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[3986] 友人の日常(短編読みきり・修正)【完結】
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:c95dfe0c
Date: 2013/08/27 03:35
※この作品は、小説家になろう様にも投稿させて頂いております



 私、更科明の日常を語るにあたって、愛すべきわが友人に言及せずにはいられないだろう。

 家にあっては隣人であり、学校においては級友であるところの彼と過ごす時間というのは、ひょっとして両親とのそれより、よほど長い。
 自然、私の日常風景には、必ずと言っていいほど彼の姿がある。

 むろん、逆も然り。そう言いたいところでは、あるのだが。
 普段の私は、友人にとって点景でしかない。
 まあ、そのほうが幸せかもしれないとも思えるが。


「くたばれ」「地獄に落ちろ」「嫉みで人が殺せたら」
「死ね。氏ねじゃなくて死ね」「誠氏ね」


 これは学内の男子生徒たちが友人に対して抱く、ごく一般的な感想の一部である。
 いかに壮絶に恨まれているか、よくわかることだろう。

 友人はなぜ、かように恨まれているのか。
 これについては、彼の日常を知ってもらえば、完全に理解していただけるものと確信している。

 それゆえ、まずは私の目を通して友人の日常を知っていただきたい。
 むろん私も、彼に対して多大な理不尽と、嫉妬の感情をおぼえる者のひとりであることを、あらかじめ明記しておく。








 習慣というのはたいしたもので、いくら夜更かしをしても、定時にはきちんと目が覚めてしまう。
 夜更しの原因はと言えば、特に他言をはばかるようなものではなく、前日に購入した一冊の文庫本である。
 顔にかかっていたそれを押しのけて立ち上がると、窓辺に向かう。
 朝の清冽な外気をとりこんで眠気を覚ますのが、わたしの習慣となっている。
 心地よさに目を細めながら、伸びをする。

 朝だ。やわらかい日の光に澄みきった空気。
 どこからか雀の鳴き声が聞こえてくる、さわやかな一日の始まりである。

 ところが。
 身支度をして、友人宅を訪れた私が目にするのは、決まってさわやかさとは無縁の光景である。

 友人が目を覚ますのは、いつも時間が押してからで、だから友人を起こすのは私の役目のようになっている。
 寝室に行くとやはりと言うべきだろう。友人とその妹が、寄り添うように寝息をたてていた。

 これが歳の離れた妹ならば、それはそれでほほえましい光景なのだろう。
 しかし友人の妹、心はひとつ違いの十六歳である。犯罪の匂いたち込める絵面というほかない。

 ちなみに。
 心は同じ高校の下級生であり、その端正な容貌と社交性をもって一年生でぴか一とうたわれる逸材である。
 ここまで言えば、私が抱く感情の、数分の一でも味わっていただけることだろう。

 この兄妹を起こすのには順番がある。
 さきに心、つぎに友人。
 この順番をたがえると、心に壮絶なまでに恨まれることになるので、要注意なのだ。


「――む。明。あー寝覚め悪い。なんであんたの顔見て起きなきゃならないのよ」


 ここまで気を使っても、返ってくるのは、たいていこのような毒舌である。
 至福の時に終わりを告げるのが私とはいえ、えらく割りを食っている気がする。

 こちらには半眼しか向けてくれない心だが、これが友人となると、まったく別の表情を見せる。


「おにいちゃん、起きて」


 花のかんばせに慈しむような表情を浮かべ、やさしい吐息とともに、友人に呼びかける。
 誰だ、と問いかけたくなる変貌ぶりである。
 声など、どこから出しているのか理解に苦しむほど、甘ったるい。

 友人が目を覚ましたのは、きっちり一分後だった。


「おう、心、明、おはよう」

「おはよう、おにいちゃん」

「お早う。よい朝だ」


 寝ぼけ眼の友人の、あくび混じりのあいさつに応じる。
 心などは、目をきらきらと輝かせ、親愛の情以上のものがありありとみて取れるのだが、あいにくと筋金入りに鈍感な友人は気づきもしない。
 不憫なのか、幸いなのか。

 友人が着替えるので部屋から出て、私はいつも通り、台所で待つことにする。
 しぶとく残っていた心は、部屋を追い出されると、閉じられたドアの前に顔を貼り付けていた。

 私は知っている。そこには錐で小さな穴が開けられていることを。
 心は友人の着替えをこっそりと覗いているのだ。
 こころなしか鼻息が荒い。筋金入りの変態である。

 このあいだ、友人の靴下の匂いを嗅いで、うっとりしているところを見てしまったときは、素で引いてしまった。
 さすがに友人の受けるショックがでかそうなので、黙っているのだが。
 これ以上エスカレートすると、本気で犯罪になりそうな気がする。

 台所では、すでに膳が整えられている。
 心の仕業である。
 この変態趣味の妹は、朝の支度を終えてから、兄の寝床で二度寝する奇習があるのだ。

 友人の両親は目下遠方に赴任中で、家事全般は数年来、心がすべて取り仕切っている。
 わが家の母にも見習ってほしかった。
 隣家で食事を世話してもらう子供と、コンビニエンスストアのサンドイッチを朝食としている父をみて、なにも思わないのだろうか。

 朝食を終えると、ちょうど頃合となった。
 学校まで徒歩で十五分。私と友人は言うに及ばず、心も学校は同じなので、とりあえず三人そろっての登校となる。

 ここまでは、まだしも平穏な日常といっていい。けっして平凡ではないが。
 しかし、この平和は五分ともたずに崩壊するのである。
 その兆しは、常のごとく黒のリムジンとともにあらわれた。

 リムジンが横付けにされ、ドアが開く。
 心がすかさず構えをとった。


「萩原さま、今朝もご機嫌麗しゅう」


 リムジンから出てきた少女は、友人に向けて優雅に一礼した。
 クラスメイトの妙全寺妙である。
 目鼻立ちのしっかりした国際的な容貌の主で、瀟洒という言葉が似合う、あでやかな美人である。
 ただ居るだけで場の空気をノーブルカラーに変えてしまう特技をもっており、思わず「ごきげんよう」とでもいいたくなる。

 小学校からの縁続きで、昔はもっとツンツンしたお嬢様だった気がするが、いつごろからか、友人にたいして好意を見せるようになった。
 友人にはまるで気づかれていないものの、その好意はあきらかであり、つまりは友人が嫉妬とともに殺意を抱かれる原因その二である。


「さ、行きましょう、萩原さま」


 当然のごとく友人の右側につく妙全寺。
 対抗するように、心が左側にはりついた。
 二人がべったりと引っ付くものだから、友人は非常に歩きにくそうである。

 まあ、そんな状態であるからして、私はすこし後ろを歩くのだが。
 ふと横に目をやると、当たり前のように治部がいた。
 治部影奈。影の薄いクラスメイトである。
 長すぎる黒髪で顔の表情すらわからない。そんな人間がいきなり現われるのだ。いつものことながら心臓に悪い。
 治部は、その名のとおり影のごとく友人につき従う。従順そのものの姿である。
 ちなみに美人らしい。友人談である。そう聞くと、殺意が湧かないだろうか。
 

「萩原先輩ー、おはようございますー」


 つぎにふらふらとやって来るのが、心の同級生、一年生の由良ふたつである。
 名前のとおりユラユラしている。
 一見して生命力にとぼしそうな少女である。
 その代わりとでも言うように、透きとおった美貌の、すこぶるつきの美人だ。スタイルが少々残念な気がするが。いろんな意味でストレートな少女なのだ。

 鞄を引きずるようにしてゆらゆらと歩く彼女をみれば、誰もが道を譲りたくなるだろう。むろん、私もそうである。
 だが、治部だけはその限りではない。
 この前髪少女、友人の背後をキープすることに関しては、容赦がないのだ。
 こうして友人の背後でも、背後霊の座をめぐった争いが勃発するわけである。

 両脇に一人づつ。背後に寄り添うように、二人。
 美少女たちに囲まれた、大変うらやましい姿であるが、実はこれでも俗にいう“萩原ハーレム”の員数の、半ばにも満たない。

 萩原ハーレムとは、言葉どおり多くの女性に好意を寄せられ、囲まれる友人を揶揄した言葉であり、また、実情をあらわすのにふさわしい言葉であろう。


「奴にはクラスごとに恋人がいるのさ」


 そう揶揄されるほどである。
 むろん、友人は特定の女性とつきあっているということはないし、クラスごとに一人と言う人数には、さすがに届かない。

 私が把握している限りではあるが、三年生に二人、二年生に八人、一年生に四人、教員に二人で計十六人ほどか。それでもたいした数である。
 推測の域を出ないが、友人に好意を寄せている女性は学外にも居ると思われる。そうなると、どれほどの数になるのか。

 男性陣が殺気立つのも無理はない。
 ことに妙全寺や心、由良、三年生の三笠先輩は、ファンクラブが出来るほどの美少女なのだ。
 それが一人の人間に独占されているのだから、彼らの気持ちはよく分かる。

 以前、誰かとつき合う気はないのか、と、尋ねたことがある。
「なんで?」と、首を傾げられた。
 どうやら自分に寄せられている好意が、特別な種類のものだということを分かっていないらしい。
 鈍感というレベルを超えていた。

 さて、学校についてからが戦闘開始である。
 昼食をともにする権利をかけて、あるいは放課後の約束を取りつけんと、友人を囲う乙女たちは水面下で、あるいは表立って、熾烈な争いを繰り広げる。
 当然のことであるが、誰一人として友人を共有しようなどとは考えていない。

 なんというか、はたで見ていれば、友人ご愁傷さまというほかない被災ぶりなのだが、それでも世の男にとっては羨望の対象らしい。
 血の涙を流す男を、私は見たことがある。

 それにしても、なにゆえ友人は彼女たちから、かように好意を寄せられるのか。
 正直なところ、友人の顔立ちは凡庸の域を出ない。
 見る人が見れば、美形と言えなくもない程度。あまりにも無個性な容貌なのだ。
 実際、クラスの女子の人気も、その名声に比べればお粗末と言うほかない。

 思うのだが、個性の強い人間ほど、友人に強烈に惹きつけられているのではないだろうか。
 妙全寺や心は言うに及ばず、萩原ハーレムの面々は、みな強烈な個性の持ち主である。
 変人と言い切っても、おそらく本人以外からは異論のないところだろう。

 だがまあ、そんなものは、はたから見ればご愛嬌だろう。
 しかも、そんなことが問題にならぬほど、彼女たちは美人ぞろいである。
 男子にとって重要なのは、まさにそこなのだ。


「われら男子生徒の、よりよき学園生活のために、萩原のヤツをなんとかすべきだ。いやむしろ殺セ」


 そんな過激な主張を始める団体さえある。
 クラスメイトの過半が、この“萩原ハーレム対策委員会”に参加していると言われているが、どうなのだろう。
 私とて、実情をすべて把握しているわけではないのだ。

 とまれ、昼休みに女生徒の目も省みず、教室で会議を開く面々を数え上げれば、その話もまんざら嘘ではなさそうである。


「ならば彼を更科きゅんとくっつけては?」


 そんな主張をして軽やかにスルーされているのは、一組の妙全寺あやめだ。
 苗字から察してもらえると思うが、妙全寺妙とは双子の姉妹である。
 ということは、疑うまでもなく、名家のお嬢様であるはずなのだが。
 彼女はどこか違う星のオジョウサマに違いない。

 漫画やアニメーション、ゲームの類に興味と心血をそそぎ、教室内で少年週刊誌の登場人物のカップリング(主に男同士)を優雅に主張する腐った趣味人なのだ。

 姉である妙全寺妙と同じく、小学校からの腐れ縁であり、なぜか馬が合うこともあって友人づき合いしているのだが。
 このような主張は正直勘弁してほしいところである。
 
 まあ、そんなこんなで放課後。
 帰宅部であるところの私は、たいていまっすぐ帰途につく。

 友人も、そして萩原ハーレムの面々も過半が帰宅部なのだが、友人争奪戦のさなかでは、ともに帰る者もいない。
 迎えのリムジンを待たせて、あやめと雑談するのが日課といえばそうか。
 いつものように彼女と会話していると、ふいに赤い乗用車が、アクセルを思い切り吹かしながら校門を出ていった。


「いまのは」

「くまねえ――森野先生のFITだったが」


 なんとなく、あやめと顔を合わせてしまった。
 森野久万。
 私や友人の近所に住んでいるお姉さんであり、この学校で教鞭をとる教師でもある。
 昔からくまねえ、くまねえ、と呼んで慕っていたものだ。


「横に乗っていた方は」

「ああ。間違いないようだ」


 助手席に、友人が横に乗せられていたのを、私の目は、はっきりととらえている。
 ちなみに。
 説明するまでもなく、くまねえも萩原ハーレムの一員である。

 なんとなく二人で車の行く先を見送っていると、校舎のほうから、心が砂埃を蹴立てて自転車を走らせてきた。
 後ろに乗っているのは妙全寺妙だ。


「あやめさん! ちょうど良いですわ。車、使いますわよ!」


 ばっと自転車から飛び降りると、返事をする間もない。
 妙全寺はすばやくリムジンに飛び乗った。


「どうしたんだ?」


 自転車を止め、道路の左右を確かめている心に、私は尋ねかけた。


「くま! あのびっち! 無理やり兄さんをさらっていきやがって!」


 そう言ってぎりぎりと、歯をこすり合わせる心の姿には、正直ゾッとするものがあった。
 ともあれ、おおよその事情は飲み込めた。友人争奪戦の末、くまねえが強硬手段に出たのだ。社会人という立場をフルに活かした力技である。


「明! 兄さんどっち!?」

「右だ」

「ホテル街のほうね!」


 私の答えを、あやめが補足した。
 最後まで聞かずにリムジンは発車し、心も盛大に歯軋りしながら自転車のペダルを漕ぎ出していった。


「あんのびっちぃ!」


 自転車とは思えない速度だった。
 そういえば。あの自転車、誰のだろう。
 きっと、自転車置き場にあったものを奪ってきたのだろうけど。
 そう思って、なんとなく校舎を振り返る。

 由良ふたつが、うつぶせに倒れていた。
 体力もないのに必死で追いかけたのだろう。
 校舎から二十メートルも離れていなかったが。

 それから一分後、体育教師の宮元のレガシィが、すし詰めの車体を重そうによろめかせながら走っていった。
 運転していたのは保険医の那須だった。
 おそらく宮元(三十二歳、独身)に車を借りたのだろう。
 彼女と同乗者たちが萩原ハーレムの一員であることは言うまでもなかった。

 それからしばらくの間、校門に居た私たちだったが、いつまでもつき合ってはいられない。
 歩いて帰るという妙全寺あやめと一緒に、帰宅することにした。

 帰り道、私に合わせてか、あやめは小説の話をふってきてくれるのだが。
 あいにくとあやめが読む小説のジャンルは私の嗜好にかすりもしなかった。
 というか、男同士がどうにかなる類の小説しか読まないというのは、いかがなものか。
 そしてそれを私に勧めてどうしようというのか。

 妙全寺のお屋敷まであやめを送って、帰ったのは六時前。
 隣家にはまだ明かりがついていない。友人も心も、まだ帰ってきていないようだった。

 食事を終えても、友人は帰ってこない。すこし心配になる。
 八時過ぎ。
 文庫本を開いたまま、ぼうっと窓から外を眺めていると、赤のFIT――くまねえの車が帰って来た。

 シャッターを開け、車庫入れした車の中から出てきたのは、くまねえに友人、それに心だった。
 くまねえは、ぼろぼろである。いや。友人も、心もだった。
 だというのに、三人ともどこか和やかな感じがした。
 ひと波乱あって一件落着、と言ったところだろう。


「馬鹿らしい。心配して損をした」


 手にしたまま読んでいなかった本を放り出す。
 感情の所在を決めつけてはみたものの、胸のもやもやはおさまらない。
 その正体を知っているのに、知らないふりをしているのだから、当然だろう。

 精神衛生上よろしくないと、カーテンに手をかけたところで――友人と目が合ってしまった。
 友人が、軽く手を挙げて挨拶してくる。
 なんとなく気まずくなって、私はすぐさまカーテンを閉めた。

 しばらくしてチャイムが鳴った。
 友人だった。
 むかえ出た私に向かい、友人は私の機嫌を伺うようにこう言った。


「明、俺、またなんかお前怒らすようなこと、やったか?」


 と。
 普段は鈍いくせに、こういうときだけは鋭いのだ。

 たしかに私は腹を立てていた。
 それが嫉妬と呼ばれる感情に根ざすものだと、自分でも理解している。
 だが、そういった感情の機微に関して友人に理解しろというのは無茶だろう。
 妙全寺妙や萩原心の想いすら悟れぬ彼である。

 更科明の秘めた心を、萩原友人が理解できるはずがないのだ。
 だから、私は苦笑してこう答えた。


「自分の胸に聞くといいよ、この朴念仁」


 ちなみに。
 更科明、十七歳。男のような名だが、れっきとした女である。


 



[3986] 双子の事情
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:c95dfe0c
Date: 2009/07/17 20:11

「三十八度八分……たえ・・さん、これはどうしても無理だと思うのですけれど」


 妙全寺あやめは、体温計からベッドの上へと視線を移す。
 そこで寝込んでいるのは双子の姉、妙全寺妙だ。
 ふだん凛然たるたたずまいを崩すことのない姉なのだが、さすがにこの熱には参っているらしい。目元が蕩けている。


「うー、萩原さま、萩原さまぁ」


 うわごとのように思い人の名を呼ぶ姉に、あやめは吐息を落とす。


「おとなしく休んでいてください」

「わたくしが休めば――あの女どもは……これ幸いと……萩原さまぁ!」


 寝かしつけようとしても、自分の妄想で勝手に盛り上がっている妙は、聞く耳持たない。
 処置なし、と、あやめは肩をすくめた。


「橘さん、たえさんの看病はよろしく。そろそろわたしも登校の準備をしなくては」


 使用人にあとを任せ、立ち去りかけて――がっ、と腕をつかまれた。
 あやめは眼を見開いた。
 妙である。病の身ですさまじい力だった。


「あやめさん。お願いです。今日一日、わたくしのふりをして、あの女どもから萩原さまを!」


 双子の姉は必死の面持ちで懇願してきた。

 冗談ではなかった。彼女のライバルは、一人や二人ではない――というか、十も二十もいる。そのうえ、どいつもこいつも一筋縄でいかない曲者ぞろいである。


「わたしに死ねと? というか、わたしの出席はどうなるのです?」

「お願いします。どうか萩原さまを守って」


 こちらの主張を華麗にスルーして、すがりついてくる双子の姉に、あやめはため息をつくしかない。


「……つぎに仕立てていただく夏物、注文はわたしからつけさせていただきますわよ」

「くっ、やむを得ませんわ」


 苦渋の表情を浮かべながらも、思い人のほうがよほど大事なのだろう。即答だった。
 それならば、あやめにとっても悪い話ではない。
 瓜二つの双子だからこそ、装いは別々でないと気がすまない二人だが、趣味が似ているせいで、服を仕立てるときはよく争いになるのだ。
 取り合いになれば、さき出し優先、という双子のルール上、これは絶対の優位だった。


「では承知いたしました。ゆうくんを、他の女性からガードすればよろしいのですね」

「ありがとう。恩にきますわ――って」


 ぱあっと晴れた妙の顔が、怪訝なものに変化していく。


「ゆう、くん? あなた萩原さまのことゆうくんって」


 なにやら不穏な空気を纏わせはじめた姉をはぐらかすように、あやめは手の甲で口元を隠す。


「わたしはたえさんみたいに気取りませんので。というか、それだけ親しくなっても萩原さまとか他人行儀なたえさんに驚きですけど」

「わ、わたくしは、淑女として――うらやましくなんてありません! ええけっしてうらやましくなんてありませんとも!」


 かぶりをふる妙。強がりなのは明白だった。
 呼び名を変えるタイミングを逸したまま、五年間ずっと“萩原さま”などという他人行儀な呼称を使い続けている妙である。
 要領が悪いと言うほかない。


「とにかくお願いしますわよ、あやめさん!」


 ごまかすように腕を締め上げてくる姉に苦笑しながら。
 ふと、気づいた。
 橘が、いつの間にかブラシやら化粧品の類やらを抱え込んで、背後に立っていた。

 不吉な予感に身を翻しかけて――動けないのに気づいた。
 あやめの腕をつかんだ妙が、すさまじい力で自分の動きを封じているのだ。


「たえさん!?」

「代わってもらうのはよろしいのですけれど――ほら、あやめさん、夜更かしなさる性質ですし。髪の手入れも、化粧もろくになさらないでしょう?」


 熱で紅潮した顔に、にやりと笑みを浮かべる妙。


「お嬢様も素材はよろしいのですから。美人の義務は果していただかないと」


 同じような笑みを浮かべ、武装するようにブラシと眉バサミを構える橘。
 姉と使用人に挟まれ、あやめは先ほどの快諾を後悔した。








 髪の毛がふわふわする。顔がべたべたする。足元がスースーする。
 なれない感覚に、妙全寺あやめはまったく落ち着かない。
 だが。
 車中、あやめはひっそりとため息をつく。
 さらに高いハードルが、これから彼女を待ち構えているのだ。


「――萩原さま、今朝もご機嫌麗しゅう」


 リムジンからふわりと降りたあやめは、登校中の三人連れ――その中のひとりに向けて一礼した。


「おはよう、妙全寺」


 そう言って屈託なく手を挙げたのは、礼を受けた当人、萩原友人はぎわらゆうとである。
 総勢二十人近い女性に囲まれた、いわゆる萩原ハーレムの主であるが、あやめには関係ない話である。
 数少ない異性の友人としてのみ、あやめは彼のことを評価している。


「ふん」


 と、あからさまにいやな顔をして、友人の腕にぴたりとくっついたのは、萩原心はぎわらこころ。萩原友人の妹だ。

 そして最後に、無表情を向けてきたのがあやめの親友、更科明さらしなあきらである。
 男のような名前だが、一見して女性とわかる。
 ほっそりとした体つきは少年を思わせるものの、まぎれもなく女性のそれで、顔立ちも女性的である。
 だが、“性”というものを寄せ付けない独特の雰囲気が、彼女から女らしさというものを奪い去っていた。
 結果、見れば見るほど男か女か分からなくなってくるのだ。
 だが、それがいい。と言うのが、大多数の女性の意見だが。


「ん? あれ? あや――」

「おおはようございますわあきらさんっ! あやめさんは今日は風邪でお休みですわよっ!」


 不審げな明の言葉をさえぎって、あやめはまくし立てた。
 さすがに親友の目はごまかせなかったようだ。それはいいが、この場でばらされるわけにはいかなかった。


「そうなのか」

「そうですわ」


 訴えかけるようなあやめの目に、感じ取るものがあったのだろう。明は無言でうなずき、一歩引いてくれた。
 友人の右脇が開いた。
 いつもなら、妙全寺妙が収まるはずのスペースである。


 ――なにが悲しくてこんな恥知らずなマネを、しかもゆうくんなんかと。


 そう思うと、あやめはやるせない気持ちになってきた。
 だが、あまり怪しまれるわけにもいかない。
 ままよ、と友人の腕を取る。
 当然のようにそれを受け容れる友人に、あやめは軽い殺意を抱いた。








 一限目が終わってすぐ、あやめは更科明を連れて屋上に上がり、事情を愚痴とともにぶちまけた。
 

「なるほどね。そう言った事情か。ご愁傷さまと言うほかない」


 あやめは頬を膨らませた。
 淡々と、評するような明の口調が、親友のことながら癇に障ったのだ。


「いくらあきらきゅんでも怒りますわよ」

「他にどう言えと?」


 明が肩をすくめる。
 そう言われると、あやめも言葉に詰まってしまった。


「まあ、そう言う訳で、あきらきゅんにも手伝っていただきたいんですの」

「……その“あきらきゅん”ってのを止めてくれたら、手伝ってもいいよ」

「そんな……わたしに死ねと?」


 あやめの顔が、絶望に青ざめる。


「命より大事か!?」

「そ、そうですわ! かわりにわたしのやおい本コレクションのなかでもとくに素晴らしいものを差し上げますからそれだけは」

「それは全力で断らせてもらう!」

「そ、そんな、ではわたし、わたしの命を差し上げますから!」

「ほんとに命より大事なんだ!?」


 明が驚愕にのけぞった。
 あやめは心底本気である。


「……まあ、いいよ。手伝う。まったく、私もたいがい人が良い」


 後半のほうは小声であったが、あやめは耳ざとく聞きつけていた。


「それでこそ、あきらさんですわ」


 あやめはそう言って、明に感謝を述べた。

 そして、嵐のような昼休みがやってくる。


「萩原くん――」

「――おにいちゃん! お昼いっしょしよ!」

「は、萩原先輩――はうっ」

「あなた、ご飯にしましょう」

「萩原先輩!」「萩原くん!」「友人さん!」


 詳細に述べるなら。
 影のごとく背後に立った治部影奈の言葉をさえぎるように、萩原心が教室に駆け込んできて、その後を追ってきた由良ふたつが貧血を起こして倒れ、それを踏みつけるようにして入ってきた三年生の三笠笹木が、友人の前に弁当を捧げ置き、負けじと入ってきた萩原ハーレムの面々が教室に押しかけてきて、にらみ合いの膠着状態。
 そんな状況である。

 あまりの勢いに、あやめはしり込みした。
 何度も見てきた光景のはずだったが、渦中に飛び込むとなると話が違う。
 この敵意と邪念渦巻く結界のなかに足を踏み入れるには、相当の覚悟が要った。


「う……」

「ほら、妙」


 ポン、と、明に背中を押され。
 あやめはつんのめるようにして輪の中に滑り込んだ。


「わ、と、と」


 押され押されて気がつけば、あやめは友人の机に、覆いかぶさるようにしてぶつかっていた。
 常に優雅に、を心がける妙からは考えられない光景に、一同、凍りついた。
 あわてて顔をあげたあやめの鼻先、数センチ先。
 萩原友人の驚いたような顔がある。


「大丈夫か?」

「え、ええ。大丈夫ですわ。お気遣い痛み入ります」


 ごまかすように服をはたき、あやめは身だしなみを整えた。
 こほん、と、咳払いひとつ。


「萩原さま、中庭に席を設けております。よろしければ、いらしてください」


 淡い色彩の、絹糸のごとき髪に指を流し、あやめは口の端に笑みを匂わせた。
 双子の姉の優雅な姿が、完全に再現されている。


「皆さんも、よろしければいかが?」


 そう言ってあやめは視線で周りをひと撫で。


「なっ!?」

「だれが!」

「行くわけないでしょ!」

「そうです!」


 周りから湧き起こる反発など、蚊ほども意識しない様子で、あやめは静々と輪から抜け出ていった。


「それでは行きましょうか、更科さん」


 ごく自然に、あやめは更科明に声をかける。


「分かった、行こう」


 当然、承知していた明は即答した。


「あれ? 明も行くのか?」

「ああ」


 軽く目を見開いた友人に、無表情のまま、明が答えた。


「ふーん……じゃ、俺もついていこ。みんな、悪いな」

「え、あ!?」


 真っ先に気づいたのだろう。心が悔しそうに歯噛みする。
 気づいたときにはもう遅い。
 わざわざの誘いも、それを断らせたのも、すべてあやめの策だったのだ。


 ――計算どおり!


 愛読している漫画のキャラクターの心境で、あやめは口の端を曲げる。
 数秒後、教室中に怒号が飛び交った。


「いや、手伝うと言った手前、まあいいんだけど。腹黒いな」

「ふっ。手練手管と権謀術数とやおいは女の必修項目ですわ」


 小声でぼやいてきた明に、あやめは笑顔で返す。


「いや、あきらかに余計なもの入ってるだろう、それ」

「……やおいは女の必修項目ですわ!」

「残っちゃいけないのが残った!?」


 あやめの主張に明がノリよく突っ込んだ。


「……お前ら、楽しそうだな」


 すこし拗ねたように、友人はため息を落とした。








 昼食は、あやめにとって目に楽しいものだった。
 どこまでも中性的で、ミステリアスな魅力を持つ更科明と、あまたの女を袖にして“彼”を選んだ萩原友人(あやめフィルター越し)。
 彼女には鼻血があふれそうな光景だ。


 ――ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに。


 などと、あやめはほこほこ顔である。


「それにしてもさ」


 ゆったりとした食事を終え、友人がふと、口を開いた。


「なんであやめ、妙全寺のフリしてんだ?」


 その言葉に。
 明は苦笑し、あやめは息を呑む。


「気づいていたのか」

「……お前な、俺はそこまで鈍くない」

「どうだか」


 友人に半眼を向けられ、明が肩をすくめた。
 あやめはまだ言葉が出ない。
 萩原友人の鈍感さは、絶滅した巨大爬虫類をもしのぐと確信していたから、なおさらである。


「まさか、ゆーくんに気づかれるとは。わたくしの演技、それほど下手でした?」

「いや、さすがにしばらくは騙されたけど……そんな妄想全開の妙全寺があるかよ」

「……まあ、それもそうですわね」


 少し調子に乗り過ぎていたようだ。
 そのあたりはあやめも、認めるしかなかった。


「だいたいだな、妙全寺は目的のために明を利用したりなんかしない」

「……そうですわね。意地っ張りというか、見栄だけで生きてるような方ですから。思いつけないといったほうが正しい気もいたしますけど」

「ま、そこが妙全寺のいいとこなんだけどな」

「ええ。プライドのない妙さんなど、もはや妙さんではありませんわ。やおいのないわたしがそうであるように……」

「いいこと言ったつもりだろうが、比喩のおかげで台無しになってるぞ」


 妙に冷たい友人の視線をはねかえすように、あやめは胸を張る。


「それがわたしです」

「かっこいい!?」

「騙されてるぞ友人」


 思わずぐらついた友人に、明が冷たく突っ込んだ。
 いい関係である。

 それにしても。あやめは思う。
 それだけ妙全寺妙を識っていて、なぜ、萩原友人は彼女の好意に気づけないのか。

 一度尋ねてみたい気もするが。
 そんなヤツだからこそ友人なのだし、あやめが妙の好意を教えてやるのは、フェアではない。
 だからまあ、あやめが妙のためにしてやれることは、ひとつだけだった。








「ただいま帰りましたわよ。たえさん」

「あやめさんっ!」


 帰宅し、部屋に入るや否や、ベッドから飛び起きてきた双子の姉に、あやめはたじろいだ。


「首尾はいかがでした? あの女どもの手に萩原さまが落ちたなどと言うことは」

「えー、というか」

「というか?」

「いま、後ろにいらっしゃるのは誰だとお思いですか?」


 あやめは視線で背後を示した。
 妙の怪訝な表情が、驚愕に変わる。


「よ」


 あやめの後ろから、顔を出したのは萩原友人だった。
 ちなみに。妙の格好は、いまだに寝間着である。
 妙の悲鳴が屋敷にこだました。


「はははははは萩原さま!? どうしてこちらに? っと言うか服! 化粧! 橘さぁんっ!!」

「お、おい、無理すんなよ」

「……とりあえず、出ましょう。ゆーくん」


 女の義理として、あやめは友人を部屋から連れ出した。
 ふたりと入れ替わるようにして、使用人の橘が部屋に入っていった。
 すれ違いざまに、なぜか凄絶な殺気を友人に叩きつけていったのだが、友人はまるで気づいていないようだ。
 さすが筋金入りの鈍感である。


「……来ないほうがよかったか?」

「そんなことありませんわ」


 ぼけたことを言い出した友人に、あやめは苦笑まじりに答えた。


「きっとたえさんの風邪も、いまので吹き飛びましたわ」


 はて、と、友人が首をひねった。


「んー。あやめは妙全寺のこと、よく分かってるな」

「それは――まあ、双子ですので」

「その格好してたら、双子だってよく分かるんだがなあ」

「……なにやら普段のわたしの装いに、不満があるようなもの言いですわね?」

「い、いや、なにもない」


 これ以上はやぶへびだと気づいたのだろう、友人はあわてた様子で、自ら口をふさいだ。
 賢明な判断と言えた。

 そうこうしているうちに、きらきらの完全武装で、妙全寺妙が扉から顔を見せた。


「――お待たせいたしましたわ萩原さま! さあ、お茶などご一緒に!!」

「お、おい!?」


 やけに元気な妙に引っ張られ、友人は部屋つんのめるように部屋に入って行った。


「みっしょんこんぷりーと、ですわ」


 閉じられた扉に笑顔を向けて、あやめはその場を後にした。
 鼻歌を歌いながら歩いていくあやめの様子に、たとえば更科明なら、一抹の寂しさを読み取ったかもしれない。


「……なんでいつも、同じものを気に入っちゃうんでしょうねぇ」


 すこしだけさみしげに、あやめはつぶやいた。
 取り合いになれば、さき出し優先。
 双子のルールは、あらゆるものに適用されるのだ。





[3986] 父、参上
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:c95dfe0c
Date: 2009/07/17 20:12

 空港のロビー。手提げ袋ひとつ抱えて、男は天を仰いだ。
 懐かしき本土。そして懐かしき故郷の空だ。空気すら、やさしく語りかけてくるような、郷愁。
 あふれ出る情念を、男――萩原萩人は言葉にして吐き出した。


「友人! 心! お父さんは帰ってきたぞぉーっ!!」


 周り中が彼に注目した。
 あからさまに子供を隠す親さえいる。

 実年齢より十は若く見られる彼だが、それでも外見上、いい年の大人である。変質者に見られても致し方なかった。
 本人はといえば、周囲の目など気にならぬ様子だ。いそいそと携帯なぞかけている。


「――あ? モシモシ? 心ちゃん? お父さんだよーっ」

“死ね”


 一秒でガチャ切りされた。
 萩人はしばし、固まる。

 気を取り直し、息子の携帯電話にかけた。
 繋がりもしない。着信拒否されていた。


「子供たちよ……」


 萩人は涙をこぼさぬよう、天を仰ぐ。


「お父さんは悲しいぞぉーっ!!」


 警備員が速攻で駆けつけてきた。








「と言うわけなんだよ! ヒドイと思うだろう? 明ちゃん!」


 萩人は電話越しに愚痴をこぼす。
 相手は更科明。息子の幼馴染である。


「いや、まあ、どちらかと言うと警備員のほうに理があると思いますけど……なぜ私にかけてくるんです」

「冷たいこと言わないでくれよ友達じゃないか!」


 彼女に対してこんなことを言うから息子に嫌われているのだと、本人は気づいていない。
 萩人の涙声に、返ってきたのは盛大なため息だった。


「友人や心の気持ちは、ものすごくよく分かりますが。
 でも、自分の家なんだから、連絡せずに押しかけてもよかったんじゃあ」

「それは、出来ない」


 明の提案に、萩人は首を横に振った。


「なぜですか?」

「ウン、正直言うとだな」

「はい」

「金がないんだ」

「……はい?」


 萩人の告白に、調子の外れた声が返ってくる。


「正直、家に帰る電車賃すらない」


 しばし、沈黙。
 つぎに聞こえてきた声は、平素のそれより、一段低いものだった。


「……ひょっとして、マキさんに内緒で帰ってきたんですか?」

「うん」

「いい年してカワイコぶらないでください。いくつだと思ってるんですか」

「よんじゅっさい!」


 分別をわきまえた大人とは思えない返答だった。


「マキさんに内緒で、こっちに帰る金はどうしたんですか」


 明が尋ねてきたのは、萩原家の財布を握っているのが彼でなく、その妻であると知っていたからだろう。
 その質問に、萩人は頭をかく。


「なんかね、パチンコで大勝ちしちゃって。これだけあったら飛行機でウチに帰れるなーって考えてたら……飛行機乗っちゃってた」

「馬鹿ですか」


 二十以上年下の少女に、大上段に斬って捨てられ、萩人は慌てる。


「イヤ、お金、余計にはあったんだよ? でもよく考えたら、愛しい子供たちにお土産でも買ってやらねばと、父親としての義務を思い出して……」

「無一文になったわけですか」

「うん!」

「あなたは馬鹿です」

「素で言われた!?」


 萩人はショックを受けたように身を硬直させたが、至極まっとうな評価であることはあきらかだ。
 さきほど萩人を連行していった警備員も、「またこいつか」と言わんばかりの苦りきった表情を見せているのだが、萩人は気づいていない。


「とにかく、すぐに行きますからそこを動かないでくださいよ」


 盛大なため息とともに、釘を刺された。
 こども扱いである。
 それがまるきり正しいことは、一連の会話で、誰もが理解するところだろう。




 それから小一時間。
 更科明が空港にたどり着いたときには、当然のように萩人の姿はロビーになかった。


「あのひとは……」


 こめかみを揉み解しながら、明は萩人の携帯に電話する。


「やあ、明ちゃん」


 たっぷり五コール後。
 明のいらだちを助長するような、能天気な声が返ってきた。


「やあ、じゃありません。いまどこなんですか?」

「ああ、外そと。タクシーの運ちゃんと意気投合してね、いまからちょっと呑みに行こうかって盛り上がって――」

「一分待ちます……いますぐ戻ってきなさい」


 明は一切の感情を押し殺して告げた。
 萩人が戻ってきたのは一分を少々過ぎてからだった。


「よっ、明ちゃん。久しぶり」

「……ほかに言うことはないんですか?」


 へらへらと笑いながら、やってきた萩人に、明は半分座った目を向ける。


「キレイになったね。見違えた」

「私が聞きたいのは軽佻なお世辞ではありません!」

「でもオッパイは全然変わってないね?」

「誰が事実を言えと言ったっ!?」


 あっさりと逆鱗に抱きついてきた萩人に、明は柳眉を逆立てた。
 萩人はどこ吹く風である。へらへらとした笑顔が、明の神経を余計に逆なでした。


「あんまり怒ると美容によくないよ? ウチのマキちゃんも最近……」

「そのド元凶がなに言ってるんですか!」

「マアマア、それよりちょっと食事にしない? 俺腹減っちゃってさー」


 腹を押さえながら勝手なことを言い出す萩人に、明は腹の底から叫んだ。


「――いい年して高校生にたかろうとしないでくださいっ!」




 時間が外れているせいか、それとも流行っていないのか。店内に人はまばらだ。
 明は軽めに、萩人はがっつりと、食事を終えて。
 グラスを片手にふたりは近況を語り合った。
 ちなみに明のグラスの中身はミルクである。萩人はドリンクバーで珍妙なミックスジュースを作成していた。


「そっかそっか。友人は相変わらず女難で心は相変わらずブラコンなんだ」


 あっはっは、と、萩人は笑う。
 対する明は半眼である。


「笑い事じゃないでしょう。とくに後者」

「イイと思うけどな、別に。俺の妹も、若いときはあんなだったし。ハシカみたいなもんだろ」

「家系ですか……」


 明は絶句した。
 二代にわたってブラコンが生まれるとは、因業な家系と言うほかない。


「友人にしてもな。あの年頃じゃ、普通だろ?」

「……友人の状況を普通と思えるくらいの高校生活を、あなたが送っていたことは理解できました」


 ジト目でにらむ明の視線は、かろやかにかわされた。


「まったく。あなたを見ていると、友人の将来が心配になります」


 深々と。
 明はため息をつく。


「友人の将来が?」

「発言を勝手に改変しないでください!」

「マアマア。そんなに怒ることないじゃないか。俺も明ちゃんが来てくれるならうれしいぞ?」

「っ、友人にはいくらでもいい人が居ます! 勝手に決めないでくださいっ!  そんなこと言うから心に嫌われるんですっ!」


 頬を染めながら、明は言い返した。
 めったに見られない光景である。たとえば妙全寺あやめあたりが見れば、黄色い声をあげながら写メを連写するだろう。
 そんな明の様子に、萩人のほうは無邪気な笑顔でいる。


「イヤ、でもな。明ちゃんのポジション、俺で言ったらマキちゃんだぞ?」

「え?」


 と、萩人が唐突に口にした言葉を聞いて、明は固まった。
 聞き捨てならない発言だった。


「幼馴染でむかしっから気兼ねない女友達。ほら、明ちゃんだ」


 明はひとしきり首をひねり。
 テーブルに突っ伏した。


「うわドウシタ明ちゃん!?」

「いえ、なんでも。ちょっと軽く死にたくなるような想像をしてしまっただけです……」


 青ざめた顔で明は返した。


「……わたしがマキさんなら死んでもあなたのところへは嫁ぎたくありません。ええまったく理解不能ですとも」

「ナンカさりげなく酷いこと言われてないか俺っ!?」

「四十過ぎて専業主夫やってるオッサンと、結婚したいと思うほうがおかしいですよ」

「四十過ぎ・・チガウっ! 俺四十! ジャストナウよんじゅっさい!!」

「ああ、そうでした。この四十歳児」

「四十歳児!? ナンダそのハズカシイ響き!!」 


 がーん、と、萩人はショックのリアクション。


「でもイイじゃないか! 少年の心を失わない大人カッコイイっ!!」

「少年の心を失わない青年とかなら、まだ響きはいいですけど、少年の心を持った中年は存在自体が犯罪です」


 明は吐き捨てるように言った。軽蔑の色を隠す様子もない。


「いや、でも、まあ……俺も最初から四十歳だったわけじゃないんですよ? 大学出たての若いころとか、あったりしたわけですよ」


 さすがに。萩人も分が悪いと感じたのか、アプローチを変えてきた。
 むろんどれほどアプローチを変えようとも、萩人と言う時点でOB確定である。


「無理です」

「じゃあそのころの友人なら?」

「……まあ、土下座して頼むなら、考えなくもないです」


 萩人の言葉にしばし思案したのち。
 あさってを向きながら、明はそう答えた。


「あ、同じだ」

「なにがですか?」

「マキちゃんと。俺、マキちゃん土下座して口説いた」

「がっ!?」


 心に負ったダメージに、明は突っ伏した。
 不意打ちかつクリティカルヒットだった。


「明ちゃん? 明ちゃーん!?」


 萩人が声をかけてきたが、ダメージはしばらく回復しそうになかった。








 それから。
 友人や心、その周りの諸々について、ひとしきり話して。
 ファミレスを出たところで、萩人の携帯が鳴った。


「んー? 誰ちゃんかな――って、マキちゃん!?」


 ディスプレイを見た萩人の顔色が変わる。


「はい。俺です。いや――だから――その――チョットくらい言い訳――いや、イイデス。ハイ。スグに帰ります」


 片方の声しか聞こえなくとも、力関係がよく分かる会話だった。


「……じゃ、俺、帰るから。友人と心にヨロシク」


 すっかり背を丸めて。萩人は手にした土産物を明に寄越してきた。


「うう。せめて一目、子供たちを見たかった」

「会ったところで、返ってくるのは罵声だけな気もしますがね」

「それでも嬉しいんだよう」


 なにやらもの悲しくなってくる言葉だった。
 さすがに明もかわいそうになってきた。


「まあ、またマキさんが休暇取れたら、一緒に帰ってくればいいじゃないですか。マキさんも、抜け駆けしたから怒ってるんだと思いますよ?」

「ん――あ!? マキちゃんに告げ口したの、明ちゃんだろ!」


 言葉の端からなにか感じ取ったのだろう。萩人が唐突に声を上げた。


「萩人さんはただの友人ですけど、私、マキさんとは親友ですので」


 しれっと言って、明は微笑んだ。
 本人は気づいていないが、萩人が頭が上がらない某人物と、そっくりの表情だった。


「明ちゃんの馬鹿ーっ! そういうとこホントにマキちゃんソックリだーっ!!」


 叫んで、空港にむかって走ってゆく萩人をながめながら。
 不吉な未来図を想像して、明は頭を抱えた。





[3986] 友人の私情
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/17 20:12

 萩原友人はわが校の有名人である。
 多くの美女、美少女をずらりとそろえた萩原ハーレムの主として。また彼をめぐる女たちの争い、トラブル元凶として、怨嗟を伴った声が上がらぬ日はないと言っていい。

 そんな彼に対し、人ならだれしも抱く疑問がある。


「なんであいつはあんなに鈍いんだ」


 これである。

 そんな声が毎回上がるのは、萩原ハーレム対策委員会においてである。
 たとえば妙全寺妙と、あるいは萩原心と、由良ふたつや三笠笹木と、くっついたらくっついたで血涙を流すことになるのは分かっているはずだが、それ以上にわが校の美女たちが独占されている状況には耐えがたいらしい。

 だが、とっととくっつけるにしても、委員会内で各派閥の思惑が絡み合って容易には決まらない。
 腐の人である妙全寺あやめが加わってひっかきまわすから、余計に議論はまとまらなくなる。
 
 ともあれ、萩原友人は朴念仁である。
 恐竜並みに鈍い、と評したのがだれだったのか、残念ながら失念してしまったが、至言だと思う。

 彼が何故かように他人の好意に鈍感なのか、幼馴染であるところの更科明に聞いてみたことがある。


「おそらく、こういうことではないだろうか」


 いつものように文語調の、もってまわった言い回しで、彼女は語った。


「感覚の疲労という概念がある。特定の刺激を受け続けると、感覚がその状態に慣れてしまって、それに反応しなくなる――すなわち、刺激を与えても与えなくても変わらない状態になってしまう。
 そこで友人の話だ。友人は、幼いころからモテてきた。それはもう、ものすごく」


 そこまで聞けば、彼女の言わんとするところはわかった。
 つまり友人は、モテていることが当たり前すぎて、それに気づけなくなってしまったのだ。
 ご愁傷さまと言うべきか、それともざまあみろと言うべきか、迷うところだった。

 同じ話題を、友人の隣人であり、教師でもある森野久万女史に尋ねてみた。
 彼女の意見は、更科明とはまた違う。


「明ちゃんの意見、まあ正しいとは思うんだけど、他にも原因はあると思うな」


 森野女史の意見はこうである。


「感覚の疲労ってのはいいとこ突いてると思うけど、友人ちゃんが披露してるのはもっと根本的な部分じゃないかな。たとえば異性に対して抱く劣情というか、そのあたりが麻痺してるのよ」


 ちっさい時から美人慣れしてるしね。と、森野女史は付け加えた。
 たしかに。妹の心といい、更科明といい、森野女史もそうだ。幼いころから美人とスキンシップを重ねてきた結果、友人は異性に性的欲求を抱けない体になってしまったのではないか。
 さすがにそれは哀れをもよおす説ではある。

 こんな意見もある。


「それはゆーくんが同性(ry」


 こんなことを言い出すのはだれか、あえて述べるまでもないだろう。

 続いて彼の妹であるところの萩原心に尋ねてみたところ、こんな意見が返ってきた。


「それはわたしが毎晩おにいちゃんの耳元で(ry」


 例の腐の人とは違う意味で危なかった。

 これだけ素養があれば、彼が男女の機微について、異常なまでに疎いことに関して説明できるような気がするが、実はこのどれもが決定打でないことを、友人の幼馴染にして数少ない同性の友人であるところの僕は知っている。

 友人が朴念仁になった原因。
 それは、同じく幼馴染であるところの更科明が原因なのだ。








 小学校の頃の話である。現在の萩原ハーレムを構成するメンバーの大半と、未だ知りあってはいない状態だった。
 幼いころの更科明は、いまよりいくらか活発で、男である僕や友人ともよく遊んでいた。


「明、俺のこと好きみたいだ」


 と、友人が言ったのは、いつごろだったか。とりあえず冬だったのは覚えている。僕の家に炬燵が出ていた時、それにあたりながら唐突に口にした言葉だった。
 僕はといえば、未だ異性に興味を持ち得ないころである。ふーんそうなんだと聞き流していた。また、とてもそうは見えなかったこともある。
 言うなれば、友人の自意識過剰ではないかと、この時は疑っていたのだ。

 そうでないことは、案外すぐにわかった。
 今度は明のほうから相談を受けたのだ。
 彼女は友人のことが好きだと明言はしなかった。「でも」「だって」「そういうんじゃなくて」といった言葉を多用しながら、どうやら友人のことが好きだと言いたかったのだと僕が察したのは、実に日が改まってからだった。

 ここは共通の友人である僕の出番だろうと、この時の僕は張り切った。
 友人にしても、明のことが嫌いではないと分かっていたから、なおさらである。

 まず、僕は明に告白する場所を提供した。
 その場所で顔を突き合わせたふたりだが、明はあらゆる婉曲的な言葉を使って「なんでもない」ことを主張していた。あきれるほかない。

 どうやら彼女のほうから告白させることは、非常に困難なのではないかと気づいたのは、数度も告白に失敗したときである。
 そこで、今度はアプローチを変えた。友人のほうから告白してもらおうとしたのだ。

 だが、これが失敗だった。
 煮え切らない明に、友人がへそを曲げてしまったのである。


「絶対、あいつからはっきり言って来るまで、俺知らないふりするから」


 そう言って、本当に知らんぷりしてしまった。
 明が何か言いたそうにしていても、いい雰囲気になりそうな時も、友人はあえて知らんぷりを続けた。

 習いは性と言う。
 中学校に入り、高校に入るに至って、友人は無意識のうちにそういうイベントをスルーするようになっていた。意図しているわけではなく、もはやそれは無意識の作業となっているのだ。相手の好意に気づけるはずがなかった。
 立派な朴念仁の誕生である。

 むろん、これだけが原因ではなく、更科明や森野女史たちが挙げた種々の要因が重なってこその筋金入りなのだろうが。








 更科明が今でも友人に好意を抱いていることを、僕は知っている。
 友人も、おそらく明が一番なのだと思う。
 だけど、未だに共通の友人である僕は、それを後押しするつもりなどない。

 高校生にもなって他人の恋愛事情に首を突っ込む趣味もないし、なにより。

 あれだけいい女に囲まれてる野郎に、更科明を渡す気など、さらさらないのである。






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