1
孤児の行方なんて地獄しかない。
少年はそう思っている。
偶然に捨てられ偶然に拾われた。
拾い主が邪神を崇めるミトラ教の狂信者だったことも全くの偶然であった。
ミトラ教とは、この世界が始まった時から世界全土に根をはる邪神ミトラを崇める宗教である。
ミトラは信者に計り知れない恩恵を与える。あるものは強力な肉体能力の恩恵を受け、暗黒騎士ダークナイトとして名を馳せる。またあるものは邪神への信仰を糧に大きな魔力を手に入れ、強力な魔法の使い手、黒魔術師となる。黒魔術師が邪神のみから糧を得るのに対して、白魔術師は炎神エフタルや水神ミリエル、各々の信仰、もしくは性質に合った神から力を借りる。しかし、その力は黒魔術師に及ばないということから、邪神は神の中でもとくに力の強いものである。
ミトラはとりわけ強力な力を持つ邪神だった。信者たちの教義によると、世界を創造したのはミトラであり、よっていま地上を我がもの顔で闊歩しているのは、世界を奪い利用する他の神々の被造物たちだとされる。それゆえ他の神の被造物を破壊することにより世界を開放し、ミトラの元へ取り戻すのが彼らの悲願である。
「あほくさ。」
パタン…、とギトは本を閉じる。ここはギトが所属している、教団の図書館だ。どうもここにあるのはバカバカしいか、暗くてじめじめした気分の悪くなるような本しかない。
仕方ない。いつも通りあそこへ行こう。
ギトは走る。友達はいない。仮に異教徒なら、同じぐらいの歳ごろの子供はみな、生贄にされる。彼らの教義によると、異教徒がすこしでも長く生きて神聖なるミトラ様の世界を汚すことは、とんでもない罪ということになる。よって異教徒を殺した際、対象が若ければ若いほど褒められることになる。もっとも、信者でさえミトラの忠実な道具としてのみ存在がゆるされるのであり、決して自分のために生きることはできない。
信者の間で子供を作ることは大変厳しく禁じられていたので、彼らは布教によってしか数を増やせなかった。それでもまったく数が減らないところをみると、ミトラという神はよっぽど魅力があるのだろう。少なくともその力には他の神の追随を許さないものがあった。
少年は石づくりの堅固な建物に着いた。門番はいない。異教徒は誰もこの都市には入れないからだ。ここはハイエルダーク、ミトラ教の一大集落都市である。聖都や王都の生え抜きの騎士団でさえ、この周辺には近づくことさえできない。
少年は扉の前に行き、なにやら呟いた。すると金属製の重い扉がさび付いたような音を搾りだしながらゆっくりと開く、少年はほんの30センチばかり開いた扉に細い体をくぐらせる、するとまた扉はすぐに閉まった。もちろん、中は真っ暗である。
少年がまた何事か呟くと、小さな手の中に、ふっと赤い火がともる。本当に赤い、濃いオレンジのような、心まで温まるような色の火だ。この暗黒都市には、まこと不似合いな色あいだった。しかし少年の手は全く焼けない。
明りを得た少年は何事もなかったように階段を下る。
長い長い階段だ。
ギトはこの暗黒都市ハイエルダークには、数少ない少年である。
子供は通常生贄にされるか、あらたなる信者の卵として、次の世代をになう邪神の道具となるため、訓練を受ける。少年の教育は、一線を退いた年かさの信者が受け持つのが通常であるが、ギトの教育者かつ保護者は例外的に若く、たいへん重要な役割を持っていた。
すなわち今この少年がいる施設、ミトラ神への生贄収容施設の獄卒である。収容施設の、歴史は古く、ギトの教育者の教育者のそのまた教育者にいたるまで、その成り立ちから知る者はいない。
「来たよ、ミストラルティン。」
「思った通りの時間だ。」
四肢を鎖に繋がれた老人は、にっこりと笑った。
普通の生贄と違い、力ある魔術師や他の神の眷属はより長い時間をかけて彼らがミトラから奪ったとされる力、世界の一部をとり返さなければならない。生贄の力に応じて、数週から数ヶ月、まれに数年かけてじわじわ殺すのである。より大きな世界の一部をミトラの元へ還すことが、教団の最高の目的である。
「時間? なんのこと?」
「うん、君がこの塔に入ってことが、すぐにわかったから。」
「嘘だろ?」
「まだそこまで感覚はにぶっとらん。」
老人の手足は限りなく細い、それぞれがありえない方向に捩じくれ、もはや鎖が解けたとて立つことすらままならないだろう。
「ホラ話はいいからさ、また地上の話をしてくれよ。」
「法螺ではない、といってもな、この姿では信じてもらえないか。」
ハイエルダークは大なる地下都市である。少年はまだ、太陽を見たことがない。
「…さぁ、頼むから、ここから出る協力をしてくれ。」
老人の言葉にギトは顔をしかめて答える。
「ふざけんな、ただの暇つぶしなんだよ、オマエは。」
「…まったく、こんな環境は、子供の性格も歪めるよ。」
悪意はないのだろう、少年はすぐに普段の顔に戻ると不思議そうに尋ねる。
「それにさ、あんたが、言うほど偉いってんなら、自力で出れるだろ? ってゆーか、オレは何もできないし。」
老人は苦しそうに目を細める。
「私は闘っとる、いま、この瞬間も、すこしでも油断すると、やつのエサだ、この鎖はミトラの穢れた触手、建物全てが、ミトラの胃袋、もっとも、やつの胃はどこにでもあるがね、全てを食い尽くすために。貪欲な邪神、いかれた破壊神。」
「今の、大人が聞いたら、気ィ狂うよ、ま、オレはなんともないけど。」
「悲しいなぁ、世の大人の大半は、あの穢れた神がいかにののしられようとも、気にしない者ばかりなのに。」
「オレには、あんたの話がホントかわからないよ、その、太陽ってやつもみたことないし、海ってやつも、…ぜんぶあんたがホラかもしんないと思ってる。」
「法螺ではない。」
「……。」
どこか、臓物の内部を思わせる、暗い、牢獄の中で、老人の声は、異常なほど大きく響きわたる。
「炎を出せ。」
「えっ?」
「教えた通りに、前に。」
「…われは小さきものなれど、汝の恵みを知る、力をお貸しください、エフタル。」
その途端、ギトの掌の火は、ごうごうと立ち込める、オレンジ色の火柱と化した。
「ほっほう、どうだ、これが太陽だ。」
「…おれ、この火の色だけは好きだな、ここじゃ火はぜんぶ、青か白だもん。」
「ミトラの火だ。全てを焼き尽くす、が、決して熱をもたない。凍えるように冷たい火だ。」
老人と少年は、黙って炎を見つめる。一時は、2メートル近く上がっていた炎もやがて勢いを弱め、元の掌大の大きさに戻る。
「やはり才能がある。そして、その才能はミトラのものではない。」
「じゃあ、誰のもんだよ、エフタルか? それとも前話した、ミリエル?」
「君のものだ、君自身の、将来と魂のためのものだ。」
「はぁ? なんだよそれ。」
「さぁ、こっちに来てくれ、力を貸してくれ、わしに、触れてくれるだけでいい。それの力ある限り、決して邪神になんか負けはしない。」
「…異教徒に触ると、魂が穢れるんだよ。」
「一体だれがそんなことを。」
「…ボルク、」
「あの獄卒? みるからに低能の。それで君は信じているのか?」
ギトは首を振る。
「あいつは嫌いだ。 教育係だけどすぐ殴るし。俺だけじゃない、クナッハも、ピザリだって殴る。」
「友達か?」
「友達はいない、戦闘訓練のときに、ときどき相手になるだけだ、オレと同い年で、二人だけ、生き残ってるの。」
「戦闘訓練?」
「殺し合い。」
「…。」
老人は急に目を閉じる。
「どうしたの?」
老人は目を閉じたまま動かない。
「…ミストラルティン? ミストッ…、」
「しぃー。」
耳を澄ましながらミストラルティンはいう。
「どうやら、愛しのボルクどののご登場のようだ、低能仲間と、あわれな、犠牲者がまたひとり…。」
「うそだろ? ど、どうしよっ。」
「落ち着きなさい。いますぐ、もと来た道をまっすぐ戻ればいい。この塔を下る道はひとつではないから。出会わないはずだ。」
「そんなのわかんないじゃん!」
「見える、といっただろ、まだそこまで、」
「ほんとに?」
「いますぐ、帰ればな。」
「わかった。」
ギトは階段を上りかけ、急に振り向き。老人に語りかける。
「ミストラルティン。」
「…。」
「いつまで俺と会えるの?」
老人は答えない。
「ミストラルティン。」
「早く行きなさい。わしは今から眠ったふりをする。本来ここにつながれた者は、大半意識を失う、ここで、こうして、わしが起きて話しているのが、見つかれば、もう二度と会うことはできん。…行け。」
今度は振り返らなかった少年は、駆け足で階段を上った。その足音は軽く、猫のようだった。あれなら決して見つかることはあるまい。
老魔導師ミストラルティンは少年のあとを少しだけ目で追い、かすかに微笑む、
「この国も世界もなにひとつ邪神のものではない、そのことを教えてやらんといかんな。」
老人がそう呟くと、
「…ぁぁぁあああー!!」
メノン地下塔には、新たな犠牲者の叫び声が響いた。
2
「邪神」ミトラ、ここでは全てがソレを中心に回っている。最もここでソレを邪神と呼ぶのは、1年前に知り合った老魔導師と少年のみ、しかも少年はソレを心の中でしか「邪神」と呼んだことはない。口に出せば首が飛ぶ。しかし、心の中ではそう呼ぶ。老人の口癖が移ってしまったのだ。しかし老人の前以外ではもっぱら「創造主様」とか「至高の神」などと呼んでいる。
「創造主様に感謝せよ。」
食事はいつも祈りのあとだ。
祈りのあいだ皆が目を閉じている中、少年はそっと目を開け確かめる。ほかに目を開けているヤツはいないか、ひょっとしてみんな本気なのだろうか? 本気で信じてるのか? 神を。なんのために? 救いはないというのに。
ただ少年の思いとは別に、どうやら神はいるらしい。ほんとに神がいなければ、この暗黒都市が今日まで永らえているはずがないだろう。
いつの間にか祈りが終わり、食事が始まる。誰一人騒がず、ただ黙々と食べる。ミトラは静寂を好むのだ。
塩気の薄いスープに、それに浸さなければ歯が立たないようなかちかちの黒いパン。
肉は出ない。邪神様の好物だから。人間はより低い世界の一部とされる植物しか食べられない。少年自身も肉を食べるなんて正直気持ち悪いと思っているが、ある老人から得た情報よると、肉とは大変うまいものらしい。
とにかくうんざりだった。食事も、祈りも、なにもかも。
他の人間は感じないのだろうか? 少年はこっそりと辺りを見回す。大食堂にいる人間はみな大人ばかりで、少年より、頭2つ分は背が高い、だが誰も少年の視線に気づかないようだ。皆、己の皿にのみ視線を落とし、黙々と食べ続けている。
少年は叫びたくなるのをこらえた、衝動のままに振舞えば、それが命取りとなることぐらいはわかる。皆と同じように己の皿に目を落とし、同じように食べ始めた。この12年間ずっと続けてきたように。
宿舎では、一つの部屋に大勢の人間が寝る。だが食事のときと同じように、騒ぐものは一人もいない。ミトラの教えには、言葉を慎め、という教えがある。道具は喋るな、ということだ。宿舎は男女別に分かれ、やはりギトの部屋に少年は一人だけである。
2段ベッドの下の段で薄いマットレスに挟まって眠る。今日が過酷であったように、明日も過酷だろう。ときどき、自分が同じ日々を繰り返しているのではないか、と思うときがある。しかしその感覚は、1年前、あの老人に会ってから、すこしだけ変わった。明日は戦闘訓練だ。しっかり寝ないと明日が人生最後の日となる、そう思ってか、ギトはすぐ眠りに入った。
3.
それはあまりに未熟な太刀筋だった。たしかに鍛錬はしている、ただ、才能がないのだ。ギトは簡単に相手の懐にもぐりこむと、首筋にナイフを滑らせた。鮮血が飛ぶ。
ためらいはない。いつもの光景。自分より頭1つ分半は大きい青年の体が、地面に沈みこんだ。
才能あるいは経験の違い。生まれたときから地獄の中にいたギトは5歳のときから訓練を始めていた。
異質な自分が今日まで生きてこられたのはこの才能のせいかもしれないと思う。
ミトラ神は強い者を好む。常に自分のための、より強力な破壊者を望んでいる。
ギトは見たことないが、ミトラ教団の中にはダークナイトと呼ばれる特殊な階級の戦士たちがいる。
彼らはその戦闘力をミトラ神に認められ、教団の敵対者を滅ぼすことと引き換えに、なんと人並みの、いや、人並み以上の暮らしをしているのだという。ギトにはまるで想像がつかないが。
それは神と同じように肉が食べれる、ということも意味するらしい。ただ、目の前に転がった青年の肉を見て、とても肉が食べたいとは思えないギトだった。
円形の闘技場には客席がある。神への奉仕に直接的につながる戦闘は、教団にとって大きな関心事である。客席は常に満員である。ただ、闘技場にはランクがあり、ギトの闘うこの競技場は下から2番目のモノ、教団幹部が観に来ることは滅多にない。
青年の死体は早々と片付けられ、次の相手が現れる。
クナッハだった。
この都市では珍しい13歳の少年は、ギトと比べると頭一つ分背が高い。黒いぼさぼさ頭のギトとは違い、その茶褐色の髪は丹念にそりあげられている。クナッハはミトラ神につかえる僧侶の卵だ。
その両手に握られている棍棒の恐ろしさは、先ほどの未熟な青年のブロードソードと比べ物にならないことをギトは知っていた。
ギトは短いナイフ2本で闘う。持ち前の身軽さで相手を攪乱し、隙をついて仕留めるのが得意なやり方だ。しかしクナッハにはこの手はなかなか通じない。お互いが相手のくせを熟知しているのもあるし、クナッハの守りは非常に堅い。教団以外の国の大人の騎士のレベルなど遥かに超えているだろう。
ギトはクナッハと、これまで10回近く闘って、ただの一度も決定打を与えたことがない。それはクナッハも同じで、だから2人ともまだ生きているわけだったが。
はじまりの合図の鐘がなる。
クナッハが構えをとる。左手の棍棒を前に突き出し、右手を高く上げる。攻めの体勢だ。
ギトは構えをとらない。ナイフと棍棒では、打ちあっても勝ち目はない。よってなるべく、どんな攻撃がきてもかわせる体勢をとるのだ。
クナッハはすばやく踏み込んできた。高くかかげられた右手の棍棒がギドめがけて唸りを上げる。ぐわんと空気までが歪む。ギドは間一髪でかわすが、2撃目が来る。左手の棍棒が横殴りにせめてくる。
ギトはバックステップでかわしつつ、ナイフを相手の胸めがけて投げつける。
棍棒は信じられないほど素早く動き、それをはじいた。ナイフは歪んで、ひしゃげ、地面に落ちる、もう使い物にならない。
距離をとり、ズボンのサイドのホルダーから、換えのナイフをとりだす。追いかけるクナッハ。
クナッハの動きはギトの記憶よりずいぶん速い。よほど訓練したんだろう。腕力にしても、先程のナイフの状態をみればその成長がわかる。じっさい成長期らしく、背は一段と伸び、全身の筋肉は盛り上がっている。
自分は12歳にしては背が低い。同い年といえばピザリにしか会ったことがないが、ピザリは女だ。でもなぜだかわかる。筋肉もあまりつかない。日々鍛錬に鍛錬を重ねているが、クナッハのような筋肉はつかない。どうも、自分は一生このままなんじゃないかという気さえする。
そんなことを考えていると、先ほどまで顔があったところに棍棒が飛んでくる。無意識によける、それが可能な自分の体に感謝する。
ギドは筋肉がないように見える。頭の先から足の先まですらりとしている。だから初めて見る相手は油断する。どうとでもできる雑魚にしかみえない。
だが速い。ギトの身体能力は素晴らしく高いのだ。
ギトは一瞬でクナッハの体の下に潜り込み、2つのナイフは左右別々の方向から、首を狙う。
身長差からしてもクナッハにはギトが消えたようにしか見えないはずだった。
初対面ならこれで決着がついていただろう。
だがクナッハはただではやられなかった。左手の棍棒で、右手のナイフをへし折り、右手の棍棒をギトのアバラに叩きこんだ。
ギトのアバラの左側は数本粉砕した。
そして、左手のナイフは…クナッハの右のノドに刺さっていた。
だが、クナッハのノドからは不思議なほど血が出ない。それどころか、両手に棍棒をしっかりと握ったまま、ギトの方に歩いてくる。先程の機敏な動きと違い、ゆっくりと、しかし確実に。
客席から大きな歓声が上がる、たしかにノドにナイフが刺さったまま、敵に止めをさすその姿は、ミトラの道具としては、この上ないほど完璧な姿だろう。
客席からは、クナッハに対する応援と止めのコールが起こる。
ギドは一回だけ体勢を立て直そうとして、諦めた。立てない。アバラは少なくとも、4、5本は折れている。左半身が燃えるように熱い。たとえ立ったとしても、いまの自分にクナッハに止めをさす力はない。いままで自分が、幾人にもそうしたように、止めをまつことにし、目を瞑る。
(……あれ、こない?)
目を開けると、クナッハと目が合った。ギトのすぐそばに立っている。かすかに笑っている気がする。ミトラの道具としての賞賛が、それほど嬉しいのだろうか。
だが、その口からとんでもない一言が飛び出した。
「…オマエは、ミトラに全てをささげるか?」
「…はぁ?」
客席の歓声は今が最高潮だった。それは、ギトとクナッハにしか聞こえない会話だった。
「……いやだ、オレは。」
「……だよなぁ、やっぱ。」
「え?」
クナッハは満足げにそう言うと、焦点のあわない目で、ノドのナイフに手をかけ、
「おいっ…なにを?」
「…ピザリもさ、いやだってよ。」
引き抜いた。
鮮血の雨がギトに降りかかる。
「…じゃあな、頑張れよ、ギト。」
はじめてクナッハと話した。
もしかしてクナッハは、ピザリとも話したことがあるのだろうか?
自分より頭一つ分大きな、新しい死体が生まれる横で、ギトは気絶した。
もう歓声は聞こえなかった。
4.Sideギト
気がつくとベッドの中にいた。見たことのない個室。もうアバラは痛まない。なにもかも麻痺しているみたいだ。死が近づいて来ているからかもしれない。一応、包帯がまかれているみたいだけど、もうムリなのは医者もわかってるんだろう。
医者たって、医者の名をかたるタダの信者でしかないけど、とにかく、手は尽くしてくれたらしい、机の上にポーションが置いてあるし。でも取りに行く力はない。
教団は強者に甘い。自分が強いとは思わないけど、まあそこそこ頑張った方だったは思う。
最後の相手、クナッハは確かに強者だった。戦士として(一応僧侶だったけど)だけじゃなく、人間としても強かった、最後にちょっと話しただけだったけど、そんな気がする。というか、ノドにナイフささってるまま、平然としてるとか、人間を超えてるとしか思えない。それにしてもあいつ。
(・・・・あんな、声してたんだ。)
いつもはさ、闘うときの、「ふんっ」とか「ぬんっ」とかいう声しか聞いたことなかったんだよな。というか、あいつ、最後になんていったっけ?
「…オマエは、ミトラに全てをささげるか?」
そうだ、それだ。教団の僧侶の決まり文句。これに答える言葉はひとつの種類しかない。
「はい、喜んで」とか
「創造主のお心のままに。」とか
オレも、もちろん、
「至高の方のためなら、たとえなんであれ…、」あれ、ちがう、ちがう、たしかこう言った。
「……いやだ。」
そうだ、死ぬときぐらい、はっきり本音を言ってやろうと思ったんだ。
そしたらあいつも。
「……だよなぁ、やっぱ。」
って。本音を吐きやがった。
邪神を信じてないのは、俺一人じゃなかった。
もうね、ぶわっって感じで、涙出てきた。声も出そうと思ったら、声は出なかった。
それぐらい体は死にそうなのに、涙はとめどなく溢れてくる。つーか、涙? いつぶり? 初めて? じゃないよなぁ。流石に。
最後の最後に、ほんの少しだけスカッとした。これで安心して死ねる。
そう思うと急に意識がぼんやりしてきた。いままで、闘技場で散々殺してきた相手に比べるとずいぶん穏やかな死に様だと思う。
・・・・
・・・・・
・・・・・・ん?
・・・・・・・あれ、そういえば、あいつ、最後にもうひとつなんか言ってなかったっけ? オレのナイフ抜いて、こう、血がぶわって、なりながら。・・・・なんだっけ?
思い出せない。まぁ、いいか。
・・・
・・・・うーん。
・ ・・・・・うーん。えーと、たしか、
「…ピザリもさ、いやだってよ。」
あ、そうだ。ピザリだ。あの無愛想女。
凶暴な、オレより攻撃的で、
でも、強ぇんだよな、アイツ。ああいうの、天才っていうのかも。
黒い髪がながくてさ、色白で、
目じりがこう、きゅっと上がってて、ちょっとキツめで、
あれ、アイツの特徴、結構おぼえてんな、オレ。
いやぁ、思い出せてよかった、じゃ、おやすみ。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・
いきなり目が覚めた。ぼんやりしてた脳が回りだして、アバラからは、激烈な痛みがかえってきた。
「…最後、…アイツ、…頑張れ?」
ノドからは、かすれた声が出てきた。
体をムリヤリにベッドから引き剥がして起き上がると、頭が、がんがんと鳴り響く。
うるせぇ、うるせぇ。
合わない焦点を合わせ、辺りを見る、え~と、たしか、…あった!
机の上の、ポーションの瓶を掴む、気が抜けると落としそうだ、慎重に、慎重に…。
情けないことに、フタがなかなか空けられない。あぁ、落ち着けオレ。
「ポンッ」という音と共にふたが開く、と同時に何滴かこぼれる、もったいねー、ポーションなんて、生まれて初めてお目にかかるのに。
震える手で掴み、ゆっくりと口内に注ぎ込むと、すげー、1口目で腕のふるえが止まった。
2口、3口と、飲むごとに、体に活力がもどるのが、わかる。それにしても、このシュワーと、するのはなんだろう?ガス?まぁ、おかげで、えらく、口当たりがいいけど。
飲み干すころには、全身に力が漲り、しっかりと立てるどころか、もう一戦できる気にさえなっていた。
そして…すぐにそれが錯覚だったことに気づく。
たしかにもう痛みはないが、傷自体は全く治っていない。
ポーションといえば、魔法薬、どんな傷でも、飲むだけで治る、なんてイメージがあったけど、それは、本物の魔法薬だったらば、話だろう。
この薬はせいぜい、強力な強壮剤、兼、鎮痛剤。それだけでもたしかにすごいけど。よく考えたらオレなんかにそんな薬を与えるハズがない。敢闘賞というか、楽に死ねっていうか、まぁ、餞別って、やつだろうな。教団からの。
痛みはじきに戻ってくるだろうし、2、3日のうちに死ぬことは免れない。なんせ、アバラが半分からくだけてんだから。
でも、もうオレには死ぬ気はなかった。ポーションのおかげか、それとも、グナッハの言葉がこびりついているせいか。それになんとなく、ピザリとはもう一度会いたいと思う。会うとしたら、闘技場で、だろうけど。
いま、オレの頭は、かつてないほど、はっきりしている。
行くべきところは、ただ、ひとつ。
本人曰く、偉大なる白魔導師、ミストラルティンのところだ。