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[31742] 夜叉九郎な俺(架空戦国史)
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2013/08/12 16:42
以前に『烏の紋章の名の下に』を執筆していたFINです。
今回は一転して戦国時代の話で尚且つ、割と流行りのジャンル? となっております。
主役については――――とりあえず、題名で御察しして頂ければ幸いです(待。


・注意点として
この御話は転生または憑依ものではありますが、僅かに逆行(?)の要素もあり、比較的シリアス方面です。
流石に烏の紋章の名の下にほどではないと思いますが……御注意を。
あくまでフィクションであるため、忠実ではない部分も何かとあるかと思いますが御了承願います。
やはり、多少の浪漫もあった方が良いと思うので(ぇ。


後は題材となっている人物の都合もあり、資料関連が比較的薄めです。
自分でも調べたり、書籍を探すなどやっておりますが……流石に限界もあります。
また、一部で先進的な要素なども出てくるとは思いますが……自分だけではどうも方向性が偏りかねません。
もし、皆様の御薦めのもの(ホームページ、書籍、資料など含む)がありましたら、教えて頂けると嬉しく思います。


色々と思考錯誤する事もあり、現在の私の置かれている状況からも執筆速度は比較的遅くなると思いますので、気長に御待ち頂けると幸いです。
至らぬ身ではありますが……どうぞ、宜しくお願い致します。


※2012/7/28 自サイトでも掲載開始致しました。
※2012/10/14 タイトルに架空戦国史である事を明記致しました。
※2013/8/12 不定期になりますが、更新再開?





[31742] 夜叉九郎な俺 プロローグ
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2012/12/02 06:24






 ――――人は死ぬ時に何処に逝くのであろうか。





 ――――命の火が消えたその時で全てが終わりなのだろうか。





 ――――はたまた、一つの命が終わった時、次の人生をおくるために違う人間となるのだろうか。





 ――――それは誰にも解りはしない。





 ――――実際に死後の世界を見たと口にする人なんて存在しないからだ。





 ――――だが、自分が死んだ後に本当に違う人生を送る事になるとすれば如何であろうか。





 ――――今から始まる物語はそのようなもしもがあったとすれば始まる物語である。















(ここは何処だ?)


 俺はゆっくりと目を覚ます。

 目の前に見える光景は今までの自分が見ていた光景とは全く異なるもの。

 辺りを見回すと如何やら、何処かの城か武家屋敷の一室のように見える。

 部屋の広さや造りからすると町人の住むようなものではないし、立てかけてある武具等は飾り物ではない。

 とりあえず、今居る部屋に置いてある物を見て判断する限り、日本である事だけは間違いないだろう。


「九郎! 九郎はおるか!」


 俺が周囲を眺めていると若干、年老いていると思われる男性の声がする。

 だが、九郎と言う名に全く覚えはない。

 男性は迷いなく、此方の部屋へと足を進めているようだから九郎とは俺の事なのだろう。

 だが……九郎と言う名前。

 ありきたりではあるだろうが、このような失われたはずの物が存在する場所の中で現代では考えにくい名前が出てくると言う事は時代は現代よりも随分と昔らしい。

 一瞬、舞台のワンシーンでも演じているのかと思ったが、周囲を見渡す限りとてもそうは思えない。

 天井に照明もなければ、舞台装置なども見当たらないため、本物の城か武家屋敷だといった方がしっくりするような感じだ。

 そもそも、普通に考えれば今まで見ていた光景の次に見た光景が城や武家屋敷の中などという事はない。

 夢ではないだろうかと思って、軽く頬を抓ってみると確かな痛みがあるため、夢ではないようだ。

 この場所はあくまで本物であり、この場にいる俺も間違いなく本物である。

 とりあえず、心を落ち着かせて、じっくりと部屋から見える周囲の様子を見たところ、室町時代(戦国時代含む)かそれとも江戸時代か。

 断言する事までは出来ないが、少なくとも城といった形の建造物が少なかった時代である鎌倉時代とは考えられない。

 昨日まで生きてきた現代では小説の中にある朝に起きてみたら戦国時代だったとか言う話もあるし、車に轢かれて死んだら違う人間になっていたと言う話もある。

 可能性としては決して零ではない。

 不思議な事というものは幾らでも存在しているからだ。

 定義が何であるかまでは断言出来ないが、俺は確かに現代と言う時間において、死亡している。

 死因は爆発に巻き込まれての死亡。

 良くある人間とは少し違う人生の終わり方ではあるが……予期せぬ死に方という意味では要素としては同じだ。

 前世の最後に見た記憶は一人の女性を爆風から庇ったところ。

 大学を卒業するだけに控え、自分の彼女と一緒に学生生活最後の旅行を楽しもうとしていた矢先に起きた飛行機の墜落事故。

 俺はそれに巻き込まれたのだ。

 最後に見た光景は飛行機の残骸の周囲に溢れかえる火の海と彼女の身を庇い、身を焼かれる俺の姿。

 そして、その直後に疾った閃光。

 俺はその閃光を見たのを最後に意識を手放している。

 恐らく、最後の一瞬まで彼女を守ろうとしたのであろうが、それ以上の事は解らない。

 そもそも、自分の最後の瞬間なんて一瞬だ。

 何が起こったかの全てを理解するのは難しい。

 ましてや、全く予期していなかった事故の中で命を失ったのだ。

 唯一、気がかりなのは俺と同じく閃光に包まれた彼女がどうなったかだが……何がどうなったのかさっぱり解らない。

 何故、こうして違う人間となって再び人生を送ろうとしているのだろうか。

 俺の意識が覚醒したのはたった今の事であるが、身体に違和感は全く感じられない。

 寧ろ、この身体も俺自身の感覚との相違は殆どない。

 誰かに憑依しているのかと問われれば、そうだとは言いにくいが、転生したかと言われればしっくりくるかもしれない。

 何しろ、ゆっくりとではあるが元々からこの身体にある意識と俺の意識が擦り合わされていくのが解るからだ。

 元々からあるこの身体に残る記憶は小田原征伐の参陣中に流行病に倒れ、僅か25歳で没したという事。

 そして、脳裏に過ぎる最後の風景は髭が特徴的な一人の人物に「俺の分まで生きて下さい」と後を託すところ。

 どうやら、元々の記憶の人間も時間を逆行した形らしい。

 流れてくる記憶の限りでは元の人間が活躍したのは天正年間――――要するに戦国時代だ。

 とりあえず、時代の目安は見えたが……俺がこの時代に転生し、元の人間も死亡した時から逆行した事により、記憶が大きく混乱しているようだ。

 そのため、完全に意識が統合されるまではまだ時間がかかる。

 これは俺という人間と元々の人間というそれぞれの前世に残る意識の覚醒が遅かっただけに過ぎない。

 正直、頭の収拾が追いつかないが……このパターンは俺も同じなのか!?

 などと、心の中で驚愕していると九郎と呼びながら俺のいる部屋に向かっていたであろう男性が顔を見せる。


「おお、九郎よ。このような所におったか。ん? 何を惚けておる?」


 俺の前に現れた男性が怪訝そうな表情を見せる。


「い、いえ……何でもありません。して、如何したのですか?」


 男性の様子に慌てて返事をする。

 間違いなく、俺の事を九郎と読んでいる相手に対して知らないと言う顔をする事は出来ない。


「なんじゃ? 忘れておるのか? 今日はお主が我が戸沢家の18代目当主として家督を継ぐために元服の儀を迎える日ぞ? 既に其方の兄である盛重も待っておる」

「ああ、そうでしたね。すぐに参ります」


 男性の口から出てきた元服と言う言葉に思わず頭を下げる。

 元服の儀と言う事は俺は今から大人になると言う事だ。

 そのような重大な事を忘れていたなどとは自分の口から言うわけにはいかない。

 俺は慌てて男性の後をついて行く。


(しかし、戸沢か……)


 たった今、男性が口にした戸沢と言う苗字だが……何処か引っかかる。

 それに俺の兄と言う盛重の名前。

 恐らく、戸沢盛重と言う人物の事だろう。

 俺は頭の中にある人物の名を思い浮かべる。


(で、俺は九郎と言う名前で戸沢盛重から家督を継ぐ……? そして、俺が18代目の当主……まさかっ!?)


 その浮かび上がっていく名前からキーワードが少しずつ一致していく。

 俺の名前は戸沢九郎。

 今日、これから兄である戸沢盛重から家督を継承する身。

 キーワードとしては少な過ぎると言えるがこれはもう、間違いないだろう。

 元々の人間の持つ記憶からもはっきりと今日が自分の運命を決めた日であるという事がはっきりと伝わってくる。

 何しろ、今の俺の身体は13歳ほどの少年であるのだから。

 13歳にして出羽国、角館の戸沢家の家督を継いだと言う事で有名な人物なんてそう居たりはしない。

 しかも、戸沢家の18代目当主となれば自ずと正体が絞られてくる。

 そう、俺の名前は――――。















 ――――戸沢盛安だ。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第1話 戸沢盛安
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2012/04/15 23:00





 さて、自分の名がはっきりしたところで簡単に自己紹介してみようと思う。





 ――――戸沢盛安





 1566年生まれ、1590年没。

 桓武平氏である平衡盛を祖とし、丸に輪貫九曜の家紋を持つ戸沢家、18代目当主。

 夜叉九郎または鬼九郎の異名を取る事で知られ、総大将でありながら常に陣頭に立ち、単騎で敵を蹴散らしたという猛将。

 しかしながら、戦の中で負傷し、捕虜となった武将や兵士は斬らずに敵の陣まで送り届けたという側面も持つ、優しい部分もある人物である。

 後に豊臣秀吉の小田原征伐に僅か9騎の手勢で参陣し、所領を安堵されたが陣没する。





 というのがまぁ、一般的に知られているであろう簡単なプロフィールなのだが……正直、反則気味だ。

 単純に見ても並の武将ではないし、下手をするとチート様と呼ばれても可笑しくないほどの人間である。

 それに武将としてだけではなく、先見の明も持ち合わせていた人物であった事も有名だ。

 何しろ、家督を継承して僅か1年後の1579年には織田信長へ使者を派遣しているのである。

 地方の小大名でありながら、中央の動向を見極める事が出来るほどの広い視野を持つ人物であった事が窺える。

 が、これほどの人物でありながらもこの時代の奥州には独眼竜こと、伊達政宗が存在するため今一つ印象が薄い。

 まぁ、現実の事をいうとするならば若すぎる死を迎えている点も理由の一つだろう。

 何しろ、戸沢盛安という人物は享年25歳という若さなのだ。

 これでは、世間一般的にはどのような評価をするべきか悩む。

 しかし、若くして亡くなった人物でありながらも戸沢家の全盛期を築き上げたその手腕は本物である。

 智勇を兼ね備え、戦乱の中を流星のように駆け抜けていった若き武者。

 それが現代における戸沢盛安という人間の評価である。















「九郎よ。これからは戸沢盛安の名を名乗るが良い」

「……はい。確かに盛安の名、拝領致しました。この戸沢九郎盛安、戸沢家当主として恥じぬよう精進致します」


 意識の擦り合わせが進んでいく中で元服の儀もつつがなく進行していく。

 本来ならば、手間取る事ばかりであろうが俺は”戸沢盛安”だ。

 既に元服の儀は経験している。

 記憶の中では随分と昔の事だが、戸沢盛安という人間が表舞台に出る初めての日だ。

 遠くなってしまった記憶の中でも大きなイベントであるとも言える。

 まさに盛安という人間にとってはスタート地点なのだ。


「若殿、おめでとうございます」


 戸沢盛安の名を貰い、正式に戸沢家当主となった俺に祝いの言葉が投げかけられる。

 周囲にいるのは戸沢家の家臣団。

 俺の意識では解らなくとも戸沢盛安の意識ならば誰なのかは一瞥するだけで解る。

 いや、もう既に戸沢盛安としての記憶が覚醒した今となっては戸沢盛安という一人の人間なのだからその表現は可笑しいか。

 この場にいる者達は紛れもなく当家に仕える者達であり、戦で共に戦った人間達。

 戸沢盛安の短い25年の人生の中でも、自分の後ろを従いてきてくれた者達だ。

 この者達には短い間であったがこの者達には世話になったし、戦においては多く助けられた。

 だからこそ、俺は史実通りの短い人生を辿ろうとは決して思わない。

 戸沢盛安が何処まで乱世を征く事が出来るのか。

 何処まで名を上げる事が出来るのか。

 それが見たくて従っていた者も少なくないからだ。 

 戸沢盛安が奥州に覇を唱えるに足る人物であるか如何かも含めて。

 なればこそ、再び廻る事となった乱世を存分に駆け抜けていくのみだ。

 遠い先の時代の歴史を知り、2度目の人生を歩む機会を得たからには史実では成す事が出来なかった事も成してみせる――――。

 それが、戸沢九郎盛安の新たな誓いである。














 元服の儀と家督継承の儀も終わり、宴が催されている最中。

 戸沢家の家臣達が次々と家督を継いだ祝いの言葉を伝えに訪れる。

 とはいっても、元より小大名である戸沢家に従っている者は余り多くはなく、現在においても知られている人物は少ない。

 名前が辛うじて知られているであろう人物をあげるならば、戸沢盛吉や戸蒔義広あたりといったところか。

 中でも戸沢盛吉は重鎮中の重鎮で史実でも盛安から3代に渡って家老を勤めた人物だ。

 小田原征伐の際も状況次第では国元から軍勢を出す手はずになっており、それを率いる役を任せられていた事からも重要な立場にあった事が窺える。

 また、戸蒔義広は出羽国にある城の一つである戸蒔城を治める有力な家臣だ。

 角館城を中心とした小大名でしかない戸沢家にとっては貴重な人物であると言える。

 他に名前がそこまで知られていないであろう人物達も含めれば、他にも門屋宗盛、白岩盛重と盛直の親子、八柳盛繁といった家臣もいる。

 小大名でしかないとはいえ、戸沢家の力は悲観するものではない。

 例え、後の時代では知られてはいなくとも盛安の身の回りには極めて優秀な人物もいるからだ。


「若……いえ、殿。初陣の際にはそれがしに先鋒をお申し付け下され」

「ああ、期待しているぞ。政房」


 特にその中でも歴史上に名前が残っている人物の一人が戸沢政房。

 南部家の一族でありながら戸沢家に従っている稀な人物であり、史実においては九戸政実の乱で勇名を馳せた人物である。

 豊臣秀吉、豊臣秀次からの覚えも目出度く、彼の有名な直江兼続と同じく陪臣でありながら直臣に招かれた数少ない人物の一人だ。

 盛安が家督を継承した頃は南部五郎または杉山勘左衛門と称しているはずだが、それでは余計な混乱を招くため、ここでは戸沢政房とする。

 主に目覚しい活躍をしたのは盛安死後の事ではあるが、遠い先の知識もある今ならば政房の活躍も頭の中にある。

 正直、戦において先鋒を任せられる武将がいるというのは何かと心強い。

 戦においては全体の指揮を執る武将が重要であると思われがちだが、緒戦にて劣勢になってしまえば元も子もない。

 だが、政房のような武勇に優れた武将が先鋒として敵方と槍を合わせる事で戦の流れを序盤から引き寄せる事も可能だ。

 そのため、先鋒を任せられる人物がいるかは意外に重要である。


「盛安様。解らぬ事がありますれば、この利信に聞いて下され。非才の身ではありますが、お役に立てるかと存じます」

「うむ。利信の才覚は解っているつもりだ。何かと尋ねる事もあるかと思うが、宜しく頼む」

「ははっ! この前田利信、粉骨砕身の覚悟で御仕え致しまする」


 戸沢政房に続いて、一番最後に訪れたのは前田利信。

 前田利信もまた、戸沢政房と同じく歴史上に名を残している人物であり、知勇兼備の武将として知られている。

 史実においては由利十二頭の赤尾津氏や羽川氏と戦った人物であり、盛安が織田信長に鷹を献上した際の使者を務めるなどその活躍は多岐に渡る。

 更には信長に鷹を献上した際に独断で行動を起こし、盛安の名義ではなく、自らの名義で鷹を献上するという大胆な事までやってのけている。

 この行動はある意味では謀反とも取れるが、この事に関しては盛安が信長に交渉して撤回させている。

 利信も事実上の天下人を相手に交渉したという盛安の器量を認め、素直に従ったため盛安が健在の間は大きな問題とはならなかった。

 尤も、前田利信の家系は後の時代にその報いを受ける事になったのだが。

 まぁ――――何れにせよ、戸沢家の中にも面白い人物がいたという事である。















(……これで、一先ずは終わり、か)


 戸沢家の家臣団からの祝いの言葉を受け取り、宴が一段落した事で俺は天を仰ぐ。

 間もなく、宴が終わろうとしている。

 宴が終われば、後は夜を迎えるのみ。

 そして、夜が明けた後は戸沢家当主としての日々が始まる。

 戸沢盛安の生きた25年という歳月の中で重要な位置を占める後半生。

 1度目は流星のように駆け抜けた人生だが、今回はそうもいかない。

 何しろ俺は既に先の事を知っているし、2度目の人生である以上は史実に基づくだけの生き方をするつもりもない。

 だが、歴史を変える事によって何が変わるかは解らない。

 小田原征伐で死を迎えるか、それとも全く違う形での死を迎える事になるのか。

 幾ら、先の事を知っているとはいえ全てが解るわけではない。

 例え、遠い先の時代に遺された歴史の結末を知っていたとしても、知らない事だって幾らでもある。

 俺の前世だって全てを知っている賢者のような人間ではないからだ。

 決して、自分が思うほど万能な物ではない。

 確かに2度目の人生を送る事になった戸沢盛安という人物ではあるが、先の時代の知識が加わった事で微妙に変わっている点もある。

 統合されたといえ、一部の記憶は戻らなかったからだ。

 主に先の時代において不明とされていた部分の記憶に関しては一切、頭の中に残っていない。

 そういった意味では過信は禁物なのだ。

 史実では知られていなかった事については大差がないと言う事でもあるのだから。

 まずは戸沢家の置かれている状況の確認と取り巻く状況の確認。

 そして、現在の段階で史実では出来なかった事のうち一つでも何かが出来るか如何かを確認する。

 如何のような方針で行動を起こしていくか、それが新たな一歩を歩む前に考えなくてはならない事。

 正直、出来る事がそれほど多いとは思えないが何事も少しずつでいいから実行してみる事が大事だ。

 2度目となるこの人生において目指すものが何かはまだ、見えないが――――やれる事をやって歴史を変えて見せる。

 今はその決意で駆け抜けるのみだ。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第2話 状況整理
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2012/08/26 10:05

 元服の儀と家督継承の儀が終わった翌日。

 慌しく過ぎていった覚醒初日とは違い、ゆっくりと落ち着ける。

 戸沢家の当主となったからには今後を如何ようにするべきかを考えなくてはならない。

 何しろ、2度目となる人生なのだ。

 自身の出発点であった家督継承の時点では無理だった事も今ならば考えられる。

 とりあえず、現在の置かれている状況と周囲の状況。

 また、家督継承の時点での主な出来事を整理してみようと思う。















 まずは角館城を本拠とする戸沢家の勢力。

 小大名と呼ばれるほどでしかないが、出羽国内では有力な大名の一つである。

 出羽国の北には強大な勢力を持つ安東家、南には1578年現在において全盛期を誇る小野寺家が存在している。

 戸沢家は出羽国では中心部を勢力圏とし、北と南でそれぞれに出羽国の勢力に囲まれていた。

 だが、本拠地である角館城は天然の要害に守られていて堅固であり、守りやすいために安東も小野寺も侵攻していない。

 そういった事情もあり、長らくこの地に拠を置いた戸沢家の力は充分に蓄えられている。

 また、意外に知られていない事だが、戸沢家の領内は多量の金が産出し豊かであった。

 石高は盛安が当主を務めていた全盛期で4万石ほどであったと言われているが、実際に合戦で動員されていた軍勢は石高の実数よりも遥かに多い。

 何しろ、盛安は史実において3000人以上もの軍勢を率いていた事もあったのだから。

 1万石で300人という計算で見積もったとしても、石高の2倍以上もの動員力を有している事になる。

 そのため、戸沢家は石高以上の勢力基盤を持っていたといえる。

 しかし、周囲の状況も踏まえれば楽観視する事は出来ない。

 石高以上の力を持っていたという点では北の安東家も同じであるため、決して恵まれた状況にあるとは言い難いからだ。

 安東家も石高は7万石前後の大名だが林業や貿易を中心に栄えており、実数以上の動員力を有していた。

 それに南の小野寺家も3万石前後の大名で力は戸沢家と大きくは変わらない。

 戸沢家は北の安東家と南の小野寺家に囲まれている形なのである。

 また、角館の南西にあたる日本海側の由利地方では由利十二頭と呼ばれる豪族達が割拠しており、混乱を極めている。

 戸沢家は配下の前田利信がその中の赤尾津氏、羽川氏と交戦しており、由利地方にも少なからず影響を持つ。

 最後に戸沢家の西に勢力を持つ大宝寺家だが、同じ出羽国内の大名でありながら安東家、小野寺家に比べると戸沢家との接点は非常に少ない。

 大宝寺家は小野寺家よりも更に南に勢力を持つ、最上家との関係に悩まされていたからだ。

 出羽国は大きく分けると北と南に分かれるが、出羽国の南の殆どを掌握している最上家が最大の勢力であると言っても良い。

 特に現在の最上家当主、最上義光は奥羽の驍将または羽州の狐とまで称される人物で出羽国における第一人物である。

 幸いにして最上義光は戸沢家に対しては矛先を向けておらず、大宝寺家や伊達家を相手にして動いている。

 現状の段階では脅威と見るには早いだろう。

 寧ろ、状況が整わない限り、最上家と事を構える必要性は全くない。

 最上義光の恐ろしさは史実が証明しているのだから。

 こう見ると小大名でしかないとはいえ、戸沢家は意外と周囲に対して影響力がある。

 しかも、長らく力を蓄えてきただけあり、盛安が家督を継承した時点では既に勢力を拡大するための基盤が出来上がっていた。

 これならば、史実において戸沢家が盛安の代になって急速に勢力を広げたのも理解出来る。

 今まで積極的に動かずにいたが故に比較的安定した戦力を動員する事が出来たのだから。

 積極的な軍事行動で奥州に夜叉九郎の名を轟かせた戸沢盛安。

 彼の背景の多くは機が熟すのを待ち続けた家が持つ利点があってのものだったのである。















 次に周囲の状況についての簡単な概要。

 まずは最上義光が率いる最上家。

 この頃の最上家は伊達家と争っており、更には最上八楯と呼ばれる国人連合との戦いが終わったばかりであった。

 最上八楯は義光の父、最上義守の忠臣である天童頼貞を中心とした勢力で何れも最上家の分族で構成されている。

 義光は1577年に最上八楯と戦ったが、天童頼貞、延沢満延をはじめとした八楯が誇る武将達の率いる軍勢に敗北し、和議を結んだ。

 また、翌年の1578年には伊達輝宗との間に柏木山の戦いが勃発しており、内に外にと忙しい有様であった。

 最上家は出羽国の中でも最大の実力者ではあるが、北に目を向ける余裕は少ないといえる。

 次に史実における盛安の最大の敵であり、強敵であった安東愛季が率いる安東家。

 盛安が家督を継承した頃は稀に南部、津軽と争う事があったくらいで基本的には目立った動きは見せていない。

 但し、それはあくまで奥州の中だけでの話である。

 安東愛季は日本海における交易経路を確保しており、それを利用した情報収集などに抜かりがなかった。

 事実、この頃の愛季は織田信長と誼を通じ、従五位の官位に就任するなど中央とも関わりを持っている。

 そういった意味では非常に広い視野を以って政を行なっていたといえよう。

 また、安東家は蝦夷の蠣崎家を配下とし、蝦夷地にも強い影響力を持っている。

 出羽の北部と蝦夷を従える安東愛季は盛安にとって最上義光に並んで脅威となる存在だといえる。

 尤も、愛季の方も領内に浅利勝頼という不穏分子を抱えているため、迂闊には動けない状況にあり、現状は南に目を向ける余裕は少なかった。

 残る小野寺、大宝寺は戸沢と力関係はそこまで変わらないし、由利十二頭はあくまで豪族でしかない。

 もし、戸沢家に対抗するなら死力を尽くすしかないのである。

 現状に関していえば最上義光、安東愛季の二大巨頭が積極的に動けない現状は戸沢盛安にとっては余りにも恵まれた状況だ。

 少なくとも数年程度の時間であれば確実に空白の時間も導き出せる。

 方針を決めて、その準備を進めるなら今しかないのである。















 盛安が家督を継承した1578年(天正6年)の時点での主な出来事についてだが……1578年は既に戦国時代も後半といった年代である。

 実のところ、盛安が家督を継承したこの年は意外に歴史上でも重要な人物が多数亡くなっていた。

 まずは越後の大名、上杉謙信の死亡。

 これは歴史上でも一つのターニングポイントであり、上杉家の衰退と織田家の飛躍に直結している。

 上杉謙信は脳卒中で死亡する際、後継者を明確にしていなかった。

 謙信には上杉景勝と上杉景虎の2人の後継者がいたが、そのどちらが後を継ぐのかを決めていなかったのである。

 この時、景勝の腹心である直江兼続(当時は樋口の姓を名乗っている)の活躍により、景勝は景虎を出し抜く事に成功している。

 だが、景虎側も出し抜いた形で当主に就任した景勝を認めず、反乱を起こす。

 これが後に御館の乱と呼ばれる上杉家の内乱である。

 盛安が家督を継いだ当時、上杉家は御館の乱の真っ最中であり、越後国内は景勝派と景虎派の争いが繰り広げられていた。

 御館の乱は越後国での内乱であるため、傍目からすれば出羽国の戸沢家からすれば関係ないようにも思える。

 だが、越後国は日本海側で出羽国と国境を接しており、上杉家は史実でもしばしば出羽国に侵入している。

 そのため、上杉家の動きというのは出羽国の大名や諸勢力にとっては重要なものであった。

 また、上杉家以外でも時を同じくして重要な人物が亡くなっている。

 甲斐、信濃に影響力を持つ大名である武田家の家臣で逃げ弾正の異名を持つ人物である高坂昌信だ。

 彼の人物もまた、歴史上で名を残した人物でその活躍は甲陽軍鑑を中心に多くの事が伝わっている。

 高坂昌信は若い頃から武田信玄に仕え、その軍略を直々に伝えられた人物の一人。

 1575年における長篠の戦いにおいて馬場信房、山県昌景、内藤昌豊らを中心とした多くの武将達が死亡する中で唯一、信濃に残っていたために悲劇を免れていた。

 織田家との戦いによって力を一気に失った武田家にとっては最後の柱石とも呼べる大物であった。

 だが、昌信も上杉家で御館の乱が勃発した暫くの後に亡くなっている。

 昌信は武田家の内外において重要な地位を占めていた人物であり、自らが没する際に遺言として上杉家、北条家と手を結ぶように言伝を遺していた。

 これは織田信長が台頭し、何れは武田家にも侵攻する事を見越しての事で昌信は武田、上杉、北条が結束しなくては対抗出来ない事を知っていたためである。

 更に昌信は『君側の奸にご注意めされよ』との言葉も遺している。

 が、死を以って諌めようとしたその甲斐はなく、昌信の死後僅か4年の後に武田家は滅亡する事となる。

 上杉家の動向と違い、武田家の動向は戸沢家に直接、関係するものではない。

 だが、武田家の動向は上杉家にとっては重要な事であり、出羽国にとっては上杉家の動向は重要であった。

 高坂昌信の死も間接的ではあるが、影響のあった出来事の一つであるともいえる。

 また、それ以外にも九州では島津家と大友家との間で耳川の戦いが中国地方では尼子家と毛利家の上月城の戦いが勃発しており、各地で歴史が動いている。

 盛安が家督を継承した年は時代が大きく動いていた頃だったのである。















「さて、如何するか……」

 自分の持つ記憶を反芻しながら俺は呟く。

 俺が家督を継承したこの年は各地で大きな動きが多数見られている。

 しかし、現在の俺の力の及ぶ範囲では何も出来ない。

 上杉の事も武田の事も何かしらの影響がある事が解っているにも関わらずだ。

 例え、2度目の人生を送る事になったとはいえど都合良く全ての事態が動く事はない。

 あくまで動かす事が出来るのは自分の手が届くところの限界点までだ。

 だから、俺は現状では国を整える事に注力し、周囲の国の動向に対しては静観する事を選ぶ。

 この1578年で起こる事において、戸沢家にとって重要であると断言出来る彼の人物が死亡するその時までは――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第3話 歩み出した一歩
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2012/03/11 21:40




 状況を簡単に整理したところで早速、方針を決めて準備を進めていこうと思う。

 現在の戸沢家はそれなりに懐事情が良いため、少しばかりでしかないがやっておける事が幾つかある。





 まずは川の治水。

 角館城は天然の要害にあるが、周辺には桧木内川、玉川、院内川と複数の川が流れており、水の事情には恵まれている。

 だが、水の事情に恵まれているという事は逆に洪水などにも悩まされる事にも繋がる。

 川等の水源があるだけで良いというわけではないのだ。

 しかし、川が流れているからこそ、領内に水を引く事によって水田の開発を手助けしたり、運輸・灌漑の効率性をあげる事が出来るのも事実である。

 洪水や氾濫を防ぐ事が出来れば領内に川が流れている事は大きな利点であり、強みとなる。

 そのため、治水は重要な事であり、行わなくてはならない事であった。

 実際に史実においても出羽国内では幾つもの治水工事があり、北楯利長、直江兼続、佐竹義宣といった人物達が治水に着手している。

 治水を行う事は石高を上げるためだけでなく、領内の安定にも役立つものであり、時間が必要であると言う点を除けば長所は多いのだ。

 だが、この時代に行われていた堤防を築く方法や植林を行うという治水工事では労力も財貨も多く要求されてしまう。

 しかし、後の時代の治水工事の方法である河川の合流地点そのものに新しく水の流れを作るという方法ならば堤防を築くよりも労力を必要としない。

 寧ろ、工夫次第では財貨も比較的少なくて済む可能性すらある。

 金山を保有しているとはいえ、無限ではないその資金を有効活用するには工夫も必要なのだ。 

 せっかく、知識の中に遺っているのだから有効に活用させて貰う。

 幸いにして、時間があるという意味でも盛安が家督を継承した当時は比較的、戸沢家の領内は安定している。

 本格的に動き出す前である今のうちに出来る範囲だけでも良いから治水を進めていくのが上策だろう。








 次に鉄砲の導入について。

 この時代の鉄砲は種子島に伝来され、各地に広まったと言われる火縄銃が主流である。

 鉄砲の使われた合戦は1575年の長篠の戦いが最も有名であるが、疑問視される部分も少なからずある。

 実のところ、戦国時代では弓矢による殺傷率の高さが極めて高いからだ。

 そのため、戦においては弓矢の方が恐ろしいものであり、使い勝手が良い。

 弓矢は射手にも影響されるが速射を行う事が出来、この時代の弓は素材の工夫により威力が増す方向に改良が行われている。

 更には改良が加わったために射程も伸びているのである。

 弓矢は長年に渡り、弓が主流であったために大きく発展したといっても良いだろう。

 しかし、鉄砲には弓矢にない利点もある。

 殺傷率の高さでこそ弓矢に劣っているが、それはあくまで命中率の問題であり、実際の威力は命中さえすれば弓矢以上に殺傷が可能な武器であった。

 その威力は近距離において、散弾銃に比肩する――――または凌駕するほどであり、強力且つ危険な代物である。

 一般的には何故か火縄銃の威力は低いという認識が広まっているが、それは幕末に洋式銃を装備した倒幕軍に火縄銃を装備した幕府軍が脆くも敗れたのが要因だろう。

 また、現代の時代の日本各地に『火縄銃の銃弾を受けても貫通しなかった具足』が文化財として遺されているのも事情に含まれる。

 しかし、戦国時代の足軽などの具足を射撃した結果によると厚い鋼板を用いた胴の部分であっても簡単に撃ち抜くほどであったという。 

 実際の印象とは裏腹に威力が弱く、使い勝手の悪い物と認識される火縄銃ではあるが、戦国時代においては非常に強力な武器なのだ。

 雑賀衆や根来衆といった鉄砲の使い手として勇名を馳せた者達が多数存在しているのも決して間違いではない。

 火縄銃は命中率と雨天では使用する方法が限られてしまうという欠点を除けば武器として優れた代物なのだから。

 技術や工夫によって欠点を補う事で火縄銃は武器として大きな力を発揮出来る。

 やはり、火縄銃は出来る限りで導入しておきたい武器なのである。

 だが、東北では火縄銃を集めるのは難しく、鍛冶師を招くにも設備が整っていない。

 これまた治水工事と同じく、時間を要さなければ準備を進める事は出来ないだろう。

 現状は100~200前後の数が揃えられれば御の字といったところか。

 限られた中で手を打つとするならば江戸時代以降で一般的な方法とされた床下土による硝石製造の方法である。

 戦国時代では硝石は主に輸入に頼っており、実際に輸入する事が出来ていたのも貿易が可能であった一部のみだ。

 硝石は高級品で、数多く求めればそれだけ財貨が必要になる。

 その点も踏まえておかなければ簡単に資金不足となってしまう。

 硝石の製造もまた時間が必要とされる事ではあるが、今の段階で始める事とする。

 出来る事ならば、鉄砲に詳しい雑賀衆か根来衆の人物を引き込みたいが、それも時が進んでからの事。

 数年の後に成果を発揮するものは出来る限り進めておかなくてはならないのだ。

 何れにせよ、家督を継承した今の段階から既に戸沢盛安の新たな歩みは始まっているのだから。















「利信、領内の治水を行いたいのだが……」

「治水でございますか……それは中々の妙案ですが、我らには堤防を築くほどの余力はありませぬぞ」


 物事は思い立ったが吉日。

 早速、前田利信を呼びつけて治水についての意見を尋ねる。

 しかし、この時代の治水はやはり堤防を作るか植林を行うかが主流であるため、利信も難議を示す。


「解っている。だから、違う方法で行うのだ。堤防を築くのではなく、川の合流地点そのものに新しく水の流れを作るという方法でな」

「むむ……それは思いつきもしませなんだ。確かに新たに水を引くという手法であれば堤防を築くよりも楽に出来まする」


 新しい治水方法を伝えたところ、それは盲点だったという表情をする利信。

 先の時代では主流となっている方法でも今の時点では主流ではないがために発想としては思い当たらなかったようだ。


「如何だ? 出来そうか?」

「はい、数ヶ月ほどの時を頂きますれば可能かと存じます」

「解った、治水は利信に任せる。俺よりも出羽国の地理に詳しい利信ならば、見事に果たせよう」

「畏まりました。この前田利信、身命を賭して期待に応えてみせまする」


 こうして、利信を奉行として治水工事へとあたらせる事とした。

 史実における利信は智勇共に兼ね備えた人物と言われており、盛安が織田信長へと使者を送る際に利信を抜擢したのもその才覚を見込んでの事である。

 畿内や東海方面に比べれば遠い田舎でしかない奥州の小大名の家臣でありながら、中央の人物達との駆け引きを任せるに足る人物が利信なのだ。

 尤も、史実ではとんでもない事をやらかしている面もあるため、中央に派遣するからは悩ましいところである。

 暫くは内政面で力を発揮して貰い、織田信長へと友好の品を届ける時が来るまでに如何するか考えるとしよう。

 織田信長に品を届ける頃には是非ともやっておきたい事があるしな……。















「殿、お呼びにより参上致しました」

「ああ、待っていたぞ。政房」


 次に若手の家臣であり、戸沢家が誇る武勇の士である戸沢政房を呼びつける。

 政房はまだ20歳にもならない若さだが、出来る限り軍事に関係する事は政房の経験とさせておきたい。


「比度、政房を呼んだのは他でもない。御前には俺の馬廻りとなる軍勢を鍛えて貰いたいのだ」

「何と!? そのような大役を私に御任せ下さるのか! しかし、盛吉様や盛直殿を差し置いても大丈夫なのですか?」


 政房の疑問は尤もだ。

 これは俺の守役を任されている白岩盛直や戸沢家一門衆の戸沢盛吉を差し置いて若年である政房に軍を任せると言っているのと同じなのだから。


「構わぬ、政房の武勇を見込んでの事だ。俺は将来、御前が天下にも名を残すであろう武将になるであろうと思っているのだ」

「も、勿体無き御言葉……。殿、この政房の働きぶり、是非とも御覧あれ」

「頼りにしている。して、政房に鍛えて貰いたい軍勢だが……」


 俺は政房に戦に備えて鍛えて貰いたい軍の説明をする。

 現在の段階で馬廻りとして常に置いておけるのは300人前後。

 後は場合によって徴兵するなり、石高が上がって動員出来る兵力が増えてからだ。

 政房には鉄砲と騎馬の訓練を重点的に行うようにと指示をする。

 特に騎馬には鉄砲の音などで驚かないようにさせる事。

 また、若い馬を選んで早い段階から鉄砲に慣らさせておくようにと告げる。

 最終的には騎馬と鉄砲の同時運用――――騎馬隊でも鉄砲を装備出来るようにする。

 騎馬と鉄砲は相性が良いとは言い切れない。

 だが、これは運用の方法次第で力を発揮する。 

 正直、活躍出来るかは疑問視されているが、騎馬鉄砲の大きな利点は鉄砲隊と騎馬隊を同時に配置出来る事だろう。

 本来の鉄砲隊は当然、歩行なのだが騎馬隊を背後に配置した場合、そのままでは鉄砲隊が騎馬隊に蹴飛ばされ兼ねない。

 騎馬隊と同じ位置での配置が出来る鉄砲隊と言う事でその意味は大きい。

 合戦時の初戦に鉄砲で陣形を突き崩した後に騎馬隊で突撃するというのは単純であるが有効な方法である。

 戦の主役を任せられるほどの物ではないが、戦術としての一つとしてならば在りだろう。

 また、騎馬鉄砲という発想は当時では考えられてはおらず、奇襲的な意味合いもある。

 少ない限られた戦力で勢力の下地を築くには奇策を用いるのは当然の事だ。

 真っ当な方法だけでは如何にもならないのだ。

 尤も、騎馬鉄砲は普通の騎馬隊としても運用出来る。

 鉄砲はあくまで騎馬隊の装備の一つなのだ。

 だが、装備の選択肢を増やすという事は騎馬隊そのものを強化する事にも繋がる。

 何れにせよ、限られた戦力を増強し、活用する事は間違ってはいない。

 奇策を用いてでも戦力を強化しなくては、戦国時代の奥州を乗り切る事は不可能だ。

 何しろ、出羽国内だけでも安東愛季、最上義光といった歴史に名を残した人物達がいるのだから。

 史実では安東愛季と戦い、それに勝利した段階で歩みが止まっているが、2度目となる比度はそれよりも歩みを進める。

 道が何処まで続くかは解らないが、行く先はとにかく行けるところまで進むのみ。

 まずは史実での宿敵であった安東愛季と対等以上に渡り合えるだけの力を養う事――――それが最初の目標だ。

 斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たりと称された彼の人物を凌駕しなくては夜叉九郎は先に進めない。

 盛安は嘗ての宿敵の姿を今一度、思い浮かべるのだった。















(さて、現状の段階で出来る事はこれくらいか)


 利信と政房にそれぞれ新しい仕事を任せて、盛吉や盛直といった家臣達にもそれぞれの仕事を行うように指示を出し終える。

 勢力の下地を築くには暫くの時間が必要となる。

 家督を継承したとはいえ、すぐに動き始めるのは時期尚早だ。

 無理な勢力拡大は現状の戸沢家の持つ力では不相応に過ぎない。

 まずは準備を整えてからの話である。


「ふむ……当主としての務めは全く心配なさそうじゃな」

「父上」


 何時からか俺が命令を下しているところを見ていたらしい父上――――戸沢通盛が姿を表す。


「儂としては家督を譲るには流石に早過ぎるのではないかと思っておったが……叔父上の見立て通りであったか。流石よの、盛安」

「有り難うございます、父上」


 父上からの称賛の言葉に頭を下げる。

 しかし、父上の言葉で俺は早くも史実における問題の時が否応にも迫ってる事を察する。

 これから戸沢家に起ころうとしている大きな問題――――それは大叔父、戸沢政重の死である。

 大叔父は俺が家督を継承した現在、病の床に伏しており、家督継承の儀に参加する事も叶わなかった。

 幼少の頃は政治、軍事、学問と徹底的に叩き込んでくれた大叔父は盛安という人物にとっては実の祖父のような存在であった。

 戸沢政重という人物は謂わば、師とも呼べる人物であり、長年に渡り戸沢家を支え続けた柱石だ。

 父上がそれとなく、大叔父の名を出したと言う事は死期が近付いてきているという事だろう。


「父上、俺はこれより大叔父上を見舞いに行って参ります」

「それが良かろう。盛安が見舞うとならば叔父上も喜ばれる」

「……はい。行って参ります」


 父上に後を任せ、俺は大叔父の下へと行く事を決める。

 理由は病の床に伏しているのを心配するのは勿論であるが、それ以上に重要な事があるからだ。

 先の事を知っている以上、それを放置する事は出来ない。

 ゆっくりと近付いてくる、戸沢家に降り掛かかるであろう大きな問題と向き合うために。

 俺は大叔父、戸沢政重の下へと向かうのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第4話 政重、逝く
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2012/03/24 09:14



 戸沢盛安の大叔父、戸沢政重。

 齢、70歳を超えても尚、政治面、軍事面の双方に的確な助言をし、戸沢家を支え続けた大黒柱。

 通盛の父、戸沢秀盛の代から長年に渡って仕え続けた政重は戸沢家にとっては欠かせぬ存在であり、一門衆の長老として重きをなしていた。

 しかし、盛安が家督を継承した現在は病の床に伏せっている。

 政重は3代に渡る長い間、戸沢家のために身を粉にして仕え続けた人物であるが最早、老齢であり病に倒れるのも充分に考えられる事であった。


「……殿」

「盛直、か」


 俺が大叔父の下へと訪れると、そこには守役である白岩盛直の姿があった。

 その様子を見ると俺と同じく、大叔父を見舞いに来ていたらしい。


「大叔父上の容態は如何だ?」

「今のところは落ちついておられるようです。御話になられますか?」


 盛直に大叔父の事を尋ねると今は落ちついているとの返答が返ってくる。

 ちらりと視線を向けると、幾分かではあるが顔色も悪くない。

 これならば、会話をする事は叶いそうだ。


「ああ、話をしたい。盛直は席を外してくれるか?」

「畏まりました」


 盛直にこの場を外すように伝える。

 ここから先の話は戸沢家の事に大きく関わってくる話だ。

 俺の守役である盛直ならば、聞いても別に構わないかもしれないが、今回に限っては遠慮して貰おうと思う。

 何しろ、今回は戸沢家の歴史にも関わる可能性が非常に高いからだ。

 それに俺が大叔父に話そうとしている事は他の人間に聞かれたら反対される可能性も考えられる。

 既に戸沢家の当主となった身ではあるため、話を押し通す事も出来るだろうが……念のためだ。

 盛直がこの場を離れて姿が見えなくなった事を確認し、俺は大叔父の枕元へと座り込むのだった。















「大叔父上、九郎が参りましたぞ」

「ごほっ……ごほっ……。おお、九郎殿か……」


 俺の声を聞き、咳き込みながら返答する大叔父。

 一応は小康状態にあるようであるが、それでも体調はそれほど思わしくないらしい。


「このような姿で申し訳ありませぬ。先日の九郎殿の晴れの姿を拝めなかった事、誠に残念に思いまする……」

「……大叔父上」


 心底、申し訳ないといった表情で語る大叔父の様子に俺は投げかけるべき言葉が思いつかない。

 俺の元服の儀と家督継承の儀に立ち合えなかった大叔父の気持ちを考えると余計な言葉は慰めにもならないと思ったからだ。

 それに大叔父は誰よりも俺が家督を継承するその日を待ちわびていた人間である。

 幼い頃から政治、軍事、学問、外交といった一通りの事を鍛えてくれたのは他ならぬ大叔父だ。

 父上を含めた一門衆の誰よりも俺に期待し、自らの持つ知識を全て与えてくれた。

 その恩は何事にも変えられない。


「継承の儀の事は盛直から全て聞き申した。戸沢九郎盛安……良き名にござる」

「……有り難うございます」

「九郎殿……いや、盛安殿。儂が口を開く事が出来る今のうちに御伝えしたい事がございまする……」


 大叔父はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 俺に伝えようとしている事はもう既に解っている。

 1度目の人生では言われるままに頷いただけであった大叔父の言葉。

 史実では俺の生存中には影響のなかった事であるが、この時の言葉は俺が小田原にて死亡した後に影響した。

 俺の死後に起こった事で、歴史的には些細でしかない事だが、戸沢家にとっては大事である出来事。

 大叔父の言葉に何も考えずに従った故に起きた出来事――――御家騒動だ。

 俺が急死した事による家中の混乱と兄、戸沢盛重の謀反――――それが戸沢家で起こった御家騒動だ。

 特に兄上が謀反を起こした理由は察するに余りある。

 史実では子のいない大叔父に養子をという話が持ち上がった際、出家した兄上を養子にという話だった。

 だが、この時の兄上は俺に家督を譲ってから1年の時すらも経過していなかった。

 余りにも早い復帰であるといえる。

 しかし、兄上は自身では戸沢家の当主としての務めを果たす事が出来ないと解っていたからこそ、俺に家督を継承させた事に納得していたのだ。

 にも関わらず、再び呼び戻されて、今度は俺の家臣として仕えなくてならない。

 正直、兄上には酷な仕打ちであったと思う。

 何しろ、先代の当主から一門衆へと格下げされてしまったと言うべきなのだから。

 兄上の中でどれだけの苦痛があったのかは窺い知れない。

 常人ならば我慢するのも辛い事だ。

 恐らく、俺が死亡する事により、憤りをなくした自分の意思が爆発してしまったのだろう。

 だからこそ、本来の俺の記憶の中では知る由もない事も理解出来るという状態になった今、この時の対応は悔やみきれずにはいられない。

 偉大なる大叔父の言葉だからという事で全てに従ったが……自分で理解出来る今ならばその間違いにも気付く事が出来る。

 あの時、俺が大叔父に対して如何ように返答すべきであったかが。















「儂は長年に渡り、戸沢家に仕えた参りましたが……恥ずかしながら子がおりませぬ。出来れば、盛重殿を我が家に迎え入れたい」


 ゆっくりとした口調で語る大叔父の言葉から出てきた言葉の内容は史実における大きな分岐点ともいうべき話。

 兄、戸沢盛重を大叔父の養子へと迎え入れる事。

 1度目では疑いもなく、頷いたその選択――――他ならぬ大叔父の頼みであるが、頷くわけにいかない。

 この時の選択こそが後に戸沢家の御家騒動の元となった可能性が高いからだ。


「大叔父上、それは出来ませぬ。兄上は俺に家督を譲ったばかりです」


 だから、俺は嘗てとは違う返答を返す。

 思えば前の時の兄上は何も言わずに大叔父の言葉に従ってくれていたが、本当は応じたくはなかったのだろう。

 大叔父の養子となってからの兄上は何かと複雑な気持ちを抑えているかのような表情を見せる事が多かった。

 兄上の中で様々な葛藤があったのは想像に難くない。


「そう……ですか。無理を言って申し訳ござらぬ。盛安殿がそう言われるならば何も言いますまい」


 俺の拒否の言葉に残念そうに俯く大叔父。

 だが、俺の方にも代案はある。


「いえ、大叔父上の後を継ぐ事が出来るのは兄上以外にもおります。……俺の弟、平九郎を後継ぎに迎えて下され」

「平九郎殿をですか……」

「はい、平九郎はまだ幼いですが……他に前例がないわけではありません」


 それは弟、戸沢平九郎を大叔父の養子に迎える事である。

 史実では俺の死後に家督を継承した平九郎だが、俺の家督継承当時はまだ3歳でしかない。

 平九郎は幼過ぎるために大叔父の後継者から外れていた。

 しかし、3歳前後で後を継承した例は他にもあるため、前例にないわけではない。

 出羽国内では身近な例が幾つか存在しているからだ。

 俺の父、戸沢道盛や最上家先代当主、最上義守の例がそれに当たる。

 父上は6歳で家督を継承しているし、義守も2歳で家督を継承している。

 例え、幼くとも周りの体制が出来上がっていれば幼くとも立ち行くのだ。

 幸いにして現在の戸沢家は俺自身が若くて当主になったという事もあり、家の体制は確立されている。

 平九郎に大叔父の後を任せても大きな問題はない。

 幼ないと言う問題点は時が経てば自然と解決する事であるからだ。


「そう……ですな。通盛殿も幼くして家督を継いでおりましたし……平九郎殿を儂の後に迎えても問題はございませぬな」


 大叔父も俺の言わんとした事を理解し、提案に頷く。

 平九郎を養子に迎える事で大叔父の後継ぎの問題を解決し、隠居した兄上を再び表舞台に呼び戻す事のない唯一の選択肢。

 病に倒れる以前の大叔父ならば容易に気付けたであろう事だ。


「盛安殿……過ちを気付かせてくれて申し訳ありませぬ。儂は危うく、盛重殿に辛い思いをさせるところであった……」


 大叔父も自分でそれを理解しているらしく、弱々しく苦笑する。

 自らの衰えを深く感じているのかもしれない。


「最早、盛安殿は儂がおらずとも大丈夫にござるな……安心致し申した。これで、儂に心残りはございませぬ」

「何を言われる、大叔父上。俺などまだ、未熟者に過ぎません」

「御謙遜なさらずとも良い。盛安殿が利信らに命じた事は既に聞き及んでおります故」

「大叔父上……」

「それに八十以上も付き添った身体にござる。己の引き際と言うものは儂が一番、解っております」

「……はい」


 大叔父のその様子に俺は頷くしかない。

 引き際であるという言葉の意味――――それは遠くないうちに大叔父が亡くなるという事。

 既に80歳を超える老齢にある大叔父は俺以上に身体の芯からそれを実感している事だろう。

 1578年(天正6年)の間に自分が必ず死ぬという事を。


「本来は政を盛直や利信らに頼るようにと、もう一つ伝えようと思っておりましたが、今の盛安殿ならば心配はありませぬ……。

 これならば、儂は何時でも安心して眠る事が出来まする。盛安殿、貴方の御活躍……彼の世にてゆっくり見物させて貰うとしましょう……」


「……承知致しました大叔父上。この戸沢九郎盛安。必ずや大叔父上の御期待に応えて御覧にいれまする」


 だから、俺は大叔父に最後となるであろう言葉を伝える。

 これが最後に顔を合わせる機会であると理解しているからだ。

 例え、大叔父に数ヶ月ほどの命があるにしても、残りの時間は床について動く事は出来ない。

 それに俺も家督を継承した今となっては進めていかなくてはならない事柄が多々、存在する。

 今のこの時がゆっくりと大叔父と会話を交わす最後の機会なのだ。

 何も言わずとも俺と大叔父はそれを理解していた。

 最後に互いの視線による無言の会話を交わした後、俺は大叔父の下を後にする。

 ここから先はもう、後戻りは出来ない。

 大叔父の後継ぎに平九郎を指名した事により、僅かではあるが違う歴史を歩み始めたのだ。

 その第一段階とも言うべき事が終わった以上、ここから先がどれだけ分岐するかは誰にも解らないだろう。

 俺は数え切れないほどにあるであろう先に至る道筋を思い浮かべながら天を仰いだ。

 大叔父には史実と異なる歴史を見せる事が出来ない事を残念に思いながら。

 だが、こればかりは如何にもならない。

 大叔父の運命を変えるには全てが遅過ぎたのである。

 知識が覚醒した段階で既に床についていた大叔父に対して、俺に出来た事は平九郎を後継者に迎えるという異なる結果のみ。

 例え、前世の記憶があるといっても出来る事には限界がある。

 何事も全てが思うがままに出来るなんて夢のまた夢の話でしかないのだ。

 それを象徴するかのように数ヶ月後――――戸沢政重は静かに眠りについたのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第5話 由利十二頭
Name: FIN◆3a9be77f ID:9765d54b
Date: 2013/11/10 16:49



 俺が家督を継承して数ヶ月後――――遂に大叔父、戸沢政重が亡くなった。

 その報告に家中は大きく響めいた。

 長年に渡り、父上を支え戸沢家の柱石として力を振るった大叔父は戸沢家中だけでなく、奥州全体においても一目置かれる存在だったのだから。

 齢、86歳という高齢で没する最後の時まで戸沢家の行く末を案じ、一門衆の筆頭として盛り立ててくれた大叔父は紛れもない忠臣だ。

 何しろ、身を弁えた上で僅か6歳という若さで家督を継承した父上を傀儡とせずに仕えたのだから。

 裏切りや乗っ取りといった事が茶飯事であったこの時代において野心を持つ事なく全う出来たのは稀であると言える。

 だが、忠臣として名高かった大叔父が亡くなったというのは戸沢家にとっては大きな痛手であった。

 大叔父ほど長く生きてきた経験と知識の双方を持ち合わせた人物はいないからだ。

 2度目の人生となる俺でも人生においては全てを含めても大叔父の半分を超えるか如何でしかない。

 先の時代の知識や技術を持っているとはいえ、大叔父のような鉄砲伝来以前の頃等といった古い時代特有の知識などは持ち合わせていないのである。

 それに戸沢盛安という人間自体、生まれた頃が戦国時代後期であり、大叔父との年代の差については70年以上もの差が存在する。

 経験という点において、この差は如何あっても縮められない。

 それ故に長らく戸沢家の勢力を維持し、ゆっくりと力を蓄える事に徹した大叔父の手腕は家中において深く信頼されていた。

 もし、大叔父の持つ深い経験と知識がなければ戸沢家は天正年間まで無事に残っていたかも解らないのだ。

 それほどまでに戸沢政重という人物は柱石と呼ぶに相応しい人物だったのである。















 だが、戸沢政重が亡くなったにも関わらず、戸沢家中は思いの外、落ち着いていた。

 当主である俺を含めて、父上も兄上も大叔父が亡くなった後の事を考えていたのか動揺した様子を見せなかったからだ。

 大叔父とは関わりの深い一門衆の誰もが全く動じていない――――この事が家中において大きな意味を持ったのである。

 その甲斐あり、家中では大叔父の死を惜しむ声はあっても戸沢家に見切りをつけようというものは現われなかった。

 史実でも大叔父が亡くなった時は落ち着いて対処する事により、この場を乗り切っている。

 少し違う点をあげるとするならば、大叔父の後継者として平九郎の名を出した事くらいか。

 俺の予測通り、平九郎を指名した時は驚きの声が大半を占めたが、父上や最上家の例を出すと家中は納得した。

 やはり、前例のある事であったからだろう。

 戸沢家は先々代の当主である父上が僅か6歳で家督を継承した際、家中が一丸となって盛り立てた。

 平九郎の場合も成長するまで盛り立てていけば良いという方向で話が纏まったのである。


「大叔父上が亡くなられた事により、角館は3日間喪に服す事とする」


 話が纏まったところで俺は家臣達に喪に服するという旨を伝える。

 期間は3日間。

 日数としては些か、短いが大叔父の死の影響力を踏まえれば決して短くはない。

 黒脛巾衆を配下とする伊達家や羽黒衆を配下とする最上家のように忍を抱えている大名ならば一早く情報を仕入れてくる可能性も高いからだ。

 それに雪解けの季節が訪れつつある今の時期は周囲も活発に動き始める。

 下手を打てば戸沢家の領内に攻め入ってくるのも出てくるかもしれない。


「3日でありますか……。短いとは思いますが、政重様の名を考えれば妥当でございますな。今の情勢で長く喪に服している訳にはいきませぬ故」


 俺が考えている事を察して利信が家臣達を代表して答える。

 戸沢家中の誰もが戸沢政重というの名の重さを理解しているのだ。


「ああ。それに赤尾津と羽川が何処かへ攻め入ろうと準備しているという噂もある。軍備を整えておかなくてはなるまい」

「……赤尾津に羽川が」


 俺の口から赤尾津と羽川の名が出た事で利信の目が鋭くなる。

 赤尾津と羽川の両氏は利信にとって因縁深い相手だ。


「もし、彼奴らが攻めてくるようであれば、赤尾津と羽川は私に御任せ下され」

「解っている。だが、逸るな利信。一度、勝った相手とはいえ足元を巣食われる事になるぞ」

「はっ……申し訳ありません」


 それだけに熱くなりそうな利信を諌める。

 利信は嘗て、赤尾津と羽川の両氏の手によって父親を失っている。

 謂わば、両氏は敵なのだ。

 それで熱くならない訳がない。

 だが、利信は今から6年前に父親の敵であった両氏の当主を自らの手で討ち取っている。

 俺が一度勝った相手であると言ったのはそのためだ。


「利信の事が赤尾津、羽川の両氏に思う事は解る。だが、此方に攻め入ってくるとも決まってはおらぬのだ。今は動くな」

「……畏まりました」

「だが……槍を合わせる事になれば利信には存分に働いて貰うつもりだ。宜しく頼むぞ」

「ははっ!」


 利信が先走らないように念を入れつつ、遠まわしに軍備を整えるようにとの意味合いを含めて頼むと伝える。

 俺の言葉の裏にある意味を察したのか利信は深々しく頭を下げた。

 利信は戸沢家中でも大叔父に並ぶほどの随一の知恵者で、此方の言いたい事を次々に理解してくれる頼りになる人物だ。

 だからこそ、利信を無駄な事で失わせるわけにはいかない。

 そのために俺は利信に自重するようにと促したのである。


「赤尾津と羽川の動向は気になるが……皆も慌てるな。各自、何時でも動けるように準備を整えよ」

「はっ! 畏まりました!」


 利信に俺の意図を伝えた後に改めて、家臣一同にも同じく備えるように伝える。

 赤尾津、羽川の両氏を始めとした由利十二頭の動向次第で此処からの動きは大きく変わってくる。

 流転の時は早くも近付きつつあるのだった。















 大叔父の死に際し、喪に服すという旨を皆に伝えた後、俺は自室へと戻って状況を整理する。

 動きが気になるのは由利十二頭と言いたいところだが……俺としてはそれ以外の動きも気になる。

 現状において、戸沢家と敵対関係にあるのは主に由利十二頭の赤尾津氏、羽川氏で間違いない。

 両氏においては前田利信が交戦している上に双方の先代の当主を討ち取っている。

 既に和睦が出来ない段階にまで関係は悪くなっているのだ。

 しかし、赤尾津氏と羽川氏だけでは戸沢家に対抗する事は出来ない。

 一豪族でしかない赤尾津氏と羽川氏の持つ力では到底、戸沢家の力には及ばないからだ。

 それに家督を継承した直後から進めている領内の改革が終わればその力の差は更に大きく広がる。

 統一されていない烏合の衆でしかない、由利十二頭に負ける要素は少ないといえる。

 だが、由利十二頭以上に警戒する必要のある相手が出羽国内には存在する。

 それは南の小野寺家である。

 小野寺家は戸沢家と力が拮抗しており、勢力圏も大差はない。

 戦うともなれば総力戦の覚悟すらしなくてはならないほどだ。

 史実の俺は小野寺家との戦いに勝利し、勢力拡大に成功しているが、それは今から10年近くも後の事である。

 既に史実よりも小野寺家と早く決着をつけるために手を打っているが、成果が現れるのはもう少し先だ。

 今すぐ小野寺が動けば苦戦を強いられてしまうのは間違いない。

 ましてや、現在の当主は小野寺家の全盛期を築き上げた小野寺輝道なのだ。

 戦上手な上に頭も切れるという人物で油断が出来ない。

 そのため、現在の由利十二頭は由利郡に近い勢力圏を持っている大宝寺家よりも小野寺家に付き従うという考えを持つ者も多い。

 小野寺輝道という人物もまた、出羽国内における大物の一人なのである。

 大叔父が亡くなったという報せを聞いたら如何ように動いてくるかは解らない。

 そういった意味でも輝道の存在は戸沢にとって厄介である。

 唯一の救いをあげるなら、輝道の息子である小野寺義道が猪突猛進な気質を持っている事だろうか。

 小野寺家の全盛期を築き上げた輝道だが、自らの息子の教育や振る舞いには手古摺らされているらしい。

 俺と同い年である義道もそろそろ初陣が近い頃だが、出てくるとすれば戸沢家との戦の可能性が高い。

 そうなれば互いに不倶戴天の敵であると認識している両家の次代の当主同士が顔を合わせるにはちょうど良いくらいだ。

 輝道の方もそう思っているらしく、俺に対抗して義道に家督を譲ろうとしているという話も聞く。

 小野寺家が動く可能性は確実とまではいかないだろう。

 となれば、やはり動く可能性が高いのは由利十二頭となるが……流石に確実に動きてくるかまでは解らない。

 戸沢家の柱石であった大叔父が亡くなった事を知ればすぐに動くだろうが、それでも動き始めるまでには時間がある。

 何れにせよ、俺の方も確実に準備を済ませておかなくてはならない。

 恐らく、由利十二頭との戦いが今後の俺の行く道の最初の第一歩となるのだろうから――――。
















「由利十二頭……如何したものか」


 考えをある程度纏めたところで俺はぽつりと言葉を漏らす。





 ――――由利十二頭



 由利十二頭は出羽国由利郡の各地に存在し一揆結合の形をとっていた豪族の総称である。

 出羽国内の一部である由利郡には戦国大名と呼べるほどの勢力が存在せず、それぞれが個別に安東家、小野寺家、大宝寺家、最上家に従っていた。

 名の通り、十二の豪族達によって成り立っており、その勢力圏は正確に定める事が難しいほどで考えるだけで混乱を招きかねない。

 由利十二頭は主に矢島氏、仁賀保氏、赤尾津氏、打越氏、子吉氏、下村氏、玉米氏、石沢氏、滝沢氏、岩屋氏、羽川氏、禰々井氏が存在している。

 本来は他にも由利十二頭の中に数えられると言われている潟保氏、芹田氏、沓沢氏などが存在するがその点についても定かであるとは言い難い。

 由利十二頭とはそれほどまでに混沌とした勢力なのである。





 現状、赤尾津氏、羽川氏とは既に敵対しているが、残りの勢力とはまだ敵対しているわけではない。

 しかし、由利十二頭は安東家を中心として出羽国内の大名にそれぞれが独自に協力している。

 戸沢家は安東家、小野寺家の双方と敵対しているため、それに属する由利十二頭の勢力とは自然と敵対関係にある。

 最上家、大宝寺家に属する由利十二頭の勢力については敵対関係になってはいないが、越後の上杉家で御館の乱による影響でそれも崩れ始めている。

 大宝寺家が上杉家の威を借りる事で勢力を維持してきたためだ。

 上杉謙信という強大な存在が背後にあったからこそ、出羽国内で確固たる地位を築いていた大宝寺家にとって御館の乱は死の宣告に近い。

 後ろ楯を失った大宝寺家には最上家に対抗する力は残っていないからだ。

 そのため、大宝寺家に従っていた由利十二頭の勢力は小野寺家や安東家に従おうとしている。

 これは戸沢家にとって都合の悪い事であり、小野寺家と対峙するには不利な要素となる。 

 由利十二頭は小勢力ではあるがつくづく、頭痛の種にしかならない。


「此方も由利十二頭の何れかを味方に引き込むか……?」


 こうなればいっその事、此方も由利十二頭の何れかを勢力下に置いてしまおうかと思う。

 だが、戸沢家に従ってくれそうな由利十二頭の勢力に思い当たりはない。

 それでも、味方にするに足る相手は……。


「矢島、しかないか」


 俺は由利十二頭の一にして、随一の豪勇の士である矢島満安が当主を務める矢島氏を思い浮かべる。





 ――――矢島満安





 六尺九寸(2m7cm)の体躯を誇る怪男児で四尺八寸(1m44cm)の大太刀と一丈二尺(3m60cm)の八角の樫の棒を得物とする猛将。

 満安は同じ由利十二頭の仁賀保氏と長年に渡って争っており、史実においては何と4代続けて仁賀保氏の当主を討ち取るほどの驚異的な武勇を見せつけている。

 また、本人も徒歩による戦に長けており、由利十二頭の中でも随一の戦上手としても知られており、他の十一頭に対しても負けなしである。

 下手をすれば出羽国内には満安に勝る武勇の士は存在しないと言っても良いかもしれない。

 現代の時代における知名度こそ非常に低いが、矢島満安は紛れもなく奥州随一の猛将であると言える。





「矢島満安……彼の人物しか味方にするべき人間はいないな」



 現在は小野寺家の側に属している満安だが、由利十二頭の中では一番の変わり種で武辺者である彼の人物ならば、戸沢家に与する可能性は零ではない。

 矢島満安という人物は自身と同じような、武勇の士を好むからだ。

 そもそも、出羽国内で敵なしというほどの武勇を誇る満安に対抗出来る人物はそういない。

 満安は自分の相手に相応しい武勇の士に餓えているのである。

 ならば、俺が満安と戦い、彼の人物を打ち負かす――――選択肢としてはそれしかない。

 武勇の士を知るには此方も武勇の士として刃を合わせるのが手っ取り早いからだ。

 出羽国が誇る豪勇の士にして怪男児、矢島満安。

 彼の人物こそが俺が味方とすべき人物なのだ。


「そういえば、味方とする人物で思い出したが……彼の人物は今頃、如何しているのだろうか?」


 矢島満安を引き込むという結論に達したところで俺はふと、ある人物の事を思い出す。

 俺が思い出したのは自分が死ぬ時の最後に立ち会った人物。

 特徴的な髭を持ち、俺が自分の分まで生きてくれと委ねた人物。

 彼の人物の姿は俺の記憶の中でも深く根付いている。


 家督を継承したばかりの今ではまだ、面識はないが……ふと、思い出してしまった。





 1度目の人生の最後の時を共に過ごした齢の離れた盟友の事を。

 これからの事を考えながら、俺が思い出したのは戸沢盛安の25年という短い人生の最後を見届けてくれた一人の人物――――。














 その名を――――津軽為信といった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第6話 津軽為信
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/01 07:52





「浪岡が落ちる、か……こうなれば、北畠顕家公より続いた彼の家も形無しだな」

「そうですな、殿。しかし……問題は此処からでございますぞ。陸奥の名門が滅んだとなれば他家に攻め入られる大義名分を与える事にもなりまする」

「解っている、祐光。俺もそれを危惧していた。浪岡は特に安東と親密であったからな。これで、南部だけではなく安東とも戦わねばならなくなる」

「その通りにございます。浪岡を滅ぼした事により我らは南部、安東に挟まれた形となりまする。そろそろ、他家と盟約を結ぶ事も考えるべきかと」

「……確かに祐光の申す通り、何処かと手を結ばねばならぬ。一応、大宝寺とは盟約を結んでいるが、あれは既に先が見えている」


 落城する浪岡城の姿を見つめながら2人の人物が言葉を交わしている。

 1人は身の丈、6尺はあろうかという大柄な体躯に胸に垂れるほどに長く生やした顎髭を持つ、20代後半といった年齢であろう人物。

 もう1人は40代前半といった年齢の軍配を持つ、軍師または参謀であろうと推察出来る人物。

 それぞれ名を津軽為信、沼田祐光と言った。





 ――――津軽為信





 元の名は久慈為信と言い、正室の大浦戌を娶った際に大浦家の婿養子となったという経緯を持つ、戦国時代の奥州を代表する武将の一人。

 智勇共に優れた美丈夫で、三国志の英雄の一人である関羽に憧れていたとも言われており、見事に整った顎髭を持っていた事で知られる。

 若き日は南部家の配下として、南部晴政の叔父である石川高信の配下として陸奥国の西側を中心に活躍する。

 だが、為信は南部に対して深い恨みを抱いており、その主従関係も長くは続かなかった。

 1571年の22歳の時、為信は突如として反旗を翻し、石川高信を奇襲にて討ち取ってしまう。

 それを皮区切りとし、為信は南部家との抗争を開始した。

 現代の時代においては石川高信を討ち取ってからの為信の行動を謀反であるとしている事が多いが、実際は謀反とは言い切れない。

 元より、為信が家督を継承した大浦家は南部家とは同族であるため、家臣という立場よりも同盟者という側面が強い。

 そもそも、南部家という大名が豪族の連合であった側面があり、他の南部諸家とは明確な主従関係がなかったとも言われている。

 そのため、大浦家の当主という立場にあった為信が南部に反旗を翻した事については戦国時代では日常茶飯事であった同族同士の争いの一貫でしかないのである。

 為信の行動を謀反であるとするにはいま一つ、理由が不足しているのだ。

 また、為信という人物は敵対した相手には容赦はないが、味方とした相手には義理堅い事でも知られており、信用のおける人物でもある。

 人としての魅力を兼ね備え、『天運時至り。武将其の器に中らせ給う』と称された為信は紛れもない、奥州が誇る大物の一人であると言えよう。

 因みに浪岡北畠家を滅ぼした1578年当時は大浦為信と名乗っているはずだが、改名する由縁には諸説あるため、此処では統一の意味で津軽為信とする。





 ――――沼田祐光





 関東の沼田の出身と言われる人物で津軽為信の軍師を務めた事で知られている。

 若き日は京都に在り、室町幕府13代将軍、足利義輝の家臣、細川藤孝の配下であった。

 祐光は1560年前後辺りから武者修行の旅に出て日本各地を廻り、奥州に見聞していた時に為信に出会ったと言われている。

 恐らく、若き日より才気溢れる人物であったとされる為信の器に惚れ込み、配下に加わったのだろう。

 配下となった後は持ち前の智謀と各地を廻った時期に得た幾多の経験を以って為信を支え、重鎮としてその力を振るう。

 また、祐光は天文、占いと言った古い分野に関しての知識も多く、細川藤孝に仕え、その薫陶を受けていた事もあり、文化的な教養も持ち合わせている。

 畿内の情勢を見る事にも様々な伝手を持っており、中央の動向にも詳しい。

 その上で若き日から付き従ってくれたと言う点も踏まえると、正に為信には無くてはならない人物であるといえる。

 沼田祐光――――彼の人物もまた、奥州においては一際、目立った人物であった。















「そうですな……大宝寺は上杉の後援があって勢力を築いておりますが、上杉謙信亡き後の内乱にて、後ろ楯を失っておりまする。

 最上義光と争っている今では頼りにはなりますまい。大宝寺については静観しておくのが得策かと」

「ふむ……」


 祐光の意見に為信は暫し、考える。

 越後の上杉家の内乱の影響が此処まで影響を及ぼしている事で周囲の情勢が大きく動きかねない事を察したからだ。

 意外にも思われるかもしれないが、上杉謙信の存在は出羽国だけでなく更に離れた陸奥国の情勢にまで影響を齎すほどであった。

 特に大宝寺家と同盟を考えていた為信からすれば上杉謙信の死によって起きた御館の乱ほど都合の悪いものはない。

 後ろ楯を失った大宝寺家には盟友としての価値が殆どなかったからだ。

 只でさえ、大宝寺家は強大な上杉家の軍事力を背景に最上家と争っていたのにその前提とされる条件の全てが崩れてしまっている。

 最早、最上家以外に目を向ける余裕はないだろう。

 同盟の候補である大宝寺家が当てにならない現状において、津軽家は新たな盟友を欲していた。


「ならば――――戸沢は如何だろうか?」


 大宝寺が無理である事を踏まえ、浪岡北畠を滅ぼした事で安東とも敵対する事が確定した今、為信は戸沢の名を告げる。

 安東と敵対している戸沢ならば互いに利する事が多々ある。

 それに為信は自身でも解らないが、戸沢家の現当主である盛安の事を何処かで気にしていると感じていた。

 説明するとならば表現は出来ない。

 理由は解らないが、戸沢盛安という人物は飛躍する可能性がある――――と思えるのだ。

 自身でも何故、そのように感じたのかは解らなかったが、為信はその感覚を信じて戸沢の名を告げたのである。


「戸沢ですか……間違いなく、話には乗ってくるとは思いますが、彼の家は重臣の戸沢政重殿が亡くなられたばかりです。盟約を結ぶには暫し、時が必要かと。

 なれど……安東を敵とする以上、戸沢以外に選択肢がないのも事実です。機を見て戸沢と盟約を結ぶ事は今後を踏まえれば重要であると言えましょう。

 それに戸沢は南部と深い因縁がありまする。彼の家は南部によって雫石の地を追放され、角館に根拠地を移したという経緯があります。

 そのため、戸沢は南部とも敵対しております。それ故、我らとは敵を同じくしているため、彼の家とは並び立てまする。

 また、戸沢も現状は安東、小野寺、由利十二頭に対処するにあたって盟友を欲しておりまする。此方の要求には必ずや応じましょう。

 しかし……戸沢の現当主は只者でないでしょうな。家督を継承してすぐに領内の治水を行ない、兵馬を鍛えるとは既に先の事を見ておりまする。

 殿も若くして当主になった身だからこそ、解りましょう。戸沢家の現当主、盛安殿は若いが侮れぬと言う事を」


 祐光が盛安の事をどのように見ているかが気になったが、思っていた以上に評価しているらしい。

 盛安について思う事は為信が考えていた事と殆ど全てが一致している。

 独自の情報網を持つ祐光は各地の情報収集にも抜かりがなく、出羽国の情勢も正確に把握している。

 為信が出羽の動向を把握しているのと同じく、祐光も戸沢家の動きから目を離さずにいたのである。

 それ故、祐光は盛安が行なっている事を把握し、先を見通して行動している事を読み取っていた。

 祐光の意見は的を射たものであり、為信が思う事と一致している。

 これならば、導き出した方針に迷う事はない。


「……俺と意見が同じで有り難い。今後は戸沢と手を結ぶ事を前提として南部、安東に備える。祐光、異論はないな?」

「はい、それが上策かと存じます」


 為信は戸沢家と盟約を結び、南部家と安東家に備える方針を定める。

 事実上、大宝寺家を見限る事としたのである。

 この時点で安東という新たな敵を抱えるに到り、同じく安東を敵とする戸沢を見出した事を踏まえれば、為信も先を見通していたと言えよう。

 尚、史実においては為信は盛安とどのくらいの接点があったかまでは記述が少ない。

 明らかになっている事は安東という共通の敵を抱え、手を結ぶには双方にとって都合が良かったという事。

 小田原征伐の際に病に倒れた盛安を為信が見舞っていたという事。

 接点らしい接点の記述は殆ど残っていない。

 だが、歴史上では隠れた真実もあるであろうし、その逆もある。

 何れにせよ、戸沢盛安と津軽為信の2人には同盟を結ぶ事について双方共に大きな意味を持っていた。

 互いが知られざるところで盟約を結んだ事は充分に考えられる事なのであった。















(戸沢盛安……何故、こうも気になるのだろうか)


 浪岡城を落城させ、祐光と今後の方針を話し合った後、為信は1人になったところで思案する。

 盟友として名前を浮かべた戸沢盛安の事を。

 若くして家を切り盛りしているという部分は自分と似ているとも思えるが、本来ならばそれだけであり、同業者であるという認識を持つ程度の事でしかない。

 為信が何故、盛安の事に意識が向くのかは自分自身でも解らない。

 余り記憶にないところで既にその名前を聞き及んでいたのか。

 それとも、何かしらのめぐり合わせみたいなものがあるのか。

 何れにせよ、為信は盛安という人物に興味を抱く。


(家督を継承したばかりではあるが……領内の治水を始めとして政策を行い、また兵馬を鍛え、準備を進めている。これからの動きが楽しみな人物だ)


 話を聞く限りでは、治水の件も軍備の件も全て盛安が自ら発案した事だという。

 特に治水に関しては従来とは違う手法で行なったらしく、為信もその発想は聞くまで思いつかなかった。

 だが、盛安が行なったとされる治水工事は為信にも良く理解出来た。

 河川の合流地点に新たに川の流れを作るという方法。

 領内の統治に熱心な為信からすれば大いに興味が惹かれるものであった。

 若干、13歳の若者に遅れを取るのは悔しいものがあるが、若さ故の閃きがあるからこそ奇抜な発想を思いついたのだろうと思える。

 為信という人物はくだらない感情だけで他者の評価を決めるような人間ではない。

 認めるべき事は認められるだけの懐の深さは持ち合わせている。

 それは敵対していようが、味方であろうが関係ない。

 優れた人物というのは年齢などに関わらずいるものなのだ。

 だからこそ、為信は家督を継承したばかりの盛安の事を評価したのである。


(此方が落ち着き、戸沢にも余裕が出てきたところで盟約の話を出してみるか。戸沢盛安という人物の器はその時に確かめれば良い)


 為信は思案を終え、自らの考えを纏める。
 
 当面は南部家と安東家を敵とし、津軽家はそれに対抗する。

 また、同じ敵を抱える事になるであろう戸沢家とは同盟を結び、盛安という人物次第では同盟だけでなく、共闘する道を選ぶ。

 為信の周囲の情勢を踏まえれば、戸沢家以外には味方とするべき相手は存在しない。

 それが祐光の意見も考慮した上で導き出した方針だ。

 これが正式に実を結ぶ事になるのはもう暫く後になるだろうが、為信はこの方向性で動く事を結論付ける。

 こうして、為信が人知れず戸沢家と同盟を結ぶ方針を明らかにした事により、後の布石が置かれる事となったのである。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第7話 戦の前の静けさ
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/04/08 21:08





 大叔父の死後、3日間の喪があけた。

 現状では赤尾津氏も羽川氏も動く気配はないが、未だに予断を許す事は出来ない。

 両氏に対しては安東家や小野寺家よりも一触即発の状態にあるからだ。

 そのため、両氏の領地に近い大曲に拠点を持つ、利信には目を光らせておくように伝えている。

 大曲は利信が当初を務める前田氏の代々の所領で、治めている期間は実に100年以上に及ぶ。

 配下の戸蒔氏と同じく、大曲にも小さいながら城があるため、戸沢家にとっては重要な地であり由利十二頭に対しては牽制の意味もある地である。

 そういった事情もあり、大曲にて利信が動向を探っている限り、両氏は迂闊に動く事は出来ないのだ。


「赤尾津、羽川が動くまでにはもう暫し、時があるだろう。盛直、如何見る?」

「はっ……! 現在は利信殿が大曲におります故、両氏が動く可能性は低いと思われます」

「……やはり、警戒しての事か」

「はい、そのように思います」

「ふむ……」


 利信が睨みを利かせている事で両氏が迂闊に動けないという事に同意する盛直の意見に暫し考える。

 利信は戸沢家中でも随一の知恵者であり、武将としても目を見張るものがある人物。

 赤尾津、羽川の両氏からすれば先代の当主を討ち取った敵でもあるが、それは裏を返せば利信が難敵であると認識している事と同義だ。

 大曲に利信がいる限り、彼の地は落とせないというのは多くの人間が思う事である。


「ならば、利信が病……という事にでもなれば動く可能性は高いな」

「はい、利信殿が伏せっているとならば両氏は嬉々として動くでしょう。利信殿の弟である五郎殿は戦下手であります故」

「そうか……これで方針が決まったな」


 赤尾津、羽川の両氏に対する利信の影響力を踏まえ、動く方向性が決まる。

 利信には病に伏せっている振りをして貰い、両氏を誘き出す。

 謂わば、利信を囮として本命を討つという筋書きだ。

 だが、あくまで赤尾津、羽川の両氏を動かす事は目標の第一段階でしかない。

 まだ、家臣達全員には伏せているが、俺が狙っているのは両氏を追い詰めて由利十二頭の一つである矢島氏を引っ張り出す事である。

 完膚なきまでに叩けば、両氏の中では由利十二頭の中でも最強と謳われる矢島氏にしか勝ちの目はないという考えに至るだろう。

 それに矢島氏の当主である矢島満安も家督を継承して短い俺があっさりと両氏を撃破してしまえば此方に興味を持つ可能性は高い。

 だが、この要諦での本番は矢島氏が出てきてからだ。

 現在の矢島氏当主、矢島満安の軍事的な力は群を抜いており、個人の武勇、徒歩戦の巧さのどれをとっても一線級だ。

 現代の時代における知名度こそ低いが、その実力は全国レベルといっても間違いない。

 しかも、その矢島満安を配下とするならば俺自身の実力で負かす必要がある。

 武辺者である満安を従えるには彼の人物を凌駕するか、または満安に認められなくてはならないからだ。

 また、矢島氏が動く事で小野寺家が動いてくる可能性もあるが、その点は小野寺輝道がある事情で長期間、領地を離れる事になっているために問題とはならない。

 そのため、小野寺家の干渉なく矢島氏と戦える貴重な時でもあるのだ。

 俺は現状の事を踏まえつつ、軍備を進めるようにと盛直に伝えるのだった。















(軍備、治水工事とくれば次に思い付くのは鉱山だが……正直、俺に出来る事は殆どないな)


 軍事行動の方針が決まったところで俺は次の開発に目星を付けた鉱山の事を思い浮かべる。

 現在、戸沢家の領内にある鉱山は現代の時代で明らかになっているものを上げると荒川、日三市、畑、宮田又の4つ。

 主に採掘出来る鉱山資源については、荒川が銅、鉛、亜鉛、硫化鉄。日三市が銅、鉛、金、銀。畑が金、銀、鉛、亜鉛。宮田又が銅、金、銀、鉛、亜鉛。

 というように非常に豊富な資源が存在する。

 特にこの中でも荒川は鉱山としても大規模であり、開発が進めば大きな利益が得られる。

 史実においての俺は領内にある一部の鉱山しか見つけられなかったため、その恩恵を余り受けていないが、既に存在を知っている今となれば話は別だ。

 開発を進めるべき鉱山が解っているのだから。

 資金源という意味では重要なものとして鉱山開発については進める必要がある。

 とはいっても鉱山開発については専門分野ではない。

 出来る事といったら開発すべき場所を指定するくらいだ。

 後は鉱山技師や鍛冶師のような専門の人間に任せるしかない。

 そのため、俺には余り干渉の出来る分野ではない鉱山開発については簡単に指示を行う事しか出来なかった。

 現代の時代にある良く聞く、転生や憑依といった話では次々と開発し、新しい技術等を導入している事が多いが流石にそう上手くはいかない。

 知識があっても容易に出来るものではないし、原理が解っていても実現出来るかという点についても限度がある。

 戦国時代に存在する技術では不可能なものも多々あるからだ。

 研究をさせて時が進めば再現出来る技術もあるだろうが、生憎とそこまで時間に余裕はない。

 1、2年前後くらいならば問題ないだろうが、本腰をいれるつもりなら最低でも5年以上の期間が必要であり、流石にそこまでは時を費やせない。

 俺に確実と断言出来る時間は残り10数年しかないのだから。

 現在の俺と似た境遇となった人間の行う方針でも内政チート、技術チートと良く聞くが……地力の弱い戸沢家ではそれらの多くが実現不可能なのだ。

 実際にそれが出来るだけの力を得たとしても、その頃には伊達家や最上家、南部家、蘆名家といった大勢力を相手にして動かなくてはならない。

 技術の発展を進めながら対処するという、余力を残す事は不可能だろう。

 そういった事情もあり、現状の段階において鉱山開発を進めるのはあくまで資金源の要素と鉱山資源の利用がメインなのであった。





(とりあえず、このまま鉱山開発が進めば資金源に関しては最終的には何とかなる。だが……現状は治水工事以外と合わせてもこれ以上の発展は難しいな)


 しかし、鉱山開発が進んでも戸沢家の領地にはまだ問題があった。

 その問題とは海や港がない事で、要するに港町を持っていないという点である。

 戦国時代における港町は流通の要で、物資の流通には欠かせないものである。

 各地から物が集められ、それらを他の土地へと送り、物資を売るという流れで発展を続ける港町は経済的に大きな意味合いを持つ。

 史実でも発展した多くの大名やそれ以前の時代の覇者の何れも港町を重視し、その発展には大きく力を注いだ。

 物資の流通の中心となる港町は戦国時代でも重要視されているのである。

 だが、戸沢家にはそれがない。

 現状、港町は海に面した領地を持つ安東家に抑えられており、陸路での流通の主軸となる川の流通も安東家に抑えられている。

 また、出羽国内には有名な港町として酒田の町があるが、それも戸沢家の現在の力では治めるに至らない。

 物資の流通による発展は現状に関しては何も期待出来ないのだ。

 もし、港町を抑えるつもりならば酒田の町が最大の目標となるが……それについても由利十二頭を始めとした勢力を打ち破らなくてはならない。

 現状の戸沢家では領内の開発で限界が近いのである。

 とはいえ、発展の余地として豊富な鉱山資源がある分だけ非常に恵まれているという事を幸運に思うしかない。

 寧ろ、死亡フラグ的な要素がないのでずっとマシなのである。


(領内の発展が難しいのならば……軍事行動を優先すべきという事でもある。やはり、軍備が整ったら積極的に動かなくては)


 そういった意味では条件は恵まれているというべきだし、領内の発展が難しいなら一定以上の水準を満たせば勢力拡大に専念出来る。

 何れにせよ、港町を確保するには酒田の町まで勢力圏を伸ばさなくてはならないし、由利十二頭の幾つかを撃破しなくては次には進めない。

 更には安東家、小野寺家との決着をつけて出羽国の北を統一しなくては目標ともいえる史実とは違う結末を迎えるには程遠い。

 後、数ヶ月くらいの時は必要になるであろうが……いよいよ、軍事行動を起こすべき時が近付いてきたようだ。

 第一の目標は赤尾津、羽川の両氏を完膚なきまでに叩き、矢島氏を表舞台に引き攣り出す事。

 そして、矢島満安を配下とし、小野寺家と戦う事。

 この際には思案する事が幾つかあるが、制限時間としては今から2年も残っていないため少し急ぐ必要がある。

 時に制限がある以上、俺の考える構想は出来る限り、1580年中で完遂させなくてはならない。

 史実通りならばその頃から最上義光が動き始める時期になるからだ。 

 なるべく、義光が動く前に成果を得ておかなくては後々で不利になる。

 俺は領内の開発に限界がある事を踏まえながら、方針を決めていくのであった。















 こうして、方針を定めて準備を進める事、数ヶ月――――。

 季節も秋となり、徐々に冬が近付いてきたその頃、遂に戸沢盛安は最初の行動を起こし始めた。

 大曲に所領を持つ前田利信が病に伏せっているという情報を由利十二頭の赤尾津、羽川の両氏に流し、盛安は気付かれないように軍勢を動かす。

 目的は大曲城に攻め込んだ赤尾津氏、羽川氏を一気に蹴散らすためだ。

 意図的に大曲へと攻め込ませ、奇襲にてそれを打ち破る。

 その際には首を取るまで戦うのではなく、両氏の当主を矢島氏の所領へと逃げるように仕向けるのだ。

 自ら強敵である矢島氏を呼び寄せる事になってしまうが、これが成すべき目標の最終段階。

 武辺者として有名な矢島満安との戦に勝ち、彼の人物を配下とする事。

 これが盛安の狙いであり、由利十二頭との戦に挑む最大の理由である。

 財貨も武器も様々な方法があれば得る事は出来るが、優れた将という存在は何よりも得難い。

 ましてや、矢島満安は伝説というべき多くの武勇伝を持つ人物なのだ。

 多数の話を現代という時代に遺した人物というのは決して多くはない。

 それに史実では直接戦う機会を得られなかった相手でもあり、盛安も思わず血が疼いてしまう。

 幾ら先の時代の知識を得ようとも夜叉九郎と呼ばれた武勇の士としての性格や側面はなくならない。

 寧ろ、其方の面の方が戸沢盛安の本質そのものであるからだ。

 時は――――1578年、9月。

 家督を継承して3度目の季節となるこの時が戸沢家18代目当主、戸沢盛安の名が史実とは異なる歴史の表舞台に立つその時であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第8話 出羽に棲む竜
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/04/15 21:42






「くっ……始めから計られていたとは!」

「赤尾津殿、ここは退くしかありませんぞ」


 目の前で繰り広げられている光景に赤尾津氏当主、赤尾津光延と羽川新介は悔しさを滲ませる。

 前田利信が病に倒れたという報告を聞き、それが確かなものであると判断した両氏の当主は示し合わせて大曲へと攻め寄せた。

 利信の弟、兄とは違って五郎は戦下手で知られており、主家である戸沢家の方も柱石であった戸沢政重が没した現状である今こそが好機であると判断したのだ。

 事実、攻め込んで暫くの間は前田五郎が守る大曲城からは弓矢が射掛けられる程度でまともな抵抗はない。

 兄である利信とは違い、射掛ける間に見せる動きも凡庸なもので単に城を守っているだけでしかないのだ。

 また、城を守っている軍勢の数も100人程度でしかなく、赤尾津、羽川両氏の率いている軍勢300人には到底、及ばない。

 古来より、城を攻めるには3倍ほどの兵力が必要と言われているが、今度の戦ではそれを充分に満たしている。

 ましてや、戦下手で知られる前田五郎が相手だ。

 家督を継承したばかりの戸沢盛安が対処してくる前に大曲を陥落させる事など造作もない事であるはずであった。

 しかし、実際は異なり、盛安は両氏が攻め寄せる頃には既に戦の準備を完了していた。

 攻め寄せた赤尾津、羽川の軍勢が大曲城に釘付けとなっている間に軍勢を伏せ、機を見て弓、鉄砲を撃ちかけて奇襲する。

 その間に病で伏せっていたはずの利信が大曲城から出陣し、両氏の軍勢を一気に追い詰める。

 要するに大曲城を包囲している側を逆に包囲、奇襲するという方法を取ったのだ。

 そもそも、籠城戦とは援軍があってこそ成立するものだが、若干13歳である盛安が戦の駆け引きを知っているとは考えてすらいなかった。

 想定外の奇襲を受けた事により軍勢は混乱し、瞬く間に蹴散らされてしまったのである。

 
「仕方ない……して、如何する? このまま退いたとて、もう一度戦えるとは思えぬぞ」

「それについては一考があります。……矢島満安殿を頼りましょう」

「矢島殿か! 確かに彼の人物の合力があれば勝機はあると思うが……しかし、矢島殿は動いてくれるだろうか」

「恐らく、大丈夫でしょう。矢島殿は小野寺家と繋がりがあるため、戸沢家に味方する理由がありません」

「確かに……考えてみればそうだな。戸沢家を敵とするという点においてならば、矢島殿と我らは同じだ」

「そういう事です。それに今度の戦の顛末を説明すれば矢島殿は必ずや動くでしょう。彼の人物は武辺者として通っております故」


 このままでは盛安に押し切られてしまうと判断した両氏の当主は同じ、由利十二頭の一つである矢島氏を頼る事を決断する。

 矢島氏は由利十二頭の中でも小野寺家よりの立場を取っており、幸いにして戸沢家に味方する理由を持っていない。

 戸沢家と直接的に敵対しているというわけではないが、小野寺家の側に属している以上は何時かは戦う可能性も考えられる。

 また、現在の矢島氏の当主である矢島満安は出羽国内でも随一の武辺者で知られており、戦上手としても知られている。

 武辺者と呼ばれる性もあり、満安は自らの武勇を活かした戦い方を得意とする人物。

 余りにも故に下手な策を弄するだけでは全く歯が立たないような武将なのだ。

 それに満安は常日頃から強者と戦いたいと公言しており、新たな戸沢家の当主が戦上手と聞けば嬉々として応じるであろう。


「解った。羽川殿の言う通り、此処は矢島殿を頼るとしよう」

「それが良いでしょう。矢島殿ならば戸沢が相手でも負ける事はありますまい」


 矢島満安の人間性を考慮し、赤尾津、羽川の両氏の当主はすぐさま、馬を走らせる。

 今度の戦では不覚こそ取ったが、満安の力さえ借りられれば盛安など敵ですらないと言うのが両氏の当主が持つ双方の見解であった。

 2人から見れば盛安は所詮、13歳の若者でしかないのだ。

 ましてや、今現在の行動も盛安に全て見通されていた事など考えすらもしなかったのである。















「赤尾津、羽川の双方共に退くか。深追いはせず、此処までにしておけ」


 両氏の当主が退く姿を認めた俺は大曲城から打って出てきた利信を始めとした全員に指示を出す。

 当初の予定通り、奇襲を行う事で赤尾津、羽川の両氏の軍勢を散々に破る事が出来たが本番はこの後に控えているのだ。

 深追いをする必要はない。


「なれど……赤尾津、羽川を討つ絶好の機会です。私に命じて頂ければ如何なる事があっても討ち果たしてみせましょう」


 しかし、両氏に対して深い因縁を持つ利信が異を唱える。

 敵を討ち取る絶好の機会を前にして動かずにいる事が残念でならないのだろう。


「確かに利信の言う通り、両氏を討つ絶好の機会ではある。だが、今度の戦は赤尾津、羽川だけでなく矢島も巻き込むのが目的だ。

 その際に勿論、赤尾津、羽川の両氏は討つが、それについては今暫く我慢してくれ。討つ機会が来たら必ず、利信に任せる」

「解りました。盛安様がそう申されるのならば」

「……すまぬな、利信」


 目的を告げる俺の言葉に頷く利信。

 利信も今度の戦における目的が矢島氏を引っ張り出す事にある事を理解しているからだ。

 敵を討ちたいと思うのは当然だが、俺の考えている構想を崩してまで成し遂げようとは思ってはいない。


「いえ、構いませぬ。しかし……今度の戦における盛安様の太刀筋は見事でございました。あれほど戦えるのならば矢島満安と戦う事に反対は致しませぬ」


 逸る気持ちを抱えながらも何処か冷静であったが故に利信は戦っている最中の俺の事も見ていたらしい。

 今度の戦において俺は鉄砲、弓を撃ちかけた後、真っ先に敵陣に突入し、多数の敵兵を相手にした。

 この際、馬上で槍を振るい俺の首を取ろうとする者達を次々と討ち果たしていったのだ。

 本来ならば戸沢盛安の初陣ともいうべき合戦ではあるが、既に一度目の人生を終えている今となっては戦い方は骨の髄まで染み付いている。

 ましてや、常に最前戦で戦い、槍または太刀で戦ってきた身なのだ。

 乱戦には慣れているし、一騎討ちも幾度となく経験している。

 史実においては猛将であるという名を残している盛安という身からすれば序の口でしかない。


「利信がそう言ってくれるのならば心強い。この戦、必ずや勝ちにいくぞ」

「ははっ!」


 だが、利信からの言葉を受けてその感覚は間違いではないと実感する。

 利信もまた、武勇に優れた人物でその腕は確かであるからだ。

 戦において何も解っていない人間が口にするのとは訳が違う。

 そういった意味では利信の言葉は充分に信用出来る。

 俺は来るべき矢島満安との戦いの前に改めて、気を引き締めなおすのであった。















「……という次第。戸沢盛安は若いながらも侮れぬ」

「そうか。それでおめおめと引き下がったわけか。面白う、ないな」

「ぐっ……」


 大曲での戦いに敗れた赤尾津、羽川両氏の当主は矢島氏当主、矢島満安に事の顛末を伝えた。

 城攻めの最中に戸沢盛安率いる軍勢から奇襲を受けた事。

 その際の戸沢家の軍勢の先頭に立っていたのは元服を済ませたばかりであろう若武者であった事。

 若武者は年齢とはかけ離れた槍捌きで両氏の軍勢を次々と蹴散らした事。

 しかし、事を伝えた満安からの言葉は辛辣なもので不甲斐ないという事を包み隠そうともしない。

 何とか反論しようと思うが、六尺九寸もの身長と鎧のように引き締まった体躯を持つ満安の前では如何しても萎縮してしまう。

 見上げるほどの身の丈であり、巨人のようにも見える存在感は強烈なものがあり、豪勇の士として知られる満安の纏う空気は刃のように鋭い。

 迂闊に下らない事を口にしてしまえば、傍に立てかけてある四尺八寸の大太刀に斬られかねない。


「だが、今の戸沢家当主は面白そうな人間だ。元服し、家督を継承したばかりにも関わらず、既に戦の駆け引きは身に付けていると見える。

 しかも、陣頭に立って槍を振るっていたというのだから尚更、良い。漸く、最上義光殿や延沢満延殿以外にも骨がありそうな人物が現れたものだ」


 両氏の当主が内心で怯んでいるのとは裏腹に喜びに満ちた様子で頷く満安。

 盛安の話を聞き、興味を覚えた様子だ。

 出羽国内では武辺者として知られている満安だが、自身が認めた人物というのは殆どおらず、今回のような様子は非常に珍しい。

 そもそも、満安が出羽国内で認めた人物は最上義光と延沢満延の2人しかいないのだ。

 盛安のような人物が出てきた事を喜ぶのは無理もないのかもしれない。

 満安からすれば漸く、戦うに足るであろう人物が出てきたという事なのだから。


「それでは……!」

「ああ。今度の戸沢家との戦、俺も加わらせて貰おう。戸沢盛安殿とは一戦交える価値が存分にありそうだ」


 待ちに待った人物の登場に満安は戸沢家との戦に参加する事を表明する。

 由利十二頭の中でも最も武勇に優れ、戦上手として知られる満安は盛安が年齢にそぐわない強敵である事を感じ取っていた。

 仮病を利用した奇襲による戦術に馬上で槍を振るっていたという膂力。

 どちらも僅か13歳である若武者が簡単に出来るような事ではない。

 満安が聞いた事のある話の中で似たような経緯を持っている人物は関東の常陸国の大名で鬼の異名を持つ彼の人物だけだ。

 しかし、若年でありながらも成果を出しているという意味では共通点は多い。

 そういった意味では盛安もまた鬼と呼ばれるほどの人物になるかもしれない。

 だが、本当に盛安がそれほどの者であるかは解らない。

 全ては実際に戦ってみれば解る事だ。


(久し振りに自分から戦いたいと思う相手だが……。戸沢盛安殿は俺を凌駕出来るだけのものを持つ武将であるだろうか。

 いや……考えても仕方のない事か。全ては実際に戦って判断するまでだ。今度の戦で見せたという片鱗が本物か如何か、この矢島満安が確かめてやろう――――!)


 満安は盛安の姿を思い浮かべながらゆっくりと立ち上がる。

 まるで巨像が動くかのような仕草に赤尾津、羽川の両氏の当主は胆が冷えるような感覚を覚えた。

 間近で六尺九寸もの巨漢を誇る満安の異形を見てしまったのだ。

 鋼の鎧のように引き締まった身体に丸太のように太く、長い腕。

 力を込められただけで殺されてしまうのではないかと思えるほどの満安の姿に並みの人間では圧倒されてしまっても無理はない。

 豪勇の士にして、出羽国が誇る無双の人物。

 矢島の悪竜と称された矢島満安は由利十二頭の中でも余りにも持っているものが違い過ぎる。

 四尺八寸の大太刀と一丈二尺の八角の樫の棒を軽々と振るい、七寸八分もの体躯を持つ愛馬、八升栗毛の上で戦う姿は化物であるといっても良い。

 満安の得物である八角の樫の木棒の前では太刀、薙刀は一撃の下に叩き折られ、兜、鎧に当たった者は、2度と生きてはかえれない。

 大太刀を振るっても鎧武者ですら斬り捨ててしまうほどの豪勇の士。

 由利十二頭の中で最も恐れられ、悪竜の異名を持つ怪男児としての名を欲しいままにしている矢島満安。

 後に夜叉九郎と呼ばれる事になる戸沢盛安との邂逅の時はすぐ傍にまで迫っていた――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第9話 大曲の戦い
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/05/06 06:23




 
「来た……か」


 赤尾津、羽川の両氏を撤退させた後、軍備を整え直すために大曲城に入っていた俺は遠目で軍勢の姿を確認する。

 その数は約450前後といったところだろうか。

 現在の此方が率いている軍勢は700前後。

 数としては此方が有利だが、一文字に三つ星の旗印が見えるため、敵には確実に矢島満安がいる。

 いや……既に満安の姿は見えていると言うべきか。

 六尺九寸という体躯に一丈二尺の八角の樫の棒を携えた姿は余りにも印象的だ。

 それに遠目で見るだけでも矢島満安が発している空気は赤尾津、羽川の両氏と比べても明らかに違う。

 追従している足軽達に挙動には乱れがない。

 大将が大将ならば回りの兵の気質も一味違うというべきだろうか。

 満安が率いているであろう軍勢は200前後と見えるが、単純に数で計れるものではない。

 あれは確実に鍛えられた軍勢だ。

 ただの寄せ集めとは訳が違う。

 俺が率いている軍勢も家督を継承して以来、鍛え続けたものだがそれに比べても満安が率いる軍勢は強く見える。

 総大将である矢島満安の気質が良く表れている軍勢であるといえるだろう。


「噂に違わない猛者である事は間違いないな……存在感が半端ではない」

「……確かに。矢島の悪竜の噂は聞いておりましたが、まさか一目で解るほどだとは」


 矢島満安の存在感に驚く俺に同意する利信。

 利信も俺と同じように難敵であるだろうという事を察したのだろう。


「して、盛安様。如何にして戦いまするか?」

「そうだな……やはり、赤尾津、羽川の両氏を一気に押し切っていくのが妥当だと思う。利信、やれるか?」

「無論です。赤尾津、羽川と決着を付けられるのであれば……この利信、如何様にも戦ってみせまする」

「頼りにしている。それで、利信がどのように戦うかだが――――」


 満安が一筋縄では行かない事を前提として俺は利信に戦う方法を授ける。

 要点は赤尾津、羽川の両氏を如何にして蹴散らすか。

 連合した軍勢を相手とする戦において重要な要素の一つとして敵方の友軍を撃破するという方法があげられる。

 これは敵方の弱い軍勢を先に崩す事で戦の流れを此方に引き寄せる事を前提とした戦い方で、極端に軍勢の力に大きな差がある時ほど有効だ。

 早々に友軍を潰す事によって目的とした相手の軍勢を孤立させる――――それが今回の戦の方針。

 数で勝っている以上、孤立させてしまえば矢島満安とて不利は否めない。

 だが、豪勇で知られる彼の人物を正攻法で崩せるかの保証は全くない。

 奇策を用いても良いのだろうが、それでは武辺者として正々堂々とした戦いを好む満安が降る事はないだろう。

 何としても自力で勝つしかない。
 
 合戦の目的を考えながら俺は利信らに出陣の下知を下すのだった。















 ・大曲の戦い



       ①  ②

B C③
       A  
  


 戸沢軍(合計700)
 ① 戸沢盛安(足軽150、騎馬100、鉄砲50)  300
 ② 前田利信(足軽125、騎馬100、鉄砲25)       250
 ③ 戸沢政房(足軽100、騎馬50)            150


 由利十二頭連合軍(合計450) 
 A 矢島満安(足軽150、騎馬50)            200
 B 赤尾津光延(足軽130)               130
 C 羽川新介(足軽100、騎馬20)            120





「者共、続け――――! 一番槍はそれがし達が頂くぞ!」

「おおっ――――!」


 互いの軍勢が布陣するや否や盛安から軍勢を預けられた政房が自らを先頭にして羽川の軍勢に一気に雪崩込む。

 今はまだ年若いが、史実において九戸政実の乱を中心に活躍した政房の先駆けとしての力は確かなもので、戦の口火を切る役目を任されている。

 その役割を受けた政房は真っ先に動き始め、敵方に騎馬が少ない事を見た時点で先手を打って、突撃をかけたのである。


「ぐっ……小癪な」


 先手を取られた形となり、騎馬を前に出せなかった羽川新介が舌打ちをする。

 相対した敵将の戸沢政房が20歳にもならない若者であったため、積極的に動くものだとは読んでいなかったのだ。

 若さの分もあり、戦の経験が少ないであろうはずの政房が相手という事で油断があった事は否定出来ない。

 しかし、政房は自分が若輩であり、無名である事を深く承知していた。

 無名であるからこそ、先手を打ち易いと判断した政房の戦術眼は悪くないだろう。

 戸沢政房と羽川新介の戦いは近くに布陣している赤尾津光延の方にも影響を齎しつつあった。





「羽川殿が先手を打たれただと!?」


 前田利信の軍勢と相対する赤尾津光延は東側に布陣していた羽川新介の軍勢が攻撃を受けた事に驚く。

 布陣して僅かな時間すらも経過していないところでの合戦の合図。

 余りにも積極的過ぎる動きに裏をかかれた形となった。


「ぬぬ……奇策を好む者と見ていたが、読み違えたわ!」


 光延は初戦を奇襲という形で臨んできた盛安を策士であると踏んでいた光延だが、全く異なる実態に歯噛みをする。

 盛安の執った采配は正に正攻法そのもの。

 如何に早く、真っ向から相手を駆逐出来るか――――それだけである。

 年若い盛安がそれほどの迅速な指揮が出来るとは考えていなかった。

 先日の奇襲の場合はあくまで待ち伏せをしていたからだと光延は思っていた。

 だが、光延は大きな読み違いをしていた事に今更になって気付く。

 盛安は奇襲、奇策よりも積極的な攻め手を得意とする武将だ。

 現に盛安は前田利信と戸沢政房の2人を真っ先に動かしている。

 数に勝り、矢島満安という強敵を抱えている事を前提とし、先に赤尾津、羽川の軍勢を撃破する事を狙ったのだ。


「も、持ち堪えよ! 仕掛けてきた敵は我が方と数は変わらぬぞ!」


 盛安の狙いに気付いた光延は声を張り上げ、鼓舞するが既に遅い。

 羽川を一気に押していた政房の軍勢に呼応し、利信の軍勢も攻め寄せてきたからだ。

 利信が攻めてくるや、先手は貰ったとばかりに利信率いる軍勢の25丁に及ぶ鉄砲が盛大に音を鳴らし、光延率いる軍勢の耳を貫く。


「ひ、ひぃぃぃっ!?」


 鉄砲を使った戦の経験のない赤尾津の足軽達が怯えたように浮き足立つ。

 いきなり、五月蝿い音が鳴ったかと思うと周囲には鉄砲が命中し倒れた者の姿が幾人と見える。

 弓の風を切るような音とは全く違う鉄砲の前に光延の率いる軍勢は混乱する。


「前田利信、見参! 赤尾津光延、その首……貰う!」


 利信は浮き足立ったその隙を見逃さず、騎馬を率いて一気に突撃する。

 混乱した軍勢に対して、騎馬の突撃は非常に有効だ。

 ろくに反撃も出来ず、槍衾等による防御も失念している軍勢では騎馬を防ぐ事は出来ない。

 また、騎馬の突撃で生き延びた者も後に続く、足軽に次々と討ち取られていった。


「前田利信……!?」


 突撃してきた戸沢の軍勢の中に光延は利信の姿を認める。

 だが、姿を見つけたのは利信の方が早かったらしく、その手には槍が構えられていた。


「覚悟!」


 光延の姿を認め、真っ直ぐに利信が槍を突き出す。

 互いに敵同士である利信と光延は互いの姿を見知っており、その姿は戦場であっても見違える事はない。

 迷いなく振るわれる利信の槍は光延を貫いた。


「ぐふっ……」


 利信の槍を身に受け光延は血を吐き出しながら崩れ落ちる。

 もう、動く事も言葉を発する事も叶わない。

 利信の槍は確実に光延の命を奪い取る。

 鎧の間隙を的確に突いた利信の槍が深々と突き刺さるのが光延の見た最後の光景であった。















① ②C③
       A  
  


 戸沢軍(合計630)
 ① 戸沢盛安(足軽150、騎馬90、鉄砲30)   270
 ② 前田利信(足軽105、騎馬90、鉄砲25)        220
 ③ 戸沢政房(足軽100、騎馬40)            140


 由利十二頭連合軍(合計250) 
 A 矢島満安(足軽140、騎馬40)            180
 C 羽川新介(足軽60、騎馬10)             70





「流石に強い……! 鉄砲でも物ともしないか!」


 赤尾津光延が利信に討ち取られた頃、俺は満安との戦を開始していた。

 手始めに弓、鉄砲を射掛けたが満安の軍勢は怯む事はない。

 この頃の奥州の鉄砲の普及率は余り高くなく、鉄砲の音に慣れていない者も多い。

 だが、満安率いる軍勢は鉄砲の音などに臆する事はない。


「おおおぉぉぉぉっっっっ!!!」


 何故ならば、鉄砲の音以上に激しい声音を常日頃から聞いているからだ。

 満安が裂帛の気合と共に一丈二尺の樫の棒を振るう姿は正に悪竜の名に相応しいほどで、彼の人物が動く度に複数の足軽達が討たれていく。

 何しろ、一人一人を一撃で確実に討ち取っていくのだ。

 しかも、鉄砲が驚異であると踏んだ満安は迷いなく愛馬である八升栗毛と共に鉄砲隊の中に飛び込んだ。

 如何に鉄砲が優秀であるとはいえ、乱戦となってしまえばその力が発揮される事はない。

 満安はそれを感覚的に理解しているのだろう。

 俺が率いていた鉄砲隊50人の内、既に半数近くである20人が討ち取られている。

 また、騎馬の方も一度の接敵で10騎失った。

 僅かな時間で全体の1割の兵を討ち取られた形だが、半数以上は満安一人に討ち取られている。

 此方も初撃における弓、鉄砲隊の活躍によって20人を討ち取っているが、被害は此方の方が大きい。

 しかも、今現在も満安が単騎で次々と盛安の軍勢を討ち取っていく。

 満安の奮戦ぶりを見る限り、恐らく100以上の損害は避けられない。

 このままでは盛安の軍勢の方が先に崩壊してしまうだろう。

 数による劣勢を容易く覆すほどの圧倒的な武勇を見せつける満安は凄まじいものがある。


「……矢島満安、悪竜の名に恥じない戦いぶりだ。俺も負けてはいられない」


 その姿を見て、俺も自分の血が滾ってくるのを実感する。

 この身は前世でも夜叉九郎または鬼九郎と呼ばれた身。

 目の前で圧倒的な武勇を見せつけられては黙ってはいられない。

 前世で夜叉と呼ばれたこの身は2度目の人生を送る事になった上で遠い先の時代の知識を得ても本質は変わらないようだ。

 普通の転生者であればこのような事はないだろうが……猛者を前にして、逆に奮い立つのが解る。

 ――――戦いたい。

 俺の身体が満安の姿に思うのはそれだけだ。

 悪竜と称された満安の姿に夜叉九郎と呼ばれたこの身が動かないはずがない。

 寧ろ、猛者を前にして俺が臆する事はありえない。

 ならば、やるべき事は唯一つ。


「戸沢九郎盛安、見参! 矢島満安殿、一手御相手願おう!」


 それは猛者の前に自ら名乗り、立ち向かう事。

 大将自らが陣頭に出てこそが盛安の戦の真骨頂であり、本来の戦い方。

 自ら太刀を取り、槍を取って戦う――――それが……夜叉九郎、戸沢盛安なのだ。

 だから、俺は躊躇いもなく矢島満安に戦いを挑むのであった。


















[31742] 夜叉九郎な俺 第10話 夜叉と悪竜
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/08/05 06:04




「む――――戸沢盛安殿か!」


 自らの名乗りをあげた若武者の姿を認め、満安が反応する。

 馬上にて槍を構え、一直線に向かってきている。

 その構えは年齢には似合わないほど形になっていた。


「自ら、この俺に挑んでくるとは面白い! この矢島満安、存分に相手になろう!」


 矢島満安と知って尚、挑んできた盛安に悦びを覚えながら満安は得物である八角の樫の棒を構える。

 自身の体躯の1.5倍はあるであろう八角の樫の棒は槍の間合いまで迫ってきた盛安に容易く届く。


「うおぉぉぉぉっっっ!!!!!」


 だが、盛安は馬上で身を捩り樫の棒による一撃を躱し、槍を突き出す。

 槍に対して、長さに勝るよう満安が盛安に向かって突き出した樫の棒の軌道を見切っていたのだ。

 一見、無謀に見えて盛安は案外、冷静らしい。


「ふんっ……!」


 しかし、満安も盛安の槍が届く前に身を躱す。

 六尺九寸もの体躯を持ちながら、満安の動きは決して鈍くない。

 驚異的ともいうべき体躯は見掛け倒しではないのだ。


「はあっっっ!!!」


 だが、盛安も成長途上にある身体を存分に活かしている。

 未だ13歳の若武者でしかない盛安は体躯が小さく、小回りが利く。

 大柄な満安に対して、隙間を潜り抜ける事で対処しているというべきだろう。

 見た目も体躯も対照的な2人ではあるが、双方共に自分の身体の持つ長所を理解し、活かしている。

 馬を操り、その上で自らの得物を振るう盛安と満安は間違いなく、優れた武将であろう。

 何しろ、総大将同士の一騎討ちという古典的なものでありながら、その光景は見る者の誰もが見惚れるほどだ。

 双方の武芸の達者さには驚くべきものがある。

 そう表現しても可笑しくないほど、盛安と満安の一騎討ちは周囲の兵達の誰もが手を出せない世界の中で繰り広げられていた。















① ②③
       A  
  


 戸沢軍(合計510)
 ① 戸沢盛安(足軽120、騎馬50、鉄砲10)   180
 ② 前田利信(足軽95、騎馬80、鉄砲25)        200
 ③ 戸沢政房(足軽95、騎馬35)             130


 由利十二頭連合軍(合計160) 
 A 矢島満安(足軽125、騎馬35)            160





 盛安と満安の一騎討ちが繰り広げられている最中も戦は刻々と動いていく。

 その中で利信と政房は羽川新介の軍勢を挟撃し、撃破するに至っていた。


「羽川新介、この前田利信が討ち取った!」


 利信が羽川氏当主、羽川新介の首を取った事を声高々に宣言する。


「ひ、ひぃぃぃ!!! 御当主が討ち取られた、我らはもう終いだ……!」


 羽川氏の軍勢を率いていた総大将が討たれた事で足軽達全員に動揺がはしる。

 指揮を執っていた羽川新介を失った事で軍の統制が乱れ始めたのだ。

 大将を失い、軍の士気も下がった羽川の軍勢は動ける者から我先にと逃げ去っていく。

 その光景は赤尾津氏に引き続き、羽川氏を破った事の証明に他ならない。


「利信殿、御見事な戦いぶり。この政房、感服致しました」


 決着がついた事を認め、近くで戦っていた政房が利信の下へ近付く。

 政房は今度の戦において敵である赤尾津、羽川の両氏に因縁がある利信を立てるため、総大将の首を譲っていた。


「いや、こうして今度の戦で赤尾津、羽川の首を取れたのは政房の御陰だ。……感謝する」

「勿体ない御言葉です」


 利信も政房が自分の気持ちを汲んでくれた事を理解している。

 大曲を中心に所領を持つ、利信の家は長年に渡って赤尾津、羽川の両氏と争っていた。

 謂わば宿敵という間柄と思えば良いだろうか。

 先代の前田の当主である父を両氏との戦で失っている利信からすれば赤尾津、羽川は因縁深い相手であり、討つべき相手。

 今度の戦は利信にとって、待ちに待った機会であったともいえる。

 それに盛安と政房の配慮の御陰で双方の首を自分の手で取れたのだ。

 利信からすれば主君と同僚の心遣いに感謝するしかない。


「一先ず、盛安様と合流しよう。流石に矢島が相手となれば、盛安様も苦戦は免れぬ」

「そうですな。一刻も早く殿と合流し、矢島殿との戦に決着をつけましょう」


 両氏を討った事により、任されていた友軍の撃破という目的を達成した利信と政房は盛安と合流するべきと判断する。

 赤尾津、羽川の両氏の軍勢が戦力とならなくなった今、残る敵の戦力は満安の率いる軍勢のみだ。

 しかし、数は少なくとも満安の率いる軍勢の強さは決して侮れない。

 大将の矢島満安の性格が色濃くあらわれた矢島氏の兵達は勇猛果敢で徒歩戦に強い。

 騎馬の者も、八升栗毛と共に戦場を疾駆する満安に遅れを取らないように精鋭揃いだ。

 盛安が改めて編成し、鍛え直した戸沢家の軍勢に比べても劣るものではない。


「よし、これより我らは盛安様の下へ加勢しに参る! 敵は悪竜の異名を持つ、矢島満安だ。皆、心してかかれ!」

「応っ!!!!!」


 満安自身の強さと軍勢の強さの両方を踏まえ、利信は残っている兵に激を飛ばす。

 赤尾津、羽川の軍勢とは違う矢島の軍勢を相手にするには油断の一つもあってはならない。

 寧ろ、大曲での戦はここからの仕上げが本番なのだ。

 盛安が目標としているのは戦に勝利し、満安を配下とする事。

 それには赤尾津、羽川の軍勢を撃破し、矢島の軍勢を孤立させる必要があるとしていた。

 現在、利信と政房が目的を果たした状態にあるため、残るは満安を囲むのみ。

 総仕上げともいうべき段階にまで戦は進んでいる。

 利信と政房の成すべき事は盛安と合流し、敵に残ったのは満安だけであると証明する事。

 孤立した上で如何なる選択をするかは満安次第だ。

 それで、この戦の結果が明らかとなる。

 大曲の戦いは残すところ後、僅かの段階まで来ていた――――。















「「おおおぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!」」


 盛安と満安の振るう得物が鈍い音をたてながら一合、また一合と打ち合う。

 もう、一騎討ちを始めてから数え切れないほどに打ち合っただろうか。

 盛安と満安は自らの得物を槍と樫の棒から太刀に切り替えて戦っている。

 互いに取り回しの難しい得物よりも扱いやすい得物の方が戦いやすいと判断したからだ。

 馬上で繰り広げられる打ち合いはそれほどまでに長く行われていた。

 一騎討ちは満安の方が圧している形勢といったところだが、際どいところで盛安が踏み止まっていると言ったところだろうか。


「盛安殿、若いのに中々の腕前だ。正直、驚いたぞ」

「それは此方も同じだ満安殿。悪竜の異名に相応しい武勇……見事としか言いようがない」


 圧されているとはいえ、互いに強敵というべき相手と一騎討ちを演じる事に満足しているのは盛安も満安も同じのようだ。

 満安が嘗てない強敵である事に盛安は嬉しさすら覚えている。

 一度目の人生でもこれほどの使い手を目にする事は殆どなかったのだ。

 同じ奥州内で嘗ての盛安に匹敵していたであろう人物は伊達成実くらいのものだろう。

 満安の名は元々から聞いていたが、直接戦う事がなかっただけにどれほどの力量であるかは解らなかった。

 だが、こうして戦う機会を得て、一騎討ちを演じる中で盛安は満安が伊達成実をも超えるであろう武勇の士である事を認める。

 やはり、悪竜と呼ばれるその名は伊達ではないようだ。


「だが、この戦は俺の勝ちのようだ。満安殿……最早、貴殿に勝ちの目はないぞ」


 赤尾津、羽川の両氏を撃破した利信と政房の軍が此方へと向かってくるその姿を見ながら盛安が言う。

 合戦に及び、長い時間に渡って一騎討ちを繰り広げている間に戦の大勢は既に決まっていた。

 利信と政房の軍勢は見事に盛安の指示通り、早急に両氏の軍勢を撃破する事に成功したのだ。

 これにより、この場に残っている由利十二頭の軍勢は満安の率いる手勢のみとなっている。

 満安の手勢は数にして、残り約160。

 それに対して、盛安の手勢は残り180。

 特に満安が獅子奮迅の活躍を見せたため、盛安の軍勢の損害は非常に大きい。

 だが、盛安と満安の率いていた兵の数の差こそ縮まってはいるとはいえ、友軍である赤尾津と羽川が敗れた今、全体の差は大きく広がっている。


「……そのようだな」


 満安もそれを理解出来ないほど、道理を知らない人物ではない。

 多勢に無勢。

 しかも、盛安は前もって戦の運びを想定していたかの如く、手を回している。

 単騎で突破する事は決して不可能ではないが、その場合の末路は仁賀保氏に攻め滅ぼされる結末しかない。

 3倍もの軍勢の包囲を突破した場合、残る兵力は殆ど残らないであろうからだ。

 矢島氏が消耗し、軍勢も残り少ないとなれば先代よりの敵である仁賀保氏の侵攻を招くだけになる。

 満安としても仁賀保氏の手に掛かって逝く事だけは認めたくはなかった。

 撤退しても後に待つのは自らの死だけだ。


(些か、若いが胆力、武勇、采配。どれも申し分ない。赤尾津、羽川を討った手並みといい、中々のものだ。持っている器は悪くない)


 戦の流れを終始、掴んで離さなかった盛安の事を満安は悪くない人物であると判断する。

 13歳という年齢については若いとも思うが、満安自身も漸く、20歳を過ぎた程度だ。

 まだまだ伸び盛りであり、これからが油の乗り始める時期。

 その自分よりも更に若いという点を踏まえれば盛安の将来性は充分過ぎるくらいである。


「ならば、もう一合だけ相手になって貰おう。俺の本気を相手に如何様に対処するかで判断させて貰う」


 盛安の事を認め、満安はもう一度、樫の棒を手に取り構える。


「解った。これを最後にしよう、満安殿」


 満安の意図を理解した盛安は太刀から槍に持ち替え、相対する。


「――――」


 互いに得物を構えたまま、静止する盛安と満安。

 先程まで熾烈な一騎討ちを演じていた2人の前に完全に時が静止したかのようになる。

 一歩も動く事なく、僅かな身動ぎもなく、盛安と満安は視線のみを交えている。


「うおぉぉぉぉぉっっっ!!!!!」


 暫くの時が経過したところで、満安が盛安に向かって樫の棒を振り下ろす。

 盛安へ迫る樫の棒は一騎討ちを演じていた時よりも更に速く、唸りを上げている。


「――――」


 だが、盛安は一歩も動かない。

 樫の棒を見る事なく、満安の姿をじっと見つめている。

 満安が動いた事も意に介していないかのようだ。

 盛安は迫り来る樫の棒の動きを視界に捉えていながらも満安だけを見据えている。


「……完全に俺の負けのようだな」


 盛安の寸前で棒を止めながら、満安は自分の負けを認める。

 最後の一撃は満安の本気を前にして盛安がどのような反応をするかを確かめるためのもの。

 それ故に満安は樫の棒に得物を切り替えて、最後の一撃を放ったのだ。

 しかし、盛安は満安が寸止めで終わらせる事を始めから察していた。

 満安が盛安を殺そうとは思っていなかった事を何処かで感じていたのだろう。

 いや、互いに一騎討ちを演じ、通じ合うものがあったと言うべきだろうか。

 得物を合わせる事で互いの力量を大いに認め合ったのである。

 盛安も満安も自ら得物を取って戦う武勇の士であるだけに通じるものがあったのだと言える。


「こうなっては最早、何も言う事はない。この、矢島五郎満安。盛安殿に従おう」


 一騎討ちを凌ぎきり、大曲の戦を制した盛安に満安は従う事を決断する。

 盛安との戦いは一騎討ちに関しては満安が優勢であったが、合戦においては盛安が勝利している。

 受けた被害は決して多くはないが、友軍であった赤尾津、羽川が撃破され孤立した今となっては戦を続ける事は現実的ではない。

 それにこの場を突破したとしても仁賀保氏という敵を抱えている満安には後がない。

 満安にとって仁賀保氏と決着をつけるまでは腹を切るという選択肢も論外だ。

 選択肢としては考えるまでもなかった。


「……満安殿、感謝します」


 盛安も満安の決断に感謝の言葉を伝える。

 もし、このまま戦うならば満安を始めとして尽く、討ち果たさなくてはならなかったからだ。

 盛安を含め、この場の誰よりも武勇に優れ、八升栗毛という名馬を駆る満安を捕らえるなど、不可能に近い。

 それに盛安が率いていた鉄砲隊の多くを討ち取り、弓をも容易く叩き落してしまう驚異的な身体能力を誇る満安を討ち取るのも困難を極める。

 最後まで戦うのならば此方も相応の被害を覚悟しなくてはならない。

 下手をすれば盛安の方が討ち取られる可能性もあっただけに満安が従うと決断してくれた事は幾ら感謝しても足りなかった。

 寧ろ、満安の決断がこの戦の結末を決めてくれたと言っても良い。

 こうして、満安が盛安に降るという決断をした事により、大曲の戦いは多少の被害のみで終結したのである。
  




 ・大曲の戦い結果




 戸沢軍(残り兵力 510)
 ・戸沢盛安(足軽120、騎馬50、鉄砲10)   180
 ・前田利信(足軽95、騎馬80、鉄砲25)        200
 ・戸沢政房(足軽95、騎馬35)             130


 由利十二頭連合軍(残り兵力 160) 
 ・矢島満安(足軽125、騎馬35)            160


 損害
 ・戸沢軍    190
 ・由利十二頭連合軍    290(大将討死により、この中の190は逃亡)



 討死 赤尾津光延、羽川新介





 悪竜の異名を持つ、矢島満安と戦ったこの大曲の戦いは戸沢盛安の名を大いに知らしめた。

 何しろ、家督を継承して1年も経過しない間に豪勇と名高い満安と一騎討ちを演じ、由利十二頭の赤尾津氏、羽川氏の当主を討ち取ったのだ。

 若干、13歳である盛安の初戦として見れば驚異的な戦果であるといっても良い。

 この時の戦での先頭に立って自ら得物を振るうという戦いぶりと満安との一騎討ちで見せた武勇から、盛安は後に夜叉九郎、鬼九郎の異名で呼ばれる事になる。

 戸沢盛安と矢島満安が矛を交えた大曲の戦い――――。

 これは本来ならば起こり得る事のなかった戦であった。

 しかし、大曲で行われた戦は現実であり、嘘偽りのないもの。

 この戦は史実とは違う道を歩み始めた歴史を証明する狼煙でもあったのだろう。

 奥州に名を残す夜叉と悪竜の2人が邂逅を果たしたこの戦は、史実とは違う歴史における最初の出来事となったのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第11話 鎮守府将軍
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/09/24 05:18




 ――――1579年1月





 大曲の戦から数ヶ月後。

 俺が家督を継承した年が終わり、新たな年となった。

 家督を継承してからの約1年間の間で大きく変わった事と言えば――――。


「盛安殿。矢島満安、新年の挨拶のため参上した」


 矢島の悪竜こと、矢島満安が陣営に加わった事だろう。

 史実においては明確な接点がなかった俺と満安だが、昨年の大曲の戦いにおいてその結果は大きく変わっている。

 因縁の敵である赤尾津、羽川の両氏との決着をつけるために引き起こした戦いは本来ならば、起こらなかった可能性もある戦い。

 例え、起こったとしてもある程度の被害は覚悟しなくてはならない戦だった。

 しかし、大曲の戦は初期の段階から意図していた戦であったため、概ね予定通りであったといっても良い。

 尤も、俺が満安と一騎討ちを演じるなどの綱渡りもあったのだが。

 これは一度目の人生を既に終えていたからこそ出来たものである。

 常に最前戦で戦い、多数の武将との一騎討ちを経験していた盛安の記憶と身体。

 そして、遠い先の時代から得た矢島満安の逸話という前情報。

 満安と戦う上ではある程度のアドバンテージがあったといっても良い。

 それでも、一騎討ちは俺の方が劣勢だった事を踏まえれば、満安の武勇のほどは並のものではない。

 何しろ、得意とする得物が解っていながら一度も優位には立てなかったのだ。

 相手の事がある程度解っている上で一度目の人生を終えた分の経験を足しても敵わなかった。

 それも、俺の方が有利に立ち回れる状態でありながらにも関わらずだ。

 史実においても満安と一騎討ちをして勝ち得た武将がいない事を踏まえると五体満足でいられる事で良しとした方が良いのかもしれない。

 何れにせよ、満安が戸沢家の陣営に加わってくれた事は僥倖だ。

 昨年における幾つかの成果の中では群を抜いている。

 史実ではあり得なかった事の一つを実現出来たといっても良いのだから。

 更に満安が加わった事で由利十二頭の一部の所領を得る事も出来たので、勢力拡大の手始めとしては良好であるともいえる。

 後は此処から如何動くかで大きく変わってくるだろう。

 何はともあれ、昨年は新たな歴史を歩み始める第一歩となる年であった。















「皆の者、良く集まってくれた。新たな年が始まるにあたり、申し渡したい儀がある」


 満安が角館に登城したのを最後に俺は改めて家臣達を集める。

 この場に集めるまでに家臣達とはそれぞれ新年の挨拶を終えているため、全員を集めたのは別の目的である。


「矢島満安が陣営に加わり、由利十二頭の赤尾津、羽川の両氏を降し、勢力を拡大する事に成功した。

 これより、戸沢家は出羽北部を統一するために動き出す。その目的にあたり、俺は鎮守府将軍を称しようと思う」

「何と……鎮守府将軍でございますか!?」


 俺が鎮守府将軍を称すると言った事に家臣達の間に大きな響めきがもれる。

 これは無理もないだろう。

 鎮守府将軍とは既に遠い昔に失われた官職であり、今では名乗る者もいなくなった官職だ。

 嘗ては征夷大将軍と並ぶ将軍職の一つであったが、その名は建武の新政の時代の人物である北畠顕家を最後にその名は歴史の陰から消えている。

 戦国時代となった今では存在はしているが、誰も就任する事も名乗る事もなかった官職である。

 今になって俺が誰も名乗る事がなかった官職である鎮守府将軍を称すると言った事で驚くのは当然の事だ。

 鎮守府将軍は出羽国、陸奥国に駐屯する軍を指揮し、平時における唯一無二の将軍として蝦夷に対する防衛を統括する役目を持っている官職。

 蝦夷を討つ軍を統括する将軍である征夷大将軍と名分に大差はないが、最初から東北の経営を前提としている点が大きな違いである。

 また、征夷大将軍があくまで臨時の官職であるのに対して、鎮守府将軍は常置化している形態で存在している。

 要するに征夷大将軍とは違い、正式な出羽国と陸奥国の統括権を持つ官職なのだ。

 ある意味、自称するには余りにも大きな官職である。

 だが、鎮守府将軍の官職における官位は従五位下相当。

 俺が家督を継承するにあたって称した官位である治部大輔は正五位下である。

 官位としてならば、鎮守府将軍の方が下の官位であるため、称するにはそれほど位の高い官職ではない。

 しかし、鎮守府将軍の持つ名の意味合いは位の高さに反して大きい。

 その名の意味合いの大きさは伊達家の奥州探題や最上家の羽州探題にも匹敵するほどだ。

 しかも、幕府の与えた役職とは違い、朝廷が与える官職であるため、幕府の頭領である征夷大将軍にも対抗出来る。

 そもそも、鎮守府将軍は征夷大将軍と同じ蝦夷を討つ軍を統括する官職であるため、兼任する事は可能でも同時に存在する事は出来ないのだ。

 そのため、征夷大将軍が存在する限り、鎮守府将軍は存在せず、鎮守府将軍が存在する限り、征夷大将軍は存在しない。

 両方の官職が同時に存在していた唯一の例外は南朝と北朝とに別れていた頃だけだ。

 鎮守府将軍は位の高さに反して、それほどまでに名の意味合いが強く、称するならば征夷大将軍が無実化している今しかない。

 一応、足利義昭が征夷大将軍の座にはあるのだが、既にその役割を果たす事は出来ず、存在の意義を失っている。

 南北朝以来、鎮守府将軍が同時に存在していたという前例はないが……今なら決して不可能ではない。

 だからこそ、俺は鎮守府将軍を称しようとしているのだ。

 また、鎮守府将軍は陸奥国と出羽国を統括する官職でもあるので、出羽国の大名である戸沢家が称してもそれほど無理はない。

 寧ろ、奥州を本気で切り取るつもりならば、この官職ほど称するのに相応しい官職は存在しないだろう。

 征夷大将軍に対抗し、奥州探題、羽州探題の双方にも引けを取らない。

 伊達家、最上家に対抗するという意味合いでも鎮守府将軍ほど相応しいものはない。


「左様。我が戸沢家の宿敵である安東家から出羽国の覇権を奪い取り、陸奥国を治める南部に対抗するにはこの官職しかない。

 俺が鎮守府将軍を称するのは奥州を切り取る覚悟の意味もあると思ってくれ」

「畏まりました。盛安様がそこまで考えているのならば、我ら家臣一同、反対は致しませぬ」


 鎮守府将軍を称する事を宣言する俺に頭を下げる家臣達。

 安東、南部といった宿敵や将来的には伊達や最上といった強敵に対抗する事を表明したと察したのだろう。

 驚きはすれど、反対する者は誰一人としていなかった。

 
「ならば、これより俺は戸沢九郎治部大輔盛安改め、戸沢九郎鎮守府将軍盛安と称する。名に恥じぬよう精進する故、皆も宜しく頼む」

「ははっ!」


 こうして、俺は史実とは違う官職である鎮守府将軍を称する事となった。

 あくまでも自称に過ぎないが、朝廷に献金を行うなりして実際に官職を受ける事になれば鎮守府将軍の名は非常に大きなものとなる。

 室町幕府が無実化した今となっては唯一、幕府に関係のない朝廷が認めた奥州の官職であるからだ。

 また、鎮守府将軍を称する事は足利義昭が官職を辞した後に征夷大将軍を狙おうとしているであろう人物に対抗する事にも繋がる。

 今はこの官職の名も些細な程度でしかないが、今後の立ち回り次第では後に影響する可能性を充分に秘めている。

 正に俺が狙ったのは後の事を見越しての事だったのである。















「盛安殿」

「む……満安か」


 家臣一同に鎮守府将軍を称する事を宣言し、解散した後、満安が一人俺の下へと訪れる。

 大曲の戦において新たに陣営に加わった満安は家臣ではあるが、若干特殊な立場だ。

 例えるならば、佐竹義重と真壁氏幹の関係に近いと言ったところだろうか。

 氏幹は元々は常陸国で独立した豪族であったが、家督を継承した早期の頃から義重に味方する事を表明し、その陣営へと参加していた。

 形式上は盟友という形ではあるが、義重の参加した戦には常に従い、秀吉の天下統一後も義重に従っている。

 最終的には関ヶ原の戦いの後に出羽国に移封となった義重とは別れ、常陸国で隠居したが、戦国時代の終焉の最後まで佐竹に従っている。

 こういった意味で踏まえれば、氏幹は義重の家臣とも取れるし、独立した所領を持つ盟友とも取れる。

 戸沢家の陣営に参加する事になった満安も由利郡に所領を持つ豪族であるため、立場的には氏幹と似通っていると思っても差し支えない。

 違いがあるとすれば、実際に戦において陣営に加わったという点で満安の方が氏幹よりも立場が正式な家臣に近いという事か。

 そのため、満安は戸沢家中において若干特殊な立場にあるのである。


「まさか、俺を降して早々に鎮守府将軍を称するとは思わなかったぞ」

「悪いか?」

「いや、寧ろ……面白いと思っている。盛安殿は俺が見込んだ人物なのだ。こうでなくてはな」


 俺の表明に対して面白いという満安。

 予想もしなかった鎮守府将軍を称する事には流石の満安も予想はしていなかったらしい。


「そう言って貰えると有り難い。しかし、此処からが忙しくなるぞ。鎮守府将軍を称する以上、相応の力は持たなくてはならないからな」


 だが、鎮守府将軍を称したからこそ、此処から先は一層の勢力拡大に励まなくてはならない。

 その名に相応しいだけの力を持たなくては鎮守府将軍を称した意味もなくなるからだ。


「確かにそうかもしれないが……盛安殿に立ち塞がる者があるならば、この矢島満安が道を切り開くまでだ。

 盛安殿の征く先はこの俺がいる限り、必ずや辿り着かせてみせる。例え、安東だろうが小野寺だろうが叩き伏せてみせよう」


 満安の言葉に俺は思わず笑みを浮かべる。

 実際に満安が道を切り開くと言うとすっかりその気にさせられてしまう。

 史実においては無類の強さを誇った満安だ。

 その言葉には言い表せないような凄味がある。


「ああ、頼りにしている」


 だからこそ、俺は満安の言葉に頷く。

 満安ならば本当に俺の征く先までの道を切り開く大きな力となるからだ。

 奥州でも武勇の士として知られる事になる夜叉九郎と悪竜が戸沢家に揃っているという事はこの上ない僥倖なのかもしれない。

 現状でも由利十二頭の一部を降している今、鎮守府将軍の名に恥じないだけの力を持つのも決して夢ではないだろう。

 大曲の戦いより矢島満安が加わった事から始まった史実とは違う歴史――――。

 鎮守府将軍という失われた官職を再び称した事によって更なる分岐の可能性を秘める事になっていくのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第12話 為信の神謀
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/09/24 20:43





 ――――1579年3月





 俺が鎮守府将軍を称する事となって早、数ヶ月。

 季節も雪が溶け始める時期となり、俺が称した鎮守府将軍の名も大々的に広まりつつあった。

 だが、14歳になったばかりの若者が堂々と失われたはずの官職を名乗ったという事に多くの大名は馬鹿げた事であると考えていたらしい。

 嘲笑するかのように祝いの言葉を送り付けてきた者もいるくらいであった。

 しかし、余り過剰に反応されていないのは俺にとっては好都合である。

 鎮守府将軍は征夷大将軍と同じく、奥州にとっては大きな意味を持つ官職。

 官位としては従五位下と余り高くはないが、その名は決して小さくないものなのだ。

 だが、奥州の大名の全てが鎮守府将軍の名の意味を知っているからであろうか。

 俺が称しても若者の戯言であるとして、取り合わなかった。

 高々、家督を継承して1年程度の若者が称するには過大すぎる官職であるのが理由かもしれない。

 また、現状では鎮守府将軍の官職に最も反応するであろう浪岡北畠家は津軽為信によって既に滅ぼされているし、室町幕府も既に無実化している。

 征夷大将軍が役目を果たせない状態にある今だからこそ、鎮守府将軍を称したのであって、同時に存在していた時期としては南北朝という前例もある。

 頃合いとしても堂々と名乗る事が出来る貴重な機会だ。

 それを態々、逃す理由もない。

 俺が鎮守府将軍を称したのは今しか時がない可能性がある事を考慮しての事なのだ。

 しかし、俺に対する周囲の評価は満安を降したという点を除いてはそれほど評価はされていない。

 満安と一騎討ちを演じ、大曲の戦に勝利した事は俺の武名を確かに奥州に広めてはいる。

 だが、評価するにはまだ早いというのが実情だろう。

 家督を継承して僅か1年。

 年は漸く、14歳になろうというばかりの俺はまだまだ器量が読めないという段階。

 これでは評価するのも難しいだけだろう。

 尤も、一部の人物を除いてだが――――。















「戸沢盛安殿が鎮守府将軍を称したようだな。祐光は如何思う?」

「はっ……私見を申しますれば、盛安殿は良きところに目を付けられたように思えまする」


 盛安が鎮守府将軍を称した事を嘲笑する事なく、評価するべき事として断じているのは津軽為信と沼田祐光。

 奥州の大名の中でも抜きん出た洞察力と智謀を持つ為信は盛安が無意味に鎮守府将軍を名乗ったわけではない事を明確に理解していた。


「ふむ、祐光も俺と同じところに目を付けたか……。幕府と征夷大将軍の双方が無実化した今になって鎮守府将軍を名乗ったのは良い頃合いだ。

 鎮守府将軍は征夷大将軍が役目を果たしている限りは存在出来ないからな。それに盛安殿が躊躇いなく称したのも俺が浪岡を落とした事が理由の一つだろう」

「はい。殿が浪岡を滅ぼした事により、異を唱えるであろう北畠顕村もこの世にはおりませぬ。気兼ねなく称する事が出来る頃合いと見ても間違いはないでしょうな」

「それを見極めるとは……やはり、盛安殿は只者ではないか」

「そうですな。しかしながら、只者でないからこそ盟を結ぶ価値がありまする」

「うむ」
 

 考えを同じくする祐光に為信は頷く。

 盛安が鎮守府将軍を称したのは従五位下という高いとはいえない官位相当の官職でありながらも奥州にとっては強い意味を持つという事。

 室町幕府が政権としての形を失った今なら鎮守府将軍とは対極に位置する征夷大将軍が無実化している状態となっているため、称する事が可能であるという事。

 嘗て、鎮守府将軍に就任していた北畠顕家の家柄に繋がる浪岡北畠家が滅亡しているという事。

 恐らくではあるが、盛安がそれらの全てを理解している可能性は非常に高いと為信と祐光は踏んでいた。

 しかしながら実際に彼らの予測は全て事実であり、盛安の目論見は津軽為信と沼田祐光の2人には全て看破されていたといっても良い。


「鎮守府将軍の件に関してもこれは盛安殿が独断で考えられた事でしょう。彼の前田利信殿とてその考えには至りますまい。

 彼の人物は戸沢家の中でも一門衆を除けば最も若い重臣ではありますが、既に壮年の域に達しつつある彼の人物が賭けに出るとは考えられませぬ。

 大胆にして、新しい発想を躊躇いなく出来るのは若さ故の特権でしょう。矢島満安殿を降した手腕といい、疑うまでもないかと存じます」

「……俺の思うところと一致するか。ならば祐光よ。そろそろ、盟約を結ぶ頃合いが近付いてきたと見ても良いな?

 盛安殿が矢島を降し、更には由利十二頭の一部を下したとなれば次の標的は小野寺か庄内方面へと絞られてくる。

 狙いは酒田の町を取るか、小野寺と雌雄を決するか、はたまた両方を狙っているか。何れにせよ、これで盛安殿の器量も明らかになるであろうよ」

「そうでございますな。殿の仰られる通りであるかと存じます」


 更には盛安の次の狙いすらも為信と祐光は看破する。

 由利十二頭の一部を下した事で戸沢家の影響力は確実に由利郡への影響力を持つに至っている。

 大曲に重臣である前田利信を置き、由利に十二頭の中でも最大の力を持つ矢島満安がいるという現状は戸沢家有利に傾いていた。

 残る十二頭の勢力では戸沢家の後ろ楯を得た満安を打ち破る事は困難を極めるのである。

 そのため、由利十二頭は最上家か小野寺家のどちらかを頼るしかない。

 もし、増援を求める上で現実的なのは戸沢家と領土を接する小野寺家であろうか。

 元より、敵同士である小野寺家ならば戸沢家の増長を面白く思うはずがない。

 それに小野寺家に近しいはずの満安までが盛安の陣営に加わったのだ。

 出羽北部において、劣勢になりつつある事には気付いているだろう。

 戸沢家と小野寺家が戦うのもそれほど遠い先にはならないと思える。

 また、盛安が目指しているであろう酒田の町に辿り着くには由利郡を通るしか道はない。

 出羽国の庄内地方にある酒田の町はちょうど由利郡の南側にあり、由利郡を抑えなくては自由に指示を出せるほどの影響力を持つ事が出来ない。

 盛安が由利十二頭を切り取り始めたのも酒田の町を目標としていると踏まえれば不自然ではないのだ。

 それに盛安の家臣である前田利信は由利十二頭の一つである赤尾津氏と羽川氏とは数十年に渡る因縁を持っている。

 戦端を開くにしても始めから準備が出来ていたと見ても可笑しくはない。

 盛安は自らの置かれている状況に一早く手を打ち、動いていたといえる。

 為信は盛安の意図を尽く読みながらも、明確に評価していた。















「祐光と俺の考えも一致している故、盛安殿が小野寺または庄内地方を抑えた後に盟約を結ぶ方針でいく」

「畏まりました」


 盛安の意図を読み取り、先の動きを予測した為信は今後の方針を明らかにする。

 戸沢家が小野寺家との雌雄を決するか、酒田の町にまで迫る頃合いを見て盟約を結ぶ。

 または、その両方を一気に得る事になったとしても同様に盟約を結ぶ。

 何れにせよ、安東家と敵対し、南部家にも因縁がある戸沢家とは歩みを共にする理由はあれど、戦う理由はない。

 同じ敵を持つ者同士として、為信は一早く盛安の動きに着目していた。


「しかしながら、それを行う前に我らはあの方にこの方針を伝える必要がある。同意を得られるか得られぬかは解らぬがな」

「……確かに。なれど、あの方には伝えておかなくてはなりますまい」


 だが、盛安に着目しているとはいっても、為信には秘密裏に通じている人物が存在する。

 寧ろ、その人物との関わりがあったからこそ思い付いた策もあるくらいだ。

 特に南部家の重鎮である石川高信を討った時と浪岡北畠家を滅ぼした時は彼の人物の運用する軍勢の運用方法が頭にあったが故に大胆な策を練る事が出来た。

 為信にとっては恩人ともいうべき人物であり、自身がまだ津軽の地へ流れ着く前に世話になった事がある人物でもあった。


「現状では流石に南部と安東の両家を同時に相手にする事は出来ない。例え、戸沢の力を借りる事が出来るようになったとしてもだ。

 安東と敵対する者として大宝寺と盟約を結んでいる形ではあるが、戸沢が庄内の酒田の町へ影響力を伸ばそうとしている現状では余り良くはない。

 大宝寺については安東と南部に備えるという理由を以って暫しの間、黙殺するのが上策であろうな」

「はい、殿の申される通りであるかと存じまする。大宝寺よりも戸沢の方を盟友とするべきと解っている今はそれしかありませぬ。

 されど、殿は安東とは全面対決を望んでも南部とはこれ以上、事を大きくしたいとは思ってはおりますまい」

「……ああ。南部から津軽の地を完全に独立させたいとは思っておるが、あの方とは出来れば戦いたくはない。大恩もある故な」

「なれば、あの方には然と伝えねばなりますまい。戸沢と手を結び、安東に備えると」

「……それしかあるまい。後は彼方の判断に任せよう。恐らく、あの方ならば俺の意図も理解出来る」

「そうですな。あの方を信じましょう」


 為信と祐光はそのとある人物に判断を委ねる事を決断する。

 とはいっても、津軽家の方針としてはあくまでも戸沢家と盟約を結ぶ方針であり、委ねるのは為信の選んだ道を如何見るかだ。

 為信にとっては師ともいうべき人物であり、祐光も一目置いている彼の人物はそれを委ねるに値するだけの力がある。

 しかしながら彼の人物は南部家中にあり、敵対している現在は秘密裏にしか繋ぎを取る事が出来ない。

 だが、敵対していながらも繋ぎを取ってくれる事を踏まえれば中々にしたたかな人物であるともいえる。

 それ故に智謀に長ける為信とは馬が合うといっても良いのかもしれない。

 また、彼の人物が率いる一党は南部家の中でも屈指の精強さを誇り、奥州でも随一との呼び声が高い強力な軍団だ。

 自身もその軍勢を手足の如く動かすだけの采配の持ち主であり、時には予期せぬ形で軍勢を運用する。

 陸奥国一の豪の者であり、戦の駆け引きにも長けている人物で奥州を代表する猛将として名を轟かせている。

 彼の人物は出羽国一の豪の者として名高い、矢島満安にも匹敵するだろうと為信はそう見ていた。

 石川高信を討ち、北畠顕村を討つ事で陸奥の国で一気に名を上げるまでに至った津軽為信。

 その為信がこれほどまでに信頼を置き、武将として尊敬している彼の人物――――。















 その名を――――九戸政実といった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第13話 北の鬼
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/11 19:23





 ――――1579年3月下旬





 為信が戸沢家と結び安東家に備えるという方針を明らかにし、その旨を書いた書状が一人の人物の下に届けられた。

 年の頃は40代前半で武将としては油の乗りきる頃くらいの年齢であり、経験も存分に備わる年頃である。

 怪男児と称するべき人物である矢島満安には及ばないものの、体躯は恵まれており、30年に近くに渡る戦歴からかその雰囲気には凄味すら感じさせる。

 この人物は槍を取っても弓を取っても陸奥国随一、騎馬隊の運用や個人の馬術にかけては奥州随一とまで称されているほどの人物。

 南部家の一族の一つである九戸氏の出身であり、主に安東家、斯波家などとの戦いで有名を馳せたこの人物は九戸政実という。





 ――――九戸政実





 南部家の一族、九戸氏の11代目(一説には14代目とも)当主。

 九戸、二戸、久慈を治める領主でもあり、若き日は短い間ではあるが津軽為信を保護していた事もある。

 安東家、斯波家、葛西家との戦いで勇名を馳せた人物で南部家随一の猛将として名高い。

 騎馬隊の扱いに長けた人物であり、政実自身も四十五カ条の馬術の秘伝と呼ばれるものを伝授されたとされる馬術の名人でもある。

 更には若き頃から武勇で知られる南部晴政にも劣らぬ武勇の持ち主であり、陸奥国では敵う者はいないと言われるほど。

 名実共に南部家を代表する武将で『三日月の丸くなるまで南部領』とまで謳われた勢力拡大にも大きく関わっている人物である。

 盛安が家督を継承した当時は既に40代前半という事もあり、奥州でもその勇名は『北の鬼』として隣国に響き渡っている。

 また、生涯に渡って戦に明け暮れた典型的な戦国武将であり、特に最後の末路は『九戸政実の乱』として後世にまで知られている。

 安東家、斯波家、葛西家といった諸大名と戦ったという生涯の戦歴から武将としての力量は疑う余地は全くない。

 だが、秀吉の天下統一が明らかとなった1590年以降に反乱したという事で時勢の読めない人物という評価が付き纏っている。

 そのため、九戸政実という人間は武将としては一流であっても大局的な視野はなかったとされる。

 しかしながら、壮絶な生き様を魅せた政実は魅力的な人物の一人であったと言えよう。















「ふむ……」


 為信から送られてきた書状を見て、政実は暫し考え込む。

 1567年(永禄10年)に旧交を温めて以来、為信から時折、こうした書状が届くのは何時もの事ではあるが、今回の書状の内容は普段とは大きく違っている。

 記されていた内容は時期を見て、戸沢家と結び安東家に備えるという事。

 また、大宝寺家との関係は保留とし、同盟を結ぶ事は考え直す事にすると書状には記されていた。


「兄者、為信は何と言ってきたのだ?」


 政実の考え込む様子を見て、弟の九戸政則が尋ねる。

 何事にも早い決断をする政実がこうも考え込んでいるのだ。

 珍しい姿を前にして気にならないわけがない。


「政則も読んでみよ」


 書状を読み終えた政実が政則に書状を渡す。


「解った」


 政実に促され、政則も書状を読む。


「……為信は我ら九戸党と戦うつもりなのか?」


 暫く読み進め、内容を把握した政則は驚く。

 確かに安東に備えるとは書いてあるものの、戸沢家と手を結ぶと書いてある以上、最終的には南部と事を構える事は確実だ。

 そうなれば、南部家に属している九戸氏は津軽家とは如何あっても戦う事になる。

 晴政が後継者候補の信直と啀み合っている今だからこそ、信直の父である石川高信を討った為信は南部家の敵ではない。

 それ故に事を交えずに済んでいるのだ。


「為信個人としては九戸党と戦いたいとは思ってはおるまいよ。だが、書状で見る限り、為信は戸沢の現当主に余程興味があるらしい」


 書状の中には戸沢家の現当主、盛安は只者ではない故に彼の人物を見極めた上で戸沢家と盟約を結ぶ方針に至ったのだとも書かれていた。

 戸沢家は南部家からすれば嘗て雫石の地から追い出した存在でしかないが、向こうから見れば此方は敵となる。

 その戸沢家と結ぶとなれば、津軽家は完全に敵と見倣さなくてはならない。


「しかし、為信は自分から仕掛けない限り、お館(南部晴政)が動かない事を理解している。戸沢との盟約は悪い手ではない」

「それもそうだが……。兄者は良いのか? 為信が戸沢に通じる事は」

「構わん。寧ろ、為信が俺の見込み通りに力を身に付けている事が嬉しいくらいだ」


 だが、為信は晴政が直接矛を交えない限りは戦うつもりがない事を読み取っている。

 南部家もあくまで安東家と敵対しているのであって津軽家と敵対しているわけではない。

 それに為信を目の敵にしているのは晴政の後継者候補であり、石川高信の息子である南部信直だ。

 晴政は為信に対しては何とも思っていない。

 寧ろ、信直を後継者候補として以来、五月蝿くなった高信を為信が討ち取った事は晴政からすれば逆に都合が良い。

 晴政は信直を養子に迎え、政実の弟である九戸実親に娘を嫁がせて後継者候補としたが、その後に実子である南部晴継が生まれている。

 そのため、晴政からすれば信直と実親の2人は晴継を後継者とする場合は邪魔になる可能性があった。

 しかし、実親は晴継の後見人という立場に落ち着き、高信亡き後は信直も晴政と戦う愚を悟り、引き下がっている。

 遠回しではあるが、晴政の思う通りになったのは為信の御陰なのだ。

 晴政がいる限り、津軽家とは戦う理由は存在しない。

 例え、戸沢家と結んだとしても南部家からすれば取るに足らない事だ。

 為信はそれを全て理解した上でこの方針を明らかにしている。

 政実は為信の選んだ結論に満足そうな表情で笑みを浮かべるのだった。















「しかし、兄者。為信がそれほど気にしているという事は戸沢の当主はそれほどのものなのか?」

「……俺が知っている限りでは由利十二頭の赤尾津と羽川を滅ぼし、矢島満安を降した事と鎮守府将軍を称したという事くらいだ」

「矢島満安を!?」


 戸沢家の当主が代替わりしたのは知っていたが、その事など気にも止めていなかったため、盛安が満安を降したという話に驚く政則。

 勿論、鎮守府将軍を称したというのも驚きではあるが、それ以上に『矢島の悪竜』と名高い彼の人物が降るとは想像し辛いものがある。


「だが、戸沢の盛安は未だ14歳を迎えたばかりと聞く。評価するには些か、若過ぎるのでは?」


 そのため、政則からすれば盛安は若者にしか過ぎない印象であった。


「いや、それがそうでもない。矢島を降した時、盛安は自ら一騎討ち演じ、戦そのものにも勝利している。歴とした本人の実力らしい。

 しかも、その矢島満安はそのまま戸沢の陣営へと加わっている。彼の矢島の悪竜を引き込むほどとは……中々の者だ」

「なんと……」


 だが、政実の口から盛安が中々の武将であると言われれば、その認識は改めなくてはならない。

 政実が他者を褒めるような言動を口にする事は滅多にないからだ。 

 為信の事を評価しているのも保護していた頃の関わりがあったからこそである。 

 九戸の長興寺に預けられていた当時、5歳であった為信は年長の者5、6人を相手に喧嘩した際に1人で立ち向かった。

 この時、為信は目潰しを拵え、それを使って全員の動きを封じた後、持っていた竹竿で次々と年長の者を叩き伏せた。

 武士の子が目潰しなど卑怯であると追求されたが、政実は策の勝利であるとして取り合わなかった。

 子供の喧嘩でしかなかったとはいえ、策を以って年長の者に勝ち得た5歳の為信を政実は大いに評価したのである。

 年少の身でありながら、自らが確実に勝てるであろう方法を考え出した為信に才覚の片鱗を見出していたのかもしれない。

 しかし、盛安については政実自身は見た事も会った事もない。

 にも関わらず、中々の実力者であると評価している。

 今までの政実からすれば非常に珍しい事だ。


「戸沢など取るに足らんと思っておったが……現当主である盛安は為信がここまで評価しているのだ。若いだけの武将ではあるまい。

 それに浪岡北畠が滅んだ頃合いを見て、鎮守府将軍を称するという思い切りの良さもある。少なくとも阿呆ではないようだ」

「流石に兄者らしい評価だ。しかし、随分と盛安を買ったものだな?」

「ああ。戸沢盛安は俺の思惑からは大きく外れていた人物だ。しかし、それが俺の見込んだ為信に認められたとなれば気にならない方が可笑しかろう」

「確かにその通りだ」


 政実が盛安を好意的に評価したのは自分が見込んだ為信が評価しているからである。

 為信の人を見る眼については全く疑ってはいないがために盛安を一蹴しなかったのだ。


「しかし、為信も面白いのに目を付けたものよ。安東と敵対していて尚且つ、何時かは南部と戦うつもりがあるからこそ、戸沢盛安を見出した。

 盛安の方も後々には安東と敵対する事になるであろうから、両者の考えは一致している。しかも、盛安はこれから先の伸び代を秘めた人間だ。

 安東と戦う事を前提として、先を見据えるならば、盟友としてこれほど有り難い者はおるまいよ」


 寧ろ、盛安という想定外の人物に目を付けた事で為信が自らの思惑よりも大きな人物になっている事が嬉しい。

 元々より、視野が広く智謀に長ける為信であったが、それが尚更磨きをかけてきたように思える。

 為信が政実と出会ってから経過した約25年もの歳月は彼の人物を大きく飛躍させた。

 大浦氏を束ね、名実共に津軽の領主となった為信は今では陸奥国でも一目置かれるほどに大きなっている。

 それが政実にとっては嬉しく思えた。


「戸沢の事は好きにさせる。例え九戸党と戦う事になったとしても、為信も覚悟は出来ていよう。俺から伝える事は何もない。存分にやれ、と返答せよ」

「畏まった!」


 為信の成長を実感した政実は存分にやれと言う返答で応える事を決める。

 浪岡北畠家を滅ぼした今となっては最早、為信に教える事など残ってはない。

 自分の手から離れつつある為信の成長を実感しつつ、政実は笑みを浮かべる。

 教え子ともいえる為信の飛躍は政実の望むところ。

 幼かった久慈弥四郎が大浦為信となり、津軽為信となった。

 南部家にとっては敵になるであろうが、為信の生い立ちを知っている政実からすれば感慨深いものがある。

 自分が見込んだ為信が奥州における新たな人物として盛安を見込んだのである。


「為信くらいしかおらぬと思っておったが、面白くなってきおったわ。戸沢盛安……存分に暴れてみせよ。為信が見込んだその器量が本物ならば、な」


 政実は新たな世代が表舞台に出て来ようとしている事を実感しながら、為信がいるであろう津軽の方角を見据えるのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第14話 酒田を得る
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/10/21 11:26




 ――――1579年4月






 為信と政実が秘密裏にやり取りをしているとは露知らず――――俺は満安の率いる軍勢を主軸にして、由利十二頭の一掃を行なっていた。

 満安は由利十二頭の一つである仁賀保氏、滝沢氏と長年に渡って敵対していたという経緯もあり、戦を仕掛ける準備は始めから整っていた。

 そもそも、仁賀保、滝沢の両氏は1575年~1576年に渡る矢島氏との戦いにおいて、当時の当主であった仁賀保明重と滝沢政家を満安に討ち取られている。

 また、翌年の1577年に仁賀保明重の弔い合戦を挑んできた仁賀保安重も満安は討ち取っており、2代に渡って仁賀保氏の当主を討ち取っている。

 俺の陣営に加わった段階で既に満安は仁賀保氏、滝沢氏とは不倶戴天の敵同士という間柄となり、後はどちらかが滅ぶだけという段階であった。

 この状況で戸沢家が矢島氏を陣営に加えた事によって戦力のバランスは大きく崩れ、滅亡に至っている。

 だが、これについては無理もない。

 仁賀保、滝沢の両氏は元々より矢島氏単独に劣勢を強いられていたのだ。

 不利な状況にあったにも関わらず、戸沢家が満安を後援した事により、まともに戦っても勝ち目がない段階にまで到達してしまった。

 これでは当主の敵である満安を討ち取る事など夢のまた夢でしかない。

 更に戸沢家の陣営に不倶戴天の敵である矢島氏が加わった以上、戸沢家とも徹底抗戦するしか選択肢がなくなっている。

 矢島氏が戸沢家の援軍を得た状態で決戦を挑んできたらまず、勝ち目はない。

 何しろ、満安が率いる軍勢だけでも両氏を圧倒するほどの強さなのだ。 

 矢島氏と同じ陣営に加わるという選択肢が存在せず、その上で戸沢家の介入があったとなれば滅亡の憂き目にあっても仕方がない。

 仁賀保、滝沢の両氏は既に以前とは比べ物にならないほどに弱体化していたのだから。

 しかも、此度の戦において滝沢氏の方は当主が最上家に逃れた後であるため、事実上では仁賀保氏のみが敵である。

 両氏の軍勢を合わせても満安の率いる軍勢に敵わなかったのだからこの状況では如何にもならない。

 仁賀保氏が満安によって完全に滅ぼされるに至ったのは当然の事であった。















「盛安殿。此度の戦の援軍、忝ない。宿敵である仁賀保ともこれで決着がついた」

「いや、気にしなくても良い。俺の方も満安の戦いの共が出来て良い経験になった。それだけでも戦に加わった価値があるというものだ」


 由利十二頭の仁賀保氏との戦は相手の事を知り尽くしている満安の采配に任せて戦った。

 騎馬、鉄砲を中心とした戦を前提に軍勢の編成を行なっている俺としては、徒歩戦に長ける満安の戦いは色々と参考になる。

 槍の者を前面に押し出しつつ、弓の者による援護と頃合いを見計らって突入する満安自身。

 鉄砲を使わなくとも確実に戦運びを進めていく満安の戦い方は武勇だけの武将のものではない。

 ひたすらに突き進むだけではなく、頃合いを見極めて一気に押し出すという戦ぶりは見事と言うしかない。

 総大将が斬り込むという危険のある戦い方ではあったが、俺も最前線で戦うのが基本の戦い方なので通じるところも多々ある。

 大きな違いがあるとするならば、満安が単独で討ち取っていく軍勢の数だろうか。

 現代という時代では非常識でしかない事なのだが、単独で満安は戦局に終始影響を及ぼすほどの戦いぶりだった。

 もし、他の現代の知識を持つ人間が見たら絶句しかねないほどの光景だったとしか言い様がない。

 何しろ、満安の目の前に立ち塞がった足軽はほぼ例外なく、一撃の下に頭を叩き割られて散っていくのだ。

 無論、足軽大将や侍大将であろう者達も満安に一撃の下に頭を叩き割られている。

 これは戦国時代も終盤が近付きつつある1579年(天正7年)となった頃の戦の中心は既に鉄砲が中心となっている印象も強いだけに尚更、凄まじいものがある。

 下手をすれば鉄砲を使うよりも満安が自ら戦った方が戦果が大きいからだ。

 この戦果を見れば俺自身もよくもまぁ、一騎討ちで討ち取られなかったものだと思わざるを得ない。

 それほどまでに悪竜と称される矢島満安の力が存分に発揮された戦であったといえる。


「しかし、此処から先が本番だ。庄内の酒田を目指すならば大宝寺の動き次第となる」

「ああ、大宝寺義氏が如何に動くかだな。だが、越後の御館の乱において景虎側を支持していた義氏は上杉家との繋がりを失っている。今が好機だ」


 由利十二頭を抑え、酒田の町を目標とする現在、大きな障害となるのは庄内地方を中心に勢力圏を持つ大宝寺家。

 上杉家との繋がりを持ち、由利十二頭を圧倒する勢力を誇る大宝寺家は鬼門とも成りかねない存在だった。

 だが、1579年の時点で大宝寺家の勢力を削るのはそう難しい事ではない。

 現在の当主である大宝寺義氏は昨年に勃発した上杉家の御館の乱の際に景虎側に味方していたからだ。

 義氏の予想に反して景勝側が勝利した形で乱が集結したため、大宝寺家は上杉家とは敵対関係となり、繋がりを失ってしまった。

 しかも、義氏は最上家とも敵対しており、領地こそ接していないが不利な状況にある。

 更には酒田を治める家臣、東禅寺義長(前森蔵人とも)とも港における利権問題で対立しつつあった。

 そのため、現状の酒田は孤立しつつある。

 大宝寺義氏に直接挑むのは流石に骨ではあるが、現状の問題点を踏まえれば酒田を切り取る事は決して不可能ではない。


「ならば、今すぐ動くとしよう。俺の軍勢も盛安殿の軍勢も余力が充分に残っている。酒田を取るには問題ない」

「……そうだな。今を逃せば義氏は軍勢を向けて来かねない。一刻も早く切り取るとしよう」


 満安も今の大宝寺家の状況を理解しているのか酒田を落とすべきだと同意する。

 上杉家の後援もなく、最上家の脅威もある現在の大宝寺家に余力はそう多くない。

 本格的な戦に持ち込む前に決着を付けるならば今しかないだろう。

 俺は満安の意見に従い、酒田を切り取る事を決断するのであった。















 ――――1579年4月末















 由利十二頭を抑え、庄内地方の酒田へと侵攻した戸沢家は酒田方面を制圧した。

 大宝寺家に従い、酒田を治めていた東禅寺義長は対立状態にあった義氏との関係から思うように援軍を得られずに降伏。

 酒田を召し上げられ、義氏の下へと送り返された。

 義長は再三に渡って戻る事を拒否してきたが、盛安はその意見を黙殺し、義長の処遇を大宝寺家に委ねたのである。

 そもそも、史実においては義氏を裏切り自害に追いやった人物である。 

 この処遇については因果応報というべきであろう。

 裏切った相手である主君に処遇を任せるとは皮肉とも言えなくもない。

 先の時代の事を知っているが故に盛安は東禅寺義長という人物の事を許せなかったのだ。

 後は義氏が義長を如何に扱うか次第といったところである。
 
 戸沢家としては酒田を得るという目的を果たしたため、義長については如何でも良い事でしかない。

 後は大宝寺家との戦に突入する可能性を考慮して軍備を固め、備えをしておく事。

 角館を根拠地に由利郡から酒田に渡る勢力圏となった今の戸沢家は出羽国内でも上位に位置するであろう段階まで近付きつつある。

 出羽北部の最大勢力である安東家。

 出羽南部の最大勢力である最上家。

 流石に出羽屈指の大名とされる両家には及ばないが、それに次ぐであろう大名家となる日は間近にまで来ている。

 何しろ、庄内北部の海に面した地である酒田を得た事によって飛躍するための準備が整ったのだ。

 此処から先は酒田の町を拠点に貿易を行う事で莫大な富を得る事が出来るため、大きなアドバンテージを得たのと変わらないのである。

 また、史実では発見出来なかったために開発出来なかった鉱山も場所を特定し、開発する事に成功している事も大きい。

 史実以上に鉱山開発が進んだ事によって得られた金、銀、銅、鉛、亜鉛等の豊富な鉱山資源を貿易にまわす事で確固たる経済基盤を築く事も可能になったのだ。

 物資の流通の要である港町を得られた事により、戸沢家は漸く物資の流通による発展の目処が立ったともいえる。















(何とか1年と数ヶ月でこの段階にまで持ち込めた……。流石にこれ以上の勢力拡大は暫くの間は待たなくてはならないな)


 酒田方面を抑え、港町である酒田の町を勢力圏に取り込んだ事で俺が初めに掲げた目標の一つは達成出来た。

 物資の流通を安東家に抑えられ、港町を持たない事がネックだった戸沢家も漸くそのハンデを乗り越えたといえる。


(だが……酒田を得た事で大宝寺家だけでなく、最上家の動向も注意しなくてはならなくなる。彼の家も酒田は欲しいはずだからな)


 しかし、目標の一つを達成出来たとはいえ、新たなる問題点が浮上してきている。

 それは最上家との関係だ。

 現在の当主である最上義光は大宝寺家と敵対関係にあり、虎視眈々と庄内地方を狙っている。

 史実における義光の勢力拡大の動きを踏まえれば、俺と同じ目的である可能性が高い。

 義光も港町である酒田の町の価値を大いに理解していたからだ。

 物資の流通による巨万の富を齎してくれる港町は戸沢家と同じく、内陸に勢力圏を持つ最上家からしても是非とも欲しいだろう。

 酒田を目指していた義光に先んじた事は矛先を此方に向ける要因に成りかねない。


(最上義光……今の段階で戦うには荷が重過ぎる。領地を接していないのが唯一の救いだな)


 幸いにして現状の段階では最上家とは領地を接しておらず、小野寺家が壁といった形になっている。

 だが、小野寺家は戸沢家とは宿敵といっても良い間柄で敵対関係だ。

 戸沢家と戦おうとは考えても、味方になろうと考える事はない。

 如何しても味方に引き込むのであればそれこそ、決戦を挑んで雌雄を決する事になる。

 由利十二頭を抑え、酒田を切り取った今の段階ならば充分に勝機はあるため、小野寺家と戦う事は視野に入れるべきだろう。


(だが……流石に盟友なしに複数の大名と戦う愚は避けたい。最上や安東が前提となるなら、津軽と上杉の両家が最有力候補だな)


 勢力が拡大したとはいってもまだ、小大名を脱却したくらいの勢力でしかない戸沢家では如何しても盟友が必要だ。

 現状で候補に上がるのは安東家と敵対している津軽家と最上家と因縁の深い上杉家。

 両家とも味方となった相手には律義であり、信頼も出来る。

 謀略を得意とする津軽家がやや怖いが、同じ敵を抱える事になる以上は敵になる心配はない。

 また、上杉家に関しては疑う必要性は皆無である。

 現在の当主である上杉景勝は先代の謙信を模範とし、義の文字を旗に掲げるという徹底した義将で卑劣な真似を嫌う。

 そのため、盟約を反故にするという事は絶対にあり得ない。

 津軽家以外で同盟を結ぶなら、上杉家が適しているだろう。


(……良し、方針は決まった)


 そう判断した俺は津軽家、上杉家と同盟を結び安東家、最上家に備える事を決断する。

 津軽為信と上杉景勝。

 謀将と義将。 

 両者共に全く異なる気質の人物ではあるが、安東愛季と最上義光という相手を踏まえればこれほど頼りになる人物はいない。

 出羽国が誇る武将にして、大勢力を持つ両者を相手にするには相応の人物達の力が必要なのだ。

 自分の力も万能ではない以上、それを補うだけの味方を得る事は生き残る上でも必須であり、大前提の事。

 飛躍する準備が整った今だからこそ、此処から先は尚更、意識していかなくてはならない。

 俺は改めて今後の脅威となるであろう安東愛季と最上義光の存在を意識するのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第15話 髭殿と夜叉九郎
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/05/10 20:07





 ――――1579年5月





 港町を抱える重要拠点である酒田を得た後、新たに獲得した領地について方針を定めるために俺は一旦、本拠地である角館に戻った。

 酒田については俺の代わりに一門衆である戸沢盛吉を派遣して守りを任せている。

 盛吉は史実において、小田原征伐に赴いた際に俺が率いていた軍勢を託した人物であり、全面的に信頼出来る数少ない人物だ。

 発展途上にある現状の戸沢家で酒田の統治という大事を任せられるのは利信を除けば盛吉くらいしかいない。

 また、貿易については酒田の豪商である池田惣左衛門や戸沢家が以前より懇意にしている田中清六らを交えて相談している。

 北国海運に通じ、中央からの情報にも詳しい彼らの意見は重要なものであるからだ。

 俺の考えだけではなく、酒田の商人達の意見や提案も交えつつ、港を整備していく事で確実に発展の基礎を築いていく。

 様々な試みを試したいとも思うが、飛躍する土台であるからこそ、堅実に物事を進めていかなくてはならないのである。

 港を得た事で今までは不可能であった事も出来るようになったが、性急過ぎる真似が良い方向に傾くとは限らない。

 物資の流通、鉄砲等の武器の購入といったものも徐々に本格化させていく形が良好だ。

 現状は鉱山の開発により戸沢家の持つ財貨についてはかなり恵まれているともいえるが、貿易の序盤から躓くとそれも簡単に失ってしまう。

 元から一定以上の大きな勢力や恵まれた立地条件を持っていた織田家等のような大名とは違うのである。

 それに酒田を得たとはいっても奥州におけるもう一つの重要な交易拠点である土崎湊は安東家が抑えている。

 無闇に交易拠点を拡大させる事は中央や蝦夷を相手にした貿易を行なっている安東愛季を刺激しかねない。

 真っ向から安東家に挑むには早過ぎる現状においてはある程度、慎重にならざるを得なくなる。

 北国海運を行う日本海側の港町の中には土崎湊も含まれているのだから、尚更だ。

 俺が徐々に本格化させていく形が良好であるとしたのはこういった事情もあるのである。

 












「何? 津軽家の人間が俺に会いたいと?」


 酒田を得た事で定まった方針を提示し、今後の準備を行う事とした矢先――――俺の下に津軽家の人間が訪れたという報告が届く。


「はい。しかし……訪れられたのは御一人だけです。共の者も誰一人して連れてはおりません」

「……ふむ」


 津軽家から訪れたという人物はたった一人で来たという。

 一応、津軽の側からすれば戸沢の領内は別に敵地ではないのだが、これは流石に無用心過ぎる。

 だが、命を捨ててかかっていると考えるならばこの行動は間違いとはいえない。

 実際にも佐々成政が徳川家康と交渉するために山越えしたという話があるくらいだ。

 本気で相手と交渉するつもりがあるならば危険を承知でも自らが赴く。

 これくらいの事はやってのけるような気概を持つ人物は普通ではない。

 ましてや、共の者も連れずに来たというのだ。

 一人で訪れたという人物の恐ろしさが窺える。


「来たのは……津軽為信殿だな?」


 それ故に単身で訪れたという人物の予測が立つ。

 津軽為信――――彼の人物ならば単身で此方に現れても何の不思議もない。

 為信は以前にも単身で敵方であるはずの九戸政実の下に単身で訪れた事があるという過去がある。

 敵地である南部領内にすら平気で侵入する為信ならば戸沢家の領内に侵入する事など朝飯前でしかない。


「はい……」

「ならば、調度良い。俺の方も機会があれば会おうと思っていた。直ぐに此方に御通ししろ」

「はっ!」


 それに俺自身、一度目の人生の時に付き合いがあったという理由はあるが、為信とは直接腹を割って話したいと思っていた。
 
 同じ敵を持ち、互いの目的も殆ど被らないという稀有な立場にある為信とは長く付き合える事は明らかだからだ。

 互いの悲願である安東家と南部家の打倒という目的が尚更、それに拍車をかける。

 安東と南部は両方とも独力で勝つ事が出来ないほど強大な相手であり、俺と為信にとっては超えなくてはならない相手。

 だが、俺達が手を組めば勝てる可能性は充分にある。

 為信の持つ智謀と俺の武略が合わされば、敵となるであろう南部信直や安東愛季にだって負けはしない。

 寧ろ、互角以上に渡り合う事だって可能だろう。

 俺としては為信が自ら訪れたという事は願ったり叶ったりだ。

 もし、向こうが先に動かなければ俺が動いていたのだろうから――――。















「急な訪問で申し訳ない、盛安殿」

「いえ、構いませぬ。此方こそ会いたいと思っておりました」


 場に通された為信との初顔合わせが成り、互いに挨拶をする。

 6尺に及ぶ身体と三国志の英雄である関羽を彷彿とさせるかのような見事な髭を持つ、為信は俺が記憶している姿と全く変わらない。

 小田原にて俺が流行病で倒れた時に見舞ってくれた時よりも幾分か若いが、今は10年以上も前なのだから当然だ。

 思わず、久し振りだという言葉が口に出てしまいそうになるが、そこは表に出さないようにする。


「して、此度は如何なる御要件で? 為信殿が自ら参られるとは重要な話があると思うのですが」

「……うむ」


 俺の話の切り出しに対して為信は此方を見定めるかのように見つめる。

 恐らくは俺という人物を見極めようとしているのだろう。

 此方としては為信が奥州でも稀に見る大人物である事が既に解っているが、これは記憶が残っているからだ。

 初めて会った場合だと見極めようとするのは俺も同じだろう。

 尤も、単身で会いに来るという事をやってのけた相手が只者ではないと思うのは確実だと思うのだが。


「では、単刀直入に言わせて貰う。盛安殿、我が津軽と盟を結んでくれないだろうか」


 暫し俺をじっと見つめた後、為信は本題であろう話を切り出す。

 為信が持ち出してきた話は同盟の打診。

 安東家、南部家と敵対している現状ならば当然の選択肢だ。


「それは願ってもない話。寧ろ、此方から御願いしたい」


 津軽家との同盟については俺の方も元から考えていた。

 断る理由は全く存在しない。
 
 寧ろ、逆に先手を打たれた形だ。

 為信の方も俺が断る可能性が皆無である事を理解している。

 此方の事を見透かされていたというべきだろうか。


「では、これより俺達は盟友だ。共に安東、南部と戦う、な」

「はい、若輩の身ではありますが、宜しく御願いします」


 俺と為信は共に手を取り、盟を結ぶ事を誓い合う。

 一先ずは互いの本題である同盟という目的は果たしたと言えよう。

 だが、これだけでは深い結び付きとは成り得ない。


「……盛安殿。盟を結んだという事で早速だが、幾つか尋ねたい事がある。宜しいか?」


 それを踏まえているのか為信は俺に対して改めて尋ねたい事があると言う。

 腹を割って話しあうという意味ではここからが本番だ。

 俺は家中の者が誰も立ち入らないようにとの命を下した後、為信と向き合うのだった。















 出入りする者を禁じ、2人きりとなった俺達は夜が明けるまで話しあった。

 治水工事の事から始まり、俺が何故、鎮守府将軍を称したのかにまで至る話。

 尋ねたい話の内容としては予測が付いていた範囲ではあるが、詳細に至るまで俺が今まで行なってきた事の全てを掴んでいた事には驚かされた。

 由利十二頭を皮区切りとした場合に酒田を狙うであろう事も小野寺家に備えて準備を進めている事等も全て見透かされている。

 為信の傍には奥州随一の軍師である沼田祐光がいるが、それでも為信自身の視野の広さにも恐れ入る。

 話によれば祐光の意見と為信の意見はほぼ一致していたのだというのだから堪らない。

 もし、敵対していたとすれば完全に掌の上で踊らされていた事になるのだから。

 つくづく、智謀で知られる人物達の恐ろしさというものを感じさせてくれる。

 だが、為信は俺の行なった動きについて、全て自分で考えた事だと伝えるとそれについては大いに評価していた。

 満安と戦って由利を抑えた事、酒田を抑えて港を得た事。

 何れも戸沢家の勢力を拡大し、奥州において一勢力を築く上で最も必要な事。

 為信は俺がそれを理解して、自らの意思で実践したという事が良いのだと言う。

 自ら考え、実際に現実に行動に起こす事が出来た事で為信は俺の器量が確かなものであると思ったらしい。

 それを見込んだからこそ、盟約を結ぶという行動を起こした。 

 幸いにして戸沢家と津軽家の取り巻く状況は互いに協力出来、尚且つ妨害し合わないという稀有なもの。

 そのため、今後も目的が被る事は殆どない事を為信は読みきっていた。

 俺もこの点に関しては為信とは同じ見解をしていたので盟約を結ぶ相手として適していると思っていた。

 御互いに目的としている事に差異はあれど、安東家、南部家を打倒するという志は変わらない。

 ある意味では同志と言っても良く、俺と為信は語り合う中で同じ志である事を確かめあう。

 それが互いの本心であると。


「為信殿、貴方はこれからの日本は如何になると思いますか?」


 互いの志を語りあったからこそ、俺は自らの思い浮かべる天下の事を尋ねる。

 織田信長が天下に覇を唱え、統一への足音が聞こえてくる現在。

 もう形勢は定まりつつある今の中で為信が思う事――――それを聞いてみたい。


「そうだな……。既に畿内、東海を中心とした最大勢力である、織田信長殿が天下にまで手に届くが現状での唯一の人物だろうと思う。

 上杉謙信殿も逝った今、その眼前には大きく道が開けており、強大とも言える大名は山陽、山陰を抑える毛利、関東を抑える北条、佐竹くらいだ。

 故に俺に出来る事は義父より受け継いだ津軽を統一し、宿敵である南部からの独立と安東に競り勝つ。

 天下が近いのならば、その間に出来る限りの事を成す。それが、今の俺が思う事だ」

「……為信殿」

「それは盛安殿も同じだろう? 征けるところまで征くという心構えだ」

「……はい。その通りです」


 俺の問いかけに対し、為信は一切の迷いもなく応える。

 天下が定まりつつある中でも征けるところまで征く――――と。

 例え、難しい事であったとしても宿願は果たして見せる。

 奥州でも最北端に近い位置する勢力の大名でありながら、明確に中央の動向を把握し、見据える視野の広さは本物だ。

 それに自らがそれを成せない可能性を考慮する様子も微塵にすら見せない。

 俺の尋ねた今の天下について思うところを為信は見事なまでに言い切ったのである――――。















 こうして、天下の形勢についての話を最後に戸沢盛安と津軽為信の語り合いは終わった。

 共に安東家、南部家に対処するという盟約を結び、志を同じくする同志である事を確かめあった上で、互いが目指すものを語りあった戸沢盛安と津軽為信。

 2人が共に並んで奥州の歴史に名が記される事になるのはこの盟約が成ったその時からであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第16話 義将、二人
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/06/17 22:36




 ――――1579年5月末





 為信との会談が終わり、同盟を結んで暫くの後。

 俺は為信が去る前に提示してきた一つの策について思案していた。

 その提示された策は安東家の分裂を謀るもの。

 内容を簡単に説明すると安東愛季が行おうとしている檜山安東家と湊安東家の統一を妨げると言うのが為信の考えた策。

 現在、湊安東家の当主である愛季の実弟、安東茂季は病にかかっており、余命も残り少ないという。

 この時、湊安東家の後継者となるのは茂季の息子である安東通季である事は間違いない。

 だが、通季は俺よりも僅かに2つ歳上でしかなく、湊安東家を切り盛りするには些か若いと言われている。

 そのため、愛季が通季の後見人という立場になるのは確実だ。

 正直、この点に関しては座して待つわけにはいかないと考えても無理はない。

 俺達の側からすれば湊安東家の当主である通季が愛季が後見人となる事を拒否し、茂季の代と同じように独立した立場を維持させる事が望ましいからだ。

 そういった意味では内心では愛季が後見人となる事を望んでいない通季を篭絡する事が上策だろう。

 また、通季を篭絡するだけでなく、蝦夷の蠣崎家にも使者を送り、意図的に接点を示す事で愛季に僅かな疑念を抱かせ、蠣崎家の動きを止める。

 安東の傘下にいる蠣崎家が動かないとなれば通季が話に乗ってくる可能性は随分と高くなるため、為信の策は充分に道理に適っているだろう。

 為信が懸念しているのは愛季が通季を後見する事により、湊安東家を完全に取り込んでしまう事。

 これにより、統一された安東家は今以上に大きくなり、手に負えなくなる存在に成りかねない。

 それ故に為信は俺に一計を伝えてきたのである。

 因みに史実における愛季は”湊安東家当主の後見人”となった事を利用して両安東家を統一しているため、為信の予測は完全に当たっている。

 両安東家が統一される事により、只でさえ大きい安東家の勢力は更に大きくなってしまうのだ。

 しかしながら、それを解っていても俺には安東家に集中するわけにはいかない事情があった。

 そう、越後の上杉家の事情である。

 1579年の3月に御館の乱が集結し、現在は戦後処理に追われている現当主、上杉景勝に同盟の打診と戦後処理にて注意すべき点を伝える事。

 現状において、俺が最優先に行わなくてはならない事項の一つである。

 上杉家は先代の謙信の頃までは庄内の大宝寺家と同盟を結んでいたが、御館の乱の際に景虎側に味方したため、庄内における味方を失っている。

 しかし、出羽南部において最上家と戦っていた上杉家としては如何しても庄内方面に味方が欲しい。

 そのため、酒田にまで進出した戸沢家が同盟の打診を行えば確実に受けてくる事は間違いなかった。

 また、戦後処理にて注意すべき点を伝えるという事。

 これについては同盟以上に重要なもので、この時の戦後処理の恩賞に不満を持った新発田重家の反乱を未然に防ぐ意味合いがある。

 とりあえず、助言すべき点は三条城を含めた周囲の領地を必ず重家に与える事。

 何故、伝えるべき内容がこうであるかは史実において重家が反乱を起こした最大の理由が三条城に関係する事であるからだ。

 景勝としては自分の小飼いの家臣である上田衆に領地を与えたいところであろうが、重家に三城の地を与える事は後の事を踏まえれば必須である。

 俺の方からは直接伝えたところで如何にもならないが、御館の乱の功績により、家老に出世した直江兼続なら此方の意図を理解してくれる可能性は高い。

 新発田重家という人物がどれほど戦上手であり、上杉家に欠かせない人物であるかを理解しているからだ。

 この件に関しては景勝と兼続の手腕に委ねるしかないが、何れにせよ、重家の反乱が上杉家の衰退を象徴する事になり、織田家の侵攻を招いてしまう事に繋がる。

 そうなれば、上杉家は出羽国どころではなくなってしまう。

 後々に庄内の地を狙ってくる可能性が高い最上家に備えるという点においても、上杉家の弱体化は避けなくてはならない事であった。


(難しいところ、だな)


 為信の提示してきた策も魅力的ではあるが、現状は上杉家に対処するので手一杯だ。

 通季を篭絡するだけでなく、蝦夷の蠣崎家にも根回しをするという念の入れようであった為信の策は出羽北部の統一を目標とする点では有効な一手。

 実際に試してみたいと思える。

 しかし、この策における最大の問題は相手が安東愛季であるという事。

 傍目からすれば、道理であろう策も通じない可能性があるのだ。

 智勇を以って南部家と真っ向から渡り合い、内政に至っては大湊を開発し、奥州最大の港町を築き上げた。

 領内の発展に尽くし、奥州でもその名を知られる安東愛季――――。

 僅か一代で安東家の最全盛期を築き上げたその器量は疑う余地もない。

 それ故に為信の提示した策がどれだけ有効であろうとも躊躇ってしまう。

 また、安東家の事に集中すれば今度は上杉家への対処が行き届かなくなってしまう。

 今後の酒田方面の統治を踏まえれば上杉家と繋ぎを入れる事は必須であるため、如何しても同盟を結んでおく必要がある。

 上杉景勝と直江兼続に繋ぎを取り、連携が取れる状態にしておく事は庄内地方を治めるにあたり、必要な事であるからだ。

 そのため、上杉家で起こる可能性のある新発田重家の反乱は未然に防ぐ事が重要となる。

 史実における織田家の侵攻を招いた要因であるこの反乱を潰しておく事で、出羽国に目を向ける余裕を与えさせる事は最上家の牽制に繋がる。

 出来る限り、最上義光を動かさないようにするためにはこの手しかない。

 義光が未だに最上八楯に手を焼いている今が好機なのだ。

 俺は為信の策の有効性を理解しながらも、上杉家とのやり取りを優先しなくてはならない事を悔やみながら、天を仰ぐしかなかった。















 ――――1579年6月















 御館の乱が集結から3ヶ月が経過し、戦後処理について話を纏めようとしている上杉家の下に戸沢家からの書状が届けられた。

 書状の内容は乱の終結の祝いの言葉と同盟の打診。

 そして――――処遇に悩んでいる新発田重家の事についてであった。


「……兼続」

「はい。戸沢殿が申される事、御受け致しましょう。大宝寺殿との繋ぎを失った今、戸沢殿の申す事は一理あります」


 書状を受け取り、言葉短く頷く一人の人物とその傍で代弁するかのように口を紡ぐ一人の人物。

 それぞれ、名を――――上杉景勝、直江兼続という。





 ――――上杉景勝





 越後の龍の異名を持つ、上杉謙信の後継者。

 言葉少ない人物であるが、義将として知られており、自ら得物を持って戦うという武勇でもその名を知られる人物。

 日頃より、先代の謙信を目標とし、その名に恥じない行いと武力の研鑽に励んだ景勝は戦国時代でも有数の武者であり勇将でもある。

 史実においても数々の反乱を乗り越え、上杉家中を引き締めた手腕は特筆出来る人物であり、謙信の後継者に相応しい人物であるのは間違いないだろう。

 1579年現在は謙信死後に勃発した後継ぎ争いである御館の乱を収めたばかりといった段階であり、今は軌道に乗り始める前といった段階。

 現状は盛安と同じく、家督を継承して僅か1年足らずであり、御館の乱の戦後処理と残っている景虎側の武将の対処に追われている。

 そのため、上杉家当主として漸く、働き始めたと言ったところであろう。





 ――――直江兼続





 景勝の腹心にして、生涯の友ともいうべき人物。

 幼い頃より景勝の傍近くに仕え、謙信からも薫陶を受けたとされる稀代の義将である。

 その活躍は政治、外交、謀略と多岐に渡り、時には戦においても手腕を発揮する程広く、名実共に景勝の手足となって働いた事で知られている。

 1579年現在は若干、20歳という若さで家老に就任し、御館の乱の戦後処理に追われる景勝を補佐しつつ対外的なやり取りも任されている状態。

 甲斐の武田家、相模の北条家を相手に立ち回り、この時の目まぐるしい対応が後の直江兼続という人物を形成するに至る過程であった。

 主君である景勝に負けず劣らず、忙しく働いている兼続は荒波に揉まれながら、自らを磨き始めていると言えよう。





「……新発田については」

「これについては申し上げるのは憚られますが……戸沢殿の見解は的を射ております。殿は上田衆に恩賞を下さる心積りだったと思いますが……。

 此度の景虎殿との戦、新発田殿が御味方してくれなければもっと辛いものになっておりました故に戸沢殿が申す事は誠にございます。

 先代、不識庵様も新発田殿の事は大いに評価しておりましたし……ここは新発田の家督継承の保証と三城の地を認めるしかありません。

 ここで我らが新発田殿と仲違いし、隙を見せる事は織田殿や最上殿の侵攻を招きかねませんので――――ここは戸沢殿を信じましょう」

「相、解った。兼続の申す通りにしよう」


 盛安からの書状を受け取った景勝は腹心である兼続に意見を求め、それに同意する。

 今まで繋がりがなかった戸沢家からの書状には驚かされたが、此方が乱の平定に時間を割いている間に酒田にまで進出していたとなればあり得ない事ではない。

 越後全土に勢力圏を持ち、北部で出羽と国境を接している上杉家は出羽の大名にとっては動向を気にするべき相手。

 新たに庄内地方の酒田を得た戸沢家が上杉家に繋がりを求めてくるのは可能性としても高い事であった。

 また、盛安の書状の項目の中にあった新発田重家の件も道理に適っている。

 盛安は書状の中で重家の事を称賛しているが、これは無理もない。

 何しろ、重家は御館の乱の際、重家は景虎側に味方した諸将を降し、更には乱に介入してきた蘆名盛氏、伊達輝宗らの軍勢をも退けている。

 獅子奮迅とも呼べるその活躍ぶりは出羽国内で鳴り響いても当然とも言えるほどだ。

 裏を返せば、盛安のような他大名が此処まで重家を称賛しているのならば、上杉家中では尚更評価されても可笑しくはない。

 出来る限りは景勝に親しい者に力を持たせたかったが、武を重んじる上杉家としては重家を大いに評価するべきだ。

 客観的な視点での重家の評価が正にその通りであるならば、恩賞は相応のものでなくてはならない。

 景勝はそう思ったが故に兼続の言葉を取り入れたのである。

 それに態々、同盟を打診してくる戸沢家が嘘の評価を伝えてくるとは考えられない。

 自ら相手を煽るような同盟の話など持ちかけるわけがないのだから。

 先代である謙信も決して無下にするような真似はしないだろう。

 戸沢盛安の名はまだ聞いたばかりでしかないが、友好的な態度を以って接してきた相手を無視する事は流儀に反する。

 兼続も盛安を信じても良いと言っているならば、景勝には否という理由はない。

 新発田重家の件については周囲の目を考慮した上で、相応の恩賞を約束する事を良しとする。

 景勝はこうして、重家に与える恩賞の方向性を確定するのであった。















「しかしながら……此度の件を踏まえると戸沢殿とは機会があれば直接、御会いしてみたいものです。中々の器量の持ち主であると見受けます故」

「……うむ」


 重家の恩賞について話を纏め、一息したところで兼続は盛安の事を好意的に評価する。

 同盟の打診の件と御館の乱の戦後処理についての推察は共に的を射たものであり、戸沢家の現状についても考慮されていた。

 乱を経て、出羽国における盟友であった大宝寺家と手切れし、新たな盟友を欲していた頃合いに同盟の打診を行うとは先を良く踏まえた証拠だ。

 話によれば景勝と同じく、家督を継承して僅か1年程度というが、これは侮れるものではない。

 僅か1年と数ヶ月で由利十二頭を抑え、酒田をも抑えた盛安は紛れもない戦上手。

 出羽国内では正に新進気鋭とも呼べる活躍ぶりである。

 同じく、戦上手で知られる上杉家としてはそのような相手こそが味方に欲しい勢力であった。

 最上家、蘆名家、伊達家に手を焼いている現状において、出羽国内における盟友は是が非でも必要なため、盛安のような味方は望ましい。

 今後は大法寺家とも戦う事になるであろう事も踏まえれば、尚更だ。

 酒田を得た戸沢家の存在は思っている以上に大きい。

 同盟の打診がきた事は上杉家にとっては朗報ともいうべき事であった。

 そういった意味でも、此方が欲している事と自らが欲している事を見極めて行動を起こしてきた盛安の着眼点は中々のものである。


「なれど、今は此方も後始末を行なっている最中。同盟に応ずるとの返礼を送った上で、戸沢殿とは時を見て正式に御会い致しましょう」

「……そうだな」


 兼続の言葉を受け、景勝は頷く。

 同盟を結ぶ事に異論は全くないが、今はまだ顔を合わせる余裕のある時ではない。

 御館の乱という一つの壁を越えたばかりの景勝と兼続がおかれている現状は天の時地の利人の和も揃っていないのだ。

 天の時は乱を経たばかりの消耗した状態では望むべくもなく。

 地の利は乱に介入した外敵を退けたばかりでは整ってもおらず。

 人の和は乱を収めたこれから築きあげるもの。

 亡き、上杉謙信が遺した天、地、人を揃える事が今の景勝と兼続にとって必要なものであり、後を継いだ者として成さねばならない事。

 戸沢盛安と正式に会うのはそれらが揃ってからだ。

 だが、何れにせよ最上家、蘆名家、伊達家といった奥州の敵に対して、戸沢家という味方が得られる事は確実に事態の好転へと繋がる。

 後は一刻も早く家中を纏め上げられるかだが、これについては景勝や兼続らの手腕に全てが掛かっている。

 謙信から引き継いだ上杉家を新たな体制に移行するのはこれからが本番なのだから。

 景勝と兼続は成すべき事を新たにし、その意思を強くするのであった。















 ――――1579年

 御館の乱が終結し、戸沢盛安が酒田を得たこの年。

 史実では存在しなかった戸沢家と上杉家の間に同盟が結ばれた。

 本来ならば庄内にまで勢力圏を広げる事がなかったであろう盛安が動いたが故に結ばれる事になったこの同盟。

 戸沢、上杉の両家からすれば最上家に対する牽制の意味を持つ、此度の同盟は敵対する者が多い現状においては如何しても必要なもの。

 御互いが望むべくして結ばれるに至ったものであったが、この同盟は後に盛安の運命を大きく変える事になるのである――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第17話 鮭延秀綱
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/07/01 21:42



 ――――1579年8月





 上杉景勝と正式に盟約を結び、最上義光に対する牽制が可能となった事で俺は本格的に領内の整備と軍備の増強の準備を進める事を決める。

 角館から由利、酒田に至るまで一気に勢力が拡大した今の戸沢家は出羽国の中でも3番手に位置するほどの大名となっている。

 特に出羽北部においては安東家に次ぐ力を持つ大名という事で従ってくれる豪族も以前に比べれば随分と増えた。

 元々は戸沢、小野寺間で中立の立場にあった六郷氏からも勢力に大きく差が出来たという事で正式に陣営に加わりたいとの打診が来ている。

 まずは出羽北部の地盤を固める事が重要であると見ていたが、これについては順調に事が進んでいると考えても良いだろう。

 後は南の小野寺家と雌雄を決する前に切り崩しを行なっておく事が現状の成すべき事だ。

 中でも鮭延秀綱の切り崩しは最優先で行うべき事であり、小野寺家との戦を早期に決するには彼を味方に出来るかにかかっている。

 史実でも智勇共に兼ね備えた人物であると評された秀綱は是非とも陣営に加えたい人物。

 今までは秀綱に調略を行う事などは全く考えられなかったが……由利十二頭を抑え、酒田にまで進出した今ならばそれも可能だ。

 満安を始めとした由利十二頭の領地を勢力圏に加えた事により、秀綱の治める領地とは殆ど接する形となったため、調略は現実的な手段となっている。

 特に小野寺家の次代の当主である小野寺義道の短慮な性格もそれに後押しをかけており、秀綱は義道の器量を大いに疑っているという。

 義道は確かに勇猛で出羽国内では若いながらも武勇の士として評判が高いのだが……。

 余りにも直情的な性格であり、何事にも激情に任せて動く人間であるとの評価が周知の事実だ。

 そのためか、武勇も知略も持ち合わせる秀綱は義道とは今一つ、折り合いが悪い。

 寧ろ、義道の方から秀綱の事を疎んでおり、武将としての器量に嫉妬しているとの話も聞いている。

 何れにせよ、秀綱も義道も御互いが良く思っていない事は確かなようだ。

 史実でも秀綱が最上義光に簡単に降ったのも義道の事を見限っていたからに他ならない。

 鮭延秀綱という人物は自らの力を存分に振るえる主君の下で働く事を望んでいると見ればそれは間違いではないだろう。

 そういった意味では間違いなく、義光は秀綱の力を存分に震わせてくれる人物であったからだ。

 しかし、義光の下に秀綱が降ってしまうといよいよ、此方が大きく不利となってしまう。

 庄内が接し、勢力圏でも劣っている現状では全てを最上家と戦う事に費やす覚悟をしなくてはならない。

 現状は後ろに安東家を抱え、小野寺家を抱えている限り、それは出来ない。

 上杉家との同盟が成立した今でこそ、先行きの目処が立っているが、現状は大法寺家とも敵対しているために如何しても戦力が不足する。

 だが、秀綱を得る事により小野寺家の弱体化に繋がる上に最上家、大宝寺家の双方に対して牽制出来る地を得る事にも繋がる。

 そのため、俺は秀綱を切り崩す事で次の段階へと進む事が出来ると踏んでいた。

 例え、軍勢を思う通りに動かす事が出来ない状態にあっても秀綱が動く事を切欠にして、小野寺家が何かしらの動きを見せる可能性が高い。

 そして、その時こそが俺の望んだ小野寺家との雌雄を決する時であり、出羽国内の情勢を戸沢家有利に傾ける最速の手段。

 下手をすれば博打になる可能性もあるが、満安と秀綱の両名が揃えば軍勢の数における不利は全く意味のないものとなる。

 例え、相手が小野寺輝道だろうが小野寺義道だろうが勝機は充分だ。 

 戦は兵力の数だけで全てが決まるわけではないのだから――――。















 ――――鮭延城















「むむ……戸沢殿は此処まで某を見込んでいるのか」


 盛安から書状が届いた書状を読みながら、唸る10代後半くらいの年頃であろう若き人物。

 若くして、小野寺家の最前線ともいうべき鮭延城を任されているこの若者は鮭延秀綱という。





 ――――鮭延秀綱





 若干、17歳という若さで城主を務める鮭延氏の現当主。

 智勇を兼ね備えた人物として評判が高く、出羽国内においてその名も高い人物。

 史実では直江兼続に苦渋を飲ませた人物として有名で、兼続に「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」とまで言わせたほどである。

 更には小野寺家から最上家の家臣になった後も家中随一の俸禄を賜っていた事でも知られており、その器量は最上義光からも大きく評価された。

 現代の時代での知名度はそれほど高くはないが、秀綱は奥州の中でも際立って活躍した武将であり、名将と呼ぶに相応しい人物であるといえよう。





「まさか、小野寺家に属するこの秀綱を迎えたいと包み隠す事なく言ってくるとは……」


 秀綱は盛安からの書状を読み終えたところで大きく息を吐く。

 書状に書かれていた内容は秀綱の事を評価しているという事と、戸沢家に属する気はないかという誘いの事。

 敵対している大名家の家臣に誘いの書状を送り、内応を促すのは良くある話だが盛安の場合は純粋に秀綱を迎えたいとの旨が書かれているのみ。

 既に戸沢家とは力関係が逆転しているはずの小野寺家の現状については一切、触れてはいない。

 力関係については意図的に話に触れてはいないだけなのだろうが、現状では戦っても小野寺家が戸沢家に勝てる保証は少ない。

 盛安がそう遠くないうちに小野寺家と雌雄を決するつもりである事は秀綱にも予測がついているだけに此度の書状は通告とも取れる。


「しかし……戸沢殿の書状が直接、此方に届いている事を見ると領内には戸沢家の手の者が回っているのは間違いないな。

 若殿からは戸沢家の使者には応ずるなと言われているが……それが行き届かなかった事も踏まえると既に鮭延城にも調略の手が回っているのだろう。

 それか、我が鮭延に属する者達も小野寺家よりも戸沢家に好意を寄せているか如何かだ。何れにせよ、戦ったとしても戦にはなるまい」


 戸沢家とは敵対しているという現状にも関わらず、盛安からの書状があっさりと届けられた事について秀綱は既に調略の手が回ってきている事を察する。

 鮭延城を中心とした領内は治安も決して悪くはないはずなのだが……。


「既に出羽北部から中部は戸沢家と安東家に傾いている、か。それに対して、今の小野寺家は若殿である義道様が後を継ぐための準備が進んでいる最中。

 しかし、義道様が当主となった暁には、某は小野寺家に必要とはされなくなってしまう。義道様の振る舞いを御諌めしてきたがそれが裏目に出てしまっているのだ。

 小野寺家から離れるのも頃合いなのかもしれぬ。このまま、戦になったとしても義道様が援軍を下さる事はあるまい。孤軍で戸沢家と戦う事は不可能だ」


 秀綱は出羽国の情勢が戸沢家に傾きつつある事を実感する。

 それに今の自分の立場が良いものではないという事も。

 義道とは既に険悪な仲となりつつある現状では戸沢家との戦に持ち込んだとしても主家である小野寺家から援軍が得られるとは考えられず、独力で戦うしかない。

 昨年までの戸沢家であれば勝機は充分にあったのだが、矢島満安を抱える今の戸沢家が相手では秀綱とて勝機を見い出す事は不可能だ。

 それに大名としての地力も戸沢家に上回られた今、総力戦で漸く勝機があるか否かでしかない。


「これも時勢か……。戸沢盛安殿の器量も確かである事が解っている今、戸沢家に従うのも一考だろう。某の力が存分に振るえるのならば、否はない」


 時の勢いが戸沢家にある事を認めた秀綱は戸沢家の陣営に加わる事を決断する。

 戸沢家の現当主、盛安は僅か1年と数ヶ月で出羽北部に確固たる勢力を築き上げた人物。

 中でも鎮守府将軍を称した話は出羽国内でも有名だが、戸沢家の勢力拡大の様子を踏まえるとその名に恥じないだけの器量を備えていると思える。

 また、悪竜の異名を持つ豪勇の将である矢島満安を降した事が盛安の武名を著しく高めており、夜叉九郎とも鬼九郎とも呼ばれるほどに名が広まりつつある。

 器量ある主君を望む秀綱からすれば、盛安は充分に条件に当て嵌まっていた。

 もし、他に出羽国内で主君に望むとするならば最上義光か安東愛季くらいだろう。

 秀綱は戸沢盛安という人物が如何なる者かを思い浮かべながら返答の書状を書き始めるのだった。















 ――――1579年8月末




 鮭延秀綱が戸沢盛安の要請に応じ、小野寺家から離れる事を表明した。

 この事に対して小野寺輝道は冷静であったが、次代の当主である義道は激しく怒り、小野寺家は鮭延征伐の軍勢を立ち上げる。

 だが、義道の行動は読まれており、秀綱は表明した段階で既に軍備を整えており、所領が近い矢島満安にも小野寺家が動くであろう事を伝えていた。

 秀綱は自らが動く事で戸沢家と小野寺家の雌雄を決する戦が始まる事になるだろうと見極めていたのだ。

 この状況は勇猛ではあるが短慮な性格の義道と勇猛でありながら理知的な側面を持つ秀綱の差が良く現れたものであり、両者の違いを如実に現しているといえる。

 初期の段階から義道が動くであろう事を読んでいた秀綱に対し、憎しの感情のみで動いた義道。

 智勇を以って戦う秀綱と武勇のみを以って戦う義道の衝突はいよいよ、避けられなくなった。

 これにより、戸沢家に属した秀綱と小野寺家の次期当主である義道の戦となり、この衝突は戸沢家と小野寺家の戦へと発展する。

 酒田を得てから間もない戸沢家からすれば早過ぎた戦となるが、鮭延秀綱が味方となるならば、それには目を瞑るしかない。

 唯、領内の整備と軍備の増強を始めたばかりである戸沢家は思うように軍勢を出す事が出来ない。

 その点においては不利であると言わざるを得ないだろう。

 しかし、戸沢家の軍備が万全ではなかったが故に小野寺家は兵力の上では互角以上に持ち込める。

 小野寺家からすれば雌雄を決するには兵力と軍備の差が広がりきっていない今が好機なのだ。

 そのため、輝道は義道の鮭延征伐に異を唱えなかったのだろう。

 戸沢家との戦に持ち込むにはこれ以上の都合の良い理由と状況は存在しないのだから。

 だが、鮭延秀綱を調略した事により、自らの手で新たな戦を呼び寄せた盛安が愚か者なのか、大物なのかまでは解らない。

 思うように軍備が整えられない今の状況で戦の切欠を創るなど、常識外であるからだ。

 それ故に小野寺輝道を以ってしても気付かなかった。

 鮭延秀綱の調略から始まった一連の流れはあくまでも盛安が望んだものであり、早期の決着に導くための布石であったという事に。

 要するに義道は盛安の思惑に沿う形で釣り出されたのである。

 互いにそれぞれの思惑が交錯する中――――。

 いよいよ、戸沢家と小野寺家の雌雄を決する切欠になるであろう鮭延秀綱と小野寺義道の戦が始まろうとしていた。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第18話 知勇兼備の将
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/07/08 22:19



・戸沢家、小野寺家 陣容




 戸沢家(合計700)
 ・ 鮭延秀綱(足軽80、騎馬70)             150
 ・ 矢島満安(足軽100、騎馬80、鉄砲20)        200
 ・ 戸沢盛吉(足軽200、騎馬50、鉄砲50)        300
 ・ 佐藤信基(足軽20、騎馬30)             50


 小野寺家(合計850) 
 ・ 小野寺義道(足軽150、騎馬100)          250
 ・ 大築地秀道(足軽130、騎馬100)          230
 ・ 小野寺茂道(足軽140、騎馬80)           220
 ・ 八柏道為(足軽100、騎馬50)            150




 鮭延秀綱が戸沢家の陣営に加わった事を発端にして、いよいよ両雄が合間まみえる事となった。

 戸沢家の軍勢を率いている主な武将は矢島満安、戸沢盛吉の両名。

 此度の戦は秀綱の本拠地である鮭延城が拠点となるので、家中でも最も近い場所に軍勢を抱えている2人が軍勢を出す事になったのである。


「援軍、感謝致します」

「何、盛安殿の御指示だ。当然の事をしたまでよ」


 援軍として訪れた盛吉に礼の言葉を伝える秀綱。

 盛吉としては盛安の命に従って動くのは当然の事であり、陣営に加わった秀綱に合力するのは当然の事だ。

 態々、気にする事でもない。


「しかし……秀綱殿、此度の小野寺の軍勢を如何ように見る? 数の上では満安殿がおる故、問題ではないと見ているが」


 盛吉は小野寺家の軍勢について秀綱に尋ねる。

 数においては兵力の動員に制限がある戸沢家の方が些か少ないが、満安とその軍勢がいるため事実上の不利はない。

 満安と真っ向から戦って勝る武将は小野寺家にいるとは思えないため、盛吉は秀綱に問題ではないと見ていると伝えたのである。


「某は侮れないと見ております。義道様は直情的な人物ですが、戦における駆け引きは中々のものです。秀道様、茂道様も戦下手というわけではありません。

 しかしながら、此度の戦において、彼方には道為殿がおりまする。幾ら、満安殿がおられるとはいっても一筋縄で行きますまい」


 だが、秀綱からの返答は一筋縄では行かないという。

 戸沢家側には豪勇で知られる奥州随一の猛将である矢島満安がいるが、秀綱はそれでも力押しでは勝てないと見ていた。

 何故なら、小野寺家側に八柏道為が参戦しているからである。

 道為は小野寺家中では秀綱と同じく、智勇を兼ね備えた人物として知られており、史実でも幾度となく最上義光を撃退した事でも知られる名将。

 小野寺家の要ともいうべき人物であり、此度の戦においては戦局をも左右しかねないほどの人物だ。

 その道為が参戦しているとなれば、如何あっても真正面からの決戦だけでは押し切る事は出来ない。


「八柏道為は俺も面識がある。確かに優れた武勇を持つ人物だった。その力量は敵とするには惜しいくらいだ」


 満安も道為については強敵であるとの好評価を下す。

 戸沢家の陣営に加わる以前までは小野寺家よりの立場を取っていた満安は道為とも直接、顔を合わせた事があったのである。

 しかも、道為がちょうど義道に武芸を指南している時だったために印象が深い。

 満安がその時に見た限りでは見事としか言いようがないほどに的確に義道を導いていた。

 そのため、満安は道為という人物を目の当たりにしており、侮れないと評したのだ。


「ふむ……満安殿も八柏道為を侮れぬと見ておるか。ならば……此度の戦、秀綱殿に采配を任せて宜しいか? 小野寺家の手の内の全てを知っておるのは御主だけだ」


 両名の意見を聞き、盛吉は戦の采配を秀綱に任せる事を決断する。

 今まで、小野寺家に属していた秀綱ならば相手の手の内を理解しているとの判断である。


「解りました。非才の身ではありますが、お引き受け致しましょう」


 盛吉の思うところを理解した秀綱が頷く。

 この場において、八柏道為の手腕を間近で見てきたのは秀綱だけだ。

 一応、満安も道為との面識はあるが、小野寺家中の人間ではないため、詳しい事を知っているわけではない。

 出羽国でも武将としても忠臣としても名が知れ渡っている道為は表面上の事では有名でもその裏に隠れた側面は家中の者しか目にする事はない。

 やはり、八柏道為という智勇を兼ね備えた武将を相手取るには彼の人物の手口を知っている秀綱が適任といったところだろう。

 満安も盛吉の言葉に頷いており、秀綱に采配を任せるという点においては同意らしい。

 両名の意見が一致しているのであれば秀綱に断る理由はない。

 それに秀綱が望んでいた自らの力を存分に振るう場が早々に来たのである。

 此度の戦を任せてくれるという事であれば存分に腕を振るうのみ。


「では、御二人方。早速ですが……」


 秀綱は早速、満安と盛吉の両名に自らの思うところを語り始めるのであった。















「秀綱め……我が小野寺から離反した事、必ずや後悔させてやる。奴の素っ首はこの義道が取ってくれる」


 小野寺家から離反し、戸沢家の陣営に鮭延秀綱が加わったという報告を聞いて出陣した小野寺義道は憤怒の表情を隠しもせずに呟く。

 元から秀綱の事を好ましくは思っていなかった義道だが、それを差し引いても小野寺家から離れた事は許し難い。

 義道が怒るのは当然の事だろう。


「義道、逸る気持ちは解るが落ち着け。まぁ……俺も秀綱に対しては含むところがあるのは変わらないがな」

「全くじゃ、此度の件は流石の儂でも許せぬ。恐らくは輝道も同じ思いでいる事だろう」


 義道の兄である茂道と伯父である秀道も同じく、秀綱の行動には怒りを覚えている。

 流石に義道ほどに感情を露にしてはいないが、冷静に構える事は出来ていない。

 若くして、智勇を兼ね備えた人物と評される秀綱は小野寺家中でも大いに期待されていたのだ。

 恐らく輝道も秀綱には期待していただけに戸沢家への離反は残念に思っているであろう。

 小野寺家の今後の要とも成り得たであろう武将なだけに此度の離反は痛恨事であるともいえた。


「皆様、秀綱の事は残念でありますが……此度は戸沢家と雌雄を決する絶好の機会だと思えば宜しいかと存じます」


 だが、秀綱の離反にも全く動じない道為。

 寧ろ、此度の件は戸沢家との雌雄を決する絶好の機会だと告げる。


「ふむ……道為のいう事には一理あるな。秀綱が離反した事で戸沢を引きずり出す形になったのだからな」

「盛安が出てきておらぬが、此方も輝道が出てきておらぬ故、事実上五分の戦。此度で戸沢との力関係もはっきりするであろう」

「ふんっ……道為に言われるまでもない」


 道為の言葉に義道らは三者三様に頷く。

 因縁の深い戸沢家との雌雄を決する事は小野寺家の悲願なのだ。

 悲願を達成出来るとなれば秀綱が離反した事も些細な事であると考える事も出来る。

 そのため、道為の言う事には間違いがなく、激情で動く気質の持ち主である義道にとっても納得がいくものであった。


「それならば、良いのです。では……皆様が落ち着かれたところで、拝謁ながら此度の戦において私見ではありますが、意見を申し上げまする」


 一同が納得した事を確認し、道為は此度の戦における見解を語り始める。

 此度の戦は奇しくも、秀綱と道為の互いの思うところの差異が勝敗の行方を左右しようとしていた――――。















「すまない、信基。御主には苦労をかける事になる」

「いえ、構いませぬ。殿の為ならば何時でも我が身を擲つ覚悟は出来ておりまする」


 満安と盛吉に戦に用いる策を伝えた後、秀綱は家臣である佐藤信基に謝罪する。

 秀綱が選んだ策は自らの旗印を信基に預け、野伏として動く事――――謂わば、信基を撒き餌として、道為の裏を欠く事である。

 何故、このような手段を取ったのかといえば、此度の戦が始まれば真っ先に狙われる事になるのは離反した秀綱の可能性が高いからだ。

 中でも義道は間違いなく、秀綱の首を取ろうと躍起になっている可能性が高く、機会さえあれば十中八九向かってくる。

 それ故に秀綱は伏兵を使うという策を選んだのだが、それだけでは道為の慧眼を欺く事は出来ない。

 八柏道為という人物を出し抜くには更に手を加えなければならないのだ。

 そのため、秀綱は旗印を預けて信基を囮とするだけではなく、工夫を加えるために盛吉からも戸沢家の旗を多数と鉄砲隊も一部の数だけ借りていた。

 戸沢家の家紋がついている旗を多く掲げる事により出来る限り軍勢の数を多く見せるという理由と盛安自らが此度の戦に駆け付けたと思わせるためだ。

 幸いにして盛安は家督を継承して1年ほどしか経っておらず、自分自身の旗印をまだ定めてはいない。

 実際に満安と戦った時も戸沢家の家紋が描かれた旗印を掲げて戦っていたのである。

 秀綱はその事を満安から聞き、戸沢家の一門衆という事で同じ旗印を持つ盛吉に多数の旗を借りる事にしたのだ。

 また、旗以外にも鉄砲隊を借りたのも、先の満安との戦で盛安が主力の一端として運用していたからである。

 本気で道為を相手取るならば、この場にはいない筈の軍勢を生み出してしまうくらいのつもりがなくては到底、敵わない。

 そう答えを出したが故に秀綱は矢島満安と戸沢盛吉といった歴戦の武将達ですら思い付かなかった奇策を導き出したのだ。

 これは秀綱の援軍に来た武将が満安と盛吉だったからこそ出来た事であり、政房や利信が援軍であった場合は不可能であった策。

 その場にあるものを存分に活用し、臨機応変に動くのが秀綱の真骨頂である。

 史実でも北の関ヶ原と名高い長谷堂の戦いにて、同僚である志村光安と共に奇襲で大戦果を上げている事からも寡兵である事を最大限に活用していた事が窺える。

 此度の戦で秀綱が選んだ策は奇襲が得意であったとされる彼らしいものであるといえる。

 
「それ故、殿は存分に御働き下され。此度の戦にて鮭延秀綱の名が轟く事こそが我が望みにござる」

「……解った。信基がそういうのであれば、某も存分に暴れるとしよう。何しろ、彼の矢島満安殿と共に戦うのだ。生半可な戦い振りでは目も当てられぬ」

「その意気にございますぞ、殿」


 信基からの後押しもあり、秀綱は奇襲に懸ける意気込みを更に強くする。

 ましてや、悪竜と名高い満安と共に同じ陣営で戦うのだ。

 奥州に鮭延秀綱在りと証明するには相応の戦果を出さなくてはならない。

 自らの得意とする奇襲が出来る環境があるだけに尚更である。

 それに戸沢家の陣営に加わると表明したのだから、手ぶらというわけにはいかない。

 小野寺家との戦に勝利し、雌雄を決する切欠をつくる事こそが何よりの手土産となるだろう。

 秀綱は決意を新たにし、来るべき決戦に備えての準備を始めるのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第19話 真室の戦い
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/08/05 22:04





・真室の戦い




 戸沢家(合計700)
 ・ 鮭延秀綱(足軽60、騎馬30、鉄砲20)   110(戸沢家旗印、鉄砲借用)
 ・ 矢島満安(足軽100、騎馬80、鉄砲20)   200
 ・ 戸沢盛吉(足軽200、騎馬50、鉄砲30)   280
 ・ 佐藤信基(足軽40、騎馬50)        90


 小野寺家(合計850) 
 ・ 小野寺義道(足軽150、騎馬100)     250
 ・ 大築地秀道(足軽130、騎馬100)     230
 ・ 小野寺茂道(足軽140、騎馬80)      220
 ・ 八柏道為(足軽100、騎馬50)       150






 戸沢家、小野寺家双方の軍勢が布陣し、いよいよ因縁とも言うべき戦いが始まった。

 両軍合わせて1500人前後の軍勢がぶつかりあう、この戦は世間的に見れば大規模なものには見えないかもしれない。

 歴史等に記される有名な戦の多くは10000人以上にも、場合によっては100000人もの軍勢がぶつかりあうような戦いが多いからだ。

 しかし、戸沢家と小野寺家という4~5万石前後の大名にとってはこれだけの軍勢でも総力戦に近い。

 御互いに大名である戸沢盛安と小野寺輝道が出てきていない事から一応の余力は残しているのだが、1万石で200~300人前後の兵という計算からすれば際どいところだ。

 また、戸沢家は領土が拡大し、確実に石高を増やしているのだが、現状は領内の整備が終わっておらず、戦力が限定されている。

 それでも700人もの軍勢を動員出来たのは一重に盛安の積極的な軍事行動による戦力の増強が行われていたからだろう。

 後は矢島満安のように一つの戦力となる郎党を率いている武将が陣営に加わっている事も大きい。

 戸沢家が由利方面を抑えた事は此処に来て相応の影響力を及ぼすに至ったというべきか。

 此度の戦でも由利を抑えているからこそ、援軍を迅速に派遣する事が出来たのだから――――。















「矢島五郎推参! 命が惜しくない者からかかってこい!」


 戸沢家の軍勢の先陣を務めるのは矢島満安。

 悪竜の異名を持ち、奥州でも随一の豪勇を誇る満安は我先にと斬り込んで行く。


「ひぃぃ! 大井五郎だ――――!」


 八升栗毛を駆り、一丈二尺の八角の樫の棒を振り回しながら突き進む満安に兵達が怯え、逃げ惑う。

 戸沢と戦う覚悟が出来ていても、満安の異形を目の当たりにすれば無理もない。

 一撃で頭を叩き割れていく者と巨体を誇る馬に跳ね飛ばされていく者達が次々と続出する光景は悪夢にも等しい。

 しかも、満安の難を逃れても後から突入してくる手勢の槍に突き伏せられてしまう。

 進んだ先には壮絶な光景しか見られないのならば後は逃げるしかない。


「くっ……流石、矢島満安か。一度ぶつかるだけでこれほどとは」


 目の前で繰り広げられる蹂躙といっても良い光景を前にして、大築地秀道は歯軋りする。

 戸沢家の主戦力である満安を抑える役割を担ったのだが、満安の猛烈な攻めに早くも軍勢が崩壊しかねない勢いだ。

 兵の数の上ではそう大差がないだけに尚更、満安の圧倒的な武勇の程が窺える。

 だが、此度の戦において最も脅威となる満安を抑えさえ出来れば小野寺の勝ちは揺るがないものとなるのだ。

 此処で退くわけにはいかない。


「者共! 矢島満安さえ抑えきれば我が方の勝利ぞ! 持ち堪えよ!」


 秀道は必死に声を張り上げ、兵達を鼓舞する。

 戦が始まったばかりの段階で総崩れとなってしまえば確実に押し切られてしまう。

 道為が秀綱を討ち取ればこの戦は小野寺側の勝利であると具申していた以上、必要となるのは一定時間以上の時である。

 戸沢側の主力は間違いなく満安であるため、抑え込めれば抑え込むだけ勝利は確実なものとなる。

 そのため、出来る限りの時間を稼がなくてはならなかった。

 秀道は満安の猛攻に押される自軍を支える事に注力するのであった。















「目指すは秀綱の首一つ! 皆の者、俺に続けぇ!」

「おおおぉぉぉ――――っ!」


 鮭延氏の旗印を目指して突き進んでいくのは小野寺義道率いる軍勢。

 義道は猪突猛進の気質があるが、武勇においては盛安にも劣らないと称される勇猛果敢な人物。

 それを証明するかのように鮭延の旗が翻る軍勢へと繰り出していく。

 盛安と同年の生まれで領内での小競り合い等を除けば此度の戦が事実上の初陣となる義道だが、迷いのない動きからするにとてもそうは見えない。

 戸沢側の足軽達を次々と斬り伏せ、弓等で狙われていると察すれば見事なまでの轡捌きで射線をずらす。

 秀綱も武将としての資質については評価していただけあり、中々の戦振りである。


「やはり、義道様が真っ先に向かって来られるか! 殿が動くまで此処を抜かせはしませんぞ!」


 義道の攻めを前にして、信基は負けじと真っ向から喰い止めにかかる。

 小野寺家中でも知勇兼備の将として知られる秀綱ならば数で劣っていようとも、そう簡単には退く真似はしないからだ。

 主君である秀綱に命じられたのは戦い振りを模範し、小野寺側の諸将の目を欺く事。

 見破られたとしても秀綱の想定した戦運びには何ら影響する事はないが、役目を果たす事は自分の責任である。

 ましてや、秀綱の手勢を預かるとなれば尚更だ。

 この戦で己の役割を果たさぬままに崩れる事は出来ない。

 例え、義道の率いる軍勢が預かっている手勢の倍以上であろうとも。

 信基は覚悟を決めて、采配を取るのであった。















 戸沢家(合計615)
 ・ 鮭延秀綱(足軽60、騎馬30、鉄砲20)   110(戸沢家旗印、鉄砲借用)
 ・ 矢島満安(足軽95、騎馬70、鉄砲20)    185
 ・ 戸沢盛吉(足軽190、騎馬40、鉄砲30)   260
 ・ 佐藤信基(足軽30、騎馬30)        60


 小野寺家(合計725) 
 ・ 小野寺義道(足軽140、騎馬95)      235
 ・ 大築地秀道(足軽80、騎馬70)      150
 ・ 小野寺茂道(足軽130、騎馬70)      200
 ・ 八柏道為(足軽95、騎馬45)        140





「可笑しい……」


 満安と秀道が戦い義道と信基が戦っている最中、道為は戦の動きに不自然さがある事を感じる。

 戸沢側の主力である満安の軍勢が真っ先に進んでくるのは想定通りだが、秀綱の軍勢の動きが僅かながら消極的な動きをしている。

 秀綱と戦っているのは義道が率いる軍勢であるため、数においては大きく勝っている仕方がない事かもしれない。

 だが、秀綱ほどの者ともなれば初陣に近い義道をあしらう事など難しくはないのだ。

 頃合いを見計らって自らが斬り込めば義道を退かせる事くらい充分に可能なのだから。

 また、盛吉の率いる手勢との戦を始めた茂道の方の戦運びだが――――これも何処かが可笑しい。

 戸沢家が騎馬以外に鉄砲を主力としているのは先の由利十二頭との戦で知れた事なのだが、些かその数が少ないように見受けられる。

 盛安が領内の整備に専念するために主力を手元に残している可能性も充分に考えられるが、小野寺家との因縁の戦に温存する可能性は少ない。

 自らが出陣していないとはいえど、満安と戸沢家の一門衆でも戦上手である盛吉を出陣させているのだ。

 これを踏まえれば、温存しているとは言い切れないだろう。

 特に満安の奮戦振りは凄まじく、彼の軍勢と相対している秀道の軍勢は瞬く間にその数を減らしている。

 道為もそれを見て、自らの手勢を秀道の方へと向かわせているが、流石に満安を止める事は敵わない。

 恐らくは突破される時間が多少、延長される程度だろう。

 だが、小野寺側も決して負けてはいない。

 圧倒的な武勇で蹂躙する満安に負けじと義道が奮戦しているからだ。

 秀綱の裏切りに怒りを燃やしている義道はその激情を戦場で晴らすべく、初陣であるにも関わらずに素晴らしい戦い振りを示している。

 鮭延の軍勢を一気に押し込もうとするかのように突き進む義道の軍勢は満安には一歩劣っているが、その活躍は目覚しい。

 順当に展開していけば秀綱を討ち取る事も決して不可能ではないだろう。


「秀綱めが此処まで簡単に押し切る事を許すとは。もしや……あの采配は秀綱ではないのか?」


 しかし、それ故に道為は尚更、違和感がある事を感じる。

 義道と戦っている鮭延勢は確かに良い戦い振りを見せているが、道為が記憶している鮭延の軍勢の強さには及ばないように見える。

 知勇兼備の将と謳われる秀綱の率いる軍勢は小野寺家の中でも随一といっても良いほどの軍勢のはずだから尚更だ。

 如何に義道が奮戦しようともそう簡単に劣勢に陥るような軍勢ではない。

 それを身を以って知っているため、道為は此度の戦の秀綱の戦い方に疑いを覚えたのである。


「そうなれば……やはり、秀綱は自らの得意とする奇襲を狙うか。 皆の者、間もなく秀綱が来るぞ! 秀道様に加勢しつつ、備えよ!」


 道為は義道と戦っている鮭延勢が秀綱の采配で動いていない可能性を考慮し、備えるように指示を出す。

 此度の戦は軍勢の数に差異はあれど、満安や盛吉を始めとした戦上手を中心に編成されている戸沢家の戦力は小野寺家の戦力とは互角以上。

 数の優位に関しては殆ど意味はない。

 事実、満安の手によって数の差は大きく縮められてしまっている。

 このままの戦の流れであれば、確実に数の差はなくなってしまう。

 半刻の時すら持ちこたえられないだろう。

 だが、鮭延勢が想定していたよりも動きが悪い事を踏まえれば秀綱不在の可能性が高い。

 そして、秀綱が最も得意とするのは奇襲、強襲といった意表を突く戦術だ。

 戦の流れを見て、道為は既に秀綱が動いているであろうと踏む。

 
「秀綱よ……此度の戦は勝たせぬぞ。その首、若殿に献上仕る」


 策を読みきった事を確信した道為は軍勢が伏せられるであろう方角を見つめる。

 奇襲は奇を突くからこそ成り立つものであって、その点を突く事が出来なければ奇襲とは成り得ない。

 小野寺側は道為を除き、誰も秀綱が戦場に不在である事には気付いていないが、それも大した問題ではない。

 秀綱を抑えるだけならば道為の力量を以ってすれば不可能ではないからだ。

 互いの思惑が交錯し、策の読み合いが大詰めを迎えようとする最中、戸沢家と小野寺家の戦はいよいよ、佳境を迎えようとしている。

 それを証明するかのように道為が軍勢を伏せていると踏んだ方角から一斉に旗印が翻える。

 奇襲の予測をしていた事もあり、この機においての登場は正に絶好の頃合いだ。

 全ては己が読み通りであり、此度の戦は小野寺側が勝利すると確信したその時――――。















 道為の目の前で翻った旗印は先の由利十二頭との戦で掲げられていたという、戸沢盛安の旗印であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第20話 雌雄決す
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/08/19 09:41





「なっ……戸沢盛安の旗印だと!?」


 秀綱の奇襲があると読んでいた道為の目の前に翻った丸に輪貫九曜の家紋の旗。

 先の由利での戦において盛安が掲げていたというその旗がこの機において現れる事は想定外であった。

 此度の戦において盛安が出陣しているという報告を受けていないからだ。


「いや、これは秀綱の計略か。戸沢家の旗印を持つのは此度の戦に参陣している戸沢盛吉殿も同じだ。可能性としては其方の方が高い」


 だが、道為は冷静に秀綱の計略である事を看破する。

 如何に盛安とて、完全に情報を封鎖した状態で軍勢を動かす事など出来はしない。

 この段階で盛安が援軍として現れるとなれば、報告が既に入ってきているはずだからだ。

 今の盛安の武名からすれば単身または少数での動きではない限り、その動きは注目されてしまう。

 例え、小野寺家内で解らなくとも他家の微妙な反応でも道為からすればその動きの予測は付けられるのである。


「皆の者、うろたえるな! これは秀綱めの仕業ぞ!」


 翻った戸沢家の旗印を前に道為は秀綱が動いた事を察し、声をはりあげる。

 本来であれば、この場には存在しない戸沢家の旗印――――。

 これはあくまで秀綱が己の身を悟られないようにするために利用したもの。

 道為にはそれが誰よりも解っているため、冷静に指示を出す。

 此処で動じれば、秀綱の思うつぼだ。


「や、夜叉九郎だ――――!?」


 しかし、道為の言葉とは裏腹に大きく動揺する足軽達。

 満安と渡り合い、鬼とも夜叉とも呼ばれるようになった盛安の名は伊達ではない。

 すぐ近くで繰り広げられる悪夢のような光景を目にしてしまっている現状では動揺が広がる可能性も充分に考えられる。

 だが、道為の率いる軍勢は本来ならばこの程度で動じる事はない。

 軍勢は指揮を執る武将によって色が濃く出るというが、道為の軍勢は本人の気質を反映してか冷静に立ち回る事の出来る軍勢であった。


「ちっ――――抜かったか! 秀綱め、流石にやりおる!」


 自らの軍勢が動じてしまったという状況に道為はその原因であろう足軽の姿を目にし、舌打ちする。

 道為が記憶している限り、夜叉九郎の名を出して動揺を持ち込んだ足軽は鮭延氏の手勢の者。

 戸沢家の旗印が翻った事で周囲の者が目を奪われた時に生じた僅かな隙に付け込み、秀綱は自らの手勢の一部を動かしていたのだ。

 電光石火の如く軍勢を動かす事は秀綱が得意とする事であり、真骨頂ともいうべき事。

 戸沢盛安此処に在りと意図的に宣伝する事によって、虚を実に見せかける。

 例え、それが半信半疑であっても目の前に翻るはずのない戸沢家の旗印があれば、否応なしに信じざるを得なくなる。

 道為自身が計略である事を察していても、足軽達では察する事が出来ない事を秀綱は利用してきたのである。

 ある意味で読まれる事を計算した上で手を打っていた秀綱の臨機応変の采配は流石というしかない。

 小野寺家中でも知勇兼備の将と評された彼の人物らしい戦い方だといえる。

 道為は秀綱の見事なまでの采配に感嘆しながらも、被害を最小限に抑えるべく采配を執るのであった。















「も、申し上げます! 八柏道為殿が交戦中!」

「それは此方の予測通りの事、気にする事ではあるまい」

「で、ですが……道為殿が戦っておられる相手の旗印は戸沢盛安のものなのです」

「な、何じゃと――――!?」


 道為が戸沢家の軍勢との交戦を開始したという報告に秀道は信じられないといった表情を浮かべる。

 奇襲があるだろうという事は道為の進言もあり、予測の範疇ではあったが此処で盛安の旗が出てくる事は想定していなかった。


「あの若僧は如何なる手段を以ってして現れたのだ? 先の戦と同じく、我らが察する事のないように兵を伏せていたのか?」

「秀道様……如何致しましょう?」

「どうもこうもない! 満安に手間取っている現状で盛安まで現れたとなれば戦にはならぬわ! 道為が如何に奮戦しようとも此方が満安に押し切られる」

「それでは……?」

「義道と茂道にも伝えよ、戸沢盛安めの奇襲在り――――とな」

「畏まりました!」


 想定外の事態に秀道は冷静な判断を下す事が出来ず、戸沢盛安が現れたという情報を鵜呑みにしてしまう。

 普段ならば、盛安が動く事はありえないと判断出来たはずだが、満安と戦っている現状では熟考する余裕など全くない。

 ましてや、盛安は満安と互角に渡り合った事で武名を轟かせているのだ。

 単騎だけで小野寺家の兵を尽く蹴散らしていく満安の驚異的なまでの武勇に盛安まで加わったとなれば最早、流れは戸沢有利としかならない。

 しかも、側面を突かれた形なのだ。

 このまま盛安が突き進んでくれば秀道の軍勢を含め、一気に小野寺家の軍勢は崩されてしまう。

 例え維持しようとしても結局は満安に押し切られる形となり、正面から突破される。

 秀道には盛安と満安の双方を同時に相手にする事が出来るだけの采配や武勇は持ち合わせていなかった。

 動揺が動揺を呼び、真偽も定かではないにも関わらず、盛安の旗印が翻ったという情報によって戦局が大きく傾こうとしていたのである。

 正に虚を突かれたとしか言いようがない。

 真っ先に盛安の旗印と槍を合わせる事になった道為ならば真偽も定かにしているだろうが、満安の奮戦によって余裕がない現状では確かめるだけの時間もないのだ。

 それ故に道為を除く、秀道を始めとした小野寺家の諸将は此度の戦が終わるまで重大な事に気付く事はなかった。

 全ては鮭延秀綱の奇策によって踊らされただけであったという事に――――。















「鮭延秀綱、此処に在り! 某の首を所望する者らから参られよ!」


 戸沢家の旗印によって混乱し、敵勢が崩れた頃合いを見計らって秀綱は自らの旗印を掲げ、名乗りを上げる。


「鮭延秀綱まで来たぞ――――!」

「これじゃ戦にならねぇ! 俺は逃げるぞ――――!」


 盛安の襲来という誤報により、混乱している最中で更に小野寺家中では若くしてその人在りと言われた秀綱の名が上がった事で一部の足軽達は逃亡を始める。

 前方には矢島満安。

 側面には戸沢盛安と鮭延秀綱。

 盛安に関しては秀綱の策による偽情報でしかないのだが、不意を突かれた形となった小野寺勢からすれば真偽を確かめる余裕はない。

 秀綱の行なった方法はそれだけ奇抜であり、柔軟な発想力がなければ思いつかないような方法であった。

 此度の戦に道為だけではなく小野寺輝道も参戦していればこの結果は大きく変わったであろうが、運命は戸沢家に味方した。

 盛安が参戦する事がなかったが故に行う事が出来た奇策と敵方には道為以外に策の駆け引きに長けた人物がいなかったという事。

 ある意味でこの両方の条件が揃っていたが故に秀綱の力を存分に振るう事が出来たのだ。


「無念だが……これまでか」


 混乱している状態から更に秀綱まで表に出てきたとなれば最早、軍勢を立て直す事は不可能。

 道為は自らの不甲斐なさに歯痒く思う。

 奇襲がある事を読み切っておきながら、秀綱が奇策を行う事を読み切れなかった。

 秀綱の奇策に関しては戸沢方に一門衆の戸沢盛吉が参戦している段階でそれを警戒しなくてはならなかったのだ。

 その場の在り合わせの戦力だけで戦を組み立ててしまう秀綱を相手にする上でこれを失念していたのは命取りに等しい。

 道為は此度の戦の責任は自らにあると思った。

 最早、責任を取ってこの戦で散るしかない。


「道為殿! この場は退かれよ! 貴殿を失っては小野寺は立ち行かなくなる!」


 だが、その考えも秀綱には悟られていたようで逆に止められてしまう。


「秀綱っ……!」


 悔しいが秀綱の言葉は的を射ている。

 今までは道為と秀綱が最上家の北上に備えていたが、その片方が離反したとあればその前提も崩れてしまう。

 ましてや、相手が最上義光となれば秀綱の不在が大きく響く。

 これで道為が亡くなれば義光は最上八楯を掃討した後、小野寺家を一気に滅ぼしてしまう事だろう。

 秀綱の言葉には道理があるといえる。


「……解った、御主の好意に感謝する。皆の者、退却だ! 若殿や秀道様達にも我が方が奇襲にて打ち破られた事を伝えよ!」

「ははっ!」


 道為は秀綱の言葉に応じ、退く選択をする。

 最早、軍勢の士気も下がり、混乱してしまっている状況では戦にならない。

 秀綱の奇襲が全ての決め手となったというべきだろう。

 盛安の旗印を使うという奇策には流石の道為も対処する事は敵わなかった。

 前線が崩され、側面も崩されれば、如何な名将であっても立て直す事は難しい。

 此度の戦は秀綱の采配に軍配が上がったのだ。

 道為はそれを認め、潔く負けを認める選択肢を取った。

 唯一、義道だけが負けを認めず、戦を続けようとする可能性も充分に考えられるが、最終的には多勢に無勢となってしまう事が解らない義道ではない。

 不満には思えど、戦の倣いには従うであろう。


「此度の戦、我が方の勝利ぞ! 勝ち鬨を上げよ!」

「えい、えい、お――――!」


 道為を始めに我先にと撤退を始める小野寺家の軍勢の姿を見ながら秀綱は堂々と勝利を宣言する。

 主要な武将を誰一人として討ち取ってはいない此度の戦だが、立て直すには暫くの時間が必要なほどの被害を与えている。

 兵力において優っていた敵を撃退したという事実は大きく、しかも損害に関しては敵方よりも圧倒的に少ない。

 少ない被害で相手には大きな被害を与えている事を踏まえると戦果としては充分であり、戸沢家の陣営に加わるという手土産という意味でも想定以上の成果だ。

 これ以上を求めるならば贅沢過ぎるといっても良い。

 しかも、旧主である小野寺家に対して追い討ちを行わないという潔さ。

 武勲をあげるという意味では絶好の機会でもあったが、秀綱は敢えてそれをしなかった。

 袂を分かつ事になったとはいえ、仕えていた事を蔑ろにしているわけではないのだ。

 寧ろ、最後の御奉公として見逃す事を選択したと言うべきかもしれない。

 秀綱の戦は甘いと思われる部分はあれど、一人の武将としては見事なものであった。

 此度の真室の戦いは鮭延秀綱の名を大きく広める事になるだろう。





・真室の戦い結果





 戸沢家(残り兵力 585)
 ・ 鮭延秀綱(足軽45、騎馬25、鉄砲20)    90(戸沢家旗印、鉄砲借用)
 ・ 矢島満安(足軽85、騎馬65、鉄砲20)    170
 ・ 戸沢盛吉(足軽170、騎馬30、鉄砲30)   230
 ・ 佐藤信基(足軽15、騎馬20)        35



 小野寺家(残り兵力 580) 
 ・ 小野寺義道(足軽130、騎馬90)      220
 ・ 大築地秀道(足軽50、騎馬30)      80
 ・ 小野寺茂道(足軽120、騎馬50)      170
 ・ 八柏道為(足軽80、騎馬30)        110



 損害
 ・戸沢家            115
 ・小野寺家    270



 討死 なし





 結果を見れば戸沢家も小野寺家も殆ど同数の兵力を残しているが、小野寺家の受けた損害は戸沢家の2倍を超えている。

 事実上、この戦は損害が少なく、戦の流れを掌握した戸沢家に軍配が上がる。

 因縁とも言うべき戸沢家と小野寺家の戦は大名である戸沢盛安と小野寺輝道の両名が不在のままであったが、これで雌雄は決したといっても良いだろう。

 戦の結果を見ればそれは如何見ても明らかなのだから。

 全ては戦が始まる前の両陣営の兵力と戦が終わった後の両陣営の兵力が物語っている。

 双方とも動員出来る兵力の出し切ったわけではないが、僅か1年の間で大きく勢力を広げた戸沢家の方が実際の動員力においては勝っているのだ。

 裏を返せば戸沢家は戦力を抑えていたにも関わらず、動員力の殆どを費やした小野寺家を打ち破っている。

 これは両家の版図が大きく塗り替えられた事を証明し、力の差が大きくなっていた事を証明していると踏まえるべきだろう。

 此度の真室の戦いにて最も大きな役割を果たした、鮭延秀綱――――この時、僅かに17歳。

 出羽国内の覇権争いに大きく影響するであろう、この戦の終止符をうった秀綱の名は揺るぎないものとなる。

 こうして、史実とは違う歴史の中にまた一人、新たな人物の名が記される事になったのである――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第21話 畿内への道
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/08/26 10:04





 ――――1579年9月





 戸沢家と小野寺家の雌雄を決した戦いである真室の戦いが終結して約、半月ほどの時が流れた。

 現在は小野寺家との間には和議が結ばれ、一先ずは落ち着きを取り戻している。

 戦を続けるという選択肢もあったのだが、それでは泥沼の争いにしか成り兼ねないので下策でしかない。

 此度の戦を経た事で鮭延秀綱が配下に加わり、角館、由利、庄内に加えて真室を新たな領地として得た事で良しとすべきだろう。

 それに俺が不在でも戸沢家の力は侮れない事を周囲に証明出来た事も大きい。

 史実では周囲との力関係の事もあり、俺は領内から自由に動く事が出来なかった。

 だが、由利十二頭と小野寺家との戦いを経て、戸沢家の力は出羽国内でも最上家、安東家に迫るほどになっている。

 此処まで力を付けた今ならば、頃合いを見計らって俺は家督を継承した段階から考えていた次の行動を起こす事が出来る。

 流石に今はまだ、俺が思案している事については伏せてあるが、これは戸沢家の今後にも大きく影響する事だ。

 博打的な要素も多少あるため、一部には反対される可能性もあるが、俺が考えている通りに事が進めば更なる飛躍が望めるだけに是非とも事を起こしたいと思う。

 昨年より積極的な軍事行動を行なっていたのは全てこの時のための布石であったと言っても良いかもしれない。

 実際に相応の力を持たなくては出羽国内から動く事なんて不可能だからだ。

 由利十二頭を抑え、酒田を得て、小野寺家との戦を終えたからこそ可能となった俺が重要だと踏んでいる次なる行動は――――。















 俺自身が畿内へと足を運ぶ事であった。















「秀綱、先の戦での働きは見事だった。俺も負けてはいられないな」

「なんの、某なんて満安殿と渡り合った盛安様には及びません」

「謙遜なんかしなくたって良い。正直、俺の不在を利用して奇襲を考えるとは思いもしなかったからな。真っ向から満安と戦った俺よりも秀綱の方が見事だ」

「……勿体ない御言葉です」


 真室の戦における事後処理が一段落したところで俺は秀綱を招き、語り合っていた。

 秀綱の戦い振りは戦に参加した満安と盛吉の両名から報告を受けていたが、奇襲を行なった方法については度肝を抜かれた。

 戦の最中で秘密裏に軍勢を分けて兵を伏せるのは良くある方法だが、秀綱が行なった旗印を借りるという方法は普通ならば思いつかない。

 正に盲点を突いたとも言うべき秀綱の戦い方は素晴らしいの一言だ。


「して、秀綱。小野寺家との間に和睦が結ばれ、一息吐けたと言ったところだが……今後は如何にすべきだと見ている?」

「そうですな……某の私見ですが、領内の統治が安定した後は中央に目を向けてみるべきかと」

「ほう……?」

「某の旧主である輝道様は昨年から今年にかけて積極的に畿内から東海方面に力を持つ大名、織田信長殿にしきりに接触を行っております。

 また、宿敵とも言うべき安東愛季殿も信長殿との関わりにより従五位下の官位を賜っております。信長殿の影響力を見るに一度接点を持ってみて如何でしょうか?」

「確かに一理あるな。信長殿の話は俺も聞いていたが……此処まで影響力があるならば、此方も動いてみるべきだろう。そろそろ、良い頃合いだろうしな」


 秀綱の意見に俺は思わず、笑みが溢れる。

 織田信長と接点を持つというのは史実での俺がやっていた事であり、次に起こすべき行動として俺が考えていた事。

 安東愛季、小野寺輝道の両名もこの頃には信長とは接触を図っており、有名どころでは伊達輝宗も既に接触を図っている。

 奥州の諸大名も注目している信長の影響力は侮れないものがある。

 強大な勢力を持っているのは勿論だが、朝廷に対しても影響力を持っている事が特に大きく、鎮守府将軍を称している俺にとっては信長は避けて通れない。

 鎮守府将軍は朝廷が任命する官職であり、正式に任命して貰うには此方からも朝廷への献金を行うと共に信長の口添えを貰う事が確実だからだ。

 しかも、信長が家臣達や諸大名に与えた官職は全て”本物”であるため、鎮守府将軍のような官職は奥州での立場に大きく影響を与える。

 室町幕府無き今、伊達家の奥州探題、最上家の羽州探題も有名無実化しており、幕府とは関係のない鎮守府将軍は奥州において唯一、名も実もある官職となる。

 俺が鎮守府将軍を称したのもこれが最終的な狙いであり、称した時より考えていた一手。

 正式に官職を受ける事で奥州における戸沢家の立場を明確にし、後に征夷大将軍に就任する事を視野に入れるであろう徳川家康の行動を阻止する。

 これは征夷大将軍とは事実上の対極に位置する鎮守府将軍でしか出来ない事だ。

 ある意味で後の歴史の全てを覆し兼ねない事だが、史実とは違う歴史を歩むならばこのくらいの事はやってのけなくてはならない。


「では、今暫く領内の整備を行なった後に年が明けたら秀綱の言う通り、織田信長殿に接触する。今はまだ公にはしないが、秀綱もそう心得てくれ」

「ははっ! 畏まりました!」


 秀綱が知らずして意図を読み取ってくれている事に頼もしさを覚えつつ俺は信長に接触する事を決断する。

 家督を継承して以来、史実とは異なる行動を起こし続けてきたが……遂に史実とは同じ行動ではありながら全く以って違う意味を持つ行動を取る時がきたのだ。

 俺はそれを実感しながら、秀綱との話を終えるのであった。















 ――――1580年1月初旬















 盛安が領内の整備に専念し、更に3ヶ月の月日が流れた。

 積極的な軍事行動を起こし続けていた今までとは一転した静観とも言うべき、戸沢家の雌伏。

 傍から見れば不気味と思われがちだが、此処まで拡大した勢力範囲を踏まえれば無理もない。

 角館、由利、庄内、真室を領地とした今の戸沢家は史実での全盛期の力を大きく凌駕している。

 既に石高だけでも史実の倍近くはあり、治水が順調に進んでいる事から最終的な石高はどれほどのものになるかは予測出来ない。

 最終的には出羽国随一の石高を持つに至る可能性も考えられる。

 だが、一気に勢力を拡大したため、領内の整備が万全ではないのも事実であり、盛安が軍事行動を控えたのも間違いではない。

 無論、盛安としては畿内へと足を運ぶという目的があったため、足場を固める事に全力を傾けたのだが、それは他の大名が知る由はなかった。

 何れにせよ、戸沢家が軍事行動を起こさなかった事で出羽国内では暫しの平穏が続いていたとも言うべきだろう。

 しかし、真室の戦いから年が明けるまでの僅かな間に各地では動きがあったのも事実である。

 1579年10月には武田勝頼と佐竹義重の間に甲佐同盟が成立し、同月5日には徳川家康の嫡男である松平信康が自害している。

 奥州で大きく歴史が動いた後の僅か数ヶ月の間に中央では目まぐるしく事態が動いていた。

 これもまた、因果の成せる業と踏まえるべきだろうか。

 1579年における目まぐるしい出来事は新たなる年となる1580年もまた多くの動きがある事を示唆しているようであった――――。





「宿敵の一つである小野寺と雌雄を決し、また新たなる年を迎えた。皆の者、今年も宜しく頼む」

「ははっ!」


 角館に家臣一同を集め、家督継承から2度目の新年を迎えた。

 昨年は矢島満安が新たにこの席に加わっていたが、今年は新たに鮭延秀綱がこの席に加わっている。

 更には小野寺家に対する優位が決まった事で六郷政乗もこの席に加わっており、僅かな期間で人物が増えてきつつある事を実感させられる。

 思えば、史実とは随分とかけ離れてしまったのだからそれも無理のない事か。

 勢力圏は以前の全盛期の倍にも及び、奥州でも何かと注目されるようになってきている。

 現在の当主である俺についても家督を継承して以来、積極的な軍事行動で全盛期を築き上げた点で評価されている。

 更には真室の戦いでは俺が不在にも関わらず、寡兵を以って兵力に優る小野寺家に勝利したのも大きい。

 大名個人としても大名家としても今の戸沢家は出羽国内……いや、奥州でも有数の大名となりつつあった。


「それで、新たな年になったと言う事で今後を如何にすべきかだが……俺は自らの足で畿内へと赴こうと思っている」

「なんですと!? 正気にございますか?」


 それ故に俺は自らの足で畿内へ向かう事を家臣達に宣言する。

 史実では昨年に利信を使者として畿内に派遣しているが、その頃は小野寺家とは雌雄を決しておらず、俺自身も父上や兄上の手を借りていた頃だった。

 そのため、俺自身が畿内へと行く選択肢は考えられなかった。

 また、俺が史実より信長との接触を1年送らせたのには理由がある。

 1580年(天正8年)は織田家と本願寺との間に行われた石山合戦が終結した年であり、戦に加わっていた雑賀衆も法主である本願寺顕如に従って石山を退去している。

 雑賀衆は豪族という側面と傭兵という側面を持つ、特殊な勢力で石山合戦の後は本願寺との契約が解除されている。

 俺が狙っていたのはこの雑賀衆が顕如に従って石山の地を退去する頃合いだったのだ。

 この時期ならば雑賀衆の全ては不可能でもほんの一部くらいなら契約する事も不可能ではない。

 優秀な武将を抱え、優れた鉄砲隊を持つ雑賀衆を引き込む事が出来れば最上家や安東家とも存分に戦える。

 また、戸沢家の盟友である上杉家と敵対している伊達家と蘆名家を牽制する事も可能だ。

 雑賀衆を得る事は戦力的にも戦略的にも大きく状況を変える事が出来るため、是非とも引き込みたい。

 豪族としての側面だけではなく、傭兵という側面を持つ雑賀衆は俺自身が直接交渉しなければ従える事は出来ないだろう。


「無論、正気だ。俺は単身で上洛し、織田信長殿と朝廷への謁見を行うつもりでいる。鎮守府将軍の名を正式なものとするにはそうするしかない」


 それに雑賀衆を引き込む事だけではない。

 現在称している鎮守府将軍を現実のものとするのにも俺が自ら交渉する気概が必要だ。

 官位としてはそれほど高いものではなくても、特殊な官職である鎮守府将軍は複雑な立場にあり、容易には認められない。

 普通に使者を派遣するだけでは、任官する事もお墨付きを貰う事も出来ないだろう。


「ぬ……確かにそれでは盛安様が直接出向くしかございますまい」

「しかし、殿が単身で出向くのは危険過ぎます。せめて、満安殿を御連れ下され」

「だが、盛安殿と満安殿の2人がいなくなれば安東家が動くかもしれぬ。慎重に事を考えるべきではなかろうか」


 俺の出した結論に利信、盛直、盛吉を中心とした家中を代表する者達が響めく。

 鎮守府将軍を正式なものとするには俺自身が出向くしかないだろうし、単身で行かなければ織田家に対して余計な誤解を招く可能性もある。

 同行者をつけるにしても満安かまたは秀綱、政房くらいしか安全の保証は出来ない。

 だが、俺に同行させるのに適している3名は全員が戸沢家の軍事における中心人物。

 俺に加えて彼らの内で誰かが抜けたとなれば余計な事を考える輩も現れかねない。

 家臣達が危惧するのも当然の事だ。


「沈まれ、皆の者!」


 そんな中で鋭く、一喝する者が現れる。 

 俺の父親である戸沢道盛だ。


「此度の件は満安、秀綱、政房の何れかが同行する事を条件に盛安の思う通りにさせよ。盛安がこうも言っておるのだから何か思案があるのだろう。

 それに我ら戸沢家は当主が幼少であろうとも常に結束してきた。当主が一時的に国を離れていても揺らぐ事は決してあるまい」

「……」


 父上の言葉に場が静まり返る。

 今までの戸沢家の在り方を考えれば正にその通りだからだ。

 しかも、俺よりも若くして当主になったという背景を持つ父上が言うのだから説得力もある。

 戸沢家は当主の力が弱くとも家臣達が結束して支える事で今まで乗り切ってきたのだから、従来通りの事と思えば何の事はない。

 父上がこの場にいる全員に伝えたいのはそういう事だった。


「……と言う事であるから、盛安は存分に動くが良い。御主が不在の間はこの儂が責任をもって預かろう」

「はい、父上。御配慮に感謝致します」


 俺の意図を読み取り、話を纏めてくれた父上には感謝するしかない。

 此処で話が纏まらなくては俺が畿内へ出向く事など夢のまた夢でしかなかったからだ。

 こうして、父上の後押しを受けて俺は一時的に出羽国を離れ、畿内で活動する事を正式に家中へと認めさせる事に成功した。

 後は織田信長を始めとする歴史に名を残す人物達を相手に一歩も退く事なく立ち回るだけだ。

 上手くやれるかやれないかは別として存分にやってみるしかない。

 奥州の出羽国という片隅に在る俺の眼前に畿内への道はいよいよ、開かれようとしていた――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第22話 出羽の剣豪
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/09/02 16:09




 ――――1580年1月下旬





 年が明けて始めの評定の場で畿内へ行くという方針を決めた俺は出発の準備のために酒田の町に滞在している。

 供をする主な人物は矢島満安、白岩盛直の両名。

 満安は必ず供をさせる事が条件となっていた一人であるため、供をしているのは当然の事。

 それに対して、評定の段階では名前が上がっていなかった盛直は俺の守役であり、補佐役には尤も適しているという理由から供をする事になった。

 また、信長や朝廷に献上する鉱山資源や鷹などを持っていく事もあり、満安と盛直以外にも幾人かの家中の者も供をしている。

 規模としては大きくはないが、当主である俺を筆頭に守役である盛直と奥州随一の豪勇で知られる満安を中心とした一行は決して卑下するようなものではない。

 寧ろ、供をする者を絞った事で纏まりがあり、当主の気質が反映された一団となっていると言うべきだろう。

 それ故に秘密裏にするために池田惣左衛門や田中清六が率先して手配をしてくれているにも関わらず、人物によっては容易く気付いてしまう。

 俺としてもなるべく気付かれない内に奥州を後にしたいのだが、如何にも上手くはいかないらしい。

 幾ら秘密裏にしようとしても、情報を流さないようにしていても、解る時にはあっさりと解ってしまうものなのだ。

 献上する物品の概要を確認しながら指示を出していく俺の下に一人の浪人が現れたのはそんな最中であった。















「其方の貴殿、名のある方と御見受け致す」


 惣左衛門と清六に手配を任せて、休もうとした矢先に浪人と思われる一人の武士に声をかけられる。

 俺に声をかけてきた武士の歳の頃は40歳前後。

 腰には刃渡りが3尺もあろうかという見事な刀を帯刀している。

 また、俺を見据えるその視線には揺らぎがなく、僅かな挙動ですら隙が全く見当たらない。

 俺が何処かに行くようにと視線で促してみても流されるし、素知らぬ顔をしようとしてもそれを阻まれる。

 応じないという選択肢は認めないと言わんばかりだ。

 此方が不穏な行動を取れば帯刀している刀でバッサリと斬られる事は想像に難くない。

 隙の無さといい、発する気配の強さといい、優れた武芸者であろう事は一目瞭然だ。


「いや、其方の気のせいだろう。俺は偶々、この酒田にて船旅の準備を行おうとしているだけだ」


 だが、今は無闇に素性を明かすべきではない。

 俺は偶然を装って、この酒田の町にて船旅の準備をしているだけだと告げる。


「ふむ……それは面妖な。貴殿の立ち振る舞い……いや、持っている気配がそのような者とは全く違うように見受けられるのだが?」

「っ……!?」


 しかし、目の前の武士は意図も容易く俺の言葉が偽りである事を見抜く。

 俺の立ち振る舞いや気配で普通の人物とは違うという事を一目で看破した事から察するに見立て通り、満安らと同類なのは確実らしい。

 武勇で知られる人物は多くの場合において独特の雰囲気を纏っている者が多く、自然と普段の立ち振る舞いから隙を見せない。

 俺も常に陣頭に立って太刀や槍を振るって戦うという人間であるためか、常日頃から不覚を取らないようにと挙動には気を配っている。

 それ故か武士には俺が名のある武将であると見受けられたのだろう。


「そうまで言われては誤魔化す事は出来ないか。……俺は戸沢九郎盛安と言う」


 ならば、自分の正体を誤魔化す理由はない。

 半ば見破られているようなものであるため、此処は正直に名を名乗るべきだろう。


「おお、戸沢家の御当主か……これは失礼致しました。拙者は林崎甚助重信と申す」

「なっ――――!?」


 名乗った俺に対し、武士も自らの名を告げる。

 林崎甚助重信という、自身の名を名乗った武士に俺は思わず驚愕する。

 只者ではないと思っていたが、まさかの大物が現れるとは思いもしなかった。

 甚助は抜刀術の開祖として知られる剣豪の一人で遠い先の時代には居合いとしてその妙技を伝えている偉大な人物。

 若い頃は塚原卜伝から新当流を学んでいたとも言われ、修行が一段落して故郷に戻った後、林崎明神に参拝している折に抜刀術の秘技を編み出したと言われている。

 その後、剣術を修めた後は最上家の家臣である楯岡氏に一時的に仕えた後、母親の病死を切欠にして野に下った。

 因みに甚助が剣術を修めた理由は父親の仇を討つ事で、甚助は探して諸国を廻って最終的に京都に居たと言われている仇を討ち果たした言うのが通説だ。

 確かに奥州の出羽国の出身であり、20年ほど前に仕えていた最上家を後にして以来、諸国を旅している甚助が此処にいる事は在り得ない事ではない。

 だが、甚助は曲がりなりにも最上家に仕えていた経歴があるため、策謀に長けた義光の手の者である可能性も考えられる。


「そう、警戒されずとも良い。今の拙者は最上殿とは繋ぎを取ってはおらぬ。あくまで最上における主君は御隠居された義守様なのでな」

「む……申し訳ない。非礼を詫びる」


 しかし、甚助は俺が義光を警戒している事を察してか苦笑しながら旧主の名を口にする。

 甚助が一時的に最上家に仕えていたのは周知の事実だが、それはあくまで先代の最上義守の頃。

 現在の当主である義光が器量を持つ人物であった事を知っていながら何の未練もなく出奔した甚助が義光と今更、関わりを持つとは考えにくい。

 それに義光の方も甚助が出羽国に戻って来ている事を知らない可能性だって考えられる。

 実際、俺の方も甚助が酒田に現れる事を予測出来なかったのだから。

 ならば甚助を疑う必要性は殆どない。

 彼の人物の人柄も踏まえれば、何かしらの陰謀に加担する事も在り得ないため、問題はない。

 俺は此処で漸く、甚助への警戒心を緩めるのであった。















「しかし、甚助殿は何故、酒田に? 貴殿は諸国を廻る旅をしておられるのでは?」

「確かに盛安様の言われる通り、拙者は各地を旅しておりますが……酒田には戻ってくる理由が出来たのですよ」

「理由?」

「ええ、出羽国内で大きな動きがあったと聞きましたのでな。特にその中でも戸沢家の御当主が目覚しいほどの活躍を示されたとか。それで、気になりまして」

「成る程……俺が理由と言う事、か」


 酒田へと戻ってきた理由が俺にあると言う甚助。

 本来ならば接点がなかった俺と甚助だが、家督を継承して以来の軍事行動は思わぬ方向でも影響を及ぼしていたらしい。

 高名な剣豪である甚助が態々、奥州に戻ってきたのは俺の噂を聞き付けての事だと言うのだから尚更だ。

 知らず知らずのうちに俺の武名も奥州の枠からは出ていたのかもしれない。


「左様。旅先にて久方振りに故郷の話を聞いた際、頻りに盛安様の名が上がっておりましてな。それで拙者も御会いしてみようと思った次第。

 とは言っても、酒田の町にて御会いできたのは殆ど偶然に近いと言っても良いのですが……盛安様は噂通りの御方のようでござるな」

「……噂通りとは?」

「いや、噂に関しては御自分で思っている事と大差はありませぬよ。如いて言うなれば、噂だけの人物ではないと拙者が感じただけにござる。

 盛安様。此度の船旅は恐らく、京へと上られるつもりの御様子。もし、差し支えがなければ拙者も供に加えて頂けまするか?」

「む……それは此方から願いたいくらいだが、良いのか?」

「構いませぬ。拙者には修行以外に目的はござらぬし、盛安様の人間を見極めるにはやはり、供をするしかないと思った次第ですので」

「……言ってくれるな。しかし、甚助殿のような高名な方にそう言われるのは有り難い。是非とも同行を御願いする」

「畏まりました。この林崎甚助重信、林崎明神に誓って盛安様の身の安全を保証致しまする」

「宜しく頼む、甚助殿」


 俺に対して興味を持ったと言う甚助だが、噂だけでは人間性が測りきれないとして同行を申し出てくれる。

 これは此方からしても願ってもない事だったので、断る理由はない。

 元より少数での旅路である現状では、満安のように武に長ける人物が同行してくれるのは身の安全にも繋がるからだ。

 それに甚助は京にて仇討ちを果たしたという経歴と現在も諸国を廻っている事から中央での土地勘も持っている。

 史実では自らの足で上洛した事のない俺からすれば、甚助のように上洛を経験している人間がいる事は何よりも有り難い。

 ましてや、一時的に足利義輝の下にも身を寄せた事があるとも言われている甚助だ。

 その際に抜刀術の妙技を披露し、義輝に招かれた貴族達にもその技が知れ渡っている可能性は充分に考えられる。

 信長に謁見する以外に京での伝手が何もない俺からすれば甚助の同行は有利に働く面が非常に多い。

 事の次第によっては林崎甚助の名を知っている貴族との面会も可能であるため、高名な剣豪である甚助の存在は俺の目的を達成するにあたって切り札にさえ成り得る。

 こうしてみれば、俺の都合に利用するだけにも思えるが――――勿論、林崎甚助個人と深く関わりたいという思いが一番だ。

 人生の先達でもあり、諸国を廻った甚助の話は大いに考えさせてくれるものがある事は疑いようがない。

 俺の知識だけでは解らない事だって多々あるのだから。

 偉大な剣豪である甚助が同行してくれる事になって俺の心は知らずの間に昂っていた。

 此処で会えたのは何かの縁。

 そして、予期していなかった事が招くのは想定以上の過程と結果。

 この流れで事が進んでいくとするならば、畿内では色々な事が待っていそうだ――――。















 ――――1580年1月末





 酒田の町で新たに林崎甚助を同行者に加えた戸沢盛安。

 本来ならば在り得なかったであろう甚助との邂逅だが、これもまた歴史の流れが成せる業なのかもしれない。

 積極的な軍事行動で史実とはかけ離れた歴史を創ってきた盛安の前に史実では在り得なかった出会いがあるのもまた必然。

 実際に織田信長に自分自身が謁見するというのも史実では在り得なかった事なのだから。

 此処まで来ると盛安の征く先には先の時代と1度目の人生で得たの知識と記憶だけでは事が足りないのだ。

 無論、史実と同じ結果にしかならない事だって多々あるだろうが、それも自分の力だけで全てを変える事が出来ない事の証明でしかない。

 最早、予期せぬものが招くものは盛安を含めた誰にも解らない。

 実際に”神速の剣”と称される抜刀術を極めた高名な剣豪である甚助の同行はこれからの畿内での盛安の行動に大きな影響を及ぼす事になるのだから――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第23話 同じ時、同じ場所で死んだ者
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/09/09 20:20




 ――――1580年3月





 酒田の町で新たに林崎甚助を供に加えた俺は現在の信長が居城としている安土城に到着していた。

 船旅を含めて約、2ヶ月間にも及ぶ期間をかけての移動は中々に難しい。

 今回の場合、早く移動する事が出来たのは同行する人数を絞り、その上で戦国時代でも海路が整備されている日本海側を通ってきたからだ。

 それに他の理由として、この頃の交通や情報の流通に関してだと博多、敦賀、直江津、酒田、大湊などの日本海に面する町が主流である事もあげられる。

 俺が比較的容易に船を出させて貰えたのも町の間を廻る船の交流が多く、商人達の物資の流通などの都合もあるためだろう。

 これが海路の整備の行き届いていない太平洋側からの移動だった場合、どれだけの時間が必要だったのかは想像も出来ない。

 特に奥州からの移動となると尚更、海路の整備が行き届いていないため、数ヶ月で畿内へ向かう事が出来るかは怪しいとしか言えない。

 寧ろ、史実における豊臣秀吉の小田原征伐の際に出遅れた大名の殆どが太平洋側であった事を踏まえると海路からの流通が悪い事は尚更、真実味がある。

 史実においても最上家、安東家といった大名は中央とのやり取りを幾度となく行なっていたし、以前の俺も中央とやり取りをしていたが故に行動が早かったのだ。

 しかし、これが大崎家や葛西家のような場所に勢力を持っていたらこうはいかない。

 北は南部家、南は伊達家。

 奥州でも屈指の力を持つ大名に挟まれながら、酒田のような海に面した町への道もない。

 これでは俺が如何に先の時代の知識や経験を得たとしても如何にもならなかっただろう。

 下手をすれば何の手段も思い付かなかったかもしれない。

 そういった意味では戸沢家は奥州の中でも比較的恵まれている場所に勢力を持っていたと踏まえるべきだ。

 何れにせよ、勢力を持っていたのが日本海側であるという恵まれた事情を活用する事で俺は無事に畿内へと足を踏み入れたのであった。















「これが、安土城か……見事なものだ」

「確かに……当家の角館城とは比べ物になりませぬ」


 聳え建つ安土城の全容を目の前にしながら、俺と盛直は感心するしかない。

 これほどの規模を誇る城を間近で拝む事なんてそうはないからだ。

 ましてや、先の時代でも安土城は完全な形で残っていたわけではない。

 紛れもない本当の形での安土城を見たのはこれが初めてなのだ。

 それに史実の俺は利信を使者として派遣していたのもあって、安土城を見る事が叶わなかった事もあるためか尚更、そのように思える。


「……織田信長とは大した人物なのだな」


 俺や盛直だけではない。

 満安も同じように安土城という異様な城を目の前にしつつ、信長の恐ろしさを感じている。

 この頃の時代の常識とは大きくかけ離れた政治的な意味合いを強く持つ巨大な城。

 今までの城の在り方の根底を覆してしまう安土城の存在感は戸沢家の面々を圧倒する。


「拙者も近くで見るのは初めてにござる。この城はまるで今の信長公の存在感そのものを表しているかにも思えますな」

「……そうだな」


 俺を始めとした戸沢家の面々の気持ちを代弁するかのように甚助が呟く。

 安土城は信長の存在の大きさそのものを証明している――――これは正にその通りだろう。

 恐らくは信長自身も解っていて、このような途方も無い物を築城したに違いない。


「だが、この城に驚いている暇はないようだ。盛安殿、人が来たぞ」


 城の前で様々な思考を巡らせる最中で戸沢家の一行を確認した織田家の家臣と思われる人物が歩み寄ってくる。

 遠目からでは流石に誰かまでは解らないが、比較的若い人物らしく、年齢は満安よりも5歳ほど上といったところだろうか。


「其方の御一行。此処は織田信長様の居城と解っての御来訪か?」


 きびきびとした足取りで俺達の下へと歩み寄ってきた織田家の家臣が目的を尋ねてくる。


「はい。俺は奥州出羽国の住人、戸沢九郎盛安。織田信長公に御目通り願いたく参上仕った次第」


 尋ねられた目的については取り繕うまでもない。

 信長に目通りするのが一番の目的なのだから、答える事は決まりきっている。


「ふむ……戸沢殿でございますか。少しばかりではありますが、名を聞いた事はあります。旗も確かに丸に輪貫九曜の家紋……相違ありませんな。

 其方の荷も何かしらの献上物であるように見受けられますし……信長様に御取次ぎしてみましょう。暫し、御待ち下され」

「感謝致す」
 

 後ろに続いている鷹を始めとした品を見て、家臣は俺が信長にこれらの品を献上するために来た事を察する。

 家臣の対応を見る限り、基本的に信長は来る者はそれほど拒まない気質の人間らしい。

 実際に羽柴秀吉のような出自が低いものでも召し抱えた経緯もあるし、奥州の諸大名が献上品を持って来た時も拒む事なく応じている。

 だが、裏を返せばこの面会の機会で相応の印象を残さなくては取るに足らない程度の者としか認識されない。

 信長が容易く官位や役職を他大名に与えるのは毒にも薬にもならないからという可能性もある。

 自らの天下を阻むには至らないのであれば、如何でも良いという事かもしれない。


「ああ、そういえば申し遅れました。私の名は堀久太郎秀政と言います。御見知りおきを」

「っ――――!?」


 信長について考察する俺に対し、家臣がこの場を去る際に自分の名を告げる。

 その名を聞いて俺は思わず、言葉につまった。

 堀久太郎秀政――――。

 この名前は俺にとっては為信と並んで決して忘れる事の出来ない名前。

 実際には面識を得る事はなかった俺と秀政だが、互いに因果を持っているとも言うべき関係にある。

 立場は大きく違うが、御互いに僅か13歳という若さで表舞台に立つ事になり、10代の半ばには俺は安東愛季との緒戦に勝利し、秀政は側近としての立場を確立した。

 ある意味で同じくらいの歳頃で自らの立場を明確にし、その名を知らしめたと言うべきだろうか。

 こう見れば俺と秀政は本当に良く似ている。

 しかも、似ているのはこれだけではない。

 皮肉な話ではあるが、死ぬ時までも殆ど同じなのである。

 俺達は共に秀吉の小田原征伐の陣に参加し、秀吉を大いに喜ばせたのだが、この最中で流行病に倒れて亡くなった。

 俺は1590年7月7日に秀政は1590年6月28日に。

 僅か1週間ほどの日付の間に俺達は揃って倒れている。

 奇しくも――――俺と秀政は日付こそ違えど、同じ時、同じ場所で死んだ者同士なのだ。

 此処までくると最早、因果関係にあったと言っても何も可笑しくはない。

 歴史の表舞台に名前が出始めた年齢(13歳)。

 自らの立場を確立した年齢(16歳~17歳)。

 戦において活躍し、夜叉九郎の名と名人久太郎の名を知らしめた1580年代半ばという時(1582年~1586年)。

 偶然でしかないのだろうが、俺と秀政にとって重要と言える出来事の多くが何かしらの形で重なっているのだ。

 一度目の人生では直接的な接点を持つ事は最後まで叶わなかったが、先の時代の知識を得た今ならば恐るべき歴史の悪戯のようなものを感じる。

 ――――夜叉九郎と名人久太郎。

 この出会いは史実において、小田原征伐にて倒れた2人の初めての邂逅であった。















 暫くの後、秀政の案内で俺達は信長との謁見の間へと向かっている。

 戦国時代でも屈指の規模を誇る安土城は中に入るまでの道ですら中々の距離があり、見事なまでの縄張りで築かれた城は周囲を見渡すだけでも見所が多い。

 防衛の拠点ではなく、政治の拠点として造られたこの城は天皇を迎える事も前提にしていたと言われている。

 それだけに礎石(柱の事)の間隔等ですら、公家の建物よりも広く間取りがされていたりと一つ一つの構造だけでも計算され尽くしている。

 また、天主台南西の百々橋口には摠見寺があり、城郭中枢部に堂塔伽藍を備えた寺院が建てられているのは後にも先にも安土城だけだ。

 後の城には見られない独自の構造を多く持つ安土城は紛れもない、信長だけが考えうる城であると言える。

 秀政は絶えず周囲に視線を向けている俺達の事は気にも留めず、淡々と謁見の間までの案内を続ける。

 やはり、こういった反応は数多く見てきたのだろう。

 今でこそ慣れてはいるが、織田家中の人間ですら初見で安土城を見て驚かなかった者は誰一人としていなかったのだから。

 
「此方で御待ち下され。暫し後に信長様が参られます」


 落ち着かない様子のままで案内されるうちに何時の間にか謁見の間へと到着していたらしい。

 秀政が俺達に断りを入れ、信長に到着をした旨を伝えるために席を外す。


「……さて、此処からが本番だ。満安、盛直、甚助殿、気を引き締めないと圧倒される」


 この場から秀政の姿が見えなくなった事を確認し、俺は満安らに気を入れ直すように言う。

 安土城に圧倒される気持ちも解らなくもないが、間もなく会う事になるであろう相手はその安土城よりも圧倒的な存在だ。

 今の時代の覇者にして第六天魔王とも称される、傑物の中の傑物――――織田信長。

 歴史上では知らない人間など少数しかいないであろう、偉大な人物である。

 だが、名を知ってはいても直接会った事がある者はこの場には誰もおらず、その実像は解らない。

 唯、解る事は安土城という巨大な城と途方も無いほどの石高を誇るであろう領地を持つに相応しいだけの人物である事。

 天下布武を目的とし、歩を止める事なく言葉通りにそれを実践する信長は誰よりも天下に近い人間だろう。


「解った」

「畏まりました」

「承知」


 俺の言った意味を察し、満安らが三者三様に頷く。

 城だけでこれだけの存在感を持っているのだから、信長本人の存在感は尚更大きい。

 下手をすれば姿を見るだけで圧倒されてしまうかもしれない。

 そういった意味で俺が念には念を入れてきた事を満安らは理解する。

 此処で下手な姿を見せれば、戸沢家は取るに足らない存在でしかなくなってしまう。

 これから行われる信長とのやり取りは俺が正式に鎮守府将軍の官職のお墨付きを貰い、奥州に覇を唱える大きな山場なのである。

 その事を考えれば、家臣という立場と同行する士という立場として場にいる事はある意味で歴史に名を残す事になるかもしれない場面に立ち会う事にもなるのだ。

 信長のお墨付きを得る事が実現出来ればの話ではあるが、鎮守府将軍に就任する事が叶えば北畠顕家以来、約200年振りの事。

 もし、本当にその場に立ち会う事になれば、その事は生涯の誇りとも成り得るのだ。

 武士としてこの先あるか解らない機会に遭遇出来る可能性をみすみすと逃すわけにもいかない。

 満安らは俺の言葉通りに気を引き締め直したのか、浮ついた様子ではなく、普段通りの様子に戻る。

 これならば俺の側に問題は特にない。

 後顧の憂いもない今、後は信長との直接対面を果たすだけだ――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第24話 蒲生氏郷
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/09/24 05:27




 秀政に暫し、待つようにと促されて僅かな後。

 時間にすれば四半刻にも到底、満たない時間だっただろうか――――。

 秀政が再び謁見の間へと戻ってくる。

 だが、戻ってきたのは秀政だけではなく、満安よりも僅かに歳上だろうと思われる年若い人物も一緒だ。

 恐らくは秀政よりも先に信長の下に呼ばれていた人物だろう。

 しかし、一緒に現れた人物をよく見てみると何処となく尋常ではない気配を感じる。 

 何となくだが、この場に居るだけで惹きつけられると言うべきだろうか。

 些か若いが、既に一人の人物として完成しているようにも見受けられる。

 何れにせよ、言葉には形容し難い印象を持つ人物だ。

 秀政も今までの経歴からすれば只者ではないはずだが、もう一人の人物も恐らくはそうなのだろう。

 若いながらに信長の傍で働いている事を察すればそれは容易に想像がつく。

 信長の人物を見極める眼は本物であり、信長が見い出した羽柴秀吉を始めとした多くの人物は皆、歴史上に名を残している。


「戸沢盛安殿でございますな。俺は蒲生忠三郎氏郷と申します」


 俺が何者かを考えていると、此方の雰囲気を察したのか相手の人物が自ら名乗ってくる。

 蒲生忠三郎氏郷――――またの名を蒲生忠三郎賦秀

 俺の目の前に現れたのはまたしても、若くしてその名を知らしめている傑物だ。

 秀政以上に俺とは直接的な接点はないが、弟である平九郎とは馴染みの深い人物で史実では九戸政実の乱の際に戸沢家と共に政実と戦っている。

 氏郷は若くして才気溢れる人物であったとされ、それを一目で見極めた信長は娘である冬姫を娶らせて更には自ら烏帽子親となったほどである。

 これはあくまでエピソードの一つでしかないが、信長が自らの意思で此処まで動いたという事だけでも尋常な人物ではない事が解るだろう。

 また、氏郷は俺に似ている側面も数多く持っている。

 戦においては自ら陣頭に立って戦い、捕虜とした者でも無闇に殺さずに開放していた事などを踏まえると武士としての在り方は俺に近い。

 自らが前に出るというその姿は「戦場に常に鯰尾の銀兜が先頭にある」とまで言われたほどで、夜叉や鬼と呼ばれた俺にも通ずるものがある。

 それに皮肉な事ではあるが、これから先が本番だという時期に亡くなっているのも近いと言えるかもしれない。

 蒲生氏郷もまた、その名を惜しまれつつも最後を迎えた人物の一人であった。















 秀政が現れた時は流石に驚いたが、幸いにして秀政の後に氏郷も出てくる可能性も考えられたために今回の驚きは少ない。


「戸沢九郎盛安と申す。此方こそ麒麟児と称される氏郷殿に会えて光栄です」


 しかし、実際に会う事はなかったとはいえ、氏郷も秀政と同じく俺とは何かしらの縁があるような気がするだけに此処で会えた事は本当に嬉しく思う。

 武将としても優れた人格者であったとされる氏郷ような人物と交流出来る事は光栄だ。

 こうして、史実では顔を合わせた事がなかった面々が早々に揃ったのはやはり、俺が自分自身で安土へ出向くという選択肢を選んだ故だろうか。

 それとも、史実よりも時機を送らせて、本願寺との間に起こった石山合戦が終結する頃合いを見計らったからだろうか。

 恐らくは信長にも余裕のある今の時機であるからこそ、秀政も氏郷も安土に居たのであろう。

 目まぐるしく事態が動いている時機であったならば、この2人に会う事が出来る可能性はほぼ無かったに違いない。

 正直、自分で選んだ選択が史実とは大きく違う方向に影響している事を感謝せずにはいられなかった。


「ふむ……俺よりも随分と若いのに中々に腕に覚えがある様子。機会があれば是非とも手合わせ願いたいものだ」


 俺の後ろに控えている満安らの姿を目に止めながら、氏郷は俺が腕に覚えがある人間だと判断する。

 特に満安と甚助は一目で解るほどの達人であり、武芸者である。

 それを従えているのだから、俺の力量も相当なものであると氏郷は判断したようだ。

 実際、夜叉とも鬼とも呼ばれる俺自身も腕には覚えがあるつもりだし、その見解は間違いではない。

 氏郷も武将として多くの武功を立てており、自分自身で敵の首を取った事も多いため、直感で俺が同類である事を見抜いたのだろう。


「そうですね、機会がありましたら是非とも。夜叉九郎の名が偽りではない事を御見せしたい」

「おお、それは有り難い。貴殿のような武士とは存分に遣ってみたいものよ」

「此方もです」


 氏郷が言うように手合わせを望みたいのは此方も同じだ。

 互いに陣頭で戦う者同士か、如何もこういった事には気が合うらしい。

 俺と氏郷は後の機会に手合わせをする事を約束する。

 元より氏郷という人物は武芸に達者なだけではなく、武辺談義などを好む人物でもあり、その辺りも俺と共通している。

 武士としての在り方が近い上に趣味までも俺に共通点があるだけに直接的な面識がなかった事が悔やまれるほどだ。

 共に戦った事のある平九郎が羨ましく思える。

 だが、秀政の時と同じく、本来ならば会う事はなかったにも関わらず、こうして会う事が出来たのは類は友を呼ぶ事の証明だろうか。

 俺は歴史の悪戯とも言うべき、この縁に感謝するのであった。















 氏郷との邂逅が終わり、再び謁見の間に静寂が訪れる。

 俺を含め、氏郷も秀政も微動だにせず、満安らも動かない。 

 先程語らった氏郷との会話よりも短い時間しか経過していないにも関わらず、時が止まったかのように時間が長く感じる。

 静寂の中では時間の感覚が全く解らなくなると聞いた事があるが、正にその通りだ。

 唯、座して信長との謁見を待つだけにも関わらず、時間の流れが更に遅く感じる。

 だが、完全な静寂が訪れたが故に俺は信長との謁見の際に話すべき事と今後の事を纏める事が出来る。

 まず、改めて確認するが信長との謁見の目的は鎮守府将軍の官職に関するお墨付きを貰う事が目的だ。

 幸いにして、信長は家臣や献上品を持って来た大名に対しては官位や役職を朝廷に上奏し、惜しみなく与えているため、その経緯からすれば上手くいく可能性は高い。

 但し、鎮守府将軍は特殊な立場にある官職であるため、それを許してくれるか如何かという問題点も存在する。

 南北朝時代を最後に就任している者が誰一人として存在しない鎮守府将軍を得られるかは一大事とも言えるからだ。

 しかし、幕府という体制が崩れた今でなければ鎮守府将軍を任命出来ないのも事実であり、再び幕府が成立する事を予防する手としては決して無しとは言い切れない。

 名目上に関すれば今の”征夷大将軍”は官職上の役目を果たす事が出来ないからだ。

 信長としても、朝廷としても幕府の存在を面白く思っていなかった節があるため、その点を突ければ話は早い。

 それに信長は奥州に対して、然程の興味を持っていない。

 酒田の町や大湊の町といった交易に適した場所はあれども、畿内や東海とは違い、山が多い奥州は信長にとっては魅力的な土地ではない。

 実際に山奥の国である飛騨国に関しては最後まで興味を示さなかったほどだ。

 何しろ、姉小路頼綱が従属してきた時は大きな問題もなく、そのまま領有する事を認めている。

 一応、頼綱の妻が信長の正妻である帰蝶の妹であったのも理由の一つなのだろうが……。

 例え、中央に近くとも天下布武の邪魔にさえならなければ如何でも良いとすら考えていたのかもしれない。

 信長から鎮守府将軍のお墨付きを得るには奥州や飛騨のような地に興味を示さなかったと言うその点が大きなポイントになってくるだろう。

 次に朝廷だが、此方はあくまで公家達と面識を得る事が目的だ。

 信長から鎮守府将軍のお墨付きが貰えなかった場合は口添えを貰う事が主となるだろうが、何れにせよ公家との接点は後を踏まえれば有利に立ち回れる。

 此方の件に関しては高名な剣豪である甚助が同行してくれているために門前払いとなる可能性も無いため、面会だけならば比較的楽に行える。

 接点を持つというだけならば献上品等だけで済むが、信長から鎮守府将軍のお墨付きが貰えなかった場合は京都での活動は大きく変わってきてしまう。
 
 とりあえず、今はまだ如何するかを考える段階ではないので信長との謁見に注力する事にするのが上策だと思う。

 それ以外に現状でやるべき事があるとするなら、後は石山、堺、伊賀へと向かう事だろうか。

 石山へと向かう目的は現在、退去の準備を行なっている本願寺顕如、鈴木重秀を始めとした人物達への接触。

 これについては家督を継承した段階から前提にしていた事であり、戦力を大きく強化する一手。

 豪族の集合体でありながら、傭兵という側面を持つ雑賀衆の一部を陣営に引き込む事が目的である。

 理想は雑賀孫一こと、鈴木重秀を引き込む事だが……こればかりは本願寺と雑賀衆の都合次第だろう。

 一応、無下に断られる事はないはずだが、何事も上手くいくとは限らない。

 堺へと向かう目的は鉄砲や大筒を始めとした様々な物のやり取りと後の千利休こと、千宗易との接触。

 利休についても公家と同じく、後の事を踏まえての事だが……これは思わぬところで氏郷と面識を得たのが有利に働く可能性が高い。

 麒麟児または風流の利発人と称される氏郷は利休から茶の湯を学んでおり、弟子と言うべき立場にあるからだ。

 氏郷からの紹介があれば利休との接触を行う事は容易になるし、話も進めやすくなる。

 とはいっても、利休は余程の事がない限りは門前払いしてくる事はないだろうから、余計な事は考えない方が良いかもしれない。

 唯、茶の湯を楽しむために行くつもりの心構えでいた方が良いだろう。

 そして、最後に伊賀へと向かう理由だが……これは俺と同い年のある人物を招くためである。

 史実では忍者の出自でありながら内政手腕に長け、”無頼の良臣”の異名を持つ、彼の人物。

 本来ならば関ヶ原の戦いの頃に為信に召抱えられた人物であるが、折角の機会だから今の段階で戸沢家に招いておこうと思う。

 まぁ……俺が畿内でやるべき事といったら大体、このくらいか。

 他の事は信長との謁見が終わってから考えるとしよう。

 そろそろ、信長も来たみたいだしな――――。















 盛安が今後についての考えを纏め終わった頃合いを見計らったかのように10代後半くらいの小姓と共に40代後半と思われる人物が謁見の間へと姿を現す。

 40代後半の人物の身の丈は5尺を上回るほどで、当時としては比較的身長が高く、体躯はやや細身の印象だが恵まれている。

 一見すれば武将としては普通とも言えるような外見ではあるが、一瞬だけ垣間見えた視線は射抜くように鋭い。

 恐らくは盛安の器量を見定めているのだろうが、それだけにも関わらず、身震いしてしまうかのような感覚が身体中を駆け巡る。

 しかし、それは決して畏怖の意味でそう感じたわけではない。

 小姓と共に盛安の前に現れた人物が紛れもない、天下随一の英傑である事が明らかであるからだ。

 謁見の間に現れたのは一般的なイメージでは残虐にして非道とも言われながらも、多くの人々を惹き付ける魅力を持つ人物。

 盛安と同じく、”鬼”と呼ばれながらも自らは”第六天魔王”と称した人物。

 そして、後の時代の誰もが余りにも唐突で、早過ぎる死にその名を惜しんだ人物――――。















 その名を――――織田信長という。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第25話 天下人
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/10/29 20:48




「大儀である」


 謁見の間の上座へと座り、一言発する信長。

 発した言葉はありきたりな言葉ではあるが、広い場所でも良く響くと謳われたその声はこの場を支配するかのような言霊を秘める。

 たったの一言でしかない言葉にも関わらず、俺は背筋が震えた。

 真の英傑と呼ばれる人物は顔を合わせれば一目でそれが解るとも言われているが、信長は正にその通りの人間だ。

 自然とプレッシャーのようなものを放っている。

 先程、俺は満安達に気を抜くと圧倒されると言い含めていたが、これは想像以上だ。

 前もって伝えておかなかったら全員が気圧されていた事だろう。


「話は久太郎から聞いておる。奥州、出羽から良くぞ参った」

「ははっ!」


 信長からの労いの言葉に平伏する俺。

 何の事でもないはずなのに如何も身体が自然と動いてしまう。


「そこまで畏まらずとも良い。面を上げよ」


 そんな様子を見かねたのか、信長は俺に対して面を上げるようにと言う。


「……はい」


 声色が想像していたものと違い、存外に暖かく感じられる事に内心で驚きながらも俺は信長の言葉に従う。

 穏やかとも思える信長の言葉遣いはとても、鬼と呼ばれる異名を持ちながら第六天魔王と称するような人物には感じられない。

 寧ろ、異名の方が間違いなのでは? とすら感じられるほどだ。


「ほう……」

「如何されましたか……?」

「いや、良き眼をしていると思うて、な。戸沢九郎よ、其方は幾つになる」

「15になりましてございます」

「ふむ……」


 俺の眼をじっと見ながら品定めをするかのように見据える信長。

 今の俺が15歳だという事に僅かな驚きを覚えたのか、その眼は至って真剣だ。


「人物としては忠三郎にも匹敵する、か。些か若いが悪くはない。して、九郎よ。此度は何を目的として参った。この信長に品々を献上する事が目的ではあるまい」

「……!?」


 一目で見極めたのか信長は俺の才覚が氏郷にも匹敵すると評し、更には此方の目的を悟ったのか献上品があくまで口実に過ぎない事を看破する。

 史実でも信長の人を見る目は確かであったと言われているが、こうも的確に評されるとそれが事実である事を実感させられる。

 やはり、信長が相手では此方の真意を隠す事は出来ないし、誤魔化しも通じない。

 それならば、真っ向から真意を伝えるしかない。


「……実は此度については私が称している官職を正式な形として認めて頂きたく参りました」

「官職とな? 良い、申してみよ」

「はい。その官職は――――鎮守府将軍にござりまする」

「ほう……鎮守府将軍か。中々、面白い官職に目を付けたものよ。……室町幕府が事実上、無実化した今でなくては就任する事は叶わぬものであるしな」


 俺が鎮守府将軍の名を出した事に信長が良いところに目を付けたと笑みを浮かべる。

 鎮守府将軍は歴史上でも藤原秀衡、北畠顕家といった人物達が就任しているが、何れも幕府が存在しない頃に就任している。

 俺がこの官職を称した理由を信長は既に見抜いているようで、満足そうに頷く。

 信長は存外に面白いと感じたのだろうか。


「だが、敢えてその名を称したと言う事は相応の覚悟も持っていると見える。それならば……儂の幾つかの問いに応ずる事が叶えばそれを認めよう」

「誠にございますか!?」

「……うむ。なれど、儂が満足せぬ答えであれば認めぬが、な」


 冗談であるという様子もなく、信長は鎮守府将軍を認めても構わないと言う。

 但し、幾つかの質問に応じる事と信長が満足する答えを出せるかと条件付きでの話だ。

 しかし、無条件で認めないとされるよりはずっと良い。

 俺と信長の判断次第では鎮守府将軍のお墨付きを得る事が可能であるという事なのだから――――。















「では、九郎よ。改めて聞くが、其方は何故に鎮守府将軍を称した?」


 まず、信長からの一つ目の問い。

 俺が如何して鎮守府将軍を称したのか。


「はい。私が鎮守府将軍を称したのは、この官職が探題、管領等とは違い、幕府とは関係ないものであるからです。

 鎮守府将軍は幕府に任命権はなく、あくまで朝廷にあり、その役割は征夷大将軍”本来”の在り方とそうは変わりません。

 如いて、違いを言うのであれば征夷大将軍はあくまで臨時の時に就任するものであり、鎮守府将軍は平時に就任するもの。

 謂わば、”天下が治まった”際における”唯一の将軍”……この官職が正式な形で在る限り、征夷大将軍が存在する必要はございませぬ。

 未だに足利義昭公が征夷大将軍にあるとはいえ、それは無実化したものであり、将軍としての役割は失っております。

 それ故に私は征夷大将軍の意義を完全な形で無意味なものとせんがために鎮守府将軍を称した次第にございます」


 鎮守府将軍について思う事を包み隠さずに伝える。

 平時の時に就任する唯一の将軍である鎮守府将軍は謂わば、太平の世の中に存在する事の出来る将軍。

 歴代の鎮守府将軍は常に天下が治まった時に存在し、源平合戦の時代にその立場にあった藤原秀衡でさえ、源氏と平氏の戦が本格化する前に就任している。

 また、鎌倉幕府が滅亡し建武の新政が始まった頃に鎮守府将軍の立場にあった北畠顕家も足利尊氏との戦が始まる前に就任していた。

 過去を紐解けば鎮守府将軍が在る事は天下泰平の世である事の証明でもあり、乱世となればそれを治めるための力となる義務がある。

 それに対し、征夷大将軍は本来ならば臨時の際に就任し、夷敵に備えるのが役割であったはずなのに何時しかその本分を忘れ、幕府を成立させてしまった。

 臨時の者が長い時に渡って政を行うと言う矛盾した体制を確立させてしまったとも言える。

 俺が鎮守府将軍を称し、正式な形でこの立場を望むのはその矛盾した政権である幕府を抑え、成立させる理由を失わせる事にある。

 しかし、数百年も空位が続いたこの官職にどれほどの力が残っているかの保証は出来ない。

 下手をすれば鎮守府将軍が存在していても征夷大将軍に就任出来るという可能性も考えられるからだ。

 だが、官職としての役割からして幕府を成立させようとする者が現れたとしても妨害する事は可能なため、決して無意味ではない。

 それ故に俺は幕府とは関係のない鎮守府将軍の立場を望んでいる。


「成る程……。九郎は征夷大将軍……いや、幕府は必要のないものであると言うのだな?」


 俺の答えに対して、信長の問いかける二つ目の問い。

 征夷大将軍――――幕府は必要なものではないと言う事。


「はい。幕府のようなものは必要とは思えません。武家が力を持つようになって数百年もの時を経て、征夷大将軍が成立させた幕府も鎌倉、室町と続いていきました。

 しかしながら、双方の幕府は共に滅亡の憂き目にあっております。これは幕府と呼ばれるものが国を治める存在として、正しいものではないと言う事の証明です。

 それに対し、鎮守府将軍を任命する立場にある朝廷は実権こそ失えど、幕府が成立する以前から今になってもその存在は変わる事なく存在し続けております。

 これが幕府と朝廷の決定的な違いであるものだと存じます。朝廷は今も尚、必要とされているのに対し、幕府は必要とはされていない――――。

 信長様が幕府に頼らず、朝廷に近付く形で政を行われているのはそういった事情があるのではと考えます」

「ふむ……完全とまでは言わぬが、幕府を否定しつつも儂の一端に触れてくるか――――見事なり。それに幕府を要らぬと申した事も道理である。

 ならば、此処まで答えを導き出した其方にもう一つだけ問おう。九郎よ、何故に儂が天下を望むかは解るか?」


 俺の答えに道理があるとして、頷く信長。

 此方としては先の鎮守府将軍を望む理由を含めて、思うところを包み隠さずに答えただけではあるが……思いの外、信長には面白く感じられたらしい。

 だが、今までの反応と話からすると信長という人物が後世に伝わっているイメージと違い過ぎて戸惑う。

 比叡山の焼き討ちや撫で斬りを行い、第六天魔王と称した覇王とも呼ばれるべき人物――――それが多くの人々が思い浮かべる織田信長という人物だろう。

 しかし……直接、話してみて俺が感じた事は全く違う。

 信長の本来の姿は情けも容赦もなく、苛烈な行いを平然と行うとされる絶対者とも言うべき姿は本質ではない。

 恐らくは寛大で誠実であるというのが、織田信長という人物の本質だろう。

 史実においても自らの手で盟約を破った事は一切なく、手切れをしてきた者以外には最後まで手を離した事はない。

 また、羽柴秀吉を召し抱えた事を含め、民とも自分自身で接し、事実上の天下人となった今でも相撲大会等を開催する事で民と接する場を設けている。

 それに家臣には厳しいが、自分に非があれば、家臣が相手であってもそれを認め、謝意を示した事も多々ある。

 しかしながら、焼き討ちの件や撫で斬り、天正伊賀の乱等の苛烈なまでの行いの性で信長の本質を見失ってしまった者も多い。

 唯、苛烈で非情な人物であるならば、家臣達に慕われ、民を始めとした多くの人々を魅せるような人物には決してなれないのだ。

 この場に居る氏郷も秀政も信長の本質が解っているからこそ、傍に仕え、学んでいるのだろう。

 ならば、俺も話すうちに垣間見えてきた信長の本質を信じて、思う事を伝える。

 信長が何故、天下布武を掲げ、それを目指すかの理由。

 それは――――


「信長様が天下を望む理由は――――乱世の業を打ち砕かんがためである、と見受けます」


 乱世の業を打ち砕く事。

 信長の在り方と本質からすればそのように思えてならない。

 天下を望んだのは乱世とも言うべき戦国時代を終わらせる事。

 唯、それだけの事なのである――――と。















「ふははは! 良くぞ、申した!」


 俺の答えに信長は我が心裏を得たりとばかりに笑う。


「儂が望むはこのくだらぬ乱世を終わらせらんがためよ。其方が申す通り、”乱世の業を打ち砕く”事が天下布武を成すために必要な事であると思うておる」


 信長が天下を望む理由は乱世を終わらせる事。

 史実でも多くの大名が上洛を目指すか、明確な指針を持たないままに天下を語っていたが、織田信長だけは違う。

 如何にすれば天下を取れるか、または天下を取って何を成すかのビジョンを明確に持った上で動いている。

 余りにも斬新で、革新的な政策の多くは信長にはそうした目指すものがはっきりと解っていたからに他ならない。

 それに何よりも民を重視したものが多い信長の政策は天下泰平の世が訪れた時の事も前提としている。

 楽市楽座、関所の廃止、商業奨励、南蛮貿易――――。

 これらはあくまで信長が行なった事の一部ではあるが、全ての政策が先の時代でも高く評価されている。

 そういった意味でも、先の先まで見通していた信長は見事というしかない。


「……良くぞ、若き日の儂が考えていた事と同じ答えを見出したな。誠に天晴れである。九郎よ、鎮守府将軍の官職はこの信長の名に懸けて上奏しよう」

「有り難き幸せにございます」


 俺の答えに一定上の満足感を得られたのか、信長は鎮守府将軍の官職を上奏してくれるという。

 正直、賭けには近かったがこれで此度の俺の目的は事実上、果たされた事になり、それに感謝しつつ平伏する。


「いや……これだけでは不足であるな。鎮守府将軍並びに九郎には奥州総代の役割を与えるとしよう」

「は……!?」


 しかし、信長から更に驚きの言葉が告げられる。

 何と、信長は鎮守府将軍だけではなく、奥州総代の役割を与えるという。

 奥州総代――――奥州を統べると言う意味を持つ、この役割は俺に奥州を統一する権限を与える事に他ならない。

 本来ならばそのような役職は存在しないが、信長は朝廷に奏上し、正式な形のものであるとした上でそれを与えると言う。

 想定した事を大きく超えている事態に俺は思わず言葉を失ってしまった。


「む……不服である、か?」

「い、いえ……滅相もない事にございます」

「ならば、良い。九郎よ、嘗ての藤原秀衡のように力の及ぶ限り、奥州を思うが如く、統べてみよ。儂の望む天下が見えたのならば、その程度の事は難しくあるまい」


 あくまで鎮守府将軍のお墨付きを貰うつもりであったのが、まさか統一する権限を与えてくるとは。

 信長の思惑は俺の思惑の大きく上を行き、大きく先を行っている。

 常識では測りきれない人物である事は理解していたが、それだけでは足りない。

 寧ろ、規格外と言うべきだろう。

 信長の思惑は先の時代の知識や記憶があってすら全く届かないものであり、それすらも超越したもの。

 大きなアドバンテージがあるにも関わらず、俺は圧倒され、見事にその心を掴まれてしまった。


「は……ははっ――――!」


 これが、織田信長という人物なのだろうか。

 余りの器の大きさに俺は唯々、平伏して言葉を失う事しか出来ない。

 俺の目の前にいるのは第六天魔王でもなく、鬼でもなく――――紛れもない一人の英傑。

 遠い先の時代の事を知る俺ですら見えなかったその先を見据える信長は正に天下人に相応しいと言えるだろう。

 一応、その天下人を前にして、此度は目的を達成する事は出来たが、これはあくまでも全て信長の掌の上。

 本当は出し抜くくらいのつもりの心構えで鎮守府将軍の官職を望んだのだが、それ以上のものを以ってして抑え込まれてしまった。

 しかも、信長は大きな権限を意図的に与える事で俺の事を試している。

 弱冠、15歳の俺が鎮守府将軍を称した覚悟を汲み取り、更なる課題を与えてきたと言うべきだろうか。

 その名に相応しいだけの力を示す事が出来るか否かを問うために。

 此処までくると最早、信長の掌の上である事を承知の上で、自分の思うがままに動くしかない。

 如何に動いたとしても、この天下随一の英傑を出し抜く事なんて出来はしないのだから。

 ならば、鎮守府将軍として、奥州総代として俺が成すべき事は――――乱世の業を打ち砕くための力の一端となる事。

 決して、私欲のためだけに自らが得る事になった官職の持つ権限を使ってはならないのだ。

 信長に対して自らが思う事の全てを語り、鎮守府将軍が虚から実になった今、それは尚更である。

 例え、俺自身が上に立つ事が出来ない事が解っているのだとしても、己の本分は尽くさねばならない。

 織田信長という天下人の言葉を受け、俺は改めて自分の志を強くするのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第26話 雑賀孫一
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/09/30 18:56




 ――――1580年4月初旬





 信長より鎮守府将軍のお墨付きと奥州総代の役割を与えられた俺は正式に京の地で官職を承った後、石山へと足を運んでいた。

 3月中に京へ行き、4月に差し掛かった段階で石山へと来る事になった事を踏まえると、意外にも官職を上奏してからそれほど日付は要していない。

 朝廷内でも協議はあったはずなのだが、それが思いの外、早く上奏が通った事を見ると信長の権力の凄まじさが良く解る。

 また、官職を上奏する際、信長は俺が公家や朝廷の分の献上品を用意していた事に気付いていたらしく、それ等の品々も一緒に朝廷へと送っていた。

 このまま、献上品を荷物としたまま畿内で活動するのは難しいため、俺としては有り難い事であった。

 だが、信長の眼は此方の思惑の全てを見抜いている事を証明した結果にも繋がっており、一代の傑物の凄味を別の視点でも垣間見る事になった。

 公家や朝廷に対して、何かしらの繋ぎを取ろうとしているという事。

 俺が信長へと謁見した後は間違いなく、そうするであろうと信長は読んでいたのである。

 それ故に信長に献上した品が全てではない事を見抜き、戸沢家の財力が小大名としては破格のものである事を見抜いた。

 鎮守府将軍を上奏するといった背景には戸沢家の力が石高だけで測りきれるものではないと察したからだろうか。

 俺を評価してくれた理由の一つとしては考えられなくもない。

 それに京を訪れた際に感じたのだが、何処となく雅な雰囲気があり、古来より文化の中心であった京は独特の空気と佇まいの屋敷が多い印象を覚えた。

 元より、武家より公家の住まう都であるからだろうか。

 その空気は居心地が良いとも悪いとも言い難く、表現するのが難しい。

 奥州という都とはかけ離れた場所に根拠地を持つ身からすれば如何にも馴染みにくいのだ。

 それは供をしている満安と盛直も同様で京の雰囲気には色々と戸惑ったものだった。

 この中で唯一人、戸惑う事なく俺達を案内してくれたのは京で活動していた過去を持つ甚助。

 京の地で仇討ちを果たした後も修行を目的として、幾度となく足を踏み入れた事がある甚助は都で輿に乗っている公家を見かけても動じない。

 寧ろ、逆に甚助に気付いた公家から「もしや、林崎重信殿ではありませぬか?」とまで声をかけられるほどだった。

 抜刀術と呼ばれる独自の剣術を使う偉大な剣豪である甚助の知名度の高さを改めて実感出来る。

 何しろ、道行く人々でさえ甚助を知っているであろう者達であれば、必ず頭を下げて行くのだから。

 此処最近で漸く、武名が広まってきた程度でしかない俺とは大違いだ。

 やはり、京での仇討ちとその後の活躍ぶりによるものがあるのだろうか。

 甚助から紹介して貰う形で戸沢盛安の名を公家達にも伝えたところ、鎮守府将軍に就任する事が決まったと言う話題を出すまでは気付いて貰えなかった。

 まだまだ、奥州の片田舎の大名でしかないという事なのだろう。

 だが、鎮守府将軍を正式に拝命した時は菊亭晴季や近衛前久といった有力な公家も顔を揃えており、名を広める事には成功している。

 数百年ぶりとなる鎮守府将軍の名は朝廷内でも興味を引くものだったと思われるだけに、この結果は良かったと思う。

 何しろ、甚助が同行している事以外に伝手も何もなかった状態から信長のお墨付きと公家達との知遇の両方を得られたのだから。

 朝廷を通した正式な形で鎮守府将軍に就任出来た事は相当に大きい。

 公家に名を知られる事は後々まで影響する可能性も非常に高い上に中央に対する伝手としても重要な位置をしめる。

 また、公家以外にも甚助の紹介で神医と名高い曲直瀬道三とも面会が叶っている。

 史実の俺は小田原征伐の際に彼の地で流行した病、または参陣する前の強行軍による極度の疲労によって倒れているため、医者との関わりを無視する事は出来ない。

 これまでも健康状態や衛生面等には気を遣うようにはしてきたが、薬草の知識等に関しては不足しているため、医者の話を聞く事は重要である。

 今の歴史は史実とは大きく異なってはいるものの、俺の最期が如何なるかまでは解らないからだ。

 既に現状でも本来ならば大曲の戦の段階で戦死するはずだった利信の弟である前田五郎の運命を大きく変えているが、それでも確証までは持てない。

 少しでも打てる手は打っておかなくてはならないのだ。

 それだけに1週間にも満たない短い日取りでしかなかった京の滞在だが、彼の地での出来事は充分に意味のあるものであったといえる。

 畿内にて行動を開始して漸く1ヶ月ほどが経過しようとしているが―――今のところは順調に事が運んでいると見ても良いだろう。

 だからこそ、このままの流れで鈴木重秀を中心とした雑賀衆の一部を雇う事が出来れば良いのだが――――。















「ふむ、そうですか……雑賀衆を戸沢家の戦力にしたいと」

「はい。一部だけでも良いので出来れば」


 雑賀衆を雇うにあたって俺が現在、交渉しているのは元の雇い主である本願寺顕如。

 長年に渡って信長と戦ってきた石山本願寺の法主である。

 初めは信長との関わりを伝手に鎮守府将軍に就任した経緯がある俺は門前払いされてしまうかと思ったが、意外にも快く面会に応じてくれた。

 嘗ては織田家に対して、徹底抗戦を唱えていただけに苛烈な人物だという想像をしていたが思いの外、穏やかで落ち着き払った人物である事に驚かされる。

 やはり、門徒を纏める法主という立場にあるだけに懐が深いのだろうか。

 寛大な人物である事は間違いないようだ。


「信長との戦も終えた今、私の方は別に構わないのですが……如何です?」


 俺の話に対し、顕如はこの場に同席しているもう2人の人物のうち、30代半ば頃の年齢の人物の方に尋ねる。

 既に信長との大戦を終え、戦を続ける理由のない顕如からすれば多少の融通が利くのだろう。

 判断は尋ねた相手に委ねるという事らしい。


「そうだな、話を聞く限りは戦の機会が貰えるみたいだから雑賀衆としては有り難てぇが……」


 しかし、委ねられた人物は俺からの要求に大きく迷う。

 豪族であり、傭兵でもある雑賀衆としては織田家によって統一が完了しつつある畿内よりも別の地の方が戦の機会が多く都合が良い。

 それは彼自身が一番良く解っている。

 だが、戦が終わったとはいえ長年に渡って補佐してきた雇い主である顕如の下からあっさりと離れる事には躊躇いがあるのか考え込む様子を止めない。


「別に私の事は気にしなくても良いのですよ? 自分の身くらいは何とかします」

「いや、法主の事は親父から直々に頼まれてるんだ。雑賀孫一を名乗ってる身としては法主を放っておくわけにはいかねぇ」

「そうですか……。重秀には苦労をかけたので思うように動いて頂いても良いと思っていたのですけれども……」

「……法主」


 顕如の身を案じ、此方の要求を躊躇っているのは雑賀衆の中でも俺が最も陣営に加えたいと考えている人物、鈴木重秀である。

 名前としては通称の雑賀孫一の方が有名だろうか。

 重秀は戦国時代を代表する鉄砲使いで、猛将としても知将としても指揮官としても超一流と謳われる全国屈指の武将の一人。

 織田家と本願寺との間に勃発した石山合戦では幾度となく攻め寄せる織田勢を撃破し、信長の本陣に鉄砲を撃ち込んだ事があるとさえ言われているほどだ。

 更には火縄銃の扱いに関しても信長に先駆けて、釣瓶撃ち、組み撃ち、三段撃ち等の様々な戦術を編み出したと言われており、騎馬鉄砲も実用化させたという話もある。

 畿内における軍神とも言うべき重秀の武名は凄まじいものがあり、織田家に苦渋を飲ませた名将としても名高い。

 それだけに重秀を雇えるか否かは奥州での今後の戦略そのものにすら大きく影響してくる。

 俺が重秀を誘ったのはそれだけの影響力を持っている人物であり、味方と出来ればこれほど心強い人物もいないからだ。

 徒歩戦の満安、奇襲戦の秀綱を抱えている今の戸沢家に重秀が加わればこれから先に大きく勢力を伸ばしてくるであろう伊達家の武将を相手にしても引けは取らない。

 また、動向次第では衝突が避けられない最上家、南部家に対しても同様で重秀を中心とした雑賀衆の精鋭が居れば大きく牽制する事も出来る。

 こういっては大袈裟かもしれないが、重秀の登用は正に今後の明暗を分けようとしているほどのものであった。















「戸沢の若様。少しだけ考えさせてくれねぇか?」

「……解った」


 重秀は盛安からの要求について考えを纏めるべく思考の海に沈む。

 奥州での戦に雑賀衆の力が欲しいというのが盛安からの要求。

 石山合戦と呼ばれる織田家との戦が終わった今、次なる戦場として畿内から遠く離れた奥州というのは悪くはない。

 畿内は最早、織田家による統一が進んでおり、自由に動き回れる戦場が殆どないからだ。

 それに対して奥州は未だに鉄砲がそれほど多くなく、雑賀衆の力を見せつけるにはもってこいの地であり、初めての戦場となれば采配の執り甲斐もある。

 また、盛安も鉄砲の価値を良く解っているため、雑賀衆が軽く扱われる事はない。

 更にその上で財貨も相応のものを支払うつもりであるし、場合によっては所領を預けるとも考えているという盛安からの条件は破格ともいって良かった。

 待遇としては流石に本願寺からの条件には及ばないが、あくまで雇うのは雑賀衆の一部をという点を踏まえれば、本願寺のからの条件にも劣らない。

 盛安が雇いたいと言っているのは重秀ともう一人の目星のつく人物、それに加えて雑賀衆の軍勢のうち、300前後というもの。

 要するに優秀な指揮官を1、2名と1万石前後で賄えるほどの少数精鋭の軍勢が欲しいという事だ。

 如何に小大名であるとはいえ、これだけの条件を提示してくるという事は戸沢家の力は重秀が思っている以上に備わっている。

 奥州は金、銀、銅等の鉱山資源が豊富だと聞いているが、盛安にはそれによって得た財貨を上手く活用するだけの経済感覚もあるのだろう。

 雇い主として見れば上々の人物だと重秀は思う。

 だが、如何に戸沢家からの待遇が良くても、盛安が優れた人物であっても重秀には応じるわけにはいかない理由があった。

 雑賀衆の上席でもあり、豪族の連合の纏め役でもある鈴木家の一門衆である重秀は高齢となってしまった父、鈴木重意に代わって紀州を纏めなくてはならないのだ。

 現状は兄である鈴木重兼が重意を補佐しているが、石山合戦の終結に際し、派閥が抗戦派と和睦派に分かれてしまった紀州を纏める事に苦戦している。

 何しろ、法主である顕如や雑賀衆の上席である重秀が和睦に応じたにも関わらず、顕如の嫡男である本願寺教如を始めとした一部は徹底抗戦を唱えているのだから。

 特に次代の法主である教如が徹底抗戦の構えを見せているのは大きく、紀州でも重秀と並んで雑賀衆の上席にある土橋守重がそれに同調している。

 これで万が一、顕如の身に何かあれば教如を抑える者が誰も居なくなり、和睦した意味もなくなってしまう。

 そのため、重秀は顕如の身の安全確保と雑賀衆の暴走を抑えるために畿内を離れるわけにはいかず、要求された軍勢を預ける事は可能でも盛安に応じる事は出来ない。

 せめて、雑賀衆が和睦派に統一されていたならば、顕如の許可の事もあり、応じる事も吝かではなかったのだが――――。


「悪い、戸沢の若様。あんたの要求は雑賀衆にとっては是非とも応じたい内容だが……やはり、応じられねぇ。

 俺には如何しても今は畿内を離れられない事情があるんだ。残念ながら――――俺が行く事は出来ねぇな」


 現在の自身を取り巻く状況を優先し、重秀は盛安に拒否の返答を返すのであった。


















[31742] 夜叉九郎な俺 第27話 八咫烏と小雲雀
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/10/08 05:34




「そうか……事情が事情なら仕方がない。重秀殿ほどの人物の力は是非とも御借りしたかったのだが」

「……すまねぇな。俺を直接選んでくれたのによ」

「いや、紀州の今の状況を踏まえれば当然だと思う。重秀殿が気に止む事ではない。それに……顕如殿にも気を遣わせてしまい、申し訳ありません」

「戸沢殿がそう仰れるのならば、構いません」

「それでは、此度は御縁がなかったと言う事で――――」


 重秀の拒否の返答に雑賀衆との話はなかった事として進めようとする俺。

 顕如も重秀も申し訳なく思っているのか、謝意を示した様子で頷く。

 流石に石山合戦が終結した直後での勧誘は難しかったかと思い、話を済ませようかとしたその矢先――――。


「法主、親父殿、戸沢殿からの申し出……俺が受けても構わないでしょうか」


 重秀の隣でずっと黙ったまま話を聞いていたもう一人の人物が決心したように口を開いた。















「む……重朝が行くと言うのですか?」

「まぁ……俺が行けないから、お前が行くと言うのは間違いじゃねぇが……。戸沢の若様が俺を直接選んだって事は奥州もそんなに甘くないって事だぞ?」

「それは承知しております、親父殿。ですが……雑賀衆として魅力的なこの話を蹴る事は出来ないのも事実ではありませんか」

「……ああ、そいつは解ってる」

「ならば、良いではありませんか。親父殿が無理ならば俺が参ります。完全な形では応じられずとも、雑賀衆の上席である鈴木一門が行くとなれば恥にはなりません」


 重秀の内心を読み取ったかのように俺からの要求に応じる答えを出した人物は重秀の息子である鈴木重朝

 父親である重秀が余りにも有名であるため知名度は低いが、重朝も鈴木家の人間に相応しい戦国時代を代表する鉄砲使いの一人。

 通称で雑賀孫市とも呼ばれる重朝は重秀と間違えられる事が多く、実際に多くの文献等に残っている雑賀孫一の後半生は全て重朝の経歴そのものである。

 それ故か重秀ではなく、重朝が雑賀孫一本人であるとも言われている。

 雑賀衆は普通の大名とは違って傭兵の立場であり、豪族の連合を纏める立場であるためか伏せられている話が非常に多い。

 何しろ、知名度は低くとも比較的、名前が知られている重朝についても不明な点が多々あるのだから。

 だが、逆に不明な点を多く持っている雑賀孫一という人物を構成する人物の一人である重朝は紛れもない雑賀衆が誇る鉄砲使いであり、鈴木家の一門。

 伝説的な人物として名を残す武将である重秀には及ばないが、それでも充分な活躍が期待出来る。


「確かに重朝の言う通りだな。お前が若過ぎるのが若干、問題だが……もう一人くらい付けてやれば、戸沢の若様の要求にも殆ど合わせられる」

「はい。俺も織田との戦で腕を磨いたつもりですが……流石に親父殿には到底、及びません。仰る通り、俺以外に歴戦の者を一緒に連れて行きたく思います」


 しかし、重秀は重朝が自分の域にまで到達していない事を察し、もう一人の人物を付けると言う。

 重朝もそれを自覚しているらしく、同意の返事をする。


「となると、後は誰にするか――――」


 返事を聞き、もう一人の人物を誰にするか考え始める重秀。

 雑賀衆には多くの猛者がおり、鉄砲使いとして名を馳せた人物も非常に多い。

 それだけに重秀が人物を選ぶのに悩むのも無理はないだろう。

 誰を重朝に付けていくかで戸沢家の雑賀衆の立場にも影響が出てくる可能性もあるからだ。

 だからこそ、重秀は悩んでいるわけなのだが――――。


「ならば、俺が行こう。重秀殿、構わないか?」


 重秀の悩みを察するかのように何時の間にか、この場にふらりと現れた一人の人物が口を開いたのであった。















「いや、別に構わないけどよ……良いのか、昌長? 兄貴の傍に居なくて」

「此度のような事情ならば、重兼殿も何も言うまい。それに重朝殿を一人で行かせるわけにもいかぬだろう。重秀殿が気にする事ではない」

「……まぁ、その通りだな。と言うわけで……戸沢の若様、雑賀衆から連れて行くのは重朝と昌長の2人で構わねぇか?」


 ふらりとこの場に現れた人物の名は的場源四郎昌長

 口ぶりからすると、近くで話をずっと聞いていたのだろう。

 昌長は俺が如何なる目的で雑賀衆を雇おうとしているのかについても全て理解しているらしく、重朝だけを奥州に行かせるわけにいかない事も察している。

 要するに重秀が離れられない事情を踏まえた上で志願してくれたようだ。


「ああ、是非とも御願いしたい。重朝殿に加え、小雲雀と名高い、的場昌長殿が来られるのならばこれほど心強い事はない」


 俺は昌長が来てくれると聞いて喜んで応じる。

 石山合戦でその名を馳せた的場昌長ならば、鈴木重秀と比べても全く劣る事はない。

 だが、遠い先の時代でこの名をどれほどの人が聞いた事があるだろうか。

 経歴的には重秀と比べても全く遜色がないほどだが、知名度としては知る人ぞ知るといったくらいの人物であり、重秀の知名度に隠れがちだったりする。

 しかし、その知名度に反して、昌長は鉄砲以外にも太刀、槍、弓等に精通する雑賀衆随一の豪の者であり、小雲雀の異名を持つ猛将の中の猛将。

 謂わば、出羽国における矢島満安のような人物であり、その恐るべき武勇は敵陣の中でも自らが武器を振るい、幾多の首を取ったと言われている。

 石山合戦の際は重秀に従って織田家の名立たる人物の率いる軍勢を次々と撃破し、昌長が破った武将達の中には明智光秀や堀秀政も居たという。

 また、昌長は雑賀衆特有の戦術以外にも狙撃、撤退を駆使した戦術を得意とし、それらを存分に活用する事で武名を馳せた事でも知られている。

 因みに小雲雀と言う異名はこの時の狙撃後の迅速な撤退の動きに由来しており、その戦運びは芸術的ですらあるのだ。

 そのような人物が来てくれるとなれば此方としては有り難すぎるくらいである。

 武将としては重秀とは違う方向性ではあるが、その手腕と力量は同等の域にまで達しているほどの人物である昌長は充分に奥州でも力を発揮出来る。

 流石に狙撃等の奇策を得意とする人物だけに重秀のように大軍を采配する事は得意ではないようだが……その点は重朝が補ってくれるだろう。

 重秀とは違って多数の軍勢を預けられる人物ではないが、俺としては願ったり叶ったりの人物だ。

 気質からしても満安に近い昌長は戸沢家の面々とも馬が合うだろうし、重朝の方も秀綱と同年代であり、俺とも年代が近いために何かと話をする機会が多くなるだろう。

 そういった意味では畿内随一の将とも言われている重秀よりも戸沢家に招くには相応しいかもしれない。


「なら、この話は成立だな。法主、戸沢家に関しては率いていく手勢の数も含めて、重朝と昌長に任せる。それで良いだろうか?」

「はい、重朝と昌長ならば戸沢殿の期待にも存分に応えてくれるでしょう。私は賛成です」


 俺の返答に重秀と顕如は率いる手勢も含めた上で正式に重朝と昌長の2人を戸沢家に付ける事を確約する。

 当初の予定とは多少違う形となったが……重朝は充分に頼りに出来るし、昌長に至っては満安と並んで切り札に成り得るほどの戦力だ。

 鉄砲の指揮を任せるも良し、単騎駆けを任せるも良しである昌長は徒歩戦を得意とする満安と合わせれば武の両輪となるだろうといっても過言ではない。

 的場昌長という人物はそれほどの豪勇の持ち主なのである。


「重秀殿、顕如殿……感謝致します」


 雑賀衆の主力であり、欠かせない存在である2人を惜しまずに出してくれた重秀と顕如に感謝しつつ、俺は深々と頭を下げるのであった。















 あれからも契約の話は続き、最終的には重朝と昌長の2人を戸沢家の陣営に加え、更には彼らの手勢である400ほどの軍勢を奥州に連れて行く事が決まった。

 戸沢家の身の上の事もあり、雑賀衆から連れて行く軍勢の数はそれほど多いというわけではないが、重朝と昌長の率いている軍勢は織田家を相手にして戦い抜いた精鋭だ。

 俺が家督を継承して以来、鍛え上げてきた軍勢や満安の率いている手勢と比べても決して劣らないだろう。

 雑賀衆との件については雑賀孫一こと、鈴木重秀を陣営に加えるという目的を完遂出来たというわけではないが、的場昌長を陣営に加えられた事を考えれば上々だ。

 場合によっては誰も陣営に加える事が出来なかった上に軍勢を出して貰う事も叶わなかったのだから。

 それだけに昌長だけでなく、次代の頭領である重朝が陣営に加わってくれた事は大きく、予定以上の軍勢を得る事が出来た。

 しかも、鉄砲も軍勢に応じた数だけ持ってくるというのだから戦力の強化と言う点では目的通りといっても良い。

 また、昌長は自らの手勢以外にも紀州にいる鍛冶師も連れて行くと言う。

 昌長曰く、「鉄砲等を主力として運用するのならば、必要な事だ」との事。

 この事については、紀州には芝辻仙右衛門を始めとした名工と呼ばれる鍛冶師がいるが、彼らを奥州に招く事は此方からは言い難っただけに有り難い。

 詳細に至るまで俺の要求で何が必要かを踏まえ、その準備も進めてくれた昌長は正に傭兵の鑑であるといっても良い。

 重秀が重朝の事を含めた全てを一任させただけの事はある。

 雑賀衆でも屈指の武将である、昌長の器量を垣間見たといったところだろうか。

 因みにその昌長であるが、一通りの手配等を含めた準備が終わった後は早速、満安と話し始めている。

 俺が予想した通り、軍勢を率いての戦だけでなく、単騎駆けでも武名を馳せた人物同士なだけあって話が合うらしい。

 御互いの武辺談義に花を咲かせているようだ。

 それに対して、重朝の方は盛直に戸沢家中についての話を聞いている。

 今まで雇われていた本願寺から戸沢家へと雇い主が変わるのだから、違う部分があると踏んで細かい事を訪ねているのだろう。

 流石にこの辺りは雑賀衆の上席である鈴木家の次期当主といったところか。

 自分が率先して何をすべきなのかを良く解っている。

 その様子を見た顕如は安心してこの場を離れ、重秀は満足そうに軽く笑みを浮かべた後、「重朝が思うまま、存分にやれ」と重朝に言い残してこの場を去って行った。

 重秀と顕如が場を離れ、契約の内容も決まった今、雑賀衆とのやり取りはこれで終わりなのだが――――。

 俺は重秀が重朝に言い残して行った事だけが何処となく気になっていた。

 まるで、重朝に全てを託すかのような意味合いを含めた重秀の言葉。

 これが一体、何を意味するのかまでは俺にも解らない。

 重秀は今の一言だけで何が言いたかったのか。

 だが、重秀が最後に重朝に言い残していった言葉は皮肉にも数年後に明らかになる。

 何故ならば――――















 満足そうな表情で言葉を告げた重秀の姿こそが俺と重朝が見た重秀の最後の姿だったからである――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第28話 堺の待ち人
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/10/14 00:00





 ――――1580年4月





 重朝、昌長の両名を始めとした雑賀衆を加えた俺達一行は堺へと足を踏み入れていた。

 堺に行くにあたって新たに加わった手勢や鍛冶師等は先に奥州へと向かうように指示を出しておいた。

 無論、雑賀衆が陣営に加わった事を明記した俺からの書状を先に送っておく事も忘れない。

 鉄砲等で武装した集団がいきなり領内に足を踏み入れたとならば間違いなく、戦になるのは明白だからだ。

 折角、雑賀衆を陣営に加える事が出来たのにこれでは元も子もない。

 国へ前もって情報を伝えるのは当然の事だ。

 また、出羽国は鉱山が多く、鍛冶師の求める鉱物も得やすいため、その視点での意見も聞いてみる。

 話を聞いたところ、金や銀を抽出する方法は現代の時代で言うアマルガム法や灰吹法に近い方法だと思われる。

 俺自身はこういった事に関してはそれほど詳しくはないが……抽出する際に必要となる水銀が毒性であるという事は良く解る。

 何しろ、水銀中毒と呼ばれる症状が存在するのだから。

 だが、今の時代は水銀が危険であるという認識がないため、鍛冶師にも山師にも水銀に関する注意を促すようにしておく。

 これで何になるのかと言うのもあるだろうが、危険性を伝えるか伝えないかの差は非常に大きい。

 俺からは大した方策を打ち出す事が出来ないため、せめて解っている事だけでも告知しておかなくてはならない。

 正直、この点に関しては俺の知識不足が悔やまれてしょうがない。

 本来ならば鉱山開発を本格的に進める前に伝えておかなくてはならない事なのだから。

 それ故に昌長が手配してくれた鍛冶師達には本当に感謝したい。

 俺には足りなかった事を伝えてくれた事で、鉱山開発における問題点が遅まきながらも漸く理解出来たからだ。

 こうして、今までは新たな方策を打ち出せなかった鉱山開発に関しての意見を得た俺はそれらの事も含め、国元へと書状を認めたのであった。















「昌長、この銃については如何思う?」


 堺の町へと到着した俺達は最初の目的地である南蛮商館へと足を運んでいた。

 この中で俺が昌長に見て貰っているのは今の欧州の時代でも最新型にあたるミュケレット式の銃。

 ミュケレット式は後の時代に開発されるフリントロック式の銃のプロトタイプのような銃で、大きな違いは撃鉄のバネが剥き出しになっている事である。

 欠点としては発火機構を制御するバネが剥き出しなため暴発しやすいという事ではあるが、比較的安価でメンテナンスが容易なのが利点だ。

 但し、フリントロック式の物と同じく銃の撃発時の衝撃で銃身がぶれるという欠点もそのままなので、いま一つ日本では好まれていない。

 そのためか堺の南蛮商館には幾つかの数は輸入されてはいても、買い取る者がいないため余っている。


「これは普通の火縄銃とは違うようだが……。試してみても良いだろうか?」


 昌長は俺が渡したミュケレット式の銃に早速、興味を示したのか商館の主に許可を求めた後、試射用の的がある場所へと行く。

 それを見て、別の南蛮物を見分していた重朝も銃を見るや否や後へと続いた。

 やはり、銃を主力として扱う雑賀衆の人間だからだろうか。

 新しい物には目がないようだ。


「……」


 俺がそのような事を考えている間に射撃の場へと立った昌長は構えを取る。

 右手で銃の台尻を包み込むように持ち、頬で圧力をかけるようにしてから左手で銃身を支える構え。

 火縄銃を撃つ時の典型的な構えとされるのだが、昌長は左手の肘の角度を頻りに調整している。

 本来ならば肘の角度を90度前後にするのがぶれないと言われているのだが、昌長は自らの感覚で適した位置を決めているらしい。

 流石は狙撃のような難しい芸当を得意とした小雲雀の異名を持つ、鉄砲使いと言ったところだろうか。

 
「――――そこか」


 暫しの時間の後、構えが決まったのか昌長は銃を発砲する。

 その際に撃鉄が振り下ろされ、従来の火縄銃よりも激しい音が響いたのは流石にフリントロック式の原型になったものといったところか。

 一度の射撃にも関わらず、商館の主を除いてこの場に居る誰もがこの音に静まりかえってしまう。

 想像以上の音に高名な剣豪である甚助ですら多少の驚きを覚えたようだ。


「ふむ……この銃は”俺”向き、だな。反動が大きいようにも感じるが、この程度ならば使う分には心配ない。俺の手勢ならば充分に預けられるだろう」


 ミュケレット式の銃を試し撃ちした昌長は満足そうな表情で感想を口にする。

 雑賀衆の中でも随一の豪勇で知られる昌長は銃の反動でも全くものともしない。

 昌長が満安に匹敵するほどに鍛えられているのもあるだろうが、元より狙撃等を得意とする人物であるだけに反動を考慮した射撃は当然の事なのだろう。

 初めて扱う銃でありながら、当たり前といった様子で的の中心を射抜いているのは見事の一言に尽きる。

 普通の鉄砲足軽等では到底、使いこなす事は出来ないであろうミュケレット式も昌長の視点からすれば許容範囲内のようだ。


「そうですね……これは確かに昌長向けです。俺の手勢でも問題ないとは思いますが……何方かと言えば使い分ける形での使用になりそうです。

 火打ちを利用した構造から察するに火縄とは違い、雨や雪の中でも比較的、使い易い物であると見受けられますし」


 昌長の感想に対し、別の視点での感想を述べる重朝。

 早くも従来の火縄銃との構造の違いに気付き、日本では火打ちからくりと呼ばれる事になる物である事を瞬時に理解したのは流石に雑賀孫市と呼ばれている人物だからか。

 反動が大きいため、昌長向けであると評した上でミュケレット式の長所を見抜いたらしい。


「しかし、手を加えないと暴発する可能性がありそうだな。重朝殿、撃鉄の根元に鉤を付ければ如何にかならないだろうか?」

「そうですね……昌長の言う通り俺もそれで良いと思います。確実とは言えないけれども、それなりの効果が望めるでしょう」


 更に銃の構造を見ながら問題点まで指摘する昌長と重朝。

 普通ならば気付かないであろう点に注目し、解決策まで打ち出す2人には俺も思わず唖然としてしまう。


「……これがこの銃に対する俺と昌長の見解なのですが、盛安殿は如何様に見ますか?」

「あ、ああ……2人の意見に同意する。俺もこの銃を見た時から同じ事を考えていたからな」


 それ故に暫しの見分を済ませた後に訪ねてきた重朝に俺は言葉に詰まりながら返事をする。

 フリントロック式やミュケレット式については先の時代の知識を持つ、俺だからこそのアドバンテージがあるものだと考えていたが、これは大きな間違いだったらしい。

 如何に先進的な物であるとはいえ、解る者には解ってしまうのである。

 しかも、昌長と重朝は俺が考えていたミュケレット式の改修点も容易く提案してくる。

 此度の商館での出来事は時代に名を残す鉄砲使いの凄まじさと戦国時代でも屈指の戦闘集団であり、技術者集団でもある雑賀衆の恐ろしさが痛感出来る話であった。

 昌長と重朝を戸沢家の陣営に加えられた事は早速、予想以上の成果を見せ始めていたといえるだろう。















 ミュケレット式の銃についてのやり取りは昌長と重朝が200丁ほど雑賀衆からの費用で購入すると言う事で話が纏まった。

 俺は戸沢家で購入すると言ったのだが、昌長には「良い銃を見せてくれた御礼だ。それに重秀殿にも送り付けるからついでの事でしかない」と言い返されてしまった。

 これでは俺も強くは言えず、昌長の好意に甘える事にした。

 まぁ、機構上の問題で雑賀衆でなくては使いこなせないため、昌長の言う通りにするしかないのだが……堺の町へと足を運んだ目的は果たせたから良いとしよう。

 後は余裕があれば大筒を購入したいとも考えたが、流石にそこまでは戸沢家の力では余裕がないため断念する。

 如何、足掻いても無理なものは無理でしかないのだから。

 此度のやり取りで南蛮商館とも繋がりが持てたし、更にはミュケレット式を購入してくれた御礼に火打石についても融通してくれるとの確約を得られたため成果は上々だ。

 また、購入した銃を奥州と紀州へと送る際に今井宗久、津田宗及といった堺を代表する商人達とも顔を合わせているのだが……。

 以外にも堺の商人達との面会は俺から動いたわけではなく、向こうから出向いてきた。

 正式に鎮守府将軍を就任した事で俺の名は堺でも少しは知られていたらしく、新たに名を残す事になるであろう官職を得た人物とは繋がりを持っておきたいとの事。

 商人らしい打算的な面もあるのだろうが、畿内でも有数の実力者である宗久らとの面識を得られる事は此方としても有り難い。

 京の公家に続き、堺の商人との繋ぎとなれば中央に対しても有利に立ち回れる。

 鎮守府将軍の官職も嘗てほどではないにしろ、奥州では影響力を持っているため一応の土台は完成しつつあると言える。

 後は堺に来た以上は顔を合わせておきたい人物である千宗易との会談を済ませる事だけだ。

 千宗易こと後の千利休は畿内で流行している茶の湯の第一人者で、信長をはじめとする多くの人物に対しても顔が広い。

 俺自身は奥州の片田舎の大名でしかないため、宗易とは接点はないが……こうして、畿内へと出向いた以上は面識を得ておきたいと思う。

 一応、安土城を後にする際に氏郷が宗易に対し、俺が来る事があれば宜しく頼むとの書状を認めておいたと言っていたが場合によっては面会が叶わない事も考えられる。

 まぁ、流石に堺に居る事は確認済みなので門前払いされない限りは問題ないとは思うのだが――――。















「氏郷殿より話は聞いております。良くぞ、来られましたな。戸沢九郎盛安様」


 俺の杞憂を他所に氏郷からの書状により来る事が解っていたらしい宗易が出迎える。

 年齢としては既に60歳に近く、俺とは45歳ほどの年齢差がある宗易は父上よりも歳上だ。

 そのためか、漸く15歳になる俺と比べると祖父と孫のような差がある。


「態々、出迎えて頂いて忝ない、宗易殿」

「ほっほっほっ。構いませぬよ。私がこうして、出迎えておりますのも中で御待ちしている方の御指示のものでござります故」

「御待ちしている方、ですか……?」


 宗易からの意外な言葉に俺は疑問を覚える。

 堺に足を踏み入れ、宗易の下を訪れる事は氏郷が先に話を通している事ではあるが、俺自身は宗易以外と会う約束をした覚えはない。

 そもそも、織田家中での知り合いは安土城で会った氏郷と秀政くらいしかいないはずなのだ。

 後は精々、鎮守府将軍に就任した事を聞いて俺の存在を知られているかくらいだろう。

 だから、俺には此処で待っている人物には全く見当が付かなかった。


「左様。御案内致します」


 身に覚えがないという事で疑問に思う俺を他所に宗易は茶室への案内を始める。

 しかし……何故、俺を待っているという人物がいるのだろうか。

 信長と面会した段階でもこのような話が出ていたとは思えないし、先に足を踏み入れた京でも石山でもそのような話は一切、出ていなかったはずだ。

 考えられる事があるとするならば、待っているという人物が俺に対して直接興味を示したかくらいだろう。

 何れにせよ、奥州の一大名でしかない俺に会いたいという酔狂な人物が居るらしい事は間違いない。


「此方にございます」


 会いたいと言っている人物を俺が想像していた矢先、奥の間に案内し終えたところで宗易が襖をゆっくりと開く。


「おおっ! 御主が戸沢九郎盛安殿か!」


 その中で座して待っていたのは2人の人物。

 俺の姿を見て早速、言葉を発した人物の歳の頃は氏郷と同年代ほどくらいであろうか。

 些か若い人物ではあるようだが……顔付きを良く見てみると何処となく畿内で顔を合わせた誰かに似ている気がする。

 俺が見た限り、この人物が纏っている雰囲気は明らかに将器を感じさせるものであり、只者ではない。

 それに対して俺の姿を見て軽く礼をし、静かに挨拶をしてきた人物は50歳を越えたくらいと思われる年齢の人物。

 唯、座すのみで落ち着き払った振る舞いは年相応であり、事を冷静に考えられる人物であるように見受けられる。

 この人物も隣に居る若い人物とは方向性が違えど、優れた将器を持った人物であるようだ。

 何れにせよ、並の人物ではない事は確かだろう。


「貴殿は……?」


 だが、目の前に居る言葉を発した人物とは面識がない事には変わりがないため、俺は名を尋ねる。

 如何も先の時代の事を含め、記憶の奥底を探ってみても俺の記憶にある人物とは一致する者がいない。

 恐らくは一度目の人生でも顔を合わせた事がない人物だろう。


「む……すまぬ。名を尋ねる時は此方から名乗るのが礼儀であったな」


 何者かを訪ねてきた俺に対し、目の前の若い人物はすぐさま姿勢を正す。

 そして――――


「俺の名は津田信澄と言う。盛安殿の事は伯父上の遣いの者から聞いているぞ」



 信長がこの場に居るのか――――と思えるほどのはっきりとした声で自らの名を告げたのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第29話 一段の逸物
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/10/21 07:21




 ――――津田信澄

 この名を聞いた事のある人は織田信長の弟、織田信勝こと織田信行の息子であるという認識が強いだろうか。

 信澄は謀叛人の息子であるという複雑な立場にあったが、若くして才気に溢れ、器量もある人物であった。

 それ故にその才覚を見抜いた信長は信澄を一門衆として重用し、嫡男の信忠と並んで各地を転戦させている。

 実際に信澄は播磨における三木城の戦いにて別所長治の援軍として現れた毛利家と戦っており、その際には巧みな采配でそれを完膚無きにまで打ち破った経験もある。

 そのような経緯もあり、信澄は織田家の次代を担う者として大いに期待されたのだろう。

 織田家の中でも羽柴秀吉に並ぶ出世頭と言われた明智光秀の娘を娶り、岳父となった光秀からもその才覚を大きく評価されている。

 だが、優れた才覚と器を持つ信澄は自らの出自と立場が仇となり、史実では本能寺の変の混乱期に丹羽長秀の手によって暗殺されてしまった。

 謀叛人の父親と謀叛人の岳父を持つという立場が信澄を生かす事を許さなかったのだろう。

 津田信澄という人物は生まれながらの立場から織田家一門衆としては非常に複雑な人物であったといえる。


「私のような若輩者に津田信澄様が自ら御挨拶に来られるとは、光栄の極みにございます」


 信長からの遣いの者から報告を聞いて態々、出向いてきた信澄に俺は深く感謝の言葉を伝える。

 まさか、信澄と会う機会が訪れるとは思ってもいなかっただけにその念は尚更、強い。


「ああ、俺も伯父上が認めた盛安殿に会えて嬉しく思う」


 信澄の方も俺と同じような事を思っていたらしい。

 信長から遣いの者が如何のような事を伝えたのかまでは解らないが、信澄はその報告だけで俺に会う事を決断したようだ。

 既に織田家の家中でも俺の名が一部に広まりつつある事を実感する。


「しかし……何故、信澄様は堺へ?」


 だが、堺に信澄が現れた目的は全く予想がつかない。

 何か目的があるのか、無いのか、それすらも解らない。

 見た限りでは信澄は打算的な人物ではないようなのだが――――?


「いや、純粋に盛安殿に会ってみたいと思っただけだ。伯父上も興味があるならば堺で待っていれば会えると仰っておられたしな。

 それで宗易殿に頼んで、こうして盛安殿が来るのを待っていたのだ。畿内へ来たのならば宗易殿の下に訪れるだろうと予測してな」

「なるほど……」


 案の定、信澄は俺に会ってみたいという理由だけで堺で待っていたようだ。

 正直、驚き半分だが……ある意味で大胆とも取れるこの行動は大物である事の証か。

 自分の目で確かめなくては気がすまないという気質は信長にも通ずる部分があるかもしれない。


「して、信澄様と一緒に来られたこの方は――――?」


 信澄がこの場に居る理由が解り、俺はもう一人の50歳を超えたくらいであろう人物の名を訪ねようとする。

 織田家の一門衆でも上位にある信澄がこの場に居るのだ。

 嘸かし、重要な人物であろう、と俺が思った矢先に――――


「……織田信張殿」


 昌長がその人物の名を呼んだのであった。















「久し振りですな、的場殿」


 名を呼ばれて肯定するように昌長に挨拶をする50歳前後の人物。

 信澄と共に俺の事を待っていたのは織田家の一門衆の一人である織田信張であった。

 信張は中国、北陸、四国等に方面軍を派遣している織田家の中で紀州方面を任されている人物。

 そのためか、雑賀衆とは幾度となく戦を交えており、昌長ともそれが理由で面識があるようだ。

 基本的に信忠や信澄以外に信長が見込むほどの器量に優れた人物がいなかったとされる織田家の一門衆の中でも一つの軍団を任された唯一の人間が信張である。

 また、信張は明智光秀と並び、四国の長宗我部家との外交にも携わっており、織田家の中でも非常に重要な立場に居る。

 それほど知られている人物ではないが、信長が見込んだ人物であるだけに器量のほどは確かな人物だ。


「御初に御目にかかります。私は織田信張と申しまする」

「戸沢盛安にございます。武名高き、織田信張殿に御会い出来て嬉しく思います」


 物腰柔らかに挨拶をする信張。

 信澄と比べても歳相応の冷静さを持つ信張は俺を見ても、意外そうな視線を向けては来ない。

 信長の遣いの者から俺の年齢を含めた事情を先に聞いていたからだろうか。

 若くして、鎮守府将軍に就任した俺を見ても、訝しむような様子はない。

 寧ろ、信長が見込んでくれたという点を評価してくれているようにも見える。


「それでは、皆様も御集まりなされた事ですし……戸沢家中の方々も御座り下さい。茶を馳走致しましょう」


 俺が信張の人物を見極めようと見つめていると、宗易が座るようにと促してくる。

 此処に来た目的は宗易の茶の湯を楽しむために訪れたのだったという事を俺は漸く思いだす。

 信澄と信張という意外な人物と遭遇する事になってすっかりと忘れていた。

 俺は後に続いている満安らを始めとした戸沢家中の者達に宗易の言う通りにするようにと伝え、席につくのであった。















 人数としては宗易を除けば、8人と茶の湯の席としては些か人数が多い形で茶会は始まった。

 実のところを言えば、この場に居る戸沢家中の者は誰も茶の湯を嗜んでおらず、幸いにしてある程度の知識だけを持っている俺だけが作法に倣っている。

 満安も盛直も四苦八苦ながら俺の振る舞いに倣い、何とか作法通りにしながら茶を飲む。

 それに対し、昌長と重朝は比較的慣れている様子で茶の湯を楽しんでいる。

 恐らくは茶席の経験があるのだろう。

 本願寺の法主である顕如は一向宗の長でありながら、この時代でも有数の文化人でもあるため、茶を振る舞う事があった可能性は高い。

 その証拠が俺の隣で平然としている昌長と重朝の振る舞いである。

 傭兵という立場でも法主の立場にある顕如と密接に関わってきた雑賀衆ならではの教養といったところだろうか。

 意外な姿に俺も正直、驚いたと言うのが感想だ。

 また、剣豪として諸国を廻った甚助も京で活動していたためか、作法に関しては慣れ親しんだ様子だ。

 公家とも面識があったし、嘗ては足利義輝の下に居た事もあるのだから、それも当然かもしれない。

 それを見て、俺は少しくらいは家中でも広めておくべきだったかと思案する。

 流石に現状の段階で畿内へと行く事はもう無いだろうが、天下が完全な形で治まれば畿内で活動する機会もまたあるだろう。

 その際に地方から訪れた大名が家臣達を伴うのは当然の事なので、ある程度の教養等は嫌が応にも要求されてくる。

 ましてや、今の俺は鎮守府将軍の立場にあるため、尚更だ。

 朝廷に任命された将軍である俺とその家臣達が教養を持ち合わせていないとは笑い事である。

 後々、時が空いた頃合いには茶の湯の席を設ける事も検討しなくてはならない。

 所謂、風習とも言うべきものではあるが、これも仕方のない事だろう。

 教養というものは何だかんだで必要なものなのだから。















「信澄様。話があるのですが……聞いて頂けますか?」

「解った、聞こう」


 四苦八苦する満安らの様子を見ながらも一通り、茶の湯を楽しんだ俺は宗易に頼み込んで、別の間に信澄と2人きりで語り合う場所を設けて貰っていた。

 満安ら戸沢家中の者と昌長と重朝の雑賀衆の面々は信張に紀州での戦いの事や、石山合戦終結後の事を話し合っている。

 紀州の事や畿内での戦については詳しい知識の少ない満安と盛直には信張のような豊富な経験を持つ人物の話を聞く事は良い機会になるだろう。

 それに信澄を連れ出した際の時間、満安らには退屈な時間を過ごさせてしまう。

 信張や雑賀衆の話ならば、充分に学べる話を聞ける事だろう。

 そういった背景を伴いながら、俺が信澄と2人だけで話すのは天下の事。

 今でこそ、信長の手によって天下の形は殆ど定まりつつあるが、それは危ういバランスのもので成り立っているという事。

 信長という柱があるからこそ、今の織田家があり、天下が治まっているのだ。

 これについては信澄も俺と同じような事を考えていたらしく――――


「もし、伯父上の身に何かあれば――――今の天下は覆される事になるだろうな」


 との返答が返ってきた。

 これについては同意する以外に他の返答はない。

 信澄もその事を良く実感しており、不躾とも取れるこの問いかけにも苦笑混じりで答えてくれた。

 ならば、信長の身に何かあった場合に後を継げる者が居るかと尋ねると――――


「やはり、嫡男である信忠殿だろうな。もし、それ以外に誰かと言うのならば――――伯父上の天下の形を唯一、理解しているであろう人物、羽柴秀吉しか居ないと思う」


 意外にも俺が口にするよりも早く、羽柴秀吉の名前があっさりと出てきた。

 信澄が言うには秀吉の事を信長の天下の形を理解している人物だと言う。

 ならば、如何して秀吉がそうだと言えるのかと問いかけると――――


「播磨の戦の折に陣を共にした際に天下の事を訪ねてみたのだが――――秀吉は”皆が笑って暮らせる世”を望むと言っていた。

 秀吉が言うには伯父上が成そうしている事が乱世の業を打ち砕く事にあるのならば、それこそが”皆を泣かせている戦”を終わらせる事になるのだと。

 それ故に俺は伯父上から直々に物事を学んでいる信忠殿の事を除けば、秀吉しか伯父上の成そうとしている事を繋げる事は出来ぬと思っている」


 尋ねた俺が言うのも何だが、信澄からは見事なまでに明確な答えが返ってきた。

 俺は一度目の時に僅かな時間しか秀吉と会う事は出来ていなかったが、信澄の評価は的を射ていると思う。

 確かに史実での秀吉は晩年に汚点を幾つか残しているが、それも人間らしさがあり、超越していた人物ではない事を教えてくれている。

 何処まで一人の人間らしいのが秀吉と言う人物なのだ。

 その点が時代の全てを超越した天才、または狂人とも言われる信長との大きな違い。

 だから、秀吉は史実でも信長の後の天下の継承者と成り得たのだろう。

 俺は此処までの問答で信澄が秀吉の事を評価し、先の事も見据えていると言う事を実感する。

 このような人物を無駄な事で失わせるわけにはいかない。

 俺は信長の身に万が一があった場合に幾つかの事態を想定して信澄に如何、動くべきかを伝える。

 謀叛人の息子という立場故に信澄は真っ先に狙われるという事。

 もし、その際に攻め寄せてくる相手が信澄の手勢よりも多いのならば、自らの身を第一にして脱出する事。

 逃げる先は秀吉の下か、無理を承知で行動出来るのならば奥州にて俺が責任を以って保護するという事。

 他にも講じる事の出来る策は幾つもあるが――――信澄に出来る限りの方策を考え、伝える。

 無論、これらの策はあくまで信長の身に何かがあればという事なのだが――――


「解った。伯父上の身に万が一があれば、盛安殿の言う通りにしよう」


 信澄はあっさりと俺の意見に同意してくれた。

 しかも、空論でしかないはずの俺の話を真面目に聞いた上でだ。

 それに対して俺が何故、同意してくれたのかを尋ねると――――


「その眼は嘘を言っているものではないからな。俺は盛安殿とは此度が初対面ではあるが……話を聞いてみて、信頼の出来る人物だと思った。それが答えでは不服か?」


 との言葉が返ってくる。

 此処まで初対面の人間の言葉を聞いてくれた信澄の器の大きさに俺は思わず身が震えた。

 信澄は本当に”一段の逸物”と称されるに相応しいだけの人格と器量を持ち合わせている。

 その姿を初めて目にした時に感じた、誰かに似ていると感覚は信長に通じる部分が何処かにあったからだ。

 改めて、それを確信した俺は信澄に深く頭を下げ、2人だけで行われた話は幕を閉じる。

 傍から見れば俺と信澄が交わした会話は何の事だかは解らないと思う。

 だが、この時に交わした会話が本来ならば歴史の闇に葬られていくはずであった人物――――津田信澄の運命に大きな影響を与える事になるのは確かな事であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第30話 人の縁
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/11/02 18:55



 堺で信澄らとの邂逅を果たし、信長の身に万が一があった時の際に取るべき行動を伝えた俺。

 だが、信澄にだけ対策を伝えただけでは不安だと感じた俺は別れる前に信張にも如何、動くべきかを伝えておいた。

 信張にこの話をした直後は何の事か解らないといった様子だったが、直ぐに此方が何を言わんとしていた事に気付き、万が一の時は動いてくれるとの確約をくれた。

 更に信張は事態が起こった際には雑賀衆との伝手を利用して逃がす道筋の段取りもしてくれるとの事。

 この点に関しては俺の方も昌長と重朝を陣営に加えた事で雑賀衆との繋がりが出来上がっているため、信張の配慮には感謝したい。

 また、堺で信澄と信張の2人と別れた後は俺が最後の目的地とした伊賀へと向かう予定だったのだが、昌長と重朝の進言で途中で根来の方へと寄る事になった。

 2人が言うには「戸沢家中でも鉄砲を使うのならば、指南役に適した人物が居た方が良い」との事。

 雑賀衆の鉄砲の運用方法には独特のものがあり、昌長も重朝もそれぞれに狙撃や組撃ち、釣瓶撃ち等のような普通とは違う方法での射撃を得意とする。

 そのためか、基礎的な部分を教えるのはそれほど得意ではないらしい。

 無論、雑賀衆と同じような戦い方で良いと言うのならば、教えられるとの事らしいが、既に戸沢家の軍勢は雑賀衆とは違う運用を前提に訓練されている。

 それ故に始めから戦術面でそれぞれの分野に適した運用を前提とした昌長と重朝の手勢のようにはいかない。

 俺としてもその意見には同意出来る部分があったので、2人の進言に応じて根来まで足を運んだわけなのだが――――。 


「解り申した。重朝殿の頼みならば参りましょう。これより、師と父に話を通して参りますので暫し御待ちを」


 重朝が掛け合い、この話を受けてくれたのは奥弥兵衛重政

 根来衆が誇る若手の鉄砲使いで、津田算正と杉之坊照算の両名に砲術を学び初めて僅か数年で奥義を極めたほどの才覚を持つ人物。

 重朝と同年代である重政は織田家との戦の折には幾度となく陣を共にし、同じ戦場で戦った仲であるためか、御互いに深い交流を持っているらしい。

 また、重政は史実でも氏家行広や浅野幸長に仕え、その妙技を伝えた事でも知られている。

 数多くの戦歴を持ち、その腕を求められた重政は知名度こそ低いが、1570年代以降(天正年間)に活躍した若手の鉄砲使いの中では群を抜いて優秀な人物の一人だろう。

 何しろ、重政は個人技としての砲術と集団戦術としての砲術の双方に通じ、石山合戦の際は僅か10代後半と言う若さで重朝と共に武名を轟かせていたほどなのだから。

 そのため、この当時の根来衆の中でも大物と言っても良い、奥重政が出てきた事に俺は驚きを隠せなかった。


「師と父に尋ねたところ、重朝殿と昌長殿が選んだ人物であるならば構わないとの事。なので……この奥弥兵衛重政、これより戸沢盛安様の下で働かせて頂きたく存じます」

「あ、ああ……それは有り難い。重政、宜しく頼む」


 こうして、思いもしない形で重政が話を受けてくれたのは重朝の御陰なのだが……人の縁と言うものは想像以上に凄まじいものがあるようだ。

 一連の流れを見ても、重政があっさりと応じてくれたのは雑賀衆の2人が居てくれたからにほかならない。

 正直に言えば、俺を含めた戸沢家の面々だけでは話をする場が与えられたのかさえも解らないからだ。

 もし、何とかして話をする場合でも甚助の知名度の高さに委ねる以外には目ぼしい方法はなかったと思う。

 何しろ、根来衆は反織田家の立場に属している者が多く、信長の口添えで鎮守府将軍になった俺とは考え方次第では敵対関係であるとも言えるからだ。

 それだけに昌長と重朝の両名を加えた事は本当に俺が想定する以上のものだった事を改めて実感させられる。

 人の縁とは此処まで、大きな影響を及ぼすのか――――と。















 ――――1580年5月





 安土、京都、石山、堺、根来と廻った畿内での活動はいよいよ大詰めとなり、俺達は最後の目的地である伊賀へと足を踏み入れていた。

 此処での目的は若手の忍である、彼の人物を引き込む事。

 史実では今より20年以上も後になる関ヶ原の戦いで漸く、歴史上の表舞台に顔を出す人物でそれ以前の事は伊賀の忍であった事しか明らかにされていない。

 有名な天正伊賀の乱の時や徳川家康の伊賀越えの時でさえ、その名は見当たらないのだ。

 はっきりと解っている事は伊賀上忍三家と呼ばれる服部、百地、藤林の中で服部氏に連なる者であるという事と俺と同い年であるという事だけ。

 しかしながら、彼の人物は関ヶ原の戦いの際に津軽為信に召抱えられ、その後は沼田祐光の後を継ぎ、津軽家の家老を務めており、優れた人物であった事を証明している。

 忍びの出自でありながら、政治、軍事、謀略に優れたと言われている彼の人物は知名度こそ低いが、知る人ぞ知るような人物であった。





「なるほど、戸沢殿の言い分は解った。若手の忍で武士を志している者を召抱えたいと……」

「はい、出来れば御目に適うような人物を御推挙して頂きたいと思います」


 俺が想定している彼の人物を召し抱えるために早速、俺が交渉を行っているのは伊賀の上忍の一人である藤林正保。

 通称で藤林長門守とも呼ばれる正保は百地三太夫、服部半蔵保長に並ぶ伊賀を代表する人物として知られている。

 何故、交渉する相手として俺が正保を選んだのかというと……三太夫が反織田家の立場にあるからだ。

 畿内での活動で俺が信長と接触した事は既に広まっているだけに三太夫に面会を求めたとしても門前払いになるのは明白である。

 それならばと言う事で俺が交渉するべき相手として選んだのが、中立的な立場に居る藤林正保という事であった。

 因みに正保は三太夫、保長に比べても知名度こそ低いが、その正体は謎に包まれており、忍ぶ者という意味においては2人を大きく上回っている。

 生涯に渡って、歴史の表舞台に立つ事はなく、裏舞台で活躍し続けた藤林正保は正に生粋の忍であると言っても過言ではないだろう。


「ふむ、先の織田家との戦で伊賀も随分と人手が足りなくなったが……若手の者をこのまま伊賀に置いておくは危険過ぎる。織田家とはまた戦う事になるであろうしな。

 かと言って、三太夫殿の手の者を推挙するわけにもいかん。そうなれば……やはり、あ奴しか居らぬか――――長門! 服部長門は居るか!」


 俺の要求に対して暫く考えた後、正保は周囲の空気が震えるかと思われるほどの声で一人の人物の名前を呼ぶ。


「御呼びにございますか」


 その求めに応じて気配も無く現れるのは俺と同年代かと思われる若い忍。

 背後で思わず、腰の太刀に手をかけた満安と昌長と甚助の動きを見ると年齢の割には相当な手練らしい。

 何しろ、音もなく不意にこの場へと現れたのだ。

 満安、昌長、甚助といった人物だからこそ、一早く気付いたに過ぎない。

 正保に服部長門と呼ばれたこの若者――――ぱっと見たところだが名前といい、歳の頃といい、俺が望んだ人物である服部長門の特徴と一致している。

 絶対とまでは言い切れないが……恐らくは本人だろう。


「うむ、長門よ。此方におわす戸沢盛安殿が忍を求めてこの伊賀へと訪れられた。必要とするのは若手の忍で尚且つ、武士を志している者だとの事」

「……それでは」

「そう、御主の思っておる通りだ。服部長門よ」

「……誠に宜しいのですか?」

「うむ、戸沢殿が良いのであれば、な」


 正保は俺が服部長門と呼ばれた人物を見定めるようにしている事を解った上で言う。

 俺としては、この服部長門が求めている人物である可能性が高いために断る理由はない。

 正保の言葉には頷くのみである。


「……有り難き幸せ。この服部長門康成、身命を賭して御仕えする所存にござる」


 俺の返答に歓喜した様子で平伏する服部長門――――もとい、服部康成。

 此処で本人から正式に名を聞いた事でこの若者が俺の探していた服部康成である事が明らかになる。

 康成は伊賀の上忍である服部氏の一族の者にして、史実では津軽為信に仕えた忍の者。

 忍でありながら政治手腕に長け、最終的には津軽家の筆頭家老を務めた人物にして、無頼の良臣の異名を持つ人物として知られている。

 現状の戸沢家からすれば、既に老齢に近付きつつある前田利信の後を引き継げる資質を持つ貴重な人物でもある。

 そういった意味でも康成は勢力の拡大した今後の戸沢家にとって必要な人物なのだ。

 こうして、康成が登用に応じてくれた事で俺が畿内へと足を運んだ目的は全て完遂出来た事になる。

 此処まで随分と駆け足となったのは否めないが、雑賀衆の2人を含め、奥重政、服部康成といった人物を得られたのだから畿内での活動は有意義なものだったといえる。

 俺は次なる段階へと進む準備が整いつつある事を実感し、奥州の出羽国の方角をじっと見据えるのであった。















 1580年の3月から5月にかけて畿内での活動を終えた、戸沢盛安。

 彼は時の天下人である織田信長との謁見の後、朝廷より正式に鎮守府将軍に任命され、自らの立場を確かなものとする事に成功した。

 しかし、新たに鎮守府将軍に就任した者が現れた事で奥州探題の立場にある伊達家と羽州探題の立場にある最上家の立場がなくなった事も明らかである。

 幕府が形だけで有名無実化した存在に対し、朝廷は今も尚、影響力を残したまま存在し続けているのだから。

 実があるか無いかという点においてはこの差は余りにも大きい。

 探題職が幕府の任命したものであるのに対して、鎮守府将軍は朝廷が任命したものであるからだ。

 これによって、戸沢家は官職の立場的には伊達家、最上家を上回った事になり、その上で奥州総代の役割を与えられた事も踏まえれば奥州そのものを委ねられた事になる。

 要するに盛安は自ら畿内で活動する事で奥州における大義名分を得る事に成功したのである。

 当主が自ら赴いて活動する事は博打に近いものがあったが、最終的な結果も踏まえると盛安は賭けに勝ったともいえる。

 鎮守府将軍に就任し、雑賀衆を得、次代を担う若手の人物達を新たに加えた戸沢家は酒田の町を得た事に引き続き、更なる飛躍の材料を得たのだ。

 この結果は奥州の地で過ごす数年の時よりもずっと大きく得難いものであった。

 何しろ、本来ならば在り得ない事を幾度となく経験する事になったのだから。

 天下人たる織田信長との出会い。

 史実では盛安と同じく若くして世を去った、蒲生氏郷と堀秀政との出会い。

 的場昌長、鈴木重朝、奥重政といった時代を代表する鉄砲使い達との出会い。

 服部康成という大器を秘めた忍との出会い。

 そして、織田家でも重要な立場にある津田信澄と織田信張との出会い。

 何れも奥州で彼の地の統一を目指すだけでは邂逅する事がなかったであろう人物達だ。

 もし、目的が一つも果たす事が出来なかった場合でも、盛安にとっては彼の人物達と出会えた事だけでも畿内で活動した価値が大いにあるというものである。

 何しろ、畿内で会った誰もが優れた人物であり、学ぶべきところを持っていた人物達だったのだから。

 こうして、多くの出会いがあった畿内から故郷である奥州へと戻る盛安。

 だが、その船に乗るために立ち寄る事になる越前の敦賀の町にて、意外な人物と出会い、更には驚くべき話を聞かされる事になるとは思いもしない事であった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第31話 反魂せし者
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/11/04 00:00





 ――――1580年6月下旬





 石山にて的場昌長と鈴木重朝の両名を加え、根来にて奥重政を加え、伊賀にて服部康成を加えた俺達一行は奥州へ戻る準備をするべく越前の敦賀の町に滞在していた。

 この敦賀の町は奥州から安土へと向かう際にも先に立ち寄っており、この町に来たのは2度目である。

 それもあってか船に関しても話が通し易く、順調な形で準備を進めていた。

 後は出港の準備が終わるのを待ち、輪島、直江津等の町に立ち寄りながら酒田へと帰還するだけだ。

 多くの出会いがあり、俺の生涯の宝となるであろう経験を得る事が出来た畿内を去る事は名残惜しくもあるが、次の機会がないというわけではない。

 奥州の情勢が定まれば、訪れる機会もある事だろう。

 だが、多くの出会いがあればまた、別れもある。


「盛安様、拙者はこれにて失礼させて頂きます」

「……甚助殿。此処までの御案内と畿内での供の件、感謝致します」


 それを証明するかのように、俺は甚助との別れの時を迎えていた。

 初対面であったにも関わらず、酒田の町から畿内での活動の全てに同行し、時には高い名声で公家との交流等にも一役かってくれた甚助には感謝してもしきれない。


「いえ、此方こそ良い経験をさせて頂き申した。拙者の思いがけない事も多々、拝見する事も出来ましたし……盛安様に同行させて頂けた事はまたとない事でした。

 此処で御別れするのは心惜しゅうござるが……何れ、機会もあれば御会いする事もござりましょう。その時は宜しく、御願い致します」

「……解った。甚助殿も御気を付けて」


 短い会話の後、甚助はゆっくりと立ち去っていく。

 甚助が何れ、機会があればまた会うだろうと言ってくれたのは後に何かが起きる可能性がある事を知っての事だろうか。

 俺が信澄と信張に伝えた事についてはもしかすると、甚助も何となくで気付いていたのかもしれない。

 信長の身に何かがあれば天下は覆ってしまう事と信澄の置かれている立場故にその身に危険が迫る事になる可能性が高い事を。

 もし、そうだとすれば諸国を廻り、見識を高めていた甚助ならば納得のいく話だ。

 何しろ、俺とは比べ物にならないほどの経験を積み重ねているのだから。

 今の俺では見えないものも甚助ならば見えるのだろう。

 こうして、俺はまたの再会を約束して甚助と別れる。

 高名な剣豪である林崎甚助との出会いもまた、俺にとっては容易には得られるものではなかった事を深く心に刻みながら――――。















 甚助と別れて一人になった俺は船の様子を見に行こうと考えて、港の方角へと足を向けようとした時――――。


「漸く御一人になられたか……。そこの御方、少し待たれよ」


 その頃合いを見計らっていたのか僅かに離れた場所に居たと思われる老人が俺に声をかけてくる。


「……何者だ?」


 目の前の老人から常人とは全く違う、気配を感じた俺は咄嗟に腰の太刀に手をかけながら尋ねる。

 見たところ、年齢は50代後半から60歳前後だろうと思われるが、口振りからするとこの老人は俺と甚助の両名に気付かれる事なくずっとこの場で待っていたらしい。

 俺に気付かれないのならまだしも、多くの場数を踏んできた甚助にもその気配を悟らせなかった事を踏まえれば間違いなく、この老人は常人ではない。


「ほっほっほっ……儂は諸国を廻っておる、しがない老人じゃよ。とは申しても、このような芸当が出来る老人ですがな」


 俺の対応を見て笑いながら、老人は手に持っている錫杖を軽く地面に突き合わせる。

 すると、周囲がゆっくりと霧に包まれたかのようになり、俺と老人の身を隠してしまう。

 無論、この時に辺りに居るはずの民は誰も俺達に気付かない。


「これは……っ!? 」


 種も仕掛けも何もないところから真っ白に覆われるかのような感覚。

 まるで、狐に化かされたかのように視覚に異なる世界を見せてきた老人の術の前に俺は驚きを隠せない。

 試しに手を伸ばしてみると、ただ空を切るだけであり、俺の目の前を包み込むものは幻である事を伝えてくる。

 人間の視覚に幻を見せる術――――。

 謂わば、幻術という非常識とも言うべき方法が存在する事は知っていたつもりだが……本当に容易く用いてくる人物が居るとは思いもしなかった。

 只者ではない事は察していたつもりだが、これは予測を大きく超えている。

 最早、信じられないと言っても良いくらいだ。

 だが、俺が見ている霧のようなものは確かに周囲を覆い隠し、この場には俺と老人以外には誰も居ない状態へと導いた。

 これは人間技ではないといっても良い。

 だからこそ、目の前の老人が異常な人間である事が理解出来る。


「流石に理解が早くて助かります、戸沢盛安殿。やはり、”反魂せし者”は違うという事でしょうかな?」

「っ……!?」

「おや? 違いましたかな? 儂が見るには盛安様からは他の者とは全く違う気質が感じられるのですが」


 俺の事を反魂せし者と評し、更には明確に俺の名前と隠していた事実を言い当てる老人。

 為信以外には前世がある事を示唆した事はなかっただけに容易く見破ってきた老人には戦慄すら覚える。


「……違わない。だが、御老体には何故、それが解った?」

「ほっほっほっ。簡単な事にございますよ。反魂については色々と心得がありましてな。容易に出来るとは申しませぬが……他者との違いを読み取る事くらい出来ます。

 それに反魂せし者が持つ気は余りにも強いため、儂のような者であれば、大凡ではありますが、何処に居るのかを探す事も不可能ではありませぬ。

 事実、儂がこうして盛安様の前に現れたのも先に他の反魂せし者に会い、是非とも盛安様に会って欲しいと頼まれたからでございます故」


 老人が尋常な人物ではない事を踏まえ、俺の身の事を肯定した上で老人が何故俺の正体に気付いたかを尋ねると更に驚くべき答えが返ってくる。

 俺以外にも反魂せし者が存在し、その人物から俺に会うように頼まれたからこの場に現れたのだと。

 荒唐無稽にも思えるが、反魂せし者とは前世の記憶を持っている人間の事を指していると考えれば、間違ってはいないと思える。

 何しろ、俺という事例が既に存在しているからだ。

 それに俺がこうなった切欠となった遠い先の時代で見た最後の光景の中には彼女が居た。

 光に包まれて意識が覚醒した時には戦国時代であった点も含めると、俺と同じ光に包まれた彼女が居ないと言う事は道理に合わない。

 まだ、老人は反魂せし者が女性か男性かについては示していないが……あの時に同じ条件を満たしていたのはもう一人だけだったのでほぼ、間違いはないはずだ。

 それだけに俺の心は何処かで昂りつつある。

 本来ならば目の前の老人を疑い、何者かを確認するべきなのだが……如何も抑える事が出来ない。

 やはり、何処かで恋焦がれていたのだろうか。


「そういえば、申し遅れましたな。儂は果心居士と申す、術師とも称されるしがない老人にござる」


 俺の様子に気付いているのか、尋ねるまでもなく自らの名前を告げる老人。

 その名を――――果心居士と言う。

 果心居士は戦国時代における幻術師にして、忍の者であるとも言われる正体不明の術師。

 他者に化けるという恐るべき芸当が出来たといわれており、死者に化けたり、笹の葉を魚に化えるなどと術師としての話には暇が無い。

 それ故に正体不明の人物であるとされ、多くの逸話や伝説が広まり、遠い先の時代でもその実態は掴めないほど。

 もし、歴史上で近い人物をあげるとするならば――――中国の後漢末期から三国志の頃の時代における左慈に近いだろうか。

 歴史上で仙人とも呼ばれていた左慈もまた、果心居士と同じような話題が多く、実態が掴めない。

 ある意味で似ている存在であり、果心居士は左慈の日本版であるともいえる。

 また、果心居士は梟雄として有名な松永久秀をも恐れさせた智謀の持ち主である事でも知られている戦国時代屈指の知者でもある。

 その智謀は人の心理を容易く読み取るほどであると伝わっており、毛利元就や尼子経久にも追随するかもしれない。

 何れにせよ、尋常な人物ではない果心居士が目の前に居る――――ならば、偽る事は一切出来ない。

 例え、俺が今より10年後の知識を持つ戸沢盛安であろうとも、それよりも遠い先の時代の知識を持つ人間であろうとも果心居士の前では全てが無意味だ。

 そう悟った俺は覚悟を決め、正体不明の老人との秘密裏の対談に挑むのであった。















 ――――1580年6月末





 あれから数日後――――思いもよらない形で邂逅する事になった果心居士との対談を終えた俺は奥州へと向かう船の上で一人、物思いに耽っていた。

 果心居士から聞かされた話は俺が望んだ通り、もう一人の反魂せし者の事とそれに関わる人物達の事が中心だった。

 話によれば、その人物は関東の武蔵国の出身で今の年齢は漸く、9~10歳になるといったところで俺よりも6歳程も年若い女性。

 まだ少女でしかない年齢でありながら、薙刀、弓、鉄砲、馬術等の武芸に励み、軍学等も学んでいるという男顔負けの事を行っているという。

 しかし、これらの教育を行っているのはその人物の親ではなく、義理の祖父にあたる人物らしい。

 何でも継母と祖母の伝手を利用して実家を抜け出し、女性でも過去の時代に同じような前例があったと言われている源氏系統の家の保護下に入ることを望んだのだとか。

 女性でありながら、俺と同じように史実とは違う歴史を歩もうとしたようだが、この行動を見る限り、とてつもなく御転婆な女性である。

 だが、その御転婆な女性を保護し、本格的に学ばせている義祖父もだが、それを良しとした大名の方も相当な大物であるように見受けられる。

 果心居士の話の中であがったこの話でその大名は「女子でありながら、戦を嗜むのは彼の巴御前の前例もある。然程、可笑しな事ではあるまい」と言ったらしい。

 更にそれを踏まえた上で「このように武士として良き、志を持つ女子にも劣るは我が家の名折れ、家中の者共も妬む暇があればとくと励め」とまで言い切ったとの事。

 聞く限り、この大名は武辺者としての気質を持ち、質実剛健を旨としているように思えるが、色々な意味で洒落になっていない。

 普通の人物ならば余程の理由がない限りは女性を表舞台に立たせるような真似を許さないからだ。

 だが、この大名は女性の望みを聞き届け、彼女の義祖父に徹底的に教育するように手を回した。

 もしかすると、年齢にそぐわない志と知識を感じ取り、何かがあると思ったのかもしれない。

 才覚があるのならば、腐らせるには勿体無いと判断したと考えればあながち間違いではないだろう。

 また、女性の保護を認めた大名は俺が同盟を結んでいる上杉景勝の同盟相手であり、その付き合いは先代の上杉謙信の頃からのものであるという。

 義を重んじるその大名の気質は上杉家の家風とは馬が合うらしく、景勝も義兄のように慕っているらしい。

 そのためか、俺の事も既に聞いているらしく、機会があれば何かしらの形で繋ぎを持ちたいとの事。

 これはあくまで果心居士の話の中で聞いた事でしかないが、そのような大名であるならば盟約を結んでも損はない。

 何より、景勝が義兄と慕い、謙信の頃から深い繋がりがあるのならば信頼に値する。

 実際に機会が訪れたのならば是非とも盟約を結ぼうと思う。

 相手は関東に根拠地を持っているようだが、現在は奥州の南にまで勢力を拡大しているため、相手としては非現実的ではない。

 上杉家との盟約を合わせれば、伊達家、最上家の双方を牽制する形となり、戦略的にも有利になるのだから。

 更なる一手を投じる事が可能となる事を実感し、俺は聞いた話を思い返す。

 もう、「2度と会う事はない」と言って去っていった果心居士に免じ、聞いた話には嘘偽りがないであろう事を信じて。

 そして、俺と同じく前世の記憶持つというもう一人の反魂せし者――――。















 成田甲斐というその名を俺は深く心に刻み込むのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第32話 毘の旗に集いし者達
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/11/11 11:57




 ――――1580年7月





 敦賀の町で果心居士に成田甲斐の話を聞き、その情報から佐竹家に身を寄せている事を確信した俺。

 此処で以外に思うのが甲斐姫が佐竹家に身を寄せる事を成田氏長が認めている事である。

 だが、この事については凡庸と思われがちでありながら、果断な人物であったとも言われている氏長ならば不自然な事とも言い切れない。

 氏長は小田原征伐の際にも居城を城代に任せてまで、北条家に従ったほどの気概を持つ人物なのだから。

 恐らく、許可を出したのも氏長の果断である気質の表れか、それとも由良家に送り返した甲斐姫の実母の事の負い目があっての事か。

 何れにせよ、氏長の決断により、甲斐姫が史実とは違って佐竹家の下に居るのならば現状の段階で上杉家と同盟を結んでいる戸沢家とは接点を持つ事は難しくはない。

 果心居士は「既に縁はある。必ずや再会する事は叶う故、盛安様は思うままに動かれるが宜しかろう」と言い残していたが、的を射た言葉である事は間違いなかった。

 元より、機会があれば佐竹家とは盟約を結ぼうと考えていたし、伊達家を牽制するには如何しても佐竹家の力が必要だ。

 佐竹家は70万石以上もの広大な領地を持ち、関東では北条家に次ぐ強大な大名。

 鉱山や多くの耕作地を抱える常陸国を統一しているだけではなく、下野国や下総国の半ばを領土とし、更には磐城国や岩代国にも勢力を及ぼす程の勢力を持つ。

 関東の東側から奥州の南側に至るまでの影響力を持つ佐竹家は紛れもなく、東日本でも上位に位置する大名である。

 それを踏まえれば、奥州の南側の大名を抑えるにはこれほど頼りになる大名も存在しないだろう。

 そのため、遅かれ早かれ佐竹家には上杉家の伝手を借りて同盟を結ぶ腹積もりだったために甲斐姫の事はその時にでも考えれば良い。

 少なくとも果心居士に俺に会うようにと頼んでいたという事は向こうも意識しているという事なのだから。

 思わぬ話に俺も思わず動転したが、今後の方針には全く影響がない事を再確認した今、その事を懸念する事はない。

 当初の予定通りに動いていくだけだ。

 後は敦賀の町で出港する前に受け取った上杉家からの招待に応じ、春日山へと立ち寄り出羽国へと帰還するだけ。

 これが現状の段階で出羽国の外で行う最後の行動となるだろう。

 俺は不在の間の所領の事を考えつつ、津軽為信と並ぶもう一人の盟友である上杉景勝の居る越後国へと思いを馳せるのであった。















 ――――1580年7月末





 敦賀、輪島、直江津と暫くの船旅の後、俺達一行は上杉景勝の居城である春日山城を訪れている。

 年が明けてより多くを畿内で活動していた俺だが、上杉家は独自の情報網である軒猿によって俺の動向を把握し、敦賀にて是非とも面会したいとの書状を渡してきた。

 俺がこうして春日山へと出向いたのもこの書状があっての事である。

 早速、出迎えてきたのは上杉景勝の無二の親友にして、家老を務める直江兼続。

 実は直江の名跡を継ぐのは1581年の事なのだが――――混乱を避けるためにも直江の姓で統一する。

 出迎えてきた兼続の紹介に俺を除く面々は全員が驚いたが、無理もない事だろう。

 何しろ、兼続は重政と同い年であり、年齢としては漸く20歳を過ぎたくらいでしかないのだ。

 この頃はまだ執政として、全てを取り仕切る立場ではないが、それでも主君との関係から大事を任されており、立場としては事実上の筆頭家老に近い。

 そのため、此度の俺の招待に関しても兼続が手配し、畿内での動向を探らせていたのだという。

 また、軒猿によって俺の動向を探っていた兼続は俺が信長に会った事も正式に鎮守府将軍を拝命した事も全て把握していた。

 それについては特に咎めるような事もなく、信長という人物が如何なる英傑であったのかを尋ねてきただけである。

 俺は兼続に「乱世を終わらせる力を持つ天下随一の英傑である」と伝えたが……

 兼続は俺の言葉に偽りがない事を認めると「そのような方に敵視されているとは武門の誉れでござるな」と、返してきた。

 これ以上、深くは尋ねてくる事はなかったが、あっさりと信長の事を認めたのは流石と言うべきだろうか。

 信長を認めた上で敵対している者として、誇りを持つその在り方は上杉謙信の志を継承した者だという事を実感させてくれる。

 史実でも関ヶ原の戦いの折に徳川家康を挑発した本人であるだけに天下人である信長に臆する事が全くないのは見事と言うしかない。

 如何も上杉家の人間は誰もがそのような人間であるようだ。

 謁見の間に案内され、その場にずらっと居並ぶ家臣団の姿を見ると尚更、そのように思う。

 この場に現れた俺の姿を見ても、誰もが歓迎するかのような視線を向けてきたのだから。





 景勝が来るまでもう暫く時間があるという事で、場についた俺は供をしている新たに畿内で加わった者を含めた家臣達を紹介する。

 矢島満安、白岩盛直、的場昌長、鈴木重朝、奥重政、服部康成。

 中でも満安と昌長の名は上杉家でも良く知られているらしく、その名を告げた時には響めきがはしる。

 武辺者を尊び、家中でも優れた武勇で知られる人物の多い上杉家では悪竜の異名を持つ満安と小雲雀の異名を持つ昌長の名は聞き及んでいた者も多いようだ。

 何やら、一部の人物からは手合わせを望む声があがっている。

 とりあえず、その事は後にして貰えるか、と言う事でやんわりと断りながら俺は兼続に居並ぶ上杉家の家臣達の紹介を頼む。

 景勝との謁見の後は無礼講になると思われるだけに今の段階で名を聞いておかなくてはならない。


「解りました。では……方々、順番に盛安様に御名乗り下さい」


 俺の言葉に頷き、家臣団を促す兼続。

 それに従って次々と名乗りをあげてくるのだが――――これが何れも半端な人物ではない。

 誰もが歴史の何処かに名を残している人物達だ。

 この場で紹介された狩野秀治、斎藤朝信、小島貞興、河田長親、千坂景親、水原親憲、安田能元、須田満親、色部長実といった武将達は勿論の事。

 中でも今後の戦略上でも深く関わってくる事になる本庄繁長、新発田重家の両名もそれぞれに歴史上でも名前を見る人物であり、遠い先の時代でも名高い。

 特に重家には御館の乱の際の論功行賞の際に俺が口添えしていた事が伝わっていたらしく、紹介された途端に平伏されてしまった。

 「盛安様の御恩は忘れませぬ。最上、蘆名と事を構える事あらば、是非とも御声をかけて下さりませ」とまで言ってきたのだから、余程の感謝の念があったのだろう。

 感謝される事に関しては悪い気はしないが、流石に景勝や兼続には悪いと思う。

 そう思って重家の言葉を聞いた後に俺は兼続の方を見たのだが、兼続の方も「戦後の論功における懸念が解決した故、助かりました」と小声で言ってきた。

 やはり、御館の乱の戦後処理の際の判断は兼続にとっても綱渡りの部分があったようだ。

 兼続と共に景勝を支える重臣である狩野秀治も同じ思いだったらしく、重家とのやり取りの後は俺に頭を下げていた。

 重家との事は戸沢家にとっても上杉家とっても大事であっただけに穏便に済んだ事が大きかったのだろう。

 後は重家に関するやり取り以外で気になった事があるとすれば、この時の紹介の中で繁長の言っていた事が少し気になるといったところか。

 繁長が言うには――――


「本当は御紹介したい者が一人居りましたが、生憎と此度は長楽寺の住職としての務めがあるため、来れぬとの事。何れ、最上との戦があれば御会いする事になりましょう」


 との事だが、最上家との戦の折に会う事になるのならば、それほどの人物であると言う事か。

 出羽国における戦において、最も強敵と成り得るのは最上義光であり、彼の人物に対抗出来るほどの人物となればそうは居ない。 

 繁長も義光に対抗出来る数少ない人物ではあるのだが、その繁長が推める以上、余程の人物である。

 一応、俺にも一人だけ心当たりがあるが、彼の人物とは現状の段階だと面識もないし、確証もないため、それ以上尋ねる事はしない。

 まだ、最上家と事を構えるまでには時があるのだから。

 後の事は景勝と話をする際に纏めれば良いだけの事である――――。















「……戸沢九郎盛安殿。我が家の御招きに応じて下さり、この景勝、嬉しく思う所存」


 上杉家の家臣団の紹介が終わった後、いよいよ、上杉景勝との対面が叶う。

 満安を降した事と、家臣の鮭延秀綱によって小野寺家との戦に勝利し、出羽国でもその名が広まりつつある事情もあってか景勝も俺の事は興味を持っていたらしい。

 兼続の口添えもなく、俺に話しかけてきた事を踏まえると、無口で言葉少ない人物として知られる景勝にしては珍しいようだ。

 狩野秀治を除く、周囲に居並ぶ諸将の誰もが驚いた表情を見せていた。


「此方こそ、軍神の後継者たる上杉景勝殿と御会い出来て光栄に存じます」


 此度の盟友としての戸沢家と上杉家の話は俺と景勝の短い挨拶を皮区切りとして、これまた短いやり取りの中での会話を中心として進んでいく。

 挨拶の後に交わした話の内容は――――鎮守府将軍の事、出羽国の事、織田信長との事。

 何れも現状では一段落ついている事であるが、景勝と解り合うには俺の行なってきた事の全てを伝えなくてはならない。

 言葉少なく語り合う俺達の様子は淡々としたやり取りを行っているようにも思えるが、景勝の気質を踏まえればこれでも会話は弾んでいる方だろう。

 何しろ、俺と景勝の対話は半刻ほども続いたのだから。

 俺と景勝はその長いようで短い時間の中での会話で戸沢家と上杉家は共に道を歩めるだろうという確かな手応えを感じながら、会話を終えたのであった。





 両家の家臣達が居並ぶ中で行われた対話が終わった後、戸沢家の面々を歓迎するための宴が行われた。

 酒を嗜む者が多い上杉家では盛大に酒が振舞われ、戸沢家中での宴とは比べ物にならないほど豪勢だ。

 無礼講であるためか、勢いに任せるかのように繁長や貞興といった武辺者は早速、満安や昌長に手合わせを申し込み、余興として見せようとしている。

 と言うか、手合わせをしようとしている誰もが歴史に名を知られる武勇を誇る者達である事を考えれば余興では済まない事を気付いているのだろうか。

 戦場でも中々、御目にかかれないであろう組み合わせの手合わせは色々な意味で洒落になっていない。

 一瞬、止めようかとも考えたが……逆に俺もあの場に加わってしまいそうな雰囲気だっただけに断念する。

 此処は戦場ではないし、両家で手合わせを望んでいる者達も稀に見るほどの手練同士であるし、恐らくは大丈夫だろう。

 一応、見た限りでは意識もはっきりしているようだし――――そう思わなくては後々、取り返しのつかない事になりそうな気がする。


「……盛安殿。今後は如何するつもりだ?」

「そうですね……畿内での件を踏まえた上で領内を整備し、庄内を平定しようと考えています」

「成る程……大宝寺殿を討ち、繁長殿との繋ぎを取るのですな」

「はい。その後に我が戸沢家の宿敵である安東家との戦に挑もうと考えております」


 止める事を諦めた俺は同じく、繁長らを止める事を諦めた話す景勝に応じ、家臣達の振る舞いに苦笑する兼続も場に交えて今後の事について語る。

 本来ならば今後における戦略上の事は秘めなければならないものなのだが、義を重んじる景勝や兼続は信頼出来る人物であり、その懸念は殆どない。

 盟友を裏切らず、決して背後から寝首をかかないのは亡き上杉謙信の示した志であり、それを受け継ぐ景勝と兼続が背く事は考えられないからだ。

 他者を信頼し過ぎる事は戦国時代では命取りとも言えるが、この2人に関しては疑う事こそが非礼に値する。


「……ならば、その際に抑えるべきは最上、伊達か」

「それについては繁長殿、重家殿に万事、相談するが宜しかろうと存じます。大事があったとしても、繁長殿に話せば、あの方の知恵を御借り出来ると思いますし」

「……確かに御二人方の申される通り。その時は是非とも御力を借りさせて頂きます」


 それ故に俺も偽りなく全てを語り、二人の言葉に応じている。

 ましてや、景勝と兼続は俺が懸念している事を見事に言い当てているのだから、その言葉に頷かない理由がない。

 正直、安東家との戦の際に背後を狙われると致命的なだけに上杉家が積極的に協力してくれる事は有り難い。

 だが、景勝が抑えるべきといった大名に蘆名家が含まれていない事が気になる。

 蘆名家の事を踏まえれば、重家を積極的に動かす事は難しいはずだからだ。

 それを懸念した俺が、2人に尋ねると――――


「……む、畿内に居られたから盛安殿は御存知ないのか。……兼続」

「はい。盛安様は御存知ではなかったかもしれませんが、不識庵様以来の敵であった蘆名盛氏殿ならば――――先月に亡くなられておりますぞ」


 奥州でも非常に大きな影響力を持つ、彼の人物が亡くなったと言う答えが返ってきたのだった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第33話 巨星墜つ
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/05/10 20:06





 奥州の傑物と聞いて、多くの人々は誰を思い浮かべるだろうか。

 やはり、独眼竜こと伊達政宗だろうか。

 しかし、遅れてきた傑物であった政宗は奥州においては評価するべきか否かは悩む人物でもある。

 代々の伊達家の当主が行なってきた政策の全てを否定し、婚姻により結ばれていた盟友の全てを敵に回してしまったのだ。

 天下を望んだという点からすれば決して否定されるべき行動ではないが、最上義光や佐竹義重といった人物達を同時に敵に回した事は無謀であったとも考えられる。

 しかし、政宗は時勢に恵まれ、偶然とも必然とも思える時代の流れに乗り、次々と難関を乗り越え、最後には僅か6年という期間で奥州の南に覇を唱えたのである。

 これは多くの大名が存在する中で飛び抜けて早い期間であり、伊達政宗という人物が大きく評価されているのは紛れもなく、その点であろう。

 その驚異的とも言える早さでの勢力拡大は並の器量の人物では決して出来はしない。

 だが、政宗の偉業はある人物に10年程度の余命があったら成し得なかったとも言われている。

 政宗はその人物と戦った事はないし、接点もないが、武田信玄をして、”優れた人物である”と言わしめたほどの器量を持つ人物。

 知名度こそ高いとは言えないが、奥州で最も大きな動乱であった天文の大乱の頃からその名は登場し、天正年間になった今でもその名に衰えは見られない。

 また、奥州で最も恵まれた地である会津を支配し、奥州だけではなく、越後国や関東にまでその影響力を持っている。

 名実共に戦国時代における奥州随一の人物であり、上杉謙信や佐竹義重とも堂々と渡り合った傑物。

 正に巨星といっても過言ではない、一人の人物。

 蘆名盛氏の名はそれほどまでに大きいものであった。















「蘆名盛氏殿が、俺が奥州から離れている間に……」


 俺が奥州から離れている間に蘆名盛氏が亡くなった。

 1580年に亡くなる事は知っていたが、流石に日付までは把握していないかったため、この話は流石に驚く。

 彼の人物が亡くなったという事――――これは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。

 上杉家、佐竹家との連携を考えている今後の戦略からすれば盛氏が亡くなったというのは戸沢家としては無論、有り難い。

 盛氏が亡くなった事により、新発田重家が動き易くなるし、佐竹義重も岩代国に対する影響力が強まり、領土を切り取る事も容易になる。

 景勝も義重も盛氏に苦汁を飲まされていただけに彼の人物が倒れたという事はある意味で朗報だろう。

 俺の方も現状の段階で介入されていたら如何なっていたかは解らないだけに盛氏が亡くなった事は朗報であったといえる。

 だが、奥州でも随一の人物であった盛氏とは一度くらいは対面してみたいと思っていた。

 それだけに彼の人物の死というのは少しだけ残念に思う部分もあった。


「はい。先月の事であると聞き及んでおります」

「そう……ですか」

「しかし、盛氏殿が亡くなられた事は此方にとっては都合の良い事。盛安様が動かれるならば存分に力添えする事が出来ます」

「うむ。不識庵様も苦戦なされた盛氏殿が居られぬ蘆名など、抑える事は難しくはない」


 目の上のたんこぶと言っても良い存在であった盛氏が亡くなったが故に兼続と景勝は蘆名家を抑える事は容易な事だと言う。

 それは言い過ぎだろうとも思えなくもないが、史実とは違って重家も反乱を起こしていないため、2人の言っている事は決して間違いではない。

 今の蘆名家は大黒柱を失った状態であり、後継者である蘆名盛隆も他家からの養子でしかなく、家中を掌握しきれていない。

 そのため、重家ほどの武将であれば抑え込む事は容易である。

 蘆名家の横槍さえなければ、上杉家は出羽国へ介入する事が可能になるし、場合によっては岩代国にも介入出来る。

 また、蘆名家の動きを抑えている間に佐竹家を岩代国に介入させる事も可能なのだ。

 佐竹家が岩代国の一部を切り従えてしまえば、今後の戦略上でも戸沢家、上杉家、佐竹家の連携を成立させる事も出来るため、尚更有利となる。

 戸沢家と上杉家の状況を踏まえた上で兼続と景勝はそれを見越しているようだ。


「確かに兼続殿と景勝殿の言われる通りです。今の蘆名家ならば、付け入る隙もありますし、佐竹義重殿に要請して切り崩す事も可能でしょう」


 それならば、俺からも止める理由はない。

 上杉家が動いてくれるのならば、此処は俺も動くべき時だ。

 角館に戻り次第、軍備を整え、大宝寺家を討って庄内を平定する。

 これにより、上杉家とは領土が完全に接する事となり、伊達家、最上家と事を構える事になっても勝機を見出す事が出来る。

 後は本格的に伊達家や最上家と戦を交える前に宿敵である安東愛季を討ち、出羽北部を統一すれば奥州でも一大勢力となり、鎮守府将軍の名も活きてくる事になるだろう。

 その上で佐竹家と同盟を結び、伊達家、蘆名家を抑える。

 現状の段階を踏まえれば、戦略上はこう動くのが一番良いだろう。

 頼れる盟友の後押しがあるのなら、躊躇う必要はない。

 定めていた方針通りに進めていく意志を固めた俺は佐竹家との同盟を締結する旨を伝えた上で、兼続と景勝に頭を下げるのであった。















「時に盛安様、貴殿はまだ正室を娶られてはおられぬようですが……考えてはいないのですか?」

「いえ、そういう訳ではないのですが……」


 戸沢家の方針を伝えた上で、佐竹家との同盟の締結が決まった後、俺達は酒と肴に舌づつみを打ちながら語らう。

 暫くの時間、他愛もない話で盛りがっていたのだが、その最中でいきなり、話に上がってきたのは俺の正室の事。

 酒も入っているためか兼続も景勝も此処ぞとばかりに聞いておきたいと思ったのか。

 何の脈路もなく、話題にしてくるとは酒の力というものは恐ろしい。


「ならば、何処からか迎えようとでも考えておられると?」

「……はい」

「ほう……中々、隅に置けぬな。差し支えなければ……御聞きしたいものだ」


 まるで誘導するかのように話題を進めていく兼続と景勝。

 2人には悪気が全くない事が解っているので、俺の方も質問を無視する事は出来ない。


「俺としては……佐竹義重殿の下に身を寄せている、成田甲斐殿を御迎えしたいと考えている所存です」


 だから、俺は迎えたいと思う唯一の名を告げる。 

 史実では正室を持たなかった俺だが、既に歴史が変わっている今ではそうはいかない。

 鎮守府将軍となったこの身は一度目の時とは違うのだ。

 それに遠い先の時代での将来の伴侶であった彼女を迎えたいと思うのは自然な事だし、彼女以外には考えられない。


「甲斐殿か。義重殿からは話に聞いているが……彼の女子に目を付けるとは流石は盛安殿」

「ええ、未だ10に満たぬ年齢であるとは聞いておりますが、既に一通りの武芸等は身に付けられている御様子だと聞いております。

 義祖父にあたる、太田資正殿が教育されているとの事らしいのですが……義重様も時が空いている際には嫡男の義宣様も交え、自ら教えられているとの事です。

 また、女子には勿体無いほどの武将としての才覚を持っているとの事で、佐竹家では巴御前の再来であるとまで言われておりますな」


 俺が甲斐姫の名を出した事には特に驚いた様子は見せず、義重から伝え聞いた話を俺に告げる2人。

 何やら、色々と凄まじい事になっているようだ。

 義祖父である太田資正ならまだしも、佐竹義重からの薫陶までも受けているとは流石に予測出来なかった。

 いったい、彼女は何をやらかしているのだろうか。

 普通ならば、女子が此処まで武将としての教育を受けられる事は考えられないが――――。

 もしかすると、俺が為信と共に語り合ったように自らの志を義重にぶつけたのかもしれない。

 いや、彼女の気質を考えれば確実に自らの思いの丈を伝えているだろう。

 その上で甲斐姫という人物像を考えると間違いない。

 為信が俺の訪ねた天下の話題に躊躇いなく答えてくれた事を踏まえれば、義重や資正ほどの人物となれば甲斐姫の心意気に応じてくれても何も可笑しくはない。

 そうでなければ、甲斐姫が義重の薫陶を受ける事など考えられないのだから。


「……はい。是非とも我が妻に迎えたいものです」


 俺は遠い先の時代の在りし日の彼女の姿を思い出しつつ、妻に迎えたい事をはっきりと口にする。


「ふむ、確かに夜叉九郎と称される盛安殿ならば御似合いであろうな」

「そうですね。義重様にもその旨を御伝えしておきましょう。夜叉九郎殿は巴御前を妻に望む、と」


 今の言葉に兼続と景勝は俺の様子に思う事があったのか、賛同した上で同盟の話と同時に話を伝えてくれると言う。

 酒が入っているためか、何かの冗談かと思えるような口振りにも感じられたが、兼続の表情は真剣そのもので今の話を何かに書き留めている。

 どうやら、本気で同盟の話と同時に甲斐姫の話を義重に伝えてくれるらしい。

 兼続は迷いのない筆使いで先程の会話の要点を要約し、書き綴っている。

 景勝も止める様子がなく、この件に関しては全て兼続に任せるつもりのようだ。


「……感謝致します」


 この心遣いには正直、感謝するしかない。

 初対面で尚且つ、語らってそれほどの時間が経過していないにも関わらず、兼続と景勝は此処までしてくれたのだ。

 俺も相応の礼儀を以って2人に報いなくてはならない。


「……兼続殿、景勝殿。御二人方に訪ねておきたい事があるのですが」


 何を以って対価とするべきか僅かに考えた後、俺は為信にしか語らなかった天下の形勢についての話題を尋ねる事を決断する。

 兼続と景勝の心遣いに応えるには俺が何故に信長に会い、鎮守府将軍の座に付いたのかを包み隠さずに伝える事くらいしか俺の志を伝える術はない。

 反感を持たれてしまう可能性もあるが、此処までの礼を尽くして貰ったのだから、腹の中を隠すのは非礼に値する。

 それに一連の流れの会話で2人が信頼出来る人物である事を確信した今、隠し事は無しにしておきたい。

 俺はそう思い、兼続と景勝に為信の時と同じく、今現在の天下の形成について考える事と、自らの宿願を語るのだった。















 ――――1580年8月





 上杉家での会談を終え、俺達一行は漸く角館へ到着した。

 春日山を去る時に景勝達には俺の思う事と天下の形勢を語り合ったのだが、2人は敵対してきた信長との事も含めて否定する事はなかった。

 兼続が言うには俺の一連の勢力拡大の事や鎮守府将軍に目を付けた事等を見れば、俺の志が本物である事を証明していると言っていたし。

 景勝の方も俺という人物をその着眼点こそが他の人物に成し得なかったものであり、その事は誇るべきだと言っていた。

 為信と同じく、天下に対する答えを出してくれた2人には頭が下がる思いだ。

 上杉家との会談の後から暫くの後、城に戻った俺を父上が真っ先に出迎えてくれたが、この時に話された話題はやはり、蘆名盛氏が亡くなったという事。

 戸沢家は蘆名家とは大した関わりはないが、長年に渡り、奥州の動乱を生き抜いてきた父上からすれば盛氏の死は何かしら思う事があるようだ。

 頻りにその名を惜しむかのように盛氏の事を語っていた。

 やはり、奥州においては蘆名盛氏という人物の名は余程、大きかったのだと実感させられる。

 奥州でも関東でも影響力を持っていた盛氏の死は勢力のバランスを一変させかねないものなのだ。

 事実、上杉家は蘆名家の影響が弱まった事で出羽国へと介入し易くなっているし、佐竹家も岩代国を切り取る事が可能になっている。

 そして、戸沢家も盛氏の死に乗じて勢力拡大が可能となっているので、その影響力の大きさは半端ではない。

 此処にきて早くも一部の勢力図が塗り変わろうとしているのだから、一人の人物の死というものが歴史に影響する事が事実である事を俺に強く意識させる。

 武田信玄、上杉謙信といった人物達の死が歴史上のターニングポイントであったというのも決して、言い過ぎではない。

 盛氏の死もまた、それほどの影響力があったのだから。

 奥州が誇る巨星、蘆名盛氏。

 彼の人物の死は奥州の歴史が次の展開へと進もうとしている事を示唆するものとなったのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第34話 戸沢三兄弟
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/11/25 06:09





 ――――1580年9月




 角館に帰還し、畿内にて新たに召抱えた的場昌長、鈴木重朝、奥重政、服部康成を家中で紹介し終えた俺は早速、領内の整備を改めて行う。

 現状、進めていたのは治水と軍勢の強化が主だったが、此等については重臣である前田利信の主導により殆ど完了している。

 不在の間の政務は父上、利信、盛吉といった重鎮達に任せていたが、俺の意図を理解してくれていたらしい。

 何より、驚いたのは畿内へ行く前よりも常備兵力が大幅に増えており、何と軍勢の数は2000にも到達していた。

 その理由を利信に聞いたところ、治水により米の収穫量が増える見込みが立った事と、日本海の交易が可能になった事で財貨の廻りが良くなったのが主な理由との事。

 戸沢家は元から鉱山資源に恵まれており、小大名ながらも侮れない資金力は持っていたが、勢力が拡大し、一定の落ち着きを見た事で成果が現れ始めたのだ。

 それ故に動員可能な兵力が増加し、兵農分離を行い易くなったという事らしい。

 また、利信は俺が今後の戦略上として庄内の平定を方針にしている事も予測していたらしく、大宝寺家に攻め入るための軍備は全て整え終わっていた。

 酒田を抑えた上で将来的には安東家を討ち、出羽北部を統一するには後顧の憂いとなる大宝寺家を降すか滅ぼすかするしかない。

 それに上杉家との同盟の関係を踏まえれば庄内の平定は必須であり、南の最上家を抑える事にも繋がる。

 利信が言うには現在の出羽国の情勢をそのように読み取り、父上に具申して準備を行ったとの事。

 俺が畿内から戻ってやろうと考えていた事を先読みし、方策を進めてくれていた利信の手腕には正直、恐れ入る。

 無論、盛吉も手助けしてくれたのと事らしいが、現状の戸沢家に利信ほどの手腕を持つ人物は居ないのは間違いない。

 資質的には康成や意外にも領地経営に関する理解が深いという事が会話で解った重政くらいだろう。

 後は俺の守役を務めてくれている盛直も候補だが、畿内を廻って招いた人物を除くと盛直くらいしか利信の次代を担う人物が居なかったのはぞっとする思いだ。

 若い人物達以外に後を任せられそうな人物は一応、酒田の代官を任せている盛吉も該当するのだが一門衆であるために利信のような役割を任せるわけにもいかない。

 それだけに尚更、利信の力量の高さは有り難くもあり、代え難いものである事を実感出来る。

 このような事情もあり、この場では盛直と利信以外にも康成と重政を交えて領内の事を話し合っている。

 特に康成と重政は新たに登用した人物であるために利信のように領内の事情に通じた人物による様々な講釈は重要だ。

 俺自身も利信ほどには領内の事情に通じているとは言い難いため、2人と同じく利信の話を聞いている。

 今後の事もあるしな――――。

 













 利信からの話を聞き終え、今度は俺の方から畿内を廻って得た成果によって新たに可能となった方策を告げる。

 まずは農作業等を含めた多くの作業に適している、穴を掘る道具。

 現代の時代でいうところのスコップまたはシャベルに該当するもの。

 鍬や鋤よりも穴を掘ることに特化した物であり、本来ならば治水工事を行う前に準備しておきたかったと考えていたものである。

 実はこれについての発想自体は改革を始めた段階からあったのだが、戸沢家の領内には腕利きの鍛冶師が居らず、断念していた。

 だが、昌長と重朝が加わった際に紀州の鍛冶師も一緒に連れて来てくれた事で漸く、制作する目処が立った。

 これは非常に大きい。

 何しろ、シャベルは穴を掘る以外にも様々な用途に使える道具なのだから。

 例えば、先端を磨いでおけば武器にもなるし、綺麗な状態にしておけば構造の都合もあり、フライパン等の調理器具のような使用方法も出来たりする。

 そういった用途を踏まえれば、扱い方次第では戦でも平時でも使えるという中々に有用な道具だ。

 他にも現代の時代における荷車の役割を持つ、一輪車等についても利信達に説明し、落ち着いた段階で鍛冶師に依頼する旨を伝える。

 一応、図を書いて出来る限り、説明したが使い勝手に関しては実際に完成してから見て貰えば良いだろう。





 また、京都にて曲直瀬道三と面会して話を聞いた際に貰った薬草関連の書物と流行病等について書かれた書物を読んで確認したが、意外にも正露丸が作れる事が発覚した。

 調合の内容としては木クレオソート、阿仙薬、黄柏,甘草、陳皮、それに桂皮、蜂蜜に澱粉といった物を少々入れて混ぜると言うものなのだが……。

 信じられない事にこれは天正年間でも可能な調合である。

 流石に現状の戸沢家の領内だけでは全てを賄う事は難しいが、酒田の町を抑え、交易が可能となった今ならば揃える事は不可能ではない。

 腹痛や下痢に悩まされる人間は多いので道三から貰った書物でこれが発覚した事は非常に大きい。

 今までは破傷風やコレラの対策や牛痘を用いた疱瘡の対策等を行う事くらいしか明確な対策を施せなかっただけに尚更である。

 それに神医と称される曲直瀬道三が纏めた内容から引っ張ってきた物である事も重要だ。

 漸く、15歳になった程度の若者である俺では領内の民も疑いの目を持つ可能性もあるが、道三のような高名な医者から得たものであると解れば疑われる事はない。

 医療関係については出来る限りの対策を行う事は重用なので、鎮守府将軍の件も含めて京での成果もまた大きなものであったといえる。





 後は庄内を平定し、その後における戦に備えて攻城戦向けに投石器を制作する。

 如何も日本では流行らなかった投石器だが、その威力のほどは天正年間となった今でも健在だ。

 但し、投石器はあくまで西洋の城塞都市のような構造の城に対して効果を発揮するものであり、日本の城に対しては有効とはいえない。

 そのため、焙烙玉を投射する際に使用する小型の物を改良しての運用となる。

 本来ならば大筒等を準備したいところではあるが、これは織田家のような強大な勢力を持つ大名でなくては運用や維持するための財貨が足りない。

 如何に鉱山開発が進み、交易が可能となった事で財貨が得られやすくなったとはいえ、戸沢家で運用するには些か際どいものがある。

 後は投石器で飛ばす物だが……通常の焙烙玉以外にもギリシャの火の調合を利用した物を使用する考えでいる。

 幸いにして、出羽国には自噴する石油が存在し、その石油に松脂、硝石、硫黄、脂肪酸を調合する事でギリシャの火に使われたとされる火工品が作成可能だ。

 この頃の日本の問題である硝石に関しても家督継承時から製造を開始していたため、徐々にではあるが集まりつつあり、ある程度は実用出来る段階にある。

 そのため、作成する事は不可能ではない。

 しかし、絶大な威力を誇る反面、使用するには気を付けなくてはならない。

 それ故に俺は本来の使用方法である火炎放射のような運用を断念し、焙烙玉や火矢としての使用を前提として考えている。

 あくまで現在用いられている火攻めに使用する物を一回り強化するような感じといったところだろうか。

 だが、水では消えない特徴を持つギリシャの火は日本では広まっていない事もあり、本来の使用方法でなくても大きな効果が望める。

 そういった意味ではギリシャの火は戸沢家が出羽国に根拠地を持つが故に運用出来る切り札とでも言うべきものだろう。

 何しろ、石油が自噴する場所なんて限られているのだから。















「励んでいるようだな」


 領内の件と今後の改革について利信達との話を終えて、解散したところで俺の兄である盛重が平九郎を伴って俺の下を訪れる。

 こうして直接、顔を合わせるのは俺の家督継承の儀の時以来だろうか。

 兄弟全員が揃うのは実に久々の事だといえる。


「これは兄上、御久し振りにございます。それに平九郎も元気そうで何よりだ」

「兄上の方こそ、御忙しいと聞いておりましたのに、存外に御元気そうで何よりにございます」

「……ああ。だが、暫く見ない間に平九郎も随分と大きなったものだな」

「そう言って頂けると光栄です」


 挨拶をしてきた2人に俺も挨拶を返すが、平九郎が思いの外、流暢に話せる事に僅かに驚きを覚える。


「もう、平九郎も5つになったからな。父上が家督を継承した歳とは然程、変わらないからこのくらいは出来なくてはな」


 驚いた俺の様子を察してか兄上が俺の気持ちを代弁するかのように言う。


「成る程、父上の事を踏まえれば、可笑しい事ではありませんか……」


 確かに兄上の言う通り、6歳で家督を継承していた父上の事を考えればそれほど可笑しいような気はしない。

 事実、俺もそのくらいの年齢の頃は大叔父に鍛えられていただけに普通なような気もする。 


「……うむ。それに平九郎は早く盛安の力になりたいと言って必死に勉学や武芸に励んでいるからな。盛安が思うより成長が早いのは当然の事だ」

「盛重の兄上! それは言わぬ御約束だったではありませんか!」


 更に兄上の口は止まらず、平九郎が何故、こうも早く成長し始めているのかを暴露する。

 平九郎が俺の事を考えて、精進してくれていると言うのは兄として非常に嬉しいが、平九郎の事情的にはまだ知られたくはなかったらしい。

 兄上に対して、文句を言っている。

 これについては微笑ましいと言うか、まだまだ年齢相応であると言うか。


「……平九郎、そう怒るな。兄上も誂うのは御止め下さい」

「兄上ぇ……」

「ははは、すまぬな」


 苦笑しながらも俺は平九郎を諌める。

 兄上の方は確信犯なのか、肩をすくめた様子で俺の言葉に頷く。

 自分でも大人気ない事は解っているのだろう。

 これ以上、問い詰めたりするのは止めにしようと思う。


「全く……久方振りに兄弟が全員揃ったと言うのに喧嘩等をしては面白くありません。折角、こうした機会が出来たのですから遠乗りにも出かけませんか?」


 珍しく兄弟が全員揃っているというのに態々喧嘩をするだけというのも勿体無い。

 幸い、利信達と今後の方針は話し終えているために時間があるという事情もあり、俺は2人を遠乗りに誘う。

 兄弟揃って領内を見て回るというのも悪くないだろう。


「む、それは妙案だな。平九郎は流石に馬までは乗れぬが、盛安が乗せてやれば良いだろうしな」


 俺の意図に気付いた兄上は俺が平九郎を馬に乗せる事を条件に遠乗りの案に賛成する。


「それは良き御考えです」


 平九郎の方もこの案には賛成なのか嬉しそうな表情で俺の方を見つめてくる。

 2人としても折角の機会を逃したくはないのだろう。

 俺の方も兄弟水いらずで過ごす事なんて、これから先に機会があるか如何かと思っていただけに反対されなかったのは嬉しい。


「では、急いで準備をすませて行くとしましょう」

「……うむ」

「はいっ!」


 こうして俺達、戸沢家の兄弟は揃って遠乗りへと出かけて行く。

 家督を継承して以来、ずっと動き続けていた事と俺が畿内へと出向いてしまい不在であったりしたためか、短いとは言えども時間が空いたのはまたとない機会だ。

 今後は出羽北部の統一を目指して勢力拡大のために動き始めるので、次に機会をつくるとするならば何時になるか解らないだけに尚更である。

 俺も兄上も平九郎もそれが解っているから、こうした機会を逃さずに遠乗りに行く事をあっさりと決めた。

 領内を自分達の目で見る事も兄弟揃ってふれあう機会を設けたのも全ては今後の戸沢家の進もうとしている道が明らかになっているからに外ならない。

 いよいよ、宿願であった安東家の打倒への道を歩み出すのだ。

 その前に兄弟揃って楽しむ事は今後の事を思えば、悪くない。

 ましてや、この遠乗りの機会を逃せば、次の機会はない可能性だってある。

 これから先に控えている敵である安東家の現当主、安東愛季とはそういった人物なのだ。

 現状でも、殆ど勝機が見い出せる段階にまで出来る限りの手を打ってはあるが、万事全てが予定通りに運ぶとは限らない。

 戦は水物であるし、何が起こるか解らないのだから。

 そうした思いを抱えつつ、俺は兄上と平九郎を連れて厩へと足を運ぶのであった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第35話 庄内平定
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/02 09:24


 ――――1580年10月





 盛安が兄、盛重と弟、平九郎と遠乗りをしてから、約1ヶ月――――。

 早くも準備が整っていた軍勢を率い、大宝寺家の本拠地である尾浦城への進軍を開始した。

 常備兵力の内の1500と新たに加わった雑賀衆の兵力200を合わせた1700もの軍勢に矢島満安、鮭延秀綱らの手勢500を合わせた2200もの軍勢。

 盛安は今までの戸沢家の動員していた倍以上もの兵力を以って、庄内の平定へと動き出したのだ。

 また、盛安は大宝寺家の居城である尾浦城を攻める前に盟約通り、上杉家の本庄繁長に援軍を要請した。

 庄内を平定する際は万事、繁長に相談するようにと直江兼続からの助言があったからである。

 本来ならば盟友であるとはいえ、領地の平定を目指す際に援軍を依頼する事は憚られるところであるが、相手が上杉家であるならばその心配はない。

 あくまで義によって動くという信念を持つ上杉家は決して盟約を違えるような真似をする事がないからである。

 そのため、盛安としても安心して援軍要請を行う事が出来たのだ。

 また、繁長の方も戸沢家が軍備を整えていた事を以前より把握しており、すぐに軍勢を動かせる状況にあるという事で快くその要請に応じる。

 現状で警戒すべき相手である最上義光は和議を結んでいるとはいえ、未だに最上八楯を完全に従わせる事が出来ておらず、軍事行動を起こす事が出来ない。

 これにより、繁長は後顧の憂いもなく、動く事が出来たのである。

 無論、本庄には万が一の抑えの軍勢も残しているだけに抜け目がない。

 こうして、盛安率いる2200の軍勢に繁長率いる軍勢1000ほどが加わり、大宝寺家に攻め入った軍勢は3200にも及んだ。

 傍目から見ればそれほど多く見えない軍勢数だが、勢力が縮小した今の大宝寺家からすればこれは途轍もない軍勢数で籠城戦に持ち込んだとしても勝機がない。

 同盟相手である小野寺家は昨年の段階で戸沢家との戦に敗北して雌雄は決してしまっているし、嘗ての盟友である上杉家は戸沢家の盟友として立ち塞がっている。

 しかも、北の由利郡も戸沢家に抑えられている上に東の真室も戸沢家に抑えられているのだ。

 最早、四面楚歌も同然と言って良い状況にあり、打つべく手段も存在しない。

 大宝寺家は此処にきて、滅亡の窮地にへと立たされていた。















「兄上、誠に残念ではありますが……戸沢殿に降伏するしかありますまい」


 戸沢盛安率いる軍勢と本庄繁長率いる軍勢が来襲したとの報告を聞き、大宝寺義興が淡々と事実を告げる。

 度重なる重税により領民には見放され、援軍を望む相手も居らず、軍勢数においては勝ち目もない現状では打つ手のない事は明らかだ。

 しかも、敵方の盛安は大宝寺家が使者を遣わした相手である織田家から奥州総代の役割を受けており、屋形号を受けた義氏よりも名目上は上である。

 それに朝廷から正式に鎮守府将軍に任じられている盛安は出羽国を統括する権限も持っているため、大宝寺家を従わせようとする行動は正当性もあった。


「それはならぬ。一戦も交えずして、降るなど武門の名折れぞ」


 故に説得を試みた義興であったが、大宝寺家の現当主である義氏からは拒否の返答が返ってくる。


「その御気持ちは私とて、良く解り申す! しかし……最早、そのような事を言っている段階では無いのです。

 残念ながら兄上が信長様に賜った屋形号も朝廷より鎮守府将軍に任じられた戸沢殿には及びませぬ。軍事力だけでなく、名目上も負けているのです。

 しかも、酒田を始めとした庄内の領民は戸沢殿を支持されている様子。我らに味方と呼べる者は存在しませぬ。兄上! それでも尚、戸沢殿との戦を望まれるのか!」

「くどい! この義氏に降伏等の言葉はありえぬ!」


 その返答に対して、尚も強く説得する義興だが、義氏からの返答は拒否の一点張りで聞く耳も持たない。


「解り申した。それが兄上の御存念ならば、何も言いますまい。ですが、それでも私は兄上の命には従えませぬ。……御免!」


 これ以上は説得する事は出来ないと判断し、義興は袂を分かつ事を決断する。

 勝てもしない戦に望むなど、兵や民を苦しめるだけでしかない。

 そのように判断した義興は義氏には従わず、自らが別当職を務める羽黒へと身を退く。

 後は御館の乱以前に親交のあった本庄繁長の伝手を頼りに盛安に降伏する旨を伝えるつもりだ。

 義氏の度重なる政策により、疲労しきった今の大宝寺家の力ではまともな戦にはならない。

 更に兵や民を苦しめる事にしかならないだろう。

 庄内で権勢を誇った大宝寺家の一門衆としてそれを許すわけにいかない。

 義興はその一心で兄と袂を分かち、盛安に降る事を決断する。

 この時、義氏の振る舞いに苛立ちを覚えていたために気付かなかったが――――。

 尾浦城から去る義興を追う者はなく、首を取ろうとする者も居なかった。

 それが何を意味していたのかを義興は全てが終わるまで気付く事はなかったのである。















「……義興は出て行ったか。これで良い」

「殿……」


 弟、義興が尾浦城を去った事を確認した義氏は一息を吐く。

 今までの問答は全て演技だったのだ。

 如何に領民を顧みる事なく、軍事行動を続けてきた義氏も今の状況が戦にならない事は承知している。

 領民は敵方に味方している。

 大宝寺家に従っている国人衆も日和見を決め込んでいる。

 戸沢家と敵対している安東家は津軽家が背後に居るために動けず、最上家も最上八楯と上杉家の存在により動けない。

 更には南の蘆名家も盛氏の死去により、家中が纏まっていないために動ける状態になく、小野寺家は既に戸沢家に敗れており、勢力は激減している。

 唯一、戸沢家に待ったをかけられるのは津軽家だろうが、彼の家も戸沢家と盟約を結んでしまったため、交渉を依頼するに足りない。

 最早、完全に孤立している現状に打つ手はなく、外交を行うべき相手も存在しない。

 それ故に援軍を求める先も無い。

 家臣の阿部良輝はこの状況にまで追い詰められた義氏の内心を知ってか、唯々言葉を失うばかりである。


「そのような顔をするな良輝。義興さえ無事に戸沢の下へ行ってくれれば大宝寺が滅ぶ事はないのだ。それに其方の息子、貞嗣には義興を助けよと命を下しておる。

 家中の者共で儂に従ってくれた者達も皆、義興に従うように命を下し、尾浦を退去させている。最早、城には儂と其方しか居らぬ故、案じるような事は何もない」

「ですが……」

「構わぬ。このような仕儀に相成ったのも儂が過っていた証拠よ。戸沢はその儂に止めを刺しに来たに過ぎぬのだからな」

「そうですか……。ならば、この良輝も何も申しますまい。御最期まで御付き合いさせて頂きまする」

「……すまぬ」


 義氏の覚悟のほどを汲み取り、良輝は主君に殉じる道を選ぶ事を決断する。

 義興が戸沢家に降る選択を選び、貞嗣もそれに従うのであれば大宝寺家も安倍氏も滅ぶ事はないし、安倍氏と並ぶ忠臣である金野氏も滅ぶ事はない。

 また、土佐林氏や池田氏、板垣氏を始めとした義氏派の国人衆も滅ぶ心配はなく、義興も恐らくは羽黒別当として生き延びる事が出来るだろう。

 それに盛安の噂を聞く限りで判断すると、日和見を決め込んだ国人衆を許す事はない。

 主君を見限り、我が身の保身を優先させたような人物が降る事を良しとしない人物であるように見受けられる。

 降る事が家を思っての行動であるならば、降伏する事を認めるであろうが、そうではない者達を許すような人物であるようには良輝には見えなかったのだ。

 その事は義氏も同じように考えていたらしく――――。


「この儂を見限った国人衆よ。其方らも道連れにしてくれる――――悪屋形、大宝寺義氏の死に様を精々怯えながら見る事だ!」


 天を仰ぐかのように叫び、自らの首筋に刀を当て、そのまま一気に頚動脈を斬り裂き、自決する。

 最期まで大宝寺の名に恥じない武士であろうとした潔い最後であった。 


「殿! 御一人では逝かせませぬ――――この良輝も御供仕る!」


 義氏の死を見届けた良輝も主君に倣って同じく自らの首を斬り、自決して果てる。

 幾度となく、国人衆の反乱に悩まされ続けた大宝寺家に在って、長年に渡り仕え続けた忠臣もまた主君に殉じて最後を遂げる。

 その死に際の表情は気が晴れたかのように晴れ晴れとしたものであった。















 ――――1580年10月末





 義氏と良輝主従の予測通り、盛安は降伏する旨を伝えてきた義興を受け入れ、日和見を決め込んでいた国人衆達が降る事は良しとしなかった。

 盛安曰く「幾度となく主君に従わず、最期まで反旗を翻し続けた者達は許しはしない」との事。

 それに対し、義興は兵や領民がこれ以上、苦しむ事を良しとせず、兄を説得したが受け入れられなかったと言う理由での降伏であったため、認めたのである。

 盛安は大宝寺家の命脈を保とうとし、無用な戦を避けようと努めた義興の事を大いに評価したのだ。

 義興の降伏を認めた後、義氏が自決して果てた事を知った盛安はその見事な死に様に敬意を評した後、大宝寺家に従わなかった国人衆達を次々に攻め滅ぼしていく。

 この時の戦は盛安が自ら陣頭に立って戦ったのだが、その姿は鬼九郎の名に相応しいほどに鬼気迫るものがあったと言う。

 何しろ、義氏が死に、戸沢家が侵攻を開始した直後、国人衆達は慌てて、戸沢家に従う旨を盛安に伝えたのだが、それらの意見は全て一蹴された事からもそれが窺える。

 盛安は主君や主家である大宝寺の家名を残す努力をしなかった者達を許さない構えを見せたのだ。

 それ故に尾浦城を中心とした庄内の平定の戦では盛安は最期まで従った国人衆を除く国人衆を取り潰すという行動を取った。

 だが、この際に盛安は領民達には一切の手出しをする事を禁じ、率いてきた軍勢にもそれを徹底させたため、大宝寺家の治めていた領内が荒れ果てるような事もなかった。

 一見すれば苛烈にも思えるような対処を選んだ盛安だが、あくまで冷静だったともいえる。

 日和見を決め込んでいた国人衆を一掃し終えた盛安は見事な死を迎えた義氏を弔い、屋形号を得るまでに権勢を誇ったその名に報いる形で平定を終える。

 盛安は領民からは悪屋形と称され、羽黒山の衆からは不敬の精神の持ち主とまで酷評された義氏の事を辱める真似を決してしなかったのだ。

 あくまで義氏は織田信長より屋形号を賜った傑物であるとした上で弔ったのである。

 この心遣いには義氏が自決するまで、兄の思惑を知らなかった義興も感謝の思いで応じる。

 戸沢家に降る時に義興が懸念していた事が盛安が義氏の名を辱める事をするか否かであったからだ。

 袂を分かつ事を選んだとはいえ、長年に渡って支えた義氏の事を見限ったつもりはない。

 大宝寺家の事を思うが故に決別したのだから。

 それ故に盛安の心遣いには感謝するしかない。

 義興は盛安という人物が15歳という若さにも関わらず朝廷より鎮守府将軍に任じられ、信長に認められたとされる器量を垣間見る。

 彼の人物ならば、庄内を任せても大丈夫だ――――義興はそのように思い、大宝寺家は盛安に従う旨を伝え平伏する。

 大宝寺義興が正式に戸沢家に降った事を最後に、こうして1ヶ月にも満たない僅かな期間の間に鬼九郎の名を更に轟かせるに至った庄内平定の戦は幕を閉じたのであった。





・庄内平定戦結果





 戸沢家(残り兵力 2030)
 ・ 戸沢盛安(足軽770、騎馬480、鉄砲200) 1450
 ・ 矢島満安(足軽100、騎馬70、鉄砲20)   190
 ・ 鮭延秀綱(足軽80、騎馬100、鉄砲10)   190
 ・ 鈴木重朝(鉄砲200)        200



 上杉家(残り兵力 1000) 
 ・ 本庄繁長(足軽300、騎馬400)      700
 ・ 傑山雲勝(足軽250、鉄砲50)       300



 庄内国人集(残り兵力 なし)



 損害
 ・戸沢家            170
 ・上杉家            なし
 ・庄内国人衆         500



 討死 東禅寺義長、東禅寺勝正、砂越氏維、来次氏秀、高坂中務、他

















[31742] 夜叉九郎な俺 第36話 新たなる口火
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/15 09:13




 ――――1580年12月





 戸沢盛安が庄内を平定した事は僅かな時間の後、奥州全体へと広まった。

 家督を継承して僅かに2年にして、出羽国でも北部随一の勢力になりつつある事は誰が見ても明らかであり、無視する事は出来ないものであったからだ。

 由利十二頭を降す事に始まり、小野寺家との戦に勝利し、酒田を得た後に庄内をも平定。

 また、畿内にて織田信長から奥州切り取りのお墨付きを得、朝廷からは直々に鎮守府将軍の官職を賜っている。

 流石に庄内を平定する以前であるならば鎮守府将軍の官職を得ても名だけが大きい存在でしかなかったのだが――――。

 現実に彼の地を得てしまった以上は名も実もあるだけの力を持っている事を証明するに至っている。

 しかも、庄内平定の際の戦は全ての兵力を注ぎ込んだというわけではない事を踏まえれば尚更だ。

 何しろ、家臣の前田利信からの報告で聞いた常備兵力2000前後と言う数はあくまで合戦に備えて何時でも動かせる数で領内の守備の軍勢は含まれていなかった。

 もし、領地の守備に必要だとして残していた兵力も含めると――――戸沢家の常備兵力の総動員数は実に3000に到達する。

 これに矢島満安、鮭延秀綱らを含める有力な家臣達の手勢を含めれば4000以上もの数となるだろう。

 治水を続けてきた事に加え、新たに獲得した酒田の交易による財貨の廻りを合わせる事で戸沢家の力は盛安が家督を継承する以前の4倍近くの力を得る事になったのだ。

 但し、これはあくまで常備兵力と家臣達の手勢のみを前提とした場合の事であり、非常時の動員も含めれば軍勢の数はこれ以上に増加する。

 この上で新たに庄内の平定を終えたのだから実際の動員力は常備兵力と非常時の兵力共、更に多い。

 特に庄内の平定が終わったのは大きく、酒田を起点に治水を含めた開発を行えば、奥州でも屈指の恵まれた領地となる。

 それだけの勢力基盤を得るに至った事を踏まえれば、否応にも戸沢家が伊達家、最上家、安東家、南部家に肩を並べられる段階に近付いてきた事が実感出来るだろう。

 最早、戸沢家は角館を中心とした小大名ではない。

 出羽国、北部に確固たる地盤を持つ、歴とした大名なのである――――。















「そうか、盛安殿は遂に庄内を平定したか……。 いよいよ、俺が盛安殿と共に戦う日が間近に迫ってきたようだな」


 沼田祐光からの報告で盛安が庄内を平定した事を聞き、それを我が事のように喜ぶ津軽為信。

 戸沢家と盟約を結んだのは盛安の器量を見込んでの事であるために、盛安の力が増す事は為信にとっては自分の目利きを証明する事にもなる。


「はい、それは間違いないかと。それに朝廷より直々に賜わる事となった鎮守府将軍の官職の名に恥じぬだけの人物である事も証明されております。

 故に今の盛安殿……いえ、盛安様は紛れもなく、出羽国でも屈指の人物の一人であると言っても過言はないでしょう」

「ああ、俺もそう思う」


 祐光の的を射た意見に為信は頷く。

 今の盛安は鎮守府将軍を称した頃とは違い、名も実も伴うだけの人物になっている。

 出羽国でも屈指の人物の一人になったと言っても過言ではない。

 此処、2年間の実績を踏まえればまだ若年ではあるが、最上義光、安東愛季といった人物達にも匹敵しつつあるだろう。


「盛安殿が此処まで成長した事からすれば、安東への調略が思わしくなかった点も足を引っ張る事はないだろう。

 寧ろ、今の状況を踏まえれば俺の策が失敗した事で安東を堂々と落とせる。戦が終わった後も余計な真似をしなくても済むしな」

「そうですね……殿の仰れる通りであると存じます。安東道季殿を抱き込む方向性であれば、最終的には安東家を生かさなくてはなりませぬ故」


 盛安が畿内での活動や庄内の平定に動いている際、為信は以前に伝えていた安東家に対する調略を行なっていたが、これは安東愛季の手によって失敗に終わっている。

 しかし、為信の策が思わしくなかった事で戸沢家は安東家に対して、正面からの決戦を挑む事が出来る。

 もし、為信の策が功を奏した場合、盛安は安東家を攻める名分に道季を立てる事になるため、安東家を完全な方向性で滅ぼす事は出来なくなっていた。

 唯、この為信の策自体は決して間違っていたものではない。

 戸沢家の勢力がそれほど大きくならなければ為信の策を採用するくらいしか手が無かったのも事実だからである。


「だが……それは別にしても、蠣崎だけは引き込んでおきたかったな。蝦夷を実効支配している蠣崎を敵に回すのは面倒だ」

「はい。ですが……蠣崎家の事は盛安様も御承知の事でしょうから何も言いますまい。寧ろ、安東方に付く事を選んだ気概を評価する事でしょう」

「……確かに今までの戦振りからすれば盛安殿は自らの保身を優先させる人物を許すような事はしないようだからな。祐光の言う通りかもしれぬ」


 本格的な戦になる前に安東家の件とは別にして蝦夷の蠣崎家だけでも味方に引き込んでおきたいと為信は考えていたが、祐光の言葉を聞いて思い直す。

 庄内平定の際の盛安の仕置きの事を踏まえれば自らの保身を優先して我先にと降ってくる者よりも最期まで殉じようとする気概を見せた者を評価するのは明らかだからだ。

 盛安は出来る限り、信用の置ける者だけを残して後々の火種となる可能性のある者を処罰するように心掛けている。

 これは適切な判断であり、為信もそういった信用のおける人物を生かす事の重要さを良く理解している。

 為信が浪岡北畠家を滅ぼしたのも残すと火種になるという理由からであった。

 そのため、安易に通じる事を良しとしない蠣崎家の気概は悪いものではない。


「唯、蠣崎の跡取りである慶広殿は安東に従いつつ、盛安殿に誼を通じるつもりのようだがな。彼の人物は少しばかり前に独自の判断で盛安殿に使者を送ったと聞く。

 慶広殿の気質からすれば、間違いなく蝦夷を巻き込まない措置であろうが……恐らくは領民に負担をかけたくないとでも思っているのだろう」

「そうですな。そもそも、戸沢家と安東家が戦になったとしても如何なる状況になるかまでは誰にも解りませぬ。蝦夷に影響が出る可能性も否定出来ませぬし。

 それ故、慶広殿が民を思うが故に万一の繋ぎを取る事は充分に考えられます。安東家に従っているとは言えども、戸沢家との戦は避けたいと思っているようですしな」


 しかし、安東家に味方をすると言う事を表明した蠣崎家の現当主である季広に対して、跡取りである慶広は安東家に従う旨を示した上で戸沢家に独自に使者を送っていた。

 蠣崎慶広という人物は戸沢家との戦を良しと思わず、出来る限り矛を交えずに事を収めようと目論んでいるのだ。

 これは安東家の事よりも蝦夷を治める立場にある蠣崎家やそれに従ってくれている領民達の事を思っての事である。

 蝦夷は広大な土地を誇る未開の地で古くから蠣崎家はそれの統治に苦心している。

 彼の地に土着しているアイヌと呼ばれる民族との風習の違いや思想の違いから幾度となく戦を交え、漸く交流を行える段階に達したのだが――――。

 この段階に至るまでどれほどの時間を要しただろうか。

 先代の義広から当代の季広の代になるまで多くの血が流れ、アイヌとの和睦が成立したのは慶広が生まれた1549年(天文18年)の頃であった。

 そのため、慶広は生まれた頃よりアイヌと共に生きる蝦夷の姿を見てきており、それが当然のものであったのだ。

 故に慶広は奥州の戦に積極的に関わる蝦夷の姿を良しとは考えてはおらず、可能である限り”戦を避ける”か、”戦を急ぐ”考えを示していた。

 しかしながら、奥州との関わりなくして、安東家の影響下にある蝦夷が立ち行かないのも事実であるため、季広の方針には意義を唱えずに別の一手を考えたのである。

 安東家に味方する事は蠣崎の家の者としては当然の事ではあるが、後の事を考えれば戸沢家の事も考えなくてはならない。

 それ故に慶広は戸沢家に使者を送り、一定の繋ぎを得ようとしたのである。


「だが、慶広殿の読みは悪くはない。今の盛安殿の勢いならば安東を崩せる可能性が高いからな。それに盛安殿が動くならば俺も動く事になる。

 如何に出羽北部随一の力を持つ安東とはいえ、俺と盛安殿を同時に相手にする事は容易ではない。故に慶広殿が後の事を考えるのは当然の事だ。

 戸沢と安東の戦が、蠣崎の行く末にも影響するのは間違いのだからな」

「主家を裏切る訳でもなく、戸沢家に矛先を向ける訳でもない。慶広殿の判断はあくまで優柔不断とも思えますが……。

 領民やアイヌの事を考えている彼の方らしいものであるかと存じます。まぁ……今頃はその動きを察した季広殿から御叱りでも受けているかもしれませぬが」

「ははは、その通りかもしれぬな」


 慶広の判断を評価しつつ、今頃の彼の人物が如何なる事になっているかを想像し、為信と祐光は大声で笑う。

 戸沢家に使者を送った事は領民の事を考えた上で後の事を考えての判断であるため、悪いものではない。

 盛安もその先見性の高さは大いに評価する事だろう。

 しかし、慶広の判断は些か先走り過ぎた。

 戸沢家と安東家の間で戦が起こるであろう事は間違いないのだが、それはもう暫く先の事である。

 早くより、自分の意志をはっきりしておきたいと慶広は考えたのだろうが、これは現当主の季広からすれば都合が良いとは言えない。

 季広は安東家に味方する事を表明している立場にあるからだ。

 確かに慶広は戸沢家の勢いを読み取り、先の先を見据えた上で判断を下したのだろうが……こればかりは解る者にしか解らない。

 それ故に為信と祐光は慶広が季広から御叱りを受ける事になるであろうと評したのであった。















「まぁ、慶広殿が盛安殿に秘密裏に使者を送った事はさておき、此方も盛安殿とは安東攻めの相談をせねばならぬな。

 盛安殿の事であるから、恐らくは野戦にて愛季を討ち、その後に領内へと侵攻するつもりだろうが……」

「我が家の成すべき事はその盛安様の動きを御助けする事でありましょう。兎に角、安東家が全軍を動かせないように牽制する事が肝要であるかと存じます」


 慶広が盛安に使者を送った事については後で口添えをしておく程度しかやるべき事がないと判断した為信と祐光は安東家との戦についての話題に移す。

 庄内を平定した今後の盛安の目標は間違いなく、安東家の攻略であり、出羽北部の統一が現段階における戸沢家の最大の目標。

 小野寺家と大宝寺家が力を失い、最上家が最上八楯との関係にけりを付けられていない今こそ、安東家と雌雄を決する絶好の好機。

 今まで、一度も機を逃さずに動いてきた盛安が今の状況を黙って見ているはずがない。


「うむ、その通りだ。幸いにして、俺の背後を突くであろう南部は晴政の方針の御陰もあって動く事はない。一応、南部とは和議が成立しているからな。

 これならば、俺が盛安殿に呼応して安東攻めに加わる事も可能だ。また、蠣崎が動いた場合に対しても備える事が出来るだろう」


 為信もそれが解っているため、津軽家が如何に動くべきかの方針を定める事が出来るのだ。


「後は細かい部分に関しては盛安殿と直接、話し合って決めようと思う。今ならば、慶広殿の使者にも追い付けるだろうしな」

「はい、それが宜しいかと存じます。ですが……」


 後は細かい要点を盛安と話し合い実行に移すだけなのだが、為信が盛安と面会すると言ったところで祐光が口を開く。


「此度は私も同行したく存じます。盛安様の事は一度、御目にかかりたいと思っておりました故」

「ふむ……そうだな。ならば、此度は祐光も共に行くか。機会があれば盛安殿とは会わせておこうと思っていたしな」


 祐光の同行したいと言う申し出に為信は少しばかり考えた後、同意の返事をして頷く。

 前々から盛安に祐光を会わせておきたいとは考えていたからだ。

 為信が幼少の頃より傍に仕え、共に道を歩んできた祐光ならばこれから先の道を共に行く事になる盛安と会うだけの資格は存分にある。


「これより、先に書状を出し、数日後に俺も盛安殿の元へ行く。俺が不在の間の国内の事は兼平綱則、小笠原信浄に任せる事とする。祐光、それで良いな?」

「ははっ!」


 そのように判断し、為信は祐光を伴って盛安と安東家攻めのために会談する事を表明する。

 盛安が庄内を平定してより、僅かに2ヶ月。

 早くも奥州では次なる動きが見られようとしていた。

 戸沢家の目的である出羽北部の統一を成し遂げるために行わなくてはならない、安東家との戦。

 いよいよ、奥州でも一つの転換期となるであろう出来事が起きるまでの時間が近付いてきたのだ。

 その大きな出来事と成り得るであろう事に対して、口火を真っ先に切ったのは盛安の盟友である津軽為信と――――

 今はまだ、戸沢家の敵である安東家の影響下にある蝦夷の蠣崎慶広であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第37話 鬼の見る先
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/16 09:29





 ――――1580年12月





「ふむ……戸沢が庄内を平定した影響は思ったより早く出てきたようだな」

 為信が蠣崎家の動向を察し、盛安と今後の事について直接話し合おうと決めた時と同時期――――。
 南部家に属している九戸政実もまた、盛安の庄内平定についての影響を敏感に感じ取っていた。

「確かに戸沢が庄内を平定した事は事実だが……それは言い過ぎではないのか、兄者」

「いや、そうでもない。俺が探った限りでは蝦夷の蠣崎の跡取りが独自に動いたらしいからな。恐らく、誼を通じるつもりだろうが……。
 蠣崎の動きに呼応して為信も動くだろう。それに為信が動けば盛安も自然と動く事になってくる。……戸沢の安東攻めもそう遠くはないだろうな」

 政則が政実の予測に疑問を見せるが、政実はそれをやんわりと否定する。
 今の戸沢家は昨年までとは違い、名ばかりの鎮守府将軍の官職を称する大名ではないのだ。
 朝廷より、正式に鎮守府将軍を拝命し、更には庄内を平定した事により、その勢力は出羽北部で安東家とまともに戦えるほどにまでなっている。
 しかも、戸沢家が其処まで勢力を拡大したのは盛安が当主がなってからであり、その名前は最早、有名無実ではない。
 由利十二頭を降し、小野寺家との戦においても雌雄を決している。
 歴とした傑物の一人であると言っても良いだろう。
 蝦夷の蠣崎慶広が独自に動いた事は今の盛安の立場と評価を明確に表していた。

「具体的には何時頃だと思う?」

「雪解けの時期を過ぎればすぐにでも動くだろう。あの盛安ならば、この機を逃すはずがない。蠣崎が動いた事で安東の屋台骨は揺らぎ、為信もそれに呼応する。
 また、戸沢の背後に居る最上も未だに八楯を掌握出来ておらぬ。故に戸沢は最上に対する抑えをある程度残しておくだけで、安東へ主力を向けられる事になる。
 本来ならば、此処で問題になるとすれば、庄内の事であろうが……盛安は不穏な動きを見せる可能性のある国人衆を討滅している。
 この庄内平定の際の果断とも思える対処は最上義光の事を警戒しての事であろう。庄内を欲する義光からすれば、戸沢が安東に目を向けた時が好機となるからな。
 盛安が大宝寺義興を残し、それに従う者共を受け入れたのも後の安東攻めの事を踏まえての事だ。義光に庄内に行かせる隙を極力、減らすためにな」

「こう聞くと意外に抜け目がないな……。その上で戸沢は上杉とも同盟を結んでいるのだから尚更だな」

「……それが盛安の侮れないところよ。為信が入れ込むのも無理はない」

 今後の動きを読み取りつつ、周囲の状況を安東攻めが可能な段階にまで勧めている盛安を評価する政実。
 庄内の件は果断に過ぎたため、場合によっては失策と成り得るのだが、最上義光の対策も兼ねているとなれば間違いとは言い切れない。
 史実での義光の庄内攻略は豪族達の切り崩しによって一気に進展した形で進んでいるからだ。
 切り崩すべき豪族が居なければ彼の義光とて攻め手を欠く事になってしまう。
 ましてや、最上八楯を抑えきれていない現状で庄内を狙うとするならば尚更だ。
 その上で最上家と敵対関係にあり、義光の行く手を確実に阻もうとするであろう小野寺義道の存在を踏まえて小野寺家に一定以上の力を残させている。
 盛安が其処まで見越していたかの断言までは出来ないが、調略すべき対象を失わせる事で義光を防ぐための一手を打っていたのは間違いない。
 政実には為信が入れ込む理由が良く解る気がした。

「むむむ……盛安がそれほどの者という事は戸沢が動けば為信は何時か敵となるのか?」

「俺が見た限りは何れ、そうなる。盛安が安東を落とせば、為信は背後の心配がなくなり、南部へと矛先を向ける事が可能となるからな。
 背後を気にしなくて良いとなれば津軽は南部の顔色を伺う必要がない。それに蠣崎が通じようとしているのも後押しする形でそうなるだろう」

「……そうなっては我らにも都合が悪いのではないか?」

 盛安が安東家との戦に勝利し、その地を得たとしたら南部家に属する九戸党にも都合が悪い。
 政則を危惧し、政実に尋ねる。

「いや、都合が悪いのは確かだが……これは南部が一つに纏まる良い機会だ。津軽が完全に敵となり、戸沢が安東に成り代わるほどになれば流石のお館とて黙ってはいまい。
 戸沢の安東攻めが南部のためになるのであれば、戸沢の勢力が増す事は喜ぶべきだ。……その代わり、為信と戦う事は覚悟せねばならぬがな」

 だが、政実からは戸沢家が安東家との戦に勝利した方が良いという答えが返ってくる。
 今の南部家は当主である南部晴政と次期当主と杢されていた南部信直が啀み合っている状態にあり、他国と戦をする余裕などない。
 無論、政実が軍勢を率いれば奥州の如何なる大名が相手であっても遅れを取る事はないが、南部の実情を踏まえれば戦を行う事は論外である。
 しかし、戸沢家が安東家を凌駕する大勢力となり、津軽を完全に掌握した為信が存在するのならば話は別だ。
 今でこそ、南部家との和睦が成立しているが、戸沢家の盟友の立場を明確にすれば只事ではない。
 信直との確執以来、半ば隠居している状態にある晴政も重い腰を上げる事になるだろう。

「為信と戦う可能性を覚悟せねばならぬのは残念ではあるが……其処まで先を見通しているとは。……流石は兄者だ」

 政実の全てを見透かしたかのような言葉に政則は感嘆する。
 兄の視野の広さとその深謀には常々驚かされていたが、先の先まで見通している読みの深さには一層恐れ入る。

「……何、俺の見立てくらいは為信とて見越している。俺の思う通りに動いたとしても一筋縄では行くまいよ。何れにせよ、此処からが見所だろうな」

 感嘆する政則に対し、政実は苦笑しながら自分の推測程度は為信も見越していると言う。
 正直、一目で盛安の才覚を読み取り、彼の人物の動きに合わせた為信の対応の良さは政実も舌を巻くほどだ。
 政実からすれば自分の教え子であると言っても過言ではない為信だが、その器量と智謀は既に奥州でも屈指のものであると言っても良い。
 今の南部家にはそのような人物は誰一人として居ないため、奥州でも見過ごせない存在となった為信を誇らしくも思う。
 政実は思うように動けない自分の立場を苦々しく思いながら、政則と今後の事に関する予測を立てながら話を続けるのであった。














「政実殿、政則殿も此方に居られたか。儂らも話に加えて下され」

「おお、友義殿に七戸殿か。構わぬ、ちょうど戸沢と津軽の事で盛り上がっておったところよ」

 政実が政則と戸沢家、津軽家、伊達家、安東家といった大名の今後について論じている中、新たに2人の人物がその下を訪れる。
 九戸党と付き合いの深い、長牛友義と七戸家国である。
 長牛友義は政実が嘗て安東愛季と戦を交えた時からの付き合いで七戸家国は政実の妹婿であり、七戸を治める城主でもあった。

「ほう、戸沢と津軽の話にござるか……」

「それは嘸かし盛り上がろうな。儂とて、戸沢の拡大には驚いておるし、津軽の成長ぶりにも驚いておる」

 政実が政則と今の奥州でも新たな注目株とも言える戸沢家と津軽家の話ならば盛り上がっても無理はないと同意する。
 今や、出羽北部でも一大勢力を築き上げた盛安の話題は南部家でも噂になっており、為信も敵でありながら優れた手腕で瞬く間に津軽を平らげた手腕を評価されている。
 決して、政実だけがその動向を注目しているわけではない。

「……うむ、その点については俺とて同じよ。たかが家督を継承したばかりの小僧が此処までやるとは思わなんだ。こればかりは為信の見立てに完敗したと言うべきだろう」

「ははは、政実殿に其処まで言わせるとは。為信も大きくなったものよ」

「確かに。浪岡北畠を落としたばかりの頃とは比べ物にならぬ」

 友義も家国も南部家に属する者として周囲の動向には気を配っている。
 如いて言うならば、政実が飛び抜けているだけだとでも言うべきだろう。

「為信も盛安に触発されて更に伸びたのかもしれぬな。俺が見込んだ以上の者になったのは嬉しく思う」

「うむ、兄者の言う通りだ。為信とは何れは戦う事になるやもしれぬが……久慈を預かる者として、彼の地の人間がそう言われるのは誇らしい」

 政実も政則も為信が優れた器量を見せている事を我が事のように喜んでいる。
 何れは南部家の敵となるであろうが、幼き頃の為信を知っている者としては、その幼かった者が成長して立ち塞がる事になるのは子供の成長を見届けた気分でもあった。

「確かに政実殿と政則殿の言う通りじゃ。儂も為信の事は若き時分の政実殿のようだと思っておったからな」

 その思いは安東家と長年に渡って敵対している友義も同じである。
 和睦が成立した際に為信とは一度顔を合わせているが、友義はその時の堂々とした振る舞いを見てそう思えた。
 智謀に優れるしたたかな人物でありながらも、大義を知る為信は確かに政実に似ているとも言えなくもない。
 その為信が見込み、政実もまた評価している盛安は未だに目にした事がないために如何なる人物かは解らないが……。
 友義の知る、2人の人物の両方が評価しているのならば、相応の人物なのであろう。
 話題として盛り上がっているのは当然の事なのかもしれない。
 こうして、九戸党の中でも中心人物ともいえる人物達の会談は更なる盛り上がりをみせる事となった――――。















「ふむ……侭ならぬものだ」

 政則らを交えての盛安と為信の両名の話が終わり、夜も更けた頃――――。
 政実は一人で夜空を見上げながら一息吐く。
 奥州でも若き傑物と言うべき人物達の話題を肴にして盛り上がるのは中々に有意義な時間であった。
 しかし、話を終えて一人になったところで思うのが、やはり今の南部家の姿の事である。
 為信が津軽の地を抑えて10年近くも経過した今でも南部家はあの頃と大差はない。
 その間に戸沢家も伊達家も最上家も安東家も目まぐるし動き、蘆名盛氏という巨星も墜ちた。
 奥州の諸大名は明らかに動いているのに南部家だけが大きな変化を見せていない。
 いや、寧ろ”三日月の丸くなるまで南部領”とまで謳われた勢力を築き上げた南部晴政が往年の姿ではなくなっている事を踏まえれば明らかに差を付けられているだろう。
 晴政の後継者である晴継も未だに10歳を越えたばかりであり、政実が見た限りでは一門の信直も無能ではないが、それなりの器量の人物でしかない。
 到底、盛安や為信には及ばない上に安東愛季にも及ばない事だろう。
 ある意味で南部家の先行きは暗いとも言える。
 政実にとって幸いなのは晴継の後見人を務めるのが弟の九戸実親であると言う事だが……。

「実親を含め、お館も信直も此処ぞという時に俺の思う通りには動いてはくれぬ」

 このところの実親は南部家を守ろうとする事で手一杯で強気の動きを見せる事がない。
 悪く言えば、誰も彼もの機嫌を取ろうとして、小さく纏まってしまっているとも言える。
 そのため、実の弟である実親が南部家の中枢に居るのは大きな欠点にもなりつつあった。
 実親の後見人という立場と忠実な弟である事が迂闊に動くような真似を許さない。
 こうして見れば、つくづく南部家を含め政実の周囲は今一つ、恵まれていないともいえる。
 政実としては南部家を盛り立て、奥州を平らげるつもりであったのだが、盛安の力が大きくなり、為信が津軽を平らげた今となっては最早、遅い。
 今の南部家では殆ど対等の力を持つ安東家はおろか、勢力的に劣っている津軽家にすら苦戦する可能性があるのは明らかだからだ。
 これで戸沢家が津軽家と完全な形で連合すれば南部家は死力を尽くすしかない。
 1570年代から戦に明け暮れた両家は下手をすれば、録な動きを見せなかった南部家よりも強いと言っても可笑しくはない。
 政実が中心となって戦わなくては撃退する事は不可能だろう。

「これでは、先行きを見通せない者ばかりの今の南部が他の家に遅れを取るのも無理はない事なのだろうな――――」

 そういった意味では奥州は確実に新たなる段階へと進み、次の世代へと移りつつあるのかもしれない。
 南部家も晴政が老いてしまった事もあり、それは決して他人事ではないのだから。
 政実はそのように思いながら、一人で夜空を見上げながらそれを実感するのであった。
















[31742] 夜叉九郎な俺 第38話 軍配を継ぐ者
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/23 23:11





 ――――1580年12月





 盛安が庄内を平定した後、盟友である上杉景勝の下には御礼の意味の財貨と書状が送り届けられていた。
 書状に書かれていた内容は本庄繁長が兵を出してくれた事により、被害少なく大宝寺家を落とせたという事。
 また、庄内を平定した事により上杉家の宿敵である最上家に対して牽制が可能になったため、領内の整備が終われば今後は共に最上家に当たれるという事。
 等々といった事が書かれていた。
 これだけの文面ならば唯の援軍に対する返礼でしかないのだが、盛安の届けた書状には新発田重家の論功の際の助言の時と同じく、幾ばくかの助言も書かれていた。
 その内容は越後の湿地帯を治水すべきとの事、佐渡島には金山があるために時を見計らって抑えるべきであるとの事。
 と書かれており、景勝にとっても兼続にとってもこの事は抑えていなかった話であっただけに有益なものであると言えた。
 中でも治水の事に関しては参考程度ではあるが、幾つかの方法が書かれており、中には河川の合流地点そのものに新しく水の流れを作る手段も記載されていた。
 特にこの手段は史実で出羽国の治水を行った人物の一人である、兼続も知らない方法であったために河川に新しい水の流れを作る手法は正に盲点であった。
 治水等といった民政に豊富な知識を持つ、兼続もこれには思わず驚いたほどである。
 このような方法があると言うのならば、保留にしていた越後の開発も多少の進展を迎える事が出来る。
 それに佐渡の金山についても、現状の段階では目星を付けていた程度でしかなかったため、後押しをしてくれるのは有り難い。
 御館の乱が集結し、漸く落ち着いてきた今の上杉家にとっては治水や金山といった開発は重要事項であるため、盛安の進言は有益なものだったといえる。















「……兼続、秀治」

「はい、盛安様からの書状の件は是非とも成すべき事であるかと存じます」

「兼続殿に同意でござる。戸沢様の御進言、これからの上杉にとっては必要な事だと心得ます」


 盛安からの書状を読み終えた後、景勝は側近であり、腹心である兼続と秀治の両名を呼び寄せて意見を問う。
 景勝の両輪とも言うべき2人の意見は共に一致しており、盛安からの進言は必要なものであるとの答えだった。
 こういった他家からの進言は本来ならば、疑ってかかるべき事ではあるが――――
 御館の乱の際の進言も含め、盛安から届いた書状は今後の上杉家が如何に動くべきかの後押しをするような形のものであり、先を見据えているものだ。
 それ故に景勝は疑う必要はないと判断した上で家中の政務の中心人物である兼続と秀治の2人に意見を訪ねたのである。


「……ふむ。ならば、織田の攻勢もなく、最上も動けぬ今の内に動くべきか」

「はい、そうすべきであるかと存じます。唯、盛安様の仰られる治水に関しては流石に直接、拝見させて頂かねば詳細までは解りませぬ。
 機会がありましたら、この兼続を是非とも角館に御遣わし下さい。盛安様の手法を詳しく、聞いて参りたく存じます」


 2人の同意を得た景勝は今の状況の間に動くべきである事を問いかける。
 今の越後国を取り巻く状況はそれほど悪くない。
 御館の乱で消耗したとはいえ、重家の恩賞の件を皮区切りに景勝が幼少時からの家臣達だけを優遇する人物ではない事が明らかになったため、素直に従う者が多い。
 その影響か今の上杉家は史実とは違って混乱や動揺が少なく、国内は順当に纏まっている。
 頃合いを見計らって改革を行う事や軍事行動を起こす事は決して不可能ではない。
 兼続が戸沢家に自ら出向くと言い出したのもこういった状況を踏まえての事である。


「……解った。そのように兼続が申すならば、盛安殿が落ち着いた頃合いを見計らって遣わすとしよう。秀治もそれで良いか?」

「構いませぬ。この件に関しては兼続殿が自ら行かれるべきであると存じます故、是非ともそのようにされるべきかと」


 兼続が戸沢家へと直接出向くという意見に景勝は頷き、秀治も後押しをする。
 盛安が当主になってからの戸沢家は目に見えて勢力を大きく伸ばしており、治水等の領内の改革が行われた事は想像に難くない。
 それに畿内へ出向いた際に雑賀衆の的場昌長と鈴木重朝、根来衆の奥重政、伊賀上忍の一門である服部康成を召抱えているのも改革の一端であるのは明らかだ。
 その証拠に庄内平定での戦にて援軍として参陣した繁長からの報告でも、盛安の率いる軍勢は騎馬と鉄砲の数が多く、火力を重視した軍勢であった事が伝えられている。
 戸沢家領内の事も含めると詳細こそ解らないが、盛安が明らかに様々な改革を行っている事は景勝にも兼続にも秀治にも解っていた。
 兼続が自らの目で戸沢家の領内を見てみたいと進言してきたのは当然の事である。
 無論、景勝に否はなかった。


「……殿の御配慮に感謝致します」


 景勝が自分の意図を理解してくれている事に感謝し、平伏する兼続。
 幼少の頃より敬愛する主君であるが、その決断の速さと理解力の深さには幾度となく助けられ、兼続の進むべき道を後押ししてくれる。
 此度の戸沢家の領地へ訪問するという話についてもそうである。
 即断であったために、考えていないようにも見受けられるが、景勝は兼続の思うところを受け止めた上で許可を出したのだ。
 その心遣いが身に染みて有り難い。
 兼続は景勝の意図を汲み取り、戸沢家で行われているであろう改革を出来る限り持ち帰る意志を強くするのであった。















「盛安殿との件は暫し先になるであろうから、此処までにするとして……義重殿への繋ぎは如何なっている?」


 兼続を戸沢家へと遣わす事を決めたところで景勝は秀治に佐竹義重への繋ぎの事を尋ねる。
 盛安からは会談を行った際に甲斐姫の事を含め、義重との繋ぎを取るとの約束をしており、景勝は兼続と秀治に戸沢家との同盟の件も含めて話を進めるように命じていた。


「はい、義重様へ書状は盛安様が庄内の平定を終えた後に送りましたので……恐らくは今頃、義重様の手元へと届いている頃合いであると存じます」

「……そうか。ならば、返答が来るのは年明けが過ぎてからとなるか」


 書状を送ったのは繁長からの報告により盛安が庄内を平定した事が明らかになった時で、会談をした時期が7月末であった事を踏まえれば些か遅い。
 だが、これは盛安の今後の動向が如何に進むのかを見据えたものであり、彼の人物の器量を義重に伝えるには大きな出来事があった方が都合が良いと踏んだからだ。
 事実、盛安は最上義光の対策を行った上で庄内の平定を成し遂げている。
 兼続の読みは見事に当たっていたとも言えるだろう。
 景勝は兼続の配慮により、義重も盛安には深く興味を覚える事になるだろうと推測する。


「……となれば、義重殿の返答を受けた後、盛安殿に繋ぎを取るのは兼続が戸沢に出向いた時になるな」

「そうですな。盛安様に御伝え出来るのはその時だと存じます。恐らくですが、盛安様は年明けには安東家に対して兵を起こすと思われますし……。
 義重様との繋ぎを取るのは如何しても、後の事になってしまいます。待たせてしまう事になるのは申し訳ない限りではありますが」

「……それは仕方あるまい。流石に盛安殿とて今の状況で動かぬ訳がないのだからな」


 だが、義重からの返答が来たとしても盛安に伝えるのは随分と先の事になってしまう。
 盛安が安東家攻めを行う事を考えると、最短でも恐らくは3、4ヶ月ほどは後になるだろうか。
 しかし、義重の気質を考えればそのくらいの事は想定しているのは確実であるため、然程大きな問題とも言い切れない。
 関東でも北条家に次ぐ70万石を超える強大な勢力を築き上げた義重は関東だけでなく奥州の動向にも気を配っており、盛安の動向も掴んでいるのは間違いないからだ。
 庄内平定後の安東家攻めの事についても予測の範囲内だろう。
 坂東太郎とも、鬼とも称される英傑の名は伊達ではない。


「まぁ……義重殿の事であるから、盛安殿からの返答が遅くなる事については想定しているだろうが……実際に盛安殿の事を如何様に見るかは楽しみなところだ」

「そうですな。義重様ならば、面白い人物だとでも評しそうではありますが」

「……かもしれぬな」


 景勝と兼続は義重が盛安の事を如何に思うかを想像し、笑みを浮かべる。
 今は亡き、謙信の軍配を継ぐ、唯一の人物だと言われる義重は質実剛健を旨とし義を重んじる人物であり、信頼のおける人物。
 その義重が家督を継承してからの盛安についての動向を如何に評価するのかは景勝と兼続にとっても興味を惹かれるものであった。
 無論、それに同意する形で頷いている狩野秀治も同様だろう。
 義重が如何なる反応を示すのかは景勝主従の誰もが気になる事だ。
 少なくとも、予測を裏切るような事はないと思うが――――如何なものであろうか。
 上杉家にとっては長年の盟友でもあり、景勝にとっては義兄とも慕う彼の人物である佐竹義重。
 彼の人物は果たして、盛安の事を如何に評価するのであろうか――――。















「ふむ、景勝殿が此処まで入れ込むとは――――これは謙信殿の御存命時以来の事、だな」


 関東の中でも奥州の近くに位置する常陸国にて、一人の人物が盟友である上杉景勝からの書状を読み耽っている。
 この書状の内容は現在の奥州の状況や、大きく変動のあった出来事を事細かに記載しているものであった。
 上杉家から届けられた書状を面白げな様子で読み進めていく人物の歳の頃は30代前半といったところだろうか。
 盛安と比べると20歳近くも歳上ではあるが、武将としては脂の乗る年代であり、働き盛りの年代である。


「戸沢九郎盛安。関東では漸く名前が出始めたといったところだが……庄内平定を15歳で成したのだから、見事なものだ」


 この人物は無精髭を擦りながら、書状にて名前の上がっている盛安についての項目に目を通しつつ、自らが調べていた奥州の動向が間違っていなかった事を実感する。
 関東に在りながら、奥州でも随一の巨星であった蘆名盛氏と長年に渡り、争ってきた身として、奥州に新たな巨星と成り得る人物が出てきた事は大いに興味が唆られた。
 それに自らの嫡男である次郎の母も伊達家から嫁いで来た身であり、この人物にとって奥州は身近なものなのである。


「また、庄内だけでなく、由利、真室を抑えたのも悪くない。宿敵である安東と戦うための準備と踏まえるならば、妥当な筋書きであろう。
 盟友として、上杉、津軽を選び、更には佐竹を選んだ点も最上、伊達を意識した政略に相違ない。若いが、武士としての資質は充分にある。
 景勝殿のからの評価もあながち、間違いとは言い切れまい。順当に経験を積んでいけば紛れもない、傑物と成り得よう」


 盛安については出羽国北部における勢力拡大の件といい、朝廷により賜わった鎮守府将軍の件といい、名を馳せるだけの出来事が非常に多い。
 家督を継承して2年の間に此処まで大きく伸びたのは一重に盛安という人物があってこそのものであろう。
 もしかすると、謙信の薫陶を受けていた若き日の自分よりも上手かもしれない。


「惜しむらくは出てくるのが遅過ぎた事か。間違いなく、奥州で鎮守府将軍の名に相応しいだけの勢力を築く事は出来るだろうが……。
 もし、10数年も早ければ状況は大きく変わっていたであろうな。……尤も、彼の人物のやり方を聞く限り、天下を望んでいないのは間違いないと思うが」


 だが、それだけの実力と資質を持ちながら、盛安は余りにも遅過ぎたと思う。
 自分とて、盛安と同じ頃の生まれであったならば、今のような強大な勢力を築き上げられたかは解らない。
 天下を望んでいない点だけは同様だが――――果たして、70万石もの所領を得る事が出来たであろうか。
 つくづく、自分が早くに生まれた事を感謝しなくてはならない。
 ある意味、恵まれていたと言えよう。


「それに甲斐姫を正室に望んでいる、か。目のつけどころは見事と言うべきだな。夜叉とも鬼とも称されている身であるならば、彼の女子ほど相応しいのも存在しない」


 また、景勝からの書状では盛安は甲斐姫を正室に望んでいるという。
 家中では巴御前の再来とまで評されている甲斐姫だが、夜叉九郎とも鬼九郎とも称される盛安ならば名前負けしていない。
 男子にも劣らぬ勇猛な女子である甲斐姫を一時は次郎の室にしたいとも考えていたが、既に那須資胤の娘を迎えているため、出来なかった。
 それ故に甲斐姫の相手に相応しい人物については保留にしていたのである。


「景勝殿から伝えられた、この申し出は渡りに船でも言うべきか」


 だが、盛安が盟約を結びたいと申し出てきた上で甲斐姫を望むと言うのは決して悪くはない。
 盛安の事は甲斐姫自身も頻りにその名を持ち出していたからだ。
 当人同士が互いに興味を持った上で尚且つ、自らが巨星の落ちた岩代国を切り取る存念でいる現状を踏まえれば戸沢家との同盟は非常に有益だ。
 しかも、長年の盟友である上杉家の助けにもなるのだから尚更である。 


「その相手が奇しくも俺と同じく”鬼”と称された人物と言うのだから面白い。これだから乱世とは解らぬものよ」


 意外でありながら、道理でもある戸沢家の申し出は此方からしても、望むところだ。
 鬼と毘の同盟に更に鬼が加わるとならば、周囲の敵は嘸かし、震え上がるであろう。
 北と西の双方に敵を抱えている今の自分の名が更に凄みを増す事にもなる。
 こうして、景勝からの書状を読み終えた一人の人物はゆっくりと立ち上がり、奥州へとその目線を向ける。
 それは何気ない一挙一動でしかなかったが、一分の隙もなく無駄もない。
 もし、この場に何者かが居たとすればその振る舞いには思わず、背筋が震えた事だろう。
 一人の人物の纏う雰囲気はまるで、戦国という時代が授けた鬼であると称しても間違いはないほどのものであったからだ。
 戦国期の関東の動乱を天正年間に至る現在まで生き、常陸国を掌握し、下野国、下総国の半ばまでも支配下に組み込み、奥州にも影響力を持つ彼の人物――――。















 その名を――――佐竹義重といった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第39話 二人の鬼
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2012/12/28 06:25





 ――――佐竹義重





 この名をどれほどの人が聞いた事があるだろうか。
 知名度こそ、相模の獅子と称される北条氏康には及ばないが、戦国時代でも有数の激戦区であった関東を最後まで戦い抜いた人物として知られている。
 坂東太郎鬼義重という異名を持つ義重は軍勢の統率に長け、武勇に優れた武辺者で戦の際は陣頭に立って自らが太刀を振るうという猛将。
 また、民政家としても優れた手腕を持ち、特に鉱山開発等の分野においては驚くべきほどの成果を上げている。
 これにより、義重は膨大な資金源を得る事に成功し、3000丁以上もの数の鉄砲を揃え、関東随一の火力を持つ軍勢を創り上げたという。
 また、義を重んじ、質実剛健を旨とする人物でありながらも、柔軟性を持つ武将でもある義重は佐竹家の最全盛期を築き上げた名将と名高い。
 負け知らずではないが、戦においては確実な実績を積み上げており、史実では彼の伊達政宗を相手に回しても、戦術上でならば負けた事は一度たりともない。
 それに北条家に対して一貫して立ち向かったのも義重の率いる佐竹家のみで、上杉謙信ですらも一時期は和睦を結んでいる。
 一度、敵であると定めた北条家と最後まで戦い抜いたその気質は決めた事を決して曲げないという強い意志を持っている事が窺える。
 それ故に義重は関東随一の猛将とも名将とも呼ばれているのだろう。
 事実、義重は謙信より、『軍配(武略)を継げる者』と呼ばれ、直々に長光の太刀を賜っているのだから尚更である。
 謙信の後を継いだ上杉景勝が義重の事を義兄のような人物と慕うのもその強さと魅力があっての事なのかもしれない。
 何れにせよ、佐竹義重という人物は知勇を兼ね備えた戦国時代でも稀に見る英傑であったといえる。















「皆の者、良く集まってくれた。此度、皆を集めたのは越後の景勝殿より、出羽の戸沢盛安殿との同盟の話と甲斐を正室に迎えたいとの話を持ち掛けられたからである。
 俺としては、並々ならぬ武士であると見受けられる盛安殿とは是非とも関わりを持ちたいと思っておる。皆の忌憚のない意見を聞かせてくれ」


 景勝からの書状を読み終えた義重は家臣達を場に集め、意見を問いかける。
 義重自身としては、景勝からの書状と自らの集めた情報で盛安の武将としての器量が確かである事を確信している。
 それ故に同盟を結ぶ事については吝かではなかったし、もう一つの案件である甲斐姫の事も選択肢としては在りだろうと考えていた。


「私は義重様が御自分でそのように御判断されたのであれば、間違いはないと考えております。
 盟友である景勝様も御信頼出来る御方です故、戸沢盛安様の御評価も誠であると思われますし、御自分の思う事を信じても宜しいかと。
 此処近年では良く名前を御聞きする方でもありますし、そのような人物であるならば、戸沢盛安様とは友誼を結びたく存じたく思う次第です。
 甲斐殿に関しても、盛安様と盟約を結ばれるのであれば良き御話ではないかと。些か、惜しい気も致しますが……甲斐殿は並の御仁では相手は務まりますまい」


 義重から尋ねられ、真っ先に答えるのは佐竹家の一門衆である佐竹義久。
 義久は佐竹家の分家、北、南、東、西の一つである東家の出身で、先代の佐竹義昭の代から長年に渡って仕えた佐竹義堅の次男である。
 20代の半ばという若さでありながら、佐竹家の一門衆の中でも政治、軍事にと優れた才覚を見せ、重用されている。
 義久は正に義重の懐刀というべき人物であり、佐竹家の次代を担う大物であると言えるだろう。


「ふむ……義久は俺と同じ考えという事か」


 佐竹家の一門衆である義久の考えが自分の思うところと一致している事に満足そうに頷く義重。
 義久は盛安が盟約を結ぶに足り得る人物である事を関東で聞こえてくる武名を踏まえた上で自らの目線で論じている。
 景勝や兼続との率先してやり取りも任されている義久であるが、甲斐姫の事を惜しんでいる事からして、決して贔屓目に盛安を評価している訳ではない。
 公平な立場で戸沢家とは盟約を結ぶべきであると見ているのだ。
 義久の意見は義重の思惑に沿っているものであった。


「義久様の御意見も尤ですし、戸沢家の伸長からして反対する要因はありませぬが……拙僧は伊達家との関係を踏まえれば、様子を見るのも一考であると存じます。
 戸沢盛安様は朝廷により鎮守府将軍に任じられておりまするが、それは伊達家を始めとした大名を脅かすものであり、場合によっては敵対する行為。
 今の戸沢家の勢力は決して小さくはありませんが……せめて、出羽北部を完全に抑えられるまでは御様子を見ても良いのではないかと考えます。
 暫しの時間がありますれば、甲斐殿の件に関しても如何に話を進めるかを熟考する事が叶います故」


 義久に続き、意見を出すのは佐竹家の外交全般を任されている岡本禅哲。
 先々代の当主である佐竹義篤の頃から仕える禅哲は長年の経験に基き、戸沢家との件は堅実に対応すべきであると答える。
 戸沢家の勢力拡大には目を見張るものがあるが、この動きは他の奥州の大名にとっては脅威に値するもの。
 特に朝廷から鎮守府将軍に任命されているの事が尤も大きく、伊達家、最上家のように幕府から探題職を与えられている大名にとっては非常に都合の悪い存在だ。
 有名無実化した幕府の役職よりも、朝廷から直々に与えられる官職の方が影響力が強いのは当然だからである。
 唯、今の戸沢家は庄内を平定したとはいえど、勢力的にはもう一歩といった段階で出羽北部を抑えるまでは勢力的な不安がある事は否めない。
 禅哲が堅実に対応すべきだと述べているのも道理であった。


「なれど、戸沢が景勝様を通して盟約を結びたいと言っている今の機を逃す訳にも参りますまい。佐竹とて先が如何になるかは解りませぬ。
 北条めの動き次第では対応する事が叶わぬ事態にもなりかねませぬ。甲斐殿を嫁がせるにせよ、しないにせよ、繋ぎを取るのは急ぐべきではないかと」


 禅哲に続いて、機を逃すべきではないと具申するのは太田資正の息子である梶原政景。
 父、資正に代わってこの場に参加している政景は対北条家の最前線を任されており、逐一その動きを警戒している。
 それ故に北条家が佐竹家に対して軍事行動を起こしていない今を逃すべきではないと判断しているのだ。
 盟約に応じる返答を送るにしても、此度に関しては戸沢家との繋がりを持つ上杉家を経由しなくてはならないため、返答するならば早い方が良い。
 政景は北条家の事を念願に置きつつ、繋ぎを取るべきであるとの意見を述べる。 


「各々方の御意見は何れも一理あり、間違っているものはありませぬ。それ故に私は初めに義久様が申されたようにお館様の思う通りにするべきであるかと存じます」


 主要な家臣達の主な意見が出たところで最後に口を開くのは先代の佐竹義昭の頃からの重臣である和田昭為。
 佐竹家でも随一の忠臣として知られる昭為は年若い義久と共に内政、外交の両面で活躍している人物。
 一時期は蘆名盛氏の調略によって佐竹家を出奔し、白河家の下に属していた事もあるが、再び戻ってきたという経緯を持つ。
 この時、昭為は白河家を降すための戦において重要な役割を果たしており、軍事方面でも力を発揮している。
 文武共に優れた知将であり、長年に渡って佐竹家に仕える昭為の意見はあくまで当主である義重の意志を尊重させるもの。
 義久と同じく、義重の思惑を深く理解しているものであると言える。


「ふむ……皆の意見は良く解った。この件は追って沙汰する故、これまでとする。大儀であった」


 義久、禅哲、政景、昭為といった佐竹家でも主要人物である家臣達からの意見を聞き、義重は話題を此処までとする。
 特に口を挟まなかった家臣達もそれぞれが意見を出した者達と意見に変わりはないらしく、各々の意見が出た際に同意見であった者はその人物に頷いていた。
 それならば、家中で聞いておきたい意見の殆どは聞いた事になる。
 義重はそう判断し、この場を切り上げたのである。
 とはいっても、戸沢家との事にしろ、甲斐姫の事にしろ如何にするべきかは既に義重の中で答えは出ている。
 後は甲斐姫本人と義祖父である太田資正に話を通すだけだ。
 実家である成田家の事もあるが、その点に関しては既に現当主である氏長より義重と資正の判断に委ねるとの返答が来ているため問題とはならない。
 それに甲斐姫の事は祖母である妙印尼からも頼まれている。
 出来る限り、甲斐姫の望む形と佐竹家にとっても良い方向性となるように事を収めたい。
 義重はそう思い、訓練場へと足を向けるのであった。















「おうっ! 義重殿!」


 義重が訓練場へと足を踏み入れた事に気付いた一人の人物が声高々に義重の名を呼ぶ。
 歳の頃は30歳を越えたばかりといったところだろうか。
 無駄のない引き締まった体躯と一丈もの長さを誇る木杖を軽々と携えている姿が印象的だ。


「氏幹殿! やはり、此処だったか!」


 義重の名を呼んでいた一人の人物の名は真壁氏幹
 坂東太郎、鬼義重の名で知られる義重と同じく、鬼真壁と称された事で武名を轟かせている関東屈指の猛将である。
 氏幹は常陸国にある真壁城の城主を務める豪族で、若き日は塚原卜伝の下で新当流を修め、後に霞流棒術と呼ばれる流派を創始した剣豪としても知られている。
 常陸国の豪族の中でも早くから佐竹家に従う事を表明していた氏幹は幾多の戦場で義重と共に陣頭で戦い、鬼神の如く駆け巡った。
 上杉謙信より賜わった長光の太刀を振るい、敵を次々と斬り伏せていく義重と一丈もの木杖を振るい、敵を次々と叩き伏せていく氏幹の姿は正に鬼と呼ばれるに相応しい。
 2人が共に鬼と称されているのも戦場での戦いぶりと強大な北条家を前にして、一歩も退かないその振る舞いがあってこそのものだ。
 そういった意味では名目上は家臣という立場にある氏幹だが、義重とは武辺者同士であり、良き盟友であると言えよう。


「ああ。俺には斯様な場は合わぬのでな。義重殿には悪いが、資正殿と共に義宣殿達の面倒を見させて貰った」

「いや、構わぬ。義宣達の事は氏幹殿や資正殿に見て貰った方が助かるからな。俺としてもその方が有り難い」


 先程までの上杉家からの書状についての話に参加せずに訓練場に居たという氏幹は義重の嫡男である佐竹次郎……基い、佐竹義宣らの訓練を行なっていた。
 今は資正に弓術の訓練を任せていたために義重が足を踏み入れた段階で声をかけてきたのだろう。
 義重としても関東で有数の剣豪で知られる氏幹や歴戦の名将と知られる資正が息子達を教授してくれる事は有り難いため、その行為には感謝するしかない。
 盟友の配慮には父親として頭の下がる思いだ。


「それで、上杉からの書状の件については纏まったのか? 義重殿の事であろうから、結論は既に出ていると思うのだが」

「ああ、氏幹殿の言う通り、如何に返答するかは決めている。後は当人にその事を伝えるだけ故、この場に来たのだ」

「……成る程。そういう事ならば、共に向こうに居る資正殿の所へ行くとしよう」


 上杉家からの書状についての話の結論が義重の中で既に決まっている事を容易く見抜く氏幹。
 こうも簡単に義重が如何に答えを定めたのかが解るのは武辺者同士であり、互いの気質が似ているからであろうか。
 氏幹は頭を使う事はそれほど得意ではないが、盟友の考える事くらいは御見通しだといった表情だ。
 自分の思惑を汲んでくれる氏幹に義重は思わず笑みを浮かべた。


「さて……義重殿の御望みの者が居るのは彼処だ」


 義重と暫しの会話を重ねた後、氏幹が指し示すのは弓の訓練場。
 居並ぶ的に向かって年若い男女が50歳に手が届くだろうと思われる人物の監督の下に弓を引き絞っている。
 その姿は未だに義重や氏幹といった一人の武士には遠く及ばないが、型については割と様になっていた。


「うむ……2人とも少し見ぬ間に腕を上げたようだな。中々、悪くはない」


 氏幹が指し示す先に居る2人を視界に収め、順調に弓術の腕が上がっている事を実感する義重。
 視線の先に居る2人は両名共に勤勉であり、武芸を修めるという意気込みも目を見張るものがある。
 歴戦の将である太田資正にとっては嘸かし、鍛えがいがある事だろう。
 時折、弓を射る際に指摘をする声が聞こえてくる。
 義重も時間が空いている時はその2人には自ら相手を努め、様々な事を教えている。
 向上の意識が強いためか、教えた事を次々と身に付けていくその姿に義重は大いに将来の期待を寄せていた。
 満足気な様子で訓練場を見つめる義重の視線の先に居るのは10歳前後と思われる男女。
 一人は義重の嫡男で、何れは佐竹家の家督を継ぐ事になる佐竹義宣。
 そして、もう一人は――――















 佐竹家中では巴御前の再来であると称されている成田甲斐であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第40話 甲斐姫な私
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/01/06 00:14





 お義祖父様と義宣殿が近くで見守る中、私はゆっくりとした動作で弓を構える。
 今の私は漸く10歳に手が届くか如何かの身ではあるけれども、前世で培った技術と心構え。
 そして、遠い先の時代の得た記憶と知識の両方があり、迷う事のない動作で弓を引く。
 狙うのは約110メートル(約60間)もの距離の先にある的。
 この距離は弓の有効射程と言われる80メートルよりもやや遠い距離でお義祖父様が言うには「この距離で的中させられるなら一人前だ」との事。
 だったら、認めて貰うには難しくてもこれくらいの芸当はやってのけないと駄目。
 私はそう思い、的に意識を集中する。
 僅かに乱れが生じるだけでも狙いがぶれるのだから、それは尚更で。
 しかも、先んじて弓を引いた義宣殿は見事にこの距離でも的中させてるから、私も負けてはいられない。
 だけど、弓で的を狙うのは少しでも心が乱れていたら狙いが外れてしまうもの。
 だから、私は一度、目を閉じて、深く息を吐き、意識を落ち着かせてから弓を引く体勢に入る。
 目を閉じたまま弓を構える私の目の前に広がるのは一面、真っ暗な深淵。
 その光景は水が揺らめいているかのように波を打つ。
 少しの間の後、視界の中で揺らめいた水の中心に一滴の雫が落ち、中心から波紋が広がる。


(見えた――――!)


 的に意識を向けていた集中力が高まったその瞬間を見計らい、私は目を開いて弓を射る。
 但し、今の私では110メートルもの距離を真っ直ぐに射抜く事は出来ないため、射線を少しだけ上に向けた状態で。
 放たれた矢は放物線を描くように飛んで行き、狙っていた的の中心に突き刺さる。
 見事、的中。


「……流石だ」


 その光景を見て、ぽつりと呟くのは私と一緒に弓の訓練をしている義宣殿。 
 先に的中させていた義宣殿から見ても、今の私の射は上手く出来ていたみたい。


「うむ、それで良い」


 じっと黙って見ていたお義祖父様も一先ずは及第点といった評価をしつつ頷く。
 少し手厳しいとも取れるけれど、歴戦の将であるお義祖父様からすれば私がまだまだっていうのは当然の事。
 義宣殿の射の時も同じように満点といった評価をする事はなかったし……。 
 お義祖父様が満足出来る程の腕前の人物だと評価していたのは義重様や北条綱成殿くらいしか聞いた事がない。
 私は目標とする先の遠さを実感しつつ、大きく息を吐く。
 これじゃ、私の探していたあの人の所へ行くのはまだまだ先になりそう。
 私と同じく、遠い先の時代の知識と前世を持つあの人の姿を思い浮かべながら、私はもう一度溜息を吐く。
 果心居士殿に出会って漸く私の探している彼が何処に居て、何をしているのかを掴んだのに……。


「有り難う、ございます。お義祖父様、義宣殿」


 そういった僅かばかりの焦りの気持ちを抑えつつ、私はお義祖父様と義宣殿へと向き合う。
 私が武芸や軍学を修める事に反対しなかった方々に対して、何時までも自分の事を引きずったままで居るのは失礼だから。
 気持ちを落ち着かせながら、私は自分の気持ちをもう一度引き締める。
 先は長いけれど、確実に歩みを進めているのだから悲観する事なんてない。
 今では巴御前の再来とまで評されるまでに武芸の力量もついてきたのだから。
 女子の身でありながら佐竹家中ではこうして武将としての訓練を認められ、その気質から今巴とも鬼姫とも呼ばれている私。
 その名前を――――成田甲斐といいます。















 成田甲斐――――。
 この名前を聞いて、皆さんは何を連想するでしょうか。
 恐らくではありますが、甲斐姫の名前を聞いて小田原征伐の際の忍城の戦の事を思い浮かべる方が多いかと思います。
 実際に私の生まれは1572年(元亀3年)頃の生まれで遅れてきた英傑とも言われる伊達政宗殿や真田幸村殿よりも5年も遅い。
 それに歴史上でも有名な戦の殆どが終わっている時期に生まれ、一人前と呼べる年頃になった時には九州征伐や小田原征伐といった天下の形勢が定まっていた頃。
 ですから、私の名前が出てきた頃は既に羽柴秀吉……いえ、豊臣秀吉の天下が目前にあった時期だったといえます。
 もう、如何にも出来ない時期だっただけに私は無力でしかなく、女子の身ではお父様の下で働く事も出来なかった。
 忍城の戦でこそ、大叔父様達や家臣達の協力もあって歴史上に名前を残せるほどに活躍が叶ったけれど……。
 その後の私の一生からすると自分の思う通りに生きていけたとはいえなくて。
 だから、奇しくも幼少の頃に意識が覚醒し、2度目の人生を送る事になった私は出来る限り、存分にやってみようと思って行動している。
 その上で遠い先の時代の知識も得ている私は史実とは全く違う生き方を求めて、お義祖父様の属す佐竹家の下に身を寄せる形に大きく立場を変えた。
 勿論、その時にお父様とは色々とやり取りがあった事は当然の事で。
 だけど、女子の身で武将としての修練や勉学に励もうとする私に思うところがあったのか、お父様はお祖母様達の確約を得て、お義祖父様の下に行く事を許可してくれた。
 お義母様も今のままでは私の望む事は存分に学べないと思っていたのか、お父様に反対する事は余り多くなかった気がする。
 こう見ると私はつくづく、身内に恵まれていたのかな、と思う。
 唯、お父様は私に対して、こうも言っていた。


「甲斐の進む道は何れ、この父とも戦う事になる。その覚悟は出来ているか」、と。


 親兄弟ですら袂を分かつ事も多い、戦国時代だからこそのお父様からの忠告の言葉。
 その言葉に対し、私は既に覚悟は出来ていると返答している。
 史実と違う道を進むと決めたからにはお父様と相対する事になる事は避けられない事だったし……。
 覚悟なくして、先へいく事なんて出来ない事は明らかだったから。
 それに私の探しているあの人に会うには閉じ込もっていてはいけないし、自分から外に出なくては見つける事なんて決して出来ない。
 だから、私は成田家を出て、お義祖父様の居る佐竹家へと身を寄せる道を選び――――。
 こうして、私……成田甲斐の在る場所が変わると共に僅かばかりの歴史の変動が始まった。















「暫し、見ぬ間に中々の腕になったようだな――――甲斐」


 私の射が終わる頃合いを見計らってこの場に足を踏み入れ、名前を呼ぶのは義宣殿の父親である義重様。
 後ろには先程まで、私達に剣術を指南してくれていた氏幹殿も一緒に居る。


「義重様!」


 久し振りに見る義重様の姿に私は思わず、喜びを抑えきれずに声を上げる。
 尊敬する英傑であり、佐竹家に迎え入れてくれた上で武将としての修練を認めてくれた義重様はとても足を向けて寝られない程の大恩人。
 義重様は私が修練をする上で疑問に思う意見が上がった時には源平合戦の時代における巴御前を例に喩え、女子でも修練をする事は良き事だと断言してくれた。
 武を重んじる源氏の家ならでは意見なのだと思うけれど、初めてこの言い分を聞いた時は私も吃驚した。
 反対するのが普通であるはずなのに、逆に推奨する意見を出すなんて。
 義重様が普通の方とは全く違う人物である事をまざまざと見せつけられた瞬間だった。
 それ以来、私はお義祖父様に教わりつつ、時には義宣殿とも修練を行う日々を送っていた。
 義重様とは此処、最近の都合が取れずに余り会う事は出来なかったのだけれど……。
 こうして、御壮健そうな様子を見ると安心する。
 佐竹家は決して地力の弱い大名では無いけれど、義重様の力量が大きく影響しているのは間違いなくて。
 何しろ、関東と奥州との双方の戦線を”一人の大名”が支えたというのは義重様以外に史実では存在していない。
 あの、北条氏康公ですら北条綱成殿を始めとした軍団を各地に配置する形で各方面に対処していた事を考えると義重様の軍事能力は尋常なものじゃない。
 上杉謙信殿が軍配の後継者と評したのも、その類稀な力量があってこそのものなんだと思う。
 そういった意味では義重様という人物は今の私にとって最も間近に存在する英傑であり、武将として目標とするべき人だった。


「父上!」


 私が義重様の名を呼んだ事に続いて義宣殿も同じく、その名前を呼ぶ。
 義重様は義宣殿にとっても目標とする人物であり、次期当主という立場にある身としては偉大な先達でもある。
 時には厳しく、時には優しく、私達に様々な事を教授してくれる義重様は親としても師としても義宣殿から見ても目標とするべき人なのだと思う。


「義宣も負けず劣らず、精進しているようだな。荒削りではあるが、良き眼差しだ。今後も然と励め」

「はい、父上」


 軽く肩をたたきながら、義宣殿を労う義重様。
 義宣殿の眼差しに宿る光を見て、以前に顔を合わせた時よりも成長した事を察したみたい。
 政治、軍事と忙しいため、余り良く見れてはいないはずだけど、義重様は違う部分で私達を見てくれている。
 義宣殿が以前よりも成長している事が解ったのはそういった部分があるからなのかも。


「義重殿、此方に来られたという事は上杉家からの書状の件はもう片付いたのですな?」

「一応はな。後は本人の意志を聞くだけと言ったところだ」


 義宣殿との短い会話が終わった頃合いを見計らって、義重様に尋ねるのはお義祖父様。
 お義祖父様は息子である梶原政景殿に場を預け、私と義宣殿に弓術を始めとした指南を行なっていた。
 そのため、今回の上杉景勝様からの書状に関しては関係がなかったはずなのだけれど……。
 話の流れが如何になったかを見事に予測しているのは流石、関東でも随一の経験を持つ太田三楽斎資正といったところかも。


「ふむ、そうでしたか……ならば、その件については成ったも同然でしょう。甲斐が話を断るとは思えませぬ」

「既に答えの予測が出来ているとは、流石は資正殿。……仰る通りだ」


 更に驚く事にお義祖父様は書状の内容に如何、返答するかの予測までも言い当ててしまう。
 これには流石の義重様も驚いたみたいだけど……今、普通に私の名前があがっていた。
 いったい、何の事だろう?


「お義祖父様、何の話ですか?」


 上杉家からの書状について話しているはずなのに何故、此処で私の名前が出てくるのかが解らない。
 一応、景勝様や兼続殿も私が成田家を出て、佐竹家に身を寄せている事は知っているはずなのだけれど……。
 私とは直接の接点があるわけじゃない。
 だけど、義重様や義宣殿とは親しくしているから私の知らないところで色々な話が出回っている事は否定出来ない。
 今では佐竹家中でも鬼姫と呼ばれつつあるようになってしまったし……。


「うむ。実は……上杉殿がある御方との繋ぎを取り持ちたいと言っていてな」

「景勝様がですか? 今の話からすると私に関係があるみたいですが……」

「そうじゃ。義重殿と話した通り、この件については甲斐にも深い関わりがある」


 書状に関する疑問を尋ねる私に対し、この件は私にも大いに関係があると肯定するお義祖父様。
 景勝様が繋ぎを取り持ちたいと言っている事から考えると……書状で伝えてきた内容は新たな同盟を結ぶ事の可能性が高い。
 今の上杉家は佐竹家以外にも武田家と同盟を結んでいるけれど、此方に関しては佐竹家も武田家と同盟しているため考えられない。
 後は戸沢家が上杉家と同盟しているという事だけど……これはまさか、彼が動いてきたという事?
 上杉家が同盟していて、佐竹家が同盟していない相手で尚且つ、景勝様の方から間を取り持ちたいとなればそうとしか思えない。
 これはあくまで私の憶測でしかないけれど、彼が遂に私の事を見つけたのだと考えると思わず胸が高鳴る。


「実は――――戸沢家の現当主である盛安殿が佐竹家との同盟と甲斐を正室に迎えたいと言ってきておるのだ」

「えっ……?」


 私のその思いを知ってか知らずか、お義祖父様は私が求め、待ち望んでいた事を告げる。
 佐竹家に対して戸沢家が上杉家を通して、盟約を結びたいという話。
 そして、現当主である盛安様が私を正室に迎えたいという話。
 一気に出てきた話題に私も思わず黙ってしまう。
 戸沢九郎盛安――――。
 果心居士殿から聞いた私と同じように遠い先の時代の知識を持ち、2度目の人生を送っている人物。
 史実と比べても明らかに変わっている今の奥州の歴史に大きく関わっている人物。
 そして――――私が遠い先の時代で見た、最後の光景を一緒に見た人物。
 実のところ……証拠としては少ないのだけれど義重様が時折、口にする盛安様の行動指針を聞く限りは私の知っている彼の気質と一致している。
 遠い先の時代で、裏舞台に消えていった鎮守府将軍が再び表舞台に現れたら――――? というのは彼が私に言っていた事だから。
 それを本当に迷う事なく、実現させてしまったというその動きを踏まえると、盛安様が彼なのは如何考えても間違いなくて。
 しかも、盛安様は上杉家との同盟を結び、その伝手を頼りに佐竹家との同盟という選択肢を導き出した。
 勢力の拡大した戸沢家の方針としては元々から考えていた事かもしれないけれど……。
 私が佐竹家に身を寄せている事を知った上で正室に迎えたいと言ってきているのだから、疑いようがない。
 そのため、景勝様からの書状の内容が義重様とお義祖父様の言う通り、私が断るはずのないものだったのも頷ける。
 盛安様の正室になりたい――――それは彼の事を見つけた私が一番、望んでいた事だったのだから。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第41話 鬼姫と鬼義重
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/01/20 11:11





「戸沢盛安様が私を正室に……本当ですか!?」


 たった今、義重様が私に伝えた景勝様からの書状に記されていた内容は余りにも唐突で。
 望んでいた事を盛安様の方からも望んでいる事は本当に夢のよう。
 だけど、高鳴る胸の鼓動と身体の奥底から感じられる熱は紛れもなく私自身のものだった。


「うむ、信じられぬ事であろうが……これは本当の事だ。甲斐は俺や景勝殿が嘘を申すような人間だと思うか?」

「……いいえ、思いません」


 それに義重様も景勝様も冗談を言うような人間じゃない。
 御二人共揃って生真面目な性格だから尚更、嘘じゃない事が解る。
 少なくとも義重様も景勝様もこういった場面では決して冗談を言わない。


「ならば、改めて問おう。甲斐は戸沢盛安殿が正室に望んでいるという話については如何にしたい?」


 だから私が嘘とは思いません、と答える事が義重様には解っていたのだと思う。
 別段、気にした様子もなく、義重様は再度、盛安様が私を正室に望んでいるとの旨を問いかける。


「私は是非とも盛安様の下に嫁ぎたいと思っています」


 それについて私には否という言葉は一切ない。
 この問いかけについては即答で了解する以外の答えは私の中には存在しなかった。
 成田甲斐としての接点は全くないけれど、遠い先の時代の事を踏まえれば共に最後を迎えた彼である可能性が高い盛安様は私が求める唯一の人。
 その彼がこうして、行動を起こしてきたのなら私もそれに応じた行動を取らなければ、このまたとない機会を逃してしまうかもしれない。


「そうか……相、解った。景勝殿には了解したとの返答を伝える事にしよう」


 義重様も私の事情を考慮するにしろ、しないにしろ、周囲の状況が落ち着いている今が時期であると思っているらしく、答えが出たのならばすぐにでも返答すると言う。
 常日頃の決断がはっきりとしている義重様らしい。
 だけど、私の事についてもすぐに答えを出してくれたのは義重様のその気質があってこそ。
 優柔不断な人物が主君だったらこうも先行きの読み難い話に食いつくとは考えられない。
 盛安様は鎮守府将軍の官職を持っているとはいえ、未だに15歳で年が明けても漸く16歳になる身。
 当主になったのは13歳だというから、それなりに経験は積んでいるものとして考えても良いのだけれど、それでも若過ぎると思う人は多いと思う。
 普通なら15、16歳くらいで漸く元服という人も居るわけだし……。
 にも関わらず、盛安様は16歳になる前に鎮守府将軍の官職を得、角館から庄内に至るまでの領地を治める出羽国でも有数の勢力を築き上げている。
 僅か2年前後で此処までの勢力拡大を果たしているのはやっぱり、何かしらのアドバンテージがあるからなんだと思う。
 何しろ、私の聞いた限りだと上杉家では史実では離反したはずの新発田重家殿が反旗を翻していないとか。
 その御蔭もあって景勝様は順調に領内の整備を進めている。
 噂では重家殿の件にも盛安様の助言があったとか、なかったとか言われているし……。
 遠い先で私に語っていた様々な事を見事に実現している事からして、盛安様の行動は現状の段階を踏まえると私の知っている彼と全く同じ。


「……感謝致します、義重様」


 だから、その盛安様と繋がる事を許してくれた義重様の配慮が嬉しくて……私は唯々、その好意に感謝する――――。















「甲斐からの返答も聞く事も出来た故、明日にでも景勝殿には書状を認めるとして……実際に盛安殿からの回答が届くのは数ヶ月以上、後になるだろう。
 俺の見立てでは盛安殿は年明けが過ぎれば、安東を落とすべく行動を開始するであろうからな。今までの版図の拡大からすれば速攻を重視すると見るが……。
 それでも、決着がつくのは雪解けの時期が近付く頃合いだろう。景勝殿が盛安殿からの返答を受け取るのは安東攻めが終わっての事になるから――――
 少なくとも年が明けても当面は返答は望めないであろう。故に回答を得るだけでも些か、遅くなるとは思うが……甲斐はそれでも構わぬか?」


 私からの回答を得て、義重様は明日にでも景勝様への返答を行う事を決める。
 だけど、景勝様を経由してから来るであろう盛安様からの回答は遅くなる事を見越している義重様の眼は真剣だ。
 恐らくの話になるとは思うのだけど、私の知っている彼の性格なら、年明けには安東家に対して何かしらの軍事行動を起こす。
 義重様は私が伝えるまでもなく、それを予測しており、景勝様が盛安様からの返答を得る事になるのはその後だと見越している。
 異常とも言うべき広い視野を軍事的な目線で見据える義重様は軍神からの軍配を受け継いだ者は伊達じゃない事をまざまざと見せつける。
 私が盛安様の動向を予測出来ているのは、あくまで彼の性格と気質を読み取った上での事だから尚更、義重様の凄さを実感する。
 何しろ、義重様は盛安様の事を様々な情報を経て又聞きしただけであって、その人物像も集めた情報で読み取っているだけに過ぎないのだから。


「はい、構いません。盛安様にも御都合があるでしょうし……。義重様の仰る通り私にはあの方が安東家を相手に全力を傾けられる機を逃す方には思えません。
 ですから、返答が遅くなる事については覚悟の上です。それに盛安様が不覚をとる事も含めて」


 それに義重様はの真剣な眼差しは盛安様の身に万が一がある可能性がある事も示唆している。
 私の知っている彼ならば、万全の態勢を整えるかもしれないけど――――彼は”夜叉九郎”だ。
 今までの集めた盛安の情報から察しても彼が陣頭で戦うのは間違いないし、相手が安東愛季という出羽北部屈指の大物が相手でも、きっと躊躇う事はない。
 それは戸沢盛安という一人の人物の在り方であり、私の知っている彼の在り方も変わらない。
 家督を継承して以来から僅かばかり噂に聞いている、勇猛果敢な戦いぶりからすればその在り方を貫いているという事は間違いなくて。
 義重様も自らが常に陣頭で氏幹殿と共に最前線で戦っているから、盛安様の事が良く解るのだと思う。
 だから、私は義重様の危惧している事も踏まえて、返答が遅くなる事も万が一、返答が得られる事がなくなったとしても覚悟は出来ていると答える。
 私だって佐竹家に身を寄せて、武士としての修練に励んでいるという史実での立場とは全く違う道を歩んでいるのだから。
 既に覚悟をする段階は終わっている。


「ふむ……其処までの覚悟があるのならば、これ以上は問うまい。嫁ぐのは随分と先になるであろうが、甲斐が伴侶となる者と共に戦場に立つ事を望むなら然と励め」

「はいっ!」


 そんな私の思惑を察した義重様は私の頭を軽く撫で、今後も修練に励むようにと言う。
 言い回しから察しても佐竹家中で巴御前の再来であると称されているからには戸沢家中でもそう称されるようになれ、と義重様は言いたいんだと思う。
 今の私が武芸を始めとした修練を認められているのも武を重んじる源氏の家柄である佐竹家だからこそのもの。
 実家である成田家に居る時はお父様と大叔父様である成田泰季様やその息子にあたる成田長親殿を始めとした方こそ反対しなかったけれど……。
 叔父様である成田長忠様を始めとした他の一門衆の方々からは反対の声も上がっていたし。
 戸沢家でも盛安が当主にあるとはいえ、家中で反対の声が上がる可能性は捨てきれない。
 だから、義重様はそういった反対の声を一蹴出来るくらいになれと言っているんだと思う。
 そうした意図を汲み取り、私は義重様に返事をする。
 夜叉九郎と呼ばれる彼と共に戦場に立とうと思うのなら、もっと強くならないといけないから。















「して、一通りの話を終えたところで今更、尋ねるが……何やら面妖な格好をしているな。これが以前に甲斐が言っていた南蛮の言葉で言う”ふぁっしょん”と言うものか?」

「あ、はい。そうですけど……」


 盛安様の事を含め、景勝様からの書状に関する御話が終わったところで義重様が今の私の格好について尋ねてくる。
 今の私が来ている服はとても、姫と呼ばれるような人間が着るものとは縁遠いもの。
 足は足袋の構造を把握し、改良を施して腿辺りで結わえるようにした黒染めのニーソックスみたいな物だし、着ている服も丈が短いスカートのような物。
 上に着ている服も、着物のようなものではなく、ちょっとした軽装の鎧にも胸当てにも見える物で胸元から上は露出している構造になっている。
 胸元から上については腕が動かしやすいようにと考えて邪魔にならないようにとした物。
 解り易く説明するなら、オフショルダーになっている服装だと言うべきかも。
 構造上の都合もあってちょっとだけ胸元がすーすーするような服装だけど……今の私の体型じゃ慎ましいくらいの膨らみしかないから色気にかける。
 流石に今の時期でそんな服装で居るのは寒いので上に丈を短くした着物を羽織るようにしているけれど、修練で身体は暖まっているから上は脱いでいる。
 また、丈については着物のように長い丈では動き辛いから短くしているのだけど、少し油断すると見られてしまうかも。
 一応は下着も作って身に付けているから色々な意味で大変な事になる事はないけど……スパッツとかじゃないから恥ずかしさが零という訳じゃなかったり。
 自分でも何故、こんな服にしたんだろうと思うけど……私じゃそういった服は作れないから仕方がない。
 本来ならこの時代に下着に該当する物は存在しないんだから、こうして身に付けられているだけで良しとするべきだし……出来る限り気にしない事にしている。
 遠い先の時代と違って盗撮されるような事もないし……。
 それと、足袋を改良した物については戦国時代では素足を見せる事ははしたない事だとされていたから、それに合わせて作ってみた物だったりする。
 今、私が来ている服と合わせると絶対領域みたいになるんだけど、丈が短いからこれも当然の事。
 それほど目立ってひらひらしている訳じゃないけれど、ミニスカートに近いくらいの丈なんだし。
 かといって、丈を長くすれば今度は動くのに邪魔になってしまうから、私はこれくらいの長さでちょうど良いかな? と思っている。
 一応、佐竹家中の人達には「南蛮で言う、ファッションというもの」だとして前もって伝えた上で制作しているけど、義重様がこれを実際に見るのは初めてだったりする。
 まぁ……今の私の服装を面妖な格好だと評したのは無骨な義重様らしい感想だと思うけれど。
 正直、義宣殿やお義祖父様の方が気の利いた感想だった気がする。


「ふむ……面妖である事は確かだが、存外に似合っておるな。見たところ、女子の衣装にしては動き易いようにも思える故、甲斐には合っているだろう」


 だけど、義重様の評価は面妖だと言いながらも意外と上々で。
 女子の着るものにしては動き易い事を評価しているのは流石に武辺者として知られる義重様ならではかもしれない。
 そういえば、動き易い点については氏幹殿も評価していたから、鬼と呼ばれる御二人はやっぱり何処かしらで似ているかも。
 氏幹殿からの感想についても義重様の感想と似たり寄ったりだったし……如何も武辺者として有名な方は無骨な人が多いみたい。
 そう考えれば、今の感想については義重様らしい反応ではあるけれど、これには流石の私も少しだけ不満に思い、むうっ……と頬を膨らませる。


「……義重殿」

「父上……それはあんまりかと」

「はっはっはっ! 義重殿らしい御感想ですな」


 私の思っている事を察したのか氏幹殿は困った表情をし、義宣殿は呆れた様子で首を横に振っている。
 しかも、お義祖父様に至っては義重様の感想が余りにもそれらしかったのか声高々に笑っているのだから意外と酷い。


「むむ……確かに今のは女子に対して非礼に値する言葉だったな。これはすまぬ事をした。……俺もこういった事には精進が足らぬか」


 頬を膨らませて「不機嫌です!」といった私の様子と困った様子の義宣殿達の反応を見て、謝りながら神妙そうに唸る義重様。
 流石に訓練場に居る全員からこんな反応をされてしまっては義重様もたまったものじゃない。
 別に私は本気で怒っている訳じゃないのだけど、こうやって唸るのはやっぱり義重様が生真面目な人物だからかも。
 服装について義重様とは違って気の利いた感想をくれた義宣殿も生真面目な人だし、こういった部分は本当に親子なんだなと思う。
 こういっては悪いかもしれないけど、微笑ましくも思える。
 因みに佐竹家中での他の方々からの感想は珍しい服装だというものが大半で、足袋を改良した物について「これは良い発想かもしれない」と言っていた方も居る。
 それを踏まえれば、実のところを言うと何だかんだで私の衣装は佐竹家中では割と高評価だったりする。
 やや、動き易さについての感想が多かった点を含めると、流石は武を重んじる佐竹家らしいかな? とも思う。
 後は私のこうした格好を見て、盛安様が如何に思うかだけど……。
 彼なら純粋に似合っていると言ってくれるのかな?
 今はまだ、薄らとした道標しか見えてないけれど……出羽国にて歴史を大きく変えた彼の姿を思い浮かべながら、私は義重様達と暫しの団欒を楽しむ。
 彼の征く道が必ず、私と交わる事を信じて――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第42話 蝦夷からの使者
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/01/20 08:49





 ――――1580年12月中旬





 津軽為信、上杉景勝、佐竹義重、九戸政実を始めとした、盛安の次なる動向を読み取った人物達が動き始めたその頃――――。
 盛安の下に一人の若い人物が訪れていた。
 年の頃は盛安よりも3つほど歳上で家臣の鮭延秀綱と同年代といったところか。
 使者として戸沢家を訪れたのは間違いないが、10代後半といった年齢で任されたという事は相応の立場の人間かあるいは優れた才覚を持つ人物か。
 その人物は蝦夷の蠣崎慶広の家臣であると言い、主君からは戸沢家へ書状を渡すようにとの命を承って訪れたとの事。
 恐らくは安東家とは独自に戸沢家との接触を図るために遣わしてきたのだろうが、盛安にとっては慶広が先に動いてきた事は驚きだった。
 何しろ、今の蠣崎家は安東家に従属しており、慶広も当主になっていないからだ。
 それにも関わらず、戸沢家に使者を送ってきた事からすると、随分と思い切った事をしたものである。
 戸沢家が蠣崎家の主家にあたる安東家と敵対関係にある事も踏まえれば、門前払いの可能性だって決して零ではなかったからだ。
 盛安としては蠣崎家とは出来る限り、事を構えるつもりはなかったが……それでも、博打とも取れる選択肢を選んできた慶広の手腕も侮れないものがあると言えよう。
 慶広の命により、奥州とは別天地であると言っても良い、蝦夷の国より訪れた若き使者の名は近藤義武
 義武は大坂の陣の際に自らの乗馬の腹を斬り、その血を飲んで喉の渇きを潤したという豪気な気質の人物として知られている。
 知名度こそ低いが、史実においては蠣崎家でも有数の人物として知られており、蝦夷に配流となった公卿、花山院忠長の饗応役や帰洛の供奉も務めた人物でもある。
 また、慶広の後継者である松前忠広の守役を務めたりと蠣崎家中でも重きを成す存在でもあった。
 史実ではこのような経緯を持つ義武が此度の使者を任せられているのも慶広が彼の人物の持つ器量と後の将来性に気付いているからだろう。
 それを踏まえればこうして、義武が盛安の下を訪れたのも当然の事かもしれない。
 実際に盛安を始めとし、今の奥州でも次代となる人物が表舞台に立ち始めていたからだ。
 慶広が自らの腹心に成り得る者して、義武を差し向けてきたのはそういった時代の流れを示唆しているものだったとも言えるだろう。















「ふむ……慶広殿は俺と誼を通じたいと言うのか」

「はい」


 慶広からの書状を受け取った俺はその内容を確認し、義武に尋ねる。
 書かれていた内容は戸沢家との盟約を望むものではなく、あくまで戸沢盛安個人との交流を求めたもの。
 非常に珍しい形の内容の話である。
 本来ならば、大名家同士のやり取りとなれば正式な外交としての書状が普通なのだ。
 そういった意味では些か、腑に落ちない要件ではあるのだが……現状の慶広の立場上ではこれが限界ある事を考えればそうでもない。
 彼の人物はまだ、蠣崎家の家督を継承しておらず、今の当主は季広であるからだ。
 如何に蠣崎家の跡取りであるとはいえ、慶広の立場では公に他の大名とやり取りする事は容易ではないはずである。
 それにも関わらず、俺との接点を持とうと動いてきたのは今後の戸沢家の動きを読み取っての事なのだろうか。
 または慶広が当主になった後の蠣崎家は親戸沢を表明するつもりでいるのだろうか。
 何れにせよ、慶広が動いてきた事は戸沢家としても俺個人としても重要な事には変わりがない。


「俺としては慶広殿のような優れた為政者が相手とならば、充分に検討する余地があるが……季広殿は承知しているのか?」


 それ故に義武からは現当主である季広が如何いった存念なのかは尋ねておかなくてはならない。
 幾ら慶広が俺との誼を求めているとはいっても、現当主である季広の差金でしかない可能性は否定出来ないからだ。


「大殿は此度の件については関与しておりません。我が殿が独自に行っている事でございます。本来ならば殿は自ら出向きたいところであると申しておりましたし」

「……そうか」


 俺が感じた懸念に対して義武は随分とあっさり、それを否定する。
 義武の口から出たのは意外にも季広が此度の件に関与しておらず、慶広が独自に行なっているという事。
 寧ろ、逆に慶広は自ら出向くつもりであったと言う。 
 信じられないような話ではあるが、実際に慶広は自らの判断で奥州の地に足を踏み入れている事も多いため、この話は決して嘘とは言い切れない。
 また、史実における慶広は独自に中央へと使者を送ったりもしており、蝦夷という隔離されたような国に在りながらも非常に活動的だ。
 俺に対して使者を送ってきたのも、そういった慶広の多岐に渡る外交戦略の一端だと考えれば、何ら可笑しいところはない。
 もし、俺が慶広と同じ状況にあるのならば、似たような事をしたであろうから。
 それに使者として俺の下に訪れた近藤義武――――彼も只者ではない。
 慶広の動向を探ろうとしている俺に対し、隠し事は全くないといった様子で一度も視線を逸らさずに対話している。
 一歩も退かないその態度と後ろめたい事は何もないと断言するかのような堂々とした態度に俺は好感を覚えたほどだ。
 こういった人物は大抵の場合において信頼出来る事もあり、内心で思わず軽く笑みを浮かべてしまう。
 しかし、現状の戦略を踏まえると、慶広からの申し出を受けるかについては逡巡せざるを得ない。
 年明けには蠣崎家が従属している相手である安東家に攻め入る算段でいるからだ。
 此処で慶広と誼を通じてしまえば、長年の宿敵である安東家と戦う際の蠣崎家への影響が読めなくなってしまう。
 しかも、慶広が良くても季広が否だと言っているのだとすれば尚更である。
 当代の蠣崎家当主である季広と矛を交える事になれば、俺に誼を通じようとした次代の慶広の立場を保証出来ない。
 季広の動き次第では蠣崎家を生かす事も難しくなるし、下手をすれば慶広が腹を切る羽目になる可能性だって考えられる。
 慶広としては恐らく、季広と袂を分かつ事も辞さない覚悟なのだろうが、慶広の人物がどれほどのものであるかが解らない現状では答え辛い。
 俺の当初の戦略では蠣崎家との接点を持つのはもう暫く先のつもりであったからだ。
 正直、慶広という人物を見極められない現状からすれば、安東家のみを打倒し、蠣崎家とはその後にやり取りを行いたいのだが――――。


「殿、津軽為信様が沼田祐光殿を伴って御目通りを願っておりますが……如何されますか?」


 そんな俺の内心を読み取ったのかのような頃合いで音も無く、この場に現れた康成が思わぬ来訪者が来た事を告げる。
 康成の口から出てきた来訪者の名は上杉景勝と並び俺が信頼する盟友、津軽為信とその軍師、沼田祐光。
 全く予期しなかったこのような頃合いで訪れるとはまるで、慶広からの使者が訪れる事を始めから知っていたかのようだ。
 俺以上に蠣崎家の動向を把握しているであろう、この両名が訪れたというのは正に天啓であるとも言えた。
 何しろ、情報の少ない今の俺に比べれば確実に何かしらの情報を掴んでいるのは間違いないからだ。
 為信と祐光からは出来る事ならば、この場に同席して貰い、意見を聞いておきたい。
 それに2人の話も聞けば、もしかしたら蠣崎慶広が如何なる人物かも見えてくる可能性もある。
 そう考えた俺は義武に対し、為信達を交えても構わないかと尋ねるのであった。















「盛安殿、久方振りだな。昨年以来か」

「はい、為信殿」


 意外な事に義武からは問題ないという返答を受け取った俺は早速、為信達を迎え入れる。
 約1年ぶりとなる為信の姿は以前に顔を合わせた時と全く変わっていない。
 相変わらず、立派な髭を蓄えた姿が印象的だ。


「……御初に御目にかかります。津軽為信様が家臣、沼田祐光と申します」

「……戸沢盛安だ。祐光殿のような名臣に出会えるとは光栄の極みに思う」


 それに対し、俺の器量を測るかのような視線を向けつつ、挨拶をするのは為信の軍師である沼田祐光。
 祐光とは初めて会うが、物事を真理の奥深くまで容易く読み取ってしまいそうなその眼光の鋭さには俺も思わず、人物を測るかのような視線を向けてしまう。
 此度の慶広からの使者に対して、驚いた様子がない事から見れば祐光は間違いなくこの事態を始めから予測していたのだろう。
 為信も当然のように驚いた様子を見せていない事からしても、慶広が動いた事を先に掴んでいたのは間違いない。
 敢えてこの頃合いで訪れたのも、安東家に攻め入る算段でいる俺の動きを予測していたからなのかもしれなかった。


「蠣崎慶広様が家臣、近藤義武にございます。御二人方の事は我が殿より聞いております。もし、戸沢家を訪れた際に顔を合わせる事になったら宜しく伝えてくれ、と」

「ふっ……慶広殿らしい。俺が動く事も承知の上と言う事か」


 俺が短く祐光と言葉を交わした後、義武もまた為信達に頭を下げながら、驚くべき事を口にする。
 何と、慶広の方までも為信が俺の下を訪れる事を予測していたらしい。


「殿、それは無理もありませぬ。津軽と蝦夷は海を隔てているとはいえども、隣国ですからな。御互いの動向を知っていても可笑しい事ではございませぬ」


 驚く俺を後目に大した事ではないといった様子で言う祐光。
 普通ならば隣国とはいえ、海を隔てているとならばそう易々とは情報を得る事は難しいはずなのだが、奥州屈指の知恵者の一人である祐光からすれば容易な事であるらしい。
 俺の方ですら伊賀者を従えている康成を召し抱えた事で漸く、情報収集の幅が広がったというのに。
 各地で武者修行をし、独自に伝手があると言われている沼田祐光という人物の恐ろしさを垣間見た気がする。


「祐光の申す通りだ。慶広殿の事は俺も良く知っているし、彼方が俺の事に詳しいのも無理はない」

「……そう、ですか」


 しかも、色々と可笑しいと思われる祐光の言葉に対して為信まで当然の事だと言っている。
 俺は蠣崎慶広という人物とは直接関わった事がないため、その人物が読み取れないでいたが……為信達の様子から判断すると想像以上の人物であるらしい。
 彼の人物に関しては判断が難しいと考えていたが、関わりのある為信や祐光が此処まで評しているのならば、余程の大物だ。
 流石に信頼出来る人物であるかを見極めるには慶広と直接、話してみるしかないが、少なくとも型に嵌まるような人物ではないだろう。
 少なくとも俺が思っていた以上の器量を持つ人物であるのは間違いない。
 ならば、此方も覚悟を決めなくてはならないだろう。
 慶広に対して、如何に返答するべきであるのかを。


「では、義武殿に尋ねる。為信殿の動向を把握していた事といい、慶広殿はこの先、俺が如何に動こうとしているのかを踏まえた上で言っているのか?」

「無論です。我が殿は盛安様が主家である安東家と一戦を交えるつもりである事を昨年の津軽家との盟約が結ばれた段階で読み取っておりました故」

「そうか……相、解った。慶広殿が其処まで考えているのならば、これ以上は何も言わない。此度の書状の件は承知したと伝えてくれ」

「ははっ!」


 些か判断に迷っていた俺の最後の後押しをしてくれる形で蠣崎慶広という人物を評してくれた為信達には感謝しなくてはならない。
 俺としては慶広が戸沢家の今後の動向を読んだ上で動いてきた事は可能性が僅かにある事も考慮していたつもりだったが、最後の部分で疑念が拭えなかった。
 しかし、為信や祐光ほどの人物が評価し、信武のような豪気な人物が絶対の忠節を誓っているのならば、慶広が紛れもない大器の持ち主である事は疑いようがない。
 そのような人物がこうしてまで動いてきたのだから、此度の件は後に大きく響いてくる。
 何しろ、慶広の方も俺が安東家と戦うつもりである事を昨年という早い段階で読み取っているのだから。
 流石に此処まで読まれているのならば、慶広の思惑に乗じるのも悪くはないだろう。
 これで読み違えたのならば、俺の人を見る目もたかが知れている。
 それに俺と誼を通じてきたのは恐らく、安東家が敗北する可能性がある事を考慮し、その際に混乱するであろう事態に蝦夷を巻き込まないようにするためだ。
 この決断は博打とも取れるのだが、史実では時流にも機敏であった慶広は何処かで戸沢家の方が有利になりつつある事を読み取っているのかもしれない。
 断言までは出来ないが、父である季広に対して独自に動いてきたのもその現れなのだろう。
 そのため、蠣崎家の次代を担う人間として大勝負に出てきた慶広には相応の返答をしなくてはならない。
 俺はそう思いつつ、義武に此度の件は承知したとの返答を伝えるのであった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第43話 宿敵の足音
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/01/27 07:36




 義武から渡された書状の件に了承し、俺はすぐさま慶広に対して返答の手紙を認める。
 蠣崎家の次代の当主である慶広が型に嵌まるような人物ではないと確信出来た今、誼を通じる事は早い段階で済ませておいた方が良い。
 それに為信の方も海を隔ててはいるが、隣国に位置するというだけあって、蠣崎家とは一定の関係を築いているのだから便乗する形で繋ぎを取る事に問題はないだろう。
 安東愛季の方も知っていながらも黙認している可能性も高いからだ。
 恐らくだが、愛季は慶広が俺や為信と一定の関係を持ったとしても、完全に離反する事がない事を確信している。
 慶広が蝦夷の統治に専念出来れば良いと考えているのは明らかであるし、閉鎖的な立場を取らず表立って活動しているのも蠣崎家に力がある事を証明するために過ぎない。
 要所で介入するに止めている事は逆に愛季にとっても大いに有り難い事であるといえる。
 慶広の動向が離反するに至らない限り、津軽家や南部家に対しても備えられるし、戸沢家に対しても備える事は可能だ。
 湊と檜山の両安東家を統一した今の愛季の力はそれほどの大きさがある。
 此処で慶広が動いても、愛季にとっては些細な事でしかない。
 少なくとも俺の記憶している限り、安東愛季という人物は余程の事がない限りは強引な手段には出てこない。
 何しろ、史実の愛季が俺の代になった時の戸沢家に対して選んだ行動も和睦からだったのだから。
 慶広を誅する事で蠣崎家が離反する可能性を態々、選ぶとは思えない。
 蠣崎家の力が侮れない事を知っているのは今は亡き、先代の当主である安東舜季の頃から理解しているはずだからだ。
 これはあくまで推測の域でしかないが、慶広の方は俺以上に愛季の人物を理解している事だろう。
 そうでなくては、次代を担う人物である義武を俺の下へ使者として送り出すなんて事は考えられない。
 下手をすれば自らの首を締める事にしかならないのだから。
 寧ろ、蝦夷という奥州とは全く違う国を治める為政者として独特の視野と目線を持ち合わせる大物である慶広だからこそ決断出来たのだろうかとさえ思える。
 もし、俺が同じ状況だったら慶広と同じような事が出来たかまでは解らないからだ。
 こうして、躊躇う事なく返答を認めているのも、慶広という人物が朧気に見えてきたからなのかもしれない。
 俺は慶広の事を思い浮かべながら、返答を認めた書状を義武に預け、送り出したのであった。















「中々の若者だったな、慶広殿が使者を任せただけはある」


 俺からの返答の書状を受け取り、角館を去った義武について評価する為信。
 主君である慶広の命を守り、それを遂行した事は勿論の事。
 いきなりとも言える、為信の訪問についても動揺する事がなかったという点は大いに評価出来る。
 それに俺と為信という安東家と敵対する大名の筆頭とも言うべき両名を前にして一歩も退かない態度も見事なものがあった。
 豪気な気質の人物であるとされる義武は気質は20歳にも満たない現状の段階でも既に萌芽を見せていたといえる。


「……ええ、彼の人物を見ると俺にも蠣崎慶広という人物が如何なる者であるかも大体は見えてきましたし」


 義武の事を中々の人物だったと評価する為信の意見に俺も頷く。
 若くして、ああいった人物はそう多いとはいえない。
 一応、俺や満安、秀綱、康成、重朝、重政、政房あたりも10代後半から20代前半の年齢であり、若いという点では該当するのだろうが――――。
 これはあくまで俺が戸沢家に招いたからこそ人物が集中しているに過ぎない。
 史実通りならば、戸沢家中には政房くらいしか居なかったからだ。
 それ故に慶広の下に彼のような人物が居るのは大きいと思う。


「しかしながら、ああいった人物が居るからこそ蠣崎家は侮どれぬのです。それに加え、慶広殿は今までの当主とは違い、アイヌの者達も従えていると聞いておりますので」


 俺と為信の話に更に祐光が補足を加えるように意見を言う。
 慶広は父である季広の政策を引き継ぎ、アイヌとは戦を交えるのではなく、友好的に接する事で取り込む政策を重視している。
 しかも、その政策は一朝一夜のものではない。
 蠣崎家がアイヌと友好的な関係を築くようになってから、30年もの月日が流れているのだ。
 歴代の蠣崎家の当主の中でも唯一、生まれた頃よりアイヌと共に生きてきた慶広はその結び付きも非常に強い。
 祐光の言葉は的を射ていると言っても良いだろう。
 

「確かに祐光殿の言う通りだ。為信殿が安東家の事があるにも関わらず、慶広殿と一定の誼を通じているのもそれがあっての事なのだろうし」


 だからこそ、為信が慶広と誼を通じている事に関しては理に適っているものであると思うし、安東家と南部家に挟まれている津軽家にとっては重要な事だと思う。
 海を隔てていながらも隣国に位置する蠣崎家との関係は安東家の事を踏まえれば、戦略上でも鬼門と成り得る。
 安東家と戦うために戸沢家と同盟を結んでいる津軽家は蠣崎家の動向次第でどれだけ動く事が出来るかの瀬戸際にあるからだ。
 もし、為信が慶広と誼を通じていなかったとすれば北、東、西の三方が敵となり完全に動きは封じられる事になり、四面楚歌に近い状態になってしまう。
 幸いにして、今の南部家は津軽家を敵とする方針を取ってはいないらしく、全く動く気配はないが……敵方の一方が中立に近い立場にある事は馬鹿に出来ない。
 為信がこうして、積極的に動けるのも南部家の方針があってこそのものだろう。
 それに南部家でも最大の軍事力を持つと言われる九戸政実が為信と誼を通じている事が影響している可能性も否定は出来ない。
 流石に俺の方では南部家の動きを掴んではいないが……。
 津軽家と蠣崎家が一定の関係をもっている事はこれから安東家と戦を交えようとしている戸沢家にとっても都合が良かった。


「だが、慶広殿は愛季の命には従わなくてはならない立場にある故、当てにし過ぎるのは禁物だ。愛季とはあくまで俺と盛安殿で決着を付けねばならぬ」


 しかし、蠣崎家との関係が悪くないとはいっても、慶広は蠣崎家の当主ではない。
 為信が当てにし過ぎるのは禁物であると言うのは当然の事だ。
 慶広の思惑が如何であれ、蠣崎家の動向は季広の決断によって決まる。
 季広が愛季に全面的に従うとすれば、慶広に拒否は出来ない。
 一応、次期当主という立場にあるため、諌める事は可能だろうが……季広が如何な人物か読めないため判断する事は難しい。
 こればかりは余り期待せずに慶広に委ねるしかないだろう。
 為信があくまで俺達で決着を付けなくてはならないとしているのも無理はない。


「そうですね。愛季とは俺と為信殿が決着を付けねばなりません。……先に進むには乗り越えなくてはならない相手ですから」


 それに愛季は俺と為信にとっては立ち塞がる強大な壁と言っても良い存在だ。
 俺にとっては出羽北部を統一するために乗り越えなくてはならない壁。
 為信にとっては津軽が完全な形で独立出来るだけの力を示すために乗り越えなくてはならない壁。
 形は違えども、安東愛季という人物は俺と為信の共通の壁であり、現状の段階における最大の敵だ。
 だが、その愛季を乗り越えられれば俺達は次の段階へと進む事が出来る。
 出羽北部の統一と津軽の独立は互いが目標とする事で必ず成し遂げるべき事であり、一つの到達点なのだから。


「ならば、尚更、安東家との戦の準備については話し合わねばなりませぬな。盛安様は仕度が整い次第に動くつもりのようでございますし」


 俺と為信の心中を察し、祐光が思惑を見透かしたかのように口にする。


「……祐光殿には敵わないな」


 そんな祐光の深謀に苦笑しつつ、俺は為信達に安東家との戦における戦略を語り始めるのだった。















 為信と祐光を交え、話し合った対安東家に関する戸沢家と津軽家の戦略だが――――。
 愛季を誘き出して野戦に持ち込む事。
 浅利勝頼を調略し、此方側に引き込むかまたは中立の立場を取らせる事。
 蠣崎家、南部家については為信がその動向を見極める事。
 そして、実際に軍勢を起こすのは年明けから間もなくの時期――――1月中旬から下旬である事。
 等々といった事が主な内容として話し合われた。
 まず、愛季とは野戦にて決着を付けるというのは今の戸沢家の戦力を踏まえての事だ。
 総合的な戦力だけで見れば戸沢家は安東家に迫るほどの力を持っているのだが……足軽や騎馬といった従来の戦力では未だに凌駕出来ない。
 唯一、安東家に勝るものがあるとするならば、多数の鉄砲を揃えた火力の高さだろう。
 的場昌長、鈴木重朝を始めとした雑賀衆に奥重政を加えた畿内でも屈指の鉄砲使いを存分に生かせる戦場は野戦以外にはなく、盛安も城攻めよりも野戦の方が得手である。
 そのため、得意分野ともいえる野戦という選択肢となったのだ。
 また、天候の荒れるこの時期に盛安が鉄砲の運用を考えているのは相手が考えないであろう運用方法であるからといった理由もある。
 次に浅利勝頼への調略だが、これは為信が以前から目を付けており、現在進行形で進んでいる。
 今までは安東家の勢力が戸沢家を大きく上回っていたため、一蹴されていたが――――庄内を抑えた今ならば勢力的にも遜色はない。
 故に浅利勝頼も迷っており、戦の動向を静観するべきかとの考えも視野に入れているとか。
 唯、問題点を上げるとするならば、愛季が湊、檜山の両安東家を統一している事。
 これにより、今まで以上の兵力の動員も可能となっているし、統一されてしまったために豪族達を切り崩す事も難しくなっている。
 だが、野戦に持ち込みたい戸沢家の方針からすれば、決して都合が悪いとは言い切れない。
 少なくとも愛季を野戦に引きずり出すには安東家の動員力が戸沢家を上回るか同数前後である必要があるからだ。
 愛季のような慎重な人物ならば、動員兵力に劣る状態で野戦を挑んでくるとはいま一つ考えにくい。
 しかし、愛季という人物もまた、型に当て嵌るような人物ではない事を盛安は骨の髄に染み渡るまでに理解している。
 何しろ、同数以下の兵力であっても愛季は南部晴政とも渡り合ったほどの人物なのだ。
 仮に戸沢家よりも動員兵力が少なかったとしても野戦に応じない可能性が零とまでは断言する事は出来ない。
 為政者という側面が強い愛季は堅実な部分が目立つが勇猛な部分も持ち合わせているからだ。
 それに奥州で誰よりも深く中央の動向を把握し、外海交易、河川交易の統制を行う等の先見性の高さについても敵ながら、大いに評価しなくてはならない。
 海と河川の両方を抑え、財貨や物資の流通を抑える事は他の大名の力を削ぎ落としつつ、自家の力を富ませるにはもってこいの方法だ。
 安東家は交易によって石高以上の力を持っていたのだから。
 また、戸沢家が安東家と敵対する最大の理由が河川交易の統制による影響が原因であり、その利権を巡ってのもの。
 戸沢家を始めとした内陸に領地を持つ大名に対して、痛手となる政策を行う思い切りの良さも愛季が並の人物ではない事を証明している。
 そのため、浅利勝頼がいま一つ踏み切れないのも当然の事であるといえる。
 愛季からすれば、離反する可能性がある事も御見通しであるのは否定出来ないからだ。
 そして、安東家との戦の際における蠣崎家、南部家の動向についてだが……。
 これは両家と領地が接している津軽家が対応する事になるのは自然な流れだ。
 元より、南部家から津軽の独立を目論んでいる為信からすればその動向を常に伺っているのは当然の事である。
 盟友である戸沢家に両家の動向を伝え、備えるのはあくまでその延長上の事でしかない。
 本来ならば、野戦に持ち込む際に津軽家も兵力を出すところだが、万が一の備えを踏まえれば臨機応変の動きが求められる。
 為信も野戦については盛安に一任するとしたのも、自らの役割を承知しての事である。
 戦というものは単に兵力をぶつけ合うものではない。
 時には盟友を助け、戦略上で優位になるように導くのも役割である事を為信は深く理解していた。
 それ故に津軽家は表立って動くよりも裏で動く事を主とする方針を盛安に示したのだ。
 互いの立場を尊重し、各々が自らの得意分野を以って共通の敵へと相対する――――。
 これが盛安と為信が愛季と戦うために必要だと見い出した事で、ある意味では出羽北部の統一と津軽の独立を賭けた大勝負だともいえなくもない。
 何かしらの思う事があるのも当然の事だろう。
 最後に軍勢を起こすのは年が明けた後の1月中旬から下旬という事だが……。
 これは最後の詰めの時間を計算しての事である。
 戦の準備に関しては以前より進めていたが、それでも敵となるのは安東愛季であり、今までの盛安が戦ってきた相手とは別格だ。
 出来る限り、万全の準備を整えてから挑む必要がある。
 例え、勝機が既に手繰り寄せられる段階にまで達しつつあるとしてもだ。
 戦は水物であり、常に最善の流れで進むとは限らない。
 寧ろ、最悪の流れである事を前提とした上で戦には挑まなくてはならないのである。
 安東家という出羽北部における最大の大名家を前にして、戸沢盛安と津軽為信の両名が共に立つ瞬間はもう目の前にまで近付きつつあった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第44話 斗星の北天に在るにさも似たり
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/02/17 06:03






 蠣崎慶広からの使者である近藤義武が角館を去り、津軽為信らと対安東家における戦についての話も終えたところで盛安は沼田祐光から治水について尋ねられていた。
 現在の戸沢家の領内の河川は盛安が家臣である前田利信に命じて、開発を行わせたもの。
 戦国時代では常識とされた堤を築くのではなく、河川の合流地点に新たな流れをつくる事で、水の流れる先を増やし氾濫等を防ぐといった方法だ。
 この方法は特に他国に漏らしたりはしていないが、黙っていても盟友達には何れ知られる事になると思っていただけに祐光からの質問は不都合なものではない。
 寧ろ、自分から戸沢家の領内の事に気付いた上で尋ねてきたのであれば伝えようと考えていた。
 それだけに祐光が領内の治水について興味を持ち、質問を投げかけてきたのは流石の着眼点であると思える。
 為信もまた、この場を祐光に任せた形にしてはいるが、戸沢家の領内の事は察しているようだ。
 その様子からして、盟約を結んだ時の段階で何れ、尋ねるつもりだったに違いない。
 盛安と祐光の話を一字一句足りとも聞き逃がさない構えだ。
 やはり、為政者として腕を振るっている身としては気になるところなのだろう。
 為信と祐光という奥州でも有数の人物達に自らの方策に興味を持って貰えるのは非常に有り難い事だと思いつつ、治水の方法を図説にて解説する盛安。
 河川に新たな水の流れをつくるという事については口で説明するよりも実際に現場を見せるか、図に書いてみせた方が解りやすい。
 口だけだと如何しても細かい部分での説明が漏れてしまうからだ。
 盛安は要点を説明しつつ、治水に必要な事柄を為信と祐光の両名に伝えていく。
 時には問答を交えながらも領内の整備の事も含めて話をするその光景は政を行う者同士であるからか。
 または、安東家との戦が終わった先を見据えての事か。
 何れにせよ、戸沢家が出羽北部の統一を成し遂げれば、陸奥の覇権を争う津軽家としては有利である事に違いない。
 全ては宿敵とも言うべき安東愛季との戦を終えてからの事だが、盛安と為信、祐光はこれから先を踏まえた上で話を進める。
 次にもう一度会う時は全てが終わってからになるのは既に解っているからだ。
 御互いが委ねられたそれぞれの役目を果たし、供に道を征く。
 それが盛安と為信が思う、言葉に出さずとも理解し合っている意志だ。
 出羽北部の覇を唱える者が何者になるかが明らかになる日はもう、1ヶ月前後ほどにまで迫ってる今――――。
 盛安と為信の両名には奥州の歴史が新たに動く時が近付いているという予感が過ぎりつつあった。















 ――――1580年12月下旬





 ――――湊城





「以上が現状の段階で私が知る限りの戸沢盛安に関する情報にございます」


 盛安が為信主従と意見を交えて暫しの後――――。
 急激な拡大を見せ続ける戸沢家の動向を警戒し、戸沢盛安の人物が如何なるものであるかを洗い出している者が居た。
 その人物の名前は南部政直。
 別名を南部季賢といい、安東家の外交官としてその手腕を振るっている人物だ。
 政直は南部晴政や南部信直らと同じく南部一族に属する者であるが、故あってか安東家の家臣という立場にある。
 何故、安東家の家臣となったかの経緯までは明らかではないが、外交方面を主とし、領内の整備にも携わっている事からしても信用のおける人物である事は間違いない。
 南部一族という立場にも関わらず、重用されている事からすればそれは明らかだからだ。
 また、織田信長とのやり取りを任されているのも政直であり、安東家中では中央にも繋がりを持つ数少ない人物でもあった。


「うむ……相、解った。概ね私が掴んでいる情報と同じであるようだな」


 政直より齎された盛安という人物の奥州だけでなく、”畿内での行動”を含めた情報に頷く、政直の主君と思しき人物。
 盛安による数年での戸沢家の勢力拡大の背景については前々から把握していたのか、政直からの情報にも至って驚いた様子はなく、大方の予想通りであったと言った様子だ。
 畿内での盛安の活動についても信長と関わりを持つ身として、殆ど把握している。
 政直からの情報で更に確証が持てたと言ったところに過ぎない。
 自らの眼で見てきた戸沢家は先々代の当主である道盛の頃より対外的な活動を主とはせず、家中と領内を纏める事に専念していた家。
 天文の大乱を始め、動乱期にあった奥州で行われた戦にも目立った干渉もせずにひたすら力を蓄えた戸沢家の勢力が一気に拡大したのは無理もない。
 今まで溜め込んでいた分の力が一気に爆発し、周囲の小野寺家、大宝寺家、由利十二頭に蓄えてきた力をぶつけたのだ。
 起爆剤となったのが現当主の盛安であり、歴代の戸沢家当主でも異色の人物でもあったが故に勢力を拡大出来たと思えば違和感は全くない。
 その異色ぶりは盛安自身が畿内へ出向き、鎮守府将軍に任じられた事が更に拍車をかけている。
 だが、此処までならば奥州の諸大名の皆が把握している事だろう。
 朝廷より直々に鎮守府将軍の官職に任命された事は盛安自身が大々的に明らかにしているのだから。
 嘘か誠かを信じるのは自由ではあるが、任命された経緯に信長と朝廷の両方の名が上がってくる事を踏まえれば真実性は高い。
 そもそも、室町幕府が有名無実化した今、鎮守府将軍が再び表舞台へと立つ事は在り得ない事ではない。
 出羽国にて奥州探題、羽州探題と対等以上に渡り合うにはこの官職ほど相応しいものもないからだ。
 論ずるにも足りないものでしかないだろう。
 しかし、信長と直接のやり取りを行い、大湊の町を拠点に広く貿易を行っている安東家は更に深いところまで知り得ている。
 盛安は畿内にて鎮守府将軍に任じられてきただけではない。
 関係ないところまで網羅するならば、石山、根来、伊賀といった地も訪れている。
 これだけならば、盛安が何をしていたのかまでの特定はしにくいが、畿内の事情にも通じている身からすれば大体の予測はつく。
 何れも畿内では名のある衆が属している場所であるからだ。
 その上で現在の戸沢家が治めている酒田の町に鍛冶師が新たに来ているという点を踏まえれば雑賀衆、根来衆、伊賀衆に対して何かしらの形で働きかけた事は明らかである。
 ましてや先の庄内平定での戦の折には雑賀衆の上席である鈴木家の旗が見えたとも言われており、相当数の鉄砲が見えたとの情報も確認している。
 尤も、奥州の諸大名は鈴木家との関わりがないため、鈴木家の八咫烏の紋には気付かなかったようであるが……これは安東家だからこそ知り得た事だろう。
 奥州の誰よりも畿内の事情に通じ、更には盛安の動向をも知り得ているこの人物。
 その名を――――安東愛季と言う。















 ――――安東愛季





 愛季は斗星の北天に在るにさも似たりと評された事で知られる出羽北部随一の英雄にして、室町時代から分裂していた湊、檜山の両安東家の統一を果たした人物。
 だが、その偉業とも言うべき統一を成し遂げた人物でありながら、その名は意外にも知られていない。
 愛季は傘下の町である大湊の町を開発して貿易に力を入れ、越前の敦賀の町を抑える朝倉家と誼を通じて畿内と奥州を繋ぐ航路を創り上げる事を始めとし――――。
 1573年には織田信長の天下人足る器を見抜き、誼を通じるなど、先見性に優れた人物である。
 特に信長との誼を通じた時期は伊達家と同じ頃合いであるため、尚更、その目のつけどころの良さは侮れない。
 また、戦においても堅実な手腕を持っており、大宝寺家、南部家と戦いながらも確実に領地を拡大。
 今でこそ、矢島満安を配下とした盛安に由利郡の覇権を奪われてはいるが、出羽北部の大半を抑えている事に変わりはなく、南部家ですらそう簡単に手を出せないほどだ。
 それに大湊を中心とした貿易だけでなく、河川による内陸部の貿易路をも掌握し、独占している愛季は戸沢家からすれば目の上のたんこぶのような存在でもあった。
 何しろ、出羽北部における河川の物資の流通の関税などを決めているのは愛季なのだから。
 貿易の収入の大きさと他大名の力を削ぐに必要な事を心得た上で政策を行っている愛季は内陸に領地を持つ大名からすれば不倶戴天の敵であると言えるだろう。





「盛安の事は先の庄内平定と合わせて、既に奥州では大体的に知られている。……畿内の事を除けばな。今更、論ずるまでもない。だが、侮れぬのも確かである。
 私としては戦いたくはないが、政直は如何に思う? 盛安が津軽家と盟約を結び、大宝寺義興を従えた事からすれば無理な話だと見るが」

「はい、戦は避けられぬものであると存じます。盛安は全て、安東家と戦うためのものであると見受けられます故」

「うむ……やはり、か」


 盛安の奥州での勢力拡大と畿内での活動の双方の事を考え、戦が避けられない事態にある事を再認識する愛季。
 2年ほど前までなれば、取るに足らないのだが……今の戸沢家は安東家にも迫るほどに力を増しつつある。
 鉄砲を大量導入し、火力を大幅に向上させている事も新たに雑賀衆を加えた事を合わせれば脅威そのものとすら言えた。


「だが、幸いにして此方も戸沢家との戦の準備は進んでいる。政直、鉄砲の搬入は如何なっている?」

「はっ! 順調にございます。年明けには恐らくですが……合計で600丁ほどまでは集まりましょう」

「そうか……。盛安が雑賀衆を従えている事を考えると些かの不安を覚えるが、今の季節ならば大量に運用する事は叶わぬし、妥当なところだろう」


 しかし、畿内との貿易を行なっている安東家は鉄砲をかき集める事が出来ないわけではない。
 信じられないような勢いで火力の強化に務めている盛安には及ばないとはいえ、愛季も鉄砲には注目していただけあり、安東家には中々の数が集まっている。
 雑賀衆を加えた分があるため、数には多少の差はあるだろうが……戦は鉄砲だけで決まるものではない。
 愛季には決して勝算がないわけではなかった。


「唯、問題があるとするならば……何処で盛安と戦うかだ。少なくとも相手が津軽家と盟約を結んでいるため、籠城戦は上策とは言えない」

「そうですね……蠣崎様に援軍を求めたとしても為信に邪魔される恐れがありますので……」

「一応、南部家に要請する手段もあるが、彼の家とは長年に渡って争ってきた仲である故、津軽家の抑えも望めぬ。周囲には敵しか居らぬ状態だ。
 皮肉な話だが、野戦で戸沢家を打ち破るのが手っ取り早い。例え、来たとしても蠣崎家の援軍を頼りにするべきかは悩むところだからな」


 問題があるとするならば、何処で戸沢家との雌雄を決すべきかであるが――――これは自然と籠城戦以外のものになってしまう。
 動員出来る兵力は戸沢家よりも安東家の方が多いものの、周囲からの援軍は余り望めない状態にあるからだ。
 領地を挟む形で敵対している戸沢、津軽の両家に加え、南部家も安東家と敵対している。
 南部家に関しては津軽家とも敵対してはいるが……現状は和睦が成立しており、動く可能性は低い。
 唯一、援軍を望めるのは蝦夷の蠣崎家なのだが――――これを当てに出来るかは微妙なところであった。
 蠣崎家は海を隔てているが、領地を接している津軽家と一定の距離を保っているからだ。
 また、津軽家との関係からすれば戸沢家にも一定の距離を持つために手を打つのは当然で、慶広が使者を送ったとの情報も入っている。
 この行動は蠣崎家が安東家から離反するためのものではなく、命脈を保つために動いたものである事は愛季にも解っていた。
 完全に離反するつもりであれば現当主である季広自らが行動を起こしたであろうから。
 それに蠣崎家が援軍を出したとなれば、戸沢家と盟約を結んでいる津軽家が動かないはずがない。
 下手をすれば、為信までも本格的に軍勢を繰り出してくる事に成りかねないのである。
 南部家から分離し、愛季の娘婿であった北畠顕村を討ち果たした為信が強敵である事は愛季が身を以って理解している。
 娘婿の仇討ちという明確な理由を持っているとは言えども今の段階では態々、此方から仕掛ける必要性はないのだ。
 あくまで対戸沢家に戦力を差し向けるべきである。


「となれば……盛安と戦うのに適した場所は此処になる、か」


 暫く思案したところで愛季は徐ろに地図を広げて、ある地点を指し示す。
 その場所は唐松野と呼ばれる地。
 安東家には前線基地とも言える唐松城があり、戸沢家にも淀川城と荒川城があるという、両家にとっての境目の地。
 これならば、盛安も確実に野戦へと出てくるであろうし、愛季にとっても勝手知ったる地であるため、戦に挑み易い。
 鉄砲の数で劣るため、真っ向からの撃ち合いとなれば些か不利となるが、雪や雨の多い今の季節ならば鉄砲は本来の力を発揮出来ない。
 そのため、弓を準備してくる可能性も考えられるが、火力の面での差が縮まれば、動員出来る兵力の多い安東家の方が有利に立ち回れる可能性が高い。
 野戦という形での戦は決して不利ではなかった。
 だが、愛季が戦場として選んだ唐松野と呼ばれるこの地は自らにとって因縁のある地である事は知る由もない。
 戸沢家と安東家の領地の境目にある唐松野の地――――。















 それは――――史実において、戸沢盛安と安東愛季が戦った決戦の地であり、最後の地なのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第45話 決戦前夜
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/02/17 06:06





 ――――1581年1月





 盛安が正式な形で鎮守府将軍に就任し、庄内を平定した激動とも言うべき1580年が終わり、新たなる年となった。
 昨年は戸沢盛安、津軽為信、安東愛季を始めとした北奥州に勢力を持つ人物達が主に動きを見せていたが――――。
 南奥州でも蘆名盛氏が逝き、時代が次の段階へ進みつつある事を予感させる。
 奥州の北部では勢力図が大きく塗り変わった事によって戸沢家と安東家が睨み合う形となり、奥州の南部では蘆名家の衰退を示すかのように一人の英傑が逝った。
 これにより齎されるものは果たして、如何なものであろうか――――。
 此処から先の奥州の歴史の歩む先は盛安を含め、誰にも解らないものとなりつつあった。















「これより、安東家との戦における陣容を伝える」


 俺の立場を含め、大きく事態の動いた昨年が終わり、新たな年となった。
 いよいよ、安東家との戦に挑むという事で俺は家臣達を角館に集め、新年の挨拶を終えたところで戦における陣容を伝える。
 俺が愛季との戦を前提として動いていたのは家督を継承した段階より公言していた事であったためか、家臣達も来るべき時が来たという様子で口を挟む者は居ない。
 内陸に位置する領地を持つ戸沢家にとっては目の上のたんこぶである安東家を倒す事は長年の悲願であるからだ。
 安東家との戦にさえ勝てば、眼前の道が大きく開けるという事は家中の誰もが理解していた。 


「まずは俺と共に出陣する者だが、矢島満安、的場昌長、戸沢政房、鈴木重朝、前田利信……そして、大宝寺義興とする」

「な、何と!?」


 軍勢の指揮を執る者の名前を上げる中で意外な名が出てきた事で大きく響めきがはしる。
 先の庄内の平定の戦の際に新たに戸沢家中に加わったばかりの大宝寺義興の名が上がったからだ。
 満安、昌長はそれぞれに奥州と畿内でその名を知られる無双の勇士にして、戦上手。
 重朝は雑賀衆の上席であり、屈指の鉄砲使い。
 政房も若手でありながら軍勢の調練などを任されている身であり、家中でも有数の武勇の士として知られている。
 利信は一門衆以外の重臣を代表する人物であり、壮年に達した今では老練で此度の安東家との戦のような大事を任せられる者である事は明らかだ。
 だが、義興だけは立場が違う。
 確かに出羽国でも有数の勇将として知られる大宝寺義氏の実の弟にして、義興自身も兄に負けず劣らずの勇将である事は知られている。
 しかし、戸沢家においては昨年に降ってきた際に家臣として迎えられたばかりであって立場が良いとは言い難い。
 安東家という宿敵を前にして、雑賀衆の面々以上に新参の立場にある義興が選ばれた事は驚きに値する。


「義興は亡き、義氏殿と共に幾度となく愛季と戦ってきた人物だ。遣り口は知っているだろうし、因縁もある。これ以上に相応しい者も居ないと思うのだが?」


 驚く家臣達を後目に俺は義興を参陣させる理由を説明する。
 義興は兄である義氏の下で愛季とは幾度となく戦ってきた人物であり、由利の支配権を争ってきた身である事を踏まえれば、此度の戦に加わる理由としては充分だ。
 史実でこそ、最上義光に遅れをとってはいるが義氏と共に戦ってきた義興は20代の半ばという年齢でありながら中々の経験を持っている人物でもあった。
 しかも、為信とも少なからず関わりがあり、景勝とも関わりのある義興は今の戸沢家の立場からすれば信用に値する。
 そういった意味では重要な局面での戦であるからこそ、愛季との因縁があり、尚且つ為信とも関係のある義興を戦に加えるのは間違いではない。


「……確かにその通りです。義興様より安東家の事を御存知の方は家中には居りませぬ」


 家臣達は愛季との因縁があるのは戸沢家の者だけではない事を理解し、頷く。
 戸沢家が安東家と敵対する理由とは別の形であったとはいえ、大宝寺家も敵対していたのは事実なのだから。
 しかも、津軽家とも安東家と戦う事を理由にして、一定以上の繋ぎを取っている。
 戸沢家が庄内を得るために戦う事になったとはいえ、本来ならば共に安東家と戦う間柄になっていた可能性は大いにありえた。
 俺が義興を抜擢したのはそういった大宝寺家の立場も含めての事だ。
 それに安東家との雌雄を決するのは亡き、義氏の悲願でもあった。
 義興の心情も踏まえれば、此度の安東家との戦における意気込みは戸沢家の従来の家臣達をも凌ぐものなのかもしれない。
 最後こそ道を違えたとはいえ、盛り立ててきた兄の意志を継いで宿敵とも呼べる愛季と戦う事はそれこそ、望むところだろう。


「ははっ! 盛安殿の御好意……この大宝寺義興――――感謝の念にたえませぬ」


 俺が指名した意味を察したのか、義興は平伏して感謝の意志を伝える。
 義氏の目標としていた事を引き継ぎ、成し遂げる機会を与えられた事は今まで兄を盛り立ててきた弟としてこれほど嬉しいものはない。
 それに由利をめぐって争った宿敵と戦える事は武士としての本懐でもある。
 大宝寺家が戸沢家に取り込まれた事により、訪れる事はないと思っていた機会が与えられた事に義興は唯々、涙を流し感謝するのであった。















「周囲に対する抑えに関してだが……鮭延秀綱、戸沢盛吉を主な守将とし、備える事とする。特に伊達家、最上家、小野寺家の動向には警戒するように」


 愛季との戦に挑むにあたり、警戒すべきなのは最上家を始めとした周囲の諸大名。
 特に庄内を欲しているであろう最上家の現当主である義光の動向には大いに注意しなくてはならない。
 今の段階では大きく勢力を増した戸沢家に対して、仕掛けてくる可能性はそれほど高くはないが――――。
 出羽北部の統一を行っている間に動く可能性は充分に考えられる。
 義光は僅かな隙も見逃さないような人物であるからだ。
 しかし、庄内に関しては離反する可能性のある豪族を排除し、一門衆の盛吉に守備を任せているため、義光が相手でも調略は容易ではない。
 正攻法で相手にするにしても、盛吉は長年に渡って戸沢家の中核として働いてきた歴戦の武将であり、俺に比べても余程老練だ。
 盛吉の気質からすれば、義光のような人物を相手にするにあたっては俺よりも向いている。
 それに秀綱を残したのも義光を警戒しての事。
 些か過剰過ぎるくらいとも思われがちだが、愛季を除けば彼の人物が尤も出羽国内でも恐ろしい。
 謀略を得意とする知将でありながら、自らが前面に出てくる事をも厭わない勇将でもある義光は紛れもなく、出羽南部において随一の器量を持っている。
 そのような相手に対するつもりならば、知勇共に兼ね備える秀綱でなければ守りきるのは難しいだろう。
 また、小野寺家の動向を探る事に関しても、秀綱より適した人物は戸沢家中には居ない。
 旧主である彼の家を理解し、詳細に渡ってまで把握しているのは秀綱一人だからだ。
 小野寺家が最上家に同調して北上してくるか否かの判断を見極めるにしても、庄内に接している真室城を任されている秀綱が尤も位置的にも相応しい。
 庄内へ進む可能性があった場合でも秀綱を抜かなければならないからだ。
 最後に警戒すべき相手である米沢の伊達輝宗も決して侮れない存在ではあるが、戸沢家とは領地を接していないために比較的、楽ではあると言ったところか。
 しかしながら、忍である黒脛巾衆を抱えているだけあり、何かしらの工作を仕掛けてくる可能性がないとも言い切れない。
 だが、康成を召し抱えた事で此方も伊賀の忍者衆の一部も動かせるようになっているので、黒脛巾衆を相手にしても充分に対抗出来る。
 そのため、輝宗に関しては義光ほどには警戒しなくても構わないだろう。


「尚、此度の戦に挑むにあたり最上義光に備えて、越後の上杉景勝殿に援軍を要請してある。万が一の事態があれば、共に戦う事になるだろう」


 但し、最悪の事態である伊達家、最上家、小野寺家が連合して動くという可能性も零ではないため、上杉家にもその際の援軍要請を行っている。
 流石に先の庄内平定においても援軍を出して貰っているために再度の要請を行うのは気が引けるが……此処は万全の態勢を整えるべき時。
 出羽北部の統一戦の最中にあって、背後を任せられる盟友である上杉家の力を借りるのは戦略上でも当然の事だ。
 それに今の頃合いでの再度の援軍要請は春日山城で景勝、兼続の両名との会談を行った際に織り込み済みである。
 上杉家との同盟は出羽北部の統一の助けにもなる事を見越しての事でもあるだけに景勝もそれを承知している。
 盟約通りに動いてくれるならば、本庄繁長が義光に備える事になるだろう。


「畏まりました。殿が御不在の間は御任せ下さいませ」


 安東家攻めを行なっている最中の事についての説明に家臣達を代表して盛直が頷く。
 盛直は春日山城で俺が景勝と兼続との盟約の話をしている現場に立ち会っているだけに既に細かいところまで理解しており、真っ先に頷くのも当然の事だった。


「うむ、盛安が居らぬ時の対応は慣れておる。安心して愛季との決着を付けてくるが良い」


 盛直に続いて頷くのは父上。
 先々代の当主であり、俺が不在の間の角館の統治を代行している父上は俺が居ない時でも如何に判断するべきかを熟知している。
 景勝からの援軍の事、伊達家、最上家、小野寺家の動向の事についても父上からすれば、充分に予測の範疇だ。
 長年に渡って戸沢家を支えてきたのは伊達ではないだろう。
 そういった意味ではこうして、俺が前面に立てるのも父上の存在が大きい。
 いや……寧ろ、父上の存在なくして此処までの勢力を築けたであろうか。
 これは正直、俺だけでは到底、出来なかった事だと思う。
 愛季との戦に関しても、父上が後ろを守ってくれている事が有り難い。
 宿敵を前にして、自らの全力を傾ける事が出来るか否かは重要な事だからだ。
 今でこそ、正面切って敵対している訳ではないが、伊達家、最上家といった大名が動く可能性がある今の状態では如何しても其方にも意識を向けざるを得なくなる。
 その分を引き受けてくれるのだから、これほど助けになるものはない。
 隠居の身であるにも関わらず、父上が率先して動いてくれるのはそれを理解しての事なのだろう。
 こうした父上の心遣いに感謝しつつ、俺は改めて宿敵である安東愛季の打倒の念を強くするのであった。















 ――――1581年1月下旬





 当初の予定通り、盛安は角館を出陣した。
 此度の戦に挑むにあたり、率いる軍勢、その数――――実に3000。
 庄内平定における戦に動員した兵力を更に上回るほどの大軍である。
 しかも、この中には雑賀衆を合わせて600丁もの鉄砲(ミュケレット式200も含む)を動員している。
 新式の物を含め、これほどの数の鉄砲を揃えられたのはやはり、畿内での活動があったからだろう。
 雑賀衆が動員している鉄砲隊の半数以上を占めているのがそれを大きく象徴している。
 また、ミュケレット式の銃を準備しているのも愛季が鉄砲隊を動員する事を見越しての事だろうか。
 真っ向からの火力による戦になった場合に射撃速度で勝るつもりであるのは想像に難くない。
 但し、今の時期は雪や雨が降る事も多々あるため、鉄砲隊に過度な期待をする事は命取りとなる。
 盛安はそれを見越し、此度の戦にはミュケレット式に並ぶ、もう一つの切り札であるギリシャの火も準備していた。
 天候の崩れ易い時期では水では消えない性質を持つ、ギリシャの火はいざという時には絶大な力を発揮するからだ。
 寧ろ、此方の方が戦における肝と成り得るかもしれない。
 盛安は様々な戦況や状況を予測した上で持てる兵力や武器の多くを動員しているのだといえるだろう。
 だが、これは盛安に対する愛季も同じである。
 愛季が此度の戦のために率いてきた軍勢の数は――――実に4000。
 盛安が動員した兵力よりも3割以上も多い大軍である。
 これだけの兵力を此度の戦のために準備してきたのは流石の安東家といったところであろうか。
 戸沢家が大きく勢力を拡大し、動員出来る兵力を増やしたにも関わらず、未だにそれを上回っている。
 力の差は大分縮まっているとはいえど、これは安東家の力が強大である事を明確に示していた。
 更に愛季は戦に挑むにあたり500丁ほどの鉄砲を揃えてきている。
 背後に控える為信の存在にも備えている事を踏まえれば、此方もまた大量の鉄砲を動員してきたといえるだろう。
 今までの安東家が運用してきた鉄砲の数から考えても、事実上の総力をあげての動員である事は想像に難くない。
 盛安も愛季もそれだけ、此度の戦の重要性とその意味を理解しているのだ。
 出羽北部の覇権を争い、戸沢、安東の両家の雌雄を決する事になるであろうこの戦が自らの分岐点になる可能性が高いという事を。
 戸沢盛安と安東愛季がそれぞれの思惑を持ちながら、唐松野の地に布陣したその時を以って、いよいよ奥州の歴史の中でも激戦の一つであるとされる戦が始まる。
 出羽北部のおける最大の戦として伝えられる事になるこの戦は後に――――















 ――――『唐松野の戦い』と呼ばれる事になる。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第46話 唐松野の戦い
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/02/24 00:03





 唐松野の戦い





・戸沢家、安東家 陣容





 戸沢家(合計3000)
 ・ 戸沢盛安(足軽400、騎馬500、鉄砲100) 1000
 ・ 矢島満安(足軽150、騎馬100、鉄砲50)       300
 ・ 的場昌長(足軽50、鉄砲150)            200
 ・ 鈴木重朝(足軽100、騎馬100、鉄砲250)       450
 ・ 戸沢政房(足軽125、騎馬50、鉄砲25)        200
 ・ 前田利信(足軽200、騎馬75、鉄砲25)        300
 ・ 大宝寺義興(足軽400、騎馬150)          550



 安東家(合計4000) 
 ・ 安東愛季(足軽800、騎馬300、鉄砲200)      1300
 ・ 南部政直(足軽500、騎馬200、鉄砲100)       800
 ・ 安東種季(足軽300、騎馬100、鉄砲100)       500
 ・ 嘉成重盛(足軽200、騎馬150、鉄砲50)      400
 ・ 泉玄蕃(足軽200、騎馬200)   400
 ・ 五十目秀兼(足軽200、騎馬100、鉄砲50)      350
 ・ 三浦盛永(足軽150、騎馬100)           250














「浅利勝頼は出陣していないか……」


 俺は遥か先に見える安東家の軍勢から見える旗印を見ながら呟く。
 布陣する前に俺の傍にて戦に加わらせている康成に探らせてみたが、聞いた報告からしても勝頼の姿はない。
 恐らく、愛季は勝頼が不穏分子となる事を読み取っているのだろう。
 為信に対しても警戒を緩めていない事が間違いない事からしても全く油断が出来ない。
 事前の俺達の行動は愛季の掌の上でしかなかったのかもしれない。


「はい。旗印からして、愛季以外の一門衆と五十目秀兼が居るのは間違いありませんが……嘉成重盛が居るのが尤も厄介です」


 俺の呟きの内容に沿うように義興が安東家の軍勢について補足をする。
 一目見ただけで、安東家の陣容に目星を付けたのは流石に義氏と共に安東家と戦ってきた義興といったところか。
 他の家中の者で判断出来るのは長年に渡って戸沢家に仕えている利信と由利十二頭の一つである満安くらいだろうが、それでも此処まで正確には判断出来ないだろう。
 由利の支配権を争って、幾度となく戦ってきた大宝寺家の人間だからこそ見極められるのである。
 義興を参陣させた強みは早速、現れているとも言えるかもしれない。
 愛季が出陣しているのは俺が事前に探った段階でも間違いないが、安東家の旗がもう一つ見える事を考えれば義興の言っている事は間違いではない。
 雌雄を決する重要な戦において、信用の出来る一門衆や家臣を中心戦力として参陣させるのは当然だからだ。
 唯、義興の言う通り、嘉成重盛が居るというのは非常に厄介である。
 重盛は鹿角城を巡る戦を始めとし、対南部家の最前線で戦ってきた歴戦の猛将で安東家の主な戦においては度々、その名前を見かけるほどの人物だ。
 彼の九戸政実とも渡り合い、史実においても愛季死後の安東家の混乱に乗じて動いてきた南部家の攻撃を撃退している。
 その名前こそ知られているとは言えないが、安東家中でも屈指の武名を誇る名将である重盛が強敵となるのは想像に難くはなかった。


「重盛殿の噂は俺も聞いている。侮れない相手だぞ、盛安殿」


 義興に続き、満安も重盛が強敵である事に同意する。
 若くして、自ら最前線で数多くの戦を経験してきた満安も南部家と戦ってきた重盛は余程の相手であると見ていた。
 鹿角を巡る安東家と南部家の争いは由利方面にまで聞こえていたし、政実の武名は言わずもがなだ。
 遅れを取ったはいえ、奥州随一の武将と名高い政実と渡り合ってきた重盛の実績は決して侮れるものではない。
 満安が義興の話に同意するのも無理はない事だった。


「……ああ、解っている」


 俺は安東家の事情を知る2人から高い評価を受けている重盛の事を思いつつ、頷く。
 主に南部家との戦の最前線で戦ってきた人物がこうして、戸沢家との戦に出てきたという事は此方が相応の身の丈になった事を証明している。
 愛季は俺の事を政実には及ばないであろうが、強敵であると考えて重盛を連れてきたのだから。
 それに安東家の中でも泉玄蕃の旗印も見える。
 史実では俺が首を取った相手ではあるが、確実に討ち取れるかまでは解らない。
 重盛と並んで突き進んでくれば此方も相手に出来る武将は限られてくるからだ。
 此度の戦がそう簡単にはいかない事を実感しつつ、俺は愛季の旗印をじっと睨み付けるのであった。
 例え、史実では勝利する事の出来た戦であるとはいえ、決して油断出来るものではないのだ――――。















「やはり、戸沢家には矢島満安と雑賀衆の何者かが居るか……難しい戦になる」


 盛安が此度の戦が容易なものではないと判断していた時と同時期――――。
 安東愛季もまた、難しい戦になると予測していた。
 戸沢家の軍勢に見える旗印で特に目を引く、満安の旗印と雑賀衆の八咫烏の旗印。
 特に雑賀衆については畿内の事情を知っていなければ、その恐ろしさが解らないだけに一部の者達が何処かで油断してしまう可能性もある。
 そのため、南部政直や嘉成重盛といった信頼出来る家臣達を中心に軍勢を編成している。
 本来ならば、安東家に従っている豪族の中でも力の強い浅利勝頼も連れておきたところであったが、彼の人物は如何にも信用出来ない。
 以前、愛季に対して叛乱を起こしたという経緯からして、盛安からも為信からも調略し易いのは明らかだからだ。
 雌雄を決する戦となる重要な局面で重用する訳にはいかない。


「はい、悪竜の異名を持つ矢島満安殿は勿論の事、雑賀衆の鉄砲も注意せねばなりませぬ。生憎と今日の天気は雪も雨も降っては居りませぬし」


 愛季と同じく、畿内の事情を知る政直が空を見上げながら言う。
 今の季節は真冬であり、奥州は雪が多い時季である。
 無論、晴れる時も少なくはないのだが、雑賀衆を加えた事により鉄砲を数多く揃えた戸沢家を相手にする上ではこれは望ましくはない。


「だが、それは彼方から見てもそうだろう。此度の戦は此方も相応の数の鉄砲を揃えている。……雑賀衆特有の撃ち方がある分で戸沢家の方が有利なのだろうが」


 しかし、政直の懸念は戸沢家にとっても同様である。
 安東家も戸沢家よりは僅かに数が少ないとはいえ、相当数の鉄砲を揃えてきているのだから。
 とは言っても、鉄砲に関する戦は戸沢家の方が有利である事には変わりはない。
 雑賀衆には奥州では知られていない鉄砲の運用の方法があるらしいからだ。
 愛季も流石に詳細までは把握している訳ではないが――――これは少しでも知っているか知らないかでは大きく違うだろう。
 鉄砲による戦が浸透しきっているとはいえない奥州では未だにその戦を知らない者も居るからである。


「尤も、この天候が戦の間ずっと晴れたままであったならば――――な」


 だが、雑賀衆も天候が大きく崩れてしまえばその力を限界まで発揮する事は難しい。
 雑賀衆ならば雨が降っていても射撃は可能だろうが、運用の方法に気を使わなければならなくなるからだ。
 それを察している愛季は空の様子を見ながら呟く。
 視線の先には徐々に増えつつあるように見える雨雲の姿が見えていた。
 まだ、雨雲は空全体を覆うには至ってはいないが、それでも暫くすれば雨か雪が降る可能性は決して低くはない。
 火力に劣っている部分を除けば、優っているために雨や雪によって鉄砲に制限がかかれば有利に立ち回れる。
 盛安がそれに気付かないはずはないが、少しでも条件が有利でなくては侮れない相手ではないだけに天候が変動する事は愛季にとっては都合の良いものであった。
 正面からの野戦となれば、軍勢に勝る安東家の方が有利だからである。
 だが、それでも愛季は戸沢家との戦は楽に進める事は出来ないと踏んでいる。
 夜叉九郎の異名を持つ盛安と悪竜の異名を持つ満安の両名の武名は出羽国内どころか、奥州でも屈指のもの。
 そのような武将が相手となれば、軍勢の統率を維持する事は難しい。
 恐るべき戦いぶりに足軽達が動揺し、我先にと逃げ出すのは無理もない事だからだ。
 盛安が数が劣っているにも関わらず真っ向から戦を挑んできているのはそういった自らの武名も計算のうちなのかもしれない。
 何れにせよ、軍勢の数の多さは関係ないものとして戦には臨まねばならない。
 愛季は若くして奥州でも屈指の武名を誇るに至った盛安達の姿を旗印の先に見据え、自らの覚悟を定めるのであった。















 ――――1581年2月初旬





 戸沢家と安東家の双方が唐松野に布陣して睨み合う事、数日後――――。
 双方共に様子を見るかのように静観していた唐松野の地に変化が現れた。
 先に動き始めたのは戸沢家。
 布陣した日より、雨や雪が降ったり止んだりと天候が安定しない事を見た盛安は密かに精兵を集め、夜半に安東家の布陣する唐松岳の麓に接近させた。
 唯々、天候が安定するのを待つよりは先手をとって動いた方が状況を動かせるとの判断からであろうか。
 数で劣り、絶対的に有利な戦場へと導けないのならば自らの手でそれを切り開くしかない。
 盛安が戦術として選んだのは奇襲という選択肢であった。
 不意を突く形で一気に攻めかかる盛安、満安を中心とする1300の軍勢は烈火の如く暴れまわり、この戦の火蓋を切る。
 だが、愛季も手を拱くだけではない。
 奇襲を仕掛けてきたと知った段階で愛季は慌てふためく軍勢を一括し、態勢を立て直して果敢に応戦する。
 今までの戦の噂を聞く限り、先手を打ってくる可能性は充分にあっただけに戸沢家の動きに対する愛季の判断は素早かった。
 とはいっても、流石に相手が戸沢盛安、矢島満安という奥州屈指の猛将達が相手ともなれば、軍勢の数を優位があっても簡単には押し切れない。
 武名が轟いている身を意図的に利用しての戦運びは為政者としての名声の方が高い愛季には不可能な戦術であった。
 また、雑賀衆を抱えており、鉄砲を中心とした戦の方が有利であるはずにも関わらず、一気に軍勢を動かしてきたのもその強みを活かしての事か。
 それとも、晴れてはいるが天候が安定しない現状では鉄砲を主力として運用する事は難しいとの判断か。
 何れにせよ、一気に接近戦を挑んできた現状では距離も迂闊には取れないし、他の武将達に命を下そうにも既に後から続く盛安、満安の率いる軍勢と交戦を開始している。
 愛季としては早急に戦を進めるよりも有利な条件を維持したままでの戦に持ち込みたかっただけに予測以上に難しい戦となった事を実感する。
 速攻とも呼べる戦運びは盛安の方が得意とする手段であり、愛季の方はそれほど得意とする手段ではないからだ。
 待つだけでは相手が釣れない以上、先に動く事で戦況を動く事を身を以って知っている盛安は愛季の性格を良く読み取っていると言える。
 本来ならば盟友でもなく、互いに接点を録に持とうとしなかった事を踏まえれば此度の戦が初対面であるはずなのだが――――。
 先を読んだかのような采配で戦を進める盛安の強さは正しく本物だ。
 このような采配をする武将は今まで、九戸政実以外に覚えはなかった。
 僅か10代半ばにして、夜叉とも鬼とも呼ばれるその名は伊達ではない。
 愛季は依然として苛烈な攻めで突き進む盛安の率いる軍勢の姿を認めながら、若き宿敵の姿を思う。
 出鼻こそ、くじかれる形となってしまったが……出羽北部の雌雄を決するこの戦はまだまだ序盤であり、これからが勝負どころだ。
 愛季とて長年に渡って、陸奥国随一の力を持つ南部家と渡り合ってきた身である。
 その南部家に力で劣る戸沢家に容易く戦の流れを掴まれるのは面白くない。
 盛安や満安が如何なる猛将であるとはいっても完璧である訳がないのだ。
 隙を見い出せないなんて事は決してない。
 そう判断した愛季は前線の足軽に激を飛ばし、盛安の率いる軍勢と僅かばかりの距離を取るための時間を稼がせる。
 乱戦で鉄砲が使えないのならば一度仕切り直し、騎馬を突入させるのみだ。
 その判断で愛季は軍勢をゆっくりと下げる形で動かしていく――――。















 盛安の奇襲により、明朝からその火蓋を切った唐松野の戦い。
 現状の段階では戸沢家有利の形から安東家が軍勢を立て直し、一進一退の攻防へと流れが進んでいる。
 傍目から見れば、数の劣勢にも関わらず押している戸沢家が有利なのだが、それを見事に押さえ込むのは流石に出羽北部で最大の勢力を誇る安東家といったところか。
 ひたすらに突き進むかのように攻め立てる盛安の動きに対して、徐々に軍勢を下げる動きを見せる愛季。
 だが、その愛季の動きは陣頭に立って戦い続ける盛安も察していた。
 盛安もまた、愛季が仕切り直すであろう頃合いを狙っていたのである。
 最前線で戦う事により、愛季の思惑を早くも察した盛安は自らの後ろに続いている騎馬隊へと装備の変更を指示する。
 乱戦を避けるために軍勢を下げるとなれば、次に来るのは騎馬の可能性が高いと踏んだからだ。
 互いの思惑が交錯する最中――――愛季が乱戦から一度、仕切り直すために軍勢を動かした事によって戦は次なる段階へと進んでいくのであった。















[31742] 夜叉九郎な俺 第47話 竜より先んじて
Name: FIN◆3a9be77f ID:887f7787
Date: 2013/02/24 07:51




 ・唐松野の戦い





   ④F
    ③→          GC
      B    ↑
      ⑥   EAD   ⑤⑦
           ①②   
 
         
  


 戸沢家(合計2675)
 ① 戸沢盛安(足軽320、騎馬480、鉄砲100) 900
 ② 矢島満安(足軽140、騎馬95、鉄砲50)        285
 ③ 的場昌長(足軽50、鉄砲150)            200
 ④ 鈴木重朝(足軽90、騎馬100、鉄砲250)        440
 ⑤ 戸沢政房(足軽115、騎馬40、鉄砲25)        180
 ⑥ 前田利信(足軽120、騎馬30、鉄砲20)        170
 ⑦ 大宝寺義興(足軽370、騎馬130)          500



 安東家(合計3365) 
 A 安東愛季(足軽700、騎馬250、鉄砲150)      1100
 B 南部政直(足軽380、騎馬150、鉄砲90)       620
 C 安東種季(足軽280、騎馬90、 鉄砲95)        465
 D 嘉成重盛(足軽170、騎馬120、鉄砲40)      330
 E 泉玄蕃(足軽180、騎馬190)   370
 F 五十目秀兼(足軽150、騎馬80、鉄砲30)       260
 G 三浦盛永(足軽130、騎馬90)           220





「敵勢は余り積極的には動こうとはしておりませぬな……。それがしがもう一当て致しましょうか?」


 盛安の判断により、奇襲という形で火蓋を切った唐松野の戦い。
 天候がいま一つ安定せず、数の上で劣る戸沢家が安東家に勝つには機先を制し、戦の流れを掴む事が肝要だ。
 それに従い、戸沢家の諸将は盛安と満安が一気に攻め掛かった事を合図に戦を開始したのだが――――。
 義興と政房が交えた相手は如何も積極的に反攻しようとする気配はない。
 仕掛けた段階でこそ混乱していたためか暫くのせり合いが見られたが、敵方が軍勢を立て直してからは中途半端な膠着状態へと陥っている。
 何を考えてそのような状況に持ち込もうとしたのかの思惑はいま一つ解らない。
 だが、敵方に何かしらの策がある事も決して否定は出来ない。
 かといって動かなければ戦況を動かす事は叶わない。
 それに業を煮やした政房は近場で戦っている義興の下へ出向き、如何にすべきかを尋ねているのだった。


「いや、こうして牽制するだけでも充分です。盛安殿の居る方向へ行かせなければ、それだけでも有利になる」


 盛安が一気に攻勢に出ている現状で戦線が膠着するのは好ましくないが、義興はこの状況を維持させるべきだと判断する。
 戦が始まる前こそ気付かなかったが、こうして対峙してみて愛季以外の安東家の旗印のものが”湊安東家”のものであると気付いたからである。
 愛季は檜山、湊の両安東家の統一を果たしているが、湊安東家に関しては道季が若年であるという理由から愛季に取り込まれた経緯があり、不穏な動きも僅かにあった。
 恐らくは盛安の盟友である津軽為信が裏で動いている影響なのだろうが、何れにせよ湊安東家は一門でありながら曖昧な立ち位置にあるといえる。
 安東家から離反する可能性が高いと思われた浅利勝頼がこの戦に居ない今、新たなる不穏分子となる可能性があるのは湊安東家の軍勢だけだ。
 そのため、義興は意図的に湊安東家に属する軍勢に関しては適度に戦う事とし、後々に備えて僅かでも疑念を植え付けるべきと考えたのである。


「解りました」


 義興の判断に何かしらの裏があるのだろうと判断した政房はそれ以上は何も言わずに頷く。
 戸沢家中で最も安東家の事情に詳しい義興が対峙している軍勢の旗印を見ながら判断したのならば間違っているとは思えない。
 寧ろ、此処は義興の言う通り、愛季の軍勢と戦っている盛安の軍勢の所へ行かせない事が重要だろう。
 敵勢と交戦して此方の戦場でも動きが出てきたのだから、向こうでも状況が動き始める可能性は充分に考えられる。
 盛安が動くべきであると判断し、一気に戦を動かしてきた事から、此処は戦線を維持し続ける事を優先させるべきである。
 仕掛けた側である此方が先に劣勢となってしまっては目も当てられない。
 ましてや、目の前の敵勢の方が鉄砲を多く揃えているのだ。
 安東家は奥州の大名の中でも畿内との繋がりが強く、その扱いにも慣れている大名。
 今まで戦ってきた相手と同じように戦うのは命取りにしかならないのだ。
 兄である義氏と共に幾度となく安東家と戦ってきた義興はその事を良く知っている。 
 戦線が膠着し、距離を取られた現状では撃ち合いで逆に遅れを取りかねない。
 現在の此方の手勢が率いている鉄砲隊の数は敵方の半分にも満たないのだから、火力で覆すのは不可能だ。
 単純に見えて、難しい戦である事を実感しつつ、義興と政房の率いる軍勢は戦線を維持する事を優先させるのであった。















「強い……寡兵でありながらも未だに崩れぬとは流石は前田利信殿」


 盛安の軍勢と戦っている愛季から離れた所で戦っている政直は前田利信の軍勢と戦っていた。
 戸沢家の重臣である利信と安東家の重臣である政直の戦は数の上で大きく勝っている政直が有利な状況で進んでいる。
 だが、圧倒的に数少ない兵力でしかない利信の軍勢は半数近くにまで減るに至っているのに関わらず退く様子を見せない。
 戦では率いる軍勢の3割ほども失えば士気を維持するのも難しいのにも関わらずだ。
 それを踏まえれば余程、鍛えられているのであろう。


「しかし……このままでは不味い」


 寡兵でありながら、未だに押し切れない現状に苦虫を潰したような表情で政直は呟く。
 利信が還暦に到達する年齢でありながらも武将として優れた采配の持ち主である事は知っていたし、苦戦する事も予測はしていた。
 だが、此処にきて側面から夥しい数の鉄砲による銃声が近付いてくる。
 政直の率いる軍勢も相当な鉄砲を揃えているが、聞こえてくる音から判断するにその数を上回っているだろう。
 しかも、方角から察するに雑賀衆と交戦していたはずの五十目秀兼の率いる軍勢のあった方角だ。
 相手は彼の織田信長を相手に武名を轟かせた雑賀衆である。
 流石に率いている人物が何者かまでは解らないが、もしかしたら既に秀兼は敗れたのかもしれない。
 時折、聞こえてくる銃声は押し切られようとしている事を証明しているような気がする。


「仕方がない。少し下がるべきか……」


 前方では一歩も退く事なく、挑んでくる利信の軍勢。
 それに加え、側面から近付いてきている軍勢の足音。
 もし、秀兼が押し切られたのならばそれを助けなくてはならない。
 政直がそう考えたその時――――150ほどの兵力と思われる軍勢の姿が政直の視界に現れる。
 その軍勢は騎馬を手勢に入れていないようだが、政直の率いてる軍勢の持つ鉄砲よりも更に多い。
 今までの銃声を鳴らしていた軍勢とは違うものと思われるが、それでも信じられない数の鉄砲だ。
 何しろ、軍勢の7割以上が鉄砲を備えているのだから。


「何という……。小勢でありながら、あれほどの数を揃えるとは」


 視界の先に現れた軍勢の姿に政直はこれが雑賀衆なのか、と思わずには居られない。
 畿内の事情を知っている身であっても足軽の数よりも鉄砲隊の方が数が多い軍勢なんて初めて目にするからだ。
 如何に雑賀衆が有名であってもこれは流石に予測は出来なかった。
 噂に違わぬ鉄砲集団であると言うべきだろうか。


「くっ……この距離で撃ってくるのか!」


 余りにも見事な鉄砲備えに感心する間もなく、現れた雑賀衆の軍勢は一斉に射撃を開始する。
 しかも、その距離は火縄銃の有効射程距離とされる200メートルの距離を超えているにも関わらずである。
 更には射手を次々と交代させつつ、軍勢を進めるという信じられないような運用方法を行なっている雑賀衆の軍勢に政直は戦慄せざるを得ない。
 射手を交代させる事により射撃の間隔を短くする術は有名な長篠の戦いの噂で聞いているが、このように銃列を前進させながら射撃を行う術など聞いた事もなかった。
 雑賀衆の軍勢が射撃と共に前に進んでくる度にその距離は少しずつ縮まり、距離が短くなると共に政直の率いる足軽達の倒れていく人数が増加していく。
 まるで、悪夢のような光景だ。
 軍勢を進めながらも狙いを外さず事なく、進んで来る目の前の軍勢――――。
 旗印こそ八咫烏ではないが、雑賀衆でも名のある人物が率いているものであろう。
 盛安が起こした先の庄内平定の戦では噂も聞かなかった恐るべき人物の率いる雑賀衆の軍勢の前に政直は兵力で勝りながらも退く必要性がある事を嫌でも実感させられる。
 まさか盛安や満安以外で寡兵を以って、意図も容易く大兵を制するほどの相手に遭遇する事になるとは思いもしなかったからだ。
 今、まさに未知なる強敵とも呼べる存在との戦に政直は態勢を整えるべく軍勢を動かすべく命を下すのであった。















   ④F
      ③ ↑       GC
      B→   A
      ⑥   E D   ⑤⑦
           ①②   
 





「愛季が距離を取り始めたか! 騎馬隊は鉄砲の準備だ!」


 奇襲という形から怒涛の勢いで乱戦に持ち込んだところで愛季の軍勢が牽制しながら退く事にいち早く気付いた俺は騎馬隊に装備の変更を指示する。
 愛季が一度、態勢を立て直し、騎馬隊を突入させてくる事は容易に想像出来たからだ。
 本来ならば騎馬隊に対処するならば足軽を並べて槍衾にて突撃を抑えるのが基本的な手段だが、それだけでは流れを一気に引き寄せる事は出来ない。
 愛季も此方が足軽を前面に押し出してきたならば、すぐに別の手段を取ってくるだろう。
 そうなれば、距離を取り終えた段階で鉄砲を多く抱えている愛季の方が有利になる。
 従軍している諸将の軍勢を合わせれば戸沢家の方が火力の面で上回っているはずだが、雑賀衆の2人が率いる軍勢に数が集中しているためその条件は成立しないのだ。
 雑賀衆の率いている鉄砲隊を除いた場合だと全体でも200前後の数となるからである。
 その上で鉄砲の数のうちで半数は俺が率いており、残りは満安達にそれぞれ一部ずつ預けている。
 単独では軍勢の練度においては上だとしても、火力におけるアドバンテージがあるとは言い難い。
 俺は此処で愛季を打ち破るには相手にとって奇策とも言うべき戦術を用いるしかないと判断した。


「今こそ、騎馬鉄砲隊の力を示す時!」


 俺が用いる事を決めた戦術は家督を継承して以来より準備を進めていた騎馬鉄砲隊を前面に出す事。
 その数は俺が率いている手勢の持つ全ての鉄砲の数と同数である100の数。
 虎の子とも言うべき戦力だが、今が戦の勝敗を決する絶好の機会であると判断した俺は躊躇う事なく前面に押し出す事を決断する。
 切り札は最後まで取っておくのが常識だが、愛季が相手となればそんな余裕はない。
 機を逃せば、敗北するのは俺の方になるのは間違いないからだ。
 そもそも、俺と愛季との戦は常に際どい段階で行われていただけに尚更である。
 正攻法だけで勝てる相手ではない存在に対しては大胆な戦術があってこそ勝機を見い出せるのだから。
 

「皆の者――――俺に続け!」

「おお――――っ!!!」


 愛季の率いる騎馬隊が突入を開始し始めた頃合いを見計らって俺は陣頭に立って弓を携え、準備を終えた騎馬鉄砲隊に号令する。
 それと同時に沸き起こる兵達からの歓声。
 騎馬隊に対して騎馬鉄砲隊をぶつけるという今の段階では常識の範疇外にある采配に躊躇う事なく応える兵達の声が頼もしく感じられる。
 これも今が勝負どころである事が解っているからだろうか。
 皆の様子は待っていたと言わんばかりに勇んでいる。
 士気は充分であると判断した俺は騎馬鉄砲隊の射撃の後に残りの騎馬隊にも突撃を開始するように命じ、自身は愛季の命で突撃を開始する騎馬隊の前へと躍り出る。
 そして――――


「撃て――――!」


 俺が弓を構え、撃ち放ったのを合図にして騎馬鉄砲隊による一斉射撃が行われる。
 耳を劈くような轟音と共に開始された馬上からの射撃は時折、その狙いを外しながらも敵方の騎馬隊を次々と貫いていく。
 馬上であるためか鉄砲による射撃は流石に一度しか行う事は出来ないが、騎馬隊が騎射以外の手段で射撃を行うとは予想していなかったらしく敵方の騎馬隊の足が止まる。
 それを見た俺は後に続いて突撃を行うように命じていた騎馬隊を突入させ、自らも引き続き陣頭に立って敵勢を次々と斬り伏せていく。
 夜叉とも鬼とも呼ばれる身である戸沢盛安の本領発揮といったところか。
 このまま、一気に突き崩せば愛季の首を取る事も決して不可能ではない。
 奇襲による先手から更なる流れを引き寄せる事に成功したのを感じた俺はその勢いを落とす事なく愛季が居るであろう旗印の下へと馬首を向ける。
 今一度、進み始めた流れを確実なものとするためには此処で押し切る必要がある。
 後は宿敵である愛季の旗印を目指すのみ。
 彼の人物さえ、打ち破ってしまえばこの戦の勝利は揺るぎないものとなる。
 だが――――


「殿の首を渡す訳には参らぬ! この泉玄蕃が御相手仕る――――!」


 これ以上は進ませないとは言わんばかりに俺の行く手を阻むかのように泉玄蕃が立ち塞がったのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第48話 小雲雀は密かに佇む
Name: FIN◆3a9be77f ID:f2fc4177
Date: 2013/03/03 21:42



 ・唐松野の戦い






        B
    ④F  ③→
      ↑     ↑    GC
      ⑥    A
          E①D   ⑤⑦
            ②   
 






 戸沢家(合計2510)
 ① 戸沢盛安(足軽300、騎馬460、鉄砲100)860
 ② 矢島満安(足軽115、騎馬75、鉄砲40)230
 ③ 的場昌長(足軽50、鉄砲150)200
 ④ 鈴木重朝(足軽130、騎馬90、鉄砲250)420
 ⑤ 戸沢政房(足軽110、騎馬35、鉄砲25)170
 ⑥ 前田利信(足軽105、騎馬30、鉄砲15)150
 ⑦ 大宝寺義興(足軽360、騎馬120)480



 安東家(合計2750) 
 A 安東愛季(足軽630、騎馬150、鉄砲120)900
 B 南部政直(足軽300、騎馬80、鉄砲30)410
 C 安東種季(足軽270、騎馬80、 鉄砲85)435
 D 嘉成重盛(足軽150、騎馬110、鉄砲35)295
 E 泉玄蕃(足軽160、騎馬170)330
 F 五十目秀兼(足軽105、騎馬60、鉄砲15)180
 G 三浦盛永(足軽120、騎馬80)200





「泉玄蕃殿か! 邪魔をするなっ!」


 騎馬鉄砲隊によって愛季の虚を突いた俺の目の前に主君を守る形で立ち塞がる泉玄蕃。
 絶好の好機を挫く頃合いで現れたのは今が愛季の危機である事を察しての事か。
 史実でも直接戦った相手であるだけにこうして、直に対面する事になると歴史の巡り合わせのようなものが感じられる。


「そうは参らぬ! 貴殿を此処から先に進ませぬ事が我が役目なり!」


 玄蕃は声高々に行く手を阻む事を宣言し、俺の首を取るべく槍を繰り出す。
 愛季を守るべく俺に戦いを挑んできた玄蕃からは並々ならぬ気迫が感じられる。


「ならば、推し通るまでだ!」


 玄蕃の様子を見て、戦う事は避けられないと踏んだ俺は此処で打ち破るしかないと判断する。
 堂々と俺の前に立ち塞がるだけあって武勇には自信があるつもりなのだろう。
 だが、既に満安との一騎討ちを経験している今となってはその動きは止まっているかのように感じられる。
 俺は真っ直ぐに向かってくる槍の側面を叩いて狙いを反らす。
 その感触は満安の太刀を受け止めた時に比べると余りにも軽い。


「ぬっ……!?」


 意図も容易く、槍を弾かれた事に驚いたのだろうか。
 玄蕃は思わず怯んだ様子で一歩後ずさる。
 誰しも腕に覚えがある身であっさりと流されてしまえば驚くのは無理もないだろう。
 俺からすれば奥州随一の豪勇の士である満安を基準として見ているだけに玄蕃が如何に安東家中で武勇に優れた人物であったとしても大した人物には感じられない。
 一人の武将として、此度の戦において強敵であると思えるのは少しだけ離れた場所で満安と激戦を繰り広げている嘉成重盛くらいだ。
 玄蕃が怯んだのは今の一合で力の差がはっきりした事を察したからかもしれない。


「その程度の腕前で行く手を遮ろうとは……俺を舐めるな!」


 本当の事を言えば、玄蕃は決して弱い訳ではない。
 唯、満安との戦いを経た今の俺にとっては数合も打ち合えば充分に打ち破れる相手だった事が不幸がったのだ。
 俺の行く手を阻むには些か、役者が不足していると言える。
 玄蕃の槍を反らしたところで後ずさった隙を見逃さず、槍を突き立てた。


「ぐっ……」

「主君を守らんがために俺の前に立ち塞がった気概は見事だ。首までは取らぬ故、大人しく寝ている事だ」


 俺は甲冑の隙間を的確に突いた槍をゆっくりと引き抜き、柄で強打させて玄蕃の意識を奪う。
 討ち取るのはそう難しい事ではないが、これほどの忠義の士の首を取るのは流石に憚られる。
 俺は玄蕃を馬上から叩き落とし、周囲で慄いている足軽達に玄蕃を連れて去るようにと目配せする。


「ひ、ひぃぃぃ! 玄蕃様が敗れた!」


 僅か数合で玄蕃の意識を奪い取った俺に恐れを抱いたのか、数名の足軽が怯えた様子で玄蕃を抱え去っていく。
 一先ずは俺以外の武将との戦に巻き込まれない限りは自分の身も保証はされると思ったのだろう。
 俺からの目配せにこれ幸いと周囲の足軽達は散り散りに逃げ出す。
 それを見届けた俺は再び、愛季の旗印を目指して馬を走らせるのであった。














「おおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」

「ぬぅぅぅっっっ!!!」


 盛安が騎馬鉄砲隊を動員し、愛季との戦の趨勢を決めようとしていたその時、満安は安東家随一の名将と名高い嘉成重盛との一騎討ちを演じていた。
 かたや、出羽北部で名を馳せ、悪竜の異名を持つ豪勇の士。
 かたや、南部家と鹿角の地を巡る戦で九戸政実と渡り合った事で知られる勇士。
 両者共に奥州でその名を知られる武将同士であり、猛将として名高い人物。
 それだけに咆哮するかのように声を上げながら一合、また一合と打ち合うその様子は誰も立ち入れないかのような均衡を保っていた。


「な、何という光景だ……」


 裂帛の気合と共に打ち合う両者を前にして、安東家に属する周囲の足軽達は信じられない者を見たとしか言えない思いを抱えながら呟く。
 馬上で得物を自在に操り、思いのままに振るう事は武士として一流の人物である事の証明だが――――。
 目の前で繰り広げれている光景は鹿角の戦以外では一度も目にする事はなかったもの。
 幾ら満安が名高いとはいっても、まさか九戸政実と同等以上の武勇の持ち主でだった事は予想外の事であった。
 しかも、満安はまだ20代前半という若さであり、数々の戦をくぐり抜けてきた歴戦の将である重盛とは一回り以上も歳が違う。
 まだまだ若い部類である人物が脂の乗り切った家中随一の将と名高い人物と互角以上に渡り合える事が異常と思えても無理はない。
 だが、満安は由利十二頭の一つである仁賀保氏の当主を立て続けに討ち取った実績があり、盛安との戦でも一騎討ちに関しては圧倒しているほどだ。
 悔しい事に目の前で重盛を圧倒しかねないほどの勢いで打ち続ける満安の姿は紛れもなく現実の事である。


「流石は矢島の悪竜か――――見事な腕だ」


 政実とも一騎討ちを演じた事のある重盛から見ても、満安の恐るべき強さには惚れ惚れしてしまう。
 四尺八寸の大太刀を得物に一瞬でも気を抜いてしまえば斬られかねないほどの速さの太刀筋は北の鬼と呼ばれる政実をも超えている。
 如何に優れた武勇の持ち主であってもこれほどの人物とはそう戦えるとは思えない。


「……重盛殿の方こそ」


 感嘆するかのような重盛の感想に満安も同じ事を感じたらしい。
 満安を相手にして、まともに戦う事の出来た人物は今まで、先の大曲の戦いにて手を合わせた盛安以外に存在しなかったからだ。
 南部家との戦で名を馳せたその名は伊達ではないらしい。


「だが、この戦は安東に勝ちの目はない。重盛殿、貴殿の奮戦も無駄に終わる」


 満安は離れた場所から鉄砲による砲撃の音と騎馬が突撃を開始する音が聞こえてきた事で盛安が勝負に出た事を確信する。
 騎馬と鉄砲隊を同時に運用すると言う常識外ともいえる戦術で行くと告げられた時は驚いたものだが、これならば愛季が相手であっても確実に虚を突ける。
 盛安が言うには、家督を継承した段階から考えていたとの事。
 それならば、盛安は此度の戦における今の戦況も全て承知していた可能性が高い。
 奇襲を仕掛けて、先手を打ったのも全てはこの時のためだ。


「それは如何かな? 愛季様はそれほど甘くはないぞ?」

「……御互い様だ。盛安殿とて貴殿が思うような器ではない」


 しかし、愛季も満安が思うほど甘くはない。
 重盛の言う通り、慎重な人物とし知られる愛季ならば万が一の事態にも備えている事だろう。
 盛安が奇策を用いる事も想定している可能性は充分に考えられる。
 互いの主君の読み合いはこの戦における要であり、それに従う者達にとっても大きな影響を及ぼす。
 満安も重盛もそれは良く理解している。
 それ故に勝負を賭けた盛安の動きがこの戦の行く末を決める事も察していた。
 後は盛安と愛季の直接対決が如何なる結果になるか次第だ。
 満安と重盛の戦いもまた、終わりが近付きつつあった。















        ←B
    ④F↑   ③↑
      ⑥    A    GC
           ↑
          E①D   ⑤⑦
            ②   
 





「騎馬隊で鉄砲を使用するとは――――何という機転の良さだ。やはり、只者ではない」


 一度、距離を取り直して騎馬隊に突撃の指示を出した愛季の采配に対応するかのように同じく騎馬隊を前面に押し出してきた盛安。
 普通ならば騎馬隊に長槍を装備した足軽を前面に出して防ぐのが常道であり、騎馬に騎馬で対抗するのは余程自信があるのかと思ったのだが、その予測は大きく外れた。
 盛安は騎馬隊の武器を槍ではなく、鉄砲に変えてから反撃してきたのである。
 馬上で鉄砲を撃つ事は足場が安定しない上に臆病な生き物である馬は鉄砲の音に怯え、射手を振り落としてしまうのが当然だ。
 それ故に騎馬と鉄砲を同時に運用する事は難しいとされている。
 しかし、盛安はその欠点をものともせずに此度の戦で取り入れてきた。
 鉄砲の音でも馬が怯えないように余程、鍛えていたのだろう。
 それに馬上の者達も不安定な馬の背でも狙いを付けられるように訓練されており、その練度は安東家の騎馬隊を圧倒している。
 流石に鉄砲の数に限りがあるのか、それほどの数ではないように見受けられたが――――。
 盛安はその少ない数の騎馬隊が安東家の騎馬隊の足を止め、僅かに生じた隙を見逃さずに精鋭とも言うべき騎馬を突撃させてきた。
 騎馬隊による突撃と鉄砲隊による射撃を組み合わせた謂わば、騎射突撃とでも呼ぶべきこの戦術。
 初めて見る軍勢の動かし方に愛季も唯々、驚くしかない。


「……未知の戦い方をする軍勢が相手となれば流石に分が悪いか!」


 こうして、愛季自身が驚いているのだから率いている、兵達の動揺ぶりは如何ほどのものになるだろう。
 鉄砲の音に驚いた一部の馬達が怯え、撃ち抜かれた兵達は後に続く騎馬隊の突撃を前にして散り散りになっている者も居る。
 このままの状態では盛安率いる本隊が突撃してきた場合に迎えうつ事は叶わない。


「止むを得ない、か。此処は退く! 各、将達にも退く旨の早馬を出せ!」

「ははっ!」


 悔しいが、軍勢を素早く立て直す事は不可能であると判断した愛季は退くという指示を出す。
 その指示には僅かな逡巡すらも見られない。
 目にした事のない戦術を見たとはいえども、この程度で正常な判断を見失うほど愛季は愚かな人物ではないのだ。
 数に優っているとはいえども、軍勢が混乱している状態で押し返す事が至難なものである事は今までの経験から良く理解していた。
 それに愛季という人物は南部家との鹿角を巡る戦においても引き際であると判断した時には躊躇う事なく退いている。
 進退の見極めを明確に見極められる愛季は盛安が思っている以上の人物である事は間違いないだろう。
 だが、その愛季でも読み切れない事はある。
 如何に的確に状況を判断し、見事なまでに指示を出していく人物であってもイレギュラーとも言うべき存在が密かに接近していたとするならば、それに気付く事は難しい。
 この時、怒涛の勢いで攻め立てる盛安の軍勢に気を取られていたためか、愛季自身も知らない部分で余裕がなかったのだ。
 故にやや離れている場所で戦っていた南部政直が押し切られ、雑賀衆の一部の軍勢が間近にまで迫りつつあった事は正に思わぬ事態であったといえよう。
 しかも、その雑賀衆の軍勢が接近してきている事は盛安すらも気付いていない。
 戸沢家と安東家の両家の軍勢が入り乱れての戦であるとは言えども、盛安にも愛季にも気取られる事なく、密かに軍勢を近付けるなど並大抵の芸当ではない。
 例え、雑賀衆随一の武将と名高い鈴木重秀ですら出来ないだろう。
 だが、その重秀の名前が余りにも名高いが故にこのような真似が出来るにも関わらず、それほど名を知られていない者が唯一人存在した。
 此度の唐松野の戦いで政直を相手に圧倒的な強さを見せつけ、盛安の騎馬鉄砲隊以外の常識外の戦術ともいうべき鉄砲の運用方法を見せつけた人物。
 彼の人物ならば、この戦場に居る全ての人物達の虚を突く事もけっして不可能ではない。
 誰にも気取られる事なく、人知れずに愛季の軍勢に接近する150もの鉄砲を抱えた総勢、200ほどの数の軍勢――――。


「あれが総大将か。悪いが……此処で眠って貰おう――――!」


 その軍勢を率いている者の名は――――小雲雀の異名を持つ、雑賀衆随一の豪勇の将として畿内でその名を知られている的場昌長であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第49話 的場昌長
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/03/20 19:29




 ・唐松野の戦い






       ←B
   ④F↑   ③↑
      ⑥    A    GC
           ↑
           ①D   ⑤⑦
            ②   
 





 戸沢家(合計2390)
 ① 戸沢盛安(足軽280、騎馬420、鉄砲100)800
 ② 矢島満安(足軽105、騎馬65、鉄砲40) 210
 ③ 的場昌長(足軽50、鉄砲150)      200
 ④ 鈴木重朝(足軽90、騎馬60、鉄砲250) 400
 ⑤ 戸沢政房(足軽105、騎馬30、鉄砲25) 160
 ⑥ 前田利信(足軽105、騎馬30、鉄砲15) 150
 ⑦ 大宝寺義興(足軽355、騎馬115)    470



 安東家(合計2260) 
 A 安東愛季(足軽600、騎馬120、鉄砲100)820
 B 南部政直(足軽300、騎馬80、鉄砲30) 410
 C 安東種季(足軽260、騎馬80、 鉄砲85) 425
 D 嘉成重盛(足軽140、騎馬105、鉄砲30) 275
 F 五十目秀兼(足軽100、騎馬30、鉄砲10)140
 G 三浦盛永(足軽115、騎馬75)     190





「些か遠いが……この距離ならば外さん」


 総大将である安東愛季の旗印を視界に入れたところで、昌長は躊躇う事なく狙いを定める。
 だが、火縄銃の適正距離と言われている200メートルよりも遥かに遠い500メートル近い距離であり威力も大きく落ちてしまうため、流石に討ち取る事は不可能だ。
 しかも、昌長の率いる軍勢には騎馬隊が居らず、背後から追いすがる盛安の騎馬鉄砲隊による突撃から逃げている愛季には如何あっても追いつく事は出来ない。
 軍勢の足で大きく劣る以上、如何あっても逃げられてしまうだろう。
 とは言っても、立ち塞がってきた軍勢を蹴散らして総大将の率いる軍勢を視界の中に収めたのだから、追いつけないと言う理由で手を拱くだけでは小雲雀の名がすたる。
 追いつけないのであれば、追いつけないなりの手段を取れば良いだけだ――――。
 それ故に昌長は一度きりの機会とも言えるこの時を逃さずに狙撃する事を決断した。


「そこか――――!」


 旗印が見えた後、愛季と思われる武将の姿を認め、昌長は引き鉄を引く。
 馬上で尚且つ、走り抜けようとしている愛季に対して徒歩であり、その歩行速度は騎馬に大きく劣る昌長率いる雑賀衆の軍勢。
 勿論、足を止めていない騎馬を相手に狙い撃つのは至難の技だ。
 何しろ、相手は馬上で揺れている上に絶えず、動き続けているのだから。
 しかし、昌長は狙いを付けた瞬間には引き鉄を引いていた。
 当たるか、当たらないかは愛季の姿を捉えた段階で既に見えている。 
 それには何の疑いもない。
 盟友、鈴木重兼と鈴木重秀と共に渡り歩いた戦場ではもっと難しい体勢での狙撃を求められた事からすると遠くの距離の相手を撃ち抜くだけというのは容易だ。
 誰にも悟られず、敵陣の深くに潜り込み、大将を狙撃する――――。
 これが小雲雀の異名を持つ、的場昌長の戦い方だ。
 狙撃向けに独自に改造を施された愛用の火縄銃の発砲する音が聞こえたと共に遠く離れている馬上の騎馬武者がぐらっと体制を崩す。
 そして――――意識を飛ばしたのか落馬し、身体を強かに打ち付けつつ倒れた姿が昌長の眼に映った。


「……的中」


 まるで吸い込まれるかのように寸分違う事なく愛季を射ち抜いた様子を見て、昌長はぼそりと呟く。
 流石に討ち取る事は出来なかったが、一度きりの機会で総大将が指揮を執れない状況に導けたとなれば上出来だろう。
 一先ず、役目は果たしたと判断した昌長は此方に気付き、主君を逃がすための安全を確保せんと向かってくる愛季の軍勢を迎え撃つべく、鉄砲隊に指示を出す。
 狙撃が成功し、存在がばれたとなれば、いよいよ全てが掌の上である。
 向かってくる敵勢を迎撃すべく、昌長が準備の指示を出した物は盛安との出会いによって購入するに至ったミュケレット式の銃。
 火縄銃に比べて狙いを付けにくいという理由から広まる事はなかった銃だが……百発百中とも言うべき驚異的な腕前を持つ雑賀衆の軍勢ならば存分に使いこなす事が出来る。
 特に狙撃を主な戦術として用いる昌長とその手勢ならば尚更だ。
 扱いが難しいとされる銃であっても運用する事には何の問題もない。
 昌長は此処で愛季の軍勢を壊滅させるべく、射撃の陣形を整えるのであった。













 騎馬隊と鉄砲隊を同時に運用するという奇策とも言うべき盛安の戦術を前に仕切り直すために退いていた矢先――――。
 予想だにしていなかった頃合いで馬を走らせる愛季に一発の銃弾が命中する。
 幸いにして、甲冑を貫く事はなかったが、不意を突かれた状態での強い衝撃は想像以上のものがあったらしい。


「ぐっ……」


 短く呻き声を上げた愛季はそれを最後の言葉に意識を失い、落馬する。
 馬上で体勢を崩したためか、身体を強かに打ち付けながら倒れる姿は悪夢そのものだ。


「と、殿――――!」


 不意に遠方からの射撃を身に受けた愛季に付き従っていた備大将が思わず、周囲にはばからずに声を上げてしまったほどに。
 総大将が撃たれる事は軍勢の全体に動揺を招くだけにこの反応は良いものではない。
 後から続いて退いていた足軽や騎馬隊の者達も主君が撃たれた事に動揺し、足を止める。


「急ぎ、殿の御身の無事を確保せねば!」


 だが、愛季が意識を失って倒れただけである事を認めると備大将は危険は承知で愛季を再度、馬に乗せて馬術に自信がある者に預ける。
 後ろから盛安の軍勢が迫り、離れた所には愛季を撃ったであろう軍勢が居る可能性がある今は急がなくてはならない。
 此処は例え、独断になってしまってでも主君の身の安全を優先させる必要があるだろう。
 愛季を預かった者が戦場を離れていく事を確認し、狙撃してきた敵勢の姿を探す。
 火縄銃の有効射程を考えれば、既に近くにまで迫っているはずだ。
 そうでなくては愛季を的確に撃つ真似なんて到底、不可能である。
 しかし、敵と思われる軍勢は火縄銃の射程距離よりも遥か遠くに存在していた。
 敵将が何者かまでは解らないが、旗印を頼りに愛季の姿を見付け、射抜いた事からすれば勇名高き雑賀衆の者だろう。
 見たところ騎馬隊は率いていないため、これ以上は追撃してこないだろうが……。


「殿の仇を討つ……!」


 主君を撃った報いは受けさせねばならない。
 鉄砲を多く抱えているようだが、数は200程度の軍勢だ。
 愛季を守るために数を分けたとしても3倍以上の兵力で挑めば雑賀衆の大将を討ち取れるかもしれない。
 それに火縄銃はそれほど速く連射出来るものではなく、畿内で三段撃ちなるものがあるとも聞くがそれにも限界がある。
 此方も弓、鉄砲といった物で応戦しつつ突入すれば勝ち目があるはずだ。
 そのように判断し、徐々に接近していく。
 だが、雑賀衆を率いる昌長はそれを待っていたと言わんばかりに鉄砲隊を前面に並べる。
 安東家の正面から見える鉄砲の数は約70前後。
 しかし、前列後列と分けているため、実際の総数は150前後といったところか。
 その数では600もの軍勢を一気に壊滅させるような真似は出来ない。
 例え、三段撃ちでも僅かな射撃の合間が生じるし、此方も成す術がないわけではない。
 有名な長篠の戦いと同じような結果にはならないだろう。
 だが、その考えは見事なまでに崩される事になる――――。















「来たか……。大将首が取れない以上、残る軍勢は此処で全て討ち取らせて貰う」


 予測通りに向かってきた軍勢を迎撃するため、昌長は雑賀衆特有の撃ち方である組撃ちを選ばず、敢えて三段撃ちに近い形での陣形で待ち構える。
 これは新たに購入したミュケレット式の銃が火縄銃よりも速射に向いていたからである。
 火打ちからくりと呼ばれる構造であるミュケレット式は命中精度と暴発する確率にやや、難があるのだが昌長は撃鉄の根元に鉤を付ける事でその問題を解決していた。
 それに命中精度の問題に関しては狙撃を得意とする昌長の手勢からすれば、反動による振れの大きさ分の計算は容易である。
 故にミュケレット式の持つ欠点は全く問題にすらならない。


「連続での射撃に加えて早合でいく。雑賀衆の力、存分に見せ付けるぞ――――!」


 更に昌長は陣形を分けた連続撃ちに早合までも合わせるという。
 早合は火縄銃のような前装式の銃の弾の装填を簡便にするために考案された弾薬包。
 木、竹、革といった物または紙を漆で固めた上で筒状に成形した物に弾と火薬を入れた物が早合と呼ばれている。
 これを使用すれば通常は40秒近くの間が必要とされた弾の再装填が20秒もあれば充分に完了するまでに速くなる。
 また、昌長はこの早合を陣形を以って撃ち方を順次入れ替える事で更に短い間隔での射撃を可能とさせた。
 如何に安東家が畿内での戦を知っていたとしても、独自の運用方法までは知らない。
 昌長はその隙を突いたのである。


「撃て――――!」


 安東家の軍勢との距離が僅かに縮まった頃合いを見計らって、射撃の号令が発せられる。
 一糸乱れぬ動作で撃ち方を開始する昌長の率いる鉄砲隊。
 ミュケレット式の銃の撃鉄が振り下ろされるのを合図に前列に並んだ70もの鉄砲が轟音と共にその火を吹く。
 昌長自身には及ばないが、雑賀衆の者達は誰もが鉄砲の扱いに長ける射撃の名手。
 僅かに狙いを外す者も居たが、大半は的確に安東家の兵達を撃ち抜いていく。


「撃ち方、交代」


 命中を確認するより先に昌長は後列の鉄砲隊に交代の指示を出す。
 すると、空かさず前列の鉄砲隊が下がり、早合を用いて次弾の装填を開始する。
 対織田家との激戦を戦い抜いてきた昌長の軍勢は鉄砲を運用する上で次に何をすれば良いのかを全て理解しているのだ。


「撃て――――!」


 大将である昌長も早合で必要とされる時間を計算しつつ、次の射撃の号令を発する。
 その時間の感覚は三段撃ちよりも遥かに速く、短い。
 純粋に撃ち手に技量が求められると言っても良い感覚の短さだ。
 しかし、雑賀衆の撃ち手達からすればこれは至って常識の範疇でしかない。
 常に怒涛の勢いで攻め立ててくる大軍と渡り合ってきた身としては次々と交代して射撃するような芸当は十八番なのだ。
 たかが、3倍以上の数の敵が相手であろうが、問題はない。
 それにこういった芸当を一糸乱れる事なく実行するには撃ち手の技量も宛ら、指揮を執る人物にも絶対の信頼が要求される。
 昌長の率いる軍勢は数こそ少ないが、その全てを満たしており、全員が長篠の戦いで知られた織田家の鉄砲隊の技量を優に超えている。
 精鋭で固められた鉄砲隊は畿内でも並ぶものはなく、同等の練度を誇る鉄砲隊が存在するとしたら重秀率いる鉄砲隊くらいだろうか。
 同じ戦場で織田家の軍勢と戦い、明智光秀、丹羽長秀、細川藤孝、堀秀政といった名立たる名将達を打ち破ってきた昌長の鉄砲隊。
 雑賀衆の上席ではないという昌長の立場と少数を率いての戦いで武名を轟かせたが故に総指揮を執って織田家と戦った重秀よりもその名を知られていないだけに過ぎない。
 だが、知られていないが故に此度の戦いでも重朝に比べてそれほど警戒されず、これだけの好位置での接近に成功した。
 後は『小雲雀』の名を恐ろしさをとくと見せつけるだけだ。


「此処からは繰り出しで一気に決着を付ける」


 昌長は
鉄砲隊に射撃の号令を発しながら、続けて”繰り出し”を行う旨を伝える。
 繰り出しは三段撃ちのような銃列を組んで射撃を行う術を更に発展させたもので、銃列を交代させる際に前進するという戦術。
 この戦術もまた、高い練度を誇る軍勢でしか出来ない運用方法と言われている。
 しかし、奥州では繰り出しはまだ広まっておらず、存在も知られていない。
 ましてや、信長でさえこの戦術を用いるには至らなかった。
 長年に渡って鉄砲を使い、研鑽を積んできた雑賀衆だからこそ用いる事が可能な戦術なのだ。


「銃列、構え。撃て――――!」


 先程、南部政直を蹴散らした驚異とも言うべき運用方法を見せた鉄砲隊が再び前進を開始する。
 ゆっくりと前に進みながら射撃を行い、銃列が交代する度にミュケレット式の銃が火を吹く。
 これに早合を用いつつ、次の射撃の準備を行うのだからその練度と強さは信じられないものがあるだろう。
 それを証明するかのように愛季を退かせた後に残って、昌長と戦っている軍勢はみるみるうちにその数を減らしていく。
 絶え間なく行われる正確な狙いの射撃を前に安東家の軍勢は進む事も退く事も体勢を立て直す事も出来ない。
 いや、寧ろ――――昌長がそのような隙を見せないと言った方が正しいだろうか。
 ”此処で全て討ち取る”と宣言した通り、ゆっくりとした足取りで前進する昌長の軍勢の前には断末魔が巻き起こりながら次々と屍が出来上がっていく。
 その見るも無残な光景は果たして、悪夢と言うべきであろうか。
 それとも、的場昌長という鈴木重秀に並ぶ鉄砲使いの恐ろしさを存分に見せつけたと言うべきであろうか。
 何れにせよ、此度の唐松野の戦いの結末は間近にまで迫っていた――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第50話 戦いの結末
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/03/20 19:26





「逃げたか、愛季!」


 騎馬鉄砲隊を率いての突撃で愛季の率いる軍勢を蹴散らした俺だったが――――。
 肝心の愛季にまでは届かなかった。
 出来れば、この段階でしとめたかったのだが、恐らくは此方が未知の戦術を用いた段階で不利だと悟って退いたのだろう。
 冷静な判断力を持つ愛季らしい行動だ。


「……泉玄蕃、彼が居なかったら結果は違っていたかもしれないな」


 それだけに泉玄蕃と戦う事になった事が痛恨であるとも言えた。
 直接戦った時間こそ四半刻にも満たないはずだが、僅かにでも歩みが止まった事には変わりはない。
 主君の身の危険を察して、躊躇う事なく俺に挑んできた忠誠心には感嘆すら覚えるほどだ。
 愛季が奇策であった騎馬鉄砲隊による突撃を躱したのは一重に玄蕃の身を呈した行動によるものなのは間違いない。
 この戦の決め手として準備していた戦術が凌がれたのは悔しい反面、彼の人物のような武士と戦えた事は嬉しく思う。
 紛れもなく、見上げた忠義心の持ち主だ。
 ああいった人物が従っている事を踏まえると、愛季の人物がどれほどのものであるかを垣間見たような気がする。


「盛安殿!」


 俺が退く事に成功した愛季の軍勢を遠目に見据えていると少し離れた場所で戦っていたはずの満安が八升栗毛と共に駆けてきた。
 満安は俺が愛季の軍勢と戦っている間、嘉成重盛の相手を任せていたはずだ。
 南部家との戦で名を馳せ、北の鬼と名高い九戸政実と渡り合った安東家随一の猛将にして、名将を相手に俺の下に来る余裕があるとは思えない。
 もしかすると、満安が戦っていた方でも大きな動きがあったのだろうか。


「満安か、如何した?」

「……嘉成重盛殿の軍勢が突如として退却した」


 満安から齎されたのは愛季に引き続き、重盛も撤退したという報告。
 愛季の見事なまでの退き具合を見ると不思議とは言いにくいが、突如退いたという動きには何か裏があるようにも思える。
 重盛という人物は決して無策で動くような人物ではないからだ。


「愛季の動きに合わせたのかもしれないな。一度、軍勢を立て直すのならば退くのは悪手じゃない」

「ふむ……」


 それ故に愛季の撤退に合わせて軍を退いた可能性は高い。
 前もって今のような戦況になる事を考慮するのは愛季ほどの人物ならばそう難しい事ではないし、重盛もそれを見極められるだけの判断力は持っている。
 満安もそれを理解しているからこそ、俺に判断を求めに来たのだろう。
 此処で後を追えば、伏兵がある可能性だって考えられるのだ。
 こうして、満安が俺に意見を求めに来た事は彼が唯、武勇に長けている人物ではないという事が窺える。


「ならば、これ以上は追わぬ方が良いと見るのか?」

「いや……少しは後を追うべきだろう。策があるか如何かは動かなくては読めない」

「解った。盛安殿に従おう」


 満安の意見に此処はもう少しだけ後を追うべきだろうと判断する俺。
 相手に策があるか如何かの確証は持てないが、かといって動かなければ何もせずに逃げられてしまう。
 一応、愛季に策を立案させる余裕が無いようにと戦を急いだが、果たして俺の読み通りなのかも問題となるだけに此処は難しいところだ。
 しかし、待つだけでは態勢を立て直されてしまうのは間違いない。
 動くべきか動かないべきかで考えれば、一気に押し込んだ状況に持って行っただけに待つ事はその流れを止めてしまう。
 俺が後を追うべきと判断したのはそういった事情もある。
 何れにせよ、此処で動かなければこの唐松野の戦いには決着を付けられないのだ。
 それに切り札とも言うべき、騎馬鉄砲隊を運用した今、俺の方にも後があるとは言い切れなかった。
 故に俺は退いた愛季の軍勢の後を追う事を決断するのであった。















 満安と合流し、愛季の軍勢を追う。
 幸いにして俺と満安の軍勢は騎馬隊が比較的多く、被害もそれほど多くはない。
 特に騎馬鉄砲隊は先程の突撃を成功させて確かな戦果を見せただけあり、士気は非常に高い。
 追撃戦に移行するという命令にも反対する者は誰一人として居なかった。
 これは俺を信じてくれているかの事なのか、それとも更なる大功を立てたいという功名心が齎すものか。
 躊躇う事なく、共をする事を表明してくれた者達を率いて俺は満安と共に追撃を開始した。
 だが、暫く追って行くうちに不自然な事に気付く。
 そう――――何時の間にか周囲が静かになっていたのだ。
 全く音がしないという訳ではないが……。
 俺達以外にも戦っている者が居る事を踏まえると余りにも静か過ぎる。
 目立った銃声や弓矢の飛び交う音も聞こえない。
 如いていうならば、遠くに馬と人間の足音が聞こえるくらいだろうか。
 少なくとも、軍勢が動いている可能性は高い。


「妙だな……不自然過ぎる」


 俺と一緒に馬を走らせている満安も同じ事を感じたらしく不自然だ、とぽつりと呟く。
 常に自ら最前線で戦い、戦に関しては俺以上の場数を踏んでいる満安にとっても後を追っても静かなのは不自然に感じるらしい。
 本来ならば、もっと張り詰めた空気を感じるものであるはずだが、如何にもそれを感じない。
 上手く表現出来ないが……戦場特有の殺気がないといったところだろうか。


「満安も俺と同じ意見か。見事な退き際は流石だとは思うが……些か愛季にしては無用心過ぎる」


 俺もこの気配には愛季らしさがない事を感じる。
 少なくとも、騎射突撃を除く全ての戦術を読み切っていた愛季が万が一の事態を考えていなかったとは考えにくい。
 俺か満安のどちらかが一気に押し切って深入りする可能性は高いだけに伏兵の一つや二つは置くものだと思うのだが……。
 行く先々で見かける光景は大量の屍のみ。
 その数は余りにも夥しく、何者かが戦ったのは間違いない。
 他の場所で戦っていた者達の戦況の詳細までは把握し切れていない現状では何とも言えなかった。


「もしかして、俺達の知らないところで何かがあったのかもしれないな」


 そのため、愛季が退く事以外に手を打っていなかった事は俺や満安ですら察する事の出来なかった何かがこの屍の山以外にも起きた可能性を浮かび上がらせる。
 この戦に率いてきた軍勢の数といい、奇襲だけでは簡単に押し切れないだけの備えといい、用意としては周到なものであり、隙も余り多くはなかった。
 特に対南部家の主力であった重盛を参陣させている事が非常に大きな意味があり、戸沢家が強敵である事を明確に認識していた。
 しかも、鉄砲の数も多数揃えていたのだから尚更だ。
 愛季自身は俺の事を九戸政実に匹敵する難敵であると見ていたのかもしれない。
 だからこそ、何も備えが成されていない現状は不自然にしか感じないのである。


「そうだな……盛安殿の言う通りだろう。その証拠に昌長殿の率いる手勢が見える」

「む、確かに。昌長が密かに動いていたのか」


 御互いに不自然であると思いながら、知らないところで何かがあったのだと言う意見に辿りついたところで満安が前方に昌長の鉄砲隊の姿を発見する。
 後ろから近付く此方の軍勢に背を向けている事からすると昌長も愛季の軍勢を追っているのだろうが……。
 今までの進路から推察すると愛季の軍勢はほぼ、確実に何処かで昌長と交戦する。
 例え、多少の距離が離れていたとしてもだ。
 狙撃を主な戦術とし、百発百中とも言われる腕前を持つ雑賀衆の鉄砲隊を率いる昌長ならば火縄銃やミュケレット式の適正距離から外れていようとも物ともしない。
 愛季の姿を認めた段階で戦を挑んだのだろう。
 そして、昌長と愛季が戦った際に何かがあった――――と考えるしかない。
 でなければ今までの進路上で見かけた大量の屍と全くと言っても良いほど、此処まで備えのない状況が説明出来ないからだ。
 そう確信を持った俺は満安と共に昌長の軍勢と合流するため馬を走らせるのだった。















「昌長!」

「昌長殿!」


 馬を走らせる事、暫し後。
 俺と満安は姿が見えたところで昌長の名を呼ぶ。


「……盛安殿に満安殿か」


 俺達の姿を認めた昌長は特に驚いた様子もなく応じる。
 此処で合流する事になったのは昌長にとっては予想の範疇だったらしい。


「両名が此方に来たという事は先程、俺が交戦したのは総大将の軍勢で間違いなかったと言う事か」

「やはり、愛季の軍勢と戦ったのか!?」

「……ああ、逃げられてしまったが」

「そうか……」


 愛季の軍勢が退く進路上で昌長の軍勢と遭遇した事からして、彼が交戦した事は予測していたが……。
 此処まで考えていた通りだと逆に驚いてしまう。
 まぁ、逃げられてしまったという点に関しては騎馬隊を率いていない昌長の軍勢であれば無理もない事なのだが。


「だが、総大将の狙撃は成功し、その率いていた軍勢の大半は討ち果たした。もう、彼方に再起出来るだけの軍勢は残っていないだろう」

「なっ……!?」


 だが、逃げられたと言いながらも昌長は驚くべき結果を口にする。
 総大将である愛季の狙撃に成功し、率いていた軍勢の大半は討ち果たしたとの事。
 此処までの道中で見かけた夥しいまでの屍は全て昌長が討った者だとするとこの返答はあながち間違いではない。
 昌長ほどの人物ならば、決して非現実的なものではないからだ。


「しかし、総大将を討ち取るには至らなかった。……申し訳ない」

「いや……充分だ。昌長の御陰で愛季が負傷し、撤退したとなればこの戦は此方の勝利で終わる。後は今後の事を相談するだけだ」


 愛季を討ち果たせなかった事を謝罪する昌長だが、あのまま退かれては完全に仕切り直しとなっていただけに結果としては有り難い。
 騎馬鉄砲隊を以ってしても愛季には届かなかったのだから。
 それ故に負傷という形であるとはいえども、愛季の本隊を退かせる事に成功したのは大きい。
 決め手をかいたままでの戦となれば軍勢の数に劣っている此方が不利になるのも明確であり、あのまま正攻法で戦っていたら如何なっていたかは解らなかったからだ。
 それを撤退中の愛季の軍勢が相手であったとはいえ、単独で覆した昌長の奮戦ぶりには驚愕すら覚えてしまう。
 事実上の決着はつけたのは昌長一人であると言っても過言ではないからだ。
 流石、畿内で織田信長を相手に大軍を尽く退けてきた小雲雀の名は伊達ではないといったところか。
 それに周囲からも戦の音が聞こえない事からしても、愛季が退いた事で他の武将達の軍勢も引き上げたのだろう。
 また、愛季の気質を考えれば、不利を悟った段階で各軍勢に退く旨の命を下していた可能性も高い。
 一度、仕切り直してしまえば戦力に余力がある安東家の方が有利であるからだ。
 つくづく、昌長の用兵に助けられた事を実感出来る。
 本来ならば重朝と共に五十目秀兼と戦うか利信と共に南部政直と戦う役目で終わっていたのだから。
 立ち塞がったはずの相手を強行突破し、愛季を射程に捉える所にまで軍勢を進めた判断は戦の勝敗そのものにすら関わっている。
 雑賀衆の強さを見せ付けただけではなく、的場昌長という人物の恐ろしさをも見せ付けた唐松野の戦い。
 この戦いは戸沢家の力が安東家を凌ぐ事になる事を証明するものであったが――――これはそれだけの意味では収まらない。


「皆の者、勝ち鬨を上げよ! 」


 戸沢家が出羽北部の覇権を担った事の証明でもあった。
 史実とは大きく違う形での勝利と結末になってしまったが……俺は此処に戦の終わりを宣言する。
 愛季が退き、他の諸将も退いたとなればこの戦は此方の勝利としても問題はない。
 それに呆気無い終わりであったとはいえど、この戦いは戸沢家の明暗を決める戦いでもあったのだ。
 堂々と戦の終結と勝利を宣言しても罰は当たらないだろう。
 何れにせよ、戸沢盛安は間違いなく、出羽北部の覇者たる安東愛季に勝利したのだから――――。





・唐松野の戦い結果





 戸沢家(残り兵力 合計2390)
 ・ 戸沢盛安(足軽280、騎馬420、鉄砲100)800
 ・ 矢島満安(足軽105、騎馬65、鉄砲40) 210
 ・ 的場昌長(足軽50、鉄砲150)      200
 ・ 鈴木重朝(足軽90、騎馬60、鉄砲250) 400
 ・ 戸沢政房(足軽105、騎馬30、鉄砲25) 160
 ・ 前田利信(足軽105、騎馬30、鉄砲15) 150
 ・ 大宝寺義興(足軽355、騎馬115)    470



 安東家(残り兵力 合計1440) 
 ・ 南部政直(足軽300、騎馬80、鉄砲30) 410
 ・ 安東種季(足軽260、騎馬80、 鉄砲85) 425
 ・ 嘉成重盛(足軽140、騎馬105、鉄砲30) 275
 ・ 五十目秀兼(足軽100、騎馬30、鉄砲10)140
 ・ 三浦盛永(足軽115、騎馬75)     190



 損害
 ・戸沢家 610
 ・安東家 2560(大将の撤退によって、退いた数も含む)



 負傷 安東愛季、泉玄蕃



 討死 なし

















[31742] 夜叉九郎な俺 第51話 独眼竜政宗
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/03/24 00:07





 ――――1581年3月





 唐松野の戦いから1ヶ月と僅かな時が流れた。
 宿敵である安東愛季との戦を制した戸沢盛安は愛季が負傷で動けない隙を突いて続けざまに行動を開始し、兼ねての目標であった湊城と大湊の町を影響下に加える事に成功。
 本来ならば、もっと多くの時間をかけるところであったが、盟友である津軽為信の調略により繋ぎを取っていた浅利勝頼の手引きが大きく影響した。
 湊安東家の本拠地であり、出羽北部でも重要な拠点である湊城と大湊の町は間違いなく、安東家の所領の中でも戦力を集中させた堅固な場所。
 にも関わらず、予想外の早さで落とす事が出来たのは一重に為信の地道な調略があったからにほかならない。
 浅利勝頼への調略と安東道季に対する湊安東家の独立工作。
 為信が調略を開始した頃はまだ、戸沢家が優勢である状況が定まっていなかったために思わしくなかったが――――。
 庄内の平定による勢力の拡大に加え、此度の唐松野の戦いでの勝利が安東家に対する大きなアドバンテージを得る事になった。
 為信の調略が此処にきて一気に花開く形で盛安に味方する事になったのは無理もない事だろう。
 また、浅利勝頼と同様に湊安東家の通季が湊城を開城する動きに出たのは一門衆である安東種季と家臣の三浦盛永から唐松野の戦いの顛末を聞いていた事が原因であった。
 通季も以前より為信から盛安の事を伝え聞いていたが、今までは僅かに歳下でしかなかった事もあり、半信半疑だった。
 しかし、通季にとっては複雑ではあるが、安東家史上でも偉大な当主と断言しても良い愛季に勝利した手腕は盛安が傑物である事を間接的ではあるが証明している。
 それは出羽北部の覇者が移り変わった事をも示していたが、通季の視点からすればそれだけではない。
 愛季が盛安に敗北したという事は自らの居場所を奪われずにすむ可能性があるという事だ。
 一応、愛季が湊、檜山の両安東家を統一した際にあくまで愛季が湊安東家の当主を務めるのは道季が成長し、一人前になるまでだと聞いていた。
 しかし、愛季には業季、実季を始めとした後継者が居り、自らの息子に後を継がせようしているのは否定出来ない。
 後数年もすれば愛季も隠居するだろうが……この時に業季か実季に当主の座を譲った場合、通季の立場は本格的になくなってしまう。
 それを危惧すれば、通季にはこのまま愛季に属する理由はない。
 父である安東茂季も兄である愛季の傀儡であった事を苦々しく思っていた事からも息子である通季が愛季と袂を分かつ事は至極、当然の事であった。
 故に湊安東家は戸沢家が攻め寄せてきた際に開城する事を決断したのである。
 無論、浅利勝頼が為信の調略通りに動いた事も否めないが。
 そういった点で湊安東家と浅利勝頼の行動を踏まえると、愛季を戦にて打ち破った事は出羽北部においては盛安自身が思っている以上に影響力が大きかった事が窺える。
 特に一門衆であったはずの湊安東家が盛安の求めに応じたのは一つの家として独立させたかった事もあるのだろう。
 愛季に完全に差し押さえられていた形であった湊安東家を完全な形で分離するには戸沢家に属するしかない。
 完全に安東家から離れてしまえば、檜山安東家の影響を受ける事はなくなるため、通季も居場所を奪われる心配もなくなるのである。
 盛安もまた、通季の心情を理解し、通季の身柄を保証した上で受け入れた。
 愛季の統治に不満を持っていたという点に関しては同じ思いを抱えていたからだ。
 尤も、敗者である側の通季の事を無条件で認めるわけにはいかなかったので、海や河川の流通に関する事などの幾つかの権限を委ねて貰う形を取っている。
 これは安東家が抑えていた河川による流通の関税を撤廃させ、内陸部の所領への物資の流通の問題を考えての事であるが……。
 安東家の影響力を排除した事で大きく恩恵を受ける事になるのが内陸部に所領を持つ戸沢家と小野寺家であっただけにこの影響は計り知れない。
 何しろ、今までは財貨や物資の流通の点で安東家に押さえ込まれていたのだから。
 枷とも言うべき安東家からの影響がなくなったとなれば、領内の統治も楽になるし、豊かにもなるだろう。
 それに真室の戦いの後に和睦が成立している小野寺家にも借しを与える事にもなるのでこの一手は重要である。
 小野寺家も長年に渡って争ってきた相手でがあるが、南に最上家という脅威を抱えている今、戸沢家との関係を悪くする事は後々で不利になってくる。
 湊安東家と浅利勝頼が愛季の下を離れた事は安東家の勢力の半分近くが戸沢家の勢力に取り込まれる事となり、同格であった力は完全に逆転する事にもなるのだ。
 一大決戦とも言うべき唐松野の戦いの齎した結果は出羽北部の覇者を決めるだけでなく、奥州で新たな第三の勢力と言うべき大名を誕生させる事になったのであった。















 ――――1581年4月





 盛安が盟友、為信の手引きで湊安東家を戸沢家方に取り込み、酒田の町と同じく大湊の町を中心とした財貨や物資の流通の整備を開始したその頃――――。
 出羽国の中でも南の地――――別名、南羽前とも呼ばれる国で一人の若き人物が初陣を間近に控えようとしていた。


「またしても、夜叉九郎は勢力を拡大したそうだなっ!」

「はい。正に電光石火の如くの動きであったと黒脛巾の者達より聞き及んでおります」

「むむむ……よりにもよって、俺の初陣の寸前で見せ付けてくれるとはやってくれるわ」

「しかしながら、戸沢殿にそのような意図はありますまい。あの方を見る限りですと機を見計らっていたようにも思えますが」

「解っている! だからこそ、腹が立つのだ! 夜叉九郎は俺よりも一つしか歳が違わないというのに――――」


 唐松野の戦いの顛末を家臣から聞き、声を張り上げる若き人物。
 歳の頃は盛安よりも一つだけ若い15歳。
 しかしながら、盛安が家督を継承するよりも1年ほど早い1577年には既に元服を迎えたという経緯を持ち、若いながらその武者姿は初陣とは思えないほど馴染んでいた。
 三日月を象った飾りを誂えた兜に黒漆五枚胴と呼ばれる黒い甲冑。
 それに加え、何かしらの原因で失明したかと思われる閉じられたまま、決して開こうとはしない右目が印象的だ。
 身の丈はそれほど高いとは言えないが、黒い具足で統一された身なりは思わず目を引くものがある。
 また、家臣とのやり取りを行う言葉遣いからして苛烈な気質を持っている人物であろうか。
 盛安よりも若い年齢である事からしても人間としては成長途上なのかもしれない。
 だが、盛安と同じく若い新たな世代である事を思えば、この若き人物もまた新たな将星たる者であろう。
 若さ故に血気に逸っている彼の人物――――その名を伊達藤次郎政宗という。





 ――――伊達政宗





 果たして、奥州の諸大名の中で現代という時代において、この名前ほど有名な人物は他に存在しているのだろうか。
 伊達藤次郎政宗、独眼竜政宗、梵天丸。
 通称や幼名に加えて後世に名付けられた異名の何れでさえも何処かで聞いた事のある名前である。
 但し、1581年(天正9年)現在では漸く初陣を飾る頃であり、その名はまだ伊達輝宗の嫡男であるという程度の認識しかない。
 しかしながら伊達家中では大いに将来を期待される俊英で輝宗も叔父の縁により名僧と名高い虎哉宗乙を師として政宗につけているほどである。
 更には早い段階から元服の儀を行い、伊達家中興の祖といわれる伊達大膳大夫政宗にあやかった名である政宗を名乗っている。
 これだけでも政宗が若くして期待されている事が伺えるだろう。
 まだ明確な実績はないとはいえ、奥州に新たなる戦雲を呼び込むであろう可能性を秘めた政宗は地に伏せる臥龍の如く飛翔の時を待っていた。


「こればかりは仕方がありませぬ。数年前に家督を継承した身である戸沢殿と政宗様では違い過ぎます」

「……小十郎」


 血気に逸る政宗を諌める小十郎と呼ばれた家臣。
 歳の頃は政宗よりも10歳ほど歳上で、ほんの僅かに矢島満安よりも上といったところか。
 20代半ばという事もあり、貫禄があるというわけではないが、年若い政宗に対する経緯を払った態度からして礼儀正しく光明正大な人物である事が窺える。
 政宗を相手に家臣としての立場を弁え、年長者として導こうと務めている家臣――――名を片倉小十郎景綱という。
 景綱は後に”智の景綱”とも呼ばれる政宗の忠臣にして、軍師的役割を務めた事で知られる人物。
 10代前半の若い頃より生涯の主君である政宗に仕えた景綱は今までの自らの半生を政宗と苦楽を共にした側近中の側近である。
 時には兄のように、時には武芸の師として政宗を教育した景綱は年齢や境遇こそ全く違えど、主君と深い結び付きを持つ直江兼続にも匹敵するほど重用されていた。
 盛安が愛季と一戦交え、結果を出した事で逸る政宗をこうして諫められるのもそうした背景があるからだろう。
 景綱の言葉に些か熱くなっていた政宗も少しだけ頭が冷える。
 考えてみれば、盛安は今の政宗の立場とは大きく異なるのだ。
 現状の段階で後継者である事が示唆されているだけの身とは違い、当主の立場にある盛安。
 これでは比べようがあるはずがない。
 景綱の言葉は唯々、事実を示していた――――。















「全く……藤次も小十郎も難しく考えすぎだ。俺達よりも少しばかり、歳上である夜叉九郎が強いのは間違いないのだから此処で議論しても何も始まらないだろ」


 政宗と景綱が盛安について語り合う中で気怠そうにその話を聞いていたもう一人の若き人物が口を開く。
 伊達家の嫡男であり、後の当主であろう立場にある政宗に対して通称の藤次郎の名で呼ぶ事からすれば家臣の立場ではない。


「……藤五」


 寧ろ、政宗の方からも通称で名を呼んだ事から察するにもう一人の若い人物は景綱とは違う立場で深い繋がりがあるのだろう。
 盛安の事を少しばかり歳上であると評した事も踏まえると歳の頃は一つばかり政宗より若い程度だろうか。
 毛虫を象った前立に紺糸威五枚胴と呼ばれる甲冑を身に付けているその姿は決して後ろに退かないと言う心意気を示している。


「成実様らしゅうございます。その明瞭な御意見は私には考えられませぬ」


 見事に政宗とのやり取りを諫められた景綱がもう一人の若い人物の名前を呼ぶ。
 その名を――――伊達藤五郎成実という。
 成実は伊達家の一門衆であり、後には”武の成実”と呼ばれる事になる伊達家随一の猛将で知られる人物。
 彼もまた、政宗と同じく初陣を間近に控えており、此度の相馬家との戦では共に同じ戦場に行く身でもあった。
 成実は政宗よりも更に若いという事もあり、まだまだ深く物事を考えるような人物ではないようだが、ある意味では盛安の事を客観的に捉えている。
 それ故に景綱は褒め言葉として口にしたのだが……。


「馬鹿にしているのか、小十郎?」


 日頃から勉学よりも武芸の腕を磨く事に熱心な成実には褒め言葉には聞こえなかったらしい。
 しかも、日頃より勉学を嗜む景綱が相手であるから尚更だ。
 これでは自分がまるで何も考えていないように見られているとすら思えてしまう。


「若殿、景綱殿も悪い意味で言っているわけではありませぬぞ。若殿の仰った事は的を射ております故」

「む……」


 景綱の言葉に不満といった表情をする成実を家臣と思われる人物が諌める。
 まるで政宗に対する景綱と同じように成実を諌めた彼の人物の名は萱場源兵衛元時
 元時は成実の家臣で、若くして伊達家中随一の鉄砲使いとして知られる人物。
 景綱とは同い年であり、共に若い主君を支えている境遇もあってか仲が良い。
 失言とも捉えられた景綱の言葉の裏に秘められた意味をすかさず、口に出来たのはそういった間柄だからであろうか。
 元時ははっきりと成実の言葉を肯定した上で見事に主君を諌める。


「確かに藤五と元時の言う通りだ。夜叉九郎が強いのは考えるまでもない。俺達とそう変わらぬ年齢で大宝寺義氏、安東愛季といった羽後の大名達に勝利したのだから」


 成実と元時のやり取りを見ながら、漸く客観的に盛安の人物を判断した政宗。
 盛安が強いという事は今まで話に聞いてきた戦の事を考えれば態々、議論するまでもない。
 矢島満安、大宝寺義氏、安東愛季は言うに及ばず、盛安自身は直接戦っていないとはいえ小野寺義道だって名のある武将だ。
 出羽北部でも名を知られた者達を尽く打ち破ってきた事は並みの人物では成し得ない。
 こと、戦に関しては盛安に匹敵する武将は奥州でも数少ないだろう。


「庄内平定の時を除く仕置きに関しては甘いとも思えるが――――」


 故に政宗は非情になり切れない人物であろう盛安の事を勿体なく思う。
 盛安は夜叉とも鬼とも呼ばれ、並々ならぬ武勇の持ち主であるが……政宗からすれば天下を望んでいないように感じる。
 事実、鎮守府将軍を拝命した事で奥州の覇者たる名分を得てはいるが、征夷大将軍ではないこの官職では政権を打ち立てる事は出来ない。
 恐らくは野心とは無縁の人物なのであろう。
 そこに政宗は盛安の人物像と限界を見たのである。
 だが、盛安の人となりは決して悪ではない。
 本気で天下を望むのならば、盛安のような何処かで義を重んじる事も必要だからだ。
 それに盛安の在り方は父の敵であった上杉謙信のような神懸かった何かがあるような気もしてならない。
 天下こそ望むような人物では間違いないのだろうが、純粋な一人の武将としては感銘を覚える部分もある。
 特に歳が近い事もあるから尚更である。
 尤も、盛安という人物は決して自分と相容れる事はないのかもしれないのだが――――。
 そういった人物が奥州に居るという事は悪くはない。
 越えるべき壁ではあるが、武将として一つの目指すべき姿であると思うのも決して嘘ではないのだ。


「純粋な一人の武将として見るならば、俺もかくありたいものだ」


 だからこそ、政宗は北にある角館の方角を見据えながらぽつりとそう呟くのであった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第52話 鬼姫と竜の初陣
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/05/05 05:09



 ――――1581年5月





 盛安の事を越えるべき壁であり、武将として目指すべき形の一端である事を認めた政宗は成実と共に初陣でなる相馬家との戦に出陣した。
 同じ舞台に立つにはまず、自分も戦を経験しなくては話にならない。
 その意志を固めつつ、政宗は初陣の地へと到着する。
 だが、政宗がその地に辿り着いた時の戦況は初戦を相馬盛胤、相馬義胤率いる相馬方が勝利したというものであり、有利とは言えない状況であった。
 戦上手で知られる盛胤、義胤の親子は数で勝る伊達家の軍勢を戦術と地の利を生かした戦運びで劣勢を覆していたのである。
 相馬家とは天文の大乱以後の決別以降、長年に渡って争ってきたが、盛胤からは幾度となく苦渋を舐めさせられるほどに手古摺っていた。
 それだけに輝宗も此度の政宗の初陣に関しては何かと思うところがあったのだろう。


「伊達家の誇りにかけてもこの地を落とす。相馬の反撃に一瞬たりとも怯むでないぞ! 政宗もその心構えで挑め」


 日頃は温厚で知られる輝宗が声を荒げるほどに意気込みをはっきりと口にしていた。
 此度の戦に関する意気込みは盛胤の義兄弟である田村清顕と盟約を結び、更には相馬家に不満を抱えていた佐藤為信を調略するなど入念な準備を行っていた事からも窺える。
 それに加え、嘗ての敵であったはずの清顕と和睦した事はこの時を見据えての事である。
 後継者が娘の愛姫しか居ない清顕の不安を上手く利用し、相馬家から離反させたのも含めて。
 ましてや、此度の戦は嫡男である政宗の初陣も兼ねているのだ。
 疱瘡で右目を失い、一部では政宗の奇抜な発想や思想を理解出来ず、暗愚とまで言われている政宗の器量を見せ付けるためにも此度の戦は結果を残さなくてはならない。
 そのため、輝宗の秘める意志は並々ならぬものがあった。
 政宗の秘める才覚を目覚めさせるには此度の戦が鍵を握るのだ――――。
 それに政宗も同年代の武将である盛安が大きく力を伸ばした事に対抗心を燃やしていた。
 家督を継承して、僅かに数年足らず、出羽国でも弱小と言っても良かったはずの戸沢家の勢力は今や伊達家、最上家に迫る段階にまで到達した。
 鎮守府将軍を称しながら名ばかりであった盛安は正式に朝廷よりその官職に任命され、庄内の平定と安東家との戦を制した事で名実共に名に相応しいだけの力を得ている。
 これが政宗より一つだけしか年齢が違わないのだから尚更だ。
 将来的に立ち塞がる事になる相手に自らの名を知らしめる機会ともなる初陣は政宗にとっても武将としての第一歩を踏み出す意味でも重要なものであった。


「藤次、夜叉九郎に俺達の力を見せ付ける良い機会だ。精々、暴れまわってやろう」

「ふんっ! 言われるまでもないわ!」


 成実も政宗の内心を見抜いているのか、肩を軽く叩きながら意気込みをあらわにする。
 盛安は初陣となる大曲の戦いで矢島満安と渡り合い、それに打ち勝っているのだ。
 越えるべき相手の初陣の結果も踏まえれば負けてはいられない。
 しかも、相手は戦上手で知られる、相馬盛胤、相馬義胤であるだけにその思いは更に強くなる。
 父、輝宗の宿敵でもあり、伊達家の失った領地を取り戻すには彼らを打ち破らなければならないのだ。
 盛安を越えるためにはまず、己の力がどれほどのものであるかを示さねばならない。
 それは言われるまでもない事であり、自身も承知している事――――。
 政宗は成実に対して憎まれ口を叩きながらも応じるのであった。















 こうして、政宗と成実という次代を担う者達が初陣を迎えた伊達家と相馬家の因縁の戦い。
 奥州でも南の出来事であるために盛安の行動による目立った影響は無いように見受けられた。
 金山、丸森を争う戦は伊達、相馬の両家の関係からすれば何れ放っておいても戦い始めるのは容易に想像出来る事であったからだ。
 戦が本格化する事は無理もないだろう。
 長年に渡り、争ってきた因縁は決して浅くはないのだから。
 だが、此度の戦の裏側ではこの段階では動かないと思われていた人物が既に動いていた事は相馬家と長年に渡って戦ってきた輝宗にも予測は出来なかった。
 しかもそれが戸沢家が勢力を拡大した事の影響であり、この時に予測出来なかった事が後の伊達家の命運を分ける事にも成りかねない事であるにも関わらずにだ――――。


「輝宗殿の動きは掴めているか」

「はい。軍勢を二手に分けて盛胤様に備える腹積もりの様子」

「……解った。我が手勢も存在を気付かれぬうちに軍を二分し、各個に打ち破るぞ。盛胤殿、義胤殿にも伝えておけ」

「ははっ!」


 伊達家の動きに乗じ、先手を取るように軍勢を分けて輝宗、政宗を打ち破らんと采配を執るのは佐竹義重。
 何と、義重は足場を固め、戦に臨んできた輝宗の入念な準備を警戒した義胤の要請を受け、自ら軍勢を進めてきたのである。
 義重としては伊達家の動きについては黙認しておくつもりであったが、蘆名盛氏死後の岩代国を切り取るための下準備として此度の戦に参陣した。
 相手が伊達家ともなれば、奥州にて佐竹家の強さを広めるにはちょうど良い相手であろう。
 彼の家に匹敵するほどの大名は最上家、南部家といった極少数に過ぎないのだから。


「父上、義久殿……」

「……そう気負うな。義宣はじっくりと戦が如何様なものかをその身で感じるが良い」


 また、この戦には佐竹家の後継者である佐竹義宣も加わっていた。
 同じく此度の戦で初陣を迎える政宗よりも三つほど若いが、伊達家の後継者の参陣する戦に勝利したとなれば義宣の名に箔がつくからだ。
 それに義宣の母親は輝宗の妹であり、その出自から義宣は政宗とは従兄弟同士の関係でもある。
 謂わば、義宣は伊達家の一門衆の一人でもあり、此度の戦に勝てば嫡男よりも戦上手な一門である事を証明する事にもなるのだ。
 義重は今後の奥州での戦略と次代である義宣の立場を確固たるものとせんがために伊達家と相馬家との戦に介入する事を決断したのである。


「それに、義宣が然様な態度では俺達の反対を押し切ってまで従軍してきた者にも申し訳が立たぬぞ?」

「はい、父上」


 義宣も義重の思惑が自分の奥州における立場に影響する事を思い出し、落ち着きを取り戻す。
 坂東太郎の異名を持つ、義重の後継者としての第一歩を踏み出す事になる此度の戦がこれからの義宣にとってどれだけの意味があるかは考えなくとも解るからだ。
 それに奥州に対する佐竹家の影響力を増すために介入を決断した事についても。
 母親が輝宗の妹である義宣の身は佐竹家の次期当主という立場だけでなく、奥州でも最大の勢力を持つ伊達家の一門衆という立場も兼ねている事についても。
 今後の事を思えば、はっきりと明確に示す必要があった。
 現状の段階でも白河や岩城といった奥州の南に強い影響力を持つ佐竹家だが、此度の戦で伊達家を打ち破ればその影響力は一気に出羽国、岩代国の一部にまで広がる。
 特に出羽国南部の地である南羽前の地を治める伊達家を破れば、出羽国北部の地である羽後を治める戸沢家との繋ぎを取り易くなる。
 上杉家に続く、新たな盟友である戸沢家との連携を考えれば出来る限り、奥州における影響力を強めておきたいと考える義重の思惑は義宣にも納得出来た。


「だから、義宣も平常心で居るが良い。歳下である彼女が其処で黙って覚悟を決めているように、な」


 義宣が自らの言おうとしている事を理解したのを認めた義重は軽く笑みを浮かべながら、義宣の隣で一言も発する事なく精神統一している人物に視線を向ける。
 其処には若い義宣よりも更に二つほど若い一人の女性の姿。
 義重と義宣の反対を押し切ってまで此度の戦に付き従ってきた一人の女性は時折、目を閉じたまま深呼吸する。
 その様子はあくまでも平常心を保っており、気負いの様子は僅かに見られるものの既に覚悟は決まっているのだろう。
 でなければ、これほど早い段階での初陣を望むわけがない。 
 義宣に関しても初陣としては早い方ではあるが、それよりも更に早いのだから余程の思いがあるのは間違いない。
 何しろ、夫となる者と共に戦場に立つ事を目指しているのだから。
 自分の意思で戦に参陣したのも、それがあっての事である。
 女性の身でありながらこの重要な局面に居る人物は成田甲斐――――。
 此度の戦は義宣の初陣だけではなく、巴御前の再来とも呼ばれる彼女の初陣でもあったのである。















 義重様と義宣殿が語り合う傍で私は目を閉じたまま、此度の戦の事を考える。
 義胤殿から輝宗殿が金山から丸森の地を狙っているとの話がきた際に義重様が自ら動くと決めた時は正直な話、本当に吃驚した。
 史実だと義重様は今の段階で直接的に介入する事はしなかったから。
 だけど、戸沢家という新たな盟友との兼ね合いと伊達家の勢力拡大を厄介に思った義重様は北条家が上野国に目を向けている間隙を突いて動き始めた。
 その決断の早さにはお義祖父様や一部の人達を除く、家中の誰もが驚いたみたいで私もそれに驚いた一人だった。
 奥州への影響力を強めようとする方針は上杉家が戸沢家と盟約を結び、佐竹家もその盟約に加わる旨を返答した段階で予測は出来たのだけど……。
 伊達家と相馬家の戦を起点にしようと考えるとは思わなかった。
 普通に考えれば、蘆名盛氏殿亡き後の蘆名家を起点にするのが大方の予想だっただけに義重様の判断は本当に盲点だったと思う。
 それは伊達家を始めとした多くの諸大名もそう思っているだろうし、盟友である上杉家だって予測出来ているかは解らないくらいに。
 信じられないような義重様の動きは盛安様ですら予測出来なかったんじゃないかと思う。
 また、義宣殿が佐竹家の後継者であり、伊達家の一門衆である立場を前面に押し出す形での参陣は初陣を迎えるはずの政宗殿にとっては痛恨事にもなるかもしれない。
 本来なら初陣の時の戦いぶりで一目置かれるようになった部分も存在するし……。
 しかも、義重様が自ら采配を執るのだから史実では有利に事を運んだはずの戦も覆してしまう可能性も高い。
 何しろ、坂東太郎の異名を持つ義重様の軍事に関する実力は常識を逸脱しているほどなのだから。
 それに加えて、現状の報告では伊達家も佐竹家が介入してきている事にはまだ気付いていないみたいだし……。
 このまま、義重様が動き始めれば本当に大事へと発展する事になってしまう。
 伊達家の明暗にすら影響する可能性を理解しつつ、先の先を見据えた上で意表を突いた義重様の戦略眼には私も脱帽するしかない。
 此処まできたら私に出来る事は義重様を信じて、この戦に向き合うだけ。
 そう思った私はもう一度、深呼吸をして昂るかのような気持ちを落ち着かせる――――うん、もう大丈夫。


「甲斐の方はもう良いみたいだな。……義宣の方も覚悟は決まったようであるし、いよいよ動く時が来たようだ。もう、後には戻れぬぞ」


 私と義宣殿がもうすぐ始まる事になる伊達家との一戦に向けての心構えを新たにし終わった頃合いを見計らって義重様が声をかけてくる。
 もしかすると、内心では余り落ち着いていなかった事がバレていたのかもしれない。
 巴御前のように戦場を駆ける事は私自身も望んでいた事だし、目標としていた事だけど……。
 いざ、こうしてその時が来ると震えもあるし、怖くもある。
 それが例え無理を承知で願い、聞き届けられた事であるにも関わらずに。
 だけど、盛安様の事を思い浮かべると不思議とその恐怖感のようなものは退いていく。
 私と”同じ事情”を抱えている盛安様だって戦に臨む時に感じるはずのそれを乗り越えているのだから、私だって乗り越えなくちゃいけない。
 彼のところに征くのなら立ち止まっては居られないし、彼と同じ戦場を共に駆けるつもりなら私の方も急ぐ必要がある。
 既に史実とは大きく違う歴史を歩んではいるけれど、現状は織田家の天下でほぼ決まりつつあるし、後々を考えても先は決まっているような気もする。
 それを踏まえると生まれるのが遅かった私は出来る限り急がないと何も出来ない。
 成田甲斐として、盛安様と同じ戦場に立つ事が出来るか如何かも含めて。
 私が義宣殿と普通では在り得なかった伊達家と相馬家との戦に参陣しているのもそうした意志が後押しをしてくれたからだと思う。
 征くところまで征くためにはこのくらいはしないといけない――――。


「はい、義重様」


 だから、私は義重様に躊躇う事なく返事をする。
 後に戻れないのは佐竹家に身を置く事を決めた時から覚悟をしていたし、此処から先はもう私の知る歴史じゃない。
 征くと決めたからには立ち止まる事も許されないし、躊躇う事は自分の目指すものに迷いがあるって事にもなってしまう。
 そういった意味では義重様の言う通り、私はもう戻る事は出来ない。
 覚悟も決まり、後は進むしかない歴史の分岐点に立たされている今、この時に逃げを選ぶ選択肢なんて存在しないのだから――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第53話 介入せし者の影響
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/12/01 12:38




 ・金山の戦い





 伊達家(合計5000) 
 足軽3700、騎馬1000、鉄砲300

 主な人物
 伊達輝宗、伊達政宗、伊達成実、片倉景綱、鬼庭綱元、原田宗政、佐藤為信、萱場元時、亘理元宗



 相馬家(合計1300) 
 足軽950、騎馬300、鉄砲50

 主な人物
 相馬義胤、相馬盛胤、相馬隆胤、泉田胤雪、泉田胤清、水谷胤重



 佐竹家(合計7000)
 足軽4000、騎馬1000、鉄砲2000

 主な人物
 佐竹義重、佐竹義宣、佐竹義久、成田甲斐、真壁氏幹、小野崎義政





 伊達家、相馬家の因縁ともいえる金山の地での戦。
 この戦は伊達政宗、伊達成実が初陣を迎えた事で知られているが――――。
 戸沢家との繋ぎを取る事と奥州での影響力を更に強めようと判断した佐竹義重の介入により大きく様相が変わろうとしていた。
 此度の戦に介入するにあたって義重が動員した兵力は7000にも及び、率いる大将として真壁氏幹までも参陣させている。
 これは関東で鬼と恐れられる二人の猛将が共に肩を並べてきたという事だ。
 本来ならば積極的に動く必要がないはずにも関わらず、主戦力ともいうべき両名が動いてきた事は佐竹家の本気が窺える。
 並の勢力を率いる者が介入しただけに留まるのであれば何の問題もなかったのだが、相手が相手である。
 輝宗は嫡男である政宗の初陣の事もあってか、叔父である亘理元宗を始めとした手勢を含めて5000もの軍勢を動員していたのだが……。
 相馬家を大きく上回るはずのこの軍勢も水泡に帰しかねないほどだ。
 坂東太郎の異名を持つ、義重の存在は相馬家に対する伊達家の軍勢の優位を覆すに収まらず、戦況そのものすら覆してしまうと言っても良い。
 現に軍勢を二分して金山、丸森を狙う算段である輝宗の戦略は義重に全て看破されていた。
 軍勢の数を材料に相馬義胤、盛胤の親子を各個に打ち破るつもりであったのだろうが、これも義重の掌の上でしかない。
 義重はそれを逆手に取って輝宗、政宗の双方を打ち破らんと義重は軍勢を二手に分け、秘密裏に動かしたのだ。
 戦が本格化するよりも先に全てを把握し、流れを掴むための手を打ったこの采配は義重の存在に気付いていない輝宗からすれば致命的な事である。
 しかも、分けた軍勢はそれぞれが精鋭揃いでこれに勇猛で知られる相馬親子の軍勢が加わるのだ。
 数における優位を失った上に互角であったはずの軍勢の質までも凌駕されてしまっては戦にならない。
 その上で義重が総指揮を執るのだから、既に勝敗は決してしまっていると言っても良い。
 坂東太郎の参陣はそれほどにまで大きく、鬼真壁までもが加わっているとなれば最早、今現在の伊達家に真っ向から対抗出来る者は存在しない。
 今後を期待される者達もまだ年若く、武将として脂がのっている義重や氏幹が相手となれば全く歯が立たない。
 まるでこれ以上は南に進ませないと考えているかのような佐竹家の陣容には恐ろしさすら感じられる。
 相馬家の方も伊達家に対して、大きく優位に立つために形振り構わない選択肢を選んできた。
 長年の決着を付けんがために義胤もまた、乾坤一擲とも言うべき覚悟で挑んできたのだ。
 例え、此度の戦に勝利したとしても佐竹家の下に降る事になるであろう事が解っていても――――。
 譲れない相手との戦にだけは何としてでも勝利するという執念はまるで相馬家が祖であると称している平将門を思わせるほどだ。
 義胤が全てを此処で決着するつもりで居るのは間違いなく、輝宗が宿願とする旧領の奪還の意志を大きく凌駕していた。
 宿敵との戦いに備えたその構えは正にそれを証明していると言っても良い。
 これにより、輝宗が想定していたであろう政宗の華々しい初陣は在り得ない事になってしまったのである。
 相馬家と単独で戦った場合でも死闘が繰り広げられる事は明白であるし、佐竹家と戦うとなれば相応の被害と犠牲を払う事になってしまう。
 確実に成果を残せるであろうと踏んだ戦は最早、全くの別のものとなっていたとでも言うべきだろうか。
 皮肉な事に後に独眼竜と呼ばれる事になるはずであった奥州で尤も有名な人物の初めての戦はその名を上げる事には繋がらない。
 寧ろ、此度の初陣は飛翔するはずであった臥龍の大きな足かせとなる事になったのであった――――。














「申し上げます! 原田宗政様、佐藤為信様、御討ち死に!」


 政宗と軍勢を二分し、戦に挑んだ輝宗の前には信じられない光景が広がっていた。
 備大将や伝令から次々と齎される報告は惨憺たるもので、此度の戦で伊達家に寝返った佐藤為信や家臣の原田宗政の討ち死と悪夢としか思えないような報告しか届かない。
 輝宗と対峙しているのは先代の相馬家当主である盛胤のはずだが――――。
 幾ら盛胤であっても、そう簡単に数に勝る伊達家の軍勢を容易く打ち破る事は出来ない。
 悪くても互角程度にしか持ち込まれないというのが輝宗の読みであった。
 しかし、現に直接戦を交えての結果は想定していたものとは全く異なるものであり、明らかに此方が圧されている。
 数では優位に立っているはずであるし、輝宗とて長年に渡って戦ってきた盛胤については良く理解していただけにこれは如何も可笑しいとしか言えなかった。


「敵方の旗印には相馬盛胤以外にも扇に月丸の家紋が! 佐竹家が動いてきたものと存じます!」

「な、何だと!?」


 更に報告が続けられていく中で思わぬ敵が介入している事が明らかになる。
 この想定外の事態を齎したのは扇に月丸の家紋の旗印の軍勢――――佐竹家。
 北関東から奥州の南である白河、石川方面にまで影響力を持つ彼の家が介入してくる可能性は決して零ではない。
 輝宗は佐竹家の盟友である上杉家の御舘の乱の際には裏で手を回し、更には佐竹家の宿敵である北条家と盟約を結んでいる。
 敵対する理由としては充分に考えるものであり、義重の気質からすれば何れは軍勢を差し向けてきたに違いない。
 だが、余りにも時期が悪すぎる。
 此度の戦は政宗の初陣であり、武将としての将来を示す事になる大事な戦。
 相手が相馬家となれば長年の敵対関係からして、その遣り口も把握している上に動きの予測も出来る。
 それ故に輝宗は政宗の初陣相手として相馬家を選んだのである。
 手の内を知っている相手との戦となれば、不覚を取ったとしても大敗を喫する事はないからだ。
 しかし、佐竹家が直接介入してきたとなれば、それらの前提条件は全て無くなる。
 軍神と呼ばれる上杉謙信の軍配を継承し、北条氏康、北条綱成といった関東の強豪や武田信玄とも対等に渡り合った義重の手の内は全く底が知れない。
 相馬家の増援に関しても予測の範疇とは大きく違い、何故にこうも積極的に動いてきたのかは輝宗には解らなかった。
 此処数年では上杉家との同盟関係を強化する一方で漸く和睦が成立したはずの蘆名家との関係を疎遠にしつつあったために尚更だ。
 流石に自ら盟約を破る事はしないと豪語する義重なだけに上杉家からの要請に応じる形で蘆名家の領地を切り取ろうとしている算段なのだろうが……。
 実際はそれと全く異なり、義重は矛先を相馬家を後押しする形で伊達家へと向けてきた。
 この動きに関しては意表を突いたものだと言っても過言ではないが、謙信の軍配の継承者である側面も踏まえれば可能性としては充分に考えられた。
 しかし、それだけで本腰を入れて義重が伊達家と相馬家との争いに本格的に介入する理由としてはいま一つ足りない。
 義を重んじる人物とは言えども、それだけの人物ではないからだ。


「儂の知る以上の傑物か、佐竹義重――――!」


 自らの思惑を大きく凌駕し、動いてきた義重に輝宗は戦慄を覚えざるを得ない。
 何かの裏があるのだと考えても全く想像が出来ない事なんて今までは考えられなかった。
 政宗の初陣の頃合いを狙って息子である義宣の初陣を合わせきた可能性も考えたが、それを含めても理由としてはまだ弱い。
 奥州への影響力を強めるというのも在り得る事だが、これについては予測出来ていた。
 だからこそ、輝宗には解らなかったのだ。
 義重が動いた理由の一つに戸沢家との関係がある事を。
 そして、その関係が未だに景勝を通してでしか交わしていない盟約であったからが故に――――。















「手応えがないな。これならば、地黄八幡との戦の方が余程、戦いがいがある」

「……そう申されますな、氏幹殿。御貴殿が強すぎるだけです」


 此度の戦で佐竹家の先陣を務めるのは義重の盟友、真壁氏幹。
 鬼真壁と呼ばれる関東随一の猛将は一丈もの長さを誇る木杖を片手に次々と伊達家の軍勢を葬っていく。
 その数は既に数え切れるものでなく、相馬方より寝返った佐藤為信を一合と打ち合う事もなく討ち取ってしまった。
 圧倒的なまでの武勇を誇る氏幹の戦いぶりに二手に分けた軍勢の片方を任せられている義久も苦笑せざるを得ない。
 義久は此処までくると秘密裏に相馬家と連携して伊達家に当たるのは不可能だと判断し、扇に月丸の旗印を掲げて佐竹家の存在をはっきりと示したのである。


「義久殿とて伊達の軍勢に対して的確な采配、流石に大将を任せられただけの事はある。……正直、俺には細かい采配などは執れぬからな」


 自らの戦いぶりと戦況を判断して佐竹家が介入している事を明らかにした義久の判断に感心する氏幹。
 陣頭に立つ事で先手を打って戦の流れを掴み、引き寄せる事を得意とする氏幹は現場の閃きで戦を動かす武将であり、全体を見通しながら采配を振るう人物ではない。
 流石に陣頭で自ら戦いつつ軍勢の総指揮を執る義重の離れ業には敵わないが、義久の堅実とも言える冷静な采配は見事だと思う。


「いえ、相手が輝宗様だから先に動けているだけです。盛氏様との戦ではこうはいきませんでした」


 褒める氏幹に対して、やんわりとそれを否定する義久。
 今でこそ落ち着いた指揮を執る事が出来るが、蘆名盛氏や田村隆顕との時は義重と義久も共に若過ぎたために翻弄されっぱなしであった。
 南奥州でも屈指の大勢力を持ち、天文の大乱の頃からの長い経験に裏付けられた盛氏の戦術は若き日の義久では対応出来ない。
 何しろ、盛氏は彼の上杉謙信ですら手を焼いていた上、武田信玄からも一目置かれるほどであり、傑物と呼べる人物の一人であるとまで評価されていたのだ。
 そのような相手と若い頃から戦うというのはある意味では無謀といっても良い。
 唯でさえ、北条氏康を相手にして苦戦を強いられていたのだから。
 若き日より、義重の急激な勢力拡大と共に各地を転戦した義久ではあるが――――。
 盛氏のような南奥州屈指の人物を相手にして戦ってきた経験が輝宗と戦う上で大きく活かされている、と義久は采配を振るいながらそのように思う。
 決して楽な相手とは言えないが、あの頃に比べれば打ち破るのは難しくはない。
 輝宗は盛氏ほど戦上手ではないからだ。


「それに此度の戦は相馬家に助勢するだけのものとは違います。何しろ、義宣様と甲斐殿の初陣ですからね。私も恥ずかしい姿は見せられませんよ」

「ははっ! 違いない。甲斐殿は早速、大将首を取っているからな」


 義久の言葉に氏幹は豪快に笑う。
 確かに相馬家の増援についても重要な事ではあるが、此度の戦は義宣と甲斐姫の初陣である。
 義重と共に戦場を駆け巡った氏幹やその采配を間近で見てきた義久からすれば、その後継者達の前で無様な戦をする事は出来ない。
 しかも、甲斐姫は初陣にして早くも原田宗政を遠矢で討ち取ったのである。
 これには流石の氏幹も負けるわけにはいかないと奮戦し、愛用の得物である木杖で佐藤為信の頭蓋を叩き割った。
 立て続けに大将を失った伊達家の軍勢は混乱し、たちまち戦意を失ってしまう。
 特に佐藤為信が討ち取られた時は正に一瞬の出来事だっただけに尚更だ。
 大将が僅か一合と打ち合えずにに一撃のもとに頭蓋を叩き割られて、倒れる姿は備大将や足軽達からすれば次の我が身を想像させるには充分だった。
 鬼真壁と呼ばれる氏幹の圧倒的な武勇を前に四散していくのも無理はない。
 氏幹に戦いを挑めば死、あるのみだからだ。
 佐竹家の介入による影響は予想以上に早くも現れたともいえる。
 それに甲斐姫の戦いぶりも年齢の幼さと女性という性別を全く感じさせない。
 戦が始まったばかりの段階では氏幹と義久の後に続いて様子を見ていたが、いざ本格化してくると弓で次々と敵勢を射止め始めた。
 的確に足軽達を射抜き、騎馬をも射抜くその姿は佐竹家中で巴御前の再来と謳われるに相応しいものだ。
 流れるような挙動で弓を構え、騎射を行う甲斐姫――――。
 初陣にも関わらず、その堂々とした戦いぶりはやはり自分から戦に出る事を決断したが故のものか。
 兎に角、早いとしかいえなかった甲斐姫の初陣は恐るべき戦果を出しつつ進んでいたのだ――――。


















[31742] 夜叉九郎な俺 第54話 相馬の誇りに懸けて
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/04/14 20:28





「ふう……」


 遠矢で伊達家の大将の一人だと思われる人物を討ち取った私。
 その後も騎射による立ち回りを基本として次々と仇を討とうと迫り来る足軽達を射抜いていく。
 暫くの間は流石に対処する事で手一杯だったけれど、私に引き続き氏幹殿が大将の一人を討ち取った事で戦況は随分と落ち着いてきた。
 佐竹家の戦において常に先陣を切って戦う氏幹殿が大将首をあっさりと取ってしまった事はその圧倒的な強さを伊達家の方にも見せ付けたという事で。
 少しでも近付けば、意図も簡単に木杖でその命を奪われてしまう。
 弓、鉄砲を射かけても氏幹殿はその弾道を理解しているのか、その射線上に立つ事はないし、矢が飛んできても信じられないような動きで叩き落とす。
 話によれば義重様も氏幹殿と同じように飛び交う矢や鉄砲の中を潜り抜けて次々と敵対する者を討ち取っていくみたいだけど……。
 流石に今の私の身じゃそういった離れ業は難しいし、遣ろうとは思わない。
 だから、騎射で戦っているのだけど……義久殿曰く、「甲斐殿も充分に離れ業を演じています」との事。
 本音をいえば、いっぱいいっぱいだからこそ遠矢に徹しているだけなんだけど……。
 氏幹殿に比べれば私なんかは常識の範疇なんじゃないかな……?


「甲斐殿、敵が退いていきます。恐らくこの状況で殿を務める事になるのは亘理元宗殿。此処からは勝手を知っている盛胤様に任せて援護に徹しましょう」


 落ち着いてきた戦況の中で義久殿が私の姿を認めて声をかけてくる。
 二つの大将首を取られた事で伊達家の軍勢が退いていくのを見た義久殿は輝宗殿が撤退を指示した事を看破しているみたい。
 それにこういった状況で殿を務める事になるであろう人物の事も。
 義久殿が相手になると読んだ人物は亘理元宗殿。
 元宗殿は先々代の当主である伊達稙宗殿の十二男で対相馬家における最前線を任されてきた人物でその手腕は現在の伊達家でも随一と名高い。
 佐竹家というイレギュラーともいうべき存在によって劣勢へと追い込まれてしまった現状でそれを立て直し、反攻する事が出来るのは確かに元宗殿だけ。
 長年に渡って盛胤殿と戦ってきた経緯といい、窮地の状況で信頼の出来る指揮官とくれば元宗が相手になるという義久殿の予測は的を射ていると思う。
 私も伊達政宗殿が表舞台に立つ以前の伊達家で恐ろしい存在だと思っていたのは元宗殿だし……義重様もその手腕には警戒していた。
 そういった意味では此処で元宗殿が出てくる事は当然とも言っても良いのだけど……。
 盛胤殿が相手をするとなれば佐竹家が直接戦うよりも援護に徹するのは妥当な選択肢で。
 互いに勝手知ったる相手であるだけに優勢の状況にある今なら盛胤殿が有利なのは間違いないと思う。
 義久殿もそれを理解しているからこそ、盛胤殿に任せると判断したみたいだし、氏幹殿も反対はしない。
 佐竹家としては私も含めて伊達家の大将首を二つ取っているので、此処にきて三つ目の大将首まで取ってしまえば相馬家の立場がなくなってしまう。
 しかも、現状で既に佐竹家からの軍勢が戦果を出しているのだからそれは尚更で。
 相馬家にとっては不倶戴天の宿敵である伊達家との戦で成果を残せないのは自分の武名を落とす事にも繋がる。
 だから、義久殿は盛胤殿の立場を考えて、戦を運ぶ事を良しとしている。
 盛胤殿もそれを望んでいるだろうし……。


「……解りました、義久殿」


 私に義久殿の方針に反対する理由はない。
 この戦での私の初陣の目標は既に達成出来てるし、佐竹家としても充分に相馬家を助ける事は出来ている。
 後は盛胤殿が戦の終止符を打つ事だけ。
 元宗殿と因縁の対決次第でこの戦の決着が付く事を考えれば、もう相馬家の勝利はほぼ間違いない。
 それ以外に展開が解らないものがあるとすれば、義重様が戦っているはずの別働隊の方。
 私の記憶に間違いがなければ、彼方には伊達政宗殿が居るはずなのだけど――――?















「最早、これまでか……!」


 家臣である原田宗政が討ち取られ、佐藤為信を立て続けに失った今、戦線を立て直す事は出来ない。
 輝宗は佐竹家の介入の報告を聞いた直後から一気に崩された事を実感しつつ、舌打ちを鳴らす。
 聞こえてくる足軽達の悲鳴からは頻りに鬼真壁の名前が聞こえてくる。
 先程の討ち取られたという報告は事実上の氏幹が斬り込んできた事の証明だ。
 流石に単独で本陣まで接近する事はないだろうが、相手は鬼と恐れられる猛将であるだけに輝宗の常識が通じるかと言われれば解らない。
 氏幹と交戦した事で明らかに動揺している軍勢の様子を見れば嫌でもそう思わされる。


「輝宗殿、此処は退かれよ。殿は儂が引き受ける」

「……叔父上」


 もうこれでは戦にならないと判断した輝宗の様子を察してか叔父である亘理元宗が近寄り、殿を務める旨を伝える。
 佐竹家により完全に崩された戦線を立て直し、敵勢の足を止める事は此度の戦に参陣した者の中では元宗にしか出来ない。


「躊躇っている暇はないぞ。佐竹の旗だけではない、相馬の旗も動き始めておる」

「……解りました、後は頼みます。叔父上」

「うむ、承った」


 残念だが、それは輝宗も理解しているため此処は元宗の意見に従うしかない。
 この場を元宗に預ける事として、輝宗は撤退のための指揮を執る事に専念する。
 だが、歴戦の将である元宗ならば確実に殿の役目を果たしてくれであろう事が解っていても此度ばかりは一抹の不安が拭えない。
 予想だにしなかった佐竹家の軍勢の来襲が齎した影響の大きさは輝宗の想像を大きく超えていたからだ。
 例え、元宗が殿の指揮を執ったとしても生還して戻ってくるとは限らない。
 それほどまでに此度の戦の佐竹家の存在は大きいのである。
 また、今の段階で余力を残している盛胤率いる相馬家の軍勢も侮れない。
 先代の当主である盛胤の軍勢は騎馬を中心とした精兵。
 数こそ、伊達家よりも少ないが数の劣勢をものともせずに幾度となく渡り合ってきた騎馬隊は南奥州でも屈指のものだ。
 それに盛胤の指揮が加わるのだから、騎馬隊に関しては此度の戦での佐竹家よりも上かもしれない。
 しかし、輝宗には拭えない不安を抱えながらも元宗に任せるしか方法はなかった。
 今の伊達家で尤も盛胤の事を知っているのは元宗だからだ。
 他に考えても適任な人物が如何しても存在しない。
 家督を継承して以来、常に支えてきてくれた叔父の身を案じつつ輝宗は苦渋の決断をするのであった。















「盛胤殿の進む道は俺が開く。だから、殿を務めるはずの亘理元宗殿は任せるぞ」


 伊達家が撤退の動きを見せ始めたところで氏幹は相馬盛胤に突撃を敢行する旨を伝える。
 明らかに此方側が有利な状況で相手が退くという事は何かしらの策があるとも考えられるが、伊達家は余力を残して退くわけではない。
 大将首を二つ取られての撤退である。
 輝宗自らが全軍の指揮を執っているとはいえ、瞬時に立て直す事は不可能だ。
 それ故に氏幹は伊達家の戦力が大きく落ちている事に気付いているのである。


「……忝ない」


 因縁の戦いである此度の戦に援軍の要請を行ったのは相馬家の側だが、殆ど確実な段階にまで勝機を掴めるところに導いた佐竹家には感謝するしかない。
 盛胤は異常とも言える戦いぶりで完全に戦の流れを決めた氏幹と輝宗の先を読んで一度足りとも隙を見せない義久の采配にそのように思う。
 しかも、敵総大将である輝宗を相手にしながら佐竹家は義重がこの場の指揮を執っていない。 
 名代である義久が采配を振るっての圧倒的なまでの優勢である。
 これは鬼真壁の異名を持つ氏幹の武名が大きく影響しているのだろうが、此度の戦で初陣を迎えるという甲斐姫にも目を見張るものがある。
 伊達家の原田宗政を遠矢で討ち取ったのを見た時は余りの事に開いた口が中々閉じなかったほどだ。
 騎射で遠矢を以って敵将を射抜く芸当なんてまるで鎌倉時代の武士のようにも思えた。
 僅かばかりではあるが、噂で聞いていた巴御前の再来であると言われていたのもこういった芸当が出来るからなのかもしれない。
 例え類い稀な技量を持つとはいえ、女性の身である甲斐姫に劣るとなれば武名で知られる先代の相馬家の当主の名折れである。


「この相馬盛胤。必ずやその期待に応えよう」


 ましてや、氏幹が道を開いてくれるとまで言っているのだ。
 此処で戦果を上げられなくては何のために戦場に立っているのか解らない。
 人間五十年とも言うべき年齢を既に越えた身ではあるが、こうまで御膳立てされてはそれに応えるしかない。
 それに目の上のたんこぶである亘理元宗を討ち取る千歳一隅の機会だ。
 佐竹家の力を借りる事になったとはいえ、二度目があるか解らないこの時を逃す理由はない。


「亘理元宗の首は儂が取る……!」


 盛胤は確かな決意を以って自らの意志を明らかにする。
 元宗は盛胤の母の弟であり、血縁者ではあるが長年に渡って戦ってきた伊達家の一門衆。
 親と子ですら争う今の時代に叔父であるとはいえ、加減をする必然性は全くない。
 寧ろ、血縁関係で固まり過ぎている南奥州の古い秩序を打ち崩す好機だ。
 これで伊達家との関係は今以上に絶縁状態となるだろうが、それも仕方がない。
 だが、此度の戦で勝利したとしても相馬家単独では伊達家を相手にして戦線を維持し続ける事は不可能である。
 金山、丸森の地における優勢を得られたとしても何時かは押し切られてしまう。
 盛胤はそれを察しているからこそ、佐竹家に援軍を要請した。
 例え佐竹家に降る事になる事が避けられないとしても――――宿敵に敗れるよりもよっぽど良い。
 盛胤の伊達家に対する執念は想像以上のものがあったのだ。















 佐竹家に属する真壁氏幹の加勢を得た相馬盛胤は殿を務める亘理元宗の軍勢に対して攻めかかった。
 長年に渡って対峙してきた宿敵を相手に自ら陣頭に立って槍を振るう盛胤。
 だが、盛胤の手の内を知り尽くしている元宗の采配の前に中々、先に進む事が出来ない。
 それが今までの伊達家との戦において良く見られた光景だった。
 しかし、此度の戦には佐竹家が相馬家に味方しており、鬼真壁こと氏幹が助勢している。
 我先にと元宗の軍勢の真っ只中へと飛び込み、木杖を振るう氏幹は次々と周囲を取り囲む軍勢を蹴散らしていく。
 それはまるで巨像が蟻を踏み潰すかのようでもあった。
 伊達家中でも精鋭で知られる元宗の軍勢が氏幹一人に全く歯が立たない。
 向かっていた者は例外なく木杖の前に倒れ伏し、息絶えていく。
 弓、鉄砲を射かけようとしても氏幹はそれを察して軍勢の中にその姿を晦まし、不意を突く。
 認識の外から接近して弓、鉄砲隊をも木杖で叩き伏せるという常識外の光景は一人の人物が戦場を一変させてしまう可能性がある事をまざまざと見せ付ける。
 この鬼神の如く戦う氏幹の姿こそが鬼真壁と呼ばれる由縁であり、関東でその名を轟かせる猛将の真骨頂であるといっても良い。
 乱戦で最大限の実力を発揮し、幾多の者達を討ち取る事で敵の戦意を削ぎ落とす――――。
 これは真に鬼と呼ばれている者だからこそ出来るものであるのだと盛胤は追走しながらそう思う。


「見つけたぞ! その首、この相馬盛胤が貰い受ける――――!」


 だが、氏幹の戦いぶりに気圧されるわけにはいかない。
 氏幹があくまで奮戦しているのは盛胤の進む道を開くためだからだ。
 本命である元宗の首は盛胤自身が討ち取らなくてはならない。
 故にその姿を認めた段階で躊躇う事なく、馬を走らせる。


「盛胤っ――――!」


 元宗も向かってくる盛胤の姿を見付け、応戦の構えを取る。
 盛胤が首を狙ってくるのは想定の範囲内だ。


「うおおおぉぉぉっっっっっ!!!!」


 しかし、元宗が動くよりも先に盛胤は勢いを落とす事なく馬を走らせつつ槍を投擲する。
 馬上での戦いで槍を捨てるような真似をするなんて命を捨てるも同然だ。
 元宗は盛胤の意表を突いた行動に僅かばかり面食らうが、咄嗟に馬首を翻して飛んできた槍を躱す。
 だが、元宗がそのように動く事こそが盛胤の狙いであった。
 僅かな隙が出来た頃合いを見逃さずに距離を一気に詰めた盛胤は刀を抜き、元宗の首筋にその刃を突き立てる。


「ごふっ……!」


 手応えあり――――。
 盛胤は確実に自らの刀が元宗を捉えた事を確信する。
 そのまま、引き抜く事なく横薙ぎに払い、元宗の首を斬り落とす。
 長年に渡って戦ってきた宿敵の最後だ。
 盛胤自身が引導を渡さなくては失礼に値する。
 責めてもの手向けであろう。


「亘理元宗! この相馬盛胤が討ち取ったり――――!」


 殿を務める大将の首を取ったという事実を盛胤は声高々に宣言する。
 輝宗の叔父であり、伊達家随一の戦上手と名高い名将、亘理元宗を討ち取ったという事を。
 だが、元宗を討ち取ったとはいえ、此度の戦は佐竹家の助力が無ければ今の結果は在り得なかった。
 万が一、この戦場に氏幹の存在がなければそう容易く元宗の首を取れたとは思えない。
 寧ろ、数での不利が祟って不覚を取る可能性だって考えられる。
 元宗と単独で戦うとなればそれだけの対価を支払わなくてはならなかった。
 だからこそ、盛胤は宿敵との戦いに終止符を打ったにも関わらず、ある事を実感する。
 恐らく、此度の戦が終われば伊達家は南奥州の覇権争いから大きく後退する事となり、相馬家は佐竹家に属する形となる。
 佐竹家が介入した事によって齎された亘理元宗の死というものはそれだけの要素を充分に兼ね備えている。
 これによって南奥州の勢力図は大きく塗り替えられる事になるであろう――――と。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第55話 戦場に潜む者
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/05/08 06:03





 伊達輝宗率いる軍勢と佐竹義久、相馬盛胤率いる連合軍との戦が終結したその頃――――。
 別働隊を任されていた伊達政宗は敵方の本隊を率いる相馬義胤との戦に臨んでいた。


「相馬義胤など、蹴散らしてくれるわ!」


 伊達家にとって因縁の相手である相馬家との戦に初陣でありながら敵総大将である義胤との戦という事もあり、勇んだ様子で陣頭に立つ政宗。
 初めての戦場にも関わらず、声高々に叫び堂々と得物を抜いて指揮を執ろうとしている姿は一人の武将として高い目標を持っているが故の事だろうか。
 それとも、純粋に宿敵である相馬家にだけは負けたくないという思いがあるからだろうか。
 何れにせよ、政宗は相馬家の意表を突くかのように前面へと押し出す。


「藤次に負けるか、相馬義胤の首は俺が取る!」


 同じく初陣を迎える成実も政宗に負けじと後に続く。
 幼い頃より、政宗以上に武芸に修練に熱心であった成実は自らの武勇にはそれなりの自負がある。
 同年代であり、共に修練した時期もある政宗に劣った事は一度たりとて無いし、今では相手を務めた景綱をも凌いでいるといっても良い。
 毛虫の前立に示した退かないという心意気もあってか、成実は政宗よりも勇んでいるようであった。


「政宗様、成実様! ……仕方がない。私は御二方と行きますので、元時殿は援護を御願いします」

「心得た。若殿達の事は景綱殿に御任せする」


 初陣で勇み立っている互いの主君に景綱と元時は困った様子を見せながらも迅速に対応する。
 共に政宗、成実が幼い頃から仕えている者同士であるためか、こういった時に如何に動くべきかは誰よりも理解していた。
 無鉄砲な部分もあり、常人には理解出来ないような行動を取る事も多い若き主君に追随するのは並大抵の心構えでは出来ない。
 身を以って尽くす事に躊躇いがないからこそ可能なのである。
 それに鉄砲隊を預かっている元時が援護し、政宗達の補佐を委ねられている景綱が後を追うのは理に適っていると言えるだろうし、間違いではない。
 堅実とも取れる判断は冷静に事態を見ている事の証明だろう。


「綱元殿は……」

「景綱と共に政宗様を追う。みすみす、後ろに居て主君に従わなかったとあっては親父殿に叱られてしまうからな」


 景綱は念を押すように政宗の別働隊に軍勢を率いる立場で参陣している最後の人物である鬼庭綱元に問いかける。
 綱元は姉である片倉喜多の異母弟であり、景綱からすれば血の繋がらない兄という複雑な立場にあるが、共に政宗付きとして仕える者同士でもある。
 そのためか、当然といった表情で共に政宗を追う事に賛同する綱元。
 伊達家の忠臣である父、鬼庭良直にも若き主君である政宗の事を託されているだけに景綱に言われるまでもなかった。


「解りました、共に行きましょう」


 景綱も良直の気質は良く理解しているため、綱元が共に行く事を了解する。
 此処で政宗に従わなければ、後で何を言われるか解らないと言うのは喜多の実弟である景綱も同様だからだ。
 血は繋がっていないとはいえ、良直は父親同然でもある。
 良直の方も景綱の事は実の息子のように期待をかけてくれているだけにそれを裏切る真似は出来ない。
 そのため、慌てて後を追う事を決断するのだが――――これは大きな間違いであった。
 今でこそ相馬家との戦でしかないが、この戦の裏には強大な存在がある事を政宗を含め、景綱達はその存在に気付いていない。
 故に真っ先に義胤の首を狙うべく先走った政宗と成実を止めなかったのだが……。
 この先にはまだ見ぬ、鬼の存在が控えている。
 そして――――その鬼と呼ばれる人物によって、政宗の初陣となったこの戦の結末が大きく変わる事になるとは、まだ誰も知らない。















「ほう……甥も中々やるものだな」


 義胤の率いる軍勢が戦い始めたのを遠目で見ながら、義重は呟く。
 数で勝っているとはいえ、幾度となく輝宗に苦渋を味あわせてきた義胤を相手に正面から優勢に立つ事はそう簡単な事ではない。
 騎馬隊を中心に個々の戦力の勇猛さに関しては相馬家に軍配が上がり、伊達家との戦を多く経験している義胤は武将としても一人前だ。
 年頃が義重と変わらないために老練であるとは言えないが、少なくとも奥州では中々の戦歴を持っている。
 その義胤を初陣であり、戦を経験していない政宗が単純な攻めで押しているのは彼の人物の資質の現れだろうか。
 若いながらにも中々、侮れないように思う。


「……父上」


 傍で良く戦場を見るようにと申し渡され、待機していた義宣が義胤が劣勢である事を察し、何か言いたげな表情で義重の名を呼ぶ。
 だが、その様子に不安の色はなく、寧ろ動く時が近いのではと察した様子だ。
 敵方の政宗と同じく初陣の身である義宣だが、戦場での機敏には聡いらしい。
 義重自身も若い頃から陣頭で戦い、戦場での見る目を養ってきたが、義宣も初陣なりに感じるものがあるのだろう。
 もしかしたら、政宗や成実の戦いぶりに触発されたのかもしれない。
 意外と落ち着きのある性格である義宣だが、流石に此度ばかりは逸る気持ちがあるようだ。


「ああ、今が動く時だ。義宣は俺とこのまま前に出るぞ」

「解りました、父上」


 義宣の様子に若い頃の自分を重ねつつ、動く時だと告げる義重。
 あくまでも此度の戦の目的は相馬家の助力ではあるが、流石に劣勢の状態で此方から動かないという事はない。
 戦の主軸となる義胤が政宗に敗北したとなれば戦はそこまでとなってしまうからだ。
 助力を頼まれたのに無下にするわけにもいかない。
 いよいよ、坂東太郎の戦を義宣に見せる時が来たのである。


「我が甥、伊達政宗よ――――如何なる者であるか見届けてくれよう」


 それに自らの戦を見せる相手は義宣だけではない。
 甥である政宗に対しても戦を見せつけなくてはならない。
 義兄である輝宗が期待し、伊達家の将来を担う者と言われる政宗に戦の何たるかを叩き込む。
 義重と戦い、何を得るか、何を失うかで政宗の今後の真価が解るというものだ。
 だが、盟友である景勝から伝え聞く盛安の事といい、女性ながらに戦に才覚を持つ甲斐姫といい次の世代と言うべき人物達の事を見ていると……
 そういった若い人物の一人である政宗にも何かを期待したくなる。
 此処で一敗地に塗れる事で一皮剥けるのか、それとも、そこまでで終わってしまうのか。
 何れにせよ、輝宗が才覚の片鱗を見たというのならば間違いはないと義重は思う。
 盟友の一人である武田勝頼の家臣である真田昌幸にも2人の才覚ある息子が居るとも聞き及んでいるし、これは新たな時代が近付きつつあるのを示している事に相違ない。
 輝宗もそれを察しているからこそ、此度の因縁の戦に政宗の初陣を迎えさせたのだろう。
 それ故に義重と戦う事になったこの戦は色々な意味で影響を与える事になる。
 勢力に関しても、個人に関しても。
 特に戦場で”鬼”と呼ばれる人間が如何な者であるかを見る事になるのは武将としての在り方にも影響を及ぼす。
 そういった意味では初陣を迎える若い世代である義宣や政宗にとっては此度の戦が後々の糧となるのだ。
 義重は軍神と呼ばれた上杉謙信の薫陶を受けていた頃の自分の身を思い出しつつ、遠く先に見える伊達家の旗印を見据え、軍勢を動かすべく采配を執るのであった。















「義胤め、大した事はないなっ!」


 自ら相馬家の軍勢に切り込み、戦う政宗は思っていたよりも手応えがない事を感じつつ声を張り上げる。
 精強で知られ、輝宗が苦戦しているとされる相馬家の軍勢は政宗にとってはそれほどのものとは思えなかったからだ。
 これは軍勢の数に大きな開きがあるのも一つの要因ではあるのだが、初陣を迎えたばかりの政宗にそれを深く熟考する事は出来ない。
 昂る気持ちが先走るあまりか、錯覚している部分があるのだろう。


「ああ、これならば、まだ小十郎達との訓練の方が歯応えがあるくらいだ」


 そのため、政宗と同じ時を迎えている成実も特に疑問を挟む事もなく、それに同意する。
 若くして伊達家中随一とすら評されている成実からすれば並大抵の相手ではそのように感じてしまうのかもしれない。
 決して弱くはない相手であっても、まともに打ち合う事すら出来ないのだから。
 成実に迫り来る相馬家の軍勢は一合の下に斬り伏せられている事からもそれが窺える。


「だが、義胤とて馬鹿ではあるまい。次の動きを見せる前に小十郎達と合流せねばな」


 政宗は成実の戦いぶりなら大抵の事は乗り切れると思っているが、戦は水物であると聞いている以上、油断は出来ない。
 先陣を切るために景綱達よりも前に出てきたが、此処が見極めどころだろう。
 今よりも更に深入りして何かあれば、それこそ如何なるか解らないからだ。
 義胤のような数多くの戦を経験している武将が手を打ってこないとは考えられない。
 今が優勢なのも政宗、成実の攻めが予想以上であったに過ぎなかったからでしかないのかもしれなかった。


「そうだな。一番槍で充分に先陣を切る事は出来たし……此処からは小十郎達を交えて戦を進めよう。流石に俺達だけでは難しいだろうしな」


 成実も政宗の意見に同意する。
 武芸に関しては自負出来るものを持つ成実ではあるが、それに自惚れるほど自信過剰ではない。
 政宗の家臣である景綱や成実の直臣である元時の経験には敵わないし、2人よりも更に歳上である綱元に関しては言わずもがなだ。
 戦に関しては場数を重ねてきた者には及ばない事を成実は自覚している。


「しかし、俺達の率いる軍勢よりも相馬の方が少ないが故に有利なのは解るが……」


 だが、場数が足りないとはいえ、成実は義胤の動きが聞いていたものと違う事に気付いていた。
 如何も何かを待っているかのようにも思えるのだ。
 相馬家の軍勢が思ったよりも手応えがなかったのは成実の武勇の賜物ではあるが、それでも違和感が拭えない。


「……藤五も気付いたか」


 それは政宗の方も同様で相馬家の積極性が崩れている事に思うところがあった。
 先程までは義胤と思われる人物の姿が遠くに見えていたのだが、今ではそれが見えない。
 後ろに退いた可能性も考えられるが、義胤の気質からすれば考えにくい。
 政宗はそれに違和感を覚えたのだ。


「ああ、背筋がぞっとするような感じがある。これは何か来る――――」


 同じく成実も政宗と同様に何かがある、と口にする。
 言葉にはし辛いものがあるが、背筋に冷たい何かが撫でるような感覚。
 周囲の空気が底冷えするような感覚。
 正に形容し難いものが近付いているような気がする。
 消えた義胤の姿と積極性に乏しい相馬家の軍勢。
 これが何を示すのかは流石に解らない。
 景綱や元時であれば気付いたかもしれないが――――。
 今の政宗と成実にはそれを読み取るだけの経験や知識がまだ足りなかった。
 何かがあるだろうと思っても如何いった動きを見せるのかの予測までは出来ないのだ。
 こればかりは初陣を迎えたばかりであるが故に仕方がない事なのではあるが――――。
 成実の「何か来る」という言葉を肯定するかのように何時の間にか周囲に展開していた敵勢の数が大きく増していく。
 義胤が率いているはずのものとは全く異なる軍勢。
 その数は政宗が指揮を委ねられた手勢よりも更に多く、1000丁以上にも及ぶであろう大量の鉄砲を抱えている。
 此度の戦において伊達家が準備していた鉄砲は300前後である事を踏まえれば、ゆうに3倍以上もの数を揃えてきたのだ。
 これは少なくとも相馬家の軍勢では在り得ない。
 彼の家の動員兵力の総数は1300前後でしかないのだから。
 騎馬を中心とした軍勢を率いる義胤の立場からすれば途方も無い数だ。
 奥州でそれほどの鉄砲を揃えている大名など戸沢家くらいしか存在しない事からして、何処かの大名が助勢している可能性も決して否定は出来ない。
 政宗と成実がいま一つ理解出来ない中で目の前に現れた軍勢が旗印を掲げる。


「まさか、佐竹の鬼叔父か――――っ!」


 翻ったのは扇に月丸の家紋――――佐竹家のもの。
 相馬家と戦う上では現れる可能性は零ではなかったが、まさか初陣となる此度の戦で出てくるとは思いもしなかった。
 成実が背筋がぞっとすると口にしたのも佐竹家という大物が控えていた事にほかならない。
 予想だにしていなかった新手の前に政宗は思わず、佐竹家の軍勢を率いているであろう人物の名前を紡ぐ。
 佐竹の鬼叔父こと、佐竹義重。
 伊達家とは長年に渡って争ってきた敵の一角である上杉謙信の盟友にして、その軍配の後継者と名高い人物。
 初陣の相手とするならば、これほど高い壁となる相手は存在しない。
 扇に月丸の旗印を掲げた多数の鉄砲を抱えた軍勢と今、戦う事は命懸けのものにしかならないだろう。
 今現在の政宗と成実では如何があっても手に余る。
 だが、そんな政宗達の事情とは関係なしに坂東太郎と呼ばれる名実共に関東から南奥州にかけてその名を轟かせる猛将が早くも目の前に立ち塞がる。
 これが果たして、何を齎すのかは解らない。
 唯、はっきりと政宗と成実に理解出来た事は――――この戦場が地獄と成り得る可能性があるという事だけであった。












[31742] 夜叉九郎な俺 第56話 初陣の終わり
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/05/14 20:38





 相馬家の陰に潜んでいた佐竹家の出現に戸惑う政宗達を後目に義重は愛用の得物である長光の太刀を携えゆっくりと陣頭に立つ。
 坂東太郎、鬼義重の異名を持つ義重は自ら陣頭に立って戦いながら、采配を振るうという恐るべき戦い方で知られる猛将。
 此度の戦でも佐竹家の存在を明かした以上、それを隠す必要はない。
 苦戦している相馬家を助け、存分に力を示す時が来た今、義重が出てくるのは当然の事であった。
 義重は周囲の鉄砲隊に射撃の態勢を整えた状態での待機を命じ、義宣に後から続くように言伝した後、馬を走らせた。


「佐竹常陸介義重、参る!」


 政宗の率いる軍勢に飛び込んだ義重は瞬く間に数名の足軽を斬り伏せる。
 誰よりも真っ先に敵陣に突入した後のこの光景は義重の異名の由来を象徴するもの。
 今は亡き、上杉謙信より賜わった長光の太刀を片手に戦うその姿はまるで鬼を連想させるかのように凄まじく、果敢に向かっていた者は次々と倒れていく。
 軍神の後継者と言われる義重の太刀筋は唯単に自らの武勇を自負している者のものではない。
 隙のない身のこなしと如何なる得物が相手であっても的確な間合いで圧倒し、相手の仕懸に対して転じる戦い方は”剣聖”と呼ばれた上泉信綱にも似ている。
 何故、義重が今は亡き、信綱にも通じる戦い方をしているのかと言うと――――彼が信綱と同門の身であるからだ。
 陰流と呼ばれる流派の奥義を極めた剣豪。
 それが義重のもう一つの顔であり、戦場で鬼神の如く敵を討ち果たしていく鬼と呼ばれる由縁である。
 盟友である氏幹とは全く異なる太刀筋でありながらも、立ち塞がる者達の首を次々と取っていく姿は正に異名通りのものだ。


「藤五! やるぞ!」


 予期せぬ敵である佐竹家の出現と義重自らの出陣に動揺する軍勢を見ながら政宗は成実に促す。
 義重のような一個人で戦場そのものを支配するような相手に尻込みするだけでは何にもならない。
 敵として立ち塞がってきた以上は戦うしかないからだ。


「解った、藤次!」


 政宗の言いたい事を察し、成実はそれに同意する。
 相手が義重である以上、卑怯と言われようとも二人がかりで戦うしかない。
 軍勢の総数で劣っており、足軽、騎馬、鉄砲も義重の前に無力化されているとなれば軍勢を率いている者が前に立つ以外に手はないのだ。
 初陣でそのような真似をするのは輝宗に咎められる事になるだろうが……。
 義重と直接戦う事は成実の武勇が何処まで通用するのかを見極める指針にもなる。
 成実に嫌という言葉は全く存在しなかった。
 寧ろ、彼の坂東太郎と戦える事は光栄な事だ。


「鬼叔父! この伊達藤次郎政宗が相手だ!」

「坂東太郎! その首、貰うぞ!」


 政宗と成実は太刀を振るい、次々と屍の山を築き上げていく義重に向かっていく。
 これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。


「待て、政宗殿! 貴殿の相手は佐竹次郎義宣が務める!」


 しかし、政宗の前に義宣が立ち塞がる。
 父、義重の後に続いて斬り込んでいた義宣もまた、政宗の姿を捉えていたのだ。


「従兄弟殿かっ! 面白い!」


 僅かに歳下である従兄弟である義宣の登場に政宗は馬首を向け、相対する。
 本来ならば成実と共に義重と戦うところだが、名差しで挑んできたとなれば応じない訳にはいかない。
 それに佐竹家の跡取りでありながら、伊達家の一門衆である義宣は政宗からすれば輝宗の後を継承する立場としての大きな障害の一つ。
 此処で義宣に打ち勝てば、義重を前にして退いたとしても自らの名にそれほどの傷は付かない。
 佐竹家はあくまで坂東太郎あってのものである事の証明にもなるからだ。
 政宗は義重の相手を成実に任せ、自身は義宣との戦いに専念する事にするのであった。















「如何した、政宗殿! 伊達家の跡取りがその程度の太刀筋で務まるのか!」


 義重と共に陣頭に立ち、政宗と刃を交える義宣。
 自ら名乗りを上げて挑んだ義宣は父やその師である愛洲宗道に学んだ剣術を以って政宗を圧倒していた。
 修行中の身であるとはいえ、仕懸に対して転じる戦い方の基礎を抑えている義宣はその奥義を極めている義重には及ばない身ではあるが、政宗の太刀筋を的確に躱す。
 時には自ら仕懸て相手の呼吸を崩す事で流れを一定とせず、立ち回る義宣に政宗は苦戦を強いられる。


「ぬかすなっ!」


 だが、圧されているとはいえ義宣を相手に最後の一歩を踏み込ませない政宗も弱くはない。
 単に義宣とは戦い方の相性が悪いだけだ。
 政宗はどちらかと言えば多数の軍勢を率いる事の方に素養があり、この事は輝宗を始めとした家中の多くの者から指摘されている。
 無論、武芸にも熱心であり、自ら陣頭に立って戦えるだけの武勇も持ち合わせているが――――。
 此方に関しては義重や氏幹や宗道といった関東随一とも言うべき剣豪達に直接の手解きを受けている義宣に軍配が上がる。
 そのため、武将同士で戦うとなれば義宣が有利であったし、成実に比べてこのような戦いは政宗にとって如何しても不利であった。
 未熟な義宣が相手であるからこそ、討ち取られていないと言うべきだろうか。
 しかし、義宣を相手にしている政宗はまだ良い。
 問題なのは義重と直接、相対している成実の方である。





「ほう……中々の槍捌きだ。伊達家中に若くしてこれだけの腕前を持つ者が居ようとはな」

「……息も切らさずに余裕の表情で言われても全く嬉しくはないけどなっ!」


 若くして伊達家中でも随一の武勇の持ち主であると言われている成実ですら義重を前にして歯が立たたない。
 寧ろ、的確に成実の繰り出す槍の動きを見極めた上で切り返す義重に弄ばれているくらいだ。
 しかし、これも無理はない。
 一個人としての武勇に長ける武辺者として成実は発展途上にあるのに対し、義重は既に一人の武士として完成されており、後は老練さを増していくのみ。
 未完成である槍術で挑む成実に対して、奥義を極めた剣術で戦う義重では戦いにならないのも当然である。


「ならば、此処は退け。先が楽しみな武士の首を取るのは俺としては望まぬ」


 故に義重は成実に退く事を薦める。
 力の差は明らかであり、初陣であろう戦場で無為に命を捨てる事はない。
 義重が本気で相手になれば成長途上である今の成実の首を取る事など造作もないのだ。


「俺の何処を見てそう言っているつもりだ!」

 
 だが、成実は毛虫の前立てに誓った心意気に偽り無しとして退く様子はない。
 元より勇猛果敢な気質である成実からすれば、情けをかけられるのは侮辱されるのと同義だ。
 相手が如何に義重であってもそれは変わらない。
 勝ち目があろうが、なかろうが成実にはそれだけの覚悟があった。


「藤五、退くぞ! これ以上は戦う必要はない!」

「藤次!? くそっ……!」


 しかし、政宗に此処で退くと言われては従わない訳にはいかない。
 後の伊達家の頭領たる政宗の命令は一門衆として拒否する事は不可能だ。
 苦々しく思いながらも、成実は政宗の命に従う。
 飛来するのは如何しようもないほどの敗北感。
 初陣であるだけに華々しい功績を立てようと誓っていただけにそれは尚更である。
 逆に今の政宗、成実では義重には到底、歯が立たない事を実感させられた。
 それに歳下である義宣が想像以上に鍛えられていたのにも驚愕を覚える。
 義重の教育の賜物ではあるのだろうが、それにしては異常だ。
 坂東太郎と呼ばれる父を目標としているだけではない。
 他にも決して負けられない何者かがすぐ傍に存在しているかのような気迫を感じた。
 だが、義宣がこれだけの武勇をものにした背後に一人の女性が居る事には気付かない。
 若き2人の武士は悔しさを滲ませつつも唯々、退くしかなかったのである。















「政宗様、成実様!」

「……小十郎、綱元! 来たか!」


 義重、義宣の攻めに対し、一度退いた政宗達に後を追ってきた景綱と綱元の2人が合流する。
 政宗からすれば待ち侘びた到着だが、残念ながら全ては遅い。
 景綱と綱元を以ってしても坂東太郎の異名を持つ義重と戦う事は容易ではない上、既に政宗が率いていた軍勢は殆ど壊滅している。
 先程まで戦っていた戦場では死屍累々とも言うべき光景が広がっている。
 それはまるで地獄としか呼べない光景で――――最早、相馬家と戦を続けるだけの余力すら残っていないのだ。


「はい。嫌な予感が拭えないため、後を追わせて頂きましたが……遅過ぎたみたいですね」


 扇に月丸の旗印を見ながら景綱は想定外の相手が出てきた事と余りの強さに戦慄を覚えつつ、その先の義重、義宣の姿を認める。
 此度の相馬家との戦ではあくまで静観する可能性が高いと見られていた佐竹家の参戦は輝宗の予測の範疇外。
 盛氏死後の蘆名家の情勢を踏まえた輝宗の見立ては決して甘くはなかっただけに義重の恐ろしさが垣間見える。
 正直、景綱の思っていた以上のものだ。


「……ああ、俺も藤五も鬼叔父と義宣に不覚を取ったところだ。父上から預かった軍勢も多くが討ち取られている」


 遅れてきた事を悔やむ景綱を労いつつも政宗は表情を暗くする。
 義宣との一騎討ちでは討たれなかったものの敗北し、成実も義重に敗れている。
 大将が揃って佐竹親子に敗れた事により士気は低下し、更には坂東太郎の名に怯える者までも現れている状況にある。
 恐るべき義重の武名の前に逃げ惑う者や立ち向かって行っては首を取られる者が多発しており、退いた事で漸く落ち着いてきたところだ。


「そう、ですか……。しかしながら、軍神の軍配を継ぐ者と言われる佐竹殿を相手にして政宗様が御無事である事を見ると、あくまで相馬殿の手助けをするのが目的の様子。
 このまま戦えば皆が討たれる事も覚悟せねばなりませんでしたが――――退く機会は充分にありましょう」


 義重と戦いながらも無事である政宗、成実の身と一度退いたと思われる今の状況の陣容を見ると佐竹家には伊達家を駆逐するつもりはない。
 どちらかと言えば、佐竹の武名を南奥州で轟かせる事にあり、後継者である義宣の御披露目が目的に思える。
 此度の戦があくまで伊達家と相馬家の戦いである事を弁えているようだ。
 景綱は短い時間ながらも義重の意図を理解していた。


「なれど、佐竹殿が見逃してくれても相馬殿が見逃してくれるとは思えませぬ。政宗様、それだけは御覚悟を」


 だが、本来の敵である義胤がこのまま黙っている訳がない。
 佐竹家の助力で戦況が覆った今、反攻を企てるのは当然の事だ。 
 義重、義宣の戦力による影響が大きいとはいえ義胤はそれを見逃すような人物ではない。
 今こそ、伊達家に引導を渡す時だと士気を上げている事だろう。


「……解っている。鬼叔父と義宣に情けをかけられた事は残念だが、此処で命を落とす訳にもいかぬ」


 景綱の言わんとしている事を理解し、苦々しい表情で政宗は頷く。
 圧倒的なまでの力で蹂躙し、本腰を入れて攻めれば容易に政宗と成実の首が取れたにも関わらず、義重が動かなかったのは見逃してくれたからに過ぎない。
 その証拠に佐竹家の軍勢と戦っている最中は多数の鉄砲隊による射撃が殆ど見られなかった。
 寧ろ、見せ付けられたのは坂東太郎、鬼義重が一個人で戦場を支配する光景と後に続く義宣の奮戦ぶり。
 それはまるで鬼の親子が三途の川へ至る道を案内しようとでもしているかのようにも思えた。
 直接目にしたその光景を思い出すと背筋がぞっとする感覚が過ぎる。
 政宗は鬼と呼ばれる存在が如何なる者であるかを初陣となる戦場で思い知る事になった。


「さすれば、この小十郎めに殿を御命じ下され。必ずや政宗様、成実様を無事に退かせてみせまする」


 義重の恐ろしさを目の当たりにし、震えている政宗に景綱は殿を務める事を具申する。
 最も危険な役目である事は承知しているが、身を以って若き主君を守るにはそれしかない。
 幸いにして、景綱と綱元の率いてきた軍勢を生き残った政宗の軍勢と合わせれば何とか形にはなる。
 決して景綱に義胤を凌げないという訳ではない。
 それに後ろには鉄砲隊を伏せている元時の軍勢も健在だ。
 一矢報いる事は可能なのである。


「……すまぬ。小十郎、任せたぞ」


 勝算がある事を示唆しながら殿を申し出てくれた事に感謝しつつ、政宗は景綱に後を任せる。
 今の政宗、成実では如何にも出来ない現状では景綱に委ねるしかない。
 義重があくまで助勢に徹する事を期待するのは甚だ不本意ではあるが、退くにはその可能性を信じるしかないのだ。
 景綱の判断もそれを見越しての事なのだから。


「御任せを。必ずや殿の役目を果たしまする」


 苦渋の表情を見せる政宗に頭を下げ、景綱は殿の役を果たすべくこの場を去る。
 綱元に連れられて退いてく政宗と成実の姿を目に収めながら。
 若き主君の初陣を無駄な物とはしないために景綱は兵を伏せる指示を出す。
 向かってくるであろう、義胤と一戦交えるために。
 そして、義重が動いてきた可能性を考慮し、僅かでも抑えが利くように――――と。















 こうして、佐竹家の介入により史実とは大きく崩れた金山、丸森を巡る戦いは輝宗が敗走し、政宗が退く際に勃発した景綱と義胤の戦いを以って終結を迎える。
 退く政宗の下には一歩も進ませないと奮戦する景綱と伊達家に引導を渡すために向かってくる義胤。
 両者の率いた軍勢の数は共に数を減らしてはいたが、ほぼ互角。
 景綱の予測通り、義重、義宣はこれ以上の介入はしなかった。
 理由を上げるとするならば、佐竹家ばかりが手柄を上げると角が立ち過ぎてしまう事を懸念したのだろう。
 あくまで伊達家と相馬家の戦に助勢を頼まれた形であったからだ。
 故に采配を執る者の力量と武勇が問われる戦となったのだが――――この戦は見事なまでの采配を見せた景綱とそれを後ろから援護する元時が凌ぎきり、撤退に成功。
 結果として伊達家は相馬家との戦に敗れたが、この際の景綱と元時の活躍によって最低限の面目は守った。
 特に景綱の奮戦ぶりは目覚しく、義胤の弟である隆胤と家臣である胤重の両名を乱戦の最中で負傷させている。
 この事は後に伊達の鬼とも称される武将の通り名、片倉小十郎と言う名を奥州に轟かせる結果となったのである。





 ・金山の戦い結果





 伊達家(残り兵力 合計2200) 
 足軽1600、騎馬500、鉄砲100

 主な人物
 伊達輝宗、伊達政宗、伊達成実、片倉景綱、鬼庭綱元、原田宗政、佐藤為信、萱場元時、亘理元宗



 相馬家(残り兵力 合計900) 
 足軽550、騎馬230、鉄砲20

 主な人物
 相馬義胤、相馬盛胤、相馬隆胤、泉田胤雪、泉田胤清、水谷胤重



 佐竹家(残り兵力 合計6800)
 足軽3900、騎馬900、鉄砲2000

 主な人物
 佐竹義重、佐竹義宣、佐竹義久、成田甲斐、真壁氏幹、小野崎義政



 損害
 ・伊達家 2800(死傷者、撤退者含む)
 ・相馬家 400
 ・佐竹家 200



 負傷 相馬隆胤(重傷)、水谷胤重



 討死 原田宗政、佐藤為信、亘理元宗

















[31742] 夜叉九郎な俺 第57話 落日の名門
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/05/19 13:39




 伊達家と相馬家の長年に渡る因縁から勃発した金山、丸森を巡る戦い。
 この戦は亘理元宗を始めとした伊達家の要となる武将を討ち取った相馬家の勝利に終わった。
 だが、相馬家の勝利の裏には助勢の要請を受けた佐竹家の影響によるものが大きい。
 総大将を務める伊達輝宗、別働隊を率いる伊達政宗の親子の軍勢を撃破する決め手は佐竹家が全ての引き鉄を引いているからだ。
 謂わば、介入した佐竹家の存在そのものが南奥州における伊達家と相馬家との力関係を決めたに等しい。
 それもあってか、戦が終わって数ヵ月の後に相馬家は佐竹家の傘下に収まり配下となった。
 実際に主力の大半を本国に残しながらも明らかな力の差を見せ付け、相馬家の宿願を果たさせたのだから当然かもしれない。
 何しろ、対相馬家の総指揮を委ねられ、南奥州への睨みを効かせていた元宗を討ち取られた事で伊達家は大きく戦略上の方針変更を余儀なくされる事になったのだ。
 元宗の存在はそれほどまでに大きく、彼の人物以上に伊達家中で南奥州の事情に詳しい人物は存在しない。
 歴戦の勇将である相馬盛胤を相手に出来ていたのも元宗によるところが大きいのである。
 そのため、伊達家の目が違う方向に向いたのは佐竹家の助勢があったからである事は疑いようがなかった。
 故に相馬家は佐竹家に降る事になったのである。
 また、此度の戦にて初陣を果たした政宗、成実と義宣、甲斐姫の評価も大きく分かれた。
 女性の身でありながら、原田宗政を討ち取った甲斐姫と政宗との一騎討ちを制し、父義重に劣らぬ戦いぶりで陣頭で勇猛さを発揮した義宣。
 それに対して、義宣との一騎討ちに敗れた政宗と義重との一騎討ちに敗れた成実。
 其方については坂東太郎と名高い義重を相手にした成実は高過ぎる義重の武名の事もあってか、それほどの影響を受けなかったが――――。
 伊達家の次代である政宗が佐竹家の次代である義宣に敗れたのは大きい。
 義宣が佐竹家の次期当主という立場だけではなく伊達家の一門衆でもあるからだ。
 伊達本家の跡取りが分家の人間と初陣で戦い、敗北を喫した――――これは政宗の武将個人としての武勇を疑われる事にも繋がる。
 しかも、最終的にはあくまで伊達家と相馬家との戦である事情があったとはいえど、余裕をもって見逃されているのだ。
 命を拾ったとはいえ、政宗の一人の武士としての名は大きく傷付けられたと言える。
 これにより、実態はともかく、伊達家と佐竹家の次代の評判には大きな差が出来た事になり、義宣の伊達家の一門衆である立場も奥州に喧伝された。
 結果的に義宣は名実共に坂東太郎の後継者として、また伊達家の血を継ぐ次代の人物として名を上げる事に成功したのである。
 こうして、伊達家と相馬家の戦いを起点として奥州へとその影響力を伸ばした佐竹家。
 相馬家を傘下に収めた事で足掛かりを得た関東屈指の大勢力が奥州への影響力を強めた事は疑いようがない。
 但し、この背後には僅か3年の間で急速に勢力を拡大した戸沢家の動きが関わっているという事は一部を者達を除き、誰も知りえない。
 義重が奥州への影響力を強めたのも盟友、上杉景勝との連携のためであり、新たな盟友となる戸沢盛安との連携のためなのである。
 しかし、盛安の事があるとはいえ、何れにせよ佐竹家は大きく飛躍の時を迎えている事には変わりはない。
 次代を担う義宣が明確な成果を手に初陣を済ませた事で、先行きが明るいものである事を証明したのだから。





 だが、佐竹家が飛躍している時と同じくして――――彼の家と同じ新羅三郎義光の系譜を受け継ぐ、ある源氏の大名は落日への道を着実に歩みつつあった。
 甲斐の国を中心とし、信濃北部、信濃南部、遠江、駿河、上野を支配下に置くという広大な勢力圏を築き上げた大名。
 嘗ては”甲斐の虎”とも呼ばれた英傑が家を束ね、数多くの伝説とも言うべき恐るべき数々の戦果を築き上げた大名。
 源氏の血を継ぐ者として相応しいだけの武力を持ち、一時期は天下に一番近いとすら言われた事もある大名。
 その大名の名は――――。















 ――――武田家と言う。















 ――――1581年9月





 ――――甲斐国、韮崎





「……高天神が落ちて早、半年か」


 甲斐の韮崎の地にて城の普請が大詰めとなっている光景を見ながら、一人の30代半ばと思われる人物が虚空に向かって呟く。
 武田家を預かる身となって間もなく10年が経過しようとしている現在、この人物を取り巻く状況はけっして良いものではない。
 今から6年前に勃発した長篠の戦いでは織田家、徳川家の両家による連合軍に敗北し、これにより四名臣と呼ばれた武将の3名を始めとした歴戦の勇士達を失い。
 3年前から2年前にかけて越後で起こった御館の乱では当初は上杉景虎側で参陣する予定であったが、当初と違い上杉景勝に味方した事で北条家との同盟を無くし。
 今年に至っては東遠江の要所であった高天神城を失った。
 此処数年の間に様々な出来事に遭遇してきたが、特に大きかったのはやはり、高天神城の陥落だろう。
 自らの父親が亡くなった後に徳川家より奪取した高天神城は父が落とす事が出来なかった数少ない城。
 この城こそが自身の武勇を証明するものであり、戦上手である事を示していたとも言える拠点であった。
 だが、周囲に敵を抱え、消耗していく最中に高天神城を徳川家に攻められた事で援軍を送る事は叶わなず、みすみす失ってしまった。
 家中を自らの武勇で従えていた身としてこれは痛恨事であり、味方の窮地に動かなかったとして対外的な信用も失墜した。
 先代である父がなくなって以来、10年にも満たない間に武田家の屋台骨は明らかに揺らぐ形となったのである。
 それに加え、織田家、徳川家の前に劣勢を強いられている現状では先征き不透明な道筋しか見えない。
 唯一、希望があるとするならば八面六臂の活躍を示している自らが最も頼りにする人物が担当している上野国方面と佐竹義重との同盟だけだろうか。
 景勝との同盟も御館の乱が終わった今ならば、機能するかもしれないが……此方は過信出来ないため自然とそうなってしまう。


「幸いなのは上州の展開が相変わらず順調な事だけか。……侭ならぬな」


 韮崎の地に新たな城を築くための普請作業をしている人物の事を自嘲気味に見つめながら呟く。
 最早、挽回する手もほぼ存在せず、現状ではこの城が完成したとしても思い描いていた甲斐国を創り上げる事が出来るかも怪しい。
 長篠の戦いを発端にやる事、成す事の多くが裏目にまわり、直実に追い詰められていく武田家を率いる彼の人物。
 その名を――――武田勝頼と言う。





 ――――武田勝頼





 甲斐の虎の異名を持つ英傑、武田信玄の四男。
 平安時代の武将、新羅三郎義光を祖とする甲斐武田家第20代目当主である。
 また、武田二十四将の一人と数えられる事でも知られている。
 勝頼は信玄と諏訪頼重の娘との間に生まれた人物でその複雑な背景から武田家でも浮いた存在で兄、武田義信の死により四男でありながら後継者となった経緯を持つ。
 そのためか、家中での評判は良いとは言えず、信玄とは全く異なる方針や在り方に反発する者も多かった。
 馬場信房、内藤昌豊、山県昌景といった信玄の代の重臣達とは意見が合っていたと言い切れず。
 かといって諏訪に居た頃の家臣達も重臣達とそりが合わず。
 更には穴山信君を始めとした一門衆とも上手くいかない。
 やる事、成す事の全てに障害しかなく、かといって改革を行おうとすれば信玄の事を引き合いに出されて躓く。
 余りにも偉大であった父、信玄の陰に振り回されていると言っても良いかもしれない。
 ある意味で勝頼は負の遺産の全てを一身に背負う事となってしまった人物であると言える。















「……我が身では武田を背負う事は所詮、叶わぬものであったのだろうか」


 今や他国である上野国のみにしか活路を見い出せない現状に勝頼は自らの不徳を恥じる。
 同じ源氏の血を継いでいる一つ歳下の義重との大きな違いに不甲斐なさしか浮かんでこない。
 配下の素破や戸隠の者達から集めた情報によれば、勝頼の盟友たる義重は遂に奥州への足がかりを手に入れ、更には新たな盟友を得たという。
 噂では夜叉九郎、鬼九郎と呼ばれる勇将で、出羽国の戸沢家の当主であるとか。
 しかも、勝頼よりも20歳も年齢が若い上、昨年には朝廷から鎮守府将軍の位を与えられていると聞いた。
 甲斐国より遠く離れた奥州での話であるが、信玄も奥州の蘆名家と誼を通じていたため、それを関係ないものとして流す訳にはいかなかった。
 嘗ては敵対していたとはいえ、上杉家も佐竹家も今や武田家の盟友である。
 その盟友の動きに関係してくるものなのだから、勝頼にとっても決して無関係ではない。
 ましてや、景勝とは義兄弟の間柄となったのだから尚更である。


「景勝、義重……何れも立場は変わらぬと言うのに」


 だからこそ、勝頼は苦々しく思う。
 信玄を父とする自分に対し、上杉謙信を義父に持つ景勝が内乱の果てに家を掌握して家の体制を新しい形へと移行させる事に成功している事を。
 義重が悲願を目前として没した父を超え、今や軍神の後継者という立場を名実共に築き上げている事を。
 その両方は勝頼が目指し、思い描いていたものだからだ。
 家の体制を新しい形へ移行させる事と甲斐の虎の後継者としての立場を築き上げる事を目指した勝頼が出来なかった事を景勝と義重は成し遂げている。
 偉大な父親から家督を継承したという立場は全く同じであるにも関わらずだ。
 過程こそ違うが、両名共に勝頼が理想としたものを創り上げているだけに悔しさが募る。


「……今やこの勝頼だけが置いていかれているのみ。何処が彼の者達と違うのであろうな」


 甲越佐の同盟を結ぶ者で唯一人、自分だけが落日を迎えようとしている。
 特に同じ祖を持つ義重との差には呆れるしかない。
 共に自らの武勇を自負し、戦では自ら太刀を取って戦う猛将であり年齢もほぼ変わらない。
 源氏の大将という意味では共通点が多く、率いる家も由緒正しい点で同じである。
 にも関わらず、今やその差は覆しようもないほどのものとなっている事を踏まえると何が問題であったのか、とすら思えてくる。
 自身を取り巻く環境が問題なのか、義重と違って父を超えられていない事が問題なのか。
 それは勝頼自身には解らない。
 出来る事は全て行ってきたつもりだし、持てる力は全て出し切ってきた。
 だが、その精力的な活動は何一つとして良い方に働く事はなく、全てが裏目に出る。
 余りにも重なる不運としか言えない数多くの出来事は滅亡へと向かおうとしている武田家の時流がさせるものだとすら思えてくるが……。
 勝頼はそれを座して待つような人間ではない。
 今、こうして韮崎の地で普請を行っているのも以前より考えていた構想を実現させるためのものだ。
 追い詰められている現状で必要な事は時を稼ぎ、活路を見い出す事。
 それに必要なものの一つが堅城であり、現在普請中の新府城がそれに当たる。
 織田家、徳川家といった迫り来る敵を相手にするには堅城に籠り戦を長引かせる事が不可欠だからだ。
 実際に攻め寄せられた場合でも戦が長引きさえすれば、援軍として駆け付ける越後、上州の軍勢があれば戦にはなる。
 例え、敵よりも寡兵であったとしても攻城側の軍勢は後詰の軍を恐れるものであり、寡兵を活かして山戦を仕懸ければ厭戦気分を蔓延させる事も不可能ではない。
 そうして敵の士気が崩れたところで援軍と共に前後から突けば、如何な大軍であっても崩す事は出来る。
 これが新府城の普請奉行を任された者からの進言であり、勝頼が先を見い出した方針だ。
 また、その者は政治と商業が不可分であると言い、生半可な詰城を築く事は下策であると言う。
 新府城が完成した暁には国府と城下の移転も行い、家臣団から商人まで集住させる事が新しい国造りには必要であると言っていた。
 こういった画期的とも言える考えは従来の武田家には存在せず、信玄すらも思い描いてはいなかったもの。
 人は城であり、人は石垣であるという信玄の理念とは違うものであるからだ。
 しかし、信玄の理念が時代遅れのものとなり、新たな世代へと移行している今はこの進言は的を射ていたと言える。
 更に続けて、その者は新府城が危機に陥った場合には武田家の本拠を甲斐国から移すべきであるとしていた。
 彼の人物曰く、西より甲斐国へ攻め入る場合に通る事になる信濃国は長い谷沿いに街道が開けており、これを守る事は困難であるという事。
 敵の侵入を許し、各要所を落とされれば如何なる堅城であっても朽ち果てるしかない。
 そうなれば、守りきる事は不可能である。
 故に彼の人物はその際に上州の吾妻の地にある岩櫃城へと本拠地を移すという意見も提案していた。
 これは甲斐国に縛り付けられて生きてきた武田家の既成の価値観の全てを覆すもの。
 だが、勝頼はこの意見に深く共感を覚える。
 思えば、甲斐源氏とも呼ばれる武田家は元をたどれば常陸国の出であり、甲斐国に固執する必要はないからだ。
 例え、国を移したとしても武田家そのものが無くなる訳ではない。
 多くの家臣達は反対するであろうが、勝頼はこの全く新しい視点での意見を具申してくれた者に自らの命運を託すと決めた。
 今、この場で新府城の普請を任せているのもその意志の表れである。


「御屋形様」


 勝頼が物思いに耽っている最中、普請の指揮を執っていた家臣が声をかける。
 恐らく、一通りの指示が終わって作業が一段落したのだろう。
 心中を察するかのように頭を下げ、勝頼の近くで待機する。
 この人物こそが良くも悪くも信玄時代からの風習に囚われがちであった価値観を崩す意見の全てを考案した者。
 年齢は30代半ばといったところであり、勝頼とそれほど歳頃は変わらないように思える。
 だが、新しい発想とも言える見解を示した事といい、甲斐国に固執する必要はないと言った事といい、明らかに常人では考えが及ばないであろう視点を兼ね備えていた。


「……安房」


 勝頼は近くで自らを呼んだ家臣の名を口にする。
 安房――――と呼ばれたこの家臣こそが勝頼が命運を預けるに相応しいと思った人物。
 年齢も近いためか、腹を割って話せる相手であり、この者には幾度となく助けられてきた。
 そして、苦境に陥った今も勝頼に新たな道を示して唯一無二とも言うべき活路を見い出させた彼の人物――――。
















 その名を――――真田昌幸と言った。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第58話 真田昌幸
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/05/26 07:25




 ――――真田昌幸




 真田安房守昌幸、武藤喜兵衛昌幸、信玄の眼、表裏比興の者。
 この名をどれだけの人が聞いた事があるだろうか。
 ”日本一の兵”と名高い真田信繁こと、真田幸村と真田太平記等で知られる真田信幸の父親であり、攻め弾正の異名を持つ真田幸隆の息子。
 若き日は武田信玄の側近として仕え、その際に孫子兵法を始めとした軍学、政治といった全てを伝授された愛弟子である。
 だが、信玄に学んだはずの昌幸は多くの武田家臣とは違って信玄の残影とも言うべきものに全く縛られてはいない。
 昌幸も勝頼と同じく、本来ならば当主になる立場の人間ではなかったからだ。
 信玄の四男という立場であり、後継者である義信が死亡した事で当主となった勝頼。
 幸隆の三男という立場であり、兄である真田信綱、真田昌輝を長篠の戦いで失った事により当主となった昌幸。
 また、勝頼は武田家を継ぐ前は諏訪家を継いでおり、昌幸は武藤家を継いでいる。
 双方共に父や兄が当主を務めた家を継ぐ前に他の家の家督を継承しており、本来ならばそれを支える立場にあった者なのだ。
 予期せぬ事情によって兄を失い、後を継ぐ事になった勝頼と昌幸はその身の上を互いに最も深く理解していた。
 立場や経緯こそ違えど、共に継がないはずであったのに家督を継承した者同士。
 謂わば、正式な後継者と認められにくい立場であるにも関わらずに表舞台に立つ事になった同士と言っても良い。
 故に昌幸は勝頼が担う重責を理解していたし、共感を覚えていた。
 それに真田家は元々から甲斐国の者ではなくて信濃国の者。
 信濃の名族である諏訪家の家督を継承した勝頼に仕える事に何ら含むものはない。
 これが甲斐の国人が多い他の家臣との決定的な違いであり、信玄の残影に縛られない理由。
 勝頼を武田家、諏訪家の両家の人間として公平に見る事が出来るが故に昌幸は勝頼に忠節を誓えるのだ。
 昌幸が織田家、徳川家に対する戦略に自らの所領である吾妻の岩櫃城を進言したのも家中での立場を高めるという理由ではない。
 吾妻の地での戦に持ち込めれば最低でも一両年の時間を稼げ、勝手知ったる土地であるならば存分に地の利と人の和を活かせるからだ。
 真田家の本拠地である上田に近く、勝頼にも忠実な家臣である武田信豊の小諸、小幡信貞の国峰、内藤昌月の箕輪との連携も取れる。
 更には上杉家、佐竹家からの援軍も得られる場所であり、甲越佐の同盟を活かす事も可能。
 現状の盟友と忠実な家臣達との人の和を活用出来る地が上州、吾妻の地なのだ。
 しかも、岩櫃城は昌幸が幸隆、信綱より受け継いだ真田家が誇る数々の地形を利用した縄張り――――”陰陽の縄”が引いてある。
 陰陽の縄とは攻防兼備の城の縄張りの事で堀は網目の如く張り巡らされ、何処からでも城兵が飛び出せるように工夫が施されている。
 すなわち、人知の及ばない縄が引いてあるかのように複雑な縄張りの事を陰陽の縄と言うのだ。
 昌幸は上田を始めとした自らの治める城の尽くに縄を引き、敵が多勢であっても容易には近付けず、容易には落とす事は出来ないように普請を行なっている。
 こういった側面は師である信玄よりも幸隆の盟友で築城名人でもあったという、山本勘助や高坂昌信の影響があるのかもしれない。
 かたや武田家の軍師として、かたや昌幸の兄弟子として信玄の傍に仕えた二人の人物。
 両名共に信濃国で活躍した武将であり、海津城の縄張り等で知られる築城の名人。
 信玄の愛弟子でありながら、幸隆や昌信といった人物の長所も合わせ持った昌幸は正に勝頼にとって切り札とも言うべき人物であった。















「……如何に高天神を悔いようとも先には進めませぬぞ」


 昌幸は勝頼が高天神城の事を後悔している事を察し、諌める。
 東遠江の地にある高天神城は要害であり、信玄ですら生涯に渡って落とす事が敵わなかった堅城。
 だが、信玄の死後から僅かの期間で勝頼は高天神城を陥落させてしまった。
 謂わば高天神城は勝頼が戦上手であり、信玄にも劣らないだけのものを持っているという証明とも言える城であった。
 しかし、今年の始めには遂に徳川家康の手によって奪還され、唯一とも言うべきその証を失ってしまった。
 これにより、勝頼は不平を持つ家臣達を抑え込む武器を無くし、奪還された際に援軍を送る事が出来なかった事から信望までも疑われている。
 元々から信玄とは全く違うやり方を行っていた事に不満を持つ家臣達もおり、それらを抑え込む要因に一役かっていた高天神城を失ったのは大きい。
 勝頼がその事を悔いているのは昌幸から見ても明らかであったし、取り返しのつかないものである事も理解している。
 昌幸が以前に戦略を具申した時も高天神城を失う事は避けねばならないものであるとしていたからだ。
 その一角を落とした勝頼が落胆しているのも無理はない。


「解っている。安房の申す通りだと言う事は」


 無論、勝頼とて悔いるだけでは何もならない事は理解している。
 昌幸と共に立てた戦略の一部が崩れただけなのだ。
 決して、先行きは絶望的ではない。
 高天神城に援軍が送れなかったのも織田家、徳川家の両家の遠江における戦略が武田家に勝ったからだ。
 巧みに勝頼が動けないように外を固めてその状況を創り出した信長、家康の戦略の賜物であると言っても良いのである。
 勝頼が自らの意思で見捨てた訳ではない。


「しかしながら、御屋形様の懸念される通りの事だと言う事も否定は出来ませぬ」

「……安房」


 信長の戦略の根底には”援軍を送れなかった”事実そのものを広める事にあり、事態が深刻であるのは間違いないのだ。
 勝頼が悔いているように昌幸とて高天神城に対して有効な策を進言出来なかった事を悔いている。
 唯、昌幸は上州における戦線の指揮を執っており、遠江に関しては手の出しようが無かったという事実もあった。
 そういった意味では昌幸に非がある訳ではないのだが、勝頼の心中を考えればそうもいかない。
 信玄の眼と呼ばれる身でありながら、何たる失態であるかと昌幸は思う。
 勝頼も昌幸が自分と同じ思いを抱えている事を察し、これ以上は何も言わない。
 否定しようがしまいが、高天神城を失った事による勝頼の武名の失墜は隠しようのない事なのだから。


「さすればこそ、韮崎の城の完成を急がねばなりません。少なくとも来年の夏頃までには楼閣、櫓、門塀等を含めた全てが整いましょう」


 だからこそ、昌幸は新府城の完成を急がなくてはならないと言う。
 新府城は縄張りを担当している昌幸から見ても最終的には高天神城以上の堅城となる城で甲斐国の本城としては申し分の無い城となる。
 真田家の秘曲とも言うべき陰陽の縄を張り巡らされた新府城は生半可な城ではない。
 初めの段階から大軍を迎えうつために設計されたこの城は落ちた場合の事も含め、全てが計算されている。
 時を稼ぎ、遠征してくる事になる織田家、徳川家の両軍を疲弊させる事も決して不可能ではない。


「うむ、そうなれば儂と安房の構想も現実のものとなる」


 しかも、新府城が落ちたとしても昌幸の具申する岩櫃城がある。
 新府城での戦で消耗した後に岩櫃城に迫る場合でも碓氷峠を起点に山戦(ゲリラ戦の事)で更に消耗させ、辿り着いたとしても陰陽の縄に阻まれる。 
 段階に渡って防衛策が考えられている昌幸の戦略は追い詰められつつある武田家の乾坤一擲とも言うべき策。
 それだけあってか、構想通りに事を進めていく事が出来れば、甲斐国を失う事にはなっても武田家を存続させる事は出来る。
 最悪の場合でも上杉家、佐竹家の下へ降るという選択肢も存在するため打つ手は多い。
 だが、この策にも大きな問題がある。
 それは甲斐国から離れる事を良しとする者達が少ない事だ。
 古くからこの地で生きてきた者達からすれば、上州へ本拠地を移すと言う事は堪え難いものがある。
 あくまで武田家は常陸国から出て、甲斐国に根を下ろして此処までの大名となった。
 そのため、あくまで甲斐国内で踏ん張る事で活路を見い出せるのではないかと考える者も多い。
 これが古くからの名門である武田家の最大の欠点であり、足を引っ張る最大の要素でもあった。
 昌幸の意見が先行きを見通す意味で尤も深く広く見ているのにも関わらず、家中の多くが本拠地を移すという事を良しとしていない。
 武田家はあくまで甲斐源氏であり、その大将なのだ。
 信玄もその心構えがあったからこそ、甲斐国から本拠地を移す事はなかったし、丸山などの詰城を除く城を築く事は無かった。
 だが、高天神城が落ち、確実に近付いてくる織田家、徳川家の足音が聞こえてくる今となっては理想論に過ぎない。
 最早、武田家には過去のしきたりや理念に従う余力は存在しないのだ。
 それを果たして、どれだけの者が理解しているだろうか。
 勝頼と昌幸の構想は武田家を生き残らせる事が出来る道ではあっても、信玄の築き上げた武田家を生き残らせる事は出来ない。
 謂わば、信玄の遺産とも言うべき全てを捨てる事にほかならない。
 それ故に信玄の残影に縛られている者達にはそれが理解出来ないのである。
 勝頼と昌幸の目指すものは信玄を否定する事以外のなにものでもないからだ。
 しかし、これが武田家の最善の道でありながら、今の状況を齎したのは皮肉でしかない。
 勝頼と信玄の残影。
 この両者の方策の大きな違いを受け入れられる者が少なかったがために落日への道が開かれたのかもしれなかったからだ。














 こうして、昌幸の策を下地にして立て直しを目指す勝頼。
 遠江での戦局の不利が決定的となり、織田家、徳川家の次なる目標が甲斐、信濃へと移る事は明確である中で唯一とも言うべき打開策。
 これが成れば、どれだけ大きく事態が変わってくる事になるであろうか。
 昌幸の考えた本拠地を移すという方策は旧来の武田家の概念そのものを覆すものであるだけに信長、家康とてそれを完全な形で予測する事は出来ない。
 それだけに岩櫃城を拠点とした場合は如何なる事態へと発展するかは本当に読む事が難しい。
 織田家、徳川家が甲斐国を抑えた段階で戦線が伸び過ぎるのを嫌い、手を引く可能性もあれば――――
 北条家に後を任せ、織田家は中国の毛利家、四国の長宗我部家へと専念する可能性もある。
 時を稼ぐと言う事はそれだけの多くの選択肢を生み、また進む先を変える。
 信長とて、内部の全てを完全に掌握出来ているとまでは言い切れないのだ。
 ”何か”が起こる可能性は決して零ではない。
 昌幸はそれを見通しているが故に甲斐国に新たな堅城となる新府城を築き、上野国へと撤退する道を示したのだ。
 無論、これらの策は全てが勝算があってのものであり、最悪の事態をも想定してあるもの。
 例え上杉家、佐竹家からの援軍がなくとも暫くは持ち堪えられるだけの準備は整えてある。
 溢れんばかりの智謀を持つ昌幸は信玄の眼と呼ばれるに相応しいだけの戦略も戦術も組み立てていた。
 だが、この昌幸を以ってしても落日へと進む武田家の命運を元に戻す事は出来ない。
 既に崩壊へと進む歯車が動き出している現状を一人の人物が食い止める事など不可能である。
 しかしながら、止める事が出来なくともその動きを鈍くする事は出来る。
 昌幸の策は正にそういった崩壊への歯車を僅かにでも遅らせる行為にほかならない。
 勝頼が昌幸の進言に応じたのもそれが解っていたからであろう。
 甲斐国で踏み止まるにしろ、上野国へ退くにしろ昌幸の策以外に勝頼に選択肢はない。
 寧ろ、構想通りに事態が進めば武田家は反撃の機会を得られる可能性も僅かばかりに存在する。
 それだけにこの方策の第一段階である新府城の完成は何としても達成させなければならない。
 新府城で織田家、徳川家を迎え撃ち、形勢が不利となれば早々に新府城を捨てて上州へと逃れる。
 これが昌幸の戦略の要諦であり、前提としている条件。
 勿論、新府城が完成しなかった場合でも山戦を活かした時間稼ぎを活用する事としており、一見すれば穴らしい穴は無い。
 流石は信玄の眼と言われるだけの人物の立てた戦略である。
 だが――――昌幸の見立て通りに事態は進むとは限らない。
 新府城が完成するのは早くても1582年(天正10年)の夏頃。
 実際は状況等も手伝ってかもっと遅くなる可能性も高い。
 そのため、最低でも一両年前後の時間を見積もらなくてはならないのだ。
 この間に織田家、徳川家が動く可能性は高く、状況は予断を許さない。
 故にこの戦略を実現させるには敵方の動きも重要となるのであるが、こればかりは昌幸を以ってしても当人では無いためか完全な形での先は読めなかった。
 唯、はっきりしている事があるとするならば――――。
 武田家の崩壊への足音は既に間近にまで迫っている事だけであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第59話 最上八楯
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/08/12 16:47



 ――――1581年9月




 武田家が崩壊へと確実に歩みを進めている頃。
 盟友である上杉家は盛安からの進言にあった佐渡を抑え、確実に地盤を築き上げていた。
 直江津という港町による強大な財力を誇る現状に佐渡に眠る巨大な金山を得たとなればその経済力は破格のものとなる。
 ましてや、これに盛安から教授される事になる治水を加えた領内は開発を行えば元より、豊かであった越後国は更なる発展が望めるであろう。
 眼前には柴田勝家率いる織田家の軍勢が北上中であるが、新発田重家を始めとした家臣達を纏め上げ終えた今となっては主力を差し向けて対応する事も出来る。
 こういった背景には盛氏が没した蘆名家と先の相馬家との戦で亘理元宗を失い、余力を減らした伊達家が越後への介入を行う余裕が無くなったのも大きい。
 今まで隙あらば越後に介入し、虎視眈々と上杉家の崩壊を狙っていた両家が動けなくなった事は謙信亡き後の上杉家からすれば正に朗報であったと言えるだろう。
 しかも、両家に睨みを効かせる事の出来る重家が居る事で伊達家も蘆名家も当面は越後に仕掛けられない。
 更には盟友である戸沢家が庄内にまで進出し、領土を接する事になった現状では本庄繁長も反上杉家の立場の大名に睨みを効かせやすくなっている。
 これにより、上杉家は最上家以外の奥州の大名を警戒する必要性が大きく薄れ、主力の軍勢を北上する織田家にぶつける事が可能となっているのだ。
 越後に介入するであろう勢力の尽くが弱体化した事は考えている以上に大きな影響があると言えるだろう。
 後は予てより話を進めていた盛安との会談と治水に関する助言を纏め、義重との同盟の話と甲斐姫との婚姻の話を進める。
 それが上杉家の現状の方針であり、現実のものとするべき事柄。
 以前に盛安との邂逅を果たした景勝と兼続からすれば直に語り合って約束を交わした事であるため尚更である。
 盟約を違えないのが先代からも受け継いできた現在の上杉家の在り方だ。
 相手となる盛安も盟約を違える気質の人物では無いだけに二重の意味でも破る事は考えられない。
 義の旗を掲げる以上、その志に偽りがあってはならないのだから。





「盛安様。御約束の通り、義重様からの返答を御持ち致しました」

「忝ない、兼続殿」


 以前に盟約を交わした際に約束していた佐竹家からの返答を兼続から受け取る。
 本来ならば、北上する織田家や伊達、蘆名家の脅威がある現状で景勝の懐刀である兼続が越後を離れるのは自殺行為のはずなのだが――――。
 佐竹家が伊達家と戦っている相馬家の救援の要請を受けた事で大きく動きが変わっている。
 本来ならば伊達家が勝利していたであろう金山、丸森を巡る戦は関東から南奥州における随一の武力を誇る佐竹家の介入が勝敗を完全に逆転させた。
 家臣の服部康成を含めた忍の者に調べさせたところ伊達家はこの戦で亘理元宗、原田宗政、佐藤為信と多数の兵を失ったと聞く。
 特にこの中でも特筆すべき事は宗政を討ち取ったのは何と、10歳を超えたくらいの女性であるという。
 これには俺も思わず言葉を失いそうになったが、佐竹家に身を寄せている甲斐姫の事を考えると可笑しな事ではないかと思い直す。
 実際に共に学んでいるという義宣が初陣を果たしたのだから、可能性としては当然とも言えるからだ。
 それに甲斐姫が実際に武功を上げたとなれば、女性だと馬鹿には出来なくなる。
 武を重んじる佐竹家であるからこそ戦場に出る事を認められたとも言える甲斐姫だが、このような結果を残したとあれば他家でも見る目は変わる事だろう。
 事実、関東や南奥州では鬼姫という異名で名が広まりつつあるらしい。
 俺自身も夜叉九郎、鬼九郎の名で呼ばれる身ではあるが、鬼姫ともなればある意味相応しいだろうか。
 らしい、と思いつつ俺は義重からの書状に一通り目を通し終える。
 此方からの要望である甲斐姫を妻に迎える事と同盟の件に応じてくれた義重の判断には感謝するしかない。
 一先ず、問題点の一つは解決したと言っても良いだろう。
 これも史実とは違って新発田重家が反乱を起こさずに蘆名家への睨みを効かせており、その介入を防いでいる事が最大限に影響している。
 背後の伊達家、蘆名家の動きもあったが故に史実では織田家に対して戦力を集められなかったし、兼続が動けるという余力がなかった。
 軍勢を自由に動かせない要因でだった主な原因の全てが取り払われ、更には越後の安定と佐渡を得た現状の上杉家の状態は俺が思うよりも余程良いらしい。
 実際に兼続も盟友である狩野秀治に委任出来る現状ならば、自分が暫しの間離れていても問題はないと言っている。
 意外に知られていないが、天正年間の中頃の兼続の政策は秀治との共同でのものが多い。
 景勝を支える家臣の中では群を抜いて知名度の高い兼続ではあるが、その根底には秀治と共に励んだ事が執政としての手腕に影響しているのは間違いないだろう。
 兼続が秀治が景勝の傍に居るのであれば大丈夫だと言っているのも納得出来るものがある。
 それに歴戦の猛者である斎藤朝信らを始めとした人物が率いる軍勢は織田家の北陸方面を担当している柴田勝家の軍勢にも決して劣らない。
 主力を始めとした上杉家の軍勢は先代の謙信の頃より精強であり、織田家よりも数には劣るが個々の練度や戦力では勝っている。
 織田家を代表する猛将である勝家も流石に備えを整えた上杉家の軍勢を相手にするのは骨が折れるらしく、越中の西部からは先に進めていないとの事。
 破竹の勢いとも言えた織田家の進軍はやはり、伊達家、蘆名家といった奥州の大名の後方での動きがあってこそのものなのだろう。
 現状では伊達家は相馬家に敗れた事により再編する必要性に駆られているし、蘆名家は重家が睨みを効かせている。
 また、史実ではもう一つの問題であった庄内方面も同盟を結んだ戸沢家が抑えた事で最上家のみを警戒すれば良いだけとなっているのだ。
 越後東部の混乱が織田家と交戦していた時期の上杉家の戦力を大きく削り取っていただけにこの差は歴然としていると言っても良いだろう。
 何しろ、状況次第では織田家も上杉家とは和睦せざるを得なくなる可能性もあるのだから。
 史実では在り得なかった早期における越後の安定は周囲が想像する以上に大きな影響力があったのである――――。















「して、盛安様。義重様との御話も成り、庄内、大湊を抑えた今後は如何なされますので?」


 佐竹家に関する細かい話を終え、兼続に越後の治水についての助言を一通りところで次の方針を尋ねられる。
 今の戸沢家は上杉家と庄内で領土を接し、これ以上の南下は殆ど望めない。
 また、北は大湊より更に北上するとなればこれまた、盟友である津軽家と完全に接する。
 安東家の戦力が弱体化した今、為信が動き始めるのはほぼ、間違いのないため、実質的に戸沢家の勢力拡大には限りがあるのだ。
 後は戸沢家の嘗ての本拠地であった雫石の奪還のために南部家と戦う事だが、これも戸沢家か津軽家が安東家を完全に落としてからになる。
 後顧の憂いを断たなくては南部家と事を交えるのは下策に過ぎないからだ。
 兼続が俺の今後の方針に疑問を持つのも当然だろう。


「一先ず、来春までは国力の充実に努め、俺自身は手勢を率いて上洛する予定です」


 だが、半年近くもすれば起こる可能性の高いとある事件を知っている身としてはそれを防ぐか妨害するための手を打つ必要がある。
 そのため、俺としては国力を高め、不在となる間の備えをしておかなくてはならない。


「何故にでしょうか?」


 しかし、先を知らない人物からすれば俺が如何してこのような行動を起こそうとしているかまでは読みきれない。
 流石の兼続でさえも俺の行動方針は意外に思えたようだ。


「鎮守府将軍として、相応しいだけの地力と軍を得ましたからね。朝廷に御披露目すると言ったところです」


 今はまだ、彼の事件の事を伝える事は出来ないため、別の目的である朝廷への御披露目の件を兼続に伝える。
 鎮守府将軍に就任してからの俺の戦歴や勢力拡大については畿内の方にも伝えてはいるが、こういったものは論より証拠である。
 実際に僅か数年以内で名ばかりではないだけの大名になった事を証明するには精兵の御披露目が手っ取り早い。
 とは言っても、本当の目的は京都で起こる政変とも言うべき大事件に備えるのが目的だが――――。


「……成る程、確かに一理ありますな。盛安様の事ですから他にも目的があるものと思いましたが……其方については御聞きしますまい。
 景勝様には盛安様からの感謝の言葉と治水を含めた領内整備の助言を頂いた事を御伝えしておきます」

「……感謝します」


 兼続は俺の様子を見て、本当の目的が御披露目とは別にある可能性に気付いたようだ。
 深い洞察力をも持つ兼続ならば、俺の目的を察する事は容易ではあるだろうが……。
 やはり、若くして景勝の腹心として辣腕を振るっているその人物は伊達ではないらしい。
 実際に俺自身も探る事や、看破する事は得意であっても、自らが策を考じて実行するのは得意とは言い難いし、こういった芸当は利信達の方が向いているくらいだ。
 元々から策士とは程遠い人間である事の自覚はあるだけに兼続のような智謀に優れた人物ならば裏に気付くのは当然である。
 そのため、兼続が俺の本当の目的が別にある可能性に気付きながらも追求しなかった事は有り難かった。
 本来ならば領地を接した盟友である上杉家には詳細を出来る限り伝えるのが普通なのだが、事情が事情である。
 現状の段階で公にする訳にはいかない。
 だからこそ、俺は兼続にも伝えなかったのだ。
 それに兼続の方も尋ねたとしても俺が説明出来ない事を良く理解している。
 俺達はこれ以上の話は無用であるとし、改めて俺が上洛する場合に関する問題点や周囲の大名の動きに関する可能性を考察しあう。
 主に警戒するべきは最上家、安東家、南部家。
 何れも戸沢家と事を交える事になるであろう大名だ。
 特に先の唐松野の戦いによる安東家との関係と雫石を巡る経緯もある南部家とは敵対する以外の道はない。
 唯一、最上家だけが敵対する以外の選択肢が望める可能性があるのだが……庄内を抑えている現状ではそれも難しい。
 現当主である最上義光は庄内を欲しているからだ。
 だが、幸いにして義光は長年に渡って争ってきた最上八楯とは一応の和睦が成立しているとは言えど、完全に従えてはいない。
 ある意味では不穏分子とも言えるこの最上八楯がある限り、戸沢家に対して積極的な軍事行動を起こす事は出来ないのだ。
 それ故に俺と兼続は最上家に関しては最低限の警戒だけで充分だろうと判断していた。
 しかし――――この時、俺はとんでもない事を見落としていた。
 余りにも最上義光という傑物の存在を意識する余りに彼の人物が万が一、動いた場合の事態を想定していなかったのだ。
 兼続の方も俺と同じく義光のが警戒するべき人物であると判断し、俺とほぼ同意見だった。
 皮肉にも義光の手腕により、完全に陰に隠れる形となってしまったある人物の存在に俺達は気付けなかった。
 天正年間の中頃から漸く表舞台に立ち始めた俺達からすれば、名前を聞く事も少ないであろう人物。
 そして、史実でも義光が当主となってからは殆ど動かなかった人物――――。
 彼の人物によって、俺が想定していなかった事態が引き起こされる事になる。
















 ――――1581年10月




 ――――出羽国、天童城





「この通りじゃ。儂の顔に免じて息子に従ってはくれまいか?」


 盛安と兼続が次の方針を話し合って暫く後の頃――――。
 一人の老人がずらりと居並ぶ武将達を前にして頭を下げていた。
 歳の頃は既に60歳を過ぎ、出家しているであろう姿。
 もしかすると、隠居でもしているのだろうか。
 老人は法体姿であり、このような武将達の居並ぶ場には似つかわしくない。
 更には覇気を感じられない空気を身に纏っているかのようなその出で立ちは頼り無さげにも思える。


「……頭を御上げ下され、義守様」


 その中で頭を下げる老人の名を居並ぶ武将の一人が紡ぐ。
 第10代目最上家当主、最上義守
 それが頭を下げている老人の名前である。
 先代の最上家当主である義守は1571年(元亀2年)に出家して栄林と号して隠居していた。
 だが、戸沢家の急激な勢力拡大を目にした義守は最上八楯の力無くしては万が一、戸沢家と事を交える必要性に駆られた場合に対処出来ないと考えていたのである。
 義光も庄内を手中に収めるには戸沢家が邪魔であると判断していたし、最上家にとっては都合の悪い官職である鎮守府将軍に就任している。
 唐松野の戦いで安東愛季を破り、勢力を拡大した戸沢家は既に最上家にとっても脅威と言える段階にまで成長していたのだ。
 そのため、長年に渡って義光と争ってきた最上八楯を嘗ての主君の立場にあった義守が自ら説得し、傘下に迎えようとしている。


「我ら最上八楯は義守様に忠節を誓った身。この天童頼貞、義守様直々の頼みとあらば相手が義光殿であろうとも従いましょう」


 義守の意志を汲み取り、頭を下げる主君の願いに応じる最上八楯の盟主である天童頼貞。
 現状では自らの娘を嫁がせているとはいえ、主君である義守を隠居させた義光には本来ならば従おうとは思わない。
 だが、凄まじいまでの勢いで勢力を拡大した戸沢家の事を踏まえれば、義光に従うという選択肢も考える余地がある。
 頼貞としては戸沢家が最上家に攻め寄せるのであれば、全力を以ってそれに立ち塞がるというつもりで居たのだが――――。
 主君である義守が自ら足を運んで来たとなれば話は別だ。
 今は亡き、兄、天童頼長にも後を託された以上、義守の命とあらば否という選択肢はなかった。


「皆もそれで良いだろうか?」


 しかし、頼貞が従う事を決めたとは言えども八楯はあくまで最上家氏族の集まった連合でしかない。
 盟主が方針を表明したとしても反対する事は出来るのだ。


「聞かれるまでもない。頼貞殿が義守様に従って、義光殿の下に行くのならば当然、この延沢満延も共をさせて貰おう」


 だが、頼貞と同じく義守に忠節を誓った身である八楯は全員が従う事に決めていたらしく、一同を代表して延沢満延がそれを表明する。
 延沢満延は最上八楯の中でも剛勇で知られる人物であり、出羽国……いや、奥州全体でも随一と言っても良い勇士である。
 満延は戸沢家の矢島満安と真っ向から戦う事の出来る奥州内でも唯一の人物とでも言うべきだろうか。
 義守が最上八楯を何としても義光の味方としたいと考えた背景には満延の存在も大きい。
 悪竜の異名を持つ、満安を抑える事が出来なければ戸沢家と正面から戦う事は出来ないのだ。
 無論、義光の家臣達にも優れた武将達は居るが……それでも満安と打ち合うには役者が不足している。
 如いて言うなら、満安ともまともに打ち合えるであろう武将の名を上げるとすれば義光本人であるが、これは博打でしかない。
 今の最上家は義光の手腕があってこそ、出羽国でも随一の大勢力を持つ大名として君臨しているのだから。
 義光を失う事は最上家の崩壊にも結び付き兼ねない。
 事実、史実でも義光亡き後の最上家は御取り潰しの憂き目にあっているだけに義守の目の付けどころは間違っていないと言える。
 圧倒的な武勇で戦場を制する満安を自由に動かさせないためには満延ほど適任な者は居ないのだから。


「……皆、すまぬ」


 八楯全員が従う事を表明してくれた事に義守は感謝の念を込めてもう一度頭を下げる。
 義光との争いが原因で現状のようになってしまっているのに。
 旧主の義守からの頼みという理由で従ってくれる八楯の面々には感謝してもしきれない。
 義守は頼貞、満延らの力があれば戸沢家と事を構える事になろうとも優位に立てるであろう事を確信する。
 最上八楯の戦力はそれほどまでに強大なものなのである――――。















 史実では動く事の無かった最上義守が動いた事によって最上八楯は天童頼貞の存命時に正式に傘下へと収まった。
 頼貞は天文の大乱を含めた奥州での数多くの戦を戦い抜いてきた歴戦の名将。
 その力量は最上家と敵対するようになってから一度たりとも負けた事がないという経歴が全てを証明している。
 また、延沢満延を始めとした八楯に属する一癖も二癖もある者達を束ね上げている事からも只者ではない事は明らかだ。
 正に頼貞はこれからの最上家に必要な人物であり、是非とも家臣として迎えたい人物。
 皮肉にも史実では成し得なかったこの頼貞の服従は戸沢家の勢力が強大なものとなったが故に在りえた事。
 それに加え、動かないはずの義守が動いたのも積極的な軍事行動を見せた盛安を警戒しての事だからつくづく解らない。
 しかも、義守と最上八楯の関係については盛安と兼続といった天正年間で表舞台に出てきた武将達には知る由もない事であった。
 但し、盛安に関してはそれに気付く可能性もあったのだが――――。
 盛安は最上家中における義守との確執や複雑な立場を知っていたために義守が動く事は無いだろうと判断していた。
 後、僅かな期間にまで迫った大事件の事と別の人物の動きの警戒に意識を裂いていたため、其処まで考えが及ばなかった可能性もある。
 何れにせよ、誰かが操っているかのように戸沢家、上杉家の穴を突いたかのような一連の動き――――。
 全ては唯一人の人物が裏で手綱を握り、動かしていた。
 歴史の先を知っているはずの盛安の目を欺き、兼続が若いが故に知りえない部分があるという欠点を突いた彼の人物。
 そして、盛安の今までの構想を全て打ち崩すに至る人物――――。













 その名を――――最上義光と言う。














#あとがき

御久し振りです、FINです。
何とか更新する機会がありましたので、こうして最新話を掲載させて頂く次第です。
私自身の方はまだ、それほど自由に出来る状態では無いので更新速度に関しては不定期な状態が続く事になりますが……。
今回のように機会がありましたら出来る限り更新しようと思う次第です。

皆様には御迷惑をおかけするかとは思いますが、今後もどうぞ宜しく御願い致します。



[31742] 夜叉九郎な俺 第60話 出羽の驍将
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/12/01 12:38




 ――――最上義光




 最上家第11代目当主。
 出羽の驍将羽州の狐等の異名で知られる出羽国南部随一の実力者で、その名を知る者は遠い先の時代でも数多い。
 義光は権謀術数を駆使して最上家を一大勢力にまで育て上げた知将であり、内応、暗殺、縁組といった幾多の駆け引きに長ける人物。
 一筋縄ではいかない人間でありながら、智、仁、勇を兼ね備えた名君としても名高く、出羽国どころか奥州でも屈指の傑物である。
 だが、そんな義光も若き日は父親である義守に疎まれ、不遇の日々を送っていた。
 如何にも義光の在り方は義守とは合わなかったのだ。
 義守は若干2歳という年齢で最上家当主となった経緯もあってか、最上八楯を始めとした一族や国人達の力を借りて勢力を保持しようとしていた。
 それに対して義光は自らの力で敵対勢力を排除して勢力を拡大しようとしており、義守とは根本的に主義が合わない。
 謂わば、保守と革新の差であると言うべきだろうか。
 若き日の義光が疎まれていたのは義守との大きな考え方の違い故のものであったのだ。
 しかし、御家騒動の末に義守から家督を継承して10年近くの月日が流れた現在――――。
 身を以って自らの在り方が正しかった事を証明した義光の器を見た義守は二度と口出しする事は無く、当主としての立場を勝ち取った義光は着実に勢力を拡大していた。
 妹である義姫が嫁いだ伊達家とは表向きは盟友と言う曖昧な関係を保ちつつ、敵対する豪族を次々と攻略する。
 瞬く間に、と言うべき速度で出羽国南部随一の勢力を築き上げるその動きの背景には嘗ての羽州探題である最上家の当主に相応しいだけの力を見せ付ける事にあった。
 義光は出羽国における羽州探題の持つ影響力の強さを良く理解していたからである。
 だが、織田信長によって室町幕府が無実化し、更には盛安が鎮守府将軍に任じられた事で今までの行動の大半が否定されてしまった。
 しかも、盛安は予てより義光が欲していた出羽国の要の地の一角である庄内を先んじて平定したのである。
 更には出羽北部随一の勢力を持つ安東家との戦に勝利し、湊安東家を切り離す事にも成功している。
 これには流石の義光も驚き、将来的に戸沢家が伊達家以上の壁となる事を実感した。
 鎮守府将軍に就任したとはいえ、20歳にも満たない若者でしか無いと盛安の事を見ていたが……最早、それどころではない。
 義光は家督を継承して以来の盛安の動きの意味を察しているからこそ、尚更そのように思う。
 このまま、盛安が更なる拡大を目指すならば、上杉家との同盟の事もあり、確実に睨み合う事になる。
 何も手を打たないで居れば最上家は敵に囲まれてしまうのだ。
 最低限でも何かしらの楔を打ち込まなくてはならない。
 そのために義光は義守に助力を頼むという意外な手段に出た。
 戸沢家と事を交えるのであれば最上八楯を従える以外の手段は無いのだから。
 こうした思いもよらない選択肢を見つけ出し、躊躇う事なく決断する事が出来るというこの事こそが義光の持ち味。
 正攻法で動く盛安とは対照的に搦手で動く事で本領を発揮するのが最上義光という人物であった。















 ――――1581年10月下旬





 ――――山形城





「これで、まず一手だ」


 義守が最上八楯が傘下に収める交渉を成功させた報告を聞き、義光は手に持っている扇子を軽く鳴らす。
 此処までは予てよりの構想通りだ。
 今から約10年程前に起こした御家騒動以来、最上八楯とは敵対してきたが……その旗頭であった父ならば従える事が出来る。
 それに今は此方が天童頼貞の娘を娶っている身。
 一応の和睦は成立しているのだから、対外的にも傘下に収めるという事に違和感はない。
 尤も、義守と自分の確執の事を知っている人間であればあるほど、これに気付く事はないだろうが。
 義光は盛安の裏をかく事に成功した事を確信しつつ、笑みを浮かべる。


「御見事です」

「ふん……この程度は大した事はない。守棟ならば造作もない事だろうしな」

「……そう言われては敵いませぬな」


 義光の思う通りに事態が推移している事に感嘆しながらも、その問いかけである苦笑するのは氏家守棟。
 最上家中でも智謀に優れた人物として名高く、父親である氏家定直が義光の家督継承に尽力しただけに信頼は厚い。


「して、義光様。八楯が降った事により状況は大きく好転する事になりまするが……次は安東愛季殿を動かすのですか?」

「うむ。戸沢との戦で負った傷も落ち着いたとの事らしいからな」


 守棟は義光の次なる手を察し、安東家を動かそうとしているか否かを尋ねる。
 先の唐松野の戦いで負傷した愛季は盛安が領地の整備に専念している間に傷を癒していた。
 傷が回復するまでは暫しの時が必要となったが、盛安が大湊を抑えた段階で動きを止めた事が幸いしたのか療養に努める事が出来た。
 その甲斐もあってか、愛季は離反した湊安東家を討伐するための準備を進めているという。


「成る程……安東殿が動けば戸沢殿は軍勢を動かすしか無くなるという筋書きですか」

「その通りだ。また、俺が見たところ盛安は足場を堅める傍らで軍勢の準備も進めているようだ。現状は此方に矛先を向けてくるとは限らないが……。
 何かしらの目的があるように思える。流石に何を目的としているかまでは解らぬが、な」


 ならば、それを利用して戸沢家の軍勢の一部を分断させ、戦力を少しでも減らす。
 先の戦の結果を知っている義光は戸沢家の軍勢の強さが本物である事を認めていた。
 何しろ、愛季自らが率いている軍勢が相手であるにも関わらず勝利したのだから。 
 しかし、義光にも盛安が何を考えて準備を進めているかまでは解らない。
 最上家と戦うための準備をしていると思えば違和感は全くないがのだが、鎮守府将軍のように思わぬところに目を付けた盛安が何も考えていない事は在り得ない。


「となれば、戸沢殿が動くよりも先に此方が動くべきですかな。少なくとも、雪解けまで大々的には動かないでしょうから其処を狙うのが宜しいかと」

「……うむ。そのように思っていた」


 それに念入りに下準備をしている現状を踏まえると年明け早々から動き出す可能性もそれほど高くはない。
 如何も不自然な部分が目立つような気がするのだ。
 最上家攻めを前提として準備を進めるのであれば上杉家との連携をもっと活用してくるはずだからである。
 また、津軽家と歩調を合わせて安東家を完全に滅ぼす選択肢だって存在する。
 義光が矛先が最上家に向くとは限らないと判断したのはそのためである。
 盛安の動きが如何に動くが解らない――――故に義光は機先を制すべきだと判断しているのだ。


「何れにせよ、盛安とは一当てしてみらねば解らぬ。若いにも関わらずあれだけの力を見せているのだから侮れる存在ではない。
 正直な話、我が甥の不甲斐なさと比べると末恐ろしくもある」


 今までの盛安を見てきた限り、義光を以ってしても器がどれほどの者か計りきれない。
 唯、はっきりしているのは傑物である事だけ。
 僅か数年で出羽国でも最上家に匹敵する段階にまで上り詰めたのだからその器量に疑う余地は全くない。
 義光は盛安の得体の知れない何かを感じ取りつつそのように思う。


「政宗様ですか」

「……少しは期待していたのだがな。まさか、佐竹の後取りに遅れを取るとは」


 それに対して初陣を果たした甥、政宗の惨憺たる結果に義光は落胆を隠せない。
 勝てるはずの戦であった相馬家との戦に佐竹家が介入した事で結果が大きく変わってしまった事はまだ良い。
 だが、佐竹義宣に遅れを取ったのは伊達家の後継者としては非常に問題である。
 義宣にも伊達家の継承権があるからだ。
 現当主、輝宗の妹の息子である義宣は佐竹家の後継者でありながら、伊達家の一門衆なのだ。
 しかも歳が若い事もあり、次代を担う者としての期待をされている。
 これは政宗の方にも同じ事が言えるのだが、直接対決という形で義宣に敗れたとあっては大問題でしかない。
 戦場における武将としての潜在的な器は義宣の方が優れていると証明してしまったのだから。


「……まぁ、こればかりは育った環境の差もあるのかもしれんがな」

「坂東太郎、鬼真壁、太田三楽斎……彼の人物達から直々に手解きを受けているとなれば確かに否定は出来ませぬ」

「だが、政宗めは頭が良く回る。戦は得手では無くとも、策士としては向いているかもしれん。これから次第と言ったところだな」

「そうですね……」


 しかし、政宗の本質は戦場における分野ではなく、謀略といった部分にあると判断する義光。
 幼い頃に疱瘡を患い、片目を失った政宗は戦場で陣頭に立って戦うには大きく不利を被っている。
 武勇で知られる武将達からの薫陶を受けている義宣とは違うのである。
 唯、政宗に資質がある事は義光の眼から見ても明らかであり、次代を担う人物の一人である事は間違いない。
 此処からも化ける可能性が充分にあるのだ。 
 新たな敵と成り得るであろう盛安と政宗の事を思いつつ、義光は奥州に新たな将星が輝く事になる事を確信するのであった。















「義光様。光直様を御連れ致しました」


 盛安と政宗の話が終わり、今後の戸沢家に対する戦略を考える事、暫し後――――。
 今まで席を外していた腹心である志村光安が義光の実弟である楯岡光直を伴って戻ってくる。
 光安と光直は共に17歳で最上家の次代を担う者として期待されている者達。
 義光も最上家の将来を背負っていく事の出来る人物として2人には何かと目をかけており、自らの伝えられる事の多くを教えている。


「入れ」


 此度も戸沢家に対する戦略で重要な立ち回りを要求する事になるだろうと言う事でこの場に招いたのだ。


「ははっ」

「失礼致します」


 入るように促すと2人は臆する事なく、義光の傍に控え腰を落ろす。
 何故、義光が呼んだのかを既に理解しているようだ。


「兄上、父上に八楯の交渉を委ねたと言う事は時が近いのですね」

「……うむ。後は愛季と繋ぎを取り、戸沢の軍勢を分断するよう手筈を整える」

「しかし、戸沢を攻めたとなれば上杉景勝が黙ってはいないと思いますが……?」


 光直は義守が動いた事で急速に勢力を拡大する戸沢家と矛を交える時が近い事を読み取り、光安はその際に問題となるであろう上杉家についての問題を指摘する。
 考えている次の行動と懸念点を読み取った2人に義光は内心で笑みを浮かべながら応じる。


「其処は織田信長公が派遣した柴田勝家殿の北上する動きを利用する。既に輝宗殿の繋ぎを借りて手を回してある」

「成る程……流石は兄上。そうなれば、警戒すべきは本庄繁長だけとなりますね」


 幾ら精強で知られる上杉家の軍勢であっても北上を続ける織田家との戦の合間となれば余裕があるとは言えない。
 唯一、戸沢家を助力出来る軍勢は庄内で領地を接する本庄繁長の軍勢に限られてくるのだ。
 歴戦の猛将と名高い繁長が援軍に来るとなれば苦戦を強いられる事は避けられないが、それでも景勝を含めた本隊が援軍に来るよりは余程マシである。
 

「ですが、繁長殿の下には彼の御坊が居ります。義光様の手の内を既に読み取っているのでは?」


 しかし、光安は繁長の傍に仕えている一人の僧の存在を懸念していた。
 繁長は猪突猛進を地で行くような人物であり、謀に陥れてしまえばそれほど怖い存在ではない。
 だが、繁長の傍には神算鬼謀の頭脳を持つ事で知られる名僧が居り、幾度となく義光の行く手を阻んできた。
 まるで、義光の手の内を尽く読み尽くしていくかのように。
 この僧の存在が単純な気質の繁長の隙間を埋めているのだ。
 光安が恐れているのは彼の僧が盛安に義光の動向を伝えた場合の事。
 義光の戸沢家に対する戦略は的を射ており、最上八楯を従えるという搦手とも言うべき手段までも用いている。
 それだけに繁長と戦う可能性がある事の危うさを説いたのである。


「確かに光安の申す通りだ。繁長めの下に居る御坊ならば此方の動きも読み取っているだろう。しかし、御坊はあくまで”上杉に仕える繁長の軍師”でしかない。
 盛安に直接、情報を伝えるような勝手な真似が出来る立場では無いのだ。懸念すべき相手ではあるが、あくまで盛安と戦う場合に限れば脅威とはならん」


 義光は光安の言い分を肯定しつつも、僧があくまで繁長に仕える者でしかないという点を告げる。
 あくまで陪臣でしかないその身には戸沢家と直接やり取りを行う術が無い事を知っているからだ。
 それに名僧として知られる身である事が更に足を引っ張る事になり、彼の僧が動けば義光の下にも情報が回ってくる。
 高名であるが故の弊害とでも言うべきだろうか。
 僧が義光の動きを読み取るのに対し、義光もまた僧の動きを読み取る事が出来るのである。


「ですが、警戒せねばならない人物ではある事は間違いありません。兄上、それだけは御心に留め置き下さい」

「……解っている」


 だが、光直の言う通りに警戒するべき人物である事は相違ない。
 織田家、安東家といった影響力の強い大名の動きを活用し、間隙を突く形で戸沢家と相対する際には背後に不安を抱える事になるからである。
 しかし、盛安が最上家以外との戦の準備をしているとなれば話も大きく変わる。
 あくまで安東家との決着を付けるのであれば上杉家の援軍は必要ないからだ。
 盛安の本当の目的が何処にあるのかが解らない以上、上杉家もまた不確定な存在でしかない。
 義光は雪解けの季節まで暫しの時間がある事を幸いとし、じっくりと判断していくべきだろうと判断するのであった。















 こうして、出羽の驍将と謳われる知将、最上義光が静かに動き始める。
 多方面からの角度で物事を推察し、広い視野で策を練り上げる義光の動きは搦手が多く、並の人間では到底、思いもよらないものであろう。
 それ故に盛安も義光と戦う事だけは最大限の準備を行い、備えておこうと考えていた。
 だが、皮肉にも『先を知っていると言う点』が盛安の判断を大きく鈍らせる。
 今の盛安にとっては義光よりも強く意識を向けなければならない出来事が後に控えているからだ。
 先を知るが故に如何しても手を打とうと寡作するのはやはり、遠い先の時代を知るからか。
 盛安が焦るのも無理はない事かもしれない。
 天下を揺るがす彼の事件――――本能寺の変が起こるその日までは既に残り10ヶ月を切っていたのだから。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第61話 甲斐姫の憂鬱
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/09/01 20:07





 ――――1581年11月




 ――――白河城





 相馬義胤殿からの要請で出陣した義重様に従い、迎えた初陣から約8ヶ月。
 盛安様との婚姻が正式に決まった私は奥州の情勢を見極めるために白河城に滞在させて貰っています。


(本能寺の変まで、もう残り半年と少し……盛安様は如何するつもり?)


 金山、丸森を巡る戦いを終えた後の奥州の動きを自分なりに考えてみたけれど、盛安様の思惑は本能寺の変に向いているのは間違いない。
 湊安東家を傘下に加えて、檜山安東家と再び分裂させた後は領内の整備に従事していたから。
 これは多分、盛安様が自分が不在であっても領内の経営が回るようにと考えているからこそのもの。
 もし、本能寺の変が史実通りに起こるとするのなら、私達のように先を知っている人が介入しなければ歴史を変えられない。
 盛安様は奥州の歴史が変わっても、畿内の歴史までは流石に変えられない事を自覚しているんだと思う。
 例え、鎮守府将軍の官職が後の江戸幕府の成立を妨げるものであっても、信長公の末路を変える事は出来ない。
 だけど、本能寺の変の時に史実の時とは違うイレギュラーが存在したとしたら――――?


(少なくとも過程か結果のどちらかくらいは変わるはず)


 と、私はそう思う。
 いや……寧ろ、一度上洛した時に盛安様は布石を打っているかもしれない。
 誰かに万が一の事態が起きた場合に如何に動くべきであるかと言う事を。
 私の知る彼の気質からすれば、それは間違いない。
 幾つかの手を打っているのは私でも容易に想像がつく。


(でも、盛安様の近くにはあの最上義光殿が居る。しかも、今は領土も接している段階だから……)


 盛安様本人が動くのは博打に近いかもしれない。
 確かにクーデターとも言うべきあの事件に対してその身一つで動くとも考えられない。
 現在、軍勢を準備しているとの話も聞いているけれど……きっとそれは事件に備えてのもので。
 軍を率いて、信長公に降りかかる火の粉を払おうとしているんじゃないかと思う。
 だけど、軍勢を動かした状態で領地から出るのは義光殿に絶好の機会を与える事になる。
 勿論、盛安様の事だからそれを前提として領内の整備や足場を固めているんだろうけど……。
 相手が義光殿である限り、安心は出来ない。
 幸いにして盛安様は義光殿が調略しそうな豪族を全て排除しているので寝返り等は心配はないけれど……。


(何処か見落としがあるような気がする)


 幾ら対策を練っていても何処かに穴がある可能性を否定しきれない。
 私達では到底、気付かないような抜け道を義光殿ならば持っていそうだから。
 それに盛安様の配下にはそういったものを看破出来る策士が一人も居ない。
 如いていうならば、盛安様本人が智謀に優れた人なのだけど……正攻法を重視する気質のせいか搦手の対処が上手いとは言えなくて。
 本格的に義光殿と渡り合う事になれば、分が悪いのは盛安様の方になる。
 それが例え、軍事力で勝っていたのだとしても。
 出羽の驍将の異名を持つ、義光殿の恐ろしさは途方も無いものがあるし、家臣の氏家守棟殿らも怖い存在。


(しかも、盛安様も本能寺の変の方に意識を向けているから……)


 些細な動きしかしなかった場合または意外な一手を打ってきた場合だと盛安様が気付かない可能性は高い。
 本当は今すぐにでも盛安様の助けになりたいけれど、流石に其処までは私も勝手に動く事は出来なくて。
 まだ、多少の時間はあるはずなのに如何も嫌な予感が拭えない。
 私の予感が外れてくれれば良いのだけど――――。















「甲斐殿。遠く北の方角を見つめて何を考えているのですか?」


 私が盛安様の事で物思いに耽っていると、何時の間にか近くにまで来ていた人物が声をかけてくる。
 近くに来ているのは私よりも3つほど歳下の7歳前後の少年。
 まだ、幼いと言っても良い年齢だけど早くから白河を治めるために教育をうけているためか、聡明そうな雰囲気を纏っている。


「義広殿……」


 この少年の名前は佐竹義広殿。
 現在は白河家の養子となって家督を継承している身で白河義広と名乗っています。
 史実では後に蘆名家の当主となる事で有名だけど……。
 如何も従兄である伊達政宗殿に摺上原の戦いで敗北した人物としての印象が強いためか、今一つ評価されていない。
 だけど、実際は江戸幕府成立後の角館の領内整備を行った政治家として名高く、義重様の子として恥じない人物。
 蘆名家の家督を継承していた時は家中を掌握出来ていなかった事から先の時代でも暗愚と思われているのが残念です。


「私には甲斐殿が戸沢殿の事を御考えである事しか解りません……。兄上のように察しが良い訳ではありませんので」

「いえ、こうして滞在させて貰っているのは義広殿の気遣いがあってのものです。……感謝します」


 私の様子を見かねて義広殿が気遣ってくれる。
 お兄様である義宣殿も気配りの出来る人だけど、弟の義広殿もそれは同じで。
 人の良さは兄弟譲りなのかもしれない。


「構いません。奥州の情勢を見極めるのは奥州の入口とも言うべき、この白河の地が最も適しているのは私も理解していますから」


 義広殿は柔らかく笑みを浮かべながら私と同じく北の方角を見据える。
 盛安様の活躍は義広殿も良く理解しているみたい。
 私達よりも歳下であるにも関わらず、奥州の入口である白河を任されているだけはある。


「しかし、甲斐殿は何を御悩みなのですか? 戸沢殿ほどの御方なら心配するような事は無いようにも思われますが……?」


 如何しても不安が過ぎる私とは違って、義広殿は盛安様の将器を信用しているのか心配する事は無いのではと言う。
 確かに破竹の勢いで勢力を拡大し、領内の統治に関しても非凡な才能を見せている盛安様は義重様と同じく、英傑としての器がある。
 戦場では夜叉九郎、鬼九郎と呼ばれ恐れられるその姿も坂東太郎、鬼義重と呼ばれる義重様にそっくり。
 10代半ばにして、猛将として奥州全土に知れ渡っているその名は新たな時代の旗手として相応しいだけのもの。
 義広殿が盛安様の事を高く評価しているのはやっぱり、義重様の息子だからなのかもしれない。
 

「うん……盛安様なら余程の事が無い限り、大丈夫。でも……」

「何かが起こるかもしれないと言う事ですか?」

「……はい」


 だけど、義広殿も何かが起こる可能性を少しは考えていたみたいで。


「と、なれば……最上殿の動き次第ですか。確かにあの方の事を考えれば甲斐殿の危惧も解ります」


 流石に義宣殿には敵わないけれど、義広殿の洞察力も侮れない。
 義光殿が起点になる事をしっかりと見抜いている。
 まだ、幼いのに奥州を良く見ている義広殿の姿を見て、私は思わず頬を緩めるのでした。















 私の危惧している事に興味を示した義広殿に幾つかの問題点を説明していく。
 話の起点になるのは盛安様が安東家攻め以来から、全く動かない事から。
 まず、これについては盛安様が目的である大湊を抑えた事が原因。
 酒田、大湊は奥州で最も交易が盛んな町で経済価値も非常に高い。
 多数の河川がありため開発しやすく、鉱山、油田を保有する恵まれた領地を持つ、戸沢家の唯一の欠点は海が無いという部分。
 それを補うのが酒田と大湊の町。
 また、酒田の町のある庄内方面は奥州でも屈指の肥沃地帯で、此処を抑える事で一気に戸沢家は石高を増やす事にも成功しています。
 勢力の地盤としては充分すぎるほどで、もしかすると内高にすると50万石を超えているかも。
 今となっては最上家、伊達家にも追い付きつつあり、南部家にも対抗出来る。
 出羽北部の最大勢力であった安東家に勝利した事で今の戸沢家は大勢力と言っても良いくらい。
 でも、此処まで勢力が拡大したからこそ、最上家や伊達家といった勢力に気を付けなくてはいけない。
 両家とも鎮守府将軍とは相容れない官職である探題の家柄なのだから。
 幸いなのは現状の状態だと伊達家は相馬家との戦いに敗れ、南奥州における勢力が弱体化し、軍の再編を求められている事。
 特に相馬盛胤殿に討ち取られた亘理元宗殿を失ったのが大きく、伊達家は軍事における主柱を失っています。
 伊達成実殿、片倉景綱殿、鬼庭綱元殿といった後に”伊達の三傑”と呼ばれる人物達は実績が足りないため、元宗殿の代わりには成りえない。
 傍目から見てもそれは明らかなので、一先ずは伊達家に関しては戸沢家と関わる事はありません。
 だけど、この事が逆に最上家が動きやすくなっている原因の一端になっています。
 両家の現当主である義光殿と輝宗殿は義兄弟の間柄でありながら、互いに警戒しあう関係で信用も信頼もそれほどしていない。
 そのためか、いま一つ同盟関係にあるにしては互いに足を引っ張っている部分がある。
 でも、輝宗殿の方が動けない今、義光殿に枷は無くなっていて。
 上杉家、小野寺家、最上八楯と敵対勢力は絞られています。
 このうち、上杉家は戸沢家と同盟関係にあり、小野寺家は和睦している状態。
 最上八楯に至っては義光殿とは相容れない関係にあるためか、最上一族でありながら敵対という状態。
 これだけ見れば、盛安様が警戒するべき相手は檜山城を拠点に戦力を残している安東家と古くから戸沢家と敵対している南部家になる。
 此処まではある程度の範囲ではあるけど、義広殿も解っている事みたいで、盛安様なら大丈夫では、と言っている根拠でもあるみたい。
 事実、私も盛安様が本能寺の変に向けて準備を行なっているだろうという事に関しては特に疑問も持たなかった。
 勢力基盤も出来上がっているし、鎮守府将軍になった後の軍勢の御披露目という理由で上洛するなら家臣達の反対も余り無いと思う。
 だから、雪解けの季節を見計らって動けば本能寺の変にも何とか間に合わせる事が出来る――――。
 私は本能寺の変に関係すると思われる部分を除き、義広殿に細かく解説していく。


「成る程……最上殿以外にも警戒しなくてはいけないのですね」

「ええ、そうです。まだ力を残している安東家と戸沢家の宿敵である南部家の動き次第では解らなくなります。盛安様の事ですから備えは残すでしょうけど……」


 私が説明した内容で自分が気付いていなかった部分に納得する義広殿。
 流石に安東家と南部家については意識が届かなかった部分があるみたい。
 特に安東家に関しては一度、盛安様が直接対決に勝利しているだけあって勢力は弱体化しているから尚更で。
 年齢の幼い義広殿にはそれほど、脅威には思えなかったみたい。


「盛安様の行動の隙を突いて安東愛季殿が再起を計ってこないとは思えません。盛安様が領内整備を行ったように愛季殿も立て直したでしょうし」


 だけど、政治家としても策士としても一流である愛季殿が健在である限り、弱体化した安東家も充分に脅威と成り得ます。
 もしかしたら、義光殿と連携して動く可能性だって否定出来ないのだから。
 盛安様が本能寺の変へと意識を向けている今なら密かに最上家と安東家が盟約を交わす事も難しくない。


「後の問題は南部家ですが……此方は津軽家が動きを見張ってくれるので、対処は比較的しやすいと思います。……あくまで比較的ですが」


 もう一つの問題である南部家だけど……此方は為信殿との同盟があるから対応はしやすい。
 でも、南部家が小野寺家の領地である横手方面から攻め込んできたら、為信殿の存在があっても戸沢家に侵攻する事は出来る。
 盛安様ならこの辺りにも気付いていると思うから、恐らくは大丈夫だろうけど。


「むむ……流石です、甲斐殿。兄上や父上ならば此処まで推察出来たでしょうが……私ではそうはいきませんね」


 一通りの解説が終わったところで関心した様子で頷く、義広殿。 
 義重様や義宣殿のようにはいかないとは言いながらも話の大筋は理解したみたい。
 私としても今の奥州の状況を再確認する意味でも義広殿に説明したのは良かったと思う。 
 盛安様の意図が読めていても、不確定要素となる部分は多々あるのだから。
 唯一の救いは最上八楯が義光殿と敵対しているから、最上家が直接的な軍事行動を起こしにくい事。
 史実では現在の盟主である天童頼貞殿が亡くなるまで支配下におく事はありません。
 これがあるから盛安様は本能寺の変に向けての準備が出来るのだと思う。
 でも、私は一つだけ前提が全て覆る可能性がある事を危惧していた。
 その可能性というのは、最上八楯が頼貞殿が健在の間に義光殿に従う事。
 義光殿との関係性からすれば、限りなく低い確率ではあるけれど……これが現実になってしまうと如何なるか読めなくなってしまう。
 だから、私は如何しても嫌な予感が拭えなかった。
 盛安様の事は信じているけれど、それでも不安なものは不安で仕方がなくて。
 唯々、私は盛安様が無事に本懐を成し遂げられる事を祈る。
 どうか、彼が無事でありますように――――と。
 出羽国の方角を見据えて私は盛安様の事を想う。
 だけど、本能寺の変という大事件の結末を変えようとする盛安様を嘲笑うかのように私の祈りは届かない。
 それが明らかになるのは今から数ヵ月の後。
 ちょうど雪解けとなる季節の事でした――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第62話 斗星と三日月
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/09/08 21:59





 ――――1581年12月





 ――――檜山城





「何? 義光殿から密書が届いただと?」


 戸沢家が安東家との決戦に勝利し、出羽北部での最大勢力となった1581年(天正9年)も終わろうとしている。
 唐松野の戦いから約10ヶ月の時が経過し、長らく療養に努めていた愛季は義光からの意外な書状に驚きの様子を見せていた。


「はい。如何致しましょう?」

「うむ……早速、目を通させて貰う。密書という形を取ってきた以上、重要な話であるのは確実だからな」

「畏まりました」


 義光からの書状を政直から受け取り、愛季は全体に目を通す。
 書かれていた文面は雪解けの季節を見計らって戸沢家に攻め込むので、安東家にも呼応して欲しいと言う事であった。
 これだけならば愛季は取るに足りない事であると思ったが、書かれている内容を更に読み込むと意外な事が書かれている。


「成る程、義光殿は先代の力を借りて最上八楯を降したか。確かに唯一の手段であるな」


 愛季は義光の根回しの周到さに感心しつつも納得する。 
 最上八楯があくまで先代の義守に従っている者達である点を突いた方策は見事に的を射ていたからだ。
 愛季も急速に勢力を拡大した戸沢家に対抗するには八楯の力が如何しても必要になってくる事を考えていただけに義光とは同じものを見ていたらしい。
 それほど、面識があるわけでもなかったが、愛季は義光の今後の方針が自分と一致しているのが嬉しく思えた。


「政直、私は義光殿の提案に乗じようと思う。今の戸沢家に勝つにはそれが上策だ」

「確かにそれしかありませぬが……大丈夫なのですか?」

「義光殿はああ見えて仁義に厚い人物だ。政直の心配するような事はあるまい」


 謀略家として名高い義光からの書状なだけに警戒している政直に対し、愛季は首を振ってその必要は無いと応える。
 長年に渡って出羽北部に君臨してきた者として義光の裏の思惑を読み取る事などそう難しい事ではない。
 それに愛季は義光の性格を良く知っている。
 非情に徹する事が出来る人物でありながら、妹である義姫には頭が上がらないなど、何処か人間味のある人物。
 奥州随一の智謀の持ち主ではあるが、畿内で鬼謀の持ち主として恐れられた松永久秀と言った人物らとは違う。
 そのため、愛季は義光が持ちかけてきた話については特に疑う必要は無いと判断したのだ。


「一先ず、雪解けを見計い、此方も湊城の奪還のために動く。道季らについては……離反した以上、実の甥であろうと容赦はせぬ。政直もそのつもりで居るようにせよ」

「ははっ!」


 愛季の判断に恭しく頭を下げる政直。
 先の唐松野の戦いに敗れたとは言え、斗星の北天にさも似たりと称される愛季に陰りは見られない。
 寧ろ、再び斗星は天に昇ったと言うべきだろうか。
 義光に呼応し、盛安に報復する事を決断したのはそれの現れだろう。
 今一度、立ち上がった愛季の姿に政直は改めて、主君を誇りに思うのであった。















「此度は蠣崎家にも兵を出すように伝える。恐らくは息子である慶広が反対するであろうが……。季広ならば、それを振り切ってでも出て来るだろう。
 蠣崎家との軍勢を合わせれば、勢力を拡大した戸沢家であろうとも戦える。問題は津軽家だが……此方に関しては義光殿が更に手を打つようだ」

「おお……」

「南部家でも動かす可能性が高いと私は見るが……流石に其処まで確実とは言い切れぬがな」


 最上家の動きに同調する事を明らかにしたところで愛季は更に蠣崎家も動かすという方針を示す。
 現在の安東家の戦力は湊安東家が離反した事で勢力は弱体化しており、戸沢家と戦うには蠣崎家の戦力が必要不可欠だ。
 後は配下の安東水軍を動かして酒田の町に牽制をかける事で庄内を任されている戸沢盛吉や大宝寺義興の動きを抑える事が可能である。
 問題は上杉家の援軍までは妨害する事が出来ない事であるが……戸沢家の戦力が最上家に全て向けられないのであれば、援軍を得て漸く互角と言ったところだろう。


「だが、盛安の戦の才は尋常なものではない。義光殿を以ってしても難しいだろうな」


 しかし、異常とも言える戦の才覚を持つ盛安が相手では義光でも厳しいと思う。
 騎馬鉄砲と言う特異な戦術を編み出し、雑賀衆特有の戦術をも兼ね備える盛安の軍勢は兵力の過多が戦を決めるものでは無い事をまざまざと証明している。
 事実、兵力で勝っていた唐松野の戦いは此方が敗北したのだから。


「むむ……その通りにございます」


 政直も雑賀衆の前に一気に押し切られた事を思い返す。
 高い火力に加え、常識を覆す運用方法で鉄砲を駆使する雑賀衆の軍勢。
 その脅威を現実に体感した政直はあの時の光景を思い出し、背筋が震える。
 砲撃をしながら、軍勢を入れ替えつつ、早合を行うなど正気の沙汰じゃない。
 小雲雀の異名を持つ、的場昌長が率いる雑賀衆の軍勢だからこそ出来るものである思いたいくらいだ。


「だからこそ、長年に渡って争ってきた南部家の力も借りたいところだが……こればかりは私からは如何にも出来ぬ。繋ぎに関しては義光殿に任せるしかない」

「……そうですな」


 戸沢家の戦力の充実ぶりは既に奥州でも随一。
 此処数年で獲得した領地は全て重要な拠点であり、強大な戦力を持つには必要不可欠なものばかり。
 しかも、治水を始めとした領内改革により大幅に石高を伸ばしている。
 最大動員兵力に関しては10000を優に超えているかもしれない。
 3000ほどの動員が関の山であったろう戸沢家の戦力は最早、別物なのである。
 鎮守府将軍の名も決して偽りでは無いだけの大名である事は愛季から見ても明らかなだけに打てるだけの手を打っておきたいと思うのだ。
 それ故に南部家の戦力も借りたいところであるが……。
 愛季としては六角を巡る戦いを始めとして争い続けてきただけに自らは言い出す事は出来ない。
 南部家の方も安東家は不倶戴天の敵の一角であるため、和睦を申し出てくる事はまず在り得ないだろう。
 そのため、愛季は繋ぎに関しては義光に任せるしかないと言ったのである。


「……何れにせよ、万全を期して挑むしかない。義光殿の力を借りるしかないのは少々残念だがな」


 南部家の事を含め、自らの力が及ばない部分がある事を認めつつ、愛季は盛安の姿を思い浮かべる。
 僅か10代半ばの武将が斗星と呼ばれるこの身を凌駕したのだ。
 だが、星は沈んだとしても再び天へと昇り、また輝きを放つ。
 愛季は自らの異名を反芻しながらも打てる手段を思い浮かべていく。
 10ヶ月に渡って療養と内政に力を注いだ今ならば、幾らでも手はある。
 史実における盛安にとっての宿敵である安東愛季が再び、動き始めた瞬間であった。















 ――――三戸城





 愛季に義光からの書状が届いて数日後。
 奥州の北東に位置する陸奥国の三戸の地にもまた、義光からの書状が届いていた。
 書かれている内容を熱心に読み耽っているのは還暦を迎えているであろう一人の老将。
 長年に渡って戦場を駆け巡ったと思われるその姿は底知れぬ威圧感を放っている。
 正に歴戦の勇将というものを体現しているかのような彼の人物――――その名を南部晴政と言う。





 ――――南部晴政





 南部家第24代目当主。
 晴政は三日月の丸くなるまで南部領とまで言われた強大な勢力を築き上げた事で知られており、勇将としても名高い人物。
 豪族の連合に近かった南部家を一つに纏め上げた傑物であり、戦国大名としての南部家を形成したその手腕は奥州でも恐れられている。
 戸沢家から見れば、1540年(天文9年)に本領である雫石から現在の所領である角館へ放逐した怨敵であり、討ち果たすべき人物である。
 だが、安東家、斯波家といった奥州北部の大名達と果敢に争い、幾多の戦いを乗り越えてきた晴政の前に道盛も盛重も手を出す事は叶わなかった。
 晴政の築き上げた南部家はそれほど強大なものであり、戸沢家が雫石を本拠としていた頃とは比較にならないほどだ。
 しかしながら、一代で南部家を奥州北部で最大の勢力にまで拡大した晴政には男子が生まれなかった。
 そのため、叔父にあたる石川高信の息子である信直を養子に迎えていたのだが――――晴政が50代を越えた頃に実子である晴継が生まれた。
 流石の晴政も後継者には実子を指名したいと言う事で信直と対立し、これが原因で確執が生まれ、内乱が勃発。
 この内乱は1576年(天正4年)まで続き、信直が自ら養嗣子の座を退く事で決着がついた。
 その後は家督を晴継に譲って隠居し、後見を務めながら過ごしていたのだが――――。





「義光め。儂に斯様な要件を伝えてくるとは……流石に抜け目の無い奴よ」


 拡大した戸沢家の勢力に思う事があるのか、晴政は再び表舞台に出る事が多くなっていた。
 流石に60代も半ばと言う高齢になったこの身には執政として政務を執るのは厳しいが、次代の晴継を思うとそうもいかない。
 同年代である盛安の器を考えると老体に鞭打ってでも対処しなくてはならないのだ。
 

「お館様。やはり、戸沢への対処に関する事ですか?」

「その通りよ、政実。来春の雪解けを見計らって戸沢に攻め込むと言うておる」


 そのため、晴政は南部家中随一の将である政実を招いて意見を求めていた。


「ふむ……。なれば、斯波を落とさねばなりますまい。南部から戸沢に攻め込むには如何しても横手方面からになる故」

「その通りじゃ、流石よの政実」


 斯波家を攻めるべきである政実の考えが己の意を得たりと言わんばかりのものである事に晴政は満足する。
 南の高水寺城を中心に勢力を持つ斯波家を落とさなくては義光からの要請に応じる事は出来ない。
 その事を見通している政実はこれから如何に動くべきであるかが見えているのである。


「最上が戸沢に当たるとなれば此方も外から牽制せねばならぬ。戸沢も侮れぬだけの勢力になっておるからな」

「確かにお館様の申される通り。義光殿は戸沢の軍勢を分散させる腹積もりでしょう」

「うむ……」


 義光が何を目的として晴政に書状を送ってきたかの理由を考えればそれは明らかである。
 軍勢の数以上の戦力を持つと言わざるを得ない戸沢家の軍勢を相手にするならば、出来る限りその戦力を減らす事が重要となるからだ。
 最上家を中心に戸沢家と敵対している大名の全てを動員し、戦いを挑もうと言うのだろう。


「となれば、愛季めもこの義光の提案には乗ってくるか。政実よ、安東への備えがいらぬとあれば御主が動かせる。……雪解けが来る前に斯波を落とせるか?」


 その意図を理解した晴政は政実に尋ねる。
 戸沢家と最上家が戦う事になる雪解けまでに障害となるであろう斯波家を落とす事が出来るか否かを。


「無論、造作もない事。我ら九戸党に任せて下されば、必ずや落として見せましょう」


 斯波家を落とすなど、北の鬼と呼ばれる政実からすれば容易な事である。
 元より、機会があれば落とそうと考えていたのだ。
 既に九戸党の出陣準備に関しては全て整っている。
 後は晴政からの命令を待つだけであった。


「ならば、すぐにでも出陣せよ。出来る限り迅速にな」

「承りました」


 晴政から待ち望んでいた命を聞き、政実は頭を下げる。
 余りにも遅いとは言えるが、遂に晴政が本格的に動く方針を見せたのだ。
 義光の掌の上で踊っているに過ぎない事だけが残念だがそうも言ってはいられない。
 晴政の気が変わらないうちに動くのみである。
 政実は急ぎ、晴政の下を後にする。


「最早、政実に任せるしか手は残っておらぬ。儂の身体も正直、何時まで持ち堪えられるか解らぬからな……」


 この場に誰も居なくなった事を認めた晴政はぐったりとした様子で体勢を崩す。
 齢、65歳を迎え、間もなく66歳になるこの身は既にガタが来ている。
 何時、体調を崩して病に倒れても可笑しくはない状態にまでなっていると言っても過言ではない。
 戦いに明け暮れ、後年は内乱に腐心していた事が祟ったのだろうか。
 本来ならば斯波家との決着は自分自身で終わらせたいと考えていたのだが、この身体ではそれも難しい。
 信直との確執以来、信用出来る家臣も少なくなった今となっては政実に委ねる以外の術を晴政は考える事が出来なかった。
 それが例え、危険な事であったとしてもだ。
 最早、頼りになると言っても良いのは九戸党を除けばそうは居ない。
 北信愛を始めとした重臣達も信直に同情的であるからである。


「信直めの事は解決してはおらぬが、戸沢の事も放ってはおけぬ」


 だからこそ、体調が優れない今の状態がもどかしい。
 義光の危惧した通り、戸沢家を放置するわけにはいかないからだ。
 このまま、戸沢家が足場を固めて戦力を充実させれば、いよいよ雫石を奪還せんと動いてくるのは明白である。
 南部家を怨敵と見做している戸沢家が動かぬ理由は全く存在しない。


「儂の身体よ……せめて、義光が動くまでは持ち堪えてくれ……」


 それ故にこの身はまだ、このまま朽ち果てるわけにはいかない。
 南部家の行く末の事も踏まえれば尚更である。
 脅威となる存在が少しずつ近付いてきているのだ。
 此処が最後の踏ん張りどころであると言っても間違いはない。 
 晴政は政実に託した斯波家の攻略と義光の要請に応じる事が最後の命令となるであろう事を実感しつつ、天を仰ぐのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第63話 進撃の鬼
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/09/23 10:09




 ――――1581年12月下旬





 ――――高水寺





「準備は整ったか。政則、正常」

「うむ。兄者の申す通りに手配は終わっている」

「後は斯波に居る康実に密かに繋ぎを取るだけにござります」


 晴政からの命を受け、斯波家の高水寺方面へと出陣した政実。
 弟らを始めとした九戸党を率い、瞬く間と言うべき速さで戦場へと到着していた。


「……良し。後は軍勢を分けて誘き寄せるのみだ。手筈通りにせよ」

「解った。しかし……まさか、為信と同じ手段を使うとはな。これならば、詮直も兄者の策とは思うまい」


 政実の手際の良さに政則は苦笑しつつ、肩をすくめる。
 元より九戸党が何時でも動けるようにと準備をしていた政実の抜け目のなさは勿論だが……。
 それ以上に手段を選ばない政実の考え方には毎度のように驚かされる。
 まさか、斯波攻めに為信が石川高信を討ち取った時に用いたと言われる方法で動くとは思わなかった。


「あれの高信を落とした手腕は俺も見習わねばならぬ。武器を積荷に偽装させ、城まで運び込むとは大したものだ」

「……その件は兄者の入れ知恵では無かったのか?」

「俺は軽く助言を与えただけだ。それを発展させ、実行したのは為信の実力よ」

「ううむ……俺が思う以上に為信も優れた将になっていたと言う事か」


 政実の返答に政則は更に驚く。
 為信が石川城を落とした戦の手際の良さはまるで政実が指揮を執ったかのようであったからだ。
 敵には容赦なく謀略の限りを尽くし、戦い方に拘りを持たない戦いぶりは恐ろしくもあり、為信が政実の愛弟子とも言うべき人物である事をまざまざと見せ付ける。
 それを踏まえると為信に政実も見習わなくてはならない部分があるというのにも納得出来た。
 政実が為信を高く評価しているのも無理もない事である。 


「だが、為信があのような戦いをする人物である事を証明した御陰でこうして動き易くなっている。武勇で知られる九戸党が津軽と同じ手を使うとは思わぬだろうしな」

「確かに兄者の言う通りだ。我ら九戸党ならば正攻法で挑んでくるという先入観がある者も多い」


 それに為信の城攻めの方法が搦手を使う事を主としているがために武勇で知られる政実が率いる九戸党がそのような手段を用いるとは思われない。
 今までの政実の戦は芸術的とも言える巧みな采配で勝利してきたのだから。
 政実の存在があってこその九戸党と言っても過言では無いだけにそれは尚更だ。


「故に詮直めを欺けるというものだ。政則、正常――――一両日中には斯波を落とすぞ」


 無論、政実もそれを強く自覚している。
 九戸党はこの九戸政実があってこそのものである事を。
 だが、周囲にはそう思われているが故に搦手で攻める事は容易い。
 敵となる相手は想定していなかった事態に対処するのには必ず、僅かばかりでも隙が生じるからだ。
 しかも、斯波家は未だに晴政が九戸党を動かした事に気付いていない。
 表向きは離反した津軽家との緊迫した関係や家中での派閥の対処に追われているように見えるからだ。
 戸沢家や伊達家のように優れた忍を抱えていない大名や義光、愛季といった傑出した人物で無ければでは深いところまで探る事は不可能だろう。
 それ故に政実は一両日中には高水寺城を陥落させると言ったのである。
 一見すれば無茶とも言える事だが、数日間で城を落とすような芸当は既に為信という前例もある。
 政実ほどの武将ならば警戒すらしていない敵を落とす事など造作もないのだ。
 晴政の指定してきた雪解け前どころか12月中に目標を完遂する事も決して不可能ではない。
 実際に最上家からの要求に応じるのならば、早ければ早いほど後々で有利になるのだから迅速に動くのみである。
 政実は既に斯波家中に入り込んでいる実弟の中野康実からの合図を待って、攻め入るための準備を着々と進めていくのであった。















「皆の者、もう年が明けるまでもう残りも少なくなった。新たな年の訪れを前に此度は存分に飲み明かそうぞ!」


 政実が近付いて来ている事を知らずに酒宴の場を設けているのは斯波家当主である斯波詮直。
 遊興好きである詮直は年明け間近である事を幸いとし、盛大に飲み耽っている。


「詮直様、程々になされた方が良いのでは?」


 何処か頼りない主君を諌めようと呆れつつも苦言を呈するのは中野康実。
 康実は政実の弟でありながらも斯波家に身を置いているという変わり種とも言うべき人物で、これは明確に南部家と斯波家の力関係を明確に表している。
 先代当主である斯波詮真の代より斯波家は南部家の従属の下に置かれており、この時に斯波家と戦ったのが政実である。
 しかし、斯波家は足利家と同格の家格を持つ由緒正しい家柄の大名。
 それが敗北したとあっては斯波の名声は地に墜ちたも同然である。
 当時、南部家と争っていた詮真は政実と盟約を交わし、康実を斯波家の重臣の一人として手元に置く事を条件に家を保つ約定を得たのだ。
 康実が九戸党の一員でありながらも斯波家に身を置いているのはこのような経緯によるものであった。


「何を言うておる。普段は御主らが諌める故、こうした機会に飲んでおるのであろうが」


 詮直は諌めようと苦言を口にする康実をやんわりと拒絶する。
 今は雪も多く、合戦を挑もうとするような大名は少ない季節。
 勢力を拡大した戸沢家や南奥州で勢力圏を伸ばし始めた佐竹家の事は気になるものの斯波家と領地は接しておらず、警戒する必要性は感じられない。
 南部家に対しては表向きだけではあるが、従属の姿勢を崩していないため、詮直の心の内に秘める野心も気付かれてはいないはずだ。
 寧ろ、こうして遊興に耽る事で九戸党との繋がりの深い康実の目を欺く事だって出来る。
 機を見極めて岩手方面を南部家から奪還しようと目論んでいる詮直は外面としては無能な人物を装っていた。


「それは否定はしませぬが……康実殿の申す通りでございます。御控えなさるべきかと」


 しかし、家中の者の殆どは詮直の内面を理解していない者が多い。
 康実に続き、諫言の言葉を口にする岩清水義長もその一人である。
 詮直が南部家から離反する機会を窺うために外面を装っている事に気付いていない。
 

「義長までも斯様に申すのか……全く面白うない。……興が覚めたわ、両名とも下がるが良い」

「……失礼致しました」

「……ははっ」


 主君の内心すら察せずに何が家臣か。
 諦めを覚えながらも詮直は康実と義長に場を去るように命じる。
 詮真が南部家に破れて以来、如何も斯波家を見くびるものが多過ぎる。
 嘗ては名門としてその名を馳せた斯波家の家格は其処らの大名とは違うのだ。
 その気になれば古くからの名門を慕う豪族や民衆から大兵力を掻き集める事だって出来る。
 本来ならば、領土を南下して拡大しようと考える南部家にとっては邪魔な斯波家が潰されないのはそのような背景にある。
 名門を潰したとなれば家名も傷が付くし、家臣によっては反対もする。
 詮直は斯波家であるが故の立場を上手く利用して、岩手方面の領地を南部家から奪取する機会を探しているのだ。
 そういった意味では詮直も決して無能とは断言出来ない人物なのではあるが――――。
 今、この時に場を退出した康実と義長には詮直の秘める野心など解りはしない事でしかなかった。















「……やはり、詮直めでは駄目だ。此処はやはり、兄者の手引きをするべきか」


 詮直の下から退出した康実はほとほと呆れ果てた様子で溜息を吐く。
 義長と共に苦言を呈してまで、換言を試みていたのはある意味では最後通告だった。
 戸沢家、最上家といった大名が大きく動きを見せようとしているのは明らかであるにも関わらず、それに対する行動を起こそうとしない詮直。
 斯波家とは関わる可能性に関しては殆ど無いため、詮直が気にも止めないのは無理もない事ではあるが、手遅れとなってしまっては遅過ぎる。
 兄、政実よりの書状で現在の南部家が最上家からの要請で動こうとしている事を知った康実はそれを気に病んでいたのである。


「仕方がありませぬな。我が弟、義教も含め家中の多くの者達は詮直様を見限っている。康実殿の申す事は実行するしかありますまい」


 康実が政実の手引きをするという事に反対するどころか寧ろ、賛同を示す義長。
 既に義長も詮直を諫言する事を諦めていた。
 九戸党の一員でありながらも斯波家に従い、度々進言をくり返す康実と共に腕を振るってきた義長だが、我慢も限界に達しつつある。
 詮直の態度は政を顧みない事も多く、南部家にも反しようとしている。
 今現在の斯波家は南部家の力がなくては名ばかりのものでしかない事を知っている義長としては家中では外様である康実に同情的であった。
 そんな兄の事情を知ってか、義長の弟である義教もまた詮直へ反感を持っており、裏では詮直には従えないと頻りに口にしている。


「相、分かった。今すぐにでも動くように伝えるとしよう。……兄者の事だ、既にこの高水寺に入り込んでいるに違いない」


 義長が反対せずに賛同した事を認めた康実はこれ幸いと行動に移す。
 最早、詮直が当主を務める限り、斯波家に未来はない。
 時勢も読めず、遊興に耽るような主君などに忠節を誓う事は不可能だ。
 しかも、斯波家の家格の高さを自負し過ぎている部分もある。
 力を持たない名族など、今の戦乱の世では必要とはしないにも関わらずだ。
 如何に詮直に野望があろうとも、思惑があろうとも家中の多くがそれに従おうとは思っていない今、斯波家は終焉を迎えるべきである。
 政実が晴政の命令で動いてきたのも天啓とも言うべきではないだろうか。
 今こそ詮直を放逐し、不要となった名門を滅ぼすその時である。
 康実が兄の命に従って斯波家へと入った自分の身が在るのは全てこの時のためだったのかもしれない。
 最上義光が動いたのもそれを後押ししているように感じられる。
 時流が確実に此方へと吹いている事を実感しつつ、康実は政実へと伝令を送るのであった。
















 ――――1581年12月下旬。
 遂に嘗ては奥州の名族としてその名を馳せた斯波家は滅亡した。
 北の鬼と称される政実は康実からの手引きを口火とし、一気呵成に高水寺城を攻め立てる。
 嘗て、為信が石川城、浪岡城を陥落させた際に用いた軍備を積荷に紛れさせて敵の懐に飛び込む術は大いに効果を奏し、3日と経たずに戦の勝敗を決した。
 これは政実の巧みな采配によるものが大きい事に疑いようはないが、為信の神算鬼謀を証明するものでもあった。
 しかも、敵側が酒宴などを催している隙を狙っての侵入、侵攻という過程までも良く似ている。
 ある意味で師弟同士であるからこその戦の内容となったと言うべきだろうか。
 夜襲によって短い期間で城を陥落させたその手腕は奥州でも比類無きものであり、政実の異名と九戸党の強さを轟かせる。
 進撃を始めた鬼の前に行く手を阻む者無し、と。
 政実は晴政の命であった斯波家陥落を1ヶ月と経たずに果たしたのである。
 本来の命では雪解けが終わるまでにというものであっただけに政実の凄まじさがより一層際立っていると言えるだろう。
 そして、肝心の詮直の身が如何なったかだが――――。
 詮直は皮肉にも逃亡に成功し、おめおめと逃げ延びた名族として生き恥を晒す事になる。
 何しろ、録に戦を交えずに逃亡したのだ。
 如何に政実が夜襲を仕掛けてきたとは言えども、これでは武士としては恥ずべき事でしかない。
 更には酒宴を催していた最中であった事が詮直の名声を失墜させる。
 謂わば、酒宴の最中に奇襲を受けてそのまま逃亡したと言う事だったのだから。
 一人の武士としても名族である斯波家の当主としても自らの立場を失った詮直のその後の行方は何処として知れない。
 少なくとも、在野の身で野垂れ死にするような事は無いだろうが――――最早、大名として表に返り咲く事はないだろう。
 惜しむらくは野心を秘めながらもそれを家中の誰もがそれを知る事が無かった事であろうか。
 岩手方面を南部家から奪還するという悲願。
 斯波家の者としては正に相応しい本懐を秘めていただけに惜しまれる部分ではある。
 何れにせよ、詮直は室町幕府初期の頃から奥州に身を置いた名族である斯波家の最後の当主となったのだ。
 1578年に為信が滅ぼした浪岡北畠家に続き、また一つ奥州が誇る大名が歴史上からその名を消す。
 それぞれが師弟とも言うべき政実と為信の手によって滅ぼされるに至ったのは運命めいたものすら感じられる。
 両名が共に奥州でもその名を轟かせる名将同士であるだけに尚更だ。
 斯波家、浪岡北畠家の両家の末路も二人の英傑の糧とされてしまったと言うべきかもしれない。




 こうして、唐松野の戦いを発端にして始まった1581年(天正9年)は終わりを迎える。
 奥州でも大きく勢力関係の変化があり、正に激動の年であったと言っても良いこの年は最初から最後まで目が離す暇が無かった。
 戸沢盛安が安東愛季との戦に勝利し、相馬義胤が伊達輝宗との戦に勝利する。
 本来ならば違う結果とも成り得たであろう結果が齎すのは果たして、如何なものとなるのだろうか。
 それは先を知る盛安ですら完全には先を見通せてはいない。
 唯、明らかになっている事があるとするならば、運命の時となる1582年(天正10年)の訪れまで残り数日ほどの時しか残されていない事だけであった。
 そして、この新たな年を迎えて僅か数日後――――奥州に大きな影響を及ぼす事となる大事件が発生する。
 この大事件は盛安にも為信にも義光にも政実にも後々に大きな影響を与える事になる大事件である。
 正に歴史の悪戯が招いたとでも思える大事件――――。















 ――――それは南部晴政の死であった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第64話 晴政の死
Name: FIN◆3a9be77f ID:2a13c8e5
Date: 2013/10/27 00:08





 ――――1582年(天正10年)元旦





 昨年末に高水寺を政実が落としたという報告を聞き、久方振りに勢力を拡大した南部家が沸き立つ最中。
 高齢のために体調を崩していた晴政は床に臥せっていた。
 政実に高水寺を攻め落とさせる事が最後の命令になるだろうと予感していた事が現実のものとなってしまっていたのである。


「お館様、九戸実親南部信直……御召しにより参上致しました」

「……うむ」


 だが、晴政は僅かにでも自分の身体が動くのであればともう一手の布石を打とうと決死の覚悟を決めていた。
 この場に実親と信直の両名を揃って呼び付けたのもその現れである。 


「晴継以外にも御主達を呼んだのは他でもない。……儂が逝った後の事を決めるためじゃ」


 特に息子である晴継の政敵でもある信直を呼んだのは正に最後の一手に相応しい。
 最早、幾許の命も残されていない晴政からすれば遺言を直接、信直に伝える事に大きな意味がある。
 自分の死後に晴継を邪魔に思うのは信直に属する者達だからだ。
 信直自身は南部家の継承には僅かながら諦めの感じているが、北信愛を始めとした家臣達はそうではない。
 先程から傍に控えている晴継もそれを察しているらしく、普段は実親に物事を相談する事が多いようだ。
 下手に信直に相談する事で信愛らの暗躍を許す事に繋がりかねないのを自覚しているのだろう。
 未だ10代前半という若さではあるが、晴継は後継者としての器の片鱗を見せつつある。


「……お館様」


 晴政の顔色が優れない事にその言葉が偽りのないものである事を察し、実親は表情を暗くする。
 老齢に至っても覇気に満ち溢れていた猛将の面影は瞳に宿る意志の光を除けば全く感じられない。
 だが、最後の力を振り絞って遺言を伝えようとしているのは容易に見て取れた。


「……」


 実親が晴政の容態を気遣う素振りを見せつつ覚悟を決めているのに対し、信直は複雑な思いで晴政の姿を見つめる。
 父、石川高信が津軽為信に討ち取られ、晴継が生まれて以来、疎遠にあった晴政の姿は最早、見る影もなかった。
 武勇名高く、常に前線に立って采配を振るった猛将の面影は遠い昔の事にすら感じられる。
 信直の見てきた晴政とはかけ離れていると言うべきだろうか。
 家督継承に関する問題であれだけ争ってきたのに態々、呼び付けてきた事を考えると余程の思いがあるのだろう。
 

「信直よ。……あれだけ争ってきた儂が憎いのは解る。だが、今後を踏まえれば……耐えてはくれぬか」


 晴政は信直の心境を察しているのか諭すように言い聞かせる。
 家中が晴継派と信直派で見事なまでに分断されているのは解っているのだ。
 しかし、現状はそれを許してはくれない。
 今では出羽北部で最大の勢力を築き上げた戸沢家の脅威が現実のものとなりつつあるからだ。
 角館を根拠地に酒田、大湊といった要所を抑えている事がそれに更なる拍車をかける。
 特に肥沃な土地である庄内を領地に組み入れた事で唯一の欠点であった石高の問題も解決した事が南部家から見ても大きな痛手である。
 嘗ての戸沢家は多数の鉱山を抱え、資金源はあるものの4万石にも満たない程度の大名でしかなかった。
 晴政もその程度であれば放置していても問題はないと判断し、雫石から戸沢家を放逐した後は特に目立った対応してはいない。
 だが、出羽北部随一の勢力になったとあれば話は大きく変わってくる。
 戸沢家は旧領を奪い取った南部家を目の敵にしており、現当主である盛安も南部家とは最終的には雌雄を決しようとしている構えだ。
 その姿勢は為信との同盟が明確にそれを象徴している。


「現在、義光めが盛安と一戦交えようとしておる。斯様な時期に儂が此処で倒れる事は許されぬが……叶いそうもない。
 無念ではあるが、御主らに後を任せるしかないのだ。実親と共に晴継を支え、戸沢の増長を許すな。……それが南部のためとなる」


 南部家の力を以ってすれば戸沢家、津軽家の双方を相手にする事は不可能ではない。
 あくまでも現状の勢力のままであればの話だが。
 晴政が戸沢家の増長を許すなと言っているのは更に勢力を拡大した場合、南部家が単独で相手をする事が敵わなくなるからだ。
 自らが指揮を執り、政実らを主軸として戦えば如何なる相手でも遅れを取る事はないが……病床にあるこの身では不可能でしかない。
 後継者である晴継は未だに若いし、信直や実親には晴政ほどの戦の才覚は無いため大将としては大いに不安が残る。
 無論、政実を始めとした頼りになる者は南部家中にも多数居るのだが、多くは晴継派と信直派に分かれてしまっているという問題があった。
 信直をこの場に呼んだのは派閥の旗頭を遺言という形で抑えてしまえば少なくとも信直派に属する者達も過激な行動は起こすまいとの判断しての事である。
 後は言質を取る事で信直を縛るという意味も含まれている。
 遺言ともなればそれに逆らう事が義に反すると追求される事になるからだ。
 何かしらの形で縛ってしまえば信直とて迂闊な真似は出来ない。


「……承りました」


 信直は晴政の思惑を知りつつも従う旨を伝える。
 此処で従わなければ待つのは死のみだ。
 晴政の懐に居るのだから信直には選択肢が存在しない。
 それが解っているからこそ、晴政も敢えて信直を呼び付けたのだろうが。
 不承了承ではあるが信直は思惑にのる事にする。
 事実、戸沢家が南部家にとって脅威の存在となりつつあるのは実感しているからだ――――。















「儂が逝った事は1年間でも良いから決して他国に漏らすな。義光に同調する事に決めた今、その動きを儂の死だけで変えるわけにはいかぬ。
 戸沢と最上の戦は戦力としては互角であるが故に南部の動きが戦局にも大きく影響する。政実を動かしたのもその一手よ。
 だが、儂が逝った事を知れば政実は途中で戻ってくる事になる。そうなれば最上との盟約は無意味となり、戸沢を助ける事に繋がってしまう。
 故に政実には儂の死を伝えず、暫くは自由に動かさせるのだ。……戸沢の増長を止めるのならばそのくらいはせねばなるまい」


 信直からの言質を取った晴政は自らの死を伏せるように伝える。
 陸奥の重鎮であり、奥州における大物と言うべき晴政の死が広まればどのような事態になるかがはっきりしているからだ。
 ましてや、戸沢家と最上家の戦が始まろうとしているという時に晴政が没した事が広まれば戸沢家の勢いが増すだけにしかならない。
 怨敵であった晴政が死ねば雫石の奪還も容易になるからである。
 先々代の当主である道盛が宿願に掲げていた旧領の奪還は戸沢家の悲願であり、盛安もそれは計画の一部には入れているだろう。
 出羽と陸奥の両方に影響を持つ鎮守府将軍に就任しているのもそれを踏まえての事なのは間違いない。
 敵として相対するには厄介な事この上ない相手である。


「また、戸沢と最上の戦が終わった後は動向に注意せよ。恐らく戸沢が動くとすれば檜山を落とし、出羽北部の完全統一を図ろうとするだろうが……。
 万が一の事がないとは言い切れぬ。新たに攻め取った高水寺を含め足場を固め、戸沢、津軽、安東、伊達、大崎、葛西、阿曽沼に備えよ。
 儂の死を切欠として南部に介入する輩も出るだろうからな。外敵には常々、注意するように」


 晴政は更に遺言を続ける。
 戸沢家と最上家の戦は開始される前後からも気を付けなくてはならない。
 政実を動かしているのは事前を察しての事である。
 晴政には大方ではあるが戦の全容が見えており、その後の備えも含めて南部家が如何に動くべきかがはっきりと見えている。
 何時でも出羽国に介入出来るように高水寺を含む岩手方面を完全に抑える事は戦略上必須と言っても良い。
 出羽と陸奥の国境に近い花巻を経由する事で角館、横手に侵入する事も可能となるからである。
 だが、岩手方面を抑える事は大崎、葛西、阿曽沼といった大名家と領地を接する事に繋がってしまう。
 特に葛西家は高水寺の斯波家を落とした事で完全に南部家を警戒している。
 晴政が没したとなれば如何なる動きを見せるか知れたものではない。 
 この点に関しては政実が居る限り些細な問題にしかならないかもしれないが、万一の備えをする事は当然の事である。


「……長く語ってしまったな。唯一の心残りは晴継の事であるが……御主らに任せる。くれぐれも盛り立ててやってくれ」

「……ははっ」


 戦略面に関して伝えられる事の全てを語り尽くした晴政は疲労した様子で2人に晴継の事を託す。
 不安材料である信直も流石にこうした形でならば裏切る可能性はない。
 何しろ晴継と実親の両名もこの場に立ち会っているのだ。
 信直には晴政の遺言に逆らう術はない。
 例え、逆らったとしても晴継と実親に追求されれば如何にも出来ないのだ。
 晴政は一先ず打てる手は打ったとし、安心した様子でもう一度眠りにつこうと2人に場を後にするように促す。
 多くの戦場を駆け巡ってきた晴政も流石に老齢である上に病の身では体力が持たない。
 そのような身体でよく南部家の次代の人物達に遺言を伝えられたとでも言うべきだろうか。
 このまま何も伝えずに居れば確実に家中が分裂していただけに尚更である。
 晴政は南部家の行く末を案じつつ、ゆっくりと目を閉じるのであった。















「……くそっ!」


 独りになったところで信直は忌々しげな表情で舌打ちする。
 晴政がまさか、こういった手段に走るとは思わなかったからだ。
 死期が近い事については予測がついていたが、敵対しているにも関わらず呼び付けたのは死ぬ覚悟を決めての事だろう。
 それだけに晴政を見誤っていた事が大いに悔やまれた。
 家督継承に関しては僅かに諦めの気持ちもあったが、晴政が死ねばそれも変わる可能性が高いと信直は見ていたのだ。
 しかし、晴政は信直の目算を察していたかのように言質を取った。
 これでは思い描いていた通りに動く事は難しい。


「なれど……戸沢家の脅威があるのは事実。……お館様は間違っておらぬ」


 だが、晴政の言葉は正しい。
 急速に拡大した戸沢家の勢力は南部家にとっては脅威でしかないからだ。
 しかも、旧領である雫石の件からすれば敵対する事になるのは避けられない。
 晴政が遺言として戸沢家に備えるための動きを指示したのは先を見据えての事である。


「だが、それはあくまでお館様に縁の深い者が当主である場合の話だ。私ならば雫石を条件に道を探る可能性が残されているが……」


 しかし、信直が当主となれば戸沢家との因縁は大きく薄れる。
 戸沢家の敵はあくまで晴政であり、それに連なる男子は晴継のみだ。
 晴政の娘を娶ったとはいえ、敵対した経緯を持つ信直の立場ならば戸沢家とは交渉の余地がある。
 唯一の問題があるとするならば、戸沢家が津軽家と同盟を結んでいるという事のみ。
 これは信直が我慢すれば良い事なのかもしれないが……高信の敵である為信との確執が最大の問題と言うべきかもしれない。
 信愛を始めとした信直を支持する者達の全員が為信と並び立つ事を良しとはしていないからだ。
 それに盛安という人物の話を聞く限りでは一度結んだ盟約を違えるような真似をする人物ではない。
 自身の立場と津軽家との関係を含めた上で南部家とは敵対の道以外を選ぶ事はないだろう。


「……為信と同盟を結んでいる戸沢家が応じるとも思えぬ。やはり、此処はお館様の言う通りに備えるしかないか」


 故に信直には最終的には戸沢家と戦うしか道がない。
 不倶戴天の敵の盟友であるのも理由の一つだが、戸沢家と南部家にある因縁もそれを後押しする。
 そのため、不本意ながらも晴政の遺言通りに動く選択肢しか信直は思い付く事が出来ない。


「政実が居らぬ今こそが絶好の機会ではあるのだが……」


 だが、晴政の余命が幾ばくもない上に九戸党を率いる政実が出陣している今こそが信直にとって絶好の機会。
 晴継を始末し、南部家当主の座につくには今を置いて他にない。
 にも関わらず、侭ならない現状に信直は忌々しげに舌打ちをする。 
 戸沢家の事さえ無ければ思う通りに動けたであろうに。


「ふむ……確かに信直様の仰れる通りですな。お館様の御遺言があるとは言えども好機であるのは間違いありません」


 悪態を吐く信直の前に南部家の重臣である北信愛が意見に同意しつつ現れる。
 信愛は信直が晴政に対して反旗を翻した時に最後まで味方してくれた人物で南部家随一の知恵者として知られる人物。
 此度の晴政からの召集には彼の死期を読み取り、信直に是が非でも参加するように進言した。


「政実殿さえ居なければ、実親殿を抑える事も難しい事ではありませぬ故」

「では、如何するつもりだ?」

「……そうですな。現状では静観するしか無いでしょう。しかし……信直様に御覚悟があるならば手を打って御覧にいれましょう」

「覚悟、か……」


 いまいち煮え切らない様子の信直に動くならば一計を案じると言う信愛。
 1523年(大永3年)生まれで齢、60歳を迎えようとしている深謀に長ける信愛の進言は信直の心を揺らす。
 戸沢家の脅威があるとは言えども、晴継が当主となってしまえば信直の立場は非常に危うくなるからだ。
 晴継の後見人の立場にある実親は南部家中における最大勢力の一角である九戸党を束ねる政実の弟であり、信直とは常に反対の派閥に身を置いている人物。
 特に北の鬼の異名を持つ政実が背後に居ると言う事が非常に大きな要素を占めており、これだけでも信直にとっては恐ろしい存在である。
 しかも、晴継も実親を頼りにしているため信直を排除しようと思えば行動に移す事が可能だ。
 唯一の救いは眼前に敵が迫りつつあるという状況ではあるが、この状況が改善されれば信直の身の安全の保証はない。
 晴政の娘婿という立場にありながら一度でも反旗を翻した以上、進む以外には道は開けないのである。


「……解った。信愛に委ねる故、存分にやってくれ。私の方も一先ず、晴継様の家督継承に反対しておられる奥方様を尋ねる事にする」

「ははっ! 畏まりました」


 覚悟を決めた信直の返事に恭しく頭を下げる信愛。
 南部家の後を継ぐに相応しいのは若い晴継ではなく、数々の実績を持つ信直だ。
 ましてや、晴継の背後に居る実親を始めとした九戸党の存在を考えれば南部家は何れ食われてしまう事になる。
 それを食い止めるには信直が当主の座につき、信愛を始めとした信直の側に近しい人物で周囲を固めてしまう事が上策であり、最善となる手段。
 信愛は既に信直の預かり知らぬところで動き始めており、現状の段階でも東政勝や南慶儀といった者達に働きかけていた。
 後は信直が腹を据えるのを待つばかりであり、遂に本人が結論を出してくれたとあれば後を行動に移すのみ。
 切れ者としての名を欲しいままにする信愛の本領発揮といったところである。 
 政実が不在の間に足場を固め――――戻ってきた段階では既に大勢が決まってしまっている状況に持ち込む。
 戸沢家の脅威がある段階を踏まえ、晴政の死を隠しつつ動くにはそれしかない。
 急ぎ過ぎれば晴継や実親も此方の動きに不自然な部分を見い出すのは間違いないからだ。
 こうして、信直を始めとする反対派の者達はゆっくりと裏で準備を開始するのであった。















 ――――1582年(天正10年)1月4日





 三日月も丸くなるまで南部領とまで謳われた広大な版図を築き上げた南部晴政は静かに息を引き取った。
 戦国大名としての南部家の中興の祖であり、奥州でも最大の勢力圏を築き上げた一代の英傑の死は何を齎すのだろうか。
 南部家中では水面下で動きが始まっており、出羽国では最上義光が行動を開始している。
 晴政の死を皮区切りとして、目まぐるしく状況が変わっていく様相を見せようとする兆しはまるで――――















 1582年(天正10年)という年が波乱に満ちた年となる事を示唆しているかのようであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第65話 津軽の戌姫
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2013/11/10 00:02





 ――――1582年(天正10年)1月4日





 ――――大浦城





「……亡くなられたか」


 墜ちていく将星を見ながら沼田祐光は南部晴政がたった今、息を引き取った事を知る。
 晴政がそう長くはないという事は将星の輝きから前の段階の時点で読み取っていただけに祐光からすれば驚く事ではない。
 寧ろ、数多くの巨星の死は全て直後の段階で知ってきただけにもう慣れてしまっている。
 此処数年の間で亡くなってしまった上杉謙信、里見義弘、蘆名盛氏といった英傑と言うべき人物達の死は全て将星が教えてくれた。
 一応は将星の輝きが導く先を欺く事や肩代わりする事も不可能ではないが……晴政にはそのような真似は出来ないため、彼の人物の死は確実である。


「思えば……この津軽の地を含め、晴政様には引っ掻き回されっぱなしだった」


 晴政の死に祐光は黙す素振りも見せず、忌々しげに呟く。
 本来ならば主筋に当たる人物といっても過言ではないのだが、あくまで祐光の主君は為信であり、晴政ではない。
 それにあくまで大浦家、津軽家に仕えたのであって南部家に仕えたつもりもない。
 如何とも思ってもいない存在を敬うなど不可能な事である。


「これで、先代様も浮かばれよう。南部からの脱却には如何しても晴政様の存在は足枷でしかなかったのだから」


 故に祐光は晴政の死を喜ぶべきものとして捉えている。
 陸奥国における重鎮であり、奥州全体を見通しても強大な影響力を持つ晴政の存在が失われた事は勢力間に大きな影響を齎すのは間違いない。 
 今暫くはその死を伏せて混乱を避ける方針で南部家は動くであろうが、将星を見る事の出来る祐光の前ではそれも無意味だ。
 現に祐光は晴政の死を当日どころか、死亡と同時刻に知ってしまっている。
 如何に伏せようと努めても、将星の輝きを欺く術の無い者には祐光を欺く事は出来ない。
 天文を知る者からすれば傑物の死によるその後の動きを先読みする事は造作もない事であった。


「祐光。やはり、此方でしたか」


 星を見るために外に出ていた祐光を捜していたのか、一人の小柄な女性がぱたぱたと走ってくる。
 歳の頃は10代ほどに見えるだろうか。
 傍目から見れば活発な気質を持つ可愛らしい雰囲気を持つ少女であると言っても良いかもしれない。
 しかし、この女性は既に30代前半という年齢であり、意外にも祐光の主君である為信と同い年である。
 とても外見から信じられるものではないが、事実であるだけにこればかりは何とも言えない。
 年齢の割には老成し過ぎているような人物も居れば、若々しさを保っているような人物もいる。
 この女性のように小柄で少女と見紛うかのような人物が存在する事も決して可笑しくはないだろう。
 それだけに小柄で尚且つ、若々しい姿なだけに立派な髭を持ち、6尺にも及ぶ身長の偉丈夫である為信と並ぶと親子にも見えるかもしれない。


「……戌様」


 だが、祐光は為信に対する対応と同じく、敬意を払った態度で女性に応じる。
 祐光が口にした女性の名前は――――戌。
 彼女こそが主君、為信の正室であり、この津軽家を裏から支える良妻と名高い津軽戌その人であった。
 戌は先代の津軽の領主であった大浦為則の娘で阿保良(おうら)姫とも呼ばれる事で知られている。
 久慈から津軽へと流れてきた為信とは戦国の時代では珍しい恋愛結婚で結ばれたと言われているが――――。
 これは為信と同い年であった事や積極的に世話を焼いていた事にもあるだろう。
 戌は面倒見の良い性格であり、困っている人間を放っておけない女性だった。
 そのため、戌は慣れない大浦家での生活を余儀なくされていた為信を彼方此方に連れ出したり、共に学問に励んだりもした。
 思えば、ずっと一緒に居るうちに何時しか為信に恋してしまったのかもしれない。
 為信は智勇兼備の偉丈夫なだけでなく、民を思いやる心も持ち合わせた人物だったから。
 そんな為信に戌が惹かれるのも無理はない。
 身近で民と接し、為信とは志も考え方も共感出来るほど近いものを持っている戌には為信ほど魅力的に見える人物は存在しなかった。
 だからこそ、こうして今の為信の正室という立場の戌が居る。
 外見こそ対照的な夫婦ではあったが、その姿は何時も何処か幸せそうで。
 祐光を始めとした家臣達も主君夫妻には敬意を払い、忠誠を誓っていた。
 故に戌が一人で城を抜け出し、祐光にこうして話しかけると言うのは別段、驚くような事ではないのである――――。















「祐光の事だから、星読みでもしていたのだと思うけど……如何だった?」


 戌は祐光に星を見ていたのかと尋ねる。
 陰陽道を極め、天文や占いに通じる祐光がこうしている時は大体の場合は将星を見ている場合が多い。


「はい。以前より輝きを弱めていた一つの将星が墜ちた事からしますと――――南部晴政様がたった今、亡くなられた様子」

「そう……晴政様が」


 そんな祐光が墜ちた将星から導き出した晴政の死という情報。
 夫、為信の腹心であり、懐刀である事から戌も祐光の事は深く信頼しており、それを疑う事はない。
 為信と戌が10歳を過ぎたばかりの頃から仕えてくれている忠臣の読みは何時でも的確だったからだ。
 解らない事があれば道を示してくれたし、間違った事をすれば常に諭してくれた。
 一回りほど歳上である祐光は良き師であり、保護者のような存在でもある。


「そう……これで為信も少しは楽に動けるかしら、ね……。祐光は今後の動きが如何なると見ています?」


 晴政の影響力の強さは戌も良く理解している。
 常に夫の後ろから津軽家を支え続けてきた戌は女性でありながらも情勢に機敏で政治、軍事といった分野にも精通している。
 そのため、晴政が没した事による動きにもある程度の予測は付いているが……。
 此処は軍事における専門家である祐光の方が詳しいため、戌は意見を求める。


「現状の段階では政実様が九戸党を率いて斯波を落としたところまでは掴んでおりまする。このまま晴政様の死を伏せる方向で南部家が動くのであれば……。
 花巻方面から小野寺家を目指して政実様は動く可能性が高いかと存じます。如何も……此処最近の最上義光殿の動きに乗じている様子かと」

「……戸沢家が標的と言ったところでしょうか?」

「はい、盛安様の勢力拡大の動きは義光殿からすれば放置出来るものではありませぬ故」

「……成る程」


 祐光の意見は尤もである。
 戸沢家の驚異的な勢力拡大は出羽国の南部を領する最上家からすれば看破出来るものではない。
 何しろ、庄内と真室で領地を接してしまっている段階にまで来ているのだから。
 戸沢家に敵対する意志がなくとも鎮守府将軍の官職を持っている以上、羽州探題の官職を持っていた最上家からすれば戸沢家は敵でしかない。
 鎮守府将軍が存在する限り、幕府から任命される官職である探題職は無実と化すからである。
 羽州探題である事を誇りとしていた最上家からすれば戸沢家は正に怨むべき相手と言えるだろう。
 現当主である義光が裏で動いていても全く不思議ではない。


「と言う事みたいだけど、為信?」

「……ああ、解っている」


 祐光の意見に納得した戌は何時の間にか近付いてきていた為信に言葉を投げかける。
 外に出ていた戌の後を尾けていた事を気付かれていたのは承知の事だったらしく全く驚いた様子はない。
 以心伝心と言っても過言ではない戌の事は為信も良く理解しているのだ。
 妻に見通されているのも悪くないと思いつつ、為信は戌の傍へと歩み寄るのであった。














「祐光の星読み通り、お館が逝った事は吉報だな。俺としてもお館が居なければ何かと動き易くなる」


 戌と祐光の会話を後ろで聞いていた為信は晴政の死により動き易くなったと言う。
 南部家の大黒柱が折れたとあれば敵対している大名家からすればこれほど都合の良いものはない。


「……だが、お館が死んだ事により南部が津軽を狙ってくる可能性は大きく上がる。今までは高信を討ち取った借りがあったが……それも次代となれば意味が薄れる。
 晴継様はまだしも、信直めは俺を敵として付け狙っている。機会さえ得られれば何としても討とうと考えるだろうな」


 しかし、晴政とは違い次代の南部家の者達は為信の事を敵視している。
 特に信直との因縁は父、高信と弟、政信の両名を為信が討ち取った経緯から非常に根深い。
 もし、自分が信直の立場であったならば仇討ちを考える可能性も否定は出来なかった。


「故に信直が津軽を脅かす可能性は否定出来ぬ。……だが、俺はこの機会に安東と雌雄を決し、後顧の憂いを立ちたいと考えている」

「それなら、千徳政氏殿に南部の抑えを頼むのが上策と思うのだけど……。為信の事だから既に手は回しているでしょう?」

「……当然だ。いざという時は後詰めとして政氏殿に助勢として信元を派遣するように手配を整えている。後は頃合いを見計らうのみだ」


 考えを明確に言い当てる戌に為信は笑みを浮かべる。
 信直が津軽方面を狙う際には盟友、千徳政氏の力を借りて戦うと言う方針。
 これは晴政に借りを作った段階の頃から既に構想を練っていた。
 安東家に目を向ける際の背後を任せられる数少ない人物である政氏は為信と同じく、南部家から津軽を独立させようと考えている人物の一人。
 為信が津軽の開放にその名を挙げた際には真っ先に協力を申し出てきた人物が政氏である。
 それ以来、盟友として常に為信と共にあった政氏は南部家との和睦が成立している今現在も津軽家の傘下に収まっていた。
 為信が南部家から再び離反する時を待っているのである。


「無論、動くと決めた以上は盛安殿にも伝えねばな。時期は雪解けを待ってからとする。祐光は如何、思う?」

「はっ……雪解けを見計らって動く事は妙案であると存じます。しかし……動くのは安東が先に動いた後の方が宜しいかと」


 安東家と雌雄を決するべきである事に異論はない。
 だが、祐光は動く頃合いは安東家が先に動くまで待つべきだと言う。


「……義光殿が動く可能性があると言うのが理由か」

「その通りにございます」


 盛安の動きを警戒した義光が裏で何か動いていると言う噂は為信も聞いている。
 流石に智謀の将として知られる義光であるだけに為信や祐光を以ってしても明確な情報が得られているわけではない。
 義光の将星も依然として変動している事も無いし、最上家の情報が集めにくいのも普段と全く変わらないだけに噂が出ている以上、警戒するべきである。
 ましてや、今の為信は盛安とは深い友誼を交わす盟友である。
 上洛するための準備を進めているという盛安の行動を妨害するわけにもいかない。
 祐光が頃合いを見計らうべきと言っているのは義光が万が一、動いた場合を想定しているからこそのものだろう。


「確かに義光殿の動きが読めないのは拙い。盛安殿も庄内と真室で所領を接する段階にある故、此方もその動き次第では状況が変わってくる。
 安東との決着は盛安殿としても無論、臨むところであろうから俺が動けば何かしらの反応を示すだろうが……」

「盛安殿が上洛の準備を進めている現状ではそれも無さそうね。為信、祐光の言う通り時期を見計らった方が良いと思うのだけど……」


 戌も祐光の意見に同意する。
 盛安が上洛の準備を進めている以上、機先を制した行動は逆に首を絞める可能性があるのは戌も懸念していた事であったからだ。 


「しかし……軍勢を率いて上洛するつもりとは盛安殿も思い切った事を考える。……俺でも解らぬものが畿内にあるのだろうか?」


 為信は盛安の行動方針に何かがあるのかと考える。
 勢力の地盤が整い奥州でも大勢力の一角となったからこそ、軍勢を率いた上での上洛という芸当が可能なのだが……。
 如何しても今の時期で無ければ駄目な理由があるのかもしれない。
 為信の見た盛安という人物は決して無意味な行動を取る人物では無いからだ。
 何か理由が無ければこのような大掛かりとも言うべき行動をする理由が見い出せない。


「……恐れながら、今現在で見える将星の輝きに盛安様が動く理由があるように見受けます」


 だが、天文を知る祐光には盛安が上洛しようとしている理由が解ると言う。


「申してみよ。俺も流石に将星については詳しいとは言えぬ」

「……私も気になります、祐光」


 流石の為信と戌も祐光のように将星を深く知る者ではないだけにそれは気になる。
 盛安ほどの人物が此処までの大きな行動を起こそうと準備を進めているのだ。
 理由があるのは当然の事だと思っていたが……。
 それが解っているとなれば是非とも聞きたいと思うのも無理はない。
 為信と戌の反応は当然だと言うべきだろう。


「それでは……申し上げます。将星の輝きを見るに現状の段階で不自然な輝きを示す将星が四つ――――。
 一つめは武田勝頼様。二つめは織田信忠様。三つめは我が師、細川藤孝様の盟友、明智光秀殿。そして――――最後の一つは織田信長公にございまする」


「……そう、か。他には何か解るか? 祐光」


 祐光の口にした名に驚きを見せつつ、為信は更に詳細を尋ねる。
 名前の上がった人物は何れも何処かで名を聞いた事のある人物で特に信長は最も天下に近い人物として知られている。
 勝頼以外は全員が畿内で活動しており、盛安が上洛すると言うのはこの中の何れかの人物に関わっている可能性が高い。


「いえ……あくまで現状の段階での将星の輝きから推察したにすぎませぬ故、これ以上は判断が出来ませぬ。
 鎮守府将軍に就任した経緯から察するに盛安様が上洛しようとしているのは信長公の将星が影響しているものであるとしか言えません」

「相、解った。それだけ明らかになっているならば充分だ。……盛安殿が動こうとしている理由が相応のものである事が解っただけで良い」


 盛安が上洛しようとしている理由にある程度の予測が付いているのならば充分だと為信は納得する。
 天下人と言うべき信長の将星が不自然な輝きを示しているのに対する盛安の行動――――。
 恐らくは信長の身に何かある可能性を察しての事だろう。
 先見の明がある盛安ならばその動きは決して在り得ない事ではない。
 それに鎮守府将軍に就任するのに一役かってくれたであろう信長の事を義理堅い盛安が放っておくはずがないのだ。
 勿論、将星が示すものが懸念であればそれにこした事は無いが、恩を返すと言う意味でも盛安が動く理由としては充分過ぎる。
 為信はそういった人物像であるからこそ、盛安の事を好ましい人物であると思っているだけに逆に嬉しくもある。
 盛安が尽く、自分の見込み通りの人間であるからだ。
 政実と戦う可能性があるとしても盟友となっただけのものを盛安が持っている事が為信には堪らなく嬉しかった。


「この新たな年は鬼門と成り得るかもしれぬな――――」


 だからこそ、奥州の情勢が不安定である事が気にかかる。
 特に為信と祐光でも動きを完全に把握する事の出来ない最上家――――義光の存在が余りにも大きい。
 着実に動き始めているのは間違いないだろうが……予測が出来ない事が余りにも恐ろしく感じられる。
 為信からすれば謀略の師とも言うべき義光の存在が盛安の動きの影響に直結するのではないかと思わずには居られない。
 将星の輝きが示す道筋は確かに間違いでは無いのであろうが――――。
 晴政からの死から始まった1582年(天正10年)は為信の言う通り、鬼門と成り得るかもしれない。
 改めて情勢を見極めた上で動かなくては命取りになる事を察する。
 果たして、盟友である盛安は何処まで先を見通しているのだろうか――――。
 為信は盛安の居る角館の方角を見据えながら、動くべき時が少しずつ近付いて来ている事を実感するのであった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第66話 上洛準備
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2013/11/17 11:37




 ――――1582年1月下旬





 ――――角館城





「いよいよ、為信殿も頃合いを見計らって動くつもりか」


 運命の年とも言うべき1582年を迎えて約、半月。
 俺は盟友である為信から届けられた書状を読みふけっていた。
 書状に書かれていた内容は遂に南部晴政が没したとの事と津軽の深浦方面に及ぶ安東家の勢力を駆逐するつもりであるとの事。
 現状での為信は俺が治水に関する事を含めて国力の強化に関する助言をしており、その成果もあってか史実よりも勢力の拡大が早い。
 既に津軽家の領土は安東家の勢力下である深浦を除けば実質的な統一が完了している。
 石高の増強により、動員可能な軍勢や財貨などが大幅に増えた事も影響しているだろう。
 後は俺が檜山の地を落とし、出羽北部を統一すれば為信とは完全な形で領地を接する事になる。
 そうなれば、宿敵である南部家との決着の準備も整い、雌雄を決する事も叶う。
 昨年(天正9年)は唐松野の戦いを最後にひたすらに国力の充実を行っただけに今の戸沢家は70万石相当の力を持つに至っている。
 領内の水田、鉱山、油田といった開発や酒田、大湊を中心とした日本海の交易による影響は顕著に現れていると言うべきかもしれない。
 史実での唯一の難点だった石高の問題が解決した事で動員出来る軍勢も増加し、いよいよ俺の方も準備が整った。
 何とか、1582年(天正10年)に間に合ったのだ。


「……後は上洛して信長様を救出すれば、俺の方も存分に動ける」


 今まで勢力を拡大し力を蓄えてきたのはこの時のため。
 本能寺の変で逝くはずの織田信長を助ける事だ。
 誰にも見えなかった天下の形を夢見、乱世を打ち砕こうとした信長が統一したこの国が如何なるかを見てみたい。
 到底、天下を望める身の丈ではない俺が目標として掲げた一つの到達点。
 態々、”朝廷からの任命”と言う形で鎮守府将軍に就任したのも幕府の成立を目指す者を阻むためだ。
 ある意味では抑制力と言うべきだろうか。
 鎮守府将軍が在る限り、同じ役割を持つ征夷大将軍は存在し得ない。
 俺自身が天下を取る事を望んでいない以上、この官職における最大の役割は其処にあると言える。
 夷狄に備える平時の将軍職である鎮守府将軍が存在するのならば、臨時の将軍職である征夷大将軍は存在する理由が無いからだ。


「……九戸政実が動いている、か」


 しかし、為信の書状の中で気になる文面が北の鬼の異名を持つ、九戸政実が斯波家を落としたと言う部分。
 これに関しては史実でもあった出来事なので驚く程の事ではないが……。
 今の時期は晴政が没したために御家騒動となるはずの頃だ。
 そんな時に政実が軍事行動を起こしているとなれば、真実を知る者で無ければその死は嘘であるとするだろう。
 事実、晴政の死に関しては俺自身の持つ記憶と為信からの書状を除けば一切、情報が広まっていない。
 恐らくは死亡した事を伏せている可能性が高いと考えられる。


「南部家と戦う時も近付いてきたのかもしれないな……」


 政実が岩手方面を攻略した事で戸沢家と南部家の距離は大きく縮まった事になる。
 角館から東にあたる花巻方面から攻め寄せてくる可能性も高い。
 だが、今の戸沢家ならば俺が5000程の軍勢を率いて上洛しても15000前後の軍勢を守りに残せるため、そう簡単に落とされる事はない。
 しかも、ギリシャの火を利用した火矢や焙烙といった特別な武器も領地の防衛用に準備が終わっている。
 最悪、安東家が大湊の奪還を目指して同時に動いてきたとしても守りきる事は不可能ではない。
 俺が上洛した際に攻め寄せてくる可能性の相手と戦うだけの準備は仕込んできたつもりだ。


「後は最上家が問題になるが……少なくともある程度の時はあるはず。天童頼貞が健在ならば義光が此方に矛先を向ける余裕はない」


 最後に問題となるとすれば真室と庄内で領地を接する事になった最上家だが……。
 此方に関しては最上八楯の天童頼貞が健在である限り、心配する必要はない。
 史実においても彼の人物を警戒する余り、義光が最上八楯を攻略したのは頼貞の死後であった事からも窺える。
 長年の確執からして、積極的に動くのは命取りだとも言える。
 また、今の戸沢家は最上家と大差の無い勢力にまで成長しているため、義光が真っ向から挑んでくるとも考えにくい。
 康成に情報収集させている結果からしても義光には目立った動きは無いとの事。
 最上八楯を懐柔する術の無い義光では戸沢家に挑むだけの準備を整える事は不可能だろう。


「……雪解けまでもう2ヶ月も無い。後少しだ」


 全ての準備が整い、上洛の時まで残りが少ない時をひしひしと感じる。
 軍勢を率いての上洛にあたり携帯食料である干飯や兵糧丸、更には梅干や味噌といった物も準備させてきただけに長期戦となる準備も万端だ。
 日本海の交易を掌握した事で日本海からの畿内への入口となる敦賀にも伝手が出来ているため、上洛してもある程度は物資の補給も可能になっている。
 そのため、俺が計画している5000前後の軍勢を連れて行ったとしても、それなりの長期戦をこなす事も出来る状態にあると言えるだろう。
 歴史の分岐点とも言うべき事件に関わろうとするのならば準備に越した事はない。
 俺は畿内に出陣するにあたっての陣触れを考えつつ、上洛の際の計画を更に練り始める事にした。















「従軍させるべき将は矢島満安、服部康成、奥重政、白岩盛直……そして、自ら同行を志願した大宝寺義興か」


 俺が上洛するにあたって従軍させるべきは以上の武将達。
 満安は畿内の名立たる武将を相手にしても遅れを取る事はない豪勇の将。
 康成は伊賀上忍の家柄である服部氏の一門にして畿内での情報収集には欠かせない人物。
 重政は戸沢家の鉄砲隊を預かり、その運用方法を確立させた人物。
 盛直は俺の守役であり、長年に渡って仕えている家臣でも若い上に長期に渡る可能性のある遠征にも対応出来る人物。
 何れも頼りになる者達で全員が20代という年齢である。
 唯一、上洛する際には自ら志願する形で具申してきたのは義興だが……彼の場合は兄である義氏の経緯を考えれば無理もない。
 義氏の持っていた屋形号は信長が与えてくれたものであるからだ。
 その時の返礼と義を果たすために直接、面会して言葉を伝えたいとの事。
 俺の方も朝廷に軍勢を御披露目する名目での上洛だが、信長には鎮守府将軍の折に世話になった恩がある。
 改めて、御礼をしなくてはならないと思っていただけに義興の言い分は良く理解出来た。
 本来ならば大宝寺家の一門である義興を伴う事は大きなリスクを伴う事になるが……事情を考えれば否とは言えない。
 一先ず、庄内に関しては盛吉に委ねる事にする。
 義光が積極的に動けない今ならば、問題は特に無いだろう。


「率いる軍勢は5000……領地の守りに残すのは15000。父上や利信に任せれば不在の間は何とかなる。それに秀綱、昌長、重朝と言った猛者も残っている」


 軍勢の振り分けとしては戸沢家が常時運用出来る軍勢の内の4分1。
 最大まで動員をかければもっと軍勢を増やす事も出来るが、それは領民に負担を強いるために下策でしかない。
 此処、数年間をかけて既に兵農分離を済ませているだけに尚更である。
 基本的に動員出来る兵力はこれ以上は望めないと思うべきだ。
 それに俺が不在であっても先々代の当主である父、道盛を始めとして家中随一の知恵者である利信といった歴戦の者達が居る。
 元々から戸沢家を纏めてきた人間は残して行くし、昌長、重朝の率いる雑賀衆に智勇兼備の若き名将、秀綱も残して行く。
 義光が直接介入するという非常事態さえ起きなければ脅威となる相手は愛季と政実に絞られてくるので大きな問題はない。
 盟友である為信も居る事も踏まえれば、充分に上洛する事は叶うだろう。
 それ故に年が明けた際に雪解けを待って上洛する方針を示した時に大きな反対意見は出なかった。
 家中の誰もが今の戸沢家の勢力の大きさを良く理解しているからだ。
 如いていうならば利信が「……懸念する事があります故、今暫く待つべきかと存じます」と進言してきた事だろうか。
 恐らくは最上家を警戒しての事だろうが、義光と義守の確執を考えればそれは考えにくい。
 史実でも隠居後は動く事の無かった義守だ。
 義光の方も自らの才覚が義守を大きく凌駕し、広い視点で物事を見る事が出来るのを自負している。
 態々、義守が確執のある義光のために率先して動くとは考えられない。
 親子であっても一度反目すればその仲を修復する事は不可能に近い戦国という時代。
 義光との確執の深さからすれば利信の懸念こそが俺からすれば考えにくい事だ。


「……陣触れとしてはこんなものか」


 上洛の際の人選を済ませた俺は大きく一息吐く。
 信長を救う事になるか如何かの重要な行動になるだけに主な将を絞った上に領地の備えも考えうる限りの手を打った。
 本来ならば秀綱、昌長、重朝、利信も同行させたいところだが……俺が不在の間の領地を守りきるには誰一人として欠かせない。
 二方向から攻められるという事態となれば万が一は許されないからだ。
 それぞれの敵に対応するためには軍勢を分散させねばならず、充分な兵力を準備しておかなくてはならない。
 勿論、盟友である為信や景勝に援軍を要請する手段もあるが……。
 自身の目的のために巻き込むのは忍びない。
 特に景勝に至っては北上してくる柴田勝家との戦があるだけに尚更、援軍を求める訳にはいかない。
 独力で愛季、政実と言った難敵を退けなければならないのだ――――。















 こうして、俺は雪解けの季節を見計らって上洛する計画を練り上げた。
 未だに敵対する安東家、南部家が攻め寄せる可能性がある事を考慮した上で。
 晴政が死亡した事で南部家の動きが変わってくる可能性も考えられるが、既に軍事行動を起こしているとなればそれは考えられない。
 少なくとも晴政ほどの人物ともなれば、遺言で安東家と和睦してでも戸沢家に備えよとの言葉を残す可能性も考えられるからだ。
 奥州が誇る斗星と三日月の存在を決して過小評価してはならない。
 それが例え、勝機があるだけの備えをしてあるにも関わらずだ。
 俺よりも長く戦場に生き、幾多の経験を積んできた異名を持つ人物達が甘いはずがないのは当然である。
 正直、現当主である俺が不在となる状況で凌げる相手とは言い難い。
 しかし、本能寺の変という大事件の阻止と言う目的を踏まえればそれでも動くしかなかった。
 何しろ天下人の運命がかかっているのである。
 信長の目指す天下を良しとするならば、これだけは防がなくてはならない。
 それが信長に返す事の出来る最大の恩義だ。
 雪解けの季節が訪れるまで残りも2ヶ月ほどにまで迫っている事に俺は焦りのような感覚を覚える。
 家督を継承してもう4年にもなるが、逆を言えばもうそれだけの時が経過してしまったとも言えるのである。 
 目標の一つである出羽北部の統一は間近の段階まで到達しているが、最大の目標となる信長の救出は掲げた目標の中では最難関だ。
 初期の段階から上洛する事を前提に勢力の拡大と国力の充実に努めてきたが……それでも不安が拭えない。
 本能寺の変に直接、関わったのは明智光秀だが黒幕は別に居るとも言われているため、その存在次第では俺の力が及ばない可能性も高いのである。
 とりあえず、俺に鎮守府将軍を授けてくれたり、信長の申請に応じる朝廷が黒幕との可能性は余り考えにくいため、それだけが救いと言うべきだろうか。
 少なくとも光秀の動向に注視すれば範囲を絞れる。
 寧ろ、広い範囲を見過ぎれば深みに嵌ってしまうのが本能寺の変という事件だ。
 だからこそ、俺は此処暫くの間の動きを本能寺の変に備えるための準備に徹してきた。
 真相が解らない事件と言われているものであるが故に不確定要素が多いのが不安ではあるが……。
 こればかりは実際に動いてみなくては解らない。 
 直接関わった事に関してのみだが、史実とは違う部分もあるのだから。
 俺が動く事で本能寺の変を防げる可能性だって決して低くはないはずだ。
 唯、信長本人はもしかするとそんな事を望んではいないかもしれないが……これは俺の我儘。
 乱世を終わらせる者の一端となるのを目指す者として天下人を助けるのは当然の事なのだから。
 それが天下統一を掲げない者が成すべき事であり、責務でもある。
 尤も、幕府という形の統一手段を潰した俺が言うの烏滸がましい事だが……。
 征夷大将軍という臨時の役職が天下を統べるのが間違っているのも道理。
 歴代の鎌倉、室町といった幕府が崩壊したのもその現れだ。
 事実、征夷大将軍を任命した朝廷は組織として健在のままなのだから。
 そのため、先代の織田信秀の頃から帝を敬い、朝廷寄りの方針を示している織田家の目の付け所は間違っていない。
 俺が直接命令を下される事がほぼ無いとはいえ、あくまで朝廷の官職という立場から外れない平時の将軍である鎮守府将軍の立場を選んだのもそれと同じようなものだ。
 万が一の事態に信長を助ける事は俺の立場からすれば矛盾しているとは言えないのである。















 しかし、本能寺の変に備えて視点を一定の範囲に絞っているが故に俺は未だに気付かなくてはならない事を見落としている。
 義光と義守の確執の深さについては間違ってはいないが、今の出羽北部の状況が最上家からすれば非常事態宣言しなくてはならない状況にある事を――――
 義光の器量の大きさを知るが故に義守の器量を見誤り、自らの立てた計画は根本から既に崩されている事を――――
 そして、利信の懸念していた事が全て的中している事を――――
 先の事や歴史を知るが故に発生する事になる弊害をこの時の俺は未だに知る由も無かったのだ。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第67話 滅びを誘う道
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2013/11/24 06:29





 盛安が上洛の準備を済ませ、雪解けを待って出陣する段階にまで到達したその頃――――。
 僅か数日後の1582年(天正10年)2月1日の甲斐国の新府城では武田家を震撼させる大事件が勃発していた。





 ――――新府城





「義昌めっ! 許さぬ!」


 勝頼は織田家からの内応に応じた事が発覚した木曽義昌に対し、激怒の様子を露わにする。
 この年より、信玄の頃より慣れ親しんだ躑躅ヶ崎館から本拠地を新府城へと移して気持ちも新たに武田家の繁栄を願い、立て直しを図っていた最中。
 人質交換として、義昌から遣わされた使者の不審な行動が内応をしている事を証明した。
 使者は勝頼から今暫く滞在するようにと厳命されていたが、新府城が慌ただしいと見るや脱走を図ったのだ。
 これは長坂釣閑の指示に従った跡部勝資がわざと義昌の使者を泳がせ、真意を確かめるために行ったものだが、使者はまんまとそれにかかった。
 義昌が勝頼の命で数日前に出陣した武田信豊と対陣している事に慌てたのかもしれない。
 何れにせよ、使者は義昌が織田家に通じている事が既に勝頼にばれたと判断し、慌てて逃亡を試みたのである。
 しかし、この行動が完全に裏目に出た形となり、義昌の叛意の証拠が勝頼の知るところとなったのだ。


「今すぐにでも義昌からの人質と使者の首を刎ねよ。……明日には儂も出陣する」

「ははっ!」


 嘗ての木曽家の従属した経緯を思い返しながら勝頼は苛立ちを募らせる。
 木曽家は信玄の信濃侵攻の際に降った大名家の一つ。
 滅亡寸前にまで追い詰められていたが、本格的な戦となる前に降伏したため、特別に赦免されたという経緯がある。
 しかも、信玄は自らの娘の一人である真理姫を嫁がせ、義昌を一門衆として優遇した。
 それにも関わらず、こうして離反する行動に出たとあれば、勝頼にとっては恩を仇で返してきたとしか思えない。
 勝頼が激怒しているのも無理はないものであると言えるだろう。
 だが、一門衆である義昌が離反したという事は明確に武田家の力が弱体化している事を明言しているのと同義である。
 特に美濃から信濃における入口である木曽を所領とする義昌が織田家に通じたと言う事は彼の家がいよいよ、攻め寄せてくると言う事でもあった。
 最早、一刻の猶予もない。
 翌日までには新府城を出陣し、信濃へと入らねばならないのだ。
 織田家が侵攻が本格化するであろう事が明らかになった今、すぐにでも動かなくてはならない。
 しかし、勝頼が義昌を討伐するために出陣しようとしているのと正に同時期――――。
 天下人の後継者が率いる軍勢がいよいよ、岐阜城を出発しようとしていた。















 ――――1582年(天正10年)2月3日




 ――――岐阜城




「先鋒は森長可、団忠正に命ずる」


 秘密裏に義昌からの救援要請を受け取り、準備を進めていた織田家は迅速とも言うべき対応を見せていた。
 鬼武蔵の異名を持つ、長可と側近である忠正に先鋒として出陣の命を下しているのは信長の嫡男である織田信忠
 父、信長より織田家の家督を譲られ、岐阜城を本拠地に取り仕切る役を任されている信忠は名実共に天下人の後継者である。
 歳の頃は20代半ばと若いが、武田家との戦では秋山信友を討ち取るなどの武名で知られ、それ以外でも松永久秀を討伐した事でも知られる歴戦の勇士。
 此度の武田家討伐の絶好の機会とも言うべき義昌の内応に対しては対武田家の最前線を領地として治めている身から一手を任される事となったのだ。


「但し、深追いだけはするな。上杉景勝からの援軍の可能性も考慮し、俺が合流するまでは義昌と共に武田を防ぐ事を目的として動け」


 信忠は勇猛で血気盛んな長可と忠正の気質を踏まえて、念を押すように両名に言い含める。
 戦場における働きに関しては天性のものを持つ長可と忠正だが、深入りし過ぎるきらいがあるからだ。


「また、目付役として河尻秀隆を付ける」


 そのため、この両名の目付けとして秀隆にも出陣を命ずる。
 信長の家臣として長い戦歴を持つ秀隆ならば血気盛んな両名の手綱を握れるだろうし、義昌との取次を請け負ったのが秀隆の指揮下にある遠山友忠であったからである。
 先鋒に任じた両名が冷静とは程遠い以上、経験豊富な者を付けるのは当然だろう。
 それに武田家と盟約を結んでいる上杉家の動向も気になる。
 現状は越中方面から柴田勝家が進軍を開始しているが、信濃に関しては介入出来ない。
 念には念を入れて飛騨方面から金森長近も此度は従軍させるつもりではあるが、それでも景勝の存在を侮る事は命取りとなる。
 義に厚い景勝ならば、援軍を送るにせよ送らないにせよ何かしらの行動を起こしてくる事は明確であるからである。
 ましてや、今の越後は完全な形で統一されている状況にあり、充分な力を持っている。
 流石に勝家が進軍している事からすると大軍を率いてくる可能性は無いが、少なくとも場合によっては障害となる可能性が充分にある。
 信長が信忠に対して深入りには気を付けるように――――と厳命しているのは間違いではない。


「俺も10日以内には軍勢を率いて出陣する。……然と励め!」

「ははっ! この鬼武蔵に御任せあれ!」

「承りました。この、団忠正。必ずや殿の御期待に添えましょうぞ」


 現在の状況を判断して、信忠は先鋒としては働きが期待出来るであろう長可と忠正らを先に出立させ、自身も10日以内に岐阜城を出陣する事とする。
 深入りを避ける必要があるとはいえ、一門衆である義昌が寝返った事は勝頼の威信の失墜を証明するものであり、武田家の弱体化を明確にするもの。
 しかしながら、援軍を送る事が可能な状況にある上杉家の存在や情勢が不穏とも言える信濃国内の状況については現地に出向かなければ解らない。
 一先ずは義昌の治める木曽福島城を起点にし、武田家を一気に滅ぼせるか否かを判断するべきだろう。
 信忠は武田家の現状を踏まえてそのように判断し、自身は一先ず、美濃の東部に位置し、武田家との最前線である岩村城に入って詳細を練るべきだと考えた。
 また、木曽や飛騨方面からだけではなく、三河、遠江方面からは盟友、徳川家康
 更に関東からは北条氏政に武田家の領内へと侵攻するように要請している。
 これにより、多方面の入口から攻め寄せる形となり、武田家は嫌でも戦力を分散せざるを得ない。
 例え、援軍があったとしても各個撃破してしまえば烏合の衆でしかないのだ。
 正に広大とも言えるこの戦略は流石、信長の後継者と言うべきだろうか。
 今が好機であると流れを掴み、引き寄せるには絶好の機会が到来した事を見逃さないのは紛れもなく武将として一流の証。
 信忠は先鋒を命じた者達以外にも各地を転戦した滝川一益と言った信長の下で活躍してきた武将達を率い、合計50000以上もの大軍を岐阜城から出陣させる。
 この中には武田家の人質として勝頼の傍にあった御坊丸改め、織田源三郎勝長の姿もあった。
 森長可、団忠正の出陣を皮区切りとし、織田信忠の一世一代の大戦とも言うべき武田家征伐が遂に開始される――――。















 ――――同日





 ――――上原城





 信忠の命で長可と忠正が出陣した日と同日。
 約15000の軍勢を率いて新府城から出陣した勝頼は諏訪湖から約1里半ほど離れた位置にある上原城に入り、情報収集に躍起になっていた。
 不幸中の幸いなのは武田家には素破衆という有能な忍がおり、家臣の真田家にも戸隠衆という優れた忍が存在した事だろうか。
 そのため、情報を集める事に専念すれば現状の段階の各地の状況を調べる事は難しくない。
 だが、勝頼の下に届けられる情報はどれも織田家の本格的な侵攻が開始されようとしている事を示唆するものばかり。
 義昌が織田家に通じた事でその侵攻を招く可能性がある事は予想の範疇ではあったが、事態は想定する以上に酷い。
 木曽方面からは織田信忠、遠江方面からは徳川家康、飛騨方面からは金森長近、関東方面からは北条氏政と錚々たる面々である。
 特に氏政は現在の勝頼の正室、の兄であり、嘗ては盟友であっただけに戦いにくい。
 現在も勝頼が出陣している合間に桂が必死の交渉を行ってくれるであろうが、氏政の気質を考えると芳しい結果が得られるとは考えられなかった。


「……景勝殿に援軍を要請するしかないか。流石に織田との交渉を請け負ってくれていた義重殿を頼る事は出来ぬ」


 侵攻してくる多数の相手を前に勝頼は最終手段とも取れる上杉家へ援軍を要請する事を決断する。
 他にも応じてくれる可能性のある佐竹家への要請も考えたが、勝頼のために織田家との和睦交渉まで行ってくれた義重をこれ以上、頼る事は出来ない。
 そのため、越中から織田家の侵攻を受けているのを承知で景勝に援軍を要請するしか勝頼に手段はなかった。


「誠に遺憾だが……そうするしかないぞ、勝頼殿」


 苦肉の策とも言うべき手段に同意するのは一門衆でも上席にあたる武田信豊。
 信豊は信玄の実弟である武田信繁の子。
 多くの死傷者を出した川中島の戦いで父を失って間もない頃にその後を継ぐ事となり、同年代である勝頼とは長年に渡って共に武田家のために働いてきた人物である。
 また、偉大な父親を持つ者同士として苦楽を共にした仲であり、互いの立場も良く理解している盟友でもあった。


「信豊もそう思うか……やはり、仕方あるまいな」


 心境を察しつつも頷く信豊に勝頼も苦々しく応じる。
 信豊も織田家の侵攻の前には援軍を要請するしかないと判断しているのだ。
 報告では各方面から敵が攻め寄せてくるとの事で戦力を集中させる事が出来ない以上、別の所から軍勢を持ってくるしかない。
 しかし、今の上杉家は越中で勝家率いる軍勢と交戦中であり、その他の有力な武将である新発田重家や本庄繁長もそれぞれが蘆名家、伊達家、最上家に備えている。
 領内の情勢こそ安定している上杉家ではあるが、織田家の軍勢を撃退するには景勝自らが率いる主戦力を無くしては成し得ない。
 勝家とは”越後の鍾馗”の異名を持つ、斉藤朝信が対陣しているが、両名共に名将と名高い人物であり、緊迫した状況が続くのは明白。
 そのため、景勝は自らが軍勢を率いて越中へと出陣する事になるであろう。
 もし、武田家に援軍が来るとすれば越中にて景勝と入れ替わる形となる朝信だが、援軍に間に合うかまでは解らない。
 上杉家との同盟を締結する際に深く関わり、交渉の相手を務めた彼の人物の気質からすれば無理をしてでも援軍に駆け付けてくれる可能性は高かった。


「……なれど、此処は独力でも体制を整える事も前提とせねば如何ともし難い。勝頼殿、各地の守りを任せる者達の人選は決めてあるのだろう?」

「うむ……上野の安房(真田昌幸)を始めとした者達に各方面を任せるつもりだ」


 だが、幾ら上杉家が援軍を送ってくれる可能性があるとはいえ、それは今すぐではない。
 勝頼と信豊が援軍として派遣されるであろうと予想している朝信が来るまでは時間がかかる。
 今から要請しても到着するのは早くても今月の中旬から下旬以降となるであろう。
 そのため、勝頼は武田家だけでも状況を打破せんがために対応策を練り上げていた。
 北条家が侵攻するであろう上野国は真田昌幸。
 徳川家が侵攻するであろう駿遠国境は穴山信君。
 それに加え、北条家がもう一つの道として進軍する可能性のある駿豆国境は曽根昌世、高坂信達。
 甲斐本国は小山田信茂――――と多数の軍勢を率いる事の出来る有力な家臣達に各方面を任せる。
 そして、自らは上原城に本陣を構え、信濃防衛の陣頭指揮を執る事とした。
 長篠の戦い以来、多くの有力な武将達を失ってきた今現在の武田家は深刻な人材不足であり、多数の軍勢を預かれる武将はそう多くはない。
 事実、防衛の計画の際に勝頼が名を上げた者達は信玄の代から活躍してきた者であり、多くの戦歴を重ねてきた者。
 駿河を任されている信君を除けば一門衆である人物は一人も居らず、正に歴戦の者達であると言うべきである。
 これは勝頼が不在でも充分に指揮を執る事が可能な猛者達ならば、多方面から攻め寄せる相手とも上手く戦えるとの判断であった。
 特にこの中でも昌幸と昌世は信玄の眼と呼ばれた武田家屈指の戦上手である。
 両名共に多数の軍勢を相手取る事に長けており、軍勢の数だけが戦を決する要素では無い事を地で行く者達。
 信玄の愛弟子である昌幸と昌世はある意味では信玄が残した貴重な遺産であると言っても良い。
 だが、この両名が揃って織田家の侵攻が始まろうとしている現状において傍に居ない事は勝頼に一抹の不安を抱かせる。
 自身の立てた戦略は敵の主力を飯田を始めとした諸城で防ぎつつ、後詰となる部隊を繰り出し、相手を消耗させる事で追い落とすというもの。
 これに関しては最善の策であると思える。
 しかしながら勝頼は何処かに見落としがある可能性を捨て切れない。
 一門衆の一人である義昌が裏切った事は武田家中でも疑心暗鬼を招く大きな要因となっているからだ。
 昌幸や昌世のような知恵者が傍に居ない事はこういった機敏を看破出来ないという懸念を勝頼に強く抱かせる。
 無論、この場に居る信豊や高遠城を拠点とする実弟、仁科盛信の事を信頼していない訳ではないが、敵は織田家である。
 如何なる搦手を用いてくるか知れたものではない。
 もしかすると、義昌の内応以外にも勝頼の預かり知らぬところで既に手を打っている可能性も考えられる。
 こうした相手に対しても的確な対応手段を次々と生み出す事の出来る昌幸と昌世の不在は正に大きな痛手であり不安材料。
 嘗てない強大な敵を前にして万全な体勢を整えて、待ち構える事が出来ないのである。
 勝頼は嫌な予感がする事をひしひしと感じつつも迎え撃つ準備を進めるしかない。
 最早、織田家の侵攻が始まったのならば迎撃する以外の選択肢は無いのだから――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第68話 崩壊への序曲
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2013/12/01 00:00





 ――――2月6日




 信忠の命で先鋒として出陣した長可、忠正の率いる軍勢は早くも伊那谷への侵入を開始した。
 対武田家との戦における最初の関門となるのは伊那における城の一つである滝之沢城に拠る下条信氏である。
 信氏は信濃の国人でありながら、信玄の妹を娶ったと言う経緯を持つ武田家でも重用されている人物。
 既に高齢であり、隠居の身ではあったが武田家存亡の危機と言える織田家の侵攻に対して自ら軍配を執り、それに立ち塞がる構えを見せていた。
 信玄の娘を娶っていた義昌が一門衆でありながらも裏切った事を踏まえれば、まるで対照的な行動である。
 それだけ武田家に対しても忠節を誓ってくれている人物であるために初戦を任せるには最適な人物と言える。
 また、滝之沢城は東西で1キロにも及ぶ馬の蹄のような形をした崖城であり、有数の要害としても名高い。
 平時でも厳重な警戒がなされていた滝之沢城で迎撃するという信氏の戦術は良い着眼点である。
 要害に拠り、粘り強く戦う事で寡兵であっても大軍を相手に時間稼ぎをして後詰を待つのは勝頼が上原城にまで出陣している事を踏まえれば、正に上策。
 高齢であるが故に堅実な戦運びを狙う信氏の戦術は見事とも言えた。


「忠正。こんな城、すぐにでも落としてしまおう。信忠様の手を煩わせるまでもない」


 要害で待ち構えるという信氏の動きを見た長可は敵が寡兵であると見るや、直ぐにでも片を付けようと逸る。
 一々、待つのは如何もしょうに合わない。
 こんな如何でも良い相手など、さっさと撫で斬りにでもして勝頼や盛信といった猛将として知られる人物達と死合う事の方が楽しいに決まっている。
 長可は忠正を急かすように出撃すべきと主張する。


「少しだけ待ってくれ、長可殿。もう間も無くで殿が内応を約束したと言う者が動くはずだ。速やかに落とすならば、それに乗じた方が良い」


 それに対し忠正は長可には少しだけ待つようにと諭す。
 義昌の内応に乗じて信忠が他にも内応の約束している者が居ると言う事を聞いていた忠正は長可に比べて冷静であった。
 確かに長可の言う通り、初戦だからこそ急ぎ落とす必要がある。
 圧倒的なまでの力を見せ付ければ士気が衰える者も続々と出てくるからだ。
 しかし、滝之沢城のような崖城ともなれば力攻めだけでは被害が大きくなる。
 信忠が裏で手を回したのもそれを懸念しての事だろう。
 長可の猪突猛進な気質を良く理解していると言える。


「信忠様が? ならば、仕方あるまい。内応する者が居るのならばそれの手引きを機に一気に雪崩込むとしよう」


 主君である信忠が既に手を回しているなら此処は忠正の言う通りにした方が得策だ。
 力攻めで突破する自信はあるものの、連戦を重ねるならば出来る限りの消耗を避けるのは理に適っている。
 武田側が要害とも言うべき場所で迎え撃つ姿勢を見せたのも此方の戦力を疲弊させるためなのは間違いない。
 ならば、内応する者の手引きに従って一気に城に雪崩込むのも悪くはないだろう。
 呆気無い幕切れになるだろうが、まだまだ死合う機会は幾らでもある。
 此処は素直に従う事にするべきかと長可は判断した。


「うむ、その通りだ。……待ち望んでいた報せも来たようだしな」


 長可にしては珍しく懸命な判断である事に安心しつつ、忠正は内応通りに動いた報せを伝えに来た伝令の姿を捉え、頷く。
 本当は忠正もさっさと片を付けたいと思っていたのだ。
 しかし、長可の気質の危うさを知っている身としては適度な程度での我慢が必要だ。
 忠正は出来る限り、そういった事を心がけている。
 とは言っても忠正も長可と同じく、自ら得物を取って戦う武将だ。
 やはり、最前線で戦う方が自分に合っている。
 報告が来た事で漸く動ける頃合いが来た事で慌しく長可と忠正は準備を進めていく。
 いよいよ、武田家を滅ぼすための戦いが始まるのだ――――自然と意気も上がるというものである。
 溢れんばかりの闘志を燃やす2人の武将は待ち望んだ時が近付いてきた事に悦びを覚えるのであった。















 ――――2月7日





「馬鹿なっ! こんなにも早く、滝之沢城が陥落したのか!?」


 長可、忠正の率いる軍勢が滝之沢城を落とした翌日、素破からの情報で勝頼は僅か1日で要害と謳われた彼の城が陥落した事を知る。
 報告によれば、信氏の家老を務める下条氏長が手引きをし、織田家の軍勢を引き入れたとの事。
 僅か1000にも満たない軍勢しか率いていなかった信氏は成す術もなく、城を退散するしかなかったという。
 本来ならば地の利を活かす事で粘り強く戦える城であっただけにこの呆気無い陥落には勝頼を始めとした幕僚を大いに動揺させる。
 滝之沢城を守っていた信氏の手腕は疑いようが無かったからである。
 だが、此処はすぐに切り替えるべきだと判断し、勝頼は次の防衛線である松尾城に救援を送る事にしようと考えた。
 しかし――――続けて伝えられた情報で勝頼はそれも断念せざるを得なくなる。


「鳥居峠を義昌と遠山の軍勢が越えて来ただと……!」

「御屋形様、これでは松尾城に援軍を送るのは得策とは言えませぬ」

「解っている!」


 援軍を反対する勝資の言葉に勝頼は苦々しく応じる。
 勝資の言葉は間違ってはいないからだ。
 鳥居峠を越えて侵入してきたと言う事は伊那谷の最重要拠点である高遠城の方面が危うくなるのである。
 万が一、高遠城が陥落すればその南に配された城郭や軍勢は全て立ち枯れるしか道はない。
 高遠城は伊那谷の根元と言うべき場所にあるからだ。
 根元が無くなれば大樹も枯れるしか無く、延命する余地は無い。
 現状でも一気に崩壊が始まっているとも言える信濃の入口の様子を踏まえると高遠城の防衛力を落とすべきではない言う勝資の意見は的を射ていると言うべきだろう。
 言い返そうにも、それが当たっているとなれば如何する事も出来ない。
 勝資の進言は間違いなく、正論であった。


「……義昌らに軍勢を差し向けよ」


 勝頼は歯痒く思いつつも義昌らを迎え撃つ決断をする。
 鳥居峠を越えてきたとあらば、木曽と遠山の連合軍は本格的に戦を交えてくるつもりなのだろう。
 現に織田家からの軍勢が後から来ている以上、その判断は理に適っている。
 待っても進んでも何れ、援軍が到着すれば結果としては戦力は大きく増大する。
 先行きが明らかになっている現状で義昌が機を見て動くのは当然の事だ。
 信玄から一門衆に迎え入れられたその才覚は決して侮れるものではない。
 勝頼は義昌が動き始めた事に対し、焦りつつ指示を出す。
 此処で手を拱いている時間も余地も無いからだ。
 僅かでも思考を止めたらその段階で全てが終わってしまう。
 義昌の手の内を読まなくては先はない。
 勝頼がそれを踏まえた上で指示を出すのは当然の事であると言えた。





 ところが勝頼が鳥居峠に軍勢を向けるであろう事を察していた義昌はあっさりと木曽谷へと撤退していく。
 主力を率い、如何にも決戦を挑むと言った様相で動いた義昌であったが、本来の目的は威力偵察でしかなかった。
 あくまで牽制する事とし、決戦という意図は義昌の中には微塵にも存在しない。
 勝頼が釣られた事を確認した義昌は偵察と牽制の両方の目的を達成し、悠々と退き上げて行く――――無論、追撃される可能性を考慮した上で。
 この木曽、遠山の連合軍の動きに対し、武田勢は追撃する事を躊躇う。 
 明らかに備えをしている相手に攻め寄せるなど、愚の骨頂であるからだ。
 動けば手痛い反撃を受ける事は目に見えて明らかである。
 此処は義昌が攻めてくる可能性を考慮した備えをする以外に術はない。
 だが、この躊躇いの動きが鳥居峠よりも先に援軍を送ろうとした松尾城を孤立させた。
 城主を務める小笠原信嶺は信玄の弟である武田逍遥軒信廉の娘婿であり、武田家の一門衆の一人。
 それ故に信用もされていたが、勝頼から援軍が来ない事に信嶺は紛糾する。
 後詰を今か今かと待ちわびていた目の前に翻る軍勢の旗は織田家の武将である長可と忠正の物。
 予定した通りであったならば、勝頼からの援軍の方が先に松尾城に到着していたはずである。
 にも関わらず、援軍が来ないともなれば最早、武田家が援軍を寄越すつもりが無いと判断するしかない。
 そのように結論付けた信嶺は2月14日に戦わずして降伏する。
 窮地に至って何の援軍も寄越す事をしなかった勝頼に恨みを募らせながら。
 勝頼の判断が間違っていたとは言わないが、一門衆として間近に仕え、勝頼の気質を見てきた義昌の方が駆け引きで勝ったと言うべきだろう。
 義昌に撹乱される形で勝頼は要害である滝之沢城に続き、松尾城を失ったのである――――。















 ――――2月14日同日





「抵抗が無いのはつまらぬが……流れとしては随分と幸先が良いな。武田なぞ大した事は無いのかもしれん」


 後詰を送らなかった勝頼に怒りを向けるかのように案内を申し出てきた信嶺とのやり取りが終わった後、長可はぽつりと呟く。
 義昌の手引きや主君である信忠の手際の良さもあるのだろうが、余りにも上手く事態が進み過ぎている。
 立て続けに無血開城といった形で城が陥落したのである。
 しかも、話によればそれぞれの城を守っていたのは武田家の一門衆だと言う。
 同じ一門衆である義昌の寝返りが相当に功を奏したのであろうが、余りにも呆気無い。
 長可の目から見ても良い戦となると思われた堅城は哀れとしか表現出来ない程に落ちていく。
 これならば、まだ一揆勢を相手に撫で斬りをしていた方が余程ましなくらいである。
 武門の家として名高い武田家がこの程度とは落胆せざるを得ない。


「長可殿の言う通りではあるが……殿には吉報を御伝え出来るから良いではないか。些か深入りし過ぎたと思っていたが、これならば御咎めも少なくて済む」


 如何にも残念であるといった様子の長可に対し、忠正は一安心といった表情を浮かべる。
 信忠からは背後の上杉家の存在も含め、深入りする事は避けるように命令されていたからだ。
 にも関わらず、結局は長可に付き合う形で此処まで軍勢を進めてしまった。
 本来ならば命令違反として罰せられるのが当然である。
 しかし、被害無く要害を落としてきたと言う結果があるならば信忠とて強くは言えない。
 想定した以上に大きな戦果を上げ、尚且つ預かった軍勢は消耗していないのだ。
 結果としては上々どころかこの上ない程のものである。
 これでは深入りしたとはいえ、大功を上げた長可と忠正の両名を罰する事は出来ない。
 目付役として後から追いかけて来ている秀隆が何も言ってこない事を見ると忠正の読みは当たっているらしい。
 大功を上げた者を咎める事で士気を下げる事を良しとしないのならば当然の判断である。
 流石の秀隆も此処まで順調だと何も言えないのだろう。
 寧ろ、只管に突き進む長可達に呆れてものが言えないのかもしれない。
 何れにせよ、秀隆からも何もない以上は大きな問題は無いと言える。


「ふむ……それもそうか」


 確かに忠正の言う通りだ。
 これだけ戦果を上げれば信忠からの咎めは少なくて済む。
 元より長可は待てと言う命令に関しては従うつもりは微塵にも無かったが、咎められる事については良い気はしない。
 吉報を伝える事でそれを抑えられるのであれば深入りした甲斐もあると言うものである。


「だが、道案内を志願してきた者が居るにも関わらず待つのもな……。良し、次の目標である飯田城を囲みながら信忠様を待つとしよう」


 しかし、これだけでは満足出来ないのが鬼武蔵と言われる長可である。
 深入りしたにも関わらず、敵が居ない事には満足出来ない。
 せめて、一戦くらいは交えなければ自分だけでは飽き足らず得物である人間無骨も血に飢えるだけだ。
 それに座して待つのは鬼武蔵の名が廃る。
 何もせずに信忠を待つくらいなら次の戦場に移動し、其処で合流した方が良い。
 恐らく、信忠の事だから長可達が予定よりも早く進軍している事を知れば慌てて追いかけて来る事は疑いようが無いだろう。
 信忠が此方の気質を理解しているように此方も信忠の事は理解しているつもりだ。
 そうでなければ、こういった事態になる可能性があるにも関わらず長可達に先鋒を任せるはずがない。
 どちらかと言えば手応えの無さ過ぎる武田家が今の事態を引き起こしたとも言える。


「……それならば、早ければ翌日には殿と合流出来るかもしれぬ。流石に飯田城よりも先に進むつもりならば認める訳にはいかないが」


 長可が飯田城まで攻め入ると言う事については反対しない忠正。
 距離的にも翌日である15日には囲む事も可能である飯田城ならば特に問題はない。
 無理な行軍で軍勢を疲弊させる事も無いだろうし、今ならば武田家の方も体勢を整えていない可能性も高いだろう。
 長可は特に何も言わないが、恐らくは感覚的に進むべきである事を感じている。
 一度、雪崩込む事の出来る状況に持ち込んだのならば行ける所までは行くべきだ。


「ふん……俺とてそれくらいの了見はある。忠正に言われるまでもない」


 忠正に言われるまでも無く、長可の方も止まるべき段階が何処かまでは把握している。
 岩村城に入った信忠が急いで軍勢を動かした場合に1日で間に合う距離である最前線の城は飯田城であるからだ。
 父である信長に負けず劣らず、行動するのが早い信忠ならば間違いなく追い付いてくる。
 事実、長可が予想した通りに信忠は既に行動を開始していた。





 ――――1582年2月14日





 長可、忠正が既に松尾城までも落とした事を聞いた信忠が岩村城を出立したのは正に今、この時であったのだから。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第69話 自落する城
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2013/12/22 09:20





 ――――1582年2月14日





 ――――岩村城





「何っ!? 長可と忠正は既に松尾城までも陥落させただと!?」


 長可と忠正の両名を先鋒として出陣させて、僅かに数日。
 まるで嵐の如く、突き進んでいく両名に信忠は驚きを隠せない。
 よもや、此処まで一気に行く事になるとは思わなかった。
 相手は武名高き、武田家であるだけに信忠は苦戦すると踏んでいただけにその予測は大きく外れたと言える。
 長可と忠正は確かに勇猛果敢で攻めに転じた場合の働き振りは目を見張るものを持っているが……。
 若い両名では流石に限界もあるだろう、と信忠は踏んでいた。


「先鋒としての力量は信じていたが……予想外であった」


 それだけに此処まで快進撃が止まらないのは予測出来なかった。
 武田家の強さは今までの戦歴が全てを物語っているのだから。


「もしや……俺や父上が考えている以上に弱体化しているのかもしれぬ。……一益!」

「ははっ!」

「今直ぐにでも出立する。長可の性格を考えれば飯田城辺りまでは進むだろうから、其処で合流する」

「畏まりました」


 しかし、信忠はこの状況が自分で考えている以上に武田家の衰退が進んでいるの事の証明であると判断する。
 最強とも名高い武門の名門が呆気無く崩れていく今の流れを逃してはならない。
 後から安土を出陣すると告げていた信長からは「儂が到着するまでは逸るな」と言われていたが、座して待つ事が良いとも限らない。
 実際に現地の状況を見てみなければ信忠も進むべきか止まるべきかの判断を下せないのだ。
 それに長可らの性格を踏まえれば、このまま進軍を止める事は無い。
 松尾城を陥落させたのならば、次の目標は予定していた飯田城となる。
 信忠が今直ぐにでも出立して飯田城で合流するとしたのはそれを見越しての事だ。
 家臣である滝川一益に告げたのも裏付けがあっての事である。


「……さて、今の武田は如何様になっているのであろうな」


 慌しく一益がこの場を後にしたところで信忠はぽつりと呟く。
 今の武田家は木曽義昌の寝返りを皮区切りに崩壊が始まっているのは疑いようがない。
 一気に突き崩すかのように快進撃を続ける長可らの進軍もそれがあっての事だろう。
 先鋒を任せた両名は感覚的に武田家の脆さに気付き、進むべきだと判断した可能性も考えられる。
 本来ならば独断専行で動いた長可と忠正を叱責せねばならないところだが――――これでは士気を落とす事にしかならない。
 戦況が順調に動いているのならば逆に褒めてやるべきだろう。
 信忠は苦笑しつつも進軍の準備を整える事にするのであった。















 ――――2月15日





 ――――飯田城





 先日に降った小笠原信嶺を先鋒とし、長可らの率いる織田家の軍勢は飯田城を取り囲んだ。
 飯田城を守っているのは槍弾正の異名を持つ猛将、保科正俊と保科正直の親子に小幡忠景らを始めとした約2000騎の軍勢。
 しかし、この地を守る正俊と援軍として飯田城に入った忠景の意見が合わず、戦う前から内輪もめを起こしていた。
 長可、忠正の率いる軍勢が攻め込んだのは正にその矢先の事。
 武田家の側とすれば隙を突かれた形であったのだが……。
 先頭で翩翻と翻る小笠原信嶺と下条氏長を前にして城内の兵が激しく動揺する。
 何しろ、織田家には在り得ないはずの人物の旗が見えたのだから。
 特に一門衆であるはずの信嶺の旗が立っている事が決定的なまでに城内の兵達の動揺を誘う。
 僅か数日の間に義昌に続いて、一門衆が寝返ったというのを目にして大将では無い者に平静を保つ事は難しい。
 城内は色めき渡り、騒ぐ声が相次いで聞こえる有様となっていた。


「……敵は動揺しておるな。いけるぞ、長可殿」

「ああ、言われるまでもない!」


 飯田城の内部が混乱している事を見抜いた長可と忠正は動き始めた。
 軍勢を飯田城の近くにある梨野峠へと上らせ、城兵がそれに気を取られている隙に城の構造を知る信嶺らが諸所に放火する。
 多数の一揆勢を相手にして戦ってきた長可はこういった判断が非常に速い。
 城に籠る者達を燻り出すための一連の流れを見極めた2人は飯田城まで追ってくるであろう信忠を迎えるために一気に陥落させるべく行動を開始した。
 援軍に来なかった武田家への怒りが溢れんばかりに激っている信嶺も本領発揮と言わんばかりに彼方此方へと放火していく。
 信嶺からすれば武田家の方から見捨ててきたのだから最早、容赦する必要性は全く無い。
 寝返ったからには存分に働き振りを示すまでである。 
 信嶺は昨日の段階で腹を括っていたのであった。





「くっ……落ち延びるしか無いとは」


 飯田城の諸所から火の手が上がった事に恐怖し、一目散に逃げ出した忠景に悪態を吐く正俊。
 勝頼の命令で援軍に来た者が命欲しさに真っ先に逃げ出すとは情けない。
 槍弾正の異名を持つ歴戦の勇士である正俊は落胆を隠せなかった。
 如何に信嶺が寝返り、織田家の軍勢に囲まれたとはいえ、戦う前の段階で何もせずに逃げ出すとは。 
 抗戦するための術で揉めていたのもあるが、忠景の行動には落胆せざるを得ない。
 しかし、火の手が上がった以上、城内に籠る事は不可能。
 幾ら猛将と名高い正俊であっても軍勢が機能しない状況で反攻に転じる事は出来ない。
 手段が存在しないのでは如何にもならなかった。


「……御屋形様、申し訳ございませぬ」


 不甲斐無い己の身を恥じながら正俊もまた飯田城を後にする。
 槍弾正とまで謳われた自分が何も出来ないとは。
 老いた身であるとは言え、所詮は先代の信玄があってこその槍弾正であったのかもしれない。
 攻め弾正こと真田幸隆、逃げ弾正こと高坂昌信の両名が亡くなり、三弾正とも言われていた人物で生き残っているのは正俊唯一人。
 信玄の頃より数多くの戦を戦い抜き、戦場を駆け回った者の多くの者亡き今こそが槍弾正の務めを果たすべき時であった。
 しかし、自洛へと突き進む飯田城の姿を前にして何も手立てを施す事が出来ない。
 常人を遥かに超越した智謀の持ち主であった幸隆や「戦は昌信にやれ」とまで信玄から全面的に采配を委ねられていた昌信ならば手を打てたのであろうが……。
 個人技に長ける正俊では単独で斬り込んで武勇を示す以外に影響を及ぼすには至らない。
 正俊一人で戦況を覆す段階は終わっているだけに撤退する以外の方法は残されてはいなかった。
 こうして、無血開城に近い形で飯田城は陥落する。
 滝之沢城、松尾城に続いて飯田城までもが僅か1日と経過せずに織田家の手に落ちたのだ。
 更には飯田城が落ちた後に迎える2月15日の夜、遂に大軍を引き連れた信忠が合流する。
 事態は最早、手に負えない段階にまで達しつつあった――――。















 ――――2月15日同日夜





 ――――大嶋城





「何じゃ、何が起こっておる!?」


 信忠が長可らと合流するよりも数時間前――――。 
 伊那谷防衛の要として戦力を集中させていた大嶋城から突如火の手が上がる。
 織田家の侵攻が予測される以前より、岩村城の兵站基地としての役割を持たされていたこの城は予てより攻められる事が予測されていた。
 そのため、一門衆の筆頭である信玄の弟、武田逍遥軒信廉を入城させ、此度の戦に備えて防備を強固にしてきたのだが……。
 突如として発生した外曲輪からの火の手に動揺を隠せない。
 大嶋城は実直な人柄で知られる歴戦の将、日向玄徳斎宗英が城代を務めており、勝頼も宗英の性格を踏まえて信頼していた。
 宗英は今は亡き、武田四名臣の一人である馬場信房の相備衆として活躍した人物。
 信房と共に数々の戦を共にした宗英は宿将の一人としてその名を連ねていた。
 それに加え、一門衆の筆頭である信廉が在城していると言う事は大いに士気を高め、大嶋城内では「織田家など何するものぞ」という気風が流れるほどであった。
 ところが突如として上がった火の手がその気風を一気に晴らしてしまう。
 松尾城や飯田城から逃げてきた兵達が動揺を拡大させ、暴走を促したのである。
 これにより、城内の兵達は統率が執れる状態では無くなり、混乱が広がっていく。
 織田家の大軍が迫ってきているのは前もって理解していたが、逃げてきた者達は全員が数日で陥落する事は在り得ない要所を守っていた者達。
 それが一目散と言わんばかりに大嶋城へと逃げてきたのだから織田家の軍勢は余程の大軍か精強な軍勢であるという憶測が兵達の間で飛び交い、大混乱を招いたのだ。


「うぬぬ……これでは籠城どころでは無い。……儂も退かせて貰おう」


 燃え上がる火の手を見ながら、信廉は抵抗する事を諦める。
 兄、信玄と瓜二つの容姿であると言われながらも雲泥の差のある軍事的才覚しか持ち合わせない信廉では事態を収拾する手段が無い。
 早々に撤退する事を決断する。


「逍遥軒様!」


 それに対し、反対の声を荒げる宗英。
 勝頼から大嶋城を任され、武田家の持つ築城技術を駆使してまで防備を強化したこの城を自落させるなど認める訳にはいかない。
 ましてや、一戦も交えていないのだ。
 兵達の中では動揺が広がっているが、あくまで様々な憶測が飛び交ったが故に起こったもの。
 宗英のように数多くの戦場を渡り歩いて来た者からすれば現実に一当てするまでは納得出来るものではなかった。


「……玄徳斎。御主が騒いだとて如何にもならぬ。亡き、兄上であれば幾らでも手を打てたのであろうがな」


 しかし、信廉は宗英の反論を一蹴する。
 恐慌状態にある軍勢を纏め、正常な状態に戻すなど絶対的な力を持つ信玄のような人物でなければ不可能だ。
 皮肉にもこの場にはそのような天性のものを持つ人物は誰一人として居ない。
 信廉とて信玄に容姿が似ているだけでしか無いのだ。
 如何に信廉が画家としての才覚に優れていようが、武将としての力量は信玄とは及びもつかない。
 それに宗英も実直な人柄こそ美徳であると言えるが、目立った功績のある人物ではない。
 良く言えば堅実で悪く言えば目立たない人物。
 宗英と言う人物は信用する事は出来ても、全てを委ねる事が出来るには至らない。
 今の武田家中で全てを委ねる事が出来るほどの力量を持つ人物は信玄が我が眼と評した真田昌幸か曽根昌世の両名のみ。
 宗英の力量では役者が不足している。
 信廉は信玄と自分を引き合いにする事でそれを示唆したのであった。


「……無念にござる」


 宗英は嘗ての主である信房を思い浮かべながら涙を流す。
 唯々、不甲斐ない身を恥じるしかない。
 鬼美濃と名高かった信房ならばこのような醜態は見せずに済んだであろうに。
 だが、信房ではない宗英には信廉の言う通り、事態を収拾する事は不可能。
 如何なる手を打とうとも挽回する事は出来ないだろう。
 非常に遺憾ではあるが……信廉の意見に従うしかない。
 一戦も交えずに自落撤退するに至ったのは城代を任された宗英自身の責任だ。
 それを恥じた宗英は大嶋城から自らの根拠地に撤退した後、自害して果てるのであった。















 ――――2月16日





 信廉らが夜の間に撤退した翌日――――大嶋城に信忠の率いる軍勢が到着した。
 だが、既に城内はもぬけの殻であり、武田家の軍勢は一切見えない。
 伊那谷を防衛する要所としては重要な城であるにも関わらず、静けさしか無いのは些か不自然だ。


「……成る程、こういう事か。一益、如何思う?」

「はっ……長可と忠正の申す通りであったと見受けます」

「うむ……」


 だが、今までの無血開城の有様を知った今となっては充分に在り得る事だと信忠は思う。
 長可と忠正からの報告では少し突っついただけで自分から崩れ去ったと事だったが、今の光景は正にその通りだ。
 一益も同じように思っているらしく、既に武田家の軍勢は大嶋城の何処にも残っていないと断言する。
 当初は長可らの進軍が性急過ぎると見ていたが、実際に目にしてみれば全てが両名の言う通りだった。
 秀隆が特に叱責もせずに居たのは後ろからそれをずっと見てきたからであろう。
 鬼武蔵と言われる長可が全く進軍を停止する選択肢を選ばなかったのも無理は無い。
 暴れ足りないと喚くのも当然の事だ。


「これならば、父上を待つ必要も無いか……。俺の率いる手勢で充分だ」


 無血開城と自落を繰り返す武田家の諸城に信忠は独力で落とす事も難しくはないと判断する。
 まだ、上杉景勝からの援軍の可能性は捨てきれないが……現状の報告が無い事を見ると北陸から進む勝家は上手くいっているのだろう。
 精強で知られる上杉家の軍勢が万全の状態で相対しているが故に苦戦を強いられている可能性もあるが……拮抗した戦運びをしているのは疑いようがない。


「俺はこのまま進むと父上に御伝えせよ」

「ははっ!」


 信忠は現状有利のまま戦を運べる事を確信し、一益に早馬を走らせるように伝える。
 機を掴んだ以上、僅かでもその手を緩めるのは下策としかならない。
 武田家を滅ぼす天の時を得た今を逃す選択肢は信忠の中には一切、存在しなかった。
 地の利を自ら捨て、人の和も崩壊しつつある武田家など敵ではない。 
 天、地、人を喪失した大名の末路は最早、決まったも同然だ。
 信忠はそれを感覚的に理解していた。
 父、信長と敵対して滅んでいった大名の全ては皆がそうであったのだから。
 天下人の後継者である信忠は破竹の勢いと言うべき今の状況を踏まえつつ、勝頼の辿るであろう末路を垣間見る。
 此処まで来れば如何なる手段を以ってしても巻き返す事は出来ない。
 最早、武田家が滅びへと進む道は隘路でしか無いのだから。
 それを証明するかのように信忠が大嶋城に入った日と同じくして、信濃の全てを決する事になる戦が勃発する。
 正に武田家の運命を決めたとも言うべき運命の戦――――。















 ――――後に『鳥居峠の戦い』と呼ばれる事になる戦の勃発である。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第70話 明暗を分けた日
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2014/01/05 00:00





 ――――1582年2月16日





 ――――鳥居峠





 信忠が飯田城に入った日と同日。
 木曽義昌と遠山友忠の軍勢に織田勝長率いる別働隊が合流した。
 いよいよ、本格的に信濃を陥落させるための一大決戦を行おうという腹積もりである。
 鳥居峠での戦は武田家中では勝頼の猶子として扱われてきた勝長からすればある種の踏み絵のようなものであり、織田家の者である事を明確に内外に示す事になる戦。
 そのため、勝長は複雑な思いを抱えつつも武田家を駆逐せんがため采配を執るのであった。


「……義昌殿。勝頼様の派遣した今福昌和殿との戦……十中八九は勝機があるものと心得るが、如何見る?」

「はい……御味方の勝利は疑いようがありませぬ」

「そうか」


 鳥居峠に布陣し、軍勢の備えを済ませた勝長は義昌の返答を忌々しく思う。
 武田家の一門衆でありながら、織田家を”御味方”と呼んだのだ。
 勝頼の猶子であった自分もその点では大差無いのかもしれないが……勝長の場合は勝頼から直々に武田家を離れるように伝えられている。
 自らの意思で勝頼を見限った義昌とは立場が違う。
 こうして、武田家から織田家に戻った勝長が指揮を執る事になるのは皮肉なものではあるが、家に戻った以上は敵同士。
 勝長に出来る事は勝頼の下で学んだ事を存分に発揮し、一人の武士として一人前となった事を見せるだけである。
 

「……ならば、後は往くのみ。織田勝長として勝頼様に引導を渡す」


 賽は投げられた以上、強い決意を持って挑まなくてはならない。
 勝長は言い聞かせるように自らの意志を口にする。
 人質であったとはいえ、猶子として扱い、様々な事を学ばせてくれた勝頼には大恩がある。
 恩に報いる事が出来るとするならば、勝長の手で戦の行く末を決定付ける事。
 鳥居峠での戦は高遠城を始めとした信濃の諸城の明暗をはっきりとさせるものであり、戦略上の勝敗の分岐点ともなる。
 勝長が織田家と武田家の戦の決着の行く末を決めたとなれば勝頼も本望であろう。
 それが猶子として共にあった勝長に出来る恩返しだ。
 自らの意志を決めた今、躊躇う事など何もない。
 武田家と戦う事が往くべき道ならば、それに準ずるのみ。
 勝長は攻め寄せんと動き始める今福昌和の軍勢を見据えながら、采配を振るうのであった。















 勝長らが陣を張る鳥居峠に昌和の軍勢が攻め寄せる事を発端にして鳥居峠を巡る戦が始まった。
 攻め寄せる武田家の軍勢に対し、木曽、遠山を主力とする勝長の軍勢は既に峠の中腹にある藪原砦を抑えている。
 相対する形としては高所に織田家が陣取り、麓に武田家が陣取るという形である。
 だが、生憎と戦の勝敗は決していたと言っても良い。
 峠や山を巡る戦では高所を守る側の方が圧倒的に有利だからである。
 無論、精強で知られる武田家の軍勢ならば並の敵が相手であれば遅れを取る事は無いが……敵は多数の銃を備える織田家である。
 高所から鉄砲、弓を射掛けられれば低所に陣取る軍勢ではひとたまりもない。
 進むにも退くにも相当な被害が出る事となる。
 しかし、昌和は退く選択肢を取る事は無かった。
 鳥居峠を奪還しない限り、信濃の諸城が立ち枯れていくだけである事を知っているからである。
 睨み合うだけでは何の進展も望むべくは無いし、無意味だ。
 だから昌和には動く以外の選択肢は存在しない。
 故に攻め寄せた訳なのだが――――。


「武田の状況は解っているが、容赦はしない。……撃てっ!」


 勝長も昌和の置かれている立場に理解を示しつつも容赦する事はしない。
 敵が向かってくるのであれば薙ぎ払うまでだ。
 藪原砦を中心に鉄砲隊を峠に配置した勝長は一斉射撃の号令を発する。
 寄居峠を奪還せんと進軍を開始する昌和率いる軍勢に容赦なく弾丸と矢の雨が降り注ぐ。
 一人、また一人と勇敢な足軽達が倒れていくが、武田家の軍勢はその歩みを止めない。


「長篠の戦で何も学ばなかったとは思えないが……仕方の無い事、か」


 愚直なまでに高所に陣取る織田勢を撃退せんと進む武田勢に勝長は長篠の戦いを思いおこす。
 肉弾戦を仕掛ける武田家に対し、馬防柵で防ぎながら鉄砲を射掛ける織田家。
 形こそ違えど、高所に陣取っている今はある意味で柵で守っているようなものだ。
 敵勢を上から見下ろす事でその姿は丸見えとなるし、峠を登らなくてはならない以上は進軍する方向も目に見えるほど明らかになる。
 自然と長篠の戦いの時のように向かってくるしか方法が無いとなれば一本調子の戦運びとなるのも無理はない。
 それに勝長の下には鳥居峠の地理を熟知している義昌が居る。
 大恩ある勝頼を真っ先に見限った者を当てにするとは不本意ではあるが、木曽谷を本拠とし山岳や峠に通じる義昌が此度の戦で鍵を握るのは間違い無い。
 そのため、勝長は義昌を苦々しく思いながらも重要せざるを得ないのである。
 事実、義昌は勝頼の動きを察し、見事なまでに妨害に成功していた。
 先手を打たれ、地の利も無いともなれば昌和に打つ手は無いのも同然である。


「昌和殿……最早、これまでだな」


 只管に討ち取られていく武田勢の姿を見ながら、勝長は勝敗が決した事を確信する。
 既に昌和の率いる軍勢は600騎にも及ぶ者達が倒れていた。
 最早、大多数の者が鉄砲に倒れ、士気も奮う事はない。
 事実上、軍勢は崩壊したと言える。
 勝長はそれを見て、これまでであると判断したのだ。


「……はい、呆気無いものですな」


 昌和の軍勢が満身創痍で撤退した事を見届け、義昌が勝長に同意する。
 地の利を抑え、終始に渡って一方的な展開を見せた鳥居峠の戦いは呆気無いものであるといっても過言ではない。


「……だが、本来ならば楽に終わった戦では無かったはずだ」


 しかし、勝長は此度の戦を楽に終わるはずのものでは無かったと判断する。
 戦上手である勝頼が鳥居峠の奪還を命じてきた以上、何の手を打たなかったとは思えない。


「……季節に助けられたな」


 恐らく、冬であるが故に得た勝利である。
 今の季節の信濃は雪深い道も多く、場所によっては軍勢を動かす事も難しい場所も存在しているからだ。
 勝長が思うに鳥居峠を奪還する際には高遠城の仁科盛信が動くのが本来の筋書きであったはずである。
 盛信の率いる軍勢が別働隊として戦に参加していれば戦の経験が多いとは言えない勝長で凌げたかは解らない。
 戦のいろはと言うべきものは勝頼の猶子であった頃に真田昌幸に教わったものだが……。
 現実に軍勢を動かした経験があると無いとでは随分と違う。
 義昌を始めとして補佐する者が居たのも、初陣である勝長を補佐するためであり、その経験の無さを考慮したものである。
 正直、信忠のはからいには感謝するしかない。
 勝長が思う通りに戦の采配を執れるか否かまでは未知数の部分があった事も否定出来なかっただけに万が一の想定をしていたのは理に適っていた。
 敢えて確執のある義昌を下に付けたのは一種の踏み絵のようなものなのであろうが、これも仕方ない事だろう。
 勝頼の猶子であった事は一部の将兵に疑念を持たせるには充分な要素であったからだ。
 何れにせよ、季節を含めて様々な要因が重なりあい、鳥居峠の戦における勝敗が決した事で武田家は更なる苦境に陥る事となる。
 勝長が自ら勝頼に引導を渡すと言った言葉は正に現実のものとなりつつあったのだ――――。















 ――――2月18日





 ――――上原城





 連日のように各地から届けられる敗報や凶報に上原城の軍議は紛糾していた。
 滝之沢城の陥落に始まり、松尾城、大嶋城、飯田城、鳥居峠と次々に失っていく信濃防衛には欠かせない要害。
 全てが此処、数日間での報告であり、特に2月16日に失ったものは戦略的にも最重要のもの。
 それだけに此等を尽く失った事は信濃の戦線が完全に崩壊した事を示していた。


「敵が高遠城に攻め寄せるのを待ち、儂が自ら全軍を率いて決戦を挑む!」


 勝頼は全ての報告を聞いた後に口を開く。
 今までは山県昌満、横田尹松らと言った家臣達の議論や意見を黙って聞いていたが、一向に打開策と言うべきものは出てこない。
 幾ら、策を吟味しようとも戦力としては予備兵力も少なく、勝頼の率いる本隊を動かす以外には実現に難点のあるものばかりであった。
 勝頼が自ら全軍を率いて決戦を挑むと言う発想に至ったのも無理はない事である。


「……流石に無謀だぞ、勝頼殿」


 勝頼の意見に信豊が反対する。
 一門衆の中でも猪突猛進の人物の一人と言われる信豊も余りにも酷い報告の前には意気消沈してしまっている。
 開かれる軍議にも数回に一度ほどしか参加しなくなり、議論したところで無意味である事を既に理解していた。


「だが、動かなくては勝機を見い出す事も出来ぬ!」

「しかし……此処で我らが敗れれば立ち直れぬだけの打撃を受ける事になる」

「ならば、如何せよと言うのだ!」


 信豊と激しく言い争う勝頼だが、既に自身も憔悴しきっている。
 本来ならば信豊の言い分に一理あるのだが、今の勝頼にはそれを気遣う余裕がない。 
 吐き捨てるように口にした言葉も唯々、言い返すだけのものにしかならなかった。


「如何もこうもない。勝頼殿と真田安房の構想通り、甲斐に戻って決戦すべきであろう」

「……信濃では戦にならぬとでも言うのか」

「その通りだ。信濃の者達は我ら武田の者に恨みこそあれど、恩義を感じているものは殆ど居らぬ。元々から本気で武田のために戦おうと思っている者など真田だけだ。
 しかし、肝心の真田安房は上野の戦線を任され、信濃には居ない。一度、甲斐にまで戻って招聘せねば”信玄公の眼”の力を借りる事は出来ぬ」

「だが、それでは!」

「……高遠を見捨てる事になるだろうな。されど、仁科殿を犠牲にするくらいはせねば、諏訪の者達から不満が出るだけだ。相応の対価は払わねばならぬ。
 それに甲斐こそが我ら武田の本領であり、一蓮托生の者共がひしめいている。甲斐国内で戦ってこそ、地の利と人の和を得られると言うものだ。
 もし、それでも駄目なのであれば、真田安房の申し出に従って上州へと退けば良い。……武田の本流は常陸の出であるのだからな」

「しかし、五郎を見殺しにするわけには――――」

「そのための高遠ではなかったのか、勝頼殿」

「ぐ……」


 信豊の言う事は全て正しい。
 嘗て、信玄によって喰い破られた信濃の国は武田家の者に恨みこそあっても恩義を感じている者は殆ど居ない。
 事実、一門衆にまで迎えられていた義昌が真っ先に離反しているのだから。
 この時点で信濃の者達が武田家のために戦おうと考えてはいない事が見て取れる。
 次々と自落していく城の事も踏まえれば、それは尚更であるとしか言い様がない。
 しかし、武田家のために戦おうとした者が居ないと言う訳でも無いのだ。
 真田昌幸を筆頭に諏訪家の一門衆である諏訪頼忠ら一部の者達は最善を尽くそうと懸命に働いてくれている。
 それだけに勝頼が甲斐に退くには相応の対価を払わねばならなかった。
 信豊が高遠城を犠牲にするしかないと言ったのは勝頼の実弟である仁科盛信が在城しているからこそ。
 一門衆の中でも最も勝頼に近い立場にある盛信がその身を挺する事で信濃の国衆にも示しがつくと言うものである。
 信豊の進言は理に適っているし、間違いは一つもない。
 解っている、解ってはいるのだが――――。


「……信豊の申す事に一理はある。だが、此処に至っても織田家に同調すると見られていた北条家は積極的に動いている様子はないし、景勝殿が動く可能性もある。
 上州に関しては安泰であるし、一条信就や依田信蕃といった頼りになる者達も居る。このまま陣を構え、情勢を観望し、時が来たら動くとしよう」


 勝頼には高遠城を見捨てると言う選択肢を選ぶ事は出来なかった。
 一門衆の中で最も勝頼を理解し、頼る事の出来る数少ない人物である盛信を見捨てるなど出来はしない。
 それに勝頼の中にはまだ、高天神城が陥落したおりに援軍を送る事が出来なかった時の衝撃が根強く残っていた。
 全ては自らが陥落させた高天神城を奪還された事から崩壊の兆しが見え始めたのだから。
 父、信玄とは違うと言う事を証明した高天神城ではあったが、綻びを見せる事になったのもまた高天神城であった。
 勝頼の行動が全て裏目に出始めたのも、自らの武勇を象徴する彼の城が陥落してからだ。
 それだけに盛信の事を関係なしに高遠城を見捨てるわけにはいかない。
 今度こそ万が一の際に援軍を送らねばならないのだ。


「……そうか。勝頼殿がそのつもりならばこれ以上は何も言わぬ」


 勝頼の決断にさもありなんと言った様子で信豊は溜息を吐く。
 高天神城の事を引き摺っているは解るが……最早、その段階はとうに過ぎている。
 景勝が動く可能性があると言うのも、現状の段階では望みが薄い。
 織田家は越中方面からも進軍を開始しているのだから。
 もし、実際に景勝が援軍を出してくれていたのだとしても間に合う保証は何処にもない。
 勝頼の決断は希望的観測に基づくものでしかないのだ。
 この場に昌幸が居れば何かしらの手を打つか、勝頼を説得する事も出来たのであろうが、居ないのでは如何する事も出来ない。
 他の幕僚達とは違って、信豊は自らの思う事を一切包み隠さずに進言したが、それも聞き入れられないとなればこれ以上は軍議に参加する理由もなかった。
 結局、信豊はこの日に行われた軍議を最後に上原城では一切の進言を勝頼には行わなくなる。
 此処にきてまたしても、勝頼の決断は裏目に出たと言うべきだろう。 
 上原城に入っている人物の中でも唯一、信豊だけが勝頼に強く意見を言える人物であっただけにその進言が無くなる事は大きく影響する。
 自らの首を絞めるかのような形で終決させる事となった軍議はこれから先の情勢の推移を示唆しているかのようであった。
 事実、これから先の数日間に齎される報告は全て勝頼が望んでいたものではなく、更なる情勢の悪化を伝えるものだけだったからである――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第71話 武田家の女として
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2014/03/30 08:41




 ――――1582年2月19日





 ――――新府城





 上原城にて、勝頼らが紛糾している敗報は新府城にも伝えられていた。
 流石に目を当てられない状況であるためか、勝頼は新府城に報告する事を避けていたが、各地から落ち延びてくる足軽等の姿から事実は隠しようがない。
 そのため、勝頼を待ちわびる者達の耳にも良く届いていた。


「御屋形様……」


 続々と届けられる余りにも酷い内容の報告に勝頼の身を案じながら待っていた桂は落胆を隠せない。
 味方にとって不利な話以外は何もないと言う現状に成す術もない己の身が不甲斐なく思えてくる。
 勝頼の妻として、支えなくてはならないのに。


「何故……重代の恩義を忘れる事が出来るのでしょう?」


 普段は威勢の良い事ばかりを言っていても、不利となれば見限る者の多い事に桂は呆れるしかない。
 確かに先代の信玄は信濃に侵攻し、否応無く従わせてきた。
 しかし、真田家を始めとした信濃の者達の独立性を認め、厚遇している事からすれば決して無碍に扱ってきた訳ではない。
 寧ろ、対等に扱ってきたと言える。
 それにも関わらず、裏切っていく者達の思いは桂には到底、理解出来なかった。
 特に木曽義昌や小笠原信嶺は一門衆として迎えられ、信濃の国衆でも厚遇されてきた立場である。
 否応無しに従うしか選択肢はなかったとはいえ、武田家は相応の扱いをしてきたはずだ。


「普段は威勢の良い事を言っていてもその実態がこれでは……御屋形様が報われませぬ」


 しかも、勝頼自身には何一つとして咎はない。
 信玄の信濃攻めの過程で生まれる事になったその身はある意味では裏切った者達と立場は変わらない。
 だが、武田家の血筋でありながら、諏訪家の血筋であるという立場はそれを複雑にする。
 信玄の子である以上は武田家の者である事に変わりはないからだ。
 それ故に甲斐でも信濃でも勝頼の立場は難しいと言わざるを得ない。
 また、生前に信玄が自身の死後における勝頼の扱いを明確にしなかった事もそれに拍車をかけた。
 各方面から複雑な立場にあった勝頼はほとほと、振り回されているようにしか思えない。
 普段は威勢の良い事を口にする者達もいざとなれば裏切るなど、勝頼の立場を示唆しているようであった。


「……それが如何して裏切れましょう」


 だからこそ、桂は勝頼に尽くすという自らの信念を揺るがす事だけは認められない。
 勝頼の立場の苦しさは以前まで同盟関係にあったはずの北条家から嫁いできた者として誰よりも解っている。
 武田家の者として在りたいのに、あくまで北条家の者として扱われる事は正室として勝頼を支えようと思う桂にとっては辛いものでしかなかったのだから。
 その点では形こそ違えど、複雑な立場にある事は勝頼と同じであり、同士であるとも言える。
 故に桂は勝頼の事を深く理解し、愛する事が出来るのかもしれない。


「御屋形様に御加護があらん事を……」


 桂は唯々、勝頼を想い、願文を武田家縁の八幡宮へと奉納する。
 書かれた内容は次々と裏切っていった者達の悪行を論い、勝頼への加護を願ったもの。
 それに加えて、武田家の繁栄を願った一文も書かれた願文は桂の切々たる思いが綴られている。
 だが、この願いは寂しく虚空へと響くのみ。
 桂が勝頼のために祈りを捧げている今も織田家の侵攻は止まる事を知らなかったのである――――。















 次々と届けられる悲報は主に西からやって来る。
 目にも当てられない状況である事は百も承知であったが、桂は未だに一縷の望みをかけていた。
 東から届くはずの兄、北条氏照からの書状である。
 桂は北条家に残る親武田家の立場を取っている氏照に武田家援兵の軍勢を出して貰えないかと八王子まで密かに使者を遣わしていた。
 それが、今の頃合になって漸く届いたのである。
 悲報しか届かない現状では氏照からの返答が数少ない希望と成り得た。
 封を切るのももどかしく、桂は待ち望んでいた氏照の書状を食い入るように読む。
 しかし、最後まで書状を読み終えると桂は愕然とするしかない。
 書かれていた内容は望んでいたものとは程遠いものであったからである。
 




 氏照自身は武田家に味方したいと思ってはいるが、北条家はあくまで織田家と手切れをしている訳ではない。
 故にあからさまな形で対立する事は出来ないのである。
 しかしながら、勝頼が落ち延びるのであれば密かに匿う事も吝かではない。
 




 内容としては勝頼を無碍にするものではなく、可能な範囲では動いてくれるとの事である。
 だが、何方とも言えない返答は基本的に中立の立場を選びがちな北条家らしいものであった。
 親武田派と親織田派と家中が二分されている現在の北条家では援軍を出してくれというのも難しい話である。
 現当主である北条氏直は叔父である北条氏規と共に織田家を支持すべきだと主張しており、先代当主である氏政と氏照とは主義が違う。
 そのため、親武田派は救いの手を差し伸べる事が困難になっているのだ。
 氏照はそれでも勝頼を匿うと言ってくれてはいるが、北条家の当主はあくまで氏直である。
 実権が氏政にあるのだとしても、当主の命令となればそれに従うものだって出てくるのは当然だ。
 もし、北条家に逃げ込めば何れは氏直によって織田家に引き渡され、その身が如何になるかは解らない。
 桂は氏照からの書状の内容から親武田派の発言力が大きく低下している事を実感した。


「兄上でも難しいとなると……」


 此処はやはり、佐竹家を頼るしか道は無いかもしれない。
 織田家との和平交渉のために尽力してくれた佐竹義重ならば勝頼を匿った上で改めて交渉してくれる可能性も高く、北条家よりも信義と言う点では信頼出来る。
 以前に真田昌幸が甲佐同盟を締結させたこのような事態を見越しての事だろう。
 上州まで退きさえすれば、如何様にも戦う術があると昌幸が具申していたのは当然だったのかもしれない。
 それに武田家は本来、佐竹家と同じく新羅三郎義光を祖とする常陸の源氏である。
 態々、甲斐に固執しなければ道が開ける可能性は在り得ない事ではない。
 だが、桂には義重との繋がりが無かった。
 元より佐竹家の仇敵である北条家から武田家に嫁いだのだ。
 義重と接点を持つ術など存在するはずがない。


「やはり、安房守殿が頼りですか……」


 そのため、佐竹家に手を回す事が出来るのは武田家中でも直接、交渉を請け負っていた昌幸に限られてくる。
 しかし、昌幸はあくまで勝頼の家臣であり、独断で動く権利はない。
 上州に関しては全ての采配を委ねられてはいるが、現状は北条家の備えを任されているために動く事は難しい。
 それに強大な勢力と戦力を持つ佐竹家は武田家の盟友の中では最も信頼出来る相手ではあるのだが、派閥としては親織田家でもある。
 勝頼が頼る訳にはいかないと言っていたのは義重が明確にその立場を示しているからだ。
 ましてや、盟約を結んでからの間は和睦交渉のために働きかけてくれていたのである。
 佐竹家にはこれ以上の干渉を武田家からは求める事は流石に出来ない。
 勝頼もそれを承知しているのか、義重が如何に動くかは判断次第に委ねていた。


「ですが、常陸介様に働きかけなくては上州に落ち延びたとしても先行きは見えません……」


 これほど自分が女の身である事を口惜しいと思った事はない。
 勝頼の何の力にもなれない事が桂には悔しかった。
 歳上の義弟である仁科盛信や一門衆の武田信豊のように勝頼に近い場所で力になれる者達を羨む。
 しかし、桂が如何に優れた知識、教養を持つ人間であっても一人では何も出来ない。
 昌幸のように神算鬼謀と言うべき溢れんばかりの智謀と孫子兵法を始めとした多数の軍学を極め、実行出来るだけの手腕が無ければ秘策を齎す事も出来ないのである。
 力になろうと思っても今の織田家の前には桂の力は余りにも無力だ。
 それが自分でも解っているだけに尚更、口惜しく思う。
 だが、桂には何も出来ない。
 唯、それでも出来る事があるとするならば、何れは新府城に戻ってくるであろう勝頼を支える事だけ。
 戦の心得のない女人の身で出来る事はそれだけなのかもしれなかった。















 ――――1582年2月20日





 ――――春日城





 桂が願文を奉納した2月19日から翌日、2月20日にかけて信濃の情勢は更なる悪化を見せていた。
 織田信忠が率いる織田家の軍勢は伊那方面の諸城を次々と接収していき、いよいよ高遠城を孤立へと追い込む。
 だが、高遠城を守るのは若き猛将と名高い仁科盛信である。
 それに加え、信濃における最大の防衛拠点でもある高遠城は今までの諸城とは違い、相当の抵抗を見せる事は目に見えていた。
 信忠は甲斐にまで攻め寄せるにあたっては被害を大きくする事は避けたいと考え、攻め寄せる頃合いを躊躇う。
 一先ず、高遠城に程近い春日城に陣を構えた信忠は滝川一益と軍議を重ねていた。
 その中で前提としなくてはならないのは高遠城から行程にして2日の距離に勝頼の居る上原城がある点と馬場信頼の守る深志城が行程3日の距離にある事だ。
 特に上原城は勝頼の率いる15000前後の大軍が健在である。
 これで信忠が高遠城に攻め寄せようものなら勝頼と信頼の軍勢が後詰をしてくる事は兵法の定石だ。
 それを懸念した信忠は数日前に鳥居峠を陥落させた勝長に深志城攻めを任せる事を決断する。
 上原城からは諏訪湖を迂回し、塩尻峠を越えれば深志城の救援に向かう事は可能だが、高遠城の救援に向かう事は出来なくなる。
 勝頼が深志城への救援のために軍勢を動かせば信忠はすぐにでも高遠城攻めに専念する事が可能となるのだ。
 だが、未だに報告のない上杉家の軍勢の動きも気になる。
 信忠は今暫くの思案の余地があるとし、勝長への深志城攻めの命を下した後、高遠城攻めに関しては包囲するに止める事とするのであった。





 ――――2月20日同日





 ――――相模国





 ――――小田原城





 織田家が確実に信濃の侵攻を進めていく最中、遂に小田原の北条家にも武田攻めの要請が届いた。
 現当主である北条氏直はそれに従うべきだとし、先代当主である北条氏政は今すぐに従うべきではないと反論する。


(早晩、武田は滅ぶだろう)


 だが、氏政にも武田家が滅びへの道筋を突き進んでいる事は解っていた。
 録な組織抵抗も出来ずに次々と諸城を失っていく信濃の情勢を聞けばそれは明らかである。
 予想以上に織田家の動きが早いというのもあるが、それ以上に信濃における武田家の信望の無さには氏政も慌てた。
 諏訪家の人間である勝頼が当主ならば国衆も従うであろうと思っていたからだ。


(しかし、そうなった場合……戦後の不安が残る)


 武田家という障壁が失われてしまえば、北条家はいよいよ織田家と国境を接する事になるのである。
 氏政はそれを懸念し、積極的に武田家に侵攻する事を躊躇っていたのだ。
 しかしながら今の情勢からすれば悠長に構えていられる場合ではない。
 妹である桂からの要請が氏照の下に届いた事も知っていたが、此処まで来てしまっては桂の願いに明確な返答を出す事も叶わなかった。


(ならば、この段階で戦力を消耗するのは得策とは言えん。……氏邦には上州までで戦の地域を限定するように指示を出すか)


 最早、軍勢を動かす事は避けられないと判断した氏政は内心で結論付ける。
 先行きの情勢が不透明である今、兵力を無闇に損なう訳にはいかない。
 自らも河東に地域を限定し、それを確保する事に絞るべきだ。
 織田家を全面的に信用する訳にはいかないのは勿論、難敵である佐竹家に備える必要があるのだから。
 現状の佐竹家は相馬家を傘下に加え、関東北部を起点に強大な勢力を誇っている。
 戦力としても当主、佐竹義重を始め、佐竹義久、真壁氏幹、太田三楽斎資正といった曲者揃い。
 また、義重の実の甥である宇都宮国綱が当主を務める宇都宮家にも油断は出来ない。
 佐竹家を中心とした反北条勢力には幾度となく煮え湯を飲まされてきただけに警戒するに越した事はないだろう。
 唯一、救いなのは盟主である佐竹家が親織田家の立場にある事くらいだ。
 佐竹家は武田家に対しても友好的な立場を示しているが、その態度は自らが率先して和睦交渉に臨むほどに明確である。
 清々しいとも言うべき佐竹家の態度には織田家も信を置いているらしく、一目置いていた。
 それだけに織田家が北条家と国境を接した際に佐竹家が要請すれば攻め寄せてくる可能性も高い。
 氏政は父、北条氏康を相手にしても一歩も引けを取らなかった義重の恐ろしさは身に染みて理解している。
 外交の駆け引きにおいても卓越した視野を持つ義重を前にして、武田家の滅亡後の動向で優位な立場を得る事は不可能だろう。
 故に氏政は万が一の際に備えての地盤を固めるべきだと考えていた。
 武田家滅亡が現実のものとして近付いてきている今、北条家も手を拱いている訳にはいかない。
 その点では氏直が積極的に動く事にしたのは都合が良いとも言える。
 皮肉なものではあるが、親武田派の者達の発言力が弱まった事で氏直の方針が反対される事が殆ど無かったのだ。
 実権は未だに氏政にあるとはいえ、現状の当主が氏直である以上、氏政には如何する事も出来ない。
 精々、弟達に一定の指示を与えておく程度である。


(武田のために必死になっている桂には悪いが、北条を守るためだ。……出来る限りの事はするつもりではいるが、許せよ)


 氏政は桂の要請に応じる事が出来ない事を内心で謝罪する。
 最早、情勢を覆す事は不可能なのである。
 北条家の事を考えれば桂の求めには到底、応じられない。
 精々、落ち延びてきた際に密かに匿うか逃がすかするので精一杯だ。
 こうして、北条家は数日後の2月26日には遂に武田家攻めへと加わる事になるのであるが……。
 唯々諾々と従うつもりは無いとする氏政、氏照らと従うべきとする氏直、氏規らの間で権力構造が二重化した事で北条家は終始に渡って動きの一貫性を欠く事になる――――。
















[31742] 夜叉九郎な俺 第72話 消える鬼達
Name: FIN◆3a9be77f ID:03c84d7d
Date: 2014/02/09 08:34





 ――――1582年2月20日





 ――――太田城





 北条家に織田家からの武田家征伐参陣の要請が届いた頃と同日。
 織田家と武田家の動向を読んでいた義宣は天を仰ぐ。
 何れはこの時が来るであろうと踏んではいたが、実際にこうして時が来ると中央は思った以上に情勢が動いている。
 盟約を結んでいる織田家が動く事は明白であっただけに状況としては必然的であったのかもしれない。


「勝頼様……申し訳ありませぬ」


 甲佐同盟以来、佐竹家は武田家からの要請を受け、織田家との和睦交渉を請け負ってきたがそれが果たせなかったが故に勝頼は苦境に陥っている。
 父、義重と同年代であり、同じ祖を持つ源氏の者として親しく関係を持っていた勝頼の力になれなかった事は義宣も残念に思う。


「しかしながら、織田家に弓を引くような真似は出来ない。……盟約を破るのは我が佐竹家の名折れだ」


 だが、佐竹家はこれ以上、武田家のために動く訳にはいかない。
 織田家と関係を持っている以上、肩入れし過ぎれば盟約を破る事になるからである。


「……義宣様。悔いても如何にもなりませぬ。武田家の命運は元より尽きていたのですから」

「義久殿……解っています。勝頼様は先代の信玄公の負の遺産を受け継ぎ過ぎた。……故に滅ぶべくして滅ぶのだと思う」


 武田家の命運は尽きていたであろう事を読み取っていた義宣に代弁するかのように言う義久。
 思えば、先代の当主である信玄が亡くなった段階で残っていた家中の問題が一切、解決していなかった時点で先行きは不透明だったように思う。
 義宣自身は義重の傍で武田家の情勢を聞きながら育ってきたので義久が淡々と言うのも当然だと判断する。
 滅ぶべくして滅ぶ――――それは不義の人であった信玄の生き様を聞く限り尚更だ。
 義重は同じ祖を持つ者として、信玄の事を恥を知らぬ人であると評していたが……それは互いの在り方の違いに理由がある。
 特に一番の大きな違いは盟約を結んだ相手に対する態度だろうか。
 義重も信玄も類希なる外交の才覚を持つ人物ではあり、共に強大な同盟網を築き上げた事でも知られている。
 特に今から30年近く前に締結された三国同盟とも呼ばれる、武田家、北条家、今川家の同盟は嘗てない程の同盟であった。
 しかし、今川義元が桶狭間の戦いで戦死した後は信玄の態度は一変する。
 鉱山を持ち、港も治める豊かな国である駿河を狙う方針に転換したのだ。
 一方的に盟約を破棄し、今までの盟友を追い落とす等、信玄の方針は一貫して不義でしかない。
 乱世であるからと言えば、其処までとしか言えないが――――これでは何れ信を失っても無理のない事であった。
 それに対し、佐竹家は反北条家の立場を明確にするための同盟として織田家、上杉家、武田家、宇都宮家といった大名間との同盟を結んでいる。
 無論、関東における反北条勢力の盟主として、その立場を違えた事は無い。
 あの上杉謙信ですら、一時期は北条家と和睦を結んでいるのだから義重の方針は徹底していると言える。
 それ故、義重は家中でも他の大名家からも信頼されている。
 織田家から友好的な立場で見られているのもその潔さがあっての事かもしれない。


「しかしながら、盟友が滅ぶのを黙って見過ごす訳にもいきません。義久殿、武田家の方々が領国にまで落ち延びて来られた際は受け入れたいと思うのですが……」

「良き考えであるかと存じます。義重様は現在、甲斐殿を戸沢家に送り届けるために御不在ではありますが……門戸は開いておくようにと申されておりました」


 義宣は武田家に対しても最低限の義を果たす方針を示し、義久もそれに同意する。
 当主である義重は前もって義久に告げていたようではあるが、次代の当主である義宣が方針を同じくしているのは親子の意思疎通が見事に出来ているからだろう。
 この点でも信玄と義信、勝頼の親子関係とは大きな違いであった。


「流石は父上……考える事は御見通しか。しかし……父上も自ら甲斐を送り届けるとは余程、盛安殿に興味がおありのようだ」

「無理もありますまい。夜叉九郎、鬼九郎と言う武名を持つ盛安様の事を同じく鬼と呼ばれる義重様が興味を持たない訳がありません。
 それに鬼姫と呼ばれ、恐れられる甲斐殿を態々、所望するのも理由の一つでございましょう。私は面白き御方であると見受けます」

「成る程……義久殿の申される通りだ。父上が興味を持つには充分過ぎる。それに……甲斐から聞いた”あの事”も理由の一つかもしれない」

「はい。義重様は甲斐殿から聞いた南蛮の軍勢の率い方に甚く興味を持たれた様子。自らそれを行い、日の本全ての諸大名の度肝を抜くとまで仰れていました」

「其処は師とも言うべき謙信公の影響かもしれないな……。あの御方も単身で家を出奔したりと余程、変わった御方であったと聞いている」


 今は所領から離れている義重の事を思い浮かべながら義宣は微笑む。
 義重に何処か無鉄砲な部分があるのは今や伝説の人となりつつある軍神、上杉謙信の薫陶を受けていたからだろうか。
 自らが率先して陣頭に立つ事といい、秘密裏に領内から出て行く事といい、良く似ていると言っても過言ではなかった。
 しかし、盟友である武田家が滅亡の道を歩んでいるにも関わらず、当主が不在というのは頃合いとしては良いとは言えない。
 義重もそれは解っていたはずだ。
 本来ならばこのような火急を要する時こそ、義重の力が必要なのであるが――――。
 義重が不在となっている背景は今より、一月以上前にまで遡る事になる。















 ――――1582年1月上旬





「……盛安殿は雪解けを見計らって上洛するつもり、か。甲斐を嫁がせるならば上洛する前か戻った頃合いとして欲しいとの事らしい」


 新たな年である1582年(天正10年)となって数日。
 白河の地で奥州の動向を探っていた私は義重様の下に戻っていました。
 盛安様から婚姻の日取りについての話が来ていたとかで義重様から急遽戻って来るようにとの事で。


「そう、ですか……」


 書状の内容は私が以前に予測していた通り、上洛に関する事が書かれていたみたい。
 盛安様が上洛前にこうして便りを送ってきたのはきっと私にも本能寺の変に関わって欲しいからと言うのも理由にある気がする。
 遠い先の時代でも尚、語り継がれる本能寺の変は直接的に関わる事になれば何が起こるかは全く予想出来ない。
 もしかしたら、盛安様一人では方策が思い浮かばない場合だって考えられる。
 だけど、同じく先を知る私が居れば別の視点での意見を出せるかもしれない。
 知恵を搾り出すなら盛安様が一人で考え込むより、一緒に悩んで相談し合う方が良いに決まってる。
 もう一つの期日である上洛が終わった頃合いと言うのは恐らく、全てが終わってからと言う意味。
 無事に畿内から奥州へと戻る頃を見計らってとの事で、これについてはどちらかと言えば、佐竹家の状況を考えての事だと思う。
 盛安様は織田家が何れ武田家を攻める事を知っているからこそ、全てが終わった頃を見計らっている。
 義重様が武田家の真田昌幸殿を通じて甲佐同盟を結んだ以上、その盟約による立場の事を踏まえているんじゃないかと私には予測がつく。
 何れにしても、盛安様は分岐点となるだろうと言う今の時期だからこそ私の事を求めている。
 だから、私としては是非とも盛安様が上洛する前に嫁ぎたいのだけど――――。


「俺としては盛安殿が上洛する前に嫁がせるべきだと考えている。甲斐が盛安殿と共に立ちたいのであれば是非とも上洛は経験しておくべきだ」


 義重様は意外にも時期は早い方が良いと言う。
 私としては今から一ヶ月後には一つ目の大きな事件が起こる事を知っているからこそ、義重様は動かないかもと考えたけど……。
 流石の義重様でも未来予知までは出来ない。
 天性の勘を持つ義重様でさえも織田家が何時、武田家に攻め込むかなんて解るはずが無くて。
 そう考えれば私がこうして、先を知っているからこその考え方をしてしまう事を踏まえると……盛安様も同じように考えている可能性は非常に高い。
 だからこそ、白河で私が懸念していた事が現実になる可能性だってゼロじゃないと思う。
 なるべく考えないようにしていたけど……もしかするかもしれない。


「はい。私も可能ならば早く嫁ぎたいと思います。ですが……宜しいのですか?」

「構わぬ。俺としても盛安殿には興味がある。出来る事ならば直接、顔を合わせたいとも考えていたからな」

「義重様……」
 

 私が何処かで盛安様の事で気にしているのを見抜いているのか義重様は婚姻の話はこのまま進めるべきだと言う。
 盟友である武田家が何時、攻められる事になるか解らないのも承知した上で。
 義重様は何も言わないけれど……多分、感覚的に織田家が武田家征伐の軍勢を起こすのは間もなくだと気付いている。
 だけど、盟約の事もあって義重様が武田家に働きかける事は不可能で。
 自ら盟約を違える事を良しとしない御家柄である佐竹家の方針を考えれば無理もない事なのかもしれない。
 混迷を極めようとしてる時が迫ってきているのにも関わらず、婚姻のために動いてくれる義重様に私は唯々、感謝するほかありませんでした……。















「成る程、甲斐は盛安殿が上洛する時期に戦になる可能性があると見ているのだな?」

「はい。義広殿の御厚意で白河に居させて頂いた折に感じたのですが……最上義光殿の動きが怪しいかと」

「ふむ……俺も義光殿が何れ、盛安殿と戦う事になるとは思っていた。……となれば甲斐の婚姻の際は軍勢も連れて行くべきだな。
 大々的に動かすのは北条の動きを誘う事になるかもしれぬが……仕方あるまい。万が一の事も考えられる」


 私が義光殿に警戒すべきだと言う事に同意する義重様。
 義広殿からも私が懸念していた事を聞いていたのかもしれない。
 戸沢家と最上家が何れ、戦う事になるのは予測が既についていたみたいで。
 視野の広さは流石としか言えない。
 だけど、義重様を以ってしても秘密裏に軍勢を動かす事は容易とは言えなくて。
 万が一の事態を想定して仕切りに考える様子を見せている。
 秘密裏に軍勢を動かしつつ、奥州まで辿り着く方法――――私には思い当たりが一つだけあった。


「義重様、私に考えがあるのですが……聞いて頂けますか?」

「……うむ」


 悩む義重様に私はその術を説明する。
 大々的に軍勢を動かせないのであれば、神出鬼没に軍勢を動かすのが上策。
 だけど、この術は言うのは簡単でも実行するのは至難を極める事になる。
 私が義重様に提示するのは概要としては至ってシンプルなもの。


「前もって集結する地を決め、軍勢を少人数に分けて移動させると言うのは如何でしょうか。移動する経路は各々の自由とすれば他の諸大名にも気取られる事はありません。
 また、奥州までは距離があるので集結する地は何箇所にも決めておき、集結と分かれて移動する事を繰り返します。……義重様、如何思われますか?」


 道のりの途中で立ち寄る場所を決めて、軍勢の移動、集結、解散を繰り返して北上すると言うのが私が考えていた方法。
 これはイタリアを代表する英雄、カルロ=ゼンが1380年のキオッジャの戦いの際に行ったと言われる神出鬼没の艦隊運用が大元のヒント。
 カルロ=ゼンは半年以上にも及ぶ長い期間に渡って潜伏し続けつつ、最後まで気取られる事なく、艦隊による奇襲を成功させた名将の中の名将。
 元は陸戦の指揮官であったと言われる身から瞬く間に海戦を極めたとされる鬼才であり、イタリア史上で有数の武名を誇る彼の人物の戦術は日本では全く馴染みがないもの。
 軍勢を分けて密かに移動させると言う術は彼の人物が傭兵に慕われる人物であったとされるのも成功の要因の一つと聞いた事があります。
 神懸かり的な采配と圧倒的と評するのも生温く感じる程の支持の双方を兼ね備えた英傑、それがカルロ=ゼンと言う人物。
 日本ではそれと同じものを持っていると断言出来る人物の多くは既に鬼籍に入っていて、この世には居ない。
 そう――――島津義弘殿、島津家久殿、立花道雪殿、鈴木重秀殿、真田昌幸殿といった歴戦の方々や義重様を除いて。
 後々にもなれば、毛利勝永殿、真田幸村殿、立花宗茂殿と言った方々も候補に上がるけれど……。
 何れにしても成し得る事が出来ると言える人物は極少数に限られてくる。
 それだけに私が口にしたこの作は荒唐無稽でしか無いのかもしれない。


「面白い。確かにそれならば北条にも気取られる事なく移動出来よう。少ない人数で動くのならば道中で見咎められる事もない――――正に上策だ。
 俺も謙信殿から様々な事を教わってきたつもりであったが……流石に斯様な術は思い付かなかった。……これは甲斐が考えたのか?」

「いえ……私の考えではありません。南蛮に伝わる軍略です」

「……そうか。だが、南蛮の軍略であろうがこれ以上に上策と言える手は存在しない。至急、手筈を整えるとしよう」


 半ば不可能に近いとも思える私の進言に我が意を得たりと言わんばかりの表情で実行する事を宣言する義重様。
 義重様が即断即決の人物である事は佐竹家に来てからは良く見ていたけれど……。
 まさか、此処まで難しい策を容易いものだとするとは全く思いもしなかった。 
 これも坂東太郎、鬼義重とまで呼ばれる程の武威を誇る義重様であるからこそ可能なのかもしれない。
 関東において此処まで兵に慕われる人物もそう居ないのは間違いないのだから。
 頼もしい義重様を見ながら私はそのような思いを強くする。
 やっぱり、英傑は英傑を知るのだと言う事を目の当たりにしながら――――。















 こうして、戸沢盛安と成田甲斐の婚姻のために秘密裏に佐竹義重が動き始める。
 素早く軍備を整えた義重は懐刀である義久に不在の間は義宣を助けるようにと後を託し、歴戦の将である太田資正に万が一の防衛を任せる事にした。
 自身は甲斐姫と盟友、真壁氏幹と師である愛洲宗道を伴って奥州へと向かう。
 甲斐姫の進言を受け、未だ誰も試みた事が無いであろう軍勢の運用方法を実行する義重。
 圧倒的な武威と軍神の後継者と言われる神懸かり的な采配を持つ彼の人物であるが故に実行する事が出来た日本史上でも稀な行動。
 並の人物であれば瞬く間に失敗に終わるであろうその行軍は義重が上杉謙信にも匹敵する人物である事の証明として後の時代へと語り継がれる事になるのであった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第73話 信玄の眼が見るものは
Name: FIN◆3a9be77f ID:9758840b
Date: 2014/03/09 08:58





 ――――1582年2月28日





 ――――新府城





 佐竹家、北条家といった関東の大名達が動き始めて数日後。
 勝頼はまるで幽鬼にでも成り果てたような姿となって新府城へと戻ってきていた。
 永遠とも思える程に只管に続いていく敗報に自落していく諸城。
 初期の段階では信濃だけの報告であったが、此処数日の間にはいよいよ駿河の戦線が崩壊した事を知らされた。
 曽根昌世、高坂信達をはじめとした者達を以ってしても徳川家康、北条氏規らを食い止める事は敵わなかったのだ。
 如何に優れた両名であっても戦の前の段階から理を失っているとあれば如何ともし難い。
 ましてや、相手は歴戦の武将として知られる徳川家康である。
 穴山信君を降した手際の良さも含め、卓越した人物である家康を前にしては流石に力を失った今の武田家の方面軍では手も足も出ない。
 真田昌幸と同じく、信玄の愛弟子である曽根昌世も総大将である信君が降伏したとなれば進退窮まったとして後に家康に降っている。
 駿河の戦線も崩壊したとなれば本国である甲斐も危険となり、信濃に居座る事は出来ない。
 勝頼は弟、仁科盛信を高遠城に残したまま、戻る事しか出来なかったのである。


「……其方も小田原へ帰る支度を整えた方が良い」


 不本意ながら盛信を見捨て、一戦も交える事なく甲斐に戻ってきた事を歯痒く思いつつ勝頼は桂に北条家へと戻るように促す。
 憔悴しきり、悲痛な表情で口にしたこの言葉は武田家滅亡が現実に迫って来ているのを実感させられる言葉であった。


「いいえ、私は戻りません」


 だが、桂は勝頼の言葉を断固として撥ね付ける。
 寧ろ決然と言い切ったと言うべきだろうか。
 そんな話は聞けないと言った桂の表情は一歩も退かないという事をありありと示している。


「小田原へと戻る気は無いのか……其方のような者がもう僅かでも居れば儂は信濃から退く事は無かったであろうに」


 それに対し、勝頼は皮肉めいた笑みを浮かべる事しか出来ない。
 もし、幕僚達の中に桂のような強い意志を持つ人物が居たならば一戦を交えるくらいはしたであろう。
 寧ろ、桂よりも強い意志を持つ者が他に居るだろうか。
 信濃での事はそう思わざるを得なかった。
 如何に織田家が強大であるとはいえ、立ち向かわないのは武門の名折れである。
 仮に勝ち目が無かったとしても無抵抗よりは良い。
 戦場で果てるのならば、一人の武士としては本望だ。


「私には委細は解りませぬ。されど斯様な仕儀になったのは各々方にも事情が御在りだったのでしょう」

「……家の存亡を賭ける事となった戦に議論は無用であろう」


 窮地にあると言うのに我が身を優先して逃げ去る者達が何を言うか。
 叔父の武田逍遥軒ですら、勝頼を見捨てて逃げ去っていった。
 信玄が見込んで一門衆として迎えた者も皆が織田家へと寝返った。
 誰もが武田家の事よりも自らの身が大事だったのだ。
 勝頼は信義にもとる行動に怒りを隠せない。


「御怒りは尤もですが、此処は皆の罪を御許しになるべきです。……一丸となって立ち向かわねば織田家には勝てません」

「最早、手遅れだ。信濃を放棄し、駿河の戦線も崩壊した」

「そんな事はありません。武田家は先々代、信虎公、先代、信玄公の頃より外征を主としただけに敵勢の攻勢を耐え凌ぐ機会が無かっただけに過ぎませぬ」

「……桂はこれまでの負け戦をその転換を図る事が出来なかった事が理由であると申すのか?」

「然様でございます」


 そう言われてしまえば、勝頼には立つ瀬が無い。
 桂は戦の事には通じていないが、聡明な女性である。
 それだけに桂の言葉を全て否定する事は勝頼には出来なかった。
 聡い桂が勝頼の本心に気付かないはずがないからだ。
 確かに武田家は祖父、信虎の代から父、信玄の代にかけて信濃を始めとした他国へと攻め込む事が主だった。
 特に信玄の理念である”人は城、人は石垣”という理念も自らは城を持たないと言う意思を示すものである。
 それ故に信玄が手掛けたものは万が一の備えとして造られた丸山の詰城くらいしかない。
 常に攻勢を主としていたため、守りを固めると言う発想は信玄にも無かったのだ。
 桂の意見はある意味では的を射ていると言える。


「……ならば、この城にて籠城の構えを取る」


 勝頼は桂の意見を取り入れる事を決断する。
 撤退する間に四散した軍勢を再び纏め上げ、本拠地である甲斐で戦えば如何様にも出来る。
 以前から斯様な事態になる可能性は予測していたのだ。
 こうなった以上はそうするしかない。


「それが宜しゅうございます。この城にて腰をおろして居られれば御味方も落ち着きましょう」

「うむ、そのつもりだ」


 勝頼の存念に私もこの城を動かないと言いたげな表情で桂は頷く。
 そんな姿は頼もしい事であると勝頼は思うが、本当は小田原へと戻って欲しい。
 だが、桂がそれを聞き届ける事は在り得ないため、これ以上は告げない事にする。
 今の状況で出来るのは織田家の軍勢を迎え撃つ準備であり、今後の事を踏まえた準備を進める事。
 限られた事しか手を打つ事が出来ない状況に歯痒く思いながら勝頼は織田家を迎え撃たんがために動き始めるのであった。














 ――――2月29日





「此処はこの城に籠って織田を迎え撃つべきだ!」


 翌日、新府城で軍議が開かれる。
 真っ先に発言するのは勝頼の嫡男である武田信勝。
 この年、16歳になる信勝は父、勝頼に似て勇猛果敢な気質の武将で織田家の大軍が迫っているとの情報にも怯む事は無い。


「若、この城は半造作故に迎え撃つ事に適してはおりませぬ。織田の大軍を引き受けるのは無謀でしかありません」


 それに対し、強く反論するのは未だに上州の戦線を維持し続けている真田昌幸。
 昌幸は勝頼が信濃を放棄する事を決断した段階で叔父である矢沢頼綱らに上州の指揮を委ね、この新府城へと戻って来ていた。
 勝頼が信濃を放棄した以上、兼ねてよりの計策を実行しなくてはならない時が近付いている。


「それでも構わぬ! むざむざ滅ぼされるくらいならば本城で戦う方が良いでは無いか!」


 反対する昌幸に信勝は悲痛な叫びをあげる。
 滅亡へと向かう流れが止められないのならば、武田家の本拠地である甲斐で迎え撃って滅んだ方が良い。


「……信勝。我らは最後まで望みを捨てる訳にはいかぬ。長きに渡って続いてきた甲斐源氏の血脈を絶やしてはならぬのだ」

「何を申されます、父上!」


 昌幸の意見に肯定する様子を見せる勝頼に信勝がくってかかる。
 勝頼にしてはあまりにも弱気な意見だ。


「……儂もいよいよとなれば武田家の武士として恥じぬ最期を遂げるつもりで居る。信勝よ、命の使い道を誤るな」

「父上……解りました」


 だが、勝頼の表情に何か存念があるのだと感じた信勝はこれ以上の追求を止める。
 これ以上、喚いたとて何が出来る訳でも無いのだ。
 勝頼は如何にして戦うか、または生き残るかを必死に模索している。
 信勝にはこれ以上、問いただす事は出来なかった。


「それでは……岩殿城への撤退というのは如何か?」


 勝頼と信勝の論議が終わったのを見計らって提案するのは小山田信茂。


「岩殿城はこの新府城からも近く、天然の要害に囲まれた甲斐屈指の堅城。如何に織田が相手であっても半年は戦えましょう」


 甲斐の国の中でも堅城と名高い、自らの居城である岩殿城への撤退を提案する。
 信茂からすれば地の利を活かした籠城戦を行える事もあってか自信あり気といった様子である。


「岩殿城は確かに大雲戒と言っても良い堅城ではあるが、北条家の領土に近すぎる。万が一、相州の軍勢が動員されれば数万もの大軍を相手にする事にも繋がる。
 それに敵が北条となれば相手は兵站の維持が容易だ。そうなれば時が経つほど優位に立てなくなる」


 だが、昌幸は信茂の意見に首を振る。
 岩殿城では小田原に近く、攻め寄せられた場合は北条家の本隊を相手にする事になるのである。
 しかも、今の北条家が親武田派の発言力が大幅に後退している事を昌幸は既に掴んでいた。
 現当主の北条氏直、一門衆の北条氏規が徳川家康の動きに呼応するように動いている事は上州で北条家を相手にしているからこそ解る。
 甲斐や信濃で戦ってきた者には解らなくとも、昌幸には全てが見えるのだ。
 故に明確な根拠がある上で信茂の意見に反対する。


「それは……」


 此処まで言われては信茂に昌幸の意見を否定する術は無い。
 それに昌幸の述べた事は全て現実味がある事なのだ。
 可能性としても北条家が織田家の要請に応じて甲斐の国に攻め寄せる可能性も充分に在り得る。


「しかし、武田家は甲斐を根拠地として大勢力となった。やはり、此処で踏ん張る方が活路を見い出せるのではないか?」


 昌幸に対し、山県昌満がやはり、新府城で籠城すべきでは無いかと言う意見を出す。
 武田四名臣の一人である山県昌景の子である昌満らしい具申と言うべきだろうか。
 あくまで甲斐の本拠地で戦ってこそ、活路が見い出せるとの見立ても猛将と名高い父、昌景の気質を色濃く受け継いだからこそのものであると言える。


「そうは申しても現状の新府城に残されている兵力は1000程度。既に甲斐国内にも我らの味方をするであろう者も少ない今、無意味でしかない。
 それに昨日、高坂信達殿が善光寺へと戻った報せも受けている。駿河、河東の戦線も崩壊した現状では甲斐国で戦う事は下策でしかないだろう」

「しかし……」


 昌幸の理路整然とした意見に尚も反論しようとする昌満。
 しかし、昌幸の述べた事に対して何も言い返す事が出来ない。
 信玄の眼と名高い名軍師は全てを見透かしていた。


「御屋形様、北条が織田を恐れるのであればこの機に乗じて、甲斐へと兵を進めてくるは必定。それに徳川もいよいよ、動きましょう。
 そうなれば、我らだけで四方から迫る敵を迎え撃つ事は不可能。半造作の城に加え、兵力も無いとなれば凌ぐ事は敵いませぬ」

「……御主がそうまで言うのであれば、如何にもならぬか」


 昌幸の見立ては勝頼の希望的観測の全てを打ち壊すものであった。
 武田家の本国である甲斐でならば、地の利も人の和もあり、充分に戦う事が出来ると考えていたのだが……。
 昌幸はそれは不可能であると断言した。
 家中随一の知恵者であり、信玄が我が眼であると評した昌幸の進言は全てにおいて的を射ている。
 思えば、武田家の命運を変えた長篠の戦いの時も全てが的中していた。
 昌幸は織田家が柵を築こうとしている事と雨が降らない日取りを待っている事に戦が始まる前の段階から気付いていた。
 馬場信房、山県昌景、内藤昌豊といった四名臣達ですら見えていない物が見えていたのである。
 この時は昌幸もまだ30歳にも満たない若手の武将であったため、誰もがその意見を取り合わなかった。
 だが、昌幸の進言を受け入れなかった事が長篠の戦いの大敗を呼び、今の武田家の行く末にまで発展している。
 勝頼は自嘲気味に笑うしかない。


「此処は予ての計策通りにやはり、岩櫃城へと退く事が宜しいかと存じまする。岩櫃ならば小諸の武田信豊殿、箕輪の内藤昌月殿、国峰の小幡信貞殿とも連携出来まする。
 彼らと共に戦えば織田勢であっても相当な戦も出来ましょう。それに岩櫃の背後には上杉家、佐竹家がある。いざとなれば其方まで落ち延びる事も可能です」


 昌幸の構想は以前にも聞いていたが、改めてその見事さに勝頼は圧倒されるしかない。
 根拠地である甲斐に拘らないその発想に加え、甲斐源氏の血を絶やさないために如何に動くべきかの全てを見据えている。
 他国にまで落ち延びたその後は共に戦うか身を退くかの選択肢は勝頼に委ねるのであろうが……何れにせよ、生き延びるためにするべき事を抑えている事に変わりはない。
 それに織田信長と言う人物は最後まで潔く戦った者には寛大であり、昌幸はそういった信長の人物像も捉えているのかもしれなかった。


「相解った。此処は安房の申す通り、岩櫃へと退くとしよう。但し、儂は如何しても高遠を見捨てる訳にはいかぬ。五郎らが奮戦し、僅かでも支えられれば状況は変わる」


 昌幸の意見を取り入れる旨を皆に伝えつつ、勝頼は自らに言い聞かせるように言う。
 高遠城に関しては最早、空論の域でしかなかったが、諸将に反対する者は居ない。
 武田家中でも傾奇者と言われる仁科盛信の人柄に惚れ込んでいる者はこの場にも多数、存在するのだから。
 こうして、勝頼の今後の方策は岩櫃城へと退く方向で話が進んでいく。
 それに従い、昌幸は防衛態勢を整えるために岩櫃城へと先行する事になるのであった。 















「御屋形様」

「……安房」


 軍議が終わり、岩櫃城へと向かう準備を整えたところで昌幸は再び勝頼の下を訪れる。


「諸将の前では如何しても言えぬ事があります故、出立の前に参上致しました」

「……うむ、聞こう」


 勝頼も昌幸が訪れる可能性がある事は予測が付いていた。
 誰よりも広く、深い視野を持つ昌幸の事だ。
 まだ何かあるだろうとは思っていた。


「……御屋形様、此処から先は如何なる事があろうとも岩櫃へと退く事のみを御考え下さい。例え、御方様が何かを申されても此度ばかりは聞き届けてはなりませぬ」

「安房……」


 まるで嘆願するかのように言う昌幸。
 その姿は付き合いが長い勝頼ですら見た事の無いものであった。
 今後の方針としては確かに岩櫃城へと退く事が決定したが、先行する昌幸はこれ以上、勝頼に干渉する事は出来ない。
 長篠の戦い以降、昌幸の関わらない場所では絶えず、軋轢が生じていた。
 それだけに勝頼の身に降りかかる事が必ずある事は容易に見て取れる。
 昌幸にはこのまま、何も告げずに出立すれば上州にまで辿り着けないであろう勝頼の姿がはっきりと見えていた。
 故に昌幸は最後となるかもしれない助言を勝頼に進言する。


「流石に僅かな時間では尾を掴む事は出来ませなんだが……既に織田家か徳川家の者が出入りしているとの話も我が配下である戸隠の頭、出浦盛清より受けておりまする。
 何処かで御屋形様が岩櫃へと退かぬように、と誘導する者が出てくるやもしれませぬ。この安房を御信じめされるのであれば、その事を何卒、御心に御留め置き下され」


 昌幸が口にしたのは武田家中に内応している者が居る事を示唆するもの。
 真田家は信濃の忍である戸隠衆を直属の家臣としており、特に先々代の当主である幸隆からその扱いの手解きを受けている昌幸は謀略に滅法強い。
 恐らくはその筋から水面下で動いている者が居る事を掴んだのだろう。


「相、解った。安房の忠言、然と聞き届けた。……感謝する」


 勝頼は昌幸の進言に感謝する。
 信濃での事もあり、誰を信じるべきかと疑心暗鬼になっていたのだが……。
 忠言とも言うべき昌幸の進言は青天の霹靂とも言える程、具体的なものであり、唯一の進むべき道筋であった。
 家中の誰もが見えていない物を昌幸は唯一人だけ、捉えている。
 それは恐らく勝頼の末路が如何に進んでいくかであろう。
 信玄の眼の異名を持つ、稀代の名軍師の眼は確かに誰にも見えないはずのものを見据えていたのだ――――。















 こうして、二人だけの間で密かに交わされた主従の会話。
 他の誰にも聞かれる事は無かったこの会話は史実では無かったもの。
 ほんの僅かな時間だけのものであったが、確かに勝頼は昌幸が何を考え、何を見ているのかを垣間見る事が出来た。
 信濃での出来事は勝頼にとっては己の価値観の全てを打ち崩すものであっただけにそれは尚更である。
 誰もがいざとなれば自分の身が大事であるとし、容易く見捨てる者が多いのにも関わらず、昌幸は全てを投げ打ってまでして手筈を整えてくれている。
 ましてや、此度に関しては任されている上州の戦線から離れてまで馳せ参じてくれたのだ。
 先代の信玄の姿を追い求める者が多い中で勝頼のために働く昌幸は家中でも数少ない存在であった。
 それだけに昌幸の忠言が勝頼の中に僅かばかりの光を灯したのは間違い無い。
 武田家滅亡が隘路のように広がっている現状に投げ入れられた一石が何を意味するのか。
 そして、信玄の眼が見て伝えたものが如何に影響するのかはまだ定かでは無かった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第74話 分岐する道
Name: FIN◆3a9be77f ID:d47ec1d5
Date: 2014/03/30 08:42




 ――――1582年3月1日





 ――――高遠城





「一戦も交えずに降伏せよとは片腹痛い。信忠殿の行為には感謝するが、兄者のために戦わずして何が武士だ」


 織田家からの降伏の使者を送り返し、孤立した高遠城で戦の準備を進めているのは仁科盛信
 勝頼の実弟であり、家中では傾奇者として知られる武辺者であり、武勇の士として名高い人物である。
 しかし、如何に盛信が優れた将であろうとも完全に孤立した状態にある高遠城の戦局を挽回する事は不可能であろう。
 盛信自身も勝ち目が無い事くらいはとうに理解しており、先日、勝頼が正式に信濃を放棄する事を決定した事についてもそれを恨む事は無い。


「仰せの通りにございまする。この小山田昌成も一族を上げ、最後まで御付き合いさせて頂く所存」


 盛信の確固たる覚悟に同意する小山田昌成。
 昌成は同じ性を持つ小山田信茂とは数代前に家を分けた別系統の家柄で信茂とは然程、近い姻戚関係では無い人物。
 攻城戦、籠城戦を得手とする事で知られる武将で既に隠居の身にあったのだが、武田家の窮地と知って復帰し、一族を上げて高遠城へと入っていた。


「……すまぬな。敵は雲霞の如き大軍であるにも関わらず、御主らを付き合わせる事になった」


 一族郎党を引き連れ、態々参陣した昌成に盛信は謝罪する。
 此度の戦は万が一にも運を開く戦いと成り得る事はない。
 この先にあるのは死以外には何も無いだろう。
 盛信は勝頼のために逝く事は苦にも思わないが、他の者達が同じとは限らない。
 だが、昌成からの返答は意外なものであった。


「構いませぬ。我ら二心無くして此処に集った者。潔く戦って死する事は武士の本懐であり、生まれた甲斐があると言うものでござる」

「……そうか」


 昌成が全く同じ覚悟である事を汲み取った盛信はこれ以上は何も言わない。
 既に死する身でしかない事を受け入れている昌成と郎党達の表情は晴れやかだ。
 盛信と共に最後まで戦える事を嬉しく思っている。
 織田家の大攻勢を前に多くの者が武田家を裏切り、見限っていったが昌成はそういった者達とは考えが全く違う。
 小山田家の者として最後まで戦うつもりである事には何の躊躇いもない。
 盛信は頼もしい同志達の返答に満足しつつ、最後の一時を楽しもうと心に誓う。
 傾奇者と呼ばれる自分に相応しい最後の時を過ごし、来るべき織田信忠との決戦に備える。
 それが――――盛信に出来る唯一の事であった。






「……松よ、此処まで付き合わせてしまってすまぬ」


 昌成らと共に戦い抜く事を近って最後の宴を催した盛信は密かに場を抜け出し、実妹の松姫を呼んだ。
 松姫は盛信と同腹の兄妹であり、上杉景勝に嫁いだ菊姫の実姉である。


「御気になさいますな、兄上。私は望んで此処に居るのです。死する事になろうとも構いませぬ」

「……そうか」


 既に松姫も覚悟を決めている。
 武田家の女として、盛信と共にこの高遠城で散ろうと言うのだ。
 それは歳下の義姉である桂も同じであるため、盛信からすれば想定の範囲内だ。
 しかし――――此処で盛信が逝き、甲斐の地で勝頼までも逝く事になったとすれば誰が武田家の菩提を弔うのか。
 織田信長は最後まで戦い抜いた者には寛大であると言うが、それも何処まで信用出来るかは解らないだけにせめて松姫だけは逃がさねばと盛信は思う。


「御主の覚悟は良く解った。だが、松を此処で死なす訳にはいかぬ。……信忠殿の下へ行け」

「兄上!?」

「俺が知らぬと思うてか。御主が日夜、信忠殿の事を想って涙しているのを」

「それは……」


 盛信の言葉に松姫は言葉に詰まる。
 松姫は織田家との関係が白紙になり、信忠との婚約が解消された今も彼の人物を想っている。
 本来ならば他家に嫁ぐなりするところであるが、尼になる道を選んだ。
 あくまで信忠以外の人物には嫁ぐつもりが無いという意思表示である。
 同服の妹であり、共に過ごした時が長い盛信にとっては松姫の心の中は見て取れた。
 それ故にその望みを叶える最後の機会とも言える今、この時を感謝している。
 敵総大将が信忠であるのならば、松姫を送り届けても問題はない。


「……俺が兄として御主にしてやれる最後の事だ。親父殿の都合に振り回されたが故に白紙にされた事……せめて、それだけでも叶えるが良い」

「はい、兄上……感謝致します」


 兄の最後となるであろう気遣いに松姫は涙しつつ、頷く。
 互いに結ばれる日を夢見ながらも両家の都合で引き裂かれた信忠との婚姻は松姫自身が一番望んでいた事。
 決して叶わない事だろうと思っていたのに盛信は最後の一時を自分のために使おうとしてくれている。
 それが唯々、申し訳なくて、悲しくて。
 でも、信忠を想う気持ちは如何しても止める事が出来なかった。
 盛信もそれを解っているのだろう。
 これ以上は一言も発する事はなかったのである。





 松姫はこうして、盛信の手によって織田信忠の下へ送り届けられる。
 盛信はこの時、捕らえられる事を覚悟した上で松姫を自らが共をして、松姫を信忠へと預けた。
 信忠もいきなり訪れた盛信と松姫の姿に驚いたが、やがて高遠城へ総攻撃かける際に松姫をも巻き添えにしてしまう可能性があった事を知り、借りとして盛信を見逃す。
 最後に義兄弟として杯を交わし、最後は正々堂々と戦う事を約束して。
 互いに武士として、一人の将として、一度きりの邂逅となった盛信と信忠の会話は誰として知る者は居ない。
 勝頼が真田昌幸と交わした会話のように本来ならば在り得なかったであろう邂逅――――。
 仁科盛信と織田信忠の生涯で唯一となる出会いは意外な結末を迎える事になる。
 この結末には『』の一字の兜飾りを持つ人物と鍾馗と呼ばれる人物が大きく関わったという事らしいが――――それは定かではない。
 唯、両名の率いる手勢が援軍として密かに信濃へと侵入していたという噂が残るのみだ。
 何れにせよ、高遠城陥落は多くの者が想定していた事態とは違った結末となったのである。















 ――――3月3日





 ――――新府城





「馬鹿なっ!? 高遠が陥落しただと!」


 高遠城が陥落したとの報告を受けた勝頼は信じられないと言った表情で激昂する。
 話によれば昨日、3月2日に織田家の総攻撃があり、高遠城は半日程の時間で陥落したという。
 始めから勝機もなく、武運を掴む事も出来ないと悟っていた盛信は籠城戦では無く、出撃策を取って自らが太刀を振るって奮戦したとの事らしい。
 盛信だけでは無く、付き従っていた小山田昌成らを始めとした郎党達も共をし、盛信と共に戦った。
 最後の戦であるだけに華々しく散ろうと思ったのだろうか。
 まるで鬼神の如く戦ったという盛信は武田家の一門衆としての意地を存分に示したのである。


「そうか……五郎の亡骸は見つかってはおらぬのか」


 届けられた報の中で意外にも盛信の亡骸は最後まで見つからなかったと言う事に勝頼は一縷の望みがあると安堵する。
 激戦であったにも関わらず、大将首を取った者が居ないと言う事は僅かではあるが盛信が生きている可能性が存在するのだ。
 とは言え、その可能性は万に一つあれば良い方であるが――――勝頼にとってはそれだけでも充分だった。


「しかし……僅か半日しか持たぬとは」


 だが、高遠城が半日しか持ち堪えられなかった事だけは予想外であった。
 孤立していたとはいえ、彼の城は要害であり、3000もの精鋭が居たのである。
 しかも、盛信を始めとし、歴戦の将である昌成らも居た高遠城は事実上の信濃で最も堅固な城だ。
 それを半日で落としたとなれば敵は軍勢の数だけではなく、優れた将が率いている事になる。
 敵総大将である信忠の器量を垣間見た勝頼は織田家の圧倒的な強さが信長によるものだけでは無い事を痛感する。


「御屋形様……」


 そんな勝頼を傍で見守っていた桂は思わず涙を流す。
 気丈に振舞っては居るが、勝頼の憔悴ぶりは明らかである。


「……桂か。五郎の亡骸が見つからなかった事だけは救いではあるが……最早、甲斐で抵抗する術は残ってはいない。戦いたくとも戦えぬ」


 桂の姿を認め、絞り出すように口にする勝頼。
 高遠城が陥落し、上原城までも既に放棄している今、織田勢の次の目標はこの新府城しかない。
 しかし、上原城に居た時には15000程であった軍勢は逃亡者が続出し、今では1000足らずが残されるのみ。
 それに加え、高遠城が半日で陥落した今、時間稼ぎをしている合間に突貫で防備を固めると言う手段も水泡に帰した。
 上州へ退く前に甲斐源氏である武田家の当主として、一戦だけでも甲斐で戦おうと考えていたが、余りにも早い織田家の進軍に成す術も無い。


「一戦も交えずに御捨てするしか無いのですか……!」

「……最早、仕方の無い事だ」


 完全に諦め切った様子の勝頼に桂は唖然とする。
 だが、勝頼はあくまで甲斐で戦う事を諦めただけであり、その眼はまだ死んではいない。


「安房の計策通り、上州へと退く」


 暫しの間逡巡した勝頼は自らの意思が定まったのか、上州へと退く事を口にする。


「ですが……上州への道のりは巌しゅうございます。女子供も居る事を踏まえれば一度、岩殿城へ退いた後に何処かへ落ち延びた方が良いので無いでしょうか?」


 しかし、桂は女子供を含めて1000人は居るであろう人々を連れて岩櫃城まで行くのは困難なのではないかと思う。
 一度、甲斐国内の岩殿城へと行き、相州方面へと落ち延びる方が道中は余程、楽なはずである。
 何しろ、岩殿城までの道のりは道程にして2日程しか掛からないのだから。


「確かに桂の申す通り、女子供を率いて難路を踏破するのは困難であろうが……安房ならば道中にも手を打っているやもしれぬ」


 だが、勝頼はそれでも上州へと退くべきであると言う。
 真田昌幸ならば道中も含め、何かしらの手を打っているに相違ない。
 少人数で退いた場合に土民や徳川家の忍に襲われる可能性も考慮している事だろう。
 本来ならば落ち延びやすい岩殿を選ぶべきだが、昌幸を信じると決めた勝頼はあくまで岩櫃を選ぶ事を決断している。



「……解りました。御屋形様がそのように御考えであるのならば、何処までも御共させて頂きます」

「桂……!」


 ならば、桂に反論する理由はない。
 岩櫃と決めたのならば、それに従うのみである。
 勝頼の往く所が桂の往く所なのだから。
 昌幸を信じると決めたのであれば桂も昌幸を信じるだけである。
 道は困難を極めるであろうが、上州まで落ち延びる事が出来れば甲斐源氏としての武田家が消えようとも武田家そのものが滅ぶ事はない。
 常陸を根拠地とする新羅三郎の系譜に連なる源氏に戻るだけだ。


「……例え、最後の一人となったとしても私が御屋形様を御守り致します」


 上州への道中で如何なる事があろうとも、付き従う者が例え一人になったとしても――――桂は最後のその時まで勝頼と共に居る事を誓う。
 勝頼と共に在る事が出来るのであれば如何なる困難だって越えてみせる。
 桂は躊躇する事なく勝頼の腕の中へと飛び込む。
 勝頼も戸惑う事なく桂を抱き止め、決して離さぬように強く、強く抱き締める。
 その強く抱き締めた裏には勝頼の言葉に出来ない想いが込められていた。
 桂はそんな勝頼の胸に顔を埋め、泣き腫らす。
 唯々、勝頼の事を守ってあげたい――――そんな想いを抱えながら。















 こうして、勝頼は桂を伴って上州へと落ち延びる事を決めた旨を家中の者達に伝える。
 小山田信茂、山県昌満を始めとした甲斐の地に拘りを持つ者達は最後まで反対していたが、昌幸を信じると決めた勝頼の意思は固く、如何なる進言にも揺らがない。
 此処まで勝頼が自らの意見以外は認めぬと言った様子なのは初めての事であった。
 だが、これに反論せずに従う者も居た。
 一門衆の一人、武田信豊である。
 以前より、昌幸の計策を聞いていた信豊は小諸にて上田、岩櫃、国峰、箕輪と連携する準備を既に完了させていた。
 勝頼が此処にきて上州へと落ち延びる事を決断した事は当初の予定通りであり、いよいよ策を実行するその時が来たのである。
 そのため、信豊は勝頼に本拠地に戻り備えると言う旨を伝え、新府城を後にする。
 武田逍遥軒が行方をくらました今、一門衆の筆頭と言うべき信豊の判断は軍議の結論を明確に表すものでもあった。
 結局、後に残された者達も本拠地に戻って備える者と勝頼に従って上州へと共をする者に分かれる。
 岩櫃へと退く事が決まったにも関わらず、分裂した家臣団を見て勝頼は言葉もない。
 如何に衰退したとはいえ、己の求心力が此処まで落ち込んでいるとは思ってもみなかった。
 だが、勝頼の共をすると決断した者達は土屋昌恒らを始めとした直臣達のみ。
 裏を返せば勝頼を裏切るような者もこの場には残されていないと言う事である。
 数は少なくなってしまったが、付き従ってくれる者達の顔ぶれを見た勝頼はそう思い直す。
 何としても上州へと辿り着き、昌幸と共に生き延びるために戦う――――。
 勝頼は自らに言い聞かせ、新府城を後にするのであった。
















 だが――――この時の勝頼は知る由も無い。
 密かに甲斐に侵入した何者かが岩櫃へ至る道中にいち早く刺客を派遣している事を。
 武田家に素破が居り、真田家に戸隠が居るように同じく優れた忍を抱え、暗躍する事に関しては全く引けを取らない大名の牙が既に食い込んでいる事を。
 そして、勝頼に『信玄の眼』と言われた昌幸が居るように彼の大名にも『剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器』と呼ばれた知恵者が居る事を。
 駿河の戦線を完全に崩壊させ、北条家を反武田家の立場へと誘導したのも全ては彼の人物が裏で手を引いていたからである。
 織田家にとっては忠実な同盟者であり、武田家からすれば三方ヶ原の戦い、長篠の戦いより続く因縁の宿敵――――。


「勝頼め……上州へ落ち延びようとするとは面倒な。……弥八郎よ、既に手は打っておろうな?」

「はっ……」


 その名を――――徳川家康と言った。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第75話 徳川家康という男
Name: FIN◆3a9be77f ID:59c33d9f
Date: 2014/04/06 09:43






 ――――徳川家康





 戦国時代を知る上でこの名を聞いた事が無いと言う人は殆ど居ないのでは無いだろうか。
 三河を根拠地とし、現在は遠江の浜松城に本拠を構える有力大名。
 若き日は今川家の人質と過ごし、名僧と名高い太原雪斎に師事した軍略家にして、野戦の鬼とまで言われた戦国時代屈指の名将の一人。
 そして、史実においては江戸幕府を開いた天下人――――。
 謂わずと知れた英傑であり、日本という国の中ではこの人物を無くして歴史を語る事は出来ないであろう。
 1582年(天正10年)時では未だに織田信長の傘下に近い形での同盟者でしかないが……。
 ”武士の世”を目指す家康が”民”の生活を第一とし、”乱世の業を打ち砕く”事を目的とする信長とは何れ、決別する可能性があるのは明白である。
 あくまで鎌倉幕府のような武士が武士であるための世を築く事を目指し、今はまだ雌伏の時を過ごす英傑――――それが徳川家康という人物であった。






 ――――1582年3月4日






「……しかし、信長殿が甲斐にまで来る手前、公には動けぬぞ。精々、密かに向かわせた数百程度の者らので限界だ。これ以上は手勢を送り込めぬ」

「はい、遺憾ながらこのままでは逃げられましょう」


 勝頼が上州に落ち延びようとしている事を知った家康は兵站を維持する事が難しくなる事を嫌い、何としても勝頼を甲斐へ止める事を望んでいた。
 父、信玄に耐え難い屈辱を味合わされ、勝頼自身には遠江を長年脅かされた恨みがある。
 そのため、家康は武田家を降す事で漸く、自らが溜め込んできた今までの鬱憤を晴らす事が出来るのだと考えていた。
 しかし、私怨だけで武田家を滅ぼそうとは考えていない。
 甲斐を手中に収めるためには独力だけでは不可能だ。
 それ故に家康は駿河に侵攻した際、穴山信君を降伏させる形を取ったのである。
 武田家の一門衆である信君の助力を借りられれば、甲斐を取る名分も成り立つからだ。
 しかし、家康の参謀を務める本多正信は首を横に振る。
 織田信忠が率いる軍勢が武田領内へと侵入しており、織田信長がいよいよ信濃へと入る情報も得ている今、駿河から甲斐へと関わる事は難しい。
 また、信長の目的はあくまで甲斐と信濃の平定にあり、上州は目的ではない。
 故に勝頼が上州に落ち延びた場合は徳川家か北条家に討伐を命じてくる事は明白だ。


「では、如何するのだ? 弥八郎の事だろうから既に次善の策は打っておろうが」


 吝い側面を持つ家康としては出来る事ならば甲斐国内で終わらせたいと考えていた。
 今現在の徳川家の勢力で関東にまで手を伸ばすとなると、約10年程前の姉川の戦いの時の遠征の比ではない。
 ましてや、岩櫃城は三方ヶ原の戦いの策を考えたという怨敵、真田昌幸が縄張りを施した堅城。
 下手をすれば一両年以上も出陣し続けなくてはならない可能性すら存在する。
 家康が面倒だと言ったのはこのような事情もあっての事であった。


「はい。既に梅雪殿を通じて、小山田信茂めに軍勢を動かすように差し向けてございます。彼の者は女々しい側面があります故、必ずや応じましょう」

「……ふむ」


 正信の意見は尤もである。
 信茂は武辺で鳴らした小山田家の者ではあるが、根が小心な部分がある。
 此度の武田家の有様を見て見限る事は間違い無い。
 それに小山田家は半独立の国人であり、武田家の家臣という訳では無いためにその進退は自由だ。
 信茂が勝頼に従わなかったと言うのも道理があってのものとなるだろう。


「しかし、それでも逃げられた場合は如何する?」

「其処は既に殿も手を打っているではありませぬか。……武田を追い落とした後に北条に疑いが向くように仕向けたのは他ならぬ殿です。
 それに……勝頼の命を取るのはあくまで建前でありましょう? 殿の目的はあくまで別にあるのですから」

「ふっ……弥八郎の眼は欺けられぬか。万が一、勝頼が逃げ延びたとしても儂としては一向に構わぬ。寧ろ、信長殿が自ら関東へと向かう理由さえ出来ればな」

「そうですか……。やはり殿の目的はあくまで彼の人物にありまするか」

「……これ以上は言うな、弥八郎」


 あくまで勝頼を逃がさないという腹積もりの家康には本来の別の目的があるという。
 信長が自ら関東へと出兵する名分を立てる事――――それが家康の真の目的。
 もし、織田家が関東に軍勢を出陣させる事になれば、道中に立ち寄るのは徳川家の領地。
 制圧したばかりの甲斐を通るような真似を信長がする可能性は皆無に等しい。
 それ故、関東に信長の目を向けさせる事が出来れば――――。


「今はまだ、耐え忍ぶ時だ。信長殿が表舞台に居られる間までは、な」


 その時こそ天下を取る機会が巡ってくる絶好の頃合いだと踏んでいる。
 そう――――信長が徳川家の領地を通るその時こそが亡き息子、徳川信康や三方ヶ原や長篠で散っていった者達に報いる時なのだ。
 信長の理不尽とも言うべき命令により、逝った者達が家康の背中を後押しする。
 このまま信長に従っていれば何れは目指す天下の相違から戦う事になるのは明白だ。
 それに織田家が関東を平定するにあたり、徳川家はいよいよ邪魔な存在となってくる。
 後々、誅殺される可能性があるのならば計画を練り上げ、信長を排除した方が良い。
 家康は間近にまで迫り来ているその時を実感し、ほくそ笑むのであった。















 ――――3月11日




 ――――秩父





 新府城を焼き払い、岩櫃城を目指す勝頼一行はある時は山道に踏み入り、ある時は土民に見つからないように隠れつつ上州へと急いだ。
 この際の道中にて、勝頼は越後から直江兼続、斎藤朝信の率いる軍勢が援軍として信濃に入った事を知った。
 上杉家には再三に渡って援軍要請をしてきたが、此処にきて遂に動いてくれたのである。
 特に斎藤朝信は北陸を進む柴田勝家に備えていたにも関わらず、信濃の地理に通じていると言う理由で参陣してくれた。
 これには勝頼も感謝の念しか無かったが……時は既に遅過ぎた。
 兼続らが信濃に入った時には勝頼は甲斐へと退いており、孤立した高遠城が残されているのみであったからだ。
 もし、援軍が来るまで勝頼が信濃の諸城を維持出来ていれば存分に戦えていた可能性は高かっただけに尚更、悔やまれる。
 自らの不甲斐なさが景勝の厚意を無にしてしまった。
 恐らく、盛信の亡骸が見つからなかったのも兼続が手を回し、密かに救援したからであろう。
 勝頼は懐刀である兼続を動かしてまで手を貸してくれた景勝には唯々、感謝するしかない。
 信じられない事だが、兼続は勝頼が甲斐から落ち延びようとしている今も信忠の軍勢の主力である森長可、団忠正の手勢を引き受けているというのだから尚更である。
 高遠から越後寄りに陣を下げ、織田勢を牽制している上杉勢は当面に渡って目の上のたんこぶとなるであろう。
 信忠も兼続らを警戒し、抑えの軍勢を残した上で甲斐に進軍するしか無かったという報告からもそれは明らかだ。
 上杉家は確かに盟友としての役割を果たしていると言えた。





「御屋形様!」


 上杉家が介入した間に上州を目指して移動する勝頼らだが、真っ先に岩櫃へと退く事を選択したためかまだ織田家の息がかかった者は道中に配置されてはいない。
 警戒していた土民の襲撃も無く、このままであれば、そう遠くない間に上州へと逃げ延びる事が出来るであろう。
 勝頼を含めた誰もがそう思っていた。


「……解っている」


 しかしながら、遂に追手と遭遇してしまう。
 流石に手を拱いて逃がすつもりは無いようだ。
 甲斐国内での勝頼の道中を先読みし、兵を向かわせるような真似が出来る人物はそう多くはない。
 少なくとも寝返った者達の中で信濃の国衆は除外される。
 となれば、自ずと候補になる人物は限られてくるのだが……。


「……梅雪の手引きか」


 勝頼は徳川家が動いた事を察する。
 後を追いかける織田家が先回りする事が困難である以上は徳川家か北条家しか考えられない。
 だが、北条家は親武田派である氏政と氏照が一定の抑えを利かせているため、積極的に勝頼を討つ可能性は考えにくかった。
 それにより、後は徳川家に絞られるのだが……信君が既に家康に降っている事が明らかになっているだけに敵が何者であるかは容易に見て取れた。


「おのれ、出羽め!」


 背後から迫り来る軍勢は新府城で別れたはずの小山田信茂の軍勢。
 始めにそれを目にした時は信茂も共に岩櫃へと退く事を決断したのだと思ったのだが……如何も様子が可笑しい。
 長年に渡って武田家に味方してきた小山田の者であるだけに勝頼は杞憂だと判断し、信茂を迎え入れようと判断した。
 しかし――――信茂の手勢は勝頼らの姿を見るやいなや、鉄砲を撃ちかけてきた。
 明らかな返り忠に勝頼は怒りを隠せない。


「御屋形様……!」

「……いよいよ我らも覚悟を決めねばならぬ時がきたようだ」

「はい……」


 最早、此処までだと口にする勝頼。
 背後から迫ってくる信茂の軍勢だが、前方にも不義の者達が陣取っている。
 上州に向かおうとしている一行が勝頼である事を知った上で道を塞いでいるのだ。
 柵を構え、道を封鎖する形で陣取っている者の先頭に立っている者の顔を勝頼は知っている。
 辻弥兵衛と渡辺囚獄佑の両名だ。
 嘗ては武田家の家臣として仕えていた弥兵衛と穴山信君に仕えていた囚獄佑。
 共に勝頼が通るであろう道筋を先読みし、布陣する事が出来る人物である。
 それ故に両名が岩櫃の道中にて待ち伏せをする可能性がある事は充分に考えられた。
 特に弥兵衛は勝頼の手によって武田家を追放されたという経緯がある。
 徳川家に寝返り、如何なる手段を以ってしても勝頼を討ち果たそうとするのは無理もない事であった。
 織田家の侵攻に始まり、徳川家、北条家といった諸大名と敵対し、嘗ての家臣に首を狙われる――――。
 自らが蒔いた種が今の状況を生み出したのだ。
 上州へと落ち延びる選択肢を選ぶしか無かったのもそれによるものであり、尽く選択肢を誤ったが故のもの。
 その報いが今、此処で降りかかるかのように勝頼達一行は上州を目前にしたところで逃げ場を失ってしまったのである。















「我が方で戦える者は僅かに50人足らず、対する敵は前後合わせて、1000程と言ったところか……」

「父上。最早、詮無き事です。……戦いましょう」

「……うむ。此処が我らの死に場所やもしれぬ」


 20倍以上もの軍勢に挟み討ちにされ、逃げ場が無いと判断した勝頼は信勝の進言を受けて戦う決意をする。
 鉄砲を射掛けて来たのは信茂の軍勢の先鋒で数は大した事無いが、このままでは何れ追い付かれてしまう。
 それに道の先には弥兵衛と囚獄佑が陣取っているのだ。
 強行突破は決して不可能ではないが、此方には桂を始めとした女衆が居るために強行する事は叶わない。
 時間を掛ければ結局は信茂の軍勢が追い付き、10倍もの数の軍勢を相手にして戦う事になる。
 進むも退くも無意味であるならば、甲斐源氏の名にかけて討ち死にする方が余程良い。
 しかし、それでも女衆だけは逃がさなくてはならない。
 勝頼は敵を弥兵衛らに絞る事にし、一か八か道を切り開く事を決断する。


「御屋形様! 先に参ります、冥府にて御会い致しましょうぞ!」

「解った、昌恒。……御主の忠道に感謝する」

「ははっ!」


 真っ先に先鋒として名乗りを上げたのは側近である土屋昌恒。
 勝頼の側近として長年に渡って昌恒はこれが最後の奉公として自ら斬り込む事を告げ、勝頼の下を後にする。
 成すべき事は勝頼らが先に進めるように時間を稼ぐ事。
 昌恒は殿を務めるため、信茂の率いる軍勢に立ち向かってゆく。
 そして、昌恒が最後まで勝頼の下へと戻ってくる事は終ぞ無かったのである――――。





「父上!」

「……うむ」


 信勝と共に自ら槍を取り、幾人かを討ち取る勝頼。
 自らの武勇を自負するだけあり、土民を中心とした戦力である弥兵衛らの軍勢は忽ちに蹴散らされていく。
 しかし、柵の向こう側に陣を構え弓、鉄砲を射掛けてくる者達に阻まれ勝頼は先に進めずにいた。
 女衆を守りながらという条件に加え、敵方に地の利がある以上は思うように戦えないのも無理はない。


「……良くぞ、此処まで堪えてくれた」

「昌恒の忠道……この武田信勝、決して忘れぬ」


 背後から信茂の軍勢がいよいよ目視で捉えられる段階にまで近付いて来た事を見て、勝頼は殿を務めていた昌恒が戦死した事を察する。
 僅か10数名だけを率いて斬り込んだにしては良く戦ってくれた。
 昌恒が少しでも時間を稼いでくれた事でこうして、勝頼と信勝は地の利が無いにも関わらず戦う事が出来た。
 だが、それもこれまでだ。
 前方の弥兵衛らを突破出来なかった現状で信茂の率いる軍勢とそのまま戦う事は無謀でしかない。


「……桂」

「御屋形様……何も仰らないで下さい。桂は貴方様と連れ添えて幸せでした」

「本当に然様に思ってくれるか」

「はい。最期の時まで共に居られる事は女人としてこの上ない幸せです」

「……儂も其方と連れ添えて良かった。短い時間ではあったが……結ばれた縁は永劫に続くものだ。冥土でもまた連れ添おう」

「四郎様……」


 勝頼と桂は笑顔で視線を交わす。
 この先に見えるのは冥土しか無いが、共に逝けるのならば何も恐るものは無い。
 後は甲斐源氏の頭領として恥じない最期を迎えるだけだ。


「信勝よ、御旗と楯無の鎧をこれに」

「はい、父上」


 武田家に伝わる御旗と楯無の鎧。
 勝頼と信勝は最後の誓いを立てる。


「甲斐武田家20代目当主、武田四郎勝頼がこれより、押し寄せるであろう不義なる者共を迎え討つ! 御旗、楯無、御照覧あれ!」

「御旗、楯無、御照覧あれ!」


 勝頼と信勝と残った僅かな家臣達の連呼が響き渡る。
 いよいよ、最後の出陣の時だ。 
 敵が間近にまで迫ってきている今、この誓いが最後となる。
 時折、啜り泣く家臣達の姿を見るとそれが皆も解っているからであろう。
 武運も拙く力が及ばなかった以上、残されたのは華々しく戦って散る事のみ。
 勝頼は楯無の鎧を身に付け、甲斐源氏の頭領として出陣の準備を済ませた。
 後は陣頭に立って斬り込み、出来る限り多くの者を道連れにするだけだ。


(……安房、許せよ)


 勝頼は岩櫃で防備を整えて待っているであろう昌幸に謝罪する。
 上州はもう目の前であると言うのに辿り着く事が出来なかった。
 智謀の限りを尽くして、手段を打ってくれた忠臣に報いる事が出来ない事だけが申し訳ない。
 信玄の眼が見ていたものを最後まで見る事が出来なかった自分への罰なのかもしれない。
 最早、武運も尽き果てた今となってはそれを考えるのも無駄な事であるのだろうが――――勝頼には何の術も残されてはいない。
 勝頼は心の内で昌幸に謝罪し、信勝と共に最後の戦いに挑まんとゆっくりと前に進み出る。
 そして、最後の号令を発しようとしたその時――――















 上州方面から多数の騎馬武者が迫って来る。
 軍勢の数にして約500前後と言ったところであろうか。
 騎馬武者達は上州への道を塞いでいた弥兵衛らを瞬く間に蹴散らしたかと思うと躊躇う事なく、信茂の軍勢へと突撃して行く。
 その光景はまるで突風がいきなり吹き荒れるかのように見える。
 駆け抜けていった騎馬武者の後には多数の土民が倒れており、塞がれていた上州への道も綺麗に開かれていた。
 一体、何が起こったのか解らないと言った様子の勝頼達一行に騎馬武者の大将と思われる一人の武将が歩み寄る。


「……遅くなりまして申し訳ございませぬ。父、真田昌幸の命により御屋形様を御迎えにあがりました」


 歳の頃は10代半ばを過ぎたくらいだろうか。
 16歳の信勝と同年代ではあるが、落ち着き払った風貌は些か大人びて見える。
 だが、昌幸を父と言ったこの若き武将は勝頼の良く知る人物であった。


「……源三郎かっ!」


 思わぬ味方の来援に勝頼が名を口にするよりも早く歓喜の声を上げたのは信勝だ。
 それほど長い時間では無かったが、共に武芸、軍学といった嗜みを学んだ盟友が窮地に駆け付けてくれた事が嬉しくない訳がない。
 信勝が源三郎といったこの若き武将はそれほどまでに縁のある人物であったのだ。
 真田昌幸の息子――――通称、源三郎。
 勝頼らを救わんがために昌幸が手を打った切り札とも言うべき手勢を率いて現れたこの若き武将。
 遠い先の時代では信濃の獅子の異名で呼ばれる事で知られる人物であり、此度の武田家滅亡における仔細の結末を変える事になった人物――――。
 名を真田源三郎信幸と言った。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第76話 武田家滅亡
Name: FIN◆3a9be77f ID:7c9f9c23
Date: 2014/05/10 05:51




「御屋形様、信勝様、此処は御任せ下さい。信茂殿は必ずや、この信幸が討ち果たしまする」


 上州への道を塞いでいた道を切り開いた信幸は采配を執りながら促す。
 信幸は追手を引き受ける事を前提としていたため、信茂の軍勢を前にしても驚きはない。
 昌幸からは相手となるのは信茂であろうと聞かされていたからだ。
 それに信幸自身も信茂と出会った時に根が小心な武将であると言う気質を見抜いていた。
 窮地となった時に牙を剥くであろう事は明らかであった。


「……すまぬ。……父上、母上、此処は源三郎に任せ、先に参りましょう」

「……ああ」

「道中では小諸方面へと向かう予定であった我が弟、源次郎が御待ちしております。……報告を聞いた父上も何れ、御屋形様を御出迎えになる事でしょう」

「相、解った。……真田家の忠道に感謝する」


 促された通り、勝頼は信勝、桂らと共に信幸に後を任せて上州へと退く。
 昌幸を最後まで信じると決めている以上、その指示を受けている信幸は信頼出来る。
 信幸の弟である源次郎もまた信頼出来る若者であり、勝頼は好ましく思っていた。
 短い時間ではあるが、歳の頃の近い信勝の側近として仕えていただけに尚更だ。
 信玄の眼の異名を持つ昌幸に鍛えられた信幸が何の勝算もなく信茂を討ち果たすと言う訳がない。
 寧ろ、既に信茂が信幸の術中に嵌っている可能性すら考えられる。
 それならば、信幸の身を案じる事は野暮でしかない。
 勝頼は頼もしく成長した若武者の背を見ながら場を後にするのであった。














「……真田、か」


 穴山信君からの内応に応じ、勝頼の後を追って来た信茂は六文銭の旗印を見て複雑な表情をする。
 先々代の当主である真田幸隆とも共に戦った事もある信茂は長年に渡って真田家の軍勢の強さを目にしてきた。
 長篠の戦いで多くの者が散り、各々の戦力を磨り減らしてしまっている今、真田家は武田家中で最も屈強な軍勢だろう。
 先代である真田信綱の後を継承した昌幸は信玄から直に教えを受けた愛弟子であり、孫子を主とした兵法を極めた神算鬼謀の武将である。
 味方としてはこれほど頼もしい者も居ないであろうが、敵として相対した場合これほど恐ろしい者は居ない。


「小倅もやりおる……。やはり、侮れぬか――――!」


 だが、敵は昌幸本人ではない。
 そのため、信茂も大した相手ではないと踏んでいたのだが……。
 信幸の采配は既に一人の将としての形になっている。
 騎馬武者を中心とした軍勢で一気に強襲を仕掛けるのは常套手段だ。
 不意を付き、寸前のところまで旗印を翻さず正体を隠したのは相手が真田家の軍勢である事を悟られぬがため。
 事実、信茂自身は信幸とは殆ど面識が無かったため、直接顔を見るまでは敵が何者であるかは解らなかった。
 信茂を容易に欺いた事も踏まえれば、信幸が遣り手である事は明らかである。


「皆の者、怯むな! 此処で真田めに敗れれば我らに後は――――」


 信幸を強敵であると認め、信茂は自ら陣頭に立って采配を執ろうと前に進み出ようとした瞬間――――。
 一発の銃声が響き、信茂の首の根元付近を撃ち抜く。


「ぐっ……」


 余りの激痛に信茂は短く呻く事しか出来ない。
 的確に狙ってくる事が出来るだけの腕前を持つ鉄砲使いは武田家中には居ないはずだ。
 それは真田家にも同じ事が言えるはずだった。
 しかし、現実には違う。
 真田家は昌幸の代になってからは家中内で大きく組織変更が行われ、軍備も一新されている。
 信茂が知る真田家の軍勢はあくまで先代の信綱が率いていたものに過ぎない。
 昌幸は家督を継承して以来は基本的に上州での戦に専念していたため、其方に参加していない者には細かい部分までは解らないのだ。


「信茂殿、御覚悟!」


 意識が朦朧とする中、狼狽えた軍勢を一気に突き抜けてきた信幸の声が信茂の耳に届く。
 自分を狙撃した事も踏まえ、全てが信幸の掌の上でしかなかった。
 本当ならば勝頼の首を手土産に織田家か徳川家に降るつもりであったのだが……。
 真田を見誤ったのは不覚であったと言えよう。
 よもや、戦の経験が少ないはずの信幸が斯様な手で来るとは。
 あくまで確実に信茂を討ち取るだけ事を考えた采配――――。
 只管に大将首を狙い、襲い掛かる戦いぶりは正に獅子の如くである。
 その信幸の姿が信茂の見た生涯最後の光景であった。















「逆臣、小山田信茂殿! この真田信幸が討ち取った!」


 強襲を仕掛けた勢いのままに信茂を圧倒した信幸は声高々に大将首をあげた事を宣言する。
 一度捕えた獲物を逃がさない戦いぶりは亡き伯父、信綱に通じているかもしれない。
 冷静にして豪胆な部分は父、昌幸譲りであると言えるが……何れにせよ、恐ろしいまでの手際の良さである。


「御見事にございます、信幸様」


 信茂を討ち取り、勝利を宣言する信幸に声をかけるのは10代前半になるであろう若武者。
 射撃時に狙いがぶれないように手を加えられた火縄銃を携えている事から、信茂を撃ったのはこの若者である事が窺える。


「うむ……十蔵も良くやってくれた。御主の狙撃が無ければこのように容易くはいかなかっただろう。……源次郎には礼を言わねばな」


 信幸が信茂を容易に討ち取れたのはこの十蔵と呼ばれた若者の御蔭だ。
 源次郎の家臣であるこの若者は真田家で随一の鉄砲使いとして将来を期待されており、此度の勝頼救出の際に力になるだろうと一時的に信幸の指揮下に入っていた。


「勿体無き御言葉。某は成すべき事をしたに過ぎませぬ」

「……相変わらず、生真面目なものだ。それが御主の良いところなのかもしれんが」


 信茂を討ち取る事が出来たのは間違いなく、十蔵の手柄であるはずなのに謙遜するその様子に苦笑する信幸。
 十蔵とは歳が近い事もあってそれなりに親しい仲ではあるが、源次郎の家臣であるために深い接点がある訳ではない。
 生真面目であると言うのはあくまで信幸から見ての評価である。
 源次郎が言うには異常な程に酒に強いと言う事らしいが……信幸は生憎と其処までは知らない。
 しかし、真面目な気質は信幸から見ても好ましいものだ。
 忠実に動いてくれるからこそ、信茂を容易く討ち取れたのだから。


「よし……私達も戻るぞ。御屋形様を父上の下まで御連れせねば」

「ははっ……!」


 大将が討ち取られた事で先を争うように逃げ出していく信茂の手勢を見ながら、信幸は踵を返す。
 目的を果たした以上、この場に止まる理由は存在しない。
 あくまで勝頼を救い出し、岩櫃城に迎え入れる事が信幸の目的だ。
 信茂に加担した者達を全て討ち取るという命令は受けていなかった。
 裏切ったとはいえ、嘗ては共に戦った者達なのだから多少の情けはある。
 冷徹な判断を下せる昌幸らしからぬ命令であったとも取れるが、時間をかけ過ぎると他の追手が来るだけだ。
 早急に片を付けて防備を整える事こそが上策であるとした昌幸の判断は決して間違っていない。
 信幸もそれを理解しているからこそ、信茂の首のみを狙う采配を執ったのである。
 戦に関しては天性の才能を秘めているとの見立てのある源次郎よりも昌幸が信幸を指名したのはその気質故であろう。
 撤退する側に必要なのは退き際の見極めこそが肝要なのだから。
 そのため、死中に活を求める求める気質の源次郎では適しているとは言い難い。
 昌幸が何故、全てを委ねてきたかを理解している信幸は追手がこれ以上存在しない事を確認し、勝頼らの後を追うのであった。















 ――――1582年3月15日





 甲斐を脱出し、新天地を目指した勝頼達一行は遂に上州へと到着した。
 上州に入ってからの道中では小諸方面へ向かおうと準備を進めていた源次郎と秩父方面の殿を務めた信幸に守られていた事もあり、漸く一息吐く事が出来た。
 木曽義昌の裏切りを皮区切りにして始まった信濃陥落の戦から休む間も無かった勝頼にとっては久方振りの休息である。
 消耗し続ける勝頼の様子をずっと見守っていた桂も上州に入ってからは度々、微笑むようになった。
 まるで憑き物が落ちたかのような様子の勝頼を見て嬉しく思ったのだろう。
 一時は実家である北条家を頼ろうとも考えたが、その場合だと勝頼の身の安全が保障出来ただろうか。
 氏政、氏照は信頼出来る人物ではあるが、氏直はあくまで親織田派であり、家中では同じ思想を持つ者達が力を握っている。
 これでは北条家に匿って貰ったとしても何れは如何なるかの保障は無かった。
 昌幸の事を最後まで信じると決めた勝頼の選択肢は決して間違っていなかったと言える。
 だが、実際に上州に入ってからの様子を見ると甲斐、信濃とは比べられない程に安定した統治が行われている。
 土地の違いの大きさと言うのもあるのだろうが、民の生き生きとした表情からすると皆が昌幸を信頼し、尊敬しているように見えた。
 『人は城、人は石垣』の理念を持っていた信玄の教えを受けていたのもあってか、武士よりも民を重んじた統治を行っているのだろう。
 昌幸は新府城の縄張りを行う際にも政治、商業を集住させる必要があるとしていたが、上州でもそれを実践している。
 甲斐では構想だけで終わってしまっているだけにこの差は非常に大きい。
 統治者として、為政者として昌幸が卓越した手腕を持っているのが明らかである事をまざまざと見せつける。
 信玄の眼と呼ばれるその名は神算鬼謀の智謀だけでは無い。
 政治、軍事といった全ての面に通じるからこその名なのだ。


(……儂よりも主君に向いているな)


 だからこそ、勝頼はこのように思う。
 今までは昌幸の上州統治をじっくりと見る機会はなかったため、気を留める事はなかったが……。
 明らかに勝頼の行っていた統治とは違う。
 領内の金が殆ど産出されなくなり、民には重税を課さなくては儘ならなかった勝頼の統治とは違って商業を大事にしている。
 これこそが金に依存してきた者と依存していない者の差なのであろう。
 少ない元手から増やしていくという手法は武田家中ではそれほど広まっていない。
 元より商いを主としてなかったのもあるだろうが、先代である信玄の代の頃は資金に困っていなかったと言うのもある。
 資金が不足し、統治が儘ならなくなったのは勝頼の代になってからだ。
 それに加え、新府城に本拠地を移動させるなどの負担が発生している。
 止むを得ない事情があったにせよ、統治が上手くいっていなかったのは確かであろう。


(これからは安房を中心として新たな大名として起つ方が良いのではないか――――?)


 岩櫃城を目指す道中で勝頼は一つの結論に至る。
 甲斐源氏である武田家は最早、滅亡したに等しい。
 勝頼、信勝を始めとした一門衆こそ健在だが……。
 根拠地である甲斐を離れた今、甲斐源氏としては終わったも同然だ。
 血脈が絶える事は無いが、勝頼の統治下で甲斐も信濃も大きく消耗してしまった。
 多くの者達が勝頼を主君と仰ぐには相応しくないと思っており、それは盛信、信豊を除いた一門衆達の勝手な行動からしても明白だ。
 それに対して、真田家は如何であろうか?
 昌幸が不在の間でも場を任された矢沢頼綱らは忠実に責務を果たし、信幸ら息子達も務めを果たしていた。
 一門衆は皆が纏まっており、各々の持つ意見を採用し、実行するだけの器を昌幸は持っている。
 それに加え、武田家の家臣としても上州における地盤を確固たるものとし、何時でも戦が出来るように支度を整え終えていた。
 打つ手の全てが後手に回り、戦支度すら出来なかった己とは明らかに違う。


(だが……あくまで儂を盛り立てようとしてくれている安房の意思を無視する訳にもいかぬ。……やれるだけの事はやるしかない)


 勝頼は頭に浮かんだ事を振り払い、思い直す。
 甲斐源氏としての武田家は確かに滅んだかもしれない。
 しかし、昌幸を始めとした者達は未だに付き従う事を選んでくれている。
 全てを諦めるにはまだ早過ぎるのだ。
 昌幸の見立てでは一両年持ち堪えれば、情勢が如何なるものとなるかは解らなくなってくる。
 そうなれば再起する事も出来るかもしれないし、昌幸を中心とした新たな大名として生き延びる道もあるかもしれない。
 何れにせよ、匙を投げ捨てるのはまだ先だ。
 勝頼はそう思い直し、岩櫃城より出迎えに来た昌幸と合流するのであった――――。















 こうして、武田勝頼は土屋昌恒らを始めとした忠臣達の犠牲を払いながらも上州、岩櫃城へと入った。
 真田昌幸の手によって張り巡らされた陰陽の縄を仕込まれた堅城であるこの城は甲斐の岩殿城に比べても長期に渡って持ち堪える事が出来る。
 用意周到に準備を進めていた昌幸の采配により付け入る隙も無く、戦を仕掛ければ無闇に死者を増やすだけなのは誰が見ても明らかであった。
 それを察してか織田信忠は甲斐を平定した後は上州に攻め寄せようとはせず、森長可、滝川一益、河尻秀隆らを残して自身は岐阜へと退く。
 盛信から松姫を受け取ったせめてもの礼として。
 織田信長も甲斐に入った後は松姫と信忠の婚姻を認めた後、生き延びた勝頼の事は暫しの間、徳川家康、北条氏直らに後を任せる事とした。
 何れは自らの手で片を付ける事を告げて。
 だが、この時の信長は大きな見落としに気付かなかった。
 この状況は家康が望んでいたものであったと言う事と、甲斐を平定した折に意見が合わずにぶつかり合った明智光秀が疑念を募らせつつあった事を。
 常に前を見続ける信長の足元に二つの不確定要素が潜んでいる。
 これが後に信長と信忠の運命を決定付ける事になるとは今はまだ誰も気付かない。
 全てが明らかになるのは此れより約3ヶ月近く後になってからである――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第77話 戦雲、南より
Name: FIN◆3a9be77f ID:7c9f9c23
Date: 2014/06/15 09:53




 ――――1582年3月20日






 ――――角館城





 佐竹家からの返答が届き、上洛する前までには甲斐姫を送り届けるとの報せを受けた俺はこの上なく上機嫌であった。
 漸く、彼女と逢えるのだと思うと表面上は冷静に装っていても、内心ではそれを抑えきれない。
 何処かで恋焦がれていた相手と巡り合える事は何にも変え難いものであるからだ。


「……随分と御機嫌なようですね。重朝殿や昌長殿も気にしていました」

「……重政」


 甲斐姫との婚姻の日を今か今かと待ちつつ、すぐにでも上洛出来るように手配を済ませた俺を訪れたのは重政だ。
 家臣に召し抱えてからの月日はそれ程長くはないが、軍事では鉄砲隊を預かり、内政では利信の指導を受けている事もあってか、重政は俺と接する機会が非常に多い。
 そのため、俺の様子を察したのだろう。


「……殿、只今戻りましてございます」

「……康成も戻ってきたか。して、情勢に何か変化はあったか?」」


 重政に続き、各地の情報収集を任せていた康成もこの場に訪れる。
 武田家が滅亡する時期であり、織田家の今後に関わってくる問題の一つでもあるためか、俺は奥州の動きよりも其方を優先して康成を働かせていた。
 一先ずは俺が干渉した事で史実と違って上杉家にかなりの余力が残っている状態のはずだが……果たしてどれだけの変化があったのだろうか?


「はっ……殿の立てた予測通り、織田家が武田家に侵攻し、これを滅ぼした由にございます。しかしながら、当主である武田勝頼様は上州の岩櫃城に逃れた様子です」

「……勝頼殿は無事に逃れられたか」


 康成からの報告で勝頼が無事に上州に落ち延びた事に俺は安堵する。
 上杉、佐竹の両家と同盟を結んでいるとはいえ、武田家とは接点の無い戸沢家では出来る事は殆ど無かった。
 分の悪い賭けではあるが兼続や昌幸らが如何に判断して動くかに任せるしかない。
 そのため、武田家の行く末に関しては案じこそすれ、天命に委ねるしか無いだろうとみていた。
 上州の岩櫃に逃れたと言う事は昌幸が動いたのだろう。
 甲斐源氏としての武田家は滅んでしまったとはいえ、勝頼が生存しているのならば結末としては大きく変わったと言っても過言ではない。
 御館の乱後の処置が行われる前に上杉家と接触した影響の大きさが改めて此処で活きてきた事を実感する。
 何しろ、史実とは違った結末を迎える事が出来たのだから。
 俺の動きは決して無駄ではなかったと言う事になる。 


「他には何か得た情報は無いか?」

「……現状、上杉家と織田家が越中東部、信濃北部で睨み合っている模様。また、殿が警戒して居られる会津、米沢に関しては目立った動きは見られませぬ」

「相、解った。良くぞ、調べてくれた康成」

「……勿体無き御言葉にござる」 


 康成からの報告でそれが解っただけでも充分だ。
 間接的な干渉であっても僅かにでも結果を変えられたのならば、直接干渉する事が出来れば大きく結果を変える事が出来る。
 これならば、俺が阻止しようと目論んでいる彼の大事件の結果を変える事だって夢では無いかもしれない。
 確実に史実とは違う流れに進んでいる事を噛み締めた俺は自らの成果が確かなものである事を確信していた――――。















「利信様、奥重政、服部康成、参りました」

「……うむ」


 盛安への報告を終えた重政と康成は重臣である前田利信に呼び出されていた。


「盛安様の様子は御主らには如何見えた?」

「……はっ、頻りに中央の動向を探っているように見受けられます。やはり、上洛が最優先の目標としているからでしょう」

「重政殿と同意見にござる。殿は某に西の情勢を主とした諜報を御命じでありました故」


 利信が尋ねると重政と康成は盛安からは奥州よりも西の情勢を深く気にしていると告げられる。
 年が明けた段階で上洛の準備を進める方針である事を表明していた事もあって特に驚きは無いが……。


「……ふむ、危いな」


 如何にも危いと利信には思える。
 今の盛安は明らかに視野が狭まっているからだ。
 上洛中の事を考慮して軍備や領内の整備は万全ではあるが、それでも利信には穴があるようにしか思えない。
 本来ならば、中央の事よりも南の最上家、伊達家の動向を気にするべきだからだ。
 鎮守府将軍としていよいよ相応しいだけの勢力になってきた戸沢家の存在を羽州探題、奥州探題の家柄である両家が放置するとは考えられない。
 現状は確かに盛安の見通し通り、最上八楯の天童頼貞が壁となってはいるのだが………。


「盛安様は最上義守殿の存在を見落として居られる。最も脅威となるのは現当主、義光殿だと言うのが盛安様の見解ではあるが……此度に限っては当て嵌まらぬ」

「それは如何言う意味でしょうか?」


 奥州の事はまだまだ詳しいとは言えない、重政と康成には何故、利信が気にしているのかが解らない。
 義光と義守の確執が根深いものである事は盛安が断言している。
 そのため、事情を知らない重政と康成が解らないのも無理はないだろう。
 

「壁となってくれるはずの最上八楯の事よ。彼の者らは義光殿には従わぬであろうが、義守殿には絶対の忠誠を誓っておる。……故に危いと儂は見ている。
 盛安様が義守殿を警戒していない今、其処を突かれる可能性があるやもしれぬと、な」

「利信様……」

「儂も進言はしてみたものの、杞憂に過ぎぬと言われてしまった。……盛安様が若過ぎるが故の事やもしれん。義守殿の脅威を知る者は皆が老いた世代故」


 義守の存在の大きさを語りつつ、利信は世代が新しくなったが故に彼の人物が知られなくなった事を思う。
 現当主、義光の権謀術数は奥州でも随一であり、奥州屈指の大名に最上家を仕立て上げたのも全ては義光の代になってからだ。
 義守の代では今一つ、雄飛する事の無かった最上家の現状を踏まえると盛安がとるに足らないと思うのも無理はない。
 何しろ、盛安が生まれて数年以内には義光に世代が交代している。
 あくまで最上家の事も伝え聞いた事しか知らないはずだ。
 義光と義守の確執の深さは余りにも有名であり、今の奥州の若い者達も殆どがその確執の酷さしか知らないだろう。


「………如何にも嫌な予感が拭えぬのだ。もしかすると、取り返しのつかない事になるかもしれぬ、とな」


 だからこそ、古い世代の人間である利信には脅威が間近に来ている予感がしてならない。
 義守が動けば、戸沢家の楯となっている最上八楯は皆が揃って義光の下に付くだろう。
 天文の大乱や家督相続争いの頃も義守の味方として戦った彼の者らが従わないと言う事は考えられない。
 盛安が見落としているのはあくまで義光を警戒するが故の事だ。
 それに上洛する事と甲斐姫との婚姻を最優先としている今、義光ほどの人物であれば寸前まで隠し通す事は造作もない。
 奥州でも随一の知恵者とも名高い義光ならば、盛安を最後まで欺く事が出来るだろう。


「御主らを呼んだのは万が一の事がある前に儂の全てを伝えおきたいと思ったからだ。………今の戸沢家で儂の後を継いで盛安様の力になれる者は重政、康成だけだ」


 利信は時が近い事を察しながら重政と康成に呼び出した本当の目的を伝える。
 今までは治水を始めとした領内整備の全てにおいて利信が携わり、盛安の補佐をしてきた。
 だが、還暦を迎えた今、そう長くは盛安のために働く事は出来ない。
 それ故、新たな世代である重政や康成に自らの全てを伝えなくてはならないのだ。


「これからは御主達が要となる。………儂の最後の御奉公の時も近いようだからな」

「………利信様」


 最上家が水面下で動いている事を確信している利信は自らの最後が近い事を悟る。
 今の戸沢家は確かに強大だが、最上家と戦う事になれば全力を尽くさねばならない。
 ましてや、最上八楯が義光の味方となれば容易く片付く敵ではないのだ。
 豪勇無双の士である満安にも劣らない勇士である延沢満延。
 幾度となく義光を打ち破ってきた知勇兼備の名将である天童頼貞。
 安東家との唐松野の戦いの時こそ通じた奇策も既に知られている事を踏まえればそれも通じない。
 謀略を仕掛ける手もあるだろうが、それは義光の方が盛安よりも明らかに上手だ。
 故に事実上は正攻法で戦うしかない。
 そのため、死力を尽くして戦うしか最上家を打ち破る事は出来ないのだ。
 例え、犠牲を払う事になったとしても。
 最上家との戦が近いと見た利信は自らの身を捨石とする覚悟を決める。
 後継者に成り得る重政と康成の存在があるのだから後顧の憂いは何もない。
 後は道盛から3代に渡って仕えてきた戸沢家に忠節を尽くす――――。
 利信の中にあるのはそれだけであった。















 ――――同日





 ――――山形城





「……いよいよ、戸沢と一戦交えるその時が来た。光安、手筈は整っておろうな?」

「ははっ! 万事抜かりなく整ってございます」


 盛安が上洛に思いをはせている頃――――。
 利信の予測通り、義光が戸沢家侵攻の準備を完了させていた。
 父、義守の助力で最上八楯を傘下に収めた今、義光の前に戸沢家への道を阻むものは存在しない。


「……うむ。して、伊達への要請は如何なっておる」

「輝宗様は快く引き受けて下さいました。先の戦で武名を轟かせた片倉景綱殿を参陣させて下さるとの事」

「伊達の鬼、小十郎景綱、か」


 安東家、南部家にも対戸沢家に参陣させる手筈を整えていた義光は伊達家にも参陣するように手回しをしていた。
 相馬家との金山、丸森を巡る戦いの際に亘理元宗を失い、勢力を後退させた伊達家。
 しかしながら、田村清顕らを始めとする大名達の協力もあり、一定の勢力を保っていた。
 現在は元宗に代わり鬼庭良直が取り纏めていると聞いている。
 歴戦の武将である良直が指揮を執っている事もあってか、流石の相馬家も積極的に侵攻する事は無いらしい。
 以前よりも弱体化したとはいえ、今でも奥州では有数の勢力を誇る伊達家はまだ力を残していると言える。
 義光の要請の応じたのも余力が残っているからか、または同じく探題を務めた家柄と言う出自が鎮守府将軍を認めないのか。
 何れにせよ、最上家と目的が一致した伊達家は対戸沢家に参加する事を表明した。
 中でも此度の戦に参陣する片倉景綱は先の戦いで殿を務め、相馬家に大打撃を与えた事で知られる武将。
 年齢は20代半ばという若さでありながらも、既に智謀は伊達家中でも並ぶ者なしと言われ、武勇にも優れた武将として評価されている。
 このような人物を寄越してきたと言う事は輝宗も盛安の存在を警戒しているのだろう。
 此処で勢力拡大を阻止するべきとの判断なのは間違いない。


「流石の輝宗殿も戸沢の盛安めが脅威と判断したか。ならば、蘆名も動かしているだろうな。厄介な新発田の動きを抑えねばならぬ」

「となれば、上杉で警戒すべきなのは本庄だけになると?」

「うむ……俺はそう見ている。庄内は安東の水軍に牽制を任せるとはいえ、如何やっても繁長めを抑える事は出来ぬ。援軍があるとすれば本庄だけだ。
 後は津軽も援軍を出そうと試みるであろうが、安東は嘉成重盛を守りに残すつもりらしい。……そうなれば津軽も戸沢の力になる事はあるまいよ」


 最上側が警戒するべきなのは越後北東部の本庄繁長のみ。
 戸沢の味方である津軽家は安東家と南部家が抑えるため動く事はなく、上杉家も景勝率いる本隊が織田家と、兼続率いる主力が信濃へと赴いており不在。
 伊達家が動いた事により、その要請に応じた蘆名家が上杉家の新発田重家を抑える事でほぼ全ての戸沢側の勢力は動けなくなる。
 義光が描いた戸沢包囲網はいよいよ、完成の形を迎えていたと言えるだろう。


「盛安めが何を目的に軍勢を集めているかは最後まで解らなかったが……此処は先手を打つまでよ。矛先が此方に向く事になる前に、な」


 戸沢家との戦準備の目処が立ち、状況の全てが自らの思惑通りに動いている事を確信した義光は扇子を鳴らす。
 確執のある父、義守を動かしてまで準備を進めた戸沢包囲網。
 出羽の暁将、羽州の狐の異名を持つ謀将である義光の集大成と言える。
 伊達家、蘆名家、安東家、南部家をも巻き込んだ奥州の一大決戦ともなる戸沢家と最上家の戦――――。
 これは出羽北部の羽後と呼ばれる国と出羽南部の羽前と呼ばれる国を合わせた羽州全体を巡る事になる戦いだ。
 決戦の時が近いと見た義光は遂にその矛先を戸沢家へと向けるのであった。















 ――――1582年4月1日




 上洛の準備を済ませ、後は甲斐姫を迎えるだけとなった盛安の下に鮭延秀綱、戸沢盛吉、安東道季、小野寺義道から思いもよらぬ報告が齎される。
 秀綱からは天童頼貞らを先方とした最上家、伊達家の軍勢が侵攻中との報せ。
 盛吉からは安東水軍が酒田の町を海上封鎖しているとの報せ。
 道季からは安東愛季率いる軍勢が侵攻中との報せ。
 そして、義道からは南部家の九戸政実からの侵攻を受けており、救援して欲しいとの報せ。
 まるで示し合わせたかのような頃合いで四方に敵が出現する。
 今までは上洛を最優先して準備を進めていた盛安は此処にきて自らの判断の誤りを悟る。
 義光にばかり気を取られていたために最上八楯が先代の義守の命令であれば如何なる時でも最上家の味方になる可能性があった事を。
 盛安が西に目を向けている間に戦雲は南より戸沢家を包み込まんと既に広がっていたのだ。
 この戦雲をたった一人の人物が生み出したのだと考えれば義光がどれほどの存在か解るだろう。
 しかも、伊達家を含めた有力大名の全てを巻き込んで生み出したのだから。
 安東愛季に続き、奥州が誇る最大の壁となる義光が盛安の前へと立ちはだかる。
 これが僅か数ヵ月後には畿内の天下人の命運そのものを決する事になる戦となるとは――――今は誰も知る由は無かった。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第78話 見落としたが故に招いたもの
Name: FIN◆3a9be77f ID:7c9f9c23
Date: 2014/06/15 10:25





 ――――1582年4月1日




「……」


 まるで示し合わせたかのように齎された数々の報告に俺は無言で天を仰ぐ。
 戸沢家自体の準備に関しては何の不足もない。
 領土整備も軍備拡張も全てが整っている。
 畿内へ遠征するという目的が前提であっただけに防備に関しても改良型ミュケレット式銃やギリシャの火を始めとした装備を配備していた。
 だが、それはあくまで安東家、南部家といった戸沢家と深い因縁のある相手と戦う事を踏まえてのもの。
 最上家に関しては極力、戦端を開かない方針で俺は準備を進めていた。
 しかしながら、義光は戸沢家の準備を最上家へ侵攻するための準備と受け取り、俺が畿内での方策を練っている間に先手を打ってきた。
 此度の示し合わせたかのような各大名家の侵攻は間違いなく、手引きをした者が居る。
 それが奥州で可能であると断言出来る人物は津軽為信か最上義光のどちらかのみ。
 盟友である為信が動かない事が確定している以上、権謀術数に長ける敵は義光しか居ない。


「……くそっ!」


 だが、義光が動いただけでは今の状況を生み出す事は出来ない。
 その中でも最たる例が最上八楯の参陣だ。
 長年に渡って敵対し、幾度となく義光を撃退してきた名将、天童頼貞は先代である義守の忠臣。
 深い確執がある義光に味方する理由は存在しないはずだが――――。
 一つだけその条件を覆す手段が存在していた。
 それは義守が最上八楯に傘下に加わる事を要請した場合である。
 史実では確執の深さもあってか、義光の政策には一切関わらず、動く事が無かった義守。
 先の時代でも義光と義守の確執の深さは歴史を知る者ならば多くの人間が知っているだろう。
 だからこそ、義守自らが義光のために大々的な行動を起こすは無いと見ていたのだが――――。


「利信の見通しの方が正しかったか――――!」


 此処で唯一、俺に対して上洛を反対していた利信の見通しが正しかった事を思い知らされる。
 利信は戸沢家の勢力が拡大した事で義光では無く、義守の方が危機感を持つ可能性がある事を知っていたのだ。
 これは遠い先の知識でしか義守の事を知らない俺では決して気付く事が出来ない義守の側面。
 還暦を迎え、長年に渡って出羽の情勢を見てきた利信だからこそ、その可能性を考慮して上洛に反対していたのである。
 事実、今の状況で俺が不在となれば如何なる事か知れたものじゃない。
 敵は安東愛季、最上義光――――そして、九戸政実。
 更には伊達家の旗印までもが見えるとの秀綱の報告を踏まえれば伊達家、最上家、安東家、南部家が敵だと言う事になる。
 四方の敵を同時に相手をしなくてはならないと言う事は俺が自ら指揮を執って対処する以外に方策は無く、戦力も分散させなくてはならない。
 また、愛季は庄内の動きを封じるために酒田の町付近で水軍を活動させてきた。
 安東家は鎌倉時代より続く水軍を率いる家柄の一つで、九州の松浦家と並ぶ程の歴史がある大名である。
 そのため、奥州で最も強大な水軍を要しており、海上においては安東家とまともに戦える大名は存在しない。
 先の唐松野の戦い後に安東道季が戸沢家に付いた事で此方も水軍を得てはいたが……。
 上洛の準備をさせていた事もあり、愛季の側に残った水軍とは矛を交えないように命令を出していた。
 恐らく、愛季は俺が水軍を動かしてこない事を察し、牽制を行う事にしたのだろう。
 各方面で敵を抱える上に水軍の動きまで制限されてしまっては最早、上洛どころではない。
 利信の進言は正に当たっていたのである。


「だが、諦めるにはまだ早い。今回は間違いなく、最上家が起点だ。ならば、短期間で最上家との戦に勝利出来れば――――」


 上洛も可能だし、包囲網の中心である可能性が高い最上家さえ降せば状況は一気に変わる。 
 南部家の政実は長くは遠征出来ないはずだし、安東家だけに集中出来るようになれば俺が不在でも雑賀衆に任せれば問題は無い。
 問題は酒田に居座っている水軍だが……此方は手懐ける手段は無くもない。
 派閥が直属の上司にあたる道季の派閥と傑物である愛季に従う派閥に分かれているだけだからだ。
 交渉の余地は充分にあるし、主家が危機となれば退くしかない。
 最上家が中心となって戸沢家に当たってきている以上、要を崩せば瓦解させる事は充分に可能である。
 各個撃破する時間が無いのならば、一気に片を付けるまでだ。
 此方からの打つ手が直接介入する以外に手段が無い以上、彼の天下人を助けるにはそれしかない。
 俺はそう結論付け、迎撃のための軍の編成に着手するのだった。
 それが大きな犠牲を払う結果になるとは気付かないままに――――。















 ――――同日





 ――――大浦城





「義光殿が動いたか――――。祐光、盛安殿は勝てると思うか?」


 盛安が最上家に対処する構えを見せた日と同日。
 戸沢家の盟友である津軽家も最上家の動きを察知していた。


「腰を据えて掛かれば、盛安様ほどの軍才を持つ御方ならば勝ちましょう。されど――――」

「……短期決戦を挑もうとすれば義光殿の術中に嵌まると言う事か」

「然様でございます。恐らくは重臣である前田利信殿が進言しておりましょうが……如何にも盛安様は何かを急いでいる様子。……説得は難しいでしょう」

「ならば、俺から盛安殿を諌める事も考えねばならぬか」

「はい、殿の御言葉くらいしか盛安様の耳には届かぬでしょう。しかし――――」


 盛安が明らかに焦っている事を見通した為信と祐光は今は腰を据えて掛かるべきだと判断する。
 家臣である利信が諌める事が難しいのならば、為信が忠告するのが確実だ。


「……嘉成重盛の事か」

「はい。彼の者が立ち塞がる以上、此方も本腰を入れねば勝ち目はありませぬ。それに南部も此方に兵を向けて来ているとの報告も聞いております」


 しかし、今の為信には盛安のために動くほどの余裕は無かった。
 安東家が誇る名将、嘉成重盛が侵攻の構えを見せているとの報告があり、更には重盛に示し合わせたかのように南部信直が動き始めているとの報告が入っている。
 特に信直は父と弟の仇である為信の首を取らんと息を巻いているらしい。


「南部に対しては予定通りに信元を政氏の下に向かわせて守りを固め、安東に対しては俺が自ら相手をする」


 為信は南部家に対しては予ての予定通りに盟友である千徳政氏に援軍を送る事で対処し、自ら重盛と戦う事を決断する。
 敵が信直である事を踏まえれば、為信が自ら指揮を執って戦うべきだろうが……重盛を相手にするとなれば他の者達では厳しい。
 祐光に全てを任せる手も無いとは言えないが、政実に匹敵する事で知られる武将であるだけに為信と祐光の両名が揃って居なくては撃退は不可能だろう。
 方針としては為信、祐光が安東家と戦い、政氏が南部家と戦うと言う形が現状では尤も適している事になる。


「となれば、残る問題は蠣崎になりますが……」

「……恐らく、慶広殿は中立を決め込むだろう。父の季広殿が如何するかの問題があるが、な」


 そうなれば残る問題は安東家の傘下に治まっている蠣崎家である。
 一応、後継者である蠣崎慶広は盛安に使者を送っていたが、現当主である季広の方針は未だに伝わってこない。
 奥州とは別天地であり、海を隔てている蝦夷の内部まで探る事はそう簡単な事ではなく、祐光のように謀報に長けた者で無くては調べる事は難しいだろう。
 それに季広も優れた為政者であり、領地に不穏な者の侵入を許すような人物ではない。
 海を隔てた地である利を活かし、情報を探らせないのは見事であると言うべきだろう。


「何れにせよ、蠣崎に関しては警戒するしかあるまい」


 蠣崎家は敵でも味方でも無いと判断するしかない。
 為信はそのように結論付ける。
 季広も慶広もあの愛季の傘下でありながら、一大名として在り続けているのだ。
 決して侮る事の出来る存在ではない。
 為信は重盛と信直に備えつつ、情勢が動く時を見定める事を決断するのであった。
 それが少しでも盛安の助けになる事を信じて――――。















 ――――同日





 ――――越後国北部





「義重様! 氏幹殿!」


 2月上旬に常陸の国から出立した私は出羽の国とは目と鼻の先である越後北部に到達していました。
 当初の予定では此処で一度、義重様達と合流して、本庄繁長殿の居城である本庄城へと向かう予定。
 少人数に別れながら、密かに北上するという途方もない行軍方法で此処まで来たけれど……結果としては流石、義重様と言うしかなくて。
 道中では数回にかけて集結しながら各個に北上してきたのだけれども、義重様は一人の脱落者も出す事は無かった。
 寧ろ、皆が誰もが未知の行軍方法となるであろうこの方法に勇んで挑んでいる。
 佐竹家は強兵揃いで良く纏まっているのは解っていたけれど……。
 これが謙信公の後継者と言われる由縁なのかもしれない。



「来たか、甲斐」

「甲斐殿、待ち兼ねていたぞ」


 私よりも先に到着していた義重様と氏幹殿が出迎えてくれる。
 御二人共、旅慣れているのかは解らないけれど、異常な程に早い。
 此処までの合流地点では常に私よりも先だったし……私が遅いだけなのでしょうか?


「……師匠も御無事で何よりです」

「うむ……些か、この老体には答えたがの」


 出迎えた義重様が師匠と呼んだのは一人の御老人。
 名前は愛洲元香斎宗通様。
 陰流の正統後継者であり、燕飛の太刀を編み出した偉大な剣豪にして、剣聖と名高い上泉信綱殿と義重様の師でもある御方です。
 

「しかし、此処まで無事に来れるとは流石は義重殿じゃの。儂も流石に此度は難しいと思っておったぞ?」

「皆が俺を信じて付き従ってくれたからです。……後は甲斐の発案した足袋や食糧等の恩恵でしょう。現地調達と言った真似も少なくて済みましたし」

「確かに見事なものであった。儂も修行をしていた身であるし、旅慣れているが……。女子だからこその発想なのやもしれぬの」


 道中では私と共に行動していた宗通様は義重様の言葉に頷く。
 足袋に関してはこの時期に北上するとなると雪も残っている場所もあるし、と考えて用意させた物。
 私個人の者はニーソックスを思わせるような見た目にしているけれど、流石に義重様達にそれは何となく危ないので男性向けに作り直した物を渡している。
 義重様は以前に私の服装に付いて酷いコメントをしてきたので心配だったけれど、特に気にはしていないみたい。
 まぁ……義重様の場合は見た目の拘りや派手さは求めない方だから、実用性さえあれば問題は無いのだろうけど。
 携帯食糧に関しては兵糧丸の味や栄養価を調整したり、持ち込む食材に関しても基本的にバランスを考えて内容を具申していた。
 戦国時代では如何にも栄養に関する事や消毒等と言った遠い先の時代では当たり前の事が疎かになっている部分がある。
 そのため、長期に渡る出陣では病気になる人も多く、それが原因で死亡する人達も多数居た。
 少人数に分かれて北上すると言う今回の計画でも人数の都合で状態の確認がしやすいだけに過ぎません。
 私はそれを危惧して義重様に食糧や消毒、衛生といった部分の事を伝えていた。


「いえ、全ては義重様の御蔭です。普通ならば私の伝えた事なんて怪しいと思うのが普通ですし」


 だけど、私の伝えた事なんて大した事は何もない。
 本当に凄いのは私の意見を採用してくれた義重様の方。
 私が出した食事や衛生の事なんて遠い先の時代では常識でも今の戦乱の時代ではまだ常識じゃない。
 でも、義重様は一通りの説明を聞いた後は「一理ある」として、多くの事を聞き届けてくれた。
 普通なら取り上げてすら貰えない可能性もあっただけに義重様の対応は予期出来ないものだったと私は思う。
 盛安様に嫁ぐと言う事で最後の手土産に荒廃作物や医療の事を始めたとした私の伝える事の出来る知識の全てを書類のように纏めて義重様に渡したけれど……。
 多分、義重様の性格なら後々に全部採用してしまうかもしれない。


「ふむ、儂が思っている以上に義重殿が柔軟な思考を持っていると言う事か。……まぁ、これ以上は気にしても仕方のない事か。
 義重殿、越後でこうして集まった以上のは一度、本庄繁長殿の下へ向かってから出羽へと向かうつもりか?」

「はい。程無くして、最上義光殿が動き始める頃合いが近いと見ております故。……それを想定するならば、上杉の助力を得るべきかと考えます」


 私の意見を採用した義重様の事を褒めながら、宗通様はこれから如何に動くべきかを尋ねる。
 越後にまで到着した以上、上杉家の本庄繁長殿の所に行くのは当然の事で。
 義重様は最上義光殿との戦を前提とするなら、是非とも力を借りるべきだと判断しているみたい。
 私も今の佐竹家の軍勢だけでは決め手に欠けるかもしれないと思っていたから義重様の判断は正しいと思う。
 現状で戸沢家のために動ける可能性が高い上杉家の方面軍は繁長殿が率いる軍勢だけだし……。
 新発田重家殿の軍勢は蘆名家か伊達家の動向次第では動く事が出来ない。
 義重様が上杉家の助力を得る場合だと繁長殿以外に選択肢がないと判断しているのはその辺りに起因しているのかも。


「……それに万が一の事態があっても繁長殿の下には彼の御坊が居る。そうであろう? 傑山雲勝殿」


 私が今後の動向について考えていると義重様が不意に一人の人物の名前を呼ぶ。


「……やはり、拙僧に気付いておいででしたか。流石は義重様ですな」


 それに応じながら私達の前に姿を見せたのは傑山雲勝殿。
 私は義重様達とは違って面識は無いけれど……越後の長楽寺の住職にして、繁長殿の軍師を務める高僧で上杉家中でも随一の知恵者と名高い御方だと聞いています。
 一瞬、何故此処に? と思ったけど、繁長殿の居城である本庄城はもう間近と言っても良い所にまで来ているから雲勝殿が此処に居るのも当然かもしれない。


「繁長様が御待ちです。共に来て頂けますでしょうか」


 こうして、雲勝殿の案内で私達は本庄城へと向かう。
 もう間も無く、始まるであろう戸沢家と最上家との戦に備えるために。
 それに此処まで隠密行動で常陸から越後北部まで移動してきたのだから疲労も抜かないといけない。
 最上家がどれだけ強大で恐ろしい大名であるかは義重様達を含めて皆が良く解っている事だし……。
 万全の体制を整えてから出羽の国へと入る事になるんだと思う。
 それまでに戦が本格化しない事を私は祈っていたのだけど……。 
 私が思っていた以上に盛安様を取り巻く状況が動いていた事を知るのは本庄城に到着して間も無くの事でした――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第79話 独眼竜と出羽の驍将
Name: FIN◆3a9be77f ID:7c9f9c23
Date: 2014/06/29 22:21




 ――――1582年4月5日





 秀綱らからの報告を受けた俺は早速、軍の編成を済ませて皆に通達する。
 安東家に当たるのは安東通季、安東種季、三浦盛永、鈴木重朝。
 本来ならば、宿敵である愛季との戦である以上、主力を向けておきたいところだが……。
 今回に関しては軍勢を分ける必要があるためそうはいかない。
 かと言って、通季達だけに任せるのは如何しても不安が残る。
 愛季を相手に回して勝つには相応の準備が必要だからだ。
 特に奥州の大名家の中でも多数の鉄砲を持つ安東家に対抗出来るだけの鉄砲は戸沢家にもあるが、その鉄砲の力を存分に活かせる武将はそう多くない。
 俺を除くと重政、重朝、昌長といった根来衆、雑賀衆の者達に限られてくる。
 そのため、多数の鉄砲を持つ安東家と戦う際には如何しても畿内で引き入れた者達になってしまう。
 重朝を通季の援護に差し向けるのは当然の事だと言っても良い。






 南部家の九戸政実に当たるのは戸沢政房、的場昌長。
 北の鬼の異名を持つ、奥州一の名将が相手となる以上は此方も畿内で小雲雀と呼ばれた鉄砲使いである昌長に任せる以外に選択肢は無い。
 今回はあくまで小野寺家の救援ではあるが、政実が戸沢家の領内に攻め入って来ないとも限らない。
 それに迎撃の準備は既に整っていても、政実には並大抵の武将では全く歯が立たないのは明らかだ。
 となれば、此方も常人では及びも付かない領域の武将に任せるしかない。
 昌長に白羽の矢が立つのは当然の事だろう。
 少なくとも今の戸沢家中で政実を相手にして戦えるのは満安か昌長の何方かしか居ないのだから。





 庄内に残すのは戸沢盛吉、大宝寺義興。
 安東水軍はあくまで牽制を目的として動いているだけに過ぎないが、義光は虎視眈々と庄内を狙っている事でも知られているだけに油断は出来ない。
 もし、庄内を空にしていたら其方に攻め入ってくる可能性は充分に考えられるだろう。
 肥沃な土地と港町を持つ、庄内は今の戸沢家にとっては最重要とも言うべき土地であり、今後の発展も大きく望めるだけに失う事は死活問題だ。
 そのため、守りには主力を必ず残しておかなくてはならない。
 一門衆である盛吉と庄内とは縁の深い義興を残すのは当たり前の事であった。





 そして、最後に最上家にあたるのは矢島満安、鮭延秀綱、奥重政、服部康成、白岩盛直、前田利信を始めとした戸沢家の主要人物達。
 場合によっては父上か兄上の助力も必要となる可能性も考えられる。
 正直、難敵である義光を前にして、重朝と昌長の力を借りられないのは痛手だが、こればかりは仕方がない。
 愛季と政実に対しても出来る限りの精鋭を送らなければ此方の戦線が崩壊してしまう。
 完全に包囲される形だけは何としても避けなくてはならない。
 狙い済ましたかのような同時侵攻は明らかに義光の手口であろうが、目的としてはあくまで此方の軍勢の分散が本命だろう。
 思惑に乗るしかない状況に持ち込まれてしまったのは俺の責任ではあるが……元より、戦の準備を済ませていたために迎撃に移る事に問題は無い。
 皮肉な事だが、上洛の準備を進めていたが故に容易に迎撃態勢を執れるのだ。
 俺は舌噛みしつつ、皆に通達を終えるのだった。















「……盛直」

「これは利信様。如何なされましたか?」


 盛安から此度における戦の編成を通達された後、利信は盛安の守役である盛直を呼び止めていた。 


「うむ……盛安様の事でな。御主は何か気付いた事は無いか?」

「……理由は解りませぬが、殿は焦っているように見受けます」

「やはり、御主も儂と同じように見ていたか……」


 利信は自らが懸念していた盛安の様子が盛直にも同じように映っていた事で溜息を吐く。
 杞憂であれば良いと思っていたが……守役として盛安とは最も深く接してきた盛直がそう言うのならば間違いは無い。


「私もその事が気になり、何度か御諌めしましたが……聞き届けては頂けませんでした」

「盛直の言葉でも駄目であったか……。となれば道盛様や盛重様でも無理やもしれぬ。諌める事が出来る方が居るとするならば……今は亡き、政重様くらいのものか」


 危いと見ていた利信は盛直でも諌める事が出来なかった事に落胆する。
 戸沢家中で最も盛安と接してきた盛直ですら諌められないとなれば、父である道盛や兄である盛重でも難しい。
 盛安が無条件で進言を聞き届けてくれそうな人物が居るとするならば――――今は亡き、政重だけだ。
 大叔父であり、奥州でも有数の知恵者であった政重ならば諌める事が出来ずとも最善の一手を打つ事が出来たに違いない。


「……恐らくはそうでしょう。しかしながら、殿が上洛を目標としているのには深い理由があるように思えます故、私からは反対する訳には参りませぬ」

「解っておる。盛安様に近しい御主では焦っている事を諌めはしても、上洛に関して肯定している事くらいはな」


 それに盛直はあくまで盛安と同じ上洛派である。
 盛安が何処か焦っているように見えるとの見解が同じでも、根本的には意見が違う。


「だが、上洛する事を反対しておらぬ盛直の進言も受け入れぬとは……。盛安様は如何なされたのだろう?」


 そのため、盛安が拙速に過ぎる事だけが如何しても解らない。
 盛直も恐らくは現状を全て片付けてからにするべきだと進言しているはずだ。
 上洛するにあたって懸念される最上家を始めとした大名と雌雄を決する事は寧ろ上策ですらある。
 例え、上洛にするにしてもある程度の決着はつけるべきだ。


「……私にも解りかねます。されど、殿には我らには及びも付かぬものが見えているように思えます。……まるで、天下の形勢を既に知っているかのような」


 しかし、盛直から見た盛安の方針は決して間違っているようには見えないらしい。
 余りにも遠くを見ているように受け取れる上洛という方針は奥州よりも更に大きな視野で物事を見据えているのだと盛直は見ている。
 今までの盛安の動きが常に他の奥州の大名の先手を打って動いていたのはもしかするとそういった側面があったからなのでは無いかと。
 鎮守府将軍の件にしても、庄内の件にしても、唐松野の戦いの件にしても全てが最上家、安東家に先んじる形で動いていた。
 守役として盛安の間近で仕え、上洛の際にも同行した盛直には利信にも見えていないものが見えているらしい。


「……そうか」


 ならば利信にはこれ以上、言う事は何もない。
 盛直は盛安の真意を察しているが故に焦っている事について以外は諌めなかったのだ。
 長年戸沢家に仕え、盛安のブレーンとして働いてきた利信だが……。
 此処に至っては自らの見る目の衰えが出てきた事を感じるしかない。
 上洛を反対した事については間違っていないと断言出来るが、盛安が如何なる真意を持っているかまでは見抜く事が出来なかった。
 守役という立場があるからとはいえ、利信よりも30歳以上も若い盛直が主君を此処まで理解しているとなれば重臣としては立つ瀬がない。
 利信は戸沢家の世代が完全に次の時代に移っている事を実感する。
 最早、自分の時代は終わったのかもしれない。
 道盛や盛重が早々に盛安に後を委ねたのもそれが何処かで解っていたからなのか。
 利信は自らの限界が確実に近付いてきている事を実感するのであった。















 ――――同日





 ――――天童城





「さて、先陣を頼貞ら最上八楯に委ねたが……。御主は如何思う? 景綱」


 戸沢家侵攻にあたって天童頼貞ら最上八楯に先陣を任せた義光は伊達家からの援軍である片倉景綱に意見を求めていた。


「最善の一手でありましょう。天童頼貞殿は戦況を冷静に判断出来る御方ですし、延沢満延殿は悪竜の異名を持つ、矢島満安殿にも劣らぬ無双の勇士。
 無類の強さを誇る戸沢家の先鋒が相手となっても出端を挫かれる心配はありませぬ。やや、後手に回る事になりますが相手の出方次第でも如何様に対処出来ましょう」


 先の佐竹家、相馬家との戦で武名を馳せた景綱であるがやはり、只者では無い。
 如何にして戸沢家に当たるべきかは義光と同じように全貌が見えているようだ。

「それに安東愛季殿、九戸政実殿を動かされた事で戸沢殿は軍勢を分散させなくてはならなくなりました。現状は義光様の思惑通りに事が進んでおりまする。
 また、黒脛巾の情報では唐松野の戦で活躍した雑賀衆の鉄砲隊は此度の戦には参陣しておらぬとの事。撃ち合いとなれば此方が不利なのは変わりませんが……。
 圧倒的な数で圧される事はありません。流石に互角とまではいかないでしょうが、肉弾戦を仕掛ける必然性も無く、時間をかけて戦を進めれば勝機はありましょう」

「……見事だ。流石は伊達の鬼と呼ばれし者よ」


 景綱の見解に肯定の様子を見せる義光。
 黒脛巾を使って戸沢家を独自に探らせているのも好印象だ。
 弓、鉄砲を使った射撃戦になると此方が不利である事も包み隠さずに言ってきた事を踏まえれば、客観的な視点でも双方の軍備を見極められている。
 伊達の鬼と言われるだけの軍事才覚は間違いなく持ち合わせているだろう。


「良き守役を持ったものだな。……政宗よ」


 義光は景綱の器が本物である事を認め、伊達家からの援軍の総大将として参陣している政宗に問い掛ける。
 政宗がこうして此度の戦に参陣しているのは先の戦で佐竹義宜に不覚を取った事により、著しく失墜した名声を少しでも取り戻させんと考えた輝宗の気遣いだろう。
 次代の当主となる者が戦は不得手であるともなれば、奥州探題を務めた家柄である伊達家も取るに足りないとされてしまう。
 そうなれば、戸沢家と佐竹家によって崩された奥州の勢力の均衡がこのまま決定的なものと成り兼ねない。
 其処の部分において義光と輝宗の判断は完全に一致していた。
 此度の戦に政宗に機会を与えるべきであると言う事について義光からは特に反対するものはない。
 寧ろ、政宗の資質が自らの見立て通りに政治、謀略方面だけにしか無いのか否かをはっきりさせる事が出来る。
 動かすには面倒な部分もありそうだが、景綱が傍に付いて補佐をするのであれば大きな問題は無いであろう。


「……伯父御に言われるまでもない」


 景綱の事を褒められているのは悪い気分では無いが、自分には期待していないと思っているかのような義光の言葉に政宗は不満そうな様子を隠せない。
 出羽の驍将の異名を持つ義光が如何なる者かは耳が痛くなるほどに母、義姫から聞かされてきた。
 智、仁、勇を兼ね備え、奥州では並ぶ者が居ないとまで言われる智謀を持つ人物が最上義光という者であると。
 しかしながら、如何にも政宗は義光とは肌が合わないような気がしてならない。
 放蕩で片目を失って以来、何かと弟の小次郎ばかりを目にかける義姫の実兄と言う事もあるのだろうか。
 全く異なる人物ではあるが、根本の部分では似ているところがあるようにも見える。


「……その若さで俺を前にしても不敵な態度を取れるのは大したものだが、御前は既に武将としては佐竹の後取りに大きく劣る事がはっきりしている。
 斯様な態度は唯々、自らの器の未熟さから逃げているだけに過ぎぬ。折角、景綱が付いているのだ、此度の戦ではもっと良く学ぶ事だな」

「……ふん」


 だが、義光の言葉は確かに的を射ていた。
 政宗の心中を全て悟っているかのようだ。
 義重には軽くあしらわれ、義宜に不覚を取った政宗は陣頭に立って戦う彼の者達には決して敵わない。
 元より、気質や学んできたものが違いすぎるのだ。
 軍神と呼ばれた上杉謙信の軍配を継承した勇猛な武将であるだけでなく、剣聖の弟弟子であり、高名な剣豪でもある義重の教えを忠実に受け、教育された義宜。
 それに対して虎哉宗乙から学問の教えを受け、景綱に剣を学んだ政宗。
 学問に関しては濃密なものがあるが、義宜ほど戦に関係する事を学んだ訳ではない。
 ましてや、片目を失っている身では限界もある。
 今では視界の片側を失っているという不利を感じさせる事は無いほどにまでなっているが……それでも義宜を超える事は出来ないだろう。
 その事は決して認めたいとは思わないが、政宗自身は何処かで実感していた。


「伯父御こそ、夜叉九郎を侮るなよ。俺の初陣の時のように思わぬ敵が現れても知らんからな」


 それ故に政宗は義光に言い返す。
 思わぬ敵は全く予期しない形で現れ、戦況を一気に引っくり返してくるものであると。
 初陣にして早々にそれを味あわされた政宗は何処かで警戒すべきだと義光に示唆したのだ。
 政宗の返した言葉はあながち、間違いでは無いだろう。


(ほう……やはり、頭は働くらしい。政宗めには上杉が動く可能性を伝えてはおらぬが……自分でも理解しているか)


 政宗の言葉に現状の見立てが正しい事に思わず笑みが浮かぶ。
 義光自身としては完全に近い形で包囲網を形成したつもりだが、政宗はそれでも盛安を侮るなと言う。
 確かに此処までが思惑通りに行き過ぎている節がある。
 戦に挑む上で一番、懸念しなくてはならないのは慢心から生まれる隙だ。
 政宗に言われずとも義光はそれを理解していたが……。
 初陣だけでそれに気付く事が出来るようになったと言う事は先の戦の敗北は決して無意味ではない。
 戦については天性の才覚を持ち合わせている訳では無いようだが、義光は政宗の器が確かなものである事を垣間見る。
 それを確信した義光は満足した様子で扇子を鳴らすのであった――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第80話 天正出羽会戦
Name: FIN◆3a9be77f ID:7c9f9c23
Date: 2014/07/20 11:02





 ――――1582年4月10日





・天正出羽会戦陣容





 戸沢家(合計13500)
 ・ 戸沢盛安(足軽2000、騎馬700、鉄砲300) 3000
 ・ 戸沢盛重(足軽2200、騎馬200、鉄砲100) 2500
 ・ 前田利信(足軽1400、騎馬200、鉄砲200) 1800
 ・ 鮭延秀綱(足軽800、騎馬600、鉄砲100) 1500
 ・ 矢島満安(足軽900、騎馬500、鉄砲100) 1500
 ・ 白岩盛直(足軽900、騎馬200、鉄砲100) 1200
 ・ 奥重政(足軽400、鉄砲600) 1000
 ・ 戸蒔義広(足軽800、騎馬200) 1000



 最上家(合計13500) 
 ・ 最上義光(足軽2100、騎馬600、鉄砲100) 2800
 ・ 楯岡光直(足軽1800、騎馬550、鉄砲50) 2400
 ・ 天童頼貞(足軽1400、騎馬550、鉄砲50) 2000
 ・ 氏家守棟(足軽1200、騎馬250、鉄砲50) 1500
 ・ 志村光安(足軽750、騎馬600、鉄砲50) 1400
 ・ 延沢満延(足軽900、騎馬300) 1200
 ・ 楯岡満茂(足軽1000、騎馬200) 1200
 ・ 里見民部(足軽800、騎馬200) 1000



 伊達家(合計7500)
 ・ 伊達政宗(足軽1500、騎馬600、鉄砲200) 2300
 ・ 伊達成実(足軽1000、騎馬650、鉄砲150) 1800
 ・ 片倉景綱(足軽1100、騎馬200、鉄砲100) 1400
 ・ 萱場元時(足軽450、騎馬150、鉄砲400) 1000
 ・ 原田宗時(足軽700、騎馬300) 1000





 戸沢家は常備兵力の6割以上もの軍勢を編成し、最上家も動員出来る兵力の大半を注ぎ込んできた。
 双方共に13500にも及ぶ大軍を繰り出す事になったのは奥州でもほぼ、類を見ないものだろう。
 事実上で出羽の覇者を決める事にもなるであろう、この戦は正に戸沢家と最上家の命運をも決める事に成り得る。
 正にそう思わせるほどの陣容であり、30000もの軍勢がぶつかり合う戦いは会戦と呼ぶに相応しい。
 また、戸沢家、最上家という出羽屈指の力を誇る大名同士の戦に援軍である伊達家が最上家に味方する事で鎮守府将軍対羽州探題、奥州探題の構図が出来上がっている。
 そのため、奥州の旗頭として立つ者を決める戦という捉え方も出来るだろう。
 戸沢家と最上家――――何方が出羽の地に覇を唱えるか。
 奥州では未曾有とも言うべき決戦の火蓋が切られるその時は刻一刻と迫っていた――――。















「最上家とは数の上では互角……問題は伊達家の援軍か」


 互いに睨み合う形となった陣容の報告を斥候として従軍している康成に聞いた俺は思案する。
 戸沢家と最上家だけの戦であれば一先ずは互角であるが、伊達家の援軍を得ている以上は敵方の方が数の上で優位だ。
 それでも、自前で鉄砲を生産出来る環境を整えている此方の方が鉄砲の数に関してのみは勝っているが……。


「仕方が無い事とはいえ、昌長と重朝が居ないのは厳しいな。重政ならば撃ち負ける心配はないが……敵の数が数だ。圧倒は出来ないだろう」


 敵の数が多いと言う事もあり、鉄砲の火力で圧し切る事は難しい。
 最上、伊達両家を合わせたの鉄砲数よりも此方の方が鉄砲は多いが、数としては極端な差があるわけでは無い。
 このまま普通に戦えば、難しい戦になる事は明白だった。


「利信は如何見ている?」


 そのため、俺は従軍している者達の中で最も長い間に渡って戦場に立っている利信に意見を求める。
 

「……此度の戦はあくまで侵攻する最上家を撃退するのが目的。故に腰を据えてじっくりと当たるのが上策かと存じます」

「ふむ……」


 やはり、利信は時間をかけるべきであるとの意見を具申してくる。
 腰を据えて堅実に戦う事こそが勝機を掴む事なのだと利信は言う。
 だが、あくまで上洛するつもりで居る俺としては速戦で片を付けるべきだと考えているため、利信の意見が正しいと解っていても受け入れる事は出来ない。
 時が残されていれば利信の進言通り、じっくりと対策を練るべきなのだが……。
 遅くとも4月下旬までには全ての片を付けなければ上洛しても、彼の事件の日に軍勢を率いて介入する事は不可能だ。
 確実に勝つための方策だけでは如何にもならない。


「兄上は如何思われますか?」

「利信の申す通りだとは思う。だが、盛安に何かしらの策があるのならばそれを採用するべきだ。守りを固めるのでは無く、迎撃を選んだと言う事はそうであろう?」

「その通りです、兄上」

「ならば、何も言う事はない。……盛安に従おう」


 俺の方針に反対する利信に対して、兄上に意見を求めると正反対の答えが返ってくる。
 本来ならば侵攻してきた相手に対しては守りを固めるのが常道であり、実際に上洛の際に俺が不在の事を考慮して領内の守りを固めてある。
 だが、此度の戦ではそれにも関わらず俺は守勢に徹するのでは無く、積極的に迎撃する事を選んだ。
 兄上が何かしらの策があるのだろうと言ってきたのはそういった事情を知っているからに他ならない。
 事実、不在の間は兄上と父上の力を借りる予定だっただけに俺が無策で迎撃を選んだ訳ではないと判断したのだろう。


「他の者は如何だ?」


 兄上が俺の方策に従う旨を見せたためか、反対していた利信を含め、誰からもこれ以上の意見具申は出てこない。
 守りを固め、ギリシャの火や小型投石機といった兵器を持ち込まなかったのも全ては機動を重視した速戦で片を付けるため。
 上手く運用する事が出来れば絶大な威力を誇るであろう、それらは腰を据えてじっくりと当たるのであれば大いに力を発揮するであろうが……。
 敵方の動きを待つと言う選択肢を取る訳にはいかない此度の戦では論外である。
 猪突猛進の武将が敵大将であれば待ちの一手を打てば良いのだが相手は彼の最上義光だ。
 如何足掻いても彼方から仕掛けてくる事が期待出来ない以上、此方から動いて相手の動きを誘わなくては如何にもならない。


「特に無いのであれば、これより策を説明する。良く聞いてくれ」


 そのため、俺は既に一つの作戦を考えていた。
 此方から動くしかないのであれば相手の動きを誘い、釣り上げるしかない。
 相手が義光である以上、これしかないだろう。
 俺が速戦で片を付けるために選んだ作戦――――それは釣り野伏である。
 釣り野伏は軍勢を複数に分け、予め左右に伏せさせておき、機を見て敵を囲い込み殲滅する戦法だ。
 まず、中央の部隊が正面から当たり、偽装退却を行う事が釣りと呼ばれる部分。
 敵が追撃を行うために前進してきたところを伏兵に襲わせるのが野伏と呼ばれる部分である。
 この釣りと野伏が揃って成立するのが釣り野伏と呼ばれる戦術だ。
 基本的に寡兵を以って兵力に勝る相手を殲滅する戦法であるため、中央の戦力は必然的に敵と大きな兵力差がある事が多く、非常に難易度が高い。
 しかし、頼貞の軍勢を叩くと言う事を主目的とする場合は兵力の差で釣り出す事は不可能。
 ならば相応の釣りを用意するのが常道となる。
 それ故、俺は自らが釣りの部分を担い、満安と盛直に野伏を任せる事にした。
 これならば、充分に相手が釣られる可能性は高い。
 何しろ、俺さえ討てばこの戦はすぐにでも終わるのだから。
 余りにも大きい餌があれば、如何なる者でも賭けに出ようという心理が僅かにでも働くはずだ。
 それに釣り野伏は敵が動かず、任意の場所に誘引出来ない場合でも別の部隊を迂回させて敵の側面を突かせるという方法がある。
 この役目は奇襲、強襲といった機動力を活かした戦い方を得意とする秀綱に委ねている。
 上洛するまでに只管に軍勢の練度を高め続けてきたが……皮肉にも此処でそれが活きてくる事になるとは実際に何があるか解らないものだ。
 本来ならば明智光秀の軍勢を釣り野伏で殲滅するためのものであるが相手が義光ともなれば仕方が無い。
 ましてや、残された時間はそれほど多くは無いのだ。
 寡兵で一気に片を付けるのならば釣り野伏以外に手段は無いと俺は見ていた。
 まずは天童頼貞、延沢満延らが率いる最上八楯の軍勢を撃破する――――。
 戦の主導権を握らなくては短期決戦なんて夢のまた夢でしかない。
 全てはこの初戦にかかっている。
 何としても、勝たなくてはならないのだ。
 だが、現実はそう甘くはない。
 天童頼貞と言う人物は俺が思っている以上の名将であり、最上義光を幾度となく破り続けてきた知将でもある。
 俺がそれを思い知らされる羽目になるのは――――これより僅か数日後の事だった。















「ほう……戸沢盛安殿が自ら陣頭に出てきたか」


 戸沢家の軍勢の先陣を盛安自らが務めているであるとの報告を聞いた天童頼貞は面白いといった表情で呟く。
 これまで聞いてきた盛安の戦いぶりは自らが陣頭に立って戦う事が多いようであったが……此度の戦でもそれを崩さない。
 頼貞は盛安の用兵に好感を持つ。


「大将自らが出てくるとは面白い! 頼貞殿、この延沢満延に先陣を命じてくれ。夜叉九郎など叩き潰してくれよう」


 盛安が自ら先陣として出てきた事で逸るのは延沢満延。
 出羽が誇る無双の勇士と名高い満延は典型的な武辺者であり、名立たる猛者と戦える事を悦びに感じる武将だ。
 悪竜の異名を持つ、無双の勇士である矢島満安と渡り合ったほどの武勇の持ち主である盛安と戦える機会などまたとない。
 満延は是非とも先陣を務めたいと思った。


「いや……満延には矢島の悪竜を相手にして貰わねばならぬ。あれとまともに打ち合えるのは御主しか居らぬからな」


 しかし、頼貞からの返答はあくまで満安と戦ってほしいというもの。
 確かに満安との一騎打ちを演じる事となれば、満延以外にまともに戦える者は存在しない。
 それほどまでに満安は圧倒的な武勇を誇る勇士なのだ。
 頼貞が満安と戦えと言うのも無理は無い事であった。


「それに悪竜が居るにも関わらず、自らが先陣を務めてくるとは如何にも腑に落ちぬ。斯様な真似は彼の者が尤も適任なはずであるからな」

「ふむ……頼貞殿は何か裏があると見ているのだな?」

「ああ。盛安殿は若いとは言え、既に安東愛季殿をも打ち破った猛者であり、紛れもない名将と言っても過言では無いだろう。故に裏があると見ている」

「そうか……頼貞殿が斯様に言われるのであれば、その通りにしよう」


 頼貞の言い分を聞き、満延は納得した様子で頷く。
 確かに出羽北部の傑物である愛季を打ち破った盛安がそう無策で先陣に出てくる訳がない。
 裏を返せば、自らが身体を張ると言う事は相応の策があり、命を懸けるだけの何かがあるに相違ない。
 天文の大乱を始め長年に渡って奥州の戦乱を生き抜いてきた頼貞にはそれが容易に感じられた。
 盛安が速戦で片を付けるために策を巡らせている事を。
 ならば、此方が動く道理は一切無い。
 自らの武勇を頼みとし、戦を優位に進めるような武将であれば受けて立っても良いのだが……盛安のような知勇兼備の武将となれば動いた段階で勝敗が決する。
 最上義光と言う奥州随一の智謀の持ち主と戦ってきた頼貞にはそれがはっきりと解っていた。


「すまぬ。満延には窮屈な真似をさせる事になってしまうが……必ずや、御主の武勇が必要となる時が来る。それまでは動くな」

「承った。他の者達にも頼貞殿の命を厳命させるとしよう。夜叉九郎が何かを仕掛けようとしても此方は動かぬ、と」

「……うむ、それで良い」


 満延も頼貞の言わんとしている事の意味を察し、その旨に従う事で同意する。
 盛安が知勇共に優れた武将である事は先の唐松野の戦いが全てを証明しているからだ。
 出羽北部における最大の勢力を決める事になった彼の戦は盛安の実力が本物である事を奥州全体に知らしめた。
 若くして愛季を破ったと言う実績は当人が思っている以上に重く、その事は領地を接している最上八楯が解らないはずがない。
 義光と争っていた間も絶えず、戸沢家の動向を注視してきた頼貞が盛安が如何なる武将であるかを見極める事は難しい事では無かった。


「さて、夜叉九郎の異名を持つ、その器量のほど見せて貰おうか」


 故に頼貞はこの初戦で盛安の器が自分の感じているものと相違が無いかが明らかになると見ている。
 真に出羽の覇者たる資質があるか否か。
 此処で敗れるようであれば、盛安は決して義光に届く事はない。
 頼貞は自ら陣頭に立って戦う形を崩さずに挑んできた事に好感を覚えつつ、全力で迎え討つ事を決断するのであった。














 戸沢家と最上家の両雄がぶつかり合う戦いはこうして火蓋が切られる。
 盛安からすれば最上家は自らの悲願に立ち塞がる最大の敵。
 義光からすれば戸沢家は何時、牙を剥くか解らない脅威。
 双方の思惑が全く違うところにある形でこの会戦は勃発する事になる。
 初戦でぶつかる事になるのは最上家の先鋒を務める天童頼貞。
 義光が超えられなかったこの頼貞を超えられなければ盛安はこれ以上先に進む事は出来ず、最上家を超えられなければ出羽の覇者になる事は出来ない。
 それに自らの悲願を達成するためには頼貞よりも後ろに居る義光を打ち破らなければならないのだ。
 いよいよ、盛安の真価が問われる事になる戦が始まろうとしていた――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第81話 天童頼貞
Name: FIN◆3a9be77f ID:7c9f9c23
Date: 2014/08/31 14:56




 ――――1582年4月11日




「……これはやはり、此方を誘っているな」


 釣り野伏を行わんがために先手を取って動き始めた盛安の用兵に頼貞はその裏に隠された意図を察する。
 自らが陣頭に立ち、誘き寄せようとしているのは明らかである。
 大抵の者であれば総大将が最前線に出てきたとなれば、確実に動くだろう。
 何しろ、大将首と言う大功や一番槍の功と言った論功に大きく響くものの全てが一気に手に入るのだから。
 だが、頼貞はそうした功に逸る武将でもなければ、大将同士の戦を望む武将でもない。
 寧ろ、義光と長年に渡って争ってきただけに警戒心が強く、挑発には如何なる事があっても応じない武将であった。


「藪を突けば蛇が出る。備を堅持し、付け入る隙を与えるな」


 頼貞は盛安の狙いを明確に察し、守りを固める事を重視する旨を伝令する。
 我先にと突撃する満延には決して動かないようにと指示を出しているし、特に問題はない。
 単純な気質ではあるが、戦に関する感覚は満延も確かなものを持っているのだから。
 咄嗟の判断に関しては信用がおける。


「この戦は腰を据え、時をかけた者が勝つ。急ぐ限り勝機は無い」


 盛安の機先を制する形を崩すならば此方が隙を与えなければ良い。
 義光との戦いでも迂闊に動けば、恐らくは頼貞の方が負けていた。
 それだけに裏に策があるであろう戦については頼貞の方が盛安に比べて駆け引きに勝る。
 長年を戦場で生きた経験も含め、頼貞は今までの相手とは別格であるとも言えた。


「さしずめ、自らが敵を誘き寄せ、伏兵にて撃破すると言ったところか。……上手い手段を考えるものだ」


 奥州では馴染みの無い戦術である釣り野伏をいとも簡単に見破った頼貞は盛安の采配に感心する。
 確かに短期決戦または寡兵で大軍を撃破するのであれば、これほど適した戦術もそうは無いであろう。
 精兵を率い、大将自身も統率力を兼ね備えていなければ決して成しえぬであろう釣り野伏を実行出来るという事は盛安は紛れもない名将だ。
 頼貞は今までの盛安の戦歴を鑑みつつ、その戦術の難しさを察する。
 恐らくは最上家や伊達家であっても実践する事は出来ない。
 斯様な高難度の戦術を駆使しようとしている事から察するに盛安が早期に最上八楯の軍勢を撃破し、流れを引きよせようとしているのは明白だ。
 ならば、頼貞に要求されるのは盛安の意図を挫き、流れを乱す事。
 眼前の大将首を目にしても動かないと言う選択肢を選んだのはそれが根底にあるからこそだ。
 自らの役目は先鋒として戦運びを円滑に進ませる事である。
 後はじっくりと腰を据え、義光が如何なる采配を振るうのかによって動きを変える――――それだけだ。
 頼貞は交戦の構えを整えたまま、盛安の動きを躱すかのように守りを固めるのであった。















「……釣られないか」


 俺自らが陣頭に立ち、釣り野伏の構えを取ったが敵は動く気配を全く見せない。
 眼前に大将首をちらつかせれば、武勇の士と名高い延沢満延あたりが釣られてくるだろうと踏んでいただけにこの反応は意外だった。
 俺さえ討てば最上家が戸沢家を取り込む事もそれほど難しい事じゃない。
 それが解っているにも関わらず、目の前の大きな餌に釣られないとなれば先鋒の天童頼貞は余程、警戒心が強いと見える。


「長年に渡って義光と戦ってきたのなら当然か……」


 だが、頼貞が長年に渡って争ってきた相手が最上義光ともなればそれも頷ける。
 自ら太刀を取る勇将でありながらも奇策を好み、一筋縄ではいかない武将である義光には正攻法で挑んでしても勝てはしない。
 頼貞は義守に従う者として長くに渡って義光と敵対してきた立場にある。
 義光の在り方を敵の視点で見続けてきた頼貞には策を弄する事に耐性が身に付いているのだろう。
 俺が陣頭に出てきた段階で策があるのだと判断してくる事には何も違和感はない。
 寧ろ、此方が頼貞の立場だったら同じ事をしただろうと思う。


「だが、釣り野伏には次の段階がある……悪いが無理にでも動いて貰うぞ。満安と秀綱に伝令を出せ!」

「ははっ!」


 しかし、釣り野伏を普通の戦術だと思っているのであれば大間違いだ。
 確かに俺自身が餌となって釣り出すとなれば、それに釣られなければ伏兵にて撃破するという戦術は成立しない。
 だが、釣り野伏は敵が釣られない場合でも成立させる術がある。
 それは側面に展開する部隊に脇を突かせる事によって敵を釣り出す方法だ。
 本来ならば、伏兵で片を付ける戦術である以上、地形や状況に左右されるのが当然だが釣り野伏に限ってはその限りではない。
 彼の戦術が恐ろしいのは敵が動かない場合でも戦術を成立させる事の出来る臨機応変さにある。
 九州の島津家がターニングポイントである木崎原の戦い、耳川の戦い、沖田畷の戦いと言った数々の戦に勝利してきたのはこの戦術の秘める潜在能力が大きい。
 寡兵で大軍を撃破した事で知られる島津義弘、島津家久の戦いぶりは正にそれを体現したものであった。
 頼貞が動かないのであれば、動くしかない状況を作り出してしまえばいい。
 そう都合良くいくとは思えないが、義光の率いる本隊が動く可能性だってある。
 いっその事、釣り野伏の特性を全て活用するまでだ。
 伊達家の援軍の分も踏まえれば兵力は此方が如何しても劣ってしまう。
 寡兵で大軍を撃破するには戦術を駆使するしかない。
 それも短期決戦となれば尚更だ。
 とにかく、敵を動かして各個撃破出来る状況を作り出す事が決め手になる。
 決着をつけるために使える時はそう多く残されていない。
 俺は若干の焦りを覚えつつも采配を振るうのだった。















「……動きがあるか。些か、仕掛けの頃合いが不自然だ」


 暫くの時を睨み合う形となり、警戒していた頼貞は盛安が動いた事を状況から察する。
 何故、そう判断したかについては特に理由などは無い。
 如いて言うのであれば、敵勢を釣り出すのに失敗したとなれば動く以外に戦術を成立させる術が無いからだ。
 そのため、盛安が何かしらの采配を振るった事は明らかである。
 相対する軍勢には目立った動きは一切、見られないが……。
 長年に渡って戦場で生きてきた自らの勘がそう告げているのだ。
 盛安の動きを完全に防ぐ事は出来ない。
 ならば、此方も相応の対応を必要とされる。


「満延に伝令だ! 矢島満安が来る、とな」

「ははっ!」


 深く考えるよりも早く、頼貞はすぐさま伝令を出す。
 今までは動かないようにと厳命していた満延に戦の構えを取るようにと。
 現在の状況的に動きがある事を察知した頼貞は此方も動くべきであるとの判断を下したのだ。
 恐らく、動かなければ思惑に嵌まってしまう。
 盛安は決して無策で動く気質の武将ではない。
 知勇を兼ね備えているからこそ、動くには必ず裏がある。
 義光との戦でそれを嫌と言うほど思い知らされた頼貞はそう判断した。


「義光殿に早馬を! 鮭延秀綱の奇襲あり、と伝えろ」

「畏まりました!」


 更に頼貞は義光に早馬で秀綱が動く可能性がある事を伝えるように命令する。
 此度の戦で伏兵、奇襲といった芸当で最も力を発揮するのは矢島満安か鮭延秀綱の何方かだ。
 盛安自身が陣頭に立って囮を務めているのであれば自然と選択肢は両名に絞られる。
 物見の報告では大量の鉄砲を備えた軍勢も居るようだが、其方は速戦では活用しにくいため、奇襲を仕掛けてくる可能性は高くない。
 今の盛安の方針が速戦である以上、腰を据えた戦い方を得手とする頼貞からすれば至極、読みやすいと言える。


「判断は悪くない。此方を釣り出せないのならば、他の方法で誘き寄せれば伏兵は成立する。だが――――」


 盛安の采配は確かに歴戦の武将と比べても何の遜色も無い。
 伏兵の活用の仕方、奇襲を必要とする頃合いの読み方も奥州で並ぶ者はそう居ないだろう。
 だが、安東家との戦の顛末で盛安の手の内を垣間見た頼貞は決して、侮る事は無い。
 17歳になろうと言うばかりの若者であっても、実績については既に奥州でも屈指のものを持つ盛安は義光にも劣らぬ強敵だ。
 故に頼貞は最強の敵と相対したと言う事を念願に置いて戦を進めている。
 一寸の油断すらも許さない相手との戦は義光との争いで散々だと思うほどに経験してきた。
 それだけに頼貞の采配は何時にも増して冴えていたと言える。
 兵は詭道なり――――戦は騙し合いであり、如何に有利に戦えるか備えるのが道理である事を頼貞は根底から理解していた。
 盛安の采配は明らかにそれを実践している。
 頼貞が動きを察する事が出来ているのは同じ事を実践しているだけに過ぎない。
 相手が動こうとした頃合いを察してその動きを抑えるのもまた、兵は詭道の一端である。


「読み合いとなればこの頼貞、そうは引けを取らぬぞ」


 盛安の戦運びに感嘆しつつ、頼貞は笑みを浮かべる。
 此処まで戦のし甲斐があるのは久方振りだ。
 策を読み合い、采配を見極めると言う戦術家同士の戦は決して多くはない。
 奥州でも屈指の戦歴を重ねてきた頼貞にとっても読み合いの戦を経験したのは義光と続いた争いの時くらいのものだ。
 それだけに盛安との戦には相応の意識を集中させている。
 この事は今の戦場において決定的な差であると言っても良い。
 盛安が逸っている限り、頼貞には終止に渡って采配を読まれ続けるであろう。
 だが、盛安は未だそれに気付かない。
 満安と秀綱を動かそうとしていた今この時も頼貞には全て読まれていた事を――――。















「頼貞殿より早馬! 鮭延秀綱の奇襲に注意されたし、との事!」

「相、解った」


 頼貞からの早馬による報告を受けた義光は扇子は鳴らす。
 先鋒同士が読み合いの戦になる事はとうに承知していただけに自らの思い描いた通りの展開に進んでいるからだ。
 盛安が速戦を選んでいるのは守りを固めるよりも迎撃してきた段階で理解していた。
 それに対して、頼貞が動きを読み取るであろう事も。
 この手の戦についての頼貞の感覚は信用に値するだけに義光は躊躇う事なく応じた。


「光安に秀綱めの動きに備えるように伝えよ。仔細は説明せずとも光安ならば解るだろう」

「確と承りました」


 義光は軍勢の一部を預けている志村光安に秀綱の動きを抑えるように命じる。
 秀綱は奇襲を始めとした機動戦を得意とする知勇兼備の将。
 相手は難敵ではあるが、最上家にもその秀綱に対して匹敵するであろうと言われる光安が居る。
 義光が奇襲を防ぐ役目を任せたのは才覚を認めているからだ。
 歳は若いが年齢は秀綱とそう変わらない。
 恐らくは互角以上に戦う事が出来るだろう。


「盛安め……早々に動いてきおったか。中々に侮れぬ奴よ」


 此方が動かないと見るや、次の一手を打ってきた盛安に義光は侮れない相手であると判断する。
 先の数々の戦における盛安の武名は疑いようもないものであったが、年齢が若過ぎるために駆け引きはそれほどでも無いだろうとみていた。
 だが、実際に蓋を開けてみれば予測以上に動きが早い。
 機を待ち続けるのではなく、機を動かして戦を動かすとは簡単に出来るような事ではない。
 軍勢を鍛え上げた上で率いる者自らに類まれな統率力が要求されるのは如何見ても明らかである。
 如何に義光であっても盛安のような真似は決して出来ない。
 それ故、侮れないと言ったのである。


「だが、その逸りがある限りはこの俺には勝てぬ。政宗よ、覚えておくが良い。戦ちたければ機を良く見る事だ」

「ふん……」


 盛安の用兵について感心しつつ、政宗に戦に必要なものが如何なるものであるかを伝える義光。
 政宗は戦の才覚は無いが、頭の回転は早い。
 盛安の用兵は理解出来ずとも、義光の言わんとしている事は解るだろう。
 表情は不満そうに見えるが、一応の納得はしているみたいである。


(……しかし、こうも早くに手を打ってくるとはやはり、頼貞に先鋒を命じていて良かったわ)


 義光は先陣を希望していた政宗をこの場に残して良かったと心底思う。
 盛安の用兵は拙速を重んじ、奇策という手段を取ってきた。
 政宗ではこれを対処する事は決して敵わないだろう。
 もし、義光自身が采配を振るっていても対処出来たかの確証はない。
 これは頼貞だからこそ、盛安の奇策に応じる事が出来ている。
 長年に渡って争ってきただけに頼貞の恐ろしさは身をもって知っているが……。
 盛安がこうして、義光と同じ経験をする事になるとは皮肉なものだと義光は自嘲気味に笑みを浮かべる。
 如何にも出羽の覇者になろうとする者には頼貞は鬼門になるらしい。
 天文の大乱の頃より戦場に立ってきた歴戦の名将は正に立ち塞がる強大な壁であると言っても良いだろう。
 そして、その壁によって盛安は戦の流れを掴む事が出来ていない。
 戦は始まったばかりではあるが、現状は最上家が有利であると言わざるを得ないだろう。
 最上八楯が盟主、天童頼貞――――彼の名将を打ち崩さない限りは義光の率いる本隊にまでは決して届かせる事は出来ないのだから。
 盛安が思わぬ苦戦を強いられる事になるのは一重に頼貞の存在がこの戦場に在るが故のものであった――――。
















[31742] 夜叉九郎な俺 第82話 秀綱と光安
Name: FIN◆3a9be77f ID:e795288b
Date: 2014/10/19 09:26





「盛安様より伝令! 秀綱殿は夜陰に紛れて密かに側面を突かれたしとの事!」

「確と承った! 某に御任せあれ、と殿に伝えてくれ」

「ははっ!」


 天童頼貞が動かない事で敵勢を釣り出せない事と判断した盛安は次なる一手を打つために鮭延秀綱に伝令を送っていた。


「……やはり、最上八楯は一筋縄ではいかぬ相手か」


 盛安からの命を受け、秀綱は頼貞が容易ならざる相手である事を改めて痛感する。
 戸沢家中では満安と同じく、最前線に所領を持つ秀綱は頼貞と睨み合う機会が度々あった。
 若くして鮭延城を受け継ぎ、真室を治めてきた身としては最上八楯は身近な敵であり、警戒すべき相手。
 それ故、秀綱は頼貞が動かない可能性がある事を理解していた。


「しかし、殿は頼貞殿が動かぬと気付くや否やすぐに次の一手を閃かれた。ならば、某はそれに応えねばなるまい」


 だが、盛安は動かない頼貞に対して無理にでも動かざるを得ない状況を作り出そうと手を打った。
 奇襲や伏兵といった芸当を得手とする秀綱にとっても相手を動かさせる事によって戦術を成立させるなど、聞いた事は無い。
 偽装退却から相手を引き込んで伏兵にて撃破すると言う野伏に関しては嘗て蒙古が得意とした戦術であると知っていたのだが……。
 まだまだ自分でも解らない戦があるのだと秀綱は盛安の采配に感嘆する。


「殿が信頼してくれるのならば、全力を尽くすのみだ」


 だからこそ、盛安の期待に応えなくてはならない。
 秀綱は疑う事なく、従う事を決断する。
 奇襲をかける事は自らの得意とする事だ。
 力を発揮出来る機会を与えられた以上、力を出し切るのが家臣としての務め。
 秀綱は盛安の采配に則り、自らの戦に挑むのであった――――。





 だが、秀綱はただ一つだけ気付いていない。
 此度の戦は自らが盛安の采配に初めて従う戦であり、盛安が普段の力を存分に発揮出来ている状態に無い事に。
 逸りがあるが故に戦術眼に誤りがある事に秀綱は気付いていなかった。
 戸沢家に属してからの戦は真室の戦い以外には小競り合いしか無く、真室の時も秀綱が総指揮を執った戦いだ。
 何れの戦も秀綱が自ら采配を振るった戦であり、盛安の采配に従って戦った経験は一度もない。
 他の者であれば、盛安の違和感に気付いたかもしれないが……。
 初めて盛安が総指揮を執る戦に参戦した秀綱ではそれに気付く事はない。
 普段の戦では軍勢を全権委ねられている形で参加していたが故の弊害であるとも言えた。
 故に秀綱が動こうとしている事が既に敵方に察知されているとは知る由も無かったのである。















「相、解った。盛安殿の指図に従おう」


 盛安からの伝令を受けた満安は唯々諾々と従う旨を伝える。
 このまま睨み合うだけでは戦の進展は何もない。
 寧ろ、伊達家の援軍の分で数に勝る最上家の方が優位なくらいだ。
 奇計を以って当たらねば頼貞を撃破する事が出来ない事は満安も理解していた。


(……盛安殿らしくない采配だな)


 だが、些か此度の戦における采配は盛安にしては拙速に過ぎる気がする。
 野伏は確かに有効な戦術であり、釣りの手際も相手が天童頼貞や最上義光でなければ奥州で意図に気付く者がどれだけ居たか解らない。
 精々、盛安の盟友である津軽為信と沼田祐光の主従や安東愛季、九戸政実、それに今は亡き蘆名盛氏くらいのものだろうか。
 満安から見ても盛安の釣り野伏に関しては感嘆を覚える程ではある。
 しかし、気が逸っているのが明らか過ぎるのが問題だと満安は感じていた。
 盛安は確かに自ら前に出る気質の人物ではあるが、此度の戦ではそれが表に出過ぎている。
 総大将が自ら斬り込むのは夜叉とも鬼ともと呼ばれる盛安らしいものではあるが、相手が義光である以上普段通りにはいかないはずだ。
 自らと同じく先鋒を務めている秀綱は盛安が采配を執る戦に参陣するのが初めてであるためにその事に気付かないだろうが……。


(上洛を含め、間近で共に居る機会が多かった俺には解る)


 盛安から普段の”らしさ”が感じられない事は満安からすれば明らかであった。 
 戦で直接矛を交え、上洛した際の盛安の姿を見てきたためにその気質を理解しているのは当然かもしれない。
 それに満安自身、織田信長と面会した際に真の天下人たる者が如何なる者であるかを目にした事もあり、盛安の心情は深く理解出来た。
 恐らく、盛安が急いで上洛しようとしているのは畿内で何かが起こる事を察しているからであろう。


(……俺としても信長公の事は気にかかるからな。盛安殿が察しているのであれば逸るのも無理はない)


 だからこそ、盛安に普段のらしさが無い事に違和感はない。
 鎮守府将軍の官職を賜る際に世話になった織田信長という人物に心底惚れ込んだ様子であったのは傍目で見ても明らかだったからだ。
 それに満安も信長には圧倒される何かを覚えていただけに同じように思うところがある。


(ならば、俺に出来る事は盛安殿の命に従い、延沢満延殿を打ち破るのみだ。何れにせよ、最上八楯を突破しなくてはこの戦に勝機は無い)


 故に満安は盛安の采配が逸っている事を承知の上で従う。
 幾ら盛安が戦上手であるとはいえ、頼貞とは戦歴に大きな差がある。
 頼貞に読まれている以上、小細工をするよりは満延を打ち破る方が余程ましだ。
 とは言え、満安と満延の武勇は拮抗している。
 一騎討ちともなれば間違いなく死闘が繰り広げられる事は目に見えていた。
 だが、先鋒である最上八楯を突破しなくては早期に決着をつける事は不可能。
 満安が盛安の命に従い満延に戦いを挑むのは決して愚策では無い。
 寧ろ、戸沢家中で唯一、満延に対抗出来るのは満安しか存在しない以上、打つ手がない。
 それは最上家の方も同様で満安に対抗出来るのは満延しか居らず、選択肢が一つしかないのは同様だ。
 結局のところは満安が満延と戦う以外に次の展開を望む事は出来ないのである。
 しかし、それは頼貞の思う壺であり、義光としても望むところであった。
 乱戦に強く、驚異的な突破力を誇る満安の手勢を封じてしまえば打つ手は更に増える。
 それだけに満安が盛安の采配に従う事は諸刃の剣でもあったのだ――――。















 ――――1582年4月11日深夜





「……此処までは順調か」


 盛安の采配に従って動き始めた秀綱は夜襲を仕掛けるために迂回しつつ軍を進めていた。
 元より軍勢を伏せている形であったため、頼貞に気取られる事なく動かす事に関しては特に支障はない。
 問題となるのは歴戦の将である頼貞が秀綱が動く事を先に考慮した上で動いている場合だ。
 可能性としては五分五分くらいであろうと見ているが、油断は出来ない。


「……はい。しかし、敵は知将と知られる頼貞様と義光様。此処から先が順調にいくとは思えませぬ」


 家臣である佐藤信基も秀綱と同じような感覚を覚えていた。
 秀綱と共に最上家と対峙してきた者として手の内を知るのは主君だけではない。
 信基もまた主君と共に戦った身であるが故、彼の家が如何なる手を打ってくるかの予測は充分につく。
 特に奇襲といった類の戦は秀綱が尤も得意とする事であり、真室の戦いで一躍武名を馳せた事もあってか予測されている可能性の方が高い。
 頼貞に気取られなかった場合でも義光が動かないと言う可能性はほぼ無いと言えるだろう。


「信基もそう見ているか。先程より某もそのような気がしてならぬのだ。……最上には奇襲といった類を得意とする者が居ると聞いた事はないはずなのだが」


 秀綱は義光の気質を踏まえつつ、警戒する。
 確かに最上家に奇襲を得意とするような将が居ると聞いた事はない。
 義光自身が智謀に優れるために対処が早く、読まれてしまうと言ったのが秀綱からの印象だ。
 そのため何故、自分がこう感じるのかが解らない。
 何か予感でもあるのだろうか。


「……殿、御話はこれまでです」

「やはり、先手を打たれていたか。流石は義光殿と言うべきか」


 しかし、自らの感覚はやはり間違ってはいなかったらしい。
 信基もそれに気付いており、奇襲に対する備えをされていた事を察している。


「だが、見慣れぬ相手だ。某とは一戦も交えた事の無い者だろう」


 目の前に現れた軍勢を率いる者は秀綱には見覚えない無い人物だ。
 年の頃は自分よりも2歳前後くらい若いだろうか。
 盛安とは同年代の若者であると見える。


「名のある者と御見受けした! 我が名は最上義光様が家臣、志村光安! 一手、御相手願おう!」


 若者も秀綱の姿を認め、名乗りを上げた。
 志村光安――――最上義光の腹心にして、家中で最も才気溢れる若者であるとその名は秀綱も聞いた覚えがある。
 奇襲と言った類を得手とする可能性も決して無いとは言い切れないだろう。


「その意気や良し! 某は戸沢盛安様が家臣、鮭延秀綱! 光安殿よ、御相手致そう!」


 名乗りを上げた光安に対して、秀綱も名乗りを上げ采配を振るう。
 鉄砲などの装備を含め、軍勢の数は殆ど互角。
 腹心である光安が率いる軍勢は間違いなく、最上家の精鋭であり、主力であるのは間違いない。
 此方も盛安から預かった精鋭と秀綱自らが鍛え上げた軍勢だ。
 練度においても殆ど差が無い以上、此処は純粋に率いる武将の力量で勝敗が決するだろう。
 鮭延秀綱と志村光安。
 史実において最上四天王と呼ばれ、その双璧を成した二人の人物が遂にぶつかり合う。
 御互いに譲れぬものを抱えた若き武将同士の戦いが此度の戦の趨勢を決める一端と成り得る事は明らかだ。
 それ故、秀綱も慎重に動かざるを得なくなる。
 本来の目的である奇襲は慎重さが求められるものであるが、それ以上に大胆に動く事も要求される。
 こうして光安と戦う事になった以上、大胆な動きは阻害される事となり、更には隠密といった奇襲に必要とされる要素は尽く潰された。
 事実上、盛安の釣り野伏は第二段階に移行する以前の段階で失敗に終わってしまったのである。















 ――――4月12日明朝





「鮭延秀綱様、敵勢と交戦中の模様!」

「……見破られたか」


 夜が明けて直ぐの報告で俺は秀綱の夜襲が事前に防がれた事を聞く。
 如何にも全てが上手くいかない。
 彼の事件まで残り時間が少ないだけに否応にも今の状況は腹立たしく感じられる。
 少なくとも敵が最上義光でなければこうはならなかったはずだ。


「盛安、一度退いた方が良いのではないか? 義光殿も頼貞殿もそう甘くはないぞ」

「しかし、此処を離れるわけには……」


 いらつく様子の俺を見かねたのか、陣を訪ねて来ていた兄上が一度下がるように進言してくる。
 確かに兄上の言う通り、此処は仕切り直した方が良いのかもしれない。
 だが、一度退けば戦が長引く事になるのは明白だ。


「ならば、代わりに俺が此処に残ろう。……旗印も含め、陣容の外観は変わらぬ故、見破られる心配もないはずだ」


 悩む俺の的を射たかのように兄上が申し出る。
 懸念していたのは俺が下がる事で頼貞が一気に前進してくる事を選んだ場合だ。
 秀綱の奇襲が失敗した以上、恐らくは満安の方も延沢満延によって抑えられる事になるのは想像に難くない。
 このまま対峙するだけでは戦が動かない事は事実だった。


「……確かに兄上の言う通りかもしれません。申し訳ありませんが、後を頼みます」


 そのため、俺は兄上の申し出を受ける事にした。
 これは一度、策を練り直す必要があると言う兄上の意見の方が正しいからだ。
 釣り野伏でも頼貞を動かす事が出来ない以上、正攻法に切り替える必要性も出てきた。
 彼の事件への介入までの残り時間が少ない事を踏まえれば、悠長に考えている時間などないが……。
 別の手を考えなくては頼貞を突破出来ない。
 動じる事の無い敵に対して、此方から仕掛けるのは出来れば避けたかったが、奇策の類が通じない以上仕方が無いだろう。
 それに此度の戦は唐松野の戦いの時のように火力を前面に押し出して戦う事は出来ない。
 主力の鉄砲隊は重政が率いている者達を覗けば、昌長と重朝が全て引き連れて行ってしまっているからだ。
 特に練度に優れている雑賀衆が全員不在であるのが俺に真っ向からの決戦を躊躇わせる。
 数で劣っている以上、質でカバーするしかないにも関わらず、精鋭が引き抜かれている状況なのだから。
 重政の率いる根来衆を主力とする軍勢だけではどうしても、数と火力が足りない。
 本来ならば、両方の鉄砲集団を完全に揃えた状態で対峙しなくてはならない相手に半分以下の戦力で挑んでいるのだから尚更そうである。
 かと言って持久戦に持ち込めば俺が目標としている事は達成出来ない。
 難しい戦況とも言える中で結局、俺は一度後ろに下がって仕切り直す事を決断する。
 この判断がすぐに二度と取り返しの付かない事となるとは気付かずに――――。

















[31742] 夜叉九郎な俺 第83話 盛重死す
Name: FIN◆3a9be77f ID:c8b199b5
Date: 2016/10/02 00:22





 ――――1582年4月12日





「そろそろ、仕掛けてみるか。睨み合うだけでは盛安殿の手並みは解らぬ」


 盛安が兄、盛重に陣を委ねて後方に下がってから四半刻後――――。
 頼貞は攻勢に出る事を決断していた。
 自ら釣りのために陣頭に出てくる事といい、矢島満安と渡り合ったという話といい、盛安が猛将である事は疑いようがない。
 まともに相手をすれば相応の被害が出る事は間違いないだろう。
 だが、此方が動かない故か盛安は睨み合う状況のままを維持している。
 釣りが失敗したために別の策を考えている可能性もあるだろう。
 しかし、要注意とも言うべき相手である矢島満安と鮭延秀綱の両名を抑えている今ならば仕掛けたとしても被害が極端に大きくなる事はない。
 中央でも噂に名高い雑賀衆がこの戦場に居ないとなれば、両翼と言えるのはその二名である事は容易に絞れる。
 鉄砲隊を伏せている可能性もあるだろうが、この場合は釣り出したその先になるだろう。
 それに万が一の退き際に関しても頼貞は弁えている。
 対峙した事のない武将が相手である以上、一当てしてみなくては何も始まらないだろう。
 幸いにして警戒すべき戸沢家の鉄砲隊も雑賀衆が戦場に居ないため、その数を大きく減らしている。
 このまま攻め入ったとしても、彼の長篠の戦いのような被害を被る事もない。
 恐れぬ必要がないのであれば攻めかかるのが下策とはならないだろう。
 敢えて、誘いに乗ってみるのも一考とも言える。
 寧ろ、盛安が夜叉九郎や鬼九郎と呼ばれるに相応しい武将ならば正々堂々と応戦してくる可能性の方が高いくらいだ。
 頼貞はそのように盛安の気質を読んでいた。


「皆の者、これより前方の戸沢盛安殿の軍勢に一当てする。この頼貞に続け!」


 睨んだ通りの相手であるならば、自らが前に出る事で必ず出てくる。
 これでもし出てこないのであれば――――あの旗印は囮でしかない。
 少なくとも野伏を行おうとしてきた事からすれば、盛安本人以外にはありえないはずだ。
 何れにせよ、戦ってみない事には正体が何者かは解らないだろう。
 頼貞は此処に来て一時的に方針を一転させ、動く事を決断する。
 背後に居る義光ならば頼貞が一当てした段階で意図には気付くだろう。
 釣り野伏を抑えた以上、甚大な被害を被る事が無い事は明らかである。
 他にも術がある事に関する否定は出来ないが……。
 相手から動かざるを得ないようにするのも一考である。
 静から動へ。
 機敏に状況を判断し、動くのは長年の戦歴を持つ武将として知られるが故のもの。
 頼貞は自らが見極めた盛安が如何なるものであるかを確かめるために動き始めるのであった。















「申し上げます! 天童頼貞殿が仕掛けて参りました!」


 盛安と入れ替わる形で先陣を務める盛重の下に頼貞が動いたと言う報せが届く。
 情報を伝えに駆け込んできたのは盛安が盛重の身を案じて残していた戸蒔義広である。


「来たか……! 盛安が下がった途端に動くとは流石は出羽にその人ありと言われた頼貞殿だ……」


 頼貞の機を見る眼の良さについては父、道盛より伝え聞いている。
 最上義光を付け入らせなかったのもその頼貞の手腕があるからだ。
 それが盛安を相手にしているこの時にも働いたのだろう。


「如何致しましょう?」

「……応戦するしかあるまい」


 盛重は応戦するしかないと判断する。 
 少なくとも盛安であれば確実に退く事が無いのは明白だからだ。
 一時的に盛安と陣替えを行っている今、頼貞にそれを気取られる訳にはいかない。
 盛安が不在と知れば、機微に優れる頼貞は烈火の如く攻め寄せるであろう。
 確実に欺き通せるとは思えないが、戸沢の旗印を掲げている以上、此処で退く訳にはいかなかった。
 少なくとも盛安であれば一歩も退く事なく戦い抜くだろう。


「皆の者、天童頼貞が来る! 此処が凌ぎどころぞ!」

「おおっ!」


 迎え撃つ事を宣言し、采配を執る盛重。
 盛安のように戦えるとは思わないが、それでも一時的に任された以上、責任がある。
 先代の戸沢家当主として再び采配を執るその時が来ただけだ。
 自らを叱咤し、盛重は眼前の頼貞の軍勢を見据える。
 何れは戦うはずの相手と早い時期に戦う事になったに過ぎない。
 盛安とてそれは解っているだろう。
 それ故、迎え撃つ選択肢を選んだのだ。
 今の戸沢家の力ならばそれも不可能ではない。
 盛重は盛安の望んだ早期決戦の願いを叶えるべく頼貞に立ち向かっていくのであった。















「……手応えが無さ過ぎるな」


 前方の戸沢家の軍勢へと一当てし、采配を振るう頼貞は僅かな違和感を感じていた。
 応戦してきた事は勇猛で知られる盛安の軍勢である以上、当然である。
 それについては何ら問題はない。
 だが、頼貞は確かな違和感を感じていた。


「練度は申し分無し、軍の士気も高く纏まっている……だが、些か采配に乱れがある」


 軍の運用に何処かしらの隙が多いと頼貞は判断する。
 此方が斬り込んだ時に射掛けてくる弓、鉄砲の統制が今ひとつ取れていないのだ。
 弓の方は慣れ親しんだかのように的確に頃合いを見計らって射掛けてくるが、鉄砲の方はそうではない。
 先の唐松野の戦での盛安は騎馬と合わせて鉄砲を運用していたと聞くが、そういった類での仕掛けを行ってくる様子は全く見られない。
 明確に表現するのは難しいが……不慣れであるように感じるのだ。
 長年に渡って戦場に立ち続けた頼貞からすれば僅かな違和感は容易に読み取れる。


「盛安殿がこの場に居ないのは確かだな」


 頼貞はこの場に盛安が存在しない事を確信する。
 釣り野伏自体が囮である可能性が無いとは言い切れないが、他に動きがあれば既に義光が気付いているだろう。
 最上八楯を捨石にするにしても、それは自らの首を絞めるだけにしかならない事は自身が一番理解しているはずだ。
 それ故、義光が仕掛けた罠と言う可能性も有り得ない。
 戦場における義光は知将としての側面以外にも勇将である部分も強く、この点に関しては筋を通す人物だ。
 頼貞は戸沢家の軍勢の中で指揮を執っているであろう大将の姿を探す。
 盛安でなくとも別の者が采配を振るっているのは間違いないからだ。


「……見つけた」


 暫し戦場を見渡した頼貞は大将と思われる武将の姿を認める。
 歳の頃は30前後といった所だろうか。
 盛安の年齢が10代後半である事からすれば、恐らくは兄である盛重だろう。
 最上家との出羽における雌雄を決する事になる戦なだけあってか、隠居の身にも関わらず表に出てきた気概は認められる。
 だが、その事が此度の戦では決定的な命取りとなる事は間違い無い。
 盛重の姿を認めた頼貞は躊躇う事なく、弓を引き絞る。


「この頼貞の前に立った事を後悔するのだな……!」


 齢、50に達する年齢でありながらも騎射の構えを取る頼貞の構えには微塵の乱れも見られない。
 撃つべき相手を見定めた今、それは遠く先に見える一人の人物に絞られている。
 余計な手間は必要ない――――。
 頼貞程の武将であれば一射もあれば射抜く事は容易だ。


「……戦場の倣いだ。……悪くは思うな」

 
 的確に甲冑の隙間である首筋を射抜いた頼貞は静かに呟く。
 崩れ落ちるかのように落馬する盛重の姿を見つめ、頼貞は手応えを確信する。
 不慣れな戦であるにも関わらず陣頭に立とうとした事は見事であったが、頼貞と戦うには些か役者が不足し過ぎていた。
 自らが離れた所から狙われている事も悟れぬ様では戦場で必要な感覚が足りない。
 もし、今のが盛安であれば射線から外れるか、飛来してきた矢を叩き落とした事だろう。
 彼の若き猛将ならばそのくらいは造作もない。
 矢島満安を相手に一歩も退かぬ一騎討ちを演じているのだからこの程度ならば容易だろう。
 そもそも頼貞自身、自らが射手として優れているとは思っていない。
 強弓が引ける矢島満安や延沢満延とは違うのだ。
 経験から来る技巧でそれを補って騎射を行ったに過ぎない。
 頼貞が自ら進んで動く事は無いと判断しての盛重による代役であろうが、これもまた水物である戦の定めである。
 一度も戦った事が無いが故に盛安も読み違えたのだ。
 釣り野伏は相手が動こうが動かまいが機能する驚異の戦術であり、それを逆手に一度仕切り直しを図ろうとしたのは間違いでは無い。
 だが、天童頼貞と言う人物の前ではそれが尤も悪手であった。
 僅かな手応えの違いで敵将を判断出来る武将の前には決定的な隙にしかなりはしない。
 盛安が頼貞を甘く見たか、焦っていたかまでの判断は出来ないが……。
 自身の打った手で最悪の手を打ってしまった事に変わりはない。
 盛重の力量では頼貞と戦うには役者が不足している、と言う事実があるからだ。
 淡々と戦況を見据え、盛安の判断の誤りは自分と初めて戦ったからに過ぎない、気を引き締め直す頼貞。
 たかが初戦を制しただけだ。


「次に備えるべし、と義光殿に早馬を! すぐにでも戸沢の逆襲があると思え!」


 頼貞は声を張り上げ、すぐに次の動きがある事を前提とし、命令を下す。
 奇策を正攻法で打ち破った今が好機だが、これ以上の深入りは無用である。
 現在の頼貞の兵力だけでは盛安の軍勢を打ち破る事は叶わないからだ。
 此処で驕らないからこそ、天童頼貞と言う人物は最上義光を相手にしても一度も引けを取る事は無いのである。
 それが初めて戦う相手であろうとも、冷静に見極めて一手を打つ。
 猛将として知られていた亡き兄、天童頼長とは違う在り方を求められたが故に至った視野。
 これこそが知勇兼備の将であり、出羽にその人あり、と謳われた天童頼貞である所以なのである――――。














「盛重様!」


 飛来した矢を受け、崩れ落ちるかのように落馬した盛重の姿に義広は目を見開く。
 僅かに瞬きをしたその瞬間の事だった。
 盛重が狙われていたと言う気配を察する間も無く、射抜いた技量からすると頼貞が自ら放った矢である事は間違いない。


「おのれ……!」


 ゆっくりと弓を下ろす壮年の武将の姿を認めた義広はそれを確信する。
 だが、頼貞に構っている訳にはいかない。
 盛重の身を案じる事の方が先だ。


「盛重様……! 御気を確かに……!」

「義……広、か……」


 僅かに意識はある様子に義広は一息を吐く。
 だが、首筋に深々と刺さった矢を見た瞬間に悟る。
 盛重が助からないであろう、と。
 こうして、盛重が辛うじて意識を保っているのは盛安の事を案じるが故のものだろうか。
 既に瞳の中の光は失われているように見える。


「盛安に伝えよ……俺の仇を討とうとは考えるな……天童頼貞を侮ってならぬ、と…………」


 虚空を見つめながら盛安に伝えるべき言葉を紡ぐ盛重。
 僅かばかりであれば戦況を維持する事くらいは叶うであろうと思っていたがそれは大きな間違いであった。
 天童頼貞は自分が思っているよりも、盛安が思っているよりも更に遥か高みに在る武将である。
 今の何処か逸っている盛安では万が一すらの勝ち目はない。
 幾ら手を打とうとも裏目にしか出る事はないであろう。


「上杉家との盟約の通り……本庄……繁長……殿を頼る事を……義広の口から……伝え、よ……」

「……ははっ!」


 最上義光が敵対していた最上八盾と盟約を結んだのであれば此方も盟約を結んだ上杉家を頼るべきである。
 織田信長との関係もあり、表立って此方から上杉家に手を貸す訳にはいかないが……。
 そのような事情を気にしていては勝ち目はない。
 最善の一手とは言い難くとも天童頼貞を破り、更には最上義光をも破らねばならぬとあれば盛安だけでは成し得ない事だろう。
 如何に己の意思があろうとも、此処は自分を意思を殺さねばならない時である。
 盛重は薄れていく意識の中、盛安への言葉を残す。


「不甲斐ない兄を……許せ……盛安……平九郎……」


 兄弟揃って遠乗りに出かけたあの日の光景が頭の中を過ぎって行く。
 盛安、平九郎と共に駆けたあの時は盛重にとって新たに覚悟を決めさせた日でもあった。
 一度は身を引いたがもし、自らが必要となればその時は弟達の為に全てを擲とうと。
 その一念で天童頼貞へと立ち向かったが、全く歯が立たなかった。
 今後を左右する今のこの時に盛安の役に立てず、平九郎に何も残せない事だけが唯々、心残りだ。
 無念の思いを抱え、盛重は力尽きた。




 ――――1582年4月12日




 ――――戸沢家第17代目当主





 ――――戸沢盛重戦死

















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