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[3174] かみなりパンチ
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:10900b83
Date: 2011/02/28 05:58
 剣と魔法のファンタジー世界がある、などという与太話を、ゴッチ・バベルは素直に信じた。冷たい留置所にぶちこまれていた時の事である

 留置所は、ゴッチに知れる範囲では他にも六部屋程あったが、中は空だった。七部屋を一区画として、ゴッチの居る区画には、ゴッチしか居なかった
 区画担当の監視員である男は四十歳で、丁度ゴッチの倍の年数を生きている。ゴッチと同年代の息子が居るらしく、監視員はゴッチに対して気さくに接した

 監視員の男の言葉に、ゴッチは多大な興味を示した

 「そっかぁ、スゲェな。別の大陸とか、別の星とか、そう言う事じゃなくて、マジで異世界なのか」
 「どっかの研究者が開発したワープゲートがあるらしいぜ。作った本人にもヤバイのが目に見えてたから、“不特定多数の権力者”から口を封じられる前に公表したんだそうだ」
 「剣と魔法かぁ。ガキのゲームみたいだぜ」

 冷たい壁に背中を預けながら、ゴッチは椅子に座って雑誌を読んでいる監視員にニヤリ笑いした

 「意外に素直に信じたな、俺は未だに半信半疑なんだが。特に魔法とか言うのが嘘臭いじゃねぇか」
 「魔法なんてよ、俺らだって似たようなモンさ」

 ゴッチが立ち上がった。トン、とステップを踏んで、ファイティングポーズを取る
 監視員の見ている前で、拳を数発繰り出した。風を唸らせる剛拳で、力強い

 「今から四千年くらい前までは、俺らみたいなのは居なかったんだぜ。その当時の人間から見たら、俺らだって充分魔法使いだろ?」

 ゴッチが咆哮して、拳を壁に叩きつける
瞬間、稲妻がゴッチの肉体を駆け巡った。閃光で視界を白く染めながら繰り出されたゴッチの拳は、留置所の壁に巨大な穴を開けていた

 ピクシーアメーバと呼ばれる魔物が居る。無類のタフネスと回復力が売りの、放電する赤い単細胞生物だ
 ゴッチ・バベルは、そのピクシーアメーバとのハーフだった。亜人と一般では呼ばれている

 「うわ、馬鹿、暴れるな。電気人間のお前さんが、特殊処理を施された牢屋にぶちこまれてねぇのは、拘束された時の態度が素直だったからだぞ。あーあ、壁に穴まで空けやがって」
 「へっへ、悪ぃな、おっさん」

 悪いと心底から思っている表情ではない。ゴッチは、ニヤニヤしながら腰を下ろした

 「壁の修理費、請求されるぜ」
 「良いぜ、払うのは俺じゃねぇ」
 「誰だよ」

 監視員が苦笑いしながら質問した時、監視員の背後にある、この区画唯一の出入り口であるドアを、何者かが叩いた
 四角く切り取られた枠の向こうで、巨大な青い鳥の頭が中を覗き込んでいる

 「ほれ来た。修理費頼んだぜ」


――


 「ボス、今回は遅かったじゃねぇか」
 「悪かったな。急な飛び入りの依頼が入っちまって、迎えが遅れた」
 「いや、謝る事ねーや。結局俺も、今回の仕事しくじっちまったし」

 ゴッチの隣、威風堂々とよちよち歩きする青い鳥の名は、SBファルコンと言う。鳥の亜人と言うか、もう丸きり鳥で、人語を使いこなす様を見ていなければ、ただのでかい鳥にしか見えない

 姿形は鳥だったが、極めて紳士的であるこの鳥は、何時も身だしなみに気を使って特注のスーツを着ている
 鳥の特徴を持つ亜人は幾らでもいるが、スーツを着込んだ丸っきりの鳥となると世界でも早々居ないので、SBファルコンをはじめて見る者は、大抵驚愕するか、その珍妙さに大笑いするのが普通だった

 どこか薄暗さを感じる通路を抜けて階段を上り、警備隊の事務所まで行くと、待ち構えていた男がゴッチのスーツを差し出してきた
 ゴッチを留置所に叩き込んでくれた警備隊の男である。スーツをひったくるように受け取ったゴッチは、舌打ちしながら早歩きになる

 ゴッチが来ているスーツはSBファルコンのお下がりだった。SBファルコンが着こなせば、それはそれは優雅であったのだが、ゴッチが着崩せば、どんなスーツもだらしない

 「それでな、飛び入りの依頼ってのは、お前にも関係がある。いや、寧ろお前が主役だな」
 「へぇ?」
 「異世界なんてイカれた話は知ってるか?」
 「留置所でおっさんから聞いたぜ」

 警備隊の所有するビルから出れば、そこに黒塗りの高級車が待ち構えていた
 ゴッチは少々、驚いた。その高級車が、地に足つけてエンジンを唸らせていたからだ。交通量が過多になりすぎた今の世の中、車とは普通空を飛ぶ物の事を言う

 そしてどの新車も、大抵三年以内にスクラップになる。それぐらい、空を飛ぶ車と言うのは事故が多い

 今時地面を走る車なんてのは、「地べた這いずり回る権利」を買い上げた、金持ちの特権なのである

 「さっきな、世界のお偉いさんが話し合って、その異世界とやらには極力不干渉を貫くと決まったそうだ。本当は誰も彼も飛んでいきたいさ、手付かずの資源やら、たんまりあるだろうからな。だが、睨み合いになっちまって動くに動けん。なら、自粛しようってな」
 「嘘くさいぜ。そんな紳士的な世界だったかい? 俺らが生きてるここは」

 二人が乗り込むと、車は走り出した。運転手は居ない。自動操縦で動く車はフラフラしているような気がして、ゴッチは内心不安になった

 「まぁ、俺たち“ワルの下請け会社”にゃ関係ない」

 SBファルコンは何処から取り出したかサングラスを掛けて、お気に入りの葉巻の先を嘴で食い千切った
 ゴッチが火を差し出せば、品の良い香りが立ち上る。葉巻を吸っている時のSBファルコンは、特に格好が良い、とゴッチは個人的に思っている

 「ゴッチよ、留置所から出たばかりのお前には悪いんだが、今から速攻で異世界まで出張して来て貰うぜ」
 「マジかよそいつぁ! ダークスーツ着込んで異世界までのこのこ出張って、剣でも振り回せってか?」
 「お前が振り回すのは拳骨だろう」

 車が止まって、品の良い人口音声が降車しろと伝えてくる
 降りると、天高く伸びる巨大なビルがあった。警備隊のビルもそれなりに高かったが、こちらは更に高い。周囲に日陰を作成して酷く迷惑な建物だと、ゴッチは捻くれた感想を持った

 「そろそろ日が暮れるな。誰か、上でエアカー運転してる奴、ミスってビルに突っこまないかな」
 「雇い主だろ? 良いのかい、ボス」
 「俺はファルコンだからな。飛ぶのに邪魔な高層ビルは、本当は嫌いなんだぜ」

 ドォン、と激しい衝突音がする。SBファルコンの軽口が現実になったか? と上を見上げたか、ガラスや残骸等は降ってこない
 音がしたのはどうやら後ろからだった。フリスビーのような円形をした工場が煙を吹いている。エアカーが突っこんだのは、どうやらあちららしかった

 「行くか。相手は美人でな。待たせるのは紳士的じゃない」

 爆炎に目もくれず威風堂々とよちよち歩きするSBファルコンの後を、ゴッチは素直についていく


――


 「待っていたよ」

 白衣を着た女の研究員が、眼鏡を弄りながら言った。医者と研究員は、何時も白衣なのが常識だ
 女は、ちろ、と舌を出す。何だかゴッチは背筋が震える。女の目を睨み付ければ、琥珀色の瞳は縦に割れていた

 「テツコ・シロイシ所長殿だ」

 SBファルコンが紹介すると、テツコは宜しくと手を差し出してきた

 なるほど、SBファルコンに美人と賞賛されるだけはある。背で一まとめにしている黒髪が何だか野暮ったいが、そんな事ではどうにもならない色気がある
 顔立ちは、ゴッチには少々馴染みが無い。人種が違うようだ。悪いと言うわけではない。整っている
 しかし何より、しなやかな肉体が良かった。抱き心地が良さそうだな、とゴッチは顔に出さずに思った

 「見たとおり、って訳じゃなさそうだ。蛇か?」
 「ご名答。何で解った? 確かに私は蛇の亜人だよ。身体的特徴には殆ど出てないんだけど、毒牙があるんだ」
 「ゴッチ、余り色目を使うなよ。彼女の毒は三種類あってな、致死毒と、麻痺毒と、……中毒性の高い麻薬…いや、媚薬だったか? まぁ兎に角、本気にさせたら、一生縛り付けられるぞ」
 「止めてくれないか、ファルコン。私はそんなに怖い女じゃない」

 ゴッチは苦笑いしながらテツコの手を取った。冷やりと冷たい
 蛇のテツコと、鳥のSBファルコンだ。相性が良いとは思えなかった

 「時間が惜しいんだ。説明をしたいから、ついてきてくれ」

 テツコが早足で歩き出した。何人もの研究員達が大慌てで駆け回っている最中を、危なげなくすり抜けていく
 異世界と言う代物の出現のせいで、勤務状態が極めて悪いようだった。目の下に隈を作っていない者は、一人として居なかった

 「いや、シロイシ所長は平然としてたろう」
 「そういやそうだった。タフな女みたいだな」
 「……あぁ、タフと言えば、まぁそうだな」

 SBファルコンが何故か顔を顰めた

 テツコが案内した部屋は、簡素なミーティングルームだった。使用頻度が少ないのか、埃っぽい
 ホワイトボードの前に陣取ったテツコは、男の顔写真が載った書類をゴッチに差し出した

 「ジェファソン・レイクソン?」

 そう、名前の欄に記入されている
 痩せ過ぎで骨の浮き出た、骸骨のような男だ。土気色の肌で眼つきが良くない。死体と見間違える程の顔色の悪さだった

 「“異世界”への移動を実現した現代科学の至宝だよ。名の知れた学者なんて、大抵偏屈な性格をしているけど、ジェファソン博士は特に人付き合いが苦手らしいね」
 「それで、そのジェファソン博士が何なんだ?」
 「実は、異世界に博士の娘が迷い込んでいるらしいんだ」

 はぁ? と眉をしかめながらゴッチは書類を捲る。更に顔写真尽きの個人情報が現れた
 何故かメイド服を着た、緑色の頭をしている女の写真だった。作り物のような奇妙な色合いの緑髪に、ゴッチは違和感を覚える

 ふと気付いた。首だ。首に線がある。メイド服のリボンで少々見えにくいが、間違いない
 まるで継ぎ目のようだった。掴んで引っ張れば、頭が取れそうな雰囲気があった

 「メイア3。……ほぉーぅ、メイア、3、ね」
 「グレイメタルドール、ロボットだ。ジェファソン博士に彼女の資料を見せてもらったが、かなり高性能だったよ。家事炊事から拠点防衛、やろうと思えばセックスもこなせる万能メイドだ」
 「このガリガリ野郎のダッチワイフって訳か?」
 「そういう訳ではない。メイア3は、制御機関に人工精霊を搭載している。魂を持っているのさ。ジェファソンは博士は彼女の事を、本当の娘のように思っている」
 「……変人だな」
 「ゴッチ、その辺にしておけ」

 SBファルコンが、威圧した。低い渋みのある声が、ゴッチをやんわりと叱るようだった

 「君には彼女を探し出して欲しいんだ。異世界の研究は、まだまだ不十分だ。利権のために口封じなんて考えた無能が居るようだけど、ジェファソン博士の協力は絶対必要だ。これはジェファソン博士との交換条件と言う事になっているんだよ」

 研究に協力する代わりに。と言う奴か。今頃は、どこぞに軟禁でもされているのかも知れない

 「そもそも、どうして異世界で迷子になってんだ、このメイア3ってのは」
 「自宅の研究施設での実験中に、ワープゲートが暴走したらしい。“異世界”の事が報道される二日前だ。メイア3はジェファソン博士を庇って、ゲートに飲み込まれたそうだ」
 「なるほど、主人思いの良い女だ」

 ゴッチはメイア3を賞賛した。良い女だと言い放ったとき、ゴッチは真剣な面持ちだった

 「しかし、人工精霊搭載とか言ってる割にゃぁ、人形みてぇな面だぜ」


――


 前方五メートルに光が渦巻いていた。時折バチバチと稲妻が走るのが、ピクシーアメーバの亜人であるゴッチには、心地よい

 異世界への扉だった。ここに飛び込めば、次の瞬間には見たこともない場所に居る
 いざ行かんとするゴッチは、別段気負った様子も無い。SBファルコンおさがりのスーツをだらしなく着崩して、彼は余裕の表情でテツコの説明を聞いていた

 『探索期限は三ヶ月だ。異世界とやらがどれほどの規模であるか全く把握できていない以上、この期限が充分かどうか判らない。メイア3の居場所も、微弱なシグナルがゲートを通して感知されているだけで、詳しくは判っていない』

 強化ガラスを挟んでマイク越しに語りかけるテツコは、無表情で謝罪した

 『済まない。きっと困難な道程になるだろう』

 SBファルコンが後に続く

 『ゴッチ、お前に満足な装備も支援も無いのは、“不干渉”と言う制約があるからだ。出来るだけ秘密裏に行動しろ、ともお偉いさんは言ってきている。だがな、俺は本当は、そんな事、知った事ではないと思っている』
 「ボス?」
 『良いか、好き勝手してこい。人が居る。魔法がある。生物が生存可能な大気がある。それぐらいしか判ってない危険地帯に、お前を身一つでぶち込むってだけで無茶な話なんだ。これ以上キツイ事は、俺は口が裂けても言えん。良いか、好き勝手してこい。お前が生き残るために手段を選ぶな。絶対に帰って来い。どんなに問題起こしたって、俺が庇ってやるからな』
 「OK、ボス。生きて帰るよ。メイア3と一緒にな」

 ゴッチは不敵に笑って屈伸運動した。SBファルコンは、尊敬すべき偉大な男だった

 『三ヶ月経ってもメイア3を発見できなかった場合、一度帰還してくれ。こちらでワープ可能なゲートまでエスコートする。ワープゲートの詳細説明は長くなるから、向こうの世界で追々説明するよ』
 「追々って、どうやってだ?」

 尋ねたゴッチに、ふよふよと近づく物体があった
 裸電球に、コウモリの羽と尾を取り付けたような発光体だ。ぼんやりと青白く光っている

 『ナビロボ『コガラシ』だ。それを通じて私が君のサポートをする』
 「期待してるぜ、テツコ」
 『……堂々と私を呼び捨てにする奴は、あまり居ないんだがな、バベル』
 「ゴッチで良い」
 『ではゴッチ。心の準備が整ったら、ゲートに飛び込んでくれ』

 ゴッチは、ぐぅ、と伸びをした。内心の興奮を隠して、平静で居るように見せかけた

 未知の世界に飛び込む。わくわくする展開だった。ゴッチはステップを踏むと、バチバチ唸るワープゲートに向かって走り出す

 「行ってくる、ボス、テツコ!」

 体をしならせて、高く跳躍した


――


 後書き

 深く考えないほうがストレスなく読めるかもしれません。
 ……
 因みに、本作品の主人公は紅丸ではありません、念のため。



[3174] かみなりパンチ2 番の凶鳥
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:10900b83
Date: 2008/06/05 01:40


 ワクワクしながら異世界に降り立った瞬間、ゴッチは何かにバックリと頭を飲み込まれていた

 「いきなり生臭ぇ!」

 口が長細い。鋭利でギラギラと光る牙がある。口の長さのわりに舌が短い。解る事なんてその程度だ

 牙がゴッチの首を噛み切ろうとするので、寸での所で指を差し込んで阻止した。頭を銜え込んでくれた生臭い奴が、ぶんぶんと首を振ってゴッチの頭をもぎ取ろうとしてくるので、ゴッチは豪腕を駆使し、力ずくでその顎を開かせた

 「何だよ、恐竜か? あぁん?」

 赤茶色の肌をしたそれは、幼い頃博物館に飾ってあった恐竜の絵と似ていた。ラプターだ
 ゴッチによって無理やりに顎を開かされ、ギャーギャー鳴いている姿は、どうにも間抜けだった。ゴッチは忌々しげに舌打ちすると、恐竜の顎を握り締めたまま、腕を振り回す

 「うがぁらッ!」

 恐竜は前傾姿勢だったが、それでも全長はゴッチと同じぐらいである。決して軽くはない
 が、ゴッチにしてみればたいした重量ではない。宙を舞わせ、盛大に地面に叩きつけた。握り締められた顎を含め、全身の骨を粉砕された恐竜は、血を吐いて動かなくなった

 『ゴッチ、無事か?』
 「テツコか。こんなモン、猫にじゃれ付かれたのと変わんねぇぜ。生臭いのは勘弁だがな」
 『ここは森のようだね。霧が出ていて地形データが取り難い。うん? 川があるようだ。生臭いのが気になるなら洗ってきたらどうだ?』

 コガラシがふよふよと辺りを飛び回る。確かに、森のようだった。人の手が加えられていない植物を見るのは、ゴッチは初めてだ

 水音のする方へとゆっくり歩きながら、ゴッチは呟いた

 「何か、体が軽いな。空気が上手いから気分が良い」
 『川が見えたな』
 「ほ? そうなのか。霧が深くて、解らん」
 『念の為に、毒素等が無いか調べてみよう』
 「早くしてくれ。正直、さっきの恐竜野郎の生臭い唾液が気持ち悪くて堪らんぜ」

 ゴッチにも、川が視認出来る位置に来た。コガラシがふよふよと水の上まで飛んでいくのを、ゴッチは見守った

 『問題ないようだ。…………ん?』

 ゴッチが川の水に手を伸ばそうとした時だ。水の中から、巨大な影が跳ねて出る

 『ゴッチ、魚だ。これは凄い、こんな巨大な淡水魚が居るとは。君の二倍くらいの体長だぞ』

 バクリと、ゴッチの頭は再び飲み込まれていた。しかもその口内の生臭さは、先ほどの恐竜の比ではない

 「またかよ! どうなってんだよ、この森はよォーーッ!」

 ゴッチは怒りに任せて大量の電気を放出した


――


 『…………一通り調べたが、この魚にも解る範囲では危険な物質は無いな。恐らく食用に出来る』
 「そうかい、それじゃもし食うに困ったら、川に電気流せば良い訳だ」
 『未知の毒物等が無ければね。しかし、その漁獲方法はマナーが悪いぞ』
 「釣りは趣味じゃないんだ」

 コガラシの向こう側で、テツコがクスクス笑った気がした。ゴッチは座り込んで、今後の話をしようとコガラシを引き寄せる
 情報の再確認がしたかった。湿り気を帯びた、枯れ草交じりの土の上で、ゴッチは唸りながら頭を掻いた

 「それで、メイア3の居所は全く見当もつかねぇのか?」
 『メイア3稼働中のシグナルを感知することはできる。だが、そのシグナルが何処から発信されているのかは全く解らないんだ。しかし断片的な情報なら得ている。ジェファソン博士がメイア3とギリギリまで通信を行っていた時に得た情報だが…………。まず彼女は、それなりに大規模な人類の生活圏に居ると思われる』
 「ほぉ、それならもしかして、大分楽になるんじゃねぇか?」
 『恐らくはね。そして『ラグランローラー』、『アシラ』と言う単語。通信が断絶寸前で聞き取り難かったらしく、こちらは多少なりとも齟齬が出る可能性がある。加えて、何を指す単語かも不明だ。街か、人か、或いはモンスターかも知れない』
 「何もないより遥かに良いぜ。兎にも角にも、“誰か”か“何か”を見つけなきゃ話が始まらん訳か」

 ゴッチは近くに落ちていた枯れ枝を握り締めて、放電した。ブスブスと煙を吹き、直ぐに枯れ枝は燃え始める

 魚を焼く準備だ。ゴッチは、霧が晴れない内は動く心算はない

 「腹は減ってないが、食える時に食っておかねぇとな」
 『何とか森を抜けて意思疎通が可能なレベルの知能を持った生物を探してくれ。コガラシには翻訳機能もついているから、言語等の心配はしなくて良いよ』
 「そりゃ頼りになる。宜しく頼むぜ、テツコ。ついでに一つ質問なんだが」
 『何?』
 「メイア3にも同じような翻訳機能が装備されていると考えて良いのか?」
 『肯定だよ、ゴッチ』


――


 その後丸焼きにした魚をゴッチが余す所なく完食するのを見て、テツコは全く納得行かないと不満げな声音で言った
 どう見たって、魚の方がゴッチよりも大きい。非常識だ、とブツブツ言うテツコは、確かに科学者らしかった

 丸三日歩く内に、森を抜けていた。どうやらワープしていきなり遭遇した恐竜と魚が特別らしく、殆どの虫や動物はゴッチを見ると逃げ出して、襲ってきたりはしなかった

 『一日以上風呂に入れないと言うのは辛そうだな。私だったら汗が気になってしょうがないと思う』

 そういうテツコは、どうやら日常生活にコガラシの端末を伴っているようで、何時声を掛けても返事が返ってくる
 テツコが全力でサポートするのだと言ったら、どうやら本当に全力らしい。睡眠を取る時のみ、SBファルコンか他の研究員が代わって、ゴッチのサポートをする段取りであった

 とは言っても、テツコが寝る時間ならばゴッチが寝ても可笑しくない時間だったので、その場合の仕事は何かあった時の為の警戒だったが

 「そうでもない。ピクシーアメーバってのはタフでな、発汗による体温調節なんて要らねーんだ」
 『本当か? 汗は掻かないのか』
 「俺は電気を放出してんだぜ。純粋な人類みたいに四十度ちょいでへばってたら、とても生きていけねーだろ。それに風呂の事で文句言ったってよ。……よくよく考えりゃ、コガラシに“歯磨き機能”なんて物が付いてる時点で、サバイバルやる身分としちゃ贅沢だろ」
 『歯磨き機能は毒物対策さ。事前にコガラシで歯磨きを行っておけば、胃腸に取り込んでから効き始めるタイプの毒をある程度中和できるんだよ』

 テツコは軽口を言い返したかと思うと、興味深いと言って黙り込んだ。汗が苦手だと言う彼女は蛇で変温動物だが、身体的特徴に蛇の部分が殆どないなら、生理現象も人間に近いに違いない

 と、ゴッチは思う事にする。ゴッチはゴッチで外見は丸きりただの人間だが、細胞は極めて乾燥に強いピクシーアメーバの物だった。アメーバらしくはないが

 「しかし、いったい何処まで歩きゃ良いのやら」

 ゴッチは、欠伸をと伸びを同時に行った。彼の目の前には、何処までも続く草原があった

 今まで、空の色や足元の雑草に注意を払ったことは無い。空は何時も大体灰色だったし、注意を払えるほどの植物が無かったと言うこともあるが

 ここの空は見たことも無いような美しい青色をしているし、植物は無駄に活力があって自己主張が激しかった
 口ではげんなりした風を装ったが、ゴッチは内心感動していた。少しだけ

 『こういう風景を見るのは、生まれて初めてだ。昨日までの森も当然初見だったけど、私はこちらの方が好きかも知れない』
 「……そうだな、俺もこっちの方が好みかも知れねぇや。それに、ボスも多分こっちのが好きだろうよ」
 『ファルコンが?』
 「だってよ、のびのびと空を飛んでるじゃねぇか、鳥が。エアカーなんて一台も走ってないから、ボス、きっと羨ましがるぜ」
 『はは、……確かにそうだ』

 そうやって笑いあっていると、唐突にテツコが訝しげな声を上げた

 コガラシがふよふよ移動して、先ほどゴッチが示した鳥に注目する

 『ゴッチ、あの鳥…………大きい! こっちに来るぞ!』
 「何? ……うぉぉ?! 本当にでけぇッ!」

 鳥は近くに居たように見えたのに、その実遥か遠くに居たようだった
 鳥のサイズが大きすぎたので、見誤った。全長八メートルはある

 銀色の鶏冠を持った、黒色の鳥だ。両翼を広げてこちらに突っこんでくる様など、まるで空に蓋をするような威圧感であった

 「殺る気か、鳥の分際で!」

 ゴッチは転がって逃げる。先ほどまで立っていた地面は、突撃してきた巨鳥の爪で深く抉れていた
 コガラシがふよふよ浮いて距離を取る。コガラシはある程度なら自動で修復が可能だが、壊れてしまえばそれまでだ。ゴッチの喧嘩に巻き込まれてしまったら、目も当てられない

 「糞が、殺ったらぁな! テツコ、取り敢えずボコるが、文句ないな!」
 『出来れば取り押さえてくれ』
 「はぁ?」
 『この前読んだ小説に、人語を解する大きな鳥が登場したんだ』
 「…………わぁーったよ」

 鳥が高く舞い上がって反転し、再び突撃してくる
 もう一度、爪。今度はゴッチも、逃げようとはしない

 「チャー・シュー・メエェェーンッッ!」

 飛び込んでくる巨鳥に向かって、タイミングを合わせて跳躍した

 いい具合に巨鳥の頭が目の前に来る。ゴッチは奇天烈な掛け声と共に、巨鳥の頭に回し蹴りを叩き込んだ

 「グギャッ! ギャァ!」
 「おぉっと逃げんな!」

 ゴッチ、華麗に着地。よろめいて泣き喚き、しかしそれでも飛び上がろうとする巨鳥に、すかさず飛び掛る
 銀の鶏冠を引っ掴むと力任せに地面に叩きつけた。ゴッチと巨鳥、体長の差は歴然としているのに、圧倒的に小さい筈のゴッチが、圧倒的な暴力を駆使して巨鳥にキツイ一撃を食らわせていた

 「さぁ、大人しくしな、焼き鳥にしちまうぜ。テツコ! かなりでかいが、どうだ!」
 『脳波測定を行わなければ判らない!』

 遠くのコガラシから、テツコの大声が聞こえてきた

 「そうかい、じゃぁ、とっととやってくれや」

 巨鳥の頭に馬乗りになったゴッチが、強烈な電流を流した


――


 『結論から言えば、会話を可能とする程の知能は無かった。意思疎通が出来たとしても賢いワンちゃんレベルだよ』

 テツコが残念そうに言うので、電流でぐったりとした巨鳥は結局焼き鳥にされた

 『うん? そんな物を持ち込んでいたのか?』
 「ボスから譲ってもらった特別製でね、探知機にゃかからねーのさ」

 テツコの、軽く責めるような口調を受け流しながら、ゴッチは懐から取り出したナイフの刃を撫ぜた
 柄に隼のエンブレムの入った大振りのナイフだ。テツコにしてみれば、持ち込んで欲しくない持ち物であったらしい

 この巨鳥も毒はないと言うので少し切り取ってみたが、癖のある味でゴッチの好みではなかった。ゴッチは嫌な顔をして口の中の肉を吐き出すと、大きな焼き鳥をマジマジ見詰める

 「あん? 何だ、こりゃ。……矢って奴か?」
 『原始的な武器だな。しかし、ジェファソン博士の言う“異世界の人間”の痕跡だ。ちょっと興味がある、抜いてくれないか』

 右の翼に刺さっていた矢を引き抜いて、コガラシの前に差し出した

 『矢…だな、別段可笑しな事は無い。ただの矢だ』
 「満足か?」
 『あぁ、ありがとう』
 「……にしてもでけぇ鳥だぜ。しかもでけぇだけで不味いし、良い所がねぇや」

 ナイフをクルクルと掌で回転させながら、ゴッチは銀色の鶏冠に近づいた
 他の部分は全て焼け爛れてしまっているのに、鶏冠だけは今も鈍く輝いている。ゴッチは、うーむ、と唸った

 『どうするんだい?』
 「こう言うのが高く売れるんだぜ、きっと。フカヒレみたいな感じで」
 『……そうかな。まぁ、私からしてみれば、異世界の怪鳥の鶏冠と言う事で少々無理をしてでも手に入れたい代物だが』
 「持って帰るか?」
 『そう言うのは禁止されているんだ。破ると研究が出来なくなるかも知れないし、遠慮するよ』

 銀色の鶏冠は非常に硬かった。ゴッチは器用にそれを巨鳥の頭から切り離すと、ぶんぶん振り回す

 懐かしい感じがした。巨鳥の鶏冠は、よく敵対した相手の頭を殴り飛ばすのに使用した鉄パイプの如く手に馴染んだ

 『……その比喩だと解り難いよ、ゴッチ』
 「脂っこいな、この鳥野郎。ナイフの手入れは怠れんなぁ」


――


 『アレは……人だよ、ゴッチ。かなり古臭い感じがするが、民家らしき物も見える。村だ』
 「うおぉ! 俄然ワクワクしてきたぁーッ!」
 『一直線に当て所無く進んで村を見つけるなんて、凄い幸運だ』

 テツコが、遥か遠方に村落らしき物を確認した時、ゴッチの気分は一瞬で高揚した

 ゴッチのサバイバリティは人類から見ても亜人から見てもかなりのレベルにあったが、それでも彼は人が密集する都市で育った。こういう言い方をするとゴッチが怒るだろうとテツコは予測したので口には出さなかったが、矢張り人恋しさがあったのだ

 わざわざクラウチングスタートの体制になって、勢い付けて走り出す
 ゴッチは風になった。低速浮遊モードのコガラシではそれほど速く飛べない。あっと言う間に引き離して、あっという間に村落に到達していた

 「おい、其処のお前」

 ゴッチは取り敢えずと言った風情で、一番最初に出会った村の男に声を掛けた
 まだら模様の奇妙なデザインの布を頭に巻いている。まぁ、異世界なのだから、ゴッチの服装のセンスと合う筈が無い

 ゴッチは無遠慮に男に歩み寄って、しげしげと観察した。下から見上げてみたり、上から見下ろしてみたり、じろじろじろじろと嘗め回すように見て、漸く満足した

 ゆったりとした服装と頭に巻いた布で体格が解りにくかったが、まだ少年だった

 「ふーん? 見た感じ普通の……ヒューマンだな。異世界の人間って言っても、変わりゃしないのか」

 ゴッチの無遠慮な視線に晒されて羞恥を覚えたのか、少年が早口で何事か言った
 しかし、解らない。予想通り、言語は違うようである

 『当たり前だよ。同じだったら、寧ろ可笑しい』

 コガラシがステルスモードでゴッチの背後から現れた。そのままゴッチが何か言う前に、スーツの中に潜り込む

 『コガラシが見つかって騒ぎになる可能性もあるだろう? 適当な場所に骨伝導スピーカーを取り付けるから、少し我慢してくれ』

 胸元がチクリとした

 『よし、ゴッチ、良い子だ。泣かなかったな。それでは対人用の翻訳プログラムを起動するよ』
 「(餓鬼か、俺は)」


――


 暫くは、少年一人を勝手に喚かせておいた。その内に、段々と言葉が解るようになってくる
 言葉が解ると言うよりは、言いたい事が解ると言ったほうが近い。細かいことは考えてはいけない

 言葉は大体翻訳されてきたが、ゴッチの態度に不審な物を感じたのか、少年の態度はすっかり刺々しくなってしまっていた

 「テツコ、そろそろどうだ」
 『OKだ。私達の世界に、非常に似通った言語のデータがあったよ。偶然とは思えないが、まぁ良い。これを応用できる。このデータは、ゴッチに投入しているナノマシンともリンクさせておくから、直ぐにコガラシの翻訳機能は要らなくなるだろう』
 「よし、お前、俺の言葉が解るか?」

 急に問われた少年は、流石に眉を怒らせた

 「あんた、人の事散々無視してそれは無いんじゃないか? 幾らなんでも」
 「あぁ、いや、済まん。馬鹿にしてる心算は無いぜ。かなり遠くの方から来たんでな。自前の言葉で通じるかどうか解らなかったんだ」
 『ゴッチ、もうほんの少しで良いからゆっくり喋ってくれ。翻訳が追いつかない』
 「旅をしてきたのか? 珍しいな! 内乱が長引いてるせいで、ここ数年旅をしようなんて奴は居ないのに」

 目をまん丸に広げて、少年は心底驚いたように言った
 目の色が、綺麗な黒であった。白紙に墨を落としたような深い色で、その闇色が興奮を帯びてゴッチを見詰めていた

 内乱が起こっているのか、と言うテツコの呟きを胸に留めながら、ゴッチは右手を差し出す

 「俺はゴッチ。名前だ」
 「俺はグルナーだ。これ、知ってるぞ。海の向こうの、ランディの挨拶だろう?」
 「はっはっは、さぁ?」
 「そっかぁ、あんたランディから来たんだ。向こうじゃ、そう言う変な格好が普通なのか?」
 「“変な格好”?」

 ゴッチの米神がピクリと動く。ゴッチのスーツは、SBファルコンのお下がりである
 自分が馬鹿にされるのは気に入らないが、SBファルコンを馬鹿にされるのも、まぁ気に入らなかった。そして気に入らないと思えば、誰が相手でも容赦しないのがゴッチだ。
 テツコはそれを咎める。コガラシが懐でブルブル震えて、テツコが呆れたような口調で言う

 『君だって最初このグルナーと言う少年を見たとき、“変な格好だ”と思ったんじゃないのか?』

 ゴッチは笑ってごまかした

 「……俺はそのランディって所よりも遠くから来たのさ」
 「更に遠く?」
 「まぁそれは置いとこうや。で、ここまで来たのは良いんだが、かなり長い間彷徨ってたせいで自分が何処に居るのか解らないんだ。地名とか、教えてくれんか。出来れば地図も見たい」

 まずは地名。そして地図。そうだよな、とコガラシに向かって問う

 『それがベターだね。問題は、地図の概念があるかどうかだが』

 スーツの中で、コガラシの裸電球がピンク色に光った

 「解った、長の所まで案内するよ。何かワクワクするなぁ。久しぶりだもんな」
 「へっへ、助かるぜ」

 ふと、何気ない仕草で、銀の鶏冠で肩をトントンと叩く

 それがグルナーの目に止まった。グルナーは、急に唸りだした

 「うん? それ、どっかで見た事があるような……?」
 「どっかで……? そりゃ、見てても可笑しくないな。さっきやたらでかい鳥が襲ってきたもんだから、返り討ちにして鶏冠を剥ぎ取ってやったのよ」
 「でっかい鳥? 返り討ちにした?」

 ゴッチは、自分が今まで一直線に進んできた方向を指差す
 広い空と、草原は、どこまでも変わらない。焼き鳥にした巨鳥の残骸は、そう遠くない筈であった

 「真っ直ぐにずっと行きゃ、でかい焼き鳥が見つかる筈だぜ」
 「えぇーッ?! 本当かよ!」
 「何だよ、いきなり。五月蝿い奴だな」

 グルナーが、いきなり飛び上がって大はしゃぎし始めた


――


 「いやぁ、只今見に行かせた者が帰ってまいりました。どうやら真実のようで」
 「疑ってたのか?」
 「いや、も、申し訳ございません。決してそのような訳では」

 村の長、と言う物は、外見はともかくとして、中身は大抵年寄りだと相場が決まっている物だ。と、ゴッチは信じていた
 しかしこのイニエの村は、別段そうでもない。黒い髪に黒い瞳の、矢張りまだら模様の布を頭に巻いた村長は、まだ三十歳前らしい。ゴッチは椅子に座りながら、少々不満げな顔をする

 グルナーに散々銀の鶏冠を見せびらかすと、ゴッチはイニエの村長の家まで案内された。途中で目に止まった村人は大抵黒い髪と黒い目をしていたが、これは村の特徴なのかそれとも“異世界”の特徴なのか迷う所だ

 銀の鶏冠を見せて大騒ぎしたのはグルナーだけではなかった。イニエの村長は、それこそ椅子から飛び上がった

 「そんなに大層な鳥にゃぁ見えなかったが、どうやら大層な鳥だったらしいな」
 「は、はぁ。……害獣、凶鳥でございます。村の者ではどうにもならなかった憎い鳥でして」
 「ほぉ、そーかい。この村じゃあのでかい鳥を崇め奉ってるんです、なんて言われたら、どうしようかと思ったぜ」
 「とんでもない! 奴はエピノアと言う鳥でして、被害や住み着いた場所によっては討伐賞金すら掛けられる化物です。しかしこんな辺境には冒険者や狩人など訪れませんので、先日王都の騎士団に討伐してくれるよう男手を走らせたばかりでした」

 最も、反乱軍との戦に掛かりきりで、騎士団が来てくださるかも解らない状況ですが。流石にあれだけの大きさとなると、生半な人数では歯が立ちませんので

話はゴッチが思っていたより大袈裟だった。ゴッチ達の世界では、見掛けはあまり当てにならない。ゴッチは仕事が仕事だけに他人を強いか弱いかで測るが、でかいから強い、小さいから弱い、と言う輩はあまり見たことがなかった

 だからエピノアと言う鳥にも、大層な物は感じなかった。あんな鳥は、SBファルコンなら遭遇した瞬間に八つ裂きであった

 『ゴッチ、亜人の中でも肉体派の君やファルコンと比べてどうする。それより今この人、“王都”と言ったろう。情報を集めるなら、規模の大きい街の方が良いね』

 テツコの言うとおりだと、ゴッチも思った

 「よう、村長」
 「は、はい?!」
 「…………なんだよ、そんなビクビクするんじゃねーって。何もしねーから」
 「いえ、はぁ、その……」

 村長は冷や汗をかいていた。ビビッているのは解った。恐怖の対象が自分だと言うのもよく解る
 ゴッチだって、SBファルコンに真剣に怒られたら、この村長のようになってしまう。ビビるのは悪い事じゃねーやと自分に言い聞かせた

 「その、件のエピノアなのですが、丸焼きにされていたとの事で。火を起こすのに何か使用した痕跡はなく、只人には無理な仕業、もしかしてゴッチ様は、魔術師でいらっしゃるのかと」
 「魔術師……?」

 ゴッチの口端が引きつって、ひっひっひと気持ちの悪い笑いが出てきた
 村長は顔を青くして引き下がる。ゴッチの態度は、誰が見ても気持ち悪かった

 『はっはっは、でもゴッチ、そういうことにしておいた方が都合が良いかも知れない』
 「(でも魔術師ってお前、うっひっひ、この俺が? お笑い種だぜ)」
 『この世界の一般市民は、君のように電撃を放出したりしないんだよ、きっとね』

 ゴッチは気持ち悪い笑いを収めて、村長に向き直った

 「まぁ、そんなモンかな。お前さんの考える魔術師ってのがどんなのかは知らねーが、概ねその通りだと思うぜ」
 「おぉ……。矢張りそうでしたか。このイニエの村に魔術師の方がいらっしゃったのは、私の知る限りでは初めてでございます。私自身、魔術師の方とお話させて頂くのは初めてでして」
 「俺も見た事ねーやな」
 「……? あぁ、ご自分以外の、という事でございましたか。流石に魔術の素養のある方となると本当に一握りと聞き及びますから、それも無理ございません」
 「はっはっは」

 『興味はあるんだが……ゴッチ、話が逸れているよ』 コガラシがブルブル震えた

 「まぁそんな事はどうでも良い。それより村長、俺はその“王都”って奴に行きたいんだが、ここいらの地理には明るくなくてな」
 「はい、グルナーから聞いております。海の向こうのランディよりも、更に遠いところからいらっしゃったとか」
 「地図があったら見せてくれよ。そうすりゃ、後はどうにでもするからよ」

 そのくらいお安い御用です、と村長はにこやかに言った

 『優しそうな若者で良かったな。……うん? もしかして私の方が若いのかな』

 ゴッチは声を抑えて笑った。年齢と言うなら、どちらかと言えばテツコの方が若いだろう
 テツコ・シロイシ。冷徹な雰囲気から、蛇女にして鋼の女に見えていたが、妙に素直な所もあるのだな、とゴッチは漏らす

 『どういう意味だい?』
 「(うっひゃっひゃっひゃ。他人の態度をそのまま受け取るなって事だ。普段の俺だったら、エピノアとか言うでかい鳥の討伐報酬をこの村長に強請ってる所だぜ。村長だってそのぐらいの予想は出来てたろうさ。俺が金を出せと言い出さないから、内心ほっとしてんじゃねーか? 大体、俺が自分の事を魔術師って事にしてなきゃ、ここまでへいこらしてねーと思うぜ)」
 『捻くれてるな』
 「(馬鹿言うなよ。俺みたいに真正直な奴は早々居ないぞ)」
 『ふふ、アンダーグラウンドでは、だろう?』

 村長が、一枚の羊皮紙らしき物を差し出してきた。ゴッチが居た世界では既に使う者など居なくなっており、テツコが辛うじてその材質の情報を知っているだけだった

 羊皮紙とくれば高価である、とテツコは言った。地図をそのまま寄越せと言っても、村長は渋るだろう

 『胸元に持ってきてくれ。……よし、OKだ。地図を撮影したよ。この文字も矢張りデータにある…………。アナリア王国、首都、……アーリア、か』
 「(サンキュー。頼りになるな)」
 『あまり詳細な地図ではないから、私なら見て覚えるだけでも問題ないが、一応保険としてね』

 テツコのサポート手腕が光る。テツコの作成したコガラシに、抜け目はない
 つまり万全って事だろう。ゴッチは地図を村長に返却すると、椅子から立ち上がる

 「もうよろしいので?」
 「覚えたぜ。十分だ」
 「覚えたとは……流石に魔術師殿」

 ゴッチは明るく笑って見せた。朗らかな笑い声は、とてもゴッチには似合わず、テツコは身震いした程だ
 村長の家を出たら、すぐさま王都アーリアに向けて出発する心算である。疲れなどゴッチにはない。くどいようだが、放電単細胞生物ピクシーアメーバの特筆すべき長所は、無類のタフネスと回復力なのだから

 「そうだ、村長。『ラグランローラー』、若しくは『アシラ』って単語に覚えはないか?」

 くるりと振り返ったゴッチの問いに、村長は黒い瞳をぱちぱちとさせた

 「ラグランローラーに、アシラ…ですか。アシラ、と言うのは存じません。しかしローラーの意味であればお教えします」
 「ローラーってぇのか。一つの単語じゃなかったんだな」
 「ローラーは称号です。街や村において比類なき貢献を続ける戦士に、その地の責任者から送られます」
 「街や村単位?」
 「そうです。この村を例えに使うのなら、村長である私が任命した者がローラー。戦士に送る称号な訳ですから、貢献の内容はまぁ、武力である事が殆どです。街や村において、最も強い戦士に送られる称号、と言い換えても大体間違っていないと思います。自警団かそれに類する組織に所属する戦士が専らですね」
 「成る程。ラグランローラーは、ラグランってぇ所で一番強い奴って意味か」
 「はい。『どこそこの誰々』と言う称号ですから、軍に所属する兵士の方々はローラーにはなれません。命令が下れば、類敏に拠点を変える事も在り得る職業ですから」

 勉強になったぜ、とゴッチは村長に頭を下げた。村長は、慌てて首を振った

 「それじゃぁよ、あれこれ聞いてばかりで悪いが、ラグランってのは何処にあるか、知ってるか?」
 「……さぁ、私も早々村を離れられない役柄ですので、余り世のことを知っている訳ではないのです。申し訳ありませんが、記憶にない」
 「まぁ……いーやな。自分で探すわ。村長、助かったぜ、色々と」

 恐縮してカクカク頭を垂れる村長を尻目に、ゴッチは今度こそ家を後にした

 収穫はあった。二つのキーワードの内一つはネタが割れた。しかもそれは、捜索対象であるメイア3の居場所の核心に迫る物だった
 初めの内は三ヶ月じゃ済みそうにないと思って居たが、これはもしかすると予想以上に早く決着するかもしれない

 ゴッチはニヤリと笑う。

 『ここで解らずとも、王都なら解るだろうね、ラグランと言う地名の事も。街や村であるならば』
 「アシラってぇのは解らんが、ラグランとか言うのが解ればこっちは別段必要な情報でもねーな」
 『大きな進展だった。冒険開始早々、幸先が良い』

 きょとんとした。テツコがするには、冒険と言うのは少々子供っぽい表現のような気がした
 冒険。男なら心惹かれる言葉だ。冒険してんだな、とゴッチは笑い始める

 小さな村では、旅人と言うのは好奇の視線の集まるものだ。まだら模様の布を頭に巻いた連中に笑顔を安売りしながら、ゴッチは村の出口に着く

 子供が飛び出してきて、ゴッチのスラックスを掴んだ。荒い息で現れたのは、グルナーだった

 『この子は……。ゴッチ、懐かれたのかい?』
 「グルナーっつったか。どうした?」

 ゴッチはグルナーの背中を三度叩いた。グルナーが咳き込んで、平静を取り戻す

 全力疾走してきたのか、頬を赤く上気させ、グルナーは額の汗を拭った

 「どうしたって、ゴッチ、もう行くのか?」
 「おぉ、俺にもちょっと用があってな」
 「実は、今凄くヤバイんだ」

 グルナーが通せんぼするかのようにゴッチの前に回りこむ

 「エピノアは一匹じゃなかったんだ! つがいが居たんだよ! さっきゴッチが仕留めたって言うエピノアを確認しに行った連中が襲われた!」
 「つがいだぁ? あのデカブツのかよ」
 「そんな冷静にしてる場合じゃないって! 片割れをやられて怒ってるんだ、村の奴が、いっぺんに三人も殺された! 怪我してる奴だって何人も居るし!」

 うへぇ、とゴッチは舌を出す。面倒ごとの匂いがぷんぷんする

 グルナーの黒い瞳が燃えた。人死にまで出たと言うのに、「面倒だ」と言う気配を隠そうともしないゴッチに、イライラしているようだった

 「今は何処かに飛んで行ったみたいだけど、どうせ直ぐ戻ってくる。……何とかしてくれよ、倒せるんだろ」
 「あんな鳥、百匹掛かってきても、俺なら全部纏めて焼き鳥だぜ」
 「やってくれるのか?」
 「あぁー、ったく。取り敢えず村長の所にいこうや。報告しとかなきゃいけねぇんだろ」

 ゴッチは疲れたように言うと、グルナーの首根っこ持ち上げて歩き出した
 グルナーがじたばた暴れる。コガラシがブルブルと振動するので、ゴッチの眉は嫌でも八の字になった

 『ゴッチ、その少年は真剣だよ。必死なんだ。私からも頼む、何とかしてあげてくれないか?』
 「(そりゃぁ、サクッと片が着くんなら構わねーけどよ。何か面倒くさそうな気配がするぜ)」
 『それはそうなんだが……。そこを何とかなるよう、君に全力を尽くして欲しい』

 ゴッチは、テツコの言葉にハッキリとした違和感を感じた
 異世界の人間に肩入れするテツコの発言は、彼女の立場を鑑みれば、非常におかしい物だとゴッチには思えた

 ここは異世界なのだ。ゴッチはSBファルコンから「好き勝手しろ」といわれるから好き勝手する心算だが、テツコは違う。出来る限りの干渉を禁じられているのは、聞かずとも解る

 解せなかった。しかし、解せないからと言って、無碍に出来るかと言えば、どうだ

 テツコの要請だ。この右も左も解らない異世界に於いて、最も信頼できる相棒の頼みである

 何か変な感じがするけど、テツコが言うなら仕方ねーや。グルナーをポンと放り出して、先に走らせた

 「グルナー、お前、俺が狩ったエピノアの鶏冠を持ってったまんまだろう。村長に報告したら、そいつを取って来い」


――


 と、言う訳で
 エピノアが二体居たと言うグルナーの報告に、村長は深刻にオロオロした
 村長の家にとんぼ返りしたゴッチは、眠たそうな顔色で眺めるばかりである。立ったり座ったりを繰り返す若い村長は、正直言えばみっともなかった

 「なぁ、人死にまで出て焦るのは解るが、村長がビクビクしてたって何もなんねーだろうが。もっとビッとしろよ」
 「魔術師殿……そうは言いますが……」

 村長は、取り敢えず椅子に座ってジッとする事にしたらしい。体が少し震えて居たが、ぐるぐる動き回るよりかは目障りではなかった

 「私は正直な話、村長の任に着いてから日が浅いです。…………この村からこんな形で死人が出るなんて。今までだって色んな理由で村の者が死ぬことはありました。しかし、自分がこの村の長なのだと思うと、今回のコレは衝撃が大きいです……」
 「……そんなオタオタするこっちゃねーって。グルナーが戻ったら、エピノアなんぞ丸焼きにしてお前らの晩飯にしてやらぁ」
 「は、っはは。……ありがとうございます、魔術師殿」

 胸元が震える。手を当てると、暫く黙り込んでいたテツコが朗報を伝えてきた

 『今、簡易のレーダープログラムを組んでみた。精度も距離もそれほどではないし、レーダー更新間隔も決して自慢出来ない代物だけど、多分役に立つ』
 「(マジか? やるじゃねーか、テツコ。頼りになるぜ)」
 『やれやれ……』

 テツコが溜息を吐き出したとき、漸くグルナーが鶏冠を持って現れた
 頬が赤くて息が荒いのは相変わらずだ。暫く走り詰めだったせいか、グルナーはへたり込む

 「それは、エピノアの鶏冠ですか?」

 村長が尋ねる。ゴッチは、鶏冠を囮にする心算だった

 殺されたつがいの鶏冠だ。エピノアもこの鶏冠を見れば、憤激して襲ってくるだろうと踏んだのである
 そうすれば、今でさえ怒っているらしいのだから、逃げることはまずあるまい。もしゴッチに恐れをなして逃げ回られたら、向こうは空を飛べるのだ。追撃は難しい

しかし、向こうから掛かってきてくれるなら、話はずっと早くなる

 村長が、ふむ、と首を傾げた。何か思うところがあるようだった

 「……魔術師殿、エピノアの言い伝を一つ思い出したのですが」
 「村長?」
 「かつて伝説の狩人が、通常の三倍の巨体を持つエピノアを仕留めた時の話です。狩人は他に類を見ない強力なエピノアを討伐した記念に、その鶏冠を持ち帰りました」

 グルナーが青ざめる。話の内容を知っているようだった。ゴッチは知らなかったが、何となく、ピンと来た

 「それで? ……この話の流れからするとよぉ、まさかその三倍でかいエピノアってのにつがいが居て、そのつがいが鶏冠を取り戻しにきたとか言うんじゃねぇだろうな?」
 「そうです、正にその通りです。もしかすると、エピノアの鶏冠には、不思議な魔術でもかかっているのではないか、と言う話でした」

 ゴッチはグルナーから鶏冠をひったくる。鶏冠は未だに、銀色に輝いている

 鉄ではないような気がする。硬いが、肉っぽい
 しかし、ゴッチの電流では何もならなかった。切り落とした当初は大して気にしていなかったが……

 「(この鶏冠だけ無事だった理由は何だ? 魔術って奴なのか?)」

 そのとき、テツコが叫んだ

 『高速で接近する物体を確認!』

 ゴッチが椅子から飛び起きる

 『大きいぞ、恐らく、もう片方のエピノアだ!』
 「おう、村長ぁ、マジできやがったらしいぜッ!」

 コガラシが、ステルスモードでゴッチの懐から飛び出す


――


 銀の鶏冠の不思議な魔法。本当に魔法かどうかは、ゴッチは知らない
 ただ、エピノアが現れたのは確かであった。目の前に来てしまったのなら、魔法だろうが何だろうが関係ない

ぶちのめすしか無いではないか

 村長の家から飛び出して、ゴッチは天空をぎょろりと睨んだ。もう直ぐ日が落ち始めるであろう空に、その巨体はあった

 「え、エピノアだ! あの話は本当だったのか!」

 グルナーが引き攣るように悲鳴を上げた。そのまま座り込んでしまう。腰が抜けたらしい

 ゴッチは鶏冠をぶんぶん振り回して、ふん、と鼻を鳴らす。鶏冠は、もう無用だ。村長の家の扉に投げ込んだ
 村は、突如現れたエピノアに、混乱していた。悲鳴を上げて走り回る村人達を邪魔臭く感じたゴッチは、怒声を上げた

 「手前ら全員邪魔だぁッ! 家に閉じこもって大人しくしてろぉッ!」

 雷が落ちる。比喩ではなく、ゴッチは本当に雷を落とした
 轟音と共に村長の家の周囲を焼いた雷に、村人達は顔を真っ青にして逃げる。誰も彼も家に飛び込んで人っ子一人居なくなるのを確認して、ゴッチは満足そうに頷いた

 村長の家の前は広場になっていた。村の中では一番広い面積だ。そして、村の外に出ている暇は無い

 『ゴッチ、ここで迎撃しよう。出来る限りイニエの村への被害を軽減してくれ』
 「……しゃぁねーな。村長、グルナーをしっかり捕まえて、お前も家に引っ込んでろ。邪魔ぁすんなよ」

 村長が頷いて、グルナーと共に引っ込んだ
 ゴッチは周囲をぐるりと見回して、エピノアを見やる

 ばさばさと大きく翼をゆらめかせ、エピノアはゴッチの十歩前の位置で滞空していた。ゴッチを睨む目が、赤く燃え盛っていた

 「おんや……待っててくれたのかい? 随分と……」

 ゴッチがぐぐ、と伸びをした

 「俺を舐めてんだな」

 どんと大地を踏みしめて、肉体に閉じ込めた力を解き放った。稲妻がゴッチの体を取り巻いて、目もくらむような光を放出する


――


 『雌……かな? まぁ、勘だけど』
 「だから? 俺は差別しない」
 『女の情は怖いぞ、ゴッチ』

 エピノアが急降下してくるのを見ながら、ゴッチは気持ちの悪い笑い声を上げた

 ギラギラ燃える瞳と真っ向から向かい合う。なるほど、確かに怖い
 でも、俺の方が怖いんだぜ、と、全身を撓らせて右腕を引き、拳を握り締めた

 エピノアは全身で突っこむ。ゴッチは右拳をぶち込む
 荒事は、好きな性質だった。背筋がゾクリとする興奮にゴッチが口端を吊り上げた時、何とエピノアがバランスを崩した

 「あぁ?!」

 エピノアは狂っていた。目の前で殺気を撒き散らすゴッチ以外何も目に入らず、民家の屋根に翼を打ちつけてしまい、空中での制御を失ったのである

 ぽかんとするゴッチの頭上を通り抜けて、エピノアは村長の家へと突っこんだ。壁を粉砕して首を突っこんだエピノアの尻尾を、ゴッチは握り締める

 「鶏がぁーッ! 行儀良くしやがれ!」

 乱暴に引きずり出す。そのまま背負い投げようとして、テツコから制止が掛かった

 『ゴッチ、駄目だ! グルナーが!』
 「はぁー?!」

 何とグルナーがエピノアに銜えられていた。心底驚き、恐怖した様子で悲鳴を上げているが、驚いたのはゴッチの方である

 手に、例の鶏冠を掴んでいる。アレのせいで、エピノアの不興を買ったようだった

 「グルナー、鶏冠を捨てなさい! 早く!」

 村長が青褪めて叫ぶ。粉砕された木の壁の下敷きにされ、血を流していた

 クソッタレ、とゴッチは罵った。自分の体の何倍大きかろうと、ひょいと一投げで地べた這いずり回らせてやる自信はある
 でもその時はグルナーも道連れだ。正直、別に構いはしない。でも、テツコは怒るだろうな、そんな思考が過ぎる

 『ゴッチ』
 「解ってるぜ」

 尻尾を離して、ゴッチは跳んだ。頭をぶん殴ってグルナーを救出する
 しかし拳がエピノアの横面を捉える前に、エピノアは跳んで逃げていた。グルナーごとだ

 テツコが息を呑むのが解った。グルナーを人質に取られた上で、しかも飛ばれてしまったら、打つ手はない

 村長が叫んでいた。ゴッチは大地を蹴って、尚も高く飛ぶ
 届かない。駄目だった

 エピノアは上昇を続けた。グルナーの悲鳴が辺りに響き渡った。時折ポタポタ降ってくるのは、失禁したグルナーの小便だ

 ゴッチは追い掛けた。嫌な予感がした。子供を助けるなんて柄じゃないと思ったが、それでも全力で走った

 予感は当った。エピノアが首を振って、勢い良くグルナーを地面に叩きつける
 グルナーの叫び声が聞こえた

 「嫌だぁッ!」
 「届けよ畜生が!」

 ゴッチが跳んだ。地面すれすれの真横への跳躍で、真っ逆様に墜落するグルナーを目指す

 地面に叩きつけられる直前に、グルナーと固い大地の間に割って入った。ゴキ、と嫌な音がした

 「よう、どっか折れたか?」

 泥まみれになったスーツに眉を顰めて、ゴッチは言った
 グルナーがのた打ち回る。右腕が曲がってはいけない方向に曲がっている
 歯を食いしばって悲鳴は出していない。ビビって小便を漏らしたガキにしては、根性を見せた物である

 「死んでねぇなら儲け物だな。後ちょいと俺のガッツが足りなけりゃ、あの世逝きだったぜ」
 「ゴッチ……痛い、あぁぁ……俺、生きてるのか……」
 「ハッピーな事に生きてるよ、お前は」
 「ハッピー?」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃのグルナー猫の子のように持ち上げると、ゴッチはポイと放り出した
 右腕に走った激痛にグルナーは声にならない悲鳴を上げたが、ゴッチは当然気にしない

 グルナーの責めるような視線も、当然気にしない。何と言っても、ゴッチとエピノアの喧嘩に巻き込まれて死ぬより、断然マシな筈だからだ

 「(鳥野郎が、舐めた真似してくれやがって……!)」

 肩越しに振り返れば、エピノアが居た。不意を突いての奇襲らしい
 だが、相手がゴッチでは、駄目だ。エピノアでは荷が重い

 何時の間にか突撃を仕掛けてきていたエピノアに対し、ゴッチは全く動揺せず振り向き様の右拳を返していた
 エピノアの巨躯が仰け反る。突撃の勢いは、易々と殺がれてしまう

 そらもう一丁、ゴッチは飛び上がると、バレーのアタックのように身を反らせた
 張り手である。パアン、と気持ちの良い音を立てて殴ると、グルンとエピノアの首が回る

 エピノアが耳に煩い鳴き声を上げながら、体を震わせた。回った首がグルンと戻ってくるのに合わせて、ゴッチは再び拳を突き入れた

 「歯応えねーな」

 黒い体が倒れこんだ

 「野生の獣なら、まぁ、解ってんな。負けたら死ぬしかねぇ。食うか食われるかしかねぇ」

 エピノアはもがいていた。張り手と拳で、完全に脳が揺れていた。もがくだけで、立てなかった
 ゴッチが、バチバチと稲妻を身に纏わせて歩み寄る。もがくエピノアの瞳が、ゴッチを捉える

 憤激するように、エピノアは吼えた。誰が己のつがいを奪ったのか、直感で解っているようだった

 エピノアの瞳を覆うように、手を添える。鷲摑みにするには、少し大きすぎる

 「“何も残りゃしねぇ”。敗北するってのは、そう言う事だからよ」

 日の落ちかけたイニエの村を、青白い閃光が駆け抜けた。網膜を焼きかねない激しい稲光である
 ゴッチから電気が放出された時間は五秒程でしかない。その五秒で、エピノアの巨体は消し炭のように黒焦げになってしまった

 目玉は炭化して消えていた。恨めしげにゴッチを睨みつけていた瞳は、もう無かった

 「相当だな。俺が殺る気になった時に、敵わねぇことぐらい、本能で解ったろうに。……大したリベンジャーだぜ」
 『…………』


――


 一匹目のエピノアを倒した時はそうでもなかったのだが

 二匹目のエピノアを倒したら、異様に感謝された。半壊した村長の家で少し休憩していたら、村の者達が何人も何人も訪れて、皆同じように礼を述べていく。ある者は嬉しそうに、ある者は少し寂しそうに

 今正に襲われている、と言う所で倒した物だから、安堵感が段違いであるようだった。調子の良い奴等だと思ったが、そんな事を言ったらゴッチなんて彼らよりも余程現金な性格をしていた

 「魔術師殿、本当にありがとう御座います。死んでしまった者達も、喜んでいるでしょう」

 村長が、改めて、と言う感じで頭を下げた。傍らには包帯を巻いた右腕を布で吊ったグルナーが居る

 「それにグルナーの治療までしていただいて。このようなやり方は知りませんでした。流石、魔術師殿は博学なお方ですね」
 「はっはっは、さぁな」
 『素直に受け取ったら良い。指示は私でも、処置はゴッチなんだから』

 いい加減ゴッチは、気疲れしていた。精神も肉体もタフなのが売りだったが、人に礼を言われた事なんて、あまり無かった。SBファルコンに労われる時くらいである

 背中が痒くなって、何だか妙に緊張してしまって、碌な物じゃないな、とゴッチは呟いた

 「もう日も落ちますし、今日の所イニエの村にご滞在下さい。急ぐ旅でなければ何時までも居て頂いても構わないのですが……」
 「いや、急ぎの旅だ。急ぎの旅だから、もう出るわ」
 「え? いや、しかし、お疲れでは無いので?」
 「あんな鳥如きじゃぁな……」

 そう言って立ち上がろうとするゴッチを、村長は押しとどめる

 あーだこーだと押し問答が始まる。村長は、意外にしつこかった
 グルナーが苦笑した。子供らしくない笑い方だった

 「グルナー、手前、ガキがいっちょまえに嫌な笑い方しやがって」

 ゴッチが拳骨を降らせる

 「痛ぇ! いってぇー! 怪我人だぞ、俺」
 『ははは』

 テツコが笑った。機嫌のよさそうな、柔らかい笑い声だった

 暫く頭をさすっていたグルナーが、ふと俯く。暫く黙ったと思うと、ゴッチを見上げた

 「良いじゃないか、ゴッチ、今夜ぐらい。……それにさ、結局まだ、ゴッチの話聞かせて貰ってないし」
 「……今日会ったばかりの癖に何言ってんだ。大体、聞かせてやるような話は無いぜ」
 「……面倒だからか?」
 「おぉ、何で解ったんだ」
 「ゴッチの顔見てりゃ解るよ! クソ、ここに案内するまでは猫被ってた癖に」

 懐が震える

 『ゴッチ、私は出来れば泊まっていって欲しいんだが。よく考えたらこちらに着て早数日。コガラシに異常が出てないか、ゴッチに点検整備をしてもらいたい』
 「(グルナーが言い出した途端にコレだよ。このショタコン)」
 『!!!』

 一泊置いて、テツコがぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた。ゴッチはあっという間に勢いに呑まれる

 結局、出発は明日と言うことで、押し切られてしまったのだった



[3174] かみなりパンチ3 赤い瞳のダージリン
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:10900b83
Date: 2011/02/28 06:12
 しとしと雨の降る沼地はまともな足場もなく、ゴッチの気分を底辺まで突き落とした
 何よりスラックスが汚れるのが痛い。それに付け加え、“異世界”に飛び込んでから出会った数々の危険な生物達は、ここにも居た。しかも一際異彩を放つものが

 放っているのは、異彩だけではない。ついでに酷い悪臭も放っているそれは、歩く死体だった

 『それだ、その、ゾンビの後頭部に刺さってる三角の石のような物だ。それが怪しい』

 ゴッチの足の下でゾンビがバタバタともがいていた。右目が無いし、頭は割れているし、所々筋肉が覗いているし、腐臭がする。間違いなく死体だったが、死体の癖に精一杯ゴッチに反抗している
 ぬかるんだ大地に押し付けられているため、少し前まで上げていた品のない呻き声は、ガポガポと言う気味の悪い水音になっていた。ゴッチは嫌悪感を露わにしながらも、テツコの言葉に従って、ゾンビの後頭部に手を伸ばす

 「クソッタレ、最悪だ。スーツにコイツのエキセントリックな臭いが付いちまったら、どうしてくれる」
 『それよりも病気に注意したほうが良い。病原菌の類を満載しているぞ、コイツ』

 後頭部には、太い鏃のような形をした石が突き刺さっていた。ゴッチはそれに手を掛けるが、簡単には抜けない
 腐った肉に突き刺さっているにしては、妙に硬い。先のほうに返しでも付いているらしかった

 「このボケ! ジタバタするんじゃねーよ!」

 ゴッチはゾンビに圧し掛かると、後頭部に足を落とす。ゴキ、と骨を砕いた音がした

 首が逝っている。すると、頭の部分は妙に大人しくなったのだが、首から下は大人しくなるどころか、より一層激しく暴れ始めた

 死に方をド忘れしたらしい。流石のゴッチも鳥肌を立てる

 今度こそ、後頭部の石は抜けた。先ほどとは打って変わって、素直に抜けた
 途端にゾンビはピクリとも動かなくなる。テツコの勘は正しかった

 『見せてくれ、興味がある。何故こんな石ころ一つで、こうまで死体を動かせるのか』
 「勘弁してくれよ……。こんな気持ち悪いモンをよぉ。……大体、そっち側の基本は不干渉なんだろ? 調査なんぞしちまって良いのか」
 『うふふ、これはゴッチのサポート中に、たまたまコガラシのカメラに写っただけだ。偶然だよ』

 よく言うぜ、とゴッチは溜息を吐いた

 何でこんな沼地に入り込んでしまったのか、ゴッチには解らなかった。王都へ向かう街道に、食料になりそうな獲物が全く出現しなかったため、仕方なく道を逸れたのである
 魚の一匹捕まえでもしたら、直ぐに戻る心算だった。それがなにやら気味の悪い死体に追い掛け回されて、ここまで入り込んでしまった

 「なーんで、こんな野郎に苦戦すっかなぁ、俺は」
 『ゴッチが素手で触るのを嫌がったからじゃないか』
 「いーや、テツコが『ゾンビを調べてみたいから電撃は自粛してくれ』なんて言わなきゃ、一瞬でケリがついてたね」

 調査を続けるテツコから突込みが入った。ゴッチの足元には、ゾンビを殴り倒すのに使用した古木が転がっていた
 ゴッチに言わせれば、仕方のない事だった。触りたくないのだから、仕方ないのだった

 コガラシが震えた。ゴッチが何事かと見れば、ステルスモードになって懐に飛び込んでくる

 『レーダーに反応。何か来る。……済まない、気付くのが遅れた。私のミスだ』
 「そりゃ良いが、まさかまたゾンビか?」
 『恐らく違うと……思いたいが、どうかな。速度は成人男子の平均的な歩行速度より少し早いくらいだ。サイズはこのゾンビと余り変わらないよ。位置は……背後だ』

 ゴッチは古木を拾い上げて、尖った先端を地面に突き刺した
 ゆらーり、余裕をたっぷり見せ付けるように背後を振り返る

 「成る程、確かに人間サイズだわな」

 小雨を受けながら歩いてくる人影があった。全身を覆う黒い布を見て、ゴッチは内心ほっとした。腐った死体を殴らずに済んだのが嬉しかったのである
 しかし、人影は怪しかった。言うなれば御伽噺に出てくる魔法使いのようで、ゴッチはこちらでは便宜上魔術師を名乗っているが、目の前の人影の方がよほど“らしい”

 黒い人影はゴッチに踏みつけられた死体を見て停止する。ゴッチから、約十歩の距離。その気になれば、瞬きした次の瞬間にはぶん殴れる位置だ、と距離の確認だけして、睨む

 「それは貴方が仕留めたのか?」

 くぐもった声がした。女の声だった

 「あぁ」
 「冒険者か? 武器も鎧も身に付けていないようだが」
 「待てよ。出会いがしらに質問攻めにすんのが手前の礼儀か?」

 目を細くしてゴッチが言うと、黒い人影が頭を下げる
 全身すっぽりと黒い布に収まっている為、人物が知れない。最悪、人間でも、ゴッチのような亜人でもない可能性だってあった。此処は異世界である

 もし中から変なのが出てきても驚かねーぞ、とゴッチ口の中だけでもごもご言った

 「非礼を詫びる。私はダージリン・マグダラと名乗っている。魔術師をやっている」

 魔術師
 動揺は、呑み込んだ。ゴッチは気のない素振で返答した

 「へぇ、そーかい」
 「貴方の名は?」
 「世の中、聞いたら教えてくれるような善人ばかりじゃねーんだぜ」
 「では勝手に呼ぶ」

 え、とゴッチは漏らした。予想外の返答だった
 ダージリンが少し沈黙する

 「貴方は今からゴーレムだ」
 「はぁ? 何でだ?」
 「黒い服を着ている。それに、そんな感じがする」

 ゴッチは眉を顰めた。直感で、何かヤバイと悟った
 少しからかって見たら、一刀両断にされた挙句訳の解らないニックネームまで付けられてしまった
 感性が、常人とは少し違っていた。というか、黒い服着てるからゴーレムって、どんな展開だ?

 「相当図太いっつーか、センスが違うっつーか……、手前、ひょっとして気狂いか?」

 軽い皮肉の心算だった。友好的な態度は取れそうに無い。怪しい格好をした相手に、身構えてしまうのは仕方の無い事である
 勝手にニックネームまでつけられてしまっては、尚更だ

 「可能性としては大いに有り得る」
 「…………」
 『…………』
 「何故黙るのか。魔術師は、そうと聞いている」

 至極真剣に語られた答えに、沈黙が、降りた


――


 王都から沼地まで来たらしい、ダージリン・マグダラと言う女は、見た目こそ非常に怪しい物の、それなりの地位に就いているらしかった
 ダージリンは沼地の外に馬車を待たせていた。ゴッチは王都に戻るのだと言う彼女の馬車に便乗させて貰えることになった

 対価は、ゾンビの頭に刺さっていた鏃形の石である

 ダージリンの手に渡った石は、どんな手品か鈍い赤色の光を放っていた。ダージリンはそれを様々な角度からしげしげと見詰め、しきりに頷いていた

 『……ゴッチ、あの石の事を、それとなく聞いてくれないか』
 「(あぁ? 勘弁しろよ…)」
 『勘弁って、気になるじゃないか。死体を動かす、赤く光る石。可笑しな事だらけで……うん? どうしたんだ?』
 「(……何考えてんのか解らんじゃねーか。読めねーんだよ、コイツ)」
 『そんな奴は、“こちら側”にだって沢山居ただろうに』
 「(コイツは別格なんだっての。なんつーか、雰囲気がよ。威圧感がありやがる)」

 テツコが吃驚したように言った

 『ゴッチ、らしくないぞ。怯えているのか?』

 ゴッチは応えなかった。石を眺めるダージリンを、油断無く見据えていた

 黒い布で全身を包んだダージリンは、ゴッチの視線に気付いていて、何も言わないでいる。本当に気にしていないのか、気にしていないように見せかけた演技なのかは、解らない
 ついでに言うなら、コガラシとの密談にも気付いている可能性がある。黙認されているのか
 警戒はしていないように見えた。ダージリンが、ふと、声を掛けてくる

 「ゴーレム、貴方はまるで野生の獣のようだ」
 「……ほぉ?」
 「私は奴等に警戒される。怯えられるんだ。私がダージリンだからか、それとも魔術師だからか」

 ゴッチには何となく理解できる気がした。野生の獣の気持ちが、だ
 解る奴には解る物だ。勝てる相手と勝てない相手が
今、はっきりと理解した。一見そうは見えないが、コイツは何らかの要因で、強い。どんなふうに強いのかは解らないが

 「実は俺もそうなのよ。兎一匹出ないもんだから、道中寂しくてよ」

 ゴッチに余裕が出てきた。ニヤリと笑みが口端に上る
 俺がコイツを意識しているように、コイツも俺を意識している。気の抜けた仕種は、フェイクだ


――


 その遣り取りの何処に切欠があったのかは解らないが、ダージリンはよく話すようになった
 取り留めの無い雑談をした。この世界の知識が無いゴッチには解らない事の方が多かったが、それでもダージリンの感性が通常と比べてかなりズレているように感じられたのは、勘違いではないだろう

 テツコは話の内容に集中していた。石の事も気になるが、“異世界”の情報も欲しいようだった。時折、ノートにペンを走らせる音が、コガラシから聞こえた。前に見せられたジェファソン博士の資料も紙媒体だったが、テツコは電子機器よりも紙が好きらしい

 「この石は悪魔の矢と呼ばれている。この石で操られている個体は、死霊兵と呼ばれている。古の魔術の遺産だ」

 ふと、鏃形の石の事が話題に上った。コガラシの向こうでテツコが耳を欹てる

 「あぁ、そうかい。ふざけた代物だぜ。お陰で胸糞悪い思いをした」
 「人の屍を、獣よりも早く、強く、突き動かす魔石。しかし、使い捨てなのか或いは何らかの手法が必要なのか、一度取り外すと二度とは使えない」
 「……ひょっとしてあのゾンビ野郎は、他にも居るのか?」
 「見た、と言う話なら各地でポツリ、ポツリと出る。熟練の兵士が五人がかりで相手にならないらしい。存在が確認されたら、即座に冒険者ギルドで討伐賞金が掛けられる。危険だから」
 「ほぉー、それじゃひょっとしてお前は、あのゾンビ野郎で一儲けしようとしてた訳か」

 ダージリンは、首を横に振った

 「個人的に悪魔の矢に興味があった。本当は早々出歩くことの出来ない情勢だが、飛び出してきた」
 「内乱か」
 「そうだ。下らない。下らない敵に、下らない味方だ。面白くない世の中だ。帰ったら、また嫌味を言われる」
 「ぶっ飛ばしちまえよ、そんな奴ぁ。魔術師だろ?」
 「力に任せる事が正しいとは思わない」

 ダージリンがまた首を振った。ゴッチは鼻を鳴らしたが、それ以上は言わなかった

 「ゴーレムは何処から来た」
 「遠い所だ。ここでランディって呼ばれてる所よりもずっと遠い所」
 「ここに来たのはつい最近なのだろう、どうやって国境を越えた? 内乱が起きている今、出入国の締め付けはかなり厳しい筈だ」
 「さぁな? 俺にも訳の解らん道を進んできたからな。国境なんぞ越えたことすら気付かなかったぜ」

 いけしゃあしゃあと言ったものだが、ゴッチ自身、嘘を言っている心算は無い。事実、嘘ではない
 それでも、国境どころか世界の境界を越えてきた癖に、よく平然と言うものだった

 ダージリンが僅かの間、黙った。ゴッチは、ダージリンが笑ったような気がした

 「自由だな」
 「王都まで後どれぐらいかかる」
 「まだ丸一日はかかる。食事は、こちらで用意する。携帯食で悪いが」
 「世話掛けるな」
 「悪魔の矢の対価には、不足なぐらいだ」

 ダージリンが馬車についた戸を開けて、御者に声を掛ける

 少し急いでくれ。そう言うのが聞こえた。ゴッチはこちらも窓を開いて、外の風景を眺めた

 馬車は、大きな谷にかかる橋を越えようとしていた。底が深い。谷底を流れる水の勢いは、相当な物である

 そのとき、何の脈絡もなく、唐突に橋が大きく揺れた

 『ゴッチ!』
 「お?」

 揺れたと思ったら、今度はどんどん馬車が斜めになっていく
 何がどうなっているのかなど、聞くまでも無い。橋が落ちようとしているのだ

 『ゴッチ、逃げろ!』
 「おぉぉ?! 何が起こった!」
 「橋が落とされた」
 「そりゃ解ってる!」
 「なら何故聞く」

 えーいこの馬鹿ダージリンがぁー、と罵って、ゴッチは馬車から飛び降りた。背後にダージリンが続く

 馬車は既に橋の中ごろまで渡ってしまっており、そして橋は既に落ちる寸前だった。ゴッチは段々と垂直になろうとする橋の上を必死に走るが、どうしても間に合いそうには無い

 ゴッチは橋に拳を突き込んで、何とか掴まる。ダージリンが腰にしがみ付いた。動きにくそうな黒いローブを着込んで、大した根性を見せる物である
 御者の悲鳴が聞こえた。落ちたようだった。ダージリンは落ちたな、とポツリ言って、後は気にしていなかった

 大したタマだぜ

 「テツコ! 何とかなるか?!」
 『何とかも何も、コガラシでは何も出来ないよ!』
 「しゃぁーねーな」

 窮地に於いては、形振り構っていられない。ゴッチの懐から飛び出してきたコガラシを見て、ダージリンがほぉ、と息を漏らす

 「矢張り使い魔か。魔術師だったのだな」
 「……まぁ、そんなもんよ」
 『ゴッチ、どうする?』
 「どうもこうもねーよ。ダージリンを背負って、壁にへばり付いてロッククライミングだ。全く、お上品なイベントに涙が出るぜ」

 そらいくぞ、とゴッチが四肢に力を込める。体を揺らして勢いを付ければ、谷の壁面への到達は簡単だ

 「チャー・シュー・め」

 メェェーン! …と言い切る前に、橋の根元がぽっきりと逝った。最後の命綱は、ゴッチがダージリンと共に跳躍するまで待ってはくれなかった

 当然、ゴッチの身体は自由落下を始める。突き立てた手が音を立てて抜け、後は頭から真っ逆さまだった

 「だぁぁ、あほんだらぁぁー!!!」

 ゴッチ達は成す術なく、水の中に叩き込まれた。咄嗟にコガラシを引っ掴んで道連れにする所に、ゴッチの性格がありありと表れていた

 因みにこれはテツコですら把握していない事だが

ゴッチは泳げない

――


 「……ゴーレム、死んだか? 一応蘇生の努力はするが、死んでいたら諦めてくれ」

 ゴッチが何となく暗闇の中でまどろんでいたら、そんな言葉が降ってきた
 何事だ、と思う前に胸に衝撃が走った。ゴッチは水を吐き出して、堪らず飛び上がった

 「生きていたか」
 「手前……何をしたんだ……?」
 「溺れた者は、胸を押せば飲んだ水を吐き出すと聞いた事があった。泳げないんだな、貴方は」
 「…………ピクシーアメーバは、乾燥に耐え得る能力を手に入れた代わりに水中での活動が困難になった種族だ。泳げねーのは俺のせいじゃねぇよ、クソ。それに大体、端から身構えてりゃ水から這い上がるくらい……不意打ちで落ちたりしなけりゃ、畜生」

 ゴッチが独り言のようにぶつぶつ言う。ダージリンには意味が通じなかったようで、首を傾げるような雰囲気が伝わってきた

 口の中に残った水を吐き出すゴッチの横に、べちゃり、と水を含んだダージリンのローブが降ってきた

 見れば、素顔と体を晒したダージリンが居た。白い髪と白い肌の、先ほどまでとは全く正反対の色をしていた。来ている物まで白かった。唯一、目は赤い

 ダージリンが血の色の瞳でゴッチを見る。ゴッチは口笛を吹いた。まだまだ若年に見えるが、大層な美人である。
睫毛が妙に長くて、ゴッチに向ける瞳を色っぽく見せていた

 「ここは何処だ? カビ臭ぇが」
 「何か、遺跡のようだ。アーリアから然程離れていない位置にこんな物があるとは、今まで知らなんだ」

 石造りの通路だった。地下にあるのか酷く薄暗く、光源は壁に張り付いている奇妙な石しかない。その石ときたら、これが何とも不思議な石で、ぼんやりと黄色い光を放っているのだ
 建物、と言うよりは、洞穴といったイメージのある場所だった
ゴッチは立ち上がって、バタバタとスーツを叩く。ほこり塗れになっていた

 「あの後大量の油と空の小船が流されて、火を掛けられた。吹き飛ばして這い上がろうとしたが、弓兵が居たようで断念した。敵の規模も解らなかったし。暫くは、溺れてもがく貴方を無理やり引っ張って潜っていたんだが、流れに逆らえなくてな。敵の油が流れて尽きるまで耐えられなかった。気付けば、変な穴に入り込んでいた」
 「…ふん、命の恩人ってか? …………ケッ、ありがとよ。で、その橋を落としてくれた悪餓鬼どもは何なんだ。ダージリン、手前のお友達かよ」
 「私に友人など居ない」

 ゴッチが、あーあー、と面倒くさそうに言いながら手をひらひらさせた

 「何が狙いだったんだ」
 「私が邪魔だったのだろう。私はアナリア王家に仕える魔術師だ。反乱勢力の恐怖の的だからな。件の反乱勢力か、アナリアの裏切り者に類する者達と見て間違いない」
 「はいはい、内乱でしたね、そーでしたね。ったく、クソ面倒な事に巻き込まれたぜ」
 「私の至近に、居るな、間者が。黙って飛び出してきた事が知れるくらいの、近くに」

 取り敢えず、脱出の方策を考えねばならなかった。最も解りやすい物として、外に通じているのであろう水場があったが、ゴッチは水に潜るなんて御免だった。それに、まだ敵がいる可能性がある

 油に塗れて火達磨になるのも御免だ。ゴッチは辺りを見回して、言った

 「困ったときのテツコ頼りだ。テツコ、どこにいる?」
 「貴方の使い魔ならば、ここだ」

 ダージリンが、ぽい、とコガラシを投げ渡してきた

 ゴッチがあからさまに眉を顰める。嫌な展開だ。それも、思いつく限り最悪の

 コガラシは、機能を停止していた


――


 コガラシが動いていないのに言葉が通じる、と言うことは、ゴッチの体内のナノマシンが正常に稼動している証拠でもあった

 「テツコー? テツコー! ……駄目だ、マジで動きゃしねぇ」
 「ゴーレム、貴方も感じないか。この遺跡を覆う気配」
 「……?」

 ダージリンが、見えない何かを見るように、周囲を見渡した
 ゴッチも神経を尖らせた。ゴッチの直感は、SBファルコンもお墨付きを出す天性の読みである

 背筋に何かピリピリする物を感じた。肌に張り付いてくるようで、激しい嫌悪を感じさせた

 「……なんか、ゾクゾクするぜ。相当やべぇ感じだ」
 「この遺跡の何処かに強力な魔力を発する存在があると思う。どんな物かは解らないが、その魔力が一帯を覆っている。恐らく、貴方の使い魔はそれによって貴方との繋がりを絶たれているのだ。同じような事例を聞いた事がある」
 「……動かんのはその何かのせいだと? ……確かに、見た感じ傷一つねぇし……」

 だが、魔力ってのは、テツコご自慢の最新鋭機にまで影響を及ぼせるモンなのかねぇ

 ゴッチはコガラシを転がしたり、引っ繰り返したりして点検した。何処にも損傷したような感じは無い
 コガラシが水に浸かった程度で壊れないのは、テツコにきっちりと説明されている。ならば、機能を停止している要因は他にあるとしか思えなかった

 ゴッチはコガラシを懐に仕舞いこんだ。テツコのサポートを得られなければ、遺跡からの脱出が困難になるのは目に見えている

 しかし、立ち止まってもいられない。ポジティブに行くか、とゴッチは考えて、拳に力をこめる

 「しゃぁねぇ」
 「そうだな」
 「出口を探すか」
 「そうしよう」

 何といっても、剣と魔法のファンタジーに、ダンジョン探索はつき物である。そう考えれば、逆に心躍る展開だ


――


 薄暗い通路をずんずんと進んでいけば、程なくして十字路となった
 どうやらゴッチ達が進んでいた通路が主道になるらしく、そこから横に逸れるようにして細い道が続いている。横道は石による舗装がされておらず、土が剥き出しになっていた。妙に湿り気が有る

 「息苦しいっつーか、圧迫感を感じさせやがる造りだ」

 ダージリンが横道の前に立って、目を閉じる。向かって右の横道でそうしたかと思うと、間を置かず左の横道の前でも同じ事をした
 何か考えているようだった。沈黙したダージリンに、ゴッチは声を掛ける

 「ダージリン、どうかしたのかよ」

 ダージリンがゴッチを振り返って、口に指を押し当てる。静かに、のポーズだ

 「何か聞こえる」

 ゴッチが、ダージリンに習って、横道の前で耳を欹てた

 「げぇ…」

 背中に嫌な汗が伝った。微かに聞こえてきたのは、身の毛もよだつ下品な呻き声だ
 泣くような、唸るような呻き。ゴッチには聞き覚えがあった

 あの酷い臭いのするゾンビ野郎が、全く同じような呻き声を上げていた

 意図せず、舌打ちしていた。あの腐った死体に対する嫌悪感は、並ではない

 「ご機嫌な死体どもが、寄り集まって合唱会だ。横道の先に複数居るな」
 「……死霊兵か? 複数一度に確認されるなど、今までに無い事だ。……遭遇すると面倒。私は、悪魔の矢は一つあれば充分だ。無視する」
 「妥当だな。ダージリン、奴等の鼓膜が、腐ってまだ使い物になるのかどうか知らねーが、用心だ。あまり音を立てるなよ」
 「心得た」

 ダージリンの細い顎が上下するのを見て、ゴッチは歩き出した。ダージリンは切れ者だ。きっと言うまでも無かったろう。要らない口数が増えている気がした

 しかし、勢いよく石が蹴っ飛ばされ、大きな音を立てて転がってくる
 ゴッチは眉を寄せてダージリンを振り返る

 「おい、ダージリン、音立てんなって言ったろ…」

 ダージリンが、不思議そうな顔をした。身に覚えがないようであった

 じゃぁ誰だよ。視線を巡らせる
 そして、ゴッチはダージリンの背後に、見た。薄暗い闇の中で、白く濁った目が輝いていた
 死霊兵が居た。ぽっかりと開かれた大口は歯が半分ほど抜け落ちていて、場違いにもそんな所に注目してしまったゴッチは、思わず失笑した

 「ダージリン……」
 「……あぁ」
 「……ご招待だそうだ。合唱会やるにゃ頭数が足りないんだとよ」

 屈め! ゴッチが怒鳴ると、察しの良いダージリンは石の床に体を投げ出す
 床に激しく接吻し、顔に泥を付けながら、しかしダージリン

 「気付かなかったとは不覚だ」

 軽やかなステップを踏んで、ゴッチは宙を舞っていた。砲弾のようにかっとんで行く革靴の踵が死霊兵の顔面に突き刺さる。鼻は潰れた。肉体が脆くなっているせいか、顔面の骨も同様に砕けた

 頭部を後ろから引っ張られでもしたように、死霊兵は飛んでいく。倒れこんだそれを踏み越えて駆けてくるのは、こちらも死霊兵だ

 何体も居る。ざっと見ても、十を越える数が通路に犇き、濁った目で此方を睨んでいた。ゴッチは繰り出した足を引き戻し、回し蹴りに変えて、次に駆け込んできた死霊兵の頭を薙ぎ払った

 「げぇ……!」

 蹴りの勢いに壁へと叩きつけられた死霊兵。そして、その脇を駆けてくる、これまた死霊兵
 今度は三体。ゴッチは柄にもない悲鳴を上げた

 「マッハキックだボケが!」

 ゴッチの体がぶれて、次の瞬間には死霊兵の眼前に居た。瞬間移動でもしたかのような踏み込みである
 三人行儀よく整列した死霊兵が反応するより早く、ゴッチのヤクザキックが真中の死霊兵に炸裂していた。吹っ飛ぶ死霊兵
トーン、トーン、とステップを踏んで飛び上がったゴッチが、またもや蹴る。つま先が向かって右の死霊兵の頭蓋を割っていた
 まだまだ、まだまだ終わらない。そこから更に、蹴り足を切り返す

 「マッハダブルキックだボケが!」

 右の死霊兵を打ち倒した蹴りが、振り子のように反転して左の死霊兵を壁に減り込ませていた。振り子は振り子でも、音速の振り子だ

 ゴッチが余りにも肉体派過ぎるので、ダージリンは、ゴッチが本当に魔術師なのか疑いたい心境になっていた
 しかし、それは一応置いておき、ダージリンも走り出す。死霊兵は、次々と来るのだ

 ゴッチのスーツを引いた。体勢を崩して後ろに下がるゴッチの横で、ダージリンが鋭く腕を振る

 「腕の一振りで、ほら、こうだ」

 突然、爆風が広がるように青い霧が広がった。三体の死霊兵を包んだ霧は、次の瞬間には収束していく
 ダージリンが見えない何かを押さえつけるように、両の掌を床に叩きつける。身を切るような冷気が、ゴッチの体を嘗め回した

 「凍て付け」

 霧が消え去ると、代わりに氷像が出来ていた。三体の死霊兵だったそれは、凍ってからも下品で、醜かった
 完璧にカチンコチンだ。動く気配も無い

 なるほど、魔法か。大したもんだ。何がどういう原理で凍りついたのか、さっぱり解らない
ほぉー、と感嘆の声を上げたゴッチだったが、視線の先に、尚も氷像を押し倒して襲い掛かってくる死霊兵達

死霊兵、死霊兵、死霊兵ったら死霊兵

 感心している暇は無い。こりゃ駄目だ、とゴッチは呟いて、死霊兵の群れに背を向けた

 「鬼ごっこと洒落込むか!」
 「ゴーレム、どんな物かは知らないが、貴方の魔術で一網打尽に出来ないか?」

 ダージリンが横に並んだ。平静そのままの顔つきで投げかけられた問いに、ゴッチはニヤリと笑って返す

 「やれん事も無ぇが、こんなに狭いとお前も巻き添えだぜ」
 「私もそうだ。大きくやろうとすると、氷は、大雑把過ぎてな」

 二人は並走したままで、全く同じようにスピードを上げた

 そのまま、取り敢えず駆け続けた。道はくどいほどに一本道で、事態を打開できそうな物も無い
 やりようが無いので、兎に角駆ける

 そのまま石造りの通路を駆け続けて、駆け続けて、いい加減嫌になるほど逃げた頃だ
 唐突に通路の終わりが見えた。先には広い空間が広がっており、壁の発光する石の物とは違う、青白い光が溢れている

 そこに飛び込んで、ゴッチはべぇ、と舌を出した。床も壁も舗装されていない地肌剥き出しの其処は、スペースの半分以上が湖だった。青白い光は、湖の中から溢れ出していた

 地底湖。其処から抜け出る為の出入り口は三つあるようだったが、そのどれもが湖の向こう側に存在している

 踏み止まって、通路へと振り返った。これだけ広さがあれば良い。巻き込みはすまいと思った

 「コイツ持って下がってろ、ダージリン。纏めて始末してやるぜ」

 動かないコガラシをダージリンに投げ渡し、怖い顔でゴッチは笑う。両の足を地面に叩きつけて体勢を低く落とすと、その体を雷光が取り巻いた

 黄色い光が奔る。ゴッチの手を、足を、体を、縦横無尽に駆け巡る
 抑えきれない稲妻が拡散した。辺りを無作為に焼き尽くそうとする稲妻で、目も眩むような光が生まれる

 ダージリンの足元にも稲妻が落ちる。キョトンとした表情で、更に距離を取った

 「死体が跳んだり走ったりするんじゃねぇぇーッ!!!」

 ゴッチが握り拳を突き出した。そこから放たれる、閃光。空気は電気を通さない物だが、通らない物を無理に通すので、轟音が生まれた

 通路に向かって延びる光は、一瞬で死霊兵の全てを貫通し、一瞬で消し炭に変えた
 圧倒的な熱量で焼き尽くした。後に残るのは灰ばかりであった

 「…………」
 「…………
 「…………づぁー……」

 ゴッチが、大きく息を吐いて尻餅をつく

 「ちょっと疲れたぜ」

 ダージリンに向かってサムズアップした。それの意味が解らないダージリンは、やはりキョトンとしていた


――


 「凄い。雷を操るのか。死霊兵などどれほど居た所で問題にしない、圧倒的な力だ。素晴らしい」
 「まぁな。お前の氷だって、中々イカしてたぜ」
 「イカしてた…? 察するに、褒め言葉のようだな……」

 指先からバチバチと電流を迸らせながら、ゴッチはダージリンの賛辞に応えた

 ダージリンの目は余りにも真剣だった
ちょっと前は、「力に任せることが正しいとは思わない」なんて平和主義者ぶった事を言っていたが、コイツは力の重要性をよく解って居やがる。ゴッチは、そう思った

 平静で居ることを旨とし、殆ど表情を変えないダージリンが、“この世界”の只人とは逸脱しているらしいゴッチの力には、好奇心を隠そうともしない
 怯えるのでも、無視するのでもない。かといって媚びるのでは、断じて無い

 持たざる物の目だ。欲しがる者の目だ。求めているのは、力だ。何故そんな目をするかは、知らないが

 息をするように欲しがる。そんな感覚は、ゴッチにも覚えがあった。渇望している奴は、何をやっても強い物だ。ゴッチは、それを経験で知っている

 多分、俺が思う以上に、強ぇーなコイツ

 些か飛躍し過ぎで、突飛な想像だったが、SBファルコンの御墨付の直感は、その思い付きが強ち間違いではないと告げていた

「……へ、色っぽい目をしてんぜ、お前」

 ゴッチは、ダージリンに手を差し出した。ダージリンがきょとん、とする
 強引にダージリンの手を取ると、ゴッチは満足げに握った。偉そうにも、見所の有る女だ、とダージリンを批評していた

 「俺の国での挨拶さ」

 ダージリンの手がするりと逃げる。ゴッチの掌の、がさついた感触の残るそれを見て、ダージリンは呟いた

 「そうか、……私と貴方は、対等だったな」

 あん? とゴッチは首をかしげた


――


 二人並んで湖を眺めていた。青白い光は美しかったが、最悪の場合ここを泳いでいかねばならないのだと思うと、ゴッチは眉を顰めざるを得ない

 「一応聞くけどよ……お前の氷でカチーンとやっちまえねーか」
 「ただの水なら出来るが」

 出来るのか? とゴッチが喜色を浮かべたが、湖の傍ににじり寄ったダージリンの言葉で、それは落胆に変わる

 「これはただの水ではない。私の魔術が作用しない水だ」
 「出来ねーのか……。どんなのなんだよ」

 ダージリンが人差し指を湖に差し込む。直ぐに、引き抜いた
 ごお、と激しい音を立てて、その指が青い炎に包まれる。ダージリンが鋭く手を振って、炎を払った。額には冷や汗が滲んでいた

 「間違いない。コバーヌの炎だな」
 「説明頼むわ」
 「…………不老不死の秘薬の原料になる、と言われているが、精製に成功した者は、私の知る限り居ない。人でも何でも溶解する性質を持つ、危険物だ」
 「溶解だと?」
 「貴方は“不老不死”ではなく、そちらに反応するのだな」

 ダージリンが後退りした。しきりに突っこんだ指を気にしているが、溶けた様子は無い
 自前の魔術だか、魔力だかでどうにかしたようだった

 「溶けちまうのかよ、オイ」
 「溶けるな。仮にゴーレムがここに飛び込んだとしたら、蒸発して消滅するまでに、瞬きするほどの間も掛かるまい。そして溶けた物は全て、“見えざる力”としてコバーヌの炎の中に蓄積される」
 「嫌な予測データだ」
 「?」
 「確かに危険物だぜ。超特濃硫酸って訳か。こりゃ、泳いでいく訳にもいかねぇわな」

 ゴッチは壁を恨めしげに見た。壁は脆い砂の塊のようにも見え、張り付いていくには不安が残る
 硬い岩であれば利用するのだが、砂では無理だ。万が一落ちれば、そのまま蒸発だ
 こうなったら、壁でも走るか。真剣に、ゴッチは思う

 ここで何でもない事のように解決策を出したのは、頼れる魔術師、ダージリン・マグダラであった

 「では、飛んでゆこう」

 ひょい、と腕を一振りすると、白い霧が空中に集まる
 冷気が渦を巻いて、辺りを冷やした。巻き上げられた砂埃にゴッチが目を覆うと、ダージリンから声が掛かった

 「準備は出来た」

 空中に平たい氷の塊が浮かんでいた。どういう理屈で浮かんでいるのか、当然の事ながら、ゴッチには全く理解できなかった

 ほぉー、と声を上げるゴッチを尻目に、ダージリンが跳躍して氷塊に飛び乗る
 手招きに応じてゴッチが後に続けば、ダージリンがまた腕を一振り

 二メートルほど先に、同じようにして氷塊が出来上がった。また、ダージリンが率先して飛び乗る
 矢張りゴッチが後に続く。すると、不要になった後ろの足場は霞のように霧散していった

 「こりゃ良いぜ、楽だ」
 「見た目ほど楽では無いんだ、これでも。かなり集中力を使う。私は、まだまだ修行不足だ」
 「そうなのかい。だがまぁ、無事に渡れるなら構いやしねぇ。この調子で頼む」

 私は少々構うのだがな、とダージリンは呟きつつ、次々と足場を作り出していった
 そのまま、広い空間の半ばまで渡ったときだ

 下を注意しながら進んでいたゴッチは、“コバーヌの炎”の湖に、僅かな波紋が広がっているのに気付いた

 異変を感じた。湖は、ゴッチ達がここに到達してから今まで、少しも揺れていなかったように思う。水の流れが無いのは、どんなに目が悪い奴でも気付く

 では、何故波紋が広がるのか。ゴッチはダージリンを呼び止める

 「オイ、何か奇妙な事になってねーか」
 「何が?」
 「下だよ、下」
 「下?」

 ダージリンが下を見下ろすのと示し合わせたかのように、湖の中から飛び出してくる物があった

 ほんの一瞬、刹那の間だけ、ゴッチはポカンと口を開けて呆然とした。湖から飛び出してきたのは、何かの頭蓋骨だったのである。しかも頭蓋骨だけの癖に、ゴッチとダージリンを二人併せたより大きい

 「な、なにぃぃーーッ?!」

 妙に鼻が突き出た頭骨だった。サイズからして人の物とはかけ離れているが、形状もそうだ
歯の無い口をこれでもかと開いて、真下から襲い掛かってくる。意図せずして二人は、全く同じ方向に跳躍して逃げていた

 ダージリンが目を見開きながら、新しく足場を作り出す。集中が足りなかったのか、作り出された氷塊は、かなり歪でしかも小さい

 ダージリンは何とか足場に乗ったが、ゴッチは滑り落ちた。渾身の力でしがみ付いたのは言うまでも無い。何せ、落ちたら瞬く間に蒸発である

 氷塊をよじ登りながらゴッチは頭骨を睨み付けた。ガパガパと、下品な咀嚼の仕方で氷塊を噛み砕いた頭骨は、自由に空中を飛びまわりながらこちらを窺っていた

 「ゴーレム、流石にアレは奇妙どころの話ではないぞ」
 「俺だってあんなヤベェのが出てくるなんざ思ってなかったっつーの」
 「しかし、それ以前にアレは……」
 「し、知っているのかダージリン」

 ダージリンがビュンビュン飛び回る頭骨を睨む。ゴッチは体勢を低くして跳躍の準備をした。何時また、無軌道な突撃をしてくるか解らない

 「竜の頭骨だな。かなり大きい。生きていた頃は、伝説として残っても可笑しくないほどに、齢を重ねた強力な竜だったことだろう」

 骨竜が、空中で静止して大口を開いた
 頭部だけのそれに、当然喉など存在していない。声帯どころか肉の一片も無い

 無い、筈なのだが、骨竜は咆哮を上げた。腹の底まで響いてくるような、恐ろしい咆哮だった。一瞬とはいえ、豪胆で鳴らすゴッチの体が硬直する程に

 伝説級の吼え声って訳だ。ゴッチは誤魔化すように、ニヤリと笑う

 「腐った死体の次は骨の竜か、全く、マジでファンタジーだ。退屈してる暇がねぇや。……俺がやるぜ、ダージリン」
 「頼む。足場を維持しながらアレを攻撃するのは、私では無理だ

 ビビッたら、腹が決まった気がした。怒りが込み上げてくる
 ゴッチはビビッたらいけないのだ。相手が誰だろうが、悪態を吐いて唾を吐き掛ける。それぐらいの事が出来なければいけないのだ
 相手が神様だろうが王様だろうがそうだ。ちょっと吼えられたぐらいで硬直してしまうような奴は、地面に穴でも掘って引き篭もっているのがお似合いである

 「……お前、面白ぇがよ、調子に乗るなよ、カルシウム野郎」

 ゴッチは咆哮した。言語としての意味を持たない叫びは、まるで獣の咆哮だった
 骨竜が反応してか、こちらも再び咆哮する。ゴッチと、骨竜、双方のやかましい叫びで、脆い壁面からパラパラと砂が落ちた

 「ゴォォオラアアアァァーッ!」
 『ゲエエエエエェェェェーッ!』

 骨竜が突進を仕掛けてくる。ゴッチは真正面から迎え撃つ。ダージリンが、小さい足場をゴッチの為に広く、固く補強してくれる

 握り締めた右拳と骨竜の鼻が激突した。パン、と軽く弾けるような音がして、後退したのは骨竜だった
 ゴッチの体が仰け反る。骨竜の突進は、思っていた以上に重く、強い。反動を力尽くで押さえつけて、ゴッチは仰け反った体勢から拳を振る

 骨竜の突進は続いていた。弾かれて、再び突撃してくる鼻面に、またもゴッチの拳
 弾かれては、突撃。弾かれては、突撃。辺りに響く音は、パン、と言う軽い物からゴン、と言う鈍い物へと変わっていく

 ゴッチは意地で拳を振っていた。握り締めた右拳で骨竜を迎え撃つ度、反動で体が仰け反る。そして仰け反った身体を力で押さえつけて、また拳を振る

 何度も何度も何度でも迎え撃つ心算だ

 今まで数多の敵をこの拳骨で捻じ伏せてきた。来る日も来る日も、鍛えて、鍛えて、来る日も来る日も、殴って、殴って
 自慢の拳骨だった。拳を一旦握り締めたのなら、最早敗北は許されない

この握り拳と骨の竜、音を上げるのはどちらだ

 「手前がくたばるのが先だぜ」

 何度打ち合ったか解らない程の激突の後、ゴッチは拳を大きく振りかぶった

 そして、氷の足場を、ぎっちりと踏みしめる両足。しつこく突っこんでくる骨竜を、ギロリと睨み付ける
 目の前に、一本ピシリと線が通った気がした。ゴッチにだけ見えるその線をなぞるようにして、自慢の右拳は、骨竜へと炸裂した

 「手前より強ぇんだ、俺のがよぉぉーッッ!!」

 先ほどまでとは一味違う一撃だった。骨竜が大きく弾き飛ばされる
 氷の足場が、ゴッチによって踏み抜かれてしまっていた。粉々に砕けてはダージリンも維持できないのか、慌てて新しい足場を作り出し、ゴッチに呼びかけながら、彼女は其処に飛び移った

 新しい足場に危うくぶら下がりながら、ゴッチは笑う

 「へ、どーよ」
 「……さて、どうかな」


――


 骨竜が、鳴いた。空ろな眼窩の闇に、赤い光がともる
 ぼんやりと、赤い光が尾を引いた。闇から滲むような赤に、ダージリンは得心したように頷いた

 「あの竜の頭骨、悪魔の矢が刺さっている。幾ら死した後の骨とは言え、あれほどの竜を操るとは」
 「何でもアリだな、お前の研究対象は」
 「嫌な気配がするぞ。辺りが震えている。土も、水も、空気も」

 赤い光をゆらゆらさせながら、骨竜は再び空中へと舞い上がる

 ゴッチは両の手をぶらぶらさせた。何回だってきやがれ、何回だってぶっ飛ばしてやる、そう思った

 骨竜が鳴く。ビリビリと震える声で、鳴く。ダージリンが呻いて、米神を押さえた

 「ゴーレム、危険だ」

 コバーヌの炎から、何かが飛び出した。またもや、骨だった
 しかし、竜の頭骨と言う訳ではない。大小様々の、色んな部位の骨が、幾つも幾つも飛び出してくる

 竜の骨格だった。赤い光を目指して宙を舞う骨達は、思い思いに重なり合って、着々とその全容を現していく

 ゴッチは、余りの事態に唖然として見ているしか出来なかった
 僅かばかりの沈黙。十を数えるか数えないかの内に、ゴッチとダージリンの眼前には、巨大な骨の竜がその全身を取り戻し、高らかに咆哮していた

 「おい、どうなってんだおい。ちょっと前まで頭しかなかった出来損ないが、見違えちまったぜ」

 骨竜が全身をカタカタ鳴らせて尾を振った。鋭く風を切る音と共に、ゴッチの頭上を通過。骨の尾は壁面にめり込んで、砂煙を上げていた

 ゴッチは何気なく頭を撫ぜる。前髪の一部が消し飛んでいた

 「…………」
 「…………」
「…………」

 ヤバイ、タンマ。やっぱ、勝てない相手も世の中には居るわ。ゴッチは息を大きく吸い込んだ

「…………ダァァァージリンッ! 足場を作れぇぇぇーッ!」

 ゴッチは、問答無用でダージリンを抱き抱えた。突然の事態に驚いたダージリンであったが、彼女は冷静にゴッチの言葉に応える

 俗に言うお姫様抱っこの体勢で、ゴッチはダージリンの命を預かった。足場を作る事だけに専念させる
 先ほどまでと比べ、かなりの早さで足場が次々生み出されていった。ゴッチはダージリンをしっかりと抱きしめて、次々と足場を飛び移っていく

 「ダージリン、俺とお前は会ったばかりだが、今は俺を信じろ! どんな事があっても落っことしたりはしねぇ! お前は足場造りに全力を尽くせ!」
 「……解った、貴方に任せるぞ、ゴーレム」

 飛び移る端から、骨竜の尾が氷塊を砕いた。僅かでもその場に止まる事があれば、それは死を意味する。コバーヌの炎の湖に叩き込まれ、溶けて消えるか。それとも、全身の骨を砕かれ、内臓を吐き出して死ぬか。どちらにせよ、死ぬのには変わりない

 氷の足場は無規則的に生み出される。骨竜を惑わすように飛び跳ねながら、ゴッチは意を決した

 「…く、流石にこうも大量に、休みなく生成していたのでは、私の方が持たない…」
 「逃げられん、前に出ろ、後退に活路はねぇ!」

 ゴッチが叫び、ダージリンが疲れ切った体に再び気合を込めた。複数の氷塊が一度に作り出される。それは骨竜に向けて整列し、唯一の道となる

 ゴッチは踏み砕け、とばかりに足場を蹴った。骨竜への四つ目の足場へと到達した時、頭上から尾が降ってくるのが判った

 「下だ!」

 宙に浮ぶ骨竜の下を潜るように大き目の足場が形成された。ゴッチは出来るだけ体勢を低くして、背中でスライディングするように其処へと滑り込む。ダージリンに怪我を負わせて集中を乱さないよう、極力気を使った挙動だ

 そしてダージリンを抱きしめたまま、ごろごろと横に転がって足場を放棄し、自ら落下する

 示し合わせたように、また足場。其処に着地したゴッチは、膝をついてニヤリと笑った

 目の前には黒い闇の中へと続く通路があった。三つあった通路の内の、一つだ。幅は先ほど通ってきた通路よりも狭く、どう考えても骨竜が通れるサイズではない

 何時しか、目的の場所に到達していたのだ。ゴッチは迷うことなく、通路に向かって身を投げる

 次の瞬間、通路に骨竜の頭部が食い込んできた。力任せにぐいぐいと押し込んでくるが、頭の大きさが既に通路よりも大きい

 ゴッチは、ダージリンをお姫様抱っこしたまま尻餅をついていた
 狭い通路に鼻っ柱を突っこんでガジガジやっている骨竜を、意地悪く見やる。ゴッチは、勝利したのである

 「ハハ、頭蓋骨を整形しなきゃな!」

 必死にこちらへ食いつこうとしてくる骨竜に、ゴッチは下品に中指を立てて、嘲笑を向けた


――


 で、また、逃げる
 別段追ってくるものなど居はしなかったが、それでも壁をガジガジ削る音と、腹の底まで響くような吼え声は気分の良い物ではない
 気が狂ったような高笑いを上げつつ疾走するゴッチは、走り続ける内に、ふと自分がダージリンを抱きしめたままなのを思い出して、立ち止まった

 「……どうした? ゴーレム」
 「どうしたじゃねーよ。よくよく考えりゃ、何時まで俺に抱えさせてんだ。自前の足二本使って歩け」
 「問答無用でここまで走ってきたのは貴方だろう」

 ゆっくりと、ダージリンが足場を確かめるように地面に降り立つ
 土を押し固めた上に、舗装された名残らしき石の残骸が散らばっている。酷く、荒れていた
 壁は地底湖のあった空間の物と同様、砂のように脆い。あの一室を越える前と今では、通路の見てくれは大きく変化していた

 ダージリンが後ろを振り返る。遥か後方では未だに骨竜がガジガジやっているのかも知れないが、此処に至っては音も聞こえない

 「私と、貴方ほどの魔術師の二人掛かりで、逃げるしかないとは。世の中は広い」
 「待てよ、勘違いすんじゃねー。俺は負けてねぇぞ」
 「誰も敗北だとは言わない。私も貴方も、生きている」
 「そういうこっちゃねーっての。……次やるときゃ、コバーヌの炎の外側に引き摺りだして、健康そうな骨全部圧し折ってやらぁ」

 次? ダージリンは首を傾げる
 今は退いただけか。何れ戻ってきて逆襲する気なのか、とダージリンは尋ねてくる

 しかし、ゴッチが応えるよりも早く、ダージリンは納得したように頷いた
 ダージリンにしてみれば、己がゴーレムと呼ぶこの男がやられっぱなしで終わるよりも、凄まじい復讐心を燃やしてやり返しに来る、と言うほうが、よっぽど自然で、違和感なく感じられるらしかった

 「ふ、ふふふ、……なら、まずは脱出しなければな。急がねば、魔力消耗での疲労は後からジワリと来るのだ」
 「…………あぁん? ダージリン、お前、もしかして今、笑ったろ?」

 ダージリンは応えなかった。顔を背けるようにして、ゴッチの前を歩き出す。ずんずんと歩いていく

 「おいおーい、笑ったろ? 笑ったんだろぉー? ケチケチすんなよ、恥ずかしい事じゃねーって」

 ゴッチはニヤニヤしながらダージリンの後を追いかけた
 どんな鉄面皮に見える女でも、美しい微笑を隠し持っているのは、テツコで実証済みだった


――


 出口とはとても言えない、外へと繋がる希望を見つけたのは、それからまた暫く歩いた時だった

 進めば進むほど通路の損傷が激しくなり、終には壁に埋め込まれた発光物体すら見かけなくなった頃だ

 暗闇の中を並んで進むゴッチとダージリンは、壁面に開いた僅かな穴から入り込む日の光を見出した

 「一cmくらいか、このサイズだと」
 「? ……貴方の故郷の単位か? こちらでは、丁度このくらいの大きさを、一リナと呼ぶのだ」
 「へぇ」

 どうでもよさそうな返事を返して、ゴッチは穴を覗き込んだ
 光が差し込んでくるだけで、外の光景までは見えない。どうやら壁の厚さ自体はかなりあるらしく、どう言った原因があるのかは知らないが、一cmサイズの穴が、綺麗に貫通しているようだった

 「ここだけ、得体の知れない魔力の気配が薄い。間違いなく外に通じている。……む」

 ダージリンが呟く。懐がもぞもぞ動いたらしく、コガラシを引きずり出した
 コガラシの電球が明滅を繰り返していた。電波状況が悪くて、繋がったり繋がらなかったりする携帯電話のようだ
 ゴッチは笑って、コガラシを受け取った。ダージリンを一目見れば、激しく疲労しているのが判る。この遺跡に潜り込んでからの騒動で、ゴッチ以上に消耗している

 だがしかし、ゴッチは甘くない

 「ダージリン、頼めるか」

 まぁそれでも、ゴッチらしくなく、幾分かダージリンに譲った口調になるのは、致し方ない事であった
 何でもない様に振舞うダージリンは、一歩前に進み出て、細い穴に手を添える

 何時もの様に空気が冷えて、ダージリンの掌に氷柱が出現した。先端は穴に食い込む一cmサイズであるが、後方になるにつれて太くなっていく。大体一m程の長さで、極端に太い最後尾は、ゴッチの胴体ほどもあった

 「ゴーレム、殴ってくれ」

 成る程、頭が回るもんだ。ゴッチは口笛を吹いて、ダージリンの背後に立つ

 「どいてな、ダージリン」

 そして大きく振り被ると、全身を撓らせて拳を繰り出した

 「おぉらぁーッ! コイツでおさらばよぉーッ!」

 氷柱の尻を殴るゴッチの超人的膂力で、氷柱は土の壁を貫いていく。小さな穴に大きな棒を通して、力押しで壁に亀裂を入れようとしていた

 一撃で、約十cmほど氷柱の先端が埋まった。氷柱の強度を考えて手加減したが、ゴッチの思う以上に、ダージリンの魔法は精巧で、頑強であった
 これならば、更に力を篭めても問題ないだろう

 ぎゅう、と握り締めた握り拳。自慢の握り拳。脆い壁に氷柱を打つくらい、出来なくてどうする

 拳は、鋼のように固かった。鋼の拳が、もう一度氷柱の尻を叩く

 「開いたかオラァーッ!!」

 壁が割り開かれて、細かい罅が無数に走った


――


 「ダージリン? ……なんでぇ、気絶してやがらぁ」

 人一人が這いずり出るのに充分なほど穴を広げて、ゴッチは背後を振り返る
 ダージリンは、壁に背を預けて目を閉じていた。白い頬に泥が付着して、美貌を損なっている

 魔力とやらを使い果たしたか。ゴッチは、コガラシを取り出して、揺さぶる

 『……ゴッチか? 無事だな。まぁ俺も、お前がくたばるとは思わなかったが』
 「ファルコン?! ファルコンか! 当然だろ、俺を殺せる奴なんて、どっちの世界にだって居るかよ」

 ぶぶぶぶ、と奇妙な振動と停止を繰り返して、コガラシは宙へ舞い上がる
 聞こえてきた声は、テツコの物では無い。SBファルコンの低い声音が、労わるように響く

 『だが、……流石に少し焦ったぜ。お前は水が苦手だからな』
 「ファルコン、別に俺は泳げない訳じゃねーぞ」
 『はっはっは、そう言う事にしといてやる』
 「けぇー……。まぁいーぜ、テツコはどうしたんだ?」
 『博士なら、お前の救出隊の投入を、上と掛け合ってる最中だろうよ。俺は心配ないと言ったんだがな』
 「……ケ、違いねぇや。アウトローが政府機関に救助されるなんぞ、笑えもしねぇよ」

 全身の緊張が抜けていく思いを、ゴッチは味わっていた。駄目だと思いつつも安堵してしまっている自分がいた
 無意識に笑みが浮ぶ。くっくっく、と、堪えきれない笑い声が、陽光の差し込む通路に響いた

 「……ゴーレム……? 済まん、寝ていた……。道は、開いたのか……?」

 ダージリンが、とろんとした目をこちらに向けていた。辛うじて起きているが、再び目を閉じれば、その瞬間に気絶するだろう事は間違いない

 「あぁ、心配いらねぇ。万事上手いこと行った。お前のおかげだぜ」

 ゴッチはダージリンの傍に膝をついて、サムズアップした
 ダージリンは目を閉じる。口元は薄く、しかし隠しようも無く、確かに微笑んでいた

 「ゴーレム……後は貴方に任せる」
 『……やれやれ、相変わらず手が早いな、ゴッチ』
 「ファルコン、何だよ、それは」
 『何もないさ。ただ、ガキは作るなよ。セックスぐらいなら俺が揉み消してやるが、お前が現地人と混血児まで作っちまうと、流石に親子纏めて消されかねんからな』

 ゴッチが、面倒そうに頭を掻いた

 「馬鹿馬鹿しい。下らねーぜ」



[3174] かみなりパンチ3.5 スーパー・バーニング・ファルコン
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:10900b83
Date: 2011/02/28 06:26
 暫し黙考していたSBファルコンは、周りに控える者達に向け、取り敢えず、といった風情で口を開く

 「お前ら何処かに行ってろ」


――


SBファルコンは、己が首領を務める暴力団組織、「隼団」の事務所で、呻き声を上げた
 不特定多数の組織による嫌がらせのような攻撃で、隼団事務所の窓ガラスは全て割られていた。一応、強化ガラスであった筈だが

 窓を割る、なんて子供の悪戯をやるような相手が、当然ながら本気な訳はない
 事務所は市街の、とあるビルの三階にあった。道端から、「買物のついでにやってくか」程度の気軽さで行われたであろう攻撃は、窓ガラスだけでなく天井にまで被害を及ぼしていた。当然、SBファルコンが気に入っていた、目にやさしい青い光を放つ電灯もだ

 SBファルコン達が暮す首都ロベルトマリンの空は、深刻な汚染によって何時も薄暗い。太陽光の恩恵なぞ、容易に望める筈もない

 薄暗い事務所の中で一人きり、SBファルコンは呻いていた
 原因は、机の上に置かれた封筒にある

 「今時紙媒体というだけで、面倒事だと表現しているような物だが」

 SBファルコンは、翼を器用に折り畳んで封筒を持ち上げた。ほぼ鳥の姿である隼の亜人、SBファルコンにしてみれば、地味に遣り辛い動作だ
 紙なぞ使うのは、どうしても情報を流出させたくないからだ。当然、中身はヤバイ物ばかりである
 狙う奴だって多い。そして目的の為に手段を選ばないのは、この国の国民性だ。この陰気で体に悪い国に住んでいる奴らは、自分を含めて全てヤバイのばかりだ、とSBファルコンは思っていた

 封筒は中身のヤバさを示しているかのように、ぼろぼろで、しかも血に塗れていた
 血の主は、今はSBファルコンの横で気絶している。ここまで手紙を護ってきたようだが、衣服に血液がべっとりと付着していた

 SBファルコンはその様を見ても、動揺していなかった。寧ろ、鼻で笑った

 猫の耳と尾を生やした女の亜人だ。チーターかそこいらか、とSBファルコンは当りを付ける
 鋭い爪を持つ足を丸めて、猫耳の亜人を小突く

 「おねむなのは解るがな、そろそろ起きろ。俺も暇じゃない」
 「あぁん? 恐れ多くもジェット様の頭を突っつくのは誰やぁ?」

 猫科の亜人が、しなやかな体をブルブルと痙攣させながら起き上る。刺々しく尖ってあちこち伸び放題の青い髪が、赤い水滴を飛ばした
 SBファルコンの翼にそれが飛び散る。形相を歪ませたSBファルコンは、翼を丸めて拳骨を作ると、情け容赦なくジェットを殴った

 「うひょお、頭が、頭がぁッ! 勘忍してんか! ジェットは怪我人でっせ?!」
 「”ジェット”か。ロベルトマリンで売り出し中の運び屋だな?」
 「げぇ、SBファルコンさん、どうもアンタの事務所で気絶してもうてすんません! しかし、アンタ程の大物に名前を覚えられとるとは、ジェットも中々有名になったモンですなぁ」
 「”アンタ”? だと?」
 「あだ、頭が、頭がぁーッ」

 SBファルコンの足爪がガパリと開いて、ジェットの頭を鷲掴みにした。ギリギリと締め上げられたジェットは、悲鳴を上げる

 「すんません、すんません! 言葉使い直します! お客様は神様や、ファルコンさんも神様やぁ!」
 「神様か、残念だぜ。我が「隼団」は、俺も部下達も無神論者でな」
 「ひぃッ!」

 SBファルコンは思う存分ジェットを脅した。アウトローとして、初対面が大切だった。舐められたら終わりである。相手がしがない運び屋風情であれば、尚更だ

 しかしSBファルコンは、ジェットの全身が強張ったのを見て、脅しを止める。これ以上はジェットが本気になる可能性がある

 頭部を開放すれば、ジェットは、二、三回頭を振って復活した。肉体の頑健さぐらいは褒めてやってもよかった

 「それで、お前の為に態々人払いまでしたんだ。とっとと詳しいことを話して貰うぜ」
 「……よしゃ、ジェットも腹を割って話をさせていただきます。詳しく簡潔に言うと……」

 話は、漸く本題に入るところであった。ここまでに、多大に時間を浪費した自覚が、SBファルコンにはある

 ジェットの次の言葉をじっと待つ。ジェットは慎重に言葉を選んでいるようで、馬鹿の振りをした馬鹿、とでも評するべき馬鹿面に、理知的な物が垣間見える

 「あれ? 詳しく話すことなん、何もないやないか」

 再びSBファルコンの足爪が音を立てて開いた

 「あ、ああん、あはぁ! この痛みが癖になるぅッ」


――


 「別に、内容にヤバい事はあらしまへん。手順を踏まずに開けたら燃えるーとか、爆ぜるーとか、そういう仕掛けもあらしまへん」

 SBファルコンはジェットの話を聞きながら封筒を開封した。中から出てきたのは、二枚の紙切れである
 一枚は手紙だ。もう一枚はピンク色の紙に繊細な細工が施された、パーティへの招待状だった

 「今のジェットのクライアントさんが、遊びに来てくれーと言うとるだけなんです。紙を使っとるのはクライアントさんの趣味らしくて。SBファルコンさん、詳しくは知らんけど、今相当ヤバイ仕事をなさっとる。それのせいか、この封筒の事を超重要極秘書類やーなんて勘違いしとる連中がたっくさん!」
 「なるほど、そいつらに攻撃された訳か」
 「ハイ、まぁ、ジェットも事前にそう言う事がありえるーて注意は受けてたんやけど」

 前にも手紙を運んだ事あったけど、攻撃されたんは初めてや。やっぱ、今回のが特殊なんや
 ジェットは青い髪をブルブルさせながら、言う

 SBファルコンは手紙を読んだ。上から下まで読み、今度は下から上まで読む
 「今、ファルコン殿が携わっている仕事について、話がしたい」手紙は至極簡潔で、それだけの文章しかない。ただ、裏側に差出人の名前はあった
 “マクシミリアン・ブラックバレー” 後ろ暗い事をやっている者なら大抵は裸足で逃げ出す、軍のビッグネームだ

 無視するのは賢くないな。SBファルコンは、そう判断した

それに、丁度良くもあった

 「良いだろう、会おう。案内役はお前だな? ジェット」
 「そうなりますなー。きっちりと、ファルコンさんをパーティ会場まで運ばせて頂きますでぇ」

 けらけらとふざけたように笑いながら、ジェットは言う。SBファルコンはジェットを無視して、割れた窓の向こうを見やった
 生ぬるい風が入り込んでくる。修理するにも金が掛かる事を思えば、SBファルコンの気分は暗く沈む

 溜息を吐いたところで、上から何か降ってきた。黒いロープだ
 ビルの屋上から垂れてきたようで、窓に長い一本線が引かれる。それが右から左まで、計四本のロープ

 ラべリングロープだ。何者かがこのビルに突入を仕掛けようとしている
 一瞬でそう判断したとき、外から円筒状の物体が投げ込まれた

 「フラッシュか」

 咄嗟にSBファルコンは、大口開けて耳と尻尾と体毛、丸ごとすべて逆立てているジェットに覆いかぶさる

 「(こいつ等、何だ? 手紙が狙いと考えるのが一番スマートだが)」

 まぁ、良い。市街で銃撃戦が始まったり、手榴弾が爆発するのは、至極日常的だ
 そう言って、SBファルコンは気にしない事にした

――

 起き上ったSBファルコンは、さぁ、行くぞ、と宣言する

 「速さだ。陸海空、すべての領域において、戦略的アドバンテージを齎すのは常に速さだ。速いという事は強いという事だ」
 「解りまっせ! 猫科の中じゃ、ジェットが最速なんや!」
 「“猫科の中じゃ”、ね。そりゃ残念」

 SBファルコンの嘴が歪む。眼光が鋭く灰色の空を睨む

 「ここじゃ俺が最速だ」

 冷たく燃え上がりながら、ファルコンは窓枠を引き千切り、灰色の空を飛んでいた
 フラッシュグレネードは軽減した。ドアは塞がれていた。ロープを使用した突入部隊は練度が低く、隙だらけだった

 包囲されていたのだが
 なら取り敢えず飛んでしまえば良いではないか。SBファルコンは、自信満々に飛び出すことを選択した

 黒いアーマーを着込んだ兵士達が、慌てて追ってくる。しかし誰一人として、SBファルコンには追いつけない
 SBファルコンに僅かに遅れて、ジェットが飛び出す。下半身はごつごつしたアサルトパンツだったが、上半身は冗談のように薄い最新鋭の防刃および防弾スーツだ。しなやかで艶かしい肉体が、ぶるんと揺れる

 「イィィィ――ヤッホォォォォイ!!」

 ジェットは喜色に満ちた気勢を上げながら、まず手始めに装甲車を踏み台にした。そこから高く跳躍し、或いは空を走るエアカーに、或いは林立するビルの屋上に跳び移りながら、SBファルコンに追随する

 血液はフェイクだ、隠しきれないと悟って、開き直ったな。SBファルコンの眼光は鋭い

 暫く飛んだSBファルコンが急に大きく翼を広げ、空気抵抗を利用して減速した。荒っぽいが、ビルの壁面に鉤爪を食い込ませて急停止するのも忘れない。ギャリギャリと嫌な音がする

 目の前に個人用ジェットウイングで浮遊する、軽量アーマーとビームガンで武装した航空警察が現れたのだ。アーマーのショルダー部分に、大きく「空の治安は俺が守る!」と書き込まれている

 ロベルトマリンでは、自由飛行区域とそうでない区域とで、明確な線引きがしてある。それを平気で無視しているのだから、彼らの出現は寧ろ当然だった

 「止まれぇ、手前! 止まらんと撃つぞ!」
 「そのエンブレム、ハゲのダニエルの『フライ・キャット』チームか。ご苦労なこった」
 「SBファルコン? 大金星だぜ! 大人しくしてりゃぁ丁重に扱うぜぇ?」
 「嘘付け」

 形式ばかりの口上を述べつつも、二人組の航空警察隊員は既にビームガンを発射していた。問答無用も良いところである。咄嗟に射線を読んで回避していなければ、今ごろSBファルコンは翼に穴を空けて地に墜ちている

 「くぅー、たまらん! やっぱり何度撃っても最高だぁーッ! 光学兵器万歳ぃぃーッ!」
 「何で俺こんなのとバディなんだろ……」

 航空警察隊員の片方は嬉しそうな悲鳴を上げていた。黒いアイガードのついたヘルメットで表情は見えないが、喜色満面でいるのは想像に難くない

 丁度真下を歩いていたらしい、妙に首の長い亜人が、手に持っていたコーヒー缶を航空警察隊員目掛けて投げつける。ビームが掠ったのか、太くて長い首に生えている黄土色の毛並みが少々焦げていた

 「馬鹿野郎! こっちまで巻き込むんじゃねぇ、この税金ドロボー!」
 「黙ってろ! 公務執行妨害で射殺するぞ!」
 「……頭痛ぇ」

 SBファルコンは慌てず騒がず、特注のスーツの懐からスモークグレネードを取り出した

 「流石にフライ・キャットの漫才は貫録があるな、変わりないようで嬉しいぜ」

 鼻で笑うファルコンに、航空警察二人組は緊張して射撃を再開した。SBファルコンは空中で一回転し、赤いビームの軌跡を華麗に避ける
 スイッチを押してひょいと放り出せば、二つ数えるより早くスモークは爆ぜ、黄色い煙を周囲にばら撒いた

 「状況、ガス! なお、以降は実弾兵装を使用!」
 「了解、状況、ガス! くそぅ、鳥野郎め! 俺様の射撃技能はビームライフルじゃなくとも衰えんぞぉぉーッ!!」
 「良いからはよせぇー! このアホんだらぁーーッ!」

 航空警察は瞬時に左右に散開しつつ、ガスマスクを装着して、ビームガンを背中のホルダーに装備していたアサルトライフルに変更した。複雑な動作だが、二人組は五秒と掛からずやってのける

 だが五秒といわず、三秒あれば十分だったのがSBファルコンだ
 光学兵器がどうのこうのと五月蠅い方に肉薄して、ヘルメットに包まれた頭部を鉤爪で鷲掴みにする
 そのまま翼をはばたかせ、ぐるんと遠心力を上乗せしてビルに叩きつけた。強化ガラスに叩きつけられた時、個人用ジェットウイングが小爆発を起こし、ガラスを粉々にする

 「あひゃぁー」

 落下すれば死ぬだろうが、警察組織から死人まで出してしまえば、流石に面倒事だ
 SBファルコンは仕方なく、蹴った。光学兵器がどうのこうのと五月蠅かった奴は、奇妙な悲鳴を上げながらビルの中に消えていった

 「さて、後一人」

 ファルコンは堂々と余裕を持って振り向いたのだが、残った方の航空警察隊員はそれどころではない

 ビルの屋上から落下してきたジェットが、問答無用で組みついていたからだ。体をブンブンと揺すって、パンチ、キック、エルボー何でもかんでも好き勝手繰り出してくるジェットに、航空警察隊員は悲鳴を上げていた

 「がるるー! うがぁー! がるるがぁー!」
 「ちょ、貴様」

 思う存分殴る蹴るしたジェットは、航空警察隊員を足場に見立て、大きく跳躍した。バランスを崩して落下していく航空警察隊員
 覚えていろ、フライ・キャット・チームは諦めない! とか叫んでいた気がするが、よく聞き取れなかった。苦笑するSBファルコンを尻目に、ジェットは跳んで行く

 「うっはっはー、ファルコンさん、ジェットはお先に失礼しまっせぇー!」
 「……小娘と思ったが、どうして中々、淑女だな」

 良い動きだ。そう評して、ファルコンは再び飛び始めた


――


 「“マクシミリアン・ブラックバレー”のパーティ会場まで、後どれぐらいだ」
 「ジェットが本気で走って後三分や。そないに遠くありまへん」
 「そいつぁ重畳」

 道路交通法を完全に無視していいのであれば、一分でロベルトマリンの60ヵ所に区分けされた地域を四つは超えてしまえるジェットの談だ。言うほど近くは無い

 今は後方に多数の航空警察を引き連れての追いかけっこだ。個人用ジェットウイングを必要としない、翼を持つ亜人の隊員も増えてきて、状況は一秒ごとに悪化していく

 こんな事なら、一度追手を撒くべきだったか、とSBファルコンは眉を顰めた。しかし、否定した
 神速こそが勝利の鍵だ。誰よりも速く、何よりも速く“マクシミリアン・ブラックバレー”の縄張りに飛び込んでしまえば、後は泣く子も黙る超大物軍人の事、どうとでもしてくれるだろう

 最初に隼団事務所へと突入を掛けてきた一団も気に掛かるが、目下の敵はロベルトマリン航空警察隊だ
 奴らが本気を出してくれば、ファルコンとジェットの二人で敵う筈もない。そうなる前に逃げきる必要があった

 「抜け道みたいな物はないのか」
 「そんな都合の良い物がありますかいな。……あん?」
 「ん?」
 「なんや? 奴ら」

 目下一番の懸念材料が、唐突に追撃を止めた。全員揃ってピタリと空中で止まったのである

 スプリングを模したような、センスのない形をしたビルの陰でカバーアクションしながら、SBファルコンとジェットは様子を窺う。何やら指揮官らしき人物が、拳を振り上げて怒鳴り散らしている
 ヘルメットに内蔵されている通信機に怒鳴っているのは、容易に知れた。結局航空警察隊は、こちらを憎らしげに睨みつけたあと、素早い動きで撤退していく

 「どこかの誰かが何やらしたようだな」
 「どこかの誰かが何やらて、全部不明でっか。どんな圧力? ひょっとしたら、マクシミリアンの旦那が手を回してくれたのかも知れまへん。……しかし、治安を守る部隊がアレで、よく給料が出ますなぁ」
 「治安を守る? コイツぁ笑わせてくれる。世界を平和を守ってるのは、金とコネと暴力だぜ」
 「ファルコンさん……」

 ジェットの耳が、しょぼんとへこたれた
 SBファルコンは目を細める。運び屋なんてやってる癖に、この反応は何だろうか
 もし世界の美しさを信じている、なんて世迷言を言ったなら、その甘ったれ根性は大した物である。養女にしてやろうか

 SBファルコンは背を向け、飛行を再開した。ジェットが気を取り直し、頭を振ってついてくる
 うん? とSBファルコンは疑問符を浮かべた。本来であれば、俺が案内される立場ではなかったか?

 まぁ良い、と何時もの様に適当に納得したところで、SBファルコンはまた停止した

 「……どうやら、航空警察隊は止められても、謎の襲撃者達までは抑えられへんようですな、“どこかの誰か”さんは」

 ジェットの目が鋭くなる。猫髭をぴこぴこ揺らし、鼻をふごふご動かしている

 次の区域との境目に、事務所へ突入を掛けてきた黒いアーマーの部隊が展開していた。今度は空を走れる人材も配備しているようで、その陣容は重厚である
 警察組織が動いていない所をみると、圧力を掛けたであろう“どこかの誰か”は、SBファルコン達の為と言うより、むしろ黒いアーマー部隊の為に圧力を掛けたのかもしれない

 壁に張り付いていたジェットが、重力に任せて地面に落下する。馬鹿みたいに高所で身を晒していては、狙撃してくださいと言っているような物だ
 SBファルコンは、既に道路に降り立っていた。急降下、後、足爪をビル壁面に食い込ませての急停止。巻き起こる火花を翼で振り払って、黒いアーマー部隊を睨みつける

 「どれ……、何故、我が「隼団」がアウトローどもの中で一目置かれているのか、宣伝していくか」

 街中では、幾ら“然るべき処”へ圧力を掛けたところで、やれる無茶に限界があるだろう。奴らは本気ではない
 そんな計算も、まぁ、あった


――


 SBファルコンは言った

 「いい加減ファルコンの前にSB付けるの面倒だな」

 以後、SBは省略する事になった


――


 ジェットに案内された場所で、ファルコンは顔には出さず驚いた
 マクシミリアンの所有物件らしい木造の館は、本当にパーティ会場だった。豪奢な身なりの連中が、ワイングラスを片手に話し込んでいる。ドイツもコイツも狸のような笑みを浮かべていて、一人として舐めてかかれそうな人物がいない

 苦い表情のままファルコンは門番に招待状を手渡す。そこから先はまたジェットがしゃしゃり出て、とある一室へとファルコンを導いた

 ジェット自身は部屋の外で待機する。中には、ただならぬ気配を纏った男がいた

 「大分はしゃぎまわったか」

 黒いタキシードをソツなく着こなす青年は、その癖妙に古風な雰囲気を纏っている
 頬にミミズがのたくったような裂傷の痕を持つこの青年こそ、泣く子も黙るマクシミリアン・ブラックバレーであった

 出身ロベルトマリン。孤児の身でありながら当時、軍の重鎮であったとある男の援助を受け、士官学校に入学。当然のように首席で卒業し、そのまま軍で功績を上げ続ける。今では彼の一声に逆らえるものは居ないと言われるほどの権力者である

 経歴から考えれば五十歳を過ぎた頃の筈だが、世界には外見が若いままなんて奴は幾らでもいる。人体改造と言う手もあるし、もっと根本的な所から、「老いる事の無い遺伝子」と言う手もある。そこまですることが出来ても、不死までは到達できていないが

 だからファルコンは、マクシミリアンの年齢も、外見も、特に気にはしなかった。他にもっと気になる事があったのだ

 どっしりと、無遠慮に、ファルコンはソファーに腰を下ろす

 「許可なく飛行禁止区域を飛び回り、航空警察隊員二名を病院送り。その後過激な逃走劇を演じて、最後には所属不明の武装テロ組織と戦闘行為と来たか。やりすぎだな、ファルコン殿」
 「何を言う。誰が手間を掛けさせたのか」
 「違いない。謝罪する。こちらも、思ったように時間が取れなくてな。揉み消しておこう」

 随分と耳が早い男だった。良いな、良いな、とファルコンは笑う。速いと言うのは強いと言う事だ。それは、情報の速さでも同じことだ

 「今時、亜人でない純粋な人間と言うのは珍しい。実を言えば、少々興味があったのだ、アンタにな」
 「ふ、気にするか?」
 「せんな。アンタらの世界でもそうだろうが、こちらの世界でも余り意味が無い。そう言うのは」

 パーティ用にオールバックにした金髪を撫でつけながら、マクシミリアンは愉快だと笑う。亜人の中には、純粋な人間を嫌う差別主義者も居た

 数世紀前、純粋な人間のみ感染する病が世界的に流行った。次第に数を減らしていく中で、人類は特効薬を開発する

 その薬は、病を駆逐するだけに留まらなかった。人間の肉体を頑健に、強靭に作り替える力を持っていた。そしてその強力な肉体の性能は、子孫に受け継がれている

 今となっては、亜人は戦闘能力で言えばピンからキリまで居るが、人類は強者しかいない、という認識が一般的だ。純粋な人間であると言えば、誰もが一目置いた

 「運び屋ジェットは役に立ったか。奴は若いが、目を掛けている。遠からず頭角を現しそうな者には、やはり好い印象を抱いていて欲しい」
 「くっくく、俺はこの世界で飯食って長いが、アンタにそんな話をされた覚えはないぜ?」
 「当時の私の腹心が、君の事を嫌いでね。泣く泣く接触を断念したのだ」
 「よく言う。なら、その腹心殿はどうした?」

 マクシミリアンの笑い方が、苦笑に変わった

 「私にも色々ある」
 「色々、ね。まぁ、それは良い。俺を呼びつけた理由を話して貰おう。まさか俺も、本当にお偉いさんのパーティ会場に招待されるとは思ってなかったんでな。碌に格好も付けてないんだ」
 「仕事熱心大いに結構、こちらとしても助かる」

 マクシミリアンが腕組みして、背筋を伸ばす


――


 マクシミリアンの振る舞いは、威風堂々としていた。

 「ファルコン殿、今君が関わっている仕事、異世界での活動についてだ」

 ファルコンは目を細めるだけだった。ファルコン率いる隼団の今の仕事など、この男程にもなれば知らない方がおかしい。立場的にも、保持する組織力的にも

 「私は……秘密裏に、だが、ジェファソン博士に援助をしていてな。異世界の事が公になってからは、ファルコン殿の仕事にも陰ながら協力させて貰っている」
 「ほぉー……。いろんな事が、ちょいと調子良く行き過ぎると思っていたが、成る程な。礼を言って置こうか」
 「こちらも打算あっての事だ。そしてその打算の内容が……これだ」

 マクシミリアンが黒い板を差し出してきた。掌に少し余る程度のサイズで、厚みは3cmほどもある
 それを受取ったファルコンは、手触りを確かめるように弄んだ。非常に軽い

 「特別な規格のメモリーカードでな。ファルコン殿が異世界に投入したソルジャーに、サポートメカを付けたろう? アレに少々の改修を加えれば、最適化するように中を組んである。しかし現存するどこの研究所であろうと、例えこれを搭載するメカ自身であろうと、解析はできない。私が保有する施設でなければな」

 待てよ、とファルコンが口を挟んだ

 「お抱えの山が、ちと枯れてきたらしいな」
 「あぁ」
 「ふん……、欲しいのは何だ。地下資源のデータか? ただの記憶装置がここまでデカイ訳あるか。コイツはマッピング装置か何かの類だろう。泣く子も黙るブラックバレーには、開拓者魂まで備わっていたのか」
 「……まぁ、マッピング装置、と言うのは中っているか」

 マクシミリアンがすんなりと認めたので、ファルコンとしては拍子抜けしたぐらいだ
 適当にカマを掛けただけだったのだから、受け流されればそれで終りだ。大体マクシミリアンの立場からしてみれば、それが中っていようが外れていようがどちらでも変わるまい

 ちりちりと、羽毛が焼かれるような気さえする
 ファルコンは身を乗り出した

 「鉱脈の探索なぞしてる暇はないぜ」
 「よく見える目を持っているのは良いが、深読みし過ぎだ」
 「へぇ、そうかい」
 「別に、異世界の文化とやらを調べたいだけだ。人の生活圏をうろちょろしてくれれば良い」
 「嫌でもうろちょろしなきゃならんだろうがな」
 「うろちょろついでに……。ファルコン殿のソルジャーに、“使えそうな友人”を沢山作ってきてもらえれば、嬉しいのだが」
 「……何故だ? 基本は不干渉だろう?」

 マクシミリアンが古風なハンドベルを振った。静かな佇まいのメイドが現れる
 気分が落ち着くお茶が欲しい、とマクシミリアンが言えば、メイドは鈴の音のような可憐な声で応え、部屋を後にする

 少し、沈黙した

 「何時までもそうではない。何れは、彼らと対話する事になるだろう。その内容はともかくとして、上手く交渉するには、相手の人となりを知っていなければな。異世界人ならば尚更だ」

 交渉、と言った。ファルコンは、鼻で笑った
 マクシミリアンが交渉すると言ったならば、それはきっと相手の脳天に銃口を向けながら行われるのだ

 それに、どちらかと言えばマッピングの方が本命に思えた。交渉相手の目星をつける為の情報より、異世界人達の生活圏をスマートに制圧する為の情報が欲しいのだ
各国上層部が牽制しあう状況ゆえの、情報を得るための苦肉の策か、とファルコンには感じられた

 「…………実質的に、コイツをコガラシに組み込んだら、後は何もせんでも良い訳だ」
 「これを知っている者は最小限に止めたい。具体的に言えば、ファルコン殿とこれを組み込む技術者……テツコという女だけに、だ。そして当然だが、他の組織に奪われることは絶対にあってはならない」
 「俺の部下が戻るのは三ヶ月後だ。それにナビロボのコガラシは、自動整備と簡易修理装置を搭載した最新鋭機で、大がかりな整備は必要ない。詰まりコガラシにそいつを組み込めるのは、順当に行けば俺の部下が戻る三ヶ月後。それまでに仕事が片付いちまったら、どうする?」
 「そこは融通を利かせて貰いたい。メイア3捜索の成功報酬の……そうだな、三倍の額を約束しよう」

 ファルコンは意図して大げさなリアクションをとり、ふざけたように肩を竦めて見せた

 「良いだろう、こちらに損はない。得ばかりだ。こんな話を持ってきてくれるとは、アンタは特上の客だな」

 ファルコンの言葉に満足げな笑みを浮かべて、マクシミリアンが手を差し出してきた
 ファルコンが握手に応じる。マクシミリアンの顔から、一気に緊張感が薄れた

 なるほど、気を抜いてみせるのも上手い

 「成立だな。詳しい契約内容については、後で人をやる」

 部屋の雰囲気が軽くなるのを待っていたかのように、ドアがノックされる。先ほどのメイドの声がドア越しに響く

 「失礼いたします」

 やはり、鈴が鳴るような美しい声であった。ファルコンはメイドの事などまるで気にせず振舞う

 「そう言えばなぁ、俺はアンタに返して置かなきゃならない物があるんだ」
 「ん?」
 「いやぁ、アンタもきっと覚えていると思うんだがな」

 メイドが一礼し、机の上にカップを置いた。紅色の液体が注がれる
 マクシミリアンが怪訝な顔をしながらもカップを手に取ったとき、ファルコンは動く

 メイドの手を翼でがっちりと拘束して引き寄せると、羽交い絞めにした
 左の翼で動きを封じ、椅子を蹴倒して立ち上がる。右の翼をひと振りすると、美しい青の羽が連なる隙間から、鉛色の刃が現れた

 「借りを、返しとかないとな」

 首筋にそれを突き付けられたメイドは、ヒ、と悲鳴を上げる

 「…………なんの心算だ、ファルコン殿」
 「ずぅーっと不思議でなぁ。なぜ今回の仕事が、俺の所にまで回って来たのかってな。あの時は、俺に受ける以外の選択肢はなかった。そんな状況だった。ご丁寧に手引きしてくれたのは、アンタだな? マクシミリアン」
 「根拠もなしに……動く男ではないな、君は」
 「俺の目が遠くまでよく見えるのは知ってるだろう。少しばかり本腰入れて調べたのよ。釣り合いが取れなさすぎるぐらいの大物に掠った時は、まさかと思ったが」

 マクシミリアンが座りながらも前傾姿勢になる。一瞬でも気を抜けば、飛びかかってくるだろう

 「話をして確信が持てたぜ。俺達隼団なら好き勝手に使い回せて、お手軽だとでも思ったか?」

 ファルコンは、己の翼の中で、メイドの体が強張ったのを感じた
 問答無用で足払いを掛ける。機敏に身を捻って逃れようとするメイドだったが、ファルコンの足爪が音を立てて開き、細い体を容赦なく踏みつけた

 「あぐッ」
 「化けの皮が剥がれてるぜ」

 怯んだ隙に、メイドを蹴り転がしてうつ伏せにさせる。その上で逃れられないように体重を掛けて踏みつけ、ナイフを突き付け直す

 ファルコンの目は鋭い。メイドの正体は、解っていた

 「よく鍛えられた小僧だ。メイドのカモフラージュまでさせて護衛をやらせる程度には、お気に入りのようだな、マクシミリアン」

 ロベルトマリンは雲に覆われているが、陽光がゼロかと言えばそうではない
 ファルコンであれば、紫外線の反射率で男か女か解る。コイツは男だ

 「確かに退屈しない仕事ではあるが、お陰でこっちは危ない橋を渡りっぱなしだ。おちおち寝ても居られん。押し付けられた仕事で泥を被ってんのに、押し付けたアンタはスーツ着て優雅にお食事会だ。フェアじゃないだろう?」
 「泥は被り慣れたかと思っていたが、ファルコン殿」
 「フ、違いない。だがな、マクシミリアン。今回一番汚ぇ泥被ってんのは、俺の養子でな」

 ファルコンの嘴の端が釣り上がる。凄みのある笑顔だ
 マクシミリアンは苦笑した。何事も無いかのように茶を口に含み、ファルコンの言葉を待った

 「雛鳥に泥被せっぱなしってのは、親鳥のする事じゃねぇだろう。俺が代わってやれねぇ以上は、アンタの所から泥被ってくれる奴を出してくれや」

 マクシミリアンは眼光鋭かったが、できる限り柔らかい微笑を表現しようと努めていた

 「ファルコン殿の親心には恐れ入る。その話、やぶさかではない」

 ファルコンが少年を開放する。少年は俊敏に跳ね起きて距離を取り、油断なく構える
 少年を静止するマクシミリアンに対し、ファルコンは今までとは正反対の恭しい態度で一礼する

 我儘と押して、ファルコンの自尊心は満足した。隼団として面子も保った。次はマクシミリアンの面子を保ってやらねばならなかった

 「アンタが度量の広い男で良かった。心から感謝する」
 「私の領域の内側。それがどういう事か解らぬ筈もあるまいに、大胆不敵なファルコン殿に免ずる」
 「……ふん、帰る。騒がせて申し訳なかった」
 「まぁ、待て」

 ドアノブに手をかけながら、ファルコンは振り返る。マクシミリアンは、ソファーの下に格納してあったらしい長剣を弄んでいた

 ファルコンは、かなり崖っぷちギリギリの火遊びをしていたらしかった。もう少しやり過ぎれば、長剣を持ったマクシミリアンと白兵戦になっていただろう
 それを理解して、ファルコンの毛は逆立った

 「“所属不明の武装テロ組織”の事だが……、何故昏倒させただけで放置したのだ? ジェットなら、解る。奴はまだ甘い」
 「アンタ、寒色系が好きなんだろ? その中でも黒は特別好みらしいな。暴れといて言うのも何だが、俺も、アンタとは仲良くしたいのだ」
 「それは光栄だ」

 カチン、と音を立てて、マクシミリアンの長剣が鞘に収まる

 ファルコンは目を細めて渋い笑みを送ると、堂々とした足取りで部屋を出た
 マクシミリアンよりも遥かに小さいが、同じくらい大きな背中であった


――


 ファルコンを見送った後、ジェットがマクシミリアンの部屋を訪れた
 馬鹿の振りをした馬鹿の面は健在だったが、些か顔色が青い。能天気な笑顔に、冷汗が滲んでいた

 メイドに扮する少年ルーク・フランシスカが、がっくりと項垂れる

 「そこのお子様は役に立たんかったんようですな」
 「あぁ、流石に百戦錬磨には敵わんようだ。……ジェット、ルークが制圧された時、よく部屋に突入してこず、踏みとどまったな」
 「うひゃひゃ、ファルコンさん相手に突っ込んでいく勇気が無かっただけなんよ」

 仕方のない奴だ、とマクシミリアンが苦笑する

 ルークは消え入りそうな掠れた声で、マクシミリアンに謝罪した

 「申し訳ありません」
 「相手が悪い。だが、諦めずに励めよ。今日はもう休め」

 泣きそうに顔を歪めたルークが退室する。ジェットが頭を掻きながら、困り果てたように言う

 「……あれで男やて言うんやから、全く」
 「部下から苦情が来ている。『ジェットが”折角の仕掛け”を活用せず、寧ろ率先してこちらを潰しにかかってきた』とな。上手く演技をしろと言っただろう?」
 「この血糊の事ですかいな。こんなモン、一目で見破られましたがな。それに喧嘩の相手に手加減して、『敵と繋がっている』なんて思われてもうたら」

 ジェットが毎度の様に、ぶるぶると首を振った

 「後が恐いやないですか。ファルコンさんには睨まれたくありまへん、今日、そう確信しましたわ」
 「……中々度胸がある。この私とSBファルコン、どちらが恐いか考えて、奴の方が恐いと判断した訳だ」
 「…………いや、そんな訳や……あらしまへんよ」

 マクシミリアンが背を向ける。窓の外を見れば、屋敷の敷地外から、ファルコンが飛んで行く所だった。航空警察隊に圧力が掛かっているのを良い事に、帰りの交通費を軽減する心算らしい

 ジェットが身を縮こまらせる。猫耳がピンと直立する

 「冗談だ、あまり怯えるな」
 「……あちらを立てればこちらが立たず、人生の難しさを痛切に感じていたところですわ」
 「まぁ、必ずしも満足いく結果とは言い難いが、一応奴の実力は見れた。今回の依頼はこれで終りだ、ジェット。下がって構わん」

 一方的に宣言して、マクシミリアンは立ち上がる。オールバックにしていた金髪を乱暴に掻き乱し、外出用のコートを羽織る

 「どちらへお出かけで?」

 気まずそうに尋ねたジェットを、マクシミリアンは無視することもなく、答えた

 「ジェファソンの顔でも見に行ってやるかと思ってな」


――


 「……解らないな。いや、話は解るが……マクシミリアン・ブラックバレーか」
 「剃刀よりもキレそうな男だったぜ」
 「黒いアーマー部隊はどう考えてもマクシミリアンの私設軍隊だ。何故そんな物を持ち出して、回りくどいやり方で、君を挑発するような真似をしたんだ?」
 「さてな」

 テツコの白い掌の中で、マクシミリアンのマッピング装置が踊る
 危険な代物だった。取扱いの面倒な爆弾だな、とテツコは評した

 埃被ったミーティングルームで向かい合う二人は、揃って疲れたような顔をしている

 やれやれ、と、どちらからともなく漏らした

 「まぁ、増援については願ってもない話だと私も思うよ。流石はファルコンだ」
 「ヤバイ仕事にゃ、自分の手駒しか投入できん物だ。そしてマクシミリアンの手駒ならば、無能は居ないだろう」
 「マクシミリアンの人材収集家気取りは、我々研究者の狭い世間でも有名だ」
 「まぁ、メイア3救出作戦にとっては、大きなプラスか。……ふん、前向きに行かんとな」

 ファルコンが、サングラスをたたんで仕舞った


――


後書き

 ハードボイルドアクションを目指した。
 うわぁ、下手こいたぁ。

 感想にて過分なお誉めの言葉を頂いて嬉しい限り。読んでくださって、ありがとうございます。



[3174] かみなりパンチ4 前篇 カザン、愛の逃避行
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:649cc66a
Date: 2008/06/18 11:41


 「テツコ」
 『解っているよ、ゴッチの懐に潜る。同時にコガラシ帰還の準備を始める。こちらの作業が完了したらコガラシは自動でワープゲートまで移動するから、もう話は出来ない。再びコガラシと合流するまでは、くれぐれも軽率な行動は慎んでくれ』
 「大丈夫だ。ガキじゃないぜ」

 コガラシが懐に潜り込んで、力尽きたように光を失った

 ――アナリア王国王都、アーリアへと到着したのである

 朝焼けに城壁が輝いていた。遠くから見ても気持ちの良い、堂々とした佇まいだったが、いざ門の前まで来てみれば更に壮観だった

 「漸くかよ……」

 眠るダージリンを背に負って、疲れたようにゴッチは呟く。遺跡から脱出して二日、夜通しで歩いた
 流石に疲労は禁じ得ない。背中に余分な荷物まであれば、尚の事である

 とは言っても、覚悟の上だ。夜を徹して進む事を選択したのは、ゴッチである

 本来なら疲労の激しいダージリンは置いて、先を急ぐ心算だった。コガラシに問題が発生した為、一度回収したい、とテツコの要請があったからである。コガラシを帰還させる前に、拠点となる街に到着しているのが望ましかった

 「この時勢だ。アーリアには、そう簡単には入れん。私が取りなせば話は別だが?」

 しかし、ダージリンの提案も、魅力的だった。地理に疎いというのも、まぁ、あったが


――


 門には門番と言うのがファンタジーのお約束だ。少なくとも、監視カメラとレーザーガンは配備されていまい
 そう思えば、真正面からでも堂々と近づける物だ
 果たして、門番は合計で六人も居た。開かれた門の左右に二人ずつ、城壁の上に、弓を装備して更に二人

 「誰か。身の証を示せ」

 欠伸をしながら近づけば、槍を突き付けられて誰何される。
 マジに鎧来てるよ、こいつら。思った事と言えばその程度だった。カッターシャツを分厚くしたような、黒い服の上に、磨きこまれた鎧が輝いている

 「俺の話を聞くよりも、コイツの話を聞いた方がすんなり行くだろうぜ」

 ゴッチが体を揺すってダージリンを起こす
 この数日で解った事だが、この女、酷く覚醒が早い。一声掛ければ、起きていたのかと思う程に気持ちよく目を開ける
 今回も、そうだ。ダージリンはパチリと目を開いて、直ぐに状況を理解した

 「到着したか、ゴーレム」
 「上手く頼むぜ、ダージリン」

 ダージリン、というゴッチの呼びかけに、門番達がたじろいだ

 「……ダージリン? ダージリン・マグダラ様ですか?」

 ダージリンがゴッチの背から降りて、居住いを正す

 「そうだ。元より報告などしていないが、遊行に出ていた」
 「はッ! 申し訳ありませんが、通行証を見せて頂きたく思います!」
 「落とした」

 ゴッチが、ダージリンの横顔をジロ、と睨む。ダージリンは鋭い視線でゴッチを見返す

 「川に」
 「成程」

 落とした、等と言われて、何故か門番の方が困った顔をしていた

 「私の屋敷に人をやってくれ。確認はそれで取る」


――


 そんなこんなで漸く辿り着いたダージリンの屋敷は、人は少ない癖に無駄に大きかった
 ゴッチは外から屋敷を見て口笛を吹き、応接間に通されてからも口笛を吹いた

 「でかい癖に使用人は少ねぇが、センスが……趣味が良いや。ダージリン、お前良いとこのお嬢様だったんだな」
 「北で兄が領主をやっている。故郷に居着かない私の為に、兄がここを用意してくれたのだ」
 「はん? ……まぁ良い」
 「何がだ」
 「何でもねーや」

 勘が働いたのである。ダージリンの言葉には、裏がある気がした。言い難そうな物を感じた
 何となく、ダージリンらしくない気がした物だが、別段興味が湧く訳でもない

 結局ゴッチはそこでその話を終わらせる。自室に戻る手間が惜しいのか、ダージリンは簡単に身を清めた後は、応接間で服を着替え、威儀を整えていた

 「今回の件、王に報告しなければならない。その他の事もある。数日ほど私は屋敷に戻らないが、貴方が良いなら何時までここに居てもらっても構わない」
 「ほぉ、ありがてぇ。拠点が必要だと思ってたのよ」
 「ゴーレムの旅の目的を聞いていなかったな、そう言えば」

 頬杖をついて図々しい態度のゴッチに、ダージリンは白い髪を梳きながら尋ねる

 当然、仕事の詳細を口外など出来る筈も無いが、ふとゴッチは思いついた

 「(そーだ、コイツに聞きゃ良いじゃねーか。ばっかでぇ、何で気付かなかったんだ俺は)」


――


 「ラグラン……。ラグランを探しているのか」

 当たりを引いた、とゴッチは思った。身嗜みを整え終えたダージリンは、ラグランと言う言葉にハッキリと反応を示したのである

 「知ってるみてぇだな」
 「確かに知っているが……どこでその名を」
 「何だ? 俺が知ってちゃ拙いのかい」

 ふてぶてしくゴッチが返せば、ダージリンは無表情ながらに険しい雰囲気を放った

 「ラグランは、アナリア王国の最東端にあった要塞都市の名前だ」
「最東端に“あった”?」
 「既に存在していない。あの都市は、十七年前に滅ぼされた。それに存在していた期間もごく短い。建設が開始されてから一ヵ月後、完成もしない内に消えた。ラグランの名を知っているのに、詳細を知らないのか?」
 「しらねーんだ。だが、穏やかじゃなさそうだな。戦か?」
 「…………まぁ、そうなる」

 また、言い難そうな気配を感じる。しかし、今回は放っておけない

 「らしくねぇぞ、何故言いよどむ。教えろよ。俺は本気で其処を探してるんだぜ」
 「その前に、もう一度聞く。何故ラグランの名を知っている。アナリア王国でその名は、ある意味魔術師である私以上の禁忌だ」

 今度はゴッチが言いよどむ番だった。ちろ、とテツコがするように舌を出して、ゴッチは瞬く間に考えを纏める

 「俺は、なんつーかな。とある良い処のお嬢ちゃんを探し出して、無事に親元まで帰してやる為にアナリアまで来たのよ。それが仕事な訳よ。その嬢ちゃんは旅をしててな、ちょっと前までは近況を報せる手紙を送ってきてたらしいんだが、それがぷっつり途絶えちまって。それで俺が捜索に駆り出された訳だ。で、その嬢ちゃんの最後の手紙に」
 「ラグランの事が書いてあったと。滅びた要塞都市から手紙が届いたと言うのか」
 「そこまで過剰に反応するのは何故だ? ラグランを知っている事が、そんなにも可笑しな事か?」

 ダージリンが赤い瞳を細めた。真っ直ぐに睨みつけるゴッチの圧力に負けたか、顔を背ける

 「……今は時が惜しい。ゴーレム、貴方には恩がある。教えろと言うならば教えよう。だが、また次の機会にしてくれるか」
 「あぁん? ダージリン……」
 「貴方は、恐らく嘘を吐いているな。もしくは全てを語っていないか。貴方が何でも素直に話す気性でないのは、ここ数日の付き合いで理解している」

 虚実を織り交ぜた説明は、その饒舌さから尚の事ダージリンに疑念を与えたようであった
 ゴッチは苦笑する他ない。この女は、勘が良過ぎる。しかもこちらの嘘を察した上で、それでも構わんと言い切る度量があった

 馬鹿野郎、格好良いぞテメェ

 「…………あーあー、構いやしねぇ。次の機会まで大人しく待つさ。今回は、何時になく多弁なダージリンを見られたって事で、我慢しとくぜ」

 ダージリンの目が、す、と柔らかくなった。……ような、気がした、ゴッチには
今まで誰の顔色も窺わずに生きてきた自分が、小娘一人の表情を読む事に神経を注いでいる。そう思うと、ゴッチは何だか馬鹿らしい

 ダージリンは何処から取り出したのか、黒いローブですっぽりと体を包む。初めて出会った時に来ていた、あの巨大なローブだ
 顔も何も見えなくなる。あれを着るのであれば、そもそも身嗜みなどどうでも良いのではなかろうか
 ゴッチは立ちあがって、ダージリンに近寄った

 「手の平出せよ」
 「?」

 ローブの裾が捲られて、小さくて白い手が現れる

 ゴッチは差し出されたダージリンの手と自分の手をパチンと打ち合わせた。サムズアップすれば、ダージリンがくぐもった声で笑った

 「お前も色々と面倒臭そうだ。グッドラック……あー……、まぁ、幸運を祈っといてやるぜ」
 「……感謝する。君の使い魔……テツコは?」
 「ちょいと今は話せない」
 「そうか。ゴッチもそうだが、貴女と話すのも面白いな、と伝えてくれ」

 す、と頭を寄せてくる。辛うじて聞き取れる程の小さな声で、ダージリンは言った

 「件の裏切り者が、この屋敷に居ないとも限らん。居たところで貴方に害をなす理由など無いだろうが、ここを使うなら……」

 途中で思い直したように言葉を切った

 「いや、貴方程の魔術師に、言うまでもない事だったな」

 ダージリンが足早に応接間から出て行く。入れ替わるように、屋敷の召使らしき女が入ってきて、部屋の用意が出来たと報せてくれたが、ゴッチはそれをぞんざいに追い払う

 「チ、アシラとやらの事も聞けば良かったぜ」

 ブルブルと懐が震える。コガラシがステルスモードを解除して懐から飛び出し、赤色に光った
 ゴッチは慌てて窓に駆け寄り、開け放つ。コガラシは猛スピードで其処から外に飛び出すと、急上昇して飛んで行った

 普段はエネルギー効率を考えてそれほどスピードが出ないが、飛ぼうとすればあんな物だ。あっと言う間に遥か彼方へと飛んで行くコガラシを見ながら、ゴッチは溜息を洩らす

 「タイミング悪いぜ……」

 相談したい事もあったんだがな。その独り言は飲み込んだ。独り言とは言え、らしくなさ過ぎた


――


 キーボードを二つに付け加え、空間投影型タッチパネルディスプレイを駆使しつつ、テツコは呟く

 「ゴッチ一人で大丈夫かな?」
 「心配要らんさ。アイツは何があっても生き残る。今までもそうだった。恐らくこれからも」
 「実力を疑っている訳じゃない」

 ファルコンが葉巻を銜えながら、テツコの前の画面を覗き込む。テツコが煙を嫌って、ファルコンを追いやった。肩を竦めるファルコン

 「ゴッチは……何と言えば良いのか。面倒事を避けても、揉め事を避けるタイプじゃないだろう? 混乱が好きで、同時に混乱に強い。騒動に出会えば、それを拡大させる気質……のような気がする」
 「オイオイ、カウンセラーの物真似か。いきなり人様の息子を酷評してくれるな」
 「うん? そう言えば、異世界に進入してから既に一週間程経つ。その……ゴッチの性格は兎も角として、生理現象の方は良いのか? ……まぁ、性的な意味で」

 テツコが手を止めた。作業が一段落したらしかった
 ファルコンは少し沈黙して、煙を吐き出すと、普段と変わらない声音で言う

 「大丈夫だ、アイツの性癖はちと特殊だから」
 「特殊ねぇ……」

 ファルコンの言葉は、ゴッチの人格への信頼から、と言うわけではないらしい
 事実として述べている。そんな響きを感じて、テツコは首を傾げた


――


 結果から言えば、テツコの懸念は的中していた
 ゴッチ・バベルは御すのが難しい男だ。問題を起こすな、軽率に動くな、と言っても、聞きはしない

 それは取り敢えず酒場で起こる


 ゴッチは、コガラシと再合流するまでは何をするのもかったるいと考えて、今は酒場でくだを巻いていた。自分がこちらの世界の金銭を持ち合わせて居ない事など、すっかり忘れていた

 まるっきり古風な王都の街なみは、どう贔屓目に見てもそれほど文化レベルが高いとは思えない
 しかし冒険者の存在があるためか、宿屋と飲食店は発達している。馬鹿に出来ない人数が居るようだった

 「流石異世界。酒の匂いまで面白いぜ」

 酒杯を空けて、ゴッチは熱い息を漏らす。異世界の酒は、それほど度数は無いが、癖のある匂いをしている
 酒は美女、と評する奴が、ゴッチの知り合いには居る。そいつに習って言うなら、コイツは癖のある美女だな、とゴッチはニヤニヤ笑う

 金も無い癖に遠慮なく飲み続けて、三十分ほど経過した。この程度で後ろめたさを感じていてはアウトローはやっていられない

 頭の中で、酒代踏み倒して逃げる算段を考えている時、ゴッチは一人の男を見つけた
 見つけたと言うよりも、否応なしに目が引き寄せられた

 酒場の客は、筋骨隆々とした男達が殆どだ。皆傭兵か冒険者の類と想像できるが、困った事にどちらがどちらか等と判別できない
 つまりどっちだろうが同じようなモンって事だろ。そう結論して、ゴッチ
 今しがた見つけた男も鍛えこまれた体駆を持っていたが、周囲とは何やら違っている

服は、門番の兵士達が鎧の下に着ていた物に似ていた。細部に装飾がしてあって、ただの兵士達の物より上等に見えた。荒くれ者が着るに相応の服とは言えまい
 腰には薄汚れた布ですっかり巻かれた剣を下げていて、それも何故だか目を引いた

 何より気配がでかい。只者ではない雰囲気がある

 「(あそこだけ空気が違ってやがるぜ)」

 黒髪がしなやかに、うなじまで伸びた男で、酒場の主と机を挟んで親しげに会話している。ゴッチは酒瓶を行儀悪く口に銜え、玩具を見つけた子供のように笑った

 ゴッチが見ている内に、酒場の入り口から女が入ってきた
 これは驚くべき事だった。男ばかりのむさ苦しい酒場に、女が一人きりで入ってきたのだ
 腰どころか太腿にまで届く、長い、こちらも黒髪の、しかも美人である。ゆったりとした旅装の女は、
一度酒場の中を見回すと、お目当ての人物を見つけたのか、足早に移動した

 移動した先に居たのは、ゴッチが注視していた男だった

 「ほぉー……女連れねぇ?」

 異世界の酒場のマナーなどゴッチは知らないが、気軽にデート出来る場所でない事くらい、解る
 或いは他の酒場では普通なのかも知れんが、ここは違う筈だ。だって、女は今入ってきた一人しか居ない

 ゴッチの記憶が確かであれば、身体能力が強化される前の人類は、男性体よりも女性体の方が力が弱かった筈だ
 異世界まで同じなのかは知らないが、ゴッチの世界の人間の、純粋な人類のみが掛かる病――ビッグボム病――が流行る以前の身体能力と、この異世界の人間の身体能力を同一視して考えるなら、こんな荒くれ酒場に女を伴うのは可笑しい筈だった

 酒場の主が、男と女に同じ酒を提供する
 良い雰囲気で呑んでいた。ゴッチは背中にムズムズする物を感じて、立ち上がった


――


 「ひゃっひゃっひゃ……儲かりまっか?」

 ゴッチは乱暴な音を立てながら、並んで座る男女の、男の左を選んで座る

 「……さて、まぁまぁと言ったところだな」

 男はゴッチの気配に気付いていたのか、少しも動揺した様子がない。それはゴッチのギラギラした目を見ても変わらなかった
 女の方は、ゴッチのただならぬ気配に身を竦めていた。不安げに、男の腕を掴む

 「アンタ、良い服着てるじゃねぇか。美人さんと良い雰囲気で、懐もあったかそうで良いねぇ」
 「お前も、見慣れない服装であれど、良い仕立てだと感心していたのだがな。乞食か?」

 嘲笑を含んだ猫撫で声で言えば、男も見下したような視線で返す
 見下している癖に、妙に真直ぐで堂々とした視線だった。真正直にこちらを馬鹿にしていた

 「そうさなぁ、アンタに恵んで貰うのはまぁ当然として、そちらの素晴らしい美人さんも置いて行って貰おうかね」

 これがこの男を挑発するための必殺技だ、とゴッチは確信していた。果たして、男の視線が鋭さを増す

 ここにきて、酒場の主が仲裁に入ろうと身を乗り出すが、他でも無いゴッチの挑発で気配を変えた男自身がそれを制止した

 「本気でないのは、まぁ解る。お前は一度も彼女に物欲しげな眼を向けていない。が」

 男が、腕を掴む女の手をやんわりと解かせて、酒場の主に詫びた。「店主、済まんな」

 次の瞬間、男が持つ酒杯が逆様になり、ゴッチは香りのよい上等の酒でずぶ濡れにされていた

 「挑発に乗ってやるぞ、乞食」
 「……おう、店主、ここの酒はどれもこれも匂いが良いなぁ」

 ゴッチは少しだけ舌を出して、頬を伝う酒を舐め取った
 椅子を蹴倒して、立ち上がる

 「殺るかい、色男!」

 色男が腰の剣を外して、女に放り投げた


――


 さぁて、どうやろうかな、とゴッチは舌舐めずり。ゴッチの全力全開と言えば、体内電流で細胞を刺激して身体能力を高め、余剰電力を放出しながらの白兵戦だが

 喧嘩して相手這い蹲らせるなら、条件は対等じゃなきゃいけねぇ
 いや、対等じゃなくても良いが、有利なのはいけねぇ。対等か、不利かだ
 そう言う状態で勝ってこそ、負けた奴ぁ屈辱に塗れた顔をする
 そういう面が見てぇんだ。それでこそ誇れる

 ゴッチの方針は定まった


――


 「訳有りで名乗ってはやれん」

 男の発言に、ゴッチは構いやしねーよ、と笑いながら飛びかかった

 いきなり全開の右拳。身を捩る男の頬を掠め、空を刈る
 男とゴッチの顔が、共に驚愕に染まる

 「(避けたかい)

 一発でダウンを奪う心算だった。本気の拳である
 ワクワクしていた

 「(やっぱりコイツぁ、当りかも)」

 ゴッチが身を引こうとすると、男がそれに合わせて踏み込んでくる
 引き戻そうとする右拳に左手を添えて、ゴッチの脇を狙っていた。投げるか、組み伏せるか、どちらにせよ密着状態を狙っているのを本能で悟る

 咄嗟に膝を打ち上げた。それが男の顎に命中したのは、実を言えば全くの偶然だった

 良い塩梅に男の動きが止まる。頭で思考したことではない、体に染みついた反応で、ゴッチの右拳は男の米神を打ち抜いていた

 「あれ? 当たっちまったぞ?」

 男が勢いよく吹っ飛んで、酒場の出入り口から転がり出て行く
 女が悲鳴を上げる。甲高い叫び声は、ゴッチは嫌いだった

 「カザン!」
 「ほぉ、カザンね。近来稀に見る逞しい名前だぜ」

 ゴッチが、外へ出ようとする女の肩を掴んで、酒場の主の方へと突き飛ばす
 喧嘩も出来ねぇような、弱ぇ奴に邪魔させねぇ。ゴッチはカザンが転がり出た後、反動で閉まった酒場の扉を蹴破って、王都アーリアの大通りへと躍り出た

 「おう、どうしたぁ! 1ラウンド目開始十秒で早くもダウンかぁ?!」
 「何を喚いているのか今一解らんが」

 飛び出した直後、横合いから聞こえてきた声に、ゴッチの体が硬直する

 先ほどの一撃は、確かに偶然の産物ではあった。しかしクリティカルヒットには違いない。ゴッチの鉄拳でクリティカルヒットと言えば、それはもう生身には筆舌に尽くし難い威力の筈だ
 もう立てるのかよ。声の聞こえてきた右側を向こうとした瞬間、横面に手袋付きの拳が突き刺さる

 今度はゴッチが吹っ飛ぶ番だった。カザンと言う男は怪力で、その威力を余す所なく受け止めたゴッチは、錐揉みしながら宙を舞い、頭から地面に突っ込む

 「づぁー……効いたぜ」

 仰向けに寝転ばされて、ゴッチに完全に火がついた。見開いた眼が血走って、腹の底が熱くなる

 身を撓らせて跳ね起きるゴッチに、カザンが眉を顰める

 「立つか、今ので」
 「一発ぐらいで沈むかよ」

 カザンが仁王立ちする。堂々とした佇まいは、矢張り変わらない
 ゴッチが首周りを緩める。赤み掛かった鋼の肉体の上で、銀のネックレスが輝いた

 「余裕綽綽って面しやがって。俺ぁな、手前みたいな奴を見ると思い知らせてやりたくなんだよ」

 子供のようにゴッチは笑った。歯を剥き出しにした笑顔で、犬歯が光る

 己で己の獲物を封じた相手だ、搦め手はねぇ。そもそも、喧嘩に搦め手はいけねぇ
 だから、真正面だ。真っ直ぐ行って右拳で打ん殴る。それしかねぇ

 両足が地面を抉る。ゴッチは、再び飛んでいた

 「身の程って奴をなぁーッ!」


――


 野次馬に周囲を取り囲まれての喧嘩は、凄惨であった
 ゴッチの拳が刺されば、同時にカザンの拳も刺さっている。カザンの拳には最初、僅かばかりの加減があったが、激しく競り合う内にその必要は無いと悟ったようだ

 ゴッチの心は震えていた。こういう男がゴロゴロしているなら、異世界を益々好きになれそうだった

 「何者だ、貴様」

 鼻と口から夥しい血を流しながら組みつくゴッチに、右の瞼が腫れ上がって開かないカザンが問う
 答える前に、密着状態から膝。腹に突き刺さるそれに、カザンは歯を食いしばる

 「ゴッチ、ゴッチ・バベル」
 「聞いた事がない。お前ほどの男、勇名か悪名か、聞こえて来ない筈があるまいに」
 「ひっひっひ、さぁてな」

 カザンの頭突きが炸裂した。ゴッチの頭が激しく揺さぶられ、たまらず膝から力が抜ける
 追い込むように、二発目、三発目の頭突き

 「手前だって、思ったよりやるじゃねーか」

 胸倉を掴むカザンの両手を押えこみ、ゴッチは自ら膝を折った
 肘を振り回すようにしながら体を捻じり、カザンを地面に引きずり倒す
 そのまま澱みない動作で、右腕をカザンの首に回した。裸締め、チョークスリーパーだった

 周囲の野次馬がどよめいた。荒くれ者の男と女が半々ずつといった所で、その内の幾人かが、「よぉし決まった!」と歓声を上げる

 「決まったぜ。どうもこうも無ぇ、完璧に決まったコイツは」
 「ぬぅ…ッ!」
 「絶対に抜けらんねぇからよ」

 絞め落とす、と更に力を込めるゴッチの体が引き摺られる。カザンが強引に体を捻じって、うつ伏せになろうとしていた

 顔が真っ赤になっているのを見て、ゴッチは締まり方が完璧でないと悟った。今カザンは、顔面が内側から圧迫されて、破裂するような感覚を味わっているのだろう
 そう言う時は、頸動脈への攻めが甘いのだ。頸動脈を綺麗に抑え、血流をピタリと止めてやると、物の五秒で肉体の自由は失われ、意識だけが異世界へ飛んで、テレビ画面越しに景色を眺めているような感覚になる筈だ。もし肉体の構造が違うのだとすれば、その限りではないが

 うつ伏せになったカザンが、ゴッチを背負ったまま起き上がる。そのまま我武者羅に体を振り回して、酒場の壁にゴッチをぶつけた

 だが、離さない。ゴッチの口端がいやらしく釣り上がる

 すると、カザンが飛んだ。まずい、と思う暇も無い
 己と、ゴッチ。二人分の体重を物ともせず飛び上ったカザンは、頭から突っ込むようにして地面に落ちた。当然、カザンよりも頭一つ分高い位置でチョークスリーパーを掛けていたゴッチは、一人だけ地面とキスをする破目になる

 流石にゴッチも怯む。その隙に、チョークを解除したカザンが、激しく咳き込みながら距離を取った

 「げほ、げっほ、……頑丈な男め、普通死んでいると思うのだが」
 「普通じゃ無いのよ、俺。お前も、そこいらの奴と同じにゃ見えねぇ」

 ゴッチはフラフラしながら、それでもカザンより早く立ち上がる
 肉体の能力は、互角だ。これは驚くべき事だった。カザンの肉体は、恐らく異世界の人間の平均的な身体能力を遥かに凌駕している

 カザンの力が一般的な物だとしたら、エピノアや死霊兵等がのさばれる筈もない

 「(だが、負けねぇな。テメェの動きは獲物使ってる奴のソレだ。レーザーブレード使ってる奴が良く似た反応をするんだ)」

 カザンが立ち上がる。ゴッチは無理にでもニヤニヤと笑った。余裕を見せ付けて、それからステップを踏む。超密着状態でのレスリングはここまでだ

 両の拳を顎の前に構えた。ここからはボクシングだった

 「(こちとらずーっと二本の腕で生きて来たんだぜ。殴り合いで剣士に負けてられんのよ!)」

 オォ、と咆哮したゴッチが突っ込もうとした時、野次馬の一角が破られる


――


 黒い服の上に鉄鎧を着込んだ六人組の兵士達。騒ぎを聞き付け、鎮圧に乗り出した。一人だけ鉄兜を装備していない指揮官らしき女が、猛々しく告げた

 「止めよ! 止めんか! これ以上市井を混乱させるのであれば、厳罰に処す!」
 「ヒュー、勇ましい御嬢ちゃんだこと。けどなぁ」

 中指をおっ立てて、ゴッチ

 「お呼びじゃないぜ! クソして寝てな!」

 野次馬が一斉に囃し立てて、ゴッチに賛同した。指揮官の米神に、青筋が浮き立つのが解る

 「決着付けようや、カザン」
 「いや、ここまでだ」
 「あぁん?」

 カザンがいきり立つゴッチに、静かに歩み寄った。殴りかかって来る気配はない

 カザンは極めて至近距離にまで近寄ると、小さな声で話しだす。周りには、あまり聞かれたく無いらしかった

 「訳有り、と言っただろう。俺としても惜しいが、これ以上はやれん。決着は次の機会まで取っておいてやる」
 「取っておいてやるだ? 馬鹿かテメェは!」

 小さな声でぼそぼそと言うカザンは、殊更小声で話し出した

 「俺の名はカロンハザンだ。良いか、カロンハザンだ。お前とはもう一度戦う。絶対にだ。それまでこの名を忘れるな」

 それだけ勝手に言うと、カザンは野次馬を押し退けて歩き出す。野次馬の中で泣きそうな顔で見守っていたカザンの女が、その胸に飛び込む

 「おい、何故だ!」

 訳有りなんだろう、何故名乗った。それだけが疑問だった

 「お前にだけは逃げたと思われたくない」
 「カザン、止めて下さい! あぁ、酷い傷。早く行きましょう、手当します」
 「上等じゃねーか、楽しみにしてっからよ! テメェをぶちのめすのをよ!」

 カザンは足もとがぐらついているようだった。一方、ゴッチはまだまだピンシャンしている
 タフネスでも勝っている。周囲の野次馬がブーイングするのも構わず、満足げにニヤリ笑いしたゴッチは、トントンと肩を叩かれて、振り返った

 「うぉッ」

 超至近距離に、女兵士の顔があった。余りの近さにゴッチが仰け反る程であった

 「御終いか? そうであれば、この野次馬どもを散らして、どこでも良いから、とっとと、失せろ! お前が下らない騒ぎを起こさなけりゃ、私はこれから非番の予定だった。この、糞ったれた、大馬鹿者め、目立ちたければ他所でやれ! せめて私の管轄でやるな!」

 茶色い髪が怒気で逆立っているようにすら見える。女兵士は、キレていた
 眼の下に濃い隈があった。背後に控える部下の兵士達も似たような物で、形相が凄まじい

 ゴッチは自分が殺気を仕舞い切れていない事に気付いた。結構背筋に来る物の筈だが、それでも突っかかって来るとは大した胆力だ。ゴッチは、場違いにも感心していた

 ほんの少し、悪戯心を出してみた。軽い実験の心算で、ゴッチは中指を立てて女兵士を挑発した

 「お呼びじゃねぇっつったろ。家帰って大人しく寝てろ」

 ぐわ、と女兵士が大口を開いた。怒りの拳がゴッチの横面を張る
 そのまま何と、背後の部下の槍を奪い、ゴッチに飛びかかろうとまでする。部下達が必死になってしがみつき、それを抑えつけた

 「うわぁぁーッ! 放せぇぇーッ! 倒す、倒す! ここまで罵られて怒らない奴はアナリア銀剣兵団じゃないぜッ!」
 「べ、ベルカ隊長! 抑えてください! 殺るのはやりすぎです! どうか寛大な心で!」

 ゴッチは思わず噴き出した。こんな愉快な連中のお陰でカザンとの決着を着け損ねたのかと思うと、苦笑が浮かぶ

 カザンに付き添うあんな弱々しい女も居れば、ゴッチの面を張り飛ばすこんな強い女も居る

 お前見たいなのがいなければとっくの昔に家に帰って寝ている! と叫ぶベルカとやらに、ゴッチはゆっくり歩み寄った

 そして、肩に手を置いた

 「まぁ、運が悪かったな」

 ベルカの全身が弛緩し、膝が崩れ落ちる。押し殺したような鳴き声が聞こえた

 「頼む、お前たち……。頼むから、何も言わず、あの男を殺らせてくれ……! 他には何も要らない。お前たちには私の心が解る筈だ……!」
 「うぅぅ、隊長駄目です。貴方は、そんな事をしてはいけない、ベルカ隊長……」

 ゴッチは後退りして呻く

 「お前らアホだろ」
 「鼻血流した阿呆面に言われたくない!」


――

後書き

詰め込みすぎてもアレなので、一話の文量減らしてみるテスト
決してダルくなった訳では

……訳では




[3174] かみなりパンチ5 中篇 カザン、愛の逃避行
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:649cc66a
Date: 2011/02/28 06:19
 アナリア銀剣兵団、とか名乗る兵士達を嘲弄したゴッチは、詰所まで連れていかれて凄まじい形相で説教を受ける羽目になった
 こういうとき、反抗していいのかどうかの境界を見定めるのが、ゴッチは苦手である

 本心を言えば誰にも偉そうな面をさせたくないのがゴッチだ。しかしアウトローとして、国家権力に逆らうのがどれほど危険なのかも重々承知している
 ロベルトマリンでなら匙加減も解るが、ここは異世界だった。付け加えれば、こちらには自分の後ろ盾となる物が何もない

 いや、あるか。ダージリン・マグダラという名は、アーリアではかなり売れているようである
 という訳で、試してみた。詰所で説教を食らい始めてから、三十分もした頃であった

 「グダグダと偉そうに。俺はダージリン・マグダラの客分だぜ。説教垂れる前に確認取って、自分の地位と擦り合わせてよーく進退を考えた方が良いんじゃねーか?」

 情けない発言の上に、ゴッチに説教を垂れる人物、ベルカには逆効果だったから堪らない
 圧力をかけるどころか、火に油を注ぐ結果となる

 「甘ったれんな……! お前みたいな奴が権力振り翳して好き勝手するからこの国はこうまでなったんだ。この俗物の、根性無しの、権威主義者の腐ったような奴め」

 机越しににじり寄るベルカ。うぉ、と仰け反るゴッチ。この女、阿呆の癖に権威主義者なんて難しい言葉を

 「(んな事言ったってなぁ。コネは使ってナンボだろーが)」
 「家名を言ってみろ、家名を。他の木端役人は知らないけどな、私は、例えお前がどんな大貴族だろうと、悪事を見逃したりしないぞ」
 「家名って。……俺はゴッチ・バベル、バベルが家名って事になるが……、俺が貴族なんて大げさなモンに見えるのか?」
 「へ。違うのか」
 「ちげーよ。んだぁ?」

 ベルカが隈のできた目元を押えながら、少し黙る

 「褒める訳じゃ無いが。良いか? 褒めてないからな。お前って口は乱暴だが、話す内容には教養が窺える。だから、甘やかされて育ったどっかの貴族のボンボンだろうと……。着てる服も一風変わってるし」
 「ひゃっひゃっひゃ、学があるなんて言われたのは初めてだぜ。だがよ、もし俺が貴族なんてけったいなモンだってんなら、ダージリンの名前出す前に普通に名乗っとるわ」
 「……チ、笑うな。再三言うが、褒めてはいないからな」

 教育レベルの差かね、とゴッチは口をもごもごさせた。ゴッチは学問など碌に修めていない。そして積極的に知識を得ようとする性格でもない。当然教養があるなどと誉められたことは今まで一度もなかった

 しかし、馬鹿のゴッチでも教養がある方に分類されてしまうのが、異世界らしかった。別に嬉しいことではないが、異世界様様だわ、と一応思っておくことにした

 「まぁ、良いわ。お前の性格はよぉーく解った。やり辛い相手だぜ。だが、何時まで俺をここに置いとく心算だ?」
 「お前……反省しない奴だなぁ」
 「反省も何もよ、俺ぁ確かに喧嘩やらかしたが、喧嘩以外は何もしちゃいねぇんだぜ。何を壊した訳でもねぇ、誰を殺した訳でもねぇ、ちっとばかし、喧嘩相手の面が腫れ上がったぐらいのモンだ」
 「騒乱罪だ、馬鹿。反乱軍の策謀でピリピリしてるこの時期に……」

 策謀の下りで、ゴッチは眉を顰める。時期が拙かったと、今更気付いた。内乱中なのだ
 しかし、苦り顔を打ち消すようにして、嫌らしく笑ってみせる。それを見て、今度はベルカが怒り顔

 歯を食いしばってギラリと犬歯を覗かせた表情が、何とも勇ましい。気性の真直ぐな番犬のような女だ、とゴッチは評す

 「喧嘩の原因は?」
 「……別にぃー? ただあの男が超色っぽいねーちゃんを連れてたからよ。ついつい羨ましくなっちまってな」
 「女絡み? その口ぶりだと、お前が一方的に絡んだみたいだけど」
 「あぁ、そうだよ。俺が売った、アイツが買った。だから派手に喧嘩した。そーいう事」
 「このバカヤロー! そんな詰まんない事で私は苦労背負込む羽目になったのか! 面白過ぎて鼻血が出るぜ!」
 「うお、何だよ、いきなりキレんな。鼻血出てんのはこっちだっつーの。ってかな、もう三十分もこの状態なんだぜ、いい加減顔ぐらい洗わせてくれても良いんじゃねーのか」

 血が凝固して、軽く擦るとパラパラ落ちる

 「大体詰まんねーのか面白いのかはっきりしろってんだ」
 「下らないあげ足を取るな!」

 顔色の悪い兵士が入ってきて、水の入った桶をどん、と置いた。桶の縁には濡れた布が掛けられている

 「……へへ、何だ、妙に親切だな。ありがとうよ」
 「……取り敢えず、もう良い。顔を洗ったらとっとと帰れ。二度とアナリアで暴れるなよ。私は疲れた。寝る」

 首を鳴らすベルカは、投げやり気味に言った。ゴッチにしてみれば、好都合であった

 「ベルカ隊長、ボコボコにしなくて良いんですか。舐められまくってますよ」
 「気に入らないからと言う理由で民を傷つけたら、ソイツはもう兵士じゃない。刃を呑んで死ぬべきだ。というか、コイツの相手をしてる余裕が無い。もう寝たいんだ、私は。だから寝るんだ」

 ぶつぶつぼそぼそと言い合う兵士二人を見やりながら、ゴッチは鼻と口を乱暴に拭う。パリパリした感触が消えていき、何となく落ち着いた

 「説教終わったんなら、行くぜ、俺は」

 犬を追うように、手をシッシッ、と振るベルカ
 ゴッチはナニコラ、と恐い顔をしながらも、それ以上は何もせず大人しく出て行く

 「隊長?」
 「構わない、所詮は市井の喧嘩だ。直ぐに場が収まった以上、本当ならここまで引っ張って来る事も無かったぐらいだろ」


――


 慣れない地理に迷いながらも、ゴッチはダージリンの屋敷に帰り着く。既に夕刻であった
 顔を覚えていた門番に丁寧な礼をされ、気の利く侍女の治療の申し出を断り、ゴッチは宛がわれた部屋でぐったりとする

 怪我が痛いのではない。後数時間あれば、擦り傷も切り傷も、全部跡形もなくなる

 酷く気疲れしていた。異世界に進入してからの強行軍のツケが、今日の騒動で一気に顕在化したかのようであった。本人も気付かない内に、蓄積しているストレスがあった
 ゴッチは夕食も取らずに寝入った。体力の限界まで遊び疲れた、子供のような有様だった

 翌日、朝食を運んできた侍女をひっ捕まえて、ゴッチは質問した

 「お前、カロンハザンって奴を知ってるか?」
 「はい、存じております」
 「そうか、まぁ早々知ってる訳ねーやな」

 下がって良いぜ、と言うと、侍女は深く一礼して、退出しようとした
 あ! と叫んだのは、ゴッチだ。思わずギャグをかましてしまったではないか

 「待った、知ってんのかよ」
 「はい、存じております」
 「チ、何だよ……。まぁ良い、知ってんなら説明しろや」

 クスクス、と侍女はたおやかに微笑んだ。今ので精神的優位に立たれたような気がして、ゴッチはベッドの上で足を組み、むす、と拗ねた顔をする

 「ゴッチ様は遥か遠方から旅をされていると聞いておりますが、アナリア王国の中でも南の山岳部に位置する、炎の神殿の事を知っておられますか?」

 いや、知らん、と首を振るゴッチ。ではそこからお話しさせて頂きます、と侍女は、また微笑む

 「炎の神殿は所謂俗称で御座いまして、本来はカノート神殿と言います。アナリア王国では知らぬ者が居ないと言われるほどの所でして」
 「なんか、観光地みてーな乗りだな」
 「絶景の地、と言われておりますが、残念ながら極めて閉鎖的な体制で、観光などは望むべくもないでしょう」
 「閉鎖的ねぇ? それで、その引き籠り神殿がどうした」

 ゴッチの言い草に、侍女が肩を震わせて笑いを堪えた。引き籠り神殿と言う物言いが、非常に気に入ったようである

 「うふ、まずはお聴き下さい。その引き籠り神殿で御座いますが、代々神殿の長となる方は、炎を操る魔術師と定められておりまして」
 「ほぉ。……そりゃ御大層な事だが、魔術師ってのはかなり数が少ないんだろう? 俗世間に係る奴となれば更に居ないって、自分の事を棚に上げてダージリンが言ってたぜ。そんな都合よく、炎の魔術師ばかりが見つかるモンなのか」
 「都合よく、と言いますか」

 侍女が、俄かに考える素振りをしてみせる

 「神殿の長たる者が子を成せば、その子は必ず炎の魔術の素養を持って生まれてくるのです。事実上神殿の長の子がその職責を継ぐことになり、そして二人以上同時に生まれてくる事は絶対にありません」

 なんだそりゃ、とゴッチは言った。すっとぼけたような顔をしていた
 なんでございましょうかね、と侍女は笑う。先ほどから、コロコロとよく笑う女だった

 「魔術師の素養に血筋は関係無いと言われております。歴史に名を残すような魔術師でも、その力は一代限りで、子に能力が受け継がれると言う話は聞いた事がございません」
 「引き籠り神殿の長とやらだけが例外だと?」
 「そうです。この事からアナリア王家は引き籠り神殿を保護し、火の神の寵愛を受ける者達として重用してまいりました。祭事を行うに当たっては、当然ながらこの神殿が重役を担います」

 不思議で面白い話ではあった。アナリア王国は、こちらの世界で非常に数が少ないと思われる魔術師を、二人も抱えている事になる
 片方はダージリン、もう片方は神殿の長とやらだ。しかも神殿の長とやらの能力が、この先も脈々と受け継がれていくのだとしたら、アナリア王国は常に魔術師を一人、抱え込んでいられると言う事だ

 「で、胡散臭い引き籠り神殿と、カロンハザン、どう関係がある」
 「えぇ、カロンハザン様は……」
 「様?」

 侍女がポッと顔を赤らめた。何故そこで赤面するのか、ゴッチには解らなかった

 「カロンハザン様は、二ヵ月ほど前まではアナリア王国でも有数の騎士で御座いました。公明正大で下々の者にも優しく、教養があり、機知に富み、勇猛果敢で戦になれば滅法強い、と、欠点を探す方が難しいくらいのお方でした」

 凄まじい持ち上げぶりである。ゴッチは何だか居心地が悪くなった
 ふと、自分と向かい合った顔を思い出す。そう言えば、かなりの色男だ

 「そして眉目秀麗、と」
 「うふふ、えぇ、そうで御座いますね。お会いになった事が?」
 「続きを頼む」

 米神を揉み解すゴッチに、侍女は首をかしげた

 「話を少し戻しますが、今代の引き籠り神殿の長は、長い宵闇色の御髪の、それはそれは美しいお方だそうで。確かお名前は、」
 「んあ?」

 長い黒髪の美人と聞いて、ゴッチは直ぐに、カザンに寄り添っていた女を思い出す
 と言うか、この話の流れであの女以外は思いつかない。ゴッチは顎に手をやった

 「へぇ」

 あの女が話の「神殿の長」であったとしたならば、どうだ
 アナリアの騎士“だった”男が、昼間から荒くれ酒場で炎の魔術師“らしき”女と酒を呑み、あまつさえ行きずりのアウトローと喧嘩をし、同僚とでも呼ぶべきアナリアの兵士達の目から、逃げるようにして去る

 面白そうな匂いがぷんぷんしていた

 「……お名前は、ファティメア様、でしたか」
 「ファティメア。良い名だ」
 「実はカロンハザン様とファティメア様は、恋中なのです」
 「ほぉ」

 予想は付いていた。あれだけ親しげにしていれば、そう勘繰っても仕方ない

 侍女の頬が、先にも増して真っ赤になっている。胸の前で両手をぐちゃぐちゃと組み合わせながら、何故だか解らないが羞恥に身を捩っていた
 とっても気持ちが悪い

 「それで、かなり有名な話なのですが…………、長いので細かい経緯は省きますけれど、一言で言い表すとしたら、お二人は駆け落ちなさったのです!」

 大きく息を吸い込んで、侍女は顔をくしゃくしゃに歪めながら言い切った
 荒々しい息遣いと、額に光る汗。何かをやり遂げた顔をしている

 ゴッチが、おぉ? と唸り声を上げた

 「解りますか?! カロンハザン様は、既に婚約者までいらっしゃったこの国の火の巫女を、大胆にも奪い去っていったので御座います! 地位も名声もかなぐり捨て、全ては、愛ゆえに!」

 侍女の額に閃光が走った。それが空間を貫き、ゴッチにも伝わる
 頭に、ズキ、と来た。ゴッチは愛ゆえに、という言葉に侍女の激しい情熱を垣間見、そしてその勢いに少し圧倒された

 「おぉ、駆け落ち」
 「はい! 駆け落ちに御座います!」

 侍女がキャーキャー言いながらバチバチとゴッチの肩を叩く。ゴッチは嫌らしい笑みを浮かべながら、こちらも自分の膝をバチンと叩いた
 年頃の女には堪らない話であった。ゴッチとしても、カロンハザンに好感が持てた。国か女か天秤に掛けて、女を選べる奴の方が面白い
 侍女は身悶えして、相変わらずゴッチの肩を叩く。その勢いが抑えきれず、力強くゴッチの横面を張り飛ばしてしまう
 次の瞬間、ゴッチは侍女の頭を鷲掴みにしてベッドに引きずり倒していた

 「手前は誰に何してくれてんだコラ。痛ぇじゃねーか」
 「は、はい、申し訳ありません。私とした事が何と恐れ多い事を」
 「…………ケ、冗談だよ、冗談」

 ゴッチはゲラゲラ笑ってベッドから身を起こした。用意された朝食は、眼中に無い
 もともと、朝起きて、豪華な料理を寝室まで運ばせ、優雅に朝食、など似合わない男だ
だが一つだけ、朝食の皿の横に添えてあった、小さな酒瓶だけは引っ掴んだ

 ドシドシと足音高く、朝食も取らずに出て行こうとするゴッチに、メイドが追い縋った

 「な、何か気に入らない事でも御座いましたか。先程の仕置きは冗談と言って下さいましたのに」

 侍女が青い顔を伏せながら、不安げに問う。客人の機嫌を損ねるなど、致命的な失態である
 冗談だ、と茶化して見ても、内心は怒っているのではないか、そんな事を考えているのが、手に取るように解る

 「あぁ、いや、そんなこっちゃねーよ。飯食わねーのは起き抜けで腹減った気がしねーからだ」
 「そうで御座いますか……」

 侍女が、しゅんと俯いてしまった。ゴッチの言葉を適当な方便とでも受け取ったようだった

 ほんの少しだけ、ゴッチは快感を覚える。虐めるのは、楽しかった

 「おい、お前の話、中々面白かったぜ。お前とグダグダ話してるとよ、気分が良かった」
 「え?」

 侍女の頬が、またもや赤くなる。朝食を持って現れた当初は、もう少し余裕とも言える雰囲気を持った女だったが、こうなっては形も無し

 ゴッチはひゃっひゃっひゃ、と陽気に笑いながら、備え付けの椅子に放り投げてあったスーツを拾い上げ、部屋を出て行く

 ゴッチ・バベル。隼団の同僚に、馬鹿の癖に飴と鞭の上手い男、と言われる事が多々あった


――


 「ツケで呑ませてくれるかい?」

 ゴッチは、昨日散々騒ぎを起こした酒場で、性懲りもなくとぐろを巻こうとしていた

 店主の目は非常に冷たい。ゴタゴタで追及する暇が無かったが、酒代は踏み倒されているのだ
 散々暴れて、しかも代価は払わず、その上ツケで酒を呑ませろ等と、まともな人間の言う事ではない

 もう一度言うが、店主の目は冷たかった。店主が兵士に申し立てするのを忘れていたせいも、ままあったが

 ゴッチが突然机を飛び越え、店主の目の前に立つ
 何を、と声を発するよりも早く、ゴッチは店主の胸倉を掴む。店主も荒くれ酒場の主だけあってか、それなりに大柄で、筋肉質だった。だが、ゴッチは構わない。店主の抵抗など蚊に刺された程度にも感じないようで、そのまま強引に宙に浮かせて、締め上げにかかった

 「何だその面ァ? 悪いが今日の俺は行儀よくねぇからな」
 「てめぇ……こな……ックソ」
 「まぁ、昨日の俺もそこまで行儀よくは無かったがよ」

 ストン、と、店主の足が地面に立つ
 そのまま中年の店主は、あまりよくない足腰がまるで使い物にならなくなったかのように、へなへなと座り込んだ

 「いけねぇいけねぇ、これじゃ駄目なんだ。喧嘩売る相手が間違ってらぁ」

 ゴッチは、何時の間にか机の反対側に戻っていた。悪びれもせずに堂々と椅子に座り、頬杖をつく
 ダージリンの屋敷の朝食から持ち出した酒瓶を置いて、それをゆっくりと掌の上で弄んだ

 「まぁ、酒はどうでも良いんだよ、酒は。実は、アイツの事を探しててさ」

 空が、灰色に曇り始めている。早朝から既に雨が降りそうな気配がしていた
 時間が時間だ。酒を呑みに来る客など居ない

 剣呑なやり取りを見ていたものは、誰一人としていなかった


――


 「……カザンの事か。奴を探したところで、良い事なんぞ一つもないぞ」
 「いーや、あるね」

 小さな酒瓶は、ゴッチがその気になれば一息に飲み干せる程度の容量であった
 しかし、訝しげに酒瓶を見やる店主を伺えば、異世界では、上等な部類の酒であることは解る

 がっついたら、勿体ねぇや。それは酒も、喧嘩も、同じ事だ

 「気持ちが良いのさ」
 「変態野郎が」
 「ちょこっと噂を聞いてきたぜ、大恋愛の末に駆け落ちしたらしいな。アンタ、昨日の感じを見る限りじゃ、カザンとそれなりに親しいんだろう?」
 「それについちゃ、カザンがアナリア王家と話を着けてきた。残念だったな、アイツの首を差し出したところで、アナリアは報償なんぞ出してくれんぞ。なんも知らん奴が引っ掻き回すな」
 「報償とか、要らねーんだって、そんなモンは」

 欲しい物はそんな物ではない。異世界で何か得たとしても、それは元の世界に帰る時、全て投げ捨てて行かなければならないのだ

 持って帰れるのは記憶だけだ。ファルコンのお下がりであるこのスーツですら、焼却処分になる可能性がある
 もっと悪ければ、口封じの為にゴッチ自身が狙われる事も予想しておかなければならない。当然、簡単に殺されてやる心算も無いが

 無性にカザンに会いたい。ゆきずりに無茶な喧嘩を吹っ掛けた、等と言う、安い上にまともとは言えない因縁だったが、決着をつけておきたかった

 「奴の事情とか知らねぇ。俺は興味ねぇ。多分、奴も俺の事情なんかどうでも良いと思う」

 ゴッチが身を強張らせて、机に張り付く

 「だが、俺は奴に会いたいのよ。奴も、俺に会いたがってる筈だぜ。俺に奴の居場所を教えられんってんなら、まぁ良い。だが、俺がここに居ることぐらい、奴に伝えて貰えんかねぇ」

 店主が険しい表情で、俯いた


――


 その日は結局何も進展せず、日が落ちる前にゴッチはダージリンの屋敷へと帰還した。小さな酒瓶は、結局大事に取っておかれる事になる

 ダージリンはまだ帰っていないようだったが、当然そんな事で気後れする男ではない
まるでダージリン・マグダラの屋敷の主とでも言いたげな堂々とした態度で、用意された飯を食い、用意されていなかった酒まで持ち出させ、思うまま欲求を満たして床に就いた

 「その……、ゴッチ様は、細かい事をお気になさらない、豪胆なお方ですね」

 侍女が控えめにもじもじとしながら言った台詞は、ゴッチを止める嫌味としては弱すぎた

 二日目、酒場に顔を出すと、前日と比べて店主の顔色が悪いのが見て取れた
 ゴッチは、気にしない

 「おいおい、そんなに嫌うなよ」

 軽口をたたいたが、店主は無視した。注意がゴッチに向いておらず、原因は別にあるらしい

 結局その日も、カザンには会えなかった。ゴッチは苛立ちを抑え込んで、その日は夕食も取らず、宛がわれた部屋も使わず、ダージリンの屋敷の庭で一晩明かした
まるで気にいらない事があって家出した子供のような態度だったが、事情を知らないマグダラの屋敷の者達は困惑するしかなかった

 待たされるのが、我慢ならない男だ。早くも二日目にして限界が来ていた
 ゴッチは、気にしない。そう思い込む

 そして、三日目になる。酒瓶の止め紐は切られず、まだゴッチの懐で大事にされていた


――


 「……おうおう、どうしたよ。昨日も何だかシケた面してやがると思ったが、今日は尚更酷ぇ面だな」

 やはり、早朝の酒場に客は居なかった。店主が一人、深刻そうな顔で佇んでいる

一昨日、昨日、と朝から雨が降ったが、今日もどうやらそうなりそうで、ゴッチは鼻を鳴らして天を睨む。その背中に、今まで一言たりとも、自分からは話を振ろうとしなかった店主が、重々しく口を開いた

 「……カザンとファティメアの居るだろう場所を、教えてやっても良い」
 「へへへ、とうとう観念したか。なんつったって、俺は執念深いからな。いい判断だぜ」
 「だが、事は恐らく簡単じゃねぇぞ。俺の予想が中っていれば、な」

 ゴッチが椅子を引いてどっかり座りこむ。どんな酔狂なのか、店主の為の椅子まで引いてやった

 話がこじれていそうな気がした。店主の深刻な顔色からは、揉め事の匂いが漂っていた

 「カザンとファティメアが……、もう三日も戻らない」
 「三日?」

 三日前とはつまり、ゴッチとカザンが大立ち回りを仕出かした日だ

 「何だよ、奴ら、ガラをかわしてたんか」
 「なに?」
 「何でも良い。とっとと続きを話せよ」

 店主は米神を揉んで、傷だらけの机を撫でる。考えを整理していた

 「……お前がカザンの揉め事の事を、どれくらい知ってるのかは、まぁ良い。多分興味無いだろうからな」
 「ねーよ」
 「取り敢えず結論を言えば、カザンとファティメアの関係は、黙認される事になっていた。カザンなんかは、騎士の位も何もかも剥奪されて、高貴な身分の者を誘拐した大罪に問われていたが、追われる事がないように話を付けた。実現に、一月もの期間を根回しやその他に費やしたがな。…………しかし、流石に王都アーリアでうろちょろされたら堪らんらしくてな、準備が済めば直ぐにでも何処か遠くへ旅立つ契約の筈だった」

 まぁ、無いでは無い話か、とゴッチは顎を撫でた。要人誘拐など、一国の面子を蔑ろにしておいて不干渉を勝ち取るとは凄まじい話だが、こちらの世界では或いはそれも可能なのかもしれない

 何にせよ、“表向きは”とただし書きが付いているのだろう。裏で手を回されたから、こうやって店主が青い顔をしているのだ

 「まぁ、そんな時に、訳の解らん酔っ払いが下らん喧嘩を吹っ掛けてきたんだが、それは良い」
 「おぅ、良い、良い。続きだ続き」
 「…………カザンとファティメアは、アーリアを出る前に、アラドア将軍に挨拶をしてくると言っていた。屋敷に招かれた、と。その日の内に戻ると言っていたが」
 「もう三日って訳か」
 「…………最悪、殺されたかも知れん」
 「その、アラドアってのは?」
 「アラドア・セグナウ将軍は、ファティメアの父だ。ファティメアが前代炎の魔術師、ユライアの娘として生まれた以上、父と引き離され、次代の神殿の長として育てられるのは致し方ない事。たとえ殆ど親子の時間が無かったとしても……いや、無かったからこそ余計に、ファティメアの事が気になるのだろうと俺は思っていたが」
 「ふーん」

 つまり今の状況、カザンと決着を付けたいなら、アラドア・セグナウとか言うこの国の重要人物らしき人物の屋敷に襲撃を掛けなきゃならん訳か

 ゴッチは頬杖をついて思考を巡らせた

 「俺が言うのも何だが、カザンは並みじゃねーだろ。まともな人間じゃ相手にならねぇくらい強いんじゃねーか? その上、ファティメアとか言うのは炎の魔術師なんだろうが。どうしてむざむざとそのアラドアとか言う奴に、良いようにやられちまうんだ」
 「ファティメアにとっては父、カザンにとっては義理の父になる人物だぞ。警戒していなかったのかも知れん。警戒していたとしても、カザンは義理の父を切り捨てるような男じゃない」

 それに、と、店主は少々、言いよどむ

 「ファティメアの方は、炎の魔術師なんて言われていても、実際にはその力は殆ど残っちゃいない。種火を起こすのが精一杯だ」
 「……そーかい」

 炎の魔術師は、既に形骸化していた訳か。ゴッチはぼそぼそ呟く
 カザンが不干渉を勝ち取れた理由に、それが関係しているのは、間違いなかった

 「(しかしどーする。何でこんな事になってんだ。何でこんなにも)」

 カザンに喧嘩を売るために、アラドア・セグナウに喧嘩を売らなければならない
 つまりアナリア王国の将軍様に喧嘩を売ると言う事だが、勝手にそんな事をしたら

 ゴッチは眉を顰めた。テツコの説教は、正直堪える

 しかし、この胸の高鳴りは抑えきれない

 「(何でこんなにも、面白そうな事ばかり起こるのかねぇ)」

 ゴッチは肩を震わせて、息を殺しながら笑った

 「店主、アンタ、カザンやファティメアと、どんな関係なんだ?」
 「……俺は、酒場を開くまでは冒険者をやってた。俺が冒険者を廃業する時、知り合いから止むに止まれぬ事情があって、赤子を育てて欲しいと頼まれた。それがカザンだ。……俺にとってアイツは、実の息子同然だ。ファティメアは、息子が連れてきた美人の嫁さんさ」
 「……良いぜ。詰まり、アンタの本音はこうだ。『知りたきゃ教えてやるなんて言いましたが、実は手前の不肖の倅とその妻の事が心配で堪りません。つきましてはアラドアとか言う糞ったれの屋敷に乗り込んで、倅を助けてやっちゃ貰えないでしょうか。二人が生きてる保障はねぇけど。』 そうだろ?」

 店主が徐に立ち上がって、息を吐いた。ゴッチの方に向き直る
 そして屈辱と羞恥に顔を真っ赤にしながらも、酒場の床に伏した。土下座をしていた

 「……頼む」
 「……!」

 ゴッチは何故だか堪らなくなって、店主の首根っこ引っ掴むと、無理やり起き上がらせて椅子に座らせた

 ずっと昔、ゴッチが今よりももっともっと糞餓鬼で、自分でも使い物にならねぇ屑だと確信していた時の事を思い出した

 『下げたくねぇ頭は下げらんねぇのが男ってモンだ。だが』

 ひれ伏して頭を垂れる店主の姿が、ファルコンと重なって見えた。あの頃はファルコンも、まだまだ若かった

 『息子のために、下げたくねぇ頭を下げるのが、親ってもんだろう』

 ゴッチの顔から火が出そうだった。理由など、ゴッチ自身が知りたいくらいだ
 無性に恥ずかしくて、情けない。糞ったれ、とゴッチは罵声を吐く

 「この玉無しが、手前の安い頭なんぞ幾ら下げられたってなぁ、何の得にもなりゃしねぇんだよ!」
 「駄目か、ここまでやっても」
 「駄目じゃねーよ! 死ねハゲ!」

 ゴッチが大きく息を吐く。取り乱している自覚があった。こういうのは、いけない
 眼に力を入れて、店主を見た。ほんの少し前よりも、店主の背中が随分大きく見えた

 「…………アンタさ、ラグランと、アシラ。この二つの単語、聞いた事があるかい?」
 「……いや、両方とも知らん」
 「俺もちっとばかし訳有りでね。この二つの言葉について、何でも良いから情報が欲しい」

 元冒険者なら、何か上手い方法があるんじゃないか?
 ゴッチはにやにやしながら言った

 「……あぁ、そう言う話なら、伝手がある。俺がその二つについて、情報を集めてやる」
 「よーし、それじゃ、やってやろうじゃねぇか。良いか、これは取引だ。間違ってもテメェの安いな頭一つで、俺様が動いたなんて勘違いするんじゃねーぞ!」


――


 「…………ぐあぁぁ、俺は馬鹿か。絶対ぇ割に合ってねぇよこんなの」

 ゴッチはアラドア将軍の屋敷の位置を聞き、直ぐに酒場を飛び出した
 潜入任務だ。信頼できる情報も、まともな見取り図も、碌な支援も無い状況での、馬鹿げた仕事だ

 だが、まぁ、それは何とかなるだろう。カザンのような男がゴロゴロしている訳ではないのだ
 真正面からの力押しでだって、この世界でならどうにかなる。何せ、主な武装は剣や槍だ

 兎に角、何とかなるのだ。そして思った以上に物理的なリスクは小さい筈だ
 だから、これは極めて合理的な判断なのである。そう言う事にして置こうと、ゴッチは思った

 「糞が、仕方ねーだろ、カザンと決着つけときたいんだよ、俺は」

 テツコという監視役が居なくなって、タガが外れているのかも知れない

 ゴッチは誰にしているのかも解らない言い訳をしながら、早足でアーリアの古風な表通りを突き進んだ


――

 後書き

 情報収集→クエスト受注→クエスト開始!
 え? 違うか



[3174] かみなりパンチ6 後編 カザン、愛の逃避行
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:649cc66a
Date: 2011/02/28 06:20
 巧遅よりも、拙速である


 潜入だろうが突入だろうが、入り込む場所の見取り図があるのと無いのでは全く違う。僅かでも詳細な情報が重要になって来る。そんなことはゴッチだって知っている
 だが、情報収集などしている暇は無かったし、そう言った事が不得手なゴッチが付け焼刃で諜報活動を行っても、先方を警戒させる結果に終わるのは目に見えている

 アラドア・セグナウ将軍の屋敷の横には、都合のいい事に小さな林があった。手入れの行き届いたそこはどうやら屋敷の庭らしく、茂みの中で息を殺しながら、ゴッチは迷っていた

 「(結構でかいじゃねぇか)」

 見張りは、目に見える範囲にはいなかった。門番が二人いるだけである
 内乱中の国の要人が住まう屋敷にしては、妙に無防備だ、とゴッチは感じた。下手に突っ込むと碌な事にならないような気がする

 一応、偽装の為にフェイスペイントを使用していた。泥と、偶々見つけた木の実を使用し、中々ドギツイ色に仕上がっている
 問題は服の方だ。こちらはどうにも目立つ。この世界では唯一この一着しかないスーツから足取りを追われたら、それこそ面倒だ
ゴッチはスーツを脱いでトランクス一丁になり、赤み掛かった肌をパシンと叩いた。潜り込みやすいように、屋敷内部の者の服を奪うのがよいと思えた

 木に掛けて置いたが、不安は無かった。曲りなりにも防刃、防弾、耐熱の三拍子揃ったエレガンテ溢れるスーツが、虫食いなどで被害を受ける筈がない

 「碌な事にならねぇーってんなら、どうなるってんだぁー? えぇ? オイ。糞ったれがよォー、そんな事解ってるっつーの。この俺様に、異世界の軟弱者どもがどんだけ束になろうが敵う訳ねーんだ。えぇ、やったろうじゃねーか」

 ゴッチが茂みから立ち上がって、眉を吊り上げた
 視線の先には、屋敷の屋根からピョコンと飛び出た煙突がある。ゴッチの世界でも、酔狂な奴が時々あんな物を拵えたものだ

 穏便に事が進まなきゃ、そん時はそん時で構わない。ゴッチは、体勢を低くして駆け出す

 取り敢えず、仕事をしていた庭師を殴って昏倒させる事から、仕事は始まった


――


 ダージリン、数日ぶりの帰還

 「ダージリン様。お帰りなさいませ。ゴッチ様から言伝を預かっております」

 黒いローブをのフードを脱いで、首を傾げるダージリン。ここ数日面倒続きだった筈だが、疲れていても涼しげな表情は崩さない
 侍女が声音を変えて、ゴッチの物まねをしてみせる。当然だが、全く似ていなかった

 「アバよ」

 親指を立ててみせる侍女。意味を汲み取れず、沈黙するダージリン

 メイドが、一度咳払いする。恥ずかしげに居住いを正し、頬を赤らめた
 恥じらいながら、酷く残念がっていた。ダージリンの帰還がもう少し早ければ、ゴッチに会えただろう。仕方のない事ではあったが、間が悪かった

 「ここ連日、朝から夕方まで外出なさっていたのですが、今日は朝出て行かれたと思いきや、昼前にお戻りになられまして。そして、直ぐまた出て行かれました。…………元々荷をお持ちでない方でしたが、身の回りを整えていらっしゃるようでした。私が思いますに、もうここへお戻りになられる心算はないのでは、と……」
 「馬鹿な」

 ダージリンらしからぬ発言であった。僅かに見開かれた目。俄かにだが、苦しげに表情が動く

 「……私に聞きたい事があると、私が教えてやらねば」

 侍女が不思議そうな顔をした。ダージリンは、氷の女だ。常ならば、自分の胸の内を、例え身近な侍女にだって話はしない
 必要な事以外は、あまりやらない女だ。必要ないから悪口は使わないし、どうでも良いから誉め言葉も使わない。こんな愚痴の様に漏らす事など、今までなかった

 ダージリンは意味もなくフードを被り直すと、侍女の横をすり抜けて行く

 「そうか、行ってしまったのだな」

 ゴッチは馬鹿だが、間抜けでは無かった。自分の行動でダージリンに迷惑が及ぶ可能性、或いは

 ダージリンが敵に回る可能性。諸々の事を、理解していた。

特に、ダージリンを敵に回す事の厄介さ加減は


――


 最初は壁に張り付いて、足音を聞いた。屋敷の規模はダージリンのそれと大差なかったが、働く人員は比較にならないほど多いように感じる
 ダージリンは、人嫌いの気配を全身から滲ませている人種だ。人が少ないのは、奴の意向だろう

 ゴッチは窓に取りついて、中を覗き込む
ダージリンの屋敷より多い、とは言っても、屋敷は屋敷だ。ゴッチの行動に支障が出るほど人が多い訳ではない。丁度いい所に、軽装の鎧を着込んだ兵士が一人で廊下を歩いていた

周りを見渡せば、勝手口も見つかる

 「(アレにすっか)」

 兵士が通り過ぎるのに合わせて、窓を叩いた
 訝しげな顔で、兵士が窓に近寄って来る。外を見渡すが、見る限り異常は無い。ゴッチは桁外れの跳躍力で飛び上がり、窓の上の、石造りの壁の隙間に指を食い込ませて、ぺろりと舌を出している

 兵士が首を傾げながらも踵を返したとき、ゴッチは地面に降り立って、もう一度窓を叩いた
 警戒心を剥き出しにしたのは、兵士だ。一度ならば気のせい、と言うのもあり得たが、二度目があればそれは異変だ。腰の剣を抜き放ち、慎重に勝手口を開けて外に出てくる

 ゴッチは兵士に呼び掛けた。兵士の、背後からだ

 「よぉ、兄ちゃん」

 兵士は中々勘が良かった。前方に身を投げ出し、距離を取ってから振り返ろうとする
 ゴッチはそれにぴったり付いていく。振り返った兵士の顔が驚愕に染まった瞬間、ゴッチの拳が減り込んでいた

 「叫ぶな。叫んだら殺す。というか、抵抗したら殺す。マジだぜ」

 倒れ込んだ兵士の背中に、ゴッチはどっかりと腰を降ろした。呻き声を上げながら兵士は身を起こそうとするが、ゴッチの右腕がそれを制し、兵士の顔面を地面に押し付ける

 「実はな、聞きたい事が、あるのよな」


――


 兵士は頑なで、忠誠があった。主君と同僚を裏切るくらいなら、八つ裂かれる方を選ぶ男だった

 カロンハザンとファティメアの居所を知っているようだったが、沈黙を保ち続ける。何があろうと教える気はない、と態度で示しており、ゴッチは辟易した
 終いには、ゴッチの気が緩んだ瞬間を狙って大声を上げようとしたので、仕方なくゴッチは兵士の頭を抱きすくめ、首を折った

 「あぁ、チ、クソったれが。……まぁ」

 拷問されても口を割らんぐらいの根性があったみてぇだし、生かしておいても無駄だったか

 紳士の情けだ。下着だけは勘弁してやろう。ゴッチは溜息を吐く。変装くらいは、していった方が無難だ
 兵士の身ぐるみ剥いで鎧に着替えると、死体を壁に凭れ掛けさせ、一度林に戻る

 林の中には、橋の掛かった川まであるのだ。全く意味の無かったフェイスペイントを洗い落として、ゴッチは改めてアラドアの屋敷へと接近した

 そこでギョッとした。今しがた自分が殺した男の死体が、消えていた。目を離したのは、ほんの数分である

 「……………………あん?」

 咄嗟にゴッチは身を低くして、屋敷の壁に張り付く。慎重に、素早く辺りを見渡し、自分から死角になる位置を見て回り、警戒しながら考えた

 屋敷の者が発見した様子はない。騒ぎになっている様子は、どこにもなかった
 屋敷の者ではない他の何者かが居るのか、騒ぎになると拙い事をしている者が居るのか。或いは両方かも知れないが

 可能性としてはあまり無いと思うが、侵入者の存在に気付いている兵士達が、敢えて平素を装って罠を仕掛けているならどうにもならない

 兎に角解るのは、今考えても無駄と言う事だ。答えに辿り着けるような情報は、少しもなかった

 えーい面倒くさい。ゴッチは頭を振る

 「何か不都合が起こった時は…………、その時の事は、その時考えりゃ良い」

 その時、辺りに女の怒声が響いた。ゴッチは一瞬身を竦ませる

 『曲者だ! 鼠が紛れ込んでいるぞ!』
 「ドッキーン!」

 もう見つかっちまったか、と身構えたが、ゴッチに視認できる位置に人影はない
 よくよく思えば、怒声は屋敷の中からだった
 そう思っているうちに屋敷が騒然とし始め、重い足音が走り回るのが聞こえてくる

 内部だ。何だか知らんがこれは好機だ。ゴッチは自分の直感に従って、勝手口から屋敷へと飛び込んだ


――


 屋敷の内部へと侵入を果たしたゴッチは、取り敢えず一部屋一部屋開けて回る
 ゴッチが入り込んだ位置はどうやら侍女達の宿舎らしく、小奇麗に整えられた生活感溢れる部屋が密集していた

 クソ、と悪態を吐く。屋敷の構造は、思ったよりも複雑かも知れない。そこを虱潰しにしていくのは、骨だ
 誰か適当に捕まえて、締め上げる必要がある。先ほどの兵士のような奴では駄目だ。もっと脅えてくれる相手でなくては

 取り敢えず、監禁するにしても、もっと場所がある筈だ。ここいらは違うな、と当りを付けたゴッチは、走り出そうとして呼び止められた

 「待って下さい」
 「おぉ? なんぞ?」

 とある一室の扉が開き、そこから侍女と思しき者が顔を覗かせていた。ゴッチが立ち止まって振り向いたのを確認すると、部屋から出て走り寄って来る

 「あ、あの、その、何かあったんですか? 何だか、し、侵入者がどうの、こうのって」

 おどおどビクビクと、小動物のような侍女であった。ゴッチはジロリと侍女の上から下までを検分し、よし、と頷く

 「侵入者が出たんだわ」
 「やっぱり……。そ、その、大丈夫なんでしょうか」
 「はっきり言っちまうと、全然大丈夫じゃねぇ」
 「え、えぇ?!」

 ゴッチは慣れない剣を抜き放ち、侍女の首筋に突きつけた

 「何故なら~、俺が侵入者だからぁ~♪」
 「き、きゃぁぁーッ!」
 「良いリアクションだぜ」

 そばかすがチャームポイントだ、とゴッチは思った

 暴力を振るう相手に、男か女かなどは関係ない。その辺り、ゴッチは極めて公平だ
 腰を抜かしたらしい侍女を蹴り飛ばして、今しがた出てきた部屋に追い込む
 後は胸板を踏んで凶器を突き付ける、隼団式拘束スタイルで尋問に入った

 「や、やめて、お願いします、殺さないで」
 「…………」

 侍女は、まだ幼い。外見相応の年と考えるなら、十五かそこいらに見える
 ポロポロ涙を流して命乞いしていた。おぉ、と呻くゴッチ
 は、いかんいかん、と頭を振る。少しだけ目的を忘れそうになったゴッチ

 「カロンハザンとファティメア、この屋敷で捕まってんな?」
 「え……、は、はい。そうです」
 「よーし、まだ生きてたか。ソイツぁ良いや。で、閉じ込められてる場所は?」
 「そ、それは……!」

 ゴッチは胸を踏んでいた足を浮かせて、侍女の腹にどっかりと座り込んだ
 先ほどの兵士は殺すしかなかったが、コイツならどうにでもなりそうだ。ゴッチは周囲を警戒する。部屋の窓が開いているため、あまり喚かれると拙いかも知れない

 「お、重たいです」
 「あのよぉ、お前状況見えてる? お前の命は俺の腹一つでどうにでもなっちまうんだぜ。何も考えねぇで、俺の質問にハイハイ答えてりゃ良いんだよ」
 「ひぃ!」

 涙と鼻水で、侍女の顔面は酷い有様になっていた
 もう一突きでコイツは落ちる。確信を持って、ゴッチは囁いた

 「素直に話すんなら、お前なんざ殺す意味は無ぇ。直ぐに放してやる。だが、話したくねぇっつーんだったら、殺す」

 侍女の目が見開かれた

 「あー、いや、ちょっと待て。やっぱ駄目だなそれだと……。あのよ、殺す前に犯す。犯して殺してから、また別の奴に聞く。お前の同僚にな。そしてソイツは、例え素直に話しても犯して殺す」

 これだよこれ、こういうの。ゴッチは何だか、妙に満足していた
 最近はテツコの目もあったし、巡り合わせも悪かったから、らしくない事をしていたが、自分は本来アウトローだ

 赤の他人をどれだけ踏みつけにしたって、平然としていられる人種なのだ。それどころか、この侍女の泣き顔を見ていると、中々気分が良い

 俺の下であがけ

 「なァ? 手前の命も、ダチの命も惜しいだろ?」

 侍女の泣き顔は引き攣っていた。横隔膜が痙攣して、ひくひくと洩れる息が哀れを誘う

 しかし侍女は、失禁寸前の精神状態にありながら、ゴッチに対して言い返した

 「ファティメア様と……カロンハザン様に、な、な、何をする心算なんですか」
 「あーん? 何かしてるのはアラドアって奴の方だろ? 決着のついた話を引っ掻きまわして、カザンとファティメアを捕えてんだろうが」

 寧ろ俺は、カザンに泣いて喜ばれて然るべきだぜ

 「お、お二人に何かする心算なら、絶対に教えられません!」
 「あぁコラ、お前、俺がさっきなんつったかよーく解ってほざいてんだろうな」
 「でも、お二人を、た、た、助けてくださるのでしたら、協力します! わ、私が案内します!」
 「はぁ?」

 このクソガキ、交換条件の心算か。ゴッチは涙と鼻水塗れの、見苦しい顔を見下ろす

 見栄も外聞も捨て去った面で、この期に及んで自分の事以外で命を掛けやがる
 ゴッチは、“良い気分”がスーッと冷めていくのを感じた

 「……馬鹿が、さっきの野郎と良い、手前と良い、大した根性してんぜ」

 剣を逆手に持って、乱暴に振り上げた。侍女は固く目をつぶる。息が止まる思いをしている
 ヒュコン、と愉快な音を立てて、剣は床に突き立つ。侍女の米神の、直ぐ横だ

 恐怖で、侍女は呼吸をしなくなった。ぴくぴくと痙攣しながら、また涙が零れる

 ゴッチは、先ほど首を折った兵士の事を思い出した。兵士は流石にこの侍女のような醜態は曝さなかった。組み伏せられたあの時点で、己の死を覚悟していた

 少し、勿体無い男を殺したかな、と思った。だが、仕方ない。ケダモノだもの

 「お前、名前は」
 「ね、ね、ねネスです」
 「ネネス?」
 「い、いえ、ネス、です」


――


 「……こ、こちらです」
 「あぁあぁ、一応言っとくが……案内されて行ってみりゃ、そこは兵士のお兄さんお姉さん達の溜まり場でした、ってのは勘弁してくれよ」

 ゴッチは右を歩くネスの肩を抱いて、体重を掛けた

 耳元で凄まじい笑みを浮かべながら、ぞっとする声で囁く

 「そうなったら流石に、皆殺しにしなきゃ場が収まらんからよ。取り分けネス、お前はな」

 うっひゃっひゃっひゃ、とゴッチは馬鹿笑いした。これだけ脅しを掛ければ、まぁ大丈夫か

 ネスはカチンコチンだった。青くなったり赤くなったりして、まるで虐められるためにこの世に生まれてきたかのようである
 彼女はこちらが一応の説明を終えた後は極めて従順だった。そしてゴッチは、それを至極当然と感じていた
 こんな腕力も度胸もない奴に反抗を許すようでは、ゴッチの“恐さ”も高が知れると言う物だ

 屋敷は、矢張り何処か騒然としていた。しかし、妙に騒がしい癖に、ゴッチとネス自身は何者とも遭遇しない

 騒がしかったが、妙に静かだった。しかしその静けさも、幾許かもしない内に破られる

 『畜生! カザンを返せよ馬鹿野郎!』
 「ドッキーン!」
 「あぎゃん!」

 いきなり響いた怒声に、ゴッチはネスを引きずり倒して、自分も身を低くした。ネスの悲鳴

 壁を背にして周囲を見渡す。いい加減この対応にも疲れてきたが、矢張り見える範囲に人影は、無い

 通路の曲がり角を覗き込むと、ずっと先に人だかりが出来ているのが見えた。屋敷の警備を行っている兵士達のようであった

 「なな、何ですか?」
 「知るかよ。……ガキだな。一人、とっ捕まってやがる」
 「今、か、カザン様の名前を、よ、呼んでましたよね」

 兵士達が取り囲む中に、小柄な子供が居る。うつ伏せで、抑えつけられている
 恐らく、奴が別口での侵入者であると、ゴッチは確信した

 「(となると、死体を片づけたのは奴か?)」

 組み伏せられた、薄汚い服の子供を見遣る。黒い帽子の端から、白い髪が零れていた
 白い髪か、ダージリンと同じだな。ゴッチは様子を窺う

 「少し遠いな。何て言ってんのか聞こえねーや」
 「た、助けなくて、い、良いんですか?」
 「はぁー?」
 「だ、だってあの子、なんだか、カザン様を助けに来た、みたいな事を言ってるんですけど。あ、あ、貴方の仲間じゃ、な、無いんですか」

 良い耳してんのね、コイツ
 兵士達が集っている場所まで、距離を目算して40m程ある。さっきの怒声のような大声で話している訳ではないのに、会話を聞き取れる聴力は、少々異常だ

 「ネス、お前の耳はどんぐらい聞こえるんだ?」
 「そ、その、壁を隔てたりすると、と、途端に駄目なんですけど、これぐらいなら」
 「そうかい。……まぁ、アレに関しちゃ知った事じゃねーな。目的は一緒みてぇだが、奴は別口だろ。助けてやる義理なんざねーよ」
 「でも……お、女の子みたいなんですけど」
 「だから何」

 ゴッチはネスの口を塞いだ。

 「カザンの居場所へは、ここを通らなきゃいけねぇのか?」

 ネスがふるふると首を横に振った

 「別の道があるんだな。よーし、じゃぁ、そっちに」

 案内しろ、と言おうとした時、兵士の一人が壁からはみ出しているゴッチの足を見咎めた

 「おい! そこの奴、何をノロノロしてる! 早く来い!」

 ぐわあぁぁやっちまった。ゴッチは頭を抱えた
 ネスを見やれば、こちらはゴッチ以上に顔を青くしている。ゴッチはネスの口を開放して、指を突き付けた

 「良いか、手前はここに居ろ。出来ればそのよく聞こえるお耳も塞いでな」
 「な、何でですか?」
 「奴らの断末魔なんぞ、聞きたくねぇだろ? 面倒はしたくないが、最悪そうなるからよ」

 ネスが小さく悲鳴を洩らし、鼻水を垂らしながら耳を塞ぐ

 ゴッチは堂々と曲がり角から飛び出し、兵士達が集っている場所まで走った

 態とらしく焦ってみせる。兵士達はみな子供の方に集中しており、誰一人として、見た事の無い男が鎧を着込んでいる事に気付かなかった

 これが兵士か。ゴッチの予想ではもっと眼つきの悪い連中だったのだが、ゴッチの目の前の集団は、まだまだ可愛らしい物だった。育ちの良さが滲み出ている、とでも言うべきか
 男と女が、十名弱ずつ。素早く人数を確認すれば、十八名程がこの場に集っている

 「一体何があった!」
 「侵入者だ、中々すばしっこくてな、梃子摺らせてくれた物だ」

 子供を組み伏せる女兵士が、額に汗を浮かべながら言った

 ゴッチが眉を顰めながら、厳かな口調を使ってみせる

 「侵入者はコイツだけか?」
 「いや、解らん。だがコイツは余りにも軽率に過ぎる。囮かも知れん」
 「他に忍び込んでいる奴が居たら拙いな……。異常が無いか見てくる」
 「……おい、待て、この子供は」

 ゴッチは適当な言葉を並べて直ぐにでもその場から離れようとするが、女兵士の驚愕の声に足を止める

 荒い息を吐く子供の帽子が奪い取られて、白い髪が広がる。癖の強い髪は、しかし純白で鮮烈だ

 そして、その中にピョコンと、白い獣の耳が二つ、立っていた

 「おぉぉ?!」
 「ミストカの狼だ! コイツ、森の蛮族だぞ!」

 良い物を見た。驚きの声を上げながらも、咄嗟に思い浮かんだセリフは、そんな物だった
 こちらの世界にも亜人は居るのか。何だか、懐かしい気持ちになるゴッチ

 しかし兵士達はどうやらそうも言っていられないようで、途端に殺気立つ。中には数名、剣を抜く者も居た
 亜人と純粋人類の中が、悪いようだ。この世界では

 ゴッチはミストカの狼と呼ばれた子供の顔を覗き込む。白い髪、白い肌。生意気そうな目からは、悔し涙を流している
 狼のような呻き声を上げていた。ふぅふぅと苦しげな息を吐くミストカの狼とやらは、どうやら性別的には女らしい

 「クソ、うるせぇよ人間! 離せよぉ……!」
 「…………子供に乱暴はしたくないが……、そうも言ってられんな。エリック、どうする?」
 「ぬ……取り敢えず縛り上げて置こう。アラドア将軍に報告せねば」

 懐かしい事は懐かしいが、出来れば長居はしたくなかった
 ゴッチは殺気立ち、緊張を高めた兵士達から、違和感がない程度に距離を離す

 ふと、狼少女がぐりんと首を曲げてゴッチを見た。目をパチパチとさせて、鼻がピクピクと動く

 「え? お前は」

  途端に、狼少女は吠えた

 「頼む、助けてくれよ!」
 「なんだコイツ、気でも違ったか? 何故俺達が侵入者を、しかもミストカの狼を助けるのだ」

 ゴッチは罵声を噛み殺した。狼少女の視線が、真っ直ぐゴッチに向いている
 何故俺に言うのか、それを問う暇はない。ゴッチが普通の人間ではないことを、どういった理由かは知らないが、理解している

狼少女の突然の発言に訝しげな顔をしていた兵士の一人が、ふとゴッチを見遣る

 「…………いや、待て。そんな奴、居たか?」

 追い詰められたゴッチの口端が、いやらしく釣り上がった


――


 ほとんど全部、台無しであった


 「剣を捨てろ! 妙な動きはするな!」

 と、言うので、従うのは癪ではあったが、ゴッチは惜しげもなく剣を捨てた。元々剣術の覚えなど無い
 持っていても、邪魔なだけであった

 「何者だ、その格好はどういう事だ?」
 「コイツも森の蛮族か? 耳も尻尾も無いようだが……」
 「おい、誰か拘束しろ。何か尋常ではないぞ」
 「良いか、動くな。容赦はせんぞ」

 ゴッチはやれやれ、と手で顔を覆った。こら仕方ねーやと、苦笑いしていた

 「……ふてぶてしい男だ。状況が理解出来ていないのか?」
 「手前等の方こそ、理解出来てねーと思うぜ」

 突然、ゴッチは上半身の鎧を脱ぎ始める。鎧を外したら、そのまま服も脱ぎ棄てて、鋼の裸体を晒した
 着る当初は、ファンタジー丸出しの格好にワクワクしていた物の、少し体験すれば十分だった。着心地は悪いし、動き難い。決して好ましい格好ではなかったのである。この、鎧と言う奴は

 兵士達はゴッチの奇行に眉を顰めながらも、剣を抜いて油断なく構える。彼らも何となく、ゴッチが降伏などしない事を、悟っていた

 運がねーよ運が。ゴッチは自分の脳味噌が足りないのを棚に上げて、不運を嘆いた

 と、次の瞬間、ゴッチは兵士達の真只中に踏み込んで、狼少女を組み伏せる女兵士の米神を蹴り抜いていた

 「おぉ?」

 兵士のエリックが間抜けな声を上げた。驚きを隠そうともしない間抜け面だったが、しかし体は動いている。剣を閃かせて、ゴッチを突きに来た

 ゴッチは狼少女を拾い上げて、身を捩る。剣が肘の肉を割いて、血が噴き出した
 捩った肉体を反転させて、裏拳。エリックの鼻が拉げて、そのゴッチよりも少しだけ背の高い肉体は、錐揉みしながら吹っ飛んで行く

 狼少女を小脇に抱えてゴッチは吠えた。既に四方八方から、兵士達はゴッチに飛びかかっていた

 「来いコラぁッ!」


――


 以下、ダイジェストでお送りします


 「束になって掛かってこいや!」
 「つ、強い、常人の膂力とは思えん……!」
 「応援を呼べ! 他の場所に回っている奴らもこっちに回すんだ!」
 「凄い! やれぇーッ! やっちまえッ!」

 「マッハキィック! マッハローリングソバット! ワンハンドジャーマン!」
 「…………! 覚悟を決めろ! 囲って一斉に攻める、剣を構えて、味方ごと貫くつもりでぶつかって行け!」

 ゴッチはニヤリと笑った。狼少女を放り投げると同時に体を捻る。右手を這いまわる稲妻

 「かみなりパンチだボケが!」
 「ぎゃぁぁ」

 包囲の一角が脆くも崩れ去る。ゴッチは狼少女をキャッチして、ネスの居る方へと走り出した

 「魔術師、スーパー・バーニング・ファルコン様よ! 命を捨てたきゃ掛かってきやがれ!」
 「無事か!」
 「痺れて動けん……が、何とか生きているぞ、皆……」
 「おのれ、魔術師だと……! 狙いはアラドア様か?」
 「取り敢えず逃がすな! このまま好きなようにさせたのでは笑い物だ!」

 しかしゴッチは、狼少女に加えて耳を塞いだままのネスを回収すると、再び兵士達に突っ込んでいく


 「あぎゃあー」


――


 「オイオイ、なんだこりゃ、この屋敷は地下牢まで備えてんのか」
 「わ、わ、私も、ここには、カザン様に食事をお運びする以外は、入った事がないですが」

 敵中突破を敢行して、脇目も振らず目的の場所へ

 地下への階段をゴッチは素直に駆け下りたりせず、ぴょい、と飛んだ。両肩に担いだネスと狼少女から悲鳴が上がる
 異変を察してここを放棄した者は、よほど慌てていたのか、鉄の扉には鍵がかかっていない
 ゴッチは扉を蹴り開け、中にネスと狼少女を放り出すと、扉を閉める手段を探す。ガチャガチャと、兵士達が階段を降りてくる音が、直ぐ近くまで迫っていた

 「くぁーッ! 鍵、鍵だぁ! ここを閉じる物は無いか!」

 ゴッチがムン、と扉に張り付いて、力を込める。一泊遅れて、反対側から体当たりを仕掛けてくる兵士達
 腕力で数人がかりの突破を抑え込むのは、些か辛い。ゴッチの言葉を受けて、ネスと狼少女がそこいらを走り回った

 「か、か、か、鍵です!」
 「よし! …………内側に鍵穴なんてねーよこの馬鹿野郎!」
 「ひーん! 貴方が、さ、探せって言ったのにー!」
 「つっかえ棒だ! これで何とかなるでしょ?!」

 狼少女が、壁の出っ張りに赤黒い色をした棒を宛がい、そしてその反対側を鉄の扉の前へと持ってくる

 丁度良く棒はつっかえ棒として納まり、機能し始めた。ゴッチは扉からそろ、と離れて、外を窺う
 四角く切り取られた覗き窓から、兵士達が必死に扉を押しているのが見えた

 「クソ、厄介な所に逃げ込まれた!」
 「へっへっへ、良いぜぇー、そのままスモウレスリングしてやがれよ」

 ゴッチは膝立ちになって、扉へと手を添える

 手を振って、ネスと狼少女を下がらせた。次の瞬間、ゴッチの体が閃光を放つ

 鉄の扉に、稲妻が叩きつけられていた。有象無象の悲鳴が上がって、外からは音がしなくなった

 「ひゃっひゃっひゃ! まぁ死んじゃいねぇよ、多分なぁ!」

 ネスが、顔を青褪めさせたまま、恐る恐る言った。怯えの色が、酷くなっている

 「……ま、魔術師様、だ、だ、だったんですね」
 「まー、そうなる。……出来る事なら、身元が割れちまうような真似はしたくなかったんだがなぁ……。オイ」

 ゴッチはゆっくりと、狼少女に歩み寄った
 狼少女に、警戒はなかった。少しだけビク、と身を竦ませたが、それだけだった

 「手前のお陰で酷ぇ目にあったぜ。だがまー、この期に及んでは何も言わねぇ」

 何となく、親近感も持てるしな

 「あ、アンタ、人間」
 「うるせー黙れ。手前は後で洗い浚いゲロって貰うからな。ただで済むと思うなよ」

 狼少女の口を塞いで、ゴッチは有無を言わさず歩き始める

 地下牢は、それほど大きくない。三部屋ほどしかなかった
 その一番奥に、目的の人物は居た

 ゴッチが探し求めたカロンハザンは、膝立ちに手を拘束された状態で、呑気に眠っていた

 米神を揉み解すゴッチ

 「……こいつも大概、豪胆な野郎だ」


――
後書き

 俺は無能だぁぁぁぁーッ




[3174] かみなりパンチ7 完結編 カザン、逃避行
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:649cc66a
Date: 2011/02/28 06:25
 「は、そ、そ、その耳、その尻尾は……!」
 「何だよ、人間!」
 「だぁーってろ、良い子にしてろ、俺に怒られたくなけりゃな」
 「…………」
 「…………」
 「さぁて、コイツは俺の奢りだぜ、カザンよぅ」


――


 カザンは唇の隙間から侵入した生温い液体に、意識を覚醒させた
 ポタポタと、髪から滴が落ちる。ブルブルと頭を振って、カザンは気付いた

 酒だ

 カザンは目の前で不敵に笑うゴッチを見ても、少しも驚かなかった

 「…………そうか、お前ほどの男ならば、不思議な事ではないか」
 「美味いか?」
 「…………」
 「おぉ、こりゃ中々」

 空になった小さな酒瓶から酒の滴を舐め取り、ゴッチは笑う。結局大事に取っておく破目になったダージリンの屋敷の酒は、この世界で呑んだ内では、一等級だった
 カザンも、笑っている。最初は小さな、掠れたような声だったのが、段々と力を取り戻していく

 地の底から響くような声だ

 「カザン、大丈夫か?」
 「ウルガ」

 狼少女がおどおどと話し掛けた。カザンは視線も寄越さなかったが、しっかりと認識できている

 「馬鹿な、殺されるぞ、ここは」
 「仕方ないじゃんか、ねーちゃんが…………泣くんだから」
 「おい」
 「知るかボケ、屋敷の中で搗ち合っただけだ。俺が連れてきた訳じゃねぇ。寧ろそいつの危機を救ってやったんだぜ、俺は」
 「…………そこの侍女は?」
 「協力者だ。『カザン様の為なら何でもしますぅ』っつーから、ここまで案内させた」
 「そ、そ、そ、そんな言い方はしてな、無いです!」
 「…………済まん、『ファティメア様の為なら死ねますぅ』だった。間違えてたぜ」
 「ひーん」

 卑猥に体を捻り、腰を振りながら茶化すゴッチに、ネスは泣いた。半ば本気の泣き方だった
 ネス自身は否定したが、ゴッチの発言も、そこまで間違っている訳でもない

 「まぁ、こいつ等の事情なんぞ知らん。お前との関係もな。とっととお前の女も攫って、早めに逃げちまおうや。あぁ?」
 「何故、お前が、俺を助ける」
 「お前の育ての親がな。みっともなく土下座までしやがるから、つい鬱陶しくてよ」
 「…………毒を仕込まれて、力が出ない。鎖を頼めるか」

 ゴッチはカザンの腕を取る。鈍く光る手錠には、カザンが足掻いた証か、血で赤く染まっていた
 踝の辺りを弄ると、ナイフが滑り落ちてくる。ゴッチはまずカザンの左手の鎖をナイフで叩き斬り、続いて右手の鎖をも絶った

 カザンが呻き声をあげる

 「少しは気を使え、腕が折れる所だ」
 「折れてから言えよ、手前見たいな頑丈な野郎はよ。……立てるか?」

 カザンは平気で立ち上がった。毒を仕込まれて牢屋にぶち込まれていたなど、感じさせない立ち振る舞いだった

 将校は、如何なる時でもゆったり歩く。なるほど、とゴッチは頷く

 「ウルガ」
 「後で話すよ、カザン。それより今は早くここから逃げないと」

 埃まみれの耳をピクピクと動かしながら、ウルガは言った。新たに近付く足音を感じ取っているのかも知れない
 犬と猫は勘が良い物、と相場が決まっている。ゴッチはナイフをズボンの裾に仕込み直して、トントンと、爪先で床を突いた

 「君は」
 「ね、ね、ね、ねネスです、騎士か、か、カロンハザン様!」
 「ネネス? 済まん、迷惑を掛けたようだ」
 「…………ネス、です」
 「漫才は程々にしとけや。行くぜ」
 「……ふ、お前にも一応は礼を言って置くぞ、ゴッチ」

 不思議な顔をするネスとウルガ。二人の表情を見て、カザンも訝しげに眉を寄せる

 「ゴッチって、何?」
 「俺の名前」
 「さっき、スーパーなんたらって」
 「それは俺の養父の名前」

 ゴッチは気持ち悪く笑った


――


 四人組、となると、多人数で行動する事があまり無いゴッチにとっては、少々小回りの利かない規模であった
 これがドイツもコイツも手練揃いと言うなら話は別だ。実際、隼団で徒党を組む時は、少なくとも仲間の実力は心配要らなかった。が、今回は半分が戦力外で、更にその内の片方は素人も良い所である

 どの道邪魔になるなら置いて行くだけだ。ゴッチは周囲を警戒しながら、慎重に、しかし迅速に四人組の先頭を走った

 「(スムーズだ)」

 何となく思い浮かぶ言葉は、否定されて然るべき物だ
 ゴタゴタに巻き込まれて、挙句追い回されて、結局力尽くで事態を打破した。スムーズとは言いようもない

 そうだ、本来なら……失敗している

 「(まともじゃねぇ。ロベルトマリンでこんな糞無様な事やってたら、あっと言う間に死んでやがる。俺が今生きてるのは何でだ?)」

 何度目かの曲り角に至り、ゴッチはハンドサインで追随してくるカザン達を静止させた
 カザン達がハンドサインなど知っている筈も無かったが、意図するところは伝わってしまうのだから、これらは便利だ。ゴッチが曲がり角の先の気配を窺うと、兵士達が待ち受けているのが把握できる

 隠れる場所の無い通路で棒立ちになっていれば、殺してくれと言っているような物だ
 数は五人。ゴッチは声も漏らさず躍り出て、最寄りの兵士の口を塞いで、鳩尾に膝を入れる。罵声の代わりに吐瀉物を撒き散らして倒れる男

 「あ」

 と漏らした兵士の顔面に、ヤクザキックが減り込んだ。逃げ腰の相手だったせいか、キックの威力が伝わりきらず、兵士は大げさに吹っ飛んだ物の目立った怪我もなく生きている
 ただし、失神していた。次だ、と吼えるゴッチの横をすり抜けて、カザンが兵士に組み付いた

 「おい、体は」

 唖然とするゴッチを尻目に、カザンは美しい手並みで兵士を転倒させる

 「相手がただの人間であれば、倒すのに特別な力は必要ない」

 腕と足を同時に抑え込むと、間を置かずに鈍い音が鳴る。兵士の右腕と左足が奇妙な方向に曲がった
 ゴッチは満足げに笑う。スムーズだ

 この二人組は、圧倒的だった。何人掛かってきたところで、相手にはならない
 ゴッチは中指を立てて、剣を抜こうとしながらも硬直してしまった残り二人の兵士に、脅し文句を仕掛ける

 「おうコラ、やんのか。手加減してやんねーぞ」
 「無駄だ。アラドアの私兵だぞ。平気で命を捨てに来る」

 兵士二人が呼気を合わせ、抜剣と同時に踏み込んでくる
 カザンが落ちていた剣を足で跳ね上げ、片方に体当たりした。兵士の腹部に刃が埋まる。背中を晒したカザンに向けて、残った一人が剣を振り上げた

 ゴッチは見た。振り向き様のカザンの目付きだ。何もかも見通すような眼をしている

 カザンは突き刺した剣を抜こうとした。兵士がそれを阻む。突きを食らった兵士は、自分の腹に深く埋まった刃を抱きしめて、抜けないようにしていた

 ぱ、とカザンは剣を手放した。恐ろしい形相で身を捩り、剣から逃げる
 兵士の一撃には、遠慮が無かった。カザンに避けられた必殺の一撃は、命を賭してカザンの動きを止めようとした兵士の頭を真っ二つに割っていた

 「うおお!」

 絶叫する兵士。両の目から涙が噴き出る
 容赦のない拳が顎の先端に命中した。カザンは拳を振り抜いたまま、兵士が崩れ落ちて行くのをジッと待った

 「よぉ、どんな気分だ、味方殺しは」

 カザンはゴッチを一睨みしただけで、答えようとはしなかった。曲がり角からネスがビクビクしながら、ウルガが恐る恐る小走りに出てくる

 足を折られてうつ伏せのまま倒れ伏す兵士が、凄まじい形相でカザンを睨んでいた
 年のころは、カザンとほぼ同等に思えた

 「騎士カロンハザン……! 自分が何をしているのか、貴殿は理解しているのか!」
 「なんだコイツ、全然元気じゃねーか。きっちり殺しとけよな、カザァーン」
 「……時間が惜しい、行くぞ」

 兵士が尚も叫ぶ

 「これはアナリアに弓を引く行為だ! 騎士カロンハザンともあろう男が……! 忠誠と信仰は何処に消えた、貴殿は本当に」

 ゴッチが高く踵を振り上げ、兵士の右足に落とす。狙いは足首。寸分の狂いもなく突き刺さった其処からは、やはり鈍い音がした

 こちらの世界の医療技術では、完治は絶対に不可能だ。二度とまともに歩けはしない。ゴッチは鼻で笑って、兵士の悲鳴に背を向ける

 カザンが凄まじい形相で居た。ゴッチが感嘆の溜息を吐くほどの、恐ろしい殺気を放っていた

 「武門セグナウとの闘争が、アナリアへ弓引く行いだと言うのなら、最早それで構わん。セグナウの兵士よ、俺はな」

 カザンがゴッチに習うように、踵を振り上げる。狙いは右手首
 何度目になるのか、鈍い音が響いた。兵士が悲鳴を上げ、ネスも小さく悲鳴を上げる
 二度と剣は振れまい。四肢を折られ、再起は敵わず、兵士としては終わったと言って良い

 「怒っているのだ。契約を破り、毒で持成し、女を攫う。王国騎士のする事か……!」

 ゴッチは全てを見ていた。仕草、挙動、視線、感じられる物全てを感じ、見る事の出来る全てを見ていた

 三日前の男とは違った。今のカロンハザンは、間違いなく“こちら側”に居た

 「(へへへ、…………スムーズだ。ひょっとしたら、何もかもが上手く進んでいるのかも知れねぇ)」

 ゴッチが悠々と歩きだす。この通路の先は、屋敷の玄関広間の筈だ。ネスが、そう言っていた

 玄関広間を越えたら、ファティメアの軟禁されている部屋は直ぐである。ファティメアを奪還すれば、仕事は完了だ。後は逃げれば良い。その、逃げるのが大変なのだが

 体制を低くして通路をじりじりと進み、ゴッチは玄関広間を覗き込む
 アラドア・セグナウという男の権威を示すかのように、豪勢な広間だった。見事な装飾が至る所に施されている。まさに、屋敷の顔にふさわしい玄関と言う訳だ

 ゴッチは首をかしげた。何か、ざわざわするような気配を感じていたのに
 玄関広間には、誰もいなかった

 「上だぁぁぁー!」

 突然のウルガの叫び声に、ゴッチは身を捩る


――


 何かに殴りつけられて、吹っ飛ばされた


 上から襲ってきたのは灰と黒の毛並みを持つ巨大な虎だった。少なくとも、虎のようにゴッチには見えた

 山脈の岩肌のようなギザギザの牙と、鎌のような鋭い爪。濁った白い眼球の中心で、黒い光が尾を引いたように、ゴッチは錯覚する

 そして何よりその巨大さ。四つん這いの姿勢のままで、既にゴッチの倍はある背丈

 己を見ても怯えぬ獣を相手に、ゴッチは一瞬だけ硬直した

 「(飛びかかって、きやがるか?!)」

 床に伏せるように虎は身を撓らせた。前足の筋肉が盛り上がっているのが解る
 ゴッチの顔が引き攣ったのは、気のせいだった。ゴッチは笑っていたのだ

 「(飛びかかって、きやがる、か?!)」

 咆哮が響いた。立ちあがり、ファイティングポーズをとる

 「飛びかかってきやがれ!!」

 怒鳴ったゴッチは、しかし自分から飛びかかって行った。虎が全身を振り乱して、爪を振るう
 虎の前足を打ち抜くゴッチの拳。爪が頬を掠って、血が噴き出した。ゴッチのパンチが、押し返される

 「なんだそりゃぁぁぁーッ!!」

 虎の腕力に負けて、ゴッチはぐるんと一回転した。これ幸いと足を振って、虎の横面に回し蹴り
 パン、と顔面が弾けたように虎は仰け反る。ゴッチは地を這うように体制を低くして踏み込み、虎の腹に全力のストレートを叩きこんだ

 「(一発二発じゃ駄目か、コイツぁ)」
 「ウルガ、ネス、ここにいろ」
 「カザン、アタシも!」
 「許可できん」

 効いた様子がない。ゴッチは虎の巨躯に体当たりする。真正面からがっつりと組み合う形になる

 「ケ、こうなりゃ力尽くだぜ」

 やったらぁ、と気合い一発、ゴッチは咆哮し、全力を以て前進し始めた。壁の近くで戦うと、奔放に暴れまわるゴッチの動きが制限される。それに、ネスとウルガの近くだというのも拙い
 じりじりと、一歩ずつ、黒灰の虎を押していく。押し捲って、玄関広間中央へ。そこにカザンが滑り込み、剣を振り上げた

 五本の矢が、それを阻んだ。カザンの、肩と、足。二本が命中し、三本は外れる
 カザンが呻き声をあげながら、矢が飛んできた玄関の方向を睨んだ

 「アラドア……!」
 「あぁ?! アラドアだぁ?」

 見ている暇が無い。虎がゴッチと組み合うのを止め、再び前足を振り上げる
 咄嗟に両腕を体に引き寄せて、縦に構えた。爪が横薙ぎに振るわれて、それを真正面から受け止めたゴッチは、空を飛んだ

 「(痛ぇ……。どういうこった、血だぁ。俺が? 俺の?)」

 両腕に刻まれた裂傷から血が流れる。ぶわ、とゴッチの髪が逆立つ

玄関入口を見れば、何時の間にか七人居た。兵士が五人、白いマントを揺らめかせる、他と格の違う男が一人、最後に、くたびれたフードですっぽりと顔を隠したのが一人

 白いマントの偉そうなのがアラドアだろう、と当りを付ける。年は四十ほど。年相応の渋みを持った金髪の中年で、口元は真一文字に固く結ばれ、表情がないかのようだった

 「屋敷に曲者と言うので戻ってみれば、こうか」

 虎が壁を走ったかと思うと、足音もなくフードの男に近寄ってゆく。そのまま寝そべり、フードの男に向かってじゃれつき始めた

 「クソが、なんだありゃ……」
 「ジューダ。人語を失う代わりに獣の声を手に入れた魔獣使いと聞く」
 「奴の名前か? それとも“そういう奴ら”の名前か?」
 「“そういう奴らの”だな」

 アラドアよ。カザンが声を張り上げた。アラドアの周囲を守る五人の兵士が、弓矢を構える

 「……最早貴様を我が将とは思わん」
 「私はとうの昔に、貴様をアナリアの騎士とは認めていない」
 「ファティメアを返してもらうぞ」
 「無理だ」

 アラドアの合図で、兵士達が一斉に矢を放った。カザンは剣を構える。五矢を全て受け止める
 人間のしてよい技では無かった。アラドアの真一文字の口元が、ほんの少しだけ綻んだ

 「毒もまだ抜けて居らんだろうに、大した男だ。だが、ファティメアは帰してやれんよ、最早。もう絶対に無理なのだ、それは」
 「どういう事だ、それは。……何だ、その笑い方、止めろ」

 カザンが首を振る。目が見開かれていた
 アラドアの言葉の意味が、カザンには解っていた。認めたくは、無い

 「止めろ、そんな、全て否定するような物言いは」
 「ファティメアは自害した。最早二度と貴様の手の内には戻らん」
 「馬鹿なッ」

 カザンが切り込んでいく。弓を構える兵士達を、アラドアが制止した
 代わりに、フードの男が動いた。虎がのそりと起き上がり、カザンを睨む

 「ひゃっは! 何だかしらねぇが、ムカつくぜ!」

 ゴッチも走り出す。カザンに食らいつこうとする虎に、罵声を投げながら飛びついた

 「ぶっ殺せカザン! 絶対ぇに殺せ! 俺がお前を男にしてやるぜ!」
 「アラドアぁぁッ!」

 ゴッチが虎の突進を受け止めて、カザンがその横をすり抜けていく
 抜剣する兵士達を、アラドアは再び止めた。己の腰の剣を引き抜いて、一歩前に出る

 「手を出すな、お前たち」
 「将軍?」
 「良いのだ」

 そのまま密着し、激しく切り合う。初撃、カザンは上段から、アラドアは下段から

 アラドアは大した腕前だった。毒で体が動かないカザンでは、ほぼ互角どころか、少し分が悪い
 その事はカザン自身がよく自覚しているだろう。しかし、怒声と共に食らいついて行く

 「ファティメアにとっての生は、全てがこれからだった!」
 「獄で体を汚され、消えぬ傷を負ってもか?」
 「貴様が言うのか、それを!」
 「アレは巫女だった、アナリアの。我儘で己の役目を投げ出す半端者が、どこでどうやって生きてゆけるのだ」

 劣勢だろうが、何だろうが、カザンに任せておけば問題ない。ゴッチは虎に向かって、歪んだ笑いを投げかける

 両の腕から滴る血が、ゴッチの体を濡らした。酷く気に入らなかった

 「けひひ」

 何時になく掠れた笑い声が漏れる。バチバチと、ゴッチの全身から乾いた音が鳴った

 「この下等生物がァーッ! 誰に向かって粗相してくれてんだコラァァーッ!!!」

 青白い光が玄関広間を埋め尽くした。雷は、何者をも全て例外なく貫く
 魔物だろうが何だろうが関係ない。人だろうが虎だろうが関係ない

 感電して、虎の黒灰の毛並みが逆立った。体組織が燃えて行く。苦しげな咆哮が響き渡る。それにひきかえ、全身に稲妻を纏わせたゴッチは肉が盛り上がり、受けた傷が塞がっていく

 ゴッチは組み合う虎の足を振り払った。ガラ空きになる虎の胴体。隙だらけの体制

 「ぬぁぁ」

 ゴッチは拳を振り回す。嵐のような拳打の雨だった

 目の前、腹、滅多打ちだ。ボコボコにしてやる

 「ボディッ! ボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディ」

 乱打に次ぐ乱打。五十発からは、数えるのを止めた
 骨を砕き、内臓を破裂させる感触が拳から伝わってきても、ゴッチは殴るのを止めない。この虎が死んでも、或いは止めないのかもしれない。気が済むまでは

 「ボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディボディ」

 体を左右に振り回し、一発一発体重の乗った鉄拳を打ち込む。力を込めた拳でありながら、只人の目には、止まらぬ程には早い。両の腕は青白く光りっぱなしで、拳の威力と電流により、虎は最早悲鳴すら上げられなかった

 苦しめ、もっと苦しめ。ゴッチは壮絶に笑った

 「アッパァァァァァァーッッッ!!!」

 虎の頭蓋骨が顎部から粉砕され、巨体が宙を舞った。おまけに空中で一回転して、それから床に叩きつけられる

 折れた骨が肉体を突き破り露出している。絶命しているのは、誰から見ても明らかだ。電流で焼かれた虎の肉からは、不味そうな匂いが漂っていた

 ゴッチは、ジューダとやらを睨みつけようとして、ジューダが既に逃走している事に気付いた。何とも行動が早い
 クレバーな奴らしかった。ああいう奴は、相手にするとキツイ。フン、と忌々しげに鼻を鳴らして、息絶えた虎の頭を念入りに踏み潰す

ゴッチは未だ切り結ぶカザンとアラドアの方へと向き直る


――


 「手を出すなよ、ゴッチ」
 「良いのかよ、負けそうじゃねーか」
 「負けん、この男には、このような外道には」

 ゴッチの足元まで倒れ込んで来たカザンの顔色は、蒼白だった。既に、血液の循環すら怪しくなっているように、ゴッチには見えた

 アラドアが息を整える間に、ゆっくりと足を付き、危なげなく立ち上がる。一つ一つの動作が、盤石な物に見えて、実は危うい

 傷を負い、疲れ果て、毒を食らい、血が回らず

 しかし、立つ。まだ戦う。全身から、殺すと言う気配を放っている

 アラドアが額の汗をぬぐい、ゴッチを睨んだ。背丈はゴッチよりも低い癖に、見下ろすような視線だった

 「貴殿が報告にあった魔術師殿か」
 「どの魔術師かは知らねーが、そうなんじゃねーのか?」
 「この狼藉、今回に限り見逃そう。直ぐに立ち去れ。これ以上、首を突っ込まないで貰いたい」

 先ほどの雷の流れを見ただろうに、堂々とした態度だった
 ゴッチは小さく笑った。今更それは在り得ない。そして、この男の態度も在り得ない

 「『見逃そう』だぁ? 『立ち去れ』だぁ? 違うだろうが、戯けが。『見逃してください』『帰って下さい』だろうが。手前の立場を間違えるんじゃねーぜ」

 アラドアよりも、アラドアの周囲の兵士達の方が殺気立った。五名の兵士が油断なく構えながら、アラドアの前に展開する

 「私がどういう男なのか、理解しているのだろうな。如何に魔術師殿と言えど、一国を相手取って我を通せると思うのか?」
 「思うね」

 ゴッチがべぇ、と舌を出した

 「手前はカザンに毒を盛って、ファティメアとやらを誘拐して、ついでに殺した臆病者の、玉無しの、粗チン野郎だ。何でそんな情けねぇ野郎に遠慮しなきゃならねぇんだ? 手前をバラして畑の肥しにしたあと、このアナリアとか言うイカレた国をぶっ潰せば、後腐れも無くてすっきりするじゃねぇか」

 そんなことやってる暇ねーけど、と、口の中だけで呟く
 アラドアの表情が凍った。対照的に、カザンが笑い始める
 それは良い、と本当に嬉しそうに笑っていた。天啓を受けた、とでも言いたげな、自信に満ちた笑い方だった

 「潰してやる。契約を違え、ファティメアを死に追いやったこの国を。所詮は腐敗が進み切った斜陽の国だ。一切合財潰して立て直した方が、民も喜ぼう」
 「けけけ、どうした、アラドア将軍様よぉ。青筋が立ってるぜ」
 「ゴッチ、気が変わった。手を貸してくれ」

 あぁ? と首を傾げるゴッチを引き寄せ、カザンはめくらましを頼む、とだけ言った
 取り敢えず、と言った風情で、ゴッチが電流を放出すると、カザンはネスとウルガが待機している通路まで走りだす
 数秒以内に確保を完了して、カザンは再び走っていた。ゴッチは意図を察して、アラドアと兵士達に向かって突撃した

 「何だ、全然元気じゃねーか馬鹿野郎」
 「突破しろ!」
 「俺に命令するんじゃねぇ!」

 光る拳を床に叩きつけて、怯ませる。一瞬の隙を作り出し、ゴッチは手当たり次第に殴り飛ばした
 当然、アラドアも殴った。上手く防いだようだったが、ゴロゴロと床を転がって倒れ伏す。その無様な姿にカザンは指を突き付け、宣言した

 「決着は預ける。俺はアナリアを滅ぼす。それを見届けろ、アラドア・セグナウ!」


――


 夜の闇に紛れながら、ゴッチは酒場に辿り着いた。酒場の親父が眉を顰めながら出迎える

 「何処に行ってたんだ? 今外を出歩くなんぞ、無謀にも程がある」
 「服を取りに行ってたんだよボケ。何時までもダセェ格好で居られるか。……大丈夫だ、尾行されちゃいねぇよ」

 酒場の親父は、カザンに聞く所によると、バースと言う名前らしい。呼ぶ機会など皆無に思えた

 「カザンの様子は?」
 「意識はあるが、身体は動かんみたいだ。今、侍女の嬢ちゃんが付きっきりだ」
 「へ、放っといて良いのか。カザンの奴、ありゃ相当“来てる”ぜ。我を失ってネスを強姦、なんて結構ありがちだと思うがな」

 バースは苦み走った顔をして、背を向けた。酒瓶の整理をしていたが、身が入っていない。小さなミスを何度も繰り返している

 机で、ウルガが赤い顔でのびていた。呑めない酒を無理に呑んだらしい。酒瓶を抱きしめて、ぶつぶつと何か言っている

 「おいクソガキ。手前は良いのか」
 「…………だって、アタシが居たって邪魔なだけだし」
 「……そりゃ間違いねぇな」

 ウルガが無言で酒瓶を振り上げた。受け止めるゴッチ

 「手前、何であの場所に居たんだ? 無謀だろ、どう考えても。手前とカザンの接点は何だ?」

 ぐでん、とウルガは机に倒れ伏した。そのまま、矢張りぶつぶつと話しだす。半分寝ている

 「カザンは……アタシ達ミストカの恩人なんだ……。二年前、戦争で、アタシ達の森に火が掛けられそうになった時、カザンがそれを防いでくれた。……カザンは、良い奴だ。人間は嫌いだけど、カザンは好きだよ」
 「ほぉ、あの男、本当に評判良いのなぁ」
 「それに、姉ちゃんは、カザンの事が好きで好きで仕方ないんだ。へへ、姉ちゃんは、森で一番の美人なんだ」
 「…………手前がカザンを助けたかった理由は解った。じゃぁ、カザンが捕まってたのを、どうやって知った?」

 ゴッチはウルガが抱きしめる酒瓶を引っ張った。しっかりと抱き付いていたウルガを引き離せず、そのままぶらぶらと酒瓶にぶら下がらせる
 獣の耳がピクーンと立って、尻尾が伸びた。ゴッチはウルガをゆらゆらさせて、直後に酒瓶を奪うのを諦めた

 「八日前に、森に変な人間が来たんだ。最初は追い出そうとしたんだけど、ソイツが『このままだとカザンが危ない』って言うから」
 「はぁ?」
 「ソイツの説明が、凄く納得行ったんだ。他の奴は信じなかったけどさ。アタシ達って世情に疎いけど、カザンがどんな立場に居るのかぐらいは知ってたから。それで、ずっと走り詰めでアーリアまで辿り着いて、その変な人間のくれた地図を頼りに屋敷に忍び込んだんだ」
 「おいおい……手前、実は相当頭が弱いんじゃねぇか? どんだけ納得行っても、一人で潜入かますか?」

 ゴッチの言ってよい台詞ではない

 「……変な人間が、アナリアの兵士とか、そう言うのに働きかけて、有志を募るからって。それまで時間稼ぎしてくれって。カザンは良い奴だから、命令に逆らってでも命を捨てて駆けつけてくる奴らが、沢山居るって」
 「……わぁーった、わぁーったよ。……カザンも大した男だが、手前も大した女だ。大物になるぜ」

 おい、とゴッチはバースに声を掛ける。バースは、振り向かない

 「良い息子じゃねぇか。奴一人の為に、平気で馬鹿やらかす小娘が居やがる。この分だと、きっともっと沢山居るな」
 「……当たり前だ。……俺の……自慢の息子だぞ」
 「ケ、取り敢えず、カザンが復調してもしなくても、明日の朝日が昇ったらアーリアから逃げる。こうなった以上ここには居られん。だが、契約を忘れンなよ。手筈が整ったらこっちから連絡すっから、手前はきっちり“ラグラン”と“アシラ”について調べろ」

 解ってる、とバースは呟くように言った。いつの間にか、ウルガは机に突っ伏して寝ている

 奇妙な沈黙が場を覆った。ゴッチは今度こそウルガから酒瓶を奪い取り、傾ける
 …………中身が無かった。ゴッチはウルガの頭に拳骨を落とした

 「(チ、なんか、スッキリしねぇ終わり方だな)」

 途中までは、もっとイケイケのノリノリに事が進んでいた筈だった。それが終わってみたら、この有様だ
 こうなってしまっては、そもそもの目的も果たせそうにない。病人を殴り倒して勝ち誇れるほど、ゴッチは都合の良い性格をしていなかった

 「あーあ、何やってんだ俺は…………」

 何かが割れる音がした。音の発生源は、ネスがカザンに付きっきりで居る部屋からだ
 バースが声を掛けると、ネスが直ぐに返答した

 『だ、大丈夫です、こここ、来ないで下さい!』

 酷く焦った声だったが、普段からあんな声だから今一判別がつかない

 しかし、バースも、ゴッチも、部屋に確かめに行こうとはしなかった。男と言う物は、女が居れば大抵は立ち直ってしまう物だ。二人とも、良く理解していた

 「あー馬鹿馬鹿しー」

 テツコか、ファルコンか、ダージリンと話したい。ふとそんな事を考えて、ゴッチは気付く

 テツコへの言い訳を考えねばならない事に思い至ったゴッチは、一瞬で顔を青褪めさせた


――


 後書き

 愛の逃避行させてない事に気付いた。カッとなってやった。反省はしているが、後悔は以下略。
 思うまま書いていたらいつの間にかファティメアが……! これは難解なミステリーサスペンス……!



[3174] かみなりパンチ8 紅い瞳と雷男
Name: 白色粉末◆9cfc218c ID:649cc66a
Date: 2011/02/28 06:31
 「げ、アイツぁ」

 あの時の俎板娘。ゴッチは、思わず机の陰に隠れる


――


 朝起きだしてみれば、何故か酒場の中にカザンとベルカが居た。追われる身の癖に、少しも恐れる事無く裸の上半身を晒して向き合うカザンに、ベルカは跪いている

 汚染されたロベルトマリンでは味わえない、明るい朝の雰囲気の中で、二人は厳かだった。立ち入る事の出来ない、奇妙な空間があった

 どういう展開だ、これは。ゴッチは息を殺しながら、事態の推移を見守る

 「今では俺も反逆者だ」
 「…………はッ。以前、ここでお見かけした時から、もしやと思っておりました」
 「頭を上げろ。元より、お前が其処までする謂れはない筈だ」

 ん、とゴッチは眉を顰めた。予想外の事が起きている
 ゆっくりとベルカが立ち上がる。ベルカは泣いていた。強気な瞳が、泣いていた。ゴッチがベルカと接触した時間自体はそれほど長くないが、それでも軽々しく泣きを入れる女ではないと思っていた

 「これをお持ちしました」

 ベルカは背負っていた剣を差し出す。カザンが初見の時に持っていた、布で巻かれた長剣だ
 カザンは難しい顔をしつつも、それを受け取った。小さく礼を言うカザンに、ベルカは唇を噛む

 「カザン様、無念です。何故我々に何も言ってくださらなかったのですか」
 「これは……恥ずべき事だよ。何が言える」
 「妻を娶って軍を退く、その程度の事では無いですか。貴方の下で働けないのを残念に思いはしても、責めるなどあり得ません。そんな狭量な者は、我が団には居りません」
 「……この剣を、よく届けてくれた。今となってはこの剣がアイツの形見だ。どのような方法を用いたのかは知らないが、感謝する」
 「これからどうなさる心算ですか」
 「東にでも行くさ」
 「……反乱に、参加を?」
 「そうなる。或いは、お前と戦場で見えるやもしれん」

 無理だ、とゴッチは舌を出した。ベルカもこの世界の平均よりかは遥かに“出来る”ようだが、カザンの足元にも及んでいない
 カザンが本気でやったら、戦場で出会った瞬間死ぬだろう

 良いのかね、ともごもごするゴッチの視線の先で、ベルカが俯いた

 「それだけですか? ……他に、仰る事はないのですか?」
 「ベルカ」
 「団の皆も、この国の現状を憂えています。貴方が号令なされば」
 「俺は思想で戦うのではない」
 「どうせこのまま軍に残っても、良い事はありません。カザン様の直属であった銀剣兵団は、冷遇されるどころでは済まないでしょう。それを解っていながら」
 「ベルカ!」

 カザンが右拳を額に宛がった。瞑目する様に、カザンの動揺がありありと表れている
 暫しの沈黙の後、カザンは腕を振り払った。全て、決まったようだった

 「ベルカ、我が兵に伝えろ。一族全て死罪となるを恐れぬ者は、カロンハザンに従えと。銀剣兵団の先行き、この俺が預かる」
 「はッ!」

 応答と共に胸の前で拳を打ち鳴らし、ベルカは酒場から出て行く
 暑苦しい奴らだな、とからかいの言葉を放ちながら、ゴッチは漸く隠れるのを止めた。予想していた事だが、カザンは少しも驚かなかった。気付かれていた心算は、ゴッチにはない

 カザンは、小さくぼそぼそと呟いた

 「寄せられる好意を利用して、惨い事をしているな、俺は」
 「良いんじゃねぇの? 自分から扱き使ってくれって擦り寄って来るんだからよ。それより、まだ本調子じゃねぇみてぇだが、これ以上は面倒だ。俺は一足先におさらばするぜ」
 「解った、俺達も急ぐ。合流地点はどうする」

 気を取り直したように言うカザンに、ゴッチは間抜けな顔で聞き返した

 「はぁ? どういう意味だそりゃ」
 「?」
 「あん?」
 「いや、あん、ではない」
 「あぁ?」
 「合流地点だ。余り人目の及ばぬ所が良いが」
 「俺とお前らの? …………なんで俺が、態々お前と合流せにゃならねーんだよ」

 今度はカザンが間抜け面になった。腹を抱えて笑うポーズを取りながら、ゴッチは大声をあげる。これは、お笑い草と言う他ない

 「おいおい、俺がこのままお前の言う事をヘイコラ聞くとでも思ってたのか?! 助けたのは、喧嘩を決着させる為だぜ! 他に理由なんざねぇ、なんでこれ以上お前を助けてやらなきゃいかんのだ」
 「……決着?」
 「そうだ、手前が毒なんぞ食らってなきゃ、とっくに喧嘩してたよ」
 「喧嘩するために喧嘩相手を助けるとは、また何とも言えんな」

 ゴッチがポケットに手を突っ込んで前傾姿勢になる。鋭い瞳で、上目使い
 年季の入った、貫禄のあるガン付けだった。この表情と視線と威圧感は、只管に恐い。特にゴッチのこれは、万国共通人獣鳥魚の区別なしだ。下手したら、虫にも効く

 「手前にゃ解んねぇだろうなぁ。手前は人気あるし、それなりに高い地位に、ちょっと前まで居たんだろう? そりゃ、解んねぇだろうなぁ」

 ゴッチはべぇ、と思い切り舌を出した。生理的嫌悪感を誘う挑発行為であるそれも、ゴッチがやると異様な雰囲気があって更に凄味が出る

 カザンは、苦笑しながら聞いていた

 「俺ぁアウトローだからよ、ならず者だからよ、へへへ。舐められたら終りだ。特に、俺みてぇに馬鹿ばっかやってる奴はな。喧嘩の勝ち負け一つ、適当にしてしまってはいかんのだ」

 其処まで言うと、ゴッチは両手をポケットから引き抜いた。威圧的な雰囲気は嘘のように消え、何時もの横柄な態度が現れる

 「なーんつって、まぁ、結局、大半のところは意地だけどよ」

 カロンハザンが腕組みする。視線は、真っ直ぐゴッチに向いていた
 堂々とゴッチを真正面から見据えてくる。怯えも、媚びもなく、こうも真っ直ぐに視線を向けられることは、稀だった。力強かったが、気負う訳でもないその視線は、ファルコンのそれにすら似ていた

 カザンは徐に口を開いた

 「その膂力、その技、付け加えて、魔術。ならず者のままで良いのか。それで満足か」

 僅かの間、硬直したゴッチは、理由もなく無邪気に笑った。そう見せかける為の擬態か、本当に笑っているのか、見ただけでは判別の出来ない笑顔だった
 ただし、ゴッチの米神には青筋が浮いていた。カザンはそれに気付いていたが、言葉を押しとどめようとはしなかった

 「何の為の力だ。何の為の喧嘩だ。何故生きて、何故戦い、何故傷つくのか、お前に理由はあるか」
 「……お偉い元騎士様は、言う事が小難しくていかんぜ。何が言いたいんだ、糞野郎」
 「俺と来ないか、ゴッチ・バベル。俺は復讐の為に戦う。もう、誇りのある戦は出来ないだろう。だが、勇猛で高潔な指導者達にお前を紹介する事ぐらいは、まだ出来る。その力を正しく振るえる場所を、必ず見つけてやろう」
 「馬鹿馬鹿しいぜ、何を言い出すかと思えば」

 ゴッチは足音高く歩きだし、酒場の出口へと向かった。拳骨が飛ばないだけ、紳士的である
 数歩歩いたところで、背中に重みを感じた。水を吸った布が落ちてきたような、気持ちの悪い重みだった。咄嗟に手をやるも、空を切るばかりで重みの正体を発見できない

 ゴッチは、振り向いた。腕組みしたままのカザンが居る

 カロンハザンという男の威圧だった。カザンの気配がゴッチに取りついて、重圧となっていた

 「その力、我欲の為にのみ用いても、虚しいだけだぞ。己の命よりも重い物を、探してみないか」
 「馬鹿が、俺ぁ……いや。お前みたいな奴に限って……いや。あーあー! もう! 問答したって仕方がねぇんだよ、ったく」

 二回も、ゴッチは口ごもった。言い掛けた言葉を二度も止め、右の眉を吊り上げて米神を揉む

 綺麗な事を言いやがる、この男は。しかしそれは、ゴッチには全く魅力のない話だ
 復讐の為にこの国を滅ぼすと、血を吐くように誓っていながら、その癖未だ“高潔な騎士”であろうとしているように、ゴッチには感じられた。
 捨てた物にしがみ付いているように見えたのだ。胸がムカムカするような気がするのは、そんなみっともない所を見ているせいか?

 ゴッチは頭を振った。この男は、俺に何を聞こうとしたのか

 何の為の喧嘩。考えるまでもない。自分で考え、自分で行う、自分の為の喧嘩だ。喧嘩をやるとしたならば、それ以外のやりかたがあってはならない

 「下らん、と賢しらな振りをして言うのは簡単だが、逃げも同然だぞ、それは」

 思わずゴッチは怒鳴り返した。そんな事をしても意味がないのは解っていた。だがカザンを前にすると、少なからず冷静さを失う。ゴッチは認めたくは無かったが、自覚していた
 カザンを格別に意識していた。意味がないとは思っても、勝手にぽろぽろと、怒声が零れて行った

 「何様だよ、お前はよ! 一体何モンなのか、この俺にでっけぇ声で言ってみろ!」
 「カロンハザンだ」
 「女一人面倒見れねぇ、そんな情けねぇ甲斐性なしだろうが! 俺は生まれてこのかた自分の暴力の面倒見てきたぜ! 今さら喧嘩の仕方だ、理由だ、なんだぁ、お前に説教される謂れはねぇんだよ!」

 あー、気分悪ぃー。ゴッチはカザンを突き飛ばすと、今度こそ酒場から出た
 意外にも、静かな町並みがある。早朝故の静けさを、一人で木端微塵にしながら、ゴッチは肩を怒らせて歩いた。困ったように笑いながらカザンが見送っているのすら、気付けなかった

 「畜生、あぁー、気に入らねぇっつーか、何つーか。殺してやれば良かったかも知れん」

 ロベルトマリンであぁも偉そうに説教を垂れる輩がいたら、或いはそうしていたかも知れない。それ以上に、自分で助け出した者を自分で殺すと言うのが、全く無駄に思えたのが大きいが

 そもそも何故こうまでカザンが気に掛かるのか。理由がない以上は、相性の問題と言うしかなかった

 ちょっとでも思い出せば、脳内に澄まし顔のカザンが現れた。気分を害するほどの美男子が、訳知り顔で腕組みしている。ゴッチは、クワ、と恐い顔をする

 「(クソが、俺一人で熱くなって……。これでは道化だよ)」


――


 アーリアから逃げだす前に、一目ダージリンの屋敷を見ておこうと思ったのは、感傷からであった
 何だかんだ言って居心地の良い場所だった。ダージリンが戻って居れば、こっそり挨拶していくのも悪くはあるまい、と思っていたのだが

 しかし、いざ屋敷に来てみると、見知った侍女が数人の兵士に輪姦されかかっており、流石のゴッチもこれは予想外の展開で、思わず噴き出した

 「な、なんだお前は!」
 「何だ……って、取り敢えずしまえよ、その粗末なモンをよ。しかし朝っぱらから野外で、とか、盛り過ぎだろ、常識的に考えて」

 兵士達の注意がゴッチに逸れたのを好機と見て、侍女が泣きながら、己の秘所に一番槍をつけんとしていた兵士の股間を蹴り上げた

 うげ、とゴッチは青褪める。あの痛みは、女には解るまい

 侍女の両腕を抑えつけていた兵士が、怒声を上げて侍女の頬を張った。その瞬間には、ゴッチが踏み込んでいる。横面に炸裂したヤクザキックで、兵士の首があらぬ方向に曲がっていた
 更に一人が、芝生に放りだしていた剣を引きよせた物の、それを抜き放つ前にゴッチが肉薄している

 あらよっと、全く気負いのない掛け声と共にジャーマンスープレックスが繰り出され、兵士は声を発しなくなった

 「さて、後は……あらぁ?」

 一番最初、侍女から股間を蹴り上げられた兵士は、泡を吹いて白目をむいていた


――


 簡潔に言ってしまうと

 ダージリンが処刑されるらしい

 「はぁ? どうしてそう言う事になっちゃう訳?」
 「それが……反乱軍の手の者を匿っていた等と、在らぬ罪を着せられて……。アラドア将軍の屋敷に忍び込んだ者が居たとか」

 俺の事か!

咄嗟にゴッチは作り笑いする。へぇー、なんて驚いて見せて、無関係を装う
 脳みそを動かせば、まず疑問が出てきた。幾らなんでも早過ぎだと感じた。この世界には監視カメラもなければ、遠く離れた相手との交信を一瞬で可能にするような通信手段も無いのだ。少々、神速に過ぎる

 「何か怪しい奴は居なかったか」
 「…………そういえば、二名程、事の前より姿の見えない者が」
 「じゃぁそいつらだな。裏で手を回されて、付け込まれたんだろうよ」

 自分が仕出かしたことなどおくびにも出さないゴッチに、侍女はころりと誤魔化された。動きの速さを考えれば丸きり嘘とも思えないから、口から出まかせという訳でもない
 侍女はあられもない姿を隠そうともせず、平伏してゴッチに懇願する

 「お願いです、ゴッチ様、どうか、ダージリン様を。特殊な印を刻まれて、ダージリン様は魔術を封じられているのです」

 またこういう展開かよ。ゴッチは眉を顰めた。が、これは自業自得と言うべきだろう


――


 「お主も気持ちは解るが、馬鹿な事を考えるで、ないぞ。せめてあの娘の最後を看取ってやれ」
 「はい…………」

 時は既に、夕刻であった

 最低限汚れだけはない物の、くたびれ果てた、最大限他者の同情を誘える身形で、侍女は大げさな装飾の施された屋敷の前に平伏していた

 ゴッチの感性で言えば少々奇妙な、遥か昔の貴族のような形をした髭面の男が、配下を伴い、踵を返して屋敷の中に消える
 侍女はそのまま暫く頭を下げ続け、誰も戻って来る気配がないのを確認すると、急いで立ち上がって走り出した

 屋敷を出て直ぐの道には、ゴッチが待っていた。事の成り行きを見守っていた

 「……明日の昼、だそうです。アーリアで最も大きな広場で執り行う、と」

 ダージリンの処刑の話だ。侍女は、膝をがくがくと震わせながら言う

 「明日か、また、随分と急ぐな。信用できるのか?」
 「バロウズ様は、軍に置いて多大な信頼を寄せられる、将軍であらせられます。偽報をお掴みになる事はないかと」
 「その、バロウズ自身がお前に嘘を吐いた可能性は?」
 「他の方達と違い、ダージリン様も嫌う事無く接してくださいました、バロウズ様は。そのような事はないと信じたいですが……」

 ふぅん? と素気なく返して、ゴッチは服を整えた。ダージリンの屋敷で間に合わせた使用人の服は、ぴっちり肌に張り付いて来るようで、どうにも気持ち悪い

 この侍女は、ダージリンの故郷である北国で、ダージリンが五歳の頃から傍仕えをしていたらしい
 忠誠心も一際、と言う訳だ。逆に、今回裏切ったと目されている二人は、アーリアで現地登用した者達らしかった

 ゴッチは一度バロウズの屋敷を振り返って、歩きだす

 「しかし、とっ捕まえて事の審議もせず、翌日にゃ死刑執行か。大した国だ。大した司法制度だ」

 司法制度、に唾吐きかけて、或いは上手く利用して今までやってきたゴッチだったが、このアナリア王国の強引さには少々驚いた

 ゴッチの背後に寄り添いながら、暗い顔で侍女が言う

 「国王陛下は、ダージリン様と……ダージリン様の兄上様、大殿様を恐れているのです。ダージリン様は魔術師で、その上大殿様は今代の国王陛下をよく思ってはいらっしゃらないようで……、事と次第によっては、アナリアへの反逆も辞さぬ、というお方ですので……」

 危険な因子だ。内乱中の国にとっては、特に
 今の侍女の口ぶりからすれば、ダージリンの故郷はまだ残っているようだ。数日前にダージリンと話した時の事を考えても、そうだろう
 しかしこの国は内乱中だ。そんな危険な火種が転がっているのなら、とっくの昔に粛清するか和解するか、なんらかの解決策を施していてもおかしくあるまい

 何故、生き残っているのか? そこまで考えて、ダージリンの顔が脳裏を過る

 そうか、あの時、ダージリンは自分が故郷に居つかないからだ等と言っていたが

 「ダージリンは、人質って訳か。マグダラ家においたさせないための」

 侍女が沈黙する。ゴッチはそれを、肯定と受け取った

 となれば、ダージリンの故郷である北国を攻める段取りも、アナリア王国は既に済ませているのだろう。人質を殺しておいて、人質を差し出した側が怒らないなんて、そんな虫のいい話はない
 早急に攻める事は無くても、最低限、ダージリンの兄を殺害する準備ぐらいはある筈だ。一国一城の先行きなんて難しい物は、指導者の能力に左右されるのだから

 「あんな恥ずかしい城に住んでる偉そうな王様を、兄妹そろってビビらせてる訳だな。痛快な話じゃねぇか」

 豪壮な装飾が施され、至る所に青い旗が翻る巨大な城の威容は、ゴッチにはこけおどしにしか見えなかった

 「それにしたって、明日ってのは矢張り早過ぎる。幾らダージリンが魔術師で、奴の実力にビビってるとは言っても」

 ダージリンを殺害した後、ダージリンの兄とやらと一戦交えるなら、多少の準備期間は欲しい筈だ
 以前から練られていた策であれば、既に準備が済んでいたとしても可笑しくは無いが、そうすると今度は準備が良過ぎるような気がしないでもない

 ゴッチは路地裏に入って木箱に腰を下ろし、少しだけ黙考した

 「なぁ、お前ら“北国”の奴ら以外で、ダージリンを助けたい奴っつったら、誰か居たりするか?」
 「…………恐らく、居ないと思います。私達は北の蛮族と呼ばれて、疎まれております」
 「そーかそーか。だが……今をときめく反乱軍様なんて、どうだ? 魔術師の力、ついでに言っちまえば、マグダラ家とやらの力、欲しいんじゃねぇか?」
 「確かにそうかも知れませんが……。それが今、何だと?」

 ニヤニヤ笑いながら、ゴッチは思い返していた。確か、実際にカザンが捕えられるよりも以前に、カザンの窮状を予見し、それをウルガの故郷であるらしい“ミストカ”だとか何とかにリークして、救助させようとした者が居た筈だ
 最もウルガ達自体を当てにしていた訳ではなく、少しでも時間を稼げれば、と言った具合の目論見だったようだが

 どうもソイツが怪しいな、とゴッチは踏んでいる。純粋にカザンに心酔している者の独走かも知れないが、反乱軍の手の者、と言うのも無い訳ではない。気に入らない事に、カザンは強く、また強いだけの男ではなかった
 反乱軍とやらは、欲しい筈だ、ダージリンも、カザンも

 「と、まぁ、そんな根拠のねぇ話を省いたとしても」
 「?」

 侍女は首を傾げた。沈黙していたゴッチが唐突に放った言葉の意味を掴みかねていた。人の心を読む術などもたないのだから、当然である

 カザンとあの俎板娘がダージリンを助けるってのは、どうだ?

 ダージリンの有用性は高い。魔術師であり、マグダラ家との懸け橋ともなる。カザンとしてもダージリンを救助出来れば、反乱軍の力を増強出来、尚且つ自分をより高く売り込める筈だ

 「(反乱軍って、どんぐらいのモンなのかな)」

 知らない事だらけなのだから、あまり意味のない推理かも知れないが

 「自分の国でちょろちょろスパイ……間諜が、若しくはそれに近い危ねぇのが動き回っていれば、当然勘付く。そんで、勘付いたなら、当然根こそぎ排除したくなる。出来なくとも、力を殺ぎたい」
 「はぁ?」
 「で、一々探すよりも、誘き出してばーっと行った方がお手軽だ」
 「はぁ」
 「ついでに、準備期間は与えたくない。万全な態勢でゲリラ屋……遊撃戦されたら、面倒くさくてしょうがない。だから速攻で仕掛けてみる、と」

 ゴッチは首をかしげた。面白おかしく考え過ぎたか? 他人事と思って、こういう揉め事であれば良いな、なんて願望を想像してみたが

 まぁ、世の中思った通りであった事なんて、今まで一度もないのだ。ゴッチは木箱から立ち上がって、複雑な表情をしている侍女の肩を叩いた

 「ゴッチ様……ダージリン様は、あぁ…………」

 細い肩が震えている。中々出来る女であるこの侍女も、当然ながら、冷静ではいられない
 ゴッチが取りとめもなく話す内に、寒気がする程の実感を得たようだった。どうしようもない現実に、ただただ震えていた

 「全部俺に任せてろ。俺もアイツの事、気に入ってるからよ」
 「無理で……無理でございます。幾らゴッチ様がご助力下さっても……私達だけでは……。うぅ……うっく」
 「そりゃ、お前じゃ無理だ。無理だと思っちまう奴には、無理だ。俺はお前とは違う。アナリア王国には、兵士がどんぐらい居るんだ?」
 「わ、私は一介の侍女にございます。ひっく、そのようなこと知る由も御座いませんが、聞くところによれば、五万とも、六万とも」
 「五、六万?!」

 ゴッチは大げさに驚いてみせる

 「けひひ! 俺を殺すにゃ、その十倍は要るぜ」

 侍女が顔を上げた。揺るがないゴッチの強気な態度を、信じてみようと思ったらしかった

 侍女の視線を真正面から受け止めないゴッチは、顔を背けて、また笑う

 「まぁ! お前らの為じゃねーけどな! 俺は俺のやりたい事をやるだけよ!」


――


 ゴッチは侍女を宥めると、バロウズとやらが放ったのであろう尾行を殺害して、ダージリンの屋敷へと帰還した
 バロウズという男も、伊達で将軍をやっている訳では無いらしい。幾らそう間を置かずして誰もが知る事になるとは言え、魔術師の処刑等と言う一大事だ。平気で情報を漏らしてしまうような男が、重役につける筈もなかった

 物は試し、と言った具合だったのだろう。ひょっとしたら、万分の一の確率でこの侍女が危険な事を考えているかも知れない。そう思ったバロウズは、常ならば話す筈もない情報を話し、その上で配下に後を追わせたに違いないのだ。今回に限り、その予想は大当たりだった訳だが

 ゴッチの身体の特徴が(恐らく)知られている以上、尾行をそのまま返してやる訳が無かった。懸念事項を一つ消去したゴッチは、しかし「生かしておいた方が使い道があったかね?」と首を捻っていた

 主を奪われた屋敷は、ひっそりとしている。それもそのはずで、ゴッチの隣で不安そうにしているこの侍女が、屋敷で働いていた者達全員に暇を出したらしい。“北国”出身の者には、殺戮の可能性があるから故郷へ逃げろと言い含めてあるそうだ

 ランプの中で小さな炎が揺らめく客間に、侍女の寝息が立ったころ

 ゴッチは歯をむき出しにして笑いながら、腕組みした

 「さぁーて…………、どうやるかね」


――


――


 目隠しされたまま馬車に乗るのは、ダージリンは初めてではない
 子供の頃、父、マクレーンが隠匿していた魔術師としての素養が、国王に知られてしまった時、王都アーリアに召喚された事があった。あの時も目隠しをされ、手足を鎖で繋がれ、まるで罪人のような有様であった

 今では本当に罪人扱いだ。ガタガタという振動と時折聞こえる人のざわめきだけが、今のダージリンに与えられる全てだった

 人の真似事は矢張り無理なのだと、ダージリンは確信した。胸中の自嘲も、鋼鉄の顔面には浮かび上がってこなかったが、ダージリンは己の愚かさを嘲笑っていた

 人ではない。魔術師は。一個の生命として、人と言う種に何ら益する物の無い明確な敵である
 術と言っても伝えるべき技ではなく、師といっても教え導く者ではない

 ただ強いだけだ。生命として、生存していることが最優先事項であると考えるならば、それを維持し続ける為に有用な強さだったが、人には成れなかった

 弱者の振りをして生きる事は、ダージリンは出来なかった。自分を偽れない程度に彼女は素直で、また強情であった

 「我が父も、我が兄も」

 故郷の北部を思った。帰りたいが、帰れない場所だ。単純に人質である故に、と言うだけではない。例え、アナリアという国が存在していなくても、帰れない場所だ

 「私さえ、こうでなければ」

 常の彼女ならば決して口にしない台詞である。最近、常で無い事が増えている
 人のざわめきが増えてきたと、肌で判る程になった時、馬車が停まり、声が掛けられた

 「到着しました、マグダラ殿」

 馬車から引き摺り下ろされれば、太陽の光が眩しいほどに降り注いでくるのが、目隠し越しにも判った


 なーんてグダグダ言ってる場合じゃねぇーッ


――


 「(くっそがぁぁぁ~、気に入らねぇ、気に入らねぇ、気に入らねぇぞ。ムカムカしやがるぜ)」

 人の集う広場において、一人だけ異質な衣服を着込み、周囲を威圧し続けるゴッチの苛立ちは、既に許容限界に近付いていた

 この世界に置けるスーツの特異さと、その威圧感から衆目を集めるゴッチは、必要以上にあたりを睨みまわして人々を脅す

 何が気に入らないと言えば、取り敢えず全部と答えるだろう

 「(ドイツもコイツもよぉー)」

 処刑執行までかなりの急ぎ足で、しかもこの事が布告されたのは当日の朝だというのに、人だかりは多かった
 それぞれが好き勝手に様々な推測を立てては、ダージリンに向けての同情と好奇心と怖い物見たさが入り混じった複雑な表情を見せている

 ずっと前、ロベルトマリンで政治犯の銃殺刑が放送された時、ゴッチは悪趣味にもその映像を酒の肴にして仲間と騒いでいたが

 今回に至っては、どうしても苛立って仕方がなかった

 「何を考えているんだろうか……。こんな事、公開処刑なんて、何も意味は無いのに」

 ゴッチの周囲には空白が出来ていたが、そこに敢えて踏みこむ者がいた。ゴッチは攻撃的な雰囲気を隠そうともせずに声の主を見る

 歩兵の鎧を着た少年が居た。黄金の髪と蒼い瞳を持った、彫像のように計算されつくした顔立ちの、絵に書いたような美少年である
 歩兵の鎧がどうしても似合っていなかった。黄金色の少年は激しく疾走してここまで来たようで、荒い息を吐いていた

 ふぅ、と大きく一呼吸した後に、黄金色の少年はゴッチの隣に寄ってくる。ゴッチのプレッシャーに気圧されながらも、何とか自分を鼓舞している

 「貴方はどう思う?」

 ゴッチは腕組みして広場の中心を見ていた。木材で舞台が組まれ、ダージリンの処刑は其処で執行されると思われる

 「何だコラ。何で俺に聞く」
 「いや……」

 黄金色の少年は、額の汗を拭いながら口籠った。確かに、見ず知らずの男に、しかも出会い頭に突然仕掛ける話題ではない

 「貴方は、この一件に、否定的だと感じたんだ」
 「小僧、手前はこいつらとはどこか違うな」

 ゴッチは漸く少年に顔を向けた。そして周囲の民衆を顎で示して、矢張り不機嫌そうに言う

 「その小賢しそうな頭を使って考えやがれ。お前みてぇなガキが俺と対等に口聞こうなんざ、百年早ぇんだよ」

 少年は俯いた。怒りを孕んだ表情すら美しい
 懲りた様子ではないようだった。ゴッチを前に、馬鹿なのか、大物なのか、判別の付かない少年であった

 そうこうする内に、一台の馬車が広場に到着する。人々のざわめきは大きくなり、舞台の上に黒い衣装を着込んだ男が立ったとき、それは一気に消えた

 「これより、偉大なるアナリア王国に反逆し、逆賊どもに内通したダージリン・マグダラの処刑を執行する!」

 ゴッチは唇を噛んだ

 馬車からダージリンが乱暴に引き摺り下ろされるのが見える。黒い衣装の男が声を張り上げ、本当かどうかも分からない罪状の詳細を語る内に、ダージリンは舞台の上まで引きずられていった

 目隠しをされていた。舞台の上で跪かされ、上から押さえつけられた状態になって初めて、ダージリンの目隠しは取り払われた

 「(消耗してやがる)」

 ゴッチはダージリンの様子を、簡潔に判断した

 「……一部の役人の不正と横暴が、手の付けられない所まで来ているのに、この上更にこんな抑えつるような真似をしたら……」

 黄金色の少年が、憤ったように声を上げる
 ゴッチがジロリと睨むと、少年は不満そうに口を尖らせた

 「……何?」

 度胸のあるクソガキだ。ゴッチは苦笑を浮かべる

 「黙ってみてろ」

 ゴッチは殺気をばら撒きながら、舞台に向けて一歩踏み出した。丁度、黒い衣装の男の罪状読み上げが終了した頃合であった


――


 そうよ、どうってこたぁ無い。俺は何時だって力尽くだ
 なんつったって――強いって事は、正義って事だからな


 「異論あるか、ダージリン・マグダラ」

 男の言葉に、ダージリンは応えない。目を薄く開けて、地面を見ていた

 何時にも増して表情が無かった。ゴッチは人波を割って広場の中心へと歩き続ける。態々民衆を掻き分ける必要もなく、彼らはゴッチの威圧感に圧されて道を譲った

 「待てや」

 黒い衣装の男、現場を指揮する騎士、首切り刀を持った半裸の執行人、刑の執行を護衛する兵達、そして民衆

 全ての視線が、何の気負いも無く歩き続けるゴッチに注がれる

 「俺はダージリンじゃねーが」

 ダージリンの表情が初めて変わった。驚愕に息を呑む音が、妙に大きく聞こえた

 「異論アリアリだぜ」
 「ゴーレム……」
 「馬鹿が、そんな弱弱しい面をするんじゃねぇよ。お前はダージリンだろうが……」

 舞台の前でダージリンの顔を見上げながら、ゴッチはニヤニヤ笑った
 そろり、そろり、と兵が動いて、ゴッチを囲む。不穏な空気を、誰もが感じている

 黒い衣装の男が腕を振った。半裸の執行人が首切り刀を一振りして、ダージリンの横まで上ってくる

 「何だ、お前は」
 「ひっひひひ、何だろうなぁ。なぁ?」
 「何をしに出てきた。貴様も反乱軍か? で、あれば、ひっ捕らえねばならんな」

 ゴッチは肩を竦める

 「実はよぉ、ダージリンの罪状を、ついうっかり聞き逃しちまってなぁ。何? 何だって? つまりダージリンは、この国を裏切っちまった訳だ」
 「そうだ。魔術師として厚遇されていながら、この者は陛下の御心を裏切った。許される事ではない」
 「はっはっはっはっは!」

 黒い衣装の男が憤怒の形相になる。ゴッチの挑戦的で、挑発的な大笑いは、嫌悪感すら覚えるほど嫌らしい物だ

 ゴッチには可笑しくて仕方ないのだ。弱い奴が強い奴を押え付けるこの状況は、ゴッチの常識として在ってはならない事だった

 「そりゃ仕方ねーよ! こんなクソッタレの豚どもがハバ効かせてるような、腐れた国じゃぁよぉぉーッ! 裏切りたくなって当然ってモンだぜぇぇーッ!」

 状況の変化は顕著であった。民衆はゴッチの奇行に唖然とし、兵士達は一様に怒りを顕にした

 「貴様、いい度胸だ! 何者か知らんが、それだけデカイ口を叩いてただで済むとは思っていまいな!」
 「俺からよぉー、何個か要求がある。当然“いいえ、出来ません”なんて返答は聞かねぇ」

 男の憤怒もまるで気にせず、ゴッチは指を突き付けた。ここまで傲岸不遜な者は、この場の誰もゴッチの他には知るまい
 大胆と言えば良いのか、どうなのか、誰も解らない。ただ、ゴッチが身の程知らずなのか、そうでないのかは、これから解る

 「まずはダージリンからその汚ぇ手を離せ。そうしたら謝れ、『天下無敵の魔術師、ダージリン様にご無礼を致しました』っつって。その次は広場に集まった、この馬鹿面どもだ。『本日はどうもお騒がせしました。すいません』だ。で、最後に、全員這い蹲ってこの俺に許しを請え」

 ゴッチが中指をおったてる。誰もその行為の意味を知らなかったが、ゴッチの挑発だと言うのは見て取れた

 「『豚の分際でお手数掛けさせて申し訳御座いません。お許し下さい』ってなぁぁーッ! まぁ、絶対ぇに許してやらねぇけどよ! うわあーっはっはっはっはっは!!!」
 「……執行せよ! この馬鹿者はその次だ!」

 執行人が首切り刀を振り上げる。同時に、ゴッチは自慢の拳骨を振り上げた
 ダージリンの瞳が丸くなって、ゴッチの右拳を凝視している。ゴッチが身体を撓らせたかと思うと、その姿が掻き消えた

 ように、見えた。ゴッチは黒い衣装の男を通り過ぎて、首切り刀を振り上げる執行人のがら空きの懐に潜り込んでいた

 「うわぁぁぁぁーーっはっはっはっはっは!!!」

 屈強な執行人の体がくの字に折れ曲がる。鳩尾に減り込んだ拳骨と、執行人の口から飛び出す血反吐。致命的なダメージを内臓に受けている。注意の回る物なら、吐き出した血の量で致命傷だと言うのが察せただろう

 執行人の背がゴッチより高いのは不幸と言うべき事であった。ゴッチはどちらかと言えば、見下ろされるのを好まない

 激痛に身を捩り、頭を下げたのが最後だ。気合一発の拳。二発目にも、当然容赦は無い
 目にも留まらない速さとはこういうことを言う。大半の人間は、事が終わってから漸く拳を振り抜いた状態で静止しているゴッチを確認できただけだ
 そのときにはもう、執行人は顔面を陥没させ、民家の壁を突き破って絶命していた

 「なん」

 ダージリンを押え付ける兵士は二人居た。その二人の頭を同時に押さえ、大きく息を吐き出す
 後は力任せだ。アルミ缶を潰すように、よいしょと掛け声を掛けて押し潰せば、兵士二人は舞台に顔面を突っこませて意識を失う

 ジロ、と黒い衣装の男を睨み付けると、既に声にならない悲鳴を上げながら、舞台上から遁走していた

 全くあっという間の出来事であった。誰も彼も動く間がなく、ポカンと口を開けるだけだった

 「ダージリン、調子は」
 「…………体が動かない。背に、魔力を封じる紋章が」
 「どうやれば取り除ける?」
 「皮を剥ぐのが、手っ取り早い」
 「なら、今すぐは無理だな」
 「……くくく、済まない。貴方には、立て続けに迷惑を掛ける」
 「少し暴れるぜ。大丈夫だ。指一本触れさせやしねぇー」

 ゴッチは右拳と左の掌を打ち合わせた

 「ドイツもコイツも掛かって来いやァッ!!」

 一斉に兵士たちが踊りかかる


――


 ゴッチ無双中


 「入れ食いだぜ、ヒャッホォォォーッ!!」

 襲い掛かってくる兵士達を片っ端から薙ぎ倒してゆく。もみくちゃ、入り混じっての乱戦とでも評すべき所かも知れないが、乱戦と言うにはちょっと弱い
 何せ、ゴッチとダージリン二人きりに並み居る兵士たちが襲い掛かっているのだ

 アリの如く群がる渦の中心で、アリでは敵う筈も無い凶悪な何かが暴れていた
 揶揄でなく吹き飛ぶ兵士達。当初詰めていた兵士達は三十人前後。ゴッチは何の遠慮もなく、瞬く間にそれらを喰らい尽くして行く

 ダージリンが足枷になっていたが、まるで問題にならない戦力差である。感電を恐れて雷が使えなくとも、何のハンデにもなっていない

 「あぁコラ! 全然足りねぇぞ! 再編成の最中かぁ?!」

 区切りとして、最後の兵士の意識をラリアットで刈り取ってから、ゴッチはドン、と舞台を踏み鳴らす

 力を篭めすぎて、いい加減に作られた処刑用の台座は脆くも壊れてしまった。ゴッチはダージリンを抱きかかえて舞台から降り立つと、乱暴にそれを蹴り飛ばし、止めを刺してしまう

 野次馬の民衆を押しのけて、敵増援が現れた。今度は何十人いるのか、知らない
 横一列に並んで、弓を携えている。騎士らしき男が掲げると、兵士たちは一斉に矢を番えた

 ゴッチはダージリンを抱き寄せて、スーツを脱ぐ

 「カモォーン! カッモォォォーン!!」

 ゴッチが何時もの様に舌をべぇと出して、スーツを振り回す

 騎士が剣でゴッチを指し示した。一斉に放たれる矢。ゴッチは、雨のように降ってくる矢に向けて、スーツを振った

 防刃、防弾のスーツは、矢の斉射を容易く無効化した。バラバラと転がる矢に、民衆が奇声を上げた

 ゴッチは苦しげに呻くダージリンをスーツに包んで、舞台の残骸の近くに転がしておいた

 振り向けば、更に新手だ。お次は重厚な槍と巨大な盾を構えた重装備の一隊。此方も綺麗に整列して、一直線に走りこんでくる

 ゴッチは、自らも走った。にぃぃ、と口を三日月の形に歪め、助走をつける
 五歩、足で地面を叩き、其処で跳躍。ゴッチの足癖の悪さが輝いていた。観衆の視線を釘付けにする華麗なドロップキックだった

 最初の突撃の一列は、五名で編成されていた。中心の一人の盾にドロップキックは受け止められ、しかし勢いを殺がれることなく吹き飛ばす

 慌てて立ち止まった他の四名の内一人に、ゴッチは奇声を上げながら組み付いた。重たい槍の穂先を脇で抱え込み、無茶苦茶に振り回す
 最初の内は兵士も抵抗していたが、長くは保てない。転倒し、槍を奪われた兵士はすぐさま立ち上がろうとしたが、米神に激しい衝撃を感じ、意識を飛ばす。兜がなければ意識だけとは言わず、儚く命を散らしていたのは想像に難くない

 ゴッチは槍をゆらゆらと揺らしながら、一本足で立っていた。今しがた兵士の頭部に痛烈な一打を加えたのは、ゆらゆら揺れる槍だった

 「荒ぶる俺様のスウィングで、ホームランを量産してやらぁ」

 あ、それ、とゴッチは槍を振り被る

 襲い来る兵士達を、片っ端から殴り倒していく。どんどんどんどん向かってくるが、どんどんどんどん殴り倒す
 誰もが、これは性質の悪い夢だと逃避を始めていた。たった一人を相手に、アナリア王国の兵士達が何人掛かっても敵わない。こんなのは、御伽噺である

 既に弓兵隊は弓で狙いをつけるのを諦め、とうの昔に切り込んできていた。そしてやはりとうの昔に、殴り倒されて全滅していた

 「貴様! その赤い肌、貴様がアラドア将軍の屋敷に討ち入ったとか言う魔術師か!」
 「だったらどうすんだよ、クソ豚野郎が」

 目に入る兵士を手当たり次第に殴り倒して、周囲に動く者が居なくなった頃、銀の鎧を着込んだ長髪の騎士が一気に切り込んでくる
 そこいらに倒れ付す兵士達のせいで足場が安定しているとは言い難いが、それが苦にならない程度の体捌きは持っているようだった。それなりに広い広場だったが、五十人を超す兵士達が倒れている現状、狭苦しく見えて仕方ない

 「魔術は使わんのか、ファルコンとやら!」
 「手前らみてぇな豚にゃぁ勿体ねーのよ、俺のイカズチはなぁーッ!!」

 騎士が剣を振り上げたのを見て、ゴッチは拳を構えた。ゴッチの野獣じみた反応速度と反射神経は、この程度の剣撃見てから余裕である。騎士の一太刀を受ける前に、必殺する心算だった

 しかし、騎士はくるりと身を翻して体制を低くする。騎士の身体で死角になっていた場所で、一人の女が弓を構えていた

 「射殺せ、リコン!」
 「我が矢で滅べ、邪悪な魔術師!」

 放たれる矢。背筋を駆け上って脳天にまで達する悪寒に、ゴッチは大きく身を捩る
 この恐怖感。理屈を越えた、本能が感じ取る危機。ゴッチの頭部があった場所を、白い燐光を放ちながら矢が駆け抜けていく

 ただの矢ではない。ゴッチが目を剥いた。ダージリンが、苦しげに喘いだ

 「ゴーレム……! 魔弓のリコンだ! その弓騎士の矢は、何処までも相手を追い続け、傷口から全てを焼き尽くす……!」

 とうとう出た、魔の剣だか、鎧だか、そんなのだ。ファンタジーにはお約束の代物である

 ゴッチは兵士達を踏み付けて疾走した。背後をリコンの矢が空気を引き裂きながら追ってくる
 旋回性能の高い誘導弾であった。厄介この上ない。ゴッチは民家の壁を蹴って屋根に上り、身を屈める

 ぎゅう、とゴッチの額を掠めて、矢が空に消えた。かと思えば、すぐさま戻ってくる忌々しさ
 しかしゴッチは、今度は構えていた。右手に雷鳴を轟かせながら、鋭く空を睨む

 突き出す拳は負け知らず。リコンだかロコンだか知らないが、そんな小娘の矢に負ける筈もなかった

 「魔法の矢、だぁ? しつけーんだボケ!!!」

 雷鳴と白い燐光が一瞬だけ拮抗し、直ぐに燐光は掻き消された。ゴッチの電流の圧倒的なエネルギー量は、リコンの矢を遥かに上回っていた

 「そんな、私の矢が、こんな簡単に」
 「ファンタジー武装何するモンよ」

 呆けるリコンに狙いを定め、ゴッチは屋根から太陽を背負い、飛ぶ
 長髪の騎士が割り込もうとしたときにはもう遅い。上空から降下してきたゴッチの手刀が脳天に決まり、リコンは倒れ付していた。短く唸って果敢に切り込む騎士の鳩尾に、膝蹴りが入る

 一蹴された二人組みを見て、ダージリンが、笑い出した。ゴッチがビックリするぐらい、それは常ならばありえない事だった

 「は、あは、……あははは、……ゴーレム、貴方は最高だ」
 「……へ、当然だろ? お前は運が良いぜ、この俺のダチなんだからな」

 一頻り笑った後、またもや敵増援が現れる。今度は装備からして格が違う、本気の度合いが窺える精鋭達だ

 ゴッチは何時ものように、自信満々の笑みを浮かべた。もう誰にも止められない

 「さぁ来いよ、まだまだ暴れてやるぜ。俺は今、最高にハイテンションだッ!!」


 ゴッチ無双中


――


 屍を積み上げて、積み上げて、何を思ってこうまで戦うのか、問うたとしても応えはなく
 ただ強く、ただただ強く、強さに理由を求めず、闘いに意味を求めず

 「くはー、百人って、ところかい」

 ゴッチは手当たり次第に放り投げて、詰みあがった兵士達を眺めて言った。消耗の激しいダージリンは、少し前に仮眠に入った。ゴッチがいる限り、眠りを妨げる事の出来る者などいない

 周囲を取り囲むアナリア王国の兵士達は恐慌寸前である。この惨状を見れば、ゴッチに立ち向かう事の恐ろしさが知れると言うものだ

 ゴッチは途中乱戦に参加してきた魔獣使いの虎の骸に腰掛け、懐を探る
 気付かず、舌打ちしていた。ここ暫くこんな癖が出たことは無かったのに、今になって出てきてしまった。葉巻を探して懐を弄っても、持って来ていないのだから在る筈が無い

 ジューダっつったか。逃げ足だけは大したもんだ。ゴッチは絶命した虎の喉を撫でながら言った。どんなに生意気な猫でも、死んでしまえば取るに足らない、可愛い物だった

 「ダァァージリン、そろそろ起きろ。俺様の体力と回復力を持ってしても、やっぱキツイぜ。逃げるぞ、いい加減」

 傍らのダージリンに声を掛けると、予想通り、既に起きていたかのような軽快さでダージリンは身を起こした

 周囲を囲む兵士達が息を呑む。ゴッチが首を鳴らしながら立ち上がったからだ。この怪獣の挙動の一つ一つが、兵士達の恐怖を煽る

 「あぁ……暴れた暴れた。暫く荒事は要らんわ。腹ぁ、いっぱいだぜ……」
 「ゴーレム……状況は……?」
 「大勝よ、このまま勝ち逃げだぁな」

 ゴッチが黙って肩を貸す。隙だらけだったが、周囲の兵士達が襲い掛かってくる気配はない
 賢明であると、ゴッチのみならず、ダージリンも思う。この男に勝つのは、不可能だ

 「こうまで徹底的に恐怖と屈辱を捻じ込まれては、ゴーレムは、永遠にこの国の恐怖の対象になるだろうな」
 「上等じゃねーか。……オラ、ファルコン様のお通りだ! 転がってる奴等みてぇにはなりたくねぇだろ、大人しく道を開けやがれ!」

 ゴッチがダージリンと共に一歩踏み出せば、包囲の輪もつられて動く
 ざりざりと、ゴッチの周りを取り囲みながら動くみっともない集団は、命令のため逃げることも出来ず、しかし立ち向かっても勝つこと適わず、最早進退窮まっていた

 その無様な体たらくを、ゴッチは遠慮容赦なく存分に嘲笑うのだった


――


 ダージリンを背負いつつ、早足で街道を進むゴッチは、酷く上機嫌だった。背後を侍女が、瞳を潤ませながら着いてくる

 「で、堂々と門から出てきた訳よ。ひっひっひ、完全勝利だったな」
 「桁外れな男だ、お前は。しかし、お前にも執着する物があるとは思わなんだ。しかもそれが」

 女とは。アーリアを出て直ぐの位置、街道沿いの森に隠れていたカザンは、ゴッチの語った話を疑いもせず受け入れた
 嘘か真か、実はどちらでも構わないと言うのもあったし、ゴッチであれば不可能ではない、と言う考えもまぁ在った

カザンは配下の銀剣兵団の内、精鋭中の精鋭五名だけを連れて、ダージリンの護衛を買って出た。この期に及んではカザンにも、ダージリンにも、安息の地は無い。反乱軍に占領され、アナリア王国の支配力が及ばない状況になっている東へと、速やかに逃げる必要がある

 この事は、ダージリン自身がカザンと話し合って纏めた事だ。ゴッチに口を挟む余地はなかった

 「それよりも、カザン。手前は一体何してたんだ? 何故、あんな所で俺を待っていた」
 「…………まぁ、何と言うかな。勘が働いたと言うか。ベルカから、お前がダージリン殿の賓客である、と言う話は聞いていた。もしかすると、ダージリン殿を救い出して来るか、と当りをつけていた」
 「処刑の話はどうやって知った。私は、カザン殿の話は聞いていたが、銀剣兵団が揃って出奔したと言う話は聞いていない。つまり、私の処刑騒ぎと銀剣兵団の件は、間を置かず起きたと言うことだろう? 早々に逃げねばならぬ立場の割には、察しが良過ぎないか」

 ゴッチの背で目を閉じていたダージリンが、唐突に会話に割って入った
 カザンは顎に手をやって少し黙考すると、配下を一人手招きする

人を安心させる笑みを顔に貼り付けた、中年の男だった。男は一礼すると、ダモンです、と名乗った

 「都合上こんな成りをしているが、彼は反乱軍からの使者だ」
 「わはは、カザン殿、反乱軍とは手酷いですな」

 ダモンはわざとらしく頬を掻いて、悪戯っぽく言った

 「アナリア解放軍、若しくは、エルンスト軍と呼んでくだされ」

 なるほど、とゴッチは嫌らしく笑う。どうやら、先日好き勝手に面白おかしく想像した法螺話は、意外と的外れと言う訳でも無かったらしい

 「ウルガを焚きつけたのもコイツか」
 「その件については、拳をくれてやった」
 「はっはっは、首が捥げるかと思いました。実を言えば今回のこと、冷や汗物でしたよ。たった一人でダージリン殿を助け出してくる男が居る等と、何かの冗談としか思えませんでしたので。一刻も早く逃げねばならない状況です故」

 カザンが苦笑した。ダモンは、飽くまでも悪びれない。この愛嬌がこの男の武器であることは、容易に知れる

 ダージリンがゴッチの首筋に頭を埋めて、再び目を閉じた。何かを諦めたような、厭世的な雰囲気が漂う
 ゴッチが首を傾げれば、ダージリンは何でも無いように応えた

 「もう、良いのだ。大体解った。……魔術師のすることなど、何処に行っても変わりはしない」

 何か嫌な感じだな、とゴッチは眉を顰めた


――


 そうこうしつつ半日も進めば、ベルカ達が待っていた。ベルカの俎板と見紛う薄い胸板は、今日も健在だ
 そんな事をぼそりと呟けば、凄まじい眼光が飛んできた。気がする。当然ゴッチは無視したが

 少数ながらも馬を確保しており、体調の宜しくないダージリンの移動手段になるらしかった
 ロベルトマリンでは、乗馬などする奴は居ない。馬自体がそれほど居ないし、時折見つけたと思えば、殆どが市民権を得ているロベルトマリンの住民だ
 ただの動物なのか、市民なのか、パッと見では解らないのが難点だった

 ダージリンが侍女に支えられつつ、ゴッチと向き合う

 「俺にも都合があるからよ、ここまでだ。まぁ、カザンのボケが居るなら大して問題ねぇだろ」
 「…………そうか。ゴーレム、貴方には本当に世話になった。感謝している」
 「おぉ、感謝しな。全く、何でこんな面倒事になったのやら、解らんぜ」

 侍女がクスクスと笑った。彼女も半泣きになりながらゴッチに何度も感謝の言葉を述べ、いい加減煩わしい程であった

 「……もし、東へ来ることがあったなら、私を探してくれ。どうせこの先、反乱軍に参加する他私に道は無い。そう難しくはない筈だ」
 「ま、気が向いたら、な」
 「気が向いたら、か。…………自分でもよく解らないが、私はもしかしたら、貴方のようになりたい…………かも、な」

 首を傾げるゴッチを他所に、ダージリンと侍女はもう一度感謝を述べて、背を向けた
 少し離れた位置で、カザン達が待っている。ウルガが何か言いたそうな顔で此方を見ていたのが印象的だった

 それ程長くも無い付き合いだったが、気分の良い女だった。ゴッチはブラブラと手を振って、こちらも背を向ける

 「……へ、まぁ、言い訳のネタぐらいにはなるだろ。悪い事ばかりじゃねーやな」


――

 後書

 調子に乗りすぎたぜヒャッホーィ。いい加減マンネリかも知らん。ダメだぁー。
 スパシン臭がするな。いや、最強物としては間違ってないけど……。


 全く関係のない話だが、ダージリンと言うキャラクターの開発コンセプトは邪気眼だった。



[3174] かみなりパンチ8.5 数日後、なんとそこには元気に走り回るルークの姿が!!!
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2008/09/27 08:18
 「アーハス・デュンベルがやりやがったな」
 「ん? ……あぁ、彼女か。事前の通信でも自信満々の様子だったからな。言った事は実現させる人物だよ、アレは」
 「その口ぶりからすると、親しいのか?」
 「それなりにな。彼女は軍でも私の派閥よりだ」

 マクシミリアン・ブラックバレーは、どうやら積極的に自分を取り込もうとしているようだ、とファルコンは判断していた。内容は仕事の事であったが、煩わしくない程度には連絡があり、時折はファルコンを呼びつけ、また時折は、全く驚くべき事だが、自ら隼団の事務所に訪れる事もあった。とは言っても、交流が始まってまだ二週間と経っていないのだが

 今は、マクシミリアンの屋敷の執務室でボードゲームの相手をさせられていた。最初は仕事の話だった筈だが、済し崩しである。或いは、マクシミリアンも退屈しているのやも知れない

 「出来得る限り異世界に意識を傾ける心算で、軍務を減らしてみたのだが、逆に暇になってしまってな」

 部下を動かす時は果断なマクシミリアンは、ボードゲームで持ち駒を動かす時は長考派だった。ファルコンは不安定な自分の立場を慎重に推し量りながらも、端末から不遜な態度でニュースを見ていた

 ニュースデータには、連盟宇宙軍が宇宙空間でエイリアンとの艦隊戦を行い、見事勝利した、とある。宇宙艦隊総司令官アーハス・デュンベルの横顔を捉えた写真も、同時に掲載されていた。淡い青色の肌を持った鮫の亜人が、真直ぐ前を睨み付けている

 「もう何年になるか。二百年程か? 毎度毎度散々に蹴散らされながら、奴らもよくやる」
 「今回のエイリアンどもは中々規模が大きかったらしいじゃねぇか。大したモンだ、アーハスも。二十八の若さで軍司令官と言うのも粋で良い」

 マクシミリアンは、ファルコンが妙に嬉しそうなのに気付いたようであった。板状の駒を見つめながら、マクシミリアンは金髪をくしゃりと撫で付ける

 「ふん……? 彼女が気になるのか、ファルコン」
 「俺はアーハスのファンなんだよ」
 「そういえば、彼女は君と同じアリエッタ教会の出身だったな。可愛い後輩と言う事か」

 コン、と音を立ててマクシミリアンが駒を動かす。ファルコンは二重の意味で唸った。流石によく調べていやがる。そして相変わらず嫌な駒の動かし方をしやがる

 「気に障ったなら謝罪しよう」
 「いや、良い。あんたはジェントルマンだ」

 ファルコンは昔を思い出した。ファルコン含め、二十人の孤児を満足に食わせて行ける中々裕福な教会で、二親が居ない事を思えば恵まれた環境だった事は間違いないが、しかし最低な場所だった
 朝のお祈りも気に入らなければ、定期的に金持ちの屋敷の庭を掃除させられるのも気に入らなかった。母代わりのクレアが懺悔室で軟弱者どもの愚痴を聞いてやるのを見た時は馬鹿らしくて仕方がなかったし、教会の司祭の説法を聞くと反吐が出た

別段変わったところなど無い、寧ろ良い環境であったが、まぁ、ファルコンの気性には合わぬ場所だったと言う事だ

 「因みに、アーハスは無神論者だ」

 ファルコンは眉を顰めてみせる

 「それはなお良い」

 ファルコンが意を決して手駒を動かそうとしたとき、耳障りな音を立てて執務室の端末が起動した
 マクシミリアンが、残念だがここまでだ、とゲームを打ち切る。表示された空間ウィンドウの向こうで、少女のような少年、ルーク・フランシスカが待っていた

 『その……、検討が終了しました……ので、結果をお伝えに参ります……』
 「……どうした、ルーク」
 『い、いえ、何でもありません。取り敢えずそちらに向かいます』

 マクシミリアンがファルコンを見るが、ファルコンとしては肩を竦めるしかない。まぁ、解らなくても良かった。どうせ直ぐ解る

 幾許もしない内に、執務室の扉がノックされる。入れ、とマクシミリアンが厳かに言えば、おそるおそる、といった風情で、ルークが部屋に入ってきた

 ファルコンは思わず沈黙した。ルーク・フランシスカが、大昔の娯楽番組にでも出てくるような、ファンタジックな格好をしていたからだ

 「…………」

 ルークは顔を真赤にしている。鮮烈な蒼のマントに、趣味全開ゲームチック丸出しの貴族服。御伽噺の貴公子がそこに居る。160㎝の身長と、女が羨むような端正な顔立ちには、確かに似合っていた。本人の胸の内までは知らないが


――


 ファ「マクシミリアン、俺は、この坊主の学芸会の為に呼び出されたのか?」
 マ「そんな訳があるか。異世界文化でも通用する装備の検討をさせた筈だが」
 ル「……はい、ですから、研究チームが出した結論が、これであると……」
 マ「…………ふぅむ、確かに、異世界の文化レベルには相応しいかも知れんが……。コガラシのデータでは、衣服の成り立ちもそう大差ないとの事だったな?」
 ファ「だがこれでは目立つだろう。まぁ、この坊主の小奇麗な顔には似合っているかも知れんが。もう少し大人しい成りの方が良いのじゃぁないか」
 ル「研究チームは、『身分のある相手とのネゴシェイトを想定した場合、まずこちらの身形から入るべきだ』と……」
 マ「確かにそれを念頭に入れろと言ったのは私だが……。そうなると、ルーク一人だけで送り込んでも偽装の意味がなくなるな」
 ル「何故です?」
 マ「高い身分の者が、エピノアだかなんだかの生息する世界を、一人で旅などするか? お前の演じる役は異国の旅人だぞ」
 ファ「そしてまた、頭数を揃えて送り込むことが出来るなら最初からそうしている、って訳か。しかしこんな凝った真似をするって事は、ロベルトマリンの最高委員会を黙らせたか?」
 マ「妥協を引き出しただけだ。……あぁ、勿論、お前の所のソルジャーへの支援も行う。既に手筈は済んでいる」
 ル「……結局、どうなさいますか……?」
 マ「他に案はないのか?」

 ルークが一礼して、退室する。どうやら研究チームの待機する場所へと向かったようだが、初っ端からアレではどうなることか
 程なくして、再びルークは現れた。今度はファルコンが初めて遭遇した時と同じ、メイド服であった。相も変わらず、女よりも女らしく、また愛らしかった

 ファ「…………趣味か?」
 ル「ち、違います。そ、その」
 マ「…………直接聞いたほうが早い」

 マクシミリアンは米神を揉み解し、端末を起動させた

 研「こちら研究チーム筆頭コジマです」
 マ「出来るだけ簡潔に説明しろ。ルークのあの姿は?」
 研「はい、既に現地潜入している工作員との協働と言う事でしたので、フランシスカ君には、先方の御付のメイドを演じてもらって、偽装効果を高めようというコンセプトです」
 ファ「この坊主が、ゴッチのメイド……?」
 マ「……ルーク、着替えて来い」

 頬を赤らめながら、ルークはまたも退室する。ファルコンは背筋に冷たいものが伝うのを感じた。ルークの恥らう表情が、その実満更でもないように見えたからだ

 ファ「何だ、あの反応は」
 マ「コガラシの記録映像を見てから、どうもお前のソルジャーに思う所があるらしい」
 ファ「詳しく頼む」
 マ「アレは、自分に男らしさが無いことを悩んでいるようでな。ソルジャーの戦闘記録を見て以来、憧れているのだろう。あの圧倒的な暴力に」
 研「まぁ、腕力が強いと言う事は確かなステータスに成り得ますし」
 マ「…………コジマ、貴様には三ヶ月間の減給処分を言い渡す」
 研「え?!」
 マ「以上だ。作業に戻れ」

 愕然とする部下に一片の慈悲もくれず、マクシミリアンは端末を停止させる。ファルコンはここまで来ると、少しワクワクしていた
 次は何が出てくるのやら

 ファルコンがニヤニヤしながら待っていると、乱暴に扉が開かれた。部屋に侵入してくる暗緑色のパワードスーツ

 重装備だ。通常お目に掛かる機械などまずない、人間サイズで、人間の形をした、戦車とでも言うべき兵装だ
背には小型の折畳式プラズマカノンを備え、腰部にバンカーバレットタイプの大型アサルトライフルをマウントし、両手で最新式のビームマシンガンを胸の前に捧げ持っている

 その威容、その脅威、推して知るべし。頭部の滑らかな曲線に、邪悪なスカルエンブレムが微笑んでいる

 ファ「“ブレイク・コーラス”だとォ?! ギロチン軍団のアサルトフロントか!!」

 ファルコンは執務室の窓を破壊して外に飛び出す。カバーポジションなど考えるまでも無い。一目散に逃げなければ、世界最高水準の技術で作成されたパワードスーツ及び最新鋭火力によって抵抗する間も無く蒸発させられるだろう

 理由は何だ? と悩む間も無かった。ギロチン軍団の正式名称はRM国統合軍第十二特殊作戦隊。対テロ軍団として危険な真似を好きなだけやる特殊作戦隊の中でも、最も練度が高く、冷徹で、何よりも頭のイカれた部隊だ。テロ屋ではないファルコンだが、だからと言って己が無事で居られる何て呑気な事を思う筈がない

 マ「待て、ファルコン! ……ルークか?」
 ル「は、はい、そうです。驚かせてしまって申し訳御座いません」

 全力で低空飛行を行おうとしていたファルコンは、勢い余って地面に突っ込んだ。こけて頭を地に擦り付けるなど、紳士にあるまじき無様であった

 ファ「驚かせてもクソも、そのパワードスーツは保有制限の掛かった“ギロチン軍団”専用装備じゃねぇか、一体どうやって手に入れた」
 マ「……私ではないぞ、これには覚えが無い」

 破壊した窓から執務室へと戻ったファルコンは、げっそりと疲れたように溜息を吐いた
 マクシミリアンが、端末に手を伸ばす。連絡先は、最早聞くまでも無い

 研「こちら研究チーム筆頭コジマ」
 マ「コジマ、まず最初に言い渡すことがある。減給処分はなしだ」
 研「え?! やった、本当で……」
 マ「私が許すまで謹慎していろ。こちらから連絡するまでそのふざけた面を見せるな。研究チームの責任者はカルテンが引き継げ」
 研「ちょ、ま」

 ウィンドウの向こうで、数秒前まで研究チーム筆頭だったコジマが、何者かによって殴り倒された。新たな研究チーム筆頭技術者、カルテンであった
 カルテンはコジマの鼻血が付着した部分を綺麗に拭いつつ、クールに笑う

 研「カルテンです。コジマの職責を引き継ぎます」
 マ「お前は大丈夫だな?」
 研「私はコジマ汚染など受けていません」
 マ「ならば良い。何故私の屋敷にギロチン軍団のパワードスーツがあるのか、説明しろ」
 研「……簡潔に申しますと、コジマの馬鹿が、どこからとも無く基礎設計資料を入手したようで。我々も今日初めて見せられて大層驚いたのですが、何でも「90%の再現度! マクシミリアン様も唸らざるを得まい!」と」
 マ「パワードスーツを個人で一から作り上げたと言うのか……。確かに唸らざるを得んよ、奴の脳味噌のイカれ具合には」
 研「能力は確かです。どうか、寛大な処置を」

 ファルコンが大きく溜息を吐いて、肩を竦める。マクシミリアンの部下は、とんでもない奴らの集まりのようだ、色々な意味で


――


 「君、その格好は」
 「…………」
 「いや、馬鹿にしている訳では、無いよ。ただ、君がこれから赴く場所を考えれば、中々妥当だな、と思ったのさ。それに、よく似合っているから」

 ファルコンに連れられて研究所に現れたルーク・フランシスカに、テツコは仄かに苦笑いした
 蒼いマントに白い鎧。近くで何か、演劇の公演中だったか、とテツコは首を傾げる。その上ファルコンとルークの背後には、屈強な体がしかし優美な、見事な白馬がいた

 テツコは眉間に手をやり、うーん、と唸る

 「コンセプトは?」

 ファルコンが首を振りながら答えた

 「全世界の乙女の夢、白馬の王子様だとよ」
 「嘘です、研究チーム筆頭技術者は、最近発売されたファンタジーゲームにヒントを得たと言っていました。フリーナイトだそうです」
 「自由騎士? …………まぁ、良いか。それよりも、その馬は?」

 白馬は、テツコの言葉を理解しているのか、蹄を鳴らしながら進み出てくる。テツコは慌てて謝罪した。市民権持ちの亜人かと思ったのだ。判別がつかない事は、珍しくも無い

 ファルコンがテツコを嗜める。勘違いらしかった

 「こいつは人工的に作られた生命だ。知能も能力も生命力も、ただの馬とは比べ物にならんが、市民権持ちじゃぁない。それに翻訳機をつけても会話は出来ねぇしな」

 これが仕様書だ、とファルコンは電子端末を差し出してきた。白馬の驚異的な身体能力が事細かに記してある

 「……動力はなんだい? このスペックを運用維持するには、普通に餌を与えるのでは効率が悪いだろう」
 「鋭いな。コイツ、首にバッテリーを仕込んである。体を動かす時に発生するエネルギーを増幅させて稼動するが、光を浴びることでもエネルギーを生成できる。ただし、連続して七十二時間以上光を浴びないでいると、極端に代謝機能が低下し、やがては死に至る。まぁ、光の一切無い暗闇なんぞそうはないだろうがな。詳しい事は仕様書を読め」
 「なるほど、普通の競走馬よりも小食みたいだ。これは凄いが……技術的な核心部位はブラックボックス扱いなんだね」
 「流石に、そこまで開けっぴろげじゃない、マクシミリアンも」

 端末を停止させて、テツコはポケットに仕舞い込んだ。ルーク・フランシスカは、緊張気味に待っている

 「改めて自己紹介しようか。私はテツコ・シロイシ。メイア3捜索チームに置いて、実働隊員ゴッチ・バベルのサポートを行っている。そしてこれからは、君のサポートも仕事になる」
 「は、ルーク・フランシスカと申します。テツコ博士の事はマクシミリアン様から聞いています」
 「ブラックバレー氏は、何て?」
 「才女だと。他の者と一線を画す何かが、一目で解ると仰られていました」
 「ははは、私はブラックバレー氏と面識はないよ」

 ファルコンは、黙っていた。マクシミリアンがお忍びで足を運び、テツコを観察していたのを本当は知っていた

 「君の相棒は?」

 テツコが柔らかに微笑んで、自分よりも身長の低い美少年の頬を撫ぜた。ルークは、困惑して、テツコの手を振り払う

 「止めてください。…………この馬ですか? 研究初期の、肉体が完成しきったやつで、4と呼ばれています。四番目に製作された固体ですので」
 「名前を付けてあげるといい。君はこれに跨って異世界を歩くんだからね」
 「は……ぁ……、解りました」

 訝しげに言うルーク。踵を返すテツコ。ファルコンは、葉巻を銜えて目を細めていた。相性は、良さそうだ

 指揮権はこちらに寄越す、とマクシミリアンは言っていた。マクシミリアンの事だ、ルークに二、三言い含めているかも知れないが、それでも言質があるのと無いのでは、やはり違う
 ルークと言う少女のような少年は、年こそ見た目相応に若いが、メンタルの部分が非常に安定しており、状況への適応も早い。マクシミリアンの子飼で、且つこの作戦に参加出来る程であれば、実力も申し分ないだろう。自分は一蹴したが

 だが、好条件が揃っているにも関わらず、ファルコンは不安だった。ジッとルークを見詰めれば、ルークは直立不動での挨拶を返してくる

 一番心配なのは、ゴッチの尻の穴だ。ファルコンの直感が、何故かそう告げていた


――


 異世界の扉を抜けたルークを迎えたのは、嬉しそうに大口をガパリと開けた恐竜であった
 先立って活動しているゴッチのデータから、異世界にどういう物が居るのか、ルークはある程度学習していた
 しかしこれは不意打ちである。咄嗟に前に出した右手に、恐竜が食らい付く

 「くッ」
 『焦らなくても良い。君の所の研究室から送られてきたデータに偽りが無ければ、その鎧を着ている限り安全だ』

 コガラシがふよふよと恐竜の周りを飛び回る
 テツコの言う通りであった。恐竜は激しく頭を揺らし、ルークの腕を食い千切ろうとしているが、そもそも牙がルークの肉に至っていない。至っていないどころか、鎧の篭手に傷を付ける事すら出来ていなかった

 「…………」

 ルークは何とも複雑な表情になって、沈黙した。見た事もない世界を畏れ、身構えて着たと言うのに、この恐竜の間抜け振りときたら、唖然とする程だ

 『因みに、私から交戦許可を得る必要は無いよ。君が必要だと感じたときは、迷わず戦ってくれ』

 ルークがすらりと左手を動かすと、小剣が現れる。スコン、と軽い音を立てて恐竜の顎に突き立ったそれを、ルークは指で弾いた
 恐竜の顎から喉、胸までがパクリと開いて、鮮血が噴出した。ルークは返り血を浴びる前に身を翻し、森の木々の間に隠れでもするかのように、体勢を低くした。左手の小剣は、何時の間にか消えていた

 「索敵お願いします」
 『了解、周囲の索敵を……っと、どうやら、必要無いみたいだ』

 テツコが声を低くして言った。ルークが不穏な気配を感じ取り、辺りを見回す

 木の陰を走り回る者達が居た。ざっと数えただけでも十を越す、大層な数であった

 ナイフの一振りで手早く片付く数ではない。ルークは腰の長剣を抜く。剣術は全く持って、マクシミリアンの趣味以外の何物でも無く、精神修行の一環として指導を受けていただけだったのだが、それが今役に立とうとしていた


――


 死体に刻まれた傷は、どれもこれも一太刀分のみであった。総じて十二体の恐竜は例外なく切り伏せられ、ルークは死体を積み上げて、その横で佇む

 『全敵殲滅。周囲の確保は完了だな。君の相棒を投入する』

 森の景色が歪に歪んだと思うと、蹄を鳴らして白馬が駆けてきた
 ルークは目を擦った。現れた瞬間が、ハッキリと視認出来なかった。唐突に出現したように見えたのである。白馬はぶるる、と荒い鼻息を吐くと、体を震わせてルークの前に静止する

 『それにしても、君も中々。ファルコンは君の実力を疑問視していたようだけど、この分なら心配は要らないな』
 「……隼団の投入した鬼札の事は私も知っています。確かに、あの人と比べて考えるならば、私では不足でしょうね」
 『ゴッチの事かい? 確かに彼は強い。無茶苦茶な所もあるが、腹が据わっていて基本的にはメンタルも安定している』

 合成皮のグローブに包まれた手で、ルークは頬を掻いた

 「実を言えば、会うのが楽しみです」
 『そうか。私も久々に、彼の声を聞くのが楽しみだよ。合流を急ぐとしよう』


――


 「アレは、な、表の仕事を率先してやらせようと思っている。気質も明るい所に向いているし、あの顔立ちは大衆受けするからな。広告塔のような物だ。そんな風に育ててきた」
 「ふぅん? どうりで、アンタの下で働いてる割には、真直ぐな目をする訳だ」
 「何れは腹芸も仕込む心算で居るが、今は然程重視していない。腹芸を読み取り、理解することが出来ても、率先して腹芸をしない、そんな若さだ」
 「……ククク、『やれ』と一言命じれば、翌日には暗黒街を荒野に出来る程の男が、こうまで過保護とはな」

 端末にて、ルーク・フランシスカの行動が開始された旨を受け、マクシミリアンは精悍な顔立ちに、力強い笑みを浮かべていた
 ファルコンは葉巻をゆらゆらさせ、腕組み……否、羽組みしながら意地悪く言った。マクシミリアンは取り合わない

 「(ひょっとするとあの小僧、マクシミリアンの縁者か?)」

 軽く探りを入れたルークの生い立ちは、マクシミリアンと妙に接点が在りすぎた。一応孤児院出身と言う事になっているが、マクシミリアンの方が妙に目を掛けていた節がある
 人材収集家故か、本当に血縁であるのか、若しくはマクシミリアンの趣味か、はたまたそれら以外の理由か

 まぁ良い、とファルコンは打ち切る

 「子供ってのはよ、伸び伸び育てるモンだと思うぜ、俺は。やりたい事を気の済むまでやらせてよ、振り返らせるのはそこからさ」
 「伸び伸び育てている。私もそれなりに気を使っているのだ」
 「アンタのは、“掌で転がしてる”ってんだと思うがね。少々、頼りないんじゃないか」
 「隼団のソルジャー、少々思慮に欠ける部分があるのではないのかね、やりたい事ばかりやらせて、我侭なのではないか」
 「…………」
 「…………」
 「くくく、少し長居し過ぎたな。働いてくるか」
 「ははは、私も軍務に戻るとするか。少ないが」


――


 研究所、異世界観測室で、ファルコンは眉を顰めた

 「なんだこれは。少し目を離したうちに」

 インカムに向かって何事か話し続けるテツコの前で、空間投影型のウィンドウは、立派に役目を果たしていた
 屈強優美な馬に跨る者は、何故か二人に増えていた。まだ幼い少女が、ルークの旨に背を預けて眠っている。頬に擦り傷、服に泥、髪は乱れており、尋常な様子ではなかった
 だが、身形は良い。乱れたドレスは豪奢な物で、華奢な体格も、生きる事の苦労を知らない上流階級のそれだ

 森は僅かに開き、柔らかい日差しの差し込む穏やかな小道となっている。テツコがマイクを握り締め、音を送れないようにすると、振り向いてファルコンに苦笑いした

 「……その……何というか、止むを得ない状況でね。ある意味王道と言うか。……襲われて居たんだよ、恐竜たちに」
 「助けたのか? テツコ、マイクだ」

 ファルコンは羽をばさばさと言わせて、テツコのインカムを催促した。ファルコンはテツコの至近距離に顔を寄せると、ぼそりと呟く

 「えぇ? 大した御身分だな、色男。足手纏いを抱え込むのがお前の好みか?」

 憮然とした声が跳ね返ってくる

 『現地民の協力を得るのは、このような任務での大前提です』
 「知ったような口を聞きやがる。面倒見切れるんだろうな」
 『この判断が誤りだったとは思いませんが』
 「…………あのマクシミリアン・ブラックバレーの秘蔵っ子が、どうしてこうも甘くなれるのか」
 『マクシミリアン様は、無駄に殺すな、無駄死にさせるな、と何時も仰います。……あまり殺すと、それが面付きに出るから、と』

 遠慮がちになったルークの言葉に、歩み寄ろうとする意思をファルコンは感じた。ルークなりに、マクシミリアンとファルコンの関係を慮っているらしい

 ファルコンは沈黙し、考える振りをした。こうなった以上どうしようも無いが、大人には格好を付ける時間が必要だった

 「まぁ、良い。現場の判断に任せる」

 テツコが困ったように笑っている。彼女には、ファルコンの心が多少なりとも見えるようである

 「どうしたんだ。何故そんなに苛立つ?」

 ファルコンは答えない。ファルコンは、お姫様の窮地を華麗に救うような都合の良いヒーローは、余り好きではなかった


――


 森の小道には、ところどころに鎧を着た兵士達の死体が見受けられた。中には恐竜に歯型とは考えにくい大きな傷を負った死体もあり、ルークは警戒を強める

 ルークの前で白馬に揺られる少女が、僅かに身動ぎする。上手く手綱を取って白馬の歩調を落とすと、コガラシがルークの鎧の腰部に張り付いてきた

 『目を覚ますな。コガラシがおおっぴらに見られるのは、あまり良くない』
 「そんな所にくっつくようになってたんですか」
 『磁石を使って、ちょっとね。これで少しぐらいは消費エネルギーを抑えられる。……あぁ、彼女に周りの様子を見せないようにした方が良い』

 ルークはハッとしたような顔になった


――

 後書
 コジマ汚染進行中。スランプ。
 いや、スランプって使ってみたかっただけ、みたいな。

 ここまで読んで下さった方ありがとう。これまで感想くれた方はもっとありがとう。
 感想にレス返ししたりしない主義ですが、頂いた感想にスゲェ励まされてます。

 でも今回グダグダしてんのは勘弁して。ウボァー



[3174] かみなりパンチ9 アナリア英雄伝説その一
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:31
 刺すような視線に肌が泡立つ。追剥で手に入れた旅装の内側で、ゴッチの肉体はギリギリと憤怒を溜め込んでいた
 月の無い夜、人の気配の無い路地、篝火に照らされて、硬く鈍い光の揺らめきを跳ね返す石畳

 何かが見ている。何かに、見られている。恐らく、人ではない何かが。ゴッチは頭を左右に振った

 「ムカつくぜ、ムカつくんだよ」

 視線を感じ始めたのは、カザンやダージリンと別れたその日からだ。夕日が山陰に沈みこみ、光が消え失せたその時から、ゴッチを見詰める何かが現れた
 ジッと、ただ見ている。日が沈み、そしてまた上るまで、その気配は消えない

 視線を感じはじめてから三日目、冒険者の町であると言うミランダに到達し、鬱陶しいアナリアの追手も漸く姿を見せなくなった頃、ゴッチの忍耐は限界に達した

 「苛々させやがって……。よっぽど縊り殺して欲しいみてぇだな、オイ。ビビッてねぇで掛かって来いよ。来いよ、来いよオラ」

 アナリア王国首都、アーリアで大暴れした時の爽快感など、その当日にどこかへ吹っ飛んでしまった。顔を隠すフードの内側で、ゴッチは凄まじい形相をしていた

 「来いっつってんだコラァッ!」

 夜の闇の中から、湿った足音が聞こえてきた。ヒタヒタと、ゴッチの真正面から、真直ぐ向かってくるように感じられた
 篝火の炎にそれが照らされるまで、大した時間は掛からない。橙色に照らし出されて、暗がりの中に浮き上がる四肢。眼窩には眼球が無く、腐り落ちた皮膚からは筋繊維が覗き、存在しない左手は、肘から申し訳程度に黄ばんだ骨が突き出ている

 ゴッチの背筋がゾクリとした

 死霊兵だと?

 「うおぉ?!」

 死霊兵はクワ、と口を広げると、ゴッチに向かって疾走してくる。相変わらず、直接触れるのが躊躇われる相手だ。ゴッチは握り拳を解いて、右足を振り上げた

 腐った米神に爪先が炸裂する。体を捻ってのハイキックをまともに受けた死霊兵は、首を限界以上に回転させ、気持ちの良い音をさせながら倒れこみ、動かなくなった。丁度良く、首の骨を破壊したらしかった
 ヒタヒタ、と足音は止まない。ゴッチに足音で人数を割り出すような特殊な技術は無いが、かなり多数のように思える

 何処から現れた。何時の間にきやがった? この街の人間が、一人として気付いていないのは何故だ

 ゴッチはフードを剥ぎ取って、投げ捨てた。今しがた葬った死霊兵の死体を蹴り転がして自分のスペースを作ると、ストン、ストンとステップを踏む

 まぁ、良い。何が何であろうと、やることに変わりは無い

 「何だか知らねぇが来るなら来いや! お化け相手に腰抜かして、ママに泣き付く年じゃねーんだよ!」

 周囲から呻き声が漏れ始めた。胸糞の悪くなる、あの声だ。取り囲まれている

 小さな篝火を飲み込むような闇に紛れて、死霊兵がゴッチに襲い掛かる


――


 何体蹴り倒したのか、ゴッチは途中から覚えていない。死霊兵どもの生気の無い腐った顔面を見るほどに、堪らなく憎らしくなって、我を忘れる

 暗闇だろうが、囲まれていようが、ゴッチの獣じみた野生の勘には何てことは無かった。最後の一匹には、もう遮二無二馬乗りになって、怪力で以って引っぺがした石畳の一部を、狂ったように叩き付けていた

 「あぁコラ! イラつくんだよ手前等! 多寡が腐った死体の分際で、誰に何しようってんだ!」

 頭蓋が拉げて脳漿がはみ出しても、死霊兵の体はガクガクと震えて動いていた。ゴッチはまだ殴る。一度殴るごとに、気分は良くなった

 「おい、もう止めとけよ、兄弟。そこらへんにしとくだぜ」
 「?!」

 ぐ、と力をこめて石を振り上げた所を、後ろから何者かに組み付かれた
 ゴッチは咄嗟に肘打ちを放つ。拘束は一瞬で解かれ、ゴッチの体はバランスを崩して石畳の上を転がった
 自分で思うよりも、遥かに体が強張っていたらしかった。三日間も奇妙な視線を受け続けたせいで、相当ストレスが蓄積していたらしい

 「危ないぜ、兄弟。ほら、深呼吸するだぜ」

 敵意を感じない、温かみのある声だった。ゴッチは唸りながらも立ち上がり、深呼吸する。そこでハッとした。何素直に深呼吸なんかしてるんだ、俺は

 「何モンだ、俺から離れろ。ゆっくりこっちに来い、妙なことはするな」
 「なんだよー、離れろって言ったり来いって言ったり。どっちかはっきりするだぜ」
 「オイ、おふざけはそこまでにしておけよ。餓鬼の頃に習ってねぇのか? 疑わしきは打ち殺せってよ。勢い余って殺しちまうぜ」

 暗闇の中を確りとした足取りで、まるで畏れず歩いてくる男が一人

 壁にかかる篝火に照らされたその姿を見て、ゴッチは息を呑む。何て事のない男だ。悪戯っぽい笑顔は、幼くすらある。勇ましい吊り目の、何処にでも居そうな男である
 だが、今ここに居てはいけない男なのだ

 「お前、何だ? …………その格好はどういうことだ?」

 くたびれた赤い帽子に、闇の中でも鮮烈な真紅のジャケット。赤錆色のジーンズには、銀の鎖が揺れていた
 男がクルリと一回転してポーズを決める。背負った黒いギターケースには、血色のアルファベットが踊っている

 RED。闇の中で、それは炎のように煌いた。この男の全てが、異世界には似つかわしくない。ゴッチのスーツと同じように

 「俺の名はレッド! クリムゾンジャケット、魔道ギタリストのレッドだぜ!」

 男は真紅のジャケットを翻らせた

取り敢えず死ね


――


 顔面をゴッチの拳によってボコボコに腫れ上がらせたレッドは、それでも陽気に笑っていた。痛覚など、在ってないような物、等と、解りやすい法螺を堂々と吹いていたが
 流石に締め上げられると苦しいらしい。口の端から泡を吹き出しながら、レッドは首を掴まれて宙吊りにされ、足をジタバタさせている

 「うぐぐ、キツイキツイキツイ、兄弟、俺を本気で殺す気だぜ」
 「まだまだ余裕がありそうじゃねぇか。応えろ、手前は一体何モンだ」
 「わ、わかっただぜ。詳しく掻い摘んで話すから、取り敢えず手を離すだぜ」
 「だぜだぜうるせーんだよ」

 解放されたレッドは、大きく咳き込みながら地面をのた打ち回った。しかし物の二秒で復活すると、何事も無かったかのように、ジャケットについた埃を払う

 「初対面の相手をいきなりとっ捕まえて、ボコボコにして、絞め殺そうとするなんて、兄弟、ちょっとは謙虚な心を持つだぜ」
 「……クソ、何なんだコイツは、……調子狂うぜ。手前こそ、初対面の俺に“兄弟”とはどういうことだ。誰が手前の兄弟だ、このインチキギタリスト」
 「インチキ? …………へへ、まぁ良いだぜ。なぁ兄弟、今時分の置かれている状況と、この俺の事、どっちが先に知りたい?」

 ゴッチは散らばる死霊兵の頭を念入りに踏み潰しつつ、蹴り転がした。ドッカリと腰を下ろして、聞きの体勢に入る

 当初、頭がイカレているのかとも思われた赤尽くしの男は、しかし理知的な目をしていた。ただの気違いではないように思われた。まともに取り合おうと言う気になったのは、堂々とこちらを見返してくるレッドの瞳に気付いたからだ

 説明の仕方も理性的だ。何だかコイツの良い様にされている気がしなくもないが、ここは乗っておいてやろう。ゴッチは上目遣いに睨み付ける

 「手前は一体何なのか、ちゃっちゃと説明して……」

 その時、黒い霧のような物がゴッチの視界の端に移った。つい、と視線を動かせば、全滅させた死霊兵の体に、黒い霧が纏わりついている
 声も出せずにその光景を見守っていると、黒い霧は音も無く、幾許もしないうちに消え失せてしまった。死霊兵と共に、闇に溶けるように

 後には血痕すらない。ゴッチの暴れた痕跡が、残っているだけだった
 ホラー映画そのままである。ゴッチは生唾を飲み込む

 「…………先に、俺の置かれている状況とやらを聞いておこうか」
 「俺もその方が良いと思う」

 レッドが困ったように笑いながら言った

 「では、簡潔に言うだぜ。兄弟、お前、性質の悪い輩に呪われてるんだぜ。生半な相手じゃない、世界を滅ぼしかねない相手だ」
 「世界を滅ぼす? 急に壮大な話になったじゃねぇか、えぇ? オイ」

 と言うかそもそも、どっちの世界だ。こっちか、あっちか

 「こっちだぜ。あっちまで影響が出るかどうかは、俺には解らない」
 「続けろよ」
 「兄弟、最近アーリア付近の遺跡に侵入したんだぜ? 相当暴れたみたいだな、目と鼻の先で暴れられて、黙ってられないって訳だぜ、ソイツ」

 マジかよ、とゴッチは唾を吐いた。よくよく考えれば、死霊兵なんて胸糞の悪い物を見たのはあの遺跡が最初だ。ダージリンによれば、早々現れるような化物ではないらしい
 十体を越える死霊兵が、ゴッチだけに目をつけ、囲むように襲ってくる。“偶然”の筈が無かった。しかもここは街の内部である

 魔術師遺跡怪物呪い、何でもござれだ。ゴッチは眩暈がした。だが、魔術があるのだ、呪いがあったって良いだろう。世界を滅ぼせる奴? 世界を滅ぼすような代物は、“俺の故郷”にはゴロゴロしている
 総評して、居るなら居るで構わない。ただ、仕掛けてくるなら生かしては置けなかった

 「…………チ、面倒臭ぇな。大体、何で今更だ? あの遺跡に潜り込んでから、何日も経ってんだぞ。何故今まで何も起こらなかった」
 「兄弟、氷の魔術師と一緒だったろ。そして彼女と別れる前は、アーリアに居たんだぜ? それならちょっかい掛けられなかった理由が解る」
 「手前、ダージリンを知ってるのか? もしかしてアイツの所にも、今頃死霊兵が?」
 「それは多分ないかなぁ」

 レッドは腕組みする。暫しの沈黙の後、徐に語った

 「氷の魔術師には、兄弟に呪いを掛けてる奴よりも、もぉーっとヤバイのが取り付いてるんだぜ。だから手出しが出来ないのさ。それに、アーリアは古の魔道技術で防御されてる。アーリアと、氷の魔術師、兄弟は、この二つに守られてたんだぜ」
 「はぁ……? 話が唐突過ぎるだろ常識的に考えて……。世界を滅ぼしかねん危険物と、それよりもヤバイ危険物だ? 手前、イカレてんじゃねぇのか」
 「よく言われる。もう自分でも、正気か狂気かなんて解らないんだぜ。でもま、こっちの世界の偉いお姫様には、俺の話は正気扱いされただぜ」

 ゴッチは頭をガリガリ掻いた。何もかもが唐突過ぎて、頭がよく回らない

 「取り敢えず、手前の正体は置いておく。詳しい話を聞かせろ」

 人懐っこい光が目には在る。しかし、不必要に踏み込んではこない光だ
 相手と真っ向から向き合っていても、必要以上に相手に合わせたりはしない。自分が好む態度を取り、好むことをする。飄々としていて、好ましい光だった

 少しだけだが、信用する気になった。この愛嬌は、レッドと言う男の、天性の才であろうとゴッチは思った


――


 二百年程前の亡霊が相手らしい。レッドが語る言葉をそのまま信じるのであれば、だが

 「アナリアの聖騎士アシュレイ・レウ。とは言っても、アナリア王国に反逆した裏切り者として称号は剥奪され、汚名を一身に受けながら歴史の闇に打ち込まれた訳だが」

 まぁ、事実は違うだぜ。とレッドは悲しげに目を伏せた

 「二百年程前、アナリアは愚王と名高いブレーデンの統治の下、最悪の状況にあったんだぜ。政治は蔑ろにされて、治安は乱れに乱れ、その隙に付け込まれて隣国の謀略を受け、かなーりヤバイ状況にあった。そこで一念発起したアシュレイは、要職に在りながら不正をする奴、他国に通じる奴を調べ上げて、様々な証拠を集めたんだぜ。で、まともな国ならここから先は非常にスマートなんだが、まぁアナリアはまともな国じゃなかったんだなぁ」

 ゴッチは口を挟まず聞いていた。彼にしては珍しい、大人しい態度だった

 「アシュレイ・レウはアナリアに誅殺されたんだぜ。でも、ま、アシュレイ自身もある程度予測はしていたんだろうな、殺される前に自分の部下達を引き連れて、不正役人どもを軒並み血祭りに挙げて回ったんだぜ。最後はブレーデンの前で収集した証拠を洗いざらいぶちまけて、その途中に額を矢で射抜かれちまって。何とも格好の悪い終わり方だが、結局これが呼び水になって、アナリアは改革されていった。でも、当時の政治的状況から、アシュレイの名誉は回復されなかったんだぜ」
 「……ふぅん?」
 「謀略を明るみに出して、他国と交戦状態に入りたくなかったのさ。そういうお国柄なのさ。身内を鞭で打って、他人の機嫌を取るんだぜ。なんて言ったって、六十年前も、十五年前も、似たようなことをしてきた国だぜ。きっともっとやってる」
 「あん? 十五年前だ?」
 「まぁ、それは良いんだぜ。アナリアの悪口ばっか言ってても仕方ないからな」
 「……その、アシュレイとやらの話、それが事実だとして、お前、妙に詳しいじゃねぇか」
 「一般には隠匿されてる。でも、ロベリンド護国衆は、歴史的事実って奴の資料をきっちりと保存してるんだぜ。俺はそこに顔が利くから、ちょこーっとな」
 「ロベリンド護国衆?」
 「あれ? 知らないだぜ? …………そうか、兄弟、まだこっちに来てから日が浅いんだな」

 レッドは唸った。何から説明した物か、迷っているようである
うんうん唸って、よし、と頷くと、話を続けた。ロベリンドなんたらかんたらの事は一先ず置いておくらしかった

 「それは後にしとくんだぜ。取り敢えずアシュレイはぶっ殺された。でも、アシュレイの恋人だった魔術師、ガランレイがこの事件にマジ切れして、話がヤバくなったんだぜ」
 「魔術師が恋人? ガランレイってのは、女にしちゃ妙に勇ましい名前だが……。何にせよ、大した色男だな、アシュレイってのは」
 「なはは、女性だぜ。兎に角、怒り狂ったガランレイは、アシュレイの死体を奪って、誰にも見つからない位置に悪の秘密基地を造った。アシュレイを復活させ、無念を晴らし、アナリアに復讐する為に。それがあの遺跡だぜ。……兄弟も見たろ? 遺跡の中に満たされたコバーヌの炎を。アレはガランレイがアシュレイの為に用意した物だぜ」
 「“不老不死”」

 馬鹿にしたようにゴッチは笑った

 「そうだぜ。死霊兵を利用して、ガランレイは命を集めてる。悪魔の矢は奪った命をガランレイの元に送ってるんだぜ。そして、吐き気がするほどの命を注ぎ込んで、コバーヌの炎は漸く不老不死の秘薬になる。二百年前の死者を蘇らせる事ぐらい、造作も無いんだぜ」
 「おい、ちょっと待てよ。……つまり俺を呪ってやがるのは、死人か? アシュレイもガランレイも、結局は二百年前の人物なんだろうが」
 「亡霊だぜ、二人の。アシュレイもガランレイも、魂は滅びていない。アシュレイはあの遺跡の奥底で眠ったままで、ガランレイは魂だけになってもコバーヌの炎に魔力を溜め込んでる」
 「…………やれやれ、幽霊と喧嘩か。訳がわからん、頭の痛い事態だが……手前の話を全面的に信用するなら、その亡霊どもをぶちのめしてやれば、鬱陶しく付回される事もなくなるんだな?」
 「YES、だぜだぜ」

 ゴッチは暫く無表情で居た。色んなことを考えていた
 呆けたような顔が感情を取り戻したとき、そこに浮かんだのは怒りであった。二百年前のカビの生えた死人どもが、何を偉そうにしているのか

 三日付回されて、襲われて、そうまでされたら、思い知らせてやらなければならない。ふと、あの巨大な骨の竜の事が思い出される。そういえば、奴には借りがあった

 色んな要因が重なりあって、ゴッチは激昂した。外に漏らさぬ、己の体の内だけの、秘めたる怒りであった

 「……面白いじゃねーか、アシュレイもガランレイも、纏めてぶちのめしてやる。死人だろうが関係ねぇや、もう一回殺してやる、だぜ」

 ……………………?!

ハ、とゴッチは頭を振る。あんまりレッドがだぜだぜ言う物だから、感染ってしまった

 レッドが口元を押さえていた。空気が漏れないように必死に我慢しながら、顔を真っ赤にして笑っている

 ゴッチは歯をむき出しにして威嚇する。有無を言わさず、レッドに襲い掛かった。レッドは、全力で逃げ出した

 「コラァァァ! まだ手前の正体を聞いてねぇぞぉぉぉー! 態々俺に接触してきた理由も、俺を探し当てることができた理由もだァァァーっ!!」

 小さな篝火しか無い闇の中を走ったので、二人は揃ってこけた


――


 「俺の正体を話すぜ。俺は世間一般で魔術師と呼ばれる存在。ただし、ちょっと毛色が違う。俺はこのアナリアで生まれ、ロベルトマリンで育った。成りは“こう”だが、こっち生まれなんだぜ。餓鬼の頃から、俺には様々な物と対話する能力があった。俺の魔術の一端なんだろうと思う。風と歌い、大地と語り、化物扱いされながらもそれが苦にならない子供時代だったんだぜ。そんなこんなである日俺は、精霊たちがざわめく場所を見つけた。何の変哲も無い森だったんだが、好奇心に任せてそこをうろついてたら、突然! ロベルトマリンに居ました、って訳なんだぜ。そしてそこで俺は、運命的な出会いを経験した。……何とって、コイツだ、ギターだぜ。え? 話がそれてる? ニャハハ、取り敢えず、俺にも色々あるのさぁ。様々な紆余曲折の結果、俺は“ざわめく場所”からならば自由に世界を行き来できるようになったんだぜ。ただし自分だけな。…………何だよ、正直に話したんだから、信じろだぜ。……うーん、俺が兄弟の仕出かした、一連の事柄を知っていた理由かぁ。それは俺が口で説明するよりも、実際に見たほうが早いと思うなぁ」

 ミランダは、街の規模はそれほど大きくないが、誰も彼も忙しく動き回っていて、アーリアの何倍も活気があるように感じられる
 冒険者と言うのは多種多様な人物の集まりで、個性的な者達ばかりであったが、そんな連中の中にあっても、ゴッチとレッドは一際目立っていた。黒いスーツも真紅のジャケットも、異世界ではお目に掛かれない代物だ

追剥で手に入れた旅装は、価値の解らない貨幣以外全て捨てた。ロベルトマリンでみっちり鍛えこまれた警察機構相手に追われるならまだしも、異世界でまでこそこそするのは、流石に思い直したらしい。冒険者協会が極めて大きな影響力を持つミランダでは、アナリア王国軍も好き勝手し難いと言う事情が、それを後押しした

 そんな事よりも、レッドである。取り敢えず数時間の仮眠を取り、体力の回復を図った後、ゴッチはレッドに案内されるまま、早朝のミランダを歩いていた

 「俄かには信じ難いな。魔術師で、異世界出身で、テツコがヒイコラ言いながら管理運用してる技術を、直感だけで行使する、と。ついでにギタリストだと? …………まぁ……嘘は言ってない……ような気がせん事も無いが……」

 ゴッチの直感ではそうだが
 こういう馴れ馴れしい手合は、腹の中にどんな謀を持っているか解らない。それがロベルトマリンの常識だ。騙し騙されながら生きてきたにしては、「危機感が薄い」と言われるゴッチでも、警戒せざるを得ない

 それに、信じる信じない以前に、テツコやファルコンにどう報告したものか、と言うのがある。真正直に報告したら、面倒な事になる予感が、ありありとしていた。出来れば何も無かった事にしたいのではあるが

 「チ、朝っぱらからせかせか動きやがって。慌しい所だな、ここは」
 「ロベルトマリンにゃ負けるだぜ」
 「あそこに朝も夜もあるかよ。……それより、一体俺を何処まで連れてく心算だ? 言うまでも無いが、俺を嵌めたら殺すぞ、惨いやり方で。楽に死ねると思うなよ」
 「そんなに警戒すんなよ、兄弟。俺と兄弟は同じロベルトマリンの人間、運命が人に厳しいこの異世界じゃ、身内同然だぜ。俺は家族を嵌めたりしないもんねー」
 「手前の出身はこっちだろうが!」
 「心の故郷はロベルトマリンだぜ! ギターも、名前も、俺は全て、あそこで手に入れたんだぜ」

 あぁー、世界はー、夢に満ちー
 レッドは投げ遣りな態度を隠そうともせず歌い始める。いい加減な歌い方なのに、妙に上手い

 ゴッチは苛立ち顔を作って見せた。レッドは、意にも介さなかったが

 「で、まだなのか、目的地は」
 「もうー、すーこしぃー、おちーつーけよー」

 ゴッチは右の拳骨を振り上げた

 「うわぁ、落ち着くだぜ兄弟! 本当にもう少しだから!
 「ジョークだ、バカ」

 その時、レッドが道の凹凸に躓いた。あわあわと手を振り回しながら、ダイナミックに転倒する
 その時、ギターケースがゴッチの即頭部を痛打した。仰け反るゴッチは突然の不意打ちに対応しきれず、こちらも転倒する

 「…………~~ッ!」
 「あは! 頬が赤くなってるんだぜ。……………………いや、その、御免だぜ。本当に悪気は無かったんだぜ」

 ゴッチはレッドに襲い掛かった


――


 ミランダには、宿屋が多い。らしい。レッドが言うには、通常の民家と宿屋の比率が少し異常なのだとか。基本根無し草の冒険者達の街であると考えれば、まぁ納得が行く

 数ある宿屋の中でも非常に見栄えの良い一軒を指差し、レッドはがっくりと項垂れていた。頭部にはゴッチの拳骨で大きな瘤が出来ている。あまりにひりひりするので、レッドは帽子を被っていられなかった
 ついでに、レッドはジャケットの襟を掴まれて、猫でも持つかのように運ばれていた。ゴッチとしては、これ以上レッドにふざけた真似をさせる心算は無かったのである

 「ふん? あそこか。何があるってんだ?」
 「……ロベリンド護国衆、その首領が居るだぜ。ロベリンド護国衆ってのは、何ていうか、……まぁ簡単に言えば宗教集団に近い存在で、その筆頭の座に着く者は、代々魔術に近しい能力を持つだぜ」
 「宗教集団だぁ? …………嫌な予感しかして来ねぇな。……まぁ良い、能力ってのは何だよ」
 「ある程度の未来予知と、千里眼。未来予知には当り外れあるけど、何もしないで静観すれば大概は予知の通りになるだぜ」
 「未来予知? 俺を舐めてんのか。魔術どころの騒ぎかよ」
 「本当だぜ。その二つの能力があったからこそ、俺はこうして兄弟に会いに来た」

 ゴッチは人形を弄ぶかのように、レッドを振り回した。首が絞まってぐぇ、と呻くレッド。宿屋のドアを乱暴に蹴り開ければ、宿屋の主人らしき小太りの男が慌てて走ってくる

 「お、お客さん? 帰ってこられたと思いきや、一体どうなさったんで?」
 「いやぁ、ちょっと何て言うか、不幸な事故があったって言うか。まぁ心配ないんだぜ」

 レッドが吊り下げられたまま、にゃはは、と歯を見せながら笑った。宿屋の主人も商人である、今まで様々な人物を見てきた。ゴッチの危険な臭いも、すぐさま感じ取ったようだ

 「……そうですかい、なら良いんですが、暴れる時は外でお願いしますよ」
 「兄弟、二階だぜ」

 ゴッチは舌打ちしながらカウンター横の階段を上った。直角に左折して辿り着いた宿屋の一番奥で、レッドはある一室を指差す
 ノックどころの騒ぎではない。ゴッチは宿屋の入り口にしたように、問答無用に部屋の扉を蹴り開けた

 「おう、邪魔するぜ」
 「今戻ったぜぇー」

 突然の荒々しい訪問に対し、部屋の中から返されたのは、槍の穂先だった

 「何者か! ……レッド殿? 何だ、貴殿、どのような関係であるかは知らぬが、少々礼が無いのではないか? レッド殿から手を離されよ」
 「何だ手前は。偉そうな奴だな」
 「兄弟の方が百倍偉そうだぜ。そろそろ下ろして」

 突き付けた槍を下ろしながら、右耳の無い男は言った。片耳が無く、獣の爪痕のような三本線が刻まれた凶相であったが、それを除けば至極実直そうな男だ
 背はゴッチよりも高く、肩幅も広い。ゴッチもそれなりに大柄な部類に入るが、この男はより巨漢であった。刈り込んだ黒髪には、所々白髪が混じっている

 ゴッチは鼻を鳴らした。男が着ていた真っ白な服が、色は別にしても、アナリアの兵士が鎧の下に着込む服とそっくりだったからだ。少しだけ、身構えてしまった

 レッドを解放したゴッチは男を無視すると、勧められてもいないのに、部屋の中にあった椅子にどっかりと座り込む。言うまでもないが無礼な行為だ。凶相の男は、何も言わない代わりに、盛大に眉を顰めた

 「(コイツとは合いそうにねぇー)」

 初見で、肌に合わないと悟ってしまった。まともに真正面を向いて話す気にもなれなかったのである

 「おい、レッド、コイツがお前の言ってた奴か?」
 「違うだぜ」
 「……レッド殿、この無礼な男は? 我々は使命の最中、余計なことにかかずらっている訳にはいかぬ」
 「余計でもないだぜ」
 「コイツ一体何なんだよ。ロベリンドなんたらかんたらのボスってのは、何処に居やがるんだ」
 「ロベリンド護国衆だぜ。こっちは護国衆総指揮官のバース・オットー。バース、こっちは…………」

 レッドが肩を竦めた

 「なぁ兄弟、どっちで紹介した方が良いんだぜ?」

 ゴッチは何度目になるかも解らない舌打ちをする。何でもかんでもお見通しと言う訳だ。全くこのふざけた男は、何ともいえない不気味さを持っている

 「本名で良い」
 「こっちはゴッチ・バベル。俺と同郷だぜ」
 「だからどうしたって訳でもねぇがな。ふん、二人の出会いを祝福して握手でもするか?」
 「御免被る」
 「なっはぁー、予想はしてたけど、初っ端から険悪だぜ」

 頬を掻くレッド。ゴッチは備え付けに机に足を置くと、バースと睨みあう
 バースとしては何故こうまで敵意を向けてくるのか解らなかったが、こちらもゴッチの顔を見ていると、沸々と沸いてくる何かがあった

 部屋の奥の扉が、唐突に開いた。寝室らしかった

 「おや、いらっしゃい。待っていました」

 欠伸をしながら現れたのは、蒼い衣服に槍を背負った、細面の美女である
 美女は美女であったが、腑抜けた空気を纏った美女である。薄く開いた流し目は、色っぽいとも、駄目っぽいとも取れる。日向で横に並ばれたら、そのまま眠りの世界に連れて行かれそうな感覚があった

 起き抜けなのか、腰まで届く黒髪を縛りながらの登場であった。しかしまともに縛れておらず、光沢のある髪は跳ね返り放題となっている

 とても、だらしなかった

 「ほら、御待ちかねの、ロベリンド護国衆筆頭、ティト・ロイド・ロベリンドだぜ」

 このとぼけた女がかよ

 ゴッチはあからさまに嫌そうな顔をした


――


 ティト・ロイド・ロベリンドは、髪を結び終わったかと思うと、唐突に踵を返した

 「御免、やっぱ駄目だわ、君のような人物は」

 今しがた出てきた寝室にとんぼ返りすると、慌てたように扉を閉め切る。焦るバース。ゴッチはその様を見て、唖然としていた

 「長、長! 長殿! どうされましたか!」
 「…………詰まり、なんだぁ、コレぁよ、俺は、喧嘩売られてるって事で良いのか?」

 レッドが腹を抱えて笑い出す。ゴッチが胸倉を掴み挙げると、ひぃひぃ笑いながらも説明を始める

 「違う違う。兄弟が駄目なんじゃんなくて、兄弟の周りが駄目なんだぜ」
 「どういうことだ?」
 「兄弟やバースには見えないかも知れないが、今兄弟の周囲は、凄い事になってんだぜ。ガランレイの呪いの印に引き寄せられて、そこいらの亡霊がうじゃうじゃと。ティトはそれが駄目なんだってよ」

 ゴッチは首を傾げて自分の身体を見る。何処にも変わった様子は確認できず、疑問符を浮かべるばかりだ。そしてそれは、バースも同様であった

 バースは眉をしかめて、存在しない右耳に手を添える仕種をした。途端に、顔色が変わる

 「どうだぜ?」
 「呪いの声が……、凄まじい数の呻きが聞こえる。これほどの呪いの声に晒されながら、お主、どうして生きて居れるのだ?」

 バースが脂汗を流しながら一歩引いた。相変わらずレッドはケラケラ笑っており、ついイラッ☆と来てしまったゴッチは、反射的にレッドに拳骨を落としていた

 「俺に言われても知るかよ。全然そんなの感じねーんだからよ」

 頭を押さえて蹲ったレッドが、涙声で言った

 「うぐぐぐ…………、そいつらには、兄弟に物理的なダメージを与えるほどの力が無いんだぜ。かといって、ちんけな呪いが通じる程兄弟のメンタルは弱くない。詰まり、手が出せないんだぜ」
 「ふーん? 亡霊だ呪いだなんだっつったって、大した事ねぇんだな」
 「大抵の奴なら二日持たないで狂っちまうんだぜ。だけど相手が悪いなぁ。…………兄弟、もし幽霊とかが「呪い殺してやる」って喧嘩売ってきたら、どうする?」
 「ぶち殺すに決まってんだろ。幽霊が何だってんだ、もういっぺん殺してやる」
 「そういう事だぜ」

 ゴッチはげっそりとした顔つきになった。レッドの例え話は、常人には少し解り難い

 バースがうんうん唸りながら、何かを聞き取っている。コイツも不可思議な能力の持ち主のようで、大変結構な事だ、とゴッチは皮肉っぽく笑った

 「なるほど、合点が行った。お主が、長殿やレッド殿が言っていた、遺跡に潜り込んだ雷の男だな? 中々凄まじいことを言われて居るぞ」
 「凄まじい事だぁ? 幽霊風情が、俺に何を言ってるってんだ」
 「聞きたい?」

 レッドが何時の間にかゴッチの背後に取り付いて、肩ににょっと顎を乗せてきた
 重たい感覚に思わずゾッと来る。幽霊よりも得体の知れない赤い魔術師は、ニヤニヤ笑っている

 「あぁ聞きたいね」
 「兄弟の頼みなら仕方ねぇ、生中継してやるんだぜ」

 レッドはゴッチから飛び退くと、一瞬の早業でギターを取り出した。黒いギターケースは空気に溶けるように薄れて消える。燃え盛る炎の波が描かれた赤いギターが、艶やかに陽光を跳ね返した

 絃を弾く。滑らかな指の動き。スピーカーも何も無いのに、確かにエレキギターの音が響いている

 「ふぁいやぁぁーッ」

 レッドが叫ぶと、ギターを中心に青い光が弾けて広がった。ように、ゴッチには見えた

 瞬間、世界が変わった。相変わらず陽光は部屋の窓から差し込んできていたが、少し薄暗くなった気がする

 そして、ゴッチの周囲を、黒い霧が取り巻いているのが認識出来るようになった。その中から伸びる無数の手が、ゴッチを拘束していた

 瞬きする前までは、存在しなかった物だ。多種多様な形の、病的なまでに白い腕たちが、ギリギリと身体を締め付けている

 「おぉぉ?」
 「これはまた……なんと」
 「見えるだろ? でもまだ、それは氷山の一角、って所なんだぜ。流石はガランレイの呪印だぜ」

 耳元でボソボソと何かが囁くのが解る。複数人の声だ。男だったり、女だったりする
 ゴッチは耳を澄ませた。知らず知らずの内に、拳を握り締めていた

 『死ね死ね死ねぇ、貴様の一族郎党全て殺してやる殺してやるぞぉ』
 『暗いぞぉ、暗いぞぉ、ここはぁ。ひひひひ』
 「うがぁー! うっぜぇぞコラァーッ!!」

 雷を纏った拳が黒い霧を薙ぎ払った。黒い霧は成す術も無く吹き飛ばされ、消え去った。かのように見えた
 が、十数える間もなく再び黒い霧は集い始める。何処からとも無く集まり、ゴッチの周囲を飛び回るそれは、幾度振り払おうと無駄なようであった

 「隼団にはなぁ、手前等みてぇな犬のクソにやられるゴミ野郎は、一人も居ねぇんだよ。相手見て喧嘩売れよこのド低脳がぁッ」
 「どーどー、兄弟、兄弟、そいつらと喧嘩したってしょうがないんだぜ。ガランレイと喧嘩しねーと」
 「この亡霊どもも相当だが、お主も桁外れの男だな……、柄は悪いが」

 獣のように暴れるゴッチに、レッドが飛びついて押さえ込もうと奮闘する


――


 「えーと、だけどさ、殆どの説明はレッド様から受けてるんでしょう? 今更私から何か説明することってあるの?」
 「……確かにそうだ。いや、そりゃ、手前の面を拝んでおこうと思ったのも確かだが……」

 逃げ腰になりながらティト・ロイド・ロベリンドは言う。恐怖と言うよりも、不快であるようで、のんびりとした顔には苛立ちが滲み出ていた

 急に口を抑えて、ぐぇ、と唸るティト。嘔吐だ。ゴッチは嫌そうな顔をして椅子から退いた。余りにも失礼すぎる小娘だった

 「本当は良い奴なんだぜ、ティトは。でもやっぱり、そんな沢山お化けを貼り付けてるとなぁ。解ってやって欲しいんだぜ」
 「ケ、腰抜け野郎に何を言えってんだ」
 「野郎って……私女なんですけどー」

 ティトは寸での所で嘔吐を堪えたか、垂れ目をトロトロと、眠そうに言った。初対面でも威圧的なゴッチを前に、迷う素振りは微塵も無い

 逆にゴッチは、漂う黒い霧を鬱陶しげに払いのけながら、何を言ったものかと目を細めている。ティトとゴッチの邪魔をしないよう、背後に控えているバースが妙に威圧的で、有態に言えば邪魔であった

 「千里眼とやらで、俺の事は知ってるんだったな」
 「まぁねぇ、大体はねぇ。異世界の人ってのはレッド様から聞くまで知らなかったけどさ」
 「雷男でお尋ね者で、傍若無人で傲岸不遜で、手癖も足癖も悪くて誰が相手でも容赦しないだぜ。そしてちょっと馬鹿だぜ」

 言うまでも無くゴッチはレッドに襲い掛かった。ボロクズのようになったレッドは、床に突っ伏しながら神妙な面持ちで言った

 「…………御免だぜ」
 「仲が良さそうで、羨ましいなぁ。私も混ぜて欲しいよ。その亡霊達に近寄るのは御免だけど」

 ティトは羨ましげにゴッチを見ていた。ゴッチは悟る。話すべき相手はこの女ではない

 ゴッチにとって、未来予知も千里眼もどうでも良い物だ。確かにメイア3捜索には役に立つかも知れないが、宗教団体なんて物はアレルギーが出るほどに大嫌いである
 ゴッチは床に転がっているゴミ屑のようなレッドを摘み上げ、椅子に座らせた

 「レッド、まぁ大体の事情は解った。このとぼけた女が未来予知だとか、千里眼だとか、信じがたいが、正直俺にはどうでも良い話だ」

 ティトは目をぱちくりさせている。未来予知も、千里眼も、どうでも良い、で切って捨てる男が居るとは、今まで夢にも思わなかったのである

 「手前の目的は何だ? 態々俺に接触してきた理由だよ。どうやら後ろのバースとやらは、お前が俺にちょっかい掛けに来たのすら知らなかったみてぇじゃねぇか。何を考えてる」

 レッドは机に肘を着き、両手で顔を覆っている。ふ、と視線を上げてゴッチを見たかと思うと、右目の端を吊り上げて奇妙な笑い方をした

 「俺と、兄弟にしか解らない話だぜ」

 それはティトと、バースに向けられた言葉だった

 「ティトの能力でさ、兄弟の事はある程度見ていたんだぜ。あの浮遊タイプの随伴ロボットとの会話とか、氷の魔術師との会話とか。まぁ、ティトが千里眼を発動したのは、兄弟が遺跡から脱出した後から、随伴ロボットと別れるまでの間だけなんだけどな」
 「……ふん、まぁ、予想は出来たが。気持ちよくはねぇな」
 「ティトを睨まないでやってくれだぜ。……一応再確認するけど兄弟は、ロベルトマリンでブイブイ言わせてたアウトローだぜ? 亜人だよな。“混ざってるの”は?」
 「ピクシーアメーバ」
 「レアだなぁ。聞いた事があるんだぜ。高出力の電流で身を護る、無尽蔵の生命力を持つ不定形生物だな。ならやっぱり、兄弟も頼りに出来そうなんだぜ」
 「手前の目的は荒事か」
 「そうなんだぜ。正確には俺の、と言うより、ロベリンド護国衆の、かな」

 レッドはティトに向けて肩を竦めて見せた

 「ロベリンド護国衆はさぁ、戦争には関与しないんだけど、今こんな感じの、魔物とか、幽霊とか、そう言った関係のいざこざを解決する集団なんだぜ。俺はティトを手伝ってるだけ。アシュレイの遺跡は、ティトが前々からやべぇやべぇ言ってたんだぜ。でもどうしても対抗策が見つから無くてなぁ。で、何とかする方法を探してる内に、アシュレイは眠りから覚める寸前にまでなっちまったんだぜ」

 大した鈍間どもだぜ、と呟きそうになって、ゴッチは口を抑えた

 「…………俺とダージリンがあそこに入った時は?」
 「半覚醒って所かな。兄弟、あの中で何を見たんだぜ?」
 「鼻が曲がりそうなぐらいに臭ぇ、飛んだり撥ねたりする死体どもと、ドでかい骨の竜だ。死体どもは目に付いたのは全部始末したが、骨の竜はな」

 劣勢になって、逃げた、なんて、口が裂けても言いたくなかった。どうせ今からでも逆襲に行く心算なのだ、負けてはいない
 レッドは頬を掻いている。それがガランレイだぜ、とレッドの口から零れた時、ゴッチは間抜け面になった

 「多分だけどな。その骨の竜ってのは、「ボー・ナルン・クルデン」。生前のアシュレイとガランレイが討伐した南の山脈の主だぜ。その亡骸を、ガランレイが操ってるんだぜ」
 「まぁ……言いたい事は大体予想がついてたが。……アシュレイ、ガランレイ、そしてボー・ナルン・なんたらかんたら、こいつ等を纏めてどうにかするから、手伝えって事かよ」
 「どうにかする方法が見つかんなかったから、結局力尽くでどうにかする事にしたんだぜ。うん、だぜ」

 レッドはスナップを聞かせて右手を鳴らした

 「兄弟の武勇伝は、既にあっちこっちで噂になってるんだぜ。兄弟の偽名の、『ファルコン』を名乗る偽者まで出る始末さぁ。力尽くって、大好きだろ? ここでもう一丁、俺と兄弟でレジェンドを作ってやろうぜ!」
 「レジェンドねぇ? ちょいと調子が良すぎるんじゃねぇのか? ……仕事には報酬がなきゃぁいけねぇよな。リスクにはリターンがなきゃぁいけねぇよな」
 「あっれれー、いくら兄弟が心身ともに強かろうと、このまま放置すれば何れは取り殺されるんだぜ。それでも良いんだぜ?」

 レッドが椅子から立ち上がって、目をまん丸に開いてみせる。おどけた口調に、ゴッチは思わず苦笑した

 「け、やっぱりそうきやがるか。だがなレッドよ、手持ちの戦力が足りねぇから、態々俺に接触して来たんだろ? 懐が見えてんだよ、くだらねぇ物言いは止めな」
 「こういうのって、『利害が一致してる』って言わないだぜ? 兄弟を軽く見てる心算は無いんだぜ。ロベルトマリンのダーティな部分の恐ろしさは、十分知ってる。さっきのは冗談さ、兄弟には、出来る限りのお礼をするんだぜ」
 「…………」

 ゴッチはレッドから視線を外し、未だに自分に視線を向けてはその都度嘔吐を堪える失礼な小娘に、中指を立てて見せた
 本音を言えば嫌ではあるが、腹は決まった。自分でこうだ、と決めたならば、もうグダグダ言う心算は無い

 「おう、小娘、宗教団体ってのが気に入らんが、この頓珍漢の顔を立ててやる。ロベリンド護国衆の仕事、手伝おうじゃねぇか。俺に任せておきな、アシュレイも、ガランレイも、骨の竜も、纏めて跪かせてやるぜ」


――


 以下、決して面倒くさくなった訳では無いが、進行を急ぐことにした

 だぜ


――


 ティト・ロイド・ロベリンドとゴッチ・バベルの会合の二日後、一行はミランダを出発した。強行軍にて、更に二日後にはアシュレイの遺跡へと到達する予定である

 出発まで二日も要したのには、二つほど理由がある。一つはゴッチへの仕掛け、もう一つはロベリンド護国衆の戦士達、及び、雇用した冒険者との合流の為だ

 ゴッチへの仕掛け、と言うのは、ガランレイから掛けられた呪いを弱める事であった。コレには、レッドが不可思議な魔術を以って対応した
 ベタベタと、何処から持ってきたのやら、青い花をゴッチの全身に貼り付け、後はレッドが超長時間ぶっ続けでギターを掻き鳴らし、歌い続ける。ゴッチにとっては全く不思議な事に、これでしつこく着いて回る霧が消え失せてしまったのだから、全く大した物であった
 しかし、定期的にレッドが演奏を行わないと、厄介な霧が復活してしまうため、ゴッチはレッドを自分の傍に置くようにした。夜中に死霊兵が襲い掛かってくることも無く、良い塩梅であった。レッドの方は元からその心算だったらしく、同じロベルトマリンで育ったと言う事もあってか、あっと言う間に二人は馴染んでしまった

 今ではゴッチは、ついつい語尾に「だぜ」とつけてしまいそうになるのを、必死に堪えている。自分の無意識と戦い続けるゴッチのメンタルは、全く必要のない方向に鍛えられていた


 合流したロベリンド護国衆十五名は、バースが直々に選出した精鋭中の精鋭である。らしい。レッドが言うには、だ
 元々魔物との戦いにおいてロベリンド護国衆の名声は非常に高く、その中から選ばれた精鋭であれば、大陸の何処でも通用する。……のだそうだ。一体何がどう通用するのか、ゴッチには今一つ解らなかったが

 余談ではあるが、「ロベリンドの戦士は誇りと名の為に戦うのではなく、信仰と無辜の民の為に戦う」と語ったロベリンドの若い戦士を、ゴッチがついイラッ☆ときて殴り倒してしまったため、ゴッチとロベリンド護国衆の関係は険悪になった
 レッドはそれでも笑っていた。まるで気にしていない所に神経の図太さを感じさせる

 まぁ、ゴッチにしてみれば宗教団体の事はどうでも良かった。興味を引いたのは、今回の作戦に同行する冒険者の方だ
 一人の男。たった一人の男だったが、周囲を呑み込む強烈な存在感を持った男だった
 只事ではない。只者ではない男だ。面付きからして違う、ような気もする。非常に高い名声と実績を持った冒険者で、雇用に当っては大変高額な報酬を前払いしたと言う

 名をゼドガン。ミランダの冒険者協会所属で、なんとまぁ、ミランダローラーの称号を持つ大剣の使い手であった

 「兄弟が現れなければ、俺とゼドガンがこのミッションの鍵だったんだぜ。勝率は三割って所かな。でも兄弟が協力してくれるなら、もっと高く見込めるだぜ」
 「わくわくしていたんだ、伝説に残る強敵に。しかし、それに決して劣らぬ力量であろう者と共に戦えると言うのは、これもまた嬉しい事だ」

 白銀の胸当ての内側で、引き絞られた肉がうねる様が、ゴッチには容易に想像できる。腰部からくるぶしまでを覆う腰巻の中で、複数の刃が息を潜めているのが解った
 年若い髭面が浮かべた笑顔は、まるで子供のようだった。二十五かそこいらの年齢であるらしいが、雰囲気は遥かに若い。髭を伸ばして威厳を出そうにも、雰囲気のせいで上手く行ってないんだぜ、とレッドは悪戯っぽく笑う

 「いい面構えだ。フレンドリーに……あぁーと、友好的に行こうぜ、ミランダローラー殿よぅ」

 ロベリンド護国衆とはとことん合わないゴッチだが、冒険者ゼドガンとはこれ以上なく馬が合った。ゴッチ、レッド、ゼドガンと、三人揃えば、まとめて悪餓鬼の集団であった


 兎にも角にも、ミランダ出発から二日後、目的地も近くなり、緊張感が高まる中での夜営時

 一行は、数え切れぬ程の死霊兵から奇襲を受けた


――

 後書

 イラッ☆

 ……混乱しているようだ。

 11月22日、ティトの名前を修正。ひでぇミスだ…!
 御指摘ありがとうございます。



[3174] かみなりパンチ10 アナリア英雄伝説その二
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2008/12/13 09:23

 ゴッチは、何をしていた訳でもない。ロベリンド護国衆が設営した天幕の内の一つで、面倒くさげに欠伸をゴロゴロ寝転がっていた
 その横では、レッドが神経質にギターの手入れをしている。独り言でも、だぜだぜ言っていた

 ロベリンド護国衆の戦士が声を上げたのは、ゴッチの体内時計で十二時をやや過ぎた頃合である。「敵襲!」と言う怒声が、三度鳴り響いた。夜営陣地に対して、入り口が外側を向いているゴッチの天幕は、こういう時周囲の状況を把握するのに都合が良い

 空気がざわめき始める。天幕入り口の分厚い布を摘み上げて、ゴッチはもう一つ、欠伸した

 「敵だ? おー、早ぇよあいつ等。それに、ドイツもコイツも良い面してるじゃねぇか」

 硬く、鋭く強張った表情。ロベリンド護国衆は、常には無い殺気を撒き散らしている。背筋に寒気が走るような、人間味を失くした顔付きだ

 素晴らしい表情だ、と何故か思った。ゴッチにとって、胡散臭い宗教団体以外の何者でもないロベリンド護国衆は、確かにレッドの言うとおり、戦闘に関してはプロフェッショナルの集団だった
 突然の事態にも関わらず、バースの号令で終結した彼らは、各々既に臨戦態勢を整え終えていた。バースの槍の元で、十五名が一糸乱れぬ隊伍を組んでいる

 「げ、死霊兵だ! ガランレイに先手を打たれただぜ!」

 ギターケースを担いでレッドが喚いた。内容は深刻だったが、レッド自身は何時ものような軽い雰囲気だった。ゴッチは顎を撫でさすって、少し考える

 夜営陣地の中心にある焚火を背にして、ロベリンド護国衆は隊列を整えた。些か見え難くはあったが、暗闇の中を腐った死体が走ってくるのが解る
 暗中での乱戦になっては、絶対的に不利とバースは判断したのだろう。畏れることなく威風堂々バースは歩を進めて、陣の先頭に立った

 「ケ、何時もは良い子ちゃんぶって優等生面してる癖によ。中々男前だぜ」
 「兄弟、ティトの所に」
 「大丈夫だろ、見ろよアレ」

 槍を構えた護国衆達の陣形は、猛然と突撃する死体の群れを当然のように受け止めた。勢いを押しとどめたかと思うと、次の瞬間には切り込み返す

 正に一蹴であった。当然のことだが死霊兵の特徴も理解しているらしく、冷静に、腐敗した肉体を引き摺り倒し、首を落としていく。物の数では無かった

 「任せといて良いんじゃねーか」
 「いや、兄弟、あのなぁー」

 ゴッチはもう一度欠伸して、改めて横になる。レッドが頭を掻いて、困り顔になった
 びぃ、と布を引き裂く音がした。ゴッチが視線を向けてみると、入り口と反対側の布が引き裂かれて、月明かりが差し込んでいる

 腐敗臭を撒き散らしながら、死霊兵が飛び掛ってきた。寝ぼけ眼のゴッチは咄嗟に蹴りを放つが、体勢が悪い為か威力が無い。死霊兵を押し返せず、ガブ、と、肩を一噛みされる
 死霊兵の顎力は、全く恐るべき物だった。なんとその牙は、ゴッチのスーツを貫通したのである

 「いぃぃってぇぇぇぇぇぇーッッ!!!」
 「あぁーもー! 態々奇襲に来といて、アレだけしか居ない訳無いんだぜ」

 レッドがぶつぶつ言いながら、ギターケースを振り被って死霊兵を張り倒した


――


 「レッド殿! 敵は如何ほどか!」
 「ティトじゃないからそこまで読み取れないんだけど……」

 円陣を組みつつ四方八方から襲い掛かる死霊兵を打ち倒しながら、バースが叫んだ
 円陣のすぐ近くで、ゴッチに護衛されながら、レッドは片膝を着いてうんうん唸っている。周囲を蒼い光が飛び回って、小さな風を起こしていた

 「取り囲まれてる、数え切れねぇー! こいつぁ駄目だぜ!」
 「長は? まだ御自分の天幕にいらっしゃるか!」
 「多分な! ゼドガンも一緒だろ?」
 「よし、下がるぞ!」

 バースが大声で号令した。一斉に移動を開始する護国衆に、死霊兵が追い縋る

 「兄弟!」
 「俺かよ! あーったくよぉー!」

 ゴッチは台詞とは裏腹に、嬉々とした表情で死霊兵の群れに飛び込んだ。当然死霊兵達は、一斉に群がってくる

 ばちん、と、一瞬黄色い閃光が走ったら、その後はもう地獄だ
 地面に四肢を着けて、獣のような唸り声を上げたゴッチは、全方位に遠慮なしの放電を行った。目を焼く閃光が数え切れない程の死霊兵を撃ち抜き、消し炭に変えていく。バースが後ろを振り返って、おぉ、と唸り声を上げた

 一気に嫌な臭いが立ち込める。レッドは飛び上がってゴッチを褒め称えた

 「うっひょー! 流石兄弟! 半端じゃねぇだぜ! パねぇ! パねぇ!」
 「ったりめぇだろ! オラ、とっとと行くぞ!」

 ティトの天幕は、ゴッチ達のそれよりも、ある程度離れた場所に設置されていた。それも地べたにそのまま設置されたのではなく、木材の足場を組み立てて、その上に、である。長に相応しい特別扱いだ
 そこでバースとゼドガンの二人組みが護衛を行っていた。バースはゼドガンの人柄を深く信頼しているようだった。兵を率いなければならないと言う理由があったとは言え、ティトの護衛を任せきりにして死霊兵と戦闘を行ったことから、それが感じられる

 散発的に襲い掛かってくる死霊兵を打ち倒しつつ、ロベリンド護国衆は走ってゆく。ゴッチとレッドは、その殿を護った。護った、と言っても、何かするほど死霊兵が襲ってきたわけでもないが

 ティトの天幕まで到達すると、其処には荒い息を吐きながら槍を構えるティトと、大剣にべっとり張り付いた血糊を振り払うゼドガンが居た
 周囲には、死霊兵の残骸が積まれている。どれもこれも二分割にされていて、ゼドガンの一撃である事が伺えた

 全て一撃か、と護国衆の兵士が感嘆の溜息を漏らした

 「うん……。状況から察するに、容易に撃退出来るような規模ではないみたいだな」
 「その通りだ、ゼドガン殿。良くぞ長を護ってくれた」
 「無事を喜ぶのは後にしとけ。奴ら、どんどん着やがるぞ」

 天幕の影から飛び出してきた死霊兵が、ティトに襲い掛かる。ゴッチが飛び込んで、爪先で死霊兵の顎を蹴り上げた
 ふわ、と持ち上がった死霊兵の身体に、ゼドガンが大剣を振るった。神速の踏み込みであった

 上半身だけでビクビクと這いずる死霊兵の首を踏み砕き、ゴッチは声を上げた

 「イカしてらぁ!」
 「褒め言葉だな?」

 ティトが槍を杖にして、踏ん張る

 「バース、みなは?!」
 「一人も欠けておりません」
 「逃げられなさそうな感じ! この期に及んでは、遺跡に切り込むよ!」
 「従いまする」
 「レッド様、力を貸して」

 レッドが腕組みして、感慨深く頷く

 「オッケーだぜ! ティトも、段々貫禄が出てきたなぁー」
 「のんびりしてる場合か、手札があるならとっとと切れや!」


――


 その後、何を思ったのかギターを掻き鳴らして歌い始めたレッドの周囲に、光の壁が出現した。光の壁はレッドのシャウトと共に巨大化し、半径十メートルほどを包み込む円陣になった

 奇跡のマジカルソングだぜ、などとレッドは茶化していたが、そのマジカルソングの威力が発揮されるまでの四十秒間、ヒイコラ言いながらレッドを護衛した面々は苦り顔である

 しかし、完成してしまえばそれは全く凄まじい物であった。光の壁は触れた死霊兵を尽く塵に返して、一掃してしまったのだ

 効力が続いている間は死霊兵は手出しできない、と堂々語るレッドは、なるほど、魔術師であった

 そこからは駆け足での強行軍である。最早目前、と言うところにまで迫っては居た物の、ある程度の距離はあった。一時間かそこいら走り続けて、漸く到着した目的地は、森林を越えた先に存在する絶壁であった

 一行は、一部を除き荒い息を吐きながら、緊張した面持ちで其処を見詰める

 「ここだぜ、ここ、ここ。この洞窟。コレが入り口だぜ」
 「正にダンジョンって感じだな」
 「ワクワクする?」
 「前にも一度入ったんだっつーの」

 絶壁には、一箇所、ぽっかり穴が開いていた。陰鬱な空気が漂う、嫌な気配のする洞窟だ
 夜と言うこともあって、その嫌な気配が助長されてしまっている。魔物が大口開けて待ち構えているようにすら、ゴッチには見えた

 ゼドガンが、魔物の大口に歩み寄って、しかし手前で立ち止まる。眉を顰めたかと思うと、背負っていた大剣を抜き放ち、縦に振り下ろした

 ピタリと、その大剣が空中で静止した。ゼドガンが止めた様には、見えない。その次の瞬間、ゼドガンの大剣は、強力な反発を受けて、弾き返されていた

 「何だこれは。全く、面白い事や初めて見る事が立て続けに起こって、退屈する暇が無いな」

 ゼドガンが大剣を背に収め、苦笑いする

 「えー、ほれ、アレだろう。ファンタジーに在りがちな、結界とかそういうのだ」
 「……間違っては居ないけれど、ふぁんたじーって、何?」
 「あん? 何だよ、何の心算だ?」

 物珍しそうに洞窟の入り口を眺めるゴッチを、ティトがやんわりと押し退けた
 ロベリンド護国衆の中で、最も疲労しているのがこのティトだ。ひ弱な足手纏いと言っても間違いではないティトに、ゴッチは訝しげな視線を向ける

 「ティトの槍は、ロベリンド護国衆が世界に誇る神秘の槍なんだぜ。曰くも在って霊験あらたかな宝物なんだけど、取り敢えず便利な槍って覚えとけば間違ってないだぜ」
 「レッド殿……その言い様は幾らなんでも」

 ぎゃーこら言う間に、ティトは迷わず洞窟へと近付いていく。槍の穂先を地面に向けた後、奇妙な呪文を唱えると共に、それを突き出した

 強風が吹きぬけて、ゴッチは目を細める。それが収まった後には、矢張り眠たそうな半開きの目を擦るティトが居た

 「え? 今ので終わりか?」
 「良いじゃない、何事も無くて万々歳ってモンだぜ、兄弟」
 「いやぁ、ゴッチではないが、俺としても何か一悶着ある物だと」

 正直言えば、拍子抜けだったが
 腕組みしながらゼドガンが言えば、それは起こった

 洞窟入り口から妙に生暖かい風が吹いたかと思うと、一行の周囲を護っていた光の壁が、前触れも無く消滅してしまったのである
 全員の視線がレッドに集まる。レッドは、頭を掻き毟る

 「え、いや、ちょ! ガランレイだぜ、俺のマジカルソングが、よどんだ魔力に掻き消されちまった! バカー! ゼドガンが不吉な事言うからだぜ!」
 「俺のせいか?」

 ゴッチは首だけで振り向いた。暗闇の森の中を、凄まじい速度で接近してくる複数の影がある

 「来てるぞ」
 「やっべぇーだぜ!」
 「……別によぉ、奴らをぶっ潰せっつーんだったら、俺がここで足止めをやってやらん事もねーが」
 「足止めに戦力を割きすぎては、本末転倒だろう」

 え? とゴッチは驚いたような顔をした。バースから、遠まわしとは言えゴッチを認めるような台詞を面と向かって言われるとは、思っていなかったのだ

 バースが槍を掲げる。護国衆達が顔を見合わせて、素早く隊列を組んだ
 バースは洞窟入り口に背を向けて、硬い声音で言った

 「我らで入り口を死守します。中に何があるか解らぬ以上、背から追われる訳には行かぬ。レッド殿、どうか、どうか長をお頼み申す」
 「そりゃ言われなくとも面倒みるけど」
 「ならば安心だ。……まぁ、元々我々は、こういう時の為に来たのだ。囮か、陽動か、それがこの事態になった所で、大差ない故な」
 「バース……」

 青い顔でティトが呼ぶ。バースはドン、と自分の胸を叩いて、存在しない右耳に手を添えた

 「ご心配召されるな。長の声は、このバースの右耳、絶対に聞き逃しませんので」

 唇を噛むティトの背中を、ゴッチは平手で張った

 「ケ、とっとと片付けてやろうや。お前が急げば、こいつらも助かるか解らんぜ」

 ティトは大きく息を吸い込んで、バースに背を向けた。洞窟へと向かって走り出していた

 「必ず戻るよ!」
 「行って来る。バース殿、武運を祈る」

 ティトを追って、ゴッチ、レッド、ゼドガンも走り出した。ゴッチは何ともいえない複雑な顔をして、小さく舌打ちした

 「柄じゃねぇよなぁ」
 「良いんじゃないか。俺はこういうの、好きだぞ」

 ゼドガンが大剣の柄を握りながら答えた

 「お前が好きでもなぁ」
 「俺もこういうの好きだぜ、兄弟!」
 「お前はどうでもいいや」


――


 「トップは俺が……先頭は俺が取る。最後尾はゼドガンだ。文句ねぇだろ」

 速度をぐんぐん上げて先頭に踊り出たゴッチは、ティトの長い髪をぐしゃぐしゃに掻き回して言った
 反論は出なかった。スーツをはためかせながら、ゴッチは拳を握った

 道は一直線だった。以前ゴッチとダージリンが通った道よりも、遥かに綺麗に舗装されている。どうやら、これが本当の本道らしい

 「千里眼ってのが使えるんだろ? きっちり索敵しろよな!」
 「解ってるよ! 早速来た!」
 「どっからだ?!」

 道は一本道だ。壁で光を放つ不思議な石のお陰で、奥のほうまで見渡せるが、敵の姿は無い

 ティトが顎を上げて、上を見る。違和感を感じさせる大穴が、そこには開いていた

 「上ぇー!」

 ティトの絶叫と、敵の出現はほぼ同時だった。鉄の剣と盾を持った古めかしい骸骨が、上から落下してきた

 骸骨の戦士たぁ、また在りがちなモンスターだぜ、ゴッチは跳躍し、ドロップキックを敢行する

 「ダッシャァァァァーッ!」

 骸骨は盾を突き出して防御したが、ゴッチのドロップキックは防御の上から骸骨を叩き潰した

 腕と肋の骨を粉砕して、バラバラに吹っ飛ばす。ゴッチはゴロゴロと前転すると、ケ、と嘲笑一つ残して何事も無かったかのように走り続ける

 「まだ来る!」

 ガシャン、ガシャン、ガシャン、と骨を鳴らしながら、何体もの骸骨戦士が前方の通路に降ってくる
 後ろを顧みれば、そこにも骸骨戦士は出現していた。ゼドガンは涼しい顔でそれを一瞥し、無視して走り続ける

 「どうする、兄弟」
 「骨とダンスして楽しむキチガイはいねぇだろ」
 「だよなぁ」

 ゴッチは剣を振り被る骸骨戦士に、今度はショルダータックルをお見舞いした

 群れ成す骸骨達に、突撃する戦車ゴッチ号。ショルダータックは骸骨を弾き飛ばしたりはせず、そのまま玉突き事故のように次の骸骨、また次の骸骨を巻き込み、巨大な塊になって強引に前進を続ける

 「ぬぁぁぁ」

 呆れ返るほどの、全く見事な力技であった。ゴッチの蹴り足が舗装された床に亀裂を入れる度、塊は猛烈に押し込まれていく
 やがて通路は終わり、大きな広間へとゴッチは侵入した。当然、ごちゃごちゃした骸骨の塊を押しながら
 しかし止まらない。まだ止まらない。一塊になった骸骨達と共に広間の壁に激突して、そこで漸く前進を止める。ゴッチは拳を引き寄せて、眩い雷光を纏わせた

 「腐った肉がついてねぇだけ、まだ可愛げがあるぜ、手前等はよ」

 塊に突き刺さる拳。稲妻が走って、破裂音が鳴り響く。骸骨達は木っ端微塵になって、四方八方に飛び散った

 手の埃を叩き落として、ゴッチは居住いを正した。背後を追随してきたティトはポカンと間抜けな顔をしていた

 「レッド、俺が切り倒しても良いのだが、後ろの連中はどうにか出来ないか?」
 「任せとくだぜ。ちょちょいのちょいさぁ」

 ガションガションと音の成る通路を振り返って、レッドはポケットから茶色い布袋を取り出した

 口を開いて逆さまに振れば、錆色の粉が床に撒き散らされる。レッドがそこに掌を置いて鼻歌を歌えば、なんと粉末は白く燃え上がった
 後には、ガラスの粉のように変質した粉末が光と共に漂うだけだ。通路を追ってきていた骸骨の集団は、膝を着いて動きを止める。どうやら、近付けないらしい

 「まぁ、丸一日は持つだぜ」
 「全く、便利な奴だぜ、お前はよ」
 「俺ってば出来る男だから。へっへへ」

 空気が緩んだところに、再びティトが声を上げる

 「え」
 「あん?」
 「何か来てる」
 「何かって……なんだよ」
 「いや、その…………」

 ガコン、と重たい音がした。通路から見て、広間の右奥の方からだ

 例によって壁には光る石が取り付けられていて、視界は問題ない。ティトが口篭ったのが、問題だった

 「敵か?」
 「敵じゃない……ような」

 もう一度、ガコンと音がする。すると、埃をぱらぱらと撒き散らしながら、壁の一部が床へと沈み始めた
 全員、身構えた。ティトの態度は気になるが、ここは敵地だった

 そして現れる、まだら色の布を頭に巻いた、黒髪の少年。ゴッチは目を擦った

 グルナーだ

 「あぁ! ご、ゴッチ!」
 「お前確か……グルナー、だっけか? 何だお前、何でこんな所に居やがるんだ」
 「ゴッチ……」
 「何、お前、泣いてんの?」
 「泣くか!」

 グルナーは顔を真っ赤にして言い返したが、何処からどう見ても泣いていた
 レッドとゼドガンがジッと見詰めてくる

 「知り合いだ。……だがこんな所に居る理由は……。コイツ、本物か? 偽者とか言うオチじゃねぇだろうな」
 「人間だよ。可笑しな所は何処にも無いよ」

 ティトも、非常に不思議そうだった


――


 路上で物乞いをする洟垂れ餓鬼も、爆発物か銃を懐に忍ばせれば、立派な脅威だ。ゴッチは覚えのある面を前にしても、安易に近寄ったりはしなかった

 「ご、ご、ゴッチ?」
 「寄るんじゃねぇ、そこでジッとしてろ。頭吹っ飛ばされたくなけりゃな」

 グルナーの小さな身体を見下ろして、ゴッチは拳を握り締める。ゼドガンが不思議そうに唸りながら、それでも大剣に手を添えた

 「お前はグルナーか?」
 「そうだよ。何を言ってるんだ」
 「ここがどんな場所か解ってるか」
 「い、いや、知らない」
 「何故ここに居やがる」
 「村で使う薬草を取る為に、湿原に行ったら、化物達に襲われて、それで逃げてる内に…」
 「ソイツは腐った死体か」
 「そう、そうだ! ゴッチ、知ってるのか?」
 「一人でここまで? ずっと?」
 「いや、その、ハーセ様っていうアナリアの兵隊長の人が護ってくれたんだ。もうずっと前に逸れてしまったけど……」

 ゴッチが顎で、グルナーを示した

 「レッド」
 「ティトの言うとおり、何も無いだぜ。至って普通のチェリーボーイさぁ」

 肩を怒らせてゴッチは歩を進める。威圧的な態度に、グルナーはたじろいだ。死霊兵に散々追い掛け回されたらしい、埃にまみれた小さな身体が、強張って震えた

 「止めろよ、ゴッチ、冗談だろう?」

 目前にまで来たゴッチに、完璧に脅えてしまって、身を縮こまらせて萎縮する

 二歩、後退りしたグルナーを、問答無用に抱きしめて、ゴッチはバンバンと背中を叩いた

 「はっは! お前みたいな餓鬼が、よく生き延びた。大した男だぜ、グルナー」

 耳まで朱に染めて、言葉を失う。イニエのグルナーは、まだ子供である


――


 「み、ミランダローラー、本物だ……。あ、貴方の事、知ってます! ミランダ最高位の冒険者、“偉大な剣”」
 「その呼ばれ方はくすぐったいな」


 グルナーを加えて、レッドとティトをツートップに慎重に索敵を行いながらも急いで進む一行は、情報を交換していた
 イニエから来た大人びた少年はどう考えても足手纏いだったが、捨て置いて死なせてしまったら後味が悪い。もしもの時はレッドがどうとでもすると言うので、結局連れて行く事になった

 グルナーから得られた情報に、ゴッチは苦笑いする。雷の魔術師ファルコンの話は、イニエの村にまで広がっているらしい
 先ほど言っていたアナリアの兵隊長、ハーセとやらが、“魔術師ファルコン”の足取りを追って、イニエに現れたというのだ

 「まぁ……ゴッチは恩人だし、それにイニエの村に、“ファルコン”なんて奴は来なかった物な」

 充血した目をぱちぱちさせて、グルナーはペロっと舌を出した。常ならば子供ながらに実直で、正直そうな小顔が、今は冗談っぽく微笑んでいる
 舗装された通路は長い年月を経て歪み、所々が段差になっていた。その段差に引っかかりそうになりながらも、小走りに着いて来るグルナーは、子犬のように見えた

 「しかし、何でまたお前は、そのハーセとやらと死霊兵に追い掛け回される破目になったんだ」
 「さっきも言っただろう。薬草取ってるときに襲われたんだ。薬草を売って稼いでるんだよ、イニエの村は。あんまり作物が育たないんだって。……村長が言ってた」

 レッドがギターケースを背負いなおして、咳払いした。ガリガリと頭を掻きながら何か言いたげにゴッチを見る

 ゴッチはレッドの肩に腕を回して、無遠慮に体重を掛けた。下品に笑って、グルナーを顎で指す。レッドは、何でもないように笑いながらも、ゴッチに耳打ちした

 「だってよ、レッド。いい根性してるぜ」
 「……(イニエの村ってのは……実は、アシュレイとガランレイがボー・ナルン・クルデンを討伐した時、毒気に冒されて、緑の育たない死の大地になった場所に作られたんだぜ。ガランレイとその一族が、時間を掛けて大地を癒すためにな。…………まぁ、今となっちゃ、知ってる人間なんて殆ど居ないだろうけど)」

 ほぉ? とゴッチは眉を顰めた
 そういえばイニエの村長も、「イニエに魔術師が来たことはない」と言っていた。当のイニエの村の長が知らなければ、他の者は尚知るまい

 「(幾らなんでも、子供がこの遺跡に迷い込んで、無事で居られる訳が無いだぜ。きっと、ガランレイが魔物や罠から護っているんだ。死霊兵に襲われて、生き残ってるのがその証拠さ。……ひょっとしたらガランレイとも、まだ話し合いの余地があるかも知れない、ぜ)」
 「(何故だ? ……詰まりグルナーが、ガランレイの一族の末裔だからか?)」
 「(女は情が強いんだぜ。俺たち男なんかより、よっぽど優しいのさ)」

 死霊兵をけしかけてくる二百年前の幽霊が優しいのだ、と言われても、ゴッチは頷けなかった

 「で、ハーセってのはどうしたんだ」
 「……解らない。ここに迷い込んで、その、死霊兵ってのに追いかけられて……。湖のある広い場所で、凄い怪物に襲われたんだ。そこからは、よく覚えてない……」

 湖、という言葉に、グルナーを除く一行は、顔を見合わせた

 「どんな怪物だ?」
 「ねぇ、君、そこまでの道のり覚えてる?」

 ティトがぼんやりと言う。眠たそうな目が、僅かに開かれている。被さった声に、ゴッチは肩を竦めて見せた。少し逡巡した後、グルナーはティトの質問に答えた

 「何となく、なら。出鱈目に走ってきたから少し曖昧だけど。そんなに曲がり角とかは無かったと思うし」
 「それでも良いよ」

 ふんわりと微笑んだティトに、グルナーは赤面した

 「行く宛てが出来たのは良いが」

 最後尾のゼドガンが、唐突に声を放った。ゼドガンはしきりに後ろを気にしていて、その様子はゴッチもレッドも、気に掛かっていた

 「急がないか。何かが着いて来ている」
 「何だと?」
 「姿は見えずとも、冷たい殺意が伝わる。嫌な気配だな、これは」
 「ティト?」
 「……私には、解らないよ。何も居ないように感じるけど」

 ゼドガンの調子は相変わらずであった。追ってくる者がいる、と、信じて疑っていない

 「俺には解る。武に生きるから、武を知る。相当な強者と見た」
 「ティトのはセンス、ゼドガンのはスキルだぜ、兄弟。どっちも信用できる。片方が危険だと感じるなら、警戒すべきだ」

 ゴッチは後ろを振り返って、真直ぐな通路を眺める。光源はあるものの大した光量ではないので、視界は驚くほどに狭い
 薄暗闇が、ぞっとするほど不気味だった。歯を剥きだしにして笑うゴッチは、凶相と言って過言で無かったが、その余裕にグルナーは勇気付けられたようだ

 「急ぐか。どうせ行かなきゃならねーんだ」
 「じゃぁ、お願いするよ、グルナー君」
 「あぁ、うん、じゃない、はい……。解りました」


――


 レッドとゴッチのツートップに替わって、最後尾をゼドガン。並んで歩くゴッチとレッドは、声を潜めた

 ティトは、なにやらグルナーを構いたいようだった。しきりに世話を焼きたがっているように、ゴッチには見える

 レッドは肩を竦めたし、ゼドガンは微笑ましそうにしているだけだ。ゴッチを見て嘔吐までした失礼な娘は、ここに至っては至極元気であった
 敵の根城と言うなら、今まで以上に奇怪で面妖な場所だろうに

 「流石にここまで来ると、ガランレイが恐ろしくて、大抵のお化けは入ってこれないんだぜ。兄弟に引っ付いてた奴とかな」
 「ソイツは良い事を聞いたな」
 「でも、兄弟がガランレイに目を付けられてるのは変わらないだぜ。独断専行は止めたほうが良い」
 「…………」

 ゴッチは変な顔をして、手をひらひらさせた。レッドがティトを見遣って、こちらも変な顔をする

 「気を紛らわしたいんだぜ、きっと。こうしてる間にも、バース達は戦ってるから」
 「お前が骸骨どもを抑えるのに使った奇妙な粉末を、入り口で使えば良かったんじゃねぇか?」
 「流石に数百を数える死霊兵が相手だと、そんなに保たねぇー」

 ソイツは残念な事だ、と、心にも無い事を言って、ゴッチは首を鳴らした。グルナーの些か不安な案内で進む道中、未だに敵襲は無い
 拍子抜けといえば、拍子抜けである。ゴッチも、ゼドガンも、そういう顔をしている

 しかし、グルナーが怪物と出会ったと言う湖の広場に出たとき、余裕の色は消え去った。上手く言い表すことの出来ない、奇妙な雰囲気があった

 湖から天井までを眺めるゴッチの右肩を、レッドが突いた。ゴッチは、首を振る

 「俺は知らんぜ、この場所は。この湖は?」
 「コバーヌの炎じゃないだぜ。普通の湖に見える」

 前、ゴッチが骨竜ボー・ナルン・クルデンと遭遇した空間は、もっと広く、今よりも更に陸地が少なかった
 どうせなら、こっちで遭遇したかったぜ、とゴッチは唾を吐いた。これだけ陸地があれば、むざむざ遅れは取らなかった

 「“普通の湖”?」

 ティトが変な声を出して、首を傾げ、湖に近寄った。その途中、急に立ち止まったと思うと、顔を青褪めさせて直立不動になる

 鳥肌を立たせていた。ゴッチ、レッド、ゼドガンの不良三人組が、揃い踏みして湖を覗き込む

 肉の無い、骨だけの魚が、数え切れないほど泳ぎまわっていた。ゴッチとゼドガンの物言いたげな視線が、無遠慮にレッドに突き刺さった
 当然だがゴッチは、骨の魚が泳ぎまわる奇怪な湖を、「普通」と言ってのける程無神経ではない

 「え、いや、ほら。……元気な魚だぜ、やっぱ、こんぐらい泳いでないと、だぜ」
 「何処が元気だ馬鹿。痩せまくりってレベルじゃねーぞ」

 ふと、ゼドガンが腰を落とし、大剣の柄を握り締めた。ゴッチはそれを横目で見遣って、グルナーの首根っこを捕まえる
 ティトが青褪めた顔で、槍を抱きしめるのも、見えた。今更言うまでも無い事だが、危機回避能力は別として、最も索敵能力の低いのがゴッチだ。その事が本当に少しだけ、ゴッチは不満である

 「怪物が出たってのは、ここで間違いねぇんだな?」
 「そ、そうだ。ハーセ様ともここではぐれてしまって」

 ほぉ、それじゃ、とゴッチはグルナーを通路の方へと放り投げた。荷物扱いだった

 「さっきは聞きそびれたが、どんな怪物だ?」
 「いて! ……でっかい骨だ。蜥蜴の頭みたいな」
 「――! ドッカァァァァァーン!」

 唐突に、レッドが絶叫して、大跳躍した
 湖の中から水飛沫と粉砕された魚の骨を撒き散らしながら、何かが飛び出してくる。ゴッチには見覚えのある相手だ。巨大な竜の頭蓋骨

 「ボー・ナルン・クルデンだぁぁぁぁぁーッ!」

 レッドが雄叫び上げて、真紅のギターを振り被る。空気に溶けるギターケース。目にも留まらぬ速度で襲い掛かってくる骨竜を、そのギターは正確に捉えた

 「ガッキィーンッ!」

 哀れにもレッドは吹っ飛ばされた。勇ましいのは掛け声だけである
 きりもみ回転しながら壁に叩きつけられたレッドはそのまま湖に落下し、体中を骨の魚に噛み付かれながら、悲鳴と共に這い上がってくる

 「レッド様!」

 頭部が歪に歪んでいるのを見て、ティトが悲鳴を上げた。頭蓋骨が陥没していたのだ
ひーひー言いながらゴッチの背後に滑り込んだレッドの身体を、青い光が取り巻いた

 「いててて、パワーがダンチだ、俺じゃ無理だぜ」
 「頭がその有様で、なんで生きてられるんだ?」
 「うひー、頭蓋骨が逝っちゃってるだぜ。痛ぇ、回復に少し時間が要る!」
 「“少し”で治るのかよ……。ったく、手間ぁ掛けさせやがって」

 ゴッチが前に飛び出した。クルデンの頭蓋骨が、大口上げて突撃してきていた

 気合一発拳を打ち込んで、しかしそれでも前進してくるクルデンの大顎を抑えにかかる
 がっつりと組み合うゴッチ。ゼドガンとティトが得物を振り翳し、ゴッチの援護に入った

 ティトが槍で突けば、強風が巻き起こってクルデンが揺らいだ。曰くつきの槍は、悪魔の矢で操られた竜にも効果があるらしい
 ゼドガンの大剣がクルデンの鼻骨に食い込む。バリバリと歯を食いしばるゼドガンは、そのまま鍛え抜かれた両腕を振り切って、クルデンを押し返した

 「マッハキィック!」

 そこに、地をけり、空をカッ飛んで行くゴッチ。一本の棒のようにピシリと足を伸ばしきった、強烈な前蹴りが、クルデンの鼻面に炸裂した
 この男に、重量比だの体格差だのと常識が通用する筈もない。クルデンは先ほどのレッドのように回転しながらふっ飛んで行く

 「やるじゃねぇか、足手纏いのお嬢様って訳でもねぇんだな」
 「当然だぜ。ティトは俺が育てた」
 「るせー、手前はとっとと傷を治せ」
 「いけない! 後ろからも何か来てるよ!」

 状況が悪化する。常人なら死亡確定の蹴りを打ち込んでも、クルデンには微々たる物だ。その理不尽を相手にしながら、今度は挟撃されるのだ
 叫んだティトに、ゴッチが飛ぶ。今しがた吹っ飛ばしたクルデンの大顎が、早くもティトを狙っていた。ティトを引き摺り倒して地に伏せれば、頭上をクルデンが通過していった

 コイツは駄目だ。ゴッチ達の居る戦闘レベルまで、明らかに到達できていない。これ以上は無理だった

 「無事だな? お前はグルナーのお守りをしろ。ここは俺らで何とかする」
 「わ、解った。……無力だね」
 「そうでもねぇさ、手前はマシな部類だろ。よし、行け」

 怪物の威容に圧倒されて動けないグルナーは、駆け寄ったティトによって大いに安堵したようだった

 ゴッチは雷光を前進に纏わせ、奇声と共にそれを爆発させる。肉体に力が漲り、視界が広まってゆく
 ゼドガンが、この状況下で尚悪戯っぽく笑いながら、ゴッチの背に立った。背中合わせに語り合う何かがあった

 「良い事を思いついた。俺がゴッチの背を護り、ゴッチが俺の背を護れば、無敵ではないか?」
 「ケ、……しゃぁーねーな」
 「素直でない奴め」

 ゼドガンが背後に居るならば、と、ゴッチは目の前の空飛ぶ竜の頭蓋骨にのみ集中した。相も変わらずクルデンは自由奔放に飛び回り、こちらを窺っている

 右の拳が疼いた。前は無様にも追い立てられた。ダージリンが居なければ、更にクルデンを調子付かせる結果に終わっただろう。ここで「死んでいただろう」と言わない所にゴッチの底の浅い意地がある

 「…………さぁ、決着つけてやるぜ! 俺はロベルトマリンのアウトローだ! 『隼団』のゴッチ・バベルだ! ドイツもコイツも、這い蹲れ!」

 クルデンが再度、大顎開いて襲い掛かる


――

 後書

 今回は内容無いヨー。空気回ヨー。

 だらだら更新したっていいじゃない、けだものだもの



[3174] かみなりパンチ11 アナリア英雄伝説その三
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:32
 「ボォー・ナルン・クルデェェーン! お前の事、大好きだぜぇぇぇーッ!」

 竜頭蓋の眼窩、黒い二つの穴に赤い光が揺れる。ゴッチの視線と光が絡み合う

 クルデンは飛んでいる。ゴッチも、飛んだ。顎を開いて何の捻りもなく突撃してくる骨の竜に、ゴッチは抱きついた
 絶対に離さねぇとばかりに食らい付いて行く

 「ぬがぁぁぁ」

 クルデンは速度を上げ、更に急旋回を多用するようになった。風圧と慣性で、しがみ付くゴッチを振り落とそうとしている
 ここで素直に振り落とされる男であれば、ゴッチはそもそも異世界なんぞに投入されていない。獣のように歯をむき出しにして笑いながら、ゴッチはクルデンの眼窩に右腕を突き入れた

 ゴッチコレダー。激しい稲光が遺跡内部を照らす
 クルデンが啼いていた。効いている、とゴッチは凶悪な笑みを更に深めた

 啼け、もっと啼け。俺の下で

 「啼けぇぇぇぇーッ! ハァーッハッハッハッハッハッハ!!」

 雷光が激しさを増す。耐電仕様のダークスーツが音を上げ始めた。ゴッチの苛烈な蛮用にも堪えてきたファルコン特注のスーツが、泣きを入れる程の電気量だった

 泣き喚くクルデンは、殊更変則的に飛び始める。それでも嫌らしく張り付いたままのゴッチは、高らかに笑っている
 笑い声と共に雷鳴は響き渡った。ゴッチはまだまだ離さない。クルデンのカルシウムが燃え尽きるまで電流を浴びせ掛ける心算だ
 ゴッチは自分のタフネスを信じている。消耗しきる前に、クルデンは燃え尽きて消え去るのだと、そう決め付けていた

 だから、レッドが呆れ顔になるほどの長時間、飽きもせず張り付いて居られたのである。クルデンが苦しげに啼くほどに、ゴッチは嬉しくて堪らなかった

 その耳障りな高笑いは、クルデンが湖へと進路を向けたときに漸く止まる
 目の前に骨の魚が泳ぎまわる湖が迫ったとき、ゴッチの顔面は笑顔のまま硬直した。同時に電流も止まってしまう。ヤバイ、と思う間もなかった

 どぱん、と激しい音を立ててクルデンは湖に突っ込み、ずぱん、と飛沫を上げながら再び空中に躍り出る
 その時に、ゴッチの姿は無かった。頭蓋骨の治療が未だ完了しない血塗れのレッドは、あーもーと呻きながら湖に飛び込む

 「そういや、ピクシーアメーバって水に弱かっただぜ!」
 「ぐぅえっほ! ぐべぇっほ! ゲホッ! …………クソッタレが、絶対ぇに殺す。粉末になるまで奴の頭蓋骨を磨り潰してやる……」

 レッドに背負われて、ゴッチは湖から引き上げられた。大量の骨の魚が、二人の全身に満遍なく噛み付いて、びちびちと身体をくねらせる

 ゴッチは微小の電流を流す。レッドがぎゃぁ、と悲鳴を上げて、骨の魚が纏めて地に落ちた。ゴッチにとってはほんの僅かの電流だったが、レッドにしてみれば十分痛かった

 「兄弟……もっと俺に優しくするだぜ」
 「お前が生き残ったら考えてやるよ」

 軽口を叩きつつ、地を踏みしめて身構える二人だが、クルデンはもう襲ってこようとはしなかった
 赤い光に尾を引かせながら飛び回ったかと思うと、大きく一声啼いて、水の中に消える。逃げやがった、と駆け出すゴッチだが、湖の前で躊躇ってしまった

 「あー! 逃げやがる!」
 「クソがッ! ふざけるんじゃねぇ! 待て、俺と戦え!」

 がちん、とゴッチは歯を噛み合わせる。その音にしたって、尋常な音ではなかった。ギリギリと歯軋りの音を響かせれば、レッドがうへぇ、と肩を竦める

 「畜生ッ!」

 ゼドガンが自然体で歩いてくる。ゴッチは首だけ振り返って、様子を伺った

 ゼドガンと、その後ろに続くティト、グルナー。更にその背後、この空間の入り口に、巨大な化物の死体が倒れていた。その傍らには薄汚れた蛮刀もある。丁度、上半身と下半身で二等分にされた、ゼドガンの倍は身の丈があろうかと言う灰色の鬼である
 額から角にも見える突起が突き出していた。筋骨隆々としていて、腕からして丸太材よりも太く、如何にも屈強そうであるのだが

 それを二分割にして下したらしいゼドガンには、傷一つ無い。それどころか汗の痕跡も見当たらず、ともすれば戦闘の形跡すら無いほどである
 ゴッチは苛立ちを押し隠して、平静を装った

 「やるな、楽勝かよ」
 「そうでもない」

 ゼドガンは顎を上げて、首筋を示した。微かな切り傷があり、そこから血が流れている

 「肉体だけでない、技術にも優れた年経たアヴニールだった。俺と奴の戦いは紙一重で、それは鍛えた技の差で、刹那の間に決まった。そういう領域での勝負だった。しかし、どちらが勝っても可笑しくは無かったと思う」

 灰色の鬼、アヴニールを見遣って、ゼドガンは腕組みした

 「だが、まぁ、運で勝負は決まらん」
 「……お前の言うとおりだ。……ケ、俺のミスは、俺のせいだわな……」

 ゴッチは湖に腕を突っ込んで、唸り声を上げた
 もう一度、加減なしの全力ゴッチコレダー。眩いのは毎度の事、そして、その並外れた威力も毎度の事だ

 言い表しようの無い異音が響き、湖が泡立った。ゴッチが腕を引き抜けば、中を泳ぎまわっていた骨の魚は、残らず駆除されていた

 「ボー・ナルン・クルデンを追うぞ、レッド、何とかしろ」
 「何とかって……」

 仕方ねーだぜ、と言いつつ、レッドは走り出す

 「水をどうにかしろってんだろぉー?! 任せとくだぜ!」

 入り口から右手側に、高い段差があった。レッドは何か感じる物があるようで、迷いなくその段差に向かっていく

 「あそこに穴が在るだろ?」

 グルナーが、唐突に天井の一箇所を指差した。レッドが向かう段差の方向にそれはある。確かに其処にはぽっかりと穴が開いていて、グルナーは其処からこの空間に落下してきたのだと語った

 「ティト?」
 「レッド様の目的は違うみたい。何か……変な感じがする。何か魔力仕掛けがあるのかも。魔術師であるレッド様なら、仕掛けを動かせるかもしれない」
 「お前も行け。何かあるかも知れねぇ。千里眼なんだろ?」

 ゴッチの突然の言葉に、ティトは首を傾げながらも走り出した。ゼドガンがゴッチの顔を窺った後、顎を撫でさすって、ゆっくりとティトの後を追う

 「グルナー、君もこっちへ。ゴッチなら不測の事態があったとして、一人の方が存分に動けるだろう」

 グルナーはへ、と間の抜けた声を漏らした。少し、ゴッチのことを気にしているようだったが、ゴッチが犬を追い払うように手を振ると、不満顔になりつつゼドガンについていく

 レッドが高い段差の壁面を調べて、取っ掛かりを見つけ出していた。全員がその取っ掛かりにしがみ付き、段差を上りきった所で、ゴッチは小さく声を漏らした

 「クソッたれ! 俺は隼団だ……! 俺はゴッチ・バベルだぞ……!」

 地面に拳を振り下ろす。拗ねたような呻きは、ゼドガンにしか聞こえなかった


――


 「……どうやって排水してんだ、これ」

 ボー・ナルン・クルデンが“逃げ”と言う選択を取った以上、湖の中に通路なりなんなりがあるのではないか、とは思っていた
 水を我慢して潜っていく心算だったのだが、「なんとかしろ」と言うゴッチの言葉に、レッドは期待以上の働きを見せた

 ゴッチの目の前で、湖が急速に水嵩を減少させていた。見る見るうちに岩肌が露出していき、終いにはゴッチが駆除した骨の魚達の残骸が露わになる

 「ファンタジー」

 もう何度目になるのか、この台詞は。こんな手の込んで、しかも余り意味の無い仕掛けは、正にファンタジーとしか言いようが無かった

 レッドが遠方からゴッチを呼んだ。ゴッチはそれに適当に答えて、水を失った湖に身を投げる。落着と同時に、魚の骨を踏み砕いた
 注意深く周囲を探っていくと、岩場の影に大きな穴が見つかる。角度のきつい下り坂になっていて、地下へ、地下へ、とゴッチを誘っていた

 呻き声が聞こえるような気がする。ゴッチは、眉間に皺を寄せる。穴は闇にとざされていた

 「兄弟、其処だな。俺でも解るだぜ、すげー強い気配がする」
 「大概役に立つ男だな、お前。どうやったんだ?」
 「魔術師じゃねーと動かない仕掛けがあったんだぜ。其処を、ちょちょいと」

 レッドが陽気に笑いながら合流する。一同、レッドの後ろに着いて来ていた
 ゼドガンがしゃがみ込み、穴を覗き込んだ

 「……興奮する。こんな冒険は、マハエ古戦場の地下遺跡に潜った時以来だ。ロベリンド護国衆の依頼、受けて良かった」

 青褪めているティトが、眠たそうな顔に珍しく真剣さを乗せて、グルナーの肩を抱いた

 「……貴方の言うハーセと言う兵隊長の気配は無いよ。……残酷なようだけど、諦めなさい」
 「え、それは」
 「本当の事を言うなら、この遺跡の中の事は、私も殆ど読み取れないんだ。ガランレイの気配に覆われて。でも、多少は解るの。ここまでの道程で何も無かったのであれば、それはもう」

 グルナーが、ひゅ、と息を吸い込んだ。顔をくしゃくしゃにしている
 レッドがジッとグルナーを見ていた。馴れ馴れしくて鬱陶しいくらいに陽気な男が、らしくない表情を浮かべていた

 ゴッチに、耳打ちしてくる

 「(もういい加減連れて歩くのも限界だ、セーブポイントを見つけないといけないだぜ。足手纏いだし、危険だ。グルナーを護りながらどうこうできる相手じゃ無いだぜ)」
 「(ハン? セーブポイントっつったって、この遺跡の中に、安全な場所なんぞあるのか? もし死んだら、残念だが、諦めて貰おうや)」

 レッドがムスっとした

 「(……彼は、強い子だ。上手く隠してるけど、一度も右腕を動かしてない。怪我してるだぜ?)」
 「(折れてんだ。ちょっと前に、空中散歩してな)」
 「(本当はスゲー不安なんだぜ。なのに、泣き言も言わない。心配かけないように、怪我の事も黙ってる。いじらしいじゃない)」

 踵を返して、パン、とグルナーの背を叩くレッド
 グルナーは吃驚して直立不動になり、レッドのにやけ面を見上げる

 レッドは、グルナーの事が、それなりに気に入っているのだ。ガリガリと頭を掻いて、ゴッチは言った「解った、任せる」

 「……大詰めと言った所かな」

 ゼドガンが立ち上がり、手に付いた埃を払った
 ゴッチが、横に並び立ちながら軽口を叩く

 「怖気づいちゃ居ねぇよな? ミランダローラー殿の実力の程に、俺は期待してるんだぜ」
 「まぁ見ていろ」

 口端を持ち上げて拳を突き出すゼドガン。ゴッチも拳を振って、軽く打ち合わせた

 「ローラーの称号など、何と言うほどの物ではないさ。命を賭して戦う場で、如何程の価値があるというのだ。ゴッチ、俺は、“ミランダローラーだから強い”なんて言われ方は好かない。俺はゼドガンだから強いのだ。そして、“強いからミランダローラーになった”。……ま、良いか。ここから死線だ。生きるか死ぬかの領域では、心が躍る」
 「カー、大した野郎だぜ」

 ゴッチは大きく一声放って、穴に踏み込んだ


――


 歩いて十分程だ。それなりの距離ではある。急な坂道では、ゴッチ達の障害になるような物は何一つ出てこなかった
 道程は水でぐしゃぐしゃになっており、非常に滑りやすかった。レッドが視界確保の為に放った青い光が、何の物かも解らない白骨を照らし出し、最悪の雰囲気であった

 下り坂が唐突に上り坂になった時、雰囲気が変わった。薄い膜を突き破ったような、奇妙な抵抗があった

 「ん?」

 その膜の一歩向こう側の坂は、最早水に濡れていなかった。踏みしめれば、ギュ、と土が鳴る
 ゴッチに次いで膜を抜けたティトが、身体を震わせてぎゃひ、と色気のない悲鳴を上げた

 鳥肌が立っていた

 「光が漏れてるだぜ」

 上り坂は、数メートルもない。白いような、青いような光が上から降りかかってきている。足を速めて坂を上りきったゴッチは、鼻先を掠めた蛍の光のような物体に、身を仰け反らせた

 地に、数多の武器が突き立っている。剣や、槍や、斧。所々に、弓と矢が散らばっている
 不思議と、薄汚れた感じはしなかった。武器は皆、磨き上げられた直後のように輝いていた。そして、それらの間を彷徨って飛ぶ青い光

 レッドが操る物に酷似している。ゴッチが全力で暴れまわっても、十分な程度には広い空間に、青い光は踊っていた

 「蛍じゃねーよな……」
 「生き物じゃねーだぜ……」

 レッドが歩を進める。青い光がレッドを取り巻いて、直後に散っていく。逃げるような仕種だ

 「亡霊だ……」
 「ほぉー、俺に張り付いてた奴らとは、随分感じが違うな」
 「聖騎士アシュレイ・レウは、優れた竜騎士としても有名だったんだぜ。元々アシュレイはアナリアから遥か北の火竜の生息地出身で、竜騎士と言うアドバンテージによって、他国出身でありながらアナリアの騎士として取り立てられただぜ。戦神の信仰を得て“聖騎士”と呼ばれた期間よりも、“暴れ竜”と畏れられた期間の方がずっと長いんだ」
 「竜騎士? ファンタジー……。にしても、竜、竜、ね」
 「おーっと、ボー・ナルン・クルデンと比べちゃ駄目だぜ。アレは規格外。騎竜にするのは、もっと小さいんだぜ」

 グルナーが、ゴッチの背に隠れながら青い光に見入っている。この子供は、好奇心が猫を殺すことを知っているから、軽はずみな事はしない

 ゴッチは、レッドに話の続きを促した

 「それで、それが?」
 「アシュレイが生きた時代は、前に言ったようにアナリアの混乱期だ。戦が起こることもあっただぜ。当然、アシュレイもそれに参加してるんだけど……、余所者への不信感と、立志伝への妬みから、当時既に人の上に立つ地位にありながら、アシュレイは部下らしい部下を与えられなかっただぜ。記録によると、アシュレイ軍団の始まりは、アシュレイとガランレイ、足の不自由な女の秘書が一人と、見習いの従騎士が一人だ」
 「前から言おうと思ってたんだが、お前とは直感で話をした方がスムーズだな」
 「?」
 「前置きが長いっつってんだよ」

 ゴッチのデコピンが炸裂する

 詰まる所、この青い光はアシュレイの下で戦った、所謂“英雄”達であり、この地に突き立った武器達は、その、所謂“英雄”達の物らしい

 たった四人から始まった軍団は、傭兵や、民兵を主力とした。アシュレイは兵達を厳しく調練し、同時に私財を投げ打って厚遇した。その上で、寄せ集めの集団でありながらも、戦果を上げ続けた
 そのアシュレイの器量に惹かれ、軍団には数多の勇者が集い、また、数多の勇者が生まれたという

 結末があんな形でなければ、永遠に残るアナリアの英雄伝説になった筈だぜ、とレッドは締め括った

 「……綺麗だ……。きっとここは、ガランレイの侵されたくない場所なんだよ。……何時もは苦しいのに、ここは切ない……」
 「……お前は直感で話すと駄目だな……。自分の世界に浸っちゃってまぁ……」

 ゴッチはティトに肩を竦めて見せると、青い光を気にもせず、歩き出した

 突き立つ武器の群れの向こう側に、更に道がある。ゴッチは、ボー・ナルン・クルデンを追い詰めなければならないのだ。武器を眺めている暇はない

 等と思っていたら、通路の前の空間がぶれた。レッドが飛び出してきて、ギターを構える
 構えるといっても、鈍器のように振り被るのではない。ピックを取り出して、演奏の体勢になっていた。ゴッチは問答無用でレッドを殴った

 「ご、誤解だぜ、これが俺の戦闘スタイルなの!」
 「何?」
 「それよりも、ヘイ! 来たぜ、来たぜ! 兄弟、会いたかった相手だろ?!」
 「あぁ?!」

 ゼドガンまでもが前に出てきて、背の大剣を握り締めた。ティトが、グルナーを護りながら槍を構える

 ゴッチの行動は、それらよりも更に早かった。ゴッチは問答無用で飛び掛っていたのである

 歪んだ空間から現れた、黒いローブを来た女に。皆まで言われずとも解ると言うのだ
 コイツがガランレイだ。ダージリンといい、コイツといい、魔術師と言うのは、黒いローブがお好みのようである

 「ちょ、兄弟、卑怯」

 身体を捻って、雷光を纏わせた拳を繰り出す。ガランレイと思しきローブの女に届く直前で、遠慮無しの拳は、黒い霧に阻まれた
 雪に手を突っ込んだような冷たい感触だった。ゴッチが咆哮する

 「死ねェェーッ!」
 「いや、厳密にはもう死んでるだぜ……」

 うるせぇ、とゴッチは怒鳴った。雷鳴拳と霧が鬩ぎ合う。ローブのフードから僅かに露出した、病的なまでに白い女の細顎。ガランレイの唇が、嘲笑の形に歪むのが解った
 幽霊でも笑うのか、と思った其処までは、ゴッチは冷静だった。その先は、言うまでもない

 「笑ってんじゃねぇぇぇッ!!」

 ゴッチの拳とガランレイの黒い霧、二つの接触地点が、轟音と共に爆発した。弾き飛ばされるゴッチと、ガランレイ
 レッドが慌てて、二人の間に割り込んだ


――


 「……こりゃ、話を聞いてっつっても、無理そうだぜ」
 「当たり前だろ! この期に及んで交渉もクソもあるか」
 「そういうことじゃ無いだぜ、兄弟」

 油断無く身構えながら、レッドはガランレイの様子を窺っている。レッドには、ゴッチには見えない物が見えていた

 「……発狂してるんだぜ。二百年もの間、アシュレイの為に命を奪い続けて……、まともじゃ居られなかったんだ。これじゃ、まるで機械だ……!」

 命を奪う為の機械。延々とそれを行うための機構
 レッドの顔が、泣きそうに歪む。叫び声を、上げた

 「魔術師が! それで良い訳ないだぜ! 俺の声が聞こえるか?!」

 フードから覗く笑みは、嘲笑のようだったが、確かに狂人のそれにも見えた
 レッドがギターを掻き鳴らすと、その背を護るようにして、無数の青い光球が現れた。蛍のように光の尾を引きながら飛び回るそれらは、レッドがもう一度ギターを掻き鳴らすのと同時に、ガランレイに殺到した

 黒い霧が霧散し、光球がガランレイへ届く。黒いローブの、フードの部分を、光球が打ち抜いた。黒い砂のようになって、フードは空気に消える

 一纏めにされた黒髪が踊った。テツコの髪のようだった。雨に濡れた鴉のような、艶めいた黒さである
 彫刻のような顔だ。現実味の無い、寒気のするような美女が、濁った茶色の瞳を彷徨わせ、笑っている。がぁぁ、とゴッチは唸りながら拳を構える。確かに、女だ。押し倒したくなるような美しさであった

 「気違い女め! やべぇぞ、何かする気だ!」
 「シィアッ!」

 ガランレイが、レッドに対抗するように掠れた声を上げ、腕を振る。ガランレイを中心にして円状に青い光が広がり、土を捲り上げ、泥を舞い上げる

 空間に漂っていた青い光が、その動きを激しくした。荒々しく飛び回り、地に突き立つ数多の武器へと擦り寄ると、姿を消す

 ぼう、と、何も無い空間に、人影が浮かび上がった。最初うっすらとしていたそれは、瞬く間に影を濃くしていく
 数多の人影が現れて、数多の武器を手にとっていく。軽装の剣士、重装の槍兵。馬に跨った騎士までいる

 「コレは、アシュレイ軍団?」

 流石のゼドガンも動揺を隠せず、呻くように言った。ゼドガンの研ぎ澄まされた感覚は、この世に舞い戻った目の前の戦士達が、並々ならぬ強さであることを感じ取っていた
 そしてそれは、ゴッチも同じだ。やってやれない事は無い。だが、人死には出るだろう。グルナーが一番手で、ティトがその次だ。下手を打てば、レッドも殺られる。それぐらいの戦力であると、見積もっていた

 「レッド」

 レッドはゴッチの呼びかけに、サムズアップで返した。ピックを握り締めた右手のサムズアップは、蒼銀色に輝いていた

 「やるしかねーだぜ。兄弟、俺のジョーカーを切る。……俺がぶっ倒れたら、宜しく頼むだぜ」

 ゴッチが言い返す間もなかった。レッドは一歩、後ろに飛び退いて、激しくギターを掻き鳴らす
 ぶつぶつと、何か言っていた。レッドの顔は、不思議と晴れやかだった

 「俺は愛の魔術師だぜ。時に厳しく、時に優しく、だぜ。我が愛、天地を覆い、我が声、天地を揺るがす。愛ならば、或いは世界を救う、俺はそう信じている」

 ――そうさ、響け、大英霊賛歌

 「『我が声が、届いたならば、蘇れ。大地に染む鉄血よ』」
 「イィィーエ、ヤァァー!」

 ガランレイの号令に合わせて、アシュレイ軍団が走り出した。ゴッチとしては、レッドの前まで出張るしかない。レッドの目論見が何なのかは解らないが、このままでは真っ先に狙われるのは、レッドだ
 ゼドガンも大剣を抜き放って、ゴッチの横に並んだ。癖のあるブラウンの長髪が、冷や汗で顔に張り付いていた

 「おいおい、大丈夫かよ」
 「ふ、流石にこれだけの戦士達を纏めて相手にするのは、厳しいな」
 「冷や汗かいても涼しそうな野郎だ」

 レッドが、一際高く、声を張る

 「『戦友よ!』」

 強く、背後から吹き始めた風に、ゴッチとゼドガンは後ろを振り返った
 相も変わらず、演奏を続けるレッドが居る。指が目にも留まらぬ速さで動き続け、複雑な音を生み出していた

 そしてそのレッドを囲む青い光。更に強くなる風。遺跡の中を反響する歌

 始まりは、ただ一人の騎兵だった。レッドの背後にぼんやりと浮かび上がった亡霊の騎兵。その騎兵は手に持った槍を高く掲げると、騎馬に一啼きさせて、レッドを飛び越えた
 それを皮切りに、次々と戦士達が現れた。宙を舞う青い光球が、激しく光りながらレッドの横をすり抜けた時、それは一瞬にして亡霊の戦士へと姿を変え、走り出す

 「ファンタ…………ええい!」

 横列での突撃であった。レッドが呼び出したらしい亡霊達は、全速力でゴッチとゼドガンをすり抜けて行き、アシュレイ軍団と激突した
 正に信じられない光景であった。流石のゼドガンも、唖然とした表情を隠せないでいる

 「何なんだこれは。スゲェぞ、あの馬鹿、こんな隠し玉を持ってやがったのか」
 「アナリアだけではないな、他国の装いの者も居る。……あの騎士は、全滅した南方の辺境騎士団。あの剣士は、ランディの装束」
 「え、あぁ?!」

 ティトの悲鳴が聞こえた。視線を向ければ、ティトの持っていたロベリンド護国衆の神槍が、光を纏いながら宙に浮いている

 ロベリンドの槍を握り締めるようにして、人影が浮かび上がった。ゼドガンと同じぐらいの背丈だ。ティトは、自然と見上げる形になる

 ティトの目から、涙が零れた

 「お、おや……親父殿!」

 ティトの父は、薄く微笑んだように、ティトには見えた。ティトの父は槍の穂先を地面に向けて、アシュレイ軍団に向けて走り出す

 レッドの背後に、またもや光が集まる。ティトの視線が吸い寄せられる。そして、また悲鳴を上げた

 「いや、バース、嫌だよ……! いやぁぁぁぁッ!!」

 ティトは膝を折って、崩れ落ちた。レッドの背後に現れたのは、遺跡の入り口で戦闘を継続している筈の、バース・オットーだったのである
 皆、バースの死を直感的に理解した

 「兄弟……! 頼む!」

 光と風が渦巻く中で、レッドは叫ぶ
 ゴッチはゼドガンと顔を見合わせると、アシュレイ軍団に向けて走り出した。アシュレイ軍団と、レッドの亡霊軍団とは、互角

 一つ穴を開けてやれば良い。ゴッチとゼドガンならば、可能だ

 「ガラァァンレイィィ! お前の事を思うと、俺は夜も眠れなかったぜぇぇーッ!」

 ゴッチは、戦場の最前線に飛び込んでいく


――


 古代の戦場と言う物を、ゴッチは初めて味わった。敵も味方も亡霊だらけと言う、かなり変則的な形ではあったが、戦場には違いない

 こんなにも大勢の味方と共に戦うと言うのは、徴兵経験の無いゴッチには、初めての事だった。警察組織に目を付けられまくっているアウトローなど、軍の方がお断りだったのである

 「へっへ、拳骨で打っ飛ばせるなら、どんなのがどれだけ来ようと屁でもねーぜ」

 雷鳴を轟かせながら、ゴッチは相対した亡霊戦士達を次々と粉砕していく。拳を打ち込めば、確かな感触が帰ってきた。霞を打ったようにすり抜けるのではない。この事に、ゴッチは非常に満足感を覚えていた

 ゴッチの戦いは、美しくなかった。猛々しさが過ぎ、冷酷で、容赦ない。つまり何時も通りなのだが、厳密に言えば違った

 今のゴッチは、自分の欲求で残酷に戦うのではない。次から次へと向かってくる強敵に、身体が勝手に動いていた。全身を駆使し、容赦なく打ち倒し、止めを刺していく
 日常的な動作を繰り返すように、敵を倒した。ゴッチはそれだけ、と言う訳でもないが、己の力を誇示し、他者を屈服させることが、それなりに好きだ。今の状況は、寧ろ当然だった

 「戦いが身体の奥底にまで染み付いているな」
 「人のこと言えんのかよ、ゼドガン」

 ラリアットで転倒させた斧兵の頭部を、ストンピングで粉砕するゴッチは、悪魔か何かにしか見えない
 誇り高く、真直ぐ前を見据えながら大剣を振るうゼドガンは、視界の端にゴッチを捉える度、面白そうに笑った

 「敵も味方も勇者揃い。この状況は喜ぶべき物では無いのだろう。だが、この戦場にただ一人の戦士として在れた事は、純粋に誇らしく思う」
 「まだまだ余裕が在りそうだな」

 背中合わせに護りあうゴッチとゼドガンは、アシュレイ軍団の中に突出してしまっていた。四方八方敵だらけである

 しかし、二人が横列に穿った穴は、確実にアシュレイ軍団の戦闘能力を低下させた。レッドの亡霊兵団が勢いを増して、戦線を押し上げ始める

 「まだまだ行くぜ、殺しまくるぜ! 亡霊だろうが、もう一度殺す男だぜ、俺はな!」

 頭部を鷲掴み、引き寄せて、犯罪級の膝を打ち込む。パン、と破裂音と共に亡霊騎士の頭部は弾けて消え、身体は雲散霧消した
 横薙ぎの長剣は、一歩踏み込んで握り手を押さえ込むことで防ぐ。そのまま重心を崩して剣の主を引き摺り倒し、真下へと正拳突きを放った。輝く拳は亡霊剣士の胸部を破壊して飽き足らず、地面へと突き刺さった

 ゴッチは決して人に誇れるような人格者ではなかったが、べらぼうに強かった。ゴッチは力を信奉している。強いと言うことは、彼の中では正しいことで、正義そのものである

 盾を突き出して突撃してくる戦士を、ゴッチはヘッドバッドで出迎えた。盾を右の肘で受け止めて、突き出される剣を左手で叩き落とし、その上でゴッチの石頭が突き刺さる。当然のように、消え去る
 其処に駆け込んでくる弓騎兵。遠距離からの矢を尽く叩き落されて無駄と判断したか、ゴッチの至近距離にまで馬を走らせ、その上で弓に矢を番えた。当然、これも無駄である。ゴッチは神速で亡霊の馬に取り付き、首筋に腕を回す。そのまま圧し折れよとばかりに抱きしめれば、馬は空気に掻き消えた
 次は乗り手の番だった。転げ落ちた女の亡霊弓兵を背後から抱すくめ、そのままジャーマンスープレックスをかました

 「ゼドガン、まだ生きてるか?!」
 「同じ言葉を三度聴いたぞ!」
 「ケ!」

 ゴッチとゼドガンは、相対した敵を端から薙ぎ倒して行く。互いの背後と死角を補い合い、正に手の着けられない暴れぶりだった

 「それよりも、レッドがそろそろ拙いのではないか?!」
 「あぁ?!」
 「顔色が悪い!」

 ゴッチは、一瞬だけレッドを見遣って、直ぐに視線を戻した。槍を振り回しながら迫る重騎士に足払いをかけ、うつ伏せに倒れた所を、首を抱きしめ、圧し折った

 確かにレッドは、青褪めていた。精気を吸い取られでもしたかのような顔色の悪さである
 だが、まだやるな、とゴッチは口の中で呟いた。レッドは片膝をついて倒れそうになりながらも、歌を止めていない。演奏にも、歌にも、壮絶な覇気がある

 「ゼドガン、援護、任せたぜ」

 ゴッチは、右手を掲げた。無防備になった懐へ、アシュレイ軍団は殺到する
 振り下ろされる拳。大地を揺るがす拳骨が突き立った時、至近距離に居るゼドガンを巻き込みかねない勢いで、雷光が爆ぜた。四人ほど、纏めて消し飛ぶアシュレイ軍団

 ゴッチは吼えた

 「俺に続けぇ! 行くぞ野郎ども!」

 レッドの演奏が更に激しさを増す。死人一歩手前の顔色ながら、レッドの顔には不敵な笑みが浮かんだ
 ゴッチの号令を知ってか知らずか、亡霊の戦士達は一瞬だけ沈黙し、各々の武器の切っ先を地面へと向ける

 ロベリンドの神槍を構える、ティトの父を筆頭に、バースが、ランディの剣士が、辺境騎士が突撃の体制に入った

 ゴッチが拳を振り被る。大袈裟な“溜め”であった。ゴッチに刃を向けるアシュレイ軍団の戦士を、ゼドガンが走りこんできて一刀両断した

 「ロッケンローッ!!」

 ゴッチは、直援に入っていたゼドガンの横をすり抜けて、猛烈な勢いで一番近くに居たアシュレイ軍団の戦士を打ん殴った
 当然と言うべきか、それだけでは終わらない。全身に、何時に無く強力な電流を走らせて、燃え尽きよとばかりに光るゴッチは、殊更激しい拳骨と足刀の嵐で、アシュレイ軍団を蹴散らし始めた

 もう台風だか、嵐だか、そんな有様であった。流石アウトローと言うべきか、ゴッチの手癖と足癖の悪さは、正に最悪であった
 亡霊戦士達がそれを後押しする。ゴッチの戦い振りに続くように、猛然と突撃し、戦線を押し上げていくレッドの亡霊戦士達は、亡霊ながらに勇猛果敢であった

 「ガランレイを仕留めろ、ゴッチ!」

 猛進するゴッチの背後を最大限護衛するゼドガンが、とうとう傷を負った。左肩の刀傷から、血が溢れる

 左手が上がらなくなったのか、ゼドガンは、しかし右腕だけで大剣を御した。類稀な腕力と、足捌き、洗練された技術が、辛うじて戦闘の継続を可能にさせていた

 ゴッチの、何度目かの咆哮。地面に四肢を着けて、猛獣が身を震わせるかのような仕種で、当り構わず雷を振りまきながら、大声で敵を威嚇する

 次の瞬間、ゴッチは高く飛んだ。視線の先には、この馬鹿げた大魔術を維持するガランレイと、それを護るアシュレイ軍団の戦士達
 握り拳に光が集まる。ゴッチの全身を走る電流が、一瞬にして右手に収束されていく
 矢が放たれた。ゴッチは何もしなかった。己を剛運と過信したのではない。純粋、どてっぱらをぶち抜かれてもそのままガランレイを粉砕する心算だったのである
 結果から言えば、ゴッチに放たれた銀の矢は青い光に阻まれて落ちる。レッドが、何かしたようであった

 「トール・ハンマー」

 カミナリ人間であるゴッチが、何とトチ狂ったか、まるで空から落ちる雷そのものだった
 雷鳴轟かせ、ガランレイへと落ちていく。ゴッチが落着したとき、轟音と爆発と圧倒的な光が生まれた

 後に残されたのは、魔術が解除されたのか、雲散霧消していくアシュレイ軍団の戦士達
 吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、身体の端から砂のように解けていくガランレイ

 そして、激しい戦闘の名残を広い背中で物語る、凶悪な顔つきのゴッチ

 「派手なステージだったなぁ、オイ?」

 多大なダメージを受けながらも、狂人ガランレイは、狂った笑みを浮かべた


――

 後書

 御免、トチ狂ったのはあっしでさぁ。グダった



[3174] かみなりパンチ12 アナリア英雄伝説その四
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2009/01/26 11:46
 レッドが倒れこむのと同時に、亡霊軍団は消え去った

 「残念だったなぁー、ガランレイ。お前が俺にふざけた真似さえしなけりゃ、お前の願いは叶ったかも知れんのによぅ」

 ゴッチはゆっくりと威圧するように近付いていく。壁に背を預け、動かない四肢をジタバタさせるガランレイは、奇妙な声を上げて笑った

 「イイィィー」

 ガランレイの笑みは、赤子のような笑みであった。強烈な気味の悪さを伴う笑い声に刺激され、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたティトが、立ち上がる

 「斬るか?」
 「斬りたいんか?」
 「うーむ、亡霊を切る手応えは、存分に味わったからな……」

 受けた刀傷の度合いを確認しながらゼドガンが言えば、へろへろになりながらも這いずってきたレッドが言い返す。ゼドガンは、頻りに顎を撫で擦っている

 「でも、兄弟が鬱憤を晴らしたいってよ。何が相手でも、容赦しないだぜ、あの様子じゃ」

 レッドが言い終わる前に、ゴッチの爪先がガランレイの鳩尾に減り込んでいた

 「コイツは何日も俺に張り付いてぇ、イライラさせやがった分!」

 相手は幽霊だったが、確かにダメージは通っている。まん丸に目を見開いたガランレイの頭部が、蹴られた反動でがくりと下がる

 人中に炸裂する膝。幽霊だからか、肉体にはっきりとした破損は見受けられないが、聞くに堪えない悲鳴が上がった

 「コイツは夜中に襲われた分!」

 石壁にガランレイの後頭部が叩きつけられて、鈍い音がした。矢張り、がくりとおちてくる頭部
 ゴッチはそれを右手で鷲掴みにした。ギリギリと握り締めながら空中に吊り上げ、そして壁に叩き付けた。何度も何度も叩き付けた

 「腐った死体に噛まれた分! スーツに穴ぁあけられた分! クルデンとか言う骨野郎に舐められた分!」

 そして最後に、両手を添える。右手は頭を握り締め、左手は首を締め上げた

 「でぇ、隼団に楯突いた分だ!」

 激しい放電。ガランレイがビクンビクンと痙攣する。ゴッチは手加減しない。三秒、六秒、まだ止めない

 雄叫びを上げていた。頭上に持ち上げて、更に放電。その後、地面に叩きつけて、またもや放電
 最後にヤクザキックで蹴り転がすと、ゴッチは唾を吐いた。ガランレイは声すら出せず、えびぞりになって痙攣している

 その時、全く油断していたゴッチの左脇から、槍の穂先が伸びた。ロベリンド護国衆の神槍が、白い柄を輝かせて、ガランレイの胸を貫く

 おぁ、とゴッチが慄く。背後には、激しい怒りを瞳に湛えるティトが、歯を食いしばっていた

 「これが、バースを、私の部下達を殺した分……!」


――


 胸を貫く銀の光に、ガランレイは顎を震わせる。笑みは消えていた。身体の末端から、黒いローブごと、ガランレイは砂になって解けてゆく

 黒い霧が宙に漂い、今にも消えてしまいそうなそれは、ゴッチの目の前の通路に吸い込まれていった。レッドが足を震わせながら立ち上がり、走り出す

 「追っかけるだぜ! ガランレイは瀕死……えー、もう死んでるけど、兎に角追い詰められてる! 奴の逃げる先に、アシュレイが居る筈だぜ!」
 「しぶといったらねぇな。一応ぶっ殺す心算でやったんだが……」
 「気を抜くなよ、追い詰められるほどに、苛烈になってゆく物だ」

 ゴッチは走り出す直前に、疲れきったように膝を折るティトの首根っこを引っつかんだ
 ぶらぶらと、されるがままに揺られるティトは、顔面を蒼白にしている。仄暗い通路を先頭切って駆け抜けながら、ゴッチは眉を顰める

 「なんて面ぁしてやがる」
 「……」
 「兄弟」

 ゴッチと並走するレッドが、首を振った。複雑な表情をしていた
 レッドは手の甲でティトの頬に触れると、目を背ける。堪えきれなくなったか、ティトは涙を流した

 「手前の足で走れよ」

 放り出すゴッチ。ティトは危うく躓きかけたが、踏み止まって怪しい足取りながらも走り始める。前も同じようなことをしたか、とゴッチは首を傾げた

 ゴッチは何も言わなかった。人の生き死には、当然だが、理屈でない。恐らく死んだのであろうバースの厳しい顔が、脳裏を過ぎった
 逝ったか。いけ好かねぇ手合だったが……。特に良い気持ちには、ならなかった

 一行はレッドに急かされるようにして走った。レッドが何か言う訳ではなかったが、真剣に焦っているレッドの様子が伝染し、皆が焦る
 荒い息遣いと足音だけが響く。グルナーは、よく付いて来ている。レッドやティトの代わりに、ゼドガンが気を使ってやっているようだった

 「へ、なんか感じるぜ、ゾクゾクする」
 「また光が漏れてるだぜ。……兄弟、俺も何か、ヤバイ気がする」

 転がる小石を蹴り飛ばしながら走っていると、毎度のように前方に光が見えた
 ゴッチは、うなじに冷風を感じたような気がした。悪い予感だ
戦闘に次ぐ戦闘で、ゴッチの直感はビンビンである。ゼドガンに目配すれば、ミランダの偉大な剣は意味ありげに瞳を細める

 「……コバーヌの炎か。コイツがありゃ、バースなんか一発で生き返るんじゃねーの?」
 「おー、兄弟、あったま良いだぜ」

 道は途切れていた。下方には、青白く光る湖面
 ゴッチには見覚えがある。最初にボー・ナルン・クルデンと対決した、コバーヌの湖の広場だ

 ティトが肩を震わせる。もう、泣いているのでは無かった。無理矢理、笑っていた

 「ふふ……。きっと駄目だよ。バースはそういうの、嫌いだから」


――


 広大な空間の、七割程がコバーヌの炎の湖である。ゴッチは少し前を思い出した。あの時は、ダージリンの魔術で湖を渡ったが
 今回はどうするか。落下すれば即蒸発である。道はないし、跳躍して突破できるような距離では、到底無い

 ゴッチは湖を眺めて、直ぐ異常に気付いた。湖に、人が一人浮かんでいたのである
 少しばかり距離があって年齢等は判別できないが、確かに人間だ。全裸であるらしい。ゴッチが言うまでもなく、他の面々も気付いたようで、息を呑む様子が伝わってくる

 「コバーヌの炎ってのは、何でもかんでも溶かしちまうんじゃなかったか?」
 「……つまり、もう、精製が済んじまってるんだぜ。コバーヌの炎改め、コバーヌの秘薬って訳だ」
 「? ……その、コバーヌの秘薬ってのが完成しちまうと、アシュレイってのが復活しちまうんだろう。それなら」
 「あー、そうだぜ。……もう復活しちまってるか、その寸前って所だぜ」

 レッドは頭を振って、何処からか、端に杭のついた鎖を取り出した。相当の重量で、かつ嵩張る代物だが、何処に持っていたのかゴッチには全く解らなかった

 レッドは杭で地面を突いた。ほんの少しだけ、土に埋まる杭の尖端。レッドが、ん、とゴッチを見る
 肩を竦めた後、ゴッチは前触れ無く拳骨を振るった。尻をぶったたかれた杭は全身を土中に埋没させ、それを確認したレッドは、鎖を湖へと垂らす

 ギターを背負い直して、レッドは半ば飛び降りるようにして鎖による降下を敢行した。ゴッチが焦ったように声を上げる

 それなりの勢いが付いていたが、レッドは大きな水音を立てつつも、危なげなく着水した。と言うか、着地した

 「はぁ? 何だと?」

 そこで漸くゴッチは気付いた。湖の水位が、以前よりも大幅に減少していたのだ

 「待てよ!」

 ゴッチは鎖も使わず飛び降りた。矢張り激しい水音を立てて着地。水嵩は、十センチを越えるかどうかと言ったところだ
 異常は無い。煙が上がって靴が燃えたりする訳でも無いし、痛みがある訳でも無い。強いて言うなら、ただの水と比べて遥かに粘性が高かった

 「兄弟、油断するなよ」

 ずんずんと歩くレッドに並ぶ。湖中央に浮かぶ、人影を目指した

 ゼドガン達も追って来る。ばちゃばちゃと比較的軽い足音がして、グルナーが真っ先に追いついた
 そのときにはもう、人影を細部まで判別できる距離に居た。黄金色の髪の、美しい少年である。華奢な小顔が、すっきりとした眉毛のせいで、なお小顔に見えていた

 「ハーセ様だ!」
 「兵隊長とか言ってた? あん? うーん……。どっかで見たような面だな」

 ゴッチとレッドに追いついたグルナーは、そのまま二人を追い越していく

 ハーセが浮かぶ場所だけ、湖底がくりぬかれたように水深が深い。レッドの表情は、険しかった

 「どうしたんだよ、オイ。急にイライラしやがって」
 「……ひょっとすると、……ガランレイは、アシュレイの肉体の保存に、失敗したのかも知れない、だぜ」
 「あぁ?」
 「確かにコバーヌの秘薬は万能だぜ。治せない傷も、病も無い。死体に魂を固着させるのだって、楽勝さ。骨片一つからでも命を復活させるだろう。でも、肉片一つすら、骨片一つすら無いのであれば、無理だぜ。無い物を作り出すことは出来ないだぜ」

 レッドが早足になって、グルナーの首根っこを掴む。コバーヌの秘薬に浮かぶハーセに、グルナーは手を伸ばしていた
 レッドの表情は、目まぐるしく変わった。険しいと言うよりも複雑であり、何かを必死に探り、思案していた

 「何をするんですか! 放して!」
 「黙ってろグルナー、コイツにゃ、何か思うところがあるらしい」
 「記録によれば、アシュレイ・レウは色の濃い金髪で、かなりの長身だぜ。でも、成人するより以前は肉体の発達が著しく未熟で、実年齢よりも幼く見られることが多々あったそうだぜ。そのせいで、二度ほどいざこざも起こってる」

 レッドは、改めてハーセを見つめた。其処にハーセの事を案ずるような意図は無い
 ゴッチにも、レッドの言いたいことが何となく察せた

 「丁度、この、ハーセって奴みたいな感じだったんじゃねーかな、若かりし日のアシュレイ・レウってのは」
 「……幽霊ってんだ、とり憑くくらいは、朝飯前ってか?」
 「ど、どういうことだ? 何を言ってるんだよ」

 ざわざわ、ざわざわと、背中が騒ぐ。うなじに手をやれば、毛が逆立っていた
 ティトが寒気に耐えるかのように、己の腕を合わせて肩を抱いた。ハーセをジッと睨んで、冷たい視線を外さない

 コバーヌの湖で輝く青白い光が、明滅した。身構えたゴッチの視線の先で、ハーセと呼ばれる少年が、うっすらと目を開いた

 「な、お」

 グルナーが声を発そうとして、しくじる。呼吸もろくにできない、異様な雰囲気がある

 コバーヌの湖の水面に、ぼやけた映像が映る。巨大な湖一面に映りこんだ物だから、全容を把握するのに一拍の間が必要だった

 磨きこまれた大理石の床、精巧な彫刻の施された柱
 王城の一室であった。ゴッチは王城など見た事は無いが、城を改装して再利用している博物館は知っていた。この水面に写る光景は、それに酷似している

 『認められませぬ。国を売るべからず。不正ただすべし。悪法改めるべし。無辜の民を慰撫されたし。罪人に正当な審議と罰を。冤罪人に正当な審議と温情を』
 『この私が、道を誤っておると申すか。こうまでするとあらば、命は捨てておろうな』
 『ここに証の揃う者は、全て誅殺した後でございますれば、とうに命は捨てております』
 『犬め! 分を超え、驕った馬鹿者め!』

 静かな威圧感を持って、責めるような声。それを受けて、痩せ細った王は、瞑目しつつ怒声を放つ
 腹の前で組まれていた両手が解けた。骨と皮だけに等しい右手を、王が掲げれば、水面に映った光景が振動する

 無様に這い蹲った。大理石の床に、何者かの血が落ちた

 「これは、アシュレイの?」

 視線が持ち上がる。再び、王を捉える。傍らに、一人の弓騎士が立っていた

 『リコンの魔弓』
 『アシュレイ、お前を騎士として厚遇したのは、我が国千年の汚名ぞ。お前の兵どもとて同じよ、千年の汚名ぞ』
 『馬鹿な、我が兵は……。忠勇随一の……』

 もう一度、振動。今度は視界が浮き上がり、高い天井を向いた。額を射抜かれたのだ
 水面はそこで暗くなる。光景は消え、青白く光る湖のそれに戻った。一筋だけ、波紋が起こった

 湖の外側から、中心に浮かぶハーセを目指すようだった。その青白い波紋を受け止めた時、黄金色の少年は、天を掴むように手を伸ばした

 「は、ハーセ様」
 「違う」
 「え?」
 「もうハーセじゃないだぜ」


――


 コバーヌの湖の中から、ガランレイが姿を現した。つい先ほど輪郭を失うほどに痛めつけた筈だが、既に復帰している
 ガランレイは、愛しげにハーセの伸ばした手に縋り、艶めかしくその裸体に絡む

 眩暈がする程、淫靡な仕草であった
 狂っていても、愛しい者は愛しいようだ。元々これがガランレイの悲願にして、狂気の原因であれば、寧ろ当然だった

 「反逆の咎、千年の汚名。確かに事実。確かに」

 だが、しかし、それでも

 そう消え入るような声で呟く少年は、既にハーセではない
 “暴れ竜”と恐れられた竜騎士。アシュレイ・レウであった

 レッドは、グルナーを後ろに追い遣った。誰もが、ゴッチですら沈黙する中で、レッドが頬を掻きながら、アシュレイの名を呼んだ

 「アシュレイ・レウ」
 「俺の名を呼ぶのは誰か」
 「レッド。愛の魔術師」

 アシュレイが両手を下げて、顔を覆った。ガランレイがアシュレイの肩を引き、ぽっかりと開いた湖の空洞部分から、その白い肉体を引き出す

 「アンタは……偉大な男だと思うんだぜ。その……アナリアが憎いか?」

 顔を覆ったまま返される応え

 「憎い」
 「ま、そうだよな……。でも、時代は変わったんだぜ。アンタを殺したブレーデンは当の昔に死去したし、アナリアは蘇った。もう、何もかもが違うんだぜ」
 「嘘だな。魔術師」

 ゆらり、とアシュレイは立ち上がった。裸である事への羞恥で気を取られるほど、小胆ではないようだった
 青い瞳は剣呑な光を宿していた。敵意が見て取れていた

 「何も変わっていない。二百年、それほどの時の中で、ただ貶められ続けた我等の名」
 「気持ちは解る! 俺だって、きっと我慢できねーもん! でもさー!」
 「俺自身の事ではないッ!」

 衝撃が起こり、水飛沫が上がる。一糸纏わぬ姿のアシュレイに黒い霧が纏わりついたかと思うと、見る見るうちにそれは輪郭を成し、黒い鎧へと変貌した
 黒い鎧は、何かの鱗で編んであるようだった。ゼドガンの身に着けている物と同じ、足首までを覆う腰巻には、ゼドガンに習うのであれば、暗器が仕込んであるに違いない

 お手軽なお着替えだことで。ゴッチは前に出て、レッドを背に隠した。ゼドガンがそれに習い、ティトが唾を飲み込みながら槍を握り締める。何度繰り返した動作か

 「国の為に、常に最も過酷な戦場で戦い、命すら投げ打った我が兵達が、裏切り者の汚名を受ける……!」

 ゼドガンが苦い顔をしていた。何時も飄々としているゼドガンらしくない、ゴッチの初めて見る表情であった
 ゼドガンには、アシュレイの心が解るらしい。泣きそうにすら、見えた

 「許せるものか!」

 歯を食いしばるレッド。いきり立つ肩を、ゴッチは抑える
 ゴッチの静止をも意に介さないレッドだが、無駄であった。アシュレイは、心底に怒りを飲み込んでいた

 「聞け! 聞けだぜ! アシュレイ!」
 「黙るが良い、魔術師! お前の言葉は、まやかしと大差ない!」

 もう一度、黒い霧。今度現れたのは、真紅の槍だ。アシュレイは、己の身長程もあるその大槍を容易く振り回し、穂先を水面に向ける
 空気が爆ぜ、水飛沫が上がった。一瞬だけ露出し、直ぐに水に沈んだ地面は、何かに抉られていた

 「レッド、お前、五月蝿ぇーよ」
 「……兄弟」
 「それでも男か? 解ってねーな。奴は今、意地張ってんだぜ。お前如きが賢しらに何か言った所で、収まるかよ」
 「あぁー! もう、結局こうだぜ!」

 並び立つアシュレイと、ガランレイ。ゴッチは、右の拳と左の掌を打ち合わせた


――


 「ゼドガン、餓鬼どものお守りを頼む」

 カァァ、と大口開けて、ゴッチは息を吐いた


 古の英雄とレッドが手放しで賞賛したアシュレイ・レウ。なるほど、確かに青白いながらにも表情には気迫があり、立ち居振る舞いは堂々としている。ハーセの肉体そのものは、華奢で頼りない少年のそれであるが、中身がこうだと、そんな事は全く気にならなかった

 ゴッチは親指で首を掻き切る真似をする。向けられる槍の穂先。突きつけた左の拳。射抜くような双方の視線が、火花を散らして交差した

 「国の為? 兵どもの為? ケ、手前もかい」

 突きつけた拳から、親指だけがピンと起き上がり、地面へ向く。地獄に落ちろ

 「反吐が出るぜ」

 アシュレイは、ゴッチの言葉には、呑まれない

 「お前如きごろつきには解らぬだろうよ」
 「……偉そうなもんだ、何処かで見たような面で、何処かで聞いたような口調で話しやがる」

 ゴッチの視線、アシュレイの視線。互いに視線交し合って、互いの米神に浮かぶ青筋。拳と槍、二人は同時に得物を振った

 「デュエル!」


――


 穂先は、実を言えば、ゴッチには全く見えなかった。アシュレイが最初に放った突きの一撃からして、既に必殺であった

 ただ、ゴッチの体に染み付いた右ストレートの動作。それがゴッチを救った
 低い体勢から、伸びる足、伸びる膝。ゴッチの頭を狙った筈の突きは、ゴッチの筋肉によって盛り上がったダークスーツと、右肩口の肉を削り取り、そのまますり抜けて行く
 ファルコン特注の防弾防刃スーツは、全く役に立たない。しかし、カス当たりであった
 そこからは、ゴッチ。伸びる背、伸びる肩、伸びる腕、握り締められた右拳
 体を斜めに曲げ、腕の関節を槍に絡めるようにして、右手の甲が己の顔を向く程の捻りを加えた一撃

 こちらもまた、アシュレイの頬を掠めただけだった。互いに互いの攻撃は外れたし、また避けたのであった

 「――ぬ!」

 刹那の交差の後、アシュレイは体を引いた。逆に、ゴッチは離さんとばかりに食らい着いていく。間合いを離されたら、次も槍を避けられるかどうかは、微妙だ

 ゴッチの両足が、両方とも湖から離れる。左は折り曲げて、右は伸ばしきる
 黒いスラックス、黒い靴に包まれた足が、眼にも留まらぬ黒い影になってアシュレイに迫った。気合の乗った蹴りだ。この蹴りで、鉄の壁を抜いた事もある

両肩を振り回して、上半身を捻った。これは、反動を付けて蹴りの威力を増すと同時に、無防備な顔面への攻撃を防ぐゴッチ独特の癖だ。二の腕で視界が狭まってしまう弱みもあった

 果たして、渾身の蹴りはアシュレイの胸板に直撃する。助骨を粉砕して、人体の重要な臓器を破壊する凶悪な蹴りだったが、しかしアシュレイはそうならなかった
 黒い鱗の鎧が鈍い光を発し、蹴りの威力の大部分を受け止めたのである。アシュレイは俄かによろめいただけで、ゴッチは罵声を上げながら、振り下ろされた槍に叩き伏せられる

 咄嗟に両腕で体に引き寄せて、薙ぎ払われた槍を防御したのが幸いした。コバーヌの湖の中を転がったゴッチは大した怪我も無く、舌打ちしながら悠々と立ち上がった

 鎧だけじゃねぇ

 「何かタネがあるな」

 アシュレイの身体能力だった。アシュレイが乗っ取ったハーセと言う少年の身体に、自分と渡り合えるだけのポテンシャルがあるとは、ゴッチはどうしても思えなかった
 何かで水増ししている。今になっては、開き直った、今更どんな仕掛けがあろうと、驚きはしないし、構わない

 「どうした、来いよ!」

 ゴッチの挑発に乗って、アシュレイが迫る。槍を振りかぶるよりも早く、ゴッチはコバーヌの秘薬を蹴り払った
 粘性の高い水が蹴り上げられ、目くらましになる

 「下手を」

 アシュレイは、小細工に動じるような男ではなかった。飛沫に激しく顔面を打たれながらも、怯まず槍を突き出す
 だがゴッチは、別にアシュレイに動揺して貰わなくても良かった。神速の切先の狙いが、僅かにでも神妙さを欠けば、それで十分だった

 コバーヌの秘薬の中に手を突っ込んで、這い蹲るような低さで、ゴッチは槍を掻い潜っていた。槍を見切れないと踏んだゴッチが取った、苦し紛れの足掻きであった。果たしてそれは成功した
 槍が引き戻されるよりも早く、ゴッチはタックルを敢行する。ゴッチの肩が、アシュレイの腰と激突した。ゴッチは、顔色を変える

 重たい。ゴッチとて、尋常でない怪力の男である。アシュレイはそれを真正面から受け止めていた
 ゴッチは笑った。体勢を整えて、ゴッチを押さえ込もうとするアシュレイ。その懐で、するりと身体の向きを入れ替える
 アシュレイがこれまでに、どれほどの数の敵と戦ってきたのかは解らないが、懐に潜り込んできた後に背中を曝け出した者は、皆無だったに違いない。反応が遅かった。強靭なゴッチの両腕が、槍を保持するアシュレイの手に絡みつく

 一本背負い。世界がぐるん、と一回転する。ゴッチはコバーヌの湖の中に、アシュレイを叩き付けた。舞い上がる飛沫と、広がる波紋

 「どんな気分だ?」

 仰向けのアシュレイの顔面に向けて、ゴッチは拳を振り下ろした。この不可思議な鎧で威力を殺がれてしまうなら、ここはどうか
 しかし、的中せず。首を僅かに動かしたハーセの、米神を抉られながらも挑みかかるような表情。ゴッチの拳骨は、水飛沫を上げただけだった

 胸倉にアシュレイの手が伸びた。抗う暇も無い。引き摺り下ろされて、ゴッチはコバーヌの秘薬で顔を洗う羽目になった。口内に侵入したコバーヌの秘薬の、妙な甘ったるさに顔を顰め、ゴッチは立ち上がろうとする

 しかし、ゴッチがコバーヌの秘薬を吐き出している内に、アシュレイは起き上がっていた。振り上げられたアシュレイの槍は、容赦なくゴッチの後頭部に振り下ろされる
 衝撃と激痛。再び、ゴッチはコバーヌの秘薬の中に顔面を突っ込んだ。ゴッチでなければ死んでいた。死ななかっただけで、流石に今のは痛打であった

 「兄弟!」

 レッドの悲鳴が聞こえた。ゴッチは怒鳴り返す余裕も無く、這いずる様にして距離を取る。黒く染まりかけた視界が、色を取り戻す

 仕切り直し、といった風情で、アシュレイが槍を構えなおした。ゴッチは、ダークスーツと下のシャツを脱いで、赤い裸身を晒した。手足が痺れて満足に動かなかったが、ピクシーアメーバの回復力で、それも急激に治まりつつある

 「半端じゃ、やべぇか」

 電流を使えないのがネックであった。コバーヌの秘薬が電気を通すのかどうか、全くの不明だ
 一歩間違えば、ゼドガンも、ティトも、グルナーも、ただでは済まない。レッドだけは或いは自力でどうにかするかも知れないが

 「ケ、足手まといなんだよ……!」

 もう一度、コバーヌの秘薬を蹴り上げる。二度目とあっては、殆ど効果は期待できないであろう目くらましだ
 ゴッチの予想したとおり、全く効果は上がらなかった。アシュレイは一歩引いて腰を落すと、ゴッチが飛び掛ってくるのを冷静に待ち受けていた

 迎撃の準備が出来ている事は解っていた。しかしゴッチは、それでも己から襲い掛かる。煌く切先がゴッチに向かって伸びた。相も変らぬ速さの突きに、全ての神経が吸い寄せられていく

 脱いだスーツをくしゃくしゃに丸めて、右手に握り締めていた。ヒュ、と息を吸い込んでゴッチはそれを前に突き出す
 確かに、アシュレイの槍と技は異常だ。しかし、乱暴に丸められた防弾・防刃のスーツは、今度こそそれの突破を許さなかった

 スーツ越しに真紅の槍の穂先を押さえ込み、腕力に任せて引っ張る
 アシュレイとて、軽々しく己の得物を手放す男ではない。全身に力を籠めて抗おうとするが、体勢が悪かった
 苦々しい呻きと、堪える様な表情。アシュレイ・レウの、必死の形相である

 「ぬぁぁ」

 ゴッチの肉体が、音を立てて硬直した。槍を抑え込んだまま、宙を貫くような前蹴り。身体を横倒しにしてグンと伸びたそれ

 「マッハキィック!!」

 こればかりは、避けようがない。前に引きずられたかと思えば、そこに突っ込んでくる冗談のような速度の靴底。アシュレイの額を、ゴッチの蹴りは射抜いた。正に射抜いた、と表現すべき、弾丸のような蹴りであった


――


 コバーヌの湖の中に倒れこんだアシュレイに、ガランレイが取り縋る。見事に五メートル以上も蹴り飛ばされたアシュレイは、首の骨を損傷していた

 鎧の無い部分までは、インチキな防御力も無いようだ。ゴッチは油断無く身構えながら、満足げな笑みを浮かべた

 「楽しい時間は早く過ぎるもんだが、二分足らずってのは短すぎねぇか?」
 「兄弟……すっげぇよ、マジで。吃驚しただぜ」

 ほ、と息を吐くようにレッドが言った時、そこで漸くゴッチは構えを解いた
 槍に巻きつけたスーツを握り締め、乱暴に振り回す。スーツが槍から解けて、ゴッチは咄嗟にそれを握り締めた

 途端、掌に高熱を感じて、ゴッチは声を上げて槍を投げ捨てた

 「ぐお?! 何だ、クソッタレ」

 槍に触れた手が、赤黒く変色していた。流石死に損ないの持つ槍だ、とゴッチは悪態を吐く

 真紅の槍は、ぶるぶると震えていた。他に何とも言い表す方法が無い。怪しげに震えていたのである
 吸い寄せられるようにして、倒れたアシュレイの手へと戻っていく。ゴッチは再び身構えた。アシュレイが、意味不明な言葉を放った

 「まさか、卑怯とは言うまい」

 アシュレイに縋っていたガランレイが、仰け反るようにして白い喉を晒した。周囲を黒い霧が取り巻いて、コバーヌの湖が怪しく輝く

 「馬鹿な、首の骨が、完全にイカれてる筈だぜ……」

 唖然と呟くゴッチの視線の先で、アシュレイは再び立ち上がった。ゆったりとした挙動で、コバーヌの秘薬を滴らせるアシュレイは、不敵だった

 「あちゃー…………、コバーヌの秘薬だ。なんてこったい、ここに居る限り、アシュレイは正に不死身だぜ」
 「ジリ貧って事かよ。コバーヌの秘薬は、俺達には使えねぇのか?」
 「精製したのはガランレイだぜ。ガランレイの魔力にしか反応しない」

 じゃあ仕方がねぇ。ゴッチはアシュレイに中指を立てて見せた

 「妙に大人しいと思ったんだよあの気違い女。レッド、ゼドガン、ガランレイから仕留めるぞ」

 ゼドガンが苦笑しながら前に出る。表情こそ落ち着いているが、待ち侘びていたようだった。負傷して尚、戦好きである
 ティトが、槍を振ってその後ろに続いた。ティトの視線は、レッドに何も言わせなかった

 「ティト」
 「この槍ならば、やれます、レッド様。父上やバース達が私を助けてくれている。私も行かねば」
 「頑固な娘なんだぜ。立派に育ったな、ティト」

 ゴッチが肩を竦める。心にもない謝罪の言葉を口にした

 「悪いな、アシュレイよぅ。四対二になっちまった。だが」

 四人が並び立つ

 「まさか、卑怯とは言わんだろ?」


――


 一斉に走り出した。コバーヌの秘薬を蹴り払いながら、矢張り身体能力に最も優れたゴッチが先行する
 アシュレイが槍を引いた。己の直感と運を頼りに、ゴッチは急停止する。伸びる槍。ゴッチの眉間を貫く一cm前で止まった。間合いの限界であった

 「見切ったぜ」

 刹那の間、睨み合う

 ゴッチがべぇ、と舌を出して、体を振り回した。回し蹴りが槍の穂先を打ち、アシュレイの体勢を大きく崩した
 見計らったようにゼドガンが飛び込む。右手一本で御された大剣が、一直線に振り下ろされた
 身を捩るアシュレイ。大剣が、コバーヌの湖面を叩く。そして、間髪入れず跳ね上がる

 真紅の槍がそれを受け止めた。アシュレイにも意地があった。流石、とゼドガンは口端を持ち上げる。些か、残念そうであった

 「万全の状況で、一対一で競り合いたかったが」
 「武の為に武に生きるか。嫌いではないぞ」

 ゼドガンは体ごとぶつかって、受け止められた大剣を押し込む。闘いの技術とはつまり構えだ。構えが崩れているアシュレイは、人外の膂力をもってしても堪える事が出来ず、押し切られた

 更に追撃、と襲い掛かろうとしたゴッチとゼドガンを阻む為、ガランレイが現れる。コバーヌの湖から滲み出るように出現したガランレイに、二人はたたらを踏んだ
 ガランレイの持ち上げた右手が、二人の目と鼻の先で暗く輝いていた。ざわ、とうなじが震える感覚に、ゴッチは必死で体を引き、両腕を交差させて防御姿勢をとる

 待ってましたとばかりに、レッドが滑り込んできた。レッドは疲労の色を隠しきれていなかったが、必死に雄叫びを上げていた

 「ひゃっほぉー! だぜ! こっちを見ろォォー!!」
 「イイアァァー」

 ガランレイが円を描くように手を振り回す。暗い光は空中に尾を引いて、闇色の陰気な円陣を作り出した
 その中心に、ガランレイの白い指先が、微かに触れる。その瞬間、黒い円は墨を垂らしたかのように黒く染まった。底の知れない穴のようにすら見えた

 「ぶつけて来いだぜ! 怒りも、憎しみも!」

 青白い光が散らばる。ギターを抱きしめるように掻き鳴らすレッド
 ガランレイが、もう一度手を振った。黒い穴が波打って、黒い獣の大顎が現れた。黒い霧で象られた牙と顎だけの獣が、レッドに食らいついていく

 青白い光が目を焼くようだった。大顎の獣の暴力に、レッドの魔術が抗っていた
 噛み砕こうとする大顎と、それを受け止める青白い光。バチバチと火花を散らして、鬩ぎ合う
 ガランレイが己の胸を掻き毟って、赤子のような鳴き声を上げた。黒い大顎がより大きく、鋭い牙はより鋭くなっていく
 レッドはピックを口に銜えると、ギターの弦を直接指で叩き始めた。ギターは青白い電流にも似た力を垂れ流す。それが弦を叩く度にレッドの親指を焼いて、何度も叩かない内にレッドは出血した。ブラッディチョップである

 ジリジリと押し合い圧し合い、ガランレイとレッドの間が少しずつ広がっていく

 レッドは歯をむき出しにして泣き言を言った

 「ぬわぁー!! 駄目だ、保たねぇぜぇぇー!」

 其処に漸く到着したのが、ティト・ロイド・ロベリンドである。レッドは苦痛に塗れた表情をふ、と消して、ゴッチを真似た心算か、べぇ、と舌を出した

 「なぁーんちゃって」

 バックステップ。レッドが後退する。入れ替わるようにしてガランレイの眼前に躍り出たティトは、バクンと閉じた口内に獲物を取り逃した大顎へと、槍を突き出した

 「槍よ、槍よ」

 ロベリンドの槍に貫かれた黒い大顎は、のた打ち回って霧散した。ティトは、もう一歩踏み出す

 青白い光がティトに追随していく。一瞬だけ、輪郭の薄い人型を形成したように見えた。ティトの父を、バース・オットーを、その配下達を、一瞬だけ形成したのであった
 ティトが腰を落として槍を構えなおした。ロベリンドの槍が輝いた

 「魔術師、取ったぁ!」

 アシュレイがティトに迫った。みすみすガランレイを討たせる心算は無いようであったが
 それと同時に黙っていないのがゴッチである。ティトを叩き伏せようと槍を振り被るアシュレイに向かって、両手を広げて突進していく

 「その槍は……! 好きにさせるか!!」
 「させるぜぇ?!」

 今までとは打って変わって、簡単にゴッチはアシュレイの槍を掻い潜った。アシュレイに取ってもゴッチは、他所に気を取られながら相手を出来る男では無かったのである

 鉄拳がアシュレイの胸に突き刺さる。暗い光がまたもや威力を殺いだ。ゴッチはぎゅう、と肩を引くと、もう一度拳を繰り出した
 先程の鉄拳と、寸分違わず同じ場所に突き刺さる。アシュレイは血を吐いた。しかし、アシュレイの視線は、ティトの槍しか見ていない。ゴッチは眼中になかった

 ティトが槍を突き出す。同時に、アシュレイが苦し紛れに槍を振り下ろした。ゴッチの妨害で、突けなかったのである
 ティトが真紅の槍に叩き伏せられるよりも、ロベリンドの槍がガランレイを貫くほうが、僅かに早かった

 ガランレイの絶叫が上がる。纏った黒いローブの末端が、さらさらと砂のように解けて行く
 豪槍に肩の骨を砕かれ、コバーヌの秘薬の中に叩き伏せられながらも、ティトはガランレイを貫いた手応えに、満足の笑みを浮かべた

 「ガランレイ!」
 「女に気ぃ取られてっと、殺っちまうぞ!」

 三度目の拳。ゴッチもいい加減、忍耐力の限界である。元よりそんな物は皆無に近いが
 ゴッチの拳は、決して手加減された物ではない。それを一発、二発とまともに受けて、平然としていやがる。血は吐いたが
 自慢の拳だ。頭に血を上らせるには、十分過ぎる理由だった

 メリメリとゴッチの筋肉が盛り上がる。雄叫びと共に繰り出された拳を、アシュレイの鎧はまたもや受け止めるかのように見えた

 そうは、ならなかった。黒い鱗の鎧は爆ぜて、アシュレイは吹き飛ばされる。拳を振り抜いた姿勢で結果を確かめたゴッチは、ガッツポーズを決めて見せた

 「……やれやれ、出る幕が無かったな」

 大剣を一振りして、ゼドガンが残念そうに言った


――

 後書

 ただ戦闘シーンが書きたかっただけー。

 昔は、ssとしては詰まらなかったとしても戦闘シーンは面白い物が書けるようになりたかった。両方良ければ尚良いのは当然だけども。

 今どうなってるのかは、得てしてそういう物だけど自分では解らないわ。



[3174] かみなりパンチ13 アナリア英雄伝説最終章
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:35

 「負けぬ、まだ負けぬ」

 口端に血を滲ませながら、アシュレイはそれでも立ち上がった。剥き出して食い縛った歯には血液が纏わりついていて、美顔が台無しであった

 「我が槍も、我が生も」

 だが、アシュレイにとっては己の見てくれすら重要ではない。そして、形振り構わぬその態度は、ゴッチにとっては見苦しい物ではなかった
 ゴッチは、笑った。一国を滅ぼしたがるような大悪党には、気品と誇りが必要だ。そしてその二つは、見てくれから生まれる物ではない

 アシュレイ・レウ、魔王の品格であった。ゴッチにとって気に入らない所の多々ある男だが、気分の良い部分も、まぁ、多少はあった

 「まだ、持ち得る全てを燃やしておらぬ」

 ポツリ、とグルナーが何かを呟いた。首だけ振り返ったゴッチは見た。顔面蒼白のグルナーの膝は、ガクガクと震えていた

 「む、無理だ。…………駄目なんだ貴方は! 仕返す相手が違うんだよ!」
 「子供。アナリアの民か」
 「ハーセ様を置いて、暗黒の世界へ帰れ! 貴方の怒りにその人を巻き込むな!」
 「バヨネへ? 馬鹿な」

 遺跡が震えた。埃と小石が天井から落ちてくる。コバーヌの湖が激しく波打ち、ティトが顔を歪めながら警告した

 「来る! ボー・ナルン・クルデンが来る!」

 アシュレイに黒い霧が取り付いて、一泊の後、吸い込まれるように消えていく。今のはガランレイだと、レッドがぼそぼそ呻く。消耗を抑える為に、アシュレイの中に逃げ込んだらしい。こうなると、ガランレイほどの魔術師といえども、まるで無力のようだ

 アシュレイは、コバーヌの湖の一部、最初己がたゆたっていた所へと走っていく
 咄嗟にゴッチは追い掛けた。ゴッチの関心はちらかと言えばボー・ナルン・クルデンの方に向いていたのだが、むざむざと逃す訳にも行かない

 アシュレイが飛んだ。水深の深い穴へと飛び込んで、身投げでもしたかと思ったが、そうはならなかった

 突き出た鼻、洞穴のような眼窩。異様な気配を放つ竜の頭を見て、ゴッチは歯をむき出した
 穴の中からボー・ナルン・クルデンの頭蓋骨が姿を現したのである。その頭蓋骨の上に着地して、アシュレイは雑音を振り払うように言った

 「バヨネへは行かぬ! 何も終わっていないのだ!」
 「レッド、どういうこった!」
 「アシュレイは竜騎士だって言ったろー?! 竜に乗る技術があるから竜騎士なんじゃない、竜を操る資質があるから竜騎士なんだぜ!」
 「解んねーよ馬鹿! ……でもまー良いぜ、 纏めてもう一回戦行くかコラァ!」

 クルデンの頭蓋骨を追うようにして、穴から数多の竜骨が飛び出してきた。ゴッチには何が起こるか解った。既に一度体験したことである

 あれよあれよと言う間にクルデンの骨格が組みあがっていく。骨の尾の先まで接着が完了した時、クルデンが不気味な声で咆哮した


 「我が怒りを見よ!
  我が、我が竜を見よ!」


――


 「だっしゃぁオラァァー!」

 ゴッチはもう、兎に角出鱈目に大声を上げた。ボー・ナルン・クルデンは巨大で、己は小さかった。しかし、気迫で負けてはいけないのだ

 「足手纏いは要らねぇ! 俺だけで良い! アイツは俺んだ!」

 ただ一人きりのゴッチ・バベル、コバーヌの湖の中を駆ける。背中がスッと軽くなる気がした。自分が本当に望んだ事を成し遂げようとしている

 五歩走った後、高く飛んで足を折り曲げた。ゴッチの居た空間を、クルデンの骨の尾が横薙ぎに払っていく。着地の後、本の少しの怯えもなくゴッチは走り続ける
 振り回された骨の尾が、今度は縦に唸った。カキカキカキカキと、硬い物がぶつかる音が連続で響き、宙を裂く。ゴッチは斜め前に飛んだ。尾はゴッチを捉えきれず、コバーヌの飛躍を撒き散らしてその下の地面を抉る。ゴッチは、回避しながらも、前進を忘れない
 既にクルデンは目と鼻の先であった。ゴッチは更に加速して、大きく跳躍する。尾を振るう度に全身を撓らせるクルデンは、丁度都合よく頭部をゴッチに向けていた。クルデンの頭蓋骨に手を添えるアシュレイと、目が合った

 「見事な戦士め! 力があるだけで、俺の心が解らぬか!」
 「いやぁ?! 結構解るぜ! だがよ!」

 ゴッチが空中で拳を振り被る。クルデンの制御に精一杯で、まともに槍を振るう事が出来ないのか、アシュレイは硬く防御を固めるだけだった

 砲弾のように、ゴッチはクルデンの頭蓋骨に着弾した。アシュレイの横面を狙った、叩きつけるような右の拳は、真紅の槍の柄に防がれた

 「解ってほしいなんて、甘えた餓鬼みてぇな事は言うまいよ!」
 「確かに!」

 ゴッチは間に真紅の槍を挟んで、アシュレイと真正面から向かい合う。槍に触れた腕と胸に焼け付く痛みを感じたが、全身が燃えるように熱いゴッチは、あっという間にその事を忘れた
アシュレイの行動を封じるため、抱きしめるように両肩をホールドして、ヘッドバッドを繰り出した。万が一にでも、槍を振らせたくない
 一発目は、まともにアシュレイの額へと炸裂した。しかしアシュレイも流石に黙っておらず、二発目の為にゴッチが頭を引いた瞬間、反撃のヘッドバッドが強かに鼻を打つ。当然のように、鼻出血が起こった

 「クソッタレがぁ!」
 「無頼者め!」

 技も何も無い、石頭のぶつかり合いである。見る見るうちに互いの顔面は裂傷を負い、激しく血を撒き散らす。ゴッチは兎も角として、ハーセと言う少年の物であった美しい顔立ちは、アシュレイの気迫と傷によって凄まじい有様であった

 「(畜生! こいつ、気に入らねぇ!)」

 チビの癖に、死に損ないの癖に
 ゴッチは苛立っていた。ゴッチ自身にも把握しきれない、燃えるような怒りだった

 「貴様が命を掛ける理由は何だ! アナリアに、それ程の価値があるのか?!」

 熱くなったゴッチの頭に、更に火が投げ込まれる。ゴッチの怒りは、急激に高まっている

 「るせぇな! アナリアなんぞ知った事か!」
 「訳の解らぬ事を! お前は何者なのだ! 何の為に戦う!」
 「ゴッチ・バベル! アウトロー! 気に入らん奴を殴るだけよ!」

 ぶつかり合った額が、拮抗した。この石頭の馬鹿二人は、なんと顔面で鍔迫り合いを始めたのである
 ヘッドバッドをしながらでは操れないのか、クルデンは大人しい物だった。その頭蓋骨の上での意地の張り合いは、滑稽にすら見えた

 互いに、憤怒の形相であった。怒りの篭った声を吐きながら、ぐぐ、とアシュレイの額がゴッチの額を押し込んでいく

 「何だそれは……! 志の無い男め! 命を掛ける理由を持たぬ、貴様などに……! 負けるかァ……!」

 押し込まれて黙っているゴッチでは、当然無かった。ぐぐ、とこちらも押し返し始めたゴッチの脳裏には、カロンハザンの取り澄ましたいけ好かない顔が浮かんでいた

 「またそれだ……! 奴も、手前も、“戦う理由”だの、“何の為”だの……! いい加減鬱陶しいぜ……!」
 「ぐぅぅ……! 所詮ごろつきか……! 性根の卑しい貴様には、言っても解らぬか!」

 形勢が逆転した。ゴッチがアシュレイを、押し切ろうとしている

 「おぉ、ごろつきで結構よ! らぁぁ……! 手前みたいな奴ぁ、喧嘩の理由、直ぐに他所に押し付ける……!」

 ありえねぇだろ、とゴッチは零した。誰かのため、何かのため、ありえねぇだろ
 何を考えて、何をするのも、全て己だ。それを部下の為だ、何のためだと、理由を他人に押し付けているような気がして、ゴッチはアシュレイが気に入らないのだ。アシュレイだけでは、無い。カザンだってそうだ
 女を取り戻そうとするカザンは、大した男だと思った物だ。だが、すまし顔で戦う理由について説いたカザンは、最悪の面をしていた

自分が何を気に入らないから、自分が何をしたいから、自分が何を欲しいから、結局そうじゃねぇか。気取ってんじゃねぇ

 「俺は俺の仕業から逃げた事は無い! 何も解らぬ者が!」
 「手前の話は薄っぺらくてよぉ! 簡単に解るんだっつーの! おかしいぜ! 本当は、手前が気に入らねぇだけの癖によォォーッ!!」
 「己の事しか頭に無い、自己中心的な貴様の常識で、俺を語るな!!」

 ゴッチが押し切るか、と見えた瞬間、アシュレイの気配が変わった。超至近距離で顔を突き合わせていたゴッチには、アシュレイの目が血走るのが、よく観察できた

 アシュレイの力が高まっていく。押し返されるゴッチ。アシュレイの体が暗く輝いて、ボー・ナルン・クルデンが大きく身を捩った
 体勢を崩したゴッチの米神を、真紅の槍の柄が強かに打つ。ゴッチは大きく叩き飛ばされて、レッドの足元に転がった

 ゴッチは一瞬、唖然とした。自分が力で押し切られた事が、理解できなかった。いや、理解したくなかった

 ふざけんじゃねぇ、俺が負ける筈がねぇ。あんな根性無しに、俺は負けねぇ

 ゴッチが立つのは、意地と自尊心があるからだ。そして、アシュレイを認めたくないという気持ちも、まぁあった
 ゴッチにとって強いとは正義だ。その点で見れば、アシュレイは紛う事無き正義である。だが、気に入らない。アシュレイの事を、ゴッチは認めたくない

 俺は奴より強いんだ。強い奴が、這い蹲る道理がねぇ

 「兄弟、無事か?」
 「五月蝿ぇ! 触るな! 俺に触るな!」

 助け起こそうとするレッドの手を、ゴッチは振り払った。全てが煩わしい。吹き飛ばされて、開いた距離がもどかしかった。今直ぐに、アシュレイと競り合っていたクルデンの上へと戻りたい

 アシュレイはゴッチの気持ちなど知らないが、しかしゴッチの望み通りの行動を取った。クルデンの巨体を操って、ゴッチに突撃を仕掛けたのである

 「ぎゃぁー! 全員、逃げるんだぜぇぇぇー!」

 全員が逃走した。重症を負って上手く動けないティトは、ゼドガンとグルナーによって担がれている。真横に向かって体を投げ、突撃の進路から逃げ出す
 ゴッチ以外は
 ゴッチは地面にしっかりと足を着けると、拳を振り被った

 「チャー・シュー」

 ゴッチの上半身が電流に包まれている。それは明らかに一定の方向へと流れて居た。つまり、振り被った右拳に集中していく
 我を忘れて全力全開にしないのが、ゴッチの最後の理性だった。ゴッチの鼻血の量が激増する。肉体を酷使しているのは、明らかだ

 出来る、負ける筈がねぇ。クルデンは巨大で、その突撃を真正面から受け止めるなど正気の沙汰ではないが
 助走を着ける空間はあるまい、とゴッチは踏んでいた。クルデンに勢いが無ければ、或いは何とかなる

 「メェェェェーン!!」

 眩い雷光の拳が、クルデンの鼻面を強打する。クルデンは大きく頭部を打ち上げられ、しかし突撃は止めなかった。吸い付くように頭蓋骨の上に立ち続けるアシュレイが、止めさせなかった

 「いぃぃよいしょおぉぉう!」

 勢いが弱まったクルデンの頭部を、ゴッチが押さえ込みにかかった
 当然、幾ら勢いを弱めたとはいえ、抑えきれる物ではない。ゴッチは巨体に押し捲られ、コバーヌの秘薬を撒き散らし、地面を抉りながら後退させられた

 「ゴッチぃー!」

 グルナーが、身の程を弁えず走った。クルデンに押されるゴッチを追いかけて、疲れ果てた身体に鞭打って追いかけていく

 「どうした、そんな物か、ゴッチ・バベル!」
 「ぬああああ!」
 「負けるな兄弟!」
 「るせぇぇぇ!」
 「兄弟、俺達は一つだぁぁー! 『頑張れ、負けるな』!」

 ゴッチの周囲に、最早見慣れた青白い光が現れた。それらはゴッチの肉体を覆うようにして飛び、次いで体内へと消えていく

 ゴッチの身体が青白く燃え始める。内側から滲み出るような青い炎に、ゴッチは力を感じた

 「こんな事が出来るんなら、端っからやれよ馬鹿がぁーッ!!」
 「『頑張れ、負けるな』! 無茶言うなだぜ、兄弟! 俺もうヘロヘロで死にそうなんだぜ! 『頑張れ、負けるな』!」

 クルデンの突撃が、とうとう止まった。ギターを掻き鳴らす、レッドの摩訶不思議なインチキ魔術が、ゴッチの力を引き出している
 ゴッチの形相は、正に鬼のようである。盛り上がった全身の筋肉に、どれ程の無理を強いているのか、到底予想もつかない

 大層馬鹿げた事であった。ただ、一人きりのゴッチ・バベルが、巨大な竜の突撃を受け止めたのである

 アシュレイが、ふと、吐き出すように笑った。本人も意図していないであろう、刹那の笑みであった

 「もっと見せてみろ、ゴッチよ!」

 ゴッチは体制を低くした。クルデンの鼻面も地面すれすれにまで下がって、そこでゴッチは身体を伸ばしきり、つっかえ棒のようになる
 横から見れば、ゴッチがアシュレイに頭を下げているようにも見えた。無様な体制だったが、そこからクルデンは一歩も進むことが出来ない

 正に化け物じみた馬鹿力を見せ付けたゴッチに、アシュレイは真紅の槍を向けた。これならば、どう出る。ゴッチの頭が持ち上がって、アシュレイが何をしようとしているのか確認した。鬼のような形相に、こちらも笑みが浮かんだ。禍々しい笑みではあったが

 「もう止めろぉー!」

 グルナーが息を切らして其処に割り込んだ。下がり切ったクルデンの鼻先に飛び乗ると、膝立ちになって両手を広げた
 何をしたいのか、ゴッチは理解するのに数秒必要だった。グルナーは、ゴッチの盾になろうとしているのだ

 「お前ぇ馬鹿だろ!」

 ゴッチの罵声に、グルナーは少しだけ震えた
 槍を構えながら、アシュレイは静かに言った。目の前に立ちはだかるのならば、下らぬ情を掛ける男ではない。槍は、何時でもグルナーを貫くだろう

 「勇敢な子供よ。お前の立ち入る世界ではない。下がれ」
 「貴方は解ってない」
 「何?」
 「俺にだって解る事だ。でも貴方は、駄目だ」

 涼やかな表情を消して、ゼドガンまで走っている。グルナーを救うには、些か遠い
 ティトは連戦の末に肩を砕かれて、もう動く力が残っていない。別にゴッチは、グルナーの命が惜しい訳ではない。死ぬならば仕方ない、それだけだ

 しかし、どうしたモンだと考えていた。この子供は、勇敢である

 「アナリアの為に戦った貴方が、アナリアを壊すのか?! 貴方の元で戦った人達は、どうなるんだ!」

 アシュレイの目がギラリと光る。真紅の槍が、少しだけ動揺し、たじろいだ

 「何だよ、偉そうに! 貴方こそ、何の為に戦ったのか忘れてしまって! それで部下の為だなんて!」

 グルナーが泣いている。アシュレイの言う部下達が、何を思ってアシュレイに従ったのか、何に命を捧げたのか

 アナリアに、である。持たざる者が、唯一持ち得る命を捧げた。祖国に捧げた

 「底が浅いぜ、アシュレェェェーイッ!!」

 ゴッチの脚が地面を削る。十割の力を振り絞る肉体が、更に二割、捨て身で力を振り絞る
 重戦車ゴッチが、事もあろうかボー・ナルン・クルデンを押し返し始めた。響き渡る雄叫びは猛獣のようであった

 餓鬼に論破されるようでは、敵役を張るには不十分だった。ゴッチはアシュレイの動揺を悟り、そしてそれを見逃したりはしなかったのだ

 うわぁ、と悲鳴を上げて、グルナーが落下する。コバーヌの秘薬に沈んで、激しく咳き込んだ

 「手前の怒りは見たよ。可愛らしいモンじゃねぇか。今度は俺の取って置きを見せてやる」

 ゴッチは前進を止めて、右手を引いた。なんと、左手だけでクルデンを押さえ込んでいる


 「かみなりパンチ。てめーは死ぬ」


 ぐあ、とゴッチが襲い掛かる。全力全開、遠慮容赦なし、詰まる所何時も通りと言う訳だが、気合の乗り方が違った

 かみなりパンチと言う割りに、肉体の外まで自慢の雷は発露しなかったが


――


 ゴッチの世界にも体格差と言うのは当然ある。あまり当てに出来ない物ではあるが
 一応、巨大な方が、力は強い。それに重い。まぁ、当然の事だ
 だから、ジャイアントキリングと言うのは非常識の類である。幾ら強靭な肉体と無類の体力を誇るゴッチでも、人間サイズでありながら、小山ほどもある竜を下すなど、不可能の筈であった

 恐ろしきは、ゴッチの意地か、レッドの魔術か。両方ろくでもないのは、言わずと知れた事だったが


 右のストレート一発。怒りの拳骨一発
 クルデンの鼻面に炸裂して、まずその首の骨が勢いよく折り畳まれて行く。そのまま肩に当たるであろう部分に減り込み、内側から爆ぜる様にして骨は四方八方弾き飛ばされる
 残ったのは、衝撃を受け止めた骨の胴体半分。一泊遅れてから、漸く思い出したかのように結合力を失い、ばらばらとコバーヌの湖に落下していった

 アシュレイは、達磨落としの頭であった。唐突に常識外の速度で己の後方へとすっ飛んでいったクルデンの頭蓋骨に、アシュレイは幸か不幸か付いていくことは出来なかった
 コバーヌの秘薬の中に身を浸し、些か唖然としたようだった。真紅の槍を握る手が僅かに震えている。ゴッチにも、見えた。頼みの綱のクルデンも破られ、激しく消耗しているようだ

 鼻息荒く、しかし堂々と威圧的に、ゴッチはコバーヌの秘薬を蹴り払って歩く
 槍を杖代わりに立ち上がろうとするアシュレイの目は、まだギラついている

 「まだまだァ……!」

 立ち上がって、腰を落とすアシュレイに、ゴッチは笑った

 「身体は正直だぜ。てめーの言う事なんざ聞けねぇってよ」

 槍が持ち上がっていなかった。真紅の槍は震えるだけで、ちっとも刃が持ち上がらない
 疲労からではなかった。どれ程消耗しても、槍一つ持ち上げられないなど、有り得ない

 その時、ひゅ、とアシュレイが息を飲み込んだ。喉に何か詰まったようにパクパクと喘ぎ、そしてやっと吐き出す

 「グルナー?」

 口からぽつり、と漏れた。アシュレイは驚き、目を剥いて、ガチンと歯を食いしばる
 しかし、無かったことにはならない。グルナーは聞き逃していなかった

 「……ハーセ、様?」
 「まぁ、仕方ねぇんじゃね? 俺だったら黙ってねぇしな」

 両腕が、真紅の槍を仰々しく持ち上げた。アシュレイは唖然としている。槍を持ち上げたのは、アシュレイの意思ではない

 そして穂先は、ゴッチでなく、アシュレイ自身に向いた。自分の頭上に掲げて、自決の構えであった

 「僕は違う。僕は守りたいんだ」

 あどけない話し方である。その両手に力がこもり、正に己の肉体に穂先を迎え入れんとしたとき、アシュレイが身を捩った

 黒い霧が弾ける様にしてアシュレイから溢れた。アシュレイは再び己の成すままとなった両腕を見つめ、目を閉じた

 「…………俺とて本当は、解っていた」

 アシュレイは膝を着いて、頭を垂れた。ゴッチは襲い掛かる。拳を振りかぶっている

 アシュレイはそれに気付いていた。しかし、抵抗する素振りは見せなかった。ゴッチの拳は吸い込まれるようにアシュレイの後頭部を打ち据え、コバーヌの秘薬の中へと、再び叩き落した


――


――


 戦いは終わった


 「彼女は、僕を恨むだろうか」

 ハーセが、ティトの寝顔を見ながら、ぽつりと言った

 驚くべきことなのか、今一つゴッチには解らなかったが、ハーセは健在であった。レッドが言うには、消耗し切ったアシュレイの魂を、ハーセの魂が完全に吸収してしまった形になるらしいが
 ハーセの肉体の中に、ハーセとハーセに吸収されたアシュレイがおり、しかもガランレイが居候していると言う、訳の解らない状態である

 戦い終えた一行は、コバーヌの湖の手前、亡霊の軍団が激戦を繰り広げた場所まで戻り、休憩に入っていた
 ゼドガンも、ティトも、レッドも、グルナーも、皆寝入っており、起きているのは回復力に物を言わせたゴッチと、何故かピンピンしているハーセだけだ

 そんな無防備に寝入って、危機察知能力に欠けるとゴッチは思っていたが、少なくともレッドはハーセの事を信用しているらしい
 実際ハーセも、害意は無いように見えた。害意があろうとも、ただのハーセであれば、ゴッチに敵う筈も無かったが

 「バースの事か?」
 「彼等の死に、僕は全く無関係と言う訳ではないから」

 裸一貫に襤褸布を纏っただけのハーセは、膝を抱えていた。足を組んで寝転ぶゴッチは、どうでもよさ気に耳の穴をほじる

 「知らん。甘ちゃんだからな、大丈夫じゃねーかな」

 ハーセは力なく微笑んだ

 「ファルコン殿、僕の事、覚えてないかな」

 片目を瞑って、ゴッチはそっぽを向く。ファルコンと呼ぶと言う事は、アナリア関係だ。ゴッチ・バベルという名を知っているのは、限られる

 「貴方がダージリン様を救い出す、本当に直前に、話しただろう?」
 「さぁな。そう言われれば、そうかもな」
 「そうなんだよ」

 ハーセは困ったように笑っている。餓鬼の癖に、妙に大人びているとゴッチは思った

 これから、ハーセはアーリアに戻る。らしい。万が一の事態、再びアシュレイが復活しておいたを働くような事態を懸念して、レッドはそれに着いていく。“ゴッチへのお礼”とやらは、また今度、だそうだ。ゴッチも、大なり小なりレッドに助けられたのを自覚している。あまり強く文句を言ったりはしなかった

 「…………僕は、アシュレイの中で消えてしまいそうだった。絶望だとか、恐怖だとか、何だかよく解らないけど、圧倒的な真っ黒い何かに飲み込まれそうだったんだ」
 「何だよいきなり」
 「実を言うと、すごく恐ろしかった。自分では到底太刀打ちできなくて、正に成す術無いって言うのか」

 気持ち悪いな、といってゴッチは転がって距離を取った。急につらつらと語り出すハーセの脳味噌を、半ば本気で気持ち悪がっていた

 「でも、何か凄く、比べようも無い程熱い物に触れたんだ。アシュレイの奥底に、恨みとか憎しみとかじゃなくて、もっと別の何かがあったんだ」

 ハーセは右腕を持ち上げた。その掌中には、真紅の槍がある。ゴッチには触れることすら出来ない槍を、ハーセは完全に使いこなす事が出来た
 もっと肉体が成長し、体力がつけば、比肩する者の無い槍働きをするに違いない、とゼドガンは言う。ゴッチは何となく納得行かなくて、生返事をしたものだったが

 「アシュレイはアナリアを愛していた。僕はアナリアには価値があると思う。必死になって良いと思う。僕こそが、アナリアを守りたい」

 自己主張しているようだった。ゴッチは変な顔になる
 だって仕方ない。急にそんな事を言われて、どう反応しろというのか。ゴッチは顎を撫でて、おどけて見せた

 「何故俺に話す? お前今、大分身の程知らずな事言ったぜ」
 「貴方はあの時、全く恐れていなかった」

 あの時、とはどの時の事か、聞き直す必要すらなかった
 ダージリン救出戦の時だ。あの時以外、接点は無い

 「僕は間違っていると思っていたのに、他の皆には処刑を肯定するような事を言っていたんだ。僕達少年兵の立場は低いから、目をつけられたくなかった」

 ハーセは美しい顔を真っ赤にする。照れているらしい。ゴッチとの戦闘で傷だらけであった肉体は、ほぼ冬眠状態であるガランレイが、コバーヌの秘薬を活用して勝手に治療していた

 「そ、尊敬しているんだ、貴方を。貴方は知った事ではないかも知れないけれど、知っていて欲しかった」

 ゴッチは奇妙なくすぐったさを感じて、距離を取ったが、表情は不機嫌と言う訳でもなかった


 こんな事件も、喉もと過ぎれば熱さ忘れるという奴で、直ぐにどうでもよくなる
 ゴッチの最終目標はメイア3の確保だ。今回はちょっかい出されたせいで制裁せざるを得なかったが、こんな物は寄り道に過ぎない

 ゴッチは意味も無く頭の中でそんな事をめぐらせている。或いは面と向かってこんな事を言われるのに、慣れていなかったからかも知れない


――


 後書

 かみなりパンチ。てめーは死ぬ

 一応、王道? になるように心掛けたような気がしないでもないが多分気のせいのような可能性が無きにしも非ずと言えないことも無い。



[3174] かみなりパンチ13.5 クール
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:37

 「ゴッチが見つからない?」


 様々な機器が雑然と並ぶ中で、ファルコンはテツコの後ろから、空間投影型のディスプレイを覗き込んでいる
 サングラスをクイ、と持ち上げて、ファルコンは溜息を吐いた。全く予想できなかった訳では、無い

 「……何事も無く無事合流、と言う訳には行かんか」
 「発信機が、コガラシ二型のレーダー範囲内に無いのは確かさ。首都のアーリアをカバーするぐらいは出来る筈なんだけれどね……。それに、あちら側で友好関係を築けた人物も見つからない。こちらは、まぁ、関係あるのかどうか解らないけど」
 「詰まり、アーリアとやらには居ない、と? 大人しく出来ないモンかね、全く」

 コガラシはルークのサポートに着け、新たにゴッチのサポートを行うために投入されたのが、コガラシ二型である。エネルギー関係のパフォーマンスが全体的に改善されている消費低減型だ
 本当なら、三ヵ月後までメイア3が見つからなかったその時こそお披露目となる筈だったが、状況が大幅に変わったため、テツコがひぃひぃ言いながら組み上げたのである
 マッピング装置は、コガラシと共にルークの傍にある。これは、マクシミリアンの要望だった

 「手が掛かる子だ」
 「子ども扱いか。大して年も変わらんだろうに」
 「男にとっては大したことの無い差でも、女にとってはそうでもない事ってあるんだよ。……年長者が世話をするのは、まぁ当然か」
 「…………養女に来るか?」

 テツコは怪訝な顔になった。本気か冗談か量りかねたらしい。本気だったとしても冗談だったとしても、裏に何かあると感じさせるような、そんな言い方だったのが更に悪かった

 「遠慮する。私はもう大人だからね」
 「まぁ良い。しかし、ここに来てゴッチが行方不明となると、ルークを不用意には動かしたくなくなる」
 「対象を救助に来たレスキューが、行方不明になって救助対象になるなんて、格好悪すぎるな」
 「もう言うな……」


――


 ルークは困惑していた。ナビロボのコガラシを通じて、ファルコンから伝えられた内容は、困惑しても仕方が無いと思っていた

 「此処に留まって捜索と言っても、出来る事には限りがあると思いますが」
 『あぁ、別に結果を出せとは言わんさ。可能な限りで良い。異世界で活動する前の、慣熟訓練だと思って気楽にやれ』
 「はぁ……、いや、はい……」

 特に難しい事を言われた訳では、決して無い。メイア3の事、ラグラン及びアシラの事、ついでに先任であるゴッチ・バベルの事について、現地に留まりつつ情報を集めろと言うのだ
 ノルマは無い。可能な範囲でやれば良いという、まるでやる気の無い指示である。ゴッチ・バベルが行方不明だと言うのに、全く焦った様子の無いファルコンに対して、ルークは疑念を抱いた

 ルークは、正直に言えばファルコンを警戒して掛かっている。これはファルコン自身がルークに対して威圧的に接してきたせい、と言うのもあるが、根本的には性質の違いであった
 ルークは世間知らずではない。が、常に物事の正道を行ってきた。道徳と倫理と正論、後は人情で生きてきた。それでも上手く事が回るように、マクシミリアンが庇護してきたのである
 ファルコンは紳士然としているが、殺し、恐喝、詐欺、誘拐、と、息をするような自然さで、数え切れない悪事を働いてきたアウトローだ。そりが合わないのは、寧ろ当然だった

 「質問しても宜しいでしょうか」
 『許可する』
 「ゴッチ・バベル先任の捜索ですが……その、能動的に行わなくても良いのですか?」
 『構わん、殺しに掛かっても素直に死ぬ男じゃない』

 面子の問題かな。ルークは、口には出さなかった

 ファルコンにしてみれば、行方不明の部下をルークに発見、救助されるのは面白い出来事ではない筈だ。ファルコンとマクシミリアンの微妙なパワーバランスにも影響を与える
 もしかしたら、行方不明と言うのが欺瞞という可能性だって考えられる。ルークを適当な理由で足止めし、その間に捜索で何らかの進展を得て、功績を拡大しようとしているのかも知れない
 ルークはそういった事を考える人種が、何時如何なる時代でも居なくなりはしないと、知っていた

 「全力を尽くしますよ、私は。構わない、ですよね?」
 『………………あぁ、まぁ、適切に事に当たれ。お前なりに』

 ファルコンへの警戒を微塵も表に出さず、ルークは了解の意を告げた。基本的にルークに否は無いが、どうしても承服しかねる場合は拒否しても良いと、マクシミリアンから言われていた

 ファルコンも、妙に気合の入っているルークへの疑問を僅かにでも外に漏らさず、至って事務的に会話を終了するのだった


――


 ルークは強運であった。彼の持つ良識と行動が、強運を引き寄せたと言っても良い

 ルークが救助した少女は、メノーと名乗った。身の上は明かさなかったが、低い身分の氏素性出ないことは身形と仕草から感じられた
 メノーと言う名前も、偽名である可能性が高いとルークは踏んでいる。根拠がある訳ではないが、少女の態度と、後は勘だ

 馬上で目を覚ましたメノーは、ゆっくりと状況を理解すると行き先を指示した。最寄の町であるらしい其処は、拠点を必要とするルークにも拒否の理由は無く、メノーに案内されるままに町へと馬を進め、やがて辿り着く
 そこからが大騒ぎだ。原因は言うまでも無くメノーである。町の領主館でルークは投獄され掛かった。寸での所で、そうはならなかったが

 メノーが事情を説明した後は、全く持って懇切丁寧な対応であった。今は、領主館の一室を宛がわれ、ルークは其処に居た

 「……よし!」

 ルークは胸板を拳で打って、気合を入れた。ルークは仕事熱心である。己の行動の全てが、マクシミリアンの品格にも直結する状況、その思いは一際である。つまり、ファルコン及びその他に弱味を見せたくないのだ
 ファルコンの思惑を探り、警戒しつつ、その上で結果を出す心算であった。実際には、周囲を取り巻くあらゆる勢力の干渉に対応しているファルコンは、ルークにかかずらっている暇等無いのだが、ルークの頭の中ではファルコンは腹に色々と黒い考えを蓄えている事になっている

 まぁ、仕方の無いことではあった

 ルークは鎧を置き、軽装に剣だけを佩いて宛がわれた部屋を出る。当初は小剣だけを持ち歩いていたが、騎士階級の者は平時でも剣を手放さないらしく、訝しがられてからは郷に従う事にしている
 まずは、町の首領に話を通す事を考えた。経済と権力で強い基盤を持つ者の助力を得られれば、どれ程の助けになるのかは言うまでも無い
 幸いにして、メノーを救った事は、大きな貸しに成り得た。メノーの存在が、ルークの作戦行動を良い方向へと導いていた

 『肩の力を抜いたらどうだい』
 「テツコ博士。ファルコンさんは?」
 『その……まぁ良い。ファルコンなら、君の上司に呼ばれていったよ。色々と、厄介事が多いようだ』

 腰のベルトで、コガラシは振動する。テツコはルークの事を非常に気に掛けており、またルークはそれを無碍に退けられる性格ではない。二人の仲は、良好である

 『無理はしないように。こういう言い方は酷のようだけれど、君はゴッチに比べて単独での生存能力が低いと判断されている。自重を心掛けてくれ』

 困ったような顔をしたルークは、当然だが、内心面白くなかった。控えめを心掛ける彼にも、プライドはある
 そもそも比較にする対象が間違っているような気がしないでもない。が、言い返したりはしなかった
 不本意ではあるが、呑み込めてしまった。生命力を比べる相手が悪過ぎるのもある。そして、テツコが自分を気遣ってこういう事を言うのだ、と理解しているからでもあった

 「はい、慎重に事に当ります」
 『……解ってくれて嬉しく思う。小言を言って、済まない』

 コガラシが一度だけ明滅して、待機状態になった。コガラシ二型を使ってゴッチの捜索を行わなければならないテツコは、それなりに多忙であった

 「(さて、こちら側では、どう渡りをつけるのが、スマートな方法なのだろうか)」

 視線を心持高く上げて歩きながら、ルークは考え始めた。顔を上げて堂々と歩けと言うのは、マクシミリアンの指導である

 身分のある、多忙な相手のもとへと、いきなり押し掛けるのが無礼でない筈が無い。そういう常識は、異世界だろうが変わりなかった
 何処かの何者かに話を通して貰う必要があるが、誰彼構わず、と言うのはルークはやりたくなかった。出来るだけ、優雅に構えていたいのである。マクシミリアンのように

 と、言う所に、正に丁度良い相手が現れた
 白い小顔を伏せ気味に歩く、メノーである。中年の、どちらかと言えば痩せ気味の侍女を御供に連れていた。適任と言えば、これ以上の適任も無い
 何せ、彼女の事で恩に着せて、上手くやろうと言うのだから

 「フランシスカ様……」
 「メノー。大分落ち着いたようで、安心した」
 「……はい、何時までも塞ぎ込んでいては、周りの者どもに気を使わせてしまいますので」

 ルークは軽く頷いて見せた。意識を回復した当初のメノーは、まるで死人のような暗い気配を纏っていた。周りの者達が全滅して、己のみ生き残ったとあれば、仕方の無いことではある
 小さな少女にしては、甘えが無く、心が強い。ルークは実は、好感を覚えている

 茶色の質素なドレスでも、不思議と華やかで温かみがある少女だ。憂いの中に、優しげな雰囲気を持っているからだ、とルークは思った

 「メノー」
 「フランシスカ様、少々」

 もう一度ルークが呼びかけた所で、控えていた侍女が口を挟んだ

 中年の、ピンと背筋を伸ばす侍女は、困ったような、申し訳なさそうな微妙な顔をしている。とは言っても、表情には出ていない。気配に滲んでいる

 「確かに、素性を明かさないこちら側に落ち度が御座います。しかし、それは理由あっての事。本来……メノー様は、貴方では親しく話すことも憚られる身分の御方です。……私如きが何を、と思われるかも知れませんが、……遠慮していただきたいのです。互いにとって良い事にはなりません」

 ルークは苦笑した。苦笑する他無かったと言っても良い
 メノーが鋭く声を上げようとする。ルークの手が持ち上がって、メノーを押し留めていた。これも不敬に当るのかも知れない

 「よく解ります、確かに軽率でした。気遣ってくれて、とても有難い。貴女の言葉に従いましょう」
 「いえ、聞き入れて頂き、ありがとう御座います。……申し訳ありません、フランシスカ様」

 深く頭を下げる侍女の心は、ルークにも解る気がした。女装して、メイドに扮していたのは、伊達ではないのだ
 瞳を伏せて、メノーは硬い声を発する

 「ムア、先に行ってください」
 「はい」

 もう一度頭を下げて、侍女はとぼとぼと肩を落として歩いていった。とは言っても、姿勢には出ていない。気配に滲んでいる

 「御免なさい。嫌な思いを」
 「メノー様。私には彼女の心も解ります。嫌な思いなどしていません」
 「…………私の侍女達の中に、二つ年上の者が居ました。本当はいけない事だったけれど、二人きりの時、彼女は私のことをメノーと。私はそれが、嬉しかったのです」

 メノーは、目に見えて落ち込んだ。その侍女が、既にこの世に居ないであろう事は想像に難くない
 ルークが森に置き去りにした死体は、恐竜に食い散らかされて損傷が激しいと聞いている。メノーが見ることが出来たのは、簡単な葬儀が終わった後の小さな墓石だけだ

 ルークは軽く吐息を漏らして、メノーに一歩近づいた

 「メノー、私はどちらかと言えば、名前の方が良いな」
 「え?」
 「君は、ここに来て始めての友人なんだ。見つからなければ大丈夫だ、と、私は思うんだけれど、君はどう思う」

 メノーは目を閉じたまま笑った。泣き笑いであった

 「私もそう思います。ルーク様」
 「様、は無くて良いのに」


――


――


 ゴッチ・バベル、捜索一日目


 朝も夜も無いのがロベルトマリンではあるが、一応時の流れはある。今は既に、深夜になろうとしている

 テツコはティーカップを片手にデータを閲覧していた。異世界を観測して得られた全ては、整理された後、別の研究所に送られる
 政治的バランスの問題から、それらは最終的に破棄される事になっているらしいが、事実かどうかはテツコには解らない。しかし、本当に破棄してしまう心算なら、そもそも最初からデータの収集などするまいと、テツコは冷ややかに思っている

 ゴッチを行方不明と判断し、捜索を開始した初日。テツコは、ファルコン程ゴッチに信頼を置いては居なかった。ゴッチとて生命体だ。死という物は必ず訪れる。絶対に無事だという保障は、無いのだ。絶対等という物は、絶対に無い

 だから内心、焦っている。テツコは作業を行いながら、ルークに提出させた音声での行動報告を再生した。データ収集は、効率的に行いたかった

 『えー……、アナリア国都市……うん、都市? ……ヨーンの町の責任者、ゼナック氏と交渉を行い、メイア3、ラグラン、アシラ、そしてゴッチ・バベル先任に関する情報収集に置いて、協力を取り付けました。メノーを救出した事は現在大きくプラスに働いています。少々、居心地が悪くなるぐらいの丁寧な対応です』

 テツコは僅かの間、手を止めて、直ぐにまた作業を再開する。当初はどうなる事かと思ったが、結果として有利に働いたのならば、それ以上言うことは無い

 『私自身も独自に情報を集めてみます。同時に、現地の人々と友好関係を築けるように努めます。試しに、ヨーンの町に所属する兵士達の訓練に参加させてもらったのですが、その時の感触は悪くなかったように思います。……それにしても、こちらの人々が私達に比べ、体力的に劣っていると言うのは本当でした。ちょっと、不思議な感じです。……それと、テツコ博士の変わりに私の観測を行っている人員なのですが、少し神経質に過ぎるのでは? だからどう、と言う訳ではありませんが……』

 テツコは視線を動かす。空間投影型ウィンドウには、頬を掻くルークの姿が映っていた
 ここで働く人員は殆ど皆神経質だ。その上寝不足である。ゴッチぐらい神経が太ければこちらがどんな態度でも鼻で笑って無視するが、ルークではそうもいかなかったようだ

 些細な事でも、ストレスの蓄積は避けたいな。テツコは少し考え込んだ

 『ナノマシンは今のところ良好に稼動しているかと思われます。最もこれは、そちら側で逐一観測しているかも知れませんが。報告は以上です。指示が無ければこのまま現場の判断で動きます』

 琥珀色の瞳をクルクルと動かして、テツコは眼鏡をくい、と持ち上げた。クールで優秀な鋼のレディは、体に気力を漲らせている

 状況は必ずしも良い、と言う訳ではないが、テツコの仕事は万全であった。自分の能力を駆使して様々な諸問題に立ち向かっていくのは、不思議な充実感がある。働き甲斐、と言う奴かもしれない
 困難な状況を乗り切る程に、テツコの能力は証明される。困難である程に、面白かった

 しかし、クールに事を運べたのは捜索開始初日のみであった


――


 ゴッチ・バベル、捜索二日目


 ゴッチは未だ、見つかっていない。もっと多数の観測機を投入できるよう要請しているが、無駄だろうな、とテツコは思っていた
 以前、ゴッチが川に落下し、その上コガラシが機能しなくなった時も、救助部隊の出動はおろか予備のサポートメカの投入すら許されなかった。今更ゴッチを丁重に扱う理由はあるまい

 キーを叩きながら、時折ティーカップを傾けるテツコの前に、いきなり通信ウィンドウが広がった。ファルコンであった

 「ファルコン? どうし」
 『いや、駄目よ! そんなこと無理だわ!』
 「……ファルコン?」
 『御免なさぁい! 謝るわ、知らなかったのよ、アイツがそんな事してたなんて!』
 『テツコ、そっちに運び屋のジェットって奴が行ってないか? 猫っぽい、馬鹿面の奴だ』
 「いや……来ていないが」
 『……ふん、そうか。少しばかり面倒かもな』
 「何が……? いや、と言うか、何をしてる……?」

 葉巻を嘴に咥えるファルコンの背後には、灰色の空が広がっていた。ウィンドウの隅に、酷く腐食したアンテナらしき物が見える。何処かのビルの、屋上らしい

 見栄も外聞も無い、必死な女の叫びが響き渡っていた。テツコはキンキンするその金切り声に眉を顰める

 ファルコンが体を動かした。風景が切り替わって、厳めしい顔をした巨漢を映し出す。岩から削りだしたような巨体をダークスーツで無理に包んだような風体で、当然の如く一般人には見えない

 『もう降ろして! 止めて! 解ってるでしょ?! ロベルトマリンの海は!』

 巨漢は、女を一人お手玉でもするかのように放り投げては受け止め、放り投げては受け止めている。女は上半身こそカッターシャツのような物を着せられている物の、下半身は黒い際どい下着のみで、美しい脚線美を惜しげもなく晒していた
 爪先が、蹄になっていた。馬の亜人である女の足は、強靭な筋肉に覆われながらも女性的な丸みを失わず、艶かしかった

 『何でも言うわ! 何でも! だからもう!』
 『ほー、なんでも? それじゃ、初めて男にその汚ぇ股座を開いたのは何歳の時だ? お嬢ちゃん』
 『な、何の関係が?!』

 ファルコンが首を振った。巨漢はふん、と鼻を鳴らすと、更にもう一度女を放り上げる
 よく見れば、巨漢は両手に包帯を巻いている。あれでは軽快に指を動かすことなど不可能な筈だ。少し間違えば、女性を受け止めることが出来ず、落下させてしまうだろう

 巨漢の体の向こう側には、どす黒いロベルトマリンの海が広がっている。テツコは、ぬわ、と呻いた

 『そろそろ指、痛ぇよなぁ。済まねぇな、この売女の脳味噌が腐っちまってるせいで、お前に迷惑掛けてる。良いんだぜ、辛かったら、そいつ落としちまっても』
 『止めてぇ! 十三歳の時ですぅ!』
 『早熟だな。どんなロリコン野郎にやらせた?』
 『う、うぅぅ』
 『おい、お前の四十メートル下には、途轍もなくおぞましい突然変異体どもがわんさか居るんだ。肉片一つ残りゃしねぇぞ、ロベルトマリンの海は厳しいぞ』
 『ち、父親です! 父親にレ』

 テツコは溜息を一つ吐いて、両手の人差し指を左右の耳に突っ込んだ。塞いでしまったからには聞こえない。面白い内容ではないから、別段聞きたくも無いが

 眉間の皴を解しながら、テツコは若干不機嫌そうに言った

 「それで、用件はそれだけなのか?」
 『今から五時間以内に、お前の所にジェットと言う運び屋が訪ねてきたら、マクシミリアンの所へ戻れと伝えてくれ。余裕があれば、隼団の事務所を経由しろ、と。良いか、テツコ、お前自身の口からだ』
 『うぅぅ、畜生……酷いよ……。下種野郎、お前らなんて亜人じゃない……!』
 『俺は優しいさ、だってお前、まだ生きてるだろう? 本題に入る前に、もうちょっと恥ずかしい事聞いてやろうか? んん?』
 「……その、ジェットとやらが来なかった時は?」
 『あー……そうだな、俺に伝えてくれ。それだけで良い』

 あぁー、と言う女の聞くに堪えない悲鳴を断ち切るようにして、ウィンドウは消滅した。テツコがげんなりしたのは言うまでも無い

 そして、それから五時間以内に、ジェットなる運び屋が現れる事は無かった。テツコがその事をファルコンに連絡すると、隼団の首領は大きく溜息を吐いた

 『……やれやれだぜ』
 「ファルコン、今度から通信を入れる時は、もう少し遠慮してくれないか。その……困る」
 『?』

 ルークからその日の行動報告が提出されたのは、それから四時間後である

 『報告します。……とは言っても、捜索状況に進展はありません。今のところは、地道に現地勢力との関係構築の方に力を注いでいます。私を試す意味合いもあったのか、今日は……えー、所謂山賊と呼ばれる集団の討伐に参加してきました』
 「昨日の今日で?」

 ただの記録映像に向かって話しかけてしまったテツコは、頬を少し引き攣らせていた

 ティーカップを傾けて、ほ、と一息。再び傾けた時にルークの一言

 『敵集団は二十二名。その内九名を殺害しました。これで私も童貞卒業と言う事になります。また、この戦果は、現地で基盤を固める為の有効な材料になる筈です』

 童貞卒業のくだりでテツコは噴出した。キーボードが茶色に染まり、大惨事であった


――


 ゴッチ・バベル、捜索三日目


 テツコはげんなりしている。目の前には、小柄で猫背の、奇妙に長くてツンツンした髭が特徴的な男が居る
 テツコが出した紅茶に、大喜びしていた。何が彼の琴線に触れたのかは解らないが、常人とは異なる思考回路の持ち主であることは、テツコにも何と無く解った

 「カオル・コジマです。シロイシ博士の御噂はかねがね」
 「……テツコ・シロイシです。それで、ご用件は?」

 コジマはピクリと髭を動かすと、急に立ち上がった。その場で一回転すると、机に右足を振り下ろし、激しい音を立てながら白衣の前をはだける

 「シロイシ博士、私は回りくどい事ははっきり言って嫌いです! 実は私、貴女の作業の様子をそれとなく探って来いと雇用主に言われておりまして!」
 「幾らなんでも直球過ぎるのでは?」

 黒いTシャツの脇の部分に、皮の紐が下がっている。何かの願掛けなのか、「素直が一番」と刻まれていた。何のための物なのか、テツコには理解できない

 「そちらでは無い、もっと下です、博士」

 灰色のスラックスのベルトに、マイクが突っ込まれている。録音機器らしき物もあった。右腰部には、小型のカメラだ

 テツコはピクリと眉を動かして、すかさず机の裏側に設置されているスイッチを押そうとする。コジマは泣いた

 「あぁぁぁ待って下さい! こう見えて私には妻子が居ります、博士に邪な感情を抱いたりはしません!」
 「ならばそれをこちらに預けて頂きたい」
 「それは無理です、これは私の邪な感情ではなく、異世界を知りたいが故の探究心からなのです」
 「私を探れと、言われてきたのではなかったのですか……?」

 マクシミリアンの仲介から、止むを得ず対話の場を設けたが、失敗だったとテツコは思った。コジマの名を、テツコは知っていたが、この男は駄目だと悟る

 コジマと言うのは、天才であった。少なくとも、天才と呼ばれるに相応しい実績を残して今に至っている。テツコも世情に疎いながらも、それを知っている
 だが、周囲を置き去りにする天才である。そんな雰囲気がある。正に存在する次元が違うのだ、脳漿の。会話するだけで、疲労を感じていた

 「私は今まで自分の遣りたい事をしてきました。これからも多分そうです。私は今、異世界に魅せられている。不思議の国が、私達のほんのすぐ傍に存在している。気にならない筈ありませんよね、博士だってその筈だ。そして博士は運が良い。私は博士が羨ましい、今すぐ取って代わりたいくらいに。私は異世界を、そうですね、愛しているというのが、この場合は一番正しいのでしょうか。私は異世界を愛しています」
 「ロマンチストですね……。我慢して下さい。私の立場としても、コジマ博士に情報を漏らす訳にはいきません」
 「そんなに馬鹿な事は無い!」

 コジマが鼻の頭をごしごしと拭った。ずるる、と鼻をすすると、赤い雫がぽたりとおちる
 鼻出血だ。綺麗に磨かれた白い机を不意打ちで汚したそれに、テツコは息を呑んだ

 「おっと申し訳ない。いえ、心配後無用、何時もの事。そして私はやはり、我慢できない。だって、私が我慢したら、世界は詰まらなくなる」
 「論点はそこですか……。というか、何が“そして”なのか私には今一つ理解できないのですが……。それ以前に落ち着いてください。出血が酷くなりますよ」

 テツコの忠告は、遅かった。既に出血は増大、コジマの白衣を汚し、机を衝撃的なカラーに染めようとしている

 コジマは慌てて顎を上げ、天上を向いた。その拍子に飛び散る血液。テツコの白衣と、その下の白い服に着弾。テツコの目が見開かれた
 我慢の限界である
 テツコは椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がる。コジマがほへ? と視線を巡らせるよりも早く、右手がコジマの頬に炸裂していた。平手なんて生易しい攻撃ではなかった

 コジマの首が限界ギリギリまで捩じれる。テツコは、まだ止めない。白衣は兎も角、その下の服は、テツコの月給の三分の一程も価値がある

 往復びんただ。悲鳴を上げてコジマは倒れこみ、失神した
 テツコは警報装置を鳴らし、通信ウィンドウを開く

 「人を寄越してくれ! 最低の産業スパイだ! この研究所から叩き出せ! マクシミリアン氏に苦情を送る! 『何をさせているのか』、とそれだけで良い!」


――


 その日のルークの報告に、テツコは無表情になった。顔から一切の表情が消えうせていた

 『その……雷鳴を操るファルコンなる魔術師が、アナリア王国首都アーリアで大暴れし、五十名以上の死人と重症人を量産して、姿を消したそうです』


――

 後書

 何と言うことでしょう。匠の技で以下略
 休憩だ……。



[3174] かみなりパンチ14 霧中にて斬る
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:38

 一週間もの間、ルーク・フランシスカは気を張り詰めたまま過ごした

 それと言うのも、ゴッチのせいだ。ヨーンの責任者、ゼナックにゴッチ・バベルについての情報収集を頼んだ時に、ルークはゴッチとの関係を上手く言い表す単語を思いつく事が出来ず、「同志だ」
等と軽々しく言ってしまっていた。雷を操る魔術師、と言う異世界での設定と、外見的特徴も含めて

 そこへ、アナリアで暴れまわったというファルコンなる雷の魔術師の登場だ。ゴッチ、ファルコン、似ても似つかない名前だが、魔術師などそうそう都合よくいる筈が無い。しかも、ルークの話した黒服の男のそれと、伝わってくるファルコンの外見的特徴は、全く同じなのだ。当然、ゼナック側としても、ルークの探すゴッチと、アナリアで暴れたファルコンを同一視する

 するとルークは、アナリアに明確な敵対行動を取った魔術師と同志と言うことになってしまう。ゼナックは静観の構えだったが、ルークは穏やかでは居られなかった


 雷の魔術師ファルコンの話が伝わってきたその日に、ルークがヨーンから逃げ出さなかったのには訳がある
 と、言うか、実を言えば脱出の準備はしていた。しかし、メノーの存在がそれを押し留めた

 「大丈夫です、そういう事にはなりません、ルーク様」

 メノーの事を、か弱い少女だと侮っていた面が、ルークにはあった。逃げ出す前に偶然にもメノーと遭遇したルークは、話すべきではないと理解しつつも、メノーが相手ならばどうとでもなると踏んで、簡単な事情を説明してしまった
 雷の魔術師ファルコンが、恐らくルークの探し人であること。それを聞いたメノーがルークに返したのは、平素と変わらない、顔を伏せての微笑だった

 「ルーク様にはお話します。このヨーンは既に、アナリアでありながらアナリアに従う地では御座いません」
 「意味は……聞かないほうが良いのかな、こういう時」

 何を意味するか、理解できないルークではない。積極的に異世界に溶け込もうと努めるルークだ。ある程度、世情を知っている
 メノーの言葉を信じたルークは、警戒こそしたが、ヨーンへの残留を決定した。ファルコンは待ったを掛けなかった。最悪の場合は、邪魔者を全員切り倒して逃げ出せばいいと言う乱暴な考えが根底にあった

 そして、警戒し続ける一週間。ヨーンの町に傷だらけの騎士達が十数騎ほど転がり込んできて、ルークの、その警戒は、漸くは解かれることになる


――


 ヨーンを治めるゼナックは総白髪の老人である。目は細く、肌の皴は深く、背は低い
 疲れ果てたようなイメージがあった。性格は温厚で寛大だったが、何処か全て諦めているような、そんな寛大さだった

 ルークは、ゼナックからの呼び出しを受けて、彼の執務室へと訪れた。ゼナックは多忙で、ルークを呼び出すと言うことは殆ど無い。ルークは、緊張する。最悪、ここで大立ち回りと言う事も有り得た

 「フランシスカ殿、よく参られた。…………うん? これはまた、随分と気合を入れて来られたなぁ」

 ルークが執務室の扉を叩き、入室を許可された後、最初に掛けられた言葉がこれであった。ゼナックは苦笑気味で、ルークの警戒心を柔らかく解そうとしている
 ルークは完全装備だった。鎧を着込み、剣を佩き、少女と見紛う顔立ちなりに、物々しい立ち姿であろうとしていた

 「(隣室に伏兵があるような気配は無い…………と、思う、多分)」

 ルークはゼナックに一礼して、まずは部屋の隅々に視線をめぐらせた。ゼナックが窓の前に立っている以外では、険しい顔をした騎士が一人、居るだけだ

 騎士は眼光鋭くルークを見返した。体を清めたばかりなのか、黒髪が妙に湿っている騎士は、身形こそ小奇麗にしていたが、激しく疲労している。頬には、完治していない刀傷があった
 歳は三十か、若しくはそれの少し前。何時も、何か諦めたように苦笑するゼナックとは対照的に、疲労していても、気力に満ちていた

 「ゼナック殿の厚情、恩義に感じています。ゼナック殿に呼ばれたならば、私に否はありません」

 ルークは朗らかだった。ゼナックの事を、と言うか、アナリアに属するヨーンの事を警戒していたが、感謝しているのも本心だった
 ゼナックは頷くと、椅子を示した。ルークはゼナックの近くまで歩を進め、さりげなく黒髪の騎士を見やる

 勇ましい釣り目をしていた。あまり遠慮というものをしておらず、ゼナックの態度も何処か、騎士に気を使っているように感じられる
 ゼナックと対等の立場か、ゼナック個人にとって重要な人物か。どちらにせよ、二人とも立っているのに、自分だけが座るなど、ルークには考えられない事である

 椅子に座らず、笑い掛けるルークに対し、騎士は目を細めた後、力強く頷いた。愛想笑いの気配が無い。正直な顔面だった

 「ホーク様、こちら、ルーク・フランシスカ殿と申します。海を越えたランディよりも遠い、ロベルトマリンと言う地の出身で、今は人を探しているのだとか」
 「初めまして、ルーク・フランシスカです。…………失礼ですが、貴方の御名前を伺っても?」

 騎士が身じろぎする。ふわ、と甘い匂いがした
 ルークは、騎士の髪型が気になっていた。騎士は所謂オールバックの髪型だったが、自然とその髪型になった訳ではないだろう
 その疑問が解けた。果実の汁である。特定の果実の汁を整髪料として用いるのを、ルークはヨーン領主館の侍女達から聞き及んでいた

 「ゼナック、良いのか?」
 「構いませぬ」
 「そうか、では。私はホーク・マグダラだ。私の名を聞いた事は?」

 ルークは硬直する。ホーク・マグダラ。マグダラと言えば、広大な北方辺境領を納める武家の筈だ
 そしてホークは、現北方辺境領主、オーゼン・マグダラの唯一の息子。本来、ここに居てはならない人物である

 何せ、北方辺境領マグダラ家は、つい数日前に、アナリア王国と一戦構えたばかりなのだから

 「それは……少々、驚きました。ホーク殿の威名は聞き及んでおります。お会い出来て、光栄です」
 「ルークで良いか? ルークと呼ぼう」

 ルークは漸くメノーの言葉を、腹の底から信じる心算になった
 もしこの騎士が本物のホーク・マグダラであったならば、アナリア王国の敵である。それをゼナックが平然と館に置き、しかも丁寧に応対するとあれば
 ヨーンは、アナリア王国の反抗勢力だ


――


――


 ゼナックからホークを紹介されたその日に、何かあったと言う訳ではなかった。しかし、アナリアと敵対するホークを平然と館に置き、それを自分に隠すことなく教えた。これは自分に何らかのリアクションを迫っているのだと、ルークは考えた

 ファルコンは出来るだけ深い関係を持つな、とだけ言った。分が悪ければ、折角取り付けたゼナックの支援を切り捨てる事も視野に入れているようであった

 「おはよう御座います、ホーク殿」
 「うむ」

 早朝は陽光の恩恵が乏しく、些か肌寒い。ルークは常の軽装で水場へと向かう
 其処には先客が居た。ホークだった。下着だけで、硬く鍛えられた肉体を晒すホークは、痺れるほど冷たい水を頭から豪快に被っている
 ホークの起床は、ヨーン領主館の誰よりも早い。侍女や下働きの者達よりも少し早めに起き出して、練兵場で剣を振っている
 ホークが意図しての事なのか、ルークとホークは、鉢合わせになることが多い。大抵は直属の部下達を連れていたが、こうして朝早くに会うときは、二人きりであった

 「三日で、完全に復調されたようですね」
 「あぁ。不自由なく用を足せて、体を清めることが出来、しかも周囲を警戒せずに眠れる。全く有難い」
 「それは違いありません」
 「ほんの数日前は、追い手を気にして、大便の場にすら苦心していたと言うのにな。痕跡を残す訳にも行かぬから」

 ルークはマクシミリアンの命令で参加したRM国統合軍の特別訓練キャンプを思い出した。特殊部隊間から選りすぐられた精鋭千人の内、五分の四を脱落させる恐ろしい訓練だ。本来は参加する資格すらないルークだったが、マクシミリアンの命令に否と答えられる筈は無い。当然のように脱落した
 その中には、山中での活動も当然あった。自らが追われる側のシチュエーションで行われたその訓練の事は、ルークは出来れば思い出したくなかった

 「解ります。特に山は酷い」
 「見掛けには寄らんな。君も経験が?」
 「体中に泥と木の葉を塗り付けて逃げました」
 「辛かったろう。いや、私の部下は終始泣き言を言っていたからな」

 水を救い上げて顔を洗うルークは、終いに金髪を掻き上げた。ホークは布切れを肩に掛け、釣り目を細めて苦笑していた

 ルークは少し、目線を下げる。ホークは謹厳な男で、部下との接し方が、所々マクシミリアンに似ている気がする

 頬を掻いて、ルークはホークを見遣った

 「同じ苦境の中で、泣き言も漏らさず歯を食いしばって耐える者達が居ましたので。辛かったですが、辛くはありませんでした。仲間がいればこそ、ですね」
 「どうにも、君は清々しい。私もそう思う。己のみが苦しいのだ等と勘違いして、弱音を吐いてはいけない」
 「……申し訳ありません、急に変な事を言い出してしまって」

 赤くなったルークに、ホークは言った。若いのに大した物だ。世辞で機嫌を取ろうとする男でないのは、数日の付き合いで十分解る

 「君の探している者達が、その仲間か? メイアスリー、アシラ、それに……雷の魔術師、ファルコンと言ったな。ゴッチ・バベルと、どちらが正しいのだ?」

 どき、とした。ルークは困ったように笑う
 無理に取り繕う必要は無い筈だった。目の前のホークは、アナリアと敵対している。そしてアナリアと敵対しているからこそ、こんな話を振ったのだ

 どう、答えるべきだろうか。少しでも相手にとって不利な事を言うのは避けたい
 僅かでも怪しさを感じさせれば、剣を抜く事を厭わないだろう、ホークは。怪しくとも上手く使い回そうとマクシミリアンとは、決定的に違う

 「いえ、確かに、同じ目的を持つ者同士ではあります。でも、ゴッチ・バベルは私の事を知らないのです」
 「事情がありそうだ」
 「これ以上は、見逃して頂けませんか」
 「構わない。…………君も感付いているだろうが、アナリアに組する者でないのなら、私は気にしない。それに、君と魔術師ファルコンが同志だというのなら、私は君達に恩がある」

 ホークは大仰に一つ、頷くと、服と一緒に転がしてあった皮袋に手を突っ込み、無色の液体を髪に撫で付ける。手早く髪を整えていくところを、ルークは黙ってみていた
 アーリアでゴッチが起こした騒ぎの事であるのは、間違いない。簡単に自分の心情を悟らせる男ではないから、何処まで本気なのかは解らないが

 ん、とホークが、何か思い立ったようにルークを振り返る。二歩、歩み寄ってきたホークは、ルークよりも頭二つ分背が高い。圧倒的に見下ろされていた

 「君はゼナックと……メノー様の大事な客人だが、何もせずに持成しを受けるだけ、と言うのも心苦しいのではないか?」
 「はい、仰るとおりです。ですので、未熟なりに、可能な限りのお手伝いをさせて貰っています」
 「君は謙虚だな。ゼナックは、君の事を絶賛していた。君がよければ、で構わない。今日一日、私と部下達に付き合わないか」

 着せた恩に、まるで拘らないように振舞わせようとするのは、ホークの性格ゆえか。しかし、その考えはルークにとっても好ましかった。何より、既に約束は取り付けてあるのだ
 ヨーンの為になる事だ。と、ホークは付け加えた。ルークは躊躇した。ホークに気に入られるのは、良い。しかし、仲良くなりすぎて、しがらみが増えるのも考え物だ

 暫し悩んだ後に、結局は喜んで、と返事をした。図ったかのように慌しい足音が聞こえてくる。現れたのは、服の袖を捲り上げて、髪を縛った侍女である。早朝の業務に取り掛かる所らしい

 「わ!」

 侍女はほぼ裸のホークを見て硬直した。ホークは侍女を一瞥した後、大して気にも留めずルークに拳を差し出した
 ルークも拳を握って、ホークのそれに打ち付ける

 「よし、詳しい話は後でする。期待しているぞ、万全の準備をしてくるが良い」
 「はぁ……、いえ、はい」

 ホークは赤面して石像のように固まっている侍女に、服を着せるよう命じた
 侍女は唾を飲み込んで、おっかなびっくりホークに服を着せ始める。プロフェッショナルとは言い難いな、とルークは思った


――


 黒毛の騎馬に、北方を納める領主の長子にしては、塗装も装飾も無い地味な鉄の鎧。唯一華美であるとすれば、黒い直垂に施された金糸の鳥の刺繍のみで、実に飾り気無いのがホークだ
 しかし同時に、鎧や馬ではなく中身が光るのがホークだ。この不思議な存在感は、彼の内側から滲み出る物だな、とルークは羨ましく思った

 「サンケラット? ですか」
 「何だ、自分が散々切り倒した魔獣どもの事も知らなかったのか?」

 メノー救出の際、ルークが散々に切り倒した恐竜達の名を、サンケラットと言うらしい
 確かに元来、群れを成して獲物を狩る、人間にとっても恐ろしい獣であるらしいが、ホークはそれだけではないと言った

 「メノー様の事もあるが……、奴ら、活発過ぎる。群れに強力な首領が居るのかも知れん。出るらしいぞ、人の背丈の三倍ほどにもなるサンケラットが、稀にな」
 「サンケラットの被害が多いのは、そのせいだと」
 「これは私の勘だ。しかし、居ようが居まいが、これ以上見過ごす訳には行かん。それなりの数を討伐する必要がある」

 ヨーンの領主館の中庭に、ホークの部下十四騎。聞けば先の一戦は、国境まで呼び出されたオーゼン、及びホークと少数の部下達を、アナリア王国軍が騙し討ちに襲い掛かり、相当な乱戦になったと聞く
 その中でも馬を死傷させず、巧みにホークに追従してきた精鋭達がこの十四騎だ。恐らく、練度は高いのだろう

 ルークは彼らの好奇心に満ちた、或いは挑戦的な視線に晒されながらも、疑問を口にする

 「何故、ホーク殿が?」
 「大きなサンケラットがもし居れば、それは間違いなく強い。嘆かわしい話だが、ヨーンの者達は弱兵でな」

 ルークは何と言っていいか解らなかった。山賊討伐に同行した時、ルークが思ったことそのままだったのである。こちらの世界の基準が解らない以上、判断仕切れる筈もなかったが、ホークまでそう言うのであれば、恐らくは間違いなかった

 しかし、胡散臭さがあった。違和感が拭いきれないでいる
 視線は外さない。ルークの物言いたげな表情に気付いたホークは、更に言葉を重ねた

 「幾ら大人しくしていた所で、ヨーンにホークあり、と既に知られている筈だ。何をしようとも、或いはしなくとも、何れヨーンはアナリアに攻められる。今はゼナックが上手く誤魔化しているだけだ」

 ルークは咄嗟に無表情になった。動揺を外に出したくなかったのだ。それほど、拙い事である
 さも当然のようにホークは言ったが、非常に都合の悪い事態だった。異世界まで出張ってきて、戦争に巻き込まれるなど、冗談ではない
 ホークは平静でいる。何を考えているのか解らない。ルークは手を開いたり、握ったり、何気ない仕草で余裕を見せようとした

 「貴方は……、豪胆に過ぎる。……と、私は思います。…………でも、そういう方が男らしくて良いとも思うのですけれど」
 「真に見事なのは、その猶予を作り出したゼナックだ。大した人物なのだ、アレは」

 ヨーンを発ってからは、ルークは意識してホークには近寄らず、ホークの手足となって騎士達を纏める者の指示を仰いだ
 何処から現れたのか解らない、歳若い流れ者が、古参の者を差し置いてホークに接近しては、禍根となる。そんな事は、ルークにだって解る。ホークは何も言わない

 休憩、炊飯となれば、率先して作業を行った。マクシミリアンから仕込まれた料理は、調味料や器具等の問題から、ルークとしてはとても満足行く出来では無かったが、大変好評だった
片付けも準備と同様、真っ先に動く
 出発前の馬鹿話や、色町の話題にも照れながら参加した。騎士達はルークの事を、面白そうに観察していた

 媚びていると言えばそうであるが、そんな風に感じさせず、全くの自然体でやってのけるのがルークの凄い所である。小さい体躯が妙に堂々としていて、なのにクルクルよく働くのだから、悪い印象を与える筈がなかった

 翌日早朝には、目的地としていた小さな村へと到着した。世界を繋ぐゲートがあり、メノーが襲われた場所でもある森の北東に、その村はある
 ホークが現地の詳しい話を聞きたがったからだ。地理に詳しい地の者を雇い入れて、事を円滑に運ぼうと考えるのは、至極当然であった

 そこで、一つ騒ぎが起きていた。村の男が一人、畑の中で、五頭のサンケラットに食い付かれていたのである。血の赤色が、遠くからでも良く解る
 静けさを破って聞くに堪えない悲鳴が上がっており、村の空気は騒然としていた。間を置かず村人達が事態を理解して飛んでくると思うが、その時は既に、男は絶命しているだろう

 ホークが鋭く、傍らの騎士を呼ぶ

 「カンセル!」
 「はぁっ!」

 なまず髭の壮年騎士が隊列から飛び出し、猛進する馬の腹をしっかりと抑えながら、弓に矢を番えた
 ルークの背に、妙な寒気が走った。瞳が周囲をぐるりと見回して、すぐ傍の林の草木が不自然に揺れたのを見咎める

 「私達も行こう、マルレーネ」

 ルークが白馬の首筋を撫でると、マルレーネと名付けられた彼女は、カンセルの駆る騎馬とは比べ物にならない勢いで走り始めた
 ホークは釣り目を少しだけ細めたが、咎めようとはしなかった。カンセルの後を追うルーク。既にカンセルは矢を二度、村の男に食らいつくサンケラットに放っており、矢の数と同じ二頭を絶命させている

 三矢目をカンセルが番えたとき、ルークが見咎めた、不自然に揺れる林の草木の横を通り抜けた。その瞬間、草木の中からもう一頭、サンケラットが飛び出してくる
 横目で奇襲を掛けてきたサンケラットを睨むカンセル。なまず髭がピクリと動いたが、弓矢の狙いは少しも逸れない。背後に猛然と迫るルークの存在を、感じ取っていた

 銀色に鈍く光る刃が、スコン、と軽妙な音を立てた。ルークは長剣を逆手に振り下ろして、カンセルを狙うサンケラットの首を大地に縫いとめてしまった。その間に、カンセルの矢が三頭目を仕留める

 残る二頭が、ルークとカンセルを威嚇した。逃げもせずに立ち向かってしまった所が、野生の生き物として致命的と言う他無かった
 大地を削るように荒々しく走るマルレーネが、大きく嘶いて前足を振り上げる。威嚇を続けるサンケラットの頭蓋を、容赦なく踏み砕く
 小剣を抜いていたルークは、飛び掛ってくる最後の一頭の腹に、それを抉り込ませた。ぐり、と手を捻って刃を回転させれば、容易に最後のサンケラットは動かなくなった

 「見事だ! 剣や馬だけが一流ではないな!」

 ルークはホークに一礼して、散々に食いつかれていた男の方へと向かった


――


 ルークも当然ながら応急手当の心得はある。しかし、純粋な人間にそれを施した事は、流石に無い。純粋な人間と言うのはロベルトマリンでは珍しい部類の物であるし、身近に居たマクシミリアンは、そもそも怪我をしない

 たどたどしい手付きで血塗れの男を手当てしたが、間もなく男は死亡した。死体を村の者に引き渡して、剣を回収し、村の長と話し込むホークの元へと戻る

 難しい顔をしたルークに、ホークはすぐ気付いた

 「ルーク、あの者は」
 「亡くなりました」
 「……よし、君は私の後ろに居ろ」

 騎士達は騎乗し、隊列を組んだままである。そちらに合流しようとしたルークを、ホークはその場に留めた。ルークが避けていた特別扱いを、ホークはここに来てやった
 少し戸惑いながら、ルークはホークの後ろに控える。よくよく考えれば、ルークはホークの部下と言う訳ではない。ここでの自分は遠い異国の騎士で、在野の身である。……少し齟齬があるか
 それがホークの要請に応える形で部隊に同行しているのだから、寧ろ特別扱いは当然ではなかろうか。と、ルークは思うようにした。居直れないのがルークの限界だった

 「よくやった。お前達の働き、覚えておくぞ」
 「はい……、ありがとう御座います」

 後ろに控えはした物の、ホークと村長の会話は大部分が終了していたのか、直ぐに打ち切られた
 ホークが尊大に下がってよいと告げると、村長は何度も頭を下げながら民家に消えていく。そこは、ルークが死体を預けた民家だ。葬儀の準備をするようであった

 「……地の者を雇うのでしたね」
 「それは止めにする」
 「理由をお聞きしても宜しいですか」
 「必要でなくなったからだ」

 ホークは踵を返して、己の騎馬へと向かう。黒毛の騎馬のすぐ傍に、ルークのマルレーネは居た。しきりに地面を蹴っている

 「名馬だな。頑強で、馬らしからぬ勇猛さを持ち、足も速い。頭が良く、主人に忠実だ。君と世話係の者以外が近付くと警戒する」
 「試したのですか」
 「すまなかった。……が、しかし、どんな荒馬も乗りこなす自信があったのだがな」
 「…………」

 誤魔化そうとしている、とルークは感じた。何故案内する者が不必要になったのか、ぐるぐると疑問が回る
 しかし、藪の中に蛇が居そうな気配がした。出来れば突きたくは、無い

 ルークとホークは揃って騎乗し、ホークはやがて号令した

 「進発! 森に向かう!」

 ホークは隊列の最後尾を行き、ルークには自分の右後ろを維持させた

 「……何か、企んで居られますか?」
 「変な人物だな、君は。はっきり物を言う所は面白いが、もし私が何か企んでいるとして、それを正直に話すと思うのか」

 ホークは糞真面目な顔をしていた。ルークは苦笑した。苦し紛れの笑みである

 目的の森は、村から然程遠くない。一時間と掛からずに、隊列は其処に到着した
 朝だと言うのに、木々に光が遮られ、陰鬱とした空気が漂っている。森は全く幾つもの顔を持っている物だとルークは思った。初めて異世界に侵入した時足を付けた場所とは、全く雰囲気が違う

 下馬せよ、との号令に従って、全員が馬を下りた。荷を運んでいた物が手早く数本の木の杭を準備し、槌を使用して地面に打ち込んでいく
 騎馬は全て、それに繋いだ。二名がその場に残り、残りの全員で森の中に踏み入る。邪魔な荷物は、全て置いていった

 踏み入る段階になっても、ルークはホークの後ろ、隊列の最後尾に居た。騎士達が声も無く抜剣する。ルークも、剣を抜いた。唯一抜かないのは、ホークだけだ
 ルークの眉間の皺が深まる。ホークが何も言わないのが気になった。訓示の一つぐらいあっても良さそうな物だが

 「浮かれて居ませんか。ここは危険なのでは」
 「無礼な。浮かれてなど居ない」

 暗いのは最初だけだった。暫し歩くと直ぐに森は開け、光の差し込む広い空間に出る。川が流れていて、サンケラットの死体が数頭、打ち捨てられている

 カンセルがその死体に近寄って、膝を着いた。その様子を伺っていたルークは、サンケラット達の死因となった傷口に違和感を覚えた
 刀傷であった

 「これは……?」

 ホークが声を発さず手を振った。騎士達は自らが発する音を出来る限り殺して、散開する。周囲を探っていた

 その場に取り残されたルークに、ホークが向き直る。何時もの真面目な、堂々とした態度だった

 「君はメノー様に非常に気に入られているな」
 「…………」
 「別に妬んでいる訳ではない。そんな狭量ではない心算だ。私自身、君を非常に気に入っている」
 「ありがとう御座います」

 当り障りない台詞を返すルーク

 「ルーク、ヨーンの事、どう思った」
 「は? ……はい、良い町だと。治安は守られ、民衆は勤勉で、ゼナック殿の手腕の賜物でしょうね」
 「そうだ。しかし同じアナリア国の内で、ヨーンのように栄える町は少ない。何故だか解るだろう。皆がゼナックのように高潔で、能力がある訳ではない」

 ルークはさり気ない仕草で、腰のコガラシに手をやった
 直ぐにコガラシから極細のコードが伸び、胸元にチクリと痛みが走る。コガラシが僅かに震えて、男の声をルークに届けた

 『(どうしました、何か問題でも)』
 「(テツコ博士か、出来ればファルコンさんをお願いします。急いで)」
『(はい? ……わかりました!)』

 ルークは口元を覆った。考えている振りをしていた

 「私は別段アナリアが好きと言う訳ではないが、捨て置けん。国を統治すると言う事がどういうことか、ある程度は知っている心算だ。私には、今のアナリアが酷く醜く感じられるのだ」
 「それで、それが」
 「さて、なんだろうな」

 視線を外して、ホークは背を向けた。妖しげな雰囲気に耐えかねて、ルークは追い縋ろうとする

 その時、ガサ、と草木を揺らす音が聞こえた。妙に耳に残ったそれにルークは視線を動かし、そして見た

 大型のサンケラットだ。縦の長さで、四メートルはある。巨大であった

 『(こちらテツコ、ルーク、状況は)』
 「(アレを!)」
 『(大きい!)』
 「ホーク殿!」

 散開した騎士達は到底間に合わない。ルークはホークに呼びかける

 ホークは首だけ動かしてサンケラットを見た。ふん、と一つ息を吐くと、何と構えもせずに腕を組んだではないか
 ルークは堪らず飛び出した。ホークの考えが解らなくなってしまった

 何故剣を抜かない!

 「失礼します!」

 ルークはホークを押しのけた
 大型のサンケラットは首を低くして走ってくる。その体から、血を噴出しているのに、ルークは気付いた。これも矢張り刀傷だ

 何者が? 考える間もなく、肉薄してくるサンケラット

 首を振り上げて、顎を開いた。足を止めたサンケラットに、ルークは剣を振る
 ガリガリと奇妙な音がした。サンケラットの首を叩き落す心算の一撃は、何と受け止められていた。白刃をサンケラットの鋭い牙が噛み締めている

 「しかし手負いッ」

 ルークは剣を捻って振り上げる。牙の拘束を振り払って、白刃は再び朝日に煌いた
 しかし、意気込んで振り下ろすより早く、サンケラットの爪がルークの頬を浅く裂いた。ルークが咄嗟に身を引かなければ、目が潰れていただろう

 「ルーク! サンケラットは傷を負ってからが本物だぞ!」
 「何を悠長な!」

 ルークは長剣を右手で低く構え、左手で小剣を抜いた。体を撓らせて、奇妙な足運びでサンケラットに体当たりすると、下がった頭に小剣を突き込む
 サンケラットの牙が、小剣の刃も噛み締めた。しかし、圧し留める力が弱い。抉るように捻りながら、そのまま押し込む。サンケラットの口内を激しく傷つけたか、牙の隙間から噴出する生臭い血液

 しかし、噛み締めた牙を解けば己が直ぐに絶命すると、サンケラットは悟っているかのようだった。傷つきながらも、口を開いて逃げようとしない

 ルークが体を振り回した。右手の長剣が目にも留まらぬ銀光になって、サンケラットの首に吸い込まれていく
 ド、と鈍い音を立てて、首の中ほどまで長剣が埋まった。どれ程の激痛だろうか、サンケラットが激しく身を捩る。傷口からは、当然のように大量の出血が起こった
 ポンプか何かのように血を噴出する。ルークの鎧があっという間に真紅に染まった。ルークは左手の小剣を放棄して、両手で長剣の柄を握った

 ズ、とルークは満身の力を込めて剣を引いた。サンケラットの首が、音を立てて宙を舞い、地に落ちる
 気持ちの悪い音を立てて、輪切りにされた首からまた大量の出血が起こった。首が失った事に気付いていないかのように、サンケラットの胴体は数秒、そのままの体制を維持し、やがて倒れこんだ

 「期待以上だ! ルーク、君の戦う姿は素晴らしい。私ですら、末恐ろしく感じる」

 呼吸を整えて、ルークはホークを睨む。懐から布を取り出して、血に塗れた剣を拭った

 「私の器量を見極めて見ないか。当然、厚遇する。君の探し物にも協力しよう。悪くはあるまい」
 『(…………なるほど、ルーク、状況は把握した。周囲に反応多数。二百以上居る)』
 「断れば私を殺すのですか、ホーク殿」

 テツコの言葉に、ルークが視線を巡らせれば、周囲の森から続々と人影が現れた

 黒い鎧で統一した兵士達だ。指揮官らしき騎士の姿も多数見受けられる。先ほど散開した騎士達も、その中に居た

 「何故こんな回りくどい事を。まさか貴方が、こんな理不尽な真似をする方だとは思っていませんでした」
 「その事は謝罪する。この通りだ」

 ホークは目を瞑って頭を下げた。ホーク・マグダラの頭は、簡単に下げてよい頭ではない。ルークは思わず口ごもる

 「しかし、君が万一アナリアと繋がっていたら困るからな。私としても悩み所だったのを、察して欲しい」

 テツコの緊張した声が聞こえた。ホーク・マグダラの感性は、きっとテツコには理解し難い物に違いなかった

 『(身の安全を最優先に。ここは話に乗ろう)』
 「(ファルコンさんは?)」
 『(事後承諾で構わない。ファルコンの嫌味も、生きていてこそだ)』

 ルークは目を大きくする。彼らしくない、険しい表情である

 「私はホーク殿に好感を抱いていました。ですが、囲んで武器をちらつかせれば、言いなりになる腰抜けだと思ってもらっては困ります」
 「ではどうする、ルーク」
 「訳の解らない物事に当っては、叩き斬ってみればはっきりする物です」
 『(ルーク! 感情的になってはいけない!)』

 ルークはテツコの言葉を無視して、ホークに剣を突きつけた

 『(あぁ! 全く! 男と言うのは、戦いとなると、途端に自分を抑えないのだから!)』

 一騎討ちが望みか、と呟いて、ホークは剣を抜いた。気配が変わった
 サンケラットが迫ろうとも、重々しく終に抜かれることは無かった剣が、ルークに対して抜かれた。周りを囲む兵士達が、動揺してざわついた

 「貴方のような方は、こちらの方が余程解り易い。全ては貴方の腹の内側を引きずり出してから考えさせて貰います」
 「全く君は、爽やかな騎士だ」

 ルークはホークに踊りかかった


 ホークは全く見事で、屈強な騎士であった
 しかしルークも、マクシミリアンの下で鍛えられて来た、秘蔵っ子である
 互いの気が遠くなる程の長時間、一騎討ちは続いたが、最後にはルークが剣の腹でホークを打ち倒していた

 ルークは周囲を取り囲まれ、槍を突きつけられた状態で、ホークに膝を折った。ホークは仰向けに倒れたまま、満足げに笑ったのであった


――

 後書

 胡散臭さを出そうとして胡散臭い文章を意識してみた。
 実際胡散臭くなったかどうかは知らぬぅぅぅぅー!



[3174] かみなりパンチ15 剛剣アシラッド1
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:42
 ルークが見るに、ホーク・マグダラと言う男は、人材に対して極めて図々しい男だった
 妙に目端が利いて、節操も無く声を掛ける。騎士だとか、兵士だとか、関係が無い。農民も樵も猟師も、ホークにとっては大差ないようである

 アナリアへの一大反抗勢力、エルンスト軍団。その本拠地である東の果ての城、カウスに向かうまでの道中でもそれは変わらず、ホークの部下はじわりと増えていった
 そしてルークは、常にホークの背後に居るよう指示された。号令するとき、目ぼしい人物を迎えるとき、果てはエルンスト軍団からの使者と会う時もそうなのだから、ルークはすっかりホークの子飼である、と言うことで落ち着いてしまった

 今、カウスの城門前にて開門を待ちながら、やっぱりルークが居るのは、ホークの後ろだった


 「それほど大きいと言う訳ではありませんが、硬そうで良さそうで、何とも安心できる城ですな」

 カンセルが口元だけで笑いながら言った。ホークはギリギリと音を立てながら下がってくるカウス城の吊橋を見て、釣り目をさらに吊り上げている
 ルークは少し前に、ホークは幼い頃居城の吊橋から落ちて酷い目にあった、とカンセルから聞かされていたので、きっと吊橋を渡る時は、何時もあんな怖い顔をしているんだ、と妄想した。弱点などないように見えるホークの事だからか、思わず噴出してしまった

 吊橋が完全に下がりきってから、ホークは右手を挙げたが、進発の号令は出なかった
 ホークが声を発する前に、城門が開き始めたのである。そこには青い外套を羽織った、壮年の男が立っていた。周囲を慌しく駆け回る兵士達の事などまるで意に介さず、ホークだけを注視している

 「カンセル殿、彼は?」

 ぼそり、とルークは小さく言った。カンセルは顔を動かさず、背筋をピンと伸ばして、こちらも小さく返した

 「蜂蜜色の髪と髭、米神の傷、エルンスト軍団首魁、エルンスト・オセ殿と見た」
 「あれが……」

 言う間に、エルンストが早歩きで近付いてくる。腕の振り方が大きく、大仰に見えるが、まるで気負わず自然体のようにも感じられる

 「ホーク・マグダラ殿! ようこそカウスへ! ようこそ、東へ!」
 「貴方がエルンスト殿か?!」
 「そうともさ」

 がっはっは、と笑いながら応えるエルンストを、ホークは馬から飛び降りて迎えた。エルンストは初対面であることなどまるで気にしていない様子で、バン、とホークの肩を叩き、強く手を握る

 「本当によく来た。エーラハの玉無しめが、マグダラ軍団を騙し討ちにしたと聞いていたから、心配していた。しかし諸君ら、気力に満ち満ちているようで何より」
 「我が兵どもには、地獄に叩き落されても這い上がってくるよう命じております」
 「頼もしい。君のような味方が増えるのは嬉しいことだ」

 エルンストとホークは、並んで歩き始める。ルークも、カンセルも、軍団は皆下馬し、馬を引いてその後ろに従った

 「不躾ですが、エルンスト殿、状況はどうなのですか」
 「良くない。が、良くないまま押し切られる心算はないし、何より私は今日、新たな勇者達を迎え入れたよ」

 なぁ、とエルンストが背後を振り返り、声を掛けてくる

 「お応えしろ」
 「エーラハのにやけ面を叩き切るのが、今から楽しみでなりません!」

 ヤケクソ気味にカンセルが叫んだ。それに同意するように掛け声が上がり、ホークがよし、と頷く
 エルンストが顎を撫でながら、にやりと笑った

 「結構、結構。これから楽しい戦になりそうだなぁ」

 ルークは眉を顰めた。このエルンストと言う男、相当なたらしだ
 激しい戦いの予感がしていた


――


 「と、思っていたが、実は全然そんな事無かったのです」
 「フランシスカ様、どうなさいましたか」
 「いえ、メノー様。何でもありません」

 カウス到着直後は、これから起こるであろう戦いに気を揉んでいたルークだったが、そんな事にはならなかった
 カウスでホークに宛がわれた部屋に、不機嫌顔のメノーが乗り込んできたのである。何時の間にカウスに到着していたのやら、ルークは驚愕していた物だが、どうやらホークの相当強引な所業を聞いているようで、メノーの怒りは深かった

 ずるい、とは、何がずるいのやら。ずるい、とメノーに言われたホークは、確かに強引な真似をしたと言う引け目もあり、ルークはメノーに貸し出される運びとなった

 見ようによっては、ホークの腹心がメノーに取り入ったようにも見える。と言うか、そういう風に見られれば、都合が良いのだが、とホークは下心を隠しもしなかった

 「お披露目が近いのさ」


 そんなこんなで、三日ほど過ごした。メノーと共に居る時間は、ヨーンに居た時よりも遥かに多い。メノーの周囲は極めて穏やかで、ここが反乱軍の本拠地であるとは、全く思えない程であった

 「フランシスカ様は、人を探しているとおっしゃっていましたね」
 「えぇ、しかし、全く成果は上がっていないのですが」
 「えぇ、メイア・スリーと言う方と、ラグランのローラー様。そして、アシラと言う何か」
 「何か知っておいでですか」
 「相も変わらず、メイア・スリーと言う方の事は解りません。ラグランと言う地の事も。ただ、アシラと言う言葉について、少し聞き及んだことが御座います」

 白い粗末な椅子に座りながら、侍女のムアが差し出す茶器を受け取って、メノーは己の頬を擦った
カウスに吹く強い風に巻き起こる、花びらの柱を眺めていたルークは、突然のメノーの言葉に声を上擦らせる

 「どんな事でも構いません、教えてください」
 「このカウスの城の南東に、ブラムと言う小さな町が御座います。そこの名産に、アシーラと言うお酒があるのだそうです。何でも、ブラムでしか作れないらしいですよ」
 「酒……?」
 「そんな残念そうな顔をしないでください。まだ御座います。実は今、そのブラムの町に、とある高名な騎士様がいらっしゃっています。『折れない剛剣』と勇名高い、アシラッド様です」
 「アシラ……アシラッド」
 「響きが似ていたもので、もしやと思いまして」

 ルークは呻いた。有力な情報とは言い難い。言い難いが、他に目ぼしい情報は無いのだ。そもそもが手探りの状態だったのだから

 「……あまりお役には立てないようですね」

 メノーにつられて傍で控えているムアまで寂しげな表情になる。メノーの、人を呑む不思議な気配。ルークは慌てて首を振った

 「いえ、そんな事はありません。感謝しています、メノー様」
 「そうですか、それなら私、嬉しい。…………でも、やっぱり駄目です。背中がむずむずするので、本当のことをお話します」
 「え?」

 メノーが顔をほんのり赤くして、俯いた

 「実はこの話は、マグダラ様が教えてくださった話なのです」
 「ホーク殿が」
 「御免なさい、さも自分が調べたかのように振舞って……。はしたないと思われましたか?」

 どうせ、ホークがメノーを教唆したに違いないとルークは思った。ホークにしてみれば、メノーにアシラの事なんて、話す必要が無いのだ
  メノー自身が仕入れたように話せば、ルークの歓心を買えるとでも言ったのだろう。そうすればメノーはルークに恩を売ることができ、ホークはメノーに恩を売った事になる
 ルークは、ある程度以上メノーが自分を好いてくれている事に、気付いていた。ホークが読み違えたのは、メノーの馬鹿正直さである

 「いえ、そのようには思いません。メノー様は心根が素直でいらっしゃいます。……それでは早速なのですが、ブラムと言う町に赴きたいと思います。許していただけますか?」
 「当然です、フランシスカ様。元々は、私やマグダラ様が無理に貴方をお引止めしているのですから」


 メノーの居室から退室したルークを、ムアがゆっくりと追ってきた
 ムアの、少なくない皺が刻まれた苦労人の顔は、カウスに着てからは大分和らいでいるような感じがある。ムアは小声でルークを呼び止めると、ピシっと腰を折った

 「御気を付けて行ってらっしゃいませ。そして、無事にメノー様の下へお戻りください」
 「……それを、わざわざ?」

 顔を上げたムアに対して、今度はルークが頭を下げた。それを見てムアは、慌てず騒がずもう一度頭を下げる

 「ブラムは馬を使わずとも半日掛からない距離に御座いますが、案内する者は必要でしょう。後で、旅装具と共にフランシスカ様のお部屋に向かわせます」
 「ありがとう御座います。…………貴女は……母のように錯覚してしまいます。あはは、情けない事を言っている自覚はありますが」

 ムアが苦笑した。ルークはムアから、初めてこんな表情を引き出した
 よく気が回り、面倒見の良いムアならば、こういう事を言われれば喜ぶだろうと、ルークにも一応計算があった


――


 『ブラム? それらしき町は確認しているよ。地理の把握は出来ている』
 「漸く進展です。……とは言っても、それほど期待出来た物ではありませんが」
 『いや……。私は、君は限られた条件下でよくやっていると思う』
 「そういって頂けるのであれば、ありがたく思います」
 『…………そちらに馴染んでいるのか、話し方が必要以上に堅いな』

 ガチャガチャと鎧を着込むルークも、今では慣れて、堂に入った物である。マントを着けた完全装備で、荷を確認しながらルークは首を鳴らした
 新しく聞き及んだ町の情報であろうと、コガラシ二型を飛ばして情報を収集するテツコには既知の物だ。先回りされているような手際の良さは、ルークには頼もしく思えた

 扉を叩く音がして、女性の声がした。コガラシを鎧の腰部に取り付けてから、ルークは扉を開く

 「ん?」

 ルークの知らない顔ではなかった。ムアの部下として、メノーの傍の世話をしている侍女の一人だ。それが、頭を下げている
 如何に高貴の身分であっても、メノーに動かせる人材は限られる。なんとなくルークは、メノーの精一杯さ加減を感じてしまう

 「早速出発したいが、準備は良いかな」
 「整えてあります。ルーク様の思われる内で、何か必要な物が御座いましたら、御言い付けください」

 本当を言えば、テツコのサポートがあれば案内は要らないが、折角用意してもらった物を無碍にはしたくない

 ルークは何もない、とだけ応え、侍女を連れて厩舎へと向かった

――

 「フランシスカ様、お止めください! 私は徒歩で十分ですので!」
 「私は出来るだけ急ぎたいんだ。君がどれ程健脚なのかは知らないが、マルレーネの早駆けに着いて来るのは不可能だ」
 「私のような者を騎馬に同乗させては、ルーク様のお立場が悪くなります!」

 ぐりん、とマルレーネが首を回す。くりっとした瞳が、ルークを見つめてくる
 ルークとマルレーネは、揃って首を傾げた。ヒヒン、と屈強なマルレーネの首が、左右に振られる

 「身分に拘り過ぎると、目が曇ってしまって、出来る事も出来なくなると私は思うんだ。マルレーネもそう言っている」
 「は、はぁ?」

 ヒンと鳴くマルレーネの背で、背後からルークに拘束される形になる侍女は、首だけ後に回して呆気に取られた
 侍女はルークとほぼ同じ背丈だ。ルークは肉体が成長しきっている訳ではないから、同じ背丈と言っても、女子平均から逸脱して大きいと言う訳ではない

 年下でありながら、そこいらの木端騎士とは比べ物にならない騎士振りの(ように見える)ルークに、超至近距離からジッと見つめられて、侍女の頭はあっという間に茹った
 そもそも現状が、背後から抱きすくめられているに等しい

 「ほ、他の騎士様に何を言われても、知りませんからね」
 「私はこれが良いと思ったんだ」

 真摯に応えると、ルークは城門とはまた別の、騎馬通用門にマルレーネを駆けさせる

 カウス城の渡り廊下の窓からそれを見ていたホークが、傍らに居たカンセルに苦笑を向けた

 「奴、中々やるな。手が早い」
 「はぁ、その、なんと言いますか」

 ふと、ホークは、渡り廊下の窓から、同じようにルーク達を見ている者が居る事に気付く
 水桶を運んでいる侍女だった。侍女は水桶を床に置いて、頬を朱に染めて羨ましそうに溜息をついていた

 「…………奴、中々、やるな」
 「成りも、心根も良いので、女子は放って置きますまい」


――


 ブラムの町に着くまでにルークが考えていたのは、侍女の髪型である
 シニヨンに結い上げていたのが、今ではテールだ。こちらの方が、気を張っていなくて良いな、とルークは思う。侍女は、終始無言であった


 ブラムの町は、確かに小さかった。ヨーンと比べて、半分ほどの規模しかない
 酒が名産だけあって、町に入って直ぐ酒場を見つける事が出来た。その小さな酒場の直ぐ隣に屯所があり、そこに話を通せば、マルレーネは快く預かってもらえた

 「ご苦労様です。レセンブラの印とは、さぞや重要な任務なので御座いましょう。ブラムの町の警邏は我々が行っております。最大限の協力をお約束します」

 侍女から渡された羊皮紙を、内容の確認すらせずに、ルークは屯所に詰める兵士へと渡した
 途端、大慌てですっ飛んできたのが、目の前でしゃちほこ張る大男だ。ルークは侍女に、何も聞こうとは思わない。メノーの身分に関わる事には、なるべく触れないようにしていた。そう望まれている節があった


 マルレーネを預けて身軽になったルークは、侍女を引き連れて早速行動を開始する。「緑色の髪の侍女」について、聞いて回る
 大抵の者は訝しがり、変な顔をしながら知らない、と応えた。違う反応を返すのは酒場に居る傭兵や荒くれ者の類で、こちらはニヤニヤしながらも、やはり知らないと応えた

 暫く聞き込みを続け、『探し物について知っている』とルーク達を路地裏に引き込み、奇怪な薬を嗅がせようとした男の両腕を圧し折った辺りで、ルークは駄目だなと首を振った
 大きくは無い町だ。聞き込みは、簡単に終わってしまう

 「……手応えが無い……。やはり、銘酒からメイア3を探すのは無理か……」
 「こ、こ、この者はどうされますか」
 「屯所にでも引き摺っていこうか。面倒だけど」

 ブラムの治安維持に関して、別段欲しくもない感謝と賞賛を受けたルークは、米神を揉みながら屯所の隣の酒場へと入った
 既に聞き込みを済ませた場所だ。一度は少しの金も落とさずに去っていったルークと侍女が、今度は真っ当な客として現れて、酒場の主は笑っていた

 「じき夜になる。矢張り、駄目かな」

 カウスを出発したのは朝だったが、日は傾き始めている。さして間を置かず夕方になり、直ぐに夜になる
 ここはロベルトマリンではない。夜になれば光源が無いため、殆どの者は外に出ない。例外があるとすれば、冒険者や彼ら御用達の宿、或いはこの酒場だ
 ヨーン程規模があり、治安が良好であれば、街中に光源が設置され、それなりに賑やかだが、ブラムでは望めそうもない。留まって明日も探索を続行するか、カウスに引き上げるか、悩ましいところだ

 「アシラッド、と言う騎士が、居るんだったか」

 銘酒アシーラの杯を揺らしながら、侍女に問いかける
 侍女は、机に頬杖をつくルークの背後に控えていた。椅子を勧めても座ろうとしないので、堅苦しくて仕方が無い

 「はい。宿屋の位置を聞かされておりますが、訪ねられますか?」
 「……よし、直ぐに」
 「今行っても居らんと思いますぜ」

 ルークは迷わず杯を置いた。実はそれほど酒を好んでいる訳ではなかった
 そこに水を差す声。酒場の主が下を向いて銭勘定をしながら、矢張りニヤニヤしている

 「どういう事か?」

 簡潔に訪ねても、酒場の主は肩を竦めるだけだ
 唐突にルークは杯を干す。大きく息を吐いて、ニッコリ笑った

 「上手いな、これ。もう一杯」

 主は機嫌よく笑いながら、空になった杯にアシーラを並々注いだ。侍女が茶色の硬貨を懐から取り出して、主に手渡す。ルークの所持金の管理は、一時的に侍女に任せてある

 「最近、若い武器商が鈍らを仕入れて、カウスの騎士様に売っちまったってぇ事件がありましてね。当然、鈍らを掴まされた騎士様はカンカンで」
 「ふぅん?」
「それに、武器商の対応も悪かった。話が大事になりかけた時に、かの有名なアシラッド様が仲裁に乗り出したってぇ寸法で。…………丁度今日、その話し合いをしてらっしゃる筈で」
 「呑めば呑むほど美味い酒だなぁ、もう一杯。場所は?」

 満ちる杯。侍女が手際よく、硬貨を差し出した

 「町の東にある市場。周りに目がありゃ、幾ら血気盛んな騎士様でも無茶は出来ないって事でしょうぜ。それにしても冗談の心算だったのに、乗りが良いね、騎士様」
 「美味いよ、この酒」

 ルークは朗らかに笑って、今度こそ席を立つ。別段酒精を好んでいる訳でもないルークだったが、マクシミリアンによって鍛えられては居る
 何度杯を干したところで、酔うことも無かった


――


 空気がざわついていた


 目的の市場の入り口には、見張りの兵士が居たものの、彼等は今市場の中で起こっている騒ぎを、完全に無視していた
 ルークと侍女が市場に入ろうとした時の苦り顔から、余りこの場に立ち入って欲しくないのが解る。揉め事の中心部に、カウス城の騎士が居るのだから、話がこじれては困るのだろう

 「騒ぎが収まってから話を聞いた方が良いかな?」

 難しい感じだ、とルークは呟いた。侍女が、大騒ぎしている集団を指差す

 「アレですね。カウス正位の騎士様が三人と……、銀甲冑の騎士様が……しかし、あの格好は、まるで戦場に居られるかのような装いですが」

 濃い赤のマントを着けた三人組と、一人の青年を庇うようにしながらそれに相対する銀甲冑
 三人組の方が、鈍らを掴まされた側であるのは何となく解るが、彼らの軽装と比べて、“アシラッド”と思しき者の姿は、物々しい

 鎧は完全装備で、フルフェイスの兜に、蜥蜴が描かれた盾。腰元では二本の長剣が左右で妖しく光り、重々しい鎧を装備したままで使用できるのか疑わしいが、小物入れには投擲小剣が覗いている
 白いマントをゆらゆらさせながら、鷲面の兜の中で眼光を鋭く光らせ、物々しさで言えば遠出の為に完全装備をしてきたルークよりも上だった

 「……カウス側が、殺気立っている」

 表面上は落ち着いているように見えるが、カウス側の三人組が緊張しているのにルークは気付いた
 三人の中で先頭に立つ、リーダー格の男はまだ良い。大分抑えが効いているが、後ろの二人は目をぎらつかせている

 単に、鈍らを掴まされたとか、そういう次元の怒り方ではない。腹の底で冷たい炎を燃やすような、何ともゾッとする憤りである

 「貴公、アシラッドと言うのか。よく思えば、こうして仲裁に入った貴公の名を、今まで知らなかったというのも不思議な物だ」

 カウス側のリーダー格は、焦げ茶色の前髪を握り締めて、梳くように引っ張っている。顔を隠しながら、不気味なほど冷静な声音である

 「…………失礼いたしました。何と言いますかー……つい、うっかりしておりまして」

 ルークは、間延びした女性の声に眉根を寄せた
 銀甲冑の見事な騎士振りであるが、女だ。そういえば、アシラッドの性別までは確かめていなかった
 騎士であれば男も女も皆騎士だ。カウス側もアシラッドも、立ち振る舞いは双方躊躇が無い

 能天気なアシラッドの口上を、カウスの騎士が遮った

 「貴公がアシラッドなら、蛮族討滅の英雄、ロッシ様を知っているだろう」
 「……へぇ、ロッシ・ロタス?」

 じり、じり、とカウスの騎士が動いた気がした

 「そうだ。貴公が斬った、我等の主君だ」


――


 「フランシスカ様、あれを」

 侍女がヒソヒソと、騒ぎとその野次馬から、向かって右奥を指差す。人相の悪い男達が十人ばかり、騒ぎを見守っている

 「ブラムの無頼者です。本来ならば纏めて縛り首にされても可笑しくありませんが、後ろ暗い者達の中に一応の秩序を作り上げているため、見逃した方が治安維持に使えると判断された連中です」
 「詳しいね」
 「私はブラムの出です。フランシスカ様の案内を仰せつかったのも、それゆえでしょう」

 無頼者の一人が、ぐるっと視線を巡らせる。偶然、ルークと目が合った。ルークは慌てず、不自然でないように目を逸らす

 「穏やかとは言い難い。ブラムの兵士は、動こうとしないし」
 「ブラムの商人達から守代を取っていますから、刃傷沙汰となれば黙っていません。騎士だ、何だと言って、相手を選ぶ気性の者達ではないですよ」
 「私が収拾できる事態ではないよ」
 「しかし、それを別にしても、もしこの騒ぎで罷り間違ってアシラッド様が命を落とすような事になっては、フランシスカ様はお困りになるのでは? カウスの騎士様に先ほどのレセンブラの印を見せて、アシラッド様に関しての重要な任務だと言えば、剣を収めるやも」

 ルークは眉を顰めた。そんなに上手く行く筈がない


 「どんな名君でもー……、毒婦に溺れて無辜の民を虐げるようでは、ね」
 「…………」
 「どれ程勇猛で、どれ程尊敬を集めていたのかなんて、私は知りませんがぁ、残念な事に居るんですよ」

 アシラッドの兜が傾く。左半身を後ろに引き、妖しく光る剛剣の鞘に手を添えた

 挑発している雰囲気ではない。しかし、自分の発言がどのような結果を齎すかは十分に理解しているようだった。その上で、場合によってはカウスの騎士三人組を切り捨てる事になっても構わないと判断している

 折れない剛剣は、殺す気だ

 「死んだほうが良い主君と言うのは」


 「詳しい話は良いから、結論だけ頼む。アシラッドとカウスの騎士、どちらが拙い?」
 「え、あ、それは」

 アシラッドの言葉は決定的だった。カウスの騎士達も、やる気である
 侍女はルークの言葉を上手く理解できない。噛み砕いて質問することを忘れたルークのミスだが、侍女は何とかルークの欲しい答えを出した

 「か、カウス側の騎士様達です。え、えぇと、恐らく彼らの言う…………、い、いえ、彼らの怒りの理由たる事件に関して、アシラッド様はさる高貴な御方の取り成しと、事情を鑑みて、お咎めなしとされた筈です。仇討すれば処断されるのはカウス側の騎士様達でしょう。それにこのような場所で剣を抜いては、下される騒乱罪の処分は、非常に重いかと」
 「なら、止めよう。ブラム・マフィアの連中も、イライラしている」
 「へ?」

 ルークは野次馬を強引に押しのけて、一触即発の空気の中に飛び込んだ


――


 「お待ちください!」

 カウスの騎士が、目玉だけをギョロリと動かして、ルークを見た
 緊張しきった身体はその他にまるでルークを認めようとしない。眼中に無いのだな、と悟ったルークは、更に数歩、踏み出した

 「何をしておられるのか。剣を納めてください」
 「お前は何だ? この場に割ってはいると言うなら、命を捨てる覚悟はあるのだな?」
 「このままでは、どのような結果になろうと処断を免れ得ませんよ」
 「覚悟の上よ」

 リーダー格は、後ろ二人で何時でも飛び出せる体勢にある二人に向けて、ぞんざいに首を振った

 「下がっていろ」
 「だが」
 「俺が死んでからで良い」
 「ぬ……!」

 リーダー格の言葉に、大の大人二人が息を詰まらせた。二歩後ろに下がって、居住まいを正す
 アシラッドがカウス側に習うように、後ろに控える若い商人に首を振った。しかし、動かない。足が震えているようだった
 アシラッドは若い商人の肩を強く押す。商人はうひ、と悲鳴を漏らしてたたらを踏み、腰を抜かしてへたりこんだ

 「一騎討ちが宜しいとは、中々ぁ、酔狂でいらっしゃる。しかし申し訳ないですが、百戦して百勝するでしょう、私が」

 アシラッドの言葉に、カウスの騎士が腰を落として剣を抜きかけた。直前にルークが大声を張り上げなければ、確実に抜いていた
 羊皮紙を広げて掲げ、怒鳴りつける。野次馬の輪が一歩下がる程の気迫である

 「私はルーク・フランシスカ! 主命を果たす為、アシラッド殿の助力を得たい! この印を見ても尚剣を納めないと言うなら、不名誉な処分を受けるでしょう!」
 「レセンブラの……? 何故、君みたいな子供が、そんな物を……?」

 アシラッドが、まるで緊張感の無いぼんやりとした声を上げた。ルークは顔を引き攣らせる
 なんとアシラッドが気負い無く独り言を呟きながら、平然と何事も無いかのような手付きで、あっさりと抜剣したのである

 まるで懐から財布を取り出すような気軽さであった。余りにも自然過ぎて、抜剣したのだと理解するのに一瞬の間を必要としたルークは、声も出なかった

 もう大事になるのが決まったような物である

 「死んだ方が良い主君と、死にたい騎士。両方ともスッパリと斬り捨てて差し上げるべきだと思いません? えー、ルーク君」
 「では、バヨネへはお前にも付いて来て貰おうではないか」

 カウスの騎士も、とうとう抜剣した。勢い良く引き抜かれた銀の刃が、唖然とアシラッドを凝視していたルークを掠める

 最早止める間もない。アシラッドの操る剣先が小賢しく動いて牽制するのにも構わず、カウスの騎士は切り込んだ

 掲げた長剣を、ただ振り抜く。この動作を一体どれ程繰り返してきたのか、カウスの騎士の挙動は、全てが力強い
 自身を狙う長剣を、アシラッドは慌てず騒がず盾で受けた。鈍く、重い音が響いた直後、僅かに身を引いたのか、長剣は盾の表面を滑っていく
 ルークには、スローモーションに見えた。アシラッドが構えた盾の影から、突きが来る。それは、受け流されて地面を叩いたカウスの騎士の長剣と接触し、ほんの僅かな火花を散らして、それの使い手の脇腹を抉った

 灰色の布切れと、鮮血が舞う。カウスの騎士は僅かに身体を捩っていた。内臓を著しく傷つける筈であった一撃は、掠り傷をつけた程度であった

 「やめ、止めないか! それが軍人のする事かァ!」

 ルークの静止を聞くような性格であったら、そもそもこうはなっていないだろう。ルークの目の前で紅いマントが翻る。カウスの騎士が身を引いて、其処をアシラッドの剣が真一文字に落ちてゆく
 石畳に食い込んだ刃は撓みもしない。アシラッドが剛剣を跳ね上げた時、砕けた石畳の欠片が飛礫となってカウスの騎士の顔面を打った

 しかし、動じない。互いが冷静に一歩引き、剣を突きつけあう

 「若き騎士よ、ルークと言ったな。下がるが良い。一騎討ちだ、最早止まれん」

 腕を組んで控える騎士の片割れが、真一文字に結んだ口を開いた。何を、と思いはしたが、ルークは首を振り、静かな佇まいを取り戻す

 「貴方達は、ここを自分の屋敷の庭か何かだと思っていませんか。市井で剣を抜き、人々を騒がせ、更には私闘を行うなどと」
 「意地がある。我々は意地の為に死んでも良い」

 ルークは内心、唾を吐きたい気持ちであった。そんな風に思うのは、ルークは生まれて始めてである。この騎士ども、開き直ってやがる
 これが、悪意と計算を以って行う奴らなら、幾らでも見てきた。しかし、この騎士たちの無垢さはなんだ

 開き直った側は自分の思うままをやれて良いかも知れないが、周囲はそうもいかない。意地があるから仕方ないだなんて、仕方ない、で済むのは、当人達だけだ

 「流した血が垣間見えるような……、冷徹で剛直な剣の冴えですねぇ。……ですが、貴方を斬ります」
 「ふん」

 アシラッドが盾を捨て、剛剣を両手で握り締める。そしてそれを、ふ、と掲げた
 次の瞬間には、カウスの騎士へと切り込んでいた。先程までのそれとは、明らかに違う。踏み込みの早さも、深さもだ
 カウスの騎士は、咄嗟に剣を掲げた。篭手を刃の部分に押し当て、アシラッドの切り下ろしを防御する

 アシラッドの剛剣は、その防御を真っ二つに割っていた。正に剛剣と言う二つ名に相応しい一撃であった

 「く……お……!」

 カウスの騎士の胸元が裂けて、夥しい量の血が流れ出す。咄嗟の防御が、カウスの騎士の命をギリギリの所で繋いだ
 二歩、三歩と後ろに下がり、傷を抑えて膝を着くカウスの騎士。自嘲していた。死の覚悟と言う奴だろうか、嫌な目つきだった

 もう此処までだ、とルークは溜息を吐いた。血まで流れた。これ以上は仕方ないだろう

 アシラッドが止めを刺そうと歩き出す。ルークは羊皮紙をしまって、その道を塞いだ


――

 後書
 デモンズソウル。後はわかるな?
 流石フロムだ。


 …………サーセーン



[3174] かみなりパンチ16 剛剣アシラッド2
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:42
 「おや、ルーク君。何の心算で?」
 「私は貴女の事など知りませんが、今の貴女に、馴れ馴れしく名を呼ばれたくはありませんよ」
 「えぇー……。御免なさい、私はですね、可愛い子が好きなんですよ。それで、何の心算ですか?」
 「説明が必要ですか?」
 「……いえー、要りません」

 眉目を険しくしたルークは、鋭くアシラッドを睨む
 僅かにたじろいだアシラッドは、しかし全く深刻そうではなかった。ちょっと嫌だな、その程度である

 「ルークとやら、何の心算か。先程から出しゃばって、これ以上は」
 「お黙りなさい」

 背後からの剣呑な詰問を、ルークはピシャリと斬って捨てた。怒る肩がマントを揺らめかせ、危険な気配を振りまく
 堂々たる背中だ。熟練の騎士だろうが何だろうが、口は挟ませない

 「黙れるか! 一騎討ちに」
 「黙らっしゃい! 三度は言わない!」
 「ぬっ」

 ルークの気迫に圧されて、カウスの騎士達は黙り込んだ。胸から血を流すリーダー格の騎士を、一睨みで牽制すれば、彼は大人しく後ろに下がる。負けた者に何か一語でも語る資格はない

 アシラッドは、右腕で頭を抑えていた。篭手と兜が、軽くコツンと音を立てる。困ったような呻き声も、矢張り余裕に満ちていた

 「……ルーク君、一端の騎士であるのならば、まさか殺すなとは言いませんよねぇ。斬り合っているんですよ。斬ろうとするんだから、斬られることもあります。私も彼も其処は変わらない」
 「私は其処に口を挟む心算はありません。しかし、市中で剣を抜く蛮行を恥じてください。これ以上騒ぎを起こされては、困る」
 「はぁ……蛮行、ですか。それは間違いないですが……、ちょっと傷付くなぁ。私とて、何も思うところが無い訳では無いんですよ。本当に」

 ルークは装備している篭手を一擦りして、拳を突きつける。敵意の形を向けられて、アシラッドは僅かに沈黙した
 騒ぎを見守る民衆が、そろって息を呑んだ

 「捻じ伏せられなければ、解らない方ですか? 貴女は。この馬鹿騒ぎ、鎮圧しますよ」
 「仕方ないな。…………お姉さん、興奮してきましたよぉ。うふ」
 「ふ、フランシスカ様! 剛剣のアシラッド様ですよ?! 無茶はお止めください!」

 侍女が堪らず口を出した時、全ては遅かった
 ルークが身体を撓らせて、アシラッドに飛び掛っていたからだ


 今より一年程前、一度だけ、本当に一度だけ、ルークはマクシミリアンの稽古の中で、彼に勝利した事がある
 その時のマクシミリアンは、長剣を使っていた。加減はしていたのだろうが、その動きは到底ルークに見切れる物ではなかった

 マクシミリアンに比べれば、余人の何と他愛の無いことか。自分達と身体能力に大きな差のある異世界の人間ならば、尚のことだ
 行ける、と己を鼓舞して。ルークはアシラッドの懐深く潜り込んだ。実際のところ、他愛ないと言いつつも、アシラッドの剣は早く、完全に見切れなどしなかったが
 しかしそれでも、抜けない以上は、前に出るしかなかった。無手であるならば、組み付くしかなかったのである

 あの時、自分はどうしたか。ルークは目の前に居るアシラッドと、マクシミリアンを重ねた
 頭上から振り下ろされる右手の剛剣。ルークの両手が、アシラッドの肘と脇を抑える。急激に速度を落とすアシラッドの斬撃

 次は、何だったか。ルークは、思い出す

 「およ?」

 不思議そうに溜息を漏らすアシラッドは、しっかりと左手を動かしていた。指の一本一本までをしっかりと覆うアシラッドの篭手がギチリと鳴り、握り締められる。
 殴られたら、痛いだろうな。鉄の篭手であることだし

 だが、ルークは見ていた。アシラッドの左手が拳を握りこむ前に、小物入れの小さな刃を抜こうかどうか、逡巡して辞めたのを。アシラッドの殺意の無い拳などルークはまるで恐ろしくなく、そしてその逡巡は決定的な隙だった

 振り払われるアシラッドの右腕。大きく体制が崩れた彼女は、再び息を漏らした

 「およ?」

 苦し紛れの蹴りが飛ぶ。ルークは両腕を交差されて平然とそれを受け止めた
 剣術では勝利は覚束ないし、抜けば問題になる。が、これならばどうとでもなる。超至近距離の格闘戦で、何百年と進んだそれの技術を学んでいるルークが、負ける筈が無い

 苦しい体制からの蹴りを止められ、更に身体が泳ぐアシラッド。自らを見つめるルークの視線に、途方も無い熱と迫力を感じ、思わず目を奪われる

 ルークは冷徹に、足を狩った

 「わぁ!」

 アシラッドがピョンと跳ねて、完全に身体の制御を失う。後は、倒れこむだけだ

 ルークが掌をアシラッドの兜に添えていた。勢いに任せて体重を乗せる。激しい音を立てて、石畳に叩きつけられるアシラッドの頭部

 鎧を着ていようがこれほどの衝撃、どうにもならない。アシラッドはすぐさま起き上がろうとしたが、ぐらぐらと視界が揺れて、身体が動かなかった

 「脳震盪です。動かないで」
 「はっはっは…………、いや、まあ……、これはこれで」

 アシラッドにもう少し戦意があり、ルークを傷つけることを厭わなければ、こうはならなかった筈だ
 斬る、斬らない、を偉そうに語るくせに、妙に甘い女性なのだな、と、ルークは首を振った

 「この騒動、これまでにしたく思います! 無闇に場を騒がせたこと、どうか許して貰いたい! 何か物言いがあるならば、後日、カウスのホーク・マグダラ殿を訪ねてこられよ!」


――


 問答無用でアシラッドとカウスの騎士三人を縛り上げたルークは、ブラムの屯所で粗末な馬車を用意させ、休む間もなくカウスへと出発した

 もう少し丁寧な扱いを、だの、怪我人の事も、だの、この程度どうと言うことは、だの、アシラッドォォー、だの、非常にやかましい声が後ろから聞こえる気もするが、ルークは全く気にしない

 馬車の御者台の上で危なっかしく手綱を取りながら、ルークは溜息を吐いていた

 「紐も綱もなしに、騎馬って付いて来てくれる物なんですね……」
 「マルレーネは頭が良いんだ。それに中々心配性でね」

 ルークの隣では、侍女が暗闇の中、目を凝らしている。視線の先には、馬車を引く痩せ馬と並んで歩くマルレーネが居た

 暗闇の中とは言えど、申し訳程度に舗装された道からは外れていない。問題なくカウスに辿り着けると、ルークは思っている。少しばかり心もとないが
寧ろマルレーネの方が道を把握できているのか、馬車を誘導している節があった。マルレーネの白い馬身が、暗闇の中でぼんやりと揺れていた

 「…………それにしても驚きました。まさか、……あ、いえ」
 「ずっと言っているけれど、君をペコペコさせても、私は嬉しくないよ」
 「……フランシスカ様の御付をしていると、緩んでしまいます。全く、本当に……、周囲の方々に何を言われても、知りませんからね」
 「それで、何を?」

 侍女が後ろを見やって、声を潜めた。粗末な馬車とは言っても、一応屋根はついている。名目上とはいえ、咎人の移送に使うのだから、当然だが

 「アシラッド様です。まさか、剣も抜かずにあのように勝ってしまわれるなんて」
 「いくら止めるためとは言え、抜いたら大問題だ」
 「ご存知ありませんか? アシラッド様といえば、林の魔物を筆頭に、様々な怪物を討ち取ったと言われる騎士様ですよ」
 「私は此処に来て、まだ日が浅いから。……でも、もし彼女がもう少しだけ、私の生き死にを、どうでも良いと思っていたら、私は彼女が今まで滅ぼしてきた怪物達と同じ末路を辿ったかも知れない」
 「照れますね」
 「ん?!」

 ルークと侍女が、一緒に後ろを振り向いた。木格子の窓に鷲面の兜を貼り付けて、アシラッドがこちらを伺っている

 よく聞こえましたね、とルークが苦し紛れに言えば、耳がいいんです、と平然と帰ってきた。掴み辛い性格なのは薄々解っていたが、これはどうも遣り辛そうだった

 「ねぇ、可憐なお嬢さん。私は恥ずかしがりやで」
 「は、はい!」
 「でも、ルーク君に自己紹介が出来ないくらい酷い訳ではないから……。余り要らない事を話さないでくれるとうれしいかなぁ」
 「申し訳御座いません! 不躾な事を!」
 「いや、謝ることは無い」

 侍女をやんわりと恫喝するアシラッドに、馬車の中から待ったを掛ける声一つ
 今日の事件を思えば、首を落とされる可能性すらあるのだが、そんな事は全く気にしていないような風情である。カウスの騎士達は、侍女を庇い始めた

 「アシラッド、貴公、少し己の立場を知ったらどうだ? 貴公のように態度の大きい捕虜など、そうは居まい」
 「貴方だって捕虜でしょうに。何他人事みたいに言ってるんですか」
 「私はこの期に及んでまで、ルーク殿に手間を掛けさせようとは思っていない。剣すら抜いて貰えなかったのだ、貴公は。敗北したならば、殊勝にせよ」
 「剣すら抜いて貰えなかった私に、自慢の一振りごと切り捨てられたのは何処の何方でしたか?」
 「ぬ……、殺しきってから偉そうにしたらどうだ」
 「…………手心を加えず、後一歩深く踏み込んでおくべきだったと今では思いますよ」
 「おい、傷に障る。今は大人しくしておけ」
 「全く……昔から顔色を変えん奴なのは知っているが、斬られてもこうか。本当に人間か確かめたくなるな」

 先程までに引き続き、再びやいのやいの言い始めてしまった連中を尻目に、ルークは手綱を握りなおし、眉を顰めて溜息を吐いた

 この、異世界と言う奴は、どうも自分を図太くしてくれるようだ。ルークは日々、成長している


――


 予想は出来ていた。何と言うことは無い
 牢屋の壁を這う虫を蹴り払いながら、ルークは自分に言い聞かせていた。アシラッドや、カウスの騎士三人組、それらと一緒くたにされて牢屋に放り込まれるぐらい、何だと言うのだ

 このカウスの城は、つい最近まで最前線であったらしく、牢屋にも多少の曰くがある。壁には拭っても落ちないらしい血痕と、どうやったかは知らないが食い込んだまま折れた爪。微かに、腐臭もする

 何と言うことは無い。ルークは、げっそりしながらもう一度自分に言い聞かせた

 「看守! 看守!」
 「は、なんでしょうか!」
 「ここは不衛生だ。怪我人だけでも別の場所に移せないか?」
 「既に具申してみましたが、許可が下りませんでした。ジャウ様の……えー、後見役、のベイオ様は、怒り心頭といった具合で」
 「ジャウ?」

 中年の看守と会話を続ける内に、向かい側の牢から笑い声がした

 「私の名だ、ルーク殿。ふふふ……、どうも俺は、人の名前と言う物を、あまり覚える気にならなくてな。教えたり、教えられたり、そういう意識が無いのだ」
 「はぁ」
 「改めて名乗ろう。ジャウ・バロイ、今はベイオ・ブラーデン様に、騎従士として仕えている。この二人は、エヴァンシードとスクリュージョーだ」
 「ジャウ、おい!」
 「全く、お前と言う奴は……!」
 「はぁ?」

 焦げ茶の髪を書き上げながらジャウが紹介すると、腕組みしながら壁に凭れ掛かっていた二人は、苦笑しつつも声を上げた

 くっくっく、と笑い声がする。ルークの牢屋の、隣からだ。アシラッドだった。アシラッドはルークの牢屋側の壁に背中を預けながら、肩を震わせている

 「馬車で聞いてましたけど、ルーク君は本当に世間知らずですね。エヴァンシードは神話の勇者、スクリュージョーは御伽噺の剣闘士、どちらも実在しない人物です」

 はぁ、とボケた様にルークが洩らせば、あっはっは、と、アシラッドは声を大きくする
 看守は、肩を竦めながら持ち場に戻っていく。何故か妙に疲れていた

 「キューリィ・シードだ。ジャウは気にするな。何時も真面目腐った面をしているが、時々阿呆な事を言うからな」

 くすんだ金髪を揺らしながら、鋭い刃物のような面付きでニヤリと笑うキューリィ

 「ジョノ・ジョー。……ふん、最初は物分りの悪い子供かと思っていたが、……感服した。全く、凄かったぞ、ルーク殿」

 がっしりとした顎をしきりに撫でながら、手放しで誉めるジョノ

 なんとも気持ちの良い連中だとは思うが、この三人とアシラッドは、ほんの数時間前に殺し合いをしたばかりなのだ

 こんな短時間に、遺恨を水に流せる物だろうか。アシラッドも此処には居るのに、余りにも気負った風の無いジャウ達に、ルークは疑問を抱いた

 「はぁ。…………私はルーク・フランシスカ……です。一応、ホーク・マグダラ様の所にご厄介になっています」
 「…………なんだ、変な顔をして」

 ジャウが胸を押さえて顰め面をした。その時ルークは眉を顰めたが、ジャウはそれを見逃さなかった。斬られているが、笑っているのだ、この男は

 「不思議ですか? ルーク君」

アシラッドの牢屋から、コンコンと音がした。壁を叩いている
 視線がアシラッドに集まる。ルークは音のした方に身体を向けて、首を傾げた

 「……私が言うのも何ですけどー、言うほどは怒ってないですね、貴方達は」
 「…………あぁ」

 ジャウは、自嘲の笑みを浮かべて、俯いた


――


 「逆恨みだ。全く、俺は未だに情けないままなのだと、思い知らされた。だが……」

 自分を嘲笑っては居るものの、不思議とジャウの顔はすっきりしているように見える
 ばっさりと切られて、血と一緒に何か大事な物まで流してしまったのではなかろうか。ふん、と鼻を鳴らす仕草が、妙に楽しげだった

 「ロッシ様は……、俺がやらなければならなかったのだ。本当は。ロッシ様をお止めして、そして俺は剣を呑んで死ぬべきだった。……しかし、俺には」
 「……何度目だ。もう言うな。お前だけではない、俺たちとて、そうであったのに」
 「……くっくっく、悩む内に、全ての事にアシラッド、貴公が片をつけてしまった。本当ならば礼を言い、許しを請わねばならないぐらいであるのに、俺たちは、情けないやら恥ずかしいやら、どうしようもなくなってしまってな」
 「待った、もう止めにしましょう」

 アシラッドが遮る。視線を上げたジャウに、アシラッドは手を振ってみせる

 「別に聞きたくはありません。聞かなくとも、貴方の心根は解りました。もう、仇討の心は、ないでしょう?」
 「ふん……負けたし、な」

 異世界の感性は解らない物ではないな、とルークは思う。ジャウ達の心も、アシラッドの心も、何となく解るような気がした
 きっと、ジャウ達が市場で洩らした言葉に嘘は無かった。死んでもよいと本気で思っていたのだ
 人の心は理屈ではない。理屈が通らない事はすべきではないと、ルークは常にそう考えているが、理屈だけで人が御せるなどと思ってはいない

 じわ、と胸が熱くなるような気がした。ジャウ達はきっと、理屈が通らなかったとしても、斬るか、或いは斬られるかしなければならなかったのである
 言葉にすることなど、出来なかった

 「しかし、貴方達ほどの騎士が、未だに騎従士扱いなんですかぁ?」
 「はみだし者だからな、俺達は。ロッシ様に仕えていた俺達の事が、ベイオ様は気に入らんのさ」

 ジャウが立ち上がり、鉄格子の前までおっとりと歩く。鉄格子によりかかると、ルークに頭を下げた

 「まずは、謝罪する。そして、捨鉢のような物だったが、命を救われた。礼を言う。恩を返したい気持ちはあるが、……此度の事、今度こそ剣を呑まねばなるまい。恩知らずで、済まんな、ルーク殿」

 ルークは嫌な気持ちになった
 頭なんて下げないでください。頭なんて下げないでください

 アシラッドは何も言わない。おどけた雰囲気が消えて、シン、と静まりかえる
 ルークは息を吸い込み、止めて、口を結ぶ。自分が発するべき声をよく考え、吟味して、漸く発言した

 「そうはさせません。私は、全ての人々に、効率的な死に方があると思うのです」

 ルークは看守を呼びつけて、伝言を頼む


――


 ホークに与えられた執務室は、流石にカウスの城の中でも、特別良い調度が置かれている

 「ブラムから南東へ馬で三日の距離に、小さな村がある。面白くない話だが、賊や逃亡兵の類が結託して、村を占領しているとの情報が少し前に入った。これは断じて見過ごせん」

 牢屋から出されたルーク達は、気分良さそうに微笑しているホークともう一人、深緑色の外套を着込んだ壮年の男、ベイオの前で膝をついていた
 羊皮紙の胸の前で広げながら、朗々語り上げるホーク。ふと、鋭い視線が、こっそりと顔を上げて様子を伺ったルークのそれと重なる

 嬉しそうだな、とルークは何となく思った

 「討伐の為の部隊に先んじて、貴様らは賊を討ち滅ぼせ。行くのは貴様ら三名に加え、監視としてルーク・フランシスカがこれに付き添う。ルーク、君は、ジャウ以下三名の戦死を見届けたら、即座に撤退せよ」

 羊皮紙を丸めたホークの前に、ベイオが白髪交じりの髪を掻き毟りながら進み出る。ルーク達に向き直ったベイオは、何ともいえない呻き声を上げながら、やっと搾り出した

 「……この困難な任務を成し遂げれば、貴様らの罪を相殺とする。また、例え死んだとしても、騎士の名誉を保とう。もしも、もしもだが、これを拒否するのであれば、騎士の位を剥奪した上で追放とする」

 ホークが腕組みしながら、一同を鋭く睨みすえた

 「何か聞きたいことがあるか?」

 ルークが真っ先に顔を上げた

 「敵戦力は」
 「装備は大したことは無いようだが、五十程を確認している」

 五十。ルークの眉間に皺が寄る
 ジャウ達だけで、到底相手できる数ではない

 「私も戦闘に参加して宜しいでしょうか」
 「この不名誉な騎士達三人と、肩を並べても良いと言うならば、君の誇りと心に従え」
 「ホーク殿?!」
 「ありがとう御座います!」

 ベイオの咎めるしゃがれ声を無理やり遮って、ルークが立ち上がり、感謝を述べた

 何故、といわれても、明確な答えをルークは返せないだろう。何故、出会ったばかりの、しかも自分の手を煩わせた者達の為に、自ら戦場に飛び込むのか

 こういうとき、理屈は良いんだ。放っておくのは、何かが違う
 理屈屋の心を捨てようと、ルークは思った。自分より一回りも年上であるジャウ達に、身内に近しい好意を感じ始めていた

 「では、私も参加したってぇ、構いませんよね」
 「あ、アシラッド……?」
 「誰が顔を上げてよいと言ったか?」
 「はっ」

 気負い無く、まるでホークもベイオも居ないかのような振る舞いで立ち上がったアシラッド。ジャウが思わず身体を持ち上げ、ホークに鋭く抑えられる
 ベイオがまたもや難しい顔で唸った。ホークは肩を竦め、凛々しい顔を真正面に、アシラッドと向き合う

 「貴公がアシラッドか」
 「お初にお目にかかります」
 「……兜くらいとっては如何か?」

 鷲面の兜に手を掛けて、少し逡巡した後、アシラッドはそれを取り払った

 赤い紐で一括りにされた艶やかな黒髪が流れる。鷲面の兜の何処に収まっていたのかと思う程の長髪で、目を引く妖しさがあった
 褐色の肌は張りがあり、健康的で、幾つもの武勇伝を持つ割には、かなり年若い。力の抜けたような半眼は、素なのか意識してなのか。一度こちらに向き直って一礼したアシラッドを見て、普段の妙に間延びした雰囲気を考えれば、素なのだろうな、とルークは思った

 「私がアシラッドです。家名は覚えておりません。どうかご容赦を」
 「良い。ホーク・マグダラだ、高名な剛剣アシラッドに会えて光栄に思う。……で」
 「本気ですよ、私は。別に駄目と言われても、こっそりルーク君に使ってもらいますけど」
 「ふ、なら、別段言う事も無いな。…………ジャウ、キューリィ、ジョノ、立て」

 ジャウは、歯を食いしばっていた。目尻が光っているのをルークは見つける
 感涙と言う奴だろうか。ルークはなんだか気恥ずかしい

 「どうしたジャウ、立たんか」
 「はっ。ありがとう御座います。この処置はホーク様の御厚情と存じております。感謝しても、しきれませぬ」
 「ルークが、骨のある奴が居ると言うんでな。ルーク、彼ら三人の指揮を執れ。僅か四人、剛剣アシラッドを含めても五人の極小の騎士隊だが、君が指揮官だ。……尚、騎従士であるジャウ以下三名は本来ならば騎乗は認められないが、ルークの指揮下にある内はこれを許可する」

 ベイオは忌々しげに掌を持ち上げるばかりで、もう何も言おうとはしなかった

 「ホーク殿、もう全て終わりましたな? それでは、私は私の職務に戻らせて頂く」
 「ベイオ殿、済まないな。ここに着いてから、我侭を言いっ放しだ。本当に感謝している」
 「全く、私も黴臭い牢屋で構いませんので、一晩ぐっすりと休みたい物です」

 足音荒く退室するベイオ。此処暫く外出する事も出来ていないのか、肌は輝かんばかりに白く、目の下には隈があった。白髪交じりの髪は流石に整えている辺り、ベイオは几帳面であった

 「真面目な働き者だ。本当は、ああいう男に我侭で泥を被せたくないのだが」
 「ありがとう御座います、ホーク殿」
 「ルークを残して、後は退出しろ。部下が厩舎まで案内するから、そこで馬を選べ。アシラッド、君は?」
 「私はブラムに馬を預けておりますので」
 「なら、良い。部屋を用意しているので、案内させよう。では行け」

 深く一礼して、騎士達は退室した。横目でそれを見送るルークに、アシラッドが能天気に手を振る

 さて、何を言われるのやら。ルークは身構えた。ホークは余り人を騙すような事はしない。笑いながら酷いことをいう男ではない。だから、機嫌の良さそうな今、あまり叱責されることも無いだろう、とは思っていた


 「よくもやったなルーク! あの剛剣アシラッドを、まさか無手で下すとは!」

 機嫌が良さそう、所ではなかった。最高に上機嫌だ
 声自体はそこまで大きくないが、何時に無くはしゃいでいる気配が伝わってくる

 もし今の声がアシラッドに聞こえていたら、気まずいな、とルークは苦笑した

 「しかし剣を抜かなかったのは大きいな。見事な騎士振り、と、皆が君を讃えている。『ルーク殿とはどんな御仁か』と態々聞きに来る者も居て、私も鼻が高い」
 「そんな……ホーク殿にそう手放しで誉められると、照れます」
 「まぁ、如何な状況、理由であっても、騒乱罪には変わりないが、君の風評にはそんな事は関係ない。我関せずと優等生面しているよりも、君のようなやり方のほうが私は好きだ」

 だが

 言い切って、ホークは笑みを消す。穏やかでいて有無を言わせない強い口調の、何時ものホークである

 「あの三人も中々優秀であるようだが、拘りすぎるなよ。君は若いのが、私の唯一の懸念だ。命には賭け時がある。無理をせず、危うければ退け」
 「最善を尽くします。どんな作戦であろうと。それで宜しいですか?」
 「……ふ、たった四人、五人だが、或いはやるか? 君が功績を積むのを楽しみにしているぞ」

 一つ頷いて、ルークも退室した。なんとも言えない、高揚した気分だった


――


 しかしルークのルンルン気分は一瞬にして綺麗さっぱり消えうせるのであった

 『馬鹿な』
 「いえ、その」
 『何故そうなる前にこちらを頼ってくれないんだ。……コガラシで、或いは何かやりようがあったかも知れない』
 「余り、瑣末事でお手を煩わせたくなかったのです」
 『その、気持ちの悪い言葉遣いを即刻辞めてくれないか、ルーク。私は別に怒っていないよ。……ただ、君のサポートを行っている筈の私が、その実何も出来ていないのが情けなく思えただけさ』

 ルークは、明滅するコガラシの前で直立不動になっていた。ルークに宛がわれた部屋の中での事である

 「いえ、そんな事は」
 『私は無能だよ』

 テツコの気配は、何時に無くどんよりしていた。ここ数日間は簡単な報告だけで、テツコを補助する研究員達でも事足り、テツコ自身と会話することが無かった
 久方ぶりに話してみれば、この有様である。これほどか弱く話すテツコを、ルークは初めて見た

 『ゴッチは見つからないし、マクシミリアンは変態を送り込んでくるし、ファルコンはレイプショーを実況中継してくれるし、君ときたら何時の間にか異世界で特攻隊員だ。警察連中は痛くも無い腹を探るついでにセクハラしていくし、疲れきった所員達は好き勝手言い始めるし』

 ダカダカとコガラシの向こう側からキーボードを叩く音がする。ダカダカダカと鳴り続ける

 『私にもう少し能力があれば。後もう少しあれば、幾らでもどうにでも、してやるのに。ゴッチだってとっくに見つけて、メイア・スリーの捜索だって進展させてやるのに。私は無能だ』
 「そ、そんなネガティヴにならないでください」
 『私はゴッチを見つけたときのために、彼を戒める為の言葉をずっと考えていたんだ。だが、駄目だ。上手く彼を言い包める言葉一つ思い付かない。何せ、気に入らなければ道理を引っ込めさせる男だ。結局感情論や、泣き落としのような、情けない事ばかり思いついてしまって、そして』

 ダカダカ、の音が止まった。これは拙い、とルークは思った
 鬱状態に入り込んでしまっている。ここまでダウンしてしまうと、余人が何を言っても無駄だ。何がどうなってテツコがこうなったのか、ルークは知り得ない諸々の原因を恨んだ

 『……その泣き落としに、結局打算が混じってしまうんだ。私は情けない。私こそが、彼に真摯でいなければならないのに』
 「いや、それは何と言うか、考えすぎと言うか、思い込みすぎと言うか。言い過ぎと思いますが」
 『考えれば考えるほど……泣き言を……こんな、情けない。えぇい……! まだ何も終わっていない……!』
 「え、ちょ」
 『まだ取り返せる……! 私は無能かも知れないが、しかし、自分の怠惰で……!』
 「何を言って……、というか、何をして……」
 『全部やっつけてやる……! ……ルーク、君が行くと決めたなら、私は止めないよ。だが、必ず生きて戻ってくれ。君が死ぬと、私は悲しい』
 「は、はい。え? はい」
 『頑張れ、負けるな、ルーク』

 コガラシは棚に放り込まれた鎧の腰に張り付くと、明滅を止めた
 通信が途切れる前に、またダカダカと音が鳴り始めたような気がしたが、どうなったのであろうか

 テツコは大丈夫か。ルークは真剣に不安になった


――
 後書

 孔明「黙らっしゃい」

 我がssながら
 ちょっと文章がやっつけ仕事気味か……?

 今更ながらもうちょっと考えて題名付けりゃよかったと後悔している。
 かみなりパンチ→かみパン
 かみパン→かみさまのパンツ

 不思議!         ってそんな訳ねーよ



[3174] かみさまのパンツ17 剛剣アシラッド3
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2009/07/18 04:13

 「私がですね、ロッシと言う男を斬った時に、私、を、庇ってくれたのが、ですね、それなりに身分のある方、なんですが、その人が、まぁ今、カウス、に、居るんですけど、今回の、事、面目を潰されたに、等しい、訳なんですよっと。私が言っても、駄目な感じでして、ね、私は、別に、もう気にしていないんですけど、ジャウ達の不名誉印、は、無かったことには、し難いですっよっと」

 アシラッドは、妖しい。ルークがこの世界に来て出会った騎士達は、そういう規範でもあるのか、皆大抵、実直且つ誠実を旨とし、背筋が伸びている
 そこを思えばアシラッドの立ち振る舞いは、飄々としていた。投げ遣りな口調の癖に、妙に話術に長けているように感じられたりもした。主君を持たぬ自由騎士とは、こうも違う物か

 激しく身体を振り乱すマルレーネの上で、振り落とされそうになりながらも、アシラッドは気の抜けた悲鳴を上げていた

 「何故? そんなにぃ、私の事が、気に入りませんかぁぁ~? マルレーネ、ちゃん」
 「マルレーネ、構わない。振り落とせ」
 「ルーク、君まで、意地悪な事をいわな、言わないで、ください」

 マルレーネが一際高く飛び上がったかと思うと、激しく首を振り下ろす。馬身が大きく揺らめいて、堪らずアシラッドは振り落とされた
 背骨を折る可能性もあったが、流石に剛剣アシラッドである。巧みに四肢を動かして、四つん這いの獣のように、地面を抉りながら彼女は着地した。普通、鎧を着て出来る動きではない。他には無い身体能力であった

 ルークは興奮するマルレーネを宥めながら、アシラッドを睨む。鷲面の兜からは、表情は窺い知れない

 「私に乗れない馬が居るなんて」
 「少し前に、同じような事を言っていた方がいましたよ」
 「ふふ、その人も乗れなかったんですね」
 「気は済みましたか」
 「済む物ですか。こんなにも素晴らしい、美しい彼女。馬の事が解る者ならば、彼女に恋をしない筈がありません。彼女が居れば、一騎当千の働きが出来ます」

 マルレーネは、研究所の特別製である。他と一線を画すのは間違いない。ルークに鼻を摺り寄せるマルレーネを見て、アシラッドは心底羨ましそうに溜息を洩らした

 「一騎当千、ですか。戦場で?」
 「そりゃあ、剣士ですから。強力な魔物を斬る機会の方が多かったですけど、私だって名誉欲はあります」
 「十分だと思いますよ。大分、有名みたいではないですか」
 「でもルーク君は知らなかった」
 「私が特殊なだけです」
 「ルーク君のような人物にこそ、私は知られたいなぁ」
 「え……?」

 ドキ、ともしなかったし、キュン、ともならなかった。色気も可愛げもある筈が無い

 鷲面の兜が朝日にギラギラと輝いていたからだ。物々しいのである


――


 「まずはブラムへ! アシラッド殿の馬を回収して、少し休憩した後は、目標の村まで強行します! 相手は規律の無い最悪の集団です、殺せるときに殺しておきましょう!」
 「指揮に従う! ルーク殿、俺達への言葉遣いに気など使わなくて良い! 荒っぽくやってくれ!」
 「貴方は少し気を使ったほうが良いんじゃぁ無いですかぁ?! 貴方の指揮官はルーク君なんですからね!」
 「やっかましい!」

 カウスから転がるように出撃したルーク達は、馬上で怒鳴り合っていた
 ジャウ達三人組も、ちょっと町に出るような、そんな軽装とは違う。黒く塗られた鎧に、菱形に見えなくも無い不思議な形の兜を被っている。黒い河の騎士、ロタスの黒騎士隊といえばそれなりに有名なのだと、アシラッドは言った

 「えー、ごほん……。目標の村の付近には、我々が失敗した時、代わって賊を討伐するための友軍が待機している! 彼らに言えば、馬を都合してくれる! 限界まで馬を使え!」
 「オォ!」

 急ぎに急げば、ブラムなどはそれほど遠くも無い町だ。あっという間に到着する

 ルークの到着に合わせて現れた、屯所の大男の出迎えを、ルークは出会い頭に怒鳴りつける事で拒否した

 「先日の一件、貴方達の怠惰にも原因の一端がある。勤めを果たせない兵士に持て成されて良い気分になるようでは、作戦の失敗は決まったような物。私に近寄らないで頂きたい」

 言い掛かりや八当たりの類に近かったが、事態を見てみぬ振りしたブラムの兵士達を、ルークは全くよく思っていなかったのである


 アシラッドが、自前の茶色い毛並みの馬に乗り換えた後は、ルークは碌に休憩も取らなかった。時間を縮めるために、限界まで動く
 部隊の反応と言うのは快速で無ければならず、出動も、移動も、矢張り快速でなければならないとルークは思っている。ヘリや航空機に比べれば、この馬での移動と言うのは何と鈍足な事かと、じれったく感じる程である
 当然と言えば当然ではあった。焦がれるように先を急ぐルークと、それに従う騎士達が、友軍と合流したのは、二日目の夕方頃であった

 「ルーク殿! アレかな?!」
 「そうだと思う! カウスの城で時折見た旗だ!」
 「多分、オランだとか言う名の、東部サリアド公子の旗だ! よく覚えていないが、つい最近自前の旗印を許されたと聞いた!」
 「頼りになりませんねぇ、ジャウ! 公子と言ったら、無礼な事は出来ない相手ですよ!」
 「俺は紋章係ではないからな! 一々覚えてなど居らん! ジョノ!」
 「オランで合ってる! と言うか、その手の話ならば俺よりもキューリィが詳しい!」
 「オランで合ってる! だが、どうせ関係ないだろう!」

 違いない、と笑って、ルークはマルレーネを掛けさせた。紅い布地に白い縦線が三本入った旗印の部隊から、騎馬が二機掛けてくる

 大声で誰何の声が掛かる。ルークは止まらずに応えた

 「ホーク・マグダラ客将、ルーク・フランシスカ! 賊討伐の為に参った!」

 二騎が、旗を振り回しながら敵でない、と声を張る。元々来た方角やルーク達の身形から、それほど疑われていた訳でもない。最前列で弓を構えていた兵士達が、直ぐに警戒を解く
 兵士達が左右に退いて開けた道を、遠慮なく走り抜けて、ルーク達は部隊の指揮官の前に辿りついた

 出迎えたのは灰色の長髪の、如何にも貴公子然とした、まだ若い青年だった
 凛とした佇まいの前でルーク達は下馬し、一礼する。護衛の騎士達が整然と居並ぶ中で、五人は胸を張った

 「お初にお目に掛かります。私はルーク・フランシスカ。賊を討ち倒すまでの間、彼らの指揮を任されています」
 「ルーク・フランシスカ……? よく来た。あぁ、膝を着いたりしないでくれ。私は、オラン・サリアド。三人の騎士達が、賊を討ち果たすにせよ、全滅するにせよ、決着がつくまで見届ける心算
だ。必要ならば、武器や馬の準備もある。が、驚いたな、監視役が、君のように若い騎士とは。念のために、主命の証を見せてくれ」

 ルークは懐から羊皮紙を引き摺り出し、広げて見せた。納得いったかのように頷くオランに、ルークは言う

 「私は監視役ではありません。先程も申し上げました通り、私が彼らを指揮します。私も戦闘に参加します」
 「ん、何だって? 聞いている話では、不名誉印の騎士は、ジャウ、キューリィ、ジョノの三名との事だが」

 怪訝な表情で、オラン公子はルークの後ろを見遣った。高い身分の物となると、市井の民など、下々の者とは直接会話をしない。全て部下を間に挟む
 それをしないホークが異常なのである。少なくとも、アナリアでは
 相手が不名誉な騎士となれば、その慣習は尚の事であった。アナリアの歴史の中で、不名誉印を受けた騎士に直々に声を掛け持て成した将軍が、王から叱責を受け罷免された例があることを、ルークは知っている

 こちらが度を越した強行軍で来たので、伝令役が追いついていないのだろうなとルークは推測した

 オラン公子の傍に控えていた、壮年の騎士が口を開く。護衛の為に控える者達とは、風格が違う。場の筆頭であることは、容易に知れた

 「烏合の衆とは言え数は五十、貴公らの戦力を考えればこれは難敵の筈。ルーク殿は不名誉印の騎士と並んで、この難敵と戦うと?」
 「貴方は?」
 「これは失礼した。某、サリアド騎士団長を勤める、ヘクト・アウターと申す」

 ルークは少し黙った。オラン公子やヘクトに、こちらを嘲弄すうような気配は無い。純粋な疑問のようであった

 「過ちを犯したのは事実ですが、私は彼らを不名誉だとは思いません」

 背後でジャウ達が、身を強張らせるのが判った

 「ほう……」
 「何処かの誰かが何と言っていようと、私には関係の無い事です。仮にこの事で私が馬鹿にされたって、構いはしません。私はこれで良い確信がある」
 「其処の……鷲面の兜の騎士殿も?」
 「遅ればせながら名乗らせて貰います。私は、アシラッドです。家名は忘れてしまったので、ご容赦ください」
 「貴公が剛剣アシラッド……!」

 オラン公子は驚きを顕にした。普通は、そうだろうな、とルークは思う。アシラッドは今回、ジャウ達に襲われた側だ。それがどうして襲った側を助けるような真似を、すると思うか

 「ここに居るということは、そういうことなのだろう。君は不問に処された筈の事件で襲われたと聞いたが、良いのか?」
 「私は私なりに彼らの心が解るんですよ。何より私は、ルーク君の事が大変気に入りましたので」

 オラン公子とヘクトが笑った気がした。オラン公子が前に進み出てきて、ジャウ達に声を掛ける。ルークはドキリとした
 不名誉印など関係ない、まるで自分の部下に呼びかけるような気安さであった

 「騎士ジャウ、騎士キューリィ、騎士ジョノ。君達の乗ってきた馬は、騎士ルークの名馬以外は疲れきっているようだから、私の部隊から馬と馬鎧を回そう。困難な作戦であるのは目に見えているが、君達が最後まで誇り高く戦う事を信じている」
 「……!」
 「どうした、お応えせよ」
 「は! 感謝いたします、オラン公子!」


――


 小高い丘で、ルークは目標の村を見下ろしていた。日は沈みかけている。直ぐにでも暗くなり、たった五人のルーク達が攻めるとしたら、それは夜陰に乗じてしか在り得ない
 オラン公子は村を占領した賊たちに気付かれないように、周囲の見取り図を作成していた。急造された物で、ルークからしてみれば精度が甘かったが、この世界の平均を考えれば上等の部類らしい

 オラン公子、或いはサリアド騎士団長ヘクトは、能動的な人物だった。ルーク達が到着する前に、可能な限り賊を調べ、配置を探り、どのように動いているのかを見定めていた
 結果として、見張りに付いている極一部を除いて、賊に規律は無かった。予想通りと言えば、予想通りであった

 「(遣り易い、そうですよね、マクシミリアン様)」

 統率の取れていない敵で、良かったとルークは思う。自分は、部下を持った経験なんて無い。これが初めてだ。異世界ゆえに勝手も違う
 ジャウ、キューリィ、ジョノ、アシラッド、彼らは、率いると言う風に考えないほうが良い。共に戦うと言う感覚の方が良い

 上手く操ろう等と考えても、遣り通せる自信はなかった。敵が弱いのは大歓迎である


 「良い方策でも浮かびましたかぁ? ルーク君」

 背後に、アシラッド達が忍び寄ってきていた。内心びっくりしたルークだったが、顔には出さない

 平然を装って振り向いたルークに、有無を言わせぬ勢いで、ジャウら三人が頭を下げる

 「うわ、何ですか、いきなり」
 「敬語は止めてくれと言ったろう?」
 「……解った。それで、急にどうしたんだ?」
 「礼を、言いそびれていたからな。全く我が事ながら、謝ったり礼を言ったりしてばかりだが」

 頭を上げて、ジャウは笑う

 「俺達は黒い河の騎士だ。死ぬなら、戦場が良い。ルーク殿は、それを叶えてくれた。不名誉印は自業自得で、覚悟の上だったのに、名誉を挽回する機会をくれた。それだけではない。こんな、何の見返りも無いと言うのに、俺達に付き合ってくれている。ホーク様にも、オラン公子にも、恩義を感じているが、一番感謝しているのはルーク殿だ」
 「え? 私は? 私も一応、付き合ってあげているのですけど」
 「おほん、おほん、あー、聞こえんなぁ。ジョノ、聞こえんだろう?」
 「そうだな、聞こえん聞こえん」
 「はははっ」

 ルークは首を振った。この場の誰にも、疲労の色は無い。体力は問題ないようである
 しかし、妙な悲壮感があった。死を覚悟するのは、解る。しかし、死ぬのが当然と開き直って構えるのは、ルークは好きではない

 「何か勘違いしているのじゃあないか。五十人なんて、一人が十人ずつそっと殺せば、簡単に片付けてしまえる数だ。私は死なないし、君達も死なないように使う。君達は不名誉印を返上し、アシラッド殿は武名を上げ、綺麗さっぱりすっきりとした新しい門出だ」

 アシラッドが変な声を出した。感心しているらしいが、ルークには解り難かった
 アシラッドには構わずに、ルークは堂々としていた

 「……おー、流石はルーク君。このひねくれ騎士達とは心根が違いますよ」
 「勝とう。私にはやらなければならない事がある。アシラッド殿には聞きたいこともあります。何の因果かこうなってしまったけど、もうそれは良い。取り敢えずは、勝とう」
 「……本気と見える。俺たちの効率的な死に方、と言うのは、ここでは果たせない物らしいな」

 キューリィが人の悪い笑みを浮かべ、顎を撫で擦る。ルークが本気で居ることを、感じ取ったようだ

 「私は最初から死ぬ心算なんてないですよ。ジャウ達が全員やられてしまっても、私とルーク君だけで敵を全員斬り捨てて、帰還しますから」
 「茶々を入れるな、お前と言う奴は。驕り高ぶれば命を落とすぞ」
 「かも知れませんね」

 ふ、と、全員が黙ってしまった。奇妙な沈黙に、言葉を発してよい物か皆迷う
 沈む夕日に、皆が目を向けていた。罅割れた荒野を茜色に染めながら消えていく太陽は、夜に追い立てられているかのようにも見えた

 人殺しの夜だ。ちょっとばかり、面倒な夜になるのだ。恐れはしないが、気が重い

 こういう空気を破るのは、まるで空気が読めないと言うか、敢えて空気を読まないアシラッドが適任であった

 「よし、斬るぞ、思うまま斬るぞ。ただの一人として情けは与えない。哀れな肉として、その内誰からも忘れ去られる、そんな終わりであるという事を刻み付けてやります」

 急に物騒な事を宣言したアシラッドは、ルークに「斬り込む頃合になったら呼んでください」と言って踵を返した。自分の馬の所に行くのだろう
 アシラッドと言う女は、強い。危険で妖しい輝きを放っていると、ルークは感じた

 「…………決行は深夜、奴らが寝静まってからだ。オラン公子には悪い気もするけれど、騎馬は使わないでおこう」
 「あぁ。……あぁそうだな。今更だが、誓っておく。俺は、ルーク殿の全てに従おう。信じるぞ、迷惑かも知れないが…………、俺だって見栄を張りたい。英雄の号令に従う騎士で居たいのだ」
 「あ、お前、格好つけおって。不名誉印の癖に」
 「良いじゃあ無いか。な、俺とキューリィも同じ心だ、ルーク殿」

 しつこいほど暑苦しいジャウ達に、ルークは眩暈さえした
 英雄とはまた、大袈裟に出たものであった

 「異世界人って、オーバーだなぁ」

 眼下遠くには、しんと静まり返った小さな村が見える


――


 目標の村は崖に寄り添うようにしてある。周囲は平原で全く身を隠す場所がなく、見張りの事を考えると、多少辛くとも崖を下るしかないとルークは考えた。サリアド騎士団が偵察を行ったときも、崖の上からだ

 「それなりにある。…………ルーク殿、どうやって降りる?」

 崖の高さは三十メートル程ある。言うまでもなく、落下すれば常人では即死だ
 ルークは、腰のコガラシを叩いた。胸に何時もの痛みが走る

 『……作戦開始かい?』
 「(そうです。サポートお願いします)」
 『了解』

 ルークは崖から下を見下ろす。異様な雰囲気のある月光のせいで、夜だというのに微かに明るい
 見張り番の松明が確認できた。馬鹿正直に降りてはまず間違いなく見つかる。速やかに無力化する必要があった

 『スタンスティックの使用を提案する』
 「(コガラシの機能ですか?)」
 『そうだ。あー……そうだね、電球のように見える部分の裏側に開閉口があって、そこに内蔵されている。ファルコンだって一発で失神する代物だよ』

 それは良い、とルークはニヤニヤした。それを見られていたのか、ジャウが怪訝な顔をした

 「いや、何でもない。取り敢えず、あそこの見張りを沈黙させる。あぁ、弓は要らない」
 「ん?」
 「何と言うか……私は、とある魔術師に使い魔を借りているんだ。今回は彼女に頼ろう」
 「魔術師の使い魔だと? なんとまぁ、稀有な伝手を持っているのだな」

 鎧腰部のコガラシが振動し、低い音を立てながら宙に浮いた。近くにいたアシラッドが、流石に驚いたのか仰け反る

 コガラシはそれらを一顧だにせず、ステルスモードへと移行する。ジョノがぶんぶんと手を振った

 「き、消えたぞ、何処へ?」
 「もう其処には居ないと思う」

 一同は、ジッと崖の下を見た。幾許もしない内に、青白い小さな光が起こり、二人組みの見張りの内、一人が倒れる
 片割れが慌てて駆け寄ったかと思うと、もう一度光が起こり、その片割れも倒れた

 ルークはそれを見届けると、尻に長い縄の端を取り付けた長めの釘を持ち出し、地面に打ち込む。執拗な程に打ち込む。もしこれが途中で抜けでもしたら、大惨事だ。念のため、近くに転がっていた岩を転がしてきて、重石にする

 補助器具なしのラベリングだ。流石に鎧を着てこれをやった事はない。ルークは、落ちないように気をつけて、と声を掛けると、不安な気持ちを虚勢で覆い、平然と崖から身を投げる

 慎重に壁面を蹴るうちに、何事もなく地面へと辿り着いた。身を低くして周囲を伺うルークに、コガラシが寄ってくる

 「(索敵を)」
 『気付かれた様子は無い』
 「(博士、ありがとう御座います。助かりました)」
 『礼はこれが済んでからにしてくれ。私は、遺体の回収班を要請するなんて、嫌だからね』

 どすん、と音を立ててアシラッドが振ってくる。握力のみで身体を支えていたようだが、如何せん摩擦の無さはどうにもならなかったらしい

 ぐ、と折り曲げた膝を伸ばし、立ち上がったアシラッドは、かなり鈍い音をさせたようにも思えたのだが、平然としていた

 つづいて、どすん、とキューリィが降りてくる。その次は、ジョノだ

 「……もし次の機会があるのなら、しっかりと方法を伝授してくれ。二度と御免だが」
 「同感だ。頑丈さには自信があるが、こればかりは……。槍を抱えてやるのも辛かったし、な」

 そこにするすると、スマートに降りてくるジャウ

 「成る程、腰の横で縄を握っておいて、背中を預けるのか。荒い皮の篭手で好都合だった」
 「ぬ」
 「一人だけ涼しそうにしおって」
 「遊んでないで行きますよ」

 一同は倒れた見張りに近付いていく。目ざとく、アシラッドは気付いた

 「おや、生きているじゃあ無いですか」
 「丸一日は目覚めませんよ」

 あ、と止める間もなく、アシラッドは剣を抜いていた。倒れた見張りの首筋に長剣の切先が潜り込む
 何の感慨も無く銀色の刃は引き抜かれ、心臓の鼓動に合わせてか、傷口から断続的に血が噴出する

 同じ事を、アシラッドはもう一人にも行った。あっという間に血だまりが出来上がり、そしてあっという間に地面に吸い込まれていった

 「どうかしましたか?」
 「いえ、何でもありません。急ぎましょうか」

 無駄に殺すな。マクシミリアンの言葉を思い出す

 そんな事を言っている場合ではない。殺せるときに殺しておかねば、殺し損ねた者に殺されるかも知れない
 松明と、コガラシを交互に見て、思案するルーク。たかが有象無象の死に、一々何かを思う程、子供ではなかった


――


 「まずは、見張りを片付けたい。臨戦態勢にあるのは、そいつらだけだ」

 ひっそりと、声も上げず音も立てず、一丸となって侵入した

 ぼろぼろの民家をそっと伺えば、鼾が聞こえてくる。アシラッドが剣の切先で扉を指し示すので、ルークがやってしまえと頷くと、まるで躊躇わず中へと侵入する
 全く音を出さない。アシラッドに続いてジャウが侵入する。直後、肉を剣で突く何ともいえない音がした

 四人倒した、とジャウが小声で報告する。まず四人だ


 村の外側を回りながら、ついでとばかりに家屋を調べ、中に人影があれば躊躇わず切り捨てた
 そこかしこに、村人と思しき、腐乱しかけた死体が転がっている。衛生観念や疫病等の知識が広く浸透していないのか、死体を平気で放り出す

 それ以前に、この村を占拠した賊どもには、人を敬う心が無いとルークは眉を顰めた


 地道に家屋を制圧する内に、見張り番の位置へと辿り着いた。松明の横で槍を持ち、退屈そうに座り込む二人組み
 背後を襲う為に、ジャウが駆け出す。フォローの為に、ルークも続いた

 地面を蹴る音に、見張りの二人組みが振り向いた。ジャウは既に槍を振り上げている
 槍の穂先で、一人殴り倒す。短い悲鳴を上げるそれを捨て置き、ジャウはもう片方も殴り倒して、今度は悲鳴を上げさせる間もなく胸を貫いた
 ルークは小剣を突き出した。這い蹲って逃げようとするもう一人の、左の腋から差し込んだ刃は、あっという間に心臓に到達した

 オラン公子が確認している見張りは、三組のみ。あと一組始末すれば、危険度は格段に下がる。しかし、この調子で行けば、三組目の見張りを始末する頃には、粗方片付いていそうだった

 身体の筋肉が、強張っている事にルークは気付いた。大きく深呼吸しながら、ジャウに言う

 「十三人目。……順調と言って良いかな、この感じは」
 「あぁ、呆気ない連中だ。とは言っても……俺達だけであれば、真正面から切り込んで、あっという間にやられただろうが。…………ん?」

 一つの民家の前で、キューリィが険しい顔で手招きしていた。アシラッドが民家の入り口の前に張り付き、熱心に中を覗き込んでいる

 小走りに駆け寄っていけば、ジョノがアシラッドの方を指差した。民家の中からは柔らかい物を叩くような異音がする。ルークは彼女に習い、中を伺う
 小さい火が灯っている。薄暗闇の中で、焼けた肌が踊っている

 「まさか、まだ生きている者が居るとはな」

 屈強な男が一人、少女を犯していた。年の頃は十五、六。男が腰を使う度に、少女の身体が激しくゆれる
 子供の手慰みにされる人形のようだ。木の枝が風に揺らされているような印象があった

 殺して。少女の声だ。小さく、そう聞こえた。しゃがんで好機を窺っていたアシラッドが、ざわりとするような殺気を吐き出した

 次の瞬間、アシラッドは乱暴に兜を脱ぎ捨てると、扉を蹴り開け、男に斬りかかっていた
 男の首がぐるりとこちらを向く。目を見開きつつも、少女ごと身体を投げて転がり、アシラッドの一撃を避ける男

 曲剣にむしゃぶりついた男は、ゆらりと立ち上がった。左手に少女の首を抱きしめたままだ
 最悪の展開だ。ルークは歯を食いしばる

 「何だ手前ら! 何モンだ!」
 「お前みたいな下種野野郎に聞かせる名はないですよ」
 「クソ、カウスの騎士だな?! 舐めやがって! 敵だ! おい、敵だぁぁぁー!」

 雰囲気が騒がしくなる。腰のコガラシが震えて、テツコの焦ったような声が聞こえた

 『動体反応確認……! 結構な数だ、こちらに向かってきている』

 ジャウ達は、開き直ったような表情で、冷静に男の品評を行っていた

 「ふん、賊の癖に、大した逸物をぶら下げている。あのような少女を手篭めにするとは、屑め」
 「奴、ギ……なんとかと言う賞金首じゃぁないか? よく覚えておらんが。……ジョノ、お前と同じくらいでかいぞ」
 「馬鹿、下世話な話は止めろ、キューリィ。おい、アシラッド、手早く切ってしまえよ! 囲まれるぞ!」

 この戦争屋どもはぁぁぁ~
 ルークはガリガリと頭を掻いた

 「そうはいかんぜ! こっちに寄ってきて見やがれ、こいつを殺す!」

 ギ、なんとかは、少女の首を締め上げた。改めてみれば、少女は酷い有様であった
 殴られたのか目と頬は腫れ上がっているし、こちらも殴られたのか前歯はない。裸体は痣だらけで、小さな切り傷が幾つも付いていた
 両足の踵の部分には、血の滲んだ布切れが巻きつけられている
腱を斬られたな、と、ゾッとするような声が、コガラシから聞こえてきた

 『不愉快だ……!』
 「(同意見ですよ……!)」

 少女が、焦点の合わない目を動かす。ぼろぼろと涙が零れていた
 再び、あの声が聞こえた。か細い悲鳴であった

 「殺してください。殺してください。お願いします、殺してください」

 アシラッドが目を閉じ、剣を両手で握り締め、胸の前で捧げ持つ
 目を開いたとき、その輝きが違っていた。あ、少女ごと、斬るのか、と、ルークは感じた

 「やめ、おま、ふざけんじゃねぇ!」
 「ふざけてんのはお前の脳味噌ですよ」

 アシラッドが飛び掛る。男は、少女をアシラッドの方に突き飛ばした

 アシラッドはまるで怯まない。躊躇もしない。既に剣は、突き出されている

 少女の左胸を貫いた。全く勢いは衰えず、少女を突き飛ばした男の左胸にも、それは到達した
 アシラッドは、もう一本の長剣を抜く。神速の切込みである。抜いた、とルークが感じたときには、男の首は宙を舞っていた

 少女と男を貫いた剣を引き抜き、アシラッドは少女の身体を抱きとめる

 そのままゆっくりと床に横たえさせた。ごぽ、と嫌な音を立てて、少女の口から血が溢れる

 口が、パクパクと動いた。「ありがとう」と、言っていた

 『……周囲に反応多数。三十以上。囲まれたぞ』
 「……周囲の警戒を。もう囲まれている筈だ。……アシラッド殿」

 立ち上がったアシラッドは、剣に付いた血を振り払う

 「まぁ、……こんな事もあるでしょう。もう少し早く死なせて上げたかったですね、彼女は」

 何もかもが、メノーを助けた時のように、上手く行くわけではない

 ルークは何も言わずに民家を出た。既にジャウ達は槍を構え、臨戦態勢にある

 周囲に気配があった。ここからが修羅場であった


――

 後書
 そろそろルークの無双乱舞だろjk

 ……と、同時に、もう少しスマートな文章にしたいような気もする



[3174] かみなりパンチ18 剛剣アシラッド4
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:47

 「アシラッド、おい、何をしている」
 「聞こえていますよ、五月蝿いですね」
 「ふん、囲まれても同じことが言えるのか?」

 ジャウが肩を竦めた時、家屋の中から首が転がってきた。アシラッドが斬り捨てた男の首である

 切り口が足甲に触れて、血が着いた。ルークは眉を顰めて一歩引いた

 「持ち帰れば、はした金になる首らしいですが、置いていきましょうか」

 ルークは一同に手招きして、走り出した。敵の位置は、ある程度テツコが教えてくれる
 大勢は広きを好み、小勢は狭きを好むと言うが、さて、どうするか。少なくとも一所に留まるのは拙かった

 『前方、囲みの薄いところ。四人だ。倒せるか?』
 「恐らくは」
 『見張りの松明を回収するのはどうか? 火をつけて混乱を狙うのは?』
 「燃え広がるまで時間が掛かりすぎます」

 ルークは大きく息を吸い込んで、抜剣した。薄暗闇の向こうに人影が揺れる。ルークは叫んだ

 「敵だぞ! 殺されるぞ!」

 踏み込みの最中に相手の顔が見えた。出会い頭に怒鳴りつけられた声に、動揺している
 正に敵である風体のルークに、「敵だぞ」と堂々と言われて、僅かに混乱したか。暗闇で、ルークの姿を確認しづらかったのも悪かった

 振り下ろした剣が、頭蓋を割る。肉片だか骨片だかを撒き散らしながら鼻の部分までを断ち割った後、ルークはゆらゆらする身体を手早く引きずり倒した

 悲鳴を上げて、薪を割る為の鉈を振り上げる男に狙いを定める。碌な装備が無いというのは、全く事実らしい
 振り上げられた鉈が落ちてくる前に、がら空きの胴に身体ごと剣を捻じ込む。月並みだが、蝿が止まる早さであった。ルークを殺せる筈も無い

 次、次を殺す。次々と殺す。ルークの目がギラギラ輝いて、次を狙う

 先程の男の鉈とは違って、次はまともな直剣が相手であった。しかし、使い手が拙い。二人殺したルークを前にして、未だに抜剣していなかった
 震える右手で柄を握り締め、引き抜こうとした時はもう遅い。ルークの手は、抜剣しようとする男の右手首を握り締め、がちりと押さえ込んでいた。首筋に刃を沿え、静かに引く。盛大に噴出する血液

 「へぇ、流石」

 自分が手を出す間もなく、接敵と同時に三人を葬った手腕に、アシラッドが感心したように言う
 敵を確認したと思えばこれだ。流石のアシラッドも、驚いたようであった

 「ひいぃぃ!」

 最後、震える手でくたびれた槍を構える男に、ルークは早足に、しかし無造作に近寄っていく
 傷だらけの鎧を見る限りでは、兵士崩れであるらしい。ルークはザクザクと音を立てて歩きながら、みっともなく涙を流す男の目を見つめる

 男の目が、ぐる、と動いた。槍が突き出される。しかしルークの何気ない一振りが、槍を跳ね上げる
 マントを翻らせて剣を斜めに振り下ろした。首筋に刃が減り込んだと思えば、そのまま何の抵抗も無く首を跳ね飛ばしていた。一拍おいて、思い出したかのように男の身体が倒れたのが、印象的だった

 人間の肉体を完全に断ち切るのは、至難だ。普通ならば。それを悠々こなすからこそ、アシラッドも一目置く

 「剣も腕も、良い仕事してますね。ルーク君なら50人ぐらい、軽くいけたんじゃないですか?」
 「一人ずつ、正面からお行儀よく向かってきてくれたら、そうかも知れませんね」

 ルークは素気なく言い捨てて、再び走り出した。もう少し進めば、広い道に出るはずだ

 「(博士、敵の位置は)」
 『分散し始めた、しかも纏まりが無い。矢張り、混乱しているみたいだ。指し当っては、後ろを追ってきているのが多数』

 道が開けたのを見て、ルークは少しばかり乱れた呼吸を正しながら、後ろを振り返った
 ジャウ達が追いついて、深呼吸する。アシラッドが後ろを首だけで振り返りながら、黒い髪を掻き上げる

 通路の出口を押さえ込む。挟まれたらその時はその時だ

 「追ってきてますね」
 「ここで迎え撃ちます。狭い通路なら、数はあまり関係ありませんから」
 「常道だな」

 テツコが鋭く声を上げた。ルークは思わず身を翻した。その時、と言うのは、意外に早くやってきた

 『ん? どうやら、察しの良い奴が敵に居るみたいだ。回り込んで反対からも着てるぞ、広い道の北だ』
 「逆側からも来ている!」
 『数は十二。でも、続々と来ている。ルーク、君ならやれる』
 「ジャウ、三人がかりで通路を塞げ! アシラッド殿、やれますね!」

 ジャウ達三人が、ニヤリとした

 「任せておけ、ルーク殿」

 アシラッドが背負っていた盾を放り出し、肩を回す
 血に濡れた二本の剣が妖しく輝く。一振りすれば風が鳴いた

 「やれない訳がないでしょう。私を誰だと思ってるんです」


――


 「さぁ容赦せんぞ、皆殺しだ!」

 ジャウの大喝は、敵を怯えさせ、味方を勇気付けるのに、十分な迫力を持っていた


 長年の付き合いらしく、ジャウ、キューリィ、ジョノの連携は完璧だ。歴戦と言うだけあって無理をしないのもあり、相当な下手を打ちでもしなければ、賊相手では遅れの取りようが無い
 その背後を、ルークとアシラッドが守る。囲まれていたが、前提条件として数が違いすぎるのだから、こればかりは仕方が無かった。このまま付け入る隙を与えずに、敵に出血を強いるしかないのだ

 「(ステルスモードでの敵攪乱を)」
 『解った。スタンスティックを使用して敵の後ろを削る』

 小さな光を起こした後、消し去ったコガラシが、不自然な風を起こした。マントを揺らすそれにルークは身じろぎし、それを攻撃の予備動作と勘違いした男が居た

 剣を振り上げ、決死の形相
 雄叫びを上げて飛び込んできた男をルークが一太刀で切り捨てれば、後続はたたらを踏んだ。全く次元の違う強さを、僅かに感じ取ったようだった

 「ほら、掛かってらっしゃい、一斉に。もしかしたら、万分の一ぐらいの確立で、私達に掠り傷一つくらい付けられるかも知れませんよ」

 アシラッドがゆらゆらと双剣をゆらめかせる。挑発に乗って、また一人、飛び込んできた

 アシラッドが動くよりも早く、ルークが迎え撃つ。筋骨隆々とした男が、鈍器で殴りつけるかのように、剣を振り下ろす
 ルークは敢えて、右手のみで剣を持ち、それを受け止めた。涼しい顔をしていた
 男はルークよりも頭二つ分背が高い。体格差を生かして、上から覆いかぶさるようにルークを押し切ろうとする

 しかし、基礎体力が違った。ルークは涼しい表情を崩さず、男の剣を押し返し始める

 額に血管を浮き上がらせながら呻く男は、ルークが右手一本で突き出す剣を圧し留めきれない。ルークの剣は次第に男を仰け反らせ、結局、ルークが押し付けるようにする剣を、男が必死に受け止めるような状況になった

 立っていられず、膝を着く男。ルークは構わず上から剣で押さえ込む。じりじりと男の防御を押し潰していくルークの剣は、とうとう男の首筋にまで迫った

 「やめ、止めろ! 止めてくれ! 頼む! 何でもしてやる! 俺に出来ることなら何でも!」
 「なら、死んでもらいたい」

 少しだけ、刃が首筋に埋まった。ぷつ、と皮が裂ける音がして、血が溢れ出す。周囲が、この異様な雰囲気に呑まれている
 男は失禁している

 「止めえぇぇ!! …………ッ」

 刃がさらに少し進み、出血が激増したところで、男の身体から急に力が抜けていった
 剣を持っていた両手がだらりと落ち、目の光が消える。ルークは一気に剣を引いた。毎度の如く血が噴出し、低い音を立てて首が落ちる
 丁寧に斬った為か、血が溢れるまでに骨の断面を窺うことが出来た。それは暗闇の中でも、とても滑らかなように、ルークには見えた

 死体を乱暴に蹴り倒して、血塗れのルークは周囲を睨み据える

 「情けは掛けないぞ」
 「ほらほら、一人ずつ丁寧に斬って回っても良いんですよ、私達は。闇から出でてバッサリと行きますよ」」

 たった二人に、場を丸呑みにされた賊達が、絶叫しながら飛び掛ってくる


――


 ルークは、思い出していた。人を一人殺すのは、全く容易であり、同時に至極困難である、と、マクシミリアンは言っていた

 純粋人類と、大半の亜人は、何か先が尖った物が一つあれば、拍子抜けするほどあっさり死ぬ
 同時に、純粋人類と、大半の亜人が、たった一人であろうとも全身全霊を掛けて戦おうとするのなら、これを倒すのは本当に至難の業だった

 それを思えば、今し方、ルークが右肩口をばっさりと割った賊の、なんと他愛無い事か。腹部を貫いた賊の、なんと他愛ない事か
 恐怖を押し殺して戦うのではない。恐怖に呑まれて逃避しているのだ

 「剣を持って、絶叫と共に打ちかかってきていても、こいつ等は戦っているのじゃあない」

 背中合わせに荒々しく剣を振るうアシラッドが、ニヤリと笑った

 「掛かって、来なさい! 掛かって来ないか! 見事受けてみよ、剛剣アシラッドだぁぁぁぁーッ!!」

 アシラッドに、左右から同時に賊が撃ちかかる。ルークは横目でそれを見送った。手助けが必要とは思えなかった
 夜戦。だが、夜戦とは思えぬ程の冴え。ルークは特別夜目が利く方だが、アシラッドの迷いの無い動きもそれに劣らない
 或いは、賊の数人が持つ小さな灯火だけで十分なのか。異常な月明かりだけでもスイスイと動いていたから、どうなのかよく解らなかった

 アシラッドは踊るように両腕を天高く振り上げる。二つの妖しい輝きが、同時に撃ちかかってきた賊の剣を同時に叩き折り、破片を撒き散らした

 「あぁーっはっはっはっは!」

 振り上げた剣を、今度は振り下ろす。右手のそれは賊の頭蓋を割り、左手のそれは賊の左肩を割った。悲鳴を上げながら後ろに倒れこもうとした、生き残っている方が、凄まじい形相で今また一人を斬り倒したルークの背中にぶつかる
 ぎょろん、と、振り向いたルークが冷たい目で賊を睨んだ。賊がカチカチと歯を鳴らし、冷や汗を垂れ流す。あ、と口を開いたその時にはもう、首を落とされていた

 「(ヨーンで、兵士達の作戦を支援したときもそうだ。信じられない有様、汚らわしさ。銃で撃つのとはまるで違う結果。古代の戦闘とはこういうもの)」

 背後で血飛沫が上がるのを全く気にせず、次の獲物に飛び掛るルーク。或いは荒々しく、或いは無造作に、ルークとアシラッドは血の池の面積を増やし、肉塊の量を増やしていく

 「(こういうもの!)」

 銃で撃ったとて、人の死に様と言うのは非常に醜い。しかしこの惨状は、まるで比べ物にならない。暗闇の中、賊の破れた腹から零れ出た臓物の臭いは、言うまでも無いが酷い物だった

 マクシミリアンがさせたかった事とは、こういうことなのだろうかと、ルークはふと思った。殺せば、殺すほどに、相手がどうでもよくなってゆく

 ハッとなって、ルークは血に濡れた篭手で眉間を揉み解した。米神には血管が浮き上がっている
 べっとりと血を撫で付けたルークは、深呼吸した。ヨーンでも同じ事をしたな、とルークは思い出し、成長の無さに溜息を吐いた

 「(殺しすぎれば面付に出る。命の価値を忘れてしまえば、卑しくなる)」

 周囲の状況を捨て置いて、深呼吸を続ける。恐怖に青ざめながら周囲を囲む賊たちは、全く踏み込めないでいる

 「(僕も流石に、取り繕えなくなってきたか? ……いや、僕はルークだ。好きで殺しはしない)」

 表情から禍々しい物が消え去ったルークは、凛々しかった。黄金の髪の騎士は、凛々しかったのだ。若々しく、理性があった

 頬に血化粧をしたアシラッドがギラギラした目で顔を寄せる。ルークは横目でそれを見て、直ぐに剣を構えなおした

 「良い顔してます。よき戦士になりました。もっと素晴らしくなるでしょう、君は」

 口の端に、柔らかい何かがぶつかる感触。視線を巡らせると、アシラッドは既に離れ、声を張り上げながら次の敵に飛び掛っている
 口付けされたのだと気付いて、アシラッドは狂人であると、ルークはハッキリ確認した。高揚の仕方が度を越していた

 殺しに酔っている

 「アぁーーーッハッハッハッハッ!!!」

 高笑いを背中で聞きながら、ま、良いか、とルークは結論した
 アシラッド程度の気違いなら、ロベルトマリンには幾らでも居たからだ


――


 溜め、突け、この二つの言葉で、ジャウ達は戦う
 溜め、で槍を構え、突け、で言葉通り突く。三人の連携こそが勝利の鍵と知っており、一人では戦えないのだと、三人ともが理解していた

 「前、前だ! それ、邪魔だ!」

 ジャウが怒鳴り声を上げながら、賊の死体を蹴り転がす。少しずつ増えていく死体に、足場が悪くなっていく
 胸の傷が熱を持って際どい状況であった。汗を噴出しながら戦う三人の中で、ジャウの顔色が最も悪い
 しかし引き下がらない。立場的にも、事実的にも引き下がれない状況下にある。引くなどと言うのは、諦念のままに死ぬだけの、枯れ果てた唾棄すべき行動だった

 追い詰められて弱い奴、逆に、追い詰められて強い奴、ジャウ達は、後者であった。傷を負いながら、着実に殺害していくうちに、賊達は腰が引けてくる
 誰だって、他人に殺され、踏みつけになどされたくない。他人を踏みつけにして来た賊達も、それは変わらないようだった。さながら土と泥に汚れた獣の群れのように、ジャウ達には見えた

 賊達も、己の末路ぐらいは理解できるようであった。ガチガチと歯を鳴らす者が何人も居た。一人、松明を持った者が恐れず進み出てきて、唾を吐く。火に照らされて、顔の影がゆらゆら揺れている

 「カウスの騎士だな、クソッタレどもめ。手前らなんざ、死んでも認めねぇ。俺らがこうなったのは元々手前らのせいだろうが。好き勝手しやがって」

 ジャウは笑った。今、アナリアがどうなっているのかなど、言われなくても知っている。この強盗集団がどういう経緯で発生したのかも大体は予想がつく

 「おい、ジョノ」

 肩を竦めたジョノが、次の瞬間進み出てきた賊に打ち掛かっていた。振り下ろされた槍が賊の剣を一撃で圧し折り、そのまま殴り倒す
 倒れこんだ賊を、キューリィが突いた。キューリィは苦笑いしていた

 「夢に出てくるぐらいなら、しても良いぞ」

 堪らず、賊達は逃げ出す。一人が金切り声を上げながら走り出したのを皮切りに、次々と続いた。当然ジャウ達が、黙って見ている筈もない
 鎧を着込んでいて尚、ジャウ達の方が、足が速かった。正に鍛え方が違うという奴で、賊達は一人ずつ、着実に死んでいく

 完璧な勝ち方であることを、ジャウは確信した。たった五人で、その十倍にも及ぶ数を撃破したのだ。全く有り得ない戦果だ

 最後の一人を押し倒し、馬乗りになった所で、ジャウはふと空を見上げた。陽が昇りかけている。どうりで先程から、明るい訳だ。ジャウは剣を抜いた

 両手を翳して顔面を守ろうと、賊の最後の一人は無駄な抵抗をしていた。ジャウはその表情を一瞥すらせず、藍色の空を見上げたまま剣を突き降ろす
 ジャウの剣は賊の両手を貫いて、その頭蓋を粉砕し、地面に減り込んだ。空を見上げたままのジャウは、ふん、と鼻で笑って立ち上がると、後ろを振り返った

 一同を従えて、血に塗れたルークが居た。動揺に、血塗れの長剣を目の粗い布で拭い、布はそのまま放棄する。剣を鞘に収めたルークは、凛とした表情で言った

 「勝った」

 おぉ、とジョノが頷く。ふと、ジャウの足から力が抜けた。それは、キューリィやジョノも同じだった。アシラッドですら、壁に寄りかかっている
 荒い息を吐きながら膝を着く。胸の痛みは限界に来ていた。夜が明けるまで戦い続けたのだ。寧ろ当然か、と苦笑が零れた


 何人逃がしてしまったかな、とルークは首を傾げた。大半は討ち取ったから、余り咎められることも無いだろうが

 ルークは座り込んだジャウの隣に立つと、遥か彼方を見遣る。サリアド公子オランの軍旗が見える。作戦の完遂を見届けて貰わなければならない
 もう少し、見栄を張らなければならないのだ。ルークに問題はなかったが、他の者達が座り込んだままと言うのは、格好がつかない

 「立つんだ。公子にだらしない姿を見せて、笑われたくはないだろ? ……立て、ほら、立て! 我々は勝った! 勝った奴には勝った奴の取るべき態度がある!」

 ジャウが剣を杖に立ち上がった。寝転がっていたジョノを、キューリィが蹴り飛ばして立たせる。一人余裕のアシラッドが、それをからかっていた

 「我々全員生き残った! 完璧だ! 私は、君達とこうなれて誇らしい!」

 全員が剣を天に突き上げる。勝鬨が上がった


――


 カウスの城の中庭で鳥を眺めながら、ルークはぼんやりとしていた。カウスの城は何時でも騒がしく騎士や兵士達が行き来している。呆けて座っているルークは、異質だった
 中庭のルークを見つけた侍女や、下男達が、にこやかに会釈をしていく。人当たりの良いルークは、マクシミリアンの館でメイド達に混じって雑用をしていた経験を生かしたのもあって、彼らの信頼を得るのに成功していた。気さくに声を掛け、労わりの言葉を掛けるだけで全然違うものだ

 カウス城の中庭は普段それほど手入れされている訳でもないため、特筆する程美しくもない
 しかし、今のルークには少し緑があるだけでもよかった。地面から突き出した、猫の爪のような可愛らしい緑は、何とも滑らかな肌触りをしていた

 ぼーっと、している。血塗れの鎧とマントは整備中だ。もしかしたらマントは血の色が落ちないかも知れない。ルークは少し憂鬱になった


 後ろから、無遠慮な足音がする。草を蹴り払って近付いてくるそれに、ルークは振り向いた

 緑の芝が、出血している幻想をルークは見た。後ろに居たのはアシラッドで、相変わらず完全武装の彼女が一歩芝を踏む度に、そこから血が滲み出す気がした

 見る目が変わってしまったのである。剛剣アシラッドは、血を好む狂人だ。ホークに会うため、流石に身を清め、ある程度身形を整えていたが、カウスに帰還する道程ではまるで返り血を気にしていなかった
 血と傷を忌諱せず、寧ろ戦場の勲章として好んでいるようにすら感じられる。確かに、戦いの象徴ではあった。それを纏ったアシラッドの存在感は、強烈だった

 「アシラッド殿。ジャウ達はもう?」
 「さぁ? まだ続いてるんじゃぁないでしょうかね。どの道、そんなに長くはならないでしょう」

 全く興味がなさそうに、くぐもった声は言う。ジャウ達は、ホーク直々に処遇を言い渡されている筈だった
 彼等は任務を遣り遂げた。何も心配する事は無い。しかし、それを差し引いてもドライだ

 「聞きたいことがあるんでしたねぇ」

 唐突にアシラッドが切り出した。ルークは一拍置いて、頷く

 忘れていたのだ。すっかり

 「えぇ、そうです。何の因果か、妙に遠回りしてしまいましたが、元はといえば」
 「何がぁ聞きたいんです? 流れ者には、噂話一つも大切な飯の種ですが、ルーク君にならばぁ何でも教えてあげましょう」
 「メイア・スリーと言う女性の事です」
 「メイア……スリー?」
 「行方を探しています。緑色の髪の、侍女の格好をした可愛らしい方ですよ。首筋に、傷のような刺青のような……一本線が入っています。かなり目立つと思うのですが」

 アシラッドはひらひらと手を振って肩を竦める。何時もの人を食ったような態度の中に、違和感は無い

 「…………さぁ、知りませんね、メイアスリーなんて侍女は。そもそもぉ、何で私が、そのメイアスリーという侍女の行方を知っていると?」
 「詳しい話は……その、出来ないのですが」
 「それはまた不愉快な事ですねぇ。たった一夜とは言え、背中を預けあった中ですよ、私達」

 何とも気恥ずかしい言い方に、ルークの顔に少し朱が差す。ルークに反論は出来ない。隠し事をしながら教えろ、と言うのは、ルークだって矢張り気分が悪い
 ここ数日行動を共にして、ルークはアシラッドが気分屋なのだという事を、よく理解していた。気分屋の気分を悪くしたら、何を頼んだところで通らない

 「でもまぁ、良いですよ、教えましょう」
 「え?」
 「メイアスリーなんて侍女の事は知りませんがぁ、メアリーと言う侍女の事なら知っています。緑の髪なんて生まれて初めて見たから、よぉく覚えているんですよ。ルーク君の言う刺青もありました」
 「何だって」

 ルークは慌て立ち上がった。鷲面の兜、細長い覗き穴の奥、とぼけた目でアシラッドは笑っている

 来た、とうとう来た。ルークの心は震えている。アシラと言う何のことかも解らない単語が、メイア・スリーに繋がった感触
 目標に繋がる鍵、成功の気配

 「ですが、条件があります」
 「う」

 ルークは呻いた。考えられる事態だった。レセンブラだか何だか知らないが、アシラッドと言う剣士は、気に入らなければ絶対に従わない
 強硬に情報提供を求めるのは無理だ。予想は出来ていた

 「私を使って貰いましょう」
 「……どういうことです?」
 「私を養ってくださいとぉ、言ってるんです。剛剣アシラッド、一介の客分が持つ私兵としては、破格でしょう?」

 ホーク殿から少しくらいは給金が出てるでしょう、私は欲張らないから、大丈夫。とアシラッドは締め括った

 ルークは意図して感情を隠さず、訝しげな表情を見せた。アシラッドは、自分は斜に構えてみせる癖に、素直な相手が好きなのだ

 「何を疑うんです。これは自慢ですが、剛剣アシラッドと言えばぁ、あらゆる騎士団から是非にと招かれる程の名ですよ。事実、ホーク殿にも誘われました。あの御仁もかなりの人物でしたが、それを蹴っているんですから、私の面子も考えて欲しいですねぇ」
 「それは……言い換えれば、ホーク殿の面子を潰しているのでは……。うぅ……あぁ、もう、解りました、解りました。しかし、私に雇われても、戦功を上げる機会があるとは限りませんからね」
 「流石、決断してくれる子ですね」

 メイア・スリーの情報は何に引き換えても欲しい。ルークの任務の根本であるし、ゴッチに先んじてそれを手に入れれば、ファルコンの鼻を明かせるとルークは思っている
 だから、正直な事を言えば、ルークは余計なしがらみを増やしたくは無かったが、アシラッドを受け入れたのだ。その思惑は別として

 誰にも縛られない、風のような水のような女性に、何れ慣れる時が来るのであろうか。それがルークは心配である

 「それでは教えましょう。私が緑の髪の侍女、メアリーを見たのは、カウスからずっと西のペデンスの街です。もう結構前の事ですよぉ、彼女はとある高貴なお方の侍女をやっていました。何やら、身一つでポンと放り出されたような身の上らしく、半ば保護されていると言った感じでしたがね」

 緑の髪、侍女、身寄り無く身一つで放り出されたような風情
 ますます来ている。これはほぼ間違いないか。ルークは息を詰まらせる

 手掛かりが見つかったのは良い。殆ど期待していなかったアシラッドからこうまで明確な話が聞けたのだから、僥倖である。文句なしだ

 しかし、しかし、ペデンスとは、ルークの記憶が確かならば

 「最前線、エルンスト軍が遮二無二攻め続ける激戦地……」
 「ふふふふ……私を使って欲しいと言うのはぁ、それだからです。そろそろ戦場に出ようと思っていましたが、間抜けの下に着くのは御免ですからねぇ。どうやら只事ではない様子、ペデンスまで探しに行くのでしょ?」
 「……私がホーク殿の元から出奔して、身一つで探しに行く可能性を考えなかったんですか?」
 「信じてますよぉ、そんな下策を選ぶ子ではないと」

 ルーク君なら安心ですよ。クスクスと笑うアシラッドに背を向けて、ルークは歩き始めた

 「詳しい話を、また後で聞かせてください。取り敢えずペデンスに行ける様、ホーク殿に陳情しなければ」

 ホークに会わなければならなかったし、テツコに報告せねばならなかった


――


 『有効な情報だね。これは最近ジェファソン博士から聞いた話だが、博士はメイア3の事をメアリーと言う愛称で呼んでいたそうだよ』
 「(それは、益々ですね。…………しかしなぜ、そんな重要な情報が)」
 『それについては完全に私のリサーチ不足だ。本当に済まなく思っている。許して欲しい』
 「(いえ……良いです。それより、ペデンスですね)」

 ホークの執務室を目指しながら、ルークはテツコへの報告を行っていた
 メアリーと言う愛称、期待度は、より高まる

 テツコは硬い声で言う

 『……しかし、最前線か。急がなければならない。最悪の場合、メイア3が無事でない可能性もある』
 「…………? (それは、自己修復不可能なレベルで破損している可能性、と言うことですか? メイア3のスペックは、完全装備の統合軍教導隊員が梃子摺る程ですよ。破壊されるとは考えにくい。位置は掴めなくとも、メイア3のシグナル自体は確認できているのでしょう?)」
 『…………』

 テツコは咳払いした。僅かな沈黙に、ルークは足を止める

 『……実は、少し前からメイア3のシグナルは途絶えている。機構自体が急場凌ぎの適当な物だったため、長くは持たなかったんだ。メイア3が大破したのか、シグナルの発信だけが出来なくなったのか、断言できない。ただ、君の言うように、破壊されるとは考えにくい、とは思っている』
 「そんな」

 ルークは思わず声を上げた。幸運にも周囲に人は居なかったが、そんな事は慰めにならない

 『済まない、実働隊員の士気を殺ぐと思って、黙っていたんだ。…………ブラックバレー氏の指示だよ』
 「(い、いえ…………、良いです。良いんです。……でも、出来るなら、ここから先、隠し事は無しでお願いします。……可能な限りで良いんです)」
 『あぁ、解ったよ。私もそうしたいと本心から考えている。……悪かった』

 基本的にグレイメタルドールは、致命的損傷を負うと大半のデータが消去される。ダッチワイフとして愛用される個体や、戦闘用ギミックを存分に活用する個体の事を考えれば、当然の処置だった
 メイア3は破壊されてはならない。スクラップを持ち帰れば良いわけではないのだ。中身が無事でなければいけなかった

 「(まだ、大破したと決まった訳じゃない。寧ろその可能性は低いんだ)」

 しかしルークは、一抹の不安を感じずには、居られなかった


――

 後書

 ルーク「さぁ行くぞ、ドーンハn(ry」
 テツコ「ドーンハンマーは使えないわよ」

 ちょっと暫く
 時間を掛けてかみパンを練り直そう



[3174] かみなりパンチ18.5 情熱のマクシミリアン・ダイナマイト・エスケープ・ショウ
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2009/11/04 18:32


 ジェファソン博士は、万人が口を揃える程の痩せ過ぎで、骨格が浮き出ており、骸骨と言い表すのが最適である
 ロベルトマリンには、何万分の一かの割合でこういう人間が居た。筆舌に尽くしがたい環境汚染が原因であるらしいが、ジェファソン博士ほどはっきりと肉体的特徴に現れるのは稀であった

 ジェファソンは今、記録用カメラと体調管理の為の医療機器に囲まれながら、頭を抱えている。“異世界への扉”を一般公開し、少なからず彼の周辺が騒がしくなったとき、一悶着あった。それが原因で、ジェファソンは今体調を崩している
 はっきりと言ってしまえば、食事に毒物を混入されたのだった


 腕組み足組みしながら、マクシミリアンはジェファソンをからかう

 「大分、顔色が戻ってきたな。とは言っても、石灰色が土気色になっただけで、死体のような有様なのは変わらんが」
 「子供の頃からこれだ。もう改善する事はないだろう」

 マクシミリアンは笑っていた。すると、目をぎょろぎょろさせていたジェファソンも、つられて笑う。かと思えば、淹れたばかりの紅茶の香りを嫌がって、ジェファソンは顔を背けた

 「スモーカー、まだ食えんか」

 スモーカーとは、ジェファソンの愛称である。ジェファソンは過去、メイア3を創り上げるまで、異常な程の喫煙愛好者だった。スモーカーの愛称は其処から来ている

 ジェファソン自身は、喫煙愛好者としての過去を悔いていた。だから特に親しい者以外に、スモーカーなどと呼ばせたりはしない。からかい混じりに呼べるの者は、そう多くなかった

 「飲料も無理だ。……肉体の事も確かにあるが、メンタルの問題の方が大きいようだ」
 「……情け無い事を言うな。潜水艇で、ロベルトマリンの海に潜っても、眉一つ動かさなかったお前が」

 ジェファソンは俯いた。俯いて、記録用カメラに少しだけ視線を移す
 記録用カメラは、今に限って言えばただの置物である。マクシミリアンがその気になれば、カメラの二、三台程度、“故障中”と言うことにしておくぐらい、訳は無い

 「…………辛いんだ、どうしても考えてしまう。メアリーの事が、頭から離れない。……胸が締め付けられるようで」
 「スモーカー、悩むな。信頼できる男の所から、飛び切りのソルジャーを一人差し向けている。こちらからもルークを派遣した。どんな困難な状況下にあろうと、メアリーの事は見つけ出す」
 「マックス、……済まない。私は、いざこんな事態に陥ってしまうと、こうも情けない。お前はずっと、こんな思いに耐えてきたと言うのに……」

 マクシミリアンは、眉を顰めて頬を撫ぜた。頬の、蚯蚓がのたくったような傷跡を撫でるマクシミリアンの眼光は、異常なほど鋭かった

 扉の方から物音がする。余人の気配にマクシミリアンは顔を上げた。ノックの音が鳴る前に、マクシミリアンは誰何した

 「誰だ?」
 「……カルテンです、遅くなってしまい、申し訳ありません」
 「少し待て」

 ジェファソンは、既に居住まいを正していた。骸骨ジェファソンの挙動は、先程までと違ってしっかりしていた

 「もう大丈夫だ」
 「……良いぞ、入れ」

 扉を開けて早足で入ってきたカルテンは、開口一番世辞を言った

 「カルテンと申します。ジェファソン博士に御会いできるとは、本当に光栄です。博士の御息女の件につきましては、心中お察し……」

 カルテンの口上を、ジェファソンは容赦なく切り捨てる

 「メアリーの事に関して、君に気を使ってもらう事は何一つとしてない。アレは優秀だ。その上でマックスが捜索すると言うなら、私に不安は無い」
 「……これは失礼しました。それでは早速ですが、博士に質問があってお邪魔しました」

 カルテンは気分を害した様子も無く、白衣のポケットからフレッシュリンクと呼ばれる掌大の端末を取り出し、起動させる。何も無い空間に緑色のウィンドウが広がった所で、マクシミリアンは椅子を立った

 「私は先に戻る。カルテン、程々にしろよ。スモーカーはまだ不調から脱していない」
 「はい」
 「マックス、私の心配なら不要だ」
 「……さてな」

 マクシミリアンはロングコートを翻して、部屋を出る。灰色の廊下は、電灯以外には花も、置物も無い。窓すらない。無味乾燥とし過ぎている

 細長い鉄の箱の中を歩いているようだった。部屋を出て、四つ目の曲がり角に差し掛かったとき、マクシミリアンはふと視線を持ち上げて、耳を澄ます

 「ん?」

 廊下を曲がった先から、何かが高速で飛来し、壁にぶつかって床に落ちる。マクシミリアンが曲がり角を覗き込もうとしたその瞬間の出来事である

 グレネードだった


――


 「ダニエルぅぅ……こんなにいい天気だってぇのに、何で俺は手前のバカ面をジッと見つめてなきゃいけねぇんだ……?」
 「それはねぇ、ファルコンくぅん、鳥小屋臭ぇ手前に、我が物顔で歩き回られちゃ、困るお方達が沢山居やがるからだよぉ……?」
 「下水臭ぇ亀野郎、手前の頭ン中にゃ、脳味噌の変わりに溶けたチョコレートでも詰まってんのか? もう一度、言ってみろ。誰が、鳥小屋、臭ぇだって?」
 「駄菓子のおまけになってそうな間抜け面が、何粋がってんだ? お前の、その小汚いスーツから、鳥の糞の臭いがして、堪らねぇって、言ってんだクソッタレ」

 本日も、ロベルトマリンは、冴え渡るような曇天であった。ナヴィーグチェイス広場には人がひしめき、上空は報道ヘリと警察の個人航空部隊で賑やかである

 軍の式典であった。先のエイリアン迎撃戦を完璧に遂行したアーハス・デュンベルが壇上に立ち、演説を行う予定であった。だからファルコンは、ファン心理から多少心躍らせて、此処に来たのである
 しかし、ナヴィーグチェイス広場の警備に配属された、一人の男が問題だった

 ジャック・ダニエル。筋骨隆々の異常な巨漢で、ファルコンの倍ほども背丈がある。フライキャットチームと言う航空警察隊を指揮している癖に、本人は、空にも猫にもまるで関連が無い、亀の亜人であった

 退役軍人で、RM国統合軍在籍中は、ファルコンと特に親しかった。しかしそれから約二十年、今では犬猿の仲である

 過去、ロベルトマリンで大きな軍縮があった。当時は景気がどん底で、退役を余儀なくされた殆の者は再就職の宛ても無く、またロベルトマリン自体にもそのような者達を支援するだけの体力が無かった
 その中でダニエルは、ロベルトマリン警察に食い扶持を得た稀有な例である。ファルコンのように犯罪に手を染める者達が続出する中で、しかしダニエルは安定した収入を得た

 過去の戦友達の妬みは、生半ではなかった。ロベルトマリンの薄暗い場所には、ダニエルを嫌う者達が沢山居た

 「この阿呆、俺の部下を二人もボロ雑巾みてぇにしてくれやがって。手前の脳天に鉛弾ぶち込んじゃいけねぇ理由を教えてくれよ、そうすりゃここから摘み出すだけにしといてやるぜ」
 「問答無用でレーザーライフル撃ってきた、あの躾の悪い若造どもこそ、鉛弾ぶち込んじゃいけねぇ理由がねぇだろ? 少しはこの寛大なファルコン様に感謝しようって気は起こらねぇのか?」
 「ぶち殺すぞ鳥野郎」
 「警察官が理由も無く市民を殺れるのかよ」
 「知らねぇのか? 最近のドッグファイターはな、殺して良いかどうかは、殺してから考えるんだぜ? 軍の偉いさんから横槍入れられちゃ困るからな」

 “この前みてぇによ”

 ダニエルはファルコンの胸倉を掴み上げながら、特注のボディーアーマーの腰部を開き、レーザーピストルを抜き出す。ファルコンの米神に押し当て、度を越した示威行為を行った
 ファルコンも負けてはいない。翼をゆらゆらさせながら、ダニエルの目の前を行ったり来たりさせる。ファルコンが少し力を入れれば、一枚一枚重なる羽の隙間からナイフが飛び出し、ダニエルの頭蓋を割るだろう

 「ローストチキンがぁ……!」
 「タートルヘッドがぁ……!」

 今にも式典が始まろうかと言う頃合だったが、ファルコンとダニエルは人波の外側で、飽きもせず睨み合っている

 ふと、周囲の視線が集まっているのにファルコンは気付いた。一触即発の空気を放っていれば、注目されて当然、等と言う常識は、ロベルトマリンでは通用しない
 ファルコン及びダニエルとは、全く別の理由で視線が集まっている。ファルコンとダニエルは、揃って横を向く

 青い肌をした鮫の亜人が居た。長髪を無理にオールバックに仕立てた髪型は、『青い鬣』と呼ばれる由縁である。鬣の尾は腰まで届き、ゆらゆらと、ともすれば生きているかのように揺れている

 青褪めたようにも見える豊かな唇が、弧を描いている。アーハス・デュンベルだった。正にこれから壇上に立ち、スピーチを行う筈の人物が、其処に居た

 「少々、時と場所を弁えるが良かろう。特にエアウィング、そなたの言動はとても警察組織の者の態度とは言い難い。恥を知るが良い。鳥型のそなたも、そこまで公僕を侮辱するならば、穏便には済ませられんぞ」

 ファルコンとダニエルは再び顔を見合わせた。ファルコンは翼を器用に尖らせ、ダニエルに目潰しを食らわせる

 「ぐぉぉぉぉぉ……!」
 「これは、アーハス・デュンベル閣下。全く見苦しい、紳士的でない態度を取っちまった。俺に大きな非があるだろう。全面的に謝罪し、言動を慎みたいと思う」
 「……フ、そなた、SBファルコンと言うのだろう? マクシミリアン元帥から聞いている」

 深々と頭を下げたファルコンに、アーハスはギザギザの鋭い歯を、ほんの少しだけ覗かせて、朗らかに笑った

 「……どんな内容を?」
 「食えない奴、と、元帥閣下は言っていた。全くその通りのようだと私も感じた」
 「誉め言葉として受け取るぜ……。おいダニエルゥ、俺にはマクシミリアン・ブラックバレー氏からの紹介状がある。これ以上舐めたこと抜かすなら、明日からは大事な大事なフライキャットリーダーのキャップを被れねぇと思え」
 「……ケ、このファッキンチキンが。近いうちに焼き鳥にしてやるから、楽しみにしてろよ」

 ダニエルは肩を竦めると、レーザーピストルをくるくる回転させて腰元の内蔵ホルスターに戻す。背を向けて去るダニエルに舌打ちし、ファルコンは忌々しげに唾を吐いた

 「そなた、下品な奴だな」
 「それは仕方ない。……お前さんたちの大嫌いな、ロベルトマリンのダニに、何を期待することがある」
 「あまり自分の事を卑下する物ではない。そなたが本心から言っているのか、それともどうでも良いのかは知らないが、誇りのない者は相応の仕事しか出来ない物だ」

 クックック、とファルコンは笑い出す

 「オイオイ、勘弁してくれ、デュンベルさん。俺に説教するより先に、すべき事があるだろう? 俺よりスピーチ、あのハゲのダニエルよりスピーチだ。俺はアンタのスピーチを聞きに来たんだぜ」
 「そうだな。……SBファルコン、そなたと話したい。式典が終わっても、ここで待っていてくれ」
 「うん? …………良いだろう、今日はオフの心算だったが、たまには休日返上で仕事熱心に過ごす日があっても悪くない」

 ファルコンは懐から葉巻を取り出すと、先端を食い千切る。ファルコンの返答に満足したようで、アーハスは壇上に向かって一直線に歩いていく。人波が割れて、アーハスの道を作っていた

 ちょっとしたサプライズだろう。アーハスの青い鬣が、わさわさと風に揺れていた


――


 アーハスのスピーチは、驚異的な速さで終了した。三十秒あったか、無かったか、兎も角常識外の速度であった
 その後アーハスは式典を放り出し、今はファルコンと二人、自動運転のエアカーの中に居る。大型で、十分なスペースがあるエアカーの中で小銃を整備し、アーマーを装備し始めたアーハスに、ファルコンは若干引いていた

 「ファルコン、そなた、ロベルトマリンの海運に通じているらしいな」
 「…………まぁな、チャチな仕事だが、密貿易をやった事がある。オーギー港のはねっかえりどもに大分貸しがあるから、それなりに顔が利くぜ」
 「ロベルトマリンの首都に、海路で密入国した者を一人残らず調べ上げて貰いたい」
 「穏やかじゃぁ、ねぇな」

 ロベルトマリンは度を越して後ろ暗い国なので、入出国審査も、矢張り度を越してしっかりしている。入るのも出るのも難しい国で、貿易の際の手間を省く為に、出島が設置されたこともある程だった

 隙があるとすれば、海路。空は軍がガチガチに固めているが、海は違った。数え上げるのが馬鹿馬鹿しくなるほど数多の汚染物質で黒く染まったロベルトマリンの海には、突然変異体がわんさかいる。危険で、旨味の無い海まで、政府は抑えようとしなかったのだ

 「自分達は絶対にヘマしないってか?」
 「ロベルトマリンの監視レーダーは、国境線と領海、両方の全領域をカバーしている。対外的にはレーダー施設は未配備、と言う事になっているのだがな。空の目を掻い潜るのは、現実的ではない」
 「…………ふん、まぁ、首都に限るなら、そんなに難しい話でもねぇぜ。…………オーギー港のまとめ役、リンダってんだが、そいつが困った事があると言っていた。二十歳になったばかりの若造が、どうにも胡散臭くて怪しいクソッタレどもを、大人数船で運んだってな。当然、リンダは関知してない話だ。…………解るな? そいつらが何なのかは知らんが、オーギー港の商会にまでお咎めが行かないよう配慮してくれるなら、十二時間以内にその若造をとっ捕まえて、出航地、経路、人員、全部調べてあんたの目の前に積み上げてやる」

 ジャカ、とアーハスはレーザーライフルにカートリッジを差し込む。コンバットヘルメットのバイザーの奥で、アーハスはファルコンを睨みつけていた

 「マクシミリアン元帥閣下から、そなたになら話してよいと言われている」
 「……何をだ?」
 「今、ザーニキッド刑務所跡地には、ジェファソン博士が保護されている。当然だがコレは機密だ。洩らすなよ」
 「ザーニキッド? そんな所に……。で、それがどうしたんだ。まさか、オーギー港の若造が運んだ連中が、ジェファソンを狙ってるってぇのか」
 「そのまさか、どころか、事態は一歩先だ。ザーニキッド刑務所跡地は、今所属不明部隊の襲撃を受けている。しかも悪い事に、ザーニキッドには今、ジェファソン博士だけではない」

 続く台詞に、ファルコンは溜息をつき、米神を翼で撫で擦った

 「ザーニキッドには、マクシミリアン元帥もいらっしゃる。私としては、許しがたい状況だ。半日も掛けるな、八時間で結果が出ないようなら、オーギー港に関する権益について、保証できないとリンダなる人物に伝えて欲しい」
 「…………マクシミリアンは無事なんだろう? 軍がその気になれば、十分以内に部隊を派遣して俺がランチを済ませる前に敵を皆殺しに出来る筈だ」
 「ジェファソン博士に関する事は元帥閣下の管轄だ。今回の事が大袈裟になれば、閣下の政敵に格好の攻撃材料を与える事になる。コレは、我々だけで迅速に処理する」

 あーあ、そりゃ難儀な事で。言いながらファルコンは、携帯電話を取り出した

 「あ、そうだ。アーハスさん、良ければ今度一緒にランチでもどうだ?」

 アーハスが苦笑いする。ファルコンに初めて見せる、曖昧な表情だった


――


 ザーニキッド刑務所跡地は、ジェファソンの入る前と後では、多少違う。抜け道や隠し部屋等が増設されており、そこの辺りマクシミリアンは抜け目が無かった

 敵の襲撃を受けて、まずマクシミリアンが行ったのは、ジェファソンを初めとする非戦闘員を隠れさせることだった。隠し部屋は巧妙に隠蔽されている上、隠し部屋や隠し通路を含めて記された見取り図は存在しない。増設に携わった人員と接触でもしていない限り、看破は困難である

 時間を稼ぐこと自体は、容易だった

 「ジェット、止まれ」

 マクシミリアンの囁くような声に、背後のジェットが身体を固める。壁に張り付きながら覗き込んだ通路の先には、武装した亜人と思しき者達が、四人居た

 T字路の反対側をマクシミリアンが手で示せば、ジェットは鼻をふごふごとさせ、タイミングを見計らう
 そして身を翻し、グル、と回転しながら、マクシミリアンとは反対側のカバーポジションを確保した。左右から通路の奥を窺う二人からは、異様な殺気が漏れ出している

 「クソ、なんでスワロウ1はこんな役立たずを連れてきたんだ」
 「弟なんだってよ。まぁ、子守を任される身としちゃ迷惑だがな」
 「…………すいません、ご迷惑をお掛けします」
 「……チ」

 マクシミリアンは最初に敵と遭遇した時、二人返り討ちにしていた。その時奪ったアサルトライフルの感触を確かめながら、飽くまで余裕たっぷりに待ち構える
 マクシミリアンとジェットの目標地点は、たむろする四人の兵士達を越えた先にある。ジェットを脱出させ、アーハスの所まで逃走させるのが、マクシミリアンの目論見であった

 「(迂回しまっか?)」
 「(かなり遠回りになる。その間、別の部隊に遭遇する可能性は高い)」
 「(やり過ごす?)」
 「(……いや、奴ら程度の練度であれば。……ジェット、ここで待機だ。直ぐに片付ける)」

 兵士達は幸運にもマクシミリアン達の居る方向とは逆を向いて通信機を使っていた。マクシミリアンは匍匐前進で通路をずりずりと進む。スーツが汚れるのは考え物だが、そうも言っていられない

 ザーニキッド刑務所跡地は、ジェファソンの保護されていた箇所とその周辺こそ綺麗に整備されていた物の、その他の場所に関しては全く手付かずだ。通路や看守部屋に物が散乱し、重くて硬い鉄製の机が倒れているなど、珍しくもなかった

 マクシミリアンは通路に横倒しになっていたベッドまで到達し、其処に身を隠す。ベッドを乗り越えて直ぐ右手には、ドアが破壊された小さな部屋がある。それを確認したマクシミリアンは、立ち上がってライフルを構えた

 銃声五発。油断からか、無防備な姿を晒していた四人の内、最も手前の一人に、銃弾は襲い掛かる。初弾は胸に、そこからマクシミリアンは、少しずつ銃口を上に反らしていったため、最後の一発は米神に。血と肉がぐぱ、と飛び散る。薄汚れた壁と床に凄惨な化粧をして、頭を失った死体は崩れ落ちた

 「う、うわああ!!」
 「身を隠せ! 馬鹿野郎、頭を下げろ新入り!」

 銃声が鳴った直後、残る兵士達は素早く体制を低くし、物陰に身を隠す

 マクシミリアンは鼻を鳴らし、横倒しのベッドを飛び越えると、右手側の部屋に身を投げた。直後、激しい発砲音と共に、銃弾が壁と床を抉る


 壁に背をつけ、何度も、何度も深呼吸した。目を閉じて息を吸い込み、吐き出す度に、精神が研ぎ澄まされていく

 マクシミリアンは、戦いで後れを取った事が無い。士官学校時代、尉官時代、佐官時代、将官時代、そして今、色んな条件で色んな戦いをしたが、その気になれば必ず勝った
 純粋人類の驚異的な、しかも高次元でバランスの取れた身体能力に加え、他者の及びつかない集中力があった。そしてマクシミリアンはどれ程集中しても、視野を狭める愚か者ではなかった

 マクシミリアンが本気を出せば、世界は止まる。止まって見えるのである

 息を止め、マクシミリアンは部屋から身を乗り出す。敵集団との距離は12から15メートル
 目が、爛々と輝いていた。曲がり角から身を乗り出して、今にも射撃を開始しようと言う一人に銃口を向けて、引き金に触れる

 射撃の反動を完全に押さえ込む、かつて悪鬼の如く自分をしごいた教官の、教え通りの体制だ。発射されたライフルの弾丸は兵士の頭蓋を割り、先程と全く同じように人間の残骸を撒き散らし、その身体を沈めさせた

 「ドゥ! 馬鹿な!」

 クソッタレが、と悪態を吐く兵士は、再び物陰に身を隠している。マクシミリアンは退かない。ライフルは敵を探し彷徨う

 「おあぁぁーッ!!」
 「あかん!! グレッネィー!」

 マクシミリアンの後方から覗いていたジェットが、大声を上げた

 恐怖を振り払うかのように、兵士は雄叫びを上げて、間を置かず通路に右半身を覗かせた。グレネードを振り被る右手に、マクシミリアンはライフルを向ける
 引き金を刺激する指使いは、極めて繊細で、優雅で、優しかった。発射された弾丸は二発。それは全く射手の狙い通りに、敵の手と、それが握り締めるグレネードを打ち抜いた

 爆発が起きた。周囲の物を吹き飛ばし、巨大な音を立て、投擲しようとしていた兵士の身体を、半分ほどミンチにした


 勝敗は運では決まらない物。一対四でありながらも勝利した要因は、幾らでも述べられる。しかしその中で、最大の物が何かと論じれば、これはもう一つしかない

 マクシミリアンには、世界が止まって見えていた


 「ふ……」

 マクシミリアンは銃口を下げ、ゆっくりと歩く。瓦礫を避けて通路を進み、曲がり角へ

 最後の生き残りが居た。グレネードの爆発に巻き込まれた、半死半生の新兵が、涙を流しながら恐怖に震えていた。傍らにはショットガンが転がっていたが、最早それを握る力も意志も無い
 何も解らないままグレネードの爆発に巻き込まれ、戦う事も出来ず死んでいく

 実年齢は解らないが、外見は極めて若い、幼いといっても良いような少年である。動きも、経験を積んだそれには見えない。だがマクシミリアンは、平然と銃口を突きつけた

 「最後の言葉を聞いてやる。偉大な祖国に命を捧げろ」
 「……あ……、アナライア、ば、万歳……! 我等の王に栄光……グヴェッ!」

 最後まで言わせず、マクシミリアンは引き金を引いた。弾丸の撃ち込み方は、念入りだった。粉砕されてぐしゃぐしゃになった頭部に目もくれず、ライフルの弾装を交換する

 「ジェット、行くぞ! ……アナライアか、まぁ、妥当な所だが、裏を取らねば……」
 「うひょー、ぐちゃぐちゃやぁ! マクシミリアンさん、ジェット、ファンになってまいそうですわ」
 「周囲を警戒しろ」

 マクシミリアンは、死体と瓦礫を踏み越えて先を目指す。目標地点へは、直ぐに到着した
 刑務所の裏口だった。ジェットがここから全力で走れば、敵方に気付かれずに脱出できる公算は高い

 ジェットが敬礼の真似をする。眉を顰めたくなるほど崩れた礼であった

 「ほな、アーハスの姐さんとこまで走りますわ」
 「あぁ。ディスクの中身を覗こう等と考えるなよ。一応、機密だからな」
 「そんな恐ろしい事しまへん。…………マクシミリアンさん、ご無事で」

 ジェットは掌大のサイズの青いデータカードをひょいと放った。落下するそれをしなやかな尾でキャッチして、ふごふご笑う

 運び屋に相応しい仕事だった。戦場だろうが何だろうが、自分ならば運びきる。ジェットの仕事にはプライドがある


――


 刑務所の通路を引き返していた時、マクシミリアンは微かな音を感じた
 足音や、アーマーの擦れあう音ではない。ノイズ交じりの声である

 つい先程、四人纏めて始末した場所だ。マクシミリアンに頭蓋を割られた死体の通信機が、五月蝿くがなり立てていた

 『スワロウ4! 応答しろ、スワロウ4! …………お願いよ、ディン、応えて……!』

 通信機を爪先に引っ掛けて蹴り上げる。危なげなくそれをキャッチして、マクシミリアンは平然と応答した。仮にも交戦ポイントだったが、敵の調査の手など、まるで恐れていなかった

 「こちらダイナマイトボディリーダー。スワロウ4は安らかに眠った」
 『スワロ……! 誰だ! ディンをどうした!』
 「どうした、だと……? 散弾銃を持って襲ってくる敵を丁重に持て成すほど、ロベルトマリンは友愛の心に満ちていない」
 『貴様、ディンを殺ったなァ!!』

 女の声だ。烈火の如き怒りに満ちた、激しい怒声である

 二流め、と口の中で呟くマクシミリアンは、無表情を崩さない

 「自己紹介をしておく。こちらダイナマイトディリーダー、マクシミリアン・ブラックバレーだ。私の事を知っているか?」
 『マク……、なに、あのマクシミリアン……?』
 「間もなく私の部隊が到着し、お前達を徹底的に叩き潰す。私はお前達無能から得られるような、精度の低い、大した価値も無い情報を必要としない。従って捕虜は取らないし、取引もしない。また、お前達の出身などどうでも良いし、現在の国籍、所属も同様だ。この通信は、お前達への手向けだ。せめて安らかに死ね」
 『……舐めた事を。お前の思う通りにはならない。絶対にだ』
 「…………ワンダフルボディリーダー、通信を終了する」

 マクシミリアンは通信機を床に放ると、踵を振り下ろした。マクシミリアンに似つかわしくない、荒っぽい処理であった

 ヘリのローター音が聞こえる。通路の、元々曇りガラスなのか、それとも年月を経てどうしようもなく傷つき汚れたのか解らない強化窓ガラスを、半ば無理やりこじ開ける
 ヘリは丁度マクシミリアンから見て真正面から飛んできた。ザニッキード刑務所跡地の正門で、ぐるりと機体を回転させる。機体の横腹に鈍く輝く、小船を大顎で噛み砕く鮫のエンブレム

 「アーハス、自ら来たのか。小うるさい連中の相手をして欲しかったんだが」

 アーハスがやってくれなければ、実は少しだけ面倒になる事柄があった。マクシミリアンの政敵への対処だ。無駄な仕事が増えるのは、間違いない

 送り出したジェットは全くの無駄になってしまったな、と、マクシミリアンは息を吐いた


――


 広いロベルトマリンをだなぁ、彼は、一歩一歩征服していくような有様だったよ
 元々野心家と言うか、上昇志向が強い性質ではあったが、養父上殿が亡くなられ、御婦人が行方不明になられてからは、さらに拍車が掛かったな

 心の内は判らない。だが……、彼の養父上殿は、常々ロベルトマリンの国際的地位と国益について説いておられたが……。彼の心根にあるものが、その二つに向かっているとは思えないなぁ


――


 アーハスは怜悧な面持ちで、上を向いた。他を寄せ付けない癖に、視線を引き寄せる、強烈な異物感がある

 異物感だ。規格外、他とは違う何か。ポジティヴな物なのか、ネガティヴな物なのか誰にも判らなかったが、その存在感は圧倒的である

 「閣下は完璧で恐ろしく、そして危険な方だ。我らが支える必要がある」

 ふう、と溜息でも吐き出したそうにしながら、アーハスは言う。ヘリの中、真正面で装備を整えている部下は、は、と短く応答する

 これといった特徴の無い男である、部下は。ただ、何処にでも居そうな(とは言っても多種多様な外見である亜人が入り混じるロベルトマリンで、何処にでも居そうな人物など居はしないが)外見とは裏腹に、これ程の人材はRM国軍をくまなく探してもそうは居ない筈である、とアーハスは確信している

 「何か言いたそうだな」
 「何故我々が今更出向く必要があるので?」
 「?」

 優秀な部下、である筈の男、ブラヴォーの言葉に、アーハスは首を傾げた。作戦の内容は既に伝えた筈で、その上で「何故」と問われるなど、全く在り得ないことだった
 ブラヴォーを観察してみれば、彼の普段と変わらない無表情のままで、冗談を言っているようには感じられない。それが余計に気になる。そして気になると言えば、ブラヴォーは階級こそアーハスよりも大分下だが、マクシミリアンとの付き合いはアーハスよりずっと長い。そのブラヴォーがマクシミリアンを全く心配しない様子こそ、気になる要因であった

 「護衛の隊は殲滅されたにせよ、閣下がいらっしゃるんでしょう」
 「そうだ。説明したとおりだ。そなた、何が言いたい?」
 「なら必要なのは、ロベルトマリンに押し入ってきたクソッタレども用の死体袋と、清掃員だと愚考します。閣下の競争相手の牽制に回ったほうが効率的なのでは?」
 「……そなたが何を考えているかは知らんが、クソッタレどもは大多数まだ生きているぞ。警護の隊の死体保護幕なら必要だろうがな」

 ほぉ、とブラヴォーは言った。何時もの無表情が崩れて、ほんの少しの驚きを露にしていた

 「閣下も随分と丸くなられたようですな。まさか生かしておくとは。まぁ、生きている相手からなら、多少なりとも情報が取れます。好都合と言うもんでしょう」
 「さっきからそなた、何か勘違いしているのではないか。まだ戦闘は継続中だ」
 「は? 戦闘継続中? またまたご冗談を」
 「現場を見てから同じ事を言うがいい」

 アーハスとブラヴォー、そして他の戦闘員が乗ったヘリは、ザーニキッド刑務所跡地の上空で旋回する。その時、ヘリの通信システムに、割り込みが掛かった

 『こちらマクシミリアン・ブラックバレー。アーハスか? 少し近い。ヘリをザーニキッドから離れさせろ』
 「閣下?」
 『カウントを開始する。10、9、8』

 ざわ、とアーハスの背中に冷たいものが走った。アーハスはザーニキッドから距離をとるように、操縦士に短く命令する

 『3、2、1、……ignition.』

 ザーニキッド刑務所跡地が、轟音と熱風を放つ。流石のアーハスも唖然とする他無い。暴風と衝撃が収まった後など、確認するまでもなかった

 大爆発だ。マクシミリアンが、刑務所跡地改修の際に、爆薬を仕込んでいたに違いなかった

 「……………………………隠蔽が、手間だな」
 「丸くなられたなんて、ぬか喜びも良い所だったか」

 米神を押えるアーハスの右隣から、ラベリングロープを握り締めたブラヴォーとその部下達が飛び出していった


――


 ザーニキッドは地上に一階、二階、地下に一階、二階と、四層ある。地上一階部分の大半と、二階部分の全てを容赦なく吹き飛ばしたマクシミリアンの爆薬は、敵勢力にとって予想外の物だったに違いない

 己の身に雪崩れてきた瓦礫を吹き飛ばし、優雅に埃を払ったマクシミリアンは、「少し計算違いがあったようだ」とスーツについた傷を見ながら呟いた

 「さて、今ので何人死んだか」

 マクシミリアンの表情は、見るものが見れば、そう、ファルコン辺りが見れば、とても嬉しそうなのが判っただろう


 敵が制圧拠点にするだろう箇所は、検討が着いていた。地下一階にある、現役刑務所時代に監視システムを一手に統括していたセキュリティルーム。もしくは地上一階にある、マクシミリアンが改修した際に設置した新規セキュリティルームだ
 可能性としては、旧セキュリティルームの方が高い。新規セキュリティルームは、既存のどの見取り図にも記されていないからだ。もし発見されていたとしても、その重要性に気付かず放置されているだろう
 仮に新規セキュリティルームに敵が居座っていたとしたら、今の爆発でまとめて消し炭の筈だ。世界は、そう都合よく運ぶ物ではないと、マクシミリアンは知っていた

 「(今の爆発に肝を冷やした敵は)」

 マクシミリアンは走りはじめる

 「(状況を把握するため、地上部分へと、のこのこ現れる。計算上では、地下に通じるフロアは崩れていない筈だが)」

 走り始めて幾許もしない内に、その行く先を瓦礫がふさいだ。盛大に吹き飛ばしたツケに苦笑しつつ、マクシミリアンは迂回路を探し、或いは瓦礫自体を乗り越え、撤去して進む

 「(しかし、爆発と同時に閉じられる、地上と地下を遮断する隔壁を開くには、どんなに急いでも五分)」

 目的の場所は、当然壁やら何やらが吹き飛ばされて酷い有様だったが、何とか形を保っている。ここまでは計算どおり
 そしてここからが計算違い。既に敵は地上に居たのだ。ただ一兵のみ

 黒いフルフェイスとアーマー。膝立ちでこちらを狙うスナイパー。マクシミリアンは構わず走り続ける
 限界まで腰を落とし、身長の約半分程の高さを維持しつつの疾走だ。この状態で移動する標的を狙い打つには、それなりに熟練している必要がある

 マクシミリアンの肩が裂けて、血が噴出した。世の中には、携行には向かないが、掠っただけでその部位を吹き飛ばすようなスナイパーライフルもある。それを思えば幸運だ
死と隣り合わせの生。紙一重の勝敗に、マクシミリアンは高揚した

 アサルトライフルの銃口を持ち上げた所で、スナイパーはゴロンと身を投げ、瓦礫の影に隠れた。続けざまにグレネードが転がり出てきて、マクシミリアンは急停止せざるを得なくなった

 「ぬッ」

 激しい雷光が目を焼く。プラズマグレネードだ。後一歩前に出ていれば丸焼きにされていたというのに、マクシミリアンは嫌らしく笑った

 プラズマグレネードは、周囲にあるトラップを無効化してしまう。あのスナイパーには、クレイモア等の備えがないのだ

 「スワロゥ! スワロゥチーム! 撤退! 撤退! 作戦続行は不可能!」
 「その声、先程の女だな!」

 瓦礫に背を付けて周囲を見渡しながら、マクシミリアンは怒鳴りつけた

 「スワロゥ1はこの場で戦闘続行! お前たちの撤退を支援する!」
 「殿か?! 泣かせる責任感だ!」
 「早く行け!」

 マクシミリアンは、スワロゥ1の発音がどことなく怪しいのに気付いた。それに加え、こちらの言葉が耳に入っていないようである

 「スワロゥ4の首無し死体はこの何処かに埋まったままだぞ? 掘り起こしてやらなくていいのか?」

 反応は、無かった

 「(奴め、先程の爆破で聴覚を失ったか。三半規管はどうもないのか?)」
 「マクシミリアァァァァン! 狼は地上最強の生物だ! それを教えてやる!!」

 屋根が消えうせたため、曇天が明るい。マクシミリアンは、何かの影に覆われたのに気付いた
 上を見上げれば、スワロゥ1が飛んでいた。空中でスナイパーライフルを構えている

 マクシミリアンは身を屈めた。たった今まで背を付けていた瓦礫に弾痕が刻まれる。マクシミリアンは、膝を激しく地面に擦り付けながら辛うじて射撃体勢を保持した

 スワロゥ1の着地のタイミングに合わせて、射撃。その心算であった。しかしスワロゥ1の第二射が、アサルトライフルに直撃していた

 「チッ」
 「クッ」

 舌打ちと苛立たしげな吐息が重なる
 アサルトライフルを投棄したマクシミリアンは、懐から大型拳銃を取り出した。アンソニー社のスタンダートモデルハンドガン。ロベルトマリンでハードボイルドを気取るなら、もっていなければならないと、マクシミリアンは思っている

 狙いを付ける前に、スワロゥ1は再び隠れていた。梃子摺らせてくれる物だと、マクシミリアンは苦笑した

 その時、地下へと通じる階段の隔壁が動き出した。本来なら、地下から這いずり出てきた者達を奇襲して、徹底的に打ちのめす筈だったのが、嫌なタイミングでの敵増援となってしまった

 しかし、増援が現れたのは、敵だけではなかった

 「R・M・A!」
 「R・M・A! R・M・A!」

 凄まじい勢いで怒鳴り上げながら場に乱入してきたのは、ブラヴォー達だった。狙いすましたようなタイミングである

 「一人残らず皆殺しだ! ロベルトマリンの麗しい秘密の花園に、奴らはクソ塗れのバイヴを突っ込むような真似をした! 許し難い!」
 「Yes sir!」

 そこに一呼吸遅れて、アーハス・デュンベルが現れる。アーハスは青い鬣を振り乱し、矢張り怒鳴った

 「ロベルトマリンは、舐められた相手をそのままにはしない! これは誇らしい、偉大な伝統である!」
 「Yes sir!」
 「行くぞ! 勇敢な戦友達の名を呼べ!」
 「R・M・A! R・M・A! R・M・A!」

 R・M・Aの大合唱とともに、アーハスとブラヴォー達は突撃してくる。マクシミリアンは眉間を揉んだ。もう少し、部下の人選を考えるべきかな、と思っていた

 「ちぃぃーッ! マクシミリァァァーンッ!!」
 「茶番はここまでだ、スワロゥ1」

 聞こえてはいないだろうが。マクシミリアンはアンソニー・スタンダートを愛しげに引き寄せて再び走った。焦って瓦礫から身を晒したスワロゥ1は、何故かスナイパーライフルを持っていない

 スワロゥ1のサイドアームは消音機付の拳銃だ。マクシミリアンに向けて、一直線に走りながら連射する。しかし、体を激しく動かし、手が酷く揺れるような状態で、まともに中る筈はない

 マクシミリアンはこの状態でも、やはり他とは一線を画す。走りながら、一発撃った。それはスワロゥ1の右の太ももに命中し、大きく体制を崩させる。続いて二射。左の脛にそれを受け、スワロゥ1は堪らず転倒する

 悲鳴を上げながらも、腕の力だけで立ち上がろうとするスワロゥ1を、マクシミリアンは蹴り飛ばした。上腹部へと綺麗に吸い込まれた鋭い蹴りに、スワロゥ1は悶絶しながら胃液を撒き散らす

 「お前達の関係に興味はないが、あの世でスワロゥ4と仲良くやるが良い」

 消音機付拳銃を握り締める右手を踏みつけ、マクシミリアンは冷たく見下ろした。マクシミリアンの言葉が聞こえないスワロゥ1は、恨めしげに言う

 「あそこは……お前達みたいな奴らが汚していい場所じゃないんだ……! 美しいあそこを……!」
 「ふぅ……」

 四発ほど、スワロゥ1の頭部に打ち込む。ピクリと痙攣した後、血溜を作り始めた死体に、その後マクシミリアンは、見向きもしなかった


――

 後書
 文章量のバランスをもっと考えるべきだったようだだだ
 因みに止まって見えても水没はしない。多分

 と言う訳で磯野ーー、モンハンやろうぜーー!

 何か投稿できなくてえっらい難儀だぜ……とか思っていたら、
 文字列入力をマルッと見落としていた……。恥ずかしくて死にたい……

 変な事言って申し訳なかったです。



[3174] かみなりパンチ19 ミランダの白い花
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2009/11/24 18:58
 「ゴッチ、待って。重いのよ。置いていかないで」
 「貸せ」
 「あ、ありがとう。半分で良いの。手を繋ぎましょう?」
 「好きにしろよ」

 左手にじゃれついてくる女のふくよかな肉体を、ゴッチは抵抗せず受け入れた。女の持つ荷を奪うように持っても、お決まりの舌打ちも無かった
 癖のある白髪から、花の香りが立ち上る。過去、恐ろしい目にあって、それで白髪のお婆ちゃんになってしまったのだと悪戯っぽく笑った女は、何時も白い花の香りの香水を付けていた。甘ったるい、眠気を誘う匂いだ

 商売女で、イノンと名乗った。不規則な生活と、人体への害を考慮しない化粧の多用は商売柄と言ってよい。イノンの素肌は荒れていた。きり、と開いた瞳と、薄い桜色の唇が、年齢相応とは言えない若々しさを放っているだけに、残念な事情である

 イノンは商売女の癖に、極めて大人しい気性だった。時として言いたい事一つ言えない弱さと言もえる気性だったが、気を使うのが上手く、嘘も駆け引きも使わない素直さがあり、それらが愛嬌といえた

 「……んん~~」

 イノンが顔をくしゃりと歪めて、ゴッチの肩に頭を擦り付ける。甘ったるい匂いが散らばる。寄り添うイノンの身体が、人体の微妙な温かさを伝えてくる

 時折彼女が見せる幼子のような仕草も、愛嬌と呼べる物だった。ゴッチも本当に少しだけ、気に入っていた

 「大きいねぇ」

 イノンが、握った手を持ち上げて言う。ゴッチの掌は、イノンのそれより、一回りも二回りも大きい。こうして朗らかに笑うイノンからは、商売の臭いがしなかった。夜の女とは思えない程だ

 「…………あぁ」
 「ねぇ」
 「んん」
 「今日は居るの?」
 「居るさ」
 「私が出るまで?」

 大きな通りを外れて、人気の少ない路地に入る。商売女は表には住めない。ゴッチの足元を、薄汚れた子犬が駆けていく

 イノンの笑顔に陰が差す。日陰に入ったからと言うだけではない

 「お前が戻るまで居るさ」
 「ねぇ、もっと居て」
 「……あぁ、居るさ。夜が明けるまで」

 嬉しげに笑うイノンが、繋いだ手を開いたり、また結んだり、悪戯をした。そのくすぐったさを甘んじて受けるゴッチは、小さな笑み一つ零さない

 程なくして、イノンの住まいに辿り着く。皹が入ったぼろぼろの石壁に、元が何色だったか判別することも出来ない赤茶色に汚れた扉
 北の方角から風が吹くと、生臭い臭いがする。ゴミの廃棄場に近すぎるのだ

 「ねぇ、ふふ、ゴッチの服、洗ってあげる」

 イノンに手を引かれて、ゴッチは赤茶色の扉の中へと進んでいく。イノンの大人しい笑い声を封じるかのように、扉は閉じた


――


 ゴッチはミランダで売春婦のヒモになっていた


――


 元々ゴッチは、ミランダ以外ではのうのうと生活できない。アナリア国軍は、ゴッチを見つければ雪辱せんと襲ってくるだろう。何せ、目立つ風体だ

 だから、ティトについてロベリンド護国集の本拠地に向かうのも面倒だったし、酒場の親父がそろそろ何か掴んだ頃合だろう、と、アーリアまでのこのこ出向く訳にも行かなかった
 そんな訳で、ゴッチはミランダに居た。ミランダで、ティトとゼドガンの帰りを待っているのだ。先の冒険の報酬として、ゴッチは、ロベリンド護国衆とゼドガンの協力を受ける約束になっている

 言うまでもないが、メイア3捜索の協力である

 今の所、ティトは護国衆本拠地に一度帰還し、ゼドガンはゴッチの代わりに、アーリアの酒場へと情報を回収しに出向いていた。ゴッチは一人きり、極めて暇を持て余していた


 一糸纏わぬ姿で失神しているイノンに毛布を掛けて、ゴッチはイノンの家を出る。ゴッチがイノンの家で世話になるのは、不定期だった。朝夕を問わず訪れ、直に立ち去る事もあれば、暫く居座る事もある

 合流するまでの間ゴッチが宿泊できるよう、ティトが手配した宿もあるにはある。しかし、ゴッチは一度もそこを利用していない
 毎日詰まらなそうにミランダを彷徨い、気が向けばイノンの家を訪ねた。職もなく(就職など今のゴッチの状況でする筈も無いが)、家も無く、商売女を食い物にして生活するゴッチは、さぞや下衆に見えることだろう

 下衆に見える、ではない。そのまま下衆だった
 異世界に来てから暫く立つ。ゴッチの覇気が途切れる時が来たのである。張り詰めたままでは、生きられないのだった

 「チ、詰まらねぇ」


――


 ある日、ゴッチは道端に高く積まれた露天商の荷物に背を預け、何をするでもなく呆としていた。当然露天商は良い顔をしなかったが、ミランダで商人などやっている癖に肝が小さく、ゴッチが一睨みするとそれでもう何も言えないようであった

 酒も煙草も要らなかった。ただ、ファルコンの事や、隼団の事や、テツコにされそうな説教の内容の事や、…………ついでに、イノンの事を考えていた

 「ちょっと、アンタ」

 空を仰ぐゴッチに、影が覆いかぶさる。声と影の主は、黒髪を結い上げた女だ
 ヌージェンと言う、ミランダの娼婦達のリーダー格である。長い睫毛の掛かる釣り眼で流し目されると、居ても立ってもいられない。情熱的な褐色の肌に玉の汗が浮かぶ姿は、敵う者の無い艶っぽさである。――と、誰かが言っていたようにゴッチは記憶している

 ヌージェンは、ゴッチの事を不愉快に思っている。イノンは素直な娘なので、ヌージェンを始めとする面倒見の良い夜の女達に非常に可愛がられてきた
 イノンに寄生するゴッチを、嫌悪しても仕方ない

 「……ん?」
 「アンタ、イノンがどこに居るのか知らないかい」
 「何故俺に?」
 「……ふん、商売だよ。客が来てるのに、イノンの姿が見えないんだ」

 ゴッチはヌージェンの遠く後ろを見やって、鼻を鳴らした

 「あそこに居るじゃねぇか」

 イノンが怪しい微笑を浮かべながら、冒険者といった風体の男と腕を組んで歩いている。漂う奇怪な雰囲気は、娼婦の貫禄か、売女の下品さか、評価の分かれる所であった

 イノンと男は、ゴッチの居る方向にゆっくりと進んでくる。ゴッチの腰掛けている荷の横の細道から、路地裏に向かうに違いなかった

 「…………イノン……か……」

 ゴッチの呟きは、ヌージェンには届かない。ヌージェンはほっと安堵の息を吐き、自慢の肉体を大仰に反らした

 「なんだい、心配させやがって。……邪魔したね」
 「あぁ」

 イノン、イノンか。ゴッチはイノンを見つめているようで、その実どこも見ては居なかった
 癖のある白髪が、風に揺れているのが解る。焦点が合わず、ぼやけた視界の中で、一瞬だけ、イノンが慄いた

 イノンがゴッチを見つけた。表情に何も出さない所は、流石に夜の女であった。ゴッチは顔を逸らして、イノンを見ようとしない

 「これはインガさん。お待たせしてしまったようで申し訳ないね」

 ヌージェンが、朗らかに挨拶する。インガと呼ばれた冒険者は既にヌージェンに気付いており、頭を被う赤布を弄りながら、意地悪そうに笑っていた

 「ヌージェン、いや、良いさ。最初は待たされるだけ待たされて、からかわれたかなとも思ったが、これはこれで中々。焦らされると燃えてくるみたいだ」
 「そいつぁ……、良いね、イノンが羨ましくなるよ。……インガさんなら心配は無いが、最近女達に乱暴する客が多くてね。イノンは大人しい気性ですから、優しく可愛がってやってください」
 「や……やだ、ヌージェン姐さん」

 イノンの視線を、ゴッチは感じていた。ヌージェンのからかいを受けながら、イノンは気が気でないようにゴッチの様子を窺っている

 「無茶なんてしない、優しくするよ。だが、イノンは素直な女だ。彼女が望んだら、その限りじゃないぜ」
 「あらま……、ふふ、それじゃ、ごゆっくり」

 下世話な応酬をさらりとこなしたインガは、イノンの手を引いて歩き出す

 「…………」

 沈黙を保っていたゴッチが動く。右足をゆっくりと持ち上げて、細道の壁につけた

 路地裏へと続く道は、人一人分の幅しかない。塞ぐのは容易だ。あからさまに行く手を塞いだゴッチに、インガは眼を細める

 「朝っぱらから女ですかい、冒険者さん。えらく儲かってるようで、俺もあやかりたいモンですなぁ」
 「アンタ、何の心算だい?」

 ヌージェンの険しい表情。ゴッチは首を鳴らして、肩を竦める。嘲弄する気配が滲み出ている

 「ヌージェン、この男は、知り合いか?」
 「え、あぁ、その」
 「娼婦に知り合いは居ねぇなぁ。いや、こんな美人と懇ろになれるなら、火にでも水にでも飛び込むんだがなぁ」
 「そうか、それは剛毅な話だ。じゃぁ、見ての通り、俺はこれからお楽しみなんだ。癖の悪い足をとっとと除けてくれよ」
 「除けてみろよ、冒険者。お前の腰の獲物が、飴細工で出来てるんじゃぁ、なけりゃな」

 インガが腰の剣に手を添えた。場が殺気立つ。露天商の男が、半泣きになっている

 「い、インガさん、ここいらで揉め事は……ちょっと。下衆野郎の挑発なぞ、サラッと流してくださいよ」

 ヌージェンが困り果てた顔で言った。イノンが縋るようにゴッチを見ている

 剣が僅かに浮いて、鞘から白刃が覗く。イノンが震えながらインガの右手に組み付いたのを見て、ゴッチは舌打ちした

 「ふん……」

 ゆっくりと、道を開放し、横柄に足を組む。インガは少しの間、詰まらなそうなゴッチの顔を睨んでいたが、やがてイノンの手を引いて歩き始めた

 路地裏に消えていくイノンは、二度、ゴッチを振り返る。ゴッチは意地になったかのように、イノンと視線を合わせようとしなかった

 「この腰抜け野郎! びびっちまうぐらなら、最初からあんなことするんじゃないよ! それにあの人は、冒険者協会でも歴戦のジャルクだ、あんたが十人居たって敵う相手じゃない!」

 ゴッチの脳天に、ヌージェンの拳骨が炸裂した。ゴッチはまるで効いていないように欠伸をして、ぼんやりと言った

 「ジャルク?」
 「……魔物専門の狩人さ。聞いた話じゃ、一晩で二十頭のサンケラットを狩った事もあるらしい。アンタみたいな、半端者じゃないんだ」
 「そうかい」
 「イノンの邪魔して、楽しいのかい? ふざけんじゃないよ! 次やったら、ただじゃおかないからね」

 ヌージェンは、様々な男を観察し、受け入れ、拒絶して、そうやって生きてきた。酸いも甘いも知っていて、人を見る眼は確かだと、そんな自信があった
 しかし、ゴッチだけは、何が何なのやら、理解できない。今まで見てきたどの男とも違う。異国の男とはこう言う物なのかと、何度思ったか解らない

 本来のヌージェンならば、引き下がりはしなかった。しかし、ゴッチの腹の中にまで踏み込むことに、躊躇か、恐怖か、危険な何かを感じたヌージェンは、踵を返し、逃げ出した

 逃げ出したのだ。歩く姿にすら勝気さが表れていたが、その背は汗で濡れていた

 ゴッチは空を見上げていた。何もかもどうでも良い気分だった


――


 「何も言わないの?」
 「あぁ」
 「ありがとう」
 「いや……」

 娼婦達が共同で使用する水場は、日に二度程掃除の手が入り、清潔に保たれている

 裸体を惜しげもなく晒して体を清めるイノンを、ゴッチは無遠慮に眺めていた。夜のミランダをぼんやりと浮かび上がらせる灯火は、イノンの白い肌も同じように照らし出す

 「ねぇ、ゴッチは」
 「んん」
 「私のことを愛してるんじゃない。解るもの」
 「……かもな」
 「ふふふ、誤魔化さないんだ」

 井戸から汲み上げた水を頭から被って、イノンはごろりと寝転がった。井戸の水は冷たかったが、ミランダは湿気が多く、気温も高めだ。水を被って丁度いい具合である
 イノンは、ゴッチを誘っていた。羞恥があるのか否か、イノンは腕で己の両目を被っている

 「何時もここでヌージェン姉さんと遊んだの。色んな事教わったりもしたけれど」
 「あぁ」
 「どんな事習ったか、ゴッチにも教えてあげようか」
 「いや」
 「ばかぁ」
 「……あぁ」

 イノンがじたばたした。石畳の上に僅かに溜まっていた水がバチャバチャ跳ねて、ゴッチにも降り掛かる

 濡れたままのイノンが、起き上がって髪を払った。ゴッチの背に己の背を合わせるようにして、膝を抱えてしゃがみこむ。ゴッチを濡らす事など、まるで気にしていなかった

 「ねぇ、今日は?」
 「居るさ」
 「ずっと居て」
 「あぁ」
 「朝が来てもずっと居て」
 「……居るさ」
 「ねぇ」

 ゴッチは天を見上げる

 「私の事、愛して」
 「…………やめろ」

 イノンが身を翻して、ふくよかな肉体をしな垂れかからせてくる

 愛とか、そんなモンはねぇ。ちょっとばかり、居心地が良いだけだ
 ゴッチは強がって居る訳ではない。愛なんてねぇ。繰り返し、胸の中で繰り返す


――


 更に三日後、ゼドガンの帰還。ミランダローラーとして、偉大な大剣として名声を欲しいままにする男は、普段色町に姿を表すことはないらしい

 それが何の前触れもなくひょっこりと、色町の寂れた通りに繰り出してきた物だから、ちょっとした騒ぎであった

 ゼドガンは、何をしていても涼しげな男である。名声、優れた肉体、成熟した精神。ゼドガンという男は、大した人物である
 それはつまり、娼婦が擦り寄っていくのに何の不足も無いと言う事だ

 腰までしかない石塀に腰掛けて人の流れを見ていたゴッチが、その流れの中にゼドガンを見出したとき、彼は何人もの女をべったりと侍らせて、珍しく困ったような笑みを浮かべていた

 「あら……ミランダローラー様。このような所に御出でになるなんて、随分と珍しいことで」
 「人を探していてな。お前が女達の纏め役か?」
 「ヌージェンと」

 片目を瞑って悪戯っぽい笑みを浮かべたヌージェンが、色気のある会釈をした。普通の男なら、これでころりと行ってしまう。後はヌージェンの掌の上だ
 そして、ゼドガンが普通の男でないのは最早言うまでも無いことである。歩き難くて仕方がない、とさして困った様子もなく言ったゼドガンの意を汲んで、ヌージェンはゼドガンに張り付いていた女達を下がらせた

 「どうです? はしたない私達を哀れに思うのなら、少し遊んでいかれては。ここは狭い場所。ゼドガン様の探し人も、そうする間に見つかるかと」

 ヌージェンが、ゼドガンの心を擽ろうとしている。一冒険者、しかしミランダローラーだ。上客であるのは間違いない

ふと、眼が合う。ゴッチは小さく笑った。本当に、どんな時でも顔色の変わらない男だった

 「確かにここは狭いみたいだ」
 「は?」

 ゼドガンはヌージェンの横をすり抜けて、ゴッチを目指す。あっさりと袖にされたヌージェンは、少しの間きょとんとしていた。まさかこうも平然と拒絶されるとは思わなかったに違いない

 「……おう、お帰り。……悪いな、使い走りみてぇな事させちまって。で? 当然、俺が幸せになれるような土産があるんだよな?」
 「あぁ……うん。…………どうした、お前、…………本当にゴッチか?」
 「ケ、何だいきなり。密林の猿が服着て、野垂れ死にし掛けてるようにでも見えんのか?」
 「猿みたいだと言う自覚はあるのか。覇気が無いぞ。今のお前はまるで」

 ゼドガンは顎に手をやって、暫し考える

 「場所を移そう。こう、囲まれていると遣り辛いからな」

 ゴッチとゼドガンの周囲に、人の輪が出来ている。ミランダローラーと色町のろくでなし。野次馬どもの、話の種にはなるようだった


――


 「あんまり意味ねぇなぁ」
 「人気者は辛い」
 「くく、言ってろ」

 ゴッチはゼドガンに連れられ、色町の手引き場に入った。客と娼婦、或いは男娼を引き合わせるための場で、軽食や安酒なども出している

 決して落ち着ける場所ではなかったが、外で周りを取り囲まれているよりは、幾分良い。そうゼドガンは言ったのだが、結局手引き場の中でも、二人の周囲には野次馬の群れが居た

 「酒場の親父に会ったか?」
 「あぁ。……客が彼の事をバースと呼んでいたから、少し驚いたがな」
 「……そういや、そんな名前だったか。で、情報は?」

 ゼドガンは周囲を見渡した。野次馬達が好奇心を顕にしながら、聞き耳を立てている。その中にはヌージェンや、よく見かける娼婦達も居る

 給仕に持ってこさせた酒を勢いよく煽って肩を竦めると、ゴッチは続きを促した。摘みが無くても酒が進む性質で、酒だけを欲しがる事も多い男であった

 「……お前が探していた、ラグランの場所を探り当てたらしい」
 「何?! ……いや、続けろ」
 「ミランダからずっと東に、ペデンスと言う街があるのは知っているか? バースは、困り顔で言っていたぞ」
 「ドイツもコイツも、そこいら中で噂してやがる。きっと寝床で腰を振ってる時も、どっちが勝つかって話してるに違いねぇ」
 「寝物語には血生臭いな。まぁ、そのペデンスの南に、ラグランはある、のだそうだ。正確な位置は不明だが。自信なさげな態度の情報屋から買ったネタは、得てして中る。正にこれだと思うがな」
 「そりゃ経験則か?」

 ペデンスの南、ラグラン
 ゴッチは、知らず知らずの内に笑っていた。ここに来て漸くの、重要な情報である

 正直、アーリアのバースには毛ほども期待して居なかった。何かあれば儲け物、くらいに考えていたのだが、まさかの大穴である

 ゴッチの眼に灯が点る。愉快そうに笑うゴッチを、ゼドガンはからかう

 「今、少しだけ、以前のお前に戻った。捕まえたサンケラットの尾に、油をかけて火を付けた様な感じさ」
 「ハハ! なんだそりゃ、どうしてお前の冗談は、そんなに救いよう無く不器用なんだ。で、何か曰くがあるんだろう? そのラグランって所にゃ」

 ゼドガンが酒盃を優雅に揺らして、表情を引き締めた。空気が変わる。ゴッチは構わず、飲み続けた

 「……十五年前、アナリアは戦争状態にあった隣国と講和した。俺が10歳かそこらの時だ。食料も碌に無く、賊の類があちらこちらを当然のように闊歩していて、国としてはかなり危険な状態だったと思う」
 「十五年前……? そういや、レッドの奴も……」
 「その時の戦争で、神か悪魔か、凄まじい強さを誇った男が居た。アナリア王国第一王子で、インクレイと言う名だったんだが、この男が指揮を取ると、全く負けが無かった。同時に、苛烈で残忍な面も持っていたがな。インクレイが新たな武勇伝を打ち立てるたび、詩人にそれを聞かされた俺は興奮して、夜も眠れなくなった物だ」
 「どんな関係が? おい、俺が何時、お前の成長記録を交えて話せと言ったんだ?」
 「……少しで良いから静かにしろ。アーリアまで出向いて手に入れた情報を、丁寧に教えて欲しければな。……で、だ、このインクレイという王子、講和を結んだ時、病で急死しているのだ」
 「ほぅ」
 「暗殺、と言う噂もある」
 「ほぉ! 今夜からこの国の隠密どもに寝首かかれないよう、酒と女を控えなきゃいけねぇな」
 「……ふふ、お前が話せといった」

 ゼドガンは一応声を潜めいたが、確かに、こんなところで平然と話せる内容ではない。どんな身の上の人間が、どんな聴力で聞いているか解ったものではない
が、ゴッチはそんな事を一々気にするほど慎重な男ではない。……という言い方は正確ではない。ゴッチは、異世界に置いて、何も恐れる物が無いだけだった

 今度は、二人して同じタイミングで酒盃を煽る。ゼドガンに至っては、少し、頬に赤みが掛かっている

 「思っていた通りの反応だ。お前って奴は、冒険者の中にかなう者がないくらい、度胸のある奴だよ。さぞかし問題だらけの両親の元に生まれ、問題だらけの場所で育ったんだろうな。俺には全部解っているぞ」
 「……けっけっけ。そうだ、大当たりだよ。親父は酒場を一軒、中に居る四十人のろくでなしごと燃やし尽くす殺人鬼で、お袋は実の息子に目隠しさせて、下着を引き摺り下ろす色情狂だったぜ。養父がまともじゃ無けりゃ、俺はずっと以前に、首から上が無かっただろうよ。マジでな」
 「おい、俺は何処に突っ込めば良い。まともな養父? お前を見てるとそれは無いと断言できるな。ひょっとして、今のはゴッチ一流の洒落か?」
 「いや、よく出来た養父だ。俺にはない礼儀と教養があって、切れ者だぜ? 殺した奴の死体を海に沈めて絶対発見されないようにすりゃ、葬式の手間が省けて感謝されると、本気で思ってるようだがな」

 二人は揃って大笑いした。周囲を取り囲む野次馬まで、陽気な気分になるような笑い方だった
 にやけ面のまま、ゼドガンが何度目か酒盃を煽ったときだ。二人が腰掛けていた席に、陰が差す。野次馬の円陣で出来ていた空白を突っ切っての乱入だ、誰だって気になる

 半ば出来上がりかけていたゴッチとゼドガンは、何事か、と、遠慮も無く同時に睨みつけた。鋭い二対の視線が近寄ってきた人物を貫く
 手引き場の給仕だった。幼いといって差し支えない年頃の少年で、手に、軽食の乗った盆を持っている。注文した覚えは、無い

 「ひっ……!」
 「何だコラ」
 「い、いえ、こ、こちらは、高名なミランダローラー様に、私どもからの、お、御持て成しで御座います」
 「……あぁ? 俺の分は無ぇのか?」
 「す、す、直ぐにお持ちします!」
 「ゴッチ、あまり脅かしてやるなよ。……あぁ、コイツの分は必要ない。……そうだろう、ゴッチ?」
 「ゼドガン、お前、畜生、ここの代金はお前持ちだからな」
 「ティトから支払われた報酬があるだろう」

 やんわりと窘めるゼドガンに、ゴッチはガリガリと頭を掻いた。張り詰めていた風船から、、あっという間に空気が抜けていった感じだ
 ゼドガンが丁寧に礼を言い、軽食を机に置かせると、給仕を下がらせた

 「人気者は、辛い」
 「チ、気が抜けちまったよ。抜けすぎて、油断しすぎて、怪しい奴にケツに直剣突っ込まれちまうかもな」
 「……そうか? 戻ってきたように、俺は思うがな」
 「ゼドガン、続きを頼む」

 ゼドガンは先ほどの給仕に会釈して、焼いた鶏肉をパンで挟んだ代物を、指で摘み上げる

 「当時の俺は、病なんて話を素直に信じて、みっともなく泣いたな。俺にとって……いや、俺だけではないか。当時のアナリア人にとって、インクレイは無二の英雄だった。…………本題だ。インクレイは暗殺される直前まで……、これはアナリアが講和を結ぶ直前まで、と言い換えても良い。彼は、巨大な要塞の建設を行っていた。戦争を優位に運ぶための要塞だ。その要塞の名こそが……、ラグラン」
 「暗殺、講和、ねぇ? 素敵だと思うよ、マジで」
 「お前はマジでどうかしてる、と返せば良いのか? まぁ流石にきな臭いと思うだろうな、確かに。…………インクレイの死が、講和を結ぶ条件の内の一つだった、という話もあるようだ。敵国にとって言うまでも無く恐ろしい強敵で、味方である筈のアナリアにとっても、インクレイは……。バースの掴んだ情報によれば、彼は、要塞ごと焼き尽くされたのだ。今では廃墟同然の焼け跡が残るばかりで、ラグランの存在を覚えている者も殆ど居ないそうだ」

 ゴッチは天井を向いて首を鳴らした。反吐を吐くように言い捨てたレッドの表情を思い出す

 『身内を鞭で打って、他人の機嫌を取るんだぜ。なんて言ったって、六十年前も、十五年前も、似たようなことをしてきた国だぜ。きっともっとやってる』

 「奴め、話すのを渋る訳だ…………。アーリアからここまで、大分遠回りしたが、穴は埋めさせてもらったぜ、ダージリン」

 ゼドガンは、軽食をゴッチにも差し出してくる。ゴッチはひらひらと手を振って拒絶した。物を食う気分ではない

 その時ゼドガンが、思い出したように言う

 「ラグランの位置に関してだが、良い話がある。実は、アーリアでレッドと会った。どうやらレッドの知己に、ラグランの詳細な位置を知っている者が居るらしい」
 「レッドだと? ……あの間抜け面した能天気野郎め、ハーセの事はどうしたんだ」
 「俺に言われてもな。だが、ハーセの件については、心配要らんと言っていた。あいつ、少し待てば、ミランダに訪れるだろう」
 「奴の大丈夫は大丈夫じゃねぇって事じゃねーのか?」
 「少しは信用してやれ。だとえ、かつて南の山脈の主だった竜骨に、ギターとやらで殴りかかる無謀な勇者だったとしてもな」

 頬を掻く。ゴッチが僅かに、戸惑い気味になった

 「……なんつーのかな、ついつい軽口を叩かずには居られんと言うか。まぁ、お前だし、レッドだからよぅ……」
 「気持ち悪い事を言うな……。口説き文句は女に使え」

 離れてみると、不思議と恋しくなる男だ。レッドは。当初、あの馴れ馴れしさと言うか、人懐こさには辟易する程だったのだが、付き合ってみれば言動からは想像できないほど理性的で、常に他人に気を配っている
 陽気で、タフで、奴やゼドガンと一緒に馬鹿なことを言っていると気分が良い

 「(ってんなわけねぇ)」

 ぼんやり考えた内容に、ゴッチは思わず身体を跳ねさせた。あのダゼダゼ五月蝿いギタリストの前では口が裂けても言えない台詞である
 もしも聞いていれば、調子付いて満面の笑みでダゼダゼ言うに違いない。大変疲れる展開なのは、間違いないのだ

 一人で勝手に身悶えするゴッチを前に、ゼドガンは首を傾げながら、それでもペースを崩さなかった

 「兎に角、レッドとティトがミランダに戻ってこなければ始まらない。……だが、大きな収穫だったようだな、ゴッチ」
 「おう、助かったぜ。お前の御陰だ、本当に能力のある奴だよ。……ん? 何だよ、にやけ面なのは何時もの事だが、何か企んでるな?」

 ゼドガンが笑みを深めた

 「勘の良い奴! ゴッチ、暫く遣る事も無くて、退屈だったんじゃないか?」
 「…………」

 退屈、そうでもなかった。ゴッチの脳裏に、イノンの顔がちらつく

 「……そうでもねぇさ。くだらねぇが、それなりに良い所だよ、ここは。アナリア兵や腐った死体どもを、丁寧に御持て成しせずに済むからな」
 「んん、ゴッチにしては、殊勝なことを言う。何時からそんなに冗談が上手くなった?」
 「マジだぜ? 血や腐肉に塗れなくて良いってのは最高だ!」
 「血肉を被って一々嬉しくなっている奴が居たら、そいつは病気だな」
 「けっひっひ……」

 小気味良い会話が続いた。そうさ、退屈ではなかった。遣る事が無くても、まるでじれったく無かった。のんびりと、ロベルトマリンで腑抜けながら過ごす休暇のようだった
 イノンがいたからか? 馬鹿馬鹿しいぜ。ゴッチは頭を振る

 「で、何なんだよ」
 「実は先ほど協会に寄ったとき、協会の長に、ちょっとした依頼を回されたんだが……。このミランダの近くに、アヴニールがいる」
 「アヴニール?」
 「“あの地下”でも見たろう、灰色の鬼を。既に討伐の為に十名ほど集められていたんだが、相手が相手だからな、とても足りない訳だ。全員帰らせたよ。却って邪魔になる」

 あぁ、あぁ、とゴッチはそこまで言われてやっと思い出した。ゼドガンが真っ二つに両断した灰色の怪物の事を

 つまりゼドガンは、冒険者十人掛りでも勝負にならないような相手を、一対一で汗をかく事もなく瞬殺した訳か

 「“ちょっとした”?」
 「“ちょっとした”依頼だ。見つけて、剣を抜けば、どんな結果になるにせよ、さっくりと片が付く。まぁ、荒事なんて基本そんな物だが。……暇なら、付いてこないか」

 あの灰色の鬼を、「ちょっと殺してくる」と言える奴が、こっちの世界でどれだけ居るのだろうか

 ゼドガンは、アヴニールを侮っている訳ではないようだった。打ち合えば一瞬で勝負は決まる。勝てばそれで良いし、負けたら死んでいるのだから別に後の事を気にする必要も無い
 ちょっとした仕事と言うゼドガンの感性を、少しだけゴッチは知ったような気がした

 ゴッチは笑っている。ゼドガンも、当然笑っている。ゴッチは段々愉快になってきて、大きく深呼吸した。声が上擦りそうだった

 「どのくらいの間? 昼飯食ってりゃ終るお散歩か?」
 「相手が直に現れてくれたならば、斬り合って終わりだが」
 「おいおい、そのアヴニールとやらが、そんな気配りの出来る良い奴だなんて保障が、何処にある」
 「一人で行かせて、俺が負けて無残に死んでもいいのか?」
 「両手両足縛り上げられてからアヴニールの前に放り出されたってんなら、心配してやるよ! ……お前、そんな冗談も言うんだな」

 プライドのある男だ、ゼドガンは。別段自分の強さを誇示したり、それを妄信したりしている訳ではないが、俺が負けて死んでもいいのか等と、謙ったような発言は絶対しないと、そうゴッチは思っていた
 飽くまで自然体を旨とする男である。ゴッチには、少し真意が図りかねた

 「お前やレッドぐらいさ」

 ゴッチが、きょとんとした。直に、喉に物を詰まらせたような顔になる

 「ば、馬鹿、何だよ、口説き文句は女に使え」


――

 後書

 フォールアウト3で洒落の聞いた会話の勉強するよ!

 ってそんな上手く行くかァァー ○○○しろオラァァー

 ゴッチ充電7割完了



[3174] かみなりパンチ20 ミランダの白い花2
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2012/03/08 06:05
 「失礼ですが、良いですか、ミランダローラー」

 二度目、机に影が掛かった時、二人は過剰に反応したりはしなかった。その人影が、意図してか、こちらに存在を悟らせたいかの如く、堂々と歩いてきたからだが
 聞かれると拙そうな会話が既に終了していると言うのが、言うまでも無く最もな理由である。横合いから近付いてきた人物に、二人は無遠慮な視線を向ける

 ゴッチは表情にこそ出さなかったが、軽く舌打ちした。赤布で頭を覆った冒険者の男は、名前は忘れたが、気に入らない奴だ。それだけ覚えている

 ゴッチに名前を忘れ去られているインガは、ゴッチの事を極力無視して、ゼドガンに会釈した

 「俺はインガ。一端のジャルクだと、自分では思っています」
 「うん? ……知っているようだが、俺はゼドガン。何の用かな」
 「アヴニールの討伐の話、恥ずかしながら初めて知りました。ジャルクとしては、心が躍ります」

 インガが皆まで言う前に、ゼドガンの眼が値踏みする者のそれに変わる。冷たく突き放すような視線に気付いたインガは、俄然威勢よくなった

 インガは、食い付くのが得意なようである。ゴッチの意地の悪い眼には、元気に尻尾を振る犬のようにも見える

 「俺の依頼で、仲間は募集していないのだが」
 「知っています。ミランダローラーは孤高で、群れない物だと。ですが、相手はアヴニールです。俺は役に立ちます。間違いなく」
 「ローラーの一匹狼振りが、ミランダの伝統のようになっているのは偶然だろうが、俺には理由がある。生半な者が俺に付いてくると、死ぬ」
 「其処のろくでなしに出来る事が、俺には不可能だと?」

 なんだとコラ、と立ち上がりかけたゴッチを、ゼドガンが制す。ゴッチは、素直に止まった。ゼドガンに制止されたから、と言うのもあるが、野次馬に中に、イノンを見つけたからだ
 イノンは不安げな顔でゴッチを見ている。また今まで、インガの相手をしていたのだろう。そう考えた瞬間、ゴッチは首から上が燃えるように熱くなって、激発しそうになってしまい、それを抑えるために、止まったのだ
 女を取られて憤激するのは下だ。常に余裕を見せていなければ。復讐しないのは下の下だったが、それは後々幾らでも出来ること

 ゼドガンがゴッチを見た。必要以上に刺々しいインガの物言いを、訝しく思ったようである。ゼドガンは、ゴッチとインガの間に何らかの確執があろうと、驚きはしない
 ゴッチは平静を取り繕って、肩を竦める。肯定を示しているのだと、ゼドガンは気付いた

 「お前とゴッチの間に何があるのかは知らないが、ゴッチは俺の友人だ。問題の多い奴だが、不当な侮辱は許さない」
 「……申し訳なかった。しかし、本当です、俺は使える。ミランダローラーにも、そう思って貰える筈です」
 「お前の力がその大口と同じくらい大きい物だったら良いんだが」

 インガの視線がイノンに向いたのが解った。その後、本当に僅か、偶然と言えなくも無いほど少しの間、ゴッチにも向く

 俺に当てつけてやがるのか、虫けらが、一丁前に

 け、と不愉快気に、ゴッチが割り込んだ。イノンを見つめながら、酒盃を煽る

 「良いじゃねぇか。連れていきゃぁよ。潰れた蜂みてーな貧相な面に寄らず、使えるかも知れんぜ」
 「なんだと……。人に集る街角の乞食が」
 「……ほらな、少なくともゼドガン、お前よりは爽やかな悪口を使いやがる。それに、娼婦の纏め役が言うには、俺が十人居たって敵わない腕前なんだとよ」

 ゼドガンが笑い始めた。ゴッチの言い草に何か思うところがあったようだ

 「馬鹿言えゴッチ、自分が十人居るところを想像してみろ、悪夢だぞ?」
 「あぁ、ゾッとするね。酷いなそりゃ」
 「お前が十人居たらアナリアが滅ぶ。アシュレイだって泣いて許しを乞うだろうよ」
 「馬ぁ鹿、そんな可愛げあるかよ、あの化物に」
 「よし、良いだろう。インガ、お前がゴッチほど猛々しく戦えるとは思わないが、それでも優秀なのは間違いなさそうだ。それに、ただ戦うだけがジャルクではないしな。お前の気が変わらないなら、依頼に付いてきて貰おうか」

 ゴッチがべぇ、と舌を出した。ゼドガンが制止する間も無かった

 「感謝しろよ? 俺は今、良い事尽くめで気分が乗ってる。手前の潰れた蜂みてぇな面を眺めてること以外はな。こんな幸運、早々ねぇんだ。勘違いするんじゃねぇぞ」

 インガの顔はとうの昔に真っ赤に染まっていた。ゴッチの態度の事もあるし、それに対するゼドガンの態度もそうだった。如何にも自分が、毎日ミランダの薄暗闇の中で惨めに虚勢を利かせる、娼婦を食い物にしてその住処に転がり込んでいる下衆よりも、格下だと扱われたのだ

 インガは眼を閉じていた

 「ミランダ、ローラー、重ね重ね、申し訳ないが、少し、時間を、下さい。…………表へ出ろ乞食野郎。ここだと迷惑が掛かってしまう」

 ゴッチは悠々立ち上がった。ゼドガンは何時もと変わらない微笑を浮かべながらも、「これは面白くなった」と言う気配を隠そうとしない
 そのすかし面に意地悪く、ゴッチは話を振る

 「ゼドガン、お前、俺との付き合い方、少し考えモンじゃねぇか?」
 「ふ、別に、何処の誰が何を言っていようと」

 掌を天に向けて“お手上げ”のポーズだ。ゴッチは少し興を殺がれた風で、インガの横を通り過ぎる時、ぽん、とその肩を叩いた
 唖然とするインガを尻目に、イノンへと歩いていく。懐から金貨を一枚取り出し、指で跳ね上げた。コイントス

 ティトから先んじて支払われた報酬の、三十分の一だ。娼婦達の様子を観察していた限りでは、今しがたゴッチがトスしたこの金貨は、娼婦の身柄を三日丸々束縛してもまだお釣りが来る

 金貨を受け止めた右手で、イノンを引き寄せた。吐息が触れ合う距離でイノンの瞳を見つめながら、ゴッチは鼻を鳴らした

 「今日は客だ。お前は可愛くて、綺麗な、娼婦だ。だよな?」
 「あ……そんな……」
 「なんだ?」
 「ゴッチ、目が違う、……何時もと、全然……」
 「……ケ、じゃーな、ゼドガン。後はその虫けらと仲良くやってくれ。……心配なぞしちゃいねぇが、ソイツに足を引っ張られたとか言って、死ぬんじゃねーぞ」

 そのまま出口へ向かおうとするゴッチに、追いすがる声

 「逃げるのか! 乞食!」
 「あぁ、そうだな、また今度な」

 ちょっとだけ足を止めて、ゴッチは見せ付けるようにイノンに口付けた。歩きながらインガに向かって投げられる言葉は、如何にもどうでもよさげであった

 インガの自制心は相当な物であった。彼は、後ろから斬りかかるのを好まなかったのだ。例え相手が誰であろうとだ
 ゴッチにしてみれば、別にインガに自制心が無くても良かった。掛かってくればぶちのめして、掛かってこなければ間抜け面を嗤うだけ

 「クソ!」

 白けたな、と内心思いつつも、微笑を崩さないゼドガンが、どこか面倒くさげに言った

 「全く、奴め……。インガ、気が済んだら仕事の話だ。やるよな?」

 蒼褪めたり、おろおろしたりしながら事態の推移を見守っていた野次馬達が、ほっと安堵の息を吐く
 普通の酒場と違って、手引き場にいるのは女子供や雑事を執り行う老人であった。お相手を探しに来た血の気の多い男や女は、さっさと手続きを済ませて出て行くのが普通だからだ


――


 「ふ、う、嫌だわ、そんな目つき」
 「アイツ、なんだ? 何で拘る」
 「…………く」
 「俺、怖いだろ」
 「今のゴッチに見られると……ひりひりする」
 「本当は、こんなモンだ」
 「ゴッチは……気に入らないって思ったら、……もうその事しか見えなくなる」
 「……イノン、アイツが良いのか?」

 イノンはゴッチの腕の中で、漏れ出る吐息を堪えた

 「…………弟、だもの、……そうよ、愛して、いるの」


 イノンの家を出たときには、既に夜だった。融けた硝子のような深い闇が、ゴッチの足元を覆い、隙あらば掬おうとしている
 ゆらゆらと篝火が揺れている。色町には、特に明かりが必要だ。何もかもが危うい場所だった

 篝火の傍に、ぼんやりと女が立っている。ヌージェンである
 ヌージェンは俯いている。怪しげな様だ

 「……アンタ、……イノンから、冒険者インガについて何か聞いたか?」

 無視して通り過ぎようとしたゴッチに、ヌージェンは静かに言った。静かではあったが、奇妙な迫力があった

 「似てねぇ弟だよな」
 「…………そうかい、イノンが、ね。…………アンタ、本当ははした金くらい持ってるんだろう」
 「そこそこな」

 ゴッチのスーツの懐には、金貨の重みがあった。どうせ元の世界には持って帰れない代物だ、と思っているが、世界が違ってもはっきりとした存在感を放つ金の重みが、そこにはある

 金、ひいては財産とは、重要な物だ。これの重みが解らない奴は、長生きしない。誰でもこの事を知っている

 だから事情を知らず、ゴッチの金への執着の無さばかりに目が行っているゼドガンは、ゴッチの事をある種の求道者か何かと勘違いしているのかも知れなかった。強いということは正しいということ、そう何気ない面で言ってしまう男だから、尚の事であった

 「……皆、言ってんだ。アンタはイノンにべったり付き纏って、他の女は気にも留めない。まるでガキみたいだって。金があるなら、堂々と客として来れば良い。あたしらだって、文句は無い。……アンタ、変だよ」
 「金払わずに女抱けたら幸福だろうが」
 「本気で言ってんのかい」

 ゴッチはイライラしながら壁に寄りかかった。篝火を挟んで左側にいるヌージェンが、射殺すような視線を投げかけてくる

 また、イノンの顔がちらついた。笑顔と不安顔、そして乱れた艶姿。イノンの事なら何処までも鮮明に思い出せる
 気に入る、というのは、そういうことなんだろう。ゴッチは鼻を鳴らした

 「イノンの事……どこまで本気なんだ。正直に言いな」
 「…………煩ぇな。ケ、俺の事が気に入らねぇんだろ? 感謝しな、もう来ねぇよ」
 「なんだ、そりゃ。おい、イノンの事は?」

 懐の金貨の膨らみを、ゴッチはもう一度確かめた

 これと同じだ。全て終われば、こちらに置いて行かなければならない
 多寡が商売女一人、何を思う事があるのか。大体ゴッチにしてみれば、この世界の娼婦なんて軒並み異次元の存在だ、文字通り。大昔丸出しの装いで、耳慣れない呼称の仕方で下品な笑い話を飛ばす。未成熟で根拠も無い民間療法によって体調を維持しており、どんな病を持っているか解ったものではない

 そんな事を、考えれば考えるほどに苛立ちは増した。どうしても、イノンの顔がちらついた

 「………………アイツにゃ、あの間抜けが居るだろう。実の姉といたしてるなんて知りもしない、間抜けがな」
 「ふ、くくく、なんだい、アンタ、……凹んでやがる、傑作だ! 人を人とも思ってないような振る舞いのごろつきが、なんてケツの青さだ!」
 「あぁ? 調子に乗るなよ。そのにやけ面の乗っかった首ひねって、ゴミ捨て場に運んでやってもいいんだぞ」
 「ははは、はははは!」

 急に、ヌージェンは泣き笑いの表情になる

 「イノンとインガさんはね、父親が違うんだとさ。……どういうことか解るだろ? あの子をこの町に売り飛ばしたのは、あの子の」

 ゴッチがゾッとするような声を放つ。汚れた冷たい油のような、毒の溶けた泥のような、寒気のするような声だ

 「黙ってろ」

 顔を上げたヌージェンと、目が合う

 「俺が何時、そんなくだらねぇ話をしてくれと頼んだんだ? お涙頂戴なんぞ、聞いても仕方ねーんだよ。お前らは、一々そんな事気にしてんのか?」
 「……そうだ、アンタが正しい。全く正しい、本当に」

 ヌージェンがまた笑う。ゴッチは、少し信じられないような気持ちだった

 この女が自分を見るときは、苛立ちと嫌悪が目に顕れていた。イノンを目に入れても痛くないほど可愛がっていたのだから、寧ろ当然である
 打ち解ける、なんていうのは、どうしようもなく嘘くさい話だ。自然と、眉根が寄った

 「(何だコイツ、もしかして、…………俺が、マジでイノンにイカれちまってるとでも思ってやがるのか)」

 否定の言葉が吐けない。ゴッチお得意の悪態が、思うように出てこない

 クソ、と吐き捨てた。童貞かよクソ

 どの道、もうイノンには会わないと決めた。もう知らない、知ったこっちゃ無い
 休暇は終わりだ。仕事の時間だ。イノンの要らない世界がある。イノンを連れて行けない世界があるのだ

 「……ゴッチ、と、何とまぁ、面と向かって名前を呼ぶのは初めてかね」
 「あぁ、そうだろうな」
 「イノンの所をとうとう叩き出されたって、色町中の噂にしてやるよ。構わないだろ?」
 「好きにすりゃ良い。知ったことかよ」
 「なら色男、あたしの住処に来ないか。アンタはまともな奴じゃないが、少なくともただの下衆じゃ無い。ミランダローラー様と親しいなら、あたしらも商売が遣り易くなりそうだし」

 あっさり言うヌージェンに、悪びれた風は無い。商売の出汁にするにしても、もう少し言い様と言う物がある筈である

 「あっさり言うな。下品な奴だなてめぇ」
 「あぁ、止めな! アンタみたいな下品な奴に、トチ狂って下品なんて言われた日にゃ、恥ずかしくて表を歩けない」
 「裸に剥いて表通りに放り出してやろうか……」
 「ふ……で、どうすんだ? あたしは何も、冗談で言ってる訳じゃない」
 「……おとといきやがれ」

 ざぁ、と風が吹く。篝火が激しく揺れる

 「…………ふん、そうかい」

 荒い息遣いと、乱れた足音。静寂を破って女が一人現れた。ヌージェンの妹分の一人だ
 走りこんできて、ぶっ倒れた。慌てて抱き起こしたヌージェンも、尋常でない様子に声を荒げる

 「なんだ、どうした?!」

 女は顔を真っ赤にしてゼェゼェ喘ぎながら言う

 「ぬ、ヌージェン姉さん、み、み、ミランダに、アヴ、ニールが!」
 「あぁ? アヴニール?」
 「イン、ガ、さんが、大怪我して、と、屯所に担ぎ困れてて、アヴニールが、きてるって!」

 歯を剥き出しに、ゴッチが唸る

 「ゼドガンは?」
 「あ、アンタ……」
 「ゼドガンは? 三度は言わねぇぞ」
 「わかんないよ、でも、屯所の方にはいなかった」

 馬鹿な、まさか、しくじった訳じゃなかろうな、ゼドガン程の男が

 人間、死ぬときゃ死ぬ。どんなに強化手術をしようが、薬を使おうが、死ぬのだ。其処には、まぁ、理由は無い。理由は無くても死ぬ
 だが、ゼドガンが死ぬ、死んだ、と言われても、ただ胡散臭いだけだ。ゴッチは肩を竦めた

 「え、なに、なんで……」
 「……聞いてたのか」
 「今、インガが」

 イノンが音も無く姿を現した。闇に紛れて、住処の扉が開くのにすら気付かなかった
 完全に気が抜けていたのである

 「おい!」
 「そんな!」
 「おい、イノン!」

 イノンが走り出す。ヌージェンが声を上げたが、まるで聞いていないようだった

 「(すっ飛んで行きやがった。……そうか、そうかよ、クソ)」
 「ご、ゴッチ」
 「行くぞ。……あぁ、うざってぇ、畜生、行くぞ」

 苦みばしった顔で、そうかよ、クソ。もう一度、胸の中で吐き出す


――


 ミランダにも、お粗末ながら防壁があり、鉄の門がある。冒険者の町だけあって治安が悪く、その気になれば忍び込むのもその逆も苦労なく行えるミランダで、どれ程の意味があるか解らないが、入出管理だってやっている

 その、ミランダ正門に近付くほど、人々は混乱していた。大事件のようだな、と、ゴッチは走りながらあちらこちらに目を遣った

 「屯所って何処だよ!」
 「門の、直ぐ近くの、白いのが、屯所だよ」
 「アレかよ、もう着いてたのか。……へ、たいした有様じゃねーか」

 以外にもヌージェンは健脚であった。本当に辛うじてであったが、ゴッチによく着いてきた物である

 門の周辺は大量の血で汚れていた。転がっている、衛兵何人分かの手足や、臓物。それと、一体のアヴニールの死体
 ヌージェンが凄まじい惨状に唖然となる

 「なんだい……こりゃ」

 凄まじい形相のミランダ衛兵達が、あちらこちらを走り回っている。ゴッチは視線を走らせて、探したくも無い男の姿とイノンを探した

 インガは、屯所の壁に背を預けて座り込んでいた。それに治療を施す衛兵と、泣きながら取り縋るイノン。ゴッチは心持早足に歩みよった

 「おい、なんだその様ァ。ゼドガンはどうした」
 「ゴッチ」
 「下がってろイノン。おい、青瓢箪の衛兵野郎、お前もだ。邪魔だっつってんだ」

 イノンを押し退けたゴッチは、手当てを施していた衛兵に睨みを利かせた
 ゴッチにガンつけられた衛兵は、鳥肌を立たせて後ろにずり下がる。インガの応急手当自体は、既に完了していた

 「乞食、野郎か……。ここから離れろ、直ぐに、アヴニールが……」
 「一体じゃねぇのか……?」
 「一体なんて、モンじゃなかった。ざっと、五、六体は……」
 「ゼドガンは? 何で手前だけおめおめ戻ってきやがった」
 「黙れ……! ミランダローラーは、解らない、一体を斬って、もう一体を……。囲まれて応戦しながら、俺を逃がしてくれた……!」
 「…………大きいのは、口だけだったみてぇだな。ゼドガンも、運の無い野郎だぜ」

 ゴッチは不愉快そうに言って、唾を吐いた。ギリギリ歯を食いしばるインガは、怒りに任せて身を立たせようとする
 しかし、立てない。力が入らないのだった。胸に巻かれた血の滲む包帯が、湿り気を増す

 「アヴニールだ、来たぞ! 来たぞぉ! さ、三体居る!」

 見張り台の上の衛兵が、ひっくり返った声を上げる。場に衝撃が走った。ミランダの野次馬は根性があるのか、悲鳴を上げながらも殆どの者が逃げようとしない

 危機に対して、冷静な判断が下せないと言うのは、良くある事だ。逃げるべきであるのに、足が地面に張り付いたかのように動かない野次馬達も、或いはそれなのだろうか

 「拙い……。俺の……剣を……」
 「無理よ、そんなの!」

 ゴッチを押し退けて、イノンがインガの手を握る。

 イノンの剣幕は並ではなかった。今の今まで、イノンが声を荒げる所など、ゴッチは見ていない。初めて見た。こんなに、必死になる所を

 イノンの横顔を見て、血塗れのインガを見て、夜空を見上げた。周囲に篝火が増設されており、昼間のように明るい。篝火の熱で、肌が焼けそうなほどである。そのせいで星は見えない

 門にアヴニールが体当たりする、轟音が響く。衛兵が束になって門を抑えているが、どれ程も持つまい

 一歩下がって、イノンとインガの二人を、視界に収める

 あーあ、と、大きく息を吐き出して。ゴッチは右手で目元を覆った。ごしごしと俯きながら目をこするゴッチは、冷たい声を発する

 「ヌージェン……、アヴニールってのは、どれぐらいヤバイんだ?」
 「く、……暢気な面しやがって。どんなにヤバイか、解らないのかい?」

 急に話を振られたヌージェンは、焦ったように言う。事実、焦って当然の状態なのかも知れない。アヴニールとやらは三体居て、今もう既に門が破られようとしている

 「そうかい、つまり、お前がビビッて逃げ出すぐらいヤバイって事か。宛てにならねぇ情報をありがとうよ、クソッタレ」

 どぉん、と一際大きい地響きがした。錆びた鉄のこすれる忌々しい音が響いて、急激に獣臭が充満する

 「破られたぞ! 畜生め、構えろぉ!」

 視線を回せば、灰色の巨体が見えた。一本角の鬼達が三体、巨大な蛮刀をもって周囲を睥睨している
 取り囲む衛兵達と、その中に混じった冒険者達。更にその後ろの野次馬達。アヴニールはそれらをまるで気にせず、無人の荒野を見渡すが如き悠然とした態度で其処にいた

 イノンはインガに覆い被さっている。今すぐにでも、アヴニールが突っ込んでくるでも言いたげに
 インガを庇っていた

 仕方ねぇ、仕方ねぇよなぁ、愛なんてねぇもん俺は

 「だせぇなぁ、俺」

 イノンが、こちらを向いた。真正面から向かい合って、ゴッチは小さく、笑った。ゴッチの何時も通りの、底意地悪そうな、嫌らしい笑い方だ

 「ゴッチ? ゴッチ!」

 周囲を、ゾッとするような気配が包む。ゴッチは身を翻して、カチコチに固まった衛兵達を押し退けた
 イノンの制止が、聞こえていないかのような振る舞いである。振り返りもせずに、強引に歩いていく

 アヴニールは動かない。何故か、ゴッチの方を見ている。アヴニールの内の一体の首元で、何かが輝いている

 悪魔の矢だ。脊椎を破って首を貫通している。クソッタレガランレイの呪いが、まだ付き纏ってきやがる
 結局、今回のコレは、俺のせいなのかもな。苦笑したゴッチは、とうとう衛兵と冒険者達の囲いを通り抜けて、ゆっくり、本当にゆっくりした足取りで、アヴニール達の前に歩み出た

 「な、な、なん」
 「黙ってろ、良い子だから」

 ガチガチ震えながら口を開いた衛兵の一人は、最後まで言うことが出来なかった

 その場に居る皆が、ゴッチを見ている。最高に興奮するシチュエーションだった。見られる快感……じゃねぇ、見せ付ける快感だ、とゴッチは笑い続ける
 自己顕示欲を満たすには良い舞台である。顔を右手で覆ったゴッチは、背筋がゾクゾクして、震えてくるのに気付く

 全身が力みだした。筋肉が破裂しそうになっている。興奮しているのだ。町の薄暗がりの中で呆としているのでは、絶対に味わえない高揚と快感

 顔面を掻き毟る様に、右手をそのまま握り締めた。爪で裂けた赤い肌から、血が滲む

 「(燃えてきたぜ、ゴッチ・バベル! パーティータイムだ!)」

 笑みを浮かべてガンを付け、左足に体重をかけて半身になり、格好をつける

 「あぁー…………るぅああぁぁぁぁーッシャアァァァァー!!!!」

 バチン、バチン、と音がした。ゴッチの身体を這い回る、青白い光。今にも暴れだしそうな蛇が、のたうつように、ゴッチの全身を駆け巡っている
 次の瞬間に、駆け巡る閃きは濁流のようになっていた。篝火よりも眩い雷光が、何物にも例え難い独特の異音を放ちながら空気を引き裂く

 歯を剥き出しにして笑う、雷の獣。獰猛凶悪な様が、強烈な存在感を放つ。ヌージェンが呟いた

 「雷の魔術師、そんな……全然、聞いてた姿形と違うじゃないか……」

 左手はポケットに。右手は空中に捧げられて、中指をおったてた。FU○K YOU
 隼団ソルジャー、ゴッチ・バベル、グレイメタルドールメイア3捜索隊、筆頭隊員
 休暇は終わった。ゴッチは、更に口端を吊り上げた


 「来いよ、ボディビルダーズ。俺とダンスだ」


――


 「ヒャッハァー!」

 アヴニールの体格は、人間とは全く比べ物にならない。何せ、ゴッチの二倍はある

 巨体で重圧をかけるように、二体が並び立ち、堂々たる構えから鋭く蛮刀を振るう。ゴッチは奇声を上げながらそれに突っ込んでいく
 左右から挟みこむような横なぎ。一足飛びに二体の腕の内側、懐まで潜り込んだゴッチは、左右から迫る蛮刀の柄を受け止めた

 振らせない。振らせないのだ。アヴニールが虎のように咆哮し、身を震わせて力を篭めるのが解る。だが、矢張り、動かない

 「ぐぐぐ……あぁ、オイ、どうしたよ……!」

 バチバチと稲光を発しながら、ゴッチは笑った。この状態で放電を行えば、大打撃と言ったところか
 しかし、それをしなかった。敢えて力で押し返す

 「どうしたってんだコラァァァー!」

 二本の蛮刀、二本の構えを、天空に放り投げるように跳ね除ける。灰色をした、筋骨隆々の肉体が泳いだ。がらあきの懐
 じゃ、とゴッチの摺足が地面を削る。振り被った右の拳。自慢の拳骨

 雄叫びと同時に、それは右手側のアヴニールの腹に吸い込まれていった。岩を殴ったような感触と、ガキンと言うとても肉と肉がぶつかったとは思えない音がする

 べ、と唾を吐いた。今ので解ったのだ。中々タフだ

 左手側のアヴニールが持ち直して、拳を構えた。鬼同士でも仲間意識はあるらしい。この密着状態でゴッチを斬りたければ、味方ごとやるしかない

 思い切り深く身体を沈みこませたゴッチの頭上を、岩のような拳は通り抜けて行った。ゴッチはニヤニヤしながら、アヴニールの腰に抱きつく

 「ヘイ、オーガ、欠伸が出るぜ」

 そのままするりと腰を胴回りを伝って、背後を取った。力任せの直情的な動きでは、こうは行かない。経験と技術が垣間見える、熟練の動きである

 「ジャーマン・スープレックス・ゴッチカスタムと名付けよう」

 ゴッチアレンジの、ジャンピングジャーマンスープレックス。人間の二倍の身の丈、八倍の体重は、ゴッチの前では何の意味も持たなかった。アヴニールの腰元を抱きしめて思い切り仰け反り、思い切り飛び上がり、思い切り地面へと叩き付けた

 次、腹に一発打ち込んだアヴニールが持ち直していた。流石の耐久力である
 蛮刀を持ち上げてギラギラした目を向けてくるアヴニールに対して、ゴッチはべぇ、と舌を出した

 倒れ伏す一体の頭を、それはもう嬉しそうに踏み躙る。動かずにゴッチを睨みつけている最後の一体、悪魔の矢に貫かれているアヴニール。こちらにに対しては、ゴッチは手招きするかのように指を動かした

 「何で手前、そんなに偉そうなんだ。何で踏ん反り返ってやがる。勘違いしてんじゃねぇぞ」

 ゴッチは足の下のアヴニールが動き出そうとする気配を察知すると、ゆらゆらと気負い無く立ち退く
 ……と、思わせて置いて、動き出す前にその両足を引っ掴む

 「あぁぁ?! 良い夢見てるかコラぁぁッ!」

 雑草を根から引き抜くような感じで、アヴニールを持ち上げた。遠心力で腕をばたつかせながら、巨体は人形のように踊る。天空に向けてそそり立つ奇妙なオブジェのような、無様な異様を晒した直後に、そのアヴニールは当然の如く重力と、ゴッチの暴力に従って、地面に叩きつけられた

 ばりばりばりばりと、稲妻は留まる所を知らない。活性化して電流を垂れ流すピクシーアメーバの細胞は、盛り上がって自壊せんばかりであった

 「来いよ、そら、来い! 俺と手前らは対等じゃねぇ! 間違えんな、対等じゃねぇんだよ!」

 手招きに応じて、静観していたアヴニールが蛮刀を担ぎ上げた

 これで一対三だ。これで良い

 これが良いのだ


――


 蛮刀を、避けて、すかして、そうすると、身体が泳ぐ物だ
 それに合わせるのだ。ゴッチは地を蹴って弾丸のように飛んだ。ゴッチの二本の足が健在である、と言う事は、地面は何処も彼処もカタパルトである、と言う事と同義だ

 「サンダァァァー! ドラゴンキィィィィーック!!」

 雷を帯びた弾丸の如き蹴りがアヴニールの顔面に炸裂する。アヴニールは漫画のように吹っ飛んで、ミランダの防壁に叩きつけられた
 アヴニールが起き上がるよりも早く、肉薄する。次は、足を折りたたんで、眩く輝く膝だ

 シャイニングニーである。問題は、本当に光り輝いている事だ。凶悪な青い雷光によって

 「サンダァァァー! シャイニングニィィィー!!」

 足の裏が突き刺さった顔面に、今度は膝が突き刺さる。アヴニールの後頭部が防壁にめり込み、蜘蛛の巣状の亀裂を走らせた

 ゴッチの背後から、凶行を止めんと二体のアヴニールが迫る。先を走る一体が蛮刀を振り上げ、後ろに続く悪魔の矢の一体が突きの構えだ

 「おイタすんな阿呆がよぉッ!」

 首だけ振り向いたゴッチの、無造作な後ろ蹴りが、正確に先を走るアヴニールの膝を打つ
 一瞬動きが鈍った。ゴッチは踊るようにぐるりと身体を回転させて、下に下がってきていたアヴニールの米神に当る箇所へと、拳を叩き付けた。張り手のようにも見えた

 ぶあ、と奇妙な風音を立ててアヴニールの巨体が吹っ飛んでいった。悪魔の矢の刺さっている一体が、少しも動揺せずに突きを放つ
 首を少しだけ動かした。耳元でひゅ、と音を立てて、蛮刀は、ゴッチの左耳の直ぐ傍を通り過ぎていく

 蛮刀は、平気で防壁を割っていた。腐っても石壁である筈のそれに平然と突き刺さった蛮刀、そしてその膂力。ゴッチは、凄絶に笑って、アヴニールの特徴的な角を掴んだ

 強力に任せて、引き寄せる。圧倒的な暴力はアヴニールに一切の抵抗を許さず、勇壮な灰色の面を、ミランダの防壁へと減り込ませた。先に習うかのような綺麗な減り込み方である

 そして、身を沈みこませて、ゴッチは飛ぶ。もう一つ、蹴りだ

 「サンダアァァー! ドラゴンキィィィィーック!!」

 悪魔の矢の刺さったアヴニールは、哀れにも防壁に顔面を減り込ませていたのだ。その後頭部に向けて、ゴッチはまるで情け容赦なく、全力の飛び蹴りを放った
 アヴニールの角が圧し折れて飛び、亀裂が極端に大きさを増した。飛礫が飛び散り、ゴッチの肌を浅く裂く程の、凄まじい衝撃であった

 ゴッチが拳を、蹴りを放ち、宙を舞う度、雷光が瞬き雷鳴が轟く。何度もそれらを受けながら、驚くことにアヴニール達は戦闘能力を残している

 死なぬなら、死ぬまで殴れ、アヴニール。ゴッチの雷を纏ったテレフォンパンチが、交互に、何度も、防壁に減り込んだ二体のアヴニール達に突き刺さる

 「アヴニールゥ? 知らねぇ! 知らねぇなぁ! 食い物か? アクセサリのブランドか? 手前ら一体何なのか、俺にでっけぇ声で言ってみなぁ!」

 殴って、殴って、殴って、殴って、殴った。先ほど張り飛ばしたアヴニールが、懲りずに立ち上がって、ゴッチに組み付く

 巨大な二本の腕に抱すくめられたゴッチは、悪鬼の如き形相で後ろを振り返った
 きっと、アヴニールは困惑していたに違いない。己の半分程しかない小さな人間を、幾ら持ち上げようとしても、地に張り付いたように動かないのだ

 ゴッチに機会があれば、「これが踏ん張るって事だ」と自信満々に語っただろう。ぐあ、と悪鬼が口を開く

 「離せぃッ!」

 ゴッチが大きく身体を揺さぶると、いとも容易く拘束は解けた。仰け反ったアヴニールに対して、堂に入ったテレフォンパンチが入る。パンチの駄目な見本である筈のテレフォンパンチで、木っ端のように吹っ飛んでいくアヴニール

 「るぅぅあぁーッ!」

 ゴッチはまた吼えた。獣のように
 吼え声と共に、二体のアヴニールの頭部を引っ掴んで、盛大に放電する

 まるで雷が落ちたかのようであった。二体のアヴニールが激しく痙攣する。岩のような肌を持つアヴニールも、一応生身であり、生物であるという証なのか、肉を焼くような臭いがした

 そこで、背後から凄まじい殺意を感じた。先程ゴッチに殴り飛ばされたアヴニールが、身体を膨らませ、大きく息をし、蛮刀を天高く捧げるように構えている
 ゼドガンから感じるような気配すらした。剣豪の気配だ。等と言っても、ゴッチにはそんな物は解らない。何となく言ってみただけだ

 ゴッチは無言で走り出した。身を屈め、脇を締めて身体を揺すると、裾からナイフが飛び出した。隼のエンブレムが雷光に煌く

 ナイフを身体に引き寄せ、疾走を続ける。一歩、二歩、確実にアヴニールの領域へと近付いていく
 そして、踏み込んだ。アヴニールが前に出した右足のつま先から、二メートルの距離。天から降る刃の速さは、ゴッチの想像を超えていた

 が、しかし、無意味。ゴッチを両断しようとした蛮刀は、ナイフで容易に逸らされ、地面へと食い込む

 同じように、ゴッチのナイフが、アヴニールの首元に食い込んだ。矢張り、生物の肌を抜いたとは思えない異様な感触。岩の如き硬さ
 しかしそれでも、生きている奴は死ぬ。死んでいる奴だってゴッチは殺すのだ。生きている奴は、尚の事死ぬだろう。ゴッチはナイフに刻まれた隼のエンブレム目掛けて、思い切り放電した

 「この屑肉がぁぁ!!」

 びくびくと煙を吹きながら巨躯が痙攣する。そこかしこの血管が膨れ上がり、眼球は飛び出し、猛烈な鼻出血を起こす。腕が曲がり、足が曲がり、そこには冒険者を震え上がらせるアヴニールの威容など、何処にも無い

 正に屑肉

 ナイフを引き抜いて、その死骸を蹴り飛ばした。ぶすぶすと生々しい音を立てるアヴニールの死骸は、ゴッチにかるく蹴られただけで腕が崩れ落ちるほど、激しく損傷していた

 「フッ……フッ……フッ……」

 ゴッチは独特のリズムで浅い呼吸を行った。最後に大きく吸い込み、鼻から吐き出すと、悪魔の矢のアヴニールが、弱々しく立ち上がる

 「生きてたのかよ」

 アレだけ暴れまわって、ゴッチには息を荒げる様子も無かった。平然としているのだ。正に絶好調である

 ずりずりと、アヴニールは歩く。蛮刀を持ち上げ、一応の構えを取り、じりじりとゴッチに近付いていく

 ゴッチは鼻を鳴らして、首を回し、何時ものように肩を竦めた

 最後のアヴニールは、門を背に、ゴッチへと相対している。ゴッチには見えていたのだ
 アヴニールの向こう側。鉄門の石壁に寄りかかって興味深げにこちらを窺う、血塗れのゼドガンの姿が

 ゴッチが自分に気付いたのを確認したゼドガンは、肩を竦め返した。そして悠々とアヴニールの背中に近寄っていく

 気配に気付いたアヴニールが、後ろを振り返ったとき
 ゼドガンが無造作に振り上げた大剣が、その頭蓋を割っていた。どろ、と脳漿を零しながら、巨躯は、地に沈んだ

 「流石に危うかったがな」

 ゴッチはゼドガンに背を向け、歩き出す。衛兵も、野次馬も、誰一人として声を発さない。それどころか、僅かに動くことすら出来ないでいる
 ばち、ばち、と名残惜しげにゴッチの身体を這い回る雷が、ゆっくりと消えていった。イノンの前に立った時には、もう跡形も無い

 イノンも、インガも、ヌージェンも、唖然としていた。おそるおそる、ゴッチには似合わないが、そう、おそるおそる、イノンの肩へと手を伸ばす

 びく、と目に見えてイノンは震えた。ゴッチの手が背中に回る。イノンの震えは強くなる

 ぱっと離れる。ゴッチの顔には、矢張り底意地の悪い笑みが浮かんでいた。その隣を、ゼドガンが通り抜けていく

 「酒でも飲むか。兎に角今回は儲かった。奢ってやろう」
 「頭割れてんじゃねーか。それで飲むのかよ」
 「飲みながら手当てするさ」

 ゼドガンは何事も無かったかのように歩いていくし、ゴッチもどうでもよさげに着いて行く

 「あ、あ、…………ゴッチ……ぃ」

 ふと、ゴッチは立ち止まった。居心地悪そうに首を掻き毟ったゴッチは、振り返らずに、再び歩き出すのだった


――

 後書

 天使とダンスだ!!


 推敲したけど大分誤字あるかも



[3174] かみなりパンチ21 炎の子
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:50
 ダカダカダカダカダカダカダカダカ
 ぶつぶつ呟きながら、キーボードを叩くテツコは、日を追うごとに妖怪じみていく

 その美貌と豊かな肢体が光を失っていくのに対し、縦に割れた琥珀の瞳は輝きを増していくのだ。鬼気迫る、という言葉が、今のテツコには相応しい

 口に銜えた黄緑色の細い棒がぷらぷら揺れる。超小型の、空気清浄機とでも言うべき機械で、コレを通して息を吸い込むと、抜群の眠気覚ましになる
 エアフィルター3345すっきりレモン味であった。テツコはここ最近このフィルターを中毒寸前まで使用している

 ダカダカダカダと打ち続け、偶に空間投影ウィンドウで資料を漁り、様々な物事を照らし合わせ、舌打ちし、かと思えばニヤリと笑い

 そんな時、コガラシ二型から聞こえてきた何物かの噂話に、テツコは動きを止めた

 『聞いたか、ミランダだよ。雷の魔術師が、すげぇ大暴れしたんだとよ』

 口を半開きにしたまま、テツコは沈黙した。ずるずると右腕を這わせて、ごく近くに置いてあった機器のスイッチを操作し、コガラシ二型に待機命令を出す

 そして四秒ほど硬直した後、顔面からキーボードに倒れこんだ。ズゴン。眼鏡が吹っ飛んで床に落ちる

 虫の羽ばたきに似た音を立てて、ウィンドウが開いた

 『ん? テツコか? ん、オイ!』
 「ファルコン、……ゴッチ……ミランダ……」
 『テツコ? おい、どうした、何かあったのか! テツコ、気を確かに持て!』

 テツコは、寝ていた


――


 ミランダで再会したレッドは、出会い頭にゴッチと肩を汲んで、挙句地面の穴に躓いて転倒すると言う寸劇を演じた
 その後、巻き添えになったゴッチがレッドに襲いかかったことは、言うまでもない


 「さぁ兄弟、コイツが、兄弟へのお礼さぁ!」

 兎にも角にも
 冒険者仲介所の一室で、ゴッチ達悪餓鬼三人組は、机に着いて顔を突き合わせていた。暫くぶりに会うレッドは全く変りない様子で、ゴッチは再会を喜ぶどころか辟易した程である

 妙に上機嫌で、曰く“ゴッチへのお礼”であるらしい、藍色の長方形の皮袋を差し出してくるレッド。レッドには、レッドのペースがある。生半では崩れない物だ
 やれやれと良いつつも、少し楽しげに皮袋を開いたゴッチは、驚きの声を上げた

 藍色のそれは、美しい艶を放っている。鰐皮を使った高級品で、内部の湿度管理の心配が要らない工夫がされている。ゴッチには見覚えがある
 中には、一本一本それぞれが、丁寧に美しく仕込まれた葉巻が入っていた。焦茶色の姿。黒いバンドに金色で、デフォルメされた鳥のエンブレムが描かれており、葉巻全体からは品の良い香りが放たれている。因みにロングフィラータイプ

 使用されている三種類の葉は、過去ロベルトマリンで計画された環境更生プロジェクトの折、科学技術によって生み出された特殊な植物の葉だ
 使用者の五感を鋭敏にする効果があり、とある兵士の射撃技能試験において著しく結果を向上させたと言う話も、ゴッチは聞いている。中毒性及び人体への害毒等、こういった物によくありそうな障害は、そもそも相当な量を相当な濃度で接種しなければ、ゴッチ達の世界の頑健な住人にはまるで効かない

 ファルコンはこの葉巻が好きなのだが、生産数が非常に少ない希少品だった。そして言うまでもなく、高価だ
 銘は「イーストファルコン・コロナ」。この十四㎝の高級品をファルコンが好む理由は、最早言うまでもないだろう

 「十六本入りワンセットが、魔道ギタリストレッド、大出血を覚悟で! なんと、なんと、なんと、更に二ダースッ!! だぜ!」
 「何ィ?!」

 どこから取り出したのか、レッドはずしりと重みある布袋を、据え置きの机の上を放り出した
 中を確認してみれば、藍色の鰐皮が詰め込まれている。レッドの言うとおり、きっちりと二ダース。葉巻でありながら、特殊な薬物としても認定されている代物だ。二ダースプラスワンセットならば、世の男共が大勝負に準備する、給料の三ヶ月分の結婚指輪を二つ用意してまだ余る

 いや、そもそも金を積めば手に入ると言うものでもない。希少品だ。それを異世界で求めるとなったら、もうこれは絶対に不可能だろう

 「俺ってば顔が広いからさぁ、ちょろちょろっとあっちの方に転移して、ちょろちょろっと話を付けたのさぁ。んふっふ、因みに、ゴッチの親父さんにも、ゴッチの名前で一ダース程プレゼントさせて貰っただぜ。上手く言い繕って欲しいだぜ。……どうよ、かゆい所に手が届くこの有能ぶり」
 「チ、お前、中々……気が効いてるじゃねーか」

 ゴッチはレッドの仕事の細かさに思わず顔を綻ばせる。思わず、ファルコンが特注のスーツを着込んで、隼団のソルジャーを引き連れながら、葉巻を銜え、紫煙を立ち上らせる姿を想像した

 「(一等だ。俺のオヤジ以上にこの葉巻の似合う男がいるか?)」

 半端なく格好良い。暗黒街のどんな組織のどんなボスにだって見劣りしない。対等以上の貫禄だ

 命懸けの仕事の対価としては納得行くかどうか怪しい所だが、そもそもゴッチはファルコンの養子とはいえ、ただのソルジャーだ。端金が原因で起きる揉め事で、それこそ虫けらのように呆気無く死ぬ事だって、無いとは言い切れない
 何より、レッドのこの気の使い方に、ゴッチは骨抜きにされてしまった

 皮袋の中には、葉巻の他にもシガーパンチが差し込まれていた。コレもセットの内容の一つであるらしい。益々ファルコン好みだ

 にやにやしているゴッチの手から、ゼドガンが葉巻を摘み上げる

 「煙管のような物か?」
 「チッチッチ、ゼドガーン、一緒にしちゃぁいけないだぜ。こいつは……えーと、そうだな……煙管の……二百倍くらい、かな? そんぐらいの価値があるだぜ」
 「この一本でか。ほぉ……」
 「で、兄弟、気に入ってくれたか」

 葉巻を掌でくるりと一回転させ、皮袋の中にストンと落とす。ゴッチは満足気に笑っていた。気に入ったと言っているのに等しかった

 ほ、とレッドは安堵の溜息を吐く。しかし間を置かず、真剣な顔になった

 「兄弟、ゼドガン、ラグランまで案内するのに否はないだぜ。だが、頼みがある」

 レッドが本題を切り出した。ゴッチも、ゼドガンも、レッドが何か抱えているのは気付いていた。出会い頭、常軌を逸して快活な男が、少し無理をしているような違和感を感じ取ったのだ
 ゴッチは皮袋の内の一つを、スーツの懐に仕舞い込む。椅子に座ったまま足を組み、少し沈黙した

 場を取り持つように、ゼドガンが好意的のような、否定的のような、あやふやな事を言う

 「ロベリンド護国集の依頼は継続中だ。内容は、ゴッチを手伝うこと。ゴッチが否と言わないのであれば、どんな事でも構わないさ」

 ゴッチが、ゼドガンが弄んでいた葉巻の一本を取り上げて、皮袋と同じ場所に差し込む

 「話してみろよ、贈り物の使い方が上手いよなぁ、お前」

 ぱっと花咲くように笑って、レッドは話し始めた

 「ラグランまでの旅程に同行させたい奴が居るんだぜ」
 「ほぉ? 訳ありっぽいな」
 「あぁ……炎の魔術師さぁ」
 「あ?」
 「炎の魔術師……? 神殿に篭っている筈のアナリアの巫女が、何故我々と?」

 ぴくりと眉を跳ね上げて、ゴッチは不信感を隠すことなく表現した。ゼドガンも訝しげであったが、こちらはゴッチとは意味がちがった

 炎の魔術師と言えば、ゴッチにだって関わりが無い相手ではない
 ファティメアと言う魔術師もどきが居た。ゴッチは名前を覚えていなかったが、記憶が確かならば最早死んでいる人物だ

 「ファティ……なんとかとか言う奴だろ? おかしな話だな。そいつぁ、もう死んでるんじゃなかったか?」
 「巫女が既に死んでいる……?」
 「何で兄弟知ってんだぜ?」
 「聞きたきゃ教えてやる」

 ゴッチはアーリアで起こした大騒動の顛末を、面白おかしく語った。ゴッチにこういった酒飲み話をさせると天才的で、酔わせてくれる素敵な液体は無い物の、レッドとゼドガンは盛大に大笑していた

 気持ちよく笑いながらレッドはパシンと机を叩く

 「アーリアにはほんの僅かしか居なかったのに、氷の魔術師の奪還劇に加えて、そんな事までやってやがったのかぁ! こりゃ、カザンにも話を聞きに行かなきゃなぁ!」
 「んだよ、あの阿呆の事知ってんのか?」
 「阿呆って、そんな事言うの兄弟くらいなんだぜ。ほら、カザンって、どうしても人目を引くし、良い奴だろ? 気になってちょっかい掛けてたら、何時の間にか酒を酌み交わす中になってたんだぜ」
 「へぇへぇ、人気者だ事で」
 「カロンハザンと言えば、勇猛と評判で、良い噂しか聞いたことが無いが。ゴッチには何か含む所があるのか?

 ゴッチは先程までの愉快そうな顔から一転、苦虫を噛み潰したような顔になる

 「あの身の程知らず、俺に説教をしやがった。喧嘩の理由をどうのこうのと、『俺と来ないか』だの、力を正しく振るう場所がどうのこうのと」
 「成程、お前が反発しそうな話だな」
 「チ、話を戻すか」

 レッドが軽く頷く。レッド自身は、ファティメアが死んだことは知っていても、何故死んだのかまでは知らなかったようだ
 アナリア王国が情報統制を敷いている。別段おかしな事ではない

 「魔術師の才は、遺伝しない。それが発生する条件は全く不明で、ある日突然、膨大な魔力を持った子が生まれ落ちる、だぜ」
 「……そこまでは俺も知ってる。その、ファティメアとやらの一族がおかしかったってのも」
 「過去の文献によれば、何時の時代も魔術師は合計二十人前後。そして同じ属性を持つものは、常に一人のみ」
 「ん?」
 「魔術には様々な属性があるんだぜ。ダージリンの氷、俺の歌、……まぁ俺のはどう表現すれば良いのか良く解んないんだけど。文献漁って見てもダメだったし。兎に角、魔術には二十前後の決まった属性がある。そして同じ属性を持つ魔術師は、二人と存在しないんだぜ。詰まり、俺の歌の魔術を持つのは俺だけで、俺が死なない限り歌の魔術師は他に現れない。逆を言えば、俺が死ねば新たな歌の魔術師が生まれるんだろうなぁ、って感じさぁ」

 聞けば聞くほど可笑しな話ではある。魔術師の総数が決まっていて、変動しないと言う事だ
 魔術師の才能を持って生まれる者が極端に少ないとか、そういう話ではない。人知を超えた目に見えぬ何かが、人に魔術と言うものを押し付けているかのようだ

 「この世界の神か悪魔が、人に乗り移ってんじゃねーかなとか、そう思ったこともあるんだぜ」

 そう、それだ。言い表すならばそれも適当な物の一例である

 「まぁいい。続きを」
 「どういう方法かは知らないが、カノート神殿は、魔術の力を継承し続けてきた。でも次第に力は弱まっていたんだぜ。何故なら、本当の資質を持っている者は他に居たんだからなぁ」
 「それが、今回我々に同行させたい者だと?」
 「……最初は、ふとした違和感だったんだぜ。魔術師っぽいのに、そんな力なくて。どうしても気になってさ、でも、時々訪ねてって話すぐらいだった。最近までは、本当に何もなかった。でも、炎の魔術師もどきであるファティメアが、子を成さず死んだ為に、そいつは炎の魔術師に覚醒したんだぜ」

 レッドは余り嬉しくなさそうに言った。ゴッチが胡乱気に見ていると、レッドは小声で、聞いてもいないのに話し始める
 いや、話さずには居られないのか

 「……魔術師なんて、ならない方が良かったに決まってるんだぜ。変な力がなくても、立派な心を持った、立派な奴なのさ。魔術師としての力が奴に何を齎すのか、奴をどんな風に変えるのか、……奴が目覚めてから、考えない日はなかっただぜ」
 「…………もう良い、そいつについては解った。だが、何故そいつはラグランに?」
 「そればっかりは、捜し物があるとしか言えないなぁ。訳あり、で許して欲しいところだぜ」

 ふむ、とゼドガンが顎を撫でさすった

 「で、どんな厄介ごとに巻き込まれるんだ? レッドが俺とゴッチにわざわざ頼み込むんだ、何かあるのだろ?」
 「はっは、鋭いだぜ! できれば、怒らないで聞いて欲しいなぁ」

 レッドは頭を下げた。帽子を取り、机に額を押し当てながら真剣な口調で語る
 項垂れているようにも見えた。話しながら喜怒哀楽がコロコロ変わる男だ。哀しみを偽装する事は余り無い

 「顔を真赤にしたアナリア国軍に追い掛け回されたりするかもしんない、だぜ。でも頼む、この通り」

 頭を下げられた二人は、顔を見合わせて沈黙した。しばし見つめ合い、不思議そうに首を傾げ合うと、何でもなかったかのように告げる

 「別段大したことではないな」
 「詰まり今までと変わらんってこったろう」
 「え? そういう反応?」
 「俺と、お前と、ゴッチと、加えて炎の魔術師。最前線たるペデンスから零れた弱兵が、いったい何千人居れば俺達を倒せる?」
 「負けるかよぅ、何人居たって。俺は今気分が良い。“兄弟”の頼みを、聞いてやろうじゃねぇか」

 バッと顔を上げたレッドは、ゴッチの台詞に感極まったか、机を乗り越えてゴッチの分厚い肉体に飛びついていった

 そして、当然叩き落とされた


――


 「正しきを知らぬのであれば、先達の導きによって正しきに至らなければならない。そして導かれる中で磨かれた己自身が、正しきの更に先へと辿り着くのだろう」
 「…………」
 「その、こういう奴なんだぜ。コイツの故郷に、古学者が一人居たんだが、その古学者に学ぶ内に、こんな硬っ苦しい感じに」

 レッドの手配した宿で待っていたのは、白い髪に赤い瞳の女だった。まるで、ダージリンのようだとゴッチは感じた

 「……魔術師として目覚める前は、黒髪黒目だったんだぜ。魔力は当たり前だったものを平気で奪う」

 通常は黒いフード付きの直垂をまとい、身形を隠しているらしい。ゴッチの前でしなやかな白い髪を揺らし、頭を垂れる女は、恭しく続ける
 ラーラ・テスカロンと名乗った。特別裕福であったり、特別な何かがある訳ではなかったが、古い歴史のある血族らしかった

 「レッドから話は聞いている。魔術師の先達と、高名な冒険者。それとは別に、市井の噂も」
 「……で、何だ? 俺達に何が言いたい?」
 「戦う術を教えて欲しい。私の目的にはそれが必要だと感じている。以前、竜に襲われたことがあった。弱点は知っていたのに、私は自分の力に振り回されて、結局出来たのは辺りを火の海に変えることだけだった。竜自体は倒した。だが、勝利したと思うことは出来ない」
 「あー……、頼むぜ兄弟、ゼドガン。組み手もどきの相手をしてくれるだけでも良いからさぁ」

 唐突なラーラの申し出に、レッドまで加勢した。ゴッチは唸りながら、まじまじとラーラを見つめる

 ダージリンに似ていた。魔術師と言う存在が、そもそもこういうモノなのかも知れない
 年齢はラーラの方が上に見える。髪も、ダージリンの青みがかった白ではなく、赤みがかった白。微々たる違いだが、銀と言うよりは金だ
 そして、気性。真っ直ぐこちらを見据えてくる瞳には、ダージリンの諦めたような暗い光は無い。言動からも、覇気が見て取れる

 ポジティヴって事だ

 「ゴチャゴチャと、芝居がかってんな。冗談じゃねぇんだな?」
 「私は至極本気だと、信じてもらいたく思う」
 「レッドよぅ、コイツ、素人って訳か? 殺しの経験は」
 「…………まぁ、ほぼ素人かな」
 「ふぅん」

 凛々しくこちらを見つめるラーラは、眉ひとつ動かさない
 レッドの反応を見るに、多少は人を殺した経験があるのだろう。悪い子だ。ゼドガンをみやる

 「レッドには悪いが俺はしない。俺は以前から、弟子を取るのであればただ一人きりと決めている」
 「へ? なんでまた?」
 「一子相伝と言う奴だ。格好良いだろう?」

 固めを閉じて悪戯っぽく言ったゼドガンに対し、ラーラは正直に残念だと告げた
 しかし怯むことなく、次はゴッチに対して視線を向ける

 「正しきって何だ? あ?」

 鼻を鳴らしながら、ゴッチはラーラを睨めつけた

 「私にとって何もかもは不確実だ。戦う術も、当然。数多を戦った貴方に師事すれば、間違いの無い答えに行き着けると思った」
 「ふぅん……まぁ、良いだろう。お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中では」
 「受け入れてくれるか?」

 レッドがそっと耳打ちしてくる

 「なぁ兄弟、兄弟も、いずれは親父さんの後を継ぐんだぜ? その事を考えたら、女の子一人面倒見るぐらい、どうって事ないさぁ」

 弟分の面倒を見るようなモンだ。とレッドが締め括る

 レッドも知っていて言った訳ではないが、ゴッチには以前弟分が居た。ファルコンの図らいでゴッチが面倒見ていた、酒好き女好きのチンピラだった。だらしの無い奴だったが、兄貴兄貴と懐いて来て、それなりに可愛げのある弟分であった
 エアカーに跳ねられて死んだのだが、最後の瞬間まで兄貴とうわ言で呼んでいた。喧嘩の仕方を教えた初めての弟子である

 「ふぅん。…………ふぅん。俺みてぇな喧嘩を、するようになるかよ」
 「それが私にとって相応で、可能ならば」

 ゴッチは懐から先程手にいれたばかりの葉巻を取り出し、頭部にシガーパンチを減り込ませる。非常に手早く淀みない動作だ

 それを口に加えて、短く言った

 「火」
 「?」
 「ラーラっつったな。これは葉巻ってもんだ。煙管ってのがここにもあるみてぇだな? それと同じようなもんだ。お前の炎の魔術で、コイツの先端に火を着けろ。俺の荷物持ち、使い走り、後はライター……付け火代わり、それが道中のお前の仕事だ」

 些か緊張した面持ちで、ラーラは近づいてくる。ゴッチの肩に手を添えて僅かな体制の安定を得ると、葉巻の先端に人差し指を向けた

 額に汗が浮いている。緊張しているのが伺える

 「その程度もできねぇか?」
 「……貴方を焼き尽くしてしまう……」
 「やれ。俺に逆らうんじゃねぇ」

 レッドが思わず腰を浮かす。ゼドガンも、魔力が動くただならぬ気配に座ったまま身構えた

 ラーラの指先に光が集まって行く。あ、とラーラが吐息を漏らした
 レッドが叫ぶ

 「上に逃がすんだぜ!」

 瞬間、ゴッチはほんの少しだけ顔を後ろに下げた。ラーラの指先から火炎が吹き上がり、ゴッチの鼻面をかすめ、天井にぶつかる
 凄まじい火力。炎が発生したのは一秒にも満たない時間だったが、火線の直撃を受けた天井は燃え始めていた。レッドが「ホワッチャァァー!」と奇声を上げながら、クリムゾンジャケットをバタバタと振り回して消火活動に当たる

 ゴッチは何事も無かったかのように口内に煙を吸込み、ゆったりと吐き出した。些か乱暴だったが、葉巻には火が灯っていた

 「あ……」
 「良いかラーラ。俺はお前の望むモンなんぞ恐らく持ってねぇが、それでもお前が言う“間違いの無い答え”とやらがあると思い込みたいなら、暫くは俺のことをボスと呼べ。そして敬語だ。付け加えて、俺の邪魔をするな。足を引っ張るな。お前の仕事はさっき話したな? 以上がついてくる条件だ」
 「し、従う。……そうか、貴方は私と同じなんだな。恐れる訳が無いか」

 ラーラが、自分の掌とゴッチの顔を見つめて、ぼんやり確かめるように呟いた

 確かに、ゴッチは雷の魔術師と言うことになっている。ラーラが自分の同類だと感じるのは当然だ

 ダージリンも同じようなことを言っていたな、とゴッチは思い出した。魔術師と言うのは、どこまでも似る物なのだろうか

 口を意地悪い笑の形にへし曲げて、ゴッチは高圧的に言った。弱いものに対しては、どこまでも居丈高になれる男であった

 「敬語だ」
 「……はい、失礼しました。以後気をつけます」
 「成程、炎の魔術師」

 消火活動を終えたレッドが、ひぃひぃ言いながら恨めしげな顔をしている。即座に行動に出た為に、僅かな被害しかでなかったようだった

 「何綺麗に纏めちゃってんのォ?! 俺の頑張りはどーなるんだぜ!」


――


 夜、篝火の隣に一人

 葉巻を銜えながら、ゴッチは天を仰ぎ見て、にやりと笑った
 何時ものように、威嚇や嫌悪感を与えるための笑みではない。意識して、多少品が出るような笑い方をしている

 「(さっきの俺、ちょっとファルコンっぽかったろ)」

 何れファルコンの跡を継ぐと言う言葉は、レッドが思うより遥かに、ゴッチに影響を与えていた

 しかし、気分よさそうなゴッチのニヤニヤ笑いもそこまでである

 ゴッチの目の前の、何も無い空間が、少し揺れた。咄嗟に身構えるゴッチの目の前に、裸電球に羽が付いたような物体が姿を表す
 詳しく言い表すまでも無い。コガラシである。そしてコガラシを動かしているのは、主にテツコ・シロイシ。鋼鉄の女だ

 ゴッチから血の気が引いた

 『漸く見つけた』
 「あ、お、よう」
 『久しぶりだね、ゴッチ。本当に久しぶりだ』
 「あ、あぁ、久しぶりだな。元気だったか?」
 『あぁ、頗る快調だ。何せ、重大な懸念事項が今晴れたのだから。穏やかな気持だよ、ゴッチ』
 「そうか……、それは良かった。お前が元気だと、俺も嬉しいよ」
 『ふふふ、うれしいな、そんなふうに言ってくれるなんて。うれしい』

 コガラシが、激しく明滅する

 『そんな訳ある物か!』
 「やっぱりぃ?」
 『その葉巻は? どうやって手にいれたんだ?』
 「口が軽い奴は、俺らの世界じゃ生きていけねぇんだぜ」
 『ゴッチ!』
 「悪いと思ってる! 本当だ! 確かに無茶した!」
 『ゴッチ! そんな意識があって何故!』
 「だが同時に結果は出したぜ! 明日、明後日には、ラグランに向かって出発する。極めて精度の高い情報だと俺ぁ思ってる! 捜索は進展する、不都合があるか?」
 『他の者ならいざ知らず、私に対して開き直るのか? ゴッチは多少なりとも、私の事を信頼してくれていると思っていた!』
 「してる、間違いじゃねぇさ、本当だ。だが事情がある!」
 『……済まない、落ち着こう、冷静になろう、お互いに……。私は……正直、ゴッチがダージリンを救ったのは、嬉しい事だと思っている。貴重な現地協力者だし、私自身彼女のことは好ましいと思っているよ……』
 「……宿を取ってる。そっちで話さねぇか」
 『周囲に生体反応は無いよ。こちらの方が、安心できる』
 「…………テツコが、さっき言ってた事が本当なら、もう良いじゃねぇか。事情があったし、テツコのサポートも無かった。仕方ない状況って奴だったんだよ」
 『……五百を超えるアナリア国軍と、大立ち回りを演じるのがかい?』
 「それにはすげぇ誇張が入ってる。実際には、五、六人ばかり叩きのめしただけだ。ちょろっと強襲して、ダージリンを抱えて逃げたのよ」
 『……私は実地検分もしたんだよ』
 「え?」
 『君が暴れた広場は放置されたままだったし、君に打ち倒された百人を超える兵士たちには、特別な慰労が取り計らわれたと言う情報も入手している。私に、嘘をついたな……、ゴッチ、私に! アレが、君の言うような可愛らしい事件の跡か?!』
 「つ……! あー、そうだ。テツコの言う通りさ。謝ろうじゃねぇか。囲まれて襲いかかられて、仕方なかった訳だ! ダージリン守りながらじゃな!」
 『アーリアから脱出した後、独自に動き回っていたろう?! 私がどれ程探したか! 軽率な行動は謹んでくれと言ったのに!』
 「ダージリンと一緒に、遺跡に迷い込んだろ? そのせいで、厄介なのに目を付けられて、それの処理をしてたんだよ! 詳しい話をさせてくれよ、そうすりゃ納得する筈だ!」
 『知ったふうな事を!』
 「テツコ! 信頼してる、マジだ。ならお前は、どうだ? 俺のことどう思ってる? 俺はガキか! 聞くだけ聞けよ!」
 『バカ! 都合よく話を捏造する者に、二度目なんてあるもんか! 私がどんな思いで、どんな苦労をしたか、クソ! みんなクソッタレだ!』
 「テツコ、なんか口調変わってんぞ……」

 鋼鉄の女であるテツコに凄んだところで意にも介さないし、致し方ない部分があるとは言え、非はゴッチにある。道理が無ければ話が通らないのは、ゴッチ達の世界でも当たり前のことだ。それでも通そうとすれば、無理矢理ずくしかない
 ――無理矢理など、出来る訳が無かった。テツコはゴッチのサポート役だ。そうでなくても、コガラシ越しに何が出来ると言うのか

 実はテツコの後ろで、ファルコンが一部始終を見守っていた
 見苦しい状況ではあったが、ぶつかり合った方が仲も深まるかも知れない。とファルコンは思っていた

 決して宥めるのが面倒だったわけではない。決して

 本当なら直々にゴッチを叱責しなければならないか、ともファルコンは思っていた
 しかし葉巻を加えて煙を吹くファルコンに、そんな心算は欠片も無くなっていた

 加えている葉巻の銘柄は「イーストファルコン・コロナ」。黒いバンドに、金色の鳥のエンブレムが輝いている


――

  後書

  意味不明な程難産だった……。出来に疑問が残る人も居るかもしんない。ついでに誤字も

 話は変わるけど

 「べ、別にアンタのことなんて信用してないんだからね!」
 とか主人公に言ってるキャラクター見たら
 「べ、別にアンタに信用して欲しいなんて一言も言ってないんだからね!」
 と言いたくならないかしらん

 特にネットss見てると、そうやって言い返して良い展開及び境遇の物が大半のような気がするなぁ

 様式美か何かかしら



[3174] かみなりパンチ22 炎の子2
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:52
 白いフード付のローブは、それほど多く用いられている訳では無いが、ロベリンド護国衆に所属する人間の旅装だった。すっぽりと体を覆い隠してくれる頑丈なそれは、ロベリンド護国衆の根拠地が標高の高い山にあるからか、保温性が高い

 用い方を誤れば、暑いだけと言う事だ。姿をロベリンド教徒のそれへと変えたゴッチは、同じようなローブを着込んだレッドと共に、ティトが手配した荷馬車の上で静かにしている
 手綱を取るのはゼドガンだ。彼は馬の扱いが非常に上手く、下手な騎兵よりも馬を好いておリ、また馬に好かれる性質だ

 しかし少々問題がある。アナリアの街々の周辺や、主要な街道は、兵士たちが警備している。世情が世情だけに、呼び止められることが、ままあった
 そこでまず兵士達は、国中探しても容易に見つからないであろう、稀な偉丈夫であるゼドガンを見て、訝しがるのだ。荷馬車の御者役が似合う風体では、どうしてもない

 「は、ロベリンドの長殿とは知らず失礼いたしました。最近では、反乱軍の者共が小細工を弄し、この近辺も俄に騒がしくなっております。お気をつけ下さい」
 「感謝します、実直な騎士殿。ですが、私は騎士殿の規律とその配下諸氏の忠実さを感じ、この旅程の安全を確信しております。お気になさらず」
 「お褒めに預かり光栄に思います。旅路に幸あれ」

 だが、ティトが相手をすると、大抵は今、颯爽と背を向けて騎乗した騎士のように、大して疑いもせず素通りさせた。ロベリンド御国衆の護衛(戦闘集団に護衛と言うのも奇妙な話だが)とすれば、ゼドガンの存在も不思議ではなかったし、或いは不審な物を感じ取っていたとしても、強硬に調べることなど出来なかったに違いない

 ティトは間違いなく貴人である。そして、荷馬車の手配と、変装の用意、ゴッチには体現しえないアナリアの礼儀作法、全く気が効いていて、有用な人材だった

 「見ると良い、ゴッチ、レッド。あの兵士達、前が歩くのにつられて歩くのじゃない。あの騎士の号令一歩一歩を踏み出している」
 「進めと言われて進むだけなら、ガキにだって出来るだろ」
 「ふ、ティトの言う通り、忠実と言う話だ。きっと目の前が海だろうが崖だろうが、号令一つで乗り越えるだろう。ああ言う軍が周囲を取り締まっているとなれば、この近辺は確かに平和だろうな」

 騎士の号令の元、一糸乱れぬ行軍で去っていく二十人程の兵士達
 ティトはふ、と息を吐くと、素早く荷馬車に攀じ登ってゴッチの隣に転がるようにして収まる

 「うー、真面目な騎士様だったねぇ。息が詰まるなぁ」
 「ティト、お疲れさん。ここいらはペデンスに近いだぜ。まぁ、切れ者がうじゃうじゃしてても、可笑しくないだぜ」

 眠たそうな目をしたティトが完全に気を抜くのを見て、ゴッチは乱暴にフードを取り払った

 「息が詰まる? こっちの台詞だってんだ。チ、こそこそと鼠みてぇだ」
 「堂々と動いて、俺は詰まらない戦いで調子を崩したくない。ここ暫くは面白い相手ばかりだったからな、今更凡百の輩を斬ったところで、醒めてしまうだけだ」
 「……褒めたり貶したり、ハッキリしねぇ奴」

 ゼドガンは、やはり自然体である。自然体で、ロクでも無いことを普通に言う。ここ数日気分が良いと漏らすゼドガンは、言葉通りに気分が良さそうで、常よりも饒舌だ

 ゴッチは再び進み出した荷馬車の揺れを感じながら、ラーラに命令する

 「火ぃ」

 ゴッチ達の白いローブとは対照的な、黒い直垂の裾が持ち上がる。深呼吸する音が聞こえてくる

 首筋に何かチリ、とする物を感じて、ゴッチはラーラの手を掴んで斜め上を向かせていた

 ボ、とゴッチの眼前を掠めて、天に向かって消えていく火線。ゴッチが干渉しなければ、ゴッチと、その隣で大欠伸をしていたレッドの頭は、今頃丸焼けだったに違いない

 「ひ、火ィー! ラーラ、俺達に何か恨みでもあるのかだぜ?!」
 「す、済まないレッド、そんなつもりは無かった」

 ギャーギャー騒ぐ二人を他所に、二度ほど煙を吸って吐いたゴッチは、厳しい口調で言った

 「オイ、ラーラ、なんで苛立ってんだ、お前」
 「別に、そのような事はありません」

 よく平然と言ったものだった。アナリア国軍を見る度に殺気立つラーラに、気づかないゴッチではない


――


 レッドは異質な男だ。聞くところによればゴッチにとっての異世界の生まれで、魔術師であり、しかしアナリアだけでなく、ロベルトマリンにも深いコネクションを持っているように、ゴッチには感じられる
 多少の制限がある物の、自由に“あちらとこちら”を行き来し、両方に複数あるのだろう拠点の存在を匂わせない

 詰まり、現状レッドを縛ることは出来ないのだ。ロベルトマリンだろうが、アナリアだろうが、なんだろうが

 ゴッチを除いて行われたテツコとレッドの話し合いの結果、現状維持と言う結論に至ったのには寧ろ当然だ。しかし可能性としてはレッドを“保護”し、ワープゲートまで護送せよと言われる事も在り得たゴッチとしては、ほっと安堵の息を吐く場面であった

 安堵の息? どういう意味合いで?

 「…………クソレッドがよ…………」
 「あー? どうした、兄弟?」
 「ふん」
 「なんだよ、何、俺ってば何かしただぜ?」

 心配などしている訳では無いのだ、断じて

 「ラーラ、アイツ、何なんだ? 火の扱いに馴染み始めたと思えば、兵士にビビってコントロールが悪くなりやがる」

 荷台の縁に両脇を乗せて、気怠そうにゴッチは問い掛けた。レッドはフードを弄りながら、目を伏せている
 当のラーラは荷馬車の隅でこくりこくり船を漕いでいる。昨日の夜番はラーラだ。一睡もしていなかった

 「うーん、うーん、……俺が勝手に話すのもなぁ」
 「…………まぁ、良いか、良いわ。俺のミスだ。俺に奴の事情なんて関係ねぇし、奴に俺の事情なんて関係ねぇ。だよな? 邪魔にならなきゃ良い」
 「ふーん……」
 「なんだよ」
 「いやぁー? 別にぃー? べぇっつにぃー?」

 隼団のソルジャーは、団の同輩以外に気を使ったりなどしない。ラーラの身の上を心配するなど、有り得ない

 身内以外の者には、契約以上を求めるな。不干渉。必要な物は契約と取引で、それが無理なら奪うだけ。ファルコンの教えは、極めてクールでイカしている。と、ゴッチは思っている

 取り繕うように自分の言葉を撤回したゴッチに、レッドはニヤニヤと笑いかける
 その何とも背中がムズムズしてくるニヤケ面を見て、ゴッチは額に青筋を浮かべさせた

 びゅ、と音を立てて、鉄拳を繰り出す。何度も拳を食らうたび、いい加減慣れてきたのか、レッドはそれを紙一重で避け切る

 ギターをくるくる回して、狭い荷台の上をごろごろ転がり始める。ゴッチから距離を取ろうとしているのだ

 「ひょーほほほほ! 別になんでも無いんだぜ、兄弟。本当さぁー!」
 「クソ、ニヤニヤすんな! 待て!」
 「止めてー、暴れないでー、調子、悪いんだ……、頭に響くよ……」

 寝惚けているラーラの足元までレッドが転がっていったとき、不審な物を感じ取ったのか、ラーラの四肢がびくりと痙攣し、風のような速さで翻った
 シッ、と、食いしばった歯の隙間から漏れる空気の音。一瞬で覚醒状態まで到達し、立ち上がったラーラは、自分の足元にある物が何なのか良く確認しないまま、全力で拳を振り下ろす

 鋭い拳は情け容赦なく、レッドの鼻面に突き刺さった。レッドは聞くに耐えない悲鳴を上げ、頑丈な後頭部で荷台の下部を凹ませた後に、盛大に鼻血を噴出した
 ラーラには余裕が無い。危険に対して、過剰に反応してしまう。冷静でないのだ

 「ぐあぁぁー!」
 「え、あ?! れ、レッド、何故こんなことに!」
 「ラーラぁ、よくやった!」

 ゴッチはラーラの健闘を讃え、その背をばしばしと叩いた。そして痛みに震えるレッドにストンピング

 ラーラは一瞬唖然としたが、直ぐにゴッチを止めに入る。だが、今更どう取り繕っても、初撃を入れたのはラーラだ
 レッドを一撃で撃沈した拳は、覚醒直後に放ったにしては、本当に力強く、見事な拳であった

 ふうふう荒い息を吐きながら、ゴッチは葉巻を銜え直す。レッドは自分の事よりもギターの方が大事なようで、ギターケースに付着した埃を涙目で払っている

 「別にさぁー、兄弟、意外と面倒見が良いなって思っただけなんだぜ。良い兄貴振りだな、と」
 「…………何言ってんだ、テメェ。コイツぁなんだ? 荷物持ちだ。隼団じゃぁ、ただの荷物持ちをファミリーとは呼ばねぇんだよ」

 苛立たし気なゴッチの言葉に、ラーラが怯む。起き抜けだが、ゴッチが自分に対して、余り好意的でない話をしているのは解った

 「でもさぁ、結構……熱の入った手程きをさぁ……」
 「勘違いしてるようだから言ってやるぜ、レッドよぅ。俺が良い子ちゃんで居てやれるのは、テメェの脳味噌の中でだけなんだぜ」

 胸がチクリとした。当然だが、罪悪感を覚えたわけではない

 コガラシの接触があったのだ。暫く沈黙を保っていたテツコが、ここに来て口を挟んだ

 『ゴッチ、その物言いは、じゃれ合いを超えているよ』
 「(あぁ? テツコ、今まで俺が、じゃれ合ってるように見えたってのか?)」
 『君の……、その横暴で強情な所は、君に限って言うなら、プラスに作用している部分もある。でも、彼らに対して傲慢に振舞っても、良いことはない』
 「(おい……、テツコ、何を……)」
 『私は、君のそういう振る舞いは、好かない。ゴッチ…………』

 ゴッチはガリガリと頭を掻いた
 不満そうに鼻を鳴らすと、どっかり座り込んで白いフードをかぶり直す

 そして、ボソリと言った

 「チ、……言い過ぎた。悪かったよ」

 レッドは唖然とする

 「へぇー…………へぇぇぇー…………、ふぅん、ほぉ」
 「…………」
 「ほっほぉー…………べっつにぃぃぃー?」
 「ラァァーラッ! その馬鹿を這い蹲らせろ! 俺の足元にだ!」


――


――


 「そのレッドと言う……、青年、興味があるな。クリムゾンジャケットのレッドか」
 「テツコや他のスタッフも興味津々だったな。一応、こちらからの接触は控えるように言っては居るが」
 「ソルジャーにもか?」
 「…………いや、特に何も制限してない。今の所は、上手く関係出来てるみたいだったからな」

 人っ子一人いない寂れた公園のベンチに、ファルコンとマクシミリアンは座っていた。このベンチは、何時もならガムがへばり付いたり、泥と埃で汚れていたりするのだが、今は綺麗に磨きあげられている
 二人から見えない位置に居るマクシミリアンの部下が、細かく気を使ったらしい。ご苦労なことだ、と困ったように零したのは、ファルコンではなく、マクシミリアンの方だ

 「面白い。理屈ではないのだな。……こちらとあちらの繋がりが、感じ取れるのか。彼に協力してもらえば、もっと大量のワープポイントを把握出来るかも知れん」
 「……面白くない事態じゃぁねぇのか? ワープポイントが今の所全部で三つ、安定した実用に耐えうる物がたった一つだからこそ、アンタの掌の上で事が収まっているんだろう。この上規模が拡大したら、他所から茶々が入るかも知れん。それに、ロベルトマリン国外のポイントが発見された時は、どうする?」
 「ジェファソンの技術は我が国が独占している。その管理も処女を扱うかの如く丁寧だ。アドバンテージは崩さん」

 ここでファルコンは、少し前にTV端末で放送された番組の事を思い出した
 白いスーツの威勢の良い男が、ロベルトマリンの政治家を相手に、威勢良く弁を振るっていた。この軍部の妖怪が言う通りに、異世界の事柄に関するロベルトマリンのアドバンテージは大きい。大き過ぎる。攻撃したい輩は、掃いて捨てるほど居るだろう

 「色白坊ちゃんとかが、えらい剣幕で騒ぎ立ててるようだが?」
 「……チューズ君の事か? 大声で聞こえの良い事を言っていれば、確かに“効く”。が、まぁ、アレは長くは続かん」
 「ん? ……名前までは知らんが、それはどういう事だ?」

 マクシミリアンは、腕時計型の情報端末で資料を流し読みしている。余裕の笑みは崩れない

 「非常に残念だが、彼が絶対に公には見られたくないであろう物を発見してしまった。重ねて言うが、非常に残念だ。中々切れ者と思っていたし、彼のスーツの着こなしは、私は嫌いでは無かった」
 「…………あぁ、そうかよ」

 ここ最近、辟易とした表情を、ファルコンは隠さなくなった。マクシミリアンの謀に付き合わされていると常に思う。行動の速さが、異常だ
 速いと言う事は強いと言う事と、ファルコンは常々言っている。正にその通りであった。その上で、拙速と言う訳でもない。中々仕事に芸がある

 「しかし、ソルジャーが行方不明と聞いた時は何を企んでいるのかと思ったが、結果が出ているようで何よりだ

 ファルコンは沈黙を返す。何食わぬ顔で懐から葉巻を取り出した

 「抜け目ない男だ。まだ私を警戒しているのか?」
 「そうだな、俺の仕事を、もう少し手伝ってくれたら、多少は殊勝になってもいい。おっと、ジェットを送りつけてくるとかは駄目だ」

 ファルコンは、使い捨てにされるのは御免である。この男、マクシミリアンにとって有用であるか、興味を引く対象であるか、弱みを握るか。それらの内一つでも成し遂げ、維持し続けるのは、これは中々難しい
 無難なのは、弱みを握るとまでは行かなくとも、共犯者と言う立場だ。例えばファルコンが警察組織に捕まった時、マクシミリアンに実害が及ぶような関係であれば、そんな関係であれば

 つまり、ファルコンは与えられた仕事を独力でこなしてはいけなかった。マクシミリアンに関与して貰わなければいけなかった。もっと明確な形で共犯者になって貰わなければ

 そういった腹は、マクシミリアンとて承知していた

 「良いだろう。検討して、数日中に更に具体的な支援を行う」
 「助かる。で、話は戻るが、その魔術師レッドだ。どういった対応を取れば良い?」
 「…………幸いにも、レッドはソルジャーに対して非常に友好的なのだろう。そのまま関係を深めてくれ。」
 「ふ……ん……、了解した。では、失礼する。これからアーハスさんとランチでね。戦艦内での面白い話を聞かせてくれるんだとよ」

 よちよちと、素っ気なく歩いていくファルコンは、公園の出口に差し掛かって、ニヤリと笑った

 「(まさかゴッチの奴が、本当に行方不明になっただけだと知ったら、あの妖怪野郎どんな面をするかな)」

 ファルコンがマクシミリアンを恐れるように、マクシミリアンもファルコンを侮ってはいなかった
 だから思い込んだのである。まさかファルコンの養子ともあろう男が、間抜け面晒して迷子になどなる筈が無いと

 「…………」

 嫌味を言われるぐらいどうってこない、と泰然としていたファルコンだが、その態度もマクシミリアンの勘違いを煽る結果になった

 「(あぁ……言ってみてぇ~、言ってみてぇぞ……!)」

 無論言わない


――


――


 『ゴッチ、私が見ていない間、どんな事があった?』
 「(……何だ? 報告は、もう纏めてある筈だろ)」
 『君から直接聞いておきたいんだ。……信頼関係を築くには、矢張り私と君に直接的な繋がりが必要だ』
 「(言ったろ、テツコ、信頼してる)」
 『そもそも、その信頼は何から生まれたものだ? ファルコンが言ったから、私と関係する。そんな御座成りな物では』
 「(酔ってんのか……?)」
 『そうかも……知れない。ブラックバレー氏から、所員を労う土産が届いた。高級なワインも』

 星天を見上げながら、ゴッチは難しい顔をした。テツコは酔っているのか、それとも口だけなのか、今一解らない調子であった

 「(……何か、かけてくれ。騒がしくねぇのが良い)」

 程なくして、コガラシを通じ、音楽が聞こえてくる
 クラシックだった。テツコの純粋な趣味か、或いはクラシックなどまともに聞いたことも無いゴッチへの嫌がらせか、どちらにせよこの選曲には、苦笑する他無い

 「(……ロマンチックだな。水の中を漂ってるようなムードだ)」
 『解るかい? カーエル・ピガーの「星天」さ。カーエルは神話に登場する、星空を漂う母をイメージしてこれを作曲した。雄大で、不滅の、美しい情景の中を、安堵と共にたゆたう。そう、ゴッチの言うような、水の中も、その心に通じる物がある』

 くっくっく、と、ゴッチは小さく笑い声を漏らした。テツコが妙に嬉しそうに語り始めたからだ
 鋼鉄の女であるテツコが、今は酷く可愛い

 ゴッチにとって水の中とは、決して愉快な物ではない。ピクシーアメーバなのだ。水中を好む訳が無い

 ゴッチは、悪意などは無いが、否定的な軽口を叩いたつもりだった。それに気付かない程今のテツコははしゃいでいて、ひたむきだった


――


 「…………何を笑っておいでか」

 ラーラが身動ぎする。昼間寝こけていたこの半人前魔術師は、夜になっても寝付けずに居た
 身体を起こしたラーラは、米神を揉んでしばし瞑目すると、遠慮がちに問いかける

 『本当に似ているな、彼女は。……顔立ちではなくて、雰囲気が』
 「故郷の友人の事を思い出してた」
 「ボスのご友人ですか」
 「そうさ」

 話し声にゼドガンがのそりと顔を起こしたが、直ぐに寝直した

 「中々気合の入った女でな。鋼鉄みてぇに堅苦しいかと思ったら、意外に融通が効くんだ。それに何時も取り澄ましてるかと思いきや、可愛いところもある。面白みのある女だよ」
 『ゴッチ……誰のことだ……、その、余り変な事を言うのは……』
 「ボスの奥方ですか?」
 「友人っつったろ。……相棒って所だな、言うなれば」
 『う…………』

 テツコは黙り込んでしまった。らしくも無く照れているのか

 「ボスの命が輝いているのを感じる」
 「はぁ?」
 「レッドや、ミランダローラー殿。ティト様に、ボスの仰られるご友人。ボスの中に居る様々な人々が、ボスを満たしている。命の火が輝いている」
 「あぁ?」

 唐突に、御洒落なポエムに興じ始めたラーラに、ゴッチは眉を顰める

 「(おい、テツコ、どういう意味だ?)」
 『い、いや、私に聞かれても』

 ラーラは手を頭上に掲げる。ぬらぬらと蛇のように、炎がそれを這い回る
 火の扱いは、格段に上達してきている。ゴッチがラーラの魔術に付け加えたものは、何一つとしてない。力を恐れる事の無意味さと愚かさだけを教えた
 それだけで十分だったのだ

 「遠い地から参られたのでしたか、ボスは。アナリアでは、命は火です。様々な信仰、伝承、趣を変えれば童話、それらで、命とは燃え盛る火として扱われています。死した人の魂は、炎となって太陽に辿り着く、等と言う話もあります」
 「炎の魔術師だから?」
 「……目覚めてから、それが感じられるようになりました。ボスの火も、漸く全容が掴めた。それは、極めて独特です」
 「ふん……」

 炎を消し去って、ラーラはゴッチを見据えた。出会い頭にあった、畏れのような物は、消えていた
 魔術師となったラーラにとって、人は自分とは別の生き物だ。しかし、同じ魔術師(であると思っている)であるゴッチも、ラーラにとっては未知の生き物だった

 理解する、とは、恐を打ち消すことだ

 「私に限らず、レッドに限らず、様々な人物との関係を、拒む訳ではないが、一顧だにしない。心根には清々しい程己のことしか無く、余人の不確かな部分に頼らない」
 「…………不確かな部分?」
 「ボスは、甘えない。「あやつならば」「こやつならば」、そんな、常人が頼みにしたくなる言外の何かに、ボスは期待しない。それどころか、生きる為に必要な力の全てが、己自身の内から発せられている」
 「おい、何の問答だ。お前のお詩のお稽古に付き合う気はねーぞ」

 ラーラは炎を消し去った。真っ直ぐな瞳
 白い両手がするすると動き、円を作る。ラーラはその円を覗き込むように、ゴッチを見ている


 円。完結した物。その外からそれを眺める、逸脱した者。ラーラは、魔術師である


 「私は人でなくなった。人の道理には、もう縛られない。確たる善悪は無く、己の行いの全てを、己の生死一つで負う。世界が私の器量の中に収まらず、溢れ出したときは、最早死ぬのみ。子どもがそのまま大きくなったかのようなボスを見ていたら、私の中の恐れが消えた。やりたい事を、可能な限り望ましい形で、成し遂げること。それが正しい。もう、迷いはない」

 ゴン。ゴッチが、ラーラの頭に鋭く鉄拳を撃ち込んだ。誰が子供か

 ぐりん、とラーラの顔が下を向く。そのまま首を持ち上げようとせず、ラーラは俯いたまま言う

 「ボスの火は柔軟に見えて、頑固。周囲に寄りかかっているように見えて、その実、奥底では他の何者をも必要としていない。たった一人きりで完結している。他はすべて添え物」
 「俺が寂しいヤツみてーじゃねーか」

 もう一発、ゴン

 「私も、ボスのようにならねばならない。……いや、否が応でも、何れはなるのか……。ただ一人きりで完結した命。ただ一人のラーラ」

 ゴッチが少しの間、息を留めた。ラーラの言葉には聞き覚えがあった

 ダージリンが、同じようなことを言っていた。魔術師には、物好きが多いらしい
 自分のようなのが何人も居たら、いつの日も四六時中大騒ぎだ。きっと碌な事にはなるまい

 魔術師という異種族の趣味は、自分には理解し難い。ゴッチは頭をふった

 「……でも、昼間、ボスが私を突き離すような目で見た時、少し、動揺したのです」

 握りこぶしを準備していたゴッチは、それを振り下ろす場所が見つからず、少し戸惑う
 テツコが、面白そうに言う

 『フォローをしてあげても良いんじゃないか?』

 ゴッチの手がラーラの頭を乱暴に撫でる

 「(ロマンティックな奴だ。実は酔ってましたってオチなら、楽なんだがよ)」
 『怒るぞ、ゴッチ』


――


 ペデンス南西には岩場があった。荒野と言って良いような平原の中に、何故か一箇所、大岩がゴロゴロしていた
 荒れ果てた地で、周囲には人の痕跡は何もない。時たま行商人の一団が、近くを通るのみである

 何も無いところだが、しかし、ゴッチには吉報があった。
 どうやら、僅かばかりではあるが、補給があるらしい。当然、ゴッチへの補給だ。この岩場は既にテツコの調査が済んでおり、目的地の大まかな位置から考えて、補給地として適当と判断されたようだ

 本来は、ここに寄る予定は無かった。それを無理に進路変更させたのだ。訝しげな様子の一同を尻目に、ゴッチは縦に長い岩の根元の土を蹴り払う

 空気が乾燥していた。何にも遮られず降り注ぐ日差しと、肉体の内を通り抜けて行くような乾いた風が、ゴッチには心地良かった

 「こいつか」

 土中に、古ぼけた木箱を発見する

 「どうやって運んだんだ?」
 『予備のコガラシで運んだ。コガラシは、二型から動力系やその他諸々を強化して、積載量を上げてある。50キロぐらいまでなら、運搬が可能だ』
 「へぇ? 俺を抱えて飛ぶにゃ、足りんか」
 『あぁ、それは無理だな。100キロとなると、コガラシを基礎設計から見直さなければ。それに、作れたとしてもほぼ別物になる』

 淡々と答えるテツコを他所に、ゴッチは木箱を掘り起こし、蓋を開いた

 「ん、お」

 まずめに飛び込んできたのが、華美な黄金の刺繍である。黒い布地に、翼を広げた鳥のエンブレム

 隼のエンブレム。滑空の姿勢で獲物を狙うような、或いは、頭を下げて頭上を睨みつけるような、戦う隼。ファイティングファルコン。極めて細かい所まで縫込まれ、雄々しさが表現されている

 乱暴に掴んで、持ち上げた。黒い布地はかなりの重量があり、重力に従って広がったそれは、匂い立つような色気のあるダークスーツだった

 「す、スーツに金のエンブレム」
 『ファルコンが、細かく注文を付けたデザインらしい。これは、私も開発に関わっている。ただのスーツではないよ』
 「こりゃ、下手物じゃねーか。どこで着ろってんだよ」
 『そちらの世界では、寧ろこういう物の方が適切なのじゃないか?』
 「……そうかなぁ。いや、そうかも知れんが……」

 背中に金のエンブレムが施されたダークスーツ。流石に、派手すぎる。何時でも何処でも黄金の隼を背負っているとは、またなんというべきか

 くるりと表がえすと、こちらはまだ普通であった。ボタンホールやポケットの縁に、これまた金の刺繍がしてあるだけで、背に比べれば大人しいものだった

 「クソ、まだある」

 新しいスーツに、ちょっと引き気味のゴッチは、木箱にまだまだ何か入っているのを見つけて、舌打ちした

 「スラックス……は良いとして」

 スラックスは、特筆すべきことはない。こちらも何か細工があるのか、かなりの重量があるだけで、黒一色の極一般的な代物だ

 「ワインレッドの……ドレスシャツ……」

 こちらは素直に良い仕立てだとゴッチは思った。ファルコンらしい趣味の良さだと、手放しで褒められる

 だが、キンキラキンのダークスーツだけが
 これだけが俺の感性と、決定的にズレていると、ゴッチは思った

 「…………保留だ」
 『ん?』
 「保留だ。どんな素敵な仕掛けがあるのかしらねーが、暫くは着ねぇ」
 『え? しかし』
 「着ねぇっつったら着ねぇ」

 不満げな気配が伝わってくる。何か言いたそうなテツコを無視して、ゴッチはスーツ一式を木箱にしまい直した

 岩影に生えていた背の高い植物を力任せに引き抜く。荒野に生えているだけあって、逞しい。それで木箱を一巻きし、硬く結んでからひょい、ひょい、と弄ぶ

 荷馬車に戻って、ラーラに投渡した。ゴッチの荷物持ちは、ラーラの仕事である

 「兄弟、それは?」

 興味深そうに木箱を見る一同を代表して、レッドが聞いた

 「“あちら”のモンだ。俺の私物だよ」
 「あちら……、どちらだ?」
 「レッド様の故郷の品って事? 興味あるなぁ」

 ティトが、目をとろんとさせながら、ラーラのもつ木箱の草を取り払おうとする

 「勝手に開けてみろ、治りかけの肩を優しく揉んでやるぜ」
 「げぇっ」

 ティトが、ぎょっとして飛び退いた


 目的地は近い。もう、二日と掛からない距離だろう。ゴッチは鼻を鳴らして、荷台に寝そべった


――

 後書

 むしゃぶりつきたくなる様な、可愛い女の子を表現するのはスゲー難しいと思う。
 だから俺は常に
 可愛い女の子超書きたい、書けるようになりたいな、と思う心
 もう駄目だ俺のSSに女の子なんて要らねぇんだ、と思う心
 この二つの心と戦っているのだ。

 なーんちゃって



[3174] かみなりパンチ23 炎の子3 +ゴッチのクラスチェンジ
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2010/02/26 17:28
 「嫌な予感がする」
 「そりゃ、この状況で何とも思わなきゃ、ソイツは大間抜けだ」

 激しい戦闘の痕跡があった。数え切れない程の死体が折り重なり、血河を生んでいる
 死体は、皆アナリア国軍の兵士達だった。視界に入るだけでもざっと五十以上は死んでいるのに、それと戦ったであろう者達の屍は無い。アナリア国軍兵士の死体しか無いのだ

 異様ですらあった。何と戦ったのか? 軍隊が戦う相手とは、軍隊ではないのか? この屍達は、何と戦って死んだのか

 「凄い切り口。…………おぶぇー」
 「うわ、ティト、待つだぜ、待つだぜ、そこで吐いちゃダメー!」
 「レッド様……、大丈夫です……。はぁー……、やだなぁ、すごい沢山居る……」

 ギャアギャア騒ぐレッドとティトとは対照的に、ゼドガンは馬車の御者台の上から、興味深そうに死体の一つ一つを眺めている

 「荒々しいな。……傷痕はどれも違う。相手側の死体が無いのが不自然だが、軍と軍の戦いだろう。だが、何だこの荒々しさは。彼らを殺した兵士達の全てが、激しい怒りを抱きながら武器を振るったかのように感じられる」
 「…………違いが解らん。が、まぁ、ゼドガンが言うなら、きっと只事じゃねぇんだろう。……オイ、ラーラ、死体だらけだぜ! 何か感じたりしねぇのか、命の火って奴をよぉ?!」

 ラーラは呆然と、遠くを見つめている

 「感じています。激しく燃える炎の塊。それぞれは一個の獣であるのに、寄り集まり、まるで一匹の巨獣のようにすら感じられる」
 「……死体は無いが、折れた旗があるぞ。俺は余り詳しく無いのだが、この旗は見た事がある」

 ゼドガンは荷馬車を止めて、下に降りる。右腕の無い死体の脇腹を足で持ち上げ、そのまま蹴り転がすと、その下にあった半ばから折れた旗を手にとった

 盾のような形をした枠内に、風に髪を靡かせる女が描かれている。続いたゼドガンの言葉に、ゴッチは顔を歪めた

 「カロンハザン将旗。成程、カロンハザン、彼の怒りが、彼の麾下の将兵達を呑んでいるんだな。信じがたい統率振りだ」

 奴か

 ぐは、とゴッチは笑う


――


 「炎の巨獣から別れた、小さな火が」


 接触は直ぐだった。当然、ペデンスに近づく以上、戦闘に巻き込まれる覚悟はしていた。何時、どこで、どれほど戦場が拡大しようとも、驚きはしないつもりであった
 ゴッチは、そういう物なんだろうと納得していた。だから、目の前に騎馬のみの一団が現れた時も、大きな欠伸をしただけだった

 「何者か! 戦場に、そのような荷馬車で、何者か、何者か?!」

 誰何の声が掛かる。こういう時はティトの出番である

 「ロベリンド護国衆が長、ティト・ロイド・ロベリンドと申します! 急ぎの要事に、我らが根拠を目指しております! 怪しい者ではございませぬ!」
 「身の証となる物は?!」

 大声で言い合う間に、騎馬隊は荷馬車をぐるりと取り囲んだ。フードをしっかりと被ったレッドが、肩を竦めている

 ゼドガンが威勢良く立ち上がり、威圧的に周囲を睥睨した。気が立っている兵士と言うのは、思った以上に抑えの効かない物だ。抑止力となる物が無ければいけない

 「お疑いなさりまするな」

 ティトが槍に巻いた青い布を取り払い、次いで懐から何かの紋章が描かれた銀の円盤を取り出した
 騎馬隊の中から一騎、先程誰何の声を掛けてきた物が進み出てくる。褐色の肌の女だ。指揮官のようであった

 「残念ながら、私はその槍も紋章も知らぬ! が、確かに名物ではあるようだ! ロベリンドに向かうとして、何故戦場を避けぬ!」
 「急ぎの要事と申しました! 事の重さを思えば、戦場を抜けるのも致し方なきことですゆえ!」
 「どのような事か!」
 「ロベリンドの秘奥に御座います! ご容赦願う!」
 「疑わしい!」

 警戒している。戦場であるからして、その度合はこれまでと比べようも無い

 顎に手を当てて黙考し始めた指揮官に、ティトは怒鳴りつけた

 「それを言う貴方はどのようなお方か!」
 「私は、エルンスト第一軍団、カロンハザン麾下、ニルノアである!」

 ゼドガンの目が細くなった

 「聞いた事があるな。冒険者出身の騎士だ」
 「ふん、カロンハザン麾下だってよぉ。確かに、奴みてぇな不貞不貞しい面をしていやがるぜ」

 ゴッチがフードを被ったまま、ゼドガンと肩を並べる。同じように周囲を睨みつける

 ニルノアの頑なな態度は、崩れなかった

 「その槍と紋章、供回りの持つ武器もだ。それらを我々に預け、同行されよ!」
 「そうして、何処に連れて行かれるのか! 本陣ですか?!」
 「君等が草の者の類である可能性を思えば、本陣には連れて行かぬ! 君等の事は、我らが将カロンハザン様に見極めて頂く!」

 ゴッチが後ろを振り向く。ティトと視線が合う
 ティトは、険しい表情だったが、小さく頷いた

 「穏便に事を済ますなら、従った方が良いかな。そんなに的はずれなこと言ってる訳じゃないよ、あの人」

 眉間に皺が寄る。鼻がひくひくする。ゴッチは、怒りの表情だ。何故、従わなければならない
 元より、こういう事があって、どうしようもなければ、強行突破のつもりだった。少なくともゴッチは
 しかし、ゴッチが怒るよりも先に、沈黙を守っていたラーラが撃発した。レッドが待ったを掛ける暇も無かった

 「付け上がるな!」
 「何?!」
 「お、ちょ、ら、ラーラ!」

 ラーラが立ち上がり、フードを脱ぐ。黒い布の中から現れた純白のラーラを見て、騎馬隊は何故か動揺した。ニルノアも、顔には出ないが、雰囲気が揺れた

 「その驕った物言いは何か! ニルノアが何処の何者かなど知らぬ! が、ニルノアなる蛮人が極めて歪んだ者であると言うのは解るぞ!」
 「…………君等が真にロベリンド護国衆の長とその供回りだと解ったときは、然るべき礼を払ってやろう! 今、君如きがそれを言える立場ではない!」
 「“払ってやろう”と言うそのひねくれた言葉こそ、ニルノアなる蛮人の歪んだ性根と、私達を取り囲むこの状況が重なりあった事の証だ!」

 ラーラの剣幕は、レッドやティトには止められない。そしてゴッチやゼドガンには止めるつもりがない
 ゴッチは言うまでもなく、ゼドガンも荒事を歓迎する性質だ

 「相手によって態度を異にし、相手が弱者であったり、状況が許せば、言い様も無く横暴で、ぞんざいで、好き勝手をする! ニルノアなる蛮人のような愚物がこの大陸に溢れかえったが為に、争いが起こった! 世を正すと嘯くエルンスト軍団も、ニルノアなる蛮人のような輩を使っているのでは、まるで期待出来ないな! 当然、ニルノアなる蛮人の将、カロンハザンもだ!」

 そこまでではない。皆がそう思った。こうまで言うほど、このニルノアと言う女を知っている訳ではない筈だ。誰もがだ
 ラーラが胸の内に孕む兵士への憎悪が、こうまで言わせる。清々しいほどの八つ当たりなのだとゴッチには解った

 ニルノアが声を低くした。完全に怒っている

 「我々の行いは、戦場の習いと軍法に従う物である。戦場を知らぬ、ただの小娘が、何処で習ったか知らないが、小賢しい小知恵で、数え切れぬ程の死から培われた習いと軍法を罵倒し、挙句エルンスト様と、何にも代え難い我らが将、カロンハザン様を侮辱した。許せん」
 「ニルノアなる蛮人は、蛮人であるが、一応悪口は通じるようだ! ついでに教えよう! 私は今、お前達の行いを侮辱したわけではなく、ニルノアなる蛮人の歪んだ性根を侮辱したのだが、敢えて! 敢えて言うならば! 私達に取り、お前達の習いや軍法も、ニルノアなる蛮人の性根同様、至極下らない物だ!」
 「まだ言うかッ!!」

 ニルノアが、槍を手にとる。それに従って、周囲の騎兵達も槍を持った。怒り心頭の様子なのは、言うまでもない

 「口で敗れたならば、口でやり返そうとは思わないのか?」

 ラーラは微塵も怯えず、顎を突き出し、見下しながら言った
 凄まじい形相で、ニルノアは言い返す

 「悪口で勝ったつもりになれるさもしい心が哀れだな! 口だけが威勢良く動き回るのでは、戦士ではない。言うだけならば、誰にでも出来るからだ。それこそ、小賢しい小娘でも」
 「ニルノアなる蛮人の軍法には、『気に入らない奴は殺しても良い』とあるようだ! 恐れ入る!」
 「そうである! こうまで侮辱されて黙って居れば、寧ろ私が軍法により刃を呑まねばならない!」

 ニルノアは槍を掲げる。ティトは蒼褪め、今にも悲鳴を上げて倒れそうだった

 ここでもし荒事になれば、ロベリンド御国衆とエルンスト軍団の関係は激しく悪化する。というか、もう既に悪化している。ロベリンド護国衆は、中立であらねばならない。それが、何という様か
 仮にも長たる者が、ロベリンドの英霊達、戦士達の、魂と誇り全てを預かる者が
 私のせいで、私が、私としたことが、ぶつぶつ呟きながら、ティトの顔色はどんどん悪くなっていく

 遠くから大声が掛かった。なだらかな丘の上から、騎馬が一騎駆けてくる

 「何をしているのか!」

 薄い胸板を逸らしながら堂々と駆け下ってくるのは、ベルカであった。鋼鉄の胸板は健在だ

 ゴッチはベルカの名前を覚えていなかったが、顔は何となく覚えていた。ベルカが現れて、嬉しいような、悲しいような、複雑な気分である

 何故か。ベルカが来たならば、面倒事は減るだろう。だが同時に、ニルノアとか言う奴をボコボコにする機会も減るだろう。悩ましかった

 ゴッチは、フードを脱いだ。レッドも安堵の息を漏らしながら、ゴッチに習った

 「な、な、何ぃ?! 貴方はーッ!」
 「ベルカか! 今回ばかりは、邪魔してくれるなよ!」
 「止めろォォー! ニルノア、命を捨てるなぁぁぁーッ!」
 「腰抜け騎士め! 口ばかり回ると言うのは、自分の事か?! 殺すと決めたら何故直ぐ殺さない!」
 「ぬおー?! ラーラったらもうお茶目な言動はそれくらいにしといて欲しいんだぜぇぇぇー?!」

 ティトが発狂して、神槍ロベリンドでラーラを殴り倒す

 「あああああ、貴様ら、やっかましいってのォォーーッッ!!!」


――


 「ふん、あの蛮人が、もっと殊勝な態度で同行を願えばよかったのだ。まるで己こそが地上の正義とでも言うような態度に、何故私が従わねばならない。きっとボスも同じことを言う」
 「ううぅ、何とか言ってくれだぜ、兄弟」
 「あぁ? ……良いじゃねぇか、別に、やっちまっても」
 「ボス、矢張り、ボス。そうでなくては」

 ゴッチ一行の前を進む二ルノアが、ベルカに羽交い絞めにされながらもがいていた。ベルカが手を離せば、一直線にラーラに襲いかかるだろう

 ティトは、我を忘れて怪我のことも気にせず槍を振り回したため、激しい痛みに呻きながら寝転がっている。レッドのお手軽便利魔術で回復力を増進しているらしいが、あれやこれやでまだ収まっていない

 胸元がチクリとした。テツコにどう説明しようかと考えながら、ゴッチは荷台の縁に両脇を掛ける

 「(テツコか、どうした?)」
 『ゴッチ』
 「(ファルコン? 丁度声が聞きたいと思ってたぜ!)」
 『ゴッチ、リラックスできん。解るな?』
 「(……OK。ボス、何のようだ?)」

 急に塞ぎこむように身を伏せたゴッチに、ラーラが声を掛けたが、ゴッチは掌を突き出してそれを拒絶した

 「……ボス?」
 「邪魔すんな。大人しくしてろ」

 ファルコンの低い声が響き始める

 『状況は?』
 「(エルンスト軍団ってのに絡まれちまった。今交番にしょっ引かれてる途中だ)」
 『……穏便に行けそうか?』
 「(……恐らくは。カザンとか言う奴と少し話をすりゃ、直ぐにラグランへ向けて再出発できると思うが。……何、ボス、心配は要らねぇ。ゴネるようなら、纏めてひねり潰す。これ以上仕事を遅らせたりはしねぇさ)」
 『……なんだって?』

 ファルコンの雰囲気が変わった。オイ、と威圧的な声が掛けられ、ゴッチはひゅ、と息を飲み込む
 怒りだ。ファルコンから唐突に放たれた激しい感情に、ゴッチは戦く
 ゴッチは、ファルコンから最も賞賛され、同時に最も叱咤されるソルジャーだ。ファルコンの放つ怒りの気配には敏感である

 何故怒るのか? ゴッチらしく無く、動揺してしまった。ゴッチの動揺はファルコンにも伝わっているのに、ファルコンはそんな事、意にも介さない

 『纏めて捻り潰す? ゴッチお前、調子にのるんじゃねぇぞ』
 「(ボス、待ってくれよ)」
 『お前一人が、どんだけ強いんだ? たった一人が? あぁ? 一切合切纏めて捻り潰せるくらい強いのか?』
 「(勘弁してくれ、マジの話だ。こっちの奴らじゃ、千人居たって俺を殺れやしねぇ)」
 『だったら力尽くってか? 馬鹿野郎。行き当たりばったりじゃねぇか、頭使え。自分が万能だなんて、勘違いしてんじゃねぇだろうな』
 「(……そこまで言うかよ)」

 ファルコンでなければ
 ファルコンでなければ、こうまで言わせない。絶対にだ

 しかし、ファルコンは間違わない。少なくとも、ゴッチの知る限り、重要な判断を誤ったことはない

 ファルコンなら間違えない。ファルコンが言うのであれば、間違っているのはゴッチなのだ。服従の掟以前の問題だ

 『お前、この期に及んでまだ俺が手綱取らなきゃいけねぇのか? お前は一体何なのか、言ってみろ!』
 「(……ソルジャーだ。……隼団の)」
 『死ぬまでソルジャーのつもりか? チンピラのまま死ぬなら俺だってこんな事言うか! お前は、俺の息子だろうが! 俺は教えたはずだ、どんな態度で居ようと、腹の中では油断なく身構えていろと!』
 「(あぁ、覚えてる。忘れちゃいねぇ)」
 『黙れ。俺が返事しろと言った時以外は口を閉じてろ』
 「(YES、ボス)」

 一つ、ファルコンが大きく息を吸う

 『テツコを軽んじているようだな』
 「(……)」
 『どうだ?』
 「(いや、……そんなつもりはない)」
 『会話のログは俺も把握してる。テツコを、軽んじて、いるな?』
 「(……)」
 『テツコはファミリーじゃねぇ。が、ビジネスパートナーとして敬意を払え。良いか、敬意だ。隼団に対してそれを失った馬鹿どもを、俺は何人も始末してきた。解ってるな』
 「(YES、ボス)」
 『そして、侮るな。全ての物をだ。調子付いた馬鹿に、隼団のバッジは相応しくない』
 「(YES、ボス)」
 『部下を持て。人を使うことを覚えろ。お前はお前が思う以上に何も出来ないガキだ。良いな、たった今からお前はカポだ』

 ゴッチはびくりと身を震わせた
 ソルジャーを従える、幹部職だ。思いもしない言葉である

 レッドが、探るように、しかし興味ない風を装って、ゴッチを見ている

 「(YES、ボス。だが、聞いても良いか)」
 『良いぞ』
 「(俺は今ラグランに向かっているし、ルークとやらの方もメイア3の有力な情報を掴んでるんだろう? もう、こっちでの仕事は終わり間近だ。そんな中で連れて帰れるわけでもない部下を作って、何になる?)」
 『……難しく考えるな。有能な使い走りに、ソルジャーの職を与えて、給料を出して、面倒見てやるだけだ。ただし、厳選しろ』
 「(教育ってのが行き届いてない世界だぜ。掟は別として、使い物になるのがそもそもどれぐらい居るか)」
 『オイ、ゴッチ、お前の愚痴に付き合うのは、俺の仕事か? 俺は今、機嫌がよくないんだぜ』
 「(……すまねぇ、ボス)」

 ふ、とまた、ファルコンの気配が変わる。押し潰すような威圧感が、ゆっくりと消えていった

 『ゴッチ、俺の言いたい事は、全部伝わったな? 俺はお前の能力と、俺への尊敬、隼団への忠誠を信じて良い。そうだな?』
 「(あ……あぁ、全力でやる。ボスの言ったことは心得ておく。絶対だ)」
 『……それでいい。俺も、テツコも、外せない用事でここを空ける。が、忘れるなよゴッチ、隼団のカポとして、尊敬を集める名誉ある悪党になれ。……ふ、お前は、俺の宝だ。スーツは気に入らなかったか?』

 ファルコンのその言葉を最後に、コガラシは消費低減モードへと移行する。コガラシの僅かな駆動熱すら失われ、存在感が消えていく
 通信接続が解かれても、暫くゴッチは緊張していた
 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。周囲が訝しげな表情をする中で、レッドが悠々問い掛けた

 「兄弟、なんだって?」
 「…………あぁ」
 「誰からだぜ? てっこちゃん?」
 「違う。……ファルコンだ」

 レッドはうへ、と嫌そうな顔になる

 「…………カポになった。俺が、カポに……」

 一拍おいて、レッドがおめでとう、と言った。他になんと言ったらいいのか解らないようであった


――


 ファルコンは、葉巻をガッチリと銜えながら言う

 「最近弛んでたからな。引き締めておかんと」



――


 「ラーラ、やっぱりスーツ着る」
 「……? 突然どうしたのですか」
 「うるせぇ、とっとと、…………いや。そのスーツは俺の養父からの贈り物だ。一流の仕立てだ。養父の面を立てるのも、俺の格ってもんだろう」

 ラーラは、眉を寄せる。不機嫌のような、ご機嫌のような、ゴッチの雰囲気は、極めて複雑だ

 だが、ゴッチの面持ちが大きく変わろうとしているのが、ラーラには解った。ゴッチとは頑固な男で、一念発起して一朝一夕に変わるような人物ではない

 その男が、ハッキリと解る変化を示そうとしている。ラーラの多くも無い筈の好奇心が、疼いた

 「……何があったのですか? 先程の沈黙の間に」
 「俺の、あー、使い魔には、一瞬にして離れた奴と連絡を取る能力がある。俺は、俺の養父と話していた。ファルコンという名だ」

 ゴッチは、ほぼ機能を停止しているコガラシをラーラに放り投げる

 ほう、これが、とつぶやきつつ、ラーラはコガラシを突っつきまわした

 ゴッチは鼻を鳴らしながら着ていたダークスーツを脱ぎ去った。シャツも、スラックスも、当然下着も、躊躇すること無く脱いで行く

 ギョッとしたのは周囲の者達だ。ティトなんかは、ぎゃあぎゃあ言いながら薄目を開けて、ゴッチの裸身を凝視している。何時も涼しい顔のゼドガンすら、苦笑していた

 平然としていたのが、ラーラだ

 「便利な能力ですな。して、それが?」
 「……それだけだ。一々話して聞かせなきゃならねぇか?」
 「いえ……」
 「兄弟は、新たな地位を与えられたのさ」
 「オイ、レッド」
 「うひょお! ……アレ、怒んないんだぜ?」

 ワインレッドのドレスシャツ、シックに決まるスラックス
 身につけて威儀を整えてゆく度、少しずつファルコンの言葉が、ゴッチの中の何かに馴染んで行く

 「チ、一々締め上げても仕方ねぇしな」
 「へぇ……ふぅん? ほぉぉー……」

 レッドが楽しげに、しきりに頷きながら、ニヤニヤ笑う

 今までならば襲いかかったであろうゴッチが、レッドのからかいを含んだ笑みを、許していた

 「新たな地位? 成程、おめでとう御座います。ですが、無礼を承知で申し上げるのであれば、ボスは突如変貌する性質の人物では無いでしょう。そう気取らずとも、良いのでは?」
 「……」

 殴り倒される事すら覚悟した上での、試すような一言だった。ゴッチに殴られたら、それだけで只事ではない。恐れ知らずのラーラである

 果たしてゴッチは、ラーラを一瞥しただけであった

 「何時までも遊んでんじゃねぇ、って、そう言われたのさ」

 黒い生地に、白糸でThunder bolt pixyの刺繍が施されたワイドタイ。首に結ぶと、まるでずっと以前からそこにあったかのように自然に調和する

 「兄弟、ベストもあるだぜ」
 「マジかよ」

 最初、箱を開けたときには気付かなかった。木箱の底に張り付くように、ブラックベストが畳まれて入っていた

 「良い趣味してるぜ」

 黒いボタンが、艶やかに輝いている。袖を通してみれば、ドレスシャツぺたりと張り付くようで、しかも妙に温かい。ゴッチの電気を生み出す細胞に何らかの作用があるようだった
 ピクシーアメーバだ。肉体の事は大体把握出来る

 残るは、隼の刺繍が施されたスーツだけであった。両手で持って、視線を落とす

 人を使うには、人を見ろと、昔、ファルコンは言っていた。だが、あの良い様は、人だけを見ろと言うのではあるまい

 数多を見なければならない。今までの、己に頼んだ解釈の仕方、答えの出し方、それらから脱却して、ゴッチの持っていない何かを手に入れなければならないのだ

 「(だがなぁ……ラーラの言う通りだぜ。やれと言われりゃやるさ。だが、出来るかどうかはまた別だ)」

 じっと、黄金に煌めく隼を見つめる

 「なぁ、レッド。カザンの野郎はよ、こいつらに囲まれて、こいつらを引っ張ってよ、どんな面してんだろうな」

 レッドが、周囲の騎兵達を見回して、首をかしげた

 「顔色見たって仕方ねぇだぜ。でも、カザンは、凄い奴なんだぜ。……最近は、めっきり変わっちまったって話だけどさぁ。やっぱり、きついんだぜ、ファティメアの事が」
 「……あぁ、あぁ~、よう、奴が、こいつらに囲まれて、お山の大将気取りで居るのによう、俺だけ餓鬼丸出しだと、やっぱり恥ずかしいわな」

 ゴッチは、全て知っているとでも言いたげな、カザンの涼しい顔を思い出した
 少し前、酒場で激しく、みっともなく殴り合いした相手が、ベルカとやらと、ニルノアとやらに連れて行かれる先に、将軍様としてふんぞり返っている

 ゴッチは大きく息を吸い込んだ

 「ケ、丸ごと従ってやろうじゃねぇか、ファルコン。そうすりゃ見えてくんだろう」

 バサ、と大きく風に翻らせながら、ゴッチはスーツを羽織った。黄金の隼がゴッチの背で輝く
 スーツ一式、総重量はかなりの物だ。一体どんな仕掛けがあるのやら、今からテツコの説明を受けるのが楽しみであった

 「…………え、え? 結局何なの」

 まるっと置き去りにされたティトとゼドガンが、顔を見合わせる


――

 後書

 書かなければ話は完成しないと言う事実に気づいてしまった。

 素敵な妖精さんが現れて、俺が寝てる間に俺の脳味噌の中を文章に起してくれれば良いのに……。



[3174] かみなりパンチ24 ミスター・ピクシーアメーバ・コンテスト
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:52

 黒曜石の黒髪、溶岩の瞳、ただ一騎、勇者の軍勢の切先にあって、何よりも輝く
 突けば勝ち、薙げば勝つ。荒馬を駆れば重囲を抜き、鋭く命ずれば堅陣を割く。やはり、ただ、勝つ

 騎士カロンハザンこそ、軍神の寵児、戦神の化身。万敵のひしめく道なきに道を開く

 「と、何処かのへっぽこ吟遊詩人が歌っていた。南方の対蛮族戦や、隣国スルガスとの戦いで絶大な戦功を上げたのは、確かだ」
 「へへへ、ほんの数年前の、スルガスの奇襲攻撃の時は、凄かったんだぜ。バロウズのおっちゃんと、アラドアと、カザン、そして彼らの率いる二千で、スルガスの大軍を一蹴しちまったのさぁ。特にカザンは、万全の支援を受けた騎馬隊で、もう見てるこっちが可哀想になるくらい容赦なく敵を叩きまくって、最強を恣にしたんだぜ」
 「レッド、お前、カザンは兎も角、他の二人とも面識があるような口ぶりだけどよ」
 「あるよー? ありありよー? バロウズのおっちゃんとは、おっちゃんが馬を買い付けてる時にちょこっと。アラドアは、カザンに紹介されたのさぁ。一緒に酒を飲んだこともあったんだぜ」
 「本当に顔の広い野郎だな……」
 「レッド、お前、スルガス迎撃戦に参加していたのか? 初耳だが」
 「聞いて驚くだぜ、何を隠そう、スルガスの奇襲攻撃を察知して、カザンに伝えたのは、俺なんだぜ!」
 「…………あー、あー、解った。お前の冒険譚は、今は、ま、良い。今度酒の肴にでもしてもらおう。…………そろそろ、カザンとご対面だぜ」


 鎧具足を身に付けたまま、休息を取る兵士達の一団が見えた。顔は一様に青く、挙動は機敏であるものの、激しい疲労が伺える

 その中でただ一人休まず、槍を片手に遠方を睨みつける騎士。遠目にもハッキリと解る。騎士カロンハザン
 視線が、こちらを向いた。ベルカを見、ニルノアを見、そしてゴッチを見つける

 号令が放たれる。戦闘態勢、その一言で、休憩していた兵士達は飛び上がり、騎乗して、カザンの背後で隊列を整えた

 ベルカ、ニルノア達を含めて、総勢百五十名程の騎馬隊だ。ラーラが顎を撫でながら、鼻を鳴らす

 「……ここいらは、アナリア王国の勢力圏内。しかも体勢はまだまだ磐石。カロンハザンとやらが居るのは可笑しいと思ったが」
 「久しぶりに、遠目に見ても、相も変わらず腹の立つ面だぜ」
 「ボス? ……騎馬ばかりで百五十。しかも色濃い疲労具合。あの男、ただ一隊で突出して、相当好き勝手に暴れているようです。自分を無敵の勇者か何かと勘違いしているのではありませんか?」
 「ラーラってば手厳しいィー」

 ニルノアが馬首を返して荷馬車に突撃しようとするのを、矢張りベルカが必死に羽交い絞めする
 騒ぎを横目で見ながら、ゴッチは立ち上がった。イーストファルコン・コロナを一本抜き出して、シガーパンチを減り込ませる

 「火ぃ」

 ゆらゆらと強い風に吹かれながらも消えない種火がラーラから差し出される。最早、制御は完璧であった。紫煙を立ち上らせながら、ゴッチは上を向いた

 早朝だが、既に陽の光は強い。少し、熱くなるだろう

 「兄弟、良い物を貸すんだぜ」

 振り向けば、レッドがサングラスを放っていた。澱みなく受け止めたゴッチは、慣れた手つきでそれを装着する

 カロンハザンと、ご対面であった


――


 「無駄に話さない方が良いのだよな? くそう、惜しいな、あのカロンハザンが直ぐそこに居るというのに」


 堂々と、凛々しくこちらを見据えていたカザンは、ゴッチの乗る荷馬車が至近距離まで来た時、何故か、僅かに顔を綻ばせた

 気持ちの悪い思いをしたのはゴッチだ。ゴッチとしては、カザンに微笑み掛けられる覚えなぞこれっぽっちも無い

 「久しい顔が二つ、興味深い顔が二つ、そして……、知己と良く似た、しかし違う顔が一つか」
 「よーカザン! 久しぶり! 元気してた?」
 「レッド、お前の自由な陽気さ、突拍子の無さも、相変わらずのようだ。まさか、ゴッチと一緒に、こんなところに現れるとは」

 カザンは物言いたげな部下の視線を気にもせず、極めて砕けた話し方をした

 二ルノアがまず納得の行かない顔をして、沈黙し、それから漸く言葉を放つ

 「……君等、荷馬車から降りろ! カロンハザン様が、徒歩でおられるのに!」
 「だとよ、カザン。お馬さんにでもお乗り遊ばせばどーよ?」
 「ゴッチ、お前も、久方ぶりだな。………………ベルカ、ニルノア、説明せよ!」

 二ルノアが、不満顔を一瞬で打ち消して下馬し、跪いた

 「ニルノアが申し上げます! ペデンス方向五百の間に敵の気配は全く無し! 尚、斥候より戻る折、彼女らを発見しました! ロベリンド護国衆の長とその供回りを名乗る者達で、怪しく思い連行した次第で御座いますが、カロンハザン様の知己でいらっしゃいますか?」
 「ロベリンド護国衆、今代の長殿と言えば、ティト・ロイド・ロベリンド殿か」

 ニルノアが、ティトから押収していた槍をカザンに渡す
 それを一瞥したカザンは一つ頷くと、丁寧な仕草で頭を下げ、槍を差し出す

 ティトが、荷馬車の上からそれを受け取った

 「荷馬車の上から失礼いたします。私が、ティト・ロイド・ロベリンドに御座います」
 「間違いなく神槍ロベリンドとお見受けする。御無礼を御許し下さい、ロベリンドの長殿」
 「気にしておりません。実を申しますと、私は半ば付き添いのような物です。レッド様やゴッチと旧知の仲でしたら、話も円滑に進むでしょう。どうぞ、私の事はお気になさらず」
 「ニルノアはただ職務に従ったのみ。ご理解いただき、感謝します」

 ラーラが割り込む

 「大した職務であるな。素晴らしくて、涙が出る」
 「ラーラ!」
 「構いません、長殿。……君は?」
 「私は名乗らない。だから貴方も名乗らなくて良い。名も呼ばぬ」
 「文句は聞こう」

 カザンの顔色は、変わらない。全て理解して、仕方の無いことと割り切った顔だ
 ラーラが、ハッキリと解る程、眉を顰めた

 「……今、貴方の開き直ったような面付きを見たら、その気も失せた」
 「ニルノアが、どのような態度で居たのか、手にとるように解る。済まなかった。……しかし驚きなのは、ゴッチ、お前だ」

 今にもラーラに噛み付きそうなニルノアを制しつつ、カザンはゴッチの方を向いた

 矢張り、笑っている。居心地の悪さすら、ゴッチは感じた

 「よく大人しく、ニルノアに従ったな」
 「俺とて、何時も跳ね回っている訳じゃねぇ」
 「ニルノア、良かったな。命を拾ったぞ」

 二ルノアがツンとそっぽ向く。ベルカが嗜める
 段々と、二人の関係が解ってくる。引き下がらない気質のニルノアは、ベルカにとって頭痛の種であるらしい

 「カロンハザン様麾下の騎馬隊は最強です。つまり、我々も最強です。如何に相手が雷の魔術師とは言え、命を賭して戦えば、勝ちます」
 「ニルノア、止めるんだ。カザン将軍の名に泥を塗るような真似をするな」
 「ベルカ、私が何時……」
 「噛み付いて回るのが駄目なんだって」

 二ルノアは、完全に拗ねた。カザンがゴッチから視線を外して、さっきまでしていたように、再び遠くを見遣る

 「……お前、変わったな。ニルノアの物言いを許すとは」
 「俺の代わりに怒ってくれる有り難いのが居るんでね」

 親指で背後を指し示す。レッドが、ラーラの口を塞いでいた。レッドも流石に学習したようで、苦笑しながらもがっちりラーラを離さない

 「退くぞ。ゴッチ、馬を二頭貸そう。ここからは速度が必要だ。馬車を三頭引きにして、俺についてこい。敵を追い掛けて散々駆けずり回ったが、俺の見立てが正しければ、そろそろ完全包囲されている頃合だ」
 「おう、カザン。ニルノアってぇ跳ねっ返りには、「ロベリンドに向かう」っつったんだが……。すまん、そりゃ嘘だ。本当はラグランに向かっている。どうしてもそこに行く必要がある」
 「ラグラン……?!」

 カザンの顔色が、俄に変わった。流石の猛将カロンハザンも、驚きを感じたらしい

 「カザン、お前には貸しが一つあったな」
 「忘れてはいない。…………だが、矢張り俺に付いてきた方が良い。この俺への包囲を上手く抜けたとしても、ここいらのアナリア国軍の備えは完璧だ。ラグランに到達する前に必ず警戒網に引っかかる。そうしたらお前、どうする? 世間では、牙四本角六本だの、雷の魔術師に対する凄まじい流言が飛び交っているが、流石にそんな物に踊らされて手配首を見逃したりせんぞ、連中は」

 遣り様が無ければ、押し通る

 とは言えなかった。ファルコンの言葉が、ゴッチの中でぐるぐる回っていた

 「詳しい話は後で聞こう」
 「…………良いだろう、エスコートを頼もうか。ラーラ、良いな?」
 「?」

 ラーラは、無表情で居る。何か思うところはあれど、ゴッチに逆らうつもりはないらしい


――


 カザンになんだかんだと脅しかけられつつも、結局ペデンス付近のエルンスト軍団本陣に到着するまで、アナリア国軍と接触することは一度も無かった

 「ティト殿は幸運の女神かも知れない」

 と、冗談っぽく言ったのはカザンだ。ティトは少し気恥しそうに愛想笑いするだけであった


 「……ちくしょー、バリバリに気合入れたってのによー、アイツがあんな平然としてやがったら、間抜けじゃねーか、俺」
 「なんだよ、喧嘩したかったのかぁ?」
 「……そうではねぇさ。だが、解らんか、どうにも、すっきりしねぇって言うか」

 カザンに注文をつけまくって、用意させた天幕の中で、ゴッチは寝転び、レッドを相手に愚痴をこぼす。もう暫くすれば、日も傾き始める頃合だ

 自分とカザンは、常に反目しあう物だと、ゴッチは感じていた。根拠らしい根拠は無いのだが、それが最も自然な形なのだと、心のどこかで思い込んでいた
 ガン付け合って、ぶつかり合って、こういう言い方は癪だが、そんな無茶苦茶な関係の末に、何か得るものがある。そんな恥ずかしいことを、何となく思っていた

 違うのか? 疑問であった。カザンには、ゴッチに対する敵意が無い。一方的に敵視していたのは間違いないが、あぁも自然体で相手をされると

 「馬鹿か俺は」

 相手にされていないのかと、そう考えてしまうのだった。これではまるで、カザンに構って欲しいかのようではないか。ぎりぎりと歯を食いしばる

 「それより、これからどうすんのか考えねーと。カザンと色々話したいこともあるけど、取り敢えずはラグランに行く方法考えなきゃ、だぜ」

 レッドはギターの手入れをしながら、至極まっとうな事を言った

 「指名手配されてんのは俺だけなんだ。お前とゼドガンとラーラだけで、何とかラグランまで行けないか」
 「そりゃないだぜ兄弟、超危険なんですけど! 兄弟の随伴ロボを飛ばして調べたりとか出来ないだぜ?」
 「…………その手があったか。テツコは、俺から目を離すのに、良い顔しねぇだろうが」
 「なんでそれぐらいの事思いつかないんだぜ……」
 「だが、出来るのは簡単な調査ぐらいだ。コガラシをこっちの世界の人間に発見されたり、接触させたりするのは、原則禁止らしいからな。結局は人が出向かなきゃならん」
 「あーあ、十キロ単位のレーダーが随伴ロボに積めればなぁ。そうすりゃ、アナリア国軍を避けて行くなんて簡単だぜ」
 「マジで荒野やら、平原やら、開けた土地だったからな。隠れながら進むのはまず無理だろう」
 「やっぱり、強行突破しかないかぁ……?」
 「そりゃ、俺だけなら何とでもなるが、お前らの命の保証は出来んぞ」
 「逆転の発想だ! 兄弟だけで行くとか!」
 「あぁ? 道が解んねぇんだよボケ! ……いや、そうか、テツコに頼み込んで、位置を調べ、その上で俺が単独で出向けば」
 「…………」
 「…………ひょっとして、お前らがここまでついてくる必要性、0だったんじゃねーか?」
 「いやん! 兄弟のいっけずー!」

 レッドが体をくねらせる
 その仕草にどうしようもない苛立を覚えたゴッチは、米神に青筋を浮き上がらせた。結構冗談ではない程の嫌悪感であった

 その時、ブゥンと虫の羽音に似た駆動音を上げながら、コガラシが起動する

 『余り賛成できないな……』
 「お! てっこちゃん、元気でやってる?」
 『あぁ、レッド君、お陰さまで』

 ゴッチは懐を開いた。コガラシがふよふよと浮かび上がり、天幕の中を漂う

 「用事とやらは?」
 『一時帰還だ、また直ぐに出る。今の案だが……強行突破を行った場合、アナリア国軍の追跡は免れないだろう。どんな物があるのか、どんな人物が居るのか解らない場所に敵を引き連れて行って、どうするんだ? 不確定要素が多すぎる。メイア3はグレイメタルドールだが、戦闘行為やその他の危険を及ぼすのは、論外だと言うのを忘れないで欲しい』
 「……了解。まぁ、仕方ねーわな」

 テツコが、何か言いにくそうに息を漏らす。目ざとく、ゴッチは気付いた

 「どうした? テツコ」
 『……あー、いや、この際だ、話しておくよ。実は今、メイア3はペデンスに居る可能性が高い』
 「あぁ? 何だと?」
 『実働隊員ルークが得た情報だ。ペデンスで、メアリーと言う名の、首に一本線が入った緑髪の侍女を見た人物が居る』
 「メアリー、メイア・スリーの愛称だな? オイ、テツコ、お前……その情報は、何時入ったんだ」
 『……済まない』

 ゴッチは頭を掻いた。視線をコガラシから外して、全く気にしていないように笑う

 「いや、良い。俺は信じている。テツコや、ファルコンが、俺の不利に働くようなことをする訳が無い。そうだろう?」
 『あぁ、誓うよ。コレはファルコンの指示だが、都合よく情報が揃ったのだから、纏めて調べてしまおうと、本当にそれだけだの事だ。ラグランの探索に不安要素があると解った今、強行する理由は無い。…………他意は無いんだ』
 「よく報せてくれた。ありがとよ、テツコ」
 『ゴッチ……』

 しんみりした空気を醸しだしながら、テツコはバタバタと慌ただしい音を立て始めた

 『済まない、もう出発しなければ。ゴッチ、できるだけ早く戻る。……そうだ、例えラグランにメアリーが居ないとしても、強行突破は下策だよ。この事は、ファルコンとよく検討しておく。今は…………』
 「あぁ、解ってる、無茶はしねぇ。お前が戻るのを待ってるぜ」

 テツコは、爽やかな気分だった。ゴッチの態度に真摯な物を感じ、とうとう己の誠意が悪餓鬼ゴッチに通じたのだと、感動すら覚えていた
 仕事の同僚と言う間柄、で割りきってしまうつもりもなければ、極短期間と言って手を抜くつもりも無かった。テツコは常に勤勉である

 努力が実を結んだ。テツコは、そう思った。上機嫌で通信を切断するテツコに、ゴッチは首を傾げる

 「何か妙にご機嫌だったな……」
 「兄弟、良かったのか? ……隠し事だぜ」
 「気にする程の事じゃねぇ。俺はテツコを大事にしたいからな」

 レッドは、顔には出さないが、地味に驚いていた

 アウトローが、己への背信行為を許すはずが無い。どんな些細な事でも、どんな事情があってもだ
 今回、ラグランを目指した道程も、事前にメアリーの現在地の情報があれば、どうだったか
 行かないに決まっている。危ない橋を渡っても、何が出るか解らないのに

 「変な顔すんなよ。テツコがあの調子なら、メイア・スリーの事を俺が知っていたとしても、ファルコンはラグランへ向かうよう指示した筈だ。どうせ、俺がグダグダ言うのがうざったかっただけだろ」
 「…………いやぁ……へへ、なんかちょっとおっきくなっちゃったねぇ、兄弟」


 そこで、天幕の外から声が掛かる

 『話しは済んだか?』
 「カザンか」

 天幕の入り口が持ち上がり、カザンが姿を表した。身嗜みを整えたのか、妙にさっぱりとしている

 鎧を身に付けたままであった。泥や返り血が落ちているから、整備が行われたようだが、それでも傷が目立つ

 「盗み聞きとはお主も悪よのぅだぜ」
 「誰が居るかと思えば、レッドだったか。…………ふ、何も聞いてはいない。今来たばかりだ。丁度、切りが良さそうな言い口が聞こえただけだ」
 「……まぁ良い。で、カザン。業々人数分の寝床を拵えて貰って悪いがよ、何時までこんな所に押し込んどくつもりだ?」
 「それだ。俺としては、直ぐにでも解放するつもりだったが、実は、北方辺境領主、ホーク・マグダラ殿がお前と話しをしたがっている」

 ギターの手入れを終えてゴロゴロしていたレッドが、ほほぉー、と声を上げる

 「へぇー、兄弟ってばモテモテだぜ」
 「ゴッチだけではない。ミランダローラーゼドガン、歌の魔術師レッド、そして…………真なる炎の魔術師ラーラ。ティト殿以外の全員を御所望だ」
 「……やっぱ、解るのかぁ、カザン」
 「剣が教えてくれる」

 レッドがジタバタしながら、嫌そうな声を上げた

 苦しげなカザンを、意図して無視していた。同情されて喜ぶ男でないのは、ゴッチにも解る、レッドには、尚解っている事だろう

 「どうした、座れよ、カザン」

 身を起こしたゴッチが、探るような視線を向けながら言う。カザンはほんの少し黙考して、椅子に座った
 粗末な寝床から起き上がったゴッチは、肩を解しながらこちらも椅子に座る

 「言葉に甘えよう」
 「席に着くぐらいで、大袈裟な野郎だ。そういう生真面目なのが流行りか?」
 「俺が真面目かどうかは、比べたことが無いので良く解らんが、人の性質に、流行り廃りも無いだろう」
 「将軍カロンハザン様の美徳だな」

 レッドは未だに寝床でぐだぐだしている。心なしかげっそりしており、駄々をこねる子供のような有様であった

 「レッドはここで何を?」
 「自分の天幕に居たって暇なんだとよ。ゼドガンはスゲェ勢いで剣を振ってて相手してくれねぇんで、ならばここだそうだ」
 「子供か」

 カザンは穏やかに笑った。ゴッチも、薄く笑う

 「どうせ昔からあぁなんだろ?」
 「あぁ、まぁ、……いや、だが、お前は特に懐かれているようだ」
 「おぞましい事を言うな。見ろ、鳥肌が」

 そこで、漸くレッドが起きだしてきた。顎を撫でながら腕を組み、らしくもなく畏まった表情をしている

 「うーん、君たち、何を言っているんだぜ。人を子供扱いするのも、大概にしたまえ、だぜ」
 「……な?」
 「嬉しくねぇぞ」
 「聞けよなぁ~?」

 ぶーたれるレッドを、カザンが小突いた。相当気安い中のようであった

 「他の者達にも使いが行っている所だろう。炎の魔術師は、どうやら我々に含む所があるようだから、来るかどうか解らんが……。お前はどうだ?」
 「マグダラか。……ダージリンは、どうしてる?」
 「ダージリン殿は、今はここから北東の小砦に居る。以前の事件から、未だ回復していないようでな。ホーク殿も責任があり、自由に動けない身分。再会も適わず、やきもきしている所だろう」

 ゴッチは腕組みし、天幕の天井を見上げた。気持ちはその先に飛んで、空を見ている

 「……ホーク、ね。ふん、用事があるならお前がこいと」
 「そう言うだろうな、とは思っていた」
 「言いたいところだが」
 「何?」

 ゴッチは立ち上がる。ネクタイを締め直し、襟を正して、埃を払った
 サングラスを装着する。暗いレンズの奥だと、ギラつく瞳が少しだけ大人しく見える

 「興味がある、会おう。それに、俺の同僚とやらがホーク・マグダラの所に居ると聞いた。ここいらで顔合わせと行くのも悪くない」
 「同僚……? まぁ、良い。お前にも事情があるようだ。だが、ゴッチ。矢張り以前のお前とは違うな」
 「そう見えるかよ」
 「嫌でも」
 「ケ、なら良い」

 天幕の入り口を乱暴に開き、出て行くゴッチの背を、カザンはじっと見つめた

 ゴッチは直ぐに戻ってきた

 「おいカザン、お前が案内しないでどうすんだよ。レッド、お前もとっとと来い」


――


 周囲と比べてその天幕は異常に大きすぎた。二倍、三倍では効かない。十倍以上はある
 背も高い。余りにも大きくて、目立ち過ぎである。地味に装飾も施されている

 ゴッチ達に与えられた寝床代わりの物とはまるで違った

 「ここだ。中でホーク殿がお待ちの筈だ。では、俺はここで」
 「あ? 何だと?」

 背を向けて足早に歩き出そうとするカザンの直垂を、ゴッチは有無を言わせず引っ掴んだ

 「……あの方は、その、だな。どうも熱心すぎると言うか。会う度に、俺を直臣に、と誘って下さるものだから、どうも」

 レッドが大声で笑った。カザンもモテモテだぜ、と呑気に笑う姿に、当然カザンはいい顔をしない

 直垂を掴むゴッチの手を叩き落すと、居住まいを正してレッドを小突く

 「笑ってはいるが、お前やゴッチとて他人事ではないぞ。ホーク殿は出自等に関係なく、有用であればその人物を取り込もうとする。明日、俺のように辟易としているのは、お前達かも知れんのだからな」
 「あーあー、解った解った。もう行っちまえよ、ほら」
 「ゴッチ、お前と言う奴は…………。ふ、まぁ良い」

 楽しげに笑ったカザンは、今度こそ去って行く。ゴッチとレッドは、巨大天幕の入り口を睨み付けて、暫くジッとしていた
 門番然として入り口に立っている二人の兵士が、戸惑ったように声を掛けてくる

 「どうされましたか」
 「…………」

 二人は答えない。互いに顔を見合わせた

 「やっぱ、アーリアでの事かなぁ?」
 「それ以外に心当たりはねーよ」

 呼び出された理由は、矢張りダージリンに関わることしか覚えがない。その場合、ゴッチ以外はおまけだろうか
 しかし、魔術師二人と、ミランダローラー。先程のカザンの話しからすると、食指を動かしたとしても可笑しくはない

 それに、ティトは呼ばれていない。実力的にも、立場的にも、ホークの眼鏡に適わなかったと言う事か?

 ふ、と息を吸い込んで、ゴッチは天幕の入り口をまくり上げた。レッドがそれに続く。酷く乱暴で、遠慮のない動きであった

 兵士達が慌てて声をあげる

 「ゴッチ殿、レッド殿、御入来!」

 丁重な受け入れどうも、そして、大仰な持て成しどうも。ゴッチは眉を顰めつつ、野獣のような笑みを浮かべた

 巨大天幕の中には、一目で上等と解る鎧姿の者達がずらりと並び立ち、中央に道を開けて待っていたのである。在野の四人を歓迎するにしては、大仰であった。魔術師だからか?
 開かれた一本道の先には、一際豪壮な男が居る。蜂蜜色の髪と髭、歴戦を感じさせる米神の傷、黄金色の華美な鎧と、深い青の直垂

 コイツがホークか。ダージリンとは全然似てねぇな

 ゴッチとレッドは、当然臆したりはしない。無遠慮にどんどん歩を進め、黄金の男の前に立つ

 「ようこそ、ゴッチ君。初めまして、エルンストです」

 悪餓鬼のような顔で、笑いを堪えながら言ったエルンストに、ゴッチは首を傾げざるしかなかった


――


 クールに、エレガントに
 もうソルジャーではない、カポレジームだ。指示に従って暴れまわれば良い訳ではない

 己の行動が、ファルコンと言う偉大な男を象る一部となるのである。ファルコンとは詰まり隼団であり、カポレジーム、ゴッチ・バベルとは詰まり、隼団の一部なのだ

 どんな相手にも、侮られてはいけない

 「こりゃ、御丁寧にどうも。自己紹介は要らんようだな」

 ハンドポケットの状態で、足を大きく開き、重心を左に偏らせた。顎を突き出して、見下すような視線を向ける

 天幕の中には絨毯がひかれていて、エルンストと名乗った男が立っている天幕の奥の方は、何が敷いてあるのやら一段高くなっている

 高みにある物を下から見下ろす。アウトローに相応しいガンつけだった

 「エルンスト・オセ。エルンスト軍団首魁……」

 レッドがぼそりと呟いた

 成程、流石はエルンスト、とでも言えば良いのだろうか。部下の抑えが、よく効いている。ゴッチの態度は、まるで異質の文化であるここでも、礼を失しているのは間違いない
 しかし、誰もジッと動かない。呼吸音すら抑えてゴッチを見ている

 「しかし妙だ。俺が面会する相手は、アンタじゃねぇ筈なんだがな」
 「いや、その通り。実はホーク殿がかの有名な雷の魔術師と、会って話しをすると小耳に挟んだ物で、少し悪戯をしてみようと思ったのだ。カザンに嘘を吐いたのがちと心苦しいが」

 不思議と、目を離せなくなる男だった。立ち振る舞いの全てに、何故か興味がそそられる

 何か、巨大な物を連想させる。表情、仕草、雰囲気、声、様々な物、それぞれに言い表せない魅力があって、それが天性の物なのだと納得してしまうのに、些かの時間も必要では無かった

 「当のホーク・マグダラは?」
 「さて、今暫く時間がかかるだろう」
 「ならここに居ても意味はない。ホーク・マグダラが来たらもう一度呼んでくれ」

 だが、アウトローは正しい物を折り曲げる職業だ。素直なゴッチなど、あり得ない
 あっさりと踵を返す。まるでエルンストになど興味はない、エルンスト軍団など取るに足るものではないと言わんばかりの態度である

 これには、流石にエルンストの家臣団も唖然とした。レッドが笑いを堪えながら、ゴッチに習おうとする

 「つれないことを言うな、ゴッチ・バベル。さっきのは、ありゃ嘘だ。直ぐに来るだろうから、少しの間私と話をせんか?」

 その時、入り口から兵士の大声が響く

 「ホーク・マグダラ殿、御入来!」

 強い存在感に、全ての者の視線が引き寄せられる

 「これは、全く、本当に悪戯が好きな方で御座いますな、エルンスト殿は」
 「ぬお、もう来たのか、ホーク殿」

 兵士に天幕を開かせて、堂々と歩いてくる男達が居た。先頭を歩くのは、鉄の鎧に黒の直垂。どうやっているかは知らないが、髪をオールバックにしている
 勇ましい釣り目で、見事な男振り。騎士、と言うよりも、どこか自分のようなアウトローに近い気配を、ゴッチは感じた

 言い知れぬ男だ。油断無く、こちらの奥底までを見通そうとしている。人の思考の裏側で、人よりも更に何かを考えている目だ

 「エルンスト殿が謁見の場を設けるとは、このホーク、まるで知りませんでした」
 「いやいや、これは個人的な面会だ。部下達が、「俺も見たい俺も見たい」と皆引っ付いてくる物だから、少し大仰になってしまったが」
 「ははは!」
 「来てしまっては仕方がないなぁ。まだ何も話しておらんのに」
 「先約は、私ですぞ、エルンスト殿」

 ホークが楽しそうに笑う。エルンストは残念そうな顔を隠そうともせずに、隅っこに下がった

 「ゴッチ・バベル」
 「あぁ……、全く、誰も彼も、俺が名乗らずとも俺のことを知っているモンだから、やりづらくていけねぇ。妙な心地だ」
 「勇名鳴り響いている。アーリアの精兵二百を、私の妹を守りつつ、たった一人で壊滅させ、傷一つ負わぬ武勇」
 「ダージリンは強い女だ。それが生い立ちや、お前への引け目等に縛られて、無理に人間をやろうとするから行けない。本当なら、あの女に俺がしてやる事なんて、何一つ無かったに違いねぇのさ」
 「あれは、私の責任だと?」
 「ダージリンが、最高にいい女だって事だよ」
 「豪胆な男だ。噂に違わん」

 ホークは、頭を下げる。周囲の者達が、息を呑んだ
 それ程のことであった。敵からどれ程の挑発を受けても、冷たい流し目一つで全て黙殺する男だ。それほど気位の高いホークと言う男が、在野の物に、頭を下げるなど、今ここに居並ぶ者達には、信じられなかったのである

 「勇者には敬意を払う。そして、ダージリンの事に関しては、心から礼を言うぞ」
 「そうか、別にお前に有り難がって欲しい訳じゃ無いが、それで気が済むってんなら、そうすれば良い」
 「おっと、勘違いしないでくれだぜ。兄弟ってば素直じゃないから、照れてるだけなんだ」
 「レッド、少し黙ってろ」

 ゴッチのあまりの言葉に、堪らずレッドがフォローに入った。この男はこの男で、懸命にゴッチに気を使っている。その程度には、ゴッチのことを好いていた

 確かに、レッドから見ても、カポを名乗るようになったゴッチは豹変した。意図して周囲を挑発するような部分が消え、自然体に威風を載せて振舞うようになった
 だが、その自然体がそもそも人を人とも思わない、傲然たる態度なのだから、どうしようもない。不器用なゴッチを愛でくるんでやるのが、愛の魔術師の仕事であると、レッドは妙ちきりんな事を考えている

 「お前が、レッド。神出鬼没の楽師」
 「俺の事知ってんだぜ?」
 「出鱈目な顔の広さをな。お前にも興味はあるのだが……」

 凛々しく笑いながら、ホークはゴッチに向き直る

 「ゴッチ、お前が欲しい。その堂々たる姿は、ただ魔術師であると言うだけでは身に付かぬ物だ。己を信じ切り、まるで動じぬ胆力、アヴニール三体を物ともせず消し炭に変えた武力、そして、守ってやった筈のミランダの者達にすら恐れられる残虐な性、お前は完璧だ。俺の元に来い、ダージリンも、間違いなく喜ぶ」

 凄まじいことをあっさり言ってのけるのも、ホークと言う男の一面なのであった

 ゴッチは思わず言葉を呑み込んだ。ゆっくりとサングラスを外して、懐に仕舞い込む

 「それが俺を呼び付けた理由か?」
 「その通りだ。お前の故郷の事は知らんが、アナリアでは破格と呼ばれる待遇を約束しよう」
 「俺の故郷? あぁ、そうか、お前の所に居るんだったな」
 「知っていたのか」

 待ったが掛かった。隅に引っ込んだ筈のエルンストが、ワクワク顔で割り込んでくる

 「まぁ待て待て、ホーク殿、何時も躍起になって人を集めているんだから、たまには私にも譲ってくれ。なぁ、ゴッチ・バベル。実はな、お前がこの天幕に入ってきた時から、ピンと感じる物があった。私は名剣の見極めと、人の見極めには定評があってな。すっかりお前の事が気に入ってしまったんだ」

 豪放に笑いながら、エルンストはゴッチの肩を叩いた。あけすけな態度で、男女を問わずどれ程の人材を口説いてきたのか

 予想だにしない、ホークとエルンストの歓待振りに、居心地悪くなったのはゴッチである。眉を顰めながらエルンストの手を払い除けた

 「エルンスト殿?」
 「ゴッチと言う男の風評を聞きながら、ずっとどんな男なのか考えていた。アナリアに恨みを持つ者か、ダージリン・マグダラ嬢に何か思う所があるだけか、それとも単に、冒険者か傭兵が金で動いているのか、そんな事をずっとな」
 「おい、ホークと言いお前と言い、暑苦しい奴だな、ちょっと下がれ。男に好かれたって嬉しくねぇぞ、俺は」
 「照れるな照れるな。お前は、どれでもない。全てのアナリア軍兵士に恐怖をねじ込み、数多の者から畏れられ、止まない興味を持たれていながら、全くそれらを意に介さないしなやかな流儀。今までに、私が全く見た事が無い男。だが、不思議と、馬が合いそうな気がせんか? 俺とお前は」

 瞳が輝いている。ゴッチは、このエルンストと言う男が、エルンスト軍団を率いる所以を垣間見た気がした。この口振り、ゴッチでない他の者が聞いたなら、どれ程心惹かれる事だろう

 エルンストの部下の一人が、声をあげる。堪えきれなくなったようで、動揺が声に現れている

 「危うい! 危のう御座る、御主君! 伝わってくるのは想像を絶する獰猛な気性と、残虐な戦いぶり! 御主君、凶刃をそう易々と懐に入れてしまっては成りませぬ! ホーク殿も、その男が“完璧”と称される程の者に、本当に見えるので御座るか!」

 反対側から、別の声が上がった

 「いや! ゴッチ殿の戦いに、誤りは無かった! アーリアではエーラハの謀で処刑されそうになったホーク殿の妹殿を救い、ミランダでは民衆を守るため、ミランダローラーと二人きりで六体ものアヴニールを倒した! 聞けば、南方ではエピノアに苦しめられていた村を救ったとも伝え聞くぞ! 結果を鑑みれば、どれ程の気性であろうと、その心根の高潔さを疑う余地はない!」

 高潔、の下りでレッドがぶは、と吹き出した。ゴッチを高潔とは、ゴッチと付き合った者達ならば、逆立ちしたって出てこない考え方だ

 途端に、場は喧々諤々とし始める。自由闊達に、誰もが好き勝手に言い始める。エルンストは、全く咎めようとしない

 「やかましいぃぃー! お前ら、好き勝手言ってんじゃねぇぞ!」

 ゴッチの怒声に被せるように、頭に青い布を巻いた男が演説した

 「仮にもオセ家、またはマグダラ家に使える人物は、鋼の規律を守り、序列を守り、その上で絶対の忠誠を誓う! そうでなくては、誰も納得しますまい! ゴッチ殿は確かに類稀な戦士だが、暴力に頼むお人だ! 何人にも縛られる存在では無いでしょう! 扱いきれねば、その残虐さが何処に向かうのか!」
 「何処のどいつだ、前に出てから言え!」
 「ホークの言を聞かせてやろう! 戦士とは!」

 ホーク・マグダラ渾身の怒声。周囲の視線が、ピタリとその勇敢な笑みに集まる

 「戦いは荒々しい物! 戦士とは本来、勇猛、決死、残虐、これらを備えている! 前二つを取り立てて戦を美化し、最後の一つを呑み込めない者に、戦士を率いると言う事の意味は解るまい!」

 そうだ! と賛同の声。ほぼ同時に、再び待った、の声

 「残虐であれば、それで良いと言う物でも無いのでは?! 我らのような者達がそれを受けるならば、まだ納得も出来ましょう! しかし、無辜の民にそれが向けば、どうか?!」
 「俺は見ていたぞ!」

 黒い革鎧、黒い外套の騎士らしからぬ騎士が、大声で笑いながら言う

 「彼は三頭引きの荷馬車で顕れ、カロンハザン殿と談笑していた! この天幕に入り、我らがこうして勝手に言い合っている今までも、一欠片の殺気も無い! 口調は乱暴だが、凶刃、暴力等と言われ無ければならない程の物が、何処にある!」
 「ほんの僅かの間見聞きしただけで、人物を測れるのか?!」
 「俺は戦場で生まれた! 俺には殺気が見える! 仮に彼の佇まいが偽りで、腹の内に凶暴な性を隠し持っていたとしても、それは彼が伝え聞く凄まじい暴力を、見事に御している事の証明に他ならない!」

 レッドは胃が痛くなった。そのように見えても、それは誤解だ

 ゴッチは暴力を制御する必要が無いだけだ。抑えつける必要のない環境で育ったし、間違えれば必ずファルコンが正してくれたのだろう
 御しているのではない。取り繕う気が無く、また、荒事が好きでも面倒事が嫌いだから、結果的にそう見えるだけなのだ

 いや、そうか? と、レッドは自問した。ゴッチは、変わっていく。もっと悪辣に、己の力と影響力を理解し、それを利用し尽くすように、なっていくのではないか

 「オセ家、マグダラ家の騎士の栄誉とは、実力、人格は元より、その出自、何よりも忠誠を試され、その上でふるいに掛けられ、残った者達に漸く与えられる栄誉。数多の才ある者達が、望んで手に入らぬ物です。それを、異国よりふらりと現れた何処の馬の骨とも知れぬ者が得ては、どれ程の者達が失望するでしょう」

 エルンストが、がし、とゴッチの肩を掴む

 「そうか? 見よ」
 「あ、テメエ」

 エルンストは、ゴッチのスーツを隅から隅まで見ている

 「見たことの無い服だが、素晴らしい仕立て、素晴らしい刺繍だ。文化が違っても、良い物は輝いて見える。これ程の服を作れる職人が、今、アナリアに居るか?」
 「ほぉ、これの良さが解るのか。……俺の養父が作らせた物だ。これの良さが解るってんなら、お前の目は本物だな」

 少し前まで背中の隼に眉を顰めていた癖に、ゴッチは鼻高々である

 「美しい鳥だ。そして、それを臆せず着こなす男が、ただの馬の骨に見えるのか?」
 「そのような仕立てであれば、私も金に糸目を付けませんぞ、エルンスト様!」

 どっと笑いが起きる。そしてまた憤然とした怒声が上がるのに、僅かの間もない
 今度の声は、老女だ。しかし驚くほど張りがあり、大きな声であった

 「着ている物で心根が解って堪るか! ゴッチ殿、貴殿、アーリアでは高笑いしながら数多の兵達を軽々屠ったと聞く!」
 「婆やではないか、どうした、こっち来い!」
 「エルンスト様! こやつら図体ばっかりでかくて、とても前には出れませんので、自慢の大喝で申し上げます! ゴッチ殿、確かに戦いは、荒々しい物、残虐な物! しかし兵士達は、決して戦うだけの肉の塊では御座らん! そんな中で喜びながら、さも嬉しげに殺す貴殿を、どう使えると言うのか!」

 ホークが再び声を張り上げた

 「使ってみせよう、ホーク・マグダラが! 何か悪いことがあったとしたら、それはゴッチ・バベルの気性が悪いのではない、使って使い切れぬ将が悪いのだ!」
 「エルンスト様! この北のお若いの、てんで話しになりませぬ!」

 ホークは続ける

 「興が乗ったので答えたが、元々我が臣の用い方に、エルンスト殿の配下の方々の意向を汲むのも可笑しな話。そうではないか?」
 「待てと言っとるのに、ホーク殿は、時々意地が悪いなぁ!」

 ホークと、エルンストが、今度はゴッチの目の前でやり始めた

 ゴッチが米神を揉み解す。あ、なんかヤバいな、とレッドは思った

 「お前ら…………」

 やべぇ、爆発するだぜ。レッドは身を竦ませる。その時、都合よく、天幕入り口から声が響いてくる

 『ゴッチ・バベル殿は、使命あってアナリアまで居らした人です! 皆様方のそれは、皮算用と言う物!』
 『あ、お待ちください! 今は、その、取り込み中で御座います!それに、貴方がいらっしゃるとは聞いておりません!』
 「マグダラ客将、ルーク・フランシスカが失礼いたします!」
 「良い! 衛兵、咎めるな!」

 美しい金の髪、美少女と見紛うばかりの顔立ち、はきはきした声、若いながら堂々としており、しかし礼節を忘れない態度

 剣も鎧も上等で、見事な騎士振りの少年である

 ルーク、その無を聞いて、ゴッチが後ろを振り返った

 「ルーク、こいつが?」

 がやがやと、また違った喧騒が生まれる

 「ほぉ、アレがホーク殿の所の。若いが、どうして中々」
 「黒い河の騎士の生き残りと、あの豪剣アシラッドを従えていると聞くぞ。たったの五騎で、五十の賊どもを討ち果たしたとか」
 「若い、若すぎる。養子に欲しいわい」
 「良い噂しか聞かんな。下級の兵士達や、下男侍女達に、特に好かれておるようだ」

 ルークはずんずん歩いてきて、ホークとエルンストに跪き、一礼した

 「立ってよし。思ったより早かったな。ゴッチ・バベルは、引き入れた上で会わせようと思ったのだが」
 「任された物は、急いで片付けてまいりました。解ってはいましたが、ホーク殿は意地悪な方です」

 ルークは、キラキラした面持ちで立ち上がる

 「初めまして、ルーク・フランシスカです」

 ルークは、敬礼した。軍人。予想していなかった訳ではないが、ゴッチの眉が釣り上がる

 「ゴッチ・バベル。ロベルトマリン、隼団の、ゴッチ・バベル」
 「知っております」
 「あぁ、俺もお前のことは知ってるよ。名前だけはな」

 エルンストが興味深そうに、ルークの事を見ている

 「ホーク殿が自慢していた騎士か。ゴッチとどういう関係なのだ?」
 「彼と私は、同志です。簡潔に言えば、それ以外はありません」
 「何? そりゃイカン! いや、イカンと言う事も無いが、うーん、それではホーク殿にまた持ってかれてしまうではないか」

 今まで黙っていたゴッチだが、流石にこれ以上は黙っていられない

 ルーク・フランシスカ、恐らく軍人。それ以外に知っている事は無い
 ゴッチは、大嫌いなことが幾つもあるが、その中に取り立てて大嫌いなのは、弱い奴と組む事と、無能が隼団に入ることだ。今まではファルコンの慧眼からそんな事は起こらなかったが、このルークと言うのは少し異質だ

 納得できねぇようなら、協力して仕事するなんてできねぇ

 「待て。お前、何だ? お前は俺を知ってるのに、俺はお前を知らないってのは、フェアじゃねぇよな」

 果たしてルークは、ゴッチの言葉を予想していた。緊張した面持ちを、ほんの少し朱に染めながら、マントを手で押し上げ、腰元のエンブレムを見せつける

 ゴッチは息を止めた。ルークの腰元、機能停止状態のコガラシの隣で、邪悪に微笑むスカルエンブレムが輝いている


 髑髏戦闘班徽章。ロベルトマリンの人間なら、そのエンブレムを知らない筈が無い

 RM国統合軍第十二特殊作戦隊。通称ギロチン軍団。ロベルトマリン二十五万軍の中で、最も練度が高く、冷徹で、頭のイカレタ対テロ軍団

 統合軍では数年に一度、不定期に、地獄巡りと呼ばれる厳しい試験訓練が実施される。それに受かれば給金や年金等の待遇が格段によくなり、箔も付く。地獄巡り参加者と言うだけで、大抵の者は道を譲る。しかし、試験を熱望する数え切れない屈強な男達の中で、受験を許されるのは僅かに六千人。当然、選定基準は日頃の訓練成績だ。そして、合格者と来たらほんの四十人程度

 狭き門、と言うレベルではない。想像を絶する。そしてギロチン軍団の実働隊員試験とは、その地獄巡りを合格して、初めて受けられるようになる

 ギロチン軍団実働隊員は、百二名。二十五万軍の最精鋭六千人から、更に選りすぐられた百二名だ。その百二名に渡される徽章が、髑髏戦闘班徽章


 ゴッチの手が、僅かに震える。懐で葉巻を掴もうとしたが、上手く行かなかった
 それに、ラーラが居ない。火種も、他の荷物と一緒にラーラに持たせている

 「ギロチン徽章」
 「はい」
 「テメエ……それが、どういう意味か解ってんのか……?」

 この如何にも甘ったれた餓鬼がギロチン軍団の実働隊員?
 有り得ない事だ。何よりファルコンが、その事を伝えない筈が無い


 嘘だ。ギロチン軍団の騙りだ


 テロ屋でなくとも、震え上がるエンブレム。何も知らなさそうな餓鬼が、悠々とそれを身に着けている

 ゴッチから殺気が溢れ出した。異様な雰囲気に、天幕の中が静まり返る。誰もが、ゴッチと、ルークを見ている

 「どんなバケモノでも、良いか? どんなバケモノでもだ。どんなバケモノでも裸足で逃げ出す、ロベルトマリンの悪魔、戦争屋六千人が」

 凄まじい形相に、稲妻が走り始める。バチバチと音を立てながら、眩く光り始めた

 「どんだけ望んでも、与えられない徽章。ロベルトマリン最強の百人の、最強の軍団の……」

 強いと言う事は正義だ。ゴッチは、暴力を信仰している。ファルコンですら、それを見れば平静では居られない徽章

 顔はとうの昔に朱に染まっていた。キレ掛けのゴッチを前にして、ルークは冷や汗を流しながらも、堂々とした態度を崩さない

 誰一人、声を発さない。しかし、誰もが皆、思っている

 如何な人物であるのか、どれ程の者達であるのか。六千の悪魔とは、最強の百人とは
 話の大きさだけが伝わってきて、詳しい所が解らない

 ゴッチの怒り様は、なんだ、ルークとは、如何な身の上の者か

 「ゴッチ殿の事は、主君であるマクシミリアン・ブラックバレー様からよく言い含められております。彼を見て、よく学べと」

 平然とした態度に、ゴッチが撃発した

 「お前のようなのがギロチン軍団で、その上あの怪物の直属だとぉ~~……!!」

 ルークは、矢張り失敗したな、と胸中で呟いていた

 ギロチン徽章は、ルークの物ではない。マクシミリアンが箔付けになるだろうと、徽章だけ送ってきたのだ
 これでゴッチ・バベルを驚かすなんて、まず無理だろうとルークは思っていたが、矢張り失敗した

 やっちまったな、そんな感じである

 が、ゴッチは、大きく息を吸い、バリバリと歯を食いしばり

 体から、力を抜いた。眩い雷光も、静まっていく

 「雷の……魔術師。……この激しい力……御せる物では……」

 誰かが呻くようにいった

 ゴッチの腕が震えている。気に入らないと言う気持ちは、消しようが無い。コイツに取れるなら、自分にだって取れそうだ。ファルコンなら、尚の事取るだろう

 だが、怒りには任せない。ギロチン徽章はあるだけで威圧感を感じるが、だからルークがどう、と言う訳ではない筈だ

 「面白いじゃねぇか、同志よ。統合軍最強の百人の一人、それも、あの怪物マクシミリアンの直属だ。期待させて貰おう」

 余裕を含んだ笑いを見せると、ゴッチは忘れ去られていたレッドの首根っこを引っ掴んで、勝手に退出してしまった

 誰も、止める間も無かった。ルークは正直、凹んだ。まさかこうまで怒るとは

 「……えぇい、雰囲気が変わってしまった。あと少しだったのになぁ」

 ホークが何処がだ、と言うような目でエルンストを見た


――

 後書

 なんかスゲーグダグダしてたので悪あがきしてみる。
 失速感がスゲーんだけど、うぬぬ。

 男でも、女でも、名誉欲ってあるもんだよな。
 俺もスゲーある。


 尚、諸事情により、炎の子2.5は正式に3扱いだぜ!



[3174] かみなりパンチ25 炎の子4
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:53
 カザンのような、べらぼうに能力があっても、出自が低かったり定かでなかったりする者は、下級の兵士や士官には有難がられるが、地位のある者達からは妬みを受ける
 そういう物、と相場が決まっている

 ゴッチはカザンの事については、正確に見ているつもりだ。この“異世界”と言うのは、出自で立ち居、振舞いが定まってしまうのだ。教育機関、制度が発達していない証である。出自の低い、或いは定かでない者が蔑視を受けるのも、仕方の無い部分がある
 様々な教育を受ける余裕のある者と、そうでない者、これらの細々とした事については、今更言うまでもなかった。もしかすると、既存の権益を守るためには、智慧を付けられては困ると言う、統治側の都合もあるかも知れないが

 先日の明け透けな様子を見る限り、エルンストの事だ。カザンを扱き使いつつも、猫可愛がりしているに違いない。妬まれたって仕方ないと言うものだった


――


 ルークとの合流後、ゴッチの優先目標は、ペデンスへの侵入へと変わった。これは当然の事だ
 で、あるならば、それに対してラーラが不満を持つのも、矢張り当然の事である

 「何時までこうしているつもりで?」
 「…………」

 ゴッチがカザンと再会し、ホーク・マグダラの客分としてエルンスト軍団に同行する事になった翌日、エルンスト・オセは素早く軍を下げた
 大胆に距離を取って長期戦の構想を練っている。端から選択肢としてはあったようで、以前より砦の建設が進められていたらしい

 今は、ガークデンと言う街の付近に駐留していた。かなりの規模の街であるらしく。当然だが、荒野で寝起きするよりも。利便性は比べ物にならなかった
 ゴッチとしては、ここでペデンス攻略の手伝い、或いはペデンス侵入の方策を考えなければいけなかったが

 「ボスの本心に沿う所ですか、ここは。私はここが気に入りません。ボスもそうである筈」
 「俺の仕事は、まぁ、気に入らなくても我慢しなきゃならん時があるんだよ」
 「何を」

 ラーラは有り得ないと言わんばかりの表情で、しかし薄く笑った

 「無法を己の法となさる人が、急にしおらしいことを仰るとは」
 「……今の、聞き逃してやる。が、小賢しい芝居に浸ってんじゃねぇぞ……。良く考えろ、テメェは俺を舐めたんだぜ」

 薄暗い天幕の中、椅子に座って足を組んでいたゴッチは、敢えて腰掛ける位置を深く取り直す。何かの拍子にラーラに跳びかかってしまったら、後はもうボコボコにするまで止まらないだろう
 ゴッチに、己の物言いを受け流すつもりが無いのを悟って、ラーラは一歩下がり、態度を改める。この炎の魔術師は、ゴッチに対して極めて殊勝であった

 「私はお願いした筈です。ラグランまで御連れ下さいと」
 「あぁ、そうだな。レッドに頼まれたのは、確かだ。僅かばかりの喧嘩の仕方を教え、ラグランまで連れていけと」

 ラーラは胸を張り、直立不動の体勢で更に言い募ろうとする。ゴッチはそれを許さない

 「ラぁーラ。俺らが思ってた以上に、ここいらはピリピリしてる。ティトだって誤魔化し切れねぇだろう。何の助けも無く、アナリア国軍の警戒を潜って、ラグランへ到達する。或いは、何の助けも無く、出会ったアナリア国軍を皆殺しにして、ラグランへ到達する。お前に出来る事か?」
 「後者ならば、ボスの力を貸してくだされば」
 「それはマジに必要な事なのか? テメェの無茶押し通して、それで起きる損得は? 俺の事もあるが、俺の事を抜きにしてもそう変わらねぇ。お前にとって今妥当な行動か?」

 ゴッチは、睨んだりはしなかった。敵意の無い視線で、ただじっと、ラーラの瞳を見つめている

 手招きする。ラーラは少しだけ迷って、直ぐにずんずんと歩いてきた。ゴッチの、大股の一歩以内の距離
 ゴッチは組んでいた足を解き、居住まいを正す。これ以上は何も言うなと、それだけを願っている

 これ以上食いつかれたら、もう言える事は一つしか無い。「テメェだけで行け」だ。アナリア国軍の警戒網を打ち破って連れていけなど、虫の良すぎる話だ。そこまでの義理はない
 以前のゴッチならば迷わずそう言った筈だ。それをしないのは、今ゴッチが、ラーラを行きずりの中途半端で適当な契約の上でも、己の部下として扱い、操縦しようと必死になっているからだった

 「対価があれば、手を貸していただけますか」

 ラーラだって、ゴッチにそこまでの義理が無いことは、よく解っている。解っていて言い募るのは、ラーラの若さだ

 ラーラの物言いに、とてつもなく面倒くさい物を感じたゴッチは、手を振ってその言葉を遮る。白い髪、赤い瞳、ゴッチの目の前で、ラーラの全てが不安と恐怖で震えている
 ラーラ程の頑固で強気な女が、差し出すのに決断を戸惑う程の対価。面倒臭ぇ、とゴッチは今にも言ってしまいそうだった

 「ラーラ、ラグランへは、今は行かねぇ。お前は切れ者だ。俺がゴチャゴチャ言うまでもねぇ」
 「……」
 「荷物持ちやってりゃ、その間は連れ歩こう。ペデンスの糞どもを追い散らせば、ラグランへも行けるようになるだろう。機会が消える訳じゃねぇ。誓うぜ」

 ラーラは何も言わずに俯く

 「俺が信用出来ねぇか?」
 「……いえ」
 「俺はお前に我侭押し付けてるか?」
 「…………いえ」
 「文句はねぇな?」

 上手く言葉を吐き出せないのか、ラーラは胸に手を当て、大きく深呼吸する
 僅かな沈黙の後、伏せていた瞳をパチパチとさせ、ゴッチに向き直ったときは、何時もの覇気に満ちた炎の魔術師だった

 「はい、ありません」
 「よし、行け。そこら辺の奴らに八つ当たりでもしてこい」
 「ふ……そうします」

 機敏な動作で足を運び、ラーラは何事も無かったかのように天幕の出入口へと向かう
 白い手が分厚い布を掻き分けると、その向こう側に相も変わらず眠たそうなティトが居た

 「おわ、ラーラ」

 ラーラは顔を綻ばせ、軽く会釈すると、言葉を交わさず去ってゆく。ティトは首をカリカリと掻きながら、ゴッチへと向き直った

 「……なんだろ、機嫌良さそうな、悪そうな、変な感じだったよ」
 「さぁな」

 ティトはゴッチのぞんざいな言い口に面白くなさそうな顔をした。声に出して大欠伸すると、目をこする

 「くぁ……。ま、良いかな。で、ゴッチ、流石にこれ以上ここに留まると、ロベリンドの立場が悪くなっちゃうから、私は帰るよ。あんまり、恩返し出来無くて申し訳ないけど……」
 「あぁ?」

 ゴッチにとっては余りにもどうでもいいことだったので忘れていたが、ロベリンド護国衆は常に中立である、らしい。相手にするのは専ら魔物、時折賊の類で、戦争には関与しない
 それを思えば、今こうしてゴッチと共にエルンスト軍団の元にいるのは、拙い状況であるに違いない

 考えてみりゃそうじゃねぇか。ゴッチは、首を傾げた

 「お前、なんでまだ居るんだ?」
 「もう、友達甲斐の無い奴!」
 「あぁ? 友達だぁ?」

 ティトが僅かに怯む。ゴッチは、それを見逃したりはしない

 乱暴に、後先考えないのでは駄目だ。全ての言動を熟慮し、責任を負わなければ

 ティトを感情の好悪で判断するなら、悪ではない。糞忌々しい墓穴を共に潜り抜けた、戦友とでも呼ぶべき間柄である。少しくらいは、親しくしたとて悪くはない

 「だってほら、俺は食ったもん吐いちまうような酷ぇ面だしよ。ティトおじょーさまのご友人には不釣合いってモンよ」
 「謝ってるでしょうー? もー……。ま……しかし……ゴッチ、感謝してるよ……」
 「……レッドには? もう言ってきたのか?」

 肩を竦めながら言うゴッチに、ティトは目を細めながら頷いた

 「またな」
 「……?」
 「んだよ、もしかしたら、会う機会があるかも知れん。レッドの馬鹿と付き合う限りはな」
 「かもね」
 「未来予知出来んだろ?」
 「あはは、……どうかな」

 曖昧な笑顔のまま、ティトは背を向ける。ひねくれ者の礼儀知らずにしては、上等な別れである
 ティトの髪が、ゆらゆらと揺れていた。眠たそうな顔でふらふらと歩いていたら、まぁ仕方ない

 「またね、ゴッチ。カロンハザン将軍と、仲良くしなよ」

 大きなお世話だ馬鹿。ゴッチは頭を掻きながら言った

 「………………あーあ、カポってのは、全くよぅ…………」


――


 昼時、天幕には、昼食が運ばれてくる。何故か二人分来て、首を傾げているとちゃっかりレッドが現れる

 「だって一人で食ってたって寂しいじゃーん」
 「あーあー、解った……。好きにしろ」

 そして、ギャーギャー騒ぎながら食べ始める。きつい味付けの戦場食は、決して美味では無かったが、ゴッチの好みとはあっていた。街に駐留している以上は、食料の調達も比較的容易だ。次からはもっと良い物が出てくると、糧秣係がニコニコ言っていたのを、ゴッチは思い出す
 黙っていても三食出てきて、従兵が身の回りの世話をして行く。全くもって、いい御身分であった

 レッドの馬鹿話を聞いていると、何時もより幾分か目を細めたゼドガンが現れた
 上半身裸で、大変な量の汗を掻いている。兵達に請われて、鍛錬に参加していたらしい

 ゼドガンはゴッチを見てふむ、と頷くと、何でも無いことのように言った

 「ラーラの奴が、滅茶苦茶にのされているぞ。相手は二十人掛かりだ。ゴッチが変なことでもやらせているのかと思ったが、違うようだな」
 「へ……? そんな訳ねぇだぜ。二十人の二倍居たって、ラーラをやれるもんか。ラーラは魔術師だぜだぜ?」
 「炎を使っとらんようだったから、何かあるのかとな」

 ゴッチは舌打ちして、天幕入り口の厚布を蹴り開けた。近くに居た兵士達が、目を真ん丸に広げて戦く

 「案内しろ」
 「案内も何も無いぞ。ほら、あそこだ」

 ゼドガンの指差す方に、人集りが出来ている。天幕が立ち並ぶ中で、意図的に作られた広場のようなスペースだ
 確かに、妙に騒がしかった。調練の最中の兵士など、決して静かな物ではないから、まるで気にしていなかったが

 ゴッチはレッドとゼドガンを引き連れてずんずんと歩いていく。兵士達は、ゴッチを見ると、皆ギョッとした顔で道を譲った
 歪な円を作る人の群れの外側で、ゴッチは一喝する

 「退きゃァがれ!! ブッ殺されたくなけりゃなぁ!」

 突然の怒声。強烈な存在感、威圧感に気付き、圧倒された兵士達は、弾けるように散った。しかし円の中心ではまだ、ゴッチのことなど気にしていないかのように騒ぎが続いている。ラーラが鼻血を出しながら、三人の屈強な兵士達を相手に取っ組み合いの大喧嘩をしていた

 丁度、ラーラが、背後から羽交い絞めにしてきた兵士に、後頭部で頭突きを食らわせたところである。ゼドガンが、うむ、と嬉しそうに頷いている

 「何やってやがる」

 冷たい一言で、今度こそ場の空気が凍る
 手を振り上げた状態で固まった兵士を、ラーラは問答無用に殴り倒して、改めてゴッチに向き直った

 「…………ボス」
 「なんてザマだ。どういうこった」
 「こ、これは……」

 キョロキョロと、怯えた目で、今にも這い蹲りそうな顔色の兵士が声を絞り出した。ラーラと取っ組み合いしていた最後の一人だ
 二の句を継ぐ前に、またラーラが動いた。ラーラは最後の一人の股間を容赦なく蹴り上げ、悲鳴を上げてうずくまったマヌケ面に、全力でつま先を叩きつける。兵士は失神し、ピクリとも動かなくなる

 「コイツらは、私とボスを侮辱しました。コイツらはボスの事を、たま……」

 ゴッチは手をぶんぶん振って遮る。聞きたいのはそんな事ではない

 「憂さ晴らししろっつったろ。お前が痛めつけられてどうすんだよ。ご自慢の炎はどうした」
 「これは喧嘩です。魔術を用いるのは無粋でしょう。掴み合いする子供の間に、ミランダローラー殿が大剣を振り回しながら割り込むような物」

 レッドがヒヒヒと笑った。ゼドガンは、涼しげに肩を竦めるばかりである

 「そしたら、囲んで好き勝手されたと?」
 「初めは一対一でした。まぁ、この者達こそ無粋と言うわけで」

 ゴッチが吠えた

 「馬鹿かテメエは!」

 ビリビリと空気が震えた。ラーラが後退り、あまりの怒声に眉を顰める。周りの兵士達は、今にも逃げたそうにしていた。見栄も外聞もなくそうしないのは、恐怖で動けないからに他ならない

 ゴッチがべ、と唾を吐く。装った冷徹さが剥がれ落ち、ソルジャーらしい荒々しさが漏れ始める

 「無粋? 無粋? テメエはどんだけちやほや甘やかされて育ったんだ? テメエなら、テメエの掟で生きて、テメエの掟で死ぬ。そりゃ間違いねぇ、間違いねぇよ」
 「兄弟、どうしたのん?」

 頭の後ろで手を組んで、レッドが心底不思議そうに言う。少し黙ってろ

 「だが、テメエの思うとおりに喧嘩が運ばなかったら、無粋だ? 甘えんじゃねぇ、こんな木っ端どもが何人で来ても、魔術師なら蹴散らせ! 出来なきゃ粋がってねぇで焼け! 無粋だ何だぁ、そんな恥ずかしい遠吠えは、二度とするんじゃねぇ! 少なくとも、俺の荷物持ちしてる間はな!」
 「私は、…………いえ、解りました、…………解りました」

 ゴッチは、だくだくと流れるラーラの鼻血を拳で拭う

 「良いか、テメエが舐められるって事は、俺が舐められるって事だ。俺が舐められるって事は、隼団が舐められたって事だ。他の事もだ。テメエが負けたら、それは隼団の負けなんだ。言ってることは解ったな?」
 「はい」
 「ここに居る全員に思い知らせろ。俺とお前の名前を思い出すだけで、失神するくらいにだ」

 ゴッチはくるりと踵を返した。ラーラも同様に、くるりと背を向ける
 ボソ、と、地の底から響くような声で、ラーラは獰猛に笑った

 「殺しはしない。が、……悪く思うな、元より貴様達が売ってきた喧嘩だ」

 凄まじい熱気と共に炎が噴き上がったのは言うまでもない。兵士達の絶望の悲鳴。誰一人として、ラーラは逃がさない

 うへ、とレッドが眉を顰めつつも、ニヤニヤ笑った

 「なんだよ。もうとっくの昔にファミリー扱いなんだぜ」
 「……止めねぇのか?」

 どういう意味があるのか、レッドはゼドガンの右肩を二度叩いて、ラーラに向かって突撃していく

 「あぁぁー、ラァーラー! やりすぎちゃ駄目ぇぇぇぇー! だぜぇぇー!」
 「結局似たような結果になった」
 「ふん」

 ゴッチは全部終わったとばかりに自分の天幕に向かって歩いていく。ゼドガンも肩を竦めつつ、それに続いた


 この件が、大事になってゴッチ自身に跳ね返ってくるのに、大した時間は必要なかった


――


 「ラーラに二十人ぐらい焼かせた。レッドも居たから死人は出ちゃいねぇと思うが、ちょっとしたいざこざになるだろうな」

 薄暗い天幕でコガラシの光を電灯代わりにして、他愛もない世間話をするように、ゴッチは言った。テツコはそれを理解するのに、数秒もの長い時間を必要とした


 『…………』
 「テツコ?」
 『あぁ……いや、大丈夫だ。どういう事情か、説明して貰えるかい?』
 「さぁ? よく解らん。が、一つだけ解るのは隼団が侮辱されたって事だけだ。ラーラもボコボコにされてた。だから焼かせた」
 『ゴッチ……ゴッチ! 君という男は、どうして私がほんの少し席を外した間に、そこまでぶっ飛んだ真似が出来るんだ?』
 「この件に関しちゃ、何言ったって無駄だぜ。百回同じ事が起こったとして百回同じ判断をする。絶対だ」

 コガラシが激しく明滅する。小さなサポートメカを通して怒気が伝わってくるようだった

 対するゴッチは余裕の表情である。従兵に持ってこさせた酒器に酒を注ぎながら、葉巻をゆらゆらさせている

 「ロベルトマリンの隼団。小せぇ癖に粒揃いで、クソ度胸の塊みてぇなタフな一家。おぉ、おぉ、ファルコンは偉大な男だ」
 『何?』
 「この評判は、ファルコンや俺の兄弟達がぶっ殺したりぶっ殺されたりしながら漸く作ったモンだ。この評判と、ファルコンの冷徹で巧妙なやり口があるから、隼団はロベルトマリンで飯が食えてる」

 ゴッチは恐ろしい形相で机を叩いた。こんな顔をテツコにするのは初めてである

 「異世界だろうが何処だろうが、舐められたら許さねぇ。隼団と付き合うなら覚えておきな」
 『それで私を黙らせようと? ゴッチ、私達が常にどれだけの仕事をしていると思うんだ? ……いい機会だから、ゴッチに少し言っておく。…………私は寛容主義者だよ、隼団の不可侵の部分も理解しよう。だけれども』

 しかし、いくら凄んで見せても、鋼鉄の女であるテツコは、勢いで押し切れる相手では無かったのだ
 或いはテツコは、自身に対する処方を編み出したのかも知れない。怯みもしないテツコにニヤリと笑ったゴッチは、次のテツコの言葉に思わず腰を浮かせ掛ける

 『それで私達の努力を無碍にして、しかも顧みないのは、納得出来ない。私は君達の生存の可能性を上げるために、決して楽観せずにデータを解析して、カオル・コジマのような変態とも格闘して、私だけじゃない。途方も無い量の作業を皆でこなしているんだ。それを、他ならない君自身が危険に嵌り込むような真似をするのでは、どうしたらいいんだ、もう、どうにもならないじゃないか』
 「…………」

 テツコの泣き言である。流石のゴッチも、ドキリとする。テツコは弱みを見せて泣き落としに掛かるような女ではない。少なくともゴッチは、そう思っている
 テツコは平然と、さも当然のようにゴッチを説得しているつもりなのだろうが、或いはテツコ自身が追い詰められているのではないか。そう考えだすと、テツコの言葉の端々に、見なければならない物が沢山含まれているような気さえしてくる

 『誰が言ったか忘れたけれど、自ら死に向かう者を救うのは、どんな名医にも出来ない。頼む、ゴッチ』
 「…………チ、手強い相棒だよ、テツコは」
 『ゴッチ、答えてくれ』
 「起きた事をなかった事には出来ねぇ。するつもりも無ぇしな。…………だが、テツコの言った事は覚えておく」
 『…………外せない要件で外出する。研究所直通の端末を持って出るから、何か事態に動きがあれば直ぐ連絡を』
 「……心配するな。通信を切断するぜ」

 光の消えたコガラシを懐にしまい込み、ゴッチは大きくため息を吐いた。あー、やれやれ、であった

 テツコの研究所の端末は、別の研究員が何の気なしに漏らした話だが、最軽量の物でも二十二キログラムだ。幾ら高機能とは言え持ち運びたがる者は居ない。大抵は、腕時計型の通信機かノートパソコンで済ましている
 それを持って出ると言うのだ。テツコがどれ程神経質になっているか聞かずとも解る。これ以上彼女を蔑ろにすれば、二人の関係は……連携は、壊れてしまうだろう

 「(…………テツコ・シロイシ、か)」

 珍しく、まるで似合いわない事この上ないが、ゴッチが多少の反省と共に天を仰いだ時、図ったかのようタイミングで、レッドが天幕に入って来る
 事実、時を見ていたようで、レッドは何時もと比べて幾分か落ち着いた様子で訪ねてきた

 「話しは済んだだぜ?」
 「あぁ、たった今な。どうした?」
 「ふーんだ。兄弟の大好きないざこざ発生だぜ。ラーラが呼び出されて、なんか超虐められてるみたいなのさぁ。ほら、なんだ、その、あれ……えーっと、軍事法廷みたいな感じ?」

 ぐあ、と吠えて、ゴッチは椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がり、机を蹴り倒した。放り上げられてから絨毯に落下した酒器は、音を立てて割れてしまった。年若い従兵が慌てて駆け込んできて、凄まじいゴッチの怒気に硬直する

 「あぁ? 俺が呼びに行った時以外は近づくなと言っといたろうが……!」
 「ひゃいッ! し、しかし、僕の所まで音が聞こえましたので!」
 「…………お前、ここを片付けとけ。レッド、案内しろ」
 「ほらほら、急ぐだぜ兄弟! ゼドガンは先に行ってるってよぉ!」

 言うが早いか、レッドは足早に歩き出す。後ろを見ながらであったので、背の高い水壷の持ち手に腹部を強打して悶絶する

 「ぐおお……前方不注意……だぜ……」

 ゴッチは懐のコガラシを執拗に小突いた。今ならば、テツコはまだ出発していまい

 天幕を出る前に、ゴッチは従兵の肩を軽く叩いた。従兵は驚き、飛び上がって、その後へなへなと座り込んだ


――


 「諸君等は勘違いしている! 誇りや名誉とは自分達の物だけだと思い込んで、余人を尊重しようと言う心が無いのだ! このラーラ・テスカロンと我がボスは、その浅ましさを正したに過ぎない!」
 「……では炎の魔術師のお嬢ちゃん。お前さんは、決してエルンスト軍団に仇なそうと考えている訳ではないのだね?」
 「私の個人的感情は置き、貴女の言う事は肯定出来る。しかし逆の言い方をするならばエルンスト軍団、引いてはエルンスト・オセ殿が我らを「タマルガが如き習性」の者達と侮辱し、軽んじるならば、決して捨ておかないだろう。私も、ボスも」

 巨大天幕の中からは、威勢の良いラーラの啖呵が聞こえてきている。入り口の番をしている二人組の兵士達は、ゴッチの悪相を前にして真っ赤になったり真っ青になったり、今にも倒れそうな顔色になっていた
 この男に詰め寄られて平静で居られる者が、エルンスト軍団に何人居るのか。職務上すんなりと通すわけには行かず、そしてゴッチは兵士達の職務を鑑みるような男ではなく、正に彼らにとっては悲鳴を上げたくなるような状況である

 兵士達の必死の泣き言も、ゴッチには通用しない

 「い、いえ、その、自分は、ご、ゴッチ・バベル殿がいらっしゃるとは伺っておりませんので」
 「なんだコラ、木っ端ども。俺が来たら適当にお喋りでもしてろと言われたのか? ぶち殺……」
 「まーまーまーまー! まーまーだぜ!」
 『どういう娘なんだ、ラーラと言う娘は。弁明しているようで、喧嘩を売りつけているんじゃないか!』

 コガラシの向こう側で、テツコが頭を抱えているのが、手に取るように解った。ゴッチが二人になったような、そんな風に感じているに違いない

 天幕はざわめいている。しかしそんな中でも、老女の穏やかで何処か面白がっているような声が、よく響く

 「しかし、十九人の兵達を半死半生にするのは、生半な理由で許されて良いことでは無いじゃろ」
 「私は放つ言葉と一挙一投足の全てに、命を失う覚悟を備えている。エルンスト軍団の兵はどうか? 自らの放った暴言の罪を、死で償う事も出来ないのか?」
 「人が傷を負えば、更に死んでしまえば、それは大きな損失! 悲しむものも居ろうて! しかし、言葉は? どれ程鋭かろうと、放たれた後は消えるだけじゃ!」
 「解っている癖に詭弁を操るその不貞不貞しさが私は大嫌いだ! それが我らを軽んじていると言うのだ! 仮に、今日私が仕置きした彼らがエルンスト殿を罵倒したならば、死罪である筈!」
 「中々言うのう。如何に二人の魔術師を従え、また自身もそうであるとは言え、多寡が冒険者の小集団の首領であるゴッチ殿と、万の精兵を完全に統率し、アナリアの危機を救うために立ち上がった数多の諸侯から盟主に戴かれるエルンスト様が、同格と?」
 「我がボスがエルンスト殿に従う謂れはなく、また従った事実もない。そして持つ勢力の強さがその人物の格であると言う、如何にも貴女方らしい弄れた価値観に合わせて差し上げたとしても、ミランダローラーを含む我らが一団の実力は、決してエルンスト軍団に劣るものではない。詰まり、同格である!」

 なんか凄いこと言ってる
 冷や汗を流すレッドの呟きが風に攫われる。ゴッチとしては聞いていて非常に気分の良い啖呵だったが、レッドやテツコに取ってはそうでもないらしい

 何か言おうと呻き声を漏らしていたテツコが、ふと冷静さを取り戻す
 ルークから、通信を受けたらしい。唸っていた時より幾分か涼し気な声が、じんわりとゴッチの心も冷やした

 『……いや、まだだよ。今件の天幕の前だ。……? 解った。伝えておく。……ゴッチ、ルークから連絡だ。話しがあるので天幕に突っ込んでいかず、そこで待っていてくれと』
 「(あの餓鬼が?)」
 『今回の件を丸く収めるため、上手く動いてくれているようだ。少しは明るい展望が望めそうだよ』

 老女の大笑いが聞こえた

 「ふぁーっはっは! お前さんのような恐れ知らずは、初めて見る! 本当に、ここにエルンスト様が居らんで良かったわい」
 「ふ、何故か?」
 「エルンスト様の前でそんな大口叩かれたら、エルンスト様が許してもこの私が許すわけ無いだろう青二才の小娘!」
 「私の内には重ねた年月以上の物が幾らでもある! が、それでも貴女が私を若さ故に侮りたいのだとしたら、好きにすれば良い!」
 「居直りおって、全く困った奴よ! ほら立っとらんと座らんかね。お前さんには山ほど説教してやらにゃならぬ」

 どうやら中の状況は、今すぐ何がどうこうと言うほど切羽詰っては居ないようだった
 ゴッチは片方の兵士の胸ぐらを掴み上げる。掴み上げるでは済まず、そのまま己の頭上に釣り上げた

 「わ、わわ!」
 「おわ、兄弟?」
 『ゴッチ、手荒な真似は……』

 ゴッチは聞かず、もう片方の兵士も同じように釣り上げる。左右の手に大の男を一人ずつ掴んで持ち上げる様は、何とも異様な光景であるに違いない

 「この糞ども……、人が訪ねて来てんだぞ。聞いてるとか聞いてねぇとか知るかボケ。俺が来たらテメエらは飼い主にキャンキャン摺り付いて、とっとと俺を中に入れるよう取り計らうんだよ」
 『ゴッチ、あぁ、そうだ、そういう踏み止まり方だ。欲をいえばもう少し友好的な態度で居て欲しかったけど』

 テツコが何処か嬉しそうに言う。その時、剣だけを佩いた軽装のルークが緊張した面持ちで走り込んできた

 「ゴッチ先任!」
 「ふん、お前か。なんだァ? その呼び方」

 ルークが眉を顰めても、それは仕方の無いことだった。今のゴッチは、兵士を二人縊り殺す寸前にも見える

 「ゴッチ先任、一先ず私の話しをお聞き下さい」
 「とっとと言えよ。早くしねぇとこいつら天幕に放り込んで、あのバーさん殺っちまうぞ」
 「兄弟、ロベルトマリンのアウトローなら、お婆さんには優しくするだぜ」

 ルークはゴッチにするりと近寄り、耳元に顔を寄せた
 ふわりと甘い香りが流れる。異世界でまで香水とは、大した余裕だと、ゴッチは露骨に眉を顰めた。耳打ちしたいのは解るが、必要以上に顔を寄せてくるのも気に入らなかった

 「(今回の事、大きな問題にはせず、オーフェス殿とゴッチ殿の間での貸し借りと言う事で決着させます)」

 オーフェス? あのバーさんか?
 ルークは小さく頷いて続ける

 「(オーフェス殿は悩みを抱えておられまして、しかしそれを解決する為の人手が無い状態で御座いました。しかし、そこにゴッチ先任がいらっしゃられた)」
 「(それの解決を条件に、この件を手打ちにしろと?)」
 「(いえ、もう少し駆け引きします。先任は思わせぶりな態度を取ってください。『ゴッチ・バベルは態とオーフェスに借りを作り、オーフェスが依頼し易いようにした』そういうシナリオで行きます。ホーク・マグダラ殿がその“嘘”の下地を、オーフェス殿に上手く仄めかしてくれていますので)」

 回りくどい。ゴッチでなくとも、そう感じた筈だ。余りにも回りくどい

 「(何故だ? ……って言うかお前近いんだよ、余り引っ付くんじゃねぇ)」
 「(もう少し我慢して下さい。オーフェス殿は、無思慮な行動を嫌うお方です。行き当たりばったりで兵士十九人が大怪我をするのは許せなくとも、策謀を積み重ねる過程で兵士十九人が大怪我をするのは許せてしまうお方なのです。マクシミリアン様にも似たようなところがありますから、理解できます)」
 「ふ……ん」

 畳み掛けるようにルークは言う

 ホーク・マグダラの取るポーズとしては、エルンストの側近であるオーフェス・サデンには積極的に協力したい。丁度ゴッチ・バベルと言う、協力するための戦力も現れた
 しかし、ゴッチ・バベルにも立場がある。幾らマグダラの客分とは言え、エルンスト軍団に都合よく使い回されては面子に関わる。軽く見られるのは許容出来ない
 では、適当な揉め事を貸し借りの材料として、周りの者達に“ならば仕方ない”、と思わせる理由をでっち上げる。都合よく、エルンスト軍団の兵士達がゴッチ・バベル一党を侮辱した

 こんな感じで進めたいのです、とルークは締めくくった。ホーク・マグダラはゴッチ・バベル一党の件に関してオーフェス・サデンに借りを作るどころか、その真逆、恩を売れるのだと

 頭がぐるぐるしそうだった。こんな茶番がオーフェスとやらの好みなのか?
 それともコレこそが、周囲にとって都合の良い「バランス感覚」と言う奴なのだろうか。ゴッチは唾を吐く

 兵士二人を放り出して、ポケットに手を突っ込んだ。ルークが緊張からか、僅かに顔を赤らませながら唾を飲む

 「ふん……まぁ、…………何が何でも、ペデンスには行かなきゃならんしな」

 エルンスト軍団に嫌われないように、“出来るだけ”紳士的に行こうか。ゴッチはお約束のように、天幕の入口を蹴り開く


――


 「待たせたな、お前ら、俺の顔が見たくて仕方なかったんだろ?」

 礼儀も何も無く、尊大を思い切り全面に押し出しながら、ゴッチは大股で歩く
 天幕の奥には、水晶を埋め込んだ頭巾を被った老女オーフェス。それを取り巻くように数名の騎士、護衛の兵士

 それと向かい合うようにして、ラーラとゼドガン。ラーラは仁王立ちしてオーフェスを睨みつけ、ゼドガンは何時ものように飄々とした態度で用意された椅子に座っていた

 鋭い視線をオーフェスから外し、ラーラが振り向く

 「ボス、御出でになるのが早過ぎます。私はまだ、彼女等をやり込めていません」
 「お遊びはそこまでだ。後は俺が話す」

 気怠そうにゴッチが手をふれば、ラーラは不満そうな顔をしながらも端により、ゴッチに場所を譲った

 ゼドガンはゴッチを見遣ったかと思うと、小さく笑って腕組みした。ゼドガンに相応しい涼し気な佇まいである

 「……おや、ゴッチ殿ですか。私はまだ、そこの小娘に説教し足りんのですが」
 「オイ、ラーラは俺の荷物持ちだ」

 ゴッチはラーラの為に用意されていたらしい椅子に、遠慮なく座る
 オーフェスの細い目を覗き込む、どこまでも見通すような嫌らしい視線であった

 「ラーラの文句は俺に言え。率直に、解りやすくな。……言いたいこと解るか? 時間の無駄遣いはしたくねぇって事だよ」
 「お前ら、席を外しな。今から、この魔術師殿と大事な話があるんでね」

 ゴッチの気性を見たオーフェスの決断に、周囲の騎士達は逡巡せずに立ち上がり、歩き出す。オーフェスがそう言ったのなら、どんな内容であれ彼等に否やは無いのだ

 「ラーラ、お前達もだ。ゼドガン、済まねぇな。大火事にならねぇように見ててくれたんだろ?」
 「気にするな。俺はこの娘の気性が嫌いではない」
 「ぼ、ボス、ミランダローラー殿も……! 私はまだ言い足りません!」
 「レッド、連れてけ」

 ぎゃーぎゃー喚くラーラを引きずって、レッドとゼドガンが出て行く

 最後に、護衛の兵士達もがそれに続き、天幕の中にはオーフェスと、ゴッチのみになった

 ゴッチは飽くまで不遜な態度を崩さない。成程、使い辛そうな男、とオーフェスに改めて思わせるには、十分な態度だった

 「……なぁ、俺達は今、力が有り余ってるのさ。だから今回、こんな事になっちまった。暴れる場所さえありゃぁ、なぁ?」
 「……暴れられるかどうかは、微妙なところ。……正直を申せば、ゴッチ殿にこれをお任せするのは些か不安。そもそもゴッチ殿の存在が不安。しかし、マグダラのお若いのが無理を押して手回ししてくれたのであれば……。この期に及んでは仕方ないことと心得ましょう」
 「あぁぁ? 『婆さん』なんか言ったか? ホーク・マグダラは関係ねぇよな、今回。“そういう話”だもんな」

 地図を広げるオーフェスの米神に、ビキビキと青筋が浮いた

 『ゴッチ、余り相手を挑発しないでくれ』


――


 「ロージンと言う商人が居ります。ガークデンの北部、ジルダウ湖に面するジルダウの街に居を置く、名の知れた大商人です。我が軍は、このロージンからかなりの量の物資を購入しております。特に、武器を」
 『……ジルダウの街、把握している。ある程度規模のある街だ。流通の要所で、商人達の街と言い換えてもいい』
 「…………どうした? 続けろよ」
 「それでは。……ロージンはエルンスト様の挙兵以前より、我が軍と多く取引している商人。しかしここ暫くは、敵方にも多くの武器を融通しておるのです」

 地図のある一点に大きく×を打ち込んで、オーフェスはふん、と忌々しそうに鼻を鳴らす

 「商人だろ? そんぐらいは当然じゃねぇか」
 「バレねば良かった、バレねば。しかしこのオーフェスが尻尾掴んだならば、只では済ませませぬ」
 「元気な婆さんだな……」

 こっちの世界じゃ、そう言うのはダメなんか。ゴッチは肩を竦めながら冷たい目のオーフェスを見る

 「詰まり俺は……そのロージンってのを、脅しつければ良いんだな?」
 「……場合によっては始末して頂きたい」
 「ほ? 良いのか? 困るんじゃねぇか、婆さん」
 「ふん、代わりの商人は育てております。あの鼻持ちならない狸野郎の相手するよりもよっぽどマシなのをね」

 やることは解った。ゴッチに相応しい、汚れ仕事である
 こういうもんなんだよな。と、何だかすんなりと腑に堕ちた。こういうもんなんだよな

 回りくどいことこの上ないが、面子守って、意地になって暴れて、大事になって、取り返しのつかない所に行く前に、無様に惨めったらしく駆けずり回って事態の収拾を図る
 感じた気持ちの悪さはこういう事だったんだ。最近妙に持ち上げられすぎて、感覚がズレてきていたのだとゴッチは思った

 所詮は、ロベルトマリンのダニだ。だからどうしたと言う事も無いが、変に気取る要素も無い筈だ

 隼団は、どんな奴でもビビる残酷で恐ろしい悪党どもの集まりなんだぜ……!

 「(ちょいと簡単すぎるが、まぁ俺に似合いの仕事だ。だろう?)」
 『……』

 テツコは、答えない

 「ふん、良いぜ、婆さん。ロージンとやらの件、任された。…………俺に任せておけよ」

 黄金の隼が、暗く輝く


――

 後書

 なんか、凄い不満な出来なので、この回は前触れ無くぐぁっと修正される可能性あり。

 そろそろ俺発狂して色々やってしまうかも知れない。コガラシが変形してゴッチと合体とかな!
 ……くあー、もっと面白く書けるようになりてぇなぁ。

 UK氏から指摘して頂いた部分の修正を行い申した。
 人名を間違うのは、普通の誤字脱字よりも致命的だよね……。

 クリャ氏から指摘して頂いた部分を修正。脳が死んでいる……。



[3174] かみなりパンチ25.5 鋼の蛇の時間外労働
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:55
 「ファルコン、私は正直、ブラックバレー氏の事が得意ではないのだけど、そこの所解ってくれているかな?」


 ファルコンは今追い詰められている。別にそれは良い。今までの人生、追い詰められたことは幾度もある。原因は色々で、結果も様々だったが、最後には切り抜けてきた。そうなるように、常に備えるのがファルコンだった
 だが今回のコレは、普段のそれとはベクトルが違う。ファルコンは今、テツコと二人きりでほぼ密着状態にある

 女子トイレの個室である。切羽詰った状態のテツコに無理やり引きずり込まれたのだ。今までの人生……いや、鳥生の中でも、女子トイレの中で詰問されるなど無かった事だ。あって堪るか

 「そもそも、重要な案件だと言うから付いてきたのに、テンコーロブティックに放り込まれたかと思えば直後にブラックバレー氏と会食なんて……。何だ、このドレス。私の年収がカッ飛ぶ代物だ」
 「似合っているぜ、テツコ。お前の為にデザインされたようなドレスだ」
 「あぁ、ありがとうファルコン。だが私はドレスに縁遠い女だよ。余り嬉しくないね」
 「む? テツコ、静かに」

 かつかつと言うハイヒールが床を叩く音にファルコンはよく反応した。無理もない
 アウトロー始めて二十年。様々な悪事に手を染めた。しょっ引かれた事も一度や二度ではない

 だが、痴漢として豚箱にぶち込まれるのは絶対に御免である

 足音はトイレの入口付近で止まり、直ぐに遠ざかっていく。どうやら、鏡を見に来ただけのようだ
 ファルコンは羽でわさわさと己の頭を撫で、安堵の溜息を誤魔化す

 「……向こうはお前に興味津々だ。もう大分昔の、エア・トレインの再設計の事、何処からか聞き付けたようでな」
 「ブラックバレー氏が、私を取り込みたがっていると?」
 「さぁ? でも楽しんでるように見える」

 テツコは米神を揉みほぐしている。ここ暫く、ストレスを溜め込んでいた。普段理性的なテツコが堪らずファルコンを女子トイレに引きずり込むぐらいだから、その追い込まれ具合も知れようと言う物

 ファルコンだってその事は承知している。テツコに対して怒りを向ける気になれないのは、彼女が職務とゴッチに対して極めて献身的なのと、そのストレスを鑑みてしまったからだ

 「まぁ……なんだ、気の持ちようだろう。マクシミリアンとて、そう強引な男じゃあない。……何をするにもな。話してみれば意外になんて事は無いかも知れんぜ」
 「……まるでブラックバレー氏を擁護するような物言いだね。ファルコンはもう完全に取り込まれてしまったようだ」
 「テツコ、こりゃただのアドバイスだ」

 テツコは難しい顔で大きなため息を吐いた。艶やかな光沢を持った黒いドレスが余程気に入らないらしく、しきりに身体のそこかしこを引っ掻いている
 遠くを見るような目をするテツコ。出よう、と小さく呟くのを聞いてファルコンが感じた安堵は、ここ一年の内で最大の物である

 女子トイレ付近に人気が無いのを確認し、ファルコンはテツコの腕を引っ掴んで驚くほどのスピードで外に出た。風のような速さだった

 「……幾つもの事を同時にやる人種だ。彼に取り込まれて、彼の都合で何かしたとしても、彼の別の都合で何時の間にか排除されて不思議ではない。ファルコンやゴッチとは違う。私はブラックバレー氏を信用出来ない」
 「やけに警戒するな。奴と何かあったのか?」
 「いや、特には。でも、私の勘だよ」

 勘か

 理屈じゃねー物は、理屈じゃ納得させられんのだよなぁ
 ファルコンは、苦笑いした


――


 テツコは溜息と共に入口の扉をくぐる


 豪華なレストラン、とか、そういう物にテツコはあまり興味がない。その必要であれば栄養剤だけで一月過ごせる鉄の女だ
 だから壁がどんな材質だろうと、床に何の素材のマットが敷いてあろうと、シャンデリアの装飾がどれほど眩かろうと、評価する言葉を持っていなかった

 だが、清潔に磨きあげられているのは、純粋に良い。別に来たくは無かったが
貸し切りにされた、きらきら眩い高級レストランの真ん中で、テツコの悩みの種が優雅に待ち構えている

 「二人とも戻ったか。エッツィが待ちかねているぞ」

 三人で座るには些か大きい円卓で、髪をオールバックにしたマクシミリアンは悠々とグラスを揺らしていた
 傍らに控える料理人エッツィが、子牛の丸焼きの前で大ぶりのナイフを構えながらにこやかに会釈する。ファルコンが肩を竦めるのと対照的に、テツコは愛想笑いした

 子牛の丸焼きは、とてもではないがマクシミリアンとファルコンとテツコ、三人で消費しきれる量ではない
 無駄な事を好まないテツコだ。愛想笑いするしか無いと言う物

 「化粧を直すのが苦手でして」
 「君はそんなに気を使わずとも、微かな彩りだけで十二分に素敵だ」
 「ははは……」

 ファルコンとテツコが席に着くと、マクシミリアンはエッツィに向かって尊大に頷いた。エッツィは畏まって一礼し、慣れた手つきで子牛の丸焼きにワインを振りかける

 エッツィが鉛色の棒を強く擦り合わせると、火花が飛んで子牛の丸焼きが炎に包まれた。大きな銀皿の上で艶のある子牛の肉を炎がぬらぬらと撫でる
 添えてあった香草が燃えて独特の香りが広がった。食欲をそそる強い臭いだ

 「一度丁寧に焼き上げた子牛にジュベールペッパーを添え、モトラオワインのオリバをふりかけてまた、焼くのです」
 「んん、鮮やかな手並みだ、エッツィ。……アナライア、と言う国の高級料理だそうだ。確かにこの香りは悪くない」

 意地悪な顔でマクシミリアンは微笑む。何を考えているのか解らない邪悪な笑顔から、冷徹さが滲んでいる。目を細めてワイングラスを傾ける様は、ゾッとする程の色男振りであった

 「アナライア……?」
 「少し、その国に興味があった。調べ物をするついでに、食文化等もな。どうだファルコン、こういうのは」
 「うん? 俺は食うさ、鶏肉以外なら大抵は」

 どうでも良さそうに言うファルコンに、マクシミリアンは親しげに笑って見せる

 「そういう事ではない。ワインだ」
 「?」
 「この前私の執務室で呑ませたろう? あれもモトラオのオリバだ。随分気に入っていた様だったから、こういうやり方ではなく、そのまま呑む方が好みだったかと思ってな」
 「へぇ。いや、呑むのはそれで良し。牛を丸焼きにするのは、これはこれで良し。色々使い方があるもんだ。まずは」

 ファルコンはエッツィを顎でしゃくる

 「味を見てみんとな。シェフ、テーブルマナーは勘弁しといてくれ」

 かしこまりました、と丁寧に応え、エッツィは子牛の丸焼きから素早く二切れ切り離し、ファルコンの皿に盛る
 ファルコンは笑った。マクシミリアンの言う通り、鮮やかな手並みだ。何でもかんでも綺麗に解体してしまえそうな鋭さであった

 その時、入り口の方から何者かの大声が聞こえて、場にいる全員がぐる、と視線を回す

 大声ではあったが、怒鳴りつけるような声音ではない。居丈高に相手を封じ込める、「黙れ」の一言だ

 厨房の方から、タキシードに身を包んだ犬の亜人が早歩きに現れて、マクシミリアンに会釈する

 「当ててやる、お前の大嫌いな、火の点いたダイナマイトみたいな奴が来たのだろう」
 「はい、いえ、マクシミリアン様。別にどうと言うことも御座いません。そのままお食事をお楽しみください」

 耳をコミカルに震わせてニコニコ笑う犬の亜人に、入り口の方に控えていた部下が耳打ちする

 「……成程。紹介状は? そうか、無いか」

 首を横に振る部下。犬の亜人は腰元に手をやって、一撫でした。変な仕草だ

 ファルコンが首を傾げた。妙な印象を、犬の亜人から受けた

 「……アイツは?」
 「私の元部下だ」

 ファルコンの目の前で、犬の亜人はにこやかな笑顔から一変し、凶悪な形相で唸った

 「私が呼びに行くまで、ゲロ臭い口を閉じて大人しくしていろと伝えるんだ。お聞きして頂けないようなら……送って差し上げろ、二度と戻ってこれない所にな」
 「元部下、ね。あぁ、納得だよ」

 やれやれと首を振って見せるファルコンに対し、マクシミリアンは満足げに笑っている

 平然とこういうやり取りをしてしまうのが、全く嫌なのだ。テツコは面倒事は避けて進むタイプだ
 場違いなのだ。この二人とテーブルを囲んで食事をしているのがそもそも可笑しい。嫌なものを嫌だと拒否してしまえる程子供ではないテツコは、目を閉じてため息を吐くしかなかった

 「では、そろそろ次の準備を……」
 「いや、エッツィ、良い、そこに居ろ。その方が手間が省ける」
 「え?」

 どぉん、と轟音を立てて、レストランの入口の扉が吹っ飛んだ。脚を振り抜いた状態で、スプライトスーツを着込んだインテリメガネとしか言いようの無い男が、詰まらなそうにレストラン内部を見渡している

 猛禽のような目付きの男だ。黒縁のメガネが必死に視線の鋭さを和らげようとしているが、却って凶悪さを強調している。テツコは頭を抱えて呻いた。また変なのが来た

 「遅くなった」
 「ミーシャ、紹介状を持たせたろう」
 「ここに来る途中、間違ってストリートギャングの盗難車と一緒に燃やしてしまった」
 「……キュラー、悪いが許してやってくれ」
 「マクシミリアン様が仰るなら」

 手櫛で髪を整えながら、ミーシャはずんずんと歩いてくる。犬の亜人、キュラーはニコニコ笑顔に青筋を浮かべながらも、マクシミリアンに抑えられて引き下がる

 ファルコンは、ミーシャの事を知っているようだった。軽く手を上げるファルコンに、ミーシャは頷いてみせた

 「マックス、助かった。あの無能どもでは追い掛けきれなかったに違いない」

 冷たく言うミーシャは料理には目もくれず、エッツィに何かを差し出した。写真だった

 「……!」

 写真を見たエッツィは絶句する。ミーシャはそれを見ながら、全く自然な動作でマクシミリアンの使っていたフォークを奪い取る
 声を上げる間もなかった。特にテツコは、目で追うことすら出来なかった。ミーシャは鈍く光るフォークを、エッツィの左腋に突きこんでいた

 「ごぁぁぁっ?!」

 当然、エッツィは悲鳴を上げる。テツコは目を白黒させた。何をしている、この男は
 ファルコンは動揺していない。何時ものようにやれやれと肩を竦めているだけだ。マクシミリアンも、何事も無いかのようにワイングラスを揺らしている

 「二年前、警察官ロムルス・グリンフィールドの息子ホライルを惨殺した時、お前は笑いながら彼の脚に十二本のナイフを刺し込んで、「ツイストを踊らせてやる」と言ったらしいな」
 「な、ば」
 「ほら、遠慮せずにお前も踊れ。動ける内にステップを踏むんだ」

 消音器付きの拳銃を引き抜いて、矢張り詰まらなそうにミーシャは言う。一発、エッツィの右太股に。間をおかずもう一発、今度は左足の甲に
 声にならない悲鳴を上げるエッツィ。その肩を、ミーシャは凄まじい力で掴んでいた。倒れこむことも出来ない

 「どうした、ほら、踊れ」

 もう二発ずつ、ミーシャは左右の足に撃ち込む。パシュン、と言う間抜けな音が連続で響いた。テツコは唖然としている

 「オイ、血が飛ぶだろうが、本当に踊らせるなよ。俺のスーツは特注品なんだ」
 「……ミスタ・ファルコン、もう済む」
 「あぁ、ったく、マクシミリアン、お前の周りにゃコイツみてぇなのしか居ねぇのか」
 「お前がそれを言うか」

 惨めに涙と鼻水を垂らし、掠れた悲鳴を上げるエッツィ。ミーシャはエッツィの肩を解放し、がくがく震えるその膝に、踵を振り降ろす
 メコ、と言う音は、およそ人体が発する音ではない。テツコはもう何もいう気になれなかった

 エッツィ、エッツィよ、とマクシミリアンは本当に嬉しそうに笑う。エッツィの不幸が、苦痛に歪み、恐怖に震える顔を見るのが、楽しくてたまらないのだ

 「この私が、本当にお前のような無能を拾い上げると思っていたのか?」

 倒れ伏すエッツィの手から、先程子牛の肉を切り分けたナイフを蹴り飛ばし、ミーシャは概ね満足、と言った風に頷いた

 「目標はナイフで武装していたため已むを得ず射殺だ」

 エッツィが叫ぶよりも早く、もう一度だけ、パシュンと鳴る

 「キュラー、後で別の者がそのゴミを引き取りに来る。片付けて置け」
 「何故脳味噌があの世まで逝っちまってるジャンキーから命令されなければならないのか理解に苦しみますが、他のお客様に不愉快な思いをさせる訳にも参りませんので、そうさせて頂きましょう。……次はないぞ」

 テツコは立ち上がった。ファルコンではないが、やれやれである。これ以上付き合う気にはなれない

 「そちらの君、初めまして。ミハイル・バシリアだ」
 「テツコ?」

 自己紹介するミーシャの横をすり抜けたテツコは、トン、トン、と自分の頭を突付く
 無礼は承知である。しかし無礼と言うなら、目の前で処刑なぞ見せられるのはどうなのか。テツコは怒っている

 「私は暇ではないよ、ファルコン。ミスタ・ブラックバレー。茶番は程々にして欲しいな」

 縦に割れた瞳をぐるぐるさせながら、テツコは扉の消失した出入口に向かって早足で歩いていく
 ミーシャが、その後姿を目で追っていた

 「機嫌を損ねたか……。ん、どうした、ミーシャ。彼女が気になるか?」
 「そうだなマックス。お前と同じくらいには」
 「ほぉ、あの石像とまで言われた堅物がな」
 「ふざけるな」

 子牛の丸焼きを口に放り込んで、うんうん頷いていたファルコンが、ぼんやり言う

 「だから連れてきたくなかったんだぜ、俺は。マクシミリアン、テツコの機嫌はお前とミハイルで何とかしろよ」

 ミーシャは黒縁メガネの位置を直しながら「約束出来ない」と冷たく言う
 相変わらず、ロベルトマリンの海のような目をしていやがる、とファルコンは軽口を叩いた

 ファルコンの感想として、ミハイルはマクシミリアンよりも古い付き合いだが、今こうして顔を合わせてみれば、この二人はよく似ている
 マクシミリアンは自分の能力に絶対の自信がある。ナルシストの気があって、人物も恐らく自分に近しい気質の者を好む
 この男の友人になれるのは、この男に似ている者だ。成程、ミハイル・バシリアなら正にその通りな訳だ


――


 マクシミリアンの客、と言う肩書きは非常に有用である。代金も取らずに送迎車、しかも地面を走る方を出してくれるのだから、テツコとしては文句はない
 しかし実物が無ければどうにもならないのだ。出払っている車が戻るまで後二十分程、待たなければいけない。研究所まで歩いて帰るのは無謀だ。二十分の二十倍掛けたところで着かないだろう

 備え付けのソファーに座りながら上を見上げた。ビルの吹き抜け。ぼやけて見える程背の高い天井。このビルのどこかで、未だにファルコンはあの危険人物達とテーブルを囲んでいるのだろうか

 誰かが近づいてくるのに気付き、居住まいを正す。直後に表情を硬直させた

 「失礼する、テツコ・シロイシ博士」

 ミハイル・バシリアだ。あのレストランから出てまだ十分程しかたっていない。テツコは率直に質問した

 「ミハイルさんでしたか。ミスタ・ブラックバレーとのお話はもう済んだので?」
 「全て。解っていた事が再確認出来たと言うだけだが。詰まり無駄だった」
 「……そうですか、なにやら込み入った事情がおありのようですね」

 乱暴な口調、高圧的な声音、と言うわけではなかったが、礼を払おうと言う意識がない

 「君はマクシミリアン・ブラックバレーと繋がっているな?」

 ミハイルが詰め寄ってきて、見下ろしながら冷たく言った
 突然の詰問である。質問の意図も、内容も、よく噛み砕くことが出来ない。しかし迫力は尋常ではなかった。テツコは不快感を顕にした

 警察組織かそれに準ずる何かの関係者のようだが、こんな手合いは初めて見る

 「……繋がっていると言えば繋がっているよ。ブラックバレー氏はクライアントのそのまたクライアントさ」

 テツコが唐突に敬語を辞めても、ミハイルは毛程も気にしていない。お互い様であるし、そもそもテツコに良い印象を持たれようと思っていないのだろう

 「歳は?」
 「君は警察関係者のようだけれど、何時からこんな所で尋問出来る権限を得たんだい?」
 「マックスから君を借り受けた。私の仕事に付き合って貰う。クライアントのクライアントからの要請だ。無下にするのか?」
 「……バカバカしい。……二十四だよ」
 「性別は?」

 テツコはミハイルを睨み付ける

 「男に見えるのかな」
 「色んな奴が居る物だ」
 「私は女だ」

 ミハイルは「そうか」とつぶやいて頷いた。挑発されているのか? とテツコが悩んでも、仕方ない

 「何時からマックスと?」
 「それは正確ではないよ。私が直接的に繋がっているのはファルコンだ。ファルコンからの仕事を受けたら、ブラックバレー氏が居た」
 「何時からミスタ・ファルコンと?」
 「つい最近さ。例の「異世界」の事が公表された時」
 「どういった内容の仕事だ?」
 「既に調べているんじゃないのか? ……守秘義務がある。君が知っていようがいまいが話せない」
 「結構」

 テツコは、目の前の鉄面皮を殴り飛ばしてやりたくて仕方がなくなっていた。ゴッチの気性がうつっているのかも知れない
 聞こえやすい、通りの良い声で矢継ぎ早に質問してくる。様子を見ていると、本当に情報が欲しくて質問しているのかどうか激しく疑問だった。質問することが目的のようだ

 「把握した。テツコ・シロイシ博士、マックスと関わりのある人間を私は民間人と思わない事にしている」
 「……それで? これ以上私を怒らせたいのかな?」
 「先程言った通り、仕事を手伝ってもらいたい。丁度良く君はドレスを来ている」
 「?」
 「三つほどパーティを回る。幾らでも美味いものが食えるだろう」


――


 ゴッチから送られた(とファルコンは思っている)イーストファルコン・コロナをマクシミリアンに見せびらかしていたファルコンは、ビル受付から届けられたミハイルの置き手紙に、愕然とした

 「テツコ・シロイシ博士を借りるって……、バカヤロウが、何考えてやがる」
 「さぁな、人質のつもりではないか?」
 「どういう事だ、何を知ってる。……いや、誰に対する人質だ?」
 「ミーシャと私は盟友だが、ミーシャにとって私は必ずしも信用出来る人間ではないのだろう」

 ファルコンはテツコが退出した後の、マクシミリアンとミハイルの会話を思い返す
 違和感は、無い。たったの五分間、取り留め無い世間話に終始した

 「……そもそも、何故今日、俺達を呼んだ? 解ってるんだろうな、テツコに何かあったら、結果的にアンタも困る」
 「承知している。私も、それこそミハイルも」


――


 パーティなど、ドレスなど、豪華な料理など
 何一つとして、テツコの望むものではない

 一つ目のパーティからして胡散臭い事極まりない人種の集まりだった
 参加者は皆思い思いのタキシードで周囲には女を侍らせ、曇った眼光に貫禄を湛えている

 あそこの馬面も、こちらの虎面も、堅気じゃ無い。テツコの顔は自然と引き締まった。場の女達が侮ったような視線をテツコに向けているのがまた癇に障る。自分達と気質の違う、迷い込んだ子猫のような風情のテツコを、嘲っているのだ

 「困る……」
 「適当な椅子に座って眼を閉じていても良い」
 「それも困る」

 そんな事をしたら、異様な気配の女どもに近付く事になる。何を言われるか解ったものではない。テツコとしては全く気に入らないが、ミハイルの傍に居る方がまだマシだ

 でっぷりとした体型、饅頭のような頭に、不敵な笑みを貼り付けた男が歩いてくる。ミハイルに向かって、手を上げていた

 「よぅ、兄弟、元気か? どうだい、仕事の調子は」
 「頭を悩ませている。やらなければならない事が大過ぎて、あちらこちらを飛び回っている状態だ」
 「ははは、休みを取れよ。そうだ、マルティンが新装開店だってよ。行ってみないか?」

 ミハイルは笑顔を崩さない

 「馬鹿言うな。お前を特殊防護処理済みの牢にぶち込んでから、一人で行く」

 壁際に控えていた黒いサングラスを掛けた男が二人、大股でこちらに歩いてきた
 でっぷりとした男は、手を上げてそれを制した

 「あー良いから良いから、あっち行ってろ」
 「お前、少し前にパナシーアから荷物を取り寄せたろう。テディベアと言う事はあるまい。中身はなんだ?」
 「勘弁しろよ兄弟、俺がちょっと玩具を頼んだだけで押しかけてくんのか? 俺ってそんなに大物だったかね? 姪の誕生日だったんだ、それ以上のことはねぇ」

 何時の間にか背後に気配があった。テツコは身を硬直させる。脇腹をくすぐられていた
 ぎりぎりと油の切れた機械のように首を少しだけ動かす。でっぷりとした男に侍っていた女の一人だ。悪戯っぽい笑み浮かべて、テツコの身体のあちらこちらをまさぐっている

 ぞわ、と鳥肌がたった。その様子に笑みを深めた女は、テツコの匂いを嗅ぎながら撓垂れ掛かる

 「パナシーアで何か仕事をしているか?」
 「……あんな所に何があるよ。テディベアが関の山だぜ。オイ、俺はケチな男さ。だからお上と上手く行ってねぇアンタと話し合いが出来る。そうだよな?」
 「あぁ、そうだ。だがお前のケチで冴えない運送業は、多くのクズどもに必要とされている。……二つ目の質問だ。アナライアから何か運んだか?」
 「アナライアぁ……? 知らん、いや、本当に知らんぞ。ガッコじゃ殆ど寝て過ごしたからな、世界地図も解らねぇ。どこだ? 国外か?」

 テツコ自身すらよく把握していないドレスの構造を、女は熟知している様だった。布をすり抜けた両手が太股を撫でさすったとき、テツコはとうとう激昂した

 くわ、と目と口を開き、蛇の牙を見せつけて威嚇する。理知を重んずるテツコらしからぬ、必死の自衛であった。シャアアア

 女は更に一枚上手だった。何と伸び上がるように身体をくねらせ、頬を寄せてきたかと思うと、舌を伸ばして牙を舐めたのである

 完璧に硬直した。今までに経験したことの無い痴情だ。こんな痴女が早々居て堪るか
 口内を好き勝手に舐られながら、噛み付く処までは決断しきる事が出来ず、テツコはされるがままであった。ミハイルが漸く助け舟を出す

 「悪戯するのはそこまでにして貰おう。彼女はテツコ・シロイシだ。意味は解るな」

 でっぷりとした男が、慌てて女を下がらせた。残念そうに指を咥えた女は、手をゆらゆら怪しげに動かし、腰を振って歩き去っていく

 「…………ッ! っは、はッ、はッ、……な、何という事だ……!」
 「テツコ・シロイシ博士ですかい、へぇ! 成程、兄弟、道理で強気だ。ファルコンの旦那と縒りを戻した訳か」
 「私はお前の嘘が読める。知っている事を話せ。私はミスタ・ファルコンより優しいと言う事だけは保証してやる。…………あぁそうだ、彼女は体内に三つの毒を持っていて、その内一つは最高位危険薬物取扱免許の取得が必要になるほどの強力な媚薬だ。これ以上私を待たせると、お前の大事な“女神”達が、尻を振り乱して彼女に擦り寄る事になるぞ」
 「そこまで脅すか! そんなピリピリすんなよ兄弟、仲良く行こうぜ、なぁ? …………アナーグの所が、密輸品をどうのこうのってのなら小耳に挟んだ。俺ん所とは関係がねぇから気にしてなかったが、あの小便野郎なら兄弟好みのマニアックなモンも扱ってるだろうよ。丁度今日、ビジネスに関する話しをしてる筈だ。シュライクの飯屋、何時もん所。最も、もう終わっちまってるかも知れねぇがな」

 ミハイルは踵を返した。礼の一つも言わずにテツコの肩を抱き、そのまま出口に向かう
 鼻を鳴らして、ぼそりと言った。糞狸が。ゾッとするような声だ

 入り口係が丁寧にお辞儀して扉を開く。ミハイルは首だけで振り返り、でっぷりとした男の濁った瞳を見遣る

 男が僅かにたじろいだのを、テツコは見逃さなかった。この、言語ではない、一睨みで相手を恐れさせる遣り口
 似ている。警察とアウトローは紙一重。その事を、テツコは強く意識した

 「やっぱり私のことを調べ上げているのじゃぁないか」

 ミハイルは、下らない事を聞かれた、とでも言いたげに笑うことで返答とした

 「はぁ…………。アナーグと言うのは、アナーグウェディングプランニングの事かな?」
 「あぁ、笑えるだろう? 何がウェディングプランニングだ。“ドレスの裾”を引っ張り上げれば、禁制密輸品がボロボロ出てくるだろうよ。いずれ私がこの手で鉛玉をぶち込んでやる」
 「今から向かうのかい?」
 「無駄だ。先程の男、モデオールと言うが、奴からアナーグに警告が行くだろう。行ったところでも何も残っていない。如何に私の味方面をしようと、信用出来る男ではない」
 「…………」

 この言い様は、まるでテツコを身内扱いしているようだが
 テツコは、気味の悪さを覚える。詰まらなそうなミハイルの横顔を見つめる
 剥き出しの警戒心、敵意を曝け出すのは何故だ?
 ミハイルが自分の事を信用している等と想像出来るほど、テツコの頭は緩くなかった

 何故だ?


――


 二つ目のパーティは、意外にもマイナーバンドのライブパーティだった。それも雰囲気の明るい、テツコでも入りやすそうなパーティだったから、テツコは本気で驚いた

 このミハイルと来たらどう頑張っても音楽を嗜むようには見えない。聞いたとしてもクラシックだ。ポップス? ロック? 何の冗談だ? こんな冷徹で他人を少しも信用していなさそうな男が、こんなライブパーティに参加するのだから

 会場に入ったのは、都合よく一曲終わった辺りだ。大股で歩くスプライトスーツのインテリメガネと、その後に続くドレスの女は、ラフな格好の者達の中で悪目立ちする
 ミハイルに気付いたステージ上のギタリストが、ぶんぶん手を振る

 『シャムロック! いーらっしゃーい!』

 キーンと耳障りな音が大型スピーカーから飛び出して、会場の皆が笑いながら耳を押さえる
 チーム衣装なのか、真紅のジャケットが翻った。テツコは苦笑いした

 「……シャムロックとは、また可愛い偽名だね」
 「ミーシャと呼ばれると、困るのでね」
 「何故ここに?」

 ミハイルはそっぽ向いて応えない。そうする内に、ハイテンションのギタリストが冗談交じりに踊り始める

 『よーし、もっとだ! もっと行こう! もっともっとー!』
 「もっともっとー!!」
 『空を見ろォー! 曇った空だァー! スモッグなんてフッ飛ばしちまえェェー! ボクは青空が見たいぞォーー!!』
 「ジェットもー! ジェットもジェットもー!」
 「イイィィヤッホォォォーー!!」
 『№24! 魅惑色飛行機械!! ボクと一緒にぶっ飛べェェェェー!! だぜぇぇー!!』
 「ぶっ飛べオラァー! もっともっとー!! だぜぇぇー!!」

 鼓膜が破れそうな大音量での大騒ぎ。テツコは耳を押さえる。何かどっかで聞いた名前が混ざってなかったか

 「こんな趣味もあったんだな!」
 「なんだ?! 聞こえんぞ?!」
 「こんな趣味も! あったんだな!」

 ミハイルは眉を顰めた。後ろめたそうな表情だ
 この男、こんな顔もするのか。テツコは意表を突かれた思いだった

 いやいや、この男はマクシミリアンの同類だ。表情一つですら計算尽くの可能性もある。さも親し気に気を許しているように、或いは心情を吐露しているように見せるのは、マクシミリアンも得意じゃないか


――


 「おまっとー、シャムロックー」
 「久しぶりだな、リトル。皆も絶好調のようで良かった」
 「あはは、良い感じだったとボクも思うよ」

 楽屋裏まで、ミハイルとテツコはフリーパスだった。バンドチームとミハイルは極めて親しいようで、皆が皆気負いなく冗談を飛ばしたりしている

 リトルと呼ばれたギタリストは、外見だけ見れば愛嬌のある少年だった。他のメンバーと比べて大分若い。飽くまで外見は、だが
 真紅のジャケットを脱いだメンバーは、疲れを感じさせない明るさで笑い合っている。テツコが聞いていただけでもかなりの時間演奏していたような気がするが

 「シャムロック、悪いけど今、師匠帰ってきてないんだ。ボクらにも師匠の行方って把握出来ないからさー……」
 「……いや、良いさ。会えれば儲け物程度の考えだったしな。それより、いい演奏だったぞ」
 「あんがと、うへへ」

 腕組みしていた怜悧な顔つきのドラマーがテツコをに流し目を送る

 「シャムロック、彼女は?」
 「テツコ・シロイシ博士だ。私に協力してもらっている」
 「博士、か。どうだった、知的なレディ。俺達の演奏は」
 「あ、あ、テツコさん、気にしないで。コイツ目玉がぶっ飛ぶぐらい頭良いんだけど、大学の同期連中やら教師陣やらに好きなバンドチーム馬鹿にされて、それ以来テツコさんみたいなタイプの人に噛み付きまくってるんだ。無視しちゃって良いよ」
 「やれやれ……、そういう訳じゃない」

 リトルは好き勝手あちらこちらに飛び跳ねた頭髪をわしゃわしゃさせて、小さな丸メガネの向こう側で瞳を細める。にっこり笑顔は、テツコ好みの愛らしさだった

 「凄かったよ。良かった。とは言っても、普段あまりこういう音楽は聞かないから、何が凄いとかは上手く言えないのだけれど。うん、私は好きだな」

 色白のドラマーは、クールに微笑んだ

 「そうだ」

 リトルが、ふと顔を上げる

 「師匠が、何か気になる事言ってたよ。シャムロックの捜し物が見つかったって。凄く大事な用事が立て込んでて今すぐは無理だけど、近いうちに会いに行くって」
 「……そうか、解った。リトル、ありがとう。感謝する」
 「い、良いよー、ボクが何かした訳じゃないし。なんだよ改まっちゃって。そういうのってなんか照れるな。もー水臭い、兄弟の力になるのは、礼を言われたいからじゃないんだぜ」
 「……お前はお前で恥ずかしい事を言う奴だな。……まぁ、良い。実はお前達にプレゼントがある。奴との賭けに負けてしまってな、偉く高い買い物をさせられてしまったよ」

 リトルと一同は、首を傾げた

 「奴って、師匠?」
 「これを受け取れ」

 ミハイルが懐から取り出したのは、水色のチケットだ
 黒い品の良い文字が踊っている。色の割に、高級感溢れるチケットだった

 チケットをおずおずと受け取ったリトルは、途端に目をキラキラさせる

 「……シュワルメール婆ちゃんのコンサートチケットだ!」
 「何?!」

 テツコは目を剥いた。シュワルメールとは、世界中を飛び回っている評価の高いピアニストである
 今年で80歳程、一度も切ったことが無いと言う豊かで艶やかな黒髪で有名だ。にっこり微笑む姿には愛らしさと色気が同時に存在し、褐色の極め細かい肌はテツコの憧れだった。もっと幼い頃は、自分もカフェオレ色の肌が良かったと本当に思っていたくらいだ
 80歳の今まだ若々しく、倍の160になっても若々しいままだろう

 「博士?」

 訝しげなミハイルの視線を無視して、テツコは思わずリトルの後ろに回り込み、リトル達バンドメンバーと一緒になってチケットを覗き込む

 「ほ、本物だ」

 テツコが無意識にチケットに手を伸ばす
 本能的に危険を感じ取ったリトルは、ぱっと立ち上がって距離を取った

 「ん、なんだい」
 「な、なんでって、だって、なんか、なんか!」
 「少しぐらい良いだろう? 端っことか」
 「端っこってなんだよ! 駄目だよそんなの!」
 「損傷したチケットは無効だぞ……」

 シュワルメールのチケットは欲しいと思っても手に入る物ではない。金額もお高いが、レアリティが違う。今ではもう、特殊なコネが無ければ手に入らない
 冷静になって考えれば、例えチケットが手に入ったとしても鑑賞は無理だ。現状、テツコはゴッチのサポートから抜けられない。そのつもりも無い。今こうしてミハイルに付き合っているのは言うまでもなく不本意な事だ

 テツコはイライラしてきた。あんなこと、こんなこと、努力すれば必ず成果が得られると思うほど未熟ではないが、この境遇はなんなんだ
 ゴッチに、ファルコンに、マクシミリアンに、ミハイルに、あれやこれやと振り回されながら、何一つとして良い事が無い。自分は良い目を見る事が無いのか。要素が無いのか、要素が
 チケット一つぐらい良いじゃないか。この苦労に見合った給料を受給していると、本当に思っているのか

 テツコは大きく息を吸い込んだ
 冷静になれ。自分は鋼の女とまで侮蔑された理知を重んずる蛇である

 テツコが必死に自己暗示を掛けている時、ミハイルは何事も無かったかのように、場を辞そうとしていた

 「では、皆。もう少し話していたいが、余り時間も無くてな。これで失礼する」

 笑顔に見送られながら、ミハイルはテツコの手を引いた。テツコは遣る瀬無い気持ちになった

 「……次は何処に連れていかれるんだ……」


――

 後書

 後書に出来るような高尚な物なんて俺の中には何一つねーよ!!
 なんちて。

 私的に、話を作る中でも特に難しいのは、
 自分の出来の悪い脳味噌で頭良さそうなキャラを書かなきゃいけない時。

 当然の如く上手くいかないから今回みたいな事になるんだよ!!

 そろそろ、話全体通して、俺の限界から飛び出して、矛盾が出まくってる可能性大なので、
 そういう時は、そっと教えてやってくだしぃ。



[3174] かみなりパンチ25.5-2 鋼の蛇の時間外労働その二
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:67fcfa04
Date: 2011/02/28 06:58
 「休憩を取りたい。朝から何も食べてないんだ。流石にもたない」
 「マックスとの会食は?」
 「……目の前で、人間の太股がミートパイの材料にされるのを見せつけられては」
 「そこまで撃ち込んではいない」
 「似たような有様だったじゃないか。あぁ、そういえば、君が甲斐甲斐しくエスコートしてくれたパーティも、とてもじゃないが料理を楽しめるような雰囲気じゃなかったしね」

 テツコが引き攣った笑みから精一杯の嫌味を放っても、ミハイルは眉ひとつ動かさなかった。千差万別の人物達と多種多様な罵り合いを繰り広げてきたミハイルだ。今更何かに心動かしたりしない

 テツコは極力息を吸い込まないように我慢しながら、溜息を吐いた。ミハイルが運転するエアカーの内部は、煙草の臭いが酷く染み付いていた。排気や煙等で汚れきった、ロベルトマリン中空の外気と良い勝負である

 「……君は吸うのか?」
 「吸わない。このエアカーは借り物だ。自前のエンジェルピストンで移動すると“不慮の事故”が発生するかも知れないのでな」

 エンジェルピストン、は流線型を意識して設計されたエアカーだ。どちらかと言えば、女性に人気がある
 車の趣味は、可愛らしい。しかしそれは置いておき、エンジェルピストンは別段事故の多い車ではない。安全性の面で言えば、他のエアカーよりも一段上とすら言える

 なら不慮の事故とはエンジェルピストンのせいではない

 「……それは、有り難い。いや、全然良くないけど、うん、巻き込まれて死ぬのは嬉しくないからね」
 「尾行されている」
 「ん? …………は?」
 「もしかすると、このエアカーでも“不慮の事故”に見舞われるかも知れんな。……やれやれ、信用のおける者から借り受けたつもりだったが」

 ミハイルがミラーをいじりながら軽口を叩いた。テツコは思わず後ろを振り返り、後続車を一台一台見回すが、何がどうなっているのかよく分からない

 「だが、ここいらの航空警備隊は優秀で、しかも頑固者揃いだ。運が良かった」

 言うが早いか、ミハイルはエアカー用の空路指定シグナルの誘導から外れ、赤く点灯している信号機の手前でクラクションを鳴らした
 けたたましい騒音が五秒ほど鳴り響いたとき、ジェットウィングから小さな炎の尾を引きつつ、二人組の航空警察が現れる

 ショルダーアーマーには「ロベルトマリン上空最後の砦」と書いてあった。ヘルメットには首を傾げて上目遣いにこちらを睨む、猫のエンブレム
 フライキャットチームだ。ビームガンの銃口を上に向けながら、最低限の警戒をしつつ二人組はエアカーに近づいてくる

 「どうしたァ! 故障か?! 近頃の航空警察隊は車両整備だってやってのけちまうんだ、良かったな!」
 「馬鹿、ビームガンでフロントバンパー焼き切って、何が車両整備だ。俺はもう隊長にヤキ入れられるのは御免だぞ」

 優秀? テツコは首を傾げたが、ミハイルは気にしていない

 ミハイルが身分証を提示し、後ろを指差して二、三何か言うと、フライキャットチームの二人組は顔を見合わせ、右手に銃を持ったまま崩れた敬礼(のつもりなのだろう)をした
 何事も無かったかのように、空路シグナルのぼんやりとした光りの中に戻り、移動を再開する

 テツコはもう一度後ろを振り返った。フライキャットチームは、妙に嬉しそうに笑ったような気がする

 「……恐らくはこれで大丈夫だろう」
 「なぁ、君は一体何をしているんだ? こんな事……当然、君のやらかす色々な事も含めてだけれど、尋常じゃない」

 どうせまた黙殺される。そんなテツコの予想は、裏切られた

 「……麻薬だ。セックス・ボムと言う麻薬の流通を追っている」
 「麻薬? ……麻薬って、あの麻薬かい? そんな物の為に?」

 現代人の強力な自浄能力、及び高い医療技術。この二つの前に、大昔身を滅ぼすものとして知られた麻薬は、今や質の悪いアルコール程度の存在でしかなかった

 健康を損なうのは確かだが、中毒性も、ショック反応も、その気になって治療を施せば恐れるものではない。テツコの持つ毒の方が遥かに危険なぐらいである

 このミハイルがどのような男なのかテツコは知らないが、極めて理知的でしかも危険な男であるということは、交わす言葉で十二分に解る。これほどの人物があちらこちらに噛み付きながら追いかける程の物か?

 「そうだ。その麻薬だ。どこまでも追い掛けて行って、関わる全てのものを滅ぼしてやる。絶対にだ」
 「それは……その、麻薬如きに、何故そうも?」
 「如き、と言ったな。君はセックス・ボムを使用した者達を見た事があるか?」
 「無いよ……。だが、畑違いではあるけども、麻薬中毒患者については学んだことがある。とても君のような……あー、精力的な人物が、形振り構わず追いかける物には思えないが」

 ミハイルの目の色が変わった。危険な目付きだ
 テツコは寛容主義者だ。他人の重んずる部分には敏感だから、良く分かる。今明らかに、ミハイル・バシリアは怒った
 物静かな雰囲気はそのままに、馬脚を露わしたとでも言えばいいのか、気配が鋭く尖ってゆく

 「本当に見たことはないか? 骨と皮だけになった者を知らないか? 脳が退化し、目の前に何があるかすら解らなくなった者は? 強力な依存性から身を滅ぼした者はどうだ? ……陶酔感から前後不覚になって、犯罪を冒した者は見た筈だな」
 「見た? 私が? どういう事だ。君がしているのは麻薬の話なのだよな?」
 「セックス・ボムは他とは一線を画す。君の知っているそれとは次元が違うと思え。…………先程のエッツィがそうだ。二年前、料理人としての自分に限界を感じていたエッツィは、ふとした拍子にセックス・ボムに手を出し、酩酊の最中ホライルを殺した」
 「彼が……」

 先程、ミハイルが惨殺した料理人を思い出す。痩せ気味の男で、うなじが緑色の鱗肌だったから、恐らくは蜥蜴かそのあたりの亜人だ

 ミハイルは続ける。エアカーは走り続ける。運転に、乱れた様子はない

 「だが奴は稀有な例だ。セックス・ボムを使用しながらもその依存性を克服し、ゴミ溜めの中で糞虫のように働きながらグリンフィールドの遺族に匿名で仕送りをしていた」
 「……どちらの意味で稀有なんだい?」
 「両方だ。セックス・ボムに手をだすような屑が依存性を払拭したのも稀有ならば、高笑いしながら殺しをするような屑が遺族に仕送りするのも稀有だ」
 「君は容赦が無いんだな…………!」

 テツコは思わず語気を荒げる
 ミハイルは不満げに鼻を鳴らした。心なしか、エアカーの運転が荒くなる

 「作る者も、売る者も、使う者も、揃いも揃って屑だ。エッツィもな。端金をせっせと送るぐらいで、見逃すものか、絶対に見逃すものかよ、この私が」
 「もう良い! ……君がどれ程重要な仕事を抱えているかはよく解った。私がそんな下らない事に付き合わされて、ミスタ・ブラックバレーの気が変わらない限り逃げられないと言う事もね。あぁ、端末を持ってくるべきだった。三分毎に苦情を入れてやるのに」

 テツコは窓の外を見る。ネオンにライトアップされた曇天が近い。気が滅入る

 「食事も栄養剤も無いまま視聴年齢制限の掛かったアクションムービーに招待されるなんて、全く嬉しくって涙が出る」
 「あれ以上の事も幾らだってやる。今のうちに心の準備をしておくと良い」
 「それだ」

 コレだ。この異常な攻撃性。執念と言うべきか、憎悪と言うべきか、セックス・ボムとやらに向ける激しい感情
 それに関わる全てのものを許さないと言う、言葉通りの恐ろしい敵愾心

 何故だ?

 「君のその強い感情は何処から来るんだ? 君はセックス・ボムを激しく憎んでいる」
 「私の仕事はロベルトマリンの治安を維持し、市民を守る事だ。私だけではなく、警察機構に関わる者全ての仕事だ。何も可笑しくはない」
 「正義感だとでも言うのかい?」
 「そうだな、それがまぁ返答としては妥当だろう」
 「よくも言う」

 真摯な態度を、取り繕う気すら無いのか
 ゴッチですら、こうではない。テツコは手で目元を覆う

 「着いたぞ」


――


 エア・トレインのホームに通じるエレベーターの前で、テツコは立ち尽くした

 テツコは、エア・トレインが大嫌いだ。……厳密に言えば、違う。エア・トレインに思う所があるのは確かだが、それ以上にエア・トレインを運用管理しているペンタテクノロジー社が嫌いなのだ
 このエア・トレインが正常に稼働することで発生する利益が、ペンタテクノロジー社を大いに潤していると思うと、悔しくてたまらないのだ。だからテツコは、エア・トレインのホームを前にして、動けずに居た

 「どうした?」
 「私はエア・トレインが大嫌いなんだ」
 「ふ、……事故が多発していたのは過去の話だ。今はもう恐れる必要はない」
 「当然さ。そうでなくては私は」

 テツコは言葉を切って、鼻を鳴らした。嫌気がさす。自分らしくない事ばかりをしている。やりたくない事ばかりを、している

 「……?」
 「ふふ、私の事、よく調べ上げているようで、知らない事もあるんだな。まぁ、良いじゃないか。で、こんな物に乗ってどこまで行くつもりだい?」
 「私の上司殿の誕生パーティにな。糞のような事情があって、糞のような奴でも祝ってやらねばならない。少なくとも形式上は」

 エレベーターの扉が開く。ミハイルはさっさと足を踏み入れる
 エレベーターの床は泥だらけだった。僅かに黴臭さも感じる。テツコは、胸がじわりと痛むのを感じた

 「乗りたまえ」

 結局観念して、テツコは歩を進めた。眉を顰めながら、ドレスのポケットに手を突っ込んでエアフィルター3345すっきりレモン味を取り出す
 唇で強く挟みこむと、途端に嫌な臭いが消えていく。頭が多少、冷えた

 エア・トレインは発車準備を終えてごんごんと異音を響かせている。時間的にはギリギリだったようで、出発を告げるアナウンスが響く

 時間としては七時を少し過ぎた辺りだ。様々な装いの者達で、エア・トレインはごった返している

 二人がエア・トレインに滑り込み、出入口付近のスペースを確保した時、声を掛けてくるものが居た

 「どうもこんちゃーす、テツコ・シロイシ博士さんですね? お初にお目にかかりますわ。ジェットは、ジェット言いますねん。フリーの運び屋、の筈だったんですけど、何時の間にかマクシミリアンさんの子飼扱いやわ。全く嫌になりますなー」

 バカ面を引っさげたチーターだった。黒と灰の迷彩アサルトパンツに重厚な軍用ブーツを履いていて、軍関係者に見えなくもない
 だが、軍の関係者は少なくともこんな脳天気な馬鹿面をしていない。テツコは頬に生クリームのくっついたジェットの顔を見つめる。なんだこの軽薄な雰囲気は

 「……頬に、生クリームが」

 そう言った途端、しゅば、と赤い舌が飛び出して生クリームを舐め取り、口内にもどっていった。にゃはははと背を反らし笑って誤魔化すジェット

 大きく身体を反らしたとき、それを包む、黒いレオタードのようにすら見える極薄の防弾スーツが、エア・トレインの電灯を鈍く反射する
豊満な肢体の肉感がそれによって強調され、テツコは思わず顔を赤らめた

 初心だとか何だとか侮られると思ったから口に出さなかったが、何処か卑猥だ、とテツコは思ったのである

 「いやー、実はパーティに行っとったんですわー。それが電話一本でこないな所に……。本当なら今日はオフのつもりやったのに、マクシミリアンさんが扱き使ってくれるもんで」

 溌剌としている。満身に好奇心を漲らせた子供のように見え、しかし女性としての豊かな身体と猫のような仕草には何とも言えない色気がある。凄いギャップだ

 ふりふりとジェットの尻尾が揺れていた。近くの座席に座っていた草臥れたスーツの男が、目の前で動きまわる尻尾を非常に鬱陶しそうに見ている

 ミハイルが、ずい、とテツコの前に出た。ジェットを威圧的に見下ろす

 「売り出し中の運び屋だな。キナ臭い仕事の話も数件回ってきているぞ。これ以上御託を述べたければ、取調室で聞いてやるがどうだ?」
 「わひゃぁ、勘弁してぇな。ジェットはコイツを運んで来ただけですがな」

 ジェットの腰部バックパックが小さな駆動音を立てて開いた。そこから思わせぶりな仕草でジェットが取り出したのは、一枚のデータカードである

 指で跳ね上げる。ミハイルは危なげ無くそれをキャッチした。懐に手を突っ込んでゴソゴソとし始める。あ、と声を上げて、テツコは要求した

 「端末を持っているのか? ……まぁ、当然か。後で貸してくれないかな、ブラックバレー氏に言いたい事が小山一つ程ある」
 「……駄目だ。機密に関わるのでね」

 要求はすげなく却下された。ミハイルがスーツの襟を正して左手を持ち上げると、腕時計のディスプレイから空間投影ウィンドウが投射される

 「マクシミリアンさんの紹介状でんな。ミハイルさんがやりたい事の手助けになるやろって言ってましたわ」
 「…………」

 ミハイルは眉一つ動かさない。テツコが後ろからウィンドウを覗き込もうとすると、一瞬目を細め、そうか、とだけ呟いてウィンドウを消した

 「話しは聞いてたけど、ほんまに嫌な感じやなぁ。絶対嫌われもんやろ、ミハイルさん」
 「本望だ。特にお前らのような、救いようのないダニどもから嫌われるのは」
 「……へーへー、今更気にしまへんわ。あんたらが自分の事棚に上げて話すのは、何時もの事やしな。…………いやぁ、それに比べて、博士さんは違いますなぁ」

 ジェットがべぇ、と舌を出す。露骨にミハイルを邪険にすると、打って変わってニコニコ顔でテツコに鼻を寄せた

 少しだけ浅黒くなっている鼻の頭がピクピクしている。すんすんと、テツコの匂いを嗅いでいるのだ。テツコは顔を真赤にした

 「ジェットは、博士さんの事結構知っとるんです。面倒見のえぇお姉さんや」
 「な、何をしているんだ。やめてくれ、か、嗅ぐな」
 「わっひゃっひゃー、ジェット、博士さんみたいな感じの人大好きやなー。初心やもんなー。よっしゃ、決めた。博士さん、ミハイルさんの用が終わるまでこのジェットが博士さんを護衛しますわ」

 首を傾げるテツコの唇からエアフィルターを奪い取り、けらけら笑いながらジェットは言った
 咄嗟にテツコは取り返そうとするが、ジェットはすばしっこい。加えてエア・トレインのような公共の場で、テツコは大騒ぎをしたくない。結局、エアフィルターがジェットの口に銜えられるのを見ているしか出来なかった

 なんだコイツ、馴れ馴れしい。テツコは恨めし気にエアフィルターを見る。テツコでなくとも、そう思うだろう

 「く、……解った、それは君に上げるよ。しかし、護衛とは?」
 「マクシミリアンさんにとって、博士さんは大事なお人と言う事ですがな。だって博士さんが居らんようなったら、ファルコンさんの仕事はにっちもさっちも行かんですやん。だから、『気が乗ったらテツコ博士の護衛をしろ』て。気が乗ったらってとこがまた変な感じやけど」
 「マックス……奴め、抜け抜けと。……まぁ良い」

 テツコはジェットの顔を見る。馬鹿の振りをした馬鹿とも言うべき緩んだ面に、人懐っこいニコニコ笑顔を載せている
 人は見かけによらない物だが、このジェットが護衛として役立つかどうかと聞かれたら、首を傾げざるを得ない

 冷たい視線でジェットを見ていたミハイルも同じことを思ったようで、ニヤケ面をじっくりと検分していた

 「ジェットに任しとき。これでもお師匠に扱かれてんねや」
 「…………」

 ……頼りにはなりそうにないが
 可愛いじゃないか。テツコは頬を掻いた。可愛いじゃないか

 エアフィルターの件は水に流そう。テツコはぎこちなく微笑んで見せる


――


 テツコはげっそりした。ファルコンのようなアウトローと付き合いがあると、知らなくて良い事も知ってしまう

 警察組織の暗部もその一つだ。ミハイル・バシリアのような危険な男が、大手を振ってのうのうとあちらこちら荒らしまわっていられる事を思えば、まぁ当然だが、ロベルトマリンの警察組織とは決して正義に燃える清廉潔白の集団ではない

 警察官だって人間だ。人間の権力は腐敗する物だ。ロベルトマリンなら尚更である

 ロベルトマリン警察総括官、モルビー・エスチレンの邸宅を前に、テツコが尻込みしたって仕方ないと言う物だ

 「気にすることはない。詮索一つですら、私がさせない」
 「……それは、成程、安心させて貰おう」
 「ジェットはー?」
 「……まぁ良い。今お前を引っ張っても意味はないからな」

 多少乱れた居住まいを正し、ミハイルは歩き始めた。邸宅の門番は、ミハイルの顔を見てギョッとする
 ニタァ、と、ミハイルは嫌らしく笑っていた。マクシミリアンみたいな笑い方だ、とジェットは漏らす

 「ようミハイル、まさか来るとは。……総括官殿のプレゼントに、ファイアグレネード内蔵型の目覚まし時計を準備してきたとか、そんなオチじゃねぇよな?」
 「……いや、無い。替わりに浮気現場を記録したデータカードはどうだ? ファイアグレネードよりも惨い有様になるぞ」
 「ははは、やめてくれよ。総括官殿の奥さんを取り押さえるのは機動隊の連中にだって難しいんだぜ」
 「マリーシアンを呼んでくれ。連れが不快な思いをしないように取り計らいたい」
 「……んん? おい、どんな関係だ? ……まぁ良い、先に入ってろよ。マリーシアンなら、呼べば直ぐに来るだろう」

 ドレススーツを着崩した巨漢の門番は、冗談っぽく笑ってテツコ達に一礼する
 薔薇を模った格子扉を二度、手で打った。電子音がして音もなく開く。レトロな装いとは裏腹に、電子制御のようだ

 門を通り抜けようとしたミハイルが、何を思ったか立ち止まり、振り返りもせずに言う

 「お前との付き合いも長いから、よしみで忠告してやる。イエローペッパーの売女どもと慣れ合うのは止めろ。情が移ったかどうかは知らんが、火傷では済まんぞ」
 「安心しろよ、お前の勘違いだ」

 何のことだ、と振り返ったテツコに、門番はひらひらと手を振ってみせる

 まぁ、良い。警察の事情なんて知ったって仕方がない


――


 黒鉄色の手足を持った改造人間の女性は、手を差し出しながらマリーシアンですと名乗った
 身体を機械化する者は、実は意外と少ない。十全の状態を維持するのは非常に手間と金がかかる。とすれば成程、警察組織の一員であるなら、そのバックアップを受けるのも難しくないのだな、とテツコは何となく思った

 「どうも、テツコ・シロイシです」
 「お名前は伺っております」
 「……それはどうも。きっと、あまり嬉しくないお話なのでしょうね」
 「少なくとも私は、SBファルコン及び隼団構成員達の身柄を、実力で確保するような事態になったとしても、博士は丁重にお持て成しするつもりです」
 「ばんわー。ジェット言いますねん。なんぞあったらよろしゅうにー」
 「どうも、マリーシアンです。お互い良い関係を築き、危害を加えずに居られたら、これ以上の事はないと思います」

 丁寧な物腰であった。テツコが相手でも、ジェットが相手でも、マリーシアンは態度を変えたりはしない

 テツコはほっと息を吐く。理性的な人物が出てきて、安心した

 「良かった、彼女にエスコートして貰えるなら、安心できそうだよ」
 「…………」

 ミハイルは変な顔をしていた。はて、何か変なことを言ったか?

 「ミハイル捜査官。それで、私に何の御用で?」
 「二人を適当な部屋にでも通して、持て成してやってくれ。モルビーの糞虫におべっかを言わせるために連れてきたのではないからな」
 「ではモルビー総括官殿に許可を」
 「会うついでに私が取る。奴もそこまでケチ臭い事は言わないだろう」
 「……了解しました」
 「手間を掛けるな」
 「いえ、実を言えば、私も慣れないドレスに辟易していた所です」

 マリーシアンは、セミロングの金髪を揺らして首を鳴らす。「こちらへどうぞ」と邸宅の入り口を指し示すと、先んじて歩き始めた
 ミハイルがテツコの耳元に顔を寄せた

 「アレは一応私の部下と言う事になっているが、実際はモルビーが私に付けた鈴だ。私がアレを排除しないのは利用価値があるからに過ぎない。気を許すなよ」
 「また君は……。君達の揉め事に私を巻き込むのは、やめてもらいたいのだけれど」

 最早テツコからは適当な嫌味すらも出てこない。ジェットが羨ましかった。耳の裏をカリカリと描いている間抜け面のチーターは、運び屋だけあって余分な話は聞かないし、興味も持たない

 「まぁ、食事の内容だけは保証できるだろう。存分に楽しんでくれ」

 ニヒルに笑ってミハイルは踵を返した。どうしようもない。仕方なくテツコは、ジェットを伴ってマリーシアンの後を追い掛ける

 早足で追いついたマリーシアンの背中をテツコはまじまじと見た。結構背が高い。ミハイルに僅かに劣る程度だ
 ドレスの微妙な盛り上がりから、四肢だけでなく、胴体の一部も機械化されているのが解った。戦闘用のギミックにキャパシティを割いていれば、その強さはかなりの物だろう

 「静かな方がお好みですか?」
 「えぇ、……ミスタ・ミハイルに同行していて、どうも体力を使ってしまったようで。静かなところでゆっくりしたい」
 「では、この部屋へ。パーティ会場からも離れておりますので」

 テツコ達が案内された広い邸宅の一室は、どう言った用途の部屋なのか今一つ解らない設えであった

 応接間、と言うほどには調度が良くない。私室か、物置か
 テツコは気にしなかった。内装などどうでも良い

 「食事を用意させて頂きます。少々お待ちください」
 「お手間を割いて頂き、感謝します」
 「いえ、一般……市民の方のご案内、お持て成しとなれば、広報で、任務です。ドレスを脱ぐ良い理由になります。……何かご希望の料理は御座いますか」

 朗らか、と言う程ではないが、人当たりの良い爽やかな笑みを、マリーシアンは浮かべてみせた
 口調や受け答えから極めて事務的な対応を取る人物かとテツコは思ったが、そうでも無いようである。好ましかった

 「あぁ、それでは」
 「ジェットは肉がえぇなー」
 「……はは、ではそれで」
 「解りました。博士にはもう少し軽めの物をお持ちします」

 マリーシアンはテツコに会釈をして退室する。頬を掻きながら、テツコはマリーシアンの青いドレスを見送った。良い人じゃないか

 「(元々、ミハイルと彼女がどんな関係だろうと、私には関係ないのじゃぁ無いか。馬鹿馬鹿しい)」

 ジェットがテツコの横で伸びをした。豊満な肉体が、ソファの上で揺れる

 鋭い目付きになっている。普段の間抜け面と一線を画すジェットの視線が、テツコの肌を撫ぜる

 「嫌な感じやね、あのサイボーグ。何考えてんやろか」
 「……彼女がかい?」
 「なんや、危険な目付きしとりますわー。あの感じ、ゾクゾク来る。でもま、警察言うたらあんなもんか知れませんわ」

 ケラケラ笑うジェットは、もう元の間抜け面に戻っていた。何がおかしいのかニコニコしながら、部屋のあちこちの臭いを嗅いでいる

 「サイボーグなんぞよりも、別のお話しましょ。……あ、せや、見てぇな、ここ、ここン所」

 頭髪をぐしぐしと掻き分けながら、ジェットはテツコに頭頂部を見せた。分かりづらいが少し盛り上がっている
 テツコが何気なくその盛り上がりを突付くと、ジェットはあひゃぁ、と奇声を発した。たんこぶのようだ

 「マクシミリアンさんから連絡が来た時な、ジェット、嫌やって言ってみたんですわ。したらブラヴォとか言ういけ好かん兵隊がすっ飛んできて、“ゴン!”やもんなぁ。もう堪りませんわ」
 「あはは」

 テツコに突付かれて痛みがぶり返してきたのか、ジェットは涙目になっている。じゃれてくるジェットを、テツコは邪険に出来なかった

 懐かれて悪い気がしなかったのだ。脳天気に笑うジェットは、とてもじゃないがファルコンの同類、とは行かなくとも、似通った稼業を営んでいるようには見えなかった

 そのまま下らないことを話す。時折、テツコの知識の内から役に立ちそうな事を話してやれば、目を輝かせてジェットは喜んだ


 暫く話すうちに、マリーシアンが戻ってくる。青い制服を着ていた。確かに、ドレスよりも余程似合っていた

 「お待たせしました、どうぞ」

 そう言ってマリーシアンが料理を並べた頃には、テツコの緊張は、もうほどけていた


――

 後書

 今回のコレは、何か書いててノリが悪かったので、突然ぶぁっと書き直す可能性が無きにしもあらず。

 FEが出たし、メタルマックス出たし、M&B WB日本語版も出るし、
 いやぁ幸せだなぁ、幸せだなぁ。

 取り敢えずメタルマックスで何か書きたいなぁ。



[3174] かみなりパンチ25.5-3 鋼の蛇の時間外労働その三
Name: 白色粉末◆95fd51d0 ID:d05df93c
Date: 2011/02/28 06:58
 「ファック! ファック・ユー! ロベルトマリンポリスが、オールウェイズ治安を守る我々が、気障男がピロートークの中で洩らした犯罪自慢ですらも見逃さない私が、こんな事許すものか!」


 パーティに沸き立つモルビー・エスチレン邸、モルビーの私室
 一人の女がモルビーの個人端末にヘッドバッドをかましながら泣き喚いていた

 普段は豪快が服を着て歩いているような女傑であるのだが、今は己の所属する組織の情けなさに涙と鼻水を洩らしながら暴れている。千年の恋も醒める酷い面だ

 「今時ダブルロックなんて洒落臭いんだよぉ!」

 電子機器の差し込み口に、剥き出しの銅線を直接捻じ込む。銅線の先には可愛らしいピンク色に着色された亀の甲羅のような機械がある

 これの御蔭で目的は果たせる。同志であるミハイルに望むものを届けることが出来、全ては報われる

 しかし、流れる涙は止まらなかった。情けないったらありゃしない上に、自分がこの後どうなるかも気付いていた


 ドアを蹴破って、長方形の押し型に無理やり詰め込まれたような板顔の男が入ってきた
 モルビーだ。シャンパンのシャワーに塗れたのだろう黒髪を、象牙の櫛で整えながらの登場だ

 「全くお前ときたら」
 「ひぐっ」
 「どうした? 何時もの様子とは全然違うじゃないか」

 一生の不覚だ、と思った。まさかひぐっなんて無様な悲鳴を洩らすなんて

 でもまぁ、良いか。自分の一生は、ここで終わりだ

 「モルビー、あたしゃね、あんたのトロ臭さにいっつも苛々してたのよ」
 「ほぉ、それで?」
 「今回ばかりは感謝するよ」

 げらげら笑って、人差し指をエンターキーに叩きつけた。同時に、モルビーは腰部の銀の刺繍が施されたガンホルダーからリボルバーを抜いていた

 そして、女の脳天が吹っ飛ばされるのも、同時であった


 「…………ミハイルか。相変わらず周到な奴め」


――


 「まだ我々はあの趣向を凝らしたディナーを味わい尽くしていないのだが?!」
 「食い物の恨みは深いんやでぇ!」
 「状況が変わった」

 一切の空路交通法を無視して爆走するエアカーの後部座席で、テツコとジェットはもんどりうって倒れたり窓ガラスに鼻っ柱を打ち付けたりしながらミハイルに抗議する

 「私の同志が上手くアドリブを利かせてくれてな。のんびりしては居られなくなった」
 「君に同行すると何一つ良い事が無いと、今日思い知ったよ! マリーシアンに、礼の一つも言わせてもらえないとはね!」
 「アレの事ならもう心配しなくて良い」

 バックミラーに写るミハイルの目が光る
 テツコは絶句した

 「手持ちの弾丸を全て撃ち込んできたからな。礼や謝罪の類は、いつか死んだ後にでもゆっくりとしてくれ」
 「…………なん……」
 「言っただろう、アレを排除しなかったのは利用価値があったからだ。無くなれば殺すさ」

 テツコは怒りで顔を真っ赤にした。この男は、この男は、ふざけやがって

 そう口に出そうとした時、ジェットがぬぼーっと力の抜ける声を出す

 「ぴんぴんしてんねやけど」
 「何?」

 テツコは後ろを振り返る。防弾仕様の強化ガラスの向こう側に、マリーシアンが居た

 背中と太腿、踵から青い光の尾を引いている。航空警察が使っている個人飛行用の物とは段違いのブースターだ
 鋼鉄色の両手にはアサルトライフルを捧げ持っている。ジェットが訂正を入れた。「軽機関銃や」らしい。テツコにはそこまで見分けがつかない
 際どい恰好だった。レオタードのようなタイツのような、判別しにくい布が、辛うじて二つの乳房と秘所を覆っているに過ぎない

 率直に言うとエロい

 「ランチャー構えてんねやけど」
 「あ、あ、あ」

 マリーシアンが姿勢制御を行った。背部でその重厚な存在感を誇示していた折り畳み式のグレネードランチャーが持ち上がる

 二つ折りにされていた砲身が広がり、黒いモノクルのような何かがマリーシアンの右目を覆った

 テツコは茫然と呟く

 「それは困るよマリーシアン」

 ぽしゅ、と思っていたよりも間抜けな音がした

 「ぼさっとしてんなや! 回避機動!」
 「少し黙っていろ! 舌を噛むぞ!」

 覚えていろよ、ファルコン、マクシミリアン、そして何よりミハイル
 自棄になって吐き出そうとした罵声は、悲鳴に変わる。天地がひっくり返ったからだ

 グレネード弾は前代未聞のバレルロールで身を捩るエアカーを捉えることはなかった。高層ビルの一つに直撃し、爆音と共に外壁を抉り、亀裂を生じさせる
 エアカーに直撃すれば、言うまでもなく拙い威力だ

 「右サイドに出てきおったでぇ!」
 「流石に戦闘機と違って、背後までは取らせてくれんな」

 呑気に報告するジェットに、運転席から黒い物体が放り投げられた。銃だ。所々に銀のラインが通っており、それが引き金に集束している
 ジェットは引き金の前部にある正方形のブロックを手荒に叩いた。がしょ、と音を立ててスライドしたブロックに満足げな笑みを浮かべ、銃床に付いているレバーを持ち上げる

 「エネルギーショットガンかいな! サイボーグ相手やしパルスガンがよかったなぁ」
 「さっさと撃て!」
 「失礼しまっせ」
 「んむぐぐぐぐ」

 ジェットに押し倒されて、テツコは呻く。豊満な乳房に顔面を抑えられ、息も出来ずに喘いだ
 窓から銃身を突き出すジェット。マリーシアンは体を倒して地面と水平になり、その上でボディ前面をエアカーに向けていた。当然、二丁の軽機関銃はエアカーを狙っていたが、ジェットの突き出すショットガンを確認したマリーシアンは左手の軽機関銃を腰部にマウントし、その上で左手の甲を突き出す

 ジェットは我武者羅に連射した。秒間三発。ひゅーんと言う耳障りな音を立てて、反動を生じさせないエネルギー兵装は規則正しく紫色の散弾を発射する

 マリーシアンの左手から生じた緑色の六角壁がそれを防いだ。半透明のシールドの向こう側で、マリーシアンが目を細めたように、ジェットには感じられた

 「ダッチワイフ一体にどんだけ金掛けとんねん!!」
 「あぁ面目ない、モルビーのくそったれの趣味だろうよ」

 言うが早いか、ミハイルは思い切りハンドルを切った
 エアカーが車体を斜めにし、大きく右に曲がる。狙いは明白だ

 「む、無茶をー!」
 「舌を噛むと言ったぞ!」

 エアカーはマリーシアンに激突し、そのままビルの壁面にめり込んだ
 マリーシアンは何の偶然か車体に引っかかったようで、エアカーとビルの間で激しく摩り下ろされる。がりがりと何とも言い表しにくい音が響く

 ビルの切れ目。そこで何とか車体から離れ、マリーシアンは体勢を立て直した。エアカー及びビルの壁面と接触した時に、軽機関銃を破損、或いは喪失したらしい。グレネードランチャーは言わずもがなだ。しかし、生体部分には奇跡的に損傷が無かった

 ブースターから光の尾を引きながらクルンと一回転すると、お返しとばかりにエアカーに向かって突進してくる

 「あぁー、こらあかんでー」

 ジェットが苦笑いし
 再びショットガンを構えた

 「なーんてニャ!!」

 紫色の散弾がマリーシアンを打ちのめす。咄嗟に防御態勢に入ったようだが、それ故に姿勢制御が崩れるのはどうしようもない

 マリーシアンは姿勢制御と空力抵抗を上手く使い、ジェットの射角から逃れた。都合が悪いと思ったジェットは、ミハイルの手荒い扱いによって歪んでしまったドアを蹴り開き、そこからエアカーの車体の上へ躍り出る

 アサルトパンツに付いていたチェーンの端を取り外し、テツコへと投げ渡してきた。じゃらじゃら鬱陶しく揺れていたそれは、伸ばしてみれば結構な長さがあった

 「博士さん、しっかり握っといてやぁ」

 上から車内を覗き込むジェットは、逆さまの笑顔で鼻をふごふごさせながら言う
 そこから熾烈な防衛戦が開始される。体当たりを仕掛けようとするマリーシアン、近寄らせないジェット。あわあわ言いながらチェーンを握りしめるテツコは、はしたないと思いながらも助手席の背凭れに足を絡みつかせて必死に踏ん張る

 「あかん、下から来る気や! 博士さん踏ん張ってぇーな!」

 ジェットがぴょんと飛び降りるのを、テツコは絶望を滲ませた目で見た
 直後に手に掛かる重みが激増する。チェーンを巻きつかせた手がミリミリと、そうミリミリと音を立てた。テツコの荒事に向かない手は裂けて肉がはみ出そうだった

 「いだだだだだだだだ!」
 「ミハイルのあほー! もっととばせや!」
 「我儘言うな!」
 「手が千切れてしまう!」
 「そらそらぁー、掛かってこんかいこのスティールダッチワイフ! ジェットの射撃はRMAの現役マークスマン仕込みや! 舐めんやないでぇー!」
 「嘘つけ馬鹿、車体に中る! 射角を考えろ!」

 テツコは泣いた。疲労とストレスのピークに達し、何故こんな目に会うのかも解らず、ただ振り回される己の境遇に、泣いた

 「ふぇえええええ」
 「さっさと撃ち落とせ!」
 「しゃあらかし! 簡単に行くかいな!」
 「うぇぇぇ、えぇぇぇん」
 「クソ、新手だ。地下に入る、注意しろ!」
 「え、ちょ、ま」

 ミハイルは航空警察仕様のエアカーが現れたのを見て、すぐさま決断した。モルビーの息が掛かっていないポリスチームなど、極めて限られる

 一台と一機は、爆音を上げながら地下へと入る。線路が引かれた地下鉄用搬入口だったようだが、十五メートル程の高さがあり、最低限エアカーを走らせるには十分な広さがある

 しかし、それはマリーシアンにとっても同じことだった。幾ら広いとはいえ、外よりは遥かに動きを制限されるエアカーに、マリーシアンの攻めは苛烈さを増した

 車上へと戻ったジェットが荒い息を吐きながら叫ぶ

 「地面スレスレを飛びぃや! 下から来られんのはやっぱアカンわ!」
 「聞こえんぞ! 何だと?!」
 「しーたー! 高度さーげーぇーやー!」
 「ん?! 止めろ……? 出来るか!」

 テツコは涙を拭って、取り繕うようにすまし顔をした

 「トンネル内の音反響で聞き取り辛いが、高度を下げろと言っているようだ」
 「ほぅ? 成程、良い事を思いついた」
 「良い事? 嫌な予感しかしないな」
 「ジェット! 聞こえているか?!」
 「なんや! 今忙しいねん!!」
 「下を取られても、無理に守らなくていい!! 俺が始末をつける! テツコ、マリーシアンが下に回ったら教えてくれ」

 なるようになれっちゅーんや。ジェットの罵声が飛んできた
 そう言う内に、マリーシアンがエアカーの下を取る。ジェットはミハイルの言葉に従ってそれを追わず、テツコの手は引き千切られずに済んだ

 「行ったぞ!」
 「ふぅ」

 ミハイルは溜息を吐きながら、思い切りエアカーを下降させた
 先程の焼き直しである。エアカーはマリーシアンを踏み潰し、地面との間でサンドイッチにする

 パンズに挟まれたハムだ。マリーシアンは。猛烈な摩擦によって再び摩り下ろされていいるマリーシアンから、酷い金属音がした

 「容赦のない男だ!」
 「耳が遠くて聞こえんな!」
 「えぇでー! くたばってまえや、ダッチワイフ!!」

 一仕事終えた、とでも言うように指の関節をぼきぼき鳴らしたミハイルは、眉を顰める

 地面に、それもこのエアカーの直線状に、妙なでっぱりがあった
 照明設備が稼働しておらず、気付けなかったのだ。「やれやれだ」ミハイルが溜息を吐きながら米神を揉んだ瞬間、激しい衝撃と共にエアカーが浮き上がる

 鼻面をでっぱりに激突させて、車体後部が持ち上がった。きゃぁぁぁと悲鳴を上げ、シェイクされるテツコ。同じくぎにゃぁぁぁと悲鳴を上げ、投げ出されるジェット

 エアカーは一回転し、線路との摩擦によって火花を撒き散らしながら壁に激突する。テツコが意識を保っていたのは、そこまでだった


――


 「で、どうすんねや。ジェット、こんなん扱えへんよ。そっちは?」
 「手に余る」
 「普段ならツールを常備しているが……」
 「今は無理って事かいな」

 目を開くと、髪の毛が揺れていた。鼻先を擽られて、むずむずする
 テツコはジェットに背負われていた。埋めた首筋から感じる汗の臭い。身体に纏わりつく埃。無理な体勢。決して、安眠に適した寝床とは言えなかった

 面倒事は、まだ終わってはいないのだ。全てが夢で、自分はコガラシの操作端末の前で居眠りをしているだけ、と願望を思い浮かべてみても、目は覚めない
 テツコは大きく溜息を吐き出す。ジェットが首をテツコの方に反らした。能天気な間抜け面がふごふご言っている

 「博士さん、目ぇ覚めました?」
 「…………ずっと寝ていたかったよ。そちらの彼は?」
 「ブラヴォです。テツコ・シロイシ博士、お初に御目にかかります。博士の救助の為に派遣されました」
 「ジェットの拳骨の犯人やで」

 何時の間にか増えていた一人の人間は、どうやら協力者であるらしかった
 迷彩服を着て、重量のあるアサルトライフルで肩をとんとんと叩きながら、崩れた敬礼をする男
 ブラヴォと名乗った特徴の無い兵士に、問いかける

 「ミスタ・ブラックバレーの?」
 「直属の上司はアーハス・デュンベルですが、そうなります」

 テツコはジェットの背から降りると、そうか、と頷いてブラヴォに歩み寄る

 コンクリートの狭い通路であるようだ。長らく放置されているのか、埃まみれで所々に欠損もある

 テツコは能面のような表情で、凍えそうなほど冷たい声を発した

 「端末を。君の上司の上司に用事がある」
 「そいつぁ無理ですな、機密情報も入っているので。それにここは、無線端末では少々」
 「だろうな。もし私が死んだら、代わりにブラックバレー氏に大嫌いだと伝えておいてくれ」
 「……はぁ、ラージャ」
 「で、さしあたっての問題は? そういえば、何のために態々首都上空でバスケットのボール役をやらされる破目になったのかも聞いていないな」

 ブラヴォの背後には、緑色のシャッターがあった。表面に埃が張り付いていて、長らく放置されているらしい
 右脇に設置された端末がピコピコと音を立てている。これを開けたいのか

 腕を組んで壁に背を預けているミハイルは、小さく頷いた

 「これを開ければ?」
 「そうだ。ここから脱出し、手に入れた証拠をナヴィーグチェイス警察署に提出する」
 「そもそも、何の話だ? 何の証拠なんだ?」
 「……」

 ミハイルの腕時計から光が零れる。ミハイルはそれをじっと見つめた後、淀んだ水底のような不愉快な目をテツコに向けた

 「パーティの最中に、私の同志があるデータファイルを送ってきた。本当ならばもう少し時間を掛けて行う心算だった案件だったが。…………データは、モルビー・エスチレンがセックス・ボムの流通に深く関与していることを示している」

 ミハイルの中の怒りが漏れ出している。テツコはそれに僅かに気圧され、忌々しげに眉を顰める

 灰色の通路がぐにゃりと曲がって見えた。テツコだって、怒っている
 自分は人質のような物だ。ミハイルは、自分の仕事が如何に性急で、かつ出鱈目な物なのかをよく理解していた。だから自分をダシに使って、ブラックバレーから戦力を引き出している

 性格が悪過ぎて、余程友人が居ないに違いない。だが計算高さ故に生き残っている

 「他のどんな人間から隠し通せたとしても、或いは脅迫し、買収し、始末して口を封じることが出来たとしても、私はそうは行かない。このデータで、奴をロベルトマリンの暗い海の底に叩き込む」
 「……成程。それでマリーシアンに追いかけ回される破目になった訳だ。……ナヴィーグチェイス警察署に向かう理由は? 公務員の持つ端末は、特定の設備が無ければデータの扱いが出来ないと聞くが、それだけか?」
 「あそこの署長は利用できる。警察組織の仕事と後ろ暗い真似を同時に、そして完璧にやってのけるクソッタレだ。野心もある。モルビーを排除する為ならマックスの靴を舐めるぐらいはするだろう」

 テツコは鼻で笑った。常の彼女ならば絶対に取らない態度である。ジェットが尻尾をみょんと立てた

 「わしゃしゃしゃ、……こら本気で怒ってますなぁ」

 端末に取り付き、ディスプレイをコツコツと小突く。壁に収納されていたキーボードが駆動音と共に伸びてくる

 「話は分かった。糞食らえ」
 「……このデータの為に、少なくない犠牲を払った。何としてもここから脱出する」
 「あぁ、同感だ。いい加減研究所の自室でゆっくりと休みたくてね。目的は同じだ。何が言いたいか解るかな? 君が余計な事を言わなくとも最大限の努力をするって事だ。少し口を閉じていてくれ」

 ミハイルは面白そうに笑って視線を床に向けた。今更テツコを怒らせたぐらいで、動じる男ではなかった

 テツコは、キーボードを叩きながら言う。ディスプレイが放つブルーライトに照らされ、蒼白にも見える顔が、鉄の女に相応しい頑なさを露わにしていた

 「ミスタ・ブラヴォ。聞いての通りだ。このクソッタレは、まだ暫く私に嫌がらせをしたいらしい。君の上司はなんと?」
 「どんな事があろうと博士を生還させろと。自分としては、ミスタ・ミハイルと今すぐにでも別れて頂いた方がありがたいのですが。任務が格段に楽になるので」
 「彼にその気はないようだ。君やジェットを死ぬほど扱き使いたいのさ。ミスタ・ブラックバレーも同じような事を言っていたのではないかな?」
 「戦争屋としては、気分が良いですな」

 テツコは隠しもせず舌打ちした


――


 「博士さん、開きそうでっか?」
 「私が居て良かったな? 一般的な機械知識の他に、総合的な科学知識もある程度必要だ。RMAでは、専門の教習課程があるぐらいさ」

 造作もない事であった。シャッター開閉を操作する端末に、テツコは見覚えがあったのだ
 テツコの学生時代、校舎施設の門扉制御を行っていたのと同型で、非常に慣れ親しんだ物だった。端末に細工をして門限を誤魔化す程度には
 そしてそれは、テツコ達学生の伝統行事とも言える作業で、テツコはそれが断トツに上手い優等生だった

 「施設構造体が損傷を受けて、一時的なロックが……。管理キーの類が必要な訳ではないな……。この施しは…………。もう開くぞ」
 「早いな、何処で習った?」

 壁に背を預けながら鼻を鳴らすミハイルに、実に詰まらなそうな口調で嫌味を返す

 「君が、人の太腿をパイの具にするような気の狂った調理法を、何処で習ったか教えてくれたら答えようかな」
 「期待に添えなくて悪いが、自己流だ。練習の機会に困らなかったからな、今ではあの手並みだ」
 「なら私もそれだ。怖気がするね」

 よし、と無駄口を切り上げ、テツコはエンターキーを押し込んだ
 緑色のシャッターがずるずると異音を発する。愚図る赤子のようで、素直に開いてくれない

 テツコは力いっぱいシャッターを蹴りつけた

 「感知器の類にガタが来ているね。碌な施設整備をしてこなかったみたいだ」
 「お任せやで。ジェットと博士さんの愛の共同作業や!」

 ビシ、と敬礼のような何かをしながら、ジェットがテツコの隣に立つ
 二人で息を合わせて、足を振り上げた。どごん。テツコに、ドレスの裾を気にする余裕は、最早存在しない

 乱暴だったが、効果はあった。シャッターは今まで愚図っていたのが嘘のように軽快に開く
 そしてシャッターの向こう側には、近接戦用のエネルギーナイフを構えるマリーシアンが居た

 「え? だから」

 マリーシアンはボロボロだった。左腕部を失っているし、生体部分にも大きな傷が見受けられる。背のブースターは完全に歪んでしまって、切り離せないようだった

 しかし、表情と挙動には、ダメージが現れていない。ステップを踏んで飛び掛かってくるその動きが、テツコには見えなかった

 「それは困るって。マリーシアン」
 「博士さん!」

 ジェットはテツコを突き飛ばした。間抜け面から間抜けが抜けた
 姿勢を下げようとするジェット。マリーシアンは逃がさない。突き出したエネルギーナイフがジェットの頭上を擦り抜ける。瞬間、逆手に持ち替えられ、無防備なジェットの左肩へと振り下ろされていた

 サイボーグの圧倒的腕力、と言うか馬力の前に、防刃スーツは役に立たなかった。嫌な音を立ててエネルギーナイフは突き刺さる。直後、電流が放出され、ジェットは絶叫した

 「グナアァァァァァァァァ!!」
 「ジェット!!」

 ミハイルが拳銃を構えた。マリーシアンはジェットに密着し、痙攣するその肉体を盾にする

 「クソ、貴様!」

 しかし、ミハイルはともかくブラヴォはそれで止まるほど甘くない。咄嗟にアサルトライフルを放り出してマリーシアンに走る
 マリーシアンも、盾としていたジェットを放り出した。身を屈めて右ストレート

 ブラヴォは左右の掌を重ねてそれを受け止め、同時に体を捻った。突き出した右腕に加わった無理な回転運動は、マリーシアンの体勢を崩す

 続けざまにローキック、と見せかけた足払い。マリーシアンは防御しようとした無理な姿勢のまま、床に倒される

 そしてそのまま首をへし折ろうとして、ブラヴォは呻いた
 ピクリとも動かない

 「ネック部の駆動には、オリゲール社のクレーン用モーターを改造したものが使用されています」

 無表情で告げるマリーシアン。このクソッタレサイボーグ。そう呟いた直後、ブラヴォは壁に叩きつけられた。続いて、問答無用のタックル
 やられた。とブラヴォは思った。ブラヴォの叩きつけられた壁面が、僅かに凹むほどの良いタックルだった

 「マリーシアン!!!」

 ミハイルがハイキックを繰り出す。誤射の危険を冒すよりは、格闘戦に踏み切った
 身を翻すマリーシアン。鞭のように撓るミハイルの右足を、エネルギーナイフの切先で迎え撃とうとする

 足が串刺しにされようかと言う瞬間、蹴りの軌道が変化した。振り子のように反転して来た道を戻り、更に反転してマリーシアンの脇腹へと減り込む

 落雷のような軌跡であった。惚れ惚れするほど見事で、強烈な、嫌らしい蹴りであった

 「サガロ・コンバット。ミハイル捜査官、相変わらずお見事です」

 ただ、惜しむらくは、マリーシアンに毛ほどのダメージも与えていない事だろう

 ミハイルの右足は更に撓り、剥き出しのマリーシアンの鳩尾に吸い込まれる
 そのまま身を捻って飛び上がり、軸となっていた左足を使っての後ろ回し蹴り。マリーシアンの米神を打ち抜くが、矢張り少しも効いていない

 「無駄です。貴方も知っている筈です。私は既に、そういう身体なのですから」
 「あぁよく知っているとも! お前は人間を止めた! モルビーの犬になったのだ!」
 「私はサイボーグです」

 マリーシアンの瞳の中で、漆黒の円が引き絞られた
 その右手が、ミハイルの右手を捉える。咄嗟にミハイルは腰を落として体を振り回すが、振り払えない

 マリーシアンが全身を捻った。先程ブラヴォがマリーシアンの右ストレートを受け止めた時の動きに酷似していた
 もう、どうもこうもない。ミハイルは安定を失って、容易く押し倒される。そこへマリーシアンの頭突きが降ってきた

 鋼鉄のデコがミハイルの額に突き刺さる。メガネが砕けて散らばった。ミハイルは凄まじい形相で拳銃を突きつける

 「無駄です」

 鋼鉄の腕が、銃口に添えられていた。連続して起こる発砲音。十二発、惜しげもなく吐き出された弾丸は、全てマリーシアンの掌に受け止められていた
 これ見よがしにゆっくりと手を開く。ぱらぱらと零れ落ちる弾丸

 「奴に先は無いぞ、犬のように従っても利益は無い」
 「私はサイボーグです」
 「この馬鹿者め!」
 「多数のギミックを機能させるために、制御チップにすら頼る機械なのです。機械は命令を疑いません。利益の計算もしません」

 ミハイルは静かに激昂した。そして絞り出すように言う

 「私から離れろ、人形。お前の負けだ」

 何時の間にか、テツコが立っていた
 ブラヴォのアサルトライフルを心許ない手付きで構えながら、大きく深呼吸する

 この鋼鉄の背中に忍び寄るのに、多大な精神力を必要とした。その上これからこの女性に対して発砲しなければならない可能性が高いとなれば、もう嫌で嫌で仕方が無かった

 「マリー……シアン。降参してくれないか。私は撃ちたくないんだ」

 マリーシアンは首だけで振り返る。テツコの反応出来ない速度で、その右手が動き出そうとした時、マリーシアンの米神に拳銃が押し付けられた

 「鈍ったかね、俺も。これじゃ閣下にどやされちまうぜ」

 ブラヴォだった。サイドアームである拳銃を突き出し、ゴキゴキと首を鳴らしている

 逃げ場はない。勝敗は決したのである

 「機械は死を恐れません。しかし、知りたいことがあります」

 マリーシアンは目を閉じて上を向いた。瞼の向こう側には、彼女にしか見えない物が見えていた

 「ミハイル、何故あの時、来てくれなかったのですか。貴方が来てくれたのであれば、私は、貴方の為に死んだのに」

 ミハイルの拳銃のカートリッジには、四発残っていた

 そしてミハイルは、その四発を全てマリーシアンの眼孔へと発射した


――

 後書

 勢いがなければ即死だった。

 誰がって、俺が。


 追伸
 ファンゴ氏の指摘によって誤字修正
 ありがとう御座る。自分では中々気付かないモノだ……。



[3174] かみなりパンチ25.5-4 鋼の蛇の時間外労働ファイナル
Name: 白色粉末◆95fd51d0 ID:757fb662
Date: 2011/02/28 06:59
 「ミハイル、君と言う人物はとても危険だ。ミスタ・ブラックバレーの同類さ。きっと、君に関わりたくない、平穏に生きていた人物すら、自分の目的の為に踏みつけにしてきたんだろう」
 「…………マリーシアンに同情でもしているのか」
 「彼女は私に対してとても誠実だったよ」
 「どんなに誠実な者でも、目の前に金塊を積まれ、或いは弱みを握られれば決断しなければいけなくなる。人間を続けるか、狗になるかだ。マリーシアンは狗だった」

 鉛色のドアを一度蹴り付けて、ミハイルはブラヴォに向かって、ドアを顎でしゃくって見せる
 独力では開きそうになかった。ミハイルはブラヴォの助力を得てもう一度蹴りを入れつつ、小さな声で言う

 「だが、……ふん、殺してやって正解だったのかも知れん。モルビーに命を握られている状況など、死んでいるのと変わらん」
 「あれ程のボディは、維持だけでも大変だろうからな」
 「金は掛かったろうが、公私ともにマリーシアンは都合の良い女だったろうよ、モルビーにとっては。そういう意味でなら、マリーシアンに同情もしよう」

 テツコは、自分の首筋に顔を埋めて眠るジェットの頭を見た。先程とは逆で、失神したジェットを今度はテツコが背負っている。しなやかな猫の肉体は、テツコが思っていた以上に軽い

 色々な人間が居る者だ。ジェットのように、何時もケロッとしている者も居れば、ミハイルのように、常に不機嫌そうにしている者も居る

 テツコはマリーシアンの顔を思い出す。食事中、歓談していた時の顔。ミハイルの話題を振った時の顔。空を飛び、自分達を追っていた時の顔。そして死に際

 ミハイルは、この男はきっと、モルビーに飼われる事を受け入れたマリーシアンが許せなかったのだ。或いは愛していたのかもしれない

 下らない下品な勘繰りだな、とテツコは頭を振った。テツコのしなければいけない仕事は、別にあるのだ

 「出来るだけ早くジェットを診たい。神経にダメージを負っているかも知れないからな。急いで貰えるかな?」
 「そいつを普通の病院に担ぎ込むのは……。あー、あぁ……医療系の知識もお持ちで?」
 「何故私が、ファルコンの仕事に携わるのに適当であると判断されたのか、それを思えば当然では?」
 「成程、了解、もう開きますよ、と!」

 ブラヴォが裂帛の気合を込めて扉を蹴破る。ドカドカと雪崩れ込んだその先はモニタールームになっていて、地上に通じるエレベーターと階段があった

 テツコはジェットをブラヴォに任せると、足早にコンソールへと近付く。少しの間吟味し、一つ頷くと、まるで使い慣れた端末であるかのようにスムーズに起動させた

 「エレベーターの制御も行えるようだ。これで漸くここから……、ん……?」
 「どうした?」
 「配線が切断されているようだ。どう言う事だ?」
 「マリーシアンが散々暴れたからな、何がどうなっていても可笑しくはない」
 「切断されているのはここのエレベーターの配線のみだ。これは」

 ブラヴォが突然身を屈める。唇に人差し指を当てて沈黙を強制する

 階段の方へと耳を欹てて、ブラヴォは小さく無声音を発した

 「足音、複数」

 ブラヴォはジェットをテツコに押し付けた

 「お客さんですな。警察特殊部隊なら、一度やりあってみたかった。最近どうやら図に乗っているようなので」

 鼻で笑ってブラヴォは駆け出す。階段を下りてくる敵を奇襲する心算らしい
 テツコは、押し付けられたジェットを更にミハイルへパスして、再びコンソールに取り付く。盥回しにされたジェットは失神しながらも気分悪そうにふごふご言った

 「血の気の多い事だ」
 「博士、エレベーターを動かせないか。階段を上るとかなり長いぞ」
 「少し待て。……ある所から持ってこよう。60カウントでエレベーターを動かす」

 炸裂音がした。階段の方からだ。続いてパシュンと言う空気の音と、カシャカシャと言うカメラのシャッターが切られたような音、そしてブラヴォのアサルトライフルが発する乾いた射撃音が聞こえる
 一つ目はサプレッサー付きの銃から出たであろう発射音、二つ目はその銃の機構故に漏れた作動音だろう。三つ目は言わずもがな。それ以外には何も聞こえない
 連中、呻き声一つ発さず殺し合いをしている。テツコは眉を顰めた

 「……今、あの兵士が交戦している部隊だけとは思えんな」
 「不吉な事を言わないで欲しいね」
 「さて、奴ら、どのような経路で侵入しているか解らん。挟み撃ちは流石に無いだろうが」

 モニタールームから出た所の階段踊り場に、何か重たい物が降ってくる

 黒尽くめの装備に身を包んだ警察特殊部隊員だ。右手と右足があらぬ方向に曲がっており、腰の部分から少しずつ血だまりが広がり始めている。絶命していた。ミハイルは面白くなさそうに言う

 「本職が相手では流石に形無しだな」
 「何が降ってきた?」
 「この国の糞溜めで何時も安売りしている物だ。気にしなくていい」
 「……チッ」

 心底不愉快だと言いたげな面持ちで、テツコは舌打ちした

 不意に、ミハイルのスーツからコール音が鳴る。無機質なそれに、ミハイルは表情を一変させる

 「お次は何だ?」

 問いかけるテツコの横にジェットが転がされる。更にその横に立つミハイルが、腕時計型端末に手を添える

 『しぶとい奴だなミハイル。ゴキブリに育てられたと言われても信じるぞ俺は』
 「生憎と、私の所は二代前の両親からナチュラルヒューマンでね。ゴキブリの亜人等と言うUMAとは、少しも接触が無い」
 『ハハハハハ』

 本当に面白がっているような笑い声が響く。ミハイルの形相がみるみる憤怒に歪んでいく

 テツコは悟った。この威圧的で、低い声
 モルビー・エスチレン

 「貴様の愛人には二度と会えんぞ、寂しいか?」
 『あぁ……! 何てことだミハイル! お前は酷い奴だ! ……でも、……それなら御相子だ。お前の下品で、低能で、始末書を書くばかりが特技のどうしようもない相棒を、先程懺悔の旅に送り出した所だ。使えない部下だったとはいえ流石に胸が痛む』

 罵声を投げつける事も、唸り声を上げる事も、歯軋りの音を立て事るもしなかった。ミハイルのこの男にだけは負けてはならないという意地が、感情の発露を抑え込んでいる

 『まぁあんな奴の事は良い。それより、マリーシアンは最後に何か言っていなかったか? お前への恨み言か何かをだよ。本当に哀れな女だ。お前に見捨てられたせいで四肢を失い、挙句そのお前に殺されるとは』
 「クククク……。残念だが、忙しくてその暇が無かった。だから」

 テツコが仕上げに掛かる。コンソールが軽快な電子音を立て、作業の完了を知らせた

 「動くぞ。ミハイル、私はね、君もそのモルビーもクソッタレだという事を今確信したよ」

 ミハイルは既にテツコを見てすらいない

 「貴様が確かめてくれ。直ぐに、地獄とやらに叩き込んでやるから」

 ミハイルは通信を切断した。悪相が酷い有様になっている。血と暴力に塗れたアウトローだってこんなに怖い顔はしていまい、そう思わせる程の顔になっていた
 テツコは階段に頭を出して上に向かって怒鳴り付ける。丁度その時階段全体に超音波のような何かが広がっており、テツコは耳を抑えた。フラッシュ? スタン? まぁどちらでも良い

 「く……、まだ始末できないか?!」
 「もう少し! 逃がさないようにするってのは、面倒なもんで!」

 とっととやっつけてしまえ、とテツコは投げやりに思っていた。もういい加減、慣れてしまったのである


――


 エレベーターが地上に着く前に、ブラヴォはサーモゴーグルを着けながら平然と言った

 「息を止めて目を瞑り、寝そべっていてください」

 テツコは疑問を挟まず胡乱気に了解の意を伝える。ミハイルと、入口方向から見たエレベーター内部のデッドスペースに潜り込み、姿勢を低くする

 ブラヴォはスモークグレネードを転がした。煙が充満し、地上に辿り着き、ドアが開き
 膝立ちになったブラヴォが、三点バーストで射撃を行う。最初に三回。間を開けて、また三回

 激しい爆発があったから、複数個グレネードを転がしたりもしたようだ

 そこから先はあっという間だ。ジェットを担ぎ直したテツコを、更にブラヴォが引っ掴み
 建物の回転扉を抜けて、警察特殊部隊の装甲車まで辿り着いて、そこに待機していた特殊部隊員を射殺。テツコが激しい咳から復帰した時には、装甲車を奪取していた。ミハイルは悠々と運転席で端末を弄り、装甲車を起動する

 「流石に私のIDは止められているが、この程度で……」
 「死ぬかと思ったよ……」
 「その心配はありませんな、博士」

 ブラヴォがライフルのマガジンを取り換えながらしたり顔で言う

 「奴ら、どうも本気に成り切れんようで。持っているのは麻酔銃でした」
 「どう言う事かな?」
 「まぁ、ほら。博士が死んだら、閣下が黙っておりませんので」
 「今更かい? マリーシアンなんかグレネードキャノンを撃ち込んで来たよ」

 急発進した装甲車の座席に、テツコは鼻を打ち付けた。またこのパターンか
 ふわりと浮き上がった瞬間の何とも言えない感覚の中で、必死に車内に放置されていた機材にしがみ付く

 ミハイルが五月蝿く鳴り始めた腕時計型端末を、忌々しげにハンドルに叩きつけてから口を挟んだ

 「気付いていなかっただけだろうよ。だから安易に、マリーシアンに皆殺しを命じた。そしてマリーシアンにしてみれば命令以外の事などどうでもよかった」
 「兎に角、閣下を怒らせたくない訳です。あの人がその気になればモルビーは三十分以内にロベルトマリンの海の底でしょう」
 「……出来れば、今直ぐそうしてこのお祭り騒ぎを終わらせて欲しい所なんだけれどね」
 「それには幾つかの手順が必要だ。その一、モルビーが目も覆いたくなるような馬鹿をやらかす事。その二、それが軍部の干渉を必要とする程の大事件である事。その三、マックスがその証拠を手に入れる事」

 くたばれ、とテツコは胸中で罵った。何故口に出さないかと言えば、出した所で意味が無いからだった。この悪党面が罵声を受けて歪むなど、有り得ない

 テツコの事を骨の髄まで利用している。マクシミリアンだってそうだ。ここまで事態が動いて、未だテツコをミハイルに“貸し出したまま”でいるという事は、つまりそう言う事なんだろう

 マクシミリアンの都合で働かされて、マクシミリアンの別の都合で死ぬ目に会う。テツコは装甲車内部にあったメディカルツールでジェットを診察しながら、クソッタレ、と吐き捨てた。この口汚い台詞も今日何度目だろうか。いや、自分は鋼の淑女だ。そんなに何度も言っている筈はない

 『まだ生きていたか! お前は本当に面倒臭い男だな!』

 鬱陶しくも空気を読まず、装甲車のナビゲーションディスプレイに、個性的な板顔が映し出される
 モルビー・エスチレンは聊か疲れたような顔をしている

 「誕生日プレゼントがまだだったろう? 上司に対して義理を欠くことは出来ん」
 『俺に気を遣うな、ミハイル。もうお前のサプライズは十分楽しんだからな』
 「サプライズの二発目なんかはどうだ? 装甲車で貴様の奥方に向かって突っ込んだら、喜ばれるかな?」
 『戻ってくるなら戻ってきても良いぞ。イエローペッパーの娼婦達も飛び入り参加していてな、天国まで送ってくれるだろうよ』
 「あぁそれは大変だ。薄汚くなった貴様の邸宅を片づける為に、装甲車でなく清掃車が必要だな。貴様の大好きな薄汚い阿婆擦れ……おっと失礼、溝臭いイカレた奥方殿をイエローペッパーから身請けする時は、どう掃除したんだ?」
 『…………あーあー、別に何もしちゃいないさ。普段お前らが発する、死んで二週間経ったスカンクみたいな臭いを嗅いでたら、まるで気にならんからなぁ。ところでミハイル、ずっと前から心の中で決めていた事を、お前に伝えるよ』

 けたたましいサイレンを鳴り響かせながら、三台の航空警察車両、二台の装甲車が、左右のビルの谷間から飛び出してくる
 急カーブして、ミハイルの操る装甲車を猛追。本日二度目の、全く嬉しくないカーチェイスだった

 『殺してやる』
 「……son of a bitch!!」

 ミハイルは大声と共に、ナビゲーションディスプレイに拳を叩き込んだ。あっさりとディスプレイは破壊されて、青白い電流を放った後に完全に機能を停止する

 大きくハンドルを切った。ブラヴォは窓から身を乗り出してアサルトライフルでの牽制を行い、テツコはジェットを庇うように抱き締めながら機材に背中を打ち付ける

 装甲車はスピードを上げる。途中、小型のエアカーを跳ね飛ばしたが、流石にビクともしなかった

 「だが、……ふん、こちらにはテツコが居る。連中はマリーシアンのような無茶は……」

 ぼひゅ、と間抜けな音を立てて、装甲車の右側スレスレをミサイル弾頭が通り抜けていく
 弾頭は大型飯店の看板に直撃し、プラズマを発生させ、遥か下の地面に落下させた。ミハイルは歯を食いしばって装甲車を急上昇させる

 「馬鹿どもがァァーー!!!」
 「プラズマ……? 次弾、来るぞ!!」

 ミサイルランチャーがか?! テツコは絶叫した

 「させるかァー!」

 ブラヴォが、こちらも絶叫しながらライフルを撃ちまくった

 装甲車の背後でミサイルがプラズマを発生させて消滅する。壁に備え付けられたディスプレイでその様子を見る事が出来たテツコは、唖然とする他ない

 撃ち落としたのだ

 「ん?! 矢張り、ミサイルじゃぁ無いな、対エアカー用の特殊電磁弾頭だ。エンジンと制御コンピュータに負荷を掛けて、強制的に消費低減モードに移行させる。そうすると二メートルぐらいの高さで浮いている事しか出来なくなる」
 「流石に、マックスの奴、有能なのを揃えているな……」
 「偶然だ。次はヤバいぞ」
 「その“次”が来たぞ!」
 「……洒落臭い!」

 再びブラヴォが吠える。今度は二発。フルオートで弾をばら撒いて、あっという間に二発とも撃ち落とす
 高速で空を走るエアカーの助手席から、無理な姿勢で、誘導弾迎撃。並の腕では成し得ない。破壊された電磁弾頭の名残であるプラズマ光をディスプレイで確認しながら、テツコは米神を抑えて頭を振った。事態は正直、想像を超えている

 「…………敵、増援確認!」
 「あぁ……まぁ、警察車両を乗っ取って、こんな大騒ぎしているんだ。幾らだって来るだろうさ」

 だが、とミハイルは凄絶に微笑む

 「残念、勝ちだ……! 俺の勝ちだ、モルビー・エスチレン! ナヴィーグチェイスは目の前だッ! 貴様の息の掛かっている所とは管轄も違うッ! もうお前に止める手立てはあるまいッ!」
 「また来るぞ!」
 「ではまた頼むッ!」

 無茶言いやがって、と言いつつも。ブラヴォは再び身を乗り出した。装甲車が速度を維持したまま大きく曲がる。電磁弾頭は誘導性能の高さを見せつけるように平然と追ってきた
 携行式の誘導弾にも、偏差射撃ってあるのかな。テツコが馬鹿な事を考えている内に、ブラヴォはまたもや電磁弾頭を撃ち落とす
 既に理解していた事だが、まぐれではない

 「ミハイル捜査官!」
 「何だ!」
 「抱き締めてほしいそうだ!」
 「あぁ?!」

 業を煮やした一台の装甲車が、体当たりを仕掛けてきた。ミハイルは大きな衝撃を意にも介さず、直ぐさまステアを返す
 数秒、熾烈な押し合いが続いた。この時相手側の装甲車にミスがあったとすれば、それは左側から体当たりを仕掛けた事である

 装甲車は右ハンドルで、こちら側の装甲車の助手席には、ブラヴォが乗っていた

 ブラヴォが、押し合い圧し合いする相手側装甲車の運転席にライフルを向けるのは、至極当然の流れであった

 「防弾ガラスだぞ」
 「閣下謹製のAP弾だが?」

 周囲の騒音に比べて、極めて小さな発砲音

 運転席に銃弾を撃ち込まれた装甲車は急激に高度を落とし、安全装置を働かせて低高度でホバー状態になる
 そこに、一般のエアカーが突っ込んだ。急に上から落ちてきた装甲車を、避けきれなかったのだった

 後続車三台を含めた玉突き事故になる。装甲車は吹っ飛ばされて装飾品店に突っ込み、爆発した。凄惨な大事故になった

 遥か後方での爆発音にも、ブラヴォはしれっとしていた

 「まぁ、こう言う事もある」
 「よし、見えた!」

 俊敏に空を飛ぶ、二十四の影があった。ビルの上、柱の陰、車両の下、様々な位置に陣取り、しかし存在を隠すことなく火器でこちらを威嚇してくるエアウィング達

 フライキャットチームだ。装甲車の通信システムが開かれる

 『フライキャットチームだ! 止まれ、止まれぃ! 這いつくばってケツを高く上げろ! 俺がファックしやすいようにだ!』
 『ナニコラ! 馬鹿言ってんじゃねぇ! 今回はお痛は駄目なんだよ、気ぃ入れろや!』
 『これ以上ないぐらい入ってんだろーがコラァ!! 滲み出るオーラが見えてねぇのかオーラが!』

 ミハイルは装甲車を急停止させた。周辺は既に交通規制が掛けられているようで、一般車両の姿は見えない

 凄まじいやかましさだった。ハイスクールの問題児達が、何を間違ったか銃火器背負ってピクニックに来たような感じである。とてもではないが、秩序ある公僕、しかも治安を守る警察組織の精鋭達には見えない

 そう、見えない、テツコには。しかし、全く残念で、認めがたい事ではあるが、ロベルトマリンエアウィングスと言うのは、警察組織の精鋭中の精鋭達なのであった

 『こちら警察特務隊355、凶悪犯の追跡中だ、邪魔をするな! それになんだ貴様らの発言は! 公僕として恥を知れ!』
 『ぶぁーーか野郎! 何が特務隊だこの“フェイスレス”どもが! 飼い主にきゃんきゃん泣きついてこいや! ワッペンつけさせてくださいってよォー!』
 『RMAから出来損ないを引っ張ってきて過密訓練受けてるらしいが、そんなんでうちのキャップがビビるとでも思ってんのかァ?! こちとら来る日も来る日もロベルトマリンの空を守ってるんだぞ! 手前らなんぞ朝飯前に三枚に下してストレイキャットの餌にしてやるわ!!』

 ぎゃーぎゃーと凄まじい勢いで捲し立てるフライキャットチームに、テツコ達を追っていた特殊部隊員達は押され気味だった

 『我々はロベルトマリンポリスだぞ! 僚友を侮辱するのか!』
 『モルビーの足舐めながらドラッグビジネスに精を出す恥知らずを、フライキャットチームは僚友とは呼ばんのだよ。おのれら部隊章すら着けられん癖に、言う事だけは一丁前で。全く呆れる他無いの』
 『良いかァ?! フライキャットチームからの勧告だ! 手前らは、そこで、黙って見てろ。後の事は俺達が仕切る。お前らが追ってる連中が本当に凶悪犯なのかどうかも、俺達が判断する。 OK?』

 五秒ほど、場が沈黙した

 虚しい五秒だった。引き下がる訳が無かった

 『我々はモルビー総括官から直々に指令を受けている! 如何にエアウィング、しかもフライキャットチームと言えども、好き勝手はさせん! これ以上邪魔をするなら、制圧する!』

 フライキャットチームは沈黙した。だが、決して臆した訳ではなかった
 誰かがくすくすと笑っている。一人二人ではない。含み笑いの気配が伝わってくる。我慢できないとでも言いたげに体を丸めて腹を抱えている者すら居た

 下方から、新たに飛び立ったエアウィングが居た。黄のパーソナルカラーの許された、隊長格のエアウィング

 ジャック・ダニエル。野太い声が、通信機を通してその場にいる全員を震わせる

 『誰を、制圧するんだって?』

 特殊部隊員達の、絶句する気配

 『どうした、言ってみろよ。誰を、制圧するんだって?』
 『ふ、フライキャットリーダー、我々は』
 『ここは俺たちの空だぞ、糞ガキども』
 『も、モルビー総括官から指令を! フライキャットリーダーには話が通っているのではないか?!』
 『やかましいわ!』

 ジャック・ダニエルは巨体を怒らせて、一喝で特殊部隊員を黙らせた

 フライキャットチームの不遜な態度、絶対の自信を支えているのは、この男だった。亀の亜人にしてファルコンの宿敵、ジャック・ダニエルだった

 『俺達はロベルトマリンの空を守る。モルビー・エスチレンなんぞ、知った事か!!』
 『フライキャットリーダー! 懲罰の対象だぞ!』
 『クビだろうが豚箱送りだろうが、やれるもんならやって見やがれェーーッ!!』

 ジャック・ダニエルの滅茶苦茶な物言いと同時に、フライキャットチームは俊敏に動き始めた

 暴徒鎮圧用のショックガンを撃ち掛けながら、極めて洗練され、且つ統制の取れた動きで特殊部隊員とそれに追従してきた警察官達にプレッシャーを与えていく

 包囲するのに、圧倒的な機動力を用いて八秒。勝負を決めるのに、彼らは時間を必要としなかった

 『撃ち返してきても良いんだぜ?!』
 『その瞬間ウェポンチェンジだ! 手前らは間違いなく皆殺しだがなぁ!!』
 『ヒャヒャヒャヒャッホー!』
 『我らの空だ! 装甲車なぞでいい気になりおってからに!!』
 『フライキャットチーム万歳! 空を荒らす奴らはあの世逝きだァー!』
 『おぉぉ?! 発砲された! 繰り返す、発砲された! 敵は小銃に加え携行式の誘導兵器で武装している模様!』
 『それは射殺されても文句言えんよなァ! よーし殺っちまおうぜ、この糞生意気なフェイスレスどもをよぅ!』
 『敵増援を確認!』
 『全員逮捕だコラァ!』
 『死人に口なしィ!』

 テツコは苦笑した。苦笑、で済ませるには酷い状況だったが、もう何もかもがどうでもよかった

 「気が狂っている」

 笑いながらこう言う他ない。ブラヴォが、心なしか羨ましそうにフライキャットチームを見ているから堪らない

 「……狂っていようがいまいが……。ふ、勝った……」

 ミハイルが朽ち果てたような笑みを浮かべた。テツコは疑問だった。勝ったとは、何だ
 こういうのが、勝ったという事なのか? 警察組織のやり口と言うのは、よく解らない

 「……終わったのかい? この、馬鹿馬鹿しい茶番劇は」
 「終わったさ。モルビーめ、無駄に長い手を回して駒を増やそうとしていたようだが、……私の根回しが勝ったな」
 「……君はどうなる? 個人的には、酷い目に会ってもらいたいところなんだけれどね」

 ふん、とミハイルは鼻を鳴らす。そこにコール音。装甲車のそれではない。ミハイルの端末だ

 『ミハイル、首尾はどうなったのかしら?』

 妙に艶のある、色っぽいお姉さま口調は、しかし野太い男性の声で発せられていた
 また変なのが、テツコはそこまで考えて、頭をぶんぶんと振る。関係ない。自分には関係ない

 「当初の予定とは大分違ってしまったが、結果的には好都合だった」
 『ま、そうでしょうね。そうでなきゃ、陰湿なアンタがこんなストレートでド派手な事する訳ないものねぇ』
 「…………結構、死んだ」
 『……………………良いじゃない。成し遂げたわ、アンタ』
 「ふん」
 『アンタ好きよね、その、フンっての。ま、いーわ。とっととこっち来なさい。これから忙しくなるわよ』

 ミハイルは鬱陶しそうな顔をして通信を切断すると、再びエアカーを走らせ始める

 テツコはジェットの柔らかいほっぺたを撫ぜた。しゅば、とジェットの舌が伸びてテツコの指を舐めまわした後、口腔に戻ってもごもごし始める

 テツコは目を閉じる

 「よく解らないが……終わった…………のだね?」
 「あぁ……」

 そうか、とテツコは運転席と助手席の間から身を乗り出す

 有無を言わせず、ミハイルの横面に鋭いフックを食らわせた
 ブラヴォが拍手する程の良い拳だった

――

 後書

 本当は最後モルビーが出てきてテツコが大活躍して終了する筈だった。
 でも冗長になりすぎて、というかその時すでにgdgd感がどうしようもなくなっていたので、切った。

 酔った勢いとも言う。


 御免よテツコ……。力ない僕を許しておくれ……。


 ファンゴ氏、グリ氏の指摘により誤字脱字修正。
 助かります……マジで……。

 さらに誤字修正



[3174] かみなりパンチ26 男二人
Name: 白色粉末◆95fd51d0 ID:757fb662
Date: 2011/02/28 07:00
 スーパー・バーニング・ファルコンとは!
 隼団の首領とは!
 ロベルトマリンの暗黒街の誰もが一目置くタフな男とは!
 如何な治安維持組織も与し難しと判断するアウトローとは!

 どう言う物か! どう言う物なのか!

 ――それは、異世界においては誰も知らない。当然の事である

 しかし、これ程偉大な男の存在を、知らしめずにおいて良い訳が無い、そう本気で感じている者が居た


 ゴッチであった


 ゴッチは極めて自尊心の高い男だ。ロベルトマリンのダニ上等、しかし、自分を舐めたり、嵌めたり、乗せたり、侮った奴に対して報復を行わずには居られない、そういう男だ

 当然、自分を安く見ていない。ファミリー内でビジネスの成果を競うなら他の団員達に譲る所も多々あるが、ソルジャーとして、事、戦闘能力においてはファルコンすら上回るという自負がある

 容易に人の下にはつかない。自分を従えられる者などそうは居ない
 では何故隼団の一人なのか。何故頂点に居ないのか。或いは孤高で居ないのか

 スーパー・バーニング・ファルコンが強い男だからだ。誇らしい男だからだ

 ゴッチの胸中にあった単純なその思いは、ここ最近急速に大きくなっていた。正確に言えば、カポに任命されたその時から

 隼団ソルジャー、ゴッチ・バベルとは、言ってしまえば敵を這い蹲らせる為の握り拳だ
 では隼団カポレジーム、ゴッチ・バベルとは、何か?

 ファルコンが、直々に、仕事を任せる存在だ。ファルコンがその実力と忠誠を認めて用いる存在なのだ
 もしゴッチに実力が無ければ、それは即ち首領の無能を示す。実力の無い者が粛清もされず重役を任されるような組織、終わっている。その終わっている組織の首領、当然、終わっている

 隼団カポレジーム、ゴッチ・バベルとは、ファルコンの乗り移った男でなければいけないのだ。ゴッチを見ればファルコンの力が解る、そんな存在でなければいけないのだ

 この年若い、新米カポは、そう解釈した。俺はファルコンの子なのだと胸を張らなければいけなかった
 何せ、ゴッチは目立ちたがりであったし


 テツコとファルコンが所用でサポートに回れない期間を、ゴッチは一瞬たりとも無駄に過ごしたりはしなかった

 ジルダウの街、そこに現れた隼団カポ。ターゲットであるロージン、仕事は決まっている
 隼団として活動したゴッチ。手伝うラーラ。制止するレッド。ゼドガンは、面白そうに笑っていた

 そして、あっという間の一週間。ゴッチは実力でロージンを配下に組み込み、暴力を中心に置いた極めて強引かつ後先考えないやり口で、商人の街ジルダウの暗部の頂点に立っていた


――


 「うーん、いや、まだ違うな。もうちょっと……嘴が、こう、ほら、こうだ。分厚くて、だが鋭いんだ」
 「は、はぁ……」
 「気合入れて筆動かせ。ビシッとやれよビシッと」
 「は、はい!」

 ジルダウは湖に面している。交通の要所で、人が必要とする資源が豊富に存在し、街として好条件の土地だった
 当然規模は大きくなる。商人達の手練手管で、アナリア王国もエルンスト軍団も明確にここを支配しているとは言えない微妙なバランスを保っていた

 それをゴッチは突き崩した。今、ジルダウの豪商から奪った巨大な屋敷の中で、葉巻を咥えながら尊大に人を操る男の仕業で、ジルダウの街は一気にエルンスト側へと傾いたのである

 先程強引かつ後先考えないやり口と述べたが、ゴッチ・バベルを受け入れさせるのは、ロージンの存在もあって実は然程難しくなかった。何せ、商人を脅しつけたり、或いは守ってやったりなんてのは、本職と言ってもよかった

 「そうそう……、おい、なんだこの可愛いおめめは? ガキ用の案内看板でも描いてる心算じゃねーだろうな?」
 「い、いえ、そんなつもりは!」

 そのゴッチが今何をしているかと言えば
 目の粗い、しかしそれでも貴重な紙に向かって必死に書き込みをする絵師に向かって、あれこれ注文を飛ばしていた

 「よし良いぞ、この立ち姿、最高だな。この背中だよ背中。ビッと決まってやがる。これが隼団のドンの貫録だ」
 「よ、宜しいでしょうか、ゴッチ様ァ?!」
 「何だ? 言ってみろ」

 絵師は頭に巻いていた布をぐしゃぐしゃと丸めて、半泣きになりながら訴える

 「わ、私はァ、貴方の養父殿の肖像画を描かせていただく為に参ったのではァ?!」
 「その通りだが、なんか問題あるか?」
 「こ、こ、これはどう見ても、鳥……、鳥が服を着て、その、兎に角鳥なのではァ?!」
 「あぁぁぁ?」

 絵師は書き込みを行っていた紙を頭上に掲げる
 下書きの段階であったが、そこに描かれていたのは間違いなくファルコン
 スーツを着込み、落ち着いた様子で翼をたたみ、首だけで振り向いて背中を見せているファルコンの立ち姿だった

 「だからこれが俺のオヤジだっつってんだろうが!」
 「は、はぃぃぃ?!」
 「タフで、冷徹で、残忍。俺に無い礼儀と教養を備えたナイスガイ。スーパー・バーニング・ファルコンだ。鳥なんて軽々しく口走ってんじゃねぇぞ!」
 「もう何が何だか!」

 蹴り転がされた絵師は、それでも紙を損傷させないように懐に庇いながら埃塗れになった

 からからと笑うゴッチ。葉巻から上る紫煙を目で追い、顔を上に向ける

 品の良い設えの椅子にどっしりと腰かけ、立ち振る舞いは尊大である物の、決して下品ではない
 カポの出で立ちとうはこう言う物だ。肘掛に頬杖をつき、足を組んだゴッチは満足げに笑った

 ふう、と吐き出した煙に、絵師は軽く咳き込んだ。苦手であるらしかった


――


 軍師オーフェス・サデンの使いは、表情険しくゴッチを睨みつけていた
 それも真正面から。そういう態度を取られて、受け流す理由は今のゴッチには無い

 腕組みしながらゴッチの傍らに侍るラーラが、愚かな奴、と小さく呟く。オーフェスの使いには届かない大きさの声だ

 「オーフェスの婆様はな、殺しても良いって言ったのさ。殺さなきゃいけねぇとは言ってねぇ」
 「しかしこちらの調べでは、ロージンは未だ首都の方面と商いをしているではありませんか。これはどう言う事です?」

 オーフェスの使いは、オーフェスの依頼の顛末について聞きに来たのだった

 ロージンとの交渉、或いは排除。ゴッチはこれを、ロージンを配下にする事で成し遂げた。ロージンは現在エルンスト軍団への全面的支援を誓っており、アナリア王国との取引は最小限にしている

 「おいおいおいおい、婆様がそれを聞いてこいって言ったのか? そんな訳ねぇ。解らねぇ筈がねぇからな。最低限の取引までなくなっちまったら、情報まで止まっちまうだろ。そんな事になったら婆様顔真っ赤にして怒るぜ。まさか、本気でその程度の事も解らなかったって事は無いだろう?」

 オーフェスの使いは沈黙した。僅かに頬が紅潮している
 当然といえば、当然である。面と向かって、「無知な奴め」と言われたような物だ

 「詳細はラーラに送らせたってぇのに、態々お前みたいなのを送ってくるんだから、婆様も心配性だな」
 「…………」

 お前など信用できない、と、そう言いたげな表情であった。国仕えは大変だねぇ、とゴッチは笑う

 「兎に角、ロージンに関してはここまでだ。オーフェスの婆様の望みは叶えた。ロージン自身にも、エルンスト軍団と敵対する意思はない。なんつったって野郎は商人だからな。喧嘩したって金にならんのだから」
 「それで納得しろと? 取り敢えず、本人をここへ。直接聞くこともあります故」
 「納得しねぇのか……? 納得しねぇってんなら、仕方ねぇな……。おいラぁーラ、その間抜け面をやっちまえ」

 突然のゴッチの言葉に、オーフェスの使いは飛び上がった。今この男何と言った?
 やっちまえ? この自分を、軍師オーフェス・サデンの使いを? やっちまえと?

 「了解」

 壁に寄りかかっていたラーラが平然と応える。真紅の瞳がギラリと光った

 「どう言う事か?!」
 「解んねーのか、マジで? これ以上俺の部下に文句があるってんなら……俺と喧嘩だっつってんだこの間抜け野郎!!」

 怒声、それと共に、立ち上がりざま蹴り一発

 ゴッチの眼前にあった、ゴッチの質量の三倍はあろうかと言う重厚な黒塗りの机が、真っ二つに破壊される
 砕け散った破片を浴びて、オーフェスの使いは後退った。必死に釈明なのか威圧なのか解らない事を述べる

 「お、お待ちを! こちらに敵対の意志は御座いません! 貴殿はエルンスト軍団と事を構えると仰るのか!」
 「あぁ、あぁー、オーフェス・サデンが、エルンスト・オセが、そんなに話の解らん連中だってんなら、やるしかねぇよなぁ。この隼団ゴッチ・バベルを前に、よくもまぁ阿呆面引っさげて適当な事抜かしやがってこの馬鹿が。俺は手前みてぇな馬鹿が、身の程を勘違いして偉そうにしてるのが大嫌いなんだよ!」

 オーフェスの使いは息を止めた。この瞬間自分が何をしなければいけないのか、正確に把握した

 この魔術師が、ここまで強引で後先考えない男だとは思わなかった。ここで主であるオーフェスとこの魔術師との関係を悪化させる訳には行かない。それ以上に、決して有利な戦況ではない今、いや、例え戦況有利であったとしても、魔術師とエルンスト軍団を敵対させる訳には、絶対にいかない

 オーフェスの使いは跪いた

 「謝罪致します! 私は礼を失しておりました、ロージンの件に関しても、我が主オーフェス・サデンに判断を仰ぎます。ここはお怒りをお鎮め下さい。私の首なら差し上げる。しかしこの件は、オーフェス・サデンの意志でも、エルンスト軍団の総意でも御座いません。隔意をお持ち下さるな」

 ふむ、と鼻から息を大きく吐き出し、ゴッチは満足げに笑う

 「だってよ、ラーラ。今回はお前に任せるとするか。俺の事は気にすんな。気に入らなけりゃ、殺しちまえ」

 きょとん、とラーラはゴッチを見る。むぅ、と唸って、白銀の髪をくるくる弄った
 詰まらなそうに息を吐くと、ラーラは跪いたオーフェスの使いの首根っこを摑まえて、部屋の外まで引き摺り出した

 「ボスは筋を通すお方だ。契約は達成されている。これ以上言いたい事があるのなら、オーフェス殿自身で来られるが良かろう。では、行かれよ」

 オーフェスの使いは、数回瞬きすると、立ち上がって一礼した。早口で謝辞を述べると、踵を返して大慌てで去っていく

 白い首筋を撫でながら、ラーラは苦笑した。ボスが蹴り砕いた机も、決して安い代物ではないのだがな

 「これで宜しいか?」
 「……まぁ、大丈夫だろ。婆様だったら納得するさ。もし駄目だってんなら、今度こそ喧嘩だぁな」

 楽しそうにゴッチは言う。本当にそうなれば良い、と思っている時の笑みだ。ラーラはそう判断した

 「ロージンも喜ぶでしょう」
 「馬鹿言うな、奴を喜ばせる為にこんな真似するかっつーの」
 「は、そうでしたな、確かに」

 ノックの音が聞こえた
 ゴッチが誰何の声を掛けると、ロージンです、と感情を押し殺した声が聞こえた。入室を許可する。ドアが開かれると、其処には旅装の上に青い直垂を羽織った男と、年幼い幼女が立っていた

 ロージンと、その愛娘ジナイである

 「どうした。何か報告でもあるのか?」

 ゴッチが声を掛けた途端、ロージンは床に這い蹲った。額をべったりと床に着け、はらはらと涙を流した

 すかさずラーラがジナイの手を取り、部屋の外に連れ出す。おいおい、と頭を掻きながら、ゴッチは迷惑そうに溜息を吐いた

 「ありがとう……御座います……! ゴッチ様……!」
 「止めろ邪魔臭ぇ。お前の仕事は、無駄に広い額を使って俺の部屋の床を磨くことじゃねーぞ」
 「……は、承知しています……! 私の仕事は、成し遂げます。一命に変えましても!」
 「あーあー……面倒な奴だな。解った、お前の気持ちは解ったから、とっとと立て。遣り辛ぇんだよ」


――


 元々ロージンは商人の子だったらしい。父から受け継いだ元々大きい地盤を堅実に固め、ジルダウの中でも比肩する者の無い豪商になった

 しかしその豪商は、頻繁にアナリア王国の徴発の対象になった。他の商人達の策謀と言うならまだ別の話であったのだが、ロージンの調べではそういった形跡は無く、純粋に……

 純粋に、アナリア王国を形成する人間たちの、私欲の為に、ロージンは被害を被っていた。ロージンがアナリア王国に反感を持ち、エルンスト軍団を支援しても仕方のない事である。ロージンの心とその取引は、急速にアナリア王国から離れていった

 そうしてどうなったかと言えば、ロージンの娘ジナイだ。ロージンの、目に入れても痛くない、亡き妻の忘れ形見が、人質として攫われたのである


 そして、ロージンをどうにかしようと画策したのがオーフェスで、それによってジルダウに送り込まれたのがゴッチだった。ゴッチ達は下調べの段階で、ロージンの内情を正確に把握した

 ここで猛然とジナイの身柄奪取を主張したのが、レッドと、ラーラだった。ゼドガンも奪取に非常に乗り気だった
 ゴッチとしては、ロージンを脅して自分の命と娘の命を天秤に掛けさせるのが楽で良かったのだが、手間を抜きにして考えるなら、確かに“貸し借り”と言うのはゴッチ達の世界でも十分に通用する通貨だ

 あーあーはいはい、と投げ遣りながらも、結局ゴッチはジナイを奪取したのだった
 それからロージンは、ゴッチの忠実な部下だ。エルンスト軍団から派遣されてきた。本来ならば自分は殺されていた。と言うのが、このロージンと言う男には非常によく効いたのである


――


 極めて、平和であった

 常人から見れば、ジルダウのヤクザ者達を締め上げ、その上に踏ん反り返るゴッチの状況を平和とは表現できないだろうが、ロベルトマリンのアウトローからしてみれば、本当に平和だった

 それに加え、アナリア王国軍とエルンスト軍は共に長期戦の準備に入っており、小競り合い以上の戦闘は起きていない

 エルンストの計画していた築城は形となり、これから先の戦いは長引くだろう

 そう、あらゆる意味で平和だった。エルンスト・オセが、悪戯小僧のような笑みを浮かべて、お祭り騒ぎを計画する程度には

 エルンスト軍団の士気と戦力の充実のアピール、加え、アナリア王国軍への挑発、加え、将兵達の息抜き、加え、エルンスト・オセの趣味の為に

 御前試合が計画されていた。しかも、ジルダウの街で


 「会場の建設は、予定よりも早く進行しています。模範演武に参加する軍団の方々や、御前試合に出場なさる名だたる戦士の方々の宿泊施設の方が問題です」
 「天幕でも宛がって、それで終いで良いと思うがね」
 「名声ある方々に、粗略な事は出来ますまい。例として挙げるなら、カロンハザン将軍なども出場なさいますので」
 「大丈夫だ。……今は戦争中なんだぜ。こんな阿呆な事始めやがった誰かさんにその自覚があるかは疑問だが。ぐだぐだ抜かす奴が居たら、表を作ってエルンストに送りつけてやれ」
 「は、ハハハ、それはまぁ、そうですな。……取り敢えず、ジルダウの中で見栄えの良い家屋を見繕ってみます。天幕の使用とも合わせて詰める事にしますよ」
 「頼むぜ、ロージン」

 それに関してのお鉢が回ってきたのが、ゴッチだった

 ジルダウの街を制圧(実情は掛け離れているが)したゴッチを蔑ろにして、準備を進める訳にはいかないと言うのがエルンスト軍団の言い口である
 実の所は、苛烈な気性と横暴が過ぎるゴッチへの多少の反撃だ。ゴッチにこういった事を取り仕切る能力が無く、またそのゴッチを客分として扱うマグダラ家も、武辺者集団であり当てには出来まいという判断だった。それでゴッチが会場設営の為に泣きついて来れば、多少溜飲も下がると言う物

 しかし、それを万事まるっと解決したのがロージンだった。ゴッチの大まかな判断を現実的に形作っていくのが、ロージンの仕事であった。現に、ジルダウの街をゴッチが締め上げてからも、主にそれらを取り纏めているのはロージンだ。余所者のゴッチが幾ら強く、魔術師として恐れられており、ロベルトマリンで培った手管があろうと、一週間そこらで地盤を創れる訳がない。例え歯向かう者を四十二人も殺していようとだ


 兎にも角にも、エルンスト軍団の目論見も外れて、会場設営は順調に進みつつある

 昨日も、エルンストその人が直々に視察に来た。ゴッチに対しても気さくに接するエルンストに上手い事乗せられて、何時の間にかゴッチはエルンストの寝床に引っ張り込まれて酒を酌み交わしていた
 会場設営が順調そうであると判断したエルンストは上機嫌で、御前試合の時を酷く楽しみにしていた。全く子供のようだと苦笑しながら、しかし自分が悪い気分で居ない事に気付いたゴッチは、慌ててその場を辞した

 反社会的存在の代表格である職に就いたものが、権勢を極める立場の物に絆されそうになるなど、バカバカしい


 商人、工人、冒険者、兵士、ジルダウの街には、様々な者達が集まりつつある。治安を維持するために警備兵を増員するだけでは足りず、結局マグダラの私兵が駆り出されてくる程だ

 ゴッチは、偶にはお祭り騒ぎも悪くないと思った。主に取り仕切っているのはロージンだが、自分の初めてのビッグビジネスだと言う事も、その浮かれ気分を後押ししていた


――


 騎士カロンハザン。誰もがその名を知っている
 心技体を兼ね備えた、随一の者。高潔な騎士で、彼の下で戦う者は皆勇者になると言われた

 言い方は悪いが、エルンスト・オセの一番のお気に入りである。エルンストはカザンの事を、千年先まで名が残る男と称賛した。歴史に刻まれる伝説を目の当たりにしているのだ、と、そこまで言ったのだ

 この男が御前試合に参加するのは、最早当然だった。そして、良い意味でも、悪い意味でも、この男の名に惹かれてジルダウに集う者達は、数えきれなかった

 そのカザンは今従者も伴わず、ジルダウに居を構える一人の鍛冶師の工房に居た

 「……」

 湖畔に立つ家屋で、随分と真新しい。内部に水を引く為に、湖に半ば突き出るような成りをしている
 早朝の草原が放つ青い香りと、湖の清涼な香りが合わさって、不思議な香りだった

 湖面に反射する陽光がカザンの目を細めさせる。良い環境だ

 カザンはゆっくりとした動作で、工房の戸を叩いた

 「はい、どちら様?」

 ぱっと一人の女が飛び出してくる。髪を大雑把に纏めた煤だらけの女で、手には炭を握り締めていた

 女はカザンの顔を見ると、息を呑み込んで口を引き結ぶ。カザンは苦笑して、なるべく軽快な口調で語りかける

 「久し振りだな、ヨルデ。ヨルドは居るか?」

 ヨルデが口を開く前に、奥から男が飛び出してくる

 ぼさぼさ髪の、無精髭を伸ばし放題で、こちらも煤だらけの男
 ヨルドは目を輝かせながら、カザンに駆け寄って手を取った

 「カザン! お前カザンか! この野郎、暫く便りも寄越さないで! お前の話はよく聞いたが、元気そうだなおい!」
 「ヨルド! ははは、済まんな! お前の方はどうだ? 少し痩せたか。ん?」
 「鉄を打ってるとな、飯食うの忘れちまうんだ! 俺もヨルデも!」
 「相変わらずだな」

 ヨルデが呆れたように笑う

 「ちょっとちょっと、……朝っぱらから男二人で暑苦しいわね。取り敢えず中に入りましょうよ」
 「おぉー、よし、そうだな。時間はあるんだろう? カザン」
 「あぁ、暫くは大丈夫だ」
 「じゃぁ良いな! 秘蔵の酒を出してやる!」
 「兄貴、朝っぱらから呑む気?!」

 ヨルドがカザンの背中をバシバシ叩きながら中へと誘う。カザンは喜んで招待を受けた
 朝から喧しい二人の様子に、ヨルデは溜息を吐いていた


――


 「お前がアーリアからジルダウに移っていたとは知らなかった」
 「あぁー、まぁな。ハハハ、確かに向こうで得た評判を捨てる事にはなったが、俺の腕なら何処でだって食っていけるぜ。こっちの方でも最近な、上客が付き始めたんだよ。聞いて驚けよ、これがエルンスト軍団に参加してる侯爵様でな」
 「ふふふ、そんな事を言ったら、俺はエルンスト第一軍団の将軍だぞ」
 「そういやそうだった!」

 杯を一度空けただけで真っ赤になったヨルドは、豪快に笑いながら空の杯を振り翳す
 カザンがそれに合わせて杯を持ち上げた。木製の杯が、カツンと音を立てる

 体を清めてきたヨルデが、厭味ったらしく言う

 「この馬鹿兄貴頑固だから、お客が着くまで大変だったのよ? 気に入らない兵士とか、金槌振り上げて追い返したりして」
 「ケ、振るい型もしらねぇガキに剣を打って何になるよ。あんぐらいの年の奴ぁな、故郷に帰って親孝行でもすりゃいいのさ!」
 「実の父を殴り合いの末に失神させて家を飛び出した男が言うか?」
 「そういやそうだった!」
 「この駄目兄貴……」

 ヨルドはカザンの杯に酒を注ぎ、胡坐を組み直して眼を鋭くする

 「で、この時期に来たって事は……剣だな?」

 カザンは背筋を伸ばしたまま返盃した。堂々と頷く

 「そうだ。だが、剣だけではない。鎧もだ」
 「態々俺を探してまで? 御前試合に出るんだろう? もっと有名どころを探すことも、出来たんじゃないか?」
 「お前に凄いのを打ってもらいたいんだ。アズライの代わりになるようなのを、な。当然革鞘を張り付けて使う事になるが、たとえそれでも剣は良い物を使いたい」

 そういって腰元の、布ですっかり包まれた剣を示す
 炎の剣アズライ。カノート神殿の秘宝である。炎の剣とは名だけではない。この剣は、斬った物を本当に燃やし尽くす

 ヨルドは感激した。興奮して一息に杯を空ける

 「畜生、お前はなんて奴なんだ! 俺が打つ、お前が振る! そうだったな、昔から!」
 「あぁ。まさか、断らんだろう?」
 「当然だってんだこの野郎! 任せとけ! 『お前に剣を!』」

 カザンも杯を干して、ヨルドのそれに再び打ち付ける

 ヨルデが肩を竦めながらそれを見ていた。舌打ちでもしたそうな苦り顔だった

 「あー、暑苦しいんだから全く」

 御前試合、近付く


――

 後書

 自由になる時間があったので自分にブースト掛けてみた。意外とするする筆が進むことおほほ。ブースト度合の為誤字がパネェかも。


 何がやりたいかと言うと
 「来いよベネット! 銃なんか捨てて掛かって来い!」

 でもメタルマックス3の方も書きたいんだぜ……。


 ゴッチ充電中。



[3174] かみなりパンチ27 男二人 2
Name: 白色粉末◆95fd51d0 ID:757fb662
Date: 2011/02/28 07:03
 「御前試合には、私も出場させて頂くのです。ホーク様は、ゴッチ先任も是非どうかと仰られていましたが」
 「気が乗らんなぁ。仕事もあるしよう」
 「……然様で。ですが、噂によれば、あのカロンハザン将軍も出場なさるとか」
 「あぁ?」

 青いマントを揺らめかせて、風になびく金髪を抑えるルーク
 彼が機嫌を窺うように発した言葉に、寝転んでいたゴッチは思わず体を起こした

 会場建設現場を一望とは言わずとも、ある程度見渡せる小高い丘に、二人は居た。人足が慌ただしく行き来し、ロージン達指導者が声を張り上げる現場で、二人の周りだけは静かな物だった

 「実は私は、まだカロンハザン将軍とお逢いしたことが無いのです。どのような方なのですか?」
 「…………ふん、さて、な。いけ好かねぇ野郎だよ。だが、お前みたいな若い甘ちゃんは、アイツに出会ったら一発で虜になっちまうんだろうな」
 「……虜? その……自分は男ですが」
 「知ってる。まぁ、奴がどんな人間かなんてぇのは、手前で見て判断すりゃ良い。……だが、そうだな、あぁ」

 ゴッチはルークから視線を外して、再び横になる。遠方からロージンが歩いてくるのが見えた。顰め面でぶつぶつ言いながら羊皮紙とにらめっこしている

 「大した奴さ、あの男は」

 小さく笑いながら言ったゴッチは、ルークの見た事の無い表情だった。何時も人を見下している、皮肉しか言わない男だ。その男がはっきりと、好意を浮かべて人を褒めた。少なくともルークにはそう見えた

 胸がどき、とした。カロンハザンへの興味が、増大する

 「……不思議ですね、この世界の人々は総じて私達より体力が劣るのに、時折カロンハザン将軍や、剛剣アシラッド、ミランダローラーゼドガン殿のような規格外が現れる」
 「けけけ、連中は案外、生まれが違うんじゃねぇか?」

 ミステリアスで、面白いと思います。大真面目な顔でルークは頷く
 あぁそうかよ、と面倒くさそうに言いながら、ゴッチは手をひらひらさせた。ルークは微笑んで一礼し、場を辞す。丘に拭いた一陣の強い風が、再びルークの髪とマントをはためかせる

 「(……絵に描いたような貴公子様だな。マクシミリアン・ブラックバレー……、あんな甘ったれを送り込んできて、何考えてやがる?)」

 冷たい視線で、ゴッチはルークの背中を見送った。ゴッチの険しい気配に、調度の配置について意見を貰おうと思っていたロージンは足を止め、首を傾げた


 先程まで気分よさそうに歓談していらっしゃったように見えたが、矢張り気難しい方なのだな


――


 剛剣アシラッドの姿は、雑踏の中でもよく目立つ。街中であろうとも鷲面の兜を被り、全身鎧に白い直垂。そしてその直垂の内側には蜥蜴の紋章が施された盾を背負い、腰の左右には二本の長剣を、小物入れには投擲小剣を備えている

 戦場さながらの装いだ。国を割っての戦の最中ではあるが、流石に交戦状態にない街中でまでこういった装いを保つ者は居ない。このアシラッド以外には

 ジルダウの民衆を怯えさせながら大通りを歩くアシラッドは、しかし本人は至って呑気だった。周囲を気にしないのがアシラッドの美点でもあり、欠点でもあった

 「で、キューリィとジョノは拗ねちゃったんですか。大の大人がぁ、恥ずかしいなぁ、もう」
 「仕方ない。こんな機会そうは無いからな。気持ちは解る」
 「だからと言って私まで自棄酒に付きあわせようとは。どーもぉ、私が御前試合推薦剣士だと言う事を忘れているようですねぇ」
 「俺だけ、と言うのが特に悔しかったんだろう。ははははは!」

 エルンストの“お祭り騒ぎ”に参加したい者は、それこそ幾らでも居る。名声、栄達、強敵との出会い。得られる者は無数にある
 だが当然、全ての者が参加できる訳ではない。大会の格を高く保ちたいエルンストの思いもあって、参加希望者が掛けられる“ふるい”の目は、かなり大きくされていた

 アシラッドの横を歩くジャウ・バロイは、そのふるいに残った一人である。黒い河の騎士の生き残りであるジャウ、キューリィ、ジョノの三人は揃って参加を希望したが、それが叶ったのはジャウだけだった

 もっと詳しく言えば、勝ち抜き式の選抜試験でキューリィとジョノを叩き潰したのはジャウ自身だ。当然だが、三人が三人とも“譲る”等と言う甘ったるい事を考えたりする人種ではない

 力を尽くして戦い、そして得た結果に対して自分を取り繕わない。ジャウは胸を張って勝利を誇り
 ……キューリィとジョノは目一杯悔しがって自棄酒に走った訳だ。今頃は酔いも吹っ飛んで必死に剣を振っている事だろう

 力が足りなかったなら、鍛えるしかないのだ

 「ジャウ達のそーいう所が、好きですよ」
 「気色の悪い事を言うな。見ろ、鳥肌が」

 アシラッドは笑い声を上げた。何時もの遣り取りである。アシラッドと言う女は無遠慮で、気分屋だ。言いたい事を言うから、一般の教えを規範とする騎士には余り好かれない
 戦場を共にする者とも微妙だ。何せ強敵を斬ることに快感を覚え、血に塗れる程に興奮する女だ。気味悪がられて、誰も近寄ってこない

 ルークやジャウ達は、アシラッドにとって希少な存在なのである。好きと言うのも、強ち冗談ではなかった

 「あれぇ」
 「ん? どうしたアシラッド」
 「あの馬車、マグダラの紋章ですね」

 アシラッドがふと、不思議そうな声を上げた。大陸北部に生息する鳥を紋章とする馬車が、ジルダウの街の門に止まっている
 門番が通行証を検めている所だ。ジャウがうむ、と目を凝らす

 「珍しいな。ホーク軍団の者が馬車を用いるとは」
 「だーれも使いませんもんねぇ。それにあの馬車の御者、女の子だぁ」
 「…………まぁ良い。俺達が詮索しても何にもならん。行くぞ」
 「ふーん。でも……、なんだか、面白そうな匂いがするんですけどねぇ」
 「ふー……」

 ジャウは首を振り、とっとと行くぞと言い放って歩き始めた

 アシラッドの好きにさせていたら、何に首を突っ込み始めるか解らない。ジャウは実は、寄り道が嫌いな性質の人物であった

 「あれれぇ?」
 「……ん? また何かあったのか」
 「アレは、カロンハザン将軍様じゃぁ、ありませんか」

 大通りを颯爽と歩く偉丈夫
 うなじに張り付く黒髪の下で、屈強な双肩が光っている。晒された上半身に刻まれた少なくない数の傷が、男振りを上げていた

 カロンハザンが歩いていた、何故か上半身裸で

 そのような出で立ちの者が居ない訳ではない。しかし、カザン将軍ともあろう男に相応しい装いかと言うと、そうではなかった。カザンの肉体は激しい運動の直後であるかのように赤く上気し、表情は涼しい物のそれなりの汗を掻いている
 髪がべったりと首筋や頬に張り付き、水滴を地に落としている。流石にこれは汗ではなかった。水を被ったらしい

 「何と言う偶然! これを機に話を聞かせて……」
 「馬鹿な、カザン将軍だぞ? 俺はついこの間まで不名誉印だったんだ。将軍の視界に入る事すら憚られるッ」
 「それはぁ、ジャウだけじゃぁないですか。私一人で行きますもん」
 「貴様ーーッ! 抜け駆けなどさせるかーーッ!」

 どっちもどっちだ。アシラッドだって言ってしまえば、ふらっと現れた若造、ルークの下に、これまたふらっと現れてその配下となった、家名すら定かでない来歴不明の自由騎士である。胡散臭さで言えばジャウ以上だ

 天下の往来でぎゃいぎゃい言い始めた二人の直ぐ傍に立つ者があった。二人して、首を向ける

 カザンが腕組みしながら立っていた。ジャウは咄嗟に背筋を立て、右腕を胸に叩きつける礼をした

 「騎士が妄りに諍いを起こしては、兵どもを混乱させ、民草に不安を与えるぞ。例え、じゃれあっているだけだとしてもな」
 「はッ! 仰る通りです」
 「どーもーカザン将軍。私、アシラッドと申します。家名は忘れましたので、ご容赦を」

 カザンが無造作に一歩を踏む。独特の呼吸で反応し辛いそれに、ジャウは咄嗟に身構えた

 間合いを計って踏み込まれたような気配があったのだ。事実それは踏込だった。カザンはアシラッドの右肩を軽く押し、また一歩下がる

 アシラッドの右手が剣に添えられていた。挑発していたのである

 「剛剣アシラッド殿か。噂はかねがね。……と言う事は、そちらの君は……誉を取り戻した三人の内の一人か?」
 「は、……私はジャウ・バロイと申します」
 「聞こえたぞ。俺に何を憚る事がある。胸を張れ。……誹りを受ける事もあるかも知れんが、気にせず励めよ」

 感謝の返答が声に出来ず、ジャウはもう一度、右腕を胸元に叩きつけた
 カザンはそれを見届けると、踵を返して去っていく。こんな格好いい男が居たのか!

 「あれで俺より三つ下だと言うんだから……。居る所には居るんだな、傑出したお方が」
 「あーあ、振られちゃった…………」
 「……お前まさか、カザン将軍に」
 「ふーんだ。良いですもんねー。私にはルーク君が居ますから」

 狂犬め、そっ首落とされても知らんぞ、と言い捨てて、再び歩き出そうとする

 またもや、アシラッドが声を上げた

 「あれれれぇ?」
 「今度は何だ? エルンスト様でも出たか?」
 「あれって」
 「ん! ……“偉大な大剣”!」

 ミランダローラーゼドガンが、酒瓶を携えて歩いている
 顔を真っ赤にした、赤い服の酔っ払いと供に大通りを歩く姿が、どうにも悪目立ちしていた

 「ゼドガーン、うひょぉー、次行こうぜ! 今日は何だが手が滑らかに動くんだぜ!」
 「レッド、ふらついているぞ」
 「俺のピッキングが、流れ星みたいな。わーはは」

 赤い服の楽師、レッドが、ゼドガンの腰に取りすがって何が面白いのか周囲をぐるぐる回っている

 声を掛けようとして、ジャウは踏み止まった。なんだこの言い表しにくい空気は

 「…………」
 「…………」

 思わず、アシラッドと顔を見合わせる。そんな事は露知らず、レッドは更に大騒ぎし始めた

 「よーし! 脱ぐぜ!」
 「……おい、レッド」
 「俺のちょっと凄い所見せてやるんだぜ! 仲間内じゃ……」
 「止めろ。マグダラの兵士がすっ飛んでくるぞ」
 「兄弟も誘って呑み直しだー! ッぜ!」

 べちべちとゼドガンは往復ビンタを繰り出した。レッドは盛大に首を振り乱す破目になり、挙句気絶してゼドガンに背負われる

 歩き去るゼドガンと、目があった。ジャウとアシラッドはどうにか繕って目礼した

 飄々とした笑みを浮かべて立ち去る酔っ払いたち

 「……」
 「声かけずに正解だったと思うなぁ、私」

 うーむ、と呻いて腕組みし、ジャウは歩いた
 無視される形になったアシラッドが後に続くも、十歩歩かない内に再び声を上げる

 「あぁぁ?」
 「…………今度は何が出たんだ?」
 「修羅場ですよぉ。…………しかも“雷の魔術師”ですよぉ」

 二人が視線を向けた先には、向かい合う男と女がいた


――


 ゴッチは顔を反らした。情けない事に、真正面から見詰める事が出来なかった

 「なーんでここに居るのかね。えぇ? オイ」

 ゴッチの背後に控えるラーラが肩を竦める。ラーラの射竦めるような視線の先で身を縮こまらせているのは、イノンだった

 旅装の被りで目を隠し、小さく身を震わせている

 「……ゴッチ、わ、私……」
 「ボス、お知り合いで?」
 「商売女だ」
 「ふん?」

 ラーラは不愉快気に眉を顰める。余り面白くない想像をしたらしい

 ゴッチはイノンの細い顎を乱暴に持ち上げた

 「何でだ?」
 「……」
 「まぁ、何だって良い。早くミランダに帰れ。…………面倒臭ぇからな」

 そのままゴッチは歩き始める。ラーラはゴッチの背中とイノンの顔を見比べて、矢張りこちらも何事も無かったかのように後に続いた

 イノンはゴッチの名を呼びながら追い掛ける

 「ボス、付いてきてますが」
 「……」

 ゴッチは足を速めた。漏れ出す怒気に、前方の人波が割れる
 誰も彼もがこの町で怒らせてはいけない男の事を知っており、怒らせたらどうなるかも知っていた

 イノンも、早足にならざるを得なかった。しかしゴッチやラーラとは基礎体力が違いすぎる
 少しも進まないうちに息が乱れ始める

 だが、単純に、疲労したと言うだけではない
 イノンの胸はゴッチに突き放された時既に潰れそうで、ただ立っているだけで呼気は乱れ、座り込んでしまいそうだった

 イノンは泣いていた。涙が鼻梁を、唇を、頬を伝い、イノンにはそれを取り繕う余裕もない

 「ボス」
 「五月蝿ぇな」
 「ですが」

 ラーラは潔癖な部分を持つ女だ。娼婦と言う存在を、あまり好ましく思っていない

 しかし、今のイノンの様子は流石に哀れに思われた。商売女が上客の歓心を買おうとしているようには、どうしたって見えなかった

 「……ゴッチ、ゴッチ」

 イノンが躓いて倒れる。立とうと思えば、立てたろう
 でも、手が震えて、身体を起こせない。ゴッチが自分に向けた冷たい視線を思い出して、イノンは嗚咽を洩らす

 体を丸め、額を地面にへばりつけて泣いた。言葉にならない「御免なさい」が、砂に吸い込まれていく

 ゴッチが立ち止まる。ラーラがほっとしたように溜息を吐いた

 「ボス」

 ゴッチが踵を返す。何事かと事の推移を見守っていた民衆に向けて、怒鳴りつけた

 「見せモンじゃねーぞコラ! 失せろ!」

 人波が、ザッと引いた

 ゴッチは鞄でもそうするかのようにイノンを持ち上げる。イノンが恐る恐るゴッチの頬に手を伸ばした
 右手一本でイノンの尻を抱き上げ、立ち尽くしていたラーラの方に歩き出す。首筋に、イノンが頭を押し付けてくる

 何か言っていた。ゴッチは、聞こえていない振りをした

 「行くぞ」

 ラーラが何か言う前に、ゴッチはそれを押し潰した


――


 「マグダラ家の方がお見えですが」

 ロージンの言葉に、ラーラは頷けなかった

 「ボスは取り込み中だ」
 「入っては?」
 「拙いな」
 「……でしょうな」

 ラーラの背、ゴッチの寝室の扉から、女の悲鳴とも嬌声ともつかない掠れ声が漏れ聞こえている

 誰だって踏み込まれるのは御免の筈だ

 「お引き取り願うしかない」

 ラーラはこれ以上ないくらい苦い顔をして言った。別に、マグダラからの客を追い返すのに不都合を感じた訳ではない
 ゴッチが女を一人囲い込んだ状況その物が、ラーラを悩ませていた

 確かにあの時はイノンとやらを哀れにも思ったが、今やゴッチにもジルダウでの立場がある
 ゴッチ自身は何とでもなるが、イノンは問題だ

 今、ゴッチの周囲は極めて危ないのである

 「どのような者が訪ねて……、あぁ、矢張り良い。私が知っても仕方ない」
 「はぁ……。それでは、この場はお引き取り頂くようお伝えします」

 ロージンを見送ったラーラは、本人も気付かない内に、肩を落としていた

 溜息を一つ零した時、寝室のドアが開く

 スラックスだけで適当に身繕いした上半身裸のゴッチが、葉巻の頭を噛み破りながら現れた

 「ずっとここに?」

 強烈な獣臭がした。それに混ざる、濃密な汗の臭い、男と女の臭い、甘ったるい花の香りまでする。噎せ返るようだった

 扉が閉じ切る前に、寝台で失神するイノンの姿が見えた。ゴッチには少しも気にした様子が無い
 ラーラは短く返事をしながら、ゴッチの加えた葉巻の頭に人差し指をつける。紫煙が上り始めた

 「趣味の悪い奴だ。何か用でもあったか?」
 「あ……、マグダラから使者が来ているようです。お取込み中のようでしたので、追い返すようロージンに伝えましたが。……お会いになりますか?」
 「気分じゃねぇな」

 煙を一息吐き出して、ゴッチは歩き出した
 ラーラは後に続く。ゴッチは何処か疲れ果てたような表情をしていた。短い付き合いと言うのもあるが、ラーラは今までこんな顔をする所を見た事が無かった

 屋敷の中庭には井戸がある。葉巻をラーラに預け、水を組み上げて、頭から被るゴッチ

 「……何か言いたい事がありそうだな」
 「あのイノンと言う娼婦、ボスにとってどういう人物なので?」
 「何が言いたいのか解んねー」

 犬のように頭を振って、ゴッチは水を飛ばす。ラーラは一歩飛びのいて迷惑そうな顔をしながら飛沫を避けた

 「ただの娼婦だろう」
 「それならば宜しいのですが。……今、ボスの周囲は極めて危険です、ご自身では、取るに足らないとお考えのようですが。……あの娼婦に思う所があるならば、余り近くに置くのは」
 「どうした? 何時も鉄面皮で、目の前で何がどうなってようと自分にゃ関係無ぇって面してるお前が、急に商売女の心配か?」

 彼女らしくなく、言葉に詰まる。上手く出てこない言葉の代わりに、葉巻を差し出した

 「……まぁ、良いのです。”ただの娼婦”なら」

 ゴッチが僅かに身じろぎしたように、ラーラには感じられた

 取るに足らない存在だと言うなら良い。イノンが何らかの危機に瀕したとしても、助けはしない
 何時でも切り捨てられる存在だと言うなら、枷にはならないだろう

 でも、ラーラは、何故か不満だった。イノンが哀れに思えた

 「ロージンの手伝いをしてきても?」
 「……良いぜ。働き者の部下を持つと、助かる」
 「もう後二週間程ですので。焦りもします」

 好き好んでと言う訳ではないですが
 そう付け足して、ラーラはゴッチに背を向ける


――


 目の前で一本一本剣を検める騎士の顔を、ヨルデは直視できない

 「うむ、確かに。相変わらず、お前達の剣は良いな」
 「ありがとうございます。兄も喜びます」
 「しかし、何故納期に遅れたのだ? 今までは多少厳しい条件でもこなしてきたろう」
 「その……飛び込みの依頼がありまして」

 言ってからしまった、と思った。嘘の苦手な性分が今は悪く働く
 得意先の侯爵の仕事を差し置いて、別の依頼を、しかも後から入ってきた依頼を優先するなんて
 仕事を失っても可笑しくない。ヨルデは唇を噛んだ

 剣を鞘に納めた騎士が、露骨に眉を顰める

 「……お前達は良くやってくれている。聞かなかった事にする。だが、依頼主の名を聞くぐらいは良いだろう? それ程の人物なのか?」
 「その……兄の親友でして……。それで断れず」
 「ほぅ、名は?」

 出来れば言いたく無かった。しかしこうなっては、もう無理だろう

 「カロンハザン将軍です」

 一度は消えた、騎士の眉間の皺が、より深くなって復活した

 だから言いたくなかったのだ
 カザンは下級の騎士たちや一般の兵士たち、そして戦いの技量を誇る者に程好かれているが、古くから権威を持ち、エルンストを支えてきたような権門には、そうでもなかった

 元々カザンはファティメアの為に出奔した身だ。女の為に誇りと、長くの僚友、多くの部下を捨てたのだ
 それがどういう流れかエルンストの元に身を寄せ、あっという間に彼のお気に入りである。嫉まれたとして不思議はない

 そして、ヨルドとヨルデの得意先である侯爵は、カロンハザン嫌いの最先鋒と言っていい人物だった

 場に沈黙が落ちる。難しい顔の騎士に、ヨルデは何と言っていいか解らなかった

 「それも……聞かなかった事にしよう。もう、”飛び込みの依頼”は無いのだな?」
 「は、はい」

 嘘だった
 今ではカザンがこの小屋に足繁く通い、ヨルドと一緒になってあーでもないこーでもないと鉄を弄り回している

 ヨルデは嘘が苦手だが、こればかりは押し通さなければならない。これ以上の不興を買えない。兄が無頓着であるが故に、ヨルデが粘らねばならなかった

 「侯爵様も、我々も、お前達の剣を頼りにしている。暫くは依頼も無いが、長い付き合いにしたいと考えておいでだ。……仕事は選ぶように」

 外に控えていた部下に剣の束を抱えさせ、騎士は帰って行った

 ヨルデは安堵の溜息を吐き出して、どっかりと椅子に座る

 能天気な笑い声を上げながら、ヨルドとカザンが帰ってきた。汗まみれになりながら、剣の重心についてあーだーこーだ言っていた

 「見たか、ウェルスのあの手首の返し」
 「おー見た見た。足運びも素晴らしかった。あぁいう戦士が使うなら、剣の重心は」
 「……おかえり」

 ツンとした態度で、ヨルデは二人を出迎える

 朗らかに笑う汗臭い男二人水場に追いやって、ヨルデは溜息を吐いた

 先程とは違う、深い深い、嫌な溜息だった


――


 後書

 推敲の気力が残らない最近。


 人生経験の浅さが、ssの底の浅さに如実に現れるから、面白いなぁ、我が事ながら

 解っててもどうにもならないって事あるよね!!


 かこ氏の指摘によって誤字修正
 くそー、しくじった、くそー。このミスは恥ずかしいなぁ、どうもありがとう。


 グリ氏の指摘によって大幅に誤字誤植修正。あと少しばかり文をいじったり。
 直ってない所は拙者の趣味なのでご容赦下され。

 始める前は己のお粗末さに憂鬱になった物の終わってみれば気分爽快だなぁ。
 感謝するで御座る。



[3174] かみなりパンチ28 男二人 3
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2011/03/14 22:08
 ホーク・マグダラは、他人の気持ちなど解らなくても良かった。父から受け継いだ物と、戦いの中で培った物を失わずにいれば、部下達はどんな過酷な状況の中でも、ホークに背いたりはしない

 だからホークは、人の気持ちが解らなくても困らない。そうやって悠々と構えていたら、たった今困ってしまったな、と頬を掻く

 「何年振りだろうか」

 ホークは、黒い被りを脱いだ妹と向かい合って、小さく語り掛けた

 「……はっきりと覚えておりません。もう、四年か、六年か、それの倍だったか」

 ホークは毅然とした態度を崩せなかった。周囲には古くからの家臣以外にも、新しく加わった者達が沢山いる

 妹は冷たく、美しく成長していた。氷壁の中に閉じ込められた華のような、そんな美しさだった

 「(どうしてやれば良いのだ)」

 抱き締めてやれば良いのだろうか
 でもホークは、女の身を愛しむ様に抱いた事が無い。それどころか掛ける言葉一つ浮かばなかった

 「よく」

 がっちりと食い縛った歯を、強引にこじ開ける

 「よく生きていた、ダージリン」

 ダージリンは首を傾げて微笑む。目を伏せている
 負い目を感じている人間がする、自嘲の笑みだ


――


 ヨルドは鎚の前で腕組みする。剣を一本生み出すまでの、その全ての工程を追い掛けて、首を振る

 折れず、曲がらず。それがヨルドの思う名剣である
 ここぞと言う時に、決して使い手を裏切らない剣だ。丁寧に、丁寧に鉄を打ち据えて、納得行かなければ何度だって打ち直して、ヨルドはヨルドなりに鉄と向き合ってきた

 しかし、どんなに真摯に向き合っても、鉄は必ず応えてくれる訳ではない

 ヨルドの脳裏を、馬上のエルンストが佩いていた剣が過る。カザンに連れられて、エルンストの隷下の調練を遠目に見る機会があった

 目標を指し示す事にしか使われなかったが、輝きは本物だった。ああいう剣を、カザンに振らせたい

 振らせたいが、ヨルドには“ああいう剣”を鍛える自信が無かった

 「俺で良いのかカザン、本当に」

 カザンと言えば、敵が逃げる。そうまで言われる名である
 友に剣を、相応しい剣を
 友情と、自尊心、理想。思う程に、ヨルドは喉の奥がジクジクと痛む

 「俺で良いのか」

 炭で汚れた手を見詰める。顔も灰を被ったようで、身体はあちこち火傷だらけ
 そんなだから色恋の経験など無いし、それどころか人付き合いも上手くない。ヨルドには、鉄の一芸しかない
 鍛冶屋なんて、そんな物だ。不器用な奴しか居ない

 では、その一芸で満足の出来る結果を出せなければ、俺は一体なんなんだ?

 工房に人の気配が近付く。扉の向こう側で足音がしても、ヨルドは身動ぎしなかった

 「入るぞ、良い物を持ってきた」

 カザンだった。ここ暫くヨルドの工房に通い詰めのカザンは、今日は白が薄汚れて灰色に成り果ててしまった襤褸袋を握り締めていた

 カザンと目が合う。ヨルドはカザンの力強さを感じる。何時も、何時も、この男と目が合うたびに

 「南方から流れてきたらしい鉄だ。伝手によると、他に類を見ない質らしいぞ」

 カザン。ヨルドはポツリと呟いた

 「(俺の背を押してくれ。悠然と構えて、さも何でも無い事のように、言い放ってくれ
 お前の堂々たる姿で、俺に力を与えてくれ。俺は出来るのだと、信じさせてくれ)」

 ヨルドは襤褸袋を奪い取り、両手で頭上に掲げて大声を上げた

 「よっしゃー!! やるぞぉー!!」
 「ヨルド?」


――


 イノンは懐に少々余る程の酒壺を抱えて市を歩いていた
 齷齪働くロージンに手伝いを申し出たら、こうなった。ロージンはどうやら、ゴッチが執心する娼婦に何をさせるのも拙いと思っているようで、必要あるのか無いのか解らない当たり障りのない酒の買い出しを任せられたのである


 イノンの白い髪と甘い香りは、よく目立った。ミランダでも特徴的な髪で知られていたが、ジルダウでも物珍しげな視線からは避けられない

 それに、イノンがゴッチのお気に入りだと言う事を、知っている者は知っていた。混雑する市の通りを歩いている今でも、そういう人物はイノンと擦れ違う時、さり気なく気を使って距離を取った

 しかし、例外も居た

 ふとした拍子に、毛皮の旅装を着た男と肩がぶつかる
 よく起こり得る事だ。イノンは別段何も気にせず通り過ぎようとしたが、旅装の男は勢いよく振り返り、嫌らしく笑うとイノンの酒壺を奪い取った

 「あ?」

 イノンは咄嗟に手を伸ばすが、乱暴に突き飛ばされて尻餅をつく。直ぐ目の前で、男が酒壺を検分し始める

 「おぉ、良い拵えじゃねぇか。何だってお前みたいなのが?」
 「返してください」
 「あぁ?」

 慌てて立ち上がり、イノンは男の腕を掴んだ。男の笑みが深くなる

 イノンの薄手の服に手を突っ込んで、無遠慮に乳房を弄る。小さく悲鳴を上げて、イノンは身を捩った

 「来いよ、売ってるんだろう? 相手しろよ」
 「い、嫌です」

 男はイノンの言葉など聞いては居なかった。太い指を乱暴に首に回し、締め付けながら路地裏に引きずり込もうとする

 唇を噛んで、イノンは男に体当たりした。酒壺に抱き着いて体を振る。イノンの肘が、偶然男の腹に入った

 「ぐぉ!」

 男が見る見る内に酷い形相になった。堪え性の無いのを隠しもせず、あっという間に頭に血を上らせ、イノンの頬を張った

 仕立て屋の石壁に背を打ち付けても、イノンは酒壺を取り落さなかった。目の前に迫った危険から逃れる為に、脇目も振らず走り出す

 「舐めやがって、待て!」

 男は極めて健脚で、機敏だった。あっという間にイノンの肩を摑まえて、力任せに薄い布地の服を破る
 悲鳴を上げる前に、口を塞がれた。背の高い樽に叩きつけられ、その上で腹を殴られた

 痛みと恐ろしさに、イノンは震えて涙を流す。ミランダでは、こんな事は起きなかった。ミランダはヌージェンの元で娼婦たちがよく纏まっており、無体を働く者には必ず報復があったからだ

 ジルダウにそういう結び付きが無いかと言えば否だが、ミランダのそれと比べれば圧倒的に劣っている
 加えて、男は旅装から見て取れるように、余所者だ。ただでさえ様々な所から人が集まっている今、揉め事は必ず起こる

 「何様だァ? 許せねぇぜ、たかが娼婦が俺の腹に肘をくれやがって」

 もう一度、男は拳を振った。腹に。更にもう一度、また、腹に

 逆らう力の無い娼婦を相手に、全く躊躇しない。嗜虐的な笑みを浮かべて、男はイノンを俯せにし、腰を上げさせる
 イノンは痛みから意識を手放していた。男は大通りで事に及んで、晒し者にするつもりなのだ

 「ひひ、馬鹿な女だよ。売女の癖に反抗的だと、こうなるんだよ」

 男の背後に、女が三人立つ。汚れた直垂を纏ったケチなスリどもで、顔を蒼褪めさせている

 女達はイノンに乱暴する男に反感を抱いても居たが、それ以上にゴッチの事が恐ろしかった。イノンが散々に打ちのめされ、強姦されていた時に、見ているだけで何もしなかった者達を、ジルダウを牛耳る恐ろしい雷の魔術師はなんと思うだろうか
 怒りのまま、野次馬を纏めて生き埋めにしかねない

 気まぐれ一つで、ゴッチは自分達を嬲り殺しに出来る。癇に障った、それだけで自分達に筆舌に尽くしがたい行いをしても、誰も咎める事は出来ない
 ならこの状況、言うまでも無かった

 手入れもまともにしていないが小剣を一応持っていた。それを引き抜いた時、人垣を割って、老人が現れた

 そしてその老人に案内され、ゴッチ

 三人の盗賊は、蒼褪めるどころではない。蒼白になる

 「お前ら、下がってろ」

 ゴッチは無造作に男の背後に近寄ると、逸物を取り出して下卑た笑い声を上げる男の肩に、ナイフを突き立てる

 さく、と何の抵抗もなく刃が埋まる。隼のエンブレムが輝く。男は、あ? と間の抜けた息を洩らした後、絶叫した

 「ぎゃあぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」
 「ぎゃぁぁ、だって?」

 肩からナイフの柄を生やしたまま、男は転がるように這って逃げた
 怒りの形相でゴッチを睨み、しかしその風体を確認した途端、殺気がしおしおと萎える。明らかにゴッチを知っている反応だ

 「ま、待って」

 ゴッチは耳を貸さない。前蹴りが鼻面に突き刺さって、男は鼻血を噴出しながら真後ろに転がった
 血がぼたぼたと滴り落ちる顔面を抑えながら、旅装を赤い斑模様にした男は叫ぶ

 「あ、あ、アンタの女だったのか?! あ、謝る! この通りだ!」
 「謝る、だって?」

 側頭部に爪先が入る。意識を失わせないように、或いは殺してしまわないように、ゴッチにしては優しく、本当に優しく蹴った。蹴り転がされた男は痛みに悶絶しながら懐に手を突っ込んだ

 「ゴッチ・バベル! 俺を殺すな! 俺はアンタへの手紙を預かってきたんだ! ほら、鼻は完璧に逝っちまった! もう良いだろう?! 話を聞いてくれ!」

 もう一度、側頭部に蹴り
 男は無様を重ねて這い蹲る。俯せになった男の後頭部を、ゴッチは無表情のままに踏みつけた

 首を、踏み砕かれる。圧倒的な死の気配に、男は両手を掲げた。茶色の羊皮紙が握られていた

 「“皮袋の毒”首領、ビエッケ様からの手紙だ! 本物だ! 俺を殺すと、話が拗れちまうぞ!」
 「皮袋の毒、だって?」

 ゴッチは首を踏み砕くのを中断して、後ろを振り返った

 三人の盗賊に向けて、一枚ずつ金貨を投げる

 「その女を介抱しろ」

 女三人、呼吸も上手くできないまま顔を見合わせ、イノンに駆け寄る

 その内の一人に、ゴッチはもう一枚金貨を放る。男を踏みつけにしたままだ

 「皮袋の毒ってのは?」
 「な、南部の盗賊達の総元締めです。南側じゃ、誰もビエッケには逆らわない」
 「俺達を知らねぇのか?! ビエッケ様はアンタと仲良くしたいんだ! たかが商売女一人じゃねぇか! な?! 許してくれ、この通りだ!」

 ゴッチはナイフを引き抜くと、男を石壁に寄りかからせた。安堵の息を吐いた男は、許されたと思い、命を拾ったことを信じてもいない神に感謝する

 横倒しになった密封の完璧ではない酒壺から、少量ずつ酒が漏れていた
 ゴッチはそれを拾い上げ、封を破ると、酒でナイフに付いた血を洗い流す

 近くの露店に、薄緑色をした珍しい硝子らしき素材の酒杯を見つける。ゴッチはそれに歩み寄って、無造作に拾い上げた。野次馬がゴッチの移動に合わせて逃げ散る

 「ビエッケね」
 「そうだ……。ビエッケ様も、今この町にいらっしゃってる。こんな事になっちまったが、俺が先ずアンタに手紙を持っていく筈だったんだ」
 「へぇ、そうか。よく知らねぇが、大物みてぇだな」

 ゴッチがもう一度、盗賊の女達を見遣った。金貨を多く受け取った一人が、つっかえながら声を上げる

 「噂、なんですが! 皮袋の毒は、エルンスト軍団に手を貸してると……。一応は、味方って事になるかな、と……」
 「へへへ、その女の言う通りだ。信じてくれたか?」

 盗賊の女達は、気絶したイノンに打撲用の軟膏を塗った後、壊れ物を扱うかのように抱きかかえ、守っている
 不安げに事の成り行きを見ていた。特に、ゴッチを

 ゴッチは硝子の酒杯に酒を注ぐ。酒壺を樽の上に置き、酒杯を男に差し出して、ゆったり笑う

 「まぁ、呑めよ」

 男は愛想笑いして受け取り、痛みに耐えながらそれを干そうと口をつけた

 瞬間、ゴッチの右手が撓る。浮き上がった硝子の酒杯の底を、掌で押したのである

 全力で

 「ぶひゃぁ!」

 酒杯は一瞬で砕ける。破片が男の口中をズタズタにし、鋭く不揃いな剣山と化した酒杯の成れの果てが顔面を切り刻む

 左目が潰れた。誰がどう見ても、もう二度と物を映すことは無いと判断するだろう

 男は大きく仰け反った後、ゴロゴロと転がった。四つん這いになると、惨めに泣き喚く。ゴッチは吠える

 「この豚がァ! もう一度笑ってみろコラァ!!」
 「ひゃ、やめへぐへぇ!  良いおは?! ひえっへはまは……!」
 「あぁ?! どうした、ママからお喋りの仕方も習ってねぇのか?!」

 胸倉を掴んで、無理矢理立たせる。腹に一発。イノンがやられたように。更に一発。おまけにもう一発

 男が口中の硝子と一緒に胃の中身を吐き出した。すえた臭いのする胃液の水たまりに、ゴッチは男を叩きつけた

 「あぁぁ臭ぇな! こりゃ酷ぇ臭いだ! 何て行儀の悪い奴なんだお前は!」

 次にゴッチの爪先が狙ったのは、男の右脇腹だった。これも、男を決して殺さないように、加減しての蹴りだ

 男は丸まって腹を守る。ゴッチは、許さない。力を篭めて蹴り転がし、強引に仰向けにし、上腹部にストンプキックを繰り返す

 仰向けのまま、男は胃液を逆流させた

 盗賊の女達は、皆一様に怯え、歯をカタカタ鳴らした
 掠れる悲鳴のような声でも発せたのは、奇跡と言ってよかった

 「い、良いんですか、相手は、皮袋の毒……」

 ゴッチが激情を湛える目を向ける。盗賊は竦み上がって、泣きそうだ。声を発した一瞬前の自分を、殺してやりたいほど憎んだ

 最後にもう一度ストンプして、ゴッチは樽の上の酒壺を引っ手繰るように手に取る

 「良いか! 手前ら! 祭りを前に、ジルダウに集まってきた野郎ども!」

 野次馬に怒鳴り付けながら男の上で酒壺を逆さにする。度数の高い酒が強い臭いを発しながら男の体を濡らす

 毛皮の旅装は、コイツぁ、よく燃えそうだなぁ。ゴッチは、男にだけ聞こえるように囁き、笑った

 「何処の誰かなんて関係ねぇ! 皮袋の毒だろうが、御前試合に出る剣士だろうがだ!」

 ラぁーラ!! 野次馬の一角で黒いローブに身を包み、ひっそりと息を殺していたラーラが、ゴッチの指示に応えて歩み出る

 被りを取り払ったラーラに、野次馬は慄いた。雷の魔術師の配下、ラーラ・テスカロン。恐ろしき炎の魔術師

 「俺の縄張りで調子に乗った馬鹿には、必ず思い知らせる! 必ずだ! 覚えておけよ、隼団を! 偉大なボス……いや、ビッグボス、SBファルコンが率いる、残忍で狡猾な一家だ! ジルダウは、隼団の街だ!!」

 ゴッチは天に人差し指を突きつけ、振り下ろした

 ラーラが掌に小さな火球を生み出して、酒塗れの男に叩きつける

 男は既に這いずる体力すら残っていなかった。男が火達磨になる直前、目があった気がして、ラーラは嫌な顔をした

 「ひぃぃ」

 野次馬の一人が、悲鳴を上げる。それを皮切りに、ゴッチを恐れる声が通りに充満した


 火達磨になった男は既にゴッチの気を引く物ではなかった。嫌な臭いをさせて燃える焚火に背を向けると、イノンを抱き上げる

 口から血を流しているのを見て、ゴッチは顔色を変えた

 「おい!」
 「く、口の中を切っているだけです!」

 盗賊の女達が、悲鳴を上げながら縮こまる

 ゴッチは大きく息を吐いた。安堵の溜息とも取れそうな息遣いであった。ラーラは腕組みして難しい顔になる

 男の、固い掌に幾度か殴られ、青みを帯びた頬を手の甲で撫でた
 イノンが、薄ら瞼を開く。ゴッチはイノンを横抱きにしたまま頭を落とし、無造作に口付けた

 「ゴッチ……。あぁ、ゴッチっ、私……」
 「すっとろい奴だなお前は」


――


 「イノン……? 知らないんだぜ。兄弟が女に入れ込む所なんて見てねーもの。ゼドガンは?」
 「確かミランダで贔屓にしていたような気もするな。だが俺とて詳しくは知らん。それにアヴニールの一件以来、女を買う様子も無かった」

 思うまま酒を食らって倒れる寸前のトンチキ二人に、ラーラは眉一つ動かさなかった
 やるべき事は、必要な時にやる男達だ。今更ラーラが何か言う事も無い。今は、他にすべき話がある

 ゴッチの前に現れた娼婦の事だ。胸がざわめく
 ゴッチは、あの娼婦が受けた恐怖と痛みの報復の為に、平気で人一人を嬲り、晒し者にした後、ラーラに焼き尽くさせたのだ
 どう考えても、“ただの娼婦”ではない

 ゼドガンがラーラの隠しきれない憂いを見て取り、杯を置いて飄々と笑った

 「何故、気を揉む事がある。奴は他の何よりも、強さを神聖視する男だ。女を抱く事も奴にとっては鍛練の一つというだけさ。溺れたりはしないだろう」
 「またぁっ、買い被りすぎだって! 兄弟はチェリーボーイよりも我儘なんだぜ? そんなストイックな理由な訳ないんだぜ!」

 ひゃーひゃひゃひゃ、と、レッドはギターのネックに噛み付くように体を丸める
 タッピング。ギター内臓の小型出力機が、身を捩るように歌いだす。しめやかで優しげな曲を、そう呟いて、レッドは己の演奏に己で聞き惚れ、陶酔しきった表情になる

 「愛は欲だぜ。美しかったり、醜かったり。誰にも見る事は出来ないし、触れる事も出来ないのに、皆愛の存在を知ってるんだぜ! 愛がどれ程人を切なくさせるか、同時にどれ程人を幸せにするか、あぁぁ……! 兄弟にもこの曲を聞かせてやるかぁ!」

 何でテメー湿っぽいんだよ! そんな罵声と共に、こんがり焼き上げられた鳥の腿が飛んできて、レッドの額に命中した
 ふおぉ! と頭を振って絶叫したレッドは、怒りもせずに大声で笑う

 「しゃーねー! オーケーオーケーだぜ! ラヴソングはまた今度だ、オーディエンスの要望に応えて、一丁盛り上がらせてやるだぜ!」

 冒険者の類が溜り場にする、柄の悪い酒場だった。レッドがギターを振り回してテーブルの上に立つと、途端に周囲が盛り上がって勝手に大騒ぎを始める

 「ステンデァーップ! ゲッレディ! トリックNO.1! 『君のおへそ舐めたい』 チェケチェケナーウ!」
 「何と言う名だ……」

 ラーラは米神を抑える。ラーラ自身はレッドの演奏が好きで、レッドの事を音楽に愛された天才だと思っているが、天才の感性と言うのは得てして常人には理解し難い物だ

 「御前試合が終わったら、ゴッチも巻き込んでジルダウの飯屋巡りをする心算らしいぞ。構って貰えなくて拗ねてるのかもな」

 ゼドガンの余りの言い草に、ラーラはふ、と声に出して笑った
 これ以上は無意味かな。踵を返して、酒場を出る

ゼドガンは目を閉じて杯を呷った。ラーラは何故、戸惑っている?
 ゼドガンも、この世界の一般とは隔絶した男だ。解らないのだ

 「(そもそも、誰の為の配慮か)」
 「イィィヤッホォォォー! あ?! ん?! イェホーじゃねー! テメーらアナリア語喋れねーのかっつーんだぜーー!!」
 「おい、レッド、杯を蹴るな」

 これは暫く収まらんな、とゼドガンは呟く。こうなった後に続く曲を、ゼドガンは知っている

 『君の耳たぶ噛みたい』と、『君のお尻吸いたい』だ

人間、魔術師と言えども、酒に酔えば頭が可笑しいとしか思えないような事をする


――


 ヨルデは、工房から聞こえてくる話し声に、気を重くする

 兄のヨルドは、カザンを工房に招き入れて話をすると言う事が、どう言う事か解っているのだろうか


 今はまだ幸運だった。アーリアで積み重ねた物を失っても、極短期間の内に侯爵と言う強力なお得意様が出来た

 だが、その得意先の侯爵の機嫌を損ねれば、食うに困る貧乏鍛冶屋だ。侯爵位を持つ人間の機嫌を損ねたとなれば、仕事は入らなくなるだろう。鍛冶屋として身を立てるのは今度こそ不可能になるかもしれない

 どれだけ自分が頑張っても、全てが無駄のような気がした。駆けずり回って仕事を探して、工房では兄を助け、苦手な銭勘定もしたし、こすっからい商人とやりあう事だってした
 でも、カザンと仲良くする、それだけで全ては水泡に帰すのだ

 「兄貴の馬鹿」

 それでもヨルデは、カザンとの友情を本当に信じていたら、拒むことは無かっただろう。仕事を失う事も、或いは厭わなかった筈だ。そういう所は、矢張りヨルドの兄弟だ

 だが、ヨルデはそうではなかった。ヨルデにしてみればカザンは裏切り者だ
 何の報せも無く巫女を攫って出奔し、アラドア将軍の屋敷に討ち入って、挙句はエルンスト軍団に参入だ

 日頃からカザンの剣を打っていた兄と自分が、国からどれ程の追及を受けたか
 身の危険を感じてアーリアから逃げ出し、ジルダウに到着して、何とか鍛冶仕事を受けられるようになるまで、どれ程辛かったか

 その間に、カザンが何をしてくれたと言うのか


 ヨルデは膝を抱えた。ヨルデの手は荒れ、節くれだって、年頃の娘とは全然違う
 兄と同じだ。火傷だらけ、灰だらけ。ヨルデは唇を噛む

 ヨルデだって

 ヨルデだって、カザンの事が大好きだった
 ヨルドとカザンの友情が眩しかった。何時も目を細めて後ろで笑っていたものだ
 どれ程カザンが軍中で上り詰めても、失われない物があるのだと、心底嬉しかった
 結局

 「カザンの馬鹿」

 カザンに憧れていた


 かつての憧れを罵る醜さと、仕事上での打算を考える醜さ
 どれ程苦労を重ねても報われない無力感。今更女には戻れない、灰だらけの鍛冶師としての自分

 頭がぐちゃぐちゃになる
 何故こんなに苦しいのか。ヨルデには解らない


――


 カザンは己の天幕の中で雑務を片付けて居た。昼間、ヨルドの所に入り浸っている以上、必要な仕事は夜にこなさなければならない

 ベルカが元気に俎板と見紛うばかりの胸を張りながらそれを手伝っている。ここ暫くは、ベルカも暇になる

 「良い剣が出来ると良いですね」
 「鎧もな」

 小さく微笑んだカザンに、ベルカはほっとした


 エルンスト軍団に参入してからのカザンは、何かに取憑かれたようだった
 無理もないと言えば、そうではある。ファティメアの一件を聞かされて、ベルカだってそう思った

 圧倒的に強く、敵を蹴散らしたが、同時に恐ろしかった。自分達を率い、戦いへと駆り立てるこの将が、異次元の存在のように感じられた

 それが以前のカザンへと戻り始めたのは、少々複雑ではあるが、ゴッチ・バベルと言う雷の魔術師と再会した時だ

 隔絶して強い戦士の心は、矢張り隔絶して強い戦士にしか解らないのかも知れない
 ベルカの微笑みが、少し寂しげな物になる

 「明日も?」
 「あぁ、暫くは通い詰める」
 「隊の事はお任せを」
 「ニルノアはどうしている」
 「合同修練場に顔を出しているようです。“黒い河の騎士”の内二人とよく打ち合っているそうで」
 「そうか、一人見かけたな。剛剣アシラッドと歩いていたが」
 「アシラッド殿にも挑んだそうですが、振られたそうですよ」

 カザンとベルカは一拍見つめあって、二人して小さく笑った

 「カザン将軍、ちょいと宜しいかね」

 ふと、天幕の外から声が掛かる。カザンは気配を感じていたようで、平然と応答した

 「その声は、オーフェス殿。どうぞ」

 皺の刻まれた顔に柔和な笑顔を浮かべながら、オーフェスが天幕に入ってくる

 机の上の羊皮紙と向かい合う二人を見て、御邪魔だったかね、と頬を掻いた

 「そうでも御座いません」
 「……済まないね。……実はカザン将軍と、話をしたくてね。済まないついでにベルカのお嬢ちゃん、席を外しちゃくれないかい」

 ベルカが横目でカザンを見遣る。カザンは頷いた
 即座に席を立ち、一礼して天幕から出る

 机を挟んでカザンと向かい合ったオーフェスは、兎に角言い辛そうに頭を掻いていた

 「それで、お話とは」
 「その、ねぇ……」
 「……あまり良い話ではないようですな」
 「そうなんだよ」

 オーフェスは口を真一文字に引き結ぶと、頭を下げた

 「オーフェス殿?」
 「カザン将軍、わたしゃね、決してカザン将軍の名誉や誇りを軽んじている訳ではない。それを信じて欲しいんだ」
 「…………」

 オーフェスは腹を括ったようであった

 「ユーゼと言う騎士を知っておるかね」
 「えぇ。……エルンスト様の縁戚の方ですな。凄まじい剣と斧の使い手でした」
 「ほぉ、腕を見た事があるの。……カザン将軍、どうだい、勝てそうかね?」
 「…………正直に言わせて頂くならば、負けませぬ」

 そうかぁー、と苦しい溜息と共に、オーフェスは言った

 「御前試合に出る事も知ってるだろう?」
 「はい」
 「組み合わせは殆ど出来てるんだが、カザン将軍と騎士ユーゼは、初戦で戦う事になってるんだよ」

 ここまでくれば、カザンにだって、オーフェスが何を言いたいのか解っていた

 「手心を加えてやっちゃ貰えないかねぇ……」

 カザンの表情が凍り付いた

 「模擬演武の方は全然構わないんだよ! カザン将軍と、将軍の率いる精鋭の力をこれ以上無いほどに見せつけてくれて! エルンスト軍団のカザンこそが最強とね! だが……まぁ、色々あるんだが、騎士ユーゼの家にも華を持たせてやりたくてねぇ」
 「オーフェス殿、それは」
 「あぁ……。なぁ、カザン将軍、エルンスト様は、いずれ将軍を今よりずっと重く用いるだろう。遣り口は違えど、この婆以上にね。ならば、戦いだけではいけないよ。カザン将軍には、この婆はね、七面倒臭い小細工も、覚えて貰いたいんだよ」

 オーフェスはもう一度頭を下げた。カザンの握りしめた拳が震えている

 ヨルドの顔が浮かぶ。誇らしげにカザンの事を見ている
 部下達を思い浮かべた。矢張り誇らしげに、カザンの事を見ていた

 様々な物が浮かんで消えていく

 剣を握り締めた自分の姿。どんな剣だ? 形は見えない。しかし解る事がある。この剣は、ヨルドの剣だ

 振り上げる事が出来ない。鉛のような重さだ。いや、総身が鉛で出来ていたとしても、カザンなら振れる

 ならばこの重さは、なんだ


 ゴッチの顔が浮かんだ。強い事を最も重要視する男は、詰まらない物を見る様にカザンを見ている


――

 後書

 バイオレンスな文書の練習だ!
 と思ってたらイノンとモブ男を延々苛め続ける事に……。

 俺は屑だ……。


 同時に、ちょっとロマンティックな書き方を心がけてみたりしたが、なんだかよく解らなくなった。


 おっとぉー、誤字確認していたら既に指摘されてしまったぜぇー
 と言う訳でファンゴ氏の指摘により誤字修正。おかしいなー、ワードで見ると気づけないんだよなー。



[3174] かみなりパンチ29 男二人 4
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2012/03/08 06:07

 ゴッチは使い走りどもに一枚の大きな絵を担がせ、会場設営地に訪れた
 相も変わらず羊皮紙と睨めっこしていたロージンは、上機嫌なゴッチを見て変な顔をする

 ゴッチは自信満々にロージンに歩み寄ると、絵を立てさせた。ゴッチの背丈よりも高い縦と、腕を広げたよりも長い横。それなりの大きさのある絵だ
 腕組みしながら、ゴッチは矢張り自信満々に言い放った

 「今日の朝仕上がった。ちょっと物足りんが、ま、今の所は仕方ねぇ。何れはもっと時間を掛けて、凄みのある奴を描かせるぜ」

 はぁ、とロージンは、彼にしては珍しく何とも言えない返事を返した

 確かに、ゴッチが会場入り口に飾る絵の準備をしているのは知っていた。ゴッチの所属する、と言う事はゴッチ傘下の自分も所属している事になる“隼団”の首領の絵を飾ると聞いていたが

 ロージンの目には、描かれているのはどうにも服を着た鳥のように見える。ゴッチ流のジョークだろうか?

 「……ゴッチ様……、その絵は……」
 「あぁ? 言っといただろうが。俺の養父、ビッグボスを描かせたんだ。……お前は俺の直下だし、ビッグボスは遠く離れた所に居るから、直接命令される事は無いだろう。恐らく会う事すら、声を聞く事すらもな。だが、この堂々たるアウトローこそが俺の養父、偉大な男だ。敬意を忘れるなよ」
 「は……、それは心得ました。……しかしその絵は、何と言うか……」
 「ん? ンだよ。矢張り、少し雑過ぎるか?」
 「いや、その、それは、…………鳥なのでは?」

 職工人達が作業の手を止めて見守る中、今度はゴッチが変な顔をした

 「へ?」


――


 イノンと言う女に対してラーラが持つ感情は、少し複雑である

 娼婦は好きではない。が、何時も周囲に気を使っておっかなびっくり振舞っているイノンの健気さは好んでいた。現状この町で最も強く、最も恐れられ、最も敵の多い男の情婦でありながら、それを鼻に掛ける事など一切しない

 イノンが強請ればゴッチは大抵の事は叶えるだろう、とラーラは思っている。そうでなくても、ゴッチを恐れ、完全に服従しているこの町のごろつきや盗賊に声を掛ければ、彼らはそれに応える筈だ
だが当のイノンと来たら逆に彼らに気を遣う始末だ。屋敷に現れるゴッチの使い走りどもに飯を用意してやったり、掃除洗濯を買って出たり

 ラーラにも、時折声を掛けてくる。精一杯の礼儀を持ってラーラを立て、阿るように笑う

 そこがいじましくもあり、苛立たしくもあった。あからさまに媚を売る相手をラーラは好まない。また己を恐れる相手に態々歩み寄ってやって緊張を解きほぐしてやるほど、社交的でも無かった

 だから、気後れしたような笑みを向けてくるイノンを見ると、ラーラは難しい顔をする他ない。今この時のように

 「お早う御座います、ラーラさん」
 「……あぁ」

 朝の陽射しの満ちる屋敷中庭で、二人は出くわした。ラーラは外の空気を吸いに、イノンは井戸の水を汲みに

 当たり障りのない挨拶に、ラーラはぞんざいに返した。自身で鑑みても礼儀の無い返答だったが、してしまった事は取り消せない。それに、情と嫌悪が綯交ぜになった気持ちの悪い感情のせいで、悔やみつつも謝罪出来なかった

 何故だろう、何故ゴッチ・バベル程の男が、こんな変哲もないただの娼婦を傍に置く?
 白い髪と甘ったるい花の香りが物珍しいのか?

 ラーラから硬い空気を感じたイノンは、言葉に詰まったようだった。何も言えないまま、目を伏せて気まずそうにしている

 沈黙が満ちた。所在無げで、しかしラーラには言いたい事があり、その険しい雰囲気からイノンは逃げ出せないでいる

 長い時間だった。鳥の囀りと、ジルダウの街が発する朝の小さなざわめきのみが響いていた


 唐突にラーラは言葉を発する

 「……イノン、貴女は、どうしてここに来た?」
 「あ、え……?」
 「深い意味はない。言葉通りだ。どうしてここに来た? ボスを追い掛けてか?」

 イノンは急な質問に眼をぱちくりさせると、雰囲気を沈ませながら頷く

 「そうです」
 「ミランダの娼婦と聞いた」
 「はい」
 「ボスとはどんな関係だ?」
 「そ、その、ゴッチは私のお客様で」

 ラーラは右手を持ち上げてイノンの眼前に突き付け、言葉を中断させる

 「前から言おうと思っていたが、ボス、だ。そうでなくても呼び捨てでは示しがつかん」

 冷たい声音だ。ラーラ自身がはっきりと自覚できる程度には
 イノンは泣きそうな顔になる。ラーラも少し泣きたい気分だった。これではまるで、自分がイノンを虐めているみたいだ

 「ゴッチ様は」
 「客だったのだろう?」
 「えぇ」
 「…………ボスはただの娼婦を、しかもなんら能力を持たない者を傍に置かれはしない」
 「それは……解りません。多分ゴッチ……様は、優しいんです。私を哀れに思ったんだわ」
 「今のはここ一月に聞いた冗談の内では最高の物だったな」

 優しい? 哀れに思った?
 適切でない評価だと、ラーラは息を吐いた。矢張りイノンに尋ねた所で、答えの出ない謎であったのか

 「イノン、貴女は不幸になるぞ」

 強い語調でラーラは断定する。イノンは顔を伏せて上目づかいにラーラを見ている
 息が自然、荒くなる。自分が如何に面白く無い事を言っているか、ラーラ自身が良く理解している

 レッド、ゼドガン、ロージン、自分。そしてどういう関係か今一つ明確でないが、ルーク・フランシスカとその一派。皆、能力を持った者達だ。その中でイノンだけが何も持たない
 持たない者は不幸になる世界だ。ゴッチの周囲では特にそうだろう。ジルダウで彼がした事を鑑みれば、語るまでも無い事だ

そこまで一息に吐き出したラーラは、涙を滲ませるイノンを睨みつけた

 「悪意から言うのではないが、……ミランダに帰れ。ボスは、引き留めないだろう」

 言うだけ言って、ラーラは踵を返した
 何だかよく解らない事を言っている気がした。理知的でない会話をしてしまった
 発する言葉がぐちゃぐちゃとしている

 気持ちが悪いのだ


――


 机の上に足を乗せたゴッチは、葉巻を加えながらロージンに問いかける

 「皮袋の毒で御座いますか」
 「知ってるか?」
 「は、商人ですゆえ」
 「俺と仲良くしたいそうだ」
 「先日の一件も存じております」

 そりゃ良い、と呟くゴッチは、しかし言葉とは裏腹に詰まらなそうな顔をしていた

 「まだ俺と仲良くしたいなんてほざくと思うか?」
 「首魁ビエッケは下手な商人より余程計算高いと聞いております。可能性は御座います」

 少し、嘘があった。ロージンの元には既に、皮袋の毒からの使者が訪れていた

 ゴッチが使いの者を焼き殺させた一件に関しての使者だ。言い分としてはまぁ妥当な物で、確かに非の在り所は明白だが、問答無用で嬲り殺しにするとはどう言う事か、と言うのが皮袋の毒の言い口である

 ありのまま伝えれば、激昂したゴッチがビエッケとその配下を纏めて皆殺しにするのは目に見えている。そうなれば皮袋の毒とてただのチンピラ集団ではない。エルンスト軍団との関係も含めて、宜しくない事態になるのは容易に想像できる

 ロージンはそれが嫌だったし、何より人死にが出る事も好きではなかった。上手く調整する腹積もりだった

 「なぁロージン。解っちゃねーんだろうな、ビエッケとか言うチンピラは」

 は? とロージンは疑問符で返す

 大陸の何処を探しても、皮袋の毒の首魁をチンピラと呼べるのは、ゴッチぐらいな物だ

 「対等じゃねーんだ。豚が狼の肩を気安く叩けばどうなるんだ? 八つ裂きだよ。弱い奴はな、そうならねぇように、必死に尻尾丸めて、小さく縮こまって、強い奴のご機嫌を伺うんだ。ビエッケはどうなんだろうな、えぇ? 俺の事をどう見てんだろうな。なぁ、ロージン」

 背筋がざわつくのをロージンは感じた
 使い走りを一人、嬲り殺しにしたからとて、何なのだとこの男は言っている
 その程度の事で文句を言ってくるなど烏滸がましいと、それほど皮袋の毒を下に見ているのだ。虫けら同然だと本気で思っている

 知っている、ゴッチ・バベルは、皮袋の毒から使者が訪れている事を
 そして恐らく使者の口走った内容も

 ロージンの額に汗が浮かんだ。何処かで軽んじていたのか、自らを従える男に、浅はかにも隠し事をしてしまうなんて

 「ロージン、固くなるなよ。お前は真面目な男だ。よくやってくれてる。本当にそう思ってるぜ。だから、今回はお前の顔を立ててやっても良い」
 「は、はっ」
 「おい、怒っちゃいねぇって。酒の行商がな、極上らしいのを一瓶土産に持ってきたんだよ。呑んでいくか? …………そういや、寝る間もなく出張ってるせいで、身体が張っちまってるって言ってたな。どうだ、肩でも揉んでやろうか」

 緊張のあまり全身を固くするロージンを、ゴッチはからから笑いながら椅子に座らせる

 酒を少量注いだ酒杯を差し出し、あまつさえ絶妙な力加減で、本当に肩を揉み始めた
 ロージンは目を白黒させた。何が起こっているのか全く把握出来ていなかった

 ゴッチ・バベルが、労って酒を振舞い肩を揉んでやる程に、自分を買っていると言うのか?

 「ビエッケとかいうチンピラは、まぁ仕方ねェ。何せ、馬鹿の親玉だからな。馬鹿なんだろう。お前がそんな馬鹿のちっぽけな命でも大事に扱いたいってんなら、お前に交渉を任せる」
 「は、心得ました」
 「どっちが上かだけはハッキリさせとけ。絶対に甘い顔すんなよ。もしごねるようなら即座に伝えろ。俺が直々に立場を解らせてやる」

 どんな結びつきを作るにせよ、お前に全て任せる、とゴッチは言った
 ロージンは、声が震えないようにするので精一杯であった

 「隠し事なんてなぁ。水臭いよなぁ。なぁ?」


――


 宛がわれた天幕の中で、羊皮紙と睨めっこするのが、最近のルークの日課だ

 ルークは己の任務を忘れない。目的は、何処まで行ってもメイア3の捜索だ
 この生真面目な少年は、ホーク・マグダラの客将としてメキメキと頭角を現し、名を上げながらも、ペデンスに対する情報収集を怠らなかった

 「完全な膠着状態だ」

 睨み合いの状況が出来上がってしまった。エルンストが余裕を見せて御前試合など計画してしまって、アナリア王国側もその挑発に乗らず、守りを固める事を選択してしまったから、この流れはもう崩れないだろう

 長丁場になる。ルークは頬を張って、気合を入れ直す。実は、少しホームシックになっていて、しかもそれを自覚していた

 士気を落としてはならない

 熱い息を一つ吐き、メモ代わりに使っていた羊皮紙を丸めて棚に仕舞う。軽く伸びをしたとき、天幕の外から声が掛かった

 「御傍廻りの者です。ルーク様、宜しいですか」
 「どうぞ」

 ルークに近い年頃の侍女が天幕に入ってきて、しゃき、と一礼した

 侍女は持っていた籠を差し出す。赤い果実が沢山詰まっている

 「私どもの僚友の親戚が、果物を沢山差し入れて下さったのです。何時もお世話になっておりますルーク様にもお分けしようかと」
 「本当? それは嬉しいな」
 「……はい、どうぞこちらを」

 ルークは侍女が手に持った赤い果実を受け取る。天幕の中は決して明るくないが、それでもその果実は赤く輝いて見えた

 エルンスト軍団の内部で様々な雑事を執り行う者達には、当然ながら横の繋がりがある
 ルークはそれらに受けが良かった。それも、非常に
 ルークは常に公平で、優しかった。例えば今目の前に居る侍女にだって、決してぞんざいな態度を取らず、無体な振舞など考えた事すらない

 分け隔てなく接し、時には手伝いを買って出る事すらする、異国の不思議な騎士
 人気が出た

 「……そういえば、ルーク様はお聞きになりましたか? 先日の、ジルダウ市場での騒動です」
 「あぁ、……知っているよ」
 「惨い話です。……幾ら魔術師の方々と言えど、人を散々に痛めつけた末に、焼き殺すとは」

 ルークは返答に困った。そう思うよね、当然

 ゴッチの振舞は苛烈だ。だが、ルークだってマクシミリアンの仕事を(易しい部類の物だが)直ぐ傍で見続けてきたのだ
 ゴッチのようなやり方で無ければ、この短期間にジルダウを手中にするなど叶わなかった筈だ。そしてジルダウを取り込んだ事は、明らかにエルンスト軍団に対して有利に働いている

 ここから先は、大事なのだ。強引にペデンスに乗り込んで、と言う訳には行かない。エルンスト軍団を勝たせて、ペデンスから王国軍を引かせなければ

 「(でも、我々の都合なんて、この地に住まう人々には、関係ないものな)」

 個人的には、だが
 ルークはゴッチの振舞を好ましく思ってすら居る。女性一人を守るために、激しくなれるのだ、ゴッチは
 美しく思う。その暴力を
 エピノアを粉砕する姿を見た時から、ルークはゴッチが羨ましくて、同時に憧れてもいた。だから、色眼鏡を通して見ていた

 「女性を助ける為だったと聞いているよ」
 「……は? はい……。それは私も」
 「それに、私も……、男なんだ。私は雷の魔術師ゴッチ・バベルの戦う姿を見た事があって、だから、憧れているんだ」
 「私は嫌で御座います。……ルーク様はお優しい方です」
 「そうかな?」
 「そうです。ルーク様が強きを望まれるのは当然です。ですが、ルーク様は私どものような者の事まで気遣ってくださいます。不躾な、私の言葉も許して下さいます」
 「なんと言うか、……私の振舞いは、主君の教えで。矢張り解らないよ。私が優しい訳ではないかも知れない」
 「……ふふふ、雷の魔術師様が、心から恐ろしい訳では御座いません。カロンハザン様との友諠の話も聞いております。でも、矢張り私はルーク様にはそのままで居て欲しいと思います。よいではありませんか、魔術師様のようにならずとも」

 この侍女は、何時もは静かに佇んでいる。丁寧で、冷静で、何時も目を伏せている。貴い血の者とは、目を合わせる事すら不遜として弁えているのかも知れない
 今は印象が違った。怜悧な顔をどこかに放り捨てて、真直ぐな目を向けてくる
 潤んだ瞳と、赤い顔で、侍女はルークに訴えかけるのだ

 ルークは気まずくなった。何と返せば良い物か
 そしてそれは侍女も同じだった。彼女は空気を変えたくて、強引に話題を入れ替える

 「…………もうすぐ御前試合ですね。ルーク様はどうなさるのですか?」
 「ホーク殿は出るように、と」

 侍女は小さく微笑んだ

 「皆で応援いたします。……私どもは会場に入れるかも定かではありませんが」
 「嬉しいな。私の周囲の皆も、凄く乗り気でね。浮ついているのだよなぁ」
 「カロンハザン様を初めとして、名だたる騎士様方がお見えになるそうですから」
 「……カロンハザン将軍か。実はまだ、お会いした事が無いんだ」

 どうも機会が無く、顔を見る事すら無かった

 そういうと、侍女はうんと一度だけ頷く。ルークが何だか解らない内に、勝手に納得してしまった
 何に対してかは、解らない

 「きっと、意気投合なさると思います」
 「ははは、そうだと良いな」

 ふと、侍女が表情を変える

 「そういえば……、先程の話を蒸し返すようではしたないと思うのですけれど……。皮袋の毒の話です」
 「……何か?」
 「面白い話ではありませんが……、どうやら皮袋の毒のビエッケは、今回の御前試合で賭博を計画しているそうなのです」

 それが? ルークは先を促す
 それだけならば、別段おかしい所は無い。エルンスト・オセが良い顔をするかどうかは別として、良くある話だろう

 侍女は神妙な面持ちで続きを話す

 「それだけではなく……、ビエッケは、試合の結果を都合よく動かそうともしているそうでして……」

 Fixed match。ルークの表情は自然、固くなる

 「……詳しく聞いても?」
 「申し訳ありません。私もそれだけしか知らないのです」
 「……そう、か」

 天幕の外に、人の気配が現れる

 「ルーク様、宜しいですかー? ナスタが来ていませんか?」
 「イム……。……申し訳ありませんルーク様、私、失礼させて頂きます」

 一礼して、侍女は天幕から出ていく
 少し、苦い顔をしていた。彼女の思う優雅な振舞いとは、違ったのだろうとルークは思った

 「ナスタ長いよ、入り浸りすぎだよ。抜け駆けなんて駄目だからね!」
 「ほんのちょっとじゃないっ」

 がやがや騒がしく去っていく侍女達を余所に、ルークは深く考え込んでいた

 八百長。調べた方が良い気がする


――


 「おい、ゴッチ・バベル。お前、訪ねて行ったダージリンを何度も門前払いしているそうだな。どういう心算だ?」
 「あぁ? ……んん? なんだと?」
 「なんだと、ではない。ダージリンに何か隔意でもあるのか」

 何時もより険しい面持ちで詰問してくるホーク・マグダラに、ゴッチは変な顔をした

 この荒っぽい北方の騎士は、気取った所はあるが下らない事に気を回さないので、ゴッチとしては比較的好ましく思っている。飽く迄比較的だが
 そしたら態度に出ていたのか、何だかホークの態度まで砕けてきてしまった

 今回は、ジルダウの巡回を行っているマグダラ兵に関しての話をするために、ゴッチ自身が訪ねてきたのだ。部屋に通され、水の入った杯を出され、それを手に取った時点でコレだ

 「ダージリンだと? アイツ、来てんのか」
 「白々しいぞ」
 「待て待て、初耳だぜ。……ん、いや、初耳って訳でもねぇか?」

 そういえば、マグダラから客が来ていた、と言われたことがあった。だがアレは、間が悪かったのだ

 ゴッチは悪びれた風もなく、思ったことをそのまま口に出す

 「間が悪かったんだよ。俺は別に暇な訳じゃねぇんだぜ?」
 「ほぉ。見慣れん娼婦と乳繰り合っていたと聞いたがな」
 「あぁ……ったく」

 ジルダウの警備に関して呼び付けたのはお前の癖に、全く関係ない話題から入るのはどうなんだ

 ゴッチは手で顔を覆いながら大袈裟に溜息を吐いて見せた

 「仕事の話をしに来たんだぜ、俺は」
 「お前の配下も少し働かせろ」
 「ロージンが獅子奮迅の大活躍だよ」
 「余所者に睨みを効かせろと言う事だ。我が兵どもが裏側をつつき回すより効率が良い」

 ゴッチは米神を揉んだ。話の転換の仕方が唐突過ぎる

 詰まらない雑事をさっさとやっつけようと言う気配を、ホークは隠そうともしていなかった
 羊皮紙を差し出してくる

 「これを持て」
 「何だこりゃ」
 「皮袋の毒が、八百長を企んでいるようだ」

 ゴッチの気配が変わった

 八百長、ひいては賭博。どんな馬鹿でもこの状況で八百長と聞けば、大体の事は察するだろう
 完全にアウトローの領分のビジネスだ。ゴッチの耳には何も入っていない

 所詮は仮住まい、いずれ離れる地。ジルダウの街、アナリア国

 しかし、ここは隼団のシマであると言う強烈な縄張り意識が、ゴッチを激昂させた

 「ルークが気にしていてな、私の方でも少し調べてみた。これは御前試合に出場する騎士に、皮袋の毒から届けられた物だ」

 成程、そりゃ確かに、こちらで手回しすべき領分だ

 ゴッチは立ち上がる。怒りを感じているのに、不思議と頭は冷静だった

 「ダージリンに会って行けよ」
 「仕方ねェな」

 ホークは満足げにゴッチの後姿を見送る

 矢張り、強い者がギラギラしているのを見るのは、不思議な充足感がある


――


 「…………」
 「…………」

 黒いローブの二人が、睨み合っていた

 片方は左手で右腕を握り締め、片方は右足を引くと共に鳩尾を押え、それぞれ独自の構えで精神を集中させている

 「…………何やってんだお前ら」

 異様な気配を発する二人に、ゴッチは横から声を掛けた
 黒いローブが、揃ってこちらを向く。同時に、そろそろと引き下がって距離を取る

 「は、いえ、……別に何も」

 片方は、ラーラだった
 バツが悪そうに言うラーラを遮って、もう一人が声を発する

 「久し振りだな、ゴーレム」

 もう片方は、ダージリンだった。ゴッチは軽く目を見開く

 別れる以前、今にも息絶えそうな弱弱しさだったダージリンは、完全に力を取り戻しているようだった

 おう、とダージリンに返すゴッチ。ラーラがすかさず噛み付いた

 「変な名で呼ばないで貰いたい」
 「何故貴女が怒る?」
 「他の者に示しがつかない」
 「魔術師の気にする事ではない」
 「ジルダウを力と恐怖で治められる方だ」
 「呼び名一つで侮られる人物ではない」

 よく解らない口論が起こっていた。ゴッチはうーむ、と唸って、腕組みする

 以前も思った事だが、コイツ等矢張り、良く似ている。魔術師と言うのは、そう言う物なのだろうか。人間と言う存在から逸脱してしまった者は、似る物なのだろうか

 背格好も、気配も似ている。被りを取れば、髪形も同じだろう

 「貴女は幼くて、激しいな。炎の魔術師殿。今口に出した物が怒りの理由ではないだろう」
 「礼のない物言いだな、氷の魔術師殿。その見下したような目付きは、兄上殿から習った物か?」
 「何故そうも人間臭いのだ? “魔術師の癖に”」
 「思い上がっても、いるようだな」

 ゴッチは首を鳴らした。平坦な口調でラーラを抑えに掛かる

 「なにぎゃんぎゃん騒いでんだ。そいつは俺の友人だ。俺に恥かかせてぇのか、お前」

 ラーラは口を引き結んで、押し黙った。が、不満が顔にありありと現れている。元が素直な性格で、隠せと言うのが酷な話だ

 「ゴーレム」
 「あぁ、久し振りだな。顔色は良いようだ。……少し、変わったか?」

 目を細めるダージリン。余裕の表情
 以前にも増して、感情の揺らぎが無いように見える。正に氷のような強くて冷たい女

 「何がだ?」
 「目付きがな。冷徹になったぜ」
 「褒めているのか?」
 「俺のファミリーは皆タフで、誰もが今のお前みたいな目をしてるのさ」
 「貴方も変わったな」
 「なんだよ」
 「氷壁のような佇まいだ。……褒めている心算だ」
 「解り辛い奴だな!」

 気負わないダージリンの言葉に、ゴッチは破顔する
 ラーラの不満の度合いは目に見えて増す。空気を尖らせてラーラは口を挟んだ

 「ボス、氷の魔術師にも、敬語を使えと?」
 「不満か?」

 答えなど聞かなくても、ラーラのダージリンを見る目で十分に解る
 ダージリンは相変わらずのマイペースでラーラの視線を受け流した

 「必要ない。私は炎の魔術師殿を傅かせたい訳ではない」
 「それは殊勝な事だ。良い判断だと思う」

 ラーラは腕組みしてそっぽ向く

 「兄に話が?」
 「今終わった所だ。もう帰る」
 「そうか。私もついて行くが、良いだろう?」

 ゴッチはホークの顔を思い出した
 結構、口うるさい奴だったんだな、あいつ

 これで拒否すれば、また五月蝿く言うのだろう。ゴッチは好きにしろ、とだけ言った。どうせ断る理由も無い

 「宜しいので? ロージンは、部外者の出入りに良い顔をしないと思いますが」
 「客を持て成すだけだ」

 ゴッチは取り合わず、ずんずんと歩き始めた。ラーラはまだ何か言いたげだったが、ダージリンに対してあまり弱みを見せたくないのだろう。多くを語らない

 「ゴーレム、久し振りにテツコとも話したいが」
 「あぁ、……テツコは少しばかり忙しくてな。今は話せねぇ」
 「ボス、どなたの事です」

 ダージリンがラーラに視線を送って、直ぐに顔をそむける

 「貴女は知らないのか? ……まぁ、一部下に言って回る事ではないか」

 最早ラーラは何も言わなかったが、炎のような視線を叩きつけるのは止めなかった

 ゴッチは背後の荒れた空気を物ともしない。本の少しだって、気にしていない

 「知りたきゃ教えてやる。テツコが戻ってきた時にな」
 「…………ゴーレム、随分な世話焼きが傍についているな。一体なんだと言うのか?」

 僅かに黙考して、襟元を撫でる。エンブレムが輝く
 煩わしそうな、詰まらなそうな声だった。ゴッチは苦笑する

 「良いんだよ、ソイツぁそれで」


――


 後書

 グダグダしてきたけど……
 男二人 はもう少し長くやろう……

 ちょっと自信がないので、もう少し続きが書けるまではsage更新



[3174] かみなりパンチ30 男二人 5
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2011/05/28 10:10
 鉄になってしまえ。ヨルデは呻いた。鉄に、石に、木に、物言わぬ物になってしまえ
 何も感じなくなってしまえば楽だろうに。何も語らず、ただ鉄を打つ、鎚になれたら、どれだけ幸せだろうか

 噛み締めた唇の隙間から、嗚咽が漏れそうだった。ヨルデは工房の中で一人、水を被る

 火の無い炉を見詰めると、その中に自分が居た。暗い目つきでこちらを見返している

 足音がした。湖畔の砂利を蹴り分けて進んでくる、規則正しいそれに、ヨルデは覚えがある
 水浸しになった被りを取り払う。濡れた髪が下りてきて、肌に張り付き、視界を閉ざした

 「邪魔するぞ。ヨルド、居るか?」

 カザンは工房に足を踏み入れて、そこから動けなくなった
 薄暗い工房の中で、ヨルデが座り込んでいる。俯く彼女の周りに、鉄屑と鎚が転がっている

 目を細めた。ヨルデの背が自分を拒絶しているのに気付いてしまった

 「……ヨルデ、どうした? ヨルドは……?」
 「……兄貴は居ないよ。今、得意先に仕事の話をしに行ってる」

 カザンはむ、と唸る。ヨルドと来たら、カザンの剣を打つために、他の仕事など後回しだ、等と威勢の良いことを言っていたから、少し心配していたのだ

 ならば良いな。とカザンは頷いた

 「……ヨルデ、何かあったのか」
 「…………」
 「俺が邪魔か?」

 ヨルデの髪から滴る水が、工房の床を打つ。沈黙の中で、ぱた、ぱた、と言う水滴の音のみが響く

 「もう、来ないでくれない」
 「…………」

 ヨルデの肩が震えていた。何故、と問い返す事も出来なかった

 「カザン、ずるいよ。兄貴馬鹿だから、あんたの事を本気で親友だなんて思って」
 「……俺達は……」
 「あたし達の事、利用してるだけじゃない。あんたは何時も自分の事ばっかりで、あたし達の事なんて知りもしない癖に。あたし達が本当に苦しい時、あんたは何してくれたの。元はと言えば、皆あんたのせいなのに」

 絞り出すようにヨルデは言った。カザンは、こんなヨルデを見るのは初めてだった

 努力家で、負けず嫌いで、忍耐強い。来る日も来る日も兄と共に鉄を打つ、曲がった事の大嫌いな威勢も気風も良い女
 それがカザンの知るヨルデだ

 こんな弱々しい女は、知らない

 「あんたなんか友達じゃないよ……! 友達じゃ、ないよ……!」

 カザンは羽織っていた直垂を外して、震えるヨルデの肩に掛けた

 踵を返す。反論の術も無い。反論してどうなる物でもない

 「そうだな……、すまん」

 その通りだ。何時も自分の事ばかり。自分の都合でどれだけ騒ぎを起こしたか
 ヨルドに、そしてヨルデに、甘えようとしていたのだな。カザンは自嘲する

 足取りが乱れる事は無かった。カザンは来た時と同じ、しっかりとした規則正しい歩調で、工房を後にした
 最早、二度と訪れる事もあるまい

 ヨルデは肩に掛けられた直垂を握り締めて泣いた。私は嫌な奴だ
 だが、これで良いのだ。ヨルドは溜まった依頼に取り組むだろう。納期にも間に合う。不安はなくなる

 元々そうやろうとしていたのだ。カザンが来たから、ちょっとだけ可笑しくなってしまっただけだ

 元に戻る、だけなのだ


――


 蝋燭が僅かに三本
 それが皮袋の毒との会合場所にある、光源の数である

 路地裏の民家だった。そこに使い走りを僅かに二人伴って訪れたロージンは、皮袋の毒の構成員達と机を挟んで対峙していた


 「……では、今回の事は、これにて手打ちだ。良いな? ロージンの旦那」
 「あぁ」
 「魔術師殿は、こっち側の商売が偉く上手そうであるし……。そうさ、儲けるのが上手い奴とは、仲良くせんとな。いい感じに付き合っていこう、俺達は」
 「それはお前らの態度と、……何より、ゴッチ・バベル様の気分次第だな」


 交渉はそれほど難しい物ではない、ロージンは事前にそう予想しており、そして事実その通りだった

 皮袋の毒、首魁ビエッケは、伝え聞く老獪さの割には随分と若い男だった。ロージンと同じぐらいの年であるように見えた
 ビエッケはゴッチの実力をよく知っており、しかしゴッチをそれだけの男とは見ていない。凶暴な風評以上に、理知的で冷酷な男だと警戒しているのだ。言動の端々からロージンはそれを悟った
 それ故に、交渉は簡単だった。世間一般で使われる意味とは大分違うが、ビエッケにも、ロージンにも、相手を“尊重”する意志がある

 ロージンはゴッチの言う通りに、高圧的な態度を崩さない
 が、無体を言う事はしなかった。後は、丸く収めるだけだ

 「……それでは、“八百長試合”の話に戻ろうか。お前達が思っている以上にこちらの手は長く、耳はよい。ゴッチ様は、お前達がジルダウで勝手に仕事を始めようとしている事に気付いておられるだろう」
 「あぁ、あぁ! いや、仲良くして貰うにも、手土産が必要だろうと思ってな! 儲け話の段取りを整えといただけだ。そこらへんはロージンの旦那が上手く取り成してくれれば、問題ないだろう、うん」

 よくもまぁ言う物だ。ロージンは無表情の裏側で、眉を顰める

 「だが、その前に、こっちも旦那達に通しといてもらいたいスジがあってな」
 「……なんだ?」
 「おい、連れてこい」

 ビエッケの気配が攻撃的になる。ロージンは身構えた

 ロージンは頭が良く、機転も効く。そこは正に商人と言った所だ
 が、そのロージンでもこの展開は予想出来なかった。思わず立ち上がりかけたロージンを制したのは、ニヤニヤ笑うビエッケだった

 ロージンの部下に引っ張られて部屋に入ってきたのは、猿轡を噛まされ、手枷を嵌められた、イノンだったのである

 「……どう言う事だ!」
 「それはこっちの台詞だ、ロージンの旦那!」
 「何が言いたい!」

 ロージンの背後に控えていた男二人が、短剣に手を掛ける

 話が妙な方向に転がり始めた。ロージンは内心苦々しく思う。が、それを少しでも表情に出す訳にはいかない
 はったりを利かせ、顎を突き出してビエッケを見下ろす。ビエッケは肩を竦めて、尚も笑って見せた

 「この売女、俺の部下が街の役人を買収してる時に擦り寄ってきたと思ったら、酒に毒を盛りやがった。知らないで通るとは思うなよ。御蔭で俺の優秀な部下が、今も生死の境を彷徨っている」

 ロージンはビエッケとイノンを交互に見た。イノンは泣きながら首を横に振っている

 「猿轡を外せ」
 「……駄目だ。この女には、死ぬより余程酷い目にあって貰う心算でいる」

 イノンの顔色が蒼白だった。ここに連れてこられるまで、散々に脅されていたのだろう。完全に血の気が引いていた

 「それまでに自決されたら困るからな。……まぁ、魔術師殿との話し合いによっては、穏便に済ます方法も無いでは無いだろ」

 矢張り、そう来るか

 ロージンは奥歯を噛み締めた。ラーラの懸念は的中した。……いや、ロージンとて考えてはいた。しかし余りの多忙さから有効な手を打つも出来ず、ラーラの進言する通りゴッチから引き離す事も出来ず、僅かな護衛を着けるのみで問題を放置してしまった

 商人の気が抜けきっていないらしい。ロージンは胸中の苦笑を、今度は隠すことなく表す。この苦笑が、余裕の笑みと捉えられればいいが

 まだ勘違いしている。この男達は

 「お前達は」
 「……おい、無駄話は止めにしないか」

 凄んで見せるビエッケを、ロージンは鼻で笑ってあしらった
 こういう交渉の仕方で、最後は凄みを効かせて自分の思うままにしてきたのだろう
 しかし交渉事と言うのは商人の本分だ。ロージンが、胆で押される訳がない

 「聞け! ……お前達は、まだ勘違いしている」
 「うん?」
 「我々にしてみれば、イノン殿が本当にお前の部下を殺したかどうかなど、どうでもよいのだ」
 「…………おい、……発言に気をつけろ。ロージンの旦那は、商人だろう? それぐらい解るだろう」
 「もう一度言うぞ、お前の部下が死のうが生きようが、どうでもよいのだ。お前の部下が本当にイノン殿に殺され掛けたのか、或いはお前達の謀なのか、どうでもよいのだ」

 ビエッケは凄まじい形相で立ち上がり、机を蹴り倒して剣を抜いた
 ロージンは恐れない。更に一喝する

 「ゴッチ様は!」

 ロージンの背後の二人が、負けじと短剣を抜いて前に出た。皮袋の毒一党とロージン配下が。互いに睨み合う

 「お前達の事など、心底どうでもよいのだ! 路傍の石程度にすら思っておられん! そのゴッチ様が、本当だろうが嘘だろうが、お前達に負い目など感じると思うか! 少しでも交渉が有利になると思うか! あの御方に人質等が通用すると、本当に思っているのか!!」
 「殺されたいか! 銭勘定しか能の無い商人が!!」
 「ゴッチ様はお前達を殺すぞ」

 ゾッとするような冷たい声でロージンは言う

 「…………」
 「読み違えたな、ビエッケ。ゴッチ様は冷徹だが、お前のような小賢しい計算をせぬ。侮辱されれば必ず報復する。イノン殿を攫い、このロージンを交渉の場で脅迫した。ゴッチ様はお前達を殺すぞ」

 ビエッケの表情に逡巡が浮かんだ。動揺を表に出さなかった男が、馬脚を顕したのだ

 それを見てロージンは嗤った。ビエッケが己の失策を悟る。今の本の僅かな表情のやりとりで、ビエッケの部下に不安が広がってしまった

 「……では、そうならんようにするか」
 「我々の口を封じるつもりか」
 「人質でも良いんだぞ? まぁ、無駄に殺すよりはなぁ。……命乞いでもしてみるか?」

 考えの浅い男め。ロージンはもう一つ嗤って大きく息を吸い込む。腹は決まっているのだ

 ゴッチは、不思議な男だ。あの強さと、強引さ、高い自尊心
 ゴッチの命令を聞いていると、不思議と自分まで強くなったような気になってしまう

 自分は隼団だ、文句があるか
 いや、少し違う
 自分はゴッチ・バベルの直臣だ。文句があるなら掛かってこい

 そういう気持ちになる。少し前のロージンなら、自分を戒めた

 今は少し違う。ロージンはビエッケを見下したまま、言ってのけた

 「間違えるなビエッケ。平伏して許しを請うのは、貴様だろう」


――


 馬鹿にしやがって

 屋敷中庭の井戸で顔を洗うゴッチの呟きに、周囲を固めるジルダウの盗賊達は、背筋も凍る思いだった

 「……イノンと……ロージンを……人質だぁ……? この俺を相手にか……?」
 ゴッチの足元には引き裂かれた羊皮紙が散らばっている
 それを届けた使い走りの一人は、冷や汗を流しながら平伏していた

 脇に控えていたラーラが布を差し出す。乱暴に頭を拭うゴッチ
 続いてドレスシャツ。乱暴に袖を通す。被った水の御蔭か、頭は冷えていた

 「……ボス、貴方のせいです」
 「なんだと?」

 ラーラが徐に放った一言に、ゴッチはぎょろりと視線を巡らせた
 盗賊達が一斉に平伏する。ラーラだけが、ゴッチの視線を真正面から受け止めた

 ゴッチを、しかも怒髪天を突かんばかりのゴッチを相手に、臆せず物を言える人間は多くない
 その数少ない内の一人であるラーラは、例えここでゴッチに殴り倒されても言いたい事を言う心算だった

 「イノンは、御傍に置かれるべきではなかった」
 「……」
 「ただの娼婦だ、いつでも切り捨てて良い女だと仰いましたが、貴方の溺愛ぶりは明らかにそれを越えておられる。屋敷に住まわせるだけでなく、何かにつけて身の回りの世話をしてやり、彼女が使い切れる筈もない額の金貨を持たせた。ロージンが、イノンを丁重に扱うのも当然でしょう」

 情けない話だと、ゴッチは歯軋りする。情けない男だ、俺は

 何もかも、知った事ではない。ゴッチは、やりたいようにやる。どんな事でもだ
 同時に、それによって起こる様々な事は受け入れるしかない。自分で着けた火は自分で消すか、広げるかして、自分で後始末する

 イノンなど、とっとと追い返すか、もしくは――

 己の怠惰のせいだ。皮袋の毒なんてチンピラの集まりに、こうも隼団が舐められてしまったのは

 「馬鹿め、ロージン。イノンなんぞ、気を回さず放っておけば良かったモンを」
 「ボス」

 別の意味で、咎めるような視線だった。ラーラは自分の下に居る癖に、何時まで経っても潔癖症の気が抜けない
 今一イノンに対するスタンスがはっきりしない女でもあった。同情的のようにも見えれば、嫌悪しているようにも見えた

 割り切れない奴め

 ラーラ・テスカロン。俺にそこまで言える糞度胸は買っている。ゴッチは嫌らしく笑った。頭が冷えているのは水のせいだけではない。この女が傍に居るからだろう

 「ビエッケどもの潜伏先は掴んでるか?」
 「……動ける者を総動員しています。まぁ、大体の目途は着けてありますが」
 「ホークの所へ使いを出せ。ビエッケどもを外へ出さねぇようにな」
 「は。……エルンスト軍団へは? エルンスト軍団と皮袋の毒がどれ程の深さで繋がっているかは不明ですが、皮袋の毒は度を越して強気です。最後の最後にオーフェス老辺りに出張られてうやむやにされたのでは、なんともなりますまい」

 言葉を切って、ラーラは鋭く振り返る。彼女が天敵とする者の気配を感じた

 渡り廊下から黒いローブの女が姿を現した所だった。ダージリンだ

 ダージリンは音も無く歩く。ゴッチの周りに盗賊達が平伏する異様な光景を気にも留めず、ラーラがふしゃーと威嚇してくるのもさらっと無視して、井戸の縁に腰かけた

 「どうやって入った!」
 「ゴーレムは、私が来たらそのまま通していいと門番に伝えている」
 「ボス!」

 急に冷静さを失ったラーラは、ゴッチは手で制した

 ダージリンに視線をやる。用件が先だ

 「何かあったか」
 「軍師殿がな」
 「あぁ?」
 「炎の魔術師殿が気にしているオーフェス殿だ。兄の元に書状が届いていた。詳しい話は知らないが、ゴーレムが娼婦を使って皮袋の毒の幹部を毒殺した事になっている。一方的に」
 「ふん」
 「それに対する詰問だな。先日、一人焼き殺した事もある」
 「俺を突く材料が出来て嬉しいみてぇだな、あの婆さん」

 黒い被りがもったり傾く。ダージリンが首を傾げたのだ

 「少し感じが違うな。面倒事を起こされて憤慨している、と言った方が適当だろう」

 癇に障る言い方だった。今、この時、オーフェス如きに心を割く心算はない
 煩わしいだけだ。怒りたいだけ怒らせとけよ、とゴッチは何とも思っていないような無表情で言ってのける

 「……ここまでイラつかせてくれる馬鹿は久しぶりだぜ。……ビエッケを殺す」

 ラーラが応答した

 「承知しております。が、よろしいですか」
 「まだ何か言いたい事があんのか?」
 「ロージンの救助を最優先します。それで宜しいですね」

 ゴッチは直ぐには答えない。一人の盗賊に持たせていた葉巻を引っ手繰り、端を食い破ってラーラに火を催促する

 葉巻に灯った火を見詰めながら、ゴッチはラーラに背を向けた。固い感触のそれを噛み締めて、ゴッチは漸く言う

 「当然だろ」

 イノン。その名を呼ばず、呑みこむ


――


 ジルダウでカザンに宛がわれた天幕に訪ねてくる者は多い
 知己の者は皆、御前試合初戦を翌日に控えたカザンの様子を見に来ては、激励していく

 しかし夜も更ければ訪ねてくる者も居なくなった。そうなるとカザンの天幕の入口に控える二人の衛兵は、欠伸を噛み殺すのに必死になる

 ヨルドが現れたのはそんな頃合いだった。カザンは、近付いてくる気配をはっきりと感じていた

 「誰か、ここはカロンハザン将軍の天幕であるぞ」
 「誰か、誰か」
 「……自分は、鍛冶師のヨルドと申します。……カザン将軍に、剣についてのお話がありまして」
 「将軍の剣を? お前のような者が、か?」

 カザンの剣を、となれば、その役を担いたい鍛冶師はごまんといるだろう
 カザンは選り好みできる立場だ。それがヨルドのような名も顔も知られず、しかも随分と年若い鍛冶師に剣を打つよう申し付けるのは、少しばかり可笑しい

 衛兵は決してヨルドを嘲っている訳では無かったが、心底から不思議そうだった

 「本当か?」
 「……本当です」
 「良い、通してやってくれ」

 カザンが天幕の中から口を挟む
 そう言われたのであれば、衛兵に否は無い

 天幕の入口をくぐる前に、ヨルドが深呼吸したのが分かった。天幕に入ってきたヨルドの顔は、憔悴していた
 小さな灯火によって浮かび上がるヨルドの顔からは、完全に生気が失せてしまっていたのだ

 「……カザン」
 「……」
 「カザン、どう言う事だ、俺の剣は、要らないって」
 「そのままの意味だ」

 平素の口調でカザン答える。些かも躊躇することなく、事務的に

 沈黙が満ちる。真正面から向かい合うヨルドとカザン。カザンは腰かけていた椅子に、更に深く座り直す。ぎし、と鳴る音ですら、重苦しかった

 ヨルドは布に包まれた棒状の物を握り締めていた。苦心した末に打ち上げた剣であるのは、間違いなかった

 「カザン、俺が打って……」
 「……」
 「お前が振る……」
 「……」
 「何故、そんな顔をしてやがる……」

 カザンは咄嗟に顔に手をやる

 兵どもの上に立つようになってから、元来あまり動かない物であった表情は、尚の事動かなくなっていた
 何時如何なる時も目を見開き、平然と、しかししっかりと前を見据える
 炎の中へでも、敵の群れの中へでも、気勢を上げながら駆けてゆき、部下どもに己の背を追わせた

 将たる者は動揺などしないのだ。カロンハザンの前には、勝利しかない

 「ヨルド、友情などない。近頃思い返してみたが、俺は所詮死んだファティメアの背を追い掛ける無様な男だ。武名も、栄達も、虚しい物でしかない。信仰も志も死んだ。お前との絆も死んだのだ」
 「なんだそりゃ、お前、そりゃ、わけわかんねぇよ」
 「お前の剣など要らないのだ。ヨルド、打たなくていい。ヨルデが気を揉んでいるだろう。俺の事は忘れて、別の仕事に精を出せ」
 「偉そうに……お前何言ってんだよ。何だよその言い方……、何でお前」

 選民が、庶民を窘めるような物言い
 ヨルドのか細い声が更に力を失っていく

 「所詮戯れだ。鍛冶師は他にも居ると言うのに、全く、度し難い話だ」

 ヨルドは俯き、握りしめた剣を差し出す

 肩が震えている。声も、震えていた

 「お、お、俺の……剣だ……」
 「ヨルド、要らん」
 「なら捨ててくれていい! た、た、戯れだろうが……なんだろうが……、お前が満足しない出来でも……」

 ヨルドは、上手く声を出せない。胸中で様々な感情が荒れ狂って、言葉にならない

 「お、お、俺は、最善を、つ、尽くした……」

 ぼろぼろと、ヨルドは涙を零す。無感動な目で、カザンは見ている

 ふ、と呼気を洩らして、カザンはヨルドの剣を受け取った。そしてそのまま寝台の上に放り出す
 石ころでも扱うような、無造作な手付きだった。ヨルドは俯いたまま、踵を返す

 「お、お前のけ、剣が……、あらゆる敵を斬る事を、ね、願う、……それも、必ず、せ、先手を取って。……さらばだ、親友」

 ヨルデは涙を拭う事すらしない。カザンは何も言わずに見送った

 今生の別れとなる気がした。が、言葉を掛ける事はしなかった


 気配が完全に遠退いてから、カザンはのろのろと立ち上がる
 寝台に放り出された剣を手に取り、宝物を扱うかのごとき丁寧な手付きで恭しく引き抜いた

 冴えた輝きを持つ刀身だった。丁度、炎の魔剣アズライと同じぐらいの長さ

 両手で握り締め、胸の前に真直ぐ突き出す。剣先を降ろし、手首を返して右手を上にした

 カザンの聞き手は右手だった。そのまま左半身を引き、同時に左脇を引き絞る

 独特の構え。左から放たれる剣閃。右へ振りぬく。耳鳴りがする

 きぃん、と、鉄が鳴っている

 よき鉄。よき打ち手
 よき

 「戯れでなど、ある物か。よき剣だ、親友」

 騎士の名誉をかなぐり捨てたこの身に余る剣だ


――


 「おねーさんの此処にキスしてくれたら教えてあげる」

 胸元を広げてウィンクしてくる娼婦を前に、ルークは頬を赤くした

 「……からかわないでください」
 「きゃぁ、聞いた? 『からかわないでください』だって! 可愛い!」
 「いけない子だよねぇ。そんな生意気な事言っちゃって、本当はあたしらに虐めて貰いたいんじゃないの?」
 「騎士気取りの御坊ちゃまかぁ、鳴かせてあげたいよ」

 ジルダウの娼婦たちは、横の繋がりは無い分、娼館ごとの結束が強い
 人と物と金の流れが多い街で、元々治安が良い訳ではなかった。身を守るために、娼婦達は全体で団結したのではなく、複数で割拠して閉鎖的な空間を作ったのである

 だから、欲しい情報を得るのに時間が掛かった。ルークの娼館巡りは、これで五件目だった
 後ろ暗い話を聞くのならば、とジャウに進められて選んだ情報収集相手だが、流石に後悔し始めていた

 「でもぉ、私の条件って凄く優しいと思うんだけどな。ねぇケン、アンタならどうする?」
 「ルーク君を一晩好きにさせてくれたら教えてあげる。オービタは?」
 「さて、アタシが満足するまで奉仕して貰おうかな? 頭だったら?」
 「変態相手に尻を差し出して貰おうか。…………って、冗談だよ冗談! 嫌な目だね!」

 女盛りの娼婦頭の笑えない冗談に、娼婦達は剣呑な目になった

 ルークは眉を顰めて唸る。仕方ない、と諦めるのに、少し時間が必要だった

 「どう?」
 「……近くに行っても良いですか?」
 「きゃぁ、……良いよ、来て。……どんな感じ?」
 「しっとりしてます。甘い香りがします。髪かな? あ、……綺麗ですね、髪」
 「あっははぁ。え? 髪、好き? 自慢なの」
 「梳くと、心地良いです。汗ばんで、きましたね」
 「言わないでぇ。えぇ? 髪、唇で、あ。……何か初めて。優しい感覚」
 「甘い香りが強くなりました……。私は、貴方の香り、好きですよ」

 余裕綽々だった娼婦が、顔を赤くして身を強張らせた
 すかさずルークは娼婦の胸元に顔を寄せた。そっちが誘ったんだ、といっそ開き直って、遠慮なく強引に吸い付く

 娼婦が嬌声を上げた


……


 「そう、ここ数日ビエッケ達はそこから動いてないよ、多分」
 「……成程、有難う御座います。貴女の身が危険になるような事態には、決してさせません」
 「うふぅ、良いよ、アタシらもあの連中嫌いだったし。余所からぽっと来た癖に、図々しいんだもん」

 きゃあきゃあ姦しい娼婦達から話を聞くのは、忠実に交換条件を果たしても難しい事だった
 今も周囲の女達から突かれたり、擽られたり、散々に弄られながらルークは話を聞いている

 頬っぺたに紅をつけられながら、ルークは深刻な顔で考え込む

 「(ゴッチ先任に伝えなければ)」
 「……ねぇ、ルーク君ってホーク様の所の騎士様なんでしょ? ……少しここで遊んで行かない?」

 が、色々と台無しにされていた


――

 後書

 もういっちょsage更新

 まさかsageてるのに感想を頂けるとか思わなかった。


 頭の中で、どんなに面白い(と思える)話を考えても
 いざ書き出してみると……。というのは結構多い

 これがそうだよ!

 なお、ご指摘頂いた誤字とかの修正はまた後日!!



[3174] かみなりパンチ31 男二人 6
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2011/07/16 14:12

 「手を出さない方が良いと?」
 「……こちらではどういう物に当て嵌まるかは存じませんが、私の祖国での彼等は、非常に巧妙で用心深い存在です。ホーク殿が介入すれば、事態がややこしくなるかと」
 「そう……か……? 余りそういう風には見えなかった」
 「少なくとも、彼の養父はそうです」

 ジルダウで起こっている騒動に関して、流石のホークも神経質になっていた

 エルンスト企画の御前試合当日ではあるが、ジルダウの水面下では無頼者達による暗闘が続いている
 実に自然な事だ。金の動く場所では、常に起こっている事だ
 が、表に出てきてもらっては困る

 「ルーク」
 「は」

 ホークは執務卓の前で背筋を伸ばすルークを見て、一つ頷いた

 「ゴッチの部下と妻が攫われたと聞いたが」
 「ゴッチ・バベルは速やかに問題を解決するでしょう。あと、彼に妻は居りません」

 ホークは窓の外に眼をやった。じき、日が昇る。御前試合は予定通り開催されるだろう
 しかし、会場準備を一手に引き受けていたロージンが誘拐されている有様だ。その分の負担は、ホークに回ってくる

 貸しにしておこう、とホークは思った

 「実は、オーフェス殿から仲裁の申し出が来ているが」
 「…………」
 「いらんよな、別に。南部のごろつきどもが騒がしくなるだろうが、オーフェス殿が苦労すればよいのだ。な?」

 堂々と何も後ろめたい事が無いように言い放つホークに、ルークは苦笑してみせる

 元々ホークに今回の事件へと介入する心算は無かった
 理由は極めて単純だ。ホークだったら、獲物に横から手を出されたら許さない

 「だがルーク、その紅いのはなんだ? 口紅の雨でも降ったのか?」
 「…………」


――


 報告を待つ、と言うのは、新鮮な感覚だとゴッチは思った
 少人数の小さな一家である隼団は、早い話ファルコン以外の全員がソルジャーだ。当然ビジネスの向き、不向き、荒事の得意、不得意はあるが、ファルコンの手足である、と言う意味では全員が同じだ

 ファルコンの手足は待たない。待つのはファルコンだけだ。ゴッチなんて特にそうで、問題が起こればいの一番、最悪でも二番目には現場に飛び込んでいくのが、これまでのゴッチの仕事だった

 それが今は、分捕った屋敷の中庭で似合わないティーカップを揺らしながら報告を待っている

 つまんねぇ。カポって、こういう事か? これが腑に落ちるようになんのか?

 「ラーラ」
 「はい」

 背後に控えているラーラを呼んで、そこでゴッチは何を言った物かと黙考してしまう

 正直言えば、柄にもない状況に不満を感じていた
 だが、だからラーラに何を言うのか? 「まだか?」それとも進展しない状況について怒鳴り付ける?

 クールじゃねぇな、とゴッチは鼻で笑った

 「お前も座ったらどうだ」
 「……は」

 ゴッチの勧めに、ラーラは素直に喜べない
 目尻を釣り上げる。鋭い視線の先にはダージリンが居る。氷の魔術師は誰に許可を得るでもなく自然に屋敷に入り込んで、然も当然のようにゴッチと卓を同じくして紅茶を飲んでいた

 「……何か? 炎の魔術師殿」

 相変わらず、歯牙にもかけない様子でダージリンは言う

 ラーラは聡明だったが、ゴッチの事が全て解るかと言われたらそれは否だ
 このダージリンの事も、ラーラに理解できない事の一つだった。ゴッチほど自尊心の高い男が、こうまでダージリンの不躾な態度を許すとは

 ゴッチの言うままに椅子に座りながらラーラは考えた。イノンの事もある。意外と女に甘いのか

の、割には私には厳しいぞ。どう言う事だ

 ラーラがぶすっと剣呑な視線を送る先で、ダージリンは黒いローブのフードを被り直した
 この余裕がまた気に入らない。魔術師の癖に人の営みの中に紛れて、溢れ出る力を押し隠しながら生きている

 ふと、屋敷が騒がしくなる

 数人のごろつき達が、男を一人引き摺ってきた。でっぷり太った髭面の男で、ここに来るまでに随分可愛がられたのか、顔面が腫れ上がっている

 ダージリンが右手を持ち上げると、ごろつき達はその場で膝をつく

 「どうだった?」
 「ビエッケの野郎は逃げた後でした。居たのはコイツと、数人」
 「……手間を掛けさせてくれる」

 ラーラは立ち上がると、後ろ手に縛られ、地面に転がされた男の腹を蹴り付ける

 「ビエッケは何処だ?」
 「売女が……。馬とでもヤってやがれ……」

 男は血の混じった胃液を吐き出しながら呻いた
 鋭く男を睨みながら、ラーラの頭脳は回転する

 「(騎士ルークからの情報が間違っていた?)」

 ゴッチと関係のあるらしい少年騎士が、偽の情報を掴まされた。或いは意図的に嘘を吐いた
 即座に思い浮かぶのはそれだが、一概にそうとも言い切れない

 ルークから齎された情報は、ラーラ自身が掴んだ情報と照らし合わせても、納得の行く妥当な物だった

 皮袋の毒の拠点情報。どうして、ビエッケは居なかった? 裏を掻かれた? しかし、皮袋の毒にしてみればジルダウは土地勘のない場所だ

 「(と、言う思い込みは危険だな)」

 慣れない土地だから、何だ? そんな事は相手も承知の上だろう。侮ってはいけない
 ラーラは目に見えて不機嫌になったゴッチを横目で見やりながら自戒する

 敵を低く見積もるのは、ゴッチだけで十分だ

 「答えろ。私が優しく聞いている内に素直にならなければ、お前は本当に地獄を見るぞ」

 地面に顔を擦り付けながら、髭面の男は怨嗟を吐く

 「……うるせぇ、てめぇらこそ、覚悟しやがれ……。俺達はエルンスト軍団と繋がってるんだ、このままじゃ済まさねぇからな……」

 ラーラの脳裏に閃く物があった

 オーフェスが皮袋の毒に入れ知恵した? 或いは、情報を流している?
 有り得る。十分に

 「失礼します」

 ゴッチ配下の中でも比較的腕の立つ、冒険者上がりの女が中庭に現れた

 跪き、手早く来客を報せる

 「オーフェスの使いの者が来てますが」
 「騎士かな?」

 ダージリンが口を挟んだ。冒険者上がりの女は、既にダージリンが居る事に疑問を抱いていないようで、平然と応える

 「騎士鎧に大剣を佩いてます。馬も連れてました」
 「仲裁の申し出だな。ゴーレム、どうする?」

 タイミングが良すぎる。ゴッチは吐き捨てた

 「通せ」
 「は」
 「ラーラ、代われ」

 簡潔に、解り易く命令し、ゴッチはラーラを座らせた

 倒れ伏す髭面を踏み付けると、ナイフを取り出す。輝く隼のエンブレム

 その煌めきに指を這わせ、ゴッチは少し待った。そして、がしゃがしゃと言う鎧を着た者特有の足音が聞こえ始めた時、逆手に持ったナイフを無造作に振り下ろす

 狙いは左の太腿だった。野太い悲鳴を一瞬だけ楽しんだゴッチは、力任せにナイフを捻じってから引き抜く
 髭面の男から流れ出る血で、見る見るうちに周囲は真っ赤に染まる

 現れたオーフェスの騎士に、ゴッチは邪悪に微笑んだ。跳ねた血の滴がゴッチの頬に滴る

 「こ、これは」
 「んー? ……手前か。婆さんも酷だな、俺を相手に土下座までした奴を、態々使いにするんだからよ」
 「……雷の魔術師殿、本日はオーフェス様の書状を持ってまいりました」
 「皮袋の毒と手打ちにしろってか?」

 沈黙したまま、オーフェスの騎士は羊皮紙を差し出す

 ゴッチはそれを無視して、血に塗れたナイフを振り上げた

 「ぎゃぁぁぁぁ!!」

 今度は右の太腿。のた打ち回ろうとする男を蹴り転がして、ゴッチは再度ナイフを振り上げる

 「解っておられるのでしたら」

 ゴッチは無視した。左の膝を割って、見事にナイフは貫通する
 この先、ゴッチが万分の一の確率で気まぐれを起こして、この男を生かしておいたとしても、二度とまともには歩けない

 「言う気になったか?」
 「ひぃぃぃ、ひぃぃ」

 見栄も外聞もなく髭面の男は泣いていた。くしゃくしゃに歪んだ男の泣き顔に生理的嫌悪感を抱いたゴッチは、おまけとばかりに鼻面に爪先を撃ち込む

 折れた歯と血が舞う。爪先を男の服で拭って、ゴッチは付着した血液と唾液を綺麗に掃除した

 「魔術師殿」
 「手打ちは無しだ」
 「……オーフェス様は」

 オーフェスの使いの騎士はそこで言葉を詰まらせた。ゴッチの冷たく燃える瞳に射竦められて、息も出来ない。知らぬ間に、歯がかちかちと鳴りだす
 人の出来る目ではない。心なしか色まで違う。少なくとも騎士の知る人間で、ゴッチのような目をする者は居なかった
 受けた命令の事など頭から吹き飛んでいた。ゴッチの殺意と残虐さ、得体のしれない不気味さに、恐怖していた

 「オーフェスの婆さんは、頭は良いんだろうが、それだけだな」
 「……帰るが良い、使者よ。ボスは今お忙しい」

 蒼褪め、ただただ、使者は首を縦に振った

 髭面の男が口を割ったのは、その直後である


――


 剣の手入れを行うユーゼの目は、黒く曇っていた
 晴れの舞台、盟主と名だたる諸将の見守る中で存分に武を振う
 しかもその相手はあのカロンハザンだと言う

 ユーゼ・シュランジ。カッセオ・シュランジ侯爵の長子であり、次期シュランジ候であったが、彼もまたこの荒れた世に流された人間である
 幼少より家臣達に鍛えられ、常に己と兵の練度を高めてきた
 本来シュランジの後継者として不適切ではあるが、武辺の者として干戈を交える最前線を好んだのだ

 そういう人間にとって、この御前試合がどういう物であるか
 これ以上の事があるか。これ以上の物があるか

 緊張から、ユーゼの額には汗が滲んでいた。凛々しく太い眉が時折思い出したようにピクリと動く

 「カロンハザン将軍、胸をお借りいたす」

 ユーゼは、実はカザンの隊に救われたことがある

 ユーゼの隊が敵の攻勢の頭を抑えつけた時だ。功績を求めるユーゼのような騎士にとって激戦区は望む所で、ユーゼとその兵達は勇敢に戦った

 その結果大損害を被り、ユーゼ自身も敵兵の投石で鼻の骨を圧し折られている。カザンの機を見ての突撃が無ければ、損害は二倍になっていただろう
 エルンストは働きと見合わせて金銭で割が合うよう褒美を出した。が、人は直ぐには育たない。訓練された兵士と言うのは、そこいらに転がっている物ではない

 戦いで人死にが出るのは当然だが、指揮官の当然の思考として、ユーゼはそれを極力減らしたかった


 扉を叩く音がする

 薄暗い部屋で刀身の輝きを見詰めながら、ユーゼは開いている、と短く声を発した

 「ユーゼ……」
 「アモン」

 茶色い外套で身形を隠した女が入ってきた

 赤い髪のアモン。ユーゼとは婚約関係にある。とっくの昔に結婚していても可笑しくない年齢だが、当時の不安定な情勢から、王にあらぬ疑いを掛けられることを恐れて、先延ばしになっている

 幼いころから、ユーゼとアモンは一緒だった。お揃いの赤髪が、思いを寄せ合う二人の自慢だった

 「ユーゼ、危ない。……止めてくれ」
 「試合だ。死にはしない」
 「……カロンハザン様が、普通の人間ならばだ! あの人は違う。人の姿をした武神だ……」
 「その通りだ。同時に、節度をよく心得た騎士であられる。アモンのそれは、杞憂だ」
 「私はカロンハザン様の戦う所を見た事がある」

 ユーゼはアモンを見詰める。二人の間に交わされた約束によって、剣を持って働いていたアモンは、もう大分前に戦線から退いている
 ユーゼの前で、戦場には出ない事を誓った。ユーゼは自分勝手な所のある男で、自分が武運拙く死んでしまうのは特に何とも思わなかったが、アモンにもし何かあればと思うと堪らない気持ちになる

 「……父上に届け物をした時に巻き込まれて、逃げるに逃げられなくなってしまった。その時に見たカロンハザン様と、その兵士達は……普通じゃなかった。気勢を上げているのに表情は少しも動いていなくて、藁か何かを薙ぎ払うように敵を打ち倒していく……。遠目にも解った。あの人は、人間じゃない。兵士たちも、まるでカロンハザン様の気が乗り移ったように……」

 ユーゼはアモンの肩を抱く
 アモンの恐れを吸い取ってやりたい。恐れに捕らわれたアモンは、可愛くない

 「御前試合の後、俺は家督を継ぐ」
 「えっ?」
 「そうしたら、俺の元へ来い。六年前の続きをしよう」

 ユーゼは有無を言わせずアモンに口付けた。アモンは見ていて愉快な程に取り乱し、息を荒げる

 「え、え? でも、カッセオ様は?」
 「シュランジ家を……、最早父に任せては置けない。この事は、エルンスト様の軍師オーフェス殿も承知しておられる」

 アモンは察した。ユーゼの口振りと話の流れから、この御前試合、もっと言えばカロンハザンとの試合に、家督を継ぎ、自分と結ばれるために必要な何かがあるのだ

 「アモン、俺にはお前が居る。俺は果報者だ」

 何も言えなくなって、アモンは椅子に座り直したユーゼの頭を抱き締めた
 折れたまま治っていない鼻に激痛が走る

 「鼻が痛む」
 「大馬鹿。もっと痛い思いをすれば良いんだ」
 「……アモン、俺の事ばかり言うが、お前も危険な真似はもう止めろ。既に、剣を置いた身なのだからな」
 「ユーゼと結ばれたら考える」
 「……馬鹿者め」
 「大馬鹿によく似合うでしょう」

 口の減らぬ奴
 ユーゼはアモンを押し遣った。名残惜しげにしながら、アモンは振り返りつつ、部屋を出る

 そろそろ御前試合が始まる。出場者には、開会式への出席が義務付けられている

 と、また扉を叩く音がした
 再び、開いている、と短く声を発した

 「悪いね、邪魔するよ」

 入ってきたのは老軍師オーフェスだった。老いながらもシャキッとした挙動で歩くオーフェスは、冗談っぽく微笑み、自分の肩を叩いて凝りを解しながら挨拶した

 「オーフェス殿、このようなむさ苦しい所へ」
 「ユーゼ殿、調子は如何ですか。ほら、鼻とかは」
 「治ってはおりません。が、剣を振るのに鼻の都合は関係ありませんので」
 「はっはっは、あたしゃ良いと思いますよ。鼻が潰れてるくらいの方が、武人は凄みが効いてる」
 「同感です」

 言いながら、ユーゼはオーフェスに椅子を勧めた

 この油断ならない老軍師こそが、ユーゼに家督継承を説いた

 「いやぁ、アモンお嬢様がいらっしゃってたんで、入るに入れず……。あっはっは」


――


 ユーゼの父カッセオは、老いによって衰えた。人によっては評価は違うだろうが、少なくともユーゼ、そしてエルンストとオーフェスは同じ評価を下す

 シュランジ家は古くからある影響力の強い家だ。だが、このアナリア内で続く争いのせいで、先祖代々の土地はその多くを奪われ、また傷つけられ、力を失っていた

 自分の代でそうなってしまった事にカッセオは深い自責の念を抱き、同時に焦った

 だから恥知らずにも、エルンストに褒美を強請るような真似をしてしまったのだ。それも戦後の領地を、さしたる勲功も無く

 当然エルンストは激怒した。戦場ではすっとろい癖に、とまで口走ったエルンストの怒りは、オーフェスから見ても本物だった

 これに大慌てしたのがシュランジ家の者達と、オーフェスである


 弱まったとは言えシュランジ家の影響力は強かった。オーフェスは、平時ならエルンストに存分に怒って貰って結構だった。何が起こっても自分が何とかした
 だが今は戦時だ。エルンストの中に、シュランジへの悪感情を残しておく訳には行かない。絶対にだ

 そこでオーフェスはユーゼにカッセオを隠居させるよう持ち掛けた
 ユーゼもシュランジの家臣たちもカッセオの衰えを感じていたし、エルンストの怒りを買った事態を重く見て、その話に乗ったのである

 そして、完全に外堀を埋められた上で、息子と家臣、オーフェスに詰め寄られたカッセオの、苦し紛れの反撃が

 「シュランジは尚武の家である。ユーゼの実力と声望が確かな物であるならば、素直に隠居する。……最強と名高いカロンハザン将軍に土をつけてみよ。実力を知らしめ、エルンスト様の覚えも目出度くなれば、誰憚る事も無い。アモンとの結婚も許可する」

 自らの招いた事態でありながら、無関係の者まで巻き込むカッセオにカチンと来たのはオーフェスだ
 ユーゼがカッセオの出した条件を達成できなければ、カッセオを謀殺する気満々である。出来れば穏便に済ませたいと言うだけだ

 ぶきっちょなユーゼとアモンの仲を応援したい、と言うのもままある。オーフェスは秘密主義でエルンストぐらいしか知らない話だが、これで若い頃は惚れた腫れたで大騒ぎをしたものだった

 「(馬鹿殿を隠居させる事が出来、恩を売ってシュランジ家の忠誠は高まる。おまけに若人の色恋は成就して、こりゃ骨を折るだけの価値はあろうて)」

 何せ、シュランジに潰れて貰う訳にはいかない

 「して、オーフェス殿は如何な用向きで?」
 「いんえ、純粋に調子は如何かなと思っただけで御座います。気力が充実しておられるようで、安心しました」
 「オーフェス殿としては複雑でしょうな。俺は勝たねばならないが、それはカロンハザン将軍が負けると言う事」
 「うーむ……、ま、それは、ね」
 「折角来て頂いて申し訳ないが、直ぐに開会式です。そろそろ向かわねば」
 「あいや、これは気が利かず申し訳ない。……ユーゼ殿、この婆も貴殿に勝って貰わねば困りますからな、一つ助言させて下され」

 ユーゼは訝しげな顔をした
 オーフェスは確かに出しゃばりの気があるが、剣の扱いについてまでどうのこうの言う人物ではない
 その辺りは十分に弁えた軍師だ

 「……カザン将軍はこりゃ凄まじい使い手です。この婆の素人目にも、比類なき物だと解る。が、戦士が一流でも、剣が一流かどうかは今回怪しい」
 「……あの方ほどの騎士ならば、名だたる鍛冶師がこぞって剣を打ちたがると思うが」
 「さてね。今回、カザン将軍には余り時間が無かったようですから。まさか御前試合で炎剣アズライを振う訳にもいきませんでな」

 正直言えば、余り面白い話ではなかった。これはシュランジ家の都合とか、オーフェスの企みとかは関係なくて、純粋に剣を交える場に立つ者としてだ

 弱点を突いて勝つのはユーゼにとって恥ずかしい事ではない。弱点を見せる方が寧ろ恥ずかしい
 だが剣が弱くても、それはカザンの弱点ではない

 ユーゼは変わらぬむっつり顔で、頷くだけに留める

 「御助言、覚えておきます」


――


 どれ程か時間が経った。昼を過ぎ、程なくして夕方になる
 ビエッケは中々運が良くて、しかも頭が良い。流石のゴッチも感心した。未だ逃げ続けている事にだ

 ダージリンが気儘な猫のようにゴッチの傍で好き勝手している間に、ビエッケからの使者が一人現れた
 ロージンと娼婦を解放するから許してくれ
 馬鹿げた事だ。その使者は、今はゴッチの屋敷の窓から吊るしてある。身体に木の管が刺してあって、長い時間を掛けて苦しみ抜き、死に至る

 ダージリンは天気の話でもするかのように言った

 「ゴーレムは、凄みが増したな」
 「お前は猫みたいになったな」

 なんとなく、気負っていたものが消えた。氷か鉄で出来ているのかと思うような女だったのに、今はよく厭世的に笑っている気がする。表情が動かないのでよく解らないが

 諦観を多く含んだ、澱んだ目をしているのだ

 「同族の誼で許してほしい」

 同族か。ゴッチはカハ、と笑う
 情けない奴だ。俺と馴れ合おうなんて、とんだ勘違いだ

 「(処刑されかければ、流石のこいつでも何か思うのか)」

 フードから僅かに露出した口元が、僅かに引き結ばれる。ゴッチが何を考えているか察したようだった

 家族、地位、それらに何の興味も無い癖に、縛られている
 不思議だ。強いのに

 「騒がしい方が戻ってこられた」

 ダージリンがそっぽ向いて言う
 ラーラが現れた。背後に手下を引き連れて、古ぼけた羊皮紙の束を握り締めていた

 「ボス、アレは?」

 丸めた羊皮紙の束で、窓から吊るされた男を指し示すラーラ

 「ただの阿呆だ。生まれ変わったら、真面目に畑を耕すとよ」
 「……ビエッケを追い詰めました。奴等、大昔の廃坑の情報を手に入れていたようで、今はそこに立て籠もっています」

 ラーラが卓に置いた羊皮紙の束は、廃坑内の見取り図と関係書類だ
 昨日今日に書かれたものではない。ゴッチは唸る

 「まだ俺に逆らう奴が居たか。これをビエッケに教えたのは?」
 「……鉱山労働者の、元締めの娘です。元締め自身は既に死んでいます」

 穴倉に潜られたとなると面倒だ。最後まで粘りやがる。ゴッチは羊皮紙を握り締める
 こんな物が無ければ楽に済んだのだ

 「ロージンはまだ生きてるようだ」
 「それは良い。突入準備を急がせます」
 「元締めの娘とやらを脅かしておけ。散々にビビらせて、俺に逆らったら次は無ぇって事を吹聴させとけ」

 ラーラの表情が強張る

 「俺を恨んでる奴はこの街にごまんといる。少しでも俺が甘い顔をすれば、雑草みたいに幾らだって出てきやがる」
 「娘は“こちら側”とは無関係です。ビエッケに脅されて」
 「そうさ、脅されて仕方なく情報を渡した。だから俺も仕方なく教えてやる。俺とビエッケどちらが怖いかをな」
 「失礼ですが」

 ラーラの眉が吊り上った
 何らかの覚悟を決めた時の顔だ。こういう顔になった時、ラーラは容赦が無い

 「八つ当たりではありませんか?」
 「俺が、お前に優しくしてやってるのが解らねぇか? ラーラ」

 テメェがグダグダ言うのが解ってたから、殺して見せしめにしろと言わんのだ
 感情のままにラーラを睨み付けようとして、ゴッチは慌てて米神を揉んで誤魔化した

 殺気が抑えきれない。元々、野獣のような男が服を着て誤魔化しているだけだ。気を付けて居なければすぐにぼろが出る
 己の配下にすら殺意を突きつけてしまう

 ラーラはブスッとした。表情は変わらなかったが、気配の変化は明白だった

 ごろつきを一人呼び付けると、聊か大きい声で命令する

 「カナルの娘を脅せ。傷はつけるな。軽く締め上げる程度で良い」

 一度ゴッチを振り返る

 「これからは行き過ぎた鞭の出番はない。ジルダウはボスの元に平伏した。ここからは、飴の出番だ。無闇な殺しは控えて、甘い汁のおこぼれを用意してやらねばな」

 足早に立ち去るごろつきを見送った後、ラーラは宜しいですね、と自信満々に聞いてきた
 ダージリンが愉快だとばかりに笑い出した。この氷の女が声を上げて笑うなど初めてだから、ゴッチもぎょ、とする

 「主の統治をよく助けるよい部下だな」
 「……ケ」

 馬鹿馬鹿しい。と吐き出して、ゴッチは立ち上がる
 椅子の背に掛けていたスーツを握り締めた。陽光に晒されて、生暖かい

 金の隼が挑発的にゴッチを見詰めている


 「ボス?」
 「大詰めには、上役が出向かんとな」
 「……は!」

 ラーラがローブを脱ぎ捨てて小剣に手を這わせる
 刀身の半ばまでを抜いて、鞘に叩きつけるように再び納めた。カシャン、と耳慣れた音がする

 ラーラは一気に機嫌を良くした
 後ろで堂々と構えているのも良い。しかし、前を行くゴッチの伸びた背筋を追い掛けていると、何故か自信が湧いてくる
 不思議な魅力だ。この男に数多い、理屈で言い表せない物の内の一つだった

 ゴッチがスーツに袖を通す。バリ、と音がして、青白い電流が胸元で弾けた

 くだらねぇ。つまんねぇ。どうしてだろう
 荒事なのに、面白くねェ

 イノン

 「おう、行くぞ」

 カシャン、と言う音がそこかしこで上がる
 ゴッチは誰に命令を下す事もせず、誰の顔を見遣る事もせず、ただ一人だけで歩き始めた

 ラーラがその背を追う。そしてその後ろを、ごろつきどもが追う

 孤児だったり、食い詰めだったり、借金のカタに売られた奴だったり、冒険者上がりだったり、そんな連中だ
 屑の集まりだった。その癖、皆一様に自信に満ちた顔つきをしていた

 ラーラのちょっと後ろで、ダージリンが気配を消しながら歩く。口元は微笑んでいて、掌中で小さな氷の花を生み出しては手折り、手慰みにしている

 「不思議な男だ、ゴーレム」

 ジルダウの大通りに出た。大体の者は御前試合の会場に行っていて、商人の街は聊か活気なく見える

 ゴッチが通り過ぎた後、路地裏から、廃屋から、ごろつき達が現れる。町の仄暗い場所から、後ろ暗い者達が現れて、ゴッチに付き従う

 ゴッチは命令しない。ただ、その背を追わせる


――

 後書

 今更だが、「男二人」は
 もっと全然違う構成にすべきだったと本当に反省している。

 あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたいぃ~
 とやってたらこんな事になっちゃったよテヘ!!



[3174] かみなりパンチ32 男二人 7
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2011/09/28 13:36
 屑野郎

 自分の事を棚に上げて誰かが叫んだ
 でも、誰の事を言っているのか解らない。何せ、ここに居る者は皆、屑だ

 廃坑入口、そこかしこに土が盛ってある比較的広い空間で、ゴッチは松明をこれ見よがしに振り回す

 足元には油が流れていた。ゴッチの部下が蹴り転がした樽から、今もどんどん零れ出ている

 「て、テメェ、正気か?」
 「? 何がだ?」
 「狂ってんのか!!」

 半狂乱になって叫ぶ男に、ゴッチは首を傾げた

 特に何か問題があるようには見えない。状況的に燃えるのは皮袋の毒だけだ
 何だか良く解らねぇが、まぁ、良い。お喋りしに来た訳じゃねぇんだ

 ざっと見で、これから燃やすべき屑どもは二十人以上は居た。奥の通路には、まだ少し居るだろう
 よし、とゴッチは一つ頷いて、松明を投げた

 「クソッタレがァァァ!!!」

 絶叫しながらゴッチに向かって走る男。直ぐに油に足を取られ、転倒する
 その眼前に、松明が落ちた。炎が広がる

 廃坑の奥に通じる通路へ、逃げようとする男達が殺到した。狭い通路に大の男がつっかえて、当然だが大混乱になる
 皆、死にたくなくて、仲間を引きずり倒し、踏み付けてでも前に出ようとする。迅速な移動など出来はしない

 後は、油に乗った火がどうするか決める。ゴッチは悲鳴と肉の焼ける臭いに肩を竦めながら、踵を返した

 「別の入口に回るぞ。ラーラ達とは、手筈通りにな」

 廃坑の出入り口はまだ四つほどある。皮袋の毒殲滅戦の初手は、穴を全て塞ぐことから始まった


――


 「ボスがこちらへ。こちらの穴は」
 「承知している。ロージンは必要な人間だからな」
 「氷の魔術師は……」
 「捨て置け。あの出しゃばりを働かせるのはよろしくない」

 ラーラは篝火の焚かれた廃坑の通路を奥まで見通して小さく頷いた

 出入り口を塞いで恐怖を煽る。火と怒声、鳴り物で追い立て、散々嬲った後に殺す

 ゴッチは酷い男だ。ラーラは不敵に笑った。敵を絶対に許さず、受けた攻撃に対して素早く復讐する闘争心
 静かに燃える火のようだ


 今頃中では、部下達が皮袋の毒を追い回している筈である。他の通路は概ね炎で封じてあるから、最後にはここに逃げ延びてくる筈だ

 まぁ、ビエッケがその途中で死んでしまう程諦めの良い男ならば、その限りではないが

 ロージンを盾に取られたら無理はしなくともよいと部下達に伝えてある。時間は掛かるかも知れないが、結局は同じ事だ

 「(問題は、ロージンを如何に救出するかであるが)」
 「ビエッケとの待ち合わせ場所はここか?」
 「ボス!」

 急に横に現れた大男に、ラーラは目を剥いた

 ゴッチは松明を弄びながら悠然と構えている。跪く部下達を下がらせて、ラーラは一つ咳払いした

 「……兎狩りは初めてですが、存外簡単です」
 「何してる?」
 「は?」
 「何でビエッケを持て成してやらない」

 面白そうにニタニタ笑いながらゴッチは言う
 ラーラには真意が掴めない。冗談のような口調であるが、丸きり意味の無い事を言っているようにも見えなかった

 「俺はビエッケとか言う能無しにも、一つだけ評価できる物があると思ってる」
 「……はぁ」
 「この俺に楯突いた勇気だ。その馬鹿さ加減だけは褒めてやっても良い」
 「で、何が仰りたいので?」

 ゴッチは松明を足元に放り出して、廃坑の奥へと歩き出した
 ラーラは眉を顰めながら後を追う。ゴッチは血の気の多い男だ。こういう事態は予測していた

 「迎えに行ってやろうぜ、哀れな馬鹿を」
 「……ロージンを救出しなければなりません。事の運びを熟考ください」


――


 「ビエッケにはこのまま死んでもらおうかね」

 オーフェスは部下に笑い掛けながらそういう

 「は……」
 「うん、考えてみれば丁度いい頃合いだ。ビエッケはそれなりに知恵の回る男だったから、惜しいと言えば惜しいがね」

 何せ犯罪者集団の頭領で、エルンストへの忠誠心など欠片も無い

 元より互いに利があったが故に結びついた関係だ。そう長くは使えないとオーフェス自身思っていた
 オーフェスが、手駒を大事に使う類の人間であったから、ビエッケは僅かに寿命が延びていたに過ぎない


 本当は、今ゴッチが行っている事は、ビエッケにやらせようと思っていたのだ、オーフェスは

 エルンストが商人の街を明確に支配下に置くのは、正直面倒な話であった。が、必要な事でもあった
 流通の要所はこの内乱の中、商人達の実力と影響力によって奇妙な独立性を得てしまった。そして真っ二つに割れたアナリアには、彼等に言う事を聞かせるだけの力は無かった

 そこでビエッケ。多くの悪党どもを従えるこの男に、ジルダウの裏側を牛耳らせようと思った。様々な理由で騎士には出来ない事が、ごろつきには出来るのである

 ロージンはその手始めの心算だった。それが、何をどう間違えたのか何時に間にかゴッチがジルダウを仕切ってしまって

 「ビエッケが尻込みしなければ、話は簡単でした」

 直立不動の騎士が表情なく言う
 ロージンの裏側の事情は、オーフェスとて掴んでいた。ロージンをどうにかしようとすれば王国兵が出張ってくるのは確実で、そしてビエッケ及び皮袋の毒では、これに抗しようが無かった

 しかしゴッチならば

 と言う算段だったのだが……

 「この後はどうされます」
 「放っとくさ」
 「ジルダウをこのままマグダラ軍団に?」
 「欲張ると失敗するんだよ、悪知恵ってのは。それに矢面に立ったのはあの雷の魔術師だ。ジルダウを取り分にするのは、正当ってものだ。……ビエッケはそれが解らなかったようだ。街一つぽっち支配するってのは、そんなに良いもんかねぇ?」

 ジルダウを『街一つぽっち』とは、普段のオーフェスならば絶対にしない表現だ

 「……悪党に相応しい欲と、悪党なりの、誇りがあったのかも知れません」
 「止めろと言ったよ、あたしは」

 騎士は、窓の外へと目を剥けるオーフェスに気付かれないよう、小さく苦笑した
 外ではエルンストが豪奢に着飾って演説を打っている。高座できらびやかな剣を佩くその姿を、老い先短い老軍師は目に焼き付けようとしている

 騎士は、オーフェスが口ではビエッケを止めながらも、その実散々に煽っていたことを知っている
 飽く迄も遠回しにだがゴッチを持ち上げ、ビエッケを貶めた

 意固地になったのであろうな

 オーフェスは確かに手駒を大事にする。物持ちも良い
 だが、害のある物まで大事にしたりはしない。ジルダウの事は予想外だったが、アナリア王国との関係を断ち切る事には成功した

 ビエッケはもう要らなかった


 あの雷の魔術師がオーフェスの腹の内を知れば、激怒どころでは済まないな

 騎士は薄ら寒くなる。オーフェスとは違い、騎士はゴッチと何度も対面している。その怒りを真正面から受けた事もある

 オーフェスが今まで相対してきたどんな人物とも、あの男は違う。騎士は少し、不安だった


――


 敷き詰められた白砂を踏みしめて、ユーゼは前方を睨み付けた

 数多の将兵と、何よりもエルンストが見守る中、場には熱気が籠っている

 浮ついた気配。ざわめき
 だが、白砂の上には冷たい緊張感が漂っていた


 対面上にはカザンの姿がある。目を閉じた、エルンスト軍中随一と言われる勇将には今、まるで気配が無い
 覇気も無く力に満ちても居ない。静かに、幻影のように佇んでいる

 「内に秘めるのであれば……引き出してくれよう……」

 ユーゼは兜を捨て去った。鈍い音を立てて転がるそれに目もくれず、剣を捧げ持ち、大きく息を吸い込む

 「ラァァァァァァー!!」

 剣を振り払った。盾を備える左腕を開き、天に総身を晒す
 夜が来るまで余り時間が無い。落ち始めた陽がユーゼを赤く照らす

 「ウゥゥゥゥゥゥー!!」


 この戦いを捧ぐ
 戦神ラウに捧ぐ
 戦士に偽りなし、戦場に偽りなし
 咆え声が太陽を揺らし、太陽の熱は私を焼くだろう
 そうして私は炎に駆り立てられ、刃と、ヤジェの木の弓矢を備え、灰になるまで戦い続けるのだ


 戦神ラウの名を咆えるのは、カザン相手には特別な意味を持つ
 炎の剣アズライは神話にて戦神ラウが振るったとされる剣だ。それを持つカザンと、ラウの信奉者が今切り結ぼうとしている

 同一の神を信仰する者同士の一騎打ちでは、神の加護は無いとされる

 ユーゼは呼気を整え、先程の大咆哮が嘘であったかのような悠然とした態度で名乗り上げた

 「ユーゼである!」


 エルンストは立ち上がって右手を高く突き上げる

 ユーゼの声は腹に響くようだった。よく鍛えられた体躯の上に、朴訥で気の利かなそうな、如何にもと言った感じの仏頂面が乗っかっている

 潰れた鼻は戦傷か、男振りを上げている。よい騎士であるな、と零した
エルンストはシュランジ家に対して良い印象を持っていなかったが、ユーゼに対しては実際に話したことも無い癖に好感を覚えた

 「戦神ラウに!」
 「ラウに!」

 エルンストの声に、側近が先ず応えた
 その後、場の騎士達が揃って己の胸板に握り拳を叩きつけ、声を合わせる。例外はぼへっと頬杖をついているアシラッドぐらいな物だ

 ラウに!

 カザンが剣を抜いた。鈍い輝きの剣だ。細かな部分まで見る事は出来ない距離だが、ユーゼの目には全く見るべき物の無い剣に見えた

 何故、そのような剣を持つ。カロンハザン将軍

 暗い茶色の直垂が地に沈む。カザンが膝を折り、刀身に額を擦り付ける

 興奮も、気負いも、何もない
 一切の感情を吐くことなく内に秘めたまま、静かにカザンは立ち上がり、下を向いたまま咆えた

 短かったし、目は何処も見ていなかった

 「カロンハザンの剣をも、ラウに!!」

 しかし、天を割るような声であった

 初日最後にして大一番の試合、カザンとユーゼは図ったように駆け出す


――


 余りに炎を使い過ぎたせいで、廃坑内部は明らかに酸素が薄くなっているように、ゴッチには感じられた


 「燃えるまで解らないか、お前達」

 ラーラはゴッチの態度を見習って、敵と相対した時堂々と背筋を伸ばすようにしている

 踏み込む時は猛然と踏み込む。敵が待ち構えていたら猛然と踏み込み、敵が攻撃を放とうとしたら猛然と踏み込む

 本気かどうかは知らないが、小剣が己の肌をなぞるぐらいの避け方をしろ、なんてゴッチは無責任に言った
 その恐怖を楽しめ。生死の狭間でのた打ち回るのが良いんだ
 そんな風に言った

 だが、その前にラーラの腕の一振りで、大抵の者は消し炭になる。ラーラは恐怖を覚えたりなどしない
 ただ自分が人間ではなく、そして他者より圧倒的優位に立つ強者であると言う自覚を深めるのみだ

 「所詮、人の焼ける臭いは同じであるな」

 騎士だろうが、賊だろうが、こればかりは、変わらないな。ラーラは火達磨になったごろつきを一人蹴り転がして、燃え続ける胸板を踏み付ける


 燃えてしまえば皆同じ


 ごろつきを焼く業火がラーラの足をも舐る
 が、眩しいとすら感じる程の白金色の炎は、ラーラを焼いたりしない。ラーラは炎の娘で、人から外れていく程に炎はラーラを愛する

 既に悲鳴は聞こえない。ぎちぎちと焼けた筋繊維が収縮し、ごろつきの焼死体は身を縮こまらせていく
 命の炎が消えたのが解った。場に残る皮袋の毒の構成員達は、皆怯えて縮こまってしまっている

 闘争心の炎も消えていく。ラーラはゴッチの前でゴッチの露払いをするように戦い、そして全ての戦意を奪った

 「跪けぃ! 戦意を失う事を敗北と言う! 敗者には敗者の取るべき態度があろう!」

 詠み上げるようにラーラは言う。普段ゴッチに対して小難しかったり、迂遠だったりする言い回しを使うと「洒落臭い」と言って怒られるので、暫く鳴りを潜めていた物言いだ

 強烈な臭いと衝撃的な光景に、猿轡を着けられたイノンが嘔吐する

 埃塗れであったが、隣で同じく縛られているロージンと共に、危害を加えられた様子はない
 最低限ビエッケは人質の扱いを知っていたようだ。ゴッチを相手に行うには首を傾げざるを得ない手法だったが、交渉する心算だったのは本当だったようだ

 が、ここまで来てしまえば最早交渉も何も無い

 「よーう……初めまして、だなビエッケ。うん? お前がビエッケで良いんだよな?」

 ゴッチが思っていた以上に若い男が、ゴッチの探し求める男と思われた
 憔悴しきり、煤と埃と泥塗れになって酷い有様だったが、それでも他の屑よりかはまだ“見れた”面をしている

 疲れ果てていても目がギラギラしている。生きる事を諦めていない

 「よく知らんが、どうせオーフェスの婆様に良いように使われたんだろ? 馬車馬か、都合の良い愛玩動物か、そんな感じに。可哀想になぁぁ、あぁ、同情するねぇ」

 ビエッケは誤魔化すように笑っていた。ゴッチはそこに違和感を覚える

 こんな事言われて一秒でも黙っていられるような奴が、俺に喧嘩を売る筈がない

 「驚きってモンですなぁ……」
 「俺が態々此処に来たのが?」
 「えぇ、えぇ、そうですわな。雷の魔術師殿が出張らずとも、炎の魔術師殿一人居りゃ、俺達はそれで御終いだ。不思議ですなぁ」

 余裕を見せるように、ビエッケはカラカラ笑う。ゴッチは腕組みして斜に構え、無駄口に付き合う

 「ゴッチ殿、いや、ゴッチ様、俺達がこうなっちまったのには、不幸な行き違いがあるんです。少しだけでも話を聞いちゃくれませんかね」

 ラーラがニタリと笑って腕を一振り。白金色の炎がその腕で踊る
 ラーラはビエッケに向かって歩き出そうとした。目の前に手が伸びて、それを押し留める

 ゴッチだ。首をゴキゴキと鳴らして、ビエッケを見ている

 「言ってみな」
 「この娼婦はですな、俺の部下に毒を盛りやがったんです。俺等だって、この娼婦がゴッチ様の女だって事は知っていた。しかし、殺されかけちゃこっちとしても黙っちゃ居れんでしょう」
 「かもな」
 「ロージンの旦那と仲良くしようって話が纏まった時に、ちと俺の説明が足りずに、ロージンの旦那を勘違いさせちまいましてね。そのせいで、こんな事になっちまったんです。こんな心算じゃなかったんだ」

 はっはっは、と大声で笑い始めるビエッケ

 イノンっは泣きながら首を横に振っていた。ロージンも、拗ねたような不貞腐れたような、不満気な表情でヤケクソ気味に胸を張っている

 「上手に命乞いしてみろよ」

 ビエッケの目が見開かれる。ゴッチにこんな言い訳が通用するなどと、ビエッケ自身が一番信じていなかったのだ
 ビエッケはすぐさま腰元の短剣を捨て去り、懐の暗器も投げ出して平伏した。地面に額を擦り付けて大声を上げる

 「俺は、ゴッチ様に逆らう心算なんぞこれっぽっちもありゃしません! この通りだ! 俺だって皮袋の毒の首魁として、アナリア南部の裏側を仕切ってきた男だ! その俺が全部投げ出して平伏するって事は、信じてくだせぇ!」
 「今更お前を生かして何になる?」
 「お役に立ちましょう! 俺ならジルダウだけじゃねぇ、何処の、どんな街だろうが、纏められる! ゴッチ様を首魁に戴いて、俺があらくれどもをゴッチ様の下に従わせる! それが出来る人間が、今ゴッチ様の下に居りますか?!」

 ゴッチはとうとう声を出して笑い始めた。低い声でクック笑うゴッチに、一番恐怖を感じたのはラーラだ
 碌でもない気配を放っているのが、よく解るのだ

 「裏の世界でゴッチ様が望む物は、何だって揃えて見せましょう! ゴッチ様の一睨みで誰だって跪くが、その先を任せて頂ければ!」
 「俺が望む物か」
 「俺はビエッケだ! オーフェスの婆にだって、負けやしません!」

 ゴッチは平伏するビエッケに歩み寄る。ビエッケの背後で、皮袋の毒の生き残りたちが唾を飲んだ

 ゴッチがビエッケの前で膝を折り、ビエッケと視線を合わせようとする

 「顔を上げろ」

 その時、閃電の如くビエッケが動いた
 ビエッケは丸腰になったと見せかけてまだ暗器を持っていた。鈍く光る短剣を右手で握り締め、ゴッチの首元に走らせる
 同時に左手も短剣の刃を掴み、ラーラに向けて投擲の構えを取った


 ビエッケは動きを止めた。同時に息も。血の流れすらも止まりそうだった

 目と鼻の先でゴッチの悪相が笑んでいる。これ以上ないほど嬉しそうに、笑んでいる

 右腕があらぬ方向に曲がっていた。何時、どうやって? 痛みが来ない


 「俺が欲しいのはビエッケ。お前の首だけだ」


 思った通りの男だぜ、ビエッケ
 ゴッチはビエッケを頭突きで倒れさせ、腹部に強い蹴りを一つ見舞った
 ゴッチの強い蹴り、だから、それはもう大変な威力である。ビエッケは跳ね上がり、転げまわり血と泥で口中をぐしゃぐしゃにしながらのた打ち回る

 ゴッチはそんなビエッケに馬乗りになる。完全なマウントポジションではない。腕は太腿で抑えず自由にさせているし、そもそも位置が少し悪い。力を振り絞れば対抗策は取れるだろう

 「抵抗しろ!」

 言いながらゴッチはもう一度頭突きを見舞う。ビエッケの目がぐるんと回って焦点を失う
 右のパンチ。鈍い音。続けて左のパンチ。もう一つ鈍い音
 マウントポジションから、殴る
 殴る殴る殴る殴る殴る殴る。死なないように手加減している

 「どうした、抵抗しろ!」

 また頭突き
 その後、少し体勢を変えて肺を狙う。ビエッケは息も出来なくなる
 そしてまた、殴る。鈍い音は続き、血が撥ねる

 「ビエッケなんだろ?! おぉ?!」

 抵抗など初めから無かった。ゴッチは別に全然構わない

 だって、無抵抗の相手を甚振るのも十分楽しい。強い相手を屈服させるのも楽しいが、弱い物虐めだって好きなのだ

 「抵抗しろよ、ほらぁ!」

 手加減していても、殴っているのは所詮ゴッチだ
 結局は死ぬ。そして後ろで腕組みしながらそれを眺めるラーラには、ビエッケの命の炎が消える瞬間がハッキリと解った

 打撃を入れ続けるゴッチにも、それは解った。詰まらねェ。唾を吐く
 ラーラが背後から声を掛けてくる

 「ロージンと……イノンの事は宜しいので?」

 ゴッチはふと顔を上げた。両の拳は赤く染まっていて、ビエッケの顔面は判別が出来ない程になっている

 イノンはガタガタと震えていた。ゴッチを見て震えていた。皮袋の毒の残党は既にイノンを拘束しておらず、隅で蹲っている

 でもイノンは動けなかった。ロージンは何事も無かったかのように歩き出し、ラーラの部下に縄と猿轡を切らせているのに

 「その不細工面を引っぺがして、ジルダウに吊るせ。マグダラ軍団でもエルンスト軍団でもない、俺の名前でな。そうすりゃ、残党が押し寄せてくるだろ。そいつらを皆殺しにして終了だ。…………無事か、イノン」

 大雑把に指示を出して、ゴッチは早足でイノンに近付き、右手を差し出した

 す、とイノンが遠くなった
 勘違いではない。イノンが遠ざかった。イノンが後退りした

 「…………」

 ゴッチは、イノンに向けて伸ばした手を見る。血に塗れている
 ラーラの視線が突き刺さるようだった。ラーラの言葉を、ゴッチはまだ覚えている

 貴方のせいです イノンは、御傍に置かれるべきではなかった

 ゴッチは尚早足になってイノンに近付く。血塗れの手をその背に回した。イノンの震えは強くなる
 以前はここで手を引いた。イノンの怯えた目、白い髪、愛らしい頬
 全てが崩れていく

 俺は焦ってんのか?

 嘔吐した残骸が猿轡の端に残っていた。外してやろう
 そうしてイノンの頭に手を遣った時、その小さな体が倒れ込んだ

 失神していた。ぐるんと目が裏返り、みっともなく白目を晒している
 腕の中に倒れ込んでくる


 こんなのは、違う
 

 「ロージン」
 「ボス。お手間を取らせまして、申し訳ありません」
 「無事だったか」
 「奴にそれ程の度胸は無かったので。文句があるなら掛かってこいと言ってやったら、慄いておりました」
 「…………はっはっはっは、……はぁーっはっはっは!」

 ロージンは一礼する。ゴッチの腕の中のイノンを見て、口数少なくなる

 「奴らは、イノン殿に乱暴はしませんでした」
 「そうか」
 「それだけです。……重ねて申し訳ありませんが、流石に堪えております。暫し、休ませて下され」

 ロージンは廃坑をラーラの部下に連れられて歩いていく
 明らかにゴッチを気遣っていた


――


 ラーラはビエッケの死体と皮袋の毒の残党を引きずり出すよう指示する。生き残った者も、どうせ殺す。哀れな物よと零した

 ふとゴッチを見遣った。ラーラはハッキリと眉を顰める
 ゴッチの背中が萎んでいるように見えたのだ

「……ボス」
 「へへ、女ってのは面倒だ」
 「……優しい男が好きなのでしょう」

 ラーラはイノンと交わした言葉を思い出す
 ゴッチが優しいと言っていた。戯言だと流した
 それを思い出した。ゴッチの萎んだ背中が嫌でも目に付く

 「よせ。好きだの何だのと」

 最後まで控えている部下達に、引き上げるよう手振りで指示する
 こんなゴッチの姿は見せられない。そして、自分の姿も

 「愛しておられないので?」
 「よせと言ったぞ!」
 「時々仰っておりましたな、愛など無いと」

 ゴッチの怒声に触発されてか、ラーラも怒りを感じていた

 ずっと、ずっと悶々としてきたのは何故だ。イノンと、なによりゴッチのせいではないか

 人の気も知らず、私がどんな思いで居たか知らず

 つい先ほど、散々人を燃やした。だからかもしれない。こうも昂るのは

 「イノンが哀れだとは思わないのですか」

 ラーラは首を左に振った。ほぼ同時に右の頬に衝撃を受ける

 振り返りざまのゴッチの裏拳だ。咄嗟に反応していなければ、首が折れていたかもしれない

 壁に叩きつけられながら、ラーラはべ、と血を吐き出す。頬がジンジンする

 ラーラはとうとう激怒した。我慢の限界に来たのだ

 「誰に向かって口聞いてやがる」
 「イノンを愛していないのかと聞いている!」
 「ド喧しいわ!」

 ラーラだって気付かない訳は無かった。ゴッチに触れられて、失神すらしたのだ、イノンは

 だが、だからなんだ、腑抜けた面しやがって!
 私を従える男が!

 背筋がずっとムズムズしていた。何故傍若無人にしていない。何故、鼻で笑って見せない
 多寡が娼婦一人に

 ラーラは飛び掛かる。額に凄まじい衝撃が走る。ゴッチの拳は見えもしなかった
 だが、ラーラの右手にも鈍い感触があった。間違いなくゴッチの頬に一発入っている筈だ

 「イノンを愛さなかったのは貴方ではないか!」
 「寝惚けた事言ってんじゃねぇ! 愛など無ぇ!」
 「ならもっと堂々とせぬか! 情けない!」

 ゴッチの太い指がラーラの首を捉える。そのまま壁に叩きつけられた
 ラーラは意地でも呻き声一つ洩らさない心算で、歯を食い縛る。一片の恐れも無くゴッチを睨み付ける


 誰が恐れようと、私は恐れない。私はこの男の同族なのだ。私はイノンとは違う


 「イノンを解き放て! 追い払うべきだ! 愛さないのならば!」
 「手前……」
 「貴方がイノンを信じさせてやれば、捨身になってイノンは受け入れた筈だ!」

 貴方のせいだ!
 そう、怒鳴り付ける


 ゴッチの殺気が急に収まった。ラーラを壁に釘付けにしていた手からも、力が失われていく

 ゴッチを見れば、ここ最近屋敷の自室でしていた、詰まらなそうな、退屈そうな顔に戻っていた

 「……仕方の無ぇ奴だ。こんな小娘一人に、肩入れしやがって」

 ゴッチはラーラに向かってイノンを突き飛ばす

 ふん、と鼻を鳴らすゴッチ。人を人とも思わない、何時もの傲然とした態度
 ラーラにはそれが、無理に取り繕った態度のように見えた。ギリギリ収まりがつく内に、場を納めようとでも言う腹積もりなのか

 何時ものラーラなら、腕の中のイノンなど放り出し、ゴッチに再び飛び掛かって張り手を食らわせただろう。ラーラはその一挙一投足に常に死ぬ覚悟を負っている。ゴッチに歯向かうとくれば、尚の事だ

 だが、それを受け入れてしまった
 ゴッチの目を見ると、何故か何も言えなくなってしまった

 「…………後の事は、お前が取り計らえ」

 肩を竦めてゴッチは歩いていく。持ち込んだ松明はそろそろ燃え尽きようとしていた

 薄暗い。ゴッチの足音を背で聞きながら、ラーラはイノンの猿轡を解いてやり、髪を撫でる

 「お前など、現れなければ良かったのに……」

 完全に調子を崩してしまって、ゴッチに猛然と歯向かってしまって、馬鹿馬鹿しい

 そう、馬鹿馬鹿しい。下らない事だと放っておけば良かったのに、ゴッチの事になると冷静ではいられない

 同族と言うのはこういう物か
 私は、寂しいのかな

 「……ゴッチ、私は恐れない」


――


 後書

 やべ、うっかり上げちゃった


 ちと強引だった気がするので……、その気力があれば、この回はズバッと書き直す可能性あり。
 ここぞと言う場面で敢えて丁寧に描写せず、ぶっきらぼうな書き方するとそれはそれで味が出る、と言う様なことをここ暫く感じていた。しかし普段描写が丁寧か? とか通り越して手抜きになっていないか? と言われると返答に困ったりもする。


 男二人はもうちっとだけ続くんじゃ。……次はもっと明るいこと書きたいずら! と、思っているずら。


 ヴェガ「俺が欲しいのはレンツェン、お前の首だけだ……」



[3174] かみなりパンチ33 男二人 8
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2011/12/02 22:49

 屋敷の中庭でレッドが歌っていた。もの悲しげな歌であった

 何時も肌身離さず、時には相手を殴り倒すのにすら使うカスタムエレキではなく、神秘的な鳶色で周囲の空気すら染めるクラシックなアコースティック

 切なげな音が響く

 「友よ。私は忘れないだろう。君の愛した土と水。スジャタルカの黄金の畑よ。美しい女神の口付け一つ。喜びに水面は震える」

 赤らんだ顔でゼドガンが聞いている。酒だけではない。レッドが真っ赤な花のように色付いた唇から放つ一語一語が、ゼドガンの心を震わせる

 「故郷よ。友らを顧みず、土と水を捨てた私を包んでくれる優しい家々よ。寒々しい感謝の言葉を私は吐かない。ただ地に伏せるのだ。厳かで温かい大地の冷たさを私は頬に感じ、涙が溢れるのを止められずに居る」

 美しい歌だ。とゼドガンは称えた。意識の外側で、屋敷の門を破る荒々しい気配を感じている

 ゴッチが帰ったか。と周囲を見遣れば、ごろつきどもが慌てて駆け出していくのが見えた

 「なぁ、レッドよ。何故屋敷に戻ったのだ?」

 訪ねるゼドガンに構わずアコースティックを爪弾き、したり顔で微笑むレッド

 ゴッチが現れる。レッドとゼドガンに一瞬視線を遣ると、気にもせず椅子に座り、ゼドガンが今まで傾けていた酒杯を手に取った

 「どうした、食い倒れツアーに行ったんじゃなかったのか?」

 ゴッチは行儀悪く机の上に足を投げ出す

 「そりゃ兄弟も一緒に行こうと思ってんだぜ」
 「…………お前ら二人で行けよ。気分じゃねぇ」
 「そう言うと思った」
 「あぁ?」

 アコースティックの音が止まる。レッドが目を細めている
 ゴッチは顔を伏せた。無性に情けなくて、しかもレッドにそれを見透かされている気がする

何もかも承知しているとでも言いたげな表情だ
 でも、兄弟がそれで良いなら、良いんじゃない。そんな表情だ

 何時もは馬鹿の癖に。今のレッドは何もかも知っていて、ゴッチの、ゴッチ自身ですら知らない心の裏側を覗き込んでいる。そんな気がする

 「なんか兄弟が俺に構って欲しがってる気がしたんだよなぁ!」
 「馬鹿抜かせ」

 ゴッチが杯を干そうとする。ゼドガン横からそれをさっと奪い返す
 代わりに布の包みを投げた。中から出てきた焼き菓子に、ゴッチは眉を顰める

 「それをやろう」
 「ゼドガン……おい……」
 「だがこの酒は俺の物だ。ハハ。……なぁゴッチ」

 ゼドガンは立ち上がり、巨剣に手を添えた
 静かな目、静かな佇まい。何時ものゼドガンである

 「餓えた目付きをしているぞ。この俺が相手ならば腹も脹れるのではないか?」
 「何言ってんだお前」
 「と、思ったが、今のお前にはより似合いの敵が居るとレッドがな」
 「あぁ? ……さっきから手前ら二人して、俺をからかってんのか?」

 ひょい、と背を向けるゼドガン。掴み所のない男で、それは何時もだ。だがゴッチと付き合うようになってからは度を越した気分屋になった気がする。伊達や酔狂で日々過ごしているのかと思う程だ

 ゴッチは胡散臭く笑うゼドガンと……レッドを睨む
 何時から占い師に転職したんだと言えば、レッドは口笛一つ、カラカラ笑い声を上げて誤魔化した

 「カザンが戦ってんだって!」
 「……御前試合か」

 表面上は興味なさげなゴッチに、レッドは余裕たっぷりの顔で微笑む

 カザンって難しい事言うよなぁ

 実感の込められたレッドの言葉にゴッチは頷く。唐突な一言だったが、その通りだった
 カザンの言う事はいつも小賢しくて、遠回りで、不自由だ

 「何で生きて、何で戦い、何で傷付くのか」

 以前カザンがゴッチに向かって打った説教だ。確かにレッドにはこの話をした
 だが、カザンの言葉を一言一句違わず教えた覚えはない

 「そんな風に話したか?」
 「実はシックスセンスが磨かれて、兄弟の事なら何でも解るようになったんだぜ! 俺達相性良いらしくて」

 ゴッチは左腕を擦った。鳥肌が立っている

 「お前見ろこれ、鳥肌立っちまったじゃねぇか!」
 「酷ぇ! そんな事いっちゃう!」
 「……俺は葉巻の方がカザンの百倍は好きだぜ」
 「『兄弟のくれた葉巻が』って事だぜ?」

 ゴッチが焼き菓子を一口齧って、残りをレッドに投げつける
 レッドは何故かにっこり笑顔になった。ゼドガンがレッドとゴッチの間で視線を行ったり来たりさせる

 「『おぉスジャタルカよ。一欠けらの食物を私は兄弟と分かち合う』」

 朗々と歌うゼドガン。ゴッチは脅かされた梟のような顔をした
 背筋がゾワっとする。鳥肌が広がってしまった

 「俺は葉巻が好きだったが、今葉巻の事は完全に忘れた。焼き菓子もな」
 「じゃぁカザンだなぁー」
 「俺の屋敷には葉巻か焼き菓子かカザンしかねーのか」

 ゼドガンが悪戯っぽく笑って茶々を入れ始める

 「女も居たろう。アレはどうした? ラーラや、何時の間にか椅子に座って茶を飲んでる氷の魔術師殿以外に、好き勝手自由にお前の寝室に入れる娼婦だよ」
 「…………俺の“ナニ”じゃ大きすぎるんだとよ。泣いて故郷に帰りやがった」
 「ハハハハ、嘘を吐け」
 「嘘じゃねェ。……見るか?」
 「骨抜きだったんじゃぁないのか、あの娘は。そうでなかったとすれば大きすぎの逆だったのだろう」

 ゴッチはベルトに手を掛ける

 「ゼドガン、お前も脱げよ。三つ数えてやる」
 「おぉ、受けて立とう。準備しろレッド」
 「じゃおぉぉ?」

 ゼドガンはレッドにデコピンを食らわせた。何がじゃおぉぉ、だ
 レッドがやれやれと肩を竦める。レッドには似合わない仕草である

 「兄弟、ゼドガァーン、やるのは良いが、強い奴には従えってんだぜ?」
 「抜かせ。俺の半分でもあったら、ロベルトマリンアノーラストリートの一番良い店を奢ってやる」
 「うひょー! じゃぁ“トゥーハンドラー”だ! あそこっきゃない! 一等綺麗なレディパンサーに御酌して貰うだぜ!」
 「一昔前は気にしなかったが、どうやら俺のはミランダの男衆の中では断トツらしくてな。後悔するなよポンコツ兄弟」

 お喋りはここらで良いか? とゴッチ

 「3……2……1……」

 0!

 ゴッチとゼドガンが沈黙する。ひゅぅーと口笛を吹きながら、両手をピストルの形にして天にかざすレッド

 「あっはっはっはぁー、まぁこんなモンさ! さーカザンを見に行くんだぜ!」
 「…………こいつ……見かけによらず……」
 「……ふ」

 屈辱に肩を震わせ、ゴッチとゼドガンは同時に踵を返す。その背にレッドが体当たりしてきた

 「おいコラ!」

 ゴッチの怒声もなんのその、レッドは身も軽く飛び上がり無理矢理ゼドガンに肩車させる
 次いで、身体を倒してゴッチと肩を組むのだ

 喧しい子犬のような奴だ

 果たして子犬は歯茎剥き出しに怒るゴッチを少しも恐れず、のうのうと言ってのける

 「兄弟。カザンなら解ってくれるんじゃないかなぁ」

 ふわっと微笑む紅色の唇に、思わず視線が吸い寄せられた
 不思議な言葉を操る。この男の言葉は、何故か妙に耳になじむ

 黙ってしまったゴッチの代わりにゼドガンがぼそりと言った

 「おい……止めろ。……俺の後頭部に……お前の物を擦り付けるんじゃぁ無い」
 「人を変態みたいに言うんじゃねーだぜ!!」


――


 何故自分が立っていられるのかユーゼには解らない。カザンの剣、それ程常軌を逸した強さであった

 揺れる視界の先でカザンが構えを正している。どうやら自分の呼吸は酷く乱れているようなのだが、その感覚が無かった

 肉体が一切の苦しさを感じていない。心なしか耳も遠い気がする
 今此処に居る実感が無かった。自分は白昼夢を見ているのかも知れないと、ユーゼは思った

 「互角だ! 若様! お見事に!」

 家臣の声が聞こえた。ような気がした
 それを意識すると、矢張り耳は遠かったが、群衆のざわめきが聞こえだす
 自分の荒い息の音。がりがり、と鎧の擦れる音が聞こえだす

 「(互角? そう見えるのか、俺と彼は)」

 互角などでは、断じてない

 「(剣先が揺れ……)」

 カザンが踏み出す。大きく一歩。身体が伏せるように下がっている。突きだ
 籠手で打ち払う。逸れた切先は踊る様に回転し引き戻された。再び突き

 その時にはユーゼも切り込んでいた。上段。相打ち覚悟の斬り下し

 カザンの剣はユーゼの鎧の脇腹を撫でてすり抜けた。ユーゼの斬り下しもカザンの体を捉えられない
 懐に潜り込まれている。ユーゼは振り下ろした右腕が下からの衝撃で震えるのを感じた

 今にして思えば、早々に盾を捨ててしまったのは悪手であった

 身を引きながら身体を振り回す。一回転しての横薙ぎ
 それはカザンの鼻先を掠め、その踏込を押し留めた。体を回した一瞬で、よくぞ滅多打ちにされなかった物だとユーゼは思った

 カザンが構えを正す。仕切り直し
 ユーゼも背筋を伸ばし、腋を広げて剣を一振りした。絞る様に柄を握り直す

 「(何故だ、カザン将軍)」

 何故、俺を打ち据えない。侮辱するのか、ユーゼ・シュランジを

 御前試合でなければ、エルンストが照覧していなければ、ユーゼは叫び声を上げたかもしれない
 積んだ年嵩もシュランジを継ぐ者としての立場も放り捨て、無分別に叫び声を上げたかもしれない

 打てた筈だ、カロンハザンならば

 「(何故手加減する)」

 老軍師オーフェスの顔が脳裏を過る
 考えられるのは、これしかない

 悲鳴を気勢に変え、ユーゼは吠えた


 「(何故そうも、湖面のような静かな瞳で居られるのか)」


――


 キューリィとジョノはアシラッドを宥めるのに苦心していた

 「こんなに馬鹿な事は無い」

 腰までの高さしかない木板は、乗り越えようと思えば簡単に乗り越えられる。そうなったら十歩走ればカザンとユーゼの試合に乱入出来るだろう

 その木板をぎりぎりと握り締めるアシラッドの後ろで、キューリィとジョノは辟易しているのだ。何時もだらだらしているこの殺人狂が試合に乱入しようとしたら、何としてでも止めなければならなかった

 しかしそれ以前に、この変態が何故こうも怒っているのかが解らない

 「エルンスト様はぁ、見世物を楽しむためにこれを組んだんですかぁねぇ」
 「そういう物だろう」

 やれやれと肩を竦めてキューリィ

 「解る奴には解るんですよぅ。だからアンタ達は駄目なんです。ルーク君やジャウが此処に居たら、私と同じことを言ったでしょう」

 キューリィはジョノを見遣った。ルークとジャウは、今ジルダウの街で起きている騒動を収拾するためにホークに駆り出されている。ジョノは顎を撫で摩りながら、きっぱりと言う

 「俺を見るな。さっぱり解らん。どちらも凄まじい腕前だと思うが」
 「よく見なさい。……ユーゼ・シュランジのあの可哀想な様。今にも泣きだしそうじゃぁありませんか。エルンスト様も惨いお方だぁ」

 アシラッドが何を言っているのか、キューリィとジョノには解らない

 ただ、ぼそりと洩らすアシラッドの姿には、寒気すら覚えた

 「私はぁ、見損ないましたよ。カザン将軍の事」


――


 ゴッチの握りしめた手摺がみしみしと音を立てて圧し曲がっていく。上手く言葉に出来ない、言いようのない怒りで全身が硬直し、肩には力がこもり、筋肉が盛り上がる

 眼下の試合場では、多くの者達の予想に反してカザンとユーゼが互角に打ち合っている。ともすれば、カザンが危うい事すらある

 こんな訳が無い。あの小憎らしい二枚目はべらぼうに強いのだ。こんな訳がない。

 怒りの理由は自分でもよく解らない。カザンが負けたとしても、ゴッチは何一つ困らない

 だと言うのに、この腹立たしさ。何故だ。二重の意味で洩らしたそれは、最早唸り声だった

 「動きが妙だ。カロンハザン将軍は……考えたくも無い話だが、手を抜いているようだな……」

 言いながらゼドガンはゴッチの肩を軽く叩いた
 強さを信奉する男が今、その強さを欺く行為にハッキリと怒りを示している

 自分には全く関係ない話であろうに、コイツはこういう男であるな。何時もより表情豊かなゼドガン

 「……まぁ、彼なりの処世術と言う奴なんだろう」

 カザンを擁護するような響きを持ったゼドガンの言葉は、ゴッチの怒りの炎に油を注いだ

 処世術。食い縛った歯が耳障りに鳴る

 「カザンは、強いんじゃァねぇのか」

 ゴッチの頭の中を無意味な言葉がぐるぐる回った


 俺は隼団だ。逆らう奴は痛めつけるし、敵なら殺す。そしてイノンは離れて行った

 「カザンは、俺とは違うんじゃァねぇのか」

 お前は強いんじゃァねぇのか。最高の騎士なんじゃァねぇのか

 どうしてなんだカザン。どうして俺はこんなに悔しいんだ

 八つ当たりしてぇ

 「レッド! こんな糞くだらねぇモンが、お前の見たかったモンか?!」

 レッドはニヤニヤしながらまるで恐れもせずに言った

 「兄弟、兄弟なら、カザンの事解ってやれねぇかなぁ」

 言ってることが変わってんじゃねェかボケ


――


 「剣があれば勝ったか? カザン」

 エルンストの問いに、跪いたカザンは顔を上げぬまま応える

 「ユーゼ殿は優れた使い手でいらっしゃる。私は敗けるべくして敗けました」
 「実戦で剣を失えば死ぬぞカザン!」

 一喝しながらもエルンストは、何故か笑顔であった

 「例え無手でも戦います。命ある限り」
 「ならばよーし!」

 カザンは敗北した。ある時から、カザンは一気呵成に猛然と攻めかかりユーゼを完全に押し込んだ
 が、その最中にカザンの剣は半ばから折れ飛んだのである

 武器を失えば敗北である。そしてカザンの剣は、カザンの力についていけなかった。見ている誰もがそう思った。エルンストもだ

 だがユーゼはそうは思わなかった。折れた剣は断面が妙に綺麗で、破片も全く出ていない。事前に細工がしてあったのだろう
 折れたのではない。カザンは、折らせたのだ。ユーゼにはそうとしか思えなかった。オーフェスの困ったような面白がっているような顔がちらつく

 そんなユーゼに声を与えるエルンストはカザンが敗けたと言うのに全く上機嫌である。エルンストは名剣の他に、勇者が好きであった

 「ユーゼ殿! 素晴らしい試合であった。シュランジの騎士達の勇猛さにも頷ける」

 称賛の言葉にも、ユーゼは黙して応えない。エルンストははて、と首を傾げた
 カザンが小さな声でユーゼに呼び掛ける

 「ユーゼ殿。エルンスト様が呼んでおられます」

 ユーゼが同じように、小さくか細い声で言った

 「黙れ」

 当然だな、とカザンは思った

 手加減の上小細工までされて勝利を譲られたのだ。しかもそれを盟主エルンストに称えられる
 エルンストの面子、軍団の権威、シュランジ家の進退を思えば、何もかもぶちまけてこの場から去る事も出来ない

 武門であるとか、シュランジ家であるとか、それらを鑑みて重要視するべき事を抜きにして

 ユーゼに取って、どれ程の屈辱であるか

 「(俺は、害悪をばら撒いているな)」

 最早自嘲すら出てこないカザン。のそり、とユーゼが立ち上がる

 「晴れの舞台に、全くお恥ずかしいばかりの武技をお目に掛けました」

 エルンストの傍に控えていたオーフェスがちょっと困った顔になる

 危うい発言であった。対戦相手のカザンと、ユーゼを称賛したエルンストを貶める言葉とも取れる
 その程度の事を考えられない男ではない。拗ねておるな。オーフェスは、うーむと唸るエルンストに素早く進言した

 「ユーゼ様は実直で、何かを誤魔化すだとか誰かの尻馬に乗るだとかが大嫌いなお方です。あのような勝ち方では納得いかないのでしょう。ここは一つ、陰気を笑いで吹き飛ばして差し上げるべきかと」

 エルンストがニコリと微笑むのを見て、オーフェスは会心の茶々入れであった事を確信した
 ユーゼの気性は全くエルンスト好みだ。この二人は上手く噛み合う

 エルンストはオーフェスの言に従って、呵呵大笑した

 「騎士ども、兵ども! ラウの勇者を讃えよ! ユーゼ・シュランジが全く恥入るべき所の無い勇者であると思う者は、剣を掲げよ!」

 幾つもの雄叫び、幾つもの鞘鳴り
 夕暮れの太陽を突くようにして、剣や槍が掲げられる

 「と、彼らは言っているが、どうだユーゼ殿!」

 それに応えて立ち上がるユーゼは疲れ果てた顔をしていた

 「カザン殿、貴公にも事情があったのだろう」

 カザンは沈黙する事しか出来ない

 「もう良いのだ……戦神ラウは戦いの場では真実しかお許しにならないと聞く。……貴公のそれが卑しき謀り故か、忠誠故からは知らぬが、是非はラウが決めて下さるだろう」

 先程までの陰気を振り払い、ユーゼは剣を掲げる。勇ましい立ち姿に、特に彼らの家臣たちが飛び上がって喜んだ

 「オースタン、旗、掲げぃ!!」

 花道に何本ものシュランジの紋章と軍旗が掲げられ、交差する。ユーゼは剣を納め、威風堂々その下を歩いた

 歓声が上がる。ユーゼは前だけを睨み付けている


――


 ゴッチは手摺の上に上って仁王立ちした
 すると、只でさえ目立つ男だ。それが余計に目立つ事をしているのだから、皆直ぐそれに気付く

 カザンも、カザンに退場を促そうとしていたエルンストもそれに気付いた

 「おう! 支配人殿ではないか! お前の席を用意しておったのに、何故そんなところに居る!」

 カザンはゴッチの顔を一目見て、危険だなと感じた

 「(怒りと悪意を感じる。ゴッチ・バベル……)」

 何も言うな、カザンは拳を握り締める

 俺の心を汲めよ、ゴッチ。お前が何に怒っているか俺は解る
 ならばお前に俺の心は解らんか

 カザンの涼しげな表情に、胸中の事は微塵も出ていない

 ここで素頓狂な事を言い出したのは、異様な気配を放つゴッチも、地面を見つめて微動だにしないカザンも、こりゃ不味い事になったという表情を隠しもしないオーフェスも、まるっと気にしないエルンストだ

 「よし、ゴッチ! 我らの精鋭達に一言頂こうか! 見ておったのだろ?」

 悲鳴を堪えたのはオーフェスだ
 我が君がまたぶっ飛んだ事を言い始めおった
 並居る諸侯や重臣達を差し置いて、よりにもよって極道者に何か言わせようというのか

 「(いやいやいや、この会場の持ち主は結局あの魔術師殿だ。この規模の会場を立てておいて、費用が我らと折半である事を考えれば大きな借りがあるとも言える。ならば魔術師殿を特別扱いしたとて問題あるまい)」

 よし、何か不満が出たときの言い訳はこれにしよう。うむ、と頷くオーフェス。その背後ではオーフェスの腹心が同じように苦みばしった顔をしていた

 「オーフェス軍師……何やら嫌な予感がしますが」

 腹心の視線の先にはゴッチが居た。大きく息を吸い込んでいる

 カザンもエルンストもオーフェスもその腹心も、会場に居るアシラッドもキューリィもジョノも他の騎士達や兵士達も同じことを思った

 ほら何か凄い事を言うぞ


 「カザァァーーン!! 決闘だアァァー!」

 言うが早いかゴッチは走る。と言うか跳ぶ。客席や、観客である騎士、兵士を踏み台にしてゴッチはあっと言う間に白砂を踏みしめた

 警備が静止に入る間もなかった。マグダラの兵達にとっても寝耳に水の事態で、困惑を隠せない

 胸を張ってカザンの背を睨むゴッチに。騎士が一人飛びついた

 「エルンスト様の御前であるぞ!」
 「こちとらゴッチ様だコラァ!」

 腕の一振りで跳ね除けられる騎士。そこに兵士が飛び掛る

 「ま、魔術師殿が出場者として招かれたとは聞いておりませぬ!」
 「俺は会場支配人だぞ?! エキシビションマッチの一本組むのにも文句つけようってのか!」

 ゴッチは大きく仰け反った。後頭部が兵士の額を打ち付け、目から星を飛ばして兵士は倒れ込む

 エルンストが腹を抱えて大笑いした

 「うわははは、わーははは! ゴッチ、お前、決闘とな!」

 オーフェスが大喝を放つ

 「出場者は剣や鎧は当然、肌着の一枚まで装備の内容を届け出しておる! 必要な手続きを無視して頂く訳には行きませんぞ!」
 「婆や、よいではないか」

 べ、と唾を吐いて、ゴッチはスーツを脱ぎ捨てた

 スーツどころか、ベストもカッターも脱ぎ捨てた。赤銅色した鋼の肉体が露になる

 「装備してなきゃ良いんだろクソ婆あ!」

 クソ婆あ! の一声で多数の騎士が吹き出した。下も脱がせてぇのか、と唸ってスラックスに手を掛けるゴッチに、それは別の意味でマズイと新手が飛び掛る

 「待たれぃ! 貴公の無礼、エルンスト様がお許しになろうとこの私が許さぬ! そも、カザン将軍は無手の者に刃を向けるような卑怯者では御座らぬ! それともご自慢の魔術で一戦魅せてくれようてか?!」

 ゴッチは裸じめを仕掛けてきた騎士の脇腹に肘を打ち込み、首根っこ引っ掴んで猫の子でも扱うように放り投げた

 「カザン! 俺に剣を向けたら卑怯だと?! 俺を馬鹿にするのか! 超高熱プラズマ? 大出力放電? そんなもんじゃねぇ! 何が魔術師だ、くだらねぇ! 俺のはそんなモンじゃねぇ!」

 ゴッチは雄叫びを上げる
 俺は今が一番強いんだ。無手が一番強いんだ
 俺は何時も一番強いんだ

 「こういう事だァァ! ゴッチ・バベルはこれが一番強ぇんだ! うわぁぁぁぁ!!!」


 ドン


 絶叫と共に右の拳を地面に叩きつけた

 大地を揺るがす拳骨。ドン、という音は、とても地面を殴って出る音ではない。白砂が衝撃で浮き上がり煙幕をはる
 拳が打ち付けられた部分はべこりと減り込んでいる。試合場の端に建てられていたエルンスト軍旗が三本纏めて倒れた


 それを見ていたアシラッドはとうとう我慢できなくなってゴッチよろしく飛び込もうとする

 慌てて羽交い絞めするジョノ

 「良いじゃぁないですか! 奴だって乱入してんですから! 私がしちゃいけないってぇ事はぁ無いでしょう?!」
 「止め、止めんか! お前の尻を吹くのはルーク殿だぞ! キューリィ、兵ども、手伝え!」

 キューリィは既にアシラッドから一発食らわせられて伸びていた


 カザンが振り向く。静かな瞳をゴッチに向けている。穏やかな表情だ

 スカシた面ぁしやがって、気に入らん。カザンの表情を一目見た瞬間ゴッチは思った

 「ゴッチ。俺に何か言いたいことがあるのか」
 「無ぇよ」
 「何故こんな事をした」

 ゴッチは天に拳を突き上げる

 「テメェが気に入らねぇからだ、カザァァァーーーン!! 雄叫び上げろォォー!!!」

 何時の間にか賓客席の日よけによじ登っていたレッドがギターをかき鳴らして叫ぶ

 「イィィヤッハァァァー!!」

 ゴッチは人差し指で一人一人を指し示しながら周囲を睥睨する

 「俺はゴッチ・バベルだぞ! アイアムゴッチ! ゴッチ! ゴッチだ!」

 真先にレッドが騒ぎ出す。ゴッチ、ゴッチと騒ぎ回る

 すると、圧倒的な存在感と迫力に充てられて、まず末端の兵士の抑えが効かなくなる

 天に拳を突き上げて皆がゴッチの名を唱和する

 ゴッチ! ゴッチ! ゴッチ! ゴッチ!

 お祭り騒ぎは好きだぞ、と余りの五月蝿さに耳を抑えながらもエルンストは上機嫌である

 「ゴッチ! せめて勝利の捧げる先ぐらいは明らかにしておけ!」

 ゴッチはエルンストをぎょろりと睨めつけると、試合場の中心で肉体を見せつけるように胸を開いた

 「偉大な戦神、あー、ラーだかウーだかに捧げると言えばテメエら満足か?! 冗談じゃねぇ!」

 敬虔なラウの信徒が憤りの声を上げる。神を重んずる世において、あまりに恐れを知らない物言い

 非難の声はすぐに大きくなる。ゴッチの名を唱和する音と同じぐらいの音量で、ゴッチを打つ

 「神は俺に命令しねぇ! 俺にだって尊敬すべきボスは居るが、俺を支配できるのは俺だけだ!」

 ゴッチ、本日最高潮。絶好調の一歩先


 「ゴッチ・バベルだ! 黙ってろよ!」


 どぉぉぉぉ、と戦士たちの雄叫びが上がった。一片の気後れも、恐れも、ゴッチ・バベルという男は見せない。善悪是非もなく、戦士たちは勇ましい者を賞賛する

 「十分だ!」

 唐突に上がった声に、ゴッチは目を見開いた

 カザンが震える拳を抱え込みながら叫んだのだ。スカした面の二枚目が、今はっきりと苦痛を顔に表した

 ゴッチは嬉しくて嬉しくてたまらなくなる。そうだ、そういう顔が見たいのだ

 「沢山だ! お前の戯言は!」
 「沢山? 不抜けた事しやがって。お偉い騎士様は八百長がお好きってか?」
 「ゴッチ!」
 「御託は良いんだよォォー!」

 ゴッチは走り始める。カザンも走り出した。右拳を振りかぶるタイミングは同じ
 互いの左の頬に炸裂するタイミングも同じだった。血を吐き出して、ゴッチとカザンは睨み合う

 「えぇい! 良いぞ、やってしまえ! うん? 婆や、固いこと言うな! こんな勝負はそうないぞ!」

 エルンストの元気な声が遠い

 もう一度二人して拳を振りかぶる。と、見せかけてゴッチは白砂を蹴り上げた
 目潰し。しかしカザンは少しも動揺しない。冷静に両腕を立てて顔を庇い、飛び掛ってきたゴッチの蹴りを受け止めた

 「このクソ魔術師、卑怯者ー! カザン様、勝利をお掴みください! ニルノアが応援いたしますー!」
 「銀剣兵団、このベルカに合わせて声を出せぇー! それ! カーザーン!! カーザーン!!」

 ゴッチの名を唱和する声に対抗するように、カザンの名が響き始める

 扇動するのはニルノアとベルカ。特にベルカは薄い胸板を張り切ってそらし、必死の形相で音頭をとっている


 が、そんな事は今まさに殴り合う二人にはどうでもよかった。今二人の視界には互いの姿しか写っていない

 二人の世界には二人しかいない

 「貴様は何時も気楽で良い! わがまま好き放題していればそれで良いのだからな!」
 「るせーこのふにゃチン野郎! 俺が羨ましいんだろう、悔しいんだろう!」
 「ゴッチィィィー!!!」
 「カザァァァーン!!!」

 ゴッチの両耳を力任せにひっ捕まえて、カザンは鳩尾目掛けて何度も何度も膝を突き込む
 ゴッチとて負けてはいない。一瞬の隙を突いてカザンの膝を抱え込むと、力任せに振り回す
 カザンは無様に転げ回り、更に放り投げられた。地面に叩きつけられた所にゴッチが走り込んでくる

 ストンプ。顔面めがけて降ってきたゴッチの足を既の所で避け、カザンは跳ね起きた。が、少し遅い。即頭部を刈り取るゴッチの蹴り

 血反吐撒き散らして再び二人は組み合う。吼え声が轟き、その度に見守る者たちは絶叫する


 「ゴッチめ、女に振られた八つ当たりにあそこまでやるか」

 花道の奥で酒袋を傾けながらゼドガンは笑う。二人が羨ましくもある
 全力で剣を振れる相手が、人間に限って言えば最近はとんと居ない

 「俺も偶には好き勝手にしてみようか」

 ゼドガンの視線の先で、一心不乱に殴り合う二人。他の何もかも置き去りにして、直向きに殴り合っている

 妬けるな、全く。ゼドガンは踵を返した


 大きく振りかぶったゴッチの右の拳。カザンは冷静に左の掌をあわせ、大きく振り払った。体勢を崩したゴッチの上腹部に蹴りが決まる

 ゴッチは無様に嘔吐した。酒だとか、焼き菓子だとか、消化されていない内容物が地面に散らばる
 カザンはこの時ばかりは容赦しない。また一歩踏み込んで頭突きを見舞う

 「寸暇を惜しんで武技と体術を磨いた、書と歴史に学んだ! お前に負けたりはしない!」

 ぐべぇぇぇ、と呻くゴッチ。目が爛々と危険な光を灯す

 ゴッチの動きが変わった。両手を体を守るように引き戻し、スタン、スタンとステップを踏む

 たった今ゲロを撒き散らしたとは思えない体捌き。何度も痛打を受けている筈なのに、少しもそれを感じさせないタフネス

 カザンはカハ、と笑った。それでこそゴッチ・バベル。初めて会ったときからコイツは他とは違っていた

 「てめえ、俺のこと、ただの力自慢だと思ってんだろう。け、ケケケ」

 甲高く笑いながらゴッチが身を沈ませた。鋭くカザンに向けて踏み込む

 明らかに早さが違う。引き締めた脇。無駄のない足運び

 ジャブの連打がカザンに降り注ぐ。今までのゴッチの振る舞いからはとても想像できない、緻密で幻惑的な拳の雨がカザンを打ち据える

 「ぬ!」
 「シィ!」

 カザンの防御が俄に開く。見逃すゴッチでは無い。カザンの胸に遠慮のない右拳が突き刺さった
 ぐぷ、と息が篭る。それを飲み込んでカザンは唸る

 「崩れるかぁッ!」

 ここで引き下がってはいけない。カザンは激痛を無視し無理に息を吸い込んだ
 踏み込んでいるゴッチに対し、反撃のハイキック

 獲物の隙を見つけて、嬉々としてそれに躍りかかる狩人。それこそが正に隙である

 しかし渾身の蹴りは空を切った。ゆらりと後方にスウェーしたゴッチの眼前をそれは通り過ぎていったのだ

 煙みたいだろ? ゴッチがニタァと笑う

 カザンはそれを無視した。蹴りの勢いを利用して体を一回転させる
 後ろ回し蹴り。今度こそ、それはゴッチの脇腹を打った

 詰めが甘いのではないか。カザンがにやりとする

 「生意気なんだよテメェ!」
 「痩せ我慢が過ぎるぞ貴様!」

 一瞬見つめ合う。かと思うと次の瞬間には同時に飛びかかっている

 相手のことが手に取るように分かる
 もどかしさ、やるせなさ
 憤り、後悔
 打ち付ける拳からそれが噴出し、打たれた肉体からそれが弾ける


 カザンの拳を頬に減り込ませながらゴッチは思った。クソ気に入らんけど、やっぱテメエ凄ぇわ

 ゴッチの爪先で米神に減り込ませながらカザンは思った。なんとも納得いかんが、お前の打撃が一番効く


 なんとなく、コイツしかいねーな。とゴッチは思った

 俺とコイツ。なんか今、良く解らんけど凄く噛み合ってる。すっきりしてる気がする

 男二人。何ももどかしくない。やってる事は八つ当たりだが。他の奴だと得心いかなくてもコイツだとしっくり来る

 男二人。俺は馬鹿でコイツも恐らく馬鹿だが、まぁ馬鹿で良いだろう


 女に泣いて逃げられたのが、すっきりぶっ飛んで消える
 よう、バディ。今どんな気分だ?


――


 後書


 白色粉末だ、黙ってろよ。


 すっきり解決しない事はなぁなぁで済まして、何かに八つ当たりして
 気分だけでも解決したようなつもりになろう、という話


 おい諸君こんなん読んでる場合じゃないぞダークソウルやろうぜ!



[3174] かみなりパンチ33.5 男二人始末記 無くてもよい回
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2012/03/08 06:05
 ゴッチが、ジッとこちらを見ている。何もかも見下したような嫌な目つきが今はない

 ラーラは両の手を握り締める

 ゴッチ・バベルが言うなれば只管純粋に、直向きに自分を見つめている。正直不気味な物を覚えるが、同時に高揚も感じていた


 明かりも灯さず、窓すら開いていない薄暗い酒場の中に、いるのはゴッチとラーラだけ
 襤褸椅子に腰掛けたゴッチは己の真向かいの椅子にラーラを誘った。素直に席に着くラーラ

 襤褸椅子とつがうのに相応しい、経年劣化で色が剥がれ、傷が目立つ襤褸机には、冷え切った肉を盛った皿が置かれていた
 碌な肉ではなかった。細切れ肉を焼いたあと、香油が何かで臭みを誤魔化しでもしたのか、無駄にギトギトしている

 肉は確かに穀物等と比べて高価ではある。その日の飯にもありつけない者が居る事を思えば、食い物でない等とは言えない。が、とてもジルダウを仕切る男がとるような食事ではなかった

 「……お前は頭は良い癖に、馬鹿な生き方しか出来なさそうだな」
 「今更ですが」

 重々しく語り始めたゴッチに間髪いれずラーラは答える。ラーラにしてみれば、本当に今更な話である

 「誰であろうと、生きたいように生きればよいのです。賢く生きたい奴は、そうしていれば良い。このラーラが思うところと違うだけ」

 ゴッチの顔が「また始まったよ」とでも言いたげな鬱陶しそうな物に変化する
 その反応にラーラは不満を覚える。今のところゴッチ・バベルという男以上に好き勝手生きている者を、ラーラは知らない

 むっつり口を真一文字に引き結んだラーラに構わず、ゴッチは肉の盛られた皿を差し出した
 肉片を、行儀悪く手掴みで口に放り込む。表情を全く変えず

 「美味くもねぇ」

 それだけ言った。ラーラは皿を見詰めるだけで固辞する。空腹なわけではない
 ゴッチは鼻を鳴らした

 「昔の話だ、俺が生まれるよりも。誰も彼もがその日食うメシにすら事欠くような時代に、隼団は生まれた。たったの四人で立ち上げた一家だった」

 沈黙するラーラにゴッチは補足した。ゴッチの故郷であるロベルトマリンでは、普通は餓死する奴より酒精中毒で死ぬ奴の方が何倍も多いんだぜ
 普通じゃなかったって事だ。顔を歪めるラーラ。夢のような国だ

 「隼団最初の四人は皆タフで賢く、能力があった。
 俺の養父である軍人崩れのスーパー・バーニング・ファルコン。
 上司を事故に見せかけて殺害し追放された元警察官ドニーマン・ボーラス
 チャドック・ストリートの乞食から成り上がった密輸人チェイ・ガンスン。
 気に入らねぇギャングのボスに油をぶっ掛けて焼き殺した料理人キティ・ロブマリナー。
 あと、女のヒモやってたすけこましのポン引きが居たが、そいつは因数外だ。
 皆そこいらの奴らとは一線を画す、クールで渋いボス達だったよ。尊敬すべき四人だ」
 「……とんでもない悪党の集団のようですが」
 「ククク……あぁそうだ。中でもキティの姉貴はマジでヤバかった。ガキだった俺でも凄ぇ美人だと思ったし、クールなのに間違いは無かったが、ありゃ完全にイカレてた」

 ラーラは曖昧な返答を避け、頷くに留めた。ゴッチはファミリーの事を語るとき、概ね誇らしげで、自信に満ちている。そしてその活躍の内容は大体正確で、誇張が無い(とレッドが言っていた)
 ゴッチは神を神とも思わない男だ。その性格の苛烈さは言うまでもない
 そのゴッチがヤバイと言うのだ。きっと身の毛もよだつような恐ろしい人物だったのだろう


 ラーラの心境など知らず、ゴッチはもう一度肉に手を伸ばす。無造作に口に放り込むと、暫く黙って咀嚼していた。嚥下し、指を一舐め

 何の意味があるのだろうとラーラは思った。ゴッチが望めばもっといい食い物はいくらでも手に入る。酒だってそうだし、こんな持ち主が夜逃げした閉じた酒場でひっそりと食う必要だって無い

 「四人は団結する時、追い込まれてた。何処の誰も金も食い物も持ってなくて、世の中の皆が切羽詰ってた。そりゃ裏側の人間だって同じだ。金を得るために街の隅から隅までつつき回さなきゃいけない窮状に陥ってた、こっちで言う皮袋の毒のような連中に、四人は目をつけられてたのさ」

 ゴッチは再び皿をラーラへと差し出した
 否が応にも食えと言う事か

 「こんな感じの寂れた酒場でな、酒をぶっ掛けられて一線を越えちまった。絡まれて黙ってる腰抜け達じゃねぇ。ファルコンがナイフを抜いたら、後は一瞬だった」
 「は?」
 「その時肉は御馳走だった。こんなクズみてぇな肉も手に入れるのに苦労する有様だった。侮辱した馬鹿どもを皆殺しにした後の、血の海になった酒場で四人は少ない肉を分けあい、団結した。四人で一家とし、ファミリーを助け、絶対に裏切らない事を誓った。今はもうファルコン以外は死んじまったが、三人とも死ぬまでファミリーに忠実だった。完璧に」

 ラーラは皿を見下ろした。何度見直したところで不味そうな肉であることに変わりはなかった

 手掴みで、ゴッチがしたように口に放り込む。普段のラーラなら絶対にしない、行儀のなっていない行いだ

 変な匂いがした。美味ではない、どころではなく、不味い。香油のせいでぬちゃぬちゃと不快な食感である

 それで良い、とゴッチは笑う
 握りしめていた左手をラーラの前で開く。ゴッチがカポになる前につけていた隼団のエンブレムが襤褸机の上に転がり落ちる

 ゴッチは何も言わなかったが、ラーラはそれを拾い上げた。ゴッチに習って指を一舐めしてローブで拭うと、鎖骨の辺りの目立つ位置に取り付ける

 「恐れ知らずな女なのは知ってた。が、コレはちょいと行き過ぎだな」
 「私が何も考えずこの紋章を受けたとお思いか」

 ラーラはエンブレムを撫でる。長年ゴッチのスーツに輝き続けた物だ。真新しい光沢は無い
 しかしその鈍い光が自分によく馴染む。ラーラは上機嫌になり、より饒舌になった

 「ボスは優れた人格者と言う訳ではありません。えぇ、到底」
 「ケ、良いだろう、言わせてやる。無礼講だ」
 「が、魔術師としての貴方は十分です。恐れないし、阿らない。力を振るうのにも躊躇しない。貴方は見ていて気分が良い」

 だから、貴方の命令には概ね従えるのです
 大きく溜息を吐くゴッチ。疲れた様子を隠そうともせず米神を揉みほぐす

 「ボスこそ、何故私に? 私は貴方に大いに歯向かいました」
 「なんとなくだよ」
 「……ボス、私は貴方の事が大いに気に入っています。ラグランへ行くのが確かに目的ですが、今は最早それだけではないのです。ボスは全く酷い人で、自分でも不思議だと思いますが、私と貴方は似ているとすら思うのです」

 勝手に言い切ってからラーラはうむ、と満足げに頷いた。ゴッチは更に大きな溜息吐く

 恥ずかしい事を平然と言い切りやがって、この上俺にまで何か恥ずかしい事を言えというのか

 幾ら睨みつけても平然としているラーラに、とうとうゴッチも降参した

 「逆に聞くが」
 「は?」
 「俺を完全に逆上させて尚意見できる奴が、お前の他に居るか?」

 元気良くラーラは応答した。非常に上機嫌で、満足そうであった

 服従の掟を知りながらしかし死を恐れずゴッチに立ち向かってくる女
 ゴッチから逃げず、裏切るわけでもなく、其処に居直って轟然とゴッチを叱責する女

 こういう奴は、そう居ない。ラーラがゴッチに思うようにゴッチもラーラの事を気に入っている


――


 ゴッチとラーラが机を挟んで向かい合うのと同じ時、カザンとオーフェスも同じように向かい合っていた

 「カザン将軍、よくやってくれたね」
 「いえ、これが必要な事だったのならば」
 「あの雷の魔術師殿のやんちゃで大騒ぎになっちまったけれど、最低限の目的は達した。本当に心から礼を言うよ」

 カザンに何度も何度も礼を言うオーフェスは、状況を手放しで喜んでいる訳ではなかった

 オーフェスは武器を振るう人間ではない。でも、戦士の心を全く理解できないかと言われたら、違う

 オーフェスは黙って机に頭をつけた。カザンは慌てて立ち上がる

 「オーフェス殿、お止め下さい」
 「カザン将軍、私は武器は持てないが、その分頭を使ってエルンスト様に仕えてきた。常に熟慮し、僅か一隊の配置、僅か一人の間者の用い方にも心を砕いてきた」
 「存じております。オーフェス殿以上にエルンスト様の信を得る者が居ましょうか」

 オーフェスは頭を上げない

 「だから、それ一つに命を懸けると言う気持ちは解るんだよ。この読みが外れたら死ぬ、この策をしくじれば死ぬ、そういう覚悟でやってきた。本気の盤面戦で負ければ身が捩じ切れる程悔しいし、取り返しの効かない失策をする度に自責の念でたまらなくなる」

 エルンスト軍中で

 この小柄な老女を侮る者は、誰一人として居ない。エルンスト一の臣下であり、軍師の筆頭である、と言う以上の理由がある

 オーフェスは何時でも死ねる。実際に死ぬのは全ての策と備えが打ち破られた本当に最後の最後、エルンストの死ぬ手前ぐらいであろうが、少なくともその準備をしている

 その覚悟が、軍議で、練兵場で、エルンストの傍で、静かに佇んでいるオーフェスから発せられている

 だからだ

 「この婆にとっての脳味噌と舌が、将軍にとっての武技であり、馬術なんだろ。解ってるんだ、わたしゃ。解っているのに、カザン将軍に頼んだ。済まない、済まないね、カザン将軍」

 カザンは言葉を詰まらせた。全て受け入れ、消化した後だった。カザンにとってはもう終わったことだったのだ

 世界はすんなり丸く収まるような事ばかりではない。この人は何時も憎まれ役だな

 「オーフェス殿の謝罪を受け取らせていただきます。が、恨んでなどおりません。……上手くは言えませんが。所詮自分は、アナリアを叩ければそれでよいのです。それだけです、オーフェス殿」
 「将軍も、思ったより口下手だねぇ」

 冗談めかして笑いながらオーフェスは漸く顔を上げた
 これ幸いとカザンは頭を下げ、退出の許可も得ず強引に場を辞す

 扉の向こうに消えるカザンの後ろ姿を見送りながら、オーフェスは頭を掻いた

 「矢張り、陰気だねぇ。わたしもアラドアの石頭の事は声を大にして責め立ててやりたいが」

 カノート神殿の不祥事ともなれば国の大事だ。下手につつく訳にはいかないし、カザン将軍の話だけであれこれ出来るわけでもない

 「女で落ち込んだ時は、女に慰めてもらうのが一番だ…………。よし、一つ骨を折るかの」


 ジルダウに仮設されたエルンストの屋敷を出ると、ニルノアがカザンを待ち構えていた

 手に剣を捧げ持っている。見まごうはずもない、ヨルドの剣だ。執務卓に放置したのを見つけたのか

 「どうしたニルノア」
 「昨日はベルカに邪魔されてお話を伺えませんでしたので、こうして待ち伏せておりました」
 「ふ、ベルカか」

 剣の話はしたくなかった。ベルカはそれを察し、ニルノアはそれを察して尚我慢が出来なかったのだろう

 「よき剣であります! 何故これを用いられなかったのか」
 「俺が恥知らずな男だからだよ」

 じわ、とニルノアの瞳に涙が滲んできた

 直情的な女だ。御前試合でカザンが敗北した時の悔しさが蘇ってきたのだろう

 「私はもう、悔しくて、悔しくて。私とベルカは将軍の両碗でありますのに、将軍は何一つ言ってくださらず」
 「お前達に頼めることが、真実何も無かったのだ。許せ」
 「ならば八つ当たりの一つでもしてくださればよかったのです! この馬鹿者、不思慮者と、将軍のお力になれぬ我らの不甲斐なさを責めてくだされば、その御心を軽くするお手伝いぐらいは出来た物を!」

 カザンは眉間に皺を寄せた。ニルノアという女を、正当に評価出来ていなかった。その実よりも軽く見ていたようだ
 ニルノアは確かにカザンの敗北が悔しかったが、それ以上に己の不甲斐なさに怒りを覚えたのだ。何度も言うようだが、直情的な女だ。その献身故に、怒りを高めてしまったのだろう

 うっとうしいぞ、馬鹿者
 そんな直向きな目を、向けるな

 カザンにも、若さ故の照れがある

 「贔屓の鍛冶屋と何かあったのですか?」
 「ニルノア、練兵へ向かうぞ。ついてこい」

 ニルノアの横をすり抜ける。ニルノアは意外にも黙って背後に従った

 暫く沈黙が続く。それを破ったのは、矢張りニルノアだ

 「……将軍、我々がおります! このニルノアとベルカが、ネスやウルガがおります!」
 「ニルノア、騒ぐな。周りの者が見ている」
 「我々に何でもお命じください! 生憎ニルノアは鍛冶の心得がありませんので、暫く修行致します!」

 カザンは吹き出した。ここまで面白い女も、そうは居ないだろう

 「ニルノア、私は良い部下を持った」
 「は……はッ! 同じ気持ちです! 癪ではありますが、ベルカは有能です!」
 「あぁ、そのベルカを迎えに行くか」

 くっくと笑うカザンの後ろを、鯱張ったニルノアがついていく

 ゴッチと言い、ニルノア達と言い
 俺は、恵まれているな。分不相応だ

 カザンの気持ちはすっかり解けていた


――


 ユーゼはシュランジの者達にとって玉である。金銀財宝など、どれ程積まれても替えられぬ人物である

 幼い頃より学ぶべき物全てに対し真摯に取り組んできた。立派な人物へと成長を果たそうとしている

 そのユーゼを育み、時には手本となり、時には手ずから物を教えた父、カッセオ・シュランジ

 これが、少なくとも凡庸な人物である筈は無かった。少なくともユーゼだけは、今でもそう思っていた


 天幕の中、粗末な椅子に腰掛け、肩を落とす壮年の男
 シュランジの紋章が施された直垂と共に覇気を失った男、カッセオ・シュランジは、息子を待っていた

 程なくして待ち人は現れる。親子が向かい合うと、よく似ているが如実に解る

 頑固そうな所、朴訥そうな所、細かくは割愛するが、本当によく似ていた

 「父上、お疲れ様で御座いました。これより先は、ごゆるりとお休みください」

 数日前までカッセオの背にあったシュランジの紋章は、今はユーゼの背にある

 カッセオの胸に、党首の座を追われた憎しみは一欠片として無かった。これは本当だ
 強く成長した息子が己の跡を継ぐ。時代の移り変わりの為、或いは己が屍を晒した為、色々な可能性を考えていた

 ユーゼが輝いて見えた。手塩に掛けて育てた息子。俺の宝よ
 憎いわけが、あるものか。しかし、こんな形にはしたくなかった

 「ユーゼよ。自らを焼き尽くしたくなるような、そんな酷い負け方をしたようだな」
 「これが、党首という物と、理解しております」
 「これから先はもっと辛かろう」
 「それがシュランジの宿命ならば」

 生真面目で潔癖なだけであったこの子が、変わる事を余儀なくされている
 己のせいだ。これから先もっと汚い物を見て、もっと酷い事をするだろう。この子は。己のせいだ

 カッセオはユーゼを抱き締めた。何時の間にか背丈は自分を追い越し、胸板は自分より厚くなっていた

 今剣を合わせれば五合と持つまい。カッセオ・シュランジは衰えた

 それを自覚して、カッセオはより強くユーゼを抱き締める

 この馬鹿親父を許してくれ

 「そんな良いもんじゃ無いぞ、うちの党首なんて……!」

 カッセオは泣いた
 ユーゼは抱き締め返す。家臣達の前で、如何に父の事を悪し様に言ってのけようと
 ユーゼはカッセオの事を知っているのだ

 知って、居るのだ

 「馬鹿息子……! 女房と力を合わせて、上手くやれよ……!」
 「……はっ」

 ユーゼは目に力をこめた

 俺は泣かぬ。泣かぬぞ


――


 夕闇に紛れるようにしてイノンは発つ。彼女を見詰めるラーラの視線は厳しい物だった

 すっきりしない物を感じながらも、これで良いのだと自分を納得させていた
 青白い顔で唇を噛み締めるイノンの頬に、そっと手の甲で触れる。嘗てゴッチがしたように

 「イノン、もう娼婦などしなくて良い。別の何かを探せ。何をしたって良い。商いを始めても良いし、何処かの下働きになったって良い。それらに生き甲斐を感じられなければ、働かなくたって良いだろう。我々が庇護しよう。日々をひっそりと生き、戦乱が過ぎ去るのを待つも良し。一念発起して何かを学ぶのも良いだろう。歴史など、私は勧める」

 イノンは震えていた。今にも泣き出しそうであったが、それはラーラが禁じていた

 泣くのは許さない。イノンの事に関し、ラーラは厳しい。ゴッチにだって猛然と食い下がったが、それはイノンに対しても同じだった

 お前が捨身になってゴッチを受け入れなかったから、もうゴッチの傍には居られない。そう言ってイノンを責めた。結局この白金色の炎の魔術師は、ゴッチにもイノンにも厳しかったのである

 「偉いぞ、イノン」

 子供をあやすような言い方だった。辛うじて涙を堪えるイノンは間違いなくラーラよりも年上だが、そんな事を鑑みるラーラではなかった

 イノンが顔を上げる。無理な笑みを浮かべていた

 「……私なんかに、何か意味のある事が出来るかしら」
 「古来より、意味を持つ物などこの世に何一つ……いや、止すか。気にしなくて良いのだそんな事。思うように生きてみるが良い。ボスの事など忘れてしまえ。あんな酷い男の事は」

 ラーラは両手でイノンの頬に触れた。顎を持ち上げさせ、鼻先が触れそうな程の距離で真直ぐ見つめ合う
 甘い花の香りがする。成程、可愛いだけの、女だな。皮肉げにラーラは笑った

 「……ゴッチ様の事」
 「もうお前は我々の同胞では無い。ボスの敬称は必要ない」
 「…………ゴッチの、事……。お願いします。私は祈っているから」
 「祈る……?」
 「ジルダウに居る間、レッド様が教えてくれたの。私は祈る力があるって。大昔から変わらない、人を励ますための声無き声で、自分と同じ才能だって」
 「……レッドらしい、良く解らない物言いだ。……だがまぁ、レッドがそう言うのならば何らかの力があるのだろう」

 ラーラはうむ、と頷いてイノンに背を向けた。これ以上イノンに触れていると、花の香に呑まれてしまいそうだった

 最早会う事もあるまい。別れる前に、一つ聞いておこうと思ったのは好奇心故である

 「……ボスは恐ろしかったか? 本当は、心の底では、お前はこんな事にならないと思っていた。お前は……いつか私達を許容出来ると思っていた……」

 視線もやらずに尋ねる
 自分で言っておきながら、ラーラは羞恥を感じていた。自分が弱音を吐いてしまった気がした

 前からこうなのだ。ゴッチやイノン、ダージリンが相手だと自分は言動がおかしくなる

 イノンはたっぷりと間を置いてから答える。何故か息は早く、荒くなっていた
 カチカチと鳴っているのは、歯だろうか

 「もう、居ない人に見えたの」
 「……そうか、面倒そうだ。それ以上はいい」
 「そんな訳ないのに、私は本当に馬鹿だわ」

 さらば、と短く言い捨ててラーラは立ち去る。イノンは俯いていて、その背を送ることはなかった

 暫くし、ゆっくりと踵を返す。ジルダウの防壁に背を向ける
 漸く歩き出そうとして、出来なかった。イノンは足を縺れさせて崩れ込み、そのまま立ち上がらない

 ぼろぼろ涙を零す。ラーラが居なくなって、初めて泣けた
 右腕を血が出るほどに噛み締めて、声を殺す。そうでもしていなければ、泣き言が無限に出てきてしまう

 「……! ……っ!」

 自分に何か一言でも言う資格があるか。ゴッチに縋る資格があるか
 激しい自己嫌悪。自分を罵倒する言葉なら幾らでも出てくる。私は薄汚れた鼠以下の女だ。そしてまた、泣く

 乾いた風が、乾いた砂を巻き上げる。遠方の草原の青い香りを含ませながら、イノンの体を打ち据え、走り抜けていく

 ミランダでのごく短い日々。今にして思えば本当に僅かな時間だった
 その僅かな時間で吃驚するほど惹かれた。ゴッチは警戒深く、少しも自分の事を語ろうとはしなかったし、イノンの事など本当はどうでもいいのだとでも言うように振舞った

 だが、ゴッチはハッキリと自分の心に触れたと、イノンは思う。それがどういう事なのか具体的には言い表せない。ヌージェン辺りに言わせれば、自分に都合のよい夢を見たのだと、そういうことになるだろう

 だがイノンはその時、少しも躊躇わなかった。ゴッチに心の全てを丸ごと飴玉のようにしゃぶられて、太い腕と逞しい胸板にすっかり包まれて

 ゴッチに無限に愛された気がした。ゴッチに全て受け入れられた気がした

 なのに

 イノンの頭の中はバラバラだった。このまま体も引きちぎれてしまえば良いのに、とイノンの“何処か”が考える

 叫んだ

 ゴッチ


 ラーラは立ち去ってなど居なかった。岩陰に腰を下ろし、右膝を抱えて目を閉じている
 叫びが聞こえた。一つ頷く。イノンとの何かが、言うなれば繋がりのような物が完全に断ち切られた気がした

 傍に控える部下に厳しい声音で言う

 「これから毎月あの女に金を送る。手配はお前に任せよう。だが、破落戸にも守るべき掟はあろう、少しでもくすねようなどとは思うなよ。……その時はお前を粛清し、死ぬ前に殺してくれと懇願させてやる。このラーラの名にかけてな」

 部下は引き攣った顔で頷いた

 ラーラは空を見上げた。自然と溜息が出る
 すっきりしたような、そうでもないような

 土を握り締めていた。何処かやるせない

 「……本当に、……哀れな女だ」

 だがこれで良かったのだろう


――

 後書

 なくても良い回

 ……だが、俺の気分によってもうちょっと足すかも。

 こう、その、なんと言うか
 無理やりにでも、「イイハナシダナー」みたいな感じに持っていく練習としておこう。

 2012.2.23ちょいと追加



[3174] かみなりパンチ34 酔いどれ三人組と東の名酒
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2012/03/08 06:14

 『成程、戦略単位の一つにまで伸し上がって、より能動的にエルンスト軍団を支援し、ペデンスを奪取させようと言うわけだ。邪魔者に靴の裏を舐めさせて』
 「……あぁ」
 『実に結構な事だよ。メイア3の安全を重視すれば、ペデンスは無血占領が望ましい。そうでなくとも主戦場にならないようにしなければいけないからね。ゴッチ、君の手に入れた支配力は実に有用な物になるだろう。あぁそうさ。メイア3の危険指数を1%減らすために五十人単位で人を殺すぐらい、大したことではない』
 「そう……だな。……なぁテツコ、一つ良いか」
 『何でも聞いてくれたまえ』

 攻撃的な皮肉にげんなりとし、執務卓に頬杖つきながらゴッチは首を鳴らした

 テツコの気配が変わっている。ちょっと前に話した時よりも、何というか……
 随分と荒んでしまったようだ。テツコがグレてしまった

 「随分と……こっちの空気に馴染んじまったみてぇだが、何かあったのか?」
 『何かあったかだって? ははは、何時も何か起こっているよ。何といってもここはロベルトマリンだからね』
 「ご機嫌だな……。良い事があったんなら幸いだがね」
 『良い事尽くめさ! その中でも特にハッピーなのは、全く無意味な質問を日常的に投げかけられる事だ! 丁度今みたいに!』

 ははははは、と朗らかな笑い声が響く。ゴッチは思わず天井を仰いだ。丁寧に磨き上げられた白石が鈍い光沢を放っている

 テツコがイかれちまったようである。何時もコガラシの向こう側、物静かにゴッチに語りかけてきた鋼の女は、今や政治屋の隣りに並んでいてもおかしくない程の毒舌家になっていた

 「あー……その……なんだ。まぁ、そんぐらいがイイんじゃねぇかな。俺らの世界じゃ舐められたら終わりだからよ」
 『どうかしたかい? バディ。このぐらいのジョークは君達の所じゃ茶飯事だろう?』
 「バディ、ね」
 『不満かな?』
 「まさか」
 『では、私のデータ処理の時間を削らなければならない程重要な、君のごく個人的な好奇心を満たすための質問はまだあるのかな』

 ゴッチは小さくで笑った。テツコ以外がこんな事を言ったなら、今頃コガラシを粉砕してしまっているだろう
 背もたれに最大限仕事をさせながら伸びをする。随分と解れた気がした。体が、ではない。気分が

 『おや、私のジョークも捨てた物じゃないね。君のような偏屈で、意地っ張りな男を笑わせるんだから』
 「グッド。そっちの方が馴染むってモンだ」
 『満足してくれたなら、ここまでにしておこうか。仕事がある』
 「駄目だ」
 『何だと?』

 コガラシに顔を寄せ、囁きかけるゴッチ

 「そんな物放っておけよ。俺と話そう」
 『……なんだい、いきなり。ガミガミ嫌味しか言わない、金も権力も面白みもない下らない女となんて、話したくないだろう? もう切るからね!』
 「もう少ししたら出かける。それまで付き合え」

 訳が解らない。テツコの怒鳴り声
 ゴッチはまた笑う。私室の扉の向こう側で、咳払いが聞こえた

 控えめなノック


 「ご歓談中失礼します」
 「ロージンか。入れよ」

 激務の続くロージンは多少顔がやつれていたが、気力は充実しているようだった。仕事が好きな人種だ

 目の下のクマも何のその。ゴッチとコガラシに一度ずつ礼をして、羊皮紙を広げる

 テツコはこれ幸いとばかりにコガラシをゴッチのベルトに張り付かせ、省エネモードに移行させた。肩をすくめるゴッチ

 「革袋の毒の残党ですが、粗方。南に居る連中はビエッケの後釜を争うのに忙しいようで、報復に来たのは少数でした」

 名簿です。ゴッチは差し出された羊皮紙を面倒そうに拒否する
 見たって仕方ない

 「ビエッケの面の皮を門から吊り下げてやったろ?」
 「食いつきが悪かったですな」
 「親の仇も取ろうともしねぇようじゃ、なぁ」

 それほど貴方が恐ろしかったのでは。ロージンはその言葉を飲み込み、むにゃむにゃ言って誤魔化した

 ビエッケとその側近たちの顔面は今でもジルダウ西門で風に揺れている

 ゴッチ・バベルという男の力と凶暴な性を知って、その上であの面の皮を見れば、大抵の者は戦意を喪失すると言う物だ

 「しかし評判が悪いですな、あの見せしめは。エルンスト軍団なんかは毎日苦情を入れてきます」

 だろうな
 ゴッチはその一言で済ました。誰が何と言っていようが、どうだって良い事だ

 「ラーラが喜んで対応してる筈だな?」
 「えぇ。気を吐いて一分も彼らの言い分を受け入れません。『一罰百戒である。文句があるか』と」
 「アイツの好きそうな物言いだ」

 どうした、もっとこい。ゴッチはそう呟く。ゴッチはエルンスト軍団の反応なんてどうでもいい

 皮袋の毒だ。奴らは何をしてる。そんなモンじゃねぇ筈だ。ファミリーのトップが、最もその組織で偉大である筈の男がぶっ殺されて面の皮を剥がれ、晒されているのだ

 何故これに怒らない。奴ら頭がイかれてんじゃねぇのか?

 「……ご不満ですか」

 ロージンは渋い顔をする。ゴッチの事は未だに解らない。妙に上機嫌だと思った次の瞬間、急に苛立っていたりする

 「あの玉無し共に関してはお前に任せる」
 「は?」
 「お前に任せると言ったんだ。放っといてもいいし、こっちから思い知らせに行ってやっても良い。奴らに舐められる事さえなけりゃな」
 「……場合によっては、お出ましいただく事になりますが」
 「同じ事を三度言わせようってのか?」
 「は! 一命に代えましても」

 馬鹿、そういうの止めろよ。宮仕えじゃねーんだぞ

 ゴッチは欠伸をしながら席を立つ。緩ませた襟元やシャツの裾、諸々の身だしなみを正しながら部屋を出ようとする

 「どちらへ?」
 「レッドの奴がちょっとな」
 「はぁ」
 「どこ行くのか解らん。アイツは多分馬鹿だから」

 下らないとでも言いたげな口調で手をひらひらさせたゴッチは、しかし笑顔であった


――


 レッドとゼドガンに連れられてゴッチは酒場巡りをするはめになった

 この二人組のここ最近の行動ときたら、本当に馬鹿と表現するしか無い程で、ほぼ毎日食って飲んで歌って踊ってを繰り返している

 ジルダウ大通りの一番大きな酒場に入れば、店主がまたかとでも言いたそうな顔をしていた。レッドはその時、給仕の女の胸元に顔を埋めこんで、張り飛ばされていた

 「まさか本当に食い倒れツアーに巻き込まれるとはな」
 「俺などここ暫くの間で大分太ってしまったぞ」
 「よく言うぜ!」

 飲み食いした分剣を振るのがゼドガンだ。無精髭を撫でながら言うゼドガンの肉体は、確かに以前より少し太くなったように見える。ただし筋肉でだ

 「スパローダ! スパローダ! クソッタレども! ノイズ混じりの200年代ムービーの端っこ、クソみたいな面して写ってる! プライドと夢だけでしがみついてる! 笑う奴は笑え! 俺は笑わない! スパローダ! 俺の夢! 俺達の夢!」

 実の所レッドはゴッチと合流する前に既に酔っ払っていた
 赤ら顔でギターを掻き鳴らす様はジルダウ名物になっているようで、けたたましい演奏を聞いて様々な人間が集まってくる

 「『スパローダ・グッドラック』か。ミーハーだな」
 「俺の夢! なぁ兄弟! 兄弟の夢!」
 「あーそうさ。聞いてたぜ、クレイジーパンプキン」

 隣りの椅子に倒れ込んできたレッドからカスタムエレキを奪い取る

 ゴツゴツと節くれだった指が、その外見に似合わず繊細に踊り始めた。『スパローダ・グッドラック』

 「うひょー! 弾けるなんて知らなかっただぜ!」
 「シガー、ウィスキー、バイク、ギター。後ダート。だろ?」
 「サンズ・オブ・ロベルトマリンの嗜みだぁなぁ!」
 「おい、ポンコツ兄弟。確かこうだったな?」

 ゼドガンが大剣を背負ったまま見るに耐えないステップを踏み始める
 あっと言う間に酔っ払いどもの輪が出来て、ゼドガンは得意げになった。アコースティックを抱えてそこに飛び込んでいくレッド

 どっから出したそのアコースティック

 「フラフラだぞレッド」
 「俺もうダメかもだぜ!」

 フラフラのレッドはもう一度給仕の胸元に顔面を突っ込んだ
 矢張り張り倒される。しかしなんだかんだで給仕の女も悪い気はしないようだった

 「グッドラックブラザー。血より濃い繋がり。クソみてぇな物」
 「イィィヤッホォォー!」

 ゴッチのトリックと歌に集まってきた荒くれ達は騒然となる

 それはそうだ。ジルダウで一番怖い男が、毎日酔っ払って騒いでは給仕に張り倒される馬鹿と一緒になって、見た事も無い楽器を掻き鳴らし歌を歌っている

 周囲の好奇心丸出しの視線も、ゴッチは気にならなかった
 畜生、言いたかねぇが良い気分だ

 ゼドガンが酒筒を放り投げ、大剣を一振りする。目にも止まらぬ速さ

 くるくると回転する酒筒が綺麗に机の上に着地する。見れば、蓋がなかった。

 「うむ、七点」
 「何点中だ?」
 「十点だ」

 達人の技に酒場が歓声に包まれた。ゴッチは机の上でポーズを決めているレッドにカスタムエレキを放り投げ、手近にあった酒筒を次々とゼドガンに投げつける

 数は七つ。剣閃も七つ

 どの酒筒も綺麗に口だけ切り飛ばされ、大きな丸机に落ちる。歓声が大きくなった

 「やる! 十点だなゼドガン」
 「大道芸だ、こんな物」

 ぎゃりぎゃりエレキを掻き鳴らすレッドが一番大きい歓声を上げている
 支離滅裂な事を口走りながらゴッチに駆け寄ってくると、常からは想像もつかない素早い身のこなしでゴッチの横面に一発かました

 ぶちゅっと

 「ひーひゃひゃ! やっちゃった! やっちゃっただぜ!」
 「ぐわぁぁ、テメエ、なんてことしやがる!」
 「下品なサウンドに乾杯だぜ!」

 盃を掲げるレッドに、ゴッチは頭突きをかました

 悲鳴を上げてフラフラ逃げていくレッド。懲りもせず給仕の女の所まで逃げていくと、今度はその鎖骨あたりにぶちゅっとかました

 ぱくぱくと口を開閉させながら、声も出せない給仕。レッドは「やっちゃった! やっちゃった! だぜ!」と叫んだ後、急に真面目な顔になる

 「何点だぜ?」

 給仕は赤い顔で俯いて、ぼそりと返した

 「……十点」

 レッドの頬にお返しの唇が触れる。酔っ払いどもから冷やかしの指笛が送られる

 少しもじっとしていないレッド。喜色満面でのたうち回りながら、今度はゼドガンに飛びかかっていった

 「うわ、来るな!」
 「逃げんなだぜぇー!」

 もうだめだ、何がなんだか解らなくなってきやがった

 ゴッチは大笑いしながら酒盃を呷る


――


 「ロック! 実に! だぜ!」

 訳の解らない事を口走るレッド。ゴッチとゼドガンは顔を見合わせた

 まぁ何時もの事か

 「誰もが我慢してしまうことをこそ我慢せず吐き出す事! クソッタレにクソッタレと面と向かって言ってやる事! ロックの真髄だぜ!」
 「あーそうだなクソッタレ」
 「わひゃひゃ! 兄弟ったら実にロック!」

 既に夜に成りかけのジルダウ。本日の御前試合も終了したようで、街は人の姿が増え、至る所に松明がたかれている
 そこを三人で歩く。ゴッチの姿を認め、人々が道を開ける

 「成程、ろっく、か」
 「止めろよゼドガン。レッドみたいになるつもりか?」
 「いやゴッチ、今奴は中々深い事を言ったぞ」
 「へ、異次元の脳味噌だからな、多分」
 「世界は広い。お前達を知り、全く未知の価値観に触れる事で、今まで解らなかった事が解るようになってゆく。全く、お前達に雇われて良かった」
 「酔っ払ってんのかオメー!」

 かくいうゴッチも酔っ払っている。ゼドガンの背中をバシバシ叩きながら、しゃっくり一つ

 そこに馬車が通り掛かった。マグダラの紋章が入った馬車だ。全く珍しい事だが、侍女服の女が御者をしている。その女はゴッチを認めると親しげに笑って手を振った

 「お久しぶりでございます」
 「兄弟、知り合いだぜ?」
 「いや、知らんぜ」
 「酷い!」

 ゴッチが覚えていないだけだ。ダージリンの侍女である

 馬車の窓が下ろされ、フードを目深に被ったダージリンが顔を出した

 「ゴーレム、随分と上機嫌だ」
 「あぁ、まぁな」
 「まだ飲めるか? 兄が良い酒をくれた。ゴーレムと飲めと」

 レッドを見遣る。つまらなそうに頭の後ろで手を組んでいる
 浮き沈みの激しい奴め

 「……また今度にしよう」

 フードの中で、ダージリンの目が細まる

 「そうか……。その機会を楽しみにしている。ゴーレム、さらば」

 ダージリンは馬車の窓を持ち上げ、侍女は一礼して馬車を歩かせ始めた

 楽しみにしている。ダージリンにしては、随分と人間味のある言葉だ

 もう一度レッドを見やれば、嬉しそうに飛び上がっていた

 「へっへっへー! そうこねーと! よーし次の店だぜ!」


――


――


 頭に水をぶっ掛けられて、ゴッチは一気に夢の世界から引き戻された

 海、川、冗談ではない。ここは何処だ。相手は誰だ。畜生、完全に油断した

 「うおぉ!」

 ごろごろと転がって膝立ちになり周囲を警戒する。水中は死地である。そこで戦うことになれば絶対的不利は免れない

 が、そこは海でも川でも無かった。ゴッチの屋敷の中庭で、水をかけたのはゼドガンだった

 「……目覚めたか」
 「…………ここは……俺の屋敷か?」
 「大丈夫か?」
 「……記憶が無ぇ」
 「俺もだ。奴もだろうな」

 ゼドガンが顎で示す先にはレッドが居た。井戸に据え付けてある桶を抱き締め、時折頬ずりしながら高鼾を掻いている

 クソ、アホ程飲ませやがって。ゴッチは米神を抑えながら必死で記憶を掘り返す

 ダメだった。記憶は虫食いにあったように穴だらけで、何処に行ったかすらまともに覚えていない。屋敷まで戻り、懲りもせず酒樽を持って来させ、飲み比べを始めたような気がするが

 そこから先は完全に記憶が途絶えている

 「誰が勝った……?」
 「解らん。確か、レッドが真先に潰れたと思うが……」
 「ここまで呑んだのは久しぶりだぜ」

 ゴッチは上半身裸だった。近くの庭木にベストやシャツが掛けてある。省エネモードのコガラシも其処にあった

 「酒に呑まれたな」
 「……お前もな」

 からかうようなゼドガンの言葉。酒浸りの馬鹿の一人が、よくもまぁ他人事のように言ったものである

 ゴッチがにやにやしながら言い返せば、そう言えばといった風情で話を変えてきた

 「それより、お前に客が来ているそうだぞ」
 「あぁ?」
 「今ロージンが対応している。行ったほうが良いのではないか?」

 ゴッチは頭をブンブンと振った。まだ霞掛かったような感じがする

 寝こけたままのレッドを蹴り転がし、全く反応しないのを見ると踵を返した

 「済まねぇが、そのバカを頼む」
 「……ほぉ、らしくない台詞だな。ま、良いだろう」
 「ケ、言ってろ」


――


 目の前で感謝の意を告げる貴公子に、ゴッチは全く覚えがなかったので、取り敢えず言ってみた

 「何の話だ?」
 「…………は?」

 如何にも、といった感じの誂えの純白の服に、ワインレッドのサーコートを揺らめかせる青年は、ゴッチ以上に困った顔をしていた

 ゴッチはむぅ、と唸り、顎に手をやって事の推移を思い出す


 まず客室に入った。そこにはロージンとこの青年が居て、どちらもゴッチに対して丁寧な礼をしてきた

 この時点でよく解らなかった。一目で高貴の身の上と言うのが解る青年が、ゴッチに対して敬った礼をする理屈が無い

 取り敢えずと言った感じで机を挟んで向かい合わせに座ると、またもや青年が恭しく礼をした
 ゴッチには全く行なった覚えのない、援助への感謝と共に

 「ですから、銀貨と馬の礼です。銀貨二千枚、馬十五頭。我等全く立ち行かず、エルンスト様への拝謁を賜る事すら危うくなる所でした。感謝致します」

 年は(見た目通りであれば)20行ったかそこら。エルンスト軍団に並居る騎士達の中では若輩である。まだ大人に成りかけのひよこと言う所か

 しかし、所作はよく身についているようだ。サーコートと同じワインレッドの髪を揺らしながら、青年はもう一度真摯に礼を述べる

 「…………?」
 「ボス……」

 首を傾げるゴッチにロージンは些か焦りながら視線を送る

 銀貨二千枚とは、ロージンのような大商人であっても早々取引できない程の大きな金額だ
 それにゴッチが部下達に使わせている、若くて頑健な馬十五頭とは、軍馬を欲しがるエルンスト軍相手に取引すれば銀貨二千枚の倍は引き出せる

 それを援助とは、一体どういう意図があっての事か

 「ふむ」

 取り敢えずゴッチは考えた。正確には考えるふりをしてみた

 だって考えるもクソもない。覚えがないのだから

 しかし現にこの貴公子殿はゴッチに対し、まるで父祖達の霊でも敬うかのように接し、丁寧な礼を述べている

 ひょっとして本当に援助したのか? ひょっとしなくても酔った勢いで?

 「騙し取られた武具と糧食を買い直し、家臣達の面目を保つことも出来ました。ゴッチ殿が居らねばアダドーレの家名は大陸が滅ぶまで物笑いの種にされたでしょう」
 「…………」

 ゴッチは聞いたこともない家名に肩を竦めるばかりだ

 その態度をどう捉えたのか、貴公子は控えめに頷いてみせる

 「我等の風評を気にしていただく必要はありません。ここで貴方がどの様に呼ばれているかは知っています。が、私は胸を張って貴方に助けて貰ったのだと言います。これを我等は全く恥と思いません。アダドーレは恩を忘れません、決して」

 ゴッチは暫し沈黙して

 「あぁ、そうかい」

 と漸くそれだけを返した

 「言葉を尽くす事はお嫌いですか」
 「……いや、なんつーのか。まぁ、べらべら口が回るだけの奴は、こっちの世界でも信用されんな」
 「では後は結果をお見せします。我等の戦振りを、我等の神々と照覧あれ」
 「神様に勝ち負けも捧げちまうクチか? お前」

 何となく口をついて出た皮肉に、青年は酷く楽しげに笑った

 「我等の戦は、我等の為の物です。が、民草やバヨネの神々が我等の戦を讃えるのまでは禁じ得ません。それは傲慢と言う物です」

 既にして傲慢な物言いだった。ゴッチはふーむ、と唸る


 よく解らんが、どうせこちらの世界の金にも、物にも、執着はない

 それに一度やった物を返せと言うのは致命的に格好悪い物だ。隼団カポのゴッチ・バベルならば、八つ裂きにされても言える事ではない

 じゃぁ、もうそれで良いじゃねぇか。ゴッチは投槍に結論を出した


 「おう、ロージン。銀貨二千枚と馬十五頭、相応しい見返りは何だと思う」
 「さ、さぁ……。相場は変わるものです。物には売り時と言う物が御座いますから」

 妙な脂汗を掻いているロージン。ゴッチは笑いながら首を鳴らす

 「まぁ、なんだな。俺も解る。金だけじゃなくて口も出す奴ってのは、こりゃ結構邪魔なんだ」
 「中々面白い意見ですな」
 「いつか、お前が妥当だと思う物を見返りに持ってこい。俺の要求はそれだけだ」

 青年は拳と掌を打ち合わせた。目にはギラギラとした闘志が燃え盛っている

 「あの酒場で、ゴッチ殿は私を大いに評価して下さった。未だ名成らず、若輩である私を」
 「そうだったか?」
 「ゴッチ殿は私を笑わなかった。騎士の華、咲かせてみせましょう」

 これにて失礼。最後にもう一度礼をして、青年は去っていった

 屋敷の門から肩で風を切りつつ去っていく。窓からそれを見送るゴッチとロージン。奇妙な沈黙が落ちる

 「奇貨買い、と言う奴、ですか? 確かに覇気に満ちた男でしたが」
 「俺の目が節穴かどうか、その内解る。そう考えりゃ面白いだろう?」
 「……そうですな。そうかも知れませぬ」

 ゴッチの事だ。尋常で測れぬ何かがあるのだろう。ロージンは神妙な面持ちで頷く

 当然、そんな物ある訳なかった。しつこいようだが援助した記憶なんて無いのだから

 酔った勢いと素直に言うのも、覚えてないと素直に言うのも
 全く格好がつかないので、適当に話を流しただけなのだから

 「なんて名前だ、アイツ」
 「名も知らないままに援助したのですか?」

 この惚れ込み用は本物だな。とロージンは都合良く勘違いする

 「アロンベル・アダドーレと」


――


 その夜、ホークが訪ねて来た
 ホークは夜になっても寝台でうんうん唸っていたレッドを見舞った後、徐に切り出した

 「東の小領主の長男が僅かな手勢を率いてきた。アロンベル・アダドーレと言う若者だ」
 「……そうか」
 「知っているぞ、随分気前よく援助した物だな。人嫌いのお前がそれ程入れ込むとは、余程の器なのか」

 ゴッチは曖昧な返答を返す事しか出来ない

 「ふ、お前の見立てなら目を掛けてみようか。より優れた物が上に立つのは、正しい事だ」

 何だか勝手に納得して、ホークはニヒルな笑みを浮かべたまま去っていった
 よく解らない。ゴッチは首を傾げる。態々そんな事を言いに来たのかアイツは


 とか何とか考えていると、今度はカザンが訪ねてくる

 「アロンベル殿を知っているな?」

 お前もか。ゴッチは些かげんなりする

 「賊が数を増している。我々としても頭の痛い話だが、アロンベル殿からこれらを駆逐するための共同作戦を申し込まれた。長旅を経てジルダウに着いたばかりだと言うのに、戦意は並居る騎士達の中でも有数だな」

 ゴッチは矢張り曖昧な返事を返す
 どうでも良い、全く興味のない話だが、アロンベルを援助した(らしい)立場としては口に出すと奇妙な内容だ

 「……普段、軍団間の様々な利害があるため、こういった直接の申し出は受けない事にしているが……。お前が肩入れする人物だ、興味がある。受けてみるか」

 言いたいことだけ言ってカザンも立ち去っていった。酒瓶を置いていっただけ、ホークよりは多少礼儀があるだろう


 ゴッチはうんうん唸りながら考える。何だか話が一人歩きしている気がする

 と、其処に現れるゼドガン

 「今日は先客万来のようだな」
 「なぁゼドガン、お前アロンベル・アダドーレって知ってるか」
 「知らん。誰だそれは。明日の御前試合の出場者か?」

 だよなぁ?

 ゴッチはもう一度、うーんと唸った


――

 後書

 酔った勢いで書いた

 うひ、うひひひ

 何時も何時も投稿ボタンをクリックする時はドキドキする。何時だって我々は自信がないのだ。うひひひ


 mazaki氏、無為無策氏のご指摘によって誤字修正
 本当に有難く思うであります。



[3174] かみなりパンチ35 レッドの心霊怪奇ファイル1
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2012/05/14 09:53

 ほぼ三日の内の出来事である

 アロンベル・アダドーレは、カザンと組んで散々に賊どもを追い散らした
 ホークの手引きでエルンスト自身に献策する機会を与えられ、それによって賊……より詳しくいえば、革袋の毒残党を追い立てる為のフリーハンドを得たらしい

 革袋の毒はビエッケを失ってから完全に統率を失い、そこいらの山賊と変わりない存在となっていた。それらは見境無く周囲の破落戸達を吸収し、肥太るように勢力を強めていたのだが……

 アロンベルとカザンが動き出してからはあっという間だった。

 面白そうにそれらの事件を話すのは、全身にびっしりと汗を掻いたゼドガンである
 股間を申し訳程度に隠す肌着のみのゼドガンは、酷くゆっくりとした動作で剣を振っていた

 二十秒掛けて、漸く一振り。常に全身を緊張させて、前を睨みつけながら何度も繰り返す

 ゴッチの屋敷中庭はゼドガンから放たれる熱気で異様な気配となっていた

 「それどころではない。ジルダウ北部、カンスレーの村々を脅かしていたはぐれ竜を倒したと言うぞ」
 「竜? 竜ってぇと、あの、なんだ……。ボーなんたら見てぇな奴か」
 「流石にあそこまでの怪物は早々居るまい。馬二頭ぐらいの、小さな飛龍だ」
 「ほー、結構簡単に死ぬモンなんだな、竜ってのは」

簡単、か。ゼドガンは苦笑しながら横目でゴッチを見遣る。その間にも、眉間から鼻梁を汗が滴り落ちていく

 鉄のようでだがしなやかな二本の腕。見事に割れていながらうっすらと脂の乗っている理想的な腹
 太腿の盛り上がりなど、よく鍛えられた軍馬程もある。爪先は恐ろしげな異形の如く歪み、力強く地面を噛んでいた

 「ラーラが協力したらしいぞ」
 「あぁ? あの軍人嫌いが? 冗談だろ」
 「俺は御前試合に出ていたから詳しくは知らないが、アロンベル・アダドーレ本人が口説き落としに来たそうだ。ラーラの竜殺しの話は意外に有名だからな。…………俺にも一声掛けてくれれば良かった物を」
 「……おぅ、そういや、そんな事を言ってたような言ってなかったような」
 「竜殺し! 興味があったぞ、正直」

 今また一振りが終わった。巨剣にゼドガンの汗が伝い、鈍く輝く

 ゼドガンの両足がべたりと土を踏む。蟹股になり、少しずつ絞った脇を開いていく
 逆袈裟の切り上げ。この一振りにも、また二十秒

 ゴッチは肩を竦めた。よくやるぜ。相当辛いはずだ

 「あの速さは素晴らしい。朝に手勢と発ち、夕に到着すると同時に僅かの休息もなく竜に仕掛け、日の出と共に戻って祝杯を挙げたと聞く。頭の固い者には信じられん強行軍だろう」
 「ふぅん、それに、ラーラがねぇ」
 「あの娘もかなり鍛えているようだが、流石に平然としては居られなかったろうな。今度はそれでからかってみよう」

 あのラーラが、騎士に協力した
 俄には信じ難い話だ。騎士やら兵士やらに利する行いは絶対にしない女だから

 竜との戦いに何か思い入れがあったのかも知れない。思い返せば初めて出会った時、妙な目つきで竜を倒しただのなんだのと言っていた

 「で、アロンベルだが」
 「おう」
 「次はレッドにちょっかいを掛けているらしいぞ」
 「…………」


――


 ジルダウで男色の美人局をやっているらしい男に案内させた先は、立ち行かなくなって放置された元娼館であった
 娼館と言ってもごく小さな物で、部屋もそう多くはなさそうだ

 人が住まなくなってから十年。腐った壁や崩れそうな井戸。荒れ果て方を見るに、娼館であった頃から既に酷いオンボロ家屋だったのだろう
 浮浪者が寝床として使う事もあったようだが、ごく短い期間に変死体として発見される事件が相次ぎ、今では近寄る者も居ないそうだ

 「……おいおい、お次はゴーストバスターズの真似事でもする気か? アロンベルって奴は」
 「……?」
 「死者を畏れない奴かなって」
 「あぁ、まぁそのような気性だろうな」
 「だが何か変だぞ。レッドはこんな所で何を?」
 「さて」

 一階建てで、高さは三メートル程。屋根は所々穴があいているが、真新しい補修の痕跡がある
 館、というよりは、コテージと言ったほうが合うだろう。荒れ果てたコテージ。幽霊でも盗賊でも何でも居そうな感じだ

 「大人数の気配は無いな。アロンベルは?」
 「まぁ、行きゃ解る」

 ゴッチは美人局の男に小銭を握らせて追い返すと、娼館の扉を三度叩いた
 ノックとは言えない荒々しさであった

 それ程間を置かず、扉は開かれる。中から現れたのは、荒れ果てた娼館にはとても似合わない身奇麗な女であった

 金髪を結い上げた吃驚する程白い肌の女だ。華奢な体、細い手足。傷の無い指は、この女がまるで苦労知らずであることを教えてくれる

 一目で上等な物と解る、青のベレー帽に似た物を被っていた。衣服も青と白のゆったりとしたドレスシャツのような代物で、室内だと言うのにワインレッドの直垂を身体に巻きつけている

 「貴殿等……」

 女はゴッチとゼドガンを見て、俄に色めき立つ
 頬骨が低く、ほっそりとした顔立ちであったが、ゴッチとゼドガンの姿を見て妙に男臭い笑みを浮かべたかと思うと、凛々しく眉を釣り上げた

 「カノートの神官? 何故こんなところに」

 ゼドガンの訝しげな問い
女神官は人差し指と中指をぴったり合わせて隙間を消し、硬く両目を瞑ると、一本線を引くように合わせた指で瞼を撫でた。目を覆う仕草のようにも、顔を拭く仕草のようにも見えた
 そして、指を合わせたまま左胸を押え、一礼する

 独特の礼である。ゴッチは鼻を鳴らした

 「神官? カノートって何処だったかな……」
 「……アナリア南部、サジカ山岳に唯一の神殿カノート・マーナがあります」
 「そうか、あの引篭り神殿の連中か」
 「引篭り……、ククク、そうです。その引篭り加減が嫌になって世界を旅しています」
 「ほーぅ、そりゃさぞかし……」

 女神官の、傷一つ、荒れたところ一つない手を見てゴッチは笑う

 「……苦難に満ちた旅なんだろうな。ツルツルお手々だ」
 「これは手厳しい」
 「ゴッチ、カノートの旅神官を粗略に扱う者などこの国には居らん」

 言外に、「お前ぐらいだ」とゼドガンは言っていた

 「……話を戻すが、引篭り神殿の神官が何故ここに? レッドが居ると聞いてるが」
 「こちらへ、ゴッチ殿、ゼドガン殿」

 するすると音もなく神官は歩き始める
 後ろから見ると性別が解りにくい。そういう服なのだろう。

 「名乗ったか? 俺達」
 「この街で俺とお前が解らない人間はそう居ないだろう」
 「ふん……。あの女に名乗らせるのは忘れてたな」

 ゴッチはポケットに手を突っ込んだまま歩く。視線は鋭く、周囲を見渡していた

 急激に空気が冷えた感じがした。首筋が何故かチリチリしている

 何か、ヤバイ。上手く言えないのだが。妙に寒気がする


 娼館の内部は古びていたが、こちらも屋根と同じで補修の痕が真新しい
 とても前を歩く女神官がやったとは思えないが、アダドーレの兵士たちか? ゴッチは女神官の後ろ姿を睨んだ

 「ここです」

 女神官は、娼館のもっとも奥まった位置にある一室の前で止まる

 ゴッチは眉を顰める。ゼドガンですら、珍しく険しい顔をしていた

 その扉には、見た事もない言語でびっしり呪文が書き込まれていた。真っ赤な文字だ。血のように真っ赤な
 魔法陣としか形容できない物も描かれている。扉はおろか、壁や天井、床にまで、そしてそれらは、細い線で繋がっている

 「エキセントリックな壁紙だな……。今時の流行りか?」
 「ゴッチ……」

 ゴッチの軽口に、言い淀むゼドガン。軽口に軽口を返さないのは、この男にしては珍しい

 「……危険だ」

 解ってんだよ、俺にも。ゴッチは首を掻く。じっとりと、嫌な汗が滲んでいる


 あの時と同じだ。ガランレイの時と、良く似た気配だ


 神官がしたり顔で囁く

 「帰りたくなったのなら健全でしょう。その感情に逆らわず、素直に帰ったほうが宜しいかと」

 それとは別に、誰かの話し声が聞こえた。小さくぼそぼそとギリギリ聞き取れない大きさの話し声だ

 ゴッチは歩いてきた通路を振り返る。誰も居はしない

 ゼドガンを見れば、こちらも巨剣の柄に手をやりながら同じように振り返っていた。目配せし合う二人

 「全く、お前達二人と関わっていると面白いことだらけだ。感謝するぞ」

 強がり、ではないようだった。心底から楽しんでいる

 ぼそぼそ

 ぼそぼそ

 ぼそぼそ クスクス

 ぼそぼそとした話し声は段々近付いてくる。じっとしていたら、最後には耳元でするようになった
 内容は解らない。何かおぞましい事を言っているのだけは解る。不思議な物だ

 当然耳元には何もいない。だが、気配はする
 ゴッチは唸った

 「鬱陶しいな」
 「鬱陶しいで済ませる御仁は初めて見ます」

 全く平然としている女神官。舌打ち一つ、ゴッチは睨みつける

 「黙れ……。俺達は今凄ぇ気分が悪い。いや、悪くなった。これ以上機嫌を損ねるな。特に俺は、ゼドガンのように優しくねぇ」
 「…………宜しい、ではそのように」
 「クソッタレ」

 耳元のぼそぼそが、更に大きくなる。別段激しい訳ではない。音量のみ大きくなる。それが逆に不気味だ

 耳鳴りがし始める。クソ、鬱陶しい。歯を食いしばるゴッチの手を、誰かが握った

 ぼそぼそが、僅かに遠ざかる。ゴッチの手を握っているのは女神官だった。ニヤ、と矢張り男臭い笑みを浮かべると、今度はゼドガンの手を握る

 ゼドガンが肩を竦めた。奴もまた、声が遠ざかったのだろう

 ゴッチは突然吠えた。るぅあ、だかうが、だか、兎に角滅茶苦茶に吠えた
 壁がビリビリ震える程の、屋敷中に響き渡る程の、もう只管に大きな吼え声だ。ゼドガンは涼しい顔で耳を塞ぐ

 吠え声が萎んでいく。息を吐き切ると同時に、ゴッチは壁を殴った。自分でも良く解らない、感覚的な行動だった

 女神官は俄に信じられないとでも言いたげな顔をしている

 「ほう……、このような邪気の払い方がありましたか」

 ゴッチはそれを無視して、呪文が書き込まれた扉を叩いた。耳元のぼそぼそは消えていた

 「レッド、おいコラ、何やってんだお前」

 返答は無い。ゴッチは取手を回す

 開かない。押し込んだ感触は異様な物だった。扉が軋む音だとか、木材同士が擦れる音だとか、そういった物が全くない。ボロボロの扉の癖に

 常識外の力が働いている。それくらいの事、ゴッチにだって解る

 ヤバイにヤバイを乗してヤバイ。ふ、と視界の端を何かが通り過ぎた。黒い影だ。知るか、と小さく吐き捨てて無視する

 「クソ……。レッド! おい! 生きてんだろうな!」
 「ゴッチ、少し待て」

 ゼドガンが、ゴッチの肩を掴む
 扉の向こうで、誰かがぼそぼそ喋った。先ほどの得体の知れない声ではない
 レッドの声だ

 「……兄弟、来ちゃったんだぜ? さっきのは、やっぱ兄弟かぁ」
 「あぁ。ゼドガンも居る。出てこい、兎に角顔を見せろ」
 「ごめーん、兄弟……。ちょこっと……無理だぜ」
 「何が無理なんだよ……。怒るぞ。出てこいって」

 乾いた笑い声がした。今のはレッドか?
 異様な気配は消えない。視線も感じる。しかも視線は一つや二つではない。視線に周りを取り囲まれているとでも言えば良いのか。粘つく視線の海に落とされたようだ

 「わはは……。出ると死んじゃうだぜ」
 「…………」

 出ると死ぬ

 バカバカしい、と切って捨てることが出来なかった。異様な気配のせいだ

 「じゃあ俺を中に入れろ」
 「……全く兄弟ってば、何時も通りのクソ度胸なんだから……。それもダメだぜ」
 「ダメだとぉ? 張っ倒されてーか」
 「勘弁してよぉ!」

 急にレッドが怒鳴った。何時にない、切羽詰った声だ
 ゴッチは怯んだ。追い詰められた人間の悲鳴を、あのレッドが放った。なんだってんだ、畜生

 「御免だぜ。……来ちゃったら、仕方ねーだぜ。でも、明日にしてくれ。準備しとくからさ。良いだぜ?」
 「……明日なら、会えるんだな?」
 「多分。この臭ぇー部屋にもご招待するんだぜ」
 「解った。良いだろう」

 ゼドガンが視線で「良いのか」と訪ねてくる。ゴッチはそっぽ向いた

 良いも悪いも解らないのだ。何がどうなっているのか、解らないのだから

 「兄弟、あんがと。ちょこっと元気出た」

 弱々しい声。ゴッチは何も言えなくなって、踵を返した


――


 娼館の門まで来て、ゴッチは漸く口を開く。ゼドガンと女神官以外にゴッチの背後をついてくる“何か”がいるような気がするが、ゴッチは矢張りこれも無視した。取り合っていられるか

 「名を聞いていなかったな」

 平坦な声をゴッチは出した。正直に言えば、意気消沈していた

 「……ご無礼を。カノートの神官位、タウラを頂いております。シェン・ローダリンと申します」
 「タウラ。毛色の違う神官だな」
 「毛色が違う?」
 「うーむ……、神官の派生と言うか……。教義を広めるのとは別の……、超常の驚異に対抗するための神官戦士だな。ロベリンド護国衆とは全く関係ないが、彼らがより尖ったような連中と考えれば間違いない。ただし、吃驚するほど高位の聖職者である事も事実だ」

 超常の力に対抗、か

 「エクソシストって訳か……。なぁお前、どのくらいの事まで答えられる」

 ゴッチの質問に、シェンは目を伏せる

 「……何一つとして。レッド殿と話していただくしかありませぬ」
 「レッドは」

 ゼドガンが目を瞑りながら言う

 「危ないのか」
 「彼でなければ既に殺されているでしょう」
 「ふん、って事はレッドを殺したい奴が居るのか」
 「生きた人間ではありませぬ」
 「そのようだ。それは感覚で解る」

 だが解せんな。ゼドガンは片目を開いて眉を顰めてみせた

 「そう言った類の力でレッドを追い詰める事の出来る者など居ないと思っていた」
 「……古代の神の一柱です」
 「名は?」
 「そこからは、矢張りレッド殿から聞いていただくしか。話せば、言葉に乗って貴方達にも累が及ぶでしょう。レッド殿はそれを何より危惧していらっしゃる。きっと貴方達に伝える情報を制限する筈です」

 堪えきれなくなってゴッチは吐き捨てる

 「馬鹿が。舐めやがって。下らねぇ、意味のねぇ気遣いしやがって」
 「水臭い奴だ。なぁゴッチ」
 「そうだ、大馬鹿め。……何故俺達に一言でも相談しなかった……」

 ゴッチは転がっていた石を蹴り飛ばす
 それは娼館の壁にぶつかって跳ね返ってきた。自分の背後、視界の外に消えていく石ころ

 背後。そこについてきている何か。レッドを苦しめている物と、無関係ではあるまい

 「俺の背後……。コイツは?」
 「気付いておられましたか」
 「凄ぇ睨んでるな、俺の事を。生臭い息を吐きまくってる。歯磨きの仕方でも教えてやろうか」
 「……捨て置かれなさい。貴方が相手では、子供の悪戯程度の攻撃も出来ないでしょう」

 気に入らねぇ。ぼそりと呟く。直後叫んだ。ゼドガン!

 ゼドガンが巨剣を抜いていた。ゴッチの背後の空間を切り裂き、刀身は地面に減り込む

 気配が消えた。ゼドガンは、額にじっとり汗を浮かばせていた

 「…………余り過敏に反応すると、貴方達も目を付けられますよ」
 「知った口聞いてンじゃねぇ。俺達はお前とは違う。こんなクソッタレの、訳の分からねぇモンに怯えながら、縮こまって生きたりしねぇ。目を付けられる? 上等じゃねぇか」
 「切り捨ててやろう」

 汗を拭いながら、爽やかな表情でゼドガンが付け足した
 シェンは目を細めて笑う。嫌な笑い方だ

 「言っても聞かぬようですな。では、そのようになさいませ」
 「言われなくても好きにするっつーの。一々勘に触る奴だ」

 ゴッチとゼドガンは、捨て台詞を残して娼館を後にした


――


 ゴッチとゼドガンは、次にアロンベルの仮住まいへと殴り込んだ

 エルンストから与えられた屋敷を好き勝手に改造し、倉庫やら鍛冶場やらにしてしまっているらしい。商工会との繋ぎをつけたのは、アロンベルに対し妙に目をかけているホーク・マグダラだ

 それはともかくとして、アロンベルと会うことは出来なかった。留守を預かるアロンベルの家臣の方が、寧ろ困惑顔だった

 「アロンベル様は、ゴッチ殿に会いに行かれた筈です。どうしてもあってお伝えしなければならない事があると」

 壮年の騎士の言葉に、ゴッチとゼドガンは顔を見合わせる
 話とは恐らくレッドの事だ。行き違いになっているのか

 「では、アロンベル殿はゴッチの屋敷に?」
 「そう仰っておられました。朝方の事です。行き違いになり、方々を探し回っておられるのでは無いかと」
 「だ、そうだ。どうするゴッチ?」

 引き上げだ。短く告げて帰ろうとするゴッチに、壮年の騎士は言葉を重ねた

 「……使いを出しましょう。アロンベル様がお戻りになるまで、こちらで休まれては? ミランダローラー殿と、供回りの者も一緒に」

 言うが早いか、壮年の騎士は最寄りの下男を呼び止めて飲み物の用意をするように申し付けた
 ゴッチは首筋に手をやる。また寒気だ

 「俺“と”連れだと……?」
 「おいお前、おい」

 ゴッチに呼ばれて、壮年の騎士は再びこちらに向き直った

 「俺達は何人に見える」

 訝しげな顔をする壮年の騎士。暫しゴッチ達を見て、おや、と眉を跳ね上げる

 「三人分、茶を用意させて居ましたが、供回りの者は帰られたので? 気付きませんでした」

 ぞわ、とした。ついてきてやがる。間違いなく

 事情は読めないが、この分ではアロンベルにも何か起こっているだろう
 ゴッチは大きく息を吸い込むと、すった分をそのまま溜息にして吐き出した

 ゼドガンが、騎士に向かって大真面目な顔で忠告する

 「これは、嫌味や洒落等で言うのではない。そこは解ってくれ」
 「……? ……承りました」
 「お前達の主君の無事を、お前達の信ずる神に祈るが良い。お前達全員でだ」

 騎士は意図を測りかねたようだが、尋常ではない様子のゼドガンに、神妙な態度で頷く

 「……承知。事情は知りませぬが、お二人もお気をつけて」


――


 「ラーラは」

 路地裏の家屋の壁に背中を預けて座り込む女盗賊は、ゴッチの問いに飛び上がり直立不動で答える

 「は、アヴォーシュ様ですか?」
 「……あぁ? なんだ? あヴぉー?」
 「……アヴォーシュです。ラーラ様が、今後自分の役職はそのように呼び表せと」
 「……また妙な事を始めやがって」

 ゼドガンが顎に手をやりながら考え始める
 この男は剣のことしか興味ないように見えて、意外と博識だ。行った先々で、様々な知識を吸収している冒険者だった

 「アヴォーシュ……。古の言葉で、……金色の猛禽……いや、違うな。伝説の鳥の名前だったか……? うーむ……お、そうだ。金色の鳥の羽だか翼だか、若しくは金色の鳥の胸元の羽毛だか、そんな感じの意味だった筈だ」
 「つまり、何だ?」
 「さて、知らん。それよりラーラの居所だ」

 女盗賊は口を引き結んでゴッチから目をそらしている
 まぁ、今更だ。ビビっていようがいまいが、望む情報をくれれば好きにしろ

 「ラーラは何処にいる?」
 「今日はゴッチ様の屋敷に戻られた筈です。」
 「こちらも行き違いか……。ゴッチ、一度戻るか」
 「あれ」

 唐突に、女盗賊が声を挙げた
 自分の腕を目の前にやりながら、なんとも言い難い顔をする

 「急に鳥肌が、す、すいません」

 そういって腕をさすり始める。よく見ると、僅かにだが震えている

 「勘がいいのか鼻が効くのか。ま、運が悪いのは確定だろーな」
 「ど、どういうことで、し、しょうか」
 「無理するな。今日はもう帰れ。しっかり戸締りをして、寝台の中で目と耳を塞いでいろ。明日の朝日が登るまでは、外に出ない方が無難だろうな。まぁ、よー解らんが」

 ゴッチの不気味な命令に寒気を感じたのか、女盗賊は転がるように走り始めた

 その背中を見送りながらゼドガン

 「随分と部下思いだな」
 「ふん、あんな役に立ちそうも無い奴でも、一応隼団の下部組織だ」
 「ん? 奴は隼団ではないのか?」
 「はっはっは、冗談だろ。この大陸の隼団は俺とラーラだけだ。誰でもほいほいファミリーにしてたら、格が下がるぜ」

 そういう物か。呟きながら、ゼドガンは巨剣を抜き放った
 集中して、一振り。どうやらゼドガンの知識には、剣槍が風を断つ音は、邪気を払うとあるらしい


――


 屋敷に戻れば、ラーラが待って居た。ゴッチの私室でロージンと共にゴッチの帰りを待ち侘びていたようだ

 が、ゴッチが部屋に足を踏み入れた途端血相を変えて立ち上がり、言葉を詰まらせる

 全く呑気な事に、ゴッチはラーラのそういう表情を新鮮で、面白く感じてすらいた

 「あ、か……、ボス……」
 「おうアヴォーシュ君。中々小洒落た役職名じゃねぇか。…………どうした、今の洒落だぞ。笑えよ」
 「…………ロージン、席を外せ。今日のボスは……少々厄介だ」

 唐突に言われて、全く訳がわからないのはロージンだ
 表情を一変させたラーラの迫力に押され、何といったら良いか解らないようだった

 「良いからっ。早くジナイの所へ戻れ」
 「ラーラ殿。それは屋敷から出て行けと?」
 「そうだ。こちらから使いを出すまで絶対に戻るなよ」
 「ロージン、悪いな。今日のところはそうしてくれ」

 異様な雰囲気にロージンも気付いた。そしてゴッチが言うのであれば、何時までも食い下がる男ではない

 一礼して部屋を出る。その背中を見送るラーラ。少しの間、沈黙が満ちる

 「……………………今屋敷に居る部下達も、下がらせます。宜しいか」
 「あぁ、そうしろ。面倒見切れねぇからな」
 「何故そんな平然としておられるか! 何に憑かれてきたのです!」
 「おいおい……騒ぐんじゃねぇ。ゼドガンを見ろよ、呑気なモンだろ」

 引き合いにだされたゼドガンは、何時の間にか椅子に座って酒瓶を開けている

 「レッドは?!」
 「レッドは今日は会えない。明日だ」
 「不甲斐ない奴、こんな時に」
 「ラーラ、お前も下がれ。お前みたいな跳ねっ返りなら、“コイツ”も早々手出し出来ねぇだろ」

 ゴッチの言葉にラーラは唸り声で返す
 はしたない応答だった。今までに見たことのないラーラだ

 「私に逃げろと? 馬鹿げたことを」
 「今回お前はノータッチだろ」
 「ノータッチだか何だかどうでも良い事。私を追い出したければ力尽くでやることです。私はボスの傍に居ます」

 その時、耳鳴りがした。ぼそぼそと聞こえ始めた声に、ゴッチは身を固くする

 またぼそぼそ囁きだしやがった。ハエがブンブン飛び回ってるみたいで、クソ忌々しい

 やはりぼそぼそと言う話し声はゴッチに近づいてきて、耳元にまで至る。相変わらずおぞましい何かを呟いている

 その時、ラーラがゴッチの頭を抱いた。同時に全身から白金色の炎を噴き上げる

 耳鳴りが消えた。ぼそぼそと言う話し声も

 ラーラはゼドガンにも同じ処置をする。くるりと向き直って、これは決定事項だとばかりに言い放った

 「私は傍に居ます。今日は寝ては駄目だ。仮眠すら取れないと心得ていただきたい」

 ゴッチとゼドガンは顔を見合わせる

 無言で居ると、ゼドガンが酒盃を投げてよこす

 ゴッチはくっくっくと笑った。偶には呪われてみる物だと思った


――

 後書

 もうすぐなつですね。なつはホラーのきせつですね。

 いやぁ、たのしみだなぁ。

 ハハハこやつめ



[3174] かみなりパンチ36 レッドの心霊怪奇ファイル2
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:757fb662
Date: 2012/05/15 13:22
 うとうとしていた事に気付いて、ラーラは自らの頬を張った

 仕方ないと言えば仕方ない。アロンベル軍団の作戦に参加し、戻ったのが昨日の朝
 僅かな仮眠を取り、ジルダウで起こったいざこざを片付けようと思ったら、エルンストの近衛軍との揉め事が起こり
 ようやっとそれらをやっつけたと思ったら、今度は流れの傭兵団が喧嘩騒ぎを起こし、しかもその内の一人が頭の行かれた快楽殺人者と言う全く訳の解らない土産付きで

 兎に角、非常に忙しかったラーラは碌な睡眠を取っていなかったのだ

 「眠いのか。無理はするな」
 「ミランダローラー殿。……不覚」
 「無理もない。揉め事が重なっていたようだしな」

 ゼドガンは涼しい顔で巨剣の手入れをしつつ、時々思い出したようにそれを振り回す
 ゴッチの私室は屋敷の中でも最も広い部屋で、ゼドガンが暴れても十分なスペースがあった

 正直、ゼドガンの剣には助けられていた。風切り音が幾度も不快な気配を退けるのを、ラーラは感じていた

 「何か食べる物を。ボス、少し席を……」
 「駄目だ。……基準が解らねぇな。見えたり見えなかったりするらしい」
 「は?」

 椅子に深く腰を落ち着けたゴッチは、黒檀の机に足を投げ出し、隼のエンブレムが刻まれたナイフを弄んでいる

 ゴッチはチラリと後ろを振り返る。カーテンは締まっており、この辺りでは高価な厚硝子が室内の様子をうっすら映し出している。可笑しなところはない

 だが、ナイフには映るのだ。肉厚の、鏡面の如き刀身で窓を映せば、其処には無表情でこちらを見詰める女の姿が

 「ククク、お前も目ぇ付けられたぜラーラ」

 女の視線は、ゴッチ、ゼドガン、ラーラを行ったり来たりしている。異様に大きな目玉が、グルン、グルンと回転して、室内を睨み回している
 ラーラは苛立たしげに足を踏み鳴らした。足を叩きつけた床から、白金色の炎が吹き上げる

 「おや、消えた」
 「食べ物をとってきます」
 「……気を張り過ぎだ。こんな木端相手に」
 「……確かにボスの言う通り、基準が解らないな。私とボスとでは、見えている物が全く違うようです」
 「あん? ……じゃぁお前には、何が見える」

 ラーラは窓の外を睨みつけながら、苦しげな息と共に言葉を吐き出す

 「天を衝く程の巨人が、四つん這いになって我々を覗き込んでいます。正直……何故こちらに手を出してこないのか不思議です」

 鍵を掌で弄びながら、ラーラは廊下に消えた。ガチャりと鍵が掛けられる

 「ゼドガン、どうだ?」
 「うーん、全く見えんな。そもそも掛布を閉じているし」
 「だよなー。見えすぎるのも考えモンだな」


――


 欠伸を一つした。肩を回せば、随分と筋肉が固くなっているようだった

 少しだけ目を閉じる。平衡感覚が乱れて、ふらついたような気がした

 「(疲れてんな)」

 扉が叩かれた。ラーラが出て行って暫く経つ。戻ってくるとしたら、丁度今頃だろう

 「ラーラか。律儀だな、入れよ」

 ラーラは無言で入室した。小さめの籠を大事そうに抱えている
 白い頬を何時もより更に蒼白にさせていた。小さな溜息が聞こえる。流石にこの女でも、今の状況には参っているらしい

 気にし過ぎなのだ。ヤバイ物はまだ感じない。なら今はまだノンビリ構えていればいいものを

 ふと首を傾げる。ラーラは出掛に鍵を掛けて行った
 開ける音はしたかな? したような気もするが、していないような気もする

 まぁ良い

 「どうした、座れ」

 ラーラは俯き加減でゴッチの方まで歩いてくる

 ふと、ゼドガンの方を見遣った。ゼドガンは巨剣の輝きを見つめていたが、そこにゴッチは違和感を覚えた

 「(顔が見えねぇ)」

 濃い影が指していて、ゼドガンの顔が全く見えない。確かに薄暗いと言えばそうだが、蝋燭はしっかりと燃えているのだ
 顔が見えないなんてこと、ある物かよ

 ぞわ、と悪寒がした。冷たい気配を放つラーラが机に籠を置く


 ?!


 流石のゴッチも驚き椅子から立ち上がった。籠の中には黄ばんだ小石のような物が詰め込まれている
 歯だ。確認すれば直ぐに何か解った。人間の歯や、獣の牙。捻れた熊の爪のような物や、小さい隆起が表面にびっしりあって何が何だか良く解らない物

 黄ばんでいるだけでなく、泥に塗れていたり、血が乾いて凝固したのがへばりついている物もある

 歯だ。ゴッチは咄嗟に拳を構える

 「ゴッチ、どうした?」

 その時横合いから声が掛かる。ゼドガンだ。ゴッチは視線をやって繁々とその顔を見詰める。今度はハッキリと細部まで見て取れる

 何時ものゼドガンだ。涼しい顔をしている

 ゆっくりと首を回して、視線を戻した。ラーラと歯の詰まった籠は消えていた。まるで、元から何も居なかったかのようだった

 幻覚だと?

 「ゼドガン、俺は寝てたか?」
 「いや。気配が鋭くなったから見ていたが、寧ろ緊張状態にあった。……何を見た」

 ゼドガンに返答する前に、扉が叩かれる。ノックの音。先程のシーンの焼き直し

 「ラーラかな。全くお前の部下は、こんな時まで律儀な物だ」
 「ケ、その台詞には覚えがある。……少し、静かにしろ」
 「?」

 ゴッチは椅子に座り直した。ノックへの返答はしなかった

 間を置かずまたもや扉が叩かれる。ゼドガンは察しがいい。何も言わずに扉に注意を向けていた

 コンコンコン、と言うノックの音が繰り返される。その内に痺れを切らしたのか、段々と激しくなって行く

 コン、では済まない。ゴン、と言う、拳で扉を殴るような音だ。ゴッチは知らず笑っていた

 悪寒。背筋が震える感覚。「癖になっちまいそうだ」と零す。新鮮で、楽しい

 音は最早扉を軋ませる程の物になっていた。ノックと言うよりは、扉に体当たりでもしているかのようだ

 「…………全く、気が抜けん」

 ゼドガンが首を鳴らしながら言う。この男も緊張状態だ。三日三晩戦い続けられると自信満々に言ってのける男だが、慮外の相手にはどうだ? 額には汗が浮いている

 音は止まらない

 「……駄目だな」
 「こっちから招き入れてやるか?」
 「何かの伝承にあったが……、そういう、招く行為と言うのは、ああ言った手合い相手には危険らしいぞ」
 「へぇ……。招くとどうかなるのか?」
 「どう、と言われてもな。俺が聞いた伝承の登場人物は、化物に耳を削ぎ落とされてしまったが」
 「うーむ……流石にちょっとばかり嫌だな」

 顔を見合わせていると、唐突に扉への体当たり(かどうかは知らないが)が止んだ

 奇妙な沈黙が満ちる。きん、と耳鳴りがする

 再びノックの音。コンコンコンと、優しげな物だ

 『只今戻りました』

 外から聞こえてきた声に、ゴッチは漸く気を抜いた

 「ラーラの声だ」
 「…………何?」

 しかし、ゼドガンはそうでは無かった。鋭い視線でゴッチを射抜き、巨剣の柄を握りながら油断なく身構えている

 「あの手この手だなゴッチ。一つ聞かせてくれ。今の声は、本当に、ラーラの物だったか?」

 暫く見つめ合うゴッチとゼドガン。再びノックの音

 『ボス、どうされました? 入っても?」

 ゴッチは扉を見つめながらうーんと考える。顎先をカリカリと掻いて、からかうように言った

 「鍵を持ってねぇ奴はお呼びじゃねぇなぁ? ククク」
 『…………』


 ドゴン!


 扉への体当たりが再開された。ゼドガンは苦笑する

 うひょ、とゴッチは立ち上がってシャドーを始めた。中々考えるじゃねぇか、最近のゴーストは

 「ワオワオワーオ、あのシェンとか言う奴、『子供の悪戯程度の攻撃も出来ない』とか言ってなかったか?」
 「確かに、こう煩いと落ち着いて酒も呑めんな」
 「ゴーストってんなら、扉の一つでもすり抜けてみりゃ良いのによ」
 「…………はぁ。そうしたらただでは置かん。これ以上煩くするなら、レッドと合流する前に切り捨ててやる」

 そうしていると、扉の外の気配が“増えた”
 勇ましげな声が響く

 『鬱陶しいぞ貴様! 死した後の者であろうが、私の機嫌を損ねたならばもう一度殺すぞ!』

 パン、と乾いた音がした。体当たりの音が止む

 カチャリと鍵の開く音がした。その後、ノック
 返答を待たずして扉が開かれ、平然とラーラが入ってくる

 籠を抱えていた。干肉とパンが顔を覗かせている

 「…………何か? 変な顔をして」
 「ラーラ、お前は意外と情緒と言う物が無いな」
 「あぁ、いや、まぁ……。結構助かったけどよ」
 「ははぁ、成程。鍵を掛けて行って正解でしたか」

 くい、と顎を引いて勇ましく笑うラーラは、それはそれは絵になっていた


――


 「聞いていたよりもずっと鬱陶しい」
 「ボスが殺しすぎたからでしょう。この短い期間に何人も、それは惨たらしく始末したではありませんか」
 「他人事みたいに言いやがるぜ」
 「……兎に角、ボスが連れて来たあの鬱陶しい影に惹かれて、良くない気配が屋敷に集まってきています。ボスが憎くて仕方がない者達が」

 ほう、とゴッチは拳を打ち合わせる。良い事を思いついたと言わんばかりの表情だ

 「詰まり、ここでそいつらを徹底的にうちのめせば、後腐れなくスッキリする訳だな」
 「……はぁ、それは、まぁ……。いえ、後で私がやりましょう。敵だった者達とは言え、死んでからもボスに泣かされるのは、流石に哀れでしょう」
 「あぁ?」
 「何か?」

 クソ真面目な顔で言ってのけるラーラ
 真正面から訝しげな顔でお見合い状態の二人を見て、肩を竦めながら笑うゼドガン

 「ラーラ、お前はこう言った事態への対処法を知っているのか」
 「レッドと付き合いがあると、こう言った不可思議な事態に巻き込まれる事もあるので。それに今まで目を通した書物にも、こういった事例はまま記されていました」
 「それは心強い」
 「別段大した事ではありません。それ以前に、本人が強い意志と明確な理性を保ち、決して恐れず付け入る隙を与えなければ、奴らは何も出来ません」

 まぁ、とラーラは付け加える
 視線はゴッチの背後、カーテンの掛かった窓のその向こう側に向かっている

 「……窓の外の巨人のような、規格外は別ですが」

 ゴッチは立ち上がる。カーテンに手を掛けたところで、ラーラが鋭く静止する

 「ボス!」

 いい加減にしろよラーラ。ぼそりと言った
 俺は天を衝く巨人よりも、小山ほどある竜骨よりも、おぞましい呪文を唱え続ける囁き声よりも、ラーラの偽物よりも、よっぽど恐ろしい物を知っている

 スーパー・バーニング・ファルコンだ。最も尊敬すべき男だが、同時に最も畏怖すべき男だ

 幽霊に一々ビビっていたら、きっとファルコンは失望する。有り得ん事だ


 ゴッチは止まらなかった。平然とカーテンを開く

 巨人の姿はゴッチには見えなかったが、黒い影が横切ったような気がした。早くて目では捉えきれなかった

 耳鳴りがする。ぼそぼそと、例の囁き声までし始める

 「……」
 「居るのか」
 「……居ます。はっきりと、ボスを睨みつけている」
 「何が怖い。俺には何も見えねぇぜ」
 「見えなくても感じる筈」

 糞くらえだ。ゴッチは吐き捨てる

 「何で怖い。どんな巨人か言ってみろ。どんな面してる? 表情は? 服は着てるのか?」
 「……黒い影に包まれていて、輪郭は見えません。しかし、血走った目はよく解る。得体の知れない不気味な奴です」
 「それだ。『得体の知れない』って奴だ。誰が言ってたか忘れたが、未知ってのは恐怖らしいな。解らないと怖いんだってよ」

 それが何なのだ。ラーラは険しい顔で拳を握り締めた

 この巨人は危険だ。ハッキリと解る

 いや、いや待て、前提が可笑しい。私は危惧しているだけだ

 「そもそも私は恐れてなどいません」
 「その意気だぜ。おい、その巨人、言葉は通じるか?」
 「さぁ? そもそも何を考えているのかすら解らない相手です」

 まぁ良い。ゴッチは中指をおっ立てて窓に向かって突き出す

 ラーラとゼドガンは呆れた。挑発するつもりか

 「よぉどんな気分だクソ野郎。この正真正銘の屑め。どうしようもない臆病者の、俺の屋敷の庭で四つん這いになって、俺をオカズにマスターベーション決め込んでるイカレ脳味噌が。あぁ? 聞こえてるかこのmotherfuckerが! ……どうだ、巨人ちゃんは反応してるか?」
 「いえ全く」

 ゴッチはくるりと向き直って尚口汚く罵る

 「おーっと耳が聞こえねぇってか? それとも教育を受け損なったから話が通じねぇか? どうした、聞こえてるならちょいとでも反応して見せろ。仰向けに寝転がってM字開脚しろ。『もう降参』っつってな! そしたらご褒美に俺のケツを舐めさせてやる。どうだ、興奮してイっちまいそうだろ? あぁ?! ……これならどうよ、動いたか?」
 「全然」

 ゴッチはべぇと舌をだした。両手でサムズアップを作り、首を掻き切る動作の後、それを床に突きつける

 「OKOK、オーーーケーーー、テメエが指銜えて見てる事しか出来ねぇ薄ら馬鹿だって事がよぉーく理解出来たぜ。テメエはそこいらをうろついてる浮浪者の、糞を掻き集めた程度の価値すらねぇ。本当に、マジで、どうしようもない、罠にかかって餓死するのを待つだけの油虫みてぇなのがテメエだ。きっとテメエのママは嘆いてるぜ。お前を汚ぇ股座からひり出す前に、自殺しときゃ良かったってよ! あぁ?! どうだ、まだ何も感じねぇかコラ! ……おい、流石にどうだよ」
 「無反応です」
 「何だよ詰まらんな」
 「ゴッチ、今のはお前の言うカポとやらに相応しい行為だったのか?」
 「……偶には良いだろ」

 ゴッチはさも失望したと言わんばかりの表情で肩を竦める
 椅子にどっかり腰を下ろし、机の上に足を投げ出した

 耳鳴りは続く。ぼそぼそと言う囁きも大きくなっている

 ラーラが炎を纏わせた右手でゴッチの肩を払う。それで、耳鳴りも囁きも消えた

 「全くの無反応とはなー」
 「あ、いえ、今動きました」
 「何?」

 ラーラが眉を顰める。肌寒いのか、両手で自分の体を抱きしめていた

 「先ほどよりもずっと近くで、ボスの事を睨んでいます」
 「…………へへへ、怒ったか。でくのぼうめ」


――


 朝を迎え、三人は身支度を整えて屋敷から出た

 早朝の雑踏は、異様だった。明らかに生きた人間ではない物が人混みに紛れ込んでいる

 「相当いるな」

 見掛けだけなら普通の人間だが、青白い生気を感じさせない肌。ぎょろりとした目。忙しく動き回る人々の中で、それらは足を止めてゴッチ達を見つめている

 十、十五は居る。この分なら、きっともっと居るだろう

 「大人気じゃないかゴッチ」
 「ゼドガン、お前が声を掛けてみろよ。きっと喜んでよってくるぜ」
 「俺はもう少し……、活力に満ちた奴が良い。連中は斬っても手応えがなさそうだしな」
 「またそれか」

 軽く笑い合って三人は歩き出す

 背後で何か動く気配がした。ラーラのみが振り返る

 「……動いた……?」
 「何が?」
 「……巨人が……こちらを見ています。ゆっくり歩いてくる。……止まった。大きい」
 「やっぱり俺のケツが狙いか。厳しい状況だな」

 ゴッチは凄絶に笑った。イイぜ、ついて来やがれ。今の所は話が見えないから放っておいてやるが、後で絶対に、絶対に纏めて磨り潰してやる

 事前に、屋敷の周囲からは部下を下がらせてあった。一々夜眠れなくなる奴を増やすことはない

 その時、雑踏を掻き分けて歩いてくるものがある。背筋をピンと伸ばした貴公子。アロンベル・アダドーレだ

 どうやら朝起き出してすぐ、身形だけ整えてこちらに来たらしい

 「ご機嫌如何か?」
 「俺の後ろに何が居るか見えるか?」

 アロンベルは僅かに目を凝らすような仕草をすると、ハッキリと表情を強ばらせた

 「これはまた大物だ」
 「羨ましいだろう」
 「……ゴッチ殿もまた、大物過ぎる程に大物だ。あんな物に後をつけさせて、尚平然としているとは」

 アロンベルは神官らしき者を二人連れていた。その内の片方は硬く目を瞑り呪文を唱え続け、もう片方は目を細めながら鉄杖をゆらゆらさせている

 その内鉄杖を揺らしていた方が僅かに焦ったようにアロンベルに告げる

 「それ以上、そちらの方に近付かれてはなりませぬ」
 「……危険は承知、だがコレは」

 呪文を唱えていた方の神官が持っていた宝石が音を立てて弾ける

 神官は溜息を吐くと、惜しげもなくそれを放り捨てた。そして、言う

 「直ちにこの場を離れたほうが宜しいでしょう。これより後はどうも出来ませぬ故」
 「だ、そうだ。アロンベル、今は良い。とっとと帰れ。話はレッドに聞く」

 歯をギリギリと鳴らすアロンベルは、それでもゴッチの言葉に従って踵を返した
 首だけで振り返るアロンベル

 「『文献を見るに、カンスレーの山の祭祀場が最も怪しい』とレッドに伝えてください。ジルダウ北門に、エルンスト様から頂いた駿馬に引かせた馬車が準備してあります。それを使うようにと」
 「打開策か。解った、伝える」
 「ゴッチ殿達ならば、この事態、必ず切り抜けると信じています」
 「負ける方が難しいな」

 無理矢理取り繕った表情で朗らかに笑い、アロンベルは去っていく。本心でないのは目に見えていた

 「アレがアロンベルか。一緒に来たそうだったな、ゴッチ。責任を感じているようだった」
 「奴が来て何の役に立つ」
 「さて、奴はどんなだ、ラーラ?」
 「何故私に聞くのです」


――


 道中は、意外にもゼドガンよりゴッチの方が冷静だった

 ゼドガンと来たら「斬っても手応えがなさそう」などと言っていた癖に、背後をつけてくる気配に向かって度々剣を抜こうとする

 何だかそうとう気に入らないらしい。落ち着かないと言うべきか

 その点ラーラは割り切っている。後をつけてくるどころか右肩の上にまで青白い顔が近寄り、気持ちの悪いギョロ目で睨みつけてくると言うのに、相手にするだけ無駄だと一瞥すらくれなかった

 ゴッチ自身はとても簡単だった
 気配に向かって、「寄ると殺す。死んでても殺す」と殺気を放てばそれだけで逃げていく

 何故ゼドガンが苛立っているのか解らない

 「俺にも理解出来たのだがな、コイツら普段は縮こまって何も出来ない臆病者だが、今この時だけは居丈高に強気で居るのだ」
 「影がボスに憑いている事で、調子に乗っているのでしょう」
 「俺はそういった手合いが好きではない」

 どうでも良いそんな事は

 そうこう言っている内に、昨日の娼館へと辿り着く

 ここに来る途中から既にそうだったが、ゴッチは寒気が収まらなかった。ここへ来て、娼館を視界に収めた途端、寒気は急激に強くなった

 「……こんな所にレッドは居るのか……」
 「何か見えるか? こっちはサッパリだ」
 「………………」

 ゴッチの問いに、ラーラは顔を顰めるばかりだった
 その内に「行きましょう」とだけ言って、先頭を歩き始める

 昨日ゴッチがしたように、ラーラも乱暴に扉を叩いた。間を置かず現れたシェンは、昨日と全く同じ装いのままだった

 「……ゴッチ殿に、ゼドガン殿、そして貴女はラーラ殿ですね」
 「レッドに会いに来た。……どうした、何かあったのか?」

 扉の向こう側が妙に騒がしい。鎧姿の人間……アロンベルの兵士達だ。忙しく行き来している

 シェンが振り返って合図を送る。複数の足音が近付いてくる

 「少し、扉から離れていてください」

 其の通りにすると、扉が大きく開かれて、中から担架を担いだ兵士達が現れる

 担架に乗せられているのも、また兵士だ。異様な状態だった
 目をいっぱいに見開き、両の手で身体を抱きしめている。その抱き着き方がまた何とも言えない激しさで、手で身体を抱きしめているのか、身体で手に抱きついているのか上手く表現出来ない

 顔は青ざめ、口は真一文字に引き結ばれていた。そして時折痙攣するのだ

 その状態の兵士達が四人。中から運び出され、娼館の前にズラリと並べられる

 「アロンベル軍団の、“事情を知っている”兵士達です。彼らは昨夜、レッド殿の部屋の前を守備していました。レッド殿はしつこく離れるように言っていたのですが、そうもいかず……」
 「で、この有様か」
 「急激に影響力が強まったのです。ハッキリとした悪意を剥き出しに」

 運び出された兵士達が、ゴッチをじっと見ている。痙攣が激しくなった。詰まったような鼻息が周囲に満ちる
 異様な光景だった。そのうちに、痙攣する兵士達はぼろぼろと涙を流し始めた

 彼らの視線は、それでもゴッチから外れない。流石のゴッチも気持ち悪さを感じ、舌打ちする

 シェンが耳打ちしてくる

 「彼らは最早助かりません。昼までに鼓動が止まって死ぬでしょう」
 「レッドは?」
 「昨日の部屋に」
 「入るぞ」
 「お待ちを。コレを見て尚、お会いになるので?」
 「黙れ! 殺すぞ!」

 そろそろゴッチも我慢の限界である

 こんな木端どもが何人死のうが知った事か。問題は、レッドだ
 重要事項はそれだけだ。危ないとか、どうだとか、誰に物を言っていやがる

 俺はゴッチ・バベルだぞ!

 「……申し訳ありません。ゴッチ殿の事を誤解していました。……レッド殿の事が、大事なのですね」

 もうゴッチは取り合わなかった。シェンを無視し、ゼドガンとラーラを引き連れて足音も荒く娼館に乗り込む

 取り合わないのはシェンも同じだった。震える四人の兵士達に向かって、昨日の独特の礼をした


 娼館内部は不気味な程静まり返っている。昨日もこんな感じと言えば、そうだった。不思議なほど外の音がしない

 耳鳴りと、ぼそぼそと言う囁き声。またか、と思った瞬間、今までとの違いに気付く

 聞こえる。今まで解らなかった内容が、はっきりと聞こえる

 呪文であった。ゴッチには意味が解らない。おぞましさと不気味さだけが伝わってくる

 ラーラが歯を剥き出しにして俯いている。ゴッチはその縮こまった背中を強く叩いた

 「聞こえるんだな」
 「……えぇ」
 「俺には意味が解らん。ゼドガンは?」
 「さっぱりだ」

 ラーラが渋い表情のまま深呼吸した。顔を持ち上げ、改めてゆっくりと歩を進める

 隣を歩くゴッチ。背後を固めるように、ゼドガン

 「呪いの言葉です。ずっと、ずっと昔の。……呪殺の儀式の内容を、事細かに聞かせているのです。そしてそれの対象が、如何に苦しみ抜いて、如何に惨たらしく死んでいくかも、この囁き声は伝えています」

 ゴッチは大きく息を吸い込んだ。すー、と吸い込んで、ハ、と吐き出した

 間近で聞いていたラーラが吹っ飛ばされそうな喝だった。吃驚したような表情で、ラーラはポカンと口を開けている

 「おー、消えた消えた」

 ゴッチは何事もなかったかのように足を早める


 そしてとうとう、レッドの部屋の前に辿り着いた。呪文と魔法陣は、相変わらずそのままだった

 「おい、約束だ。中に入れろ」

 無言が帰ってくる
 ラーラが口元を抑えた。吐き気を堪える仕草

 「……以前ティト殿が苦しげにしていた理由が、今理解できた」

 ラーラは浅い呼吸を繰り返す

 ゴッチは舌打ちして、再度レッドを呼んだ

 「おい、シカトしてんじゃねーぞ!」
 「……兄弟」
 「居るんじゃねぇか」

 とっとと開けろよと言うゴッチの要求に、またもや沈黙が帰ってくる

 「……レッド?」
 「兄弟、事情が変わったんだぜ。やっぱり、会えないよ……」
 「おい……。お前この俺を一度追い返して置きながら、今更それか」
 「へへへ、御免だぜ……」
 「……トサカに来たぜ、この馬鹿が」

 ゴッチは思い切り扉を蹴りつけた

 「おい、ゼドガン、ラーラ」

 呼ばれて二人は肩を竦める

 「怖けりゃ逃げてイイぜ」
 「抜かせ」
 「ご冗談を」

 三人そろって扉に体当たりする。中のレッドも事態に気付く

 「や、ちょ、止めるんだぜ! 今はやべぇの! 本当にやべぇの! だぜだぜ!!」
 「うるせーこのスカタンがァー!」
 「駄目だって! 死んじまう! 本当なの!」
 「だっしゃらぁぁ!!」

 扉は開かれた。極めて強引に

 空気が変わる。温度が下がった。嫌な気配と言うのは直感的に悟る物だが今のこれは度を越している

 はっきりと解る。違いがだ。明らかに空気が別のものになった。一歩でも動けば、踏み出せば、死ぬような気がする

 こんな所に、一人で居た。居やがった

 「ここで待て」
 「……ボス」
 「良いから待ってろ」

 部屋に踏み込もうとすると、またもやレッドが叫ぶ

 「駄目だ! 本当にこれ以上は! 来ちゃいかんだぜ!」

 ゴッチはそれをさらっと無視して、とうとう部屋に侵入した

 「ダメだってえぇ! ……だめ……だって、言ってん……だぜ……俺……、だ、ダメだって……」

 部屋はぐちゃぐちゃだった。床にも壁にも天井にもびっしり魔方陣が書かれていて、しかもそこいらに火を放って焦がしたような跡がある

 何かが破裂した痕跡。血の染み。良く解らない、獣の爪痕のような物

 家具はほぼ無い。レッドが毛布にくるまりながら蹲るベッドのみだ


 そして外とは圧倒的に違う気配。ゴッチは二本の足で立っていて、手を握り締める感触もあれば、汗が滴り落ちる感触もある。確かに生きている

 だが部屋に入った瞬間ハッキリと“死んだ”と感じた。ここは死後の世界なんだ、と思ってしまった。先ほどの感覚は間違いではなかった

 馬鹿馬鹿しい。が、こりゃ仕方ない。こんな所にずっと居たら、レッドでもこうなっちまう

 「……兄弟」

 レッドは部屋にぽつんと設置された簡素なベッドの上で震えていた
 赤いキャップは床に放り出されていた。それを拾い上げてホコリを叩き落すと、ゴッチはベッドに近づいて行く

 激しい耳鳴りがしていた。先程の呪文も。最早追い散らしたって無駄だろう

 ずっとコレを聞かされてたのか? コイツは

 「ご苦労なこった、兄弟」

 レッドはやつれていた。目にも体にも力がない。衰弱死寸前と言われても驚かないぐらいだ

 姿を見なかった数日でこんな事に

 畜生

 「や、やだよぅ~」

 レッドが泣き始める。見栄も外聞も無いのは何時もの事だが
 何時ものレッドは笑っていた。みっともなく本当の意味で泣き喚くのは、初めて見る

 「兄弟が死んじまうよ」
 「死ぬか馬鹿が」
 「兄弟が……、し、死んじまうよぅ……、やだよぉ~~……! そんなんやだよぉ~~……!!」
 「うるせぇな! 死なねぇっつってんだろうが!!」

 ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らすレッド。流れる涙を拭いはする物の、後から後から流れてくるので余り意味がない

 酷い顔だ。明るいところで見たらドン引き間違い無しの泣き方である

 「けどさぁ~~! けどぉ!」
 「じゃぁお前一人で何とかなったんか?! 笑わせんな!」
 「そうだけどさぁ~~! でも、でもさぁ、きょ、兄弟が死んじゃうのはやだよぅ……!」

 ゴッチは有無を言わさずレッドを抱き締めた

 男を抱き締めるのなんて、御免だと思っていた。ファルコンやファミリーにハグするぐらいは当然のようにやっていたが、こうしっかりと抱き竦めるなんて初めてだ

 でも、自然とやってしまった。レッドの体は妙に細く、軽く感じる。ガタガタ震えていて、酷く冷たい


 馬鹿野郎、一人で、こんな所で、馬鹿野郎

 兄弟

 「畜生、ちっくしょう、俺、最低だぜ……、ホント馬鹿……、俺、俺」
 「……なんだよ、言ってみろよ……」
 「俺、兄弟が死んじまうの、やだけど……」
 「しつこい奴だな、死なんと言っとるのに」

 レッドの随分細くなった腕がゴッチの背に回される

 「嬉しいよぉ~……、ひ、一人はざびじがっだよぉ~~……!」


――

 後書

 ゴッチは怖くねーかも知れねーけど俺は怖いです。チョー怖いです。

 携帯が鳴る度ビクっとなる。怖い事考えてると何もかも怖いというね。

 なのにいざ読み返してみるそんな怖くないんじゃねと思ってしまうと言う。

 あァァーー、ファッキュー。


 そして実を言うと泣いてるレッドを書きたかっただけ、みたいな。
 変態かっ! (俺が)



[3174] かみなりパンチ37 レッドの心霊怪奇ファイル3
Name: 白色粉末◆fef39ae6 ID:c7c9cdef
Date: 2012/06/20 11:14


 アロンベルの用意した馬車は、主に隊商が好んで用いる箱型馬車だった。運搬する商品を振動から保護する為に、工夫を凝らした“たるみ”のある構造になっている

 が、今は急ぎの用事だ。それにレッドによれば、視界が塞がれるのは良くないらしい。箱型であるせいで、それを“室内”と見てしまうのも場合によっては危ないそうだ
 ゴッチは剛力に物を言わせて羊革製の屋根を剥ぎ取り、車体も適当にへし折って強引な軽量化を行なってしまった

 馬車の引渡しを行なった兵士は複雑な顔をしていた。アロンベルの紋章の入った馬車にこんな無碍な真似をするなど、彼にとっては慮外の事だったのだろう。馬車自体の価値のみを見てもとんでもない事に違いない

 が、まぁ、ゴッチにしてみれば知ったことではなかった

 「ゴッチ先任!」

 出発間際、駆け込んでくる者があった。何時も通りの蒼いマントの下に、藍色をした胸部から下部分の無いサーコートの変形したような物を着込んでいる。そこから下は黒い皮鎧が覗いていた
 割と畏まった綺麗な成りで、そのまま式典にも行けるし、逆に実戦にも出られる装いだった

 「おう」
 「先任のコガラシが通信不能状態だそうですが、一体何が?」
 「…………あぁ、成程。妙に静かだと思ったらそういう事か。遺跡だか秘密基地だかの時もそうだったな」
 「は?」

 首を傾げるルークを他所に、ゼドガンが毛布にくるまってカチカチ歯を鳴らしているレッドを馬車に放り込む

 ぎゃん、と泣くレッドの尻を蹴っ飛ばしながら、ラーラが直ぐ傍に控え周囲を油断なく見回す。これで恐らくは大丈夫だろう

 「質の悪いクソッタレに目を付けられてな。エネミーは何らかのジャミングシステムを持ってる。詳細な性能やらは不明。理解できたか?」
 「ジャミング? この世界で、ですか」
 「お前の方のコガラシはどうだ」

 ルークは腰部右側に張り付いているコガラシに触れた

 「……停止してる。数分前までは通信可能だったのに」
 「まぁ、そういう訳だな。状況に対処しなきゃいけねぇ。少しピクニックに行ってくる」
 「はっ。重要度の高い作戦と考えます。自分もお手伝いします」

 ゴッチはルークをジッと見詰める

 何も見えてこない。自分じゃダメだ

 「ラーラ、おいラーラ。コイツどうだ?」
 「……可愛い物です。目をつけられないうちに、帰らせるべきでしょう」

 まぁそうだ。この少年が狙われる理由を、ゴッチだって見出せない

 「……何の話でしょうか?」
 「あー……、リスク回避の為に、連れて行けないって事だ」
 「しかし」

 踵を返すゴッチに追い縋るルーク。そのルークを背後から呼び止める者があった
 マグダラで主にルークの世話をしている侍女であるらしい。余程急いで走ってきたのか、髪も身成も乱れきって、今にも倒れそうなほど荒い息を吐いていた

 「ルーク様! あぁ……、ルーク様いけません!」
 「ナスタ? 何故ここに」

 次女はルークの腰にむしゃぶりついて、大慌てで引っ張っていこうとする

 馬車の引渡しの為、羊皮紙にあれこれ記入していた兵士が流石にその行動を見咎めた

 「無礼だぞ! 事情は知らぬが、身の程を弁えろ! 打胸礼をしないか!」
 「あぁいや、構わない。済まないが見なかった事にしてくれ。ナスタ、何が?」

 やり取りを見ながら、ラーラは指に炎を這わせ、それを空中で振る
 その軌跡で魔方陣を描いているのだ。ここ数日、ラーラのやる事は大半が意味不明だが、それでも無駄な事はしないだろう

 「その侍女は特に早く帰らせるべきです。そういった敏感な人間を、喜んで惨たらしく陵辱するでしょう」

 侍女が唐突に口元を押え、後退る。膝をついて、えづき始めた

 「ナスタ!」
 「……見ていられないな。下がるが良い、騎士よ」

 ラーラは顰め面で馬車から飛び降りると侍女に歩み寄る
 炎を纏わせた手で頭から肩を払った。えづいていた侍女は徐々に呼吸を落ち着けていき、真赤に泣きはらした目でラーラを見上げる

 それを確認して、何も言わず馬車に戻るラーラ。ゴッチはその背を追いながらぶっきらぼうに言葉を投げた

 「詳しい説明はまた今度してやる。ゴッチ・バベル・アワーのお時間を楽しみにしてな」

 とは言っても、俺も全く事情を知らんのだが

 侍女の背を支えて立たせるルークは、その可憐な存在の事を気にしつつも尚言い募った

 「ですがそれでは……」
 「先任の指示に従え。とっとと失せねぇと、そこの健気なアイドルがゾンビみてーな顔色にされた挙句、心臓麻痺で殺されるぞ」

 心臓麻痺で殺される、とは全く奇妙な物言いだった
 ルークは全く理解不能だと言う表情だったが、仕方なく侍女を支えつつ去っていく

 お優しい美少年だ事で。ゴッチは漸く馬車に乗り込む事ができた

 「やっとか。出るぞ」
 「あぁ、頼むゼドガン」

 欠伸をしていたゼドガンが馬車を引く駿馬達にムチを入れる
 動き出す馬車の上でレッドの背中を摩りながらラーラは言った

 「ボスの同志とは思えない誠実な少年ですな」
 「役に立つらしいぜ。男娼やってるのがお似合いの面構えだと思うンだがな」

 おっと、コガラシが切れてて良かった
 マクシミリアンが怖いと言う訳じゃねぇが、取引相手を怒らせるのはまずいからな

 別にテツコが怖かった訳じゃねぇ


――


 この馬車の旅は、ゴッチが今まで経験した内でも特に最悪だった

 以前銃器密輸の冤罪を掛けられ、空港警備隊のセキュリティルームで十六時間ぐらいぶっ続けの尋問を受けた事があったが、それよりも最悪である

 視界の隅では常に何か黒い影がちらついているし、ふと視線を動かしたら青白い手がスーツの裾を握っていたなどザラだった

 更に、馬車は十分置きに旅人らしき人影を追い越すのだが、よく見れば追い越す人影は常に同じ背格好の男で、堪らず振り返って睨み付けるとこの世の者とは思えない声で笑い出す始末

 「情けない連中だと思えば腹も立ちません。所詮あの程度の事しか出来ない下等な存在です」

 ラーラがそういうので仕方なくゴッチは放っておいた。今でも馬車は、十分置きに色褪せた薄茶色の外套にくるまった人影を追い越していく

 「兄弟……。あー……楽チンだぜ……。兄弟の傍に居ると……ホッとするだぜ……」
 「ったく……。何が悲しくて男に擦り寄られなくちゃいけねぇ。今回だけだからな」
 「えへ、えふぇふぇふぇ、やっさしーい。こりゃ、槍が降りそうだぜ……」

 ゴッチが馬車の折れかかった縁に凭れていると、少し調子を取り戻したのかレッドが右肩に寄り掛かってくる

 本当に、全く、嬉しくない状況であったが、ゴッチは好きなようにさせる事にした

 向かい側から硬い表情で声を掛けるラーラ

 「……調子はどうか。私では気休め以上の事は出来ない。済まないな」
 「そんな事ないよ……こんな凄ぇボディガードが三人も付いてるなんて、自分がとんでもない大物になったみてーだぜ。ラーラが居なかったら今頃兄弟のスーツに吐いてるよ」
 「おい……やったら両足をへし折るからな……」
 「きょ、兄弟、顔がマジだぜ……」

 そこでゴッチは気付いた。レッドの視線がズレている。ラーラの更に右側二十センチ辺りの空中を、ボーッと見詰めているのだ

 ラーラに視線をやった。ラーラは当然気付いていて、寧ろそれが理由でレッドに声を掛けたらしかった

 「目を見て話せ。礼儀だぞ。……時にレッド、アロンベルと何処に行っていた? 何故こんな事になったのか、詳細を教えて欲しく思う」
 「えー……今じゃなきゃ……駄目ぇ?」
 「ほらこちらを見ろ、だらしないぞ……。レッド! こちらを見ろと言っている!」

 突然大声を出してラーラはレッドに詰め寄った
 正気を失ったという風ではない。レッドの黒いインナーの襟首を掴みあげてガクガクと揺さぶっている

 「ん? どうした?」

 呑気そうな声を出すゼドガンの方を見もせず、ラーラは激しい口調で行った

 「この馬鹿者、引き込まれているのです! 仕方のない奴!」

 ラーラはゴッチのスーツを要求した。少し考えた物の、素直に従うゴッチ

 スーツの上着を渡すやいなや、ラーラは右拳を気合一発レッドの頬に打ち込んで、頭からスーツを被せる
 そしてそのまま頭を抱き締めた。ラーラの身体をうっすらと炎が這い回る

 「おい彼処、何が居るんだ?」

 ゴッチは先ほどレッドが視線をやっていた所を指差す。目を閉じたままラーラはそれを制止する

 「ボス、指を下げて下さい。意識してはいけない」
 「あー、そう言う事言われちまうとなぁ。面構えだけでも教えてくれ」

 好奇心を隠しもせず、ニヤニヤしながら言うゴッチ
 ラーラは難しい顔で考え込んだ。言うべきか否か、或いはどの程度までを伝えるべきか悩んでいた
 ゴッチの余裕綽々の態度がキモだ。こうも平然としていられると、ラーラも教えても大丈夫だろうという方向に思考が傾くらしい

 「薄汚い女です。小猿のような顔をした、落ち窪んだ目とガリガリに痩せた体付きの不気味な女。自分の指をしゃぶってニタニタ笑いながらレッドを取り殺そうとしている」
 「追い払えんのか」
 「他とは格が違っています。私の知識では」

 ゴッチはガタガタ揺れる馬車の上でそろりと立ち上がる
 この歳になるまで、幽霊とドライブに出かける事になるなんて思いもしなかった。まぁ、今ゴッチの周囲はゴーストが一山幾らで投げ売りされている状態だ。今更同乗者が一人増えた程度で、騒ぐ事も無いだろう

 「ククク」

 ゴッチは何だか急におかしくなって小さく笑い始める

 ふと思い立って右手の親指を唇に触れるか触れないかの位置まで持っていき、その上で口をチュパチュパ言わせ始めた
 指をしゃぶっているように見えなくもない

 「どうだ、こんな感じか?」
 「……ふ、ふふふ」

 ラーラは青白い顔で笑った。ゴッチの大胆不敵さ……と言っていいものやら。兎に角恐れ知らず振りには、流石の自分も敵わないなと思い始めていた

 「おい、実況しろよ。その……猿みてぇなブス女が何してるかをよ」

 言いながら、ゴッチはレッドを庇うように座り込んでこれみよがしにチュパチュパやり始める
 空気が変わった

 「……これは愉快だ。腹を立てているようです。凄い目付きでボスを睨んでいます」
 「よーしそれじゃ俺はダブルピストルだ。どうだ、アーン?」

 ゴッチは左の親指も口元に持って行って両手でチュパチュパし始める
 実際に口に含んではいないと言ってもそれなりに面倒な仕草だ

 屑め。使えないゴミ虫め。指しゃぶるのって楽しいのか? ガキかてめーは

 ゴッチは嘲るような視線で周囲を睥睨した。何処にいるか解らない相手を見ると言うのは、結構大変だった

 「ふふふ……目と鼻の先ですよ。ボスと接吻したいそうです」

 ここに居るのか。あっかんべぇする

 「ばァァァ~~~~っかじゃねぇかお前。チンケな虫が何イキがってんだド阿呆め。精々指しゃぶりながら俺の事を見てりゃ良いさ。それしか出来ないんだからな! うわはははは!!!」

 ずし、と肩が重たくなった気がする。今まで何とも無かったのに、急に気だるさを感じた。耳がキンと鳴る
 ゴッチは大きく息を吸い込んで叫んだ。かっ! 気だるさを吹き飛ばして、耳の穴をほじる

 「……はぁ……。ボスは最近特に、……その、常軌を逸してきましたな。……レッド、調子はどうだ?」

 ラーラが呆れたように言いながら、黙りこくるレッドの身体を揺すった
 どうやらレッドは失神していたようだった。頭をふらつかせながら起き上がると、前と比べて幾分かはっきりとした目付きで周囲を見渡す

 「……あれ……ちょっと楽になったかも。……何かあったのん?」
 「……いーや。何も無ぇさ。だが目は開けてろよ。ラーラも夢の中までは面倒見切れないからな」
 「童のまだるみです故、さてどうしているのが良いのやら」
 「? 何だそりゃ」
 「夢か現か区別出来ない状態と言う意味です」

 静かに手綱を握っていたゼドガンが、不満げに言う

 「お前らだけ楽しそうで、割に合わんぞ」
 「そういうお前の背中には、筋骨隆々の大男がしなだれかかってるぜ」
 「本当か?」
 「嘘だ。お前の周りには見えねぇ。少なくとも俺にはな。ラーラ、ゼドガンはどうなんだ?」

 ラーラは答えず、肩を竦めるばかりだった

 「居るってさ」
 「大男でない事だけを祈るか」


――


 夕方、カンスレー山岳部へと到達する。渓谷を超えた先にある山の麓には小さな村があった
 規模は五、六十人程度。出来損ないのオムレツのような、歪な紋章の入った服を着ている村人達を一目見て、ゴッチはシケた村だなと評した

 何となく、目なんだなと思った。服の模様の事である。墨のような黒で乱暴に描かれたそれに、ゴッチは嫌な物を感じた。ただ布に塗りつけられただけの墨を、嫌な目つきと表現するのは不自然だろうか

 「……馬が限界に来ている。不思議な物だ、幾ら走りどおしだったとは言え、それ程速度を出した訳でもないのに、この程度の道程でここまで疲労しているとは」
 「あーあ、何もかも幽霊のせいだろうよ。馬がへばってるのも、俺の機嫌が悪いのも、太陽が沈んでいくのもな」
 「馬も幽霊は怖い物なのだな」
 「……くぁ……ふ……、まぁ好きではないだろうさ」

 大欠伸をかます

 疲れ果てた駿馬。ゴッチには馬の表情なんて解らないが、ゼドガンが疲れ果てていると言うのならそうなのだろう。荒地を蹄で引っ掻いてはぶるると息を吐いている

 体調も回復し、多少の軽口を飛ばすようになったレッドが吃逆しながら降りてくる。横隔膜のみならず、体のあちこちが痙攣しているようだ

 「ぐひっく! ふへー、もうちょっと多かったら呼吸困難になってるかも」
 「そんな物に抱きつかれて平然としているお前が凄いのだ」
 「この騒ぎが終わったら、もうちょっと“あっち側”の事勉強するだぜ?」
 「……そうだな、ご教授願うとしよう。ふんっ!」
 「うひゃぁ!」

 その尻を蹴り飛ばしながらラーラ。その行動にどういった意味があるのか、矢張りゴッチには解らない

 「ふいー……で、この、俺達に特に厳しい大自然しか無さそうな村にどんな秘密兵器があるんだ?」
 「ここにゃ無いだぜ。山頂付近に解決の糸口が……、あるといいなぁ?」
 「…………まぁ、行ってみるしかねぇ。どうせお前の話を聞いたところで、十分の一も理解できそうに無ぇしな」
 「兄弟もラーラと一緒に勉強する?」
 「奴らの? 勘弁しろ。おかしくなっちまう」

 笑い飛ばしながらゴッチは村に足を踏み入れる。余所者であるゴッチ達に対し、村の者達の視線は冷ややかだ

 いや、とゴッチは適当な老人を一人睨みつけた。コイツらの視線は余所者云々と言う感じではない

 怒りだ。憎しみの篭った視線である。ゴッチの表情が途端に恐ろしいものへと変貌する

 何ガンつけてんだ。指を折るぞ

 「赤い楽士だ……」
 「また現れたのか、厄介者め」

 少しずつ村の者達が集まり始めていた。ゴッチ達を遠巻きに取り囲み、ぼそぼそと話し合っている

 漏れ聞こえてくる声は当然ながら歓迎の言葉ではない。ゴッチはレッドと肩を組んでニヤリと笑った

 「よう、大した嫌われようじゃねぇか。普段人懐っこい面してフラフラしてるお前が、どんな悪事をしでかしたんだ?」

 レッドがべぇーと舌を出す。ラーラが不敵に笑った。ラーラも今、相当“キて”居る。激高するのはゴッチより早いかも知れない

 老人の集団が人の輪を押しのけて現れた。黒い布を頭から被った小柄な人影を護るように、或いは捕えるようにして中心を歩かせている

 レッドが顔を上げ、息を飲んだ

 「なん……止めろって言っただぜ!!」
 「レッド?」
 「てめーらその子を離すんだぜ! いい加減鶏冠に来たんだぜ!!」

 老人集団の先頭に居た最も老いた老婆が黒い布の人物をレッドの方へと押しやる

 レッドはその人物を抱きとめて座らせた。黒い布を取り払うと、酷く衰弱した華奢な少女が現れる
 褐色の肌に黒い髪。閉じた目尻から涙を流している

 少女は何も着ていなかった。腕と足、腹と背から血を流している
 魔方陣だ。肌に魔方陣を刻まれているのだ。ゴッチの見立てでは相当切れ味の悪い刃物、錆びたような奴。そうでなければそもそも刃物ですらない、尖った石のような物で

 「あぁ、あぁ、こんな、酷ぇだぜ。エシュー、しっかりしろ!」
 「……レ……ド……?」
 「もう大丈夫だぜ。明日にでもクエラの所に連れてってやるかんね」

 少女が目を開けた。瞳の表面に白カビが生えたみたいに濁っている
 ラーラが歯ぎしりした。隣りに居たゴッチはラーラの怒気に眉を跳ね上げる

 「……毒、目に毒を……。これだから田舎者は。……頑迷で排他的で進歩の無い、勝手な都合で人を傷付けて平然としている屑どもめ」
 「…………直接言ってやれよ」
 「この屑ども! お前達教養のない田舎者は何時もそうだ!」

 鬱陶しそうにゴッチが言うと、ラーラは本当に大喝を叩き付けた

 ゼドガンがラーラの口を塞いで黙らせる。話が進まないだろう、と目が言っている

 「ゴッチ……。こういう娘だと言うのは、重々承知だろう」
 「あぁ、悪かったな。……いやだが、こりゃ明らかに別の私怨が入ってるだろ」

 老婆はちっとも堪えた様子が無い。ラーラを一瞥したきり無視すると、レッドに向かって剣呑な視線を向ける
 口を開けば嗄れた声が響く。地の底から響くような不気味さがあった

 「楽士、お前が連れて行くんだ。愚かなお前と騎士達が引き起こした事だ。責任をとってもらう」
 「責任? 元はと言えば、てめーらが迷い込んだ神官を嬲り物にして殺したからだぜ! いけしゃあしゃあ、許せねーんだぜ!」
 「大神様の所望された女だ。我等の働きによって、北の大地は神怒を免れておるのだぞ」
 「どこまで自分達に都合良く考えられるんだぜ……? カシーダを怒らせたのはてめーらの祖先だし、訳のわかんねー儀式で呪いを強めてきたのもてめーらだぜ! 全部自業自得、ざまぁカンカン! こっちは迷惑してんの! ロベリンド護国衆も、全てのタウラも、バヨネの案内人達も、皆そう言う! てめーらが正しいと思ってんのはてめーらだけだぜ!」

 老婆は溜息を吐きながら首を振る

 「お前の戯言を聞きたい訳ではない。その娘と共に深淵に行けと言ったのだ。さっさとしろ」
 「カチン、来たぁ……。誰が聞くかよ。カシーダの祭壇もあの掃き溜めも、一切合切ぶっ壊して帰るかんな! 今度という今度は本当の本当にもう心底から許さんだぜ!」

 周囲を取り囲む人の輪の空気が変わった

 老婆の目つきが剣呑さを増す。ゴッチは欠伸をした

 気に入らんってーなら、ぶっ殺してしまえば良い物を。どうせこんな辺境の村、火でも掛けて皆殺しにすれば露見もすまい。後腐れもなくなってスッキリ爽快ではないか

 「聞き捨てならんな……そんな事を許すと思うのか」
 「おうレッド、言ってやれよ」

 レッドは大きく息を吸い込んだ

 「誰が許してくれって頼んだんだぜぇー?!」

 老婆は嗄れ声で哄笑した。馬鹿にしきった笑い方だった

 「愚か者は何処まで行っても愚か者だ。大神が神罰をくだされるだろう。その時に慈悲を乞うが良い。……まぁ、その慈悲を賜った者は今まで一人として居らぬが。……さ、連れてゆかぬと言うなら娘を返してもらおう」

 割り込んだのはゼドガンの拘束から脱したラーラだ
 ゼドガンは肩を竦めてやれやれと行った風である

 「残念だったな。私は屑の頼み事は何一つとして聞かない事にしている。赤子の手を捻るが如き容易な事柄であってもだ」
 「小娘、先ほどから騒がしい奴だ。弁えたらどうだ?」
 「……この、このラーラ・テスカロンが、……死に損ないの化石に、不勉強で、利己的で、想像力の欠如した醜いしわくちゃの老婆に、弁えろと、弁えろとそう言われたのか」

 ラーラは足を地面に叩きつける
 ニタリと笑ったのだが、その様は何処かゴッチに似ていた

 ラーラは顎を引いて恨めしげに見上げるような視線で人々を威圧した
 五指を反り返る程に伸ばした右手を突き出し、指の間の隙間に人々の顔を捉えながら、ぐるりと周囲を見渡す

 「解らないのか、見えないのか愚鈍な者どもめ! 貴様らの背に取り憑く女の姿が! ギシギシ歯を鳴らしているぞ! 貴様等を苦しめて、苦しめて、苦しめて、衰弱しきり死んだ後も、永遠に飴玉替わりにしゃぶり尽くしてやろうとしているのだ! 夢に見るのではないか?! ふとした拍子に感じるのではないか?! 己の背後に忍び寄る者を! 貴様等の信じる物にとって貴様等は家畜同然だ! そして畜生に神は居ない! お前達は縋るものも無く死んでいくのだ、一人として残らず、悶え苦しみながら!」

 もう一度、ラーラが足を地面に叩き付けた。叩き付けた足を始点に突風が巻き起こる

 「んお?! ……あ? 何だ……?」

 生ぬるい風だ。それが頬を撫でた瞬間、本当にその一瞬だけ、ゴッチは自分の身体を這い回る小猿のような複数の影を見た、気がする

 「あ、ヒィィィ!」

 村人の一人が悲鳴を上げてのたうち回る。しきりに自分の体のあちこちを手で叩く
 混乱は一瞬で広がった。全ての村人が悲鳴を上げながら、身体を叩き回す

 己の身体に取り付く何かを叩き落とそうと必死になっている

 「小娘! 何をした!」

 一人平然としている老婆が大声で詰問する。ラーラは高笑いした

 「お前達の言う、“神”を見る手伝いをしてやったのではないか! この中では、お前が最も愚鈍であるようだな!」

 少女を抱き締めるレッドの体が青白く光る。お得意の不思議な手品で少女を治療しているらしい

 周囲を見回しながら、レッドはうひゃぁ、と恐ろしそうに身を縮こまらせた

 「ラーラってば悪役振りが板についちゃってまぁ。……兄弟のせいだぜ?」
 「……そうかぁ? ラーラに問題があるような気がするが……。まぁ良いからよ、こんなカスども放っといてとっとと行こうぜ。肩が重てーんだ。さっさと終わらせてぇ」


 昨日寝てねーからな……眠ぃんだ……

 ゴッチはもう一つ欠伸した。レッドの顔色が悪くなった


――


 レッドやラーラが言う所によると、エシューとか言う小娘を連れて行くのは色々と危険らしいので、ゼドガンがエシューと共に山道入口で待機する事になった

 レッド鉄粉で円を書き、青い炎でそれを焼く。ゼドガン胡座を掻き、その上にエシューを座らせた。ゼドガンの大柄な体躯の懐にすっぽりと隠れるエシュー

 「良い感じ。これならきっとバレねーだぜ」
 「よく解らんが……。まぁ、この娘は守ろう。あの妙な村の者達からもな」
 「ゼドガンの専門外の奴も、この陣の中に入ったなら多分見えるんだぜ。もし来たらズバっとやっちゃって」
 「任された」

 斬れる、と聞いたゼドガンは、心無しか嬉しそうだった気がする


 レッドを先頭に三人は山を登った。道は山道と言うよりも獣道と言った感じの物で、途中えも知れぬ方に紛らわしくそれていたり、草叢に隠され途切れていたりしたのだが、レッドは少しも惑うことなく登り続ける

 登山の間、ラーラは生い茂る木々の隙間に絶えず注意を払っていた

 ゴッチにも、そこに何か居て、自分達を見ているのが解った。耳鳴りがやまない

 「眠気が飛ぶから、そこだけは感謝しとくか」

 どうでも良さそうに言いながら、半ば走るようにして先頭を行くレッドに追従する


 「ここだぜ。この祭祀場、多分ここ」

 レッドの言う祭祀場とは実に簡素な物だった

 ゴッチよりも背の高い、一抱えほどの胴回りの大岩が八つ、古びた倒木を囲むように設置されている
 倒木の周囲は不思議と草が生えていなかった。山中故に虫が多くゴッチは辟易していたのだが、その虫達も倒木の周囲には居ない。もっと言えば、岩で作られた円の範囲内に居ない気がする

 「ほう?」

 ラーラが面白そうな声を上げて湿った土を蹴り払う

 何かの突起物が地面から顔を出した。泥に塗れていて元が何色も解らない

 「人骨です」
 「ふぅん? ……察するに、生贄って奴かな」
 「えぇ。年端も行かぬ少年ですね」
 「そんな事まで解るのかよ」

 ラーラが大岩の一つを指差す。頭の辺りが欠けていて、凹状になっている岩だ

 「本人が」
 「……親切で良いこった」

 ゴッチとラーラが無駄口を叩く間、レッドは岩や倒木を丹念に調べていた
 それがお守りか何かであるようにギターケースのベルトを確りと握り締めている。肩に掛かる重量が、或いは安心させてくれるのかも知れない

 「……すげーゴチャゴチャしてて解り難いけど……大体解ったかも……」
 「……何がだ? 解決策か?」
 「敵の秘密基地」
 「おぉいまたかよ。俺はまた腐った死体と楽しく踊らなきゃいけねーのか?」
 「どうだろ。もっとヤベーかも知れないんだぜ」
 「スーツが汚れるのは勘弁して貰いたいね」

 もううんざりとでも言いたげなゴッチを軽く流して、レッドは祭祀場の岩の円から出る

 登ってきた獣道とは反対側に踏み出せば、そこからは急な下り坂になっていた。その半ばまでおりると、レッドは土を掘り始める

 「ここだぜ……。スゲー溢れてきてる。破裂寸前って感じ。アロンベルの調査はズバリだったんだぜ」

 ゴッチとラーラが追い付いた時には、レッドは石版らしき物を掘り当てていた。三人は顔を見合わせたあと、揃って石版に蹴りを入れる

 石版が音を立てて奥向きに倒れ、石の通路が現れた

 「…………」

 ゴッチのニタニタ笑いが引き攣る

 「俺にも何か……解るんだが……、ここ危険だな」

 そう言いながらも、ゴッチが真先に通路へと潜り込んだ

 この阿呆みてーな幽霊祭りもいい加減終いだ。どいつもこいつも纏めて磨り潰してやる

 通路に入り込んだ時にはゴッチにも見えていた

 自分の肩にしがみついて凄まじい憤怒の形相を見せる、猿のような顔をした不気味な女の姿に


――

 後書

 ホラーにありがちな伏線的な物をやろうかと思ったが
 危ないものはゴッチがぶちのめし、危なくなりそうなものはラーラがぶちのめすので
 そんな物はないド直球だぜフゥーハハハァー



[3174] かみなりパンチ38 レッドの心霊怪奇ファイル4
Name: 白色粉末◆fef39ae6 ID:c7c9cdef
Date: 2012/06/28 23:27

 通路と言うよりは洞窟だった。碌な補強も無い土の天井、壁、床。光源が全くないため、ラーラが火の玉を四つ作り出し周囲に浮かべる

 「便利だな」
 「魔除けの意味もあります。余り長く浮かべていると疲れますが。……決着をつけましょう」

 確かに、身体にまとわりつく不快な感覚が消えた。肩の重みも、倦怠感もだ
 ここからは出し惜しみなしと言う事か


 焦げ茶色の土壁はじっとりと湿っていた。その癖ちょっと触れるとポロポロ崩れ出す
 余り派手な真似をすると崩れるな。何気ないゴッチの言葉に、ぶっ壊しやすそうで有難いんだぜ、とレッドが続いた

 通路は十メートルも無かった。突き当たりにはぽっかりと穴が空いており、その穴から湿った空気が上がってきている
 土いきれと言う奴か。ゴッチは穴の縁にしゃがみこみ、鼻を鳴らした

 何か別の臭いが混ざっている

 「兄弟、見える?」
 「何が?」
 「なら良いや」

 そう言いながらギターケースを地面に下ろすレッドの手には杭付きの鎖が握られていた
 何もない所から手品のようにギターを取り出してジャカジャカやる男だ。鎖くらいどうとでもなるだろう

 いつかの時のように、穴から少し離れた場所に杭を打ち込む。踵で何度か杭を踏み付け、案配を確かめた後に鎖を穴の中へと下ろした

 「繋がってる“理由”が無いと、塞がれちまうかもしんねーかんね」
 「……穴が?」
 「そうさ。確かにカシーダは妙ちきりんな“決まり”に則る事で干渉する力を得てる。でも、シュレディンガーの猫の小首を捻るラフプレーぐらい、平気でするんだぜ」
 「そのカ」
 「おーっと、駄目だって。兄弟はカシーダも、カシーダの眷属の名前も呼んじゃ」

 舌打ちするゴッチ。ラーラだってそうしてるだろ? とレッドは軽い調子で言う
 あぁそうかよ。よく解らなかった。ゴーストなのか、モンスターなのか。ホラーなのか、ファンタジーなのか

 ラーラはゴッチの横でずっと穴の中を睨んでいた。ふと顔を上げてレッドの準備が完了したのを見ると、一抱えほどもある火の玉を生み出し、穴の中に落とす

 穴は二メートル程で広がりを見せた。ある程度の広さのある空洞らしい


 そして火の玉が地面に落着する寸前、血走った目でこちらを見上げる人間の顔が浮かび上がった

 「……!」

 瞬きの間にそれは消えていたが、見間違いではないだろう。血走った目を限界まで見開き、口は真一文字に引き結ばれていた。余程口端に力を込めているのか、顔は四角く変形して微かに震えていたような気もする。男か女かは解らない

 異様な顔だった。そもそも炎によって浮かび上がった顔は陰影の掛かり方で細部までは解らない筈であるのに、目尻の皺まで見て取れた


 再度舌打ちしたい気分になる。視線を感じて横を見ると、それはラーラからの物だった

 「……どうした?」
 「……ボス、私の傍に。レッドもだ」
 「オーライ」
 「レッドが力を発揮できない以上は、最悪でも私の炎の内から出ないように。……レッド、鎖は」
 「あいつ等の嫌いな奴をたっぷり篭めてあるんだぜ。俺らが帰るまでは持つと思う。生き埋めは嫌なんだぜ」

 ならば良い。言いながらラーラは右手を振る。更に四つ新しい火の玉を生み出して、計八つで周囲を取り囲んだ

 熱を感じない。ゴッチが不思議に思って火の玉を握る
 火の玉はゴッチの掌中で形を変える。熱くない。ほんのりと暖かいだけだ

 便利だな。ゴッチは火の玉を解放すると、首をくい、と動かして穴を示した

 「行くぞ」

 三人そろって飛び降りる。ラーラの炎がそれを追い掛ける

 着地の瞬間、べき、と音がした。硬い棒状の物を踏み折ったのだ
 泥にまみれ黄色に変色した棒は、何かの骨であるらしかった。どうせそんな事だろうとゴッチは思っていた

 悪態を吐こうとしたゴッチに、レッドが慌てた様子でしがみつく

 人差し指で口を抑えて、「静かに」のジェスチャー。ゴッチは直ぐその理由に気付いた

 着地した三人を囲む八つの火。その外側に、幾つもの人影があった

 影、としか言いようの無い姿だった。火の玉に照らされている筈なのにぼんやりとしていて、輪郭すらはっきりとしない

 僅かに三歩大股で踏み出せばぶつかる距離にいるのにだ。墨で塗ったかのように黒々としていて、其処に居る影としか認識出来なかった

 ゴッチは音を立てないように周囲を見渡す。6、7人程に取り囲まれている

 「(……いや)」

 違った

 6,7人では到底効かない

 大雑把に測って、八×八メートル程度の面積のある空洞を、人影が埋め尽くしていたのだ

 急に現れたのではない。きっと、ゴッチが気付かなかったのだ
 影がそこに居る事を認識し、注意を向けた途端に、見えなかった者たちまで見え始めた

 なんだかストンと腑に落ちた。見ると言うのは恐らくそういうことなんだろうと、論理的ではないが納得した

 「(こいつら少し違う)」

 暴れて一切合切吹き飛ばす気にはなれなかった。こいつらは何か違う。容易に手出し出来ない不気味さを感じる

 その時、人影の輪が動いた
 俄に前進し、ゴッチ達との距離を詰める。知らず、息が詰まる

 ラーラの火の前で止まり、じっとこちらの様子を伺っている

 声などない。音も
 これだけの数がいるのに、吐息一つ、足音一つ、無い

 また少し、人影が前進してきた。ゴッチ達を守る火の輪が少し狭まる。見れば、ラーラは苦々しげな顔で心臓を抑えていた

 押し込まれているのか

 ぐぐ、と身体に力を込めるゴッチの胸に、レッドは両手を当てた
 抑えろ、抑えろと繰り返し唇が動く

 ゴッチは音を立てないよう静かに深呼吸して、背筋を伸ばした

 この影どもは気に入らないが、信じよう、レッドとラーラを

 長く無音の時間が続いた。三人の内誰も身じろぎ一つせず、一分とも十分とも知れぬ時間が過ぎていく

 気付けば、影が減っていた。部屋を埋め尽くしていたのが七割に、半分に、まばらになり、少しずつ姿を消していく

 最後にはレッドの目の前に立つ影だけが残された。感覚的にレッドを見ていると気付けた
 その影だけずぅっと其処に残り、また長い沈黙の時間を挟んで、漸く姿を消した

 「……ぶはっ」

 レッドが息を吐き出した。それに釣られてゴッチも荒い息を吐く
 ラーラも同様だった。心臓を抑えながら片膝を着き、苦しげに顔を歪めていた

 ゴッチは問う

 「今のは?」
 「“見ちゃいけない連中”。見えなくてもヤバイけど、見えちゃうともっとヤバイ。正体は俺にもちょっとわかんない」
 「ヤバイ、以外解らんじゃねーか」
 「さっき見た、生贄にされかけてた女の子居ただぜ? あの子が目にあんな事をされたのは、奴等を見えなくする為なんだぜ。生贄にされて、奴等との距離が近くなった者は、黒い影でなく本当の姿が見えるようになる」

 レッドは額に冷や汗を滲ませながらケラケラ笑う

 「で、奴等は本当の姿を見られた時、見た者をどこまでも追い詰め、惨たらしく殺す。……らしいんだぜ」
 「……ケ、よっぽどの不細工面なんだろうな。同情するね」
 「本末転倒だぁね」

 声を潜めて笑うレッド。ラーラが立ち上がる
 息を整え終えて、レッドをジッと見ていた。何か言いたげだった

 ゴッチにも、もう一つ聞きたい事があった。恐らくラーラと同じ事

 「なぁ、最後に残ってた奴……。どうもお前に御執心だったな」
 「うーん、モテる男は辛いんだぜ」
 「……ひょっとしてお前、奴等の事見えてるんじゃねーのか」

 レッドは俯いた。小さく笑っている。仕方ない、とでも言うような、諦めの混じった笑みだ

 いつも底抜けに明るい馬鹿が

 ゴッチは萎んで見える背を張り飛ばした。ぎゃん、と悲鳴を上げるレッド

 「陣形変更。俺が先頭だ」
 「あえ?」
 「レッド、俺の後ろに居ろ。ラーラ、最後尾を守れ。屑共にケツを掘らせるな」
 「まぁ、可能な限りは」

歩き始めるゴッチ。慌ててレッドがその背に続く。八つの火の玉が赤い尾を引きながら着いてくる

 「……兄弟、イラっと来ても見境なしにバリバリやっちゃ駄目だかんね」
 「ふん」

 そうだ。お前はそうやって軽口叩いてろ


――


 広い空間からは通路が伸びていた

 猛烈な蒸し暑さだった。ジルダウも、その北部も決して湿気の多い地域ではない。気温も低い

 だというのに、この洞窟内の異様な熱は何だ

 土の通路は湿っぽさを増していた。一歩踏み出すごとに地面に足が軽く埋まる。電気を生み出すピクシーアメーバの細胞が全体の七割を占めるゴッチは、ある程度熱に耐性を持つが、逆に湿気は苦手だ

 この蒸し暑さ、さぞや後ろの二人はへばっているだろうと思い振り返ってみれば、矢張り二人とも額に汗を浮かべていた

 「ボスは何とも無いので?」
 「熱いのは得意でね。……っ?」

 笑いながら前に向き直ろうとした時、首筋に空気の流れを感じた

 全身が蒸し暑さを感じる中で、首筋にだけ異様な冷たさを感じた、細い、凍てついた指先に撫でられた感触だった

 首筋に手を遣る。触れてみても掌に感じる体温に変わりはない
 だが首筋は依然冷たいままだった。クソ、とゴッチは吐き出す

 「……失礼、防ぎきれない物もあります」
 「…………」
 「ボス? ……まさか、こんな物が堪えているとは言わぬでしょう?」

 短い歯ぎしりの音がする。ゴッチの首筋に浮いた血管
 ラーラはまずいな、と感じた

 「あの屑共を磨り潰す瞬間を想像してるんだ……。きっと快感だぜ……。散々お預け食らってるからよ……」
 「……ここの最奥部に何があるかは知りませんが、レッドが用事を済ませるまでは我慢してください」

 解ってる。感情を押し殺した声で応え、ゴッチは今度こそ前に向き直る

 ラーラは知らず息を吐いた。薄ぼんやりと目を開いただけの、今のゴッチの表情
 その面の皮の裏側にどす黒い物が渦巻いているのがよく解った
 耳元で死の呪文を囁かれるよりも、あの目で睨みつけられる方が余程恐ろしい

 矢張り奴等よりこの男だな。ラーラは変に納得してしまった


 歩きながらゴッチは無言のレッドに声を掛ける。それ程長い時間歩いた気はしないが、先が見えなければ嫌にもなる

 「どれだけ歩くんだ? レッド」

 レッドは応えなかった。難しい顔をしながら地面を睨んでいる

 またか。ゴッチは拳骨を振りかぶる

 「待つだぜ! 暴力反対!」
 「あん? 何だ、てっきり歩きながら寝てんのかと思ってたのに」
 「そう何度もやられねーだぜ。それよりも……」

 レッドは唇の前で人差し指を立てた
 静かに、のジェスチャー

 「……耳を澄ましながら、慎重に歩くんだぜ」

 あぁもう何でも来やがれ。ゴッチは唾を吐こうとして思いとどまった
 決してこの趣味の悪い秘密基地の親玉の怒りを恐れたわけではない。カポとしての立ち振る舞いを考えたら、唾を吐くなんてのは非常に宜しくないな、と思っただけだ

 ゴッチは前方に目を凝らす。異様な暗さ。ラーラの炎も僅か三歩先までしか照らし出さず、塗り潰したような闇が続く

 焦げ茶色の土の天井、壁、地面。酷く湿っている。更に土壁は何かの骨が飛び出している箇所が幾つもある

 土の臭い。暑さと湿気のせいもあり、噎せ返るようだ。それに混じって何か別の臭い。どうせろくな物ではない。賭けてもいい

 おーい、と何処か遠くから呼ばれた気がした。耳鳴りか? ゴッチはぶる、と頭を振って、一歩踏み出す


 パタ


 微かに音がした。レッドの言葉に従って慎重さを保っていたから、気付けた

 ゴッチは下を見る。湿った地面
 意図して足を叩きつけたりしなければ、パタ、なんて音は出ない

 後を振り返る。難しい顔で矢張り地面を睨むレッドと、険しい顔のラーラ

 「……馬鹿な、何の気配も感じないのに。何が居るのだ、レッド」

 ゴッチは前を向いた。ゆっくりと、もう一歩踏み出す


 パタ


 また音がした。おーい、と耳鳴り。心無しか先ほどよりも大分近い

 傍? 近くに居る? それとも距離があるか? 前? 後ろ?

 ゴッチは地面に勢い良く足を叩きつける

 ダンッ!

 バタバタバタバタ!

 音が連続し、しかも凄い速さで近づいて来る

 前方。闇の向こう。ゴッチは肺一杯に空気を吸い込んで身構える

 黒々とした闇の中、見える筈もないのに何かの輪郭が浮かび上がる。ぼぅ、と青白く仄かに光っているように感じられた

 バタバタバタバタ!!

 四つん這いの女だ。ガリガリに痩せて何も身に纏っていない。ぼろぼろの布切れを頭に巻き付け、長い髪を振り乱しながらこちらに這い寄ってくる

 「なん……ッ!」

 ラーラの焦燥の滲む声

 手と足が異様に長く、大きい。行き過ぎた痩身であるせいで、その巨大さがより際立って見える
 その手足が地面につく度にバタ! バタ! と鳴るのだ

 「上等……!」

 拳を握り締めたゴッチを、またもやレッドが抑えた。お馴染みになりつつある“静かに”のジェスチャー

 手に平たい金属板を握り込んでいる。蒼い表面には何かの文字が刻んであった

 レッドはそれを放り投げた。湿った土壁に跳ね返されて転がったそれは、身を震わせてりぃん、りぃんと鳴る

 猛然と近付いて来ていた女がピタリと止まった

 レッドがラーラに向けて両腕を振り乱す。何かを移動させろ、と言っている
 ラーラは難しい顔をしながらも、周囲を守る炎達を手元に集めて小さくした

 同時にレッドはゴッチのスーツの裾を引っ張る。道を開けろ、とでも言うように通路の端へと。ラーラもそれに続く
 通路の壁にぴったり寄り添うと、レッドは放り投げた金属板へと右手を向けた

 金属板が一人でに浮き上がり、また土壁にぶつかってりぃんと鳴る。洞窟を構成する土は酷く湿っている筈なのに、不思議と良く震えた

 りぃん、りぃん。その音に引き寄せられてバタバタと四つん這いのまま走る女
 金属板が地面に落ちる。跳ね返って数歩先へ。りぃん、りぃん。追い掛ける女。右往左往している

 レッドは少しずつ金属板を移動させ、自らの横を通り抜けさせ、今まで歩いてきた方へと向かわせる

 バタバタと鳴らしながら女は矢張り追い掛ける。三人の横を通り過ぎていく

 その時、ゴッチはハッキリとみた。泥に塗れていても尚青白い体。何かの植物でギチギチに縫われた口。そして異常な程見開かれた、白い黴のような物で濁った目。鼻は醜く潰れている

 金属板の鳴らすりぃんと言う音を追いかけて、女は闇に消えていった。レッドは暫く右手を突き出したままだったが、やがてすべき事を終えたのか、重たい溜息と共に腕を下ろした

 「……目が潰れていた。かつて生贄として捧げられた女か。凄まじい憎悪を感じた」

 声を可能な限り抑え、囁くようにラーラが言う

 きっと上の祭壇で生贄にされた後、影達によってここに引き摺り込まれ
 恐怖で発狂し、衰弱しきり、苦しみ抜いた末に、餓死したのだろう
 爪が無かった。或いは地上へと這い上がろうとして全て剥がれたのか
 幾ら手足を大きくしても、ここから逃れられたとは到底思えないが。羽を生やした方がまだ目があったろうに

 哀れな女だ


 矢張りこちらも囁くようにレッド

 「……ラーラが村で言った通りさ、あの娘は今でもカシーダの飴玉だぜ。……行こう。暫くしたら、きっと戻って来ちまう」
 「アレに追いかけられるのはゾッとしないな」

 不敵な笑みを浮かべながらのラーラの軽口に、ゴッチは過剰に反応した

 「あぁ? なんだと……?」
 「…………ボス、何か」
 「……いや、何でもねぇ。進むぞ」

 らしくもない深刻そうな溜息を吐いて、ゴッチは先を促す

 炎に周囲を守らせて、再び歩き始める三人

 ラーラはレッドに目配せする。レッドは困ったように頭を掻いている

 「(……ここまで来ると呆れたものだ。私だって理解出来ないのだ。全く何が何やら解らん物に囲まれていると言うのに、本当の本当に、心底から恐怖を感じていないのか、あの人は)」

 ラーラは昨晩からずっとゴッチと一緒にいるのだ。嫌でも気付く
 ゴッチはレッドを助ける為に今こうしている。レッドが抑えろと言うから抑えているに過ぎない。“奴等”を刺激せずに最深部まで辿り着くためだ

 昨日の夜、屋敷に戻った時から本当は暴れたくて仕方がなかったのだ。それを、耳に息を吹きかけられても、スーツの裾をしつこく引っ張られても、幻覚を見せられても、嘲笑われても抑えた。レッドがどんな状態なのかも解らなかったから

 それがレッドと合流した今になっても我慢を強いられている
 明確な悪意を持った敵に好き放題されているのに、それに耐え続ける状況

 この男に取り、どれほどの屈辱か

 常人が感じる恐怖などこの男にはない。死者への怖れ、古代の神への畏れ、全くの未知と敵対する事への恐れ、そんな物は無い。一片もだ

 恐れ知らずとはこういう事か

 「(レッド、余りボスに我慢をさせると如何なるか解らんぞ)」

 そうだ、炎で周囲を守らねば。そう思いつつ、ふと視線を右に移した


 女の顔が浮かんでいた


 「!」

 ラーラは硬直した。先程と同じだ。生贄の女に、ラーラは気付けなかった

 「(この女!)」

 声が出ない。女の手がラーラの首に回っている。絞められている、と言うわけではない。冷たい感触があるだけだ

 だが、声が出ない。呼吸することすらも

 そしてラーラは気付いた。褐色の肌と黒い髪。この女、先程村で。確かエシューとか言う

 「何やってやがるッ!」

 意外な事にレッドよりもゴッチの方が早く事態に気付いた。鋭い直蹴りがエシューを貫く

 その瞬間、霧散するようにエシューの姿は消え去った。ラーラの喉がかひゅ、となって漸く空気を通す

 「エシュー?! 何なんだぜ?!」

 意地でも膝はつかぬとラーラは地面に足を叩き付けた。その脇をゴッチが支え、レッドが背後を守る

 「ボス、気配がしなかった、全く。レッドも気付けていなかった、危険です」

 言ってからラーラは気付いた。ゴッチの背後、つまり通路前方、何時の間にかそこにいる人影

 エシュー。一糸まとわぬ姿で虚ろな目をしている。身体に刻まれた魔法陣からは夥しく出血しており、それが断続的に地面に落ちてパタタタ、パタタタ、と音を立てる

 「この感じ……何故……だぜ……?」

 ギターを構えたレッドの言葉に、エシューは身体を震わせた

 頭をがくんと垂れ下げ、吃逆でもするかのように痙攣する

 「ナァズェ? ナズェ? ナァ、ナァ、ナッズェ? ッズェ? ナ! ナ! ナナナナナナナナナナナ!!」

 悲鳴のようであった。凄まじい音量で不明瞭な言葉を垂れ流すエシュー

 ぐば、と大きく口を開いた。およそ人間では不可能な程に大きくだ
 口の中には血が溜まっていた。固まりかけのそれが勢いよく流れ落ち、地面に血の池を作る

 「ナゼェ?! ナゼ、ナゼ、ナゼ、ナゼ、ナッゼ?! ンッナッズェ?! ブズエェ!」

 エシューはガクンガクンと水飲み鳥のように頭を上下させながら歩き始める。血だまりに足を叩きつけ、びたん、びたん、と赤黒い雫を跳ね上げながら、少しずつ近付いてくる

 「え、エシュー」

 ゴッチが徐にスーツを脱いだ。ラーラにそれを投げ渡すと、溜息を吐く

 「ほらやっぱり」

 次の瞬間、ゴッチは血を吐き出すエシューの頭を鷲掴みにし、地面に叩きつけていた

 首は完全にへし折れていた。額も完全に陥没し、血だまりに何か柔らかそうな物が零れ落ちる

 しかし体は動いていた。血だまりの中でバシャバシャのたうちまわり、痙攣する蛙のような醜い姿を晒している

 「ほらやっぱり、服が汚れるじゃねぇか」

 ゴッチは頭上より高く右足を振り上げ、振り下ろす。斧を落とすような踵落としだ

 嗜虐的な笑みを浮かべたゴッチの踵落としは、エシューの腰を完全に砕いた。まだ動いているエシュー。ゴッチはおまけとばかりにもう一度繰り出す

 上半身を決定的に砕かれてとうとうエシューは動きを止めた。返り血で顔を真赤にしたゴッチは満足げな息を漏らすと悠々立ち上がる

 「あの小娘はゼドガンが守ってる。ならコイツはただの案山子だ」

 ギラギラ輝く瞳がレッドとラーラを貫いた。レッドはお手上げだ、とばかりに苦笑した

 「……兄弟の言うとおりだぜ」

 ふん、と鼻で笑いながらゴッチが下を見れば、エシューは消えていた
 動いた気配など微塵も無かった。血だまりだけを残して、幻だったかのように

 ゴッチは血だまりを蹴った。乾きかけている

 「あーあ……。まぁ、腐った肉の臭いと血の臭い、どっちがマシかと言ったらこっちだな。さ、スーツを寄越しな」


――


 それから酷くさ迷った。薄暗い通路は一本道である筈なのに、気付けば同じ場所をぐるぐる回っていたりもした。明らかに異常であったが、今更驚くには値しない。それもレッドのちょちょいのちょいで破れそうだ

 レッドが何か小細工をして、そしたら何か変わった。そんないい加減な物がゴッチの所見である。自分の尻尾を追い掛け回す犬のように同じところをぐるぐる回らずに済むのならば、何だって良かったのだ

 ラーラは無力さを感じているらしい。この状況下で様々な知識が足りず、勘も働かず、無力な己に憤っているようだった。ゴッチにしてみればよく働いていると思うのだが

 「そりゃそうだぜ。カシーダ達は炎が大嫌いなんだ。正確には、命の光かな。こっちの世界では命は火。だからラーラの不意を討とうとするんだぜ」
 「あの影共の時は負けそうだったな?」
 「馬鹿な、まだまだ余力がありました」

 ツンとして言うラーラ。何処から取り出したのか、青い絵の具で土壁に奇妙な紋様を書き込みながらレッドは笑う

 「ラーラが居たから何ごとも無く済んでるんだぜ。そうでなきゃあの時に総力戦さ。あっちこっちからヤベーのが集まってきて、押し合い圧し合いしながら通路を進む破目になる。ここまで来れたかどうか……」
 「……あの影達は今どうしてる?」
 「古の伝承から察するに……、奴らはこの洞窟の入口辺りに縛られてるんだぜ。多分大丈夫」

 よーしOK! レッドは紋様の出来栄えに満足したのか、頻りに頷いた

 「……ヤベー、か。そういやダージリンがヤベーとか言ってたな。アイツを呼べば良かったんじゃねーか? カ……いや、鬱陶しいクソッタレも、ダージリンにビビって逃げたかもしれんぜ」
 「氷の魔術師が居ては逆効果です」

 ふん、と鼻息を荒くするラーラ。確かにラーラはダージリンの事を毛嫌いしているが、それでも根拠のない事を言う女ではない

 あ、やっぱラーラ解る? とレッドが振り向いた

 「ダージリンのはさ……なんつーか、属性が同じなんだぜ。同じ業界のスーパースターが現れてカシーダの奴が張り切っちゃう感じ? 仮に此処にダージリンが居たとしたら、ダージリン自体は無事だろうけど……無事なのはダージリンだけだろうなぁ」
 「良く解らん話だが、珍しくアイツが訪ねてこなくて運が良かったと言うべきかな」
 「……運では無いかと、一々鬱陶しい奴ですが、氷の魔術師は、ボスの不利益を望んでいません。感じていたのでしょう、今我々に会えばボスの危険が増すと」
 「勘か? ……まぁ良い。奴の気遣いに感謝してやるか」
 「ボスが心を割かれる事柄とは到底」

 其処にレッドが割り込んでくる

 「そろそろ行くんだぜ。あと一箇所に施せば幻覚を破れる。そうすりゃカシーダと御対面さ。……嫌な気配が近づいてきてんだぜ。確かにラーラの炎は心強いけど、カシーダの“決まり”に付き合わされると無効化される可能性もある」
 「決まり、決まりね」
 「そういうセレモニックな所、侮れないんだぜ。声を出してはいけない、姿を見てはいけない、そんなオカルトって結構あるだぜ? 決まった日時にこうしなければいけない、逆にこうしてはいけない。何かを身につける、つけない。決まった色、食べ物、呪文、そう言った決まり事に付き合わされて、条件が噛み合っちまうと、こちらがカシーダを“受け入れた”事になる。そうなると大変だぜ」
 「オカルトには縁がなくてな」
 「……うーん、兄弟に合わせて言うなら、ビジネスでの契約は絶対だぜ? そう言う事」
 「ほぉー。声を出しては行けないビジネス契約ね。成程腑に落ちた」

 ゴッチを先頭に再び歩き出す。拳を握ったり開いたりする内に、背筋がゾクゾクしてくる
 何となく、予感がある。そろそろ良いだろう? もうそろそろ。そんな風に呼びかけてくるものがある

 レッドが十分なお絵かきポイントを見つけるのに、大した時間は掛からなかった。土壁相手にせっせとやり始めたレッドの脇を固め、作業が終わるのをジッと待つ

 「でもよ、オカルトに縁が無くとも、何となく解るぜ」

 静かな口調の中に自信が滲んでいた。レッドは手を止めずに先を促す

 「奴等は全く恐く無い。だから、奴らは俺を殺せない」

 レッドはにこりとした

 「やっぱり兄弟ってば頼りになるんだぜ」

 ラーラはなんとも言えない疎外感に眉を顰めた
 男二人で納得してしまって、この炎の愛娘ラーラ・テスカロンの事を忘れてはいまいな?


 兎にも角にも、レッドは手早く作業を済ませる。ゴッチを先頭に来た道を引き返していくと、急にラーラの火の玉が弱々しくなった

 今までハッキリと数歩先までを照らしていたのに、今や火勢を失い、互いが互いの顔を確認出来る程度でしかない

 「……純粋に力負けしている。成程、古代の神。伊達ではないか」
 「カシーダまでの道を開いたせいで、逆に向こうからの力が漏れ出してるんだぜ。確実に近づいてる」
 「不思議と気分が重くなる」

 とでも言ってやれば満足するかね、悪霊さんは

 ここだ、とゴッチは足を止めた。三人はこれまで、永遠に続くかのような土の通路を進んできた

 補強など一切されていない通路で崩れていないのが不思議なくらいだった。そしてその通路には、横道等の類の物が一切なかった

 その筈の通路に、穴が一つ空いていた
 ゴッチが身体を縮こまらせて漸く通れる大きさの穴。向こう側は今いる通路を一回り大きくしたような通路が続いている

 土の色が妙に違う気がした。焦げ茶色だったのが、より黒々としている。炎の加減等ではないようだった

 「……この先では、魔除けの火は使えません。灯りは無い物と思ってください」
 「おいおい、ブラインド・ハイクか? 勘弁してくれ」
 「大丈夫だぜ」

 レッドが穴を覗き込みながら言った

 「あぁー、でもこれは……。懐かしい感じなんだぜ。大丈夫、行ける。でも問題がある」

 妙に力のこもった声だった

 「俺なら見える。俺の手を握って」

 そして、奇妙な事を付け加えた

 「中に入ったら目を開けちゃ駄目だぜ。俺の名前を呼んだりするのも駄目。っていうか誰の名前でも駄目。……いや、そうだな、偽名なら良い」
 「なんだそりゃ。それも“決まり事”なのか?
 「そうだぜ。よし、じゃー俺はグリーンだ。レッドじゃなくてグリーン。兄弟はピクシー」
 「……チ、しゃーねぇな」

 そりゃ、ピクシーアメーバだから

 溜め込んだエネルギーを発散する機会が無くて、ピクシーアメーバの部分が泣いている

 ラーラが自信満々に自分を指差す

 「アヴォーシュと呼ぶがいい」
 「…………」
 「アカンシュの強き守護か! そいつぁ良い名前だぜ!」

 理解の及ばないゴッチを他所にレッドはしたり顔で頷く
 ゼドガンもあーだーこーだと言っていた。余程大層な名前らしかった

 「よし、もっかいおさらいだぜ。目を明けない。偽名で呼び合う。もし本名で呼ばれたら絶対に反応しちゃだめだぜ。どんなに親しい人物の声でもだ。手を離さないこと。引き込まれちまうかんね。恐れないこと。まぁ、コレは心配してねーだぜ。大丈夫になったら手を離すから、そしたら目を開けていい」

 なんだ、とラーラは笑う

 「実に簡単だな」
 「……そうかなー。ま、兄弟とラーラが俺を信じてくれれば簡単な話だぜ」
 「なら信じようじゃねーか」
 「愚問であるな」

 レッドは面映ゆいと言いながら頬を掻いた

 ゴッチは小さく笑いながらスーツの皺を治す


 断ち切る


 ここでだ


――

 後書

 ホラーに合う文体ってどういうものか良く解らない。
 要練習って感じ。

 まぁ途中からそもそもホラー書いてるつもり無かったけどね!

 終盤どうしても筆が進まなくて、酒の力で書いたので、あーもーどうでもいいわい!


 レッド「ゴッチ、きみにきめた!!」



[3174] かみなりパンチ39 レッドの心霊怪奇ファイル5
Name: 白色粉末◆fef39ae6 ID:c7c9cdef
Date: 2012/07/10 14:09

 学校ではオカルトは教えてくれない。物差では測れない。少なくとも今ゴッチが持っている、このアナリア王国の中でも常軌を逸しているだろう物差でも、だ

 レッドに手を引かれ、目を閉じたまま歩く。不思議な空間だった

 歩いている感触が無い。妙に気怠い足を動かして前に進んでいるつもりではいるが、地面を踏んでいる気がしないのだ

 スライム状の物体の上を滑っているような覚束無さ。ゴッチは慎重に歩を進める

 右隣を歩くラーラの荒い息遣い。息苦しさを感じているのだろう。ゴッチもそうだ

 雰囲気や気配などではなくて、もっと物理的な感触だった。首まで水に使っていれば、こういう息苦しさになる

 「ボス、大丈夫ですか?」

 気遣わしげな声が響く
 ゴッチは返事をせずに考えた

 確かに偽名で呼べとは言われた。だがそもそもゴッチは普段、レッドには兄弟、ラーラにはボスと呼ばれている。ピクシーなんて偽名は必要ないのではないか?
 こういう場合はどうなんだ? セーフか? アウトか? 決まり事ってのはややこしくていけねぇ

 確かめりゃ良い

 「おい“アヴォーシュ”、何か言ったか?」
 「いいえ“ピクシー”、そちらこそ私の事が気になりますか?」
 「お前の声が聞こえた」

 ラーラの含み笑い

 「私もです。『大丈夫か?』などと聞いてくる物だから、偽物だろうと思って無視していました」
 「俺を何だと思ってやがる」
 「普段興味を持たないではないですか、私の調子など」
 「あぁ、まぁな」

 感覚が変わった。足元のスライムが嵩を増して、膝下まで登ってくる
 正確には、登ってくる気がする。足は動かそうと思えば動くし、何かが邪魔している訳でもない。妙に重たいだけだ

 「触れるな! 戯け者!」

 唐突にラーラが怒鳴る。あちらは大人気のようだな、とゴッチは小さく笑った

 段々と嫌な空気が近くなってくる。近くなる、と言う表現が正しいのかどうかもゴッチには解らない。その「嫌な空気」と言う奴は今も直ぐ傍にあるのだし、ただそれが強くなると言うか、大きくなると言うか

 とにもかくにもその存在感を増しているのだ。打ち捨てられた元娼館で、レッドの閉じこもる部屋に押し入った時と同じ気配

 死の気配。アレを数倍した感じ。平然と言ったが実はそう易い事態でも無い。心構えはしていた筈なのに自分が段々と死んだつもりになってくる

 「しかしピクシーも今そんな事を言うぐらいなら」
 「あぁ……?」
 「もっと日頃から私のことを労わったら如何か? 全くピクシーと来たら悪名を散蒔くだけ散蒔いて後は知らん振り。他の町の商人と話を付けるのも一苦労なのですが」
 「何言ってんだお前? …………おいコラ、何とだ? おい」
 「ふふ、何時になく殊勝な態度ですな」

 なーにと喋ってんだこの馬鹿
 ゴッチは急にクスクス笑い出したラーラに眉を顰める

 右足をラーラの居るだろう方向に振ってみた。柔らかい物に減り込む感触
 目を閉じていると平衡感覚が損なわれる。ゴッチはたたらを踏んだ

 「な、何をなさる」
 「一体何と話してる。シャキッとしろよ」
 「……不覚!」

 舌打ちが聞こえた。最早ラーラの物なのか、そうでないのかすら解らない

 あちこちから囁きが聞こえる。無数の息遣い。足音。視線。目を固く瞑っていると言うのに時折視界の端を横切る影。瞼の内側に影が映るのだ

 人混みの中に居るかのようだ

 「おいグリーン、まだか。イライラしてきた」

 手を引いて歩く人物からは何の返事も帰ってこない

 「おい」
 「無駄です。今一番辛いのは奴の筈です。ボスもなるべく声を発しない方が宜しいかと」

 ラーラの声が、またボスと言った
 なら聞いてやらねぇ

 「おいグリーン!」
 「ピクシー、どったの? 今俺ってばスゲー集中してるんだぜ?」
 「俺は後何分間この心尽しの持て成しを受けりゃ良いんだ?」
 「……そう長くねーだぜ。大丈夫大丈夫」

 カラカラ笑って、空元気だった。ゴッチの手を握り締める力が強くなる

 「ちょっと止まるだぜ。やり過ごす」
 「何をだよ……、ってあー好きにしろよ、どうせ見えねぇんだ。お前に任せるしかねぇんだからな」

 足を止める。ゴッチはそこで漸く風が吹いている事に気付いた
 大した風でもない。熱気が微かに動く程度で、涼しくも何ともなかった

 手がぐい、と引っ張られる。危うく手を離すところだった

 不思議そうなレッドの声

 「ピクシー、どうして止まるんだぜ? なんかされた?」

 あぁくそまたかっ。ゴッチは吐き捨てる
 何が何なのか。何を信じればいいのか
 難しいものだ、信じると言うのは

 「何でもねぇ。お前の声で止まれと言われただけだ」
 「俺の声で……? そりゃ……マズイだぜ。急ごう!」

 手を引く力が強くなる。スライムの小川を掻き分けながら足が進む

 唐突にスーツの襟を掴まれた。ゴッチは瞬間的に頭に血を登らせ、直後に言葉を失う

 「ゴッチ、何時まで好き勝手やらせるつもりだ」

 ファルコンの声だ。頭を斜めに傾がせ、翼をゆらゆらさせながら。事務所の椅子に座っている時の何時ものポーズが脳裏を過ぎる
 からかうような声音でありながら視線は鋭い。忘れもしないし、間違える筈もない、ファルコンの声

 「この野郎」

 発した声は自分でも驚くほど低く、野太かった

 「どうして奴等に思い知らせない。徹底的に痛め付けて、命乞いさせない」
 「この野郎、ふざけやがって」
 「怯えた犬みたいな格好しやがって。それでも俺の息子か? んん?」

 襟首を掴まれながらゴッチはぶつぶつ呟いた

 畜生、コイツ、誰の猿真似をしてやがる
 侮っているのか? 隼団を。馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め

 ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって
 ふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがって

 「解ってるんだろうな? お前は“隼団”なんだぜ」
 「っざぁぁぁけやがってぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 ゴッチは襟首を掴む気配に向かって裏拳を繰り出した

 ぼふ、と毛布でも殴るような感触。手が一瞬冷水を浴びせられたかのように冷たくなり、総毛立つ。襟首を掴まれる感触は消え、突風が吹く

 スライムの川を掻き分けるような感触が消えた。気付けば足はしっかりと土を踏みしめていて、しかも裏拳の踏み込みでそれを僅かに抉っていた。靴の踵部分が、地面が僅かに凹んだのを感じている

 そうだ、どうしてだ
 どうしてこんな奴等相手に我慢しなきゃいけねぇ

 ピクシー、とゴッチを呼ぶレッドとラーラの声が重なる
 またもや突風。大きく体が揺れる

 「うお、何なんだぜ? うわわ、離せェー!」
 「グリーン! えぇい鬱陶しいわ貴様等!」

 ゴッチは息を大きく吸い込んだ。クソ喰らえ。本当の本当にトサカに来たぜ

 握っていたレッドの手を放り出し、そして叫んだ。思い切り叫んで、目を開けた

 「オアアアアアーーーッ!! コッチだ! 来いッ! 屑がァァァーッ!!! 俺は目を開けてるぞォォーッ!!」

 どうした屑ども。俺は目を開けてるぜ
 俺を殺しに来い。俺が憎いだろう。散々お前らを馬鹿にしたんだ

 広大な空間である、ような気がする。真っ暗闇で何も解らない
 でもそこいらに得体の知れない者達が居るのが解った。辛うじて人形ではあるが、どう頑張っても人間には見えない者達
 以上に背が高かったり、腕が長かったり、必ずどこかしら異常を持っている
 そして一様に影に包まれていて詳細が解らなかった。その奇怪な者達の顔が、一斉にゴッチの方へと向く

 ゴッチの叫び声は続いていた。胸を開き、腕を開き、天を仰ぐようにして吠え続ける。獣のように吠える

 影達が宙を滑るように移動しゴッチに殺到した。胴に、四肢に、顔に張り付き、えも知れぬ方向に引きずっていこうとする

 「あぁ、あぁぁ! “兄弟”、何してるんだぜ?! 駄目だ! 駄目だ駄目だ! 手を! 手を出すだぜ!」

 焦ったレッドの声。もう本物だろうと偽物だろうとどうでも良い

 ゴッチは全身に力を込め、解き放った

 「失せろォォーッ!!」

 その圧が空気を震わせる。ゴッチに多勢で取り付いた影達を羽虫でも払うかのように吹き飛ばす

 影達はめげない。一度吹き飛ばされた程度では怯みもせず、再びゴッチに抱き着こうと迫ってくる

 その影達の向こう側にゴッチは見つけた。薄ぼんやりと白く光る物体
 真暗闇の中にハッキリと浮かび上がる長方形のそれ

 棺だ。ゴッチはそう感じた。あそこだ。理屈ではない。直感でそう思った

 「ラァァーラ!! 薙ぎ払え、もう許すな!」

 偽名だとか最早どうでも良い

 ゴッチの大喝が鬱陶しい連中を吹き飛ばしたのは確かだ。どれ程幻覚を浴びせかけられていてもそれくらいは解る。ラーラも意を決して目を開いた

 「恐れろ! 我が火を! 我こそ炎の愛娘、灼熱の寵児!!」

 ラーラが両の掌を地面に叩きつける。白金色の炎が吹き上がり、周囲に漂う影達を焼き尽くしていく

 「ラーラ・テスカロンであるぞ!! 恐れろ! 我が火を」

 炎が破裂する。白金の光が洞窟の隅から隅までを照らし始める

 ゴッチはレッドを脇に抱えて走った。飛ぶように走った。ラーラの金の炎に焼かれて悶え苦しむ影達をはじき飛ばしながら一直線に

 「行けぇ! ボス!」

 ラーラの気勢を背に浴びてゴッチは速度を増した。一歩一歩叩きつける足が地面を抉る。かは、と開いた大口に覗く犬歯が、その形相をより怪物じみた物に見せる

 『ジューターヤァァァ……』

 掠れ声が響き渡った。ゴッチの小脇に抱えられながらレッドがびくりと震える

 『ジューターヤァァァ……!』

 もう一度、掠れ声の呪文。疾走を続けるゴッチの足に突如として激痛が走った

 「ぐおぉ……!」

 思わず体勢を崩す。視線を落とす。異常は無い。ゴッチの足は全く常と変わらないままだ

 だがこの痛みはなんだ。ゴッチが歯ぎしりした時、レッドの身体から蒼い燐光が立ち上り始める

 「ちくしょー、こうなったらちょっと無理でもやってやるんだぜ……」

 身を捩るレッド。喘ぐような呼吸と共に声を張り上げる

 「行け! 土へ、塵へ! 正に今、お前自身を力でいっぱいにして、戦いの準備をしろ!」
 「レッド……?!」
 「行け! 行け! 行け! 行け、今! お前以外の目には映らない物へ! お前の中の何かが、お前をぐんぐんと引っ張っていく!」

 ゴッチは自分の体が燃えるように熱くなるのを感じた

 両足に感じていた激痛が嘘のように消えていく。自身の鼓動の音が聞こえる。血流の音が聞こえる。関節の軋む音が聞こえる

 「『行け、今!』」

 レッドの呪文。ゴッチの身体に上手く説明できない得体の知れない力が漲ってきて、心は少しも落ち着かず、呼吸は荒くなり、体温調節など必要ない筈のピクシーアメーバの細胞が発汗し
 訳の解らない何かに突き動かされて、ゴッチは走った

 暗闇の中から幾つもの手が伸びてくる。泥と血で薄汚れていて酷く汚い。ガリガリにやせ細った手で、その癖ゴッチの身体を掴む力は恐ろしく強い

 だからなんだ、洒落臭いわ

 数多の手の束縛は、ゴッチを瞬きの間押しとどめる事も出来なかった。ゴッチは振り払うことも大喝する事も無かった。ただ足を前に出すだけだ。それだけで無数の手は吹き飛んでいく

 前に進もうとする意志が、力が、邪魔する物全てを振り払う

 「そうだぜ! ファイティングスピリットだ! そいつが勝利の鍵だァ!」
 「レッド! テメエは隠し球が多過ぎるんだよ!!」

 雄叫び上げてゴッチは更に速度を上げる。ぼんやりと光る棺は既に目前であった

 四方八方から手が伸びてくる。好き勝手にゴッチとレッドの全身に掴みかかり、凄まじい力で棺から引き離そうとしてくる

 「『行け、今!』」

 レッドの歌うような呪文がゴッチの背を更に後押しした
 手の海の中でゴッチとレッドは身体を振り乱す。悪意を持った手達を押しのけ、掻き分け、棺へと近づいて行く

 「化けの皮剥がしてやらぁ!!」

 そして今、棺に触れた。遠くから何かの絶叫が聞こえた

 上から巨大な手が降ってくる。黒い影に包まれて輪郭の見えない手だ

 ラーラが言っていた事を思い出した。天を突く巨人

 その巨大な手がゴッチの身体を鷲掴みにする。放り出されたレッドの顔が何故かハッキリと見える

 「兄弟!」
 「馬鹿が!」

 ゴッチはここまで来たらもう我慢なんてしない。全身に力を込め、雄叫びを上げながら四肢を広げる
 ゴッチを握りつぶそうとする巨大な手が、少しづつ開いていく。ミチミチと音を立てながらゴッチの剛力の前に屈服していく

 巨人の握力何するものぞ

 バチバチと音が鳴る。ゴッチ自身も久しぶりにこの音を聞く
 ゴッチの身体を這い回る青い稲妻。次の瞬間、鼓膜を破らんばかりに轟音と共に稲光が迸った

 「馬鹿野郎がァァァーッ!!!」

 その稲妻は一切合切全てを吹き飛ばした。それは辛うじて己の魔術で身を守ったレッドとて同様である

 ゴッチは再度棺の蓋に手をかけながら、重苦しい声で笑った。死者も、神も、何者も畏れない絶対強者の笑いであった

 「お前等、暗闇に潜んで、こそこそ陰口叩いて、可哀想な豚を弱らして漸く取り殺して来たんだろ……? 安全な所から、獲物が慌てふためく様を見ながらよぅ……」

 ゴッチは弱い者いじめも大好きだ。だが、弱い者いじめしか出来ない訳ではない

 ゴッチがこれまで戦ってきた相手は、少なくともロベルトマリンで争ってきた相手は、大抵は酷く冷酷で、計算高く、タフな連中だった

 薄暗がりでこそこそしてるこんな奴らとは決定的に違う

 「俺は違うんだなァ~~……!!」

 ゴッチは棺の蓋を持ち上げる。持ち上げて、放り捨てて、拍子抜けした

 中に入っていたのはただのミイラだ。古の棺の中に入っている物としては妥当なのかも知れないが、ここまで自分を引っ張り回してくれた相手にしては面白みがなさすぎる

 さぁ、こいつをどうする。その答えも、ゴッチは直感的に悟っていた

 吹き飛ばされ、泥まみれになったレッドが制止する

 「駄目だぜ兄弟! 俺がやる! 兄弟はソイツに触っちゃ駄目だぜ!」

 ゴッチはレッドを見遣る。無数の手が再び暗闇から這い出してきて、ぼんやりと見えるレッドの四肢に取り付き始めている

 後ろを振り返ればチラチラと白金色の光が走る。ラーラはラーラで大暴れしているようだった

 時間的余裕は無い。ゴッチはべぇと舌を出した

 駄目だね、コイツは俺を怒らせた


 「悔しいか? 勘違い野郎。所詮お前なぞその程度だ」

 ゴッチは心底楽しそうに笑いながら、ミイラの頭に拳を叩き込んだ


 風が吹く。激しい耳鳴りが――


――


 シガニーサイドストリートはロベルトマリンの中でも一風変わった空気を持つ。朽ちかけた倉庫群が林立する中にポツリポツリと民家があり、そこは役所の方には無人の廃屋として登録してあるのだが、殆どの場合は程度の低いギャング達のアジトになっている

 過去、ロベルトマリンでバイオテロが起こった折、シガニーサイドストリート一帯は悪癖の伝染病に支配された。敏感になっていた政府の動きは迅速で、シガニーサイドは瞬く間に隔離され、根拠の無いデマや憶測の為に何人もの人間が言葉通り“焼却処理”された
 そもそも、シガニーサイドが出稼ぎに訪れた外国人がその居住者の八割を越す、当時のロベルトマリンの面倒事の一部を無理矢理詰め込んで蓋をしたような掃き溜めだったのも大きな理由だった

 だから、今でもシガニーサイドは“よく解らない事”が多い
 居住者達は未だに凄惨な事件の事を引摺っていて、政府に対して酷く反抗的だった。後暗い者達が指を滑り込ませる隙間はそれこそ幾らでもあったのだ


 シガニーサイドの南側、開設されたばかりのエアトレインステーションと、僅か五年で寂れた通運会社を五倍の規模まで拡大した立志伝中の偉人、ロビー・ロフマイルを代表取締役とするロフマイル通運の本社に挟まれた十六×二十メートル四方の小さな区域に、その家屋はある

 青い平屋根はそこいら中に汚らしくサビが浮いていて、ベニヤ板が打ち付けられた窓には罅が、屋根と同じく錆の浮いた軽量合金の壁には重機でぶち抜いたような穴がぽっかりあいている

 しかし中に入って見ると外見とは裏腹に綺麗に整えられている
 ロベルトマリンの特産木材であるオーカーウッドの総設えで、床にも天井にも艶があり、古びたところなど少しも無かった

 窓は無い。外壁に付いている窓はダミーだ。同様にぽっかり空いた穴も見せかけで、手を突っ込んで見ても直ぐに固いオーカーウッドに触れる事になる

 隼団最高幹部、“最初の四人”の一人、チェイ・ガンスンの隠れ家だった。同様に“最初の四人”の一人として忙しく飛び回るファルコン、その養子であるゴッチは、ファルコン以外では特にチェイに懐いていて、よくチェイの幾つかある隠れ家に入り浸っていた。今この時も

 チェイは余り口を動かすタイプではなく、厳格に見えるが、ゴッチに対して妙に甘い。ゴッチが何か無礼をしても咎める事は殆ど無かった。今この瞬間に、ゴッチがチェイの大事なコレクションである古い古い書物にフライドチキンの油を塗りつけていてもだ

 「……美味いか」

 深緑の鱗の肌を持つ痩身の男。髪はなく、硬質の皮膚が盛り上がった頭部に、縦に割れた琥珀色の目
 白のドレスシャツの上から黒のベストをラフに着こなす蜥蜴の亜人

 このリザードマンこそ、密輸人チェイ・ガンスンである

 くっくと笑うチェイに答えず、ゴッチはフライドチキンを片手に古書を捲った。黄ばんだページに脂の染みが滲んでいく

 ファルコンは鳥だから、フライドチキンと言う物が当然好きではない
 その煽りから鳥肉を食う機会など殆どなく、ゴッチに取ってチキンと言うのは縁遠い物だった
 普段余り味わえない鳥肉の風味を堪能する。そして時折思い出したように頁をめくる

 「なぁ伯父貴。このサシャって結局男なのか? 女なのか?」
 「…………男だ。ただの役者としか書かれていないが、読み返せば解ってくる」
 「へぇ……。コイツ、面白いよな」

 ゴッチが古書を持ち上げながら自然な笑みを浮かべる
 するとチェイも男臭く笑って同意した

 「……俺もそう思う。ファルコンもそう言っていた」
 「へへ、そうか」
 「……ふ」

 言葉少なく笑いながら、チェイはグラスを傾けている
 ゴッチは気遣わしげな視線を向けた。チェイが飲んでいるのは酒ではなく、薬だ。この茶色い、馬糞のような酷い匂いを放つ液体を飲んでいないと、チェイは太陽の下を歩けない。皮膚が爛れてしまう先天性の病を患っていた

 「お前が気にする事じゃない」

 ぐるる、とチェイは口を鳴らす。蛙のそれにも良く似た手を握ったり開いたりしながら、矢張り笑う

 「……もう必要ないのに、癖でな」
 「必要ない? 伯父貴、太陽光を克服したのか?」
 「……そういう事じゃないんだ、ゴッチ」

 首を振りながらチェイは黒いソファーに身体を沈み込ませた
 目を閉じて暫くぼんやりしていたかと思うと、唐突にゴッチに濡れタオルを放る

 ゴッチはタオルで指を拭いながらチェイの言葉を待った。何か言いたそうにしているのにはとっくの昔に気付いていた

 「……上手くやってるか」
 「当然だろ。今度もデカイ仕事を任されたんだぜ」
 「どんなだ?」
 「驚くなよ? 信じられねぇだろうがな、何と異世界に出張だ。名前は出せねぇが、統合軍のビッグネームまで関わってる大仕事なんだぜ」
 「異世界か。……少し気になる」
 「見ようぜ異世界! ファルコンに頼めばきっと取り計らってくれる」

 見たさ。チェイは目を閉じたまま穏やかに言った
 どういう事だ?

 「元気そうで安心した」
 「へ? 何だよいきなり……」
 「何でも無いさ。……帰れ、そろそろ危ない」
 「危ない?」

 チェイの言っている事の意味が、ゴッチには解らなかった

 ゴッチは自分の左手を見遣って、嘆息する。腕時計が無い

 「どうした? 早く行け」
 「そんな邪険にするこたねぇだろう。まだそんな遅い時間でもねーさ」
 「時刻の問題じゃない」
 「良いじゃねぇか伯父貴。久しぶりに会えたんだからよ」

 あれ、とゴッチは首を傾げた。自分で自分の言葉に疑問を感じた

 久しぶりに……会うのか? 俺は
 チェイ・ガンスンと?

 チェイの目がゴッチを射抜く。先ほどまでの穏やかなそれとは明らかに違う、冷酷な目

 「もう、行け」
 「……………」
 「行かねぇと」

 ゴッチは異様な空気に唾を飲み込む
 どうしてだ? 何故?

 「?!」

 ゴッチは思わず立ち上がった。チェイの姿が消えていた。今まで目の前にいたのに、瞬きの間に居なくなってしまった

 チェイが居たソファーに近づいてみる。なんの痕跡もない。柔らかい合成繊維を詰めたソファーは人が座れば深く沈み込み、立ち上がったあとも暫くは尻の形が残っている物だが、それも無い

 「……伯父貴」

 ふと気付けば、足元にシガーケースが落ちていた。元は銀色だったのが、煤と泥で見る影もなくなった名刺サイズのスモールケース

 「伯父貴の……形見……」

 シガーケースを拾い上げてジッと見つめる

 そうだ、チェイ・ガンスンは死んでいる
 こんな風に、いつもみたいに伯父貴の隠れ家に入り浸って
 その後、伯父貴はファルコンに花束を届けに行った。ただの花束じゃない。ショーパブに届ければ一纏まりの小金になる“小切手替わりの花束”だ

 そして、その途中に爆弾で殺られた。俺は呑気にフライドチキンを食ってて、連絡を受けた時は飲み干したビール缶を縦に積み上げて馬鹿みたいに笑ってた
 伯父貴が右腕と、左足の膝から先を引きちぎられ、肌が炭化して黒い塊になっている時に、古書に夢中になって、馬鹿面でいて

 伯父貴は

 俺はあの時

 「シャキッとしろ、ゴッチ」

 何処からか聞こえるチェイの声に慌てて顔を上げる。焦げ茶色のオーカーウッドの天井に、クリーム色の光を放つ小型シャンデリア


 あれ


 俺、何処に?


 ゴッチは目を見開いた

 シャンデリア等何処にもない。かわりに必死の形相のレッドが居た

 全身から蒼い光を迸らせ、ゴッチの手を握り締めて踏ん張っている

 「兄弟! だから駄目だって言っただぜ?」

 呼び掛けられて、ゴッチは漸く事態を理解した

 何だかよくわからないが、穴の中に自分は居るらしい
 下を見ればどこまで続くとも知れない暗闇。その中に自分は、レッドに右手を握られてぶら下がっている

 いや、それも違う。レッドが握っているのはゴッチの右手ではない
 ゴッチの体、より正確に言えば右肩の辺りから伸びる、誰のものとも知れない蒼白い燐光を纏った腕を掴んでいるのだ

 ゴッチはレッドが死んだ者達から力を借りて戦う事は知っている。だが、自分の体から蒼白い手が伸びる理由なんて知らない
 でも何となく解った。この俺の体から湧き出て、俺を救おうとする手は、チェイの伯父貴なんだな、と

 「そのファインプレイヤーに感謝しなよ! ついでに、自分の足をよーく見てみるだぜ!」

 言われるままゴッチは暗闇に目を凝らした
 太腿から爪先まで、少しずつ視線をずらしていく

 レッドが何を言いたいのかは直ぐに解った

 ゴッチの右の足首を掴むミイラが居るのだ。頭のないミイラが

 先程拳を叩き込んだのを思い出す。あの時に頭を潰してしまったのだったな、そう言えば

 「……あぁ?」

 ゴッチの眉間に皺が寄る。米神に青筋が浮かび上がって、それから全身の筋肉が硬直した

 状況を飲み込むほどに怒りが湧き上がってくる。全てこいつのせいだ

 この野郎。散々馬鹿にしてくれた挙句、俺にこんな無様を
 許せねぇ。テメェのせいでチェイの伯父貴に――

 「――手間かけさせちまったじゃねぇかぁぁぁ!!」
 「どわー! 兄弟! 暴れないで! 落としちゃうーー!!」

 ゴッチは足を振り回した。穴の直径は然程大きくない。少し身を捩れば直ぐに壁にぶつかる

 「畜生! 足から寸刻みにして、ネズミの餌にしてやる!」
 「そんなもん食うネズミが居るもんかァー! 暴れちゃ駄目だぜェー!」
 「何をしているレッド」

 二人して大騒ぎしていると、ラーラが顔を覗かせた

 炎を鞭状にしてゴッチの手に巻き付かせる、そのまま一気に引っ張り上げる

 ゴッチは僅かの間宙を待って、地面に叩きつけられた。暗闇の中にラーラの火の玉が浮いていて、少なくとも辺り数メートルの状況を把握することはできる。チェイの手は消えていた

 ミイラが足元に転がっている。未だ未練がましく、ゴッチの足を掴んでいる

 ゴッチは左足を振り上げ、思い切りミイラの背中に叩き付けた
 べちょりと潰れるミイラの胴体。不自然に歪む輪郭に、ゴッチは唾を吐きかけ、石ころにするかのように蹴り飛ばす

 「何か、得体の知れないのがやたらと居ただろう。奴らは?」
 「ふん。奴らの本来居るべきところに叩き込んでやりました。私とレッドでね」
 「クックック、そうか……。くふ、カカカカ」

 怒りと、開放感と、これから起こる事への期待が綯交ぜになった奇妙な高揚感。狂ったように全身を震わせながら、ゴッチは笑う

 この貧相なミイラが、路傍の石の如き、朽ち果てた倒木の如き、世の中から忘れ去られたような存在が

 ここまで俺をイラつかせた。隼団を侮った

 「安心しろ……。カシーダとやら……。お前も直ぐに、お前の手下共と同じ所へ送ってやる……」
 「……アレ? それやんのって俺だぜ?」
 「放っておけ。本当に寸刻みにして獣の餌にするくらいやるだろう」

 ゴッチはミイラに向かって歩き出そうとして、止まった

 首のない、胴体のひしゃげたミイラが僅かに動いたのだ。見間違いなどではない

 ゴッチが注視していると、ミイラの両の手がワナワナと震え始める。地面を引っ掻くように五指が握り締められ、震えは全身に広がっていく

 あ、と息を漏らす

 大きい

 ミイラがゆっくりと身体を起こしたのだ。でかい
 何を言っているのか、言葉を放ったゴッチ自身ですら理解出来なかった

 確かに目の前で転がっていた時はゴッチの背丈の半分ほども無かったのに

 今こうして身体を起こし、膝立ちになったミイラは、まるで聳え立つ塔のようだった

 “不思議な体験”をフルコースでご馳走になった後でも、目の錯覚だと思ってしまいそうである

 「……ほぅ、まだそんな余力があったか。姿を隠しながら儀式を司る者は、その正体が解き明かされた時全ての力を失う物だと思っていたが」
 「…………」
 「流石のボスも、言葉がありませんかな」

 地面に足を叩きつけるラーラ。噴出す炎、立ち上る熱風に白金色の髪を逆立てさせながら、ゴッチに意地悪く笑ってみせる

 ゴッチは自分で自分の身体を抱き締めて、これ以上ないほどの笑顔になった
 攻撃性や嗜虐性を丸出しにした、凄惨な笑みだった

 「健気でなぁ」
 「はぁ?」
 「俺達に勝てる訳が無いのに、必死に立ち向かってくる姿が……健気で……可愛くてなぁ……」

 モー十分、いい加減にして欲しいだぜ、とげっそりした顔付きでレッドが言う

 「北部の闇の伝承相手にそんな事言えるの兄弟ぐらいなもんだぜ」

 ゴッチはレッドにデコピンした。バチン、と良い音がなってレッドは飛び上がる

 「こいつを、言い訳のしようも無い程完膚なきまでに滅茶苦茶にしてやったら……、楽しいだろうなぁ、堪らないだろうなぁ。今までのイライラなんて一瞬で吹っ飛んじまうよ」

 巨大なミイラが両手を振り上げる。黒い影がそこにまとわりつき、不気味な風の音を響かせ始めた

 下がってろ

 短く言い捨てて、ゴッチは歩き出す。不満そうな顔で従うラーラ

 ゴッチの身体を電流が這い回る。少しずつ多くなって行く。少しずつうるさくなっていく

 ミイラが、手を振り下ろした

 「アァァァァッルァァァァァァ!!」

 奇妙な雄叫びはどちらの物だったのか

 ゴッチは圧倒的巨大質量からの攻撃に対して、全く引き下がらなかった。避ける、とかそう言った行動は一切無かった

 眩いばかりの雷を手にまとわせて、カシーダの握り拳を迎え撃ったのである

 先に降ってきたカシーダの右拳。タイミングを合わせてゴッチも右拳を突き出した。天に向かって挑みかかるような拳だった

 拳と拳の激突の瞬間、ゴッチの足元の地面に亀裂が走る。ゴッチの足が減り込んで、泥と砂が浮き上がる。凄まじい衝撃
 拳は接触と同時に電気エネルギーを破裂させた。蒼白い稲妻が、蕾の芽吹くようにして爆発する

 絶叫する。好きなだけ吠えて吠えて、体の内側にある物を全て吐き出す

 ゴッチの拳はカシーダの右拳を打ち砕いていた。カシーダの右手の中指、その付け根の関節を完璧に砕いた上、電撃でまるこげにしていた

 「come on! 1more!」

 激痛に身を捩るかのようにカシーダの巨大な体が揺れる

 どうだ、痛いだろう。こんな洞窟に隠れてばかりのお前には、キツすぎる目覚ましだったか?

 先程よりも更に強い力と、おぞましい気配の影を引き連れて降ってくるカシーダの左の拳

 ゴッチは両腕を開いて、それを受け止めた

 「ぐうぅぅぅ!」

 足元の亀裂は広く、大きくなり、ゴッチは地面を抉りながら僅かに後退する

 が、逆に言えばそれだけだ。たったそれだけなのだ

 「どう、したぁ?! そんなモン、かァ?! あぁぁ?!」

 ゴッチの身体を這い回る電流が急激にその量を増し、カシーダの左拳を伝ってその巨体を焼き始める
 聞きなれない激しい唸りを上げながら巨体を痛めつける蒼い閃光。ゴッチは尚も放電した。辺り一帯に異様な匂いが充満する

 「どうしたって言ってんだァ!! クスクス笑ってみろよカシーダさんよォー!!」

 稲妻の発する光と音が周囲を埋め尽くす。ゴッチの暴れ様を余すところなく見ていようとしていたラーラが思わず目を被ってしまうほどには凄まじい光だった

 最早光の渦にしか見えず、電流が巨体を蹂躙する音以外は聞こえず

 ラーラは引きつった笑を浮かべた。この圧倒的な暴力

 「……魔術師とは……巨人の神と相対してこうまで圧倒的に勝利する物だったのだな……」
 「いや……ほら、まぁ……。俺も兄弟にブースト掛けてるし……。いつもはもっとマシだぜ。……多分」

 自信なさげに言うレッドの目の前では、ゴッチが腕をいっぱいに広げてカシーダの手を捕まえ、一本背負いをぶちかましていた

 当然体格差と言うのも生温い差があるため、腕を捉えても居ないし脇を負ってもいない

 力任せに振り回しているも同然だった。風車小屋よりもデカイ巨体が宙を舞い、哀れにも地面に減り込む

 「アシュレイとボーなんたらはこんなもんじゃなかったぜ?! 根性見せろ!」

 ゴッチは大の字に倒れ込んだカシーダの左腕に飛び乗ると、叫びながら走った
 三歩で肩口に至り、そこで高く飛ぶ
 後は心臓部に向けて思い切りひねりを加えながら拳を捩じ込んだ

 頭のない巨人の絶叫。蝉の羽音のような不気味な叫び声だ。ゴッチは快感に身を震わせながらカシーダの胸の上で拳を構える

 「どうした?!」

 右拳一発

 「ほら、どうした?!」

 左拳一発

 「良いのか?!」

 右拳一発

 「コレが好きなのか?!」

 左拳一発

 「こうして欲しいのか?!」

 右拳一発

 「ほら!!」

 左拳一発

 ゴッチが全力で拳を突き込むたびに、カシーダは巨体を捩り、戦慄くのだ
 ゴッチは楽しくてたまらなかった。もっとこの巨大なミイラが、びくびく痙攣する所が見たい

 興奮しきって、ゴッチはカシーダのぼろぼろで凹凸の激しい肉を鷲掴みにする

 左で握って、右は拳を構えたままだった

 そして、連打。只管荒っぽく、力任せに右拳で突き続ける

 「あぁ?! またそれか! 芸が無ぇ!」

 夢中になっている内に、ゴッチの周囲を黒い霧が包んでいた

 そこから響く怨嗟の呻き声。爛々と光る不気味な赤い目。明らかな敵意

 まだそんな目が出来るのか。嬉しいぜ
 お前等が本当に俺様を恐れるようになるまで、絶対に止めてやらねぇ

 ひゃっひゃっひゃ、とゴッチが高笑いし始めたのがまるでスイッチであったかのように、黒い霧から影達が踊りだし、ゴッチに取り憑く

 ゴッチは構わずカシーダを殴り続ける。影達はそんなゴッチに次々と取り憑いていく

 全身を百を超える影達に拘束され、動きづらいなと思ったゴッチは漸く殴るのを止めて対策を取る。とは言っても、対策とも言えない力技だ

 思い切り全身を振り回して、同時に最大限の放電を行なったのである

 「退けぃ!」

 そして再び一心不乱に殴り始める。蝉の羽音のような叫びが段々と弱くなっていく


 少し離れたところで見ていたレッドとラーラは、最早唖然を通り越して呆れ返っていた

 「……兄弟……。アシュレイ達はほら、バリバリの武闘派だから……」
 「もうボスだけで良いのではないか?」


――

 後書

 ぐぶはー
 今日も元気に呑んでますかー!
 酒があれば幽霊なんて怖くない。
 その上でトランクスを被れば頭が冴えて最強に見える。
 初期はゴッチのパワーももっと大人し目だった気がするけど俺が酔うと途端にサイヤ人になる不思議。
 経験値を貯めてピクシーアメーバ細胞がレベルアップしてるんだと思って。



[3174] かみなりパンチ40 レッドの心霊怪奇ファイルラスト
Name: 白色粉末◆fef39ae6 ID:c7c9cdef
Date: 2012/08/03 08:27
 九人のタウラを前にして聖堂の壇上卓に着いたラーラの心境は、言うまでもなく複雑であった

 昨今の教会には知る人ぞ知る醜聞と言う物が多くあり、そしてラーラはそれを知る人間であったが、タウラの事は認めている。
 タウラになるには能力がいる。更にタウラは、信仰心に篤いかどうかは知らないが、神の名の元に概ね道徳的で正しい行動をする

 だからラーラはタウラに対して一定の敬意を払っている。そのタウラ達にたいして、まさか彼等の専門職業である退魔についての“講義”を行うことになるとは、思ってもみなかったのだ

 「これが今集まる事の出来るタウラの全てです。ラーラ殿、早速……」

 代表者面して凛々しく言うシェン。ラーラは溜息を吐きたい気持ちだった

 陽光の差し込む聖堂は不思議な神聖さがある。火の戦神ラウの兄弟神であったとされる岩と鉄の神ヘベンの、優美な笑みを浮かべた偶像を奉った聖堂で、時折神父が管理整備に現れる以外は特に人の出入りの無い場所だ

 ヘベンは最も長命であり、友の神々の死を見たくないがため目を閉じ、開かぬ神だと言う
 壇上卓の頭上、ラーラの背後で穏やかに微笑む偶像は、閉じた目でラーラと九人のタウラ、そして複数の軍団から派遣された騎士達を見下ろしていた

 「ヘベンの聖堂で、とは。それ程までにカシーダが恐ろしい物か」

 ラーラが何気なくカシーダの名を口走ると、タウラ達は皆一様に身を強ばらせた

 カシーダはその一睨みで容易く人を殺す。名を呼べば地の果てまで追われ、魂を抜き取られ、カシーダが飽きるまでその手慰みの玩具として甚振られる
 それがカシーダを知る者の共通認識だ

 全ての呪いを跳ね返すと言う、ヘベンの加護に縋りたくもなるのだろう

 説教はこの件を元に作ろう。ラーラは堂々と口を開く

 「その恐れ故なのだ、タウラの方々。貴方達が思っていたカシーダなど、全てとは言わないが大体嘘っぱちなのだ」
 「嘘っぱち? 此処に来る途中寄ったアロンベル殿の屋敷では、兵士達が死んでいたが? 狼が股座に噛み付きでもしたような凄まじい形相だった。あれも嘘っぱちか」
 「カシーダは儀式と恐れを操る。あの卑怯者が殺せるのは掌の上にいる者だけだ。若しくは奴の話を鬱陶しく思わずに聞いてやれる聖人か。……貴方達の方がよくご存知では?」

 用意された椅子に座らず、身体を斜めに傾がせて立つタウラが声を出して笑った

 「手厳しい。我等全員、不甲斐なさで目をくり抜きたい思いだ。だが……あー、カシーダの魔力は強かったし、恐れを完全に捨てされる物じゃぁ無いだろう、人間と言うのは」

 成る程な、とラーラは頷く。どうやら彼らはカシーダに打ち勝つ力となった“特別な要素”があると思っているらしい
 確かに、間違いではないだろう。レッドの力は正にそう言った物だ

 だがそんな事言えば、我々は全員魔術師だぞ。とラーラは胸を張る。結局カシーダより我々の方が強かった、とそれだけで終わってしまう

 「では、貴方達は私から話を聞くのではなく、レッドを連れて歩くのが良い。奴一人居れば実体を持たない虚ろなる者達など、嵐の夜の雨のごとく大群で降ってきても相手にならないだろう」
 「魔術師レッドには……以前からよくご助力頂いています。矢張り彼が解決の要であったと言う事ですか」

 シェンが羊皮紙を握り締めながら言う。羽ペンを掌中で弄びながら凛々しく笑う様が、嫌に溌溂としている

 「そもそも我等は魔術師だ。レッドは万物の真理を覗き見る為の第三の目を持っており、ボスは天地をも貫く雷鳴の男。私ラーラ・テスカロンは竜すら焼き殺す火の寵児、炎の愛娘である。前提からして違うのだ」
 「確かに真似できる事ではなさそうだが」
 「結局の所、我等が地力で勝っていた。そうなる。神々とて世界の一部なれば、カシーダは弱者故に我々に淘汰されたのだ」
 「そこだ」

 タウラ達がいきり立つ。鼻息を荒くし、好奇心に目を輝かせ、普段人々の尊敬を集める神官にはとても見えない

 「その地力の部分を聞きたいのだ、魔術師殿。道中遭遇した物事について細かく話してくれ」

 ラーラは首を傾げて、仕方なく道中の事を話し始めた

 自分達が如何に冷静で迷わず、且つ恐れ知らずであったか。適当な推測と脚色を交えながら
 武勇伝と言うのは多少誇張するくらいで丁度良い


――


 斑模様の大蜥蜴にしがみつかれながらレッドはギターを鳴らす
 シューシュー言いながら舌を出し入れする蜥蜴が、パクリとレッドの耳朶を甘噛みした
 あふん。と息を漏らすレッド。気持ち悪い

 「だっはっは、悪かったって。次があったら無理はしねーからさぁ」

 レッドは右肩の上ぬらぬらと光る爬虫類の頭を撫でる。目を細めてシューシュー言う大蜥蜴
 やがて大蜥蜴はレッドの言葉か、愛撫のどちらかに満足して、淡い燐光を散らしながら消えた。斑模様の大蜥蜴シュポス、レッドの過去の友人である

 ジルダウ湖のほとりにある林には今、人ならざる者達が集まっている
 人やら、鳥やら、犬やら。切株の上で歌うレッドを見守るように、様々な姿形を持った蒼い光の群れが

 友よ。レッドは矢張り歌う

 「御免だぜ。次は頼る、本当さ」

 古い様式の甲冑を纏った騎士がレッドの前に進み出てきた
 篭手に包まれた分厚い握り拳が突き出される
 レッドもそれに答えて、拳を突き出した。合わさる生身の拳と青い影

 燐光が弾けた。レッドがカラカラ笑っていると、青い影達は姿を消していく

 「あんがと、俺の友達よ」

 暫くここで歌おう。夜が来て、朝になるまで


――


 ゴッチは自室でぼうっとしていた。机の上に投げ出した爪先を見つめながら、何故か訪ねてきたオーフェスの話をどうでも良さげに聞き流す

 どうもこの気苦労の多い婆様は、ゴッチの元に……正確に言えばラーラの元に集まった高位の神官達の事を気にしているらしい

 「(俺が宗教屋と結託して何か企んでるとでも思ってるのか)」

 最初はタウラの神官達の相手をするのがどうしても嫌で、ラーラに指示するだけで自分は屋敷でだらだらしていた
 それがオーフェスの相手をする破目になるとは……

 「聞いておられるかね、魔術師殿」
 「あぁ……聞いてる。俺の部下の飼ってる犬が、アンタの花壇を滅茶苦茶にした話だったな」
 「……」
 「ジョー……冗談だ、聞いてるさ」

 必要な事だけな

 だからゴッチは、ほぼ何も聞いていないに等しい

 「どうやってタウラの司教達をああも集めたのですかな? 何の為に?」
 「本人達に聞けよ。言葉に力を持たせるとかなんやかんやで、嘘が吐けないとほざいてたぞ。そもそも俺が、あんな胡散臭いすっとぼけた事しか言わない連中を集めるかよ」
 「はぁ……。どうも年を取ると心配症になるようで。魔術師殿はどう見ても……信心深くは見えないんでねぇ。ロベリンドやタウラとの関係、気になってしまうのさ」
 「そんなにか? ……まぁ、お前等だって洋服箪笥の奥に秘密の手紙の一つや二つあるか」
 「嫌な例え話だねぇ」

 オーフェスは和やかに微笑みながら頭を回転させている
 ゴッチの教会に対する……いや、宗教に対する姿勢。神そのものに対する意識だ

 オーフェスの見立てでは、ゴッチ自身は教会の事を商売道具の一つだとか、その程度の物としか捉えていない
 そんな男の元に急に神官が集えば気になると言う物だ

 エルンストやその先代は首都から遠く離れた領地を発展させ勢力を増した。いわば辺境である
 数多の蛮族と戦い、時に庇護し、或いは服従させた。彼等はそれぞれに信奉する物が違い、それ故に異教の神々とも多く触れた
 そういった経歴は教会から睨まれるのに十分な理由となる。カノートから巫女を攫ったカザンの事もある
 オーフェスは慎重だった

 「攻めるにも守るにも使い道があるので、彼らは」
 「悪どい婆さんだ」
 「魔術師殿には敵いませぬがね」

 話した感じでは、ゴッチが教会と組むと言うのは考えづらい
 だがゴッチ配下のロージンが新たな販路として教会関係者用の様々な物資を手配しているのは確かだ。オーフェスはそこいらの諜報も抜かりがない
 その動きにゴッチは関与していないのか、それとも嫌っている風を装っているだけなのか

 「……あぁ、まただよ」

 ゴッチは、急に溜息を吐く

 なんでもない世間話をするような視線の裏にある、オーフェス緊張感に気付かないゴッチではない

 どうしてたかが宗教屋如きをそうまで気にするんだ?
 ゴッチとオーフェスでは認識が違っていた。ゴッチは教会の事を何の力も持たない存在だと思っていたが、オーフェスそうではなかった

 あぁ面倒臭ぇ

 「……迷惑な話だ」
 「は?」
 「迷惑だと言ったんだ。俺は婆さんにも、宗教屋にも用は無いのに、テメエら勝手にキーキー騒いでやがる。うんざりする目付きだぜ」

 オーフェスは苦笑いした。苦笑いで誤魔化す他無かった

 「そもそも俺が何か言って、それを信用する程真直な性根してないだろう。手駒をあちこちに走らせてるんだろうが。この上どうして俺の自由な心休まる時間を奪おうとするんだ?」

 自由な心休まる時間とは噴飯物の物言いである。少なくともオーフェスにとっては
 ジルダウを恐怖と混乱の渦に叩き込んだのは、複数の条件が重なったとは言え他ならぬゴッチだ。それが“自由な心休まる時間”などと

 が、そのような思考を僅かでも顔に浮かべる老婆ではなかった

 「いやいや、そのようなつもりはありませぬ」
 「俺の目的は知ってる筈だ。我等が貴公子ルーク殿は正直者の好青年のようだからな」
 「……魔術師殿、目的地へ行きたいだけなら、何も我々を勝たせるだけが方法ではないのでは?」
 「そう来るか……。結局の所、俺と話をしたい訳じゃねぇんだろ。……婆さん、俺をイラつかせたいんだな?」
 「まーまー、落ち着かれよ。そんなに意地の悪い事ばかり考えていると老けますぞ」

 ゴッチは身を乗り出してオーフェスを威嚇してみせる
 が、同時に仕方ない事だとも思う。ゴッチだったらゴッチのような奴は信用しない。そもそも自分のビジネスに便乗してそこいらを漁りまわるような奴が居たら、目障りだ、殺しているだろう

 「…………タウラとか言う連中と渡りを付けてやる。そこからは好きに貢物でも何でもすれば良い。奴等と仲良くしたいんだろ? 俺には理解出来んが」

 カノート神殿とか言う物についてゴッチは詳しく知らないが、それでも王都とべったりだと言うのは理解できる
 その蜜月関係の隙間にエルンスト軍団が入り込むと言うのは、きっと自分が想像する以上に難しいのだろう
 感謝しろよ、とゴッチは鼻を鳴らす

 オーフェスは身を強ばらせた。直後には何事も無かったかのように平然としているが、額には汗が浮いていた

 「だからもう帰れ」
 「それは……」
 「どうやら俺の“野暮用”が奴らの目に止まったらしい。良い印象を与えたようだ。それに、その“野暮用”で奴らは俺に対して大きな借りを作った。……少なくとも連中はそう思っているようだな。まぁ、貰える物は貰うさ」
 「その“野暮用”について詳しく聞きたい所ですな」
 「さっきも言ったろうが、奴等に聞けよ。奴等の言う事なら信用出来るんだろう?」

 怒らせてしまいましたのぅ、とオーフェスは矢張り笑う
 ゴッチの倦怠感は頂点に達した。犬を追い払うように手を振って退出を促す

 エルンスト軍団の軍師筆頭相手にこんな態度を取る者はそう居ない。オーフェスは無礼な扱いを受けたと言うのに、明るい笑顔で席を立った

 「もう面倒な話をしに来るなよ。場末の酒場でケツを売ってるガキですら人を笑わせる事が出来るのに、アンタはどうだ? 只管俺を疲れさせる」
 「ははは、何の。お礼をさせて頂きます故、これからもこの婆の相手をしてやってくだされ」
 「……早く失せろ。俺がエルンスト軍団への嫌がらせの方法を考え始めない内にな」

 オーフェスが扉の向こうに消える。ゴッチは大きく息を吐き出して、椅子に深く腰掛けた

 激しく疲労していた。其処に現れるゼドガン

 「オーフェスの護衛がピリピリしていて、屋敷の者達がそれにあてられてな。一触即発だったぞ。……ゴッチ?」

 ゼドガンは疲労困憊と言った風情のゴッチを暫し見詰めると、素早く距離を詰めて逞しい大胸筋に軽く拳骨を当てた

 「あ……! お……! っぐ……!」

 全身を苛む痛み、痺れ。僅かに身じろぎするだけで熱を持った関節が軋む
 激しい筋肉痛と関節痛。声に鳴らない悲鳴を上げるゴッチ
 ゼドガンは肩を竦めてニヤニヤする

 ゴッチがカシーダを殴り倒すときレッドが使った魔術は以前の物とは趣が違うようだった
 その気になれば土手っ腹に開いた銃創を三時間で完治させる事の出来るゴッチが、未だに筋肉痛に苦しんでいる。とんでもない魔術である

 「もう大分良いようだな」
 「何しやがる!」
 「レッドの魔術は恐ろしいな。ジルダウに君臨する古代の神よりも恐ろしい男に、こうも情けない声をあげさせるのだから」

 ゴッチは舌打ちを繰り返した。ゼドガン、この男、カシーダを倒した時の話をしたら酷く不機嫌になったのだ
 話を聞くほどに(自分にとって)相当面白い事態であった事を悟り、それに参加出来なかったのが痛恨事であったらしい

 もう三日も経つのに未だに根に持っているようで、年甲斐もなくゴッチにちょっかいを掛けてくる。次こそは俺が最も面白い敵と戦うのだ、と息巻いている

 まるでゴッチの元に敵と荒事が舞い込んでくるのを確信しているような物言いだった

 「クソ、まだ言ってやがる」
 「俺も試してみたい物だ。レッドの魔術を背に受けて小山程もある敵を斬り捨てるのだ。堪らんな」
 「その時はゼドガン、副作用の激痛に悲鳴を上げるお前の全身を丁寧に揉みほぐしてやる」
 「……ん? 骨が砕けて死ぬぞ。……死ぬぞ」

 ゼドガンは短い間に深く熟考し、死ぬぞと二回言った
 ゴッチが全力で自分の肩を揉む姿を想像してみたのだが、一揉みで肩の骨は粉々だろう

 「お前が按摩をするなんて……。掛かったが最後、二度と腰痛や肩の凝りに悩まされる事は無くなるだろうな。皮肉だぞ? 解っているだろうな」
 「抜かせ。ロージンなんて嬉し泣きしてたぜ」
 「ロージンに按摩を施したと言うのか? 本当か?」

 ゼドガンは真顔で尋ねる。ゼドガンから見たロージンは、確かに健全で丈夫な肉体を持っては居たが、とてもゴッチの怪力に耐えられる程ではない

 見立てが違ったと言う事か。ゼドガンは己の不明を恥じた

 「……人は見掛けには寄らんと言う事だな。ロージン、あぁ見えて類稀な肉体を備えていたか」

 一方ゴッチは「何ってんだコイツ」と言う顔をした

 「何言ってんだお前」

 と言うか口に出した

 俺だって手加減くらい出来る

 「しかし、三日経過してこれだ。俺も少しヤバイかもな」
 「……?」
 「……高々数日の間に寒気を覚えるほど年をとったって事さ」


――


 夕暮れのジルダウ湖は妙に不気味に見える。今でこそジルダウの街は活気があるが、ずうっと昔、四方八方の蛮族をアナリア王国が打ち払うまでは、ここも寂れた場所だった
 その頃のジルダウ湖には嫌な伝承が幾つもあった。人間を引き込む水魔や、水面を駆けるバイコーンとそれを駆る冥府の騎士。果ては、ジルダウ湖の最も深い部分には大穴があり、その穴は見えざる無数の手を持つ恐ろしい水の精霊の住処に繋がっている、なんて物もある

 嫌な御伽噺と相まって、嫌な雰囲気だった

 「なぁ、レッド殿」

 湖の畔で、憂いを帯びたアロンベルは己の手の甲を見ながら尋ねる

 「我が友と部下達は……」

 右手の甲からのたうつ蛇のように肘まで伸びる火傷の痕のような引攣り。カシーダの呪いの証だった。目の前でギターを磨いているすっとぼけた魔術師に言わせると、三日もあれば全身に広がり、命を奪う筈だったらしい

 今はもう何ともない。時折ピリピリとそこが痛むのだが、どんな得体の知れない物に反応しているのやら、アロンベルは考えたくもなかった

 レッドは何気なく顔を上げた。一点の曇りもない煌く瞳が、真直ぐアロンベルへと向いている

 「…………」

 アロンベルは言葉に詰まった。聞けばレッドは答えるだろう。だが望む答えが得られないと言う事が、何となく分かってしまった

 「……もしこの先、さまよう彼等を見つけたら、その魂と尊厳を取り戻すのに全力を尽くすだぜ」

 ポツリと言ったレッドの体から青い光が溢れ出す。それは舞い上がる火の粉のように、或いは蛍が群れるようにして宙を踊り、天へと登っていく

 湖面が跳ね返す月明かりと、レッドの放つ青い燐光

 アロンベルはレッドが自分から視線を外すのを確認してから、くしゃりと表情を歪めた。ほんの一瞬だけ


 ドラゴンを討伐した直後だった。アロンベルが、タウラとなった幼馴染と再会したのは

 彼は、詳しい事は話せないがやんごとなき身分の方が消息を絶った。邪悪で危険な儀式の生贄にされた可能性が高いと言った。この時点で既に自分は幼馴染に庇われていたのだな、とアロンベルは全て終わってから漸く気付くことが出来た

 その場にはアロンベルと無関係ではないと言えなくもないレッドも居た。アロンベルの幼馴染と交友があり、手を貸していたのだった

 「もし、と無意味な事を考えることがある。もしアリハーがあの祭祀場を見つけさえしなければ……」
 「そうだぜ、アリハーは死ななかった」
 「……解っては居るんだ。その時は、他の誰かが死んだんだろうな。だが、教えてくれレッド殿。何故あの時私に教えてくれなかったのだ。カンスレーの者達がアリハーを殺したのだと。それともあの時に限って死んだアリハーの声が聞けなかったのか?」
 「カンスレーの連中はカシーダの奴隷だったんだぜ。本人が自分達をどう思ってるかは知りたくもないけど、少なくともカシーダは自分の玩具を取り上げられて大人しくしてるような奴じゃないんだぜ」

 アロンベルの幼馴染アリハーはカンスレーの山の民によって惨殺され、カシーダの生贄にされた。少し別行動を取った本当に僅かな間に不意を撃たれたのだった

 アロンベルがそれを知ったのは全てが終わってからである。本当は、ゴッチ達が決着をつけて戻ってくるまで淡い希望を抱いてもいた。友が生きていて、助け出されて帰ってくるのではと

 「では今ならば良いんだな」

 レッドは黙り込む。アロンベルの願いは瞭然だ
 カンスレーの一切合切を焼き尽くす事である。出来る事ならば呪われた山ごと消し去ってしまいたいとすら思っている

 迷い込んだ旅人を惨たらしく殺し、邪神の生贄にするような山の民だ。私憤のみではない。滅ぼさねばならない。少なくとも、小領とは言え、辺境とは言え、アナリア王国の民を僅かでも治めるものとして

 おためごかしは今やアロンベルの得意技の一つだった

 「……アロンベルの怒りは正当な物なんだぜ」
 「レッド殿は? 平然としていられるのか?」
 「そんな事ないよ。……だけど、あの連中の今後を思うと寧ろ哀れにすら思うんだぜ」

 哀れ? アロンベルが疑問を言葉にする前に、レッドは言葉を続ける

 「連中の事が脳裏を過ぎるだけで、辺りの物を手当たりしだいに引き裂きたくなる奴が、何人居ると思うんだぜ? 彼等は絶対に怒りと恨みを忘れない。カシーダが打ち倒された今、それが何処に向かうかなんて」
 「……そうか。最も正当な権利を持つ者によって復讐は果たされるんだな」

 レッドは湖面を見詰めている。アロンベルもそれに習う

 明るい気分になど、なれなかった。復讐を果たした者達はその後どうなる? すんなりバヨネや、“心正しき者達の神”の元へゆけるのか? 彼等の先達や祖霊達が、諸手を上げて迎えてくれるとでも? カシーダの呪いに侵された者達を?

 「……そして、二十人に満たないタウラ達は暫く休む間もない訳か」

 虚勢を張って軽口を叩く。アロンベルは意識して口元に力を込めていなければ唇が震えてきそうだった

 我が友や、我が部下達が、生ける者に仇成す虚ろなる者としてさまよう。そう考えるとやるせない気持ちが湧き上がってくる。死より辛いことなど、意外と簡単に見つかる物なのだな、とアロンベルは思った

 「……あの村の者を二人ほど匿っていた筈だが。あの者達はどうなる」
 「クエラとエシューなら、タウラグラネー・シェンが守ってくれる。……外を知ってる娘達だぜ。あの二人にも呪いは付き纏うだろう。……いつか何とかしてあげたいんだぜ……」
 「私にしてみたら仇の内だがな、レッド殿」

 ぴく、と身を強ばらせたのを察して、アロンベルは慌てて謝るのだった


――


 「レッドに会いに行かれないのですか?」
 「何でだ?」
 「ならば私の仕事を少なくしてくれる訳ですね。ボスにお目通り願いたいとやってくる商人は幾らでもいるので」

 ゴッチの私室に入り浸って本を読むラーラは流し目を送りながらにやりと笑った
 ラーラはダージリンが、ふと気づいた時には屋敷の中、ゴッチの周囲ですっかりくつろいでいるのが酷く気に入らないらしく、なるべくゴッチの傍に侍るようにしている

 「……シェンと他の連中の相手はもう良いのか」
 「タウラ内で論を戦わせ、また話を聞きに来るそうです。今度はボスに」
 「俺は奴等とは会わん」

 ラーラは書棚から二、三冊程見繕うと、無作法にもゴッチの執務卓に腰掛けた
 ゴッチも今更何か言ったりしない。ラーラが仕事の時間と私的な時間をどう区切っているかはゴッチには解らないが、プライベートの時のラーラは大体こんな感じだ。ゴッチがどの程度まで許すのか、その限界ギリギリを見極めて楽しんでいる風にもみえる

 パラパラと古書を捲りながらラーラは顎に手をやって考え込む

 「聞いたな? 俺は奴らとは会わん」
 「ボスが彼等を好かないのは知っていますが」
 「そう言う事じゃねぇさ」

 ゴッチは鬱陶しげに溜息を吐くとスーツを脱いだ。乱暴に投げつけられたそれはラーラの視界を奪う

 ラーラはスーツの襟元に鼻先を埋めてジト目になると、防弾及び防刃性の生地の下でもごもご口を動かした

 「それはまた。てっきり好きか嫌いか、若しくは頭を地面に擦りつけながら泣く演技が出来るかどうかが、ボスにとっての全てだと思っていました」
 「本当にそうなら、五日前ここに来た商人は左手を失わずに済んだろうな」
 「……で、何故なのです?」

 ラーラはスーツをぶわりと振り回すと何のためらいもなく羽織った。明らかに大きさのあっていないスーツが黒いローブの太腿までをすっぽり覆う

 ゴッチは何か文句を言おうとして止めた。まぁこの程度可愛い物だ

 「オーフェスが嫉妬するからさ。あのだしがら婆さん、自分に余りにも精気が無い物だから、でっぷり太った宗教屋どもの脂っこい腹を狙っているらしい。自分にも分けろと言ってきた」
 「…………成程、ボスばかりタウラと仲良くしているのが気に入らないと」
 「奴らが自分の親父か何かだと思い込んでるのさ。俺が悪口を吹き込まないかどうか心配そうだったぜ。……イカレてる」
「…………ははぁ、オーフェス老が何と言っていたのか大体想像できました。……ロージンのせいですね」
 「あん?」
 「ロージンにタウラ達が集まる事を前もって話しておいたら、喜び勇んで聖職者達の日用品を揃え始めたのです。それがオーフェスの耳に入ったのでしょう。……どうやら我々の事が気になって気になって仕方ない様子」

 成程な、とどうでもよさそうに言って、ゴッチは天井を見上げた
 ロージンは商人だった。今だってそのつもりなのだろう。彼の持つ経験と人脈その他を信頼して、好きに商売しろと言ったのは他ならぬゴッチだ

 余りに関心が無いゴッチ。ラーラは本を閉じてゴッチに向き直った

 「……読めぬ御方だ。タウラ達に一目置かれているのです、我々は」
 「だから?」
 「タウラが私達に一目置くと言う事は、他の神官達は尚更です。きっと、我々と仲良くしたがる者が……、増える、でしょう……」

 ゴッチの態度は少しも変わらない。至極面倒臭そうにラーラを見ている
 こうまで「だから何だよ」と言う目付きで見られると、本当に何でもない事のように思えてくるからゴッチは不思議だな、とラーラは思う
 ラーラの言葉は尻窄みになった。はぁ、と溜息

 「お行儀よくして連中の説教を聞くのが好みか? 勘弁しろ、絶対途中で寝ちまう」
 「……はぁ、まぁ、……成程。ま、ボスがそう仰るなら」

 はっきりとしない物言いのラーラ。余り見れない類の物だった
 物珍しくはあったが、ゴッチは話を切り替える。仕事の話をしたそうだった

 「で、俺に何をして欲しいって?」

 ラーラは少し考え込んで、変な顔をする

 「……えぇ、正直言えば何もして欲しくないですが、してくれると言うなら洗剤の用意をします」
 「洗剤? これから会いに来る商人とやらと、屋敷の大掃除でもさせたいのか?」
 「いいえ。ボスが高笑いしながら商人に血反吐を吐かせても良いようにです。血は中々落ちないので」

 一息に言い切ってラーラは笑った。「言ってやった」と言わんばかりの表情だった

 気苦労の絶えない奴だ。ろくでなし共を統率して、いざこざを解決して、この上屋敷の汚れにまで気を使うなんて
 そう、冗談めかしてゴッチは言った。が、ゴッチがそう言った途端ラーラは真顔になる

 「おいおい……。素晴らしい人物が誠実な取引をしようってんなら、俺だって左手を切り落としたりしないさ」
 「確か来るのは女商人でしたな。見てくれの良い、礼儀も教養もある、手土産に酒を持参してくる程度には気の利いた商人です」
 「なら、左手はくっついたまま帰してやれそうだな?」

 ゴッチはジッとラーラを見ている
 皮肉たっぷりにラーラは言っているのだ。なら何かあるのだろう

 「手土産を“味見”した者が鼻血を吹いて死ななければ、若しくはボスがレッドに会いに行ってくれていれば、洗剤の用意は要らなかったでしょうね」

 ほーぅ、と興味深そうに首を傾げるゴッチ
 何となく、その女商人を殺したくないのだなと感じた

 「ソイツに何か使い途があると?」
 「一商人が取るにしては、大胆に過ぎると思いました」

 ゴッチは立ち上がる。ドレスシャツの胸元を開いて大きく伸びをする。ギシギシと未だ痛む身体
 可愛い部下の意を汲んで、散歩しに行く事にした

 「……解った。俺はレッドの馬鹿の演奏を聞いてくるさ」

 ラーラは丁寧に一礼した


――


 そろそろ夜が明けるだぜ、とレッドが呟いた

 切株の上で手慰みに雑草をこねくり回しながらレッドはジルダウ湖の水面を見詰めている

 湖面は深い碧の光を湛えていた。早朝の薄暗い中、微かな陽光を受け止めて鈍く光っているのである

 少し、肌寒い。レッドはぶるりと震えて、真紅のジャケットから伸びる白い腕を摩った

 「一晩中ここに?」

 レッドの隣りに立ち、葉巻を銜えるゴッチが聞く
 何故か火を点ける気にはなれなかった。藍の空を断ち割っていく陽の光。風の音。草の青い匂い。今ここにある不思議な空気を壊したくなかった。レッドには「ライターを忘れてきた」と苦しい言い訳をした

 「うん」

 レッドの返答は実に短かった。常にバカ騒ぎしている男が細い面立ちをへにょりと悲しげに歪めて居ると、やっぱり変な気分だ

 桜色の唇が微かに震えているのに、ゴッチは気付く

 「どうしたよ。まだカシーダの馬鹿の陰口でも聞こえるか?」
 「うーんにゃ。……やぁ、生きてて良かったなって」
 「俺の言う事に間違いは無かっただろ? 死にゃしねぇってな」

 レッドはやっぱりへにょりとしたまま、うーんと唸る

 「実を言うと、半分くらい死のうとしてただぜ」
 「あぁ? ンだそりゃ」
 「肉体は時に枷と成りうる。生きてる内にゃ何も出来なくても、死んでから出来る事ってあるんだぜ。魂だけになればカシーダと同じ土俵に立てる。そうすりゃ奴を神々の墓場に引きずり込むなんてちょちょいのちょいだぜ。……ダチを巻き込みたくなかった。本当は、兄弟も。もしやられてたら、普通に死ぬより何倍も酷い事になってた」

 ゴッチはレッドにデコピンを食らわせた
 バヂ、と音がする。少なくともデコピンの音には聞こえないが、間違いなくデコピンだった

 「馬ァ鹿。ビビりまくってた癖によ」
 「うん……。マジ恐かった。でも死ぬのが恐かったんじゃ無ぇんだぜ?」
 「どうだか」

 くっくと笑う。どちらからとも無く、笑い始める

 陽が少し高くなった。空が朝焼けの色を帯びてきて、山脈が黄金色に染まる。風が弱まっていく

 金の光を浴びながらレッドは言った

 「ありがとう、兄弟よ」

 ゴッチは草叢にばったり倒れ込む。手足を投げ出して大の字に寝転んだ

 「実はなレッド、お前がそういう風に兄弟って呼ぶの、……その、なんだ、誤解を恐れず言うなら、余り好きじゃ無かったんだぜ」

 相当に選んだと思われる言葉だった。傍若無人の男が心情を慮る相手など、そんなに多くはいない

 その内の一人にレッドは成った。短い期間の中で、二人は深く結びついていた

 何故かな、とゴッチは思う。相性と言う奴かも知れん

 「えぇ~?! そうなのん?!」

 レッドは眉毛を八の字にして叫ぶ。驚愕して後悲嘆。がっくり肩を落として恨めしげにゴッチを見た

 「……まぁ聞けよ。隼団は……他とはちぃと毛色が違う。……のは知ってるか。零細オフィスの癖にロベルトマリンで幅を利かせてる。渡る橋は何時でも危ない。安心してクソも出来ねぇ日が一ヶ月続くなんてザラだ。だが、俺達はファルコンの手練手管と個々の能力、……何より合金よりも固い結束で生き残ってきた」

 目を丸くするレッド
 ゴッチは舌打ちして上体を起こす。だから結束なんて言葉使いたくなかったんだ
 自分でも似合わないことを言っている自覚はある。あぁ恥ずかしい

 「だからその、なんだ、解るだろ? ファミリーをファミリーと呼ぶ事の重たさだよ。今まで何度「クソッタレ」と呼ばれたか把握できないような俺でも、ファミリーに対して敬意を持ってる」
 「あぁー。……あおぉー」
 「なんて声出すんだよお前。死霊兵か」

 レッドは呻き声を上げながらゴロゴロ転がり始めた

 クソ、こいつ鬱陶しい。ゴッチはもう一度デコピンを見舞う

 「だから聞けっつってんだろ。……今はもう違うんだよ」
 「……マジ?」

 草叢に頭を半分突っ込みながらレッドが聞き返してくる

 「マジだ。……最初はどうだったか知らねぇが、お前が俺を兄弟と呼ぶのは冗談でやってんじゃねぇと解った。少なくとも俺はそう感じた。解ってねぇのは俺の方だった。……お前のさっきの言葉も、本当は信じてる」

 死ぬのが恐かったんじゃねぇんだぜ?
 レッドの言葉

 「レッド、お前は気合が入ってる。自分の死よりも俺の死を恐れた。俺も、俺が死ぬよりファルコンが死ぬ方がヤバイと思ってる。役割上の仕事でもあるが、少なくともファルコンより先に俺が死ぬ心構えで居る。コレはお前の気持ちと同じ物だと思う。お前は尊敬に値する男だ。……寂しいだとか言って鼻水撒き散らして泣くのは減点項目だがな」

 レッドはいきなり立ち上がると、ジルダウ湖に頭を突っ込んだ

 ゴッチも走り出す。ぐおおぉと雄叫びを上げながらレッドがしたように湖に頭を突っ込む

 暫くそのまま。そして二人して同じタイミングで頭を持ち上げ、ぼは、と息を吐き出した

 悶絶級の恥ずかしさであった。生涯の恥部であろう、こんな青臭い事をつらつら述べるとは。ゴッチは頭が破裂しそうな思いだった

 「いきなりそんな事言われちゃって俺ってばどうすりゃいいんだぜ?!」
 「るせー! 知るか!」

 犬のように頭を振る二人。水を吹き飛ばして、ゴッチはレッドに指を突きつける

 「レッド、お前は隼団じゃねぇ。それに度を越して甘ちゃんだ。ラーラより酷ぇ。だが……悪かねぇ。違いねぇや、お前は……兄弟だ」

 レッドは真赤になって湖に飛び込んだ


――

 後書

 へーい今日も呑んでるかーい。

 管理人様はご結婚なさったばかりだと言うのにサイトの問題に対応してくださって、俺のようなアホはのうのうと投稿を続けていて……。
 まっこと感謝に絶えませぬ。


 今回ふと、青春したいなとか思ったので試してみた。
 そしたら臭ェー。男とイチャコラするとか……。

 余りに青春過ぎた……。


 綺麗なモンだろ……。信じられるか? ゴッチのキャラ、シティオブドッグス見ながら考えたんだぜ……?




[3174] かみなりパンチ41 「強ぇんだぜ」1
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:c7c9cdef
Date: 2013/02/20 01:17
 ゴッチは異世界に来て初めて理解した事がある。組織のトップが負う重みと言う奴だ
 ソルジャーとしてファルコンの手足をしていた時とは全く違う。それはゴッチに改めて自覚を促す“鬱陶しさ”だった
 実際の所はそんな事を言いつつも、その全てを知っている訳ではないのかも知れない。海辺に立っただけで大海の深みまでを知った気になっているだけなのかも知れない
 しかし今まで感じなかった何かを感じるのだ

 オーフェス婆様の警戒混じりの愚痴を聞かされている時など特にだ


 「あー馬鹿馬鹿しい」

 一人きり執務室でゴッチは呟いた。以前はもっと多くの言葉を益体も無く無意味に吐き出していた気がする
 今は簡単に感情を動かさなくなってきている。ラーラやロージンの前では特に。――瞬間湯沸かし器が如き気性の男が言っても説得力は無いが

 異世界の急造支部で構成員は自分を含めてたった二人の、殆ど名前だけだと言っても、ゴッチは隼団の支部長格でありラーラの取り纏める下部組織を持つ身だ

 ボスとしての役割と言うのは中々骨身に染みる物だ。異世界の(ゴッチにしてみれば)ひ弱な連中とは言っても、頭の中身はそう差がある訳ではない
 オーフェスを初めとした宮仕えの妖怪達、海千山千の商人ども、何を考えているか知れないアウトロー連中、謀の大好きなブルーブラッド
 その中に身を置いていて、自分もその類だと思っていたのに、ボスとして居るだけで妙に心が荒む

 結局の所マフィアだなんだと息巻いていても、ファルコンの庇護下にあった訳だ。所詮二十歳そこいらの若造とファミリー達に甘やかされていた

 この所一人でいると妙にロベルトマリンの曇った空を思い出す。気候と日照の関係で不気味な橙色に染まる空を見上げたのが、もう何年も昔の事のように感じる

 ゴッチ・バベルは全く恥ずかしい事ではあるが、今また何度目かのホームシックだった。人を人とも思わない男の中にも、人の部分があった

 「何時までこんな紀元前みてぇな場所でお山の大将やってりゃ良いんだ」
 『紀元前とは言い過ぎだね』
 「テツコ…………ふん。今は嫌味を聞く気分じゃねぇぜ」
 『私のバディが余りにも憂鬱そうだから話し相手になってやろうと言うんじゃないか』

 ゴッチは隠しもせず舌打ちした。テツコは黙る。ゴッチが本当に心底から不機嫌なのだと理解したからだ

 ゴッチはゴッチなりに慌てて取り繕った
 今のは献身的な相棒に対して明らかに敬意を失した態度だった。ファルコンが咎めるのは、こういった部分だろう

 「……今のはナシだ。俺のチャーミングなバディの心遣いは嬉しいぜ」
 『ふぅん? 慮ると言う思考を身に着けたんだね』
 「どうやらメイア3の元へ効率よく辿り着く為には、“思いやり”と言う奴が不可欠らしいからな」
 『……気落ちする事は無いさ。何せ勝手の解らない土地で、碌な窓口もないんだ。上手く行かない事を前提に進めるべきだよ』

 俺が気落ちしているように見えるのか? テツコの悪ぶっている癖に人の良さが隠し切れない所が、ゴッチは好きだったり嫌いだったりする


 当たり前の話ではあるが、別段メイア3の元へ辿り着くだけならエルンスト軍団に肩入れする必要はない。アナリア王国軍に取り入った方が余程効率的である
 で、あるから、ゴッチも当然ペデンスへの侵入を手引きしてくれそうな人間に手当たり次第接触を試みているのだが……状況は全く芳しくなかった

 何せ此処に来てからやった事が事だ。かつエルンスト軍団に近い位置に居るとなればアナリア王国軍側には警戒されて当然だった。こちらの風土や文化等に全く疎いゴッチ如きの工作は言うに及ばず、こちらで一大商人として身を立てていたロージンですら攻め手を欠く有様だ

 「向こうからオファーでも来れば話は早いんだがな」
 『例えば我らの頼もしいマクシミリアン元帥閣下がテロを受けたとして』
 「あぁ?」
 『ロベルトマリンアーミーズがその首謀者を許すと思うかい?』
 「司法取引ってのがあるだろ」
 『そうだね、そう願うよ私も』

 全く期待していないような調子でテツコは素気なく言った

 ペデンスは重要拠点だ。その守りを務める指揮官は謹厳であるようで、隙らしい隙が無い。袖の下も苛烈な罰則で戒める事によって封じ込められている
 商人に化けるのも無理だった。工作としては八方ふさがりだ

 「オーフェスの婆様が要らん心配さえしなきゃ、もっと気が楽なんだがな」

 そうやってゴッチが動くのにエルンスト軍団の老軍師オーフェスが気付かない筈も無かった。しかもその内容がアナリア王国軍に取り入るような物なのだから眦吊り上げるのも当然だろう

 あの老女との拙い付き合いが、ゴッチの閉塞感と憂鬱の大きな原因となっている

 『パーティのお誘いが来ているそうだね』
 「悩み所だ。俺が仲良くする姿勢を見せりゃ婆様は安心するんだろうが、こっちの仕事は少し遣り辛くなる」
 『捜索の出だしに、揉める相手を間違えた』
 「ひひひ」

 なら、そもそも俺をエージェントに選ばなけりゃ良かったのさ

 ゴッチの反論は正に真実だった


――


 「全く、戦争やってる自覚に欠けると思わねぇか」

 連れ立ってジルダウ大通りを歩くゴッチとルーク。唐突に放たれたゴッチの言葉に、ルークは曖昧な笑みを浮かべた
 ルークは居心地が悪かった。ゴッチと一緒に歩いていると、すれ違う誰も彼もが神経を張り詰めさせ、怯えた目を向けてくる
 気になるったらない

 「……パーティ用の服は、それで良かったのですか?」

 いつも通り、金の隼を背負っているゴッチ
 指摘したルークは紺色の礼服に腰までのマントを靡かせている

 大した貴公子様だ。ゴッチは面倒くさそうに答えた

 「スーツは男の戦闘服だぞ」

 もう明らかに何も考えていない口からでまかせなのは明らかだ
 ルークはまぁ良いかと気を取り直す。スーツが礼服なのは間違いないのだ。背中の金色の隼は――まぁこちらの人間にはむしろ受けがいいだろう

 「しかし、オーフェスの婆様が何でお前を迎えに寄越すんだ?」
 「エルンスト様のパーティですよ」
 「オーフェスがエルンストの尻を蹴っ飛ばして開催させたんだろ。俺でも知ってるぜ。兵士の目も憚らず大声で怒鳴り合ってたらしいじゃねぇか」
 「……迎えを任された訳ではありません。自分は先任と御一緒しようと思っただけです」
 「何だよ気持ち悪いな。仲良しごっこは余所でやりな」

 ルークは冗談っぽく笑った。テツコにゴッチを見張るよう頼まれたのは、もうずっと秘密にしていようと心に誓った
 マフィアがパーティをするとどういう事になるのか、嘘か本当か怪しい話をしみじみと語るテツコの頼みは断れなかった

 「先任。マフィアのパーティに出席すると」
 「あぁ?」
 「……セクハラされた挙句ライトマシンガンで追い回されて、最後は紐なしバンジーをやらされるって本当ですか?」
 「ひひ、なんだそりゃ。ハハハ! どういうパーティだ?」

 ゴッチは全く何のことか解らなかった
 大方、リスペクトを失った無礼者を制裁し、始末する過程をパーティと表現したのだろう。そんな風に勘違いした

 「くくく、そんなパーティも悪くねぇかもな。例えばオーフェスの婆様の目の前でたっぷりとやってやりたいね。あの婆様には心底から楽しんで貰いたいのさ俺は」
 「え」

 ルークは一瞬で顔を蒼褪めさせた。本当だったんですか

 「ん?」

 ゴッチは首を傾げた


――


 戦時中だと言うのに中々大がかりなパーティだった。煌びやかな装飾は、年季の入った物と真新しい物が混じっている。このパーティのためにエルンストは仮屋敷を増設し、巨大な広間を拵えたらしい
 装飾はその時に増設したのだろうが、違和感を覚える事は無かった。銀をどういった手法であるのか、薔薇の形に変化させた装飾は、教養の無いゴッチから見ても品が良かった

 「見られていますね、ゴッチ先任」
 「ふん」

 ゴッチが銀の薔薇を値踏みするのと同時に、様々なパーティ出席者がゴッチを値踏みしていた
 その(ゴッチにしてみれば)珍妙なで古臭い格好をした面々は、目を合わせると慌てず騒がずにっこり愛想笑いしてくる

 ゴッチは給仕から酒杯を受け取って、料理の並べられたテーブルに向かった

 「此奴らに立食パーティをやる知恵があったとはな」
 「はぁ……」

 矢張り全く考えなしに放言するゴッチに、半ば呆れたような返答をするルーク

 「お前、何時までもここに居ないで女でも引っ掛けて来たらどうだ」
 「……いえ、止めておきます」
 「いい年だろ。経験は?」
 「は、はい? ……はは、勘弁してください」
 「ほら、アイツなんかどうだ。右奥の燭台の方の奴。アイツの視線が鬱陶しくてな」

 ルークは矢張り困ったように笑うだけだ
 これはもう経験済みか。ゴッチは興味を失って料理に目を移す

 異国の地の見知らぬ料理に目移りするが、どれも率先して口に入れる気にはなれなかった。食欲を煽るのは、単純に焼いた肉ぐらいの物だった
 鬱陶しい視線に耐えながら口に入れる物も無く、オーフェスの登場まで此処に居なければならない

 出発をもっと遅らせれば良かった。これは一種の苦行である
 そこに、「失礼」と声を掛けてくる男が一人。こういった人付き合いも苦行だ

 「お初にお目に掛かる、ゴッチ・バベル殿。ドデー・モーイと申す。エルンスト様直下で三十人率いております」

 ぶっきらぼうで飾り気ない言葉だ。兵の事を口に出したと言う事は、それに関連する事なのだろう
 大柄でルークのように礼服を着こんでいる。動作は機敏だった

 「アダドーレ卿からゴッチ殿のお話を伺い、個人的に興味を覚えたため声を掛けさせて頂いた」
 「るせーな。つまりアロンベル派で奴の紹介って事なんだろ? 用件はなんだ」
 「は、率直ですな」
 「……金か?」

 アロンベルへの投資から、こういった手合いは稀ながら居た。と言うより、ゴッチに声を掛けてくるなんて余程切羽詰った者だけだ
 若さとやる気はあるが金の無い奴。そういったろくでなしどもに声を掛けて、極少数ながらアロンベルは派閥を作り上げているらしい
 遠方からジルダウまで駆けつけて、賊討伐、竜退治、悪魔祓いに派閥造り。更にエルンストやホークなどへの御機嫌取りまでやってのけるのだから、アロンベルとは本当に才気走って行動力に溢れた男だった。ゴッチが呆れるぐらいには

 ゴッチはロージンに話せとだけ言って葉巻を一本持たせ、男を追い返した。男は全く意味と用途の解らない葉巻を見て首を傾げたが、ゴッチの機嫌を損ねるのを恐れて大人しく引き下がる
 ゴッチの葉巻を持っていれば、ロージンは話を聞く筈だ。どういった結果になるかはドデーとか言う男次第だ

 「……ゴッチ先任が派閥の取り組みに熱心だとは」
 「そう見えたのか? あぁ?」
 「やっぱりそうですか」
 「……以前融資した奴がな、この機会に中央に食い込もうとしてるらしい。御苦労な事だよ。ま、」
 「どうでも良い、ですか?」

 解ってるじゃねぇか。とゴッチは吐き捨てて酒を煽る

 派閥でも何でも作りゃいい。名誉も栄達も好きな物を望め
 どうせ何時までもここに居る訳じゃない。なら何時までもここに居る奴が何をやってたって、そんなに気になりはしないのがゴッチだった

 「これはこれは、お越し頂き誠に嬉しく思いますゴッチ・バベル殿。ルーク・フランシスカ殿」

 都合よく、話の途切れたタイミングで声を掛けてきたのがオーフェスだった
 オーフェスは小柄な老人で、知恵は回るが貫禄が無い。本人もその事をよく自覚しているのか、地味だが品の良い礼服を着て何時もの頭巾をかぶっている

 ゴッチはニタァと嫌な笑い方をしてから返答した

 「おう、数日振りだなオーフェス婆様。こんな煌びやかな立食会、俺は場違いかなと思ったんだが、アンタに誘われたのが嬉しくってのこのこ来ちまったよ」
 「私のような若輩が御招きに預かり光栄です、軍師様」
 「とんでもない! ルーク殿も、そんなに堅苦しくする必要は無いよ! さぁさぁこちらへどうぞ!」

 常ならず、オーフェスはルークが唖然とするほどに上機嫌だった。実の所、エルンストを諸侯の上に立つ男と知りつつも全く敬意を払わないゴッチは、その点では非常に受けが悪い
 きっとここいらでゴッチが歩み寄りの気配を見せなければ、一戦構える必要すらあった筈だ。ゴッチに対する反発はそれ程に大きかった。そしてそんな毛ほどの利益にもならない事をオーフェスが喜ぶ筈もない

 オーフェスは深緑の礼服の裾を慣れた手つきで直しながらゴッチを先導した。案内された先には一際豪奢なテーブルと椅子があり、酒杯が三つ並べられていた

 オーフェスは給仕を呼びつけ、追加で一つ杯を要求すると、ゴッチとルークを座らせる

 「婆様、何時もそんな風にニコニコしてくれてたら俺も嬉しいんだがなぁ」
 「はははー、そうですな、魔術師殿。魔術師殿が嬉しいと私も嬉しいですからな。しかしこの婆も力なき故に悩みの多い身、中々笑顔では居られませぬ」
 「あぁうん。知ってるぜ。悩み事があるんだろ。あぁ何でも言ってくれよ力になるから」

 ゴッチがオーフェスにとって巨大な悩みの種である事は間違いない。ゴッチの余りに白々しい言葉に、しかしオーフェスは笑みを深めた

 「ほぉ、魔術師殿にそうまで言ってもらえるとは。……ならばお言葉に甘えましょうかね」
 「おう言ってくれ言ってくれ。代わりと言っちゃ何だが、日に二度も部下をご機嫌伺いに寄越すのをそろそろ勘弁してくれよ」
 「お気に召さぬとは残念ですな。しかしそれはさておき、魔術師殿に会ってもらいたい方が居られます」

 居られます?
 給仕がオーフェスの要求した盃を持って現れる。これで卓には銀の杯が四つ。ゴッチは嫌な予感がした

 「あぁ、ほら、いらっしゃった。……ん?!」

 オーフェスの朗らかな笑みが瞬く間に訝しむ表情へと変化した。ゴッチはそれにつられて背後を見遣る。この大広間の入り口の方だ

 ドアボーイが恭しく礼をする前を女が通り過ぎる瞬間だった。剣呑な目付きで周囲を睨みながら歩く女は、パーティ会場にはそぐわない格好をしている
 純白の上等なシャツの上に銀の胸当てを装着し、手には黒い革紐を巻いていた

 金髪を結い上げ、背筋を伸ばす女は、どう見ても酒を友にして和気藹々とした歓談を求めているようには見えない
 会場に居た者達は皆何事かと女を見詰める。女はそれをまるで気にも留めずこちらに向かって一直線に進んでくる

 「あれはロクショール様」

 ルークも訝しげな声を上げる
 ロクショールの背後に続く、屋内だと言うのに頑なに防塵頭巾を外さない無精髭の男を見つけ、更に困惑を深めた

 「それにミランダローラー殿」

 ゼドガンは何時も通り涼しい顔で其処にいた
 ゴッチは肩を竦めてオーフェスを見遣る。オーフェスは愛想笑いをしてみせるが、予定外の事態だと言う動揺を隠しきれていなかった

 「アレが俺に会わせてぇ奴だって?」
 「は、はは、それは、そうなのですが……」

 オーフェスは一瞬沈黙してから立ち上がり、ロクショールに小走りに近寄った

 「ロクショール様! 一体どうなされたのです?!」
 「オーフェスさん。御免なさい。先に謝っておきます」
 「はい? 取り敢えずこちらへ、直ぐに御召し物を……」

 別室へと先導しようとするオーフェスを押し退け、ロクショールはゴッチの前に立ち堂々と見下ろす。その態度に初対面の者に対する遠慮や、鬼か悪魔かと言う程の悪評を垂れ流す存在に対する恐れだとかは、一切ない
 しかしその敵意だけは明らかだった。ゴッチはロクショールの背後に佇むゼドガンを見遣る

 ゼドガンは応えず、微笑するばかりだ。日を追うごとに酔狂ぶりに磨きをかけるこの男は、面白いと思えばどんな事でも割と平然とこなす
 ゼドガンに常識的な行動を求めるのは無理だ。元から常人とはズレた思考を持つ男だった。そういった面倒臭さではゴッチ以上だ

 「貴方がゴッチ」
 「そういうお前はロクショール」

 からかうように言い返す。ゴッチはロクショールの事なんて名前しかしらない。その名前だってルークやオーフェスが漏らさなければ知らなかった。全くの赤の他人だった

 服は上等な物だ。だからロクショールは貴種なのだろう
 だが挨拶とも呼べない初めての会話には、貴種の持つ礼儀や敬意と言った物は全くなかった。ゴッチは礼を失したロクショールの言葉に嘲弄を返す

 「そう、私はロクショール。今日は貴方にどうしても差し上げたい物がある」
 「ほぅ? 悪いな。気を使わせちまったみたいで」

 明らかに尋常の様子ではなかった。ルークも流石に愛想笑い、とはいかなかった

 「だがまぁ貰えるモンは貰っておくぜ。婆様の説教以外ならな」

 鼻を鳴らしたゴッチに、次の瞬間酒が浴びせられていた

 「ルークさん。御免なさい。止めないで」

 それを行ったのはロクショール。銀の杯を振り回し、用が済んだらそのまま投げ捨てる

 ゴッチは両の目に酒が入り、思わず声を上げて飛び上がる
 その全くの無防備状態であったゴッチの右頬に、ロクショールの見事な右ストレートが突き刺さった

 椅子から転げ落ちながらゴッチは思った。良い喧嘩の仕方だ。目潰しから問答無用にパンチ。しかもかなり重たい
 ただの女じゃねぇ

 オーフェスが金切り声をあげる

 「ロクショール様ぁぁッ! 何をなさるのですかぁぁーッ!!」

 ロクショールを取り押さえる為に飛び掛かるが、ロクショールはあっさりとオーフェスを押し退けた

 「今のは我が友の分! そしてこれも我が友の分!」

 酒は酷く目に染みた。滲む視界を堪えながら何とか立ち上がったゴッチの腹に今度は蹴りが飛んできた
 ゴッチとてただ蹴られるだけではなかった。気配で察したゴッチはロクショールの直蹴りを両手をクロスさせて受け止める

 このまま放電して黒焦げにしてやる、と思った時、ロクショールはゴッチの防御を足場にして飛び上がっていた

 もう防ぐ余地は無かった。ゴッチの側頭部に蹴りが決まった。並みの亜人なら失神していても全く可笑しくない綺麗な蹴りだった

 「そしてこれが」

 追撃の手は止まなかった。ロクショールは今しがたゴッチが使っていた椅子を軽々と持ち上げ
 容赦なくそれを叩き付けた。ゴッチは脳天に痛撃を受け、思わずたたらを踏んだ

 「生まれる事の無かった子の分だ」

 ロクショールは興奮の為に荒くなった息を整え、冷徹に言った。オーフェスはあんまりな展開に卒倒していた

 ゴッチは目を押えながらそれを聞いていた。胸の奥がざわざわする

 いや、ざわざわする、なんてモンじゃぁ断じてない

 このへばりつくような感覚。自分でも辟易するほどの、粘着質な感覚

 ゴッチは平坦な声を出した

 「どうした、何で止めを刺さねぇ」
 「え?」
 「何故今の一瞬で俺を殺さなかった。……まぁ、そう易々とは死なねぇがよ」
 「…………」

 ゴッチは目を瞬かせた。酒が染みて未だに痛むが、視界事態は取り戻した。その表情には全く変化が無かった。何時もの表情。何も考えていなさそうな無表情だ

 「お前が何処の誰かなんて知らねぇけどよ」

 スーツの袖で顔を拭う。この大事な男の戦闘服も酒に塗れてしまっている。酒の臭いがするし、ドレスシャツが水分を含み鎖骨辺りに張り付いてくる。この嫌な感覚と言ったら無い

 「ひょっとして、俺がお前を殺さねぇとでも思ってんのか」

 当然の事ながらゴッチは怒った。余りに当然で正当な反応だった

 ゴッチは激怒した

 「死んだぞ手前ぇッ!!! たった今ッ!!!」

 唐突な展開に全く動けなかったルークは奇妙な程冷静に考えた

 「(なんか……えらい事になってるな)」


――


 呻きながら起き上ったオーフェスの悲鳴

 「兵ども! 守れ! 姫様の盾となるのじゃ! ゴッチ殿ォーッ! どうか、どうか怒りをお鎮め下され!」

 ゴッチは駆け出していた。助走をつけてドロップキック
 ロクショールは俊敏に身を屈めてそれを避けようとする。が、ゴッチは蹴り足を放たず、膝を曲げたまま着地した
 低い体勢でゴッチとロクショールは見詰め合う。いい加減な体勢でゴッチは拳を繰り出し、それは銀の胸当てへと突き刺さった

 ロクショールは吹っ飛んだ。踏ん張りの効かない体勢だったのもあるが、一メートルばかり水平に吹き飛びゴロゴロと転がる

 ゴッチは拳を叩き付けた瞬間に違和感を覚えた。空気の壁に押し返されたような不愉快な感覚
 とてもパンチを打つべき体勢とは言えなかったが、それにしてもスッキリしないインパクトだった。何かが拳の威力を弱めた

 「あぁ何だぁ?! 気に入らねぇ!!」

 ゴッチ・バベルを前に無策で出てきた訳ではないらしい。銀の胸当てを押えながらロクショールは激しく咳込み、額から脂汗を吹き出しながら立ち上がる

 兵士が滑り込んでくる。彼等もまさかこんな事になるとは思っていなかっただろう。エルンストの主催する立食会で、唐突にゴッチに酒をぶっかける者が居るとは、どんな名軍師にだって予測できなかったに違いない
 しかし彼らは命令に忠実だった。決死の覚悟でロクショールを守る為に立ちふさがり、そしてゴッチはあっさりと彼らをショルダータックルで弾き飛ばす

 背後からも兵士達は飛び掛かって来た。ゴッチの肩や腰に四人の兵士達がしがみつくが、ゴッチの勢いは微塵も殺がれない

 兵士を引き摺ったままロクショールに肉薄し、顎を掴んで吊り上げる。ロクショールは絶体絶命の危機に瀕しながら、全く怯えなかった
 怒りに燃える瞳をゴッチに向けてくる。それがまたゴッチの神経を逆撫でした

 「史上最低の屑! 殺すなら殺せ!」
 「当たり前だろうが!!」

 ゴッチはロクショールの後頭部を床に叩き付ける為、彼女を吊り上げる右手を振りかぶった

 そこでゼドガンとルークが同時に剣を抜いた

 ルークが剣を抜くのは解る。だがゼドガン、お前はどういう事だ
 ゴッチは唖然とゼドガンの大剣を見詰めた

 「……ゼドガン、テメェ何のつもりだ? 此奴はお前の手引か?」
 「その通り」
 「酔狂もちと度が過ぎるんじゃねぇか」
 「その娘がな、お前を殴れるなら死んでも良いと言うので、これは面白いと思ったのだ。少しだけ戦い方を仕込んでやった」
 「で」

 何で俺に剣を向けている

 ゴッチとゼドガン、そしてルークが睨み合う中、オーフェスが進み出てきてこれ以上ない程大袈裟に鳴き声を上げる

 「魔術師殿……! お怒りは全く御尤も、しかしこの婆のお願いです、ロクショール様を御許しください」

 エルンスト軍団の軍師筆頭が取るにしては余りに謙った態度だった。オーフェスはゴッチの思考と気性をよく理解している
 どんな人物が、どれだけの人数が、「驕った考え」と言おうとも、ゴッチ自身はエルンスト総軍と対等の心算でいる。しかも一戦交える事を何とも思わない

 「やめろ! こんな奴に……あっぐっ」

 喚き始めたロクショールを、ゴッチはその顎を砕ける寸前まで握り締める事で黙らせる

 その行為がオーフェスにより実感させる
 エルンスト軍団を敵に回す事を全く恐れていないのだ。ゴッチならば、ロクショールを平気で殺す。ロクショールがどんな存在か知らないのだから尚更だ

 「その方は我が主君の宝です。私にとっても、エルンスト様の誤解を恐れず言うなら孫も同然。他の事ならどんな事でも致しましょう」
 「あぁ? はーあー?! おいおい、横面一発、米神一発、その後に凶器攻撃だぞ?! 仮に俺じゃなけりゃ、死んでて可笑しくねーんじゃねーかこれ」
 「はい、正にその通り。返す言葉もございません。ですがどうか」

 ゼドガンが嬉しそうに笑いながらじりじりと間合いを詰めてくる

 「ここ最近思っていたのだ。お前と戦う機会が欲しいと」

 ゴッチは360度全ての方向に注意を払いながら憤怒を隠す事もせず言った

 「さっきのありゃ、殺される覚悟がなきゃ出来ねえ行いだ。だからこのメスガキは殺す。ゼドガン! テメーが止めてもだ」
 「ゴッチ先任」

 ルークがコガラシを指し示す。冷や汗を流しながら冗談っぽく笑っている

 「我々の尊敬すべきオペレーター殿から、お願いだそうですよ」

 あーくそ
ゴッチは唾を吐いてロクショールを放り出した

 テツコの事だ。ゴッチの勝手を許さないに決まっていた


――


 ゴッチの部屋でいきさつを聞いたラーラはぶるぶると震えた。武者震いだった

 「戦いの準備をしましょう。思い上がった連中をジルダウから叩きだす。私とボスが居れば十分に可能だ」
 「ラーラってばー、駄目だって言ってんだぜ?」

 いつも通り宥め役に回るレッドだが、怒髪天を衝く勢いのゴッチにはさしたる効果もない

 「何が駄目なんだよ。こうまで虚仮にされて示しが着くか? ロベルトマリンで同じ事された日にゃ、舐められまくってその日の内に隼団は死に体だぞ。報復は、絶対に、必要だ!」
 『痴話喧嘩と言う事にしておけば、エルンスト軍団が誠意をもって謝罪するだけで丸く収まる』

 お話にならんぜ、とゴッチは吐き捨てた。何だ痴話喧嘩って。馬鹿か

 再び声を荒げようとしたとき、ゼドガンが現れる。背後にはロージンと、ルークをを伴っていた

 「よくまぁのこのこ顔を出せたな? 流石はゼドガン、胆の据わり方も超一級品だ。おい糞ガキ、あのロクショールとか言うのは何モンだ」

 ルークは神妙な顔で問いかけに答えた

 「……エルンスト様の、末姫様です。出生時の状況が特殊だったらしく、最近までは会う事も出来なかったとか。それゆえ、エルンスト様はロクショール様を溺愛しているそうです」
 「あの娘の知己がな」

 ゼドガンが割って入る。ゴッチは胡乱気な声を上げる

 「あぁ?」
 「ほら、立食会場で喚いていただろう。ロクショールの知己に身籠った女とその恋人が居たらしいのだが、男の方がつい最近殺されている。女の方は子が流れ、悲嘆して自決したそうだ」
 「それを俺がやったと?」
 「正確には」

 ゼドガンはラーラに視線をやった。特に何とも思っていないようだったが、内容が内容であるだけに、流石のラーラもたじろいだ

 「……つまり、私の取り纏める者達が、か」
 「まぁごろつきを無理矢理従わせているのだから。そういう事もあるだろう」

 涼しげに言うゼドガンの言葉を切って捨て、ゴッチが苛立たしげに執務卓を蹴る

 「決まりだな、奴等には思い知らせる」
 『ゴッチ、今の話に何も感じなかったのか? ゼドガン氏、そのロクショールと言う方のお亡くなりになった知己と言うのは、具体的には?』
 「行商人だったようだが、場代と守料の支払いを渋ったそうだ。男は見せしめによってたかって殴られた際に打ち所が悪く。女の方は強姦されたようだ」

 ゴッチはラーラですら眉を顰める事件に、少しも怯まなかった

 「何か勘違いしてねぇか手前ら。俺が、正義と、道徳と、仁愛の心を胸に、社会奉仕をするために隼団に所属してるとでも思ってんのか。俺達はアウトローだぜ。無頼者だ。……ラーラ!」
 「は」
 「話は分かった。俺の下には、例え下部組織だろうがそんな下品な奴は要らねぇ。お前の気が済むように決着を付けろ。だが、それとこれとは別だ」

 ゴッチは立ち上がる。有無を言わせない迫力がある
 先ほどまでの、声を荒げていた時とは違う。静かながら息苦しくなるような圧迫感があった

 コガラシを通していてもその気配を感じ取ったテツコは思った。ゴッチも、随分と怒り方が変わった

 「俺は隼団のカポだ。奴らは俺が隼団だって事を知ってた。その上で俺に酒を浴びせ、握り拳を叩き込み、米神を蹴り飛ばし、椅子で打ん殴ってきやがった。“隼団は舐められた、完全に”」

 コガラシを握り締め、ゴッチはテツコによく顔が見えるようにカメラを覗き込む

 「前にも言ったな。全ての隼団はタフで、冷酷だ。暗黒街の怪物どもとぶっ殺したりぶっ殺されたりしながら漸く『一筋縄じゃ行かない』って評判を得て、それで飯を食ってる」
 『……あぁ、知ってるよ』
 「俺達はやられたらやり返す。当然の事じゃぁねぇか。誰が正しいとか、誰が原因とか、そんな事は関係ねぇんだよ。ラーラ、ロージン、お前達も良いな? どんな理由があってもほんの少しでも怯むんじゃねぇ」
 『君も良いかい、ゴッチ・バベル。よーく考えてみたらどうかな。そこは、ロベルトマリンじゃぁ、無いんだ。決してね。向こうさんには話し合いで解決しようとする意思があるし、誰も君の事を侮ってなんて居ない。君が気に入らないだけだろう?』

 当然テツコは怯まないから、ゴッチは言いたい事だけ言って後は無視する
 ゼドガンの事をはっきりさせなければいけない

 「ゼドガン、テメー何なんだ。お前の望みはなんだ」
 「ロクショールに興味が湧いた。筋も良い。あの娘に俺の剣を教えたい」

 以前、ゼドガンは自分の剣は一子相伝だと言っていた
 ゴッチは横面に食らったパンチを思い出す。成程、確かにゼドガンが気に入るだけの事はあった

 「あのメスガキに付くんだな?」
 「あの娘の事を見届けようと思う」
 「精々注意するこった」

 で、とゴッチは続けた

 「ロージン、糞ガキ、……何か言いたそうだな」

 ゴッチに促されて、ロージンは前に進み出てきた。入室してから一言も発しなかった口が、重々しく開く

 「……いえ、いっそエルンスト軍団と疎遠になって頂いた方が、ゴッチ様とルーク殿の目的を達成するには有効かと思いまして」

 ゴッチはん、と声を漏らした。レッドがはぁやれやれと肩をすくめているのと何か関係があるのだろう


――

 後書

 何だかうまくかけないんですねー。
 言葉にできないんですねー。
 すげーもやもや。
 文章って難しくて面倒くさいモンだなーと今更。
 あまりにももやもやするからsage更新。



[3174] かみなりパンチ42 「強ぇんだぜ」2
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:c7c9cdef
Date: 2013/03/06 05:10
 正直、ラーラに葛藤が無かったかと言えばそうではなかった。彼女は若く、非常に苛烈な面を持っていたが、基本的には善行を尊ぶ類の人間だ
 自分の部下が陰惨な事件を引き起こし、それが原因となってエルンストの大軍団と事を構えようとしているとなれば、心中穏やかではいられない

 しかし、ゴッチが喧嘩両成敗だなどと通りの良い言い訳を用いるとはどうしても思えなかった。故にラーラは覚悟を決めたのである

 そも、まだ本当に自分の部下が犯人であるとの確証はなく、また確かにゴッチの言う通り、問答無用でゴッチに襲い掛かるには、ロクショールはその立場が重すぎた
 炎を纏った掌を見詰める。――下らない自己弁護だと言う自覚はあった

 「ロクショールとか言う女の怒りは正当だ。……私も屑だ。そういった事が、私も一番嫌いだった筈なのに……」


 ラーラは部下達に薄汚れた砂色の首巻を巻かせ、ジルダウのあちらこちら木札を立てさせ何度も同じことを叫ばせた。彼らはラーラの配下の中でも特に箍の外れた集団で、この大事件以降「砂の首巻」と呼ばれて恐れられることになる

 エルンスト軍団とそれに連なる諸侯軍全てにジルダウからの退去を要求したのだ。これは軍団内の関係だとか、派閥だとか、そういった物は一切考慮に入れなかった。例え比較的近しい関係だと言えるアロンベルだろうがマグダラだろうが関係なく、要求を突き付けた
 ジルダウは少し前まで商人たちが独自のセンスで舵取りを行っていた独歩の地だ。他でやるより混乱は遥かに少ない、とゴッチ配下のロージンは睨んでいる。商工協会の主要人物がほぼ全てゴッチに惨殺されている事を考えたら多少不安ではあるが……

 エルンスト軍団や諸侯は呆れた様子だった。ゴッチの気性は知れ渡っていたが、所詮は無頼者であると言う侮蔑の心もあった。ゴッチが必要以上にごねて、エルンストから何らかの譲歩を引き出そうとしているのだと大多数の人間は判断した
 本気ではない。衝突など起こる筈がない。誰もがそう楽観視する中、オーフェスとその周辺だけが事態を重く見て、何度もゴッチに使者を寄越す。その中にはオーフェス自身や、カザンの姿もあった

 しかしゴッチ・バベル、この再三の歩み寄りを一蹴

 刻限である三日後、エルンストの屋敷に無数の火矢が撃ち込まれた


 「どひゃー、本当にやっちまった。兄弟ってば本当にもー、我慢って言葉を知らねーんだぜ」

 ゴッチの屋敷の屋根の上、遠方で上がる怒号と煙を見ながら、レッドは腫れあがった右の瞼を弄る
 たんこぶ青タン何のその、愚痴は止まらない。何とかゴッチを止めようとして殴り合いの喧嘩までしたのだが、結局どうにもならなかった

 こうなってしまったら、後はエルンスト軍団との外交チャンネルになるぐらいしかやる事は無い

 おーいてて、と瞳に涙を滲ませながら、レッドは溜息を吐いた

 「大丈夫なんかなー。ぜってー大変なんだぜ」

 エルンスト軍団は商売の出来る相手だ、と言う認識がある筈だ。幾ら腹が立ったとしてもその商売相手を本当に“駄目に”したりするだろうか
 事の発端はロクショールで、エルンストの意思でないのは明らかである。その事も加味して考えれば、遣りすぎたりは……

 ……しないと思うが……レッドには判断の難しい所である


――


 事に当ってゴッチは何も考えなかったわけではない。ゴッチはラーラの取り纏めるごろつきどもが、エルンストがその気になれば一蹴されるだけの存在だとよく理解していた

 しかしジルダウは彼らの根拠で、民間には彼らの手引をする者が数えるのも馬鹿らしいくらい存在し、かつエルンスト達は内紛中とはいえアナリアの支配者層としてジルダウを滅ぼす訳には行かない
 そしてそこにはゴッチとラーラが居り、参加するとは思えないがレッドもおり、商人達の腹具合をよーく心得ているロージンが居た。ロージンが反対しなかったのはそういった理由もある

 そしてごろつき達の半分くらいは支配者層に対して恨みを抱いていた。彼らは官憲の横暴や国の政治的失策を備に見ながら生きてきたのだ。自分達が野良犬のように生きなければならないのは、国のせいだと思っていた。そしてそれは強ち間違っていなかった


 最初、エルンストの屋敷の火付けに参加したのが二十名。彼らの内五名は即座に捉えられ殺されたが、残りの者は素早く民衆に紛れた
 そこからは非常に陰湿な戦いだった。人波の中からふっと現れては騎士などの上級将校に襲い掛かり、彼らを半殺しにしてはまた逃げ、町の薄暗闇に紛れる
 エルンストと諸侯軍はゴッチ達の事を捨て置いたツケを支払う事になる。アナリア王国軍への備えを万全にしていてもゴッチに対してはそうではなかった。ゴッチに対して度を越した友好的な態度を取るエルンストを見て、勘違いしていた者も多い

 だがゴッチは懐柔されたつもりは無かった


 大通りでは砂色の首巻を巻いた五人のごろつきが一人の騎士をよってたかって暴行していた。露天商や市民達は目を背けて見ない振りをする
 当然のように治安維持の為の兵団が駆けつけてくるが、砂色の首巻の集団は気配を察して一目散に逃げ去る
 こうなってしまうと追うのは困難だ。何せ市民は異常なほどに非協力的だった

 兵団を率いていたホーク・マグダラは舌打ちした。マグダラにはルークを通して情報が齎されており、ゴッチの激しい怒り具合を脳裏に浮かべたホークは可能な限りジルダウから支配下の者を出したが、ホーク自身はジルダウに残った
 これはホークの立場も大きかったが、矢張り彼の気性であった。険しい表情のホークは頬骨が砕けた騎士を助け起こし、矢継ぎ早に部下に指示を出した

 「(よくもまぁ、こんな大胆な行動を決断させたものだ)」

 頬の砕けた騎士は失神していた。肩が外れていて、ホークは目を覚ます前に治療すべきだと医療所まで運ばせる

 全ての行動には意味がある。重大な行動であるほど、大きな原因を持っている。たった一都市の無頼者の集団が、大軍勢に敢然と刃向うのだ。ゴッチの怒りは相応に深い
 ホークも事の顛末は知っていた。大体の者はゴッチが打ん殴られた事に同情しつつも小気味よく思っているようだったが、ホークはゴッチが黙っている訳がないと思っていた

 ゴッチは複雑な感情を寄せられる男だ。戦乱の世ゆえ、その強さと獰猛さには惜しみない敬意を向けられる。だが気性と態度は決して好かれ易いとは言えない

 「北の獣達に似ていて、私は嫌いではないがな」

 漏らした言葉は唐突であったから、傍に居た部下は気の抜けた返事をする事しかできなかった

 「ホーク様、矢張りお戻りください。マグダラを引き継がんとする方が、このような些事に一々かかずらっていてはなりませぬ」

 老齢の男が恭しく言う。言葉の端にはゴッチへの恐れが滲んでいた。ホークが危険に晒される事を何より危惧しているのだ

 「あの男を止められる者はそう居らぬ」
 「……どれ程の勇武の者でも、例えあの雷の魔術師であろうと、我らが抑え込んで見せまする」
 「点数が甘いな」

 ホークは周囲を行き交う民へと目をやった。彼らはホーク達を全く気にしていないように見えて、その実用心深く様子を伺っている
 常に監視されている。行動の全ては、ゴッチに筒抜けであろう

 ゴッチはジルダウを恐怖で支配した。逆らう者は残酷に殺し、反抗を許さなかった。だが同時に名の知れた商人であるロージンを重用し、商人達の機敏を察し、言動ほど酷い扱いをしなかった
 彼らの言う場代、守代も、取れる所から際限なく、無分別に吸い上げようとする訳ではなかった。他の街の裏方と比べてみても控えめであろう
飴と鞭を心得ていて、散々暴れ回った分、ゴッチが現れる以前よりも多くの旨味を(空手形の物も随分あるだろうが)与えているようだし、商人達が結びつく為の手助けや、職を持たない者へ仕事の斡旋などやっている節がある

 苛烈な行動を取ったが、いざ人々が自分に従えば寛大だったのだ。故郷での流儀なのか知らないが、ホークに言わせれば“品の良い”部類に入る

 ジルダウは非常に良く回っている。人々はゴッチを恐れながらもロージンの手引で活発に動き回っているし、ラーラと言う炎の魔術師は荒くれ達をよく纏めている
 優れた統治を施された街は中々屈服しない物だ。ゴッチとジルダウは今や切り離して考えられないだろう。ホークは部下を見た

 ゴッチを抑えると言うなら、ジルダウ丸ごとと戦う気概が要る

 「果たしてゴッチの手管か、それともロージンか? ……欲しいな」
 「今このジルダウで、随分呑気な奴が居た物だ」

 にやにや笑いながら顎を撫でていたホークに声を掛ける者があった

 黒いローブに身を包んだ女だ。ホークは直ぐにその正体を看破した
 聞いた事のある声だし、その特徴も覚えていた

 「ほぉ、竜殺しではないか」
 「殿、御下がりを」
 「何時の間に其処に居た。気付かなかったぞ」
 「殿!」

 ラーラは一度首を振った。その合図に合わせて人波の中から配下の者が現れる。二十名程で皆砂色の首巻をし、危険な光を目に宿している
 ホークの兵達は十名程。且つ取り囲まれた状況だったが、ホークは聊かも恐れなかった。よく訓練され、質の良い武器と鎧を装備した戦士達だ。ごろつき相手に後れを取る筈がなかった

 「物々しいな、竜殺し」
 「そう言った態度を取られると困る」
 「困る?」
 「お前達には震えあがって貰わないと、我々の気分が良くならないのだ」

 冗談としか思えない文句だが、冗談を言っているような気配ではなかった

 「乗り気ではないとでも言いたいのか。このホーク・マグダラを囲んでおいて」
 「北の大王よ」
 「まだだ」
 「……北の大王の子よ。今我々は非常に……不愉快な気持ちだ。理由は解る筈だ」

 ホークは部下に目配せし、数歩下がらせる。ラーラとホークが一対一で向かい合う形になった

 これだけ目立つことをしているのだから、野次馬の輪が出来るのも当然だった。しかし場に集まった誰も声を発する事はせず、奇妙な沈黙が満ちる

 「そうであろう。そうだとも。怒りを露わにすべきだ。だが、あれ程お前達に譲り、歩み寄りの姿勢を見せたオーフェス老を一顧だにしなかった事は、どうなのだ」
 「欺瞞だ。あの老女はどのように泣き喚けば他人の同情を引き出せるかよく心得ている。少なくとも私は真摯な気持ちで話を聞けないな」
 「成程、手厳しい」
 「私が此処に来たのはお前にべらべらと喋らせるためではないぞ」
 「……このホークを相手にそのような口を聞けるか」
 「見直したか、北の」
 「恐れ入った。お前の剛胆ぶりにな」

 通りの向こうからマグダラの兵士達が十名ほど駆けてくる。ホークの増援だった。兵士達は横列になりラーラに向けて弓を構えた
 ラーラはそれを見遣りもしなかった。背筋を伸ばし、微塵も動揺を見せない

 「ふふ……もう少し時間稼ぎに付き合ってやってもよいのだぞ。このラーラ・テスカロンに木端どもの弱矢が通じると思うのならば」
 「お前達とは友好的な関係を築けると思ったが」
 「あぁ築けるとも。ジルダウからさっさと出て行けばな」

 通りの反対側から更に十名ほど兵士が駆けてくる。先の増援と同じように横列になり弓矢を構えた
 これで数の優位はひっくり返った。砂の首巻二十名と、マグダラ軍団三十名

 ラーラはさも面白そうに笑った。ラーラの部下達は砂色の首巻を風に揺らしながらピクリとも動かない

 ホークは炎の魔術師の女傑ぶりは知っていた。しかし皆が皆勇敢にはなれない
 砂色の首巻の連中まで小揺るぎしないのはどういう事だ。勇者ばかりが、ゴッチの元に集まる物かな、無頼者の集団に

 「どうした? もうそれだけでよいのか? 私は炎の寵児である。炎の愛娘である。私を倒すのは、巨竜を倒すより遥かに難しいのだ」
 「……そうまで言われると試してみたくなるものだ」

 ホークは目をギラギラ輝かせる。笑みが獣のそれになる

 ホークは普段超然としていて、且つエルンストに合わせて品良く振る舞っているから皆忘れている
 北の大地は厳しいのだ。雪、それに危険な獣、それらとの戦いを常に強いられる。弱き者は淘汰される地だ

 ホークは北の魔界の後継者となる男だ。この男が敵を前にして、例えそれが人外の魔術師相手だろうと、怖気付く筈がない

 「何せ我がマグダラ領は……尚武の地であるゆえ」

 ホークは一歩前に踏み出して剣を抜いた。ラーラも同様に一歩踏み出して、鼻がぶつかる距離で二人は睨み合う


――


 「盟主殿! 即座に反撃を!」
 「瞬時に号令せねば更に後れを取りましょう」

 エルンストは屋敷に押しかけてきた有力諸侯達に一喝した

 「ならん!」
 「……いや、ならんでは聞きませぬ! エルンスト殿、我ら一同が揃いも揃ってごろつきの集団に侮られたとあっては、日和見の諸侯、土豪達がどうするかは明らかで御座る」
 「ゴッチなぁ、奴は一筋縄ではいかん。手強い相手だ」
 「盟主殿、それは我等も心得ておりますが、世間はそれで納得しませぬ」
 「……勘違いしてはならんぞ諸君! 世間など関係ない。何せこれはエルンスト軍団と隼団の戦いではないのだ」

 皆、はぁ? と苛立ち混じりに疑問符を浮かべた

 「そもそも事の発端は、私の娘ロクショールが勇敢にも奴を打ん殴ったからだ。ここの何処に軍団の意思が介在している?」
 「オセの名を持つ方が……あれ程気位の高い男を殴れば……関係なしとはとても……」
 「いや、ない!」

 押し通すつもりだ。エルンストの強引な態度に諸侯は困惑を隠せない

 エルンストだって苦しい。ここでゴッチと揉めたら王国軍が事態を静観する筈がない。一挙に兵を繰り出してくるだろう
 即座に迎撃するにはゴッチの要求通りにジルダウを退き、開けた場所に軍団を展開する必要がある

 そうなると今度はゴッチが野放しだ。もし調略によって王国軍が奴を取り込んだら一大事である
 と言うか現状そこら辺が既に危うい

 「つまり、これはロクショールとゴッチの一騎討ちなのだ。そしてその戦いはこのエルンストが引き継ぐ。“そういう事”で収める」
 「…………は?」
 「いや、盟主殿、御戯れが過ぎますぞ」
 「戯れでこんな事が言えようか!!」
 「論法が強引過ぎて我等も世間も納得しませぬぞ……」
 「黙らんか! この期に及んで道があるか!」

 エルンストは怒鳴り返して剣を手に取った。すらりと刀身を引き抜き額に当て祈ると、鞘を投げ捨てる

 「奴と戦うぞ。真正面から堂々と出向けばあの気性だ、必ず受ける」

 もうエルンストが何を言っているのか誰も理解できなかった。一騎討ちで勝てる相手ではないし、一騎討ちして事態が収まる訳ではない

 「諸君も見物したければ来るがよい」
 「……とにかく、反撃を行うと考えて良いのですね!」
 「一騎討ちだと言ったではないか?」

 えぇいもう気紛れに付き合っていられるか
 諸侯は手勢を集める為に人を走らせる


――


 「我等こそ北の神々の加護を受けし戦士団、シャンガン・ジャウリーが長、フェンテ! 雷獣よッ! 一戦お相手仕る!!」

 巧みに黒毛の馬を操りジルダウ広場をまっすぐ駆け抜けてくる戦士
 優れた男振りであった。大柄な体躯、使い込まれた武具、溌溂とした精悍な面構え、目に宿る決死の光

 ゴッチはレッドから取り上げたサングラスの位置を直しながら前傾姿勢で歩き出した。交差の時は直ぐに訪れる。取り巻きのごろつき達が止める間もない

 びりっと放電。それだけで馬は棹立ちになりフェンテを振り落す。フェンテが起き上がる前にゴッチはフェンテの胸板を踏みつけ、欠伸しながら軽く放電した

 「おごごごごぐぐぐぐぐうん?!」
 「二十四」

 気絶したフェンテを蹴り転がし、ゴッチは肩を解す。新手が直ぐに現れる

 「見つけた、命を懸けるには良い相手よッ! ゴッチ・バベル! エルンスト第二軍団が六位騎士、ジョッシ・パンスキンが相手だ!」

 ゴッチは足元で気絶している兵士の盾を拾い上げると、徒歩にて抜き身の剣を持ち、こちらに駆けてくる騎士を見遣る
 取り巻きが割って入ろうとするのを止めさせ、ゴッチは盾を振りかぶり、フリスビーのように投げた

 「あぐばッ」
 「二十五」

 狙い違わずジョッシの脳天に命中する円盾。昏倒するジョッシを部下に片付けさせる

 噴水に座って小休止を取ろうとすると、更に新手が現れる。年若い兵隊長に率いられた兵士の小集団だ

 「ゴッチ・バベル殿、何故このような蛮行を?!」

 朗々と何か述べる兵隊長を鬱陶しそうに指差すと、配下のごろつきが指笛を鳴らした

 小集団の最寄りの建物の屋根の上に砂色の首巻の一団が現れる。十名に届かない程度のその一団は、互いに目配せし合うと迷いなくそこから飛んだ

 兵隊に奇襲を掛けたのだ。兵隊長はその事態に狼狽せず、憎々しげにゴッチを睨む

 「これが貴公の返答かーーッ!!」
 「おい」
 「はい」

 ゴッチが短く声を発すれば、盗賊の女が近くに居た五名を連れて走り出す。痺れ薬の施された短剣を引き抜いて、兵隊長に一斉にぶつかっていった
 敢え無く倒れる兵隊長を引き摺って帰ってきた盗賊は、イライラしながら手を振るゴッチを見て、慌てて兵隊長をゴッチの目に入らない場所まで引き摺って行った

 「二十六。……思ったよりも詰らねぇのしか釣れねぇな」
 「アヴォーシュ様の所は大変らしいですが」
 「そりゃそうだろ。ホークの所に殴り込んだらしいじゃねぇか」

 さぞや楽しいんだろうなぁ。ゴッチは噴水の淵にどっかり座り込んで言う

 広場は縛り上げられた騎士やら兵士やらが適当に転がされていた。歯応えの無い連中だぜ。ゴッチは呆れた様子を隠そうともしない

 初めの内は不安を隠せなかった配下達も、ゴッチが来る者来る者一切合財例外なく打倒していく内に、エルンスト軍団への恐れを払拭したようだった

 ごろつき達は静かだが、昂揚していた。ゴッチ・バベルの持つ気迫が乗り移り、血が熱くなる


 「エルンスト・オセだ! 大物が釣れやしたぜぇぇ! 取り巻きどももスゲェ数だぁッ!」

 屋根の上で砂の首巻の一人が叫ぶ。広場は一瞬で騒然となる

 エルンストとなれば今までの物とは格が違う。彼を守るのは精鋭中の精鋭だろう
 対決を恐れぬ奴が居るか? この王国を争う二勢力、その片方の主なのだ

 しかし、この男なら
 ゴッチ・バベルなら

 ゴッチは天を見上げていた。何の気負いもないぼんやりとした姿だ

 ゴッチはぽつりと言った。決して大きな声ではなかったが、広場にいた全ての者に届いた

 「どいつもこいつも俺を舐めてやがる」

 近くに居た者は“何か”に圧されて思わずたたらを踏んだ。喉がひりつく程の緊張感に汗が流れる

 「羊が百匹居たって、獲物が居る事を喜びこそすれ、怯える訳がねぇだろう? 羊を二万匹集めて良い気になってるのがエルンストだ。奴自身はまだ良いとしても、奴の召使いどもと来たら最悪だ」

 ゴッチは跳ね起きる。スーツの襟やスラックスの裾を直し、居住まいを正す。背中に金の隼が輝き、ゴッチは両腕を広げた

 「どんな奴に向かって口きいてるかも解ってねぇような間抜けが、今まで俺やお前達を見下してきた。お前達なんてそれだけじゃねぇんだろ? 聞いてるぜ。奴らがもう少しまともだったら、こんな糞みてぇな仕事してねぇ奴だって多いんだろ」

 答える者は居なかった。ゴッチは首を鳴らし周囲を睥睨する。砂色の首巻をした荒くれ者の集団が、呼吸する事も忘れて自分を見ている。それを確認して満足げに頷く
 足を五歩進める。広場の中央に立ち、通りの方に向かって立てば、その背に視線が集中するのを感じた

 「俺が悲しい理由はまだある。それは……俺の事を良く解ってねぇ間抜けが、俺の近くにも居る事だ
  解ってるかお前ら。俺がどんな男なのか。何故俺がエルンストと対等なのか。何故恐れないのか。引き下がらないのか
  俺が危ねぇ奴だからか? 情が無いから? 商売が上手いから? 貧乏貴族どもに小金を貸してるから? どうだ? そんなもんか?
  俺がこの街で俺に逆らった奴を片っ端から殺したのは記憶に新しいだろう。俺が怖いから従ったって奴も多い筈だ」

 にやりと笑いながらゴッチは振り返る。馬鹿どもが、と口を吐いて出る悪態

 不思議な迫力に魅せられた荒くれ達が、ごくりと唾を飲み込んだ。どれ程の大勢力が相手でも、全く恐れない男。雷の魔術師。雷獣。無情な殺し屋

 それだけの男ではない

 「忘れちまったってんなら思い出させてやる。俺は怖いだけの男じゃねぇ」

 ゴッチは左手をポケットに突っこんだまま右の握り拳を掲げた
 常人より一回りも大きい拳骨だった。異常な握力で握り締められた拳は、みちり、みちり、と肉の生々しい音をさせていた

 ゴッチを象徴する物だった。何時も最後の最後ではこれが物を言うのだ


 「強ぇんだぜ」


 だからだ

 ごろつき達が一斉に拳を突き上げて咆えた。ゴッチが口だけの男でないのは身に染みて知っていた

 ゴッチがこの街に現れ、瞬く間にその支配者となれたのは何故だ?
 誰も逆らえないのは?
 誰もが恐れるのは?
 何故自分達はあんな危険な男の傘下に居る?

 強いからじゃないか!

 ――力こそ全て

 支配者の支配者たる根拠は力だ。神から王権を賜ったなどと言う文句を心の底から信じる者が、今の世の中何人いる?

 散々虐げられてきた。力に
 だからだろうか、ごろつき達が、こうまでゴッチの力に惹かれるのは

 「面倒臭い連中だぜ」

 ゴッチは配下達から叩き付けられる熱狂を感じて鼻を鳴らした
 隼団らしいスマートさやクールさは微塵もないが、多少はマシだ。これで少しは隼団の下部組織らしくなった

 ゴッチは地面に足を叩き付ける。ごろつき達がおう、と咆えた

 ゆらりと首だけで振り返る。黄金の鎧を纏って、屈強な部下を引き連れた男が居た。通りの向こうから速足で、堂々と歩いてくる
 エルンストだ。数多の諸侯の頂点に立たんとする男が、今までにない真面目で真摯な瞳をゴッチに向けていた

 ゴッチはもう一度天を見上げた。ロベルトマリンの曇った空とは矢張り違う
 ホームシックの自覚はあったが、今はなんだか気分が良かった

 「歓迎するぜエルンスト!」

 エルンストが返答の代わりに剣を抜く音がする


――

 後書

 おれは しょうきにもどった!


 ちょっと……盛り上がらせ方が下手だったかな。



[3174] かみなりパンチ43 「強ぇんだぜ」3
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:c7c9cdef
Date: 2013/03/31 06:00
 ジルダウから僅かに離れた位置に設営された天幕でロクショールは軟禁状態にあった。河の畔で付近に陣を張る軍が多く、間違っても敵の襲撃を受けないと思われる場所だ

 ロクショールの胸中は乱れていた。ロクショールは正義を尊ぶが、世の中が正しい事だけで回ってなど居ない事をよく知っている
 だから軟禁状態を受け入れていた。思う所は多々あったが、オーフェスの懇願に圧されてしまったのだった


 ロクショールはオーフェスの皺の寄った顔を思い出す。エルンストもオーフェスも、自分に非常に良くしてくれているのは理解できる
 だが人間の心とは常に一つの方向を向いている訳ではない。エルンストもオーフェスもロクショールを大事に思うのと同時に、その扱いに非常に苦慮していた。ロクショールにだってそれは伝わってしまう

 ずっと自分がエルンストの子だなどと知らずに育ってきた。兵団を率いる立場にあった厳しい母の元、兵の上に立つ者の子として人一倍以上厳しく鍛えられた。幾度となく死線を越えた
 鍛え、学び、身分の差はあれど如何な人物とも真摯に向き合ってきた

 それが母が殺され、エルンストを頼った時から一変した。多くの近衛に守られながら天下の玉の如く扱われ、一歩も動いて欲しくないようであった。その癖諸侯の中には、兵の将として鍛えられたロクショールの所作に粗野な物を感じるのか、ロクショールを侮る者も居た

 息苦しかった。エルンストが存在すら知らなかった自分を受け入れ、愛してくれた事には心から感謝している。何くれとなく自分を世話してくれるオーフェスもそれは同じだ
 だが、息苦しかった。今は己が発端となった騒動の蚊帳の外に置かれ、全く罪のない将兵達が傷つこうとしている

 「私を出してくれ。私が間違っていたなら、私を危険な場所に置いてくれ」

 謂れなき彼等にツケを払わせることはできない

 友の無念を無かった事には出来なかった。尊厳を奪われた挙句、宿した子ともどもこの世を去ったのだ
 ゴッチの顔色を窺ってばかりのオーフェスは黙殺する筈だ。エルンストも最後にはオーフェスに任せるだろう
 どうしても認める事が出来なかった。結局は感情だった

 だから、その結果がどのような物であれ、受け止めるべきは自分なのだ。オーフェスの懇願を容れるべきではなかった。例えエルンストに逆らう事になろうとも、ジルダウに残るべきだった

 私は愚かだ。何時も間違う

 「カザン将軍殿! いらっしゃいますか!」

 ロクショールは声を張り上げた。ロクショールを見張るのはエルンストとオーフェスが最も信頼する人材、カロンハザンであった

 カザンの代わりに兵士が天幕に現れ恭しく一礼する。言葉少なく「将軍を御呼びします」と告げ、直ぐに消えた

 程なくしてカザンが現れる。背後には何時ものベルカとニルノア
 そして今日に限ってミランダローラーを連れていた

 「御呼びでしょうか、末姫様」
 「はい。……何故ミランダローラー殿が?」
 「おや……」

 跪くカザン達三人を他所にゼドガンは斜に構えて立ち首を傾げる

 「俺に来てほしい頃合だと思っていたんだが」
 「……そうですね。……ミランダローラー殿には敵いません」

 楽にするよう伝えると、カザンが立ち上がりロクショールに剣を差し出してくる
 天幕に放り込まれた際取り上げられたロクショールの獲物だ。ロクショールは流石に目を白黒させた

 カザンは優れた騎士だ。女の為に一度出奔した故に最高の騎士の栄誉には消えぬ傷がついたが、それでカザンの能力が衰える訳ではない。ロクショールも短い付き合いながらカザンを非常に頼りになる男だと思っている
 だが同時に一風変わった騎士だとも思っていた。頑なな部分がなく一歩引いた場所から控えめにこちらを観察しているその姿に不思議な物を感じていた

 軟禁されている人間に武器を渡すか

 「カザン将軍……」
 「物事は様々な目で見るべきです。ロクショール姫様。貴方の怒りは正しい」
 「……けど、随分筋の通らない事をした。まず抗議すべきだったんです」
 「あの男がそんな事、毛ほども気にする筈がありませぬ!」
 「ニルノア、無礼だぞ!」

 恐れ知らずにも言ってのけるニルノア。それを止めるベルカの瞳は揺れていた。同じ感想を持っているに違いなかった

 カザンは気にせず続ける

 「ですが、連中はそれだけの人間、と言う訳でもありませぬ。……実の所、無頼者なりにあの街をよく纏めています。商人を守り、交易路を守り、貧民に職を与える事すら」
 「……はい」
 「全てアナリアが乱れたせいです。正しい支配が行き届いていれば、民草は連中になど頼りはしないでしょう」
 「将軍、私は何時も間違うんです。私は優れた人間ではないから。彼がたとえどんな人物だろうと……」
 「俺が守ろう、ロクショール。ゴッチと一戦交えたいと思っていた」

 しれっと言ってのけるゼドガンは、ゴッチの側近中の側近の筈である
 しかしロクショールはゼドガンを信じた。ゼドガンは利権だとか組織だとかそう言った物を超越した場所で自分の理論を展開している。一般の感覚では測れないだろう

 「本当に良いのですか。見届けて下さるだけでも十二分に有難いのに」
 「興が乗った」
 「……本当に、掴めぬ方だ。……それで、その」

 ロクショールは悠然と構えるカザンを見遣る

 当然ロクショールが此処を出てジルダウに戻れば、カザンに厳罰が下されるのは想像に難くない

 カザンはゼドガンを真似たつもりか、こちらもしれっと答えた

 「南方の兵に動きがありました。私はこれを一撃し、敵を牽制します。末姫様を見張る余裕はありませぬ」
 「それは本当ですか?!」
 「えぇ。ですのでこの乱痴気騒ぎは早めに収めていただきたい。ロクショール様が居た方が、そうなる気がするのです」
 「……ありがとうございます、カザン将軍」
 「馬の用意をしております」

 ベルカに案内されてロクショールは天幕を出る
 ゼドガンが涼しい顔をカザンに向けた

 「何故ゴッチを擁護するようなことを?」
 「……」
 「言いはせん」
 「……普段は控えめで忍耐強いが一度決めたら強情な方だ。……ゴッチが見るべき物の無い害獣のような男だと思っていたら、決して妥協できまい。そうであればあの方は死ぬしかなくなる」
 「そうかな。……そうかもな」

 ゼドガンはカザンから視線を外した

 これほどの男、騙したつもりはないが結果そうなってしまう事には心が痛む

 カザンはゼドガンがロクショールを守ると思っているだろう。それは正解だ
 だがゴッチと和解させるのが目的ではない。ぶつけるつもりでいる

 死ぬ可能性の方がずっと高い


――


 ホークは焦げた前髪を毟った。ボロボロの毛髪がパラパラと落ちて風に飛ばされていく

 路地の向こう側から火炎がほとばしる。それはホークの顔面をかすめ、整えた髪を再び焦がした

 ホークは路地に積み上げ防壁代わりにした木箱に凭れ掛かり舌打ちした

 「あの女、俺を禿げさせたいのか」
 「弓手! 奴らに顔を出させるな!」

 号令が飛び、ホークの兵が路地に矢を射かける。ラーラとホークの戦いは建物と狭い通路を挟んでの睨み合いとなっていた

 「粘る。ごろつきの動かし方も巧みだ。アレはそのまま百人長として活躍できるぞ」
 「ホーク様! 深手を負った者は下がらせました!」
 「屋根の上も警戒させろ。奴らの中でも首巻をした者は身が軽い。奇襲されるぞ。……伝令! エルンスト殿の元まで走って様子を探ってこい!」

 敵の数が増えているのをホークは感じた。ジルダウは奴らの根拠地だ。そこいら中からラーラの手勢が集まってくる
 援軍が欲しい所だが、ラーラと同じようにゴッチが暴れているのならそれは望めないだろう。寧ろより酷い状況で逆に援軍を求められるかも知れない

 ふと視界に影が差し、ホークは上を見た
 先ほどの懸念通りの事が起こった。砂色の首巻をした者が五名、短剣を握り締めて建物の上からこちらを伺っている

 「弓持てぃ!」
 「ご主君を御守しろ!」

 砂の首巻が飛び降りてくる。俄かに兵達が浮足立つ
 人が大きく動く気配を感じた。通路の向こう側からラーラを先頭にごろつき達が飛び出してくる。ホークはにやりと笑って剣を構えた

 「弓は矢張り要らぬ! 通路の敵に集中しろ! こちらは切り抜ける!」

 側近達がいきり立って剣を抜いた。多少不安がある
 兵の指揮や智の巡りに優れていても年嵩の行った者達が多い。それでも市井の破落戸程度に遅れは取らないが……

 ゴッチの元に集まる物は何となく空気が違う。あのラーラ・テスカロンが直々に動かす者となれば尚更だ

 「洒落た首巻! 俺を殺せるとでも思ったか!」
 「うるせぇクソッタレ!」

 短剣の投擲を獣皮のマントで防ぐ。ホークは先頭に立ち怒声を上げた

 将を動かすのではなく、実際に敵と切り結ぶ距離に居るのであれば、矢張り勇敢でなければ兵が続かぬ

 「エルンスト軍団上等だぁ! 隼が手前等の目玉刳り貫いてやらぁ!!」
 「調子付くな下郎! 貴様ら如き、俺に語りかける事すら烏滸がましい!」

 通路の向こう側で炎が爆ぜ、ラーラが咆えた。爆炎の上を舞う白金色の魔術師は、炎で家屋を嬲りながら積み上げた木箱を吹き飛ばす

 ちぃ、と舌打ち。しかし眼前に迫る砂の首巻を放置する事も出来ない
 まず一息に目の前の五名を討ち取り、撤退して体勢を立て直す
 ホークは尚いきり立つ。しかし今まさに切り結ぼうとしていた砂の首巻五名は唐突に踵を返して逃げ出した。軽い身のこなしで助け合い、あっという間に家屋の屋根へと逃れる

 「アヴォーシュ様に焼かれていっちまいな!」

 大胆な陽動もあった物だ。ホークは即座に声を発した

 「通路を抜けるぞ! 体勢を立て直す! 積んである木箱を崩せ!」
 「逃げずともよいぞ! 殺しはせぬ! 面目が立たぬくらいに辱めるだけだ!」

 ラーラが炎を身に纏い、兵士の群れを突破した。無手のまましかし炎を握り締め足取りは少しも乱れずホークへと走る

 部下が一人間に割って入る。ラーラは足を振り上げた。顔面に直蹴りが命中し、泡を吹いて吹き飛ばされる

 「退け! 退けぇーい!」

 ホークは撤退の号令を叫びながら剣を振る。鋭い剣閃がラーラの頬を掠めた
 ラーラは一瞬だけ頬を押えて身を固めた。炎を恐れず飛び込んでくる者が居ようとは

 「ぐぅぅ!」

 ホークは近くに積んであった木箱を満身の力を込めて引き摺り倒す。ラーラは即座に木箱を叩いた。炎が爆ぜ、一瞬で炭化した木片が飛び散る

 「ボスはこの街の全ての場所で貴様らを駆り出すと宣言した! 出て行かなかった奴が悪いのだよ!」

 だん、だん、と足を叩き付けるようにして歩く。燃え上がり、炎の尾を引いて歩くラーラは確かに魔術師だ。人間をやめていた

 ホークは曲がり角に滑り込んだ。其処には既に新しい即席の防御柵が形成されていて、ホークはその隙間に飛び込む。即座に隙間は防がれる

 ラーラは積み上げられた木箱や木材に火球を叩き付ける。火の粉と煙、木片で一瞬視界がふさがれ
 それが晴れた時には、屋根の上にマグダラの兵士達が一列に並び、矢を番えていた

 「撃て! 撃ったら即座に下がれ!」

 号令に対し弓兵達は忠実だった。一斉にラーラ目掛けて引き絞った弓矢を解き放つ

 ラーラはローブを握り締めていた。全身を這う炎が手に集まり、ラーラはローブを引き千切りながらその手を振り回す
 炎の波が無数の矢を焼き払う。高所から、しかも至近距離から十分な狙いをつけて放たれたはずのそれは、一矢も報いる事なく全て燃えて消えた

 マグダラの兵達は驚愕を飲み込んで即座に逃げた。ホークは路地裏から抜け出て、首を鳴らしながら兵に指示する

 「崩せ」

 兵士達が一斉に七本の縄を引いた。それは大きな木造りの宿屋の柱複数に結ばれており、支えを失った宿屋は見事に倒壊して路地裏を閉鎖した

 「どうせ燃えかけていたのだ。まぁ良いだろう」
 「死にましたかな」
 「あの女がか?」

 ホークは剣を一振りして、ややうんざりとしながら言った
 強き敵はよい。だがあたら優秀な将兵を失うのは避けたい物だ

 「まさか」

 崩れた宿屋が一瞬で燃え上がる。炎が意思を持ったかのように駆け回り、凄まじい熱気を放った

 ホークが溜息を吐く間にそれらは爆発した。木片が四方八方に飛び散り凄まじい熱風が起こる

 しかしラーラが目的を達すると、その炎はまるで嘘だったかのように消えてしまった。後に残るのはぶすぶすと音を立てる炭だけだった

 「こうまで自由自在か。伊達ではないな、炎の愛娘と言うのは」

 呟きに答えるように、ラーラは砂の首巻達を引き連れて堂々と歩いてきた

 「多少広い通りに出た。これは良いな、余分な物を燃やさなくて済む」
 「あぁ、我々も民草の家々を壊さずに済むと安心していた所だ」

 互いの手勢たちが武器を構えて睨み合う。双方ともに戦意は衰えていない

 その場にそろそろと音もなく歩み出る者があった。黒いローブから僅かに除く細顎の白さが目に付く

 ダージリン・マグダラだった。全く気配無く現れた氷の魔術師にラーラと実の兄であるホークさえ驚きを隠せなかった
 ダージリンは感情の籠らない声で言う

 「二人して何を?」
 「……お前達に思い知らせるための戦いだ。氷の魔術師殿も私との決着をお望みかな?」

 ラーラはふんぞり返って返答した。戦い以外の何かに見えるのか?
 ダージリンは適当な相槌を打って流した。ラーラとダージリンのぶつかり合いは何時もラーラの独り相撲だ

 「兄上」
 「ジルダウから離れていろと言った筈だが……」
 「私は問題ない。ゴーレムは私を憎んでいません」
 「勘違いしているぞ氷の魔術師。愛憎など関係ないのだ。エルンストに与する全ての者をジルダウから叩きだす、そういう命令だ」
 「試してみよう、ゴーレムに会って」
 「は?」

 一触即発の空気が萎んでいくのを感じた。ダージリンは掌に氷の華を生み出して弄びながらどうでも良さそうに言った

 「兄上、エルンスト殿がゴーレムとの会談に臨まれるそうです」
 「…………いや、それでこそだな。中々……出来ん選択だ」
 「既にジルダウ噴水広場にて睨み合っているとか」
 「何?! もうか?!」

 驚愕の声を上げるホークだったが、予想外なのはラーラも同じだった

 エルンストはなんだかんだで盟主を務めるだけはある男だとラーラは不遜にも評価していた。依怙贔屓など平然とするが大問題にまで発展させないうまいやり方と言うのを心得ているし、それ以前に大体は公平だ
 勇敢過ぎず、臆病過ぎず、陽気で強引なように見えて相手の裏を読み、或いは慮る事も出来る。立場故にそれが求められる

 そしてその立場故に自らゴッチと相対するのは有り得ない。ラーラはそう思っていた。それがそうならなかったのならば
 これはもう全面戦争かもな。流石のラーラもうすら寒い物を感じる

 「私は行く。ついてきて確かめてみればいい。ゴーレムが私をどう扱うのか」
 「…………事前の命令通りやるのなら、お前など早々にジルダウから叩きだしても良いのだが」

 興が乗った。確かめてやろう。そういってラーラは部下を下がらせた
 エルンストが出張ってきているならこれはゴッチの傍に居た方がよい。マグダラはまだどうなるか解らない

 完全に気勢を殺がれたホークが厳かに宣言する

 「……我が妹の提案を受けよう。……しかしラーラ・テスカロン」
 「何だ、北の」
 「大口以上の力量だった。危うく言葉通り辱められる所だったぞ」
 「ふん」
 「お前、私の側近をやってみないか。場合によっては兵を任せる事もあろう。我が妹も、あれで実はお前の事を気に入っているようだ」

 ラーラはくわっと目と口を開いた

 「寝言を言うな! 私は寒いのは大嫌いだ!」
 「え、そうだったのか」

 ダージリンが俄かに驚きを滲ませて言った


――


 悪い事をしている自覚はある。しかしそれがゴッチに後悔と反省を齎すかと言ったらそれはNOだ
 法律が悪いと言うならそれは悪い事なのだ。だが法律はゴッチが決めた物じゃない。だからそれは上手く掻い潜るか利用する物で、法の番人である警察組織は金を握らせて手を組む相手だった。恥ずかしいなんて思った事はただの一度も無い

 世間様の顔は元々ゴッチ達屑の方には向いていない。だからゴッチ達は世間様に顔向けなんて出来なくていいのだ

 そう言った開き直った不遜な態度が、ゴッチを嫌う人間を刺激するらしい

 「事の起こりは御存じで御座いますかなミスタ・エルンスト?」

 おどけた風に言う。ぎらつく目はお互い様だった。睨み合うエルンスト軍団と破落戸の集団は互いに見下し合っている
 酷く対照的だった。面白くすらあった

 「お前の所の出来の悪いのが、娘の友人に無残な事をしたらしいな」
 「そうなんだよ。俺も困ってる。……何せ下手人が見つからんのだ」

 エルンストに付き添う諸侯の一人が眉を寄せた
 白々しい事を言っている。目付きが物語っている。ゴッチの発言をそのまま信用する者など居ない

 「まぁそんな訳でエルンスト、激怒した“お前の所の出来の悪いの”が、俺を酷く痛めつけた。身体じゃねぇぞ? 面子だ」
 「あぁぁ?」

 ロクショールを出来の悪いのと言い返した途端エルンストが歯を剥き出しにする

 エルンストは、解ってそう言った態度を取っている節がある。外交の為に感情を抑え込むよりも、感じたままを表す方がゴッチ・バベルの好みである、と何となく理解している

 だから遠慮などしない。理解してなくても遠慮したかどうかは微妙な所だが

 「何がお前の望みだ」
 「手前等をここから叩きだす事だよ」
 「面子と言う癖にこっちの事は考えんのか? 我等の面子も痛く傷ついておるのだぞ」
 「おいおい勘違いすんじゃねぇ」

 ゴッチは大仰に肩をすくませてみせる。砂を蹴り払った。挑発的な態度に兵士達は怒りを募らせていく
 怯えないだけまぁ使い物になるのを引っ張ってきたんだな、とゴッチは評価した。主君の為に怒り、その命を投げ出す事も厭わない。大した忠誠心だった
 そしてそれも侮蔑の対象だ

 「俺が先に打ん殴られたんだ。やり返して当然じゃねぇか。お前の所のメスガキの友人様だぁ? ……しらねぇよそんなの」

 誰も彼もよーく理解していた。ゴッチ・バベルと言う男は正しさを求めていない。自分達が正義でなくたって全然かまわないのだ
 面子の問題と言うならそうだった。エルンストの娘ロクショールの友人と言っても公的な立場はただの平民だ。それらが殺されたのは確かにアナリアの法では裁かれるべき罪だが、この中にその平民二人の事を気にした者が一人でもいるか?

 彼等が死んでも誰も困りはしなかったのだ。そして唯一怒りを覚えたロクショールが復讐の為に殴りつける相手としてはゴッチは気位が高すぎた
 エルンストはロクショールを愛していたが、行動の拙さは否定できない。待ち構えて殴りつけるより、捜査をすべきだった。罪を犯した罪人を裁くのに面子も何もない物だ

 「部下の尻ぐらい拭けん物か」
 「そうしたいとも。だがそれより……頬が疼くんだよな……。手前等が気に入らねぇってよう」

 瞑目して天を仰ぐ。彼の盟主としての部分が、極めて実利的な答えをはじき出そうとしている

 「交渉の余地があるな」

 欺瞞であることはエルンストも良く解っていた。エルンスト軍団は面子に泥を塗られたが、この場で完全にジルダウを、その繋がりを失ってしまえばペジェンス侵攻作戦は大幅な修正を余儀なくされる
 と言うか、オーフェスに言わせれば“瓦解”である

 しかし武力ではゴッチを従えられない。交渉しかない。それも今日明日中に結果を出すような類の交渉ではなく、一時ゴッチの要求を呑み、再度足場を組み直し、よりを戻していく、そんな交渉だ

 「どんな交渉が出来ると思う?」
 「どうしても我々を追い出したいと?」
 「どうしても追い出したいね」
 「それだけなのだな?」
 「それだけでお前達の面子はぐしゃぐしゃさ。……だが気に病む事は無ぇぜ。直ぐにこの大陸の誰もが、『エルンストの判断は止むを得ない物だった』って言うようになるさ。賭けても良い」

 エルンストはゴッチが何か大事を起すつもりなのだと悟った。それ以外に取りようのない言葉だ

 二、三言、ぽつぽつと交わす。
 そのうちに場の緊張は極限まで高まっていた。睨み合う二つの集団の間を真昼間の温かい風が吹き抜けていく

 エルンストは己の一騎討ちの内容をよく吟味した。彼の中にとっては強敵相手に引き下がるのは恥ではない
 たかが一都市の犯罪組織がエルンスト軍団を引き下がらせればこれは世間的には大勝利だろう。だからこそゴッチの要求だ

 面子を潰しても、傷の広がりを押えなければいけない場面もあろう

 「よし」
 「決まったか? 大人しく出ていくか、纏めて見れねぇ面にされた後叩きだされるか」

 エルンストはゴッチの悪辣な物言いに応ずることなく、後ろを振り返った
 居並ぶ配下や諸侯達は既に一戦構える覚悟を決めているようで、ゴッチ・バベルと言う怪物を相手に恐れを抱きながらも、闘志を保っている
 彼等はエルンストが突撃の号令を下すと信じて疑わなかった

 そしてエルンストは堂々と言った

 「ジルダウより退く! 周辺の軍には陣を引き払わせよ!」
 「…………は、はぁ?! 盟主殿、奴らの要求を呑むのですか!」
 「呑むとも!」

 朗らかに言うエルンスト。状況を見ればエルンスト軍団の完全な敗北であった。ゴッチ・バベル率いる無頼者たちにしてやられ、敗走するのだ
 しかしエルンストは敗北を敗北とも思わせない笑みを湛え周囲を見渡す

 「我等が彼等を侮っておったのだ! 正味、エルンスト・オセとゴッチ・バベルは対等であった! ならば彼等の要請に対し敬意を持ち、謝罪の意味を込めて潔く撤退する!」

 エルンスト軍団とゴッチ・バベルと言わない辺りが苦しい気遣いだった。潔くと付け足すところもだ
 仕方なくではない。ゴッチと言う偉大な男に譲って、一旦は引き下がるのだ。そういう言い訳がだった

 エルンストはもう一度振り返る。ポケットに手を突っ込んだままぽかんとしているゴッチに朗々語りかける

 「不幸な行き違いであった! しかしこの一件で我等の“対等な同盟関係”に罅を入れるなど、好ましくない事だ!」
 「……あぁ?」
 「我等は未だに蜜月の友ではなかったが、そうなれる! ここは引き下がる! いやぁ、気位の高い美女を口説くようで心躍るわ!」

 エルンスト配下も諸侯達もまたその軍団も言葉を失ってしまった

 しかしおっとり刀で片付けたこの男は黙っていなかった

 「それは正に英断と言えましょうが」
 「ホーク殿に、妹御。それにゴッチ配下の炎の魔術師殿ではないか。今話が纏まった所だ」

 熾烈に争ったラーラ勢とマグダラ軍団が現れたのだ。戦いの余韻を隠しもせず互いに警戒し合う二つの戦闘集団は、殺気を撒き散らしながら広場に乗り込んでくる

 ゴッチが眉を顰めるのを誰が咎められるだろう

 「(そりゃ確かに俺の要求を呑ませたわけだが)」

 こうあっさり行くのは拍子抜けだった。目論見通りの筈なのにイライラが募る

 面白くない。有体に言えばそうなのだ

 「我らは今しがたやり合いましたが……エルンスト軍団が一戦も交えずに引いたとあっては」
 「盟友と干戈を交えるなど余りに愚劣」
 「オーフェス軍師も同意見で?」

 ホークは何とも言い難い表情でエルンストに聞いた。諸侯の前でそう聞かれて流石のエルンストも不機嫌になる
 己の統率する軍の手綱すら取れていないのだろう、と遠回しに言われているに等しい。オーフェスはエルンストの忠実なる配下なのだ

 「婆やは敵を押える為に要衝を回っている」
 「……せめて我等で意見を纏める場を設けて頂きたかったが」
 「それについては謝罪しよう。同時に……」

 エルンストがちらりと送ってきた視線をゴッチは無視した。エルンストはならばと言葉を続ける

 「この男の意思を覆す方策があるなら聞かせてもらいたい」

 流石のホークも押し黙る。ゴッチは商売の出来る人間だ。しかし易々と発言を翻す程腰が据わっていない訳でもない。そうさせる為には方便が居る。利益だ

 そしてホークはゴッチの感情から来る一連の行動を止めるほどの利益を提示できない。これだから感情と言うのは難しい
 マグダラ家はエルンスト軍団と比べればゴッチと親しい関係を築いていた。しかしそれは、ゴッチが一度怒り狂えば何の保証にもならない事が正に今証明されている

 兄が押し黙ったのを見てダージリンが進み出る。黒いフードを深く被り直し、手慰みに作った氷の華をゴッチに差し出した

 「ゴーレム」
 「……何しにきやがった。この洒落た華を渡しに来ただけって事はねぇだろ?」

 ゴッチは氷の華の美しさを確かめると、一瞬のためらいもなく踏み躙った

 奇妙な空気になったな、とラーラは感じた。ダージリン・マグダラと言う女だけが違う空気を纏っている

 この場に居る誰もが多かれ少なかれゴッチを恐れ、その一挙一動を注視している。その緊張感がダージリンには無い

 「炎の魔術師殿が私をも叩きだすと息巻いていた」
 「それで宜しい筈でしたな、ボス!」

 ラーラが踏ん反り返ったまま割り込む。エルンストを初めとした諸侯たちの前で、一片の隙も見せてやるかと言う意地が見て取れる

 「何が欲しいのか、ゴーレムは」
 「エルンストも似たような事を言ったぜ……。そして俺の要求は変わらねぇ」
 「私も?」
 「お前でもだ、ダージリン」

 よし、と満足の吐息を漏らし拳を握りしめるラーラ

 「私がマグダラ軍団の者だからか」
 「エルンスト一派だからだ」
 「誰もがゴーレムを恐れている。その武名では不満なのか?」
 「殴られたら殴り返す。これが出来ねぇ鈍間に武名も糞も無いだろうが」
 「金銭でも納得はすまい」
 「足りてるよ、残念だがな」
 「では」

 サラリとした白銀の髪がフードから除く。白い顎が持ち上がり、みずみずしい唇が歪むのが解った
 ゴッチは黙って見ていた。ダージリンの顔が迫ってくるのを

 ダージリンは背伸びし、ゴッチの胸板に両手を置いて体を支える。そしてそのままゴッチに口づけた

 「な、なにをするか!」

 ダージリンが激昂する。エルンスト達は言葉を失う
 まるで娼婦のような振る舞いではないか。当のダージリンは全く何とも思っていないようで、平然とゴッチの瞳を見続けた

 「貴方を満たす物は何だ」

 ゴッチは唇を噛み締めた。ダージリンに何者かの幻影が重なる。何が何だかわからない、出所もはっきりしない激しい感情がゴッチを支配する

 ゴッチはダージリンの頬に右の掌を叩き付けた。フードが剥がれて銀髪が広がる。ダージリンの細い面立ちが現れる。真っ赤に染まった左の頬

 瞳が見開かれた。何が起きたのか解らない、とダージリンの表情が物語っていた
 そしてそれがゆっくりとゴッチに向き直る。親から突き放された子のような震える瞳だった

 本当に僅かの間二人は見詰め合う。ゴッチは唸るように言った

 「洒落臭ぇ」

 ダージリンの瞳が一度細くなり、再び見開かれる
 気配が鋭くなり、意識は細くなり、ダージリンは全身から冷気を発していた。荒れ狂う感情と魔力の表れだとラーラのみが気付けた

 「力こそが全て」
 「あ?」
 「出会った時からゴーレムはそうだ」

 だったらどうした。ゴッチも負けじと雷を迸らせる
 エルンストは「これアカン奴や」と思った。取り敢えず一旦場を纏めようとしていたのに、マグダラ家のせいで非常に雲行きが怪しい

 ダージリンが右手を肩の高さまで持ち上げる。掌に生み出されたのは氷の華などではない
 刃だ。凍てつく氷の小剣が超低温の霧を吐き出しながら陽光に輝いている

 暗く光る二つの瞳をゴッチでいっぱいにしてダージリンは言う

 「名声も、黄金も、情欲ですら貴方を満足させられないなら、矢張り力しかないのだな」

 ゴッチはファイティングポーズをとる。こういう展開を待っていた


 エルンストは余りの急な展開に置いて行かれた周囲を見て唸る

 「こりゃいかんな」


――

 後書

 のんでるかーい!
 ひぇっひぇっひぇっひぇ!
 酒さえあば僕はげんきです!

 sage更だっていうのに感想くださる方には感謝のねんが絶えません。
 でももうちっとsageさせてほしいんじゃ……。



[3174] かみなりパンチ44 「強ぇんだぜ」4
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:c7c9cdef
Date: 2013/08/15 14:23


 「なんで兄弟の事そんなに気にすんのん?」
 「……」
 「ダっちゃんのそれはさ、なんつーのか、あー……、思い込み……いやいやいや、難しい話だと思うんだぜ」
 「難しい話?」
 「兄弟はつるむのは良いけど傷の舐めあいはしねぇんだぜ。何故なら傷は癒すからだ。傷を負わされたならばその相手に必ず復讐するからだぜ」
 「不愉快な表現だ」
 「……兄弟は気分屋だぜ。賽の目は読めない。でもシャバいと思ったら絶対にやらない。“上手いやり方”って奴を平然と無視する。照れ屋だから俺が言うと怒るだろうけど、その生き方にはプライドがあって、そのプライドの為に死ぬ準備が出来てる。まぁ、兄弟のファミリーなら誰もがそうなんだろうぜ。……つまり、シャバい奴は絶対に認めない」
 「私は多くを望んだ心算は無い。……その心を理解しようと思っただけだ」

 「……なら、もっと毅然としなよ。……誰にも、己の運命にも、もって生まれた物にも怯えず、胸を張りなよ。……兄弟は無慈悲だぜ。同情を引く為に摺り寄ってくるだけの相手なんて気持ち悪がるだけさ」
 「好い加減にしろ!」
 「北風みたいにクールなダっちゃんがそんなになるんだぜ。図星って自覚あるんだぜ?」

 「……私の、恐れ……、私の、卑怯な部分……、私の……」


――


 「烏滸がましい! 物知らずの小娘如き、この……」

 ラーラが勇ましく啖呵を切ろうとした時、巨大な氷柱が地面から突き上げた
 切先は鋭くしかもでかい。水気など少しも無かったと言うのに、全くの無から氷柱を生み出したのだ

 ダージリンの凍える氷の魔術。ラーラは直後に吹き荒れた猛烈な吹雪に吹き飛ばされる
 実態のない風に打たれたとは思えない強烈な衝撃があった。突然の事に抗えなかった

 「ぬわぁっ!」

 とても女が出すような悲鳴では無かった。ラーラは木造りの家屋へと叩き付けられ、その雨戸を打ち破って無様に転がる事になる

 その様をしっかりと目撃していたゴッチは大袈裟に頭を振って舌打ちした

 でも、笑っていた

 「テメェと……カザンぐらいだ。腰抜けエルンストの連合の中で、俺と対等に口を聞ける資格があるのは」
 「し、暫し御待ちを!」

 めげずに家屋からはいずりだしてきたラーラが言った。そんな炎の魔術師を無視してダージリンは手を掲げる

 氷の刃に白い風が集まる。急展開に場に居る誰も動けなかった。目の前の情景が異常であったと言うせいもある

 魔術、魔術と恐れられていても実際その力を目の当たりにしている者はそう多くない
 ゴッチに“お上品”と称される素行の良さ、ダージリン・マグダラの凍て付く風と来たら尚の事である

 ダージリンが地に手を這わせる。凍える風が唸りを上げ周囲を荒れ狂う
 そしてそれを一振り
 地面から無数の氷柱が伸び、ゴッチに向かって殺到した

 「私の頬を叩いた、私を拒絶した」
 「なぁにぃ~?!」

 ゴッチは腕を交差させて防御の体勢に入る
 スーツは防弾防刃製だ。複数の層に別れた極薄の繊維層がそれぞれ別種の攻撃への耐性を持っている。場合によってはライフル弾すら防ぐ

 ……筈だ。少なくとも以前のスーツはそうだった
 このファルコンからのプレゼントの性能を把握していなかったことをゴッチは悔いた。ただのスーツにしては異常な重量がある事を考えれば何らかの仕掛けはあるだろうが

 果たして複数の氷柱はゴッチの肉体を貫かなかった。しかしその衝撃までは殺しようがない。幾つもの先鋭物が猛烈な勢いでぶつかってきたのは間違いないのだ
 ゴッチは胸から上、特に首を守り、全身を襲う激痛に耐える

 そして上半身を振り乱した。自身に激突した氷柱を腕の一振りで粉砕して、ゴッチはがはぁ、と猛獣のような息を吐く

 「どうしてだ、どうして。……どうして、どうして! どうして私を怒らせる!」
 「何喚いてんだ阿呆みたいによぅ!!」

 ゴッチは飛び掛かっていく。巨大な氷の壁が一瞬にして生み出され、それと正面衝突した
 ショルダータックル。一メートル以上もの厚みがある氷壁を強引に砕く

 「舐めんじゃァねぇぇぇぇ!!」

 咆哮しつつ尚も前進するゴッチに弓矢が向けられる
 指揮杖を掲げるのはホーク・マグダラ。いざと言う時に躊躇する男ではない
 敵と見れば攻撃する。当然の事を当然に行う

 「ダージリンを援護!」

 それに触発されたのはラーラだった
 埃塗れなのも構わず怒号を上げ、駆け出した

 「ボスに続け! 奴等が如き烏合の衆が何する物ぞ!」

 チィィィ、と独特の呼気が響く。ダージリンが身をくねらせ再び冷気を集めている
 ゴッチの全身を這い回る青白い稲妻がとうとう溢れ出す。猛然と飛び掛かる雷獣とそれを迎え撃つ凍える風

 二人が激突する。ダージリンの生み出した氷壁が再びゴッチを押し留め、今度は跳ね返した
 クソッタレ。ゴッチの悪態が響く

 「えぇーい血の気の多い若造どもめ! 本当の本当に馬鹿どもめ!」

 溜らずエルンストが右手を振り上げた。エルンストの周囲で身構えていた兵士達が気勢を上げて前進を開始した
 彼等親衛隊は主君を侮辱されて血液を沸騰させていた。ずっと、ずーっとだ
 諸侯達にしたってこのまま引き下がるわけには行かないと思っていた。及び腰になる者など一人としていない

 「見つけたァ! 大将首じゃ、ぶっ殺せ!」

 そこへ新たな破落戸達が加わった。街中至る所で騎士達の狩り出しを行っていた者達だ
 彼等は皆それぞれ理由を持っている。帰る場所が無いのをラーラに手懐けられたり、借金で首が回らないのをゴッチの差配で救われたり、元々の屑がゴッチ一派の威勢を恐れて恭順したり
 様々な理由だったが共通点がある。彼等は皆貴族様とか騎士様が嫌いだ
 アナーキストなのだった


 ホーク軍団が矢を放つ。青白い雷光が辺りを眩く照らす
 ゴッチは両腕を盾にして亀のように身構えた。ピーカーブースタイルだ。ダージリンの氷柱で抜けぬ防御が、弓矢で抜ける筈はない

 右の頬が裂け左の耳朶がざくりと破れる。額にも矢は突き立ったが角度が良かったか肉を抉りはした物のゴッチの堅牢な頭蓋の上を滑り致命傷とはならない

 しかし矢の後を追うようにして氷の剣が飛ぶ。流石のゴッチも堪らず身を捩り回避した

 「このラーラ・テスカロンより……業に長けると言うのか!」

 熱風と共に火柱が生まれる。異常な熱が周囲の兵士や破落戸達を炙り、虫でも払うかのように追い散らす
 ラーラが苦々しく言い捨てながら炎の壁を生み出したのだ。しかしダージリンは冷気を纏って平然とそれを踏破する

 生物が本能的に恐れる火と言う物を全く恐れていない

 「私は“へた”さ。……だが、生まれた時からだ。私はただ一人、己をすら呑みこまんとするこの力と相対してきた」

 ダージリンが冷たい目でラーラを睨む。今までのラーラとの付き合い方、受け流すような態度とは明らかに違う。ハッキリとした敵意を含んだ視線だ

 「昨日今日に現れて、御情けでゴーレムに飼ってもらっているような半端者に、私が劣ろう筈はない」
 「何よそ見してくれてんだコラァッ!」

 其処に獣の如き素早さで飛び込んでいくゴッチ。雷の渦がダージリンに殺到し、如何なる手段でした物か、ダージリンはその光の波を捻じ曲げた。もうもみくちゃだった。其処彼処で誰かが殺し合いをしていて何が何だか解らない状態だった

 鋭い剣技によって腹を裂かれ倒れる砂の首巻
 羽交い絞めにされたまま短剣を突き刺される騎士

 咆えるホーク。怒るラーラ。蒼くなるエルンスト

 特にエルンストはショックを隠し切れなかった。エルンストには一つ確信があった
 それはゴッチが最後の一線を踏み越えていない、と言う事だ

 ゴッチの手勢によるエルンスト軍団への襲撃は確かに素早く、容赦が無かったが、規模に比べて人死にが殆ど無かった
 何故か。エルンストの脳裏には一つしか答えが浮かばない
 後の交渉の為だ。だから極力殺さないようにしている

 それがこんな乱戦になってしまったら台無しではないか。エルンストは脳みそが沸騰する思いで指揮を続ける

 「回れぃ! 西から回れ! 東の通路は適当な物で塞いでしまえ! 二人やれ! オースタンを呼べぃ!」

 乱戦の中統制を保っていられるのはエルンスト以外ではホークの周囲のみだ
 そのホークも敵と切り結ぶ距離におり完璧な統率とは言い難い

 拙い場所に引き込まれた、とエルンストは歯噛みした。ゴッチとその一派はここらの地理に精通している。抜け道一つとして知らぬ事は無い。更にこの広場は大して広くも無く、騎士達は存分に勇を振るえぬ

 「(しかし何故だ。何故こ奴等はこうもゴッチの為に戦える。これほどの短期間にこんな連中を揃えることが出来るのか、あの男は)」

 破落戸など雑兵は兎も角、実戦を潜り抜けてきた精兵に掛かれば追い散らされる羽虫のような物だ。それほどの練度の違いがあり、今この場でもそれはハッキリ現れている
 しかしゴッチの配下の者達は逃げない。不利な状況に会ってまだゴッチの事を信じている

 そういった兵を育てるのに、自分ならばどれほど掛かる
 そして育てても完璧ではない。なぜなら勇敢な兵士とは育つ物ではなく、産まれた時から既にそうなのだ。どれ程鍛え、目を掛け、恩情を与えた者でも、逃げる者は逃げる

 「(人は本能は殺せない。生きようとする心は特に。それを捻じ曲げさせるだけの物が奴にはある。奴の持つ暴力とは、そういう物か)」

 人を勇敢にさせる力とは不思議な物だ。エルンストは弁舌を鍛えてそれを身に着けた
 だがゴッチのそれは根本的に違う。其処に居るだけで手下が勇を振るう。日頃鬱屈と過ごし、大した力も持たず、群れねば何も出来ない弱虫達が
 まるで己がゴッチにでもなったかのように戦う

 エルンストは唸った。一瞬、号令を飛ばす事も忘れて地団駄を踏んだ

 「(……や、奴が……欲しい!)」
 「盟主殿! 御下がりを!」
 「(奴は強い。カザンをぶつける必要がある。何と言う事だ、あの男が要だ。奴一人の行動の為にこのエルンストが掛かり切りだ。切り札を放つ算段すらしている)」
 「兵ども! エルンスト様を御守せよ! 恩義に報いよ! 名を立てよ! 諸君らの鋼の肉体、鋼の精神が、破落戸どもに破られよう筈がない!!」
 「(マグダラの所の小娘は、何となく解る。自分に近しい者として奴を欲したのだ。このエルンストは……)」


 己の持ち得ぬ、手に入れられぬ物をこそ欲しがるのだな


 「退けぇぇぇい!! 無駄死には許さぁぁん!!」
 「盟主殿!!」
 「逃げよ! 怪物の戦いに付き合う必要は無い! エルンストの為に死ぬな! エルンストの為に生きよ!」

 エルンストは己の思考に区切りを付けた。元よりエルンストは行くよりも退く方が得意だ
 迷い、悩む時間と言うのはそれだけ部下の負担となるのをよく心得ていた。逡巡したならば退くべし、とエルンストは己を叱る

 「(今は退こう。だが見ておれ、このエルンスト、己で言うのも何だが器のでかさだけなら大陸一よ。貴様ら一切合財纏めて、天下万民の為にその能力を使い切る場を与えてやろう。我が軍中にて!)」

 王たらんとする者は心が広くないとなぁ。エルンストは大喝する


 エルンストの号令で軍団はじりじりと下がり出す。ラーラも無理に追わせようとはせず、好きにさせた
 エルンストが下がればホークを締め上げる事が出来る。そしてホークを崩した後はダージリンを締め上げるだけだ
 ラーラは配下どもを叱咤しながらマグダラ軍団に襲い掛かっていく

 「ボス!」
 「邪魔ァ! すんなァ!!」

 ゴッチは雄叫び上げてダージリンとぶつかり続ける
 ダージリンによって氷塊が生み出され、ゴッチがそれを砕き、生み出され、砕き、その末に肉薄しては稲妻と雹の嵐をぶつけ合う

 ダージリンがゴッチと互角の戦いをするのはラーラにとって驚愕の事であった
 ラーラにとってゴッチは最強の存在である。だが無敵ではない。出し抜く手段、戦法は確かにあろう

 しかし強い。純粋に強い男だ。それと互角に渡り合うとは

 「弓手! 隊列直せ! ダージリンをもう一度援護だ!」
 「……仕手ども、私に続け! 北の田舎者を黙らせる! 氷の魔術師はその後に嬲り殺しだ!」

 ホーク配下からの圧力が強まるのを感じたラーラは即座に手下達に号令した

 確かにダージリンの力は驚嘆に値する。だがゴッチは勝つ
 ゴッチが負ける筈がないのだ。ラーラは歯を食い縛って二人のぶつかり合いを見遣る

 「(或いは私が……あの人形女に敗けている……?)」

 クソ、とラーラは吐き出した。今はホークを抑えるしかなかった


 ホークはホークで悪態を吐いていた。満足な手勢の無い今、エルンストが退いてしまっては敗北は免れ得ない
 正しい判断なのは間違いない。オーフェスの算段としてはペデンス攻略にジルダウを必要としている。交通、水利の二つに置いて大きな意味を持つ拠点で、だからこそゴッチがこの街を乗っ取った時ですら蛇が出てくるのを恐れて藪を突かなかった。ゴッチを容認したのだ

 争うより関係の修復を急ぐ。エルンストは冷静だ。何も見失っていない

 「(しかし、このホーク・マグダラが。北の大地の男が)」

 しかしホークはエルンストを理解しつつも戦いを継続する
 そもそもこの乱戦はマグダラ家が戦端を開いた。正確には乱心したダージリンだが、エルンストには関係のない話だ
 ホークはマグダラの名代とも言うべき身代で、本人の戦功や能力の事もあり、エルンストですら下にも置かぬ扱いを心掛けている。家格は同格とは言え未だ家督は無く、しかも若いホークに対して十分以上に気を使った対応だ
 しかしこれでは関係の悪化は免れぬ。マグダラの影響力は低下するだろう

 ならば尚、戦果が無くてはならぬ

 と、言うのはホークの言い訳だった

 「(妹を見捨て、強敵を避け、戦闘音楽を背なで聞くなど、堪えがたい)」

 ラーラが炎を纏って飛び込んでくる。ホークもこの期に及んでは理解している
 魔術師は厄介な存在だ。只管に兵力をすり減らしながら持久戦をするしかない。疲れ果てた所を討ち取るしかないのだ

 しかもラーラは配下の扱いが巧みだ。調べさせた経歴では兵を扱うような経験は全くない筈なのに

 書物の内容を詰め込んだだけの頭でっかちでは無かったのだ。天賦の才と言う物を前にしてホークはにやりと笑う

 「円陣! 敵を侮るな! 特にあの魔術師は!」
 「北の! 矢張り貴様は叩いて潰す!」

 ホークは眉を吊り上げて頭を振り乱した
 オールバックに整えた髪が乱れ、怒気が乗り移ったかのように逆立つ。怒髪天を突く勢いである
 まるで獅子の鬣であった

 「無駄口叩かずやって見せよ!」

 弓手の狙いを集めさせる。ラーラに炎を使わせない事こそ肝要だ


――


 ゼドガンは目を瞑り背筋を逸らしていた。天を仰ぎながら眠っているかのようにも見える
 ロクショールはその横でジッと待つ。近くから剣戟の音が聞こえる。然程離れていない広場でエルンストやゴッチ達がぶつかり合っているのだ

 「屋根の上と言うのは気持ちいいな」

 唐突にゼドガンが呟いた。ロクショールは頷く

 古ぼけた家屋の上で天を見上げる。空が近いのは気持ちの良い事だ
 情勢、身分、因縁、そんな物から僅かでも解放されたような気がした

 当然、気がしただけだが

 「本当ぉですねぇ」

 間延びした声で応える者が更にいた

 特徴的な鷲面の銀兜。白いマントの内側に、蜥蜴の描かれた盾が覗く
 腰には二本の長剣が怪しく光り、ベルトに備えられた投擲用の小剣が物々しさを助長させる

 剛剣アシラッド。強敵と流血を望んでやまない恐ろしい剣士は、何の因果かロクショール達と行動を共にしていた

 「エルンストが退き下がるようだ」
 「耳がぁ宜しい事で」
 「ゴッチに肉薄する機会も望めるだろう」
 「いやぁ楽しみだなぁ」
 「お前には言っていない」

 ぴしゃりとゼドガン
 アシラッドが愛しげに長剣を撫でる

 「別にぃ私はー、ゴッチ・バベルではなくて、偉大な大剣ゼドガン殿でもぉ、全然構わないんですがねぇ」
 「また次の機会にな」

 アシラッドは素直に引き下がる。「怖いんですか」などと下らない挑発はしなかった

 確かにアシラッドは剣と敵と血が好きだが、手当たり次第に斬って回る悪鬼羅刹ではない。と自分では思っている。飽くまで自分では、だ

 「さ、ついてこい」

 ゼドガンは軽い身のこなしで屋根から屋根へと飛び移る。とても巨大な剣を背負っているとは思えない身軽さだ
 ロクショールは銀の胸当て越しに自分の鼓動を確かめた
 乱れてはいない。ゴッチと相対する瞬間に備えて、心の臓が力を蓄えているのを感じる

 そしてロクショールも屋根から飛んだ。アシラッドはとっくの昔に駆け出していた


 広場へは瞬く間に到着した。多くの破落戸や兵士達が乱戦を繰り広げており、壮絶な有様だった
 広場周辺は負傷者達で溢れている。流石にどの陣営も戦線離脱した者達に襲い掛かったりはしていない

 中心にロクショールの目的はあった。激しくぶつかり合うゴッチ・バベルとダージリン・マグダラ

 二人の戦いは人知を超越していた。ロクショールは思わず震えた

 「あれが魔術。しかしあの少女……氷の魔術を使うと言う事はダージリン・マグダラ殿。何故ゴッチ・バベルと?」
 「癇癪持ちだったのだ」
 「そんな話は聞いた事がありませんが」
 「俺には解ったよ。最近、人間を眺めるのが富に面白くてならない」

 そういう物かと納得して、ロクショールは視線を戻した
 凄まじい戦いが依然続いている。眩い雷光と氷柱が撃ち合い、二人の周囲に無人の空間を作り出している

 唾を呑んだ。人間の関われる戦いではない。限界を超えている
 どのように迫れば一合剣を合わせる事が許される? 不可能だ

 ロクショールは無言でゴッチの横顔を見詰めた。ロクショールは目が良い
 凄まじい横顔だった。戦いに昂ぶり、歪み切った、獣のような、悪魔のような……

 「どうだ、わくわくするだろう」

 ロクショールはどきっとした。ゼドガンの発言には恐れが微塵も含まれていない
 ふらりと遊びに出るような口調だ。これは、ゼドガンがゴッチの交誼を結んでいるからでは断じてない

 ゼドガンは自分が殺されない等と微塵も思っていない。しかしゼドガンにとってゴッチとの戦いとは、それはもう何よりもわくわくする遊びなのだろう

 凄まじい人だ

 ……そしてこの女性も。ロクショールはなるべく気付かれないようにアシラッドに視線を向ける

 アシラッドは時折カクカクと不自然に揺れる事がある
 そういう時は大抵笑っているか、快感に打ち震えている
 危ない人種だ

 「……下品、かもしれませんがぁ……、濡れてきました」
 「だからお前には言っていない」
 「つれないですねー」

 剣とは人をおかしくさせるのだろう
 いや、逆かも知れない。どこかおかしい人間こそが、剣を手に取るのか

 そして、自分も
 胸の鼓動が高く、早く、熱くなるのをロクショールは自覚していた

 友の無念を晴らし、己の意地を貫く
 エルンストに背き、オーフェスに背いた
 最早貫き通すのみ

 「聞けぇ! 剣士ロクショール推参! ゴッチ・バベルの御首頂戴仕る! 邪魔する者は邪魔をせよ! 寄らば斬るのみ!!!」

 ロクショールは剣を抜いて屋根から飛び降りた。ゼドガンとアシラッドが後に続く

 わくわくする、と言うのを否定できない
 そんな事は毛ほども思っていなかったのに、危機を前にして気持ちが昂揚するのだ


――


 新手

 しかもゼドガン

 ゴッチは素早く視線を巡らせた。ラーラとホークが手勢を駆り激しく競い合っている
 ホークは当然ながら配下の扱いはラーラよりも格段に上手い。これは積んだ経験と受けた教育の差がハッキリと出ている。それにその配下も実戦を重ねた兵と破落戸では実力に差がありすぎる

 しかしラーラの魔術はその不利を覆して有り余る。ホークはラーラの炎を警戒し、部下の損耗を抑えようとするあまり完全に押し込まれている状況だ

 ラーラに任せておけばいい。ゴッチの問題はダージリンだった


 ダージリンは強い。思っていたよりも強い、と言う意味で強い。手強い

 箱入りのお嬢様では断じてないと思っていたが、足捌きが非常にこなれている。格闘の訓練を非常に熱心に、長期間積んでいるようだった

 そしてその氷の魔術

 「ふ、ふふ……!」

 氷柱をゴッチに叩き付けながらダージリンは笑い始めた
 能面のような女が突然笑い出すのだ。しかも底冷えするような雰囲気で

 「気味悪い笑い方しやがって」

 ゴッチは右手を突き出した。稲妻が放出されダージリンを薙ぎ払おうとする
 しかしそれは途中で何かに捻じ曲げられ、天空へと消えた

 元来こういった能力の使い方を、ゴッチはこの世界に来てから余りしなかった
 ロベルトマリンでならまだしもこの世界の生物にこういう使い方をするとあっけなく決着がついてしまう

 しかしその雷も防がれる。理屈は解らないがダージリンの能力は本物だった

 「私は強いんだ」
 「あぁ?」

 ダージリンは踊るように手を振り上げた。空中に霧の塊が生まれ、唐突に其処から巨大な氷柱が突き出す

 ゴッチは左の掌を前に突き出す。筋肉を限界まで硬直させて、氷柱を真正面から受け止め、握り砕いた

 「こんなにも簡単な事だったんだ! 私は強い! 強いんだ本当は! 誰にだって負けはしない! ゴーレム! 私は強かったんだ!」

 氷柱が次から次へと襲い掛かってくる。乱舞する鋭い切先をゴッチは片端から打ち砕いていく

 ゴッチの感覚が鋭くなっていく。呼気は早くなり、血は熱く、少しずつ少しずつ反応速度が上がっていく

 「知ぃるかぁぁぁ!!」

 知るかそんな事。ゴッチは四股を踏むように天高く右足を振り上げ、大地を踏んだ。轟音と共に雷光が放出される

 全方位への範囲攻撃だ。ダージリンは素早い身のこなしで後退し、再びにたりと笑う

 「そうだ……本当はそうだった。誰も私を縛れない、私は我慢する必要なんてなかった。だって私は人間じゃない。……私は魔術師だからだッ!!」

 ダージリンの差し伸ばした手から冷気が放出される。猛烈な雹混じりの烈風がゴッチを打ち据え、手足の先から凍りつかせてゆく

 指先が満足に動かなくなっていくのを感じつつ、ゴッチはダージリンの顔を見た。先程の笑顔から一転、彼女は顔をくしゃくしゃに歪めて涙すら流していた

 「(こいつ……狂ってるのか……?)」
 「私は……人間じゃ……ないから……」

 クソっくだらねぇとゴッチは思った。ダージリンの間抜け面に怒りすら感じた

 こんな所にのこのこ現れて、癇癪起こして、何言ってんだこの小娘

 何言ってんだこの小娘は。本当に何言ってんだこの小娘は。何言ってんだこの馬鹿は

 「(畜生、寒さで俺までおかしくなってきやがった)」

 人間じゃねぇって何だよ。そんなのしらねぇ
 どうだって良いじゃねぇか
 俺だってナチュラルヒューマンじゃねぇ
 でも、ま、人間だよ

 ゴッチは凍傷になりそうな手を握り直し、ファイティングポーズを取り直した

 鋭い視線でダージリンを射抜く。ダージリンが、泣いている

 「んな事、どうでも良い」
 「そういうと思った」
 「人間でもそうじゃなくても、手前が下らねぇ存在なのに変わりはねぇよ」
 「…………」
 「解るな? 頭の可笑しい構ってちゃんには付き合ってらんねぇって事だ」

 ダージリンは無言で手を掲げた。氷霧が小柄な体躯を包み込み、幻想的に燐光を撒き散らす

 そしてダージリンはもう一度だけ、言った

 「……どうして……」

 瞬間、ゴッチは前傾姿勢で走り出していた

 氷柱が二本ゴッチに向かって飛ぶ。ゴッチは更に身を低くしてそれを掻い潜る
 次の氷柱が既に来ていた。急停止すると共に体を左に捻れば、それはゴッチの右の米神を掠めてあらぬ所へと飛んでいく

 指程の小さな氷柱の連射が来た。ゴッチは目の前で両手をクロスさせると真正面からそれを迎え撃つ
 クロスアームブロックで顔面と首を守る。後は走り抜けるだけ

 無数の氷柱を跳ね返してゴッチはラーラに肉薄する。頭上に冷たさを感じた

 再びの急停止、慣性を無理矢理殺して強引なスウェーバック
 特大の氷柱が頭上から降ってきた。大地を抉った巨大な氷柱にゴッチは拳を打ち込む

 粉々に砕けた氷の礫がダージリンに襲い掛かる。ダージリンは氷壁を生み出してそれを防いだ
 そしてそれはゴッチの狙い通りの行動だ。ダージリンはこれまで、攻撃と守備を同時に行っていない
 氷壁と同時に凍結や氷柱の魔術を使っていないのだ。好機であった

 「どうしても糞もあるか!」

 今までで一番強い力で氷壁に体当たりする。ダージリンの防御を粉々に砕き、右ストレートを放った
 ダージリンは紙一重でそれを避けた。腕を一振りすると頭上と地面、二ヵ所から氷柱が生まれ、ゴッチに向かって伸びる
 右サイドへのショートステップ。切先を避け切り、次いでゴッチはハイキックを放った。伸びた氷柱を砕き、ダージリンの顔面を狙う
 身を沈ませ、ダージリンは最小限の動きでそれすら避ける。そして左手を救い上げる様にして振り上げた
 氷の刃がゴッチの頬を薄く裂いた。ゴッチはショートステップからショートステップを繋げる。ダージリンを幻惑するように左右への移動を繰り返し、狙いを付けさせない
 徐にダージリンの腹を狙った左のジャブ。ゴッチの腕力で殴れば、牽制のジャブも必殺の一撃だ
 掌の大きさの氷壁がそれを阻んだ。ゴッチはにやりと笑った。ギリギリの攻めと、ギリギリの護り。ダージリンはギリギリだ。自分はこの女を追い詰めつつある、とゴッチはハッキリ悟る

 いや、追い詰めつつある、ではない
 チェックだ。ゴッチはジャブを繰り返した

 雨の様な乱打と言う奴は比喩表現ではない。ゴッチのスタミナは無尽蔵だ。劣化しないクオリティの高速ジャブを延々放ち続ける事が出来る

 ジャブ、ジャブ、ジャブ、段々とダージリンのガードが間に合わなくなる
 更にジャブを繰り返し、ゴッチはふとダージリンの顔を見た

 焦りと恐怖と哀願
 お前がそんな顔をするとは思わなかったぜ、ダージリン

 そしてゴッチは右ストレートの為に拳を握り込み
 右脇腹に猛烈な熱を感じた

 「あがっ」

 振り向けば鷲面の兜がある。スリットの隙間で嬉しそうに、楽しそうに細められた危険な瞳
 その鷲面の人物の手の長剣がゴッチの脇腹に突き込まれているのだ
 しかもゴッチは感じた。冷たい鉄の塊が、腹の中で身を捩ったのを

 「(コイツ、刃を捩りやがった)」

 痛ぇ、と思う間もなく、ゴッチは絶叫していた

 「クソが……あぁぁぁぁぁぁ!!!」

 脇腹に埋まった剣の刀身をがっちり握り締める。そのまま強引に引き抜こうとして、今度は逆の脇腹に激痛
 二本目の長剣がゴッチに埋まった。最早悲鳴も無い。ゴッチは歯を食い縛ってそちらの剣の刀身も握り締めた

 「うふふ……お初にお目に掛かります、ゴッチ殿ぉ……。本当は初めてじゃぁないですけど……、挨拶は初めてなんでぇ」

 猫撫で声で言う鷲面の女。その背後でゼドガンとロクショールが破落戸達を切り倒している

 ゴッチは苦笑いした。メスガキは兎も角、ゼドガン、お前って奴は

 「私、アシラッドと申しますぅ。家名は忘れました、ご容赦を」
 「そうかい……そりゃ、ご丁寧に……、どうも……」

 ゴッチは力任せに二本の剣を引き抜く。内臓が激しく損傷したのを感じるが

 何、初めてじゃない

 ゴッチは自分の回復力を信じていた。腸が破れて便が漏れていたら拙いが……

 「すごぉい……、普通、死んでますよ」

 剣を引き抜くのには成功した。アシラッドと言う女、バカみたいに力が強い、とゴッチは自分の事を棚上げして考えた

 脇腹から凄まじい勢いで血が零れ地面を濡らしていく。周囲の破落戸達に動揺が走る
 ラーラが悲鳴を上げているのが聞こえた。ダージリンですら唖然とした表情を隠せないでいる

 大きく息を吸い込んで脇腹に意識を集中した。細胞が泡立つのを感じる。急速に血が集まり、肉が堅くなっていく。ゴッチの超再生能力の発露だ。出血量が目に見えて低下していく

 その変化はアシラッドにも伝わった。アシラッドは子供の用に燥いだ

 「凄い! 凄い凄い! ゴッチ・バベル! 嘘でも誇張でも何でもなかった!」

 ゴッチは長剣から手を離し、振り向き様に裏拳を放った。それは鷲面を打ち据え跳ね飛ばす

 褐色の肌に怪しく艶めかしい黒髪
 瞳に危険な色を載せた女が舌なめずりしてゴッチを品評していた

 「堪らない。ゴッチ殿を見たら、私ぃもう、果てそうです」

 背後でダージリンが立ち上がる気配を感じる。ゴッチは歯噛みする

 「(油断したか)」

 だがまだ負けちゃいねぇ。堂々とした立ち姿を周囲に示しながら、ゴッチは再び戦闘態勢を整える


――

 …………

 ノリで押し通すしかねぇ!



[3174] かみなりパンチ45 「強ぇんだぜ」5
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:c7c9cdef
Date: 2013/10/14 13:28

 ファイティングポーズに力が籠る


 ゴッチは割と怪我をする方だ。ロベルトマリンの平均から見ても常軌を逸したタフネスと回復能力を持つから、「自分は死なない」と信じ切ってしまう
 だから痛みに強く傷を恐れない。本人の獰猛な気質もあるが、ゴッチのような特異な身体能力を持つ者は、大体そうだ
 ゴッチにとっての重傷と言う奴は余人にとっては全く違う。常人には致命傷となる物を、ゴッチは耐え抜く。大抵を取るに足らない軽度の物と捨て置いてしまう

 逆にゴッチがハッキリ“重症だ”と感じる傷を負わされた時、それを稀な事態だと自覚しているゴッチは激発する。これもまた、本人の獰猛な気質が後押ししている


 詰まりゴッチ・バベルと言う男は、傷を負ってからが本物だった


 「内臓抉られたのは久しぶりだぜ」

 ゴッチは舌打ちしながら突き破られたドレスシャツ越しに二つの傷を抑えた
 傷はゴッチの筋肉の操作により圧迫されて既に止血が完了している。そして今も目に見える速度で細胞が盛り上がり、治癒が続いている
 露出しておらず目にすることは無いが、腸も大体同じだ

 ゴッチは脊髄に熱が走るのを感じた。激しい怒りと、僅かな尊敬だ。激しい感情に己が支配される予兆を感じている

 脳が怒りに塗り潰される過程をハッキリと感じとりながら、ゴッチは思う

 大体、何時も、命の危機を感じる事はある。“こちらの世界”でも多くは無いがそれはあった

 かつて殴り倒したアシュレイと骨の竜などそうだった。カザンも得意の獲物を持って本気になったら解らない。北の山のなんたらとか言うゴーストの親玉もレッドに言わせれば危うい状況だったらしい。ダージリンだって今ハッキリしたが、十分に自分を殺傷するに足るポテンシャルを持っている
 命の危険はある。ゴッチは完全に無敵ではない

 だが、そんな漫然とした“命の危機”よりも
 今しがた腹に突き込まれた二本の鉄の塊の方がよほど

 “俺を感じさせた”

 「ダージリン、ロクなんとかってぇあのメスガキ、それにイカレたクソ尼。……お前だお前、この変態女
  揃いも揃って……俺を本当に怒らせる……女どもだァッ!」

 ゴッチは叫んだ。滅茶苦茶な叫びだった
 野獣のような男お得意の野獣のような咆哮と言う奴で、全身に雷光を迸らせ、眩いばかりの閃電の中で只管に絶叫する様は、本当に人知を超えていた

 「うおおおあぁぁッ! あぁぁぁぁらぁぁぁぁッ!!!」

 青天の空に雷が走る。落雷ではない。怒髪天を突く勢いのゴッチから放たれた雷光が天空に向かって走ったのだ
 轟音と超常の出来事に戦場が凍り付く。ゴッチの雄叫びに恐れ慄くのは当然マグダラ軍団だけではなく、ラーラの配下達もだ

 天へと昇って行った雷光が消えても、ゴッチの体から放出される稲妻は収まらない。耳に残る奇妙な異音と共に、静かに、しかし力強くその屈強な体躯を這い回っている

 「こっからは遊びじゃねぇぞ」

 明らかに放つ雰囲気が違っていた。ゴッチはよく怒る男だが、これは一際違っていた

 「違う、私じゃない、私が……」
 「うぅぅるせぇぇ!」
 「私、違う!」

 ダージリンが駄々を捏ねる様に泣き喚いた。何時もの取り澄ました顔からは絶対に想像できない取り乱し方だ

 「その通り彼女ではなく、私ですともぉ!」

 逆に喜び勇んだのが誰もが知っている血塗れ騎士、剛剣アシラッドだ。喜色満面の様子で隠し持っていた予備の長剣を二本抜き放ち、腕を開いて切先を地面へと向ける

 「この……アシラッドですともぉぉ!!!」

 アシラッドが上げたのはきゃっきゃと言う子供の様な笑い声だ。念願の玩具を手に入れた様子の彼女を見て、ゼドガンがロクショールの背中を叩く
 幸い戦場は凍り付いてしまい、斬りかかってくる破落戸も居ない

 「ほら、お前も行かんか」
 「うおぉぉ!!」

 ロクショールは雄叫びを上げて駆け出す。震える声は恐怖からではない

 武者震いと言う奴だ。決着を求める心と憤った感情の解放を求める心が激しく燃え上がっていた

 「勝負だ、雷の獣!」

 鬼のような形相で
 年頃の女子をしてこのように表現するのは本来難しい筈だが
 本当に鬼のような形相で、ロクショールは挑戦状を叩き付ける

 「馬鹿が!」

 ゴッチは怒鳴り付けた。それのみで周囲の破落戸達が跪き許しを請う、凄まじい迫力であった

 「お……お許し……お助けぇ……!」

 ゴッチが怒鳴り付けたのは彼等ではないと言うのに、破落戸達は真剣に命乞いをした。この場でゴッチの恐ろしさを最も理解しているのは彼らなのかも知れなかった

 「この俺に“勝負”だぁ?! 馬鹿がよォ! 調子に乗りやがって!!」

 ゴッチは雷光を纏わせた右手で自らの目を覆う。そのまま爪が米神を引き裂いて多大な出血を引き起こすのも構わず、顔面を握り締めた
 目が血走っていた

 「(矢張り真正面からでは勝機は無い)」

 ロクショールはゴッチの纏う雷光を見て考える。ロクショールとて雷を防ぐ都合の良い方法など持ってはいない

 ロクショールにとって雷とは天から降る神の力だ。雷雲の中で起こる作用など彼女には知る由も無い。人知を超えた力と言う事だけが全てだ

 だからロクショールは、ゴッチが本当に殺す気になれば一瞬で死ぬ。消し炭になる他ない


 そしてそれはゼドガンの望むところではない。だからゼドガンはロクショールに事前に一つ言い含めていた
 今が正にそれを実行する時だ

 「よし、脱げ」

 ゼドガンが何の気負いもなく言い放った言葉に従い、ロクショールはまず胸当てを外した
 次に籠手と肘当てを外して放り捨て、シャツなど邪魔な布切れと言わんばかりのぞんざいさで破り捨てる様に脱ぎ去り、最後にはとうとう美しい乳房を覆い隠す肌着すら取り払ってしまう

 「あぁ?! 何のつもりだコラァッ!」
 「雷獣! お前の最も頼みとする物を打ち破りお前を圧倒する! お前を完全に敗けさせてやる!」

 唖然とする周囲、更にボルテージを高めていくゴッチ

 ロクショールは少しも怯まず、堂々と宣言した

 「裸一貫! 私は剣士、剣以外の何も要らない! そしてお前は絶対に斬る! 勝負だと言ったんだ!! 決闘だ雷獣ッ!!」

 決闘

 何も言えなくなるゴッチ。呼吸が止まった。一瞬、静寂が満ちる

 ゴッチは震えた。息が詰まって苦しくなって、身体が勝手に動いて緩慢な動きでスーツとドレスシャツを脱ぎ捨てる
 露わになる赤銅色の肉体。鍛え込まれた鋼のようなそれが、みっともなくぶるぶると震えている。何らかの中毒患者のようですらある

 何故そうしたかは解らない。本人にもよく解っていない

 ただぶるぶると震える両手を握り締め、一言だけ放った

 「…………死ね」

 ゴッチの体を取り巻いていた雷が消え去る

 代わりに肉体の凹凸がよりはっきりとなった。満身に力が籠められ、筋肉の伸縮が活発となり、その隆々さを露わにしているのだ

 身の程知らずが。俺と対等だなんて勘違いした、正真正銘の箱入り娘が
 馬鹿め

 ゴッチが大地を踏み躙るようにして右足を前に出した。その様子を見てゼドガンは満足げに頷いた

 「(そうすると思った)」

 ゴッチは時に求道者のようにストイックだとゼドガンは思っている。これは大体の者を返答に困らせる持論だったが、ゼドガンは的中している自信がある

 ゴッチ己の雷を余りに強力な武器として封印している節があった。当然、その強力さを恐れての事だなどと思ってはいない
 ゴッチの持つ独特の美学の為だ。ダージリンの魔術の様な特殊な力を持たぬ相手に、ゴッチは積極的に雷を使わない

 相手も自分も持つ物……少し違う感じがするが、対等の条件で相手を痛めつけ、屈服させ、優劣をハッキリさせる事に快感を覚えている

 「(雷を操るからではなく……ゴッチ・バベルであるからこそ最強と)」

 だからゴッチは単なる殺しならば兎も角、挑戦者を無碍にはしないと言う、言ってみれば何処か不思議な根拠のない確信がゼドガンにはあった

 「(奴にはそういう自負がある。見ていて楽しい、難儀な男だ)」

 其処に待ったを掛ける者が居た。ゴッチの今直ぐ首を圧し折りたい奴ランキング受賞圏内のアシラッドである

 「ちょっと! 私が先でぇしょう!」
 「…………」
 「ゴッチ殿の悪名を聞くたび、ルーク君の話を聞くたび、私はずぅっとこうしようと思ってたんですよぉ」
 「じゃぁ、“そうして”やるよ、纏めて死ね。……ダァージリン、テメェもだよぅ」

 びくり、とダージリンは肩を震わせる。つい先程までゴッチと互角の戦いを繰り広げていたとは思えない狼狽ぶりで、眦には涙を溜めている

 「わ、わた、私……」
 「今になってビビったなんて言いやがったらゆるさねぇぞ」
 「私、違う」
 「本当の本当にゆるさねぇ、ゆるさねぇからな」
 「あぁぁ……あぁぁー!! うわぁぁぁぁ!!!」

 ゴッチ・バベルの静かな声に追い詰められ、ダージリンは悲鳴を上げた
 最早ゴッチの要求する通り、凍て付く風を身に纏うしかなかった。少なくとも彼女の中に選択肢は無かった

 「ボス! 私が……!」

 ラーラが鬼気迫る表情で割り込もうとするが、ゴッチはそれにすら怒りを表す

 「邪魔したらテメェもゆるさねぇ!」
 「何を仰るか!」
 「邪魔するなっつったッ!」

 そんな様子を見つつ、さて、俺はどうしようかな、と呟いたゼドガンは大剣の柄に手を這わせていた
 出来れば一騎打ちが良いな、と考えていた。ゼドガンは何時も飄々としていて、この場でもやっぱりそのままだった

 よし、後にしよう。ゼドガンは腕を組み直し、事態を静観する。渇いた石畳を蹴り払い、堂々の仁王立ちの体勢

 「俺は後で良いぞ」

 ゴッチは無視した。ゼドガンを一目見遣って、そのまま視線を滑らせてホークを睨み付ける

 ホークは無言だった。ただ一度、ちらりとダージリンを痛ましげに見るのみだった

 「自業自得だ、手前等の」

 ぼそり、と言う

 決して崩れない鉄の壁。止められない動力。大力の野獣

 ゴッチ・バベルは、ぼそりと、底冷えのする声で言う

 「誰でも、何人でも、何使っても、何処からでも構わねぇ。

  来いよ。死ね」


――


 ホークが咆えた。彼の配下達は忠実にその声に従い、各々の獲物を構える

 「ダージリンを援護!! この期に及んでは誇り高く戦うべし!!」

 敵の大号令に我に返ったラーラは、しかし判断に迷う
 邪魔をすれば許さないと言う。ゴッチは気位の高い男だ

 どこまでだ? どこまでなのだ? ラーラは逡巡し、葛藤して、漸く指示を出す

 「下がれお前達! 砂の首巻もだ!!」

 ラーラと破落戸の集団は噴水を盾にするように広場の一角へと引き下がる


 状況に慌てたのはアシラッドだ。彼女の目的はゴッチとの死闘であり、ロクショール程度の御邪魔虫が着いて来るのは覚悟していたが、マグダラ軍団までは想定していない

 こうなればもうとにかく走るしかない。ごちゃっとした事になるのは間違いないから、走ってどうなる物とも思えないが

 「ちょっとぉ待ちなさい! 私が先だと言ってるでしょうが!!」

 我関せずと極限まで精神を集中させて鋭い切先を構えるのはロクショールだ

 彼女は心の中から己とゴッチ以外の全てを排除した。今彼女の瞳に映るのはゴッチと、振り下すべき剣撃の道筋のみだ

 そして矢張り、走る

 「雷獣ぅぅぅーーッ!!」

 ダージリンは錯乱の手前にあった。ダージリンは己の甘さを自覚した

 ゴッチと戦って、そこから先が自分には無かった。子供の用に喚き散らして良く解らない感情をぶつけただけだ
 このような展開は彼女の目的では無かった。ゴッチに力を証明したかった。それは即ちゴッチを殺傷せしめる事だが、彼女の望みはゴッチを傷つける事では無かった。二本の長剣がゴッチの腹に突き刺さった時、それに恐怖した

 矛盾している。こんな心算じゃ無かった、こんな筈ではなかった

 「(ゴーレムに見捨てられる。失望される)」

 理路整然とした思考なぞ望むべくも無い。ギラリと自らを射竦めるゴッチの視線が、更にダージリンから冷静さを奪う

 「(どうして私をそんな目で見る。私は強いじゃないか)」

 嫌だ、とダージリンは叫んだ
 何が嫌だと、理屈をつける事すらできないまま、ダージリンは氷の剣を握り締める

 「……もう嫌だ……!」


――


 ゴッチの背に騎士が一人組みついた。捨て身となってゴッチを抑え、味方に自分事貫かせる心算らしい

 ゴッチは頭を思い切り反らして騎士の鼻面に後頭部を見舞う。鼻を砕かれて猛烈な鼻出血を起こしながらもゴッチを離そうとしない騎士に対して、ゴッチは感情を抑える事をしなかった

 「邪魔ァッ!」

 脇から回された騎士の手首を握力に任せて握り締めて粉砕する。絶叫する騎士の鎧の胸元に指を差し込んで、有無を言わせず引き摺り倒した
 そして、軽く(ゴッチから見て)頭を踏みつける。騎士は石畳と熾烈な一騎討ちをする事になり、そのまま失神した

 そこに兵士が飛び掛かってくる。綺麗な姿勢での綺麗な袈裟切りだ
 ゴッチは気負いなくするりと足を前に出す。理論ではなく感覚で相手の距離感を乱し、相手の剣が振り下される直前にその肘に右ストレートを突き刺した

 関節が逆方向に曲がる。兵士は歪な形になった己の腕を見て唖然とし、次に革鎧の留め金を掴まれて、力任せに放り投げられた
 噴水の中に叩きこまれてそれきり起き上がらない

 「シィィィ……」

 口を“い”の形に歪ませたゴッチは、身を沈ませ、両腕を大きく広げながら独特の息を吐く
 奇妙な迫力があった。その迫力に圧倒されて足を止めてしまった兵士に、ゴッチは踊り掛かる

 腕を掴んで捻り上げる。激痛に身を捩り、体勢を崩した兵士をお手玉でもするかのように上に放り投げ、両足を掴んだ

 ジャイアントスイングだ。ゴッチだって男だから、プロレス技だってこなす

 「何だアレは……、まるで、人間を石ころか板切れみたいに……」

 気合一発、ゴッチはジャイアントスイングで増大を続ける遠心力を開放し、兵士を自由にした。自由になった兵士は束の間自由に空を飛び、そして同僚の組んだ円陣に頭から突っ込む。自由の代価は高くついたようだ

 「どうした……来いやァッ!」

 怯んだ兵士達がゴッチの挑発に唸り声で返した。即座に戦列を組み直して盾を構える。その戦列の背後に控えていた弓兵達は、ゴッチただ一人を狙って斉射を行う

 ゴッチは石畳に指を這わせる。適当なとっかかりを見つけると、矢張り恐ろしげな雄叫びを上げる

 何らかの器具も、準備も無く、ゴッチは肉体の力のみで地面に埋め込まれていた石の板を引き摺り出した。大の大人よりも重量があるだろうそれを平然と持ち上げて盾代わりにし、終いには投擲の構えを取る

 兵士達はもう堪らなかった。ホークはすぐさま命じた

 「避けろ! 退避だ!」

 必死になって兵士達は逃げた。空飛ぶ石版は一軒の家屋に激突し、石壁を粉々にして砕け散る

 「雑兵は下がってぇ、なさぁぁーい! ゴッチ・バベルと踊るのはこの私ぃ! 剛剣アシラッドォォォーッ!!」

 アシラッドのその絶叫は、発情しきった猫が媚びるような声にも聞こえた。アシラッドは二本の長剣を掌で回転させながら、とても全身鎧を着ているとは思えない速度でゴッチを目指す
 その速度と来たら裸寸前のロクショールよりも早い。瞳に燃える危険な光は最早待ちきれないと言わんばかりにゴッチのみを見ている

 「ジュラァ!」

 独特の気勢と共にアシラッドは両腕を振り上げる

 そのまま馬鹿正直に双剣を振り下してくる、と思いきや、僅かな時間差をつけている事にゴッチは気付いた

 「洒落臭いわ!」

 アシラッドの右の一撃をいなし、左の一撃を組み付く事で抑えた
 鼻先が触れ合う距離でアシラッドは獰猛に笑い、頭突きを繰り出してくる

 ゴッチはそれに頭突きで応えた。そして石頭で勝負してゴッチに勝てる者は、ロベルトマリンでもそうはいない

 大仰に仰け反るアシラッドの右脇から、裸身を惜しげもなく晒しながらロクショールが飛び込んでくる

 「ジャアッ!」

 ゴッチは咄嗟に身を捩り、激しく鋭いロクショールの突きを寸前でかわした
 アシラッドを押し退けてロクショールに備える。ロクショールは既に剣を引き戻し、第二撃目の準備を終えている

 次の狙いは脳天。潔く思い切りの良い真直ぐな一撃だった

 「ジャオアッ!」

 ゴッチも黙っている心算は毛頭なかった。相手の攻撃に合わせ、身をかわすのではなく寧ろ前に出るのは、この男のお家芸だ
 持ち前の勘で切先を見切り、糞度胸で踏み込んでいく

 身を低く、低く、剣の下を潜り抜ける。ロクショールはゴッチとの身長差の問題から頭を狙おうと思えば天に挑むように剣を振らなければならない

 自然、下段が疎かになる。ゴッチならば其処に踏み込むのは容易い事だった。必殺の間合いで拳を握り締め、ゴッチはにたりと笑った

 「こっちこっちぃ!」

 その時金属足甲に包まれた足が強力にゴッチの脇腹を穿つ
 アシラッドの仕業であり、それは、そうだ。この女が黙って見ている訳がない。僅かにたたらを踏むゴッチ

 そこに追い討ちをかけるようにアシラッドは体を回転させ、踊るように長剣を繰り出してくる

 ゴッチは叫んだ。絶叫と共に右肩を前に出し、腰を深く落として左手を顔の高さまで上げ、体重バランスを取る

 「ド戯けぃ!」

 てつなんたら、とか言う奴だとゴッチは刹那の思考で考えた
 ゴッチはボクシング等は熱心に学んだが、それぐらいの物だ。その歪なショルダータックル擬きも当然見よう見まねである

 しかしその見よう見まねの一撃は剣閃の内側にするりと入り込み、見事にアシラッドを迎撃する。怪力によって繰り出された攻撃にアシラッドの鎧は拉げ、風に舞う木の葉のように吹き飛ばされる

 「らぁいじゅうぅぅッ!!」
 「かぁぁ!!」
 「ジャアッ!!」

 右手で柄を握り締め、左の掌を刃に這わせたロクショールは、身体を屈め引き絞るようにしながらゴッチに肉薄してきた

 ロクショールを見詰めるゼドガンが目を細める。激しくて速い裂帛の気合を伴う踏込だ。申し分ない

 「どうしてか不思議だったろう?」

 ぼそりと呟くゼドガン

 「メスガキがぁ!」

 ゴッチは両腕を広げてロクショールを迎え撃つ。一撃受け止める事を覚悟した構えだ
 急所のみ外して体で受け止め、そのまま骨を圧し折る。首でも背でも腰でもどこでもいい。圧し折ってケリを着ける。それがゴッチの目論見だった

 剣は袈裟切り、斜めに振り下されてくる。ゴッチは正確にロクショールの体捌きを捉えている

 そして広げた腕を、閉じた。ロクショールを抱きすくめて全身の骨を粉々にする心算だった

 そうはならなかった

 「なん……?」

 気付けばゴッチの胸筋には斜めに傷が刻まれていて、決して少なくない量の出血が始まっている
 深くは無いが、浅くも無い。筋線維をざっくり切り裂いてぱくりと開いた傷は、ゴッチにとってはその程度だ

 ロクショールは確りと目を見開き、剣を振りぬいた姿勢でゴッチの背後に居た。戦いの場、生死を掛けた場に立ち、その瞳は綺麗に澄み渡り、何か尋常でない物を見詰めている


 ゼドガンは破顔した。嬉しそうに笑い、珍しく大きな声を出した。飄々とした態度を崩してまで、ゴッチに教えてやりたかったのだ

 「それが理由だ、ゴッチ!」

 ロクショールは天賦の才を持っていて、ゼドガンはそれを認めた。ロクショールを煽り、助け、窮地に追い遣った。それは全てその天賦の才故だ

 ロクショールの体捌きは言葉に出来ない。目が良く、身体を完全に使いこなす事が出来る女で、本当に刹那の見切りと言う物に秀でている
 その女が放つ剣閃、そして身のかわし方、正に風の如き剣であり、手に掴めぬ煙のような回避であった

 「お前は最初、胸当てに仕掛けがあると思っていたな。魔術の産物だと。違うさ。その娘が本気になったら、俺でも殺す気にならねば斬れんのだ」
 「ゼドガン、お前の雇用主が誰か思い出してみたらどうだ?!」
 「これぐらいの勝手は許せ」

 少しも悪びれた様子の無いゼドガンにゴッチは怒りを深める

 目をこれでもかと大きく見開いたロクショールが剣を構え直した。ゴッチは舌打ちする

 周囲を再び兵士達が取り囲みつつある。アシラッドも呻き声と共に立ち上がり、血の混じった唾を吐いてから舌なめずりした


 再び脊髄を熱が這い回る。先程アシラッドにも抱いたそれ。己を傷つけられた怒りと、己を傷つけた事への尊敬
 ゴッチにとっては、強い者こそ価値がある。力こそ正義で、強き者こそ正しき者だ

 「メスガキ、なんつったか」
 「剣士ロクショール」
 「ロクショール……、どうした。来ねぇのかよ。
  あんなもんじゃ、ほれ、この程度だ」

 ゴッチは堂々と胸の傷を指し示す。矢張り血は止まり、傷自体も肉の盛り上がりによって見えなくなりつつある

 兵士達は慄いた。先程は脇腹に剣を深々と突き刺され、今は胸を綺麗に割られた。なのに今も平然としており、傷は塞がろうとしている

 ホークが冷や汗を滲ませながらぼそりと呟く

 「成程……。あれ程の力、あれ程の肉体。あぁまでの気位が育つ訳だ」

 ホークが自ら鍛えてきたマグダラの兵士は屈強だ。我慢強い
 しかしそれもアナリアの人間でいう所での強さだ。人間の思考の及ぶ領域での強さなのだ

 ホークの統率もあり、今まで押し殺せていた不安のさざ波が、否応なしに押し寄せる。剣を構える兵士が半ば諦めた表情で不安を吐露した

 「雷獣だ。怪物だ。戦う為に生まれてきた男なんだ。……我等全員、ここで死ぬ訳か」
 「大いに結構じゃぁありませんかぁ」

 傷が一瞬で塞がった様をハッキリと見せつけられてロクショールですら唖然とする中、唯一調子を変えないのは矢張りアシラッド

 双剣を擦り合わせ、シャランと鳴らす。アシラッドは震えている。歓喜に

 「実は私、濡れっぱなしで。快感の中で死ぬとは、まぁ素敵」
 「アシラッドっつったな……。手前の首から下は乞食どもにくれてやるから、楽しみにしてやがれ」
 「そんな趣味が……」
 「手前のイカレ振りには敗けるぜ。ロクショールにアシラッド、揃いも揃って頭の可笑しい狂犬みてぇな糞女どもだが……」

 ゴッチは脇を締めて拳を構える
 両腕を開いた大仰な構えではない。その視線は、はっきりと敵を捕らえている

 「健気にも俺と戦おうとした世間知らずが居たって事は、覚えておいてやるよ」
 「……ジャーアァァッ!!」
 「アァァッハッハッハッハァー!!」

 兵士達が完全に二の足を踏み、ホークですらこれ以上の損耗を避けようと必死になっている

 しかしロクショールとアシラッドはそんな事お構いなしだ。ロクショールは気勢、アシラッドは哄笑と共にゴッチに斬り掛かっていく


 その様子をダージリンは見ていた。唇を血が滲む程に噛み締めながら、凝視していた

 ダージリンにはゴッチの変化が解った。どういった物か彼女の語彙では説明できないが、明らかに変わった

 最初は取るに足らない物を見る目だったのが、少しずつ、少しずつ、それに価値を見出していく

 ダージリンは堪らない不快感に身を捩った。どうしようもなく羨ましく、妬ましく、小さな体躯を苛立たしさに任せて折り曲げ、呻く

 「どうして……!」

 ゴーレムは自分を見ない。強いんだ。強い筈なんだ

 その魔術の強力さ故に人の範疇から逸脱しているダージリンは、人の振りをして必死に人の中に溶け込もうとしている
 しかしそれが上手く行っているかと言われれば、否だ

 ダージリンから見たレッドは、ラーラは、輝いていた。己を全く偽る事なく自然で、自由だった。何にも怯えず、己と言う物を信じ切っている
 何よりゴッチ。矢張り同族は同族の元に居るべきなのだとダージリンは強く思ったのだ

 「(私は人ではないのだから、私は私の同胞の元へ)」

 そしてそれすら上手く行かない

 「この……カスどもが! いい加減に死んじまいな!」

 ゴッチにまた一太刀浴びせたロクショールが腕を捻り上げられ、一本背負いの要領で投げ飛ばされる
 がら空きの背後から飛び掛かるアシラッドの横薙ぎを、ゴッチは身を屈める事で回避し、そのままタックルを敢行して吹き飛ばす

 とうとうホークまでもが剣を抜いて最前線に躍り出てきた。何れはマグダラを背負って立つ男としては間違った判断だ。しかしホークももう我慢がならなかった

 ダージリンは見ていた。ゴッチが彼女達に向ける視線

 「ゴッチィ! このホーク・マグダラとマグダラ軍団が相手だ!!」
 「抜かせ! 纏めてあの世行きだァッ!」

 ダージリンの兄であるホークも、何処かゴッチに認められていた。その変質的で歪んだ価値観に認められても、ホーク・マグダラの生涯においては少しも利益にならない。それは解っている

 解っているのに、それが堪らなく羨ましい

 噴水の傍で雄叫びが上がる。視線を向ければラーラが握り拳を作って咆えている所だった

 ここまでゴッチに蔑ろにされて、蚊帳の外に置かれ、ラーラもとうとう我慢の限界が来たようだった

 「これ以上、黙って見ていられるか!」
 「ラーラァ! てめぇぇぇ!」
 「ぶっ殺すならぶっ殺されよ! 私もやると言ったらやる!」

 ダージリンは完全に錯乱した。何故自分が認められないのか、それが認められなかった

 傷だ。傷と痛み。それしかない
 ダージリンは濁った瞳をゴッチに向ける。雄叫びと共にマグダラの兵士達を薙ぎ倒し、アシラッドとロクショールとホークを跳ね返し続ける男を
 傷と痛み。強さで以てそれを刻み付けた者こそ、あの規格外の男に認められるのだ

 考えてみればカザンだってそうだ

 「(ゴーレムを……私の氷の魔術で……
   続きをすればいいんだ……さっきの……
   私が……私の力が……ゴーレムを)」

 傷を与え合う事こそが答えなのだと、ダージリンは思った
 傷つけあう事を恐れてはいけないのだ

 ダージリンは走り出した。怒号渦巻く乱戦の場に飛び込むためだ
 飛び込んで認めさせるのだ。ダージリンと言う女を、ゴーレムに刻み込んでやる為に今行く

 「(邪魔だ、誰も彼も。兄も、炎の魔術師も、剣士二人も。私の邪魔になる!)」

 ダージリンは両手を広げた。凍える風が吹き始めた


――

 後書

 あれ
 おかしいな。今回で「TUEEんだぜ」完了の筈だったのに。
 ひょっとして禁酒すべきか。


 sageてるのに態々読みに来てくれて……感想くれる人までいらっしゃって……。
 ありがたいけど……御免ね! ご覧の有様だよ!


 肌寒くなってまいりました。季節の変わり目で御座います。皆様方に置かれましてはお体を壊すことの無いよう、ご自愛くださいませ。(真面目)



[3174] かみなりパンチ46 「強ぇんだぜ」6
Name: 白色粉末◆f2c1f8ca ID:c7c9cdef
Date: 2014/03/23 18:55

 剛剣アシラッドを殴る時、奇妙な感覚がある。彼女は俊敏に攻め、俊敏に護る。攻め方は大胆で、護り方は意外にも堅実だ
 だが攻めの気性が防御を捨てさせる事も多い。肉体への負担を抑えようとする意思を確かに感じるのに、時として実に簡単に命を投げ出そうとする気配がある

 そして、何度痛打を与えても全く怯まない。彼女の精神は痛みを学習しない

 「(このサイコパス、無痛症か!)」

 ゴッチはアシラッドを投げ飛ばし、民家に叩きつけながら舌打ちした

 止めを刺す余裕は無い。乱戦と言うのは大体そうだ。背後から鼻血をだらだらと流したロクショールが飛び掛ってくる。同時に、ホーク配下の騎士達が一斉に剣を突き出す

 ゴッチは包囲の一角に向かってショルダータックルを敢行した。騎士の刃がゴッチの肩を傷付けたが、極軽傷だ。常軌を逸して硬く、そして柔軟性を失わない超硬度のゴムを思わせるゴッチの筋肉は、容易に刃を通さない段階まで来ている
 騎士を二人盛大に昏倒させて囲みを破り、追撃に対応するため振り返る。……前に、起き上がったアシラッドが嬌声を上げながら襲い掛かってきた

 「ゴッチぃぃぃ殿ぉぉぉー! 私を、受け止めてぇぇぇー!!」
 「うるせぇ!」
 「殺ったァ!」

 絶叫するアシラッドと、気勢を上げるホーク。そしてホーク配下の騎士達を押し退けて、ロクショール

 「雷獣! 御首頂戴!」

 そこに、怒り心頭と言うべき形相のラーラが飛び込んでくる

 「いい加減にしろ貴様等!」

 炎の壁が吹き上がり、もっともゴッチに近かったアシラッドとホークを舐った。寸前で身を引いたホークは篭手を焼き焦がされるだけで済んだが、既に剣を振り被っていたアシラッドは炎の奔流を受け、肉体が爛れる痛みに悶絶する

 「ほぉ、炭にしてやる心算だったが。何の加護やら」

 驚いたようなラーラの呟きと、聞くに堪えない悲鳴。ゴッチは舌打ちしながらもその隙を見逃さずアシラッドにボディブローを放った

 既に拉げていた鎧を今度こそ鉄屑に変えながら、ゴッチの拳はアシラッドを貫いた。放り投げられたボールのように地面を転がりアシラッドは動かなくなる
 炎の一舐めで肉体に痛打を入れた瞬間、何らかの臓器が複数破裂する感触があった

 死んだな、とゴッチは感じた

 「あーあ気にいらねぇ! 死にやがった! ラーラ、この馬鹿が!」
 「そんな場合か!」
 「何様の心算だ?! あぁ?!」
 「だからそんな事を……!」
 「押し包め! 命を捨てる覚悟でだ!」

 ホークの鋭い声が飛ぶ。彼の配下は疲労しきっていたがそれでも命令に服従し、盾を前面に押し出して全方位からゴッチとラーラに迫った

 そして誰よりも早く走るのは矢張りロクショールだ。金の髪を鬣のように風に躍らせ跳躍すると、蜂が刺すように鋭く突きを繰り出してくる
 狙いはラーラ。ゴッチの盾になるように仁王立ちする炎の魔術師は、最早避けて通れない相手だと覚悟したのだ。狙われたラーラはゴッチ直伝のファイティングポーズに瞬時に移行し、両の足を流れるように後方へ滑らせる
 スウェーバックだ。眼球の前まで恐ろしく伸びてきたロクショールの突きに戦慄しながら、ラーラは頭を低くして今度は前へと足を滑らせる
 正にクソ度胸と無謀さを兼ね備えた突撃だった

 短い回転範囲ながらも十分に遠心力の乗ったフック気味の拳がロクショールを打ち据える。ロクショールは込み上げて来るどうしようもない吐き気と痛みに膝から崩れ落ちた。ラーラは其処から更にロクショールを蹴り転がし、とどめに鳩尾にストンプを加え、徹底的に痛め付ける

 「ら、らぁい……獣ぅ……ぅ」
 「あぁ! だから嫌だったんだ!」

 ゴッチは失神したロクショールを横目で確認し、うんざりだとでも言いたげに悪態を吐いた。そうしていながらも次々襲い来るマグダラ騎士達を悉く粉砕し、ラーラに寄せ付けない

 絶叫を上げる一人の騎士の腹に変則的なトゥーキックを突き込み、その背後から飛び出してくる騎士をダッキングからのアッパーで瞬殺する。ゴッチは舌打ちした

 次々襲い掛かる有象無象の群れを次々と返り討ちにし、這い蹲らせ、最後に躍り出てきたホークの両手首を握り締める事で封じる

 「ご、ゴッチぃ……、まだ、マグダラ軍団は……」

 両手を捻り挙げられ、痛みから脂汗を流すホーク。ゴッチは軽く、そう、軽く頭突きを食らわせてホークを昏倒させた。そして吐き出した言葉は、やっぱり罵声だった。心底がっかりしていた

 「見ろ、この有様だ。健気に助け合って俺に挑みかかってきた虫けらどもの努力が全部台無しだ。この馬鹿女が」

 ラーラは流石に反論した。鼻を鳴らす様はゴッチに負けず劣らず怒っていた

 「少しばかり危うそうに見えましたが?」
 「だったらどうした。折角上々の気分だったのによぅ……」
 「……ボスの身を案じ、助けに入った私をぶっ殺すとか仰られましたな、そういえば」
 「あぁ? マジでぶっ殺してやったって俺は構わねぇんだぜ」
 「おい、お前達」

 腕組みして展開を見守っていたゼドガンが、とうとう動いた

 首を鳴らして肩を解すと、背中の巨剣の柄に手を掛ける

 「まだ終わっていないぞ」

 あぁその通りだ、とゴッチは返した。ゴッチがゼドガンの事を忘れる筈が無かった

 飄々としていて良く解らないが、戦いに喜びを見出す男だ。ゼドガンが戦いたくてこんな事をしたと言うなら、ゴッチだってもういい加減それを拒むことは無い

 怒りが頭の天辺まで来ているのだ。今更奴の負傷、或いは死を厭う事があるか

 「……おう、これがお前の望みか? どうしても俺と戦りてぇってんだな」
 「そうだ。だが、今はそういう事を言っているのじゃぁ無いぞ」
 「あ?」

 ゼドガンはゴッチの頭上を指差す。正確には広場に存在する神々の聖堂、その屋根の上だ

 ゼドガンの指に吸い寄せられるようにして上を見上げたゴッチが見たのは、青白い影が其処から飛び降りる瞬間だった

 ダージリン・マグダラ。黒いローブを脱ぎ捨てた彼女は、白と青の装束をはためかせながら、両足を折り曲げた体勢で、鷹のように飛んだ


――


 ラーラは大声で命令していた。咄嗟の事態に指揮官としてよく反応していた

 「全員散れ! 逃げろ! 決着が付くまで決してここには近付くな! 砂の首巻は動けない者を担げ!」

 巨大な氷塊が瞬きする間に空中に出現する。これを予期しえた者は居らず、動揺しない者もまた皆無だ。ダージリン配下のごろつき達は悲鳴を上げながら逃げ始める

 ダージリンの魔術の成せる技であった。噴水広場全体を纏めて押し潰さんとするその巨大な氷の塊に、流石のゴッチも唖然とした
 本当に瞬く間だった。ダージリンが空中で突き出した右手に小さな氷の塊が現れたかと思ったら、それは周囲の大気から“何か”を急激に吸い上げ、ゴッチの体積の十倍以上もの質量へと変化していた

 「ぐあっしゃぁぁぁぁ!!」

 家屋や広場のオブジェを破壊しながら降って来た氷塊を、ゴッチは気合の掛け声と共に受け止める

 一tは確実にある。しかし見た目ほど重くないのが唯一の救いだ。嬉しくもなんとも無いウェイトリフティングにゴッチは悲鳴を上げる事になる

 クソッタレ

 「クソッタレぇぇ!」

 身を屈めたゼドガンがちゃっかり気絶したロクショールを担ぎ上げていた。当然ゴッチにそれを咎める余裕など無い。同じように身を屈めたラーラに怒鳴りつける

 「ラーラ! 潰れた蛙みてぇになりたくなきゃ何とかしろ!」
 「言われずとも!」

 ラーラは両の手をゴッチの支える氷塊に差し伸べた。ゴッチが掌に奇妙な振動を感じたかと思うとダージリンの繰り出した氷塊は一瞬で融け落ち、大量の水となってゴッチやラーラ、広場に倒れ伏す者達を濡らす

 そしてその瞬間を待っていたかのように、ダージリンがゴッチの上に振ってくる。左の手に凍て付く風、右の手に氷の剣

 眼光は鋭く妖しい光が渦を巻き、髪はより冷たい白銀色に光り輝いている。平素の冷淡かつ無感動な鉄面皮は崩れ去り、口端を戦慄かせて叫んでいた

 「ゴォォォレェェェムッ!!」

 当然、その程度のことでゴッチが怯むわけが無い

 「掛かって来いやァァッ!!」

 ダージリンが右手の剣を振り翳し、冷気を纏った左手を這わせれば、それは先ほどの氷塊のように急激に質量を増大させた
 ダージリンの身の丈を越える氷の剣だ。ゴッチは身を屈めて全身の筋肉に力を込めると、拳を振り被る

 激突の瞬間、パンチ

 と見せかけて、身体を一回転させてキック

 それはダージリンが剣を繰り出すタイミングをずらし、虚を付いた。氷の剣を身を捻ることでかわしつつ、刀身に痛烈な蹴りを叩き込む
 氷の剣は根元から折れ飛び、ゴッチはダージリンを見事にキャッチしていた。すっぽりと懐に収まったダージリンの細い首を完全に捕らえたゴッチは、情け容赦なく締め落としに掛かった

 「呆気ねぇ……つまらねぇ展開だ……。終りってのは……。ラーラ! てめぇのせいだぞ!」
 「まだ仰るか。呆れた方だ」

 ミチミチと肉を絞る音がする。小さな音だったが、ダージリンの血流を停止させているのは想像に難くない

 ゴッチはダージリンの耳元で囁くように続ける

 「まぁ、最後にそこそこ根性見せたな、ダージリン」

 耳障りな呼吸音。苦しさに喘ぐダージリンはガクガクと身体を揺らしながらゴッチの腕に手を這わせる

 そして掠れ声で何事か呟いた

 「……うぅぅ……れ、し……いぃ……」
 「……あ?」

 ゴッチは肉体の異常に気付いた。四肢が急激に熱を失い、ゴッチの制御を離れようとしていた
 ダージリンが手を這わせたゴッチの腕。表面にうっすらと霜が張り、浮き上がった血管は青く変色している

 「ボス! 早く始末を!」

 拙い、と思ったときは既に遅かった。ゴッチの手はピクリとも動かせず、足は氷付けにされて地面に縫い付けられていた

 ダージリンがするりと指を動かせばゴッチの腕が何かに操られるようにゆっくりと開いていく。ラーラが血相を変えて両手に炎を纏わせる

 血流が回復し、もんどりうって倒れたダージリンにラーラは飛び掛る。そこに氷の壁が地面から競り上がった

 「これは、融けない……?!」

 氷壁に肩からぶつかっていったラーラは全身から炎を噴出させた。しかし、融けない
 それどころか氷壁は聞き慣れないメキメキと言う異音を発しながら自己を肥大させた。瞬く間に大きく、高くなり、広場の端から端まで伸びてゴッチとダージリンを寸断したのだ

 こんな程度で足止め出来る心算か、とラーラは吐いた。氷の壁の向こう側、光の屈折によって歪に歪んだダージリンが、妖しく爛々と光る目でラーラを睨む

 「こんなモンでぇ……!」

 一方ゴッチの肉体は明確な異常に対し代謝機能を極めて増大させて発熱を図る。ピクシーアメーバの細胞は活発化し、多量の発汗とゴッチの意図しない放電が始まった。ゴッチは熱い息を吐きながら片足ずつ振り上げて氷を砕く
 腕も足も辛うじて動く状態にはなった。ゴッチは全身に青白い電流を走らせながら、震える両腕を引き寄せてファイティングポーズを取る

 「ゲェ、カハッ、……前に、そうして、やった賊は……、三つ数える間に動けなくなった」

 ふらつきながらダージリンが立ち上がる。近付かなければやられる、とゴッチは思った。ダージリンを相手取って選択を誤れば、敗北すると感じた

 「流石にゴーレムは違う」
 「笑わせんじゃねぇよ」

 ゴッチは身を屈めて前進した。足の状態は怪しかったがそれでも動いてくれていた
 激しい運動と共に己の血の巡りを感じた。ゾッとするほどに冷えている。心臓が激しく痛み、身を絞られるような違和感がある

 前進を阻むように生み出された氷壁をショルダータックルで叩き割る
 ダージリンは転がるようにしてゴッチから距離を取っていた。その周囲には僅かに輝く小さな氷の結晶が舞う。冷気が渦を巻き、今にもゴッチに向けて襲い掛かろうとしている

 ゴッチは右手を振り払った。全身を走っていた電流がそこに収束し、紫へと変色する

 「ダァァージリンッ!!」

 死んでも恨むなよ

 ゴッチはそう思った。つまり、ダージリンを殺してしまう可能性があり、そうなっても仕方が無いと考えた。なんだかんだとゴッチはこれまでダージリンに対しては殺意と呼べるほど明確な物を持っていなかった事に気付く
 はずみで死ぬのはあり得る事だが、殺す心算で掛かるのは……

 ――腑抜けた、知恵の巡りの悪い考えだ。ゴッチは気勢と共に下らない思考を押し流す

 突き出されたゴッチの右手。紫電がのたうちながらダージリンへと走り、引き裂かれた空気が異音を放つ

 紫色の稲妻はダージリンの周囲に漂う結晶の渦に直撃し、そしてそれを突破出来なかった。無数の結晶の領域に飛び込んだ稲妻は急激に勢いを失い、霧散してしまったのだ

 「あぁ、やっぱり理屈がわからねぇ!」

 ゴッチはがぁぁと唸り声を上げ前進を続ける。距離を取られる訳には行かない。稲妻が通用しないなら、己の最も信頼する暴力で叩き伏せるしかない

 「でも死ねィッ!!」

 ダージリンは逃げなかった。それどころかゴッチに立ち向かうため、前に進んだのだ
 ゴッチは驚いた。ダージリンが自分に対してそれをするのは完全な悪手だと思っていた。そしてだからこそダージリンがそれをする筈は無いと
 些か虚を突かれた。しかしその程度で怯みはしない。ゴッチは即座に姿勢を整え、左のジャブを放った

 ジャブはジャブでも、ゴッチのジャブだ。それはダージリンの額に直撃し、ゴパ、と言う打撃音とは思えない奇怪な音と共にダージリンの身体を跳ね上げる
 ダージリンは僅かに身を引き、顎を下げていた。辛うじて打点をずらして威力を殺し、最も硬いと思われる頭蓋骨部分で受け止めたのだろう。ゴッチの元の狙いは顎先だ
 しかしそんな事は本来問題にならない。その程度の要素はゴッチの膂力を前に防御策足り得ない
氷晶の渦が問題だ。キラキラと漂う結晶の領域に拳が侵入した瞬間、急に手が重たくなった。粘度の中に無理やり拳を通すような感触。氷壁を破られたダージリンは早くも防御策を改めたらしい。有効打では無い

 ダージリンは確かに大きく仰け反った。しかし、目が
 ダージリンの爛々と光る目は、ゴッチを捉えて離さない

 ゴッチはジャブを引き戻す。胸と腹の筋肉が捻り上げられ、撓る。極めてコンパクトな上半身の回転運動。左腕を引き寄せる運動力を利用した、強力な右ストレート
 コンビネーションパンチの本命がダージリンに襲い掛かる

 呼吸音すら聞き取れる距離、必中の間合い

 その筈だった

 「ゴーレム」

 右の拳はラーラの心臓の手前、何も無い空間で止まっていた。先程よりも尚硬い、土嚢でも殴ったような感触はあった
 無数の氷の結晶が儚い燐光と共に舞う。その空間の半ばほど。そこから一向に進もうとしない

 ゴッチは顔色を変えた。ダージリンがゴッチに対し両手を差し出してくる

 其処から三本の氷柱が出現し、ゴッチの胸、腹、右足の太腿に突き刺さった

 肺と腸を傷つけられ、血を吐きながらゴッチは吹き飛ばされた


――


 氷塊によって半壊状態にあった家屋の扉を突き破ったゴッチは仰向けのまま少しジッとしていた

 異常な冷気を放つ己の肉体に打ち込まれた三つの氷柱。血液の熱を受けても全く溶け出す気配がなく、それどころか傷口が氷柱の表面に張り付いてしまっている

 「(何だ、あの甘ったれ。やるじゃねぇか)」

 ゴッチは無言で氷柱に手を伸ばし、張り付いた肉がべりべりと千切れ剥がれるのも構わず氷柱を引きずり出した

 激痛だった。アシラッドから受けた痛みすら凌ぐ

 「……俺のパンチが……」

 同時に、声に出す程度には、ショックを受けていた

 ゴッチはこの異世界の人間と言う物を完全に見下していた。知能指数は知らないが、少なくとも肉体的な性能では圧倒的に劣る相手だ
 ……というのは抜きにして
 やはり、自慢の拳が完全に止められたというのが、ショックだった

 パワー、タフネス、そして発電能力。ゴッチは徒手空拳のまま小火器で武装した特殊部隊兵士にだって立ち向かえる
 それが、年端も行かない小娘に

 「……まだ負けてねぇ。お遊び気分が過ぎただけだ。……そうさ、負けちゃいねぇ……!」

 ゴッチは三つの氷柱全てを取り除くと、のそりと起き上がって家屋を出た

 外では荒い息を吐くダージリンと今にも襲い掛からんとするラーラが向かい合っている。ラーラがやっとの思いで突破した氷壁が融け落ちていくのが見えた

 「ボス……き、傷が」

 ゴッチの気配に振り返り、その肉体に空いた大穴からぼたぼたと零れ落ちる血を見て流石のラーラも蒼褪めた。極低温下に置かれた周辺の細胞が十全に機能せず、回復が遅々として進まない

 だが、ゴッチは笑っていた

 「ゴーレム」
 「おいダージリン」
 「……」
 「おい、ダージリン!」

 どこかおびえたような、唖然としたような、とぼけた表情のダージリン

 ゴッチは気にしない

 「てめぇ、やりゃぁ出来るじゃねぇか!」

 頭痛に顔を顰めたのはラーラだ
 胸と腹と足に尋常でない大穴をあけられていながら敵を賞賛するのか、しかもああも楽しげに
 獰猛そうに笑ってみせるゴッチ。ラーラの頭痛が増す

 「私を……褒めたのか? 私を認めたのか?」
 「何だと? ……餓鬼臭ぇ事言ってんじゃねぇ。もっとシャキッとしろよ」
 「…………ゴーレム、私は貴方を傷つけた」
 「あぁ。腹の底からひんやりさせられたぜ。……頭も冷えて良い気分だ。もう1ラウンドと行こうじゃねぇか」
 「ゴーレム、私は、私は、本当は」

 ダージリンは肩を落として俯いた。戦いを続行しようとする気配は既に無い
 ゴッチはくだらねぇと吐き捨てた

 「……私は」
 「テメェの目的なんぞ知らねぇが、泣き言なんて聞かねぇぞ」
 「………………良いじゃないか……良いじゃないか!」
 「あぁ?」

 ぼろぼろと目の両端から涙の粒を零しながらダージリンは喚いた。幼児のような泣き顔にゴッチは声を荒げざるを得ない

 突然の暴れぶりと、その後の狼狽振り。躁鬱と情緒不安定だ
 境遇から精神疾患を持っていても不思議ではなかったが、ゴッチはそういった手合いが得意ではない

 「何が良いんだよ。俺に何をさせてぇ。この俺がお前の思い通りに動くと、本気で思うのか?」
 「私は本当はマグダラじゃないんだ! そうさ、私は凍った谷の裂け目でマクレーン様に拾われただけ! 本当に人間かどうかも定かじゃない!」
 「聞いてねぇよそんな事……。俺はお前のお涙頂戴なんぞどうでも良い」
 「私への義理立ての為に父も兄も窮地に立つことになった。人々は私を受け入れない。私は溶け込めないんだ。何処に行っても、誰と居ても、私は」

 ゴッチはダージリンの胸倉を掴み上げた

 「いい加減にしろ! しらねぇよ馬鹿が! シャキッとしろって言ったじゃねぇか! 聞いてもいねぇことをベラベラとこの気狂い女が!!」
 「優しくしろよ! もっと私に優しくしろよ! 私はどうすれば良いんだ……! ゴーレムにまで拒絶されたら、もうどうしようもないじゃないか! 何処に行けって言うんだ!」

 ゴッチに掴み上げられたままダージリンは泣き喚き、ゴッチの分厚い胸板を何度も何度も叩いた
 現実を受け入れられない、自分の思い通りになら無い事に腹を立てる子供その物だ。何ともいえない空気に口を噤んでいたラーラも唖然とする

 「このような……幼稚な女に、今までしてやられていたと言うのか……」
 「うるさい! うるさい! お前だって私を拒絶する! お前はいいだろうな! 勝手に私を目の仇にして八つ当たりするんだ!」
 「……それは、お前が余りにも図々しいから……」
 「お前が良くて何で私が駄目なんだ! 私の方が、もっとずっと戦えるのに!」

 ゴッチの手を振り払い泣き喚くダージリンの様には狂気が在った。長く、執拗に精神を追い詰められた人間の形相だ。ロベルトマリンの肥溜めでゴッチはこういった顔を何人分も見てきた

 ゴッチは唾を吐いて地面を蹴り払った。瓦礫を退かして皺と埃だらけになったドレスシャツとスーツを引っ張り出し、乱暴な手付きで汚れを払う
 特殊な繊維の頑丈な仕立てで損傷が見られない。この下らない戦いの中での最大の救いだ

 「ゴーレム!」

 ゴッチは無視して歩き出した。滅茶苦茶になった地面に足を取られ、転がるように走りながらダージリンは追い縋った

 「私は強い! そうだろう?!」

 珍妙な光景だった。呆けたような表情でラーラは見送る。ずんずん歩いていくゴッチと、置いてけぼりにされそうな子供のようにその後ろを走るダージリン

 ダージリンの必死な様子はラーラを困惑させた。人らしい感情の無い、氷の人形とまで罵った相手だ
 それが今は、哀れなほどに泣き喚いている

 「待って!」
 「離れろ」
 「ゴーレムが望むならもっと強くなる! 戦いが貴方を満たすなら、私がそれになれる! あの炎の魔術師のように敵と戦えと言うなら、誰よりも上手く戦って見せよう!」
 「離れろ、クソッタレ」

 ゴッチはダージリンの腕を捻り上げ、それから乱暴に突き飛ばした。尻餅着いて倒れるダージリン
 明確な拒絶にダージリンは絶望の表情を浮かべる。ゴッチは全く感情の無い無表情のままで、冷たくダージリンを見下ろした


 「イライラするぜ、お前」


 呼吸を止めたダージリンの横をゴッチは擦り抜けていく

 「…………クソッタレゼドガンは何処へ行きやがった?」

 涼しげな大剣の男はロクショールを担いでとっくの昔に逃げ遂せたようだった


 非常に残念だとゴッチは感じた。ゴッチはもう誰でも良いから、ぶちのめして、ぶちのめして、ぶちのめしたい気分だった


――


 「きょーうだい」

 妙に鼻に掛かる声を出したレッドに、ゴッチは露骨に眉を顰めた

 ゴッチの屋敷は喧騒に包まれており、ロージンとラーラが必要な指示を出している。ゴッチは一人執務室に篭り、ジッと身体を休めている

 激しく傷付いた身体は問題ない。しかし、それによって消耗している所を下部組織のゴロツキ達に見られる訳には行かなかった

 傷を負って尚怯まないのは見る者に畏怖を植え付ける。しかし弱弱しい姿を晒すのは良くない

 「誰も入るなと言った筈だ」
 「堅ぇ事言うんじゃねーだぜ」

 じくじくと痛む三つの傷は漸く肉が盛り上がってきた所だった。ピクシーアメーバの再生能力を阻害し得る条件は幾つかある。許容範囲を超えた湿度。そして超低温下での代謝能力の停止。他にも少々
 だが、氷柱を腹にぶち込まれた程度ではそんな事にはならない。魔術と言う奴は矢張り言い表せない何かがある

 「ほら」

 レッドがゴッチの目の前、黒檀の執務卓の上に腰を下ろし、赤いギターを出現させる。空中から滲み出るようにして現れた真紅のフライングVの光沢に、視線が吸い寄せられる

 「敵意を解いて。誰にも見せられなくても、俺は信用してくれだぜ」

 レッドが物静かにアルペジオを始めた。フライングVのボディに埋め込まれたミニアンプが優しく鳴き始める

 青い燐光がゴッチの周囲に浮き上がる。それらはゴッチの傷に吸い寄せられていき、じわりと熱を持った

 「うわぁ、ダっちゃん結構マジだぜ。よく生きてたなぁ、兄弟」
 「あんな甘ったれに俺が殺せるかよ」
 「クリムゾンジャケットのソロライブをお楽しみ下さいだぜ。四十分ぐらい」

 ゴッチは目を伏せた。レッドは何も言わずに弦を弾き続ける

 「……レッド」
 「うんー?」
 「…………首尾は」
 「ルークちゃんは上手くラグランと繋ぎを取ったみたいだぜ。その内吉報を運んでくるだぜ?」
 「……なら、良い。ここまで暴れたんだ。成果なしじゃ笑えねぇ」

 聞きたいのはそんなんじゃねぇだぜ?

 レッドはすまし顔で言って見せる

 「……ダージリンは、何なんだありゃ」
 「何なんだって何なんだぜ」
 「何にビビッてやがる。病気だぜ、アイツは」
 「……まぁ、精神病になったってしゃーねーだぜ。朝も、夜も、飯の時も、眠る時も、所構わずふとした拍子にダっちゃんは囁き声を聞くのさ」
 「囁き声……?」

 レッドは唸った。似合わない顰め面をしていた

 「ねー兄弟」
 「……」
 「ダっちゃんの事嫌いなんだぜ?」
 「あぁ嫌いだね。あんな奴はどこへでも行ってのたれじねば良いのさ」
 「じゃぁ何で気にすんの」

 ゴッチは背を丸めた。ジルダウを恐怖で支配する男には似合わない仕草だ

 背を丸め、腰を折り、片膝を抱え、ゴッチは少年のように身を護った

 「……白い髪、赤い目、華奢な肩、遠慮がちな唇……とかよぅ」

 レッドはアルペジオを続ける。ゴッチの声はか細い

 「本当、嫌になるくらいに……似てやがるんだ……」

 ダージリン、ラーラ、イノンもそうだが、彼女たちが時折見せる仕草、それに重なる何者かの影

 ゴッチは思い出す。レッドは切なそうな顔をした

 「お母さんだぜ?」


――

 後書

 ゴッチは白髪フェチ
 ダージリンはヤンデレ
 ハッキリわかんだね

 今回やりたいことが先行して「コイツはこうじゃねぇだろう」見たいな感覚がバリバリ出ちゃったな……


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