ジシュカは大砲を使って、オレのそういった資質を測ったのだ。


「ようこそ、ヤン・ジシュカ。
 隻眼の英雄、その勇猛さと智謀で知られた稀代の戦士よ。
 私は貴殿の訪れを心から嬉しく思う」


真偽は問わない。
武人ジシュカがオレの下へ来た、それだけでいい。
そんなオレの答えを聞いたジシュカがどう思ったのか、それは分からない。
ただ彼は頭を掻いて苦笑すると、オレにこう言った。


「私は使いづらいですぜ」


ややぶっきらぼうで伝法な口調。
これがジシュカの素なのだろう。
オレとジシュカは互いに固い握手を結んで契約を結んだ。



歴史に数多くの分岐点があるとしたら、この瞬間がそうであった。
ヤン・ジシュカ。
彼の存在なくして百年戦争におけるシャルル・ヴァロワの活躍はあり得なかった。
彼の存在があったからシャルルはフランスへ赴くことが出来たのだ。
後にジシュカは東方防衛の要となり、十数年の長きに渡ってポーランドの蠢動を挫き彼の大国を苦しめることとなる。
更に彼の死後も、その薫陶を受けた弟子達の存在の御蔭でシャルルは後方を気にすることなく戦うことが出来た。
この日、シャルルは彼の治世を支え続けることとなる不世出の名将と出会ったのだ。













ジシュカとガッタメラータの邂逅はその日の夜の内に行われた。
お互い腕に覚えのある強者同士、とはいえ格という点ではジシュカの方が上である。
ガッタメラータもシャティヨンの戦いで一躍その名を轟かせたものの、やはり重ねた年月は覆しがたくその名声はジシュカに一歩及ばない。
ジシュカとはそれ程の人物だった。


「隻眼のジシュカ!?」

「貴殿は・・・・・・、シャティヨンの英雄か」


片や驚愕、片や歓喜。
初対面における二人の感情は異なったものだったが、互いに興味を抱いたという点では一致していた。


「まさか、殿下が招いたのがあんただったとはな・・・・・・」

「おかしいかね?」

「おかしくはないさ。
 ただあんたの活動範囲を考えればハンガリーやポーランドに雇われていそうだと思っただけだ。
 それに、幼少の殿下が雇うにはあんたはでか過ぎる」


何故シャルルに。
ガッタメラータが抱いたのはそんな疑問だった。
ジシュカならばヨガイラもガレアッツォも好条件で雇い入れるだろう。
確かにシャルルはボローニャ攻略とその統治という大きな功績を上げたが、所詮それはお膳立てられたものだ。
自力で功を成したとはいい難い。
率直に言って、シャルルは未だジシュカを雇える器ではなかった。
それにも関らずジシュカは今ここにいる。
ガッタメラータの不審は当然のものだった。


「まぁ、それはおいおい話すさ。取り敢えず外で飲まないか?」


ジシュカはガッタメラータの問いを流すと、酒の席へと誘った。
ジシュカもまた、この若き英雄に以前から興味を抱いていたのだ。
二人は一先ず話しを打ち切ると、舞台を夜の街へと移した。






シャルルの部下が通う酒場は決まっている。
ツォウツォウの宿。
シャルルが資金を提供した商人によって展開されている酒場だ。
格が九等級に分かれており、格は大貴族とそれに連なる者専用の高級店から娼館も兼ねた大衆酒場までとバラエティーに富んでいる。
豊富なカクテルという物珍しさを最初の突破口とし、ステイタスで優越感を巧みに煽る。
そうした経営が当たり、今では多くの貴族が利用するようになったこの酒場はシャルルの重要な資金源であった。
とはいえ、その事実を知る者は極少数で限られている。
オーナーがシャルルであることはひた隠しにされているからだ。
貴族の代表格である王族が商売に手を出していると知れれば外聞が悪い。
そういった理由でシャルルは酒場の経営を信頼できる者に任せ、稼ぎを密かに受け取ることに終始しているのだった。
では、何故ここをシャルルの部下達が率先して利用するかというと、その理由は単純である。
彼等は札を持っているのだ
札の価値は単純明快、飲み代無料。
幾ら飲もうとも代金はシャルルに請求される、という一種の慰労であった。
尤も、酒を出しているのもシャルルなので本当は詐欺に近いのだが。
その事実は知られていないためにシャルルは傭兵達から太っ腹な大将と絶大な支持を集めていた。


「結ばれし縁に乾杯」

「乾杯」


ジシュカは気障な科白と共に杯を合わせると一息に呷った。


「いい酒だ」

「他人からの奢りだ。酒の良し悪し抜きにしても美味いさ」

「違いない」


ガッタメラータの冗談にジシュカも笑みを浮かべ同意する。
荒くれ者が集う酒場で二人の間にだけ穏やかな空気が流れていた。


「私がシャルル殿下の下へ来た理由、だったな」


先に話を切り出したのはジシュカだった。
静かに杯を傾けながら彼は語る。


「ガッタメラータ。シャティヨンの英雄よ。
 功を上げ、名を成した者は最後に何を求めると思う?」


ガッタメラータは暫時考え込んで、自信なさ気に答えた。


「更なる栄華か?」


ガッタメラータ。
彼の人生は端的にいって一つの目標に向けて突き進む、それだけに尽きた。
若かりし頃にモルト老という壁にぶつかり、彼はひたすらその背中を追ってきた。
次へ、次へ。
更に、更に強く。
現在得た名声はそうして突き進んできた結果に過ぎない。
そんなガッタメラータの出した答えには、彼のそんな人生が表れていた。
しかし、それはジシュカの出した答えとは異なっていたようだ。
ジシュカはゆっくり首を振って否定した。


「名声なんてのは所詮飾り。
 ある程度名を成したら君にもそれが分かる。
 一度分かってしまえばもうお終いだ。それ以上の名声を獲得しても得られるのは虚しさだけとなってしまう。
 天に昇るような誇らしさ。
 それを感じることができるのは最初の頃だけだ」


ジシュカはそこで言葉を切ると、ゆっくりと酒を飲んだ。
顔には静けさが、無が張り付いている。
彼は淡々と胸の内をガッタメラータに語った。


「人が最終的に辿り着くのは絶望だ。
 結局、人は人でしかない。矮小な、ちっぽけな存在に過ぎない。
 年を重ねると人は嫌でもそれに気付かされる。
 隻眼のジシュカ、戦場の悪鬼。
 そう呼ばれ恐れられても、それは今だけであるということをだ。
 孫の代にでもなればジシュカの名も過去の人。
 その息子の頃には私は忘れ去られた唯人だ。
 だから人は、その人生の最後に大いなる何かを求める。
 永遠を、神の愛を、人間を越えた何かを、だ」


ジシュカの口調は次第に熱を帯びてきていた。
何かを求め、そして喘いだ彼の情熱がそこにそのまま現れているようだった。


「不幸なことに私には神との縁はなかった。
 それも当然であろう。
 戦場を渡り歩き、多数の命を奪った私に神の御手が差し延べられる筈がない。
 私には神の御為に働くという選択はなかった。
 ならば、どうする?
 どうすれば大いなるものを手に出来る?」


ジシュカの求めたもの、それは永遠だった。
永遠、不滅であること。
それを求めるのは人の性である。
中世以前、北欧のヴァイキング達は勇猛な戦士のみが神々の園へ迎えられると信じた。
そこでは戦士は永遠に戦い酒を飲んで歌い合うことが出来る、そう信じた。
古の時代、中国の始皇帝は不老不死の法を求め、部下に大陸中を探させた。
遥か海を越え、至高の王は永遠を求めた。
ジシュカもまた、何らかの形でその永遠を手にしようとしたのだ。


「私は人々の記憶に永遠を求めた。
 伝説となり、語り継がれる。
 次々と書き加えられていく歴史という書物の中で、埋没することなく燦然と輝き続ける。
 世代を超えて人々の記憶に残り続ける。
 何故かは分からぬが、私はそうなりたいと思ったのだ。
 だが、王でもない一介の武将がそれを成すのは困難を極める。条件があるのだ」


ガッタメラータはその条件を考えた。
その答えは彼の原点にあった。
幼き頃、昔語りに目を輝かせた少年の頃。
戦士を志した原初の思い、それは伝説に語られる英雄への憧憬だった。


「偉大なる王の下で未曾有の大戦に参加すること・・・・・・か」


ガッタメラータが呟くように出した答えにジシュカは頷く。


「その通り。
 大戦だけでは駄目だ。偉大な王だけでも不足している。
 その二つが揃って初めて、大戦は伝説となり人々の口に語り継がれる」

「その大戦が起きる、そう考えてんのか?」

「起こるさ。起こらぬわけがない。
 ブルグントとポーランドという二大国。
 そして、餌である神聖ローマの残骸。
 これだけの条件が揃って大乱が起きぬなど考えられぬ」


そう断言したジシュカはガッタメラータの目を見て更なる衝撃を口にした。


「そして、勝つのはポーランドだ」


今度はガッタメラータも首肯しかねた。
戦う前から敗北を考えるなど彼の流儀に反する。
ガッタメラータはジシュカの言葉を一笑に臥した。


「戦ってのは始めるまで分からねぇもんだぜ」


ガッタメラータの反論。
それをジシュカは切って捨てる。


「個々の戦いの勝敗は始めるまで分からない。
 それは同意しよう。
 だが、より大きな視点で戦を見ると、多くの場合に於いて戦というものは始まったとき既に勝負が付いているものだ。
 蟻では象に勝てない、ということさ。
 東欧で戦ってきた私は彼の国の戦力をこの国の誰よりも深く把握している。
 残念ながらブルグントとポーランドでは自力が違うよ」


ジシュカは謳うようにブルグントの敗北を予言する。
軽薄とも取れる彼の態度にガッタメラータは噛み付いた。


「なら、なんで殿下に付いたんだ。あんたの予想では負ける国によ」


ガッタメラータの問い。
それに対するジシュカの答えは微笑だった。
頬を僅かに歪め、百戦錬磨の傭兵のみに許される凄みと共にジシュカは言う。


「勿論、私ならばその勝敗を覆せると考えているからさ」


ジシュカの余りに自信に満ちた発言に、さしものガッタメラータも呆気に取られた。


「それに、劣勢の側に付いた方が戦は面白いだろう?
 勝ち目が薄い分、報酬もでかいしな」


そう茶目っ気たっぷりに言ってジシュカは話を締め括った。
彼の様子からは、どこまでが本気の言葉なのか窺い知ることは出来ない。
本当に自分ならば戦いの趨勢を覆せると思っているのかどうかすら、ガッタメラータには読み取れなかった。
煙に巻かれ、僅かな苛立ちを感じる。
それを杯を呷ることでガッタメラータは飲み込んだ。
隻眼のジシュカ。
彼の底はどこまでも深く、その真意は誰にも見通せなかった。













侵攻は突然行われた。
少なくとも、敵の主観においてはそうだっただろう。
電光石火の奇襲。
そしてそこから一気に戦略目標まで突き進み、一息にこれを攻め落とす。
初戦の勝利で以って有利な状況を作り出し、それを維持することで目的を完遂する。
古来より行われてきた戦の常道の一つである。
極めて有効な戦法ではあるが、当然大きな弱点が存在した。
それは、作戦が一つでも躓けばその時点で予定が狂ってしまうことだ。
加えて奇襲には、読まれてしまえば終わりという欠点が存在する。
そういった事を考慮すれば、例え寡兵であろうとアウグスブルクの侵攻を防ぎ切ることはそう難しくない。


「悪いが私の目的の贄となってもらおう」


オレは遥か地平の果てから近付いて来ているであろうアウグスブルクの軍勢を幻視しながら笑みを浮かべた。
敵兵は概算で約9000。
一方の我が軍はせいぜい1500である。
しかし、鍛えに鍛えたエンファント500を含む精兵揃いだ。
しかも指揮官はガッタメラータ、ヤン・ジシュカ、モルト老という一騎当千の強者のみを擁している。
勝算は十二分にあった。


「よし、腕木通信で国王陛下に伝令を送れ!
 『アウグスブルク侵攻。我等これより迎撃す』
 通信兵、復唱せよ」

「はっ!! 『アウグスブルク侵攻。我等これより迎撃す』」


これでおよそ数時間後にはミラノへ情報が伝わるだろう。
そうすればあとは段取り通りだ。
フランチェスコ・バルバヴァーラがオレの救援を主張し、ドイツ貴族がそれに同調。
シャルル派の存在を周囲に見せ付ける。
更に、ここエッセル伯領にも異変を察した近隣諸侯達が続々と馳せ参じてくることとなっている。
オレ達はその間持ち堪えさえすればいい。
勿論、手柄のことを考えればそれだけでは不足している。
この日に備えて折角準備をしてきたのだ。
可能ならば撃退までしてしまいたい。
敵は餌にかかった愚かな獲物なのだ。
釣り上げた側としては腕によりをかけて料理するのが筋というものだろう。


「総員出撃! 予ての訓練通り敵を迎え撃つぞ」


オレは報せを受け、武装した部下にそう命じた。
いよいよオレの、オレ自身による、オレだけのための戦いが始まるのだ。






戦いというのは総じて守備側の方が有利なものだ。
天の利、地の利、人の利。
これ等が揃えば負けは無い、というが攻め込まれた側は既にこのうち地の利を持っている。
地形の知識、組み上げた防壁や砦。
守備側にはこういった頼みにする物があるからだ。
過去、如何なる城攻めであろうと相手より寡兵で行ったという事例を聞いたことはい。
逆に何倍もの敵を堅固な城塞に依って持ち堪えたという例は山ほど存在する。
地の利とは斯様に戦に影響するものなのだ。
では、それを歴戦の強者達が最大限に活用すればどうなるだろうか。
答えは一つ。

阿鼻叫喚の地獄絵図の出来上がりだ。

敵軍の構成は速さを重視したものだ。
騎馬が4500、歩兵が2500、弓兵が2000。
それに加え、攻城兵器が4基確認されている。
彼等は時間との勝負、と言わんばかりの勢いで馬を駆り立てていた。
その心中にエッセル伯領の駐屯兵に対する警戒心など存在していなかったに違いない。
高々1500。
仮に向かってきたところで何程のことやあらん。一気にすり潰し、その余勢でアウグスブルクまで落としてくれよう。
敵の指揮官はそんな心持ちでいたのではないか。
その判断を一概に誤りとは断じることは出来ない。
一理はあった。
だから指揮官に罪はないだろう。
ただ相手が悪過ぎただけなのだ。


「寡兵で大軍を蹂躙する光景ほど壮観なものはないな」


オレは目の前で繰り広げられる芸術を見ながら感嘆の溜息をもらした。
奇襲を狙った敵軍は進軍速度に気を取られ、隊列が縦に伸びている。
それを読んだモルト老が取った策は簡単だ。
天然と人工の障害物を組合せ、敵を誘導し、陥れる。
唯それだけ。
言葉にすれば僅か数秒で事足りる策で以って、モルト老達はアウグスブルク軍をズタズタにしてみせた。
用意したのは杭とジシュカが用意した大砲。
戦場は樹木が生い茂った林を抜けてすぐの所、開けた平地であった。
そこが彼等の屠殺場となった。
まず杭を並べて障害物とする。
簡素だが、効果は十分だ。
騎兵で構成された敵先陣はそれだけで進路を限定される。
最初に繰り出されたのはジシュカの大砲だった。
ジシュカの所有する中でも最も原始的な造りのそれ。
しかし、この作戦の目的にはその最も素朴な大砲でも十分だった。
車両に大砲を載せ、敵陣へと発砲しながら突き進む。
轟音を響かせながら進む台車は、まさに音響兵器であった。
馬というのは臆病な生き物だ。
訓練なしでは戦に連れて行くことなどとてもじゃないが出来ない。
たとえ訓練を施したとしても未知の恐怖に曝されれば容易く動揺する。
そう、丁度今のように。
アウグスブルク軍はこの音という広域兵器に対応することも侭ならず、馬を押さえ込むこむ作業に強制的に従事させられた。
ジシュカの狙い通りに。
そうなると次は、我がエンファント弓兵隊の出番だ。
フランスを散々に打ち負かしたイングランド長弓隊と伍する練度を誇る彼等は、目にも止まらぬ早業で次々と矢を放っていく。
馬上で立ち往生した兵士は彼等にとって動かぬ的同然だった。
重力という偉大な力を借りた矢は、驚くべき精度で以って騎士達の下へと吸い込まれていく。
徐々に、徐々に前進しながら矢を放ち命を刈り取る。
狙いは付けない。
そんな間すら惜しい。
ひたすら速く、ただ速く矢を射る。
一方的な虐殺。
アウグスブルク軍はこの攻勢に対し、有効な反撃を行えずにいた。
弓兵に対抗できるのは弓兵だけだ。
しかし、敵の弓兵は今機能停止状態にあったからだ。
前方で何が起こっているかも把握できず、弓を射ようにも4500人の人の壁が我が軍を敵弓兵の射程外に安堵してくれる。
敵軍は秒単位で戦力を落としていた。
戦局を決し、最後の幕を下ろすのは1000人の騎兵だ。
林という自然のカーテンを迂回し、後方から一直線に敵陣を貫く。
縦に伸びた隊列の後方は、未だ林を抜け切れていない。
散開して押し包むこともでず、敵軍は一方的に巨大な錐によって裂かれていった。
騎兵が打ちのめすのは心だ。
傭兵達の脳裏に『敗北』の二文字を刻み込めばそれでいい。
それだけで歩兵は数を減じ、士気はどん底にまで落ち込んでくれる。
進軍を急いだ疲労が士気の減少を後押ししてくれるのだ。
林を抜けた我が軍の騎兵は、平地に差し掛かるとさっと進路を変えて撤退した。
目的は果たした以上、敵陣に身を置く利はないからだ。
それに合わせて、オレ達も退却を開始する。
もはや敵に追撃する余力は無い。
仮に心を奮い立たせ追って来たとしても馬は潰してある。
悠々と逃げ切れることだろう。
この先には砦を建設してある。
あとはそこに立て篭もり、援軍の到来を待てばいい。
そして、その訪れはそう遅くはない。
ドイツ貴族は異変を察し、『自主的に』駆けつけてくるからだ。
計画は順調に進んでいた。
彼等の集合を待ち、出鼻を挫かれたアウグスブルクを落とせばオレの描いた絵図は完成する。
そして、その計画の成功はもう半ば確定した。
戦の行く末は実質的にこの奇襲の失敗で決したのだ。
 












アウグスブルクの陥落は予想以上に早かった。
堅固な城壁に囲まれているわけでもないこの都市は、先の奇襲に全てを賭けていたのだろう。
領主権を持っていることに加え、攻撃を受けた側であることから他国の横槍もなく占領はスムーズに行われた。
功績は無論、オレとドイツ諸侯のものだ。
オレは意気揚々とミラノへ赴き、ガレアッツォから褒美をもらった。


「突発的な侵攻、よくぞ耐えた。その後の働きも見事であったぞ」

「過分なる御言葉、ありがとう御座います」


畏まって頭を下げる。
四方から注がれる憎悪の視線、歯軋りせんばかりのミラノ貴族のそれが実に心地よい。


「シャルルよ。此度の功績を以って、御主にアウグスブルクを与えよう」


その言葉こそオレが望んでいたものだった。
態々危険を冒した甲斐もあったというもの。
心を喜びで満ち溢れさせ、ガレアッツォに感謝の言葉を述べようとする。
だがその直前、ガレアッツォが次の言葉を言い放った。


「ただし、御主はボローニャの総督でもある。
 それを忘れてはならぬぞ。
 最近は留守にすることも多かったことだし、暫くは彼の地の統治に専念するがよかろう。
 アウグスブルクの整備についてはラングを派遣するといい。
 ボローニャも安定した頃であるし、丁度よかろう」


その言葉でオレは氷付いた。
矢張りオレの策謀は気付かれていたようだ。
ガレアッツォの目を見ればそれが分かる。
これは独断専行に対する罰なのだろう。
オレの副官のラングは、周囲からャルル派に属していると見做されている。
しかし、実際の彼はガレアッツォの忠臣だ。
アウグスブルクの整備を完璧に行ってくれることは間違いないが、そこはオレの地盤になり切れないだろう。
ガレアッツォの強い影響下に置かれてしまうからだ。
恐らく、この処置は余りオレの力を強めないようにという意図によるもの。
牽制を兼ねてのものだ。
何せオレはある程度の財力と独自の軍を持ち、更にボローニャという要塞都市まで与えられている。
これ以上の力を得れば、クーデターを起こすことさえも可能となってしまう。
ガレアッツォはそれを警戒したのではないか。
穿った考えとは思わない。
肉親だから、などといって安心することは出来ない。
むしろ肉親だからこそ警戒を緩めない。
それは王として当然の心得なのだ。
勿論、逆の見方をすればオレがそのような中傷を受けないように配慮したとも取れる。
危機感を抱いたミラノ貴族が急進的になり、オレの排斥を叫ぶ可能性もあるからだ。
この処置は国内のバランスを保つために必要だった。
一応、アウグスブルクを得ることは出来たことだしこれで十全とすべきだろう。
そう自らを納得させ、オレは恭しく頭を下げた。


「承知致しました」


背中越しに嘲笑の気配を感じる。
確かに傍から見れば鳶に油揚げを攫われた様に映っただろう。
しかし、この戦いの戦果は目に見えるものだけではないのだ。
シャルル派旗揚げの戦、そしてその勝利こそ本当の意味でオレが狙っていたこと。
その点でいえばオレの目論見は成功しているのだ。
戦火を一つ潜り抜けたシャルル派貴族は、一先ず結束を固くした。
最早ミラノ貴族にでかい顔をさせておくつもりはない。
本格的に勢力争いをする準備は整ったのだ。
オレはガレアッツォの下を去りながらミラノ貴族の顔を睨み付けた。

―今に見ていろ。直ぐにその喜悦を消してやる。

決意を胸にオレは部屋を後にした。

 




------後書き------
更新が開いてしまい申し訳御座いません。
言い訳ですが、このままでは何スレあっても足りなそうなので一話の内容を濃く長くしようとしたのです。
一応当社比1.5倍といった感じで。
それと大砲に関して新たな資料を見てしまい、登場時期のズレが発生し・・・・・・。
今回はその軌道修正も強引に行っております。
さすがに全面的に書き直す気力はないのでこれでお許し下さい。
それでは御意見、御批判、御感想をお待ちしております。



[8422] 嵐の前
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2010/01/31 21:20
人の心理というものは実に不思議なものだ。
生まれも育ちも違うにも関らず、人はある条件の下で共通した反応を示す。
我々はそれぞれ相異なる人格を持ち、互いにこんなにも違うというのにだ。
人の心理にそういった共通性があることは心理学の存在が証明している。
人間の精神が学問として成立している、という事実が心理の作用に何らかの法則性があるという証左なのだ。
その法則を実感することは容易い。
最も卑近な例は損害を被ったときの反応であろう。
ギャンブルの心理といえば分かりやすいだろうか。
人は何らかの損をしたときある一定の思考が芽生える。
それに突き動かされるか、あるいは押さえ込むかはその者の理性に依るが、誰もが同じ思いを抱く。
すなわち『この損を取り返すまでは・・・・・・』という考えだ。
この思考に囚われる者が如何に多いかは、ギャンブルで身を滅ぼした者の数がどれ程多いかを鑑みれば一目瞭然であろう。
では、この損害が他者から与えられたものだったら?
人はこう考えるのだ。
『この借りは必ず返す』と。
1403年、ヨーロッパに吹き荒れた戦乱にてブルグント王国は勝者となった。
未曾有の繁栄。
人々がそれを享受する傍らで、何時しか帝国による復讐が実しやかに囁かれるようになっていた。
歴史ある帝国が新興勢力に敗れたまま大人しくしているであろうか。彼等の誇りがそれを許すだろうか。
否。帝国の境遇を自分に置き換えてみれば分かる。
とても耐えられない。
必ず逆襲せんとするだろう。
人の心理として共感を抱く内容であっただけに、この噂は確かな信憑性を以って王国中をその周辺国を駆け巡ったのだ。





「・・・・・・そういった理由で、オレはニュルンベルクまで行かなきゃならんわけだ」


何故かシャルルの執務室で酒を飲んでいたガッタメラータは辟易とした様子でそう言った。
彼の様子からはありありと不満、という文字が透けて見える。
ニュルンベルク及びバイエルン公国は皇帝ループレヒトの直轄領である。
それ故、本来ならばガレアッツォがそれを守護する筋合いはない。
そうはいってもそれは建前論の話で、ループレヒトがミラノに軟禁同然で保護されている現在、
彼の地が実質的にブルグント王国の領域となっていることからガレアッツォはその防衛に兵を割く必要があった。


「陛下としても皇帝に泣き付かれては軍を出さざるを得ないのでしょう」


形式上ガレアッツォはループレヒトの臣下であるし、バイエルンを守護することはブルグントの利益でもある。
噂の真偽は怪しいものの切り捨てるには躊躇われる内容であることが、誰かしかを派遣せねばならない必要性を生み出していた。


「しかし、珍しいですね。皇帝が陛下に何かを指示することは滅多にないというのに」


ループレヒトは自分の立場を深く理解しているようで、借りてきた猫のように大人しく生活している。
頼みごとをするなど本当に稀有なことであった。
シャルルが疑問を率直に口にするとガッタメラータは心底忌々しそうに唸った。


「皇帝直々の御指名なんだとよ」

「は? なんでまたそんなことに?」

「オレが知るか! 暫くはボローニャに腰を落ち着けてゆっくりしようと思ってたのによ・・・・・・、これでご破算だぜ」


気落ちしてぼやいたガッタメラータの表情は、心底訳が分からないといった様子だ。
実際、彼はループレヒトから信頼を寄せられるような行動をした覚えは無かった。
むしろ可能性としては恨まれている確率の方が高いと思っていた。
シャティヨンでループレヒトを捕らえたのは他ならぬガッタメラータであったからだ。
しかし、ループレヒトが態々ガッタメラータを指名したのは真実彼を信頼しているからであった。
それも単なる信頼ではなく、全幅のそれである。
ガッタメラータが考えている以上に、彼がループレヒトに与えた衝撃は大きかったのだ。
信頼にも様々な形がある。
ループレヒトはガッタメラータの人格は欠片たりとも知らなかったが、その力だけは心底信頼していたのだ。
あの戦い、ループレヒトの人生を変えたシャティヨンの奇襲戦で、ガッタメラータはループレヒトに夜も眠れず震え上がるほどの恐怖を与えた。
そのことが、皇帝の頭の中にガッタメラータを悪鬼羅刹の化け物と同レベルの存在として記憶させたのである。
自身の領地の防衛を任せるのだ。
どうせならば最も強い男に頼みたい。
そして、皇帝の中でそれはガッタメラータであった。
かつては自分を脅かす存在であったが、今は立派な味方だ。
抱いていた恐怖はそのまま頼もしさに転じている。
ループレヒトにしてみれば、ガッタメラータ以外の存在を指名することは有り得なかったのだ。


「まぁ、派遣されるのは貴方だけではありませんし。ぼやいた所で仕様がないでしょう。
 ファチーノ殿は教皇領の方に出向かねばならないそうですから。
 戦巧者を休ませておく暇は今の我が国に無いようですよ」


ガッタメラータは自分と同じく休ませてもらえないない者がいるという事実に薄暗い慰めを見出したようだ。
願わくば自分よりも苦労を、というような意味がたっぷり篭もった笑みを浮かべた。


「へぇ。ファチーノの旦那の方は何の用なんだ?」

「ナポリ王がまた野心をもたげさせ始めたらしく、その救援とのことです。
 猊下も余裕がないのでしょう。
 昨年追い返すことができたのも本当にギリギリだったようですから。
 火のような援軍の催促、それ自体が教皇の窮地を証明する何よりの証拠ですよ」


シャルルは肩を竦めて教会の危機を嘲笑った。
彼に云わせれば、教会は寄生虫に等しい存在である。
近年の教皇庁は、自身では動かずに各都市の勢力バランスを利用することでその権威を高めていた。
フィレンツェ戦での停戦要請もその一環である。
勢力を均衡させ、窮地に陥った都市が出れば手を差し延べて恩を売り、庶民にその権威の健在振りをアピールしてきたのだ。
シャルルは教会のこういった遣り口の大嫌いであった。
有効性は認める。
だが、やられた側としては堪ったものではない。
そして、シャルルはやられる側なのだった。
強制力はないが、かといって無碍にすることもできない。教皇庁の権威とはそんな心底忌々しいものなのだ。
しかし、その伝家の宝刀も今では刃毀れした鈍らである。
ブルグント王国の勃興でイタリアに一つの巨大勢力が誕生した結果、教皇庁の望んだ勢力均衡の構図が崩れたからだ。
最早、生臭坊主から居丈高に命じられることもない。
その無駄に長かった鼻っ柱は粉々になり、こうしてブルグントに擦り寄らざるを得なくなっている。
その小気味いい事実が、シャルルをひどく満足させていた。


「無視するわけにもいきませんし、適当に体裁を整えるためにファチーノ殿を派遣するのでしょう。
 何せファチーノ殿はミラノ以来の腹心としてその名を知られておりますから」


ガレアッツォの誠意をアピールするには適任である、とシャルルは締め括った。
シャルルの発言はいつもどこか教会を軽視しているような匂いが漂っている。
ガレアッツォですら教会を疎ましく思っていても何処か敬意を持って接しているのにだ。
こういった言動の端々に最もシャルルの異質性が表れていた。
どこか無神論者的な――といっても全く神を信じていないというわけではなく―― 宗教に無頓着な態度。
精神の根幹に根付くそういった気質が無意識の内に滲み出ていているのだった。
宗教の大切さを理解してはいる。だが、実感はしていない。
彼の教皇を軽んずる態度は、そういった根深い理由に端を発していた。
もし彼のブレインに教会関係者がいたら手厳しく諫言されたことだろう。
しかし幸いというべきか、今ここに居るのはそういった難しい話題に無頓着なガッタメラータだけであった。
そして、そのガッタメラータは眉を顰めるようなシャルルの発言に居合わせたにも関らず、
相変わらず気の向かない様子で酒を飲み、来るかどうかも分からぬ敵に備えて遠方に出向くことへの不平を並べ立てていた。


「しかし、あれだ。
 陛下が暫くの間は内政に専念するって宣言したっていうのに旨くいかねぇもんだな。 
 アウグスブルクが片付いたと思ったら、次は北に南にってな具合で大忙しだぜ」

「世界は我が国だけで回っているわけではありませんから。諸国はこちらの都合などお構いなしに動いてきます。
 それに対応せねばならない以上、予定が狂ってしまうこともまた必然でしょう」


救援軍を送るには矢張り戦費が掛かる。
外征を行うのに比べれば僅かな額であるが、それでも内政に充てる筈だった金銭が減ることに変わりはなく、国内整備の遅延が予想された。


「まぁ、それはそうなんだがよ・・・・・・。なんか嫌な感じがするんだよ」


ガッタメラータは首を捻って表情を歪めた。
穏やかならぬ発言にシャルルも気を引かれる。


「何か不安を覚える根拠でも?」

「いや、唯の勘さ」


ガッタメラータの答えにシャルルは肩透かしを食らったように力を落とした。
不穏な噂でも流れているか、と身構えていたのだ。
ガッタメラータは弟分の反応に心外な様子で反論した。


「おいおい、勘ってやつは馬鹿にできねぇんだぜ。
 特にオレのはよく当たるんだ。
 実際、戦場でこの勘に何度も助けられてる。
 そのオレの第六感がこう・・・・・・何とも言えねぇ嫌な感じを訴えてんだ」

「けど何の根拠もないのでしょう?」

「矢が飛んでくるときだって何の根拠もねぇだろうが。それでも何か嫌な感じがして身を捻るんだ。
 それと一緒さ。
 とにかく警戒だけしておけよ。心構えしておくだけなら損はしねぇんだ」


確かに損は無い。
むしろ不測の事態が起こった場合益になるだろう。
シャルルはいまいち釈然としない思いを覚えながらもしぶしぶ頷いた。
とはいえ、シャルルは然程の心配はしていない。
今のブルグントを脅かす要因に心当たりは無かったからだ。
アウグスブルクを制圧したことで、ブルグントの勢力圏は更に広く強固なものとなった。
北はドイツ南部から南はイタリア中部まで、その国土面積はイタリア半島全体とほぼ等しい。
アルプス山脈を領有することで得た銀山に交易都市フィレンツェをも押さえていることから、財政もヨーロッパ屈指のものを手にしている。
その国力は現段階でも十分に強国レベル。
数年後には国内整備も一段落し、国力を倍化させていることだろう。
脅威となる国といえばポーランドが挙げられるが、この国とは同盟を組んだばかりだ。
干戈を交えるとしても暫く先の話、今は注意を払っておけばいい程度の相手である。
この状況で一体どのような災厄が訪れるのか。
シャルルには検討も付かず、矢張りガッタメラータの杞憂に過ぎないと警告を頭の隅に追いやった。



しかし、そんなシャルルの見立ては実に安易なものであったといえよう。
ガッタメラータの不吉な予感通り脅威は静かにブルグントを取り巻き始めていたのだ。
内に、外に。
誰にも気付かれないよう密やかに、確実に仕留める様な猛々しさを秘めて。
蛇の如く、獅子の如く策謀は張り巡らされていた。
繁栄を享受するその背後からは、王国建国以来最初の危機が近付きつつあったのだ。













ミラノ貴族とは要するにヴィスコンティ家縁の者達のことである。
当主となれなかった者の子孫。庶子の末裔。あるいはその婚家。
ミラノにおける貴族はそういった者達の集まりであった。
皇帝派を標榜している彼等は、親族ということもあってそれなりの結束を誇っている。
勿論、内部では主流を争った諍いも存在する。
しかし、それも所詮は内輪での争いに過ぎず、彼等は決定的な分裂を起こすことなく一つの勢力として纏まっていた。
現在の代表格はアントニオ・ヴィスコンティとフランチェスコ・ヴィスコンティ。
ガレアッツォの伯父マッテオ2世の曾孫にあたる人物である。
彼等は実に微妙な立場に生まれた、ある意味悲劇の男達であった。
およそ半世紀前、ミラノに君臨した偉大な統治者ジョヴァンニは周辺諸国を屈服させ、権力の絶頂のうちにこの世を去った。
彼は聡明で鋭い洞察力と指導力に溢れた理想的な統治者であったが、彼の後継者はそうではなかった。
そこでジョヴァンニは後継者として三人の甥全員を指名し、共同でミラノを統治することにした。
長男マッテオ2世、次男ベルナボ、末弟ガレアッツォ2世。
ミラノはこの共同統治時代からマッテオ2世とガレアッツォ2世の死去によりベルナボの時代に、そしてベルナボを排したガレアッツォの時代へと移り変わっていく。
現在のブルグント王ガレアッツォはこの末弟ガレアッツォ2世の嫡子としてミラノの支配権を受け継ぎ、力で以って全てを手にしたのであった。



その日、アントニオ・ヴィスコンティの機嫌は悪かった。
教皇派とドイツ諸侯が手を結びシャルルを担ぎ上げたという事実が彼は気に喰わなかったのだ。
そもそもアントニオはシャルルが好かなかった。
子供のくせに政治に口出しをする。そんなシャルルが彼は生意気で疎ましかった。
そもそも、シャルルはガレアッツォの孫であると同時にフランスの王族である。
アントニオからすれば、そんなシャルルが王位継承者に名を連ねていること自体が癇に障っていた。
折角ここまで育て上げた果実を態々フランスに差し出している。
彼の目にガレアッツォの決定はその様に映っており、常々これ程の愚挙はないと憤っていた。


「フランチェスコ。あのこまっしゃくれたガキを何としても排するぞ」


事ここに到り我慢の限界に達したアントニオは、己の片割れにその決意を打ち明けた。


「唐突だな」


いきなり鼻息荒く宣言されたフランチェスコは戸惑いつつも先を促した。
詳細な説明と沈静を求めてのことだが、アントニオはすっかりその気で演説を繰り広げている。
フランチェスコは思わず深い溜息を溢した。


「私と同じ考えを持つ者は少なくない。最早一刻の猶予も惜しいのだ。シャルルを排斥せねばミラノの輝ける未来はない!」


アントニオは断固たる口調でシャルルの排除を訴える。
それにフランチェスコは頭を抱えたくなった。
猪突猛進で事を性急に進めたがるアントニオに対し、フランチェスコは慎重で警戒心の強い男だった。
石橋を叩き過ぎる程の臆病者。
彼の慎重さはそう愚弄される程であったが、彼はいつもその慎重さで窮地を脱してきたのだった。
ガレアッツォという絶対的支配者がいる現状で不用意に動く愚、それをフランチェスコは知悉している。

――誰に何を吹き込まれたのやら・・・・・・。

アントニオがこのような行動に踏み切った理由を何となく察し、フランチェスコは慎重に片割れの心を探ることにした。


「排斥するといっても容易くはあるまい」


まずは賛同するような素振りを見せつつ計画を聞き出すとしよう。
どんな策を考え付いたのか、そう思いながらフランチェスコは話を聞いていく。
彼としてはどうせ癇癪を爆発させた程度に考えていた。
ところが、アントニオの発言はフランツェスコの予想を超えて壮大なものであった。
話が進むに連れて青くなっていく顔色。痛み出す頭。
アントニオの思考はフランチェスコの予想を斜め上に突っ切っていたのだ。


「なに、我等とポロ家。あとはそうだな・・・・・・アリプランディ家の私兵を合わせれば奴を討ち取ることなど造作もないことだ」


事も無げに言ったその内容は口調の軽さに反してどこまでも重かった。
聞きだしたフランチェスコも遂に耐え切れなくなって本当に頭を抱えてしまう。
彼は長年付き合ってきてアントニオの人となりを大体把握しているつもりでいた。
しかし、今日はその認識が誤っていたことを認めねばならない。
フランツェスコは胃が痛むような思いを感じていた。
アントニオはフランチェスコが考えていた以上に短絡的でどうしようもなかった。
更に忌々しいことに、既にアントニオの脳内でフランチェスコの協力が決定済みなようだった。
こんな破滅に向かって全力で走って行くような計画に、である。


「待て。少し落ち着いてよく考えろ」


フランチェスコの掛けた制止の言葉にアントニオはむっとした顔をした。


「私は別に取り乱してなどいない」


その反応を見て、フランチェスコは慌てて対応を変える。
臍を曲げられてはたまらないからだ。


「言い方が悪かったな。何せこれ程の大事だ。計画を練りすぎて困るということはなかろう」


まずは自分の話も聞いてくれ、と言うフランチェスコにアントニオも聞く姿勢に入った。


「シャルルを討ち取る。それはいい。だが、討ち取った後のことを考えているのか」

「討ち取った後、というと?」


あまりに無邪気に問い返され、フランチェスコは頭を掻き毟りたくなる衝動に駆られる。
それをぐっと堪え、アントニオに計画の不備を説いた。


「仮にもシャルルはオルレアン公子だぞ。フランス王の甥だ。それを討ち取ってみろ。どうなるか予想が付くだろう」


フランチェスコはまず利で以って踏み止まらせようとした。
しかし、アントニオは剛毅である。
彼は腕捲りをする振りをして頼もし気な笑みを浮かべてみせた。


「フランスが何だ。今の我等の力なら容易く屈することが出来る。ごちゃごちゃ言うようなら征服してしまえばいい」


確かにブルグントとフランスの国力差を考えれば不可能ではない。
但し、それは他国が介入してこなければの話だ。
それにもしフランスを併合出来たとしても、残されるのは焦土と化した荒野と疲弊し隣国の餌となる日を待つまでに落ちぶれた新興国である。
どう考えても割に合わない。


「アントニオ、よく聞け。それを決めることが出来るのは陛下だけだ」


それ以前に、そのような一大事をガレアッツォの承認抜きで決められる筈が無い。
下手をしなくても幽閉。
悪ければ即刻処刑される。
フランチェスコはアントニオの立てた計画が如何に穴だらけでガレアッツォの怒りを買う内容かを説き伏せようとした。
しかし、それはアントニオの激烈な反応によって中断を余儀なくされる。


「何故ガレアッツォの顔色をびくびく窺わねばならない!
 不都合があるなら殺してしまえ!!
 そもそも我等がガレアッツォの風下に立たねばならぬ理由が何処にあるというのだ」


フランチェスコはその科白からアントニオが何を吹き込まれたのかを悟った。
アントニオは元々今の境遇に不満を抱いていた。
元来、彼らの曽祖父マッテオ2世とガレアッツォ2世は共同統治者の関係で、上も下もなかった。
それなのに今はこれ程の差がある。
それはマッテオ2世の子、つまり彼らの祖父が相続の際まだ幼かったことをから共同統治者を外されたためだった。
アントニオの中ではその過去が忸怩たるものとして何時までも残っていたのだ。
世が世なら自分がミラノ公に、ブルグント王になっていても可笑しくは無かった。
百歩譲ってもガレアッツォと互角の立場であった筈。
アントニオは常々そう思い、不平を洩らしていたのだ。
フランチェスコから見ればこれ程愚かな考えもなかった。
中世において、力のある者が当主の座を得るというのは常識である。
自分達の祖父は力がなかったから排され、ガレアッツォは力があったから権力を握った。
それは弱肉強食という自然の摂理に沿った正当な流れだ。
そこに文句を付けたところで負け犬の遠吠えというものだろう。
フランチェスコは呆れ返ると同時に、アントニオを焚き付けた者に対してふつふつと怒りが湧いてきた。
こんなくだらない理由で巻き添えを喰らっては堪らない。
しかし、怒りに茹だる頭の片隅で冷静な部分がフランチェスコに囁いた。
これはチャンスだ、と。
アントニオを使えば自らの手を汚すことなくシャルルの影響力を削ぎ落とすことが出来る。
勿論、殺す気はない。
ただ失態を演じてくれればいいのだ。
フランチェスコとて皇帝派の一人、ジョヴァンニを王にと押す者の一人である。
功績を打ち立てているシャルルをいつまでも放置しておくつもりはない。
そう考えているという点では、フランチェスコとアントニオの見解は一致していた。


「御前の気持ちはよく分かった。しかし、私の話を聞け。
 シャルルにはエンファントという私兵がいる。斯様な重大事だ。万一にも失敗は許されない」

「何を弱気な。万一などあり得ない」

「いや、何も頭ごなしに否定しているわけではない。ただ私にも一案があるのだ。一先ずそれを考慮してみてくれ」


そう言ってフランチェスコはアントニオの説得に掛かった。
飽く迄もアントニオを立てながら、それでいて自分の思うところを説いていく。
彼には最終的にアントニオを頷かせる自信があった。
幼い頃より計画を立てるのがフランチェスコ、実行するのがアントニオという役割分担をしてきたのだ。
そして、その計画はいつも成功してきた。
フランチェスコにはその信頼と実績がある。
結局、その過去を散らつかせることで、フランチェスコはアントニオの手綱を握ることに成功した。
アントニオは物事を考えるのに向かない。
それを本人も知っていたため、折れたのだった。













ブルグント王ガレアッツォが当代有数の傑物であることは間違いない。
彼がミラノを継承したとき、彼は21都市を治める大領主であった。
それから15年余り。シャルルがミラノへ来たときには、彼の支配都市は30を越えていた。
そして今では都市国家の集合体の長という不安定な地位から脱却し、ブルグントという由緒ある王の位に就いている。
そこに至る過程は決して平坦なものではなかった。
汚いこともかなりやっている。
恨みも相当数買った。
イタリアに現存する領主の中で、ガレアッツォに煮え湯を飲まされたことのない者はいないと言っても過言ではない。
現実論とは別に感情論的にもガレアッツォに屈することをよしとしない領主は多かった。
しかし、それも時が経つにつれて変化してきていた。
現在、イタリア半島では大きなうねりが巻き起こっている。
過去を忘れ、矜持を捨ててでもガレアッツォに降り生き残りを計る者。
敵わぬ公算が高くとも徹底抗戦を決意する者。
領主達はその二極に分かれつつあるのだ。
前者の代表であり、先駆けともなったのはウルビーノである。
ガレアッツォはウルビーノ伯を殊更手厚く遇した。
己に降れば疎かにしない、という政治的メッセージであり反ブルグント諸侯への切り崩し工作である。
ウルビーノ伯自身も役目を知悉し、周囲に待遇の良さを吹聴してガレアッツォへの感謝と忠誠の誓いを喧伝している。
フィレンツェ戦で見せた寡兵での獅子奮迅の活躍も、ガレアッツォの寵を得る切欠となったことから、ウルビーノ伯は旨く立ち回った好例といえよう。
一方、徹底抗戦の構えを見せる者の代表はマントヴァ僭主フランチェスコ1世ゴンザーガだ。
彼はミラノ公時代からガレアッツォと何度も干戈を交え、その侵攻を撃退し続けてきた宿敵であった。
どちらかといえば物静かで学者然とした容貌であるが、そこから想像も出来ないような激しい戦をする猛将である。
ゴンザーガはイタリアにおけるブルグントの東進を妨げる大きな要因であった。


「では、諸君。今後は以上の結論の下に一団となって行動する、ということでよろしいかな?」

「異議はない」

「同意します」


薄暗い密室の中で、三人の男達が各々の意思統一を確認した。
数ヶ月前、ガレアッツォがブルグント王の冠を戴いて以来重ねてきた協議が終わった瞬間だった。
この会議の音頭を取ったのが同意を求めた壮年の男、マントヴァのフランチェスコ1世ゴンザーガである。
彼はガレアッツォが帝国軍を破ったという報を聞くや否や、直ぐに近隣の有力諸侯へ文を出し会談を求めた。
幾度となく戦った好敵手として、ゴンザーガはガレアッツォがこれから為すであろう行動を予測したのだ。
最早独立で渡り合うのは難しくなる。
そう判断したゴンザーガは来るべき未来に素早く備えたのだ。
彼の行動は実質ガレアッツォへの敗北宣言である。
それを認めることは君主としてのゴンザーガのプライドを手痛く傷付けた。
しかし、そういった情緒に拘っていて生きていける甘い時代ではない。
ゴンザーガは実利を取った。
当初、マントヴァ僭主の招集に応じた者は多かった。
それは反ミラノの気運が以前から高まっていたことも多大に影響していただろう。
しかし、ガレアッツォの勢力が想像以上に伸張していくにつれ風向きは変わっていった。
一人、また一人と抜け静観に転じていく領主達。
結局残ったのは二人だけだった。
あるいは二人も残ったというべきか。
命を賭けてまで抗う。
それ程の覚悟を持った者が多くないことをゴンザーガは知っていたし、またその覚悟のない者は却って邪魔となる。
有象無象を除いた粒で以って当たらねば勝機はない。ゴンザーガはそう思っていた。
そんな彼と志を共にするのは、フェラーラのニッコロ3世デステとパドヴァのフランチェスコ・カッラーラだ。
デステはフェラーラを支配するエステ家、その当主であった。
この若干20歳の若き侯爵は、青年らしい果断さで以ってガレアッツォに屈することを敢然と拒絶した。
そこには教皇をも影響下に組み入れたガレアッツォへの反感が見え隠れしている。
エステ家はローマ教皇と縁が深く、デステ自身も教皇に重用されていた。
当然信仰も深い。
ガレアッツォの行動はデステの目には教皇を蔑ろにする背信者と映っていた。
一方のカッラーラはもっと現実的な理由で参加を決めた。
パドヴァは吹けば立ち消える蝋燭の火のような弱小勢力である。
彼はかつてガレアッツォに破れパドヴァの支配権を奪われた経験を持っていた。
辛うじて失地を回復したものの、敗戦によって落とした勢力は小さくはない。
またガレアッツォ撃退後も、その窮状を好機と捉えた周辺都市が定期的に攻め込んで来たためパドヴァは更なる衰退を余儀なくされていた。
最早単独での生存は難しい。
カッラーラがゴンザーガとの共闘に同意したのは依るべき大樹を求めてのことだった。
共闘態勢ならば上下はなく独立という体面を保てる。
例えそれがゴンザーガの下へ降るのと同義であったとしても、だ。
どうせ征服されるのを待つ身ならば、という苦肉の策であった。
こうして三者三様それぞれの理由はあるものの、反ガレアッツォという点で一致して結束することとなったのである。


「指揮系統を統一せねばならぬことから指揮権を我輩に預けるということもよろしいですな」


続くゴンザーガの問いにも二人は同意した。
はっきり言って協議が数ヶ月に渡り長引いた理由はこれである。
単純に戦闘力を高めるためならば、指揮権を一人に委託し一本化した方がいい。
どんな場合でも、寡頭態勢というのはあまりよろしくない結果を生むからだ。
しかし、政治的な事情を鑑みれば道理通りにはいかないのが世の侭ならさである。
三人の中で最も優れた人物がゴンザーガであることは誰もが認めるところだ。
デステは経験が足りないから論外であるし、カッラーラはガレアッツォに対する恐怖が既にトラウマの域に達してしまっている。
その点、何度となくガレアッツォの侵攻を阻んできたゴンザーガは全軍の統率者として申し分ない。
だが、ゴンザーガのその優秀さこそが事態をややこしくする要因であった。
幸か不幸かゴンザーガは政治家としても優秀だった。
気に敏で抜け目ない男。
そんな周辺国のゴンザーガへの認識は、無邪気に全幅の信頼を預けることを不可能にしてしまったのだ。
藁にもすがる思いのカッラーラは兎も角、侯爵として一角の地位にあるデステは相当の難色を示した。
虎から身を守るために狼を招き寄せた。
そんな間抜けな結果になられては堪らない。
一方のゴンザーガとしても、全軍の指揮権を貰わねば勝てる戦も勝てないので必死である。
互いの議論は紛糾し、ともすれば共闘すら頓挫しかねない事態にまで発展しかけた。
仲裁者の存在抜きにはこの日を迎えることは出来なかっただろう。
そういった経緯もあって、彼等はようやく合意に漕ぎ着けたのだ。


「これより我等は一丸となって、ブルグント王に挑戦する!
 明後日に連名で挑戦状を送り、その日を以って戦闘状態に移行しようと思う。各々そのように御心得あれ」


ゴンザーガの宣言にデステとカッラーラも呼応した。
マントヴァを頂点にした反ブルグント連合の誕生である。
今現在の参加都市はたった3つだが、ゴンザーガは悲観していなかった。
ガレアッツォに反感を持ちながらも、その力を恐れて日和見を決め込んでいる都市は多い。
戦況の推移如何によっては、そんな彼等も尻馬に乗るべく決起することだろう。
また、自分達の他にもブルグントを掣肘せんと動いている者がいる。
そういった諸々の懸案を考えれば、勝算は十分にあった。
フランチェスコ1世ゴンザーガ。
ガレアッツォの宿敵である男は胸に業火を秘めながら静かに立ち上がった。
1404年初頭。
戦乱の波は収まることなく、昨年に続き半島を血で染まることとなる。
その行く末がどうなるか。
この時点でそれを予測出来た者は誰もいなかった。






------後書き------
最近執筆速度が遅い気がする作者です。
書き慣れてきた分、言い回しとかが気になって気になって・・・・・・。
悩んだだけの出来になってくれればいいのですが。
今回は新規登場人物が多かったですが、分かりにくくなかったでしょうか?
まぁ、名前だけで重要でない人もいるので気にしなくてもいいですが、分かりにくい場合は御指摘下さい。
それでは御意見、御批判、御感想をお待ちしております。



[8422] 陽炎の軍
Name: サザエ◆d857c520 ID:d4215c4e
Date: 2010/02/15 22:04
議論は紛糾していた。
ミラノ市内の中央に据えられたブルグント王宮、その心臓部にある大会議室。
今そこにはブルグント国内で勢力を誇る貴族の多くが集い、唯一つの座を巡って意見を戦わせていたのだ。


「ジョヴァンニ様は御年16であるぞ。世間の常識に照らし合わせても疾うの昔に初陣を済ませて然るべき御年だ。
 我がブルグント王国の王位継承者が、未だ戦も知らぬとあっては他国に侮られるもと。
 それを防ぐ上でも、此度の総大将にはジョヴァンニ様を充てるが適当であることは明々白々ではないか。貴殿は物の道理が分かっておらぬ!」

「何を言うか。その様な浅薄な理由で総大将という大任を選ぶことこそ愚の骨頂。
 相手はゴンザーガ、我等に幾度も煮え湯を飲ませし猛将ぞ。
 確実に勝てる器量ある者を大将に据えることこそ道理であろう」

「貴殿はジョヴァンニ様を愚弄なされる気か?」

「そうではあらぬ。
 ただ初陣のジョヴァンニ様では万一があり得ると言っておるのだ。
 ここは矢張り数々の戦を経験し、それらで勝利を収められたシャルル様にこそ御任せすべきであろう」

「シャルル様こそ年端もいかぬ御幼少の身ではないか」

「才の前では年など問題ではないわ」


斯様に互いの意見は一向に一致を見せず、平行線を辿ったまま熱だけが篭もっていくという不毛な会議が続いていた。
彼等が争っているもの。
それは先日挑戦状を送ってきたマントヴァ・パドヴァ・フェラーラの三カ国連合を迎え撃つ総大将の座である。
ブルグント宮廷内ではこの動きを無謀なもの、喰われるを待つ身の悪足掻きと捉える向きが強かった。
勿論、上層部や一部の賢明な貴族達はそうした楽観視を危険なものとして控えている。
だが、大勢は三カ国連合を功績の対象としてしか見ない者達で占められていることも否定できない事実であった。
そういった者達は虚空の手柄を求め争い合い、盛んに強硬論を唱える。
彼等の行いは国を誤らせる愚かなものといえよう。
だが、皮肉なことに民衆はそのような強気だけの愚かな意見を好むものなのだ。
会議の内容は鼻っから功績争いの実りの無いものに終始し、賢者は呆れて口を噤んでしまっていた。
これに対し唯一掣肘を加えることの出来るガレアッツォはというと、どちらを支持することもせずただ沈黙で以って中立を保っていた。
そのことがますます会議の混迷さを助長している。
以前までのガレアッツォ、独断性の強い果断な彼からは考えられない態度であった。


「であるからこそこの機に初陣を行って頂こうと言っておるのだ」

「ファチーノ殿もガッタメラータ殿もおらぬのだぞ。誰が副官となるのだ?」

「それはシャルル様とて同じであろう」

「シャルル様は独自の人材をかかえておられる。何ら問題はない」


そもそもこれ程まで会議が紛糾したのは、この言い争いが当事者無く進められていたからであった。
ジョヴァンニは総大将の座に興味こそあったものの、実際に戦場へ赴くということ自体には乗り気ではなく、寧ろはっきりと嫌がっていた。
彼は彼なりに父ガレアッツォの背中を見て育ってきている。
それ故、ジョヴァンニは戦場に出る必要性を全く感じていなかったのだ。
ガレアッツォは凱旋パレードで歓呼の声は受けるものの、実際に戦場に出ることは殆んど無く、専らミラノに留まって多方面に指示を出すのが常であった。
世界は流動し続けている。
ガレアッツォのそういった姿勢は、一つの戦場に固執していて、その流れを見失い取り残されることを危惧してのものであった。
だが、幼いジョヴァンニの目にはそのような背景は映らない。
あるいは彼に君主の複雑な事情を察しろということ自体が土台無理な話だったのかもしれない。
何れにせよジョヴァンニは、上に立つ者は後方に身を置き、勝利を待っているものだと認識してしまっていた。
不幸なことに家庭教師の教えもガレアッツォという成功者の現実に駆逐されてしまったのだ。
一方、対抗馬であるシャルルも今はボローニャにおり、会議に出席することは叶わぬ身にある。
三カ国連合の一角フェラーラは、ボローニャの目と鼻の先、その気ならば互いにその日の内に攻め込めるような距離に位置しているからであった。
一触即発といった現在の状況で、総督であるシャルルがボローニャから離れることは許されなかった。
間違いなく逃げたと見做され、士気の低下と民の不安を招くからだ。
そういった理由で、シャルルは自分の預かり知らぬ所で政争に参画させられるという憂き目を見ていた。


「一先ず落ち着きたまえ、諸君」


やがて会議の膠着を一人の男が打ち破った。
堂々たる振る舞いで立ち上がったのはアントニオ・ヴィスコンティ、ミラノ貴族の枢軸を担う者の一人である。


「各々の御考え、一々尤も。互いに一理も二理もある見識ある意見であったと思う。しかし、ここは私の意見も聞いて欲しい」


アントニオは言い争っていた貴族達の顔を立てつつ、それを脇に置いて己の考えを披露した。


「まず、私は総大将に相応しい者はジョヴァンニ様であると考える」


切り出した結論に反論しようとする者を手で鷹揚に制す。
ヴィスコンティの血を引く彼のそうした所作は、実にガレアッツォに似ていて、満場の者達を制する力を十分に含んでいた。
アントニオは役者であった。
短慮ではあったが物覚えは良く、動作に気品と迫力がある。
裏で糸を引くフランチェスコと合わされば、彼は立派な大貴族を演じることができた。


「無論私がジョヴァンニ様を推すには理由がある。
 考えて欲しい。そもそもボローニャから動けぬシャルル様に総大将を務めることが出来ようか?
 シャルル様が任されているのは、いつフェラーラが攻め込まぬとも限らぬ要衝の地。
 そこを空けてまで御大将になってもらうというのは現実的な案とは言えぬのではないか」


アントニオはそこで言葉を切ると、続いて戦略について言及した。


「ボローニャのシャルル様を動かさぬことは、戦を有利に進める上でも極めて重要なことである。
 シャルル様を始めとした一軍がボローニャにいることで、こちらと同様フェラーラも迂闊に軍を動かすことが出来なくなる。
 これはマントヴァの孤立に繋がる大きな支援であり、大将の座にも劣らぬ大任であろう。
 我等はそうして敵の戦力を分断し、各個撃破すればよい。
 より確実に勝利するためにもシャルル様はボローニャに、ジョヴァンニ様を征伐軍の大将にという人選が適任であると私は考える」


客観的視点に立って述べられたアントニオの理路整然たる意見に反論できる者はなく、会議はそのまま決した。
ミラノ貴族は元よりジョヴァンニを推していたため反対する筈もなく、シャルル派の者達もシャルルをボローニャから動かす難しさを説かれれば引き下がらざるを得なかったのだ。
アントニオの演説とそれを裏で操ったフランチェスコの読みの勝利であった。
フランチェスコは意図的に会議の方向性を誘導させたのだ。
マントヴァへ軍を進め、陽動を行い、敵の目をそちらに惹き付けている内にシャルルがフェラーラを落とす。
といったように、ミラノが取り得る戦略は幾通りもあった。
だが、フランチェスコはそういった第二、第三の可能性を悟らせる間を与えず、変化した会議の流れを以ってそのまま決着まで持っていかせた。
自分の配下に賛同の声を挙げさせ、会議の空気を議決まで漕ぎ着けたのだ。
豪腕。
それはフランチェスコがヴィスコンティの血族である何よりの証であった。
斯くして、対三カ国連合軍の総大将はジョヴァンニ・ヴィスコンティに決まった。
ミラノ貴族の、そしてアントニオとフランチェスコの思惑通りに。
歓呼に湧く者。悔しさをにじませる者。
様々な反応を示す会議場の中で、国王ガレアッツォだけが不気味な沈黙を保っていた。













ミラノの城には壮麗な庭園がある。
美観と護衛のし易さを両立させたこの花園は、ガレアッツォがミラノ僭主時代から愛した場所だった。
意外なことにガレアッツォの趣味は散歩という地味なものである。
ミラノの共同統治者でしかなかった頃、彼は何時間も庭を歩き回り思索に耽っていた。
余人を傍に寄せ付けず、静かに思考を廻らせる。
ガレアッツォの深遠な策謀はこういった過程を経て生み出されていた。
そして現在、彼が悩んでいることは己亡き後の国の在り方である。
近年の伸張はガレアッツォとしても予想外な、異常ともいえるものだった。
確かに彼は次々と最善の手を打ってきた。
どうすれば自分に有利になるか、より相手を牽制できるか。
自身の経験を最大限動員して駆け抜けた。脇目も降らず、がむしゃらに。
こここそ我が人生最大の勝負所と睨んだ故にである。
その結果、問題が起きた。
急激な変化に当のガレアッツォ自身がに追いついていけなくなっていたのだ。
都市国家の公爵と王国の王。
同じ君主でもその間には大きな隔たり、厚い壁が存在する。
それは単純に身分の差であったり、付随する権利と義務、ブルグントという歴史ある名から来るしがらみなど複雑かつ面倒なもので、
ガレアッツォはこれまでとは違った自分になる必要性を感じていた。
一皮剥ける、これまでの殻を打ち破る。
そうせねば何処かで躓くであろう。
ガレアッツォの類稀なる政治センスが、停滞することへの警告を発したのだ。
しかし同時に、彼は自分がその殻を破りきれないことを何となく察していた。
今年で53歳となるガレアッツォである。
この時代に於いては十分過ぎる程生きた老齢だ。
自己を再構築するには些か遅すぎる。そう彼は思い、半ば諦めかけていた。
だからこそ次代に国を託し、その構想に思いを廻らせる。
元々ガレアッツォは、自分の代でブルグントを安定させられるとは思っていなかった。
勿論その気概はある。
だが現実的に考えて、それが不可能であることは明白であった。

――出る杭はいつも打たれるものだ。

若年の頃より、ガレアッツォはその原則を本能的に知っていた。
数十年前の共同統治者時代。
老いてより冷酷に、より短気になった叔父から身を守るため、ガレアッツォは必死で凡庸な青年を演じた。
何を考えているか分からない、ともすれば白痴のような。
そんな印象を与えることで、用心深いベルナボの警戒を完全に解こうと努めたのだ。
その結果彼が得たのが、ミラノの唯一の支配者という地位である。
取るに足らぬ、そう思わせることで得られる利益をガレアッツォは誰よりも知悉していた。
そして、だからこそ相手に警戒されることの厄介さを彼は心得ていた。
一挙手一投足を注視される。
ちょっとした行動にも身構えられる。
敵を陥れる最良の方策が裏をかくことならば、それを防ぐ術は相手の行動を逐一見張ることだ。
この様な大躍進を遂げれば、周辺国はブルグントを警戒する。
何とか国力を削ぎ、その勢いを殺そうとしてくる。
予想でも何でもない。
それが当然の流れであることをガレアッツォは知っていた。
国内を安定させようにも横槍が入ることは必至。
加えて高齢のガレアッツォにはあまり時間が残されていなかった。


「アレクサンダーかスパルタか・・・・・・」


ガレアッツォは我知らず呟いた。
彼の脳裏には二通りの道が浮かんでいた。
アレクサンダーのように征服先と融和し、有能な者を積極的に取り入れていく道。
スパルタのようにミラノ貴族を上流とし、強大な軍隊で以って支配する道。
前者はシャルル、後者がジョヴァンニである。
派閥形成の結果、奇しくも国王の指名がそのまま国の形を決するという事態になっており、
そのことが先の会議のようなガレアッツォがどちらに加担することも出来ないという状況を作り出していた。

――このような優柔不断、ワシには相応しくない。だが・・・・・・。

ガレアッツォの決定、その行く末にはヴィスコンティ家の浮沈が懸かっている。
未曾有の繁栄か、惨めな没落か。
先が見える分ガレアッツォの迷いは深かった。
しかし、時代の流れは英傑の逡巡を許してはくれない。
責任の軽い者はそれだけフットワークも軽く、負う責務も無い故に軽挙に走る。
国の大事よりも自身のために。
ガレアッツォはその深き迷い故に、そういった動きへの気配りを忘れていた。













ブルグント王国内に大きなうねりが起こっているにも関らず、シャルルはボローニャにて穏やかな時を過ごしていた。
何かに駆り立てられるように奔走したり、誰かを陥れるために頭を捻ったりしない日々。
最早彼自身が積極的に動く必要はなくなっていた。
シャルルは教皇派の旗印になったからだ。
教皇派を標榜する都市の有力者達は足繁く彼の下を訪れ友誼を結び、名のある司祭達は招きに喜んで応じた。
この時代、知識層は教会関係者によって占められている。
高価な書物を読み、その知識を吸収する時間的余裕がある。
そのような贅沢を許されているのは、この時代では司祭達しかいなかったからだ。
黙っていても成果が転がり込んでくる。
シャルルの周囲に文官が集まり始めたのはこの時期からであった。


「バルバヴァーラ。今日の予定はどうなっている?」

「本日はプレジアの有力貴族と面会の予定が御座います。
 彼の地は熱心な教皇派が多い上、ロンバルディア有数の大都市でありますので御味方にしておくが得策かと」


現在、シャルルの傍近く侍る公式の秘書官はフランチェスコ・バルバヴァーラになっている。
彼は交渉術や調整能力に長ける人材で、ミラノ教皇派の顔役的な人物だ。
どちらかといえば温和な性格もあって、教皇派とシャルルの橋渡し役に適任の男だった。
この時期、シャルルの傍に腹心フリッツの姿はない。
彼は少数の部下と共にアウグスブルクへ赴き、ドイツ諸侯の取り纏めと抱き込みを任されていた。
これはガレアッツォによって阻止された『アウグスブルクを中心としたアルプス以北に於ける勢力形成』という計画の修正のためである。
シャルルは未だこの都市を諦めていなかった。
あっさりと諦めるには、アウグスブルクという大都市が持つ地理的有利性・経済力は魅力的過ぎたのだ。
フリッツを派遣したのはその未練故である。
ラングを刺激しない程度にアウグスブルクで勢力を築く。
それが出来るのは、シャルルの部下にはフリッツしかいなかった。


「プレジアを味方とすれば教皇派の勢力は概ね固まる・・・・・・か」

「はい。残りの都市は皇帝派が権勢を握っておりますので、これ以上は難しいかと」


些細な呟きにも律儀に返すバルバヴァーラの言葉にシャルルは気の無い返事で返す。
彼の頭には様々な思惑が飛び回っていた。
ライバルの背後にいるポーランド。
それに対し、外部から自分を後押しするのは父であるオルレアン公しかいない。
大国と比べてあまりに卑小な存在である。
シャルルは強力なバックを欲していた。


「誰かおらぬものか」


候補となる者を浮かべ検討し始めたとき、その鐘は鳴った。
ボローニャ中に響き渡る鐘の音。
低く重々しいそれは敵襲の報せだ。


「直ちに警戒体勢に入れ! 市民を収容しつつ速やかに門を閉じよ」


叫ぶように命令すると、部屋を駆け出て高台へと急ぐ。
望遠鏡を片手に窓に駆け寄り外を見た瞬間、シャルルの胸が冷えた。
遠方にはマントヴァ軍の旗が揺らめいていた。


「モルト老に伝令だ。ゴンザーガはボローニャに来た」


シャルルは手近な兵を使いにやり、自身はエンファントの下へ向かう。
そのこめかみには僅かに汗が浮かんでいた。
シャルル、9歳にして初めて経験する防衛戦であった。






予想に反し、マントヴァ軍は郊外に陣を構えた。
長期戦の構えである。
速攻を警戒し、慌てて防衛体勢を布いたたシャルルは敵の消極策に肩透かしを喰らったような気がした。


「妙だな」


胸を撫で下ろしたシャルルの横でモルト老が呟いた。
敵軍の動き、その不自然さに違和感を覚えたのだ。
国力に劣る三カ国連合にとっては短期決戦こそ望ましい展開である。
あのような胡乱な作戦を取るとは思えない。


「こりゃあ、罠だ」

「しかし、何の意図が? こちらが乗らねばそれまでのことでしょう」

「さてな。ゴンザーガは策略家としても一級だから警戒するに越したことはないが・・・・・・。
 取り敢えず見張りを立てていつでも対応出来るようにしておくしかあるめぇ。
 下手に騒ぐよか、その方がずっといい。
 幸いここの城壁は頑丈だ。
 ちょっとやそっとの作戦で崩れるようなもんじゃねぇ」


そう方針を立てると、モルト老は奥へと引っ込んだ。
歴戦の戦士ならではの豪胆な割り切りである。
しかし、未だ経験の浅いシャルルは意図の読めぬ相手の奇怪な行動に不気味さを感じずにはいられない。
時間が経つほど不利になる。
それを知らぬゴンザーガではあるまいに、そう警戒してしまう。
そんなシャルルの背中をモルト老は張り飛ばした。


「こんな時はおたおたせずに、どっしりとしておいた方が旨くいくもんだ。
 おら、しゃんとしろ!
 総督が湿気た面してると士気に障るだろうが」


叱られたシャルルは直ちに顔を引き締め、自信に満ちた総督を演出する。
彼は派閥の頭になった今も、未だにモルト老の叱咤に助けられていた。

――モルト老の言う通りだ。動揺しては敵の思う壺。通信を送ったから直に援軍も来る。何も心配することはない。

有利なのは変わらず自分達である。
その事実を再確認し、シャルルは改めて平静を取り戻した。



しかし、援軍は来なかった。
それどころか返信すらこなかったのである。
未だかつてない事態であった。
そして、この珍事に加え更にマントヴァ軍が撤退するという理解不能な出来事も起きる。
このようにあっさり撤退するのならば何故進軍してきたのか。
再び訪れた混乱はシャルルの頭を霧で覆った。
次々と起こる事態は、シャルルにガッタメラータの言葉を思い出さずにはいられなかった。

――嫌な感じがする。

今すぐ確認のために走り回りたくとも、そうすることは出来ない。
いつ再びマントヴァ軍が来るか分からない状況でシャルルが動くわけにはいかなかった。
シャルルはボローニャに篭もることを余儀なくされたのだ。
それは同時にボローニャ駐留軍が一地点に足止めをさせられたということでもあった。






------後書き------
短い・・・・・・。
しかし、切りがいいので一応更新させてもらいました。
更新の遅れ、本当に申し訳なく思っています。
リアル優先ですので今後も一週間更新はきつそうですが、完結だけは必ずしますのでご容赦下さい。
取り敢えずは10日更新を目指そうかな・・・・・・。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしています。




[8422] 揺れる王国(加筆)
Name: サザエ◆d857c520 ID:711daf59
Date: 2010/05/30 17:45
立場というものがある。
それは貴賎問わずあらゆる者が持つ。
物事を考える上で土台となるもの、前提条件の一つだ。
1404年に勃発したブルグント王国と三ヶ国連合の戦い、通称ロンバルディア覇権戦争を語る上で、両国間の立場の違いというものを外すことは出来ない。
片や歴史と伝統あるゲルマン国家の名を戴いた王国。
片や僭主国家と侯国の寄せ集め。
一見するとブルグントが有利に見える。
そして事実、ブルグントは国力という点だけならば圧倒していた。
しかし、物事には表裏がある。
飛ぶ鳥を落とす、正にその表現通りの大躍進の結果、ブルグントは膨大な国土と同時に多数の制約を得たのだ。
それは戦のリスク。
現在のブルグントは幼児の手で作られた紙の家のようなものだ。
稚拙な継ぎ接ぎだらけで実に脆い。
一見すると立派なのは、連勝に継ぐ連勝や過剰な粉飾によって見る者の目が曇っているだけなのだ。
ガレアッツォの愁眉の急はこれを作り直し、頑強な家にすることだった。
がたついている所にメスを入れ、補強し、時に継ぎ足す。
そうして初めて、公国であったミラノは名実共に王国へと昇華する。
しかし、それは逆に言えばブルグントは弱みを抱え込み曝け出しているということだ。
分かりやすく、そして致命的な欠点をこれみよがしに見せているということだ。
叶うことなら、ガレアッツォは誰の横槍も受けることなく国内の整備をしたかった。
三カ国連合、いやマントヴァ僭主ゴンザーガはその願いをこれでもかと踏みにじった。
ファチーノとガッタメラータという二人の将の外征という間隙。
これ以上ないタイミングでの侵攻である。
敵に勝ちたければ相手の最も嫌がることをすればよい。
ゴンザーガはそのセオリー通りのことをしたのだった。













ボローニャは長大な城壁に囲まれた要塞都市である。
貝のように門を閉ざし内に篭れば生半なことでは攻め崩せない。
この都市にはそれだけの防衛能力は備わっている。
そのことは、モルト老がはなから搦め手を以って攻めたことが証明していた。
士気と治安に気を配り、休むことなく警戒しさえすれば三ヶ国連合が如何なる手を打ってこようとも気にすることはないのだ。
それにも関わらず、シャルルは自ら城壁に張り付き、地平の彼方を監視することを止めようとしなかった。
一つには、指揮官が率先して監視をすることで部下の士気を高めるという狙いもある。
しかし、それ以上にシャルルをこういった行動に駆り立てていたのは恐怖であった。
本人に指摘すれば否定するだろう。
だが、不安から来る警戒心。それを最も端的に表せば恐怖と言い換えられよう。
そう。シャルルは今、不安に突き動かされていた。
現状、ボローニャの戦力は3000余り。
これは近衛兵団エンファントを足しての数だ。
実質配備された兵数は2000に満たない。
いかに要塞都市とはいえ、最前線にこれだけの兵しか割かないとは望外のことである。
しかし、その望外のことを行わねばならない事情があった。
先日、ボローニャに現れ消えた敵の不可解な行動。
それがブルグント国内の各都市で行われたのだ。
勿論、被害はない。
敵軍はただその姿を見せ、撤退するという行動しかしていないのだ。
せいぜい追撃して徒労に終わった兵が疲れた程度である。
全く無意味な行動だ。
それが一都市を相手取ってのものならば。
兵を消耗させるだけの愚行。
だが、それは多数の都市に跨ったとき、神出鬼没の奇襲軍へと変貌を遂げるのだ。
ボローニャのような城壁を持つ都市はまだいい。
警戒さえしていれば、例え一時的に混乱しようとも跳ね返すことが出来る。
しかし、そのような守りを備えていない都市にとって、敵の取った策は大問題だった。
名前こそ同じだが頼りない壁を抜かれたならば、後に待つのは凄惨な虐殺である。
ブルグントは否応なく、その兵力を各地に分散せざるを得なくなった。
その結果が、ボローニャの寡兵なのであった。


「毎日お外を眺めたって、何も変わりゃしないぜ」


同じ城壁にいるものの、シャルルと違いモルト老は泰然としていた。
平素のように酒を片手に茶々を入れる。
常ならば頼もしさを感じるその胆の太さが、今のシャルルには苛立たしかった。


「少なくとも不安は消えますよ。
 敵が来ないならば奇襲の不安が、来たなら他都市に現れるのではという不安がね」

「時間は消えるがな」


そう言って大笑いをすると、モルト老は勢いよく酒を呷った。
その様子から、彼が一切の不安を持たないことは明白であった。
少しは気を張った方がよろしいのでは、シャルルの脳裏にそんな言葉が浮かんだが、それを口に出すことなく飲み込んだ。
いざ有事となれば、この老人は今の緩さなど無かったかのように鋭く、獰猛に動き出すと知っているからだ。
しかし、だからといって今現在のモルト老がシャルルを苛立たせることに変わりはなかった。
自分が慌てているのに悠然としている。
全く理不尽なことに、人の心は他人のそんな行動に怒りを覚えるのだ。


「実際、どうしてそんなに平気でいられるのですか?」


シャルルは敢えてモルト老にそう問いかけた。
トップはどんな時でも落ち着いていなければならない。
頭ではそう理解していても、シャルルは自ら動いて確認せずにはいられない性質だった。
それは短所とまでは言えないが長所ではない。
だから、何か心得みたいなものがあれば聞いておきたい。
そう思ったのだ。


「御前は気を遣いすぎなんだよ」

「この状況で気を遣わずにいられますか? 私には無理です。
 敵の打った策に対し、我が軍が取った策は内に篭っての消極作戦ですよ。
 そんなことで勝てるわけないというのに!
 いつ綻びが出るか分かったものじゃない。
 それが見えているのに、安穏となんてしていられませんよ」


シャルルは手を振り回して力説した。
彼の目には、ブルグント軍が敵の術中に自ら嵌りにいっているように見えるのだ。
気持ちは分かる。
一都市を犠牲に勝利しても賞賛は得られない。
ここの所の連勝で折角ブルグントの武威も高まっているというのに、それに傷を付けるわけにはいかないという事情もある。
首脳部は、世間から見て明らかに格下とされている相手に遅れを取るという事態を恐れているのだ。
これがブルグントに課せられた制約の一つであった。
シャルルからすれば、それは驕り以外の何物でもなかった。
僅かな傷を恐れて更なる被害を受けては本末転倒である。
出来得るなら、その首を掴んででも引き戻したかった。
しかし、今は一介の総督に過ぎないシャルルにそのような権限は無い。
対三ヶ国連合軍の指揮は、ジョヴァンニの下ミラノ貴族に牛耳られているからだ。
間違った方向に進んでいることを知りながら、それを止めることが出来ない。
シャルルの苛立ちはそのもどかしさも関与していた。


「そりゃあ、まぁ御前の言うことは間違っちゃいねぇがな」

「だったら――」


モルト老の同意に得たりと勢いづくシャルルを制するように、モルト老は言葉を被せた。


「間違っちゃいねぇが、そうは言ってもどうしようもないだろ。
 そんなどうしようもないことをくどくど心配するのが、気を遣いすぎだって言うのさ。
 大体、ガレアッツォだって静観してるだろう? てことは、今のままでもいいってことだ」


鋭い反論にシャルルも口をつむぐ。
モルト老が言うように、この事態に対して唯一掣肘を加えることが出来るガレアッツォは、沈黙を保っている。
不可解といえばこのガレアッツォの静観こそ、その最たるものであった。
シャルルに及ぶ考えが、ガレアッツォに及ばない筈がないのだ。


「――っく」


結局、シャルルにはガレアッツォの真意は分からず、元のように城壁越しに外を監視する作業に戻った。
それを見ながらモルト老は目を細める。
シャルルには分からないことも、経験豊かなこの老人には承知のことだった。
ガレアッツォは敗北を演出しようとしているのだ。
ブルグント王国の武威が高まるに比例するように、貴族達はその自尊心を肥大化させている。
一切の負けも許されぬ、という思考はその証左であった。
ガレアッツォはそれを危惧した。
故に、その傾向がより強いミラノ貴族が支持するジョヴァンニを総大将に据えたのだ。
何れブルグントはその驕りに足元を掬われる。
どんなにガレアッツォが注意しても、貴族達の心の驕りまでは統制できない。
ならば敢えて敗北し、ガス抜きをする。
計算された負けならば、その被害も抑えることが出来よう。
今回の静観はそういった思惑を含んでのことなのだ。
真の策謀家は敗北をも計算に入れる。
これは一定以上の境地にある者のみが取れる策であった。
普通、頭では理解してもわざと負けることなど中々出来るものではない。
リスクを伴うし、何より人は勝ちたがりの生き物だ。
特に若い頃は勝利の味に貪欲になる。
敗北が利するなど考えも及ぶまい。
それは精神に多少のアドバンテージを持つシャルルも例外ではなかった。
老成し、人生の酸いも甘いも知り尽くした者の一部のみが、勝利に渇望する心を御して策を実行し得る。
モルト老はそのことを知っていた。
知っていたからシャルルには言わなかった。
言っても無駄、理解できよう筈も無い。
それが若さだからだ。
わざと敗北する。
若さはそんな後ろ向きな考えを許さない。
ただ前へ。ひたすら前へと進む。
今のシャルルはまだそれで良い。モルト老はそう思っていた。













一方のミラノ貴族の中にも、現在の方針について疑問を覚えている者はいた。
かくいうアントニオもまたその一人である。
彼は冬眠前の熊のようにうろうろと部屋を歩き回りながら自らの片割れに問い質した。


「おい、今のままで本当に大丈夫なのか?
 正直オレはこのままで戦に勝てるとは思えないのだが」


それに対するフランチェスコの答えは無情なものであった。


「いいわけないでしょう」


断定である。
フランチェスコとしても、今の消極策は受け入れ難いものであった。


「いいわけはない……ですが、如何しようもありませんよ。長老連中がその気なのですから。
 私達は先の会議で見せ場を半ば強引に貰いましたからね。
 今回は彼等に譲らないわけにはいきません」

「だが、負けるぞ」

「老人方はそうは思っていないらしいですよ」


フランチェスコは冷たい笑みを浮かべた。
その嘲笑にもいつもの力は無い。
貴族連最大の弱みはその強みと表裏を共にしていた。
数ゆえに優位を取れることもあるが、今回のようにその弊害が出ることもあるのだ。
確かにアントニオとフランチェスコはミラノ貴族の枢軸にいる。
しかし、絶対者ではない。
ガレアッツォと違い、彼等は王ではないのだ。
当然、対立者もいるし上位者もいる。
そしてその多くが年長者、老人であった。
貴族の権力は家督と不可分なものだ。
畢竟、権力者の年齢は高くなる。
フランチェスコとアントニオはその若さ故にそんな集団にあって異質な存在であった。
嫌がらせややっかみも受け易い。
ジョヴァンニの助言役という実質的指揮官、云わば花形から彼等が外されているのもその一貫である。
二人は一部隊長として、ある程度の権限を有しながらも手柄は得られない位置に置かれていた。


「まぁ、負けても我々の失態ではありません。
 せいぜい彼等の面子が潰れる様を眺めているとしましょう」


この老人の嫌がらせに対し、フランチェスコはむしろ感謝していた。
敗北の責任の押し付け合いからいち早く離脱できた。 
この現状はそう捉えることも出来るからだ。


「だがこれでは戦働きも出来ぬ」


一方、アントニオは忸怩たる思いを抱いていた。
彼の取柄は戦場での槍捌きにある。
それを取り上げられて面白くないのだった。
それに手柄を欲する理由もあった。
老貴族達を押しのけミラノ貴族の権力を一手に握る。
アントニオはそのための手柄を欲していたのだ。


「此度は辛抱して下さい。我々の目的は戦とは別の所にあるのです。
 幸い、現状で策に支障はありません。
 この立場も我々に唯一つのことに邁進せよ、という神の御意思なのでしょう」


フランチェスコは逸るアントニオをそう宥めた。
そう、彼等は今の貴族連の在り方に満足していない。
俗欲に塗れた老人達を廃し、その手にジョヴァンニを握る。
そうすることでブルグントの支配者となる。
彼等はそのために行動していた。
そこには勿論権力欲もある。支配欲もある。
だが、それ以上に自分達ならこの国を切り盛りできるという気概があった。
近い将来、ガレアッツォ亡き後を牽引できる者は己達のみ。
二人にはその自負があったのだ。


「シャルル殿下は極めて優秀です。国にとって有益でもある。
 だから、まだ消えてもらわなくても構いません。
 かといっていつまでも居られても困ります。
 せいぜい我等の役に立って、国に帰ってもらうとしましょう」


アントニオとフランチェスコ。
彼等はある意味純粋にブルグントのことを思っていた。
少なくとも自身の目的に、フランスという他国での政争に利用しようとしているシャルルよりは。
そして、それ故に彼等とシャルルは交わらないのである。













同時期、ミラノから遥か離れた地、山々を越えた街に二人と全く同じ思いを持って感情を昂ぶらせている男がいた。
ブルグント王国ニュルンベルク方面防衛指揮官エラズモ・ダ・ナルニ伯。
いつの間にやらそんな大層な肩書きを背負うことになった男、トラ猫ガッタメラータその人である。


「バンベルク、エアランゲン、アンベルク、アンスバッハ。これら要塞化された都市が四つに、砦が七つ。
 そして、それを守る兵がそれぞれ2000ずつ。
 これ程の規模で構築された防衛線は、古今東西探したとしても中々見つかるものではありませぬ」


今、ガッタメラータはループレヒトの前で熱弁を揮っていた。
朗々と、身振り手振りに地図をも交えながら。
その様子からは、普段の粗野で大雑把な彼の性格は窺い知れない。
明らかな嘘混じりの誇張した内容をいかにも自信満々に語る様は、控え目に見ても詐欺師そのものであった。


「そ、それで大丈夫なのか? 如何なる敵が来ても迎え撃てるのか?」

「勿論ですとも、陛下! 総勢2万の軍団と堅牢な城砦、それらが有機的に組み合わさることによって構成された防衛ラインはあらゆる方面からの侵攻を防ぎ跳ね返します。
 そう。どれ程の数だろうと、どれ程の強兵であろうと皇帝陛下の御許に辿り着くことは叶いません。
 あなたは、ここニュルンベルクにいる限り、完全に、完璧に安全なのです!」


2万の軍。
大嘘いいところだ。
この時代は国民皆兵というわけではない。それ程の人数を安々と集める時代は遥か先、ナポレオンの時代のことである。
万単位の兵を揃えるということは、国家をあげた決戦用でしかあり得ないのだ。
間違っても臆病な皇帝を慰撫するためだけに用意できる人数ではない。
だが、ガッタメラータは敢えてその嘘を通した。
要するにループレヒトが怯えずに過ごせるようになれば彼の仕事は終わるのだ。
今のガッタメラータの心境は、まさに嘘も方便といったものだった。
それに、あながち全くの出鱈目というわけでもない。
各砦には100人程の兵士を常駐させているし、主要都市にも大体1500人は配置してある。
実際、大戦続きのこの地方でこれだけの数を掻き集めるというのはかなりの大仕事だった。
これだけでも義理は果たしたといえよう。


「それでは陛下。私めはミラノへと帰還いたします。
 なに、御心配には及びません。
 事あらばすぐに一報が入るよう手配を整えております故、矢の如き早さで参上致します」


大仰な身振りと大声で皇帝を圧倒すると、ガッタメラータはまるでループレヒトの了承があったかのように礼を言った。


「あ、……ああ。わざわざ大儀であったな。もしもの場合は、しかと頼んだぞ」


ガッタメラータは何やら物言いたげな、それでも言い切れないループレヒトを置き去りにして部屋を出て行く。
一体どちらの身分が高いのか、そんな疑問を人に抱かせる光景であった。
もっとも、建前なしの現実の力関係を考慮に入れれば二人のやり取りは順当なものであるのだが。
ループレヒトはガッタメラータに対して頭が上がらなくなってしまっているのだから。
颯爽と皇帝の前から辞したガッタメラータは、公衆の目が無くなったと見るや俄に裾を蹴立てて駆け出した。
その身代に比して豪奢な宮殿の影を縫い、裏道を使って一直線に兵舎へ向かう。
すれ違い、驚く人に構う間すら惜しんで走ったガッタメラータは、兵舎に着くや間髪入れずに待機していた精兵にがなり立てた。


「手前ら、用意は出来てるな? すぐに発つぞ」


机に置かれた愛剣を引っ掴むと、答えを聞くことすらなく外に飛び出しひらりと馬に飛び乗る。
そして、後ろを見ることなく命令を下し、


「一刻が勝利への道と思え! 総員、続け」


勢いよく馬に鞭を打って走り出した。
ミラノへ向かって。
只管に。
ガッタメラータが止まった時を動かすべく駆け出した。





[8422] 闇夜の開戦
Name: サザエ◆d857c520 ID:eb17fe46
Date: 2010/05/30 17:49
戦火絶えぬロンバルディアの喧騒など知らぬとばかりに、アウグスブルクは穏やかな繁栄の時を迎えていた。
アルプス山脈を隔てたドイツ一帯も同じブルグント王国の領土である。
そうであるにも関わらず人々が平和を謳歌しているのは、何も地理的要因だけが理由の全てではない。
総督代理ラングによる緩やかな支配と情報統制。
この地の繁栄はそれが行き届いている証であった。
勿論、人の口に戸は立てられないとの言葉通り、戦の報はアウグスブルクにも伝わっている。
しかし、そういった不穏な噂は大国に組み込まれたことで得た経済的利潤の喜びの前に容易くかき消されていった。
人は己の信じたいものを信じる。
今自分が享受している幸福が明日にも崩れるやも知れぬ砂上の楼閣である、などという話を認めたがる者がどこにいようか。


「全く。ラング殿は大した御仁ですよ」


行き交う荷馬と大量の物資。
経済の確かな循環を示す商品の列を眼下に見ながらフリッツは呟いた。
傍らには一人の男が侍っている。
初老に差し掛かった屈強な戦士だ。
その顔には大きな傷が三本、獣の爪痕のように刻み込まれている。傷がそのまま男の人生を物語っているかのようだった。
窓辺に座るフリッツは、男がまるで存在しないかのような態度で街頭に視線をやり一人喋っていた。
それは傍から見て奇妙な構図であったが、これがこの二人の在り方であった。


「頭はキれるし行動にも卒がない。事前の準備は怠らず、事後の処理は速やかで的確。敵とあらば容赦しないが有用と見れば泳がせておくだけの度胸がある。
 おまけに質素を旨とし、心にあるは主への忠義のみ……と。
 全く、どこの聖人なのかと呆れるばかりだ」


フリッツは辟易とした様子で首を振った。
ラングがガレアッツォの利益代弁者であるならば、フリッツはシャルルの利益代弁者である。
互いにブルグントの繁栄という目的を共有するとはいえ、その果実を捧げる相手は異なっている。
ラングとシャルルはライバルである。
二人の関係は、大げさに言うとそう言い切れるものであった。
事実、この地に派遣されてからの数ヶ月というもの、フリッツとラングはアウグスブルクという果実を巡って争ってきたのだった。


「買収しようにも金に執着がない。脅迫しようにも弱みがない。暗殺などもっての外ですし……。」


フリッツがつらつらと愚痴を言い出すと、巌のように口を引き結んでいた男がその口を開いた。


「それは遠回しな敗北宣言か?」

「まさか! これはラング殿への賞賛ですよ。その誠実さと忠誠心への、ね。
 それに私は負けたわけではありません。
 互いに妥協点を探り、適当な所で手を打った。勿論、完勝ではありませんが負けてはいません。
 せいぜい痛み分けといったところです。
 間違っても敗北、などと言って欲しくはないですね」


そこまで一息に言った後、フリッツははっとしたように言葉を止めた。
額を掌で覆うと、頭を振って自嘲する。


「いえ、これは言い訳ですね。戦いには勝利か敗北の二つしかない。
 引き分けというのは敗者がその傷を誤魔化すための詭弁。
 いつも自分で言っていることだというのに……」

「御前はよくやった。ただ相手が今までとは違った。それだけだ」

「目標を達成できなかった以上、慰めにもなりませんよ。
 確かに商会の大半をこちらに付かせることは出来ました。しかし、それだけです。
 銀山といった公的な財産には一切踏み入ることは出来ませんでした。
 ラング殿の思惑通りの所に落としこまれた、それが実情ですよ」


権謀術数の限りを尽くした二人の争いは熾烈を極めた。
暴力や脅迫といった一般的な搦め手を禁じられた状況で如何に多くのパイを切り取るか。それは片手を封じた決闘にも似ていた。
アウグスブルクを与えられたのはシャルルだ。
それは即ち、アウグスブルクの保持していた財は全てシャルルの寄与するということになる――通常ならば。
アウグスブルクには『力』があった。
何よりも単純で分かりやすい『力』銀山が。
ラングとフリッツの戦いは、詰る所それの帰属権を巡ったものであり、フリッツはその争いに敗北したのだった。
人はフリッツを敗者と呼ばないかもしれない。
だが、銀山を手に出来なかった以上、フリッツにとってそれは敗北以外の何物でもなかった。


「ラング卿は今まで相手にしてきた凡愚とは違う。それに舞台はラング卿のものだった」


男の口調は鉄のような響きを持ったにべのないものだったが、その言葉は慰めに近かった。
ラングとフリッツ。
策謀家として身を立てるこの二人の決定的な違いは、彼等の人生そのものに起因している。
ラングはガレアッツォの配下として縦横にその才を揮ってきた。策謀を繰る者の性として後ろ暗い影は付き纏うものの、その歩みは陽の下にあるといっていい。
一方フリッツは生まれこそ男爵家という貴族の出だが、辿って来た道は一貫して後ろ暗いものだった。
有り体にいえば人道に背く生き方である。取ってきた策も粗暴な手段に些か偏る。
強いて言うなら、勝敗を分けた要因はそれであった。
互いに束縛がある中で、云わばフリッツは利き手を封じられた状態だったのだ。
しかし、フリッツがこれから生きる世界はそういった世界、ラングが歩んできた表の影の道である。


「今回はよく勉強させてもらいましたよ……」


そう言ってフリッツは微笑った。冷たく、鋭い笑み。
鼻っ柱を叩き折られた。
自身の策はまだ拙いのだと、より洗練された策が要るのだと見せ付けられた。
それでも誇りはまだ折れてはいない。
フリッツにはまだ未来がある。
それを自身でも確認するようにはっきりと笑ってみせたのだ。


「ところで、ミラノではガッタメラータ殿が帰還なされたそうですね。
 彼が戻ったとなると事態は否が応にも動き出す。
 あなたがここに来た目的はその報告でしょう?」


フリッツはそれまでの会話がまるで無かったかのような態度を取り、強引に話題を変えた。
男はフリッツの彼らしからぬ不器用さを黙って受け入れた。
こういった場合、フリッツが恥じ入っていることを知っていたからだ。
男はフリッツの影であった。
そして、その前は教師。更に前は主人であった。
まだ若く、いや幼く向う見ずだった家出少年フリッツ捕らえ、仕込んだのはこの男だった。
男に名前はない。
そんなものはとうの昔に無くしてしまった。
枯れ木のようになり、唯生きるために惰性で盗賊をやっていた男はフリッツの滾る様な野心に中てられてこんな所まで来てしまったのだ。
しかし、男に後悔はなかった。
同じ影の生き方でも、今は充実感があった。
ほんの気まぐれがフリッツの、そして男の未来を変えたのだ。


「ああ。ガッタメラータはミラノに帰還するや貴族相手に――」


そうして男は報告を始めた。
今や成長し、自らのパートナーとなった少年に。













愛馬に揺られるガッタメラータの表情は晴れない。
その眉間には深い皺が刻み込まれ、口元もへの字に折れ下がっている。
ミラノに帰還したガッタメラータの目的は唯一つ、停滞した状況を打開し、軍勢を動かすことであった。
その意味では、現在の彼は目的を達成している。
ミラノに舞い戻ったガッタメラータは、長老衆のやり口に不満を抱いている者達を巧みに説き伏せ、ジョヴァンニに直談判を申し入れた。
その結果が、こうして彼の機嫌を損ねているのだ。
元々ガッタメラータは貴族連からの受けが悪い。
彼の歯に衣着せぬ態度。打ち立てた功績。
それら全てが貴族の嫌悪や嫉妬といった悪感情を買っている――ということも勿論あるが、何よりも大きな理由としてガッタメラータが所謂シャルル派であるということであった。
当の本人には自覚がないかもしれない。
だが、現にガッタメラータが親しくしているのがシャルルでありジョヴァンニではない以上、彼がシャルルに組すると見做されることは避けられないことだった。
要するにガッタメラータは要求を通した代償として嫌がらせを受けたのである。


「……敵を上回る数揃えるのは戦の常道だろうがよ。策なんてのはそれが出来なかったときの次善策で、王道が一番手堅いってのによ。
 な~にが、勇猛なる貴殿ならたとえ敵の半分しか兵がおらずとも勝てることでしょうだ。
 恩着せがましい態度しといて、これっぽっちしか兵をよこさねぇでよ」

「そう愚痴を言っても仕方ないでしょう」

「愚痴も言いたくなるさ!」


苦笑を貼り付けた副官の小言を受け、ガッタメラータは大仰に嘆いた。


「オレは10000の兵を寄こせ、って言ったんだぜ。それなのに実際は6000ちょっとだ!
 そりゃあ、オレだって要求通りいくとは思ってなかったさ。
 せいぜい8000だろう。そう思ってたさ。
 奴ら一体全体この戦をどう考えていやがるんだ!
 大体、陛下も陛下だ。この期に及んで未だに青瓢箪の小僧に任せっきりで勝てると思ってんのか!?」

「不敬罪ですぞ」

「構やしねぇよ。どうせ周りはオレの子飼いだ」

「それはまぁ、そうなんですがね」


戦いは数。
歴史上数多の名将に打ち破られたとしても、その真理は未だ普遍のものとして存在し続けている。
それは兵力で勝る、という一点が何よりも効果的に戦を有利にしてくれるからだった。
多くの兵があればそれだけ取れる策が増える。
一人の敵に多数で戦えるから損害が減る。
何よりその一事だけで敵の心を挫くことが出来る。
そういったことはガレアッツォも承知している筈なのに……。
ガッタメラータの心には疑念が渦巻いていた。

――今は気にしても仕方ねぇ。オレの役目は戦うことだけ。そういった小難しいことは他の奴が考えることだ。

意識して傍らの愛槍を握り締める。
余念を抱いた状態で勝てる程この戦は甘くない。
何せ敵は名将の誉れ高きゴンザーガである。シャティヨンのような幸運は到底望めないのだ。


「将軍。進軍ルートはどうするのですか?」

「……ん、あぁ。ちょっくらシャルルの所によって兵を借りていこうと思ってる。幾らなんでもこの状態でぶつかりたくないからな」


ゴンザーガは最低でも10000の兵力を揃えているだろうとガッタメラータはよんでいた。
敵はブルグントに比べ小国とはいえ三つの国家が寄り集まった連合軍である。
一国が3000弱ずつ兵を出し合えば10000程度用意することは容易だ。
下手をすれば13000に届く可能性すら高い。


「あと2000。欲を言えば3000は兵がいなきゃ勝負には出れねぇよ」


ガッタメラータはくつくつと笑いながら泣き言めいた科白を吐いた。
気の抜けたような表情。
だが、その目は笑っていない。
鋭い光を宿し、未だ見ぬ敵を睨み据えていた。


「敵はゴンザーガ。不足のねぇ相手だ。憂いなく思いっ切りやりあいてぇからな」

「例の遊軍への対処は?」

「遊軍はあくまでも遊軍。本体を叩けば自然と消えるもんだ。放っておいても構わんだろう」

「いざ決戦、という段で横槍を入れられる可能性もありますが?」

「そうならねぇように気は配るさ」


ガッタメラータは部下の懸念を快活に笑って一蹴した。


「気を付けなきゃならねぇことは、遊軍に気を取られ過ぎることさ。
 ミラノにいる連中はそこがなっちゃいなかった。
 神出鬼没の軍、実際どんな手妻を使ってんのか知らんが、国内を引っかき回している奴らを気にするあまり動きを阻害されちまった。
 敵の思惑通りにな。
 最初から全力で本丸を、ゴンザーガを叩けばよかったのさ。
 戦いを終わらせる方法は結局それしかねぇんだからよ」


ガッタメラータが遊軍を追うことを避ける理由はそれだけではない。
彼はその存在に得も云われぬ不気味さを感じていた。
煩わしい蝿を追い散らそうと戦力を割いてみれば大毒蜂であった。
そんなような事態が起こるような気がするのだ。
勿論、単なる勘である。
だが、この勘によって彼は今まで生き長らえてきた。
ガッタメラータは己の勘を信じた。


「とにかく急いで進軍する。ボローニャまでは全速だ」


この数ヶ月受け手に回ってきたブルグントは、ゴンザーガに二手も三手も遅れている。
それを取り戻す手段は唯一つしかなかった。
即ち、決戦による勝利。
ガッタメラータはそれを達成すべく、一路ボローニャへと向かった。













戦いが綿密な計算と入念な準備によって行われるものとなるのは遥か未来の話。
中世においては突発的な戦闘など珍しくもなかった。
そう、遭遇戦である。
一説によれば彼の有名な桶狭間の合戦も遭遇戦であったという。
織田信長の雄飛の切欠となったこの合戦のように、遭遇戦は思わぬ結果が起きやすい。
考えてみれば当然のことである。
遭遇戦とは、『突如』『思いもよらぬ形で』戦闘状態へと突入するものだ。
この状況は奇襲を受けた状態とそっくり似る。
そう、遭遇戦とは一種の奇襲戦なのだ。
ただ互いが互いに奇襲を受けた側となっているだけである。



モデナ近郊まで進軍したガッタメラータは、夜通しの行軍に踏み切った。
モデナからボローニャまでは直線距離で約30Km程度の距離しかない。
無理をすれば朝を迎える前に辿り着く距離。
ガッタメラータは時を惜しんだ。
それが思わぬ結果を生む。
それは森林を迂回し抜けた先で起こった。


「……おい、前方に人影が見えねぇか?」


ガッタメラータが軍の先頭を走っていたことは不幸中の幸いであったろう。
敵軍を真っ先に見付けたのが彼であったために無用な混乱、思わぬ事態だけは避けられた。


「やけに数が多いな。夜盗にしては妙だ」


盗賊にしては装備が整い過ぎていることは夜目にも分かった。
そして友軍にしては殺気立ち過ぎていることも。
ここはモデナのすぐ傍なのである。
ブルグント軍であるならばあのように剣呑な気配をしている必要がない。


「敵だな」


ガッタメラータは即断した。
はっきりとした根拠はない。
だが、宵闇ではっきりとは分からぬものの、3000は下らぬ人数が剣片手にこそこそとしているのだ。
味方と決め付けてかかるわけにはいかない。
ようなどと片手を挙げて近寄ってみたらばっさり、などという事態が起きては洒落にもならなかった。

「おい、後ろに走って戦闘準備って声かけて来い。大声は出すんじゃねぇぞ」


手近な兵に指示を出すと自らも手槍を構え、ゆっくりと舌で唇を濡らした。
まずは先制し機先を制す。


「――っつ」


ガッタメラータは歯を食い縛り、タイミングを計ると無言で槍を投げ放った。



他方の集団もまたガッタメラータ達の存在に気付いていた。


「これ程の規模の軍が近隣に居るなどという報告は入っておらぬぞ。斥候は何をしておった」

「それがモデナの駐屯軍ではないようで……」

「我等が夜襲を仕掛けた時に、偶々彼等もこの近辺を行軍し、不幸にも偶然居合わせたと? そういうことか?」


何と間の悪い、指揮を取るマントヴァ僭主ゴンザーガは呟いた。
モデナの電撃的占領によって最初の大戦果を手にし、士気を大いに高めると共にボローニャ―ミラノ間に楔を打ち込む。
開戦以来小競り合いしかしてこなかった連合軍にとって、この作戦は単なる夜襲以上の意味があった。
それがこの様な形で邪魔されようとは。
ゴンザーガの胸に浮かんだ驚愕と憤りはガッタメラータよりも遥かに大きかったことだろう。
彼は我知らず天を振り仰いだ。
ぐっと夜天を睨み付けたのは試練を与え給うた神への抗議であったかもしれない。
だが、歴戦の猛将はその数瞬で自らの心に区切りを付けた。


「総員構え!」


闇夜にゴンザーガの大音声が響き渡った。


「閣下!? 敵勢に此方の位置を気取られますぞ」

「構わぬ。この距離だ。どうせ向こうの指揮官も我等の存在に気付いておるわ」


泡を喰った部下の諫言を切って捨てたのと同時に、力任せに剣を振り回す。


「このように、な」


肩をすくめ指し示した先には、叩き落され歪に変形した長槍が横たわっていた。


「宣戦布告か……。幸運を願っての一投か……。
 何れにせよ、力の篭もったいい一撃であった。
 これ程の腕と度胸を持った敵であることを心得よ」


こちらだけが相手の存在に気付いており一方的に蹂躙できる、などという甘い幻想は捨てよ。
言外に叱咤を滲ませたゴンザーガは、馬を嘶かせ剣を高く天に掲げた。


「猛よ! 戦ぞ」


鬨の声が上がる中、先頭を切って駆ける。
三日月が照らす薄闇の下で戦争の幕は静かに、そして激しく開け放たれたのだった。



それは対照的な光景であった。
ひたひたと無言で迫り行く者達と大仰に声を枯らして攻めかかる者達。
状況に即しているのは明らかに前者である。
だが、勢いがあるのはどちらであろうか。
無論、胸に抱く気概、敵を打ち殺さんとする猛りという点では両軍譲ることはない。
しかし、否応にも高揚する戦場において声を押し殺すという慣れぬ作業をせねばならぬというのはある種のストレスだ。
ましてそれが正規の堂々絢爛たる軍であるならば尚更。
そういった兵の心理まで読み、思い切った判断を下したゴンザーガの采配は流石の名将振りであった。

(不味いな……)

ガッタメラータは内心舌打ちする。
出来うるならば戦はしたくなかった
何せこちらは連日の行軍によって相当の疲労がある。
数の優位があるとはいえ、決して楽観できる状況ではない。
加えて敵将の判断の見事さ。
遠目に見える縦横に大段平を振り回す武力。
大敵であることは明らかである。

(だが、手はある)

それはこの時代において最大限広く知られている常套手段。
王国、商会、盗賊、傭兵団。
如何なる者達も集団であるならば有効な手。

(派手に活躍してるがよ、手前が斬られりゃお終いだろうが)

即ち、頭を取ること。
ガッタメラータは人の壁をするすると器用に潜り抜けていく。
こういった遭遇戦は無秩序な混戦になりやすい。
それが思わぬ惨禍を齎す最大の要因であった。
今この瞬間も一人、また一人とこの将の手によって味方が斬られていく。
ガッタメラータは自らも自衛のため敵勢を切伏せながら、暴風雨のような剣戟の圏外、即ち敵将の背後に回り込むと一息に斬りかかった。


「推参」


止められた。
恐るべき勘と反射速度。何という怪力。
脳裏に敵将への賞賛と罵声がよぎり、即座にそれらを打ち消す。
余分な思考は邪魔となるからだ。
左上腕に熱を感じた。


「だが、見事な不意打ちであった。名乗られい」


悠然とした構え。
将の態度から上位者の余裕が感じられ、そのことが益々ガッタメラータの神経をささくれさせる。
敵へのではない。
失敗した自身への苛立ちだ。


「名乗らぬか。ならば我輩から名乗ろう」


敵将の挙動を睨み据える。
反撃のためではない。
逃走のためだ。


「マントヴァの主ゴンザーガだ。匹夫よ、地獄への送り手として不足はあるまい」


ゴンザーガの構えには一切の隙がなかった。
敵に語りかける者はその時点でどこか油断しているのだ。
何時ぞや誰かから聞いた言葉が真理ではないことをガッタメラータはこの土壇場で知りたくもないのに知った。
ゴンザーガは今ここで自分を斬るつもりなのだ。
恐らくは自分が彼を斬ろうとしたのと同じ意図を持って。


「……エラズモ・ダ・ナルニ」


道は閉ざされている。
ならば強引に切り開くしかなかろう。
ガッタメラータは覚悟を決めた。
仕切りなおしが不可能であるならば切り捨てて行く他ない。
有利不利関係なく。
そうせねば死ぬのだ。


「ガッタメラータだ」


名乗りと共にガッタメラータも自らの剣を構え直した。






------後書き------
長らく更新出来ず申し訳ありませんでした。生活も整い余裕もでましたので、ようやくの更新です。
しかし、勢いって大切ですね。
間隔が空くと稚拙な点が目に付くというか……。
本当に中途半端な出来で申し訳ありません。
遅筆で未熟な作者ですが、これからも宜しくお願いします。




[8422] 決戦前夜
Name: サザエ◆d857c520 ID:eb17fe46
Date: 2010/07/11 05:01
戦場の真っ只中に空間が生まれた。
直径2メートル程の円。
遠巻きに槍を構える兵を境界として、そこは闘技場となった。
疲労によって士気に劣るブルグント軍、数に劣るマントヴァ軍。
双方一歩も譲らぬ戦いは拮抗状態を生み出している。
それを打破せんとする戦の意思といったものが働いたものか、円卓の中では大将同士の一騎打ちが行われていた。
ゆるゆると回りながら在るか無きかという互いの隙を探る。
じりじりと精神だけが削られる時間がただ過ぎ去っていた。

(やばいな……)

ガッタメラータの胸中には焦りが生まれ始めていた。
左腕に負った傷が重荷となっている。
浅いと断じ無視できる程の軽症ではない。
今この瞬間にも血は流れ体力を奪っている。
時はガッタメラータの敵であった。
ゴンザーガは両手で大段平をまるで誇示するかのごとく大上段に構え、こちらの動きを伺っている。
風車のように振り回されるのも厄介であったが、そうやって泰然と待たれるのも気持ちのよいものではない。
ただでさえ大柄なゴンザーガがそうして構えると威圧感が倍増され、まるで首切りの処刑人の前に立たされているような心地になってくるのだ。
飛び込みたい。
長剣を持つガッタメラータの方が速さは上である。
飛び込み、小回りを活かして立ち回れば勝機は見えてくる……筈だ。
それをさせないのはゴンザーガの駆け引きの巧さと全身から発する剣気故である。

(思う壺ってか。さすがは歴戦の強者。いちいち卒がない)

猛将と呼ばれるように、本来ゴンザーガは烈火の如き攻めを得意としている。
伝え聞く戦姿も荒々しい悪鬼といった勇猛さや強壮振りの誇張されたものだ。
しかし、今目の前にいるゴンザーガはどうであろうか。
湖面を見るような静謐さすら感じる。
彼は何れガッタメラータが斬り込んで来ざる得なくなることを知っているのだ。
その瞬間をじっと待っている。

(面白くねぇ)

踊らされている。
そんな感覚が堪らなく不快であった。


「おぉ、どうした虎猫よ。やはり匹夫であったか」

「黙れよ、老夫。お喋りする奴は格下って相場は決まってるぜ」

「弱き犬ほどとも言うの」


瞬間、ガッタメラータは閃光と化した。
体幹は鉄芯の如く揺るぎなく、低い体勢を維持し突き進む。
断頭台はその無鉄砲な突撃を悠然と迎え撃った。


「人の悪い爺だぜ」

「お互い様だ。それと某は老爺と言われるような歳ではない」


剣戟は瞬き程の時間の中にあって異常な密度を見せた。
大段平を振り下ろすゴンザーガ。
それを寸での所で掠らせながらもガッタメラータは掻い潜り斬りつける。
だが、それすらもゴンザーガの手の内。
決死の突撃の果ては吸い込まれるように―ガッタメラータの動きをゴンザーガが読んでいた以上、あながち誇張とも言い切れない―突き出された小刀であった。
ゴンザーガは振りぬく同時に大段平を手放し、隠し持っていた小刀で以ってガッタメラータを仕留めんとしたのだ。
ガッタメラータが咄嗟に対処し得たのは奇跡的ですらあった。
甲高い音と共に両者は切結び、そのまま互いの命を得ることもなく離れたのだ。


(やはり……強い)


ガッタメラータは一度の斬り合いでゴンザーガの力量を正確に見て取った。
手負いの自分では勝てないことを。


「何の真似だ? 威嚇のつもりか」

「さてな……」


ガッタメラータはその腕を大きく振り回し始めた。
剣を右に、左に回転させる。
隙だらけなその姿は逆にゴンザーガを戸惑わせた。


「邪険ならば通じぬぞ」


腰をどっしりと落とし、如何なる手妻をも迎え撃たんとする。
そんな敵手に対し、ガッタメラータは奇妙な薄笑いを浮かべていた。
ゴンザーガがそれと知っていれば気付いたであろう。
ガッタメラータの重心が戦うそれとは違うことに。
張り詰めた空気を貫いたのは鏃であった。
それと同時にガッタメラータは駆け出す。


「――貴様、正気か!? 戦の理を知らぬのか」


戦場に道徳はない。
欺きは美徳で殺人は推奨される行為である。
だが、かといってルールがないわけでもないのだ。
禁じ手、唾棄されるべき行為と呼ばれるものも確かに存在する。
ガッタメラータが行ったことはその一つであった。


「敵味方入り乱れる場に矢を打ち込むなど……。貴様、戦士としての誇りすら持たぬか!!」


眦を震わせ罵声を浴びせる猛将に対するガッタメラータの返答は無言であった。
しかし、指揮官に忠実に従う傭兵達の態度は何よりも雄弁にその信念を物語っていた。

―何を仰る御貴族様。命あっての物種ではありませんか。

名誉や誇りなど命の前には何の価値もないのだと。
いっそ見事なまでの逃げっぷりはそう言っているかのようだった。






ガッタメラータの隊はけたたましい音を立てながら戦場を離脱すると一転声を潜め、そのまま3キロ程駆け抜けた。
これだけ激しい音を立てたならば最早奇襲は成り立たない。
今頃モデナは何事かと大騒ぎになり厳戒態勢が布かれていることだろう。
そう考えたならば先の戦もあながち不幸とまでは言い切れまい。
肩に刺さった矢を抜き、左手の手当てをしながらガッタメラータはそう溜飲を下げた。
不測の事態が起こりボローニャに辿り着けなかった場合に備えて決めておいた野営地点には、散り散りに逃げた者達が次々と集まってくる。
皆疲労困憊といった顔付きだ。
今夜はボローニャまで進むことなくここで一夜を明かすこととなるだろう。
仕方の無いこととはいえ今は無性に温かいベットと食事が恋しく、先の敗北も相まってゴンザーガへの復讐心が募った。


「しかし大将、よかったんですかい? あんな策、いくら傭兵とはいえ悪辣の謗りは免れませんぜ」

「んじゃあ、お前死にたかったんか?」

「いや、まさか。ただ大将も評判ってもんがあるんじゃねぇかと思ったまでで……」


男はそう言って照れ臭げに頭を掻いた。
柄にもないことを言ってしまった、そんな様子だ。
最初期からの部下の一人の気遣いである。
無碍にも出来ず、ガッタメラータは素直に礼を言った。


「けど、生き残るために仕方なかったのも事実さ。
 ゴンザーガ、あいつは化け物だ。
 伊達に何度も国王陛下と遣り合ってねぇのさ。モルトの爺さんとならどうかってレベルだ。
 疲労に手負い、そんな状態でどうこう出来るような相手じゃねぇ。
 なら逃げるしかあるめぇよ。
 それにオレはどこまでも傭兵さ。
 幸い金ならたんまり貰ってるし、いざとなったらシャルルに頼み込んで剣術指南でも何でもするさ」


わざと皮肉気に笑ってみせる。
しかし、その内心はずっと過激だ。
この恥辱は必ず雪ぐ。
背の矢傷がその誓いの証だった。













疲弊しきった。
目に見えてそうと分かる様子でやって来たガッタメラータ達をボローニャは温かい食事と酒、そしてとびっきりの女達で迎え入れた。
生死のぎりぎりを潜るり抜けた者達には、そうした生きていることを実感できるものが何よりも必要である。
彼等は噛み締めるように、溺れるように宴を続けた。


「手痛くやられましたね」


シャルルは労いの言葉をかけた。
話を聞くだけでも彼等がいかに危機的状況にあったかが分かる。
少しでも運が悪ければ、ブルグントはガッタメラータという次代の英雄を失うところだったのだ。
一体どれほどの戦力喪失になるか。
心底ほっとした様子でシャルルは杯を傾けた。
無論、中身はジュースである。
広い会場の中で酒を飲んでいないのはシャルルだけであった。


「それで、損害はどれほどだったんですか?」

「あぁ~、ざっと1000ってとこだ。どいつもこいつも死に損なったらしく死人の数自体は少なかったんだがな……。
 やっぱ無茶な行軍の最中だったのが痛かったな。
 まったく、この大切な時期に当分療養生活の野郎がかなり出るなんてな」


いよいよ天に見放されたか、そんな愚痴を叩きたくなるのも仕方ないだろう。
兵数を増やそうとボローニャに来てみれば逆に1000も減ってしまったのだ。
軽口を叩いているものの、その内容は深刻である。


「こちらから4500程は補充しましょう。残念ながらそれ以上となると厳しいですが」

「ぎりぎり10000か」

「6000出せればいいんですがね。これ以上は都市の防衛が機能しなくなってしまいますから」


一大城砦都市であるボローニャであれば、寡兵で大軍を相手取ることも不可能ではない。
しかし、その防衛能力を十全に発揮するには一定数以上の人員が不可欠であった。
ボローニャは中部イタリア及び東方諸国に対し睨みを利かせる前線都市でもある。
決戦という名分があろうと必要以上に兵を割くことは絶対に出来なかった。


「まぁ、10000いっただけでも御の字さ。最初は6000だったんだ。それに……」


陽気に笑ったガッタメラータは拳を握り締め、鋭い目付きで呟いた。


「勝敗は指揮官の首に集約するんだからよ」


己が死ぬか、ゴンザーガを殺すか。
結局、戦を決するのはそれなのだと。
ガッタメラータの言葉には並々ならぬ決意、そして薄っすらと歓びが込められていた。


「なんだ、やられたって聞いて来てみればやけに嬉しそうにしてるじゃねぇか」

「爺さん」


モルト老はにやにやと笑みを浮かべていた。


「手酷くやられたんじゃなかったのか?」


ガッタメラータは分かってるんだろうとばかりに応えない。
不思議そうにしているのはシャルルばかりである。


「嬉しそう……ですか?」


言われてみれば確かにガッタメラータからは喜色を感じる。
それも宴によって気を紛らわそうとという逃避ではない。
戦意に裏打ちされたものだ。


「まぁ、シャルルには分からねぇかもな。ひょっとすると一生理解出来ないかもしれねぇ」


武人ではないから。
文人肌である者には共感出来まい。
戦に身を捧げた者の狂気。それは生命の本能を容易く駆逐する。


「相手が憎らしく、愛おしい。殺したい。だが、存在していることに感謝もしている。キスしてぇ程に……そうだろ?」

「ゴンザーガはそう思ってないかもしれませんがね。オレの逃げ方が大層気に入らなかったようでしたし」

「なに、却って自分と真逆の手合いとの戦いの方が興が乗るもんだ」


楽しかったんだろう。
モルト老その言葉にガッタメラータは薄く笑うことで答えた。
曖昧な返事、だが表情が肯定を示している。


「理解できないということは私がまだ幼い、ということなんでしょうか」


シャルルは武人の気持ちに全く共感できない。
名誉も、金も、全ては命あってのことではないか。
勿論、名誉をなくした貴族は死人も同じ。である以上、命よりも名誉を尊ばんとする気概も分かる。
ときにはそれを守るため道理に合わぬ行動を取ることもあろう。
だが、それと無用の危険にわざわざ飛び込んでいくのとは違う。
明らかに彼等は己の命を脅かす存在を歓迎していた。
シャルルからすれば狂人の沙汰である。
理解できないのは幼いからだと言ったのは、同じ弟子としての悔しさのようなものからであった。
それでも漠然と感じている。
きっとその武人の気持ちは本能的なもので、備わっていない自分には理解しようとするだけ無駄なのだろうと。


「いやぁ、御前はむしろ分からなくていいことさ。大将が戦闘狂じゃ洒落にならねぇからな」


モルト老はシャルルの感傷を切って捨てた。


「御前の曾爺さんのジャン2世はオレ達側だった。自ら先頭を切って、どの騎士よりも前線で突撃してそれが誇りというような王だった。
 勇敢で、勇壮で、強健だった。王だったが、その前に一廉の武人であったさ。
 だが、戦争には弱かった。
 大将なのに突撃して、結果として捕虜になってフランスは大幅に後退した」
   

モルト老は虚空を眺めている。どこか遠くを見ているようであった。
過ぎ去りし過去を懐かしんでいる、そんな風情だ。


「御前の爺さんのことは知っているな?」

「賢明王。その名は繰り返し聞かされています」

「そうだ。イングランドを打ちのめし、フランスの国土を取り返した偉大な王だった。
 戦に勝つこと幾十回。彼の王は苦境から発しながら敵を尽く滅ぼした」


シャルル5世。
今のフランスにおいてその名は絶対、過ぎ去りし栄光の時と同意だ。
戦に負ける程に、あるいは貧苦に喘ぐ度に民は彼の王の名を唱え過去を懐かしむ。
賢明王。彼は死してなおフランスの柱石としてあった。


「だが、その輝かしい戦歴の王は戦に出ることはなかった。少なくとも剣を取り自ら戦うことはなかった。
 毒を洩られた王は不具の身であられたからだ。
 そういったこともあって王は武を遠ざけられる方であった。書物を愛せられる物静かな方であったそうだ。
 それでも王は戦に勝ち、国を安んじられた」


武人の王と文人の王。
優劣は別として結果として優れたのは後者のシャルル5世であった。


「別にオレは文人の王がいいとは言っちゃいねぇ。
 書物にかまけるばかりで戦を厭う王は愚王だ。
 けどな、猪突な王もそれはそれで愚王だ。
 王は武人でなくてもいいのよ。
 ただ王であればいい。後ろにふんぞり返って指図すればいい。 
 武人の心を解せずとも、武人をそうと知って使いこなすことができればいい。
 御前は武人が大敵を前にすると血気に逸ると知ってればいいのさ」


モルト老はそう締め括ると莞爾と笑った。
そうしてシャルルに様々な武人の話とその扱い方を説いた。
長い経験から集積された手法の数々をシャルルは余すことなく受け取ったのだ。
そして、これがシャルルが受けるモルト老最後の授業であった。
シャルルとモルト老。
互いを両輪の如くして突き進んできた師弟の別れの時は近付いてきていた。













ガッタメラータは一週間程ボローニャに逗留、兵の増員と編成を経た後およそ10000の兵を率いて出発した。
目標は三都市連合の一つフェラーラ。
ボローニャからおよそ50km先に位置するエステ家の牙城である。
ゴンザーガはここを拠点とし奇襲を行ったであろう。
都市の位置、周辺の砦の有無、更に地形を鑑みてガッタメラータはそう判断した。
通常、攻め手は守り手に比べより多くの兵力、より強大な戦力を要する。
よく言って拮抗している程度でしかない現行の戦力で敵の懐まで攻め入る、それは愚策と言われる行為だ。
だが、敢えて征く。
そう話し出発したゴンザーガの背を見るようにシャルルは城壁から軍勢の行軍を眺め続けていた。
不安はあった。
如何に豪傑ガッタメラータといえど、敵もまた一代の豪傑ゴンザーガである。
思わぬ策が、頑強な抵抗が、彼等兵士達の行く手に待ち構えているだろう。
精兵揃いとはいえ何人が帰ってくるか。
感傷だけではなく怜悧な計算、戦後の戦力維持の観点からもシャルルの胸は痛んだ。


「陛下に通信を送れ。『将は出発。先はフェラーラ。決戦す』とな」


部下の復唱を聞きながら、シャルルはふと物思いにふけった。
自分の提案したこの腕木通信。
今では王国中に施設が作られ、他国を情報戦で圧倒する一助となっている。
先だってもそのことにちてガレアッツォからお褒めの言葉を貰った。
己のしていることが確実に国を強くし、そしてそのことを評価されている。
ガレアッツォ直々の賞賛はそれを強く実感されるものであった。


「稚けないガキがよくもここまでやれたものだ」


淡い笑みは自嘲半分、誇り半分。
多分に運に左右されつつもここまでやってこれたのだ。
少しくらい自分を誇らしく思ってもいいだろう。
この調子でいけば自分の目的、母の名誉回復の日も近い。


「しかし、オレが母のためとはいえ名誉一つに奔走するようになるとはな……」


そう考えると自分もやはりこの時代の価値観に染まったのだろうか。
環境は人を変える。
10年近く貴族の考えに晒され続ければ多少影響されるのも仕方ないのだろう。
そんなことを考えていると、通信兵が慌てた様子でやって来た。


「御報告します。ミラノへ通信送りましたが、未だもって返信がありません」

「何だと!?」

「恐らく何処かの施設で問題が発生したのではないかと」


従来に比べ恐るべき速度で情報を伝達できる腕木通信であるが、その分問題点も多い。
特にこのような故障というべき事態の際はそれが顕著に表れた。
人力による伝令の場合、対処法は改めて人を派遣するだけでよい。
使いにやった兵が山賊にでも襲われたか、あるいは怠けているか。
考えられる原因は数多あれど、対処法は一つしかないからだ。
しかし、腕木通信の場合は違う。
これに通信施設の破壊といったものが加わるのだ。
この場合の対処は極めて厄介であった。
何せ国内にある施設は優に100を超え、位置もその性質上広範囲に亘っている。
仮にボローニャ‐ミラノ間だけを確認するとしても、それ等全てに兵を差し向けなければならないのだ。
従来に比べれば手間は十倍以上である。
絶大な効果を有する反面、不便さも併せ持っている。
腕木通信も新技術の弊害という運命からは逃れ得なかった。


「すぐに兵を向かわせなければならないな」

「しかし、今国内には正体不明の軍勢が隠れております。少数の兵を迂闊に方々に放つわけにも」

「そうであったな……」


神出鬼没の軍。
その存在がここでも重石のように利いていた。
かき回されている。
歯噛みするしかない現状にシャルルは苛立ちを隠せなかった。


「一先ずミラノに伝令を飛ばす。
 我等は限界まで将軍に兵を供与した。余力がない以上、施設の確認は向こうにやってもらうしかあるまい」
 

いざ決戦を前に思わぬ厄介事が起きたものだ。
喜ばしい気持ちを消し飛ばされたシャルルは、新たな事態に対処すべく慌しく駆け出した。






後日、ボローニャに伝令を帯びた一人の騎士がやって来た。

『故障の原因は先日の雨による落雷である。施設は焼け落ちてしまい、再建に暫し時がかかる。それまではこのように人力で伝令することとする』

『また、シャルルは兵2000を連れてフェラーラ近郊の砦に出撃するように。遊軍として将軍を援護すべし』

騎士はフランチェスコに仕える身分正しい男であり、その内容に不自然な点がなかったことからシャルルはこれを承諾。
ボローニャの重要性からエンファント300城兵1000と少なめに兵を連れて砦に出発した。
更にガッタメラータの後方支援のため大量の物資を荷駄に積め運び込む。
その中には物資を枕に鼾をかくモルト老の姿もあった。






------後書き------
難産でした……。
一応書き上げたので投稿しますが、支離滅裂でないか心配であります……。
とりあえず流れは出来ているので次回はもう少し早く投稿したいです。
といってもリアル次第ではありますが。
取り敢えず、完結!これを目標に頑張りたいです。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしております。




[8422] 決戦は遥か
Name: サザエ◆d857c520 ID:eb17fe46
Date: 2010/08/28 19:43
その週はやけに暑かった。
数ヶ月にも及ぶ膠着は王国に徒に時だけを浪費させ、季節はいつしか秋に差し掛かろうかとしている。
時の歩みは残酷さすら感じさせる程に淡々と刻まれる。
兵士達はいつしか肌寒さを感じ始めた己に気付き、自然と外に出ることを控えるようになる。
そうして増え続ける給金に頬を綻ばせつつ、酒場に集まりその金を賭け事で増やしたり減らしたりする日々に興じていくのだ。
突然の猛暑が訪れたのは、そんな寒さが兵に怠惰を覚えさせつつなってから暫らくしてからだった。
ボローニャを出発したシャルルの遊撃隊が、前線から離れた比較的後方の砦へ入ったまさにその週。
長きに渡る戦は遂に大きく動き出したのである。



食糧と多数の消耗品を抱えたシャルルの役割は、名目上は遊撃とされているが実質的には後方支援といったものであった。
10000という兵数を動かす。
例え目標が目と鼻の先にあるフェラーラであったとしても、それは膨大なエネルギーを要する一大事だ。
シャルルの隊はそのエネルギーを支える云わば縁の下的な存在であった。
決して花形ではない。
手柄とも言えず、特別賞賛されるわけでもない。
しかし物資を司る者達の存在は、兵の士気ひいては戦の趨勢にすら影響を与える重要な戦力である。
再三言うように、人は物無くして戦をすることは適わないからだ。
そう、彼等は立派な役割を担っていた。
極めて重要であることが明白な仕事を任されていたのだ。
であるにも関わらず、


「ったく、何でこんな夜通しで警備しなきゃならねぇんだ」

「そう言うな。雇い主の、つまりは殿下の指示だ。それに従うのがオレ達の仕事さ。それに、突っ立ってるだけで金になる仕事なんてそうないぜ」

「だが、退屈だ」

「そりゃあ、もっともだがね。オレも退屈で死にそうさ。まぁ、給金は差し詰め我慢の駄賃ってわけだ」

「違いない」


兵達はだらけ切っていた。
飲酒の末に泥酔、という最悪の醜態こそ晒してはいないものの、差し入れが誰かからあったとしたら規律を忘れて喜んで飛びつくであろう想像が容易に為される程に。
その怠慢が誰の目にも明らかな程に彼等は気を抜いていた。
上役の監視が緩む夜警とはいえ、あまりにも目に余る様である。
現に今も外界に気を配ることなく内輪での会話に興じていた。
しかし彼等の気の緩み、その原因を指揮官であるシャルルの統率力の欠如にのみ求めるのは些か酷というものであろう。
そもそもからして、傭兵という人種は勤勉さから最も程遠い人種なのだ。
指揮官はそういった怠け者達をある時は金で釣り、ある時は恐怖で縛り、宥めすかし、尻をひっ叩いて使っていかねばならないのだ。
その手法は獣使いと似る。
少しでも気を抜けば油断し、果ては飼い主に牙を剥きかねない。
そして、野に放たれれば夜盗と化し人に襲い掛かる。
傭兵と獣には意外と類似する所が多い。
正味な話、今のシャルルにとって訓練を受けぬ云わば野性のままの傭兵という者達は些か手に余る存在であった。


「正直お手上げです。何とか出張ってもらうわけにはいきませんか」


ほとほと困り果てたシャルルは遂に最終手段に訴えることにした。
モルト老への懇願である。
しかし、タイミングが悪かった。
物資の整理、悪足掻きといっていい隊の再編と訓示といった作業を終わらせたシャルルが部屋へ訪れたとき、時刻は既に深夜を回り、モルト老は寝酒も済ましまさに横になろうとする瞬間であったのだ。
自然彼の機嫌は斜めになっていた。


「甘えるんじゃねぇ。これも経験だろ」

「そう言われましても……。自分で言うのも何ですが、見た目がこんなに可愛らしい我が身では嘗められるな、というのが無理な話ですよ」


シャルルは未だ二次性徴すら来ていない少年である。
この歳の貴族の子息といえば、普通お飾りで何も考えていない餓鬼なのだ。
鍛錬の成果もあって少女と間違われることこそなかったが、傭兵の手綱を握るには大いに迫力が欠けている。
獣に嘗められてはならないように、指揮官もまた嘗められてはならないのだ。


「何ならドレス着て涙ながらにお願いしてみりゃいいじゃねぇか。女に飢えた野郎共だ。喜んで言うことを聞くかもしれねぇぜ」

「それどころではなくなりそうなので御免被りますよ。不幸にも私にその手の趣味はないのでね」

「なら無駄な努力と悟ってさっさと諦めるんだな」


モルト老の返答には愛想の欠片もない。
シャルルはこれ以上の説得は無理だと悟らざるを得なかった。
モルト老はのらりくらりとかわし、憎まれ口しか叩いてくれない。
加えて機嫌もよろしくない。
こうなると梃子でも動かないことを彼は長年の付き合いから知っていた。


「練度の低い奴等を連れて来た以上、こうなることは予想済みだった筈だろ。」


更に加えられたモルト老の鋭い指摘にシャルルは口をまごつかせることしかできなくなる。
否定し難く、自分が泣き言を言っているという自覚もあった。
それを真っ向から突きつけられたシャルルの頬は薄っすらと赤くなっていた。
精兵と呼べる者はその殆どをガッタメラータに提供し、また残った数少ない者達も要衝ボローニャの守護に残さねばならない。
例えそれで自由に出来る精兵が手持ちのエンファントのみになろうとも、シャルルにはそうするしかなかった。
結果、連れて来た者達が使い物にならないであろうことは承知の上でこうして出兵したのだ。


「いつもいつもお利口な兵を率いれるわけじゃねぇ。大体傭兵って奴等は大抵が今この砦にいるような連中なんだ。
 怠け者で、ろくでなしで、旨い話って見れば後先も考えないで飛び付く。そんな馬鹿の集まりばかりだ。
 農民に奴等が恐れられるのは奴等がそんな手合いだからよ。まぁ、物事には必ず理由があるってことさ」


そう語るモルト老の言葉にはひどく実感が篭もっていた。
彼の人生はその手綱との戦いであったのだろう。
シャルルはこの時代の指揮官達が直面する問題に今初めて真正面から向き合ったのである。


「エンファントと一緒に教官の爺を何人か連れて来ただろう。
 オレに頼み込むくらいならあいつらを使えや。あの爺達は御前の部下なんだからよ」


そう言うとモルト老はごろりと横になりシャルルに背を向け、すぐに高鼾をかいて寝てしまった。
驚異的な寝付きのよさである。
しかし、そんな素っ気無い態度とは裏腹に何だかんだで助言をしている辺り、この老爺も見かけに反した心の持ち主であった。
相変わらず素直ではない師匠に苦笑いが零れる。
何はともあれ一定の方向性を示されたシャルルは、苦笑を真面目な顔に直すと一礼して出て行った。













「野戦に引きずり出す」


開口一番ガッタメラータは切り出した。
ゴンザーガとの決闘の傷も未だ癒えず、胸元を包帯で覆われた彼の姿は痛々しげですらある。
実際、傷口の熱はまだ引いておらず、時折視界が霞む様な虚脱感に襲われることもある。
しかし、体調を押してでも軍議を開かねばならないのは部下に弱みを見せられないという指揮官の宿命であった。
そして、その目的は戦意に溢れた彼の眼光によって見事に成功していた。
敗戦に近かった先の夜戦は侮りという悪影響で現出しかねなかったが、部下達の様子からはそういった負の感情は見受けられない。
皆等しくガッタメラータに畏怖し、彼の言葉を黙して待っていることが一目で分かる。
目線だけでそれを確認し、彼は密かに胸を撫で下ろした。
統率力。
カリスマとも言い換えられるそれは、生半なことで身に付けられるものではない。
天性のものを除き、ただ勝利を積み重ねることによってしか得られない。
それはそういった類のものなのだ。
この将の下でなら勝てる。
その確信 ―― あるいは信仰と言ってもいいかもしれない ―― が兵を平伏させ、縦横に用いることを可能とするのである。
今回の失態では、一先ず傭兵達の信頼は失われていないらしい。
それを確認出来ただけでも、ガッタメラータにとっては無理を押して軍議を開いた価値はあった。
ボローニャは出立したガッタメラータ率いる一軍は、フェラーラの喉下に突き付ける場所に位置するこの地域最大の砦へと入り、そこで兵の慰労と戦の詰めを行っていた。
フェラーラは古い都市である。
この時代の常識通り、都市を城壁で覆った都市国家であり、常に戦時体制にあるような城塞都市だ。
尤も、そのレベルはあくまで一般的な範疇でのもの。
ボローニャのように経済的に高度に発展しているわけでも、幾重にも張り巡らされた堅牢極まりない壁に囲まれているわけでもない。
もしフェラーラ単独であるならば、この大軍で一気呵成に攻めかかることで容易く陥落させることも出来る。
フェラーラという都市はその程度の障害に過ぎなかった。
実際、作戦立案当初のガッタメラータの脳裏にはその選択肢も存在した。
何といっても彼の都市は連合国の本拠一つである。奪取した後の利益は果てしなく大きい。
敵陣に大きな楔を打ち込めようし、体制の動揺も見込むことが出来るだろう。
狙う価値は十二分にある。
それでも敢えてガッタメラータは野戦を主張した。


「ゴンザーガはフェラーラに居るかもしれねぇし、居ないかもしれねぇ。まぁ、オレの考えでは居ない可能性の方が高いと思う。が、可能性は厭くまでも五分五分だ」


ニッコロ3世デステとゴンザーガ。
連合を組んでいるとはいえ、彼等は共に国を率いる者、押しも押されぬ一国家の長である。
その二人が同じ地で同じ戦に臨むとなったとき、互いに憚るものがないわけがない。
まして、デステは正式に支配権を認められた侯爵である。
僭主に過ぎないゴンザーガに比ぶればその身分が遥かに高い以上、どうしてもゴンザーガが一歩引かざるを得ない場面が出てくる。
例え事前に指揮権を委ねられていようともそれはそれ、これはこれ。
身分という絶対の壁は泰然と存在し、二人の間に横たわっているのだ。
如何にゴンザーガが戦上手と讃えられ、彼に全てを委ねた方がよいと分かっていようとも、デステは彼の本拠地フェラーラでその理屈通り動くわけにはいかない。
デステにも面子があるからだ。
ガッタメラータの読みには根拠があった。


「攻城戦には時間がかかる。もし手間取ってゴンザーガと城側から挟み撃ちにされたら、結果は……分かるだろ」


前後からの挟み撃ち。まして相手はゴンザーガ。
結果、待つのは確実な死である。
彼の猛将は完璧なタイミングで、完膚なきまでにこちらの息の根を止めにくるだろう。
居並ぶ隊長達はそのぞっとしない想像に首を竦めた。


「そして、もし仮にゴンザーガがフェラーラに居た場合だが……こっちはもっと最悪だ。
 奴に城を背に戦われたとすると、正直手持ちの倍以上の兵力がなけりゃ話にならねぇ。
 少なくともそれ位の差がなけりゃあ、オレは戦わない。怖くて仕様がないからな」


名将に城砦。
それは想像することすら躊躇われる先の事態をも遥かに超えた恐怖だ。
また、十分有り得る事態である。
デステが面子よりも実利を取った場合、つまり彼の決断一つで実現し得る未来なのだ。
そのような条件下でゴンザーガと戦うことは絶対に避けたい。
ガッタメラータの想定した最悪は衆目も一致するところであった。


「しかし、どうやって野戦に持ち込むんで?」


嫌な想像に冷たい空気が流れた始めたのを打ち消すように隊長の一人が声を発した。


「我等が考えることは敵も当然考える筈。まして時は敵方を利する。生半なことでは野戦に応じてこないでしょう」


男の問いに確かにその通りだ、とガッタメラータも頷いた。
その前提条件を成さずしてこの戦略は描けない。


「何か方策がおありで?」


確認するような声に、ガッタメラータは無言で地図を指し示すことで答えた。
皆の視線が答えを求めてそこに吸い寄せられる。
そして、そこに答えは示されていた。


「戦争っていうのは要するに陣地取りよ。幾つもの拠点があって、オレ達はその取り合いをしてるに過ぎねぇ。
 そして、その中にはどうしても取られてはならない場所ってもんが存在するのさ」


領土というのは結局の所点と点が繋がり合った集合体だ。
どんなに巨大な帝国であろうと、またいつの時代であろうともそれは変わらない不変の真理なのだ。
そして、それ等無数の点の中には必ず急所となる拠点が存在することも不変なのである。


「そこを落とす」


ガッタメラータは片頬を歪め淡々と宣言した。


「そして、その先に連合の弱みが出てくる。デステ候は真綿で首を絞められるような苦しみを想像し、焦ってゴンザーガをせっつく様になる。必ずな。」


断言するガッタメラータには根拠があった。
ポー川。
地図上に置かれた彼の手の下には、ロンバルディアを横断するその川の名があった。













文明は川と分かち難く結びついている。
その誕生から発展に至るまで、川は母のような存在として人を育んできたのである。
原初には土地を富ませることで農業を興隆させた。
そして、次第に人がその生活圏を広げ商業を営むようになると、その雄大な体で以って大量の荷駄を運び経済活動の血流となった。
この時代、水運とは経済を回す最重要素だったのだ。
港町であるヴェネツィアが貿易で栄えたように、川に隣接する都市の多くは川の経済的恩恵を大きな収入源としていた。
通行税や行き交う商人達の落とす金銭。
経済のパイプラインとしての役割に加えて、川にはこれ等の副次的な収入が付随している。
こういった何重もの恩恵に預かろうと人が集まり、都市を栄えさせる。
フェラーラもまたそういった街の一つであった。


「ポー川を押さえればフェラーラの首下を押さえたも同然だ。勝つためにはここを落とすしかねぇ」

「しかし、そう旨くいくか? 敵さんもそのことは重々承知だ。固めてるぜ」


苦言を呈する副官ウォランを一瞥したガッタメラータは獰猛な笑みを浮かべることでその疑問に答えた。
ウォランはガッタメラータがミラノで雇われる前から行動を共にしてきた男だ。
副官といっても数多の戦を一緒に乗り越えてきた戦友である。その関係性は上司と部下ではなく、あくまでも対等な仲間に近い。
ともすれば血気に逸りがちなガッタメラータにとって、何事にも警戒を怠らない、ともすれば慎重過ぎるほどに慎重なウォランという男は己の欠点を埋めてくれる最良のパートナーだった。


「なら聞くがよ、御前目の前の砦と本丸のフェラーラそのものと、どっちと戦いてぇ?」

「……そりゃあ、こっちの砦さ。重要拠点とはいえ本拠地と比べれば流石に薄い。どっちを選ぶかってんなら間違いなくこっちだ」


得たりと頷く。
それこそガッタメラータの望んだ答えだった。


「要は選択の問題さ。あっちとこっち、比べてどちらがいいのかっていうな。
 フェラーラを攻めるよりも目の前にあるこの砦を落とした方が遥かに楽。どうだ、シンプルな答えだろう」


余りにも簡潔な理由に絶句するウォランを見て、ガッタメラータはにたにたとした笑みを更に深くする。
彼は戦いを前に気が昂ぶっていた。
それを落ち着かせるためにウォランとの会話に興じているのだ。


「まぁ、理由はこれだけじゃねぇさ。
 もしフェラーラにゴンザーガがいない場合、奴が守らされるのは間違いなくここだ。
 それも意外と少ない手勢でな。
 何たってオレ達がフェラーラまで攻めて来てるのは周知の事実で、ここら一帯に知れ渡っている。
 デステはいつあるか分からねぇ襲撃に備えて、自分の本拠地を固めなきゃならねぇ。
 となると、当然こっちに割ける兵数は限られてくる。
 恐らくそうだな、ゴンザーガがマントヴァから連れて来た兵と少しって所だろうさ。
 更にだ。オレは寡聞にもデステ候が剛毅果断な人物という風評は聞いたことがない。慎重な臆病者とは聞いたがね。
 臆病者の考えることはいつだって一緒だ。
 多くの者に守られたい。でないと安心出来ない。
 だからガッタメラータがこの砦にいるとしても大した兵力はないのさ」


ウォランはなるほど、と頷いた。
確かに理に適っている。
だが、一つ穴があった。


「ゴンザーガがいない場合はどうするんだ?」


その懸念をもガッタメラータは一蹴する。


「それなら話はもっと簡単だ。ゴンザーガが駆けつける前に一気に砦を落とせばいいんだからな」


ゴンザーガ以外の守将ならば恐れるに足らない。
詰らない茶々を入れてしまったと悟ったウォランは頭を掻いて指揮官に脱帽した。






砦に詰めた守備兵を斬り捨て、人の波を裂くように突き進む。
そして、ガッタメラータは一際華美な装束を身に纏った男を一太刀の下斬り殺した。
血飛沫を派手にあげ散った男を打ち捨て、周囲を見回すと部下達も自分と同じく敵を打ち倒していた。
振り返ってみれば一刻程しか経っていない。
砦にゴンザーガはいなかった。
目的を達しはしたが当てが外れた。
そんな結果になんだか肩透かしを食らったようで虚無感を覚える。
目深に被った兜を取り、隙間から入った血を手で拭うとがガッタメラータは大きく息を吐いた。


「随分旨くいったな」

「ウォランか」


振り返ると同じように全身を血で染めたウォランが居た。
目立った傷もなく、疲労も然程感じられない。
ウォランはガッタメラータの横に並ぶと遠くフェラーラを見据えながら呟いた。


「出来過ぎな戦だった」


確かに全てが旨く行き過ぎている気がした。
ゴンザーガもおらず、目算以上にあっさりと勝てた。被害も軽微。
最近の戦の中では最上の出来と言える。


「だからこそ、怖い。妙な薄ら寒さを感じる」


ウォランの懸念はガッタメラータも感じていた。
良い事が続くと不安になる。
成功を自らの策の結果に過ぎないと断じ斬り捨てられる者もいるだろう。
あるいは歴史に名を馳せる英雄とはそういった常人から逸脱した感覚を備えた者なのかもしれない。
しかし、幸か不幸か二人は一般的感覚を有する者だった。
望外の幸運の後には不幸が待つように思えて仕方がないのだ。


「だが、わざわざここを取らせるか?」


懸念は理で以って打ち消すしかない。
ガッタメラータはこの砦の戦略的価値を考え、不安を否定する。
この砦の陥落。
それは単なる一拠点の陥落では終わらない。
フェラーラでポー川に関わる商人全てが悲鳴を上げ、そして彼等に関わる者全てが顔を青褪めさせることだろう。
彼等はデステ候を急かし、その不手際を詰るに違いない。
候の威信は間違いなく大いに傷付けられる。
経済の停滞と名誉。策のためと割り切れる程安い犠牲ではない。


「オレ達は敵の喉下に噛み付いたんだ。見事に、手傷一つ負わずに。それが一先ずの事実……だろう?」

「まぁ、確かにその通りだ」

「なら、それを歓ぼうぜ。警戒は密にする。何かがあると思っておく。そうすれば対処も出来るさ」


先に不安から脱したガッタメラータはウォランをそう励ました。
肩を軽く叩き、兵の下へ向かおうと促す。


「皆に酒も振舞わなきゃな。勿論、羽目を外させるわけにはいかんが……」

「待て、ガッタメラータ」


視線を外したガッタメラータを引き止めたのは鋭いウォランの声であった。


「あれを見ろ」


フェラーラの方から土煙が見える。
遠目に見える旗印は見覚えのある物のようだった。


「ゴンザーガだ。野郎、来やがった」


猛るガッタメラータの声には隠しようもない歓喜、そして僅かな安堵が滲み出ていた。
あぁ、矢張り先の思考は杞憂だったのだ。
策は成功していて、けれど十全な結果ではなかった。すぐに敵が来た。
連戦だ。
疲労を抱えた状態での戦。状況は先だっての敗戦と符合し、いらぬ不安を喚起させる。
だが同時に、これぞ現実という思いがその不安を払拭した。
ゴンザーガの掌にいたわけではなかった。
その一事が担保されただけで、ガッタメラータの心境は大分違った。
自ずと気合が乗り、こちらに優位な点が見えてくる。繰り出す戦術が次々と浮かんだ。


「ウォラン、戦闘準備だ。軍を3つに分けて疲労順にローテーションを組め。
 ほぼ無傷の砦を最大限に活かして敵を引っ掻き回すぞ。
 それとシャルルに援軍要請だ。
 ボローニャから1500程度引っ張って来て後背を掻き回させろ。そうすりゃあ、戦況が大きく動く。
 そうなったら打って出て、予定通り野戦で決着だ」

「了解だ。猛将殿に借りを返すとしよう」

「あぁ。この腕と背中の矢傷の分たっぷりとな」


迫る兵は決して少なくない。
しかし、その事実が逆に敵の内情を伝えてくれている。
どれだけ本気で砦を奪還しようとしているかを教えてくれているのだ。


「やっと反撃の時間だぜ」


そう吼えたガッタメラータは心底楽しげに笑った。
獲物を待ち構える虎のように。
だが、舌なめずりをする彼は知らない。
今この瞬間、僅か数キロ先の地で一体何が起こっているのか。
戦の趨勢を決める決戦が、己の与り知らぬ他の地で行われようとしていることを、神ならぬ身のガッタメラータは知る由もなかったのだ。






------後書き------
時の流れは早いですね。書いては消し、書いては消し……としているうちにいつも間にかこんなに時間が経ってました。
相変わらず牛の如き進行ですが、もう少しでこの章も終わりです。
展開遅いよと御思いかもしれませんが、何卒御付き合い下さい。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしています。







[8422] 雛は歩き出す
Name: サザエ◆d857c520 ID:c8f315cc
Date: 2010/11/19 17:57
伝令を受け取ったシャルルはガッタメラータが取った危険な道に息を呑み、そしてそれに成功したという文面に安堵の息を吐いた。

我等ポー川を奪取せり。遊軍として敵後方を撹乱されたし。

上気した伝令兵の口上は、簡潔ながらその表情と声音で、ありありと戦場の様相を伝えてくる。
彼等がいかなる心境で賭けに出て、そしていかにして勝ったか。
目を閉じれば目蓋の裏に情景が絵として浮かぶようだった。

「伝令ご苦労。酒と馳走を用意してある。ゆっくり休んでくれ」

シャルルは意識して笑みを浮かべ、目の前の兵に任務の達成をはっきりと示してやった。
高揚して気付いていないが、彼の体は疲労によって蝕まれている。
彼がどれだけ急いで来たのか、それが伝令を命じたガッタメラータの様子もそのまま伝えていた。

「兵が食うものも取らず急ぐとは、ガッタメラータ殿は砦を落としたことで余程意気込んでいたようですね」

シャルルは背後を振り返って肩を竦めた。
そこにはモルト老が酒を飲んでいる。
伝令がやって来たちょうどその時、彼等は軍の統制を維持するための再編作業を終えたところだった。
退屈で緩慢、されど疎かにはできない重要な作業の終わりにやっと一息吐く。
嬉しい報告が入ったのは、そんな和やかなひと時の合間であった。

「ふん。野郎も獲物を前に目を血走らせるような歳ではあるまいに」

モルト老は不機嫌そうに憎まれ口を叩いた。
しかし、その口元はにやついている。
疲れを癒す酒は祝い酒に変わっていた。

「敵を手中に収めた興奮はそれ程に甘美ということでしょう。実際あれは麻薬的です。年齢を問わず夢中になる」

勝利の興奮。
その最も芳しい部分は敵を打ち負かす道筋が見えた正にその瞬間にある、とシャルルは考える。
苛烈な敵の攻め。
その闇の中に微かに光る道を見出し、そこを活路と賭け、踏破したその時。
人は霧の中を抜け出し無限に続く地平線を見るような爽快感と全能感を感じるのだ。
最早敵は己の掌で踊る人形にしか見えず、甘露な果実は目の前に横たわっている。
そして、その快感は敵が強大であればあるほど大きい。
今のガッタメラータの状態は、さながら何年も恋焦がれた女を遂に抱き締めた少年の心持であろう。

「ゴンザーガに拘り過ぎだ。負けず嫌いも大概にしろってんだ」

その感傷すらモルト老からすれば若さと言えるものであるが。
老獪さとはこうした戦に不要な感覚を削ぎ落として身に着くものなのだろうか。
しかし、その未熟さが勢いと裏表にあることもまた事実であった。
そうしたものを失ったモルト老には、ガッタメラータのそうした若さが微笑ましく映るのだろう。
毒舌にもいつもの切れがなかった。
シャルルは敢えてそれを指摘することなく、伝令の内容について言及した。
老人の張れていない意地をわざわざつくじる程彼は非情ではないのだ。

「しかし援軍の要請ですか。まぁ、元々私達の役割は後詰だったので本来の役割を果たせと言われているわけですが……少々困りましたね」

シャルルは頭を掻きつつ、作業の成果を手に取った。
今や紙切れとなってしまったものだ。
二人で膝を突き合わせ夜通し考えた。
それが屑紙と化したことには軽い落胆を覚えずにはいられない。

「後方で兵站を担当して戦に出ないつもりでいたからな。再編も砦に篭って士気を維持するためのものだ。ここ数時間捻った頭は無駄骨だったな」

モルト老は皮肉気に頬を吊り上げて見せた。
戦はガッタメラータ。今回シャルルは縁の下の役割で終える。
はっきりと示し合わせたわけではなかったが、それが彼らの暗黙の了解事項であったのだ。
シャルル達もそれを前提で動いてきたし、再編だって戦に出ず砦に篭るならばということでのものだ。
全てご破算である。
しかし、文句を言っても仕方がない。
状況は常に流動し、変化しているのだ。

「気落ちしても我等の労力も時間も返ってきませんよ。未来を見るとしましょう」

シャルルは溜息を一つこぼすことで胸に湧き上がった微かな暗い思念を追い払った。
時は金である。
今この瞬間もガッタメラータは奮戦し、彼等が敵後方を乱してくれるのを待っているのだ。

「遊軍の編成か。やっとの思いで終えたってのに、また机と睨めっこだな」

「とはいえ先程までの作業で兵士のことは大体頭に入っていますからね。あながち無駄骨といったわけでもありません」

「前向きで結構なことだ」

お褒めに預かりまして、と軽口を返しながらもシャルルの頭は高速で回転し、人員の入れ替えを行っていた。
遊軍の編成、その基本骨子は二通り考えられる。
即ち、数か質か。
たとえ練度に劣っていても多数の傭兵を援軍として送り、その数で以ってガッタメラータを支援する。
あるいはエンファントを中核とした最精鋭を投入し、より効率的、効果的な支援を行う。
何れも長所、短所があり甲乙つけ難い。

「ガッタメラータは決戦に臨んでいる」

思考の渦に囚われたシャルルにモルト老が言葉を投げかけた。
彼は、自分も何度か経験したことだがと前置きし、

「綱渡りのような策。普通ならやらねぇような賭けを実行しなきゃならない時ってのがある。
 大抵は相手が奮い立つような猛者でな。
 まともにやりあったら徒に兵を損耗するのが目に見えている。
 そんなときだ。ハイリスク・ハイリターンな賭けに出る。御前の好きな東洋風に言えば、虎穴に入るのさ」

とガッタメラータの心理を解説してみせる。
そして、恐ろしく真剣な表情でこう続けた。

「それは必勝を期した策だ。背水の心持ちで行う策だ」

だから、援軍を頼まれた自分達はその思いを汲んでやらなくてはならない。
身内可愛さの心情だけでなく実利的にも。
今ガッタメラータは敵陣に踏み込み暴れ回る単騎だ。
その勢い凄まじく幾人もの将を討ち取っている。
彼はそんな状況にいる。
だが、所詮は一人の将。
その武威が如何に凄絶であろうと待ち受ける運命は一つ、取り囲まれての死だけなのだ。

「ならば行かねばならない、でしょう?」
 
モルト老の言葉にシャルルも意を決した。

「最精鋭を投入しましょう」

そして自らも赴く。
それが彼の出した答えだった。
ガッタメラータの求めに応じずして、同志と言えようか。
彼が求めるは精兵であろうし、彼の要求する後方の撹乱は優秀な指揮官と兵士でなくては成せない。
そのためにモルト老とエンファントを迷わず投ずる。
そして更に、兵の士気を上げるため大将自身が―シャルルが出撃する。

「ゴンザーガに勝つためにはそれ位しなければなりますまい」

ロンバルディアに鳴り響く英傑の首を手に入れるには全精力を傾けねばならない。
可能な限り全ての力を。
しかし、それは同時に砦を手薄にするということも意味する。
兵糧や物資を運び込んだこの砦は後方の要。決して落とされてはならない場所だ。
だからこそシャルルは、モルト老を始めとした貴重な歴戦の傭兵達をエンファントの監督官という形で連れて来ているのである。
本末転倒。
シャルルの決断はそういった非難を招きかねないものだ。
だが、モルト老は頭ごなしに反対しなかった。
大将が寡兵で戦場に出る愚。
彼が何度も繰り返してきたその教えに真っ向から反していても。
モルト老はシャルルの焦りを知っていた。
ガッタメラータに応えるためだけではない、とシャルルは続けた。

「私は順調に功を重ねています」

砦からフェラーラ、更に向こうのポー川を睨み据えてシャルルは独白した。
自身の心と、そして常に傍らにあるモルト老に語りかけながら。

「血筋とあなたの人脈、そして教皇派の力。ボローニャとアウグスブルクという二つの拠点。ブルグント王国内で一定の勢力を築いている」

「そうだな。ジョヴァンニに並ぶ後継者候補だ」

「えぇ。並ぶ候補です。しかし、言い換えればそれは並ぶ候補でしかない」

シャルルの口元から鈍い音が漏れた。
強く食い縛った歯が心の軋みを音として表した。
人は彼を順風であると評すだろう。
だが、彼の目標にはまだ足らない。
最初は母のためにモルト老と二人で歩み出した道だった。
それにエンファンを加え、フリッツが静かに侍った。
いつしか彼の周囲には多くの者が集まり、彼に己の夢を託していた。
それは歯の根が震えそうな恐怖と歓喜だ。
大勢に担ぎ上げられる重圧と彼等に選ばれたのだという歓び。
既にシャルルは自らの我のみで駆け上がる立場にはない。
彼は彼に賭けた者達の王なのだから。
間近で全てを見届けてきたモルト老は、それを知っていた。

「ポーランド王国が噛んできたのは致命的だったな。奴等はジョヴァンニを強烈に後押しするぞ。二重の意味でな」

「一つは勿論自国の姫が嫁いだ婿を応援し、己が利益とするために」

「そうだ。そして、もう一つは強大な王の誕生の可能性を摘むため」

シャルルは二つの絶大な可能性を有している。
フランス王の継承権とブルグント王の継承権。
二王の地位を兼ねる王への階が彼には在った。
飽く迄も可能性に過ぎない。
だが、大王の種は弱々しくも確かに芽吹いているのである。
ポーランドにとってみれば強大過ぎる隣人は目障りでしかない。
まして手を結んだ者の敵対者であるならば、それは排除の対象である。
シャルルは今後の宮廷闘争で大国ポーランドの魔手が影に日向に伸びてくるであろうことを予期していた。
そして、自分にはまだそれを完全に跳ね除ける力がないことも知っていた。
こればかりはガレアッツォの庇護も期待できない。
彼は王として隣国との融和を重視するからだ。

「だから、ここは無理にでも手柄が欲しい。ジョヴァンニに一歩先んじる功が。私自身こそ次代の王と示す証が欲しいのです」

血筋による七光り。
何かを為す度に着いて回るその謗りを拭い去るのは実績しかない。
明確な勝利への貢献。
整えられたものではない純然たる勝利。
シャルルはそれを強烈に欲していた。

「ならば……行くかい?」

ちょっと散歩に行こうか、そんな調子でモルト老は尋ねた。
その声に激甚な意思と力を篭めて。

「言っとくがそれは王の在り方じゃねぇぜ。少なくとも御前が成れる、成るべき王の姿ではねぇ。
 どう足掻いたって御前はアレクサンダーにはなれっこねぇんだ。
 御前には神の領域に至る哲人の才はない」

アレクサンダーは全てを持っていた。
武人としての卓越した力。
天に愛されし万学の祖をも唸らせる頭脳。
彼の大王はただの一人で時代を切り拓いた偉人であった。

「御前は前線に出張って皆の先頭に立つ王じゃない。
 ガレアッツォのように後方にあって、その地を動くことなく全てを俯瞰し、人を用いて事を成す王だ」

それは覆せない事実。
人の在り方という天の課した非常な現実であった。

「人は己の在り方を超えた領分を為すことは出来ない。
 相応ってもんがある。
 それを超えた者は転ぶ。どこかで躓いて高転びに転げ落ちちまう。それでも御前はそれを望むのか?」

モルト老は問うている。
王を目指す者が命を賭して功を求めるのかと。
その成否を、そして今がその場面であるのかと。
それにシャルルは、

「それでも私は……功が欲しい。確実に王の座を手にするために、ブルグント王になるために、功が欲しい」

そう答えた。
師弟の間に沈黙が横たわり、時がシャルルを御前の答えは正しいのかと攻めやいでも、なお目を逸らすことなく彼はモルト老を真っ直ぐ見詰め続けた。

「……そうか」
 
モルト老は弟子の出した答えを反芻するようにそうか、そうかと繰り返した。
その様子から彼がどんな感情を抱いたのか、弟子の示した道に何を思ったのかは窺い知れない。
ただ彼は莞爾と、

「そうか!」

と笑ってみせた。ならば、オレのやることは一つだと。

「なら、オレが引き上げてやるさ。オレが御前をアレキサンダーにしてやる。
 どうしようもなくひよっこな御前を引き上げてやる。
 それがオレの、大人の役目ってやつだからな」


そして、それが臣下の役目だ。
その言葉は表に出されることなくモルト老の心の中で呟かれた。

「さぁ、行こうぜ。トラ猫が首を長くしてお待ちかねだ」

そうしてシャルルは出発した。
自身は手持ちのエンファント300と砦の傭兵200を率いて先行。
斥候を方々に放ちつつ前線の砦に移り、後方撹乱の準備に取り掛かる。
モルト老はボローニャ兵の到着を待ち、留守役への指示及び指揮系統その他の処理を行った。
拙速を優先した二人は分担して作業する道を取ったのだ。






歴史には幾つもの分岐点が存在する。
もしこの時雨が降らなければ。もし彼が裏切ることがなかったならば。もし彼が事故に合わなければ。夭折しなければ。
後世の者達はそうした可能性をいくつも思い描き空想する。
そんなifの世界。
しかし、天運は人に一つの道を課す。
歴史にifはないのだ。
もし、この時二人が別れなければ。
そんな世界は存在しないのである。






何気ない出来事だと思っていた。
傭兵は気が荒い。
喧嘩など日常茶飯事だ。
だから、前方の喧騒もそんな些細な諍いであろう。
そう思ったシャルルは、傍らを進んでいた者に様子を窺い場合によっては鎮めてくるように命じた。
彼の頭は行き先の地形とそこを利用した戦術の確認で一杯になっていて、そのような些事に囚われる隙間はなかったのである。
この騒動もすぐに収まるだろう。
そうすれば改めてじっくり思考することが出来る。
彼はそう思っていた。
しかし、シャルルの意に反して喧騒はますます広がっていく。
シャルルがそれに眉を顰め始めた頃には、騒音は恐慌の叫びに変わりつつあった。

「何が起きている」

苛立たしげに周囲に問いかけるも答えられる者はいない。
改めて誰かを、今度は十数人向かわせようと思ったその時、後方で身も凍るような叫びがあがった。

「敵だ!!」

慌てて振り向いた先に土煙が見える。
今まで自分達が通ってきた道。
木々によって狭められた視界の向こう側から敵は近づいていた。
シャルルの脳裏に死の幻影がよぎり、一つの存在を浮かび上がらせた。
神出鬼没の軍。
現れては消え、王国軍を手玉に取った存在。
決戦の遠因となった者達。
全くの勘で、シャルルは敵の正体に検討を付けた。
今この状況で襲い掛かる者には、それしか心当たりがなかった。

「斥候は何をやっていた!?」

そう叫んだ後で、シャルルは自分が愚かなことを言ったと気付いた。
王国軍を数か月に渡って掻き回した手練れである。
消されたに決まっていた。

「……」

シャルルは無言で目を閉じた。
大将は取り乱してはならない。
窮地にある時ほど予想の範囲だと虚勢を張って笑わなくてはならない。
モルト老の言葉が頭を駆け巡り、シャルルの動転する気持ちを沈めていった。

「前方の敵は恐らく少数だ。
 もし襲い掛かったのが大軍なら、最初の騒ぎがあんなに小さい筈がない。
 不意を突かれたか、あるいは傭兵の中にあらかじめ潜ませていたのかしたのだろう。
 イーヴ。
 御前が行って、そいつ等を討ち取って来い」

目を開いたときには不思議と心が凪いでいた。
穏やかな笑みが自然と浮かんでいる。
それに伴い周囲のエンファントも整然としていくのが感じられた。

「ロイは火矢を木に射掛けて混乱を誘え。
 味方にも被害が出かねんが、危急の事態だ。気にするな。
 砦までもう少しだ。
 凌ぎつつ後退し、モルト老の救援を待つ。
 彼が来るまでそれほど時はないし、不審な煙に気付けば急行してくれる筈だ」

希望的な観測だったが、それでもシャルルは自信に満ちた素振りで言い切ることが出来た。
小さな体躯を伸ばして、少しでも堂々と見せようとする。
兵を生かすも殺すも自分次第。
そんな思いが自然とそうさせていた。

「我が近衛兵よ。日頃の訓練の成果を見せよ!
 この戦を切り抜ければ、我等を若輩と侮る者は最早おらぬ。精強なる勇者よ。その姿を私に見せよ!!」
  
シャルルは腰に穿いた飾り物の剣を掲げ、声を枯らせんばかりに叫んだ。

「天の加護は我等にあり」

例えその主張に根拠がなくとも、そう言い張って兵を鼓舞するのが戦えぬ大将の唯一の務めであった。






今ほど幼い我が身を呪ったことはない。
シャルルは身を焦がす悔しさに焼かれていた。
噛み締めた唇から薄っすらと血が滲む。
一分が一時間にも感じられるのは恐怖からか、命を散らせと命じ続ける罪悪感からか。
死にゆく兵を思い凍える身に、燃え盛る火の熱気だけが生の実感として感じられた。

「怯むな。敵は弱兵。真っ向から戦えば我等が負けることはない」

嘘だ。
遠目に見える敵兵は舌を巻くような勇壮さを見せている。
火中にあって小揺るぎもしない様は、一人一人から戦い慣れた戦士の風格を感じさせた。

「数はこちらが多い。複数で掛かって確実に討て」

嘘だ。
次から次へと集まってくる敵は無限にすら思えるほどで、絶望感を否が応にも煽り立てる。
一体敵軍はいか程なのか。
そんなことすら知らないのにこちらが多勢など何故言えようか。

「もうじきイーヴが敵を掃討し終わる。後方は気にせずともよい。ただ目の前の敵を倒すことに専心せよ」

嘘だ。
そのような報告はなく、シャルル自身もじりじりとした焦燥感に身悶えている。
寡兵で乱す役を負う豪傑が相手となれば、あるいは逆にイーヴが殺される可能性すらあった。
それなのにし終わるなど。
大嘘もいいところだ。

「矢を射掛けよ。敵を怯ませるのだ」

嘘。嘘。嘘。
今やシャルルの言葉は全て根拠のない出任せで、発する彼自身信じてもいないことばかりであった。
一人で軍を指揮するのがこんなに辛いとは。
いつも傍らに誰かがいてくれた。
モルト老が。ガッタメラータが。ラングが。フリッツが。
自分より経験の豊富な誰かが常に支えてくれていた。
ある時は無言で。
ある時は叱咤しつつ。
有形無形の支援があった。
それが今はない。
それだけでこんなにもきつい。
情けなさで泣き崩れそうになる自分がどこかにいて、それを感じたシャルルはより一層の自己嫌悪を抱いた。

「火矢も射よ。矢勢を絶やすな。仲間を殺させるな」

仲間意識をも利用している。
精強なるスパルタ軍の強さはその連帯感にあった。
共に窯の飯を食いながら育った仲間。
周りの兵は全て掛替えのない友。
兵として生まれ、兵として育てられたエリート集団であることだけで彼等の強さは語れない。
友を殺させないという思いこそが、雲霞のような大軍ペルシャを押し止める原動力だった。

「友を守れ。傍らの友を守れ。後背の友を守れ」

シャルルはそれをエンファントに取り入れた。
その効果は今発揮されている。
ロイはその必中の矢で確実に敵の命を狩っていた。
酷使された手が傷付き血が吹き出ようとも構うことなく、必死の表情で援護し続けている。
ダンテスは大柄な体で先頭に立ち、敵の攻勢を凌いでいた。
どれだけの刃に晒されようと一歩も引くことなく、その背に続く味方の盾となって戦っている。
ミランの顔にも常の陽気さはなかった。
どこまでも真剣に、純粋に、仲間を助け戦っていた。
皆友のために。そして主のために。
その光景はシャルルに殉教者の清冽さすら思わせた。
誇りすら感じた。
そして、同時にいつしか人の感情すら冷徹に利用するようになった自分を発見し、対比するのだ。
醜い。
彼等を死地に追いやる自分をシャルルは嫌悪した。
それでも彼はそれを表に出すことは許されない。
シャルルは彼等の王だからだ。
王の重み。
シャルルはそれを今、痛い程に感じていた。

「伝令。イーヴ様が後背の敵全てを討ち取りました」

待ちに待った報告が来た。
それを聞くやすぐに声を張り上げる。

「イーヴが任を果たしたぞ。皆も励め」

士気が上がるのを感じた。
ここからはより難しい撤退戦に移行しなくてはならない。
敵の攻勢を逸らしつつ退く最も難しい戦である。
熟練の将ですら時にしくじる戦。
それに未熟極まりない自分が臨むのだ。
やらねばならない。
シャルルを信じ戦うエンファントを生かすためにも、彼等の主であるシャルルは失敗するわけにはいかなかった。

「砦へ退くぞ。皆に伝えよ」

シャルルは伝令に新たな任務を言い渡した。
敵にこちらの動きを知られるわけにはいかない以上、静かに命令を行き渡らせる必要があった。

「さぁ、あと少しだ。気合を入れよ」

今のシャルルはそう言うことで兵を慰撫するしかなかった。






辛うじて砦に辿り着いた彼等の有り様はひどいものだった。
誰もが傷を負い、何人もの仲間が倒れた。
シャルル自身も矢が幾つもかすめ、ひやりとする場面が何度もあった。
それでもエンファントは窮地を凌いだ。
砦の周りにはどこから集まったのか敵が続々と集まって来ている。
軍旗を掲げることもなく、しかし整然としたその様子には確かな軍規が見て取れた。
野盗の類などでは断じてない。
彼等は正体を知られたくない誰かが派遣した軍なのだ。

「モルト老はすぐ傍まで来ている。それまで何としても持ち堪えるぞ」

兵を叱咤する声に力が籠もる。
500いた兵は半分近くまで減っていたが、手持ちのエンファントの死傷は軽微の域で止まっている。
混乱で討たれた者の多くが傭兵であったことに、シャルルはそっと胸を撫で下ろした。
あとはモルト老さえ来てくれればよい。
それで万事がうまくいく。
そう考えれば予定外の被害も、この正体不明の軍を引きずり出すための贄のようにすら感じられた。

「敵を見定めておくか」

如何に正体を隠そうともどこかに綻びは出る。
肌の色。
声の訛り。
これ程の手練れを率いる者ならば、さぞ高名な将やもしれぬ。
得てしてそういった人物は強烈な個性を有していたりするもの。
そこから素性を察せるやもしれない。
シャルルは少しの時間をも無駄にするつもりはなかった。

「正体を隠すということは知られたくないからだ。
 知られたくないのは、知られると不味いから。
 これは思わぬ幸運を拾ったかもしれないな」

そうシャルルはひとりごちる。
撤退戦を機に、自分の中で何かが変わったのを感じていた。
それが何かは未だ掴めない。
死地を脱した高揚感が幻想を見せているに過ぎないのやもしれない。
だが、己の手で生を拾った実感だけは確かなものとして残っていた。



吸い寄せられるようにシャルルの視線はその男に定まった。
男はゆっくりと馬を歩かせ、砦を囲む兵の中へ分け入っていく。
しかし、溶け込みはしない。
その男の発する輝きが、彼を凡夫に埋没させることを許さないのだ。
明らかに場の中心となる人物。
男の周りだけ空気そのものが違うようだった。
まるで覇気が結界となって包んでいるような、そんな印象を受けた。
彼が将だ。
シャルルはそう断じ、男をじっくりと観察した。
日に焼けた赤銅色の肌は海の男特有のもので、それが数少ない手掛かりと言える。
周囲の兵を笑わせる挙動から、かなり陽気な人物であることが窺えた。
一目見れば忘れられないような強烈な男だ。
その姿に何処かモルト老と似通ったところを感じる。
容貌が似ているとか、雰囲気がそっくりであるということではない。
男はかなり年嵩であったが、それでも若い頃は浮名を流したであろうことが遠目にも見て取れたし、モルト老の皮肉気な斜に構えた感じも見受けられなかった。
だが、ただ一点。
この男は戦場でこそ輝くのだろうという点が、確信にまで至る確かさで感じられた。
戦場以外の場所に立つ男が想像できない。
日に焼けたその肌も、きっと闘艦の上で育まれたものだ。
貴族達の社交の場。漁師が汗を流す漁船。傭兵が騒ぐ酒場。
そのいずれに当てはめても男の姿がしっくりこない。
血風の中心。
そこに立つために生まれてきたような。
まさに血が香る男だった。
我知らずシャルルは身を乗り出していた。
もっと男を見たい。
そんな欲求が彼の体を支配していた。
砦の上から舐めるように男を見続ける。
モルト老に会った瞬間の感動が呼び起された。
ふと男が首を上向けると、目が合ったような気がした。
にやりと笑う。
見ている者まで陽気にするような笑顔。
だが、それを見たと瞬間シャルルの背筋には寒気が走り、彼は思いっ切り身を下がらせていた。
男に識られただけで斬りかかられたような錯覚をおこしていた。

「何者だ」

額には冷や汗が幾筋も流れている。
ガレアッツォやモルト老に抱いた畏怖を、こんな遠目からでも男は感じさせた。
数多の英傑に会い多少は胆力も付いた自惚れていたシャルルを男は視線だけで圧したのだ。
ゆっくりと額の汗をぬぐう。
シャルルの体には先ほどまでの力強さはなかった。
高揚は跡形もなく吹き飛び、モルト老の頼り気な影は心から消え去っていた。
代わりに寒々とした死神の幻影が居座っている。
酒を飲みたい。
かつて味わっていた何もかもを忘れさせてくれる存在が何故か無性に恋しかった。





------後書き------
本当にお久し振りです。幼年編最終章の前編です。
長い間更新を停止して申し訳ありませんでした。
自分で一通り読み返して粗が凄過ぎて、書き直そうかと悶々としたりして……。
そんなこんなで三ヵ月も経っていました。
それで改訂したわけでもなく……。
なんかダメダメな作家ではありますが、これからもお付き合い頂ければ幸いです。
それでは御意見、御批判、御感想をお待ちしています。





[8422] 騎士の道
Name: サザエ◆d857c520 ID:c8f315cc
Date: 2010/12/09 21:40
アドリア。
彼女はその穏やかさで以て全てを受け入れ、万人に富をもたらす。
その白亜の美はまばゆい太陽の下で輝き、あらゆる者を惹きつけてやまない。
ローマ、ヘブライ、アラブ。
誰もが彼女に魅せられ、己がものにせんと争った。
アドリア。
数多の益荒男を狂わせ、その腕に抱き沈めた魔性の女王。
されど彼女の心を捉えることは叶わない。
女王は何者にも屈せず、ただ君臨し続ける。
僅か一握りの、真の英雄を除いて。



男は砦を前に屹立していた。
鎧を着けてもいない。
散歩に行くような軽装である。
腰に手を当て、にやにやと人を喰ったような笑みを浮かべ、男は仁王立ちしていた。
砦側から見れば的と言ってもよいだろう。
射ってこい。
そう挑発しているかのような堂々たる態度である。
そして彼の部下もそれをよしとして見守っている。
そこからは絶対的な男の自信と部下からの信頼が窺えた。

「さて、オレは今から御前らを殺す」

男はその状態のまま砦に向けて語りかけた。

「先ほどの撤退、まずは見事。称えよう。よくぞ逃げ切った。
 オレの部下から逃げ切れる者はそういない。故に御前らはそれを誇っていい。よくやった」

大上段からの賞賛。
この上ない無礼にも関わらず、それが相応しい。
敵から褒められるという奇妙な状態にある砦側ですら静まり返っていた。
自分達から逃げ切れたそれだけで手柄である。
男がそれを確信しており、そのことを純粋に称えていることを誰もが感じていた。

「本来ならば武人の礼と名乗りをあげるところであるが、故あってそれは出来ぬ。
 そこで代わりと言ってはなんだが、この顔をよく覚えておくがいい。
 御前らを黄泉に送る者の顔だ。
 よく目に焼き付けておけ。
 そして、天にあるいは地獄に行ってから尋ねるがいい。
 自分を殺した者は誰なのか、これこれこういった顔の男だったのだが、とな。
 さすればその中にきっとオレが送った者がおる故オレの名も分かろう」

だから安心して死ぬがいい。
そう言った男の様子があまりにも大真面目であったため、シャルルは二の句を告げることが出来なかった。
怒りも半白も浮かんでこない。
戦う前から死に行くものへの手向けと礼を尽くしているのだ。
この上ない侮辱を前にシャルルは圧倒されていた。
男の強烈な自負心とそれを裏付けるような力が、説得力十分にその言葉が現実のものとなることを語っていた。

「もっとも、そこにいる傭兵の中にはオレのことを知っている奴もいるだろう。そういった手合いにオレの正体をばらされると不味いわけだが……」

男は一旦言葉を切ると、

「全員殺すから関係ないわけだ」

一人一人を睨み付けるように見回し凶笑を浮かべた男の背後で槍を持った兵士が賛同の鬨をあげる。
砦の石壁を揺らすようなそれは、シャルルの耳を通り心を凍えさせた。

「では、勇壮であった我が敵手よ。戦場でまた会おう」

男は気障な口調で言い放つと、さっと身を翻して兵に溶け込んだ。
シャルルが慌てて射掛けよ、と命ずる間もない。あっという間の撤退に言葉も出ない。
実に見事な奇襲であった。
時間にして僅か二、三分ほどであろうか。
男は一本の矢を射掛けることすらなく、言葉と、そして持ち前の存在感だけで守り手の心を揺さぶってきたのだ。
ようやっと冷えた頭で部下達を窺うと、ちらほらと顔色を悪くしている者が見えた。
士気を下げる。
戦における基本にして奥義である事柄をこうも容易く行ってしまう。
一個の人間の凄味というものに、敵ながらシャルルは舌を巻く思いすらしていた。

「奴は自分を知っている者がいるかもしれぬと言っていたな。この中に心当たりのある者はいるか?」

シャルルは年配の傭兵に向かって尋ねた。
その特殊性ゆえ戦闘能力は一端のエンファントであるが、構成員が若年である弊害か知識と経験が余りにも浅い。
それを補うために熟練の兵を連れて来たことはある意味で正解といえた。
シャルルの質問に答えたのは四十に差し掛かった浅黒い傭兵―サルロであった。
見ると一際暗い表情をしている。
シャルルは男が漁師町で育ち、かつては生粋の海の男として海戦で重宝されたことを知っていた。

「あれはカルロ・ゼンです。遠目からでもはっきり覚えてる。間違いねぇ……」

サルロは震えていた。
蒼白にまでなった顔。目はどこか虚ろで絶望に染まっている。
これはまずい。
咄嗟の判断でシャルルはサルロの口を遮らせた。
横に控えた者にさり気なく目配せをし、後から話を聞く旨を伝えさせる。
過去の恐怖で占められた思考から吐き出される誇張された巨像が伝わることで、兵に怯えが広がることを恐れたのだ。



カルロ・ゼン。
統領を輩出した名門ヴェネツィア貴族出身の男は、その血筋にも関わらず生粋の戦士として名を馳せたヴェネツィアの英雄である。
元々は陸戦の指揮官でありながら、海戦を瞬く間に極めてしまった戦の天才。
綺羅星の如く輝く彼の戦績を語り尽くすには夜を徹する必要があるだろう。
だが、その偉大さを表すなら一言で事足りる。
ジェノヴァを降した男。
今でこそ衰退し、一時はミラノ領ともなったジェノヴァであるが、かつては黒海貿易の富を独占した海の覇者であった。
ヴェネツィアやピサといった敵をその富と軍事力で制し、東ローマ帝国を策謀で以て陥れ、帝国内での自由貿易権を独占した。
ある時点まで、海の王座は確実にジェノヴァの掌中にあったのだ。
カルロ・ゼンが彼等を打ち負かすまでは。
一人の英雄を殊更持ち上げ、あたかもその人物のみが歴史を動かしたかのように語るのは、ロマンチシズムに偏った見方ではある。
しかし、ことカルロ・ゼンに関していえば例外であった。
彼無くしてヴェネツィア国難の打開は為しえなかった。
まして、圧倒的不利な状況からジェノヴァを降伏へ追い込むなどという偉業はあり得なかったのだ。
英雄。
まさにその一語で評される人物こそカルロ・ゼンだった。

「あれはオレがまだ傭兵になりたての若い時分でした」

シャルルと共に奥部屋に入ったサルロは、差し出された酒を一息で煽ると静かに語りだした。

「知っての通り傭兵はあちこちの勢力を転々と渡り歩きます。あの頃オレはヴェネツィアに雇われていました」

当時のヴェネツィアは周囲を敵に囲まれ、四面楚歌というに相応しい苦境にあった。
港はジェノヴァ海軍が封鎖し、都市や拠点も次々と陥落していく。
敗戦の末の滅亡。
暗い未来がすぐそこまで迫っていた。

「若さゆえの向う見ずさというか、英雄願望というか……。
 その頃の自分はそんな不利なヴェネツィアにわざわざ雇われたんでさ。
 何といっても負け戦ってのはのし上がるチャンスですし。
 死ぬかもしれん、などと考えもせず、出世の好機と飛び付いたわけで」

そこにあの男は、カルロ・ゼンはいた。

「カルロって男の第一印象はそんな大それたものじゃなかったです。
 年もロートルの域にまで達してましたし……。
 ただ偉ぶった所のない気さくな大将だな、という感じで。
 もちろん実力は随一でしたが、当時のオレは何せ若かったから、すぐに追いついてやるさと気勢をあげていました」 

サルロは過ぎ去った青春を思い起こすように目を閉じた。
先ほどまでの恐慌は既に治まり、シャルルの前に泰然とした様子で座していた。

「何よりその頃のヴェネツィアにはベットール・ピサーニという稀代の海将がいまして……カルロ・ゼンの印象は自分の中でその影に埋もれていたんでさ。
 元々が陸の男ということもあって、海の戦ならオレの方がって思いもありましたし……」

だが、戦が始まるとその印象はがらっと変わった。変えさせられた。
魔法のように、とサルロは表した

「悪魔に騙かされたような気分でしたよ。味方の自分ですらね。
 次々と奇襲を決めて、ジェノヴァの海軍を引っ掻き回して。絶妙な支援でしたよ。
 神出鬼没という言葉通りの働きで敵を完全に翻弄してました。
 どうしたらあんな風にやれるのか……。
 ベットールの勝利の大部分はあの男の影働きの貢献が大きかった」

結局カルロは戦死したベットールの後を即座に引き継ぎ、総大将としてジェノヴァを正攻法で降してしまった。
まるで筋書きのある英雄劇のような。
そんな獅子奮迅の活躍で以て、カルロ・ゼンはアドリア海に君臨したのだ。
 
「戦が終わったとき、オレの心は完全に折られてました。
 奴に心酔するにはオレの自尊心は高過ぎて、かといっていつか追い越すと虚勢を張るには差が大き過ぎた。
 オレにできることは給金を握り締めて、カルロが持て囃されているヴェネツィアから逃げるように立ち去るだけでした」

サルロは凪いだ水面のような穏やかな表情をしていた。

「この戦は終わりです。カルロ・ゼンに勝てる奴はいやしない。
 高齢になったカルロ・ゼンがまだ死なずに戦場まで出張ってきた。
 その時点でオレ達の運命は決まってしまったんです」

それは死を受け入れた諦観。
サルロは恐怖を克服したのではなかった。
ただそれが余りに深すぎて、抗うこともせずに受け入れてしまったのだ。
ありがとう、とシャルルは一言残して立ち去った。
戦う前に敗残者となった男とこれ以上同じ部屋を共有することが耐えられなかった。

「それでも私は生き抜いてみせる」

自身に言い聞かせるように呟いた言葉は、冷たい廊下に陰々と響いて消えた。
モルト老。
彼が援軍に来さえすれば、その超絶な武威で以て道は拓ける。
シャルルにはまだ希望があった。
彼にとってモルト老という絶対者の影は伝聞の英雄より遥かに大きかった。






正体不明であった、今やヴェネツィア軍と判明した集団は、砦の前方をぐるりと囲むように布陣していた。
粗末な簡易砦である。
石壁が然程高いわけでもなく、またその厚さも大したものではない。
それでも防御陣地に変わりはなく、カルロ・ゼンは通常の攻城戦同様に水も漏らさぬといった緻密な配置を施した。
これは敵への警戒というよりも、どちらかといえば示威行為に近い。
誰一人逃さぬ、という決意を示して威圧しているのだ。
カルロは傭兵から圧倒的な支持がある。
ジェノヴァを降した英雄として、生きながらに半ば伝説の存在にまで昇華した男だ。
その圧倒的な実績は人を平伏させるに足る破格なものである。
しかし、彼はその以前から不思議な人望のある男であった。
人たらしというわけではないが、人を惹きつけて離さない魅力があるのだ。
現にジェノヴァはカルロによってヴェネツィア外人傭兵部隊の引き抜きに失敗させられている。
カルロはそれ程傭兵に慕われる男だった。
戦の前となるとカルロは陣地を周り、一人一人の傭兵の様子を見て歩く。
それは一個の人間同士として兵と向き合う行為であった。
そういったある種の気安さと誠実さが傭兵達から絶大な支持を受ける理由の一つなのだろう。
カルロはこの日もそうやって兵の間を練り歩いていた。
この日、カルロは上機嫌であった。
元来陽気な気質の男である。
たとえ戦場にいようと冗談を絶やしたことのないような、そんな人間であるが、この日はいつにもまして足取りが軽い。
先ほどの演説を終えてからひっきりなしに道行く部下の肩を小突いたり、荒っぽく叩いて笑いかけたりしている。
その様子は近年でも滅多に見られないものであった。
えらく機嫌がいいですね、との声にカルロは振り向くと満面の笑みを湛えて、応と答えた。

「おぉ兄弟、そりゃあ当然ってもんだ。久々に思いっ切り暴れられるんだぜ」

そう言うとカルロは猛りを抑えきれぬとばかりに逞しい腕を振り回した。
巨木のような彼の腕は老境の衰えを欠片たりとも感じさせず、力強さに満ちている。

「この所あっちでこそこそ、そっちでこそこそと欲求不満の溜まる仕事ばかりさせられてたからな……」

カルロは物憂げな調子でおどけてみせる。
ここ数か月というもの、討っては退き敵軍との接触を避けるといった戦いばかり行ってきた。
必要とあらばそういった影働きもカルロは十二分にこなす。
だが、その気質として好むのは堂々たるぶつかり合いであり、こそこそと背後を窺うようなことは全く性に合っていない。
ただただストレスの溜まる仕事を強いられてきたのだ。
それに比べて、今は水を得た魚の心地である。

「待ちに待った真っ向からのぶつかり合いだ。楽しむなって方が無茶ってもんよ。
 まぁ、敵は若年ばかりとちと青臭さはあるが、その分いきの良さは一級品だ。今から震えが止まらん」

そう言って笑うカルロに周囲の兵も苦笑を浮かべる。
もう六十をゆうに過ぎているというのに、カルロは枯れるというところがない。
戦に関しても、女に関しても彼は全盛期の頃と何ら変わることなくこなす。
意気軒昂過ぎる。
カルロ・ゼンはそんな老人であった。
衰えを知らぬ。武威も魅力も変わらず維持し続けている。
そんな彼だからこそ、此度の策も為しえたと言えよう。
彼の軍が神出鬼没に荒らし回れたのには勿論種がある。  
何のことはない。
傭兵達に集結地点だけを伝え、少人数に分かれて移動、集結して奇襲、再度分かれて移動、という作業を繰り返しただけなのだ。
軍ではない少数団ならば見咎められることもない。
都市間の往来は自由。加えて森や林といった人目に付かぬルートも存在する。
それらを駆使すれば密かに軍勢を移動させ、集結させることは容易いことだ。
しかし、言うは易くとも天下にこの策を実行し得るのはカルロ・ゼンのみであろう。
魔的と表される程の統率力と圧倒的というのも生ぬるい兵からの支持。
この二つを兼ね備えた将でなくば為し得ないからだ。
そして、その二つを兼ね備える将などカルロ・ゼンの他にいないのである。

「あぁ、早く戦いてぇな」
 
カルロは獰猛に笑む。
戦に生きた老人はやがて戦そのものを体現する獣と化す。
彼が戦を求めるのか、戦が彼を求めるのか。
その境界が曖昧となり、戦うを性とする種になるのだ。
純然たる戦士。
戦い無しには生きられぬ獣。
たとえ死のうとも生死渦巻く戦の螺旋から抜け出せぬ。そこでしか生きられない。
カルロはそんな存在であった。
七十に手が届くというのに戦場に立つのはそのためである。

「願わくばオレに届く猛者がいると尚よいんだが……」

そして、死人と化しても戦から抜けられぬ者がもう一人。
両者の邂逅はすぐそこまで差し迫っていた。






兵は死線を越える度、人の領域を超えた力を研ぎ澄ませていく。
怪力や頑健さ、そして直感。
そういった生き抜くための要素を発達させる。
モルト老はシャルルの期待通り、進路上で起こった火災に不審なものを感じ取っていた。
そしてその懸念を現地に行ったことで確信へと変え、シャルルの身に危機が起こっていることを知ったのだ。
既にシャルルが出立してから三日の時が経っている。
僅か三日。
されど奇襲を受けた軍が壊滅するには十分な時だ。
モルト老の顔が焦燥に歪む。
焼けた森跡を足早に進むモルト老を義足の傭兵ダントンが制した。

「落ち着け」

「落ち着けるか。シャルルを先行させたのはオレだ。オレのミスだ」

時間を優先し、安全確保を怠った。
モルト老は悔恨に歯を軋らせる。
主を失ったかつての記憶が乱れ飛び、その心をささくれ立たせた。

「落ち着け」

ダントンはモルト老の肩を掴んで押し止めると、ゆっくりと区切るように繰り返した。

「シャルル殿下を信じろ。幼少とはいえ我等が仕える主だ。精兵を連れてもいる。きっと生きておられる」

「ならば何らかの報せがありそうなもんだろう!?」

「狼煙をあげてはフェラーラに位置を知らせるようなものだ。できるわけなかろう。
 敵もそれは同じだ。援軍にわざわざ場所を教える馬鹿はいない。落ち着いてよく考えろ」

モルト老は大きく息を吸うとゆっくりと吐き出し、剣をさっと抜くと気合の声と共に炭と化した木に斬りかかった。

「すまねぇ。どうかしていた」

内なる思いを破壊の衝動として一時昇華する。
何かに当たらずには冷静さを保てなかった。

「構わん、そのためのオレだ」

ダントンは義足を一叩きして気にするなと示した。
戦闘能力に劣る彼が同行しているのは、その豊富な経験を活かすためであると同時に、シャルルに入れ込み過ぎるモルト老を危惧したためだ。
モルト老はこの頃老いた。
年齢的にどうこうというわけでなく身体が、心が老いた。
ダントンの目から見ても、モルト老の輝きに陰りのようなものが見える。
何かに急かされるような節も見受けられ、ことシャルルのこととなると平静を失うことも珍しくなかった。

「一先ず状況を確認することだ。殿下が何の報せもよこさないのは、こちらを信頼しているからでもある。
 御前さんなら自分がどうするか熟知しているから敢えて無茶をしないのさ。考えよう。殿下は今どこで何をしているか」

モルト老は顎に手を当て暫らく考え込んだ。
こと戦となると、この老人の頭の回転は並みの人物を遥かに上回る。
逃げた筈だ、とモルト老は結論付けた。

「野郎は元々臆病な性質だ。冒険はやりたがらない。一見、無茶と取れる行動は全て野郎なりの計算に基づいたもので、無理なものは一つもないんだ。
 それに、オレから徹底的に生き延びることを教え込まれてる。となると逃げに徹した行動を取った……と思う」

「進軍予定の砦まで突っ切ったか?」

「それで命は長らえる。勿論それも救援がなければ詰みだから賭けになるが、その場で迎え撃つより遥かに安全だ」

シャルルは砦にいる。
敵の攻勢を凌ぎつつ、救援を待っている。
モルト老とダントンはそう信じた。

「しかし、厄介だな」

ダントンが唸った。
砦は簡易的なもので、とても堅牢と言えるものでない。長期間持ち堪えることは出来そうになかった。
加えて位置もまずい。
森を抜けた比較的拓けた場所にあるため、全包囲が可能で視界もいい。
敵は森からの援軍だけ警戒すれば奇襲を防げる。
大軍であれば、そのような備えなど諸共に踏み潰せるが、あいにく彼等にそのような兵力はなかった。

「準備がいる」

モルト老は手短に言うと、来た道を引き返し始めた。

「ダントン。御前はボローニャからの兵を吸収して編成しといてくれ。オレは救出の準備をして偵察に行く」

「大将が直々にか?」

ダントンは非難めいた悲鳴をあげた。
危険過ぎる。
しかし、モルト老の決意は固かった。

「万一にも敵に悟られるわけにはいかねぇだろう。それにオレより巧く偵察出来る心当たりがあるのか?」

いないだろう、という無言の主張にダントンも渋々矛先を収めた。
これ程鮮やかに奇襲を成功させた者である。
敵は間違いなく名の通った勇者に違いなかった。
そのような相手と渡り合える男を、ダントンもモルト老しか知らなかった。



森の中でも一際険しい獣道を駆ける。
太い枝を潜り、地に横たわる小枝を器用に避け、その影は一筋の矢のように森を移動していた。
人一倍長い異形の腕を猿のように駆使する様は獣そのものである。
モルト老はその奇怪な容貌通りの挙動で以て、高速で砦へ向かっていた。
シャルルの生存を信じている。
自分が見出し鍛えた主だ。その能力も性格も、全て把握している。
しかし、自分の目で確かめずにはいられない。
確認せずには落ち着いて軍略を練ることも出来なかった。
それにモルト老には一つ気がかりなことがあった。

「余計な心配だったらいいんだが……」

もしも敵の指揮官がモルト老の思い描いていた人物であったなら。
その場合は最悪な結果をも覚悟しなければならなかった。
モルト老の漂泊の経歴は長く、その範囲は広い。
ヨーロッパの大部分は見て回ったし、興味に突き動かされるままに様々な人物と交わってきた。
当時、動く死人であった彼にとって命は惜しむ程のものではなかった。
どんなに厳重な警備も、どんなに危険な人物も、その行動を妨げる理由とはならなかった。
死んだらそれまで、という自棄っぱちな覚悟があったからだ。
不思議なもので生を諦めた者は強い。
死への恐怖が無くなることで冷えた頭と居直りにも似た度胸が備わる。
結果として、モルト老はあらゆる障害を潜り抜けて生き延びることとなった。
そして、その遍歴はフランス王族の警備をも突破しシャルルに出会うまでずるずると続いたのである。
多くの者と会ってきた。
虎の子エラズモ・ダ・ナルニ。
ミラノ僭主ガレアッツォ。
その他、歴史に名を残すことはなくとも一廉の人物として知れ渡った者達。
農夫もいた。学者もいた。修道士もいた。
モルト老はその一人一人を頭に刻んで歩んで来た。
あるとあらゆる者と会って語り合い、それを土産に賢明王の下に行こう。
彼の人は未知の事が好きで、本を開いて自分の知らぬ世界を覗いては思索を廻らすことを好んでいた。
あいにくモルト老には学がない。
哲学や数学といった小難しい学問の発見など理解も出来なければ、覚えることも出来ない。
しかし、人ならば別だった。
直接に会って語り合ったことなら覚えていられる。
だから沢山の面白い人物に会って、その者達のことを話そう。その中にはきっとあの人が思いもしなかった知識や考え方がある。
枯れた心の中で死んだ後のことだけを考えて旅は始まった。
モルト老の長い人生の中でも一際印象深い武人の幾人かはこの漂泊期に出会った者達だ。
ジョン・ホークウッドもその一人である。
そして、もう一人。
記憶の中に燦然と輝くイングランド天賦の武人ジャン・ド・グライーと同じ光を放っていた男。
森の中でも高めの木に登り、遠くに見える兵集団を観察する。
その中に記憶にある人物の姿を見て取り、モルト老は深い溜息を漏らした。

「カルロ・ゼン……」

そういった方針を持って旅したモルト老が、ヴェネツィアの英雄と知遇を得ていたのは必然であった。



若い時分からモルト老には悪癖があった。
従弟のエマニエルはその行為に憤慨し、幾度も失礼であると嗜めたものだが、こればかりは我慢できるものでなく、
また結果としてその悪癖で見付けた部下も多かったことからモルト老はこの年齢になるまでその癖を改めることはなかった。
まずは、これといった武人を見付ける。
そしてそっと忍び寄り、後ろからそろそろと相手の肩に手を伸ばす。あるいはそっと鼻を摘まむ。
相手は侮辱されたと憤慨するだろう。
そうして飛び掛かってきた所を散々からかい倒すのだ。
しかし、この遊びの本質は猫が鼠をいたぶる様な下らないことにはない。
要するにこれは自分と対等に遊べる者を見付けるための試験なのである。
それなりの腕をもつ者なら最初に忍び寄られた段階で気付く。
そして、不思議なことにそうした者はこの遊びの諧謔を理解してくれるのだ。
間合いを取り合い、相手の体に触れんと仕掛け合い、避け合う。
実力者同士だ。
寸鉄などなくともこれだけで力の優劣は分かってしまう。
一切の刃傷沙汰もなく、簡易的な試合が成立するという具合なのだ。
モルト老はこの遊びにかけては天才であった。
触らしたことは一度もなく、触れられなかったことも数える程しかない。
その数少ない者達もモルト老が誇りを持って友と呼べる猛者ばかりであった。
とりわけグライーはこの遊戯の巧者で、モルト老が力に勝るなら速さで対抗し、間合いで勝るなら踏込の巧みさで勝るといった具合によい対戦相手であった。
初見でどちらが上か分からなかったのはグライーが初めてであった。
それは長い間そうで、そこに二人目の名が加えられたのはそれから約四十年も経ってからだ。
その者こそがカルロ・ゼンであった。

「面白い」

酒場で絡んだモルト老にカルロはそう一言呟くと、喜々として遊戯に応じたものである。
カルロはグライーと違ってモルト老と全く同じ特質で以て勝負し、引き分けた。
ある意味ではグライー以上に印象深い相手であった。
これは戦っても負けるかな、そう思わされたものだ。
邂逅はそれっきりで、向こうはモルト老の名前も知らない関係ではあるが、モルト老はカルロの脅威を十二分に承知していた。
彼を出し抜くことが如何に困難であるか。
それはアルプスに裸一貫で挑むよりなお険しい。
モルト老は足早に陣地を後にし、ダントンへと合流すべく再び森に分け入って行った。






砦を囲まれてから既に四日経っていた。
カルロ・ゼンはその宣言通り一切合切を殺し尽くさんと烈火のような勢いで暴れ回った。
指揮官にも関わらず先頭に立って突撃し、一振りで三人は吹き飛ばしながら迫ってくる。
開戦当初、シャルルは敢えて門を開き自軍と接敵する敵の数を絞る策に出たが、その策はカルロ一人の手によって破られてしまった。
最初はうまくいっていても、カルロが討って出る度に甚大な被害が出るのである。
結局、シャルルは門を閉め幾人かを犠牲に捧げざることで策の失敗を取り戻すこととなった。
それからはカルロとはなるべく接敵せず、門を固く閉ざして頭上から物を落とすという消極策に終始させられている。
状況はじり貧で、落門は時間の問題であった。

「今日やられた数はどれくらいだ?」

襲撃は昼夜を問わず行われる。
だが、敵も人間である。
攻撃には必ず間隙があり、シャルルはその少ない時間を縫って兵を見て回り、確認と督促に努めていた。

「エンファントは5人死にました。負傷者となると……」

「いや、いい。この状況だ。皆どこか傷を負っているのは当然だろう」

暗い表情で言葉を濁したロイの報告をシャルルは遮った。
殊更悪いニュースを喧伝する必要はない。

「皆の士気はどうだ?」

シャルルは後ろに控えたイーヴに耳打ちして尋ねた。
エンファントはシャルルの前では虚勢を張る者が多い。
正確な実情が知りたかった。

「士気に関しては未だ軒昂であります」

背筋を伸ばして放たれた言葉にそっと胸を撫で下ろす。
カルロ・ゼンの名は既に全軍に知れ渡っており、傭兵達の動揺は深刻な域に達していたからだ。
敢えて自ら名乗るでなく、口頭で広がるに任せたカルロの戦略は周到で、その名は地獄の魔王の如く恐ろしげに語られている。
それを差し止めるのもまた肯定しているようで出来ず、シャルルはカルロの良いように翻弄されていた。
一方のエンファントは年若で経験不足なことが功を奏していた。
カルロ・ゼンと聞いても誰一人として眉一つ動かさない。
無知であることが却って伝説に振り回されることを防いでいた。

「もう四日だ。あと二、三日中にはモルト老が来る。それまで耐えたら逆に挟撃できる。準備をしておけ」

内心では早く来てくれと叫びそうに震えていた。
それでもその感情を表に出すことなく仮定に基づいた空虚な逆襲の策を伝える。
籠城してからというものその繰り返しだった。
シャルルは暑くもないのに吹き出る汗を拭った。
重ねられる疲労は必死で糊塗した仮面にヒビを入れつつあった。



次の日、夕方になってカルロ・ゼンは珍しく後方に引っ込んでいった。
遂に疲れが現れたのか、という楽観視は彼の英雄には通用しない。
寧ろ部下達にも愉楽を分け与えようという親分肌的な振る舞いなのだろう。
遠眼鏡越しに見たカルロ・ゼンは顔艶よく笑っていた。

「野郎……」

ふとシャルルの内に激甚な怒りが湧いてきた。
弄られている。
侮辱されている。
それが彼個人へのものならここまでの激情は起きなかっただろう。
しかし、それは自分の下で懸命に戦う兵への侮蔑であった。
窮鼠も猫を噛むのだ。
この時、シャルルは疲労を忘れた。

「カルロ・ゼンがどうした」

隣にいた傭兵がぎょっとしたようにシャルルを見た。

「敵はカルロ・ゼン。だから、どうしたというのだ。
 敵がカルロ・ゼンだから貴様達がこれまで培ってきた功績が色あせるとでも言うのか?
 敵がカルロ・ゼンだから貴様達は弱兵になるというのか?」

そんなことはない。
シャルルの激情は消沈していた傭兵達に向かっていた。

「ブルグントの誇る精兵はヴェネツィアに劣るのか?シャティヨンを仕掛けて敗れた国に?」

そんなことはない。
誇りを取り戻せ。
ロンバルディアの覇者の兵であることを思い出せ。
傭兵は帰属意識が低い。
だがそれでも彼等はミラノに属し、ブルグントに属して共に駆け上がってきた者達だ。
思い入れがないわけではない。
一人一人の槍働きが国を大きくした、という自負があった。

「貴様ら誇りを忘れたか? あそこでふんぞり返っている萎びた老人に馬鹿にされたままでいいのか?」

シャルルの怒りはエンファントに伝染した。
そして集団心理として傭兵達へと。
じわじわと浸透していく。
感情には温度があった。
それは万物の法則に従って拡散し、広がっていた。
意図したわけでないにしろ、シャルルは士気を回復することに成功していた。

「全軍、ブルグント兵の誇りを見せ付けろ」

シャルルの叫びが砦を揺らし、森を駆け抜けた。
その瞬間。
輝ける太陽が沈まんとする紅の空を一筋の光が駆け抜け、華を散らして轟音を響かせた。
シャルルの声の何十倍も大きなその音は、戦場のあらゆる兵の鼓膜を傷付け強制的に跪かせる。
シャルルも。エンファントも。そして、彼のカルロ・ゼンすら例外でなく。
そして、その中でシャルルは見た。
森の木々より高くさっと掲げられたブルグントの旗を。
モルト老の登場であった。



花火は何十メートルも高く空に舞い上がり、それでもなお腹に響く重低音を轟かす。
どん、というその音は見る者の叙情を掻き立て、花火は視覚だけで楽しむものではないと伝えているようだ。
その音は重く体の底に響き、全身で爆発の余韻を感じさせてくれるものだ。
ではそれが数メートルという高さで花開いたらどうなるであろうか。
それは音響兵器とでもいうべき恐ろしい物となるのではないか。
その答えが今ここに現出した。
戦場に空白が生まれる。
音は兵の思考から自我を奪い、原初の本能に任せるままに彼等の身を伏せさせた。
逸早く立ち直ることが出来たのはシャルルとカルロ・ゼンであった。
一人は一日千秋で待っていた援軍を目にして、もう一人は持ち前の胆力で、混乱を脱したのだ。
だが、ここからの行動が違った。
シャルルは走り出し、馬舎に到着するや跨って駆け出した。
それを見たエンファントは訳も分からず、ただ主君の傍にいなければならぬというその一念だけで付き従った。
カルロ・ゼンは怒声を発し、兵を落ち着かせようとした。
だが、その声は届かない。
鼓膜の痺れが彼と兵の連携を遮断していた。
この時代において大音響というものはそうそう体験出来るものではない。
経験と兵の盲従性が二人を分けた。
加えて、ヴェネツィア軍が砦をぐるりと囲んでいたことがシャルルを利する。
一面に於ける兵数は互角だった。
森から現れたモルト老率いる一軍は有無を言わさず一斉に矢を二度射掛ける。
そして、耳から藻を抜き去ると槍を手に突撃した。
三射目以降は味方も巻き込む。
耳をやられた敵は指揮系統を壊滅状態にさせられている。
各個撃破は容易い。
全て計算された行動であった。
これがモルト老だ。見たか、カルロ・ゼン。オレの師匠は貴様を凌駕するぞ。
シャルルの胸は誇らしさではち切れんばかりであった。



モルト老は脇目も振らずカルロ・ゼンへと向かった。
たとえこのような状況にあっても、あの英雄に当たっては自分以外は一刀に斬り捨てられる。
この救出の鍵はカルロを釘付けに出来るかどうかにかかっていた。
伝聞と体験からモルト老はカルロ個人の武力よりもその悪魔的統率力を警戒していた。
彼と兵を切り離す。
それにはモルト老自身が相手をするしかなかった。

「ダントンはシャルルを向かいに行け。そして、何があろうとここから連れ出せ」

隣を走るダントンに怒鳴ると、それ以降は外界の事象は一切聞かぬと足を速める。
その手にはただ一人剣が握り締められていた。
間合いの有利よりも、突きの伸び切りを切り落とされる危険性が優った。
これから行うは世紀の大勝負だ。
少しの瑕疵も許されない。
見たがる好事家は後を絶たぬだろうな。
ふとそんなどうでもいい思いがよぎって、苦笑が浮かんだ。

「カルロ・ゼン、勝負!」

聞こえている筈もないのに口上が自然と飛び出てきた。



耳は危機察知において大きな役割を果たす。
人の五感は文明を進歩させる毎に退化させてきた獣の部分を色濃く残している。
微かな音でも人の本能は異常を感じ、その生を繋ぐ。
聴覚はそれ程に鋭く重要なものなのだ。
だが、カルロ・ゼンはそれを塞がれたにも関わらずモルト老の初撃をさっと躱してみせた。
速さではない。
皮膚に迫りくる脅威を感じたのか、あるいは全くの第六感によるものか。
まるで既知の危難を避けるようにカルロ・ゼンは動いてみせた。
いっそ鮮やかですらあるそれにモルト老の笑みが広がる。

「流石!」

大上段からの打ち下ろしから流れるような切り上げ。
モルト老の牡牛並みの膂力で以て可能となる軌道にカルロ・ゼンは驚くこともなく対処してみせる。
この程度のことは両者にとって児戯にも等しく、とりわけ騒ぐようなものでもない。
花火が鳴ってからこの間まで三分と経っていなかった。
砦の内外では未だに恐慌が続き、立ち上がってすらいない者が数多くいる。
膝立ちの獲物に躍り掛かるブルグント軍は狩人のように確実に、迅速にその命を奪っていた。
聴覚を失ってなお背後からの刺客に対処できる強者は多くなかった。
そん一方的な戦場で、場違いのような激しい剣戟の押収が両者の間で繰り広げられていた。
二合、三合。
躱し切れない刃が皮一枚切り裂いて通り過ぎる。
ここに於いて二人の状況は五分に並んでいた。
仕留めきれなかった。
モルト老はその事実に舌打ちし、歯をぎりぎりと打ち鳴らした。
一見互角。
しかし、態勢を整えられた分カルロ・ゼンが押していると言えた。
煌めく一刀がカルロ・ゼンの片耳を切り落としたのを見た瞬間、モルト老の左の頬を冷気が突き抜ける。
顔の一部が吹き飛ばされ、その衝撃でぐらりと脳が揺れた
綺麗に抜けた分だけカルロ・ゼンの方がダメージは少なかったようだ。
モルト老はぐらりと足をよろけさせた。
その隙を見逃すような甘い男ではない。
猛然と速度をあげた大刀がモルト老に襲い掛かり、その腕を鈍く痺れさせ始めた。

「モルト老」

シャルル呼ぶ声が耳に届いた。
力の入らなくなった利き腕を咄嗟の判断で手放し、片腕だからこそ可能な軌道で振られたモルト老の剣は、大きく弧を描いてカルロ・ゼンの左腕を根元から切り離した。
勝った。
そう思ったと同時に捻った頭を銀閃が掠めていく。
耳の奥で何かが割れるような音が甲高く響いた。



シャルルが砦から出るやすぐにその傍らに義足の兵が寄り添った。
その手には旗が握られ、味方であることを無言で示している。
シャルルの耳も利かなくなっていることを見越した行動に、これが水も漏らさぬ整えられた奇襲であることが見て取れた。
その周到さにシャルルは安堵の息をもらす。
どうやら命を繋いげることが出来そうだった。
ふっと心が軽くなると今度は部下の安否が気にかかってくる。
シャルルはダントスに向かって、

「私はいい。まだ砦に残る者を誘導してくれ」

と命じた。
だが、ダントンはシャルルが直々に言ったにも関わらず、首肯して馬首を翻す様子を見せない。
命令を聞かぬダントンに抗議しようとすると、有無を言わさずシャルルは抱きかかえられた。
未だ耳は回復していない。
シャルルはダントンの意図が測りかねた。
どういうつもりだ、と問い質そうと首を廻らせる。
その先にカルロ・ゼンと切り結ぶモルト老が映った。

「モルト老」

それはどういった意図の下に発せられたものだったのかシャルル本人にも分からなかった。
思わず叫んでいた、というのが最も実情に近い。
次の瞬間、カルロ・ゼンの腕が宙を舞うのをシャルルは目撃した。
やった、と我知らず呟いていた。
それはシャルルの信仰が悪魔を打ち負かした瞬間のようであった。
だが、現実は続いてモルト老の頭から真っ赤な飛沫をあげさせた。
それを見た瞬間の記憶はシャルルにはない。
化鳥のような声がただ口から洩れていた。
がらがらと音を立ててシャルルの心の中心を構成していたものが崩れていった。



腕を落とされたカルロ・ゼンは一端大きく身を飛び退かせた。
利き腕ではない。
だが、在るべきものがなくなったその身には、致命的な感覚の狂いが生じていた。
頭を血で染めたモルト老は黙してそれを見送った。
視界の端から叫ぶシャルルが近付いてくる。
それを見てモルト老は自身の役目を果たせたことを知った。
心の臓が鼓動を打つ度に何かが失われていくのを感じる。
この時、モルト老の頭の傷は顔の右上部を失うほどのものであった。

「やっと耳が聞こえるようになりやがった」

カルロ・ゼンがその耳を乱暴に叩きながら言った。

「よくもまぁ、こんな策を思い付くもんだ」

心底呆れたような言葉に笑みが洩れた。

「ありゃあ、シャルルが昔言ったことのある策だ」

花火を見ながら、あれを間近で爆発させられれば大変なことになりますね、とシャルルはおどけてみせた。
冗談のつもりだったのだろう。
しかし、その冗談のような科白に、モルト老は何と奇天烈なことを思い付くと感じ入ったのだ。
その時の記憶は思ったよりも深く刻み込まれていたようで、こうしてシャルルを助けている。
この発想力だ。
こんな時なのにモルト老は踊りたくなるような歓喜を感じていた。
この発想力に自分は新たな王の幻影を見たのだ。

「あの殿下がか?」

誰もが認める英雄でさえ驚嘆に呆けるその発想。
それは立派な才だった。
武力に劣っても。知恵で後れを取っても。
シャルルには誰にもないその才がある。
他は誰かが補えても、その異質な頭脳は彼だけのもの。
だからこそモルト老は百合の王と見れなかったものが見れることを夢見たのだ。
しかし、その夢もここで終わりらしい。
蛇足の旅は意外な道を辿り、意外な結末で終わる。
振り返って改めて破格の人生にモルト老は深い満足を覚えた。

「シャルル。我が王よ!」

見届けたかった。
だから悲しくもある。
しかし、大きな充足感があった。
あの日、主君を亡くした日以来、モルト老は王のために生き切ることが出来なかったという傷を抱えて生きてきた。
剣を捧げ、全てを投げうって仕えると誓ったのに、かつては先に逝かれて後を追うことすら出来なかった。
だが、今回は違う。
礎となれる。
胸を張り、誉として死ねる。
それは騎士として生きたモルト老にとって、何よりの喜びでだった。

「貴殿はブロセリアンドの黒犬が仕えるに足る主であった。全てを捧げるに足る王であった」

賢明王のためには死ねなかった。
しかし、それは運命だったに違いない。
彼の王は己の孫のために自らを生き永らえさせたのだ。

「我は一足先に賢明王の下に侍り、あの世でその大道を見ることとする。我と貴殿が描きし帝国がこの世に現出するのを楽しみに待つぞ」

そう叫びやモルト老はだっと駆け出した。
これが今生で振るう最後の武となろう。

「今この一撃を我が生きた証とし、我が仕えし三人がシャルルに捧ぐ」

ブロワ伯よ。シャルル王よ。そして、シャルル・ド・ヴァロワよ。照覧あれ。
モルト老の言葉は風となってシャルルの耳に届き、その胸に深く喰い込んだ。

「我、騎士道を全うせり」

神速の突きであった。
モルト老の渾身は、カルロ・ゼンの剣を弾き逸らされつつもその腹に喰らい付いた。
同時にがばっとカルロ・ゼンに抱き着く。
それは最後の誇りすら主のために使い尽くす忠義の姿であった。



ブロセリアンドの黒いブルドッグ。
80年の人生を戦いの中で過ごし、ヨーロッパにその爪痕を刻み込んだ怪異の騎士はその生涯をやはり戦いの中で散らした。
苛烈にして愚直な中世の騎士。
誇りを華とし、誓いを意地として重んじた時代の体現者。
その最後の一人が去った瞬間であった。






シャルルの意識はその後二週間は朦朧としたものだった。
極度の疲労と緊張状態からの解放、そして大きすぎるショックが彼を虚脱させていた。
起きては寝てを繰り返し、茫洋とした思考の隅で戦の終わりを聞いた。
シャルル達が生き残ったことで状況は好転した。
ヴェネツィアの介入が明らかになり、沈黙していたガレアッツォが重い腰をあげたのだ。
これまでもガレアッツォはただ座していたわけではなかった。
彼は肥大化したブルグントへ三ヵ国同盟が単独で挑んだことに不審を抱き、周辺国への内偵及び包囲網の形成を行っていた。
宣戦布告もなしでの戦争は道理に背く。
大義名分を与えられた各国はヴェネツィアを喜々として攻め立てた。
わけてもジェノヴァはブルグントに自治都市として降り、積年の恨みとばかりに大艦隊を派遣してアドリア海を封鎖した。
それはキオッジャ以前の再現であった。
ガレアッツォの周到な準備が外交による戦争の終結をもたらしたのだ。
結局、ガッタメラータとゴンザーガの決戦を余所に、両国の争いは痛み分けの形で有耶無耶の内に終わってしまった。
終わってみればブルグント王国は何の領土も得ることなく、かといって三カ国連合も何ら勝ち得なかった無益な戦争であった。
ジェノヴァを傘下に治めたといってもそれは形の上だけで、実質は同盟に近く、勢力図に変化はない。
ブルグントにはただ国内を散々に荒らされた痛みだけが残った。
そして、シャルルは命令もないのに前線に出て多くの兵を失ったという不名誉が押し付けられた。
ガッタメラータは自身の要請の存在を主張したが、王に判断を仰がなかった不手際は免れないと断じられた。
伝令を行った筈の騎士は何処ぞへ失せ、影すら残されていなかった。
意識がようやっとはっきりしたシャルルに告げられたのはそんな過酷な現実であった。

「殿下は立場を大きく減退させたと言わざるを得ません。公式にはジョヴァンニ様は大過なく戦争を終わらせたこととなっております。
 嵌められたとの主張も虚しい言い訳となりますので、主張しない方がよろしいでしょう」

淡々と述べるフリッツにシャルルはのろのろと顔をあげ尋ねた。

「モルト老はどうなった?」

答えは分かっていた。
それでも聞かずにはいられなかったところにシャルルの精神状態が表れていた。

「亡くなりました。遺体は整えられてアのカルロ将軍から送られてきましたので埋葬致しました」

重体にあってもカルロ・ゼンは遺体の返却を強硬に主張したらしい。
忠義の勇者への礼儀。
彼の男もモルト老の姿に感じ入るものがあったのだろうか。
同じ時代を共有した者として、満足の内に先に逝った者へ手向けを贈りたかったのかもしれない。
カルロのそういった意図はさておき、モルト老の遺体は綺麗な形でブルグントに返却された。

「墓はどこだ?」

「街の共同墓地に」

答えを聞くとすぐにシャルルは立ち上がり向かおうとする
その肩をフリッツががっしりと掴んだ。

「殿下はその行状を深く後悔し、部屋に籠もり懺悔の祈りを捧げていることになっております。外出はお控えください」

放せ、と言うシャルルにフリッツは断固たる口調で押し止めた。

「これは殿下に仕える皆の総意です。これ以上失点するわけにはいきません」

また、それをモルト老も望まないでしょう。
フリッツの言葉は厳かで真摯な響きを持っていた。
シャルルはすとんと腰を落とし項垂れた。

「ゆっくり落ち着かれてからになさいませ。一月もすれば堂々と墓に参ることもできます」

そう言ったフリッツは静かに部屋を出て行った。



一月後、シャルルはモルト老の遺体を密かに掘り起こさせた。
そして腐った体から肋骨を二本切り離すと、それを大切に包んで残りを持ち去った。
モルト老がいるべき場所はここではない。
在るべき所へ安置しなければならない。
シャルルはただ使命感に突き動かされるままに突き進んだ。
悲しみに擦り切れた心をそれで支えていたといってもいい。
だが、同時に彼の中には漠とした何かが形成されつつあった。
師の最期の言葉はシャルルの心に楔を打ち、核となって王の苗床となろうとしていた。
モルト老の教えは、その死で以て完成したといってもいい。
彼は文字通り存在の全てをシャルルに捧げたのだ。
モルト老の遺体は彼の生存を知っていた信奉者の協力を得て、あるべきサン・ドニの棺に納められることとなった。
シャルルは闇夜に紛れて運ばれる師を見送ると、残った肋骨をすり潰し、半分は指輪の宝石の下に入れて右手親指に填め、もう半分を飲み干した。
体は賢明王に返そう。
しかし、その一部は自分が貰う。
血肉として、この身に纏うものとして共に歩む。
1404年。
シャルルは永遠の悔恨を胸に刻んだ。
























そこは彼岸の向こう。

「よう、ホークウッド。グロイー。久し振りだな。オレもまぁ、ようやっとこっちに来たよ」

「オレが変わったって!? はは、そいつは勘違いさ。オレは今もディナンの生んだ戦の天才のままよ」

「お、試してみるか? いいぜ、来いよ。久し振りに楽しもうぜ」

「ん、エマニュエルじゃないか。モーニも一緒か? 御前達には苦労を掛けたな。おかげでいい人生だったぜ」

「なんだオリヴィエ。まだ気にしてたのか? はは、もういいさ。気にするな。オレは御前と違ってでかい男だからな」

「ティファーヌ……。いや、再婚したのは違うんだ。オレには御前だけさ。ただちょっと寂しかっただけなんだよ。本当だって」

「陛下!」

「陛下! 陛下! 聞いてくれよ。聞かせたいことが一杯あるんだ。何から話したらいいかな?
そう、そこのホークウッドと会ったことを話そうか。あいつは本当に凄くてよ。いや、オレの方が勿論強いんだがな、突きの速さが……」

「ガレアッツォって奴がまた腹黒い野郎でさ。悪いこと考えるときの陛下とそっくりの顔で笑うんだ……」

「それで陛下の孫のシャルルって奴がまた凄くてさ。まぁ、見といてくれよ。オレがみっちり仕込んだから。いや、陛下の方が頭はいいんだがな……」

黒犬は天に帰り不滅の伝説へと戻る。
彼の蒔いた種はいつか芽吹き、再びフランスを救うだろう。
その長い腕で剣を振るい、破格と称された男のように。
今は静かに芽吹きの時を待っているのだ。






------後書き------
一話に詰め込み過ぎた結果、えらい長い話となってしまいました……。
これまで準主役として活躍したモルト老の死で物語は一つの節目となります。
それだけに気合いも入り、何やら感傷的な文体となりましたが、これが今の作者の精一杯です。
モルト老の正体についてはバレバレでありますが、敢えて明記はしませんでした。
彼の英雄はシャルル5世とコンビ、という感じがやはり強いので。
イメージ形成には佐藤賢一『双頭の鷲』に大きく影響を受けております。
興味がおありでしたら是非御一読下さい。非常に面白いです。
シャルルマーニュ伝を読んで興味を持った、そんな方が一人でもいて下されば非常に嬉しく思います。
勿論、余計なお世話だとっくに読んでるわ、という方もおられるでしょうが……その方はご容赦下さい。
それでは御意見、御批判、御感想をお待ちしています。





[8422] 作中登場人物・史実バージョン
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2009/09/26 03:27


・シャルル・ド・ヴァロワ(1394年11月24日 - 1465年1月5日)

 オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワ(フランス王シャルル6世の弟)とヴァレンティーナ・ヴィスコンティの第4子。
 1415年、フランスはイングランドのヘンリー5世にアジャンクールの戦いで破れ、多数の貴族が死亡または捕虜となる。
 この時シャルルも多数の貴族とともに捕虜となり、イングランド各地にて幽閉生活を送ることとなる。
 1440年、莫大な身代金を払って解放され、帰国後ブルゴーニュ公と和解し、彼の姪マリー・ド・クレーヴと3度目の結婚をした。
 その後、フランスとイングランドの和平に奔走し、また、母ヴァレンティーナの相続権を盾にミラノを攻略しようとしたが失敗した。
 1450年に政治から離れ、ブロワ城に引退した。
 詩人として有名で、幽閉中に「獄屋の歌」を記している。


・ルイ・ド・ヴァロワ(1372年3月13日 - 1407年11月23日)

 フランス王シャルル5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルボンの子でシャルル6世の弟。
 兄シャルル6世が精神異常のため政務が不可能となると、摂政権を巡って叔父ブルゴーニュ公フィリップやその息子ジャンと対立した。
 また、王妃イザボー・ド・バヴィエールと関係を持ったことで大いに人望を失った。
 1407年、ジャン無畏公の配下の者たちによって、パリの街頭で暗殺された。


・ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ(1366年? - 1408年12月4日)

 ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティと、妃イザベッラの娘として、ミラノで生まれた。
 シャルル6世の宮廷で陰謀を企てたとして、王妃イザボー・ド・バヴィエールに疎まれ、パリから離れる。
 その後、夫ルイが従弟であるブルゴーニュ公ジャンに暗殺された1年後にブロワで死ぬこととなる。


・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年10月16日 - 1402年9月3日)
 
 1378年、父の死によりミラノ公国の西半分の所領を受け継いだ。
 東半分はこのとき父の弟ベルナボが継ぐこととなったが、彼は支配領で専横を繰り広げたため、1385年にジャンによって成敗され、
 ジャンは正式にミラノを全て引き継ぐこととなった。
 以後はロンバルディア地方で勢力を拡大。都市を次々と征服し、「カエサルの再来」を自認する。
 また、家格を高めるため、豊富な資金を当時の神聖ローマ皇帝ヴェンツェルに献上して、引き換えにローマ皇族の身分を買い取った。
 1395年、ミラノ公となり、正式にミラノ公国を成立させた。
 ロンバルディアをほぼ征服した中で唯一、フィレンツェとは2度の戦いに敗れ、同地だけはどうしても支配できなかった。
 1402年、3度目の遠征を計画したが、その遠征前にペストにかかって急死する。
 文芸保護を推進し、ミラノ大聖堂を建築するなどの文化面の発展に尽くしたため、彼の治世の下でミラノは大いに発展した。


・フィリップ2世(1342年1月15日 - 1404年4月27日)
 
 フランス王ジャン2世と妻ボンヌの四男。
 若くから武勇に優れ、ポワティエの戦いでも最後まで父王のそばで奮戦した。
 シャルル5世の死後、8年に渡って兄と共に摂政を務めた。
 シャルル6世が親政を始めると権力から遠ざけられたが、王が狂人となった後は摂政権をめぐってシャルル6世の弟オルレアン公ルイと争った。
 しかし、彼の代ではあくまでも宮廷闘争の範疇の争いであった。


・ジャン1世(1371年5月28日 - 1419年9月10日)

 フィリップ2世とフランドル女伯マルグリットの長男。
 1404年に父の跡を継いでブルゴーニュ公となると、フランスで王妃イザボーと結んで政権を支配するオルレアン公ルイと本格的に対立。
 1407年、ルイを暗殺した。
 その後、フランス国内はブルゴーニュ派とアルマニャック派に割れることとなる。
 両派の対立によりフランスはイングランドに対し有効な手を打てず、ノルマンディーを征服されることとなる。
 このため1419年に、王太子シャルル(後のシャルル7世)とジャン無怖公はイングランドに対して共闘すべく和解の交渉を行ったが、
 交渉の場でジャン無怖公は12年前のオルレアン公ルイ暗殺に対する復讐として王太子の支持者により暗殺された。
 これにより、跡を継いだフィリップ善良公はイングランドと公式に同盟を結んで王太子と敵対することとなる。


・イザボー・ド・バヴィエール(1370年頃 - 1435年9月24日)
 
 フランス王シャルル6世の妃、シャルル7世の母。
 1385年、14歳のときに、アミアンでシャルル6世と結婚。翌1386年から1407年までに12人の子供をもうけた。
 シャルル6世が発狂した後、王弟オルレアン公ルイと関係を持ち、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立の一因となった。
 1407年にルイが暗殺された後、両派の勢力争いの中で王家の権威の維持に努めたが、
 1417年にアルマニャック伯にパリを追放されると、公然とブルゴーニュ公ジャン無怖公と結んだ。
 更に、1420年のトロワ条約ではイングランド王ヘンリー5世の王位継承を認め、
 王太子シャルル(後のシャルル7世)がシャルル6世の子ではないことを示唆したとまでいわれている。
 フランスは女(イザボー)によって破滅し、娘(ジャンヌ・ダルク)によって救われた、そう言われた人物。


・イザベラ・オブ・ヴァロワ(1389年11月9日 - 1409年9月13日)

 フランス王シャルル6世と王妃イザボー・ド・バヴィエールの娘。
 1397年、7歳でリチャード2世の2番目の王妃となる。
 1399年、リチャード2世が幽閉されると、彼女もロンドン北西のソニングに幽閉された。
 1401年にフランスへ帰国を許され、1409年、従弟であるオルレアン公シャルルと再婚したが、1409年、出産のときに死亡した。


・アルチュール・ド・リッシュモン(1393年8月24日 - 1458年12月26日)

 百年戦争後半にフランス王軍司令官として活躍した軍人。「正義の人」の異名がある。
 実質的に百年戦争をフランス勝利で終わらせた大将軍にして大政治家。
 ブルターニュ公国とブルゴーニュ公国のフランス王国への併合の道筋を作り、
 封建諸侯と傭兵の軍から中央集権の国王常備軍への兵制改革と砲兵の活用を行い、フランスがヨーロッパの覇者へと向かう遠因をもたらした。






試験的に作ってみました。
順次更新していくつもりです。
いや、そこ間違ってるし、というような場合は遠慮なくご指摘ください。
また、ネタバレっぽいからいらない、というような場合もお知らせください。
皆さんの反応を窺って対応させていただくつもりです。




[8422] 年表(暫定版)
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451
Date: 2010/02/17 18:17
1394年

 ・11月24日:シャルル誕生。

1395年

 ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ、公爵就任。

1396年

 ・ニコポリスの戦い。オスマン帝国雷帝バヤズィト、ヨーロッパ連合軍を破る。

1397年

 ・イザベラ(7歳)リチャード2世に嫁ぐ。

1398年
 
 ・ヘンリー・ボリングブロク(後のヘンリー4世)イングランド追放される。この期間にリッシュモンの母を見初める。

1399年
 
 ・ヘンリー・ボリングブロク、イングランドに上陸。リチャード2世を廃し、即位。

 ・イザベラ(8歳)イングランドで幽閉される。

 ・シャルル(5歳)モルト老と出会う。

1400年

 ・母ヴァランティーヌ、パリ追放。 

 ・シャルル、ミラノへ行く。

 ・シャルル、近衛兵団エンファントを結成。

1401年

 ・イザベラ(11歳)、フランスに帰国を許される。

 ・シャルルとイザベラ、婚約。

 ・シャルル、ベリー公とブルゴーニュ公と会談の後、リッシュモンの後見人となる。

1402年

 ・ミラノ、ボローニャを征服する。

 ・シャルル(8歳)ボローニャ総督に就任。 

 ・ミラノ、フィレンツェと戦端を開く。

 ・フィレンツェにて政変勃発。フィレンツェの支配者がジョヴァンニ・ディ・ビッチとなる。

 ・ミラノとフィレンツェ、教皇の仲介によって停戦。

1403年
 
 ・ナポリ王ラディスラーオ、教皇領に侵攻。ミラノとナポリ間で同盟成立。

 ・シャルル、フリッツと出会う。

 ・ローマ皇帝ヴェンツェル廃位。新皇帝ループレヒトが即位する。

 ・シャティヨンの戦い。ミラノ、ループレヒト率いる軍勢4万を破り、これを捕虜とする。

 ・フィレンツェ陥落。

 ・ポーランド王国、神聖ローマに侵攻。ドイツ騎士団を破り、その領土を大きく削る。

 ・ブルグント王国成立。
 
 ・ブルグントとポーランド間で同盟成立。









月までは無理でした。
行軍日程まで計算するのは知識的にちょっと・・・・・・。
あくまでも物語把握の一助としてお使い下さい。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.26383900642395